ポケットモンスター 「闇」 (紙袋18)
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第一話 はじまりの日

どうも、紙袋18です。
闇と絶望と狂気に蝕まれたポケモンSS、始まります。



 ジリリリリリリリリリ!

 

 

 静かな朝に劈く悲鳴のような音が鳴り響く。

 万人を幸福な夢の世界から引きずりおろす悪魔の機械は、今日も一人の少年を現実世界へ強制送還する。

 

 

「うーんもうちょっとぉ・・・」

 

 

 ジリリリ・・・バン!

 

 

 

 だが、残念ながら悪魔の機械は物理的な衝撃によって本日の役目を終えた。

 過去何度も少年のフルスイング平手打ちに叩き付けられた機械はすでにあちこちが凹み、今日も恨みがましそうに落下した床から少年の寝顔をカチカチと観察するのみだ。

 

 

 

「うーんオヤスミ」

 

 

 

 もっとも、そんな目の無い視線を感じることもなく、少年は再度幸福な夢の世界へ飛び立つのだった。

 

 

 

 

 

―――――――――

 

 

 

 

 

「サトシー、サトシー?朝よー?今日は大事な日なんでしょ?」

 

 

 

 早く起きろという悪魔の機械―――目覚まし時計の思いが届いたのか、少年サトシの母親が起床の鐘を鳴らす。

 

 

 

 

「んんーーーお母さんまだはや・・・だいじなひ・・・?なにかあった―――」

 

 

 

 物理的な攻撃で止めることができない母親の声はサトシの脳内にその言葉を浸み込ませ、覚醒を促す。

 そしてその内容を認識し思考できるまでに脳みそが覚醒した時に、現実は勢いよく襲い掛かるのだ。

 

 

 

「あああああああああああ!!!!なんで起こしてくれなかったんだよ母さん!」

 

「今起こしたじゃない」

 

 

 要所要所凹んだモンスターボール型の目覚まし時計を見ると時計の針は九時を刺している。予定の時間を一時間もオーバーしている。

 

 だらだらと嫌な汗をかきながら布団を撥ね飛ばし、用意してあった着替えを済ませ階段を駆け下りる。

 

 

「いってきまーーーーーーーー」

 バタン!

 

 

 家を出るまで約一分。

 

 

「せわしない子ねぇ。誰に似たのかしら。」

 

 

 母親の声を置き去りにして、寝坊した少年は待ち合わせ場所に全力で駆け抜けていくのだった。

 

 

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

「はぁ、はぁ、はぁ・・・!」

 

 高低差の激しいのどかな町並みを全速力で走る。

 向かう先は小さい頃からよく遊びに来ている、白く大きな建物だ。

 

 十数段の階段を一段とばしで駆け上り、無機質な扉の隣についているインターホンを3度ほど押してから、大声で要件を伝える。

 

 

 

 

「オーキドはかせー!ポケモンください!」

 

 

 

 

 

 オーキド博士の研究所。

 ここはマサラタウン。十四歳の少年はポケモンマスターを目指し、旅立つ日だ。

 

 

 

 

 

 

――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

 オーキド博士。

 ポケモン研究の権威とされている世界有数のポケモン研究家。

 現在発見されているポケモンにおいても、オーキド博士が発見した種は数多い、らしい。

 何故そんな有名な人がこんなド田舎のマサラタウンにいるのかサトシにはわからない。

 内心疑っていたりもする。

 この研究所では町を出る少年少女に対してポケモンを一匹、与えてくれる。

 今回、数人町を出ることになったため同日にポケモンを貰いに行く予定、という経緯だ。

 

 

 

 

「おぉーおサトシィ!出発の準備はできたかね?」

 

 

 

 

 妙に間延びした特徴的な口調で話す人物が扉を開けて出てきた。

 この人物がオーキド博士。ポケモン博士として慕われている、らしい。基本的にサトシがオーキド博士のことについて知っている事実は少ない。

 

 

 

 

「そんなことよりポケモン!ポケモン!ください!」

 

「あわてるなあわてるな。ちゃんとあげるわい」

 

「やったー!」

 

 

 

 遅れたとはいえポケモンは無事にもらえるようだ。

 だが、時間を守るということをしなかったおバカさんには当然ながら厳しい現実が舞い降りることが常である。

 

 

 

「ただ、もう他の人は時間通りに集まって、先にポケモンを選んでもう出発しておるぞ。残りは一匹。」

 

 

 えー、と若干苦い顔をしながらも、遅れたのは自分だ。選択肢が縮まることに文句を言ってはいけない。

 

 

「どのポケモンが残ってるんですか?ヒトカゲ?フシギダネ?ゼニガメ?」

 

「全部持って行ってしまったわい。まあ見てみるんじゃ。」

 

「???」

 

 

 今回準備してあるポケモンはヒトカゲ、フシギダネ、ゼニガメだときいていた。

 それらすべてのポケモンがすでに旅立っているという。

 では自分が貰えるポケモンは一体なんなのだろうか。

 

 

 疑問を抱きながらもオーキド博士について研究所の奥にゆっくりと歩いていく。

 白く清潔で、広々とした研究所に研究員が数人いる。

 皆忙しそうにあっちこっちに動き回っており、ここが研究所なのだということをあらためて認識する。

 

 

 

 しばらく歩くと、通常のドアよりも頑丈そうな、ドアノブのついていない機械の扉が見えてきて、目の前で立ち止まった。

 

 

 ピッ ガーーー

 オーキド博士が手を当てるとセンサーが反応しドアが開く。研究所らしいセキュリティがしっかりしたドアのようだ。

 

 部屋の中央にある立派な台座にあるのはモンスターボールが一つ。

 おもちゃで触ったことがあるだけで、本物を見るのは初めてだ。

 

 

「うわー!本物のモンスターボールだ!博士、いいかげんどんなポケモンか教えてください!」

 

 

 初めて見るモンスターボールに興奮の声を上げるサトシ。

 しかし、それに返答するオーキドの声はあまり元気の良いものではなかった。

 

 

「・・・それなんじゃが、ちと問題があるポケモンでな」

 

「問題?どんなですか?」

 

「まあなんというか、強すぎるというかなんというか」

 

「強いポケモン!いいじゃないですか!出してみますね!えいっ」

 

「あ!!勝手にあけるんじゃな―――」バシューーー

 

 

 サトシが手に取る勢いそのままに床に投げ放ったモンスターボールから赤い光が展開され、徐々にポケモンを形作る。

 

 

 まぶしくて、サトシは目を閉じた。

 初めて自分のものになるポケモン。楽しみで動悸が早まる。

 一体何のポケモンが自分のもとにくるのだろう。

 自分と共にポケモンマスターを目指すパートナーはどんなポケモンだろう。

 

 

 

 数秒後、聴こえてきた声は

 

「ピカーーーチュウ」

 

(ピカチュウか!なんだ、普通のポケモンぢゃん!博士ったらもう!)

 

 変なポケモンかと思っていたがそれも杞憂だったようだ。

 安心して目を開く。目の前には巨躯。目を閉じる。

 

 

(あれ、おかしいな。こんなに大きかったっけ?)

 

 

 もう一度目を開ける。

 間違いない。ピカチュウの顔がある。少なくとも二メートルより上の位置に。

 

 

 もう一度目を閉じる。そして考える。ピカチュウの特徴を。

 

 ねずみポケモン。身長は四十センチメートルほど。

 黄色い体につぶらな瞳。頬袋に電気をためる。

 

 

 

 

 ・・・うん。ポケモンの特徴はしっかり覚えてる。あってる。うん。

 

 

 

 改めて目を開ける。そこには

 

 

「やめるんじゃああぁあぁあぁぁああああああうわあああぁぁああぁああ」

 

 

 わしづかみにされたオーキド博士の姿と、表情一つ変えず不思議そうにオーキド博士を眺めるつぶらな瞳があった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




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第二話 ピカチュウの秘密

 ポケットモンスター。縮めてポケモン。

 モンスターボールの開発によって、ポケットサイズに収まる大きさに収納することができるようになったことからそう呼ばれるようになった。

 モンスターボールの中は意外と快適であるらしいが、外を好むポケモンもいる。

 

 他人からもらったポケモンは言うことを聞かなかったり、無視して別の行動をとったりする。

 高レベルのモンスターを従わせるには代表する町にあるジムを突破し、ジムバッジを手に入れる必要がある。

 

 

 

 

 オーキド博士からもらったポケモン図鑑の解説ページを読み進める。

 今日は晴れ。いい天気だ。だけど僕のもとには日差しがこない。

 後ろにいる二メートル四十センチの筋骨隆々で化け物じみたピカチュウが遮っている。

 僕はこいつと共に、世界最強のポケモンマスターを目指すことになった。

 

 

 

 

 

~一時間前~

 

「は、博士大丈夫ですか!?頭もげてませんか!!?」

「う、うむ大丈夫なようじゃ。」

「あれって、ピカチュウなんですか?」

「うむ、まぎれもないピカチュウじゃよ。」

 

 そういいながら、先ほどの黄色い化け物を見る。

 先ほど、オーキド博士を助けるためにモンスターボールに戻そうと思い投げつけたら普通にモンスターボールをつかみ、一人で壁キャッチボールを始めた。

 とりあえずそっちに興味がいったようで、オーキド博士は解放された。

 

 

「一体なんであんな姿に」

「うむ・・・実はの・・・」

 

 そういってオーキド博士は語りだした。

 

 

 

 

 

 

 

――――――――ピカチュウは弱いんじゃ。

 わしもかつては優れたポケモントレーナー。今でこそ研究対象としてポケモンを見ているが、以前はいかにバトルに勝てるかばかり考えておった。

 まだ発見されているポケモンも数十種類といった時代。日々新種のポケモンが各地で報告されておった時、わしもきまぐれでトキワの森を散策しておった。

 森にならまだ隠れているポケモンがいるのではないか、とな。

 

 そう思い立ち、来る日も来る日も森を散策する日々。

 すでに四か月が経とうとしていた。

 出てくるのは発見された虫ポケモンばかり。

 虫ポケモンの数に嫌気がさしてきた頃、ふと木の陰に動く黄色い姿が見えた。

 コクーンか・・・?いや、コクーンは動かない。とすれば一体・・・・?

 

 

「そこにいたのが・・・」

「そう、ピカチュウじゃよ。」

 

 

 わしは怖がらせないようにゆっくり近づき、その姿を見た。

 か、かわいいい!!

 

 

 まさにアイドルのごとく。そのつぶらな瞳。赤いほっぺ。かみなり型のしっぽ。

 全てをとっても愛らしいその姿。わしは一目ぼれしてしまった。

 

 幸いにもそのポケモンは友好的での。自分からワシについてきたのじゃよ。

 

 ワシはそのポケモンにピカチュウと名付け世間に公表。それと同時に、ピカチュウと共にポケモンリーグを目指すことを決めたのじゃ。

 

 

 

「なるほど。でも」

「そう、ピカチュウは弱かった。」

 

 

 

 その時は雷の石で進化する、なんていう情報は全く無くてのぅ。ライチュウになれば幾分か戦える強さなのじゃが。

 いくらレベルをあげても、ステータスはまったく伸びない。ねずみだけあって素早さだけは大したものじゃったが、それだけじゃった。

 先に進めば進むほど、一撃で倒されてしまう。しかし、ピカチュウを愛する気持ちは微塵も衰えない。

 どうすればいいか、寝ずに考えた。そして思いついたのじゃよ。

 

 

 

「・・・なにをですか?」

「弱ければ、強くすればいいのだと」

 

 

 

 

 タウリン、インドメタシン、ブロムヘキシン、リゾチウムなどのアイテムは知っておるかね?サトシ。

 ・・・そう、ポケモンのステータスを上げるドーピングアイテムじゃよ。

 あれはレベルの低いポケモンにしか効果がなく、使えば使うほど効果が無くなるのじゃが、それは効果を制限しているからなのじゃ。

 まだ開発段階の時、効果がありすぎての。使用すればするほど強化され、ポケモンを利用しての戦争まで懸念されるものじゃった。

 しかもそれ相応にリスクがあった。

 使用したポケモンに適合しない場合、下手をすれば死に至る事もある危険なものだったのじゃ。

 研究者は全員合意の上で、効果を抑えることにした。結果、今市販されているアイテムの形に収まったのじゃ。

 

 

「・・・」

「しかし、わしはその禁を破った。」

 

 

 

 ピカチュウを強くしたい。

 その一心しか無く、それをすることに何の疑いもなかった。

 

「使ったのですね・・・」

「うむ。」

 

 

 賭けじゃった。今思えばひどいことをしたのだと思えるが、当時は失敗のことなど考えもしなかった。

 すべては最強の名前を手にするため。わしの頭にはそのことしかなかったのじゃ。

 あろうことか、先々の研究のために必要なことなのだと正当化している気持ちもあったんじゃ。最低な奴じゃった。

 この際、失敗してしまった方がよかったのかもしれん。

 

 

 

 

 神の悪戯か悪魔の罠か。強化アイテムの効果は覿面だった。

 

 

 

 

 ピカチュウはすべてのアイテムに適合し、その能力を飛躍的に伸ばしていった。

 しっぽで岩をも砕き、見えないほどのスピードで相手を翻弄し、電撃で倒せない相手はいなくなった。

 

 

 

「そこで終わればよかったのじゃ。わしは欲をかいた。」

 

 

 

 

 さらに強さを求めた。わしは自分の持つ他のポケモンにもアイテムを投与し始めた。

 そして、ピカチュウもさらに強くしようとした。

 

 

 

 強く、強靭に、屈強で、誰にも負けない。

 そんなポケモンを作りたかった。

 

 

「どうなったんですか・・・?」

「簡単じゃよ。」

 

 

 

 度が過ぎた強さは破滅するのじゃよ。

 アイテムの適合しないポケモンは次々と倒れ、命を落としていった。

 次こそは、次こそはと自分に言い聞かせ、やり続けた。しかし結果はわかりきっていたんじゃ。

 

 

 

 

 最後に残ったのは、絶望と後悔。そして瀕死になったピカチュウのみだった。

 わしは全てを失った。

 せめて、ピカチュウの最後を看取るつもりでベッドにずっとつきそいながら過去の自分を悔やんでおった。

 

 

 ピカチュウに、わしのポケモンに、口で頭で謝りながら、一晩を過ごした。

 

 

 

 朝の光で、目が覚める。しまった、眠ってしまったのかと思った。

 しかし、おかしいと気づいたのじゃ。この部屋には窓がない。なのに、なぜ光が入ってくるのかと。

 

 

 

 光の方に顏を向け、そこで見たのじゃ。

 

 

 壁をぶっ壊し、外で太陽を見つめるその黄色い、変わり果てた姿を。

 

 ピカチュウじゃった。

 といっても、面影は顔としっぽ、そして黄色い体だけじゃったが。

 

 わしは悟った。これは罪なのじゃと。

 わしはこのピカチュウと共に人生を終えねばならんのだと。

 そして、同じ事が二度と起きないようにしなくてはならないのだと。

 

 

「・・・・・」

「その後、ポケモン研究所をつくり日々ポケモンの生態研究と、危険なトレーナーからの保護に努めておるのじゃ。」

「そうだったんですね・・・でもなんで今僕のもとへそのピカチュウが?」

「それが、今までおとなしかったピカチュウがここ最近外に出たがるようになったのじゃ。」

「それだけ?」

「それだけじゃ。」

 

 

 

 

 

 

 

 ここには連れていけるポケモンはこいつしかおらんしな。

 ステータスだけでみたら最強じゃし、楽でいいじゃろ?

 パパッとリーグ制覇をしてくるんじゃ。

 

 

 

「そこまでいったら、ピカチュウがなぜ外に出たがっていたかわかるじゃろう。だって。」

 

 首を上に向けて、ピカチュウの顔を見る。

 特に表情を変えることなく、首を傾げながら「ピカ~」としゃべる(鳴く?)ピカチュウ。

 今はマサラタウンを抜け、トキワシティへ向かっている最中。もうしばらくしたら野生のポケモンもでてくるだろう。とても心配。

 

 まず、このピカチュウは本当に僕の言うことを聴いてくれるのだろうか。

 ほら、オーキド博士にアイアンクローかましたくらいだし。

 

 

 そしてこのピカチュウ。モンスターボールに入ろうとしない。

 ボールを投げても掴まれるし、ポケモンを戻す光線を出しても無反応。

 ほんのり赤く光るだけだった。

 単純にもう戻れないんじゃないかとも思ったけど、もともと入っていたのだし、モンスターボールに入るのを嫌うポケモンもいるという噂を聞いたことがあったので、そこまで深く考えないことにした。

 

 

 

・・・もしかして封印されてたのかな?

 

 

・・・まあそれも考えないようにしよう。

 

 

 

 と、もう一つの心配は・・・

 

 

 

「コラッタッッ!!!」

 

「野生のコラッタだ!いけ、ピカチュウ!」

「ピカー」

 

 

 コラッタとピカチュウが対峙する。

 その身長差二メートルを超える。

 僕にとって初めてのポケモンバトル。しかしその身長差の所為なのか、すごく微妙な気分。

 

 

 

 しばらく威嚇していたコラッタだが、ついに攻撃をしかけてきた。

 

→コラッタのひっかくこうげき

 

 

「ピ、ピカチュウ反撃だ!」

 

 言うや否やのタイミングで、ピカチュウは

 

 

 

 

 

 ひっかいてきたコラッタをつかんで遠くに放り投げた。

 星になったコラッタを眺めながら、僕のポケモンバトル初戦は幕を閉じた。

 

 

「む、無駄な殺生はしないのかな・・・・・」

 

 

 もう一つの心配は、対戦相手に必要以上の被害がでないかどうかだ。

 

 

 

 

 ピカチュウとの旅はつづく

 

 




放り投げるは技ですらありません。ただ投げてるだけです。


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第三話 トキワジム無双

区切り的に今回も短め。
しょうがないね。


 

 ポケモンバトルをいくつかこなしながら(ほとんどは掴んで投げるだけ)歩いていくと、一番道路の終わりが見えてきた。

 

 

 

 

 

 ~トキワシティ~

 マサラタウンから一番近い町、トキワシティ。

 ショップやポケモンセンターがあり、自然豊かでのどかな町。

 しかしその反面、四天王が待ち受けるセキエイ高原に続くチャンピオンロードへの道があるのもこの町、トキワシティだ。

 そしてもう一つ、この町にはポケモンジムがあり、チャンピオンロードへの最後の砦として待ち構えている。

 このトキワシティジムのジムリーダーはとても強いが、不在がちだと聞いたことがある。

 

 

「んだけど。」

 

 町の人と話していると、どうやら今はジムにいるらしい。

 本来はこの町にきたばかりで戦っても一蹴されるだけ。しかし今僕のもとにはピカチュウがいる。

 

 

「・・・どうせ負けるだろうけど、ものは試しかな。チャンピオンロードに進むためにはどれくらいの強さが必要かの参考にもなるし。」

 

 

 というわけでポケモンジムへチャレンジしてみることにした。

 特に傷を負ったわけでもない上に、お小遣いもないのでそのままトキワジムへ向かう。

 

 そういえば、ポケモン図鑑でステータスの確認ができるんだった。

 後ろでちょうちょを追いかけてるピカチュウに図鑑を向け、ステータスチェックをしてみた。

 

 

 ステータスは・・・うん。見なかったことにしておこう。

 

 

 技構成は「たたきつける」「十万ボルト」「こうそくいどう」「でんじは」

 意外にも(?)バランスの良い技構成だった。

 てっきりじごくぐるまとか覚えていると思った。

 

 

 そうこうしているうちにジムに到着した。

 

 

 

 

 ちなみに、サトシが気づくのは後のことだがポケモンジムにはタイプがあり、ここトキワシティジムは「じめん」タイプ。

 電気タイプを無効化する相性で、ピカチュウにとっては最悪の相手。のはずである。

 

 

 

 

 

 いざ、トキワシティジム!

 

 

 

 

 

 扉を開けると、そこにはジムの案内人の姿。

 

「よーう未来のチャンピオン!ここはトキワシティジムだぜ!最後の砦だ覚悟はいいか?」

 

 最後もなにも、まだ最初のジム。ものすごい場違い感を覚えながら、どーもとあいさつして先に進む。

 

 手持ちのポケモンはピカチュウのみ。しかもボールにはいっていない。

 目の前にはエリートトレーナー。緊張を感じながらバトル開始!

 

 

 

 

 

・・・

 

 

・・・・・・

 

 

・・・・・・・・・

 

 

 

 

 

 夢を見ているのだろうか。

 

 

 

 

 今いる部屋には先に進む扉はない。

そして目の前にはスーツ姿の男。

 

 

 まぎれもない、トキワシティジムのリーダー「サカキ」がそこにいた。

 

 

 

 

「おどろいた。君はどこの誰かね。ポケモン一匹で無謀にもこのジムに挑戦してきた子供がいるとはきいたがここまで来るとは大したものだ。」

 

「僕も驚いています。あ、すみません。僕はマサラタウンからきたサトシです。」

 

「そうか、サトシくん。よくここまで勝ち進んだ。そして君のポケモンはそこにいるでかいやつかね?」

 

「はい、ピカチュウです。」

 

「・・・なるほど。残念だが、私と君がバトルすることはない。少なくとも今は。」

 

「え?どういうことですか?」

 

「君はすでに、世界の裏側に踏み込んでしまっているということだ。その筋肉隆々のポケモンは通常の育成や進化でなるものではないことは理解しているね?私がこのジムでバトルするのは表の世界でまっとうに育成をしてきた者だけだ。しかし君は違う。」

 

「・・・」

 

「そのポケモンを見ればわかる。ここから先に進むのであれば、通常のバトルとは程遠いものになる。戻るなら今だ。戻らないのであれば、この先の道を示してあげよう。」

 

「ちょっとまっ「待たない。今決めるんだ。」」

 

「・・・」

 

 

 

 正直、よくわからない。しかし危険な道だということは理解した。

 このジムがカントー地方で一番強いジム。つまりこれ以上は四天王ということになる。

 しかし、それは表向きだとサカキさんは言っている。裏がある。世界の秘密がある。であれば、僕のやることは

 

 

「・・・進みます」

 

「そうか。では歓迎しよう。世界の裏側へようこそサトシくん。」

 

 

 

 

 その判断は、後のサトシを後悔させることになる。

 

 



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第四話 トキワシティジム地下

だんだんキナ臭くなってきました。


 カツン

 

 カツン

 

 

 

 サカキさんと共に階段を降りる。

 ここはジムリーダーの部屋から続く地下への階段。

 

 足元だけ照らす明りが等間隔に並ぶ。お互いに一言も発することなく、サカキさんの後ろを僕がついていく形で降りていく。

 暗く、じめっとしか感じが続く。

 

 

 無言のまま数分間階段を降りると扉があり、サカキさんがカギを開けて入り、僕を誘う。

 一瞬ためらって、部屋に入った。

 

 部屋の中は階段と違い、明るい光で照らされていた。

 清潔な白い壁で、八畳間ほど。天井は割と高く、広々とした空間だ。

 

 

 

 

 

 

 

「サトシ君。」

「は、はい」

「君がそのポケモンをどうやって手に入れたかは知らないし、興味もない。しかし気づいたはずだ。通常のポケモンに対して、強力すぎると。」

「・・・そうですね」

「人間というものはね」

 

 

 そういって、サカキさんは話し始めた。

 

 

 

 

 

 人間という生き物はね。強力な力を持つとそれを使いたくなる。そして他人を屈服させたり、支配したいという気持ちに駆られるのだよ。

 それは自然なことだし、生き物として正常な考え方だ。当たり前のことだ。

 

 ・・・そうは思わない、という顔をしているね。誰かを守る力になると、そういう顔だよ。

 確かにそういう特殊な人もいるだろう。それは否定しない。

 だがね。正義感などというよくわからないものより、金や優越感、支配欲、独占欲に惹かれる。それが人間だ。

 

 

 サトシ君にはまだわからないことかもしれないが、きっと近いうちに人間のそういった部分に触れることになるだろう。

 

 

 ・・・余計な話だったね。続きを話そう。

 世間に出回っているドーピングアイテム。それらはポケモンを強くしたいという気持ちから使うも人間が後を絶たない。

 しかし、アイテムとしては非常にお粗末なものだ。低レベルのポケモンにしか効果がなく、高価な割にはステータスの上昇率も低いものだ。

 それでも求める者が多いのだから、まったくいい商売だ。

 

 なぜこんな話をしたかわかるかね?

 世の中には『世間に出回っていないドーピングアイテム』があるということだ。

 

 

 効果に限りがなく、ステータスの上昇率も比較にならない。

 反面、肉体に与えるリスクも高いし時には命を失うこともある。金額も文字通り桁違い。君が稼げるお金で買える額ではないよ。

 

 だが強さを求める者にとって、高価であることもポケモンへのリスクもなんの障害にもならない。

 あらゆる手段をつかってお金を集めるだろう。

 それによる犯罪が増加した時期もあった。各所で銀行強盗が多発した事件を知っているかね?

 動機が表沙汰になることはないが、あれもアイテムを購入するお金を稼ぐ手段として考えた末の行動だ。

 

 

 しかし、ある時からそのような犯罪が起きることはなくなった。

 裏の世界が統制されたからだ。

 

 

 

 誰が、という顔だね。それを言う前に、現在のシステムについて説明しよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 各町のジム、ポケモンリーグは知っているだろう。

 表向き、それらはポケモンマスターを目指すための難関、強敵として位置している。

 ジムリーダーに関してはその町の象徴になっていたりもするな。

 

 しかし、同時に裏の立場ももつ。

 不思議だとは思わないかね?それぞれの町において強さの違うジムリーダー達。

 所詮、相手のレベルに合わせているだけだ。

 ジムリーダーはその町を管理すると同時に、各タイプを極めた強力なポケモントレーナー達だ。

 そしてそのすべてのジムリーダー、ポケモンリーグ四天王に勝利することでルールを決めることができるのだ。

 裏世界のルールを。

 

 

 当初、これは建前上作られた制度にすぎなかった。

 すべてのリーダーに勝利する者など現れるはずが無い。そう全員が考えていた。

 実質、アイテムはポケモンリーグ協会が独占する形になり、その金額も今より法外だった。

 そして独占していることにより、ポケモンリーグに所属しているマスタートレーナーのポケモンは際限なく強力になっていく。

 誰も勝てるはずがなかった。

 

 

 

「・・・」

「だが、現れたのだ。四天王を圧倒するトレーナーが」

 

 

 

 

 そのトレーナー名はレッド。今や裏の世界では知らぬ者のいない名前だ。

 どうやって裏の存在を知ったのかわからないが、その少年は突如現れた。

 

 皆、最初は笑っていた。

 それはそうだろう。レッドという少年が持つポケモンは

 

 

 

 

 

 

 

 

 一切ドーピングをしていなかったのだから

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ・・・驚いたかね?私はもっとだったよ。その時のバトルが今も映像に残っている。見てみるかい?

 

「是非!」

 

 

 いいだろう。ここで一度休憩がてらバトルの様子を見てみるとしよう。

 どのような世界かどうかも、それでわかることだろうしね。

 

 

 

 

 そういって、サカキさんは映像の電源をいれた。

 



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第五話 「レッド」

やっぱりこの名前。
これだけで威圧感がでるのはさすがのレッドさん。


・・・・

 壮絶だった。

 振りぬいた拳が体に触れればはじけ飛び、火炎は周囲すべてを焼き払い、水はすべてを飲み込む波となっていた。

 あきらかに肥大した体躯を持つポケモン相手に、場違いとすら思える通常のポケモンと、そのトレーナーが優勢に戦っている。

 まぎれもない、その姿が史上最強のポケモントレーナー「レッド」だった。

 

 

 弱点相性など関係ない、力と力の衝突。

 本来そうなるべく戦いで、戦術など二の次であるはずの戦闘行為。

 しかしレッドの繰り出すポケモンは異形ではない。あくまで通常のポケモン。

 その戦い方には粗暴さなど欠片もない。

 ある種の芸術ともとれるような動作を展開し、バトルを優位に進める技術。

 一体どれほどの経験を積み、どれほどのバトルを繰り返せばあれだけの動きができるようになるのか。想像することすら憚られる。

 

 相手の一撃をスレスレでかわしながら、攻撃を確実に与えていく。

 ドーピングをした相手に対してその攻撃はあまりに貧弱に思える。

 しかし一撃を二度三度と繰り返していくとポケモンにも苦悶の表情が浮かぶ。

 レベル差だけで埋まるものではない、トレーナーへの絶対的な信頼が感じられるようだった。

 レッドとそのポケモン達は筆舌しがたい信頼で結ばれている。

 お互いに依存し、お互いに寄りかかっている。

 一寸たりとも疑うことのない、一枚岩とも言える信頼関係。

 

 

 一発でももらえば戦闘不能は避けられないバトルだと一目見ればわかる。

 しかしその中でも余裕とすら思えるバトルが展開されている。

 伏せ、飛び、下がり、時には突っ込み、目にも止まらない攻撃は一撃たりともレッドのポケモンには当たることはない。

 

 そして、巨躯なポケモンが次々と倒されてしまった。

 カメラが遠いせいでレッドの表情まで読み取れないが、こころなしか怒っているように感じる。

 

 圧倒的なバトル展開によって相手の最後のポケモンを撃破し、映像は終わった。

 

 

 

 レッドのもつポケモンは六匹。

 エーフィ、カビゴン、カメックス、フシギバナ、リザードン。そして

 

 

「そして・・・」

「ピカチュウだ。」

「!!!」

 

 

 

 そのピカチュウこそ、史上最強のノーマルポケモンと言えるだろう。

 それほどまでに強かった。

 

 

 君もピカチュウを持っている。なにか運命的なものを感じるようだ。

 

 

 

 

 

 

 さて、話の続きをしよう。

 

 レッドは四天王戦を制覇し、ポケモンリーグチャンピオンとなった。

 無論、世間に知られることのない裏のバトルだがね。

 

 

 リーグ制覇したレッドには、裏の世界のルールが変更できる権利が与えられた。先ほど話した通りね。

 

 そして、現在のルールが出来上がったのだ。

 裏が膨れ上がりすぎることのない、今までと比較したら平和そのものとも思えるルールにね。

 

 

 

 ・・・

 

 

 

 レッドがなぜこういう制度にしたのかはわからない。

 気に入らないのであれば、すべて禁止にすることもできたのに、だ。

 だが結果的に、表と裏の世界がはっきりと分かれ、お互いに干渉しなくなったのは事実だ。

 ようはそういうことなのだろう。

 こういうものは棲み分けが必要なのだと、レッドは理解していたのだろう。

 

 

「今もレッドさんはチャンピオンに?」

 

 

「いや」

 

 

 意味ありげに首を振り、サカキは嘆息し言葉を紡ぐ。

 

 レッドは消えた。文字通りいなくなったのだ。ルールを変えてからほどなくな。

 当然探索はしたが、ポケモンリーグ協会としてはレッドの存在はありがたくはない。

 当時は協会が裏で手を引いていたのではと考える輩もいたが、どちらにしろ協会内にレッドの存在をありがたがる者はいない。

 協会外の人間にとっては、統率されたルールによってドーピングアイテムの入手がある程度容易にはなった為、感謝している人間もいたようだが。

 

 そんな経緯もあり、しばらくしてレッドの捜索は打ち切られた。

 目撃情報なども募集しているようだがね。いまだ見つかっていない。

 

 ともあれ、それ以来チャンピオンの席は空いているままだ。

 それが六年前の出来事。六年の間、誰一人として四天王制覇をするものは現れていない。

 

 

 

 そこまで話し、サカキさんは黙る。数秒の静寂がその場を包む。

 うつむき加減で話を聴いていた僕が顔を上げ、サカキさんの目を見るとようやく口を開いた。

 

 

 

 

「私の話はここまでだ。ここから先は自分で経験し、考えたまえ。」

 

 

 そういって、サカキさんは黒いバッヂを渡してきた。

 

 

「各町のジムリーダーにチャレンジするときはこれを見せるんだ。バトルステージに案内してくれるだろう。」

 

 

 バッヂを受け取り、少し考えてジャケットの裏ポケットにつけた。

 

 

「ちなみにそのバッヂは君にしか使えない。譲渡しても無意味だということは知っておきなさい。」

 

「・・・はい」

 

「ただし、盗まれた場合は別だ。すぐに連絡したまえ。裏の世界に無断で踏み込もうとする者はこちらで排除する。」

 

「・・・わかりました。」

 

「私からの説明は以上だ。質問はあるかね?」

 

「いえ・・・」

 

「では出口まで送ろう。」

 

 

 

 

 

 

 

「次に君と会うときはジムリーダーとしてだ。楽しみにしているよ。」

 

 

 さわやかというには程遠い、ニヤリとした笑みを残してサカキさんはジムの中へ消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 今日はなんだかいろいろ疲れたので、ポケモンセンターで休むことにした。

 ポケモンの体力を回復する場所ではあるけど、人の休める場所もある。

 といっても、ピカチュウはモンスターボールに入りたがらないので人間用のベッドで休むことにした。

 ベッドで寝るピカチュウ。

 その、なんというか、とてもシュールに見える。

 

 



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第六話 マサラタウン帰還

 朝日に照らされ、目が覚める。

 知らない天井に、一瞬どこだっけ?と錯覚した後、ポケモンセンターに宿泊したことを思い出す。

 

 ベッドに座り、少しぼーっとする。

意識がもやもやしながら、シャワーを浴びていないし歯磨きもしていないことに気付く。

 

 ポケモンセンターについている設備を借り、身の回りを整える。思考がはっきりした。

 思考がクリアになったところでようやく気付く。

 

 

 

「そういえば、ピカチュウは?」

 

 

 

 

 

 ポケモンセンター内を探すと、すぐに黄色い巨体は見つかった。

 というより、センターのメインホールで立ち話よろしく、他のポケモンと会話(?)していた。

 どうやらコミュニケーション能力は高いらしい。そのへんもドーピングで強化されたのだろうか。

 

 

 暴れているのでは?と少し不安になっていた気持ちも落ち着き、自分も少しソファに座って、昨日のことを整理して考えることにした。

 

 

 

 サカキさんが言っていたドーピングアイテム。

 それはほぼ間違いなくオーキド博士が言っていた禁止アイテムのことだ。

 これがいつの間にか世界に出回っているということになる。

 

 博士がそれを言わずにこのピカチュウを渡したということは、おそらく知らないんだろう。

 いろいろなつながりをもつ博士が知らない。

 つまりサカキさんの言ってたとおり、「表」と「裏」の世界がほぼ完全に分かれているってことになる。

 

 そしてこのことを博士が知ったら、世間に公表するだろうか。

 

 

 

 ・・・いや、しないはず。世間にこのことが知られたら、大混乱になってしまうことくらい博士にはわかるだろう。

 であれば、博士には言うべきか。この先どうすればいいか、正直自分にはわからない。

 まずは博士に相談してみよう・・・。

 

 

 というわけで、一旦マサラタウンに戻ることにした。お母さんにこのことは話せないな・・・

 

 

 

 

 さて、と立ち上がる。

 

「ピカチュウー、いくよー」

「ピカ?ピカー」

 

 

 一応素直についてくるようだ。

 手を振ってポケモンと別れるピカチュウ。他のポケモンから見て違和感はないのだろうか?

