ゴジラ vs 大仏 (外清内ダク)
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巻の一、難波崩壊

 今は昔、茅渟海(ちぬのうみ)に、漂ひたる大船ありけり。岸の人あやしみて、漕ぎ出でてみるに、人なし。船の名をば、栄光丸となむいひける。船、にはかに揺れ動きて、打ち壊されけり。岸の人、いと長々き蛇の尾の、波間にそびえたるを見けるに、ほどなく尾の下敷きになりて、潰れたりけり。

(「真日本紀」より抜粋)

 

(現代語訳)

 今となっては昔のことだが、茅渟海(現在の大阪湾)に、漂流している大船があった。岸に住んでいる人が不思議に思って、漕ぎ出でて船の中を見てみたが、人はいなかった。船の名はグローリー丸といった。すると、船が突然揺れ動いて、打ち壊された。岸に住んでいる人は、たいへんに長い蛇のような尻尾が、海面からそびえ立っているのを見たが、すぐに尻尾の下敷きになって、潰れてしまった。

 

 

 

  *

 

 

 

 時に、天平十六年(西暦744年)、如月。

 大和国、茅渟海沿岸部。

 首都、難波京(なにわのみやこ)(現在の大阪府中央区法円坂付近)にて。

 

 その日、宮殿には、帝(聖武天皇)の他、議政官10名ほどが集結していた。

 茅渟海で発生した怪異への対策のためである。

 

 

 藤原四兄弟、“南家”藤原武智麻呂。

「現在のところ、情報が不足しており、確かなことは申せませぬ」

 

 同、“北家”藤原房前。

「されど、海から巨大な尾のごときものが現れたる由、これは恐怖からくる幻覚のたぐいであろうと思われまする」

 

 同、“京家”藤原麻呂。

「さよう。妄言、妄言でおじゃる」

 

 同、“式家”藤原宇合。

「なにとぞ御心を安んじくださいますよう……」

 

 彼ら藤原四兄弟は、かの高名な中臣鎌足(藤原鎌足)の孫である。兄弟そろって大納言・参議などの要職を務めた。当時の日本は、まず彼らによって牛耳られていたといってよい。

 

 

 帝(聖武天皇)。

「では、一体何が起きたというのか?」

 

“南家”武智麻呂。

「おそらくは地震、あるいは突風から来る、局所的な大波でございましょう。いずれにせよ、住吉津の港湾施設に甚大な被害が出ておることは確かです。速やかな救援こそ急務かと思いまする」

 

 帝。

「救援か。何をする?」

 

“北家”房前。

「ひとまずは潰れた家の下敷きとなったもの、海に流されたものの救出。次いで食料。この寒い季節なれば火を焚いて暖を取らせること、にございます」

 

 帝。

「よし。そのようにはからえ。北家に任す」

 

“北家”房前。

「御意」

 

“京家”麻呂。

「港の復旧も早くせねばならぬでおじゃろー? 瀬戸内との海運が一日止まれば大変な損失でおじゃるー」

 

“式家”宇合。

「ひとまず船は河内湖に引き入れまして、無事な桑津から……」

 

 

 そのとき、

 

「恐れながら申し上げます」

 

 と、口を差し挟むものがあった。帝と藤原四兄弟が、そろって首をめぐらせ、末席の参議をじろりと睨んだ。

 

 参議、鈴鹿王(すずかのおおきみ)

「巨大な獣の尾を見たと申す者は、ひとりふたりではございませぬ。何かが海中にいると考えたほうがよいと思います」

 

“式家”宇合。

「何か、とは……?」

 

 参議、鈴鹿王。

「それは……。

 巨大(いとおほき)不明(あきらけからぬ)衆生(しゅじょう)……としか」

 

“京家”麻呂。

「おほほ! そなたは仏教説話の読みすぎでおじゃる。怪力乱神もよいが、いま大切なのは、現実に起きた被害への対処でおじゃろー?」

 

 参議、鈴鹿王。

「このまま手をこまねいていれば、その現実の被害がさらに拡大するやもしれぬと!」

 

 憤って立ち上がりかけた鈴鹿王を、横から制する手があった。

 

 参議、橘諸兄(たちばなのもろえ)

「鈴鹿くん。落ち着きたまえよ」

 

 橘諸兄は、鈴鹿王には大切な友人であった。どちらも藤原四兄弟に押されてうだつが上がらぬという共通の悩みもあった。

 その諸兄に制されては、鈴鹿王も身を引くよりほかなかった。

 

 

 朝議はその後、手早く救援策をとりまとめ、散会となった。

 散り際、“南家”武智麻呂が鈴鹿王の肩を叩き、

 

「あらゆる可能性を想定する君の聡明さは認める。が、熱くなってはいかぬな」

 

 と、慰めた。

 慰められた鈴鹿王には、皮肉にしか聞こえなかったやもしれぬが。

 

 

  *

 

 

 朝議の後、難波京の片隅にて。

 

 橘諸兄。

「そんなことでは命がいくつあっても足りないぞ、鈴鹿」

 

 鈴鹿王。

「兄上の反乱以来、私の命などあってないようなものだ。

 ゆえにこそ、私は己の為すべきことを為すのだ」

 

 鈴鹿王の兄、長屋王は、かつて朝廷の有力者たるも、反乱の疑いを掛けられ、自害して果てた。もっとも、鈴鹿王が冷や飯食いをやっている原因はそればかりではなく、彼本人の激烈な性格もあっただろうが。

 

 橘諸兄。

「またそういうことを言う。どんなに心配したって、ぼくの心は親友に届かないらしい」

 

 鈴鹿王。

「届いているさ。ありがたく思っている。だが、それとこれとは話が別だ」

 

 

 そのとき、慌てふためいた文官が、駆け足に宮廷に飛び込んできた。何事かと人に止められ、彼が、ほとんど叫ぶようにして伝えるには、

 

「現れた! 今度は難波津だ!」

 

「落ち着け。何が?」

 

「私は見た! 確かに巨大な衆生だ!!」

 

 

  *

 

 

 難波京、高楼。

 帝、藤原四兄弟、その他の議政官たちは高楼に上り、呆然と西を見つめた。

 下では、文官武官の区別なく、みな宮殿の屋根に上り、同じ光景を目撃していた。

 

 都の西、砂洲に造られた難波津の港湾に――巨大なものが、いた。

 あれを、何と呼べばよいのであろう。

 大木を思わせる二本の脚。

 濁った薄汚い体液を絶え間なく滴らせ、滑り、ねばつく肌。

 瞼も睫毛もなく、眼孔にむき出しのまま填め込まれた、ふたつの眼球。

 鳥に似た首。魚に似た口。蛇に似た尻尾。

 そして他のいかなるものにも似ていない、人の2、3人を軽く一飲みにする、巨躯。

 

 難波津の港は、恐怖と狂気に飲み込まれた。

“それ”が走る。のたうちながら、見苦しく。

 ただそれだけで建物は崩れ、橋は落ち、人は潰れて赤い花と化す。

 

「まさか……あんなものが」

 

 誰かが呟いたが、それが誰の声であったのか。もはや誰にも分からなかった。

 

 そのとき、巨大(いとおほき)不明(あきらけからぬ)衆生(しゅじょう)が、ぐんと頭をもたげた。

 その目が、はるか高みから、難波京の高楼を見下ろしている。

 

「いかん! 来るぞ!」

 

 巨大不明衆生が走った。難波京へ向かって一直線に。

 人にとっては小一時間、されど、奴にとっては一息の距離。

 咆哮もない。悪意も感じさせぬ。どこを見るとも知れぬ虚ろな目で、しかし都を確かに見据えたまま、巨体は迫り、ついに宮殿をひと揉みに揉み潰した。

 殿上人たちが逃げ惑う。文官は叫ぶ、へたり込む、あるいはあてもなくただ走る。武官の幾人かが矢を放ったが、鉄の矢尻さえ岩のような肌に弾かれた。

 

 そして、巨大不明衆生が尾を振った。

 無造作に。

 かつて天智天皇が建て、「(ことごとくに)()ふべからず(言葉では言い尽くせない)」と謳われた、壮麗華美たる難波京は、砕け散った。

 

 そこに居合わせた、数百の人命とともに――

 

 

 

 

つづく。



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巻の二、大仏建立の詔

 

 海中より突如として現れた巨大不明衆生は、難波京一帯を破壊し尽くし、ふらりとまた海中へ消えた。

 

 その被害は極めて甚大なものであった。

 難波京は今や瓦礫の折り重なる廃墟と化し、家を、家族を奪われた人々は惨禍の跡に呆然と佇むばかり。

 

 帝もまた、つい昨日まで内裏のあった場所に立ち尽くしていた。

 この難波京は、彼自身が心を砕いて建造に携わった都であった。やがては平城京(ならのみやこ)をすら上回る新世代の都となるべき場所であった。

 それがかくも徹底的に破壊されたのである。帝の心中いかばかりか。

 

 

 そこへ“南家”武智麻呂が進み出て奏したことには、

「陛下、学生(がくしょう)たちが集まっております。

 あの……巨大不明衆生の正体について、お訊ね遊ばされませ」

 

 というので、帝は急遽建てられた仮の御所に入り、3人の名高い学生と会った。

 しばらくして帝は御所から歩み出て、沈痛な面持ちで首を振った。

 歳を食った学生どもは頭が凝り固まり、「そのような怪異はあり得ない」と繰り返すばかりで、何一つ得るところはなかったのであった。

 

 

 帝のたまわく、

「時間を無駄にした。鈴鹿王やある!」

 

「これに」

 

「官位の上下は問わぬ。話の分かるのを連れてまいれ」

 

「身分は卑しうございますが、唐国(からくに)に最新の学問を学んだものがおります」

 

「よし、それでよい」

 

「御意」

 

 

 さらに帝、藤原四兄弟を召して、

「先に決めた救援の策、このありさまでも実行は可能か否か?」

 

“北家”房前。

「不完全にはなりますが、可能と思いまする」

 

“京家”麻呂。

「軍と八省の再編復旧も急務でおじゃるー!」

 

 帝。

「よし。並行してやれる限り行え。金は要るだけ使ってよい」

 

 

  *

 

 

 その他、絶え間なくもたらされる報告と献策を裁くうちに、鈴鹿王が、風采の上がらぬ中年の男を連れて戻った。

 

 参議、鈴鹿王。

「もと遣唐使、下道真備(しもつみちのまきび)を連れて参りました」

 

 従八位下、下道真備。

「わあああたくし下道真備と申します下道」

 醜く媚びへつらい声も震えるありさまであった。

 

 帝は眉をひそめたが、官位の上下は問わぬと言った手前、文句は言えぬと思いなおし、努めて声穏やかに問いかけた。

「大儀である。そのほう、唐国に学んだとか?

