英雄の境界 (みゅう)
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第一章 生命の価値 (入試~USJ)
第1話 入試での出会い


 朝の通勤ラッシュはまだどうにも慣れない。特に今日みたいな特別な日なら尚更だ。そう、今日はあの名門たる雄英の入学試験当日なのだ。

 

 ただ時間に割と余裕を持って家を出たは良いが、上手く通勤ラッシュの荒波に見事なまでに捕まってしまった。英単語帳に目を通しながら有意義に移動時間を使うなんて夢のまた夢。痴漢冤罪防止のため両手をしっかり上げて吊り革にしがみつくだけの不毛な時間が過ぎて行く。

 

 俺の兄であるターボヒーロー、インゲニウムが栄養ドリンクの吊り看板に載っていることを見つけたのが、移動時間中唯一の嬉しかったことだ。

 

 掲げられた『頑張れ』の一言を見て、今朝兄さんから送られて来たメールを思い出す。期待に応えなくてはならないな。吊り革をグッと握りしめ、俺は誓いを新たにする。

 

 退屈な時間が終わり、電車からようやく解放されたと思いきや、洪水の如く氾濫する人の波に押し流され、気がつけばいつの間にか改札を潜り抜けていた。

 

 駅舎から一歩外へ出て、冷たさを帯びた新鮮な空気を肺に取り込む。やっと一息つけた。

 

 そう思った視線の端に映るのは俺の前方を歩くポニーテールの女学生の姿。今日この時間にこの場所を歩いているということは俺と同じ受験生だろう。雪のように白いダッフルコートに赤いマフラーがやけに目立つ。背丈は俺とほぼ同じぐらいだろうか。女性にしては割と大柄のようだ。

 

 前方の彼女は時折手元の地図を確認しながら進んでいるようだが、特に道を間違えているわけでもないのでその少し後ろを俺は歩き続ける。無論俺は昨日の内に下見済みなので迷うことはありえない。

 

 そう歩き続けること15分くらいのこと。20メートルほど先の歩道橋を降りる女性の姿が、ふと何気なく目に留まる。そして次の瞬間。グラリと、その体が傾いた。

 

「マズいっ!」

 

 俺の個性を使えば────いや、公道で使うのは危険だ。

  

「きゃっ!」 

 

 一瞬、小さな声が耳に届く。しまった、俺はあそこで躊躇するべきではなかった。前方を歩いていた女学生も女性の声に気付き、向かいの道路へと駆けだした。俺もその後を追う。

 

「大丈夫ですかっ!?」

 

 歩道橋から足を滑らせて転がり落ちた女性を女学生が介抱する。転落したのは20代後半ぐらいの臨月間近の妊婦。止まらないような大きな出血箇所は見当たらないが、お腹を押さえている様子からして、これは母子共に緊急事態だろう。

 

「ねぇ君、救急車をお願い! 応急手当ては任せて。私の個性は回復系だから。受験用に医療道具も一通り持って来てる!」

「わかった。だが無理や曖昧なことはしないようにな!」

「忠告ありがと。余計なことはしないし、状態把握も個性でできるから」

「了解した。そちらは任せるぞ」

 

 ならば電話は土地勘のある俺の方が適任だ。携帯に手をしながら時計表示に眼をやる。まだ大丈夫だ……

 

「もしもし、救急車の手配をお願いします────」

 

 連絡中に横目で見る限り、彼女の手際は実に手慣れていたものだった。彼女はマフラーを外して丸め、枕代わりに地面に置き、女性を移動させる。次に気道の確保と意識確認、手持ちの救急セットで軽い切傷の洗浄と止血を迅速に行っていた。そして今は両手を妊婦の腹部に当て続けている。

 

「救急病院までそう遠くない。あと五分もすれば来るはずだ」

「良かった。連絡ありがとうね」

「君こそ、その手際見事なものだ。それで女性の状態はどんな感じだ?」

 

 声こそ俺の方を向いているが、彼女の瞳は女性の腹部を見つめ続けていたままだ。それこそ瞬きさえしているのかも怪しいほどにその視線には鬼気迫るものが宿っていた。 

 

「お母さんの方は大丈夫だけど、赤ちゃんの方がちょっとまずいかも。私の個性:『活力(バイタリティ)』でなんとか繋ぎ止めてはいるんだけど」

「それは傷を癒す類の力なのか?」

「ううん、ちょっと違う。直接癒す力はないけれど体力を上げたり健康にするって感じかな。今の私は診断装置兼延命装置ってところ」

 

 ざっくりとした説明だったが、それでもかなり希少な個性だろう。事故はそのものは不幸だったが、彼女がたまたま居合わせたのは本当に幸運だった。白いコートが所々血で赤く染まっている。まるで外科医みたいだなという感想がふとよぎった。 

 

「そうだね。だから私が間に合ってよかった。今は赤ちゃんの体力を上げて、衰弱しないようにしているところ。多分、この後、帝王切開とかもあり得るから元気にしとかないと」

「緊急事態だから無断使用を咎めるつもりも、周りに伝える気もないが、君も将来の事を考えるならば今回の行為は秘匿するべきだ。幸い今は他に人がいない」

「うん、そうするね。口止めありがと」

 

 そして実際に救急車が到着したのは電話口で伝えられた倍以上の時間が経ってからのことだった。本当ならそろそろ試験会場に着いておきたい時間だ。あまり余裕はない。そんなことは彼女もわかっているのだろうが、彼女はこんなことを口にした。

 

「私、病院までは付いて行くことにしたから。君のおかげで大体の位置関係わかったし、病院からタクシーでいけばすぐっぽいし」

 

 そして彼女は俺の耳元に口を近づけて「手を繋いでいるだけでも効果があるから、少しでも長い方がいいと思うんだ」と小声で言った。こっそり個性使うのも自分の時間を割くのも、これはあくまでも彼女自身の判断だ。害がある個性ではなさそうだし、そうまで本人が言うのならば止める理由はなかった。

 

「確かにそこからタクシーならばおそらく間に合うな。だが俺はそろそろ向かわないと不味いだろう。それでは先に失礼する。君も雄英志望なんだろう? くれぐれも遅刻するんじゃないぞ!」

 

 雄英の学舎は広大だ。中に入った後も時間が取られることを予想すると、徒歩ではあまり余裕がない。軽いジョギング程度に走る必要はあるだろう。

 

「わかった。じゃあまた高校で会おう! ありがとね。未来のヒーロー!」

 

 背中に向けられた声は、通り過ぎる風よりも何故か心地よかった。

 

  

 

 

 

                  ×           ×

 

 

 

 

 

 

 そして再び彼女を見かけたのはテスト用紙を配布し始めたときのこと。窓の外から聞こえるサイレン。それは警察や消防ではなく、救急車のもの。 

 

 まさか、とは思った。そしてその通りにガラス越しの風景は移り変わっていく。正門前に飛び込んできた救急車から現れたのは血が滲んだ白いダッフルコートの人物。

 

 病院を連想させる特徴的な出で立ちは、歩道橋の下で出会った彼女に間違いなかった。

 

 そして学科試験の一限目終了後、放送で名指しされたときの心境はたまったものではなかった。病院側とのすり合わせのための事情聴取後、結果的に別室で受験できることになったものの、どこか落ち着かない気分だ。

 

「あれほど言ったのに君という奴は……結果的に受験できたから良かったものの、本来なら遅刻だったんだぞ」

「いやぁ、ちょっと容態が落ち着くまで離れにくかったしさ」

 

 一応罪悪感はあるらしい。ハキハキと喋る彼女にしては珍しく、ボソボソと歯切れが悪い。

 

「それで救急車か。職権濫用を招いていいのか?」

「誤報で雄英まで来たって設定らしいから大丈夫じゃない? 私は居ないことになってるけど。リカバリーガールに恩が大分あるみたいだよ、あの病院。受験のこと言ったら気を利かせてもらっちゃった」

「それで俺まで呼び出しか」

「それはゴメンって」

「ん? そう言えば俺は君に名乗って居なかったはずだぞ。どうして俺の名前を?」

「救急車に連絡するとき名乗ってたでしょ?」

「そう言えばそうだな。今更な気もするが改めて自己紹介しよう。俺は聡明中の飯田天哉だ」

「私は猪地巡理(いのちめぐり)。学校は九州のド田舎だからまぁ別にいいでしょ。できれば三年間よろしくね」

「あぁ。お互い級友になれるといいな」

「だね」

 

 そんな自己紹介もほどほどに二人だけの学科試験が始まる。学科ごとの休み時間に口頭で答え合わせをしてみたが、猪地くんは中々に学業が優秀なようだ。

 

 俺もボーダーラインは確実に超えている自信はあるが、彼女はケアレスミスがない限り、間違えていないとまで言い切っている。将来的に医師免許も取るつもりらしいので、その学力は疑いないものなのだろう。

 

 そしてなんとか全学科試験を終わらせたは良いが、昼休みを削っての試験だったため用意してくれた母には悪いが弁当を食べる時間が10分ほどしか残っていなかった。こうして今は二人でそれぞれ持参して来たオレンジジュースと果物を詰め込んでいる。弁当は実技試験後に食べるしかあるまい。

 

「猪地くん、初対面の女性に失礼かもしれないが、いくらなんでも間食にバナナ一房は多くないか? 緊張して食べすぎじゃないのか?」

「私の個性は果物とか生野菜を食べておかないといざと言う時に使えないから、沢山取らなくちゃいけないんだ」

「それは難儀だな。しかし栄養面ではビタミンたっぷりで良さそうだ」

「まぁね。でも肉とか果物以外の甘味を取る分の胃袋がね。いつも残らなくて……飯田君は個性に制約があったりする?」

 

 胸の辺りを押さえる彼女の声と表情は暗い。食べたい物をあまり食べれないのはさぞ辛いことなのだろう。

 

「あぁ、俺は100%オレンジジュースだな」

「ジュース?!」

「意外か?」

「ちょっとね。でも100%ってあたりが飯田君らしいかも。あ、そう言えばこれで私たち食事制限仲間だね。でも市販の果物ジュースなんて数年ぶりに飲んだなぁ。冬場はほぼ毎日ミカン食べてるけれど、オレンジジュースも結構良いもんだね」

「それにしてもさぁ……」

 

 オレンジジュースを片手にミカンを流し込むという暴挙を犯しながら、ぐるりと教室を見回すと彼女は言葉を続けた。それにしてもどれだけの果物が入っているのだその鞄は。

 

「教室を二人で貸し切りって凄いよね。何か優越感的なの感じない?」

「優越感という感覚には共感しかねるが、偉大な先輩方の過ごした教室だと思うと感慨深いな。その貴重な時間を邪魔する者がいないというのは悪くない」

「良いよね。この両手を広げられる感じとか」

「そうだな。今の内にストレッチでもしておくか」

 

 両手の指を組み頭の上へ。そして左右に揺らす様にして両肩の関節を動かす。

 

「のんびりしようという意味で言ったのに真面目だねぇ。それにしても実技って一体何やるんだろうね。どう思う?」

 

 眉のあたりで切り揃えられた前髪の下から覗くどんぐり眼をぐるりとさせながら彼女は問いかけてきた。

 

「二人一組の模擬戦や、個性の評価テストなどと言ったところか?」

「まぁ何かしらの形で戦闘能力や個性を総合的に見るんだろうねぇ。腕相撲とかなら絶対負けないのになぁ……ないかぁ」

 

 わざと聞こえる様な溜息をしながら彼女は言う。もしかしたら体力の増強というのは自らにも適応されるのだろうか?

 

「ないな。増強型の一強じゃないか」

「だよねぇ。レスキュー訓練か対人戦でありますように」

 

 両手の指を組んで願うように彼女は言った。しかし彼女に都合の良いことばかりは続かない。

 

 

 

          ×          ×

 

 

 

「ロボ、機械……全部非生物、しかも戦闘だけ?」

 

 プレゼントマイクから実技試験の説明を受けた後の彼女は顔を強張らせ頭を抱え込む。それこそ機械のように同じような語彙の言葉を繰り返していた。

 

「どうしよう。私の一番苦手分野じゃん……よりにもよってロボかぁ」

 

 物見遊山ならば帰れと、俺が叱責せざるを得なかった縮れ毛の彼に匹敵するほどに、猪地くんの独り言は酷いものだった。

 

 彼とは事なり彼女は場を弁えており、症状を発したのも会場を出た後のため、あまり強くは言いたくないが正直気が散る。彼女にも指摘せざるを得ない。

 

「それは何度も聞いた。得手不得手があろうとも、他の受験生とて相手は同じだ。君ばかり不幸だと言わんばかりの態度は良くないぞ」

「不幸とは思っていないけど。私は頭を動かしてなきゃいけないの。時間がないのはわかってるんだから真剣に熟考できるのは今だけだもん!」

 

 凄い剣幕で言い返された。俺ももっと他に言い方が俺にもあったのだろうか。眼を細めた彼女は独り言を再開した。

 

「拳でロボットと闘うの? 一番脆いのってのはどれくらいの固さだろう。拳戟通るかなぁ。通らなかったら私の個性、超役立たずじゃん。トラップなんて10分で大量には無理だしなぁ……」

 

 青い顔の彼女が言うには、彼女の個性は機械との相性は最悪らしい。だが顔色と裏腹に、滞りなく彼女は準備を進めている。

 

 一息の間に畳み掛けるようなシャドーや、鉤爪付きのワイヤーロープを巧みに扱う様子を見る限り、体術はなかなかのものなのだろう。

 

「でも、精神系なんかの攻撃手段がない個性持ちへの救済がないってこともないと思いたいけれど」

「確かに言われてみれば、それは気になるな」

 

 テレパシストやヒーラー、ステルスなどの強力な個性持ちであっても、この試験内容だとどれだけ役に立てるだろうか。雄英出身にもそういったヒーローが多数存在する以上、何らかの評価システムの存在は考えられるだろう。

 

「未知のメンバーで急造チームを組むことをあえて前提にしているのか、それともそもそもポイント制が虚偽であるか。うーん」

「疑うほどキリがないな。会場が同じとは言え、協力はできないぞ。何しろ敵の数や配置も未知数。そして時間もたった10分だ。まるで競争を煽るような仕組みみたいだ」

 

 俺自身は今回の戦闘に必要な機動力と破壊力は備えているので問題ないが、彼女たちにとっては現時点で運営側の意図を読み取ることを強いられている。

 

 そう思うと幾分居心地が悪いが、今の自分に手助けできるのはスタートまでの会話だけだ。

 

「こんな市街地で、互いの個性も分からない人たちがいっぱいで、しかもプロヒーローじゃなくて、おおっぴらに能力行使できない中学生たちばかり。同士撃ちの事故とか、建物の倒壊とか、もしかして……」

「何か気付いたのか?」

「あくまでも可能性の一つだけど、一般人役の存在がステージに紛れ込んでいないかなって」

「戦闘試験に見せかけたレスキュー試験か。有り得なくはないな」

「今の内にちょっと探知してみるね」

 

 彼女はステージの方をじっと見つめ、ときどき目をしっかりと閉じては見開く動作を繰り返している。回復に加え、索敵まで可能な能力か。汎用性が高いな。

 

「うーん、多分だけど内部に人間は居なさそう。自分で言ってみてガッカリだけど、小動物っぽい反応しか見当たらない。監督役っぽい人は四方の壁にいたけど除外していいよね」

 

 目を擦りながら、困ったと呟く彼女。落胆しているものの、これだけ事前に頭を回して行動できるのだ。ただただ彼女は真剣だった。そんなところに水を差してしまった先程の俺の言動を少し後悔した。

 

 近くで固まっているあの縮れ毛の彼や、そんな彼を笑い物にしている気楽な連中と、彼女との差は歴然としている。救急車の時の行動力といい、既に全力の知能戦をする様子といい恐れ入るばかりだ。

 

 不合格など有り得ない。そう思わせるものが確実に彼女には存在する。気付けば俺は慰めにもならない言葉を口にしていた。

 

「今さらだが、俺が聞いて良かったのか? 一つの可能性の否定ということも、君の能力による立派な成果だろう?」

「愚痴を聞いてくれたお礼でいいよ。まぁ飯田君はガンガン倒しちゃって。もう時間ないだろうし、私も方向性は決めた」

「これは興味本位だが、どうするか聞いても?」

「どうせ大量に仕留めるのが無理なら、あえて私は戦闘は避けられないもの以外は捨てる。そんで在りたいヒーロー像と、有用性を全力でアピールする」

 

 拳を空に掲げ、胸を一つ叩く仕草。さっきまでの歪んでいた口元が、三日月のようにつり上がっていた。

 

「救助しか能がないもんね。ポイントとか意図とか知るもんか。むしろそれで落とされたら見る目がない奴らだって笑ってやるつもり」 

 

 僅かにしか稼げないであろうとはいえ明らかにされた得点を得るチャンスを棒に振るなど、とてもじゃないが俺にはできない。不確実極まりない希望の入り混じった推測によるものなら尚のことだ。

 

「君が雄英を見定めるというわけか。豪胆だな。俺には絶対にできない」

「誉めてもらっても、これ以上果物とか持ってないよ?」

「いや、もう充分だ」

 

 手を前に突き出し制す俺と、両腕を組みながら背中を丸めて茶化す様な態度で笑う彼女。そんな気の抜けた会話をしていたのも束の間のこと。

 

「はい、スタート!」

 

 さらに気の抜けるような言葉が唐突に空から投げ込まれる。プレゼントマイクの次の言葉を受け取るまで、これが試験開始の合図だとは誰一人として思いもしなかっただろう。

 

 ようやく事態を飲み込んだ俺たち受験生は一斉に走り出す。当然、お互いに頑張ろうとか、励ましの言葉を送りあう間もなく、猪地くんと分かれた。



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第2話 暗転する運命

「はぁ、はぁ……こうも絶え間ないと。流石に息が切れるな」

 

 絶え間ない、というよりは絶え間なくさせているという方が正しい。

 俺の個性による機動力の高さを武器に、他の生徒が戦闘に入る前に敵を破壊し続けるようにしてきた。

 ポイントは52。それなりに稼いでいる方だという自覚はある。もう残り時間も3分の1を切った。

 

 仮想敵も恐らくは残り少ない。そろそろ場が硬直するのも高校側も見越していたのだろう。

 躓きそうになるほどの振動と轟音。

 振り返れば、想像の10倍以上に大きな脅威がそびえ立っていた。

 

「あれが0点のギミックか。まるで山じゃないか」

 

 猪地くんの言うとおり、裏があるとすればこの敵は50点くらい与えられていてもおかしくはない。

 あわよくばと考えてはいたが、これは誰にも無理だ。

 何センチあるかもわからない分厚い装甲と、考えるのも馬鹿らしいほどの質量をもった相手だ。手に負える訳がない。

 

 巨大化の個性を持った敵が特に市民から恐れられるのも今ならば理解できる。

 無理をする必要はない。俺は当然そう合理的な判断を下した。

 

 他の生徒たちに混じって入口方面の開けた場所を目指し、逃走を開始する。

 阿鼻叫喚。そう表現しても良いほどに場は混迷としていた。皆ギミックを怖れ、我先にと逃げていく。

 

 だがたった一人、流れに逆走するものが居た。

 白いジャージを身に纏い、ワイヤーロープの束と簡易救急箱を腰に下げた一つ結びの少女。それは間違いなく────

 

「猪地くん?!」

 

 思わず足を止めてしまった。

 しかし俺の呼び掛けにも気付かず、一心に走り抜ける彼女。

 向かわんとするその先には瓦礫に足を挟まれ、動けなくなっていた茶髪の女子生徒がいた。

 

 まだギミックまで少し距離はある。

 瓦礫も小さく、すぐに助け出し逃げ切れるだろう。

 しかし足を痛めているであろう者のことを考えてみると、俺も手伝うべきだろう。

 

 そう考えていた矢先のこと。

 それはあまりにも突然の出来事だった。

 

 

 

 

「あ」

 

 

 

 

 たった一音。

 彼女が言葉を発したのはそれが最後だった。

 

 意識を失ったかのように重力に身を任せた彼女は膝から崩れ落ちる。

 そして彼女は全力疾走の最中。都合良く慣性が消えるわけがなかった。

 無防備な顔面をアスファルトに強打。

 呻き声一つあげることもできないまま彼女は地面を転がり、そして動かなくなった。

 敵から攻撃を受けたわけでも、何かに躓いたのでもない。

 だが「倒れた」という事実がそこには存在し、それが命の危機を呼びこもうとする。

 

「起きてっ!」

 

 瓦礫に足を挟まれていた少女がもがきながら悲鳴を上げる。

 不味い。助けなければと、両脚に力を込めた。レシプロ────

 

「……僕がっ、やらなきゃ!」

 

 俺の言葉ではない。 

 

 俺が駆け出すよりも一瞬早く。

 だがしかし決定的な一瞬の差を以て。

 彼は、あの縮れ毛の彼は動き出していた。

 

 通り抜ける一陣の風。

 舞い上がる砂埃。

 太陽を背負うかのようにして宙を飛ぶ。

 

 思わず脚を止め、それを目で追った。

 

 断言しよう。

 俺は自らがそのとき為すべきことを忘れ、その雄姿に眼を奪われていた。

 

 そして決着も一瞬の出来事だった。

 

「SMAAAASH!!!」

 

 雄叫びと共に振り上げる一撃。

 たったの一撃だ。

 

 あの建物よりも大きなロボットが粉砕された。

 

 その光景を目にした誰もが絶句し、そして連想しただろう。あのオールマイトを。

 ただそこには強大な理不尽を破壊する圧倒的な暴力が在った。

 そして抗う術もなく崩れゆく超巨大ロボットは、背にしたビル群を瓦解させながらその活動を停止した。

 

「はっ、猪地くんと、瓦礫の彼女を……」

 

 空から大地へと視線を戻す。

 瓦礫に挟まれていた茶髪の少女は自力で抜けだし、倒れ伏した猪地くんの下へと駆け寄っていた。

 そして眼を赤く腫らしながら彼女は衝撃的な言葉を発する。 

 

「ねぇ、ねぇ、私どうしよう……この人、呼吸が止まってる」

 

 呼吸が、止まっている。

 呼吸が、それは一体誰の?

 

「……いのち、くん?」

 

 いやこれは試験だ。

 ここには(ヴィラン)はいない。 

 それなのに何故?

 

 その言葉が示す意味を、すぐに受け入れられるはずがなかった。 

 だがそこに更なる追い討ちをかけるように茶髪の少女は次の言葉を口にした。

 

「それにあのロボットをやっつけてくれたあの人も……」

 

 指が示す先は青く広大なキャンバス。

 そこに一点のシミのように映る、黒い小さな影。

 

「まさか──落下、しているのか?」

 

 そこにはもう一人、現在進行形で死に向かっている少年が居た。

 

 

 

 立ち止まっている暇はない。分かっている。

 迷うことも、間違えることも絶対に許されない。

 だからこそ今この瞬間は落ち着け、落ち着くんだ。

      

「落ち着きたまえ。安心しろ、リカバリーガールが待機しているはずだ。すぐに俺が連れて行く」

 

 茶髪の少女への言葉の半分は自分へ向けたもの。 

 そうだ、優先順位を間違えるな。彼の方が先だ。あのまま落ちれば確実に死ぬ。

 

「俺がアレをどうにかして来るまでの間、君は意識の確認、気道の確保から手順通りに人工呼吸を! やり方は習ったな?」

「う……うん。実践は初めてだけど、私やってみる」

 

 自信のなさそうな返事が返って来るが、彼女を信じるしかあるまい。

 細かな指示を出す余裕などもうどこにもない。

 

「借りるぞっ!」

 

 猪地くんの腰元から鉤爪付きのワイヤーロープを掴み取り、縮れ毛の彼の下へと向かう。

 

「頑張って! メガネの人!」

 

 既に声は彼方へ。

 

 2速(あげろ)────────足場など、気にするな。

 

 真下で受け止めても二人とも肉片に成り果てるだけだ。

 最高速度で斜め上から突入でダメ-ジを抑え、ロープで勢いを殺す。右腕は捨てろ。 

 

 3速(あげろ)──────最短を進め。

 

 衝突の直前にエンジンの全出力で衝撃を減らせ。

 

 4速(あげろっ)!──最速で。

 

 チャンスは極一瞬。

 速度を、タイミングを、角度を、落下点を、絶対に見誤るな。

 

 5速(たすけろっ)

 

 

 

 

 

 

 

 間に合った、間に合いはした。スピードも維持できている。タイミングを計れ。

 このまま落下点近くの瓦礫を足場にして、できるだけ高い地点から彼を受け止める準備をしなければ。

  

「つっううわぁあああああああ!!!」

 

 降り注ぐ声。ここまで近くに来てようやく伝わる彼の震え。怖くない訳がない。

 

「ぁあああああっ!」

 

 不味いな。俺の想定よりも遥かに勢いが付き過ぎている。

 より鮮明に聞こえる死へのカウントダウン。そして加速度的に薄れていく救出成功のビジョン。

 このままでは共倒れしかねない。だけど、やらねば絶対に後悔する。……覚悟しろ。

  

「どいてぇええええっ!!!」

 

 生への渇望を込めた絶叫が轟く。

 覚悟を決めたのは、またしても彼の方が先だった。

 

 振り上げた片腕を目にした俺は彼が為さんとすることを察する。

 勢いは決して落とさぬようにしながら、全力で彼が穿たんとする大地から離脱。

 

「やりたまえっ!」

 

 邪魔者はもう居ない。

 

「SMASH!!!!」

 

 再びの咆哮。

 地殻ごと抉り取らんとばかりに放たれた強大な衝撃波。

 

 一瞬の静寂。

 そして大地が弾け飛び、瓦礫の豪雨が重力に逆らいながら降り注ぐ。その一粒の中に彼の姿も在った。

 このまま落下すれば充分致命的な高度ではあるが、一番の問題だった加速は見事に掻き消されている。

 

「今だっ!」

 

 空へと降り注ぐ瓦礫の弾幕に最速での突入を試みる。

 小さなものは無視しろ。大きなものは足場に。

 コンクリートの破片が額を掠め、眼鏡を吹き飛ばす。

 

 だが決して見失うものか。

 再び落下を始めた彼の身体を見据え、最後の跳躍。

 

「つかまれっ────くはっ?!」

 

 肺の中の空気が全て吹きこぼれそうなほどの重い衝撃。

 ズキリと内腑にめり込む命の重み。

 

「僕が、来たぞ」 

 

 決して離すものか。そして改めて抱いてみて始めて気付いた彼の傷。四肢全てが内側から破裂したかのように骨折している。

 こんな恐ろしい反動がありながらも、あの二人のために彼は飛び出したのか。彼を見下していた自分が恥ずかしい。

  

「……オールマイトみたいだ」

「君がそれを言うのか。もう少しの間、しっかりつかまっていたまえ」

 

 テレビの見よう見まねでワイヤーをビルの看板へと投擲する。何とか柱に引っ掛かった。

 あとは何とか落下方向を斜めに変えるべく、ワイヤーを握った右手に力を込める。

 

「うぉおおおおおおっ!」

 

 二人分の体重と加速度、そして急に加わった遠心力の相乗効果により、指の皮が、骨が軋み、引き千切れそうになる。素手で扱うべきではなかったと後悔しても仕方ない。

 これは文字通りの命綱。だがしかし────

 

「ぐわぁああああっ!」

 

 更なる激痛。頭の中が真っ白になりそうなフワリとした感覚が襲い来るが、正気に戻り事態を把握した。

 右肩の脱臼。当然力が入るはずもなく、ワイヤーロープはもう握れない。

 だが元より右腕は捨てる予定だった。あぁ、予定通りだと思え。もう激突の瞬間は近い。

 

 ロープによる軌道修正で、地面よりもビルの側面にぶつかる方が早くなった。

 その瞬間に合わせ、左脚で壁を蹴り飛ばす。

 左脚の裏から嫌な音が聞こえた気がした。大丈夫、まだ脚の指の骨が折れた程度だ。

 まだエンジンは両脚とも健在だ。次こそが正念場、そしてラスト。

 

「頑張って!」

「あぁ!」

 

 迫りくる歪なアスファルト。

 先程の彼の一撃で隆起した道路は凪いだ水面から剣山へと姿を変えていた。

 あれは俺たちを喰い殺さんとばかりに牙を構えて待ち受けている。だが死んでたまるものか。

 

 仰向け気味に体勢を変えて排気孔を地面に垂直に向け、そして全力で解き放つ。

 下半身だけが跳ね上がり、相対的に上半身が地面に近づく。一番危険な体勢だ。

 さらに両脚の太腿を胴体に引き付け、脚が上を向いた状態で水平方向へ排気。

 身体が回転するように、方向と出力を調整。左腕により一層力を込め、彼を庇えるように備える。

 

 衝撃を、逃せっ!!

 

「ぉぉおおおおおおおおおおおおおっ!!!」

 

 空が回る。

 大地が回る。

 世界が回る。

 

 意識と風景が痛みによってかき混ぜられ、僕の五感全てを覆い尽くさんとする。

 

 腕が削れた(いたい)

 耳が潰れた(いたい)

 頬が焦げた(いたい)

 尾骶骨が砕けた(いたい)

 脚の指が弾けた(いたい)

 脇腹が削がれた(いたい)

 太腿が裂かれた(いたい)

 

 痛い。痛い。痛い。形容できない程に痛い。

 だかそれでも──────俺たちは生き残った。

 

 脇に抱えた彼も側頭部や背中に裂傷を負う結果になったが、それでもまだ生きている。生きてさえすれば希望はある。リカバリーガールの下へ、二人を運ばねば。

 しかし当然ながら両脚共に完全にエンストだ。エンジンがかかる気配が微塵も感じられない。だが歩くことは不可能ではない。早く、早く。

 

 「は……く。ぁや、く……」

 

 骨折や脱臼、裂傷その他諸々の負傷が首を締めつけるかのように、俺の呼吸を阻もうとしてくる。

 急げ。早く、早く。

 

「早く、行ってあげて。ここに僕を置いて」

「なにを……?」

「あの女の子たちのところでしょう?」

 

 涙で赤く腫らした瞳を向けて、血が溢れる裂けた唇で、それでも彼は「僕は男の子だから」と言った。

 

「……すまん」

 

 片腕で支えていた重りが無くなり、身体が随分と楽になった。

 恩に着る。これで俺はなりふり構わず走れる。さぁ、ぐらつく足首に力を。最後の力を。

 

『終~了~!!!』

「……うぅううっ、オールマイトっ、ごめんなさい。0Pで終わっちゃった。母さん、ごめんなさい」

 

 試験終了の合図と重なるようにして、背中越しに聞こえた擦れ声。

 振り切るように、今はただ前へ。

 

 

 

 

 

 

「来たっ!」

 

 地べたに座りながら手を振っているのは、猪地くんを任せた女子だった。

 

「私見てたよ。本当に凄かった」

「そ……より。彼女、は……?」

「何とかねっ、授業思い出しながらやってみたら呼吸と脈は戻ったよ。ちょっとゴキッてやりすぎたかもしれんけど……」

 

 そうか。無事か。

 俺は、間違えなかった。間違えなかったぞ(・・・・・・・・)

 

「安心、した。きみに……かんしゃ、ぉ」

「いや、いや、いや。この人こそ私を助けようと元々してくれてたんだし。ふ、ふぁーすときす、無くしちゃったけど、人命には代えられないよね」

 

 あぁ、接吻か。はて、接吻────うむ、人工呼吸のことだな。

 

「って、何言ってんだろう私!? お願い、今の忘れて!!」

 

 頬を紅潮させ、手で頭を彼女は言う。だがそのリンゴのような明るい頬とは対照的に、目の下には三日月形の青黒い隈が異様なほどにハッキリと浮かび上がっていた。

 

「ちょっと私も疲れたみたい。緊張しすぎたんかな、なんだかフラフラするや。何かスーッって眠れちゃいそう」

「きみ、も、隈が、酷い……ぞ」

「隈って、女の子にそういうこと堂々と言うかな、普通?」

 

 女の子に、か。デリカシーに欠けた発言のように聞こえただろうか。だが今の彼女はあまりにも不自然だ。まるで入院患者のような────

 

「おーい、リカバリーガ-ル連れて来たぞーっ!!」

 

 聞こえて来る救援の知らせ。ありがたい。これでもう今の俺にできることは他に何もないだろう。 

 

「でも、なんか私もう耐えられないかも……なんで、だ、ろ……ねむ……く……」

 

 緩やかに倒れこむ茶髪の少女。肩越しに伝わる規則正しい寝息。

 大丈夫。寝ているだけだ。さっきのような事が二度も起こるなど御免被る。

 きっと安心して緊張の糸が切れたのだろう。

 

 あぁ、これでもう安心だ。

 俺も何だか急に眠気が──────────

 

 

 



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第3話 社会からの洗礼◆

「あ、君も来たんだ。飯田くん、で良かったよね。昨日はありがとう」

「当然のことをしたまでだ、緑谷くん。それにしても凄い人だかりだったな」

「そうだね。でも、あんなニュースになっちゃんたんだし、仕方ないかも。裏口から入れてもらえて良かったよ」

 

 試験終了後、痛みで失神していたらしい俺と縮れ毛の男子こと緑谷くんの二人は、リカバリーガールの治癒を受けた後に保健室に搬送され、点滴と小言を受けた後に夕方には解放された。

 

 そして猪地くんと人工呼吸の女子生徒こと麗日くんの二人が総合病院へと搬送されたことを聞いた。生命活動は機能しているものの、衰弱による昏睡。リカバリーガールの治癒では対処不能と判断されたため、特例でそういう扱いになった。

 

 ほぼ同じ時刻に眼を覚ました俺たち二人は迷うことなく病院へと向かうことにした。緑谷くんも麗日くんに試験前に恩を受けていたため、このまま帰るということはできなかったようだ。

 

 幸い、朝の妊婦の件があった病院のため、すぐに駆け付けることができた。

 彼女たちは二人とも人工呼吸器と点滴を受けており、それぞれ隣の特別個室に収容されていた。

 昏睡の原因は不明。猪地くんの個性のデメリットが発動し、なんらかの形で麗日くんにも作用したのではないかというのが病院の見解だった。ただ、個性届には該当しそうな文面は記載されていなかったらしい。

 

 猪地くんの方が衰弱が激しく、予断を許さない状況だったらしいが今は落ち着いているらしい。麗日くんの方は昨日の深夜には意識を取り戻したとのことだ。

 消灯時間を超えそうな頃合いになるまで居座った俺たち二人も耐えかねた家族に無理やり連れ返されたが、今日は既に自由登校の身であるためこうして見舞いに来たというわけだ。窓口で必要事項を記入し、彼女たちの特別個室へと向かう。

 

「君も会見を見たか?」

「うん。朝から雄英、大変なことになってたね。僕たちはすぐに治ったけれど、眼を覚まさないかもってなったらね……クレームが殺到しているらしいよ」

 

 朝のニュースは「雄英の受験生意識不明の重体二名」などという特集と、それに対する雄英の会見でもちきりだった。入学後のプロヒーローを目指す身内ならともかく、入学前の外部の人間が倒れたのだ。騒ぎにならない訳がない。

 当然この病院前にもマスコミが殺到しているが今は入り口で押し留めてくれている。

 俺たち二人も警備員に事情を話して職員用の裏口から来なければ取材の嵐に巻き込まれていただろう。昨日そこから家に帰された時に覚えていて良かったと思う。

 

「行政処分はないと思うが、勧告ぐらいはあるかもしれんな」

「あと、血まみれのゾンビみたいな二人組って証言、多分僕たちのことだと思う。あのインタビューの金髪の人に僕一度助けられたし」

「そうなのか。傍から見れば俺たちの姿も恐怖を与えたのだろうな。助長する一旦を担うことになるとは、悔しいものだな」

 

 彼の言うインタビューも朝から三度ほど見た。単純な出血や、骨折などの怪我という意味でならば、全ての会場を含めても俺たち二人が最も酷かったらしいとリカバリーガールも言っていた。

 そう考えると痛みを感じるなく普通に振る舞えるほどに回復していることに対して、改めて驚嘆を覚えた。

 

「でもすごいよね。インタビューに出てただけでも10人以上でしょう、あの人が助けてたのって」

 

 猪地くんへの感謝の言葉の数々は暗い話題の中において、一際異彩を放っていた。彼女が懸念したとおり、戦闘そのものが初めてであったり不慣れな者のカバー、泣き出した女子生徒たちの出口への誘導や敵の牽制なと縦横無尽の活躍だったらしい。あれだけ凄まじい独り言を漏らしておきながらも、何だかんだで数体の仮想敵も撃破していたとのことだ。

 

 そして極めつき人々の印象に残ったであろうインタビューは、朝の妊婦さんの旦那さんからの感謝の言葉だった。不慣れな土地で入試に遅刻するリスクよりも、救助に当たった彼女の英断は美談として人々から賞賛された。

 

 だが一方で公共の場での個性の無断使用の疑いが浮上してきてしまった。緊急事態ではあるが、不適切な医療行為は対象の生命を更に危ういものとする可能性があるため、原則許されていない。

 彼女の個性も治癒そのものに関わるものとして申請されていないらしく、今回の件にあたってはグレーゾーンな部分が多々あるらしい。俺が黙秘を続ける限り、確たる証拠も存在していないことが救いだった。

 当然その真偽を知っている俺を追って、我が家の前にも早朝からマスコミが来ていたが、兄とその部下たちが相手をしてもらっている間に抜けだすことができた。予めこの展開を予見していた兄さんはやはり凄い。

 

 雄英の対応、倒れた少女の類稀なる自己犠牲精神、個性の公共の場での在り方。視点によって様々な報道が可能な話題にマスコミが喰いつかない訳がない。しばらくの間ワイドショーはこの話題で占められることになるだろうと兄さんも言っていた。

 

「実際には2~30人は居るかもしれないな。レスキューヒ-ローが志望だという話も、理想像を雄英に見せつけてやるんだという意気込みも聞いていた」

 

 あぁ。とても常人には真似できない尊い精神だろう。

 

「しかしだ。猪地くんといい君といい、自己犠牲の精神にも限度というものがある。どれだけの人間が心配をしたと思っているんだ!」

「……えーっと、余計なお世話かもしれないけれど、あんまり飯田くんはそれを人に言えない気がする。だって僕たちゾンビ扱いだし」

「ゾンビか。俺たちが無事試験に合格していたら碌でもない渾名を付けられそうな気がしてならないな」

「どうせ僕はデクだから何も変わらないんだけど……それより気になっていたんだけれど、飯田くん大荷物だね。重くないの?」

 

 緑谷くんの視線の先には俺の持つフルーツバスケットが二つ。リンゴやパイナップル、バナナなどそれなりの重さはあるが、昨日の彼を片腕で運ばなければならなかったときほどではない。だがそれを口にするのは嫌味というものだろう。

 

「普段から上半身も鍛えているからな。それに怪我の後遺症もないようだ。何の問題もない。しかし君の方も随分と豪勢な花束だな」

 

 二つ抱えた花束は小さな彼では落とさないように支えるのがやっとな程のボリュームだ。果たして収まりきれるほどの花瓶があるだろうか甚だ疑問ではある。

 

「お母さんが女の子には花束だから、これを持って行けって押しつけられて。あ、この番号の部屋だったよね」

「では俺がノックしよう。ゴホン、朝早くから失礼。俺は昨日の入試のときの者だが」

 

 籠を左肘と左手首にかけ、空いた右手でノックする。

 

「あ、この声は確か眼鏡の人? どーぞ、どーぞ。入っていいよ」

「失礼します」

「失礼する」

 

 壁越しに元気そうな声が返って来る。ドアを開けると点滴を受けていない方の手で、手を振る茶髪の女子生徒、麗日くんが居た。

 

「二人とも今日もお見舞いに来てくれてありがとう。昨日も遅くまで心配かけたみたいですまんね」

「いや、僕は全然……でも起きてくれて良かった。もう具合悪くないの?」

「おかげさまで! 意外と大丈夫!」

 

 白い歯を見せながら笑う麗日くん。昨日倒れたときと比べればその顔色は歴然の差だ。

 

「その様子なら一安心だな。食事が取れるようになったらご両親と食べると良い」

「おおっ! お高そう。ウチじゃ絶対こんなの買えんから父ちゃんたち喜ぶわ。ありがとう。えーっと、眼鏡の方は確かどっちって言っとったっけ……みど」

 

 昨晩お会いしたご両親から俺たちのことを聞いていたのだろう。だがどちらがというのは判断できないようだ。ここは改めて────

 

「俺の方が飯田天哉だ。それでこっちの彼が」

「緑谷出久です」

「飯田天哉くんと緑谷出久くんね。よし、覚えた! ここに書いてあるけれど、私、麗日お茶子です。よろしく!」

「あぁ」

「うん」

「それで看護士さんから聞いたんだけど、雄英がすごい騒ぎなんでしょ? あ、飯田くんこれ早速頂くね。お粥じゃ足りんくって」

 

 俺の渡した果物籠からデコポンを取り出し「これがデコかぁ」と剥きはじめる彼女。

 

「うん。外もマスコミだらけだったよ。出るときは職員用の裏口使わせてもらった方がいいかも。僕たちもそっちから来たし」

「あーもしかしたら、父ちゃん、母ちゃん下で捕まってて遅いんかなぁ」

 

 窓の外を眺めながら心配そうに言った彼女。綺麗に剥いた身を一口頬張り「何これ、うまっ!?」と呟くと更に食べる速度を早める。気に入ってもらえたようで何よりだ。

 そして隣でもじもじとしていた緑谷くんがようやく彼女に花束を差し出す。

 

「あ、麗日さん。これ、お見舞いに持って来たんだけど、花瓶とかってあるかな……」

「緑谷くん、綺麗なお花ありがとうね! 花瓶はわからんけど、今日退院らしいから、このまま持って帰ろうかな?」

「あ、そうなんだ。じゃぁこの辺に置いとくね」

「それで私、聞いたんだけど、隣の猪地さんってまだ眠ったままなんだよね……?」

「そうみたいだな。俺は一度隣の様子を見て来る。もしかしたら好物の果物の匂いで起きるかもしれないからな。これだけでも置いて来る。花は後で花瓶を購入して来て生けよう。麗日くんも暇だろうし、緑谷くんは残っていると良い」

 

 そう言い残して部屋を立ち去る。もしかして冗談に聞こえただろうか。

 ただ彼女のために俺ができることは、救急車の件を必ず黙秘することと、もし起きた時のために新鮮な果物を用意することだけだった。

 

 

 

           ×              ×

 

 

 

「貴方、毎日来ているんでしょう。偉いわね」

 

 顔なじみになった担当の看護士さんと眼が合う。毎日、か。まだたったの5日程度だ。

 

「いえ、褒められるようなことではないですから」

 

 短い時間とは言え、共に過ごした仲だ。彼女に対しての心配も大きい。しかし、拭いきれない罪悪感が俺をここまで連れてきているのも事実。

 

 猪地くんの急な気絶がもし個性の反動という仮設があたっているとすれば、俺が妊婦と胎児への彼女の個性行使を控えさせておけば、こんな事態にはならなかったのではないか。

 

 勿論、命に関わっていたのだ。全部を止めるべきだったとは言わないが救急車に彼女が付きそうのは、今思い返してみると過剰な対応だったように思える。

 

 いや、そもそも俺が妊婦の転倒に駆けつけるのが間に合っていたら。そんなもしも話を考える夜がしばらく続いている。受験の結果発表より何よりも、彼女の回復の知らせが早く来ないかと待ち続ける悶々とした日々を、俺はこの5日間過ごしていた。

 

「もう知っているとは思うけれど、これを貴方に渡そうと思っていたの」

 

 看護師さんから手渡されたのは男性週刊誌。俺みたいな中高生や、この人のような若い女性が普通読むようなものではない。一体、何があった?

 

 水着の女性のグラビアの周囲に張り付けられた低俗な見出しの数々に眼を凝らす。ひときわ目を惹く「雄英」と「少女I」の文字。間違いなく猪地くんのことを差しているイニシャル。目次を探し、該当ページを探す。

 

「きつい内容だとは思うけれど、貴方は読むべきだと思うわ。病院の中でも噂になってる。この子が起きた後、何も知らないままでは守れないわよ」 

 

 低いトーンで投げかけられる意味深な言葉。そしてすぐにその意味を知る。

 

「少女I、その両親は(ヴィラン)。問われる雄英の情報管理能力……」

 

 猪地くんの両親が、(ヴィラン)。確かにそう書いてある。

 並ぶ言葉を必死に眼で追う。そして怒りを忘れぬよう、声にして脳内に刻みこむ。

 

「父親は人気ヒーローを1名殺害した強盗犯。母親は(ヴィラン)専属の闇医者エンドレス。少女Iは(ヴィラン)のエリート教育を受けていた」

 

 そんな馬鹿な。あれほど誰よりも英雄らしく。自分自身を顧みない彼女の両親が(ヴィラン)だなんて、そんな馬鹿な事があり得るはずがない。

 

 しかし雄英関係者や助けられた受験生、そして例の旦那さんが猪地くんを訪ねていたことは知っていたが、両親らしき人が来たという話は聞かなかった。来れない事情が何かしら存在するのは間違いない。

 

 この記事が嘘であって欲しいと願いながら次へ読み進める。

 

「エンドレス。ビックネームの(ヴィラン)の殆どが頼りにするという闇医者。死なせた患者は存在しないと噂されるほどの腕を持つ伝説の存在。元々は個人病院を経営していた通常の医者だったが、(ヴィラン)への医療行為が発覚した後に指名手配。そして行方を眩ましたという」

 

 医者の娘。個性が在る程度遺伝に関わるものだということを考えれば、猪地くんの母親も同じような個性を持っていたに違いない。そしてその実力が抜きんでていたことも容易に想像できる。

 

 しかし壮絶な猪地くんの人生が綴られていたのはここからだった。眼を背けたくなる感情を抑え、脳内に文字をインプットしていく。

 

「指名手配により母親が蒸発後、困窮したI家。食事もままならない生活に耐えかね、10年前に父親は強盗を決行。そこへ偶々通りがかったレスキューワンが確保しようとするも、ナイフで胸を一突きにされ返り討ちに遭い殉職。少女Iもその現場に居合わせたという。応援に駆け付けたヒーローに囲まれ父親は投降、そして服役中に牢内で首を吊り自殺した」

 

 僅か数行。だがその数行がどれだけ悲惨なものなのか。これっぽっちも想像がつかない。

 「蒸発」「困窮」「強盗」「殉職」「服役」「自殺」と日常生活からあまりにもかけ離れた言葉の数々がそこには記載されていた。まだ文章は続く。

 

「親戚の元を転々とした少女Iだったが、学校では大人しく成績も常に一番を維持。惜しくも合格を逃したが雄英に並ぶ超名門、士傑高校への推薦を受けるほどだったという」

 

  西の士傑。確かに九州に住んでいれば雄英よりも近い士傑を志向するのも当然だろう。だが続く文章には「母親譲りの頭脳」「不合格は両親が原因か」などと記載されていた。

 

「校則で禁止されていたアルバイトを某八百屋で行っており、高額な書籍や、親族の方針に逆らい雄英を受験するための費用に充てていたという証言がある」

 

 これはおそらく真実、またはそれに近い情報だろう。彼女の個性は燃費が悪い。預かり先の親族が厄介者扱いの彼女に、食費がかさむ果物を大量に与えていたとは考えにくい。そう考えれば辻褄は合う。

 

 本もきっと医療関係のものだ。脱落した医学生などから中古品を買い集め、将来のために勉強していたとあの昼休み彼女は言っていた。決して娯楽のための金銭ではないはずだ。

 

「──────規律破りの少女Iに雄英生としての資格があるのか否か。本誌はそれを知りながら合否をどう決めるべきなのか、読者諸君と雄英の経営陣に是非問いたい」

 

 そんな言葉で特集は締められていた。できれば、彼女自身の口から聞きたかった。

 

 それから更に10日。合格通知も配られた。当然俺は合格していたが、実技試験においては敵ポイントが52、そして猪地くんが睨んだとおり救助ポイントなるものが存在し、それも破格の59。総合でなんとトップを取ったらしい。

 

 緑谷くんとも隠された評点の可能性の話をすることで、彼を宥めていたが的外れでなくて良かった。この評価制度なら間違いなく彼も合格圏内だろう。俺の救助ポイントに関しては正直なところ最後のスカイダイビング以外は評価されるべき部分は殆どなかったと考えているからだ。緑谷くんの救助に関して言えば、僕と同等かギミック破壊した功績による追加の点数は少なからず付いてくると考えていいだろう。

 

 麗日くんも時間こそオーバーしていたが、ギリギリの人工呼吸も評価されてしかるべきだと俺は思っている。

 

 そして当然それならば、狙って救助ポイントを稼いでいた猪地くんが「実技試験」が理由で落とされる可能性はまずありえない。学科も休み時間に口頭で答え合わせした限り、俺よりもわかっていたはずだ。

 

 なのに、まだ目を覚まさない。目を覚まさないままかもしれない。そう思い始めていた日のことだった。

 

 

 

 

           ×              ×

 

 

 

 

 全力で階段を駆け上がる。

 

 咎められるべき行為だということはわかってはいる。

 

 だが、理屈じゃないのだ。どうしてその脚を止めることができようか。

 

 着いた! ノックをすることさえ忘れ、その扉を勢い良く開ける。

 

「うわっ!?」

「猪地くん!!!」

「ちょっと、いきなり心臓に悪いから……飯田くん、私はもう大丈夫だよ」

 

 ようやく。ようやくだ。

 

 眠り姫は目を覚ましてくれた。

 透き通るような白い肌と長い黒髪が朝の光に照らされて、暖かな色に染められる。

 体温が、まるで生気そのものが戻って来たような印象を何となく俺は受けた。

 

「果物、ありがとうね。もうちょっと元気になったら頂くから」

 

 手にしたリンゴに口づけしながら、上半身を起こした元眠り姫はそう言う。

 

「良かった。もしかしたら目を覚まさないかと……」

「聞いたよ。私が倒れた後、ロボットから守ってくれたり……その、じ、人工呼吸、とか、してくれたりしたんだって? 本当にありがとうね」

「いや正確には俺は何もしていない。ロボットをやっつけたのは緑谷くん、人工呼吸は麗日くんだからな。俺がしたのは緑谷くんのフォローと、人工呼吸の指示ぐらいだけだ。礼なら二人にしてやってくれたまえ」

 

 自分で言葉にしてみれば、本当に彼女に対しては何もしていない。せいぜい毎日の見舞い程度だ。

 

「う、うららかくん? ってそれ誰の事?」

「君が最後に助けようと駆け寄った茶髪の女子だ」

「あぁ茶髪のあの子────って女子じゃん! 女子じゃん! 婦長さん嘘つきじゃん! だぁああああああっ、もうほんなこつ!!」 

 

 突然頭を掻き毟る猪地くん。点滴を嵌めた腕まで動かしているのでそれを制する。

 

「落ち着きたまえ! 急に具合が悪くなったのか!?」

「せからしかね! このバカチン!」

 

 リンゴを顔面に投げられた。受け止めた手の平が思いの他痛い。腰の力が入っていないとはいえ、中々に良い投球だ。リンゴを元の籠に戻す。

 

「かなり元気になったようだな」

「飯田くんが果物持って来てくれたからね。これがあれば私はすぐ元気になるよ。ありがとう」

「見舞いすることの多い兄さんが勧めてくれた果物屋だからな。味は保障する」

「うん、とっても美味しそう。見ただけでわかるよ。あと、もしよかったら飯田くんにお願いがあるんだけれどさ」

 

 そう言って彼女はサイドボードの引き出しから一つの封筒を取り出した。

 

「一緒に、見てくれないかな?」

「いいのか?」

「うん、ちょっと怖いから。誰かと一緒がいい」

 

 雄英高校からの受験結果の通知。封筒を開けると投影器が作動を始めた。

 

『私が投影された!』

「オールマイトだ。アップだと更に濃ゆいね」

「それにしても何でオールマイト?」

「今年から雄英の教師になるらしい」

「おぉ、そりゃすごいね」 

『今これを君が見ているということは、無事目が覚めたということだね。まずは快復おめでとう!!』

 

 某クイズ番組のようにピカピカに輝くライトが飾られたセットを背景にあのオールマイトがスーツ姿で司会をしていた。俺のときと同じだ。

 

『まずは筆記、これはパーフェクトとまでは行かなかったが、それでも断トツの全受験生トップ。他の受験生と違うスケジュールになって大変だっただろうに、この結果はアメイジングな結果だ!』

 

 画面越しでも迫力のあるやたらと大きな拍手と賞賛の笑い声。そしてオールマイトは言葉を続ける。

 

『そして実技、敵ポイントは6点という結果。平均値よりも低く、当然不合格になる値だが……救助ポイントという隠された採点基準があった。このポイントの詳細な報告は君にはおそらく不要だろう。この採点基準だけならば筆記と同じく君はこれまた断トツの1位、過去最高の点数更新という栄誉付きだ。実は君に関してはこの試験の構造に気付いていたのか、それともその類まれなる自己犠牲の精神性からか、というのが教師陣の中でも少し揉めてね。私としては両方であると踏んでいるがどうだったかな? いずれにせよ。君は非常に高い水準で合格基準に達している』

 

 ということはつまり────

 

『猪地巡理くん、合格おめでとう!! 周りがなんと言おうとも、ここが君のヒーローアカデミアだ』

「合格おめでとう」

「うん。ありがと」

 

 簡単に一言だけ祝福を送る。まだオールマイトの言葉は続きそうだったからだ。

 

『君の復帰がいつになるかわからないことや、世論の影響、最下位合格者の点数が被っていたこともあり、君は定員枠外の補欠合格者扱いということになっている。これならば例え君の復帰が今年中でなくても入学可能だ。いつでも我々は君を待っている。だから安心して万全の体調で入学して来ることだ。それから、もう知っていると思うが、君が置かれた立場は非常に苦しいものになるだろう。だから最後に私から一つ言葉を送ろう』

 

 拳を掲げたバストアップの画像が俺たちの方へとぐいぐい迫る。すごい圧力だ。

 

Plus Ultra(さらに むこうへ)!!』

 

 その言葉で通知の言葉は締めくくられていた。

 

「飯田くんも合格だよね?」

「あぁ、俺も、君も合格だ。しかも読み通りだったじゃないか。見事だ」

 

 右手を彼女に向かって差し出す。握り返される手は入院中とは思えない程しっかりしたものだった。

 

「これから同じ雄英生だ。改めて3年間宜しく頼む。猪地くん」

「うん、よろしくね。飯田くん」

 




何となくこれからの方向性を感じていただけたでしょうか。

原作とは違った方向に少しずつ飯田くんは動き出します。
しっかりした作品にしていきますのでこれからも宜しくお願いします。

2020/4/1追記
主人公紹介

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第4話 1年A組

「てめーどこ中だよ。端役がっ!」

 

 入学早々、教室の扉を開けた瞬間から言い争いになるとは思いもしなかった。しかし一体何様のつもりなのだ。机に、それも雄英の机に脚をかけるなど不遜にも程があるというものだ。雄英生の一人として、爆発頭の彼を注意しないわけにはいかなかったのだ。

 

「全国から集まるこの雄英でわざわざ出身中を問うなど、身の程が知れてるな。だがあえて名乗ろう。俺は私立聡明中学出身の飯田天哉だ」

「聡明……いや、てめーがあの(・・)飯田か。てめーは絶対にブッ殺さなきゃなぁ!?」

「何なのだ君のその言葉遣いは。よくそれでヒーロー科を受けたな!?」

 

 立ち上がって、睨みつけて来る彼。間違いなく幼児が見れば泣き出しそうな眼力。眉間に刻まれた皺といい、顎を突き出して来る仕草といい、コンビニ前にたむろっているチンピラたちの姿が思い起こされる。

 

「あの眼鏡が実技と総合一位か」

「ていうか、あいつ血塗れの奴じゃん」

 

 ヒソヒソと聞こえて来る声。やはり見ていた者がここにも居たのか。確かにチラホラと見覚えのある生徒が数人いる。

 

「い、飯田くん、かっちゃん! ちょっとみんな退いてるから止めた方がいいんじゃあ……」

 

 聞き覚えのある声。緑谷くんが教室の入り口から心配そうな声で呼びかけて来る。彼も同じクラスだったのか。それと「かっちゃん」という呼び方からして、同じ中学の出身者なのだろうか。

 

「デク! てめーは黙ってろ。このクソナードがっ!」

 

 更に一段と威圧するような声を発する「かっちゃん」くん。緑谷くんは肩を震わせ、完全に委縮してしまっている。どう見ても良好な関係じゃなさそうだ。

 

 「デク」というのもおそらく緑谷君の名前をもじった蔑称だろう。新しく過ごすメンバーが集まっている場でその名を口にするのはあまりにも酷過ぎる。青ざめた顔で、反論できそうな雰囲気が見えない緑谷くん。

 

「“出久くん”。漢字も読めない奴なんてほっときなよ。それから飯田くんも周り見て。みんな席に着いてる。どうせ調子に乗ってる奴は勝手に沈んでいくんだから」

 

 緑谷くんに助け船を出したのは冷めた声の猪地くん。聞き慣れないトーンがやけに耳に残る。そして俺も指摘されてしまった。確かに今の時点で着席していないのは俺と緑谷くんだけだ。確かに彼女の言うことも一理あるが、見て見ぬふりをするのは雄英生として如何なものかと俺は思う。

 

「あぁっ?! 木偶の棒をデクって言って何が──」

「……ほらっ。もう目を付けられた」

 

 顎でしゃくるという、猪地くんにしては珍しく乱暴な動作。その示す先、廊下の足元には一つの影。

 

「青春ごっこしたいなら。他所へ行け」

 

 まるで蓑虫の如く、寝袋に包まった男が入り口前の廊下に転がっていた。無精ひげのくたびれた顔からして、生徒と呼べるような年齢ではない。

 

「えっ、まさかアレが先生?」

 

 誰かが“まさか”“アレが”と皆の気持ちを代弁してそうボソリと呟いた。そして“アレ”呼ばわりされた男はゼリー飲料を口に咥えながら言い放つ。

 

 

「ここは“ヒーロー科”なんだぞ」

 

 雄英の“ヒーロー科”。その言葉が持つ重みを、入学早々に俺たちは思い知らされることになった。

 

 

 

 

           ×              ×

 

 

 

 

「おーい、緑谷くーん!」

「あ、猪地さん。それに麗日さんと飯田くんも!」

 

 怪しい寝袋の人こと、担任の相澤先生が急きょ行った個性把握テスト。そのテスト中において、指を一本骨折するという結果になった緑谷くん。

 

 放課後すぐに俺たちは緑谷くんの居る保健室へ三人で向かい、その途中の廊下で無事彼と会うことができた。

 

「緑谷くん、指の怪我は治ったのか?」

「うん。リカバリーガールのおかげで。ほらっ」

「おぉっ、こりゃ凄いね。あんなに波長がズレてたのに見事に治ってる。私も治療するところ見せてもらえば良かったな」

「包帯越しでもわかるんだ」

 

 興味津津といった様子で猪地くんが緑谷くんの手を握り、包帯の上を軽く何度か撫でる。

 

「音みたいなもんだからね。目をつぶってても大体わかるよ。ほれっ、これで少し疲れも抜けるでしょ」

「うん、少し楽になった気がする。ありがとう猪地さん」

「いえいえ、どういたしまして」

 

 ごく自然に流す感じで猪地くんは言う。彼女のお人よしは今日も健在な様だ。

 

 猪地くんの話題といえば、退院後は九州から親戚の元を飛び出し、こちらに下宿を借りて生活することになったばかりだ。

 

 入試の騒ぎなどの問題で本来申請していた奨学金は尽く破談となったらしいが、妊婦の件と入試の件を知ったどこぞの富豪が金銭的援助を全面的にしてくれることになったらしい。

 

 その人物の詳細は聞いていないが、推測するに医療関係などの人物から早速青田刈りされたのだろう。

 

 ちなみに麗日くんとも徒歩圏内の近所らしく、時々一緒に食事を作ったりしているそうだ。

 

「健康状態の診断と体力の付与。やはり便利な能力だな。ふと思ったんだが、君とリカバリーガールが組めば、更に効率が跳ね上がるのではないか?」

「でしょう? それ私も凄く思うんだよね。果物の補給がしっかりできていれば大体の怪我はどうにかなるよ。ていうか、そんなことより相澤先生だよ、相澤先生。みんなアレどう思う?」

 

 アレというのは先程のテストのことか。脚力が重視される項目が多く俺もかなり自信があったのだが、4位に甘んじてしまった。半分は成り行きとはいえ入試の実技テストで1位を取ったことに少々浮かれ過ぎていたのかもしれない。まだまだ上がいるということだ。

 

 皆の個性も目を惹くものが多かったが発想や着眼点の面においても、まだまだ上がいるということを思い知った。まさかテストで乗り物を作成しようだなどと誰が思うだろうか。高い壁だ。

 

「俺はこれが最高峰の壁かと思ってしまったのだがな。まさか教師が嘘で鼓舞するとは思わなかった。むしろ見抜けなかった俺たちがまだ未熟ということなのか……」

「飯田くんは真面目だなぁ。順位も良かったし。僕は本当に除籍かと思ったよ」

 

 一度復調した顔色が再び青くなる緑谷くん。靴が踵に引っ掛かっており、上手く履けないようだ。そんな隣で大きく鳴らす様にしてローファーを履いているのは猪地くん。

 

「私、実はさっき通りすがりの上級生の噂話聞いたんだけど、あの先生気を付けた方が良いみたいだよ。去年の一年生を一クラス丸々除籍してるって。何人残るか私たち賭けられてたんだけど」

「賭けごとか、それは法的に不味いのではないか?」

「学食とか言ってたから現行法には抵触しないと思うよ。風紀的にはどうなのって思うけど。というかさぁ────」

 

 大きく溜息を着いた猪地くんは声のトーンを一つ上げて叫び出す。

 

「何なの私たちって見世物扱い酷くない!? っていうかクラス丸々除籍って要するに教育放棄じゃん! 教師としてどうなの!? 職務怠慢じゃん!」

「……何か今日めぐりちゃんカリカリしてる?」

「そりゃイライラするよ。マスコミ対策で私が今日の式の挨拶する予定だったのに、いきなり先生の独断で式すっぽかしだよ? 全部パー。文章考えてきた時間を返せって」

「あちゃー。そりゃ怒るわ」

「それは残念だったな」

 

 どんまい、と猪地くんの肩を叩く麗日くん。挨拶の件は俺も初耳だった。朝から妙に気が張っているなと思えばそういうことだったのか。実技及び入試総合1位の俺に声がかからなかった以上、推薦組と思っていたが違ったようだ。

  

「そう言えば急に話題を変えて申し訳ないが緑谷くん。爆豪くんが何度も君の事を“デク”と呼んでいたがあれは蔑称ではないのか? あの性格上、中学での関係が良好でなかったことは察するが、新たなクラスで定着する前に訂正させるべきだと思うぞ」

「あれって緑谷くんを絶対馬鹿にしてるよね。何なのアイツ。3番も負けたなんて。悔しーい!」

 

 むーむーと言いながらふくれっ面を見せる猪地くん。彼女はスタミナ切れが存在しないという利点は別にしておいても、単純な筋力そのものがずば抜けて高かった。彼女曰く個性による体調管理に基づいた日々のトレーニング効率の高さによるものだそうだ。

 

 そんな彼女の成績は21人仲6位、俺が4位で爆豪くんに一歩及ばず、麗日くんは丁度真ん中の10位、そして負傷した緑谷くんが最下位の21位だった。

 

「かっちゃんは品性はその……アレかもしれないけど、才能は本当に凄いんだ。それにくらべて僕は……」

「そんなことないよ。緑谷くんも入試のパンチも、ソフトボール投げも凄かったもん!!」

「でも、怪我するし……」

「でも少しは制御できたんでしょ? 進歩じゃん?」

「そうだよ!」

 

 二人が自嘲する緑谷くんのフォローに入る。俺も見習わねば。

 

「謙遜しすぎも良くないぞ。緑谷くん。個性に関しての課題が多いのは傍で見ていても分かるが、君がこの雄英に入学できたのは個性のおかげだけではないはずだ。現に俺たちはそれを間近で見ている。もっと堂々としていたまえ。憧れの英雄(オールマイト)はそんな背中をしていたか?」

 

 俺が見上げたその背中は今のように丸く縮こまっていたか? いや、違うはずだ。

 

「そうだね。ありがとう飯田くん。君の言う通りだ。小さな頃からずっと一緒だったからかっちゃんのことは正直怖いし、ビクッてこれからもなるんだろうけれど──でも」

 

 右拳を胸の前で握り締め、自分自身に誓うように彼は言葉を続ける。

 

「僕だって雄英に入れたんだ。やっとかっちゃんと競えるところまで来れた。ここから僕は追いかけて、かっちゃんを超えて、そしてオールマイトみたいな立派な英雄になるよ」

「そうそう。しゃんとしてたら格好いいじゃん」

「うんうん。オールマイトみたいに粉砕、粉砕って!」

「私も見たかったなぁ。その粉砕っての」

 

 段々と緑谷くんの頬が赤みを帯びている。良かった。血の気が戻って来たようで何よりだ。

 

「あと、あの呼び方って蔑称だったんだね。でも“デク”って響きが頑張れって感じで、何か好きだけどなぁ私」

「デクです!」

「いいのか、緑谷くん?!」

 

 そう呼んでくれと言わんばかりに急に肯定の意を示す緑谷くん。どうしたのだ? 

 

「デクくんって呼んでいいってこと?」

「うん、麗日さんのおかげでコペルニクス的な転回というか」

「よく考えたまえ。本当にいいのか?」

「本人が言うんだからいいんじゃない? それからまた飯田くん、シャキーンって」

「何かおかしいか?」

「ううん、いいの。ただ“大きく前に倣え”してて癖なのかなぁって」

 

 このメンバーでそんな談笑をしながら帰ることができる毎日。そんな日が続くとばかりの甘い事をこの時の俺は思っていた。

 

 

 

 

 

           ×              ×

 

 

 

 

 

 来る翌日。午後のヒーロー基礎学、クラスの皆が待ちに待った時間だ。しかも担当教師はあのオールマイト。

 

 早速実践的な訓練をするとのことで被服控除で申し込んだコスチュームを早速着用することになった。許可がなければ袖を通すことが許されない特別なこの服装。

 

 誰もがロッカールームで感慨に浸っている。もちろん俺もそうだ。

 まだ見た目だけかもしれないが、少しは俺も兄さんに近づけただろうか。

 

 そして着替え後の集合地点はちょっとした披露会場と化していた。これ見よがしにマントを見せびらかすも居たり、憧れのヒーローへの想いを語る者など反応は様々だ。

 

 意外な事にあの傍若無人な爆豪君や、緩い空気を纏っている上鳴くんなどは籠手や通信機器の動作を確認しており、意外な一面を垣間見せた。

 

「おっ、飯田くんはやっぱりデザイン寄せて来たんだね」

「あぁ。いずれ兄さんと肩を並べる日のことを考えれば自然とな。猪地くんの方は忍者をイメージしているのか? 意外だな」

 

 肩から肘、太腿を大胆に露出した白い忍者装束。そしてネックガードや指抜きのグローブなどの装飾品。入試のときを思い出す白と赤のコントラストが際立っていた。特に左腕部に装着している円盾は赤十字を弄ったようなデザインをしており、明らかに病院をイメージしているのだろう。

 

 それから腰元や太腿などには革製のポーチを装着している。医療用品などの備品用と見た。

 

「実は中々良いデザインを思いつかなかったから、とりあえず忍者に病院的なイメージを組みあわせてって申請しただけなんだけどね。他はある程度会社任せにしてみたんだけど……ちょっとこれは肌晒し過ぎかなぁ。透ちゃんには流石に負けるけど」

「葉隠くんの事例は特殊過ぎて比較対象としてどうなのか?」

 

 透明化の個性持ちなため、手袋や靴など最低限の装備以外は脱いでいる葉隠くん。見えないが故に大胆を超越したその格好は比較対象として不適切であると俺は思う。

 

「さぁ、皆揃ったな。浮かれているところを切り替えていこう。始めようか有精卵ども! 戦闘訓練のお時間だ!」」

 

 オールマイトの声が市街地を模した演習場に響き渡る。皆が雑談を止め、視線をオールマイトに向ける。

 

 そして提示された今日の課題は2対2の屋内戦闘。英雄(ヒーロー)チームと(ヴィラン)チームに分かれて対峙する極めて実践的なものだ。屋内に侵入する英雄(ヒーロー)チームに想定された条件は、15分以内での核の奪還若しくは相手チームの捕縛。(ヴィラン)チームはその逆の条件になるとのことだ。

 

 チーム分けはクジで行い、残った一人は最後に優秀な3人を加えてのエキシビジョンマッチという形式を取るらしい。 

 その肝心のクジの結果、俺とIコンビになったのが────

 

「宜しく頼む。蛙吹くん」

「こちらこそよろしくね飯田ちゃん。それから梅雨ちゃんと呼んで」

 

 蛙のような異形型の女子生徒、蛙吹(あすい)梅雨くん。昨日はほとんど話せなかったが、個性把握テストにおいても跳躍力を用いた種目などは中々の好成績を残していたはずだ。

 

「梅雨……ちゃん」

「自分のペースでいいわよ」

 

 この年齢になって“ちゃん付け”とはするのもされるのも少々気恥ずかしいものがある。だが本人がそう希望するならそう呼ぶべきなのだろう。

 

 オールマイトが次の箱を用意し、新たなくじを引く。対戦相手の発表だ。できれば2戦ほど他のチームのやり方を見て、ヒーロー側と敵側それぞれの傾向と対策を練りたいものだが────

 

「さぁ続いて最初のマッチは、Hコンビがヒーロー、Iコンビが(ヴィラン)だ!」

「いきなり俺たちか」

「八百万ちゃんと猪地ちゃんが(ヴィラン)チームね。一筋縄じゃいかなそうだわ」

 

 今回は敵同士だが、つくづく猪地くんとは縁があるようだ。

 

「推薦の八百万に筆記トップの猪地、それから実技トップの飯田と蛙吹か」

「こりゃ初っ端から中々レベル高いんじゃねぇの?」

「昨日の個性把握テストでも1位、3位、6位がいるのか。よく見ないとな」

「いや異形型は複数技能持ちも多いし、蛙吹もあなどれねぇぞ」

 

 後ろで誰かが俺たちの事を噂している。あす……梅雨ちゃんや彼らが言うように難敵なのは間違いないだろう。

 

「ハァ。脇、腰、下乳、横乳……Hコンビ、いい……」

「いや峰田。猪地(あっち)は胸が残念だろ」

「上鳴、凶悪なヤオヨロッパイと比べるから見誤るんだ。耳郎を見ろ」

「あぁ確かに。良く見れば耳郎よりはあるか。成程」

「それより見ろよ。何だ飯田のクジ運は。ハーレムじゃないか! 合法的にタッチし放題とかずるいぞ。オイラと代われってんだ!」

 

 この不真面目な会話の主は峰田くんと上鳴くんか。実践前の会話としてはとても不適切な会話だ。それに俺はそんな不埒な事をする人物だと見られているのか?

 

「峰田くん、上鳴くん。君たちの発言は女性に対して失礼に────」

「おらぁあああっ!!」

 

 渾身の右ストレートが二つ。そして鈍い音と嗚咽。侮辱された耳郎くんによる鉄拳制裁が下った。そして女性陣全員と切島くん、オールマイトによるまばらな拍手。

 

「うーむ。腰の入った良いパンチだったが。演習内で行うように。さぁ早速気を取り直して始めよう。Hコンビは先に入ってセッティングを開始。五分後にIコンビが潜入でスタートするぞ。他の皆はモニタールームに移動だ!」

 

 皆の移動と共に俺たちコンビも建物の入口へと向かう。突入までの五分間、見取り図を頭に入れながら作戦を練る必要があるだろう。そんな中、あす……頭の中でも言い慣れないな。梅雨ちゃんが提案をして来た。

 

「飯田ちゃん、一度お互いの個性のすり合わせをしましょうか」

「そうだな。俺の個性は足のエンジン器官によって加速することができる。ギアを上げていくことで段階的にスピードを上げることが可能だ」

「ギア……確か昨日の短距離走でも3速までとか言ってたわね。便利な個性だけど屋内戦ではあまり高い速度まで上げれないと考えていいのかしら?」

 

 鋭い読みだ。彼女もまた中々に頭が回る。こうなってくると今回の組み合わせの模擬戦は、単純な個性比べではなく作戦を如何に読み合い出し抜くかの頭脳戦になるだろう。

 

「指摘の通りだ。だがその条件でも機動力はこのクラスで最も高いという自負はある」

「わかったわ。ありがとう。作戦にもよるけれど、正面突破又は撹乱や陽動を担当してもらうことになるかしら。次は私ね。私の個性『蛙』は蛙っぽいことなら大体できるわ。今回役に立ちそうなのは壁に張り付いたり、跳躍したり、べロを伸ばしたりね。後はピリッとさせる粘膜とか胃袋に物を収納して取り出せることも一応できるわ。この二つはあまり役に立たないでしょうけど」

「対応力の高い強い個性だな。聞いた限りだと、俺が正面から引き付けている間に君には壁を利用した上階への潜入を任せるべきなのだろうが────」

「だろうが?」

「相手が猪地くんだとこの作戦は少々厳しいと言わざるを得ないだろう」

 

 制限時間が15分とある以上、出来るだけ上階に核を設置して時間を稼ぐのが(ヴィラン)チームのセオリーと考えられる。その対策に上階への直接潜入はかなり強力だと考えられるが、猪地くんは対抗手段を持つ。これもまた組み合わせの妙というものなのだろうか。

 

「それはどういうこと? あなた、猪地ちゃんと仲が良いわよね? 個性の詳細はわかるかしら?」

「把握している限りになるが、大元の能力は他者への体力の譲渡と健康状態の診断の二つだ。そして付随する能力で問題なのが後者を利用した独自の索敵能力。生物限定という条件付きらしいが、入試のときも会場全体を一度に探知していた程に範囲が広い。加えて個性以外にも身体能力自体がかなり高めと来ている」

「なるほど。ケロ……潜入もばれちゃうってことね。それに奇襲も不可能で、向こうは逆に奇襲し放題。八百万ちゃんもたくさん罠を作るでしょうし、あの二人控えめに言っても強過ぎるわ」

 

 彼女の言う通り、屋内戦にあたって彼女の個性は強力だ。更に無数の攻撃手段と防衛手段を提供できる八百万くんと組んでくることを考えると、敵対するにあたって最悪のコンビの内の一つに違いない。明らかに俺たちの方が不利過ぎる。

 

 向こうの準備が整う前に強行突破も考えたが、昨日の八百万くんの創造ペースを考えると、簡単なものならば五分の間にそれなりの数を用意できるだろうと思うと、罠の数は決して少なくないだろう。そんな思考が行き詰りかけたところで、梅雨く、ちゃんが新たな質問をしてきた。

 

「でもそれって、戦闘中にもできるのかしら? 索敵は普通それなりに集中の必要があると思うのだけど、猪地ちゃんの索敵の様子はどんな感じかわかる?」

「言われてみれば入学試験のあのとき、何度か目を開けたり閉じたり、かなり集中を要していた節はあったな。捜索範囲が膨大だからあぁだったのかもしれないが、要するに気を逸れている間は索敵できない可能性があるということを言いたいのか?」

 

 俺もそこまで彼女が個性を使っている場面を見ていた訳ではないが、確かに知り合いの探知系の者の挙動を考えるとあり得る話だ。

 

「えぇそうよ。一応こんな作戦を考えたのだけれどどうかしら? まずは一階の正面から飯田ちゃんを戦闘に突入。二人とも同時に罠にかからないように私は後追いで行くわ。そしておそらく迎撃にくるであろう猪地ちゃんと飯田ちゃんの交戦中に私が離脱して外壁経由で上階に向かう。核は飯田ちゃんを警戒して一番遠い5階に置くだろうからそこから当たるわね。あとはなんとかばれないようにして核を捕獲してみるわ」

「実に妥当な提案だな。俺が猪地くんを振り切って上階に向かえれば更にベストか。二人で核に向かった場合は梅雨、ちゃんが陽動で注意を惹いている間に俺が全速力で核にタッチする」

「良いと思うわ。何とかまとまったわね」

「後は離れた場合のこまめな通信は欠かさないように」

「了解だわ。飯田ちゃん」

 

 爆豪くんのような会話を碌にしそうにない者や、こういった細かい相談ができなさそうな者、猪地くんのように時折衝動に任せてしまいそうな者がパートナーではなくて本当に俺は幸運だった。彼女は実に理知的で、協力的だ。

 

 そしてすぐに五分(スタート)が来た。

 



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第5話 模擬戦開始

「よくもまぁ5分でここまでって感じね」

「俺も同感だ。想定以上だな。これは」

 

 予想していた事態が早速目の前に広がっている。が、ここまで見事だと感心を通り越して半ば呆れた様な声になるのも仕方ない。

 俺が加速できないように見えにくい釣り糸のようなものを扉などの通路の要所に張り巡らされて塞がれている。当然の如く入口の第一歩めの時点で糸の罠が貼られていた。それも玄関マットで隠す様にして二重にだ。最初から警戒していなければこれは絶対に気付かない。

 

「構造が単純なものとして、糸を即座に作らせたのだろうな。数こそ少ないが何かの作動装置のようなものに繋がっている糸もある。フェイクも多いかもしれないが触らないに越したことはない。あそこの繋がっている先は……備え付けの消火栓か。最速で最大限の効果を狙って来ているな」

 

 まずは慎重に進みながら相手の出方を確かめる。手榴弾状の物騒なものが見えるかと思えば、最もよく見かけたのは何故かマトリョーシカ、所謂ロシアの人形に繋がっているものだった。触らぬ神に祟りなしとはいうが、一応様子見で一つ開けて確認すると同じ顔の小さな人形が次々出てきた。これでもフェイクのつもりなのだろうか。

 

「単純だけど嫌らしい手。遅延作戦のお手本ね。でもこの階はちゃんと見ていれば問題なく進める密度だと思うわ。上の階でもっと準備が進む前に急ぎましょう」

「あぁ! 俺は一つギアを上げて正面から突破する。梅雨ちゃんは壁伝いで罠を回避してくれ」

「えぇ」

 

 時間が最大の敵だ。急がなくては。さぁ2速(あげていくぞ)

 

 垂直跳び()

 ウォールラン(まきびし)。 

 ベリーロール(また糸)

 

 ギアを上げていくのは厳しいが、走って突破できないこともない。

 

 スライディング(振り子)

 背面跳び(さらに糸)

 クライムアップ(バリケード)

 

 奥に行くほど趣向が少し変わって来た。だがペースを維持したまま。順調に突破していく。

 天井近くの壁周りには流石に罠を用意できなかったらしく、そこを通る梅雨ちゃんも順調に追って来ているようだ。通信状態も良好。

 

 階段が見えた。しかし良く見れば階段が光っている。油の類だ。

 不味い。足をかけた────滑る!! 

 

「飯田ちゃん!」

 

 背中から呼ばれる声。そして腹部に巻き付く長い舌。

 勢いよく後ろ上方に身体が引かれ、壁に張り付いた彼女に抱きかかえられる。男としては多少恥ずかしい絵面だ。

 

「君のおかげで助かった。感謝する」

「今のは気付かなくても仕方ないわ。近くの窓が目張りされて暗くなっているもの」

「段々手口が巧妙になってきているな」

「えぇ。だからこそ二人で目を凝らして協力していきましょうね」

 

 そして辿りついた2階の小部屋。見取り図を確認する限り、3階に続く階段を通るにはこの部屋を通る必要があるのだが────それは扉を開けた瞬間だった。

 

 足元に転がって来たのは例のマトリョーシカ。だが転がって来たのは初パターンだ。

 陽動か────いや、人形の繋ぎ目の部分から白い煙が漏れ出して来ている。しまったっ!

 

「うぉおおおっ!」

 

 急いでソレを蹴り返す。反対側の壁に跳ね返ったソレは勢い良く白色の煙を撒き散らし始めた。

 

「扉を閉めて一旦下がるぞっ」

 

 煙幕に紛れて迎撃する算段だったのだろう。当然相手側はマスクを用意しているに違いない。俺もヘルメットがあり、梅雨ちゃんもゴーグルはあるが、あの煙幕が単なる目くらましではなく催涙効果などを有していた場合詰んでしまう。故に煙が引くまで撤退が筋だと即座に判断した。

 

「やってくれる。1階の人形を無害にしていたのも反応を鈍らせるための布石か?!」

「でも対応が間に合って良かったわ。でも煙が引いてから再突入となると時間が厳しいかも」

「予定変更になるが階段は諦めて使わずあちらの窓から直接侵入してみるのはどうだろう。俺の体重だとちょっと厳しいと思うが、さっきのように頼んでもいいだろうか?」

「それしかなさそうね。素早い動きは無理だけど、少しの間抱えるだけならやれないことはないわ。急いでやりましょう」

 

 幸いあの部屋以外にはトラップは設置されておらず、すぐに2階のガラス窓へ向かい、身を乗り出し安全を確認する。特に何か罠が張られている気配はない。

 

「全ての階に侵入できそうなガラス窓が見える。いけそうだな」

「ケロ。思ったんだけどこの感じだと直接舌を伸ばして飯田ちゃんを5階まで送り込んだが楽そうよ。抱えたまま移動するより、私も早く動けるもの。私は4階から侵入してみようかしら」

「名案だ。かなりのショートカットになるな」

 

 彼女の舌が再び俺の腹部に巻き付く。壁に貼りついた彼女と共に俺も外へと一旦身を乗り出す形になった。

 

「真上のあの窓を狙うわね。舌を怪我しちゃうから、ガラスは自分で蹴破って頂戴」 

「了解だ。早速頼む」

 

 目標とする窓を定めたそのときだった。

 

「対策しないと思ってた? 残念でした」

 

 4階の窓、ちょうどここから真上のところから顔を出した猪地くん。不敵な笑みと共に黒い物体が次々とその手から放たれる。

 放射状に広がるのは黒い投網、そして群れを為すようにして振って来るのが大小様々な紐状の物体たち。

 

「ケロッ!!?」

「蛇かっ!?」

 

 梅雨ちゃんの蛙という個性からイメージされる苦手かもしれない(・・・・・・)もの。動揺を誘う手か。動きが一瞬止まった。

 

「不味い。早く俺を上に!」

 

 梅雨ちゃんも動きを止めたのは本当に一瞬と呼べる程度で、すぐに彼女は投網の範囲外へと俺の身体を一旦出し、そして一気に上へと放り投げた。

 

「えっ。投げれるの?! 百ちゃん!!」

 

 猪地くんにもこの展開は予想外だったのか、即座にビルの奥へと消えて行く。

 だが今は他人の事より自分の事だ。舌に投網が覆い被さったせいで舌から自由の身となった今も、窓へは2mほど届いていない。

 

「だがこの距離ならばっ!」

 

 エンジンを稼働。反作用を利用して窓へと突入する。豪快にガラスへとダイビングヘッドを決めた形だ。しかし────

 

「なんだこれはっ!!?」

 

 その突入先が問題だった。窓より低い位置に敷き巡らされた螺旋状の有刺鉄線。気付くのが遅かった俺は思いっきりその中に身体を突っ込む形になってしまった。

 

「何て悪辣な。フルアーマータイプで良かった。だが俺でなければ酷いことになっていたぞ」

 

 それでも布地の部分は裂け、多数の切り傷を負ってしまった。勢いがあったためか、下手に絡みつくことなく有刺鉄線の外へと抜けられたが、致命傷にはならない程度の出血と痛みを強いらてしまった。

 

 訓練で許される怪我の範囲を的確に見越しての罠。遅延目的の1階と比べると明らかに危険度が増している。ならばこの先もより厳しいと見るべきか。いやその前にやることがある。

 

『そちらは無事か?』

『────────』 

『もしもし? 梅雨ちゃん?!』

『─────────────』 

 

 連絡を取ろうと試みるが、耳に入って来るのはノイズ音のみ。突入前は支障なく作動したはずだが急に故障したのだろうか。いや、あり得ない。ぶつけてもおらず、ガラス窓にも近いため通信環境が悪すぎることもないだろう。そんな不良品を渡されるとは思わない。残された可能性からすると、ジャミングされているのか? 

 

 だがこれ以上足を止めている暇はない。連絡がとれないことに彼女もおそらく気付いているはずだ。適切な行動を取ってくれると信じて俺も進むしかなかった。

 

 

 

 

           ×              ×

 

 

 

 そして残り4分。ようやく目的の場所に辿りついた。目の前には大きな核を模したオブジェクトと(ヴィラン)チームの二人。

 

「流石飯田くんだね。思ったより早かったよ」

「でも残念でしたわね。絶対に核は奪わせませんわよ」

「奪わせないという意気込みは分かった。だが、これはいささか卑怯ではないか?」

 

 この部屋はそんな言葉が勝手に口をから零れて来るほどの有様だった。

 訓練的にはルール違反ではないが、核の周りに圧倒的な密度でセットされた鉄条網。しかもご丁寧なことに八百万くんの足元には電源らしきものも見える。

 何重もの網を無視して破れる者や、専用の工具がある者ならばともかく、俺たちコンビでは手が打てない。完全に核の奪取という道を塞がれた。これは酷い。

 

(ヴィラン)が卑怯で何が悪いの? それにこれ核だよ。全力で守り固めるに決まってるじゃん」

「えぇ。今の私たちは(ヴィラン)ですもの卑怯上等。それにこれはまだ序の口ですわ」

 

 煽り文句と共に至極悪い笑みを浮かべる彼女たち。真剣に(ヴィラン)そのものになりきっている。

 俺の方へ近づいてくるのは猪地くん。八百万くんは何かを手に持ったまま後方で待機してる。

 

「それじゃあ飯田くん。正々堂々私と1対1だ。今日は私の本気見せてあげるよ。百ちゃんは手筈どおりの対応でよろしく。警戒だけは怠らないでねって────早っ!? 言ってる傍からもう来た。百ちゃん、窓っ!」

 

 ガラスを蹴破って突入と同時に舌を伸ばして八百万くんへと攻撃を仕掛ける梅雨ちゃん。しかしお好み焼きに使うヘラを巨大化させたようなものを肘から瞬時に出し、的確に防御する八百万くん。

 本来は陽動は俺の役割だったが、タイミングは今しかない。エンジンを加速させ、猪地くんへと突進する。

 しかし彼女は後方の騒ぎにも関わらず、俺から目を全く逸らす素振りがなかった。不意打ちは無理か、油断ならないな。

 

「行くぞっ!」 

 

 まずは左足を水平に薙ぐ様にして腹部を狙う。

 対する彼女は蹴りの下を潜るようにして回避────いや回避ではなかった。

 

「うりゃぁああああっ!!」

 

 残った軸足へ向けてのタックル。右脛の部分にしがみ付かれた。

 前のめりになる身体、寝技にでも持ち込まれて捕獲されたら一貫の終わりだ。

 右のエンジンを一気に噴かす。

 

「うわっ!?」

 

 たまらず彼女も後方に吹き飛ばされるが、上手い事受け身をとっておりダメージは見込めない。

 それにしても先程の蹴りは妙に軸がぶれた。さっきのタックルでアーマーの排気筒が歪んだのか。確かめるべく視線を一度猪地くんから外し、自身の右脚に向ける。

 

「なんだこれはっ!?」

 

 通りでぶれるはずだ。右脚の6気筒の内、3つが灰色のプラスチック状の何かがで塞がれていた。

 

「百ちゃん特製の硬化剤だよ。専用の薬剤がないと溶けないから訓練中は諦めることだね」

「だが詰めが甘かったようだな。塞がれたのはアーマーだけだ。外してしまえば済むことだ」

「そんな暇与えると思う?」

 

 右腕を振りかざし飛び出して来る彼女。

 すかさず左のローで迎撃に入る。すると彼女が突如俺の視界から(・・・・・・)消えた。

 そして直後、後頭部に走る衝撃。彼女が左腕部に装着した円盾による裏拳か。

 

「くっ」

 

 ヘルメットをしていなければこれで終わっていたかもしれないほどに勢いのある一撃だ。たまらずバランスを崩しそうになり後退を余儀なくされる。

 

「ったぁっー。腕がジンジンする。緩衝材もっと仕込んでもらおうかな」

 

 猪地くんの方も盾の裏側、左腕部を撫でるようにしていた。

 

「百ちゃんそっちは大丈夫?」

「今は凌げていますが、もしあなたが飯田さんに抜かれてしまうとお手上げですわ。予定より早いですが印籠を使いましょう!」

「印籠?!」

「こっちは多分行けそうだけど、万が一が怖いもんね。わかった。やっちゃって百ちゃん!」

「控えなさい! お二人共そこまでです! これが目に入りませんか?」

 

 そんな疑問はすぐに解消される。伝統的に続く時代劇で定番のワンシーンのように八百万くんが何かを掲げながら声を上げた。手に収まるサイズの小さい箱。赤いスイッチらしきものがあり、彼女の親指がいつでもそれを押せるようにと構えていた。

 

「ケロ?」

「これは核の起爆装置ですのよ。今回は小型の爆弾をオブジェクトの側面に括りつけていますけれど、ごく小規模ですが本当に爆発しますわ。つまりこれを本物の核と見なすのならば、これを爆発させるような事態になれば英雄(ヒーロー)チームのミッションは失敗ですわね」

「ハァッ!!? それは完全にルール違反ではないか?」

 

 オールマイトの想定した戦闘から逸脱しているとしか思えない。先程の鉄条網はともかく、そんなことを許せば訓練の前提が崩壊してしまう。

 

「そうかな? たしかに爆発させたら私たちも死ぬって事と同義だから(ヴィラン)チームは負けるよ。でも君たちと共倒れだ。それにそもそもだよ。オールマイトは(ヴィラン)のチームの経歴や思想については詳細を語ってない。私たちが頭のイッちゃった破滅思想の持ち主だったら? ただの隠しているだけではなく、本当は爆発そのものが目的だったとしたら? より効率よく破壊が広がるようにこの建物の最上階の5階に設置したんだとしたら?」

 

 言っていることが無茶苦茶だ。だが彼女たちが本当に(ヴィラン)だったならば、そんな無茶苦茶を言わないという保証はどこにもない。彼女達の言い分が全く理解できないわけでもなかった。

 

「でもそんな横紙破りをオールマイトが許すのかしら?」

「いいえ、抗議は無駄ですよ。オールマイトには予め全て作戦を無線で伝えた上で了承を貰ってますわ」

「くっ、交渉も立派な戦いってことか」

「その通り。だって追い詰められた(ヴィラン)が人質を取ったり、無茶苦茶なことをし出すのはよくある話でしょ? 私たちは今後避けられないであろうそれを見越して交渉を加えることを提言していたんだよ。まぁ私たち以降のペアは禁止されるだろうけどね」

 

 まさか屋内での対人戦闘訓練で交渉を行う必要に迫られるとは思ってもみなかった。

 

「それで交渉というからには、君たちも何らかの要望があるのだろう? そうでなくてはオールマイトが許可を出すとは思えない」

「そうだね。百ちゃん、パターンBの方でよろしく」

「さっきの破滅思考の話は極端な例でしたがもう少し交渉の余地がある設定に変えますわね。実は私たち、目的は蛙吹さんへの復讐でしたということはどうでしょう。あ、これは訓練での話ですわよ。組織の命令で蛙吹さんを炙り出して核と共に確実に抹殺するつもりならばどう対応されますか?」

 

 気圧されている場合ではないこともわかっている。

 だが俺たちはそもそも核の捕獲が封じられ、戦闘が封じられ、そして苦渋の二択を迫られている状況だ。何故、どうしてこうなった。

 

「今の私たちは訓練そのものの結果はどうでもいいんだ。(ヴィラン)としての目的を達成できたら私たちの中では勝ちなんだよ。『試合に負けて勝負に勝つ』ってね。だから一つ提案しようか。百ちゃん、どっちが言う?」

「ノリノリみたいですから続けていいですわよ」

「じゃあ言うね。私たちはこの核を放棄してもいい。でもそれは彼女の殺害が条件だ。この場合は訓練だからテープで捕獲という形でいいかな? さぁ仲間を犠牲にして目的を果たすか、皆の命を優先させるか。君ならどうする?」

 

 一人の命(つゆちゃん)か、大勢の命()か。どちらをとっても英雄(ヒーロー)としては多分失格だ。オールマイトならば、兄さんならば両方を掴み取る選択肢を自ら作り出すだろう。

 そうだ。兄さんならばどんな危機的な状況だって、最後まで絶対に諦めない。

 

「飯田ちゃん、どんな選択をするにしても私はあなたの判断を支持するわ」

 

 彼女は笑顔でそう言った。何故そこまで俺を信じてくれる?

 

「わかった。すまない……梅雨ちゃん、俺の前に来てくれないか?」

 

 だが彼女の信頼に応えるためにも演じきれ。きっと油断が生じるハズだ。

 梅雨ちゃんに巻きつけようとしたテープをそのままに、レシプロバーストで加速して二人を捕獲する。それが最善だ。

 だがテープを引き伸ばして梅雨ちゃんに巻きつけるフリをしようとしたそのとき、俺はふと気付いた。

 

「梅雨ちゃん、そう言えば今何分だ!?」

「今さら? 飯田くん、もう遅いよ」

 

 今日一番の不敵な笑みを浮かべる(ヴィラン)チームの二人。

 

「────3、2、1、ゼロですわ」

『15分経過、タイムアップだ。(ヴィラン)チーム、WIIIIIN!』

 

 オールマイトの太い声が虚しく耳に残響する。まさか先程の口車は全て――――

 

「猪地くん、最初から時間切れを狙っていたのか?」

「時間切れ()、だよ」

 

 時間切れ()か。

 先程の戦闘だけとって見ても、猪地くんはしっかりと対策を練って来てそれを実践してみせた。

 俺の動きも読まれていた節も見受けられる上に、瞬き一つしていないにも関わらず俺はあのとき一瞬彼女を見失った。

 今思えば裏拳ではなくテープで捕獲されていなかったのが不思議なくらいだ。俺が勝てるという保証はどこにもなかった。

 擁護したいはずの自分自身からですら、そうとしか言えなかった。

 

「猪地くん、八百万くん、見事だ。俺たちの完敗だな。裏をかこうと思ったのだが梅雨ちゃんもすまなかった」

「いいのよ。飯田ちゃん。呑まれてしまったのは私も同じだもの。時間も言われるまで忘れてしまってたわ」

 

 やれることはやったつもりだったが相手の方が何枚も上手だった。こうまで見事に負けると逆に清々しくさえもある。蒸れたヘルメットを外し汗を拭う。

 

「飯田くん、梅雨ちゃん、意地悪い事してゴメンね。飯田くん、その切り傷は有刺鉄線のかな、痛みは大丈夫?」

「痛みと出血はあるが、傷そのものは対したものではなさそうだ。入試と比べれば軽いものだ」

「そっか、一応体力分けとくね。それから消毒も。染みるから我慢してね」

「痛っ!?」

 

 腰のポーチから取り出した消毒液を染み込ませた布で傷口を拭う。

 

「猪地ちゃん、私も何か手伝いましょうか?」

「ありがとね。じゃあ拭き終わったところにこのテープを貼るのお願いしてもいいかな?」

「わかったわ」

「さっきは本当にゴメンね。せっかくのトップバッターだし敵側だから、他のチームができないように禁じ手になりそうなことを先に出し尽くした方がいいかなってことで色々二人でやってみたんだけど……」

「ちょっと脅かし過ぎたみたいで御免なさいね。それから飯田さん、これを塗ると排気筒が元に戻りますわ。後で塗って下さいね。猪地さん、終わり次第モニタールームに戻りますわよ。私はやれることがなさそうですし、一足先に戻らせて頂きますね」

「うん。消毒はこれでいいかな。あとテープをお願い。待ってよ百ちゃん、歩くの早いって!」

 

 意気揚々と帰っていく二人。ここまで完封できればさぞ気持ちいいことだろうな。

 

「これで貼り終わったわ。飯田ちゃん、私たちもまずは講評を受けに帰りましょう。勉強は復習の方が大事だもの」

「あぁ、そうだな。俺たちも戻ろうか。次の組が控えている」

 

 梅雨ちゃんだって悔しくないわけがないだろうに、どこまでも冷静だ。本当に頼りになる。彼女の言う通り、今回の敗北は糧としなければならないな。そう自分に言い聞かせて、重い脚を前へと進めた。

 

 

 

 

           ×              ×

 

 

 

 

「お、おかえり! 初っ端からいいもん見せてもらったよ」

「皆、すごかったよ。お疲れ様ー!」

「飯田と蛙吹はドンマイだな。ありゃ誰だって相手したくねぇって。無理ゲー過ぎる」

「……許せねぇ。なんだよアイツだけ女子に囲まれて手当されやがって」

 

 モニタールームに到着後、皆から慰労や激励、慰めの言葉が送られる。

 だが確かに聞こえてはいるのだが、言葉が耳に入って来ない。そんな気がしていた。

 

「なんて言うか────猪地って、(ヴィラン)が様になってたよな」

 

 だから俺は見逃した。

 猪地くんに向けられる好奇と畏怖の視線に。

 

 そして忘れていた。

 僅か一、二か月前のあの日の出来事を。

 




訓練の捕捉

効果はありませんでしたが蛇は玩具です。


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第6話 講評

今回と次回は緑谷くん視点



「めぐりちゃんたち凄かったねぇ、デクくん」

「うん。何かもう、すごいとしか表現できないぐらいだったよね」

 

 勝った猪地さんと八百万さんは隙のない戦術と綿密に練り込んだ戦略が。負けたとは言えども飯田くんと蛙吹さんペアも臨機応変な対応力とトリッキーな運動能力がとても参考になった。あぁ、何で僕はノートを持って来なかったんだろう。ロッカーに置いてきたことに今さら後悔した。

 

 実戦さながらの戦いを初戦から見せられて他の皆も興奮しっぱなしだ。モニタールームはどんどん熱気を帯びていく。 

 

 かっちゃんは────いつも以上に鋭い視線をあの4人に、とりわけ猪地さんに向けている。モニターを見ているときもいつになく本気で考え込んでいる顔だった。

 ペアになれなかった余り1人に優秀な3人を加えてのエキシビジョンマッチをかっちゃんは見越しているのかもしれない。

 

 少なくとも猪地さんか八百万さんのどちらかが選ばれるのは確実だろうし、その姿勢を僕も見習うべきだろう。何故なら僕こそがその余りの1名なのだから。

 

 そして間違いなくかっちゃんは優秀な3人に選ばれる。かっちゃんが僕のパートナーになるにせよ、敵対するにせよ波乱万丈なのは間違いない。オールマイトやかっちゃんの前で無様を晒さないためにも、選抜されるであろうメンバーを僕はしっかり観察する必要があるのだろう。

 

「会話内容の解説も一通り終わったことだし、本題の講評の時間といこうか」

 

 飯田くんと蛙吹さんを励ますように肩を叩くオールマイト。ざわついた雰囲気が締まる。

 

「まず私からだが、今回の演習は勝利した敵チームはもちろん、敗北した英雄チームも非常にレベルが高かった。私の4人とも予想以上だ。入学早々良いものを見せてもらったよ」

 

 オールマイトが豪快な拍手を送る。それに続いてちらほらと何人かも続いた。僕も当然その中に含まれる。

 

「さて初戦から非常に良い教材となる戦いも見せてもらった訳だが、少々複雑なので交渉に関してとそれ以外の対応に分けて考えてみようか。では4人以外の皆、前半の突入から戦闘までのところで良いところと悪いところを評価してもらおう。では、意見のある人────尾白少年!」

「はい、まず敵側のトラップの張り方が非常に巧妙だったと思います。特にフェイクの使い方が巧妙でした。そして最初に与えられた時間であの1、2階部分を迅速に用意できたことが後の展開を大きく左右したと思います」

「大きく左右って?」

 

 芦戸さんが尾白くんの発言に対して首を傾げる。周りの様子を見れば、彼の言わんとすることを理解していそうな人とそうでない人と半々ぐらいだろうか。

 

「何の意味もないフェイクも含ませることで、設置側は時間短縮できるのに対し、突入側は発見・判断・処理又は回避の手間が必要になり多大な時間を取られます。そしてフェイクに慣れを生じさせてきたところでの本命の罠の張り方が巧かったです。そして一部を除いた罠のほとんどが時間稼ぎに特化していたところが敵チームの戦略面とマッチしていたと思います。若干、八百万さんの準備にかかる負担が大きかったのは否めないと思いますが敵チームの前半部分について俺が思ったことは以上です」

 

 遅延戦術で時間を確保して核防衛の準備や迎撃の用意を万全にすると思わせつつ、“時間の消費そのもの”が目的だと悟らせなかった意識の誘導術。それがあのペアの巧かった所だ。僕も彼と同じくそう思う。

 

「うん良い講評だ。尾白少年の言う通り、敵チームは罠というよりも時間の使い方が巧かった。これが大きなポイントだ。それでは英雄チームはどうだろうか?」

「はーい!」

「ではそこの────確か、葉隠少……」

 

 オールマイトが言葉に詰まった。宙に浮いた手袋しか見えていないんだから戸惑うのも仕方がないと思う。

 声でしか性別が判断できないし、そもそも入学二日目で21人の見た目と名前を一致させるのも大変だろうな。僕だってまだきちんと挨拶出来ていない人もたくさんいるし。

 

「飯田くんはあんなにいっぱい罠があったのに、それをちゃんと見つけてビュンビュン避けてたのが凄かったです。二階の人形もすぐ蹴り返して扉も閉めたし、周りを見てすぐに判断できるのが良いところだと私は思います。梅雨ちゃんは飯田くんに息を合わせるのが上手でした。ちょっと滑ったときとか、網を投げられても飯田くんをしっかり投げたり、突入のタイミングがピッタリのところとか冷静でカッコよかったです!」

「イエス。概ねその通りだ。あれだけの数の罠を短時間で潜り抜けた注意力と判断力、ショートカットなどの思い切り、そしてこれは両チームに言えることだが細やかな意思疎通と僅かなミスを埋める様な連携。これが前半部分においての良い点だろう。多少罠にかかったりもしたが、悪手らしい悪手はなかったと私は思う」

 

 飯田くんの方をちらりと見ると、オールマイトにフォローされて険しかった顔が少しマシになったような気がする。

 

「それではここからが核心部分だ。敵チームが持ちだしたあの戦闘とその後の交渉だ。ああいった理不尽な状況は非常に現実的な展開だ。訓練と違って敵は本気だ。命を賭けているかどうかは場合によるが、少なくとも彼らの人生がその一戦に掛かっているわけだからな。人質を始め、無茶な要求や理不尽を持ち出して来るのが前提だと考えてもいい」

 

 オールマイトの言葉が胸に響く。幾多もの理不尽の壁を打ち壊して来た本物の英雄が放つその言葉には重みがあった。誰かがゴクリと固唾を吞む音がした。

 

「それを君たちヒーローは打開しなければいけない訳だが、実際に君たち英雄チームならどう対応したか。どうだ爆豪少年、君の意見を聞かせてくれ」

 

 挙手したわけでもないかっちゃんを指名するオールマイト。かっちゃんだったらどうするのか。かっちゃんを超えるためにも僕はそれを知らなくちゃいけない。

 

「敵の要求なんか無視してぶっ飛ばす……って言いたいところだが、そもそも交渉以前にだ。最初に部屋へ突入した時点で電源ぶっ壊して、んで柵ぶち壊せば済む話だろうが。躊躇ったのがあいつらの落ち度。ビビって勝機を棒に振りやがったとしか俺には見えねぇ」

 

 相変わらずの物言いだ。うわぁ、凄い顔で飯田くんがかっちゃんを睨んでるよ。かっちゃんの言い分は確かに一理あると思う。相手は頭脳派敵ならば時間を与えない速攻と奇襲がセオリーだ。でも────

 

「イヤイヤ爆豪、お前や砂藤、オールマイトみたいに破壊力ある個性ならともかく、あの二人は少々キツイだろ。あとは俺みたいに電気が効かない奴なら別だけど」

「だが無理ではない。八百万の武器を奪って利用するという手もあった。それに怪我の一つや二つで確保できるなら安いとは考えられないか。リカバリーガールも居る訓練でなら尚のことだ」

 

 金髪でメッシュを入れている方が上鳴くんで鳥の頭をしているのが常闇くんで合ってたかな。確かに飯田くんの脚力を考えれば怪我を前提にすればあの有刺鉄線の電気柵を突破できたはずだ。

 常闇くんがかっちゃんの策を後押しするのもわからなくもない。そしてかっちゃんがイライラを一切隠さないまま言葉を続ける。

 

「本来なら英雄チームは核の確保か敵の捕獲か常に判断を迫られる。なのに敵は戦闘一本に絞りこんだ。ってことはよっぽど戦闘に自信があるか、それまでの罠の性質からしてもっと意地汚ねぇのを張ってるかだ。残り時間を考慮しないのは論外だが時間をアイツらに与えんのは最悪に近けぇ。そもそもパートナー含めて互いの戦闘能力が把握できちゃいねぇんだ。英雄チームが戦闘に絶対の自信がない限り、速攻で核を狙うのがベターだろうが。自信満々な罠が見えてるんだ。あの時点での敵は破られることは考慮していないはずだ。そこを突かずに勝ち目があると勘違いした時点で負けて当然だ。小型爆弾の設置まで仕掛けていやがったが、言い出させる前に終わらせれば問題がなかった。違うか、オールマイト?」

「ま、まぁ爆豪少年の言うとおり速攻案も正解の一つだな」

 

 かっちゃんの容赦ない批判に皆が圧倒されている。極端な案だけど凄く正論だ。

 オールマイトもかっちゃんに色々言葉を取られてしまったかのようで、一瞬間をおいて考えてから口を開いた。

 

「様々な倫理や法に縛られている英雄と違って敵が取れる手段の数は圧倒的に幅広い。だからこそ相手の選択肢を如何に潰すかも重要になってくる。時間を与えないという視点は重要だ。相澤くんが良く言う言葉だが時間は有限だということを忘れないように」

「爆豪お前って頭すっげぇ回るんだな。キレてばっかだから意外だ」

「あ!? てめぇら頭使わなさすぎなんだよ。脳みそ筋肉やろうが! 眼鏡と蛙もだ。場面場面での対処はそれなりだったかもしれねぇが、後手に回り過ぎだ。先手を取るって発想がそもそもねぇ。だから負けんだよ」

 

 かっちゃんのボディーブロウが効いた様で、頭を抱える砂藤くん。そして飯田くんも胸を押さえている。彼も意外と喜怒哀楽激しいよね。猪地さんが背中をさすってるけれど大丈夫かな。

 

「戦術ではどっちも競っていたが、戦略面においては差が顕著に出たって感じか」

「あー確かに」

 

 うなずく常闇くんと切島くん。

 

「では他に皆ならどうする?」

「はーい、説得だよ説得! ドラマでよくあるじゃん故郷の家族が心配しているぞとか、今なら罪は軽くなるぞとか、なんかこう熱意で!」

「あのときは時間が足りなかったような……」

「でも本当にあれが核という前提なら爆発させられるよりマシかも」

 

 オールマイトの問いにノリノリで答える芦戸さんに皆がコメントを加えていく。あの男子二人、名前なんだっけ。早く覚えないとなぁ。

 

「あとは仲間割れとか裏切らせるとか。疑心暗鬼にさせる感じとか猪地ならやりそうじゃね?」

「うん、狙えそうなネタが見つかれば狙うね。ただ余程相手の情報を持っているか、ボロを見せてないと無理だけど。だから私は爆豪の言った策を取ると思ってた」

「発電機はフェイクで私の分の捕獲テープが発射されるように仕込んでいましたけれどね」

「うわぁ」

「お、おう……」

 

 軽い気持ちで言ったであろう上鳴くんの言葉に対し、それ以上の事をあっけらかんと言い放つ二人に再びドン引く皆。思わず僕も言葉が漏れ出てしまった。聞けば聞くほど飯田くんたちが不憫でならない。

 

 オールマイトもなんだか額に冷や汗が見えるけど、ここまでやられるとはきっと思ってなかったんだろうなぁ。先生って大変だ。

 

「無理無理。あんなのオールマイトでもなけりゃ無理だろ」

「だよねぇ」

 

 誰かが諦めたように言う。でも本当にそうかな。あれが訓練じゃなくて本当の現場だったら。手に負えないレベルの頭脳犯が相手だったら。“今の僕たち”には無理でも────

 

「峰田少年、君は別の意見があるようだね」

「へ?」

 

 オールマイトに呼ばれたのは意外にも性欲の権化みたいな峰田くん。彼自身も知らず知らずのうちに手を上げていたみたいだ。

 

「オイラだったら、もしあれが本当の敵で人質をどうしても助けられないような状況だったら……逆に時間を稼いで援軍を待つことしかできないと思う」

「おいおい、時間稼ぎって飯田の二の舞じゃんか」

「負けるつもりかよ」

 

 萎んだ声で自信なさ気に話す峰田くん。個性、基礎体力、戦闘技術、そして戦術眼の高さをあれだけ二人に見せつけられたのだ。そんな風に言うのも仕方がないと思う。

 ため息交じりで峰田くんを批判する声が上がり、誰かが同調する。

 でも僕は峰田くんの言葉は間違いじゃないと思った。見せかけの勝ち負け以上に重視するべきことはあるんだ。

 

「僕は峰田くんの言うことにも一理あると思うよ。オールマイト、今回のように明確な実力差と一般人が負うリスク高かった場合、僕も会話や遅延戦闘で援軍を待つのも一案だと思います。これだけの市街地という設定ならヒーロー事務所もいっぱいあるはずなので」

「てめぇは口を閉じてろ。糞ナードが!」

「理屈わかるけどよ、漢としてそりゃどうなんだ?」

 

 切島くんが残念そうな目で見るのも、かっちゃんがいつも以上の語気で罵倒するのも仕方ない。僕だって本当はこんな後ろ向きで情けない発言はしたくない。ヒーローを目指す者として、オールマイトを目指す者としては自力での解決を諦めたくはない。

 

 けれど、僕の決断一つで皆の命が左右されるなら、一か八かとも呼べない無謀な選択よりは無難な選択をするべき場面がきっとあるんだと思う。あの日の僕や飯田くんは知っている。いや、知ってしまったんだ。僕らが天秤にかけているのは決して自分の命だけじゃないってことに。そして安易な行動が何を犠牲にするのかを。

 

 確かにあの日の僕は命がけの行動で猪地さんと麗日さんを助けることができた。でもそのせいで僕を助けるために飯田くんも命をかける羽目になり、そして結果的に猪地さんのプライバシーを無茶苦茶にしてしまった。

 

 あれは僕の罪。一生消えない心の傷を、更に追い討ちをかけてしまった。

 退院直前のお見舞いの時、慌てて週刊誌を隠して取りつくろっていたけれど、頬に残っていた涙の跡を忘れることなんてできやしない。

 

 勢いだけでも、考えるだけでも守れない。自分の非力さを、浅はかさを、怠慢を、僕はもっと自覚しておくべきだった。だからこれから僕はもっと強く、もっと確実に。そして僕はできるだけ早くオールマイトみたいに完璧なヒーローにならなくちゃいけないんだと思う。でも今の僕が考える最善はさっきの発言の通りだ。

 

 オールマイトは僕のこの発言をどう捉えるのか。一番合理的な答えを出したつもりだけど、やっぱりがっかりされるんだろうか。

 

「よく閃いた。ナイスアイディアだ峰田少年、緑谷少年。頼りになる援軍のあてがある場合に限られるが、自分の手には余るという判断を下した場合はそれも一つの策だな。切島少年の言うようにヒーローとしては少々格好つかないかもしれないが、事態を悪化させないことに注力するというのは良い着眼点だ。そして付け加えるならば、君たちのような経験が浅い者ほどその判断が推奨されてしかるべきだろう」

 

 最強のヒーローが僕の発言を肯定したのが皆にとっても意外だったらしい。明らかに不満気な顔をしている人が半分は見てとれる。

 

「もう皆はわかっているだろうが、今回の対策には正解と呼べるものは存在しない。実際の戦闘であってもだ。勝利を得る前提ためには爆豪少年の、リスクを減らすなら緑谷少年の案が今回出た中では良い選択だろう。逆に説得など情に働きかけるのは非常に難易度が高い。そういうことに適した個性を持つか、卓越した話術を持たない限り上手くいくことはほとんどない。だがそれがもっとも平和的な解決策だ。だからこそ皆も説得を試みるという手段は決して忘れないでいて欲しい。時と場合にはよるがな」

「流石、ナンバー1ヒーローが言うと言葉の重みが違うな」 

「だね!」

 

 誰もがオールマイトの言葉に聞き入っていた。敵だって人間だ。多少なりとも同情する部分がある事件だって多いし、そもそも事件じゃなくてただの個性の暴発などによる事故だったり、誤解だったり、そういったケースだって少なくはない。穏便に事態を収拾できるならその方がいいに決まっている。

 

 猪地さんのご両親のことだってあれから色々ネットで調べてみたけれど、僕にはエンドレスの行動の何もかもを否定しようだなんて到底思わない。エンドレスと言えば大物敵御用達の闇医者ってイメージが先行しているけれど、実際に助けられた人のほとんどは一般人だということはちょっと検索するだけですぐわかる。テレビでは絶対に放送されないけれど。

 

 エンドレスはリカバリーガールに引けを取らないほどの世界最高峰の医者の一人。彼女が起こした奇跡と呼ばれる偉業は数え切れないほど。崇拝者たちが一大宗教団体(メビウス)を組織するほどだ。殆どの人にとっては悪でも、彼ら彼女らにとっては救いの神なのだろう。

 

 結局、明確な悪なんてものはマスコミを通して得る情報ぐらいしか接する機会が殆どないんだ。だからこそ、まだ本当の悪を知らない僕たちに敵の事を知るという選択を猪地さんと八百万さんはこの初戦で提示しようとしてオールマイトはそれを認めた。

 

 ずる賢いんじゃなくて、あの二人はどこまでも優等生だからこんなことを考えたのだろう。オールマイトの講評で皆がそれを少しずつでも理解してくれるきっかけになったと信じたいけれど、二人の――特に猪地さんのイメージが少なからず“怖い”というのはあまり良くなかったかもしれない。

 

 猪地さんはどこまで考えて、どこまで覚悟してあんな策や演技をしたんだろう。

 

「力づくの解決だけがヒーローの仕事ではない。だが力づくの解決が必要になる場合も多い。だから重要なのは広い視野と判断力。今後君たちがヒーローになった後も、それは心に留めて置いて欲しい。そしていざという時に無理を押し通せるだけの力をこれからの三年間で身につけて貰うつもりだ」

「脳筋ってのも大事なんだな」

 

 説得力がありすぎる。そうだよ、オールマイトぐらい振り切った脳筋なら、何の悩みも要らないんだ。

 

「ねぇ、飯田くんはラスト直前どう考えてた? 何やら二人でアイコンタクトしてたけど」

「時間限定の超加速を温存していたからな。俺が味方を拘束する振りで油断を誘い、直接二人を捕獲するつもりだったのだが……」

「実力行使派だったかぁ。あの戦闘以上の速度出されたら私も多分お手上げだったかな。時間切れ直前だと気付いても動揺してなかったら私たちが負けてたかもね」

 

 猪地さんが今にも吐きそうな表情の飯田くんへ問いかけ、そして自らの敗北の可能性を示唆した。しおれた真夏のヒマワリがジョウロいっぱいに水を貰った様に、飯田くんの表情がみるみる内に生気を取り戻していく。

 

「そう言えば猪地くん、あのタックルのときの俺の視界から消えたように見えた技は、体術と個性どっちだったんだ?」

「どっちもだよ。私から漏れ出している波長、分かり易く言うなら気配みたいなのを一気に押し留めるのと、その直前に視線と重心で誘導かけてたんだよ。まぁ、私は大柄だから完全に視界の外に回れないから小細工をね」

 

 タックルのとき、飯田くんからはそんな風に見えていたのか。僕にはあっさりと飯田くんがフェイントに惑わされただけに見えていた。

 

「なるほどな。戦闘でも俺はまだまだということか。精進しなければな」

「次はリベンジしましょうね。飯田ちゃん」

「あぁ梅雨ちゃん」

 

 お堅いイメージの飯田くんがちゃん付けって珍しいな。この一戦で随分と二人の距離が縮まったみたいだ────って凄い、猪地さん見てる。すごく見てるよ飯田くん!?

 

 

 

     

           ×              ×

 

 

 

 僕以外のメンバーの訓練と講評が終わった。いよいよ僕というオマケを加えたエキシビジョンマッチ。間違いなく一番の激戦になるはずだ。鬼が出るか、蛇が出るか。高まる鼓動が首を締めつける。

 

「まずは防衛側のベストメンバーとしてHコンビから一人選出したいが、消耗を加味するとなれば……」

「百ちゃんはこれ以上創造するの大変だし私かな?」

「ですわね。今回はお譲りします」

 

 まずは順当に猪地さん、誰もが納得の展開だ。

 

「それから先生、猪地さんの対抗馬は機動力、戦闘力、判断力を兼ね備えた爆豪さんが適任だと思います。轟さんも凄いですが、このクラス全員の個性の相性と屋内戦ということを鑑みると轟さんだと釣り合わせるべき相手が見つかりません」

「確かにその通りね。あの凍結を真っ当な方法で防げるのって爆豪ちゃんぐらいだもの」

 

 続けて喋る八百万さんがかっちゃんを推薦する。その推薦理由も、あえて轟くんを推薦しなかった理由も至極真っ当だ。

 

 かっちゃんが敵でも味方でもちょっと嫌だな。そんな考えが自然とよぎる。でもこれはかっちゃんに追いつくための良い機会なのかもしれないと思い直した。

 

「確かに。轟少年の活躍は見事だったが、お手本ということを考えると防衛ではHコンビの両者、潜入側として爆豪少年が適任だと私も思っていたところだ。残るもう1人の選定だが、一度皆の個性も見たことだしある程度バランスを取りたいのだが……」

「ではまず猪地くんと爆豪くんを分け、どちらに緑谷くんが付くかを決めた後に、残る組に適任のメンバーを選ぶのはどうでしょうか?」

「うむ、ナイスアイディアだ飯田少年。ではボールは……緑谷少年は爆豪少年とだな」

「げっ?!」

「はぁっ!? なんで俺がデクなんかと!!?」

 

 睨まないで、睨まないでかっちゃん!!

 

「チッ、デクが敵だったら手加減なしで殴れたのに」

「となればもう1人は瀬呂少年を指名しようか」

 

 殺気が、殺気がいつにも増してすごいよ。

 絶対アレだ。轟くんより格下扱いされたからだ。八つ当たりオーラが全開だ。もう始める前から不穏な予感しかしない。でも……

 

「今は頑張れって感じのデクなんだ」

 

 君の隣に立てるんだって、認めさせてやる。

 




ヒロインの現時点での設定公開。

■パーソナルデータ

 名前:猪地巡理(いのちめぐり)
 出身:九州の様々な中学を転々
 Birthday:7月7日
 Height:176cm
 出身地:熊本県
 血液型:O型
 好きなもの:新鮮な果物
 戦闘スタイル:後方支援・近接格闘

■ヒーローズステータス

 パワー:B
 スピード:B
 テクニック:B
 知力:S
 協調性:A

■個性:活力(バイタリティ)(自己申告)

 自らの体力を触れた相手(服越しも可)に渡せる。
 離れたところの生命反応の探知や、近くに居る人物の体調診断も可能。
 各器官に直接体力を送り込むことでその部位の体調を整えることができる。
 ただしリカバリーガールのように怪我の回復速度を短期的に上げるのは不可能。

 デメリットは自らの体力を譲り渡すため、新鮮な果物や生野菜による生命力の摂取が必要となること。
 摂取量と貯蓄量が消費量に追いつかなかった場合、自身の昏倒や最悪の場合死亡も有り得る。

 この個性についてまだ本人が明かしていない部分も多い。


【挿絵表示】



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第7話 発破

今回まで緑谷くん視点


ブツブツブツブツブツブツブツブツ(猪地さんならどうするか)

 

 付き合いはまだ短いけれど、それでも彼女の性格や思考パターンが全く想像できないわけじゃない。

 

 自分の評価や身体を省みない自己犠牲精神に溢れる反面、普段は極めて堅実で合理的だ。初戦の流れをなぞるのならば、瀬呂くんのテープによる罠でこちらの動きを誘導しつつ、猪地さんが探知能力を用いた指示により瀬呂くんが強襲、一瞬で僕たちを捕獲。それが一番固い筋だ。

 

 でも、それはないという確信に近いものが僕にはあった。自身の勝利よりも、敵としての見本であろうという節が初戦から見受けられた。だからきっと彼女は同じ手は使わない。そして猪地さんは他人に対して好き嫌いが割とはっきりしている。あんな目に合わせておいて気が重い話だけれども、恩義を感じているらしい僕に対してはおそらく甘い。少なくとも瞬殺や完封狙いはないと僕は思う。

 

 僕とかっちゃんの間の問題も知っている。それの解消の一歩として絶好の機会ということも意識しているはずだ。猪地さんになりきれ。彼女ならどうするか。

 

「あ、これは使えそうだ」

 

 開始場所までの行きがけに前の戦闘での残骸、鉄筋コンクリートの瓦礫の中から短く折られた鉄筋を数本引き抜き、腰元のベルトに挟みこむ。それから一番短い一本の先にはガラスの破片をくくり付け即席のナイフにする。瀬呂くん対策に、だ。

 

 前回の戦闘から察するに瀬呂くんのテープによる拘束は絶対のものではない。ちゃんと剥がせる。だが捕まったその隙に捕獲されたら全て終わりだ。僕が彼に捕まらないことが僕らの勝利における絶対条件。かっちゃんは心配不要だろう。爆風で軌道を逸らせるし、テープの破壊もおそらく可能だからだ。

 

 切島くんの個性で容易に切り裂けていたことからも切断に弱いことがわかっている。そのための備えとしてのガラスナイフ。使えるものは全て使え。相手の個性には徹底してメタを貼れ。この二つは猪地さんと八百万さんが指し示してくれたこと。僕はその教えに素直に従うことにした。

 

ブツブツブツブツブツブツ(きっと猪地さんなら……)

 

 個性の相性的にも瀬呂くんが単独でかっちゃんを抑えることはないはずだ。だからかっちゃんとの戦闘には必ず猪地さんが相手になる。恩人の飯田くんに対して喧嘩を吹っかけてきた相手だ。猪地さんは結構感情的な節もあるし、本気で潰しにかかって来ると見て違いない。

 

 そこから先が問題だ。瀬呂くんが単独で僕を抑えるか、僕を敢えてフリーにして二人がかりでかっちゃんを捕獲し、瀬呂くんの個性で足止めを食らっている僕を後追いで止めに来るか、それとも――――――

 

「さっきからブツブツうっせえぞ! デク!!」

「うるさくてごめん、かっちゃん。でもあの猪地さんが相手なんだ。しっかり対策を練らないと。それで考えてみたんだけど……」

「ぁあっ、デクてめぇが俺に指図するつもりか。一体何様のつもりだ?! 