 ちょっと疑問に思ったが、まあそれはポケモンにしかわからないことだ。

 ピカチュウを連れて、一路マサラタウンへ向かう。

 

 

 

 

 

――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

「おおおーお、サトシィ!随分早い戻りじゃないか。なにかあったかね?」

研究所につくと、早速博士が出迎えてくれた。

 

 

「オーキド博士、昨日ぶりです。はい、ちょっとお話したいことが」

 

「おお、では奥に行こうかね。おいしい紅茶が手に入ったから飲みながら話そうじゃないか。ピカチュウも元気そうじゃのう!」

 

「ピカー」ヒョイッ

 

「ぬわあああぁあぁあぁぁぁああ!もげるぅうううううやめるんじゃああぁあぁあ!」

 

「博士ー、先行ってますねー」

 

 

 

 慣れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 研究所にいたほかのポケモンが現れたおかげでことなきを得た博士が部屋に入ってきた。

 

 

「やれやれ、死ぬかと思ったわい。」

 

「ピカチュウはいつもあんな感じなのですか?」

 

「まあそんな感じじゃな。随分サトシにはなついておるようじゃ。よかったよかった。」

 

「(なついて・・・いるのかなあれは?)ピカチュウは?」

 

「ポケモンたちと戯れておるよ。心配ない。」

 

「そうですか。」

 

「さて、話とはなにかな?」

 

 

 

 

 

 僕は昨日サカキさんから聞いたことを全て話した。

 話す前は笑顔だった博士も、話が進むにつれて真剣な表情に変わっていった。

 

 

 

 

「・・・ということなんです。」

 

「なるほどのぅ・・・・まさかわしの使ったアイテムが出回っていたとは・・・おそらく同じ研究所の人間が情報を漏らしたのじゃろう。」

 

「どうしましょうか」

 

「ルールを変える、しかないじゃろうな。」

 

「・・・」

 

「サトシ、君がポケモンリーグチャンピオンになり、今のルールを変えるのじゃ。アイテムの使用を禁じるのじゃよ。」

 

「僕にできるでしょうか・・・」

 

「君にしかできない。正しい心を持つ君にしかできないことじゃ。やってくれるか?」

 

「わかりました・・・!やってみます!」

 

「たのんだぞ。ポケモンの未来はサトシにかかっておる!」

 

 

 

 

 

 

 

 意気揚々とオーキド博士の研究所を出て、再度トキワシティに向かって歩いている時にふと考えた。

 そういえば、僕はポケモンをピカチュウしか持っていない。

 裏のバトルでは禁止アイテムの使用が当たり前のようだけれど、当然そんなものは僕には手に入れられない。

 ということはピカチュウのみ。もしくは普通のポケモンをバトルに出すことになるのだけど・・・

 

 思い出す。サカキさんに見せてもらったバトルの映像を。

 

 

 あの威力で攻撃されたら、普通のポケモンはひとたまりもないだろう。

 瀕死どころではなく、そのまま息絶えてしまう。

 ということはピカチュウだけで進むしかないのだろうか。

 

 しかし、その映像は別の答えも映していたじゃないか。

 

 

 

「最強のポケモントレーナー、レッド。」

 

 

 

 彼は禁止アイテムを使用していない、ノーマルポケモンで裏のバトルを勝ち抜いた。

 圧倒的な能力の差を埋めて、勝ち進んだ。

 つまり、禁止アイテムなど使わなくても勝つ手段はある。

 

 

 

 ・・・といっても、到底その方法が思いつかない。

 

 

 

「うーん、まずはレッドを探そう。」

 

 どう探していいのかもわからないけど、当面そうするしか方法が思いつかなかった。

 

 

「と、普通のポケモンもある程度ゲットしなきゃね。ピカチュウ。」

 

「ピカー」

 

 

 

 そんなことを考えながら、トキワシティへ向かう夕方のひと時だった。

 

 

 

 

 

 

 



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第七話 トキワシティ

 トキワシティについた時には、すでに周りは暗くなっていた。

 どこかでごはんをたべて、またポケモンセンターにお世話になるか。

 

 

 ・・・そういえば、このピカチュウは何を食べるのだろう。

 

 

 

 通常、ポケモンフードと言われるものがポケモンの主食だ。

 ショップにいけばそんなに高くないお金で買えるのだけど、果たしてこのピカチュウは通常の食事で大丈夫なのだろうか。

 プロテインとかそういう物の方がいいのかもしれない。

 

 

 ・・・考えてもわからないので、ショップに行ってみることにした。

 

 

 

 

「いらっしゃい」

 いろいろな商品が並んでいるトキワシティのショップ。ポケモンを癒すきずぐすりや野生のポケモンを捕まえるモンスターボールも買える。

 ポケモンフードももちろん並んでいて、味がいくつかあり試食もできるようだ。

 とりあえず端から順番にピカチュウに与えてみることにした。

 

 

「ピカチュウ、おいでー」

「ピカー?」

 

 

 

 まず、いちご味

 ・・・興味がないようだ

 

 さかな風味

 ・・・そっぽを向いている

 

 お肉味

 ・・・少し見たが、すぐにそっぽを向いた

 

 

 

「・・・」

 

 

 

 十種類あった味をすべて試してみたが、ピカチュウはどれにも興味を示さなかった。

 

 

 

「うーん、どうしよう」

 

 

「そこの君?」

 

「はい?」

 

 と振り向いたらショップの店員が話しかけてきた。

 

「ポケモンフードを探しているのかな」

 

「そうなんですが、どれも興味なくて。」

 

「ポケモンフードはいろいろなポケモンに好かれる食べ物だけど、すべてのポケモンが好きというわけではないよ。」

 

「そうなんですか!」

 

「中には、人の食べる食事を好むポケモンもいるくらいだ。なにせ、いろいろな生態系がいるからね。」

 

「なるほど・・・」

ピカチュウの方を見る。

 

 

レストランにでも連れてってみるかな・・・

 

 

「わかりました。ありがとうございます!」

 

「またおいでね~」

 

 

 

 

 自動ドアをくぐり、外に出る。

 

 

 

 フラフラ歩いていうと、ファミリーレストランのようなものがあった。

 メニューは豊富だし、ここでピカチュウの好みがわかればいいのだけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――

 

 

 

 結論から言うと、好みはわからなかった。

 というより、ピカチュウはなんでも食べた。

 

 肉、野菜、フルーツ、ケーキ、ごはん、麺。

 

 しかも、きっちり丁寧にフォークやナイフを使って。

 人間用の食事を好む、という感じのよう。

 

 人の形をして人のように食事するピカチュウ。

 なんだかそのうち服でも着そうな予感がする。

 

 

 

 ちなみにこの時の食事は結構な金額になったが、全く問題なかった。

 なぜかというと昨日のトキワジムでエリートトレーナーからたくさんいただけたから。

 

 ・・・なんだか悪かった気もする。おかげでしばらくは困らなさそうだ。

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

 夕食を終えポケモンセンターに行き、ベッドに腰掛ける。

 

 次の日はトキワの森を抜け、ニビシティに向かう。

 そのつもりで考えていたのだけど、なんといっても初のジムリーダー戦となる。

 ニビシティのシンボルは「石」。岩タイプのポケモンを操るタケシがニビジムのリーダーだ。

 通常であれば草タイプや水タイプを連れていけば突破できるハズなのだけど

 

 

 なんといっても、裏バトル。

 常識では通用しないと考えるべきだろう。

 しかし持っているポケモンはピカチュウのみ。いまさら低レベルのノーマルポケモンを捕まえたところで役に立つはずもない。

 

 ・・・トキワシティで見たバトルの映像を思い出す。

 破壊と破壊。バトルというには生ぬるい、「殺し合い」とでも表現したくなるような激しいぶつかり合い。

 あんな空間に通常のポケモンを放り込んだらそれこそ粉みじんになって帰ってくるだろう。

 やっぱりレッドのポケモンが特別なのか・・・?

 それともノーマルポケモンでも勝てるコツのようなものがあるのだろうか。

 

 ・・・考えてもわからない。

 まずはニビシティに向かおう。

 そこまで考え、気持ちよさそうに寝てるピカチュウを一目見て、ベッドに横になる。

 

 

 

 

「ピカチュウ、目開いたまま寝てる。」

 

 こわい。

 

 

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

 次の日、トキワシティに別れを告げ一路ニビシティに向かう。

 必要な買い物を済ませ、トキワの森へ続く道を歩いていると

 

 

「ういーーーぃいい、酔っぱらったぜええぇえー」

「もう、おじいちゃんったら」

 

 

 酔ったおじいさんが道をふさいでいた。

 

 

 

 

 

 もってたおいしい水をおじいさんにあげると、ぐびぐび飲んで壁によりかかって座った。

 

 

「う゛ー、あたまいたい・・・のみすぎたようだ・・・」

 

 

 なんとか動けるようになったようなので、そのまま女の子とおじいさんに手を振って先に進もうとすると

 

 

「ちょっとまちな、あんたポケモントレーナーか。」

 

「はい、そうですけど。」

 

「そうかそうか、いいポケモンをつれてんな。わしも昔はなかなかのトレーナーじゃった。」

 

 おじいさんが遠い目をしてつぶやく。

 

「そうだったんですか(長そう)」

 

 

 まじまじとサトシを見つめた後、ふと目をそらし、ピカチュウを見た。

 

 

「・・・あんた、黒いバッジもってんのか?」

 

「!?なぜそれを・・・」

 

 

 おじいさんはまるで全てを察したかのように目を細め、ニヤっと笑みを浮かべた。

 

 

「レイナ、ウチに帰ってな。わしはちょっとこの少年と話がある。」

 

「?――いいですけど、晩御飯までには帰ってきてくださいよ。」

 

 

 そういうと、レイナと呼ばれた女の子は歩いていった。

 

 女の子が完全に見えなくなると、おじいさんはぼそぼそと話はじめた。

 

 

 

「あんた、裏の住人か。」

 

「・・・」

 

「話せねぇならいいさ。だがその連れてるもんみりゃあ、わかるやつにはわかるさ」

 ピカチュウを見ながら語る。

 

「おじいさんも・・・?」

 

「昔にちょろっとな。今はノーマルが好きさ。あるトレーナーが常識を変えちまった。」

 

「・・・レッドのことですか。」

 

 

 レッドの名前を聞いた瞬間、もともと細かった目をさらに細め、サトシを一瞥した。

 

 

「その名前はあんまり外で出さない方がいい。ボールに入りたがらねえポケモンだけでも疑われるってのに、その名前まで出したら一発だぜ」

 

「・・・レッドの場所を知りませんか」

 

「探してどうする?」

 

「ノーマルポケモンでの勝ち方を、教わります。」

 

「・・・本気でいってんのかい?少年。裏バトルの経験は?」

 

「ありません・・・。」

 

「そのピカチュウだけでいくきかい?」

 

 

 冗談だろ?とでも言いたそうな顔で大げさに首を振る。

 

 

「どうしても四天王を倒す必要があるんです!」

 

「常識を変えるか・・・そんなバカげたことをするのか。この安定している状態で。」

 

「あのアイテムは存在してはいけない・・・そうは思いませんか」

 

 

 まっすぐな目で見据えるサトシ。

 それをゆっくりと、品定めするように濁った眼で眺める。

 そして、あきらめたかのように大きく溜息を吐き出した。

 

 

「若いのう・・・じゃがそれも時代の流れか。」

 

「ご存じ、なのですね?」

 

「ニビシティジムはまだいくな。通常のポケモンを捕まえながら、ハナダシティに向かえ。そしてマサキを尋ねろ。」

 

「マサキ?」

 

「パソコンのポケモン預かりシステムを管理してるやつさ。なあに、町の人間ならだれでもわかる。それと、こいつを連れていけ。」

 

 

 おじいさんが鞄から年期のはいったモンスターボールを取り出し、その場に放った。

 ボールから赤い光が漏れ出し、モンスターを形作る。

 

 カニにような赤い身体と大きなはさみが特徴のポケモンが現れる。

 

 

「わしの相棒、クラブだ。」

「クラブー」

 

「こいつには秘伝技を三つ覚えさせてある。移動で困ることはないぞ。空はとべんがな。」

 

「秘伝技・・・って?」

 

「なんだ知らんのか。細い木を切ったり、大きな岩を動かしたり、海を渡ったり空を飛んだりできる技のことよ。これらの技は自然に覚えることはない。故に、忘れさせることもできん。だがこれらの移動技は必ず必要になる。連れて行って損はない。」

 

「なるほど・・・。でもいいのですか?」

 

 

 クラブとおじいさんを交互に見ながら言う。

 

 

「いいのよ。わしが旅立つことはもうない。だがこいつはまだまだ現役。このまま老いぼれの相手をさせるには惜しいやつよ。それに、ノーマルポケモンだがなかなか強いぞ?」

 

「クラーブ!」

 

 はさみを振り上げ、自己主張するクラブ。

 

 

「そうですか、ではありがたく!」

 

 そういうとおじいさんはニッコリと笑い、クラブをモンスターボールに戻した。

 ボールをサトシに手渡す。

 

 

「なにからなにまでありがとうございます。」

 

「いいさ、わしにはもう何もできん。新たな時代が見れることを楽しみにしておるよ。」

 

「はい!」

 

 

「頑張れよ、少年。と、そうだ。名前だけ教えてくれんか。」

 

「サトシ。マサラタウンのサトシです。」

 

「そうか、サトシ。頑張れよ。」

 

「はい!」

 

 

 

 

 

 手を振ってトキワの森へ向かうサトシとピカチュウを見送る。

 

 

 

「まったく、何を考えているんだ。・・・サカキの野郎。」

 

 トキワシティジムの方角を見ながら、つぶやく。

 

「狙いは『天使(Angel)』か?・・・まあ俺には関係ないことか」

 

 

 もうじき見えなくなる二つの影を見つめながら、また酒を飲み始めた。

 

 

 

 




まさかのじいさん裏の住民。


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第八話 裏の住人

あれ?こんな展開だっけ?

まあいいや(キリッ


 鬱蒼と茂った木々。日の光を遮り、適度にじめっとした空間は虫ポケモンの温床となっている。

 トキワの森。高レベルのポケモンもおらず、絶好の虫ポケモン採集スポット。

 

 サトシにとっては別段感慨深い場所でもないのだがーーー

 

 

「ピカチュウの故郷だね」

 

「ピカー」

 

 

 そう、オーキド博士が世界で始めてピカチュウを発見した場所。

 

 ・・・世界で初めて?

 

 

「ピカチュウって今何歳?」

 

「ピカー?」

 

 触れない方がよさそうだ。

 

 

 足を踏み入れると視界いっぱいに広がる緑色。

 しかし迷うほどの大森林ではなく、虫採りの少年が頻繁にくるくらいには獣道になっているようだ。

 ポケモンバトルはピカチュウがいればまったく問題ない。

 ただ、ここでおじさんの言葉を思い出す。

 

 

『普通のポケモンも捕まえながらいくのじゃよ』

 

 

「虫ポケモン、捕まえてみようか。ピカチュウ、野生のポケモンがでてきたら少しだけダメージを与えるんだ。少しだけだよ?少しね?」

 

「ピカー」

 

 表情を少しも変えることなく、いつもの笑顔で答えるピカチュウ。

 うん!わかったのかわからないのかわからない!

 

 一抹の不安を覚えながら、サトシとピカチュウは足を進めるのであった。

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 なんだろう、この焦燥感。

 呼吸をすることさえ億劫になりそうなほど重い空気。

 木漏れ日を感じているにもかかわらず、肌を這う汗は熱によるものではなく、

 冷や汗によるものだ。

 一刻も早くその場から立ち去りたいという気持ちがありつつ、

 いまだその空間にとどまっているのには当然理由がある。

 

 

「こんな、ことって」

 

 

 まだ冒険が始まって間もない。

 手こずるはずのない序盤戦。ましてや、サトシの手にあるポケモンはドーピングにドーピングを重ねた違法なポケモン。

 その異様な姿を見るだけでも、野生のポケモンだろうとトレーナーだろうと遠ざかっていくのではと、意味もなく確信してしまうほど。

 

 しかし今現在、その考えは根底から覆されている。

 サトシの目の前に立っているのは、

 

 

 

「俺だって、虫取りばっかりしてるわけじゃないんだぜ?」

 

 

 

 傍らにポケモンを携え、ニンマリと嫌な笑みを浮かべる虫取りの少年がいた。

 体の一部を返り血に染め、体の各所を膨張・肥大化させた異質な姿をした、キャタピーを隣に据えて。

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

「見る人が見ればわかるのだよ、そのピカチュウは。」

 

 そんなことをサカキさんは言っていた。

 

「一般人から見たら、ただ異常なのだなと思うだけ。しかし同業者にはわかる。こいつは知っているのだと。」

 

 

 

 

 サカキさんの言葉を思い出す。

 こういうことなのか、と。

 

 まさかいるはずがない。

 こんなところに、こんな森の中に。

 思えば何の根拠もない、ただの妄想で想像の類でしかない。

 すでにトキワシティで話を聴いているのだ。

 トキワの森で裏のトレーナーがいない根拠などどこにもない。

 迂闊、ではあったが、サトシは心の中でピカチュウがいれば大丈夫と安心していた。

 

 圧倒的な攻撃力、体格、膂力、スピード。

 普通のポケモントレーナーが目にしたら最強に見えるその姿。

 事実、トキワジムのエリートトレーナーなど相手にならなかった。

 しかしそれは表向きのバトルとして。

 裏のバトルに精通したポケモントレーナーが相手だとして、そのピカチュウはいかほどのものなのだろうか。

 スピードは、攻撃力は、体力は、精神力は、勝っているのだろうか。

 その比較対象をサトシはもたない。

 唯一ある対象といえば、映像の中で見た、レッドが繰り出すポケモンに圧倒されていた数匹のポケモンにすぎない。

 

 

 そのことを今になって思い出し、反省しているのはほかでもない。

 現在、たった今、その考えを改めて反芻せざるを得ない状況に陥っている。

 

 虫取り少年の繰り出すキャタピーとの最初の衝突で手傷を負わされたピカチュウを見ながら苦い顔をするサトシが思うことである。

 

 

「こんなはずがない、って顔してんな。あんた。」

 

 

 サトシは声の発生元に目を向ける。

 

 

「裏のバトルの経験はそう深くないと見えるぜ。俺のキャタピーは強いだろ?」

 

 

 キャタピーと、その口は確かにそういった。

 緑色の体にくりっとした大きい目、Y字の形をした赤い触覚をもつ芋虫型のポケモン。一部毛嫌いする人もいるが、基本的にはかわいい部類にはいるポケモンだ。

 

 

「その愛くるしいポケモンが、この姿なんて・・・」

 

「あんたは何もわかっていないね。」

 

 

 スポーツ刈りの頭に麦わら帽子をあらためて深々とかぶり、手に持つ虫取り網の先をこちらへ向ける。

 

 

「あんたのポケモンに一撃を加えた俺のポケモンを見ての感想を言う機会をあげよう。」

 

「感想・・・って言っても」

 

 

 異形。そうとしか表現できない。

 数十センチの本来の姿からは比べるべくもない。

 四メートルに及ぼうというその姿はもはや原型など存在しない。

 頭と思わしき部分に本来のキャタピーの顔らしきものが存在するが、

 その双眸の片方は大きく肥大し、どこを見つめているかわからない真っ黒な瞳がそこにある。

 反面、片方の瞳はその役割を終えたかのように真っ白になり、虚ろを見ているようだ。

 長大になった赤い触覚も、かわいらしかった特徴からかけ離れて禍々しい姿を演出している。

 

 頭部はまだ本来の形が見て取れるようにも思えるが、胴体については言うまでもなく、芋虫としての威厳などもはや存在しない。

 胴回り一メートルを超えるような緑色の塊。それが連なっているだけならまだしも、その左右に筋肉にも似た何かがでこぼこと存在し、異質な形を作るのに一役買っている。

 その胴体には血走るように膨れた血管があり、虫かどうかも怪しくなっている。

 頭とは反対側―――尻尾と呼べばいいのだろうか。

 そこには金属の玉かと見まごう光を放つ球状のものが合計3つ。

 目に見えぬ速さでそれらを突き出す攻撃に、ピカチュウも先手をうたれ傷を負わされた。

 

 慎重になっているのか、命令を待っているのか、お互いのポケモンはまだ動く気配はない。

 

 

 

 そんなことを考え、発する言葉に窮していると、その空気を堪能したかのように気分のよさそうな抑揚で虫取り少年は話し始めた。

 

 

「発する言葉がない程、とみるね。」

 

「・・・」

 

「そうともさ。この姿を見て、こう思うだろう。『美しい』と!」

 

 

 驚愕で、目を大きく開く。何を言っているのかと思うが、

 何かを口に出す暇を与えず、虫取り少年は次々と言葉を紡ぎ出す。

 

 

「なんという美しい姿だろう。虫という範疇を超えたこの姿。暴力的なまでの力。何十匹、何百匹と虫ポケモンを捕まえ、観察してきた俺だからこそ言えるこの美。数えきれない程に虫ポケモンを強化してきたが、ここまでの美しさを誇ったポケモンはこいつだけだ。あまりに美しすぎて他の虫どもは殺してしまったよ。艶めかしい瞳にムチムチと張り裂けそうな魅力的な体、つやつやとしていつまでも愛でたいと思わせる尻尾!どこからどうみても俺に興奮を覚えさせる!このつやつやムチムチボディから繰り出される暴力によって相手を粉々に粉砕し、その血で染まった体躯を見る度に鼻血が出てよだれを垂れ流すほどに美しい!ああ、キャタピー!俺のキャタピー!!キャタキャタピキャタキャタキャキャキャキャキキキキー!!!!!」

 

 

 

 サトシを恐怖が支配していた。

 愛と呼ぶにはもはや歪すぎる。

 宗教じみたその偏愛にサトシは二の句も告げずに押し黙る。

 怖い。初めて触れた裏の世界の住人に対し抱いた感情がそれだった。

 

 恐怖に震えるサトシはその場から動けない。

 その姿を甘美なるキャタピーの姿に対する震えだと判断し、満足した笑みで虫取り少年は次の行動を起こす。

 

 

「さて、この美しい俺のキャタピーを相手にして死ねるんだからさぞ満足だろう?さっきの続きをしようじゃないか。」

 

 何も言えない。なにもできない。

 それほどの衝撃を、少年は味わっていた。

 裏の世界に挑む覚悟ができたなどと、どの口が言えたものだろうか。

 覚悟なんて言葉をそう簡単に口にしていいものではないなと、ふと思ったサトシだった。

 

 

「じゃあさっさと、死にな。」

 

 

 暴力が迫る。

 いやにゆっくりと世界が流れる。

 三つの球体が高速でサトシの頭をめがけ、飛んでくる。

 あれがあたったら即死だろうな、痛いのは嫌だな、なんて考えが浮かぶ。

 目を閉じ、その瞬間が来るのを待つ。目を閉じると今までの思い出が次々と浮かぶ。

 

 

 

 そんな走馬灯じみた時間が、随分と長く続く。

 

 時間にして数秒。

 そう対して長くない時間ではあったが、サトシにとっては数分にも思える時間。

 おかしいと頭で思ったときにゆっくりとその眼を開く。

 そこに映っていたのは、血を滴らせた手で迫ってきた球体を握りつぶす黄色い巨躯だった。

 

 



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第九話 キャタピー戦

トキワの森こええー



【挿絵表示】



 ギリギリ、メキメキと音が鳴る。

 

 血管が浮き出た右手の中には異形から繰り出された球体が握りつぶされ、その体液とピカチュウの血が混ざり合い滴っている。

 あくまでも表情を変えないピカチュウと、痛覚など存在しないかのように平然とする虫ポケモンが見つめあう。

 

 ピカチュウがその手を離し、サトシを後ろに庇う。

 キャタピーはつぶされた球体をひっこめ、滴る体液をものともせずに戦闘態勢を整える。

 

 

「なかなかやるじゃん、そのピカチュウ。驚いたよ。俺のキャタピーの速度に反応するなんてさ。まあ美しさは足元にも及ばないけど。」

 

 

 虫取り少年の一言はひどくその場の空気に合わなかった。

 緊張感のかけらもない発言。

 いや、むしろ緊張しているサトシが異質なのだろうか。

 裏バトルというのはこういうものなのだろうか。そんな疑念すら生まれる。

 

 

「死んだらキャタピーに喰わせてみよう。虫は雑食だからね。肉も喰うんだよ。はっはっは!」

 

 

 気持ち悪い――――しかし、単純にサトシには別の考えが湧いてきていた。

 

 

 なぜ、この少年は裏の世界に染まっているのか。

 これは一般人であるサトシからでる、当たり前の疑問。ましてや相手は虫取り少年。

 裏の世界とはまったく逆方面にいてもおかしくない、平和と共に存在するような存在だったからである。

 

 

 

「・・・どうして」

 

「あん?」

 

「どうして、ドーピングなんか・・・」

 

 

 

 

 その質問をした瞬間、気持ち悪い笑みが、虫取り少年から消える。

 背筋に走る寒気。緊張に身を固めるサトシだったが、なおも言葉を続ける。

 

 

 

 

「虫・・が・・・・虫が好きだったんだろ!なんでそんな!ドーピングなんかしたんだ!他の虫ポケモンを殺してまで!!」

 

「・・・バカか。死ぬお前に話して意味なんてない。俺の理解者は俺だけでいい。」

 

「勝ったら・・・話してもらうぞ・・・虫取り少年。」

 

「さっさと死ね!!!」

 

 

 

 

 その言葉をきっかけに、キャタピーが動く。

 

 サトシは勘違いしていた。

 キャタピーの繰り出す攻撃は、その力を使っての尻尾の打撃のみだと。

 ここまでにキャタピーが使った攻撃はそれのみ。サトシが勘違いするのも無理はない。

 その考えはこの瞬間に覆されることになるが――――――

 

 

 

「飛んで・・・る?」

 

 

 

 キャタピーが目の前から消えた。

 

 いや、その表現は正確ではない。

 厳密には筋肉ではないが、筋力と表現せざるを得ないほどふくれあがった胴体を鞭のようにしならせ、反動で跳躍。

 森の中を縦横無尽に飛び回る姿は、もはや芋虫ではない。

 さらに―――

 

 

 

 チュイン!

 という音がしたと思うと、ピカチュウの腕から血肉が弾け飛ぶ。

 

 

 

「ピカチュウッ!!」

 

 

 ダラダラと腕から血を流すピカチュウ。

 無表情な顔は余裕からくるものなのか、単純に何も考えていないのか。

 

 腕を貫いて地面にまで穴をあけたレーザーのような何か。

 その音の発生源はまぎれもなくキャタピーであろう。

 ではその攻撃の正体は想像に難くない。

 

 

「糸を吐くの威力じゃないだろ・・・・これ!」

 

 

 キャタピーのもつ攻撃方法。

 おそらくほぼすべてのポケモントレーナーに知れ渡っている二つの攻撃。

 『たいあたり』と『いとをはく』

 所詮虫ポケモンのすること。むしろ、糸を吐くのは攻撃でもなんでもない。

 相手のすばやさをさげるだけのもののはずだが、圧倒的なスピードと質量をもつとそれは単なる糸ではなく、すべてを破壊する一筋の光線となる。

 

 木々に隠れながら超スピードで飛び回り、糸を吐き徐々に相手の動きを止め、尻尾の一撃で粉砕する。

 言葉にすればシンプルなその攻撃手段も、それを目の前にすると圧倒的なまでの力量の差を感じる。

 

 ピカチュウの四肢を地面に縫い付けるかのように、糸が襲う。

 速すぎる攻撃に反応ができないピカチュウ。いかに肥大した筋肉をもっても、すばやく飛び交う蠅を退治できないように、非常な現実が目の前に繰り広げられている。

 

 

「そろそろいいな、キャタピー!仕留めろ!!」

 

 

 糸の攻撃で満身創痍な黄色い巨躯。

 もはや一撃を回避できないと思われる状態に、サトシは息をのむ。

 その瞬間がいつ訪れるのかと焦燥する。

 サトシにできることは―――

 

 

 

 緑色の塊が地面に音もなく着地する。

 その巨体から想像できないほど繊細に、流麗に地に体を押さえつけ、反動で跳躍するための力を溜める。

 

 

 

「ピカチュウいけーーーーーーー!!!!」

 

 

 サトシの掛け声とキャタピーの破壊の球体がピカチュウを襲うのは同時。

 虫取り少年の目にはピカチュウの胴体が粉砕され、血と肉が飛び散るビジョンが見える。

 

 サトシの目にははたして何が見えているだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 轟音。

 

 それは肉の爆ぜる音だっただろうか。

 

 二人の少年が事実を目の当たりにするのに、数秒とかからない。

 

 

 

「ピカ・・・・チュウ・・・・」

 

 

 

 

 キャタピーの攻撃を紙一重に避け、キャタピーの胴体を捉え地面に押し込むピカチュウの姿が、少年二人の目に映っていた。

 

 

 

 静寂が包んでいた。

 

 そこには驚愕する少年二人と

 

 相変わらずニッコリと無表情なピカチュウと

 

 

 地面に埋まるほどの衝撃で泡を吹いている異形のキャタピーの姿。

 

 

 

 キャタピーの超高速の一撃を回避し、その頑強な拳で穴を開けんばかりの一撃を叩き込んだ。

 ピカチュウは待っていたのだ。自分の射程距離にキャタピーが近づくのを。

 自分のもっとも強い攻撃を叩き込めるその瞬間を。

 

 

 

「そんな・・・・そんなバカな・・・・俺のキャタピーが・・・」

 

「ピカチュウ・・・・勝ったのか・・『ドーーーーン!』・・・!!?」

 

 

 ピカチュウの二撃目。

 初撃と同じ場所に、さらに上から振りかぶり渾身の右を打ち下ろす。

 キャタピーの強靭な肉体により貫通はしていないが、すでに文字通り虫の息。

 双眸のもう片方も白くなりつつある。

 

 

「ピカチュウ!キャタピーは瀕死だ!もう終わりだ!」

 

 

「ピッカー」

 

 

 ピカチュウの動きが止まる。

 これで終わったかとサトシは一息ついた瞬間

 

 

 パリッ

 

 

 空気の爆ぜる音がした。

 

 

「えっ」

 

 

 

 バリバリバリバリバリバリバリ!!!!!!!!