 かの巨大不明衆生は一体何だ?」

 

 下道真備。

呉爾羅(ガージュラヴァナ)

 

 下道真備は、それまでの卑屈な様子が嘘のように、ぴんと背筋を伸ばし、叩き付けるように答えた。

 帝をはじめ、その場にいたものはみな、驚き、息を飲んだ。

 

 帝。

「が……づ……ら?」

 

 下道真備。

「遠く天竺に祀られし古き神。

 再生に先駆けて訪れる破壊の化身。

 仏による調伏を拒絶した唯一にして最大の外道」

 

「……また来るか?」

 

「必然」

 

「そんなものを相手にどうすればよい!?」

 

 帝の声はまるで悲鳴のようだったが、下道真備は、帝の機嫌を損ねたことなどまるで気にしていないように見えた。ただ、下から、値踏みするような目で帝を見上げていただけだ。

 

 下道真備。

「仏威」

 

 帝。

「何をしろと言うのだ?」

 

「陛下が平素篤く信仰している盧舎那仏(るしゃなぶつ)

 像を造ります大きな像。

 これを動かします、わたくしが唐で学んだ秘術。

 調伏します呉爾羅。ガヅラ!」

 

「仏とガヅラを戦わせようというのか。そんなことが可能なのか」

 

()

 

 下道真備は、にまり、と笑った。

 

 帝、鷹揚に頷き、

「鈴鹿王、橘諸兄、これへ」

 

「は」

 

「この件は汝らに任す。下道真備を使い、大きな仏像の建立計画を立案せよ」

 

 鈴鹿王は、

「御意!」

 と拝礼したが、橘諸兄はめざとく一言付け足した。

 

「されど陛下、下道真備どのは官位極めて低く、氏素性もよろしからず、大役を任すことは律令に反します」

 

 帝。

「おおきにもっともである。

 ならば、下道真備を10階級特進して正六位下に叙し、吉備の姓を与える。

 本日より、汝は吉備真備(きびのまきび)を名乗るがよい!」

 

 無論これは、下道真備――いや、吉備真備に厚遇を与えるための、橘諸兄の心遣いであったことは言うまでもない。

 かくして、ガヅラの再来に備えるべく、盧舎那仏像建立計画が動き始めた。

 後にこの仏像はこう呼ばれることになる。

 

 大きな仏――大仏と。

 

 

  *

 

 

 1か月後。

 調査が進むにつれて、難波京の深刻な状況が明らかになっていった。

 港湾、都市、宮殿などはことごとく徹底的に破壊されており、再建には50年を越える歳月と莫大な費用がかかると目された。

 

 天平十六年、卯月。

“南家”武智麻呂の献策により、難波京の放棄が決定。

 ガヅラの襲撃に備え、海から遠い近江の離宮、紫香楽宮(しがらきのみや)を仮の御所と定めた。(現在の滋賀県甲賀市信楽)

 さらに、いずれこの地に遷都すべく、甲賀寺を中心として甲賀宮(こうかのみや)の建造に着手。

 

 そして――鈴鹿王、橘諸兄、吉備真備による「大仏」もまた、この地にて建立が始まったのである。

 

 

  *

 

 

 天平十六年、霜月。

 甲賀寺境内にて。

 

 この日、ここに大仏の体中骨が立てられた。

 帝は、鈴鹿王、橘諸兄、吉備真備らを具して見分に訪れ、壮大な骨格を見上げ、ようやく少しばかり心安らいだとばかりに微笑んだ。

 実際のところ、帝はガヅラの第一次襲撃以来、あの恐怖が忘れられず、夜もろくに眠れなくなって、日に日に痩せ衰えていたのであった。

 

 帝。

「これほど大きな仏ならば、きっとガヅラにも立ち向かえよう」

 

 鈴鹿王。

「しかし、ひとつ問題が出て参りました。

 難波津、住吉津の再建、さらに甲賀宮の建造と、出費相次ぎ、大仏建立の資金に不足が生じつつあります」

 

 帝、頷いて、

「それについては、宇合から献策があった。

 税収増のために三世一身法を改正し、墾田は永久に開墾者が私有できることにしようとな。

 墾田永年私財法とでも名付けようか」

 

 橘諸兄、楽しげに笑い、

「おやおや。ことによると、各地の寺社豪族の類が私有地を抱え込んで、制御しきれなくなるかもしれませんよ」

 

 帝。

「それも含めて国力であろう? 朕は良いと思う。

“式家”らしい、奇抜な良案よ」

 

 帝は、ちらと鈴鹿王に視線を移した。

 鈴鹿王はいつものように、眉間にしわを寄せている。気を緩めたところを他人に見せることは、滅多にない男であった。

 

 帝。

「“北家”房前は、定石を疾く打つに秀でる。

“京家”麻呂は、常に事態の問題点を見出す。

そして“南家”武智麻呂は、放っておけば瓦解しかねぬ四兄弟のまとめ役じゃ。さらには、朝廷全体のな」

 

 鈴鹿王。

「御意のとおりにございましょう」

 

「のう、鈴鹿よ。過去は水に流し、少し、やつらとも交わってみぬか?」

 

「私は私の為すべきを為すまでにございます。これまでも、今も。そして明日も」

 

「そうか……

 ま、今はそれでよい」

 

 

 そこに、遠くから若い女の声が聞こえてきた。

 振り返れば、甲賀寺の門前から、手を振り駆けてくる小さな姿があった。

 皇女、高野姫(たかののひめ)である。

 

「ちちうえさまーっ!」

 

 帝、高野姫を抱きとめ、抱き上げ、頬を擦りつけてのたまわく、

「おお、高野! 高野よ、かわいい高野!」

 

 高野姫、答えて曰く、

「さよう、高野は今日もかわゆくございます!」

 

「なにゆえ、そなたがここに? 平城(なら)にいたのではなかったか?」

 

「ちちうえさまのお役に立ちとう思うて、高野は来たのです」

 

「そうかそうか。百人力じゃ! あはは……」

 

 帝は、高野姫を肩にのせ、何か月ぶりとも知れぬ楽しげな様子で、笑い、御所へ戻っていった。

 これには、さすがの鈴鹿王や橘諸兄も顔を見合わせ微笑んだ。

 

 ただ、ひとり吉備真備だけは、高野姫を一目見てから、惚けたように口をぽかんと開けていた。

「美……」

 

 

  *

 

 

 時を同じくして、崩壊した難波津にて。

 

 一隻の、まことに見事な大船が茅渟海に現れ、はしけが送られ、崩れかけた桟橋に得体の知れぬ一団を降ろした。

 難波津には、ガヅラを警戒して兵が置かれていたが、兵はすぐさまこの者たちを見とがめ、殺到した。

 

 見れば、船からやってきた者たちは、見たこともない珍奇な、そして華々しい衣服をまとっていた。

 とりわけ、その中に佇む美女の、麗しき顔、絹糸そのものの如き髪は、ただのひと目にて兵たちを魅了するに充分なものであった。

 

 兵、問うて曰く、

「お前ら、なんだ?」

 

 美人、答えて曰く、

「あら、品のない言葉遣いですこと。

 これだから東夷はいやなのよ。

 

 誰でもいいわ、どなたか倭王どのに伝えてくださる?

 

 ――偉大なる唐国から、(フェイ)が逢いに来たってね!」

 

 

 

 

つづく。



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巻の三、楊貴妃、来日

 

 楊玉環、蒲州永楽の人。(現在の中華人民共和国山西省)

 唐の九代玄宗皇帝が寵姫、人呼んで楊貴妃。

 

 艶髪は雲、美貌(かんばせ)は花、歩みは(かんざし)の揺れるが如く。

 華麗を極めた衣の隙間から、惜しみなく衆目に晒したるは、豊満なる躰、白そのものより白き肌。

 

 楊貴妃は、多くの僧侶を具して紫香楽宮を訪れ、帝への拝謁を願い出た。

 その場の男たちは、みな一様に、楊貴妃の肢体に目を奪われ、ひととき息を呑んだ。

 賢明な者はすぐに目を逸らした。長く見れば目を焼かれかねぬ、赤熱した鋼の如き美女であった。

 

 

 帝、大いに驚きてのたまわく、

「大唐国の皇帝夫人がなにゆえ日本(やまと)に?」

 

 楊貴妃、答えて申さく、

「倭王どのに有益な情報をお持ちしました。

 あなたがたの懸案――呉爾羅(ガージュラヴァナ)についてね」

 

 帝以下、百官みな驚きを隠せなかった。

 楊貴妃はその反応を愉しんでいるようだった。

 

 

 帝、“南家”武智麻呂に目配せして、

「南家に任す」

 

“南家”武智麻呂。

「御意。

 唐国の御使者にお訊ね申す。

 なぜガヅラをご存知なのか?」

 

 楊貴妃。

「倭国の右丞相にお訊ね申す。

 話を聞く心づもりの有りや無しや?」

 

日本(やまと)の右大臣がお答え申す。

 痛い腹の内を隠しておられては交渉になり申さぬ」

 

「わたくし楊貴妃がおこたえもーす。

 ゴチャゴチャうっせーな国傾けんぞコラァ!」

 

 宮廷じゅうが、しんと静まり返った。

 楊貴妃は帝の御前に立ちながら、平伏さえしていない。

 その迫力と美しさが、みなに納得させた。この女は本当に国を傾けかねぬ、と。

 

 

 楊貴妃、一転して微笑み、

「でも、まあ、いいでしょ。

 愛し合うには、まず裸を晒さないとね。

 これをご覧ください」

 

 楊貴妃は一書を差し出した。

 

 帝、その書を見てのたまわく、

呉爾羅(がづら)……」

 

 楊貴妃。

天竺(てんじく)(現在のインド)に祀られし破壊の神。

 その研究資料は極めて詳細に纏められています。

 由来、能力、そして――召喚の方法までね。

 

 それを記した者の名は、大唐国秘書監、朝衡(ちょうこう)

 またの名を、遣唐使、阿倍仲麻呂(あべのなかまろ)!」

 

 その名を耳にしたとたん、末席にいた吉備真備がよろめいた。

 とっさに橘諸兄が抱きとめたが、吉備真備の顔面は蒼白であった。

 

 

  *

 

 

 遣唐使、阿倍仲麻呂。

 霊亀3年(西暦717年)、吉備真備らとともに唐へ赴く。

 そのまま帰国せず唐に留まり、科挙の難関を突破して任官を果たした。

 この快挙を成し遂げた日本人は、史上、阿倍仲麻呂ただひとりである。(西暦2016年現在)

 

 学識深く詩経に通じた阿倍仲麻呂は、かの高名な詩人李白、王維らと交わり、玄宗皇帝にも認められ、順調に出世していった。

 だが、皮肉にもそれが彼の命を縮める結果となってしまった。

 