 

 まただ。僕の全てを否定する目。そして急に手の平を僕の鼻先に突きつけてくる。

 

「や、やめ……」

 

 思わず目をつぶる。でも、いつもとは違い今回は爆発しなかった。

 

「俺が全部片付ける。糞ナードはすっこんでろ」 

 

 手を引っ込めてかっちゃんが言う。いつもの怒鳴り声じゃない。低く、小さく、感情を押し殺すように。プライドの高いかっちゃんのことだ、きっと轟くんと猪地さんのことで頭が一杯なのだろう。

 

 ずっとわかっていたことだけど、今の僕さえ話し相手をする価値すらないってことらしい。土俵の端っこにすら上がれていないことが、たまらなく悔しい。

 

「話を聞いてよ、かっちゃん!」

「だから黙ってろって言ってんだろが!」

 

 いつもの怒声を発するかっちゃん。最悪だ。話し合いの余地がない。

 

「てめぇにはその隠し続けてきた個性のこととかムカツクことばっかだけどよぉ、あのデカ女にはその数倍ムカついてんだ。あの女の鼻っ柱を完全に叩きつぶす。だから邪魔すんな!!」

「わかってる。僕は核だけを狙いに行くから戦闘は全部かっちゃんに任せるよ」

 連携なんて土台無理な話だ。それよりはかっちゃんの自由にさせた方がいい。猪地さんは個性で基礎体力を底上げした上での格闘が戦闘での持ち味だ。かっちゃんが中距離戦に徹する限り、分はかっちゃんの方にあるだろう。瀬呂くん相手なら言わずもがなだ。

 

 それにこの提案をしたのは今の僕が対人で個性を使うのは危険すぎるからだ。いくら考えども、結局これが無難なのだろう。

 

 個性は使えないけれど、かっちゃんがケリを付ける前に核を確保して、僕だって役立たずじゃないってこと証明するんだ。

 

「言われなくても端っからそのつもりだ。だからいい加減本当に黙れ! いつもみたいに手前の顔面吹き飛ばしたくなっちまう。だがそんなことしたらあの糞女ども同士討ちがどうだとか、高笑いすんだろうがよ。必死に俺は今堪えてんだ」

 

 ギリギリと歯ぎしりがハッキリと聞こえる。本当に全力で堪えている顔だ。それからかっちゃんの想像はきっと間違っていない。

 

「プークス。同士討ちって論外だよねぇ、百ちゃん」「えぇ、あり得ませんわ。これだから野蛮な方は……」みたいなヒソヒソとしたやりとりが行われる様が容易に僕にも想像がついた。そう言えば昨日あったばかりなのに才女同士だからだろうか、既にあの二人も凄く仲が良いよね。 

 

 

 

           ×              ×

 

 

 

「ヘイ、ヒーローズ! 悪いけどここから先は通行止めだよ」

「へへっ、後ろもこれで行き止まりだぜ! 爆豪、緑谷」

 

 かっちゃんの後ろを追って侵入した直後、一階の大部屋で待ち構えていた敵チームの二人。侵入してきた扉は瀬呂くんのテープで塞がれている。勿論この部屋の先の階段へ繋がる扉も既にみっちりとテープが貼られている。だけど、この部屋そのものはすっきりしていている印象だ。

 

「小細工抜きでやろう爆豪。君の個性なら私を無視してこの先に進めるんだろうけれど、こういうわかりやすい奴の方がお好みでしょ?」

「どんな下衆ぃ手を使って来るか構えていたが、案外良い度胸しているじゃねぇか」

 

 盾の先から見える指先で挑発する猪地さん。対峙するかっちゃんはそんな猪地さんを睨みつけながらもその口元はいつになく不敵に笑っている。

 

「私だってヒーロー志望だからね。この機会に戦闘力を誇示したいのは何も君だけじゃないんだよ」

「ハッ、今の手前は(ヴィラン)だろうがよ! 来いよ女ぁ、正面からぶっ潰してやる!」

 

 猪地さんは盾を持った左半身を前にして右拳を顎のあたりに構える。

 彼女に嬉々として突撃するかっちゃん。

 地を這うような体勢のロケットダッシュから放たれる右の大振り。

 間髪入れずに左の掌底からの爆撃。そして反動を利用して距離を一旦取って身構える。

 

「チッ」

「うん。流石災害現場用、強度は問題なしかな」

 

 元の二倍ほどの直径に巨大化した円盾の影から猪地さんが言った。盾の縁から収納されていた金属部分が瞬時に拡張されるギミックだったようだ。

 

「そうか、猪地さんはレスキューヒーロー志望だったから火災や瓦礫に耐えられる強度を設定するはずだよね」

「成程。あれなら心配いらなそうかって……何よそ見してんだよ緑谷。いや俺もよそ見してたけどさ」

 

 確かにその通りだ。二人の攻防に目を捕らわれていた。瀬呂くんが奇襲していたら一貫の終わりだったぞ。気を引き締めろ、油断しすぎだ。

 

「やるか、緑谷」

「うん、やろう」

 

 瀬呂くんが言いながら身構える。瀬呂くんを捕獲するとまでは言わない。だけど最低でも瀬呂くんが猪地さんの援護に回れないように足止めするか、出し抜いて核を回収する。

 

「おりゃぁあああ!」

 

 掛け声と共に右肘から射出されるテープ。

 前の戦闘での癖と、この部屋の間取りで考えられる瀬呂くんの最適解は――――

 

「中段の横薙ぎ!」

 

 腰を落として体勢を低く。

 髪の毛の僅か上をテープが通過していった。

 

「よし、読みが当たった」

 

 でも思っていた以上に正面から見ると射出速度が早い。

 先読みしていなければきっと避けられなかった。そしてテープの巻き取る速度も想定以上だ。

 今の内に距離を詰めるんだ!

 

「やるじゃねぇか、次はどうだ?!」

 

 温存していた左肘から足元への横薙ぎが放たれる。

 そして巻きとられた右から時間差で再び中段の横薙ぎが振るわれた。

 高くジャンプすれば両方とも避けることはできる。でもそれは愚策。

 空中戦になったら瀬呂くんの独壇場だ。次が避けれない。

 

 だからここは――――最小限のジャンプで足元への一撃を回避。

 中段の一撃を左手に持った鉄筋で絡め取り、右手のガラスのナイフで張り詰めたテープを切り取る。

 

「マジで!?」

 

 道具の使用は瀬呂くんの想定外だったようだ。

 ヘルメット越しに見える眉間に皺が寄った。

 

 二つのテープは僕の後方に伸びきっている。

 今がチャンスだ。もっと早く、早く!

 吸い込んだ酸素を、湧き上がる鼓動を、ダイレクトに地を蹴る足へ。

 

 よし、触れられそうな所まで来た。

 あわよくばと思ったけれど、このまま行っちゃえ!

 両手の道具を腰に差し直し、取り出した捕獲用テープを構える。

 

「うわぁあああああっ!」

 

  両手を前方に伸ばしながら腹部をめがけてタックルを仕掛ける。

 だけど、捕獲のその瞬間に瀬呂くんの姿を見失った。

 勢いを殺せず頭頂部を思いっきり瀬呂くんの後ろにあった壁にぶつけてしまう。

 

「せ、セーフ!」

 

 咄嗟に声のする方を向く。多少頭がクラクラするけれど、かっちゃんに殴られ慣れているからこの程度の負傷は朝飯前だ。朝飯前って変な話だけど。

 

 どうやら瀬呂くんは下段に飛ばしたテープをわざと回収せず横の柱に貼り付けておいて、瞬時に巻きとることで回避したみたいだった。

 

 瀬呂くんも戦い方が巧い。どうやったらより効率的に敵を捕まえられるか、懐へ潜られた時にどうするか、しっかりと自分の個性を把握して動いている。あのオールマイトが防衛の見本としてエキシビジョンマッチに選ぶだけのことはあるってわけだ。

 

 そして良く見れば一度切り取った右肘のテープは未だに伸びきったままだ。

 不味い。それが意味するのは――――――――

 

 一気に巻きとり、床を滑るように急接近する瀬呂くん。

 そして更にもう一本のテープが横薙ぎに振るわれる。

 先程と同じように鉄筋で絡め取って断ち切ろうと試みる。

 でも、射出速度がさっきよりも早かった。

 

「……もう一度」

「させねぇっ!」

 

 鉄筋が触れたのはテープの中ほど。ナイフで断ち切る間もなかった。

 鉄筋の先に延びていたテープの先が勢いよく巻き付き、僕の身体を拘束していく。

 胸部から両方の上腕部、手首と骨盤にかけた辺りをテープで拘束された形だ。

 

「よっ。緑谷の簀巻き、一丁上がりってな」

「ちくしょう。僕はかっちゃんに認めさせなきゃいけないのに……」

 

 奥で闘う猪地さんへ向かって親指を突き立てる瀬呂くん。

 かっちゃんを相手取りながらも猪地さんも涼しい顔で親指を突き立てた。

 

 反対にかっちゃんの顔は全く余裕がなさそうだ。心なしか青白くさえ見える。

 左のアッパーを放とうとした瞬間にシールドバッシュを顔面に受けて、半ば倒れこむように後退した。

 

 あの(・・)かっちゃんが苦しそうに息を吐いている。猪地さんの凄さはわかっているつもりだったけれども、正直言って信じられない光景だった。

 

「すげぇよな猪地」

「うん」

 

 感嘆の声に思わず頷く僕。瀬呂くんはゆっくりと僕の方に歩みよりながら言葉を続ける。

 

「あのやっべぇ爆豪を一人で抑えるって言ってたときは何言ってんだって思ったけど、本当にやってのけてるもんなぁ。あいつの個性で体調を見れるから、爆発のタイミングとか丸わかりらしいぜ」

 

 ナイフの先は――――テープに届かない。切断は無理そうだ。

 ならばどうする。考えろ、考えるんだ。

 そのために会話で時間を稼げ。さっき習ったことだろう!

 

「そっか、かっちゃんの個性は汗腺に関わるから見れるんだ。それと、もしかして爆発がさっきから随分弱くなってるのも個性?」

 

 このままだとかっちゃんも負けてしまう。そんな姿を僕は見たくない。

 いつか僕は君に追いつくんだ。だからこれは僕のわがままかもしれないけれど、その日までは強くて負けないかっちゃんのままでいて欲しい。

 

「あぁ。パンチで触れた時に代謝を抑えて生命力を温存させるように働きかけてるんだと。噂の御子(みこ)様の実力は伊達じゃないってことか」

御子(みこ)様。それって……」

「おっとあぶねぇ。うっかりまた見とれてた。ちゃんと捕獲しねぇと」

 

 瀬呂くんが慌てて僕の方に向かって来る。

 もう時間稼ぎは駄目か。結局思いついたのは一か八かの案。

 これしかなさそうだ。覚悟を決めろ。

 

「じゃあこれで捕獲証明完了だな、っと」

 

 捕獲用のテープを引き延ばしてくる――――――――今だ。最小限の力で!

 

「SMASH!」

「うわぁあああっ!」

 

 左上腕に力を込めて拘束していたテープを無理やり引き千切る。

 左腕の筋肉も内側から弾け飛んだ。でも、あの痛みほどじゃない。

 衝撃で瀬呂くんも吹き飛ばされる。

 

「なになにっ?!」

「デクかっ!!?」

 

 二人の注意がこっちを向いた。猪地さんが僕の方へ向かって駆け出す。

 

「捕まって、たまるもんか!!」

 

 両脚に力を込めて目的の場所へと飛び出す。

 またセーブできなかった。両足とも骨が逝ったみたいだ。これじゃもう走れない。

 だけど、あと一発……残った右腕を構える。

 

 見取り図は完璧に覚えている。二階から五階、どのフロアでも核を置くには適さない場所。

 

「それは――――SMASH(ここだっ)!!!」

 

 青い空が見えた。思ったより大きく穴が空いてしまった。

 でも、五階に核のハリボテがちゃんと無事なのが確認できる。良かった。

 入試のときみたいに両手両足の全部やってしまった。僕はもう動けない。だから後は――――

 

「かっちゃん! 行って!!」

 

 力の限り叫ぶ。猪地さんは飛べない。無事な様だけど瀬呂くんはふっ飛ばされた衝撃で呻いている。今、かっちゃんが飛んでいけば僕らの勝ちだ。

 

「デクの力借りるくらいなら、負けた方がまだ……マシだ」

 

 え。

 

「何を言ってるんだ! かっちゃん!?」

 

 このままだと勝ち目がないのは目に見えているじゃないか!

 

「そうかい。ならもう終わらせるね」

 

 両腕を降ろし、戦意喪失したかのようなかっちゃん。

 その後ろから捕獲テープを一気に巻きつけようとする猪地さん。

 

「させるかっ!」

 

 振り向きもせず、後ろに向けた掌から爆破。

 猪地さんの捕獲用のテープが燃え尽きた。

 

「この体温で、まだこれだけのっ!?」

「クソナードの力なんかいらねぇ! 俺一人で充分だっ!」

「その失礼な呼び方は止めろって言ってんでしょ!」

 

 かっちゃんが振り向いて、右の大振りを放とうとする。

 

「見飽きたよ、それ」

「がぁあっ!」

「瀬呂くん!」

 

 右腕を掴みとり見事な一本背負いを決める猪地さん。

 かっちゃんの身体が綺麗に宙を舞い、地面へと叩きつけられる。

 そしてそのまま腕を固め取る。

 

「ほらよ、っと」

 

 そして復活した瀬呂くんが捕獲テープをかっちゃんに巻いて終了。

 無論、一歩も動けない僕は巻くまでもない。

 

(ヴィラン)チームWIIIIN!!」

 

 オールマイトの声が鳴り響く。

 

「緑谷くんがどれだけの覚悟をして作ったチャンスだと思ってんのさ」

 

 オールマイトの声に重ねるようにして、猪地さんがぼそりと呟いた。

 

「それにしてもヒデェ怪我だな。緑谷。そりゃゾンビってTVで言われるわ」

「瀬呂くん、応急処置手伝って」

「おう、どうすればいい?」

「まずは緑谷くんの指を鉄筋で添え木にしたいからテープ出してくれる?」

「了解」

 

 手慣れた手つきで猪地さんが骨折の手当てを始めていく。痛みで頭がクラクラしているからあんまりわからないけれど、搬送ロボットが来るまでには全て終わっていたからかなり迅速な処置だったと思う。

 

 そしてリカバリーガールの治療に耐えられる程度の体力も分けてもらった。今度学食のサラダうどんを奢るように勝手に約束つけられちゃったけれど、対価としては破格だろう。

 

 

 

           ×              ×

 

 

 

「かっちゃん!」

「あん?」

 

 どうにか間に合った。追いつけてよかった。リカバリーガールに治してもらって教室に帰ったは良いけれど、かっちゃんは皆の引き止めにも関わらず、先に帰っていたところだったみたいだ。

 

 噂では講評の時に八百万さんや飯田くんにボロボロに言われたらしかった。ちなみに核を破壊しかねない行為をした僕は論外扱いらしい。ちゃんと場所は吟味したつもりだったけれど。

 

いつもなじられる僕はともかく、プライドの高いかっちゃんにはきっと耐えられなかったんだろう。最初の戦闘では随分と褒められていたから尚更だ。

 

「ずっと言わなくっちゃって思ってたんだ。実は僕の個性は他人からもらった“個性”なんだ」

「ハァ? 急に何語りだしてんだ。気持ち悪りぃ」

 

 振り返ったかっちゃん。影が差すその瞳は鋭くても、いつものような力が感じられない。

 

「誰からかは絶対に言えないんだけれど……」

「うっせぇ! だから何だってんだ!?」

「だからその、騙していたんじゃなくてつい最近……」

「俺は今日あの女に負けた。俺がもっと強ければ良かった。ただそれだけの話だろうが!」

 

 遮るようにかっちゃんが吼える。話が噛み合う未来が見えない。

 

「てめぇの個性がどうだとか、今は知ったことじゃねぇ! てめぇには関係のねぇ話だ」

 

 僕には関係ない、僕の今日の頑張りは何も関係ないのだと、かっちゃんはそう言うのか。

 

「氷の奴にかなわねぇかもって思っちまった!!」

 

 拳を膝に叩きつけながら、叫ぶかっちゃん。

 轟くんは強い。確かにかっちゃんでも勝てないかもしれない。

 

「眼鏡と、ポニーテールのデカ女共の言うことに何の反論もできなかった!」

 

 泣いている。あの、かっちゃんが顔を手で押さえて、涙を流している。

 かっちゃんが初めて味わっているだろう敗北感。僕が慰めの声をかけて何になるだろうか。

 

「絶対に俺はもう負けねぇ。こっからだ!!」

 

 嗚咽を噛み殺してかっちゃんは叫ぶ。

 

「俺は! 俺はここで一番になってやる!!!」

 

 そっか、かっちゃんに見えているのは轟くんや猪地さんたちの姿だけなんだ。

 あれだけ僕は覚悟を決めて挑んだのに、君の隣に立つどころか眼中にも――――

 

「てめぇの力の世話になるような無様は絶対にもう見せねぇからな。デク!」

 

 背中越しにかっちゃんはその言葉を残す。デクって言葉は麗日さん以外から言われるのは嫌だけど、その名を呼ばれて僕は少し安堵を感じたのかもしれない。

 

 それにしても、かっちゃんはやっぱりすごいや。あれだけ叩きのめされたのに、もう切り替えて発破をかけている。

 

 今はまだ君の足元にも及ばないけれど、いつの日かきっと僕は絶対に追いついて認めさせてやる。

 



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第8話 選挙

飯田くん視点へ戻ります。


 学校生活における新年度の大きなイベントであるクラス委員決め。雑多な役回りで敬遠されがちなイメージが付きまとう役職だが、この雄英は他の学校とは異なる。将来のリーダーシップを示す肩書きとして誰もが自薦するほどの花形だ。

 

 収集がつかなくなってしまったため、他薦のみの選挙を俺が提案して採用され、今投票の真っ只中だ。

 

 クラス委員長として相応しいのは誰か。そう迷う暇もなく、気がつけば猪地くんの名を投票用紙に連ねようとしていた。

 

 いや落ち着け、と右手を止める。本当に彼女でいいのか?

 

 知力、協調性、慈愛、そして視野の広さ。リーダーの資質として必要なものを彼女は多く備えている。雄英のヒーロー科のクラス委員長として推薦するに相応しいと俺は思う。

 

 しかし意外な事に猪地くんは立候補していなかったのだ。しかもクラスでただ一人だけ。なぜ君ほどの人物が名乗りでないのか、事情を知らないときの俺ならばそう言いかねないが、今は違う。理由の一部ならば推測するのはそう難しいことではない。

 

 ならば他に推薦するべきは誰か。成績や分析力においては八百万くん、冷静さや協調性では蛙吹……梅雨ちゃん、いざという時の覚悟や決断力ならば緑谷くんの名が頭に浮かぶ。きっといずれの三人も立派に務めあげるだろう。だがしかし……

 

「あと三十秒だ。書き終わった奴から紙を畳んで前に持って来い。最後の二人は開票だ」

 

 相澤先生の気だるげな声。時間がないな。

 

「よし」

 

 俺は再びペンを手に取りその名を綴る。直感でもなく、期待でもなく、ただ願いを込めて。

 

 

 

 

「えーっ! 僕が二票ー!!?」

 

 緑谷くんの声が教室に響き渡る。黒板に書かれた正の字を見ると八百万くんが三票、次点で緑谷くんが二票だ。まぁ妥当な結果だろう。

 

「なんで俺が一票でデクが二票だと?! 一体誰が……!!」

 

 昨日は青白い顔で帰って行った爆豪くんだったが、すっかり元の勢いを取り戻していつもの怒声を上げていた。

 

「まーおめぇに入るよかわかるけどな! この前ボロクソに言われてたけど、俺は緑谷と対峙してたとき、ちょっと気圧されたからな」

「あ?!」

「まぁ落ち着けって爆豪」

 

 瀬呂くんが緑谷くんを擁護すると爆豪くんに因縁を付けられ始めた。ヒートアップしそうな雰囲気だが、対人調整が巧そうな切島くんが割って入ったので問題ないだろう。それから他人の事より自分の事はというと……

 

「俺は一票。わかってはいたが流石に聖職といったところか。だが、一体誰が俺に……」

「私も一票入ってる。誰が私に入れてくれたんだろう……」

 

 後ろの席の猪地くんが隣に来て首を傾げながら言った。その一票は俺だ、と言おうと開きかけた口を閉じる。「誰か」などは問題ではない。「誰かが支持してくれている」ということを知ることそのものが、今の彼女にはきっと重要なのだから。

 

「ケロ、飯田ちゃんは他に入れたのね」

「何がしたいんだ飯田。あれだけ委員長やりたそうだったのに推薦とか言い出すから……」

 

 梅雨ちゃんと砂藤くんがため息交じりで言う。

 

「でも律義で偉いと思うけどな。天哉のそういうとこ、私はいつも尊敬してるよ」

「猪地の言うこともわからんでもないが、クソ真面目も大概にしないと損するぜ。天や……アレ。いつの間に?」

 

 クソ真面目か。この学校で言われるのは初めてだな。上鳴くんの言うことは一理あるかもしれないが、この性分は既に身に染みついてしまっている。一朝一夕でどうにかできるものではないだろう。

 

「委員長は八百万、副委員長が緑谷だ。じゃあさっそくそこのプリントを配ってくれ」

「はい、任されましたわ!」

「じゃあ僕が半分を……」

「あー、これで少しは楽できる」

 

 せ、先生?!

 

 

 

 

              ×               ×

 

 

 

「ほらデクくん、飯田くん、こっちこっち!」

 

 緑谷くんと二人で手を振る麗日くんの下へ向かう。猪地くんと八百万くんを加えた女性陣に席の確保を任せておいて正解だった。今日も食堂は満員に近い賑わいぶりだ。

 

「なんとか纏めて席取れてよかったね。はい、猪地さん。約束のサラダうどん」

「サンキューね。遠慮なく頂きます!」

 

 目を輝かせてトレイを受け取る猪地くん。ポーチから取り出したバナナ2本をその上に乗せる。彼女の食欲は相変わらずだ。

 

「でも言っておくけどこれは罰ゲームなんだからね。緑谷くん、あんまり無茶しすぎちゃ駄目だよ」

「うん。制御頑張ってみるよ。相澤先生にも今日言われちゃったし」

「麗日くんがBランチ、八百万くんがカツカレーでよかったな」

「ええ。ありがとうございます」

「飯田くん、ありがとう!」

 

 俺のチョイスも八百万くんと同じくカツカレーだ。八百万くんの頼んだものが美味しそうだったので、つい同じものを頼んでしまった。ボリューミーなロースカツ、鼻孔を刺激する異国の香り、一目で違いの分かるツヤツヤのライス。それを真近で見て頼まない理由などない。

 

「じゃあ皆で頂きますだね。ほかほかの内に食べようぜ!」

「頂きます!!」

 

 麗日くんに合わせて皆で手を合わせ唱和する。

 

「お米がうまい!」

「ドレッシング最高!」

 

 学食の鉄板であるカレー。美食の体現者たるランチラッシュの作った物ならば、このボリュームでもすぐにきっと消えてしまうだろう。だからこそしっかりと味わえる一口目こそが肝要だ。

 

 まずはカレーとライスを1:1の黄金比ですくって口に含んだ。瞬間、香りが弾ける。これは辛さではない。清涼感とも呼べる爽やかさが口から鼻、そして全身を駆け巡るかのよう。この香辛料の配合はまさに奇跡そのものだ。いつも食べ付けている母のカレーとは全く違う。

 

 ベースにはしっかりとしたニンニクの風味。そしてシナモン独特の甘苦いとでも表現すべき味がさらに深みを与えている。俺の舌では果物かはちみつか判別は出来ないが、まろやかな甘みがそれをうまく一つにまとめているのだろう。そして程良い粘りと甘味を醸し出す米の一粒一粒がカレーのルーの味を更に引き立たせる。充分に噛みしめた後、喉の奥へと落とし込む。

 

 次の一すくいはルーのたっぷりかかったジャガイモだ。面取りされた美しい造形のジャガイモを口に入れる。カレーの強烈な香辛料の中でさえも自己主張する土のかぐわしい香りが咀嚼するたびに溢れ出す。

 

 そしていよいよ本命のカツだ。スプーンを突き刺す。カレーがかかっていながらも、サクッっという軽い音が衣から発せられる。肉は柔過ぎず、固すぎず。スプーン越しに感じる適度な弾力。富士山が噴火したかのように流れ出す肉汁がルーの上に広がる。室内灯を反射して黄金のような輝きを見せつける肉汁の溶岩。口内の唾液も濁流のように溢れ出さんとする勢いだ。意を決して口に含む。

 

 あぁ、これこそがカツカレーだ。求めていた期待通り、いや期待の遥か高みの味だ。端的に且つ誠実にこの味を言葉で表現するならば────

 

「うまい!」

 

 それ以外の言葉は不要だ。

 

「ええ、それしか言葉がありませんわね」

 

 斜向かいの八百万くんが目を合わせてそう言った。俺と考えていることはどうやら同じらしい。口直しにオレンジジュースを流し込む。これで口の中をリセットすれば再び同じレベルの感動を味わえるはずだ。

 

「百ちゃん、味見させて……ってもうほとんどないじゃん!」

 

 見ればもう8割方無くなっている。俺が遅すぎたのかもしれないがそれでも早い。

 

「八百万くん、意外と早いな」

「私の個性は脂質を原子に変換することで創造していますので、沢山蓄えるほど沢山出せるのです。ですから早く沢山摂取することで……」

「うんこみてぇ」

「確かに。あ、ここ席良い?」

 

 声のする方を見る。瀬呂くん、そして同調したのが上鳴くんだった。いきなり現れて何を言い出すかと思えば……

 

「ここは食堂だぞ。マナーというものがあるだろう! 君たち!」

「いくらなんでも女の子にあんまりじゃない……百ちゃん大丈夫?」

「だりゃああああ!!」

 

 一閃。どこからともなく飛んできた鉄拳が瀬呂くんの頬に突き刺さる。そしてもう一閃が上鳴くんに。

 

「ぐへぇっ!?」

「何でおれぼっ?!!」

「ウチもカレーなのに食べる気無くすわっ! このアホども!」

「おー、耳郎さん今日も良いパンチ」

 

 耳郎くんか。麗日くんの評したように腰の入った気持ちの良いストレートだった。

 

「この席良いよね?」

「やほっ、三奈ちゃんも一緒だったんだ。どーぞどーぞお二人さん」

「じゃあ遠慮なく。なかなか二人席が見つからなかったから良かったよ」

 

 芦戸くんと耳郎くんに席を勧める猪地くん。

 

「えっ、俺らの席は?」

「ちょっ、また緑谷と飯田ばかり?!」

「ご飯を不味くする馬鹿共はあっちだあっち」

 

 頬を押さえながら訴える二人を追い払う耳郎くん。何事もなかったかのようにカレーを口にするその姿は逞しい。

 

「何で親指下向けてんのさ響香ちゃん」

「ロックやわぁ」

「校庭で食べろってことではないのか?」

「いや、僕は違うと思うよ」

 

 緑谷くんが親子丼をかき込みながら言う。ふむ、下に食べれそうな所はあっただろうか。いやここは一階だぞ?

 

「しょうがねぇ。瀬呂、他探そうぜ。蛙吹はどこに居っかな?」

 

 肩を落として二人が去ろうとしたその時だった。窓ガラスが共振するほどに大きなサイレンが響き渡る。

 

「警報!?」

『セキュリティ3が突破されました。生徒の皆さんは速やかに屋外へ避難して下さい』

「さ、3ってどれくらいなん?」

 

 皆が箸を止め立ち上がる。

 

「すみません先輩方、セキュリティ3ってなんでしょうか?」

 

 食堂の入口へ向かう先輩たちへと声をかける。まずは事態の把握が大切だ。

 

「校舎内に誰か侵入してきたってことだよ! こんなの俺も初めてだ。君等も早く出るんだ!!」

「では俺達も……」

「天哉、駄目! 皆もストップ!」

 

 俺の袖を掴んで制したのは猪地くん。そして同調するように耳郎くんが意見を言う。

 

「ウチもそう思う。廊下に人が殺到してパニックになってるのが聞こえてる」

「私の探知でもそんな感じがしてる。生命反応が過密状態だ」

「耳郎と猪地の言う通りにしとこうぜ。こういうとき探知型は心強いよな。なぁ、一回水でも飲んで落ちつこうぜ」

 

 上鳴くんが俺の肩を叩いて座るように促す。彼のいう通りだ。まずは僕が落ち付け。そう言い聞かせてジュースを一気に飲み干した。そして切り出す。

 

「さっきから一つ気になっているんだが、この雄英に昼間から堂々と侵入する者など本当に居るのだろうか?」

「オールマイトも居ることですし、(ヴィラン)って線はないですわね」

「実は最近校門の近くで指輪をしている人たちを見たんだけど、もしかしたら……」

「それはありえない(・・・・・)『聖輪会(メビウス)』のイカレたのにしろ『境界なき世界(ノーボーダー)』の五月蠅いのにしろ、彼らこそが一番、私の現状維持を望んでいるんだ」

 

 緑谷くんの疑問に猪地くんが断言で返す。だがそれは……

 

「めぐりちゃん、それってどういう……やっぱり今はいいや」

 

 先のやり取りは一体どういう意味なのか。麗日くんと同じく俺にも全く理解ができない。『境界なき世界(ノーボーダー)』はようやく昨年一議席確保できたことで一時話題になった弱小政党だ。『聖輪会(メビウス)』は名前こそどこかで聞いたことあるものの、恥ずかしながらそれ以外は何も知らない。

 

「ねぇ、私思ったんだけど、最近朝のマスコミすごかったよね。もしかしたら、それじゃない?」

「確かに芦戸の言う通りあるかもしんねぇな」

 

 瀬呂くんのオールマイト就任の報を受けて最近マスコミが正門前に殺到していた。例外なく今日もだ。

 

「百ちゃん、双眼鏡を用意できる?」

「えぇ。簡単なものならすぐに。正門はあちらの窓側でしたわね」

 

 左手から瞬時に取り出した八百万くん。簡単と本人は言ったが重厚なフォルムは明らかに高級品のソレだ。これだけの品質でもこの速度で創造できるのか。先日はすごい実力者と対峙していたのだなと改めて実感する。空き始めた食堂の窓際へ皆で移動して確認を取る。

 

「ビンゴですわ」

(ヴィラン)じゃなくて良かった。マスコミなら多分先生たちが追い返してお終いだね。僕たちはこのまま待機しているのが良いのかな?」

「良くないと思うよウチは。聞いた感じ多分廊下で転んだりして怪我人が出てるっぽい。完全にパニックだ。どうにかしないと」

 

 彼女の言う通りだ。考えろ。状況がわかっているこのメンバーで何が可能だ? 兄さんならばどうする────そうだ。

 

「八百万くん、拡声器で皆に知らせよう。まずは食堂、そして廊下にの皆に!」

「わかりましたわ。でも飯田さん、廊下と言っても、この混雑状態では奥の方までは……」

「俺に考えがある。麗日くんの個性で俺を浮かせてくれ。後は俺のエンジンで天井伝いに奥の方へ向かう。なるべく目立つ場所で拡声器を使えば聞いてくれるはずだ。それから瀬呂くんは自身の個性で天井伝いに放送室へ。校内放送で事実を伝えてもらうんだ!」

 

 麗日くんの個性で足場がなくとも俺の個性ならば姿勢制御も推進も可能だ。入試のときのような瓦礫の雨のなかの空中飛行でない分、まだ難易度は低いはず。

 

「なるほど天井伝いか。任されたぜ飯田。この前の蛙吹(あすい)みたいだな。早速役に立ってるじゃんか、オールマイトの授業」

「百ちゃん、瀬呂くんにも拡声器をお願い。他に混雑しているところあると思うし」

「了解ですわ! 瀬呂さん、飯田さん、よろしくお願いします」

「よ~し、私も本気出さんとね。飯田くん、ほいタッチっ!」

 

 麗日くんから肩を叩かれると身体が宙に浮き始める。成程、これが無重力か。

 

「皆、それでは行って来る! まずは食堂の入口が目立つな」

 

 拡声器を手にエンジンを噴かす。左右の足の角度で調整しながら掴みやすそうな入口の看板を目指す。

 雄英生として、ヒーロー志願者として。この任務、兄のように立派にやり遂げて見せる!

 息を吸いこめ。短く、端的に、それでいて……

 

『皆さん、大丈ー夫!!』

 

 

 

              ×               ×

 

 

 

 あの騒ぎの後、警察が到着してマスコミが撤退。大きな怪我人も出ることなく無事に事態は収拾した。そのせいもあってか今日はマスコミを見かけることもなく、久しぶりに楽に登校できた。特に入試の件もあって俺の合羽の背中に猪地くんを隠しながら登校せざるを得なかったからだ。

 

 そして────

 

「よっ、非常口飯田!」

「おめでとう、非常口!」

 

 こういう流れになるとは思わなかったが────胸を張り、手を伸ばして宣誓をする。

 

「副委員長の指名ならば仕方ない。この飯田天哉、この一年全力で副委員長の任を務めあげよう!」

「任せたぜ! 非常口副委員長!」

 

 副委員長である緑谷くんの強い推薦により俺がクラスの副委員長を代わることになった。名誉ある雄英で副委員長を務めることができるのも喜ばしいことだが、緑谷くんが俺の事を推薦してくれたということ、そして皆もそれを認めてくれているということが誇らしかった。

 

 決してその期待に恥じることのないよう、俺は常に正しく人を導き、まとめあげられる人間でありたいと思う。

 

 

 そうだ。このときの俺は、確かにそう誓ったのだ。

 

 



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第9話 敵連合襲来

今回巡理視点。


「おかあさんはなーして、かえってこんとね?」

 

 私は何度、その問答を繰り返しただろうか。

 

「巡理、日本にはどこにでも病院はあるけど、他の国にはお医者さんがいっちょん居らんとこもあっけんがね。お母さんが診察しに行っとらすとよ」

「きょうは、どこんくににおっと?」

「きょうはね、ボリビアって国に行っとらすとよ」

 

 何故、どこに。毎日毎日、私は尋ねた。父は困った顔をしながらも、いつも違う国の名を口にした。

 

「ボリビアからかえってこらしたら、おかいものいける?」

「んーでも、次はチリに行かなんらしかけんが、まだお買い物は行けんとよ。小指のおじちゃんが明日にはきっと食べ物もって来らすけん、それまで我慢せなんばい」

 

 我慢、我慢、我慢。我慢の日々だった。

 

「わたし、がまんはもうイヤ!」

 

 家は燃えた。正しくは、燃やされた。

 テントや段ボールハウスですら、何度も何度も何度も。執拗なまでに燃やされた。

 

 母が助けてしまった(ヴィラン)の被害者たちの怨恨の矛先が母に、母が失踪した後は私と父にその全てが向けられたのだ。母が患者の善悪を問わず助けてしまったがために、あまりにも多くの悪意が結束してしまった。警察をはじめ、各組織のトップの一部にまで浸透していたのだから、もう誰にも止められなかった。

 

 強い圧力によって、仕事はおろか、生活保護を受けることも、子供一人施設に入ることも、買い物さえもできない。(ヴィラン)以下の扱いを受ける地獄の日々。父の最期が刑務所で良かったのかもしれないなどと、愚かなことを考えたのは一度や二度ではない。それぐらいに酷かった。

 

「おかあさんはいっちょんわるくなかもん!」

 

 春は良かった。管理の甘い山に行けば筍が掘り放題だった。山菜や野イチゴを籠に集めるのが楽しくて仕方なかった。

 

「みんなばたすくっとは、よかこつっていっとったもん!」

 

 夏はマシだった。辺鄙なスポットでもアジやイワシが沢山釣れた。それなりに果実も収穫できた。でも腐った物に中って苦しむことも何度かあった。

 

「みんながおかしかとよ!」

 

 秋は厳しかった。小動物のようにドングリを集めても虫食いやアクに苦戦し、川に入るのも気温的に厳しくなっていった。

 

「もうよか。みんなにいじめらるっとなら、いいこにならんでよか!」

「巡理!」

 

 そしてとうとう限界が来た。冬は採れるものは少ない。寒さで体力も落ちた私たち親子は歩き回る力も碌に残されてなく、夜中のゴミ箱漁りと公園での水汲みで飢えを凌いでいた。

 

 私たち親子が徹底的に警察や市民団体からマークされている中、様々な妨害を潜り抜けて義理固い(ヴィラン)の人たちが届けてくれる物資が私たち親子の命綱(みかた)だった。聖輪会(メビウス)狂信者(ボディーガード)たちも当時はまだ結集していなかった。

 

 哀れに思った一般人や、母の縁者、情け深い敵たちが、私を匿ってくれたこともあった。でもその度に役所や警察、最悪の時には買収されたらしき英雄崩れまでもが総掛かりで皆を捕まえた。ときには冤罪をでっち上げられてまで。何が誘拐だ。

 

「わたし“びらん”になるもん! こゆびのおじちゃんごたっ、よか“びらん”になるっ!」

「待たんね! こらっ、どこ行くとっ?! 巡理!!」

 

 公園で満タンにした水タンクを担いだ父を置いて、私は人混みの中へと逃げた。

 そしていつの間にか、平穏だった頃よく通っていたあの八百屋へと足を運んでいた。  

 生きるために。盗むために。私は物影から痩せ細った小さな手を怖怖と伸ばし、そして──────

 

 

 

 

 「ごめんなさい!!」 

 

 自分の寝言で飛び起きる。今日はここで終わってくれたか。ロングラン上映はもううんざりだな。

 睡眠をうまく制御できたら良いけれど、眠っている間は個性の制御ができないから諦めるしかない。寝込みを狙った襲撃への警戒で手一杯。睡眠薬を処方してもらったら本当は一番楽なんだけど、そんな無防備なことなどそれこそ夢のまた夢。

 

「……起きようかな」

 

 寝汗でシャツが背中に張り付いて気持ち悪い。気だるい上体を起こし、枕元のペンギィーは4:50分の時計を掲げているのを確認する。

 

「10分早いか……」

 

 二度寝したところで碌なことはない。いつもより10分長くトレーニングした方がまだ有意義だ。

 

 個性による自己管理で入院中に衰えた筋力を思っていたよりも随分早く戻すことができたが、まだ昔の方がもっと早く走れた。それは先日の相澤先生のテストでわかっている。もう少し早く走れるようになるまで、走り込みのお誘いはお預け。それをモチベーションに今日も頑張るとしよう。

 

「ネガティブ禁止! 起きよっ」

 

 まずは思いっきり蛇口を捻って水で顔を洗い始める。指先から溢れだす水の塊を顔中に叩きつける。繰り返すこと二、三度。水と空気のひんやりとした境界線が段々と思考を明瞭にしていく。

 

 瞼の奥まで行き渡った清涼感を確かめるように私は目を見開いた。うん、まさに水も滴る良い女。怖い顔したままじゃ、駄目だもんね。

 

 ふわふわなタオルに顔を埋める。柔らかなバラの香りが呼吸を通して体中に染み渡るようだ。昨日の帰りに茶子ちゃんと柔軟剤をまとめ買いして分け合いっこしたのは大正解だった。安物洗剤だけのときと仕上がりが全然違う。

 

 そしてそのままフェイスタオルを頭に巻いて、いつものジャージをサッと羽織る。ウエストポーチに補給用のバナナと水道水を詰めたペットボトルを用意して準備完了だ。

 

「さて、と。それじゃあ行ってくるね。お父さん」

 

 

 

 

 

             ×              ×

 

 一番楽しみなヒーロー基礎学の授業の時間がとうとうやってきた。しかもその内容はと言うと……

 

「災害水難なんでもござれ人命救助(レスキュー)訓練だ!!」

 

 人命救助(レスキュー)訓練。うん、人命救助(レスキュー)訓練って確かに言ったよね。いつもはちょっと聞き取りづらい相澤先生の声も、今回はバッチリ聞こえた。

 

 皆の反応は様々だ。大変そうだなと言う人たちも居たが、特に梅雨ちゃんなんかは私と同じくレスキューヒーロー志望だからいつもはクールな彼女も「水難なら独壇場ね」とかなり興奮しているみたいだ。ほら波形の密度がまた高まった。

 

 でも私はそれ以上に興奮しているから人の事は言えないけどね。だって雄英におけるレスキュー訓練で適任の先生といえば間違いなく13号先生かリカバリーガールのどちらかだろうというのは容易に想像がつく。そのどちらも私の目標として相応しいヒーローたちだ。ついにこの時が来たかと思うと、興奮しすぎて言葉が出てこない。

 

「おいこら、おまえたちまだ途中だぞ」

 

 騒ぎすぎたせいで相澤先生に怒られた。私は騒いでいないから無罪だ。いそいそとコスチュームに着替えて訓練場までのバスに向かう。勿論一番だった。でも私以上に空回っているのがここに一人いた。

 

「ドンマイ飯田」

「どんまい非常口~」

「ど、どんまい? 飯田くん」

 

 ゾンビって言われるよりは非常口の方がいいのかな……どうなんだろう。訓練の移動にバスを使うということだったので、天哉は皆がスムーズに座れるように整列させた後に乗りこませたものの、想定していた座席のタイプと異なっていたようで彼の仕事は何の意味も為していなかった。

 

「こういうタイプだったか。くそう!」

 

 天哉は脱力するようにバスの座席に付く。私も彼の対面に座り声をかける。

 

「くそうって、君にしては珍しい言葉だね天哉。そこまでしょげること?」

「はっ、俺とした事が汚い言葉をつい使ってしまった。気分を害した様ならすまなかった」

「たまにはガス抜きにいいんじゃないかしら? 爆豪ちゃんなら毎日言ってるもの」

「雄英生として、模範たるべき副委員長としてこれは恥ずべきことだ。気が抜けた時の言動にも気を使わなければ」

「梅雨ちゃんの言う通りだぜ、副委員長。爆豪なら一日百回ぐらい言ってるから気にすんなって」 

「いや、二百回はあるだろ。クソを下水で煮込んだような性格だからな。仕方ねぇよ」

あの(・・)かっちゃんが、弄られてる。雄英コワイヨ……」

 

 うわぁ、ひっどい言われ方。切島くんに追随する上鳴くんの評価はかなりえげつない。でもよく例えたものだなと私もつい頷いてしまった。

 

「んだとコラ?! この糞髪ども殺すぞ!」

 

 そう騒ぎながら向かっていたのも束の間のことで……

 

「スペースヒーロー『13号』だ! 災害救助のスペシャリストで紳士的なヒーロー!」

「私好きなの13号!」

「茶子ちゃん、私もだよ!」

 

 相澤先生とオールマイトと共に授業を受け持つ3人目の先生の予想は大当たりだった。本物の13号に教えてもらえるなんて夢みたい! 雄英に来て良かった!

 

 ちょっとお小言も混じっていたけれど、先生は素晴らしい演説をしてくれた。『人を傷つけるためにあるのではない。助けるためにあるのだと心得て帰って下さいな』という締めの言葉にみんな湧いていた。天哉に至っては誰よりも盛大な拍手と共にブラボーと連呼し褒め称えている。

 

 人を助けるために、か。そのために私の力はあるんだ。そのためだけに(・・・)。そう思っていた矢先のことだった。

 ストーカーが部屋に侵入してきたときのような、肌を爪の先でチクリと刺す程度の波形の乱れを急に感じ取る。いや、これは乱れじゃない。

 

 何か不味い──────感応全開(フルレンジオープン)

 

 人だ。全開にしても薄くしか感じ取れないけれど、間違いなく人の反応だ。でも何もないところからなんで突然生命反応が湧いてきたのか。授業のギミックなら良いけれど、そうじゃないと私のこれまでの経験が告げていた。これは襲撃だと。

 

「増えてる! 50m左下、噴水!!」

 

 とっさに出てきたのはこんな単語だけ。でも相澤先生には届いた。

 

「ひとかたまりになって動くな!!!」

「は?」

「13号生徒は任せた!」

「はい!」

 

 それがなんであるのか(敵であることを)把握した先生たちの反応は迅速だ。とっさに相澤先生は生徒たちを庇うようにして襲撃者の前に立つ。

 

「なんだぁ、あれ?」

「授業のドッキリか?」

「いや、そんな訳ねーだろありゃどうみたってヤベえって!」

 

 チャンネルを全開にせずとも、既に目視で確認できるようになっていた。20や30なんてものじゃない数の敵たちが次々に黒い霧がかった空間から這い出してくる。

 

 彼らの容貌の問題なんかじゃない、滲み出している悪意とでも表現すべき鉄錆色の臭いは、私にとっては毎日のように嗅ぎ慣れたものだった。断言できる。あれは────

 

「動くな、あれは(ヴィラン)だ!!!」

 

────(ヴィラン)以外にあり得ないと。

 

「オールマイトが見当たりませんね。先日頂いたカリキュラムでは、オールマイトがここに来るはずだったのですが……」

 

 おそらく転移能力者であろう黒い靄がかった敵が、いきなり聞き逃せないことを喋り出した。

 『頂いた』ってどういうことだ。『誰かに』頂いたのか、『勝手に』頂いたのか。それ次第じゃ私の独立計画が破算になる。どうにかしてカマを掛けて聞き出さないと。

 

「チッ、先日のアレはクソ共の仕業だったか」

 

 ちょっと、その決め打ちは良くないって。あーあ、これでもう捕まえでもしない限り、この件から情報を得にくくなってしまった。私の方が舌打ちしたいよ相澤先生。

 

 

「どこで何しているんだよオールマイトは。せっかく大衆引き連れて歓迎しに来たっていうのにさ……まったく」

 

 複数の手を体中に付けた男、センターに陣取っていることからしておそらくリーダー核らしき人物が口を開く。

 

「んーそうだなぁ。子供を殺せばくるのかな?」

 

 しかもオールマイト狙いを豪語するだけあって実力はかなり高そう。個性を使うまでもなく、私のこれまでの経験と本能がそう告げている。オールマイトをアイツが倒せるとは思わないけれども、少なくとも私たちに生徒には荷が重いのは間違いなさそうだ。

 

「待って下さい。彼女はもしや?!」

「あぁ、アレがエンドレスの娘か。アイツの個性はオールマイトを殺すのに邪魔だなぁ。アイツも殺していいよ、いや絶対に殺せ」

 

 そして完全に目があった。指の隙間から覗く血走った瞳と歪につり上がった口角。こりゃ中々にキマってる感じだ。まさかとは思っていたけど純粋に殺しに来るのか。誘拐未遂は数あれど、これ程露骨なピンチは久々かもしれない。

 

「それでは手土産にするという話は?」

「オールマイトが優先だ。それに、娘の死体でもぶら下げとけば、エンドレスも釣れるかもなぁ」

 

 完全に私にヘイトが集まっている。非常に不味い事態になった。対人戦闘はそれなりに心得があるとは言え、まだリハビリ中で筋力も入院前と比べたら戻りきっていない。これだけ敵の数が揃っていれば相性上、いつか必ず詰みの場面が来るだろう。

 

 私の個性は多少応用の幅が広いけれども、本来『生かし続けること』に特化した能力だ。自分の命の心配もだけど、私が生き残っていないと皆の生存率が大幅に変わる。だから死ぬことも、治療不能に陥ることもどっちもダメだ。入試の二の舞いをするわけにもいかない。

 

 全滅が勿論論外として、二番目に最悪だとしてもクラスメイトだけは生存させる。とっくに私はヒーロー失格だなんてこと、自分自身が一番良く知っている。だからもし退学になってしまったときはしょうがない。別の道を行くまでだ。

 

 でも。もし、もしもの話だ。みんなと生き残れて雄英に通い続けられることが叶うならそれが一番に決まっている。正攻法以外でこの個性を使うなら勝算は多分低くない。しかしそのためには先生たちの目が――――邪魔だ。そんなことを考えていたときだった。

 

「猪地くん、君さえ生きていれば皆が助かる可能性が上がる。だから君は無理をせず下がっていてくれ」

 

 天哉が私の右肩を力強く叩く。「もうあの時みたいなのは御免だ」と彼は呟いた。マスクを被り、私の前に立つ。ありがとうね、ヒーロー。

 

「眼鏡の言うとおりだ。デカ女、てめぇは後ろでお得意の罠でも作ってろ」

「そうだぜ猪地! 体を張るのは俺達に任せとけって。お前と八百万ならできないことなんてないだろう」

 

 爆豪と切島くんが戦意に溢れた声を発する。すごい戦力差なんだけど逞しくて良いね。そして────

 

「やりましょう、脱出作戦。作戦立案は私たちの得意分野でしょう?」

「百ちゃん」

 

 最後の一押しは最高の相棒からだった。そうだ個性を使わずとも私にはこの場の誰よりも襲撃を受け慣れているという点で優位性がある。

 

 冷静に考えれば私が無茶しなくてもかなりの手を打てる。

 天哉が居る。百ちゃんが居る。茶子ちゃんに緑谷くん、透ちゃんに青山くん、上鳴くんに口田くんが居る。

 他のみんなの個性の上手い使い方は百ちゃんとならきっと思いつくだろう。

 

 私の個性は極限まで温存しよう。本当にどうしようもなくなるそのときまで。

 

 

 

 



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第10話 飯田:ブラスト

 圧倒的な戦力差、明確な命の危機を目の前にして何が俺にできるのか。こういうときこそ英雄としての資質が試されるのだろう。猪地くんと緑谷くんが身を挺して入試のときに示したように。

 

 体が勝手に動いたと彼と彼女は言う。それはきっと正しいのだろう。ヒーローなら、兄さんならどうするか。どうあるべきか。それを基準に動くのが飯田天哉として、雄英の生徒としてのベターであるのはわかっている。

 

 ただ、それだけではダメなのだと俺は知っている。知らされてしまった。死にさえしなければ猪地くんが生かし続けてくれ、リカバリーガールがどんな傷でも癒やしてくれる。オールマイトさえ救援に来てくれれば敵を散らしてくれる。現状を楽観視しているわけではないが、最悪の事態を防ぐ手段は手繰り寄せさえすればすぐ近くにあるのだ。

 

 だからこそ俺は、この事態を切り抜けた後のことを一瞬想像してしまった。雄英への更なるバッシングは避けられず、特に猪地くんはマスコミにとって格好の標的になるだろう。明確に敵から狙われたこともだが、蘇生まがいのことをしなければならなくなりそれが表沙汰になった場合、エンドレスの再来などと騒ぎ立てられることも十分有り得る。そこまで思い至っている可能性があるのは当然彼女自身と相澤先生、それに同じ経験をした緑谷くん、麗日さんくらいだろうか。

 

 クラスの副委員長としての立場も勿論ある。だが猪地くんの友人として、俺はこの馬鹿騒ぎをできるだけ円滑に、穏やかに収束させなくてはならないと決意した。そしてそれはきっと力による解決では成し得ない。

 

「あぁそうか。これはこの前の逆だな」

 

 ヘルメットに籠もる声。気づけば独り言が口から漏れていた。小さかったとは思うが誰かに聞かれただろうか。しかし、どうするべきかの方向性は一つ見えた。あとはそのための手段、材料をかき集めろ。他の手段は先生が、みんなが考えてくれる。

 

「13号先生、侵入者対策のセンサーは?」

「もちろんありますが……作動していないようですね」

(ヴィラン)が現れたのはここだけか学校全体なのか……どちらにせよ向こうに妨害系の個性持ちが居る可能性が高いってことだな」

 

 八百万くんが13号先生に状況の確認をする。そして轟くんの言うことは最もだと俺も思う。

 

「そうですね。かなり用意周到に計画された奇襲のようです。猪地さん、障子くん、出口の外に(ヴィラン)の気配は?」

「いいえ、今はまだ誰も!」

「あぁ、今なら安全だと思う」

 

 13号先生の指示を先読みしていたかのように探知型の二人は即座に答える。

 

「では出口に新たな(ヴィラン)を配置される前に避難するのがベストのようですね」

「13号、今のうちに避難開始。学校に連絡を試せ。上鳴おまえも個性で連絡を試せ!」

「爆豪に言われてさっきからやってるけど、ダメっす。多分電波系のヤツがいるんだと」

「ちっ、ジャミングは当然してくるか」

 

 こちらも対応が早い。みんなそれぞれできることを全力でやっている。敵への対処法、連絡手段、脱出手段の模索。俺以上に頭が回る生徒は居るし、汎用性の高い個性の持ち主も多い。

 

 先生の援護で全部の(ヴィラン)を倒すか。そんなことはオールマイトでもない限りまず無理だ。敵よりも早く出口へ向かい脱出して救援を呼ぶか。黒い(ヴィラン)の能力で(ヴィラン)の配置も自由自在だ。無策な訳がない。電波を妨害している敵を倒し連絡をするか。おそらく隠れているであろう敵の中から的確に対象を見つける手段がわからない。

 

「八百万くん、1つ頼みがある」

 

 しかし俺の頭では、持っているカードでは解決策は見つからない。だがみんなが解決策を見つけるまでの時間を稼ぐぐらいはできる。

 

「飯田さん。頼まれた物両方ともできましたけど、これは一体何に使うんですの?」

「決まっているだろう。君たちが教えてくれたことじゃないか」

 

 さぁ飯田天哉、決してうろたえるな。堂々としろ。己がやるべきことをやれ。

 

「13号、行ってくる。後は任せたぞ」

「ええ任されました」

「少し待って下さい」

 

 ゴーグルをかけ戦闘態勢を整えていた相澤先生を呼び止める。

 

「何をする気だ」

「先生がしようとしていることと同じことを」

「飯田、おとなしく引っ込んでいろ。俺は担任でお前は生徒だ」

「いいえ、副委員長として退けません。それに陽動役としては速度のある俺が最も適任です。それに……」

 

 いつもより相澤先生の語気が鋭さを帯びている。入学して間もない生徒を敵の矢面に立たせるという判断は普通ならできないだろう。先生は正しい。だが、それでもみんなが助かる可能性が上がるのならば、俺は大人しく下がるわけには行かないのだ。

 

「明らかに今回の襲撃は向こうにとっても想定外のようです。大人しく退いてくれる可能性もあるなら探るべきかと」

「何やら後ろで八百万と猪地が動いているみたいだな。好きにやってみろ、ケツ持ちはしてやる」

「はい!」

 

 許しは得た。胸を膨らませ大きな深呼吸を一つし、声を張り上げる。

 

『よく聞け、俺は雄英高校1-A副委員長の飯田天哉だ!』

 

 うむ、曇りなく声がよく響く。流石は八百万くんお手製の拡声器だ。中々に性能がいい。

 

「なんだあの五月蝿い馬鹿は?」

 

 手を纏った男が不機嫌な声をぶつけてくる。あぁ実に不機嫌そうだ。それでいい。

 

『問おう。君たちは何者だ?』

「威勢がいいですね。ですが問われたからには名乗りましょうか。初めまして我々は敵連合と申します」

 

 黒い霧状の、参謀格らしき(ヴィラン)が丁寧でありながらも不遜な声で答える。こちらの方は対話に応じる余地がまだあるようだ。

 

「……口田くん、今のうちに呼んで」

「……陰に潜む小さきモノたちよ。気取られぬよう集いなさい」

 

 俺の背後で猪地くんが動き出した。彼女の指示に従い口田くんが小声で個性を発動する。彼女たちの動きを気取られぬよう、注意を俺に引き付けなければならない。

 

『敵連合か。随分と安直な名前を付けたものだな。まぁそんなことはいい。それよりもだ。君たちは何を目的にこんな馬鹿けたことをしでかした?!』

「僭越ながらこの度はオールマイトに消えて頂きたいと思いましてね。本来ならばここにオールマイトが居ると聞いていたのですが少々予定が狂ったようですね」

 

 本命はオールマイトで確定か。しかし学校から隔離された場所とはいえ、他のヒーローの介入のリスクを考えるならばもっと他の場所に誘い出すなど確実な手段はあったはずだ。何故そうしなかったのか。それが妙に気にかかる。

 

 あの惨敗した模擬戦の後、交渉術や犯罪心理学について図書館で勉強を始めてみたところだったが、こんなことならもっと早くから読んでおけば良かったと思う。だが付け焼き刃でもないよりマシだ。時間を稼ぎつつ、できるだけ多くの情報引き出せ。何せ相手は集団だ。安直かつ初耳の団体名を聞く限り、その場っきりの寄せ集めである可能性は高い。

 

『その情報収集能力には恐れ入るがな。しかしオールマイトがここにいない時点で君たちの計画は失敗だ』

「これだけの戦力差を前に良く吼えますね」

『あぁ吼えるさ。仮にこの戦力がオールマイトと対等に戦える力があるとしてもだ。オールマイトが単騎でここに乗り込むと思うか? 雄英はこの前から入試にマスコミ侵入と騒ぎが立て続けにあったばかりだ。確かに雄英は敵の侵入を許し、致命的なダメージを今受けている。だからこそこれ以上傷を広げないためにも汚名返上のためにも全戦力をもって君たちを打倒するだろう。雄英の全てを相手に本当に勝てる気があるのか?』

「あのガキ、飯田っていったよな。インゲニウムの身内か?」

「だろうな。ウチの兄貴の仇だ。俺の鉤爪で血祭りにしてやる!」

「おいおい、誰か飯田の野郎を止めろって。敵に真っ先に狙われるぞアイツ」

 

 峰田くん心配かけてすまない。だがこれで良いんだ。可能性がゼロではないというだけで、ここまでのことをしでかした敵がすんなり退いてくれるなど楽観的に考えているわけではない。

 

 だからこれは次の段階に入ったときのための布石でもある。殿を務めるであろう先生の補助として俺が陽動を行う。これは最も機動力に長けた俺が担うべき役割だ。己を囮として機能させるためにもできるだけ多くの敵意を今のうちに俺に集める必要がある。

 

「誰か手の開いている人、メモを手伝ってくれへん?」

「ケロ、手伝うわ」

「百ちゃんはアレを作るのに専念して」

「えぇ早速とりかかっていますわ。青山さんはもう覚えましたわよね?」

「当然☆」

「よっしゃ。本気モードOKだよ。13号先生、行ってきます!」

「はい。葉隠さん、くれぐれも気をつけて!」

 

 背後から聞こえるみんなの声。猪地くんたちと13号先生の主導でなんらかの作戦が順調に進行しているようだ。俺も負けていられない。全力を尽くそう。

 

『そうリーダー格の君たちは本気でそう思っているかもしれないが、他はどうだ? オールマイト殺しの箔がつくかもしれないとおこぼれに預かろうという浅はかな考えの者はいなかったのか?』

 

 主犯格らしき二人はともかく、他の敵たちも本当に不倒のオールマイトを倒せると考えているのか。迷いが出れば集団の結束に綻びが生じるかもしれない。

 

『それにそもそもだ。まさかこんな有象無象の寄せ集めでオールマイトを倒せるとでも?』

「言ったな。糞ガキが」

「死柄木さん、殺っちゃっていいですよね?」

「あいつの臓物をぶちまけなきゃ、オレの腹の虫が収まらねぇ」

 

 迷い、怯む気配はない。どうやら向こうもそろそろ我慢の限界のようだ。エンジンを温め、身構える。交渉には失敗したが、十分に敵意はこの身に集めた。

 

「……天哉」

 

 小声で猪地くんが俺を呼ぶ。だが俺は振り向くわけには行かない。ただ耳だけを傾ける。

 

「餞別」

 

 見知らぬ犬を撫でるときのように、ほんの少しだけ。彼女の指先が手袋越しに俺の指先に触れた。

 

「使って」

 

 血が、鼓動が、生命が体内を駆け廻る。指先まで染み渡る暖かさ。これが猪地くんの言う「生命力」か。可視化できないものであるため、半信半疑な部分もあったが実感としてようやく理解した。そう言えば猪地くんの個性を本来の形で使ってもらうのはこれが始めてだ。

 

「貴重なものをありがとう。恩に着る」

 

 敵の銃口がこちらに向けられた。後ろのみんなに流れ弾に中たるのは駄目だ。同じことを先生も考えていたようだ。

 

「限界だな。絶対に脚は止めず、掻き回せ。霧のは俺の個性でしか抑えられん。やりやすい雑魚だけでいい。お前がやられると士気に関わる。無理はするなよ」

「はい!」

「行くぞ!」

 

 帯状の捕縛武器を手にした相澤先生が空を滑走するように階段から飛び降りた。俺もそれに続く。

 

 1速(とばせ)

 

「射撃隊行くぞぉお!」

「間抜けどもめ。蜂の巣にしてやるぜ」

 

 さぁ、楽しい鬼ごっこの時間だ。

 

 2速(とばせ)

 

「あれ出ねぇぞ?」

「俺も弾が、ぐわぁああああ?!」

 

 相澤先生の個性によって個性を消された(ヴィラン)たちが、困惑を顔に浮かべたまま次々と捕縛武器によって制圧されていく。流石は雄英の教師として選ばれるだけある一流のヒーローだ。

 

「馬鹿やろう! アイツは見ただけで個性を消せるイレイザーヘッドだ!」

「なら後ろを向いているうちに……」

 

 俺から相澤先生へ注意が向いた。その分、背後への警戒がお粗末だ。

 

 3速(もっとはやく)

 

「させないっ!」

  

 階段を全力で駆け下りながら、高低差を活かした急襲。

 続けざまに2人の敵へ延髄に蹴りを打ち込む。

 効いたのかどうか、確認する暇はない。振り向くな、次だ。

 

 4速(もっとだ)

 

 被断面積を小さくするべくなるべく身を屈めながら前進。

 更に低く。敵の懐に飛び込み牛頭の敵の左脚に全力のローキックを見舞う。

 脚甲から伝わる衝撃。多分これが砕いた感覚というものなのだろう。(ヴィラン)の悲鳴が響き渡る。

 

「何だ?! はえぇぞコイツ!」

 

 自分を過信するな。俺は速いがまだ弱い。攻撃は無理をしなくていい。決して脚を止めず、(ヴィラン)の目を引き続けろ。そうすれば――――

 

「ガキが調子に乗りや…………ぐはっ?!」

 

 相澤先生が倒してくれる。

 

「生徒よりイレイザーヘッドだ。てめぇら!」

「白いのは脚だけだ。近づかなければどうってこと……ぶぎっ?!」

 

 状態の力を更に乗せて加速させた拡声器を顔面に向かって投げつける。投擲武器として拡声器の形状は歪であり効果的とは言い難いが、相手を怯ませるには充分。

 

 当然的中するわけはなく、顔面の右方に逸れてしまったが、敵は一瞬思わず目をつぶり、手を止めた。その隙に距離を最短で詰め、防御が薄くなった腹部へと前蹴りを入れる。

 

「八百万くん、すまない」

 

 それにしても、我ながら今日は明らかに動きのキレが増している。集中力と良い、エンジンの温まりの速さと良い、とにかく絶好調だ。これだけの運動量にも関わらず、一向に疲れる気配がない。

 猪地くんの餞別の恩恵を感じ取りながら、次の段階へと踏み込む。

 

 5速(全開だっ)!!

 

 狙うは飛び道具持ちと異形型だ。

 

 一番近いのは両腕がカニのようなハサミの女。

 例え女性であっても敵であるならば容赦はできない。

 心臓部を狙ったハサミでの刺突を右への重心移動で避け、すれ違いざまに左足を思い切り振り抜き脚を砕く(ローキック)

 

 その後ろに立っていたクロスボウを生やした痩身の男。地面を向いていたクロスボウの先が持ち上がろうとする。

 しかしこのまま最高速度で突入し、狙いが定まる前に戦意を叩き折る(ドロップキック)

 

 狙撃銃を持った毛玉男が引き金を引こうとする。

 更に屈むとほぼ同時に銃口が火を吹いた。だが中ってはいない。

 そのままの態勢で接敵し、意識を刈り取る(ローリングソバット)! 

 

「死ねぇ!!!」

 

 右手がガトリングになっている(ヴィラン)が叫ぶ。

 明後日の方向に指先の銃口が向いている。わざわざ回避行動を取るまでもない。

 だがその判断は間違いだったとすぐに気づく。

 

「しまったっ!」

 

 弾が向かうのは無防備なみんなのところだった。

 

「やめろっ!」

 

 下顎へ左膝を叩き込む。ガトリングの回転は止まった。しかしみんなは?!

 

「ふっー、一瞬ドキッとしたぜ」

「切島くん!」

 

 どうやら彼が個性で庇ってくれたらしい。

 

「前だけ見てろ。殿なら硬てぇ俺向きの役割だろ」

「後ろは任せておけよ非常口!」 

 

 硬化の個性を持つ切島くんと、猪地くんの盾を手にした身体能力の高い砂藤くんの2人か。確かに彼らなら適任の配置だ。

 

「僕も居ます。絶対に後ろには通しません」

 

 13号先生も並び立った。鉄壁の布陣だ。これなら安心できる。

 

「任せた!」

 

 相澤先生は手の男と霧の男の2人組と交戦を始めた。

 霧の男は絶対に自由にさせてはいけないが故に彼の個性を封じ続けながら、リーダーの男を抑えなければならないのだ。かなりの負担だろう。援護が必要だ。

 少し離れたところから相澤先生を射撃している(ヴィラン)が最も多くの陣取っている場所へと向かう。

 

 取り巻きの(ヴィラン)が何かを言っているが雑音は不要だ。

 敵の間隙を縫って中央部に突入後、八百万くんに用意してもらったもう1つのアイテムを放り投げる。

 

「こけし? なんでこんなものをって、おい?!」

 

 投げてから僅かな時間を置いた後に煙幕が炸裂する。

 こけしではない。マトリョーシカだ。

 前の模擬戦では俺が食らった側だったが、まさかアレが煙幕弾だなどと(ヴィラン)も想定しなかっただろう。

 

「煙幕っ?! 全然見えないぞ」 

「撃つなよ。絶対撃つなよ。ぎゃぁあああ?!」

 

 広場の戦闘において、こちらの味方は相澤先生と俺の2人だが、相手は数えるのも馬鹿らしいほどの数だ。数では圧倒的に劣っているが故に、視界を奪ってしまえば同士討ちを狙える。

 

 (ヴィラン)は攻撃を控えなければならないのに対し、俺は少しでも見えた(ヴィラン)の影を手当たり次第襲えばいい。……などと思ったものの、この速度を維持したまま最悪の視界での戦闘は今の俺には難易度が高すぎた。

 

 ほとんど無差別タックルになりながらもなんとか補足されることなく(ヴィラン)の戦力を削っていく。しかしフルアーマーを着ているとはいえども、硬い肌を持つ(ヴィラン)などにもタックルしていたのだ。自らへのダメージは決して少なくない。

 

 段々と煙幕が晴れてきた。みんなは、相澤先生はどうしているだろうか。一旦煙幕の外側へ飛び出す。

 

「不味い」

 

 いつの間に相澤先生の個性から逃れたのか、黒い霧の男が転移して出口近辺に移動していたみんなの前へと現れていた。だが先生は俺の数倍の敵を引き受けており明らかに苦戦しているように見える。

 

 そして13号先生が地面に倒れている。背面にかけてスーツが大きく損傷し、猪地くんが寄り添っているようだ。明らかに不味いぞ。

 

「逃しませんよ。散り散りにして1人づつ始末してあげましょう」 

 

 戦闘能力が低い者を各個撃破されるわけにはいかない。

 この集団を突破して駆けつけなければ。

 

「くそっ、コイツ物理攻撃が通じねぇ?!」

 

 切島くんと砂藤くんの攻撃が通っていないようだ。それでは俺が駆けつけても何の解決にもならない。 

 それよりも俺の現在地から見て、みんなのところよりも近い位置にいる先生の周囲の敵を引き受けに駆けつけて、霧の男の個性を封じてもらうのが良いのか────それしかない!

 

「俺が代わります! 先生はみんなをっ!!」

 

 周囲の(ヴィラン)を振り切り、相澤先生のもとへ駆け寄る。だがあまりにも数が多い、俺1人では捌ききれない。

 先生も(ヴィラン)連合のリーダーに手こずらされている。

 

「やらせるもんか。SMASH!!」

 

 一陣の突風。

 吹き荒れる暴力の奔流が霧の男を押し流す。

 

「何だと?!」

「しゃあ! ナイスだぜ緑谷!」

 

 彼の方に目を向けると、右手の人差し指を負傷している。文字通り捨て身の一撃だったようだ。

 

「いっ、痛ぅ…………よし、読み通り風でなら妨害できる」

 

 不敵な笑みと激痛による苦悶を同時に垣間見せる緑谷くん。

 

「全く君という男は……」

 

 いつも危なっかしい(かっこいい)な。

 

「チッ、やっと溜まった。そこをどけぇっ、デク! 糞メガネ!」

 

 聞き慣れた下品な声が届く。右手の手榴弾型の籠手、その安全ピンに指をかける爆豪くん。

 アレが彼の切り札か。クラス一直情的な男がやけに大人しいと思っていたがこのためだったのだろう。

 最も厄介な霧状の(ヴィラン)が見せた決定的な隙。今ならこちらの攻撃を転移される心配もない。

 本丸を一気に制圧するなら確かに今がチャンスだ。

 

「先生!」

 

 相澤先生を抱え、即座に射線上から離脱する。

 

「死ねぇええええええええっ!」

 

 煉獄を彷彿させる容赦なき一撃が、戦場を業火に染め上げた。



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第11話  ALL・FOR・ALL

 鼓膜が弾け飛びそうな程の轟音と共に放たれた、かっちゃんの全力での一撃。

 視界全てが黒煙と赤熱で覆われる。とっさに回避行動をとったけれども、射線に近いところにいた僕は、広場の瓦礫と一緒に弾き飛ばされた。

 

「ったぁ」

 

 肺の中の空気すべてを吐き出しそうな程に背中を地面に殴打した。でも指の痛みに比べたら大したことはない。

 

「……やったのか?」

「おい止めろ飯田。フラグを立てるな」

 

 視界はまだ晴れない。茶化す訳でもなく上鳴くんが呟いた。正直なところ僕も同感だ。曲がりなりにもオールマイトを狙ってきた奴らだ。いくらかっちゃんの技が凄いと言っても本当に通用しているのか。あまり楽観視できない気がする。

 

 喉を通る空気が熱く焼け付いている。燻る煙でむせてしまいそうだ。だけどそれよりもその中に混じる匂いに思わず顔をしかめる。肉が焼ける匂い。決して美味しそうな匂いではない。想像したくはないがこれは人間が……

 

「ていうか本当にアレ食らって死んでたりしないよな? 猪地、障子、どうなんだ?」

 

 峰田くんの視線の先の二人に注目が集まった。二人とも眉間に皺を寄せ煙の奥を凝視している。これを険しい顔と言わずして何と言うのだろう。その表情が次第に周りに伝播する。そして次第に晴れてきた視界の奥に映ったのは巨大な人影。

 

 予想しなかった出来事が、いやしたくないと目を背けていた出来事が今、僕らの前に立ち塞がる。

 

「俺のとっておきが、マジかよ……」

 

 最初に口を開いたのはかっちゃんだった。今すぐ飛び出したい衝動を抑えて、最善のタイミングを窺い続けた上で放ったさっきの一撃に賭けていたのだ。

 

 かっちゃんは茫然自失といった様子だ。自信やプライドを傷つけられたとかそういう次元の話なんかじゃない。ただ、目の前の事態に対して理解が追いついていなかった。

 

「あー危なかった。脳無連れてこなけりゃアウトだったな」

 

 巨大な人影の奥から出てきたのは幾つもの手を身に纏う死柄木と呼ばれていた男。紙ヤスリのようにザラつきながらも脂汗のようにベトつくような、心底薄気味悪い声で死柄木は言った。

 

「いや、正直舐めてた。凄いな雄英は。入学したての一年でこれか。気持ち悪いぐらいの才能だ。でもこの脳無は対オールマイト用のサンドバックだ。相手が悪かったな」

 

 脳味噌が剥き出しだから脳無か。でも殆ど炭化しているほどに黒焦げなソレにはシルエット以外、元の面影はどこにもない。だが炭と化した表皮の奥から筋繊維が幾重にも飛び出し絡み合い、炭状の部位を自己破壊しながら新たな体を構築していく。

 

 全身から飛び出た筋繊維をまるで鞭のようにしならせ、増殖させながら元の形を次第に取り戻していくその様は、砂漠の荒れ地が一瞬にしてアマゾンのジャングルになったみたいに異質な光景だ。

 

「再生系の個性か、厄介だな。だがしばらくは動けん。今のうちにお前を確保する。それで終わりだ」

「っとお?! 第一線を退いても腕利きか。立て直しが早いな」

 

 相澤先生が帯状の捕縛武器を死柄木に向けるが、ニヤついたまま一歩後退することでそれを躱す。

 

「先生、露払いは俺が!」

 

 脳無と呼ばれた(ヴィラン)の向こう側で相澤先生が再び死柄木との戦いを始めた。先生と共に突出した飯田くんが周りの雑魚を撹乱し、少しでも多くを引きつけようと奮闘している。

 

 そんな中未だに僕たちの多くは棒立ちのままだった。頼りの13号先生は生徒たちを庇って重傷、相澤先生には指示を仰げる状態ではない。八百万さんと猪地さんを中心に策を練っていたが、それで本当に大丈夫なのか自信などあるはずがなかった。きっと誰一人だ。

 

「どうしよう?! めぐりん、このままじゃ私たち……」

 

 そう芦戸さんの不安は誰も口にしなかっただけで、きっとみんなの総意だった。八百万さんもかっちゃんも猪地さんも含めて全員の顔色が悪い。

 

「大丈夫だよ。三奈ちゃん! 透ちゃんも口田くんの使いも出発してる。援軍は絶対来るからそれまで耐えきれば良いんだ」

 

 猪地さんの言葉は間違っていない。援軍が来れまで耐えれば良いと理屈ではわかっている。けれどもそんな宙ぶらりんな気持ちじゃ今は耐えれないんだ。でもだからこそ、こんなときのためにある魔法の言葉を僕は知っている。

 

「オールマイトは絶対に来る。オールマイトなら絶対にあんな奴らには負けない」

 

 絶対の自身を持って、僕はその魔法を口にした。 

 

「そうだぜ。あんなキショい野郎にオールマイトが負けるかよ」

「うん、そうだよ。オールマイトは絶対に来るって」

「あぁ、援軍が来るまで絶対みんなで生き残るぞ!」

 

 瀬呂くんの言葉に麗日さんや周りのみんなが同調する。そうだ。少しでも希望は言葉にするべきなんだ。そして棒立ちだったメンバーがそれぞれの意志で動き出す。

 

「猪地さん、俺も飯田の援護に行ってくるよ! 俺にはみんなと違って特別な個性はないから、この状況を打開はできないけれど、ヒット&アウェイで時間稼ぎくらいならやれるはずだ」

「尾白、俺も同行する。俺のダークシャドウなら複数相手に有効だ。猪地、そちらの対策は任せたぞ!」

「二人共お願い! こっちは何とかしてみせる!」

 

 飯田くんの奮闘に感化された尾白くんと常闇くんの遊撃組が再生中の(ヴィラン)の横をすり抜け援護に向かう。機動力の高い2人なら適任な配置だ。

 

「脱出組2陣、3陣は予定通りそのまま待機、百ちゃん以外、個性は温存して。他は配置し直すよ。私も全力で考えるからみんなも何か思いついたら言って!」

「そんじゃ俺も……」

「切島くんは私のチームで脳無退治。あとで説明するから待ってて」

「アイツが相手か。やりがいあるじゃねぇか。わかった!」 

 

 続けて飛び出そうとする切島くんを制する猪地さん。そして彼女に助言する障子くん。

 

「段々と他のエリアから(ヴィラン)が集まって来ているな。迎撃しないと八百万たちを送り出せないぞ」

「よっしゃ。なら模擬戦の要領だな。俺がトラップで進行を遅らせる、峰田お前も付いて来い!」

「チクショウ! この前までただの中学生だったっていうのに。なんで雄英に入った途端にこんなことに。でも、わかったよ。八百万のおっぱいを拝めないまま死ぬのはオイラも嫌だ。足元に撒くだけならオイラにだって」

 

 模擬戦で猪地さんと組んだ瀬呂くんが率先して名乗り出た。峰田くんも震える声でありながらも、決意を決めたように拳を握りしめる。ちょっと不純だけど。

 

「猪地、こっちの前線の探知と指揮は俺に任せてくれ。あまり慣れないが、少しでもお前の負担は減らすべきだ」

「私も障子ちゃんのフォローに入るわね。二人の罠に誘導して時間を稼ぐわ」

「ありがとう。頼りにしてる」

 

 拘束力の高い瀬呂くんと峰田くんを軸に、探知型の障子くんといつも冷静な蛙吹さんによる防衛組が新たに結成され動き出した。

 

「障子ぃ、オイラを背中に乗せてくれ! それならオイラもちょっとは安全だし、もっと早く動ける」

「確かにそのほうが効率が良いな。良し、乗れ! 俺達は右翼に展開する。瀬呂と蛙吹は左翼だ!」

「ケロ。わかったわ。行きましょう瀬呂ちゃん」

「おう、背中は預けるぜ!」

 

 必死に頭を動かしているのは司令塔役を自然と担っている猪地さんだけじゃない。みんながそれぞれ自分にできること、仲間とできることを考え動いている。僕に出来ることは何だろう。考えろ。考えなきゃ、行動しなきゃ事態は良くならない。

 

「いつまでもボサッとしてんの爆豪! アンタならネタわかってるでしょ。あっちに吹っ飛んだ黒いのを抑えといて! もういつ動き出してもおかしくない」

「うるせぇ! 最初からそのつもりだ。指図すんな。デカ女ぁ!」

 

 すごい剣幕だ。こんなときでもかっちゃんだけ名字の方で呼び捨てなんだね。そして当然かっちゃんも全力で言い返す。

 

「響香ちゃんと緑谷くんは爆豪の周りに(ヴィラン)が近づかないように牽制! 万が一抑えに失敗したときはさっきの要領で対応して!」

「おっけ! あっちだ。行こう緑谷!」

「わかった!」

 

 耳郎さんに促され、少し離れた場所で倒れている霧の男を抑えに行ったかっちゃんの護衛に向かう。かっちゃんは牽制手段を他に見つけたみたいだけど、囲まれたり抜け出されそうな雰囲気があったらさっきみたいに吹き飛ばせばいいのか。回数制限がある僕はともかく、ノーモーション攻撃が可能な耳郎さんは確か有効な配置だ。

 

「基本ウチの個性で(ヴィラン)を近づけないようにするから、緑谷は拳を構えるフリだけしておいて。さっきの威力見てたらよっぽど丈夫なヤツ以外近づきたくないでしょ」

「うん、そうだね。でもいざというときは躊躇わず使うよ。僕の腕の一本や二本であの一番動かれたくないモヤを抑えられるなら悪い交換条件じゃない」

 

 前を見る。爆風を纏いながら先行するかっちゃんは、床に伏しているモヤのところにまで迫っていた。

 

「くっ、私はっ……?」

「かっちゃん!!」

 

 拙い。気がついたみたいだ。思わず叫んだ!

 

「っるせぇデク! おらぁああああ!」

「ぐはぁっ!」

 

 爆発を(ヴィラン)の腹部に当てるかっちゃん。やっぱり効いた。

 

「動くなっ! 今のは手加減した方だ。一度しか言わねぇからよく聞け、これから『怪しい動きをした』と俺が判断した時点で全力で爆破する」

「貴、様……」

 

 かっちゃんはモヤの男の腹部に手を当てたまま恫喝する。嘘じゃない、アレは本気の目だ。脳無にとっておきを塞がれたから相当に気が立っている。だからこそ、その脅し文句には真実味が宿っていた。

 

「さっきのデクの一発で確信した。テメー、モヤの部分以外に見える胴体部はゲートにできねぇんだろ。じゃなけりゃ無様に吹き飛ばされるこたぁなかったはずだよな?」

「ぬぅう?!」

 

 反応を見るに図星をついているようだ。抵抗する気配は見当たらない。あとはかっちゃんを守り通すのが僕の役目だ。絶対に全うしてみせる。

 

 こちらに集結しようとする(ヴィラン)を食い止めようと、僕らの前方で瀬呂くんが全速力でテープを張り巡らせている。もしそこを突破されたら僕達の出番だ。指を構え、いつでも迎撃できる体制を整える。

 

「よし青山くん、奮発だ。持ってけ泥棒!」

「おおっ☆ これは凄い。力が漲ってくるよ」

「体調も万全に弄っておいた。これで腹痛はある程度抑えられるはずだから任せたよ。君にかかってるからね」

「うん、任されたよ☆ 今ならいつも以上に輝けそうだ」

 

 後ろで準備を進める脱出組の声が聞こえる。青山くんの個性のデメリットである腹痛の発生を、猪地さんの体調管理能力で前もって予防したらしい。本人曰くおまけ程度の索敵能力が目立っているけれども、もしかして猪地さんの個性って、他の人の個性のデメリット抑制に使うのが最も輝くんじゃないだろうか。

 

「百ちゃん完成はまだ?!」

「急げ八百万、霧野郎が動けねぇうちに! 俺と青山の準備は終わった!」

「もう少し…………お待たせしました。できましたわ!」

 

 轟くんと猪地さんが急かし、八百万さんが答える。ようやく待ちわびた僕らの作戦の本命が完成したらしい。気になって横目で見ると、体力テストのときよりも二回りほど大きなバイク。ビッグスクーターと呼ばれるタイプのものが完成していた。

 

 いつの間にか猪地さんのコスチュームの上着を羽織った八百万さんがバイクに跨り、その後ろに轟くん、そして彼と背中合わせになるようにして青山くんが乗っていた。

 

「麗日頼む!」

「よし、これで全部重さは消えたよ」

 

 轟くんに言われて麗日さんが三人の重さをゼロにする。これで速さは増すはずだ。

 

「操縦に八百万さん、氷での走行補助に轟くん、ブースターに青山くん。理想的な組み合わせだね」

 

 ウチのクラスで最速かつ三次元的な機動を取れるのがこの組み合わせだ。そこに麗日さんと猪地さんの個性の補助で更に効率があがる。

 おまけに追撃に備えて八百万さんの罠、轟くんの氷、青山くんのビームと全員が後続への牽制能力がかなり高い。流石八百万さんと猪地さんのペアだ、よく考えてる。

 

「でも見た目がアレってのもね」

「それは言わないでおこうよ」

「だってどう見たってシュールでしょ」

 

 瀬呂くんのテープを予めもらっていた轟くんは青山くんと背中合わせになるようテープで固定していた。耳郎さんは笑いながら言うけれど、僕もシュールな光景であることは否定できない。

 

「走行中、無線も試してみますわね」

「運転中は危ないだろ。八百万、俺が持つから渡せ」

「青山くん。途中でモールス信号忘れないでね」

「モチロン☆」

「もたもたすんな早く行け、八百万!」

「はい、この場を離れるのは心苦しいですが、委員長として責任を持って全速力で応援を呼んできますわ!」

「青山も頑張れっ!」

「轟、二人を頼んだ!」

「行きますわよ。お二人とも舌を噛まないで下さいね!」

 

 みんなの声援を受け、全力でアクセルを吹かし発進する八百万さん。氷で足場を作り、さらにレーザーで加速を付けつつ滑るようにバイクは進んで行く。

 

「行かせるか!!」

「キケケッ、ハチノスニナリヤガレ!」

 

 防衛戦を抜けてきた射撃がバイクを襲うが、轟くんの氷がそれを阻む。別の方角から放たれた射撃に対しては青山くんがレーザーによってバイクの機動を変え、見事に回避していく。

 

「そうか、後ろに青山くんの目があるからこんなタイムリーな対応ができるんだ」

 

 何重にも意味はあったのだなと改めて感心した。そして轟くんの氷で入り口の壁を突き破り、その氷塊を破砕したことによって生じた穴を通ってバイクが外へと脱出する。かっちゃんがモヤを抑えておいて正解だった。じゃなきゃ絶対にこんなにすんなりとは行かなかったはずだ。

 

「三奈ちゃんもそのまま口田くんと外へ。口田くんは動物の援軍を思いっきり集めてから戻って来て」

「わかったよ。全力で運ぶね」

「うん。すぐに連れてくるよ」

 

 麗日さんの個性で浮かせた口田くんを担いだ芦戸さんが氷の道を酸で溶かしながら進んでいく。まるでスピードスケート選手のようだ。元々の身体能力も相まってかなり速い。

 

「よしこれで脱出組は行った。これからは私たちの出番だ。切島くん、砂藤くん。私と一緒に脳みその相手をするよ」

「おう」

「やるしかねぇな」

 

 待ってましたとばかりに拳を鳴らす切島くんと砂藤くん。かっちゃんの全力さえ効かなかった相手に先生抜きで立ち向かわなければならない絶望的な状況。最も死線に近い立場を任された二人。でも迷いだとか、不安だとか、そういったものを外からは決して感じ取れなかった。

 

「オールマイト用のサンドバックって言ってたから、正直一番しんどいかもしれない。みんなの盾になりつつアイツの脚を止めて。隙ができたら私の個性でアイツの体を休眠状態に持ち込む」

「てかそろそろ完全復活ぽいな。行くぞ砂藤」

「あぁ!」

 

 あんな桁外れの超再生能力は僕でさえ今まで聞いたことさえない。怖くないはずなんてないはずなのに。でも思い切りの良い踏む込みで二人が飛び出し、今まで司令塔に徹していた猪地さんもそれに続いて死地へと飛び出す。

 

「めぐりちゃん、私は?」

「俺は?」

「茶子ちゃんはバイク組のためにも個性の維持が最優先だから下がっていて。上鳴くんは茶子ちゃんと13号先生の護衛を!」

 

 走りながら最後に残った二人に指示を送る猪地さん。その前を行く二人が脳無と呼ばれた(ヴィラン)と接触しようとする。

 

「緑谷! こっちにも来た。構えて!」

 

 耳郎さんの声で戦線の方を見る。かっちゃんからモヤを開放しようと、テープをくぐり抜けて(ヴィラン)が押し寄せていた。瀬呂くんたちは別の箇所の対応で手が回っていない。こういうときはかっちゃん的な感じで……

 

「死ぃねぇええええええ!」

 

 燃え滾る感情は全開に。でも個性の出力は最小限まで抑えて。

 電子レンジの中の卵を爆発させないように最新の注意を払って…………だ。

 言葉とは裏腹に死なないように手加減しつつ、指を弾く。

 そして折れた。痛みで意識が一瞬遠のきそうになるのを必死で堪える。

 

「ぎゃぁああああ?!」

「ぐぉえっ……!」

 

 床の瓦礫と共に(ヴィラン)が宙を舞い、悲鳴が幾重にも木霊する。

 

「ウチがやるって言ったじゃんか! 何してんの緑谷?!」

「かっちゃんみたいに牽制するなら一度本気を見せとかないと」

 

 怒鳴られた。でもそうするべきだと思ったからやったんだ。好きで指を犠牲にしているわけじゃない。

 

「だって実際ほら、ちょっと奥の(ヴィラン)はこっちに来るのをためらってる」

「そりゃそうだけどさ、心配する身にもなれって言ってんの!」

「ごめん。だけど……もう次が来た。僕がまとめて数を減らすから撃ち漏らしたのをお願い!」

 

 痛い、すごく痛いよ。痛いのは嫌だ。だけどみんな頑張っているんだ。僕だって体を張らないと。

 

 個性を使う指だけじゃない。声に、眼光に力を込めろ。

 来るな。怯め。恐れろ。僕にできるありったけの威圧と共に――――

  

「ぶっ飛べぇええええええ!!!」

 

 もう一度弾き飛ばす。痛みが増えるのかなと思ったけれども、それほどでもなかった。段々と痛みにも慣れてきた気がする。(ヴィラン)の悲鳴が再び上がったが、それよりも周りだ。こちらは一瞬膠着状態になる間に辺りを見渡す。

 

 相澤先生や飯田くんたちの方は、物量戦に苦しんではいるけれども常闇くんと尾白くんの援護もあって圧が最初よりは下がっている気がする。先生が肘に多少大きな怪我を追っている。でも、制圧は厳しくても耐えるという点ではまだ行けそうな感じだ。

 

 障子くんたち防衛組の方は峰田くんと瀬呂くんの個性でなんとか足止めをしている。こっち側を僕がかなり吹き飛ばしたので、瀬呂くんと梅雨ちゃんも障子くんと峰田くんに近い側へと配置をズラしていた。

 

「緑谷! 切島がっ砂藤がっ!!」

 

 耳郎さんの悲痛な声が響く。そしてソレを見た。

 

「酷い」

 

 そんな言葉しか出なかった。脳無の応戦に向かった三人は血に塗れた脳無によって制圧されていた。この状況を表現するには地獄絵図という言葉が最も相応しいのだろう。あまりにも一方的で、絶望的だった。

 

「ぐはぁっ! …………んな……ん、効くか、よっ」

 

 背中にマウンティングされた切島くんは何度も顔面を地面に殴りつけられ、彼は苦悶の声をあげていた。硬化の個性で何とか耐え抜いているけれども地面もすごい抉れ方をしている。

 

 彼の気が一瞬でも緩んでしまえばどうなるのか。それは殴りつける衝撃だけで粉々になった瓦礫片を見て理解できない人間はいないだろう。切島くんはただ耐え続けることで、他のみんなから最も恐ろしい敵を遠ざけていた。

 

「ぅごけ、うごけっ!」

 

 砂藤くんはその傍らでに倒れている。頭頂部からは多量の流血。唇は裂け、鼻血は止まらず、左目のあたりは大きく腫れ上がっている。彼の個性は筋力の増強。切島くんのように防御に適した個性ではない。ダメージだけでいえば彼の方が圧倒的に深刻だ。だがそれでも彼は這いずり続ける。

 

「わたしが、やらなくちゃ。わたしがっ……」

 

 猪地さんも少し離れたところに全身傷だらけになって転がって、なんとか立ち上がろうと震える手足を必死に動かそうとしている。

 

 でも、立ち上がれるはずがなかった。彼女の右足のふくらはぎの辺りでポッキリと折れ、あり得ない角度で曲がってしまっている。彼女は腰元のポーチから何かのアンプル瓶を取り出すと、それをこじ開けて一気に飲み干し、今度は砂藤くんのように残る三本の手足で脳無へと這い寄っていた。

 

「切島くん!!」

 

 助けに行かなきゃ。そう思い駆け出そうとしたタイミングで、ここぞとばかりに新たな(ヴィラン)の群れがこちらに押し寄せてくる。

 

 耳郎さんは個性で地面を割って足場を崩し、モヤを組み伏せているかっちゃんも開いている手で手榴弾を投げ(ヴィラン)を牽制しようとしている。でもこれだけじゃ無理だ。僕の力が要る。

 

 瀕死の向こうを助けるか。最も危険な敵を抑えるのに力を注ぐか。僕は無情な二択を迫られる。切島くんたちのところまで相澤先生のところや、障子くんたちのところからは少し遠い。一番近いのは間違いなく僕だ。

 

「くそっ!」

 

 結局僕はその場を動けず衝動任せに目の前の(ヴィラン)を吹き飛ばす。

 あぁ、頭が鈍る。指の痛みが、(ヴィラン)の叫び声が鬱陶しい。

 助けに行きたい。でも(ヴィラン)がそれを許さない。

 

 弾く、弾く、弾く。ただひたすらに弾き飛ばす。

 お前たちは邪魔だ。

 もう痛みなんてどうでも良い。

 一秒でも早くやっつけて、僕は向こうに行かなくちゃいけないんだ!

 

「猪地には、手を出させねぇ」

「アイツさえ、残っていれば最悪は防げる」

 

 切島くんと砂藤くんは這いつくばりながらも、それぞれが脳無の足にしがみつく。

 

「もう見てらんないよ、誰かアイツらを助けて」

 

 涙する耳郎さんのその嘆き────

 

「ナイスガッツだぜ。2人とも!」

 

 それに答えるかのように、威勢の良い声が轟く。

 

 一番安全な場所で麗日さんの護衛をしていたはずの上鳴くんが全速力で脳無に駆け寄って来ていた。

 

「上鳴、なんで戻って来て…………」

「俺だけじっとしていられるかよ。みんな必死になってんのによ!」

 

 砂藤くんの問いかけに即答する上鳴くん。ただの放電しか攻撃手段を持ち合わせていない彼は、お世辞にも戦闘の技量が長けているとは言い難い。白兵戦に長けた三人を打ちのめした脳無に向かう姿は無謀な特攻にも見えた。

 

 でも────足元の二人は意地でも離さないつもりだ。二人はこの中でもっとも死に体でありながらも、未だ足止めの努めを果たそうとしている。

 

「構わねぇ、俺らごとやれ!」

「悪いな。猪地が居るから死なねぇとは思うが、恨むなよ!」

 

 切島くんの叫びに応じる上鳴くんが右手を振り上げようとしたときだ。脳無が足元の二人を蹴り飛ばすようにして振り払った。

 

「切島、砂藤!!?」 

 

 呼びかけに応える声はなかった。脳無を足止めできなければ上鳴くんには攻撃を確実に当てる術がない。

 雄叫びをあげながら立ち向かう上鳴くんを迎撃しようと一歩ずつ歩き始める脳無。

 だが、突如その歩みが止まる。

 

「イノっぱいの仇だ、やっちまぇ!」

 

 いつの間にか防衛ラインから離れていた峰田くんが、彼の個性で脳無の足裏を地面に拘束していた。

 

「本当にサンキューだぜ峰田! こんの、脳みそ野郎がっ! 女の子に手ぇ出してんじゃねぇよ!!!」

 

 全力での一撃、青白い雷光を纏った上鳴くんの右手が脳無の胸板に触れた。

 そして脳無は背中から豪快に地面に倒れる。

 アレが効いていないはずはない。いくら再生能力持ちでも意識さえ落とせれば僕たちの勝ちだ。

 

「う、うぇ~い」

 

 親指を立ててみせる上鳴くん。渾身の一撃を当てた彼に対し「かっこよかったよと」同じポーズを返してあげたいけれども生憎と僕の親指はもう両方とも使い物にならない。

 

「上鳴の馬鹿。間抜け面して一体アイツ何やってんの?!」

 

 耳郎さんの声にいつもの冗談めいた感じはない。そんなことをしている場合じゃないと彼女は言っているのだ。

 

 つまり、脳無はまだ健在だ。のそりと、ヤツは立ち上がる。そして峰田くんの玉に触れた足の皮膚の部分を指でちぎり取って放り投げる。瞬く間に抉り取られた部分が修復した。そして再び脳無は前進を始める。

 

「おい、早くオイラと逃げるぞ上鳴! 動けよ、なぁ早く!」

 

 力技での離脱。それを相手が何度でも使える以上、峰田くんに勝機は一片もない。峰田くんが上鳴くんを揺さぶるが、個性の反動だろうか彼は放心状態といった様子だ。

 

「まだだよ!」

 

 そして再び助けを求める声に応じる人が、まだもう一人動ける人が居た。上鳴くんに守ってもらっていたはずの麗日さんだ。

 

「私だって。私にだってやれるんだ!」

 

 ただがむしゃらに、最短距離で真っ直ぐに、彼女は脳無に向かって突進していた。

 

「浮かせてしまえばっ!」

 

 浮かせてしまえば無力化できる可能性は高い。でもそれには彼女が直接手を触れなければならない。

 いや、ただ浮かせるだけじゃ駄目だ。もっと確実にやれる方法が必要だ。

 だけどその前に────麗日さんを助けなくちゃいけない。

 なんだかんだと理由を付けて、ためらっていたさっきまでと違い、自然と足が動いていた。

 

「緑谷!?」

 

 無力であろう上鳴くんの横を素通りし、麗日さんの方へと向かう脳無。

 駄目だ。このままじゃやられてしまう。早く、走れっ!

 

 指じゃ足りない。

 そもそも右手の指はもう全部使い物にならない。

 なら────────

 

 

 

 

 

 

「SMASH!」

 

 

 

 

 

 

 この腕ごとくれてやる! 

 

 

 

 

 

 

 

「デクくん!!!」

 

 再生能力持ちだから加減をしたつもりはない。

 鳩尾にちゃんと拳は入れた。でも手応えが全くない。

 増えたのは僕の怪我だけだ。

 コイツ、再生能力だけが取り柄じゃない、なんて頑丈さなんだ。

 

 でも、だからどうした。

 

「常闇くん、僕のポジションを代わって。コイツは僕と麗日さんで相手をする」

 

 右肩から先の感覚がなくなった。でも両足と左腕が残ってる。

 移動に一回と、全力での攻撃に一回。それで僕は打ち止めだ。

 

 でも戦い方を、勇気を、僕はみんなに教えて貰った。

 だから、まだ僕は戦える。僕はヒーローになるんだから。

 



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第12話 生存の対価

ようやく本作のテーマに斬り込めます。


「尾白くん、伏せてくれっ!」

 

 そう叫ぶと共に左足を大きく一歩踏み込む。

尾白くんの背後にナイフを突き立てようとしていた犬頭の(ヴィラン)への距離を一気に詰め、ハイキックを側頭部に叩き込む。

 背面を晒したままの尾白くんも、屈むタイミングをうまく合わせてくれた。

 彼は尻尾でのなぎ払いで(ヴィラン)右半身、それも的確にレバーへと追撃を加え、ナイフ使いを完全にノックアウトさせる。

 

「ナイス飯田! 常闇っ、こっちは俺たちに任せてくれ。あっちの耳郎さんが1人じゃキツい。応援に行ってくれ!」

「わかった。あのテレポート使いを自由にさせるわけには行くまい。尾白、飯田頼むぞっ!」

 

 緑谷くんの抜けた穴を埋めるべく、常闇くんが応援へと向かった。

 

「俺たちも早くこちらを片付けて、緑谷くんたちの応援に行かなければな」

「…………だね。緑谷がどうにかするって言ってたけど、もうボロボロじゃないか」

 

 背中合わせで尾白くんと敵を打ち払いながら、一番苛烈な戦場に視線を向ける。

 

 阿修羅の如く。個性を用いるたびに傷つきながらも、なお溢れんばかりの戦意を放つ緑谷くん。その様を形容する言葉はそれ以外に浮かんで来なかった。

 

 そして満身創痍な彼は残った左腕を握り締め、咆哮と共に一撃を振りかざす。しかしその拳が向けられたのは脳無ではない。

 

「SMASH!!」

 

 俺は、いや誰もがドームの天井を見た。無機質な天井に映える青。

 

「アイツ馬鹿じゃネェノカ? これで両腕トモ使えネェ」

 

 彼をそうあざ笑う(ヴィラン)がいる。だがそれは間違いだ。

 

「そうか。天井さえなければ、麗日さんの個性で!」

 

 尾白くんは彼の意図に気づいたようだ。当然同じ答えに俺も行き着く。

 

「逃げられないのなら、追い払ってしまえってことか」

 

 天井さえなければ麗日さんの個性で遠くに吹き飛ばせる。普通の攻撃が効かない相手だとしても、戻って来れないならば当面の危機は去る。

 おそらく発想は模擬戦から得たものだろう。あのときの彼は核までの道として、個性で天井を破り道をこじ開けていた。

 

「麗日さん。僕の背中にしっかり掴まってて。個性で一気に距離を詰めるから、アイツを浮かせつつ投げ飛ばして。チャンスは一回だけだ」

「う、うん、わかったデクくん。実はさっき瀬呂くんのテープ。ちょっともらっててん」

 

 麗日さんが緑谷くんの腰元にテープを巻きつけて固定させる。峰田くんが何かよくわからない単語を叫びながらも、呆然としている上鳴くんを戦闘のない空白地帯へと誘導していた。

 

「飯田、左から倒れたフリしてるのがっ!」

「了解!」

 

 尾白くんの指摘を受け振り向いた先、拳銃を構えた男の頭の後頭部に踵を振り下ろす。

 顎も地面に強打したはずだ。しばらくは起き上がれまい。こちらも常闇くんが抜けた分、一人あたりの持ち分がまた増えてしまっていた。

 

 先生が引き付けている死柄木を除けば手練れの敵はあまりおらず、チンピラ崩れが多いのでまだ致命的ではないが、俺たち二人も全く油断はできない状況だ。援軍はまだだろうか。

 

「脳無、何をやっているんだ! ソイツらは無視して黒霧を解放しろっ! このままだと本当にゲームオーバーだ!!」

 

 手を身に纏った男、死柄木が叫ぶ。本来ならば八百万くんたちが脱出に成功した時点で彼らは撤退するしかなかったのだろう。しかし爆豪くんが黒霧と呼ばれた転移系個性の持ち主を抑えているため、現状のままでは脱出も敵わない。故に敵のリーダーの指示は的確だった。

 

 それは、あまりにも一瞬のことだった。動きが緩慢だった脳無が本来のスペックを解放し、爆豪くんへと飛びかかる。常闇くんと耳郎くんの警戒網を抜け、距離を詰めたそれは爆豪くんを殴り飛ばした。

 

「ごはっぅ?!!」

「かっちゃん!!?」

 

 殴られたときに小さな爆発が起こっていた。彼は爆発で受け身を取ったのだろうか。無事なら良いのだが切島くんたちを圧倒した相手だ。小さな怪我では済むまい。

 

「受け止めろっ、黒影(ダークシャドウ)!!」

 

 常闇くんがとっさに黒影(ダークシャドウ)の腕を伸ばし、高く打ち上げられた後に落下してくる爆豪くんを受け止める。

 

 畜生、こんな状況だというのに横目で見ることしかできないなんて。だが無力感を感じている暇はない。

 

「くっ、しつこいぞ!」

「今だっ!」

 

 正面から俺へと襲い来る(ヴィラン)の足を払って迎撃したところを、尾白くんが尾で頭部にスタンピングを決め、顎を地面に直撃させる。

 俺たち二人の連携は悪くない。大きな怪我を負うこともなく善戦できている。

 しかし数に任せた途絶える気配のない(ヴィラン)の波状攻撃を食い留めるので精一杯だ。

 

「このままじゃ仮に緑谷くんが脳無を排除してもジリ貧だ。援軍が来るまでに持たせるためには何か手を打たなければ」

「でも、どうやって?! 俺たちもみんなも手一杯だ。でもせめてどっちかが緑谷のところに行かないと……くそっキリがない」

 

 そうやって、それが問題なのだ。俺たちは最前線の敵を引き付けているように、相手からすれば機動力が高く遊撃に向いた俺たちを足止めしているのだ。ままならない現実に俺たち二人は歯噛みするしかなかった。

 

「死柄木、申し訳ありません。私がもっとしっかりしていればこんな事には……」

 

 爆豪くんを脳無に攻撃させたことで、自由になった黒霧が死柄木の傍らに現れる。

 

「この醜態……言いたいことは山ほどあるが、厄介な奴らが来る前に撤収だ」

 

 そうだ。今回だけはそうしてくれ。みんなを傷つけた敵連合は許せないが、彼らを捉えることよりも重傷のみんなを一刻も早くリカバリーガールのもとへ連れて行かなければならないのだ。内心悔しくはあるが、早く退いてくれと心底願わざるを得なかった。

 

「だけどここまで虚仮にされたんだ。オールマイトへの趣向返しに、一人でも殺して平和の象徴の矜持をへし折ってから帰ろうか。そうだな────あの白いのでも良いけれど、俺の脳無を倒すと息巻いていたアイツでいい」

 

 死柄木の殺意が緑谷くんに向けられる。

 

「殺れ。脳無」

 

 その一言で────地面がクレーターのように弾け飛ぶ。ただ拳で殴っただけでなんて威力だ。本気の緑谷くん以上の威力かもしれない。あれを喰らえばさっきの爆豪くんどころではない。跡形もなく消し飛ばされてしまう。

 

 麗日くんを担いだ緑谷くんは後方に大きく跳躍してなんとか避けたようだ。

 だが右足が折れている。もう彼らは避けられない。

 

 間に合うのは俺だけだ。俺しかいない。

 

 一人置いて行かざるを得ない尾白くんのこと。

 黒霧が参戦した状態の死柄木たち敵連合と戦っている相澤先生のこと。

 気がかりはあるがそれよりも彼らだ。

 

 尾白くんと共闘するために、敢えて落としていたギアとトルクを再び最大まで上昇させる。

 温存など、その先のことなど、余計なことを考えている余裕はない。

 ここで使わずしていつ使う。動かなかったら俺は一生後悔する。

 

「レシプロバースト!!」

 

 速く、速く。

 兄さんのように速く! 

 

 頬を水平になぞる汗がやけに冷たい。

 さんざん(ヴィラン)を煽っておきながら、今更になって俺は冷や汗というものをかいているらしい。

 自らを危機へ晒すことへの恐怖か、友を喪うことへの恐怖か。もしくはその両方か。

 

 弾け飛びそうな胸の鼓動が、つんざくような風切り音が、俺の鼓膜を破ってしまいそうだ。

 だがそんなものは気にするな。目の前だけを見ろ。

 

 緑谷くんが着地するその無防備な瞬間を目掛けて、よだれを撒き散らしながら脳無が左拳を振りかぶる。

 

 速く、速く、速く。

 (ヴィラン)よりも速く!! 

 

 手を伸ばす。

 

 速く、速く、速く、速く。

 誰よりも速く!!! 

 

「間に合えっ!!」  

 

 

 届いた。

 

「また、助けられちゃったね」

 

 腕の中の緑谷くんが呟く。入試のときのことを彼は言っているのだろう。あのときは緑谷くん一人だったが、今回は麗日くんのおまけ付きで重みが二倍だ。

 

「緑谷くんの分、重さ消しといた。私の分も消したいけれど反動がキツいからごめんね」

 

 麗日くんが俺の考えを察してくれたのだろうか。少し楽になった。非常に助かる。

 

「二人共聞いてくれ。俺は急加速の反動でもうすぐエンジンが停まってしまう。だがあの脳無だけはなんとかするぞ。あれさえ飛ばしてしまえば流石に敵も引き下がるはずだ」

「うん、かっちゃんの仇を取らないと」

「麗日くんが触れた瞬間だ。緑谷くん残った足で俺に合わせてくれっ!」

「ラジャ」

「わかった」

 

 脳無から一度距離をとる。そして一気に距離を詰めようと試みるが──

 

「殺せっ、脳無!!!」

 

 その声に反応した脳無にこちらが距離を詰められた。

 想像以上に速いどころか全開の俺以上に速い。

 

「なっ?!」

 

 なんとかタックルを左に避けることはできたが、これでは麗日くんに触れてもらうどころか防戦一方にならざるを得ない。何しろ抱えている二人分だけいつもより被弾面積が多いのだ。相手が足を止めてくれない限り、麗日くんの個性を発動させた直後に蹴り飛ばすのは難易度が高過ぎる。

 

「このままではエンストまでの残り時間がっ……!」

 

 再び追撃が来た。脳無は両腕を振り被っている。今度は左右どちらにも逃さないつもりか。

 誰か、一瞬でも足を止めてくれたならっ。

 

「どこへ逃げればっ」

 

 脳無の両拳が眼前に迫った瞬間だった。

 天使が願いを聞き入れてくれたのか、助けが空から舞い降りた。

 突如として降り注ぐのは羽音を纏う灰色の弾幕。

 

「鳥?! 何だよこりゃ。くそっ、うざい!」

 

 脳無だけでなくあらゆる敵の視界を塞ぐようにして飛翔する鳩の群れ。

 それが可能な個性の持ち主は────

 

「口田くんか!」

 

 姿を探すことは叶わないが、芦戸くんと彼がこの戦場に戻ってきてくれたのか。

 みんなで策を練り、時間を稼ぎ、体を張って繋いできて、ようやく巡ってきた起死回生への一手。

 この貴重な一瞬は決して無駄にはしない。

 ありったけをエンジンへ注ぎ込み、足を止めた脳無の正面へと回り込む。 

 

「天哉、屈んで!!」

 

 声を受け、とっさにスウェーの体制を取る。

 そのまま地面に倒れ込みそうになるぐらいにだ。

 脳無の拳が空を切り────麗日くんの指先が脳無に触れた。

 

 今だ! 決めろっ!!

 

「うぉおおおおおおおおっ!」

「SMASH!!」

 

 オーバーヘッドの要領で、そのまま下腹部へと蹴りを入れる。

 緑谷くんのラスト一撃もタイミングが合った。

 

 筋肉に足首がめり込む。まるでジェル状の緩衝材を蹴ったかのように衝撃が感じられない。この渾身の一撃が効いていないのか────ならば脚で押し出せ!

 

 限界のその先へ。

 

 これ以上ギアは存在しないのは俺自身が誰よりも理解している。

 だがここからさらにエンジンを更にふかす。このままこの脚が焼け付いてもいい。

 

 脚が触れているこの一瞬が全てだ。

 

 燃やせ。燃やせ。排気量を増やせ。

 それで少しでも多く、強く、ただ空へ打ち上げろ!

 

「いけぇええええええええっ」

 

 声が重なった。緑谷くんか、麗日くんか、それとも他の誰かのものか。

 

 そして脳無の体が宙を浮き、ロケットのような勢いでドームの外へと飛んでいく。

 

「やっ――痛っ?!」

 

 

 そして反動で思いっきり背中を地面に打ち付けた。今日一番に痛烈な一撃だ。

 

「……たぁ!」

「ってて」

 

 抱えていた二人も俺と同じく無事ではなさそうだった。

 アーマー越しでも腰と肩甲骨が割れそうだと思えるほどに凄まじい衝撃だったのだ。緑谷くんのコスチュームだとかなりのダメージを受けたかもしれない。

 

 大丈夫かと声をかけようとしたときだった。

 

「僕たち、やったんだよね」

 

 ドームの穴から空へと飛ばされていく脳無を見上げながら、四肢全てに重傷を負った緑谷くんが言った。

 

「あぁ、やりきった。これでも退かないほど敵連合も考えなしじゃないだろう」

 

 レシプロの反動でエンジンが停まってしまった。通常の歩行や走行はできても個性は使えない。後は待つだけだ────そう思っていたときのことだ。

 

「ふっざ、けるなぁああああっ!!」

 

 天井しか見えていなかった俺たちの眼前に現れたのは黒い霧のワープゲート。

 そして、そこから生えてくる二つの手。それが喉元を掠めるところまで既に伸びてきていた。

 

 あれは死柄木のっ、あれに触れたものは粉々になって────────死ぬ。

 

 確かに触れたはずだった。現に今も五指全てが俺の喉に触れている。

 だが何も変わらない。ただ、喉を潰されそうなくらいに圧迫されているだけだ。

 

「全く、黒霧の全方位射撃を食らっておきながら、まだ生徒の心配をするなんてなぁ。本当にかっこいいぜ。イレイザーヘッド。黒霧は死角に配置するようにしていたってのに、俺の方が消されちゃ世話ないな」

 

 忌々しそうに吐き捨てる死柄木。俺の首を締め上げていた手がようやく離れた。

 肺に空気が急に戻ってくる。思わずむせこんでしまった。

 

「あーあ。黒霧、脳無の回収は?」

「座標がわからないことにはどうしようも……。それよりも撤退を死柄木弔。いつ教師たちが来てもおかしくありません」

 

 首を掻きむしりながら、瞳をより一層血走らせる死柄木と、それを諌め撤退を促す黒霧。

 

「そうするか。オールマイトに宣戦布告すらできなかったのは癪だったけれど、そもそも情報自体が違ったんだ。今回はコンティニューし──────このタイミングでか」

 

 上体を起こし、死柄木の憎悪の矛先に目を向ける。

 

「みんな遅くなってすまない。だが、もう大丈夫。私が来た!」

 

 その声、その姿、間違えるはずもない。

 

「オールマイト!!」

 

 誰もがそう叫んだ。歓喜した。ようやくこれで助かるのだと。

 その場に居るだけで安心できる存在────

 

「これが本当のヒーローか」

 

 場の空気が一変した。俺たちが抱いていた恐怖は吹き飛び、それが今度は敵の側へと伝播する。

 傷を負ったみんなを見たオールマイトの怒りが、視線一つで(ヴィラン)を萎縮させた。

 

「虫の予感で嫌な予感がしてたんだがね……校長室から青山少年の光が見えた。校長が信号を受け取り、来る途中で轟少年たちとすれ違って、ここで何が起こっているのかあらましを聞いた。だから敢えてもう一度言おう」

 

 スーツ姿のオールマイトが上着を脱ぎ捨て、ネクタイを引き千切り、こう断言する。

 

「もう大丈夫。私が来た!」

 

 緑谷くんの言った通りだ。みんなに笑顔が戻った。もう大丈夫だと、俺自身心からそう思える。

 

「テメェらビビってんなよ! 元々オールマイトを殺しに来たんだぞ!」

「ガキ共も満身創痍、殺るなら今しかねぇぜ!」

「くたばれぇえええ!」

 

 ほとんどが足を震わせ、戦意を失っている中、無謀にもオールマイトに向かう(ヴィラン)たちが居た。しかし瞬く間にオールマイトによって制圧される。高速戦闘に慣れている俺の目でも動きがほとんど見えない。

 

「オールマイトに挑戦すらできないと来たか。話が違うぞ先生。だがここで捕まる訳にはいかない。馬鹿どもが時間稼いでいるうちだ。行くぞ黒霧。コンティニューだ」

「えぇ、どうせ奴らは末端。私たちは帰りましょう」

「覚えていろよ。次こそはオールマイト、お前に挑み地獄まで引きずり下ろしてやる。そこの生意気な子供たちと一緒にな」

 

 黒い霧上のワープゲートに吸い込まれていく死柄木。捕り逃してしまったな。

 

「あ、ボスっぽい奴ら逃げちまったぞ。でも後は雑魚ばっかだし安心だな」

「うぇ~い」

 

 峰田くんが安堵のため息を突く。疲れ果てたのかその場に腰掛けようとしたときだった。

 

「そこっ、休んでる暇があったら重傷のみんなを私のところへ! 私も右足が折れて自分じゃ動けない。爆豪と切島くん最優先でお願い、死にかけだ超ヤバイ! あともうちょっとの間、リカバリーガールが来るまで繋ぎ止めるから!」  

「死にかけって……お、おう、すぐ行く! 障子、オールマイト来たし、そっちはもう良いだろ。オイラたちを手伝え!」

「あぁ!」

 

 猪地くんの叱責が飛び、血相を変えた峰田くんが耳郎くんと共に切島くんを、障子くんが砂藤くんの元へ駆け寄る。常闇くんは黒影(ダークシャドウ)で爆豪くんを抱え、猪地くんの傍らに運ぶ。

 

「緑谷くんはこのまま俺が」

 

 エンジンは使えないが既に無重力状態の彼一人を運ぶのには何の支障もない。彼女の近くに四肢を痛めた緑谷くんを横たわらせる。先生たちの方には蛙吹くんたちが向かった。

 

 オールマイトのほうは完全に無双状態だ。ワープのことを知らなかったのか死柄木たちを取り逃しはしたが、他の敵全てを今は相手取っている。

 

「ちょっと遠いけど口田くん、聞こえてる?! そのへんの木のやつでいいから、ありったけの葉っぱを鳥に運んでもらえる? とりあえず植物を補給しないとみんなに分ける分の生命力が足りないんだ! 他のみんなも周りに敵がいなくなったらお願い!」

 

 残るメンバーに声をかけながら、猪地くんは砂藤くんに渡していた自身の盾の裏側に収納していた治療セットと腰元のポーチから薬品類を取り出し、応急手当の準備を始める。

 

「まずは止血だ。消毒してから瀬呂くん、テープでここを圧迫して! 私は手を爆豪から離せない」

「おうよ! 飯田、コスチューム脱がせっから両脇支えてくれ」

「わかった」

 

 ぬるりと生暖かい感触が手袋の破れた箇所から伝わってくる。爆豪くんの出血は決して少なくはない。呼吸音もおかしいことは俺でさえわかる。あまりにも酷い怪我だ。

 彼の腹部を見た。肋骨が何本も折れている。外へ突き出ているものもあるがこれだけの状態だと、肺に刺さっているものも少なからずあるだろう。誰よりも死にかけだという猪地くんの言葉を疑う余地はなかった。

 

「茶子ちゃん、口元に酸素スプレーを当て続けて! 私は今から切島くんの方にも個性使うから両手がつかえなくなる」

「わかった!」

 

 脱がせるのは終わった。瀬呂くんと二人でコスチュームの切れ端や砂など取り除き、清潔な水と消毒液で傷口を洗浄する。

 

「うしっ、消毒はこんなもんか?」

「うん、それでいいよ」

「なら早いとこ巻いて血を止めるぞ」

「やってくれ」

 

 俺が爆豪くんの体を支えている間に瀬呂くんがテープで出血している腹部を指示通りに圧迫する。圧迫してはいけない部分も指示されながら慎重に、しかしできるだけ迅速にとテープを巻きつける。

 

「よし、大きい箇所の出血が防げたなら上等。とりあえず脳と臓器の状態を保つのに私は専念するね。二人共、腕とか他の部位も同じようにお願い」

 

 口田くんの個性によって多くの鳩たちが施設内の木々の葉っぱを一枚ずつ咥えては猪地くんの側へと落としていった。麗日くんがそれを片っ端から両手が塞がっている猪地くんの口元に運んでいく。

 食用ではない葉っぱをどうするのかと見ていると、どうやらいつものように食事としてではなく唇で軽く一度喰むだけで補給になるらしい。

 

「ウチらも隣で切島たちのことやってみるから。めぐり、どうすればいいか教えて!」

「めぐりん、ただいまっ。遅くなってゴメンね! 私もやるよっ」

 

 耳郎さんと芦戸さん協力を申し出て、新たに即席の医療チームが結成されていく。

 

「助かる。切島くんの方は────」

 

 新たに指示出しを始めたときだった。数発の銃声の後に聞き慣れた声が高らかに響いた。

 

「みなさん、大変お待たせ致しました。1-Aクラス委員長八百万百!! ただいま戻りましたわ!」

「僕も来たよ☆」

 

 八百万くんたちが教師陣の援軍を連れてきた。もう既にあらかたはオールマイトが制圧してしまっているが、重傷者を多数抱えている現状、いくらでも戦場に慣れた人手が欲しいところだ。

 

「大分やられてるな。猪地が治療してるのか? 八百万、大至急でリカバリーガールを乗せて向かうぞ!」

「……楽観できる状況ではなさそうですわね。轟さん、青山さん。私たちは戦闘よりもみなさんの救助に尽力しましょう」

 

 リカバリーガールが青山くんの膝に乗り、八百万くんたちのバイクがこちらに向けて発進する。

 

「良かった。これでみんな助かるぞ」

「ウチ、こいつらが本当に死んじゃうかと思ったから、本当に良かった」

「うん、良かったよ。めぐりん、助けてくれてありがとう」

「いや、三奈ちゃんたち、みんなのおかげだよ。手当てのことだけじゃない、誰か一人が欠けていてもこの状況を切り抜けられなかったと思う。私も実際脳無の実力見誤って返り討ちにあっちゃったしさ、まだまだだよ」

 

 みんなが涙し、抱擁し、励まし合い、生き残った喜びを分かち合う。俺も自然と声にならない声と涙が溢れていた。悲しい涙じゃない、これは嬉し涙というやつだ。

 

「さて、君たち。この雄英に乗り込んだこと、生徒たちに手を出したこと。きっちり落とし前はつけさせてもらうよ。さぁ、制圧開始だ!」

 

 そして校長の一声によって教師陣による蹂躙劇が始まった。主犯格を失ったチンピラ崩れの(ヴィラン)たちがいくら群れようとも一流中の一流ヒーローである雄英の教師陣に敵うわけもなく次々と無力化されていく。

 

 こうして俺たち1-Aは(・・・・・・・)助かった。

 

 

 

 

 

 

 

 その後、警察による事情聴取と敵の引き渡しが行われ、同時に猪地くんとリカバリーガールによる重傷者の共同治療が行われた。

 特に酷かった爆豪くん、切島くん、砂藤くんは初期対応が遅ければ死んでいた可能性も高かったらしく、二人が揃っていなければ、俺たちが一丸となって手当をしなければ助からなかっただろうとのことだった。山場は超えて問題はないらしいが三人共未だに目を覚まさない。

 次点で緑谷くん、相澤先生、13号先生も大怪我だったが生命に別状はないとのことだ。彼らは保健室に居る。俺や尾白くんなど前線に出たメンバーも少なくない怪我を負ったが、とりあえずは通常治療を受けている。

 

 そして猪地くん、爆豪くん、切島くん、砂藤くん、緑谷くんを除いたメンバーがあとで事情聴取があるということで、病院組の回復具合の連絡を先生たちに聞きながら空き教室で待機していた。

 

「嘘だろ、おい……」

 

 スマホを眺めていた上鳴くんが顔を歪めながら言う。

 

「上鳴くん、携帯やスマホの類は、情報管理のためしばらくは使用禁止と言われていたはずだぞ。しまいたまえ!」

「いや、暇だったし……そりゃ使った俺が悪かったけどさ。って、それどころじゃねぇんだって! 思った以上にやばいことになってんぞこれ!」

 

 また入試のときのように雄英叩きが起こっているのだろうか。それとも聖輪会(メビウス)が抗議運動でも起こしたのか?

 

「どうしたん…………えっ?」

 

 近くにいた麗日くんもそれを覗き込み、声を詰まらせた。

 禁止ではあるが二人の反応が気になって俺も見せてもらうことにしよう。皆もぞろぞろと上鳴くんのもとに集まる。

 

「みんな、覚悟して見てくれよ」

 

 そう言った彼は画面をみんなのほうに向けた。

 動画ニュースによるとどうやら近くの商店街で(ヴィラン)が現れ、ヒーローと長時間の交戦し、先程ようやく事態が収束したとのことだ。

 しかも右上のテロップによればかなりの数の死傷者、少なく見積もっても10名以上の死者が出ているらしい。人数は現在確認中とのこと。

 

 そしてその(ヴィラン)の姿を一目見て、彼らが声を失った理由を知った。

 俺たちがここに拘束されている本当の理由も。

 

 脳味噌を剥き出しにした筋骨隆々とした巨漢の(ヴィラン)

 そのあまりにも特徴的すぎる外見は、つい先程まで俺たち戦っていた脳無に他ならなかった。

 

「これは俺の……、僕たちのせいなのか?」

 

 僕が(・・)挑発しなければ、脳無を蹴り飛ばさなければ、こんなことにはならなかったのか?

 そして自然と発してしまった俺の不用意な言葉がみんなの感情の堰を決壊させてしまう。

 

「ぐすっ、どうしてっ、どうしてこんなことにっ!?」

「私が、もっと早く判断できていれば。オールマイトを呼ぶ術を考えていれば……」

「俺たちの代わりに他の誰かが死ぬって、ちっとも喜べねぇよ。それはあんまり、あんまりだろうがっ。くそったれっ!!」

 

 普段は使われていない閑静な空き教室に、みんなの涙が、嘆きが、怒りが溢れ出す。 

 騒ぎを聞きつけた警察と先生が何事かと駆けつけてきた。

  

 駄目だ。僕も、涙で、前が…………見えない。

 

 



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第13話 いのち

 朝の通勤ラッシュはまだどうにも慣れない。特に今日みたいな最悪な日ならば尚更だ。事件翌日の今日は捜査と、今後の対応のために臨時休校となっている。こんな休みは嬉しいわけがない。しかしどうしても家にこもっている気にはなれず、こうしていつも通りの時間の電車に乗っている。

 

 あんな事件があった翌日とはいえダイヤには乱れもなく、人混みの量が特に減るわけでもなく、いつも通りに電車は運行していた。俺たちにとっての世界は昨日一日であんなにも変化したと言うのに、社会というものは意外と丈夫にできているものらしいということを、まざまざと見せつけられた感じだ。

 

 前方の男性が手にした新聞の見出しが偶然視界に入る。雄英についても色々書かれていたが、赤色で塗られた「死者21名」の文字が網膜に刻み込まれた。脳無による死者の数は奇しくも俺たち1-Aの生徒と同じ人数、一体何の当て付けだろうな。

 脳無が街で暴れた件については雄英襲撃の際、捕獲できず逃走した敵が暴れたことになっている。嘘ではないが全てが真実というわけでもない。俺たち生徒が外へ追い出したということは伏せられている。故意ではないこと、正当防衛であったこと、後付けではあったが相澤先生の戦闘許可が出ていたこと、雄英の私有地内であったこと、その他色々なしがらみによってそういうことになっている。

 

 俺たち1-Aは入学後間もないながらも敵連合を撃退したということでどうもマスコミは持ち上げ気味のようだが、学校側に対してはその分厳し目の反応だ。明日の予定もまだ未定。学校からの連絡待ちとなっている。どうやら雄英体育祭も開催が危ぶまれているらしい。

 

 思考を止め、洪水の如く氾濫する人の波に身を任せ、ただ足を動かす。息を止めるようにしてひたすら早足で歩き続け、目の前の景色が変わった事に俺はようやく気づいた。いや、前をほとんど見ず足元ばかりを見ていたからその表現は正しくないだろう。

 

 深く抉れたアスファルト、飛散したままのガラス片、ガードレールを赤黒く染めた生命の痕跡。昨日動画で見た惨劇の跡地、マスコミや警察がたむろする場所から少し離れた一角に俺は辿り着いていた。

 

 少し奥に見える交差点の電柱には花束や缶ジュース、袋菓子などの供え物が集められ、数人の先客たちが手を合わせていた。親族か、友人か、ただの通りがかりの人なのか。そのどれとも俺は違う。加害者でこそないが、この事態を起こした責任の一端は間違いなく俺にある。

 

 あれから一晩たった今もどうすればいいのか、どう気持ちに整理をつけたら良いのかわからない。一番頼りになる天晴兄さんは、俺の身を案じ電話をくれたが何を言ったらいいのかそのときはわからず電話を無視してしまった。朝イチで謝罪のメールを送ったが「天哉、今夜そっちに帰るからちょっとジョギングに付き合えよ!」と一文だけ送られてきた。

 

「兄さんならどうするんだろうな」

 

 一度止めた足をもう一度踏み出した。すると、ぐにゃりと急に地面が歪み右足が沈み込もうとする。左足に全体重を掛けて沈まぬよう踏ん張り、沼から右足を引き抜いて更に前へ一歩踏み出す。

 

「ハァハァ……危なかった。まさかこんな所に沼があるとは」

 

 ――――こんな所で、とはどんな所だ。そこに目を向けて愕然とする。沼だと錯覚した場所は、ただのアスファルトじゃないか。

 

 睡眠不足が祟ったか? 用事を済ませたら早めに家に帰って寝たほうが良いのかもしれない。そして後方の地面を見つめながら左足を前に踏み出す。

 

「ってぇなオイ!」

 

 左肩に軽い衝撃が走る。どうやら声の主とぶつかってしまったようだ。前方不注意とは我ながら不覚だ。謝罪しようとして、顔を上げる。

 

「なぜお前がっ!!?」 

 

 上体を後方に逸らしながら、全力で一歩後方へと跳躍し、半身で構えを取る。

 毛玉の男が、昨日昏倒させ、逮捕されたはずの敵が目の前に居た。毛むくじゃらな男の瞳は険呑としており、苛立ちを露わにした声で言った。

 

「何だよその目はよぉ、眼鏡の兄ちゃん。人にぶつかっておいて謝らないどころか、初対面の人間にお前呼ばわりは礼儀がなってねぇな。見たところ高校生みたいだがどこの学校だよ。真面目そうなのは見た目だけか?」

 

 そう諭されて俺はようやく気づく。人違いだ。よく思い出してみれば毛の色が少し違ったような気がする。俺はなんてことをしてしまったのだ。

 

「すみません、俺の人違いでした。ぶつかったのも俺の不注意です。ぶつかったこととその後の大変失礼な言動、誠に申し訳ございませんでした!」

 

 できるだけ深く腰を曲げる。全面的に俺が悪い。この人の言うことには一片の非もない。

 

「いいけどよ、兄ちゃん。次から気ぃつけろよ。小さな子どもや高齢者だったら怪我してたかもだぜ。じゃあな」 

 

 そう言って毛玉の男性は俺の前から去って行った。確かに彼の言うとおりだ。杖を着いたご老人にぶつかっていたら地面に頭を打っていたかもしれない。ちゃんと前を見て歩こう。

 

 供え物が集められた電柱の前に着くと、両手にそれぞれ抱えてきたフルーツバスケットの内の一つを供え物の山に加え、真剣に手を合わせるご年配の女性の横に座る。もう一つのバスケットを膝の上に乗せるようにして抱え、俺も周りと同じように手を合わせようとする。

 

「貴方もご家族かご友人を?」

「えぇ、そんなところです」

 

 嘘だ。とっさに出てきた言葉には一欠片の真実さえない。誰一人として今回の事件で亡くなった人のことを俺は知らない。心臓と喉を締め付けられるような感覚を覚える。今、俺はどんな顔をしてそれを口にした?