 大音量と共にまばゆい光がトキワの森を照らした。

 その光は破壊の権化のようでもあったし、暗闇を照らす救いの光のようでもあった。

 

 

 あふれんばかりの光が、ピカチュウの拳から発せられた電流だと理解できたのは数秒後。

 

 息を飲んだ。

 その音に反して、効果範囲はごく小さく、キャタピーとピカチュウを包む程度の放電。

 しかし、満身創痍のキャタピーにとどめをさすには十分な威力であり、

 事実キャタピーは双眸を真っ白にし、異常な巨体も黒く焦がし、一寸も動かなくなっていた。

 

 

「ピカチュウ・・・」

「ピッカー」

 

 

 ピカチュウは満足したかのようにその場を離れ、サトシの元へ戻ってきた。

 何をするのかと思えば、サトシのカバンを勝手にあけて傷薬を取り出し、自分にシュシュっと振りかけている。

 それ自分でやるものだっけ?とか思ってしまったが、今はそれどころではない。

 

 

 

「キャタピー!!!!!」

 

 もはや全く動かない虫ポケモンに駆け寄る虫取り少年。

 

(やっぱり、もともとは優しい少年だったんだよね・・・)

サトシはその様子を、何も言わず見守る。

 

 

 

「こんのクソザコイモムシがあああああぁああぁぁぁあああ!!!!!」

そう叫びながら黒く焦げたポケモンを思いっきり蹴とばした。

 

 

「えっ!?」

 

 

「てめぇ、なに負けてやがんだクソムシがああああ!どんだけ金かけて育ててやったと思ってるんだこのクソ!なんであんなゴミ電気ネズミに負けなきゃあいけねええんだよ!!ふざけんな緑イモムシ!負けたら何の意味もねえだろうが!恩を仇で返しやがって、捕まえて育ててやったのにこの仕打ちか!!なんとか言ってみろやこのゴミ!クソ!!ああん!?」

 

 何度も何度も蹴とばしながら、虫取り少年は罵詈雑言を繰り広げる。

 

 その姿を見ていたサトシは、口惜しさと共に居たたまれなさも感じていた。

 しかし、何を言うべきかわからない。何かを言っていいのかすらわからない。

 結局、サトシはそこに立ち尽くすしかない。

 

 

「俺の人生を棒にふりやがって!てっめえ気持ちわりいんだよ!大っ嫌いだクソ!クソムシポケモン!!死んで清々したわ!二度と俺の目の前に出ないって考えるだけで幸せだね!!いつまでもその無様な死体さらしてんじゃねえよ!虫は虫らしく踏みつぶされて死んじまえ!!」

 

 

 足で何度も虫ポケモンを踏みつける。

 その時、何も映すことのなかったその瞳に少しだけ光が戻る。

 そのことに虫取り少年は気づかない。

 

「なんとかいいやがれよ!無様に死にましたごめんなさいとかなァ!ほら動いてみろよこのクソがほらほらほ『ゴッシャアびしゃびしゃっ』・・・ガブ・・え?」

 

 

 目を見開いた。

 サトシは虫取り少年を見るために。

 虫取り少年は、軽くなった胴体を見るために。

 

 

 

 

 

 



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第十話 後味と課題

想像したキャタピー超こええ。


 キャタピーの尻尾が虫取り少年の胴体を後ろから貫通していた。

 高速で繰り出される破壊の鋼球は柔らかい少年の胴体を無残に破壊し、中身を撒き散らした。

 キャタピーに微かに灯った瞳の光は、役目を終えたかのようにゆっくりと消え、また空虚を映し出す水晶体と成り果てた。

 

 

「え・・・そんな・・ガフッ・・・・なんで・・・」

 

 

 血反吐を吐き出し、その場所に膝から崩れ落ちる。

 結果的にキャタピーだったものに体重を預ける形になる。

 皮肉にも、自分の相棒ポケモンに抱き着くかのようにサトシには見えた。

 その場だけ見ると自分の愛するポケモンを労わるようだが、実際には残酷な結果だけが残る。

 

 

 

 

 

 ――――――理不尽。しかしこれが現実なのだ。

 目の前に起きているこの現象こそが現実なのだ。

 

 サカキさんの言っていたこと。近いうちに知ることになると言っていた、人の本質。

 権利、力、信仰、卑下、暴力、殺意。

 いろいろな考えや思いが交錯しドス黒い何かを生み出している。

 恐らくはサトシの想像力を遥かに超える『人間の感情』が渦巻く。

 この度サトシが経験し感じたことなど裏の世界に入り浸っている者からすると表面の 薄い膜に触れた程度のものなのだろう。

 しかし少年なりに、この短時間で果てのない何かを見た気がしてしまっていた。

 

 

 ・・・ましてや対象は自分と同年代の少年。

 

 

 本来ならば虫取り網片手に森の中を駆け回っているはずの少年。

 一体何が少年をここまで欲の塊にしてしまったのか。

 戦闘の前に問いかけた質問も、その質問を答える口の持ち主はうつ伏せになって微塵も動かない。

 その答えを訊くこと叶わず、後味の悪さだけがここに存在している。

 

 

 

 裏の世界。世の中に隠れた、闇そのもの。

 それはここまで業が深く、どうしようもなくなるものなのか。

 あまりに救いが無い。

 トレーナーにとっても、ポケモンにとっても。

 人の生む、限りの無い悪意と信仰。

 力そのものに対する信仰心こそ、この世界の裏の存在を肯定するものなのだ。

 

 

 

 そこにたった一人。十四歳の少年がこの世界に踏み込んだ。

 この世界を変えてみせる。意気揚々と踏み込んだ世界。

 その実際は想像をはるかに上回り、少年の思いは現実という大きな波の中に落ちた一滴のように掻き消えようとしている。

 それほどまでに虫取り少年との出会いと別れは衝撃的なものであった。

 

 そして図らずも二つの命が失われる場所に居合わせた少年は、その衝撃と悲しみと、見た目のグロテスクさから―――

 

 

 

「・・・・ごめんピカチュうおえええっぷ」

 

 

 草むらにかけこみ、胃の中のものを吐き出す。

 目の前で一人の少年が内臓をぶちまけて死んだのだ。

 十四歳の少年には刺激が強すぎるのも無理はない。

 

 ピカチュウは特に何をするでもなく、その場に立ち尽くしていた。

 キャタピーの息の根を止めたことにまったく何の感情も無いかのように。

 ただ、それ以上の邪推をすることもなかった。

 

 

 

 

 ほどなくして多少落ち着いたサトシは、一人と一匹の遺体をなるべく見ないようにして、これからの行動を考えていた。

 

 

「さて、どうしよう・・・」

 

 

 害意はない、とはいえ目の前で一人の少年と一匹のポケモンが命を落とした。

 半分はピカチュウの所為ではあるが、キャタピーの脅威を考えると正当防衛?なのか?やりすぎ?

 どちらにしろ不遇な環境で育てられたポケモンの不幸は救われない結果となってしまった。

 

 

 そして、図らずとも裏のバトルを体験した。

 しかし最初のバトルはジムを想定していただけに、所作についてはなにも知らない。

 ここはサカキさんに連絡をするのが正しいだろう。

 

 

 ということで、ポケモン図鑑を開く。

 最新機能が盛り込まれたこの機械には、テレビ電話機能もついている。

 現在連絡先を交換しているのはオーキド博士とサカキさんのみ。

 

「考えてみると、トキワシティジムリーダーと連絡できるって、すごいことなんじゃ」

 

 

 すこし躊躇した後、通話ボタンを押す。

 

 

 

 トゥルルルルルル、トゥルルルルルル ピッ

 

 

『私だ。サトシ君か。何かね?』

 

「あ、サカキさん。実は今トキワの森なんですが・・・」

 

 

 事情を説明する。

 あまり思い出したくないことも多いが、何が必要な情報かわからないため一通り説明した。

 

 

 

 

『なるほど。トキワの森のキャタピー使い、ね。大体目安はついた。おそらく登録されている正式なトレーナーだ。』

 

「登録?」

 

『言ってなかったかな?裏のトレーナーは実績や使っているポケモン、通称などが登録されているのさ。君ももちろん登録されている。黒いバッジの持ち主がそうだ。』

 

「なるほど・・・」

 

『そいつは巨虫使いって通称で登録されてる。そこそこに名の通ったトレーナーだったが、そうか。早々に君と遭遇してしまったんだな。君にとっても、相手にとっても運がない話だ。』

 

「それってどういう・・・?」

 

『裏のトレーナーはそうそう出くわすものじゃない。だが、無視できるほど少なくもないという話だ。私もニビシティまで出会うとは思っていなかったが、当てが外れたな。とにかく、その場所は私の方で処理しておく。君は問題なければそのままニビシティへ向かいたまえ。』

 

「・・・はい、わかりました。あの、サカキさん?」

 

『なんだね?』

 

「僕って、この先も狙われたりするんですか?」

 

『以前も言ったと思うが、そのピカチュウは明らかに裏側のポケモンだ。そんなポケモンをひけらかす様に外に出して一緒に歩いているんだ。好戦的なやつだと思われても仕方がない。嫌ならば無理やりにでもボールにしまっておくんだね。』

 

「・・・わかりました。」

 

『では、またなにかあったら連絡したまえ。』

 

 

 

 プツッという音と共にサカキさんの顔が、画面から消えた。

 

 

 

 

 ・・・なんてことだ。

 こんなに早く裏のトレーナーに出くわすなんて。

 とにかくピカチュウを他の人の目から隠さなければ、また急にバトルを仕掛けられてしまう。

 とはいえ、ボールに戻すことは――――

 

 

 

「ピカチュウ、えいっ」

 

 ボールを投げる、が

 

「ピカー」

 

 はしっ、とつかんで、ポイっと投げ返してきた。

 

 ぱしっ、と投げ返されたボールを再度キャッチ。

 

「・・・無理だよね。」

 

 

 

 

 ピカチュウをボールに入れるのはあきらめることにしよう。

 

 ・・・まだトキワの森に入って間もない。

 一旦トキワシティに戻って、ピカチュウを隠す方法を考えよう。

 

 そう思い、再度トキワシティへ戻り始めるサトシ達。

 

 

 

 

「・・・またおじいさんと会うのきまずいなあ。」

 

 

 そんなことをつぶやきつつ一人と一匹は一度来た道を踏みしめていった。

 

 



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第十一話 思考と狂気

展開が重い。



 トキワシティに戻ると、すでに日が落ちかけていた。

 おじいさんは・・・いない。

 

 町はすでに人気が少なく、光が灯る家で一家団欒しているようだ。

 そんな光景に若干ながら寂しさを覚えながら、いかんいかんと首を振ってポケモンセンターを目指す。

 

 

「ピカチュウと一緒だもんね。」

 

「ピッカー」

 

 

 二メートル四十センチの巨躯と共に歩きながら家族の光を横目に足を進める。

 歩幅に差があるのでピカチュウは少しゆっくり目に、サトシは少し早めに歩く。

 サトシ自身としてはすでに慣れてしまってはいたが、確かに周囲から見ると注目の的な光景だ。

 十四歳の一人旅というだけでも目に付くのに、ましてや異質の塊のような黄色くてでっかいやつが供にいる。

 裏の住人からしたら好戦的と捉えられても仕方のないような気もする。

 そして、当面の課題もそこにある。

 

 

「ピカチュウをどうやって隠すか・・・」

 

 

 なかなかに難しい課題で頭を悩ますサトシだった。

 

 

 

 

 

 ポケモンセンター宿泊施設内。

 キャタピー戦で負った傷を癒すためピカチュウを預け、その間にピカチュウ隠匿作戦の内容を思慮する。

 

 まず一番厄介なのが、モンスターボールに入ってくれないということ。

 これがクリアできたら解決なのだけど、それをさせてくれないのがピカチュウ。

 おそらくパソコンに預けることもできないだろう。預けようとしたらパソコンを一瞬で吹き飛ばしかねない。

 そうしたらお母さんに連絡がいって警察沙汰になって・・・・いや、考えてもしょうがない。この線は無しだな・・・・

 

 

 一度思考をクリアしてから、再度考え始める。

 

 

 そういえば、こんな言葉を聞いたことがあるようなないような。

『木を隠すには森の中』だっけ?

 

 ふと思い立った。

 これでいける・・・?ピカチュウが嫌がらなければだけど。

 ひどく稚拙なアイデアのように思えるが、意外といけるんじゃない?試してみる価値はある気がする。

 そう考え、そろそろ治療が終わったであろうピカチュウを迎えにいく。

 

 今日は寝て、明日はピカチュウを連れて買い物に行こう。

 

 

 そう考え、まだまだ治療を求めるポケモントレーナーで混雑しているポケモンセンター内を進み、お肌つやつやになったピカチュウを迎え入れる。

 一体なんの治療をしてたんだろうか。そんなことを思わないでもないが、ピカチュウを連れて寝台へと移動する。

 

 

「おやすみ、ピカチュウ。」

「ピッカー」

 

 

 すぐに寝息を立て始めるピカチュウ。

 

 やっぱり目をあけたまま寝てる。

 

 

 そして自分も寝ようとする。

 

 

 

 

 

 

 目を閉じると、急に体が震え始める。

 

 

 

 

 トキワの森での戦い。

 初めての裏のトレーナーとのバトル。

 トレーナーの在り方。

 ポケモンとトレーナーの死。

 

 ありありとその時の情景が目の裏に浮かぶ。

 毛布をかぶり、体を震わせる。時間がたち、改めて考えることにより再度恐怖がサトシの体を支配する。

 

 異形のドーピングポケモン。

 片目だけ肥大し、その胴体も筋肉が膨れ上がり巨大な体躯をもつキャタピー。

 その見た目の衝撃は一度みたら忘れることのできない類のもので、はっきり言って異様だった。

 そしてそのポケモンをもつトレーナー、虫取り少年の精神も歪なことこの上ない。

 

 強さとはそこまで人を変えてしまうのか。

 ポケモンを強くしようと思うのは問題ないし、当たり前だと思う。

 他の人よりも強くありたい。そう思うのは当然だと思う。

 でも、それは人間の勝手な考えではないだろうか。

 ポケモン自身も強くなりたいと思うのだろうか。

 強くなりたいと思ったとしても、ドーピングをしてまで強くありたいだろうか。

 

 異形になってもトレーナーに付き従っていたキャタピー。

 それでも自分の主人を愛し、命令にしたがってきたのに。

 最後の最後に裏切られ、主人の体を破壊した。

 主人の手によってその暴力性を高めた攻撃によって、内臓を吹き飛ばした。

 キャタピーは泣いていたのだろうか。それとも、安心したのだろうか。

 

 しかしそんな主人であったとしても。

 歪な精神と信仰をもつ主人だったとしても。

 キャタピーは従っていた。傍にいた。

 たとえ自分と共に育ったであろう他のポケモンが主人の手によって殺されてしまっていても、その姿勢を崩すことはなかったのだろう。

 それほどまで純粋で、けなげな存在。

 だからこそ成り立ってしまうのだ。歪な愛情も、なんの障害もなく成立してしまう。

 ポケモン自身を壊してしまう悪質な呪いのようなものであったとしても、それを受け入れるしかない。

 

 ピカチュウとオーキド博士がそうであったように。

 

 そうだ。オーキド博士はそれを止めようとしていた。そうだ、ドーピングは悪なのだ。許してはいけない。危険なのだ。

 すべてを廃してこの世界をきれいにしなければ。うん、それがいい。そうしないといけない。

 

 ん?そうすると、レッドは果たして善人なのだろうか。

 レッドは表と裏のバランスをとった。

 しかしそれゆえに、ドーピングアイテムを手に入れやすくなった。

 裏の世界は安定し、表の世界も安定した。言葉だけきくととてもいいことのように思えたけど・・・

 

 それによって悲しむポケモンが増えた。

 それはよくないことだ。ダメなんだ。レッドはよくないことをしたんだ。

 

 いや、でもそうしないと表の世界は犯罪にあふれて―――――

 

 

 

 

 

 

 サトシは思考していた。ずっとずっと。

 

 

 

 

 

 すべてを得ようとするがあまり、すべてを捨てかねない選択肢を自分が進もうとしていることにサトシはまだ気づけない。

 

 

 

 

 

 考えれば考えるほどに、何が大事で、何を守るべきかがわからなくなる。

 

 世界を知らない純粋な十四歳の頭では、重要な取捨選択の経験値が少なすぎる。

 

 

 

 

 

 サトシに、狂気の手が伸びようとしている。

 

 

 

 

 

 

 夜が更けていく―――――――――――――

 

 

 

 



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第十二話 ピカチュウ隠匿大作戦

ポケモンだってオシャレしたい☆


 朝の日差しにまぶたの裏が照らされる。

 若干のまぶしさを感じながら起きたが、嫌な気分ではない。すがすがしい朝だ。

 

 と、深夜まで考えてた内容を一度反芻し若干暗い気分になったのは仕方がないとして今日はピカチュウと共に買い物に行く。

 裏のトレーナーにピカチュウが見つからないように対策をしなければならない。

 常に身の危険を感じながら歩くのなんてまっぴらごめんだ。

 なんとかしなければならない。

 その何とかするための手段が通用するかどうか、今日の買い物次第といっても過言ではない。

 

 意気揚々と出発の準備をし終える。

 

「さあいくぞ!」

 

 

 

 

 ・・・ピカチュウは?

 

 

 

 

 ポケモンセンターのロビーで周囲を見ると、一段と目に付く黄色い巨体はすぐに見つかった。

 他のポケモンと交流しているようだ。

 

 ・・・すでに目立っているのではないかと考えたが、それも今日までの話。

 

「ピカチュウ、いくよー」

 

「ピカ?ピカー」

 

 

 さあ、はりきっていこう!

 

 

 

 

 

 目の前に広がるのはメンズ服売り場。

 

 そう、ここはトキワシティの一番大きなフレンドリーショップ。

 食料品から衣服から玩具からポケモングッズまでなんでもござれの地域密着型なお店。

 

 売り場には日常服を買い揃えようという人のほかに、娯楽施設の少ない町の中で暇をつぶせる数少ない場所であるため若者のたまり場になっていたりもする。

 

 通常ポケモンマスターを目指そうと旅を続ける少年少女にとってはポケモングッズを買い揃えるくらいの目的しかないはずだが、サトシの目的はそんなことではない。

 サトシは

 

 

 ピカチュウの服を買いにきたのだ。

 

 

 

 

「いらっしゃいませー!なにかお探しですか?」

 お約束の店員が話しかけてきた。

 メンズ服売り場で探しているのは隣にいるどでかいピカチュウの服なのだが、果たして通じるのだろうか。

 

「・・・どうも。ちょっと教えてほしいのですが」

 

「なんでございましょう。」

 

 一呼吸置く。いくらこのピカチュウに慣れたといっても、服を買うなどという妄言をそのまま信じれる人が何人いるのだろうか。

 いや、ポケモンの着る服を仕立てるという人はそこそこいるらしい。

 当然隠匿目的ではなく、愛玩目的ではあるのだが。

 というかそもそもピカチュウだって愛玩ポケモンに該当することは間違いないはず。

 であれば、納得してもらえるんじゃないか?きっとそう。

 

 カチャカチャと音を立ててロジックを頭の中で組み立てるサトシ。

 その結果がたとえ杜撰であろうとも、サトシは考え抜いたのだ。誰にも批判などできまい。誰にも。

 

 

「実は、ピカチュウに着せる服を探しているんです。」

 

「なーるほど!ピカチュウ!かわいいですものねー。大きさは基本的なものでよろしいですか?一般サイズですと身長四十センチほどで―――」

 

「いや、こいつ。」

 

 隣にいる黄色くてでっかいのを指さして言う。

 

 その指先を見つめ、腹筋あたりをまじまじと見つめたあと、そのままゆっくりと上を見上げるショップ店員。

 

「・・・・」

 

 ピカチュウと目が合う。

 

 

「・・・どうもこんにちは」

「ピカピカー」

 

 

 ファーストコンタクトは失敗かな、とそこで感じたサトシだった。

 

 

 

 

 

 

 ―――――――とりあえず事情を説明する。

 

 もちろん正直なことは言えないので、こんなピカチュウにもファッションを楽しんでもらいたい、みたいなことを言った。

 我ながら意味のわからない理由だとも思うけど、ショップ店員は一応納得したようだ。

 別に服を買ってもらえれば対象はなんでもよいのだろう。

 二メートル四十センチの体躯に合う服はさすがに種類が少ない。XXLとかたぶんそのへんのサイズ。

 大柄な男性用コーナーに行き、店員と共にピカチュウに合いそうな服を物色する。

 ちなみにお金はまだ余裕があるので、旅に支障はない。ゆっくりとピカチュウの服を選ぼう。

 

 

 これはあれはと服を選んではいるが、そもそも服を着るということがピカチュウは理解できるのだろうか?

 服を渡したらバイソンよろしくバリバリと破りかねない。

 ふとそんなことを思ったサトシ。

 

「店員さん、ちょっとこの安いTシャツ、着れるか試してみていいですか?破いちゃったら買い取りますので。」

 

「もちろんよろしいですよ!」

 

 というわけで断りをいれ、ピカチュウにシンプルな英文ロゴがはいった白いTシャツを渡してみる。

 

「ピカチュウ、これ着てみて?」

 

「ピカ?ピカー」

 

 

 若干の不安がありつつ、Tシャツを渡す。

 ドキドキする。なぜか店員さんも期待と不安のまなざしでサトシとピカチュウを交互に見ている。気持ちはわからんでもない。

 

 

 数秒後

 

 

 

「ピッカーーーー」

 

 

 

 ぴっちりと着こなす(?)ピカチュウがそこにいた。

 

 

「わあ!やっぱり人間の習慣は把握してるんだね!」

 と謎の感動をするサトシと

 

 

「お、お、お、お似合いでですよぶふぉあ」

 

 別に問題はないが下半身丸出しでTシャツだけ着てる黄色い巨体を見て、吹き出しながらおべっかを使うショップ店員。

 うん、この気持ちもわからんでもない!

 

 

 ちなみにピカチュウの着たTシャツにはいったシンプルな英文には

『NICE BODY』と書いてあった。皮肉か。

 

 

 

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 夕方。

 

 

 

 暮れかけの赤い夕陽に照らされ、長い影が二つできる。

 一つは十四歳の年相応の男の子の影。

 そしてもう一つは二メートルを超える巨体から伸びるものであったが、その影にはいままでなかった姿が映し出されていた。

 

 

「ピカチュウ、似合ってるよ!」

「ピカー?」

 

 職人が着るようなつなぎを着て、キャップをかぶり、サングラスをかけた大柄の人影がそこにあった。

 

 

 

 内心やけくそになりかけてるサトシだったが、万に一つでもある可能性にかけたくなっていた。

 どう考えても隠しきれてない。というか耳も尻尾もでてる。

 逆に神経を逆なでするようにしか見えない。

 そもそもおとなしく服を着ているピカチュウをにわかには信じがたいのだが、心なしか嬉しそうなのでそのまま行くことにした。

 

 なぜつなぎかというと、単純に脱ぎ着しやすいからという判断。

 いざ戦闘になった時に上脱いで下脱いでなんてしてたら空気が悪いなんてもんじゃない。戦意喪失はするかもしれないが。

 少なくともそこまで空気の読めないことはしたくないと、少しばかり残っていた正常な判断力で決断したものの、何か大事なことを忘れていた気がするチョイスだ。

 

 

 

 

「僕は一体なにをしてるのだろう!」

 

 

 

 ―――――――でもなんか楽しかったのでよし!!

 

 

 

 

 

 

 

 帰りはそのままピカチュウとレストランにいって、ごはんを食べてポケモンセンターへ。

 相変わらず大量に食べるピカチュウ。

 お金が尽きるのも時間の問題な気がする。

 その時は・・・その時考えよう。

 

 そんなことを考えながらカチャカチャと食器の音を立て、食事を進める。

 ピカチュウの方がテーブルマナーがしっかりしているのは若干気に食わない。

 なんなの?

 

 

 食事を終え、夜風に身を任せながらゆったりと一人と一匹は町を歩く。

 

 

「ねえピカチュウ」

 

「ピカ」

 

「楽し・・かったね」

 

「ピッカー」

 

 

 それは本来あるべき姿。

 少年がポケモンと戯れる、あってしかるべきの日常。

 

 しかし少年は非日常の世界に身を投じている。

 認識が甘かったとはいえ、決断してしまっている。

 ゆえに、この日常が長く続かないこともなんとなくわかっている。

 

 トキワの森での出来事。

 その一部始終は間違いなく少年の心に小さくない傷を残した。

 そして、狂気の種を植え付けた。

 本人にその気がなくとも、それは徐々に成長して花開くことだろう。

 

 それは気づくことは適わない。

 あわよくば、花開く前に少年の旅が終われるように祈るほかない。

 

 

 日が落ちると同時に、少年の心にも闇が生まれる。

 落ちた気分と共に、楽しい一日が終わりを告げた。

 

 

 

 この日もポケモンセンターに宿泊。

 途中ロビーにいた人とポケモンを驚かせながら歩いていき、そのまま寝る。

 なんだかいろいろ疲れてしまった。

 

 ピカチュウの寝顔を見ることなく、そのまま眠りに落ちる。

 明日はようやくニビシティに行けることを少し考え、やはり考えるのは明日にしようと決めた所で意識が途切れ、静寂が訪れる。

 

 

 

 

 



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第十三話 ピカチュウ隠匿大作戦結果

意外にも効果ある。


 トキワシティジムは、ジムリーダー不在で閉鎖していた。

 サカキさんは本当に不在がちのようだ。一体どこに行っているのだろう。

 

 トキワの森の件でお礼を、と思ったがそれも適わずトキワの森に向けて歩いている。

 当然ピカチュウは服を着ている。当然と言い切ってしまった方が気持ちがいい。そういうことにしておく。

 

 朝の街並みを楽しみながら町の出口に向かっていると、見たことのある姿が道に座り込んでいた。

 髪の毛が随分と後退した頭に細い目。不揃いなあごひげを携え、ゆったりとした茶系統の服を着て酒瓶片手に独り言。

 

 その姿を見て、半分きまずいと思いつつ、半分はホッとした。

 

 

「どうも、おじいさん。」

 

「んん?ポケモンの捕まえ方を教えて・・・おお少年。ええと、ササダンゴ君だったか?」

 

「サトシです。」

 

「おお、そうじゃサトシくん。なんだ、森に入ったと思っておったがどうした?儂が恋しくなったか?ふぉっふぉ」

 

 

 冗談なのか本気なのかわからないが、顔が紅潮しているところを見ると酔っぱらっているのだろう。

 酒瓶を口につけ、傾ける。酒臭い息をぶはーっと出し、サトシは微妙に顔をしかめた。

 

 

「ちょっと理由がありまして。」

 

「なるほどなるほど。深くは聞くまいよ。ところで―――」

 おじいさんはもったいぶったかのように少しだけ言葉を止めた。

 

「?」

 

「あのでっかいピカチュウはどこへいったんだ?」

 

 

 

 意識飛びそうになった。

 

 

 

「それに、そのでっかい片方は誰かのう?以前はおらんかったように思えるが」

 

「あ、えっと、ですね」

 

「物騒な世の中だ、用心棒でも雇ったのかね?ふぁっふぁ」

 

「あの、これピカチュウです。」

 

「・・・ほぁ?ピカチュウ?」

 

 

 酔っぱらって視点が定まらない目を細め、サトシの隣にいる巨体をじろじろと観察する。

 

 

「・・・耳、がでとるな」

 

「・・・はい」

 

 

 

 間が痛い。

 

 

 

「・・・ぶふっ!わうぁはははははははははひゃひゃっひゃひゃひゃひゃはははははは!!!」

 

 

 何も言えない。顔をそむけることしかできない。

 居心地の悪い空間だったが、黙っておじいさんの次の言葉を待つ。

 

 

「ふぁふぁふぁふぁふぁ!!はあ、はぁ、よ、酔いが冷めたわい。ふふっ、こりゃないすあいであだな!」

 

「えっ?」

 

 

 冗談でしょ?とでもいいたげなサトシの顔をおじいさんが満足げに見ている。

 

 

「どういうことですか?僕はもはや悪い冗談とでも思いたい気持ちでいっぱいなんですが。」

 

「ふっふふ、考えてもみたまえトロロコンブ少年。」

 

「サトシです。」

 

「こんな恰好したポケモンがおるか。どうみても、ピカチュウの恰好をしようとした悪ふざけの大人にしか見えん!」

 

「あ・・・」

 

 

 そうか。でかい人型のポケモンからポケモンの恰好をした人間に見方を変えたのか。

 たしかにこれなら裏の住人にも確証が得づらい状態にはなったかもしれない。

 それはたしかにいいことだ。いいことなのだが。

 

 

「これ、いままで以上に、僕をとりまく環境が悪化したとしか思えなくなったんですが。」

 

「ふぁふぁふぁふぁふぁふぁふぁあああふぁあふぁふぁ!!!!そうだの!ピカチュウのカッコした大人と歩いてる少年ってシチュエーションはそうそうないぞ!!!」

 

「なんだか恥ずかしくなってきました。もう襲われてもいいからそのまま行きたくなりますね・・・」

 

「ふっふ、そう卑下するものでもないだろ。いいアイデアだと思うぞ?そのピカチュウ、ボールに入ろうとせんのだろう。」

 

「はい、そうなんです。」

 

 

 不安そうな顔を見ながら、対照的に笑顔なおじいさんが言葉を続ける。

 

 

「とりあえずそのまま森を越えなさい。新しいポケモンは捕まえたかね?まだなら儂のクラブで進め。トキワの森のモンスターくらい十分に戦える。」

 

「あ、そういえば」

 

 

 おじいさんにもらったクラブ。キャタピー戦ではそれどころじゃなかったので存在すら意識から消えていた。

 若干モンスターボールから哀愁が漂っていたのは気のせいだろう。ごめんねクラブ。

 

 

「とにかく進まないことにはなにも始まらんよ。先に進め少年よ。進むことでわかることの方が多い。止まってしまっては何も始まらんぞ?」

 

 

 再度酒瓶を傾けながらおじいさんは若者へ人生論を説いていた。

 年齢を重ねるとそういう話がしたくなるとは母親談。

 

 何はともあれ、抱えていた不安(主にピカチュウ)については少しばかり安心できたので、先に進む足も多少軽くなったというもの。

 おじいさんは狙って話していたのかどうかわからないが、気持ちが軽くなった気がする。

 その点に関しては感謝しなければなるまい。

 

 

「おじいさん、ありがとう!」

 

「ん、じじいの話も役に立ったかね?それはなによりじゃ。」

 

 酒臭い息を吐き出しながら、赤く染まった顔を崩し微笑んだ。

 

 

「マサキによろしくな。」

 

 

 

 

 おじいさんに別れを告げ、サトシはトキワの森に向かって歩き始めた。

 

 




みじかめ。


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第十四話 ニビシティ

最初の難関。


 ニビシティ。

 

 トキワの森を抜けるとすぐ目の前にある町。

 あらゆるポケモントレーナーにとって第一の関門となるニビシティジムのある場所。

 しかし物々しい雰囲気があるわけでもなく、実際は博物館があったりと観光名所的な扱いもされている。

 トキワシティよりも町への玄関口が多いため人の出入りもそこそこに多く、ショップの品ぞろえもトキワシティより若干ではあるが多い。

 

 むしろトキワシティから来る人間を田舎者扱いするきらいもあるようだが、二メートルを超える相方をそばに置くサトシに声をかけるどころか近づこうとする者もおらず、むしろ物珍しいものを見る目で見られることに違和感を覚えながらポケモンを回復させるためにポケモンセンターへ足を運ぶ。

 

 半ば都市伝説かと思っていたが、ポケモンセンターの受付を担当している人はトキワシティにいた人と同一人物だ。

 ―――――いや、厳密には違うのだが。違いの区別がつかないほど見た目がそっくりなピンク髪で看護婦姿の女性がにこやかに接客していた。

 

 

「ポケモンセンターへようこそ。お預かりするポケモンは三体でよろしいですか?」

 

「はい、よろしくお願いします。」

 

 

 腰のベルトからモンスターボールを三つ外し、受付に渡す。

 もちろんピカチュウは含まれていない。

 

 

「それではお預かりします。治療がすみましたら番号をおよびしますのでロビー内でお待ちくださいね。」

 

 

 顔を見て軽くうなづくと、ボールを持ってカウンターの奥へと消えた。

 ものの数分でお呼び出しがかかるだろう。

 

 なかなか混雑していたが、ぽつぽつとイスがあいている。

 森を抜けて足が多少疲れていたので座ろうかなと思ったが、隣にいるでっかいのを見てあきらめたように壁にもたれかかる。

 

 

「ピカチュウ、大きすぎてイスに座れないしね。」

 

 

 少年なりの気遣いなのだ。

 周囲からポケモンだと認知される状態なら他のポケモンとの交流をしててもらうことも考えたのだが、いかんせん人のなりをしている現在。

 ただでさえ目立っているのに、ポケモンと話し始めたらもはや混乱を招きかねない。

 ニビシティに入って一時間と経たないのにそんな状態を招くのはなるべく避けたい。

 ピカチュウもおとなしくしているし、素直に番号を呼ばれるのを待つ。

 

 

「ポケモン三体、ね。」

 

 ピカチュウの顔を見ながらトキワの森を思い出す―――――

 

 

 

 

 

 おじいさんと別れた後、そのままトキワの森に入った。

 天気は晴れだったし、木漏れ日もあり本来ならば気持ちのいいお散歩日和、なんてこともいえたのかもしれない。

 しかしサトシにとっては砂を噛み潰すような記憶しかこの場所にはない。

 

 早く森を抜けたいという気持ちが先立ち、獣道を進む速度も徐々に上がる。

 しかしここは野生ポケモンの宝庫、トキワの森。加えてトレーナーもいる。

 裏の住人による襲撃の可能性が下がったとはいえ、それはサトシ側の事情でしかない。

 そんな事情はまったく知らない通常のトレーナーとは当然戦闘になるわけで、例外なく通常のバトルに巻き込まれた。

 

 相手の出してくるポケモンは、やはり虫ポケモン。

 もちろん、普通に捕まえて、普通に進化したポケモン達だった。サトシにとっては安全そのもののバトルである。

 

 とはいえ、こちらの持つポケモンはクラブ一体のみ。

 しかも水系統のポケモンである。木と草と土しかないこの空間でどれだけの力が発揮できるのやら――――

 

 

 

 と心配もよそに、おじいさんのクラブはめちゃめちゃ強かった。

 いあいぎり、かいりき、なみのりを覚えているクラブ。

 低レベルな虫ポケモンしか出さないトキワの森のトレーナーはかわいそうなくらい敵ではなかった。

 バトルで勝つ度に、虫取り少年達のなけなしのおこずかいを若干胸が痛くなりながらもらいつつ、トキワの森を進む。

 

 

 歩いていると、ふとおじいさんの言葉を思い出す。

 

 

『なるべく普通のポケモンもつかまえながらいくんじゃよ。』

 

 

 そんなことを言ってた気がする。

 ここまでの道のりは、クラブを出すことなくピカチュウがつかんで放り投げていた。

 たぶん森から外には出ていないくらいの強さで投げてくれていた、と思いたい。

 

 思慮を巡らせながら歩いていると、ちょうどよく草むらからポケモンが飛び出してきて――――

 

 

 

「キャタピー!」

 

 緑色の小さい身体を大きく必死に動かしながら愛くるしいいもむしポケモンが姿を現した。

 

 

 ・・・少し思うところがある。感情的になったってのも否定できない、が。

 

 

「よし、僕が最初に捕まえるポケモンは君だ。キャタピー。」

 モンスターボールを構える。

 

 

 

 つかんで放り投げようとするピカチュウを片手で制しながら、ボールが当たる距離までジリジリと近づく。

 弱らせる、なんて芸当はできない。

 ピカチュウはもってのほか、クラブですら一撃でひんし状態に追いやってしまう。

 ここは一発勝負。

 

「よし!いけ、モンスターボーーール!!」

 

 掛け声とともに手のひらほど大きさのボールをキャタピーに向かって投げつける。

 

 

 

 

 ――――ボールはあたらずに草むらに消え、驚愕するサトシとそれ以上にびっくりするキャタピーと、飛び跳ねてはしゃぐピカチュウがそこにいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

 

「結局、キャタピーとビードルを一体づつ。」

 なんやかんやでゲットしたポケモンがその二体、ということで。

 ピカチュウの肩の上で二体がもにょもにょ戯れながら歩いていたため、さらに奇異な目を向けられていた。

 

 何がうれしくていもむし二匹を肩に載せて歩いているのか理解し難かったが、少なくともピカチュウは特に拒絶することもなく、どちらかというと楽しんでいるように見えた、気がする。

 

 いいかげんピカチュウと意志疎通ができているのか不安になるが、反抗していないことは間違いない。

 むしろ反抗されたら死ぬ。胴体が半分になる。胴体が・・・・

 胴体を貫かれて中身が吹き飛ばされた虫取り少年が頭をよぎり、吐き気がこみ上げてきたがなんとか我慢する。

 

 

 そんなことを考えつつトキワの森での出来事を振り返っていると、ふとカウンターにいる一人の男に目が留まる。

 

 浅黒く焼けた肌に短くツンツンに立った髪の毛。

 細い目でにこやかに受付のお姉さんと会話し、六つのボールを受け取っていた。どうやらポケモンを預けていたらしい。

 秋っぽいシックな色合いの服装で身を包み、身長は百八十センチほどだろうか。

 

 受け取ったボールを腰のベルトに装着し、お姉さんに会釈してカウンターを離れようと振り返った。

 その時、ぼーっと男性を見ていたサトシと目があった。

 

 はっとして視線をそらすサトシだったが、少し訝し気な顔をして、男性はこちらに歩いてくる。

 

 

(どうしよう・・・なにか気に障るようなことしちゃったかな・・・?)