 

  *

 

 

 楊貴妃、再び申さく、

「彼は倭国を恨んでいました。

 彼の学識は、この狭苦しい孤島では認められることがなかった。

 その怨念を執念に変えて、大陸での出世を果たしたようですが、そこでも彼は壁にぶつかってしまった。

 急速な出世に危機感を覚えた高官が、阿倍仲麻呂を陥れて幽閉したのです。

 

 しかしある日、仲麻呂は突如として牢から姿を消した。

 

 その後の詳しい足取りは不明。

 確かなのは、彼が何らかの方法で倭国への帰還を果たしたこと。

 

 そして――自らを人身御供(いけにえ)に、呉爾羅(ガージュラヴァナ)を召喚したこと……

 

 倭人の為したこと、とはいえ、これは唐国の不始末でもあります。

 わたくしが連れてきた菩提僊那(ぼだいせんな)以下高僧30名、いずれも仏の道を究めたものばかり。

 呉爾羅(ガージュラヴァナ)調伏に力をお貸ししますわ。大唐国の威信にかけて」

 

 

 帝は、話を聞き終えても、痛恨の想いで顔を伏せたままだった。

 

 それを見て、楊貴妃、悪戯に嗤いていわく、

呉爾羅(ガージュラヴァナ)は……ガヅラは、あの男の故国に対する怨念そのものです。

 重ねて問います、日本(やまと)の天皇陛下。

 汝は、その思いに応える心づもりの有りや無しや?」

 

 

 帝。長い沈黙の後に。

「朕は……」

 

 

 そこへ、急報が舞い込んだ。

 使者が息を切らせて述べるには、

 

「陛下に申し上げます!

 伊勢海(いせのうみ)安濃津(あのうつ)付近にガヅラ出現!

 すでに能褒野(のぼの)を突破しました!」

 

 

  *

 

 

 伊勢海湾岸、安濃津(現在の三重県津市)。

 やや山間部へ移動し、能褒野(同、亀山市)。

 

 ガヅラは変貌を遂げていた。

 もはや、かつて難波津に現れた時の、魚類か鳥に似たあの姿ではない。

 今のガヅラは、どこか人に似ていた。

 天を貫くかのように直立し、二本の脚で地を踏み割り、足元の家々と人々を蹴散らしながら、西へ進行する。

 

 その進路は、まっすぐに、紫香楽宮を向いていた。

 

 

  *

 

 

 ガヅラ襲来は、遅くとも今夜。

 紫香楽宮は騒然となった。

 

 帝、早足に回廊を行きながら、鈴鹿王に問うて曰く、

「大仏は動かせるのか?」

 

 鈴鹿王。

「完成度は七割にも届きません。まともに動いてくれるかどうか……」

 

「是非もなし。鈴鹿王、橘諸兄、吉備真備は大仏の起動準備。

 靫負(ゆげい)衛士(えじ)兵衛(つわものとねり)、および慈賀(しが)軍団投入。

 藤原四兄弟は指揮を執れ!」

 

 

  *

 

 

 それぞれが配置につき、息を殺して、待った。

 日は没し、闇が垂れ込め、風は緩やかに肌を蝕む。

 誰もが寒気に震えながら、東の山際の、星光に明るむさまを見つめていた。

 

 

 一方、甲賀寺、建造半ばの大仏前にて。

 

 鈴鹿王は、僧侶たちを指揮して、大仏開眼準備を進めていた。

 

 その喧噪から少し外れたところで、吉備真備が震えていた。

 橘諸兄が、それに気づき、寄って肩を叩いた。

 

「どうした。緊張してるのかい」

 

 吉備真備。

「仲麻呂。仲麻呂。私を許さない、仲麻呂」

 

 橘諸兄。

「一体何が――?」

 

 

 そこへ、悲鳴じみた一方が舞い込んだ。

「ガヅラ襲来! ガヅラ来ました!」

 

 

 東、山際、その向こうから、掻き分けるように覗くは、巨大な頭。

 視点の定まらぬ虚ろな目は、今や、人々の思い描く“死”そのもの。

 言いしれぬ恐怖が人々を襲った――が。

 

“式家”宇合、吠えるが如くに下知したことには、

「弓手一から七番隊、放て!」

 

 号令一下、一斉に鉄矢が放たれた。

 矢は打ち上がり、闇夜に銀の扇を描き、ついには幾千の雨粒と化して、ガヅラの頭をしだれ打った。

 ガヅラの鱗に矢尻突き立ち、あるいは弾かれ、鉄火散らして赤々煌々。響き渡るは鋼の響き。耳をつんざくガヅラの咆哮。

 

 ガヅラ、弓手の軍を(じっ)と見下ろし、やおら、駆けた。

“式家”宇合、再び吠えて、

「弓手後退! 下がれ! 下がれ!」

 

 だが遅かった。

 ガヅラの足が、木々踏みつぶし、瓦を弾き、道も家ももろともに、一軍をひと蹴りに粉砕した。

 血の花が咲く。悲鳴が上がる。

 

 ――やはり、人間では敵わないのか。

 

 目の前に屹立する巨躯を見上げ、誰もが怖気づいたことだろう。

 されど、今宵は決して怯まぬ。兵どもはそう心を決めていた。

 

「弓手、第二射放て!」

 

 

 一方、甲賀寺では、橘諸兄が戦場のありさまを見つめていた。

 

「よし、予定通り盆地に誘い込んだ」

 

 その隣では吉備真備が今なお震えていた。

 いや、ガヅラを目の当たりにして、恐怖はいやましたかに見える。

 橘諸兄、吉備真備の肩を掴み、

 

「何があったかは後で聞く。

 だが、今は、やるしかない。そうじゃないのか?」

 

 吉備真備、頷いて、大仏の元へ駆け寄った。

 

 

 大仏の周囲は、十重二十重に僧侶たちが取り囲み、各々仏具を携え、すでに万端用意を整えていた。

 鈴鹿王、僧たちと、吉備真備に目配せして、

 

 

「行くぞ――大盧舎那仏像初号仏、開眼(リフト・オフ)!!」

 

 

 

つづく。



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巻の四、ガヅラvs大仏

 乙未(きのとひつじ)。此の夜、空中に声あり、大鼓の如し。野雉相驚き地大きに震動す。呉爾羅(がづら)、真木山より新京へ至り、虐すること甚だし。延焼数千余町。すなわち仰山の背、伊賀、近江等の国、之を撲滅せんとす。兵およそ三千人、甲賀宮より出でて射ること一万矢、不滅(めっせず)盧舍那大仏像(るしゃなだいぶつぞう)未だ成らざるも、開眼を始む――

 

(現代語訳)

 乙未の日(天平17年/西暦745年4月8日)、この夜、空中に太鼓のような音がした。野の雉が驚き騒ぎ、大地は激しく振動した。ガヅラは真木山(現在の三重県伊賀市槙山)から甲賀京(こうかのみや)に至り、甚大な被害をもたらした。数千ヘクタール余りの土地が火事で焼かれた。すぐに多くの男、伊賀、近江などの国がこれを撲滅しようとした。およそ三千人の兵が甲賀京から現れて、矢を射かけること一万発にも及んだが、倒すことはできなかった。盧舍那大仏像はまだ完成していなかったが、やむを得ず開眼を始めた――

(「真日本紀」より抜粋)

 

 

 ガヅラは甲賀京に迫り、迎え討つ軍団は壊滅の危機に瀕していた。

 矢はとめどなく射込まれ、剣戟襖のごとく突き立てられたが、ガヅラは意にも介さなかった。

 爛々と炎めいて揺れる目で足元の小さな者たちを見下ろし、無造作に蹴り潰し、引き千切り、十名余をひと口に噛み砕いた。

 

 軍団は恐慌を起こした。

 もはや歴戦の将“式家”宇合といえども、これを御すること能わず。

 一人逃げれば皆が逃げ出す。

 暴れ狂うガヅラを前に、軍団は潰走した。

 

 

 帝、その有様を眺め見てのたまわく、

「何たること。正しく荒神。ひとの及ぶところに非ず――」

 

 その玉音を聞きつけたわけもあるまいに、ガヅラ、紫香楽宮の帝をまっすぐに睨み、低くうなりを漏らした。

 

 ――そこか。

 

 ぞっ、と、その場の誰もが背筋凍る恐怖を覚えた。

 ガヅラの声を聞いたかに思われたのだ。

 

 ガヅラが走った。

 宮殿へ、帝のもとへ。

 

 高野姫、帝にしがみつきて申すよう、

「ちちうえさま! お逃げを!」

 

 帝。

「逃げてどうなる。朕は帝なり!」

 

 

 と、そのとき。

 

 山合より滑り降り、空裂き地鳴らせ駆け参ず者あり。

 走るは風の如く、勢い滝の如く、憤怒に固めた右の拳を、ガヅラの頬に叩き込む。

 

 ガヅラは雷音さながら悲鳴を上げて、横倒しに倒れ伏した。

 

 幾千の篝火、燃えあがる京の炎が、救いの主を浮かび上がらせる。

 山そのものの如き体躯をした、怒れる仏の姿がそこにあった。

 

 

 帝以下、百官千兵みな歓声に喉を震わせ、佇む大仏に平伏し、合掌した。

 

 帝。

「南無盧舍那仏、願わくばこの苦難より万民を救い給え!」

 

 

  *

 

 

 一方、甲賀寺、大仏開眼供養の祭壇にて。

 

 口々に呪を唱える僧侶たちの中心で、吉備真備は額に汗を浮かべていた。

 やがて小さく呻くや、鼻から一筋の血を垂らした。

 

 橘諸兄、駆けつけて曰く、

「どうした? しっかりしろ!」

 

 吉備真備、青ざめた面で、

「大丈夫……大丈夫」

 

 

 吉備真備が唱えている呪文は、遠く天竺から唐国にもたらされたという霊験あらたかなもの。

 仏の像に、人々の信心を込めて、自ら動く仏の化身と化す恐るべき術である。

 それだけに、扱うには生半ならぬ消耗を強いられる

 無理をすれば命にも関わろう。

 

 しかし、今は吉備真備に頼るしかない。

 ガヅラを調伏しきるまでは。

 故に、鈴鹿王は無言であった。今はただ、任せるのみ。

 

 橘諸兄は、吉備真備の肩を撫でた。

「がんばれ。

 やつを倒したら大いに遊ぼうじゃないか。

 いい女、旨い酒、いくらでも用意してあるぞ」

 

 吉備真備。

「姫さま……」

 

「ん?」

 

「姫さま。教えたい、真名(かんじ)。唐国の学」

 

「ははあん、惚れたな?