 

「私の孫はね、来週運動会だったの。『おばあちゃん、ぼくかけっこでいちばんとるからみにきてね!』って、毎日のように言っ、てっ……いた、のに、どうして、どうして……こんなっ…………ううっ」

 

 溢れ出す感情を抑えきれなくなったご婦人の嗚咽。なんとか抑えようと絞り出すように出る小さなその声が、俺の鼓膜に、脳内に何度も何度も反響した。しかし、もらい泣きしそうになる自分を叱責する。俺にはここで泣く資格も、慰める資格もないのだと。

 

 悔しさを押し殺して瞳を閉じ、手を合わせた。そのときの気持ちを具体的な言葉では表現できそうにない。謝罪と死者への安寧と、罪悪感と、様々な感情が――――あぁ、そうだ「クソを下水で煮込んだような」そんな最低な表現が一番近いのかもしれない。

 

「奥様、これをお使い下さい」

「ごめんなさい。いいえ、ありがとうね。お嬢さん」

 

 傍で聞き慣れた声がした。瞼を開き、声の主へと視線を向ける。

 

「飯田さんも、これを」

「八百万くん」

 

 差し出された手から、彼女の個性で創られた白いハンカチが現れる。そして俺が今どんな顔をしているのかをようやく自覚した。

 

「みっともないな俺は。散々昨日泣き散らしたというのに、まだ涙が出るらしい。すまないな」

「別にみっともなくはないだろう。俺たちも隣、いいか?」

 

 花束を供えながら轟くんが言う。彼も一緒に来ていたのか。俺の方はあまり見ないのは彼なりの気遣いなのだろう。

 

「あぁ。二人共一緒に手を合わせてくれるか?」

「当然だろ」

「勿論ですわ」

 

 そうして一分ほど再び手を合わせた。供え物とは別にもう一つ花束を抱えた轟くんが口を開く。

 

「病院に行くんだろう?」

「あぁ、何の因果か通い慣れたところだからな。近道がある。俺が案内しよう」

 

 爆豪くんたちの入院先は入試のときに猪地くんと麗日くんが入院していた病院と同じだった。近道と言ったものの、マスコミも居るかもしれないから少し迂回して裏口から行く方が無難か。

 

 病院へ向かう途中、話すべきこと、聞きたいことは沢山あった。轟くん、八百万くんもきっと同じように感じていることだろう。だがどこから会話を始めたら良いものか、それがわからない。俺たちはしばらくの間、無言で歩き続ける。当然のように空気が重い。

 

「そういえば君のお父上、エンデヴァーさんがあの脳無を逮捕したらしいな。流石ナンバー2だ」

 

 ようやく切り出せたのはそんな話題だった。他のヒーローたちも多数参戦したらしいが、一番の功労者として出てきたのがエンデヴァーの名前だった。

 

「単に相性が良かっただけだろう。再生スピードを上回る勢いでただ燃やし続けただけだ」

 

 ぶっきらぼうに轟くんは言う。確かに彼の言うとおり、彼の父親であるエンデヴァーさんの炎を操る個性は強力な再生能力持ちの脳無とは相性が良かったのだろう。周囲のサポートも多数あった。だが再生能力だけでなく、全力の俺や緑谷くんを上回るだけのスピードと怪力まで備えた相手に勝てたのだ。その実力には感服せざるを得ない。

 

「その……失礼かもしれませんが、実の父親に随分と淡白なんですわね」

「あいつは父親でもなんでもねぇよ。ちょっと強いだけのクソ野郎だ」

 

 憎悪さえ感じる口調だった。いつもは感情の起伏を見せない轟くんが垣間見せたその姿は、反抗期などという言葉で片付けられそうになかった。

 

「クソ野郎とは穏やかでないな。家庭それぞれに事情はあるだろうし喧嘩することもあるだろうが」

「アイツ、朝っぱらから機嫌を最悪にして帰ってきやがった。八つ当たりされるのが目に見えてるし、ここに立ち寄ったらお前らが居た。それだけだ」

 

 それだけだと言い捨てた轟くんの眉間は未だに皺を寄せたままだ。あからさまに不機嫌になった彼を前にそれ以上は言えなかった。すると今度はそんな彼の方から違う話題を振ってきた。

 

「そのフルーツバスケットは猪地にか?」

「いや、そういうわけではないが。見舞いといったらフルーツといった気がしてな」

 

 そう言えば花束でも良かったはずだが、自然とフルーツを手に家を出ていたな。そう言えば猪地くんも昨晩は遅くまで病院まで残っていたようだが、もしかすると今日も来ているかもしれないな。連絡を取ってみるか?

 

「そうか」

「入院しているのは男性ばかりですし、お花より美味しいものの方が良いかもしれませんわね。私もお菓子を少々持って来ましたの。砂藤さんは甘いものがお好きなようですし」

 

 確かに切島くんや爆豪くんが花をもらって喜ぶ姿は微塵も想像つかない。だが砂藤くんはお菓子作りが趣味ということもあり、意外と繊細な面があって似合うかもしれないとも思う。実際のところはどうだろうか。そんなことを考えながら歩き続けていると、病院へ向かう途中での目的の一つを見つけた。

 

「うむ、見えたぞ。あの自販機でみんなの分の飲み物を買って行くとするか。あそこが一番裏口から近くて安い」

「思った以上にこの辺、慣れてんな。飯田」 

「とは言ってもこの二ヶ月ぐらいは来ていないがな。100%オレンジジュースが病院内の売店に置いていないから、ここは外せないんだ」

 

 この自販機のメーカーのものはエグみが少なく、とても飲みやすい。酸味の程よさも絶妙でコストパフォーマンスが抜群なのだ。などと色々解説を加えようと一瞬考えたが、以前猪地くんに華麗にスルーされたのでそれはよしておこう。これは普段から他のメーカーのものを飲んでいないとわからないことだからな。

 

「俺は決めているからな。二人とも先に選ぶといい」

「俺は緑茶ならなんでも良いんだが、同じ値段なら玉露入りのにするか。八百万は?」

「私はこのお紅茶にしますわ」

 

 そう彼女が指差したのはミルクティーの缶。だが轟くんは普段の仏頂面を更に微妙な困り顔に変化させて言う。

 

「大丈夫か? 多分それ、おまえがいつも飲んでるような上等な紅茶と全然違うと思うぞ」

「存じていますわ。最近女子会で試してみましたもの。確かに普段のお紅茶とは香りもコクも異なりますが、これはこれで完成された飲み物だと思いますわ」

 

 そう言って八百万くんはミルクティーのボタンを押す。コイン投入口で点滅する“おまけでもう一本プレゼント”のスロットを目線の高さを合わせるようにして眺める。最後の一桁が二つほどずれたのに落胆する彼女。その様子を見るに、特におまけが欲しいということはなさそうだが、自販機で購入することそのものがきっと楽しいのだろう。

 

「女子会か。そう言えば麗日くんたちも言っていたな。全員で放課後に集まっていると」

「男子は全然そういうのないな。そもそも大人数でつるむイメージも湧かねぇ」

「確かに精々二、三人組だな。まぁ全体の人数の差もあるし、男女間での感覚の違いだろう。猪地くんや麗日くんの話を聞いていると多少羨ましくはあるがな」

 

 八百万くんに続けて、お気に入りのオレンジジュースを購入する。入院組に何を持っていくかを三人で相談した上で、スポーツドリンクと日本茶、コーラを選択した。

 病院に着くといつもの裏口から馴染みの守衛さんと受付の人に挨拶を交わし、三人の居る病室へと向かう。平日の朝とあって入院棟の方はそこまで混んでいない。面会は問題なさそうだ。

 

「ゴホン、朝早くからすまない。副委員長の飯田だ。失礼するぞ」

「八百万です。失礼しますわ」

「轟だ、入るぞ」

 

 ノックをした上で入室する。そして病室内で行われている壮絶な光景を目にして思わず絶句した。それはどうやら俺だけではないようで、思わず視線を逸らし隣の二人を見る。

 

「ええっと。何を、していらっしゃるのでしょうか?」

「俺に聞くな。八百万」

「俺の方を見られても困るぞ。まぁ見たまんまなのだろうが」

 

 暑い。暑苦しい。ただひたすらに暑苦しい。

 

 病室にあるまじき熱気が顔にまとわりつく。まるで汗が蒸発してサウナのようになっているみたいだ。見た目はシンプルな四人部屋の病室。白を基調とした寒色に彩られた部屋が醸し出していい雰囲気ではない。

 

「うぉおおおおっ!」

「202……203、204!!」

 

 砂藤くん、切島くんの雄叫びが木霊する。

 

「ペースは変えないでって言ったでしょ、切島くん。早くして楽しない!」

 

 猪地くんの怒号が飛ぶ。

 

「殺す、殺す、ぶっ殺すっ!!」

 

 爆豪くんがいつも以上の勢いで酷い言葉を放っている。

 

「いや、マジで何やってんだ。おまえら怪我人じゃねぇのかよ」

「漢なら筋トレに決まってんだろ筋トレ」

「って、轟、いつの間に?」

 

 ダンベル運動をしていた砂藤くんが手を止めた。みんな一心不乱に励んでいたようだったが、ようやく気づいてくれたようだ。爆豪くんは無視するようにひたすら腹筋をしているが、切島くんも腕立てを止め、医療書らしき分厚い本を片手に持った猪地くんも栞を挟んで本を閉じる。

 

「おはよっ、天哉、百ちゃん、轟くん」

 

 ラフなTシャツを羽織った猪地くんが本をベッドの上に置いて、俺たちに向かって手を振る。そうか前もこの病院で医療書を貸してもらってたな。来る口実があればいつもより深い勉強できるとなれば早朝から来ない理由もないか。

 

「おはようみんな、元気な用で何よりだ」

「おはよう……というかお疲れさんか。暑い」 

「おはようございます皆さん。御見舞に来ましたわ。実家で貰い物の余りで申し訳ないのですがちょっとした焼き菓子を持ってきましたわ」

 

 そう言って八百万くんが紙袋に入った菓子折りを砂藤くんに渡す。受け取った彼が紙袋から赤いバラが描かれた包装紙に包まれた箱を取り出すと、珍しく裏返ったような声を一瞬上げる。

 

「うぉおっ!? これはまさか小高居ホテルのじゃねぇか! こんなの高校生の俺たちが貰って良いものなのかよ。ありがとう八百万、お前ん家やっぱ大富豪なんだな」

「いえいえ、これは貰い物ですし。でも小高居ホテルをご存知だったのですね。やはり甘味にはお詳しいので?」

「個性で砂糖をたくさん摂取しなきゃなんねぇし、自然と甘いものには詳くなったと思うぞ。俺、本当にここのお菓子は一度食べてみたかったんだ。グルメ番組の世界か?」

 

 砂藤くんのあまりの喜びように驚いた切島くんが包みの中を見て言った。

 

「マドレーヌとジャムクッキーか? 見た目は普通だけどそんなにスゲェのかよ砂藤?」

「心して食えよ切島。その普通っぽいの一個だけで札がほぼ一枚飛ぶぞ」

「マジで?!」

「百ちゃん、私も食べたい! よくわかんないけど食べたい!」 

 

 珍しく果物以外のことで猪地くんが全力で挙手する。高級品とは普段縁がないからだろうか、狩人を彷彿させるような鋭い眼光を放っている。

 

「花瓶……あったな花、適当に活けておくぞ」

 

 轟くんはあまり興味がないのか、淡々と作業を始めた。 

 

「飲み物も買ってきたぞ。さぁ好きなのを選び給え」

「俺スポドリで。爆豪はコーラでいいよな?」

「んあ? クソ髪勝手に選ぶんじゃねぇ、でもそれ寄越せ」

「ほいっと、差し入れサンキューなみんな」

 

 あの爆豪くんと上手くやっている切島くんは凄いな。腹筋をやめた爆豪くんは、投げ渡されたコーラを受け取るとすぐ口にした。

 

「じゃあ俺はお茶でって、一本足りねぇな。あ、猪地の分勘定に入ってなかったのか。どうする?」

「んーそんなに私、量は要らないし、オレンジジュースちょっと分けてよ」

「あぁ、それは俺の分と思って買ってきたが、ちょっととは言わず全部飲むといい。俺は後で売店にでも行ってくる」

「やっぱり要らない。お菓子食べる余力なくなるし」

「猪地くん、遠慮はいらないぞ」

「そこのフルーツも食べるからお腹に余裕がないの! それに今はミカンよりリンゴな気分になった。今なった! 剥くからカゴごと貸してほらっ!」

 

 強引に俺の手からバスケットを奪い取った彼女は、備え付けの棚に入っていたナイフを取り出し、くるくると器用にリンゴを剥き出す。

 

「非常口、峰田と上鳴が居なくて良かったなお前」

 

 ぼそりと呟いた砂藤くんの言葉に切島くんが頷く。なぜここで峰田くんと上鳴くんの名前が出てくるのだろうか。

 

 そして轟くんと八百万くんも飲み物を手に取り、俺は余ったオレンジジュースを手に取る。それぞれが飲み物に口を付け、八百万くんのお菓子に舌鼓を打った。砂藤くんはさながらグルメリポーターのような解説を口にし、切島くんと猪地くんはひたすらに「うまい」「美味しい」との言葉を繰り返す。起伏が少ない轟くんも僅かに笑顔を見せ、あの爆豪くんも珍しく感謝の言葉を口にするぐらいに、クッキーとマドレーヌは絶品だった。

 

「皆さんすっかりお元気なようで何よりですわ。怪我を見たとき、気が気でなかったのですよ」

「それに関しちゃ、委員長、轟、お前たちがリカバリーガールをいち早く連れてきてくれたからだぜ。本当にありがとうな。それから飯田と猪地も応急手当ありがとうな」 

 

 切島くんが親指を立てて感謝の言葉を述べる。

 

「それにしても、生きてて良かったよな本当に」

「あぁ本気であん時は死ぬかと思った。プロヒーローはいつもあんな場面に出くわすかと思うと、考えるところあるよな」

 

 砂藤くんの「生きてて良かった」発言にみんなが頷く。そして最も死に近かった一人である切島くんが神妙な言葉を返した。そんな彼に向けて、いつも以上に眉間に皺を寄せた爆豪くんが口を開く。

 

「何のんきなこと言ってんだ。遅かれ早かれ、似たような事は経験すんだろうが。色々納得は行かねぇが、経験値は得た。今の自分の実力も理解した。課題も山ほど見つかった。だったら強くなるしかねぇだろうが。次こそぜってぇ負けねぇようによ」

 

 遅かれ早かれ、か。兄さんにその辺りの経験談も聞いてみたほうがいいのかもしれないな。

 

「そうだよ。珍しく気が合うね爆豪。だからリハビリも兼ねてさ、私がみんなの筋トレ見てたの。砂藤くんは元の筋力が高ければ、増幅するパワーも増えるわけだし、切島くんの個性もフィジカル強化必須だしね。爆豪は――」

「オイ、デカお……」

「なるほど基礎代謝が上がれば、体温も上がる。発汗効率が上がって個性の立ち上がりや威力の向上が見込めるということか。しかもリハビリを兼ねているとなれば、うむ。実に合理的な理由だな!」

「勝手に納得して他人のセリフ取るんじゃねぇ。メガネ」

「そうそう。また珍しく気が合うね――って気持ち悪っ!」

 

 しまった。つい考察が捗って被せてしまった。

 

「爆豪くん、猪地くん、被せてしまって申し訳ない」

「とことん爆豪嫌ってんな猪地」

「俺、逆に尊敬するわ」

 

 確かに轟くんが言うように中々の拒絶っぷりだ。砂藤くんが顔を引きつらせながら頷く。でも最近の彼女を見ていると、どことなく本人は楽しんでいる節が見受けられる。俺の気のせいかもしれないが。

 

「ごめん、ちょいとふざけ過ぎた。真面目な話に戻ろっか。朝イチこの四人で話をしてたんだけどね、そろそろ雄英体育祭あるでしょ。もし自粛して中止ならいいけどさ、強行した場合私たち結構やばいんじゃないかなって言ってたんだよ」

「オールマイトを殺すと息巻いていた奴らが、入学したての一年に凌がれた。しかもワープできる奴とリーダーは取り逃してる」

「報復の対象がオールマイトより先に私たちに成りうる可能性が高いということですか。しかも一般人も多数学園内に出入りできるとなれば、早急に自衛の策を練る必要がありますわね」

 

 猪地くんの言葉に続ける轟くんと八百万くん。ワープを用いた奇襲だけでなく、一般人に紛れての奇襲も考えなければならないことを考えると、先生たちに頼るだけでなく各々が気をつける必要があるだろう。

 

「敵連合のリーダー、死柄木と言ったか。どうにも力を振りかざしたい子供地味た言動と気の短さ、あれだけの無茶をやらかした思い切りの良さを考えると、確かに焦らなければならない理由は十分すぎるほどだな」

 

 俺も昨日対峙して感じた死柄木の人柄から推論を述べる。しかも雄英体育祭は全国放送だ。万が一奇襲を防げなかった場合、力を誇示したいという敵連合の思惑にはまってしまう可能性がある。

 

「しかも私たちTVに映っちゃうでしょ。個性も、戦闘スタイルも、弱点もバレバレになっちゃう。襲撃がなかったとしても、十分に研究され尽くした後に襲われるかもしれない。むしろそっちの可能性が高いよね」

「だから俺たちは強くなんなきゃいけねぇんだ。決めたんだよ。割に合わねぇって敵が躊躇するぐらい強くなんなきゃなんねぇ。俺が、俺たちが抑止力になるんだ!」

 

 固く拳を握る切島くん。その目尻からは僅かに涙が流れている。そのまま彼は言葉を続けた。

 

「俺たちは生き残った。でも街の人たちがたくさん死んだ。誰だって後悔してるだろうさ。目が覚めてニュース見て、正直血の気が退いたよ俺は。俺と砂藤がもっと足止めできていれば猪地の個性で敵を抑えれたかもしれねぇのにって。何度もそう考えちまった」

「違う!」

 

 考えるよりも先にそう叫んでいた。決して切島くんたちのせいではない。

 

「俺が勝手に前に出なければ、先生たちの指示に全て任せていれば、俺が囮ではなく脱出の方に回っていれば結果は違ったかもしれない。それに何より脳無を実際に外に解き放ったのは俺だ!」

「そうです。飯田さんだけではありません。もし私がもっと良い案を考えて、もっと早く応援を呼べたならあんなことにはきっとなりませんでしたわ」

「“もし”の話なんてわかんねぇよ!!」

 

 爆豪くんかと勘違いしそうになるほどに切島くんが声を荒げた。他の誰もが口をつぐむ。そして切島くんと昨日同じ立ち位置に居た砂藤くんが胸の内の感情を吐露した。

 

「確かに昨日俺たちはみんなベストを尽くした。でもな、あの中で役割を果たせなかったのは俺と切島と猪地だ。気を失って見てねぇけどよ、緑谷も麗日も、お前も俺たちの尻拭いしてくれたんだろう? ありがとうな飯田。気にするな、なんてこと言えねぇし絶対無理だけどよ。俺たちはこれから先の行動しか変えられねぇ、だから強くなろうって……くそっ、涙が」

「これを使って下さい」

「すまねぇ、委員長」

 

 ハンカチを渡された砂藤くんが豪快に鼻をすする音。その直後に響くノック音。

 

「はいはーい、検査の時間だよ。これがオッケーなら退院だからね」

 

 病室のドアが開き、元気な看護師さんの声が響く。キリが良いような悪いような、ちょっと嫌なタイミングだ。

 

「お友達のみんなゴメンねーちょっと借りてくから適当に一時間ぐらい遊んできてね。三階の談話室は本がいっぱいあるよ」

「検査か。みんなどうする?」

「結果が気になりますし、談話室で待ちますわ。麗日さんと緑谷さんも来るみたいですし」

「俺はやることができた。先に帰る」

「私は井伊先生のところに本を返しに行ってくる。天哉ちょっと着いてきてよ」

「あぁ。構わない。みんな、また後でな」

「おう」

 

 

              ×                 ×

 

 

 

 こうして俺たちは話も半ばのまま解散する流れになり、俺は猪地くんと共に医療書を返却しに内科の井伊先生の所へ向かう。だが、扉を開けた先に広がる光景は薬品臭の絶えない冷たい部屋ではなかった。

 

 雲一つない皮肉な青空。勢い良く吹き抜ける風。燦々と降り注ぐ日光が白い床に反射して、少し肌が暑い。

 

「猪地くん、ここは屋上では?」

「わかってる。ここなら誰も居ないでしょ。少し、二人で話をしよう」

 

 じっと瞳を見開いて、彼女はゆっくりとそう言った。

 

「天哉、あんまり寝てないでしょ。何時間寝たの?」

 

 プラスチック製の青いベンチをポンポンと叩き、彼女の左隣に座るように促しながら彼女は尋ねる。正直何時まで起きていたのか、時計を確認していないのでわからない。しかし座りながら俺は推測で問いに答える。このベンチ温いな。

 

「多分二時間は寝れたと思うが、帰って昼寝をすれば大丈夫だろう」

「それ、全然大丈夫じゃないよ。もう」

 

 彼女の手が額に触れる。スッと頭の天辺から温泉に浸かったときのように疲労が抜けていくような感覚。個性を使ってくれたのか。

 

「ちょっとマシにしといたけど、帰ったらちゃんと寝てね」

「あぁ、そうする。俺のために個性を使ってくれてありがとう。だが猪地くん、個性を昨日から使いすぎていないか? 君の方こそ大丈夫なのか?」

「体調は大丈夫だよ。昨日はしっかり補給しながらやれたしね。あんなこともうやらないって」

「ならば良いんだが」

「ちょっと暑いねここ。そのジュースまだ余ってる?」

「あぁ三分の一ぐらいだが、これで良かったら残り全部貰ってくれて良いぞ。外で買ってきても良いが」

「ううん、これで良いって」

 

 そう答える彼女に飲みかけのオレンジジュースを手渡す。両手で受け取った彼女は缶を口につけると言った。

 

「このメーカーの美味しいね。最近コンビニで臼臼飲料のやつ試してみたけど、やっぱりこっちが飲みやすくて美味しい。天哉の言ってた通りだ」

 

 猪地くんは笑顔と共にピースサインを向ける。

 

「気に入ってくれたなら何よりだ。それより話というのはさっきの続きのことだろうか?」

「うーん、そうだね。そのことも含めてって感じだけど。いつもよりは少しね、突っ込んだ話を天哉としたいかなって。ちょっとズルい気もするけど先に話聞いてもらっても良いかな?」

「勿論だとも」

 

 突っ込んだ話か。猪地くんが並々ならぬ人生を送ってきたことはあの事件で様々なメディアが噂を流していたことで知っている。だが彼女が必死に影を見せぬよう気丈に振る舞っている姿を見ていると、今まで突っ込んだ話をする機会が中々なかった。言い方は悪いかもしれないが、これはいい機会なのかもしれないとも思う。

 

「ありがとうね」

 

 もう一口ジュースを飲んで、一息ついた彼女は語りだした。

 

「私はね。このクラスが大好きだよ。高校生活が今までの人生の中で一番楽しい。ダントツの一番。流石雄英っていうのかな。イジメの気配なんてないんだもん。まぁ偶に気を使ってくれてるのはわかるけどね、でも腫れ物みたいな扱いとは全然違う。いつもギャーギャーやってる爆豪のことだってね、性格は大っ嫌いだけど彼のこと凄いと思うし、普通の人よりはずっと好きだよ。まぁ峰田くんと私の中のランキングでクラスワースト1、2位争いしてるけどね」

「峰田くんとか。彼も、もう少し性欲を抑えられたらな」

「私の個性なら抑えれるけどね。酷く成りすぎたら実力行使も辞さないかも」

「実力行使とは何をするつもりだ。ホルモンバランスか?!」

「んー、秘密☆」

 

 イジメ、か。その言葉に一歩踏み込むべきかわからなかった俺は、彼女の茶化すような言葉の部分にしか反応を返せなかった。途中、青山くんのモノマネをしてみせた彼女は照れくさくなったのか「飲め!」と残ったジュースを俺の口に急に押し付けた。誤魔化すように頭を掻いた彼女は元の話を続ける。

 

「私はね。ずーっと一人ぼっちだった。私に優しくしてくれたのはお母さんの信者か、私の個性目当て人たちばかり。けど、利害関係を抜きにして私に接してくれたのはこのクラスぐらいなもんだよ。ちょっとは他にも居たけれどみんな居なくなっちゃった」

 

 空を仰いで彼女は言う。少し声のトーンが落ちた。長い付き合いとは決して言えないが、それなりに仲良くしてきた自負はある。そんな彼女がようやく俺に対して、今まで隠して来た影の部分を自ら見せようとしているのを感じ取れた。 

 

「でもね。その中でも私にとって君は“特別”なんだ。まだ親友というほど親密でもないし、恋人という間柄でも全然ないけどさ」

 

 彼女の左手の指先部分が、俺の右手の甲に重なる。

 

「もう一度言うね。私にとっての天哉は、君自身が思っている以上に“特別”だと思ってるんだよ。何でだと思う?」

「入試の日、最初に会ったのが俺だからか?」

「違うよ。最初の出会いは本当にただの偶然だし、救急車の件とかはあったけど、私のこと知らない人だったら多分きっとある程度は同じように接してたと思うもん。実技試験で私が倒れたときも、ヒーロー科を目指す人だったら多分他の誰かが助けてくれたと思うよ。実際緑谷くんと茶子ちゃんがそうだったし。あ、もちろん二人にはすっごく感謝してるし大好きだよ」

 

 始めて出会った日を思い出す。最初から波乱万丈だった。あの駅で出会っていたのが他の誰かだったら。確かに他のクラスメイト、例えば切島くんや緑谷くんでも同じような流れになったのかもしれないなと容易に想像できた。

 

「試験の後、ようやく眠りから覚めたとき『うわー私、入学前からやっちゃった』って思ったんだ。このまま眠ったままのほうが良かったんじゃないのかなって正直思ってた。君が喜んでくれる顔を見るまでさ。天哉がすごい勢いで駆け込んできてくれたときね、私、本当にビックリしたんだよ。マスコミが騒いでたのはもう一度会う前に聞いていたからね。あー、バレちゃったなぁって。それでも、君は目が覚める前と同じ態度で接してくれて。たったそれだけのことが私は本当に嬉しかったんだ」

「“たったそれだけ”のことがか?」

「うん、でも私にとっては“たったそれだけ”のことじゃなかったんだよ」 

 

 ゆっくりと彼女は頷く。すると猪地くんはベンチから立ち上がり、ゆっくりと屋上の3m先ほど前方へと歩いて行き、緑色に塗装された安全対策用の金網を右手で掴む。階下の景色を眺めながら彼女は言った。

 

「茶子ちゃんと緑谷くんが御見舞に来てくれたのは嬉しかったよ。でもね、天哉だけが毎日来てくれたんだ。私が寝ているときも、目覚めた後も。生真面目な君にとっては当たり前のことだったんだって、そんなことはわかってるんだけどね。それでも誰かが私のことを心配してくれてるってだけで、私の心は本当に救われたんだ」

 

 そして指を金網から外して振り返った彼女は力強く、この蒼穹よりも澄んだ声で俺に言う。

 

「だからもう一度言うね。本当にありがとう。私だって君に返したいんだ。助けて貰ってばっかりじゃなくて、君の力になってあげたいんだよ」

 

 いつの間にか彼女の瞳には淡い光の粒が宿っていた。それは柔らかな風に吹かれ、頬を伝い、空を舞う。

 

「今、天哉は悩んでるよね。もちろん百ちゃんも、緑谷くんも、茶子ちゃんも、切島くんも、砂藤くんも、みんなか悩んでるのは知ってる。あんな事件があって悩まない人は居ないよね。でもね、私は真っ先に天哉の力になってあげたいの」

 

 再びこちらに歩いてきた彼女は俺の目の前でしゃがみ込み、両手の指と指を重ね合わせる。

 

「真面目なところは君の美徳だけれど、多分ほっとくと勝手に擦り切れちゃうでしょ。きっと最初は怒るだろうけれど、私の本当の気持ちを言うね」

 

 そして彼女が次に口にした言葉はあまりにも衝撃的で、俺にとってはとても受け入れがたいものだった。

 

「私はね。街の人たちが脳無の犠牲になって哀しいって気持ちよりね、みんなが生きていてくれてること、天哉が生きていてくれてることの嬉しさの方が多分勝ってるんだ。だって私にとっては知らない街の人より、天哉やクラスのみんなの生命の方が大事だもん。生命は平等だけど、私の主観上では生命の価値は不平等なんだよ。それは亡くなった人の家族や恋人なんかにも逆のことが言えるんだろうけれどね。自分でも救助関係を目指すものとしてどうなのっては思うよ。でもこれが正直な気持ちなの」

 

 生命の価値。救命現場において治療の優先順位をつけるのはまだ理解できる。彼女の言わんとすることも全く理解できないわけではない。家族や恋人、友人など近しい人と見知らぬ他人とどちらの生命を選ぶ場面に出くわすことがあるとすれば、そういう考え方も必要なのかもしれない。

 

 けれども、その考え方は英雄にとって正しいものではない。俺の中の倫理観がそう告げている。

 

「でも、天哉はそう思えないよね」

 

 あぁ、そうだ。そんな考え方をしていいはずがあるものか。つい直前までしんみりと彼女の言葉に聞き入っていたのが嘘のように、頭に血が上ってしまう。

 

「当然だ!! 言って良いことと悪いことがあるぞ! 21人もの人が亡くなったんだ! もちろんみんなが生き残ったことは喜ばしいことだが、それを比較するのは違うと思う。それに俺は元凶だ。俺が率先して俺が脳無を蹴り飛ばした! 俺だ。俺のせいなんだ!!」

 

 思わず声を荒げ、手を振り払ってしまった。

 

「そう言うと思ったよ。だから、こう考えよう。天哉は21人を救えなかったんじゃない。天哉はクラスみんなの生命を護ってくれたんだよ。誰よりも率先して護ってくれたんだよ」

「……俺が、護って?」

 

 わけも分からず俺はその言葉を繰り返す。俺は間接的にとはいえ人の生命を奪ってしまったのに。

 

「そう。君が護ってくれたの。クラスの20人と先生たちを合わせたら22人。救えなかった人数より多いとか言うつもりはないけれど、22人は確かに君が救ったんだよ。天哉が救ったこの22人の生命に価値はないの?」

「そんなわけないじゃないか。でもそう考えるのはきっと正しくない」

「その正しさは誰が言ったものなの? お兄さん、オールマイト、それとも君自身? まぁ今の君がそう思うんなら正しくはないんだろうね。私みたいに割り切れとまでは言わないよ。強制はしない。でもね。私は何度でも言うよ。みんなを、私を護ってくれてありがとうって」

 

 認められない。認めたくない。相反する気持ちが胸の中でぐるぐると巡り廻る。

 

 だがその言葉を俺は欲して居たのかもしれないと思う気持ちも確かにあった。決してその言葉は免罪にはならないとわかっている。しかし無意味ではなかったと、護れたものが確かにあったのだと、彼女は俺にそう教えてくれようとしている。

 

「今は、そう考えよう?」

「いや、それはできない。してはいけない」

「知ってたけど頑固だね。でも私の気持ちは知っておいて」

「それは理解したつもりだ。納得は、まだ正直できないが」

 

 嘘は言えない。だが彼女の言葉が正しいと思える日が来るのかもしれないし、違う答えが見つかるかもしれない。それまでは安易に答えるべきではないような気が俺にはしていた。

 

「そっか。でも、少し男前な顔に戻ったね」

 

 そう言って彼女は俺のメガネを少し持ち上げ、目尻に溜まっていた涙を指で優しく拭う。また俺は泣いていたのか。

 

 そしてふと思い出した。言い忘れていたことがある。彼女に言わなければならないことがある。

 

「猪地くん、生きていてくれてありがとう。俺に教えてくれて、ありがとう」

「うん、どうしたしまして。一緒に強くなろうね」

「勿論だ」

 

 ポケットからハンカチを取り出し、彼女の涙を拭う。綺麗な顔が台無しだ。

 

「ありがとう。でも何これすっごく恥ずかしい。自分で拭くから貸して」

「あぁ」

  

 彼女にハンカチを渡し、俺は残ったジュースを一気に飲み干した。仰いだ先にふと見えた飛行機雲。まっすぐに上へ、上へと青いキャンバスに白線が伸びていく。

 

「私、すっごく気になって仕方ないんだけど、なんで女物のハンカチ持ってんの?」

 

 白いレースのハンカチは俺が持つには似つかわしくないだろうが、なぜそんな目で睨まれなければならないのだ。解せない。

 

 



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第二章 善悪の定義 (体育祭~保須)
第14話 心の傷跡


第二章「善悪の定義」スタートです。


【挿絵表示】



「皆、ちゃんと来ているかー?! 休みの者はいないか? 気づいたものは挙手を! 朝のHRが始まる前に席に着くんだー!!」

 

 襲撃から2日の休みを挟み、ようやく迎えたいつも通りの学校生活。皆それぞれの無事を確かめては騒がしくなるのも仕方がないことだろう。だがいつまでも浮ついているわけにも行かない。相澤先生に叱責される前に、皆へと着席を促す。

 

「ついてるって。ついてねーのは副委員長おめーと……あれ、麗日と猪地もか」

 

 ハッ、確かに俺も席に着かなければと、瀬呂くんに指摘されて気づく。しかし麗日くんと猪地くんは確か靴箱で姿を見かけたはずなのだが、彼女たちは一体どこへ行ったのだろう。呼び戻すべく携帯をポケットから取り出す。あまり好ましくはないと思うが、背に腹は代えられない。

 

「お早う」

 

 教卓側のドアが開き、相澤先生が挨拶をした。包帯一つない姿を見て多くの者が安堵のため息をつく。俺もその内の一人だ。

 

「お前らも早く席につけ」

 

 相澤先生が廊下の方を見る。すると口元をハンカチで押さえた麗日くんと、その背中を支えながら歩く猪地くんの二人の姿が現れた。

 

「すみません」

「おい、麗日大丈夫か?」

「麗日くん、あまり無理するんじゃないぞ」

「うん、すまんね。もう大丈夫、上鳴くん、飯田くんありがとう」

 

 猪地くんが軽く頭を下げ、麗日くんを席へと誘導する。心配する上鳴くんに対して無理やり作ったような笑顔で答える麗日くんの姿は見ていて痛々しい。いつもリンゴのように赤みを帯びた頬も心なしか今日は深夜に降り積もる雪を連想させるくらいに青白い。先日の件がかなり堪えているのだろう。

 

 猪地くんが俺の真後ろ、更にその後ろの席が麗日くんのため、座席についた後は麗日くんの表情を確認することができない。おそらくさきほどまで猪地くんの個性で麗日くんの体調を整えていたのだろうがそれにしては様子がおかしい。本当に大丈夫なのか? 

 

「色々あったわけだが、こうして全員無事に集まれて何よりだ。だがボサッとしている暇はない。何より戦いは終わっていないぞ。雄英体育祭が迫っている!」

「クソ学校ぽいの来たぁ……って、え、先生マジでやるんですか?」

 

 本来なら皆盛り上がって歓喜の声を上げる場面だっただろう。だが声をあげたのは一握りだけ。瀬呂くんが皆の疑問を代表して先生に尋ねる。

 

「昼の会見で校長が発表するとのことだが、開催することで雄英の危機管理体制の盤石さを示すつもりらしい」

「具体的に警備の強化はどの程度行われるのでしょうか? オールマイト相手ならまだしも、俺たち生徒へ(ヴィラン)連合の矛先が再び向けられることが考えられます。転移の個性対策や外部からの観戦客の管理はどうお考えなのでしょう?」

 

 雄英体育祭は俺たちヒーローを目指す者にとっては確かに最重要なイベントだ。強行するのに否定的な感情はない。だがしかしこれは先に聞いておかなければならないと思い、副委員長として俺は発言した。

 

「座れ飯田。安心しろ警備は例年の5倍に強化するそうだ。エンデヴァーを始めとしたランキング上位のヒーローにも現在声をかけ始めている。何より俺たち教師の目の前で生徒が襲われるなんて無様は二度と晒さん。俺にも教師として、プロヒーローとしての矜持がある」

「そうですか。わかりました」

 

 相澤先生は力強く言い切った。俺も勢い余って立ち上がってしまったので、後ろの迷惑にならないように速やかに着席する。

 

「日本において嘗てのオリンピックに相当する一大イベントそれが雄英体育祭だ。当然全国のトップヒーローもスカウト目的で注目して見ている。この前の事件でお前たちは良くも悪くも注目の的だがこれをチャンスだと思え」

「いつも以上に目立つことで将来の道もより広がりやすくなる。それは素晴らしいことだね☆ 」

 

 相澤先生と青山くんの言うとおりだ。何も悪いことばかりではない。例年注目されるのは卒業間近の三年生が主だ。しかし今回の事件で世間、そしてプロヒーローたちの俺たちへの関心度は高い。兄さん曰く「一年目であれだけの戦力差を生き延びたのは凄い」という評価らしい。脳無による犠牲者の数や対峙し負傷したヒーローたちの体験談によって噂が大きなものになっているというのは皮肉な話だが。

 

「しゃあ! 燃えてきたぁ! あの(ヴィラン)連合の連中をビビらせてやろうじゃねぇか。なぁ猪地、爆豪、砂藤!」

 

 切島くんが入院組と猪地くんへ威勢の良い声を掛ける。

 

「そうだね。二度と部屋から出歩けないぐらいに見せつけてやらないとね。私たちに喧嘩売って来たこと、絶対後悔させてやんなきゃ」

「この前から何度もうっせぇぞクソ髪。ぶっちぎりで一番を獲る。やることはなんも変わんねぇだろうが」

「猪地、この前のブートキャンプを体育祭までみんなでやらないか。アレ一日でも全然感覚が違うぞ」

 

 俺も彼らの意見に同意だ。それから副委員長としてクラス全体の底上げのため、これから本番までの二週間は放課後に合同練習を提言してもいいかもしれない。明日ぐらいに話し合うべきだろうか。猪地くんの個性を利用した効率の良いトレーニングや、万が一(ヴィラン)の襲来に備えたコンビネーションの確認や自衛策を話し合うなど、やるべきことはかなりあるはずだ。

 

 

 

 

                  ×           ×

 

 

 

 

 そうしてHRが終わり、昼休みに俺は相澤先生に職員室へと呼び出された。肝心の用件は体育祭の選手宣誓を俺がやれということらしい。なぜクラス委員長の八百万くんや入学式での挨拶をすっぽかされた猪地くんではなく俺なのかと尋ねると建前は入試一位だからということらしい。だが――――

 

「人の前に立つということの重み、か」

 

 それを一番痛感したのがお前だろうと相澤先生に言われ納得ができた。確かにこれは俺が引き受けるべき責任でもある。八百万くんは本当に危機的な状況の時はその場におらず、猪地くんを表に出すのはマスコミ対策的に入学式以上にリスキーだ。きっとそういう事情も絡んだ上で、あの事件の結末を引き起こしてしまった俺に白羽の矢が立ったのだろう。

 

「おーい、天哉こっち!」

 

 食堂の窓際の席で猪地くんが手を振る。先に食堂の席と食事を確保してもらっていたので、スムーズに食事にありつくことができる。既に頼んであったビーフシチュー定食が机に置いてあった。混み合っている中、本当にありがたいことだ。猪地くんと八百万くんが向かい合わせに座っており、猪地くんの右隣の席に座る。

 

「猪地くん、八百万くんありがとう」

「いえいえ、どういたしまして」

「ゴメンなさい。飯田さん、お先に頂いてますわ」

「食事はできたてが一番だ。構わないさ。それでは俺も。頂きます」

 

 手を合わせ、早速ビーフシチューの肉をすくう。今にもスプーンから零れ落ちそうなほどに大きな角切り肉だ。肉汁をたっぷり含んだルーが、スプーンの端から滴り落ちる。美味しそうだ。そして口へ含む。

 

「美味い」

 

 母の手作りビーフシチューの次に美味しい。口に入れた瞬間、すぐに肉が解けるように口内で溶けていく。そして閉じ込められた牛の旨味が溢れ出していき、舌の感覚を支配していく。まさに至福の時間だ。

 

「いつも美味しそうに食べるね。一口頂戴! オレンジ一つあげるから」

 

 そう言って八つ切りのオレンジを一つ俺のトレイに置いた。そういえば俺はいつも果物を貰ってばかりだな。大きめの肉を選び取ってスプーンにすくい、猪地くんに差し出す。

 

「やった! 大きい、ていっ!」

 

 スプーンごと渡すつもりですくったのだが、箸で肉だけをつまみ取り口へと運ぶ猪地くん。

 

「わー久々の牛肉おいしー!」

「もう、お行儀が悪いですわよ」

「百ちゃんゴメン、ちょっと我慢できなくて」

 

 ゆっくりと噛みしめて味を堪能する彼女。本当に美味しそうに食べるな。今日の猪地くんの昼食はタッパーに詰めたカットフルーツにカップヨーグルトを掛けたものと、レタスと卵を山盛り挟んだサンドイッチを持参していた。料理はそこそこ得意な方らしいが、どうしても個性の関係上サラダやフルーツをメインに食べるのでどうしても飽きというものが定期的に来るらしい。久々の牛肉ということだけでこの喜び様を見るに、母のビーフシチューを食べたらもっと喜んでくれるのだろうか。

 

「そう言えば緑谷くんの姿が見えないが、まだ並んでいるのか?」

「緑谷さんはオールマイト先生に『一緒にご飯食べよう』と呼ばれていましたわ。随分気に入ってらっしゃるみたいですね」

「そうそう。うさちゃん柄の包みのお弁当箱でさ。乙女みたいで可愛かったよ」

 

 思い出し笑いをする猪地くんはハンカチで口元を押さえながら言う。オールマイト先生が乙女か。言葉だけではなかなか想像ができないな。

 

「それにしてもなんでしょうね。この前の1件のことか、緑谷さんの個性のことでしょうか。あのパワーは似ているところがありますし」

「うーん、どうだろう。私、実は超パワー以外にもかなり思い当たる節はあるんだけど、本人に直接聞いてからじゃないと口外したら拙いかも」

 

 超パワー以外にか。爆豪くんと緑谷くんが中学の時に巻き込まれたときにオールマイトが助けてくれたときのことぐらいしか思いつかない。追々緑谷くんは話してくれるのだろうか。

 

「そうか。まぁ彼もその内話してくれるだろう。それから麗日くんのことなんだが、まだ彼女は……」

「茶子ちゃんは気分が悪いってまた保健室に行っちゃった」

 

 俯き加減で猪地くんは言う。乱暴にサンドイッチを頬張り、さらにフルーツヨーグルトを口に詰め込む彼女。

 

「君の個性でも治せないのか?」

「完全に心から来てるもん。私の個性じゃ駄目だ。症状出てから後手後手では対処できるんだけど。悔しいなぁ」

「典型的なPTSDの兆候が出ていますわね。何とか私たちで元気づけてあげたいのですが。心の問題ですと精神科の先生の所へ連れて行ったほうが良いのでしょうか」

 

 脳無を雄英から遠くの街へ追い払った一因として麗日くんの個性による無重力化がある。立案した緑谷くんもまだ吹っ切れていない部分が多そうだが、クラスで一番酷い顔色をしているのは間違いなく麗日くんだった。入試のときからの仲だ。何とか力になってあげたいのだが。

 

「兄の事務所にはかなり幅広い人材を揃えているからな。そういった分野を受け持つ人は居ないか。夜に兄へ連絡をとってみよう」

「うん、助かるよ天哉。心、心かぁ。カウンセラーかなやっぱり。うーんでも茶子ちゃんとこもお金の余裕なさそうだし、保険でなんとかなりそうなところが良いんだけど、学校でどうにかできないかな。心に対する個性で――――あれ、そういえば入試のときの人、何科に居るんだっけ」

 

 緑谷くんと同じくブツブツ芸を披露して心当たりの人物を必死に思い出そうとする彼女。そしてその人物は――――

 

「あ、居た! 確か心操(しんそう)くん、だったよね!」

 

 帰りのHRが終わると、廊下には無数の人だかり。(ヴィラン)の襲撃を受けた俺たちを一目見ようと敵情視察に来たらしい。先程普通科の男子生徒が爆豪くんと口論になっていたのだが、その普通科の彼を見た猪地くんは思いっきり紫がかった髪の彼、“心操くん”のことを指さしをして叫んだ。

 

「指差しは行儀が悪いぞ」

「ごめん、ってそれどころじゃないって。心操(しんそう)くん、で名前あってたよね。受かってたのはチラっと見かけて知ってたけど普通科だったんだ」

「猪地巡理か。入試のときは世話になったな。だが体育祭じゃ―――っておい?!」

 

 ぐいぐいと青白い顔の彼の手を引く猪地くん。困惑する彼の意思を無視しながら人の波を掻き分け、突き進んで行く。

 

「心操くん、ちょっと来て! 君に力を貸して貰いたいんだ。ていうか来い。借りを返せ!」

「オイ、どこの借金取りだよ。わかった。ついてくるからその馬鹿みたいな握力で握るのは止めろ!」

「緑谷くん、天哉、茶子ちゃんの荷物持った!?」

「うん!」

「あぁ、俺たちも行くぞ。道が塞がれてしまう」

 

 先行する二人の後を緑谷くんと共に追う。この方向は保健室か。心に対する個性、もしかしなくとも彼がその力の持ち主なのだろう。入試と言っていたが、彼も猪地くんに救助された口なのだろうか。それにしてもさっきの猪地くんは珍しいぐらいの勢いだったな。自分の個性だけでは麗日くんを救ってあげられないことが、かなり堪えているのかもしれない。

 

 そして麗日くんの居る保健室に辿り着き、リカバリーガールにアイディアを話す猪地くん。それを聞いたリカバリーガールは「なるほどね」と頷く。

 

「考えは悪くない。でも必ずあたしの目の前ですること。指示はあたしが出すから、心操はそれを復唱すること。猪地は副交感神経を活性化させつつ、血液のpH値が傾かないように呼吸量、心拍数を主に注意すること。他に少しでも異常があったらすぐ報告することいいね?」

「わかった」

「はい」

 

 麗日くんが昼食を食べられなかったため点滴を処方されていたが、その針を抜きながらリカバリーガールは言葉を続けた。

 

「これから先はデリケートな作業だ。そこの二人はコレでも食べて外で待ってなさい」

 

 ハッカ飴を持たされて、俺達は外へ追い出される。保健室の外の廊下に出た俺と緑谷くんはパイプ椅子に座り、ハッカ飴を乱暴に噛み砕いた。清涼感というには尖りすぎた刺激が口内いっぱいに広がる。痛いとも言えるほどにだ。

 

「僕たち、何もできないね」

「もどかしい気分だな。だがそんな不安そうな顔をしたら駄目だぞ。不安な表情は伝播するらしい、と昨日読んだ本に書いてあった。笑顔で迎えられるよう俺たちは信じて待たなくては」

 

 ただ信じて待つ。俺たちにできるのはそれだけだ。廊下の窓からにこやかな顔で下校する生徒たちを遠目で眺めた。そしていつもの麗日くんの笑顔を思い出し、チクリと画鋲を踏み抜いたような痛みが胸に走る。

 

「本にか。飯田くんは誰かがこんな風になるかもって思ってたんだ」

 

 両手を組み、額を押さえるようにして俯いた緑谷くんがぽつりと呟く。

 

「そうだな。兄や猪地くんに言われてその可能性は考えていた。そういえば昼休み、オールマイトは何と言っていたんだ。きっとアドバイスをもらったのだろう?」

「うん、『僕が来た』っていうのを一番を獲ることで周りに示して、皆を安心させてやれって」

「そうか。どうやって一番になれとは言われたのか?」

「心も助けてこそ真のヒーローなんだって。だからいつもオールマイトは笑うんだって。そう言ってた。笑っている人が一番強いから、考えることより、訓練することより、まずは笑いなさいって言われたんだ」

 

 笑いなさい、か。ナンバー1ヒーローからのアドバイスだけあって疑う余地はないのだろう。実際兄さんもいつも笑っていた。どんなときもだ。だからその言葉は俺の胸にもスッと入ってくるものがある。きっと俺にはその部分が欠けているという自覚もより一層強くなった。

 

「僕は笑って表彰台の天辺に上るよ。僕自身のためだけじゃない。みんなのためにも、麗日さんのためにも」

 

 口角に両手の人差し指を当て、上に引き上げて笑顔を作る緑谷くん。その指に伝う大粒の雫。

 

「オールマイトの師匠が、よくこうしていたんだって」

「こうか?」

 

 緑谷くんの言葉に鼻をすする音が混ざる。俺も指で口角を吊り上げて真似してみた。

 

「飯田くん、変な顔。目が真顔だよ」

「涙目の君が言うのか?」

「泣いてないよ。ヒーローは泣かないんだ」 

 

 

 

 

 

 こうして二人で笑顔の練習をしているといつの間にか小一時間が過ぎていた。すると保健室の扉が開き、麗日くんと共に猪地くんと共に出てきた。どうやら上手くいったらしい。

 

「デクくん、飯田くん。心配かけてスマンね。もう大丈夫! 私めっちゃ元気になったから」

「よかった。顔色が全然違うね。安心したよ」

 

 緑谷くんが笑顔で声を掛ける。その姿を真横から見たが今日一番の笑顔だ。二人で練習をした成果があったな。

 

「ふー疲れた」

 

 思いっきり上方に肩を伸ばしながら普通科の心操くんが外へ出てくる。そして心操くんは大きなため息をつきながらこう言った。

 

「あーなんだ。成り行きで俺、全部知っちゃったから。騒がれていること以上に大変なことになってたんだな。同情するよ。リカバリーガールと約束したし、当然口外はしないようにするけどさ。まぁ、偶になら愚痴ぐらいは聞いてやる」

「どういう心境の変化だ? 先程クラスに来た時の君の態度は喧嘩腰に感じられたのだが」

「打算だってあるさ。俺は今回の体育祭で結果を出して本気でヒーロー科編入を目指す。後のクラスメイトになるかもしれない奴らと繋ぎを作っておくのは決して損じゃないだろ」

「って私が説得したんだよ。偉いでしょ」

 

 どやぁー、っと言いながら胸を張る猪地くん。だが確かに良く言いくるめてくれたものだ。心に働きかけることで、麗日くんの感情を一時的にでも整理してくれた彼と繋ぎを作れたのは俺たちにとってもかなりプラスだろう。

 

「猪地巡理。お前、空気読めよ」

 

 こうして俺たちは違うクラスに新しい仲間を得ることになる。

 

 心操人使(しんそうひとし)。彼との出会いが俺たちの人生を大きく左右することになろうとは、このときの俺は全く予想だにしていなかった。

 

 



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第15話 麗日:フライハイ◆

 それぞれが個人練習とクラスでのコンビネーション練習を重ねること2週間、いよいよ訪れた雄英体育祭。

 

 僕自身の課題であるワン・フォー・オールの制御は全然前に進まなかったけれども、みんなの個性の精度やインターバル、効果範囲などの詳しい理解がお互いにできたのは大きな収穫だ。そして猪地さん主催の早朝ブートキャンプによって僕を含めた前衛組の筋力面も少しだけ向上した気がする。

 

「皆、準備はできているか!? もうじき入場だぞ。開会式の後はすぐに第1種目だ。時間がある今のうちに最終確認をするぞ!」

 

 熱気のこもった控え室に良く通る気合いの入った飯田くんの一言。今までならちょっと流され気味な彼の言葉だけど、彼の真剣さが伝わったのだろう。すぐに場が静まりしっかり聞こうとする体勢を皆とった。

 

「移動時、休憩時には決して1人にならず最低でも2人1組で行動すること。それからマスコミのインタビューに対して個人の判断で迂闊な受け答えをしないこと。必ず守るように!」

「それからお配りしたGPS付き小型警報機を肌身離さず持っておくこと。万が一壊れた時は私がもう一度作りますから仰ってくださいね」

 

 委員長の八百万さんが飯田くんの隣に並んで指示を出す。2人の指示は主に(ヴィラン)連合の襲撃を警戒してのことだ。

 

「へへ~なんかこういうのって、ちょっとカッコいいよね」

 

 葉隠さんが右手首に巻かれた“1-A”という赤文字の刻まれた白いリストバンド――――八百万特製の小型発信機を高く掲げて言う。これには緊急時用のボタンがついており、これを押せば万が一襲撃されたとしても飯田くん、八百万さん、そして相澤先生が持つGPSの受信機で情報を受け取ることができるようになっている。

 

 考案した始めの頃は僕たち生徒で勝手に自衛しようという流れだったが、プロとの実力差を実感した僕らは担任である相澤先生に許可を取り、巻き込む形となった。基本的に体育祭においてコスチュームなどの着用は禁じられているがこのリストバンドは相澤先生が許可をとってくれた形だ。

 

「うん、お揃いってのは一体感があっていいじゃん。ウチの好きなバンドのグッズと似ていていい感じ。ヤオモモありがとう!」

「ありがとーヤオモモ!」

 

 耳郎さん、芦戸さんの声に続けて皆がお礼を言う。

 

「しゃあ! やっぱここはみんないっちょアレやろうぜ!」

「アレとはなんだ?」

「切島ちゃん、アレじゃみんなわからないわ。具体的な言葉にしないと」

 

 拳を突き合わせた切島くんに疑問を呈する飯田くんと梅雨ちゃん。皆も同様に首を傾げている。

 

「円陣だよ。円陣。気合入れて行こうぜ」

「いいね。私も賛成。ほらっ、茶子ちゃん!」

 

 切島くんがリストバンドを付けた右手を前に突き出し、麗日さんの右手首を掴んだ猪地さんが切島くんの手に2人分の手を重ねる。

 

「良い提案だ。是非やろう!」

「ええ、盛り上がりますわね」

 

 飯田くん、八百万さんが賛同し、皆もその後に続く。僕は瀬呂くんの後に続き、その上にクールな轟くんも渋々ながら手を重ねる。

 

「うぉおお、これは合法的に女子の手の温もりを味わうチャンス。今だ蛙吹のムチムチお手々を!」

 

 まただ。峰田くんがいつものアレを発症させていた。タイミングを余程吟味していたのだろう。しかし――

 

『俺も』

「ケロ、黒影(ダークシャドウ)ちゃんもするのね」

 

 まさにコンマ1秒の差だった。常闇くんの個性である黒影(ダークシャドウ)が梅雨ちゃんの上に峰田くんよりも早く手を乗せていた。

 

「ノー!!」

「残念だったな峰田。後は俺と爆豪だ」

 

 峰田くんの悲痛な叫びが木霊するが無情にも砂藤くんのゴツい手が峰田くんの手を上からガッチリ押さえる。あと残りはかっちゃんだけだ。

 

「ほら、お前がやんねーと式が始まっちまう」

 

 切島くんが左手でかっちゃんの手を取り、砂藤くんの手の上に無理やり乗せる。

 

「メンドクセーな。ったく、やんならサッサと済ませろ」

「おう、じゃあ音頭は委員長、いっちょ頼むぜ」

「私ですか。てっきり飯田さんと思ったのですが、そうですね。任されましたわ。それではこういうときの掛け声は決まっていますわよね。では行きますわ――――」

 

 八百万さんの前フリに皆が頷く。雄英においてこういうときの掛け声は1つだ。

 

PLUS ULTRA(プルス ウルトラ)!!!」

 

 

 

 

 

 

               ×             ×

 

 

 

 

 

『どうせお目当てはこいつらだろ!?』

 

 一歩一歩、近づくほどに大きくなる会場の熱狂と司会の声。

 

『何人ものプロをも退けた(ヴィラン)の襲撃を凌ぎ、鋼の精神で乗り越えた奇跡の新星!! 1年A組だろおお!!?』

 

 持ち上げっぷりが凄いプレゼントマイクの煽りと共に入場する。薄暗い廊下から出ると燦々と照りつける太陽が顔を覗かせた。その明るさと熱量に一瞬目が眩みそうになる。

 

「これが噂の1年か。あれがエンデヴァーの息子か?」

「そういえばエンドレスの娘も居たよな」

「あの子、そういえばヘドロ事件の……」

 

 1人1人の声を正確に聞き取るのは難しいが、似たようなニュアンスの声はそれとなく感じ取れた。何気に結構ウチのクラス、有名人多いよね。

 

「みんな雑音は気にしないで。爆豪の言うとおりモブとでも羽虫とでも思っておけばいい。今日ぐらいはバチはあたんないよ」

 

 眉をひそめ、険しい表情を見せる猪地さんが呼びかける。世間から疎まれて育ってきた彼女なりの処世術なのだろう。その言葉には説得力があった。僕の聞き取れなかった言葉の中に心無い発言もあったのかもしれないな。そして後ろを振り返ると、会場と入場口の境目で足を止めた麗日さんが居た。

 

「行こう」

 

 そっと手を引く。強く握り返され、麗日さんも歩き出した。

 

「ありがとうデクくん」

「どういたしまして」

 

 笑顔だ。不安にさせないようありったけの笑顔を作る。この2週間、定期的にリカバリーガールによる監督の下、心操くんと猪地さんの治療で不安定になっていた麗日さんの症状はかなり改善されたけれど、今日はこういう場だ。何が起こるか、何を言われるか全くわからない。麗日さんに支えてもらってばかりじゃ駄目だ。こういうときぐらい男らしく頑張らないと。

 

「“笑顔が最強”だったね。父ちゃん母ちゃんに格好いいところ見せんと!」

「うん、うちの母さんも見てるし頑張らないとね」

 

 母さんだけじゃない、オールマイトも期待してくれているんだ。かっちゃん、飯田くん、猪地さん、八百万さん、轟くんを筆頭にA組だけでもすごい実力の人たちがいっぱい居る中、1位を獲れというオーダーはかなりハードルが高いけれども、絶対にやり遂げないと。

 

『お揃いのリストバンド着けてるのは何だ、結束の証か? お前のクラスにしては仲良いな、イレイザー』

『単に仲が良いとは違うと思うがな』

『さぁB組に続いて普通科、サポート科、経営科も入場だ!』

『無視かよ』

 

 解説役としてなのか相澤先生の声がプレゼントマイクと一緒に放送される。こうして全クラスが会場に出揃い、開会式が始まる。

 

 今年の主審は18禁ヒーローのミッドナイトだ。露出度の高いボンテージと極薄タイツのコスチュームを身に纏っている。彼女のヒーローデビューによりコスチューム規制が大幅に変えられ、ヒーロー史を変えた偉人だ。いつも思うんだけれど、これ全国放送していいんだよね? まぁ何か有事のときに彼女の個性の眠り香が有効だから選ばれたんだろうけれど。

 

「選手宣誓! 選手代表は1年A組、飯田天哉くん!」

「はい!」

 

 ミッドナイトに呼ばれると堂々とした挙手をした後、朝礼台に上がる飯田くん。

 

「インゲニウムの弟か」

「確かあいつが入試1位だったよな」

「ヒーロー科のだろ」

「あれだけのことあった後だろ、何言うんだろうな」

 

 他のクラスからヒソヒソ声が聞こえる。飯田くんは気にしているような様子を一切見せず、朝礼台でまっすぐに手をあげた。

 

「選手宣誓の前に、皆さんの時間を少し頂いても宜しいでしょうか?」

 

 誰よりも真面目な彼だ。僕たちを代表して何を発言するべきかきっとこの2週間悩み続けたのだろう。彼が何をしたいのか、何となく察することができた。

 

「認めましょう。続けて」

 

 麗日さんが僕の手を握る力が少し増す。次第に場が静寂に包まれていき、ミッドナイトの了承を以て飯田くんは言葉を続けた。

 

「先日、痛ましい事件がありました。そして皆さんがご存知のとおり雄英は決して無関係ではありません。言いたいことは沢山あります。ですが今は少しだけ亡くなられた方の安寧を一緒に祈って頂けないでしょうか?」

 

 ミッドナイトが頷いた。そして彼女は飯田くんの言葉を引き継ぐ。

 

「それでは会場の皆さんご起立頂けますでしょうか」

 

 見渡す限りの、会場全ての人々が一斉に立ち上がる。それを確認したミッドナイトが声をかけた。

 

「テレビをご覧の皆さんも一緒に祈って下さい――――黙祷」

 

 時間にして通例なら一分ほど、僕は事件の被害者たちへの謝罪と安寧と誓いを込めて黙祷をするはずだった。けれども十秒もしないうちに、死者のために設けられた沈黙の場は破られた。

 

「アンタたちがっ!!」

 

 小さな声。だけれども静寂の中で発せられたたった一人の女性の金切り声が、どうしようもないほど痛烈に僕の鼓膜に焼き付いた。

 

「アンタたちがちゃんと(ヴィラン)をやっつけないから、私の旦那は死んだのよ! 体育祭やるなんてどういう神経してんのよ!」

 

 瞳を開き、声のする方へ視線を向ける。観客席の最前列で瓶らしき何かを手に持った母さんと同じくらいの年齢の女性がヒーローに羽交い締めにされながらも泣き叫んでいた。

 

「ヒーローになりたいんなら死んで当然の覚悟あったんでしょ?! ただのパン屋だったのよ。警察から感謝状も貰ったこともあるくらい良い人だったわ! なんでアンタたちがヘラヘラと笑ってんのよ! なんで死んででも(ヴィラン)をやっつけなかったのよっ!」

 

 テレビで似たようなことは散々聞いた。でも生の声で聞くと、その悲痛さは全然違う。僕の判断があの事態を招いた。だからこの言葉は僕だけが浴びるべきのはずだったんだ。でもこうして麗日さんやクラスの皆の心が傷つけられている。その何百倍もあの女性は傷ついているのだろうけれども。

 

「奥さん、落ち着いて。今なら何事もなく終われる――」

「ふざけるな。何事も?! もうあったわよ! 離しなさいよ! 離せぇええ!!」

 

 警備のヒーローたちに引き摺られながら奥へと消えようとする被害者遺族の女性。

 

「待って下さい!! 少しだけ待って下さい、お願いします。俺にはその人に言わなければならないことがあるんです!!」

 

 飯田くんだった。直角よりも深く頭を下げた彼が、女性を連れ去ろうとするヒーローたちに待ったをかけた。

 

「あの日、俺は生命の重みを始めて本当の意味で感じました。自分自身が何度も殺されかけたことは勿論、四肢全てを犠牲にしてまで仲間のために戦い続けた友の姿、死にかけていた仲間を皆で懸命に治療したこと。そして取り逃がした(ヴィラン)によって21名の犠牲者が出たこと。起こった出来事の全てがあまりにも鮮烈でした。きっと一生俺はこの日のことを忘れないでしょう」

 

 一度頭を上げた飯田くんが、しっかりと自分の言葉で僕たちの思いを代弁する。これはきっと元々考えていた文章ではないのだろうけれども、生来の真面目さが言葉の端々に溢れているのが感じ取れた。

 

「俺たちは生き残ることができました。ですがあの日の俺たちはあの(ヴィラン)全てを取り押さえられるほどには強くはなかった。弱かったから自分たちの身を守ることで精一杯だった。それが事実です。あれからまだたった2週間しか経っていません。ですがその2週間で俺たちは少しだけでも強くなりました。強くなろうと皆で誓い、努力しました。そしてもっとこれから強くなります。2度と同じ過ちを繰り返さないために」

 

 力強く、飯田くんは宣言する。選手としてではなくヒーローを目指すものとして。

 

「だから最後まで見て行って下さい。今の俺たちの強さを、覚悟を、俺は誰よりも貴女にこそ見て欲しいんです。だから警備の皆さん彼女を離して下さい。お願いします!!」

 

 膝に届きそうなほどに深く上体を折り曲げる飯田くん。彼に続けて僕も含めたクラスの皆が声を合わせた。

 

「お願いします!!」

 

 その声を受けて、瓶だけ取り上げたヒーローは女性の拘束を解いた。そして飯田くんがメガネのズレを人差し指で直し、大きく深呼吸すると先ほどまでとは違う口調で話し始めた。 

 

「それから恐れろ、(ヴィラン)ども。俺たちは強くなった。そしてもっと強くなる。お前たちが2度と悪事に手を染めようと思わなくなるくらいにな」

 

 テレビの向こう側に居るであろう(ヴィラン)たちへの宣戦布告。飯田くんの普段のイメージとは全く異なるくらいの勢いだ。逞しくてかっこいい言葉を選んだのは切島くんたちの影響だろうか。

 

「よく言った非常口!!」

「やるじゃん天哉!」

「自信過剰な嫌いもあるけどよ、漢じゃねぇか。アイツがA組の副委員長か」

「うん、最後のはちょっと青臭いけどいいわね好み」

 

 飯田くんの選手宣誓への反応はというと意外と悪くはなかったようだ。

 

「さーて早速第1種目いきましょうか。いわゆる予選よ。今年の種目は――――コレよ!」

 

 唐突な切り出し方のミッドナイトに会場は少し戸惑いながらも種目名の刻まれた電光掲示板に目を向ける。障害物競走と書いてある。解説によるとコースさえ守れば何をしたって構わない総当りレースとのことだ。すぐにスタート地点に向かうことになったが麗日さんとはぐれてしまった。

 

 スタート地点で団子状態になっていることを考えるといち早くここから抜け出すか、そして後続を妨害するかにかかっている。A組の中だけでも轟くんや八百万さん、峰田くん、芦戸さんは後続への妨害能力がかなり高い。

 

 でも前の様子はこのギュウギュウ詰めの状態では全くわからないけれど、この中の誰か一人でも前に出ていることを想定すると、スタート直後の最善手は――――

 

『スタート!!!』

「上だ!」

 

 前の選手の両肩を掴み、上へとジャンプする。すると足元に一面の氷が広がった。やっぱり轟くんが仕掛けてきたか。僕と同じことを想定していたのか、A組をはじめとして多くの生徒が同時にジャンプしていた。

 

 その後特に妨害はなく、足元が凍ったままで団子状態の群れを抜けて前の集団へと加わる。先頭は轟くん、そしてかっちゃん、飯田くん、芦戸さん、猪地さんと続く。彼らの少し後ろで僕は峰田くんと並走していたときだった。強かに峰田くんがトップの轟くんに妨害をしかけようとしたとき――――

 

「峰田左だ!!」

 

 障子くんの声を受けて理解した。入試の仮想(ヴィラン)である小型ロボットが峰田くんの死角から襲いかかっていた

 

「ぐぇっ!」

 

 峰田くんの襟を掴んで強引に僕の後ろへと引き寄せる。間一髪、1Pヴィラン――早いけれど脆いタイプの奴だ。回避はできたけれども通り過ぎたロボットは旋回してもう一度こちらへ突っ込んでこようとする。

 

「据え膳☆」

 

 後ろから放たれた煌めく光が仮想(ヴィラン)の首を貫いた。青山くんだ。そう言えば入試のときも同じように助けられたんだっけ。

 

「ありがとう!」

「今回ポイントはないけれど、目一杯アピールいないといけないからね☆ それにしてもアレ、これはまた懐かしいのが出てきたね」

 

 青山くんが指差すのはあの超巨大なロボットである0P(ヴィラン)の群れ。しかも小型や中型のロボットもかなりの数が足元にウロウロしている。

 

『いきなり障害物だ! まずは第一関門“ロボ・インフェルノ”だ!』

 

 道を塞ぐように並び立つ仮想(ヴィラン)。青山くんの言うとおり今回はポイントがあるわけじゃないから、必ずしも倒さなければならないということはないだろう。今はまだ第一種目の最序盤、個性は温存するのが本来なら正解のはず。でも――――

 

「しゃあっ軽くなった。頼むぜ!」

「えぇ、構えて切島ちゃん。行くわよ!」

「いっけぇええええ!」

 

 後方で聞き慣れた声がした。そして1つの人間大の弾丸がセンターに陣取った0P(ヴィラン)の中心部に着弾し、分厚い装甲をぶち破って背中まで貫通した。

 

『Yeah! なんだアレは、まさに人間大砲! A組切島、A組の麗日、蛙吹と共にデカブツを撃破だ!』

「おっっしゃあああああ!!」

 

 麗日さんの無重力化で軽くした切島くんを梅雨ちゃんの舌の怪力で発射したのか。防御だけじゃ駄目だからって、切島くんを中心にこの前も練習していたな。 

 

「青山くん、私たちもいつものアレやるよ!」

「了解だよ☆」

 

 いつの間にか右翼の0P(ヴィラン)の股を潜り抜けていた青山くんと猪地さんのコンビ。

 左踵の少し後ろに辿り着き、足を止めた2人は不敵な笑みを浮かべる。

 

「デメリットは気にしないで。全力でやっちゃえ!」

「最高のキラメキを見せてあげるよ☆」

 

 両脇腹を猪地さんに支えてもらいながら、0P(ヴィラン)の装甲が薄いであろう股関節部を狙って放たれた青山くんのネビルレーザー。いつもよりも輝きを増した一条の光が股関節部を切断し、片足を失った0P(ヴィラン)は当然バランスを崩した。しかし一番外側に居たロボットがコース外の方へ倒れたため、周りへの被害は一切ない。完璧な討伐だ。

 

『続いてA組、青山と猪地ペアも綺麗に無力化だ! それにしてもイレイザー。A組のコンビネーション、完成度といい初動の躊躇いのなさと良い、1年のこの時期にしては異常だろ。何やったらこう育つんだ?』

『俺は何もしちゃいない。だがあの真面目馬鹿が言ったとおりだ。あいつらはお祭り気分で参加なんかしちゃいない。本来のドラフトのことだって殆ど忘れてやがる。あいつらにとって、ここはまだ戦場なんだよ。画面の奥にいる(ヴィラン)と戦っている。その意識の差だな』

 

 相澤先生の言っていることは殆ど当たっている。本当なら指名とか自分の未来とかだけを考えていればよかったはずなのに、今だって抜けれる人はさっさと抜けてしまえばいいだけの話なのにそうしないのは、僕らにとってここは戦場となんら変わりないだからだ。少しでも強くなったところを見せつける。そのわかりやすい指標として仮想(ヴィラン)はあまりにも理想的だった。

 

『おっと、さらにA組の轟、単独で仮想(ヴィラン)を凍らせたぁあ!』

 

 そして最前列に居た轟くんが右手を一振りするだけであっさりと0P(ヴィラン)の全身を凍らせる。範囲攻撃の鬼だよね彼は。間違いなくクラス最強の一角だ。

 

『続いてA組爆豪、これはクレーバーな選択だ。下が駄目ならと上を行ったー!!』 

 

 プレゼントマイクの実況がどんどん早く、熱気を帯びてくる。

 両手からの爆破をブースターにしてかっちゃんは0P(ヴィラン)の上へとドンドン登る。

 そして真上を獲ったかっちゃんがロボの頭頂部に右手をあてながら吠えた。

 

「本当なら無視して楽してぇが、俺は今、最高にムシャクシャしてんだよ!! 踏み台になりやがれ――徹甲弾(A・P・ショット)α!!!」

 

 頭の所で小さな爆発が起こる。だがそれだけで仮想(ヴィラン)は動きを止めた。確かかっちゃんが叫んだその技名は貫通力重視の新技のはずだ。かっちゃんはその性格上、連携はほとんど練習しなかったけれど新技の開発と基礎トレに注力していたみたいだった。その効果が早速出たらしい。序盤からこんな大技を使えるってことは立ち上がりの遅さもいくらか改善できたってことなのかな。

 

『こいつも単独撃破だ。熱いぜ爆豪! てかA組はアレか。先に進まずわざわざ倒さなくていいのを倒してるのはパフォーマンスか? 余裕あるじゃねぇかチキショウ!』

『だから俺はさっきそう説明したはずだが』

 

 皆が惜しみなく個性を使う中、僕だけは個性を温存せざるを得ない。だから個性なしでも貢献できることを探すべく辺りを見渡す。

 

 機械相手が苦手な猪地さんに変わり、障子くんがメインで指示出しをしている。

 飯田くん、尾白くんは持ち前の機動力を生かして中型と小型の(ヴィラン)を排除するべく遊撃に回っている。

 芦戸さん、峰田くん、瀬呂くん、砂藤くんも連携している様子を見るに、0P(ヴィラン)を倒す算段が着いたようだ。

 

「なら、今フォローが必要なのは――」

 

 0P(ヴィラン)の装甲の一部分、機動隊の盾のような形のものを拾ってピンチが迫る彼女の下へと駆けつける。

 

「八百万さん!!」

 

 1P(ヴィラン)の攻撃を正面から受け止める。やっぱりあの大きいヤツのほうが装甲が厚い。手に衝撃が走ったものの攻撃を無事に止めることができた。

 

「抉れ、黒影(ダークシャドウ)!」

「ありがとう常闇くん!」

 

 黒影(ダークシャドウ)の爪が小型仮想(ヴィラン)を貫く。常闇くんは次の獲物を見つけると、無言で走り去った。

 

「助かりましたわ。緑谷さん。これで完成しました。近くの方は耳を塞いで下さい! 行きますわ!」

 

 八百万さんが作成した大砲が炸裂する。時間を掛けて精密なものを作った分、威力は十分だ。たったの一撃で0P(ヴィラン)のど真ん中を撃ち抜いた。これで0P(ヴィラン)は全部倒したことになるけれども、この流れだとみんな殲滅するまでやるつもりなのかな。

 

「皆さん、十分これでアピールにはなったはずです。そろそろ次に行きましょう!」

 

 そう考えていたときに委員長である八百万さんの一声で、小型と中型の仮想(ヴィラン)を少々残しつつ次のステージへ進む。他のクラスがいい加減先に行こうとしていたから妥当な判断だ。

 

『次の第二関門はそんなに甘くねぇぞ! 落ちればアウト。それが嫌なら止まってな。“ザ・フォール”!!!』

 

 底が見えないほどの谷の上にそびえ立つ柱の群れ。それを繋ぐロープが無数に張り巡らされている。柱と柱の間隔はバラバラで、妨害を気にせず最短ルートを取るか妨害の少ない方へ迂回するかなど様々な判断が必要そうだ。

 

 先頭組の轟くんは足から発生させた氷で加速しつつ難なく進み、かっちゃんは爆発を利用して空を飛ぶ。でも――

 

『トップを走るのは単独撃破で会場を湧かせた轟と爆豪だ! でもなんだ。こいつらめっちゃ妨害しあってるぞ。今がチャンスだ。出し抜けよテメェら!!』

 

 でも僕だってのんきに眺めている場合じゃない。ぶら下がって進むしかない僕は妨害が少なめのルートを選択して進みながら実況に耳を傾ける。

 

『次はシビィ―選手宣誓を見せたA組の飯田! 進み方はカッコ悪ィイポーズだがクラスの違う普通科C組の心操とちゃっかり連携してるのはイカスぜ!』

 

 トップ組に目を向けた。実況の通り轟くんとかっちゃんの少し後ろを走るのは飯田くんだ。綱の上に足を乗せた状態でエンジンの推進力のみで移動している。でも背中に心操くんをおぶっているのは、もしかしなくても操られちゃっているのかな。最近仲良くしていたから警戒が甘かったのかもしれない。

 

『おーっと、さっきは華麗な連携で大活躍を見せた麗日と猪地が猛追をかける! ロープを渡らず麗日をお姫様抱っこした猪地が崖をひとっ飛びだ。早い早いぞー!』

 

 個性の使用による体調面でのデメリットを大幅軽減させることが可能な猪地さんは、いろんな人と組んで力を発揮しているけれど、その中でも理不尽なまでに強力なのが青山くん又は麗日さんとのコンビだ。

 

 麗日さんと組んだ場合、吐き気の症状が出ないようにできるので、許容量がアップし麗日さん自身への個性の付与も躊躇いなく仕様可能になる。普段からの仲の良さやこの状況を考えると組まない理由がなかった。

 

『さぁ先頭組の轟と爆豪は最後の関門、一面地雷原の“怒りのアフガン”に突入だ。このゾーンの地雷は威力は大したことないが爆発の音と見た目は派手だぞ。前2人のように妨害しあってるとあんな風に連鎖爆発でタイムロスだ。位置はよく見りゃわかる仕様になってんぞ。目と足を酷使してゴールを目指せ!』

 

 かっちゃんたちはもうそんなところに居るのか。でも地雷原なら先頭ほど不利かつ、妨害しあっているならまだ追いつけるかもしれない。そんなことを考えながら必死に手を動かす。先程拾った装甲片を担いでいるから余計に進みが遅いけれども、道具の持ち込みに制限があり、ワン・フォー・オールもゴール間近ぐらいまでとっておかざるを得ない僕が所有物を減らすのは悪手だ。取れる手段は少しでも多いほうが良い。地雷原の突破策を考えながら手を進める――――そうだこれしかない!

 

『マジかよ。猪地、最後の1本を前にして麗日を置き去り。ラストスパートかけた! てか素でも早いじゃねぇか。あの動きは明らかにロープに慣れてんだろ』

 

 猪地さんレスキュー方面に志望かつ入試にロープ持ち込んでたもんね。そりゃ普通の人より扱いは上手いはずだ。でもここで梯子を外すのか。ちょっと意外だったけれどもそれだけ彼女も必死ということなんだろう。最後の関門の内容も放送でわかったからこその判断かもしれない。

 

 そしていよいよ僕も地雷原に突入した。やることはもう決めてある。ゾーンの入り口近くは警戒心が最も高いからか地雷が沢山のこっているはずだ。この地面の硬さなら装甲板で掘り出せる。次々と追い越されていくけれど焦るべきじゃない。

 

『先頭、爆豪と轟がそろそろ最終関門を抜けそうだぞ!!』

 

 拙い、もう時間がない。12個もあればきっと十分なはずだ。これを装甲板で起爆させて爆風に乗ればっ!!

 

「頑張れデクくん」

 

 小さな声と共に、ふいに背中を叩かれた。体が一気に軽くなり――――そのまま走り去ろうとする麗日さんの腕を掴んだ。

 今この場で僕を軽くするメリットなんてどこにもない。なんでそんなことをしたのかと、そんなことを問いただすよりも僕がいま言わなくちゃいけない言葉は!!

 

「一緒に行こう!」

「え?!」

 

 そのまま掴んだ腕を引き、目を見開いた彼女をグッと肩に抱き寄せる。

 

「…………うん!」

「しっかり捕まってて!!」

 

 そして片手で装甲板を地雷原に思いっきり振り下ろした。借りるぞかっちゃん!!

 

 鼓膜が弾けそうなほどの轟音。目論見どおりの大爆発、凧の要領で爆風を装甲板で受け一気に前へと進む。やった、上手くいったぞ!

 

『A組緑谷と麗日、自ら大爆発で一気に猛追――――っつーか追い抜いたー!!』

 

 かっちゃんと轟くんの頭上を飛び越えた。でも10mもアドバンテージはない。そのまま着地するだけじゃ、絶対に負けてしまう。でもゴールはもうすぐ、ならばここが使いどきだ!!

 

SMASH(スマッシュ)!!」

 

 人差し指で地雷源に対して衝撃波を放つ。その大きな反動と新たな爆風を受け、さらに前へ!

 

『ここで緑谷が初めて個性を見せた!! デコピンであの衝撃波か? なんつー超パワー! 後方は爆発の連鎖で大混乱だ。これで緑谷と麗日ペア独走態勢を見せた!! 地雷原はもう抜けた。さぁあと20mでラストだ!! 勝つのはどっちだー!?』

 

 板を捨て、僕たち2人は残りの直線を全力疾走する。

 浮かせてもらって体が軽い分、僕の方が早い。

 

「ありがとうデクくん! でも、こっからは実力勝負!」

 

 身体が急に重くなる。麗日さんが個性を解除した。当然そうするよね。もう邪魔者はいない2人だけの真剣勝負だ。

 

「あぁ、負けないよ!!」

 

 ワン・フォー・オールは使えない。けれどその個性を扱えるようになるべく身体は毎日鍛え続けている。身体能力では麗日さんに負けない。彼女の前でかっこ悪いところは見せられない。絶対に負けたくない。

 

 ひたすらに腕を振り、足を回す。進め、進め!

 足音からして麗日さんを引き離したはずだ。

 ゴールである会場の入り口から差し込む光が眩しい。

 でも、その光を遮る影が頭上に現れる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『さぁさぁ、予想出来たやつは居たか!? 今1番にスタジアムに帰ってきたのは序盤から華麗な連携で会場を湧かせ続けた――――』

 

 宙から舞い降り、ふわりと着地するその様に思わず僕は見とれてしまった。

 

『A組 麗日お茶子だー!!』

 

 会場が歓声で湧き上がる。

 続けて僕もゴールラインを乗り越えてスタジアム入りした。

 

「よっしゃああああっ!」

 

 初めて聞いた。麗日さんの叫び。

 人差し指を空高く掲げる。

 

『連携だけじゃない、最後に決めた個人技の大ジャンプはまさに麗らかー! ここで緑谷も続けてゴールだ!』

 

 晴れ渡る空。あの日を思い出しそうで嫌いになっていた澄み切った青。

 でもこの眩しさが、吹き抜ける風が今はとても心地良い。

 

「父ちゃん、母ちゃん。私やったよ! 1番とったよ!」

 

 1位にはなれなかった。かっちゃんや轟くん、飯田くんや猪地さんという高いハードルを越えて、あともう少しのところまで来たのに。

 

 でも負けた悔しさよりも、麗日さんが1番になったことよりも、ただ彼女が作り物ではない本物の笑顔を見せてくれたことが何よりも嬉しい。

 

「おめでとう、麗日さん」

「デクくん、ありがとう。ううん、今日だけじゃない。いつも助けてくれてありがとうね」

 

 ごめんなさい。オールマイト僕は1位を獲れなかった。

 でもこの2位は今の僕にとって、どんな順位よりも嬉しいんだ。

 

「笑おう。テレビの向こうの家族に笑っているところ見てもらおう」

「うん!」

 

 涙を袖で拭い、折れ曲がった指でピースサインを空に掲げる。

 隣に並んだ麗日さんが、再び人差し指を空高く掲げ直した。

 

 やっぱり笑顔は最強だ。

 一片の曇りもない笑顔を見せてくれた彼女を見て、僕は心からそう思った。

 

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

        第一種目 結果発表

 

 1位  麗日お茶子

 2位  緑谷出久

 3位  爆豪勝己

 4位  轟焦凍

 5位  塩崎茨

 6位  骨抜柔造

 7位  飯田天哉

 8位  心操人使

 9位  猪地巡理

10位  常闇踏陰  

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第16話 チーム決め

今回は猪地さん視点です。



「9位かぁ」

 

 電光掲示板を見つめ、何とも言えないやるせなさと共にため息を一つ。思っていたよりも全然成績が振るわなかった。緑谷くんによる連鎖爆発から、それに乗じたB組の骨抜くんと塩崎さんの爆破地獄。緩んだ地面のせいで足元を滑らせて思いっきり地雷踏んじゃったし、周りの地雷をどんどん茨で起動させられるし、あれは酷かった。

 

 茶子ちゃんを置いてきぼりにしてこの結果だもんなぁ。下ろす前にゴメンとは言っておいたけど、イメージ悪くする決断を下してまで得たのがこの結果とは。しかも当の茶子ちゃんが1位になってるし、罰が当たっちゃったかな。我ながら頭が痛い。

 

「御子様ー頑張って下さい!」

「流石御子さまぁああ! かっこよかったです」

 

 もっと頭が痛くなりそうな単語が聞こえた。声のする方を見ると、明らかに浮いた空気の老若男女入り混じった集団が30名ほど。指輪やシンボルマークは見えずとも聖輪会(メビウス)の人たちに間違いはなかった。私の名前の書いてある横断幕とか、団扇とか思いっきり掲げちゃってるんだもん。なんてこった。3年生ならともかく、ファンがまだ居ない1年生ステージで特定の個人名を出されているのはどう見ても私だけだ。

 

 普段表に出ると因縁をふっかけられたりするからあんまりこういう場に出てこないはずなんだけど、この感じだと羽目外してるのが来ちゃってるのかな。協会の審査はどうなっているんだろう。引越し費用が奨学金じゃ足りなくて入学前に泣く泣くお金をもらいに行ったっきりだしなぁ。月例会の報告書を受け取っているくらいで最近の内情はあまりわかっていない。

 

 でも揉め事のリスクが高い中枢に近い人や狂信者たちより、比較的ライトな層に対して私へ近づく許可を協会が許可を下ろしたってところか。雄英の入場審査も今回厳し目だったしね。あ、入試のときのあのご夫婦だ。赤ちゃんを抱えて手を振ってくれている。

 

「ありがとう」

 

 流石に無視するわけにはいかないかと手を軽く振り返す。なんだかなぁ。元気で居てくれたらそれだけで良かったのに。何もウチに入信しなくても。でも第2種目が終わったらレクリエーションと昼休憩だし、天哉を誘ってあのご夫婦だけは挨拶に行っておこうかな。よし、この羞恥プレイ染みた状況はちょっと忘れておこう。

 

 さて次の種目が始まるより先にやらなければならないことがある。まずは――――

 

「瀬呂くん、百ちゃん!」

「あいよ」

「もう、できてますわ」

 

 渡されたのは小さな割り箸の半分サイズのプラスチック棒と、それに貼られた短めのテープ。対応はやっ、というかいつから2人はそこに居たの?

 

「ねぇ、何もまだ私言ってないけど準備良すぎじゃない?」

「なんかもう慣れたしな。緑谷があれ使ったの見た時点でまたかってな」

「ですわね」

 

 呆れ顔で2人に言われる。でも呆れられたのは私じゃないからね。

 

「私もだよ」

「俺たち随分応急処置の手際が良くなった気がするよな」

「緑谷さんのおかげと言うか、せいと言いますか……」

「サンキューね。2人とも。次の競技もそのままある感じっぽいし、サッサと治療してくる!」

「おう、行って来い」

 

 2人に礼を言い、大急ぎで緑谷くんのところへ向かう。1位を取ったこともあり、茶子ちゃんと緑谷くんを中心として人だかりができ始めていた。

 

「よっ、2人共おめでとう!」

「猪地さん!」

「めぐりちゃん!」

 

 手を繋いだままの2人が満面の笑みを見せる。もう早くくっついちゃえば良いんだ。

 

「次の説明始まりそうだからちゃっと治療するね。ほら、指出して」

「こんなときまでゴメンね。猪地さん、いつもありがとう」

 

 歪んだ人差し指を無理やり真っ直ぐに伸ばして、添え木とテープでサッと固定してしまう。そして気持ち程度に指周りに体力を付与して調子を整えておく。後でリカバリーガールの治療を見越した上での最低限の処置だ。

 

「いえいえ。私も治療の実践経験積ませてもらってるしね。よし、これでオッケー。そんで茶子ちゃんさっきはゴメン!」

「うん、おかげで1番獲れたしね。勝負ごとだもん、いいよ」

 

 感応全開(フルレンジオープン)っと。うん、本当に怒ってはないみたい。心拍、発汗、体温変化から察するに嘘の兆候はない。やっぱり1位と緑谷くん効果は絶大だ。中途半端だと私もやりにくいし、この体育祭をきっかけに切実に早くくっついて欲しい。 

 

 この後ミッドナイト先生からの発表があり予選通過は42名、A組の皆は全員無事に通過していた。でも青山くんはちょっとお腹を下しかけていたので説明中に調子を整えておいてあげる。

 

『さーていよいよ次の第二種目の発表よ! 何かしら、もう知ってるけどね』

 

 第一関門で私と組んでいたため調子が良かったせいか、第二関門のところで個性を使いすぎたらしく、顔面蒼白どころか血の気が全くない表情だったのは流石に私も焦った。緑谷くんより先にこっちを治してあげるべきだったなと反省していているところだ。でも彼はそんな状態でも31位か、随分と意地を見せたのは意外だった。

 

『コレ、騎馬戦よ! 参加者は2人から4人のチームを自由に組んで騎馬を作ってね。基本は普通の騎馬戦と同じだけど、先程の結果に従い各自に(ポイント)が振り分けられるわ』

「成る程。つまり組み合わせによって騎馬の(ポイント)が異なってくるのですね」

『私が喋ってるでしょう。お黙りっ!』

 

 最前列に居た天哉が怒られた。ということはもう洗脳は解けてるのか。緑谷くんと青山くんのフォローであっちに行く暇なかったから心配だったけど、心操くんと喧嘩してなかったかな。いや、天哉のことだ警戒が甘かったと勝手に落ち込んでいたのかもしれない。ちょっと後で声かけなきゃ。

 

『ええ、そうよ。そして与えられるPは下から5ずつ。42位が5(ポイント)から上がっていくわ』

 

 成る程。私が170(ポイント)がで1番上の茶子ちゃんが210(ポイント)。1人あたり平均107.5(ポイント)あるから騎馬を組む際の――――

 

『そして1位に与えられる(ポイント)は1000万!!』

 

 え。1000(ポイント)じゃないよね。周りが明らかに1000万と言っている。何この極端なの。いや、1000でも極端なのにさ、期待値とかもうどうでも良くないこれ?

 

『上を行く者には更なる受難を。雄英に在籍する以上何度でも言ってあげるわよ。これがPLUS ULTRA(プルス ウルトラ)! 予選1位通過の麗日お茶子さん、持ち(ポイント)が1000万!』

 

 ご愁傷さま。みんなの視線が茶子ちゃんに集中する。そりゃあ誰だってガン見しちゃうよ。でもそこを狙うより確実に通過を狙うとしたらどうするか。今の説明タイムの間にしっかり考えるか。ゴール時の通過した人の顔を全員覚えておいて正解だった。さっき掲示板に表示された全員の順位と一致させ、自分の個性との相性を考える。

 

 やっぱり最有力は茶子ちゃんだけどPの関係上できれば避けたい。次点で青山くんだけど、後ろ向きで騎馬を組むわけにも行かず、精々真下に放つぐらいなので上空への回避にしか使えなさそうで難しい。爆豪と峰田も……アイツらはない。絶対ヤダ。

 

 天哉は強力な機動力だし悪くない選択肢だけど、私と組むメリットそのものが薄い。ちょっとタフにしてあげられるけれど、他のチームに取られるよりマシな場合の選択肢ってところか。

 

 この競技で特に対策が必要な相手は轟くん、爆豪、上鳴くん、常闇くん、B組の塩崎さん、そしてできれば天哉と瀬呂くん。百ちゃんがいると結構対策できるけれど、この中から勧誘した方が脅威を取り除けるかもしれない。轟くんはプライド高そうだから自分でメンバー決めそうだし厳しいかも。体温調整はちょっとしてあげられるけれど、私と組むメリットが薄い。

 

 上鳴くんは声かけたら来てくれるだろうけれど、百ちゃんとセットじゃないと扱えないし、そうなるともう一人の枠がキツい。いっその事この2人に天哉を加えて無難なチームに仕上げるべきだろうか。

 

 制限時間は15分、鉢巻を取られても騎馬が崩れてもアウトにはならない、上位4チームが次に進めるといった説明を受けた後、チーム決めの交渉タイムがスタートした。結局どうしようか。上位組の動向を観察してみてからでもいいかもしれない。

 

「なんて、のんびりしている暇なかったよね。轟くんに百ちゃんと上鳴くんセットで取られちゃった」

「轟のやつなんの迷いもなく選びに行ったな。猪地、俺と組もうぜ。お前と組めばあんまり眠くならずに済むから筋肉を最大限に活かせる!」

「ここは僕でしょ☆」

「うーん、悪くない。悪くない選択肢なんだけど決め手が今一つ…………ちょっと考えさせて」 

 

 とりあえず天哉に声をかけに行こうとしたところ、B組の人や砂藤くんと青山くんたち数人から囲まれていて、身動きがとれずにいた。本当に相性は2人共良いんだけど、チームの方向性を定めないとなんとも言えない。

 

「俺じゃ駄目かな?」

「ゴメン、尾白くん。騎馬戦じゃ尻尾使いにくそうだし、個性の相性が良いわけでもないし他を当たってくれる?」

「うん、わかってた。俺の個性、普通だし」

 

 トボトボと去って行く尾白くん。ゴメンね全く悪気はないんだよ。でもお互いメリットがないと思うんだ。どうしようかなと考えていた矢先、聞き慣れた声が私を呼んだ。

 

「めぐりちゃん!」

「茶子ちゃん」

 

 ちょっとこっちに来てと誘われて、茶子ちゃんに同行してみる。まだ5分も経過していないし、他の組もまだ決め兼ねている今なら話を聞くのはありだろう。なにせガン逃げさえできたら通過間違いないわけだし。

 

「やっぱり超避けられてて、チーム組めないって感じ?」

「うん、そうなんだ。でもデクくんが良い作戦があるって!」

 

 茶子ちゃんが緑谷くんと組むのは確定なんだね。茶子ちゃん単独でなら組みやすいんだけど、緑谷くんは実質個性を封印状態だし、組むメリットが1番ない。普段の交友関係を別にしてしまうとどうしてもそこが引っかかった。連れてこられた先には天哉と緑谷くんがいた。ヒソヒソ声で緑谷くんが作戦を話す。

 

「飯田くんを先頭に僕と麗日さんで馬を作る。麗日さんの個性を全員に使って靴とか以外を浮かせておいて、猪地さんがフォロー。これで機動性はどこにも負けない。猪地さんを騎手にすれば対人相手の読み合いとかフィジカルではそう負けないはず。逃げ切り策はこのくらいしか思いつかないんだけどどうかな?」

「悪くはないね。連携も私たちならバッチリだし。最悪鉢巻獲られてもこの機動力なら速攻できるし挽回も可能だと思うよ。こうなったら1番注目される所で頑張るのもありかな。私は乗ってもいいよ。天哉はどう?」

 

 最悪と言ってみたけど、実際私の中では半分以上獲られる前提でも構わないと思っている。ほぼ無重力状態でのレシプロなら最後の10秒くらいに一発逆転狙いも十分ありだから。この4人じゃないと絶対に駄目という理由はないけれど、偶には算段抜きで普段からの仲を優先しても良いよね。さっきは罰が当たったし。

 

「流石だ緑谷くん。良い作戦だと思う。だがすまない、今回ばかりは俺は断る」 

「え、天哉?」

「緑谷くん、俺は入試の時から君の背中を追いかけてばかりいた。俺が動こうと躊躇っているときに、君はいつも一歩先を踏み出していた。素晴らしい友人だとは思うが、君についていくだけではなく、俺は俺の意思で一歩を踏み出したい。それから猪地くん」

「なんだい?」

 

 一歩先か。十分過ぎるほど天哉は凄いと思うけれど、真面目な彼らしい理由だ。その真っ直ぐな瞳からは緑谷くんと敵として戦ってみたいという意思がひしひしと伝わってくる。天哉はちょっと下にズレた眼鏡を直しながら言葉を続けた。 

 

「俺は君に強くなった姿を見てもらいたい。後ろからでもなく、隣でもなく、真正面からだ」

 

 真正面からか。なら引き留める理由はないよね。

 

「そう。わかったよ。正々堂々やり合おう天哉」

「うん、負けないよ飯田くん」

「あぁ、俺は全力で君たちに挑戦する!」

 

 私たちの言葉を背中で受け止めた天哉は、振り向いてこう告げた。そして再び背中を向けて歩き出す。

 

「行くぞ飯田」

「ケロ、作戦会議をしましょう」

「クラスを超えてまでのお誘いありがとうございます。しっかり学ぶだけでなく、役立てるよう頑張ります」

 

 天哉に声をかけるチームメイトたち。常闇くんに梅雨ちゃん、そして塩崎さんか。

 

「凄いね。あのメンバー。中距離の鬼だ」

 

 緑谷くんの意見に思いっきり頷く。なんというか、天哉にしてはとてつもなくえげつないメンバーをかき集めたもんだと感心せざるを得ない。B組の塩崎さんまで居るし。もしかしたら人選的に天哉じゃなくて梅雨ちゃんがブレーンかな。5位、7位、10位、16位だから――

 

「670Pか。見渡す限り私たち除けば1番得点高そうだね。防御し続けて逃げても良し、攻撃しても良し。中々に凶悪だね」

「対して僕らは肝心の機動力を失った訳だ。どうする? 最悪この三人で組むしか……」

「フフフ、どうですか。私と組みませんか? 1位の人?」

「わぁあっ、誰なん?!」

 

 他がだんだんと決め始めた中、どこからか引き抜くしかないなと考えていると唯一サポート科で予選通過したピンク髪にゴーグルをつけた子が茶子ちゃんに話しかけてきた。確か発目さんって名前のはずで、42位の5P。機械をジャラジャラ付けているから、とれる手段は増えるんだろうけれど、

 

「私は発目明! あなたの事は知りませんが立場利用させて下さい!」 

「茶子ちゃん、緑谷くん、話だけ聞いといて。1人助っ人引き抜いてくるから、それまで返事は保留でよろしく!」

 

 多分彼女の目論見は1番目立つ立ち位置から自作の機械をアピールしたいってことかなぁ。機械は面白そうだけど、どうせ誰かと組むならもっとピーキーな感じにしないと天哉のチームには敵わない。そして上鳴くんが他のチームに居る以上機械は故障するものと考えた方が良さそうだ。よって私の中では彼女という選択肢はない。

 

 完全に博打になるし、本当ならもっと普通の日に試したかったことだけど、これしかないという確信があった。あらゆる相手に対して決定的な隙を作れ、あの手段の成功確率を上げれる彼の力が。

 

「私と組もう心操くん!」

「猪地巡理か。もう俺はチーム決めたんだけど」

 

 そう言った彼の周りには尾白くん、青山くん、そしてB組の庄田くんが並んでいた。

 

「そのメンバーで勝てると本当に思う? 庄田くんの個性は知らないけれど、他2人は使い所間違ってると思うよ」

「ならお前が入るか? 俺の個性の条件わかってるよな?」

 

 問いかけに応えることで発動する心操くんの洗脳の個性。でもここで警戒してたんじゃ話にならないので即答してみせる。

 

「わかってるからこそ答えるよ。私の頭空っぽにしたら利用価値ほとんどないでしょ」

「やりにくいな。お前、本当に。勝算なしに声をかけるとは思えないけど、それで俺を誰と組ませるつもりなんだ」

「あの2人だよ。最高に目立てると思わない?」

 

 発目さんの勧誘を必死に躱している緑谷くんと茶子ちゃんの方を私は指差す。それを聞いた心操くんは頭を軽く掻きむしって、さっきよりも調子の低い声で答えた。

 

「目立てるって正気か? お前ならもっと組めるやついるだろ?」

「居るけどね。どうせなら勝っても負けてもドーンと目立っておきたくない? 勝ち負けだけがスカウトや編入の条件じゃないし、次からは個人戦ってのは例年からして確定の流れでしょ。1回戦以外君は多分勝ち目ないからさ、私が君の立場だったらこの試合で出し尽くしてアピールするけどな」

「おい、言ってくれるじゃねぇか」

「この前も言ったけど、君の個性は初見殺しだし、今のフィジカルじゃヒーロー科の誰にも勝てないよ。2回戦以降は絶対に勝てないって断言してあげる」

 

 煽るだけ煽った。そして明確な道筋も示した。怒ってはいるみたいだけれども、体育祭は年に1回だけのチャンス。心操くんは今、チーム入りを真剣に考えてくれているはずだ。もうひと押ししなくちゃ。

 

「でもね、私たちには切り札が必要なんだ。君の個性はすごく強力だ。誰に対してもジョーカーに成り得る。個性を知っている天哉のところと私たちのチーム3人以外にはね。そしてウチのチームのもう1枚のジョーカーを、君と私なら取り扱えると思うんだ」

 

 もう1枚のジョーカーを使いこなせる可能性があるとするなら、私の個性だけじゃ無理だ。彼の力が必要になる。頼むウチに来てくれないかな。なんか遠目で見るに発目さんと緑谷くんが急接近しているようだ。インターセプトしなければという義務感に駆られてしまう。傍目から見ても緑谷くんのあの目の輝き方はオールマイト談義のときのソレだ。明らかに茶子ちゃん引いてるし手早く勧誘終わらせてなんとかしないと。

 

「俺とお前で扱う? 麗日お茶子じゃねぇな、緑谷出久のことか。面白い言うだけ言ってみろよ。それから判断してやる」

 

 よし、最強の切り札ゲット。意気揚々と茶子ちゃんのところに帰る。

 

「心操くん連れてきたよ! 彼の個性の凄さ知ってるでしょ? これなら万が一のときは土壇場で逆転できるよね」

「心操くん、久しぶり。クラス違ったから完全に頭から抜けてたよ。マークがキツいとは思うけれど僕たちと一緒に組んでくれないかな?」

「緑谷くんはオーケーかな。茶子ちゃんもいいでしょ?」

「うん、勿論! お世話になっとるしね。心操くん、よろしくね。信頼しとるよ!」

「あ、あぁ。ってその前に猪地、作戦ってのは――――」

 

 よし、押しきれるか? いや時間もないし押し切ろう。お邪魔虫さんを追い払って外堀を埋めてかなきゃ。

 

「はいはい、そういうことだから発目さんゴメンね。他当たって!」

「そ、そんな?! せっかくのベイビーたちが目立てる機会が」

 

 思いっきり私の腕を掴んで離さない発目さん。これは利益で誘導しないとテコでも動かないやつだ。

 

「あそこの目立たない尻尾の彼とか、君の可愛いベイビーたちで飾ってあげたらどうかな? 普通の人が使うほど性能アピールには良いと思うけれど」

「成る程! 地味めな彼を私のベイビーたちでバッチリコーディネートしてあげましょう!」

 

 今日2度もゴメン尾白くん。茶子ちゃんの恋路のためなんだ。飛び去って行った発目さんを手を振って見送る。

 

 あ、透ちゃんと組んだ。これって余計なことしちゃったかな。うん、茶子ちゃん優先だ。既に3度目だけどゴメンよ尾白くん。勧誘の結果的に洗脳解いて上げたからチャラにして欲しいな。

 

「さてここから本題だ緑谷くん。ぶっつけ本番だから博打にはなるんだけど心操くんが仲間入りしたから、この機会にあることを試したいと思うんだ。君の個性の制御、ちょっと前に進めてみたいと思わない?」

 

 私がそれだけ言うと、いつものブツブツ芸を5秒ほど披露した緑谷くんは、私が言わんとすることを的確に当ててくる。

 

「それって麗日さんのときみたいに心操くんが僕に洗脳をかけた状態で、猪地さんが身体を弄るってこと?」

「そうだよ」

「でもそれってできるん? デクくんの個性を使いすぎないようにブレーキかけたりとかって、流石にめぐりちゃんの個性でもキツいんじゃないかな。そこまで万能じゃないよね?」

 

 茶子ちゃんが言うようにそこまで私の個性は万能じゃない。茶子ちゃんや青山くんみたいに体調面が大きく個性に左右される場合はともかく、単なる発動型に対してできることは基本的にない。

 

「うん、緑谷くんの個性が普通の増強系なら無理だったけどね。あくまで私の個性でできる範囲はちょっと広げても体調を弄るまでだから。でもね、このオールマイトの戦いをこの目で見て私気づいたんだ。私の個性と似てるって」

「えっ、どういうこと?! 僕がオールマイトと似てるっては言われたことあるけれど、猪地さんは全然違うと思うけれど」

「私の個性で観る限りね“力の引き出し方”この1点において他の発動型とはオールマイトは他の人と全然違う。でも同じ使い方をしている人間が居たんだよ。それが私と緑谷くん。君だよ。そして私以上にオールマイトに近いのは勿論君だ」

 

 私にはほとんど確信に近いものがあった。オールマイトから発せられる彼自身の波長とその奥に眠る別の7人の極々薄い波長。それが個性の使用量を増やすときに少しだけ反応が上がっているのをこの目で見た。そして普段はわからないけれど緑谷くんが個性を発動するたびに奥の中に眠る8つの薄い波長が重なって見えていた。

 

 私以外にこんな歪な波長を出せる人間がいるはずがない。どう考えても緑谷くんとオールマイトは血縁関係だ。そしてストックしているものの種類は多少異なるかもしれないが、発動のプロセスがその2人に近い人を世界中探したらきっと私が上位に来るだろう。

 

「緑谷くん、私の個性の秘密を少しだけ教えて上げる。だから私をちょっとだけ信じてみてくれる?」

 

 多分私は偶然とは言えオールマイトのとんでもない秘密をいくつも握ってしまっている。怪我のこと然り、個性のこと、緑谷くんとの関係然りだ。だからこそ何かあったときのためにオールマイトに近い緑谷くんには信頼を得ておく必要があった。ウチの幹部の一部くらいしかしらない私自身の情報を少しだけ緑谷くんの耳元に呟く。そして彼は目を丸くして答えた。

 

「うん、信じるよ。だから体育祭の後にお願いしてもいいかな」

「もちろん」

 

 私はそう答えた。打算と保身、そのために。

 

 

 

                ×              ×

 

 

 

 

 私が騎手、緑谷くんが前騎馬、右が心操くんで左が茶子ちゃんだ。コーナーの隅っこギリギリに位置取ると、殆どの組が私たちの組を取り囲むかのように配置してきた。まぁ当然だよね。でも私たちはそれでいい。

 

「まずは下半身だ」

 

 心操くんが私の声に合わせてすぐに復唱してくれる。洗脳状態の緑谷くんが個性を発動するために予め念入りに設定しておいたキーワードを私たちふたりが告げる。

 

“限定発動”(リミテッド・アクティベーション)1%」

 

 蛇口を1°だけ捻るイメージだ。心操くんの言葉によって起動する緑谷くんの中から溢れ出す力を、私の個性で彼の中へと押し留め、高速で循環させ続ける。

 

「うん、いけてるよ。成功だ。暴発はしないはず。まずは1%で維持できるか試してから少しずつ上げていこう」

 

 私の言葉に心操くんと茶子ちゃんが頷く。

 

『よーし組み終わったな!? 準備はいいかなんて聞かねぇぞ』

 

 プレゼントマイクが始まりの合図を告げようとする。私も両手を構え――――

 

『行くぜ残虐バトルロイヤルカウントダウン――』

「個性はそのままの発動状態を維持。開始の号令と共に仰角30°、そのまま前方へ――――」

『3、2、1、――――スタート!!』

「翔べ!!!」

 

 その言葉とともに風を切り舞い上がる。

 風圧で目を思わず閉じそうになる。

 だが瞳を気合でこじ開けた。

 天哉ほどじゃないけれど軽量化しているせいもあってか思った以上に早い。

 

「緑谷のやつ、なんだあの早さ?!」

 

 狙うは直線上のB組の拳藤さんチーム。

 相手からしても私たちはまだ目で追えない速度じゃない。

 拳藤さんは左拳を個性で肥大化させ私の鉢巻を狙ってくる。

 

 リーチの差がデカイ。

 けれど腕で小指の先、第5末節骨を思いっきり上に跳ね上げる。

 わかってたけど質量差が凄い。真っ向から打ち合わなくて良かった。

 ここで更に左肘に掌底で一撃あてて怯ませる。

 

「っ痛!?」

 

 彼女たちの右を通過する際、右手の隙間を掻い潜って左手を伸ばし――――掴んだ。

 獲った鉢巻を裏返して首元に巻く。もとの鉢巻は頭に付けたまま入れ替えたふりをしつつサッと裏返した。

 

「よしっ、まずは190(ポイント)!! 着地と共に方向転換、背中を見せてる組を狙うよ」

「了解だ」

「着地したらその場で右へ160°旋回!」

 

 私の指示をすぐさま復唱した緑谷くんが後方の空白地帯へと着地すると共にすぐ方向転換をした。指示の先行入力さえうまくできていたらかなり有用だね。これは。

 

“限定発動”(リミテッド・アクティベーション)2%! 1番近い組のところへ!!」

 

 復唱の早さも増してきた。いい感じ。蛇口をもう1°だけ回すイメージで緑谷くんの力を2%引き出す。うん、まだ制御は行けそうだ。緑谷くんの身体も着いてきている。

 

「めぐりちゃん、心操くん、1番獲っちゃおうぜ!」 

「そのつもりだ」

「獲っちゃおう!」

 

 私たちの狙いはガン逃げじゃない。緑谷くんの試走をしつつ、徹底的に奪い尽くす。

 0(ポイント)のチームが増えれば、矛先は次第に狙いやすい他のチームへ向かい出すはず。

 天哉(ライバル)との決戦があるんだ。まずは場を整えることから始めようか。

 

 




洗脳状態によるフルカウルの部位限定版の実装です。
早期取得の代わりに下位互換実装になります。


チーム編成は以下です。
クラス混成が少し多くなった感じです。

次回は速攻奇襲特化のチーム猪地vs中距離防御特化のチーム飯田(とその他)の戦いです。
飯田くん視点に戻ります。

チーム猪地
9位 猪地 170
1位 麗日 10000000
2位 緑谷 205
8位 心操 175
10000550P

チーム爆豪
3位 爆豪 200
11位 瀬呂 160
12位 切島 155
21位 芦戸 110
625P

チーム轟
4位 轟 195
17位 障子 130
19位 八百万 120
26位 上鳴 85
530P

チーム蛙吹
16位 蛙吹 135
5位 塩崎 190
7位 飯田 180
10位 常闇 165
670P

チーム鱗
34位 鱗 45
20位 峰田 115
30位 宍田 65
225P


チーム葉隠
40位 葉隠 15
14位 尾白 145
23位 耳郎 100
42位 発目 5
265P

チーム庄田
    35位 庄田 40
22位 口田 105
37位 鎌切 30
18位 砂藤 125
300P


チーム物間
    38位 物間 25
24位 回原 95
25位 円場 90
32位 黒色 55
265P

チーム拳藤
29位 拳藤 70
28位 柳 75
36位 小森 35
41位 取蔭 10
190P


チーム小大
33位 小大 50
27位 凡戸 80
31位 青山 60
190P


チーム鉄哲
6位 骨抜 185
13位 鉄哲 150
15位 泡瀬 140
39位 角取 20
495P




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第17話 騎馬戦

久々の飯田くん視点です。


『さぁ、開始早々動いたのは1000万P所有のチーム猪地だ! ガン逃げどころかチーム拳藤から鉢巻を奪取。狙うは完全制覇なのか?!』

 

 プレゼントボイスの実況と共に歓喜に湧くスタジアム。陣形の誘導から意表を突いた速攻。流石は俺がライバルと認めた彼らだ。やはり今回は別のチームを組んで良かった。

 

 良く練られた戦略、高度な連携、そして勝負度胸。隣を離れたからこそあの一瞬の動きで彼らの凄さを再認識することができる。しかし高い壁だからこそ、挑戦し甲斐があるというものだ。

 

「なんだ緑谷の動きは?! 麗日と猪地の助力だけでは説明がつかん。どう見ても個性の制御に成功しているぞ。先程言っていた心操の個性の影響なのか?」

「あぁ。おそらくは洗脳状態で無理やり個性を制御しているんだと思う。更に速度が上がる可能性もある。死角からの奇襲に備えて黒影(ダークシャドウ)で後方の警戒を怠らないように」

『アイヨ』

 

 驚愕を隠せない常闇くんの問いに答えつつ、猪地くんのチームに狙いを集中させている他の組からの距離を稼ぎ、最も有利な位置取りを意識して移動する。

 

「塩崎くんも茨を両翼へ3m展開を維持して牽制し続けてくれ」

「3mですね。具体的な指示で助かります。展開密度はこのぐらいで良いのでしょうか?」

「約30°間隔で密度は上げすぎないようにしてくれ。潜り込むコースを絞り込めればいい。視界が悪くなっては元も子もないからな」 

「わかりました」

 

 B組の実力者である塩崎くん、頭髪から自由に茨を伸ばし操れる個性の持ち主に指示を出す。第一種目だけでなく入試でもトップクラスの彼女がこちらに来てくれたのはかなり心強い。

 

 常闇くんと梅雨ちゃんと組んだとき、ダメ元で声をかけてみたところB組の面々から誘いを受けていたのにも関わらず承諾してくれた。どうやら彼女自身も第一種目でのA組の動きに興味を抱いたようで、連携などを学んでB組に持ち帰りたいとのことだった。

 

 舌での怪力と瞬発力、そして身軽さを備えた騎手の梅雨ちゃん。黒影(ダークシャドウ)で死角をカバーでき、範囲制圧に長けた右騎馬の常闇くん。そして優位な位置取りを維持しつつ、奇襲も可能な俺の機動力が前騎馬。中距離の制圧力に秀でた2人が居たため、そこに特化する形でのチーム構成を考えていたが、塩崎くんはまさに最適の人間だった。

 

 本命である猪地くんたちのチームへの対策が用意できたこと以上に、本人の性格もかなり真面目で俺たちチームのメンバーと馬が合いそうな感じなのが1番の収穫だった。

 

「飯田ちゃん、打ち合わせと状況は違うけれど仕掛けるのは最後でいいのね?」

「あの鉢巻は予選通過を確定させるからな。獲るならギリギリでの一択だ。極力そのタイミングまではこちらからは仕掛けない。何より心操くんの個性がある。ネタが割れているとは言え万が一操られるわけにはいかないからな。接触時間は短いに越したことはないだろう」

「わかったわ」

 

 第一種目では見事に心操くんの策にはまり、まんまと利用されてしまった。だから二度目の失敗は許されない。チームの全員に彼の個性は伝えてある。問いかけに答えるだけで洗脳できる彼の個性は、緑谷くんと猪地くんがわざわざ彼をチームに引っ張ってきたのも頷けるほどに強力だ。

 

『速い、速いぞチーム猪地、ここでチーム鉄哲からもさらに1本奪ったぁ!! なんだコイツラの積極性は。パーフェクトゲームでも目指すのか?!!』

 

 凄い。傍目から見てもまだ一段と緑谷くんの速度が上がってきている。プレゼントマイクの言う通り、本当にパーフェクトゲームを目指しそうな勢いだ。だがまだ彼らに挑むのには早い。そんなときだ。

 

「飯田、左翼から峰田だ!」

 

 常闇くんの警告を受け、方向転換しつつ後方に飛ぶ。峰田くんのチームメイトはチーム名通り騎手がB組の鱗くん、もう一人は順位からすると確かB組の宍田くんだったか? メガネを掛けた巨躯の宍田くんの背中に峰田くんと鱗くんが突撃してくる。

 

「リア充死すべし。喰らえ飯田!! ついでに常闇!」

「いけません! 茨を前方に展開します―――」

「いいえ、左右に壁状に展開よ。飯田ちゃんはターンして全速力で真後ろに逃げて。玉の処理は常闇ちゃんお願い!」

「は、はい!」

「速度を上げる! みんな足を浮かせろ!」

 

 梅雨ちゃんが塩崎くんに指示を出す。いつ誰を狙うかなどの戦略面は俺が、その場に応じた戦術的な対応は上から視野を広く確保できる梅雨ちゃんの担当だ。俺は一気にターンし、ギアを上げ峰田たちから逃げる。指示に驚きつつも塩崎くんもその場のその通りに2mほどの高さの植物の壁を左右に展開した。

 

「なるほど」

 

 小柄なメンバーが多いとは言え、少し身体が重い。向こうは2人を背負ってるのに対し俺は3人だ。追いつかれるのもあと数秒の問題だ。しかし梅雨ちゃんが塩崎くんの茨をあえて前に展開させなかった理由は――――

 

「今よ、茨をしまって!」

 

 その声と共に俺はギアを一気に落として急減速させつつ、右へと直角にターンをかけた直後に再びギアをあげて離脱する。茨によって視界を塞がれつつ全速力で突っ込んできた峰田くんたちチーム鱗は――――

 

「バカッ、凡戸どけっって――――うわぁああああっ!!」

 

 青山くんを背中にくっつけた巨躯の男子生徒が一人で騎馬をしているチーム小大に激突しようする。

 

 しかしその足元に展開されていた接着剤のような何かに足をとられ身動きがとれなくなってしまっていた。

 

 勿論その決定的な隙を見逃すわけがない。梅雨ちゃんは離脱の際に舌を伸ばし、しっかり鉢巻を確保した。

 

「峰田ちゃんのところの225P、獲ったわよ」

「ナイスだ梅雨ちゃん! 合わせて895Pか」

「見事な采配でした蛙吹さん」

「飯田も塩崎もいいタイミングだった」

『俺もガンバッタヨ』

黒影(ダークシャドウ)もよく峰田を退けたな。よかったぞ」

 

 それぞれの検討を称え合う。実にいい感じだ。元々チームの持ちポイント自体が俺たちのチームは2番目に高かったとはいえ、上位4チームに残るには安全圏として1000は確保しておきたい。もう一歩だな。

 

『よく周りを見ていたチーム蛙吹! 安定の采配で強かにチーム鱗から鉢巻を奪取だ! それに乗じてちゃっかりチーム轟もチーム小大から鉢巻を奪ったー!』

 

 峰田くんたちに衝突されそうになっていた方のチーム小大はというと、プレゼントマイクの放送どおり峰田くんの玉で拘束し返されたところを横から轟くんたちのチームに獲られていた。

 

 その後、各地で混戦状態が続き、2位に付けていたためかなり周囲から狙われ続けたうちのチームは防戦に徹しつつ、機を伺っていた。他のチームが0Pのところが多くなってきた中、トップ組であるチーム猪地とチーム爆豪の激しい戦いが始まったが、チーム轟の参戦で激しい三つ巴の泥沼化。

 

 上鳴くんの全力放電や轟くんの氷による周囲全体への攻撃を茨を用いた壁や足場で避けつつ、大きなミスもなく現状を維持し続けることに俺たちは成功していた。そしてそろそろ残り時間も残り3分を切ろうとしている。 

 

「あと1分待とう。その後にあの中に飛び込んで決戦だ」

「わかりました。胸が高鳴りますね」

「了解よ飯田ちゃん。今度は残り時間を味方に付けましょうね」

「そう言えば2人は模擬戦のときよりの宿命(さだめ)か。微力ながら力を貸そう。だがまずはこの場を凌いでからだ」

「梅雨ちゃん覚悟ー!!」

 

 雄々しいと言うには少々甲高い声と共に突撃してきたのは葉隠くんが率いるチームだ。前騎馬に耳郎くん、左騎馬に尾白くん、騎手が透明な葉隠くんのため、手が見えず防御が難しいという難点はあるが、イヤホンジャックによる中距離攻撃さえ捌ければ範囲制圧力も機動力もウチの方が上だ。対処できない相手ではない。

 

 相対するチーム葉隠の面々は全身にサポート科の作成したアイテムを装備していた。背中に装備したブースターらしきバックパックや機動力をあげるシューズなどで身を固めた姿は、他のチームがジャージのみの中で非常に目立っていた。特に尾白くんは尻尾と顔以外フルアーマー装備で、その上まるでクリスマスツリーやパチンコ店を連想させる派手な照明の数々をアーマーの上に纏っていた。

 

「飯田ちゃん、全速前進でヒット&アウェイよ。通過際に私と常闇ちゃんで獲るわ」

「行け黒影(ダークシャドウ)!」

 

 迷いなく指示を出す梅雨ちゃん。指示に大きなミスはなかった。しかし俺たちは不確定要素を見逃していた。

 

「尾白くん今だよ!」

「ええっ、本当にこれをするの?! もうどうにでもなれっ」

 

 無理やり着せられている感を丸出しにしている尾白くんの哀れな表情に同情していたのが間違いだった。

 

「行くよ、葉隠さん。集光屈折――――」

「尾白フラーッシュ!! なんちって」

 

 葉隠くんの陽気な声と共に会場が一面の白に包まれる。

 

「くっ!!?」

『キャン』

 

 拙いぞ。激しい光で目が眩んだ。

 尾白くんの装備の光を葉隠くんの個性で屈折させたのか?!

 

『なんだこれはぁああ! おとなしかったチーム葉隠が今スッゲェ光ったぞ! サングラス掛けててよかったぜ。俺は見えてるが他はなんにも見えてないだろうな。どこも足が止まったぞ。やるなら今だぜ! 逆転のチャンスだ!』

 

 光は消えたが視界がぼやけて何も見えない。おそらく向こうはサングラスを掛けているのだろうな。

 

「うふふ。見ましたか皆さん、私の可愛いベイビーたちのこの輝きを! 可愛いでしょう、綺麗でしょう?」

「やった! 成功だよ尾白くん」

「うん、成功だね。でもなんだろう…………この胸のモヤモヤは」

 

 だが足を止めるのは悪手だ。激突覚悟で行くしかない。ギアを上げて、力強く地面を踏みしめる。

 

「走り抜けるぞ。常闇くん、梅雨ちゃんの防御をっ!!」

『グスン。マブシイ……無理っ』

 

 俺の指示に泣き言で返す黒影(ダークシャドウ)。そうだ、黒影(ダークシャドウ)の天敵は光。ただ目をくらませるだけじゃなく、五人目のメンバーとも呼べる黒影(ダークシャドウ)の消耗も狙ってきたのか。轟くん、爆豪くん、青山くんは警戒していたがこのパターンは全く考慮に入れていなかった。

 

「塩崎くん茨を前方に伸ばしつつ、上に壁を作って影を!!」

「はいっ!」

 

 せめて牽制して近づけないようにしなければならない。それに加えて黒影(ダークシャドウ)を影の中に入れて体力回復させるのも急務だ。黒影(ダークシャドウ)なしで猪地くんたちと戦うのは勝ち目がない。

 

「今のうちだよ。響香ちゃん!」 

「わかってる! めんどくさい茨だけどこんだけ隙間があるなら私のイヤホンジャックでっ!!」

「ケロッ?!」

 

 声の方向的に多分通り過ぎた。そう思った矢先に梅雨ちゃんの短い悲鳴が聞こえた。まさか――

 

『これは急展開だ。まさかのダークホース、チーム葉隠。チーム蛙吹から鉢巻を2本奪ってなんと合計1125Pだ。一気に2位にのし上がった!!』

「みんなごめんなさい。獲られたわ」

 

 梅雨ちゃんの悲しげな声が上から落ちてくる。だんだん周りが見えてきた。人影はしっかり把握できるようになった。

 

「気にするな蛙吹。あれは誰にも読めなかった。俺の黒影(ダークシャドウ)も怯んでしまったしな」

「それよりも飯田さん。もうあれから1分経たちました。先程のチームを追いますか、それとも――――」 

 

 所有する鉢巻は1つもない。1つ2つ鉢巻を奪った所で確実に通過できるかは不明だ。葉隠くんたちも安全圏の得点を保有しているならば逃げればいいものの、謎の行動原理により勢いづいた彼女たちは猪地くんたちのトップグループ争いの渦中に突っ込んでいた。それならばっ!

 

「30秒だ。黒影(ダークシャドウ)の体力をこのままギリギリまで回復させる。元々狙いは1000万だ。ラストアタックを仕掛けるぞ」

「了解だ。決戦まで身体を休めろ黒影(ダークシャドウ)

「作戦は最初に決めたとおりでいいのですね?」

「あぁ。今のうちに俺は足を温めておく」

 

 鉢巻を持っていない以上、俺たちの行く先を阻むものは誰もいない。

 騎馬が居ない会場のライン際を周回し、どんどんギアを上げていく。

 

「足を浮かせて俺にしっかりつかまっていろ!」

 

 上げて、上げて、上げ続ける。

 

「少し痛いのを我慢して下さいね」

 

 しがみつくのがきつくなったからか、塩崎くんが茨でそれぞれの身体を固定させた。

 棘に触れた肌からじわりと血が滲む。だが気にするな。

 

 回せ。

 回せ。

 回せ。

 足を回せっ!

 

 レシプロバーストは使わない。

 使わずとも時間はまだある。

 

『正気かチーム葉隠、2位の状態にも関わらず1000万争いに乱入だー! ここで再び追い上げを掛けつつあるチーム鉄哲も加わった! って言わんこっちゃない。チーム葉隠、チーム爆豪に鉢巻2本獲られた。残りの1本も美味しくチーム鉄哲が奪ったー!! 残り時間少ないがもうわけわかんねぇぞっ!』

 

 激しく入れ替わる情勢など、もうどうでもいい。

 立ち向かうべき壁が健在であるならば。

 

黒影(ダークシャドウ)も復活した。いつでも行けるぞ」

「蛙吹さん、よろしくお願いしますね。私、頑張ります」

「こちらこそよろしくお願いね、塩崎ちゃん。飯田ちゃん」

 

 風を追い抜け。

 風を切り裂け。

 風のその向こう側へ。

 

 そして本当のトップスピードまで――――――――上がった!!

 

「行くぞっ。猪地くん、緑谷くん!!」

「待ってたよ。飯田くん!」

「来いっ、天哉!!」

 

 猛々しい返答。どうやら緑谷くんも洗脳が解けているらしい。しかし俺に次ぐほどに速いこのスピード、もう自力での制御を掴んだのか。流石俺が見込んだ男だ。

 

 猪地くんもこうなることを見越していたのだろうか。土壇場で試せるとはやはり凄いな。

 

 ――――だからこそ挑戦しがいがある!!