 

 

 いろいろと思考する前に、長身の男性は目の前まで来ていた。

 そして、にこやかに話しかけてきた。

 

 

「君はこの町の人ではないね?どこからきたんだい?」

 

「あ、マサラタウンからきました・・・。」

 

「そうかそうか、マサラタウンからね。」

 

「は、はい・・・・」

 

「なるほどなるほど。ところで―――――――」

 

 

 男性が少し目をあけてサトシから視線をそらす。その視線の先にはつなぎを着た巨体。

 

 

 

「このピカチュウは、君のポケモンかい?」

 

 

 

 あっけなく変装を看破し、平然とサトシの相棒の名前を告げた。

 

 

 



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第十五話 ニビシティの男

また濃いい人物がでてきました。


 ピカチュウの変装がバレた・・・・!

 

 と、驚いたのは間違いないのだが、よく考えたらバレない方がおかしい変装をしている。

 むしろバレなかったことの方が驚愕なのだが、サトシがおかしいのか一般人がおかしいのかあるいはその両方か。

 とにかくトキワの森からここまで二メートル四十センチの巨体のことにわざわざ突っ込んでくる危篤な人物はいなかった。

 自分がその場面に遭遇しても、あえて藪蛇をつついたりはしないだろう。普通に怖い。

 

 そんな、誰もが離れるヒトリボッチシステムの藪ピカをご丁寧に突き倒して正体まで看破したこの人は一体誰なのか。

 いや、問題はもっと別のところにある。この男性が誰であるかということよりも先に――――

 

 

 

 表の人か、裏の人か―――――――

 

 

 

 

 無言で男性を見つめていると、目の前の男性は首をかしげて

 

 

 

「おや?もしかして変装のような感じなのかな?ああ、そういう感じか。なるほどなるほど。」

 

 

 なにやら納得したようにうんうんとうなづく。

 

 

「ところで、君の番号が呼ばれているよ。受け取りにいくといい。そして、センターの外で待ってる。少し君と話がしたいな。」

 

「・・・はい、わかりました。」

 

 

 

 不穏な空気を感じながら、サトシはカウンターへポケモンをとりに行く。

 

 いつもと変わらず明るく接する受付のお姉さんからモンスターボール三つを受け取り、腰のベルトに装着する。

 ありがとうと伝え、お姉さんの笑顔で見送られるが、とても気分が重い。

 

 一体何を話すのだろう。

 ポケモンセンター内を見まわす。ここには出入り口は一つしかないようだ。

 もとより逃げるなんて選択肢は無いのだが。

 

 ―――――――どこにいてもピカチュウが一緒だと隠れようがないから。

 まさかボールに入らないということとでっかいということがこんなところで響いてこようとは思わなかった。

 

 とにかく、あの人は一体誰なのか。悪意のある人には見えなかったけど。

 なんというか、単純に興味というか、そんな感じで話しかけてきたように思える。

 身長は高いし威圧感も最初は感じたが、口調は落ち着いているし大丈夫、だろう。

 

 そしてなにより街中だ。

 急に裏のバトルになるなんて展開は、レッドによって統制されたルールであればそれこそありえないだろう。

 多少の緊張感はあれど、特に問題のある行動ではないはず。

 

 そう判断し、サトシはピカチュウを連れてポケモンセンターのドアをくぐる。

 

 

 

 

 外にでると、十メートルほど離れたところで先ほどの男性が手招きしている。

 ゴクリ、と唾をのみ、ドキドキしながらその男性の元へ歩いていく。

 

 

「わざわざすまないね。どうしても話したかったものだからね。」

 近づくと笑顔でそういった。晴れの日差しと焼けて褐色になった肌がマッチしており、晴れが似合う人だなと思った。

 

「どういったご用件でしょうか?・・・」

 

「そんなに緊張しなくてもいいよ。そして、そのピカチュウはなんでそんな恰好をしているんだい?」

 

「えっと・・・ふぁ、ファッションです。」

 

 

 サトシは言葉を選んだ。

 厳しい言い訳な内容ではあるが、相手はどういった人物か内情がまったく知れない。

 冗談ととられてもいいと考えてとりあえずそんな言葉を口にした。

 相手の反応によっては、逃げの一手も厭わないつもりではあったが、ピカチュウと一緒で逃げられるのかという不安の方が大きい。

 そんな深読みを繰り返していたサトシの脳内だったが、返ってきた返事は予想していなかったものだった。

 

 

「ファッション!!!!!なんてこった!!!」

 

 

 天を仰ぐようにのけぞり、声を荒げる。茫然とするサトシをよそに男は言葉を続ける。

 

 

「ポケモンを愛玩する人は大勢いるけれど、愛玩するが故にポケモンを着飾る人はたくさんいるけれど!旅に引き連れているバトル用のポケモンに対してファッション!!確かに君の連れているピカチュウは人の形はしているようだけれど!人の服を着ることができるのかもしれないけれど!!どうやったらそんな考えにいきつくんだい!?ファッションショーにでも出場するのかい!!?その割にはセンスのない服のチョイスだが――――ハッハッハ!」

 

 

 つらつらと口から出てくる言葉の数々。バカにしているようでもあるし、滑稽だと思われている節もある。

 しかしいまいち本心が読み取れず、サトシは口ごもりながら言葉を返す。

 

 

「・・・一体何が言いたいんですか。」

 

「素晴らしいってことさ!ああ、とてもとっても素晴らしくて素敵で最高だね!」

 

 

 ―――――――え?

 一瞬、背筋がゾクッとなった。言ってることに対してというよりは、その空気感に対して。

 キャタピー戦を終えて、サトシはある種の恐怖への感覚が鋭敏になっていた。

 当然本人には自覚のない感覚ではあるが、何か得体のしれないものが目の前にあると、目を離せず寒気が走る。

 そして目の前の男性に対してもそのようなものが一瞬感じられた。

 

 サトシが感じたものなぞ露知らず、目の前の男性はさらに言葉を紡ぎ出す。

 

 

「素晴らしくて革命的だ!愛らしいポケモンを着飾るのはある種、当然の結論、行き着く先だとも思えるが、こと戦闘に対して着飾るなんてことをするトレーナーなど見たことがない!しかも防御力や攻撃力を高める目的でもなく、ファッション!何の意味もなく、何の利益もない!単純にオシャレのためだけに服を着せる!!奇天烈だとも思えるが、それのなんと先進的で前衛的なことだろうか!!ああ、とってもいいアドバイスをもらったよ。すぐにでも僕のポケモンもファッションを楽しませたいと心から思っている!ああでも確かにその通りだ。人だけでなくポケモンもファッションを楽しむべきだとも。そういう意味では僕はポケモンと人を区別していたのかもしれない。とても心苦しい。こんなにも僕はポケモンを愛しているのだから!!!」

 

 男性は両手を左右に広げ、大演説を遂げたかのように手のひらを掲げ、空を仰いで自分の思いのたけを言い放った。

 

 

 

 ――――――――――――なんかヤバい。狂気を感じる。いや、言っていることは単純にポケモンへの愛ではあるのだけど。

 

 

 

 そういえばあの虫取り少年もキャタピーの美しさを延々と長ったらしく語っていたような記憶がある。

 狂信者は経てして自分の信ずるものに対して長文で語る傾向でもあるのだろうかと考えてしまうほどに、サトシは慎重になっていた。

 そして、狂気に対するサトシの行動は一貫している。

 

 

「・・・」

 

 無言で男性を見続ける。

 目の前の男性は自分の言いたいことを言い切った余韻に浸っているのか、上を向いたまま硬直している。

 その様子をサトシは茫然と眺め、首を振ってピカチュウを見る。

 

「ピカー?」

 

 いつも通りすぎて逆に安心感を感じるようになっているピカチュウの笑顔。

 少しばかり癒される。

 再度男性の方を向き直り、無言で見つめる。

 

 

 二人の間に若干の静寂が生まれたが、空を飛んでるポッポの鳴き声を合図に男性は正面に向き直し、サトシと目を合わせる。

 

 

「君とは仲良くなれそうだ。」

 

「・・・それはどうも。」

 

「そうだ、少年。君の名前を訊いていなかったね。お互いに自己紹介もせずにこんなに話し込んでしまった。」

 

 

 ――――――いうべきか言うまいか。思考するサトシを置き去りに、男性は自分の名前を惜しげもなく名乗ってきてしまった。

 

 

 

「僕の名前はタケシ。ポケモンリーグ公認のジム、ニビシティジムのリーダー タケシだ。よろしく!」

 

 

「・・・・・・・サトシです。」

 

 自分の運の悪さを呪いたいと心の中で叫んだサトシだが、目の前の男性にその声は聞こえない。

 

 

 焼けた肌で細目の男性――――ニビシティジムリーダーのタケシはそんなサトシの感情などどうでもよいとばかりに満面の笑みを浮かべて、頷きながら新しい友との出会いを喜ぶ。

 

 

「そうかサトシ!――――君とは仲良くやれそうだ!」

 

 サトシに残された選択肢は、苦笑いしかなかった。

 

 

 

 



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第十六話 サトシとタケシ

サトシ大誤算
タケシ大変態


 ニビシティジムリーダーのタケシ。

 

 背が高く、百八十センチほどだろうか。

 日焼けで褐色になった肌に細い目。

 短くツンツンに跳ねさせた黒髪で地味目の服を着こなしている。

 聞くところによると普段から同じような恰好をしているらしい。

 

 使用するポケモンは岩タイプで統一。町の中央付近にあるジムに普段はいるが、結構町内を散歩しているようだ。

 ポケモンセンターにもよく立ち寄ってポケモンを預けていくそうだ。

 

 

 さすがにジムリーダー、ニビシティでその存在を知らない人はいないと思えるほどに顔は知れ渡っているようだ。

 そして、知れ渡っているのは容姿や素性だけではなく、性格についても同様。

 

 ニビジムのタケシは別名――――――

 

 

 

 

 

 

『過剰愛情のタケシ』と呼ばれている。

 

 

 

 

 

 

 

 

「結局、ピカチュウのことがバレてるかどうかはわからず仕舞いだったなあ・・・」

 

 サトシが独り言ちる。

 

「いつでも遊びにくるといい!いや、サトシ君の場合はバトルかな?どちらでも歓迎さ。ジムで待っているよ!はっはっは!」

 とタケシが言い、愛想笑いで別れた後、サトシは再度ポケモンセンターに戻った。

 

 そこで数人にタケシについて訊きまわった結果が、先ほどの情報。

 当然といえば当然だが、タケシが裏のトレーナーであるなんて情報は誰の口からも出なかった。

 ちなみにマサラタウンを先にでた数人のライバルたちはすでにタケシを下し、次のジムへ向けて出立したらしいという話。

 もちろん表向きとしてのバトルなのでサトシとしてはあまり関係ないようには思える。

 どのようなバトルなのかサトシとしてはかなり興味はあるのだが。

 

 

 現在はポケモンセンターを離れ、フラフラとニビシティを探索している最中。観光スポットとしてそこそこの知名度であるため、ただ歩くだけでも街並みは綺麗に整えられている。あくまでもそこそこではあるが。

 

 

「ジムに挑戦してみても大丈夫かな・・・?」

 

 

 サトシが裏の人間だと思われていなければ、単純にバトルすることはできるのではないだろうか。

 悩むべきことがあるとすれば、このピカチュウが認識されているということ。

 

 

「そのあふれんばかりのポケモン感がわからないのかい?僕にかかればポケモンがどんな格好をしていても正体を看破してみせるさ!」

 

 とはタケシ談。ポケモン感ってなんだろうと思ったけれど、口にはしなかった。

 

 過剰愛情とは言いえて妙ではある。ポケモンをそれだけ愛していればそんな芸当も可能になるのかもしれない。

 だが、単純に愛情だけでないという可能性も否定できない。

 ドーピングにより強化されたピカチュウだ、という認識でタケシがいるのであれば当然案内されるのは裏のバトルなのではないだろうか。

 

 

 おじいさんの言葉が頭をよぎる。

 

「ニビシティジムとはまだ戦うなとは言われたけれど、なぜかまでは聞いてないんだよね。」

 

 

 別におじいさんからのアドバイスを無視するつもりはないが、すでにタケシと出会ってしまった以上スルーするのも気が引ける。

 タケシの得意とする属性が岩で、本来はピカチュウの苦手とする属性だから避けろ、という意味なのだろうか。

 そうであれば、なおさら避けて通らねばならないとは思う。

 なにせ今サトシの手元にあるポケモンはキャタピー、ビードル、クラブの三体。

 表のバトルであれば何の問題もないように思えるが、ノーマルポケモンは裏のバトルに耐えられるはずもない。

 ・・・レッドという例外は存在するが。

 

 不得意なタイプに対して、しかもこちらの手持ちはピカチュウ一匹。

 こんな状態で裏のジムリーダーに挑戦するなんて普通じゃ無い。いくらなんでもそれはわかる。

 であれば、僕がとるべき道は―――――

 

 

「やっぱり、ハナダシティを目指そう。ね、ピカチュウ!」

 

「ピカーー」

 

 

 というわけで、ニビシティジムは後回し。一旦ハナダシティへ向かうことにした。

 もっとも今後ピカチュウ以外の戦えるポケモンがサトシの手元に揃う可能性は薄そうではあったが、それを解決するためのレッド探し。

 数年間見つかっていない人物が見つかることを前提に考えているあたりサトシの脳内はやはり十四歳の少年と言わざるを得なかったが、そこに突っ込んでくれる人はここにはいない。

 しかもレッドに会ったところで通常のポケモンで勝てるようになるかどうかは全くの別問題。

 サトシの旅は前途多難であった。

 

 

 

 

 

 ――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 ピカチュウを連れて食事をし、(ニビシティでは和食のようなものが多かった。)博物館も訪れて化石というものを見た。

 ポケモンというのは本当に古代からいるものなんだなと感慨深くなったが、ピカチュウにとっては興味の対象ではないようだった。

 ちなみに入場料は二人分とられた。

 勝ったような気もするし、負けたような気もする。

 もしかしたら受付のおじさんは正体を見破っていたのでは?と考えると負けた気がするので、素直に変装がうまくいっていたと思うことにする。

 

 ピカチュウをお伴にニビシティ散策を続け、気が付けば日が傾いてきていた。

 今日はポケモンセンターに泊まって明日出発かなと考え、夕暮れ時を楽しむために遠回りしつつポケモンセンターに向かう。

 

 

「お、フレンドリーショップ。」

 

 

 そういえば虫取り少年との戦いできずぐすりを使っていたことを思い出す。

 いや、正確に言えばピカチュウが勝手に使ったのだが。

 なんにせよ無いものは無いので、補充するためにフレンドリーショップに入る。

 

 

「いらっしゃいませー」「おや、サトシ君。」「マジかよ」「ピカー」

 

 

 ショップ店員の固定台詞に続き、覚えのある声が聞こえ、とっさにサトシも声をあげた。ついでにピカチュウも。

 

 

「サトシ君も買い物かい?一日に二度も会うなんて、良い偶然だね!」

「ソーデスネ」

 

 そんなやりとりを、ニビシティジムリーダーのタケシとおこなった。

 自分の運の無さを若干呪いつつ。

 

 

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 居心地の悪さを感じながら必要なものを買い揃え、ご丁寧にサトシの買い物を待っててくれた過剰愛情―――もといタケシと共にショップを出る。

 

 

「いやあ、散歩ついでにショップに寄ったらサトシ君とまた出会えるなんてね。やはりポケモンを愛する者同士、波長があうのかな!」

 

 

 タケシは散歩中だったようだ。

 ジムリーダーの身でありながらよくジムを抜け出すのは、なるほど噂の通り。

 そして「散歩」という言葉の意味するところはサトシの考えるものと少し違っていた。

 

 

「ショップに入るときはさすがに戻ってもらったけどね・・・よっと」

 そう言うと、腰についていたモンスターボールを外し、二つ近くに放り投げた。

 

 

 バシューーーー

 

 音と光に包まれその場に出現したのは、大きい影と小さい影。

 八メートルを超える長大な大きさと、岩でできた見た目どおりの頑強さを誇るポケモン、イワーク。

 そして、小さい岩石に腕がついたポケモン、イシツブテ。

 

 こちらも噂に違わず、岩タイプのポケモンがタケシ愛用のポケモンのようだ。

 大きさも相まって人目に付くかも、と一瞬だけ案じたがそもそもピカチュウがいる時点で人目に付く。

 加えて相手はジムリーダー。

 通りがかった人も最初は少し驚いているが、タケシだとわかると嘆息し通り過ぎていく。

 

 

「どうだいサトシ君!僕の岩ポケモンもかわいいだろう!」

 

「実際に見るのは初めてなので、ちょっと感動してます。」

 

 

 いくらドス黒い世界に身をよせようとも、サトシはまだ旅に出たばかり。

 映像でしか見たことのないポケモンだらけなのだ。

 目の前に八メートル超えのどでかいポケモンが現れたら興奮もするだろう。

 サトシの見開いた目を満足げにタケシは眺めている。

 そんなサトシのカバンから、ピカチュウがマジックペンをそっと拝借しているのに気づかなかったのはしょうがないと言うべきか。

 そもそもピカチュウがマジックペンを入用とする現象自体にはもはやなにも言うまい。

 タケシもそんなことに口を出すわけでもなく、話を続ける。

 

 

「僕もたまに自分のポケモン達を連れ出して散歩しているのさ。ボールの中だけではかわいそうだからね。交流もかねている。自分のポケモンとはやはり目を見て話したいものだね。」

 

「あ、それはちょっとわかります。」

 

 

 会話が成立しているのかわからないが、サトシもよくピカチュウに話しかけている。

 一人で旅をする話し相手として成立しているかどうか疑問は残るが、その存在は確かにサトシの心の拠り所として機能はしていた。

 

 

「そうか!やっぱりサトシ君とは気が合うね!ポケモンを大事にするが故、その思いもかなり大きいものだろう。バトルになればこそ、お互いに死力を尽くして戦うけれど、やはりそれ以外の場所では平和でありたい。むやみにポケモンを傷つける存在は、許しがたいね。それが人間であってもポケモンであっても。」

 

「そうですね!やっぱり平和が一番ですよね!ねっピカチュウ!ピカチュウ?」

 

 

 タケシとの会話に意識を傾けていたため、ピカチュウが隣にいないことに気づかなかった。

 しかしその黄色く目立つカラーリングと二メートル四十センチの巨体をそうそう見失うことはなく、周囲を見渡すとすぐに見つかった――――――

 

 

 

 

 ズッガアアアアアアーーーーーーン!!!!!!!

 

 

 

「「・・・・・・・」」

 サトシとタケシは唖然とし、爆音が鳴り響いた現場の詳細を知ろうと首を振る。

 

 

 

 ピカチュウはすぐに見つかったのだが、その時ピカチュウは大きく振りかぶって、何かを岩に向けて思いっきり投げつけた瞬間だった。

 そしてその結果、近くに半分ほど埋まっていた直径一メートル半ほどの岩石――――マジックペンで器用に三つの円が描かれ、的のようになっていた岩石のど真ん中に、腕の生えた別の岩石が刺さっていた。

 

 

 そのへんの石ころに腕が生えているはずもなく、岩石に向けて全力で投げつけられた岩石は、いうまでもなくタケシのイシツブテ。

 元気に飛び跳ねていたイシツブテは気絶したのか瀕死なのか、岩石に刺さったままピクついている。

 ピカチュウは的の真ん中に当たったことに、満足げにガッツポーズをとっている。

 

 

 その光景を見て、事情を把握したポケモントレーナーの二人。

 愛情深く、ポケモンを愛してやまないジムリーダーと、自分の相方がやらかした事態に顔を真っ青にする駆け出しトレーナー。

 

 

 

「―――――――サトシ君。」

 

「はい・・・なんでしょうか。」

 

「僕の言ったことを覚えているかな。」

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・ハイ」

 

「覚えていてくれて幸いだね。では、僕が非常にブチ切れそうなのも理解できるかな?」

 

「・・・・・・」

 

 

 タケシはモンスターボールを取り出し、イワークと瀕死のイシツブテを戻した。

 サトシは何もいえず、ピカチュウはドヤ顔だ。

 

 

「サトシ君、ニビシティジムで待っているよ。君の望む、裏の戦いをさせてあげよう。―――――――逃げられはしない。」

 

「ヒッ・・・」

 

 バレてた。そして、サトシは本日何度目かの、自分の運の悪さを呪った。過去最大級の呪いをかけたくなった。

 

 

「今夜、二十二時だ。ジムにきたまえ。こなければ――――サトシ君自身が闇を知ることになる。」

 タケシは細い目を薄く見開き、サトシを一瞥してゆっくりとその場を立ち去った。

 

 

 サトシは何も言えず、その場に立ち尽くす。

 ピカチュウはなんのことやらという感じで岩に腰かけ、すっかり日も落ちた夜空を見上げていた。

 

 

 

 しばらくそのままで、数分後ようやく涙目のサトシが口を開く。

「おじいさん・・・・・約束、守れそうにないです。」

 

 

 ニビシティジムリーダー、タケシとの裏の戦いが避けられなくなったことは間違いない。

 そして下手したら命すら危うい現状に、十四歳の少年の心は早くも折れそうであった。

 

 

 そんな中―――

 

 

「ピカーーーーチュウー」

 

 

 ピカチュウだけが、なぜかご機嫌な様子だった。

 

 

 

 

 サトシの最初のジム戦が幕を開ける。

 

 

 

 

 




ドンマイサトシ


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【番外編】オーキド博士のドーピング☆実験室 一匹目

オーキド博士がドーピングに染まっていた時期のお話。
狂気&若干の胸糞注意。




 これはオーキド博士がドーピングアイテムの研究に勤しんでいた時のお話。

 ドーピングを行うことでポケモンがどう変化するかをつぶさに観察し、まとめていた時期。

 博士も特に罪悪感などなく、研究者という立場でガンガンドーピングを使っていた狂気の時代である。

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

「今日もワックワックドッキドキのドーピング実験だー!どのポケモンに薬物注入していこうかなー!?」

「たーのしみでーすねーオーキドはーかせ!」

 

 めちゃくそハイテンションなオーキド博士。

 そして傍には博士の助手である――――

 

 

「どのポケモンが面白くなりそうだろうね!?タツロウ君!!?」

 

「やーあっぱり、不定形のメタモンがおすすめ―でーすねー!」

 

 

 タツロウと呼ばれた人物はこの研究所に来て一年程度。

 少し間延びした口調が特徴ではあるが、根はいたって真面目。ここに来た当初はポケモンと人間の共生について研究したいですなんてお行儀のいいことを口にしていたものだ。

 

 しかし見ての通り、この一年でかなりオーキドに毒されている。

 同調する人物二人しかいない研究室。

 結果的にいろんなものが破滅的な思考と共に進行していく毎日となっているわけである。

 

 

「さて、本日もいっくぞいっくぞレッツゴー!!」

「れっつーーごーーーー!」

 

 

 研究者二人の目の前には、一メートルほどの回転する丸い板が壁についていた。

 板にはポケモンの名前が記載されており、くるくる回る仕組み。あれだ。ダーツでタワシとかパ○ェロとかゲットできるやつにそっくりだ。

 この研究室はオーキド博士が管理しているためか私物が非常に多い。

 つまりパジ○ロゲットなルーレットもたくさんある私物の一つ。

 

 いくつかあるキャビネットの中にはさらにいろんなオーキド道具が備わっているが、それはおいおい紹介できる機会もあるだろう。と思う。

 

 

「タツロウ君、スタートだ!」

 

「ル―――――レット、回!転!」

 

 

 ガッ ギュルギュルギュルギュンギュンギュンギュンギュンギュギュギュギュギュギャアアアアアアアアアア!!!!!!

 

 

 オーキドがスイッチを押すと、もう目視できないくらいのスピードで異常回転を始める。音がおかしい。

 

 

「さあ!ここで登場するのは新兵器!こちら!」

「こーちら」

 

 

 そういってオーキドが壁についている赤いスイッチをポチっと押すと、ビーッビーッという音と共に床がせりあがってくる。

 そうして出現したものは、長さ一メートル半ほどの大砲のようななにか。

 

「これこそが!このダーツのためだけに開発した『ビードル高速射出装置』であるぅ!」

「ひゃっはー!」

「この穴にビードルを詰めてスイッチを押すと」

「おすとー?」

「時速三百キロでビードルが射出される。」

「はやいー」

 

 

 もはや狂気通り越して面白人間と化したオーキド博士と助手の二人。

 

 

「では発射」

「はっしゃ」

 

 ポチっとな。

 

 

 ボタンを押した瞬間、キュイーーーーンという起動音と共に、ゴウンゴウンと機械が動き始め―――――

 

 

 

 

 次の瞬間爆散した。

 

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

 

 瓦礫につつまれた研究室内から最初に聞こえた声は

 

「がーーはっはっは!タツロウ君、無事かね?」

 

 

 ゲホゲホと咳き込みながら助手が答える。

 

「はーいー、それよりはかせ、みてください。」

 

「おーー?おおー!ちゃんとビードルが刺さっておるわ!成功だな!一発しか撃てんし爆発するがな!」

 

「ですねー。」

 

「さてさて、何のポケモンが選ばれたかな?」

 

「えーーっとでーすね。」

 

「うむ。」

 

「タマタマですね。」

 

「タマタマかー!たまごポケモンだな!見た目からしてどこがどう変化するか想像し難い!だがそれがいい!さっそくレッツドーピング♪」

 

「どーぴんぐー!」

 

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

 

 研究所のポケモン管理部からタマタマを連れて研究室に戻る。

 

 暴れてもよいように檻の中にモンスターボールを投げ入れ、タマタマを解放する。

 

「タマタマー」

 

「うむうむ、元気なタマタマだな!さて、順番にドーピングしていくかな・・・ええいめんどうくさい。全部いっぺんにやろう。」

 

「いっぺんにちゅーにゅーですー」

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

 一時間後――――

 

 

 

「タツロウくん」

 

「はいー」

 

「これはヤバイ」

 

「ですねー」

 

 

 

 檻の中には、タマタマがいた。

 

 

 本来は卵型の体を六つもった集合体のポケモンである。

 

 

 だが、目の前にあるものはそうではない。

 

 ―――――都合百体近くの集合体。且つ現在も順調に増殖中な物体だった。

 

 卵一つ一つを見ると、それぞれ色が違う。赤だったり緑だったり青だったり。

 カラフルで綺麗だななんて思ったりもしたが、まさかその色の違いがそれぞれのもつ毒の種類によって分別されているとは。

 

 檻は現在強化ガラスで完全密封してあるため問題ない。

 問題ないが、無限増殖するタマタマがたまごばくだんを延々とこちらに向かって投げつけてくるのだ。

 そしてそれが爆発するたびにその色の毒霧がブシャーっとガラスの檻の中で広がる。

 当然のようにタマタマはその毒で死ぬことはないようだが、一つ一つの卵についた顔が白目ひんむいて一斉にこちらをガン見してくるのは心臓によろしくない。

 

 当然といえば当然であるが、タマタマには嫌われてしまったようだ。

 

 

「オーキドはかせー、レポートはこんな感じでいいですかー?」

 

「うむ、ご苦労だったタツロウ君。しかしこのタマタマは廃棄だな。化学兵器としてどこかに投げ込めば壊滅を狙えそうではあるが、こうまで嫌われてしまうとそれも難しい。途中で浮遊して戻ってこられても困るし。記録が終わったら廃棄部に通しておいてくれ。」

 

「しょうちですー」

 

「今日の実験はこれでおしまいだな。明日はどんなポケモンが楽しませてくれるかな?楽しみだのー!」

 

「ですねー」

 

 

 

 

 オーキド研究室。

 ポケモン研究所内にある最もヤバいと称される場所であり、そこにいる二人も狂気に染まっている。

 

 力を求めるがために正常な精神を損失した二人のポケモン研究はまだまだ続く。

 

 




トライバルデザイナー GAI(中の人)
HP→https://www.kamibukuro18.com
tw→@kamibukuro18



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第十七話 ニビシティジム

初のジム戦。
どうなることやら。


 ポケモンセンター内――――

 

 すでに日は落ち、外は暗くなっているがポケモンセンターのロビーは変わらず清潔なイメージの白色電灯の光に包まれている。

 

 そこで一人ボーっと時間が過ぎるのを待っている少年が座っている。

 

 ニビシティジムリーダーに図らずも喧嘩を売ってしまった少年―――サトシがいた。

 なにやら独り言をブツブツと三十分以上つぶやいているようだが、結論にはいたっていないようだ。

 

 

「このまま夜の闇に乗じてニビシティを抜けてしまえば大丈夫・・・・?いや逃げられないって言ってたし。絶対見張ってるよ。仮眠とったら朝になっちゃいましたテヘ☆作戦は?・・・いやもっと怒りを買いそうな気がする。でも・・・」

 

 

 不毛な思考時間だとも思えるが、サトシにとっては死活問題に思えた。

 なにせ下手したら死に直結する問題でもある。所詮ポケモンバトルだと侮っていた部分があったのは否定できない。

 その思いも虫取り少年とのバトルで吹き飛ばされてしまったのだが。

 

 虫取り少年は問答無用でサトシ自身を狙ってきた。

 ピカチュウのおかげで助かりはしたが、裏のバトルはそういうものなのだという概念をサトシの頭に刻み込んだ出来事だった。

 

 ―――そのピカチュウが今回の事態を招いたのだから感謝していいものやらわからないことになっているけれども。

 そして当事者のピカチュウは隣で爆睡している。

 体力回復するため、だと信じたいが、このまま起きなかったらサトシはカニと虫二匹でブチ切れタケシと対戦する羽目になる。

 なるべく想像したくないシチュエーションだ。

 

 

「・・・逃げるのは無理そう。」

 

 

 当然の帰結。しかし、この結論に至ったからこそこれから起こる死闘への対策を考える準備が整ったということだ。

 

 

「とはいっても、僕の手札はピカチュウだけ・・・一体どうすればいいんだろう。」

 

 十人に訊いたら十人が無理だと答えるだろう。

 ましてや相手は岩ポケモン。ピカチュウは電気タイプ。相性は最悪だ。

 

 岩に電気は通らない。小学生でもわかる常識。

 

 

「常識・・・常識か。」

 

 

 自分が知っている知識などたかが知れてる。それが自覚できるくらいには今現在の状況を俯瞰できている。

 だからどうだと言われたらそれまでではあるのだが、無知を知れたことでサトシの頭は別の視点での思考を可能にする。

 

 

「知らないことがあるなら、知っている人に訊けばいい。」

 

 

 至極当然。当たり前。これこそが常識。

 子供の特権などと言われていることでもあるが、知らないことは悪ではない。知ろうとしないことこそが悪なのだ。

 

 

「まあいろんな建前があるにしろ、まずは行動っと。」

 

 

 そういってサトシはポケモン図鑑を開く。

 

 

 トゥルルルル、トゥルルルルル、ガチャ

 

 

 

「あ、もしもし。サトシです。実は――――――――」

 

 

 

 

 時刻は二十時を回っている。

 タケシ指定の時間は二十二時。果たしてサトシは有効な戦略を立てることができるのだろうか。

 

 サトシが必死になって戦略を練っている間も、ピカチュウは隣で鼻提灯を浮かべていた。呑気か。

 

 

 

 

―――――――――――――――――――

 

 

 

 そろそろ町内の灯った家の光の数が減ってくる頃。

 サトシはニビシティジムの前に立っていた。

 

 

 二十二時。タケシ指定の時間がやってきた。

 

 

 

 

「逃げずに来たことを自分で褒めたい気分だよ。ピカチュウ。」

「ピッカー」

 

 

 隣にいるピカチュウに声をかける。

 

 ピカチュウが起きるか不安ではあったが、きちんと二十一時半には目が覚め、準備運動までしていた。

 時間管理も肉体管理もできているピカチュウ。ほんとにポケモンなのか若干疑わしくなってくるが、あれか。

 ドーピングで知識力とか増やしたのかな。たぶんそうだよね。

 

 そんな無駄なことを考えて緊張感をほぐしつつ、サトシはジムへと足を踏み入れる。

 

 

 

 ニビシティジムの中は薄暗く、最低限の照明しかついていなかった。

 昼間は活気があり、多くのトレーナーがバトルを展開している空間とはとても思えず、その場所にはトレーナーの姿は一人もいないようだった。

 

 盛大に出迎えてくるだろうと予想していたサトシは面食らい、誰もいないであろう空間を見つめ動揺を隠せない状態だ。

 まさか当の本人―――タケシ自身がオヤスミしてしまったのではないか

 

 

「時間通りに来たね。逃げずに来たことは素直に褒めよう。」

「うわっぷ」

 

 

 急に右側から声が聞こえ、へんな悲鳴をあげてしまった。

 これがピカチュウが発した言葉だったら卒倒しているところだが、聞き覚えのある声はタケシのもののようだ。

 

 

 

「裏のフィールドへ案内しよう。ついておいで。」

 

 そういうと、タケシが現れた方向―――ジム内の右側奥に進んでいく。

 サトシも覚悟をきめ、タケシについていった。

 

 どうでもいいが、薄暗闇の中に浮かぶピカチュウの姿がかなり怖い。

 

 

 

 