 いいとも、都合してやる。救国の英雄には誰も文句言わないさ!」

 

 

  *

 

 

 ガヅラが立った。

 吠えた。

 大仏めがけ飛びかかった。

 巨大な爪が、大樹の脚が、鉄鞭の尾が、仏を散々に打ちのめした。

 

 だが大仏は一歩も退かぬ。

 叩きつけられた尾を、両腕にしっかと受け止めて、捻り、投げ飛ばし、捩じ伏せる。

 

 響く轟音、渦巻く砂塵。人々がわめいて逃げ散ってゆく。

 大仏はのし歩き、ガヅラの上に馬乗りになる。

 そして、重々しい青金の拳を、ガヅラの脳天に打ち下ろした。

 

 夜の闇を引き裂くかのような鉄火が閃き、ガヅラの絶叫が木霊した。

 

 

  *

 

 

 楊貴妃、遠巻きに戦況を見ていたが、にやり笑っていう事には、

「ふーん。日本人もなかなかやるなあ。

 これなら般若心経(わたしたち)の出番はなかったかもね……」

 

 だが、高僧のひとりが、ガヅラを指差し、わめいた。

「いいえ! ご覧下さい、あれを!」

 

 

  *

 

 

 大仏が、とどめの一撃を振り下ろさんとした、その時であった。

 

 にわかにガヅラ、あぎとを開き、喉の奥から、灼熱の炎を吐き出した。

 火に巻かれ、大仏がのけぞりよろめく。

 と、そこへ、青白い閃光が襲いかかった。

 

 ガヅラの口から吐き出された炎は、収束し、色を変え、青々しき光の槍の如くなって――

 ひと薙ぎ。

 京と、軍と、背後の山もろともに、大仏の胴を薙ぎ払った!

 

 

 じゃ、と。

 熱した鉄を水に浸けたかのような音がして。

 

 次の瞬間、全てが爆裂、炎に飲まれて消し飛んだ。

 

 

 帝。

「な!?」

 

“南家”武智麻呂。

「なんだ、あれは!?」

 

 鈴鹿王。

「大仏がっ……」

 

 吉備真備。

 無言にて倒れる。

 

 橘諸兄。

「しっかりしろ、真備っ!」

 

“北家”房前。

「これまでかっ……」

 

 高野姫。

「ちちうえさま! お逃げを!」

 

“式家”宇合。

 死亡。

 

“京家”麻呂。

 死亡。

 

 靫負府(ゆげいのつかさ)衛士府(えじふ)兵衛府(つわものとねり)、および慈賀(しが)軍団。

 全滅。

 

 京の民。

 死したるもの、数え切れず。

 

 そして、大仏。

 真っ二つに両断され、なおも、なおも立ち上がらんと藻掻いていた……が。

 ガヅラの脚が、青金の体を、圧し潰した。

 

 

 京は、地獄と化した。

 

 

  *

 

 

 ガヅラは怒り狂い、光の槍を、撃って、撃って、撃ちまくった。

 寺が消えた。

 宮殿が消えた。

 林も、森も。山さえ、ふたつ、この世から消えた。

 

 生き残った者達は、ただ逃げるしか無かったが、一体どこに逃げればよいというのだろう。

 狂乱の中に散りゆく人々に、ガヅラは容赦なく槍を打ち込んだ。

 

 

“南家”武智麻呂。

 死亡。

 

“北家”房前。

 死亡。

 これにて、藤原四兄弟、全滅。

 

 橘諸兄が弟、橘佐為(たちばなのさい)

 死亡。

 

 中納言、多治比縣守(たじひのあがたもり)

 死亡。

 

 

 そして、日本(やまと)が第四十五代、聖武の帝。

 崩御。

 

 後に(おくりな)して、天璽国押開(あめしるしくにおしはらき)豊桜彦天皇(とよさくらひこのすめらみこと)とぞ号す――

 

 

  *

 

 

 鈴鹿王、彼は。

 ただ、逃げることしかでかなかった。

 戦い抜くことも、死ぬことも。

 為すべきことを為すこともできぬまま、走り、走り、走り、逃げた――

 

 ふと、彼は背後に咆哮を聞いた。

 もはや生きるものひとつない地獄の只中で、今なお暴れ狂う、神の声を。

 

 ――呉爾羅(がづら)

 

呉爾羅(がづら)ァァ―――――ッ!!」

 

 

 

 

つづく。

 




 冒頭の歴史書引用風の部分ですが、もともとは漢文、書き下し文、現代語訳の3パターンを書いたのですが、さすがに3度の繰り返しはくどいかと思い、漢文バージョンは削除いたしました。
 が、せっかく作ったのにもったいないとも思いましたので、ここに記しておきます。


 乙未。此夜空中有声、如大鼓。野雉相驚地大震動。呉爾羅於真木山至新京、甚虐。延焼数百余町。即仰山背伊賀近江等国、撲滅之。兵度三千人、於甲賀宮出射一万矢、不滅。盧舍那大仏像未成、始開眼。


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巻の五、反撃の烽火

 

 

 

“七番目の六国史”として知られる史書、「真日本紀」(西暦800年頃成立)には、その後について、こう記されている。

 

 天平17年/西暦745年4月11日。甲賀京の東山に火災が延焼、連日鎮火せず。このため、都の男女は競って逃げた。天皇もまた乗物に乗り、大丘野(大岡山とも。現在の滋賀県甲賀市水口町)に避難した。

 同、4月13日。夜に僅かに雨が降り、五日五晩に及ぶ大火災はようやく鎮火した。

 同、5月2日。生き残った官吏たちが、平城(なら)遷都を発案。

 同、5月4日。多くの僧に祈祷させた結果、平城(なら)可なり、と結論。

 同、5月5日。遷都開始。

 同、5月11日。甲賀京、完全に無人化。この後、甲賀一帯には空き巣狙いの盗賊がはびこり、急速に治安が悪化する――

 

 

 その間、ガヅラは沈黙を保ち続けていた。

 あの夜の恐るべき猛威が嘘のように鎮まり、冷たい岩の塊の如くなって、ただ静かに甲賀京の中心に立ち続けていた。

 何故かは分からない。

 死んでしまったのか? いや。ただ力を使い果たし、眠っているだけなのか。

 人々は、いつまた動き出すともしれぬ荒神を前に、畏れ平伏す以外の術を持たなかった。

 

 少なくとも、今は。

 

 

  *

 

 

 天平17年、6月。

 新たなる首都、平城京(ならのみやこ)、西宮にて。(現在の奈良県奈良市佐紀町)

 

 院(元正上皇)は、御座に膝を崩し、じっと目を伏せていた。

 

 先の帝たる元正上皇は、聖武天皇から見れば伯母にあたる人物だ。

「続日本紀」によれば、優しく寛容なこころを生まれ持ち、冷静でしとやかな女性であった、とされている。

 しかし実のところ、彼女は在位中に数々の画期的な改革を為し遂げた、まさに女傑と呼ぶべきひとであった。

 譲位した後も、聖武天皇の後見人として長く辣腕を振るったという。

 齢65を数えてなお、その眼は氷の冴えを喪わず、老いた身体はある種の毅然とした美を湛えているのであった。

 

 

 院、橘諸兄の報告を受けて、のたまわく、

「……そうか。あの子が死んだか」

 

 橘諸兄。

「ガヅラは、今こそ停止しておりますが、やがて再び京を襲うことは必定です。

 早急に政府機能を立て直し、対策を練り直す必要がございましょう」

 

「生ぬるいぞ、葛城」

 

 院の声に、肌が粟立つほどの凄味があった。

 葛城王(かつらぎのおおきみ)は、臣籍降下する以前、まだ橘諸兄が皇族であった頃の名前である。

 

 院。剣そのものの眼で橘諸兄を見据え、

「そなたが舵を取るのだよ。

 よもや(いや)とは云うまいな?」

 

 

  *

 

 

 平城京、二条大路沿い、旧長屋王邸にて。

 

 この広い屋敷の一角には、鈴鹿王が間借りして住んでいた。

 かつて聖武天皇が平城京から遷都した際、鈴鹿王もまた平城での住まいを引き払ってしまい、ここには住むところも残されていなかったのだ。

 

 離れで黙々と書類仕事に明け暮れる鈴鹿王のもとへ、橘諸兄が顔を見せた。

 

 橘諸兄、酒など喰らって、気分よく酔っ払って曰く、

「よう兄弟! 聞いたかい?

 武智麻呂(うだいじん)も藤原四兄弟も多治比縣守(ちゅうなごん)のとっつぁんもポックリさよなら!

 今や生き残った議政官は俺とお前のふたりきりだ。

 

 おかげで俺ァ大納言! お前は知太政官事だとよ。(それぞれ現在でいうところの首相代理、与党幹事長)

 とんだ出世コースもあったもんだな。ガヅラ様に感謝感謝だァ」

 

 

 鈴鹿王、筆を投げ棄て、橘諸兄に掴みかかった。

「だからどうした! 地位がなんだ!?

 私はどこに在ろうとも、私の為すべきを為すだけだ!

 取り乱しているんじゃあないぞ、諸兄ッ!!」

 

 しかし、いかに襟を捻り上げようとも、非力な鈴鹿王では、橘諸兄を吊し上げることはできなかった。

 

 橘諸兄、静かに鈴鹿王を見つめ返して曰く、

「ひとのことが言えるかよ」

 

 

 鈴鹿王は、少しの間そのまま固まっていたが、やがて手を放し、筆を拾って、仕事に戻った。

 橘諸兄、柱にそっと背中を預け、

「ほんと。情けねえよな、俺たちは……」

 

 

  *

 

 

 平城宮、西宮のとなり、大きなる園池にて。

 

 高野姫は、ひとり、池のほとりに腰を下ろし、かかとで水面を叩き遊んでいた。

 魚が寄り集まって、足の裏に口づけして、くすぐった。

 姫は一声、嬌声を上げたが、今ではそれを悦ぶ者もおらぬ、と気づいて、やめた。

 

 そこへ院のかたが現れ、声をかけた。

「かような所に居ったのか」

 

 高野姫、無言。

 

 院。

「即位の儀式を進めねばならぬ。

 内裏へお戻り」

 

「わらわが? 帝に?」

 

「他に誰やあろう?」

 

「大伯母さま。

 わらわは父上の娘でした。

 父上は、幼く無邪気な娘を好んだものです。

 故にわらわは、父の望む高野であろうと。

 ずっと、ずっとそのようにふるまって参りました」

 

 院、真っ直ぐに高野姫を見てのたまわく、

「ええ。観ておりましたよ」

 

 高野姫。

「父はお隠れ遊ばされました。

 今や、わらわは、ひとり。

 

 このうえ、この小娘に何をせよというのでしょう?」

 

 

 一羽の(つばくろ)が、声もなく、ふたりの間に弧を描いた。

 

 

 そのとき、遠くから慌てた足音が迫ってきて、転ぶかのようにひざまずいて申すよう、

「院のかたに申し上げます!