 

「うぉおおおおおおおっ!!」 

 

 全速力で正面から突っ込む。

 全てはこの一瞬のために。

 

「塩崎ちゃん!!」

 

 茨を足首に付けた梅雨ちゃんが、俺の肩を踏み台にして空へ跳ねた。

 

「なっ?!」

 

 梅雨ちゃんが舌を伸ばし鉢巻を奪おうとする。

 しかしそれは猪地くんの腕によるガードで弾かれた。

 

 瞬きさえ出来ないほどの一瞬の攻防だった。

 

 俺は速度を一段階落とした状態を維持し会場の際へと走り去る。 

 騎馬を離れた梅雨ちゃんも茨で回収済みだ。

 

 梅雨ちゃんは鉢巻を奪えなかった。しかし――

 

「確かに獲ったぞ。1000万。大金星だ。黒影(ダークシャドウ)

「偉いわ黒影(ダークシャドウ)ちゃん」

『褒めて褒めて』

  

 梅雨ちゃんはあくまで囮だった。どんな軌道を取ろうが、意表を突こうが、猪地くんの感知能力に先読みされる可能性が高かった。

 

 だからこその黒影(ダークシャドウ)。生命ではない常闇くんの個性である黒影(ダークシャドウ)ならば感知能力による警戒網をくぐり抜けられる。塩崎くんの茨もフェイクとして役立ってくれた。そしてレシプロ状態でない俺の足ならば残り時間を凌ぐことができる。既にもう残り30秒。

 

『来たー! ついに1000万獲りやがったぞ。目にも留まらぬ速攻で0Pから起死回生の一手を打ったのはチーム蛙吹だぁああ!』

 

 激しい実況と共に歓声の波が押し寄せる。会場が最高潮に沸き立った。

 黒影(ダークシャドウ)から渡された鉢巻を梅雨ちゃんが頭に巻き付ける。

 

「あれだけの鉢巻の中、1000万を掴めたのは幸運だったわね」

「だが運も実力の内だ。あるいは必然か」

「残り時間は守りに入ります」

 

 そう言って塩崎くんは圧倒的な量の茨を展開し、防御体勢を整える。

 猪地くんたちは向かってこない。残りポイントを見る余裕はないが、それなりに鉢巻きを保有しているが上での判断だろう。

 しかし爆豪くんたちなど他のチームが向かってくる。

 

『15、14、13――――』

 

 カウントダウンが始まる。逃げ切れるときっと俺たちチームの全員が確信していたはずだった。

 

 しかし、たった一言が全ての流れを断ち切ろうとする。

 

(ヴィラン)が来たぞ!! ど、どうすればいいんだ!?」

 

 うろたえた声で叫んだのは心操くんだ。このタイミングで仕掛けてくるか!

 

 問いかけと呼べるかどうかは微妙なラインだが、彼の個性を知っているが故に俺には嘘だとわかる。しかしだ。

 

「落ち着け、みんな構え――――」

「どこにいるんだ?!」

「背中を合わせて密集し――――」

 

 多くの面々が反応してしまっていた。特にA組は(ヴィラン)連合の襲撃は前々から想定していたため余計にだ。構えただけならばいいが、問いかけに答えた者たちの身体が次々と硬直する。

 

 心操くんか、猪地くんか、緑谷くんか。

 一体誰がこんな悪魔のような仕打ちを考えたのだろう。

 

「鉢巻を捨てろーっ!!!」

 

 最後の残り数秒時点で、全ての努力を無に帰すような、あまりにも無情な言葉が告げられた。

 

 

 

 




梅雨ちゃんと飯田くんによる猪地さんへの模擬戦リベンジ回でした。



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第18話 審判

『タイムアーップ!』

 

 その言葉が鳴り響くまで俺は何も言えなかった。本能を押し殺し、血が出そうになるくらい強く下唇を噛み締めて何とか堪えきった。

 

 ウチのチームには幸い被害はない。思わず反射的に声を出しそうになったが俺は誰よりも心操くんを警戒していたし、万が一のときの保険として心操に問いかけられた時は最低でも梅雨ちゃんの口を塞ぐよう黒影に指示を事前に出しており、しっかりそれを守っていた。それがなくても誰も引っかからなかったので良かった。

 

 しかしウチのチーム以外で果たして誰がこんな対策を準備できていただろうか。否、事前情報がなさ過ぎる故に不可能だ。わざわざ普通科の生徒の個性を調べようとする者が居るはずがない。

 

「嘘だ。正気に戻れ」

 

 心操くんが洗脳を解いたらしい。殆どの者は始め何が起こったのかわからなかったようだ。しかし阿鼻叫喚の声を発する者、茫然自失として膝から崩れ落ちる者が現れ始める。こんな掲示板を見て動揺しない者はまずいないだろう。

 

『早速上位4チーム見てみようか………なんて呑気なこと言ってられねぇな。最後なにが起こったのか俺にもさっぱりだぜ。だがとにかくまずはポイント発表だ。蛙吹チーム! 1000万をもぎ取り文句なしの1位だ!』 

 

 言葉を濁しながら、プレゼントマイクが俺たちの勝利を告げる。波乱必須の下位よりも前に、安牌の方からということだろう。

 

「やったわね」

「作戦勝ちですね」

黒影(ダークシャドウ)、よくやったぞ」

『ヤッタ!』

「一時はどうなるかと思ったが、皆のおかげだ。本当にありがとう」

 

 感謝の言葉に嘘偽りはない。しかし、その言葉にどれほどの気持ちを俺は込めることができたのだろうか。失礼極まりないと思いながらも、喜びよりも先に他の言い表しようがない気持ちが俺の頭の大部分を占めていた。

 

「念願の1位なのに浮かない顔ね。憤りは解るけど、ここは堪えどころよ」

「飯田、俺たちの勝利は実力で正々堂々と掴み取った一片の曇りもなきもの。故に俺たちは、特にお前は誰よりも堂々とするべきだ。選手宣誓を思い出せ」

 

 梅雨ちゃんと常闇くんに指摘され、出かかった言葉を喉の奥にしまい込む。

 

「わかっている。わかってはいるんだ」

 

 卑怯者と言いたかった。罵りたかった。心操くんの事情を何も知らなければ、会場のあちこちから無責任なブーイングを発する観客に俺も便乗していただろう。

 

 しかし彼の個性を全く生かせなかった入試や、洗脳という言葉に悪いイメージが付き纏うが故の苦悩を多少なりとも知ってしまっている。

 

 だから感情のみで無責任に批判するのは駄目だ。理性的に、合理的に、彼の行動の如何を判断するべき場面だ。猪地くんのように、緑谷くんのように筋道の整理を立てて発言をしなければ。だがあの2人がチーム同じくしているにも関わらず、この状況に陥ったのがそもそもおかしい。何かそれぞれの思惑が交錯しているのだろうか。

 

『そして1000万獲られたものの、猪地チーム、果敢に奪った鉢巻で堂々の2位だ』

 

 遠目に見える猪地くんたちは拳を突き合わせ勝利を祝っているようだ。

 

『3位は抜群の安定感を見せた轟チーム――――なんだがオイどうすんだこれ』

 

 そう、ここからが問題なのだ。本戦進出は上位4チーム。しかしながら先ほどの心操くんの洗脳の結果、とんでもないことが起きていた。 

 

『残りのチーム全てが0Pで4位該当なし。これは通常ならば主審のミッドナイトに委ねるべき案件だろうな。だが、この様子だとそうも言ってられん。俺も下に降りるぞ』

『おい、イレイザー?! HEY、リスナーの諸君、ちょっと待ってくれよ』

 

 実況に無理やり連れてこられていた相澤先生が、自らプレゼントマイクに代わり放送を行った。慌ててプレゼントマイクが場つなぎのため、今は試合の講評を放送している。

 

『――――この右を強烈に印象づけてからの左が決め手だったな。お、ようやくジャッジタイムがはじまるぜ!』

 

 そして相澤先生がミッドナイトの隣に並び立ち、普段よりも一層重い口調で喋りだした。

 

「ますは確認だ。心操人使、お前の個性をわかった上で問うぞ。最後の数秒で個性を全体に向けて使ったな?」

「はい。俺の個性で洗脳して、鉢巻きを捨てさせました。そうでもしなきゃ、ウチは圏外のままだったんで」

 

 あっけらかんと答える心操くん。戦略は理解できる。騎馬も崩していないのでルールそのものには抵触はしないはずだ。

 

「せ、洗脳ってなんじゃそりゃ?!」

「そんな個性ってありかよ。道理であの爆豪があんなことを」

「あのクソ半目、ブッ殺す。殺す。殺す。殺す」

 

 会場が、いやそれ以上にようやく何をされたか理解した選手たちの方が騒がしくなる。だがそんな様子を無視して相澤先生は話を続けた。

 

「なら次の質問だ。誰に個性を使った?」

「試合開始前から緑谷出久に残り時間半分過ぎくらいまで。その後はラストで無差別に使ったから誰に効いたのかはわかりません」

『オイオイオイ。無差別でこんだけかかってんのか?! 理不尽すぎるくらいのトンデモ個性だろ。ていうかこんなのが普通科に居たのかよ』

 

 プレゼントマイクがおそらく皆が思っていそうなことを代弁する。そしてそれを聞いて大きくため息をついた相澤先生は尋問を続ける。

 

「だから、俺はあの試験は合理的じゃないって言ったんだがな。心操、その言葉信じていいな?」

「はい」

「先生、そう言いながら目を使うのはどうなんですか? 心操くんからは決して質問もしてないですよ」 

 

 猪地くんはあからさまに不機嫌そうな口調で、疑うなと同義の言葉を言った。本人曰く爆豪くんや、最近呼び捨てに降格した峰田くんほどではないものの、不衛生で生理的に嫌だと常々主張しており、今日の彼女は更に不機嫌さが割増中のようだ。

 

「備えるのは当然だろう。猪地、あえてお前に次は聞こうか。お前が他のチームだったら今の状況でどこまで危機予測する?」

「未だにミッドナイト先生の洗脳が解けてない可能性、相澤先生が審判中に洗脳され心操くんに対し一方的に有利な判定が出ること。しかもその状態が本戦でも続いている可能性。だから理解はできます。でもっ!」

「猪地、そこまででいい。次はミッドナイト先生、あなたにです。最後の数秒間、洗脳された覚えはありますか? 記憶に支障は?」

 

 心操くんを擁護する猪地くんの言葉を遮った相澤先生はミッドナイトに話を振る。

 

「ありまくりね。最後のカウントダウンから一時の記憶がないわ。でも、他の部分の記憶ははっきりしているわよ。試合前から洗脳を掛けられていたという線はないと思うわ」 

「そうです。本当に手段を選ばないなら、最初から審判の先生たちに掛けたり、チーム組の時点で全体を洗脳しておけばいくらでも八百長し放題だったんです。でも私たちはルールの範囲内、試合時間内でしか個性を使っていません」

 

 遮られていた言葉の続きを力強く主張する猪地くんに対する反応は様々だった。酷い、手加減されてこれかよ、などの声があちこちで聞き取れる。

 

「考えることが相変わらず容赦ないわね。比較的マイルドなのしか実行に移さないのが猪地ちゃんらしくもあるけれど」

「私はあの方のことをよく存じあげませんが、これは手心加えられていたことに感謝するべきなのでしょうか。いくら私たちのチームが個性を把握していても、そのような状況では勝ち目もなかったでしょうし」

 

 B組からすれば猪地くんに関する情報は入試騒動とこの体育祭ぐらいしかないので、頭上にクエスチョンマークを浮かべた塩崎くんの反応は当然のものだろう。

 

「A組頭脳担当の汚い方だからな。相手にするときは気をつけた方がいいぜ。ところで君可愛いね。俺とこの後一緒に飯でもどうよ」

「いえ、私はお昼はB組に戻りますので」

「だったら茨ちゃん、良かったら来週一緒にお昼はどうかしら?」

「ええぜひとも。申し訳ありませんがそういうことですので」 

「アレ? 俺が誘っていたのに何この流れ」

 

 上鳴くんが果敢にも塩崎くんに声をかけたものの見事に失敗したようだ。彼は肩を落として俺たちの前から去って行った。視線を先生たちに戻す。何やら2人で協議しているようだ。論点はまず4位のチームをどこにするか。そしてもう一つ心操くん、またはそのチームの処分に関してだ。周りが少しざわつき始めているな。発言するなら今しかないか。

 

「先生、俺からも質問をいいでしょうか?」

「どうした飯田、言ってみろ」

「はい、俺は第一種目の途中から心操くんの洗脳に掛けられて地雷原の爆発を喰らうまで彼を運ばされていました。これは不正にあたる行為だったのでしょうか?」

 

 できることなら穏便に収拾を付けたい。だがそのために動くのが猪地くんたちでは駄目なのだ。違うチームであり、かつ第一種目の被害者である俺こそがここは先陣を切るべきなのだと俺は判断し、挙手の上で相澤先生に質問をした。

 

「違うな。お前の力を利用したのも心操の個性を活かした結果だ。それに対して口を挟む余地はない。お前は不服なのか?」

「いいえ。利用された悔しさこそありますが、それは俺の未熟さ故のこと。特に俺は事前に彼の個性を知っていたので尚更です。相澤先生の言い分だと、この騎馬戦においても心操くんは不正をしていない。そういう判断が下るべきだと俺は思います。ただし、彼が個性をかける際の発言はヒーローとして相応しくないと――」

「俺は、まだ(・・)ヒーロー科じゃない。お前と同じ土俵で話をするなよ」

 

 怒気を言葉に滲ませて心操くんは強調する。「自分の個性の有用性が正しく認められないこと」と同じく「ヒーロー科ではないこと」も彼の心の奥で燻っているものだったのだ。俺はそれを知っていたのに迂闊な発言をしてしまった。

 

「そうだった。君の事情を知りながらも、配慮のない発言をしてすまなかった。そして相澤先生、心操くんの『(ヴィラン)だ』という先程の発言はこの情勢における雄英生として相応しくないものであったと俺は思います」

「それで何を求める?」

「ただ、謝罪を。俺たちにではなく観客の皆さんに対してです。彼の勝利は認められるべきもので、本戦に進むに相応しい実力者だと思います。しかしもっと他に言いようはあった。それについて彼は反省を示す必要があると強く抗議します」

 

 強く、という言葉を付け加えて俺は発言した。観客でもマスコミでも選手でもなく、あの選手宣誓を行った俺が言うべきことなのだから。

 

「試合中の不謹慎な発言、誠に申し訳ございませんでした。観客の皆さんに不安を抱かせたこと、警備の皆さんの手間を増やしたこと、深くお詫びします」

 

 実にアッサリと彼は深く頭を下げて陳謝する。そして彼は予想外の言葉を告げた。 

 

「俺はヒーロー科じゃない。入ることの叶わなかった人間です。たった一ヶ月ちょっと、そんな短い期間かもしれませんが彼らとの実力の差をひしひしと肌身で感じました。何より俺が性質の悪い冗談を言ったときヒーロー科の対応が、A組もB組関わらずとても迅速で的確だったことに感心し、そして自分の言動を恥じました。だから俺はここで辞退します」

 

 会場のざわつきが一層大きくなる。特に爆豪くんは「降りるな。本戦で殴らせろ。ブッ殺す」などと言っており酷い有様だ。心操くんよりも余程、爆豪くんのほうが問題発言を繰り返しているのだが、そろそろ止めたがいい頃合いだろうか。

 

 だが同じことを思ったのか「爆豪黙ってろ。順当に行けば俺たちが4位だ。頼むから口を閉じてくれ」と切島くんと瀬呂くんが必死になだめているから大丈夫だろう。 

 

「チームに責任はありません。だけど俺は降ります。それは今回の発言の問題だけではありません。元々俺は勝っても負けてもここまでと決めていました。例年通りだと本戦は個人戦。ネタの割れた俺に勝機はないことは俺自身がよく理解しています。だから俺の枠1人分に、4位になれなかったチームから1人本戦に上げて下さい。その選手に活躍するチャンスを与えてほしいと俺は思います」

 

 確かに先日彼と軽く組手をしてみてわかったが、身体の鍛え方も技術も経験も全く素人のものだった。個人戦で勝機がないから降りるというのは敗者に対して失礼な話だという捉え方もあるが、活躍の場を譲りたいという気持ちは立派なものだ。

 

 意表をついた彼の辞意に周囲もかなり困惑しているようだ。問題は先生たちの裁定のみ。皆の視線が集まる。

 

「お前の言いたいことはわかった。下がれ心操。あとはミッドナイト先生、心操に関してはあなたの采配に任せます。そして4位に上がるべきチームは最後に意識のなかったあなたに代わって俺とプレゼントマイクで審議する。それで良いでしょうか?」

「えぇ。心操くん、あなたの個性見事だったわ。まさかこの私も洗脳にかけるなんてね。大したものだわ。棄権を認めましょう。そしてこの後の試合を目に焼き付けておきなさい。来年はヒーロー科としてあなたが活躍するのを楽しみにしているわよ」 

「………………はい」

 

 消え入りそうな声で呟く彼の目尻には小さな光が一粒宿っていた。

 

「プレゼントマイク、Vで確認取れたな?」

『あぁ、洗脳以降に新たに鉢巻を奪取したチームはいない。入賞確定のチーム以外であの言葉の直前時点でのポイントが最も上位だったチームが4位でいいんだな?』

「あぁ、それでいい。発表してくれ」

『ヘイ、リスナー諸君大変待たせたな。一悶着あったがいよいよ4位の結果発表だ。トリッキーな動きで怒涛の追撃を見せたチーム爆豪が本戦進出だ! そしてチーム鉄哲が次点だ。惜しかったな。だがまだ諦めんなよ。ミッドナイト!』

 

 良かった。爆豪くん、切島くん、瀬呂くん、芦戸くんの本戦進出が決まった。これで16人の内、A組の14人は確定だ。残りは塩崎くんと未定の1枠のみ。B組の生徒もかなり優秀な者たちがたくさん居たが、ここまで奮戦できたのはやはり皆の結束のおかげだろうか。

 

「チーム鉄哲、あなた達の中から1人本戦に上がる代表を決めなさい。決まらない場合は――」

「鉄哲、お前しかいないだろ」

「チームリーダーだしな。A組パラダイスを潰してくれよ!」

「お、おめェらっ、ありがとうな」

「青臭くていいわね。なら鉄哲くんが本戦進出ね」

『以上で午前の部終了だ。一時間ほど昼休憩挟むぜ! それではシーユーレイター!』

 

 こうして一連の騒動は一応の決着を迎えた。

 

 

 

 

 

                ×              ×

 

 

 

 

「天哉! ご飯に行こう!」

 

 解散が告げられた後、皆と試合について談笑しながら食堂へ向かっていたときのことだった。手を振りながら猪地くんが後ろから走り寄ってくる。見れば緑谷くんと麗日くんも追って来ていた。

 

「あぁ、だが随分と遅かったな。先生と何やら話していたようだが、さっきの心操くんの件か?」

「いや、違うよ。そっちは天哉のお陰で片付いたし。穏便に収めようとしてくれて助かったよ。もしものときは鉢巻を捨てさせるように作戦立案したのは私だけど、あんな言葉で嵌めるとは流石に予想できなかったから。天哉じゃなかったらもっと拗れてたと思う。本当にありがとうね」

「何、礼を言われることではないさ。俺が彼の言動に怒っていたのは事実であるし、適正な処罰を受けてもらっただけだ。まさか彼自身が棄権を言い出すとは思わなかったがな」

「飯田くん、僕たちは本当に事前から心操くんが棄権するのを前提で動いていたからね。気に病まないでいいよ。あのときトップのままだったら捨てさせる以外の形で、彼の個性をアピールして締める予定だったし」

 

 緑谷くんが両手を振りながら早口で言う。隣の麗日くんも激しく頷いて「気にせんといて」と念を押していた。

 

「わかった。心操くんについてはまた後日ゆっくり話すこともお互いあるだろうしな。それにしても緑谷くんの急激な変化はさっきの心操くんの口ぶりだとやはり彼の個性で制御していたのか?」

「うん、最初はね。心操くんと猪地さんの個性の重ねがけで出力を抑えて個性を使う方法を身体に馴染ませてもらっていたんだ。おかげで下半身だけなら自分1人でもさっきの速度を出せるくらいには制御できるようになったよ」

 

 ハキハキと喋る緑谷くんの口調から自信がありありと見て取れる。多少なりとも制御できたことで気持ちの面でもまた一歩彼は前に進んだのだろう。

 

「前々から案自体はあったんだけど、ぶっつけ本番で緑谷くんもよく制御覚えたと思うよ。というか私自身ちょっと制御に関わってみたけど、暴れ馬どころか暴れドラゴンぐらい扱いにくいのなんのって」

「暴れドラゴンか。それは難儀そうだな」

「でしょ?」

「飯田くん。走り方とか、足技とかまた今度教えてもらってもいいかな? 今までとちょっとスタイルを変えないといけないかもしれないし、色々試したいんだ」

「あぁ、勿論だとも」

 

 右手を差し出して握手を求めたとき、彼の手を見てようやく気づいた。

 

「ゴメンね。僕はまずリカバリーガールのところに行かなくっちゃ」

 

 第一種目で彼は人差し指を骨折していたのだったな。

 

「わたしもデクくんと保健室に行ってくるから。また休憩の後でね」

「それじゃあ、また後で」

 

 そう言うと2人は駆け足で保健室の方へと向かって行った。猪地くんと一緒に彼らを見送る。

 

「では俺たちも早いところ食堂に向かうか」

「ストーップ!」

 

 グイッと力強く手首を掴まれた。猪地くんの握力は相変わらず中々のものだ。

 

「どうしたんだ?」

「1年ステージが1番遅くに終わったから食堂は今頃激混みでしょ? それでね、じゃじゃーん!」

 

 ポケットの中から封筒大のカラーパンフレット、体育祭の会場マップを出した猪地くんがある地点を指差して言う。

 

「私、お祭りってのに行ってみたい」

 

 普段持ち込みの弁当や、安い食堂を利用している彼女からしたら珍しい言動だった。こういった催し物の食事は決して安くはないはずだが、そんな彼女がこう言い出すということは普段からしたらあり得ない。

 

 だが少しずつ教えてもらった彼女の暗い過去話から察するに、もしかしたら祭りの類そのものがはじめてだったりするのだろうか。

 

「さっき先生に許可とってきたしさ。2人以上でないと行動したら駄目でしょ。だからさ――」

「行こう。年に一度のお祭りだ。楽しまなくてはな。リンゴ飴やチョコバナナが置いてあるといいんだが」

「えっ、そんなの美味しそうなのもあるの?!」

 

 果物の話をすると早速食いついてきた。目の輝きが違う。

 

「縁日の定番だからな。きっとあるだろう。時間もあまりないし売り切れもあるかもしれない。早めに向かうぞ」

「うん!!」

 

 他の定番と言えば、焼きそばやタコ焼きだろうか。

 いや、あえて肉系もありかもしれない。

 

 祭りの匂いが漂う方へ、足取りは軽く。

 

 どうやったら楽しく過ごしてもらえるだろうかと考えながら、彼女の右手を強く握り締めた。

 

 

 




2018.9.4追記
原作最新話にて心操くんの個性について詳細がわかってきましたが、騎馬戦での下りはそのままにしておきます。数話にわたり多大な書き直しが要求されるので…

次話以降は原作に沿った範囲で用いるようにします。最終章でプロットの大幅な変更が必要なようです。頑張ります。


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第19話 縁日にて

「集合時間から逆算すると、自由に動けるのは残り40分と言ったところだな。効率的に回るぞ!」

「おー!」

 

 猪地くんと共に拳を振り上げる。縁日の楽しみ方を彼女に教えるのも、副委員長としての役目だ。気合いを入れなければ。

 

「でも、ちょっと待った。この先は一般の人も出入りするから……」

 

 通用口の前で立ち止まった彼女は髪をまとめていたゴムを外し、ポケットにしまい込む。髪を手櫛でワサワサと泡立てるように動かすと、直毛気味だった彼女の髪が緩くウェーブがかったようになる。

 

「猪地流変装術、秘技“瞬間パーマの術”!」

 

 ふわりと空気を含ませたように、柔らかにうねる黒い艶髪。いつもの活発さや凛々しさはなりを潜め、温厚さや静謐さが滲み出ている。

 

「アーンド、秘技」

 

 そして両手を覆い被せるようにして顔を隠した彼女は、幼子をあやす仕草のようにその手をパッと開いた。

 

「“そばかすの術”! なんちゃって。いま適当に名前付けちゃった」

「ブラボー!」

「いやー、どうもどうも」

「まさかそんな個性の使い方があるとは。凄い応用力だな」

 

 これは素直に拍手を送らざるを得ない。俺が猪地くんと同じ個性を持っていたとしても、この発想には至らなかっただろう。

 

「ちょびっと生命力を別の部位に移動させて、ダメージを調整するっていう、自分限定の技だけどね。意外と役に立つよ。イメージ変わるでしょ? それでね、よいしょっと!」

 

 猪地くんの両手が俺の顔に……否、俺の眼鏡に延びる。そしてさも当然かのように外して、猪地くんは俺の眼鏡を掛けた。

 

「うーん。ちょっと違和感あるけど、そこまで度がキツくなくて良かった。天哉、これでどう? 地味めの文学少女です的な感じにならない?」

「眼鏡がないから良くわからないな」

 

 酷い近視というわけではないので、全く見えなくはないのだが、少しぼんやりとした視界で意見するのも躊躇われた。

 

「もう、この距離ならどう?」

 

 吐息が顔に触れる。ほんのりと漂う爽やかな柑橘の香り。

 

「確かに、君が言わんとするイメージは表現できていると思う。ただ先ほどよりもやけに血色が良すぎるよつに見えるのは個性の反動か? 男の俺が口に出すことではないかもしれないが、やはり肌に負担をかけるのは良くないと思うぞ」

「……うん。知ってた。心遣いはありがたいけど、天哉は至って通常運転だね」

「確かに俺は至って普段通りだが、猪地くんはいつもと……って何をするんだ?!」

 

 再び俺の頭へと両手を伸ばした彼女が手櫛で俺の頭を掻き上げるように弄り出す。

 

「イメチェン、イメチェン。天哉は選手宣誓で目立っちゃってるからね。こうやって分け目と流れを変えると、眼鏡もないから大分変わるよ。できた!」

「鏡がないからわからないぞ」

「こういうときはね、スマホのカメラを自分側のほうに切り替えて……」

「なるほど。これなら良くわかるな」

 

 スマホの画面に映る姿をまじまじと見る。前髪以外をオールバック気味で反時計回りに流した自分の姿は、いつもよりもすっきり纏まっている印象を受けた。

 

「せっかくのツーブロックだしね。いつもよりちょっとサイドの短さを強調して大人っぽくしてみたけど、どう?」

「ありがとう。清潔感があって割と好みだ。確かにこの姿も俺ではあるのだが、遠目からではわからないかもな」

「そうだ。ついでだし」

 

 カメラの位置はそのままに、俺の右隣へと移動してきた彼女が肩を寄せてくる。そしてパシャリ、とシャッター音が鳴った。

 

「初変装記念的な?」

「初耳だなそれは」

「私だって初めてだよ。うん、ちゃんと撮れてる」

 

 変装姿のツーショット写真を見せる猪地くん。入学式も相澤先生のテストのため完全に飛ばしてしまっていたため、そういえば高校に入ってから初写真になるのか。そう言えば天晴兄さんが猪地くんの写真を見せろと言っていたがこれでいいのだろうか。それとも普段の姿も撮ってもらうべきか?

 

「俺の方に画像を送ってもらってもいいだろうか?」

「え、勿論いいけど。まさか天哉の方から言い出すなんて、今日は大雪にならないよね……あれでも、サイトの降水予想確率0%だ」

「今日は間違いなく快晴だぞ」

「おう、ボケを素で返された。ま、早く行こっか。時間もないし。そうそう設定は普通科ね。親戚に顔出しに外に出て来たという体で」

 

 親戚という言葉から最も縁遠いであろう猪地くんが唐突にそんなことを口にした。明らかに嘘だ。

 

「体? 相澤先生にはなんと言って外出許可をもらったんだ?」

聖輪会(メビウス)が面倒起こさないように釘刺しに行って来ますって」

「それも虚偽ではないのか。良くないことだぞ」

「最後にちょっと顔出すから本当だもん」

 

 頬をリスのように膨らませた猪地くんに「早く行こう」と急かされ俺は通用口の扉を開けた。

 

 

 

 

 

 

「うわぁ、凄い人だ」

 

 各学年ステージへの通路に立ち並ぶ縁日ゾーンは、昼時ということもあってか、さながら満員電車一歩手前の様相だ。猪地くんはマップと周囲を見比べ、小鳥のように世話しなく首を左右に動かしている。

 

 かなり周囲に気をつけなければすぐ人にぶつかりそうだ。この前にぶつかってしまった男性に言われたことを思い出し、過ちを繰り返さないように気を引き締める。そしてマップを持っていない猪地くんの右手を軽く掴んだ。

 

「はぐれないように手を繋いでおこう」

「――――うん。なんか、こう賑わってると色々目移りしちゃうよね」

「そうだな。まずは炭水化物をしっかり摂るために粉物などはどうだろうか?」

「いいね! いかにも縁日っぽい。ってあそこに居るの、シンリンカムイじゃない?」

 

 彼女が指し示すたこ焼き屋に居るのはプロヒーローのシンリンカムイ、そしてMt.レディとデステゴロか。割と最近よく聞く名前だからすぐにわかった。何やら彼らもたこ焼きを買い求めているようだ。

 

「1つ500円だ」

「あの、今持ち合わせがなくって…………」

 

 代金を提示させたMt.レディが俯きがちに身体をくねらせ、猫なで声で言う。

 

「エロッ!!! タダで!」

「ありがとー!!」

 

 男性店主は料金を彼女から取ること無くたこ焼きの箱を差し出していた。後ろ二人の男性陣は呆れ顔でため息をついている。さらにMt.レディは追加もねだり、箱の蓋が閉まらないほどにたこ焼きが溢れかえっていた。ホクホク顔で彼女は足早に次の店へと向かっていく。

 

「あれはプロヒーローとしていいのだろうか」

「店主さんの好意だからいいんじゃない。露骨過ぎてちょっと退くけど。でも美味しそうだな。偶に食べても冷凍ものだし」

「なら早速買ってこよう。焼き立てはフワフワで美味しいぞ」

 

 財布から500円玉を取り出しながら注文をする。

 

「たこ焼き一箱お願いします」

「あいよ、まいどあり! 青のり、マヨと鰹節はどうするかい?」

「全部お願いします! 天哉もいいよね?」

「あぁ」

 

 隣の猪地くんが元気よく答え、俺も頷きで返す。猪地くんは握っていた手を離し、財布代わりにしている赤い七宝柄の小さな巾着袋から100円玉2枚と10円玉5枚を取り出し俺に渡そうとする。

 

「はい、半分こね」

 

 しかし差し出された手に乗せられた小銭。しかし俺は上から手を被せ、そのまま彼女の指を閉じさせた。

 

「それは受け取れない。僅かばかりだがここは俺に奢らせてくれ。この2週間のブートキャンプの礼だ」

 

 俺たちの筋トレの監督として、プロ顔負けの敏腕を奮った彼女に対し何か礼をしなければならないと常々思っていたところだったのだ。ならばこういう場こそが相応しいだろう。兄さんも似たようなことを言っていた。

 

「お嬢ちゃん、もらっとけもらっとけ。こういうのは男にカッコつけさせるとこだぜ」

 

 鮮やかな手つきで器用にたこ焼きをひっくり返していく店主が言った。

 

「そういうことだ」

「わかった。ありがとう、天哉。でも次は割り勘だよ」

「どういたしまして。次からはそうだな。了解だ、いの――」

 

 彼女の名を呼ぼうとすると、人差し指の先で口を塞がれた。

 

「巡理でいいよ。せっかくこの格好なんだから名字はなし」

 

 確かに試合中に選手名を呼ばれることは度々あったが、殆どが名字でフルネームではそう何度も呼ばれていなかったはずだ。少しでも目立つ可能性を減らすためにと考えれば確かに一理ある。

 

「ならば巡理くん」

「ん~、まぁいいか。それで良し」

 

 そう言いながら彼女は巾着袋に小銭をしまい込む。たこ焼き屋の店主は焼けたのから順番に箱に盛り付けているところだ。生地が焦げる香ばしい匂いが鼻腔の奥を刺激する。

 

「もうちょいだから待っとけよ。今のうちに横の飲み物、好きなの1つずつ持っていけ。頑張ってる学生さんにおっちゃんの奢りだ」

 

 氷水に浸かった缶飲料の方を顎で指し示す店主。お茶やコーラなど6種類ほどの飲み物が所狭しと浮かんでいた。中には100%オレンジジュースも見えた。俺のお気に入りのメーカーの品だ。中々に品揃えがわかっているご主人だ。

 

「おじさん、好意に甘えちゃっていいんですか?」

「それではご主人の稼ぎが減るのでは?」

「良いんだよ。年長者には甘えとけ。兄ちゃんもその金で甘いもんでも後で買ってやんな」

 

 ソースを網目状に掛けながらご主人が言う。そして続けてマヨネーズ、鰹節と青のりを振りかけた。風に舞った粉と熱で蒸発するソースの香りが一気に食欲を刺激する。

 

「おじさん、ありがとうございます! オレンジ2本貰いますね」

 

 氷水に手を浸し、オレンジジュースを2本取って俺にその内の1本を手渡す猪――いや、巡理くん。キンキンに冷えているな。この強い日差しと祭りの雰囲気で、いつもよりさぞ美味しく感じることだろう。

 

「ご好意ありがとうございます」

「良いってことよ。もうできるぜ。ほらよっと」

 

 渡された箱を受け取る。熱い。箱越しに伝わる熱が早く食べてくれと主張しているかのようだ。

 

「おー鰹節が踊ってる! 美味しそう。頂きます!」 

「頂きます。ありがとうございました」

 

 次の客の対応をしていたご主人に礼を言って店から去る。ご主人は言葉の代わりに左手でサムズアップをしてくれた。

 

「いい人だったね。あっちのテントの下の席が空いてるよ!」

 

 祭りのときならば食べ歩きも悪くはないだろうがこの人混みだ。素直に座った方が良いだろう。巡理くんの言っていた飲食スペースのテントへ移動し、無事に席を確保する。

 

「じゃあ早速食べようよ。あ、その前に午前の部お疲れ様ってことで乾杯!」

「乾杯!」

 

 オレンジジュースの縁を軽く当てた後、一気に喉へとジュースを流し込む。染み渡る酸味とまろやかな甘味。

 

「美味い! たこ焼きも冷めないうちに食べよう。頂きます」

「頂きますって…………アレ? 付いてるの爪楊枝じゃなくてお箸じゃん」

「関西など幾つかの店では箸で食べると聞くが、一人分だけでは困ったな。先程の店に貰いに行って来よう」

 

 席を立とうとすると、巡理くんに手で座れと指示され着席する。

 

「さっきのお店見てよ。ほら、行列になってる。今行ったら邪魔になっちゃうよ」

「確かに。ならば交代で食べるか。巡理くんから先に食べるといい」

「じゃあお言葉に甘えて」

 

 箸でたこ焼きをつまむ巡理くん。見るからに崩れ落ちそうなほど柔らかそうな生地だ。そして大きい。なるほどだから爪楊枝ではなく箸を渡されたのか。

 

「あっつい、火傷しそう――――けど美味しい!」 

 

 口元を手で覆い隠し、ハフハフと口内を冷やしながら食べる彼女。良かった。笑顔を見せてくれて。連れてきた甲斐があったというものだ

 

「はい、天哉も」 

 

 巡理くんが新たなたこ焼きを箸で摘み、差し出して来た。このまま食べろということか。これは俗に言う「あ~ん」というやつだ。だがしかし俺たちは恋人ではない。周囲に誤解を与えるのは巡理くんにとっても良くないことではないだろうか。

 

「巡理くん、これでは傍から見ると君が――――」

「そこの学生2人、そこまでよ!」

 

 金切り声に近い大声がテントに響き渡る。縁日では同じように許可を貰ったであろう学生の姿もチラホラと見かけたが、このテント内における学生2人といえば、どう見ても俺たちしかいない。

 

 猫型のヘッドギアとグローブ、そして飾りの尻尾の付いたスカートが印象的な警備のヒーローらしき長い金髪の女性と、同じコスチュームを着用した筋肉隆々とした単発で黒髪の男性が俺たちを指差していた。

 

「一般人用の縁日に紛れ込むなんて悪いキティね。しかも不順異性交友ときた。なんてうらや……ゴホンゴホン、けしからん! 私の目が黒いうちは決して許すわけにはいかないよ!」

「不順?! いえ、俺たちはただ食事をしていただけで決してそんな破廉恥なことはしていません」

 

 血走った目で睨みつけてくる金髪のヒーロー。確かに警備の人たちからしたら学生がウロウロしていれば心配にもなるはずだ。許可証を巡理くんが持っていたはずだ。

 

「巡理くん、許可証を…………どうした?」

 

 珍しくぽかんと口を開けて呆けている彼女に思わず問いかける。

 

「ワイプシだ。生ワイプシだ」

 

  この反応はまるでオールマイト談義のときの緑谷くんのようだ。もしかすると憧れのヒーローだったのだろうか。爛々と瞳を輝かせる彼女がそこに居た。

 

「虎とピクシーボブじゃん。うわ、本物?! 何かサインしてもらえる紙は…………これだ!」

「もしや我々のファンなのか?」

「はい! 超ファンです! この裏にサインお願いします!」

 

 そう言って相澤先生直筆の許可証とマジックペンを躊躇いなく差し出した巡理くん。

 

「あ、本当にイレイザーの許可出てる。って、この子あの宗教団体の?!」

 

 許可証の内容を読んだ二人のヒーローは苦い顔へと急に変わる。 

 

「すまぬがここでは人目がある故、我々に同行してもらおうか」

「少し場所を移すよキティ」

 

 今日という日を境にして、俺の知らなかった世界が、少しずつその姿を露わにし始めようとしていた。

 

 

 

 



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第20話 煌めく瞳で◆

 山岳救助を主に得意とする四人一組のヒーロ-ユニット、ワイルド・ワイルド・プッシーキャッツのメンバーである二人に捕まった俺たち。巡理くんによる解説を聞かされながらヒーローたちの待機所の内の一つ、プレハブ小屋へと向かい、中へと誘導された。

 

「休憩中で時間ないでしょ。食べながらでいいよ。私たちは先に食事済ませてるから気にせずにね」

「それじゃあ遠慮なく」

「お心遣いありがとうございます」

 

 金髪の女性の方、ピクシー・ボブにそう言われ、巡理くんはオレンジジュースに口をつける。そして巡理くんは箸を俺に渡したこ焼きを食べるよう促した。箸が一つしかないから交代で食べるしかない。ここは迅速に食べなければ。

 

「頂きます――――つっ?!」

 

 予想以上の熱さに思わず吹き出しそうになるのを、手で抑えて何とか堪える。おそらく出汁が効いていて美味しいのだと思うのだが、熱さが何よりも前へ前へと主張して来るため、俺はたこ焼きの味を正しく感じることができなかった。

 

「急ぎ過ぎだって。もう、火傷してない? ジュースで流したら?」

 

 ジュースを差し出して来る巡理くんを箸を持った手を前に出して拒否する。あのご主人が丹精込めて作ったたこ焼きをオレンジジュースの味で有耶無耶にしてしまうのは余りにも失礼だ。

 

 覆った手で隠すように口を開き、換気によって口内の冷却を試みる。すると鰹の香りと昆布の深みがじんわりと感じられるようになってきた。卵の味や具材の食感を邪魔しない絶妙な出汁のバランスはまさに傑作だ。うむ、確かに美味いな。あの店を選んで良かった。この味ならさっきの巡理くんもきっと満足してくれたはずだろう。

 

「交代では遅くなるだろうから、これを使うが良い」

「ありがとうございます」

 

 がっしりとした黒髪の方である虎に待機所に置いてあった割り箸を渡され、巡理くんも新たなたこ焼きに箸をつける。そして半分に割ってから、ふーふーと冷ました上で慎重に口に運んだ。目元の変化だけでも彼女が喜んでいることは充分にわかった。

 

「キティたち、食べながらで良いからそのまま聞いてね。今回の入場検査にウチのラグドールとマンダレイもメインで関わっているんだけど、会場の外に居る聖輪会(メビウス)が厄介みたいなのよ」

 

 先程の巡理くんの解説によれば確か、見た者の居場所も個性もまるわかりにしてしまうのがラグドール、テレパスで情報を一斉送信できる方がマンダレイ、だったか。成る程、これ以上の人選はないと言えるほどに入場検査の警備要員として最適な二人だ。それだけ雄英も厳戒態勢だという証明だろう。

 

 だが、厄介ごととは何事だろうか。巡理くんの眉がハの字になり、普段あまり見せない顔になる。しかしこの話題になると稀に見せる顔だ。彼女自身がこの話題を明らかに好まないことから避けがちだったため、この団体について持っている俺の知識はそう深いものではない。 

 

 宗教法人聖輪会、日本以外ではメビウスの名で知られているこの団体は巡理くんの母の異名であるエンドレスから名付けられている。無限にループするメビウスの輪は元来永遠の生命の象徴でもあるが、表も裏もないという輪の特性から連想させるもう一つの側面がある。

 

 

 

 『分け隔てなく人々は救われるべきであり、救うべきである』

 

 

 

 超常以前の時代からありがちな宗教観ではあるが、新興宗教団体の中でもその主張に特化しているのが聖輪会(メビウス)だ。相手の国籍、宗教、個性、社会的立場、そして過去の犯罪歴も含め、如何なる理由による差別もせず、裏も表も含めて人は救われるべきであり、救うべきであるというのがこの宗教の最大の主張だ。

 

 神のためではなく、自身が受けた恩、繋いでもらった生命に報いるために他者に尽くすべきであるというのが基本理念らしい。エンドレスが神と同一視されることもあるが、巡理くん曰く、全ての生命そのものを信仰の対象とする一派が優勢だそうだ。殺人と煙草は禁忌であるものの、その他の戒律は基本的に緩く、他宗教にもかなり寛容なのが特徴だ。

 

 災害時やホームレスへの炊き出し、貧民、元犯罪者やその家族への医療行為や福祉活動、医学生や孤児院への援助などが主な活動であり、その慈善事業に傾ける比率の歪さが度々取り上げられる宗教団体でもある。

 

 こういったことから聖輪会(メビウス)の主な支持母体は貧民街や犯罪歴のある者が多い治安の悪い地域や国に集中しており、比較的社会の安定している日本では発祥の地でありながらもかなり少ない。日本ではエンドレスの悪評が大きく、13年前の事件を起に、日本での治療行為がほとんど行われなかったのも影響していることもある。

 

 一部の医学関係者や元敵の権力者を除けば、政治力及び財力に乏しいこともこの団体の特徴でもある。その上で日本は世論の逆風と信者数の少なさという要素が重なって、巡理くんは肩身の狭い思いをせざるを得なかったようだ。

 

 こうして脳内で整理してみれば、主張にしても実際の行動にしてもかなり善良な宗教団体な気もするのだが、世間と俺との感覚はどうやら乖離しているらしい。でなければこの入試のときのような騒ぎも起こらなかっただろう。

 

 巡理くん自身があまり宗教と関わりたがっていない節が見受けられたので、信者たちと上手く行っていないのは充分察することができたが、一体外では何が起こっており、巡理くんにどのようなことこのプロヒーローたちは求められるてくるつもりなのだろうか。スタジアムで見た信者らしき人々はただ巡理くんを熱心に応援していているだけであり、特に何か問題を起こしていたわけではなかったようだが。

 

「身内がすみません。その……具体的には何をやらかしちゃってるんでしょうか?」

 

 軽く会釈した巡理くんが恐々と尋ねる。

 

「大問題ってほどじゃないんだけどねぇ。外で署名活動っぽいのしているみたいなのよ」

「これだけの賑わいであるからな。メビウスに限った話ではないが、ロビー活動の場とする輩は毎年居るが特に今年は、な」

「これだけ注目が集まっていますからね。入場検査に引っかった人々を相手にするだけでも例年以上の効果があるということですか」

「……すみません」 

 

 入場検査にかける時間も長いはずであり、マスコミの数も多いはずだ。確かに宣伝活動するには持って来いの状況なのだろう。

 

「君が謝ることじゃないよ。運営に直接関わっているわけじゃないんでしょ?」

「まぁ、そうなんですが」

「何も責めている訳ではない。スタッフたちへの差し入れからで申し訳ないが、冷めぬうちにこの焼き鳥も食すが良い。せっかくの縁日を回る時間を潰したのだ遠慮は要らぬ」

 

 巡理くんから発せられる言葉にいつものキレがない。憧れのヒーローを前に平身低頭で居なければならないのは辛いだろう。

 

 彼女はお礼を言って、差し出された牛串に手を付けた。俺も同じように礼を述べて豚バラの塩を口にした。胡椒がかなり効いていて冷めかけてはいるが、悪くはない味、率直に言えば普通の味だ。隣で牛肉を咀嚼する彼女を見る。巡理くんは「美味しいです」と言うが、どこかギコチない。

 

「ただ我らに助力して貰えると非常に助かるという、それだけの話だ。食べ終わってからで良い、少し時間をもらえないだろうか」

「先に言っておくけど、外の人たちも別に悪いことやっている訳じゃなさそうだから安心して。ただ、場所的にちょっとね。入場が滞っているところにメビウスとかのロビー活動組とそれ目当ての報道陣とか集まっちゃっててね。誘導とか手伝って貰えるとラグドールたちが楽になるってわけ。うーん、この鶏皮ブニブニのまんまだ。外れね。要る?」

「自分で食せ」

 

 ピクシーボブが食べかけの串を虎に渡すが、拒絶されたようだ。虎は黙々とササミ串を何本か続けて食べている。筋肉の維持のために淡白なものを好んでいるのだろうか。

 

「君は鶏皮好き?」

「好みというわけではありませんが、残すのも悪いですしそれなら俺が――」

「私、鶏皮大好きなんです。安くてコラーゲンたっぷりだからいつも買ってて! 頂きます!」

 

 呆気に取られたのも束の間。彼女はわずか二口で半分以上残っていた鶏皮を食べてしまった。

 

「ごちそう様でした!」

 

 ほぼ毎日自炊を頑張っている巡理くんは、安さ故によく購入する胸肉と鶏皮は食べ飽きたと言っていたはずだが、やはりプッシーキャッツから勧められたからなのだろう、少し無理している気がする。

 

 俺も豚バラを食べ終えると、巡理くんの真似をしてたこ焼きを一度半分に割って冷ましてから口に含む。大丈夫だ。今度はゆっくり味わおうとしていたとき、ポケットに入れていたスマートホンがバイブレーションする。この長さだと電話か。

 

「うわぁ、何?! き、君、急に震えてどうしたの?! お腹壊した?!」

「いえ、電話が鳴っていたもので」

「ぷ、電話って」

 

 画面を見れば八百万くんの名が表示されていた。伺いを立てて少々外に出るべきだろうか。

 

「天哉はいつもこうなんです。ヴヴヴヴーって、体ごと震えちゃって。ビックリしますよね」

「ねこねこねこ。うん、久々に受けた。面白いね、彼」

「電話ならここで出ても構わぬぞ」

「すみません、それでは失礼します」

 

 了解を得たのでその場で通話ボタンを押す。

 

「もしもし、八百万くん何かあったのか」

『何かって、飯田さん。今、猪地さんとお二人で外にいらっしゃいますよね』

 

 どうやら心配させてしまっていたらしい。リストバンドから発信されている位置情報で八百万くんが、俺たち二人が皆と違う場所にいることに気づいたのだろう。

 

「ああ、そうだ。八百万くんすまない、一言でも君に伝えておくべきだった。今、巡理くんや警備のプロヒーローの方々と一緒に昼食を摂っているところだ」

『そうですわ。副委員長なのですからしっかりしてくださいね。ですが、それよりもなぜそんなところにいらっしゃるのですか?』

「大きな問題ではなさそうなんだが、メビウス関連で巡理くんに協力してもらいたいことがあるらしくてな。相澤先生の許可を貰って縁日ゾーンに出ていた所だ。この後少しの間、入場検査の手伝いに行くことになっている」

『わかりましたわ。気をつけて下さいね。それでは私は応援合戦の準備がありますので失礼しますね。猪地さんに宜しくお伝えください』

「それではまた後で」

 

 声が途切れたのを確認した後、通話ボタンを切る。

 

「お待たせしました。どうやらクラスメイトが俺たち二人が外に居ることに気づいて心配したらしく、電話をしてくれたみたいです」

 

 プッシーキャッツの二人に事情を説明していると、急に真っ青な顔色になった巡理くんが大きな声を上げた。

 

「あー! そぎゃんだった。リストバンド! でも受信機ば持っとるとは――――――――もしもし、百ちゃん!」

 

 そして電光石火の勢いで、彼女は電話しながら部屋の外へと飛び出していった。

 

「キティ、言葉変わってない?」

「地元の言葉に戻るなんて。珍しいですね」

 

 最近の救助活動の体験談を聞きつつ、たこ焼きと焼き鳥を食べながら待つ。虎から勧められたササミは冷めてもふっくらしていて中々に美味だった。同じ焼鳥屋でも当たりハズレがあるものだな。

 

 そして待つこと三分弱、息を切らしながら巡理くんが部屋に戻ってきた。

 

「とりあえずジュースでもどうだ?」

「うん、ありがと」

 

 缶に残っていた分を仰ぐように一気飲みした彼女は乱雑に空き缶をテーブルに置いた。

 

「さっきは急にどうしたんだ?」

「ホントはちょっとした野暮用だけだったんだけど、峰田の馬鹿野郎が百ちゃんに良からぬことを吹き込んでてね。きっちり阻止して来たところ」

「峰田くんの名前が出てきた次点で嫌な予感しかしないのだが、彼の欲望関連だろうか」

 

 雄英の品位に関わる問題のため、この場では性欲という言葉は避けて発言する。それに大げさに頷いた彼女は言葉を続けた。

 

「そう。百ちゃんったらガードが甘いんだから。あの丸め込まれやすさはどうにかしないとね。いやその前にアイツを……」

「お疲れ様だったな。喋り疲れただろう。俺の分も飲むか?」

「うん、ちょーだい。あー生き返る」

 

 何やら不穏な言葉を呟き出した彼女に飲みさしのジュースを差し出す。今度はちびちびとゆっくり味わうようにして、巡理くんはオレンジジュースに口を付けた。

 

「あー、これが若さか」

「大丈夫か? 二人は我が誘導しておく間、休んではどうか?」

「いや、むしろ燃え上がってきた。これだけ人がいっぱい来ているんだもの、どこかにきっと素敵な出会いがあるはず! さぁそろそろ行くわよキティたち! 入場整理を華麗に決めるよ!」

 

 

 

 

 

           ×           ×

 

 

 

 

 入場口の人だかりはもの凄いことになっていた。体格の良い虎が先導してくれなかったら、ラグドールとマンダレイから最も空いているルートを教えてもらえなければ、警備用の腕章を借りただけの俺たちではすんなりと外に出ることは難しかっただろう。

 

「禁煙条例の強化の署名よろしくお願いしまーす!」

「死刑制度廃止に是非一筆を!」

「過労死を出したマルペケ食品産業に対しての再審要求の署名を!」

「医学生への奨学金へカンパお願いしまーす!」

 

 入場待ちで並んでいる人々へ積極的に声をかけている集団が多数いるのが見受けられた。

 

「入場口から離れたアッチでやってねとか、許可書貰ってからやってねとは言ってるんだけど、こうも次々湧いてきたら収集が付かなくてね。聖輪会(メビウス)だけが問題じゃないけれど、小さな市民団体とは話が違うしね」

 

 喜んで署名している人もいれば、迷惑そうにしている人、暇だからまぁいいかとビラを受け取る者など反応は様々だ。そして活動している側を見れば聖輪会所属の証であるメビウスの輪をモチーフにしたアクセサリーなどを身につけている人が、チラホラといた。

 

「ロビー活動は凄いことになっているが、少し俺の思っていた状況とは違うな」

「ウチの団体は実践ありきだからね。布教する暇と人手があるならボランティアやら募金活動に精を出せって感じだから」

 

 もっと直接的な布教活動、巡理くんやエンドレス関係に関する署名活動だと思っていたが、健康関連や福祉関連に力を注いでいるようだ。

 

「この感じだと、聖輪会(メビウス)本体だけじゃないね。他の団体が結構便乗してきてる。ほら、あそこはボードを持っているのはウチだけど声を掛けている男の人は“境界なき世界(ノーボーダー)”だ。人権屋ってこういう機会、絶対逃さないよね」

聖輪会(メビウス)の教義と人権団体、環境団体との親和性はかなり高いからな。声の大きさで争う連中にとっては格好の踏み台なのだろう」

「そうなんですよ。だから他のところにやらかされたときの巻き添えで悪評が絶えなくて……頭が痛い」

「巡理くんの責任ではないのだろう。君が落ち込む必要はないと思うぞ」

 

 何か励ましてやりたいが適切な言葉が見つからなくてもどかしい。当たり障りのない一言しか出てこなかった。

 

「そうそう。落ち込むことはないって――――そうだ!」

 

 ポンと手を合わせ、何かをひらめいた様子のピクシーボブが虎にコソコソ話をする。そして虎がサムズアップで快く返事をしていた。

 

 そしてその名案というのは、入場検査そのもので多忙なマンダレイとラグドールに代わって重要任務を俺たち二人にも任せるというものだ。ヒーローとしての仕事の内、個性に関わらないため免許も不要で俺たちが行っても問題のないものではあるが、現代ヒーローの象徴というべき仕事の一つ。まさか職業体験よりも早く、こんな機会が訪れるとは夢にも思っていなかった。

 

「その、本当に俺たちがやっていいんでしょうか?」

「怖じ気ついたか?」

「いいえ」

「ならばこれも何かの縁だ、前に立つ者としての在り方を我らから学び取れ!」

 

 首を横に振って否定する。そんな俺の肩を叩いて虎は先達としてのアドバイスをくれた。

 

「誘導業務なら、まずは聞いてもらえる環境作りからだもんね。だからまずは目立つのが第一ってわけ!」

「なるほど。俺たちにこうして実践教育して頂けると、ありがとうございます! 精一杯やらせて頂きます!」

「うむ、素直で大変よろしい」

「頑張ろうね。天哉!」

「勿論だ」

「さぁ、行くぞキティたち!」

「はいっ!」

 

 先陣を切って進む虎の後を追いかけ、入場列のちょうど中央部分あたりのスペースに陣取る。そしてピクシーボブに促された巡理くんが、大きく深呼吸した後、高らかに声を上げた。

 

「煌めく眼でロックオン!」

 

 人々の視線が俺たちに集まる。次は俺だ!

 

「猫の手、手助けやって来る!!」

 

 背筋を真っ直ぐに。腹の底から声を出しきる。

 

「どこからともなくやって来る……」

 

 地の底から轟くような虎の声。これがヒーロー、これがカリスマか。

 

「キュートにキャットにスティンガー!」

 

 プクシーボブの声を合図に、両手を伸ばした状態で腰をどっしりと下ろし、体側を右に曲げる。そして呼吸を合わせる。

 

「ワイルド・ワイルド・プッシーキャッツ!!! (with T&M)」

 

 上手くポーズは決まっただろうか。体勢を維持したままの数秒間がやけに長く感じる。だがそんな不安は降り注いだ万雷の拍手によってかき消された。フラッシュが点滅し、シャッター音が次々と聞こえる。これは大変な仕事だな。

 

「初めてにしては上出来だ」

「さぁ、今だよ!」

 

 プロ二人に促された巡理くんが口元に両手をあてて大きな声を発した。

 

「みなさーん、聞いて下さい!」

 

 

 

 

 

 

           ×           ×

 

 

 

 

 巡理くんの誘導に素直に従いメビウスのメンバーたちが移動し出したことにより、他の団体も倣うように動き出した。こうして無事に入場整理が一旦の収集を見せた。

 

 予定より長引いてしまったため、プッシーキャッツを通して相澤先生に連絡をとり、昼休憩後にある最終種目のトーナメントの発表は欠席する運びになった。その後はトーナメントが開始する前にレクリエーションを挟むため、試合前には到着が間に合いそうだ。入試の日に助けた妊婦さんのご家族が客席に来ているらしく、しばしそちらに寄ったとしても充分に余裕があるだろう。

 

 プッシーキャッツの面々と別れ、遅刻のお詫びを兼ねて差し入れのジュースを縁日で仕入れながら巡理くんと共に会場に向かう。

 

 その途中、緑谷くんからトーナメントの写真が送られてきたのを巡理くんと二人で確認することになった。

 

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

「私が第五試合、梅雨ちゃんとか」

「俺が第七で八百万くんとだな」

 

 八百万くんは強力な個性の持ち主だが、創造スピードがネックである彼女と俺の相性は悪くない。油断はできないが、勝てない相手ではないだろう。

 

「俺はどうにかなりそうだが、そっちはどうだ?」 

「純粋な白兵戦勝負になるね。跳躍力も舌の力も凄いけれど、まぁ戦いようはあるよ。轟くんか上鳴くんだと詰んでたから、ブロック単位で見ても分は悪くないかな。ただ緑谷くん側のブロックはえげつないことになってるみたいだね」

 

 確かに反対側のブロックでは先ほど例に挙げられた二人に加え、常闇くんや爆豪くん、塩崎くんなど俺たちとは少し相性的に厳しいことが予想される相手が多い。

 

「中・遠距離技の豊富なメンバーが固まっている分、苛烈な戦いになるだろうな。そして順当に行けば君と戦うのは準決勝か」

「だね。ちゃんと上がってきてよ? さっきの騎馬戦のリベンジするんだから」

 

 俺の胸元へ突き出された右拳。

 

「望むところだ。一対一で正々堂々とやろう」

 

 押し返すように、俺も右拳を重ね合わせた。

 

「うん!」

 

 

 

 




メビウス絡みは三章から掘り下げます。



【挿絵表示】

1-A チアーズ!
峰田の居ないところで皆で着ました。


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第21話 君の名前

 俺と巡理くんがようやく戻ってきたときに、応援席にいたのは切島くん、芦戸くん、口田くん、砂藤くん、障子くん、葉隠くん、梅雨ちゃん、八百万くん、耳郎くんだった。残りはレクリエーションに参加していたり、決勝に備え別の場所で待機しているらしかった。

 

「随分と遅くなってすまない。これは差し入れだ。みんなで分けてくれ」

「ありがとー副委員長、めぐりん。でも全員分だと結構したんじゃない? 貰って良いの?」

 

 芦戸くんがジュースの入ったビニール袋を受け取りながら言う。

 

「良いよ。入場整理のお手伝いしてたら、虎さんからちょっとしたオヤツ代にでもってポケットマネーからお小遣い貰っちゃったし」

「なら遠慮なくね。ラムネ貰いっ! はい、切島!」

 

 巡理くんの言葉に安心した芦戸くんが次に回していく。とりあえずこの場に居るメンバー全員に行き渡ろうとしていたときだった。

 

「ちょっと待った―! 飯田、何テメェ買収していやがんだ。異端審問の時間はこれからだぞ」

 

 レクリエーションから戻って来たらしい峰田くんが妙に脂ぎった手で何かを揉みしだくような所作をしながら声を張り上げた。

 

「聞きたいことは色々あるけどよ。まずはこれだ、一体この写真は何だ? これお前と猪地だろ?」

 

 同じく席に戻って来た上鳴くんがスマホの画面を俺の眼前に突きつけた。そして彼は薄っすらと赤く腫らした眼で問いかけてくる。SNSにアップされた写真に映っているのは、プッシーキャッツと共に口上のポーズを取る俺と巡理くんの姿だった。

 

「八百万くんには説明したんだが、メビウスのロビー活動で入場口が混雑していたらしくてな。彼らに顔の効く巡理くんにプッシーキャッツから要請がかかっていたんだ」

「相澤先生に許可も貰ってるし、証拠だって……」

「違う。俺たちが聞きたいのはそういう事じゃねぇ!」

「峰田ちゃん、とりあえず手についたその背脂を拭くべきだと思うわ」

 

 一体何があったら背脂が手に付着する事態になるのだろうか。艶やかに光る指先を巡理くんに向けた峰田くんが激しい声を上げる。

 

「顔を効かせるのが目的なら何でメガネまで掛けて変装してるんだ? そしてその髪はなんだ猪地! いつの間にゆるふわウェーブにしやがった?! ギャップで欲情するじゃ――」

「公共の場で恥ずかしい言葉叫ぶな。峰田」

 

 いつの間にか峰田くんの背後をとった巡理くんの手刀が、彼の後頭部に鮮やかに決まり一瞬で沈黙させた。

 

「流石、猪地。いつもながらやっぱり動き出しに気づけねぇ。横にいる俺でもこう感じるってことは、視線じゃなくて。うーん……」

 

 USJ以降向上心をクラスで最も全面に出している切島くんが、脳味噌を振り絞って真面目に今の動きを分析する。模擬戦のときに俺もやられたが、個性を利用した気配の消し方や初動の滑らかさが上手いな。普段は後方支援に回る彼女だが、ソロで彼女と相対するときにはそのあたりの攻略が必要になるだろう。

 

 巡理くんは間違いなくトーナメントを上がってくるはずだ。目の前の試合に全力を尽くしつつも、しっかりと俺も対策を練らなければならないな。

 

「学外に出るまでの間、あんまり目立ちたくなかったから変装してたんだって。でも入場口で元に戻しそこねてたの。眼鏡とそばかすは戻したけど、髪を真っ直ぐにするのは籠手がないと難しいからそのままなの。はい、おしまい!」

 

 パン、と一つ手を鳴らし話を終わらせようとする巡理くんに対し、上鳴くんがまだ質問を加える。

 

「ちょっと待て。まだ納得行かないことがある。猪地が飯田と行動していたのは、自由行動は二人一組って決めてたからまだ理解できる。だが飯田、お前いつから猪地のこと下の名前で呼ぶようになった?! 朝は違ったよな。何かあっただろ。吐け! 吐くんだ!」

「吐け、吐くんだー!」

「ちょっ、透ちゃんまで?!」

「名字の方で呼ぶと外で目立つだろう。だから下の名前で呼び合おうということになったんだ」

 

 簡潔に質問に答える。だが確かに下の名前で呼ぶ理由もなくなった。普段通りの呼び方に戻した方がいいのだろうか。だが名前呼びは親密さを表すと言う。梅雨ちゃんも下の名前で呼んでいるのだし、このままの方がいいのか。故に判断を彼女に委ねる。

 

「巡理くん、俺は君に対してどっちの呼び方をするべきだろうか?」

「名字呼びはお母さんと一緒だから、あんまり好きじゃないかな」

 

 呟かれた言葉は“名前が良い”ではなく、“名字が好きではない”という後ろ向きなもの。再び陰を垣間見せる彼女に対して今の俺にできるのは――――

 

「わかった。巡理くん、と」

 

 この一言を届けることだけだ。

 

「うん」

「ふふふ、オイラの嫁になれば名字も変わる。万事解決だぞ」

 

 片膝を付きながら立ち上がる峰田くんが、不敵な笑みを浮かべる。背脂と涎まみれになっている彼はおそらく良からぬことを考えているのだろう。

 

 そんな彼に向けて冷ややかな目で「断固お断りだね。恋愛感情以前の問題」と一刀の元に斬り伏せる巡理くん。

 

「ぐふぅ?!」

「……いつの間に起きたんですの?」

「勝手に精神ダメージ受けんなって峰田。地の底に落ちてるお前の好感度なら当たり前だろ。まだ爆豪と言われた方がツチノコの存在程度には信じられる」

 

 コーラを口にした砂藤くんが、両胸を抑え悶え苦しむ峰田くんへと辛辣な正論を浴びせる。峰田くんの評価に対する的確な形容に、女性陣からは盛大な拍手が送られた。

 

「そう言えば名前といったら、B組の塩崎ちゃんとアドレスを交換したときにから噂を聞いたんだけど、毎年の流れだと体育祭の次の登校日にヒーロー名を決めるらしいわ」

「ヒーロー名か。確かにヒーローになった後は、家族以外から本名で呼ばれることはかなり少なくなったと兄も言っていたな」

「おおっ! ヒーロー科っぽいな。もうそんなに早く決めるのか。高ぶって来るな」

 

 切島くんが自らの拳を重ね合わせ、気合を入れるような仕草を見せる。

 

「切島くんはもう決めてそうな感じだね」

「おう、前々から考えていたからな! でもまだ発表はみんなと一緒にな。そう言う猪地――って呼ばれるのは嫌いか。いやでも女子みたいに“めぐりん”とか“めぐめぐ”とかは流石に気恥ずかしいしな」

「普段から飯田みてぇに女子にも“くん付け”している訳じゃねぇし……」

 

 切島くんと砂藤くんが頭を捻らせていると上鳴くんがポンと手を鳴らした。名案でも思いついたようだ。

 

「“イノっち”とかどうだ? 学校に一人くらい居るけどよ。語感もイメージも大分変わるんじゃね?」

「呼びやすいし、上鳴にしては珍しく良い案じゃない? めぐりはどう思う?」

 

 賛同する耳郎くんに対し、上鳴くん自身は「珍しくってなんだよ」と抗議の声を上げている。

 

「うん、“イノっち”か。いい名前考えてくれてありがとうね。名字呼びよりはそっちで呼んでもらえると嬉しいかな」

「よっしゃあ! イノっち採用! どうだ峰田、こうやって女子から好感度は稼ぐんだぜ!」 

「でもチアガール未遂の件、上鳴くんも共犯だったよね」 

「あの、それは未遂ってことで……」

「未遂でも君たちは女子に恥をかかせるところだったのだろう。それは良くないことだぞ」

「好感度もプラマイゼロですわね」

 

 俺たちの言葉でがっくりと肩を落とす上鳴くん。かなり際どい衣装を公共の場で晒してしまう寸前だった周りの女子たちも「うんうん」と頷いている。

 

「あ、切島くん。さっき私に何か言いかけていたみたいだけど何?」

「別に大したことじゃねぇけど。イノっちはヒーロー名考えてるのかって、流れで聞こうとしていたんだがよ」

「うん、決めてるよ。ずっーと前から。でもきっとみんなビックリするから、発表は授業のときでね」

 

 サラリと流すように言葉を発する巡理くん。他のみんなはというと、あのヒーローの名はセンスがあるだとか、シャレが効いているだとかのヒーロー名談義で段々と盛り上がり始めている。

 

 俺もその間数メートルほど離れた場所に移動して、兄さんに電話をかけてみた。しかしおそらく仕事中だったのだろう、電話に兄さんは出なかった。こうなったら優勝の座をもぎ取ってから報告したいものだ。そう気合を入れ、みんなの下に戻ろうとする。

 

 どうやら巡理くんは賑やかに語り合うみんなの様子を見ながら、青リンゴを齧っているようだ。今日の食事いつもと比べて野菜や果物が少なかったから試合前に補給の必要があるということだろう。

 

「私がレスキューワン、か。悪い冗談だよね」

 

 掠れた小さな声で。だが間違いなく彼女がそう呟いたのを俺は聞き逃さなかった。そして、彼女も個性で後方に居る俺の存在に気づいたのだろう。

 

「天哉?! もしかして、今の――――聞こえてた?」 

 

 瞳孔を見開き、普段のトーンよりも一段と低く抑えた声を出す彼女。そして彼女が食べかけのリンゴを取り落としたのを、地面に触れる前に何とか俺は空中で掴み取ることができた。

 

「あぁ、聞いてしまった。だが、その名前は――――」

 

 “君の父親が殺したヒーローの名前だろう。その名を名乗るつもりなのか”

 

 他の誰かが聞いていてもおかしくないこの場で、そう発言するだけの勇気は俺にはなかった。故に俺は口をそこでつぐんでしまう。

 

「気を使ってくれてありがとうね。でも、これが私の原点(オリジン)だから。逃げるっていう選択肢はないんだよ」

 

 リンゴを受け取った巡理くんは、伽藍堂の瞳で俺にそう語り続けた。その瞳を見て、あの病室での日々を不意に思い出す。 

 

「お母さんのやり方じゃなくて、(ヒーロー)のやり方で、私は人を(たす)けなきゃいけないんだ」 

 

 彼女はそう主張する。“(たす)けたい”のではなく。“(たす)けなければならない”のだと。しかし伴う結果が同じでも、その肩にのしかかるプレッシャーの質は全く別物だろう。

 

「その考えが決して歪だとは言わないし、君の事情を全て知っているわけではないが、義務感に囚われ過ぎではないのか? 気負い過ぎは良くないぞ」

 

 だから巡理くんを思いやったつもりで俺は言葉を投げかけた。そう、自分なりに思いやったつもり(・・・)だった。

 

「言いたいことはわかるよ。でも気負うしかないじゃん。だって楽に生きていく道なんてないんだもん。私は君みたいな良家のお坊ちゃんとは違うんだよ」

 

 いつの間にか俺に向けられた語気が、峰田くんや、爆豪くん、相澤先生に対するものに近くなっている。先程はごくごく当たり前の意見を述べたつもりだった。こんな態度を取られる覚えは他にないが、目の前の事実として巡理くんは妙に苛立ちを見せていた。

 

「それに義務感でヒーローになりたいって人、なったって人はいくらでも居るでしょ、きっと。モテるためなんかよりマシじゃん。それに前々から思っていたけど――――お兄さんへの憧れ以外でさ、ヒーローになる動機を君は持っているの? その理想や動機は借り物じゃないの? 私と君で何がどう違うの?」

「それはっ…………」

 

 その続きを俺は言わなかったのではない。言えなかった。今までこの命題について全く考えたことがないわけではなかった。だが彼女に返せるだけの明確な答えを今の俺は持ち合わせていない。そして数秒の沈黙の後に俺はようやく口を開く。

 

「巡理くん落ち着け、別に君を責めたいわけじゃない。先程から君はわざと論点をずらしていないか。ただ、要らない苦労まで新たに背負う必要はないのではないかと言いたかっただけで俺は――」

「全部が全部とは言わないけどさ。結構上から目線で物を言うよね、飯田くんは(・・・・・)。君のそういうところ、私は嫌い」

 

 俺の言葉を遮るようにそう告げた巡理くんは、もう話すことはないとでも言わんばかりにリンゴを再び口にした。

 

 

 

 

           ×           ×

 

 

 

『さぁ待たせたな。ヘイガイズ、アーユーレディ!?』

 

 セメントスの会場設営がようやく終わり、プレゼントマイクの声が鳴り響く。昼休憩も終わり、出番の近い人間以外はまとまって着席していた。

 

「いよいよ始まるな。みんなで緑谷くんを応援するぞ!」

「おー!」

 

 俺の呼びかけに対し、快くみんなが答えてくれる。芦戸くんと葉隠くんはチア衣装のボンボンを手に持って頭上で振っている。せっかく作ったのに、使わないと勿体無いからということらしい。

 

『頼れるものは己のみ! 最後はこれだぜガチンコ勝負!』

 

 声掛けの後、俺も席に着くと左隣の障子くんが小声で話しかけてきた。

 

「飯田、実はさっきの口論を聞いてしまったのだが、大丈夫か?」

「俺は大丈夫なんだがな。彼女の方があの様子のままだ。君はどこから聞いていた?」

「あのヒーロー名を呟いたところからだな」

「あ、ゴメン。ウチもそれ最初から聞いちゃってた」

 

 右隣の耳郎くんがこっそりと呟く。この二人相手には流石に聞こえていたか。

 

「飯田は悪くないと思うよ。さっきのは完全にめぐりの方が悪いって。完全にアレってただの言いがかりじゃんか」

「その内アイツも落ち着くだろうが、犬に噛まれたとでも思うしかないな」

「確かに強引に話を持っていかれた感はあるんだが、俺自身思うところがないわけでもなくてな」

「ウチはどっちも考え過ぎだと思うんだけどね。真面目人間は大変そう」

 

 そう言って手元のスマホを覗き込む耳郎くん。

 

「午前の部の様子がSNSで結構取り上げられているみたいだね。へー、意外と緑谷人気だ」

「トータルの成績も麗日に次いで二位、かなり目立っていたからな。頷ける結果だ」

「第二種目でかなり制御を掴んでいたようだしな。緑谷くんの動きを良く見ておかなければ」

「ここで緑谷が勝ったら、次は常闇と爆豪でしょ。相性的にどう考えても爆豪が上がってくるし、幼馴染対決になるのか。なんか怖いもの見たさ感あるよね」

「確かに怖いものがあるな。絶対荒れる爆豪の姿を放送していいものかどうか……」

 

 障子くんの最もなセリフに耳郎くんと一緒に頷く。

 

『早速始めるぞ一回戦! 顔は冴えないが成績は両方二位と冴えまくってるぜ! ヒーロー科、緑谷出久!』

 

 観客席から怒涛の勢いで押し寄せる歓声。最終トーナメントだけあって凄い盛り上がりだ。

 

(バーサス) 仲間に推されて気合十分、ヒーロー科、鉄哲徹鐵!』

 

 B組の鉄哲くんは確か身体を鋼のように固くすることができる個性の持ち主だ。切島くんと同じく攻防両方に長けた個性と言えるだろう。緑谷くんの個性無しでの攻撃が通用する相手ではなく、かと言って個性を全力で使ったら大変なことになる。緑谷くんの制御の精度がこの試合の肝となるだろう。

 

 プレゼントマイクによる試合ルールによる説明、簡潔に言えば相手を行動不能、場外もしくは降参させれば勝ちという単純明快なものが行われ、戦いの火蓋が遂に切られようとする。

 

『そんじゃ始めるぜ! レディースタート!!』

 

 開始の合図と共にリングを縦横無尽に駆け回る緑谷くんのその姿は、直線的な俺の動きよりも爆豪くんのような小回りを効かせた動きをリスペクトしているように感じられる。下半身のみで出力を極小まで絞り込む“限定発動(リミテッド・アクティベーション)”。どうやらそれを完全に体得したらしい。

 

 危なっかしくはあるが、きっと彼は勝ち上がってくるだろう。そう信じさせるだけの頼もしさが、今の彼からは感じられる。俺も頑張らなくてはいけないな。

 

「緑谷くん、頑張れー!」

 

 俺は彼の試合中、力の限り叫び続けていた。モヤがかった胸の内を忘れようとしたいかのように。

 

 




初デートの後に初喧嘩。
わりと気分屋で闇が深い彼女と、綺麗な世界で生きてきた真面目過ぎる彼。
そう易々とは恋愛成就させません。





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第22話 トーナメント開始

 拙いながらも蹴り技による高速戦闘でヒット&アウェイを繰り出す緑谷くんと、彼の甘い攻撃に対して痛烈なカウンターを決めてくる鉄哲くんの戦闘は15分を超えた辺りで決着がついた。

 

 段々と集中力を欠いてきた鉄哲くんをステージ際に上手く誘導し、死角から刈り取る蹴り技で場外に弾き飛ばした緑谷くんの粘り勝ちだった。

 

 爆発や光線など派手さはないものの、見事な格闘戦を初戦から魅せつけた二人に惜しみない勝算の拍手が会場から送られる。

 

「お疲れ様! デクくん」

「ブラボー! 見事な制御だったな。おめでとう緑谷くん」

「なかなか漢らしかったぜ! 緑谷!」

「みんなありがとう。しっかり勝って来たよ!」

 

 初戦を無事に勝利で収め、席に戻って来た緑谷くんを皆で出迎える。

 

「これは飯田ちゃんと巡理ちゃんからの差し入れよ」

「もらっていいの? ありがとう二人共。ちょっと喉乾いてたんだ」

 

 梅雨ちゃんから渡された袋からスポーツドリンクを選び取る緑谷くん。彼は麗日くんの隣の席に座り、ボトルを開けてドリンクを口にする。 

 

「なぁ、緑谷」

「どうしたの切島くん?」

「やっぱりさっきの試合の動きは俺との対人練習をイメージして戦ってたよな?」

「うん、そうだね」

「だよなぁ」

 

 緑谷くんの後ろに座り直して切島くんが尋ねる。彼の個性と先程の鉄哲くんの身体を鋼のようにする個性は似ていたため、試合中ずっと気になっていたのだろう。

 

「すごく似ている個性だったから持久戦かなって元々考えていたんだ。時間制限もないし、ちょっと足回りの個性の制御を掴めてきたから慣らし運転しつつ、硬度が落ちてきたところを狙おうって」

「そうか。ただ耐えるだけじゃ今の俺の力量じゃ手詰まりだもんな。その点、アイツは結構上手いことカウンター決めてたよな」

「うん、顎とか鳩尾に良いのもらっちゃったし危なかったよ。切島くんや砂藤くんたちとのスパーリングに慣れてなかったら、意識飛んじゃってたかも。練習付き合ってくれてありがとう」

「おう。役に立ったみたいで何よりだな。なぁ緑谷それから飯田、スピードタイプの相手にも慣れておきたいからまた俺とスパーリング頼めるか?」

「うん!」

「勿論だとも」

 

 切島くんの頼みに二人で快く応じる。こちらから願いたいくらいだ。

 

『お待たせしました!! 続きましてはーこいつらだぜ!』

 

 アナウンスが響き渡る。次の試合は確か――

 

『騎馬戦のMVP、1000万Pをもぎ取った男! ヒーロー科、常闇踏影!』

『対するは顔の割には芸が細けぇ意外性! ヒーロー科、爆豪勝己!』

 

 呼応する観客の歓声をひしひしと肌で感じる。凪いだ会場内に漂うべたついた空気、僅かに鼻を突く汗の匂い、降り止まない喧騒の雨。会場の熱気がますます高まっているようだ。

 

「爆豪くんと常闇くんか。相性面で圧倒的に常闇くんが不利だな。なんとか健闘してほしいものだが」

 

 お互いの個性の弱点は把握しているはず。光に弱い常闇の黒影(ダークシャドウ)に対し、爆発により任意のタイミングで発光できる爆豪くんは天敵とも言える。爆豪くんの性格上、弱みを突かないはずがない。クラスのみんなも同じことを思ったのだろう、同情の視線が常闇くんに集まる。

 

「ケロ、心配ね。黒影(ダークシャドウ)ちゃんがイジメられる絵しか思い浮かばないわ」

「うっわ、不穏。ウチ、なんか見たくないなー」

「まだ始まってないんだ。決めつけるのはよくないよ」

 

 周りが沈む中、そう言ったのは意外にも緑谷くんだった。

 

「かっちゃんが苦手な相手だってこと、常闇くんだって充分わかっているはずだ。かっちゃんにだって立ち上がりの遅さだとか、弱点が全くないわけじゃない。序盤で流れを作れればあるいは――――」

 

 緑谷くん十八番のブツブツ芸でようやく俺は目が覚めた。何をバカなことを考えていたんだ。俺は副委員長じゃないか。

 

「そうだ。爆豪くんも常闇くんも同じクラスメイトだ。片方に肩入れするのは良くないな」

 

 席を立ち、みんなの中心へと移動する。よし、ちゃんと俺の方を見てくれているな。

 

「よし、みんなで半分ずつ全力で応援するんだ! ここから右が爆豪くんを、左は常闇くんを分担しよう!」

「おー!」

 

 ノリの良い葉隠くんなどが拳を振り上げ、一際大きな声を出してくれた。しかしいつもならもっとノッてくれそうなメンバーの内数人は、今回はなぜか反応をくれなかった。地味にショックなものだ。

 

「飯田くん、私、爆豪嫌いだから絶対イヤ。常闇くんだけ応援しまーす」

 

 頬を膨らませた巡理くんが明確な拒否を示す。しまった。巡理くんの居る側を常闇くん担当にしておくべきだった。危機予測が甘かったな。それにこの呼び方をわざわざしているのはきっと――

 

「あーあ。めぐり、まだ拗らせてる」

「時間が解決するだろう。耳郎、これは明後日までは秘密にするべきだ」

 

 ボソリと呟いた耳郎くんを障子くんが口止めする。やはり女子目線から見ても巡理くんは不機嫌なのか。あの話の続きはどこかでしなければならないが、少なくともこの場ではないな。

 

「おいおい、非常口。半分ずつってな。俺たち小学生じゃあるまいし。両方好きに応援したらいいだけだと思うぞ」

「砂藤の言う通りだぜ、飯田。こんなのノリと勢いで声が出ちまうもんだろ? というかそろそろ席着こうぜ」

 

 砂藤くんと瀬呂くんに俺の判断ミスを窘められる。確かに彼らの言う通りだ。どちらも全力で応援するべきなのだ。席に戻りつつ、みんなへ呼びかける。

 

「そうだな。君たちの言う通りだ。よし、全力で両方応援するぞ!」

「おー!」

 

 

 

 

                ×              ×

 

 

 

 

 結果から言えば、この試合は当初の予想通り爆豪くんが勝った。常闇くんは速攻をしかけたものの、爆豪くんはしっかりと距離を取りつつ爆発の光で黒影(ダークシャドウ)を弱らせ続け、堅実な勝利を手にした。

 

 そして続く第三試合の轟くん対芦戸くんも大方の予想通り、轟くんの勝利に終わった。ナンバー2ヒーロー・エンデヴァーの息子であり、実際に障害物競走と騎馬戦の両方で類稀なる才能と実力を見せつけた轟くんに対し、大きな活躍のなかった芦戸くんの方は観客たちからすればほぼノーマーク。

 

 故に彼女の酸という個性で氷を溶かしつつ、フィギュアスケーターの如く抜群の身体能力で攻撃を躱しつつ滑走する姿に会場は沸き立った。もしかしたらという期待が観客だけでなく、轟くんの圧倒的な実力を身をもって知っている俺たちでさえ一矢報いることができるのではと思った。

 

 しかし現実は非情だ。彼女の個性は対人に使うには余りにも強烈過ぎる。芦戸くんが華麗に氷結を掻い潜って懐に飛び込み、轟くんの鳩尾へミドルキックを入れようとしたときだった。

 

 轟くんは狙いすましたかのように半身になって軸を僅かにずらし、左手で彼女の足首を掴み取る。そして即座に直接足を凍らせて行動不能にした。直後に芦戸くんが降参を告げて、轟くんの勝利が確定した。

 

 俺たちのクラスの中でも最も攻略が難しい轟くんを相手に芦戸くんはかなり奮闘していた。しかしながら完全に轟くんの掌の上だったということが、俯瞰できる俺たちの位置からならよくわかる。氷結を利用して壁を作り、視界を遮り、走行経路を意図的に誘導した上でのカウンターだ。

 

 個性の強さや制御技術、身体能力だけではない。彼の冷静さと判断の早さ。これは見習わなければならないと改めて痛感した試合だった。

 

 次の上鳴くん対塩崎くんは、焦った上鳴くんが全力放電したのを塩崎くんが自身から切り離したツルの壁で遮り、直後に上鳴くんを拘束して瞬殺。そして次の試合が始まろうとしていた。

 

『さぁ男どもお待ちかねの時間だぜ。次は可愛い女の子同士の戦いだ! これが噂の蛙系女子、ヒーロー科、蛙吹梅雨!!』

「梅雨ちゃん頑張れー!」

「ファイトー!」

「負けんな蛙吹!!」

 

 猫背で入場する梅雨ちゃんを拍手と歓声が迎えた。勿論、俺たちクラス一同も精一杯声を出している。ステージ上の彼女の表情は至っていつも通り。極めて落ち着いているように見える。そして、反対側から入場するもう一人に俺は視線を向けた。

 

『えげつなさは今大会一番か? ヒーロー科、猪地巡理!!』

「巡理くん頑張れっー!」

「イノっち、ガッツだ!」

「めぐりん、がんば!」

 

 A組みんなの歓声に紛れるようにして、隣の耳郎くんが俺へと向けてこっそりと囁く。先程まで居た障子くんは次の試合の準備に向かった。

 

「うっわ、さっきのことも収まってないのに煽りのタイミング最悪。まーた、めぐりってば怖い顔してるし」

「巡理くんは割りと根に持つタイプだからな。折を見てしっかり話そうと思う」

「頼んどくね。さ、始まるし応援に戻ろっ」

 

 視線をステージ上の二人に戻す。プレゼントマイクの合図と共に、巡理くんは身を屈めて突進した。

 

 相対する梅雨ちゃんは持ち前の跳躍力を生かし、斜め後方へジグザグと稲妻のような軌道を描いて距離を取った。そして梅雨ちゃんは伸ばした舌で槍のように無数の刺突を繰り出す。 

 

『これはたまんねぇ。アクロバティックなステップからの蛙吹の連続攻撃ぃ! 猪地を近づけさせねぇ。対する猪地は防戦一方。騎馬戦で見せたフィジカルの強さもこれでは無力か?! どう見るよイレイザー?』

『蛙吹の戦略は堅実だ。猪地には中距離技がないからな。だが――』

 

 コメントを求められた相澤先生が梅雨ちゃんの戦略をそう評し、一息置く。

 

「巡理くんの強みは持久力、おまけにこの試合は時間制限もない。最小限の動きで梅雨ちゃんの攻撃を捌いて、スタミナを消耗させつつ潜り込む隙をずっと窺っているんだろうな。何より至近距離では圧倒的に巡理くんの方が上手い。勿論、梅雨ちゃんもそれをわかっているのだろうが、この戦い方が最も勝機があると考えてミスを狙いつつこの攻撃に徹しているのだろうな」

 

 そう、彼女は上手いのだ。至近距離における攻撃の捌き方、足運び、気配の絶ち方や視線や重心を用いたフェイントの使い方。これに関しては間違いなくウチのクラスで一番上手い。似たようなコメントを相澤先生も続けていた。

 

「でも本当にそうかな? あんだけイライラしてたらめぐりの方から仕掛けそうな感じじゃない?」

 

 俺と相澤先生の見立てに対して、疑問を呈する耳郎くん。確かに眼下の二人が何かを話している様子は見受けられるが、俺には聞き取れない。

 

 巧妙にリズムや軌道を変えながら梅雨ちゃんが攻撃を仕掛け続ける中、事態は急転する。梅雨ちゃんが何故か急に棒立ちになり、巡理くんが梅雨ちゃんの後方を取った。

 

 きっと巡理くんが何かしらのフェイントをかけたのだろう。しかしながら上から眺めているだけでは梅雨ちゃんがただ止まっていただけにしか見えないのであくまで俺の憶測だ。

 

『どうした蛙吹!? 急に動きが止まったぞ!? ここぞとばかりに猪地が一気に距離を詰めてきたぁ!』

 

 そして巡理くんは背中を反らすようにして身長差を生かし、梅雨ちゃんを宙に浮かせつつヘッドロックを極めに来た。首を絞められている状況ではいくら怪力といえども舌を伸ばす余力はないだろう。

 

『蛙吹、苦しそうだ。これで終わるのか!!?』

 

 相手の体調を細かく感知できる巡理くんの個性により、絞め加減を間違える恐れもない。

 あと数秒で決着だ。そう俺は思っていた。

 

『おーっと、どうした猪地。急に腕を離したぞ。この隙に蛙吹は離脱した! でも首を押さえて苦しそうだぜ。大丈夫か!?』

 

 プレゼントマイクと同じく俺も巡理くんの急変に疑問符を脳内に浮かべる。しかし隣に居た耳郎くんのおかげでその疑問はすぐに氷解した。

 

「どーも聞いた感じ粘液出したっぽい。ウチ、初めて見た」

 

 確かに巡理くんが両腕の素肌の部分を脱いだ上着で拭っている様子を見ると間違いなさそうだ。

 

「前に梅雨ちゃんがそんなことを言っていたな。成る程、こういうときに使えば良かったのか。模擬戦の時は考えもつかなかったな」 

「意外とできることの幅広いよね。みんな羨ましい――――あ、めぐりが行った!」

 

 距離を取ったものの、ヘッドロックが堪えた様子でふらつく梅雨ちゃんに対して正面突破を仕掛ける巡理くん。

 跳躍力を活かした得意のドロップキックで応戦する梅雨ちゃん。

 だが巡理くんはその足首を強引に掴み取り、そのままの勢いで地面へと叩きつける。

 いや、腕力に任せて勢いを更に加速させている。掴んだ後の動きは完全に力技だ。

 

『顔面から行ったかっ?! いや、両手を先について勢いを殺したっ!!』

 

 直撃は免れたものの、顔面を強打する梅雨ちゃん。

 大量の鼻血を流しながらも、うつ伏せから仰向けに戻り体勢を立て直そうとする。

 

「頑張れー!!」

 

 きっともう決着は近い。二人共、頑張れと声を腹の底から絞り出す。

 声を出して、行方を見守る。

 

 梅雨ちゃんにとっては絶体絶命のピンチであり巡理くんにとっては千載一遇の好機。 

 観客たちもそれぞれに向かって大きな声援を送る。

 

 梅雨ちゃんは追い詰められながらも、マウントを取った巡理くんの顔面へと舌を伸ばし抵抗した。

 しかしそれを首を反らす動きだけで躱した巡理くんが鳩尾へと大きく振り被った拳を入れた。

 

『良いのが入ったー!! 蛙吹、完全に落ちたー!!』 

『蛙吹さんノックダウン。猪地さん、二回戦進出!』

 

 プレゼントマイクとミッドナイトのアナウンスが入る。

 巡理くんが勝ったか。順当に行けば三回戦で彼女と当たることになる。

 約束したからな。俺も気合を入れていこう。

 

 次は切島くんと障子くんの試合でその次が俺と八百万くんの番だ。

 席を立ち、選手控え室へと向かう。

 

 万能な個性とも言える彼女だがその弱点は創造までのタイムラグ。

 模擬戦で敗北を喫したときのように準備時間があるわけでもない。

 

 故に今回の試合条件では、速さに特化した俺にとって八百万くんは決して相性が悪いわけではない。

 油断せず俺のできる最速(レシプロ・バースト)を以て、一気に勝負をつける。

 最初の敗北を糧に、そう作戦を立てて俺は試合に臨んだ。

 

 

 

 

 

                ×              ×

 

 

 

 

 

 控え室に向かう途中巡理くんと会えると思ったが結局会えずじまいだった。勝利を祝ってあげたかったのだが仕方ない。この試合が終わったら今度は近くの席に座ろうか。ちなみに先程の試合に勝利した切島くんにはちゃんと声をかけることができた。

 

 そんなことを考えながら俺は試合会場への入場口を潜り抜ける。いかんな。そろそろ頭を切り替えよう。

 

 肌を刺す強い日差し。一段と増している感じがするのは、天候の問題だけではないだろう。

 この場の全員が俺と八百万くんの試合を見ている。この場だけではない。テレビの向こうの人たちもだ。

 宣誓での出来事と巡理くんとの約束がある。無様な試合はできない。

 

『お次は優等生対決、A組の委員長のザ・お嬢様。ヒーロー科、八百万百!』

 

 見られるというのはこういうことなのかというのを改めて実感する。

 ヒーローを目指すものとしては慣れなければいけないな。

  

『宣誓に騎馬戦と正直君目立ちすぎでしょ。A組の副委員長。ヒーロー科、飯田天哉!』

 

 アナウンスを耳にしながら一段ずつステージの階段を登る。

 べとつく掌。汗をジャージの大腿部で拭い、ズレかけたメガネを人差し指で戻した。

 

 対峙する八百万くんの眼差しはいつもよりも鋭い。真剣に俺への対策を練って来ているのだろう。

 本来なら女性相手には場外狙いなど穏便な方法を取りたいのだが、いくらレシプロと言えども場外に出すまでに何かを創造された場合を考えると難しい。俺が掴んでいる身体の一部から他の物質を創造して俺の拘束から逃れることもできるからだ。

 

 先程の試合での巡理くんのように、腹部への重い一撃で決めてしまおう。

 右足を一歩大きく引き、いつでもレシプロを発動できるように、ふくらはぎに全神経を集中する。

 

 レシプロ――――――――――――

 

『スタート!』

「バーストッ!!!」

「ぐっ?!」

 

 すれ違いざまに左足先を鳩尾に入れる。寸分違わず入った。

 八百万くんの身体が水平に薙ぎ飛ばされ、受け身も取れないまま地面を転がるのを見た。

 そして次の瞬間には彼女の脇を通り抜け、数歩先へと進む俺の身体。

 

『飯田の超加速! 早ぇえ! しかも容赦ねぇ!!』

 

 だが、先程爪先に走ったのは痺れるような、重い衝撃。

 まるで切島くんや鉄板を蹴り飛ばしたときのような――――

 

「まさかっ、服の下に?!」 

 

 嫌な予感がする。

 エンジンが止まるまで約10秒。

 それまでに決着を付けなくてはならない。

 

 故に即座にターンで引き返した。  

 それが間違いだった。

 

 転がる彼女の周りに散らばっているのは見慣れたマトリョーシカ人形。

 一個や二個ならば蹴り飛ばせる。しかしそれでは処理が間に合わない。

 

 拙い、このパターンは彼女が得意とするアレだ。

 そう確信した俺はとっさに腕で目を塞ぐ。

 

 その判断自体は間違っていなかった。

 瞳を閉じても、腕の隙間からでも感じるほどの強烈な光。

 

『何だコリャ、まぶし―って俺はサングラスだから無事だけどな。リスナーのみんなはダイジョブか?』

 

 すぐに閃光は消え去り、慣れたパターンで対処した俺の目は無事だ。

 だが一瞬でも目をつぶってしまったこと。それ自体が大きな間違いだった。

 

 急に身体が前につんのめり、こんどは俺の方が地面を転がってしまう。

 受け身こそ取れてダメージはほとんどなかったが、体中に纏わりついたソレに直に触れて状況を理解した。

 

「芦戸くんのような粘液か。俺の足を封じるには最適ということだな。してやられた」

 

 最悪だ。エンジンは止まってしまっている。

 芦戸くんに比べれば、ごく狭い範囲にだけ撒かれた罠に見事に俺は引っかかってしまった。

 俺の初動を読まれていたのか、即座に対処されたのか。

 いや、そんなことはどちらでもいい。

 

「簡単には、やらっま、せ……わ」

 

 吐瀉物を口から漏らしながら、身の丈ほどある金属製の杖を支えに立ち上がる八百万くん。

 立ち上がる際に、ジャージの隙間から凹んだ鉄板が地面に落ちた。やはりか。鉄板がごく薄い物なのは、最速で仕込める限界ラインだったのだろう。 

 

 呼吸は荒く、震えながら何とか立っている姿を見る限り、少なくないダメージはあったようだ。

 だが彼女の目はまだ死んでいない。

 

「俺だって、負けられない!」

 

 例え個性が使えなくとも。

 鍛えられた身体が俺にはある――――そして新たに得たものも!

 

 大上段の構えから剣のように振り下ろされる杖。

 いつもの俺ならば難なく左右に避けることで対処し、懐に飛び込んで蹴りを入れていただろう。

 だが普通の人間と変わらない速度の俺に易々と躱されるほど、八百万くんの技のキレは甘くない。

 

 だからこういう時はっ!

 

 両腕を頭上で交差して突進だ。

 

 できるだけ相手の攻撃の起点に近いところ、遠心力の小さいところで杖を受け止め、撥ね上げるように!

 巡理くんがコスチュームの入手と共に新たに会得しようとしていた盾術の訓練を思い出しながら再現を試みる。

 

 鈍い衝撃が腕に走った。だが多分折れてはいない。

 杖を撥ね上げられ八百万くんが体勢を崩したところにそのまま膝を腹部に入れる。

 

 肉にめり込む感触。

 今度は確かに入った。

 

 そして膝を入れた勢いそのまま押し倒し、手から離れた棒を掴みとって喉元に突きつける。

 

「俺の、勝ちだ」

「私、負け、で…………」

 

 彼女は痛みの限界だったのだろう。

 八百万くんは眠るように瞳を閉じた。

 

 相性だとか、実力差だとか。

 それが何だというのか。

 

 それを覆さんとするものをまざまざと見せつけられた俺は、どこか慢心していた自分に恥じ入るしかなかった。

 騎馬戦での勝利を得て、俺は思い上がっていた。あれは俺だけの成果ではないというのに。

 

 あんな宣誓をした後にこの様だ。

 完全に舐めていた。それが周りにバレるのが恐ろしかったのかもしれない。

 

『八百万さんの降参で勝者は飯田くん!』

 

 そんなアナウンスが流れたような気がするが記憶は定かではない。

 

 故にこの時の俺には全く耳に入ってこなかった。

 舞い下りる歓声も、称賛の声も、そして誰よりも俺を応援してくれていた彼女の声さえも。

 

 

 

 

 

 

 




ヒロインらしい出番は26話までお待ちを…


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第23話 緑谷VS爆豪

今回は緑谷くん視点です。


「悔しいな……」

 

 ふと気づくと言葉が漏れていた。きっと今の僕は集中力にかけていたのだろう。

 

『頑張ってね。デクくん』

 

 今にも泣きそうな充血した瞳で、そう呼びかけてくれた彼女。いつもより僅かに高かったその声が、観客席から舞い降りる声援をかき消すように僕の脳内を埋め尽くしていた。また、だ。何も出来ない無力さが胸を締め付ける。

 

『どーんと、行ってこい!』

『うん、勝つよ!』

 

 麗日さんとすれ違いざまに突き合わせた右拳が少しまだひりついた。

 

 第一、第二種目ともにあれだけ活躍し期待されていた中、瀬呂くんとの戦いでの完膚無きまでの一方的な試合。悔しいなんてものじゃなかったはずだ。でもそんな素振りを見せること無く麗日さんは僕を笑顔で送り出してくれた。多分その理由はきっと――――

 

「笑顔は最強だ」 

 

 目を見開き、真っ直ぐに前を向いた。集中しよう。

 

「その気持ち悪りぃ引きつり笑いは止めろ。クソナード!」

 

 鋭い八重歯を剥き出しにして、かっちゃんはそう叫んだ。

 

「クソナードなんかじゃない。僕は、デクだ!」

 

 これまでの戦いと違って、麗日さんも、飯田くんも、猪地さんも、心操くんも居ない。かっちゃんと一対一で向き合う機会をようやく得ることが出来た。君と対等に並ぶために、この戦いは絶対に負けられない。

 

 それに勝たなきゃ、さっきの約束を破ることになってしまう。

 

「ふん、粋がんなよ。このクソデク!」

 

 無造作にジャージを脱ぎ捨てたかっちゃんは、見るからに全身汗塗れだ。スロースターターというかっちゃんの数少ない個性の弱点。それを突くための速攻をプランの一つとして考えていたが、すぐさまそれは脳内で破棄する。

 

「準備は万端ってわけか」

 

 轟くんや猪地さん相手にではなく、僕に対してここまで入念に用意をしてきたという事実に、嬉しいような気持ち悪いような不思議な感覚をふと抱いてしまう。

 

「最初っから全力で叩き潰してやる。何だ、てめェその呆けた目つきはよっ?!」

 

 ドスの利いた声が鼓膜に突き刺さる。そして僕が口を開くよりも早く、かっちゃんは言葉を連ねてきた。

 

「俺が負けた敵をてめェはふっ飛ばした」

 

 それは僕の力だけじゃないよと言おうとしたが、ここは口を噤む。

 

「てめェだけじゃねぇ。デカ女とクソメガネには言われたい放題、挙句の果てには普通科のモブにまで出し抜かれた」

 

 有無を言わさぬ強い眼光が更に鋭さを増していた。

 

「あの日から俺は傲るのを止めた。だけどそれは俺じゃねぇ。だから俺は傲り(オレ)を取り戻す。ここで踏み台になれや、デク!!」

 

 君に認められたい。君と並びたい。ずっとそう思っていた。だから――――行くよ。かっちゃん。

 

「嫌だね」

「アァ?!」

 

 端的な言葉で、煽る。万に一つでもいい、かっちゃんの集中を僅かにでも削げる可能性があるのならやるべきだ。

 

『さぁ今から白熱の2回戦初っ端から注目のカードが揃ったぞ! 俊足の緑谷VS空中戦の爆豪だ! 準備はいいか?』

 

 猪地さんから教わった、力の引き出し方のコツを模倣する。家電製品みたいにスイッチをオンオフするんじゃない。僕の中にある巨大な給水タンクから蛇口を僅かに回して、水を絶えることなく流し続けるイメージだ。そう、僕の両足を常に水で濡らし続けるように。

 

「“限定発動(リミテッド・アクティベーション)”3%」

 

 敢えて得意の右の大振りで来るか、中距離爆撃で距離を取るか。もしくは、アレか。かっちゃんがどんな策で来るとしても、僕がやるべきことはただ一つ。

 

『START!』

 

 その掛け声とともに上へと全力での跳躍。右腕で両目を覆った状態で、だ。

 

『マブシーっ! 俺はサングラス掛けてるからいいけど、A組はやたらと目眩まし好きだなぁ。俺の予備、意外と似合ってるじゃんイレイザー』

『その目眩ましでアイツらは命拾いしているからな。視覚の重要性を身を以て感じているからだろう』

 

 用心していて良かった。アナウンスがなくとも腕の隙間から漏れてくる光の量からして間違いない。常闇くんとの戦いで見せたスタングレネードもどきか。いきなり目を潰されたら為す術もなく終わる所だった。

 

『相変わらず緑谷は読みが上手いな。前の試合から最悪を想定してきっちり腕でガードしている……そろそろ外してぇ』

『だが次はどうでる緑谷、空中戦を挑むつもりか?』

 

プレゼントマイクの言う通り、空中戦はかっちゃんの領分。すかさずかっちゃんも追撃を掛けてくるはず。ほら、爆発音が近付いてきた。出し惜しみは出来ない。目を覆っていた腕を外し、人差し指を構える。

 

 下半身でこれだけ使えるようになったんだ。ぶっつけ本番だけど指でもやれないはずがない。

 

 だけど今度は3%じゃ全然出力が足りない。蛇口を半回転回すイメージ!

 

「SMASH!!」

 

 かっちゃんにじゃない。地面に向けてソレを放つ。

 

 痛い。けれど今までみたいにぐちゃぐちゃに折れてはいない。多分筋肉断裂と骨にヒビが入った程度で済んでいる。

 

 その痛みで得た対価は大きいはずだ。オールマイトほどじゃないけれど衝撃波を利用して、かっちゃんよりも更に上空へと僕の身体は舞い上がった――――きっちりと太陽を背にして。

 

 もう、一撃だ。次は空へ。

 

「い……っけぇえっー!」

 

 ヒビの入った人差し指を砕ききる。その反動でっ!

 

『ここで緑谷の渾身のドロップキックが炸裂……しねぇええ?! なんつー反射神経してんだ爆豪。あの距離で爆発を利用してギリギリの回避。まさにセンスの塊だー!』

 

 あとコンマ2秒ほどの差だった。でもその刹那にかっちゃんは見事な対応をやってのけた。少なくとも直前まできっちり入ると確信してしまっていただけに、そのショックは大きい。

 

 右手の爆発を回避のため水平に打ち出した直後、左手の爆破の余波で僕の落下軌道に修正を掛け、場外コースへと誘導するまでやってのけた。以前より彼に近付いてきたからこそ改めてかっちゃんのセンスには脱帽するしかない。本当に凄すぎる。

 

 観客席に衝撃波を打ち込むわけには行かず、中指でのスマッシュを斜め上空に放ち、何とかリングへと着地する。

 

 受け身をしっかりとったけれど、最初のスマッシュで抉れた地面だ。ジャージが、皮膚が、ガリガリと剥き出しのコンクリートに削ぎ落とされる。でもたかがこの程度(・・・・・・・)の痛み、今更(・・)何てことはない。

 

『怒涛の絨毯爆撃。爆豪、上空から一方的な展開だー!』

「これで、くたばりやがれぇー!」

 

 容赦のない爆撃の雨あられが降り注ぐ。勢いを増す威力。かっちゃんは本気も本気だ。

 

「くたばる、もんかっ!」

 

 足の出力を4%に上げて、何とか致命傷だけ(・・)は回避する。まだ大丈夫だ。

 

 限定発動を5%に上げて回避を試み続ける。鈍くなる痛覚と反比例していくかのような、個性(ちから)の感覚。多分この出力までが今の僕が制御下におけるギリギリの許容範囲なのだろう。

 

『でもちょっと爆豪の動きが単調な様子だ。怒りで我を忘れたか? 確かに見栄えのする大技は多いが前の試合の方が色々と小技を見せていた気がするぞ?』

『我を忘れてなんかいないさ。アイツはアイツなりに慎重に戦っていやがる。上空から近づかないのも、緑谷の機動力と読みを舐めていないからだ。緑谷はカウンターや奇襲が上手いからな。それに大技が増えた分上下にしか爆発を繰り出してねぇのに気づいたか? セメントスが居るとはいえ、審判や観客席に余波が行かないように、気を使ってるんだろう』

『なーるほど。意外と細かい男なのね』

 

 20秒にも満たない僅かな時間の攻防でもどんどん地形は歪になっていく。受け身を取るにしろ、ステップを取るにしろ、足場の状況は悪くなっていく一方だ。 

 

 そして足場だけでなく視界も爆炎と破片でどんどん悪化していく。だけど、それはかっちゃんも同じだ。仕掛けるなら、ここしかない! 

 

「SMASH!!」

 

 自ら足元に向かって衝撃波を放つ。幾つものコンクリートの破片が上空へと舞い上がる。この状況を利用するしか僕にきっと勝機はない。

 

 イメージするべきは、あの日の勇姿。それを模倣するには、下半身だけ(限定起動)ではきっと駄目だ。全身のバネを使わないと、あのような技巧は使えない。

 

「きっとやれるはず。やるんだ! 全身を濡らし続けるイメージ(フルカウル)で…………」

 

 出来た。全身に静電気が走ったような感覚が駆け巡る。きっちり5%の力が循環しているという実感。これならやれるぞ!

 

 かっちゃんが舞い上がる破片を掻い潜って、追撃を掛けてきた。僕が何を仕掛けてきてもねじ伏せてやるぞと言わんばかりの、鬼気迫るという表現がまさに似合う形相だ。

 

 だからこそ、このタイミングはきっと、右の大振りっ! 

 

 そう確信を持って僕も討って出る。雄英入試の実技試験で飯田くんが僕を助けてくれたときのように、舞い上がる瓦礫を足場に駆け上がった。

 

 二つの瓦礫、たった三歩分の跳躍。でもその最小限の動きで十分だ。

 

「獲った!」

 

 無防備な背中を晒すかっちゃんの首に右腕を回す。もう限定発動――――改め、フルカウルのパワーは必要ない。ワン・フォー・オールの起動を解除し、自分自身の筋力で勝負だ。

 

 地面まであと約2メートル。このままかっちゃんを下敷きにして地面に叩きつけたいけれど、そんなことを許してくれるほどかっちゃんは甘くない。

 

「うぉおおおおっ!」

『背中を獲った緑谷、頭突きってそりゃマジかよ。おい?!』

 

 一瞬でも頭を揺らして視界と判断を鈍らせれば充分。

 

「ッて?!」

 

 そのままかっちゃんは僕の重みごと地面に叩きつけられたけれど、きっとすぐさま爆発で僕を振りほどこうとしてくるだろう。

 

 ここが正念場だ。

 

 抜群の目と反射神経で躱されるなら、見えないところから一瞬で迫って密着して極めれば良い!

 危険性の少ない意識の落とし方、無力化のコツはきっちりと猪地さんに教わった。

 

「やったれー緑谷くん、爆豪をぶっ飛ばせ! ブートキャンプの成果を見せるんだ!」

 

 頸動脈を圧迫する腕に力を込め始める。

 

「負けるなーデクくん!!」

「諦めんな爆豪! お前しか合法的にリア充どもを潰せる奴がいねぇんだ!」

 

 残る問題は――――歓声をかき消すかのような爆発音。音なんて生易しいもんじゃない、衝撃波そのものだ。僕の腕と頭部に直接爆破が撃ち込まれている。流石に破壊力は対人用に抑えられているとは言えどもその威力は絶大だ。

 

「デクっ!?」

「絶対にっ、倒れるもんか!」

 

 あぁ、倒れてたまるもんか。本気の脳無にやられて瀕死になったかっちゃんは、身を挺して盾となってくれた砂藤くんや切島くんは。

 

 そしてあの日、僕たちの代わりに死んでしまった街の人たちは、もっと痛かったはずなんだ。だから、こんな痛みなんてっ気にするな!

 

 ここからきっちり耐えきれれば僕の勝ちだっ!!

 

「…………く」

 

 抵抗する力も爆発も力が弱まってきた。

 僕も爆発で脳を揺さぶられ続け、次第に視界がもう定まらない。

 あとは筋力と根性の勝負。負けるもんか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 腕に込める力を――――あれっ、今何秒……………………? 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「俺は上に行くぞ。デク」

 

 

 

              ×                 ×

 

 

 

 

 

 鼻につく消毒液の匂いと、未だに焦げ臭い髪の匂いが僕を現実へと引き戻す。

 視界にはアチコチに巻かれた包帯と絆創膏だらけの自分の身体。そうか、僕は負けたのか。

 

「デクくん?! もう起きたん?!」

「良かった。一時はどうなるかと思ったぞ」

 

 みんなの視線が僕に集まる。どうやらここは出張保健所で、無様に僕はベッドに横たわっていたらしい。

 

「心配かけてごめんなさい」

 

 握り締めてくれていた麗日さんの柔らかな手の温もりを、飯田くんの呆れたようなメガネのズレを直す仕草を、そして何より猪地さんとリカバリーガールの最高の笑顔を、僕はきっとこの先一生忘れることはないだろう。

 

『修羅の如く』

 

 そんな小難しい形容詞を、僕が人生で初めて使った瞬間だったと思う。

 

 かっちゃんに対しての気持ちの整理よりも先に、猪地さんとリカバリーガールを全力で宥めてくれた飯田くんとオールマイトこと八木さんにどうお詫びしたら良いのかを麗日さんと考える羽目になってしまった。

 

 本当は麗日さんを励まさなくちゃいけないのに、気を使われてばっかりだ。

 

 強くならなくちゃいけない。それはヒーローを目指すものとして当然のことだ。でも、もっと精神的な所で寄り添えるような、支えになってあげられるような人にならなくっちゃいけないと改めて思った。

 

「…………結局まだまだ、ってことか」

「私たち、ちょっと調子にノッちゃってたね」

 

 モニター映るみんなが活躍する姿を二人で見ながら、総括するとそんな所に落ち着いた。

 

「焦らず頑張ろっ!」

「うん」

 

 そう明るく振る舞う麗日さんに同調して返事をする僕。

 僕が泣くわけにはいかない。麗日さんが泣くのを我慢しているんだ。

  

 笑わなきゃ。受け売りとはいえ、そう彼女に教えたのは僕なんだから。

 

 けれども、そんな悠長なことを言っていられるのは本当に僅かな期間だけだった。

 

 

 

 ――――変革の波が、もうすぐ押し寄せて来る。

 




フルカウル習得するも届かず。1-A全員が正史よりも早熟になっていますので、緑谷くんの覚醒&修羅化よりもかっちゃんの執念が上回った形です。

この試合結果のため轟くんのオリジンは違う形に変化します。



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第24話 兄への祝福

短めですが重要。



 保須警察署での対策会議を終えて、臨時事務所に戻ってくると扉を開けた瞬間に濃厚なチーズの香りが鼻孔を通して、脳内に充満する。

 

「お帰りなさい、インゲニウム。ちょうど良いところですよ」

「お、久々の宅配ピザか。良いね。美味そうだ」

「予定よりお帰りが遅かったのでお先に頂いています。はい、ヘルメットお預かりしますね。おしぼりもどうぞ。エニグマ、冷蔵庫からオレンジジュース持って来て!」

「ほいほーい」

 

 そろそろ昼時だったか。ピザを頬張りながらも、スタッフたちが手際よく昼食の準備をしてくれた。とは言っても、紙皿にサイドメニューのサラダとフライドチキンを装ってくれた程度だ。

 

「ほいさ」

「ありがとう」

 

 席についてグローブを脱ぎ手を拭うと、手渡された紙コップに並々と注がれたオレンジジュースをグイッと一息に半分ほど飲み干す。事務所内がいつもより明らかに緩い、休日の団欒のような雰囲気なのも仕方がない。今日は雄英体育祭の日だ。皆が夢中になっているモニター画面へと視線を向ける。

 

「今年の団体種目は騎馬戦か。天哉のチームはニ番手か、いい感じ。うぉっ、一番手のところのポイントは桁が違い過ぎるだろう」

「でもその無茶苦茶加減が雄英っぽいですよね。で、そのチームの騎手が噂の彼女さんらしいですよ」

「なんだって?! あの子か!」

 

 トップチームによる包囲網を相手に指揮を振るいながら、数多の攻撃を見事に捌き切るポニーテールの彼女。いい目をしている。いや、六感が鍛えられているのか。それに騎馬自体もかなり良い。天哉のチームに迫る速度を出しているのはこのチームぐらいだろう。

 

「前騎馬の緑髪の少年は何て言うんだい?」

「緑谷出久、って子ですね。第一種目の徒競走でも二位の大活躍だったんですよ。勝負度胸もあるし有望株ですね。職場体験の候補として、代表に替わってしっかり抑えてますよー」

「彼が緑谷くんか。良く天哉の話に出てきたな、彼女の次に」

 

 確か増強型で超パワーの反動が大きかったんだっけ。ただ人望もあるみたいだし、第一候補の一人だな。

 

「私たちも初めて見ますけど思っていた以上に美人さんですねー」

「天哉のやつやるなぁ。あ、タバスコとってもらっていい?」

「どうぞ」

 

 猪地巡理、エンドレスの娘にしてメビウスの最重要人物というのが一般世間の認識だ。しかし俺にとって、そしてここに居るスタッフにとっての認識は違う。

 

「天哉くん選手宣誓、めっちゃかっこよかったんですよ。録画しておいたからしっかり見てあげて下さいね」

「生真面目もあそこまで徹底すれば、あの娘が惚れるのもわかりますわー。あんなに昔はちっちゃかったのに、ガタイもよくなっちゃったし」

 

 天哉の馬鹿はまだ自覚がないようだが、毎日見舞いに言ったり、俺との話題に良く出す位には彼女のことを気にかけているらしい。そして話で聞く限り、あの子は間違いなくかなりモーションをかけてきているようだ。兄として嬉しくもあり、申し訳ない気分にもなる。

 

「あの子も大変だな。天哉は難しいぞ。外堀から埋めていかないと、手だって繋げるかどうか」

「インゲニウムはそろそろ身を固めたらどうですか。ここ最近落ち着いたと思ったら落ち着き過ぎですよ」

「――――あ、このハヤシソースのやつって新作? なかなかイケるね!」

「露骨な話題逸らし。まぁ、スキャンダルよりは良いでしょう。こっちのカニマヨのも美味しいですよ」

 

 管制の藻部さんが端の方にあるカニマヨピザをトングで摘んで俺の皿へと乗せてくれる。

 

「それで“祝福(ハレルヤ)”の会議の件、進展どうでしたか?」

「警察の分析だと、どうも市内の人間よりも市外から人間が主な顧客みたいだ。粗悪品の売人は少々摘発できているみたいだが、おそらくもう少し上の仲介人もしくは製造者が近くに潜んでいる可能性が高いらしい。それでだ。今日は休日、しかも雄英体育祭だから在宅率も高く、通常の観光客や通勤通学者は少ない。だから敢えて今日はいつも相手の警戒度が高い駅近の路地裏に網を張ろうと思う」

 

 ヒーローだって今の俺たちみたいに職場体験への勧誘目当てでテレビ観戦をして、この時間は見回りに出ていない事務所も少なくはないはずだ。

 

 明るい昼間、しかも休日。普段とは違う年に一度のチャンス。ここぞとばかりに動き出す売人たちも居るかもしれない――――その油断を、突く。

 

「了解しました。ではポイントの洗い出しと、追跡時のルート算出を代表の食事後には完了させておきます。はーい、食べ終わった人は取り掛かりましょうね!」

「了解!」

 

 何人かが口にピザを詰め込みながら早速作業に取り掛かり始めた。俺もゆっくりとはしていられないな。お、カニマヨもジューシーで美味いな。そんなことを思っていると、突然画面が閃光に包まれた。

 

「うおっ!」

「きゃっ?!」

 

 テレビ越しでこの光量は凄いな。あのクリスマスツリーみたいなイルミネーションを纏った子か。すごく悪目立ちをしている。でも――

 

「おいおい。天哉のチーム、ハチマキとられたみたいだな」

「でも諦めてないみたいですよ。信じてあげましょう」

「そうだな。あいつは絶対に勝つさ」

 

 だって俺に約束してくれたからな。天哉は約束を破らない男だ。

 

 

 

 

 そしてその期待通り、因縁の彼女との一騎打ちの末、団体一位で第二種目を通過したようだ。それだけじゃない。その後の普通科の生徒と審判とのやり取りの中で、天哉の成長ぶりをしっかりとこの眼で見届けることが出来た。

 

 あれだけの事件があって悩んでいたようだったが、しっかりと前に進む弟の姿が兄として非常に誇らしい。

 

「一位を獲ると、天哉は約束したからな。俺たちもさっさとこの事件を片付けるぞ!」

「おー!」

「ほいさ」

「ですね。事件解決と天哉くんの優勝祝いやりましょうよ!」

「そんときは俺が支払いはもってやる! 気合い入れていけよ。チームIDATEN出動だ!」

「ラジャー!!」

 

 あぁ今日は良い晴天の日だ。

 

 

 

 

 

 

 

               ×               ×

 

 

 

 

 

「ハァ」

 

 負けた。罠による奇襲とは言え、完敗という他ない。

 

「……ハァ」

 

 油断はしていないつもりだった。気合はいつも以上に入っていた。

 だが、奴に及ばなかった。基礎体力や筋力こそは俺の方が上回っていたものの、俺の機動力を削ぐ立地を選び、罠にはめ、卓越した身のこなしとカウンターによって頬に浅い傷を負った。

 

 決して致命傷ではない。一ミリほどの深さの傷。しかし、その直後俺の身体の自由は奪われており、こうして無様に地に伏してしまっている。何をしやがった、畜生め。

 

「…………ハァ。名声、金」

 

 そして背から容赦なく突き刺さる刀剣の数々。腹部と胸部に無数の刀傷が刻まれる。なんてざまだ、俺は。

 

「私欲に塗れたてめェらは偽物だ」

 

 駄目だ。指先一つまともに動かせない。痛みのせいだけではない。何らかの個性か。

 

「彼だけ。彼だけだ本物は…………」

 

 俺を見下すようにして、狂った理念を語る男、ヒーロー殺し“ステイン”。戦っている最中も、ご丁寧にその教えを俺に教授してきた。

 

「今の世の中には悪が、そして偽善者たちが多すぎる。貴様のような、奴らがな!」

「ぐっ!!?」

 

 腹部に突き刺さったナイフを脚で更に捩じ込んでくる。思わず堪えていた苦悶の声が漏れ出してしまった。

 

「ハァ、弱いな。弱すぎる。それは貴様が偽物の拝金主義者だからだ。俺が、正す。正さなければならない」

 

 英雄回帰、だったか。奴の主張は。そしてその主張は稀にメディアでも取り上げられ、炎上沙汰も何度かおこったこともある。過激すぎるその思想の出処であるコイツをのさばらせる訳にはいかない。

 

「貴様はその贄となれ。そのためだけにお前を()は、生かす」

 

 生かす、か。だが今、俺が奴の凶行を止めなければならない。全身にありったけの力を込め、ステインの個性に抗っている最中のことだった。

 

 こんな薄暗い路地裏には似つかわしくない、幼い少女の声が軽快な足音とともに近付いてくる。

 

「…………チッ、子供が来たか。俺の主張を、決して忘れるなよ偽物」

 

 本当に一瞬だ。それだけ呟くと、ステインの陰は瞬く間に去ってしまった。

 

「あれー。あれあれー?」

「こんな所に丁度よいモノが。これも神の思し召しでしょうか」

「そーですよ。きっとそーなのです」

 

 間延びした明るい口調の少女と、凛として落ち着いた口調の少女たちの声が近付いてくる。

 

「救わないといけません」

「救わなければなりません」

 

 トーンや話し方が違うものの、声質は同じだ。姉妹か何かか?

 そして血を失いすぎてぼやけた視界の端に映る二人の少女。黒いゴシックドレスに映える純白の肌。左右対称の赤いリボンで縛ったサイドテール。

 

 そして屈み込んだ彼女たちの顔が吐息がかかるほどに近くなったとき、俺は思わず驚愕した。

 

「その顔、お前たちは一体……」

「なーんにも怖くないですよ。だから睨まないでお兄さん」

 

 ひび割れたヘルメットの隙間から差し入れられた指が、俺の唇に触れた。

 

「なんだこれは」と。そう喋ろうとして、自らが何の音も発していないことに気づく。唇が、唇だけではない。声帯が全く自分の意思で動かせない。ステインによるものとは別種の拘束能力か。

 

「救わせて下さいなー。でも凄い血だねー。すぐ死んじゃうかも。んー、やっぱりギリギリ死なないかもー?」

「そうですね。ギリギリで生かされた。そういったところでしょうね。メッセンジャーのつもりでしょうか。あの狂人は」

 

 忌々しそうに語る少女の口ぶり。しかし俺はステイン以上に彼女たちの方に対して、得体のしれない薄気味悪さを感じてしまっていた。

 

「私たちが見ていて良かったねーお兄さん。ヒーロー殺しなんて許せないよねー。殺すのはいけないことだよねー」

 

 おかしな事を言っているわけではない。しかし明らかにおかしなニュアンスを彼女たちの言葉の端々から感じ取ることができた。

 

「殺人なんて以ての外です。えぇ、血に塗れた思想は許せません。広げる機会など与えません。狂人の目論見は私たちが潰します。ですから貴方には特別製のコレを差し上げましょう」

 

 掲げられた注射器を見て確信する。そうか、こいつらが中枢の一角だったのか。それならばバラバラだった点が繋がり、線へと変わっていく。

 

 ――――誰かに伝えなければ。彼女たちを止めなければ。

 

 先程対峙しまさに今、自らを死の淵に追いやろうとしているヒーロー殺し以上に、俺は二人の少女たちに対して強い危機感を抱く。

 

「はーい、お注射の時間ですよー。いい子だからじっとしててねー」

「恐れることはありません。では貴方に“祝福(ハレルヤ)”を」

 

 深手を負っている現状、針で腕を刺された痛みなどないようなもののはずだった。

 

 しかし、瞬間その腕が。

 その腕の中から燃え盛る炎のような痛みが俺を――――――――――――

 

「うわぁああああああああ! オレは。…………ワタ、シは」

 

 俺は、オレで――――

 

「ぼくは、アタシはぁああああああああ!!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

               ×               ×

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「一部成功、といったところでしょうか。この混乱ぶりでは使い物にならない可能性は高いでしょうが」

「へー、そうなんだ。成功なんだ」

「ギリギリ及第点ですね」

「おめでとー、おめでとー。あなたは“きょーかい”を超えたんだよー!」

 

 キョーカイ? それはなんだ。

 それよりもわたしは、俺は。

 

 あれっ。何を考えていたんだっけ。

 何か、大切なことを…………。

 

「回復速度は期待値以上ですね。しかしやはり今まで通り、別個に製剤を与えるほうが安定するのでしょうか。それともなんらかの不純物が? とりあえず経過報告を待ちましょうか」

「病院に連絡しなくていいの?」

「ここから一番近い緊急病院は兄弟のところ。搬送するならきっとそこよ。あとはチームIDATENに任せましょう。自分のところの社長さんなんだもの」

「はーい。じゃあ、私たちはお家に帰ろー」

 

 次第に遠ざかる足音。霞む視界の中、闇の中へと■■の姿が消えていく。去り際に振り返った■■が僕に言いつけた。 

 

「来るべき日は決して遠くはありません。啓示が降りるその日まで癒し、鍛え、備えなさい。我が愛しき家族(同士)よ」

「ばいばーい」

 

 ■■が行ってしまった。

 

 既に痛みはない。でもまだ身体は動かせそうにない。そういえば何で俺は血だらけになっているんだ?