 ジム奥の床の一部。

 そこにタケシが近づき近くの壁に手をあてると、床が静かに横にスライドし、地下へ続く階段が現れる。

 

 

「こっちだよ。」

 

 

 無言で首肯し、タケシに続く形で階段を下へ降りていく。

 ピカチュウもそれに続く。

 

 

 

 トキワシティジムでサカキさんに案内された階段に似ている。

 足元だけを照らす照明に先の見えない階段。

 お互いに無言でゆっくりと足を進めていく。

 

 緊張感が高まる。これからどのような戦いが待っているのか。

 イメージトレーニングなんてものをする時間も考えもなく、ただただ不安。

 裏のトップトレーナーに対して、超未熟な自分が挑む無謀さ。

 そしてなにより、初めて挑むジムリーダー戦。

 緊張を感じないわけはない。ゆっくり階段を降りていくにつれてその緊張感が高まる。

 

 

 しかし、極度の緊張によってかき消されてはいるが、サトシの中には確かに好奇心が存在した。

 十四歳の少年の心はまだ未成熟。自分の知らないものを知りたいという純粋な探求心は恐怖心を若干だが取り去り、サトシの歩を進める手助けとなっていた。

 

 

 

 

 

「ついたよ、はいってくれ。」

 

「・・・はい。」

 

 

 

 

 いつの間にか目の前に現れていた扉を開けてタケシが中に入る。続いてサトシも中へ。

 

 目の前には、かなり大きな空間が広がっていた。

 大きさにしてサッカーコートくらいだろうか。天井も高く、六メートル近くある。

 要所要所に岩や地面がぼこぼこと露出しているのはニビシティジムだからであろうか。

 基本的には白一色で染められた室内で、人工物という空気感なのに違和感を感じるのは、配置された岩や地面の所為だと思われる。

 

 ただただ広い空間にサトシが言葉を失っていると、タケシがサトシの正面に立ち、口を開いた。

 

 

「ポケモンリーグ公認ニビシティジムリーダー、タケシ。裏バトルを始めよう。」

 

 静かにそう言った。

 

 

 

 

 



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第十八話 作戦

タケシ、やっぱり根は紳士的。



 サトシは、裏のバトルはルール無用で手あたり次第で傍若無人で暴力吹き荒れる大惨事になると勝手に思っていた。

 

 しかしそこにはしっかりとルールがあり、野性味あふれる大殺戮バトルが繰り広げられるわけではないようだった。

 良くも悪くもルール統制したレッドのおかげではある。

 多少手軽にドーピングできるようになってしまった事実もあるので、サトシの中のレッド評価は五分五分といったところか。

 

 

「サトシくんは正式な裏のバトルは初めてだね?多少私情を交えているとはいえ、僕と君がするのは正式で公式なポケモンバトルだ。もちろんルールがあるし、戦闘によって直接トレーナーに被害がいくことも基本的には無い。」

 

 

 基本的に、とついたのがサトシは気になったが、おそらくそこを追及しても無駄だろう。

 そもそもサトシに拒否権などないのだから。指定のルールに従うよりほかはない。

 無言で次に進むよう促す。

 

 

「バトルは三対三―――ではあるが、別に三体未満でも構わない。僕の出すポケモンが三体だというだけだ。出すポケモンがすべて戦闘不能になったら終了。死亡してしまっても同じだ。サトシ君がもし勝てば、ニビシティジムを制覇した証、グレーバッジをあげよう。」

 

 

 簡潔ではあるがルールを教えてくれるタケシ。さすがにいきなりバトルってことはないと思ってはいたが、あまりの丁寧さに拍子抜けしてしまった。

 てっきり感情にまかせ襲い掛かってくるものと思っていたが。

 

 

「僕が感情にまかせてポケモンをけしかけるとでも思っていたかい。」

 

 

「―――!」

 図星をつかれて、少し動揺する。

 

 

「不思議なことではないよ。僕はジムリーダーだ。この町を預かる人間が、私情だけで行動しないさ。踏むべき手順はきちんと踏む。対戦の場所としてここを指定したのは、公式な対戦としてきちんと残すためにある。まあもっとも――――」

 

 

 一旦息を吸い直すタケシ。

 それはひどく満足げで、恍惚を感じているような、自分に浸っているようで、狂気を少しばかり帯びていた。

 

 

「公式にサトシくんのピカチュウをぶちのめさないと、僕の気が収まらないからだよぅ。」

 

 

 と、満面の笑みで話した。

 

 

「・・・・」

 

 

 無音。

 広い室内に音を発するものがないと耳鳴りがする。

 この空間もキンッという音が響いているような気がして、その感覚に慣れないサトシが我慢できずに言葉を発する。

 

 

「一つ、提案というか、その、バトルの方法みたいなところで相談が・・・」

 

 

 おずおずとサトシが口にする。優柔不断に見える口ぶりは、不安と恐怖によるものだ。

 だが、この提案を受け入れてもらわなければサトシの勝率は格段に下がるはずだと思考した結果の行動。

 サトシは意地でも交渉を成立させなければならない。

 

 

「なんだい?」

 

 

 特に訝しがる様子もなくタケシが応じる。

 実際のところ、裏のバトルにおいて賭け事と交渉は頻繁に起こり得る。

 アイテムのやりとり、ポケモンのやりとり。最終的にはお金と命を天秤に賭ける者までいる。

 リーグ公認の公式戦でこそ行われないが、逆にいうとそれ以外ではほとんど賭け事が行われていた。

 サトシがその事実を知ることはないため、平然と応じたタケシに違和感を覚えないではなかったが、それを追及しても意味がない。

 若干心につっかえるものがあったが、そのまま先を進める。

 

 

「・・・バトル形式を一対一の勝ち抜きではなく、バトルロイヤルにしてほしい。」

 

「バトルロイヤルというと、すべてのポケモンを同時にフィールドに出し、最後まで立ってたポケモンが勝利という、バトルロイヤルかな?」

 

 

 確認のため、サトシの発した言葉が正気かどうか再度タケシが復唱する。

 

 

「はい・・・そのバトルロイヤルです。」

 

「なるほどなるほど、そこにどんな意図があるか知らないし、バトル形式の提案を受けることに反対はない。だが―――」

 

 

 言葉を少し溜める。冷静にことを運ぼうと徹してきたタケシであるが、若干のイラつきを覚える。

 つまり―――

 

 

「あえて言おう。正気かい?サトシ君。裏のバトルにおいて一対一でも一瞬の判断が勝敗を決する。それがチーム戦になるということは当然連携力が必須になってくる。申し訳ないがサトシ君にそれができるとは到底思えない。いくら僕が君をぶちのめしたいと思っていても、自爆行為を黙って見過ごすことはできないな。」

 

 

 サトシを弱者と侮っての発言。

 それも当然だ。相手はポケモンリーグの誇るトップトレーナーの一人。岩タイプのマスタートレーナー。

 その男の目の前にいるのは十四歳の少年。

 タケシは私情ではバトルをしないと言っているが、その根本は完全に私怨だ。

 そしてその怨恨の向かう先はあの筋肉質なピカチュウにであって、サトシにではない。

 当然ポケモンの責任はそのトレーナーということもあり、ある程度痛い目に合わせてやる必要があるとは思っている。

 

 その程度の考えだ。その思考のパターンの中に、『自分が負ける』なんていうストーリーが思い描けているはずはない。

 加えて、サトシの持つポケモンはおそらくピカチュウ一体のみ。

 弱点属性且つ一対三の状況。

 なおさらタケシは自分が少年に闇の世界の教訓を教え込ませるという立ち位置にあると考えている。

 

 ―――あのふざけたピカチュウを許すことはできないが。

 

 

 

 果たしてサトシは、そんなタケシの思考に反して勝つつもりでいた。

 タケシの言いたいことは痛いほどにわかる。無知無謀、経験不足、力量不足。

 一体どの要素を加味すれば裏のジムリーダーに勝つなどという妄言を吐くことができようか。

 しかしサトシは細すぎる勝筋を確かに見ていた。その方法はたった一つ。ゆえに、その一度で勝負を決めなければならない。

 警戒されては成功しない、ギリッギリの作戦なのだ。

 

 

「自爆じゃない。あなたのポケモンをすべて破る。」

 

 

 震えながらサトシが答える。

 しかしタケシは冷静に反論を述べる。

 

「バカを言うな。ピカチュウ一匹で何ができる?力任せに頑強な岩を殴るか?効かない電撃を延々と繰り返すか?君が僕に勝つことはない。これは決定事項だよ。」

 

「やってみないとわかりません・・・・それに、一つ勘違いしているようですが―――――」

 

 タケシが訝し気にサトシの顔を見る。

 サトシは少しだけ口角をあげ、はっきりと伝える。

 

 

「僕の使うポケモンは三体です。」

 

 

 自分の仲間は他にもいる。ピカチュウだけではない、と。

 

 

「面白い、君の作戦に乗ってあげよう。その上で完膚なきまでにぶちのめすとしよう。」

 

 

 

 

 ニビシティジムリーダー戦が幕を開ける。

 

 

 

 



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第十九話 ジムリーダー戦、開幕

心理描写が好き


 物理攻撃タイプでドーピングを施したポケモンは、総じて肥大化した体を持ちやすい。

 通常のポケモンバトルフィールドに比べてここがかなり広大になっている理由は、その理由によるところが大きい。

 

 ましてやタケシのポケモンは岩タイプ。ただでさえ巨大な体躯をもったポケモンが多いため、ドーピングした際の大きさはいかほどになるのか。

 数メートル、数十メートルにも達してしまう胴体ですら容易に想像できてしまう。

 加えて、この度のバトルは三対三。フィールドを圧迫する巨体が三体。

 しかしそれを考慮してもあまりあるほどの大きさではあったが、頭で理解していることも目の前の現実を直視するとまた感想が異なるものだ。

 

 

「うーん、いつみても僕のポケモン達は素敵だ。」

 

 

「たしかに、でっかいですね・・・素敵かどうかは置いといて。」

 

 

 灰色の塊が三つ。

 そのどれもが、タケシが愛し、愛でて、理想を突き詰めてきた自慢の三体。

 

 一つは、長大。

 蛇というよりは竜に近い造形。

 もともとの大きさが八メートルを超える巨体にも関わらず、その大きさは比較にならないほど大きく、長くなっていた。

 岩でできた胴体も鈍く光り輝き、岩石というよりも鋼鉄に近い。

 頭部についている角もその長さを三倍ほどに伸ばし、且つその半分ほどの角が背びれのように胴体の流れにそって生えており、その凶暴さが見た目でわかるほどだった。

 

 一つは、頑強。

 都合二メートル近い身体。身長だけみたらピカチュウとあまり違いが見られないが、その胴体の構造は全く異なる。

 本来している丸い胴体とは異なり、その構造は単純に尖った岩で大量に表面を覆ったような、触れるものすべてを切り裂き、穿つような、そんな体躯。

 遠目から見ても顔も腕も見えない。

 かろうじて足のようなものは見えるが、ハリネズミのように胴体を鋭利な岩が覆っているため、弱点なんていえるようなものでもない。

 触れるものすべてを遠ざける。そんな意思を込めたかのような異常な形をしていた。

 

 一つは、暴力。

 近寄るだけで身体を粉々に砕かれる。そんなイメージを具体化したような存在。

 岩タイプではあるがその体躯は筋肉の鎧に包まれ、生半可な攻撃など仕掛けようものなら攻撃した方が負傷してしまうだろう。

 身長は四メートルほどまで膨れ上がり、この世を破壊しつくす巨人と言われても遜色がないほどに思える。

 その頭部にはすべてを削り取るドリルを携えており、暴力的な見た目をさらに増長させている。

 

 

 

 ―――――――イワーク、ゴローニャ、サイドン。

 イワークだけはタケシとの出会いによって目にしていたが、裏側に至ったポケモンの姿を見ると果たして既知と言えるのだろうか。

 それほどまでに変貌を遂げたタケシのポケモン達。

 そしてその姿をもってしてもなお、タケシへの忠誠を誓う姿勢を崩さない。

 お互いに愛し、愛される状態を作り上げたタケシには感服する。

 しかし、サトシにはそれがとても歪なものだと認識してしまっている。

 

 ドーピングはポケモンを幸せにできない―――そのような固定観念がサトシを支配しているのは否定できない。

 

 

「僕のポケモンを見てほれぼれするのは構わないがね、君もポケモンを出すといい。」

 

「――――」

 

 

 無言で腰のモンスターボールに手を伸ばす。

 ピカチュウはすでにフィールドに出ている。手に持つモンスターボールは二つ。

 

「頼むよ・・・!!君たちに、決めた!」

 

 声と共に二つのボールを投げる。

 

 

 

 タケシが抱く疑念は二つ。

 まず、サトシが団体戦を挑んできたこと。

 タケシのもつポケモンはそれぞれが強大な戦闘力を持つ。

 それだけで脅威なはずなのに、三体まとめてのバトル。自殺行為としか思えない。

 しかも手持ちのピカチュウは電気タイプで相性も最悪。悪手としか思えない。

 

 そして、サトシの使うポケモンが三体だということ。

 タケシはひそかにサトシのデータをチェックしていた。

 サカキがすでに登録したサトシのデータ。マサラタウン出身のピカチュウ使い。初戦でキャタピーを下す。その程度の情報しかないが、サトシが他のポケモンを使うということはどこにも書いていなかったし、サトシ本人の様子をみてもピカチュウ以外の頼れるポケモンがいるようにも見えない。

 策士なのか天然なのかという考えもあるが、いまいちそれも説得力に欠ける。

 タケシにとってサトシとは、その程度の侮ってしかるべきの相手であった。

 

 故に、サトシが出す残り二体のポケモンに興味はあったのだが――――――

 

 

「そんなポケモンでジムリーダーに挑もうと?冗談だとしたら笑えないよ、サトシ君。」

 

「冗談でもなんでもなく、僕の出せる最高最大の手札なんです。」

 

 

 サトシの目の前に展開されたポケモン。

 

 ピカチュウ、クラブ、キャタピー。

 

 属性のばらつきはあるにせよ、それだけ。

 クラブはある程度戦闘経験もあり、水属性ということで使いようもあるかもしれない。

 しかしキャタピーは捕まえて間もない。

 それでもサトシのために鼻息荒く意思を高めてる様子からみると、忠誠はあるようだ。

 サトシの人柄の成せる技なのかもしれない。

 

 忠誠度合はともあれ、タケシのポケモンとサトシのポケモンは大きさだけでなく単純に戦闘能力という点で明らかに劣っていた。

 これは覆すことのできない差として認識され、賭けとして成立しないレベルで実力は開いていた。

 

 

「作戦でもあるのかい?いっておくが単純な水の技くらいじゃ僕のポケモンはビクともしない。」

 

「それは・・・承知してます。」

 

「そうか、心配する必要もないというわけだね。」

 

 納得した、という顔をして、タケシが改めてサトシを見る。

 

「では、はじめるとしよう。」

 

 時間がゆっくりと流れる。

 空気が冷たい。

 地下の大部屋という点を差し引いても、緊張感からか肌がピリピリする。

 背筋に寒気が走り、ゾクッとする反面、手には汗を握る。

 

 無言の空間がサトシに襲い掛かる。しかし、その硬直も長くは続かない。

 

 

「ニビシティジムリーダー、タケシ。参る!!!」

 

 

 タケシの気迫のこもった声に続き、ポケモン達が咆哮する。

 

 

 くぐもった重厚な声が複数あがり、今まであった冷たさは一気に消し飛ばされ、熱気のこもった空間に変貌する。

 タケシの三体のポケモンは地面を踏み鳴らし、気迫を高めると同時にサトシのポケモン達を威嚇する。

 

 

 サトシのポケモン達は―――――

 

 クラブは果敢にはさみを打ち鳴らし

 キャタピーは縮こまりつつもタケシのポケモンを睨み返し

 

 

 ピカチュウは珍しくやる気になっているのか――――――

 

 

 

 

 クラウチングスタートの姿勢をとっていた。

 

 

 

 

 

 緊張感が若干ゆるんだが、初のジムリーダー戦且つ、公式の裏バトルの幕が切って落とされた。

 

 

 




キリがよかったので、ちょっと短めです。


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第二十話 タケシ戦

ようやく始まりましたタケシ。



 タケシとのバトルが始まった。

 

 タケシのポケモン達による咆哮と気迫。

 サトシのポケモンもそれぞれに気合が入った様子。

 

 

 サトシは緊張と気迫に押しつぶされないように、自分も大きな声を張り上げ、ポケモンへの命令を告げる。

 

「クラブ、『なみのり』!キャタピーは『いとをはく』!」

「クラーブ!」

 

 クラブのはさみから大量の水が流れ出る。

 その水は流れをつくり、タケシのポケモンに向かってうねりをあげて襲い掛かる。

 

 

「その程度の水が効くとでも思ってるのかい?サイドン、『ふぶき』!」

 

「ドーーーン!!!」

 

 

 サイドンのふぶきが大波を凍らせる。

 力技だけでなく、きちんと特殊技も覚えさせておくあたりさすがはジムリーダーというところか。

 本来不向きであるはずの特殊技の威力も尋常ではない。

 その矛先が水流に向けられているため問題ないが、あきらかに規格外の猛吹雪を局所的に発生させている。

 

 パキパキと音をたてて凍った水流をイワークが尻尾で砕き、再度視界を確保する。

 粉々に粉砕された氷塊がキラキラと舞い、幻想的な風景を作り上げる。

 

 光を反射しながら散り散りになる氷の欠片を見つつ、サトシとタケシが再度目を合わせる。

 

 

「・・・なんのつもりだい、それ。」

 

「作戦、です・・・これでも。」

 

 

 サトシの前には、先ほどまでいた三つのポケモンの影はなく、一つだけになっていた。

 ピカチュウの両肩の後ろ、肩甲骨のあたり。

 

 そこにクラブとキャタピーが、ガッチリ固定されていた。

 

 キャタピーのはいた糸によって。

 

 

 

 一瞬間があく。が、それもすぐにかき消される。

 

 

「ゴローニャ、『とっしん』!」

 

「ゴローーーニャ!」

 

 

 二メートルの岩石の塊が破壊の限りを尽くして突進してくる。

 進路上にある岩や石は、触れた瞬間に弾け飛び、原型がないくらい粉々になっている。

 ピカチュウといえど直撃したらただでは済まないことは明らかだ。

 

「ピカチュウ、よけろ!キャタピーとクラブは攻撃を続けて!」

 

「イワーク、追撃だ。」

 

 

 ゴローニャを紙一重で避け切ったピカチュウの姿が暗くなる。

 上を見上げると、随分と距離のあるタケシの場所から伸びている橋―――ではなく、イワークの頭。

 鋭利な角がピカチュウが少し前までいた場所に穴をあける。

 

 

「ピカチュウいまだ!『たたきつける』!」

 

「ピッカーーー」

 

 

 ピカチュウが左周りに一回転し、そのままの勢いで回し蹴りのように尻尾をイワークの横っ腹に叩き付ける。

 ゴッという鈍い音がし、イワークの胴体が横にぶれ、その長い身体を地面にくねらせた。

 

「ほう、なかなかの威力だ。だが―――」

 

 ピカチュウが地面に着地したと同時に、目の前にゴローニャの突進が迫る。

 

「――――――!!!」

 

 

 血が滴る。

 

 

 かろうじて回避したが、ゴローニャの鋭利な岩肌で浅くない傷を負ったピカチュウ。

 ポーカーフェイスを保っているため、その負傷度合がわかりづらいが、まだ大丈夫だとは思う。

 

 それぞれのポケモンが一旦距離を置いた状態で硬直状態となる。

 

 たった一合しただけだが、ピカチュウは負傷し、相手はほぼ無傷。岩ポケモンというのはダメージが通ってるのかわからないが、イワークはなんの問題もなさそうに首を左右に振って威嚇してきている。

 

 しかし、よく見ると若干ではあるがフィールドとタケシのポケモンに変化があった。

 

 

「なるほど、作戦とはそういうことか。」

 

 

 ピカチュウとの戦闘跡。

 そこにはいくつもの水たまりができており、イワークとゴローニャもその表面に水滴を浮かべていた。

 そして本来無いはずの白い蜘蛛の巣のような模様を軽く浮かべている。

 

 キャタピーの糸だ。

 

 戦闘中、クラブは水を出し続け、キャタピーはタケシのポケモンに向けて糸を吐き続けていた。

 当然高速戦闘中なので狙いを定めることは難儀だが、サトシはばらまくだけで良いと判断。

 結果、動き回るゴローニャとイワークはある程度の水をかぶり、糸を胴体に這わせていた。

 

 

「しかし、だからなんだというのかな。サトシ君。」

 

 

 事実、まったくといっていいほど効果は見込めない。

 泳ぎが不得意なカナヅチでも水たまりでは溺れることはない。

 多少ボロイ靴を履かされても速い人は速い。

 クラブとキャタピーの行った攻撃はその程度のことであり、結果は見ての通り。

 ドーピングによって超強化された岩ポケモンにとって、弱点である水をかぶったところで百ある体力が九十九になる程度のことだ。

 せめて高威力であるハイドロポンプか、あるいは同じドーピングによって強化されたポケモンなら結果は違ったとも思えるが。

 

 つまり、サトシの行った攻撃は相手の怒りと同情を買う結果でしかなかった。

 

 

 

 ゴローニャが地響きと共に重い胴体を前に進める。

 水たまりが弾け、ぴちゃりと音を立てる。

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

 サイドンは未だ動かずにいる。

 これは別にタケシが手加減しているとか体調が悪いとかではなく。

 

 トレーナーアタックを警戒してのことだ。

 

 

 裏の住人同士のバトルにおいて、トレーナーへの攻撃は暗黙の了解として認められている。

 そんな卑怯な真似はしない!などとのたまう人間もまあいなくはないが、ごく少数。

 ただでさえ規模の大きくなりがちな裏のバトルにおいて自分の身を守るのは必要なことなのだ。

 

 当然サトシにトレーナーを攻撃するなんて考えがあるはずもない。

 タケシの警戒は無用なものだ。

 タケシ自身もそれを承知している。あの少年はそのようなことをする人間ではないと。

 だがそれでも、タケシは裏のバトルというものをあらゆる面で理解している。

 

 なにせ、勝てなければ人生が崩壊するというレベルで入れ込んでいる人間ばかりなのだ。

 賭けの対象、力の象徴、権力の主張。そういったものを手放したくない人間は土壇場で何をするかわからない。

 

 タケシの過去の経験では、トレーナー同士が殺しあったというものまである。

 それほどまで人を狂わせる世界なのだ。

 

 サトシが狂うことは考えづらい。だが、無いわけではない。そして、あのピカチュウを打ちのめすのに三体も必要ない。

 当然三体ともタケシの自慢のポケモン達だ。その中でもサイドンの安定性は頭一つ抜き出ている。

 攻撃力も防御力も制圧力も高いサイドンは人を守るのには最適だろう。先ほどのふぶきによって実証済みだ。

 

 

 ゆえに、タケシはサイドンをここから離さない。

 力の差が明らかであっても、タケシは油断をしない。そういう男だった。

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

「すっごくやりづらい・・・当たり前か。」

 

 サトシが独り言ちる。

 

 

 ピカチュウとゴローニャ、イワークのバトルは、平行線だった。

 いや、厳密にいうとピカチュウが押されている。

 当然だ。むしろ苦手タイプに対してよく戦っているともいえる。

 

 サトシはショップでキズぐすりを大量に買い込んでいた。

 要所要所でピカチュウを回復しつつ(ピカチュウが自分でキズぐすりをつかんで振りかけている。)時間だけが過ぎる。

 

 ピカチュウはダメージを負っている。

 しかし、相手はダメージをほとんど負っていない。

 

 キャタピーの糸によって少しばかりスピードが落ちたようにも感じられる。が、その程度。

 目に見える変化など無いに等しい。

 クラブのなみのり攻撃も岩肌に水を浸み込ませているだけ。

 ダメージにつながっているとは考えづらい。

 

 しかしそれでもサトシは根気強く、諦めずに同じ行動を繰り返す。

 淡々と、淡々とその瞬間を待ち続ける。

 

 

 



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第二十一話 嵐の中のバトル

サイドン絶対凶悪だわ。


「いやいや、なかなか。」

 

 

 タケシは感心していた。

 

 サトシ自身のバトル経験はほとんど無いに等しい。

 ゆえに、一瞬の判断ミスで致命的となる裏バトルにおいてサトシとタケシの指示の差は比べるまでもない。

 しかし、その埋まらない穴をピカチュウが埋めている。

 

 ピカチュウはその見た目から剛力で相手をぶちのめすパワーファイターと思われがちだ。

 しかし本来のピカチュウはスピードで相手を翻弄するすばやさ重視のスタイル。

 イワークとゴローニャの猛撃を回避し切れているのも、その要素がからんでるといえる。

 だが、それでも説明ができないあの戦闘センス。

 一朝一夕で身に付く身のこなしではない。数十、数百とバトルを勝ち抜いてこなければ身に付かない神業。

 サトシが育てたにしてはあまりに時間の矛盾が多い。だれかから譲り受けたのか、はたまた奪ったのか。

 

 

 ――――タケシは知る由もないが、このピカチュウは元々はオーキド博士の相棒。

 ドーピングにドーピングを重ね、身体能力を飛躍的に高め、最強のピカチュウとして世界を制したポケモンの一角なのだ。

 最終的にドーピングの影響によってあの体躯になってしまったが、それまではまぎれもなく本来の姿を維持しながら、バトルを勝ち進んでいたのだ。

『神速』やら『雷神』やら『なにこれ速すぎて見えない』とか数多くの異名を得たピカチュウだったが、その事実すら現在では残ってすらいない。

 

 数えきれないほどのバトル経験を経て、ピカチュウはその経験を活かしてタケシのポケモンと渡り合っていた。

 タケシも、元来の戦う理由を忘れ、ダンスでもするかのように攻撃をギリギリで回避するピカチュウをじっくりと見ていた。

 

 

 

「しかし、このままでは退屈だな。」

 

 

 ぼそり、と口にした。そう、タケシはまだ余力を残している。

 今の状態をそのまま継続してもおそらくタケシ側に勝敗は決するだろう。

 タケシはアイテムをまだ使っていないが、サトシは手持ちのキズぐすりをすでにいくつか消費している。

 サイドンをまだ戦場に加えていない状態でタケシが優勢だということは、この勝負を決めるのは至極簡単だ。

 タケシが声を上げる。

 

 

 

「サイドン、『メガトンパンチ』」

 

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

 イワークの長大な胴体がうねり、地面を跳ね、尻尾が高速で風切り音を発する。

 ゴローニャの鋭利な岩肌が地面を削り、岩を砕き、重々しい音で闊歩する。

 

 巨大な質量の岩石の尻尾が横なぎでピカチュウを襲うが飛び跳ねて回避。

 しかしイワークの胴体に映えた背びれのような棘はすべて回避しきれずにキズを負う。

 着地する前にゴローニャがたいあたりをしてくるが、クラブの水の勢いで反発し、これも紙一重で回避。

 

 サトシの目の前で展開されているバトルは、控えめに言っても嵐のようだ。

 イワークが空気をかき回し、クラブの発する水とキャタピーの糸が空中を舞う。

 ゴローニャが破砕した石と岩もそこらじゅうに飛散し、ポケモンバトルというよりも戦場まっただ中という感じ。

 

 シビアな回避劇が延々と展開されているが、ピカチュウの損傷も少なくない。

 

 

「このままじゃジリ貧・・・!!!!ピカチュウ!!避けて!!!」

「?ピカー」

 

 

 サトシの声に反応して蹴り出し、振り向くことなくその場から離れた瞬間――――

 

 

 

 

 

 

 ピカチュウの背後で爆発が起きた。

 

 その衝撃で茫然となったサトシだが、すぐに思考を復活させて爆発の発生源が何か確認するために目を凝らす。

 パラパラと砕けた石や土が落ち、土煙があがる。

 

 その土煙の中に、ピカチュウを大きく上回るシルエットが浮かび上がり、その正体を明らかにした。

 

 

「サイドン・・・!ついにきたか・・・!」

 

 

 メガトンパンチ。

 その名の通り超高威力の拳。

『おもいっきり殴る』というだけの技ではあるが、その技を振るうのがドーピングによって超強化されたポケモン。

 ましてや四メートル近い巨体から繰り出されるそれは、爆弾でも投げ込んだかのような威力だった。

 

 

 どでかい花火と共に現れた最後の役者。

 タケシのサイドンは体躯、風格共に桁違いのポケモンだ。

 目の前にしてみるとその大きさは計り知れず、サトシの判断を遅らせる結果になる。

 

 

 

 だが、サトシの判断の遅れは、ピカチュウがカバーする―――――――――

 

 

 

 

 ピカチュウがサイドンを飛び越え、空中から水をばらまくクラブ。

 頭から水をかぶるサイドン。しかし怯むことはなく、メガトンパンチの勢いそのまま、極太の尻尾をピカチュウに向けて鞭のように振るう。

 クリーンヒットは免れないと判断し、腕を十字にクロスガードするピカチュウ。

 ガードの上から強烈な打撃が伝わり、ピカチュウ達を固い地面へ吹き飛ばす。

 

 ゴッゴッと鈍い音を立てながらピカチュウが地面を数回跳ね、まだ無事だった岩の塊へ激突し、岩を破壊する。

 ここにきて大ダメージだ。サトシは無我夢中で叫ぶ。

 

 

「ピカチュウ、ピカチュウー!!」

 

 

 もうもうと土煙があがる中、黄色い巨体が立ち上がる。

 ピカチュウはなんとか無事のようだが、背中にいた二体は気絶してしまったようでぐったりとしている。

 背中の二体をそっと下ろし、ピカチュウは前へ出る。

 

 

 

「クラブとキャタピーは十分にやってくれた。あとはピカチュウ、君が頼りだ。」

 

 

 

 四体のポケモンがにらみ合う。

 二体は水が染みわたり、糸で動きを少しばかり制限されている。

 一体は全身から水を滴り落とし、体勢を立て直す。

 そして黄色い一体は、相変わらずのニッコリフェイスで空気に合わない表情をしていた。

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

 タケシは考えていた。

「サトシ君の言う『作戦』とはなんだろうか。ポケモンを水浸しにして、電気の通りをよくするとかそういうことか?いや、それならとっくに条件はできているし、電気で攻撃していてもいいはず。もっとも、あまり効果があるとは思えないが。」

 

 

 水に浸せば電気が通用するかどうか。

 確かに見た目には派手に電撃が這っているように見えるかもしれないが、実際はあまり意味をなさない。

 絶縁体は水の中であっても絶縁体なのだ。

 ゴムを水槽に沈めで電気を流しても、ゴム自体にはなんら影響をなさない。

 

 

「子供の考えること、と決めつけてもいいのだけどね。」

 

 

 それでも、タケシは慎重だった。

 ポケモンを愛するが故でもある。

 なにより、タケシは長期間岩ポケモンのトップトレーナーとして君臨しているのだ。

 バトルにおける慎重さは随一と言っても過言ではない。

 

 そのタケシをもってしても、サトシの思考は読めずにいる。

 

 

「まあそれもすぐにわかる。サイドンまでも投入して、小賢しいクラブとキャタピーも離脱した。完全に三対一。どう転ぶにせよ、もう間もなく決着はつく。」

 

 

 

 タケシがつぶやくと、それに呼応したかのように戦場が再度動き出す。

 

 

 

 三体に囲まれているピカチュウ。

 それらすべてのポケモンが、一撃で雌雄を決するほどの威力の攻撃を抱えている。

 いくら筋肉に包まれた体をもつピカチュウであっても、圧倒的な破壊力を持つ一撃にどれだけ耐えられようか。

 

 ここまでピカチュウはまだ一撃をもらっていない。

 必ず回避するかガードするかをしている。

 ジムリーダーのポケモン二体を相手にそれだけでも賞賛に値する結果ではあるが、それが三体に増えても同じ行動を続けられるかどうかは疑問である。

 一撃を無視できないからこそ、回避せしめているのだ。

 ちょろちょろとすばやく動き回っているのがその証拠。

 

 つまり、タケシのする指示は決まっている。

 

 

 

「一斉攻撃だ!!ピカチュウを血の水溜りに変えてやれ!!」

 

 

「「「グオオオオオオオン!」」」

 

 

 

 三方向から一斉に襲い掛かる破壊と暴力。

 ピカチュウに逃げ道はない。反撃しようにも相手は固い岩石に覆われているし、そもそも三体同時に攻撃するすべを電撃しかもたず、その電撃も効果はない。

 

 

 絶対絶命―――――そんな単語が浮かんでくるような状況。

 その状況において、サトシはピカチュウに指示を出す。

 

 

 

 

 

 

「今だピカチュウ!!『こうそくいどう』!!!」

 

 

 

 

 



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第二十二話 秘策

そのうち、でてきたドーピングポケモンの絵でも描くかな。


『こうそくいどう』

 

 大げさな名前だが単純にすばやさがあがるだけの技。

 たしかにすばやさが上がれば多少のアドバンテージを得られるだろう。

 しかし通常のポケモンバトルにおいて強力な一撃を叩き込む選択肢を横に置きすばやさを上昇させることにどれほどの価値があるだろうか。

 もちろんそれを活かした戦術もあるだろうが、直接勝利に結びつく結果になるかは難しいと言わざるを得ない。

 エリートトレーナーであればあるほど、覚えさせる利点はほぼないものとして扱っている不遇の技。

 

 しかし、あえてその技をピカチュウに覚えさせている理由。若かりし頃のオーキドが選択した技構成。

 それは皮肉なことにピカチュウの存在というものを完全に理解していたといえる。

 

 そしてその存在はサトシに受け継がれ―――ピカチュウの本来の実力が発揮される。

 

 

 

 このバトルにおいて最大の炸裂音が響き渡る。 

 タケシには、自分の三体のポケモンによってピカチュウが原型もなく叩き潰されたように見えた。

 まぎれもなく岩ポケモン達の攻撃は真ん中のピカチュウに向けて振るわれた。

 その結果、大音量の破壊音が室内に鳴り響いたのだが―――――――

 

 それぞれのポケモンの攻撃は、その矛先が向かう対象を見失い、お互いにぶつけあっていた。

 

 

「同士討ち・・・?いや、その程度では僕のポケモンはビクともしない。」

 事実、衝撃音が鳴り響いたがタケシのポケモンはほとんどキズを負っていない。

 頑丈な胴体は武器にもなるし盾にもなる。その言葉をそのまま実行したかのように互いにあまりダメージは無いようだ。

 

 

「しかしそれよりも・・・ピカチュウがいない。」

 

 

 そう、ピカチュウが消えた。文字通り一瞬で姿を消した。

 

 フィールドの端から端を見渡してもその姿が見つからない。

 サトシの顔を見ると、ニヤリと笑みをこぼしている。

 

 

「――――――何が起きている・・・!」

 

 タケシがにらみつける。その時――――

 

 

 

 ヴヴ・・ヴーーーン

 

 

 今まで煌々と広い室内を照らしていた白い照明が点滅をはじめ、そして消えた。

 消える瞬間、大きな室内を照らすために高出力となっている照明につかまっている黄色い姿が一瞬見えた。

 

 そして闇が訪れる。

 

 何も見えない状況になり、タケシが焦りを見せる。

「まさか・・・!みんな、よけ――――――」

 

 

 

 

 

 空気が揺れる程の衝撃と共に巨大な光の柱がフィールドの地面と天井を結びつける。

 一瞬ではあるが室内がものすごい光量によって照らされ、また闇に戻る。

 

 

 

 

 

 ―――何が、何がおきた。いや、単なる電撃ならば岩ポケモンに効果はない。ただの高威力の電撃ならば、だが嫌な予感が・・・

 

 タケシは思考する。だが、何も見えない現状において判断することはできない。

 先ほどピカチュウが電灯につかまっていたのが見え、そのあとすぐに照明が落ちた。

 つまりピカチュウがこの施設内の電気をすべて奪っていったということだ。

 その結果、先ほどの超強力なかみなり、ということか。

 

 

 

 

 

 

 タケシが思考した数秒後、副電源によって先ほどよりは若干暗い照明が復活した。

 

 明るくなった室内を見渡す。

 

 

 ピカチュウは当然ながら健在。

 大量に溜め込んだ電気を放出した所為で疲れたのか、地面に座って、岩にもたれかかっている。

 明るくなってピカチュウを見つけたのか、サトシが駆け寄っているのが見えた。

 

 

 

 そして少し手前に自分のポケモンが一体倒れている。

 

 

 

 ・・・一体?他の二体はどこへ?