 御使者が……唐国の御使者が拝謁を願い出ております」

 

 院、小馬鹿にして鼻息を吹き、

「ようやく参ったかや。

 大極殿に通すが良い」

 

 

  *

 

 

 平城宮、大極殿(だいぎょくでん)

 

 大極とは太極、すなわち道教に言う陰陽両儀の根源を意味する。

 天地万民を治める天皇の正殿として、これ以上の名は考えられぬものであった。

 

 今、その高御座には、院が鎮座していた。

 正面に平伏せずに立つは、他あろう、楊貴妃その人であった。

 

 院。

「なぜ平伏せぬ?」

 

 楊貴妃。

「大国の使者は小国の君主に(ぬか)ずかぬが習わしなれば」

 

「長生きはしてみるものよな。

 女狐を使者に寄越す大国があろうとは、思いもよらなんだわ。

 して、どのような無理難題を持って参ったのか?」

 

 楊貴妃は、むすり、と顔をしかめて、手にした書物を侍従へ手渡した。

 侍従が院のもとへそれを運ぶ。

 院は中を開いてみるや、ほう、と溜息をついた。

 それは、阿倍仲麻呂の手記であった。

 

 最後の頁には、乱雑な走り書きでこう記してある。

 

 

“だから、私も好きにした”と。

 

 

「阿倍仲麻呂か……

 なるほど、好きなようにしてくれたものよ。

 さぞや根の国で気味良く思うておろう」

 

 楊貴妃。

「その資料は、先の帝にお見せしたのと同じものです。

 実は我が大唐国は、それの記述を詳細に分析し、すでに呉爾羅(ガージュラヴァナ)に対抗する手段を発見しております」

 

 ざわり、と場の百官みなざわめいた。

 大納言橘諸兄、知太政官事鈴鹿王とて例外ではなかった。

 対抗する手段、そのようなものがあるなら、なぜ甲賀京で言わなかったのか。

 

 その疑問と憤りに応えるかの如く、楊貴妃は顔を曇らせた。

「これは文字通り最後の手段です。

 まずは……そうね。

 玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)、という名をご存知?」

 

 

 玄奘三蔵、洛陽の人。

 孫悟空、沙悟浄、猪八戒の三神仙を引き連れて天竺を訪れ、幾多の経典を持ち帰ったことはあまりにも有名である。

 

 

「彼女は帰国後、持ち帰った経典の翻訳に打ち込み、すばらしい経典群を書き上げました。

 

 ……が。

 その過程で多くの文面が削除されていたのです。

 あまりにも危険であるという理由でね」

 

 鈴鹿王。

「危険、だと? 経文が?」

 

「ええ、そうよ。

 これはただのお経じゃない。

 

 ひとたび唱えれば、半径150里(約80km)以内のあらゆる衆生を強制的に解脱させ、涅槃へと至らしめる。

 玄奘三蔵が封印した最後の手段。

 まさに仏の最終兵器――

 

 シン・般若波羅蜜多経。

 またの名を――“般若シン経”。

 

 抵抗は不可能よ。

 たとえガヅラであってもね」

 

 

 鈴鹿王。

「馬鹿な!!

 そんなものを使えば、この国はどうなる!?」

 

「畿内は全滅。

 ま、そうなる前に避難しておくことね」

 

「ふざけるな!

 そんなことをさせてなるものか!」

 

「じゃあどうするっていうの?

 このままやつを野放しにしておく?

 定期的に襲われて、都を灰にされるのを、指くわえて見てるっていうの?

 頼みの綱の大仏だって、てんで力じゃ敵わなかったんでしょ?

 ねえ、日本(やまと)の知太政官事さん」

 

 

 鈴鹿王は、言葉を失った。

 

 ややあって、院、重々しく口を開いたことには、

「受け入れねばなるまいな。

 

 白村江の敗戦以来、日本(やまと)唐国(からくに)の属国だ」

 

 

 誰もが。

 誰もが、答えを知っていた。

 院の言葉は、その場の者たちの総意を肩代わりしたに過ぎぬ。

 知らぬものはなかったのだ。

 

 もはや、尋常の手段でガヅラに勝つことは、できないのだと。

 

 

 ただひとりを除いて。

 

 

「ちょっと待てェ―――――いッ!!」

 

 

 畏れ多くも大極殿の扉を蹴り開け、殴り込みをしかけるは、年端も行かぬひとりの少女。

 

 その少女は、御髪をほどきて、男髷に巻きて、

 御鬘(みかづら)にも左右の御手にも、

 おのおの八尺(やさか)勾玉(まがたま)五百玉環珠(いほつみすまる)を巻き持ちて、

 背には千入(ちのり)矢筒(ゆぎ)を負い、

 脇には五百入(いほのり)矢筒(ゆぎ)を付け、

 獣皮の肘当て身に着けて、

 長弓振り立て堅床御足に踏み締めて、

 砂を淡雪の如く蹴散らして、

 威勢(いつ)の雄叫び上げたまいて曰く、

 

「認めぬぞ。

 他の何人が認めようと、

 

 他ならぬわらわが認めぬぞ!!」

 

 

 完全武装で現れた少女は、あっけにとられた者どもの間をつっきり、楊貴妃の脇を堂々と過ぎて、高御座の前に向き合った。

 

 楊貴妃、くすりと微笑んで曰く、

「あら。一体なんの権利があって?」

 

 

 少女、問うて曰く、

「諸兄」

 

「はっ」

 

「わらわは(たれ)ぞ?」

 

 ぞくり、と橘諸兄の背が震えた。

 いつのまにか、この小さな女ひとりに、圧倒されているのだった。

 

「それは……高野姫殿下……

 

 否。

 日本(やまと)の第四十六代、天皇陛下にあらせられます!」

 

 

「然り。朕は高野の姫天皇。すなわち日本(やまと)の体現者なり!!

 

 者ども、諦めるな。

 我が前に集え!

 打つべき手は残されておる!

 

 父が愛したこの国を、汝らの住まう故里を、好きにさせてなるものか。

 

 いざ、反撃の烽火を上げよ!

 呉爾羅(がづら)に打ち勝つのじゃ。この、我らの手で!!」

 

 

 

 

 

つづく。



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巻の六、策動

 

 

 

「……と、啖呵を切ったは良いものの」

 

 平城宮、朝堂(政務を執り行う庁舎)にて。

 高野姫天皇を上座に、院、橘諸兄、鈴鹿王、その他臨時に任命されし参議、吉備真備、さらには楊貴妃らが集まり、会議を行っていた。

 

 姫天皇、あっけらかんとのたまわく、

「具体的にどうするかは全然考えておらぬ!

 いざや者ども、思案せい!」

 

 橘諸兄、苦笑して、

「姫ェ」

 

 姫天皇、檜扇(ひおうぎ)を開き、ぱたりぱたりと首すじを扇ぎて、

「おっ、なにやら今日は暑いのう」

 

 

  *

 

 

 檜扇は扇子の原型で、奈良時代後期、会議に用いる木簡(薄い木片)を束ね、持ち運びやすくしたのが始まりとされている。現代に言うところのメモ帳である。

 平安期以降、紙製の優美な扇が生まれ、祭器、舞踏の小道具、和歌を書きつける洒落た手紙、などとして、大いに普及した。

 

 なお、現代ではもっぱら、うちわの替わりに使われる扇子であるが、これは、このときの姫天皇の照れ隠しが由来……なのかも、しれない。

 

 

  *

 

 

 鈴鹿王。

「まずは彼我の戦力を整理しておきましょう。

 

 先の戦闘で京の五衛府(ごえふ)(都の警備軍)は壊滅状態。

 現在再編を急いでおりますが、元の規模に回復するには短く見積もっても一年はかかります。

 その他、大和、河内をはじめ、畿内や近国の軍団を招集すれば一万程度の兵力は確保が可能です」

 

 橘諸兄。

「大宰府の防人をこちらに回す手は?」

 

「得策とは言えないな。

 我々の敵は、ガヅラだけではない」

 

 

 ちら、と鈴鹿王に視線を送られ、楊貴妃はくすくすと笑いを零した。

「そうね。

 玄宗皇帝(りゅう)ちゃんはともかく、李宰相(りんぽ)くんならやるかもね」

 

 

 再び鈴鹿王。

「それに対してガヅラだが、奴の皮膚は鉄矢をほぼ受け付けなかった。

 一方、大仏が殴ったときには、一撃で卒倒している。

 つまり相応の衝撃を加えれば、傷を負わせることはできる、ということだ」

 

 

 そこへ、吉備真備、おずおずと挙手して申すよう、

「あの、あの、お経。般若シン経」

 

 吉備真備は、経典を、ぞろり、と机に広げた。

 長大なるその文面を、一同、顔を突き合わせて覗き見る。

 

「あの、これ、解脱させます、解脱。

 がづら。

 がづらだけ、だけに効けば、がづら」

 

 

 楊貴妃、腕を組んで、乳房を盛り上げるようにして、鼻を鳴らし、

「無理よ。

 そんな都合よく相手を絞れるなら、わたくしがとっくにやってる」

 

 

 橘諸兄、首をひねって曰く、

「ん? この音韻、前にどっかで……

 待てよ? おい、誰か! あいつを呼んでくれ!」

 

 

  *

 

 

 ややあって、朝堂に呼ばれてきたのは、

「はいはーい!

 大伴家持(おおとものやかもち)ちゃん、ただいま参上よーん!」

 で、あった。

 

 大伴家持。のちの中納言家持。

 日本を代表する歌人のひとりであり、彼の手になる和歌は現存するだけでも470首余。

 三十六歌仙にも数えられ、日本最古の歌集「万葉集」の編纂者であるとも言われている。

 まさに、和歌の歴史に燦然と輝く巨人、である。

 

 

 橘諸兄、気さくに手など振り、

「よお家持。悪いな急に」

 

「ンンー!