 

 傍らに転がる携帯電話の画面が、振動と共に淡い光を放つ。

 

 その画面に映る文字は。

 

 

 

 

 『天哉』

 

 

 

 あぁ、そうか『天哉』だ。

 その名前は。その名前は()にとって二番目に大切な名前で――――――――。

 

「天哉って…………誰?」

 

 自由を取り戻したわたし(・・・)の唇が、弱々しく震えた。

 まるでそれが、哀しいことだと伝えたがっているかのように。 

 

 

 

 

 




ヴィジランテでのトリガーや本編での個性破壊弾とは別種のオリジナル薬、“祝福(ハレルヤ)”。わかりやすかったかもしれませんが、天晴兄さんからもじりました。

オリジナル設定も加わりながら、よりハードなステイン編始動へのカウントダウン開始です。


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第25話 焦燥

今回初の轟くん編。
オリジン回へ続く小さな一歩のお話。


「緑谷のやつ、また強くなっていたな」

 

 緑谷と爆豪の試合によるステージの損傷を修復中、次の試合を待つ俺は控室でふと声を漏らしている自分に気づく。らしくねぇな。

 

 試合結果は大方の予想通り、爆豪の勝利だった。だが、俺は思っていた以上に緑谷に期待していたらしい。

 

 今日一日だけでもこれだけの成長だ。元々個性の制御がクラスで一番劣っている分、伸びしろが目立っている。この体育祭で何かを緑谷に仕込んだらしい猪地は流石と言うかやはり恐ろしい才能の持ち主であるのだろうが、連携重視で後方型の猪地と俺とでは方向性があまりにも違いすぎるからあまり考えないことにする。猪地は特例中の特例だ。

 

 それよりも緑谷だ。親父が目の敵にしているオールマイトと酷似した個性を持ち、明らかにそのナンバーワンヒーローに目を掛けられている緑谷に対して、俺はきっと嫉妬や敵愾心に似た感情を抱いていた。

 

 緑谷を正面からこの手で叩き潰してやりたいと思っていた。タイミングを逃してしまったが宣戦布告だってするつもりでさえあった。

 

 だからこそ俺は落胆した。次に本気の緑谷と戦う機会など早々ないというのに。あぁ、自分の吐息が耳障りだ。控室の観戦モニターの電源を切って外へ向かう。

 

 それにしても次にこの部屋を使うはずの猪地はまだ来ない。医療馬鹿のアイツのことだ。間違いなく緑谷の治療に行っているんだろうな。

 

 連絡のために控室に一度戻ってロッカーに入れてあるスマホを使おうと考えたが、時間に厳しい飯田もついていることだろうから遅れるようなことはないだろう。

 

 そう考えて入場口近くへと向かう。だが、すぐに足を止めることになってしまった。その原因へと俺は視線をぶつける。

 

「さっさと仕事に戻れよ」

「ふん、すぐに戻る。しかし、お前の醜態を親としてこのまま見過ごしてはおけんかったからな。障害物競走はともかく、なんだあの腑抜けた騎馬戦は。左の“力”を使えば圧倒できたハズだろう」

 

 如何にも偉そうに肘を組んで廊下にもたれかかった親父が俺に声を掛けてきた。何が“親として”だ。視界に入れるのも煩わしい。

 

「お前に何がわかる」

「わかる。少なくともあの脳無というザコの強さぐらいはな」

 

 吐き捨てるように言う親父に返す言葉が浮かばない。確かに街での脳無襲撃事件を納めたヒーローたちの内、エンデヴァーが最大の功労者と言われているからだ。

 

 最近の親父は更に荒れていたため、朝練にかこつけて極力接触時間を少なくしていたがそう言えば詳しい話はする機会が全くなかった。

 

「確かにあの敵は歯ごたえがあった。再生能力もスピードも驚異的だった。だが俺の炎の前には為す術もなかった。単に相性が良かったと、そうほざく奴もいるだろう。あぁ、実際そうだ。“俺の炎と相性が良かった"」

「……何が言いたい」

 

 さっさと切り上げたい。不快だ。言うだけ言わせて終わらせよう。道を塞ぐように立ち位置を変えた親父の横を無理やり通り過ぎようとしたときだった。

 

「もし、お前が素直に俺の指導を受けいれば──」

「……せぇ」

 

 本当はわかっていた。あいつら(クラスメイト)の泣き顔を見るたびに、そんな“もしも話”を考えていた。

 

「脳無を何の苦もなく倒せていた筈だ。左の“力”を使いこなしてな」

 

 ずっと考えないように、直視しないように、逃げ続けていたその言葉(俺の罪)をソイツはいつものエゴと共に突きつけてきた。

 

「うるせぇ!!」

 

 何て幼稚なんだ俺は。こんな言葉しか出て来ない自分があまりにも情けない。親父の言葉は正に図星だった。

 

「子供じみた反抗はもう終わりにしろ。それであの様だっただろう」

 

 んなこと、俺が一番わかってんだよ──声にならない叫びを押し殺す。

 

 爆豪の全力攻撃は脳無を倒すには至らなかったものの、再生までかなりの時間を稼いでいた。イレイザーヘッドが時折、再生妨害していたことを考慮してもだ。そう考えれば、もし俺が親父好みの人形に仕上がっていたら、みんなが死線をさまようことも、緑谷と麗日、飯田が無茶な決断をする必要もなかったはずだ。

 

 それに万が一倒せないとしても、八百万と猪地の策にもっと幅が出たはずだ。クラスの中で最も多人数相手に向いている俺を、足止めではなく脱出組に付けたのは俺の氷では力不足だと判断されたからだ。だからオールマイトたちを呼ぶ方に注力するため、保険として俺は付けられた。

 

 こんな悲観的な推論と、自分の中で見て見ぬ振りをしてみたが、あの見舞いの後に八百万に鎌をかけたら案の定、猪地がそういう判断をしたらしい。

 

 猪地のやつ、ふざけやがって。俺を見くびりやがって。自主練で指導する姿や、講評のときの姿が度々親父の姿に重なるのが気に食わなかったのかもしれない。いつも上から目線でお前は何様のつもりだと言いたい。だけどそれを言う資格は俺にはない。足りていないくせに強者気分だった先日までの俺自身を鑑みれば。

 

「お前にはオールマイトを超える義務があるんだぞ。わかっているのか? 最高傑作としての自覚を持て」

「何が最高傑作だ。俺はお前のおもちゃじゃねぇ!」

「限界は既に見えただろう。お前は俺の力を──」

「お前の炎なんて要らねえ! 母さんの氷をもっと使いこなせていれば、俺がもっと強ければ良かった。ただそれだけの話だ!!」

 

 あぁ。単純な話だ。まだ親父に追いつけていないのを自覚していたくせに、中学や高校の皆にもてはやされて、無関心のつもりでいたくせに実のところ慢心していたんだ。

 

 純粋に力が、練度が、渇望が、熱量が足りなかった。緑谷のように、爆豪のように、もっとがむしゃらになるべきだった。“結果的に”親父を超えればいいんだ。その過程に余計な感傷など、親父のことを考える暇など、決していらなかったんだ。だというのに────

 

「そこをどけ。邪魔だ」 

 

 こんな下らないやり取りは無駄だ。目線を外し、耳を塞ぎ、そして口を噤む。すれ違いざまに感じる熱気を忘れようと、拳の中に小さな氷を創造し、握り潰す。

 

 優勝まであと3つ。次の試合に集中しろ。掌に喰い込む痛みが、俺の目を覚ましてくれる。そんな気がしていた。

 

 

             ×             ×

 

 

 

『リスナーのみんな、よーやく会場も直ったぜ』

『二人共ド派手にやってくれたもんだ』

『全く、お前のクラスどうなってんのさ。次も凄そうだけどな。さぁ次は本命の一角、火力はA組最強か?! 轟焦凍!!』

 

 プレゼントマイクの声と共にリングへと入場する。

 

『対、B組最後の砦だ。塩崎茨!』

 

 そう言えばもう他はA組しか残ってねぇな。それでこの女は飯田達と組んでいた奴か。個性は確か、髪に生えているツルを自在に操る能力だったはず。操れる数が段違いとは言え、瀬呂と蛙吹相手を意識すれば問題ない相手だ。個性の相性そのもので言えばさっきの芦戸の方が少々厄介だった。

 

「貴方の強さは伺っています。ですが、負けるつもりは一切ありません」

「俺もだ」

 

 口数少なさそうな印象だったが、B組の期待を一身に背負っていることもあるのだろう。宣戦布告をしてきた塩崎に一言だけ返す。

 

 だが悪いな。騎馬戦の様子を見ていた限り、相性でも、経験値でも、負ける要素が見当たらない。速攻で終わりだ。

 

『じゃあ行くぜ。スタート!』

 

 合図と共に足元から威力は抑えつつ、最速を意識して氷結の壁を走らせる。

 

「やはり、それですか」

 

 読めていたとばかりに自らのツルの束をリングに突き刺し、俺の空中へと身体を浮かせた状態で回避する塩崎。

 

『おっと、ここで塩崎。瞬殺男、轟の攻撃を華麗に回避したー。頑張れー!』

『お前私情入ってるだろ』

 

 それは悪手だ。氷結の範囲を広げれば突き刺さっているツルを伝って本体を凍らせてしまえる。

 

「植物と氷じゃ相性悪かったな」

 

 ツルが下から凍りついていく。が、それを途中で切り離された。塩崎は改めてツルの束を他の凍っていない地点に突き刺し、自らの身体を引き寄せて安全地帯へと移動しようとする。

 

 ならばもっと範囲を広げるだけだ。そうしようと、力を込め掛けた瞬間──

 

「ちっ?!」

 

 左足首に痛みを覚えると共に視界が歪む。どうやら左足首を掴まれ、遠心力で空中に身を放り出されたようだ。地面からツルが湧き出して来たのか。

 

『地面からの急襲で反撃だ。ここでまさかの大金星か!?』

 

 拘束をしないで場外狙いの判断は悪くない。だがこれでやられるほど俺も甘くない。瞬時に氷結の壁を作り出し、リング内に踏みとどまる。

 

『あぁーおっしいー。あと一歩届かず。流石の轟、余裕の表情で耐え抜いた!』

「やはり、この程度では届きませんか」

「その動き、知っているな?」

「えぇ。知っています。私は拒みましたが、ハンデということらしいですね。悔しいですが、実力差がわからないほど未熟ではありませんので」

 

 同じチームだった蛙吹あたりの入れ知恵か。氷結を出せるのは俺の右半身からだけ。個性を使わない左側に回り込めば、どうしても対応が僅かに遅れてしまう。舐めてかかるのは良くねぇな。だけど負ける気は微塵もない。

   

 今の地面からの攻撃は、ちょっと面倒だった。故にそれを封じるため、リングの足元全てを氷で覆い尽くす。そこまで分厚くしているわけではないから、ツルで壊せないこともないだろうが牽制には充分だろう。氷結を重ねがけするときにも便利だ。ツルを突き刺しながらの移動が面倒だが、通常の移動を封じれる分、機動力を削げたはず。

 

 しかし何だアレは。幾度か空中で体勢を整えてから着地した塩崎は、普通に地面を疾走している。芦戸じゃあるまいと思ったが、トゲのついたツルを足に絡めスパイク代わりにしているようだった。

 

 ツルを絡めた投網状の物を投擲してきた。目眩ましとはわかっているが、対応しないわけにはいかない。氷結させた上で、その塊の落下地点から回避する。

 

「切り離しが思ってたより厄介だな」

「ありがとうございます。で、いいのでしょうか?」

 

 よくわからないといった風に首を傾げながらも、複数地点の地面からツルを生やして対応の隙を突こうとしてくる。全て凍らせたが、やはり対応がワンテンポ遅くなる。中々に手強いなコイツは。緑谷ではなくコイツと戦えたのは正解だったかもしれない。

 

 次の試合での爆豪と、おそらく上がってくる猪地相手を考えると小技を使ってくる相手に予行演習しておけたのはラッキーだ。

 

 地面からの攻撃をデコイにして突進してくる塩崎。直接迎撃するのではなく、大きな壁を創造して視界を遮る。そして氷結を足元に重ねた高速移動で、背後に回り込もうとしたとき――――

 

「居ねぇ?!」

 

 塩崎の姿はない。だけど“影”はくっきりと残っている。地面に茨が刺さっていないから、騙されそうになったが晴天というのが仇になったな。

 

 空に向けて右手をかざす。しかしそこにあったのはツルで編まれた人形だった。

 

『やっれー!』

 

 やられた。だが慌てる必要はない。こういうときのセオリーは――――

 

反対側()だ!」

 

 案の定、隆起する地面から太いドリル状に編まれたツルが押し寄せてくる。ツルの隙間からは塩崎の姿が確認できた。氷結を出せるのは右手だけだったらここで詰んでいたかもしれない。だが、まだ俺の右足は地面に触れたままだ。何の問題もない。

 

 意外と大技を使わされてきたせいか僅かながらも身体に霜が降り始める前だ。この弱点も向こうは知っていると考えれば、いいかげん決着をつけるべきだ。

 

 相手が本気で仕掛けてきたときこそ、カウンターの意味がある。自身はその場を離脱しつつ、氷結の波を迸らせる。

 

『情け容赦ない攻撃が、って氷山かよ!! 塩崎吹っ飛んだー!!』 

「やべっ、やり過ぎた!」

 

 プロヒーローが見守っているとは言え“万が一にも観客席に被害が及ばないよう”にと八百万たちから口酸っぱく言われていたにも関わらず、抑え続けていた力加減を誤ってしまった。激闘を繰り広げていた爆豪や緑谷たちでさえ、意識できていたというのに。

 

 幸い、観客席には氷結はギリギリで及んでいない。だが、問題は塩崎だ。その場で凍りついていれば良かったものの、中途半端にツルの壁で防御しつつ身体を受け流そうとした結果、氷塊の圧力でかなり上空まで投げ飛ばされている。

 

 しかも目をつぶったまま不自然な体勢での落下の様子だと、意識が飛んだか。拙いな。下は俺が作り出した氷の剣山が待ち受けている。身体に霜が降り出した今の状態で、落下先を滑り台のような形へ作り変えるのは規模と制御の問題で厳しい。

 

「先生たちは気づいてないな。くそっ間に合えよっ!」

 

 氷を重ねて、重ねて、重ね続け、氷山の上を全力で駆け抜ける。だが落下が思っていたよりも速い。氷の切っ先が無防備な塩崎の身体に迫ろうとしている。

 

「焦凍ぉおおお!」

 

 煩わしい声がした。目を向ける暇も、耳を傾けている余裕もないのに。

 

「轟さん、炎をっ!」

 

 親父以外の声がした。クラスの誰かか。炎で氷山を溶かせと言うのか。馬鹿な。今の俺の制御力だと塩崎も巻き込むのが良いオチだ。緊急時とは言え、そんな安定しない力を使うわけにはいかない。

 

「バイクですわっ!!」 

 

 声の主は八百万か。何でバイクなんか――――そういうことか。八百万の隣で応援する青山の姿を見て、あの日のことを思い出す。

 

「わかった!」

 

 氷を溶かす以外に使うのはいつ振りだろうか。アクセルはベタ踏みでいい。左手から炎を全力で放出する。青山や爆豪がやっていたようにまでは行かないが、ある程度だけでも収束させれば上出来だ。

 

 アフターバーナーへと左半身を作り変え、氷上を更に加速させる。冷え切った身体が温まり、氷結の足場を作る効率も上がっていく。ぶれそうになる上体を安定させながら、ただ速くなるためだけに炎を吹かす。

 

『轟、初めて見せた炎で落下する塩崎をダイビングキャッチ! って、ミッドナイト、この試合の結果って』

『あ、ゴメンなさい。轟くん勝利、三回戦進出よ!』

 

 どうにか追いつけた。だけどコイツの身体、冷え切ってんな。低体温のショックで気を失ったのか。受け止めた後は、そのまま氷山を滑るようにして下る。

 

「イケメンだからって許されねぇことがあるだろ。離せ、砂藤! オイラはアイツに誅伐を!!」

 

 観客席は賑やかだな。A組の奴らが居る方を向けば青山と八百万が親指を立てていた。峰田は中指を立てているが、アレは中継していいのだろうか。

 

 退場の途中で掌に小さな炎を作り、首元に近い所を温めるようにしていると、どうやら塩崎も気がついたらしい。 

 

「もしかして、介抱して頂いたのでしょうか?」

「介抱というか、自分の後始末をしただけだ。悪りぃ。最後のは力加減間違えた」

「だとしても、救けて頂いたことには代わりありません。ありがとうございます。それに貴方のような強い人と戦えて、良い経験になりました」

「そうか」

「もう、自分の足で歩けます」

 

 入退場口の手前ほどで塩崎を下ろす。しまった。どうせ二人で同じコーナーから帰るのならば、塩崎が入ってきた方からしておけば良かった。そして懸念していた通りのことが起こった。

 

「焦凍! 試合は無様だったが最後の炎はよくやった!」 

 

 うざい奴がまた道を塞いでいた。

 

「轟さん、この方はもしや」

「父親だ。ウチの焦凍を相手に、君の立ち回りも見事だった。これでコイツはさらなる覇道を歩むことができる。目を覚ましてくれた君には感謝しかない」

「黙ってろ。試合には母さんの力だけで勝てたんだ。お前の炎には頼ってねぇ!」

 

 考えないようにすれども、その度にコイツは何度も前に立ち塞がる。

 

「何度も言うが、お前は俺の生み出した最高傑作だ。口で何を言おうとも、さっきので強く自覚したはずだ。氷だけでは不完全だとな。炎を使ってこそ最後に氷の方も調子が良くなったのだろう」

「黙れ!」

 

 そんなときだった。塩崎がふらついた足取りにも関わらず、まるで俺を庇うように両手を広げる。

 

「他人の家庭に口を挟むのは気が引けますが、貴方は子供をきちんと愛していらっしゃるのですか? 全ての生き物は皆愛される資格を持つのですよ?」

「耳が腐れるからコイツとは話さない方が良い。個性婚上等で、兄貴や姉貴たちをできそこないとか言うクズだからな」

「ますます聞き逃がせませんね」

「たかが高校生に何がわかる」

 

 髭の炎熱を更に強くし、威嚇する親父に対して決して一歩も退かない塩崎。マジモンの宗教家だったか。猪地みたいな変なのしか知らなかったから何か新鮮だ。

 

「おっしゃる通り、私の経験だけではわからないこともたくさんあります。しかし神は全てを存じておられます。そして私はその教えを受けております」

「俺が信じるのは法と力のみだ」

「私は神の愛を、人の愛を信じております。貴方には正しき神の教えが必要だと啓示が降りました。間違いありません」

「下らん。そんなものただの思いこみだ」

 

 一触即発の雰囲気の中。聞き覚えがある声がした。

 

「お、宗教談議なら付き合うよ」

「猪地。そういや次はお前の番だったか。飯田はお守りか。毎度大変だな」

「全くだ。正直今日はもう宗教はコリゴリなんだが――」

 

 飯田のヤツ、いつも猪地に振り回されて大変そうだが、今日は妙に疲れた顔をしているな。かなり実感のこもった声だった。 

 

聖輪会(メビウス)の方とは私も一度ゆっくりお話をしてみたかったのですが、次の試合があるご様子ですのでここは私にお任せ下さい。この方は児童教育について色々勘違いなされているご様子ですので」

「でも塩崎さん、ステージ復旧まで時間あるしそれまで私も手伝うよ。大丈夫そっちの宗教観には入り込まないから。私“自身”は一応無宗教だしね」

 

 その周りがヤバイんだろうと突っもうとしたときに、飯田の手が俺の肩を掴み、それを制した。

 

「轟くん、ここは彼女たちに任せて離脱するんだ。巡理くんが宗教モードで説教を始めると本当に凄まじいからな。君は何も聞かないほうが良い」

「お、おう」

「でしたら猪地さん。よろしくお願いしたします」

「オッケー任せて!」

「巡理くん、頼んだぞ! それと試合も頑張れ!」

「もちろん!」

 

 その言葉を合図に飯田に強く手を引かれ、親父の横を強引に通り過ぎる。

 

「ちょっと、待て。待つんだ!」

「追わせません。轟さんの精神状態も気になりますが、まずは貴方の心の傷を癒やしてさしあげなければなりません」

「おー、これがパチモン宗教とのオーラの差か。なら私は搦め手で。轟くんのお父さん、この病院名知ってます? 実は聖輪会(メビウス)の系列なんですけどね。あなたに“ちょーっとした”疑いがあるんでこっちでお話させてくれませんか?」

 

 過剰防衛とかそう言った噂か? 最後に猪地の言っていたセリフが何やら怪しげだったが、飯田の言う通り二人に任せることにした。

 

「ふん、良いザマだ」

「轟くんでもこんなときは笑うんだな。いや、君の笑顔を久しぶりに見たような気がして」

「そうか?」

「しかし、君の父上に対して失礼かもしれないが、ナンバー2ヒーローがあの二人に手球に取られているのは少々滑稽だったかもしれないな」

 

 明らかに苦笑といった表情の飯田。猪地の厄介さを一番知っているのがコイツだからな。親父に同情したのもあるんだろう。無理もない。

 

「だろ?」

 

 親父のことを忘れるのは、意識しないのはやっぱり無理かもしれないが、こうやって鼻で笑える位には強くなりたいと、俺は思った。

 




覚醒はもう少し後になりますがその布石回でした。
とっておきの進化を用意しています。


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第26話 二人だけの準決勝

 降り注ぐ爆音の弾雨とそれを相殺する氷結の刃。必殺技とも呼べる大技が飛び交う激戦に会場の熱気は最高潮に達していた。

 

「やっぱりこの二人は別格だねぇ」

「悔しいが認めざるを得ないな」

 

 順調に俺も巡理くんも勝ち進め、轟くんと爆豪くんの準決勝戦を二人で観戦している。次の試合は当の巡理くんと俺の試合だが、個性の関係上間違いなくステージの修復に時間がかかるため、同じ入場口から彼らの試合を二人で見守っていた。

 

 目を惹くのは何も大技だけではない。空を自在に舞い様々なフェイントを駆使する爆豪くん、氷壁で自在にステージを作り変えて相手の機動力を制しつつ、徹底的に鍛え抜かれた身体能力と体術を生かす轟くん。

 

「うーん。会場の温度を下げて、爆豪の出力を下げるのも悪くない選択だけど炎を使わない分、轟くんの消耗も激しいし、長期戦狙いで立ち回ってる爆豪の方が戦略面でちょっとだけ有利かな?」

 

 傍目から見れば互角の二人を冷静に評価する巡理くん。普段から手段、戦術面よりも戦略面を重視する彼女の視点での解説が横で聞けるのは中々に勉強になる。

 

「今からでも実況席に行ったらどうだ? 巡理くんなら歓迎される気もするぞ」

「それは褒めすぎ。相澤先生が居るから充分でしょ。言うべきことと敢えて口にしていない部分と使い分け上手いしあの人。それにしてもあの二人どっちが来ても厳しいね。正直、強すぎでしょ」

「総合面はともかく相性面の問題か。どっちが勝つにしても俺たちは中距離技がない。純粋な体術勝負に持ち込めるかがキーポイントだな」

「だね。でも、そこまで真剣に考えられるとちょっと拗ねるな。天哉は私との試合より決勝戦の心配の方が大事なんだ?」

「いや、そういったことでは」

「じょーだん」

 

 ドンと強く平手で背中を叩かれる。俺はもう慣れてしまったが、しっかり踏ん張らなければ、前につんのめるところだった。

 

 彼女の独り言を偶然聞いてしまった後、しばらくは気まずい雰囲気が続いたが、緑谷くんの治療や轟家の問題などのドタバタによって気が紛れたのか、彼女の苛立ちはどうやら収まったようだ。ヒーローネームを決める前にいずれ腹を割って話す必要があると思うが、少なくともそれは今ではないだろう。

 

「団体戦では負けちゃったけど、次は一対一だ。今度は私が勝つからね」

「こちらのセリフだ。最初の模擬訓練では良いようにやられてしまったからな。リベンジさせてもらうぞ。兄に絶対負けるなと言われているからな」

「また“お兄さん”だ。本当に天哉はお兄さん大好きだよね。実はちょっとブラコン入ってる?」

「ブラザーコンプレックスか。確かに俺は兄を敬愛しているが、世の中で言われている意味とは少し違うと思うぞ?」

「私は恋愛感情のことだけ言ってるわけじゃないけど……まぁいいか」

 

 何故かため息をついた後、巡理くんはオレンジジュースを喉に流し込む。俺の分を全て飲み干されそうな勢いの彼女を引き留めようとしたときだった。

 

 震えるズボンの右ポケット。身体が自然と共鳴する。このバイブレーションの長さからしてメールではなく電話か。一体誰からだろう?

 

「ぶっ!?」

「電話だ」

「ちょっ、不意打ちずるいって!」

 

 口から少量のジュースを吹き出した彼女は、ハンカチで口と喉元辺りを拭い取りながら「どうぞ」と片手のジェスチャーを俺に送る。

 

 画面を見ると母さんからだ。ひょっとして激励の電話だろうか。つながらなかったものの兄さんには一度合間を見て電話していたが、そう言えば母さんにはまだだったな。忙殺されていたとは言えども、俺としたことが完全に失念していた。巡理くんに甘え、その場で通話ボタンを押す。

 

「もしもし、母さん連絡を怠り申し訳ないです。でも何とか準決勝まで来ました」

『そ、そうだったの? 見てあげれなくてゴメンなさいね』

 

 電話越しの母の声はいつもより早口でどこか上ずっていた。あの母さんが俺の試合を見ていないのは不自然だ。

 

「母さん、一度深呼吸して落ち着いて下さい。何かあったのですか?」

 

 母さんに向けてではない。自分に言い聞かせるために、それを音にする。

 

『そうね。私が取り乱しちゃ駄目よね。天哉、落ち着いて聞いてね。天晴が……』

 

 胸の動悸が深く、大きく。まるで喉元に手をかけてくるように――――

 

『兄さんが(ヴィラン)にやられたわ』

「天晴兄さんが?!!」

 

 そんなわけがない。あの兄さんが(ヴィラン)にやられるなんて。絶対に嘘だ!

 

「怪我の具合は? どこの病院ですかっ!?」

『落ち着いて聞いて。天晴は無事よ。“今”は傷一つないわ!』

 

 傷一つない。なのに兄さんが(ヴィラン)にやられたと母さんは言う。そんな馬鹿なことが在り得るのか? 得体の知れない不安が頭の中を駆け巡る。もしあの時の巡理くんのように兄さんが原因不明の昏睡状態にでもなっていたら、と。

 

「一体何が起こったんですか?」

『ここでは……いいえ。私からは話せないの。警察と天晴の同僚の方が詳しく知っているわ。だから天哉、直接病院にあなたが来て欲しいの。もし天晴が元に戻るとしたら、多分あなたでないと駄目なのよ』

「もちろんすぐ行きます。でも俺でないと駄目とは一体?」

『――――来れば、わかるわ』

 

 すすり泣く母さんの声。母さんが泣いた姿を見たことなど、今まで一度あったかどうか怪しいぐらいだ。これがただ事ではないのは電話越しでも理解できる。

 

『でもね、生命に全く別状はないのよ。本当にね』

「しかし、母さん」

『天晴はあなたの優勝を期待していたのよ。だから天晴のためにもしっかり勝って来なさい。大会が終わってから出発しても夜には着くわ。学校、明日はお休みでしょう? 場所は保須市の保須総合病院よ。駅近だからすぐにわかると思うわ』

 

 俺の抗議を遮るように母さんは言葉を続けた。そうか、そうだな。生命に別状はないのだ。ここまで来たからには兄さんにいい報告を持っていかなければ。

 

「わかりました。保須総合病院、ですね」

『私はずっと病院に居るから、近くまで来たらまた連絡してね。ゴメンね。警察の人が呼んでいるから、また後で』

 

 そこで母の声は途切れた。通話ボタンを切ってポケットに携帯をしまい込む。

 

「端々しかわからないんだけど、お兄さん、大丈夫なの?」

「あぁ。(ヴィラン)にやられたらしいが生命に別状はないらしい」

「そうなんだ。良かった……って言ったら駄目だよね」

「不幸中の幸いといったところだろう。心配を掛けてすまない」

 

 差し出されたオレンジジュースのボトルに口をつける。落ち着けという意味合いを込めて出してくれたのだろう。しかし、妙に味気なく感じるのはきっと俺の感情の問題か。

 

「病院って保須市なんだよね。ちょっと遠いから早退するよね? 事情が事情だし、先に着替えて準備してなよ。私、相澤先生に言ってくるから」

「いや、その気遣いは結構だ。母さんにも体育祭が終わってから来いと言われたからな」

 

 母さんがそう言うのだ。今急いで行く必要はないのだろう。ならば俺は成すべきことをやってから向かうべきなのだ。

 

「義務とか、ルールとか、約束とか。そういったことを凄く大事にするの、天哉の良いところだと思うよ。でもさ。融通が利かないのが悪いところだって、前に何度も言ったよね?」

「そうだな。確かにな。以前君たちに言われてから自覚はしているつもりだ。しかし今なぜその話を?」

「君がどんな顔でそのセリフ言ってるか気づいてる? 鏡で自分の顔を見てきなよ」

 

 俺の両耳を摘み、ぐっと顔を寄せて来る彼女の眉間には深い皺が刻まれている。そんな彼女の手を下から軽く腕で払い、ゆっくりと口を開く。

 

「巡理くん、俺だってそこまで鈍感じゃないぞ」

「なら、なんで? すぐにでもお兄さんのところに行きたいって顔してるじゃんか!」

「選手宣誓であの女性に、皆に誓ったのは俺だ。だから俺がこの場を離れるわけにはいかない。俺が優勝しないと……」

「ふざけないで!」

 

 わかっているさ。でも兄さんとの約束、巡理くんとの約束、そして何よりあの宣誓が俺の足を縛り付ける。感情と理性の二律背反で身動きの取れない俺は相当に格好悪いのだろう。

 

「そんな状態で私やあの二人に勝てると本当に思ってるの? 恥ずかしくない試合ができるの思ってるの? 今だってちゃんと私のこと見てないでしょ。上の空じゃんか。舐めないでよ!」

「勝つしかないだろう! 俺は副委員長だ! インゲニウムの弟なんだ!」

 

 今度は俺の両肩を掴み激昂する彼女。肩を激しく揺さぶられる俺の口から溢れ出してきたのは、情けないぐらいに支離滅裂な台詞だった。

 

「わかったよ。私と試合をしよう――――今、ここで」

 

 そんな俺の言葉に怯むわけでもなく、反論するでもなく、両手を離し数歩後ろへ下がった巡理くんはそう告げた。

 

「私たちが決着つけるのに、二十秒も要らないでしょ。だから“今”だよ」

 

 何故だとか、そのような疑問を投げかけてもきっと答えてくれないだろう。半身の構えをとった彼女からは有無を言わせない威圧を放っていた。こうなったときの彼女は理屈では動かない。

 

「本気、なんだな?」

 

 ボトルを床に置いて、俺も構えを取る。

 

「本気じゃなかったらこんなことするわけないでしょ。戦わなかったらステージまで通してあげない。それで理由はできるよね? それから天哉、私が勝った何でも言うことを一つ聞いてもらうから」

「拒否権はないのだろうが、負けてやるつもりはないぞ」

「乗った、ってことでいいんだよね?」

 

 巡理くんはそう呟いた直後、俺から目を逸らすかのように足元に視線を移す。薄暗い廊下の影の中へと、存在感が溶けこむように消えていく。彼女の必殺技とも呼べる縮地法。

 

 彼女の無拍子の入りの瞬間は今の俺の力量ではまだ読みきれない。だが緑谷くんと一緒に何度もビデオで研究した。だから入る瞬間はわからずとも、入った直後の動きならば――――見える!

 

 試合じゃない、ただの私闘。先生方にバレたら大事になるだろう。副委員長の俺が規則を破るのは本来なら論外とも言える。でも、だからこそ彼女はこの場所を指定した。決まりよりも大事なものがあるだろう、と俺に伝えるために。わかっているさ。

 

 そして二十秒という制限時間を妥協点として示したのも、周りにバレないため。そして、出し惜しみするなという彼女の訴え。

 

「レシプロバースト!!」

 

 視界のギリギリ右端から拳を振りかぶる彼女の姿を捉えると、同時に軸足を踏み込み太ももの付け根を狙ってローキックを放ち――――入った。

 

「っ……たぁいな!」 

 

 カットされることもなく、綺麗に決まった。巡理くんは苦悶の表情を浮かべながらも、勢いで蹴り飛ばされないようその瞬間に俺のジャージの襟を掴む。そして直後、俺の左頬に痛みが走る。

 

 拳で頬骨を殴られたときのような鈍い痛みでない。甲高い音を響かせる彼女の掌。

 

「平手だと、君こそ本気なのかっ!?」

「本気で説教してるんだよっ。このわからずや、糞真面目っ!」

 

 まだ襟を掴んだまま再び右手を振りかぶる彼女を引き剥がすべく、スケート選手の様にその場で急旋回をし、遠心力で彼女の身体が浮いた隙に、手首に一当てして緩んだ指を外す。

 

 すると当然彼女の身体は遠心力で俺から離れ、体勢を崩したところへ臀部に中段蹴りを入れる。そしてここは狭い廊下だ。壁に上体をモロにぶつけ、受け身を取りそこねた彼女はすぐに立ち上がろうとするが、そこへ間髪を入れずに追撃の膝蹴りを――――彼女の顔面ギリギリで寸止めした。入れるつもりはなかったし、その必要すらなかった。 

 

「偉そうなことを言っておきながら何だ。このざまは」

 

 二十秒もかからなかった。エンジンはもう要らない。

 

「君の方が精彩を欠いているじゃないかっ!」

 

 こんなに簡単に追いつけるほど、君は弱くはないはずだ。

 

「だって、天哉が……また苦しいこと背負おうとしているのに、こんな馬鹿なことしかできない自分が悔しくて」

 

 彼女は片唇を噛み締めながら言う。

 

「脳無のことはともかく、今回は俺の家族の問題だ。だから君がそんな顔をする必要はないんだ」

「言ったじゃん!」

 

 そんな顔をしないでくれ。

 

「私にとって君は“特別”なんだって。私は真っ先に天哉の力になってあげたいんだって!」

 

 何で君が、泣いているんだ。

 

「ちゃんとした人付き合いなんて、本やドラマの世界でしか知らないんだよ。だからこういうときどうしたらいいのか、なんて言ってあげたら正解なのか全然わかんなくって、意味分かんないこと喚いたりして、本当にゴメン」

 

 以前は絵本を読み聞かせるかのように、淡々と語っていたこと。でもそれをもう一度彼女は感情を込めて告げる。

 

「でも、家族が居なくなる辛さは私はたくさん知っているから。天哉にはそんな思いをさせたくないってこと、それだけはわかって欲しい」

 

 そうか。父親を亡くし、母親と別れた経験があるからこそ、こんなにも彼女は取り乱したのか。兄さんの容態の詳しいことはわからない。母さんの言う通り今は無事だと言われても、万が一兄さんと二度と会えなくなるようなことがあったら、俺は一生後悔する。この体育祭で優勝を逃すことなんかよりも、ずっとだ。

 

「…………わかった。俺の負けだ。兄さんのところへ行くよ」

 

 彼女の真摯な気持ちに、俺のつまらない意地が負けた。結局の所、そういう話だ。勝ったら言うことを聞けなどというらしくない発言をしたのはきっと、俺にそう強制させるため。それ以外の理由はなかったのだろう。

 

 

 

 

            

 

 

              ×                 ×

 

 

 

 

 

 こうして俺たち“二人”は準決勝を放棄して、保須市へと向かった。巡理くんに付いてきてもらったのは、彼女の涙を振り切れなかった俺の弱さと、兄さんの容態をこっそりと“診て”もらえれば何か進展があるかもしれないという薄汚い打算。

 

 八百万くんに作ってもらった地味めな上着を羽織り、巡理くんは縁日のときのようにパーマした髪型に変えてメガネをかけ、俺はメガネを外して髪の流し方を変えた。そして念の為駅前で買った花粉症用のマスクをそれぞれ装着した上で新幹線の座席に座る。

 

「爆豪が優勝したんだって。でも私たちが棄権したのが気に入らなくて、すっごく暴れているみたい」

 

 片耳のイヤホンでネットラジオを聞いていた彼女が、ため息混じりの苦笑を見せる。

 

「彼らしいというか何というか。しかし俺たちのせいだから彼にはきちんと謝らないとだな」

「だね。爆豪に頭下げるのは嫌だけど、しょうがないね」

「下げるのか……」

「天哉、何なの。その顔?! 私だって嫌いな相手にも最低限の礼儀はあるよ?」

「冗談だ」

「冗談言う人じゃないでしょ。君は」

 

 彼女はポーチから昼に本来食べるつもりだったらしい、いつものタッパーの蓋を開ける。カットされたグレープフルーツを取り出して俺の方へと差し出すが、俺は首を振ってそれを断る。

 

「ありがとう。気持ちだけで充分だ」

 

 俺がそう言うと彼女が自ら頬張ると思いきや、タッパーを中にしまい込んだ。いつものお裾分けではなく、完全に俺を気遣っての行動だったらしい。

 

「今日は疲れたでしょ。少しの間だけでも寝とく?」

「いや……胸騒ぎと言うか、妙に冴えてな。確かに寝たほうが良い自覚はあるのだが」

「時間になったら起こすよ。私、ラジオ聞いてるから起きてるし」

 

 窓のブラインドを下ろしながら彼女が言う。

 

「だからおやすみ。ベスト4だって元気に報告しなくっちゃ」

「あぁそうだな。君の言う通りだ。すまない。少し言葉に甘えていいだろうか?」

「すまないじゃないよ。ありがとう、でしょ?」

「……ありがとう」

 

 瞼を閉じ、背中に体重を預けるようとすると「これ使うと良いよ」と巡理くんが丸めたタオルを首元に当ててくれる。至れり尽くせりも良いところだな。彼女には本当に頭が上がらない。

 

 そして乗客らの話し声などの雑音が徐々に遠のき、仄かに漂う柔らかな柑橘の香りが眠りへと誘う。トン、トン、トン。まるで赤子をあやすかのように、規則正しく胸元に刻まれる優しいリズム。

 

 恥ずかしさなど考えることもなく、ただ暖かな手に身を委ね、静かに眠りへと落ちていった。

 

 

 

 

 

 




かなり長くなってしまった体育祭編もこれで終了です。
初期プロット通りならもう二人で体育祭を抜け出して恋の逃避行的な感じになるかと思えば、本気の痴話喧嘩になっていました。


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第27話 私にできること

保須市突入。
今回は巡理視点。ヒロインのターン。




 体調は問題なさそうだけれども、色々と気疲れしていたのだろうか。天哉は私がこっそりと個性を使うまでもなくすんなり寝入ってしまった。彼の頭が自然と私の右肩に寄りかかる重みが、私を頼ってくれている証のような気がしてなんだか誇らしい。

 

 個性で完全に寝入っていることを確認し、記念に写メでも撮ろうかとカメラアプリのボタンを押そうとした所で駄目だとどうにか思い留まる。友達とはいえ盗撮には変わりないし、新幹線の中で周りに誤解されたくもなかったので邪な思いに鍵を掛ける。ふと脳内に浮かんできたぶどう頭のアイツのところまで堕ちるのは流石に躊躇われた。

 

 降り損ねたらダメだし私が寝るわけにもいかないので、ネットラジオのチャンネルをよく知らない洋楽を流しているチャンネルに変更して、少しボリュームを大きくする。新幹線なんて大層な乗り物、実は乗るのが初めてだったりしてドキドキだから寝落ちってことは多分ないはずだ。

 

 …………シャワー浴びてくれば良かったな。

 

 車窓から右肩へと視線を移す。着替えのときにしっかり汗は拭き取ったし、いつもより多めに制汗剤を使ったけれども、ここまで密着されると起きたときに臭いがバレないかほんの少しだけ不安になる。万が一気づかれたとしても、そこまでデリカシーがないわけじゃないと信じたいけれども「天哉だから」の一言に尽きる。真顔で指摘されたら多分恥ずかしさで死ねるよね。天哉が起きたら速攻で離脱して、もう一度制汗剤を使っておこうと心に決める。

 

 色気もへったくれもない初旅行のお供は、イギリスで人気のガールズバンドのパンクロック。幼さの残るハイトーンボイスとパワーコードとシンプルな2ビートで押し切った荒削りな感じがどこか応援したくなる感じで受けてるのかなと思う。

 

『この気持ちに名前をつけるとするならばこれが恋というものなのかな』

 

 日本語にするとそんな感じの初々しい歌詞が声のイメージとピッタリだ。普通の女の子ならばこの旅路に想いを馳せながら耳を傾けるんだろう。

 

『貴方に恋をしているみたい』

 

 私は違う。残念ながら違うんだ。この気持ちを恋と呼ぶには気持ち悪い――――ただの依存でしかない。決して口には出さないけれども、それぐらいの自覚はある。

 

 お母さんの居場所の情報や人質目当ての(ヴィラン)でもなく、お母さんの劣化版とは言えども私の個性による不老不死を目論む強欲な権力者たちでもなく、ましてや聖輪会(メビウス)の中に隠れ潜んでいる“次世代の創世のためだ”などと抜かし性的な目線を向け、何度も手を伸ばそうとしてくる男たちでもない。

 

 真面目で実直で、性的な興味もこちらが心配になる程に薄い。そして私がエンドレスの娘と知っても尚、何の打算もなく私に寄り添おうとしてくれた初めて人、それが天哉だった。今は優しいクラスメイトや先生たちに恵まれているけれども、本当に信頼してもいいと思えるのは多分まだ彼一人だけ。

 

 お母さんが失踪してから、(ヴィラン)と社会の両方に追われていた幼少期。天哉とは声も姿も性格もぜんぜん違うけれども、ずっと私の手を離さず居てくれたお父さんの姿に重ねて見てしまっているんだろうな。

 

『言葉にすれば全てが終わりそうな気がして。何もできないままの私はきっと…………』

 

 透き通ったラブソングかと思いきや、そんな感じのフレーズで締めくくられた。チャンネルを変えずに思わず聞き入ってしまったのも、哀しい終わりを予感させる歌詞の裏のストーリーに気づいてしまったからだろう。

 

 日本でもこんなの曲が段々流行っていくのかな。響香ちゃんに今度聞いてみよう。次はなんか趣味じゃないヒップホップが流れ出したので、ヒーローFMにチャンネルを合わせ、プレゼント・マイクのぷちゃへんざレディオ出張編に耳を傾ける。今日の話題は勿論、雄英体育祭についてだ。外の反響がどんな感じなのか、情報収集に務めるとしよう。

 

 尾行はいつもの聖輪会(メビウス)の護衛であろう二人だけ。メディアや(ヴィラン)連合の心配はなさそうだ。到着予定時刻の10分前にスマートホンのタイマーを合わせて瞳を閉じる。

 

 絶対に寝れないよねってくらい鼓膜に突き刺さるプレゼント・マイクの軽快なトークは睡眠防止には最適だ。感応網を先程までの半分に調整し、これからの出来事に備えて少し気を休めつつ到着を待つことにした。

 

 寝過ごすことも厄介な人たちに補足されることもなく、無事に私たちは駅に着くことができた。幸いまだ明るい時間だ。駅のロータリーで天哉のお母さんと連絡をとってもらう間、私は掲示板に貼ってあるバス停の時刻表の現物を改めて確認する。ネットで事前に調べていたけれど、偶に更新されていないことがあるから――――念のためにと思っていたが、まさかの三十分待ちだった。ネットでは十分待ちぐらいだったのに。

 

「はい、わかりました。四階でエレベーターを降りて右手すぐのロビーですね。すぐに向かいます。母さん、それではまた」

 

 天哉が電話を切り、左手を軽く上げて待たせたなというような仕草を見せる。

 

「バスだと三十分待ちみたいだね。地図を見ると少し遠いみたいだし―――」

「そうか。ならば走ろうか。俺たちの足ならこの位の距離でも、っと?!」

 

 努めて冷静であろうとしてくれているのはわかっている。でも私の話を遮り駆け出そうとするぐらいには天哉も焦っている。私はそんな天哉の腕を反対方向に引っ張り押し留めた。

 

「私たちなら大丈夫とは思うけど土地勘のない所で迷ったら最悪だよ。それに、こういうときにお金は惜しまない方が良いって。アレに乗ろう」

 

 向かい側の乗り場に見えるタクシーを指差す。タクシーも初めてだから相場がわからないけれど、五千円とかはしないよね、多分。想像が全くつかない料金体系に内心ではドキドキしながらも、早さと確実さを優先させた提案をする。

 

「すまない。確かにそちらの方が確実だな」 

 

 やっぱり天哉は身体はともかく、心が本調子じゃない。元々考えてから行動に移すまでの時間が短いタイプだったけれども、今の彼は考える時間そのものが短くなってしまっている。悪い傾向だ。

 

 私が支えなくっちゃ。そうじゃないとこんなところまで付いて来た意味がない。

 

 

 

 

            ×                  ×

 

 

 

「母さん、お待たせしました」

 

 ようやく到着した待ち合わせ場所のロビー。天哉と同じ髪色で真面目で温和そうな女性が彼の声に気づいて席を立つ。少しやつれているみたいだ。個性を使わなくてもメガネの下に浮かぶ隈の色から充分にそれが伺えた。

 

「あ、あのっ。天哉くんのクラスメイトの猪地巡理と言います。大変なときに、勝手に付いて来ちゃってすみません」

「天哉の母です。いつも話は聞いているわ。随分とお世話になっているみたいね。この子を連れてきてくれてありがとう」

 

 深々と頭を下げられる天哉のお母さん。

 

「そ、そんな畏まらないで下さい! 私の方こそ前の入院のときに本当にお世話になったので。本当にただついて来ることぐらいしかしていないんで気にしないで下さい」

「でも貴女も優勝候補だったのよね? 将来が掛かった大事な試合だったのに本当に申し訳ないわ」

「私は将来的に医療活動をメインに据えたいので、個人戦闘のトーナメントにはそんなに固執していないんです。だから私にとっては試合よりも、動転していた天哉くんに何かしてあげたくって…………」

 

 早い、早口すぎるぞ私。何とか噛まないでいられるものの、私の方が動転しているじゃない。そんな中、私の右手をふわりと柔らかな手が上下から優しく包み込んだ。 

 

「猪地さん。貴女みたいな優しい子が天哉と仲良くしてくれて私はとても嬉しいわ。本当にありがとうね」

 

 ゴツゴツした天哉の手やプニプニした茶子ちゃんの手とも違う感覚。少しの洗剤荒れした肌と筋張った指の筋肉の感触。でもその中には体温以外の確かな暖かさが、私の掌を、甲を、指を通して伝わってくる。

 

 あぁ、これが“母親”なんだ、と。それを思い知らされたのは入試の日に救けたご夫婦と合わせて今日で二回目だ。

 

 こんな状況下で私にできることは少ない。でもほんの少しだけ、気づかれにくいぐらいに本当に少しだけだ。身体の奥から力を引き出し、触れた指先からそれを譲渡する。

 

「早く天哉くんをお兄さんの所に連れて行って下さい。部外者の私はここで大人しく待っていますので」 

「――――本当に、優しい子なのね。ありがとう。気持ちは確かに受け取ったわ(・・・・・・)。でもね貴女にも着いて来て欲しいのよ」

「えっ、でもこういうのって普通部外者立ち入り厳禁なんじゃ」

「来ればわかるワン」

 

 急に声を掛けてきたのはスーツ姿の体格の良い男性。犬の異形型、頭部はビーグル系っぽい感じの人が廊下の方から現れた。天哉のお母さんが私から手を離し、彼を紹介する。

 

「保須市警察署長の面構犬嗣(つらがまえけんじ)さんよ」

「そちらが弟くんと――――猪地(めぐみ)の娘さんだワンね?」

「はい」

 

 会釈した天哉を一瞥だけした署長さんは私に視線をしっかりと合わせて言った。お母さんをその名前で呼ぶ人は久々だ。

 

「結論から言うと、インゲニウムは無事だけど(・・・・・)無事じゃない(・・・・・・)ワン。そしておそらく君も決して無関係ではない。だから私が面会の許可を出したワン。まずは君と弟くんはインゲニウムに会ってくると良いワン。ここから突き当りの部屋だ。詳しくは後で話そう」

 

 そう言って署長さんは私たちを送り出す。私と無関係じゃないって、聖輪会(メビウス)絡みかさっきの話し方だとおそらくお母さん絡みの話。お母さんが現れてインゲニウムを救けたとかいう話だろうか。でもそれだと『無事じゃない』って表現はしないはずだ。得体の知れない不安が胸中によぎる。

 

「巡理くん、行こう」

 

 強く握り締められた左手が――――ちょっと痛いよ、天哉。手を繋いでもらっているのに、何だか怖い。

 

 

 

 

「兄さん!」

 

 病室の手前まで行くと、やっぱり冷静じゃいられなかったんだろう。私の手を振りほどいた天哉が勢いよく扉を開ける。

 

 ごく普通の病室だった。緊急治療室でもなんでもなく、ただの個室。私がこの前まで居たような安い部屋とは違って備え付け家具の大きさや種類が全然違ったけれども。

 

 消毒液臭かった廊下とは異なり、部屋の中は熟れたメロンとパイナップルの甘い香りが漂っている。窓際の棚の上に美味しそうなフルーツバスケットが置かれていた。あの特徴的なリボンの使い方とシールの形からして、私が天哉にもらっていたフルーツのお店と同じだ。辛くて、怖くて、でもとても嬉しかったあの頃の思い出がふと蘇る。

 

 テレビ台の横の花瓶には淡いオレンジ色のカーネーションとカスミソウが活けられていた。部屋に座っているあの人が持ってきたのかな。

 

「天哉くん、久し振りね」

「藻部さん、お久しぶりです。兄がお世話になります」

「良いのよ。ここに座って。貴女も来てくれてありがとう。椅子を出すからちょっと待ってね」

 

 藻部さんと呼ばれた二十代半ば位のボブカットの女性が椅子に腰掛けていた席を天哉に譲る。清流のせせらぎのような透き通った声の似合う綺麗な人だ。制服の感じからして同じ事務所の社員さんなのだろう。天哉は藻部さんにお礼を言ったが、まだ座らず荷物だけ傍の棚に置いた。

 

 そして当のインゲニウム、天哉のお兄さんはベッドで仰向けの体勢で寝ていた。それはもう見事に健やかな寝顔だ。かなり歳が離れているみたいだけど、やっぱり天哉そっくりだな。

 

 でも様子がおかしい。おかしすぎる。点滴の類も一切見当たらないのはなんでなの?

 

「……巡理くん」

「すごく健康だよ。何でこの部屋にいるのかわかんない位に元気」

 

 決して直接的な言葉にはしなかったけれど、それを僅かにでも期待して私を連れて来たってのもあるんだよね。だから感じ取れるままの所感を述べる。私の個性で見る限り特におかしなところは見当たらない。だからこそ、そんなお兄さんの寝顔を見ていた天哉は困惑するのも無理はなかった。

 

「兄は、(ヴィラン)にやられたのではなかったのですか?」

「えぇ。ネームドの(ヴィラン)に一度やられた、それは間違いないの。滅多刺しのアーマーに、血の海になった現場、そしてスーツに搭載していた通信装置の通話記録と、視界映像。状況証拠の全てがインゲニウムが一度致命傷に陥っていたことを証明しているわ」

 

 話しながら藻部さんが取り出してくれた椅子を私に勧めてくれるが、それを固辞した。

 

「私がこの場にいることを許されている状況と、インゲニウムが致命傷を負ったにも関わらず今は無傷という状況。つまり、エンドレス()がインゲニウムを救けたということですか?」

 

 私は入り口側へと振り返り、署長さんへと問いかけた。

 

「憶測の段階でしかないが半分正解で、半分不正解だワン。ちょうどインゲニウムも寝ているし今が良いタイミングだろう。君たちに見せたい映像があるワン。これは特例中の特例だ。正直かなりキツい映像もある。もし気分が悪くなったら言うと申告すると良いワン。覚悟して見ることだ」

「ごめんなさい、私は二度目を見る勇気がないわ…………ロビーで待っているわね」

 

 天哉のお母さんが退出して行った。あぁ、あの感じは最近までの茶子ちゃんと一緒だ。でも実の母親がそうなのだ。かなりの覚悟が要る。それは間違いないのだろう。

 

「家族だから、事件の関係者だから、という理由だけで見せる訳ではない。君たちが次世代のヒーロー候補であるからこそ、そしてなによりも敵連合の事件を乗り越えた君たちだからこそ信頼して見せるんだワン」

「覚悟は出来ています。目を背けたりはしません」

「私もです」

「いい返事だワン」

 

 

 

 

 見せられたのは衝撃的な映像だった。

 

 ヒーロー殺しと呼ばれるステインの奇襲を受け、生死の境目を彷徨うインゲニウムの断末魔。拝金主義に陥った現代ヒーローを粛清することで、ヒーローの在り方を変革するという世迷い言。少女たちが祝福(ハレルヤ)と読んでいた謎の薬を投薬されて生命を取り留めたインゲニウムと、彼の発狂としかとれない叫びと呟き。

 

 そして私は見てしまった。私と全く同じ顔を持つ二人の少女の存在を。

 

 天哉も聞いてしまった。一人称が目まぐるしく入れ替わりながら発狂し『天哉って…………誰?』と呟くインゲニウムの声を。

 

 映像が止まった後、天哉は寝返りを打ちながら眠るインゲニウムを見てゆっくりと口を開いた。

 

「もしかして兄さんは、記憶障害を負ったのですか? だから『無事じゃない』と?」 

「そうよ。しかもただの記憶喪失なんかじゃない。急に多重人格のような兆候が見え出したの」

「ような?」

 

 言葉尻が気になって思わず口に出してしまった。けれどそれは天哉も気になったようで私の言葉を引き続いでくれた。

 

「普通の多重人格とどこか違うのでしょうか?」

「アフリカの僻地でしか使われていないような言葉を急に使い出したり、あんまり良くなかった英語の発音がネイティブ並に良くなったり、ずっと年上の人しか知らないようなことを知っていたり。そんなこと今まで聞いたことある?」

「いいえ」

「勉強不足かもしれないですけれど、私はそんな例は今まで聞いたことがないです」

「まだ分析中みたいなんだけどね。インゲニ……ウムはっ、天晴さんの心はっ、うぅぅ…………」

 

 藻部さんは嗚咽で言葉を続けることができなくなっていた。余程慕っていたのだろう。事務所のメンバーもたくさん居るだろう中、この人だけが残ることを許されていたんだ。もしかしたら恋人かそれに近いような立ち位置の人だったのかもしれない。

 

 ハンカチを差し出し、目元を拭ってあげる。何で私の周りはこんな哀しいことばかりが起きるんだろう。

 

「君も無理をせずそとの空気でも吸って落ち着いてくるワン」

「すみま、せん。そうさせて頂きます」

 

 藻部さんが退出したのを静かに見送ってから、所長さんが口を開く。

 

「――――恐らく飯田天晴としての精神はもうどこにも残っていない。条件は不明だが何らかのタイミングごとに、この地球上のどこかに済む誰かの精神に入れ替わってしまっているワン。しかもその全ての人格において記憶が曖昧な形でだ」

「何なんですかそれ。地球上、っていくらなんでも規模が無茶苦茶じゃないですか?」

「しかし現状ではそうとしか言えないらしいんだワン。それに私は精神科医ではないからね。だがもし、ただの記憶喪失の一種だとしたら、ずっと彼が気にかけていた自慢の弟である君の呼びかけを切っ掛けにできるかもしれないと医者たちは考えているようだワン」

「俺の言葉で、兄さんを――――」

 

 目尻が微かに濡れている。だけど下唇を噛み締めながら所長さんの言葉に頷いた。

 

「わかりました。兄が起きたら、たくさん話をします。絶対に()たちのことを思い出して貰えるように」

「頑張れとしか言えず申し訳ないワン。だがあまり気を張り詰めすぎないように。多分これはきっと時間がかかることだワン」

「……はい」

 

 天哉も最初に藻部さんが座っていた椅子に腰掛け、私の方を向いて言った。

 

「俺は兄さんが自然に起きるのを待とうと思う」

「私も待つよ」

「いや、すまない。少し心を整理する時間も欲しいんだ。だから巡理くん、今は兄さんと二人にしてくれないか?」

 

 そう言われたら引き下がるしかない。上手く返す言葉を私は見つけられなかった。

 

「うん、わかった。また落ち着いたら連絡して。しばらく天哉のお母さんや所長さんと話をしたり、近くを散歩しているよ」

「この埋め合わせは必ず」

「気にしないで。ゆっくりね」

 

 ここは私の出る幕じゃない。所長さんと一緒に部屋を出て静かに扉を締めた。

 

 

 

 

             ×                  ×

 

 

 

 所長さんにあの二人の少女のことや祝福(ハレルヤ)のことについて当然の如く問われたが、残念ながら私に出せる情報はほとんどなかった。伝えられたのは少なくとも私の知る限り妹は居なかったはずだし、年齢的にも新しくできたとしたらそれは異父姉妹になるということ。

 

 祝福(ハレルヤ)の存在は初めて知ったが、聖輪会(メビウス)もしくは直接お母さんのどちらかに繋がっている可能性が高いという推論。そして聖輪会(メビウス)から私が距離を置いていて、比較的穏健派や、(ヴィラン)からの護衛役の人たちに人脈が偏っていることも告げた。

 

 そうかと少し残念そうな素振りを見せたけれど、何か情報があった時の連絡先を教えてくれた。

 

 その後、天哉のお母さんと藻部さんといろんな話をした。天哉とのこれまでのことと、これからのことの両方を。そして天哉のお母さんから交通費とご飯代とかを出してもらい、ありがたく言葉に甘えることにした。さらに天哉の家に誘われたのだけれど流石に断って、その晩の新幹線に乗って帰ることにした。実質の滞在時間は三時間にも満たない感じになってしまったけれど観光じゃないから仕方ない。

 

 忙しいだろうからと天哉たちの見送りは辞退して、駅のホームで大人しくいつもより贅沢な駅弁も早々と食べ終えてしまい、のんびりと40分後の新幹線を待つ。帰りは何と指定席だ。何だか金銭感覚が今日一日で麻痺してしまったような気がする。

 

 ポーチから取り出した今日もらった名刺を鞄の上にズラッと眺める。さっきもらった藻部さんのもその中にもちろん加わっている。随分一杯もらったな。たくさんある中から目的の1枚を取り出す。マジマジと名刺を見るのはこれが初めてだけど、ちゃんと連絡先が載っていた。

 

 もう遅い時間だ。事務所の人に名刺を渡されたことを話すと、時間はかかったけれども目的の人物に連絡をつけてもらうことに成功した。

 

「ふっ、まさかこんなに早く連絡を寄越すとは予想外だったな」

「保留にさせてもらっていた返事の件なんですけれど、職場体験お世話になってもいいですか?」

 

 あのヒーロー殺しに対抗できる実力があり、そして同時に祝福の捜査もこなせそうな人物。実際に対面してみて噂通り人格には難ありだと感じたが、こんな状況で頼るならこの人しか居ないという確信もあった。

 

 本来なら極秘事項だが事前に面構署長にダメ元で話をしてもいいか許可はとった。派閥が複雑化し、疎遠にしていた聖輪会(メビウス)の中に探りを入れるよりは、この人を頼ったほうが恐らく進展が望める。

 

「勿論君ならば構わん。だが準決勝のことと関係があるのか?」

「えぇお望み通り、私の目を貸します。だから代わりにどうしても捜査して欲しい事件があるんです」

「生意気だ、と切って捨てるところだが言うだけ言ってみろ。使えるサイドキック候補は抑えておきたいからな」  

 

 序列はオールマイトの次点であり、あの脳無を難なく倒す圧倒的な強さを持ち、そして何よりもダントツのトップを誇る事件解決数を誇る捜査能力の持ち主。

 

「ヒーロー殺し、そして祝福(ハレルヤ)。別個の事件なんですが同時にインゲニウムが関わり、そして再起不能に陥りました」

「ほう、ここでその名前が出てくるとはな。おい、詳しく話してみろ」

 

 電話越しにでもわかるドスの効いた威圧感溢れる声。不敵な笑みを浮かべるエンデヴァーの顔が脳内に浮かんだ。

 

 

 

 

 

 ――――――私が少しでも手がかりを持って帰る。だから無理をしないで、天哉。

 

 

 




飯田くんのターンは次から。

初期プロットではインゲニウムが死亡し、より憎悪を増す予定でしたが、ある意味悪化させました。その分色々飯田くんは悩むことになります。


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第28話 エンドレス

 ――――今は兄さんと二人にしてくれないか?

 

 大事な試合を捨ててまで巡理くんは俺に着いてきてくれたというのに、さっきの言葉はあまりにも自分勝手だっただろうか。いや、これでいい。あのまま隣に居られたら俺は彼女にもっと心無い言葉をぶつけてしまうかもしれないから。

 

 そんな俺の気持ちに気づくわけもなく、兄は本当に気持ちよさそうな寝顔をしている。映像の中では見た怪我はあの時の切島くんたち以上だったはずなのに、今はどこからどう見てもその顔色は健康そのものだ。巡理くんのお墨付きともあればそれは間違いないのだろう。

 

 大きく、息を吸う。熟れた果実の臭いが、妙に甘ったるい。そんな気分じゃない、とでも言えば良いのだろうか。全部がちぐはぐな気がする――――部屋の空気を変えよう。

 

 席を立ち、窓を開放する。吹き込んでくる生暖かい風によってカーテンがふわりと舞い上がり、俺の頬を優しく撫でた。少し窓から身を乗り出して、沈みかけた太陽をぼんやりと眺める。

 

『太陽が見えなくなるまで競争だ!』

 

 兄さんはそう言い出すと同時に走り出して、俺はズルいと抗議しながらその背中を追った。でも兄さんはときどき振り返って、離れすぎないようにしてくれた。あの川辺での日常をふと思い出す。

 

 そんな回想に浸っている中、布団の擦れる音が俺を現実に引き戻す。

 

「う……お腹が減ったわね」

 

 耳慣れた声がした。だが決して、聞き覚えの無い女性のような口調。首元に嫌な汗が一筋流れる。

 

 そういうことか。この部屋にいるのは俺と兄さんだけ。藻部さんが言っていたことがどう意味なのかをこのワンフレーズだけでも痛烈に理解させられた。

 

 覚悟しろ、今から見る姿が兄さんの現実だ。意を決して振り返る。 

 

「起きたのかい、兄さん」

「にいさん? えっ、ここは?!」

 

 跳ね上がるように上体を起こし、頬を両手で抑えている兄さんの姿を見て、俺は次の言葉を失う。目を丸く見開き、あからさまに困惑しているその様子は俺と鏡写しだったのかもしれない。手を下ろし、視線だけで部屋を一巡りした兄さんは先に口を開いた。

 

「私の名前は飯田天晴で、君がその弟くん。それで私は入院中。その認識であっているのよね?」

「あぁ、そうだよ」

「君の名前を聞かせてくれる?」

 

 困惑はしているのだろうが、以外なほどに狼狽えた様子は見えない。ベッドのネームプレートを指さしながら、ゆったりとした口調で眼の前の人物言う。

 

 眼の前にいる人は兄の姿をした“誰か”なのだと、今こうして相対してこそすぐに理解できた。母さんや藻部さんもきっと感じたであろう気持ち悪さやもどかしさも。

 

 無論ショックはある。でも藻部さんたちが経験したときとは違い、ちゃんと日本語で会話もできている。そして第二声の内容から、非常に冷静な人格であることも容易に想像が付く。最悪こちらは混乱で暴れ出すことも想定していたので、これはきっとチャンスなのかもしれない、と。俺はそう信じることにした。

 

「飯田天哉、兄さんはいつも天哉と呼んでくれていたよ。雄英高校ヒーロー科の一年生だ」

 

 だけど俺は兄の記憶が混濁しているだけと信じたい。信じたいからこそ、自然と発してしまいそうになる他人行儀な話し方ではなく、兄さんと普段話すような口調になるように努めた。

 

「そう、ヒーロー科だなんて天哉は優秀な弟なのね。天哉、早速悪いんだけど鏡を取ってくれない?」

 

 喉の辺りを抑えてみたり、胸元や二の腕、鼠径部を確認しながら兄さんはそう言った。女性の人格になっているらしい本人が一番口調に戸惑っているようだ。

 

「鏡か。鏡は持っていないが、スマホをこうすれば良いと巡理くんが言っていたな。はい、兄さん」

 

 スマホをカメラモードにして、自撮り用のカメラに設定した状態で手渡す。受け取った兄さんは角度を変えながら自分の顔を確かめる。

 

「うわ、本当に男だ」 

「兄さんは自分の性別に違和感があるんだろ? インゲニウム、ステイン、ハレルヤ、この言葉に聞き覚えは? 直近の記憶で何か思い当たることは?」

「そんな一気に捲し立てられてもわからないから。天哉、落ち着きなさい」

 

 母親が小さな子供に言い聞かせるような口調で、兄さんの姿をした彼女が言う。

 

「言っておくけれど、私自身が一番混乱しているんだからね、もう。要するに私の記憶を確認したいんでしょう?」

「あぁ」

 

 諭された俺はただ頷く。これじゃ立場が逆じゃないか。

 

「残念ながら自分の名前すら思い出せないわ。でも身体が覚えているっていうの? 少なくともこの体は、本当の私は飯田天晴じゃないってことぐらいは分かるわよ。もしかしたら魂だけが別の身体に入り込んだとでも言うのかしら、まるで三流小説みたいね」

「三流ってことはないんじゃないか、むしろテンプレートだと思うぞ。離れた場所の男女の意識が移り変わる映画が去年の夏にかなり流行ったようだしな」

「そんな映画は知らないわね。でもそんなストーリーに既視感があるのは事実だし、自分でも色々確かめたいのだけど……」

 

 俺から目線をずらし、部屋の四隅に設置された監視カメラをじっくりと確認した後、十秒ほど思案した兄さんは俺に推論を述べる。

 

「やけに厳重な監視カメラよね、でも拘束されているわけじゃない。そしてこの筋肉の鍛え具合と尋常じゃない数の傷跡。君がヒーロー科ってところから推察すると、飯田天晴はヒーローで、敵との戦いにおいて何らかの個性にやられて精神に異常を来たしている」

 

 確かに推測が可能な要素は揃っている。とは言えども、この冷静さと察しの良さには驚かざるを得ない。

 

「どうかしら天哉。何点ぐらい付けてくれる?」

「ほぼ満点だよ。個性じゃなくて薬品ってところは誤差の範囲だろう」

「オーケー、大まかには把握したわ。貴方から色々聞きたい所だけどきっとそれじゃ、全然情報が足りないし偏るわね。天哉、所属事務所からその敵と薬品に関する情報、飯田天晴に関するプロフィール、病院のロビーか売店で直近の新聞と、あとはそうね……健康状態の診断結果にあのカメラの録画データ、ノート3冊くらいと筆記具ね。ざっとで良いから揃えてくれるかしら。私、こういうのはキッチリ多角的に確認したい性質なの。それに今の私の状態をいつまで続くかわからないからね。飯田天晴への引き継ぎと考察も早くまとめなきゃ。ハリーハリー!」 

「わ、わかった」

「でも廊下は走っちゃだめよ」

「わかってるって兄さん」

 

 俺の知っている兄さんとは別方面で頼り甲斐があるのは僥倖なのだろうが、怒涛の勢いとでも表現すべき言葉から感じ取れるパワーに、ただただ俺は圧倒される。売店に署長、藻部さんのところか。戻って来るまでに30分位かかるだろうか、全体的に巻き気味の今の兄さんを手持ち無沙汰にさせるのは勿体ないな。

 

「俺が買ってくる間、俺のスマホで事務所の公式サイトやヒーローチューブを見ていてくれ。ある程度の事はそれで調べられるだろうから」

「遠慮なく借りるわね」

 

 スマホのロック解除して兄さんに渡すと早速検索サイトのアプリを起動させていた。使い方がわからないということはなさそうだ。他の日常生活も支障がなければいいのだが。

 

「ムフフ、じゃあネットの検索履歴から君のご趣味を拝見っと」

「やましいものは何もないぞ」

 

 もーわかってないなと、何故か呆れ顔になる砕けた今のノリは、少しだけいつもの兄さんっぽかったな。

 

「冗談のつもりだったけど全く動じないなんて、本当に真面目なのね君。変なことはしないから、おつかいよろしく……ほう、これはこれはいいご趣味で」

「はぁ、だからやましいものはないぞ」

 

 ため息と共に出てくるのは、これで二度目になる台詞。まるで峰田くんを相手にしているみたいだな。しかし悪戯っぽくニヤリと細まる兄さんの瞳が、次の瞬間、急に見開かれる。

 

「何か思い出したのかい!?」

「う、うん。何でもない。ほら、ハリーハリー、天哉!」

 

 何でもないわけはないだろう。目頭に涙が浮かんでいるじゃないか。何に衝撃を受けたのかよりも、その涙が一体誰のものなのか。それを問う勇気を見いだせないまま、俺は言われるがままに売店へ向かって行った。

 

 

 

 

 

 エレベーターでなく階段を使うなど、なるべく人の少ないルートを選び売店に向かう。変装を解いてしまったせいもあって、度々通りすがりの人々に声をかけられた。その声の多くは準決勝を棄権せざるを得なかった俺を励まし、そして兄さんを心配するものだった。どうやらインゲニウムが負傷したとの情報はもう一般にも広まっているらしい。

 

 心配は嬉しいが随分違うものだな。入試での事故の巡理くんに対して、いやそれだけじゃない。敵連合襲撃後の入院していた皆への人々の視線は、同情も含まれど、少なからず辛辣な感情も混じっていたように俺の目には映っていた。

 

 この周りの対応の違いは、兄さんの人徳が勿論一番の理由ではあるのだろう。しかし、俺や皆の体育祭にかける本気の想いが、少しでも認められたのがこの変化なのならば、頑張った甲斐があったというものだ。

 

 通りすがったロビーでは体育祭のダイジェストを見ようとテレビの周りに人々が殺到していた。母さんたちがいるかもしれないと、一瞬足を止めてその場で探してみる。

 

 病院だというのにテレビを見る人々は皆笑顔だ。テクニカルな三年生の技に歓声をあげたり、珍プレーランキングに破顔したりしている。ちなみに電灯まみれの尾白くんが、このランキング三位に入っていた。

 

「おじろふらーっしゅ!」

 

 幼児がヒーローごっこのように、早速尾白くんの真似をしている。微笑ましい光景であるはずだが、このチームに一泡吹かされた身としては、何とも表現し難い複雑な気持ちだ。だが……

 

「『ヒーローの仕事は命を救うだけじゃない──』か」

 

 反芻するためにわざと小さく声に出す。(ヴィラン)への警鐘として、被害者たちへのけじめとして俺たちはこの数日間、がむしゃらに走ってきた。だが大事なことを完全に失念していたことに今気付かされた。

 

 クラスの実力と結束は確かに示すことができた。副委員長としての俺は自信を持って言える。だがヒーローの卵としての俺は、果たしてこの体育祭で勤めをやりきれたと言えるのだろうか。今一度自答する。

 

 敵連合の襲撃後、ジョギングに誘ってくれた兄さんは思い詰めていた俺に続けてこう言っていたのを思い出す。

 

 

 

                 ×                  ×

 

 

 

 

『──心を救うのも大事な勤めだ』

『言わんとすることはわかるよ。兄さん。でも具体的にどうやって? 怪我や(ヴィラン)は見える。けれど、見えない心なんて曖昧なものは俺にはどうしたらいいか見当も付かない』

 

 夜の暗い堤防沿いの生ぬるい風が、俺の首筋にじっとりと纏わりついて離れない。二歩分ほど斜め前を走る兄さんの背中は、実際の距離よりもずっと遠くに感じられた。

 

『だったら見えることから始めればいい。まずは笑顔だ。大先輩の受け売りだけどな。心はなかなか見えないけど、笑顔は見えるだろ?』

 

 電灯も少ない道、しかもちょうど逆光だ。けれども、振り向いた兄さんが俺に伝えようと、励まそうとするその気持ち(えがお)は眩く輝き、俺の網膜へと刻まれる。

 

『笑顔になってもらうために何ができるか、そこから考えてみようぜ!』

『うん、わかった。頑張ってみるよ』

『でも方法は人それぞれ向き不向きあるからな、ユーモアとか天哉に求めるのも違うだろうし。うーん、そうだなー』

 

 兄さんはそう言いながら、少し下がって肩を組んで来た。そして横顔の近さに、改めて驚く。そうか、身長だけならもう俺は追いついてしまっているのか。中身はまだまだなのにな。

 

『確かに、兄さんやオールマイトみたいなジョークは苦手だ』

 

 兄さんのような立派なヒーローになりたい。でも常々兄さんは俺に対して、自分たちと同じになる必要はないのだと説いてきた。けれども今もこうやって俺のために時間を割いて、真剣にアドバイスをくれようとしている。

 

 回された兄さんの腕から、俺の首筋へと汗が伝ってくる。だだ密着することによる走りにくさも、熱が籠もりっぱなしの首筋も、決して不快ではなかった。

 

 俺が取っつきにくい人柄だということも、俺が振りかざす論理に耳を痛める人間が少なからずいることも自覚がないわけではない。だから振り返ってみれば、俺に対してこんな距離感で接してくれる人間は、兄さんぐらいしか今まではいなかった(・・・・・・・・・)

 

『そうだ天哉は勉強が得意なんだから、メンタルケアとかそういう本読んでみるのもいいさ。医者志望の子とも仲良いんだろう。一緒に勉強してみたらどうだ?』

『そうだね。猪地くんなら詳しいかもしれないな。書籍について聞いてみようと思う』

『お前は俺より優秀なんだからきっとやれる! 色々と(・・・)励めよ!』

『ありがとう兄さん!』

 

 

                  ×                  ×

 

 

「おじろふらっしゅう!」

 

 回想にふけっていると俺の足元で甲高い子供の声がした。どうやらさっきの子供が今度は子供用携帯のフラッシュを焚いてまで再現して遊んでいるようだ。それにしても親御さんはどこにいるのだろうか。

 

「こらこら、君、知らない人にフラッシュをしてはいけないぞ」

 

 視線の高さを合わせるために片膝をつき、威圧感を与えないように気をつけながら言う。

 

「しらないひとじゃないよ。ぴかーってされためがねのひとでしょ?しってるもん」

「なるほど、確かに俺は本人だ。が、どうしたものか」

 

 子どもに悪気はなさそうだ。親が出てくる気配もない、そもそもこの病院にはいないのかもしれないな。巡理くんや藻部さんなら上手いことこの幼児を指導出来るのだろうが、俺が何時もの調子で話しても、未就学児には通じにくいということはわかる。万が一泣かれでもしたら俺一人では収拾がつかない。迷いながらも俺は慎重に言葉を選び取る。

 

「あれはヒーローの必殺技だからな。必殺技は大事なときにしか使っちゃいけないんだ」

「だいじなとき?」

 

 上手く言ったつもりが問い返されてしまう。しまった抽象的すぎたな。もっと分かり易く、具体的に表現しなければ。

 

「大切な人を守りたいと思ったときだよ」

「たいせつなひと?」

 

 ぬぅ、それも問い返すか。もっと別の例えが良かったか。俺が言葉に詰まっていると幼児の方が先に口を開いた。

 

「おにいちゃんにはいるの?」

「いるとも。兄さんや母さん、それからクラスの友人たち。数え切れないほどいるぞ。君にはいるかい?」

「いるよ! おかあさんはあしがわるいからひーろーになって、まもってあげるんだ!」

 

 生え替わりで前歯が一本欠けたその子は、屈託なくそう言う。

 

「あ、もうおかあさんのところにもどらなくちゃ。ばいばい、ひーろーのおにいちゃん!いろいろおしえてくれてありがとう!」

「廊下は走るんじゃないぞー!」

「はーい!」

 

 振り返った幼児はとびきりの笑顔を見せた後、ゆっくりとエレベーターの方へと向かって行った。 

 

 見送った俺は目的である売店へと再び向かう。売店は少々込み合っていて、レジには行列が出来ていたので朝刊と夕刊を無作為に一つずつ手に取り、大学ノートと筆記具を確保して最後尾に並ぶ。雑誌はゴシップ紙ばかりで、どこのものが信憑性が高いか俺には皆目見当が付かなかったので、なしにした。スマホからの情報で充分だろう。

 

 並んでいる間に夕刊の一面記事へと目を通す。もちろん体育祭の記事ではあったが、大きく写真に写っていたのは表彰式でセメントスに拘束されている爆豪くんの荒ぶる姿だった。どうやら決勝戦を放棄した俺たち二人に立腹し、メダルの授与を拒否し続けていたところを取り押さえられオールマイトまで出動したとのことだ。特に騎馬戦で巡理くんのチームにはまんまと心操くんの罠で出し抜かれ、俺達のチームにはダントツの差をつけられていたのだ。不完全燃焼なのは理解できる。だからこそ、このような醜態を衆目に晒すことになったのは爆豪くん1人の問題ではないな思うと非常に心苦しさを感じる。何かしらの詫びが彼には必要だろう。緑谷くんと巡理くんと要相談の案件だな。

 

 そしているうちに買い物は無事に終えたが署長と藻部さんの居場所がわからないことに気づく。連絡を取ろうにもスマホは兄さんに預けたままだった。不覚だ。とりあえず一旦部屋に戻ることにしよう。

 

 

 

 

 

 

「お帰りなさい。早かったわね」

 

 モグモグとバナナを齧りながらベッドの端に腰かけて、スマホを弄っていた兄さんが声をかけて来る。どこか見慣れたような風景だ。

 

「病院食以外をもう食べていいのかい?」

「大丈夫よ。私医者だし自分の体調くらいしっかりわかるわ」

「えっ、記憶が戻ったのかい?!」

 

 さらりと投下された爆弾発言に思わず俺は新聞などの入った袋を取り落としてしまう。 

 

「えぇ。私自身の方は。リンク先がインゲニウム、そして君に接触できるなんて、本当に奇跡みたいな確率だったけれどもしっかりと自我を取り戻せたわ。今なら神様の存在を信じれそう……今のは笑うところよって、解説がないとわからないわね。ごめん、聞き流して」

「意味がわからなくとも聞き流すには厳しい内容だったの思うのですが、やはり貴女は兄さんの別人格という訳ではなく、完全に別人ということですか?」

「そうよ。でも安心しなさい。お兄さんはもうすぐ元に戻って来れるわよ。しばらく療養は必要でしょうけれども、致命的ではないと思うわ」

 

 彼女(にいさん)が食べきったバナナの皮がきれいな放物線を描いてゴミ箱に吸い込まれていく。

 

「隣に来なさい。袋は拾わなくて良いわ。引き継ぎも情報も、もう不要だもの」

「いや、床に落としたままなのは衛生的にも、景観的にもよくないだろう」

「本当に真面目なのね。ほらそこに置いたら早く。あまり時間がないんだから」

 

 ベッドをポンポンと叩き、腰掛けるよう促されその指示に従う。隣に座った俺と肩を組むようにグイッと引き寄せた彼女(にいさん)は俺の耳元にこっそりと囁いた。

 

「できれば監視がないところが良かったのだけれど、時間がないから今ここで君に託すわ。これはオフレコよ。警察やヒーロー、友達や彼女、そしてインゲニウム自身にも。ちょっと目を閉じていて。そのほうが酔いにくいから」

「一体何を?!」

 

 目を閉じた直後、肩を組んだ姿勢からさらに俺の頭が引き寄せられ、頭と頭が軽くぶつかる。

 

『何も声に出さないで。君のためにギリギリまで出力を絞っているんだから、ちゃんと聞こえていたら読書のときのように心の中で返事してみて』

 

 ヘッドホンをつけたときの感覚をもっとくぐもらせたような、脳内に直接語りかけてくるような声が響く。兄さんではない、落ち着いた年上の女性の声。これが兄さんの中の人か。

 

『聞こえています』

『オーケーよ。こっちも把握したわ』

『それにしてもこれはテレパスの一種なのですか?』

 

 先程までは兄さんと接するような口調でと努力していたが、もうその必要はないだろう。彼女と話す俺は自然と畏まった口調に戻る。

 

『全然違うけれど究極的には同じと言うか、まぁそれは些細な問題だわ。これなら盗聴の心配も要らないからね』

『警察には聞かれたくないと?』

『いいえ、誰にも、よ。時間がないからよく聞いて。君に幾つかメッセージを託すわ。まず1つ目、これは祝福(ハレルヤ)の件はこちらでなんとかするわ。善悪、裏表関係なく誰も関わるべきではない代物よ。社会への影響力は個性増幅薬(トリガー)なんかの比じゃないわ。だから出回る前にこちらでなんとかする。そして今この出来事そのものが祝福(ハレルヤ)への道になるから伏せて置いて頂戴』

『不老不死の妙薬という噂が本当だとしたら誰にもその欲求に抗えないからですか?』

 

 始皇帝しかり、過去の歴史が物語るように権力者が最後に追い求めるのは永遠の命。手にしたものの善性に関係なく、それが実在することがわかれば数多の陰謀や抗争が巻き起こるのは容易に考えられる。

 

『大体あってるわ、実際はもっと酷いものになるのでしょうけどね。私は救えるところにある命は全て手を差し伸べるのがモットーだけど、別に死そのものを嫌悪しているわけではないわ』

『さっきからの口ぶりだと貴女は、祝福(ハレルヤ)に関わる中心人物で、しかも医者で、それだとまるで……』

『ふふっ、察しのいい子は私の好みよ。はじめまして飯田天哉くん。猪地(めぐみ)よ。巡理(むすめ)が随分とお世話になっているみたいね。スマホに写真が入ってたから、私も自我が取り戻せたようなものよ。君は私の恩人だわ。メールとかは母親権限で全部見ちゃったけど許してね』

 

 悪びれないような口調で彼女は自身の名を告げる。その名前が出てきたことそのものには、思ったよりも驚きは少なかった。巡理くんとそっくりの少女の映像さえあったのだ。薄い可能性の一つとしては考えていた。どこか兄さんの仕草に既視感があったのも巡理くんのソレに似ていたからなのかもしれない。

 

 しかしなんで、なんで貴女が今更出てきて。しかもよりによって巡理(むすめ)くんではなく俺の前に。糾弾の言葉はいくらでも浮かんでくる。しかし彼女は時間がないと言っていた。ならば俺が今問うべきことはっ――――!

 

『やむを得ない事情があるのは理解できる。けれども巡理くんは貴女が去ってから父親を失い、少なくない苦労をして来た。謝罪しろとは言わない。それは貴女が自分の口で伝えることだから。でも、せめてあの子が捨てられたんじゃないと、愛されていたんだと、わかる言葉をどうか僕に託してくれ! しっかりしているようでもあの子は愛情に飢えているんだ。僕が当たり前のように享受していた家族との会話も、食べるものや住むところに不自由しない暮らしも、巡理くんは持ち合わせていなかったんだ。だからっ!』

『そんなに巡理のこと、大事に思ってくれているのね。本当に君に会えて良かったわ。今さら会わせる顔もないけれども君がそこまで言ってくれるのなら、そうね』

 

 しばし言葉をまとめるために沈黙する猪地恵(エンドレス)。他人の家庭事情に突っ込むのも野暮かもしれないが、言って良かった。一言一句聞き逃さないように構え、心の中の耳を研ぎ澄ませる。

 

『“ヒーローじゃなくても、医者じゃなくてもいい、やらなくちゃいけないことじゃなくてあなた自身の幸せを探して、あなた自身になりなさい”って、そう伝えてくれるかしら。今すぐに言ったら混乱するでしょうからね、君があの子に必要だと思ったときで良いわ。必ず伝えてくれる? 約束よ』

『俺が求めていた言葉とは違うけれども……わかりました。巡理くんが求めているときに必ず伝えます』

『お願いね。いけない、そろそろタイムリミットね。もう、言わなくちゃいけないことがいっぱいあったのに。まぁいいわ。やれることをやりましょう。既に境界を超えたならば。えぇ、問題ないわ』

『“境界”それはあの少女たちも確か言っていた言葉では。俺に一体何を?』

『そのときが来ればわかるから。だから肩の力を抜いて“力”を受け取りなさい。巡理に一番近くて、思ってくれている君だからこそ託すわ。これからヒーローを目指すのならば数えきれない危険が待ち受けているでしょう。どうしても“今の君”では実力が足りない、そんな場面が来るでしょう。そのときは頼りなさい“君が一番信頼している人”の力を――――』

 

 何かをされている。それはわかる。揺さぶられているような、違うような言語化しにくい違和感を感じていた直後、麦茶と間違って父のビールを口につけてしまったときのような酩酊感が急に襲い来る。

 

『願わくば、巡理のために使ってくれたら嬉しいわ』

 

 それが最後に聞いたエンドレスの言葉だった。“力”が何のことかはわからない。だけれども、巡理くんのために使おう。そう言葉を返そうとして俺の意識は闇へと落ちていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「っ、一日中拷問だなんて碌でもない夢を見ていたな。やっと起きれた。おいおい、なんでこんなところで寝てるんだ俺たちは」

 

 どこか酷く懐かしく感じる声が――――

 

「全く、そんな格好じゃ風邪引くぞ、天哉」

 

 まどろむ俺の耳元にふわりと降り注いだ。




エンドレス登場ということで大分爆弾突っ込んでます。

いよいよ職場体験の導入ということで大きく話が動きます。
職場体験のメインキャラの発表です。


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第29話 祈りを込めて

 二日の休みを挟んだ後の登校日。体育祭が終わったのにも関わらず、誰に言われるでもなく体育館に集まったメンバーで恒例となっていた朝の自主練メニューをこなしていく。体育祭の影響で皆も通学中いろんな人に声を掛けられたりしたことと生憎の雨ということもあって、少々いつもよりも集合が遅くなってしまったが、久々の朝練なのでこれくらいの練習量でちょうど良いのだろう。

 

 女性陣や中・遠距離組の基礎トレ組は巡理くんが、そろそろ疎かにしていた勉強が怪しい組は中間テストに向けて八百万くんが指導する中、副委員長である俺が取り仕切っているのはある程度基礎が出来ている近接格闘組、緑谷くん、砂藤くん、切島くん、尾白くんだ。一通り実践的な組手を行った後、今行っているのはシャトルラン、20メートルの幅を合図の音に合わせて段々速度を上げて往復していく種目、平たく言えば往復持久走だ。

 

 現場を想定して体を慣らしていない状態での急激な戦闘、そして疲労後の逃走や追走を想定した合理的な理由でこの曜日のメニューは組み立てられている。

 

 持久走は個性の関係上、圧倒的に有利な俺と緑谷くんは倍のペースを義務付けられている。俺は切り返しのスムーズさを、緑谷くんは個性の出力調整に重きを置いての練習だ。

 

「そろそろ時間だな。みんな後三往復で終わりにしよう!」

「おぅ!」

 

 そろそろ皆限界に近いペースまで上がっているのにも関わらず、息を切らしながらも威勢の良い掛け声が帰って来る。そんな中、並走する緑谷くんが俺に声を掛けて来た。

 

「飯田くん、ラスト一往復は全力でやってくれない? フルカウルの性能、もっと確かめておきたいんだ」

 

 彼が勝負ごとを持ちかけて来るなんて珍しい。きっと先日のことで気を使ってくれているのだろうな。

 

「勝負か? 勿論望むところだとも!」

「じゃあ、あの線でターンしてから――行くよっ!」

 

 白線に触れたのは同時。だが小回りの効く、緑谷くんの方が切り返しが早い。二歩半、出遅れた。

 

「まだだっ!」

 

 ギアを上げろっ!

 腕の振りをよりコンパクトに、ストライドをより大きく!

 弾けそうな心臓を、千切れそうな肺腑を気合で押さえつけろっ!

 

「――――すごっ?!」 

 

 彼の声を置き去りにしてゴールする。だが、この練習の真髄はここからっ!

 全力で足を踏ん張り、反対方向にブレーキを掛ける。上体を捻り、さらに地面を踏みしめ――――

 

「約三メートルか」

 

 静止するまで随分と無駄な距離を使ってしまった。まだまだ精進が足りないな。

 

「僕も最高出力も上がったんだけど、やっぱり飯田くんには敵わないね。でもまた勝負してもらってもいい?」

 

 コンマの差でゴールしたであろう緑谷くんがゼェゼェと胸を抑えながらも、白い歯をしっかりと見せるようにして笑いかける。

 

「あぁ、何度でも受けて立とう」

 

 掲げられた右手にハイタッチすると良い音が鳴った。あの入試以来随分と彼とも仲良くなったものだ。巡理くんと同じく、彼も俺のライバルであると言えよう。トーナメントでは当たることが出来なかったが、次の機会のためにお互い精進したいものだ。

 

 そんな感慨にふけっていると通常ペースで走っていた砂藤くんたちも、ラストは全速力でゴールラインに駆け込んで来た。

 

「キレッキレじゃねぇか非常口。インゲニウムも無事回復傾向ってニュースであったみたいだし、心配事が減ったおかげか?」

「そうだな。色々と心配をかけたがもう大丈夫だ。砂藤くん、ありがとう。しばらく療養するみたいだが体に問題はほとんどないそうだ。晩御飯にこってりとした宅配ピザを頼もうとして事務所の人に怒られていたくらいだ」

「確かにその食欲なら心配なさそうだぜ」

「それにしても昨日はおかゆは嫌だとゴネる兄と、説教を止めない事務員さんの仲介に一時間も突き合わされて散々だった」

「そりゃあ怒るわな。でもそんな下らない愚痴が出るようで安心だ。なぁ尾白!」

 

 砂藤くんの豪快な笑い声に皆の声が重なる。

 

「本当にそうだよ。でも二人が急に居なくなったからこっちも大変だったんだからね。特に芦戸さんと葉隠さんの騒ぎ方が、爆豪とは別の意味で凄くてさぁ」

「そうそう。せっかくのリストバンドを有効活用しないままはもったいな――――もがぁっ!」

「ちょっ、緑谷、それはマズイって! いや、飯田なんでもねぇ。それにしてもピザか。しばらく食ってねぇな。そう言えば体育祭のおつかれ焼き肉パーティーとかB組やってたみたいだぜ。全員揃ったしピザパとか近い内にやんねぇか? たまには気を抜いて普通の高校生らしいこともやった方がいいと思わねぇ?」

 

 何かを言おうとしていた緑谷くんの口を塞いだ切島くんが露骨な話題転換をする。

 

「確かに最近気を張ってばかりだったからな。息抜きも必要かもしれないな。しかしピザは決して安くないぞ。あんまり予算がかかると麗日くんや巡理くんなどは敬遠するかもしれん」

「うーん、あの二人金銭感覚結構厳しいもんね。ピザじゃなくてもお菓子とジュースとか持ち寄りでも良くない?」

「お菓子なら俺が作ろうか? 普通科の家庭科室を借りれたら場所代もかかんねぇし安く上がるよな……後で相澤先生に聞いてみるぜ」

 

 緑谷くんの言う通り、持ち寄り形式の方が負担がないかもしれないな。俺はお詫びも兼ねて少々多めに持ってきてもいいだろう。

 

「そういや砂藤はお菓子づくり得意だったっけ。ピザとかこってりしたものより、甘い物の方が女子のみんなも喜ぶんじゃないかな」

「結構尾白って女子のことわかってるよな。せっかくだし女子に声掛けといてくれねぇか? 緑谷は他の男子に声掛けといてくれ、俺は爆豪とか轟とか面倒くさがりそうなのを引っ張ってくるからよ。飯田は砂藤のフォロー頼む!」 

「え、俺が女子に――でも爆豪相手よりは楽か」

「適材適所というヤツだな。フォローは任された。先生への交渉は俺がやろう」

 

 一番苦労するところを引き受けてくれる切島くんは偉い。だが確かに彼が一番爆豪くんとの距離が近いので任せることにする。俺は円滑に物事が回るように裏方に徹しよう。 

 

「というかいつのまにか僕たちが幹事になってるよね。楽しいからいいんだけど」

「なんかワクワクするよな! なぁ砂藤!」

「短い時間でできるお菓子。材料費が安くて、食べやすさを考えると――――」

「おー珍しい。砂藤もガチモード入るんだな」

 

 緑谷くんや巡理くんのような思考モードに入った砂藤くん。  

 

「おーい、デクくんたちも教室に戻ろっー!」

「わかった! すぐに行くからー!」

 

 基礎トレ組も撤収に入ったのか、麗日くんが遠くから声を掛けて来た。 

 

「さぁ、これでお開きだ。俺たちも行くとしよう」 

「じゃあこの件は昼休みにでも相談しようぜ」

「何話してんのー? 天哉たちも早く!」

 

 

 

 

             ×                       ×

 

 

 

 

「おはよう」

 

 予鈴の音の直後に入室する相澤先生。そのルーティンワークに俺たちも慣れたものだ。着替えを済ませた体育祭後の周りの反応などについて会話を弾ませていたが、入室の瞬間にはきちんと皆が着席を済ませていた。

 

「今日は連絡が多いんだが、まず皆に――――」

「もったいぶらなくていいですよ。先生、俺たち知ってますから。ちゃんと用意して来ましたって!」

「私もー!」

 

 瀬呂くんの言葉に同調する葉隠くんの伸びやかな声。

 

「ずいぶんと耳が早いじゃないか。なら説明は省くぞ。入って来い」

「……入って?」

 

 首を傾げたのは瀬呂くんだけではなかった。教室の扉が開き、皆の視線が集中する。

 

「どうも」

 

 そこに立っていたのは普通科はずの心操くんだった。

 

「予想外のヤツ来たぁ!?」

 

 叫び声があちこちで飛び交う。俺も流石にこの展開は予想していなかった。心操くんの実力はよくわかっているが、いくら何でも性急すぎるというものだ。

 

「まぁ、知ったかぶりは良くないということだ。これで一つ学んだな。さて、おまえらも体育祭で面識はあるだろう、今日からの編入生だ」

「普通科から来た心操人使です。体育祭では色々あったけど、これからよろしく」

 

 淡々と喋った後、彼は一礼して見せる。

 

「体育祭の活躍が認められての特例措置ってヤツだな。1ヶ月分はお前らのほうがヒーロー科としての先輩ではあるが、辛酸を舐めさせられたからわかっているな? 驕らずにお互いに切磋琢磨するように」

 

 騎馬戦でほとんどのメンバーが心操くんに手玉に取られた記憶があるため、相澤先生の言葉を受けて多くの者が青ざめた顔になる。

 

「でも、いくら何でも編入って早すぎじゃないですか? 流石に一ヶ月って聞いたことがないというか」

「芦戸、後で嫌という程事情は教えてやる。だから座ってろ」

「むーっ」

「先生!」

「なんだまだあるのか飯田?」

「クラスメイトが増えるのは大変喜ばしいのですが、ウチのクラスで良かったのですか? これではB組より2人も人数が多くなって不平等だと思うのですが」

 

 彼の活躍が認められたことは素直に嬉しい。しかし、これではB組からの反発があるのではないかと思い、挙手して尋ねる。どうにも向こうのクラスには揚げ足を取るのが上手い者が居るから注意しろと、塩崎くんから聞いていたので少し気になったのだ。

 

「あぁ、確かに最初はその方針だったんだがな。俺も管理する人数は少ないほうが楽なわけだが、訓練で2人ペアのときが多くて、残った1人を持て余すことが度々あっただろう? 偶数で揃えたほうが合理的というわけでこうなった」

「成る程、確かに合理的ですね」

 

 納得がいったので着席すると、巡理くんが次に挙手した。

 

「先生、心操くんの机と椅子を用意しないと。場所もどうします?」

「多少時間はかかりますが、私が」

「ヤオモモ駄目、ここで露出は駄目だってば!」

「なんでも個性で解決しようとするな、八百万。普通に廊下に持ってきてある。心操、持って来い。場所はとりあえず砂藤の後ろ――――初対面の名前じゃわかんねえか。麗日の隣でわかるか?」

「はい、チーム組んでたんで」

「君自身の他の荷物もあるだろう。机の方は手伝うぞ」

「悪りぃ、助かる」

「俺は副委員長だからな。これくらいの協力は当然のことだ」

 

 席を少し詰めたりと心操くんの準備が整った後、先生は皆が期待していた本題に切り込む。

 

「さて、待たせたな。今日の“ヒーロー情報学”はちょっと特別だ。何人かは知ってるようだが、今回はコードネーム、ヒーロー名の考案だ」

「しゃあああっ!」

「胸膨らむヤツ来たぁあああ!」

「バッチリ考えてきたぜ!」

「その様子だと説明は簡略化するぞ。プロから来たドラフト指名の集計結果が出た。本来指名が本格化するのは即戦力になる2、3年だから今年の指名は将来性に対する興味だと考えておけ。で、その結果がこうだ」

 

 

 

轟:2914

爆豪:2564

猪地:1587

常闇:503

飯田:415

緑谷:361

麗日:210

八百万:181

心操:152

上鳴:123

切島:79

蛙吹:33

瀬呂:24

芦戸:15

尾白:7

障子:6

青山:2

 

 

 

 集計ボードに目を通す。俺が約四百。クラスで五番目か。それにしても上の三人はダントツだな。巡理くんには負けてしまったか。三倍強、いやほぼ四倍差か。これが客観的に見た俺の評価ということか。 

 

「クッソ、結局才能マンの総取りじゃねぇか」

「納得行かない☆」

「上鳴、アンタは結構来てるからいいでしょ。ウチなんてゼロなんだけど」

「俺が7票、嬉しいような悲しいような」

「でも尾白くんテレビでランキング三位でしょ。クラスで一番だったじゃん! 凄いって」

「葉隠さんそれは忘れさせて。お願い……」

「うぉおっ! 二百も来とる! トーナメントもうちょっと頑張ってたらもっと来たんかな。いや、欲を搔くのは良くない。うん」

「うーん、障子はトーナメント行ったからもうちょっと上でも良いよな」

「これが現実だ。少なくとも指名してくれたことに感謝しなければ」

「オイラの名前ねぇんだけど。ちゃんと見てたのかプロヒーローは?」

「――――見たのがこの結果だ」 

 

 結果に一喜一憂する面々に対し、先生が鋭い言葉を放つ。

 

「例年はもうちょいバラけるがまぁ上の奴らは頑張った結果だろう。それについては良しとしよう。だが下の方、特に票が一桁台、もしくはゼロの奴ら、俺が言いたいことはわかるな?」

「正直に言うと、普通科の心操ちゃんに負けてるって何だか自信失っちゃうわ。ケロ……」

「というかちょい待って下さいよ。先生、そもそも普通科にスカウトが来るっておかしくないですか? 職場体験に行けないじゃないですか」

 

 意外なことに上鳴くんがもっともなことを言う。だが先生は面倒くさそうに頭を掻きながら話を続ける。

 

「ヒーロー科以外で活躍した選手にスカウトが来たこと自体は全く前例がないわけじゃない。だがお前の言う通り、ヒーロー科じゃないから職場体験に行った試しは今までなかった。だがよく考えろ。事務所あたり二つしかない大事な票の内の一つを、無駄に使うんだぞ。それがどういうことかわかるか?」

「一票を潰してでも、その生徒にアピールしたいってことですよね。転入前から目をかけてくれた事務所なら特に印象が強く残るはず。後は学校へ転入させるべきだという圧力や、純粋にその生徒を応援したいって声の可視化、要するにヒーローを諦めるなといったメッセージ的な意味合い、そんなところでしょうか?」

 

 相変わらずの名推理だ。激しく頷かざるを得ない。前者はともかく、後者の方には思い至らなかった。

 

「正解だ、猪地。良くも悪くも半分はお前らのせいだがな。騎馬戦での大博打が成功したってわけだ。雄英の歴史を変えるくらいにな。本来なら来年を待つところだが、どうせ編入確定なんだ。技術面、体力面での差が開かない今の内にやってしまおうという校長の判断が下った」

「そんなに凄いことやったんやね。いつもお世話になっとるけど改めて尊敬するわ。心操くん」

「麗日お茶子、そんな遠い目をされても困る。俺も現実味がないからな。なにせ昨日聞いたばっかりだし」

「そうなん? 準備とか大変やったね」

「全くだ。教科書はなんとか揃ったけど明日からしばらくは補修だらけみたいだな」

「ご、ご愁傷さま。でも夢に一歩近づいたんやから頑張ろうね! ノートとか貸すし!」

「……すまん」

 

 事件後の心の治療で世話になった麗日くんにとって、心操くんは頭が上がらない存在だ。彼女を通して心操くんの付き合いの輪も広がっていけばいいと思う。

 

 む? 付き合いと言えば、待て。そういえば今朝言っていたパーティを歓迎会にするのはどうだろうか――――いや、これは後で話し合うべき案件だ。思考を元に戻す。

 

「ウチのクラスでもトップ10に入っていらっしゃいますし、これだけの票は流石に無視できませんわね」

「ちょっと待て。俺、恐ろしいことに気づいたんだけど、無駄になる票だけでこの順位って、元々ヒーロー科だったらもっと上行ってたんじゃ」

「そういうことだ」

「うわぁーっ! それは聞きたくなかった現実」

「耳が、耳が痛い」

「いや、俺はそんな凄くないから……やりにくいから止めてくれ」

 

 瀬呂くんの言葉によって真実に気づいてしまった面々。彼らの嘆きによって教室が阿鼻叫喚の地獄に変わる。

 

「そろそろ本題に入るぞ。この結果を踏まえ、職場体験に行ってもらうためにヒーロー名を決めるわけだが、その様子だと大体考えてきているみたいだからな。サクッと行こうか」

 

 ゴソゴソと寝袋を準備する相澤先生に変わって、教室に入ってきたミッドナイトが壇上に立つ。

 

「できてる人から前に出て発表していってね。どんどん行くわよ! でも気をつけなさい。このときの名前がプロになってからも使われる人多いからね。その辺のセンスを私が査定していくわよ!」

 

 

 

             ×                       ×

 

 

 

 皆の準備も良いこともあって発表はどんどん進んでいく。緑谷くんが蔑称であったはずの「デク」をヒーローネームにしたときは驚いたものだ。「爆殺王」などとんでもない名前を出してきた爆豪くんや、編入自体でドタバタの心操くんなどが再考になったが後は概ね順調と言っていい。

 

「天哉は名前のまんまでいいんだ」

「あぁ。昨日お見舞いのときに兄さんと藻部さんと考えてみたが、俺のはあまり良い名前が浮かばなかったんだ。インゲニウムに近い名前にしようとしたが、あんまり俺の後ろばかり追うなと兄さんに言われたのもあるし、いい名前をもらってるんだからそのままでもいいんじゃないかと藻部さんに言われてな。場合によっては世間の方が呼称をつける場合だってあると言うし、二人の勧め通り今は自然体で行こうと思っている」

「ふーん」

 

 珍しく感情のこもっていない返事をする巡理くん。若干上の空だな。彼女はどうもボードにヒーローネームを書き終えているようだが、やはりあの名前を発表するのだろうか。

 

「大体一巡したし、私も行こうかな。先生! 次、私やります!」

「お、遂にイノッち行くか」

「カモン、バッチリ査定して上げるわよ!」

 

 壇上の彼女が掲げたボードに書かれていた名前を見たミッドナイトがしばし沈黙する。そして諭すようにミッドナイトは言った。

 

「“レスキューワン”だなんて、いくら何でもそれはあんまりよ。考え直しなさい猪地さん。切島くんのようなリスペクトとは事情が違うわ」

 

 あの体育祭で偶然聞いてしまった彼女の呟き。彼女の父親が殺傷したと言われているヒーローの名前、それが“レスキューワン”だ。

 

「言いたいことがありそうだな。猪地、言うだけ言ってみろ。ただし判定は俺たちがするぞ」

 

 相澤先生が寝袋から這い出てきた。そちらを睨みつけるようにして巡理くんが言う。

 

「レスキューワンは――――私の命の恩人で、誰よりも尊敬するヒーローです。でも私が関わったことで殉職してしまった。それは事実です。だから彼の後を継いで彼が救うはずだった分の、いいえ、それ以上の命を救って見せる。その決意を込めて私は彼の名前を引き継ぎます。引き継がなきゃ、いけないんです」

 

 悲壮な表情で覚悟を語る巡理くんに対し、誰も何も言葉を発せなかった。この前の独り言を聞いて、こうなることを半ば俺は予見できていたというのに。

 

 生きている世界が、見ていた世界が違うのだと、彼女の紡ぐ言葉に改めてその格差を思い知らされる。そう感じているのは多分俺だけじゃない。

 

「あなたの言いたいことはわかったわ。生半可な決意じゃないこともわかる。でもね、それじゃ世間は、少なくともレスキューワンの遺族は納得しないわ。誰かの名前を引き継ぐなら、せめてお母さんの方の名前から取りなさい。ヒーローとしては困ったものだけれどもね、人としては私はあの人の一本筋の通った在り方をちょっと尊敬さえしているわ。日本はまだ規模は小さいけれども、昔よりもバックも大きくなって人々の理解も得やすくなっている。だから」

「誰があの人の名前なんかっ! お母さんは私を捨てた! でも犬のおじちゃん(レスキューワン)は、お父さんは、私を身を挺して守ってくれた。だから私はあの二人に恥じない生き方をしなきゃいけないんです!」

 

 隣でなだめるように言うミッドナイトに、段々とヒートアップしていく巡理くん。急激な展開に先生たち以外の誰もがついて行けていない。ただ黙ってことの成り行きを眺めている。

 

「ねぇ、飯田くん。今のめぐりん、ちょっと不味いんちゃう?」

 

 俺の二つ後ろの席である麗日くんが体を前に伸ばしてペンで俺の背中をつつきながら、ひっそりと声を掛けてくるので俺は振り返って答える。

 

「今のあの様子では、先生方に任せるしかあるまい。こうならないように準備はして来たつもりだったのだが歯がゆいな」

「本当にそれでいいの? この前あんだけしてもらっておきながら自分は歯がゆいって。いや、もうええわ。ねぇ、心操くん」

「何だ、俺に聞かれてもヒステリー起こしてることぐらいしか状況理解できてないぞ。おい――――は、マジでか?」

 

 いつものどんぐり眼からは想像できない、あの鋭い目つき。麗日くん、本気で怒っていたな。今は何か心操くんと相談しているようだ。残念ながらあの場に俺の存在は求められては居ないのだろう。視界を教卓側へと戻す。

 

「だがな、猪地。レスキューワンはお前の父親が殺した。出回っている情報だけでは俺も世間もそう捉えるしかない。わかるな?」

「殺して、ません。私のお父さんが奪ったのは自分自身の命、それだけです」

「そうか。それは俺にとっては初耳だ。まぁ事件当時のお前の年齢や、エンドレスへの風評を考えれば、何らかの情報操作があったことだってゼロじゃないと想像がつく。だから、もしお前が公表されていない他の事実を知っているのなら、俺たちが後ろ盾になる。今この場じゃなくても、お前が決めたときに必ずだ。プロヒーロー、イレイザーヘッドの名に誓って」

 

 強く、そう言い切る相澤先生。

 

「うわっ、今の先生カッコよくねぇ? こういうときにヒーロー名使うんだな」

 

 誰の声か判別はつかないが微かな言葉が俺の耳に届く。 

 

「言えない。言えません。絶対に言わないって約束したから。でも、なかったことにはしたくないから私はっ!!」

「猪地巡理、よく聞けっ!」

「何ねっ、アンタなんかに何がわかっとね!」

 

 最後尾の席から心操くんの声が飛ぶ。条件反射的に叫んだ巡理くんだったが、それが彼の狙いだったのだろう。

 

『ゆっくり寝ておけっ!』

 

 その一言で大人しくなり、崩れ落ちる巡理くんの体をミッドナイトが倒れないように支える。

 

「編入早々ファインプレーね心操くん。ナイス判断よ」

「勝手に使ったこと、怒らないんですか?」 

「疑い深いわね。ナイス判断って言ってるじゃない」

「褒めるなら麗日に言って下さい。俺は頼まれてやっただけです」

「麗日さん、良い判断だったわ。あと、ついでに猪地さんを保健室に連れて行ってくれる?」

 

 麗日くんにじっと睨まれる。行って来いと、そういうことだろう。言われなくてもわかっているとも。

 

「先生、ここは副委員長である俺に任せて下さい」

「うーん、女の子が良いかと思ったけれど、まぁ君なら間違いはなさそうね」

「間違いってなんですか」

「説明して欲しい?」

「いいえ。結構です」

「じゃあ、早く連れて行って上げなさい。次の授業の先生には私から言っておくわ。二人とも欠席かもしれないってね。起きて来たときあの調子で混乱してるといけないし、しばらくついていてあげて」

 

 そう促されて俺は巡理くんの体をミッドナイトから託され、保健室へと向かった。

 

 

 

 

             ×                       ×

 

 

 

「見事にぐっすり寝ているねぇ。これをあの子がやったってのかい」

「えぇ、心操くんが個性を使って上手いこと落ち着けました」

 

 巡理くんをベッドに寝かしつけた後、俺はリカバリーガールから緑茶とグミを頂きながら、

 

「『敵が怖くて熟睡ができない』って生存本能レベルでの睡眠障害にずっと悩んでいた子が、薬に頼らずこうもグッスリ眠れるなんて大したもんさね」

「睡眠障害、ですか?」

「前に相談されたことがあってね。仲の良いアンタは境遇を大体知っていると思うが、きっと思っているよりも何倍も過酷な日常を送って来ただろうさ。いつ襲ってくるかわからない敵の襲撃から生き残るためにね、体が仮眠しか受け付けなくなってるんだ。自分で体調を整える力と植物から生命力を蓄える力がなかったら、とっくに過労やストレス性の心不全なんかで死んでいてもおかしくない。そんなレベルの話さね」

 

 絶句するしかなかった。小さい頃敵の襲撃から逃げていたという話は軽く聞いたことはあったが、リカバリーガールの口ぶりだとまるで日常茶飯事のようじゃないか。そんな次元の話は彼女の口から一度も聞いたことはなかった。

 

「それにあの子の個性の知覚能力、違和感を感じたことはなかったかい?」

「まるで個性を二つ持っているかのように便利だなとか、知覚範囲が広いなとかは出会った当初から感じていましたが」

「私もそう感じたよ。エンドレスと何度か出会って個性を使う場面に遭遇したこともあったけれど、基本的には私と似たようなもんさね。即時性は私の方が上だったり、あちらは病気にも対処できて万能性が高かったり、それから生命力の出処の差なんかの違いは幾つかあったようだけど、基本的には生命力を利用して体を治す。私が見る限りではそんな個性だったはずだよ。おまけにあの子の父親は無個性らしいじゃないか。それなのに、今のあの子の個性の使い方はどうだい? きっと個性の本質は大きく母親と変わらないはずなんだ。素質が劣っているということも、まずない。ただただ異常なのは、あの子の成長方向そのものだよ」

 

 広い生命探知範囲、よく見知った人間に限れば特定も可能な精度、近接格闘にも活かせるレベルでの動きの読み取り。探知能力そのものが一つの独立した個性かのように錯覚するレベルである理由、体調を整える程度の事しかできずエンドレスの劣化版だと自嘲する彼女がそのような事態に陥った本当の理由は――――

 

「本来の方向性である治療の習熟を投げ捨ててでも、逃げ続けるために知覚能力に特化した方向性で伸ばさざるを得なかった。そういうことですか?」

「私も同じ結論にすぐ辿り着いたさ。回復系の個性を何人も見てきたけど、この子ほど才能を使い潰している子はそう居ない。苦労して来たんだろうね、本当に可愛そうな子だよ」

 

 彼女の前髪をかき上げるように、頭を優しく撫でるリカバリーガール。

 

「本当にこの子が医者を、医療系のヒーローを目指しているんなら、私の後継者にでもしたいくらいさ。でも――――」

「違うんでしょうね。俺もそう思います。今日彼女が一種の強迫観念でヒーローにならなくちゃいけないのだと主張したとき、改めてそう感じました」

 

 一口緑茶をすすると「お飲み」とリカバリガールがお茶のおかわりを入れてくれる。「頂きます」とありがたく頂戴した。舌が焼け付きそうなほど熱い茶を、俺は味わうことなくグッと喉の奥に流し込んだ。

 

「彼女は俺に依存心を抱いている。まるで幼児のように家族愛を求めている。誰かに必要とされたい、それが巡理くんの行動原理かと思っていました。普段の聡明な彼女が見せるそのアンバランスさに危機感を抱く場面が多々あったのですが、この話を聞いていると生きたいだとか、捕まりたくないだとか。欲求以前の切実な状況にこれまでは追いやられてたんですね」

「ある意味進歩ではあるのだろうけど、難しいねぇ」

「えぇ。難しい、ですね」

「すぐに解決する問題ではないさ。時間がある程度は解決してくれるだろうけれどもね。そうだ、今度職業体験が終わったら心操と一緒にこの子を連れて保健室に来なさい。多少の荒療治も悪くないかもしれないさ」

「麗日くんのときのように、ですか?」

「専門の知り合いに聞いてみて、もっと上手いやり方をこちらで考えてみる。アンタはいつも通りにしてあげな。それが一番さ。さて、そろそろ二限も終わるさね。この子は今日一日、私の権限で寝かせとくよ。職員室には私から連絡しておくから、放課後にまた迎えに来て上げなさい」 

「はい、ありがとうございます。わかりました」

 

 穏やかな表情の眠り姫を残し、俺は保健室を退出した何か俺にできることはないだろうか。そう思案しながら廊下を歩いているとき、朝の出来事をふと思い出す。

 

「そうだ!」

 

 他の教室は授業中だというのに大きな声が出てしまって、人目がなくとも申し訳ない気持ちになる。だが割と悪くない案のはずだ。皆の協力を仰がなければ。

 

 

 

             ×                       ×

 

 

 

 そして放課後、巡理くんを迎えに行くと、彼女はベッドで背中を丸め壁の方を向くようにして寝転んでいた。

 

「嫌いに、なった?」

 

 背中を向けたまま彼女は言う。

 

「なるものか。あまり他人を試すようなことを口にするんじゃない。大体、君が気難しい性格なのは前から承知の上だ」

「天哉は手厳しいね。それから授業をメチャクチャにしてごめんね。みんな怒ってなかった?」

「心配はしていたが、怒ってなどないさ」

 

 なんて言葉をかけて上げれば良いのだろう。表面的で無難なやり取りをしながら俺はそう悩む。

 

『ヒーローじゃなくても、医者じゃなくてもいい、やらなくちゃいけないことじゃなくてあなた自身の幸せを探して、あなた自身になりなさい』

 

 先日のエンドレスからの伝言をここで伝えるべきかどうか、俺は判断に迷う。まさにこの日のためのようなメッセージではあるが、その言葉を受け取ったあの出来事を追求されたらまた取り乱すかもしれない。

 

「今日みたいになるから、あの時天哉は私を止めようとしてくれたんだよね。先生を説得してみせる、って色々考えていたんだけど、いざ話してみたら自分で自分がわかんないぐらいにグチャグチャになっちゃって、見事に玉砕しちゃった。私、これからどうしたらいいのかな」

「前々から思っていたんだが、君は少しゆっくり歩いてもいいんじゃないのか、君自身がどうしたいか見つめ直す時間があってもいいと思うぞ」

「そんなのわかんないよ……」

「それからヒーローネームの方なら、一つ提案があるぞ。授業中はタイミングを逃してしまったのだが。それにあくまで案でしかないのだが、もし新しいアイディアの一助になればとな。実はな昨日兄さんと藻部さんと相談して、一緒に考えてみたんだ」

 

 布団をよけ、上体を起こした巡理くんがやっとこちらを向いた。

 

「私の、ヒーローネームを?」

 

 巡理くんの意地の張り方を考えたら、容易な説得ではあの名前を名乗ることを諦めてはくれないだろうと考え、何か別のもっと良い名前を出せたら良いのではないかと三人で話し合っていたのだ。

 

 ただしそれと痴話喧嘩に時間を割きすぎたせいで、俺のヒーローネームが名前のまんまでいいかという結論に落ち着いたのは内緒の話である。

 

「オラシオン、というのはどうだろうか?」

「初めて聞くね。綺麗な響き。語尾の感じ的に地中海とかあっち辺の言葉?」

 

 言葉そのものを知らずとも当たってるのは流石だな。名回答に思わず拍手をしてしまう。

 

「よく分かるな」

「ただの勘だよ。それでどんな意味なの?」

「スペイン語で祈りという意味らしい。最初は君の名前を短くして“イノリ”はどうかと俺は考えたんだが、兄さんと藻部さんが少し捻ってくれた」

「どうして天哉は“イノリ”にしようと思ったの? 天哉ならもっと色々考えそうな気がしたからなんか意外かも」

「君の名前は、君のお父さんとお母さんがつけてくれたものだろう。なんというか、君にご両親が愛を込めてその名前をつけてくれたことを忘れてほしくなかったからだ」

 

 母親のことに対して反発してくるかと半ば身構えていたが、彼女は何も言わず、俺の言葉の続きを待つ。 

 

「後は純粋にそうだな。俺が君に人々の祈り、願いを叶えるようなそんなヒーローになって欲しいと思った」

「オラシオンか、いい名前だね。これにする」

「あくまで案にすぎないのだが、本当にいいのか?」

「うん、これがいい!」

 

 うつむきながらも僅かに口元を綻ばせた彼女はそう答える。無理は――――していないな。

 

「でも、あくまで仮だからな。もっと良いのがあれば変えて良いんだぞ」

「しつこい! オラシオンにするの! もう決めたの! はい、この話はお終いっ!」

「そうだな。さぁ、そろそろ時間だし俺たちも行こうか」

「へ、行くってどこへ?」

「普通科の家庭科室だ。ちょっと遠いから急ぐぞ」

「ごめん、いきなりすぎて全然話が見えてこないんだけど」

 

 ベッドから抜け出し、室内履きを履きながら彼女は戸惑いがちに答える。

 

「スマン、ちゃんと説明をしていなかったな。心操くんの歓迎会を兼ねた体育祭の打ち上げだ。昼休みに砂藤くんが特製のシフォンケーキを焼いてくれたらしいぞ。八百万くんもとっておきの紅茶を用意してくれるらしい」

「嘘っ、手作りケーキ! それに百ちゃんの紅茶付きって凄くセレブっぽい。早く行かなきゃ!」

「あぁ、皆が待っている。切島くんたちのおかげであの爆豪くんも参加するらしいぞ。実情を聞く限りは拉致みたいだがな」

「爆豪にもちゃんと優勝祝いしてあげなくっちゃね」

「そうだな」

 

 足取りは軽く。先行する彼女の後を追って家庭科に向かう。

 

 

 

 

 砂藤くんのシフォンケーキも、八百万くんが用意してくれたゴールドティップスインペリアルという特上の紅茶も絶品だった。爆豪くんも礼を言うくらいに素晴らしいものだった。心操くんもクラスに少し馴染めたようだし、概ね企画は大成功だったと言えよう。

 

 トラブルと言えば、優勝祝いと詫びいうことであの巡理くんが自ら爆豪くんに自身のケーキを泣く泣く半分ほど差し出していたことで場が荒れたこと。まぁこれは切島くんと瀬呂くんが無理やり拒絶する爆豪くんの口にケーキを詰め込み、俺が半分を巡理くんに渡したことでどうにか収めた。それから紅茶の名前を検索した麗日くんと巡理くんが、その値段を見て気絶したこと位だろう。

 

 家庭科室を片付けながら、またお茶会しようねと皆が口々に言う。こんな穏やかな日々が続けばいいと俺は切に願った。

 




第二十話「君の名前」は正直ちょっとグダグダだった気がしていたのですが、どうしてもこの保健室でのやり取りをしたかったのでようやくフラグ回収できました。

そしてキーパーソン心操くんのA組編入です。

P.S 投稿した二週後に原作で再登場してきた件。
嬉しくもあり、想定外でもあり、内心大慌てです。


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第30話 職場体験へ

 待ちに待った職場体験当日がやってきた。

 

「全員コスチュームは持ったな?」

「ばっちりです!」

 

 皆の元気の良い声が駅の構内に響き渡る。切符売り場近くに集合した俺達は、先生の合図と共に最後の点検を始めた。

 

「俺はないけどな……」

 

 みんなが和気あいあいとする中、ぼそりと小さな声で心操くんが呟く。

 

「え、そうなん?」

「さすがに被服届けの承認と制作が間に合わないらしくてな」

「なら私服になるんかな?」

「体操服だ」

「そ、そか」

「どんまいだよ」

 

 哀愁漂わせる心操くんに、麗日くんと緑谷くんが気まずそうに声をかける。

 

「まぁ何事も前向きにだ! 職場体験に行けるだけ良いと考えようじゃないか!」

「そこ、私語を慎め!」

「申し訳ありません!」

 

 しまった。副委員長というのに何という体たらくだ。深く頭を下げて俺は謝罪する。

 

「仮免許すら持っていない以上、本来なら着用は厳禁なんだ。コスチュームは絶対に紛失するなよ。万が一にでもなくしたら、反省文どころじゃないぞ。下手をすれば────わかるな?」

「こ、怖いこと言わないでくださいよ。絶対なくしませんって!」

 

 切島くんが半笑いでそう言うが、先生の目は真剣そのものだ。先生が冗談で言っているわけではないのだと、切島くんだけでなく皆もわかっているだろう。

 

「連絡事項は以上だ。お世話になる以上、向こうに迷惑をかけるなよ。独断はするなよ。体験先の指示には絶対に従え。最後に何か質問などあるか?」

「先生、少々よろしいでしょうか?」

「なんだ、八百万?」

「皆さん、先日のリストバンド、きちんと持って来てますよね?」

「ばっちりだよヤオモモ。1年A組の心は一つだぜぃ!」

「イェイ、心は一つだー!」

 

 上鳴くんと芦戸くんが、腕にはめたリストバンドを重ねるようにしてハイタッチを交わす。

 

「そういえば、心操くんはもらってるか?」

「あぁ。昨日もらったけど、まだカバンに入れてある」

 

 気になったので声をかけたが大丈夫そうで安心だ。

 

「無事に体育祭も乗り越えましたし、現役のヒーロー方が近くにおられるので何事もないとは思いますが、個性が割れてしまった以上、念には念を入れて身の安全を確保して下さいね」

「皆、家に帰るまでが職場体験だぞ。しっかりと学び、そして無事に帰ってくるようにしよう!」

「おー!」

 

 気合を入れて腕を掲げると爆豪くんなどの一部を除き、皆も同調してくれた。

 

「じゃ、また体育祭みたいに円陣もう一回やっとかねぇ? 心操も初めてだしよ」

「ナイス提案だ、瀬呂くん!」

「時間もないんだ。やるなとは言わんが、やるんならさっさとやれよお前ら」

「だってよ。爆豪、長引くと困るから抵抗は諦めろって」

「てめぇ、いつも握力強ぇんだよ。糞髪!」

 

 先生が時計を見ながら早くやるように促す。恥ずかしがる心操くんは緑谷くんが、やましいことを考えてそうな峯田くんの手は砂藤くんがしっかりと両手でフォローをする。ギュウギュウ詰めの円陣を素早く組んでから、一番上に手を置いた俺が号令を掛けた。

 

「それでは、いくぞ――――」

PLUS ULTRA(プルス ウルトラ)!!」

 

 円陣が終わると「じゃあ、それぞれ新幹線に送れないように。しっかり学んで来い!」との先生の一言で締められ、解散となった。

  

「天哉、絶対メール頂戴ね」

「少なくとも寝る前には必ず送るように心がけよう」

「それからこのTシャツに全員のサインをよろしく!」

 

 巡理くんから渡されたのは無地の白いTシャツ。生地や襟元の感じからしてそう上等なものではないのだろうが、新品をきっちり用意しているあたりかなり気合が入っているのが伺える。

 

「わかった。大事に預かろう」

 

 キラキラと目を輝かせる巡理くんから受け取ったシャツをカバンに詰め込む。そう、俺が向かう先は巡理くんがファンだというワイルド・ワイルド・プッシーキャッツのところなのだ。

 

 本心としては兄さんの事務所が一番良かったのだが、兄さんは念の為に療養という名目のもと大きな捕物があるらしく、受け入れが難しいとのことだったのだ。

 

 祝福を追うために保須市にある事務所に行くことも考えたのだが、仮免許すら持っていない俺にできるとなどたかが知れているだろうし、エンドレスからの言葉もあったのでその案は破却することになった。

 

 なので先日の体育祭で人柄もわかっている虎さんたちのところへ世話になることにした。普通の事務所ならば1人のヒーローに何人かのサイドキックがつくことが多いが、プッシーキャッツは四人ともプロで構成された熟練チームだ。経験値の高さから学ぶものも多いだろうし、彼らの個性は訓練の指導にも向いているということもあってガッツリと体術を教えてくれるらしいとも言っていた。 

 

 都市部での大掛かりな追跡・捕物や、迅速な救助活動に定評のある兄さんに対し、プッシーキャッツは山岳での救助活動を得意している。主な活動範囲に多少違いはあれども、救助のイロハを知るにはいいきっかけだと考えたこともあってここの事務所に俺は決めたのだ。

 

 兄さんがよくモットーにしている『早く助ける』という言葉。兄さんと同じく俺の個性もそれにかなり向いている。実際にプロになれば、いち早く要救助者の元に辿り着く場面も数多くあるだろう。そんなときに医者の元へできるだけ早く連れて行くのが役目になるのだろうが、先日の襲撃のときのように現地での治療の重要さを痛感したこともあって、最低限の初期対応などはできるようになりたいと常々思っていたのだ。

 

 そして少し考え始めた俺の将来について。俺の個性は様々な場面で腐ることはほぼない。ただし一人だけでできることの幅は少ない。雄英体育祭を経てから俺はその事について考えることが多かった。

 

 多くのサイドキックを組織的に活用し、兄さんの個性をバックアップするのに特化したスタイルの事務所を立ち上げる。フォロワーとして俺もそのような道を選ぶのが堅実ではあるのだろう。

 

 しかし連盟事務所としてユニット活動するプッシーキャッツのスタイルを実際間近で触れてみて、今の俺にはそれぞれ得意分野の異なるメンバーでチームアップするのはどうだろうかと思案するようになっていた。

 

 騎馬戦での自身の体験や他のチームの経験談を聞いて感じたのだが、やはり初見の相手との協調は中々難しい部分がある。タイミング、効果範囲、それぞれの癖や誤射など考えなければならない部分が多いからだ。しかしこのクラスのように普段から組んでいるのならば連携の難易度も下がるし、より迅速に正確に任務をこなせる。

 

 そんな俺の考えが甘いものなのか、どうなのか。現実を知る良い機会だろうと思い、俺は彼らのスカウトを受けることにしたのだ。

 

「ちゃんと写メとかも送ってね。特にラグドールとマンダレイはちょっとしか顔合わせできなかったし」

「わかった。忘れないようにしておく」

 

 俺と同様に体育祭で手伝った巡理くんもプッシーキャッツから声がかかっていたらしいが、エンデヴァーからのオファーがあり、そちらを受けたとのことだ。トーナメントの塩崎くんと轟くんの試合の後、なにやら言い争ったらしいことから嫌悪してそうな雰囲気はあったが、ナンバー2ヒーローからの指名を優先するのは仕方のないことであろう。

 

 そしてエンデヴァーの息子である轟くんも巡理くんと一緒に行くのかと思えば、意外なことにそうではなかったらしい。

 

「心操、あんまり時間がねぇ。そろそろ俺たちもホームに行くぞ」

「わかった。轟、コスチューム以外の荷物を貸せよ。ちょっとでも負荷掛けときたいし俺が持つよ」

 

 そう、指名数ナンバー1の彼に同行するのは編入生である心操くんだ。口数の少ないコンビで大丈夫なのかとクラスではもっぱらの噂だった。ただ接点ができたことでこの数日で以外なことに距離感は縮んでいるようだ。

 

「別に重いもんじゃねぇんだが。まぁ、貴重品とかねぇしな。こっちのバッグだけ頼む」

「おい、十分重いだろ。着替えとかじゃねぇな。一体何、入ってんだよこれ。クッソ重っ、持つけどさ」

 

 敵連合の襲撃直後の出会った当初は恵まれない個性だと自らの境遇を嘆いていた心操くんだったが、体育祭で色々思うところもあったのだろう。真逆の境遇とも言える轟くんから学び取れるところはないかと、

 

「保須にはまだヒーロー殺しも潜伏しているかもしれんとのことだ。兄さんの件以来目撃情報はないらしいと聞いているが、くれぐれも気をつけてくれたまえ。裏通りには決して行かないようにな!」

「心配ありがとうな。だけど、まぁ大丈夫だろ」

 

 轟くんがサッパリとした口調で言う。

 

「そうか、俺その辺考えずに出してた。でも、インゲニウムと違って平均的な事務所だし知名度的にも狙われることはないんじゃないか?」

 

 心操くんはそう言う。ヒーロー科に所属して間もない彼は、個性を除けば俺たち以上にできることが少ない。なので指名のあった事務所の中でも、ごく平均的なマニュアル事務所を志望したのだ。

 

 ノーマルヒーローマニュアルはその名が指し示す通り、ヒーローの模範となるようなことをモットーとしているため、ヒーローの空気にまだ慣れない心操くんが目指すにはいいだろうという相澤先生の勧めを受けた上での判断の結果だった。

 

 対して轟くんの方はエンデヴァーを含むヒーローランキングの上位事務所からも多くの指名が来ていたが、父親の像とは遠い普通のヒーロー像をあえて知りたいと思ったらしくマニュアル事務所を選んだとのことだ。

 

「念には念をだ。心操くん、リストバンドの使い方は──」

「飯田、俺から言っとくからマジでそろそろ行かねぇと」

「すまない。二人共気をつけて!」

「頑張ってね―!」

 

 轟くんたちを見送った後、俺も他のメンバーと別れ、体験先へと向かった。

 

 

 

 

               ×         ×

 

 

 

「キティ、久しぶりね」

「色々あったみたいだが、顔色も良さそうでなによりだ」

「お久しぶりです。先日はお世話になりました」

 

 駅まで迎えに来てくれたのはピクシーボブと虎の二人。兄さんの件では随分と気を使ってくれたらしい。

 

「ご迷惑をおかけすることもあるかもしれませんが、一生懸命がんばりますのでよろしくお願いいたします。それからこれを」

 

 カバンの中から百貨店でキレイに包装された箱を取り出してピクシーボブを渡す。

 

「いやいやいや、気を使いすぎでしょ君。ただの体験先なんだからこんなの気にしなくっていいの」

「いえ、俺からではなく兄さんから預かって来ました。入院のときにお世話になったみたいで、会うなら直接渡しておいてくれと」

「焼き菓子を送った程度なのだがな。うむ、インゲニウムからとのことならば、有り難く受け取ろう」

「『またチームアップするときにはよろしく』とのことです」

「お使いご苦労。そういうことなら受け取っておこう」

 

 快く虎が兄さんの言葉を受け入れてくれたので、手を差し出してきたピクシーボブに渡す。

 

「さーて中身は何かな?」

「オイ、ここで開けるのか? しかも開け方が汚い」

「だって、あんまり気を使われてそうな感じのものならすぐ返事をしなきゃいけないでしょ? インゲニウムって結構イケメンだし、その辺ちゃんとしておかなきゃ──ワォ!!」

「何が入っていたんですか?」

「ハンドクリーム?! 商売敵相手に凄い気遣い力。ちょっとこれはやっぱり良物件じゃない。なんで私、直接お見舞いに行ったが良かったのかしら……」

 

 チューブを手にした彼女の手が活きの良い鮮魚を手にしたときのように大きく震えている。俺には美容品のブランドは全くわからないが、反応を見る限りそれなりに良いのものなのだろう。

 

「こちらが女所帯だからということで気を使ってもらったのだな。かたじけない。まぁ我はもう女ではないが、最近こういったものを買わなくなってしまったから素直に嬉しいな」

「喜んで貰えて良かったです。結構迷ったらしく、同僚にアドバイスをもらいながら買ってきたらしいので」

「その同僚って女性?」

「はい。そうですが」

 

 品を作りながら詰め寄ってくるピクシーボブ。もしや余計なことを言ってしまっただろうか。背中を流れる一筋の汗が俺に無言の警告を送る。

 

「何歳位?」

「大学を出てから入ったと言っていたので、確か3年目なので25前後位でしょうか」

「チッ、これだから若い女は」

 

 麗日くんと巡理くんの前で、贅沢品の話をうっかりしてしまったときのような既視感。しまった、これは駄目な奴だ。何とか話題をそらさなければ。言葉に詰まっているとピクシーボブの方が更に詰め寄って来た。吐息がかかりそうな程に近い。

 

「この際、背に腹は変えられないわね。インゲニウムの事務所って大所帯なんでしょ。サイドキックでも良いから顔が良くて将来有望そうな男性に思い当たりはないかしら? うん、我ながらナイスアイディア! ねこねこねこ」

「ピクシーボブ、周りの耳がある。続きは車の中でしないか?」

「そうね。道が混む前に移動したいし、先に駐車場に行きましょうか。目的地までちょっと遠いから、いーっぱい聞かせてね?」

 

 こうも鬼気迫った様子を見せられては流石に「はい」としか答えられないだろう。婚期を気にしだした女性の本気を、たった少しのやり取りで痛感させられてしまった。だがピクシーボブぐらいの美人ならファンも多いだろうし引く手数多な気もするのだが、恋愛とは難しいのだな。

 

「すまんな」

 

 ため息と共に虎が駐車場へ俺を案内する。ワイルド・ワイルド・プッシーキャッツのロゴの入った業務用のワゴン車に載せられた俺たちは事務所へと向かう。道中ピクシーボブの私的な質問も多かったが、いろんな話を聞けたのは良い経験になった。特に事務所の運営スタイルについては、将来のことを考える上で非常に参考になったと言えるだろう。 

 

 出発してから小一時間ほど山道を走っていたときのことだった。けたたましいブザーの音が車内に突然響き、マンダレイからの無線連絡が入る。

 

「こちらマンダレイ。虎、ピクシーボブ、緊急災害連絡よ。聞こえているかしら、どうぞ」

「こちらピクシーボブ、虎、天哉と共に居るわ。ラウド&クリアー」

「大翁岳の宿泊施設付近にて土石流が発生とのことよ。具体的には七合目の宿泊施設よ。本日の宿泊予定者はないみたいだけれど、昨日予約していた入山者の情報が入っているわ。もしかしたら巻き込まれている可能性が高いから、現地に急行して頂戴。GPSで見る限りかなり近いわよね。どうぞ」

 

 なんてことだ。こんな早々に山岳事故に向かうことになるとは。被害規模は一体どの位のなのだろう。

 

「近いというよりも、さっき大翁岳のふもとに入った所よ。こちら先行するわね。オーバー」

「了解、お願い。こちらも急いで合流するわ。山岳突入時にもう一度通信を頂戴。新しい情報をまとめておくわ。どうぞ」

「ピクシーボブ、虎、天哉と共に現地に急行する。ラジャーアウト!」

 

 思っていたよりもかなり簡潔なやり取りで通信は終了する。とりあえず第一報だけとのことだろうか。もっと細かいやり取りを普通はするものではないのだろうかと俺は思っていた。だがこの緊急事態に状況をよく把握していない俺が口を開くのは躊躇われたので、じっと指示を待つ。

 

「天哉、少し狭いが座席でコスチュームに着替えておけ。到着次第すぐに動くぞ」

「はい、迅速に着替えます!」

「事前の補給も忘れずにね。君の個性、オレンジジュースが燃料なんでしょ? ウチの事務所に置いてなかったからね。たくさん買いだめておいたわよ。一番後ろに乗ってるから好きな分飲んじゃっていいよ。まだ冷えてないのはゴメンね」

 

 振り返って見れば、スーパーの買い物袋丸々二袋分位の量のジュースが座席に置いてあった。

 

「俺のために、こんなにたくさん……ありがとうございます」

「いーの、いーの。経費だから遠慮しないでね」

「天哉、これから車を飛ばす。多少揺れるから気を付けろ」

「はい」

 

 運転していた虎がそう声を掛けてくる。緊急通行用のサイレンを鳴り響かせ、ワゴン車が急加速しだした。揺れる車内で俺はシートベルトを外し、急いで上着を脱いで行く。上はともかく、下の方は足を伸ばすスペースが中々ないため着替えるのに難儀した。

 

 着替え中妙な視線を感じたような気がしたのだが、俺の気のせいだろう。窓はスモークであるし、俺だけが後ろの座席であるため、はしたない格好を見られたなんてことはないはずだ────うっかりバックミラーでも覗き込まない限り。

 

 

 

 

 

 

               ×         ×

 

 

 

 

 とある繁華街の隅。テナントが入っていないことになっている(・・・・・)ビル内のBARにて。

 

「先生の言う通り、祝福(ハレルヤ)ってのようやく現物を手に入れたのはいいけどさ。こんなので本当に先生の怪我が治るのか? 試しに使ったけど、血止めくらいにしかならなかったぞ。痛みも取れねぇし」

 

 バーカウンターに座っているのは錠剤の入ったピルケースを手にした男。頭部に人間の手を左手取り付けた特徴のある男は、雄英襲撃事件の主犯である死柄木弔。

 

「その検証は向こうに任せましょう。それにどうやら薬にもランクもあるみたいですしね。ただあの売人は言動からしておそらく末端。コレは良くても中の下くらいの質ではないでしょうか。ヒーローたちよりも先にもっと上流の方を抑えられれば良いのですが」

 

 そしてカウンター内に立つスーツ姿のは靄がかった男は、その参謀たる黒霧。

 

「まぁ所詮都市伝説みたいなもんだしな。ヒーロー殺し探してたら、たまたま保須にあったってだけでも儲けもんだろう。もっと良いやつはきっと別のところだ。運びやすい港湾部とか、もっと上客の集まりやすい裏カジノとかを虱潰しに探していけばその内ぶち当たると思うが、今はそんな不確実なものに人手は割けない。とりあえず先生にコレ送っとけ」

「ではこちらに」

 

 宙に黒い霧で作られたワープゲートが生成され、その中にピルケースが投げ込まれる。ケースが虚空に吸い込まれて消失したのを見届けてから死柄木は言葉を続けた。 

 

「それよりもだ、あのクソガキ共の体験先のリスト出たんだろ」

「はい、こちらです」

 

 黒霧がカウンターテーブルにクリップで留められた書類の束を置き、死柄木が目を通していく。

 

「あの生意気なメガネはプッシーキャッツのところか。目が厄介だし、襲撃が成功しても場所が地味だから目立たないな」

「即座にテレパスで応援を呼ばれても面倒ですしね。リスクとリターンが釣り合いません。私も同意です」

「エンドレスの娘はエンデヴァー事務所。このクソ髭め。脳無の礼をしてやりたいけど、あそこはサイドキックの壁が厚すぎる。手駒が減った今の俺たちじゃ雄英と同じくらいキツイ」

 

 首を掻きむしりながら死柄木は忌々しいと言葉にする。

 

「そうですね。ですが、息子の方ならどうですか?」

「オイ、コイツは馬鹿か。カモがネギ背負って来やがったぜ」

 

 黒霧がめくったページに書いてあるのは「轟焦凍」の文字。職場体験先のヒーローのデータも詳細に纏められている。それを見た死柄木が先程までと打って変わって破顔一笑する。

 

「えぇ。まさかわざわざ騒乱の渦中の保須に来るとは。体験先のノーマル事務所も中堅で評価も安定しているものの、戦闘特化のヒーローでもなく大した驚異ではないかと」

「あぁ。名前はたまに聞くが地味なヒーローだ。俺の脳無なら楽勝だな」

「そしてもう一人の心操がネギというわけですか」

「あの個性、先生への手土産に丁度良いだろう。少なくとも効能も出処も詳細不明な祝福(ハレルヤ)よりは確実に『使える』」

「私もそう思います」

「あー傑作すぎて笑いが止まらねぇ。ワクワクするなぁ」

 

 歪に口角を歪めながら腹を抱えた死柄木が言う。

 

「えぇ、これは心が湧きますね」

 

 アイスピックを氷塊に何度も突き刺しながら黒霧が答える。

 

「どうやってヒーロー殺し先輩の鼻っ面を叩き折ろうかと考えてみたが、それよりこっちの方が面白そうだ。脳無でエンデヴァーの息子を殺してやって、洗脳の個性を手に入れて更に組織を大きくする。うまく行けば祝福のもっと良いモンをぶんどってくる。考えることが山積みだ」

「保須の街には我々の躍進のための贄となって頂きましょう」

 

 黒霧はよく冷えたグラスに砕いた氷を入れ、スコッチウィスキーとアマレットを注ぎ入れ軽くステアしたものを死柄木の前に置く。

 

「ゴッドファーザーか洒落てるな」

 

 口元を覆っていた手を取り外し、死柄木は一息にグラスを煽った。

 

「お気に召されましたでしょうか?」

 

 空になったグラスが砂のように崩れ落ちていく。そして後に残された氷を手のひらの中で弄びながら死柄木は答える。

 

「あぁ、相変わらず良い腕だよ黒霧。おかげで頭が冴えてきた」

 

 ────燻っていた悪意が熱を帯び、宵闇の中で蠢き出し始めた。

 

 



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第31話 不死の妙薬

今回はヒロインの奮闘編です。


 職場体験一日目、エンデヴァー事務所は保須での祝福(ハレルヤ)の捜査の急な引き継ぎのためサイドキックや事務員の皆さんはバッタバタの様相で、それはもう通勤ラッシュの改札口みたいな殺伐さを感じた位だった。

 

 元々警察から捜査依頼を受けていたインゲニウム事務所と一緒に事にあたるのかと思っていたけれど、ヒーロー殺しに襲われて休養中という事を表向きの理由に保須を去り、別の土地で極秘の潜入捜査を始めるそうだ。

 

 保須での捜査の全てを引き継ぐ羽目になったのに加え、ヒーロー殺しの捜査も並行して行うので実質仕事が二倍でてんてこ舞いらしい。とんでもないときに来てしまったのだと思ったけれど、これは全部私の報告のせいだったと思い出して大変申し訳なく思う。

 

 皆さんが懸命に働いている中、私はひたすらエンデヴァーと性能試験という名の対人戦闘訓練をひたすらに受けていた。炎を封印した状態の糞ひ────じゃなかった、エンデヴァーにひたすらボコられていた。強いというか強すぎでしょ本当。あの脳無をやっつけたその実力を嫌と言うほど思い知らされた。

 

 ひどい怪我はしなかったけど、容赦なくゲロまみれにされていた。私が個性のおかげでタフだからって、やりたい放題だ。でも良く言えば、私はただのお客様扱いはされていない。どこまでなら反応できるのか、どんな癖があるのか、どれだけの手札があるのか、体育祭で見れなかった部分に関して本気で私を試しているってのはヒシヒシと感じた。

 

 期待の裏返しだとサイドキックの皆さんは言うけれど、最悪なことにその言葉は嘘じゃないんだろうなと思う。とっておきのカウンタークロスをようやく一本決めたときにすっごく笑ってたもんあの人。戦闘狂とは違うけれど、これ多分育成マニアだ。私の体格や癖に合わせた体術の改善策を時折的確に提示してくれるあたり、すごく指導者として優秀なんだろう。

 

 まだ雄英に入ってまだ二ヶ月目ということもあるし、多数の生徒を同時に指導しているせいもあるだろうけれど、学校よりもかなり踏み込んだ指導をくれるのが嬉しくもあり、同時に小憎たらしい。

 

 轟くんの火傷痕が家庭内暴力によるものらしいということや、お母さんが心を病んで入院していること位しか家庭事情を知っているわけではないけれど、轟家の闇をこの数時間で思い知ってしまった。そりゃ父親を嫌いになるよね。轟くんの嫌悪っぷりにも、実体験として納得できた。

 

 休憩のたびに、部屋の隅に置かれた高級フルーツの山に齧り付きながら、どうやってやりかえそうかと、感謝と報復の念を唱えるという作業を繰り返し、あっという間に夜が来た。

 

 ちょっとした趣向返しの気持ちと、手土産のつもり半分で私はあることをエンデヴァーに持ちかけていた。そしてその結果、今の私は────

 

「ありがとうございます。本当にありがとうございます」

 

 泣きながら頭を下げ続ける羽目にあっている。でもこれは嬉し涙だ。想定の100倍くらいの幸せの波に私の心は完全に攫われてしまい、私は本題を完全に失念していた。

 

「鯛の身がほんとうにプリップリで、甘くて美味しいです。このお吸い物もはまぐりがとても大きいし、ふっくらして噛むたびにジュワーって旨味が染み出して来るし、本当に美味しいです」

 

 ちょっと二人で内緒話ができる場所を借りたいと言ったら、日本庭園が見渡せて、高そうな掛け軸やら大きな百合をたくさんあしらった生花が飾られているような料亭、テレビドラマのお見合いのシーンに出てきそうな感じの豪華な場所に私は連れて来られていた。

 

 辛抱生活に慣れきっている私に料理を選ぶ勇気があるわけもなく。エンデヴァーが料理を勝手に頼んでくれたけれど、覗き見たメニュー表には時価という恐ろしい文言がズラッと並んでいた。うん、二度とここには来ることないなと確信する。こうなったら存分にたかろうと30分前くらいまでは思っていたけれど、襲い来る美味しさの洪水に昼間のドロドロとした感情はすっかり浄化されていた。これだけ贅沢してしまうと、この職場体験が終わってからの私は元の豆苗生活にちゃんと戻れるのだろうか?