 

 

 先ほどのフィールドとの違いはどこか。

 そういえば、大き目の岩が随分と増えているような気が――――――

 

 そこまで考えて、一つの結果に結びついた。いやしかし、そんなことがあっていいものだろうか。

 

 

 

「う、うわああああああああああ!!!!!!」

 

 

 鋭利に尖った岩盤。

 長い角が生えた岩石。

 それらがバラバラになり、砕かれ、そこいらじゅうに散らばっていた。

 

 まぎれもなくそれらは、イワークとゴローニャだったものに他ならない。

 

 

 タケシは衝撃のあまり言葉を失い、何が起きたのか考えるよりも、自分の愛してやまないポケモン達が失われたことに対して絶望を感じていた。

 

 

 

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

 岩は電気を通さない。

 厳密にいうと細かく飛散させてしまうだけではあるのだが、一般的にはそういうものとして知られている。

 しかし、自然界では雷が落ちると岩石が粉砕されてしまう現象がまれに起こる。

 

 それは、音速を超える雷が起こす『衝撃波』だ。

 雷が落ちることによる衝撃波ではない。

 水が音速を超えて蒸発することによって発生する衝撃波。

 

 例えば山、岩に落雷し岩の割れ目などに少し水が溜っていたとすると、音速を越えて水が蒸発、発生した衝撃波により岩は激しく砕かれる。

 その結果、割れた岩が高速で飛散し、周囲に甚大な被害を与える。

 

 

 

 

『・・・とまあ、こういう事象があるにはあるのじゃが、ピカチュウの電撃では威力不足じゃのう。仮にどこかほかから電気を集めたとしても、自分の電気を使い切ってしまうじゃろ。一回しか使えん手じゃな。』

 

 ポケモン図鑑の電話越しにオーキド博士が答える。

 

「なるほど・・・一回で全部のポケモンを倒しきる必要があるってことですね。」

 

『そうなるが、かなり難しいとは思うぞ?どうやってそのシチュエーションにまでもっていくかが問題じゃのう。うまく水があるとも限らんし。』

 

「ううん、なんとか頑張ってみます。もうそれしか打つ手がなさそうなので。」

 

『そうか、あまり無理せんようにな。というか、なんでニビシティジムリーダーとバトルすることになっておるんじゃ。相性悪すぎじゃぞ。』

 

「それはまあ・・・いろいろとありまして・・・とにかく、ありがとうございます。オーキド博士。」

 

『うむ、それではの。たまには帰ってくるんじゃぞー。』

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

 ジムに行く前、サトシはオーキド博士に連絡をとり、電気で岩を破壊する方法がないか訊いてみた。

 自分の知らない情報があるのではないかと考えた結果である。

 そして、その方法を教えてもらい、どうすれば実現できるかを時間いっぱい考えていたのだ。

 

 結果は見ての通り。クラブの活躍によって胴体の隅々まで水が染みわたったイワークとゴローニャは、水が蒸発することで発生した衝撃波によって内部から粉々に粉砕された。

 サイドンだけは、胴体が岩ではない上に水が染み渡っていなかった為、体が分解されるには至らなかった。

 それでも身体の要所要所に与えられたダメージは尋常ではなく、ピクピクと痙攣しながら地面に突っ伏している。

 

 

 ちなみにサトシはきちんと岩陰に隠れ、飛散する石や岩から自分を守り切っていた。

 

 

 

 

 

「ピカチュウ、大丈夫?キズぐすり・・・じゃ電気は戻らないか。」

 

 

 地面にへたりこんでいるピカチュウを気遣う。

 さすがに無理をさせてしまったようだ。高速移動によって高い天井までジャンプ、大量に電気を溜めこんで、自分の容量オーバーの電撃攻撃。

 ただでさえタケシのポケモン三体を相手取っていたのだ。ピカチュウの疲労も仕方がない。

 

 

「でも、倒した。あんまり気分いいものじゃないけどね・・・」

「ピカーーー」

 

 

 タケシのポケモン二体は文字通り爆散した。

 粉々に、バラバラになった岩の破片は、命ある生物だったことが信じられないほどに静寂に包まれている。

 

 

 

 

 決着はついた、かのように思われた。しかし――――――――

 

 

 

 

 

「ザァアアトオオォォオオジイイイィィィィィイイイ!!!!貴様ああああああああああ!!!!!!」

 

 

 

 

 タケシの雄叫びによって静寂が切り裂かれた。

 手を頭を振り乱しサトシに向けて全力で走ってくる。

 

 

「うわあ!ちょっとピカチュウ、やばいやばい!へるぷみーーー!!!」

 

「ピッピカ」

 

 しょうがないなあとばかりに重い腰を上げようとするピカチュウ。

 

 突っ込んでくるタケシを止めるために、サトシを守るために。

 

 

 

 しかし、タケシを止めたのはピカチュウよりももっとでかい、太い腕だった。

 その姿にタケシは走るのをやめ、サトシも目を見開いた。ピカチュウはまだバトルが終わっていないと認識し、そのまま立ち上がる。

 

 

 

 

 

 

 

 

「サイドン――――――――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 負傷した右腕をダラリと下ろし、左腕でタケシとピカチュウを遮るように構え、重い身体を傷だらけの両足がかろうじて支える。

 自慢の角だけが鈍く光り、まだ戦える、まだ終わっていないと無言の主張をしているようだった。

 

 

 

 

 



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第二十三話 ジムリーダー戦、決着

 満身創痍。サイドンは全身から血を流し、痛々しい傷を負っていた。それでも立ち上がりタケシを守るのは単なる愛情だけではないだろう。

 主人を主人足らしめる存在。それは優秀で律儀で自己犠牲精神あふれる従者なのだ。

 

 対してピカチュウ。

 相変わらずのニッコリポーカーフェイスではあるが、こちらもエネルギー空っぽで動くのもやっとな状態。

 サトシもそれは十分に承知しており、その顔は戦いが終わったと思っていた緩んだ顔から、緊張感のあるものへと変わっていた。

 

 腰にあるモンスターボールを持ち、目を回したクラブとキャタピーを回収する。

 バシューーと音をたててボールに戻る。

 二つのボールを大事そうに抱え、ありがとう、と小さくつぶやいた。

 

 バトルはまだ終わっていない。

 ピカチュウとサイドンは互いににらみ合い、緊張を保っている。

 

 タケシはサイドンの後ろでガックリと腰を落とし、地面を見つめている。

 愛情こめて育ててきたポケモンが失われたとき、トレーナーは何を思うのだろうか。

 タケシは、確かにドーピングによってポケモンを強化し、数多くのトレーナーをバトルによって沈めてきただろう。

 裏の世界にとっては当たり前かもしれない。褒められることでもない。

 それでもタケシのポケモンに対する愛情は本物だ。

 多少、過度な部分はあるが、それでも純粋にポケモンをすべからく愛し、接してきた。

 この争いも原因をたどればピカチュウによってもたらされた理不尽な暴力。

 体中の血が沸騰したのではと思えるほどに怒り、制裁を加えるためのバトル。

 なのに失ったのは自分のポケモン。タケシの精神が崩れ落ちそうになっているのを皮一枚で支えているのが目の前にいるサイドンだった。

 

 

 互いに膠着状態が続く。

 ピカチュウもサイドンも、すでに体力の限界だ。

 ピカチュウは電気が足りていないだけで体力はまだ若干残ってはいる。

 しかしサイドンの体力は底をつきかけていた。

 その重い胴体を支えるのは不屈の精神。負けてはならない、主人を守ると決意しているからこそ起きる奇跡。

 

 立っているだけで体力を奪われる現状において、先に行動するのがどちらなのかはおのずとわかる。

 

 

 

「サイッドーーーーーン!!!!」

 

 雄叫びを上げ、右足を力強く踏み出す。ズンッと重い音が響き、踏み込んだ地面にヒビが入る。

 

 それに伴い、タケシが顔を上げる。

 

「やめるんだ・・・サイドン・・・おまえまで失ったら・・・僕は・・・・」

 

 泣きつくように小さく声を出す。

 

 サイドンは振り向かず、最後の力を振り絞って闘志をむき出しにする。

 

 

 

「ピカチュウ・・・」

「ピッカー」

 

 

 相変わらず何を言いたいのかわからない。それでもピカチュウは前に出る姿勢を崩さない。

 次が最後の一撃、とでも言いたげだ。

 

 

 サトシは無言でピカチュウを見送り、その場から少し離れる。

 サトシが傷ついてしまっては元も子もない。

 自分ができることは、ピカチュウの戦いの邪魔をしないこと。そのために自分自身を守り抜く。

 

 

「ピッカーーーー!!!」

 

 

 初めて聞く、ピカチュウの咆哮。

 いや、咆哮といえるほど迫力のある声ではないのだが、それでもポケモン同士で戦いの意思が確認できたようだ。

 サイドンが走り出す。

 

 

「サイッドーーーーン!!!」

 

 

 傷だらけの腕から繰り出される大質量のパンチ。

 メガトンパンチの威力には遠く及ばないが、それでも岩を砕き、破砕するだけの威力はある。

 ピカチュウはそれを右に跳ねて回避。

 そのまま一回転し、尻尾をたたきつける。

 

 左腕でそれを防ぎ、サイドンも尻尾をピカチュウに振りぬく。

 ピカチュウはサイドンの左腕を蹴り登り尻尾を回避し、数メートル離れたところへ着地。

 

 一対一。物理と物理。

 互いの肉体のみを行使し、巨躯を操り一撃を繰り出す。

 二体とも最後の瞬間を狙っている。

 

 ピカチュウの切り札は「こうそくいどう」。

 目に見えない速さから繰り出される攻撃はいくら精神力の強いサイドンでも崩せるだろう。

 しかし、その攻撃手段はすでに一度サイドンの目に触れている。

 何がくるかわかっていれば防御もカウンターも狙える。

 サイドンはそれができるだけの技量も経験も持っていた。

 

 ゆえに、使えない。

 ピカチュウはサイドンの隙が生まれる瞬間を待つ。

 

 ではサイドンの切り札はなんなのか―――――

 

 

 

 

 サイドンとピカチュウが再び接近し、拳を放ち、尻尾を振り、地面を割る。

 

 互いに牽制しあう。

 

 幾度となく打ち合われる打撃。

 終わりがないようにも思われるその打ち合い。

 

 

 

 しかし、その瞬間は急に訪れた。

 

 

 

 サイドンが尻尾を振りぬき、それを跳躍で回避したピカチュウがサイドンの正面に着地。その瞬間――――――

 

 

「!!!!」

 

 

 サイドンの頭に生えた、鈍く光る角が回転しながらピカチュウに向かって高速で伸びた。

『つのドリル』。サイドンの持つ一撃必殺技だ。

 

 

「ピカチュウ!!!」

 叫ぶサトシ。しかしサトシの声はもはや二体のポケモンには届かない。

 集中を通り越して二体だけの空間が作られている。

 互いが互いのことしか見えていない。

 少しでも油断すれば負ける。

 

 

 

 サイドンが初めて使う強力な技にピカチュウは虚を突かれた。

 しかしそれにやられるピカチュウではない。

 数々の戦闘経験によって、着地した瞬間に再度跳躍することを身体が選択し、頭で考えるよりも早く行動した。

 その結果ピカチュウが一瞬前までいた地面には、えぐり取られたように地面が陥没し、その絶大な破壊力を物語っていた。

 

 ピカチュウはその穴を一瞥し、切り札を使ったであろう相手を空中で目の中に捉える。そして、それが切り札でなかったことを察した。

 

 

 サイドンの口にまばゆい光が収束し、一気に放たれた。

 神々しい光と共に運ばれるのは絶大なる威力。ポケモンが覚える技の中で最も高威力であり、反動でポケモン自身も行動不能になるという諸刃の剣。そして、サイドンの本当の切り札。

 

 

 

『はかいこうせん』

 

 

 

 極太の光線がサイドンの口から放たれ、空中にいて自由に動けないピカチュウを捉える。

 奇しくも、ピカチュウが放ったかみなりとそっくりな光の束が、岩がごろごろ転がっているフィールドを一際明るく照らした。

 

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

 まばゆい光が収まり、サトシは白くなった世界から解放されてちらつく視界をはやく回復させようと頭を振る。

 

 だんだんと視力が回復し、現場を目の当たりにする。

 

 そこに、黄色い巨体はきちんと存在した。

 

 

 

 

 

 サイドンによって『はかいこうせん』が放たれる瞬間、ピカチュウは手近にあった岩を尻尾で引っ張りあげ、盾にした。

 引っ張りあげることができる岩など存在するのかという疑問だが、その岩には何故か背びれのような尖った角が生えていた。

 

 それは衝撃波によって爆散したイワークのなれの果て―――いい感じに伸びていたその角をつかみ、自分の正面に引っ張り込んだのだ。

 

 

 そのおかげで直撃は避けられた。

 最も、それだけで全てを防ぎきれる威力ではない。

 あくまで致命傷を避けた、というだけの話。

 

 しかし決着をつけるにはそれで十分だ。

 

 ピカチュウはゆっくりと立ち上がり、サイドンに近づく。

 

 

 サイドンは動けない。

 はかいこうせんを撃ったあとはしばらくその反動がある。

 そしてサイドン自身の精神も、最後の一撃を回避されたことで尽き掛けていた。

 

 ピカチュウはサイドンまで一メートル、といったところで立ち止まり、腰をふかく落とし、姿を消した。

 

 

 ページを飛ばした漫画のような感じだった。

 次の瞬間目の前にあったのは、ピカチュウが右ストレートを打ち抜き、サイドンの胴体に突き刺さっている光景だった。

 

 

 このバトルにおいて何度目かの静寂。おそらくこれが最後であろう静寂。

 

 ピカチュウがゆっくりとその拳を戻し、後ずさる。

 

 体重をかける相手を失ったサイドンは血反吐を吐き、その場に前のめりに崩れ落ちた。

 ズンッ―――と力なく崩れる巨体に地面も悲鳴をあげ、最後とばかりに大きなヒビを入れた。

 

 

 

 

 

 ニビシティジムリーダー戦は、サトシの勝利で幕を閉じた。

 

 またしても抱えきれない大きな傷跡を残して―――――――

 

 

 




ようやくバトル終了。


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第二十四話 勝利の余韻

 ―――タケシには友達がいなかった。

 

 小さい頃、動物好きであったタケシは、その関心を人に向けることが苦手だった。

 物心つく前はそこまで意識しなかったことではあるが、十歳を超えると人間嫌いが顕著になり始め、いじめの対象になった。

 

 自身の生活空間の中に両親以外に人間がいない。

 その状況をかわいそうだと感じた両親は、一体のポケモンをタケシに与えた。

 

 イシツブテ。タケシが最初に手にするポケモンである。

 

 

 

 タケシは夢中になった。

 家にずっとこもっていたタケシは、イシツブテと遊ぶために外に出るようになった。

 相変わらず人に対しては心を開かないタケシではあったが、元気になった姿をみて両親も多少心をなでおろした。

 

 

 ある日、タケシはいつものようにイシツブテと外で遊んでいた。

 そこに黒い服を着た人が通りかかり、タケシはそれに気付かなかった。

 

 そしてイシツブテの腕が、その人の足にぶつかってしまった。

 

 

 

 ご、ごめんなさい と、なんとか声を絞り出した。

 

 

 

 その黒服の男は無言でモンスターボールを手に取り、なにか大きいポケモンを出した。

 そのポケモンは大きな足で、タケシのイシツブテを粉々に踏み砕いた。

 

 何が起きたのかわからず、茫然とするタケシ。

 

 ポケモンをボールに戻した黒服の男はタケシに向かってこういった。

 

 

 

 

 弱いやつが外を歩くな。生きたければ細々と生きろ。

 

 

 

 

 そういって、男は何事もなかったかのように歩き去った。

 

 

 タケシは粉々になったイシツブテを見て、泣いた。

 唯一の友達だったポケモンを目の前に、号泣した。

 

 

 そして、力があるものしか生きていくことはできないのだと認識した。

 愛するものを守るには、力がなくてはならないのだと。

 

 

 それ以来タケシは、誰にも負けない力を求めていった――――――

 

 

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

 

 珍しく立ち上がることもめんどくさそうだったので、サトシはさりげなくピカチュウにボールを投げてみた。

 いつもどおり、はっしとボールをつかんだピカチュウ。

 ぺいっと力なく投げ返してくる。

 

 よほど疲れたのだろうが、ボールの中に入るのだけは嫌なようだ。

 どうやってポケモンセンターまで運べばいいというのだろうか。

 

 キズぐすりで体力だけでも回復させてみるか。

 ただのピカチュウであれば腕にかかえていくなんてこともできるのだろうが、二メートルを超える筋肉の塊なんて背負えるわけがない。

 

 やれやれ、とつぶやきながらキズぐすりをピカチュウにシュシュっと吹きかけながら、チラとタケシの方を見る。

 

 

 サイドンとのバトルが終了して、数分。

 いまだにタケシは膝を崩し、地面を見つめて動かない。

 裏の住人同士のバトルにおいて、命のやり取りが常であるかどうかはサトシにはわからない。

 タケシはピカチュウを殺すつもりでいた。そう思う。

 であれば、タケシのポケモンの命を奪うことになったとしても正当防衛になる。

 という口先だけのきれいごと理論ではサトシには納得できそうもなかった。

 

 サトシはポケモン二体の命を奪った。それは確かな事実としてサトシの心を傷つける。

 もっとも、そうしなければピカチュウが倒されてしまっていた。

 そのどうしようもない現実の板挟みに、サトシは如何ともし難い感情の渦の中にいた。

 

 

 

 ただ、どんな感情になろうともサトシはジムリーダーを打倒した。

 故に声をかけるべきかとも思ったが、タケシの内情を考えると迂闊なこともできない。

 今後の動きについてサトシは何も知らない。通常であればジムバッジをもらって終わりのはずではあるのだが、そのへんの動きは誰からも教示されていない。

 

 ・・・タケシを怒らせてしまった所為で簡素な説明しか受けていないからではある。

 そしてそれが自分の所為であることもわかっている。

 いやピカチュウの所為なんだけども。

 

 

 どちらにせよ考えてもわからないし、今日はもう遅い。

 ピカチュウを連れて一旦ポケモンセンターに戻ろう。

 消耗しきったポケモン達を回復してあげたい。

 

 

 そう決めると、サトシは腰をあげた。

 かなり辛勝だったし後味のいいものでもなかった。サイドンは・・・まだどうかわからないが、少なくとも二体のポケモンが命を落とした。

 

 サトシの、命に対する考え方が徐々に変わりつつある。本人はそれにまだ気づかないが、それが周りから見ても明らかなものとなったとき、人はそれを狂気と呼ぶ。

 

 

 

 ピカチュウをなんとか立たせ、サトシはこの部屋へ入ってきたドアへと向かう。

 あの長い階段をまた昇るのかと少し億劫にはなったが、それもまた致し方ない。

 

 最後にもう一度、激戦を繰り広げたフィールドを見渡す。

 入ったときより若干暗くなった室内。

 ところどころ窪みや罅割れが起きた地面。

 最初よりも多くの岩石の欠片で散らかった光景。

 うつ伏せに倒れ、ピクリとも動かない巨大なポケモン。

 

 

 

 そして―――

 

 

 

 膝を落とし、地面を見つめて小さく呼吸しているニビシティジムリーダーを見て、出口へと振り返る。

 

 

 

 地上への階段を昇り始めた。

 

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

「ふぅ、疲れた・・・」

 

 

 長い階段を昇りきり、薄暗いニビシティジムを出る。

 鍵がかかっていたらどうしようと若干不安にはなったが、なんの問題もなくジムを出る。

 

 当然だが周りは真っ暗で、時刻も零時を回ろうとしていた。

 家に灯る生活の明かりももはや無く、月明かりと僅かな電灯のみがニビシティを包んでいる。

 

 

 ピカチュウと共にそのままポケモンセンターに戻り、若干照明を暗くしたロビーのカウンターを見るとまだ受付しているようだった。

 さすがに遅い時間なのか他の利用者はいない。

 好都合だったのでピカチュウとクラブ、キャタピーを預け、待合のイスに座る。

 

 受付のお姉さんは当然だが快く受付してくれた。

 ピカチュウは自分でカウンターの中へ歩いて入っていった。

 突っ込む気力は今は無かったので、そのままスルーした。

 

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 ――――ふと気が付くと、自分がそのまま少し寝てしまっていたことに気づく。

 

 さすがに疲れたのか、イスの上でうとうとしてしまった。

 うーん、と伸びをして時計を見ると、すでに深夜一時を回っている。

 

 受付のお姉さんが、サトシが起きたことに気づいて手招きしているのが見えた。

 

 

「ポケモンの治療は終わっていますよ。遅くまでおつかれ様でした。」

 

「ありがとうございます。」

 

 

 寝ぼけ眼でモンスターボールを受け取る。

 ピカチュウは・・・カウンターの中からサトシの姿を見つけると、自分で歩いてきた。

 もはや突っ込む気力もない。

 

 

 

 ピカチュウをつれて、宿泊施設へと歩いていく。

 

 そういえば、ドーピングによって強化されたポケモン達はどこで治療しているのだろう。専用の施設があるのだろうか。

 ・・・いや、大体はボールに入っているから問題ないのだろうか。

 でもピカチュウみたいにボールに入りたがらない場合は、問題だよなぁ、イワークとかポケモンセンターに入らないしなぁ。

 

 

 そんなことを考えながら部屋へと進み、ピカチュウ共々ベッドにダイブ。

 

 勝利の余韻に浸ることもなく、そもまま夢の世界へと誘われる。

 

 

 

 

「なんか、すっごい、つかれた・・・」

 

 

 

 

 すでに寝息を立てているピカチュウの寝顔を見つつ、サトシも目を閉じた。

 

 




タケシ戦、完。


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第二十五話 報酬

隔日更新とかになりそう。
書き溜めが無くなりそううひぃ。


 ―――――目が覚める。

 若干のまどろみがあり、自分の体の疲れがとれていることをぼんやりと感じる。

 

 むくり、と起きる。窓から光が入っていることをみるときちんと朝に起きられたようだ。

 気持ちのいい朝、という気分ではもちろんないが、体調的には万全でなんの問題もない。

 

 隣を見ると案の定ピカチュウはいない。

 相変わらず規則正しい生活をしているようだ。よく考えるとサトシが起きたときにピカチュウが隣にいたことは一度もない。

 サトシがズボラなのかピカチュウが早起きなのか。

 まあ、いつまでたっても起きないピカチュウを起こすってシチュエーションが避けられただけマシなのだろう。

 しかしそれにしても―――

 

 

「あれだけ戦ったあとなのに、元気だなあピカチュウ。」

 

 

 恐らくロビーにいるのだろう。迎えにいくとしよう。

 そう思い、荷物をまとめて部屋を出る。

 

 ふと、壁にかかっている時計を見る。

 

 

「・・・ぜんぜん朝じゃなかった。」

 

 

 時刻は午前十一時を回っており、時計の針がカチカチとサトシを急かすように進んでいく。

 

 

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

 

「おおい!サトシ君!随分遅いお目覚めじゃないか!」

 

 

 ポケモンセンターのロビーでサトシを出迎えてくれたのはピカチュウではなく、昨日下手したら殺し合いにまで発展しかけたニビシティジムリーダーのタケシだった。

 

「そんなに嫌そうな顔をしなくてもいいじゃないか。」

「あ、わかります?」

 

 あからさまに眉間に皺を寄せ、口をへの字に曲げたサトシを見ながらタケシが溜息交じりに言う。

 しかし、よくよく考えてみるとこの状況はあきらかにおかしい。

 なぜタケシがサトシ友好的に話しかけてくるのだろうか。

 ピカチュウ発端の、あくまでピカチュウ発端の事故で―――ちょっとピカチュウあんまりこっち見ないでこわい―――タケシの怒りを買って裏のバトルになった。

 その結果、なんとかかんとか勝ち越したが、それによってタケシの怒りをさらに買っているものと思っていたのだが。

 

 

「えっと・・・昨日は」

 

「ああ、大丈夫、わかっているとも。申し訳なかったね。つい気が動転してしまってね。ははは」

 

「そ、そうですか。ところで一体何の用事でしょう?」

 

 若干ひきつった顔をした後、サトシが問う。

 一体なぜ、どんな目的でサトシの前にいるのか。

 かなりの確率で報復だと考えているサトシではあるが、目の前にいる笑顔のジムリーダーを見ると、報復であると断定し難い空気ではあった。

 

 なにせ笑顔。すんごい笑顔なのだ。

 元々細い目がさらに細くなり、見えているかも怪しい。

 それでもしっかりとサトシを見つめて、満面の笑みを振りまいている。

 

「何の用事、って決まっているじゃないか。ああ、ここだと話しづらい。一緒にジムまできてくれないか。」

 

「も、もうバトルはしませんよ!?」

 

 

 勝てるわけがない。あのバトルは偶然とタケシの侮りとなんかその場の勢いというか夜のテンションというかそういうものが奇跡的に噛みあった結果だ。

 再戦したところで、サトシの戦略がバレている時点で勝ちはない。―――――ピカチュウに言うと怒られそうではあるが。

 

 

「バトル?おかしなことを言うね。サトシ君はギャグセンスも磨いているのかい?まだ未成熟と言わざるを得ないよ。はっはっは」

 

「いや、だって、昨日・・・」

 

「昨日のバトルについては、決着はついただろう。ともあれ、ジムにきてほしい。ここでは話せない内容も多いからね。準備もあるだろう。後ででいいから必ずくるんだよ?」

 

 

 そういうとタケシは、じゃ、あとでねと軽く手を振ってポケモンセンターを去っていった。

 一体なんだというのか。タケシとの望まぬ再会がなければ、こっそりとニビシティを出ようと思っていたがそれも叶わなくなってしまった。

 人生とはかくもうまくいかないものなのかと十四歳ながらに悟りを開こうとするサトシ。

 前途多難である。

 いや、始まったばかりで難が多すぎる気もしないではないが、その分今後は減っていく傾向だと信じよう。信じたい。

 

 

 避けることができなかった再会に起き抜けの気分がかなり下がった。

 しかし行かないというわけにもいくまい。

 ピカチュウがロビー内で他のポケモンと会話していることを確認したサトシは、イスに座って足りないアイテムや食料などの確認を始めた。

 タケシの元にいくのは買い物の後でよいだろう。

 ちょっとでも気分を変えていかないと、空気に耐えられそうにない。

 

 買い物して、おいしいお昼ご飯を食べよう!

 ジムリーダーに勝ったしね!お祝いお祝い!

 

 無理やり気分を鼓舞させるサトシ。

 遠回しにその様子を見ていたピカチュウは、やれやれとでも言わんばかりに溜息をついたような気がした。

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

 買い物できずぐすりやボールを補充し、お昼ご飯をピカチュウと共に食べる。

 相変わらずナイフとフォークと箸を丁寧に使い、和洋折衷な昼食を丁寧に、且つ大量に食べるピカチュウ。

 サトシも負けじと頑張って食べる。

 張り合ってもむなしいだけではあるが、とにかく気分を紛らわせたい状態であった。

 

 

 昼食を終えたことでサトシには向き合わなければならない現実が二つ訪れていた。

 

 

 一つは、ニビシティジムに向かわなければならないこと。

 

 そしてもう一つは――――

 

 

 

 

「おかねない。」

 

 

 

 

 トキワシティジムのエリートトレーナー達からがっぽりせしめたお小遣いが底を尽きようとしていた。

 ある程度予想はしていたが、まさかこんなに早く尽きるとは。

 

 まあ確かに、タケシ戦のためにきずぐすりを大量に買い込んだり、ピカチュウのために服を買ったり、遠慮することなく毎回大量にごはんを食べたりと思い当たる節が無いわけでは無い。

 が、それでもこのタイミングで底をつくとは。

 

 運の所為にするには自分の行動に起因する部分が多すぎるとは思うが、それでも運が悪いと思っておくことにした。

 

 こんな状況においてさらにマイナスになることはないだろう。うん、きっとそうに違い無い。

 なんの根拠もない確信を胸に、サトシは重い脚を引きずりながらニビシティジムへ向かうのだった。

 

 

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

「よーーーう!未来のチャンピオン!ニビシティジムリーダータケシは岩ポケモンの使い手!頑強な胴体に物理攻撃は効きにくい!気を付けろ!」

 

「あ、どうも。」

 

 

 なんというかひどく勘違いしている気はするが、昼過ぎに入るポケモンジムは明るくて活気があった。

 

 ジムトレーナーに挑戦するポケモントレーナー。

 技の研鑚を積むトレーナーに、ポケモンと交流するトレーナー。

 

 夜に来たときは当然誰もいなかったジムだったが、なるほど、昼間はこんなに雰囲気のいいものなのかと感心していた。

 

 そこへ――

 

 

「やあ、サトシ君。きてくれたね。」

 

「あ、どうも・・・」

 

 タケシがサトシを見つけ、声をかけてきた。

 

 タケシが練習を見ていたトレーナー達に すまない、客人だ と声をかけて、改めてサトシの方へ振り返る。

 自分のバトルを見てくれなくなったことに対して若干不服そうな顔はしていたが、特に文句を言うでもなく、はいと返事をしてバトルに専念していた。

 タケシという存在が愛され、且つ尊敬されているということなのだろう。

 確かにここだけみていると面倒見のよい兄貴分のように見える。

 

 ―――別の一面があることも間違いないのだが。

 

 

 

「ここではなんだ、奥の部屋に行こう。」

 

 そういって、サトシを先導するように歩きだす。

 サトシも特に断る理由は無いので無言でついていく。

 

 ジム内のトレーナーがサトシを珍しい物を見る目で見ているのに居心地が悪かったが、その視線の大半がサトシではなく二メートル四十センチの巨体の方へ向いていることがわかると、なんだかどうでもよくなり、スタスタとタケシの後ろについていく。

 

 

「さあ、入ってくれ。」

 タケシがジムの一番奥にある扉を開けてサトシを招き入れたのは、応接室のような場所だった。

 

 低いテーブルをはさんで黒い二人掛けソファーが一つずつ。

 壁に高級そうな棚があり、その上には花やらポケモンの模型やらが飾られている。

 

 照明は明るく、特に重苦しい雰囲気の空間ではない。

 いたって普通の客間だった。

 

 

「座ってくれ、サトシ君。」

 

 タケシが先に上座に座り、サトシにソファを勧める。

 一度ピカチュウを見たが、手持無沙汰にしていたのでモンスターボールを投げ与える。

 ジャグリングを始めたので、サトシはそのままソファに腰を落とす。

 

 

「さてまずは、ニビシティジムリーダーの突破おめでとう。」

 

「は、え・・ほん?」

 

 変な声がでた。

 

「何を驚くことがある?どんな形であれ、サトシ君は公式のバトルに挑戦し、勝利を収めた。その事実は揺るがない。」

 

「いや、なんというか、てっきり、その、仕返しとかされるのかと・・・」

 

「仕返し?ここはジムだぞ?ポケモンバトルでの勝敗に対する報復など、存在していい空間ではない。たとえ裏のバトルであったとしてもだ。それが公式戦というものだ。」

 

「でも、僕はタケシさんのポケモンを・・・」

 

「ああ、死んでしまったよ・・・非常に残念だ。」

 

 タケシは少しうつむいて答える。

 いかにジムリーダーとはいえ、自分の育ててきたポケモンが失われたことに対する感情の変化はあるらしい。

 それでなくともタケシはポケモンに対する愛情が大きすぎた。

 その所為で無理やり戦うことになったので、全面肯定しかねるが、タケシの愛情は本物ではあった。

 そこに疑う余地など無いことは直接戦ったサトシには痛いほどわかる。

 

 

「だが、それとこれとは話が別だ。―――――まずはこれを受け取りたまえ。」

 

 

 そう言うと、タケシは懐から小さいバッジを取り出した。

 

 

「これはグレーバッジ。当然、表のバトルで渡すものとは違う、特別製さ。」

 

「これが・・・グレーバッジ。」

 

 

 そういえばと思い出す。

 各ジムリーダーを倒すことでそれぞれのジムを象徴したバッジが貰え、すべてのバッジをそろえることでポケモンリーグへの挑戦権を得ることができるのだと。

 

 そんなことをすっかり忘れていたので、タケシを倒したにも関わらずそのまま町を出るところだった。

 タケシの律儀さに感謝せねばなるまい。

 

 

「このバッジは通常のバトルで渡すものと形は変わらない。だけど、黒いバッジを接触させることで発光する宝石で出来ている。ちなみに普通のバッジはプラスチックだがね。」

 

 

 はっはっはと軽く笑いを入れてくる。

 

 

「そして、僕に勝った報酬だ。まったく、裏のバトルというのは出費がかさんでいけないね。サトシ君も気を付けるといい。」

 

 首を傾げるサトシ。

 意味はよくわからなかったが、そんなことお構いなしにタケシが再度懐に手をいれ、何かをつかんだまま低いテーブルの上に手を動かし、それを置いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 一センチくらいの札束がテーブルの上に鎮座していた。

 

 



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第二十六話 知りたい情報と知りたくない情報

 でん、という効果音が付きそうなモノがテーブルの上に鎮座している。

 テレビの中でしか見たことのない、まぎれもない札束だ。

 

 たしか、お札は百枚で一センチほどだと聞いたことがある。

 ってことは、一センチくらいあるこの紙の束は百枚近くはあるわけで。あれ?ってことは一センチあるなら百枚くらいはある?