 いいのよ、愛するモロちゃんの頼みだもん。

 家持なんでも許しちゃう!」

 

 

 姫天皇、呵々大笑。

橘諸兄(だいなごん)の交友関係、いとをかし」

 

 鈴鹿王。

「お恥ずかしい……」

 

 

 大伴家持、般若シン経を一瞥して、あら、と声を上げ、

「ねェ、これ、どこから持ってきたの?」

 

 然々(しかじか)と由来を聞くと、大友家持は片方の眉を吊り上げた。

「ふうん……

 じゃ、これが元ネタだったのかもね」

 

 姫天皇。

「なんのじゃ?」

 

「家持は、先の帝に写本を一回みせてもらっただけだケド。

 忘れられないわァ。

 あの美しい音韻。

 深みある詩情。

 まさしく(ふみ)の極めて至るべきところ……

 

 原本は、院のかたがお持ちのはず。

 

 その書の名は、“陰陽金烏玉兎集(おんみょうきんうぎょくとしゅう)”。

 著者の名は――天武天皇よ」

 

 

  *

 

 

 日本(やまと)の第四十代、天武天皇。

 院(元正上皇)から見て祖父、姫天皇からは高祖父にあたる。

 

“大化の改新”で大鉈を振るった中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)(天智天皇)の弟、でもある。

 

 天武天皇は学問に極めて優れ、とりわけ天文遁甲(てんもんとんこう)を能くした。

 すなわち大陸渡来の道教、占術に深く通じていたのであった。

 未来を見通す能力さえあったとされ、事実、壬申の乱においては御自ら卦を立て趨勢を占い、さらには天神地祇に祈って雷雨を止め、自軍を勝利に導いている。

 

 彼は、今で言うところの超能力者であったのか?

 あるいは、偶然の成果を史書がまことしやかに語っているだけなのか?

 今となっては定かではない、が――

 

 

   *

 

 

 院が御自ら内裏より持ち出したる書物、金烏玉兎集。

 金烏とは太陽の霊鳥。

 玉兎とは太陰(月)の神獣。

 すなわち金烏玉兎とは、陰陽の神髄、の意であろう。

 

 その巻物を見た一同は、一様に息を呑んだ。

 あの楊貴妃さえもが、である。

 

 天武天皇直筆の詩集は、驚くべきことに、楊貴妃のもたらした般若シン経に、うりふたつであったのだ。

 

 

 楊貴妃、驚きに唇を震わせ、

「まさか……こんなことが」

 

 

 と、その脇から、吉備真備が、巻物へ跳びついた。

 舐めるようにしてその文面を読み漁る。

「違う所あり、改良。

 空。色。あと……呪。違う、これ」

 

 大伴家持。

「ウン。とってもキレイでしょ。

 言霊の流れが無差別じゃないの、指向性を持たされてるのよ」

 

「アハ!

 使えます、コレ!

 がづらだけ、がづら!」

 

 楊貴妃、口を挟んで、

「でもどうやって奴にコレを叩き込むの?

 大人しくお説教を聞いちゃくれないでしょ」

 

 吉備真備、やおら、飛び上がり、

「大仏―――――っ!!」

 

 大伴家持。

「いいわねェ!」

 

 楊貴妃。

「その手があったか!」

 

 

 鈴鹿王、皆の顔をきょろきょろと見回して、頷いて曰く、

「なんだか分からんが、行けるようだな。

 

 姫天皇陛下。

 現時刻を以て大盧舎那仏再建計画を始動いたしたく思います。

 一切の政務は私が。

 諸国との連携、人選は橘諸兄が担当します。

 

 どうか、ご裁可を!」

 

 

 姫天皇、檜扇を堂々振りかざし、

「任す! よきにはからえ!!」

 

 

  *

 

 

 かくして、大仏建立計画は、再び動き出した。

 

 大仏弐号の建立地点は、平城京二条大路東端、東大寺と決定。

 吉備真備を中心に、玄昉僧正、良弁、行基、さらには菩提僊那、仏哲、鑑真ら名だたる高僧が、猛烈な勢いで大仏を構築していった。

 さらに、鈴鹿王、橘諸兄ら議政官は、不慣れな姫天皇をよく補佐して国を動かし、また要所要所には院のかたの手助けもあって、ガヅラ討伐の準備を推し進めた。

 

 最終的に、数ある戦術案の中から平城京の北を流れる泉川(現在の京都府南部、木津川)を絶対防衛ラインとする“ガ號作戦”を採用。

 万全とは言えぬまでも、できうる限りの力を尽くして、ガヅラの襲来に備えたのである。

 

 

  *

 

 

 そして。

 

 運命の日。

 甲賀京、紫香楽宮跡地にて。

 夕日の、西山に没する頃――

 

 

 永い永い眠りの果てに。

 呉爾羅(がづら)の眼が、再び開いた。

 

 

 

つづく。



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巻の七、決戦、平城二条大路(前編)

 

 

 平城京、二条大路東端、東大寺。

 仮設呉爾羅(がづら)対策指令室にて。

 

 舎人(とねり)(衛兵)ども、姫天皇の御前にひざまずきて曰く、

「ガヅラ、紫香楽宮跡より南下!

 伊賀上野において転進、泉川沿いに平城京(ならのみやこ)方面へ接近中!」

「到達予想時刻は、今、夜半!」

 

 

 橘諸兄、舌なめずりなどして曰く、

「……来たな大将ォ!

 

 泉川防衛線の鈴鹿に通達!

 全軍を予定位置に展開、作戦準備を開始せよ、急々如律令(きゅうきゅうにょりつりょう)!」

 

 

 下知を下す橘諸兄の背後。

 高野姫天皇は、高御座にて(じっ)と背筋を伸ばし、鎮座ましましていた。

 だが、その手は小刻みに震えている。

 震えが、止まらぬのだ。

 

 そのとき隣に、院のかたが膝を突きて寄り添い、姫天皇の手をそっと包んだ。

 その手の温もりが、骨の髄にまで染み込んだ凍気を、ひととき温ませてくれた。

 

 姫天皇は院を見つめ、頷いた。

 そしてすぐさま、姫は、帝そのものの如く、静かに威儀を正したのであった。

 

 

  *

 

 

 平城京の北、泉川河岸にて。

 

 大伴家持、陣の中にありて、満天の星空に流るる天の川を東に眺め観て、詠める。

 

 

  (かささぎ)の 渡せる橋に 置く霜の

       白きを見れば 夜ぞ更けにける

 

 

 鈴鹿王は、大伴家持のそばで、氷像の如く立ち尽くし、東を睨んでいた。

 もうじきだ。もうじき、ガヅラがあの山間から現れる。

「こんなときにも詩歌とは。

 余裕だな、大伴どの」

 

 大伴家持、くすりと微笑み、

「こんな時だから詠うのよ。

 それが(みやび)の心意気」

 よく見れば、彼の額には、この寒さだというに玉の汗が浮かんでいるのだった。

 

 

 そこで何か思い立ったのか、鈴鹿王、天を仰ぎ見て、歌を詠まんとした。

 ……が、しばらくして、

「やめた。

 私は目の前の仕事をしよう。

 それが、私の歌なのだ」

 

 大伴家持、頷きて、

「そうね。

 とっても、すてきな歌よ」

 

 

 と、不意に。

 

 腹を底から突き上げるかのような、恐るべき地鳴りが届いた。

 金切声が夜に響く。

「ガヅラ到達! ガヅラ来ます!」

 

 そのとき、山の向こうに浮かんだ影が、星空すべてを塞いで立って、漆の黒に塗り込めた。

 ガヅラ。

 

 鈴鹿王、吠えた。

呉爾羅(がづら)調伏ガ號作戦!! 開始!!」

 

 

  *

 

 

「作戦開始!」

「作戦開始了解。

 左右衛士府、弓手一斉射。放て!」

 

 ガヅラの左右を挟む山から、無数の鉄矢が飛翔した。

 その全てがガヅラの顔一点を叩く。

 弾かれ、弾かれ、それでも執拗に叩き続ける。

 一矢一矢は雨だれの如きもの、されど一つに集まれば、雨だれとても石穿つ。

 

 ついにガヅラ、一声呻き、口の中に青白い光を灯した。

 

「攻撃中止! 退避!」

 

 閃光ほとばしり、左を、右を、山を焼く。

 しかしそのとき、すでに衛士は、背後に掘っておいた深い壕へ逃げ込んだ後。

 光線は、ただ空しく木々のみを薙ぎ払う。

 

 そこへ、

「第2陣、大和、河内両団! 撃てーっ!」

 別方向の別動隊から、ふたたび鉄の雨が降り注ぐ。

 

 ガヅラ、すぐさま光線をそちらへ向ける。

 だが今度はまた別の場所から、いや、壕から這い出た第一陣さえもが、代わる代わるに休むことなく矢を浴びせる。

 

 止むことのない猛攻に、ガヅラは怒った。

 大きに吠えた。

 木々は震えあがり、山は凍り付き、星々さえもが雲間に逃げた。

 それでも矢の雨は尽きることなし。

 ガヅラ、怒り狂い、また矢から逃げんとして、谷から平地へと疾走する。

 

 そのとき、

「予定地点、到達!」

 ガヅラの踏み締めた大地が、抜けた。

 

 あらかじめガヅラの進路を予想し、大きな落とし穴を掘り、その上を材木と葉、そして少々の土で覆い隠していたのである。

 落とし穴とはいえ、ガヅラにとっては膝までの深さでしかない。

 それでも、全力疾走してきたガヅラの足をすくうには充分。

 

 ガヅラ、その巨大な体があだとなり、なすすべもなく転び倒れた。

 そこへ、

 

「剣戟隊突撃!」

 数百の兵が一斉群がり、力の限り刃を叩き込み、

「離脱!」

 即座に転進、逃げ出していく。

 

「続いて破城槌隊! 行け!」

 破城槌、といっても、城壁を持たぬ当時の日本(やまと)に、そのような武器は存在しない。

 これは唐国の文献を元に、日本中から集めた寺社の撞木(釣鐘をつく丸太棒)で作った間に合わせの品。

 とはいえ威力は目を見張るものであった。

 

 大勢の力士たちに、勢いよく槌を叩き込まれ、さしものガヅラも悲鳴を上げた。

 

 ――このままいけるか!?

 

 などと思ったのも束の間。

 ガヅラが倒れたまま、大地を撫でるが如く光線を放った。

 青の光が陣をひと薙ぎ。

 土を抉って堀と為し、軍を蒸発させ白煙と為し、反対へ(こうべ)を廻らして、陣の三つを灰燼と為す。

 

「逃げろ! 逃げろ逃げろっ! 逃げっ……」

 声さえもまた、涅槃に溶け消えた。

 

 

 戦場見下ろす丘の上、鈴鹿王は歯噛みして、

「楊貴妃タイミング遅いぞ!