 

「それから特にこの車海老の踊り食いなんか最高です」

 

 手の中で暴れまわるエビの殻を剥くのはちょっと残酷だったけれど、活きているエビがこんなに美味しいなんて初めて知った。歯ごたえも甘みも私の知っているエビと全然違う。

 

「俺は酒と多少の肴があればいい。すぐになくなりはせんから、落ち着いて食え。足りないなら追加すればいい」

「流石トップヒーローとなれば、すごく羽振りが良いんですね」

 

 舟盛りから遠慮なく一番脂の乗ってそうなトロっぽいものを掴み取る。大トロか中トロかわからないけれど多分良いやつだ。口に含むとほとんど噛まなくても、スーッと口の中脂の甘みが口に溶け出していった。これが芸能人が食レポしている味か。私にはただただ美味しいとしか言えないや。

 

「昼間は俺もヒートアップし過ぎたからな。インターンならともかく、職場体験ではあれは流石にやりすぎだった。その詫びもないわけではない、が」 

 

 ビールのグラスをグイッと煽り、エンデヴァーは本題を切り出す。

 

「オラシオン、お前の目から見た、オールマイトについて。洗いざらい話してもらうぞ」

「えぇ。でもあくまで私の個性による観察と、周りの状況を加味しての推論って感じなので100%あっているわけではないと思いますんで、それを念頭に置いて話を聞いて下さい。でも全く自身がない事を言うつもりはありませんから」

「御託は良い。要点を話せ」

「ならまずは簡単な方から。多分気づいていると思いますが、ウチのクラスの緑谷出久。彼がオールマイトの後継だと思います」

「その根拠は? 個性が似ているというのは誰が見てもわかる。そうお前が言う自身はどこから来る?」

「酷似しているというより、ほぼほぼ同じなんです。彼とオールマイトの反応が」

「それはお前の個性で見た感覚だな?」

「はい。ただ、いつも感じ取ってる生命反応とちょっと違う気もするんですけど、オールマイト固有の周波数みたいなのがあって、緑谷くんが個性を使うときに、酷似した反応が出るんです。素は全然違うんですけどね。でも世界に同じような反応を出せる人はまず居ないと断言しても良いです。なんというか、オールマイトの反応は本当に変なというかデタラメな感じなので」

「アイツがデタラメなのは百も承知だ。それでその反応を感知した上でお前はどう考える?」

 

 ため息というか、でかい鼻息をついて、エンデヴァーは私に続きを促す。

 

「そうですね。実は緑谷くんと同じ中学出身の子がクラスにもう一人居るんですけれど、えっと大会に優勝した彼ですね。曰く父親が火を噴く個性で母親が物を引き寄せる個性だから、増強型の個性を発現するのは有りえないって言ってたんです。緑谷くんは中学まで無個性だったはずだとも。緑谷くん本人は入学直前から謎の超パワーを扱えるようになったと言っていたんですが、何か隠し事しているような雰囲気でしたし」

 

 あまり余計な言葉を挟まず、私の言葉をビールをすすりながら聞きに徹するエンデヴァー。グラスが空いたようなので、私は先程の女将さんの見よう見まねで瓶ビールを手に取り、空のグラスにビールを注ぐ。ちゃんとこぼさず注げたけど、泡が半分以上の比率になってしまった。なんか私の良く知ってるビールっぽい絵面ではない。

 

 エンデヴァーは文句も感謝のどちらも言わずビールに口をつけたけれど、察するに多分これあんまり上手にできていないんだろうな。未成年の私にはコレは難しい、要社会勉強だ。 

 

「緑谷くんは今のご両親に預けられたオールマイトの隠し子か遠縁の親戚、その線を私は疑っています。緑谷くんがオールマイトに呼び出されて二人でお昼ご飯を食べたりしたこともあったみたいですし、クラスメイトとしての視点から考えてもあの二人がただの生徒と教師の関係以上の中であることも間違いないと思います。実際、担任のイレイザーヘッドが贔屓し過ぎるなと注意していたくらいでしたし、傍目から見ても親密だと思われます。この件についてこれ以上のことは現段階では言えませんが」

「体育祭で見た限り、判断力などの素材は悪くなさそうだが、基本的な筋力も戦闘経験も足りていない。練度不足にもほどがある。後継勝負ならウチの焦凍の方が圧倒的に仕上がりは上だな。取るに足りん。だが非常に参考になった。やはりお前に目をつけた俺の目に狂いはなかったようだな」

「恐縮です。あの……非常に言いにくいんですけど茶碗蒸しだけ、冷めない内に食べて良いですか? 次の話がメインでちょっと長くなりそうなので」

「茶碗蒸しだけとは言わん、一旦落ち着くまで食え。その価値がお前の話にはある」

 

 なら遠慮なくと茶碗蒸しを平らげ、霜降り和牛の陶板焼きに舌鼓を打ち、サザエのつぼ焼きをほじくり返して、少しお腹を落ち着けてから私はメインの話に話題を移す。エンデヴァーは熱燗を嗜みながら私の話に耳を傾ける。

 

「オールマイトがなんで雄英の教師として赴任して来たって件について、さっきの話にもつながるんですけれどまず一つは後継の緑谷くんの育成、そしてもう一つは自身の療養のためだと私は思います」

「育成の方は辻褄が合うから良い。だがヤツが療養だと? それも貴様の目で見たのか?」

 

 手にしていたお猪口を乱雑に置いた衝撃で、残っていたお酒が飛び散った。さっきまでとは打って変わって目つきがより一層鋭さを増した。

 

「はい。何で入院していないんだろうかってくらいあの人の体はボロボロです。呼吸器官が半分位駄目になってますし、胃袋の反応がない感じからしておそらく全摘しているんだと思います。正直、ヒーロー活動どころか日常生活もかなり辛いんじゃないでしょうか。だからリカバリーガールの居る雄英に来て、ヒーローとしての出動回数も制限を掛けていると私は思っています」

「ふっ、ふざけるなっ!」

 

 エンデヴァー自身もかなり意識して先程までは感情を抑えていたのだろうが、もう流石に我慢できなくなったようで思いっきり声を荒げた。鼓膜が痛い。

 

「お前の推論が仮に事実だとして、何故その話を俺にした。極秘事項なんてレベルの話ではないだろう。アイツ一人の問題ではない。ヒーロー全体、いや国を揺るがすような大問題なんだぞ!」

「体育祭で実際に話しをしてみて、私なりに色々調べてみて、エンデヴァーというヒーローが本当に必死にオールマイトを追い越そうとしていたってことは凄くわかりました。実際事件解決数はオールマイト以上ですし、私は純粋にその点において貴方を尊敬しているから、祝福(ハレルヤ)の件で頼らせてもらいたいって思ったんです」

 

 オールマイトは偉大すぎるヒーローだ。他の国々では犯罪率20%近くある中、わずか一桁に抑えられているのは日本と極小数の小さな辺境の国ぐらいなものだ。平和の象徴という立場を維持し続けているオールマイトの存在がなければ、今の日本の治安はなかっただろう。

 

 そんな偉大すぎるヒーローに本気で追いつこうとしていたんだなと、エンデヴァーのことを私なりに調べてみて改めて思った。多分、憧れや好きの裏返しの気持ちをこじらせてこうなっちゃったんだろうなって私は考えている。だからこそ、私はこのオールマイトの件に関してもエンデヴァーに頼りたいと思ったのだ。

 

「怒らないで聞いて下さいね。当たり前だと思うんですけれど、オールマイトの弱体化なんて、貴方としては不本意な事ですよね?」

「当然だ。俺は、俺が駄目でも焦凍にヤツを超えさせると誓ったが、そんなみっともないザマのヤツを超えたことを誇って何の意味がある!?」

「そう言ってくれて良かったです。本当に平和のことを考えるなら、オールマイトは治療をもっと受けて療養するべきなんだと思います。そしてもっと踏み込んで言うなら、私の個性を使い倒してでも治すべきだとも。私とリカバリーガールの個性の相性は凄く良いんです。リカバリーガールだけでは治療に耐えきれない体力の落ちた人を私の個性でフォロー出来ますし。なんでもは出来ないけれど、機械だけでは足りない情報の読み取りだってできるんです。リカバリーガールもオールマイトも先生たちも、多分手段としてはわかっているはずなのに、全然声を掛けてくるそぶりもない。何とかして治療を受けてもらいたいんですけれど、どうしたら良いのかなって────」

「どうしたら良いのか、だと!? オラシオン、馬鹿か貴様はっ!」

「別に一人で治療するわけではないのだろう、ベテランのリカバリーガールの帯同する中で何を恐れている? オールマイトのヤツも、教師陣の頭の固さも大概だが。逆に貴様は意志が薄弱過ぎる! 俺の知っている最高の医者はな、とある新人ヒーローが加減を間違って敵を死ぬ直前まで痛めつけたとき、その馬鹿なヒーローの横っ面を引っ叩いて呆けさせた隙に敵を治療していたぞ。なんの戦闘力もない貧弱な女がだ。『私の手の届く所では誰も死なせない』とな、治療を拒絶する敵も引っ叩きながら治療するような苛烈な女だった」

「その医者ってもしかして────」

 

 そんな鮮烈な人物像に思い当たる医者は私が知る限りただ一人。

 

「そうだ。これは俺がエンドレスに出会った最初で最後の出来事の話だ。俺を殴った医者など、リカバリーガールを除けばあの女が唯一の存在だったよ」 

 

 手酌でお猪口に酒を注ぎ、軽く口をつけたエンデヴァーは言葉を続けた。

 

「強く意志を持て。親真似でもなんでも良い。オラシオン、貴様の生き方は小賢し過ぎだ。今日一日のやり取りだけでも十分にわかった。周りの戯言が多少うるさい環境に居たようだが。雑魚の話など気にするだけ無駄だ。大成したいのならば上を見ろ。先達の背中だけを追え!」

 

 オールマイトの後を本気で追いかけ、強さを求め続けてきたヒーロー。その極端な活動姿勢に対しての批判は決して少なくない。強さは頂点に届かずとも、事件解決数という領域に置いては既にオールマイトを凌駕している。その努力は、向上心は決して偽物なんかじゃない。だからこそ彼の言葉は私の胸に強く突き刺さった。

 

 周りの見下し方が酷いし、教え方は乱暴だし、言葉も粗雑だけれど、とても強く頼れる人だ。改めてエンデヴァーの人物評をそう更新する。この事務所に来たのはやはり正解だった。

 

「そして改めて問うぞ。何故貴様はその話を俺に振った?」

「オールマイトを救いたいと思ったからです」

 

 今にも倒れてしまいそうなのに、決して弱音を吐かず虚勢を張り続けている平和の象徴(オールマイト)。何とかしてあげたい、私なら何とかできるはずというちょっとした自惚れとお節介心。褒められた感情ではないのかもしれない。でもこの心は、ずっと感じていたもどかしさは私自身の気持ちで間違いないんだ。これは犬のおじちゃん(レスキューワン)との約束とは別の、私の意志だ。

 

「ならばやれ、迷うな、諦めるな、無理をも押し通せ。お前自身の意志でだ!」

「はい!」

 

 強く。大きく。私は私自身の意志を込めて返答をする。

 

「俺も雄英の出身だ。俺からも今度リカバリーガールたちの説得に行ってやる。平和の象徴を、俺の目指した頂点を、決して落ちぶれなどさせるものか」

 

 不敵な笑みを浮かべるエンデヴァーは、そう強く言い切る。

 

「ありがとうございます」

「だがまずは、眼の前の祝福(ハレルヤ)の件が片付いてからだ。詳細不明の非合法な薬品らしいが、まともな団体にまともな研究をさせればヤツの治療に役立つかもしれんしな」

「えぇ。インゲニウムの負傷からの復帰具合を考えると、リカバリーガールの個性並みの効果があるかもしれませんしね」

「それにヒーロー殺しの奴も絶対に逃さん。英雄回帰などバカバカしい。アイツがオールマイトの何を知っているというのだ。この俺が必ず牢獄にぶち込んでやる。そのためにお前の目を雇ったんだからな。働きに期待しているぞ」

「はい!」

「おい、ここの料理が気に入ったのだろう? オールマイトの治療費代わりだ。寿司でもデザートでも好きなものを頼め」

「────お酌させて頂きます」

 

 お金の力はとても偉大だ。ヒーローになりたい邪な理由が一つだけ増えた。

 

「……今日のことは轟くんには言えないな」

 

 黒蜜のたっぷりかかった葛切を頬張りながら、そう感じた罪深い一日だった。

 

 

               ×         ×

 

 

 

 

 

 翌日の朝イチで私たちは保須市に移動した。サイドキックと事務員の何人かは前の晩から移動していたみたいで、私たち現場組が臨時事務所到着した直後に祝福とヒーロー殺しの捜査網を同時に展開するための会議が行われた。

 

 ヒーロー殺しの行動パターンの分析によると目立たない路地裏などの狭くて暗いところを好み、単独行動しているヒーローを狙う傾向にあるという。そして対人戦闘においての戦闘力もかなり高いことも想定される。

 

 それに対するエンデヴァー事務所の方針は、いわゆる囮捜査だ。祝福(ハレルヤ)の捜査のために囮役が路地裏などを単独で歩き回り、もう一人の監視役が交戦時に即座に対応できるギリギリの距離に潜伏する。ヒーロー殺しとの交戦が始まれば他のチームも合流し、捕獲網を張るという作戦だ。

 

 正直なところ無難な作戦だよねと話を聞いている最初の内は思っていた。けれど、どこで交戦が起こっても一定の戦力を確保した強固な網を迅速に張れる人員配置の仕方などを、細かな計算に裏付けられた作戦詳細を聞いていく度に、流石事件解決数ナンバーワンの事務所だなとただただ驚嘆するばかりだった。一時間にも満たない会議だったけれど、最精鋭の捜査チームの実力をまざまざと見せつけられた感じだ。

 

 そして私ももちろん現場に出ることになる。監視役として私の個性による感知力が期待されての配置だ。そして私の組む相手は最大級の囮であるエンデヴァー本人。ヒーロー殺しの演説内容から考えると、おそらくエンデヴァーはヒーロー殺しにとっては偽物扱いの存在だ。エンデヴァーの戦闘力は他のサイドキックと一線を画しているので、戦闘に入っても私は戦闘に参戦しなくても良いということになっている。闇に紛れているであろうヒーロー殺しをいち早く察知して、無線でエンデヴァーに奇襲を知らせ、逃走時に備えた応援を円滑に呼ぶのが私に任された役割だ。責任重大な任務である。

 

 早速現場に出た私は路地裏を歩き回るエンデヴァーの後ろをコソコソと追跡し続ける。感応範囲は敢えて絞り込み、エンデヴァーから死角になりそうな部分を中心に、気配を潜めている存在がいないか入念に探し続けていた。

 

 無線での定時連絡で他のチームと連絡を取り合ったりするのは、スパイ映画で見たやり取りみたいでちょっと胸が高なった。すっかり私もチームのエージェント気分だ。

 

 そうしてスニーキングミッションをこなすこと二時間ぐらいのときだった。エンデヴァーが何らかのドラッグの取引現場に遭遇。個性を使うまでもなく、売人と購入者の二人の男にそれぞれ鳩尾に痛烈なパンチを一撃ずつ入れ、あっさりと場を制圧してしまう。戦闘にすらなっていなかった。

 

 私は装備の盾に格納していた信号弾を発射し、即座に無線で応援を呼ぶ。危険はないだろうからとエンデヴァーに呼ばれた私は、手持ちのロープで購入者の方の拘束の手伝いをした。売人の方は完全に気を失っていたので、エンデヴァーが体中をまさぐって錠剤らしきものや手がかりになりそうなものの確認を行っている。

 

「なぁ、教えてくれよ。エンデヴァーが出張ってくるってことは、やっぱりこの祝福(ハレルヤ)ってのは本物なのか?」

 

 購入者の男性、相澤先生より少し年上ぐらいの年齢だけど頬は痩せこけ、目元に酷い隈を作ったその人は神様にでも縋るような口調で手首を拘束作業中の私へ話しかけてきた。

 

「わかりませんし、言えません」

 

 そうとしか私は答えられない。決してその質問に答えてはいけない。

 

「抵抗する気はないんだ。俺の体なんかいくらでも、何年でも牢屋に入れてくれたっていい。でも、でもっ!」

 

 あぁ、嫌な役回りだ。この人は多分不老不死の言葉に群がる権力者だとか、そういった類の人なんかじゃない。ねぇ、お願いだから。おじさん、泣かないでよ。

 

「無茶だとも、駄目元だとわかっている。でもこの薬を妻のところに届けてはくれないか? ガンの末期で、どんな抗癌剤も効かなかったんだ。だからこれが効かなかったときは仕方ない。でもこの最後の希望を試さない内には妻の生命を諦めたくはないんだ。金はいくらでも積む。決して口外もしないと約束する。だから、だからせめて薬だけでもっ!」

「ならん!」

 

 エンデヴァーの鋭い怒声が薄暗い路地に反響する。

 

「これは未認可の薬だ。肉体的にも、社会的にも大きなリスクが想定されているからこそこうして取り締まっている」

 

 強い語気に圧倒されて、おじさんは沈黙するしかなかった。おじさんは放心状態になったように目線を宙にあてもなく漂わせている。まるで心がどこかに飛んで行って、体だけが蝉の抜け殻になったかのようだ。

 

「この人の罪の重さって、どれぐらいなんですか?」

「おそらく事情聴取と数日の拘束に罰金ぐらいで済むだろう。ギリギリで購入寸前であったし、使ってもいないからな」

 

 末期ガンと言っていたから、奥さんに残された時間はそう長くはないのだろう。でも数日で開放されるなら────

 

「薬は絶対に渡せないけれど、これを持っていって下さい」

「これは一体?」

 

 殴り書きのメモをロープで縛ったおじさんの手に持たせる。

 

「落ち着いて開放されたら、ここの窓口に相談してみて下さい。生命を救うことに必死な人たちがここには集まっています。症状を言ってくれれば、的確な病院や先生を紹介してくれるはずです」

 

 おじさんのメモには聖輪会(メビウス)の窓口の一つの電話番号を書いていた。生命を救うことが最大かつほぼ唯一に近い教義であるこの宗教は様々な怪我や病気で切羽詰まった人たちの最後の拠り所でもある。個人的にはあまり頼りたくない宗教だけど、本当に助けが必要な人たち、特にこのおじさんみたいな人には紹介するべきなんだと思っている。

 

「例え聖輪会(メビウス)系列の病院内で手が負えない状態だったとしても、最先端の研究をしている各地の専門医に繋ぎを作ってくれたり、そういうこともしています。私の、猪地巡理の名前を出してくれれば早く対応してくれると思いますので、その……これぐらいしか私にできなくて────」

「君があのエンドレスの、そうか。ありがとう。お嬢さん、本当にありがとう。これで希望が出来た。ぐすっ……」

 

 感極まって泣き続けるおじさん。助かると決まったわけでもないけれど、何とか希望を少しでも繋げられたみたいで良かった。

 

「おじさん、泣いたら疲れるよ。警察に着いたらしっかり事情を話して早く出られるように頑張ってね」

「わかった。そうするよ。うっ、すまない。本当にすまない」

「こっちはもう大丈夫ですね。そっちの売人の方はどうですか?」

 

 鼻水と涙でぐしょぐしょのおじさんの顔を拭ってあげながら、エンデヴァーに話を振る。

 

「粗方、めぼしいものは押収した。これが例の薬らしい。何か気づくところはあるか?」

 

 私に錠剤の入ったピルケースの内の一つを投げ渡すエンデヴァー。見た目は至って普通の白くて小さな錠剤だけど、手元のそれを見つめる度に妙な違和感が浮かんでくる。もしやと思った私は感応範囲を最小に絞って、代わりに感度を最大まで上げてみる。

 

「何これ…‥‥」

 

 なんてこった。私だけにしか見えない悍ましい光景に直面し、私はなんと説明するべきか言葉を一瞬見失う。

 

「どうした?」

「ドラッグの知識はまだまだなんですけれど、多分これが本物の祝福(ハレルヤ)で間違いないと思います。インゲニウムのときは注射タイプでしたけど、これもきっと本物のはずです。決して普通の錠剤が出していい反応じゃないですから」

「オラシオン、どういうことだ? 貴様は生物の反応しかわからないのではなかったのか?」

「そうです。これがただの錠剤なら私の個性じゃ反応を感知できるはずがないんです」

 

 そして一呼吸置いてからわかりやすい言葉で言い換える。

 

「これは生きています(・・・・・・)

 

 まるで植物の種子のように、この中には生命が眠っている。これは生命の定義を揺るがしかねない存在だ。

 

「なん、だと……?!」

「私、これだけは言い切れます。祝福(ハレルヤ)を作った人は、絶対に正気じゃない」

 

 目の前に死を振りまく敵が詰め寄ってきているわけでもないのに、まるで得体の知れない怪物に背中をざらついた舌で舐め回されているような感覚に襲われる。嫌悪感と困惑とがないまぜになったような奇妙な感覚。

 

 あぁ、そうだ。久々に私は思い出した。これが恐怖という感情だ。 

 

 




心操くん原作再登場ヤッター!
まさかウチのSSで編入させた二週間後に原作でもやってくれるなんて胸アツです。(想定外とも言います)


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第32話 露天風呂にて

30話の続き、飯田くんの武者修行編。


 突然報告の入った土石流災害の報。偶々近くに居た俺達は突入ポイントへと先行し、降車すると共に自らの足で現地へと向かうことになった。しかし────

 

「完全にこれは崖、ではありませんか」

「そう呼ぶ人も居るわね」

 

 あっけらかんと答えるピクシーボブだったが、これは斜面なんて生温いものじゃない。俺が手を掛けているガードレールの先の風景、これは限りなく垂直に近い。高さは優に五階建ての建物を超えるどころか倍ぐらいあるかもしれない。

 

「天哉、日本史は得意か?」

「はい。得意だという自負はありますが、それが何か?」

「一ノ谷の戦いは知っているな?」

「源義経ですね」

 

 そう答えた俺の背に冷たい一筋の汗が流れる。

 

「まさか、鵯越の逆落としを(崖を下れと)?」

 

 恐る恐る尋ねてみた俺に対し、ニヤリと犬歯を輝かせた虎が言う。

 

「個性のない時代の人間でも成せたのだ。我らに成せないはずはない」

「ごちゃごちゃ言わない! 人の生命がかかっているのよ! お手本を見せてあげるから同じ足場を辿って遅れず着いてきなさい」

 

 そう言って真っ先にピクシーボブが飛び降りた。何を迷っていたんだ俺は。そうだ人の生命がかかっているのだぞ。この一瞬の躊躇が生死を分けかねないというのに!

 

「行きます!」

 

 ガードレールを飛び越え、先行するピクシーボブに続く。斜面の僅かな出っ張りを見極め、足場から足場へ跳躍する。後方から虎の叱責を受けながら、俺は何とか遅れないように崖を駆け下りた。

 

 そうして、森の中の道なき道を走ること一時間強だろうか。

 

「顔を上げろ天哉、下ではない。前を向け。周りをもっと良く見るのだ!」

「次の足場だけじゃない。傾斜、足場の安定性や丈夫さ、そして何より経路全体を把握して最適ルートを逐次計算するのよ!」

 

 個性の関係上、他人よりも基礎体力にも足の速さにも自身はあった。しかし俺は肩で息をしているのに対し、虎とピクシーボブの二人は俺に対して常に大きな声で指導しながらも森を駆け抜ける余力があった。これが学生とプロの差か。

 

「違う。その草は湿気を好む上に潰れた粘液が良く滑る。決してそれは踏むな、足を捻るぞ!」

「急ぐのは良いけど、救助者を輸送する体力も必要よ。それに道を荒らせば後続や、帰りに支障を来すかもしれないわ。もっと歩幅は小さく、踏み込む力も控えめで良いから、ピッチを上げるのとルート計算でカバーしなさい!」 

 

 整地されていない森の悪路における走行テクニック、体力の温存方法や山で迷わないための方法。学校では学べなかった様々な事をこの短い時間で俺はドンドン学んでいた。ここで学んだことはきっと山だけでなく都市災害で活かせることもあるだろう。やはりこの事務所を頼って正解だった。

 

「何をボッっとしている!? 天哉、返事は!?」

 

 いかん、気が緩んで余計な事を考えていた。

 

「イェッサー!」

 

 即座に腹の底から声を出す。気合を全身に漲らせなければ。

 

「よーし、まだまだ声出るわね。あ、ここの苔は踏んじゃだめよ!」

「はい!」

 

 10メートルほど先行するピクシーボブが指で石の上にびっしり生えた苔を示す。危ない。指摘されてから初めて気づいた。言われなければ見落としていたな。

 

 だが、あのルートは数歩の差かもしれないが少し遠回りではないだろうか。そう思って、ピクシーボブの踏んだものとは違う木の根に足を掛けるようにして、坂を一息にショートカットする。

 

「それで良いぞ、天哉! お前の方が上背がある分、歩幅もあるし超えられる高さも異なってくる。要領は掴んで来たはずだ。そうやって自分にとっての最適を常に考えろ!」

「イェッサー!」

 

 授業以上に叱られてばかりの職場体験スタートだったが、今日初めて褒められた気がする。

 

 だが決して油断をしてはいけない。この先には俺たちを待っている人たちが居るのだ。虎やピクシーボブが俺に速度を合わせて居るのはきっと俺を二次被害で遭難させないため。だから俺がもっとペースを上げることが出来れば、より早く救かる人がいるのだ。『“早く”救けることが重要だ』という兄から教わったモットーが脳内に反響する。

 

 視界を広く、目を凝らし、耳を澄ませ、腕を振り、地面を踏みしめる。この一連の作業をもっと精密に、臨機応変に。今この場での進化を俺は求められているのだと己に言い聞かせて、遅れを少しでも縮められるように俺は山道を走り続ける。

 

「天哉、ペースを落とすな! プルスウルトラだろォ!? しろよウルトラ!」

「イェッサー!」

 

 

                     ×          ×

 

 

 

 その後、急な雷雨に襲われながらも更に二時間ほど走ると土石流の現場に何とか辿り着いた。土石流に飲まれた建物は屋根部分しか見えない、ぐらいの状態だったのだが────

 

「マッチポンプ、ですか?」

「そうだ」

 

 その言葉を聞いて心が拍子抜けした途端、両肩に一気に疲労感がのしかかってくる。

 

 そういえばピクシーボブの個性は土流。土石流を現在進行系で何事もなかったかのように個性を用いて後片付けしているのを見れば、事前にそのような状況を作るのも簡単だっただろうと、容易に想像が着いた。

 

「騙してゴメンなさいね。まずは基礎能力の確認をしたかったから、試させてもらっていたのよ」

 

 災害現場の大翁岳の宿泊施設────正しくはプッシーキャッツのマタタビ荘にて待機していたマンダレイが、ふかふかのフェイスタオルを俺に渡しながらそう謝罪した。 

 

「天哉よ。人の生命がかかっていると思っていたからこそ、いつも以上に真剣になれたと思わぬか?」

「そうですね。訓練とは全く別のプレッシャーで、プロはいつもこんな緊張感の中で、一挙一動に心を配り活動しているのかと思うと、改めて尊敬の念を感じました」

 

 騙された、などと吠えるつもりは毛頭ない。この職場体験中に実際の現場に遭遇することもあるかもしれないと考えれば、失敗の許されない状況にいきなり俺を放り込むより、一度このようにワンクッションを置いたのは実に合理的な判断なのだろう。

 

「あちきがサーチの個性でここから天哉を観測しながら、マンダレイのテレパスで虎とピクシーボブに更なるアドバイスを付け加えるよう指示していたのね。ホレ、ジュースを飲め、アハハハ!」

「冷たっ!?」

 

 ラグドールがキンキンに冷えたオレンジジュースをマスクを脱いだ俺の首元に当ててきた。それを受け取り、礼と戴きますの一言を入れてからジュースに口をつける。濃厚な甘みと酸味が体中に染み渡るようだ。この一杯は本当にありがたい。

 

「ラグドール、今日のお昼は何?」

「ホッカホカの豚汁と天ぷらだー!」

「後は揚げるだけだから、さっとお風呂で一度温まって来て」

 

 マンダレイはそう言うが、しかし────

 

「すみません、俺の着替えというか私物の入ったバッグは、車の中に置き去りなんですが、どうしたら良いでしょうか?」

 

 俺の言葉に4人は顔を見合わせるが、ラグドールの笑い声が気まずい沈黙を打ち破る。

 

「アハハハ! 車のこと忘れてた! みんな気づいてなかったのウケる、腹筋がブッチブチ!」

「完全に失念していたな。天哉、補給後直ぐに現地へ戻るぞ。おさらいだ!」

「イェッサー! 迅速に補給を済ませます!」 

「これじゃあ天ぷらは夜までお預けね。ご飯は食べやすいように塩むすびにしましょうか。ピクシーボブ、次は私が行ってもいいけれどどうする?」

「どーせもう私もグショグショだし、さっきの編成でいいんじゃない?」

「珍しく乗り気ね?」

「何かね。こう本気の子見てるとね。若さ(パワー)が貰えそうな気がするのよ」

「そ、そう。疲れたでしょうから三人は座ってて。私とラグドールで用意するから。それにしても洸汰は部屋に引き籠っちゃって、もう全くあの子ったら……」

 

 生姜の効いた豚汁と塩むすびを腹八分目程度に補給し、俺はスタート地点まで復路を辿る。途中、ピクシーボブの個性で作成・操作された土で出来た魔獣と戦いながらのよりハードな山岳訓練で今日の一日のスケジュールのほとんどが完了した。夕食後の就寝前に一時間ほど座学で山の天気のことや、地図の詳しい見方や捜索活動のコツについて教えてくれるとのことだった。

 

 

 

 

 

                     ×          ×

 

 

 

 

 訓練の終わった夜にはすっかり雨も止み、雲も晴れ、三日月と無数の星々のさんざめく光が夜のキャンパスを彩る。東京で見る星とは輝きの強さも、数や密度も段違いだ。星座に詳しければ盛り上がる光景なのだろうが、生憎と俺がサッとわかるのは北斗七星ぐらいである。北斗七星から辿ることでWの文字の形をしたカシオペア座も辛うじて分かったが、俺にはここで限界のようだ。冬になればオリオン座ぐらいはわかるのだが時期が違う。

 

「それにしてもまさか職場体験先で露天風呂に入れるとは予想外だったな」

 

 湯で顔を拭い、全身に湯のぬくもりを浸透させながら想いを巡らせる。俺はかなり恵まれた事務所に来たのだと、この一日だけでも痛烈に感じていた。

 

 実際の出動こそなかったものの、緊迫感のある本物に近い体験を先取って用意してくれたこと。そして連盟事務所である故に一流かつベテランのプロヒーロー四人がかりでの指導を受けれるという利点に加え、指導そのものもラグドールの個性による綿密なフォローがあるという点で他の事務所と比べてもかなり条件が良いはずだ。本当に感謝しかない。

 

 他のみんな今日一日どんな過ごし方をしているのだろうか。約束もしていたことだし、夕食の後でまず巡理くんに連絡を取ってみるとしよう。

 

 夕食の集合時刻までまだまだ余裕はあるが、あと十分ほど星を眺めながら湯を堪能したら上がろうかと考えていた時に、入り口の方で扉が開く音がした。

 

「どうだこの露天風呂は? 中々の絶景であろう?」

「えぇ、とても星が綺麗です」

 

 立ち上る湯けむりの奥から現れた虎。その傍らには未就学児にも見える男の子がおり、虎に手を引かれていた。俺は一度湯船を出て、彼らに近づく。

 

「もしやその子がマンダレイの従甥の?」

「あぁ、洸汰挨拶しろ」

 

 どこか爆豪くんを思い出させるような目つきをしたその男の子は、押し黙ったままだ。ここは年長者がリードするべき場面だろう。

 

「こんばんは。俺は雄英高校ヒーロー科の飯田天哉だ。ヒーローを目指してプッシーキャッツのところに一週間世話になることになった。短い間だがよろしく頼む」

 

 片膝をついて視線の高さを合わせ、なるべく圧迫感がないように心がけて彼に話しかける。すると押し黙ったままの彼は不意に突然右足を蹴り上げてきた。戯れてるだけかと思ったが、その軌道の凶悪さを察した俺は、彼の蹴りを手で軽く受け止める。

 

「危ないぞ」

「ヒーローになりたいってヤツとつるむ気はねぇよ」

 

 語気から明確に感じ取れるほどの嫌悪と怒り。ご両親が敵との戦闘で殉職したと伺っていたが、この様子だと心の傷は深そうだ。この年頃の子供は普通皆ヒーローに熱狂するというものなのに、ヒーロー自体を憎んでいそうな口ぶりだった。

 

「つるむって、年齢の割にはませた言葉を使うじゃないか。ただ俺を嫌うのは君の勝手かもしれないが、暴力は良くないぞ。もう少しで俺の陰○うに当たるところだったではないか」

「ふん、虎みたいにニセち○こじゃないか、確かめたかっただけだ」

「スマンな。コイツは中々難しいのだ。洸汰、まずは頭を洗うぞ」

「ちょっ、やめ──自分でできるって」

 

 ぎゃあぎゃあと抵抗する洸汰くんを引きずって洗い場へ連れて行く。

 

「そうだ。天哉よ、良かったらコイツの頭と体を洗ってはくれぬか?」

「ふむ、裸の付き合いで仲を深めると。いい案ですね! よし、洸汰くん。俺が耳の裏までしっかり洗ってやろう」

「いらん、俺一人でできるから。てめェはくんな!」

 

 本当にこの子の言葉の汚さは爆豪くんを思い起こさせるな。俺は将来が少し心配だぞ。

 

「いつも一人にすればカラスの行水であろうが。こうなったら我がいつも通り力尽くで────」

「うっ、虎の洗い方はちょっと痛いから、まだコイツの方が良い」

 

 観念したように洗い場の椅子に座る洸汰くん。虎が手にしていたシャンプーハットを受け取り、彼の頭に装着させる。そう言えば他人の頭を洗うのは初めての経験だ。うーむ、床屋の感じの力加減で洗ってやればいいのだろうか。迷いながらシャワーのお湯の温度を確認した後、彼の頭皮の汚れを洗い流し始める。

 

「温度はどうだ? 熱くはないか?」

「チッ、ぬるすぎ」

 

 子供に舌打ちされながら、仕方ないなと温度を少し上げてみる。

 

「熱っ、急に温度を変えるなよ! 普通わかんだろ? ちょっと待たないと温度が安定しないんだって!」

 

 しまった、そういうタイプだったか。慌ててシャワーを床に向けて洸汰くんにかからないようにする。手で確かめてみると確かに少し熱い。心地よい人も居るかもしれないが、一般には不快な温度だろう。家と同じ感覚で取り扱ってしまった俺の不注意だ。

 

「火傷はないか!?」

「ないけど、てめェ本当に気をつけろよ!」 

「本当にすまない! この位の温度でどうだろうか?」

「これでいい。優しく洗えよ。虎みたいに爪立てるの嫌だからな」 

「うむ。善処しよう。では目をしっかり瞑っておきたまえ」 

 

 シャンプーを手に取り、泡が飛び散らないよう、洗い残しの部分がないように気をつけながら、作業を開始する。それにしても一回り近く下の子供の頭となれば随分と小さいものだな。自分の手と比較してみて俺はそう思う。兄さんと俺も一回り以上歳が離れていたし、兄さんもこんな風に感じていたのだろうか。感慨深いな。

 

「洸汰くん、頭の痒い所はないか?」

 

 一通り洗ったところで床屋でよくあるやり取りを真似してみる。

 

「頭の天辺がちょっと」

「よしわかった! 徹底的にそこを洗うぞ!」

「……オイ。つ、強いって! 痛いからちょっとストップだって、バカヤロー!」

「すまない。ではこうならどうだ?」

「弱い。気持ち良くない」

「難しいな。ではこれでどうだ?」

「うん、そのぐらいで続けろ」

「わかった」

「洸汰よ、天哉が嫌ならいつでも我が変わるからな」

「コイツの方がマシだからこのままでいい!」

 

 洸汰くんは気難しい少年だったが、少しだけ彼との距離が縮まった気がする。風呂の効果は偉大だ。

 

 

 

 

                     ×          ×

 

 

 

『────ということがあったんだ』

『殉職かぁ。それくらいの歳ならお父さんお母さんが世界の全てだもんね。ヒーロー嫌いになって当然だ。下手な事を言わなかった天哉の判断は間違いじゃなかったと思うよ。私のケースとは違うけど、全くの孤独でもないし、プッシーキャッツとの距離感以上には近づきすぎない方がいいかもね。ほどほどが良いと思うよ。あんまり良く知らない人からズケズケと踏み込まれるのは気持ちいいものじゃないし、特にその洸汰くんて子は気難しそうだから、多分爆豪みたいにすぐ反発しちゃいそうだもんね』

 

 電話先の巡理くんが俺の判断に同意を示してくれた。これから一週間洸汰くんと関わって行くことになるのだが、どうするべきか悩んでいたため、状況の近い彼女に助言を求めたがやはり正解だったようだ。

 

『そうか。役に立つ助言をありがとう。助かったよ』

『どういたしまして。ところで話は変わるけど天哉、ちゃんとサインはもらってくれた?』

『しっかりともらっておいたぞ!』

『ありがとう! うわー楽しみー!』

『巡理くん、そちらは今日はどうしていたんだ?』

『ひたすら組手を教えてもらってたよ。しごかれたけど流石ナンバー2だけあってすっごく強いし勉強になるね。そっちの活動の方は?』

『俺は山岳地帯の走行訓練と戦闘訓練を並行してやっていたな。あとは山岳地帯での活動について必要な座学も少しずつやっているところだ。天気や地図等な』

『成る程、天気と地図か。確かに山だと必須の知識だね。その視点は私持ってなかったや。確かにレスキュー系志望なら自分でも勉強しておいたほうが良さそうだね。また学校に帰ってきたらちょっと教えてくれる?』

『ノートは任せておけ。きちんと整理してあるからな』

 

 巡理くんなら、きっとそう言ってくると思っていたので普段以上にしっかりとメモを取ってある。

 

『頼りにしてるよ。あ、天気といえばそっちは雨とか大丈夫だった? いけてる?』

『山だからな。急に天気が変わって雨にも打たれたが、今はすっかり雲一つない空だ。夜空を見ながら電話しているんだが満天の星空で絶景だぞ。東京で育ったからこういった景色は心が躍るな』

『星かぁ。山の方にお父さんと住んでたときに、流れ星とかたまに見えたりしたのが嬉しかったなぁ。願い事は一回も間に合わなかったけれどね。天哉は流れ星見たことある?』

『そう言えば見たことないな』

『本当にあっという間でさ、スーって消えていくんだけど本当に綺麗だよ』

『一度は見たいものだな。流星群の日なら一つぐらいは見えるだろうか』

『流星群か。五十個とかいっぱい見えるんだよね? 流星群は私もないなぁ。でも、それだけいっぱい見れる日なら一個くらいお願い叶えてくれるのかな?』

『占いや言い伝えの類は信じないのかと思っていたが意外だな』

『あまり信じないけどね。でもたまにはロマンチックなことも考えるんだよ。天哉みたいにカッチコチじゃないんだから』

 

 血も涙もないような例えをするのは止めて欲しいと思うが、それを口にするのは止めておく。彼女のひねくれモードに火をつけてしまいそうだ。

 

『そういえば星と言えば七夕に願いを掛けるのも定番だな』

『七夕ねぇ。願い事見られちゃうのが恥ずかしかったから短冊はあんまり書けなかったなぁ。それに私にとってはどっちかって言うとただの誕生日ってイメージだし』

『ん? 誕生日とは君のか?』

『そうだけど。あれ? 言ってなかったっけ私? いや、言ってなかったかな……』

 

 電話の向こうの彼女は首を捻っていそうな感じだ。俺の誕生日が夏休み、麗日くんが冬休みだったので学校での誕生日会がなかったというような話題はした覚えはあるが、多分巡理くんの日については聞いていなかったはずだ。

 

『俺も初耳だと思うが、でもこれで覚えたぞ。誕生日は盛大に祝おうじゃないか』

『これってもしかして、誕生日プレゼントを期待していい流れ?』

『あぁ、何か欲しいものがあるのなら、できる限り要望に応えよう』

『ならそうだね。美味しいショートケーキが食べたいかな』

『それだけでいいのか?』

『うん、それがいいの』

『では当日までにショートケーキの美味しい店を検索しておこう!』

『ありがとうね。天哉』

 

 まだ一ヶ月半ほど先の話だが、新鮮なフルーツのたくさん乗ったショートケーキの美味しい店を事前にしっかりと探さなければ。彼女の通話が終わった後の寝るまでの間、俺は雄英近くの菓子店のレビューを片っ端から検索することに励んでいた。

 




ラッキースケベはありません
真面目主人公起用による無慈悲な定めです…私は悲しい
飯田くんはもう少し修行の後の参戦になります


9/4追記
原作最新話にて心操くんの個性について詳細がわかってきましたが、騎馬戦での下りはそのままにしておきます。次話以降は原作に沿った範囲で用いるようにします。


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第33話 心操から轟へ

初の心操くん回です。


 職場体験の初日。マニュアル事務所に来た俺と轟は午前中はこの保須の街を取り巻く情勢の話を聞いた。飯田の兄であるインゲニウムを負傷させたヒーロー殺しの出現に加え、非合法なドラッグの蔓延まで噂されているとのことで要警戒地区の一つであるそうだ。

 

 事前情報である程度はわかっていたつもりだったけれど、エンデヴァーが明日こちらに臨時事務所を設けるという話まで聞いたら、結構ヤバイんだなと改めて思った。

 

 そしてその話を聞いたときの轟は深い皺を眉間に刻み、下唇をぐっと噛みしめていた。あんまり感情を表に出さないタイプだと思ってたけど、爆豪や情緒不安定なときの猪地みたいだ。いや、それよりもっと酷いかもしれない。クラスから話半分には聞いていたけれど、随分とここの親子仲は悪そうだ。エンデヴァーの話題は地雷だな。俺からは絶対に話題を振らないようにしよう。

 

 テレビでお昼のニュースを見ながら情報収集しつつ、出前のざる蕎麦をみんなで食べた後、午後は地図を広げながらパトロールマップの講義を小一時間ほど行った。

 

 気が立っている人が多いゲームセンターやパチンコ店などの遊興施設の周囲をいざこざが発生しないように牽制のため巡回ルートに組み入れたり、スリが発生しやすそうな人混みや、恫喝などが行われても気づきにくい路地裏も漏れなく回ったり、小学校の下校時間には通学路を中心に、夕食時前後は中高生がたむろしそうなコンビニ前に比重をずらしたりなど、色々考えてルートも作っているらしい。

 

 マニュアルさん曰く「特別なことじゃなくて当たり前に考えればできる基礎的なことだからね」とのことらしいが、ヒーロー科の授業をまだ禄に受講出来ていない状態の俺はその基礎が全くできていないから、一つ一つがとても勉強になる。ただもしかしたら俺に気遣って、丁寧な座学も入れてくれているのかもしれないと思うと、轟に申し訳ないとも思う。本当俺なんかがクラストップと一緒で良かったんだろうか。

 

 そしていよいよ座学の後は実践編ということで街を実際にパトロール開始だ。道行く人に声をかけながら街を歩き、それとない日常会話から不審者の目撃情報を得たり、調子の悪そうな老人を玄関先まで送り届けて上げたり、眼の前で転んだ幼児の膝小僧に絆創膏を貼ってあげたりと、本当に地道な活動の積み重ねの連続だった。

 

 有名なヒーローというわけではないし、固定ファンも特出して多いわけではないけれども今日一日の活動を見ていれば、彼がどれだけ街に馴染んでいるか伺い知る場面は本当に多かった。

 

 マニュアルさんもヒーローの象徴そのものであるオールマイトのどちらも『良い人』の延長線上に居ることは確かだけれども、一般人から見て手の届かない頂きに居るオールマイトと凡庸さを装ったマニュアルさんだと後者の方が圧倒的に距離感が近い。相澤先生がこの事務所を強く俺に勧めてきたのはきっとこういう姿を見て来いということだったのかな。 

 

「さぁそろそろ日も暮れてくるし、寄り道せず気をつけて帰るんだよ」

 

 公園のベンチでカードゲームに興じていた小学生たちに声を掛けるマニュアル。その後ろで俺と轟も植木の陰に転がっていた空き缶や新聞紙を拾い上げ、設置されていたゴミ箱にきちんと捨てておく。

 

 街の清潔さも治安向上のための大事な要素だ。汚い場所にはより一層ゴミが溜まり、モラルの低い人間たちが集まっていくようになってしまう。そういった場所を減らすことも大事だが、ヒーローが率先してそういった姿勢を見せることで周囲の人々が自発的に清掃を心がけるようにするようにと考えているらしい。休日には清掃ボランティアの人々たちと一斉清掃イベントを主催することもあるそうだ。

 

「はーい。じゃーね、マニュアルー」

「飛び出しには気をつけてね」

「うん、雄英のお兄ちゃんたちもバイバーイ!」

「……ばいばい」

「──バイバイ」

 

 俺たちも手を振り返し、足元の小学生たちを見送る。

 

「ほら、二人共表情が硬いよ!」

「すみません」

「こう、ですか?」

 

 平謝りする轟と緑谷が保健室でやってたみたいに指で口角を釣り上げる俺。

 

「オールマイトみたいに満面の笑みをしろっては言わないけど、なんというかもっと力を抜いて自然体で行こう。肩の力を抜いてさ」

「気をつけます」

「意識してみます」

 

 何か似たようなこと言ってるな俺たち。そう言えば転科初日に俺のことを『初期ろき君みてぇ』と瀬呂たちが言っていたけれども、マニュアルさんからも俺と轟はそう見えるんだろうか。

 

「さて。今日はぐるりと要所は一回り出来たし、今日の夜は他の事務所の管轄だから、これから事務所に戻るよ。一旦着替えたらせっかくの初日だし一緒に晩ごはんでも行こうか。保須の美味しいところおごってあげるよ」

「いいんですか?」

 

 年下らしく素直に奢られるのが良いのか、しっかり拒絶するのが正しいヒーローのあり方なのか、俺自身奢られるという感覚があまり馴染みがなくて、そんな言葉しか出てこなかった。

 

「あんまり高い所だと親父が煩いから安い所で良いです」

「焦凍くん、大衆店だから大丈夫。エンデヴァーみたいに俺は稼ぎが良いわけじゃないからね。ハハッ」

 

 

 

            ×            ×

 

 

 

 そうやって連れて来られたのは60を過ぎたばかりぐらいの老夫婦が営む街の小さな中華料理店。マジックで手書きされた壁のメニュー表の油染みや、俺の祖母世代のアイドルのポスターなどがこの店の歴史を物語っているかのようだ。

 

 料理はマニュアルさんが適当に頼んでくれた。酢豚やエビチリ、麻婆豆腐に五目チャーハンなどの色とりどりの料理が空きっ腹の俺たちの目の前に並ぶ。できたてならではの湯気と、ゴマ油や香味野菜の香ばしい香りが食欲を刺激する。とても美味しそうだ。

 

「頂きます」

 

 食材とそれを作ってくれた人、お店の人とマニュアルさんに感謝の気持ちを込めて手を合わせる。

 

「気を使わず勝手に取り分けてね」

 

 そうマニュアルさんに言われたので、中華店ならではの回転テーブルをぐるぐるさせながらそれぞれが思い思いの料理に手を付ける。俺はチャーハンからだ。すごくパラパラなのに噛めば噛むほどにしっとりした食材の甘みが口内に広がる。すこし大きめの角切りのチャーシューがジューシーでパンチのある肉って感じだ。

 

「このチャーハン、ウチのと違ってすごく美味しいです」

「でしょ? 特にチャーハンが絶品なんだよここ。気に入ってくれて良かった。轟くんはどう……ってありゃ、美味しいんだけど先に言っておくべきだったか。ここ本格四川の店だから香辛料が結構効いているんだ」

 

 隣を見れば珍しく目頭に涙を浮かべた轟がお冷を一気飲みしていた。相当辛かったんだな。俺が空になったコップにお冷を追加してやると、轟は手振りで感謝の意を示した後もう一杯も一気飲みする。

 

「あーよく見れば結構ヤバイ色してるもんな、その麻婆」

「焦凍くん、落ち着いた?」

「はい、もう大丈夫……です」

 

 口直しだろうか、甘酢の効いてそうな酢豚を取り皿に入れながら轟はそう言う。安心したようにホッとため息を付きながら轟は酢豚をゆっくりと噛み締めていた。

 

 テーブルの上を空にした頃にはペコペコだったお腹も落ち着き、お店の好意でおまけしてもらったデザートの杏仁豆腐を頬張りながらマニュアルさんの話に耳を傾ける。規範的なヒーローとしての真面目な話も多かったけれど「明日のお昼は馬香亭のカツ丼にしようか」みたいな他愛のない話も多く、馴染みやすい人だなと改めて思う。

 

「それで今日一日、職場体験してみてどうだった?」

「ヒーロー科に入ってからまだ二週間も経っていないから、なんというか浮ついた感じで実感があまりなかったんですけど、パトロールに行ってみてやっとなんかその実感が湧いた気がします。それに俺、個性のこともあってあんまり人付き合いとか上手くやって来れてなかったって自覚があるんですけれど、マニュアルさんと街の人たちのやりとりを見て、その親近感とか馴染みやすさとかは真似したいというか、憧れるなと思いました。みんなから頼られるヒーローに俺もなりたいです」

「まさかのべた褒め?! そんな気を使わなくていいからね。俺は本当に普通だから」

 

 マニュアルさんが目を丸くして驚いているけれど、これは俺の素直な所感だ。そして轟も似たような言葉を俺に続けて言った。

 

「俺も、親父みたいな戦闘ばっかりのヒーロー像しかイメージなかったから、普通のヒーローがどんな活動をしているか知れて良かったと思います。ウチの親父だったら信頼感から来るあんな自然な聞き取り調査とかできないと思いますし」

「いやいやいや、エンデヴァー本人は聞き取り調査は不得意かも知れないけれど、あそこの事務所の本領はサイドキックの分業化による抜群の調査能力だから。それを統率して判断しているエンデヴァーは本当に凄いよ。ヒーローとしてもだけど、管理者・経営者としての腕の良さはエンデヴァーやインゲニウムあたりが同業者の間からも真っ先に名前が上がるからね」

 

 マニュアルさんは轟とエンデヴァーが不仲ということは察していながらも、エンデヴァーをしっかりとフォローする。確か事件解決数はオールマイトを超えているんだっけ。冷血な戦闘狂なイメージが頭にチラつくけれど、そうとう頭と要領が良くないと無理だよな。

 

 猪地はその辺りを見越してエンデヴァー事務所に行ったんだろうか。アイツはてっきり引っ付き回っている飯田とプッシーキャッツの事務所に行くと思ったけれど。ちなみにこれは俺だけではなく大体のクラスの奴らの総意だ。

 

「そうだ。職場体験だから基本的には俺の普段の活動について回る形にはなるけれど、何か見てみたい活動とかやってみたいことはある? 全部という訳にはいかないけれど、通常活動に支障をきたさない範囲ならできるだけ要望に応えるよ」

 

 あんまりエンデヴァーの話を続けるのは良くないと思ったんだろう。話題転換をするマニュアルさんの話に俺から先に乗っかることにした。 

 

「基礎トレとか、体術とか、その辺りが俺はクラスの皆より致命的に遅れているんで、少し見てもらえたら嬉しいです」

「うん、戦闘力は大事だよね。少しでも追いつけるように手伝うよ」

 

 ナイス要望、と言う意味なのだろうか。親指を上に立てて見せるマニュアルさん。

 

「俺も戦闘を見てもらっても良いですか?」

「勿論だとも。あの雄英体育祭で二位をとれる実力あるんだから、俺が教えられることは少ないかもしれないけれど、学校だと同じ相手ばかりになるから、たまには違う相手もいいよね。それに炎の制御訓練も水を操る俺と一緒なら安全だし」

「────炎の?」

 

 避けたはずの地雷源に再び戻ってきたマニュアルさん。今の話題変換は何のためだったんだ。ただ当のマニュアルさんは首をかしげながら再び口を開いた。

 

「ん? 俺の事務所を選んだのってそのためだと思ったんだけどもしかして違った? 体育祭の炎の使い方は見ていて危なかったし、てっきりそうだったのかなって」

「炎は、使いません。あのときだけです」

「えっ?」

 

 杏仁豆腐をすくっていたレンゲを置くマニュアルさん。

 

「────焦凍くん、『使えない』と『使わない』は全然違うよ。君はどっちだい?」

「使いたく、ありません」

「それは君がお父さんを嫌っているから?」

「端的に言えばそうです」

 

 マニュアルさんの目の色が変わった。その眼差しからは傍にいる俺から見ても、轟から一瞬たりとも目を逸らさないというような意志さえ感じる。

 

「ねぇ、焦凍くん。君の家庭事情を知っているわけじゃないけどね。ヒーローとして俺は尋ねるよ。君のそのこだわりは人命より大事なことなのかな?」

 

 人命より、か。轟はマニュアルさんがまさかそんなことを言うとは思っていなかったのだろう。何も言えないでいる。そしてしばらくの沈黙の後に絞り出すように轟は声を出す。

 

「その質問は卑怯じゃないですか? 人命より大切なものはないでしょう。それに俺は氷の力だけでも強くなります」

「うん、卑怯だったかもしれないね。人命より大切なものはない。それは俺もそう思うよ。そして確かに君は氷の力だけでも将来トップヒーローになれる可能性だってあるだろうね。なら今度は人使くんに聞こうか。君はどう思う?」

「俺は轟じゃないけれど、俺は救けるためにだったら何でもやります。俺の個性は人から信頼されないし、これまで良い思い出はないけれど、それでも皆のためになるんだったら使いこなしてやります。個性だけじゃない。サポートアイテムでも体術でも心理学でも、何でも使えるものは使って強くなります。夢のためなら、人の助けになる立派なヒーローになるためなら手段も選ばないし、努力も惜しみません。俺はそう覚悟して来ました」

 

 ここで一旦言葉を区切る。今度はマニュアルさんではなく轟の方をしっかりと見て、俺は本音をぶちまける。

 

「だから轟、正直言うとさ、お前を見てるとムカつくんだよ。爆豪だって決勝で言ってただろう『片方だけの力で戦うなんて、全力出さないなんて巫山戯るんじゃねぇ。俺を舐めるな!』ってさ。アイツは口も性格も最悪だけれどこれに関しては俺も100%同感だね」

「随分と饒舌じゃねぇか」

「この際だからハッキリ言ってやるよ。青山みたいにデメリットがキツイヤツ、尾白みたいにほぼ没個性に近いヤツ、緑谷みたいに個性の発現が遅くて出遅れたヤツ、猪地や麗日みたいにお金が無いヤツ。環境や個性に恵まれてなくても努力しているヤツらの姿を、転入したての俺なんかよりもお前の方がよっぽど見て来ているだろう。お前は何も感じなかったのかよ、変わろうとしなかったのかよ? それとも全く眼中になかったのかよ!?」

「人使くん、ちょっとヒートアップしすぎ。気持ちはわかったから、ちょっと声を抑えて」

「いいよマニュアル。青春しているじゃねぇか。他に客も入っていないし言わせてやんな」

 

 思わず声を荒げてしまった俺を抑えようとするマニュアルさんに対して店のご主人がそう言う。でも感情に任せて叫ぶのもカッコ悪いな。声量はいつもぐらいに抑えながらも、気持ちはしっかり込めて嘘偽りのない気持ちを轟に伝える。

 

「俺は変わるぞ。変わってやるんだ。もう一度言うぞ轟。俺は強くなるためになら何でもやってやる。そして自分の力を過信しているお前なんかよりもずっと沢山の人を守れるようになってやる。お前の顔の火傷のこととか、家族のこととか知らないけどさ、なんかトラウマがあるんだろう。お前、ヒーロー目指すんだったらさ、まずは自分のことぐらい乗り越えろよ。プルス・ウルトラしてみせろよ! お前ちゃんと麗日のこと見ていたか? アイツはトラウマを乗り越えたぞ。ちゃんと個性を前みたいに使えるようになったぞ!」

「お前に俺ん家の何がわかるんだよ」

「んなもんわかるかよ! でもわかることはあるぞ、轟。お前、あんまり人前で笑わないだろ。俺や爆豪も似たようなものだけどさ。なぁ。周りを、クラスを、ちゃんと見ているか? よく笑うんだよ、A組のヤツらは。笑顔は人に移るんだよ。緑谷なんかあの潰れていた麗日を笑顔にさせたぞ。アレはヒーローの大事な素質ってもんの一つなんだろうな。お前も爆豪も体育祭でトップとれる位強いのはわかるけどさ、俺は緑谷や上鳴たちの方をずっと尊敬しているぞ。逆にそういった意味じゃ俺もお前も爆豪も三人でクラスのドベ争いだ。きっとな」

「人使くん、一旦そこまでにしようか」

 

 俺の右肩にマニュアルさんの手が置かれる。テーブルの上のコップはさり気なくお冷が満タンになっていた。全然、見ていなかったな。「お冷、ありがとうございます」と口をつけて、乾いた口内を湿らせる。

 

「焦凍くんにも言い分はあるよね。言いたくない事情まで言えとは言わないけど、これだけ熱く語ってくれた人使くんに対して君はどう思った?」

「言われて初めて気づきました。確かに、俺は自分のことばかりしか考えていなくて周りを全然見ていなかった。それは認めます。でも、心操の話を聞いた後だとしても、俺は左の力は使いたくありません。俺はこの力が、お母さんを追い詰めた親父の力が心から、憎いです」

 

 左の前髪を今にも引きちぎりそうだと思えるほどに、握りしめる轟。

 

「母さんは『俺の左半分が親父に段々似て来て怖い』って言ってたんです。親父は人を笑顔になんかさせない。(ヴィラン)も周りも怖がらせるだけ。だから俺は親父みたいにはなりたくなくてこの左半分を、親父の個性は使わないって決めたんです」

「そうか、言いにくいことを告白してくれてありがとうね。でもね、思い違いをしているところもあるから訂正しておくよ。怖がられてるの君のはお父さんであって、焦凍くん自身じゃないよね。人使くんの言うように、笑顔の似合うヒーローになればいいんじゃないかな。君のお母さんは君の左半分を通して、お父さんの影を見ているようだけど、君自身がちゃんとお母さんと向き合えば、お母さんだってきっと本当の君のことを見て、父親とは全然違うんだってわかってくれると思うよ」

「でも、俺お母さんと何年も会ってなくて……」

 

 何年もって、そんな次元の話だったのか。肩を落とし、うつむく轟の声には全く力が感じられない。

 

「なら今度会いに行こう。会って、話をしなくちゃ何も変わんない。猪地や緑谷は麗日に対してそうしていたぞ。それにお前一人で行きにくいなら俺もついて行ってやるから」

「いや、そこまでは別にしてもらわなくても」

「いやだって俺も流石に言い過ぎたって思ってるし、お前発破かけないと意外とウジウジしそうだしな。いっその事、会いに行けって洗脳してやろうか?」

「人使くん?」

「……冗談ですよ?」

「少し話は逸れるけどさ、なんで僕たちの力を超能力や異能、他の名称じゃなくて『個性』って呼ぶか、考えたことはあるかい?」

「いいえ、特には」

 

 素直に俺はそう答える。急にどうしてそんな話をするのだろう。

 

「個性の黎明期、大きな社会の混乱が起こった話は学校で習っただろう? 不可思議な力の発現に皆が戸惑い、そしてそれを恐れた。その力が危害を加えはしないかってね」

「はい、そう習いました」

 

 沈んでいる轟に変わって俺が返事をする。

 

「その力を『個性』と呼び始めた曰くに関しては諸説あるけれども、俺は言葉通りの意味だと思うんだよ。個性はその人のパーソナリティ、うーん、砕いて言っちゃえばそれぞれの個人の人格そのものを表すものだから、忌避や排除をするんじゃなくて傷つけ合うことなくお互いに尊重しあいましょうってね。それに個性って語感の方が、超能力とかの呼び名よりは、謎の怖い力っていうイメージも薄れると思わない?」

「確かにそっちの方が、柔らかい感じがしますね」

 

 俺は頷きながらそう言った。

 

「焦凍くん。確かに個性は親から子に受け継がれていくものだけどさ、でも君の左半分も含めてそれは君自身のものなんだよ。君のお父さんのものでも他の誰のものでもない、君自身の力であるだけでなく、特徴づけるパーソナリティであり、君という人間を形作る要素の大事な一部だ」

 

 少し上体を浮かせたマニュアルさんは、轟の赤い頭をトントンと軽く叩いてから言った。

 

「炎はお父さんの個性じゃない。君の個性は君自身のものなんだってことを忘れないでくれ」

「くー、良いこと言うじゃねぇかマニュアル。お前も立派な大人になったなぁ」

「ねぇ。あの気弱な男の子がおっきくなったもんだねぇ」

 

 こちらの話を聞き入っていたらしい店主夫婦が注文していないはずのゴマ団子が入った小皿をテーブルに置いてくれた。ありがとうございますと三人で礼を述べる。

 

「ちょっと、堅苦しい話をし過ぎちゃったね。ごめんよ。まぁ、簡単にまとめたら、個性は君自身なんだからまずは君自身を見つめ直してもいいんじゃないかな? 炎はそのうちね、君の気持ちが変わったら練習すれば良いと思うよ。戦いの手段、引いて言うなら人を守るための手段が多いのに越したことはないからね。さぁゴマ団子食べよう。揚げたてで暖かい内が美味しいんだ」

 

 そう言って俺たちの取り皿にゴマ団子をよそおってくれるマニュアルさん。前歯で半分に割って見れば、火傷しそうな程に熱されたアンコが口内で縦横無尽に暴れまわる。でも美味しいな。

 

 横目で轟を見れば、吐息で冷ましながらゴマ団子を頬張っている。心なしか表情が柔らかくなったような気がした。これはきっとゴマ団子が美味しいからだけじゃない、よな?

 

 そして食事後に轟の方からマニュアルさんへ話を切り出した。

 

「マニュアルさん、もしよかったらこれから鍛錬に、炎の制御に付き合ってくれませんか?」

「勿論いいけど大丈夫、焦ってない? 無理しなくていいんだよ?」

「それは、焦っていないって言ったら嘘です。でも少しでも早くお母さんに堂々と向き合えるように、俺もまず自分自身()と向き合ってみます」

「わかった。明日の活動に支障の出ない範囲で少しずつ慣らしていこう。まずは事務所に帰ってコスチュームに着替えようか」

「はい」

 

 俺は横で筋トレしとこうかな。二人のそんなやり取りを見て俺はそう思う。そして、コスチュームという言葉に改めて嫉妬を感じた。

 

「早くコスチューム欲しいな……」

 

 マニュアルさんに聞こえないぐらいの声で俺はボソリと呟く。体操服に職場体験中と書かれた腕章をつけているのは正直恥ずかしい。職場体験の唯一の不満はそれだけだ。

 

 

 

 

            ×            ×

 

 

 

 

「何で、ここに?」

 

 それは職場体験三日目の夕方のことだった。お馴染みとなったルートのパトロール中、突如足元に現れた黒いブラックホールのようなものに吸い込まれ、路地裏を巡回していたはずの俺たちは何故か突如、見知った保須の街の公園で尻もちをつく羽目になっていた。

 

「いてて、大丈夫か轟?」

「あぁ」

 

 訂正だ。尻もちをついていたのはどうやら俺だけだったらしい。身のこなしの差をつくづく感じる。

 

「それにしても、ここはいつもの公園だよな? どうして俺たちはいきなりここに?」

「心操、多分(ヴィラン)連合だ。あの黒霧っていうらしいワープさせる個性持ちがいた。きっとソイツの仕業だ。何で俺たちがここに飛ばされたのかはわかんねぇけど」

 

 麗日の治療の際、飯田たちからおおよその話は聞いている。しかもその(ヴィラン)は参謀クラスのはずだ。体育祭の後に俺たち生徒を襲撃する可能性があるとは聞いていたけれど、まさか本当に来るなんて。

 

「なぁ轟、携帯使えないのって俺だけか?」

「いや、俺もだ。そもそも電波のマークが立ってねぇ。ジャミングされているか、電波関連の施設がやられているかどっちかだ」

 

 万が一でもこういう時のためにと、八百万から渡されていたものがある。体育祭でクラスの皆が付けていたプラスチック製のリストバンドだ。緊急時用のボタンをためらわず押す。

 

「押してみたけれど、電波届くかな?」

「わからねぇ。でも、俺のリストバンドもヴァイブレーションしてるし、作動事態はしていると思う。どこまで届いているかわかんねぇが。俺も一応押しとくぞ」

 

 轟が押した後、俺のリストバンドも緊急サインを示す振動が始まった。

 

「マニュアルさんが受信機持っていれば良かったけど、持ってるのは飯田と八百万、それに相澤先生だけだよな?」

「あぁ。あまりにも距離もあるし、受信機が作動しているかもわからねぇ。アテにはできないぞ」

「轟、取り敢えず場所を移さないか? 電波が入る所があるかも知れないし。近くに(ヴィラン)が居る可能性が高いからここに留まるのは良くないと思う」

「そうだな。問題はどっちに行くべきか────おい、心操。行くぞ!」

 

 公園の入り口近くの道路。視界の端に見えたのは地面に蹲る女性の姿とその横に立つツインテールの幼児の姿。駆け出す轟の後を追い、幼児たちの元へ向かう。だが何か様子が変だ。未就学児と思われる子供が見つめているのは地面に倒れている母親ではなく、ちょうど俺たちの位置からは見えない場所に居る何かから視線を離さない。

 

 これが虫の知らせ、というものだろうか。根拠のない悪寒が背中に走る。そしてようやく状況全てを確認できる位置に辿り着いた俺たちは、黒霧が何故俺たちをここに連れてきたのかその意図を察することができた。

 

 脳を剥き出しにした黒い肌の異形。障子よりもその体躯はデカイ。そして何より目を引いたのは手足を始め体中に埋め込まれた大小様々な瞳の数々。アレが噂に聞く脳無か。棒立ちした脳無は車椅子だったらしきものを、飴細工で遊ぶかのように螺旋状に捻じ曲げて路上に放り投げた。急げ!

 

 不味いな。車椅子はあの女性のものか。足が不自由だとしたら女性も幼児も逃げない理由がわかる。

 

「……つわざはだいじなひとをまもるときに。くらえ! お、おじろふらーしゅっ!」

 

 (ヴィラン)に向けて携帯のフラッシュを浴びせている幼児が泣き顔で叫ぶ。歩けない母親をかばっているのだろうか。こんな子供でさえ立ち向かっているのに、俺たちだけが逃げる訳にはいかない。

 

 そして子供はともかく、足が不自由な女性を抱えて逃げ切れると思うほど楽観的じゃない。ワープ能力の奴も近くで俺たちの様子を伺っているとしたら尚更だ。ここで抵抗しなきゃ、みんなここで死ぬ。

 

 許可だとか、言っている場面じゃないことは間違いない。少し距離があるけれど、俺の個性なら! 

 

『おい、そこの能無しやろう! 足を止めやがれ!』

 

 アイツを洗脳してやると、力を込めて念じ叫ぶ。だが返答がない。

 

「無理だ。アイツが雄英に出たのと同じタイプなら多分知性がない。俺が行く!」

 

 轟の十八番である氷壁のぶっ放し。瞬殺男という言葉がクラスで流行るぐらいには速く、そして強力だ。しかし────

 

 脳無の胸元に埋め込まれた瞳から放たれた火炎放射が無残にも轟の氷壁を相殺する。(ヴィラン)は、無傷だ。冷やされた空気が一気に膨張して突風が吹き荒れる。一瞬足が止まってしまった。

 

「俺が引き付ける! お前は二人を下がらせろ!」

 

 よろける上体を持ち直して、脳無の注意が子供たちとは反対方向に動いた轟の方に向く隙に、俺は親子の元へ向かう。

 

「わかった!」

「遠慮はしねぇ。最大出力だ! おとなしく凍ってろっ!」

 

 体育祭で見せた最大級の氷壁。相殺しようと脳無も対抗して炎を放出するが、今度は轟の勢いが強く氷山で脳無の体を拘束する。

 

 だが油断は一切できない。拘束できたとは言え、轟とは最悪の相性の炎の個性持ちだ。あの目の配置からしておそらく全身からアイツは炎を生成できる。それがわかっているからこそ、じわじわと溶けていく氷壁に轟は氷を絶えず重ね続ける。

 

「お母さんは大丈夫だ。俺たちが絶対に救けるからな」

 

 笑い方がわからない。でも少しでも安心させれるように、マニュアルさんのように子供の頭の撫でながら言う。

 

「うわぁあああああっ!」

 

 恐怖を必死で抑え込んでいたのだろう。その一言の後、子供が俺の胸元に縋り付いて離さない。

 

「あなたは雄英の学生さん?」

「はい」

「私のことは良いからその子だけでも安全なところにお願いします。私が囮になりますから、せめてその子だけでも……」

「うぉがあざぁああん!」

「安心しろ大丈夫だ。えぇ、大丈夫です。発信器で救援も呼びました。それに轟は俺たちのクラスで一番強いです。俺たちはあの化物に一度勝っている。だから絶対に負けません」

 

 轟に体育祭で勝った爆豪や、あれだけ丈夫な切島たちを瀕死まで追いやり、緑谷の怪力を持ってしても追い払うだけが精一杯だったと聞くあの脳無に対して俺たちはたったの二人。俺はまだまだ素人できっと轟のお荷物だ。でも轟は俺にこう言った。 

 

「あぁ、絶対に負けらんねぇ。心操、二人で守るぞ」

 

 俺だってもうヒーロー科の一員だ。強いとか弱いとか関係なく、守らなくちゃいけない立場なんだ。ここで逃げたらきっと俺は心が折れて、もう二度とヒーローを目指せなくなる。根拠はないけれどそんな確信が合った。だから俺は力強く一言で答える。

 

「うん。守ろう。守ってみせるんだ、俺たちで」

 

 全身に炎を纏った漆黒の悪魔が氷山を一瞬で溶かし尽くすという、絶望的な光景を見つめながら、絶対に見捨てるものかと、震える弱気な膝に喝を入れた。

 



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第34話 轟焦凍:アナザー◆

 氷壁を一瞬で溶かし尽くした脳無が、全身に纏っていた炎を解除する。ただ棒立ちしたままのソイツはまるで俺たちを品定めするかのように、体中に埋め込まれた瞳で俺たちのつま先から頭の天辺までゆっくりと視線を一巡させた。

 

「無傷って、マジかよ……オイ、轟。相性が悪いなんてレベルじゃねぇだろ。これ、完全にお前の個性に当ててきてやがる」

 

 まともに動けない母親の方を背中に担ぎながら心操が言う。

 

「だろうな。わざわざここにワープさせて来たんだ。狙いは俺だろうな」

 

 まさかとは思うが、親父への当てつけだったりするのか? だがこれを声に出して何になる。これだけ切羽詰まっている状況で無駄話をしている余裕なんてない。

 

 脳無が両肩の瞳からラグビーボール大の火球を俺の胸元を目掛けて発射してくるのを、足元から発生させた氷の盾で防ぐ。氷は溶けたけれども、炎も消しきれた。

 

 こちらの攻撃が通じないとはいえ、防御が氷で相殺可能なのは幸いかもしれない。しかし今の攻撃はおそらく牽制だろう。速度も威力も、そして瞳の数から推察して炎弾の数もおそらくまだ上があるはずだ。

 

「だけど狙いが俺一人なら話が早い。相手は格上かつ相性最悪だ。後ろを気にしながら戦う余裕はねぇから、二人を連れてお前は先に離脱しろ。マップは頭に入っているだろう、近くのヒーロー事務所に駆け込め」

「確かネイティブ事務所があったな。俺はお前の言う通りそうする。だけどそっちはどうするんだ?」 

「できるだけ防御と逃走にリソースをあてるつもりだ。無理に戦闘する必要はないだろう。正当防衛とは言え個性の無断使用には変わりないからな。囮をやりつつマニュアルさんと合流を目指す。あの人の個性はコイツ相手に最適だ」

「俺もそれでいいと思う。マニュアルさんなら大丈夫だ」

 

 段々増えてくる火球を捌きながら、次の大技のために一瞬タメを作る。相手が足を止めてくれているのが救いだ。やるなら今のタイミングしかない。

 

「心操、一瞬待て。合図を出したら物陰を意識しながら走れ」

「わかった」

 

 どっかでワープ使いが監視しているとすれば、きっと見通しの良い場所からのはず。一番近くのビル群の方角を視界の端で確認してから規模、造形をしっかりとイメージする。

 

「今だ、行けっ!」

 

 厚みは無視して、できるだけ高さと広さを両立させた氷壁を心操とビル群の間に展開させる。保証はないけれども見えにくい方が心操の元に黒霧が来る可能性は減るかもしれない。それにこの氷壁を見たヒーローが異常に気づいて来てくれれば御の字だ。

 

「轟、絶対に死ぬんじゃねぇぞ!」

「お前もな!」

 

 さらに氷壁を俺と心操の間を遮るように展開する。体力のない心操が大人一人を背負いつつ、さらに幼児も引き連れて動ける速度なんてたかが知れているだろう。できるだけアイツらとの距離を稼ぐのが俺の役目だ。

 

「こっから先は絶対に通さねぇぞ」

「ア、ヴァゴッ……」

 

 俺の言葉に呼応するように、脳無が無意味な音の羅列を口にする。そして両手を地面に付け、四つん這いになった。そしてメキメキと肩甲骨の辺りが蛹の孵化のときように盛り上がっていき、二対の腕が新しく生えてきた。

 

 そして全ての手足を地面に付けた脳無は、グッと体を沈ませ、手足全ての力を使って一気に跳躍し、俺の頭上へと舞い上がる。

 

「早ぇっ」

 

 だけど、飯田あたりと比べたらまだまだ遅い。今までほぼ動かなかったから、その緩急に驚いたが、元々こちらの目的は逃走だ。氷結を足元へ幾層にも重ね、心操とは逆方向へと進路を向け疾走する。

 

 次の瞬間、後ろを見てみれば脳無から流星群のように放たれた炎弾が地面にへと突き刺さり、地面が轟音を響かせて爆ぜた。 

 

 背中に強烈な爆風を受けて上体がぶれるが、背筋をフルに使って持ち直す。ここで転倒なんかしたら良い的だ。俺が作った氷の道の上を走る八本足の脳無が蜘蛛のような動作で這い寄ってくる。

 

 炎弾の大きさもいつの間にか直径1メートルぐらいまで大きくなり、爆豪の連続爆撃の如く10連射ぐらいは普通に撃ってくるようになって来た。目から火球を生成してから放つまでの予備動作が大きいのが唯一の救いだ。

 

「化けモンが」

 

 背中を向けたままじゃ追撃の炎弾を捌きにくい。左半身を進行方向へ向け、氷結を出せる右半身を後方に向けて防御しやすいようにする。よし、これで幾分かマシだ。

 

 幸い俺の移動速度の方が僅差とは言えアイツよりも早い。振り切れるほどに差はないけれども、炎弾を捌きつつ適宜氷結で一瞬ずつでも足止めをできれば、ワープで攫われる直前の地点まで何とか持ちそうだ。圧倒的な格上相手だというのにも関わらず、俺はそんな甘い予測をしていた。

 

 急に響き渡る拳銃の発砲音が耳に届く。警察か!? 

 

 どこから聞こえたかわかんねぇけど、そんなに遠い場所からじゃない。そして直後に続くガス爆発でも起きたのかのような聞こえた。振り返ると煙が立ち上っているのは心操が離脱した方向からだ。頼むから無事で居てくれ。

 

 10秒にも満たない時間だったはずだ。ただその短時間とは言え、背後から迫る(ヴィラン)から思考を外していたのが俺のミスだった。炎弾が飛んで来ないことに対しての違和感を抱いたときにはもう遅かった。

 

 複数の瞳から口元へと火球を集めて収束させていく脳無。直径が30メートル近くはあるだろうか。あれは食らったらただじゃすまねぇ。避けるにしても炎がでかすぎる。

 

 こちらも足を止めて正面から相対する。即座に厚さを重視した氷壁を展開。

 

 その直後、(ヴィラン)が炎を放ってきた。単発の炎弾ではなく、火炎放射のようにして継続して放たれた一撃。

 

「くっ?!」

 

 氷が熱で溶かされ、風で砕かれていく。吹き荒れる熱風が肌に突き刺さる。

 

 氷壁さらに展開するが炎の勢いに押されていく。

 

「クソっ、威力だけなら親父に近いんじゃねぇか」

 

 精度、速度は遠く及ばないとは言え、氷越しに感じる熱波は親父に迫るものさえ感じる。駄目だ。このままじゃ保たない。だけど氷を少しでも緩めたらその次の瞬間に俺は死ぬ。

 

 小さなこだわりに固執している場合じゃねぇ。まだマニュアルさんに鍛えてもらい始めたばかりの、付け焼き刃な炎を右拳に生成する。体育祭の塩崎戦でやったように、炎を一気に真横に放出し、相手の射線から即座に離脱を図る。

 

 わずか2秒ぐらいの差だった。展開していた氷壁を溶かし尽くした火炎放射は、俺の後方にあったはずの歯科医院の建物を飲み込み、一瞬で跡形もなく消し去ってしまった。

 

 緊急離脱の受け身を上手く取れず、路上のアスファルトに体中を叩きつけられながらも、その威力を目にし、悪寒が背中に走る。

 

「確か今日は休診だった、よな……?」

 

 記憶違いじゃないよな。お願いだ、頼むからそうであってくれ。もし、あそこに人が残っていたら俺のせいで殺してしまったことになってしまう。

 

 急に胃液がこみ上げ、首元を締め付けられたような感覚に襲われる。口の中が酸っぱい。こんな不安に、プレッシャーに麗日や飯田たちは耐えて居たってのかよ。

 

 もうプランを変更するしかない。マニュアルさんとの合流するためにとはいえ、これ以上こっち側へ逃げたら駄目だ。もっと広い所、余波で被害が行かないところに逃げるべきだ。確かすぐ近く、300メートル位先に河川敷の公園があったはず。

 

 呆けている暇はねぇ。建物の残骸すらまともに残っていないのに、元々居たかどうかもわからない人を探すなんて無理だ。

 

 俺にできるのは、もうこれ以上周りに被害を広げないことだけだ。そのためにも少しでもこちらに有利なフィールドで“俺が倒す”しかない。

 

 やはり大きな攻撃の後は新たな炎の生成に硬直時間があるようだ。即座に俺は河川敷へと向かう。

 

「俺が狙いなんだろう? 相手をしてやる。こっちに来やがれっ!」 

 

 言葉は理解しているのだろうか。突然の火事に驚いて出てきた野次馬には目も暮れず、一心不乱に俺を追いかけてくる脳無。よし、これで良い。

 

 5歳ぐらいに見えた子供でさえも、母親守るために体張ったんだ。脳無から一歩も退かないあの姿を見て、俺は嘗ての日々を思い出していた。

 

 親父のこととは関係なく、ただ存在そのものに憧れて、救ってあげられるようになりたくて、ヒーローになりたかったはずなんだ。

 

 ヒーローになってお母さんを守ってあげるんだって言ってた時期が俺にもあったはずなんだ。

 

『なりたい自分になっていいんだよ』

 

 あぁ、そうだ。お母さんは俺をそう言って後押ししてくれたはずなんだ。心を病んであんなことになったけれども、それまで何とか親父から守ってくれようとしてくれていたんだ。

 

 あの日の自分に嘘を吐かないためにも、お母さんに正面から今度会いに行くためにも、コイツから俺が逃げ続けるわけには行かない。あの炎の脳無は、親父の影だ。今ここで乗り越えなくちゃいけない壁だ。

 

 飯田や麗日たちはとっくに乗り越えて、背中で教えてくれた。心操の嫉妬が曇っていた俺の目を覚まさせた。マニュアルさんが優しく諭して鍛えてくれた。あの名前も知らない子供が嘗ての願いを思い出させてくれた。

 

 そう、今の俺は今までの俺じゃないんだ。

 

「俺も前に進むって決めたんだ」

 

 それに俺はもう1人ぼっちじゃない。

 

「力、借りるぞ。みんな」 

 

 ────今まで得た経験(モン)全てを総動員して、脳無(親父の影)は俺が倒す。

 

 

 

            ×              ×

 

 

 

「来いよ。脳味噌野郎」 

 

 河川敷に辿り着いた俺は対岸にいる脳無を挑発する。

 

「ビベラズゥウ!!」

 

 脳無がよだれを撒き散らしながら、鼻声のような雄叫びを上げた。そして俺が凍らせた河の上を何の警戒もなく八足走行で駆けていく。

 

「本当に知性がないんだな。こんな見え見えの罠、普通かかんねぇだろ」

 

 八百万や猪地ならもっと上手くやれるだろうけれど、即席で作れる罠はこれぐらいだ。凍らせた河は俺の体重を支えきれるぐらいのギリギリの薄さだ。倍近い体躯の脳無の体重なら氷は簡単に割れ、脳無は狙い通り水の中に落ちた。

 

「埋まってろっ!」 

 

 すかさず全力で河に張っていた氷の膜を分厚く強化する。目的は脳無を氷漬けにすることじゃない。下で炎をくべ、氷を溶かそうとしている脳無の姿が見える。だけどこれで良い。

 

 絶えず氷の膜で河の上に蓋をし、脳無を水の中に閉じ込め続ける。

 

「お前だって生き物なら酸素は要るだろう。溺れろっ!」

 

 アイツが炎を使った後、特に大きな攻撃の後のインターバルには大きく口で呼吸していた。炎そのものへの耐性が備わっていないというお粗末な個性ではないようだが、練度の問題で周りの酸素を燃焼させすぎたのか偶に苦しそうな素振りが見えた。

 

 敵連合の切り札みたいな存在だ。そう簡単には死なないはずだろう。だからは気を失うったと判断できるまでは水の中に閉じ込め続ける。俺の氷とアイツの炎との根比べだ。

 

 段々と眼下の炎が小さくなっていく。良し、順調に弱ってきたか────そう考えた次の瞬間、足元の氷がぐらつく。よく見れば脳無の姿が更に大きく変わっていってる……だと?

 

 更にグラリと大きく揺れた瞬間には本能に判断を任せ、全速力で河の氷上から後退する。

 

「グナギャフッ!!」

 

 足元の氷が砕け散り、飛び散る氷塊。そのうちの幾つかが顔面と鳩尾にぶつかる。口内に広がる鉄錆の匂い。多分前歯が欠けたな。

 

「っ、痛ってぇ?!」

 

 炎ではなく力技で氷を突破してきやがった。腕の数が更に4本増えていやがる。増強型の個性もやっぱり備わっているのか?!

 

 だけど這い上がってきた脳無は足を止めて、大きく肩で呼吸をしているのが見える。気を失わせるのには失敗したが、水責めはそれなりに効果はあったようだ。

 

 なら次はどうする?

 

 そう考えている間もなく、脳無は無数の瞳から炎を集め、再び大きな炎を生成し出していた。避けるしかなかったさっきのよりデケェ。炎の増大のスピードも今までとは段違いだ。こいつ、この戦闘中に練度が上がっていやがる。

 

 万が一アレが後ろの土手を抉り抜いて、奥の住宅街に着弾したら、住民はただじゃすまない。何もかも出し尽くして、全力で受け止めるしかねぇ。

 

 50メートルほど離れているというのに、熱波がヒシヒシと肌に伝わってくる。炎の大きさもさっき見たやつの倍ぐらいまで膨れあがった。

 

 集中しろ。速く、ぶ厚く。あんな炎なんかに溶かされないぐらい限界の低温の氷を作り出せ!

 

 特大の火炎放射が放たれたのと俺が氷壁を展開したのはほぼ同時だった。俺の氷でさんざん冷やされていた空気が一気に膨張して、不規則な風が河川敷に吹き荒れる。

 

 次第に強くなる炎熱の余波が、俺の氷の方が劣勢だと最後通告をする。そんなもん見れば一目瞭然の状況だっていうのに。

 

 新たに生成した氷の壁は段々と俺の方に寄って来ており、それは当然炎が俺に迫っていることを意味している。もう1メートルも厚さが残っていない。気を抜けば一瞬で氷が消し飛ぶ。

 

「くっそぉおおっ!」

 

 ありったけの力を絞り出す。

 

「ンヴァゴロッ!!」

 

 でもそんな俺の努力は、咆哮する脳無の火炎にあっさりと打ち破られ、氷壁が完全に溶けてしまった。もう俺の身を守るものは何もない。

 

 ────ここで俺は終わるのか? 

 

 ────こんな炎に屈して朽ちるのか?

 

『まずは自分のことぐらい乗り越えろよ。プルス・ウルトラしてみせろよ!』

 

 不意に思い出すアイツの言葉。

 

 そうだ。何も守れないまま、お母さんに謝ることもできないまま、終わるわけには行かねぇ。

 

「……まだだっ」 

 

 嫌いだとか、練習中だとか、自信がないとか。できない理由は、やらない理由は全部捨てろ。

 

 紅蓮の炎は既に目と鼻の先まで迫っていた。

 

「死ぬのは、今、ここでじゃねぇっ!!」

 

 それを押し返すために左の()を一気に開放する。

 

 さっきまでの防御で体はさんざん冷やされていたから、炎を使うことによるデメリットは問題ない。あとは単純に出力勝負だ。

 

 少しずつだが、確実に炎は押し返して来ている。さっきは触れるか触れないかまでのところまで来ていたが、アイツとの距離の内の2割ぐらいまでは押し戻せた。

 

 しかし脳無は炎を作っていなかった部位の瞳から新たな炎を生成し、更に攻撃を熾烈化させる。押し返せていたのが完全に五分になってしまった。互いの炎が一歩も譲らず、同じ場所で凌ぎを削っている。

 

「出力が同じならっ!」

 

 出力と速度に胡座をかいて工夫が足りないと。相澤先生を始め爆豪や猪地などに散々そう言われ続けてきた。

 

 いつの間にか俺を追い抜いていった爆豪はその辺りのセンスが抜群だった。俺を決勝で打ち破った技、ハウザーインパクトだったか。そうだ、俺に足りない工夫は、センスは盗んでやれ。

 

 ただ炎を開放するだけじゃなく台風の目のように、ゆっくりと螺旋を描くように放出の仕方を変えていく。少しずつ慣れて来たら回転の速度を上げていく。

 

 だけど威力に対して上体が反動に耐えられねぇ。ここで体制を崩したら終わりだ。故に氷で足場を固定する。まともな同時使用は出来ないけれど、その位の簡単なものを一瞬生成するだけならなんとかやれる。

 

「行けぇええええっ!」

 

 イメージするのは炎の嵐。勢いを付けた俺の炎が脳無の炎を飲み込んでいくかのように押し返していく。そして逆に脳無に炎を浴びせてやった。

 

「デァダイョ!!」

 

 全身に火が移り、野太い悲鳴が上がるが多分炎は効いちゃいねぇ。相手は炎の個性持ちだ。耐性はそれなりにあるだろう。もしラッキーで炎が効いたとしてもUSJのヤツみたいに再生能力が備わっていたら意味がねぇ。

 

 だけど相手の攻撃が止まった。この怯んでいる今しかチャンスはない。次の一撃で決着を付けろ。

 

 炎の放出を切って、全速力で氷を足元に生成して脳無に接敵する。速度を、上げろ!

 

 氷での拘束は溶かされるし、耐性のある炎じゃ決定打にならない。手足を折ったところで、また生えてきたら意味がねぇ。

 

 他に俺が取れる手段は段順明快なもの(物理)だけだ。

 

 俺には緑谷みたいな馬鹿力があるわけじゃない。でもこんだけ加速がついているなら十分だ。

 

「力、借りるぞ」

 

 ────腰を入れろ。左腕に炎を纏い、大きく振りかぶる。

 

 氷結での加速は決して緩めず、そして一気にアフターバーナーを吹かすように、炎で腕の振りを加速させる。

 

 肩が軋む。筋肉が繊維の一つ一つが千切れていくのがわかる。

 

「……いつもこんなことやってたのかよ。やっぱ頭おかしいぞ、緑谷」

 

 これから放つのは大怪我必須の自爆技。グチャグチャに潰れた腕を想像して痛いだろうなと思う。でもそれでもやらなきゃならないときってのは確かにあるはずだ。こんなピンチをくぐり抜ける代償が腕1本なら安い、いつもそう計算していたお前は確かに間違いじゃなかった。

 

 ────歯を食いしばれっ、轟焦凍!!

 

『オールマイトに倣っているだけじゃないよ。声に出すとね。勇気が出る気がするんだ』

 

 ────拳を握りしめろ。腹の底から声を出せっ!

 

 氷の発動を切って一気に跳躍する。氷を使わない分、全ての意識を炎での加速に集中させる。

 

 ───俺自身が勝手に作っていた壁ごと、打ち砕け!

 

SMASH(スマッシュ)!!!」

 

 顎に渾身の一撃をぶち当てる。

 

 拳が砕ける音がした。手首も変な方向に曲がった。骨も、肘も、肩も逝ったような感覚がある。でも───

 

「まだだぁあああああっ!!」

 

 痛みに怯むな。ぶち抜け。脳を揺らせ。意識を、刈り取れっ!

 

 槍で貫くように最後まで腕を振り抜き─────────顎を砕いた確かな実感がボロボロの手からしっかりと感じ取れた。

 

「やった、のか?」 

 

 脳無は声を上げることもなく、バタリと仰向けに地面に倒れ伏す。ピクリとも動く気配はない。

 

「ったぁ。クソっ、思った以上に腕ヤベェな」

 

 拳も、腕も粉砕骨折している上に、内出血具合も見るからに酷い。紫色に膨れ上がっている。緑谷の全力時と似たような状況だ。

 

 こういうときは取り敢えず冷やすべきだったと思うので、薄めの氷で腕全体を覆う。添え木もないし、さしあたってこれで固定も兼ねるしかないだろう。

 

 自分の処置が終わった後、脳無の方も念の為に氷で頭部以外の全身を覆うようにして拘束する。本来だったら動いた時に体が割れたりするかもしれないから安易に使う手段ではないが、炎の個性持ちであるコイツなら大丈夫だろう。

 

 氷はまた溶かされるだろうが、体を低温状態にすることで意識の覚醒が遅くなる可能性も上がるだろう。それに下手な拘束具では怪力で引きちぎられるか燃やされるのがオチだ。警察に引き渡すまではとりあえずこれが最善のはずだ。

 

「早くマニュアルさんと合流して、心操を救けに行かねぇと」

 

 携帯を取り出してみたが相変わらず電波が立っていない。やっぱり通信施設がやられているのだろうか。

 

 多分(ヴィラン)はコイツだけじゃない。もしかしたらマニュアルさんも交戦中かもしれないな。市街部から新たに立ち上る煙を見ながら、言葉にできない不安が胸に渦巻いていた。

 

 そしてそれは早くも的中する。後ろから迫る足跡。隠そうともしない明確な殺気を受けて俺は振り返って、敵の姿を確認した。

 

「────マジかよ」

 

 へばっている場合じゃねぇ。でも何で俺1人のなんかのためにコイツが出張って来る?

 

「オイオイオイ、ふざけんなよ。俺の脳無が何でやられてる? 何で大人しく殺されねぇ?」

 

 手首から先を切り離した人間の手を顔面に取り付けた、あまりにも特徴的な男の顔を忘れられるわけがない。

 

 指の隙間から除く狂気に満ちたその瞳。威圧感はさっきの脳無の非じゃねぇ。コイツは本気で殺しに来ている。

 

 こちらは満身創痍。脳無だっていつ目を覚ますかわからねぇっていうのに。状況は最悪だ。

 

(ヴィラン)連合、死柄木弔か。俺みたいな学生1人に随分な待遇だな」

「あぁ、エンデヴァーへの手土産だからな。その首、置いていけ」

 




原作とは別の形での覚醒、(アナザー(オリジン)回)。
今までの轟くんへの想い全てを詰め込みました。


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色鉛筆版の二章タイトルも残しておきます。



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第35話 マニュアル

 脳無を制圧した俺の前に突然現れたのは、この事件の黒幕である死柄木弔。複数で叩いて来たとは言えイレイザーヘッドに重症を負わせた相手だ。本当ならこの場面は逃走の一択だろうが、黒霧もセットで来ているとなればもう逃げられはしないだろう。心操の方に黒霧が行っていなかった分マシと思うべきか?

 

 そして不確定要素なのがノックダウン中の脳無だ。いつ再び起き上がってくるのか不明なのが怖いなんてもんじゃない。もう俺に二度目のラッキーパンチはありえねぇ。

 

「確か前はオールマイトを殺すと息巻いていたはずだろ? 随分とやることがチャチになったんだな。(ヴィラン)連合ってのは」

 

 そんな無駄口を叩く間に思考をできる限り広く、早く巡らせる。

 

「ハハハ、まさか俺が雄英の糞ガキ一人のためにわざわざこんなことをやったとでも思ってんのか? 自惚れんな」

「本当に思ってるわけねぇだろ。リスクとリターンが見合ってねぇ」

 

 まずは立地上の不利、ここは開けた河川敷だ。あまりにも見通しが良すぎる。黒霧がどこかで待機していること、脳無まで起き上がって包囲されることを考えると今すぐ街中の狭い路地にでも逃げ込むべきだが、逆にそれだと俺の個性では取り回しが利かなくなってしまう。しかも近接主体の死柄木には絶好のステージだ。

 

「冥土の土産に教えてやる。もうやるべきことはほぼ全部終わったんだよ。テストも、炙り出しも、種まきも、何もかもなぁ!」

「テストは脳無(こいつら)のことか。それならそこで一つは失敗して転がってんだろ」

 

 どっちにしろ立地が最悪なら、あとは時間の問題を優先させるべきだと俺は結論に達する。リミットは脳無が起き上がるまで。最速で死柄木を制圧して、黒霧を引き下がらせる。それしかない。

 

「そこは素直に称賛してやるよ。流石曲がりなりにもあのエンデヴァーのガキだ。まさか炎の出力で負けるなんて思ってもいなかったぜ。このままじゃコイツでエンデヴァーの炎に対抗は難しいからな。改造のし直しだ。いや、待てよ……そうか。足りない分は外付けすればいい。丁度良いのがいるじゃないか!」

 

 相手は感情的な節があり、明らかに激昂している様子だ。いや、その様子のはずだった。手に覆われてほとんど見えないその顔に浮かんでいたのは歪に吊り上がった口角。なんでか知らねえけど、いつの間にか上機嫌になって居やがる。

 

 素の身体能力はUSJでの身のこなしを見るに、圧倒的に速度も慣れも相手が上。冷静になられたら終わりだ。俺の氷は見切られることを想定していいだろう。挑発し続けた上で速攻が今の俺にできるベストだ。

 

「来いよ、敵連合。エンデヴァー(クソオヤジ)が出てくるまでもねぇ。ここでお前らは終わりだ」

「ハッ、粋がるなよ」

 

 低く身を下げて一気に地面を蹴り、目前まで迫り来る死柄木。

 

「すぐに綺麗な達磨にして工場に飾ってやるさ!」

 

 想定以上に早い──けど読み通り愚直に最短ルートで向かって来た。後退しながら速度重視で拘束用の氷山を作り出す。

 

 そしてまんまと誘導に引っかかった死柄木は、あまりにもあっけなく俺の氷の中に閉じ込められた。黒霧がどうせすぐに回収するだろうが、あのワープゲートを見ている限りだと中の死柄木だけを取り出すのは難しいだろう。氷ごと回収する形になるだろうから、すぐ戦いに復帰してくることはないはずだ。

 

 どうせならこの際、脳無も低体温にして少しでも復活を遅らせたほうがいいかもしれねぇ。横たわる脳無に目線をやり、そんなことを考えていたときだった。

 

 サラサラと砂場のお城が崩れ去るような音を鼓膜が捉える。

 

 何が起きているか目線をやる余裕すらない。即座に足元に氷を走らせ、全力で距離をとる。

 

「あぁ、寒かった。俺じゃなかったら死んでたぜ」

 

 声のする方には俺の氷は影も形も残ってなく、そこには無傷の死柄木が佇んでいた。

 

「……嘘だろ」

「俺の脳無を倒しただけはある。その強さ、判断の的確さと早さは認めてやるよ。でも絶望的に相性が悪かったな。所詮個性同士の戦いなんざ相性ゲーなんだよ」

 

 脳無みたいに氷を溶かしたわけじゃない。コイツ、個性で氷を崩しやがった。死柄木弔、コイツの個性はさっきの脳無とは別の意味で俺の個性の天敵だったらしい。

 

 能力の条件や詳細はわからないが、前の襲撃での情報と合わせて推測すると恐らくは手に触れたものを崩壊させる個性。固体での攻撃が通用しないとなれば、あとは────

 

「炎を使うしかない、って考えてるんだろ? いいぜ、使って来ても。でもその習熟度じゃ、糞ゲーでも氷の方がマシだと思うぜ」

 

 赤く迸る眼光から漏れ出す本気の殺意。

 

「まぁ……」

 

 脳無から発せられた威圧感とは全く違う。明確な意志を持ったソレは俺の対応を一瞬躊躇させる。

 

「どっちにしろ無駄なあがきだけどなっ!」

 

 そしてその一瞬は死柄木の右手が俺を射程に捉えるのに充分すぎるほどの時間だった。

 

「させるかぁああああっ!!!」

 

 嵐のようにうねる横殴りの水流が差し込まれ、死柄木の行く手を阻む。だが死柄木はとっさに上体を後ろに反らして、水流を躱した。すぐに後退して距離を取る。

 

「チッ?! 援軍かっ!」

「焦凍君、遅くなってすまない!」

 

 俺を庇うような立ち位置に割り込んできたマニュアルさん。

 

「なんでここがわかったんですか?」

「あんなに大きな氷を出せるの、君ぐらいしか知らないからね」

 

 肩で息をするマニュアルさんをよく見てみればコスチュームはあちこちが破れていたり、煤けていたりして、決して楽ではない戦闘を潜り抜けてここまで来てくれたんだということが伺えた。

 

「戦闘の許可なんて出した覚えはないんだけどな。仮免前だし、始末書で済むかも怪しいけれど……でも、無事で本当に良かった。危ないから下がっていてくれ。手出し無用、ここからは(プロ)の仕事だ」

 

 水球を纏った拳を死柄木に向けながら、背中越しにマニュアルさんは語りかける。

 

「わかりました。マニュアルさん、あいつの手、絶対に触れたらダメです。触られただけで壊れる個性だって相澤先生が言っていました」

「イレイザーから耳が痛くなるくらい聞いているさ。大丈夫“この場所でなら”僕は誰よりも強い」

「ノーマルだったけか。名前からして明らかに雑魚キャラの癖にさぁ……」

 

 死柄木が踏み出したのは僅か一足。だが一挙動での移動距離も速度も段違いだ。飯田ほどではないにしても緑谷に迫るものがある。

 

「何イキがってんだよっ!」

 

 身を低くし、飛来する水球を掻い潜って、指先がマニュアルさんの鼻先を掠める。

 

「早っ!?」 

 

 寸でのところで、マニュアルさんはとっさに腹部を目がけた前蹴りを放つことで、死柄木と無理やり距離を作る。

 上手い、けれど浅い。腕でしっかりガードされているから有効打にはなっていない。

 

「まだまだぁっ!!」

「弱いくせにウザいなぁ。掴み損ねた。今のでなんでわかんないのかなぁ。俺とアンタじゃさぁ、レベルが違うんだよっ!」

 

 再びマニュアルさんは牽制程度にしかなっていない水球を放ちながら、死柄木とインファイトを続けていた。無尽蔵とも言える量の川の水を利用すればマニュアルさんは圧倒的に有利なのに、決して使おうとしていなかった────いや、使うだけの集中する余力がないのか。触れただけでアウトな死柄木の個性相手だ。神経の削り具合は並みの近接戦闘とは訳が違う。

 

 そう俺は考えていたけれど、マニュアルさんは俺の予想よりもずっと巧かった。膝蹴りを受けて後退するときに、一瞬ふらついたような動きを見せたマニュアルさん。そこにすかさずに抱きつくような動作で死柄木が襲い掛かる。

 

「もらったっ!!」

 

 口元に笑みを浮かべたのは、死柄木ではなくマニュアルさんのほうだった。

 

「ぐはっ!!?」

 

 間欠泉のように砂利道から水柱が迸る。とっさに死柄木は腹部を両腕で庇うが、形の定まらない高圧の水流相手だ。

 

 ガード不可能の必殺技を前に、さすがの死柄木も土手側のコンクリートに叩きつけられ、倒れ伏した。

 

「視線が上に集中して足元が疎かになっていたようだね」

 

 ロープ状に伸ばした水を両手に構え、確実な捕縛のためマニュアルさんは追撃をかけるために接敵する。

 

「大人しく捕まってもらうぞ、敵連合!」

 

 倒れ伏す死柄木の元にたどり着いたマニュアルさんが、水のロープを死柄木の手にかけようとしたとき、笑みを浮かべたのは死柄木の方だった。クレーターのように崩壊するコンクリート。

 

「足元がなんつった? 起き攻めは格ゲーの基本だろっ!」

 

 そうか、こいつの個性は接触から発動までのラグがある。倒れたフリをして罠に誘導された。

 

「マニュアルさんっ!!」

 

 俺が叫ぶよりも早く、マニュアルさんは後に飛び退くが、崩れかけの足場で態勢が大きく後ろに逸れてしまう。だが皮肉にもそれが幸いした。

 

「死ねっ!」

 

 死柄木の転びかけのマニュアルさんに追撃をかけるが、五指が捉えたのはヘルメット部分だった。即座にそれを脱ぎ捨てることでマニュアルさんは破滅を回避する。ヘルメットが砂のように形を変え、風に溶けるようにして消えてしまう。文字通り一撃必殺、強力な個性の威力を俺は目の当たりにする。

 

「少し遅かったらヤバかった。その動き、君は相当殺し慣れてるね」

「そりゃあ先生にしっかり教えてもらったからなぁ」

「先生、ね。ますます退きにくくなったかな。これだけの騒ぎを煽動する奴を放っては置けない。情報を吐いてもらおうか!」

「退けない、の間違いだろ?」

 

 死柄木の目線がマニュアルさんではなく、俺の方に向けられた。手を出すなという牽制か?

 

「ようやくか……脳無、こいつらを殺せ」

「なっ?!」

 

 しまった。アイツは俺を見てたんじゃない。

 

「焦凍くん!?」

 

 振り返る時間すらなかった。けれど肌に突き刺さる熱波が、その存在を感じさせていた。さっきの脳無は炎を纏った両腕を振り上げ────

 

「焦凍ぉおおおおお!!!」

 

 空から聞きなれた声と共に一条の熱線が降り注ぎ、容易く脳無の両腕を切断した。

 

「どうやら無事なようだな」

「親父……」

「すまない、助かったエンデヴァー!」

 

 炎をジェット噴射させて駆けつけてきた親父が、脳無と俺の間に割って入ってきた。背後の心配がなくなったマニュアルさんは死柄木から決して目を逸らさず、背中越しに親父に語りかける。

 

 正直、助かった。親父が来なかったらきっと俺は間に合っていなかった。何を言うべきなのかはわかっている。でもどうしてもその言葉が出て来ず、代わりの言葉を俺は口にする。

 

「どうしてここに?」

「オラシオンのリストバンドのアラームが鳴ったからな。保須のこの状況とタイミングから考えれば、お前ともう一人のどちらかが危機に陥っていると判断した。お前が残した氷の道を発見後、その跡を辿って来たというわけだ」

 

 なるほど、鳴らした甲斐があったわけだ。あのときはなんで八百万たちが持っているレーダーを全員に携帯させなかったんだと思ったが、無意味ではなかったらしい。

 

「ちっ、エンデヴァーか。足止め用は何やってんだっ!」

「あの白い雑魚どものことか。複数個性持ちだったが大したことはなかったな。いくつかは俺が自ら落としたが、他のはウチのサイドキックたちに任せれば問題なかろう」

「糞、糞、糞ッ! この前といい、舐め過ぎだろっ。何を突っ立っている脳無! そいつらを殺せぇえええ!」

 

 歯ぎしりしながら怨嗟を口にする死柄木に、親父は軽くあしらう。その態度が逆鱗に触れたらしい。死柄木は今までにない形相で叫び散らす。

 

 その声に呼応して脳無が切断された腕を再生、そしてさらに腕を増殖させ、全身に炎を纏う。

 

「やはりこいつも再生能力持ちか。しかも、なかなかの熱量じゃないか。では加減はいらんな」

 

 地面を抉るほどに強く踏み込んだ脳無が飛び掛かる。

 

赫灼熱拳(かくしゃくねっけん)、ジェットバーン!!」

 

 まさに気合一閃。親父は右拳に収束させた炎を開放して、高速の一撃を見舞う。脳無が纏っていた炎も苛烈な熱風でかき消す。

 

 なりふり構わず繰り出した俺の技とは完成度が全然違った。熱量も、収束具合も、タメから放つまでのスキのなさも何もかもが俺には足りていない。

 

「だけど、ガードされた」 

 

 思わず声が漏れる。分厚い筋肉に包まれた四本の腕でキッチリと受け止められている。アッパーカット気味に放たれたため、脳無は空中に打ち上げられはしたが、ダメージらしいダメージは見当たらない。それだったらさっきのレーザーを使っておいた方が……そう俺が考えていたのは素人考えだったようだ。

 

「ここならば、何の遠慮もいらんな。本当の炎というものを見せてやる。再生などさせるものか」

 

 勝利を確信しているであろう親父が不敵な笑みを浮かべた。空に打ち上げられた脳無も俺に向けたとき以上の炎弾を生成し、親父が放つであろう炎に備える。

 

 対する親父も目を開けていられないほどに眩い光を体に蓄積させ、最強の必殺技の名を口にした。

 

「この煉獄で灼けて静まれ────赫灼熱拳(かくしゃくねっけん) プロミネンスバーン!」

 

 全身から解き放った炎は炎弾すら飲み込んで、脳無を焼き尽くす。ぐしゃりと鈍い音と共に、脳無は無防備なまま地面に叩きつけられた。

 

 どうやら完全に炭化しているわけではなさそうだ。僅かに痙攣しているところを見るに、あれだけの炎を受けてまだ生きているらしい。

 

 親父が網状の炎でその体を捕獲しようと指先から放った瞬間、脳無の体が黒い霧に包まれて消えていった。やはり黒霧が監視していたのか。

 

「死柄木弔、既に主目的は達成しています。この結果は計算外ですがここは撤退するべきです!」

「ちっ、わかったよ。でもこのまま帰るのも癪だな。おい、黒霧。せっかく役者が揃ってんだ。予定を元に戻す。アレ(・・)をやれ」

「少し勿体ない気もしますが、承知しました」

 

 声がした背後を振り返ると、死柄木もまた黒い霧のゲートの中に消えゆこうとしているところだった。

 

「待てっ! 逃げるなっ!」

 

 親父が消えゆく死柄木に飛び蹴りを放つが、ギリギリ向こうが消える方が早く間に合わなかった。でも、これでとりあえずは落ち着くか。そう思っていたときだった。

 

 俺の背後、完全に視界の外から、ソレ(・・)は声もなく、『死』そのものが俺に差し迫っていた。

 

「焦凍くん!!!」

 

 俺の名を呼ぶ悲痛な声。何があったのかわからないまま、マニュアルさんに突き飛ばされ、そして俺は目にしてしまった。

 

「チッ、邪魔が入ったか。でもムカつく奴が一人死ぬからいいか。じゃあな」

 

 マニュアルさんの右腕が手首の辺りから砂のように崩れ落ちていた。

 

「この(ヴィラン)がぁああああ!」

 

 親父が吠えた。でも炎が死柄木を襲うがゲート消える方が早かった。ただ俺はその光景を呆然と眺めることしかできなかった。

 

「間に合って、良かった」

 

 肘、そして上腕部へと呪いとでも呼ぶべき崩壊の力が浸食している中、マニュアルさんは振り返って俺にそう笑顔で声をかける。

 

 笑顔(・・)で、だ。腕が消えていっているのに、死ぬしかないのに。なんで、この人は笑って……

 

「マニュアル、手荒く行くぞ。食いしばれっ!」

 

 そんな中、急に発せられた親父の言葉が何を意味するのかわからないまま、俺は次の絶叫を聞いて事態を把握する。

 

「ぐわぁああああっ!!!」

 

 親父はマニュアルさんの肩の先から右腕を熱線で切り落としたのだ。熱で止血もできて、浸食されていない部分を切り落とすことで全身の崩壊を食い止める。現状最善の判断。

 

 あと数秒判断が遅かったら間違いなくマニュアルさんは死んでいた。それだけの判断力、そのスピードと技の精度。俺では無理だ。あれだけ憎んでいた親父の力、そしてその頂きに至るまでの研鑽。炎を使いだしたとたん、それを嫌というほどに見せつけられてしまった。今まで俺は一体何をしていたんだろうな。いや、それよりも今は!