 

 つまりなんだ、えっと・・・

 

 

 

「百万円だ。受け取りたまえ。」

 

 

 

 つまりそういうことだった。

 

 

 

「ひゃ、ひゃくまんえん!?なん、え、どういうっ!?」

 

 動揺するサトシ。このような大金を手にしたことなどないし見たこともない。

 十四歳の少年が普段から札束を持ち歩くような習慣は残念ながらマサラタウンには無かった。

 世界を巡れば、数人はそういった少年がいるかもしれないが、少なくともサトシには知らない世界の出来事だ。

 

 

「言っただろう?報酬だよ。ジムリーダーに勝利した報酬。トレーナーに勝利するとお金がもらえるだろう。それだよ。」

 

「いや、そうですけど、こんな大金」

 

「なにを遠慮しているのかわからないが、サトシ君が倒したジムリーダーとはそれほどまでに難攻不落ということだ。表のバトルでも確かに強力な存在かもしれないが、サトシ君が戦ったのは裏のバトル。遠慮の一切ない死闘だよ。それを勝ち抜いたんだ。サトシ君がどう思おうが勝手だけれど、裏の住人におけるジムリーダーは強力極まりない、挑戦するにも命を賭ける覚悟をするものだ。」

 

 自分でいうのもあれだけどね、と冗談のように言う。

 

 そんなバトルにまきこんだのかと叫びたくなるサトシであったが、それはそれ。過去は過去。

 目の前にある紙の束の魅力は、今のサトシの状況もあいまって喉から手が出るほど欲しいものだった。

 

 

「じゃ、じゃあいただいても・・・?」

 

「当然だ。しかし、勘違いしないでもらいたいんだが」

 

 そういわれで、フルフルと札束に触れようとする手が止まり、タケシの方を見る。

 

「お金はあくまでおまけだ。グレーバッジにはそれ以上の価値がある。それを忘れないように。そもそも数が少ない上に、ジムリーダーに勝利しないと得ることはできない。加えてポケモンリーグへの挑戦権の一つ。単純な価値だけでも数百万はくだらないよ。」

 

 そういわれて、先ほど受け取ったグレーバッジを見つめる。

 サトシの胸元には鈍く光り輝くバッジが黒いバッジの横に収まっていた。

 

「・・・人に見られないようにしよう。」

 

 そう心に決めるサトシだった。

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

「さて、渡すものも渡したし、一つの要件は済んだ。」

 

 サトシは手にした現金をどうすべきかかなり悩みながら手をいろんな方向に優柔不断に動かしていたが、タケシの言葉に反応し、一旦テーブルの上にお金を戻した。

 

 

「一つの?まだあるんですかね?」

 

「ああ、まあ大したことじゃない。アドバイスのようなものだ。」

 

「アドバイス・・・」

 

「これからハナダシティにいくんだろう?ハナダシティジムのリーダーはカスミという女の子だ。」

 

「女の子・・・」

 

「使うタイプは水。電気タイプが有利ではあるが・・・」

 

「有利、ですよね?」

 

「タイプ的には、だけどね。サトシ君、一つだけ言おう。僕らジムリーダーは一つのタイプに特化して極めたトレーナーだ。つまり、タイプ弱点を突こうという輩は後を絶たない。当然、表のバトルでは有効な手段ではあるが。」

 

「裏のバトルについてはそうじゃないと・・・?」

 

「カスミは電気タイプや草タイプを相手に勝ち続けている。僕に対してそうしたように、挑むのだとしたら綿密に作戦を練ることだね。でないと」

 

「でないと?」

 

「ピカチュウの体が半分になって返ってくるよ。」

 

 

 怖すぎてちびりそう。

 

 

「裏のバトルにおいて油断は厳禁だ。それを肝に銘じておくといい。僕の言いたいことはそれだけだ。」

 

 

 タケシの忠告を聞き、直にありがとうと言おうと口を開いたが、違和感に気づく。

 はて、タケシはなぜ僕にアドバイスなどするのだろうか。

 

 バッジや報酬金は事務的なものとして渡すのは理解できる。

 しかし次のジムのアドバイスをするのはなぜだろうか。

 現在のルールを変える利点がタケシにあるか、単純に興味か、きまぐれか、あるいは―――

 

 

「―――私怨?」

 

 

 口をついてでた言葉がそれ。

 タケシの性格はわりと単純明快だ。

 理不尽な暴力に対しては鉄拳制裁ではあるが、その件についてどちらかの勝利で決着がつけば禍根無し。

 落ち着いた言動を普段しているがその実態はかなり弱肉強食だ。迷惑極まりない。

 タケシ自身からなにかアクションを起こすことはないため、刺激を与えなければ問題はないのだが。

 

 しかし、その禍根を残さない性格からするに、自分が積極的に戦うことができない人ならば。

 誰かに託さざるを得ないというのも道理。

 そこから出た結論が『私怨』。カスミという人物からポケモンへ何かされたとみるのが妥当ではなかろうか。

 

 

「よくわかったね。」

 ビンゴすぎる。

 

 

「そう、僕が君にアドバイスする理由は、単純にカスミを倒してほしいからだ。だがジムリーダーという立場上、攻略情報を伝えるということもできかねる。調べればわかる程度の情報を先に教えてあげよう、というだけの話だ。」

 

「それでも、先に知れるのはありがたいです。他にはどんな?」

 

「カスミの使う水ポケモンは毎回のように変わる。対策を防ぐためだとは思うがね。しかしそれでも必ず使う一体のポケモン。それがスターミーだ。」

 

「スターミー・・・たしか、ヒトデマンの進化形でしたっけ。」

 

「そうだね。最も、だからといって対策ができるものでもない。技の構成までは僕も知らないからね。」

 

「なるほど・・・参考にします。」

 

「うん、その程度にとどめておいた方がいいだろうね。思考に縛られるのはよくない。あとそれと、最後に伝えておきたいことがある。」

 

「・・・なんでしょう?あんまりいい予感がしないんですが。」

 

「勘がいいね。ハナダシティジムのカスミ。彼女は――――」

 

 

 

 

 

「極度のS体質。超絶サディスティックのカスミ、と呼ばれている。」

 

「あ、それ知りたくなかったです。」

 

 

 

 サトシの泣きそうな顔ががタケシの目にうつり、苦笑いをする。

 

 ようはそのドSカスミとのバトルによってタケシのポケモンが痛い目を見たということなのだろう。

 

 お金の工面ができてHAPPYだと感じたのもつかの間、プラスに向いた運気が一気にゼロを通り越してマイナス方面にぶっちぎっていくのを感じ、心の中で涙する。

 

 いずれ対戦するはずのピカチュウはというと。

 

 

 

 モンスターボール五個をつかってのジャグリングに挑戦し始めていた。

 

 

 

 

 

 

 ハナダシティのカスミ。やはり只者ではないようだ。

 




ジムリーダーは変態ばかりなのか?
いや、きっと真面目な人もいる(はず)


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第二十七話 その価値は

 タケシと別れ、ニビシティを出る。

 

 ほんの二日間の出来事ではあったがかなり濃密な滞在となった。

 タケシとの遭遇、死闘、勝利。

 そして手にする百万円の重み。

 

 おいしいごはんの生活が止まらなくてよかったと心から思う。

 なにせ、ピカチュウはポケモン用の食事を摂らない。

 人間と全く同じものを食べる。しかもご丁寧に食事マナーまで守って。

 

 同じごはんが食べられると考えると対等な感じがして気おくれする必要がなくなるのはいいのだが、いかんせんお金がかかる。

 それをタケシ戦で補填できたのだ。喜ばしいことこの上ない。

 

 ここで食事が一気に質素になってしまったらピカチュウが僕のことを真っ二つにしてしまうかもしれないと思うと、現在の状況はかなり僥倖と言える。いろんなことに命を奪われかねない現在の生活において、ピカチュウという死亡要因を省くことができたのだ。

 お金万歳。

 

 

 いい感じに現実的になってきたサトシ。旅に慣れてきた証拠だともいえる。

 現在、サトシ一向はトレーナーとバトルしながら(主にクラブ、キャタピー、ビードルのレベル上げ)オツキミ山を目指していた。

 

 当然、ピカチュウは変装モード。

 タケシには一目でばれてしまっていたが、それはタケシだからということにした。

 事実、普通のトレーナー達はなるべく目を合わせないように振る舞っている。

 しっかりとバトルは仕掛けてくるあたり根性座ってるのかなんなのか。

 

 でも、こちらとしてはありがたい。

 タケシのポケモンにはひんしにさせられてしまったため、レベルがあがることはなかった。

 しかし、普通のポケモンも役に立つ。それが図らずともタケシ戦で理解できてしまった。

 

 クラブもキャタピーも、どちらが欠けてもあのバトルは勝つことはできなかっただろう。

 さすがに一対一で勝てるなどとはまだ考えられないが、それでも鍛えておくことに意味は必ずあるはずだ。

 

 ・・・というか、ドーピングされたポケモン、あれに普通のポケモンだけで勝つレッドって本当に何ものなんだろう。

 映像で見ただけでは『すごい』くらいの感情しかわかなかったが、実際に強力なポケモン相手に戦った今となっては、そのすごさは身に染みてわかる。

 オーキド博士が「軍事転用することもできる」って言ってた理由がなんとなくではあるが理解した。

 

 

「サイドン、強かったなあ」

 

 

 切り札にはかいこうせん。本当によく防御しきれたな思えるほどの威力。

 文字通り『すべてを破壊する光線』の具現化だった。

 

 

「ピカチュウも覚えられる?」

 

「ピーーカーー」

 

 無理っぽい。

 

 

 

 そんな無駄な会話をしつつ、オツキミ山を目指す。

 

 ニビシティからオツキミ山にかけてはトレーナーバトルが盛んにおこなわれている。

 好戦的なようで、目を合わせるだけで戦いを挑まれる。ピカチュウを出せば勝負を挑まれることなく終わるとは思うのだけど、それでは経験にならない。

 しっかりと手持ちのポケモンを強化していく。

 

 

「お、いいポケモンもってるな。俺とバトルしようぜ!」

 

 

 言ってるそばからバトルを挑まれる。望むところだー!

 

 

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 一通りのトレーナーとバトルが終わり、オツキミ山前のポケモンセンターにたどり着く頃には、日が落ちて周囲は真っ暗になっていた。

 明かりは施設から漏れる人口の光と月明かりのみ。

 

 オツキミ山の名前どおり月を見るには絶好の立地のようだ。

 もっとも、山の中にはピンポイントで月が見える場所があるとかないとかそういう噂があったりもする。

 そしてなにより―――

 

 

「ピッピ、会えるといいなあ!」

 

 

 ポケモン界のファンシー愛玩ポケモンといえばまず上がるのが三匹。

 プリンとピカチュウ、そしてピッピだ。

 ピカチュウは・・・か、かわいいよね。(顔だけは)

 

 ピッピの生態は謎に包まれている。

 唯一、このオツキミ山にのみ生息しているという事実のみが知れており、その出現頻度も低いことから欲しがるトレーナーも多い。

 

 

 月明かりに照らされてシルエットのみがはっきりと浮き上がっているオツキミ山。

 さすがに夜に入るのは怖いしやめとこう。

 そう考えると、ポケモンセンターの中に入っていった。

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 たくさんのトレーナーとのバトルで傷ついたポケモン達をセンターに預け、イスでゆっくりしていると、なにやら優柔不断な動きをしているおじさんがいる。

 

 周囲にちらちらと細かく視線を送っており、ただでさえ利用者の少ないポケモンセンターオツキミ山支店の中ではその姿はかなり目立った。

 

 声をかけることも別になく、なんとなくおじさんの方を観察していたら、おじさんがこっちに振り向き、目があった。

 

 

 ・・・すぐに目を背けたがダメだったようだ。僕はトコトン人を躱すのが不得意なようだ。

 おじさんがニッコリと笑ってこちらにゆっくり近づいてくる。

 歩き方すら不信だ。一体何をしているのだろう。

 

 

「・・・ぼっちゃんぼっちゃん」

 

 

 うわあ話しかけてきた。不信感大爆発。ぼっちゃんという言い回しがまたその怪しさを増幅させる。

 

 

「な、なんでしょう。」

 

 

 いざとなったら守ってね?とばかりに一瞬ピカチュウに視線を送る。

 自分の黄色い耳をつまんでみょんみょんやっていた。

 あきらめておじさんの方を向き直る。

 

 

「ここだけの、スペシャルな話があるんです。どうですか?ききます?」

 

 

 正直遠慮したかったが、なんかあきらめそうになかったので無言でうなづく。

 

 

「そうですか!それはそれはぼっちゃんはラッキーなお方だ!」

 

 

 サトシは怪訝な顔したが、とりあえず先を言えとばかりに顎で促す。

 

 

「なんと、このスペシャルゴージャスポケモン、コイキングが――――――」

 

 

 コイキング。そんな弱小ポケモンを売りつけるつもりなのかこのおじさんは。

 そういえばニビシティで噂されていた。オツキミ山付近で五百円でポケモンを売りつけるおじさんがいると。

 半分笑い話、半分恐怖話として話されていたが、まさか本当にいるとは。

 答えは当然、買わない。コイキングなんて弱小ポケモンを買うだなんて。

 貴重な五百円まで払ってそんなアホな―――

 

 

「なんとたったの五十万円!」

 

 

 うんうん、そうだよね、売りつけてくる、うりつけ、ご?

 

 

「ごじゅうまんえん!?なにそれたっかい!どういうこと!?コイキングがごじゅうまんて!!!!」

 

 

 即座に大声を出してしまう。

 周りにいた人もサトシの声に多少驚きこちらを向いたが、一緒にいるのがこのおじさんだということを知るとかわいそうな目で見つつ、サトシを視線から外した。

 

 

「しーっ!このコイキングはそこらのやつとモノが違う。大体のやつは鼻で笑う金額だが、それ以上の価値が絶対にある!」

 

「うっそくさい」

 

「本当だ!絶対に損はしない!」

 

 うーーん・・・・

 

 

 

 またやっかいな人に絡まれたものだと内心うなだれるサトシだった。

 

 

 

 

 

 



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第二十八話 おじさんの謀略

「いや、やっぱりやめておきます。」

 

 なんとかそう切り出したのはおじさんに話しかけられてから十五分も経過した頃だった。

 

「そういわずに、ね?絶対おとくだから。たのむよ。後生だから。」

 

「いや、もう寝ますので。すみませんが行きます。」

 

 

 サトシはそういうと、すでに回復が終わっているポケモン達を受付に受け取りに行き、そのままの足で宿泊施設へと向かった。

 

 

「ああー、なんかどっと疲れた。もう寝よう。すぐ寝よう。ピカチュウー、ねるよー。ピカチュウ?」

 

 

 ついてきていると思っていたピカチュウがそこにはいない。

 一体どこに行っているというのか。

 心配することも無いとは思うが、放置しておくのも考え物である。

 なにより、寝るときはしっかりと寝るポケモンだし、夜更かしなどするタイプではない。

 我ながらポケモンに対して何を言っているのかと思うが、まあそれはピカチュウだからよいとしよう。

 

 とにかくピカチュウを探しにいかなければ、と眠い目をこすりながら部屋を出る。

 

 

「ピッカー」「おっと」

 

 

 ドアを開けるとすぐ目の前にピカチュウがいた。

 よかった、探す手間が省けたと思ってピカチュウを見ていると、ふと黄色以外のカラーリングが目に飛び込んできた。

 

 ピカチュウの片方の手には一つのモンスターボールが握られている。

 

 怪訝な顔をするサトシ。

 はて、ピカチュウにモンスターボールを預けただろうか。

 途中で落とした?しかしサトシの腰には依然として四つのボールがついている。

 

 なおも怪訝そうに首を傾げる。

 それに合わせて首を傾けるピカチュウ。その手にはモンスターボールが握られたまま。

 そして、もう片方のあいた手に持っていた何かをサトシに手渡してきた。

 

「・・・?」

 

 傾けていた首を一層傾けるサトシ。

 両手の上にポンと置かれたものは、厚さ五ミリ程の紙の束。

 

「あれ?いつのまにピカチュウがジムの賞金をもって、って、なんか随分減っているような・・・ボール?ピカチュウ?・・・」

 

 眠かった頭がだんだん冴えてくる。

 こう、ピカチュウがサトシの予想しない動きをするときは、なにかいらんことをした後のような記憶がいくつか蘇る。

 いやまさか、と思いつつピカチュウの手にもつモンスターボールをつかみ、そこらに中身を出してみる。

 

 バシューー

 

「ココココッコッコココココッココココ」

「ピカチュウうぅぅううううぅううう!!!!!なにしてんのぉおおおおお!」

 

 

 その場でビチビチ跳ねる赤くてでっかいコイの王様。

 

 ピカチュウはそしらぬ顔でそっぽを向いている。

 何故にこの黄色いデカ物はサトシにこうも試練を押し付けるのか。

 その真意はピカチュウにしかわからない。

 ピカチュウにもわかってないかもしれない。

 

 サトシの頭痛はひどくなる一方だった。

 

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

 

「おっじさーーーーん!!!!!!」

 

「おや、さっきのぼっちゃん。」

 

「コイキングの返品を」

 

「だめですよー?一度買ったものを気に入らないからと返品だなんて」

 

「だってあれはピカチュウが」

 

「あなたの連れのピカチュウのコスプレしたでっかい人でしょう?きちんとお金持っておりました。実にいい取引でした!」

 

「うぐぅ・・・」

 

 

 今後の所持金が一気に半分になってしまった。

 ハナダシティのジムで勝てばまたいくらかもらえるだろうか。

 そしてそれまでこのお金が持つのであろうか。主にピカチュウの食費。

 

 もう返品は無理なのかと諦めたサトシは、幽鬼のようにフラフラと部屋へと戻っていった。

 

 いろんな意味で疲れたサトシは歩調もゆっくりに部屋にたどり着くとゆっくりとドアを開けた。

 そこには、主人を置いてぐっすりスヤスヤ眠る気持ちよさそうな黄色い巨体が。

 

 

「・・・」

 

 

 半ばどうでもよくなって、サトシもそのままベッドへ身体を投げ出す。

 ボスッという音がして、少し硬いマットレスに体を埋もれさせ、サトシは眠りにつく。

 

 

 

 

 

 コイキング、サトシのパーティに加入。

 

 

 

 サトシのパーティはどうなっていくのか。

 

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

 

 朝。

 

 いつも通り朝日で起きる。

 こう天気がいいと散歩でもいきたくなる。オツキミ山ピクニックにしゃれ込んでも罰はあたらないだろう。

 チュンチュンと外で鳥が囀り、山独特の澄んだ冷たい空気がサトシを出迎える。

 

 

「とても最高の朝だ。」

 

 

 そうつぶやいて、室内の床を視界に入れる。

 

 

「こいつさえいなければ。」

「ココココココッコココココココココココッコッコ」

 

 

 ボールにしまったはずのコイキングがなぜかでてきて、床で跳ねていた。

 一体どうなっているのか。

 

 まさかこいつも勝手にモンスターボールから出てくるタイプのポケモンなのか。

 曲がりなりにも水タイプなのだから地上にはでてこないでほしい。

 というか五十万円払ってまでなんで自分のストレスを溜めないといけないのか。

 

 そう考えて、一刻も早く視界から外そうとモンスターボールを向け、コイキングをボールに戻す。

 

「ココッココココ「バシュー」ココッ」

 

 すっぽりとボールに収納され、気持ちのいい朝の静けさが取り戻される。

 やれやれ、と今後の道中に不安感じたサトシ。

 

 その一言とピカチュウの目が覚めるのが同時で、ピカチュウがゆっくりと起き上った。

 この出来事を引き起こした張本人は、我関せずとばかりにいつも通り、マイペースに朝を迎えていた。

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 ポケモンセンターのロビーに行くと、そこにはもうおじさんの姿はない。

 なんかすごくだまされた感じがするし、今でもそう思うけど後の祭りだ。

 こうなったらこのコイキングを育てて見返してやるとまで思う。

 

 しかし、あそこまで引き下がるのもなにか引っかかる。

 単純にサトシが子供だから、という理由でなのか。

 いや、それなら五十万円ふっかけてくる方がおかしい。

 

 

 何故サトシが五十万円以上所持していると思ったのか。

 

 裏の人間だと察知されていた?

 そう考えるとあのコイキングになにか秘密があるのではないか。本当にそれだけの価値があるのではないかと勘繰ってしまう。

 それすらも手のひらの上だというのであれば、それはまさに詐欺の手口ではあるのだが。

 

 すでにおじさんに連絡が取れないことを考えるとその線も強い。

 

(ピカチュウが)買ってしまったことはしょうがない。

 ピカチュウに詰め寄ったところで、その言語は理解できないし、どうせピカーとニッコリしてしゃべるだけなのだ。

 暖簾に腕押し、ピカチュウに論押し。

 いろいろと謎が残るところではあるけど、考えても仕方がない。

 オツキミ山に行くとしよう・・・。

 

 せめてピッピを拝みたいな、と思いながらポケモンセンターを出る。

 ロビーを歩いているときに、その場にいた人に若干憐れみの視線を向けられた気がするのは気のせいだと思う。

 気のせいだと思いたい。というかもう忘れたい。

 

 腰についたモンスターボールの追加分の重さが嫌でも思い出させてくれるのだが。

 陰鬱な気持ちでポケモンセンターを出る。

 隣でつなぎを着たピカチュウがそんなこともあるさ、とばかりに「ピカピカ」と口にしていた。

 

 

 

 




コイキング(時価)


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第二十九話 オツキミ山

ギエピーーー!!!
ピッピのイメージ。


 オツキミ山は、入口こそ洞窟のような形をしていて、中は暗いものかとおもっていたが、実際は意外なほど明るかった。

 

 上を見ると山の隙間が要所要所にあり、そこから日が差し込んでいる。

 夜になれば月の光が差し込むのだろう。それではさすがに明るさに心もとないため、昼間に探索するのは間違いではないのだろう。

 

 サトシはどうしてもピッピを見ておきたかった。

 別に捕まえようとかではなく、単純に見てみたかったのだ。

 月の妖精と言われるピッピ。

 その容姿は非常にかわいいと噂になっている。

 所持しているトレーナーが少ないためその能力等はあまり知られていないが、ピッピの指には不思議な力があると言う。

 

 なんともロマンあふれる話だ。

 サトシは昼間の間にオツキミ山をある程度散策し、夜に再度入るつもりだった。

 

「ここにはどんな野生のポケモンがいるのかな?」

 

 とワクワクしながら探索する。

 十四歳の少年は、立場上なかなか重い立ち位置にいるとはいえ心は少年なのだ。

 裏の住人ではあるがまだまだ旅に出たばかり。

 その好奇心は未だ健在である。

 

 

「ズバーーット!」

 

 と、わくわくしていると早速新ポケモン。

 

「ズバットか。吸血攻撃に注意、と。いけ!キャタピー!」

 

 腰のモンスターボールを投げる。

 バシューッと出てくる緑色のポケモン。

 

「キャタッ!」

 

 

 キャタピーとズバットの死闘が繰り広げられる――――――

 

 

 といっても、光景自体は至極平和なものだった。

 戦っている彼らには申し訳ないが、なにせたいあたりときゅうけつのお互いの応酬。

 必死に近づいては離れてを繰り返す二体のポケモンを見て、なんというかほのぼのしてしまう。

 ピカチュウは後ろで岩肌をロッククライミングして遊んでいる始末。

 それもこれも虫取り少年との戦いやタケシとの戦いで激しい戦闘をしたせいではある。

 

「キャタピーーー!!!」

「ズバッ・・・」ポテ

 

 技の応酬が終わり、辛くもキャタピーが勝利を収めたようだ。

 さすがタケシ戦を乗り越えただけはある。

 

 ちょうどピカチュウが地上に飛び降りてきたところだ。

 

「さていこうかな。キャタピー、ボールにもどって・・・キャタピー?」

 

 

 キャタピーがうずくまって不思議な光を点滅させている。

 だんだん点滅が遅く、その光が強くなっていく。

 

「キャタピー・・これは・・・もしかして!」

 

 光の点滅がなくなり、光が一層強くなる。

 そしてその光が収まると―――――

 

 

「トランセル」

 

 

「進化したーーーー!!!キャタピーが進化した!やったーーーー!」

 

 ピカチュウの手をとり、飛び跳ねて喜ぶサトシ。

 飛び跳ねたところでピカチュウの身長を追い越すことはないため、子供をあやすどでかいピカチュウの図が完成する。

 

 トランセル。さなぎポケモン。

 文字通りキャタピーが蝶として羽ばたくための準備段階。

 トキワの森でも目撃されており、木にたくさんくっついている「トランセルの巣」があるという。

 当然さなぎなので身動きが取れないが、かなり固い。鉄並の固さ。

 

 例外としてバトルをしつつ進化した個体についてはごく短い距離であればたいあたりができるらしい。

 野生の個体は時期による進化をし、羽化した後は世界を飛び回る。

 

 

 

「トラントランセル」

 サトシが捕まえたポケモンで初めての進化。

 年相応に無邪気にはしゃぐサトシ。

 やはり自分の捕まえたポケモンが進化する瞬間は格別なのだ。

 サトシとて例外ではなく、なんとなくそれを察したピカチュウも自分の両腕を飛び跳ねるサトシに預けていた。

 

 

「よーし!この調子でいくぞー!」

 

 

 いい調子で始まったオツキミ山探索。

 この後、イシツブテがでてきたので戦おうと思ったのだが、あっという間にピカチュウがつかんで思いっきり投球してしまった。

 それはそれは綺麗な投球フォームで投擲されたイシツブテは一直線に暗闇に消えていき、どこかの壁に突き刺さった音が聞こえた。

 

 確かにイシツブテ合戦という遊びができるくらいに投げやすい形状をしているが、それは子供のやることであって、岩にささるほど思いっきり投げつけるものではない。

 タケシの時でもそうだったが、このピカチュウはイシツブテを見ると投げたくなる衝動に駆られるらしい。

 タケシのイシツブテの際はなにか意図があるのかとも思ったが、先ほどの投擲を見るとそういうわけではないようだ。

 単純にイシツブテを投げたいだけ。まあ仮にそうであったとしてもその理由まではわからないのだが。

 

 ともあれ多少のハプニングはありつつ、オツキミ山の探索は夕方まで続く。

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

 オツキミ山の日中探索は、結論から言うと別段変わったことはなかった。

 あまり奥まで行かずに周辺探索を行ったが、何人かのトレーナーがうろうろとしていたくらい。

 道も特に迷うような場所ではなく、空間自体は広いが見通しもそこまで悪くなかったため、次の階層にいく通路はすぐにみつかった。

 あとは、キャタピーと同様に育てていたビードルも進化したくらいか。

 キャタピーと違い、どくばりなどという物騒な攻撃手段をもっているが、進化してしまえばトランセルと同様、積極的に動くことはない。

 なるべくこの二体にバトルをさせているが、岩タイプが出てきたときはさすがに分が悪いのでクラブに任せている。

 

 ピカチュウは、割と面白いのか、そこいらの岩壁によじ登ったり、イシツブテを見つけては投げてを繰り返していた。

 イシツブテにとってはひどく迷惑な話ではあるが、サトシにはそれを止める手段がない。

 

 

 山の隙間から日が差しているため、時間間隔は問題ない。

 もっと地下までいくとその光も少なくなるのだろうとは思うが、トレーナーの数を見るとそこまで影響のある感じはしなさそうだ。

 もちろん昼間にピッピが出るわけもなく、その姿はまだ拝めていない。

 もともとそのために昼間の散策をしたのだ。

 夜の間にオツキミ山を抜けるつもりではいるが、なんとか見てみたい。

 

 といいつつもピッピの姿を少なからず期待しながら散策したが、無常にも夕暮れのオレンジ色の光が差し込んできたため、一度ポケモンセンターに戻ってきた。

 

 

 そして今に至るわけだが――――

 

 

 

「よく考えたら、トランセルとコクーンって、バトル向かないよね。」

 

 当然である。二体とも自力で動けるのはごくわずか。

 超近距離におけるたいあたりとどくばり。攻撃手段は以上。あとは延々とかたくなることしかできない。

 

 もちろんクラブがいるし、最悪ピカチュウもいる。その場合はもし周囲に裏の住人がいた場合は正体をひけらかすことになる。

 避けられるトラブルは避けたいところだけど―――

 

 そこで、腰についているもう一つのモンスターボールに気が付く。

 

 忘れよう忘れようとしていたため、本当に忘れかけていた。

 

 

「コイキング、どうしよう。」

 

 

 結局オツキミ山では一度もバトルに出していない。

 おじさんを見返してやるなんて考えたところで、苦い思い出は苦いのだ。

 そう簡単に良い思い出に置換されるものではない。

 

 まだその空気冷め止まぬサトシの心境としては、まだコイキングのボールは封印しておきたい。

 一種の現実逃避ではある。

 

 ポケモンセンターに戻っても、当然おじさんの姿はなかった。

 それすらもサトシの神経を逆なでする結果になったが、夜の進軍のためにサトシは少しだけ休憩することにした。

 

 

 

 余談だが、オツキミ山付近には当然だがレストランなどは無い。

 わざわざニビシティまで戻るのも面倒だったので、買っておいた食料を食べる。

 もちろんピカチュウがそんなもので満足することはないため、かなり不服なようだった。

 

 オツキミ山を抜けたらたらふく食わせてやろうとも思ったが、コイキングの件があるためそれも見送ることにする。

 

 

 

 オレンジ色の太陽光から澄んだ月明かりに徐々に変化し、オツキミ山の夜が更けていく――――――――――

 

 

 

 

 

 



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第三十話 黒い二人組

○ケット団。
スケット団じゃないよ。


 二十一時。沈みかけだった太陽はその姿を消し、黄色く染まった月明かりだけがこの空間を照らす。

 満月には及ばないが、そこそこ真円に近い月の姿は幻想的でもあり、不気味でもある。

 

 その月明かりの元、同じ黄色の巨躯と十四歳の少年がオツキミ山に入っていく。

 

 

 オツキミ山の中は、思ったよりも明るかった。

 要所要所から月明かりが差し込んでおり、全く見えないという場所は意外と少ない。

 そもそもこのオツキミ山も自然豊かな山ではなく、どちらかというと岩山に近い。

 洞窟というよりも岩が崩れてできた空間が多く、そのおかげで光が差し込むというわけだ。

 

 昼間とは違った雰囲気ではあるが歩けないほど暗くないのは幸いだった。

 念のためもってきている懐中電灯もとりあえずは使わずに、昼間散策した通りに足を進める。

 ピカチュウも微妙に帯電しているのか、たまにパチパチ光る。

 さすがに夜にロッククライミングではしゃぐつもりは無いらしく、おとなしく後ろについてきている。

 

 夜とはいっても野生のポケモンは出る。

 むしろ、夜の活動がメインのズバットあたりは頻繁に出るようになり、その都度トランセルとコクーンを出し、バトルを展開。

 向こうから近づいてきてくれる戦闘スタイルのため、射程距離が尋常じゃなく短いさなぎ達でもかろうじて戦闘になる。

 はやく成虫になってほしいものだ。

 

 

 日中はそこそこいたトレーナー達もこの時間はさすがに帰っているようだ。

 夜にピッピが出るという条件も、ピッピの目撃談が少ない証拠かもしれない。

 そこまで月の妖精を求めてオツキミ山に来ないのも、ほしがるトレーナーが若い女性に多いからだろうか。

 自由に夜散歩できる女性は少ないらしい。

 

 といっても、自分も自由気ままに深夜散歩できる年齢ではない。

 あくまで、旅にでているから誰も止める人がいないだけである。

 

 そのあたりは重々承知であるが、少年の興味と好奇心に勝る自制心などサトシの中にはないのであった。

 

 

「ピカチュウ、下のフロアに行くよ。暗くなるから懐中電灯をつけよう。」

「ピッカチュ」

 

 

 といっても、このあたりは日中の探索で来ている。

 違う部分があるとすれば光の差し込む量が圧倒的に少ないということだろうか。

 

 地下にも光はある程度届いている。

 が、この場所のように一部光が入りづらい場所があった。

 そういう場所では懐中電灯を使いつつ足元に気を付けていくしかない。

 

 もっとも、まったく見えないわけではないのでそこまで注意することでもないのだが。

 

 

 しかしこういうときにピカチュウの存在はやはり大きい。

 一人きりでこの空間に居続けるのはかなり心的疲労が大きい気がする。

 