 何やってんの!」

 

 

  *

 

 

 別の山頂、楊貴妃は唐、天竺の高僧引き従えて、

「今やってるでしょ日本人(リーベンレン)!」

 

 ――羯諦羯諦(ギャーテーギャーテー) 波羅羯諦(ハラギャーテー)

   波羅僧羯諦(ハラソウギャーテー) 菩提薩婆訶(ボーディソワカ)――

 

「般若心経砲! てーっ!!」

 

 

  *

 

 

 高僧たちの読経に応え、山頂より仏の威光が、白き光線となってガヅラを襲った。

 

 般若シン経ではない、その抜粋の意訳の要約に過ぎない般若心経。

 それとて名だたる高僧の手にかかれば、功徳(はかいりょく)は測り知れぬものとなる。

 

 ……が。

 それでもガヅラ相手には足りぬ。

 

 

 ガヅラ、怒りを籠めて立ち上がり、蠅でも払うかの如く般若心経砲を払いのけ、一閃、破壊の青炎を撃ち返した。

 

 楊貴妃、高僧たちと団子になって、大慌てで壕に転がり込み、

「きゃああー!

 やっぱ(マガダ)の時より強いィー!」

 

 

 ガヅラの熱線は、今や無差別に辺りを暴れ狂っていた。

 川が裂け、流れを変えた。

 山が崩れ、ふたつとなった。

 人々は散り、恐れおののき身を潜めるしかなかった。

 

 

  *

 

 

 一方。

 鈴鹿王は、数えていた。

「56、57、58……59、60……」

 

 ガヅラが光線を放っている時間を、だ。

 

 かつて甲賀京が襲われたとき、好き勝手に暴れまわったガヅラは、あるとき突然動きを止めた。

 何故か?

 

 目的を達したから?

 破壊に飽いたから?

 どちらも正解とは言いがたい。

 

 阿倍仲麻呂の目的は朝廷への復讐。

 聖武天皇が崩御すれば、高野姫が新たな帝となることは明白。

 中途半端に活動を停止する理由はないはず。

 

 となれば答えは一つ。

 ()()使()()()()()()()()

 

 鈴鹿王は鮮明に覚えている。

 あの日のガヅラの暴れるさまを。

 ゆえに今でも目の前のことのように思い出せる。

 奴が光線を放つことができる、()()()()を。

 

「……62!」

 

 ガヅラの熱線が、止まった。

 

 

「今だ!

 大盧舎那仏像改二号仏、開眼(リフト・オフ)!!」

 

 

  *

 

 

 東大寺、大仏殿、吉備真備、絶叫。

「動け大仏―――――ッ!!」

 

 大きなる仏、蓮弁の台座より動き、大仏殿の屋根をば打ち割り、雄々しく立ちて、地を踏み締めて、壁、柱などかなぐり捨てて、一目、呉爾羅(がづら)を見据え給うた。

 

 ガヅラもまた、仏を睨んだ。

 これぞ我が最大の敵なりと。

 

 ガヅラ、走った。

 大仏、応じた。

 

 

 今、平城二条大路に、二つの巨影が激突した!

 

 

 

 

つづく。



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巻の八、決戦、平城二条大路(後編)

 

 平城京、二条大路、東大寺前。

 

 都の皆人、不安に駆られ、あるいは道に、あるいは屋根に、各々這い出で、揃って首を持ち上げた。

 千々に潰走したはずの衛士どもも。

 寺に詰めた文官、僧たちも。

 そして、高野の姫天皇も。

 

 誰もが見上げた。見つめた。見守った。

 固唾を呑んで、拳握って、その光景を目に焼き付けた。

 燃える山々を背景に、真正面からぶつかり合う、ガヅラと大仏の一騎打ち。

 

 

 ――破壊神と仏の、最終決戦を。

 

 

  *

 

 

 やおら、ガヅラが跳びつき、仏の喉元に牙突き立てた。

 恐るべき破壊力。青金製の大仏が、にわかに軋み、小さなひび割れさえ走らせる。

 仏、隆々たる両腕にてガヅラの首を締め上げて、渾身の力で引き剥がさんとした。

 

 が、その側頭部を、ガヅラの尾がしたたか鞭打った。

 

 大仏の巨体が二十尋(36m)ばかりも吹き飛ばされて、都の建物を薙ぎ倒しながら落着する。

 ガヅラは容赦なくその後を追い、走り、飛び、全体重を乗せて、大仏を真上から踏みつけた。

 

 何十もの梵鐘を一挙に打ち鳴らしたかの如き轟音。

 嵐さながらに舞い上がる砂埃。

 都の人々、哀しみ嘆き、その悲鳴は天に渦巻き上る。

 

 ガヅラ、すうと目を細め、足元の獲物にとどめを刺さんとあぎとを広げ――

 

 次の瞬間、ガヅラの口中に、青金の拳がめり込んだ。

 

 仏、震え、よろめき、苦しげに体を軋ませながら、それでもガヅラを押し上げ立ち上がり。

 咆哮とともに二条大路を疾走。

 門ぶち破り、寺を突き抜け、その向こうの山肌に、ガヅラの巨体を叩き付けた。

 

 ガヅラの悲鳴が夜をつんざく。

 間髪入れず仏が殴る。殴る。さらに殴る。

 息つく暇さえ与えずに、拳がガヅラを滅多打ちにする。

 

 

 そのとき。

 

 

 ガヅラの腕が、足が、胸が、背が、全身の鱗がぱくりと裂けた。

 下からのぞくガヅラの素肌に、青白い恐怖の光が灯る。

 

 

  *

 

 

 姫天皇。

「あれは!?」

 

 橘諸兄。

「まずいっ……陛下伏せてっ!!」

 

 

  *

 

 

 轟!!

 

 

 ガヅラの全身から、ありとあらゆる方角めがけて光の槍がほとばしった!

 

 熱線の全方位無差別放射。

 何人にも生存を許さぬ、純然たる破壊の焔。

 

 ただその一撃によって――広大な平城京の半分が、火の海と化したのである。

 

 

  *

 

 

 都に馳せ戻った鈴鹿王は、崩壊した呉爾羅(がづら)対策指令室に駆けつけ、避難する姫天皇らと合流した。

 人数が全く足りぬ。また数えきれぬ人々が犠牲になったのだ。

 

 だが、姫天皇も、院も、橘諸兄も、吉備真備の顔もある。

 鈴鹿王はひとまず安堵の溜息をついた。

 ついてすぐに、安堵している場合ではないと、自ら唇を噛み締めた。

 

 

 山裾をみやれば、そこに、奴の姿がある。

 

 黒鉄の鱗は、ぼろぼろに剥がれ落ちている。

 その下からは、あの光の槍をもたらす膨大な熱が、垂れ流しにされていた。

 今や呉爾羅(がづら)は、全身を、青白くまばゆい焔に包まれて……

 

 ……巨人。

 そう。

 まさに焔の巨人とでもいうべき威容を、夜に浮かび上がらせていたのである。

 

 

 焔の巨人が、一歩、歩いた。

 都へ向かって。

 

 と。

 焔の巨人が、こちらを向いた。

 姫天皇の姿を認めたのだ。

 

 巨人の焔が揺らぎ、膨らみ、弾けるかのように燃え盛り、青の灯となってガヅラの皮膚に収束する。

 無差別放射が来る、もう一度。

 

 

「もう……おしまいだ」

 誰かが呆然と囁いた。

 

 だが、鈴鹿王は姫天皇の前に立ち塞がり、堂々と巨人を仰ぎ見て、曰く、

「いいや。ここからが本番だ!」

 

 

  *

 

 

 ガヅラの全身から破壊の焔が放射された、その瞬間、都を庇うかのように金色の影が立ちはだかった。

 他あろう、大仏である。

 

 ガヅラが放つ光の槍を、しかし大仏はその全身で受け止め、弾き、跳ね返していく。

 

 

「すごい! どうして!?」

 

 誰かの叫びを耳にして、鈴鹿王。

「改二号仏の表面に金鍍金(めっき)を施しておいたのだ。

 金は、ガヅラの光線を弾き返すことができる!」

 

 これは甲賀京跡の治安維持にあたっていた、滋賀軍団のひとびとが発見したことだった。

 甲賀京には、無人となった後、空き巣狙いの盗賊が跋扈した。

 というのも、都の各所には、いくつもの金製品が、そのままの形で残されていたからである。

 ガヅラの光線による絨毯爆撃を受けたにもかかわらず、だ。

 

 この報告を受けた鈴鹿王は、ガヅラの光線は金で防げるのだと推理した。

 そこで、改二号仏の建立時には、莫大な量の金と()(水銀)用いて鍍金を施したのだ。

 

 

 ここまでは狙い通り。

 だが、鍍金は薄いもの。

 たとえ表面で光線は防げても、中の本体は長くもつまい。

 

 

 鈴鹿王、姫天皇を振り向き奏す。

「陛下。祈りましょう」

 

「祈り……じゃと?」

 

「我々はかつて、誤りを犯しました。

 大仏は、ヒトの造りしもの。

 造った我々の心を写す、鏡の如きもの――

 

 陛下と同じ。

 日本(やまと)の体現者にございます。

 

 我らは囚われていました。

 呉爾羅(がづら)に対する憎しみに。

 このままでは、大仏は、その御心を――慈悲を発揮できませぬ」

 

 

 姫天皇。威勢よく頷きてのたまわく、

「あいわかった。

 ものども、共に祈ろうぞ。

 

 南無盧舎那仏、救い給え!

 ()()()()()()を救い給え!!」

 

 

  *

 

 

 そのとき、ガヅラの光線を浴び続けていた大仏の、両の瞳が赤光を放った。

 

 ――ガヅラよ。

   聞こえますか、ガヅラよ――

 

 

「なんだ、今のは?」

 誰かが呆然と呟いた。

「まさか、仏が……」

「喋った……!?」

 

 

 ――私は今、あなたの心に語り掛けています。

   ガヅラ、私の話をお聞きなさい――

 

 ガヅラ、咆哮。

 焔を纏った腕で、大仏の首を締め上げる。

 

 が、

 

 ――話を――

 

 大仏、ガヅラを捻じ伏せて、

 

 ――聞きなさいッ!!

 

 そのまま地面に投げ倒した。

 

 

 ガヅラはグルグルと唸りながら身を起こした。

 その前に、大仏は静かに座禅を組む。

 途端、大仏の全身から黄金の光が放たれた。

 ガヅラ、たじろぎ、呆気にとられ、目を細めて仏を睨むばかり。

 

 

 ――ガヅラ。

   私には伝わってきます。あなたの深い深い悲しみと怒りが。

   狂おしいまでの激情。焔の如き心の暴威。

 

   されどガヅラよ。考えてごらんなさい。

   そも、怒りとはなんでしょうか。

 

   ごらんなさい、この都を。

   多くの建物が並び、人々が溢れ、天子(いま)して、ここは都となりました。

   ですが、あなたの焔で焼かれた今、はたしてここが都と呼べましょうや?――

 

 いつのまにか、ガヅラは仏の前に立ち尽くし、じっとその言葉に耳を傾けているかに見えた。

 そう、ガヅラには言葉が通じるのだ。

 かつて誰もが耳にしたではないか。

 甲賀京で、帝を見つけたときの、暗い喜びに満ちたあの声を。

 

 ――今はまだ、都と呼んでもよいでしょう。

   しかし、もっとここが破壊されれば?