 

「マニュアルさん、俺を庇ってこんなこと────」 

 

 急にマニュアルさんの胸元に抱き寄せられ、ここで俺の言葉は遮られた。

 

「ヒーローはいつだって命がけのお仕事だ。右腕一本で君の命を守れたんだ。安いものさ」

「でもっ、このままじゃマニュアルさんはヒーローを続けられないじゃないですかっ!」

「確かに引退も視野に入れなくちゃいけないだろうね。でも義足や義腕のヒーローもいないわけじゃない。生きてさえいればどうとでもなるさ。まぁ、正直さっきまでは死を覚悟していたわけだけど」

 

 焼き切れた腕を水を操って冷却しながら、マニュアルさんは言葉を続ける。

 

「それも君のお父さんの炎のおかげだ。君の嫌いな力でも、それが俺の命を救ったのは確かなんだ。この前の中華屋さんでの話を自分の身で実証するなんて微塵も思わなかったけどね。ここまで緻密にコントロールされてなかったら、やけどでショック死するか、そもそも全身丸焦げになっていたか、処理が遅くて塵みたいになっていたか。乱暴な人だけどね、でもここまで自分の力に真摯に向き合っている人はそういないと思うよ」

 

 とっくに目が覚めたつもりだった。でも俺やマニュアルさんのために戦う親父の姿は、俺が知っていたはずの親父の影とはほんの少しだけ違うものだった。

 

「君はいいヒーローになるよ。俺よりも君のお父さんよりも、いいヒーローに」

「いいヒーローって、なんなんですか?」

「焦凍君はどう思う? もう答えを持っているんじゃないかい?」

 

 そう言われてみれば、考え込むまでもなくスラスラと俺の心の中に言葉が浮かんできた。

 

「強くて」

 

 親父よりも強く、オールマイトのように強いヒーロー。

 

「誰も泣かせない」

 

 命を守るだけじゃない。お母さんのような人を出さない、心を守れるヒーロー。 

 

「笑顔の似合う」

 

 マニュアルさんのように、こんなときでも俺を笑って励ましてくれるそんなヒーロー。

 

「そんなヒーローだと思います。俺はそうなります」

「あぁ、なれるよ。きっとなれる。俺が保証する」

「ありがとうございます。マニュアルさん、俺が病院に連れて行きます。今なら親父に心操のことを任せられますし」

 

 マニュアルさんに肩を貸して立ち上がる。病院の位置は把握している。俺が氷結で走ればそう遠い距離じゃない。猪地のところに合流することも考えたが、あいつはリカバリーガールと違ってケガに対して応急処置以上のことはほとんどやれない。

 

 手負いのマニュアルさんと俺を連れて行くより、親父一人で心操の救出に向かってもらった方が足手まといもなく確実だろう。

 

「そうだね。アイツらが消えたから大丈夫だとは思うけど一般人も一緒ってのは不味いか」

「心操とは、お前と一緒に来ていた普通科上がりの奴だったな?」

「あぁ。保須第三公園で分かれてから東の方に民間人を連れて逃げているんだ。小さな子供と、足の動かない母親も一緒にだ。他の脳無や敵に襲われているかもしれないんだ!」

「エンデヴァー、俺からも頼みます。今回の敵連合は明らかに焦凍くん対策であの脳無を当ててきた。つまり生徒たちへの報復が少なくとも目的の一つだと思う。それに焦凍くんと違って彼は戦闘力において一般人となんら変わりがない。それにあまりにも強力な個性だ。一般人を人質に犯罪を強要される可能性だって決して低くない」

「事情はわかった。すぐにそちらへ向かおう。マニュアル、焦凍のことは任せたぞ!」

 

 親父の力に忌避感を抱いているのは確かだ。でもそれは今、ここで終わりだ。下らない意地はもう捨てよう。アイツのやってきた仕打ちは許せないけれど、区切りをつけるために今ちゃんと言わなくちゃいけないことがある。

 

「親父」

「なんだ? ようやく父の偉大さに気が付いたか?」

「心操のこと任せた。それから、さっきは助かった。それにマニュアルさんの腕のことも────ありがとう」

 

 




轟くん覚醒編終了。マニュアルさんと共に2章戦線離脱です。
よってステイン戦は轟くん抜きになります。

次は飯田くんのターン。彼の本領発揮回です。


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第36話 燃える街へ◆

 それが発覚したのは、俺がプッシーキャッツの元へ職場見学に来て三日目の昼食前のことだった。

 

「マンダレイ、此度の依頼がダブルブッキングとは一体どういう事なのだ?」

「ごめん、東京でのイベントの依頼が時期が天候不良でズレちゃってたんだけど、他の依頼が重なってしまったから、ずれちゃった側はお断りしていたはずだったんだけどね。ただ向こうの上の人にちゃんと断りの件が伝わっていなかったらしいのよ」

 

 サイドキックなしチームを組んでいるプッシーキャッツでは仕事は全てチーム内での自己完結しなければならない。報告書などの手続きはもちろん、依頼の調整もしなければならないのだが、どうやら面倒なことになっているようだ。

 

「うむ、ではこちらには否はないということだな」

「うん、アチキもスケジュール調整のときにマンダレイと断りの件を確認したから間違いない」

「でも向こうの担当さんが代理のヒーローを見つけられなかったらしくて“一人でもいいから来てくれ”って泣きつかれたってわけなの」

  

 マンダレイはスケジュール帳に何かをメモしながら大きなため息を吐いた。

 

「うーん、本当なら突っぱねたいけど、チームイメージ的にこことの繋がりは大事だからしっかり保っておきたいわよね。危ない依頼じゃないし、何とかして一人は向かいましょうか。みんなはどう?」

 

 ピクシーボブが「しょうがないわね」と、残りの二人に確認を取る。

 

「異議なしにゃん!」

「そうであるな。それで割り振りだが、元々引き受けていた依頼ではマンダレイとラグドールの二人は必須であるから、我かピクシーボブの二択になるがどう分ける?」

「保護猫の譲渡会イベントだもんね。虎よりは私の方が向いていると思うわ。お付きに天哉も連れて行くわよ」

「うむ、それが良いだろう。我一人だと圧迫感がある故な……」

 

 どこか寂しそうに肩を落とす虎。まぁまぁとマンダレイがその寂しそうな背中をなだめる。

 

「いいなぁ、猫ちゃんと触れ合えて。アチキも行きたかった」

「ねこねこねこ。みんなの分も私がモフって来るからね。天哉にも猫の良さを教授してあげるわ」

「保護猫の譲渡会ですか。そんな活動もしているのですね。ただイベントというと気軽なイメージがありますが、これは猫たちの生命に関わる重大な案件なのでは?」

「よく言ったぞ、天哉!」

 

 バシン、と背中に鈍く響く音。虎の豪快な平手に俺は一瞬前につんのめりそうになるが、グッと踏みとどまる。これもこの数日しっかりと体幹を鍛えた成果の一つだろう。皆からすれば本当にささいなことかもしれないが、俺は小さな成長を心の中で噛み締める。

 

「そうよ、これは保健所の猫ちゃんたちが処分される前に里親に巡り合わせるための重大任務なのよ!」

「なるほど、猫の生命も大事な守るべきもの。ヒーローを目指すものとして微力ながら俺も全力でお手伝いさせて頂きます!」

 

  

 

 

 

              ×         ×

 

 

 

 

 

 そんな流れで俺たち二人は現場に前日入りするためその日の夕方には新幹線に乗り、譲渡会イベントへ向かうことになった。

 

「新幹線と言えば、やっぱり駅弁よね。舞茸の風味がもち米に染み込んでいて最高! これでビールがあれば完璧だけどねぇ」

「仕事中です。ホテルまでは我慢ですよ」

 

 ビール替わりにと炭酸水をグイっとあおるピクシーボブ。私服での移動ならば夜の仕事はもうないので飲酒でも問題なかっただろうが、生憎とコスチュームを着ての移動、つまりパトロールの一環だ。特段車両の見回りをするわけではないが、ヒーローが車内にいるというだけでも置き引きなどの犯罪抑止効果にもなる。

 

「わかってるって。そういえば天哉って出身は東京って言ってたわよね?」

「えぇ。そうですが何でしょう?」

「ホテルの近くで美味しそうな居酒屋はないかしら? できればお魚が美味しいところで」

「……俺は高校生ですよ。そもそも居酒屋には行ったことがありません。ですが、最近グルメサイトの使い方にも慣れました。魚介が美味しい店選びですね。俺に任せて置いてください!」

 

 誕生日のケーキ屋探しで随分と慣れたという自負はある。複数の口コミサイトを併用して、駅弁を食したら早速リサーチするとしよう。

 

「そうだったわね。天哉、知らないならそこまで張り切らなくてもいいって! その代わりに詳しいお兄さんの事務所の男性に聞いてもらえたら……」

 

 身をよじらせながらピクシーボブは上目遣いで俺にそう言う。似たようなやり取りを繰り返せば、さすがに俺も対応がわかって来た。居酒屋ではなく、兄さんの事務所の男性陣の方が本命か。でもこの手の話をピクシーボブが出してくるのは場を和ませたいときということも俺は知っている。

 

「俺も詳しくは教えてもらえませんでしたが、兄は入院中との公式情報を利用して関西の方へ潜入捜査に向かっているらしいのでメインのメンバーはおそらく出張中ですよ」

「ブー、そんな無慈悲な。なら素敵な雰囲気のお店を検索しといて! もしかしたらイケメンと相席になるかもしれないし」

「素敵なお店ですね。了解しました!」

「張り切りすぎなくてもいいからね。それにこれはただの移動なんだからもっとリラックスしてご飯食べてたらいいのよ?」

「緊張しているように見えましたか?」

「だって山籠もりからの初出張でしょ? まじめなノリは知ってるけど、意気込みが顔に出てるわよ。新幹線ジャックみたいな事件が早々起こるわけじゃないから、本当にゆっくりしていていいからね。明日は君のちょっと苦手そうな笑顔いっぱいで、一日中対応してもらわなくちゃいけないんだから」

「そうですね。逃亡が難しい新幹線で犯罪を起こす者など早々……」

 

 そう口にしていたときだった。アーマーの下につけていたリストバンドが急に震え出す。

 

「プッ、どうしたの天哉? 体ごと震えてるけどまた電話? 電話スペースなら前の車両よ」

 

 口元を抑えながらピクシーボブが言うが、そんな事態じゃない。これを鳴らしたのは誰だ?

 

「いえ、電話ではありませんが。クラスメイトに何か不味いことが、起こっているかもしれません」

 

 GPSの受信器は確かカバンのこのポケットにしまっていたはず……あった。早速電源をオンにして機能を立ち上げる。

 

「どういうこと?」

「この前の体育祭から、敵連合に襲われることを懸念してGPS機能と緊急信号発信機能をつけたリストバンドをウチのクラス全員が装着していたのですが、その信号が鳴りました」

「用意周到ね。いえ、よく対策していたわね。それは良いとして、職場体験中なんだから敵との交戦はかなりありえると思うけれども、その利用の判定の基準は?」

 

 ピクシーボブの顔つきが変わった。彼女は弁当を台において受信機の画面をのぞき込む。

 

「敵連合と接触したとき、その他の敵と接触したときでも現場のヒーローで対応できないような事態に陥っているときの二択のみです」

「この赤く光っている二つのマーカーが救援要請を出しているのね? マーカーについてる数字の意味は何?」

「これは出席番号順ですので、轟くんと心操くんの二人です。場所は保須市」

「ステインが出現した場所ね。噂の火薬庫じゃない」

「えぇ、兄が襲われた要警戒地域です」

「ちょっと操作変わるわよ」

「どうぞ」

 

 ピクシーボブが二人のマーカーが指し示す地域を範囲拡大してみると、さらに二つのマーカーが近くに表示されていることがわかった。これは巡理くんか。東京に移動したとは聞いていたが保須だったのか。それに緑谷くんも近くだが、新幹線の高架沿いを高速で移動している様だ。俺たちとは別路線に乗っているのか。彼にピンチはなさそうだが異常には気が付いていることだろう。

 

 この二人が近くに居ること、相澤先生も同じ受信機を持っていることを伝えると、ピクシーボブは先生に電話を始めた。俺には現場のメンバーに連絡を取るように指示され、轟くんと心操くんに電話をしてみるも通信障害が起こっているようで何の反応もない。次に巡理くん、緑谷くんにかけてみたが同様の結果だ。

 

 頭の周るあの二人は直接巻き込まれていなくても、何かしら現地で対策に走ってくれていることだろう。そう信じる他はない。心操くんと轟くんのマーカーも二手に分かれた。状況的に轟君が囮になっているのだろうか。

 

 何もできない苛立ちが募る。仲間がピンチなのを理解していながら、俺は何もできないのか。考えろ、副委員長として俺に何ができるのか。スマホを握る手に思わず力が入る。

 

 ピクシーボブが先生と激しいやり取りをしているのを傍らで見ている中、俺もできる限り高速で思考を巡せ始めたところ、思考を切り裂くかのように車内に緊急停止の放送が流れた。保須の近くの路線でトラブルがあったらしい。そうして俺たちの車両も線路上に立ち往生することになった。

 

「降りるわよ。オレンジジュースだけ別の袋に急いで詰めて残りの荷物は乗務員さんに預けて!」

「はい、急ぎます!」

 

 電話を終えた彼女に促され、急いで用意をし降車する。保須まではまだ遠い、この場所から一体何をすると言うのだろうか。

 

「天哉、よく聞いて。どうやら保須は大規模な通信障害が発生中よ。無線類は一部使用可能なものもあるらしいけれどね。そしてあの街にはエンデヴァーも来ている。連絡元の二人が預けられていたヒーローも地味だけれど、固い仕事をする歴戦のヒーローよ。ステインのこと以外にもあの街はよくない噂が流れていて、他のヒーローだって警戒をかなり高めていたはずだわ。なのに、通信といい新幹線といい、これだけの事態が起こっている。はっきり言ってかなりの異常事態よ」

 

 ヘルメット越しに見えた、今までで一番真剣なピクシーボブの目つき。俺はただその言葉に無言で頷きをもって返す。

 

「チームのみんなとイレイザーには伝えたわ」

 

 両肩をしっかり掴んだ彼女が俺に命じる。

 

「プロヒーロー、プクシーボブの名において全責任を取ります。天哉、君の個性で保須市まで私を連れて行きなさい」

 

 個性の使用許可。この前の襲撃事件は雄英の敷地内だったため、自己防衛のためということもあってギリギリでお咎めなしだったが、これは状況が違う。職場体験中とはいえ、仮免未満の身なのだ。普通の判断ならピクシーボブは俺が向かうと言い出したりしたときに止める立場のはず。だが今回は全く逆の判断だった。

 

「下の道も恐らく渋滞し始めて、新幹線も止まっている。つまり足がない状態な訳だけど、逆に言えば全車両が止まっている今の線路ならば、何の邪魔もなく前を気にせず走行できる。君の最速ならそこらの車よりずっと早いでしょ。足場もいいとは言えないけれど、極端な悪路でもない。だから────」

「やります。俺にやらせて下さい」

 

 ピクシーボブの言葉を遮り、俺はそう告げる。

 

「俺には万能な個性が備わっているわけでもなければ、こんなときに素早く対策を打ち出せるほどの機転も足りないです。でも走ることだけは、早く救けるために走ることだけは、誰にも負けません。それにこのオーダーがどれだけイレギュラーなものかという自覚もあります。でもヒーローの卵として、友として、副委員長として、俺にやれることは全力でやりたい。だからどうか俺に任せて下さい。誰よりも早く駆けつけて見せます!」

「やっぱりスカウトしたのは正解だったみたいね。任せるわよ。これだけの長距離の直線、今まで走ったことはないでしょうけれど、ここは君の独壇場。観客は私しかいないけれどね、君の最速を見せなさい!」

 

 彼女はそう言って俺の胸元に拳を突き当てる。激励が胸に突き刺さったような気がした。

 

「えぇ、十五分で現地に────いいえ、それを切って見せます!」

「いい眼をするじゃない。それから戦闘は厳禁よ。君のやることは私を現場まで運ぶことと、保護対象を抱えて戦闘現場から最速で離脱、できるわね?」

「できます。最速で救助する、これが我が家の家訓ですから!」

「なら早速向かうわよ。まずは二手に分かれた方の内、戦闘能力のない心操くんのほうからね。移動速度も極端に遅いからケガをしているのかもしれない。そちらを回収後もう片方の回収に向かうわよ。行けるわね?」

「えぇ事前補給も済みました。いつでも出れます」

 

 俺はしゃがんでピクシーボブを背負う。拘束用のロープを念のために互いに巻き付けて落ちないように万全を整える。

 

「舌を噛まないように、そして絶対に手を掴んで離さないで下さい」

「オッケーよ。最速で私を運びなさい!」

 

 心操くん、後少しだけ耐えてくれ。必ず俺たちが救け出す!

 

「────天哉、出ます!」

 

 

 

 

 

 見通しが甘かった。そう痛感して俺は強く、奥歯を噛みしめる。今、何キロ走ったのだろうか。既にギアは最高まで上がっている。衝突を気にせず進めるのもいい。だがしかし、当初計算していたよりも進みが遅いことは確実だった。高架の上ということもあり、強い向かい風。ピクシーボブを背負っていることにより腕の振りが使えないこと。そして、砂利と枕木による想定以上の足場の悪さ。

 

 時折足をひねりそうになったり、爪先を枕木にひっかけそうになったりしながらも、何とか転倒しないギリギリで走行を続けていた。

 

 進行方向、保須市がある方に見えるのは炎上するビルや立ち上る黒煙。それも一つ二つでは済まない。あの戦火のどこかにみんながいる。早く、たどり着かなければならないのになんて様だ。

 

「天哉、悪い知らせよ」

 

 暴風に曝されているため、耳元に口元を近づけてピクシーボブはそう言った。悪路での高速移動による振動は半端なものではない。舌を噛む可能性を減らすため、極力しゃべらないように伝えていたのにも関わらず、ピクシーボブが告げるのなら、つまりそれほどに悪い事態に陥っているということだ。

 

「猪地さんの番号が赤く点滅したわ。エンデヴァーたちと一緒のはずだし、彼女の性格と交戦を極力避けれる個性を持ちながら、これを鳴らすなんて多分余程の事態よ」

 

 鳴っていたのか。走行による振動で全く気付かなかった。だがピクシーボブの言葉は最もだ。逃げることに特化させてしまった個性と経験を以てして、エンデヴァー事務所ではなくクラスメイトに助けを求めざるを得ない状況。相当に不味いと巡理くんも判断したのだろう。

 

「心操くんの反応は全く動かなくなったわ。隠れてやり過ごしているか、動けなくなったのか。轟くんはこの動きからして一か所に留まって多分交戦中だと思う。まずは心操くんを優先するのは予定通りよ。深刻な怪我の可能性も否定できない。まずは彼を救出後、状況を確認して残り二人の回収に向かうわよ。いいわね?」

「はい、了解しました!」

 

 巡理くんも、轟くんのことも不安だ。だが二人の強さは俺が良く知っている。やはり、心操くんを優先させるピクシーボブの判断は的確だ。俺はそう信じてただ走り続ける。

 

「天哉、もっと急がないと!」

「これでも全速力を出しています。これ以上は無理です!」

「この三日、私たちが何を教えたと思っているの? 山じゃないけれど、やってることは一緒よ! 前を向きなさい天哉っ!」

 

 弱音を吐いてしまった俺に、叱咤の声がを浴びせられる。

 

「……何をやっていたんだ俺は」

 

 前を向け、先を読めとそう教わったではないか。

 

 顔を上げる。

 そうだ、まずは思考をこの速度に追い付かせろ。

 

「そうよ、君の速度では見てから動かすんじゃ間に合わない。戦闘も走行も一緒よ。流れは自分で作るの!」

 

 足元見て走るのではない。

 ラインを読んで、動きを最適化させろ。

 

「そう、軸は極力ぶらさない。足をただ回すんじゃない。地面を強く蹴り続ける! そうすれば君はもっと早くなるわ。そうでしょ!? 飯田家の家訓はなんだったっ?」

 

 そうだ、他の分野で例え敵わないとしても。

 

「誰よりも早く救けに行くことです!」

 

 ただ走ることだけは。早く救けに向かうことだけは。

 

「雄英の校訓は!?」

 

 誰にも絶対に負けたくない。

 

限界を超えろ(プルスウルトラ)です!」

 

 俺自身が作ってしまっていた限界を、今ここで超えて行け。過去の自分は置き去りにしろ。

 

「そうよ。君の最初の走り(デビュー)、私がしっかり見届けるわ。頑張りなさい、天哉!」

 

 酷く冷たい向かい風なのに、なぜか背中から暖かな追い風が、吹いたような気がした。

 

 

 

 

              ×         ×

 

 

 

 

 そうして新幹線の高架から飛び降りた俺たちは、保須の燃え盛る街を走り抜けた。途中、色違いの脳無らしき敵とヒーローたちとの交戦も目にしたが、あそこは現地のヒーローに任せろとピクシーボブに言われ、心操くんの反応があった地点俺たち二人は目的の地点、とある路地裏へたどり着く。

 

「ここですね。ここのはずなんですが、ここにはごみ箱ぐらいしか。でも、心操くんが隠れられる大きさではないし、まさかリストバンドだけ捨てたのか? いや、そんなことをするはずが……」

「悩んでもしょうがないでしょう。戦闘の跡もないのが気になるけれど、考える前に、開けてみる!」

 

 小さなプラスチック製のごみ箱の中で頭を抱えてうずくまっていたのは、どこかで見たことがあるような幼児とも呼ぶべき年齢の子供だった。

 

 そしてその手には心操くんが持っているべきリストバンドを強く握りしめていた。

 

「もう大丈夫だ。救けに来たぞ」

 

 恐々と顔を上げた幼児の頭を軽くと撫でた後、その華奢な体を持ち上げてごみ箱の外へと下す。体中汚れているものの、特に外傷はなさそうだ。

 

「怖かったね。でも、もうヒーローが来たから大丈夫よ」

「うわぁあああん!」

 

 泣きじゃくる幼児がピクシーボブの胸元に飛び込む。よしよしとあやしながら、ピクシーボブは言葉を続けた。

 

「痛いところはない? 大丈夫?」

「……うん、いたくないよ」

「ねぇ、これは誰にもらったのか教えてもらえる?」

「ねこみたいなおめめのおにいちゃんが、わたしにくれたの。ひーろーがきてくれるおまもりだからもっておけって」

 

 少し落ち着いた幼児はそう言った。猫目のお兄ちゃんというのは心操くんのことで間違いないだろう。そうか、彼は自分よりもこの子の身を案じて、俺たちの誰かが見つけてくれるであろうリストバンドを託したのか。だが、そうなると今、心操くんはどこに行ったのだ。

 

「そのおにいちゃんはどこにいったかわかる?」

「あっちのみどりのやねのところっていえっていわれたの」

「なるほど、あの建物ね。ちゃんと覚えていて偉いね」

 

 よかった。見える位置にその建物は確認できる場所にあった。この子を安全なところに送り届けてすぐにも迎えるだろう。

 

「おかあさんはね。あるけないの。だからとおくにはいけないからあそこにいくって」

「お母さんとお兄ちゃんは一緒なのね?」

「うん」

「誰か怖い人に追いかけられたりしたの?」

「おめめがいっぱい、のーみそがみえてるひとからおにいちゃんたちがたすけてくれたの」

 

 この子が言っているのは脳無のことで間違いないな。歩けない大人を連れながらの逃走に限界を感じ、子供だけでもここに隠したのか。無事だといいが、状況を聞くにできるだけ急ぐ必要があるな。

 

「天哉、よく聞いて。ここからは別行動を取るわ」

「別行動、ですか?」

 

 ピクシーボブは心操くんのリストバンドを手にはめながらそう言った。

 

「幸い心操くんのいる場所はかなり近い。土魔獣も小さいけれど、なんとか何体か街路樹の土から生成できたわ。この子を私の土魔獣で避難場所に送り届けつつ、私はまず心操くんの救出に向かうわ。そして猪地さんはわからないけれど、少なくとも轟くんの方は脳無と接敵している可能性が濃厚よ。だから心操くんから状況を確認して私は轟くんの方に向かうわ」

「なら、俺は巡理くんの方に向かう、ということですね?」

「えぇ。ポイントは私も覚えたから、轟くんの安全を確保次第そちらに向かうわ。でも最初に言ったように戦闘は厳禁、彼女を確保して全速力で離脱よ。やれるわね?」

 

 カバンからオレンジジュースを俺に渡し、補給を促しつつ彼女はそう言った。

 

「わかりました。時間との勝負ですし、それがベストですね。最終合流地点は先ほど通り過ぎた避難場所でよろしいでしょうか?」

「全てが終わったらそこで合流しましょう。それから天哉、離脱が難しい事態になったら迷わずにそのリストバンドのアラームを鳴らすのよ。そのときは私もそちらに最優先で向かうから」

「わかりました」

「あと猪地さんのいる地点に応援をよこすように、ヒーローたちを見かけたら声をかけること。いいわね?」

「はい」

 

 そう返事した俺はオレンジジュースを一気に飲み干して補給を終える。これでガソリンは満タンだ。

 

「大丈夫、猪地さんは無事よ。君の足なら間に合うわ。さっきの走りを見たこの私が保証する」

 

 親指を上に突き立てて、ピクシーボブはそう笑顔で言った。

 

「はい、行って来ます!」

 

 送り出された俺は踵を返し、全速力で巡理くんの元へと向かう。

 

 戦闘などによる瓦礫で足場が悪かったりもしたが、先ほどまでの走行と比べたら何のことはない。山で修業した甲斐があったというものだ。

 

 

 

 

              ×         ×

 

 

 

 

 そうして俺がたどり着いたのは暗い商店街の路地裏だった。

 

 鼻につく鉄錆色の臭い。

 紅い海に倒れ伏す三人の男女の躰。

 

 凄惨な光景に俺は言葉を失い、立ちすくむしかなかった。

 

 そしてその奥で甲高い金属音をぶつけ合いながら、闇の中を交錯する二つの影が眼に入る。

 

「えっ、天哉っ?!」

 

 あまりにも聞きなれた声。振り返った彼女は俺のことを今しがた認識したようだ。

 

「巡理くん!!?」

 

 俺は言葉を誤った。

 いや、その前に俺は駆け出すべきだった。

 

「────眼を離したな?」

 

 返り血に染まるその男が冷酷にそう告げた次の瞬間。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼女の胸の中心を、凶刃が貫き────────赤い華が一輪咲いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「貴様ぁああああああっ!!!」

 

 

 

 

 

 

 心の深い奥底へと沈め、かき消していたはずの憎悪が、再び熱を帯びる。

 

 より、苛烈に。より、鮮烈に。

 




職場体験より巡理もNEWコスチュームです。


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第37話 凶刃

前話より少しさかのぼります。
巡理回です。


「オラシオン、この書類人数分コピーお願い!」

「はいっ!」

「それが終わったらプロジェクターの準備と、インゲニウム事務所との通信回線立ち上げお願いしてもいい?」

「わかりました。コピー終わるの待っている間にやっちゃいます! 皆さん、3番のコピー機しばらく使うんで、急ぎの方は他のやつで印刷お願いします!」

「オッケー!」

 

 職場体験3日目の朝。私がお世話になっているエンデヴァー臨時事務所内は今日も今日とて大絶賛炎上中だ。実際に燃えているわけじゃないけれど、物の例えだ。

 

 体験生の私でさえも、一息つく暇なんか全くない。覚えがいいからと褒められるのはいいけれど、書類仕事やら本当は苦手なパソコン関係やらで下っ端の私でさえも雑用まみれだ。多分他の事務所よりかなり忙しいのは間違いないと思う。

 

  そもそも今日はいつもより出勤が1時間早くなっているのにこの状態だと、明日明後日はどうなっているんだろう。事件解決数ナンバーワン事務所の労働過密度は伊達じゃなかったなと、この2日ちょっとの間だけでも私は痛感している。徹夜組はさすがにいないみたいだけど、ほとんど寝ていないメンバーもたくさんいるらしい。私の個性でみんなの疲労回復をしていなかったらどんな地獄絵図になっていたかと思うと、背中にブルっと悪寒が走る。

 

 人手不足でも人員の能力不足でもなく、単にオーバーワークの極地にあるこの事務所において、レスキュー兼索敵要因としての私よりも、疲労回復係として非常に求められていた。嬉しいけれど、正直なんだかなぁ。

 

 サイドキックや事務員さんたちからは「お願いだからウチに来てくれ!」「インターンの件もボスには私から強く推すから!」「このメロンは俺のおごりだ、遠慮するな!」などの血涙に混じりな勧誘の結果、今現在私の机の上は露天商でも開けそうなぐらいな量の果物の山で溢れている。

 

 自分の力を求められるのは嬉しいけれども、インターンはレスキュー系の事務所に行く予定だから、もうこの事務所にお世話になることはないなと申し訳ないなと思いながら、頼まれた仕事を順にこなしていく。でも今の仕事は今ベストを尽くさなきゃ。

 

「電話ーっ! 誰かとって!」 

「ごめん、オラシオン出てくれる?」

「はいっ、取ります! 大変お待たせ致しました。エンデヴァー臨時事務所です」

 

 お客様気分って言っていた三奈ちゃんたちがちょっと羨ましい。津波のように押し寄せるタスクの激流に飲まれないよう、並行作業で進めていく。あぁ、このソフト起動遅いなぁ……

 

 

 

 そしてあっという間に会議、議事録作成、トレーニング、昼食、パトロールと時間が流れ、とある路地裏で私とエンデヴァーはちょっとした捕り物を1つ無事にやり遂げた。

 

 足元で気絶しているのはハレルヤの売人である、よれよれスーツの冴えない中年のおじさん。鑑定にかけなくても私が偽物とハレルヤ本物を見分けるのに一番手っ取り早くわかる特徴である“生命力の有無”。散々偽物を掴まされたりしたけれども、久々にこれはアタリだった。

 

 でもかなり保須市全体の警戒度も上がり、検挙件数も増えているのにまだ売人全員が撤退していないのは妙だ。というのが今朝の議題に上がっていたけれど私もそう思う。まるで何らかの意図があって、ここから動けない、動かない理由があるのだと。

 

 開発施設や工場、仕入れの大きな窓口が近くにあれば手っ取り早いけれど、まだそれらしきものは保須市では見つかっていない。けれど保須市以外では実は目星が1か所付いたとの朗報もある。インゲニウム事務所とファットガム事務所が合同で大捕り物の計画を進めているらしい。薬の解析も進んで来ていて、段々と大きな事態になっているようだ。

 

 とりあえず他のサイドキックのメンバーと警察を読んで連絡しようとしたときだった。新調したコスチュームに付属しているインカムの調子がおかしいのか無線が繋がらない。周波数のチャンネルを三段階試してみたがダメだった。

 

「すみません、無線の調子がおかしいみたいです」

 

 腕組みしながらこちらを睨んでいるエンデヴァーにそう一言報告して、私は携帯を取り出す。

 

「電話で連絡を────」

 

 通話ボタンを押したが、電波が入っていませんとのポップアップが表示される。どこか確信めいた、嫌な予感がした。

 

「エンデヴァー、携帯の電波が入ってません。そちらの調子はどうですか。もしかしたら電波障害かもしれません」

 

 何だと、と不機嫌に返事をしたエンデヴァーも携帯を確認したがどうやら同じ状態らしい。苦虫を潰すような顔をしたエンデヴァーに何と進言するべきか。とりあえずはこのおじさんを署か事務所まで連行しつつ、周囲の状況を把握するべきだろう。

 

 そんなことを考えていたときだった。腕に装着していたリストバンドのバイブレーションが鳴る。これが鳴るのは通常の職場体験レベルでは想定できないほどの緊急事態が起きたとき、もしくはヴィラン連合と接触したときのどちらかのはず。

 

 それがこの通信障害が起きているタイミングで鳴った。嫌な予感が一層深まる。誰がピンチを知らせているのかは天哉と百ちゃんと先生にしかわからない。そしてその3人に連絡を取る手段を今の私は持ち合わせていない。だけど状況的に怪しいのは轟くんと心操くんの線が濃厚だ。何しろこの街にはあのステインが潜伏している可能性があるのだから。

 

「何かなっているぞ。どうしたのだ?」

「もしかしたら、焦凍くんがピンチかもしれません」

「どういうことだっ!?」

 

 私が息子の名前を出したせいか、急に詰め寄って来たエンデヴァーに強く肩を掴まれる。

 

「このリストバンドは敵連合などと接触したり、大きなピンチのときに鳴らそうってそれぞれ渡されたものなんです。この通信障害が発生している状況と、この街の治安を考えると焦凍くんたちの線が濃厚だと私は思います」

「濃厚とは何だ? 焦凍かどうかわからんのか? ハッキリしろ?!」

「すみません、誰がサインを出したかわかるのはウチの委員長たちと先生だけで、私には誰かがSOSを出しているってことしか……ただ、無線全ての周波数がおかしいというわけではないことはわかりました」

「何とも中途半端な仕様にしてくれたものだ。そして、どうして貴様はそんな大事な装備を先に申請していなかった?!」

「申し訳ありません」

「周波数の件はわかった。少し表に出るぞ。その辺のタクシーかバスの無線をまず借りる。それでダメなら迅速に事務所に戻り対処する」

「はいっ!」

 

 判断が早い。走るエンデヴァーの後を追い、20メートルほど真っすぐに歩いて大通りに出る。ちょうど回送中のタクシーがあったのでエンデヴァーが無線を借りるも結果は同じだった。私も道行く人に声をかけ、携帯を借りれないか尋ねるが、キャリアが違う携帯でも障害が発生していた。ここまで来ると作為的な臭いが強くなる。

 

 そしてそれを確信させたのは、鈍い地響きと遠くから聞こえる爆発音。音の方を振り向けば、もくもくと黒煙が立ちのぼっていた。多分、飛来物は大丈夫そうかな。火災への備えも────ひとつだけ消火弾をバックラーの中に格納している。消火栓の位置って……

 

「オラシオン、色々と頭の中で考えいるだろうが貴様は所詮見習いだ。いいな? 抱え込み過ぎるな。俺はあそこに向かう! 貴様は売人が目覚める前に拘束して事務所に直接連れていき、そこでサイドキックの支持を仰げ。わかったか?」 

「わかりました。お気をつけて!」

 

 私の返事を背中で聞きながら、エンデヴァーは颯爽と現場へと向かう。

 

「焦凍ぉお、今行くぞぉおお!」

 

 そりゃ息子のピン千の可能性が濃厚なら、気合も入るよね。轟くんやそのお母さんへの今までの仕打ちを聞く限り、全く擁護ができないぐらい酷い父親だとは思う。けれども、ひねくれていようとそれだけ愛してもらえている轟くんが少しだけ妬ましい。 

 

 さぁ、こんな余計なことを考えている場合じゃない。感応範囲を広く薄くしたら人の流れも把握できる。いざというときに誘導もできるだろうから、と私は個性のレンジを広げようとしてとんでもない失態に気付いた。

 

「しまった! 起きるの早っ?!」 

 

 売人のおじさんを気絶させただけで安心していたのが間違いだった。拘束をさっさとするべきだったし、突然の事態に集中力が切れておじさんの動きを個性でしっかり捉えていなかった。

 

 すぐさま私は個性による生命力の探査範囲を広げ、売人らしき人の動きを捉える。生命力の波長はちゃんと覚えていないけれども、この裏道を全速力で走っているなら十中八九この人が黒だ。

 

 それにしても意外とあのおじさんも素なのか個性なのか、なかなか足が速い。個性フル活用の筋肉疲労ガン無視モードで私もずいぶんスプリントしているのに、なかなか距離を詰められない。持久力でも私が圧勝できるけど、街がこんな状態なのに時間はかけていられない。

 

 そして感応範囲を限界値まで一瞬広げてみてまたもとのレンジに戻す。どうやら状況は悪化しているみたいだ。大通りの方では人の流れが混乱している中心部らしき場所が私にわかるだけで三か所存在している。一定方向に流れている場所は警察かヒーローの誘導が行われている場所だろうか。

 

 追跡を打ち切って大通りで手伝いをした方が役に立てるとは思うけれども、ハレルヤだって絶対に碌な薬じゃない。言いつけは絶対だと自分に言い聞かせて、私は追跡をどうやって早く終わらせるべきかに思考を戻す。

 

 まだお互いに姿は見えていないけど私だけは位置を把握できるのを生かしてルートを読んで先回りしよう。どこかで足を止めてやり過ごそうとするのならば、それはそれで儲けものだ。

 

 そう判断した私は別の路地に入り込んで少し進んだときのこと、すぐ傍の探査範囲、具体的にはもう一本裏の通りにおかしな反応があることに気付く。段々と弱っていくこの反応、出血の類に似ている。もう一人が近くにいるみたいだけれど、このペースだとせめて応急処置はしないとマズそうだ。

 

 この失態は悔しいけれど、目の前の人命(約束)の方が優先だ。売人は感応範囲内で居場所をマークできていたらいい。すぐに私は問題の地点へと駆け込み予想外の事態に遭遇する。

 

 敵だ。

 

 壁にもたれかかって刀傷を抑えるインディアンのようなコスチュームのヒーローの男性と、その眼前に立つ葉こぼれが目立つ刀を手にした赤い布を巻いた男。

 

 何度もその姿はビデオで繰り返し見た。見違えるはずはなかった。アイツがヒーロー殺し、ステイン。やっぱりこの街にいたんだ。情報だけでもって思っていたけれど、よりにもよって最悪なタイミングで出会ってしまった。

 

 幸い、まだ相手はこちらを視認していない。でも次の一瞬で多分気付かれる。

 

「────死んで正しき社会の供物となれ」

 

 ステインが刀を振りかぶった。もう考える暇はない。最速でできる策を行動に移す。

 バックラーに格納していた消火弾を投げつけた。今だっ!

 

「ちっ?!」

 

 完全に視覚から投げたはずだったのに、あっさりと私が投擲した弾は刀で真っ二つに切り割かれる。

 でもこれでいい。その可能性は織り込み済みだ。 

 

「煙幕だとっ?」

 

 弾に充填されていた消火剤が即席のスモーク弾代わりになった。

 ステインが私を見失っているうちに、負傷したヒーローを抱えて全速離脱する。

 

「なっ?」

「静かに」

 

 私の腕の中で驚くヒーローを小声で制する。

 わかっていたけれどお姫様抱っこしている負傷者は体格が良い。そのせいで私の足は思ったように進まない。

 

 この人が自力で走ってくれたらいいけれど、それはどうやら無理そうだ。

 個性で観察してみると何故だかこの人の全身の筋肉がほとんどマヒ状態になっているようだ。

 おそらくインゲニウムの言っていた、ステインの個性の影響だろう。

 

 このままだとすぐに追い付かれてしまう。早いところ巻かなくちゃ。

 次の曲がり角までの歩数は覚えている。そこまでが勝負だ。

 

 あと6、5、4────

 

「あぁああっ!?」

 

 突然右肩に激痛が走り、抑えていた声が漏れてしまった。

 

「ぐっ?!」

 

 抱えていたヒーローを地面に投げ出してしまう。 

 ごめんなさい。でももう、私には拾える余裕はない。

 

「そこだなっ!」

 

 次第に薄くなっていく煙幕から飛んで来た4つの物体。

 私の煙幕のせいで発見が遅れ、後手に回ってしまう。

 

 足に怪我をすれば全てが終わる。だから大腿部を狙ってきた1つはそのまま回避。

 それをステインは見越していたのだろう。

 さらに態勢を崩すために時間差で顔面に投げられたナイフを、私はバックラーで弾いて対処。

 

 そして“負傷者に向けられた残り2本”の内の片方はバックラーでさらに弾く。

 けれども、これで私の態勢はぐちゃぐちゃだ。

 

 そして負傷者にとどめを刺すはずだった最後の1本は、無理やり右手で受け止めるしかなかった。

 

「うぅっ……」

 

 奥歯を強く噛みしめて、嗚咽を堪える。

 掌に突き刺さるナイフが私の体を内側から燃やしているみたいだ。

 

「ほう、そこで身を挺したか」

 

 ほとんど引きつつある煙幕の向こうから悠々と歩いてきた男の低い声が路地裏に反響する。

 

「反応も上々、俺が相手でなければ状況判断も悪くなかった。おい、ヒーロースーツを着た子供」

 

 鋭い視線が突き刺さる。

 この眼を私はよく知っている、何人も殺してきた眼だ。

 間違いなくステインは本気だ。

 

「何、見逃してくれるの?」

「それはお前次第だ。幸い奴らが起こした通信障害で増援の心配もない」

 

 でも何故か口元だけは無邪気な子供のように、にっこりと笑っている。

 刀の切っ先を私の心臓部に突きつけるように向ける。その距離、約3メートル。

 戦うしか、ない。

 

「お前の価値を見せてみろ」

 

 じゅるりと音を立てながら自らの下唇から上唇に舌をはわせるステイン。

 気色悪いくらいに、とても楽しそうな声でアイツは私にそう言った。

 

 

 

 

 

 

 



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第38話 英雄問答

 状況を改めて分析する。大規模な通信障害で混乱したこの街の状況下ではまず援軍は見込めない。私一人で切り抜ける必要がある。そう考えながら一応リストバンドの救援信号を起動させておく。おそらく先に押したであろう轟くんたちがピンチを切り抜けて、こっちに気付いてくれない限りどうしようもないけれど。

 

 相手は私よりも遥かに格上。天哉に劣るとは言え、スピードも尋常ではなく、しかも相性の悪い刃物使い。私の感知能力では腕の振りとかは読み切れても、刃物には反応しないから間合いを考慮しなくちゃいけない。

 

 だから間合いの異なる刃物を無数に装備しているアイツ相手には下手に避けるより盾でキッチリ防ぐのが最適解になってしまい、こちらの行動が極端に狭められる。さっきの投擲がまさにそうだ。そう思案している間に私は奥歯を噛みしめながら右手に刺さっているナイフを引き抜いて、素早く止血テープで右手の傷を塞ぐ。

 

 そして後方で麻痺しているヒーローは回復の即座が見込めないのも最大の障害だ。麻痺なんて強力すぎる個性にはおそらくある程度の時間制限はあるはずだけど目途が立たない。それに神経系に作用していると推測される以上、私の個性で治療も不可能ではないだろうけれど、じっくり解析しないと対処方がわからない。

 

 それからアイツの私を試すような言動。今までのデータ分析からしてもしアイツのお眼鏡に適うのなら私だけは見逃してくれるかもしれない。でもそれはダメだ。

 

 こんな崖っぷちに追い込まれた私はようやく回答に辿り着く。そもそもヒーロー殺しステインは思想犯だ。オールマイトが初めての模擬戦で言っていた戦闘以外の手段に訴える。舌戦で説得して退かせるか、ヒーローの回復を待つ。きっとこれが今の私にとれる最適解のはず。そう私は結論付けた。

 

「私の価値、ね。アンタはそうやってヒーローにふさわしいかどうか選り分けて来たんだ」

「今の世の中には欲に塗れ、ヒーローを名乗る資格のないものがあまりにも多すぎる」

「その資格の基準って何なの? 私、あんまり頭良くないからさ。私にもわかるように教えてよ」

「ほう。そこに興味を抱くか。あぁ、いくらでも語ってやろう。だが――後ろのそいつを始末してからだ」

 

 全然だめだ。私一人のときならよかったのかもしれないけれど、これじゃ話で時間稼ぎできる気がしない。殺すことしか頭にないじゃんコイツ。

 

「はい、そうですかって私が素直にここを通すと思う?」

「思わんな。だからこうするまでだ」

 

 そう言って私が投げ捨てたナイフを広い、血塗られた刀身をぺろりと舌で舐めるステイン。

 

「何、この変態っ!? キモ…………えっ?!!」

 

 そうか、血を通して発動する個性だったのか。だけど、もう今さらだ。抵抗するすべもなく私の躰は膝から崩れ落ち地面に叩きつけられる。だめだ、自由が利かない。

 

 私の血を介して全身の神経系が侵されている。まともに動くのは肺や心臓の循環系、眼球に表情筋、声帯や口元など顔回りなどのごく一部だけ。四肢に関してはまったく何もできない。

 

「すぐに終わる。話はその後だ」

 

 ステインが這いつくばっている私の横をすり抜けて、いまだ動けないインディアン風のヒーローの元へと向かう。 

 

「やめてっ! 殺しはだめ。殺すのだけはだめなんだ!」

 

 解析しろ、解析しろ、解析しろっ! 私自身の躰は私が一番わかっているんだ。絡まりあった毛糸を解くように神経を縛り付けるアイツの鎖を一刻も早く!

 

「おまえは今の言動見る限りでは生かす価値がある。今見る限りでは、な。だがコイツは見るに堪えん」

「……クソがっ!」

 

 そして足を止めた奴は日本刀を大上段に振りかぶり────

 

「死に際のセリフがそれか。やはりおまえは相応しくない。死ね」

「逃げてっ!」

 

 首が、飛んだ。

 

 絞るように出した声は何の役にも立たなかった。命の気配が噴き上がる鮮血と共に急速に抜けていく。私の個性の全能力を以てしても助かる見込みはない。紅い海がほの暗い路地裏に広がっていき、私の躰を浸していく。

 

 もう私一人だ。逃げる算段を立てなきゃ。ほんの少しだけ、左手の小指が動かせる分だけ、たったこれっぽっちだけどようやく麻痺の糸が解けた。やり方はわかった。私の個性は本質的にはコイツの天敵なはずなんだ。だから口車で時間を稼ぎながら早く、もっと早く解除するしかない。

 

「動じないか」

「そんなわけ、ないでしょ……」

 

 何、言ってんのコイツ。切り離された頭部をゴミ捨て場の方に蹴り飛ばしながら、ステインはそう言い捨てた。血に塗れた日本刀を拭うこともなくそのまま鞘へしまい込んだ。

 

「おまえ、死を見慣れているな?」

「よくわかるね。百人から先は数えるのを止めたよ」

 

 唇に、僅かに残った命の残滓が触れる。随分と遠い昔に味わったきりの懐かしい味がした。

 救けられなくてごめんなさい、無駄にはしません。今の私はそう心の中で謝ることしかできない。

 

「どうやらまともな人生を送って来たわけではなさそうだな」

 

 私の頭の近くに来てしゃがみこんだステインはそう呟いた。私を凝視するその眼は血走っていながらもさっきまでの殺意は微塵も感じられない。純粋にコイツは私を試し、興味を抱いている。きっと嘘は悪手だろう。

 

「まともな人生かぁ。綺麗すぎて、眩しすぎて。そう、妬ましくて────正直反吐が出る」

 

 天哉に百ちゃんみたいな良家のお坊ちゃんにお嬢様だなんてまさに夢物語。梅雨ちゃんや茶子ちゃんの家族話を聞くたびに胸が締め付けられる。緑谷くんや心操くんの苦悩に共感しながらも、ときどき後ろ暗い気持ちが湧いてきて、そして真っすぐに育とうとする彼らと自分との差を見て絶望する。

 

「でもそうなりたいって世界が、希望が確かにあるんだってわかることはいいことなんだ」

 

 私は最低な人間だっていう自覚はとっくにしている。そもそもヒーローになる資格なんてないんだってことも。でも私は生きなくちゃいけない。生きるためには同情でもなんでも引いてやる。

 

「私が知っている世界は醜くて、荒んでいて、ただただ生きるのに必死になるしかなかった」

 

 天哉みたいな綺麗ごとじゃコイツを説得なんてできやしない。コイツがこんな狂った思想に嵌った経緯、根幹に少しでも近づいて、思想に介入する。そこまでしなきゃ私は助からないし、また同じ悲劇が繰り返される。

 

 だから私はためらわず心の奥底に秘めていた恥部を口にすることにした。

 

「私を食べるだとか、交配実験させるだとか、神様になれだとか、みんな馬鹿ばっかり。勝手に殺しあって、勝手に周りの人たちを巻き込んでさ」

 

 (ヴィラン)も、ヒーローも、警察も、信者も、普通の人たちもみんな死んでいった。

 

「でもだからこそだよ。どん底を知っているからこそだ。私は今のヒーローたちが守ってくれている綺麗な世界を壊したくはないし、私みたいな境遇の人が増えないようにしていきたい。自分勝手な理屈で道理を捻じ曲げて他の人を不幸にする人たちは許したくない」

「それがおまえがヒーローを目指す理由か?」

「そうだよ。約束したんだ。最高のヒーロー(レスキュー・ワン)から願いを託されたんだ」

 

 ────オラシオン(祈り・願い)

 

「『僕の分まで生きろ』って」

 

 いい名前を付けてくれてありがとうね、天哉。

 

「そして『君の個性で僕が救うはずだった人たちよりも多くの人を救ってくれ』って」

 

 願い(コレ)こそが私のスタートラインだから、絶対にこの道から私は逃げない。

 

「レスキュー・ワン、懐かしい名だ。そうかおまえがあのエンドレスの娘か。だが解せんな」

 

 かがんだ状態から更に首を伸ばしてきたアイツの生臭い吐息が鼻に触れる。

 

「何故父親が殺したヒーローを慕う?」

「簡単な話だよ。父さんは自分自身以外誰も殺してなんかいないし、レスキュー・ワンはそもそも私を狙って来た(ヴィラン)にやられた。あとは政治的な理由でうやむやになった。アンタにはこれ以上は言うつもりはない」

「嘘ではなさそうだな────がしかし全てではない。その隠したい部分こそがおまえの本質があるのだろう?」

「これ以上はセクハラだよ。それよりもアンタのことを聞かせてよ。どうして“英雄回帰”だなんて思想に行きついたの?」

 

 見開かれた瞳が遠ざかる。そしてステインは空調の室外機に腰かけた。

 

「露骨な時間稼ぎか。だがいいだろう。硬直が解けたところで、俺からは逃れられん」

 

 アーミーナイフが2本飛来する。そしてご丁寧にそれ私の両方の手の平を地面に縫い付けた。

 

「ぐぅ……ったいなぁ。同じとこ狙う、フツー?」

「おまえは未だに読み切れん。だが真に価値ある者ならば生かしておこう」

「ねぇ、ずっと気になってたんだけどその価値の線引きって一体何なの? 英雄としての資格て何を基準に話をしているのさ?」

「金銭欲、名誉欲、そういった私欲に塗れ、英雄という立場を詐称する輩と、見返りを求めず自己犠牲の精神を以て(ヴィラン)を断罪する者。それが英雄の境界だ」

 

 調べていた通りの答えが返ってくる。そして言葉一つ一つへの熱の籠り方から、本気で言っていることも理解できる。あまりにも本気過ぎて、私は言葉を一瞬失った。遠くで鳴り響く僅かなサイレンだけが私の耳元に届く。

 

「理解できん、という顔だな」

「理解はできるよ。でも共感はできないかな」

 

 いかれ野郎だとか、馬鹿じゃないとかいう罵倒の言葉よりも先に、もっと根本的な価値観の相違が私には許せなかった私の口は勝手に言葉を紡ぎだした。

 

「スタンダールとして活動していた頃からの情報、色々漁ってみたよ。そして今の言葉で納得した。線引き以前のところでアンタは思い違いをしていると私は思う」

 

 ナイフがさらに1本、私の頬を掠めた。

 

「吐いた言葉は戻せんぞ。回答によっては子供であっても危険因子としておまえを摘まねばならない」

「とりあえず全部聞いてから判断してよ。そもそもアンタは英雄の仕事をさ、(ヴィラン)を倒すことだけってしか考えていないんじゃない? さっきの言葉は私にはそう聞こえた。私は違うと思う」

 

 ハァ、ハァと、荒げる息をしながらも、ステインはどうにかまだ私の声に耳を傾ける気では居てくれるようだ。

 

(ヴィラン)だけじゃない、火事や地震なんかの災害、あらゆる理不尽や身の危険から救けてくれる人。それが英雄の定義だと私は思う」

 

 茶子ちゃんにとっての緑谷くんや心操くん。私にとってのお父さん、レスキュー・ワンや天哉。メビウスのみんなにとってのお母さんみたいに。

 

「本当は英雄はいっぱい居るんだ。ヴィジランテの人たちはもちろん、親兄弟や恋人、学校の先生なんかもそうかもしれない。誰かにとっての英雄はみんなバラバラで、そうやって助け合って生きてきたのが人間の営みじゃないの?」

「下らん理想論だ、それでは社会はっ!」

「だから法律という枠組みができて、みんなを守るために職業ヒーローが居る。そうじゃないの?」

「社会を成立するため、運営するために法はある。確かにおまえの言うとおりだ。しかし法では裁けぬ輩もいる。法による処罰では抑止力として成り立っていないから(ヴィラン)が新たに現れる! 違うか!?」

「違わない。そこは私も同意見だよ。穴だらけの法も、腐った政治家や実業家、警察は多くはなくとも確かに居た。お父さんや私や、庇ってくれた人たちを追い詰めた」

 

 ごはんも寝るところもなかった酷い生活はもう嫌だ。でもオールマイトが登場する前の時代は似たようなものだったらしい。そして比較的治安の高い日本以外の世界は私よりずっと酷い目にあっている人たちがたくさんまだまだいるはずなんだ。

 

「でもね前に進んでいるんだよ。少しずつでも良くなっているんだよ。この世界は。法律だって変わる。ヒーローだってたくさん増えた」

「そのヒーローが腐っているといっているのだっ!」

「お仕事なんだよ、お金をもらって何が悪いの?! 警察や政治家や、重要な公務員は高給取りがあるべき姿でしょ。どこかの国みたいに賄賂を蔓延させるつもり? 理想だけじゃ人間は生きていけないんだよ。食べていけないんだよ?!」

 

 あぁ、スイッチ入れちゃった。でも許せない。殺しとか、天哉のお兄さんを傷つけたこととかそんなこと以前に。こいつの生きることに対する甘えが許せない。

 

「飢えたことなんてないんでしょ? そもそもお金をちゃんと稼いだことはあるの? (ヴィラン)とヒーローの殺傷以外の犯罪行為は絶対にしていないってオールマイトに誓えるの?」

「おまえがオールマイトを語るなっ!」

「アンタこそ上っ面だけで何も知らないくせにっ!」

 

 一気に言葉をまくし立てる。ここが分岐点だ。冷静さを奪え。視野を狭めさせろ。

 

「訴えたいことがあるなら本でも執筆して、政治家でも目指すべきだったんだ。英雄の線引きなんてもうどうでもいいよ。お金を、生きることを舐めてるアンタとは絶対に価値観が相容れない!」

「そうか、もしや志を共にできるかと思ったが。俺もおまえとはどうやら相容れないようだ。語るべき言葉はもうない」

「私もないよ。虫唾が走る。話したくない」

「そうか。ならば、死ね」

 

 拘束はもう解けた。来る(・・)タイミングも合わせた。拳に訴えるなら今しかない。

 

「チェストッ!!」

 

 無理やり腕力でナイフを地面から引き抜きそのままアッパーを顎に当てる、つもりだったけれど顎先をほんの1センチ程度掠めただけ。でも体制を崩して間を広げられた。そして────

 

「巫女様っ!」

「ここにおられたのですね。ここは我々をお使いください!」

 

 メビウスからつけられていた男女二人の顔見知りの護衛。ハレルヤの売人を逃した地点から全力で走ったから一度は巻いてしまう形になったけれど、ようやく私を見つけてくれたらしい。

 

 ヒーローを目指す者が頼るのも情けない話だけど、圧倒的格上相手だ。そしてこの二人の実力は私自身が良く知っている。プロほどじゃないにしてもウチのクラスのメンバーよりは強い、いや個性は微妙でも戦いそのものに慣れている。

 

「あんまり頼りたくはなかったけれど。これで形勢逆転だね」

 

 

 

 

 

             ×          ×

 

 

 

 

 したり顔でそう言っていたのはたった1、2分前のこと。無残に横たわる亡骸が増え、残っているのはもう私だけだ。どれが私の血なのかわからないほどに他のみんなの血で塗れたおかげなのか、使用限度があるのかステインは個性を使ってくることはなかった。

 

 負傷しているとはいえ、力は嘗てないほどに満ちている。だから反動は全部無視して身体能力をふり絞り、なんとかステインの攻撃をしのぐことができていた。

 

 でも、もう時間の問題だ。スタミナと筋力にこそ問題はないけれど、盾が削られ、動きも読まれ出している。ワイヤーなんかの盾のギミックも出し尽くしてこの様だ。

 

 誰か、救けて。そう心の中で叫んだのが届いたのか、ありえない速度で近づいてくるよく知っている気配の存在に私は気付いた。

 

「えっ、天哉っ?!」

「巡理くん!!?」

 

 気付いていたけれど、実際に白く輝くフルアーマーを視認するまで信じられず、思わず変な声が出た。

 天哉も少し上ずったような変な声を出した。

 

 きっと私はこのとき心底安心したんだろう。大丈夫だって。

 

 だから一瞬だけ気が抜けてしまった。 

 

「────眼を離したな?」

 

 その対価がこの様だ。

 胸の真ん中から刀が生えていた。

 

 痛いという感覚すらもうわからない。

 

「貴様ぁああああああっ!!!」

 

 私のために怒ってくれているのかな。

 でもダメだよ。天哉。

 

 君一人じゃ絶対に勝てない。だから待っていて。

 すぐそっちに行くから。

 

「おじちゃ……、ごめん。やくそ、く。ひとっ、やっ……よ」

 

 私は普通には死ねない(・・・・・・・・)

 生き続けるためだけに、私の個性は存在する。

 そういう風に私は生まれてきたはずなんだから。

 

 こんなケガの1つや2つ大したことじゃないはずなんだ。

 昔はできていた(・・・・・・・)

 思い出せ。あの時の『生きたい』って気持ちを。

 

 天哉と2人で生きて帰るんだ。

 誕生日にケーキを食べるんだ。

 

 医者になって、ヒーローになって、みんなの分も生きるんだ!

 

「……きるんだ」

 

 ここで3人分の命を私は背負った。

 だから私が今ここで倒れるわけにはいかないんだ。

 

「ぁたしぁ……いき、っんだ」

 

 なんだ、やれるじゃないか。

 

 筋繊維が、血管が、神経が、内臓が、活性化し、増殖し私の傷を塞いでいく。

 

 ぽっかりと空いていた胸と両手の穴、肩の傷も、そして何より長い間忘れていた力の使い方の記憶も全部元通りだ。

 

 暖かな血の海から這い上がり、私は地面を再び踏みしめる。

 

「────私はいきるんだっ、願い(いのち)を、託されたんだからっ!!」

 

 

 




因みに巡理はO型(6話)なので、個性抜きでも割と復活が早かったりします。



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第39話 揺れる正義

 眼前で行われた凶行。

 あまりにも突然の出来事に、俺は呆然と足を止めてしまっていた。

 

 決してその光景に恐怖したからではない。

 ただただそれを現実だと俺は受け止めることができていなかったからだ。

 

 まるで時そのものが止まったかのように、思考も感情も停止していた。

 血の海に沈みゆく彼女の躰を抱きかかえることも、駆け寄ることさえもできなかった。

 僅かにでも生存の可能性にかけて、病院へ運び込むべきだった。

 

 あと少し、あとほんの少しでも早ければ。

 でも俺は遅かった。間に合わなかった。

 

 あと少し、あとほんの少しでも冷静でいれば。

 でも俺は愚かだった。やるべきことを何もわかってはいなかった。

 

 あと少し、ほんの少しでも彼女のことを気にかけていれば。

 でも俺は動向に気付いていなかった。そもそも彼女をこの土地から引き離すべきだった。

 

 ────だがこのときの俺はそんなことなどを考えるだけの余裕などなかった。

 

 怒り、絶望、憎悪、後悔。さまざまなものがない交ぜになった感情がとめどなく溢れ出す。

 そしてそれは一瞬で激流と化し、全てを押し流していた。

 

「貴様ぁああああああっ!!!」

 

 流れに、身を、心を任せ、俺は駆け出していた。

 

「また新手か、速い!?」 

 

 全力でコイツを叩き潰す。それしか俺の脳内には残っていなかった。

 俺は愚直に最短最速を以て奴に突撃した。

 

「だが、それだけだ」

 

 動き全てを見透かされていたかのように、俺の進路上の空間に刃がそっと添えられていた。

 奴が何をせずとも、次の瞬間に俺は自ら凶刃に飛び込んでいくことになる。

 

 避けようとして無理やり重心を右に傾けながら走ろうとした俺は────

 

「くっ!?」

 

 血で滑りやすくなった地面に気付かず足を取られた。

 無様に俺は紅い海へとバレルロールを決めるはめになった。

 しかしその醜態によって俺は窮地から間一髪逃れることに成功する。 

 

「動きは無様そのもの、だが運が良かったな。おまえは何者だ?」

 

 血で転がるように滑って勢いを逃せたおかげか、地面に叩きつけられたダメージはほとんどない。

 決して目を逸らさず、俺はゆっくりと立ち上がる。

 

「俺は……僕の名は『天哉』! お前が襲ったインゲニウムの弟で」

 

 もう、時間は巻き戻らない。ならばせめて。

 

「友の仇を討つ者の名だっ!」

 

 こいつの凶行の連鎖はここで断ち切る。

 俺がやらなければならない。

 それが間に合わなかったことに対するせめてもの罪滅ぼしだ。

  

 そう。例え、俺の全てを投げ出したとしても。

 

「ハァ、そうか、おまえも学生だったか。仇討ち、結局は私怨に染まるか。おまえも相応しくないな」

 

 倒れ伏す巡理くんの亡骸を一瞥だけしてステインはそう言い捨てた。

 

「何故彼女を殺したっ!」

「自身の生活を優先するその考え、それはそのために他者を虐げるに近しい者の考え方だ。一般人ならまだしもヒーローを目指すものとしては不適格だ」

「お前に巡理くんの何がわかる!?」

「不要なことなど知る必要はない。不適格だと断じるに十分な材料があった。殺す理由はシンプルだ」

 

 俺たちは両者とも足を止め、互いの主張を交わす。

 ただ単にこいつを“殺すだけ”ではダメだ。

 あいつのふざけた理念ごと砕き折らなければ、倒れた人たちは────巡理くんは報われない。

 

「ふざけるなっ、俺だって全ては知らない。だがエンドレスの娘だった彼女が堕ちるだけの機会は、理由はいくらでもあったはずなんだ」

 

 飢餓、貧困、庇護者の不在、差別、偏見、母親との比較。

 道を外れる機会には困らなかったはずなのに。

 

「それでも、それでもだ。彼女は真っすぐに生きようとしたんだ。そんな彼女を殺す理由など、どこにもあるものか!」

「ヒーローが(ヴィラン)と近しい考えを持つなど言語同断。ヒーローを目指すのならば、断罪者としての自覚が必要だ。さらにアイツは偽物の間引きを邪魔し、狂信者を盾に己の保身を図り、道を誤った。断罪する理由には困らない女だ」

「道を誤ろうとするものがいるならば、それを諭すのが、手を差し伸べるのが。互いを理解しようと努めるのが、そうでなくても互いの折り合いを探って行くのが、今の社会を変える道じゃないのか? それにそもそも彼女は決して間違ってなんかいない!」

 

 全ての障害、障壁をなくすことはできなくとも、俺は、俺たち1-Aはそうやって友情を築いて来たんだ。

 

「理解、折り合いだと? おまえもあの女と似たようなことを言うのだな。だがそれでは遅い、変革するには余りにも脆弱過ぎる!」

 

 声を荒げ、ステインはそう主張する。

 

「実感の伴わない小さな訴えでは届かぬのだ。大きな痛みが、恐怖がなければ。誰かが血に染まらねば、社会は気付かぬのだ!」

「暴力によって解決しようだなんて(ヴィラン)の考えそのものだ! ふざけるな、何が英雄回帰だっ!」

「その言葉、そのままおまえに返すぞ。目先の憎しみに溺れ、力を奮わんとするおまえと(ヴィラン)になんの差がある? 私怨に走るおまえこそ最も正義から遠い存在だ」

「お前が、正義を決めるな! ────そんなこと」

 

 まさにブーメランを投げ返された形だ。

 奴の言葉が嫌というほどに鼓膜へと突き刺さる。だがしかし俺は。

 

「そんなことなんて、とっくにわかっている!!」

 

 理屈ではとっくにわかってはいるんだ。

 

 でも、それでも俺の意思は変わらない。

 巡理くんの命を奪ったアイツに対しての許容などできない。

  

 アイツと同じところまで堕ちたとしても、そうするべきだと。

 俺の心が、感情がそう叫んでいる。

 

 この誤った選択をきっと一生、後悔するだろう。

 

 ただ、今だけは。巡理くんを殺した張本人と対峙しているこの瞬間だけは。

 道を外れることにもはや何の躊躇いもなかった。

 

「レシプロ バ―スト!!」

 

 これは余程の条件下の戦闘でない限り開幕直後に使う技なんかじゃない。

 でもこのときの俺はそんな簡単な理屈などどこかに吹き飛ばしていた。

 

 血で滑って転ぶだなんて無様はもう晒さない。

 確かに地面を踏みしめて、ステインへと接敵する。

 

 アイツの個性はわからない。

 だが兄さんの証言と映像から推測するに、おそらく斬り付けられた時点で拘束されると考えていい。

 

 決して相手の攻撃を食らわずに、この一瞬で片を付ける。

 

 経戦能力を全て放り捨て、圧倒的な速さを手に入れたこの僅かな時間。

 この短い時間内に流れを作り、主導権を握り、確実にステインを仕留めろ。

 

 速さは間違いなく俺の方が上だ。

 だが戦い慣れているステインの反応は超人的だった。

 

「死ね」 

 

 俺の動きに合わせるかのように、日本刀を袈裟切りに振り抜く。

 このまま突撃したのならここで俺は終わりだ。

 

 そのまま進んでも、とっさに軌道を横に逸らそうとしてもあの刃からは逃れられない。

 俺には爆豪くんのような機転もなければ、巡理くんや緑谷くんのような読みのセンスもない。

 

「うぉおおおおおっ!」

 

 だから俺は更に前へと進んだ。

 

 俺の個性のギアの重さは、エンジンの回転数にはこれ以上の数値はまだ存在しない。

 

 だが走り方は変えられる。

 より鋭く、より効率的に走るために俺は鍛えてきたのだから。

 

 あと必要なのは躊躇せず前に進む覚悟だけだ。

 恐れるものなどもう何もない。何も為せずに、ここで終わること以外には。

 

 それで限界点である本来のレシプロバ―ストの速度よりも更に加速できる。

 もう半歩、一歩分だけは奴の懐に潜り込める! 

 

「何……だとっ?!」

 

 振り抜かれた日本刀の鍔元をつま先で蹴り飛ばす。

 衝撃に耐えきれずステインは刀を手放した。

 

 宙に回転しながら投げ出された日本刀、その行方を一瞬だけでも追ったステインの視線を俺は見逃さなかった。

 

 次で、決める!

 

 刀を蹴り飛ばすために振り上げた右足を利用し、そのまま脳天を目がけ踵を振り下ろす。

 それに対し、とっさにステインがとった行動は真下へしゃがむことだった。

 

 本来ならばそれは愚策中の愚策だ。

 より低く、蹴りの勢いのついてしまう位置で攻撃を受けてしまうのだから。

 

 しかし俺は油断していた。

 相手が刃物使いだという固定観念に囚われ過ぎていた。

 

「なっ!?」

 

 軸足を掬われる。まさか相手が蹴りを使ってくるだなんてほんの少しさえも考えていなかった。

 さっきの目線もフェイントだったのかもしれない。

 

「じゃあな」

 

 仰向けに倒れ伏そうとする俺に対し、奴はナイフを頭上に振り上げた。

 

「やられるかっ!」

 

 地面に背中をぶつける寸前、受け身の要領で地面を両手で弾く。

 反動を利用して、ヘルムの額部分を奴の鼻元へとぶつける。

 

「……がっ」

 

 最早なりふりは構っていられなかった俺はさらに、とっさに血を掬って投げつけた。

 

 腕で目元をガードされたため、目つぶしにはならなかったが視界が一瞬でも塞げた。 

 だがステインはそんな状況でも後方に飛び退きながら、ナイフを俺の首元目がけて正確に投擲する。

 見えていないはずだというのに、ステインの挙動は奇襲後の俺に完璧に対応していた。

 

 こちらも態勢が崩れていたために左右に避ける余裕はなく、左腕部で受けとめることで窮地を脱した。

 

「ぐはっ!!」

 

 筆舌に尽くし難い痛みが俺を襲う。

 致命傷ではなくとも、俺の集中力を奪うのにその一撃は有効だった。

 

 さらに愚かなことに俺は痛みのあまり目を一瞬瞑ってしまった。

 それはステインが俺の視界から消え去るのには、余りにも十分すぎる時間だった。

 

 背後から迫る刃の気配に気づいたときには、俺はもう悟ってしまっていた。

 俺は、ここで終わるのだと。

 

 俺が兄さんのように強ければ。

 私怨に囚われず、兄さんのように高潔であり続けることができたのなら。 

 

 この結末も、何かが変わったのだろうか?

 

 嫌だ。こんなところで、何もできないまま終わりたくない。

 でも力が足りなかった。

 

「救けてくれ……兄さん」

 

 決して届くはずのない声、しかしそれに呼応するかのように────

 

『天哉っ!』

 

 死の間際の幻聴だろうか。

 ほんの一瞬、兄さんの声が聞こえたような気がした。

 

『俺を、信じろっ!』

 

 そしてその瞬間から俺は体の制御権を失った。

 

 背中を晒した状態から上体を急反転させ、刃の腹部分をアーマーの右腕部で弾くように受け流す。

 だがそれだけでは終わらない。

 

 俺の体は上体をねじった勢いを利用し回転しながら、ステインの巻物を掴んで背負い投げようとする。

 それに対してステインは握っていた刃物を地面にすて、投げの衝撃を受け流そうと両手を地面へと伸ばす。

 

 そしてさらに先の風景を俺は見た。

 

 ステインの指先が地面に着くか否かの瞬間、地面に脳天を衝突させる直前に蹴りを側頭部に叩きこむ。

 完全に無防備な瞬間に痛烈な一蹴を受けたステインは、成す術もなく建物の壁へと叩きつけられる。

 

 俺が使えるはずのない煩雑な挙動。

 だがあれが洗練された理想の動きだったということは、俺本人が誰よりもわかっていた。

 俺の個性を、体格を知り尽くしたかのように最適化された動きだった。

 

 そして傍観者だったような感覚からいつの間にか開放された俺は、ただただ状況に困惑する。

 

「なんだ……今の動き、いやあの感覚は?」

 

 拳をゆっくり開き、そして握りしめる。

 いつも通りの自分の体だ。先ほどの動き以降、エンストでレシプロが切れてしまったこと以外は。

 

 ステインの方を見るが、起き上がってくる気配はない。引導を渡すなら今だ。

 

 少し離れた建物の壁面上部に突き刺さった日本刀に視線を動かす。

 あれがいい。巡理くんを貫いたあの忌々しい日本刀で同じ場所へ送ってやる。

 

「ぁたしぁ……いき、っんだ」 

 

 そう俺は決意して、ゆっくりと日本刀の方に向かおうとしたときに背後から声が聞こえた。

 

「────私はいきるんだっ、願いを、託されたんだからっ!!」

 

 もう二度と聞くことはない、そう思っていた声が。

 

「巡理、くん?」

 

 だらしなく開けてるであろう口元から、そんな間の抜けた音が漏れて来た。

 

「久し振りだね、天哉」

 

 かけるべき言葉が分からなかった。

 それ以前にだ。これが現実だと信じることができなかった。

 

「怖い顔しないで。大丈夫、私はここに居るよ。ちゃんと生きているよ」

 

 歩み寄って来た彼女はその柔らかな手で、俺の右手を包み込んだ。

 

「……夢じゃ、ないんだな?」

「夢なんかじゃないよ。ほら、胸の傷もふさがってるでしょ? リカバリーガールみたいなことできるようになったんだよ」

 

 努めて明るく笑おうとする彼女は最近新調したコスチュームのファスナーを胸元まで下げ、心臓部あたりにあった傷跡がもう残っていないことを示す。

 

「良かった。生きていてくれたんだな」

「そうだよ。私はちゃんと生きている────だから」

 

 彼女は俺の両肩の、アーマーで覆われていない部分をグッと掴む。

 

「いつもの、いつもの天哉に戻ってよ」

 

 痛みを感じるほどに強く、強く。

 

「怖い眼はもう止めて。生真面目で、鈍感で、空回りして、公平で優しいいつもの天哉に戻ってよ。私は生きているから。大丈夫だから。夢も何もかもを棒に振るようなことだけは絶対に止めて!」

「あぁ、わかった……君が死んだと勝手に思い込んで、さっきまでの俺は正気じゃなかった」

 

 そう言った俺に対して、ヘルムの両頬に手を当てた。

 

「いつもの眼だね。よかった」

「心配をかけてすまないな。それよりも──」

「アイツだね」

 

 彼女が視線を向けた先には、ふらつきながらも再び立ち上がって来たステインの姿。

 

「生きていたのか?」

「生憎と簡単に死ねない個性でね」 

 

 腕で顔に付着した血糊を拭いながら彼女は言った。

 

「チッ、あまりにも効きが悪いと思ったがそういうことか。まさか同類だとはな」 

 

 舌打ちしながら、何かを一人で納得しているステイン。

 

「何が一緒なもんか。あんたと一緒だなんて、一生ごめんだ」

 

 奴の言葉は俺には理解できないが、巡理くんはステインの言葉が何を意味するのかがわかったのだろう。

 

「天哉」

「なんだ?」

「絶対に生き残るよ、二人で」

「当たり前だ。しかしすまない、レシプロを早々に使ってしまった。だからしばらくは離脱もままならない」

「仕方ないよ。博打だとしてもサシならアレしか勝機はなかっただろうし、現にコイツ相手にまだ生き残ってるなら大正解だって。それで私たちの勝利条件なんだけど、そのときまで生き残るでいいよね」 

 

 “エンジンが再び使えるまで”という言葉はステインに伏せて言う巡理くん。

 

「いや、もう一つだ。“猫”もこの場所を知っている。どっちが早いかわからないが────」

「うん、それは朗報だね。オーケー、希望が出てきたよ」

 

 ピクシーボブのこともちゃんと伝わったようだ。

 救援が来るか、エンジンを使って二人で離脱するか。それまで粘るしかない。

 

「あとアイツに血を舐められたら、動きを止められる。どっちも他の人の血で塗れてるから多分リスクは少ないけれど、斬り付けられた直後は気を付けて」

「了解だ」

 

 血を舐めるか。兄さんと戦っていた映像でも確かにその挙動をしていたな。

 

「それから脚部の負傷はなるべく避けてね。前提条件が崩れちゃう。盾を持っている私がなるべく引き付けるから、天哉はそれに合わせて隙をついて」

「あぁ任せろ。俺たちほど息の合うコンビもそういまい?」

 

 例えエンジンが使えなくとも、連携を知り尽くした相棒との二対一。勝機はゼロではない。

 

「ジュース持って来てる?」

「あぁ、だが無防備に飲んでいる暇なんてないぞ」

 

 巡理くんは差し出した缶を拾ったナイフで上部を一気に切り取った。

 そして俺のアーマーのラジエーター部分に直接ジュースをぶちまける。

 

「ぬるいけど気休めにはなるでしょ?」

 

 少しでも早くラジエーターが回復してエンジンが使えるように。

 確かに気休めかもしれないが、何も行わないよりずっとマシなはずだ。

 

「ハァ、たかが子供が二人。まとまったところで何もできん。しかしその潜在能力は認めよう。だからこそお前たちが社会に仇為すその前に、ここでまとめて死んで行け」

「やだね!」

「あぁ、まだ死んでたまるものかっ!」

 

 どっしりと盾を構えた巡理くんを先頭に、俺たちはステインへと立ち向かう。

 盾で防ぎにくいように、そして二人同時に対処しやすいようにだろうか。

 ステインはナイフの二刀流で巡理くんと相対する。

 

 手数において巡理くんが押されているならば、まずは隙を作るのが俺の役目だ。

 路地裏に積まれていたゴミ袋を巡理くんの陰から投げつける。

 

 案の定ステインはバックステップしながらもそれを切り裂き、あたりにはゴミが散乱する。

 宙に散らばったその内の一つを掴んだ巡理くんがゴルフボール大の何かを投擲するが、次は身を反転させることで躱したステインが無駄な動き一つなく前へ進み、巡理くんへ接近してくる。

 

「目くらましにするには挙動が雑過ぎる。せめて先ほどのように血を浴びせるくらいはしろ」

 

 ステインは強者の余裕ゆえか、講釈を垂れ流しながら刃を振りかぶる。

 

「どうせ私は、大雑把なO型だよっ!」

 

 例え、個性が今は使えずとも。

 個性だけが俺の得た強さじゃない。

 

 ────キャットコンバット

 

『必要なのは充分なタメとそれを生かすしなりだ』

 

 虎の教えが俺の脳内で反響する。

 

『鞭のような軌道で、視界の外から刈り取れっ!』

 

 合図など不要だ。

 巡理くんはとっさにその場へとしゃがみ込む。

 

 その空いたスペースに飛び込んできたステインの顔面に向かって渾身の蹴りを解き放つ!

 

「先ほどまでの勢いはどうした? 良い蹴りだが、パワー不足だなっ」 

 

 交差した両腕で俺の蹴りは受け止められる。

 だけどこれでいい。両腕を使わせた。この事実だけで充分だ。

 

「パワー担当は、私だってのっ!!」

 

 しゃがみ込んで相手の視界から消え、全身のバネを使って伸びあがるようなパンチが炸裂する。

 ガラ空きになった鳩尾に叩き込まれたステインは後方へと殴り飛ばされた。

 

「綺麗に飛ばされ過ぎ、半分は自分で飛んでるね。勢いを殺された」

「すまない、俺がもう少し強く態勢を崩すことができていれば……」

「怪我一つ増えてないんだから、それだけで上出来中の上出来。高望みはダメだよ天哉」

 

 そうだ相手は遥かに格上。

 接近戦しか手段を持たない俺たちがこれだけの手練れを凌げるのならばそれだけで十分すぎる成果だ。

 

「今のは悪くない拳だった。だからこそ惜しい。俗世に染まっていなければ共に歩めたかもしれないというのに」

「少しでもダメージ入ったかなって思ったけど、ピンピンしてんじゃん」

 

 巡理くんの頬に一筋の汗が流れる。いくら阿吽の呼吸で合わせることができても、ステイン相手に切れる手札はそう多くはないことは二人ともよくわかっていた。

 

 早く俺のエンジンさえ元に戻れば、彼女を抱えて逃げるだけで済むというのに。

 未だ俺のエンジンはラジエーターごと過剰発熱をしていて役に立つ気配はない。

 

「……天哉」

 

 ステインには聞こえないくらいの小さな声で彼女は言った。

 

「……彼が来てくれた。私が合図したら右の壁際に向かって避けて」

「……わかった」

 

 探知能力に優れた彼女と言えど、見えない場所で断定できる個人はそう多くない。

 彼女が波長を覚えるほどに親しくそして特徴的な人物、つまりはそういうことを意味するのだろう。

 

「随分と余裕だな。追撃はいいのか?」

「要らないよ。だって私たちは────」

 

 アイサインが送られた。壁にぶつかるぐらいの勢いで指示通り右へと飛び退く。

 

「SMASH!!」

 

 吹き荒れる暴風がステインを突き飛ばす。

 彼は左手の小指一本を犠牲にしながらも、俺たち二人に欠けていた圧倒的な範囲制圧力を見せつけた。

 

「やっとビンゴだ。ごめん、遅くなった!」

「緑谷くん!」

「サンキュ! 超ナイス!」

 

 土煙で良く見えないが、完全に避け切ったということはあるまい。

 接敵される前に互いに情報を交換する。 

 

「脳無かヒーロー殺しか、正直迷ったんだけど、やっぱりこっちだったか。しらみつぶしに路地裏を見て回ったのが正解だったよ」

「そんな当てずっぽうで良くここに着いたね。すごい確率だよ。いや、超助かったけどさ」

 

 巡理くんの言うとおりだ。嬉しい偶然だが、怖いぐらいに出来過ぎていた。

 しかし緑谷くんは理路整然とした口調でこう告げた。

 

「救護場所に向かう轟くんと途中で会って脳無の話を聞いたんだ。でも心操君を考慮してもアラームの回数がおかしい。でもエンデヴァーが来ているもわかったから必然的に発信元は猪地さんだ。それもヒーローの援護が見込めない状況、それなら人目につかない場所が優先順位になるし、脳無は目立つところで暴れるから却下。猪地さんとインゲニウムとのつながりを考えて必然的にステインと遭遇した前提条件で探し回ってみたんだ」

「ブラボー、流石緑谷くん。素晴らしい分析力だ」

「まさか飯田君まで来ているとは思わなかったけれどね」

 

 受信機もない状態でそこまで状況を推測して、この場所を探し当てたその慧眼。やはり彼は尊敬するに足る人物だ。

 

「あとそれから心操くんの方にはエンデヴァーが向かったから大丈夫だと思うよ」

「それは心強い。心操くんの居場所は俺からも担当のプロヒーローに伝えてある。問題ないはずだ」

「そして、これは確認なんだけど……あの人たちもう死んでいるんだよ、ね?」

 

 緑谷くんの声のトーンが一つ落ちた。よく見れば彼の両肩は細かく震えている。

 俺は怒りで我を忘れ、動揺する暇などなかったが、惨殺死体を目にした彼の反応は至極まっとうなものなのだろう。

 

「うん、私を庇って。あんまり直視しない方がいいよ。吐き気、これで収まる?」

 

 緑谷くんの背中をさする。個性で調子を整えたのだろう。

 

「猪地さん、ありがとう。ごめん、ヒーローを目指しているのにこんなの情けないよね」

「ううん、それが普通の反応だよ。私はそれを羨ましくさえ思う」

「俺なんて、彼らのことを悼む余裕すらなかった。だから君の方が俺なんかよりずっと正しい」

 

 彼らが流した血を復讐者として活用した俺なんかよりもずっとだ。

 

「ねぇ、他の人はもう救けられないのになんで二人は逃げなかったの? ヒーロー殺しなんて僕らの手に負える相手なんかじゃない」

「すまない、それがレシプロを使った直後なんだ」

「そういうことか。なら僕が引き付けている間に二人は先に逃げて」

 

 悩む素振りなど一切見せず、彼はそう提案した。

 

「緑谷くん、君は何てことを言うんだ!」

「でもそれしかないと思う。僕の足ならきっと単独でも逃げ切れるし、回数限定だけど接近戦を避ける術もある。今の状況なら絶対に僕の方が適任だ」

「しかし君一人を囮にするなどっ!?」

「飯田君はUSJで僕たちのためにしてくれたじゃないか。誰よりも真っ先に名乗り出てさ。だから次は僕の番だ。それだけの話だよ」

 

 緑谷くんは口角を両方の小指で釣り上げて笑う。

 

「大丈夫。それに怪我だって、この小指一本分だけだ」

 

 自分自身にも言い聞かせるように、彼はそう言い切った。

 

「ハァ、今日は次々と邪魔が入ると思ったが、今来たおまえは良いな」

「僕のスマッシュを真正面から受けてあの程度のダメージ? どう受け流したらそうなるの?」

「それはあの変態に聞いてよ。私たちとは違って君だけは気に入られたみたいだし」

 

 ため息をつきながら巡理くんはそう言った。

 俺の投げ技からの側頭部への一撃に、巡理くんのカエルパンチ、そして緑谷くんのスマッシュによる暴風。

 

 決してステインも無事ではない。特に先ほどの一撃による全身打撲や擦り傷の跡が見受けられた。

 だがしかしそれでも奴が倒れないのはきっと、緑谷くんのように過剰分泌されたホルモンが痛覚を麻痺させ、体を動かしているのだろう。

 

 認めたくはないが、どこまでも揺るがない強い意志こそが奴の体を突き動かしているのだろう。

 

「先ほどスマッシュと言ったな。それに先ほどのパワーは増強系だな。おまえはオールマイトのフォロワーか?」

「そうだよ。子供の頃から大ファンで、救けてくれた憧れの人で────そして僕たちの先生だ」 

「ハァ、なるほどな。貴様の自らを省みぬ献身。ここに辿り着いた頭脳、そして先ほどのパワー。オールマイトに師事しているのなら納得が行く。だが反面そこの二人はどうだ。オールマイトの下に居ながら、おまえたちは何を学んだというのだ!? おまえたちこそが本来誰よりも先陣を切って、この腐った社会を変革しなければならないのだと何故気付かないのだ!」

「ふざけるなっ! 人殺ししかできないお前が。オールマイトを、ヒーローを語るなっ!」

 

 普段は絶対に使わない粗野な言葉が緑谷くんの口から発せられる。

 そしてそれと同時に彼はフルカウルを発動し、ステインへと一人立ち向かう。

 

「緑谷くん、気をつけて! 相手の血を舐めたら動きを止める個性だから」

「わかった!」

 

 巡理くんの言葉を受けて、適切な間合いを保ちながら立ち回りを続ける緑谷くん。

 

「巡理くん。俺は、逃げないぞ」

「わかってる。そう言うと思ってた。絶対に三人で生き残る。いや、勝つよ」

「あぁ」

「ちょっと待って、今の天哉じゃ足手まとい。大丈夫、ちょっとの間だけ緑谷くんを信じよう。彼は強いよ。少しでもジュースを補給して万全にしてから行って。ここまで随分と走って来たんでしょ? スタミナも今から分けるから」

「ありがたい。後はエンジンさえ戻ればいいが、まだ発熱が厳しいな」

 

 素の速度では緑谷くんの高速戦闘に合わせることは困難だ。

 オレンジジュースを補給しながら、しばしの間、俺は緑谷くんの戦いを見守る。

 

「どんなに苦しくたって、あの人はっ! みんなの笑顔のために戦っていたんだ!」

「笑顔だと、そんなものでは何も変わらん!」

「変わる。絶対に変わる。救われるんだよ、心が! だからオールマイトはどんなときだって笑うんだ」

「それは弱者の詭弁だ。悪を断罪し、本当の正義を為すのに必要なのは確かな力だ!」

 

 投擲されたナイフが緑谷くんの左肩に突き刺さる。

 だが彼はおかまいなしにと左拳でステインの顎を殴りつけようとするが、刀の鞘に阻まれる。

 

「何が正義だ、何が悪だっ。知るかよっ! そんな難しいことを語る前に、おまえは今までその力で、誰かを笑顔に出来たのかよっ!」

 

 俺は巡理くんが準備する間、そう叫ぶ緑谷くんの主張を聞き入っていた。

 

「お前の作ろうとする社会の先に、笑顔はあるのかよっ!!?」

 

 そうだ、君こそ相応しい。正しく彼はオールマイトのフォロワーだ。

 笑顔というキーワードこそが、今の緑谷くんを形作っている。

 

「よし、補給オッケー! 行くよ天哉!」

「あぁ!」

 

 飲みかけのジュースは再び脚にかけて走り出す。

 

「何故分からないのだ。理解しようとしないのだ。遠くない未来、再び社会は混迷する。敵連合などが出てきたのがその良い例だ。悪意はより強い悪意へと集わんとするだろう。そのときに今の平和ボケした偽物たちに何ができるというのだ?! 正義もより強さを洗練させねばならん。でなければオールマイトが出てくる以前の……」

 

 ステインが二振りのナイフで常に視覚へ回り込もうとする緑谷くんの動きを牽制する。あれでは容易に近づけない。

 

「ごちゃごちゃ五月蠅い!」

 

 さればこそ、刀身から身を守る手段を持つ巡理くんが緑谷くんの前に出て、とっさに庇った。

 そして刃が弾かれたその一秒にも満たないその一瞬だけ、わずかな硬直時間が発生する。

 

 その一瞬の間だけでいい。

 

 本来エンジンが使えないのはわかっている。

 おそらくその代償が小さくないであろうことも。

 

 だが次の瞬間にエンジンが灼けついたとしても。

 もう二度と個性が使えなくなったとしても。

 

 この脚が再び速さを取り戻すのならば、俺に後悔はない!

 

 行くぞ、緑谷くん!

 

「レシプロ────」

「5% デトロイト────」

 

 アイコンタクトを送り、彼も頷き返す。

 

「リミテッド!!!」

「スマッシュ!!!」

 

 蹴りと拳で挟み込むように。

 ステインへの背面と顔面へと、俺たちは全力を叩き込んだ。

 

 今度こそ完璧に、間違いなく大きなダメージが入ったはずだ。 

 

「流石に、これで立って来るなんてことはないよね?」

「緑谷くん、USJ思い出すから止めて。そういうのをフラグっていうらしいから」

 

 半ば茶化しながら巡理くんはそう言っていたが、奴が叩きつけられたはずのゴミ捨て場からガサリと、何かが動く音がした。

 

「まさか、まだ立つのっ?!」

「どれだけタフなんだよ。今のスマッシュとレシプロで決められないなんて」

 

 覚束ない足取りながらも、再びステインは立ち上がる。

 裂けそうなほどに痛む脚に、エンジンがかかる気配は微塵もない。

 それでも向かえ討つために、俺たち三人はそれぞれ駆け出した。

 

 だが────急に体が痺れ、倒れ伏した。

 

「ぐっ?!」

「しまったっ、僕たちの血をっ!」

 

 俺だけではなく緑谷くんもだったようだ。

 アイツが握っているのはさっきまの得物とは違うものだ。

 

 さっきの一撃のときに俺たち二人に刺さったままのナイフを引き抜いていたらしい。

 本気の動きを甘んじて受けて、ここまで持ってくるだなんて何て執念だ。

 

 俺はさっきまで血まみれで戦っていたから失念していた。

 

 不味い。ピンチの度合いがさっきまでとは段違いだ。

 もう巡理くんしか残っていない。

 

「逃げろっ! 君一人だけでもっ!」

「僕らはもう……」

 

 一人ならともかく二人同時に庇いながら戦えるわけがない。

 ならばせめて巡理くん一人だけでも生きてくれ。

 

 そう思い発した言葉は緑谷くんも同じだったようだ。

 そんなときだった。

 

「下がりなさい、キティ!!」

 

 サッカーボール大の土の弾丸が二つ飛来する。

 この見覚えのある技は────

 

「ピクシーボブ!」

「何て酷い光景、でも、良く生き残ったわね。もう大丈夫よ」

「プロヒーローまで来たか。流石に潮時だな」

「させないわ。さぁ遠慮なくやりなさい!」

 

 樋熊サイズの小ぶりな土魔獣に跨った彼女は、背中にしがみついている彼に向かってそう言い放った。

 

「おい、よく聞けそこの勘違い野郎! お前がこの人たちを殺したのかよっ!?」

「当然だ。偽っ────……?!!」

 

 ステインは急に無言になり硬直する。

 最強の援軍(心操くん)が俺たちの窮地を救ってくれた。

 

「嘘っ、本当にこれでお終い? 理不尽なまでに強いわね、君の個性。素晴らしいわ」

「そんなことないです。さっきは脳無を轟に押し付けて逃げることしかできませんでしたから。俺はまだまだ無力です」

 

 彼はそう謙遜するが、やはり初見殺しの個性としての強力さは抜群だ。

 俺たちがここまで追い詰められた相手をいとも容易く拘束して見せた。

 

「た、たすかったぁ~」

 

 大きなため息とともに緑谷くんが安堵の息を漏らす。

 

「よっしゃぁ! 心操くん、グッジョブ!」 

「ありがとう、本当に助かった」

 

 でも俺が生き残ったのは心操くんだけのおかげじゃない。

 

 命綱となったリストバンドを作ってくれた八百万くんが。

 俺を叱咤激励し、いち早くこの街に向かわせたピクシーボブが。

 脳無から心操くんを引き剥がしてくれた轟くんが。

 幼くとも恐怖に耐え、言いつけを守りきったあの子供が。

 理屈はわからずともきっと兄さんが。

 俺を正気に引き戻してくれた巡理くんが。

 少ない状況証拠から颯爽と駆けつけてくれた緑谷くんが。

 みんなが救けてくれなければ俺はこの世にいなかった。

 

 そして血の衣でステインの個性から守ってくれていた、名前すら知らない犠牲者の三人が。

 

「これで動けるはずだよ。やっぱり自分の体以外だと難しいや」

 

 巡理くんに個性による拘束をうんうんと捻りながらも解除してもらって、俺と緑谷くんはようやく動けるようになった。

 

 そして俺はむせかえるような鉄錆の匂いに包まれた路地裏で、物言わぬ彼らに頭を下げた。

 

「……ありがとう、ございました」

 

 貴方たちのおかげで、今の命があることへの感謝を。

 他のみんなもそれぞれが手を合わせたり、頭を下げたりと彼らに祈りを捧げた。

 

「悠久へと旅立つ同志たちよ」

 

 そしてあれほど宗教は嫌だと言っていた巡理くんは、両膝をついた態勢で眠る人々へ祈りの言葉を捧げる。

 

「命は巡り、想いは託された。人の命に終わりは在れども、人の世は永遠なり。汝らの行いが、還るべき一へと世界を繋がん」

 

 おそらくあれが聖輪会(メビウス)の別れの言葉なのだろう。信者だったという一人が身に着けていたメビウスの輪を模したペンダントを手に彼女は堂に入った様子で祈りを続ける。

 

「姿見ること能わずとも、声を交わすこと能わずとも、ただ我らは汝らと共に在らん」

 

 そうしてしばしの間、彼女は黙とうを続けた。そして借りていたペンダントを信者の胸元に再び返す。

 

「ごめんなさい、お待たせしました」

 

 苦笑いしながら巡理くんはそう言った。あの体育祭以来、宗教家として久々に見る彼女の姿は、いつもと異なりいかにも儚く、すぐにでも崩れ落ちそうな弱々しいものだった。

 

 被害者のうちの二人は親しくはなくとも面識があった人たちだったらしい。身を挺して守られたことに対して、様々な思いがあるのだろう。

 

 俺も巡理くんが死んだと思ったときには、俺自身が今まで全ての理念を投げ出そうとしてしまったほどだった。

 それほどまでに死という概念は、どこまでも人を狂わせる。

 

 きっと彼女のショックは、敵連合のときの比ではあるまい。兄が傷ついたときは彼女に支えてもらった。

 

 だから今度は俺が支える番だ。そう強く、心の中で俺は誓った。

 

 

 



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第40話 英雄の境界(上)

第二章 最終話です


「大分周りの音も小さくなっているみたいね。一旦近くの救護施設に向かうわよ。貴方たち、歩けるわね?」

 

 押収した刀剣類を土魔獣の内部へと埋め込み、被害者たちの亡骸をその背に乗せながらピクシーボブがそう語りかけてくる。

 

「はい、大丈夫です。応急手当も猪地さんにしてもらいましたし」

「俺も歩く分には支障はないです。ただ先ほど無理したせいか、エンジンは焼け付いて当分使える気はしないのですが」

「心配しなくても貴方たちにもう戦わせることはないわ。ただ何があるかもわからない。隊列を組んで行くわよ。まずは私が先頭ね」

「なら僕は二番目を行きます。飯田君の足の状態と、猪地さんの装備状況を考えたら僕が一番ベストです」

「私は最後尾で警戒態勢をとります」

 

 緑谷くんがそう言って前に出て、巡理くんもそれに続く。

 

「えぇ、いい判断よ。デク、オラシオン、頼むわね」

「では俺は足を休めている間、ステインの監視に専念します。万が一にも外部からの衝撃があれば洗脳が解けてしまいますから」

「俺も同じですね。ないとは思うけれど躓かれたりしたら笑い話じゃすまないし」

 

 ステインは手錠をかけ、洗脳で自ら歩かせているが、念には念をということで心操君と二人でしっかりと監視態勢をとることにした。

 

「無事に辿り着くまで気を抜かないでね。襲撃だけじゃなくて足元の瓦礫とか、建物の倒壊にも注意よ。それから耳と目もしっかり使って怪我人とかいないかしっかり確かめるのよ。オラシオンがいるからその点今回はかなりやりやすいけれども、集中力が散漫になっているでしょうから貴方たち三人も頼りすぎちゃだめよ。キティたちオーダーは理解したら返事!」

 

 こういうときに頼れる大人、ヒーローが傍にいるのは非常に心強いと改めて感じた。要救助者の捜索も基本であることは理解はしていれども、この非常事態下での俺はすっかりとその点が思考から抜け落ちていた。

 

「はい!」

 

 ピクシーボブが示した指針に俺たち皆で声を合わせて返答した。

 

 こうして俺たちは警戒態勢を取りながら荒れ果てた街の中を進んでいく。溶けたアスファルトや、ドリルで抉られたビルディング、散乱するガラス片。

 

「酷いね。死人とか他に出てないといいけれど……」

 

 沈んだ声で巡理くんが言った。幸か不幸かまだ道中で怪我人や死人には出くわしてはいないが、それが逆に見えない不安を扇ぎ立てた。

 

「僕が一旦轟くんとすれ違ったときに聞く限りでは他に聞いてないけど、でも重軽傷者は多いみたいだよ。彼が担当してもらっていたヒーローは片腕を失くしていたし────」

「おい、緑谷! それはマニュアルさんのことだよな? 俺は聞いていねぇぞ。なんで黙っていた?!」

「心操くん、やめたまえ。焦る気持ちはわかるが、そんなことを言っても状況は変わらないぞ」

 

 緑谷くんの胸倉を掴みながら珍しく激昂する心操くんを引き剥がす。そうか轟くんと心操くんは一緒の事務所だったな。

 

「……ゴメン、言おうと思って完全に忘れてた。でも命に別状はないって言ってたから大丈夫だと思うよ」

「俺もすまなかった。ひとまずマニュアルさんの命が無事ならいい」

「轟くんの方は大丈夫そうだったの?」

「うん、左腕が僕みたいに腫れ上がっていたけれど他に目立った外傷はなかったと思うよ」

「そっか良かった」

 

 何をしたら緑谷くんの自傷技みたいな腕になるのか気になるところではあったが、轟くんもその怪我程度の範囲で収まったのなら良かったと思うべきか。そう考えながら、ふと心操くんに聞こうとしていたことを思い出した。

 

「そういえば君がリストバンドを託した子の母親は大丈夫だったのかい?」

「……いつか話す。だから飯田、今はその話をしないでくれ。俺にはまだお前たちみたいに現実を受け入れられるだけの勇気がない」

 

 心操くんはそう言って、左頬から口元にかけての殴打跡をさする。心操くんには大きな怪我こそないが顔面を何度か殴打された跡が残っていたのは気になっていた。

 

「天哉、悪いわね。彼女の尊厳に関わる話だから私も簡単には口外できないわ」

「……天哉」

 

 彼以外に状況を知っているピクシーボブもそう言葉を続け、後ろから巡理くんが俺の肩を掴み首を横に振る。今じゃない、ということか。俺は彼女に頷き返した後、心操くんの方に向き合って言う。

 

「今でなくても構わない。ただ吐き出すことで少しでも楽になるのなら、いつでも俺たちに言ってくれ」

「貸し借りとかそういうのは……」

「違うよ。僕たち友達だろ?」

「ありがとう。飯田、緑谷」

 

 鼻頭を手の甲でさすりながら心操くんはそう言った。

 

「ねぇ私も。私もいるから。仲間外れにしないでよっ!」

「猪地の性根の悪さは知ってるし、ちょっと……」

「ナチュラルに酷い?!」

 

 真顔でそう言った心操くんの様子にショックを受けたらしい巡理くんは、この後とんでもない言葉をポツリと漏らす。

 

「爆豪に峰田、そんで……うん、心操くんは四番目でいいかな」

「猪地待て。その名前の並びはなんだよ?!」

 

 洗脳が怖いから黙秘権を行使しますと言わんばかりに両手で自らの口を塞ぎ、首を横に振る巡理くん。

 

「碌なことじゃないって想像つくからその並びは止めてくれ。謝るからさ」

「冗談、ちょっとは顔もほぐれた?」

「僕には冗談には見えなかったけどなぁ」

「緑谷くん、何か言った?」

「いいえっ!」

「キティたち、気を緩め過ぎよ。酷なことを言ってるのはわかってるけれどちゃんと着くまでは気を抜かないで。誰か向かってくるわよ」

 

 ピクシーボブの声が俺たちの意識を引き戻す。彼女の視線の先、路地から飛び出してきたのはヒーロースーツに身を包んだ小柄な老年の男性。

 

「小僧!」

「グラントリノ!」

「おまえ、座ってろって言ったろうが! 馬鹿もんがっ!」

「もがっ」

 

 早い。あれだけの老体にも関わらず、一瞬で間合いを詰めたグラントリノと呼ばれたヒーローは軽い前蹴りを緑谷くんの顔面に見舞った。

 

「無事なら良かったが……何やら色々あったようだな」

 

 ステインと土魔獣に乗せられた遺体を交互に見たグラントリノは神妙な面持ちでそう言った。

 

「バケモンの次はヒーロー殺しか。まずはコイツを警察に引き渡さんとな────伏せろっ!?」

「は?」

 

 そう叫んだ声の意味を理解したのは、突如吹き荒れた風に態勢を崩し倒れ伏してしまった後だった。

 

「巡理くん!」

 

 巡理くんは羽を生やした脳無と思しき(ヴィラン)に、鷲のような足で胴体を拘束され上空へと連れ去られてしまう。片目を潰され、手負いではあるがその飛翔速度は速い。

 

「あぁああああっ!!?」

 

 巡理くんの悲鳴が上がる。あの大きな足による怪力で締め付けられているのだろう。

 

 救けなければ!

 これ以上高いところに上がられる前に、早く!

 

「今行くぞ! レシプ──────糞ッ、エンジンがっ!?」

 

 先ほどの無理による後遺症だろう。エンジンのかからないまま俺は全速力で走りだす。

 

「チッ、こんなときに弾幕が足りないなんて!」 

 

 土が碌に残ってない街の中、土魔獣の体を一旦崩して弾を生成し、ピクシーボブは脳無を撃ち落とそうとするが一向に当たらない。

 

「下がれ、小僧! 俺が行く!」

 

 グラントリノが俺を追い越し、足裏から空気圧をジェット噴射させながら上空へと上がっていく。

 

「凄い個性だ。これなら……なっ!」

 

 グラントリノが追いすがる前、急に翼をはためかせることを止めた脳無が地上へと向かって落下していく。

 なんだ、この現象はまるで────

 

「不味い、今度はあっちか!」

 

 グラントリノが踵を返し、元に居た方へ全速力で跳躍していく。

 

「しまった! 今転んだからコイツ!?」

 

 心操くんの声で振り返らずとも状況を把握した。転倒の衝撃によりヒーロー殺しが洗脳の呪縛から解き放たれてしまったのだ。

 

 後ろは任せるしかない。まずはそれよりもっ!

 

「天哉っ!」

「巡理くん!」

 

 落下した彼女を腕の中に受け止める。

 できるだけ転がって衝撃を逃がす。背中に鈍痛が走るがフルアーマーの俺が庇わなければ。

 

 彼女に無事かと声をかける間もなく状況は急転していく。

 

「いかん、抜けられたっ!」 

 

 グラントリノの声がした。

 

「英雄気取りも、(ヴィラン)も。徒に力を振りまくものは皆、全て粛清対象だ」

 

 手錠をかけられたまま日本刀を手にしていたステインが地に堕ちた脳無の頸椎を一突きする。

 

「ハァ、全ては正しき世界のために……」

 

 そして逆胴に刀を構えたステインと目があった。

 アイツは巡理くんが回復できそうな刺突ではなく、完全な切断を以て俺たちを終わらせるつもりなのだろう。

 

 今の俺では迎撃も、抱きかかえての回避も間に合わない。

 グラントリノも駆け出すが、あの速度では数歩が届かない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 怖い。

 人目をはばからず、みっともなく泣き叫びたいほどに。

 

 本当は怖くてたまらない。

 全ての矜持をかなぐり捨てて(ヴィラン)に頭を下げてでも見逃して欲しいほどに。

 

 でも。それでも俺は────今まで過ごした時を、培ってきた想いを嘘にはしたくない。

 道を間違えるのはさっきの一度だけでもう十分だ。 

 

 これは決して理性的な判断ではない、と。

 そんなことは動き出した瞬間にはわかっていた。

 

 

 俺とステインの前に引かれているのは、他の誰にも見えない一本の境界線。

 弱さが、迷いが、恐怖が作り出した、奈落へ繋がる大地の裂け目。

 

 その一線から、あとたった一歩だけ踏み越えられるかどうか。

 俺に残されていたのはそれだけの問題だった。

 

 そう(英雄で)在れと。

 そう(英雄で)在りたいと。

 

 俺の体に染みついていた想いが、足を半歩分前へと進める。

 

 ────そして何よりも、救けたいのだと。

 

 あと足りない半歩分は一生分の勇気を振り絞って補う。

 そうだ。これでいい。

 

 伝えたいことはたくさんあった。

 伝えるべきこともたくさんあった。 

 

 しかし俺には猶予がない(刃が、触れ)

 

 言葉以外に残せることは(俺の体を切り裂き)────この選択に悔いはなかったと(飯田天哉は)笑うことぐらいだろう(ここで終わった)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「嫌ぁぁああああああああっ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 猪地さんの絶叫で風景が埋めつくされる。

 無造作に飛び散る臓物と、噴き上がる血飛沫。

 

 あまりの光景に他の誰もが言葉を失っていた。

 僕もただ棒立ちするしかできなかった。

 

 飯田君が万が一にも生きている可能性なんてどこにないのは明白だ。

 何しろ胴と体が上下に絶たれていたんだから。

 

 猪地さんやリカバリーガールの個性を以てしても、絶対に助かるはずはなかった。

 

「野郎っ!」

「アンタっ!」

 

 すかさずグラントリノが後頭部に蹴りを入れて意識を奪い、ピクシーボブがありったけの土を首以外の個所に被せて完全拘束する。

 

 これで当面の危機が去ったなんて呑気なことは言えなかった。

 

「うぉ、おぇぇえろっ」

 

 嗚咽とともに、心操くんは膝から崩れ落ちる。

 

「ごはっ……うぇっ……」

 

 僕も彼につられてこみ上げてきた全てを地面に吐き出した。

 

「あまり見るな、小僧。ここで折れたら二度と立ち上がれなくなる」

 

 グラントリノが自身のマントで、吐瀉物塗れの僕の口元を拭う。

 

「彼もこれ以上は抱え込ませるのは酷ね」

 

 そう言ってピクシーボブは心操くんの鳩尾に一撃を加えて意識を奪い、優しく彼の体を抱きとめた。

 その様子を見ていたグラントリノが視線で同じことをしようか、そう問いかけてきたけれど僕はそれを手で制した。この現実から逃げちゃダメだ。 

 

「……なして」

 

 絶叫から一転、しばし沈黙していた猪地さんが消え入るような声を漏らした。

 

「なして皆おらんくなっと?」

 

 とても聞いていられなかった。

 

「置いてかんでよ……」

 

 彼女は涙し続ける。でもそんな量ではとても洗い流しきれないくらいに、猪地さんの全身は飯田君の鮮血で塗れていた。

 

「そうだ」

 

 彼女が何かを思い出したように取り出したのは錠剤のパッケージだった。

 錠剤をじっと見つめているその顔は、何故か段々と笑顔を取り戻しているようにさえ見えた。

 

「ダメよ!」

 

 だけどピクシーボブが錠剤を猪地さんから取り上げた。

 

「なんばすっとね! 返してっ! 祝福(ハレルヤ)ならっ、天哉は生き返る!」

「現実を見なさい!」

 

 ピクシーボブが狂乱する猪地さんへと平手打ちを見舞った。

 

「よく聞きなさい! 天哉は、死んだの。何をどうやっても生き返らないの。それに、これが噂の祝福(ハレルヤ)だったのね。押収品ってとこ? 効果の真偽は知らないけれど、これを使ったら貴女の未来はお先真っ暗よ。天哉だってそんなこと望まないわ」 

 

 祝福(ハレルヤ)って何だろう。

 

「それに──」

 

 猪地さんが抱きかかえていた飯田くんの上半身から、ピクシーボブはヘルムを脱がせた。

 

「綺麗な顔ね」

 

 本当だった。笑顔は最強なんだと、オールマイトの教えを僕は信じている。けれど、自分が死ぬってわかっているときに笑えるなんて、飯田くんの心境を少しだけ理解することはできても、自分が同じように振舞えるなんて想像が全くできなかった。

 

「痛かったのに、怖かったのに。それでも最期に笑って見せたのね。偉かったわ」

 

 ピクシーボブはまるで子供をあやす様に飯田くんの頭を優しくなでる。彼の頬に大粒の涙を垂らしながら。

 

「貴女にきっと笑顔を覚えていて欲しかったのよ。猪地巡理、貴女の中で飯田天哉はずっと生き続けるわ。貴女が彼のことを覚えている限りね」

 

 そう言って彼女は猪地さんの頭も優しく撫でる。

 

「私の中で……ならっ!」

 

 しかしその手はすぐに跳ね除けられた。猪地さんは何かに気付いたのか、飯田くんの上半身と下半身の断面を近づけた状態に配置する。そしていつもの治療のときのように腹部に掌を当てて力を込めるような素振りを見せた。

 

「無理だよ、猪地さん!」

「アドバイスならいいけど、邪魔はしないで緑谷くん。理論の基礎は整ってる!」

 

 いつの間にか普段の口調に近くなっていた。苛立ってはいても、少しだけ冷静さを取り戻しているのかもしれない。

 

「猪地さん、もし足りないのなら僕の命を使って!」

「何、言ってるの?」

「君の個性に必要なのは、本当はきっと植物だけじゃないんでしょ? 麗日さんのときだってきっと……」

「流石緑谷くん、よく見てる。でもそれじゃ半分。それに今の容量自体は充分足りているから」

 

 瞳を閉じて何か集中しながらも、猪地さんは言葉を続けた。

 

「私の個性の本質は命の付与でも吸収、蓄積でもないんだ。流動化は本質の半分で、もう半分は命の情報の書き換え。だから私は書き換えるべき部分が欠損した怪我なんかの治療は極端に苦手な代わりに、体調を弄るのは一瞬でできるってこと。自分の怪我なら辛うじて治せるようになったけどね」

 

 命の付与、蓄積。それは散々見てきた。デメリットに見せかけた吸収についても薄々感づいていた。個性についての申告で何かしらの嘘をついていることも。でも情報の書き換えっていったい何だよ。抽象的過ぎて全く理解が追い付かない。そして何よりわからないのが……

 

「なんでそんな大事なこと僕に明かしたの?」

「君には痛い腹探られたくないからね。遅かれ早かれ答えに辿りつくだろうし、変に疑われるのは嫌だったから。それに私だって君の秘密を抑えているようなものだから、お互いに協力できるでしょ? 君が口添えしてくれるなら多分あの人の治療も前進する」

 

 この口ぶりと騎馬戦のことを思い返してみると、多分ほとんどバレていると見ていいのかもしれない。

 

「わかったよ。僕は何をすればいい?」

「誰にも邪魔をさせないで。誰にも。私は天哉を絶対に生き返らせるから」

「小娘、お前はさっきから一体何を言っているんだ? 生き返らせるなんぞアイツだってできやしない。馬鹿なことは止めるんだ」

「友達を救けるだけだからおじいちゃんは座ってて」

 

 猪地さんは怒気を隠そうともしない。絶対に退かない目をしている。だから僕もそれに乗るしかない。少しでも飯田くんが戻ってくる可能性があるのなら、それに賭けたい。

 

「グラントリノ、お願いです。少しだけ時間を下さい」

「師が師なら、弟子も弟子か。……あと3分だ。好きにやれ。それ以上留まるなら気絶させてでも引き剥がす。野次馬が集まる前にな」

「ありがとう、おじいちゃん」

「猪地さん、そんな顔ができるんだね。でもその顔は絶対飯田くんには見せない方がいい」

 

 とても綺麗なのに、どこか死柄木やステインを思い出すような、そんな歪んで見える笑顔。

 

「そう? でも君がそう言うのなら気を付けるよ。良し、大分整ってきた。あとは私で上書きするだけ(・・・・・・・・・)だ」

 

 上書きだなんて、まるでゲームのセーブのような言葉を彼女は発する。

 

「私の怪我しか治せない状態なら、私の定義を天哉に広げて適用する。それで天哉の怪我も治る」

「は?」

 

 こんな言葉を聞いて誰か一人でも正確に意図を理解できる人間は居ただろうか。僕には無理だ。

 ただ事の成り行きを僕は見守ることしかできない。

 

「一緒に生きよう」

 

 白雪姫のワンシーンのように、猪地さんは飯田くんの亡骸に口づけを交わす。

 

 効果はあまりにも劇的だった。

 まるで超再生能力を得たかのように、絶たれたはずの胴体が見る見るうちに塞がっていく。

 

「キティ、嘘でしょ……」

 

 呆然と口を開いたままなのはピクシーボブだけじゃなかった。

 

「ありえねぇ、あっちゃいけねぇ。万が一にでもアイツに奪われたら」

 

 青白く冷え切っていたような顔色が、血色を取り戻していくのを見て、グラントリノは何かに怯えるようにそう呟く。 

 

 恋慕なのか、親愛なのか僕には判断がつかない。けれど、その異常なまでの執着が、一つの奇跡を強引に手繰り寄せた。

 彼が戻ってくる喜びと共に、至極当然の懸念が僕の脳裏に浮かんでくる。

 

「本当にやっちゃった。こんなの他にバレたらエンドレスどころの騒ぎじゃない」

 

 力を失っていたはずの指先が、確かに今かすかに動いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おはよう、天哉」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 もう、僕たちは引き返せない。

 




二章これにて完結です。

巡理の個性について、あいまいな部分は多いですが概ねの開示はさせて頂きました。
命の流動化(付与、吸収、蓄積)と生命情報の書き換え(それに付随する生命情報の可視化)が本当の個性です。

オーバーホールにエリちゃんという上位互換に取れそうな個性持ちが本作執筆開始後に出てきたので、別方面に盛りました。

また保須での影響が全く別方面に出てくるので
三章からはオリジナルシナリオに段々寄っていきます。

感想もいつでもお待ちしております。



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幕間 雄英体育祭掲示板
第26.5話 雄英体育祭掲示板①(10万UA記念)


連載開始からずいぶん経ちましたが10万UA祝突破ということで本作らしくない番外編を投下します。リアル事情でがっつり本編を書く余裕がなかったので代わりということですみません。掲示板ネタが苦手な方は読み飛ばしで問題ないです。

しばらくしたら2章に場所を移します。



雄英体育祭について語るスレ【1年】

 

41:名無しのヒーロー

 

あれが1年A組か。なんかアイツらだけ目つき怖くね?

 

 

42:名無しのヒーロー

 

敵連合を撃退した奴らだ。面構えが違う。

 

 

43:名無しのヒーロー

 

エンデヴァー以外のヒーローじゃ太刀打ちできなかった敵を撃退したんだろ。

かなり有望株ぞろいだな。

 

 

44:名無しのヒーロー

 

そのエンデヴァーの息子もA組だ。インゲニウムの弟も居るらしいぞ。

 

 

44:名無しのヒーロー

 

エンドレスの娘もだろ。

普通科のダチから聞いたけど、数人はガチで死にかけたらしいぞ。

その子がいたから何とかなったらしいが。

 

 

45:名無しのヒーロー

 

プレゼントマイクイレイザーに流されて草。だがあのリストバンドいいな。

 

 

46:名無しのヒーロー

 

おい、見たか。堂々と手を繋いでいるカップルがいるぞ。

まだ入学して1か月だろ?

 

 

47:名無しのヒーロー

 

あそこの冴えないモジャ髪とボブの子か。

浦山けしからん。リア充爆発しろ。

 

 

48:名無しのヒーロー

 

>>47

おい止めろ。

 

 

~~~~~~~~

 

 

78:名無しのヒーロー

 

酷い放送事故を見た。

こんなに重い開会式、今まであったか?

 

 

79:名無しのヒーロー

あのヒスおばさんには同情するが高校生に責任求めるのは違うよな。

 

 

80:名無しのヒーロー

 

あの空気の中、選手宣誓の眼鏡君は良くやってたな。

トラブルの対処、あの歳なら完璧だろ。

 

 

 

81:名無しのヒーロー

 

禿同

流石インゲニウムの弟って感じだったな

エンデヴァーとイレイザーに爪の垢を煎じて飲ませたいわ

だけど最後の煽りは意外だった

 

 

82:名無しのヒーロー

 

ミルコ味のある良い啖呵だった

なんか今B組の奴らとも拳突き合わせてるし人望もありそうだな

今年はエンデヴァーの息子一強かと思ったけどコイツ推すわ

 

 

83:名無しのヒーロー

 

>>82

わかりみが深い

だが俺はポニテおっぱいを推す

 

 

84:名無しのヒーロー

 

>>83

大きい方とかなり大きい方のどっちだ?

 

 

 

85:名無しのヒーロー

 

>>84

かなり大きい方

 

 

 

~~~~~~~~

 

 

213:名無しのヒーロー

 

あ…ありのまま 今 起こった事を話すぜ!

『おれは障害物競争が始まったと思ったらいつのまにかタッグバトルを見せられていた』

な… 何を言ってるのか わからねーと思うがおれも何をされたのかわからなかった…

頭がどうにかなりそうだった…

単なる超パワーだとか超火力だとか

そんなチャチなもんじゃあ 断じてねえ

もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ…

 

 

214:名無しのヒーロー

 

>>213

コピペ乙

 

 

215:名無しのヒーロー

 

>>113

 

 

216:名無しのヒーロー

 

へそビーム見た目は酷いが、火力スゲェな。

切断の角度も計算づくで砲主の子もサラッと高度な事やってるし。

 

 

217:名無しのヒーロー

 

>>216

へそビームは草。

人間大砲も大概だったけどな。

 

218:名無しのヒーロー

 

鳥モンス使いくんとか地味な尻尾くんも回避盾としていい仕事しているよな。

 

 

219:名無しのヒーロー

 

やっぱ敵の襲撃退けただけあるなぁ

どう考えても個人戦な競技なのに

初っ端から連携ありきで動いているあたり判断が1年じゃねぇ

 

 

~~~~~~~~

 

 

355:名無しのヒーロー

 

爆豪空飛べるのズルいな

 

 

356:名無しのヒーロー

 

なんでもありだからズルくはないだろ

むしろ飛べることを褒めるべき

 

357:名無しのヒーロー

 

飛べると言ったら麗日、猪地ペアだっけジャンプ一発で

クリアとかチートじゃね?

どういう個性だ?

 

 

358:名無しのヒーロー

 

>>157

猪地は回復系個性だろうから麗日の個性だろうな

多分念動力とか重力操作系な希ガス

 

358:名無しのヒーロー

 

>>158

 

 

359 :名無しのヒーロー

 

ここで麗日置いてくとか

マヂかよ猪地

 

 

360 :名無しのヒーロー

 

マヂかよ猪地

 

 

161 :名無しのヒーロー

 

マヂかよ猪地

 

 

362 :名無しのヒーロー

 

麗日の切り離しは合理的な判断だと思うけどな。

酷いとは思うが。

 

マヂかよ猪地。

 

 

 

~~~~~~~~

 

 

 

671 :名無しのヒーロー

 

綺麗なものを見た。

 

 

672 :名無しのヒーロー

 

てぇてぇ。

 

 

673 :名無しのヒーロー

 

尊い。

 

 

674 :名無しのヒーロー

 

何で掲示板にはいいねもRTもないんですか

と思ったらTowitterのTL爆速で草

 

 

675 :名無しのヒーロー

 

がんばれ麗日、緑谷。

お前が、お前たちがナンバー1だ。

 

 

 

676 :名無しのヒーロー

 

麗日が1位は読めんかった

 

 

677::名無しのヒーロー

 

読めたやつおらんやろ

 

 

678 :名無しのヒーロー

 

指の肉球可愛いな。

専スレ立てて来ようかな。

 

 

679 :名無しのヒーロー

 

もうできてる

 

【末永く】麗日お茶子ちゃんを見守るスレ【爆発しろ】

ttps://uasure.haeuhaoraiure.org/mode=aieroea_uraraka_riajuu=1834139

 

 

680 :名無しのヒーロー

 

w

 

 

 

~~~~~~~~

 

 

 

818:名無しのヒーロー

 

1000万P とかエグ

 

 

819:名無しのヒーロー

 

桁間違ってるだろ

やっぱUA基準おかしいわ

 

 

820:名無しのヒーロー

 

明らかに周りドン引いているのに

迷わず麗日と組むあたり緑谷流石だわ

 

 

830:名無しのヒーロー

 

緑谷居なかったらマジ詰んでたかもな

でも見事に他の誰もより付いてないな

 

 

831:名無しのヒーロー

 

何かB組空気悪くね?

 

 

832:名無しのヒーロー

 

裏切りとか聞こえてるけど内輪もめか

クラスで固まろうとしてたぽいところに

A組と組む奴が何人か出てきたっぽいな

 

 

833:名無しのヒーロー

 

塩崎ちゃんだっけ

さっきめっちゃ頭下げた子

飯田のとこ行ったぞ

 

 

834:名無しのヒーロー

 

単純な足ならアイツが一番だしな

めっちゃ勧誘に囲まれてるし

妥当オブ妥当

 

 

835:名無しのヒーロー

 

あと人気なのは轟、爆豪、猪地か。

轟、爆轟はわかるが、なんで猪地が人気なんだ。

回復系個性だろ?

 

 

836:名無しのヒーロー

 

>>835

個性じゃなくて孔明的な感じだからじゃね?

入試の筆記一位らしいって前、雑誌で見たわ。

 

 

837:名無しのヒーロー

 

軍師役なら確かに説得力ある。

障害物競走のときも司令塔っぽい感じしてたしな。

 

838:名無しのヒーロー

 

猪地動いたな。

やっぱ麗日と仲よさげな感じだ。

 

 

839:名無しのヒーロー

 

さっきは裏切ったけどな。

 

 

840:名無しのヒーロー

 

飯田、猪地、緑谷、麗日で組むのか?

 

 

841:名無しのヒーロー

 

それはない飯田は多分さっき

蛙吹、常闇、塩崎と組んだっぽい。

 

 

841:名無しのヒーロー

 

何そのチーム

リーチ長すぎ

 

 

842:名無しのヒーロー

 

やっぱ飯田チームは固まってたっぽいな

猪地が勧誘に動いた

 

 

843:名無しのヒーロー

 

あれ普通科じゃね

 

 

844:名無しのヒーロー

 

人材不足過ぎて笑えん

お茶子ちゃん頑張れ

 

 

 

 

 

~~~~~~~~

 

 

雄英体育祭について語るスレ part2【1年】

 

 

 

31:名無しのヒーロー

 

やっぱ今年は1年スタジアムが一番面白いな

 

 

32:名無しのヒーロー

 

なにあの激戦区。

1年とはとても思えん。

魔境過ぎるわ。

 

 

 

33:名無しのヒーロー

 

轟の氷の制圧力がパネェ。

その中で走り回れるチーム爆豪とチーム猪地の騎馬が優秀すぎる。

 

 

34:名無しのヒーロー

 

爆豪チームは連携が凄いわ。

液体とテープで軌道や速度変えたり

爆豪のワンマンチームかと思えばそんなことはなかった。

 

 

35:名無しのヒーロー

 

>>34

わかる。

完全に言動がDQNなのに指示出しが的確だし、チームの一体感あるよな。

 

 

36:名無しのヒーロー

 

チーム猪地は笑うしかないくらいにフィジカルのごり押しだな。

猪地の鉄壁ガードと緑谷の脚力が嵌りすぎ。

 

 

37:名無しのヒーロー

 

それにしてもなんで緑谷が急に早くなったんだ。

障害物競争のときと全然違うぞ。

普通科のやつの個性のせいか?

 

 

38:名無しのヒーロー

 

勝利候補はあの激戦区3組と暫定2位のチーム蛙吹か。

 

 

 

39:名無しのヒーロー

 

あのチームだけ明らかに防御力がおかしい件について

影と舌と茨で近づけんし、後ろにも目があるし

おまけに最速の機動力付きって攻略不可だろアレ

 

 

40:名無しのヒーロー

 

チーム蛙吹はあのメンバーで組んだ時点で勝ちだろ

氷で全部凍らせる以外に対処法が思いつかん

あのチームに近づいたら負け

 

 

41:名無しのヒーロー

 

今そこに突貫しているチームがいるぞ

無理ゲーだろ

 

42:名無しのヒーロー

 

目が、目がー

 

 

43:名無しのヒーロー

 

尾白フラッシュw

 

 

44:名無しのヒーロー

 

あのド派手な装飾になんの意味があるかと思ったけれど

まさか役に立つなんてなww

 

 

45:名無しのヒーロー

 

まさかの大金星だったけどやってること自体は

目くらましと耳からでる触手っぽい中距離攻撃で

割と最善手だったな。

 

 

 

46:名無しのヒーロー

 

尻尾の彼、表情からにじみ出る悲壮感が凄いな。

ハーレムなのに全然羨ましくない。

 

 

47:名無しのヒーロー

 

言われてみれば唯一のハーレムチームか。

もげろ。

 

 

~~~~~~~~

 

 

102:名無しのヒーロー

 

なに今の?

 

 

103:名無しのヒーロー

 

いつの間にか影の子が1000万とってた件について

誰か解説求む

 

 

104:名無しのヒーロー

 

今スロー再生で見てる

 

 

105:名無しのヒーロー

 

飯田が足を暖めてから超加速で突進

ツルで猪地の鉢巻きを狙いつつ

蛙吹をツルで投げて奇襲

さらにその反対の死角から影で同時に攻撃して

鉢巻きをとった

 

そんな感じ

 

106:名無しのヒーロー

 

よくわかったな

 

 

107:名無しのヒーロー

 

>>105

解説乙

 

 

108:名無しのヒーロー

 

交差したの一瞬だろ

よく同時に合わせられたな

この騎馬戦のベストバウトだろ

 

 

109:名無しのヒーロー

 

いいや俺は尾白フラッシュを推すね

 

110:名無しのヒーロー

 

>>105

さらに解説加えるなら

ツルで進行方向をわざと狭めて

交差するルートを絞りこんでたから

同時攻撃がしやすくなる布石になっていたと思われ

 

 

111:名無しのヒーロー

 

解説乙

見ごたえあった

トーナメントも期待大だな

 

112:名無しのヒーロー

 

お茶子ちゃん頑張れ

あと1分諦めるな

 

 

 

 

~~~~~~~~

 

 

 

220:名無しのヒーロー

 

や、やりやがった

 

 

221:名無しのヒーロー

 

一瞬で70もレスを消費している件

 

 

222:名無しのヒーロー

 

最後に強制脱落させられるとか

誰がこんなん予測できるか。

 

 

223:名無しのヒーロー

 

心操エグイ。

個性そのものもエグイが使い方もタイミングもエグ過ぎる。

こんな負け方したら心折れるわ。

 

 

224:名無しのヒーロー

 

これ発案誰だ。

愛しのお茶子ちゃんではないと信じたい。

 

 

225:名無しのヒーロー

 

心操引っ張って来たし、猪地一択だろ、多分。

 

 

226:名無しのヒーロー

 

マヂかよ猪地。

 

 

227:名無しのヒーロー

 

爆豪マジ切れ3秒前

 

 

228:名無しのヒーロー

 

>>227

もうキレてる

でもあれはDQNじゃなくてもキレるわ

 

 

~~~~~~~~

 

 

320:名無しのヒーロー

 

心操、自分で降りたか

ちょっとかわいそうだったな

猪地の弁護も間違ってないと思うし

 

 

321:名無しのヒーロー

 

でもトーナメントでは勝てんし

個性が凄いのは十分伝わったから

引き際は間違っていない希ガス

 

 

333:名無しのヒーロー

 

俺、心操に一票入れておくわ

 

 

334:名無しのヒーロー

 

>>333

プロなん?

 

 

335:名無しのヒーロー

 

>>334

禁則事項です

 

 

336:名無しのヒーロー

 

そんなことよりトーナメント優勝の予測しようぜ

僕は、芦戸三奈ちゃん!

 

 

 




スレの表現として微妙化もしれませんが思いつくがままに打ち込みました。
あまりにも本編と空気感が違うので②は需要があればどこかで余裕があったときにでも…

アンケート設置してみましたのでよかったらどうぞ。



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第三章 チカラノカタチ (一学期末~夏休み前半)
第41話 狂愛◆


第三章「チカラノカタチ」スタートです。



 屋上はやはり風が強い。揺らぐライターの火を手で覆って風から守りながら、俺はようやくいつもの日課を始めた。

 

 一息吸い込めば爽やかなメントールの香りが口内から鼻腔へと行き渡る。そして紫煙を宙に向かって吹きかけた。

 

「あー、うめぇ」

『不味ぃ。本物が吸いてぇ』

 

 生温いプラスチックベンチに腰かけてロビーから拝借してきた新聞を広げる。

 

「ヒーロー殺し逮捕か。やっぱ一番はこれしかないよな」

 

 当然のように一面の話題はこのニュースだった。保須市の商店街にて高校生4人が居合わせたところにベテランヒーローが2人駆けつけ逮捕に至ったものの、高校生たちを庇ったヒーロー、ネイティブが殉職しその他民間人2人も犠牲になっている。

 

『ふざけんなこの俺の華麗な活躍が一番のハズだろ?! 節穴かよ。マスコミはやっぱ糞だ』

「世を忍ぶ俺がニュースなってどうする。姐さんに迷惑がかかるだろうが」

『いーや、忍び過ぎてんだよ俺たちは。目立って宣伝するべきだ!』

 

 そしてヒーロー殺しと同時に保須市に現れた4人の敵も大きな話題に挙がっている。脳味噌がむき出しにした姿の(ヴィラン)が街のあらゆる施設の破壊活動を引き起こし、実際この眼下の風景も黒く煤けたモザイク状になっている。

 

 幸い現場にはエンデヴァーを始めとしたヒーローが多数駆けつけていたこともあり、今のところ死亡者は確認されていない。ただし重軽傷者は多く、確認できているだけでも91名でありまだ増える見通しであるとのことだ。

 

 また(ヴィラン)連合に接触したとされるノーマルヒーロー、マニュアルの左腕の喪失による活動休止宣言、他8名のヒーロー及びサイドキックの行方不明者も出ており、ステインに殺害されたネイティブの件も合わせて一部ではヒーローの弱体化が声高になっている。逮捕された(ヴィラン)はステインを含めたった3名。警察の緊急会見も開かれたが事件当時情報網が寸断されていたこともあり、事件の全体像がまだ見えていないのが本当のところらしい。

 

「あー仁くんここにいたー。いけないことしてるんだー」

 

 起き抜けの猫のような間延びした声がした。振り返ると艶やかな黒髪の左側だけアップ気味のサイドテールがそよぐ風に揺れていた。

 

「やー、ツナちゃん。今日もいい天気だね」

『徹夜明けにこの日差しはないぜ。最悪だ』

「あーそうやって話ごまかすんだ。いけないんだ。タバコはねー、健康に悪いんだからめーなんだよー」

 

 俺の大事な清涼剤をとりあげようと彼女は手を伸ばすが、俺が頭上に掲げてしまえば130㎝ちょっとぐらいであろう彼女の小さな背では決して届かない。

 健気にぴょんぴょん跳ねる姿が年相応でなかなかに愛らしい。もう数年すれば彼女の姉のようにたわわな胸部が激しく上下運動するのだろうが、今は悲しいことに揺れるものがなにもない。年相応といえばそれまでだが。

 

「休憩は咎めませんが、全く貴方という人は……あれだけタバコは強く禁止したというのに。しかもこの病院は全面禁煙ですよ。(つなぎ)、貴女も何を遊んでいるのですか」

「あー倫音(りんね)もおサボりするのー?」

 

 リンちゃんも屋上へ上がってきたようだ。双子のツナちゃんとはサイドテールの向きが逆なこと以外は全く同じ顔のハズなのに、リンちゃんの方が若干目力が強く目元と眉尻が吊り上がっているように見える。対してツナちゃんはゆるみ気味の口元とまんまるに見開かれた特徴的である。この二つは性格が表情に出るいい例だ。

 

「これはタバコじゃないって。前にも言ったでしょ100%ハーブなの。超合法で市販のヤツ」

「景観と教育に良くありません」

 

 猛禽のように睨むその瞳からは一歩も引く気配が感じられない。俺の負けだ。俺は渋々とポケットから携帯灰皿を取り出し、火を消してから吸い殻をねじ込んだ。 

 

「ぐすん、俺の唯一の楽しみが……」

「仁くん、昨日がんばったからペロちゃん1個あげるねー」

「ありがとう。超嬉しい」

『何だ。飴かよ』

 

 舌を出した少女が描かれているパッケージを引っ張り、オレンジ色の棒つきキャンディを取り出す。差し出しておきながら当の彼女は物欲しそうにこちらを見つめている。もしかして最後の1個だったのか?

 

「食べる?」

「食べる!」

 

 ぱくりと食いついた彼女は満面の笑みで「ありがとー」と俺に言う。まぁ元はツナちゃんのだったけどな。可愛い笑顔を見れたからそれでいい。

 

「トゥワイス、貴方ちゃんと寝てないでしょう」

「そりゃぁこれだけ急に人が減ったら、俺がその分頑張るしかないじゃん」

「未だに連絡が取れないものも数名いますし、本当に貴方のおかげで助かりましたよ。ですが疲労は業務の非効率化に繋がります。少し休みなさい」

 

 俺の隣に腰かけて自らの膝を叩くリンちゃん。これはもう、つまり……いいんだよな?

 

「仁くん膝枕いいなー」

「いいだろー?」

 

 昨日は燃える街の中を駆け巡って自警団として救護所まで避難に遅れた人たちを運びまくり、病院に戻ってからは腕利き緊急医を俺の個性で増産して神様のオペを連発してみせた。間違いなく昨日のMVPは俺だという自信はあったし、こうして超絶黒髪美少女からご褒美を頂いていることに何の不思議もなかった。つまりはロリっ子最高!

 

『ガキだと肉感が足りねぇ、痛ってぇ?!』

「全然痛くねぇよ」

 

 額に軽くデコピンを当てられた。

 

(つなぎ)はまた今度ね。トゥワイス、昨日の救助活動お疲れさまでした。加えて緊急医の増員というアイディア、なぜ今まで私は思いつかなかったのでしょうね。もっと前から考えついていればこの病院の経営ももう少し健全にやれたはずなのですが」

 

 リンちゃんは俺の頭を撫でながらロマンチックの欠片もない言葉を、ため息と共に吐き出す。

 

「倫音はまたむずしーこと考えてる。お友達が増えるならそれでいーんじゃない?」

「貴女は気楽で良いわね。私も少し休もうかしら。下は警察とマスコミでややこしいことになっていますし」

「だよねぇ。私も逃げ出して来ちゃいました」

「やぁトガちゃん、君もサボり?」

「そうですよ。私もちょっと疲れちゃいました。大体山場は超えましたしいいですよね?」

「あと10分でみんな持ち場に戻りますよ。いいですね?」

「やったぁ!」

「あと10分も膝枕天国、天使だ!」

『……地獄だ。悪魔の間違いだろう』

 

 ぴっちりと張り付いた看護服がトガちゃんに良く似合っている。指を組んだ状態で掌を外へ向け、両腕を前方に伸ばす動作をする彼女の突き出されたお尻には、くっきりパンツラインが浮かび上がっていてちょっとだけエロい感じだ。

 

「それにしても倫音ちゃん、いつもは事務のお手伝いだけなのに昨日から人使い荒すぎです。私も仁くんみたいにご褒美を要求します」

「ご褒美ですか。まぁたまには甘やかすのもいいでしょう。貴女も日頃から良くやっていますしね。被身子、何か希望はありますか?」

 

 その言葉にトガちゃんの顔つきが変わった。眼球が目まぐるしく動き、視点が定まらない様子だ。頬は紅潮し、薄く広がる唇の隙間からは鋭い犬歯がきらりと光る。

 

「えへへ、実は巡理ちゃんのね、血を多めに採血してきたんですよ。だからちょっとだけ、一口だけでいいからチウチウしていいですか?」

「それはめーだよトガちゃん。お姉さまは“いのちのきょーかい”を超えたんだから。それは大事なさんぷるなんだよー」

「珍しく(つなぎ)が最もなことを言いますね。ですが良いでしょう。貴女は組織にそれだけの貢献をしています。ただし量と使うタイミングは私の指示に従ってもらうという条件は付けさせて頂きますがどうでしょうか?」

 

 リンちゃんはサラリと提案したつもりだったのだろうが、トガちゃんの反応は苛烈だった。

 

「いいんですか? 本当にいいんですかぁ?!」

「えぇ。前言は撤回しませんよ。でもお姉さまの血は貴重ですし、情勢を読む必要もありますから使い時は少しだけ待って下さいね」

「うん、待つね! ちゃんと待てるよ私! 倫音ちゃんありがとう!」

「ど、どういたしまして?」

「トガちゃんよかったねー」

「繋ちゃんもありがとう」

 

 クルリとその場でターンして小躍りするトガちゃんはノリノリだ。リンちゃんはテンションの上がり具合に若干引き気味な様子だがツナちゃんはどこまでもマイペースだ。

 

「あのときの巡理ちゃん血がいっぱいでとってもカァイイ感じだったなぁ。背も高くてスタイルも良くて羨ましいなぁ。良い感じに染まったお揃いのスーツも着てみたいなぁ。ウサギリンゴ私も食べたかったなぁ。私が剥いてあげたら食べてくれるかなぁ。恋バナもいっぱいしてみたいなぁ。あの男の子のことが好きなのかなぁ。あの男の子にしてたみたいにチウチウしてみたいなぁ。どんな味がするのかなぁ。巡理ちゃんいいなぁ。同じになりたいなぁ。心も、体も、命も、みんなみんな、巡理ちゃんと一緒になりたいなぁ」

「たのしそーだね、トガちゃん。繋も一緒におどるー!」

「うん、一緒に踊りましょう。あぁ、想像するだけでも楽しいねぇ」

 

 次第に微睡に落ちながらも俺は嘗ての糞ったれな日々を思い出す。

 それと比べて今はどうだ?

 

 きらきらと輝く笑顔と楽しげな声に囲まれて。

 しかもこんな俺を包み込んでくれるこの手の温もりが傍にあって。

 

 ひと昔の前の俺にはひとかけらさえも想像ができないほどに恵まれた、夢物語みたいな日常だ。

 

 この日常の先には俺が一人に戻れる、俺が俺であることを許される世界が待っている。

 なんて素晴らしい(最悪な)世界だ。

 

 俺だけじゃない。皆はもっと救われるべきだ。

 

 俺を包み込んでくれる彼女たちと一緒だったら、俺はなんだってやれる。

 看護師さんごっこでも、ヴィジランテごっこも、ちょっとしたスパイごっこだって。

 

 洗礼名トゥワイス。この名にかけて俺は全てを捧げよう。

 

境界なき(りそうの)世界のために」

 

 

 

 

 

              ×               ×

 

 

 

 

 

「ヒーロー殺しもザマァねぇな。あれだけ啖呵切ってヒーロー1人と一般人2人ってしょぼすぎだろ!」

 

 上等なウィスキーのロックを煽りながら死柄木(キチガイ男)は言う。今日はヤケに上機嫌だ。耳障りな声が湿っぽい室内にこびりつく。

 

「ですが脳無の扱いの方が少し小さいのが気になりますね。ラブラバ、あなたはきちんと仕事をしているのですか?」

「しているわよ。だからこそTVや新聞での扱いがこの規模で済んでいるんでしょうが。主な通信網は物理的に破壊して、残ったところを私がハッキングで殆ど情報封鎖していたんだから情報が出回る余地があるわけないじゃない!」

 

 死柄木の腰巾着の黒霧がネチネチと嫌味を言ってくるものだからちょっと怒鳴り気味で返してしまった。私は完璧にやったわ。伊達に徹夜していないわよ。

 

「そう言われれば少しは理解できないこともありませんが、封鎖するだけでは意味がないでしょう。先ほどから編集しているその動画はどう使うおつもりですか?」

「物事にはバズる、炎上するタイミングってのがあるのよ。そのタイミングは決して今じゃないわ。それに情報というのは出回った瞬間から価値が劣化するのよ。取引材料にもいくつかは使うんでしょう? それなら少なくともこの2つはしっかりと切り札としてとっておくべきだわ。特にこっちは世界そのものが変わるかもしれないのよ?」

「ラブラバ、やっぱりお前を引き込んで正解だったよ。これでゲームの概念自体が変わった。何もオールマイトやエンデヴァーを倒すことに固執する必要はない。(ヒーロー)を与えて育てた脳無(コマ)を使って徹底的に周りを削いで、奴ら自身は動けないように、間に合わないように、情報を撹乱し、世論で雁字搦めにしてやればいい」

 

 チンピラたちと脳無1体を連れて雄英に乗り込んだ挙句、入学したての生徒たちに追い返された程度の幼稚な思考から死柄木は既に脱却している。

 

 アイツがやっているのはトランプで例えるなら大富豪の革命と下剋上だ。雑に強いカードで戦うフリをしながら、その水面下で革命に必要なパーツを1枚ずつ揃えていっている。

 

「人を支配するのに必要なのは金、権力、情報、武力、そして命を握ること。既にそのうちの2つの情報と武力はアドバンテージがあるし、3つ目の命に関しても足掛かりを得た。それにこれで先生が戻って来れるようになれば権力だってついてくる」

「えぇ、先生が戻ってくればもう何も恐れるものなどありません」

「あぁそうだな。だから今はアイツらに俺たちのことを愉快犯とでも思わせておけばいい。ただ俺たちの存在だけを世間に仄めかしておく。それが絶対に後で活きてくる。そして一気にカードをヒーローたちに突きつけてやるのさ。あのオールマイトやエンデヴァーの絶望する顔が見てみたいぜ。ハハハッ!」

「そんなに上手くいくのかしら。怪我人が多数出たから案の定、祝福(ハレルヤ)が一気に表へ出回ったのは読み通りだけれど、あれの効果だってモノによってピンキリで眉唾ものなんでしょ?」

 

 前回の襲撃計画の稚拙さから世間は完全に騙されているけれど、今回の事件は一般人やヒーローを傷つけるのはあくまでおまけの目的だ。

 

 “多くの人々を傷つけること”で、あの宗教かその派生組織のどちらかと考えられる祝福(ハレルヤ)の売人を表に炙り出し、薬も情報も一気に確保する。だから今回の脳無たちは誰も殺してはいないのだ。

 

 『ヒーロー殺しの被害者以外の死人が出てなくてよかったですね』なんて言っているTVのコメンターたちの毒にも薬にもならない意見が今も目の前で流れているけれど、本当にバカバカしくてたまらない。

 

「ですが確かに効果はありました。数年前から治癒系個性の持ち主の失踪も後を絶ちませんし、エンドレスの娘の起こした奇跡や、その背後組織のことを鑑みればある程度その効果の信ぴょう性は憶測はできます」

「複数人の血やDNAが混ざっていたんだっけ。しかも薬ごとに配合もてんでバラバラ。まるで脳無みたいね」

「あなたもそう思いますか。私もそうです。ですから私はこうも思うのです。脳無の製造ノウハウを持っている我々が大本を掌握すれば、更に効能が上がるかもしれないと」

「その考えはなかったな、よく言ってくれた黒霧。それは充分に可能性があるな。確かに副作用のばらつきも個性由来と考えれば納得が行く部分も多い」

「今回鹵獲したヒーローたちの改造と並行して、この視点からの祝福(ハレルヤ)の解析をより深めてもらうようドクターに依頼をしましょう」

「あぁ。頼んだぞ。そういや黒霧、そろそろ面談の時間じゃないのか?」

「えぇ、そろそろですね。まずは私の方で彼らを見極めてきます。仲間にするか、餌にするか、ね」

 

 死柄木のほうではなく、ギロリと私の方を強く睨んで、黒霧は言う。つまりアイツは再び私を脅しているのだ。

 

「絶対に、この仕事はやり遂げるわ。だから早くジェントルを返しなさいよ! あんなところじゃ彼がかわいそうだわ」

「ダメだな。アイツの個性は中々に使い勝手がいいから手放すには惜しい。先生のちゃんとした返事があるまでは保留だ。だがまぁそうだな、今回の情報を使ってある程度の結果を残せたらもう一度アイツに合わせてやる」

 

 顔面に張り付けられた手の向こう側にある捻じ曲がったその口を、二度としゃべれないようにナイフで切り裂いてやりたい。

 

「本当なのね? わかった。必ず最高の結果を出して見せるわ。だからそれまでジェントルは大事に扱ってね」

 

 堪えなさい。今は雌伏のとき。

 私が頑張っている限り、ジェントルは餌にされない。

 

「勿論だとも。だからせいぜい励むことだな」

 

 そう言い残して死柄木は自分の部屋の方へと帰って行った。

 

「……絶対にいつか殺してやるわ」

 

 だけどそのために、今は耐え抜いて、耐え抜いて、こいつ等の信頼を勝ち取るのよ。

 そして最高の(致命的な)タイミングで敵連合(アイツら)を地獄に突き落としてやるわ。

 

 下唇を噛みしめ、タイピングのスピードをより一段階あげる。

 

 じわりと口に広がるのは生臭い私の血の味。

 爽やかな紅茶で口の中を洗い流してしまいたい衝動に駆られるけれど、今の私には紅茶を飲む資格はない。

 

 紅茶を飲むのは2人一緒でじゃないと何の意味もない。

 彼が帰ってきたらあのゴールドティップスインペリアルを飲みに行こう。

 

 その日が来ることを糧にすればこの屈辱の日々だって耐えられる。それにジェントルの方が絶対辛い眼にあっているんだ。

 

「愛しているわ。ジェントル」

 

 いつか絶対に救けるから待っていてね。

 

 

 




まずは第二章の答え合わせ。
実は敵連合しっかり計画通りでした。

オリジナルルートに寄っていきますが、できるだけオリキャラは増やさない方向で組み立てています。原作世界と立ち位置が変わった人物が多めになっていますので、そのあたりもお楽しみいただければ幸いです。

毎度ながら感想いつでもお待ちしております。


【挿絵表示】


3章スタートにつき表紙絵変えました。
これに人数追加していきたいと思います。


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第42話 NEW LIFE

リアルで色々あり一年も滞っていましたが、ようやく戻って来ました。
再びお付き合い頂けましたら幸いです。


「おはよう、天哉」

 

 その挨拶はいつもよりも少しゆっくりと。声をか細く震わせながら、彼女はそう俺に声をかけた。

 彼女の瞳から溢れ出す雫が、俺の頬に降り注ぐ。

 何故、彼女がそんな顔をしているのか。そんなこと思い返すまでもなかった。

 

 全部俺だ。弱かった俺のせいだ。

 きっと彼女は全てを尽くして俺を救けてくれたのだろう。

 

 痛みはない。だが、酷い倦怠感で指一本動かすことも、言葉一つを投げ返すこともできそうになかった。泣きはらした顔をただ延々と眺めるだけだ。

 

 なんて様だ。

 

 救けてもらった感謝よりも、彼女が無事なことへの安堵よりも、生き返ったとしか言い表せない状況への困惑よりも。

 

 どうしようもなく情けないこの醜態への憤りが俺の脳裏を支配していた。

 

 君のその声を、その顔を。

 俺は戒めとして、この先一生忘れることはないだろう。

 

 こうして俺は襲い来る睡魔と倦怠感の波に身を委ね、一つの夜が過ぎ去った。

 

 

 

 

     ×          ×

 

 

 

 

 淡い花の香りと済んだ柑橘の香るふわりとした空気に包まれた室内。

 居心地のいい空間であるはずなのに、どこか落ち着かない。

 一生忘れ得ぬ体験をしたあの喧噪から一夜明けた今も、これが現実なのだという実感が持てなかった。

 

 何せ、俺は胴体を断たれて一度死んだはずなのだから。

 

「ほらっ、一丁剥けたよ。心操くん、コレ運んで」

「相変わらず早ぇ。やっぱ器用だなお前」

 

 俺と緑谷くん、轟くん、そしてマニュアルさんの4人が押し込まれた病室に、聞きなれたキビキビとした声が耳に届く。

 

「包丁さばきに裁縫は手先の訓練にいいからね。医者志望としての嗜みだよ」

「ふーん、意識高いな」

 

 軽度の打撲で済んだ心操くんと自力で超回復した巡理くんの二人は見舞いに来ているという名目の下、実質的には朝からこの部屋に軟禁状態となっている。あまりにも今回の俺たちは事件に深入りし過ぎたからだ。

 入試の事故、雄英襲撃事件、そして今回。俺たちの周りがこれから騒がしくなることは火を見るよりも明らかだった。

 

「その言い回しはディスってるように聞こえるんだけど」

「普通に誉めたつもりだったけど、そう聞こえたなら悪い」

「なら良いけど。ありがとね」

「峰田君だったら問答無用でアイアンクローなのにどこで扱いの差が…」

「聞こえてるんですけど、そこっ!」

「ひぃっ、ごめんなさいっ!」

 

 不機嫌モードに切り替わりかけた巡理くんの気迫に押されて、すぐに緑谷くんが頭を激しく横に振る。

 

「巡理くん、変に威嚇するんじゃない。萎縮してるだろう」

「威嚇してませーん」

 

 それを指摘してみれば彼女は目を伏せ、唇を少し尖らせて、拗ねたようなフリを見せる。見慣れたいつものよくある光景だ。

 

「ほんとアイツらは……マニュアルさん、どうぞ」

「うん、ありがとう。俺は一つでいいから」

 

 敵連合の首領である死柄木との交戦で片腕を失くしたマニュアルさんはそう言って、可食部だけを切り抜いた半月型のオレンジをもう一方の手で掴んで被り付く。

 

「じゃあ、そこの自爆技コンビにあげてくれる?」

「わかったけど、やっぱ素で時々……いいや何でもない」

 

 心操くんは何かを言いかけて辞めたが、名指しされたらしい轟君が抗議の声を上げる。

 

「猪地、今回の話だけでその括りは不本意なんだが」

「火傷に凍傷に粉砕骨折のトリプルコンボを自分でやっちゃった人が何言ってんのさ」

「うっ」

「ぼ、僕は最近はフルカウル中心で、100%は本当に必要なときにしか使ってないし」

「それはわかるが、指や腕の数を残弾数と思っているような節が見て取れるのだが、それは良くないと思うぞ。ステイン戦で身を挺してくれたのは助かったが今後は……」

 

 俺の口にオレンジが突如押し付けられ、巡理くんに強制的に黙らされてしまう。じゃれるような軽口の時とは違い目が完全に笑っていない。

 

「天哉?」

「飯田君」

 

 巡理くんだけではなく緑谷くんまでが、じっとりとした目を俺に向ける。そして見事なシンクロで言った。 

 

「君が言うなよ」

 

 命をベッドし、そして一度全てを失ったはずの俺に言えることはもう何もない。

 黙って頷き、よく咀嚼することもなくオレンジを飲み込んだ。

 

 気まずい沈黙がいくらか続き誰もが次の言葉をどう発するか、四苦八苦していたであろう頃に病室のドアが開き客人たちが入って来る。あれは面構所長とピクシーボブとエンデヴァー、そして確かあの小柄なヒーローは────

 

「グラントリノ! おはようございます」

「おっ、元気でやってるか小僧」

「おはー!みんな集まってることだし、これからちょっと真面目なお話の時間だニャン」

 

 

                     ×      ×

 

 

 

 今後の事件による俺たちの処遇について面構所長を中心に話があった。まずはヒーローではない俺たちが個性の使用を行った件について。ピクシーボブ及びエンデヴァーの指示下で緊急使用許可を得ていた俺と巡理くんについては本人はお咎めなし、しかし該当ヒーロー2人についてはそうはいかずしばらくの間減給となるそうだ。

 

 また直接敵連合に標的とされたと思われる轟くんとその場に居合わせた心操くんは、無許可での個性による戦闘を行ったものの、正当防衛の適用範囲にあたると判断され厳重注意のみで済んだが監督者のマニュアルについては減給及び教育指導の免許停止。ただし本人がヒーローとして復帰できるかそのものが

定かではない状態なので、もしかすれば処分が変更の可能性もあるとのことだ。

 

 そして緑谷くんについては、完全に独断で俺たちの救援に来てしまったので状況が違う。状況が状況だけに特別処置として面構所長が緑谷くんの情報を握りつぶすようだが、グラントリノは教育権はく奪されるようだ。

 

 面構所長による個性使用に関する厳しい指導があったものの、事件解決に尽力したことに関しては大きく感謝され、一旦この話は収束することになった。

 

 しかしその後別室に再度俺は呼び出しを受けることになる。俺以外に部屋に集まっているのは巡理くんに緑谷くん、ピクシーボブとグラントリノの5人だ。

 

「なんでこのメンバーだけ集まってるかわかるわね。オラシオン」

「……はい」

「もう一度言うけれど天哉の身に起きたことは絶対に秘密よ。外に漏れたときの影響なんて賢い貴方たちなら十分わかっているでしょ」

 

 死者蘇生。もはや個性と呼べる範疇を超えたと言っても過言ではないかもしれないほどに大きな能力。何を捧げても、犠牲にしてでも求められるような力だ。

 

 似たような力を持つと噂されたエンドレスの経歴を鑑みれば、多くの困難が待つことは容易に想像できた。

 

「この件を共有しているのは俺らの他にはお前らの学校の校長と担任そしてボディガードだけだ」

「心操くんはなぜ呼ばれて居ないのでしょうか?」

「彼は復活の瞬間を見ていないからね。祝福を使ったと誤魔化しているわ。それも不味い言い訳だから口外禁止してるけど」

「小娘の力とバレるよりマシだからな。現に祝福に関する噂は以前より活発だ。あの事件で相当出回ったらしい」

「そもそも彼女のやらかしは私のチームメンバーにも言ってないからね。それぐらい重いってことまずは理解して頂戴」

「はい。それからグラントリノ、質問良いですか?」

「話の途中なんだが、まぁいい。なんだ言ってみろ」

「私の状況を先生たちに知らせるのはわかりますけど、ボディガードって一体どういうことですか?」

 

 珍しく恐々と挙手をしながら訪ねる巡理くん。

 

「おおよそ想像通りだろうよ。お前さんに関しては今後自由が一部制限される。ボディガード付きでな。メビウスのところの護衛も実際役に立たなかったこと、敵連合にワープ能力持ちが居て生徒を直接狙って来た実績があることを考えれば当然の処置だ」

「ボディガードってそんな、それじゃあ私は……」

「そうです、彼女の自由はどうなるのですか!」

「安心しなさい、ボディガードは私とグラントリノが務めるわ」

 

 少し背伸びをして巡理くんの頭を撫でながらピクシーボブはそう言った。

 

「あともう一人は秘密だが、安心しろ。俺が世界で一番信頼している奴に任せることになっている」

「私も知らないんだけどね。あの校長があそこまで言い切る人物はそういないと思うわ」

「グラントリノと校長が一番……、うん、それなら安心だ。きっと安心だと思うよ!」

「なんで根拠もなく緑谷くんがそう熱く語るかな」

 

 眉をひそめて巡理くんが言うと緑谷くんは急に口を閉じて露骨に目を逸らす。

 

「それで実際ボディガードってどうするんですか。流石にメビウスみたいにストーカーまがいのことは無理ですよね?」

「そんなのナンセンス。普通に共同生活を送ればいいじゃない!」

 

 人差し指を天に向け、なぜか急に声のテンションを上げるピクシーボブ。話の雲行きが何か変な気がしてきた。どこかこの感じは既視感があるのだが、うまく言語化できない。

 

「ウチ、ぼろいし狭いですよ? お湯も沸きにくいし」

「ろくに守れない場所を拠点にするわけないだろう。一軒家丸ごと借り上げる」

「丸ごとよ! そして偽装家族として活動するのよ。むふーっ!」

「偽装家族って言っても姉妹と祖父役だけって言うのもちょっと妙じゃないかなぁって私的には思うんですけど」

「旦那様役がいるに決まっているじゃない!」

 

 妙な雰囲気だと思ったらそういうことかと一言で納得がいった。目の輝きが明らかにいつものパターンだ。

 

「しかもね、すーっごくモテる人らしいのよ。結構年齢的には離れちゃってるけど、イケオジもありね。ありだと思うわ!」

「ピクシーボブってこんな人だったんだ。確かにプロデビュー年を考えれば無理も……」

「心は18!!」

 

 必殺猫パンチが見事に緑谷くんの頬に炸裂し、景気の良い音が響き渡る。

 

「緑谷くん、女性に、得に彼女には年齢の話は禁句だぞ。今後は気を付けたまえ。俺もきっちり指導されたからな」

「いたた、そういうことはもう少し早く言って欲しかったな」

「すまなかった。俺としたことが情報共有の徹底を怠るとは。不覚! 他に気を付けることと言えば婚期の」

「シャアラップ!!」

「ぐはっ!!」

 

 みしりと、重量感のある膝蹴りが鳩尾にめり込む。腰の入った良い蹴りだ。流石はプロヒーロー……

 

「天哉が浮いたっ!?」

「ピクシーボブ。その辺にしておけ。話を進めるぞ」

「オラシオン、引っ越しは日曜だからサクッと帰って荷物まとめといてね。そこの男二人も使っちゃって」

「えぇ、日曜っていくらなんでも急すぎだし」

「こういうのは急ぐに越したことはない。それにこの病院に長く留まるのは良くねぇ。マスコミが集まり始めた。昼イチで脱出させるからな。まずは病室の荷物すぐにまとめとけよ」

 

 難色を示した巡理くんを合理的な説明でグラントリノが説得する。

 

「なるほど、確かにそうですね。では早急に片付けるぞ二人とも!」

「人の話は最後まで聞け」

「はっ、すみませんでした。なんでしょうか」

「これから住居の警護は俺たちがやるし、雄英はかつてない厳戒体制だ。ただそれでもヒーロー達が付いてやれない状況は少なくない。それにプライべートの外出まで露骨にコイツ一人だけ制限したり、張り付いての警護は現段階じゃ色々な縛りで難しい状況だ」

「そこで君たち二人よ」

 

 ピクシーボブが俺と緑谷くんを指名する理由。

 

「僕たちがですか。つまりそれは」

「現時点で巡理くんとのプライベートの交友が常日頃あって、事情も知っていて」

「そして立派な足があるわ」

「余程の速度特化の個性でもない限り、プロでも足の早さじゃまず負けんだろう」

「でもそれって暗に僕たちに……」

「個性を使えと、そう仰るのですか」

 

 俺たちの問いにプロ二人は首を縦に振った。

 

「ええそうよ。でも何があろうと逃げること。これだけに専念して頂戴。戦闘して危害を加えるのは持っての外よ。あくまでも自衛、逃走の範囲なら法のギリギリを攻めれるわ」

「承知しました。問題ありません」

「そういうことなら僕も」

 

 そう返した俺たち二人とピクシーボブの間に巡理くんが割って入って来た。

 

「ちょっと待って。勝手に話が進んでいるけどさ、私のことで二人の将来になんかがあったら私申し訳ないというか、責任取れないというか、そのっ」

「なぁ、巡理くん。君は勘違いしているぞ」

「うん、僕も同意見だ」

「俺は今の提案に納得した上で、自分の意志で君の救けになりたいと思っている。副委員長だとか、返しきれないほどの恩だとかの建前は抜いた上の話でだ」

 

 俺の言葉に頷いた緑谷くんが後の言葉を続けた。 

 

「それに友達を救けるのは当然だろ?」

「そうだ任せたまえ。これでも俺たちはヒーロー志望だからな」

「知ってるよ。充分知ってる。二人ともヒーロー馬鹿なんだから」

 

 俺と緑谷くんの胸元に握り拳をグッと押し込みながら巡理くんは言った。

 

「くーっ、アオハルしているところ悪いけど、私たちだって何も考えていないわけじゃないのよ。個性を使っちゃいけないなら、堂々と使えるようになればいいじゃニャイ!」

「要するにだ。お前たちには通常より1年前倒しで今年の秋口に仮免試験を受けてもらう。まぁ他のクラスメイトも受けさせることになったらしいがな」

「そういうことならば安心しました。そういう背景があったのですね!」

「安心? 君は何を言っているのかしら。特にキティたち三人は絶対に落とせないからね。みっちり扱くわよ」

「それはあのブートキャンプよりもでしょうか?」

「天哉、その問答に意味があると思ってる? それよりも今すべきことを復唱しなさい」

「はい、いいえ。今なすべきことは早急に病室の荷物をまとめることです」

「よし分かったなら解散。引っ越し先の住所は後で送るわ。以上!」

 

 こうして仮免試験という新たな目標と、巡理くんの新生活準備という課題を得て、俺たちは保須の街を去ることになった。

 

 ステインの逮捕による世間への影響、轟くん単身を狙った死柄木の不可解な行動と意味深な言葉、脳無による甚大な破壊の爪痕、噂が先行する祝福の薬の行方、そして俺の意識に入り込んだ兄さんの声と、覚醒した巡理くんの個性。

 

 あまりにも多くの出来事が起き、そしてそのほとんどが未解決のまま時が過ぎていく。

 俺たちはベストを尽くした。やれることはやり通した。

 

 このときの俺たちは、全てを拾えるほど手が大きくはなかった。

 ただそれだけの話なのだ。

 

 

 

 




巡理、新家族生活編始まります。
3章からオリジナル要素が強くなると告知していた理由の一つです。

心操くんの呼び出しメンバー除外に関して追記しました


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第43話 新たな家族

昨晩に続き勢いのあるうちに連続更新です。


「すごい、これが私の部屋なんだ」

 

 引っ越し先での作業を始めて1時間、私はふっかふかで心地よい背もたれの椅子に体重を預けながら感慨に浸っていた。 

 

 なにせ机がある。リサイクルショップで買ったちゃぶ台じゃない、ちゃんとした勉強机がある。カラーボックスじゃない背の高い本棚だってしっかり備わっている。しかもスライド式でいっぱい収納できるやつだ。

 手持ちの医療本がすっぽりと収まったどころかまだ七割ほど余裕もありそうだ。

 

「巡理くん、手元の明るさはどうだ?」

「うん、その角度と明るさ良い感じ。そこで固定してくれる?」

「承知した」

「今日は色々とありがとうね。天哉。お礼に晩御飯は美味しいの作るから期待してて」

 

 作業がここまで順調なのは天哉と緑谷君が手伝ってくれているのも大きい。天哉は新しい家での作業を、緑谷くんは元の部屋の最終清掃を引き受けてくれている。本当に二人には頭が上がらないな。

 

 医療本関係以外は、他の人と比べて元々持ち物が少なかったから引っ越しは大した作業じゃなかった。お気に入り以外のものは、茶子ちゃんに譲り渡したり中古ショップに引き払ったし持ち物は実際半分くらいになっていた。とは言え、あまりにも時間がない中、さっとガス屋さんに連絡付けてくれたり、みんなに手伝ってもらって色々と助かった。

 

「それでは期待するとしよう。ピクシーボブ、じゃなかったここでは流子さんも意気込んでいたからな非常に楽しみだ」

「へぇ、お姉ちゃんも料理上手なんだ」

「あぁ、特にこの前の天ぷらは衣の具合が絶品だったぞ。仕事の関係上、山の幸を使った料理は得意らしいから君の職の好みにも合うんじゃないか?」

「何それ素敵!」

 

 どことなく生活力低そうなイメージがあったけどそれは杞憂だったみたいだ。私一人で4人分のご飯を作り続けられるか心配な部分があったから、ちょっとほっとしている。

 

「天ぷらかぁ。油をいっぱい使う料理なんて贅沢は避けていたから、私には未挑戦の領域だ。この機会に師事してレパートリー増やそうかな。晩御飯作るときに色々聞いてみよっと」

「うむ、それが良いだろう。災害救助の現場では炊き出しもあるし、どうせ作るなら美味しいものを作れるようになっておけと、プッシーキャッツの面々が言っていたからな。君の目指すヒーローの先達が傍にいるのは良いことだろう」

「そうだよね。私、プッシーキャッツの人と暮らすんだ。しかもお姉ちゃんだよ。すごくない、すごくない?!」

 

 私は今、人生の絶頂期にいる。築三十年越えの6畳間の1K住まいから一気にピカピカの戸建てにランクアップ。しかも憧れの人が私にお姉ちゃんと呼べだなんてさ。もうこれはファンとして感涙ものだよ。きっと今の私は緑谷くんみたいにふやけた変な顔をしているかもしれない。

 

「すごいな」

「今の返事、ちょっとおざなりじゃない?」

「そんなことはないぞ。それよりこっちの段ボールの中身も順に整理していこう」

「本当に? まぁいいけどさ。よしっ、サクッと詰めて行こうか」

 

 後はトレーニング機材や、小物類や洋服類ぐらいだ。まずは重量のあるトレーニング機材をって──── 

 

「タンマ! それはいいから、元に戻して!」

「そうか、ならどれからいけばいい?」

 

 危なかった。私の体操服を手に持った天哉がクローゼットに直そうとするところだった。体操服は全然いいんだけど、その下は確か下着類を入れていたはず。

 

 見てないよね……見てないかな。いや、天哉のことだ。見たとしても風景の一部として流してしまいそうだ。むしろ、このままストップをかけなかったら悪気なく普通に手に取っていそうな気さえする。

 

 あの生真面目男、十分にあり得るから怖い。普段はそういう嫌らしさがないのがありがたいんだけど、一周回ってデリカシーのない領域に踏み込んで来そうだから私が天哉をコントロールしないと。

 

「そ、そっちの箱に文具が入っているから直していってくれる?」

「承った。最高に使いやすい配置に整理しようじゃないか」

 

 出た。よくわからない天哉の小さく前に習え、それの左右フリフリバージョン。とりあえず気合が無駄に入っていることだけは十二分に伝わってくる。

 

「あ」

 

 トレーニング機材が先だった。

 

「どうした?」

「ううん、なんでもない。ただの思い過ごし」

「ならばいいが。では迅速に作業を進めるとしよう」

 

 もう。なんでこうさ、ぐちゃぐちゃになるんだろう。

 

 

 

   

 

              ×         ×

 

 

 

「猪地さん、すごいね。これ全部君が作ったの?」

 

 リビングテーブルに並ぶのは普段じゃ考えられないご馳走の数々。ミネストローネに、ツナ入りのオリーブドレッシングで和えた野菜たっぷりのサラダ。即席のピクルスを添えたハーブチキンソテー。

 

「お姉ちゃんと2人でね。緑谷くん今日はありがとうね。たくさん食べて行ってよ」

 

 お店で出てきそうなくらいすっごくおしゃれなご飯だ。今日の私は下ごしらえや灰汁取りに専念し、味付けや盛り付けはお姉ちゃん主導だ。こんなレシピを知っているとは流石大人の女性だ。気合をいれるときの料理をわかっている感じがする。

 

 特にエストラゴンとか何それってハーブを使いこなすとか本当にすごい。XYZクッキング教室に毎週通って覚えたんだって。私も後で検索してみようかな。

 

「うん、お腹すいちゃったし遠慮なくごちそうになるよ。すごく美味しそうだ。グラントリノもそう思いませんか?」

「食欲わかねぇし、俺は冷凍たい焼きだけでいいんだがなぁ」

「だめよ。栄養が偏るのは健康にも美容にも良くないわ!」

 

 背を向けてリビングから去ろうとした、ぼやくお爺ちゃん一喝するお姉ちゃん。強い。

 

「おじいちゃん、初めてみんなで食べるご飯なんだからさ、ちゃんと食べてよ」

「そうです。巡理くんと流子さんが心を込めて作ったのですから、食べるのが礼儀ではないのですか」

「そうですよグラントリノ。僕と飯田君はともかく、このメンバーでの初めての団欒なんですし」

 

 ちょっとこのお爺ちゃんは私生活では中々癖が強そうだ。でもスタートはしっかりと切りたいじゃないか。そんな私の想いに応えて、天哉と緑谷くんも私の援護射撃に加わってくれた。ナイスフォロー!

 

「わかった。食えば良いだろう。それにしてもアイツは遅いな。まだ来んのか小僧」

「もうすぐ来るって言ってましたけど。あ、インターホンが鳴ったから来たのかも。僕開けてきます」

 

 しぶしぶ座ったお爺ちゃんに急かされ、緑谷くんが小走りで玄関に向かう。

 

 そして帰って来た緑谷くんと共にリビングに入って来たのは意外というか、すごく腑に落ちる人物だった。

 

「なるほど、四人目ってオールマイトだったんだ」

 

 何気なく、本当に何気なく私はそう言ってしまった。

 麦茶の配膳に半分気を取られていたせいで、入った人物の顔をしっかりと確認しないまま言ってしまった。見ていれば、絶対そんな迂闊なこと言うはずなかったのに。

 

「い、猪地少女。君は何を言ってるんだい?」

「何って──────あ」

 

 場の空気が凍り付いた。

 

 私の目の前に居たのは筋骨隆々な陽気な劇画風のおじさんではなく、今にも風に吹かれて倒れそうな骸骨じみた痩せぎすのおじさんだった。

 

 でも髪型とか、独特な呼び方とか全然隠せていない。そもそも私は身近な人なら波長で誰かわかるから、目の前のおじさんがどう取り繕ったところで隠し通せるはずもなかった。そもそもその独特の波長で判断して私は失言してしまったのだから。

 

 お姉ちゃんと天哉は突飛もない私の言動に戸惑っているのだろう。そして緑谷くんはいつものパニック状態だ。やっぱりこの顔は知ってたね。全然隠せてない。当のオールマイト本人も似たような挙動だ。やっぱりこの二人、実は親子だったりするのだろうか。

 

「お爺ちゃんはさ、知ってたって顔だよね?」

「お前は自分の考えに自信があるようだな?」

 

 私の問いには答えず、そう私に質問を返してきた。プロヒーローとしての本気の目線だ。さっきまでのおちゃらけた我儘老人はどこにも居ない。

 

「個性で。生命力の波動みたいな第六感ってやつで個人の識別ができるんだよ。片っ端から覚えてるわけじゃないけど、身近な人とか特徴的な人なら目をつぶっててもわかる。特にオールマイトは絶対にごまかしの効かないくらい特徴的だから絶対に間違えないよ。自信がある。口に出しちゃったのは完全に私のとちりだけどさ」

「適当に言っているわけではなさそうだな。これは誤魔化しきれんぞ俊典」

「ええ、そうみたいですね。いやはや参ったな。まさか初日で見抜かれてしまうとは。ここは称賛するとしようか。流石の洞察力だ猪地少女」

 

 そう言った瞬間、骸骨おじさんが劇画おじさんに大変身した。なにこれ……筋肉系の個性? でも筋繊維とかは変わってない、というか力んでるだけだ。なにこれ、本当になにこれ。

 

「ちょっと、流子さん!?」

「飯田君!」

 

 びっくり大変身に耐えきれなかったお姉ちゃんが口にしていた麦茶を噴き出して天哉の眼鏡が大惨事になっていた。緑谷くんが慌ててティッシュをとりに行って、てんやわんやだ。

 

「多分お爺ちゃんと緑谷くんは知ってたよね。オールマイトと二人はどういう関係?」

「緑谷少年は偶然この変身するところを見られてね。それからグラントリノは私の師匠の相棒だったお方だ。それに雄英の教員として私の指導にあたっていたこともある人だよ」

 

 隠し子、とは言わないか。それとこれは別問題だし、ここでの追及はやめにしよう。

 

「なるほど。お姉ちゃんは知らなかったんだよね。一応聞いておくけどなんて聞かされていたの?」

「ヒーロー事務所にお勤めの事務員さんって聞いてたわよ。凄腕のヒーローがもう一人フォローに入るっては聞いてたけど、オールマイトなら私なんか要らないとも思ったけど……でも」

 

 お姉ちゃんが言いたいことはわかる。また痩せぎすに戻ったオールマイトは一般人どころか、どう見ても長期入院患者みたいな顔色だ。私のような個性を使わなくったってわかるだろう。

 

 私はもっとわかる。どんなに取り繕っても誤魔化せない。なんでこの人が雄英で教師をやることになったのか。どう考えても療養のためだ。母校であり、リカバリーガールのいる環境ならばうってつけだ。

 

 そして私はそんなオールマイトのことをずっとわかっていた。いつか校長かリカバリーガールが私に言ってくるのだと思っていた。オールマイトの治療を手伝えと。

 

 でも実際は違った。そんな素振りは誰も見せなかった。USJの後、弱り切っていたときでさえ。ひねくれものの私は意地の悪い質問を自然と口にしていた。

 

「ねぇ、オールマイトが一緒に住むのは私の個性をあてにしているんでしょ。ここなら家族以外の人目もないし、おじいちゃんっていう凄腕の護衛もいるんだから治療にはバッチリの環境だよね」

「それは違う断じて違うぞ」

 

 弱々しい声で。それでも彼はきっぱりとそう言い切った。

 

「巡理くん、落ち着きたまえ」

「天哉、落ち着ける? 死にかけの人がずっと私の目の前に居て、みんなにも黙っていて、私にはできるのに、救けになれるのに何もできないこの状況で天哉なら落ち着ける?」

「彼女はこんな風に言っていますが、オールマイト貴方を責めているわけではないんです。だから言ってくれませんか、治療を手伝ってくれと。もちろん根回しやリカバリーガールとの調整はいるかと思いますが」

「そうですよ、オールマイト。僕も貴方には元気でいて欲しいんです。僕にできることはなんでもやります。だからっ!」

 

 天哉と緑谷くんが私に加勢してくれた。生きて欲しいという思いは人間なら当然なんだ。だから生きることを諦めたような姿勢は、見せないで。お願いだから見せないでよオールマイト。

 

「お願い、オールマイト。私頑張るから。一生懸命頑張るからさ、一言だけ言ってよ。お願いだからさ」

「猪地少女」

「少女って呼ぶなよ! 仮にも貴方は私の兄さんになるんだから、そう他人行儀にならないでよ。私は嫌なの……うっ、家族が、居なく、なるのは……もう」

「少し飲んで落ち着こう。ゆっくり、な?」

 

 天哉が差し出した麦茶を、少しずつ飲み込み、そして呼吸を整える。

 

「生きてよ。生きたいって言ってよオールマイト」

 

 そうじゃなきゃ、なんのために私はここに居るの。

 

「巡理、私も君をそう呼んでいいかい?」

 

 暖かな手が私の両肩に触れた。小さく震える虚弱な手が。

 

「うん」

「ここでの生活は仮初のもの見せかけだけ、そう考えていたが私の間違いだったようだ。これからの私は君を一生徒としてだけではなく、家族の一員としてあろう、心から。そうなるために努力しよう。ここに並んでいる料理だけでも君がそう考えてくれていることは痛いほどに伝わってくる」

「そうだよ。私もお姉ちゃんも頑張ったんだよ。見てよドレッシングも手作りしたんだよ」

 

 私がドレッシングを取ってみせると、それを受け取ったオールマイトは────兄さんは隈で澱んだ瞳をわずかに輝かせてこう言った。

 

「そうか、それなら味わって食べないとな」

「私、頑張って作るから、たくさん食べれるように治そう?」

「もちろんだ。約束しよう。私は生きることを最後まで諦めないと。だから少しだけ手伝ってくれるか?」

「当然だよ、家族でしょ!」

 

 パン、と乾いた拍手が一つ鳴った。

 

「はい、湿っぽいのは終わりニャ。温かいうちに食べましょ! せっかくのソテーが冷めちゃうわ」

「そうです。作った二人のためにも一番美味しいうちに食べなければ! さぁ席に着きましょう!」

 

 お姉ちゃんと天哉が着席を促し、場の空気を変える。

 

「それじゃあ、みんなで言うわよ」

 

 頂きます、と手を合わせ楽しい団欒の時間が始まる。

 

 

 

 

 

 

 

 こうして私たちは家族になった。

 私と、流子お姉ちゃんと、俊典兄さんと、空彦お爺ちゃん。そして後から加わる愛しいもう一人。

 あっという間に過ぎ去ったここでの5人の生活。

 

 この思い出を私はこの先きっと一生忘れることはないだろう。

 

 




ようやく出せたオールマイト復活に向けての第一歩。
回復系個性持ちの物語なら王道ですよね。

次回心操くん編です。

23日追記
心操くんの呼び出しメンバー除外について前話追記しました。


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第44話 渇望

復活連載3話目。

今回は2章の裏側から。
心操くんハードモード編。

序盤R-15胸糞注意です。



 ここまで逃げればもう炎を操る脳無が追っては来ないと思った俺が馬鹿だったのだろう。

 

 逃げ込んだ廃工場で一息ついた直後、黒い霧の渦と共に現れた5人の男たち。鉄パイプや金属バットなどを構えた姿、シルエットから伺える筋肉量からして、このまちで噂になっていたステインのように手慣れた殺人犯などではない、ただの線の細いチンピラのような風貌だが、多勢に無勢だ。

 

『お前らは敵連合かっ!?』

 

 しかし奴らは何も答えない。それどころか口にチャックをするようなジェスチャーをするやつ。にやつきながら売れない芸人のように全身で丸を描くやつ。完全に俺の発動条件を把握してやがる。体育祭だけでは俺の声がキーになっていることまでしか、わからないはずなのに。

 

 どうして筒抜けなのかなんて考える暇はなかった。

 

「ぐっ!?」

「だっさ、トーシロのパンチ一発で膝をつくとかマジで雄英かよ?」

「糞よえージャンよこいつ。せっかく動画取ってんのに俺たちのカッコイイとこ見せらんねぇジャン」

 

 ダサいのは俺が一番、わかってるよ。

 

「痛い、痛かった? なんかちょっと涙にじんでね?」

「痛くねぇよ、くそっ!」

 

 ふらつく膝でなんとか立ち上がり、右拳を振りかざすも、相手の上腕部を掠めただけで、ダメージを与えたようには全く思えない。

 

「あー問いかけじゃないなら喋っていいんだっけな」

「あぁ、確かそのはずだ。にしても、大振りのテレフォンパンチとか流行んねぇってなぁ。腰も退けてるし、マジで何習ってんの?」

「じゃあちょっとお兄さんたちとサッカーでもして遊ぼうぜ。お前ボール役な。でも気絶したら、次はそいつらだから」

 

 指が向けられた先には足の不自由な女性とその子供。後ろに足手まといを抱えたまま逃げることも叶わず、ただもて遊ばれるように適度に加減されながら嬲られ続けた。

 

「それにしてもこんだけやってもさぁ、わかんないって雄英の癖にバカなの? ここにサインするだけでいいんだぜ? 手は痛めつけてないんだから簡単だろ?」

「おらっ、何とか言えよ」

 

 無茶を言うな。洗脳を使えないよう羽交い絞めにして猿轡を噛ませやがったくせに。

 

「顔だってわりと綺麗なままにしてやってんのによ。それとも本当にバカだから字が書けないの?『僕は敵連合に入ります』ってちゃんと言えるなら、口のやつひっぺがしても良いけど、どうするよ」

 

 ワープ持ちの個性の奴もこの街に来ている以上、無理やり連れ去ることだって簡単なはずなのに、こいつらは俺が屈服する画を撮ることに固執してやがる。わかりやすいぐらいに意図は見え透いている。敵連合は雄英の信頼を根本から覆すつもりだ。いかにも敵っぽい個性で多くの人から体育祭で反感を買った俺だから使い易いと。

 

「今なら噂の祝福(ハレルヤ)で怪我も治してやってもいいんだぜ?」

「俺たちは優しいからよ。きちょーなコイツをお恵みしてやんよ。ほらなっ」

 

 そう言って白い錠剤が一粒床に投げ捨てられた。

 

「誰が、んなもん……れはっ」

 

 意地でもう一度立ち上がり、痛みごときに屈するものかと足で踏みつぶす。すると────────

 

「あぁああああっ!!」

 

 廃工場に響き渡る甲高い悲鳴。それは俺の足元から発せられていた。

 おい、なんで。なんで俺、は助けようとしていたはずの子供の足を痛めつけているんだ。

 

「あぁあん……」

 

 就学前の子供には耐え難い痛みだったはずだ。泣きわめくばかりで言葉にならない音をずっと発し続けている。けれどもその子は拾った錠剤を胸に抱え、親の方に駆け寄っていく。

 

「泣ける。チョー泣けるわ。親の足が治るようにってか」

「いいんじゃね。こっちの方が面白れぇ。いい画が撮れるぜ」

「オーダーと違う動画じゃんよ。でもこっちの方が小遣いにはなるかもな」

 

 どこかで聞いたようなセリフ。どこかで見たはずの光景。でもどこかさっきから何か違和感がある。

 

「おい、口を開けな。これすっげー高けぇんだからよ。その費用は回収してもらわなくちゃな」

「い、嫌です」

 

 子供から薬を奪い取って飲ませようとした男の言葉を拒否した女性の頬が赤く腫れあがり、口元が避けて赤い雫が垂れ堕ちる。

 

 やめろ。お前ら“また”何しようとしてんだよっ。

 

祝福(ハレルヤ)ってのは嘘だけどよ、こっちのヤクの方がずっと気持ちいいからよ」

「娘がどうなってもいいのか? 俺たちラリっちゃってるからさぁ、あんたのかわりに娘の方を使ってもいいんだぜ?」

 

 糞っ、糞っ、糞っ。

 

 見せるな。その先を俺に見せるな。

 早く来てくれ、あのときのように早く……

 

「アンタたち、そこまでよっ!」

 

 ここで予定調和というようにピクシーボブがやってきて、そこで俺の意識は仄暗い廃工場の冷たい床から、見慣れた天井へと移り変わった。

 

 

 

 

「朝からこれかよ。最悪だ」

 

 そうだこれは違う。ただの夢だ。あの子は別の場所に隠してきたから居るわけなかった。

 これは記憶の焼き直しなんかじゃない。俺が願望通りに事実を捻じ曲げた都合のいい夢だ。

 

「そうだ。これは全然最悪じゃない」

 

 現実の方がもっと最悪だ。

 

 麗日は、飯田たちは、ずっとこんなのを味わって来たのかよ。でも、ここで立ち止まるわけにはいかない。もう二度とあんなことが起きない様にする義務が俺にはある。

 だから学校にいかなくちゃいけない、強くなる手段はあそこにある。強くならなきゃいけないんだ。

 

 無理やり詰め込んだ焦げかけのトーストを、生ぬるいのコーヒーで一気に胃に流し込んだ俺は、いつもより15分遅めの時間に出発し1週間ぶりの学校へと向かった。

 

 

 

 

              ×          × 

 

 

 

「めぐりーん、ニュース見たけど無事で良かったよー! リストバンドぶるってるし、ニュースで街が燃えてたしさぁ」

「三奈ちゃん、ありがとう。私は元気だよ」

「つ、強い、ハグ強すぎっ。折れるってば!」

「ごめんごめん、嬉しくてついつい加減が」

 

 このクラスはいつも騒がしい。でも一週間ぶりの再会なのだからいつも以上になるのは当然と言えば当然予想できたことだった。

 

「心操、ニュース見たよ。お前らほんと大変だったってな」

「まぁな」

 

 何気ない感じで上鳴が声をかけてくる。いつも気楽そうで良いよなこいつは。あの街で起こった本当のことなんて何も知らない癖に。俺が無様を晒したこと、猪地と飯田が死にかけて、猪地は自力で、飯田は押収した祝福(ハレルヤ)を使用して、死の淵から戻ってきたこと。他の諸々もだ。

 

「なぁ、もうちょっとさ、人が心配して声かけてんだから言うことあんだろ。一応心配してたんだぜ。脳無に加えてあのヒーロー殺しにも会ったんだってんだからよ。脳無だけでもマジやべーのにさ」

「それに飯田たちから聞いたけどお前直にヒーローの死体とか見たんだろ、大丈夫か? 肉食えるか? オイラだったらきっとしばらく食えないだろうけどよう」

 

 心の中の前言を撤回しよう。上鳴も峰田も普段下ネタとかのバカ話しかしない奴らとしか思ってなかったけど、心根が良い奴らなのは確かなようだ。

 

 それにこいつらは1-Aの中でも脳無と正面から対峙したメンバーだと聞いている。特に上鳴はほぼ特攻のような形でだ。違うタイプの脳無相手とは言え、そんなこと俺にできただろうかなんてこと、アイツら二人と、チンピラ風情にいいようにされた俺を比較することすらおこがましい。

 

 やっぱこのクラスは眩しいな。ようやく同じステージに手が届いたなんてのは俺の傲慢な思い過ごしで、現実はその何倍も惨めだ。惨めなままでいるわけにはいかないけれど。

 

「ごめん。心配してくれてありがとう。守秘義務があって言えないことも多いけど、俺は大丈夫だから。しばらくは果物とかさっぱりしたのばっかりだったけど、ハンバーグもちゃんと昨日食べたし」

「でも、なんかいつもよりやつれてる感あるし、隈多くね? 最近轟や緑谷たちとばかり飯行ってただろ。よし、今日は俺たちと行くぞ。追加のから揚げぐらいおごってやるからよ。なぁ峰田?」

「なんでオイラが。でも半分なら出してやってもいいぞ……誰か女子連れてくるならな」

「ありがとう」

 

 笑え、笑うんだ。緑谷みたいに例えぎこちなくったって、作り物の笑顔だって。

 

「よっしゃ、それじゃ決まりだ」

「絶対連れて来いよ。絶対だからな。それでオイラの両隣に座らせるんだぞ」

「一応、努力はしてみるよ」

 

 マニュアルさんだってそう言ってたじゃないか。いつか本物になるように。そう全力で走り続ければいいんだから。

 

 

               ×       ×

 

 

 

 

「それで、わざわざ地味な俺なんかに頼みってのはどうしたんだ?」

 

 午後のヒーロー基礎学の時間、いかに早くオールマイトの下に辿り着けるかの救助レース訓練が行われたが、それぞれの組が入れ替わるの準備時間に俺は尾白にある頼みごとをしようと声をかけた。

 

「サポート課で有名な奴と組んでただろ? そいつとつなぎを作って欲しい」

「発目さんか、あれから偶に実験に巻き込まれるから、ラボとかは把握しているけど。なんで急に?」

「今作成依頼中のコスチュームが特にサポートアイテムについては作成依頼していなかったから、やっぱり欲しいなって思って。この前の職場体験で色々足りてないものがあるのに気づかされたから」

「そういうことなら分かった。今日の放課後は時間ある? 特に連絡しなくても多分彼女毎日ラボに居るからさ」

「うん、空いてるから今日頼みたい」 

「オッケー。それから頼むならある程度、欲しいもののイメージは固めておいた方がいいよ。じゃないと彼女とんでもなくぶっ飛んだアイテムを作ってくるから」

 

 TVに取り上げられた雄英体育祭の珍プレーランキング上位者である尾白は、拳を握りしめながら切実そうな声色でそう言った。そう言えばあの子も尾白フラッシュって言ってたな。

 

「それで実際何か構想はすでに持ってたりする?」

 

 そう問われたので、俺の個性の急所である喉回りを保護できるネックガード類、それからスピーカー類について、どこまで機械を通して俺の個性が発現するのか、小技が使える機能を追加できるか、細かい検証を積み重ねながらとなれば学内でサポートアイテムを調整しながら作成するのが良いと思ったことなどを尾白に伝えていたところに急に人影が現れる。

 

「すごいね、心操くん。もうそんなに考えていたんだ。実はちょっと僕も頼みたいんだけど、混ぜてもらってもいいかな?」

「俺は連れて行くだけだから別にいいけど」

「俺も問題ないけどさ、緑谷はどんなのを頼むんだ?」

 

 尾白がそう尋ねると緑谷は怒涛の勢いで喋り出した。こいつの悪い癖だ。

 

「うん、基本的に僕は小回りを利かせてヒットアンドアウェイの立ち回りになるんだけど、どうしても回避できない場面があるから、猪地さんほどの盾じゃなくていいけど、手甲とかで刃物をちょっとでも弾いて受け流せたらなって思ったんだ。回避以外の選択肢が一つでもあるなら全然立ち回りの余裕が違うし。この前は回避先を潰しにかかってこられてやりずらかったから余計にそう思ったんだ。他にも補助の……」

「馬鹿、しゃべり過ぎだっ!」

「し、しまった。つい……」

 

 緑谷が口を押えるがもう遅い。俺たちは保須では一切交戦せずにヒーローに助けてもらったという話になっている。尾白に聞かせていい話ではなかった。

 

「良いよ。心操。なんとなく察しはついてた。俺口固いし黙ってるよ。でも多分なんとなく他のみんなも察してるんじゃないかな」

「え、そうなの? そんなに僕わかりやすかった?」

「いや緑谷たちはともかく、心操はUSJ直後の俺たちみたいな顔を時々してたし。でも大丈夫。心操、お前は一人じゃないから」

 

 尾白は手の甲を上に向けて俺に差し出して来る。まるで円陣を組むかのように。

 

「一緒に強くなろう。俺たちクラスは運命共同体なんだ。勉強が遅れてるなら委員長たちが助けてくれるし、筋肉のことなら猪地や砂藤が良く知ってる。拳法とか習うっていうんなら俺も伝手があるから。だからなんだ、まぁその……」

「尾ー白くん何やってんの?」

 

 言葉をまとめるのに一瞬途切れたところで、間延びした声が割り込んでくる。

 

「葉隠さん? これはちょっと心操から相談を受けてて……」

「流石尾白くん。地味で目立ちにくいから、こっそり相談する相手にはピッタリだもんね」

「そうだね。尾白くんなら目立たないからこういうとき話しやすいね」

「なんだこの胸の痛みは。二人の悪意のない棘が痛いよ」

「その手は円陣やろうとしてたんでしょ! 私もやるやるー! さぁ緑谷くんと心操くんも早く!」

 

 そんなやり取りがあった後、発目のところに向かった俺たち男三人はサポート課のラボで爆発騒ぎを起こしたり、自称ドッカワベイビーとかいうサポートマシンと強制合体して共に中庭へ射出されてしまったり、追加でアイディアをどんどん出し合ったりして、あっという間に日が暮れてしまっていた。

 

 そして二人を先に返した後、自主トレの走り込みを終えて下駄箱に向かっていた時のことだった。

 

「随分と遅くまでやっているようだな。心操」

「人よりスタートが遅い分、もっと頑張らないといけないですから。それより先生はなんでここに?」

「お前がここを通りがかっているのを見かけたからな。丁度渡すものがあったから人目のない今が良いと思った」

 

 俺は先生からアイテムを受け取る。似たような着想は今日ラボでもいくらか話してきた。でもそのアイディアの原点そのものが俺の手の中にある。

 

「生半可な道ではないが、お前にやる気があるなら、捕縛布の使い方を教えてやる。どうする、心操?」

 

 そんなことわざわざ考えるまでもない。

 

「弱いことは罪だって。俺は保須で痛いほど思い知らされました。────それは自分じゃ助けられないってことだから。他の4人と違って俺は誰も助けられていない。あの子も、あの人も結局は泣かせてしまった」

 

 心が求めるがままに俺は口を開いた。

 

「今度は誰も泣かせない。そう決めたんです。だから俺は弱いままじゃいられない。だからコレの使い方、教えてください。相澤先生!」

 

 何をやってでも俺は強くなる。ならなきゃいけないんだ。

 




これで心操くんもようやく本当の意味で1-Aの仲間入りです。彼の場合はさらに敵の悪意が増しておりますが…

前半の話は本来2章終盤でする予定でしたが轟くん、飯田くん、巡理の視点がころころ変わるの中、話の流れの勢いの問題、および敵連合の意図ネタばらし回の後の方がよいとの判断上、今回のタイミングになりました。

ステインの仁王立ち動画が出回っていないのが原作との大きな相違点になります。
上鳴くんの今話での立ち回りだけでなく、敵連合周辺の動きも変わってきます。

飯田くん、巡理、轟くんのパワーアップイベントもまだ残っておりますので宜しくお願い致します。





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第45話 炎、心、融かして◆

轟くん回。



 職場体験明けの初登校日。その日のヒーロー基礎学は運動場γを用いた救助訓練レースということで、どこかから避難信号を出したオールマイトの下へ如何に早く辿り着けるかというものだった。

 

 この前の保須で飯田や緑谷がやったみたいなやつか。最も緑谷の方は位置情報を持たず、推測で猪地達に合流しやがったんだから、位置もわかって敵と鉢合わせる危険もない状況なら、幾分条件は今回の方が生ぬるいのかもしれない。

 

「所詮は訓練か」

 

 思わず零れ出た言葉の続きを慌てて引っ込める。

 

「轟、慢心は良くないぞ」

『ソーダゾ』

 

 小声だったはずだが、隣に居た常闇とダークシャドウは聞いていたらしく、俺を嗜めるように言う。

 

「いや、舐めてるとかそういうわけじゃないんだが、すまん。まとまってなくてうまく言えねぇ」

「ならば良いが」

 

 そう返した常闇の奥に、無言で首を横に振る猪地の姿が映る。具体的にどう考えてるかははわからないが、アイツも何かしら思うところはあるんだろうな。

 

 訓練が大切なのはわかっている。そこでベストが尽くせなければ本番でうまくやれるはずなんてないことも。

 

 ただあの燃える街の緊迫感のなかで行動の選択迫られる状況とはあまりにも違うこの場の空気に、何とも言い表しがたい違和感ともどかしさが俺の胸の中で渦巻いていた。

 

 そして最初の組の5人のレースが終わり、待機場所頭上の巨大ディスプレイ越しにオールマイトによる講評が行われた。機動力の良いメンバーが揃った1組目だったが、瀬呂、飯田、尾白、芦戸、緑谷の順だった。

 

 最近力のコントロールを掴んだらしい緑谷が最下位に甘んじているのは、途中の足場の選び方が悪かったのとコントロールがぶれたせいで、足場を自分で破壊して落下するという事態になってしまったからだ。

 

 対空性能の高い瀬呂はステージ的に妥当な結果だが意外だったのは飯田だ。順位ではなく、その行動すべてが今までのアイツらしくなかった。

『それで飯田少年。君が一番の問題だ。順位は優秀なものだったがその内容について聞かせてもらおう』

『はい、なんでしょうか』

『君はスタート開始の合図後、10秒ほどその場から動かなかったね。それは何か意図してのものだったのかね。もしあれが────』

『いいえ。俺は皆を侮っていたわけでもありませんし、自分自身にハードルを設けたわけでもありません!』

 

 飯田が勢いよく挙手して遮る。

 

『ふむ、では何故だい?』

『道を見極めるのに必要な時間でした。勿論全ての場所を見通せたわけではないですが、スタート地点の見晴らしの良いところでしたので、闇雲に向かうより効率が良いかと判断しました』

『ならばよし。私の杞憂だったようだね』

 

 そんな画面越しの2人のやりとりを見ている待機メンバーの方では、飯田の変貌ぶりが少し話題になっていた。

 

「ねぇ、めぐり。飯田ってあんなんだったっけ? ウチのイメージだと、こういうとき、ノータイムで突撃しそうな感じだったけど」

「体験先が山岳救助特化のプッシーキャッツだったしね。天哉の個性に合わせて、足場の選び方とか、ルート選択や体重移動のイロハを徹底的に仕込んだらしいよ」

「なるほど、アンタら本当仲良いねぇ」

「確かに着地の動きとかが柔らしかったわね。私と最初の模擬戦で組んだ時とは随分と変わったわ」

 

 そのうちに女子たちの話題が職場体験中の食事は何を食べたかなどの雑談になっていた。少し喧しい状況だが、俺は今のうちにやるべきことのイメージを組み立てる。

 

 緑谷と飯田に見せつけられたんだ。俺も変わったところを見せなくちゃなんねえ。なぁ、心操。

 

 

 

              ×    ×

 

 

 

「次の組は位置についてくれ!」

 

 俺が組み込まれた3組目は猪地、峰田、爆豪、上鳴、八百万の計6人。オールマイトの掛け声とともに始まったレースは実況の声を聴く限り、上空を最短経路で突き進む爆豪が最速、僅差で次点が俺、すこし離れてワイヤーアクションを駆使しつつすすむ猪地が3番手のようだった。

 

 俺はいつものように氷で足場を作りながら突き進む。だけどいつものままじゃあ、ハングリー精神の塊である爆豪には多分届かない。だから俺はゴールまで残り1割の時点で勝負に出る。

 

 もともと建物の天井部を起点にして次の地点を結ぶ橋をつくるように氷を発生させていたが、これから作るのは橋じゃない。ジェットコースターのレールだ。

 

 高度を稼ぐ必要がある分、氷も余計に作んなきゃなんねぇし、距離もロスする。そして体もどんどん冷えてくる。だけどこれでいい。充分に予冷ができた!

 

誰もいねぇ空(ここ)なら遠慮なく炎を全力でぶっ放せる!」

 

 姿勢を低くして風の抵抗を抑え、この前みたいに渦巻く炎の扇風をブースターに。

 

「見ててくださいマニュアルさん。俺はもう親父の炎には囚われない」

 

 充分な高度をつけた氷の滑走路の天辺から、着火する(翔ぶ)

 

「────自分の意志()で進みます!」

 

 炎のアクセルは全開に。それを気を抜けば一面に拡散する炎を無理やり押さえつける形にて渦を成型する。

 

 はやい、速い、迅い! 今までに経験したことのないスピードだ。風が目に突き刺さる。

 さらに速度を上げてゴール間近となっておれはようやく気付いた。

 

「着地のこと考えてねぇ。このスピードを殺す氷の壁を作るには距離がっ!」

 

 このままだと地面と直撃すると思ったその矢先、後ろから力強く抱き留められた。

 

「着想は良いが、プランは綿密にな。轟少年」

「……はい」

「しかし殻を破るに値する、良い出会いがあったようだね」

 

 子供の頃に憧れていたあの人は、とびっきりの濃い笑顔でそう言った。

 

「はい!」

 

 そして全員がゴールした後、講評が始まる前に俺は猪地に声をかける。

 

「肩外れた」

「うん、それは見たらわかる。『外れた』じゃなくて、『外れたから直してください』でしょうが。まぁ治すけどさ」

「ツンデレ乙」

「乙」

「あーもう。外野は下がってて、百ちゃん!」

 

 手振りで追い払われた上鳴たちを冷たくあしらう代わりに、猪地は気心の知れた八百万を呼びつける。

 

「はい、なんでしょう?」

「こんな感じでさ、ここ抑えといてくれる?」

「わかりましたわ」

 

 八百万の手が俺の肩に触れる。そういえばTVでみたときの脱臼の治療はこんな2人がかりでするような大げさなものだっただろうか。ふと湧いた疑問を口にする暇もなく、猪地は作業を進めていく。

 

「んじゃ、私は押し込んでいくよ。ちょっと痛いけど、せ-のっと!」

「たっ!?」

 

 ガキッという幻聴と共に、肩のあたりから鈍い痛みが体中を走る。

 

「はい、終ー了ー」

「轟さん、大丈夫ですか」

「左肩回るようになったみたいだ。ありがとな」

「良かったですわ」

「癖になるから気をつけるんだよ」

「善処する」

 

 まだ変な感じはするが、普通に回るようになった。個性とは関係ねぇけど、やっぱ便利だな猪地。

 

「そういえば轟さ────」

「オイ、半分野郎っ!」

 

 何かを言いかけた八百万の声を怒号が遮る。

 

「火ィ、ようやくついたようじゃねぇか」

「あぁ、それから体育祭のときは……」

「俺が勝った。舐めプしやがったあん時も、そして今日もだ」

 

 勝ち誇る爆豪は息が触れそうなほど近づいて言った。

 

「そうだな、でも次は勝つぞ」

「ハッ、次も良い踏み台にしてやんよ。まぁ、まずはその糞な制御をどうにかするこったな」

「あぁ」

 

 そう言い捨てて爆豪は俺の下から離れ、そして「男のツンデレかよ」「ないわー」などと妙な噂を立てる上鳴と峰田の問題児コンビのところへ突撃して行った。

 

「キショいこと言ってんじゃねえ。そこのアホども! ちょっと面貸せや!」

「オイラ暴力反対!」

「反対!」

「コラ、止めたまえ爆豪少年」

「放せっオールマイトっ!」

 

 漫才と講評が終わり、待機場所へ帰る中、八百万が先ほど言いかけていた言葉の続きを投げかけた。

 

「轟さん、今日の放課後お時間はありますか?」

 

 

 

 

              ×    ×

 

 

 

 

「それで何を猪地に吹き込まれたんだ?」

「体験先のヒーローのこと伺いましたので。それに先ほど心操さんからお母様の病院のことも。今日は付き添えそうになくてゴメンと仰ってましたわ」

 

 本当は事情を知っている心操に付き添ってもらうことも一瞬考えていたが、アイツもアイツなりにかなりこの前の事件が響いているみたいで、緑谷と尾白と3人でサポート課の方に行ってしまった。

 猪地には今週どこかでお母さんのところにいくつもりだという話はしていなかったが、そういえば体育祭で塩崎と一緒に親父に説教かましてたし、インターンも行ってたからな。それなりに察する要素はあったな。自分はすぐ情緒不安定になる癖に、無駄に気遣いするよな。猪地は飯田と用事があるみたいですぐに帰った。

 それで今の状況というわけか。多分何言っても心配させるだけだろうし、仕方がない。

 

「花を選ぶの、手伝ってくれるか?」

「勿論ですわ!」

 

 母さんの入院している病院までの移動がてら八百万とは色々と話した。

 これまできちんとは心操とマニュアルさんぐらいにしか言ってなかった俺の火傷の理由のこと。

 マニュアルさんが庇った一般市民とは俺だったこと。

 親父の機転と技量でマニュアルさんが救われたこと。

 脳無を圧倒する親父の隔絶した強さのこと。

 

 思っていたよりも多くのことを話す時間があった。それ以上にここまでぺらぺらと俺の口から言葉が出てきたことが自分でも意外だった。八百万は時折わずかに言葉を返すだけで、俺が話したい分だけを聞き届けてくれた。

 

「俺の存在が親父を思い出させてきっとお母さんを追い詰めてしまうと思って会わないようにしていたんだ。でも、ちゃんと胸を張ってヒーローを目指すんなら、まずはお母さんの心を救けなきゃって思ってな。お母さんを笑顔にできないようなやつが、きっと他の誰かを笑顔になんてできないから」

「大丈夫ですわ。きっと笑ってくれます」

 

 ぐっと、胸の前で握り拳を作って八百万は断言する。

 

「親は自分の子供が元気で居てくれるのなら、それだけで元気になるものです。轟さんが笑えばお母様も笑ってくださるはずです」

「そうだといいな。でもすぐには無理かもしんねぇ」

「すぐではなくてもいいじゃありませんか。時間と回数をかけて轟さんの気持ちを伝えれば、これまでのすれ違いのこともきっとなんとかなりますわ」

「八百万」

「なんでしょうか?」

「ヒーローしてるな。俺よりずっと」

「私はまだヒーローではありませんが、どうしたのですか?」

「……なんでもねぇ。いや、確か紅茶に詳しかったよな。少し買い物に寄っていいか?」

 

 紅茶というキーワードとともに瞳を見開いた八百万に、その返事は聞くまでもなかった。

 

 そうしている間に辿り着いた病院の外壁はすでに橙色に照らされていて、待合ロビーも診察時間終わり間際なのに未だ多くの人がいた。そうして面会の受付を済ませ、目的の315号室へと辿り着く。

 

 震えている手に気付いた。それにどれだけの間俺はこの扉の前で立ち尽くしていたのだろう。

 

「轟さん、私も」

 

 八百万の手がドアノブを握る俺の手に重なる。

 

「いや、俺がやる。俺が開けなきゃ意味がないんだ」

 

 俺は八百万の手を引っ込めさせて、ノックをした後にドアを開けた。

 部屋の中に居た女性は、視線を窓辺から俺たちの方へと移す。

 

「……焦凍なの?」

 

 窓から差し込む夕日のせいで目が少し痛い。

 

「会いに来たよ。母さん」

 

 

 病院に向かう途中のようにスラスラとは言葉が出てこなかった。八百万に淹れてもらった紅茶で喉をときおり潤しながら、一つずつ言葉を選び取っては、それを丁寧に繋げてゆっくりとした音に変えていく。

 学校のこと、友達のこと、兄姉のことなど、ときおり八百万が促してくれたおかげで話題は尽きなかった。

 

「俺、本気でヒーローを目指すことにしたよ。憧れの人ができたんだ」

 

 ヒーローという言葉に母さんの顔が一瞬強張る。

 

「そう、どんな人なの?」

「すごく地味だけど、実直で気が利く優しい人だよ。親父とは真逆で、世話焼きなところとかはちょっと姉ちゃんぽいかもしんねぇ」

「そういえば昔はお父さんに隠れて、一緒にオールマイトのTVを見たわよね。好みが変わったの?」

 

 懐かしい思い出だ。オールマイト嫌いの親父が居ない時間に、幼かった俺は母さんに抱きしめられながらオールマイトのTVを見ていた。

 

『いいのよ、おまえは。血に囚われることなんかない、なりたい自分になっていいんだよ』

 

 優しかったころの母さんは親父の訓練に苦しみ、こっそりとオールマイトを応援していた俺にそう言ってくれた。その言葉が俺にとっての原風景(オリジン)だった。つい最近までの俺は忘れてしまっていた。大事な、大事な母さんの言葉なのに。

 

「オールマイトも先生で、今日も授業とかしてもらったし凄いと思うけれど、俺が目指すべき人って意味ではオールマイトでも親父でもなくてマニュアルさんだから」

「すごく慕ってるのね」

「その人のおかげで、俺はようやく自分自身に向き合えた。なりたい自分がわかったんだ」

 

 大きく呼吸を吸い、そして吐く。

 

「炎を使えるようになった。雄英に行って、八百万たちと会ってから」

 

 親父の呪縛から決別し、俺が俺であることを始めたと、母さんに伝えるために。

 

「誰が父親だとかは関係ない。俺の炎は俺らしさ、語源通りの意味での個性なんだって。マニュアルさんが言ってた。その言葉の意味を痛感したよ」

 

 母さんの罪の意識を少しでも薄れさせるために。

 

「この炎は俺自身なんだ。怖がりで冷たい氷の中に隠れてるくせに、そのくせぐちゃぐちゃな感情()だけは持て余していて。周りに連れ出されて外に出てみれば、コントロールできなくて迷惑をかけてばかりだ。だからこれからは、今まで見ないようにしてきた自分にちゃんと向き合っていこうと思う」

 

 俺はグルグルと渦巻く不明瞭な感情をきちんと言葉にしなきゃなんねぇ。

 

「そして炎も全部ひっくるめて俺が俺であることを証明するよ。オールマイトもエンデヴァーも関係ない。みんなを笑顔にできるヒーローに俺はなる」

 

 今日一番伝えたいことを、俺の気持ちを外に出す。内に秘めたままじゃダメだってことは十分すぎるぐらいにもうわかったから。

 

「俺、頑張るから。母さんに笑顔になってもらえるように頑張るから。だからまた会いに来てもいいか?」

「息子がお見舞いに来てくれるのを喜ばない母親はいないわよ」

 

 今、笑ったのだろうか。今日ずっと淡々としていた母さんが。

 

「こっちにおいで。もっとあなたの顔、よく見せて」

「……うん」

 

 強い西日のせいで俺も母さんの顔がだんだん見えなくなってきた。目が灼けるように痛い。

 

「少し、外に出ていますわね」

「申し訳ないんだけど下の売店で牛さんヨーグルトを買って来てくれるかしら? 焦凍の好物なのよ」

「えぇ、わかりましたわ。お2人でごゆっくりなされてください」

 

 牛さんヨーグルトは俺が小さい頃好きだった飲料だ。

 

「一緒に飲みましょう、焦凍」

 

 母さんの中に俺はちゃんと居たのだと、そのことがわかった俺は八百万の去った病室で声にならない嗚咽を吐き出していた。

 

 ひどく懐かしい温もりに包まれながら。

 




巡理の挿絵、前話投稿後に追記したのでこちらにもUPしてます。
巡理入学決定の3話に置くようにもしておきます。


【挿絵表示】


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第46話 祝福の影

久々の飯田君回


 職場体験明けの月曜の放課後、俺は巡理くんと八木さんことオールマイトと共に彼女の家へと向かっていた。ちなみに今朝もこの三人で登校している。

 

 ピクシーボブとグラントリノも各種手続きなどの家庭状況やこれまでの仕事の整理が落ち着き次第、雄英の職員として勤務することになっているようだ。グラントリノは過去一年間だけ雄英の教師として活動していた実績もあったことは意外だった。もっとも保須の件の処分で教師としての資格をはく奪されてしまったようなので、教師以外の形にての採用の方針とのことだ。

 

「しかし、本当に君の家を借りてよかったのか? 引っ越ししたてで落ち着いていない中だというのに」

「だって、学校からめっちゃ近いじゃん。それに関係者はほぼ家のメンバーだし、防諜体制も整っているでしょ」

「そういうことさ飯田少年。だから気兼ねする必要はないぞ。流子君も朝から張り切って家事をしていたからな」

 

 そんな雑談をしていたらあっという間に巡理くんの家に着いてしまった。

 

「ただいまー!」

 

 玄関のドアを開けるのとほぼ同時に伸びやかな声が響き渡る。元々かなり気分屋な彼女だが、今はまさに絶好調といった具合というのが手に取るようにわかる声だ。そして奥の方から「おかえりー」というピクシーボブの声が返ってくる。

 

「只今。さ、君も中に入りたまえ」

「それではお邪魔します」

 

 俺とオールマイトも巡理くんの後に続く。玄関口で足元を見ると、よく見慣れたデザインの靴が並んでいた。そしてリビングを開けると────

 

「よっ、先にお邪魔してるぞ。うん、その顔色なら大丈夫そうだな」

「あぁ。俺はこの通り元気だよ兄さん。そっちこそもうバッチリみたいだね」

 

 そこにはヒーロー殺しに襲われる前と何ら変わりのない、いつも通りの天晴兄さんの姿があった。なんの力みもない笑顔に俺は安堵の息をわずかに漏らす。

 

「はじめまして。天哉くんのクラスメイトの猪地巡理です。いつも天哉くんにはお世話になってます」

「天哉の兄の天晴だ。そう畏まらなくていいよ。こっちこそ天哉が生真面目過ぎて色々迷惑かけてるんじゃないか?」

 

 兄さんが俺の頭をわしわしと撫でながら言うが、少々心外だ。

 

「わかってくれます? こう、走り出すと修正効かないし、ぶつかんなくていいところでぶつかって事態をややこしくするし」

「巡理くん、その言い分は一方的だと思うぞ。君の方こそ無暗に爆豪くんや相澤先生と諍いを起こしているじゃないか。瀬呂くんや耳郎くんあたりは俺のことを君の飼い主扱いし始めていて、正直困惑しかないのだが、君からも一言言ってくれないか?」

「響香ちゃんもか……」

「メグと天哉、どっちもどっちと思うけどな。それよりお客さん来てるんだから、続きはまた今度ね」

 

 俺もおそらく巡理くんも抗議したい部分があったが、店じまいといわんばかりにピクシーボブに手を鳴らされてこの議論は一度収束してしまう。

 

「はーい。お姉ちゃん、そういえばお爺ちゃんはまだ部屋なの?」

「そうそう。さっき起こしに行ったんだけど、お昼寝から起きなくてね。俊典さん、呼んで来てもらっていい?」

「わ、私が師匠を? 起き抜けのあの方は……いやしかし巡理には任せられんし、止むを得まい」

 

 正体を明かしていない兄さんが来ているため、帰宅直前に筋肉隆々な姿に戻っていたオールマイトからそんな言葉が出てくるのはなんとも以外だった。

 

「ささ、二人とも席について。インゲニウムは天哉と同じオレンジジュースでよかった?」

「それでお願いします」

「お姉ちゃん、私絞る!」

「じゃあお願い。私はお茶淹れておくから」

 

 まだ共同生活が始まったばかりではあるが、二人のやり取りや表情を見るにすでに巡理くんはピクシーボブにかなり懐いているようだった。

 

「ようやく揃ったな。お、たい焼きがあるじゃねぇか」

「揃ったじゃないでしょ。一番最後がお爺ちゃんだよ。それから天晴さん、お土産ありがとうございました」

「引っ越し祝いには安すぎるけどね。この前お見舞いももらったし、気にしないでくれ」

「じゃあ遠慮なく頂きます」

 

 そうお礼を言って、巡理くんは俺の隣に座った。復帰後の天晴兄さんとの再会がこの場所で行われたのには大きな意味があった。

 

「うし。食べながらでもいいから始めるとするか。特に俊典は事情に疎いところもあるからなインゲニウムお前が仕切ってくれ」

「それでは僭越ながら始めさせてもらいましょう。治療系個性能力者の連続失踪事件、および祝福(ハレルヤ)との因果関係について」

 

 兄さんが切り出したのは、保須市で兄さんが品指示に施された非合法治療薬、祝福(ハレルヤ)についての会議だった。様々な情報が錯綜しているため情報の整理の場が設けられた次第だ。この家で開催されたのは、雄英に準じるレベルでの傍聴対策が施されていることと、関係者の半分の住まいであることが理由だ。

 

「ちょっと長くなりますが。まず祝福(ハレルヤ)について。これは保須市を含む関東地区から東海地区にかけて最近流行り出した非合法ドラッグの一種です。効能はケガや病の治療、場合によっては不老不死をうたっていることもあるようです。形状はバラバラで粉末、錠剤、そして俺が投与されたように注射を用いるタイプもあるようです。そして効能もピンキリで、即時に切り傷が修復するようなものもあれば、骨折の治療期間が半減したものもあれば、効果が見られないかわかりにくいほどに薄いものもある。そして別人格があらわれるなどの精神面への影響もまれに存在する」

 

 兄さんの言葉に皆も頷きながら話が進んでいく。ここまでは前置きでありここからが本題だ。事前に兄さんと電話で打ち合わせしていた通りに俺が次の話を始める。

 

「あのときの兄は多重人格なんて生ぬるいものではありませんでした。そして今まで俺は黙っていましたが、兄さんが復活する直前の人格、いえ人物と対話をしています。彼女は間違いなく兄さんとは別の記憶をもった別の人間の精神でした」

「天哉、ちょっとそれ私聞いてないよ!?」

「俺が天哉に黙ってもらうようにしていたんだ」

「巡理くんすまない、ここからがもっと重要なんだ。俺が出会った別人格は『猪地恵』と俺にその名を明かした」

「で?」

 

 彼女から発せられたその一音には尋常ではない怒りの念が込められていた。だが、会話の流れを切らないで聞く姿勢を見せ続けていることは幸いと言えた。

 

「巡理くん、これは俺個人の意見でしかないが君の母上は黒幕じゃないと思う」

「これは俺も同意見だ。インゲニウムとしても、祝福(ハレルヤ)の投与を受けた当事者としても」

 

 兄さんが俺の言葉にフォローを入れてくるので、俺は任せることにする。

 

「その根拠となる一つの事実として、祝福(ハレルヤ)は血液製剤のように人体の一部を元にした薬というのがDNA検査ではっきりしている。それも多数の人間だ。そしてその中に含まれているDNAの内の一部が、現在行方不明となっている治療系個性と合致している。君のお母さんのDNAは比較データがないからわからないけれど、治療系個性の頂点の一つだ。ここ数年失踪していることからも、人体材料の一つとしてどこかに監禁されている可能性が非常に高い」

「その人体実験の成果の一つが、私にそっくりの祝福(ハレルヤ)を配ってた双子だったりするの?」

「確信はないけれど、近い線を行っている可能性は高いと俺は思っているよ」

「おい、インゲニウム。可能性が高いって言葉を続けたからにはもうちょっとエビデンスを持ってんじゃねぇのか?」

 

 先ほどまで聞きに徹していたグラントリノが兄さんの言葉に対して切り込みをかけて来た。

 

「えぇ、俺が祝福(ハレルヤ)を投与されて多数の人格が現れていた時期、そのときの記憶は俺にはありません。ずっと他人の視点から夢を見ているような感覚でした。女性になったり、子供になったり、記憶があやふやなこともありましたが色々です。ですがその多くに共通した場面がありました。風景はバラバラでしたが何らかの研究施設に淹れられ、時折拷問のように体を切り刻まれるシーン。それがもしかしたら現実で起きていることかもしれないと考えた俺は、夢の中で見た風景の内、位置を割り出せた場所へと侵入を果たしました。そしてその結果がコレです」

 

 兄さんがカバンから取り出した書類に乗っているのは両腕を失い、細り切った男の顔写真。そしてその横には健康であったころと思しき頃の写真も添付されていた。

 

「治崎 廻ってあの死穢八斎會の大物でしょ!? なんでこんな姿に!」

 

 ピクシーボブにとってもこれは意外だったのだろう。俺はついこの前まで知らなかったが、この写真の男は巷ではオーバーホールと恐れられている有名な任侠らしい。

 

「俺があたりをつけた研究室に突入して保護したときはこんな状態だった。かなり強力な治療系能力者だったらしいと聞いている。他に保護した二人も似たような状態だったことで俺は確信を持ったっていうわけです。多分俺はあの三人の内の誰かの精神に一時的に乗り移っていたのだと」

「この件について詳しくなかった私でも、これがかなりきな臭い話ってのは理解できたよ。それにどうも嫌な既視感を覚える」

「お前もそう思うか俊典。俺も同感だ。もしかしたらヤツが関わっている。いや、そうでないとしても関わってくる気がするな」

「えぇ、後者だとは思いますが祝福(ハレルヤ)はヤツにとっても恐らく有用なはず。見逃すとは考えにくいですね」

「ちょっとお爺ちゃんたち、私たちにもわかるように話してくれる?」

「巡理、置いてきぼりにしてすまなかった。まぁ端的に言うとアレだ。私にとって長年の因縁の相手だよ。私が今まで戦ってきた中で最も強く、そして最も狡猾な男だ」

「そんでもって俺たち二人が考えている、敵連合の推定黒幕だ。アイツは俊典がキッチリとどめを刺したはずだったが、おそらくまだ生きている」

 

 基本的にヒーローはよほどのことがないかぎり、強力な敵相手でも殺人を犯すことはほとんどないがオールマイトは特にその傾向が強かったはずだ。そのオールマイトが殺人を、それも意図をもって行わなければならなかったほどの相手だと考えると、その想定黒幕がいかに強大な力の持ち主なのかが伺い知れた。

 

「だが生きていると仮定しても、体は万全ではない可能性が高い。これは、やられたかもしれんぞ。保須に現れた脳無の件、ヒーロー殺しの話題性でも、エンデヴァーの息子が狙いでもねぇ。その祝福(ハレルヤ)の回収って線はないか?」

「あり得ますね。だとするとまずい、非常にまずいです。もし既に奴の手に強力な効能を発揮するものが渡っていたら」

「オールマイト!」

 

 巡理くんの一声が、不穏な会話をし始める師弟二人の込み入った会話に水を注す。

 

「勝つよ。私が勝たせるから」

 

 力強い彼女の言葉。それはつい昨日の夜、オールマイトに生きていて欲しいと言った言葉に通じるものだ。

 

「巡理」

「絶対に勝つて信じてるから。だからそっちの心配はしないで話を戻そう」

「そうだな。少々脱線してすまなかった。インゲニウム、話を続けてくれるかい?」

「では、改めて。このオーバーホールたちを捉えていた組織の人間も逮捕をしましたが、データの回収前に火を放たれたせいで、研究の詳細は掴めず、また研究員たちもどこの組織の所属のものか決して口を割りませんでした」

「全然だめじゃニャイ」

「そう俺も思っていました。俺が覚えている範囲の中で見た光景からは他の監禁場所を特定するのは、資格情報が少なすぎてまず無理です。しかし一つの突破口のヒントを俺たちは得ました」

 

 兄さんの言葉を引き継いで俺が口を開く。

 

「これあ兄さん以外には初めて話したのですが、ステインと対峙して絶対絶命に陥った瞬間、俺は無意識化で兄さんの救けを求めました。すると俺の脳内に兄さんの声が響き、一時的に俺の体は兄さんが操っていました。最初は走馬灯のような俺の妄想かと思っていましたが、兄さんに電話したところ、兄さんもその瞬間、俺と同じ景色を共有していました」

「天哉、それすっごく大事なことだよね。私、それ初耳だし」

 

 巡理くんが俺の二の腕を思いっきり抓りながらそう言った。

 

「飯田少年、つまりどういうことが言いたいのだ? 全然話が見えてこないのだが」

「重要なのは俺が、俺の意志で能動的に兄さんの精神を俺の中に引っ張ってこれたことです。もし何らかの具体的な方法論が確立できれば、囚われている人たちの居場所を探知できるかもしれないと俺たちは考えています」

「確かに今までの症例のようなめちゃくちゃな人格の切り替わりとは違うよね。というかそもそも祝福(ハレルヤ)を使ったわけでもない天哉がなんでそんなことできるのさ?」

 

 最もな指摘だ。だが俺は彼女と出会ってから過去の新聞や書籍で調べてきた情報や、精神を共有した兄さんとの話合いの結果、一つの推論を導き出していた。

 

「兄さんが入院中、猪地恵と名乗る人格として俺と対話したとき、彼女は俺に個性を使用した。それも兄さんの体のままでだ。何かがおかしいと思わないか?」

「天哉や俺のエンジンのように身体的特徴に表れていれば特にわかりやすいけれど、個性はDNAに依存するというのが基本的な考え方だ。それに天哉の話じゃ、彼女の力でテレパスよろしく精神世界的なところで対話をしたらしい」

「しかも君の母上はその力を明らかに使い慣れている風だった。これが祝福(ハレルヤ)による影響だけとは考えにくい、そもそも俺は祝福(ハレルヤ)を飲んでいないしな。だけど一つの仮定があっていれば色々と辻褄が合ってくるんだ」

 

 隣で巡理くんがこちらを睨みながらオレンジジュースに口をつけている。

 

「猪地恵という人間の個性は治癒系個性能力者だが、もともとその中身が精神憑依系能力者であったならば。全部合うんだ。リカバリーガールより遥かに年下にも関わらず、他の医者たちと比較にならないほどに数の人間を世界各国で救えているのか。君より遥かに若い年齢の時から闇医者として活動できるだけの知識があったのか。表舞台から消えている間でも、何故か増えていく救済者の数の件も。黎明期の頃にかつてエンドレスという名の医者が存在していたことも。だから……」

 

 ぱりん、と何かが割れる音がした。その何かよりも隣で肩を震わせる彼女から俺は目を離せなかった。

 

「なんね、それ」

 

 声を荒げることもなく、巡理くんはただそう言った。

 彼女の瞳に宿るその色は、きっと怒りでも、悲しみでも、困惑でもない。

 

 

 それは────────俺への疑念だ。

  

 




オリジナル要素の説明回、まず半分ちょっと短めに区切りました。

新家族の明るい要素をふんだんに取り入れたはずなのに
着地点がきわどいところに。

どうして……(某電話猫風)。


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第47話 二人の将来

前回投稿した掲示板回は2章に移動しました。

某資格試験も終わったので、ぼちぼち通常投稿再開します。
今回ヒロインパワー増量中です。


「めぐ……」

 

 俺が口を開こうとする前に巡理くんは掌を差し出して、俺の言葉を制止した。

 

「天哉、私ここで喚き散らしたりするつもりはないからね。ただ、さっきの説明はぶっ飛び過ぎだし、説明を詰め込み過ぎ。言おうとしていることはわからなくもないけれど、ちょっと周りの理解度に合わせて欲しいかな」

 

 いつもよりワンテンポ遅いペースでそう告げる彼女はおそらく、冷静を保つため意識して行っているのだろう。

 

「そうだね、飯田少年。正直なところ私にも今の話だけではよく理解できていなかった。だからもう一度説明をお願いしてもいいだろうか?」

 

 巡理くんの事情と祝福(ハレルヤ)の背景を元々知っていた兄さんと俺との間で見出したのが先の推論だ。おおまかな情報しか知らないオールマイトでは巡理くん以上に混乱していることだろう。

 

 もう一度俺と兄さんの2人で互いに補足を加えながら話を進めていく。要点をまとめると、まず前提となるほぼ確定情報としては、祝福(ハレルヤ)には猪地恵を始めとした多数の治癒系個性能力者の肉体を原料としていることと、彼らが複数の研究施設に監禁されていること。

 

 また祝福(ハレルヤ)の副作用として精神の憑依と思しき症状が発現することは、原料となった治癒系能力者の中に精神系の個性持ちが混ざっている可能性があること。そしてその精神系個性能力者として最も疑わしいのがエンドレスであること。そしてその精神干渉系個性と治療系個性は全くの別物であり、猪地恵の肉体にエンドレスと呼ばれる存在が猪地恵の肉体に憑依しているのではないかという推論に辿り着いたということ。

 

 推論の根拠として、俺との精神世界での邂逅時の言動および、さまざまなパターンのある祝福(ハレルヤ)の配合の中でも、特に治癒能力の高いエンドレスは主原料として使われている可能性が高いこと。および猪地恵以前にエンドレスと呼ばれる名医が存在したことと、エンドレスの活動時期、活動範囲と矛盾する治療実績が世界各地で見受けられること。

 

「んー、わかったような。わからないような」

 

 ピクシーボブは首を捻りながらそう呟く。

 

「俺も小僧たちの言わんとすることはなんとなくは理解できた」

「私も理解が不十分かもしれないが、推論に頼る部分が大きいとは言え、矛盾らしき矛盾も見えないように思える。個人的には可能性の一つとしてあるだろうぐらいに思った方が良いのではないかという見解だ」

 

 グラントリノとオールマイトにもおおよそは伝わったらしい。

 

「お母さんの足取りを前々から調べてくれていたこととか、その推論ももっと早く言って欲しかったとか、色々と言いたいことはいっぱいあるけれど、それは後で良いや。私も言いたいことは理解できたよ。確かに突飛だけど、ないとは言い切れないよね。現状それ以上の推論は私からは出てこないよ」

 

 説明が終わったころには、心なしか巡理くんの怪訝な表情が薄れ、いつもの調子に戻ったような気がする。

 

「それでさ、もしその仮説があっているとすれば、その精神干渉能力を逆探知っぽいことをやってみたいってことが天哉たちの提案だよね?」

「その通りだ。実際偶然とは言え兄さんの憑依先の記憶による救出実績もあることだしな」

「ただそれって実際どう実行するの? 心操くん協力案はなしね。多分能力の範囲外だから」 

「その案も厳しいとは思いながらも少し考えていたが、やはり君もそう思うか」

 

 身近にいる精神干渉系の個性持ちは心操くんぐらいしか居なかったから、これで道のりが遠のいてしまった。

 

「そこで実際に動くのは俺の事務所に任せて欲しいと思っている。天哉の案を実行できそうな個性持ちの捜索と、エンデヴァー事務所やその他の事務所を絡めた情報網の確立による祝福(ハレルヤ)の販売、製造ルートの捜索を進めていくつもりだ」

 

 兄さん以外のここに居る3人のプロヒーローは、この街からあまり離れられないためほぼ兄さんに任せきりになるのは仕方ないだろう。

 

「あとここに居るみなさんへのお願いなんですが、敵連合やメビウスとかの動向には注意を払っておいてください。敵連合は言わずもがなですが、メビウスの方もこの前の事件での護衛の死亡や、このセーフティーハウスによる巡理ちゃんの隔離対応によって、何か動き方が変わるかもしれません。それに目下のところ祝福(ハレルヤ)の製造元として一番目をつけられているのがそこですしね」

「おう、それは俺たち3人に任せろ。妙な動きがあれば都度報告する」

 

 それから祝福(ハレルヤ)の捜査網の現状報告などを含めた今後の具体的な活動方針をプロ4人で話し合うこととなり、お役目御免とばかり俺と巡理くんはリビングから放り出され、彼女の部屋に移動することになった。

 

 

 

             ×         ×

 

 

 

「それでどうして俺は正座させられているのだろうか」

「だってこの部屋に椅子が一つしかないし、ベッドに腰かけるのはちょっと……制服のまま座るの嫌だし。それに真剣な話をするから私も正座しているんです!」

 

 だが妙に途中しどろもどろになってた割には、最後は急に圧が強くなったな。

 

「で、天哉。何か私に言うことはない?」

「基本的にはさっき話した通りだぞ。説明が足りないならば、気になる点を言ってくれれば補足するが」

「そっちの説明は、概要わかったからいいや。今度資料とか見せてもらいたいとも思うけどさ」

「ならば今度ノートやコピーなどを渡そう」

「ありがとう。それでさっきの感じだと特に天哉からの大きな話題はないって判断していいね?」

「あぁ」

 

 俺がそう答えると、グッと半歩分ほど前に座る位置をずらしてから彼女は口を開いた。

 

「天哉、これからすっごく喋っていい?」

「勿論だとも」

「多分私からほとんど一方的に、本当にすっごくいっぱい話すよ?」

「やけに念を押すな。問題ないぞ」

「うん、じゃあ……」

 

 そう言って彼女は手の指を3本折る仕草をして間を開けた。

 

「じゃあ、まずはありがとうね」

 

 何を愚痴られるのかと少々身構えていた中、巡理くんから出てきた言葉は少々意外なものだった。

 

「お母さんのこと、前々からたくさん調べてくれて、そして教えてくれてありがとう。あんまり私の過去を漁るような素振りは見せなかったのにね。敢えて避けてくれていると思っていたから、実はちょっと意外だった」

「敢えて避けていたのは間違いないさ。だがそうするべきかどうかはまず情報がないと判断ができないしな。ただ君は誰かに詮索されるのを好まないことは君と付き合ううちにわかって来たからこそ、必要だと思うときまで話題にしなかっただけだ」

「そういう判断する人だよね君は。だからこそ二つ目を言うんだけどさ。さっきも言った通り私はそれをもっと早く言って欲しかったな」

「そうか、それはすまなかった」

「善意と配慮からの判断だって私にはわかるから、そんなことで謝らなくていいよ。私は実際のところ、はりぼてだらけの豆腐メンタルって自覚はあるもん。多分、ふとした拍子に逆ギレとかしちゃうかもって未来も自分でも安易に予想着くよ」

 

 そう自嘲しながら彼女は首を横に振って告げた。

 

「ただね、知り合った直後とかならともかく、色々あって君とはそれなりの信頼関係を築いたつもりだったんだ。だから多分さっきの私はちょっと寂しくて変な顔していたのかもしれない」

 

 その言葉は俺にとって意外だった。全然俺の受け取り方とは違っていた。

 

「天哉、私と話すとき、明るい話じゃないときとか特にね。最近ちょっと話し方が変わってる自覚ある? ────ストップ、ほら。いま口開こうとしてたけどさ、一拍ぐらい他の人と話すときより間を開けてるでしょ」

「確かに、言われてみればそうかもしれないな」

「全然悪いことじゃないんだけどね、なんか天哉に無理な気遣いさせて、出かかっているはずの本当の言葉を飲み込んでしまっているように見えてさ、本当はどう考えているのかなって、偶にねちょっとだけ不安になるときがある」

 

 強い巡理くんと、弱い巡理くん。どちらも同じ彼女だけれどもそのバランスが酷く危ういのを知ってしまったからこそ、腫れ物に触るような彼女への対応を時折してしまっていたのは事実だ。

 

 良かれとやっていた俺の行動が逆に彼女を不安にさせていたことに、俺は少なからずのショックを感じていた。

 

「そう君は思っていたんだな。言葉にされて初めて気づいたよ」

「そうだね。言葉にしないとお互いわかんないよね。祝福(ハレルヤ)使ったんじゃないんだから」

「酷いブラックジョークだな」

「ジョークのつもりじゃなかったんだけど。まぁいいや。天哉がね、私のご機嫌伺いみたいな対応を偶にするのは、ふとしたことで私がイライラぶつけて、天哉を困らせたりするからだって反省もしてるよ。そういうの良くないってわかってる」

 

 パン、と彼女は胸の前で両手を合わせた。

 

「そこで提案です。まずはお互いね、もっと言葉をドンドン出していこうよ。天哉って、根本的には自分の正しさを中々曲げれないタイプだしさ。さっきも言った通り、最近は一拍押し留めてくれてるのは感じてるけど、モヤモヤを感じてるとき、すごく顔に出てるよ。それでそんな顔見た私も一緒にモヤモヤするの。なんかこれって非生産的じゃない?」

「確かに君の言う通りだ。もう少し俺たちは口喧嘩するぐらいで話すべきなのかもしれないな」

「そうだね。傍から自分たちのことよく見たらさ。たまに、たまーにだよ。私が爆豪で天哉が緑谷くんみたいな関係に、ほんのちょっとだけど、なりかけている気がするんだ」

「極端な例かもしれないが、そうなるのは少し寂しいな」

「でしょ?」

 

 反面教師としてあんまりな例だとは思うが、いまだに関係改善を見せない彼らのすれ違いはいつも見ていて心苦しい。二人とも互いの本音を出せずにいるのは第三者の俺からだってわかるというのに。

 

「言い方悪いけど、あの二人と私たちはまだ違う。色々考え方が違ったってさ、根っこにはお互いのこと思って言ってるのはわかってるんだもん。だから今言ってたみたいに、口喧嘩にたまになってもいいやくらいで居てくれると私は嬉しいんだけど、天哉はどう?」

「俺も同感だ」

「よかった」

 

 彼女はこの部屋に来てやっと初めての笑みを見せた。

 

「それで、それでさ。3個目、ちょっと話がまた飛躍するけどいい?」

「どう飛躍するんだい?」

 

 また半歩分ほど前に座りなおして彼女は言った。今の言葉の勢いと、本音で話そうという先ほどの約束を鑑みるに、きっとここまでが前置きで、ここからが本題なのだろう。

 

「将来のこと」

 

 そう一言だけ口にすると、一つ深呼吸をした彼女はさらに言葉を続けた。

 

「この前ステインに色々言われたこと、あの場ではガンガンに言い返してやったけど、結局色々後で気になってさ」

「英雄回帰か」

「うん。私ね。薄々とはわかってたけど今回はっきりと気付かされたんだ。『誰かを救いたい』じゃなくてね『誰でもいいから救わなくちゃいけない』ってずっと思ってたんだって。緑谷くんみたいに心の底から誰かを救いたいって衝動もなければ、天哉みたいに強い憧憬を抱いているわけでもない。峰田や上鳴くんに結構強くあたりがちだけどさ、きっと私がヒーローになりたい理由なんて彼らと全然変わんないんだ」

 

 彼女の言葉に俺は否定も、肯定もできない。ただ次の言葉を待った。

 

「でも一旦、割り切ろうって思った。完全には吹っ切れていないけれど、気負わないことに決めたんだ」

 

 じっと瞬きも少なに話す彼女の瞳の奥に、あの日の病院の屋上の情景がなぜか映ったような気がした。

 

「貧乏になりたくないからお金を稼ぎたい。お母さんのしがらみから少しでも離れられる強い立場が欲しい。私の手持ちのカードでさ、最大限目指せるのがヒーローってポジションなんだもん」

「その在り方について俺は全肯定はできないが、結果として人を救えるのであれば、間違っているとも言い切れないな。嫌悪とは言わないが俺個人としてはあまり好ましいとは思わないかもしれない」

「うん、そのくらいきっぱり言ってくれて私は嬉しいよ。昔私を救けてくれた人との約束でねヒーローになるって決めたのも、今回の件で色々思い出しちゃったのもあるからステインの言う偽物100%でもないんだけどね。でも、考えれば考えるほど逆にね、この前までの強迫観念よりは、借り物の将来像50%、偽物50%くらいの気持ちで居た方が健全な気がしてきた。そう思ってなくてもそう思おうて決めたの」

「少し君も肩の力が抜けたみたいだな」

「そうだね。出来事的にはもっとグワーッて意固地になるところだった気もするんだけど、なんか一周回って力抜かないと不味いなって思っちゃった。たまにはウェーイなノリでもいいじゃんって」

「上鳴くんみたいにか?」

「そ。ちょっとだけね。それでね。なんていうのかな。職場体験もあったしさ、その先のことと言うか将来像についても真剣に考えてみたんだよ。みんなからも色々聞けたしね。それでここからが本題中の本題なんだけど」

 

 そう言って彼女は右手を俺の前に差し出した。

 

「ヒーローになったらさ。私と事務所を立ち上げて欲しいんだ」

「俺と君でか?」

「うん。実際はもう一人二人は声かけることになるとは思ってるけどね。特にお茶子ちゃんと梅雨ちゃんあたりとかが候補なんだけど、プッシーキャッツみたいなチームを組みたいって考えてる」

「能力的にも、人格的にも君が私には必要だと思ったから、一番に声をかけたんだ」

「俺のことを買ってくれて声を掛けてもらったことは素直に嬉しいが、流石に時期尚早じゃないか? まだ知り合ってたった2、3ヶ月の積み重ねしかないんだぞ。もう少し慎重になるべきじゃないか? プッシーキャッツのメンバーも在学中に結成を決めたとは決めたとは聞いたがここまで早かったわけではないだろう」

「早いとは思うけれど、早く決断しなくちゃって思ったんだもん。誰にも取られたくないって思ったしね。所謂青田買いだよ」

 

 俺の諫める言葉に頭を振って、躊躇いもなく彼女は言い切った。

 

「魅力的な提案だとも思っている。だがやはり君の未来を今の時点から縛りつけるのは、どうかと思うんだ」

「私のことじゃなくて、君の未来のことを考えて話して」

「俺自身の未来か」

 

 実際プッシーキャッツの職場を選んだ理由にもそう言ったチームを立ち上げる際の知見を得るためというのもあったのだ。

 

「嘘偽りなく言おう。君の提案は素直に嬉しい。だがこれは本当に君は俺でよかったのか?」

「うん、根拠は特にないけれどさ。きっと天哉とならうまくやっていけるって思ってる。いや、ちょっと違うかも」

 

 数秒、目を伏せて考え込んだ彼女は再び口を開いた。

 

「天哉とうまく行くようにやって行きたいと。そう思う心を私は信じることにする」

 

 巡理くんは前に進んだ。決意を固めて、立ち止まっていた場所から歩き始めようとしている。

 俺の口にした懸念は大した問題じゃない。

 ぶつかることが幾度あろうとも、彼女とならばきっとうまくいくと俺だって根拠もなく感じている。

 

 だからこれはきっと『今、俺が選択できるのか否か』ただそれだけの問題でしかないのだ。 

 持ち帰って検討してくれというならば、彼女なら最初からそう言葉を発するはずなのに、多少強引でも今押し切ろうとしてる姿勢が見え隠れしている。

 

「これから先、ずっと私と組んで欲しい。だから天哉、これが一生で一番のお願い。ここで、私の手を取って」

 

 彼女の真摯なその言葉を受け、差し出された手を俺は────────

 

 




ラブロマンスはないのです……
飯田くん特攻ヒロインを書いているはずなのに
まだはないのです……

ちょっとずつ、ちょっとずつ進めて居ますが
堅物主人公は恋愛シーンを色々と書いていて心苦しいです

過去作のヤンデレ黒桜のノリが懐かしい



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第48話 授業参観

巡理回。
時系列は小説版1巻ですが
読んでなくても支障ないです。



「さっきからずっと表情ゆるみっぱなしだけど、二人っきりで何をしてたのかニャ?」

 

 お姉ちゃんは髪を濯ぎながら、湯船でくつろいでいる私へと話しかけてくる。

 

「何をって、お姉ちゃんたちのプッシーキャッツみたいなチームを組んでくれないかって話をしたんだ」

「それはメグから?」

「そうだよ」

「返事は聞くまでもなかったね。よかったじゃない」

「うん、よかったよ」

「へぇ~」

 

 どんなだけ伸ばすのさ。お風呂場だから変にビブラートかかってるし。

 

「何、その妙な伸ばし方」

「なんでもない。なんでもない。それよりどうしてメグはこのタイミングで天哉を誘ったわけ? あなたたちがチームを組むのは悪くないと思うけれど、ちょっと性急じゃない?」

「天哉も同じこと言ってたよ」

「あの子ならそう言うでしょうね。それで答えは?」

「だって早く言っとかないと、他に取られちゃうかもしれないし」

「そこは、取られちゃうのが嫌だった、からでしょ?」

 

 そう突っ込んでくるか。ぐいぐい来るなぁ。でも三奈ちゃんたち対策の練習と思ってみるか。

 

「まぁそうだけどさ。でも違うからね。好きとかそんなのとは」

「この前チューしてたのに?」

 

 すっごくおじさんぽい、ねっとりした響きでお姉ちゃんは言う。そんなんだから婚期逃すんだぞって、口には出さないけどさ。慌てず、騒がず、理路整然と返すんだ。

 

「あれはノーカンだって。前も言ったでしょ。生命力の補充の時は経口摂取してるのは、窓の大きさが違って効率が段違いだからって。送るときはいつも手でしているけれど、細胞レベルでは生きてたとは言え、個人レベルでは実際死んでた天哉を急いで引き戻すにはあれをするしかなかったの」

 

 全く嘘は言っていない。何よりも脳に力と酸素を行き渡らせなければいけなかったのだ。息と一緒に力を送り込むの理にかなった行動だったんだから。

 

「まぁあれはロマンティックとか言っている場合じゃない状況だったけどね。でもあんなんでもファーストキスだったんだから思い出は大事にしなさいよ」

「────違うし」

「へ?」

「あれ全然ファーストキスじゃないし」

「ウッソ? じゃあファーストは誰となの? やっぱり天哉? それともどんな男の子?」

「男の子じゃないし。女の子だったし」

 

 残念ながら私の初めてはお茶子ちゃんだし。しかも私が気を失っているときにだ。

 

「え? でもメグはノーマルよね?」

「うん。実は高校入試のときに色々あってね。聞いてくれる?」

 

 お姉ちゃんに私の個性を活用した美容ケア付きのトリートメントをしてあげながら、入試の日の出来事を話す。

 

「色々と災難だったわね。それなら3回目はもうちょっとロマンチックなキスしたいとか思ったりしないの?」

「ないよ。天哉がどうってわけじゃないけれど、性的なことは今の私には絶対無理。割と最近まで何度も頭のおかしい男の人たちに乱暴されそうになったことあるからさ」

「茶化してごめん。言いたくないことは無理に言わなくて良いわよ」

「うん、だから天哉に対して親しみとか独占欲とか持っているのは少なからず認めるけれど、男の人として見るのは今の私じゃまだ無理だと思うんだ。性欲とか全然感じさせない生真面目馬鹿じゃなかったら、私と天哉は今みたいな関係を築けなかったって思ってる。俊典兄さんや、空彦爺ちゃんとの生活も、二人が完全に枯れていなかったら絶対無理だった」

 

 きっと私は本能的に男という要素を拒絶するようになっているのだ。できるだけ悟られないようにしているし、多分クラスのみんなにはバレていないとは思うけれど。

 

「メグ……」

 

 お姉ちゃん、変な目をしているな。そうさせちゃったのは私だけど。うーん、ジメジメしたのはあんまり嫌だな。

 

「お姉ちゃん、濯ぐから目をつぶって」

「にゅぁあっ?! 冷たっ! 水、水だからそれっ!」

「ほらほらー。動いちゃダメだって」

「ちょっと熱い、私熱いの苦手だからもうちょっと下げてっ!」

 

 遊び過ぎたせいで、お爺ちゃんに出るのが遅いと愚痴られたり、お姉ちゃんからさっきのことをちょっぴり叱られ、そのお詫びとしていつもより念入りなお肌マッサージを命じられることになったり、そんなうちにこの家初めての平日の夜は更けていった。

 

 

 

 

 

           ×        ×

 

 

 

「それで改まって話って何?」

 

 引っ越しからしばらくたって新生活にも慣れてきたある日のこと。すっかり毎晩の日課となった俊典兄さんへの個性フル活用マッサージの後、時間をくれないかと言われ兄さんの部屋で話をしている。

 お姉ちゃんやお爺ちゃんには内緒で買って来たお高そうなお店のメロンタルトを私へ差し出すあたり、何かお願いごとの類だろう。律儀な人だなぁ。

 

「実はだね。今度の授業参観で……」

 

 そう切り出されたのは今度の授業参観の内容について。私たちは保護者への感謝の手紙の朗読と聞いていたのだが、実際はオールマイトたちが扮する(ヴィラン)役が保護者たちを誘拐するというシチュエーションでの演習披露を行うとのことだ。勿論生徒たちには(ヴィラン)の正体を悟られぬようにし、本物の(ヴィラン)の襲撃だと思わせるとのことだった。

 

「それにしても酷いネタバレを聞いてしまった」

「八百長を頼むようで本当に申し訳ないのだが、君に黙っていたら個性で正体を看破されてしまうからね。だから君にだけは先に事情を説明しておこうってなったわけなんだ」

「うん。私が先生たちの立場ならそうするし、しょうがないよね。当日は正体に気付いていない演技をしつつ、みんなそれぞれ見せ場があるように、指示出しをしてあげればいいのかな?」

 

 セキュリティガチガチで普段は中に入れない雄英に親御さんたちが来るんだ。我が子の晴れ姿はみんなみたいよね。

 小チームになる場合は別だけど、クラス全体で固まっている状態なら私と百ちゃんが司令塔になることが多いことを考えれば、口裏合わせをする人間として私以上の配役はないだろう。

 

「そこまでは口にするつもりはなかったのだが、君ならそうしてくれるだろうという打算があったのは事実だ」

「うん。兄さんならともかく相澤先生は絶対そう考えるのわかってるから気にしなくていいよ。タルトももらっちゃったし」

 

 それにしても美味しいなこのメロンのタルト。果物が美味しいのは当たり前だけど、中のクリームの甘さとタルト生地のバターの香りの組み合わせが絶妙で、メロンとの調和が素晴らしい。

 

「ちょっと食べる?」

 

 ずっと私のフォークの動きに兄さんの視線が集中しているのを見て、私はそう提案する。

 

「いや、この数日で随分良くなったとはいえ、まだ胃も良くないしこんな時間だからね。気持ちだけ頂いて、遠慮しておくよ」

「でも、食べたいんでしょ?」

 

 兄さんは何も言わない。でも、ここ最近生活を共にして、これが物欲しそうにしている目だというのはわかって来た。昨日の晩、がっつりしたローストンカツを私たちが食べる中、極限まで衣を薄くしてオーブンで作った小さなヒレカツを食べてたときも同じ目をしてた。

 

 ふむ、仕方ない。授業参観の予行演習だ。私の女優魂を見せるときか。

 

「あーお腹いっぱい。あと一口だけなのに食べきれないやー。勿体ないけれど捨てるしかないかぁ」

「君がご飯を残すのは珍しいね。では片付けは私がしてこよう」

 

 そう言って、立ち上がり、空箱とケーキの皿を手に取ろうとする兄さん。ダメだ、全然伝わっていない。直接言うしかないか。

 

「捨てるくらいなら、食べてもらった方がメロンも喜ぶと思うけどな。兄さんが食べたら?」

「うーむ、確かに勿体ないがしかしだね。胃の調子が……」

「その一口なら消化に問題ないと、あなたの隠れ主治医さんが言ってるんだけどな」

 

 それならば、と渋々ながらフォークを動かし、口に運んだ兄さんの目は、皆の憧れるナンバーワンヒーローでも、今にも死にそうな骸骨でもなく、どこにでもいるような子供のように、透き通ったラムネ玉のような純粋な輝きを見せていた。

 

 もっと美味しいものを食べられるように、怪我の後遺症に苦しむ顔でいる時間が少しでも短くなるように、私は改めて頑張ろうって思った。

 

「食べたね? お姉ちゃんに内緒にしていたのがバレたときは一緒に怒られてよ」

 

 案の定、次の朝のゴミ出しの時に、箱がお姉ちゃんに見つかったのはまた別の話だ。

 

 

 

 

           ×        ×

 

 

 

 遂にやってきた授業参観の当日。感謝の手紙を原稿用紙20枚も書いてきた天哉にツッコミを入れたり、響香ちゃんのことをチッパイと貶す峰田を女子みんなで制裁したりしたしばらく後のこと。

 

 定刻になっても姿を現さない相澤先生のことを不思議に思ったみんなが騒ぎ始めた直後、私たちは「模擬市街地に来い」という指示を受け、保護者の人たちが檻の中に幽閉されている場所へと向かう。

 

 結局今日の授業参観はお姉ちゃんもお爺ちゃんも本業が忙しく、参加は無理だったらしい。普段の姿を天哉や緑谷くんたちは知ってるから、あの二人が檻に囚われているってのはおかしいのバレバレだからね。仕方ない。

 

 ちなみに(ヴィラン)役はオールマイトとまさかのエンデヴァーの普段なら絶対あり得ない共演となっている。元々は轟くんはエンデヴァーのこと嫌い過ぎるから、授業参観のこと伝えてなかったらしいけれど、私がこっそり伝えた。だってこの前色々とお世話になったからね。恩を返すのは忘れちゃいけない。

 

 でもエンデヴァーも人質役は絶対無理だから、炎を封印してサポートアイテムを装備して(ヴィラン)役として轟くんの成長を見守ることになったのだ。轟くんの他の家族のこともあるから、おおっぴらにはできないけれど、顔も声も変えて誰にも気づかないように(ヴィラン)として参加すればいいよねって、私が提案したのだ。

 

 エンデヴァー事務所から高級な琵琶が送られてきたから、やっぱり恩は売るべきだよね。でもエンデヴァーには爆豪とかの戦闘ガチ勢を多めに振り分けしつつ、轟くんに大いに殴られてもらおうと画策もしている。あの糞親父を殴れる機会を作ってあげれば、もし後で色々バレても言い訳は立つだろう。

 

 そして檻に囚われた人質を見つけ、(ヴィラン)役が登場してきたときに私は騙されたと気づく。聞いていたよりも数が多かったのだ。

 

「────嘘つき」

 

 お姉ちゃんもお爺ちゃんも来れないって言ってたじゃんか。

 よし、気合入った。大きく息を吸い込んでから、私はみんなに呼びかける。

 

「落ち着いて! 大丈夫、私たちは強くなった。人質の人たちを怖がらせないためにも一旦落ち着こう」

「猪地さん!」

「何、百ちゃん?」

「私、思いつきましたの。とっておきのオペレーションを。でもまだ足りない要素があるので、立案を手伝ってくれませんか?」

「任された。でも細かく詰める前にまずは────」

 

 私の言葉に百ちゃんが頷く。第一手としてきっと考えていることは同じだ。(ヴィラン)の狙いや戦力を把握できていない状態で替えの効かない透ちゃんを外に逃し、救援を求めさせるのは悪手。何度も替えは効くけれど、言葉を使えないためメッセージを書き記す必要のある口田くんの活用は第二手。ならば────

 

「上鳴くん!」

「上鳴さん!」

 

 大幅な手加減ありとはいえ、トップランクのヒーロー4人相手だ。演習と知っている私だけれど、今の私たちがどこまでやれるか。本気で挑むからね。

 

 

           ×        ×

 

 

 こうして無事に授業参観が終わった後、轟くんのファイアパンチを顔面に受けたせいで鼻に詰め物をしたエンデヴァーにすっごい形相で睨まれながらも感謝の言葉をもらったり、天哉のお母さんに挨拶したり、お爺ちゃんに格闘のダメ出しされたり、色々あった。

 

 そんな中でも今日一番の思い出といえば、夕食後にお姉ちゃん主催で強制開催された手紙の朗読会。本人を前に朗読するのはすっごく恥ずかしかった。

 

「────以上、これが、私の自慢の家族です」

 

 お父さん、お母さん。

 

 幸せだって。今の私は胸を張って言えるよ。

 

 




勉強会関連と期末テストは軽めに流して、
もう少ししたら3章メインイベントに突入予定です。



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