   もっともっと建物が壊れ、人が少なくなれば、ここは都ではなくなりましょう。

 

   つまり、都は建物ではありませぬ。人でもありませぬ。

   ただ人々が、ここを都と思う、その思いに因ってここは都であるのです。

 

   万物みなこれに同じ。

   人の思いが、その存在を認めるのみ。

   色すなわちこれ空、空すなわちこれ色。

 

   あなたの怒りもまた然り。

   あなた自身の思いが、その尽きることない破壊の焔を生んでいるのです。

 

   さあ、ガヅラよ。心を鎮めなさい。

   私があなたを導きましょう――

 

 

 ガヅラは、長く長く、苦しげに吠えた。

 焔はいや増して、天を飲みこまんばかりに燃え盛った。

 

 大仏がじりじりと焼けていく。

 その金色の光さえ、焔に焦がされ煤けていく。

 

 

 と、そのとき。

 ガヅラのいと恐ろしげなる咆哮の裡に、人々は魂の叫びを聞いた。

 ――作麼生(そもさん)

 

 仏、朗々とこれに応えた。

 ――説破(せっぱ)

 

 

 ガヅラ、指にて丸を作りて、

 ――天地の間は!

 

 仏、両腕で大丸を描き、

 ――大海の如し!

 

 ガヅラ、十本指を突き出し、

 ――十方世界は!

 

 仏、五本指もて応じ、

 ――五戒で保つ!

 

 さらにガヅラは指三本にて、

 ――三尊の弥陀は!

 

 終に仏は目元を押さえた。

 ――目の下にあり!!

 

 

 その瞬間のこと、であった。

 ガヅラが一声、ひときわ甲高く哭くや、その体が自らの放つ焔によって融けだした。

 焔はガヅラ自身を焚きつけに、燃え上がり、青から赤へと転じて、天へ、星空の中へ、柱となって駆け上っていく。

 

 遥か天上にて焔の柱は横に弾け、十字を描き、しばし美しく空を染め上げると――やがて、潰えた。

 

 

 そして後には、深い深い静寂が残された。

 誰もが、目の前で起きた出来事を飲みこめずにいた。

 が、ただひとり。

 鈴鹿王が、戦場の跡をつぶさに見て、姫天皇の御前にひざまずきて申すよう、

 

「――ガヅラ、完全に沈黙しました。

 

 我々の勝利です!」

 

 

 歓声を上げる人々。

 抱き合って飛び上がる姫天皇と院。

 ただ疲れ果てて座り込む橘諸兄と吉備真備。

 彼らを祝福するかのように、空に朝日が昇り始めた。

 

 日が、白く染め上げる。

 喜びに湧きかえる、日本(ひのもと)の大地を――

 

 

 

 

つづく。



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最終巻、そして平安へ

 

 

 

 その後について、我々はもはや、語る言葉を持たない。

 というのも、ガヅラに関する記述はことごとく書物から抹消され、正史の裏側へ封じられてしまったからである。

 

 唯一、志摩国大戸島(現在の三重県鳥羽市大戸島町)の伝承にのみ「呉爾羅(ゴジラ)」の名が伝わっているが、それとて断片的なものだ。

 

 西暦1874年(明治7年)には、滋賀県において「真日本紀」が発見されたが、その内容が、同じ年代を扱う「続日本紀」とあまりに食い違っていることから、以降150年に渡って偽書とされ続けた。

「真日本紀」の記述が見直されるようになったのは、ようやく21世紀になってからのことである。

 

 

 人々は、なぜガヅラを秘匿したのか?

 それは唐国からの圧力だったのか?

 あるいは、後の政争の過程で聖武帝、称徳帝(高野姫)の功績を隠す必要が生じたのか?

 今となっては、真相は歴史の闇の中。

 

 

 ともあれ、「続日本紀」他の現存する史書に基づいて、それぞれの人物のその後について語っておこう。

 

 

  *

 

 

 高野姫天皇(孝謙天皇/称徳天皇)。

 この後、朝廷内での大規模な政争、反乱事件などがあったが、これを見事乗り切り、長期にわたって日本を統治した。初めは孝謙天皇、後に退位するも重祚(同一人物が再び天皇となること)して、称徳天皇と号す。

 在位中は吉備真備や弓削道鏡などを重用し、晩年まで手厚い仏教奨励政策を行った。

 西暦770年、崩御。享年52歳。

 

 

 元正上皇。

 甥の聖武天皇を我が子と呼んで可愛がった彼女は、姪孫の高野姫天皇をも我が孫の如く可愛がった。年若く、ともすれば暴走しがちな高野姫天皇をよく補佐し、初期の統治を安定させるために大きな力を発揮した。

 寄る年波には勝てず、西暦748年、崩御。享年68歳。

 

 

 吉備真備。

 高野姫天皇の腹心として大いに重用され、最終的に正二位、右大臣(現代で言うところの総理大臣)にまで上り詰める。元の身分を考えれば破格の出世であった。

 その深い見識は、新たな暦の作成、反乱軍鎮圧の指揮など、幅広い局面で遺憾なく発揮され、天平期の日本を支えた。

 775年、死去。享年80歳。

 

 

 藤原四兄弟。

 四兄弟は全滅したが、彼等の子孫である南、北、式、京の藤原四家は、それぞれ血統を繋いでいくことになる。とりわけ房前を祖とする藤原北家は、摂政藤原道長を輩出するなど大いに栄えた。その隆盛を詠った「この世をば 我が世とぞ思ふ」の歌は、あまりにも有名であろう。

 

 

 大伴家持。

 地位、階層を問わず日本中のあらゆる人々の歌4500首余りを集め、最古の歌集「万葉集」を編纂した。芸術的価値は言わずもがな、当時の風俗、言語を研究するうえでも欠かせない史料である。

 彼自身が詠んだ歌もまた、小倉百人一首などに取り入れられ、今なお愛され続けている。

 

 

 楊貴妃。

 彼女が日本を訪れたという記録は、日本にも、中国にも、一切残されていない。

 西暦755年、楊貴妃に取り入って出世した安禄山が反乱を起こす。この責任を問われ、楊貴妃は絞殺された。玄宗皇帝は最後まで楊貴妃を庇い、次に生まれ変わった時には共に比翼連理とならん(鳥の左右の翼、一体となった二本の木。夫婦仲睦まじいことの喩え)と誓ったという。

 安禄山の乱によって唐は大きく衰退し、以後、滅亡までついに失地回復することはなかった。まさに傾国、である。

 なお、絞殺されたはずの楊貴妃の遺体は、ある日忽然とその場から消えた。西暦1134年、彼女によく似た美女が日本を訪れ、鳥羽上皇の寵姫となったとも言われているが、関連は不明である。

 

 

 橘諸兄。

 大納言を経て、正一位、左大臣に叙せられる。正一位は臣下として最高の官位であり、生前に授けられたものは僅か数名しか存在しない。また、左大臣は、右大臣のさらに上に臨時で置かれる名誉の職であり、位人臣を極めるとはまさにこのことであろう。

 芸術を解し人懐っこい彼の性情は、最期まで変わることがなかった。大伴家持とともに「万葉集」編纂に携わった、とも言われている。

 

 

 鈴鹿王。

 彼のその後については、さほど詳しい記録が残されていない。僅かに、官位が従二位まで上ったことが確認されるばかりである。

 しかし、彼のことだ。誰も見ておらずとも、歴史に残っておらずとも、最後まで己の役目を忠実に果たし続けたに相違ない。

 

 

  *

 

 

 大仏は、その慈悲によってガヅラを鎮めた後、二度と動くことがなかった。

 そこで人々は、大仏が座禅を組んだその場所に、新たにそれを覆うように大仏殿を立て、この霊験あらたかなる御仏を長らく崇め奉った。

 

 大仏はその後、平安時代と戦国時代の二度にわたって焼失の憂き目を見ているが、そのたびに再建され、今に当時の威容を伝えている。

 大仏は、現代においてもなおひとびとに敬愛され続ける、奈良の象徴、なのである。

 

 

 

 西暦794年、都は平安京へ遷った。

 天皇と貴族を中心とした律令国家体制は、ここに絶頂期を迎え、人々は長き平安の時代を享受した。

 やがて律令体制は徐々に制度疲労を見せ始め、武士の台頭を許すことになるのだが――

 それはまた、別の話であろう。

 

 

 そして。

 日本(やまと)の国に、永い永い時が流れた……

 

 

  *

 

 

 時に、21世紀初頭。

 

 羽田沖、東京湾アクアトンネル直上にて。

 

 

 海上保安庁が、東京湾を漂流する無人のプレジャーボートを発見。

 船名は“グローリー丸”

 船内の捜索を開始。

 

 

「遺留物あり」

 

 

 宮沢賢治詩集「春と修羅」。

 そして、「呉爾羅(ゴジラ)」の文字。

 

 

「やはり無人だ」

 

 

 と、そのとき――!

 

 

 

 

 

 

つづく。




あとがき

 というわけで、これにて「ゴジラ vs 大仏」、完結です。
 最後は「つづく。」となっておりますが、この作品はここまでで終了します。この後どこに続くのかは、言わずもがなでございましょう。

 みなさまからは予想を遥かに超えたご好評をいただき、ランキングにも入ることができました。推薦を書いていただいたり、ブログや某大型掲示板や某画像掲示板などでもご紹介いただいたり(エゴサーチ待ったなし!!)、たびたび宣伝ツイートをRTしていただいたりと、温かいご支援をいただきました。本来ならばおひとりおひとりにお伝えすべきところですが、失礼ながらこの場にて御礼申し上げさせていただきます。ありがとうございました!


 なお、史実との食い違いに関しては、作者の日本史知識自体が極めて怪しいものですので、あんまりつっこまないでください!! 全体に、話を盛り上げるためにいくつもの史実を改変しました。生きてるはずのないひとが生きてたり、死んでるはずの人が死んでたり、なぜか高野姫が少女だったりしますが、全ては作者の趣味です!!! 誰かぶん殴れ!!!


 さて、作者、闇鴉慎は、普段は主にオリジナル作品を執筆しております。今後もハーメルンにおいて、オリジナル、二次創作ともに公開していこうと思っております。またご一読いただければ幸いです。


●オマケ


【挿絵表示】

この地形は現代のものである。海岸線は埋め立て等によって当時と大きく異なっている所がある。特に、現在の大阪府東大阪市周辺には、奈良時代当時「河内湖」なる大きな湖が生駒山のふもとまで広がっていた。

※「大戸島」だけは実在しない地名です。


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