 ピカチュウがこういうところを怖がる様子はいまのところない。

 というか怖がっている様子を見たことがない。

 どんな危機的状況でもニッコニコだ。根拠のない安心感がある。根拠はないけども。

 パリパリ光るピカチュウの体も、ここまで暗いと目立つことこの上ない。

 こんなのが暗闇に浮かんでいたらポケモンも寄り付かないだろう。

 

 心配することもなく短い通路を抜け、また月明かりが差しこむ空間へと進んで行った。

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

「おいっ!はやくよこせ!!」

「いい加減にしろ!それは俺たちのモノだ!!」

「やめてくれ・・・!これはボクが見つけたんだ・・・!!わたすもんか!」

 

 

 そんな声が聞こえたのは、大小の空間をいくつか抜けて、月明かりが一段と強く差し込んでいる場所に入った時だった。

 ピッピいないねーなどと緊張感の無い話をピカチュウにし、それに対してピカピカしゃべるという不毛なやり取りをしている最中に物騒な会話が聞こえてきたというわけだ。

 

「その化石は俺らロケット団がいただくんだ!その手を放せ!死にたいのか!」

「おい、もうこいつぶっ殺して化石もっていこうぜ?めんどくせえよ。」

「ひぃっ・・・」

 

 なかなか物騒な会話だ。

 あまり首を突っ込みたくはないと思ったが、はてどこかで聞いたことのある単語が・・・

 

「ろけっとだん・・・ろけっとだん?」

「ピピッカチュ」

 

 たしか、以前テレビでやっていた――――

 

「そうだ!思い出した!ポケモンを使った犯罪組織!ロケット団だ!」

 ポケモンを使っての犯罪組織。

 強盗、殺人、窃盗、強姦なんでもござれ。

 時代錯誤と言いたいぐらいのレパートリー豊富な犯罪の数々をリアルタイムで実施している組織。

 その構成人数は数千だとも言われているほどの大犯罪組織である。

 活動自体は表だってされることは少ないが、たまに花火でも打ち上げるかのように大規模な犯罪を犯すことでも有名だ。

 

 存在アピールなのかなんなのか。目立つことは犯罪組織にとってあまりよろしくないことだとは思うのだが、いかんせんサトシは犯罪に手を染めたことは・・・直接はないため、その動機や感情についてはよくわからない。

 

(サカキさんあたりは詳しそうだけれど・・・)

 

 人間のマイナス感情について懇々と語ってくれたサカキさんならいろいろとそのへんの心理は知っていそうだと思った。

 ロケット団の目的は未だに知られていないが、彼らがそうだとしたら放っておくわけにもいくまい。

 サトシは正義の味方ではないが、目の前で起きている犯罪に目をつむれるほど大人でもなかった。

 

「ピカチュウ、いくよ!」

「ピカピーーー」

 

 あ、今のはやれやれって感じの発音だった気がする。

 そんなことを考えつつ、三人の男の元へ走り出す。

 

 

「―――誰だ!?」

 

 

 サトシの靴音が洞窟内に響き、全身黒尽くめの男がその存在に気づき、音がした方へ首を振る。

 

 

 サトシの姿を見た男が溜息と共に言う。

 

「――なんだ、ガキじゃねえか。こんなとこでなにして・・・うわでっか!!!」

 後ろからついてきた巨体を見つけて焦っていた。

 

 

「てめぇ、こんな時間にこんなとこに何の用だ?俺たちは今忙しいんだよ。さっさと消えな。」

「ここでは何もみてねえ、きいてねえ。わかるな?」

 

 

 典型的な悪役のセリフをしゃべり続ける黒い男達。

 駆け付けたはいいものの、サトシもこういうときにどう出ればいいかがわからず、しどろもどろしている。

 

「たのむ君!ボクをたす、たすけてくれぇ!お礼はするから!こいつらは貴重な化石を奪おうとして・・・ゲホッ!!」

 

 眼鏡をかけ、身体の線が細く白い白衣をまとった男が助けを求めるが、途中で腹を蹴られて咳き込んだ。

 

「ああ!?なに話してんだこのクッソ野郎!ちっ、仕方ない。」

「おい、こいつトレーナーだ。やっちまおうぜ。」

「だな。いけ!ドガース!」

 

 

 考える暇もなく紫色の球形の体をフワフワ浮かせるポケモン、ドガースを出してきた。

 

 

「なんか勝手に話がすすんでいるけど・・・仕方ない!いけ!」

 

 そういってサトシは腰からモンスターボールを一つつかみ、ドガースの前に投げる。

 

 バシューという音と赤い光を出してでてきた姿は、緑色の蛹。

 

「トランセル」

 

 

 

 

「「・・・ぶっ、ぶふぁふぁふぁふぁふぁ!」」

 

 

 

 そろって吹き出すロケット団の二人。

 

 

 

「おいおいおい冗談だろ?トランセルだってよ?よくここまでこれたなそんな雑魚ポケモンで!わらっちまうぜ!」

 

「なんてこっただよ!トランセルをバットにでもしてきたのか?中身ぐっちゃぐちゃでもう死んでるんじゃねえか?ふぁふぁふぁ!」

 

 

 なんかひどい言われようだ。サトシのトランセルはそこそこ修羅場もくぐっており、受動的な戦闘という条件付きではあるがそこそこ戦える。まあ見た目からは想像もできないだろうが。

 少なくともここまではトランセルとコクーンはメイン戦力として戦ってきている。

 進化が遅いなとは思っているのだが。

 

 

「そんなゴミポケモン、さっさと倒しちまいな!ドガース、たいあたり!」

「ドガー」

 

 ふうせんのような体を加速させ、トランセルに向かってたいあたりを仕掛けてくる。

 それに対して―――

 

「トランセル!たいあたり!」

 

 こちらも負けじとたいあたり。

 

 しかしトランセルのたいあたりできる範囲は短いため、後手になる。

 

 

 ゴッ

 

 

 なにか固いものに当たる音がした。

 そしてフワフワ浮いていた風船が落下した。

 

 

「ド、ドガース!?」

 

 

 トランセルは固かった。

 その身体は鋼鉄の固さを持つといわれている。

 実際固くなったトランセルは物理攻撃にはかなり強い。こちらから攻撃できる手段がほぼほぼ無いという時点で論外ではあるのだが。

 

 ともあれ、トランセルの勝利だ。

 

 

「くっそ、めんどくせえな。」

「おい、もうあれつかっちまおうぜ。」

「ああ?あれは緊急時以外は使うなって・・」

「いいんだよ。どうせこいつらぶっ殺すだろもう。目撃者はいねえよ。」

「そうだな。やっちまうか。」

 

 

 あきらかにイラついている二人は小声で会話している。

 二人の足元で震えている男は何をするでもなく地面に伏せており、隙をついて逃げようなんて考えすらないようだ。

 

 

「僕の勝ちだよね?その人を解放してほしいんだけど。」

 

 

 と、ちょっと弱気に話しかけるサトシ。

 悪党とはいえサトシよりもかなり年上だ。強気に発言がまだできないサトシであった。

 

 

「ああ?ちっ、もういいや。」

 

 そういうと、腰の後ろに手をまわす。

 位置関係上さっきまでは見えなかったが、手に持ったそれは確かにモンスターボールの形をしていた。

 ―――色は黒かったが。

 

 

 

(黒いモンスターボール?なんだあれ?)

 

 

 嫌な予感がし、身構えるサトシ。

 

 

「いけ。」

 黒いボールを放る男。

 

 通常の赤い光ではなく、黒い光と共に現れたポケモンは―――

 

 

「ゴローーーーン!!」

 

 

 イシツブテの進化形、ゴローンだった。

 見た目だけは。

 

 

 

 その大きさは通常のゴローンとは比較にならないほど大きく、二回り近くその体を肥大化させている。

 まるで隕石がそのまま動いているかのようだ。

 

「これって・・・裏の・・・!?」

 

 と、サトシが動揺しているうちにゴローンは飛び上がり、地面に丸い大きな影を落とす。

 

 そして、そのままの勢いで地面に着地し―――――

 

 

 

 

 

 逃げる暇もなく、サトシのトランセルを踏み砕いた。

 

 

 



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第三十一話 王様の価値

 トランセルの身体は鋼鉄並の固さをしている。

 しかしその中は成長途中のため非常にデリケートで柔らかい。

 そのため激しく動かすことは避けなければならない。

 戦闘するにはあまり向いていないと言わざるを得ないが、進化後は綺麗な羽をもつ蝶になるという。

 

 その綺麗な姿がどのようなものか、実際に見たいという気持ちと、初めて捕まえたポケモンという感慨もあってサトシはトランセルをかなり大事にしていた。

 

 そのトランセルは、今は視界から消えている。

 巨大な岩の塊―――ゴローンの身体の下敷きになっている。

 

「え?ちょっ、と、なん、え?」

 

 言いたいことがわからない。感情の変動により思考もうまくできない。

 何がおきたのか。少し前までトランセルがバトルをしていて、今トランセルは一体どこへ?

 

「あ・・・え・・・」

 

 自分のポケモンを失う。

 それ自体はなんどか経験している。

 ただし、サトシのポケモンではなく、サトシが打倒したトレーナー達。

 彼らが自分のポケモンを失った時、一体どのような状態になっただろうか。

 我を忘れ、八つ当たりをする者。

 茫然自失となって動けなくなる者。

 それらを目の前にして、サトシも当然考えないことはなかった。

 

 もし、自分のポケモンが失われてしまったら自分はどうなるのだろうか、と。

 

 その答えは考えてでるものではない。実際にそういう状況に陥らないと理解できない。

 だがその答えを追い求めることをサトシはしなかった。

 いや、そもそもあえて考えようとしなかった。

 自分のポケモンが死ぬことは無い。根拠はないが死なない。そんなことが起きるはずはないと。

 人は現実を良い方へ、都合のよい方へと考える。

 十四歳のサトシも例外ではなく、少年という思考が未発達な状態であればなおさらだった。

 

 ゆえに、現状がうまく把握できないし呑み込めない。

 だがだんだんと脳内に情報が流れ込み、サトシの感情を支配していく。

 

 徐々に理解を始めたサトシの思考は、同時に物理的な感情表現をしていた。そうしなければ発狂してしまいそうだった。

 

 

 

「うわあああああああああああああああああああ!!!」

 

 

 

 叫ぶ。怒りと、悲しみと愛情を込めて。

 オツキミ山の空洞内に少年の絶叫が響き渡り、反響する。

 

 少年を見る二人の黒尽くめの男達はニヤニヤし、痩せ細り地面に突っ伏して丸まっている青年はさらにその体を強張らせ、黄色い巨躯はいつもの表情で少年をじっと見つめている。

 

 そして、サトシの絶叫に呼応するかのように、場違いな存在が勝手にその場に現れた。

 

 サトシの腰から赤い光が放出され、ゴローンの目の前に赤いポケモンが現れる。

 

 

「は?なにこれ。馬鹿にしてんの?」

「はっは!気が動転してさらにクソを増やしたか?」

 

 

 ロケット団の二人も、嘲笑する。

 それはそうだ。あからさまに場に似つかわしくない。

 そもそも役立たずなポケモンが岩場というさらに役目がなさそうな場所に現れたのだ。

 

 コイの王様コイキングはその大きな目を見開き、鳴くことはなくゴローンを見据えている。

 

 サトシは涙を流し、その場に手をついてうずくまっている。

 ピカチュウはサトシを守るのが優先なのか、やる気がないのか、動く気配がない。

 

 

「ゴローン、そいつもさっきのやつみたいに踏みつぶしちまえ!」

「どうせ全員最後にはぺしゃんこだ!やれやれ!はっは!」

 

 男二人が調子づく。少年の心を叩き折って、さらにその傷を抉ろうというのだ。

 悪に染まった二人にしてみたらメンタルの定まっていない少年は恰好の遊び道具だろう。

 少年の精神が砕け散る様を楽しもうと、さらなる追い込みをかける。

 

 

「ゴローン」

 

 再度飛び跳ねるゴローン。

 ゴローンがいた場所は丸く陥没し、その中心に緑色の何かから液体のようなものが飛び散った跡があったが、それをあえて見る者は今はいなかった。

 

 

 

 ドーン!!!!

 

 

 大音量と共に三メートルを超える岩の塊がコイキングを押しつぶす。

 

 コイキングに対してサトシはほとんど愛着は無い。

 しかしだからといって死んでいいという存在でもない。

 どんな出会いだったとしても現在はサトシのポケモンなのだ。

 ポケモン大好き少年として、やはり目の前でポケモンがひどい目に会うのは許容できない。

 しかし無常にも現実はサトシの前で展開される。

 

 ゴローンという圧倒的な破壊の権化に対してコイキングは無力に等しい。

 

 

 本来であれば、だが―――――

 

 

 

「ゴッゴローーーン!?」

 

 

 

 ゴローンの悲鳴があがる。

 異常事態だと察知したのか、うつむいていたサトシが少しだけ顔を上げ、正面を見る。

 

 

 ロケット団も自分のポケモンを凝視している。

 一体何が、と月明かりが照らす二体のポケモンに対し、サトシも目を凝らす。

 

 

 

 

 

 ゴローンに、大きなヒビが入っていた。

 なにか固いものに岩を打ち付けた時のように、地面の一点からゴローンの体を這うように大きな亀裂が入っている。

 

 

 

 その足元には、無傷できらめく赤い胴体を堂々と示すコイの王様がいた。

 

 

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

 

 コイキングは基本的には無能なポケモンだ。

 どこにでも生息し、見境なく釣竿に食いつき、魚なら食えるかとおもいきゃ、骨と皮ばかりで食えたものでもない。

 その上能力も低く、覚える技もごくわずか。そのわずかも使い物にならないとなれば、存在価値はどこにあるのかと四六時中問い詰めたくなる。

 

 当然、バトルにおいて使われることも無く、ゴローン―――しかもドーピングによって強化された攻撃に耐えらえるなどとは天地がひっくり返ってもあるまい。

 

 

 しかし、いくら否定したところで目の前の現象はどう説明すればよいのか。

 

 

 コイキングを支点にして、ゴローンの体にヒビがはいった。

 そしてゴローンはその場に倒れこみ、身体をピクつかせている。

 その場の誰もが、何がおこったのか理解できていない。

 

 

「一体、どういうこと・・・?」

 

 

 先ほどまで気が動転していたサトシですら、その思考をある程度復活させるほどの衝撃。

 その冷静になったサトシがとった行動は、懐から赤い電子手帳のようなものを取り出すことだった。

 

 

 

 ポケモン図鑑。ポケモンのステータスや情報を確認できる便利グッズ。

 コイキングに向けてその状態を知ろうと考えた。

 

 ポケモン図解をコイキングに向けると、赤いランプが点灯し、数秒でコイキングの情報を画面に表示させた。

 

 

 

「・・・・え、つっよ。というか・・・」

 

 

 レベル四十を超えている。

 いや、レベルの問題ではない。そもそも成長値の低いコイキングをいくら育てようとも弱い物は弱い。

 しかしそのステータスはあきらかにコイキングの通常の値を大幅に超えていた。加えて―――

 

 

「なんかめっちゃ固い。」

 

 

 防御力が突き抜けて高かった。

 

 

 ゴローンの攻撃を跳ねのける説得力としては十分な数値。

 理解はできる。しかし納得ができない。

 

 

 なぜコイキングがこれだけの強さに?

 いやそれよりも今考えることは―――

 

 

 

「てっめえなにしやがった!」

「リーダーから預かった大事なポケモンになんてことを!!」

「ぶっ殺す!」

「てめえら首にして持ち帰ってやる!」

 

 次々と暴言を吐き出す二人の男。

 

 そう、今はポケモンの勝敗が問題ではない。

 この状況をいかに突破するかが問題だ。

 

 

 

 サトシは額に汗を流しながら、二人と相対する。

 

 その時、ピカチュウがゆらりと動き始めたのにサトシはまだ気づかなかった。

 

 

 

 

 




50万円分の価値はあったかな


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第三十二話 コイキング

ココココッコッコココココッコッココッコココッコ


「ぶっ殺してやる!」

 

 と声を荒げ、唾を飛ばしながら黒い二人組の片方が腰から何かを取り出した。

 同じく黒く、くの字型にまがった金属。

 

 

 

「死ねえ!」

 

 

 

 銃声が響く。躊躇無く引き金を引く様子から、こういった展開には慣れているのだろう。

 事実、狙いは正確で、的確にサトシの額を打ち抜く弾道で打ち込んできた。

 

 そしてその弾は、ピカチュウが抱えたコイの王様によって防がれていた。

 

 

「――ピカチュウ」

 

「ピッカー」

 

 

 ここにきてようやく動き始めるピカチュウ。

 タイミングを見計らっていたのか、コイキングの見せ場を作ったのか。

 相変わらず何をどこまで考えているかまったくわからないが、なんだかんだでサトシのことはしっかり守ってくれている。

 それだけでピカチュウの過去の狼藉を・・・まあ八割くらいは許してやらなくもない。

 

 しかし、驚くべきはコイキングの頑丈さか。

 さすがにピカチュウといえど、銃弾にうたれたら傷つくだろう。たぶん。

 それをいとも簡単にはじいてしまった。あのゴローンですら傷一つつけられないコイキング。

 一体どれだけ固いのか。

 

 

「な、なんだよそれ!!」

「でっかい奴・・・ってピカチュウの顔!?!?どうなってんのそれ!!??」

 

 

 いろんな意味で慌てふためく二人組。

 さて、この二人をどうすべきか。

 

 元来、サトシは十四歳の健全な少年である。

 犯罪など犯したことはないし、他人に恨みをもつこともなかった。

 健全に育ち、健全に生きてきた。

 そんなサトシであるが、ここ数日において過去十四年間の人生においてまったく体験してこなかったことを多く経験している。

 それは健全とはほど遠いものであり、サトシも知らず知らずのうちに染まりかけている負の感情。

 

 

 そして忘れてはいない。

 

 目の前の二人は、サトシの大事なポケモンを亡き者にしたのだ。

 その報復をせねばなるまい。

 怒りに燃えたサトシは、慈悲などなかった。

 

 十四歳という若い人間がもつには早すぎる感情。

 復讐、報復、嫌悪、怨念、嫌忌、憎悪、殺意。

 あらゆるマイナスの感情がサトシを支配し、目の前の人間をどうするか、思考の外から直接行動に移させる。

 

「ピカチュウ、こいつらをころ「ピカピカ」・・・し?」

 

 最後の命令を下そうと口を開いたサトシだったが、ピカチュウの大きな手がサトシの頭に乗せられる。

 暴力の塊のような様相をしていながら、その時の手は何か優しさを感じるようだった。

 

 

「ひ、ひいいいいい!!!」「にげろおおおおお!!!!たすけてえええええ!」

 

 

 場の緊張感が緩んだ隙に二人のロケット団はその場から逃げ出す。

 

 サトシの横を通って全速力で走っていく二人組を不服ながら見逃し、完全に見えなくなってから一息つく。

 

「・・・ごめんね、ピカチュウ。どうかしてたよ。」

「ピッピカ」

 

 気が動転していた、と一言で片づけられるほど今の出来事は軽くない。

 自分のポケモンが失われた。

 結果、未遂に終わったとはいえサトシは二人の人間を殺そうとしたのだ。

 

 以前から考えないようにしていた疑問――――自分のポケモンが失われたらどうなるのか。

 図らずとも理解できてしまった。

 

「タケシさんとおんなじ・・・」

 

 自分のポケモンを愛するが故、憤慨する。

 その感情は間違ってはいない。

 

 しかし、サトシは短期間で生物の生き死にに関わりすぎたため、その重さに対する認識が軽くなっていた。

 こんなやつら、死んでもいいと思ってしまったのだ。

 

 ズズズズ、と少しずつサトシの思考を支配していく狂気。

 まだ産声を上げたにすぎない狂気は、ようやくサトシの認識にも蔓延り始めた。

 サトシ自身はまだ普通でいるつもりではあるが、明らかに異常。

 しかしそれを指摘してくれる第三者はここにはいない。

 かろうじて収めてくれたピカチュウという存在がとてもありがたかったが、それでも力強く導いてはくれないのだ。

 あくまでピカチュウはピカチュウ。

 サトシは自分で気づくしかない。

 

 

 

「トランセル・・・」

 

 

 少し落ち着いた後、ゴローンの踏みつけによって窪んだ地面の中心を見る。

 そこには元々の原型をとどめていない緑色の物体が無残にもつぶされ平らになっていた。

 その周囲には中身と思われる液体がぶちまけられ、生きているという選択肢を選ばせない説得力があった。

 当然ではある。

 あれだけの質量につぶされて死なない生き物など存在しない。

 コイキングが例外なのだ。

 身体が鋼鉄並の固さだったポケモンですら、あの衝撃には耐えられなかった。

 

 

「・・・埋めて、あげよう。」

 

 

 目の端をじわりとにじませながら、なんとか声を絞り出した。

 あまり景色のよい場所ではないが、トランセルは移動させられる状態にない。

 申し訳ないが、ここに墓標をたてることにした。

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 周囲から土を集めて埋め、その上に石を置く。

 

「ごめんね、トランセル。守れなかった。」

 

 供える花は無いが、きっとまたサトシはここを訪れるだろう。

 

 

 

 

「――――――――――あのぅ」

 

 

 

 

 ここまでずっとその存在を、隠していたわけではないのだが、なんだか入りづらい空気だったので黙っていた青年がようやく口を開いた。

 

 

 

「・・・・・・・・あ、忘れてた。」

 

 

 まあそうだろうなとしょんぼりした顔をする青年だったが、言葉を続ける。

 

 

「あの、助けてくれてありがとう。ボ、ボクは何もできなくて、その、ごめん。」

 

 見るからに優柔不断な痩せた青年は、たどたどしいながらもお礼と謝罪をしてきた。

 

「ううん、大丈夫。それよりも、何があったんですか?」

 

 そう、まだサトシはこの青年がなぜ襲われていたのか知らない。

 何かを守ろうとしていたことだけは、その様子からわかることではあるが。

 

 

「ボ、ボクは研究者なんだ。ポケモンの化石の研究をしている。オツキミ山に貴重な化石が埋まっているという調査結果が出てね、調べていたんだ。」

 

「なるほど・・・」

 

「それで、何か月か調査していた結果、よ、ようやく二つの化石を見つけた。それを持ち帰ろうとしていた時に、ロケット団につかまったんだ。」

 

「そういうことか・・・でもなんでロケット団は化石を?研究するようなやつらに見えないけど・・・・」

 

「実は、ポ、ポケモンの化石のDNAを解析して、生きているポケモンとして復元する機械が開発されたんだ。たぶん、それを使って復活させようと、し、したんじゃないかな。」

 

「そんな機械があるんですか。」

 

「うん、古代のポケモンの生態研究をしていて、こ、これを奪われてしまっては研究に支障がでてしまう。助かったよ。」

 

「いえ、助かってよかったです。」

 

「・・・そうだ!化石は二つあるんだけれど、どちらか一つをキミにあげよう。助けてくれたお礼だよ。」

 

「でも、大事なものでしょ?」

 

「確かにそうだけど、キミには命を救われた。お礼がしたい。」

 

「じゃあ、お言葉に甘えて、こっちの化石を。」

 

 サトシは『かいの化石』を選び、手に取った。

 

「では、ボクは研究所に戻る。グレン島に来ることがあったら声をかけておくれ!ありがとう!」

 

 

 そういって、もう一つの化石をもって出口の方へ走って行ってしまった。

 まあ、化石をもらったところであまり興味がないというのが本音ではあったが、あまり話を長引かせたくなかったのでおとなしく貰った。

 

 

 走っていく青年にフラフラと手を振り見送った後、最後に確認すべきことがあるのを思い出し、首を振ってその対象を見やる。

 

 

「ココココッコココココッコッコ」

 

 

 元気に飛び跳ねるコイの王様。

 ある意味、サトシの命の恩人――恩魚のコイキングを見て、先ほどの出来事を思い返す。

 

 

 

「お前、普通のコイキングじゃないのか・・・?」

 

 

 

 と、返ってくるハズのない疑問を投げかけた。

 

 



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第三十三話 妖精

『そいつは進化不良じゃな。』

 

「進化不良?」

 

 

 謎多きコイキングについてポケモン図鑑でオーキド博士に連絡すると、聞きなれない単語を出してきた。

 

 

『そうじゃ。進化不良。本来ポケモンはある程度成長すると進化するものが多い。もちろん進化しない単一種族もおるがな。モンジャラやメタモン、エレブーなんかがそうじゃな。進化するポケモンの進化時期も、基本的にはほぼ一定じゃ。あえて進化を止めでもしない限りは通常通り進化する。』

 

「コイキングも進化を止めているんですか?」

 

『話を聴く限り、その可能性は低いと言える。なぜならステータスが異常に高いということに起因するのじゃ。』

 

 

 サトシはじっくりと聴いていた。

 このコイキングを今後どのように扱うかのキーになる話だとなんとなく思ったからだ。

 すなわち、ただの盾として使うか、戦力として育てるべきか。

 どちらにしても見捨てるつもりはない。なんせ五十万円もしたので。

 

 

『進化不良は野生のポケモンにも稀におこる現象ではある。その場合は単純に進化する時期が遅くなるだけじゃな。もっと珍しいものになると、まったく進化しない『進化拒否』という個体がいるそうじゃが、わしはまだ見たことないのう。』

 

「ふむふむ」

 

『そしてもう一つの原因が、ドーピングによる副作用じゃ。」

 

「コイキングがドーピングされたポケモン・・・?」

 

『おそらくは、じゃがな。過剰な防御力もそれで説明がつく。このドーピングによる進化不良にはもう一つ特性があっての。進化準備ができないまま成長を続けると、ステータスが異常に伸びる現象が起こる。進化に使うエネルギーを自己成長に充てておるのだと推測しておるが、その原因はわからなかったんじゃがな。わしらは『過成長』と呼んでおった。』

 

「過成長―――ですか。」

 

『そうじゃ。じゃが、名前こそついておるがそう頻繁におこる作用ではない。あくまでそういう事例があった、というだけの話じゃよ。そのコイキングが何故売られていたのかもわからんし、そもそも過成長なのかもわからん。ただ、言えることがあるとすれば―――』

 

「あるとすれば・・・?」

 

『これが進化不良による過成長であれば、進化する余地はあるじゃろ。それなら育成してもよいとは思うのじゃが、もしこれが進化拒否による過成長ならば、単純に固いだけのコイキングのままじゃな。確かに負けはしないかもしれん。じゃが、攻撃手段も限られておるし、相手が同じドーピングされた相手であればどこまで耐えられるのかもわからん。そのへんの判断はサトシに任せるがのう。』

 

「なるほど・・・なんとなくわかりました。」

 

『しかし、強くするにしてもなんでコイキングなんぞにドーピングしたのかの。そんなお試しで使えるほど値段の安いものじゃないはずなんじゃが。』

 

「なんでですかね。迷惑な話です。」

 

『うむ。もうオツキミ山なんじゃな。がんばるのじゃぞ!』

 

「はい!」

 

『ではの~』

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

 結果、とりあえずコイキングについては保留ということにした。

 進化不良なのか進化拒否なのか不明な以上、判断ができない。

 

 盾としては申し分ないのでとりあえず緊急時に出す様にしよう。

 攻撃技としてたいあたりも使えるので、水場が近くにあればバトルに出してもいいかもしれない。

 早く進化して優れた技を覚えるように祈る。

 

 

 

 とはいえ―――――

 

 

 

「コイキング、助けてくれてありがとね。」

「ココココッコッコココ」

 

 

 窮地を救ってくれたお礼はすべきだろう。

 使い道に困るポケモンではあるが、嘆いていても仕方がない。

 しばらくはピカチュウの盾として活躍してもらおう。

 

 

「もどれ、コイキング」

 

 ボールをコイキングへ向けると赤い光が照射され、赤く光ったコイキングはシュルシュルとボールの中へ消えていった。

 

「もどれ、ピカチュウ」

 ボールをピカチュウへ向けると、同じように光がでたが、やはりぼんやり赤く光るだけでなんの変化もなかった。

 とくに反応することなくピッカーと鳴き声だけが聞こえる。

 

「ピカチュウは進化拒否じゃなくて帰宅拒否だね。」

 

「ピカピ-」

 

 

 トランセルの墓標を見て、少しだけ目を伏せた後、サトシ一行はハナダシティに向けてオツキミ山の出口へ歩いていくのであった。

 

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

 夜も深まり、時刻は零時を回っただろうか。

 月の光だけが道を確かめる唯一の明かりとして機能しているが、その僅かな明かりが心地いい。

 深夜の静けさと虫のささやきが調和し、落ち着いた気分にさせてくれる。

 

 サトシはゆったりと空気を楽しみながら歩いており、その後ろをピカチュウがついてきていた。

 深夜ということもあり、野生のポケモンの数も少ない。

 ズバットもいい加減休んでいるようだ。

 

 

「気持ちいい夜だね、ピカチュウ。」

 そのまま前を向きながらピカチュウに声をかける。

 

「ピカピー」

 

「オツキミ山から出たら満天の星空!かな?月も見たいな~。」

 

「ピッピー」

 

「今頃ピッピもどこかでお月見してるのかな。雲も無いし、とってもいいお月見日和だよね。」

 

「ピ!ピピッピ!」

 

「ピッカピカ」

 

「ピ?ピッピッピ」

 

「ピカピーカ」

 

「ピカチュウ?独り言がおおいん――――」

 

 

 そういってサトシが振り返ると、毎日見ている黄色い巨体とは別に、薄ピンク色の小さい身体のポケモンが一緒に歩いていた。

 

 

「・・・?」

 

 

 よく考える。

 働いていなかった自分の脳内のケツをぶっ叩き、思考を復活させる。

 サトシと共に歩いているポケモンはピカチュウ一匹。

 ではこのトコトコついてくるピンクいのは一体なに?

 

 

「ピッピー」

 

「ピッピだーーーーーー!!!!!」

 

 

 オツキミ山も終盤にさしかかるというとき、ついに見つけた月の妖精。

 ついあげてしまった大声にも逃げることなく、ピカチュウの隣に堂々と立っている。

 

 ピッピはサトシの驚いた顔を見ると、面白いのかピッピと鳴きながらはしゃぎ、軽く踊ってもいるようだ。

 茫然と眺めていると、ピタッとダンスが止まり、そのままてってっと洞窟内を歩いていった。

 

 

「―――あ!ピカチュウ!追いかけるよ!」

 

 言うな否や、サトシは薄ピンク色の背中を目印に、来た道とは違う方向へ向かっていった。

 

 

「ピカー」

 

 しょうがないなとため息交じりについていくピカチュウ。

 

 サトシはピカチュウに振り回されているが、ピカチュウも思うところはありそうだ。

 月明かりの中、三つの影が動き、三つの足音が洞窟内に反響する。

 

 

 




ピッピって捕まえてもメインで使うことがない思い出。


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第三十四話 少年の想いと月の歌

 ピッピを追いかけはじめてどれほど経っただろうか。

 

 最初こそ興味津々で冒険心丸出しな状態で目をキラキラさせながらついていったが、徐々に体力を奪われ、サトシにも疲労の色が見え始めていた。

 オツキミ山に入ってから数時間。

 いくら十四歳の若い身体とはいえ体力は無尽蔵ではない。

 人が多く入るため、道なりであればそこまで起伏がない場所ではあるが、一度その順路を外れると当然起伏の多い岩場になってくる。

 

 ピッピは未だひょいひょい進んでいくし、ピカチュウなんてアスレチックかクライミングかと言わんばかりに無駄に体力を消費しながらついてきている。

 この場にいるサトシだけが呼吸を早め、足取りが重い。

 

「ピカチュウはともかく、ピッピもすごい体力だ・・・」

 

 よく考えなくても当然のことだ。

 なにせ、ピッピはこのオツキミ山の住民。

 しかも目撃談が少ない以上、生息している場所は人がよく通る道には無いと言っていい。

 つまりこの起伏だらけの場所を遊び場所にしているのだ。体力豊富なのも納得できる。

 

「それにしてもどこまでいくんだろうピッピ。」

 

 すでに帰り道がわからないくらいまで来ている。

 そのことに気づいたのはピッピを追いかけはじめて三十分ほど経過した後のこと。

 

 もう今更だなと判断したサトシは追跡を続行し、今に至る。

 疲れながらも追いかけ続けるのは、ここまで来たら最後までいこうという意地による影響が大きい。

 さすがに進みすぎな気もするが、あまりそのことは考えないようにして黙々とピッピを追いかける。

 

 

「ピッピ」

 

「ん?」

 

 

 ピッピが急に声を出し、ピタッと立ち止まる。

 それを見てサトシも止まる。

 隠れて追いかけようなんて気がなかったサトシは、当然ピッピにもその存在を気づかれているだろうし、ピッピも振り切るつもりがなかったのかサトシの追いつける速度でここまで進んできていた。

 

 そのためピッピとサトシの距離は三メートルほど。

 数秒遅れてピカチュウもサトシの後ろに着地し、一人と二匹はその場に立ち止まった。

 

 ピカチュウが着くのを見計らったように、ピッピは後ろを振り向き、かわいい笑顔を振りまきながらピッピッと鳴き、その後消えた。

 

 

「――――え?は?」

 

 

 サトシの間の抜けた声が岩場に反響する。

 文字通りピッピが消えた。

 薄暗かった空間でもその薄ピンク色はそこそこ目立っていたため、この短い距離で急に見失うことなどありえない。

 もしかしてピッピは追いかけてくる人を迷わせて餓死させるという死の妖精なのか?

 

 ネガティブな思考をグルグルさせながら、先ほどまでピッピの居た場所まで駆け寄る。

 そうすると、サトシも消えた。

 

 

「ピッカ?」

 

 

 首を傾げるピカチュウ。

 トコトコとサトシが近づいた場所へと移動すると、そこには暗くて見づらいが大きな穴が開いていた。

 

 ピッピは意図的に、サトシは足を踏み外して、この穴に落ちていったようだ。

 

 

 納得したようにピカチュウは一人頷き、自分もその穴へ身を滑らせていった。

 

 穴に飛び込むピカチュウは、ちょっと楽しそうだった。

 

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

 

「うううううわあああああおおおおおああおあああおおえええああああああああああああ!!!」

 

 穴を滑り降りていくサトシ。

 最初こそ穴に落ちた感覚だったが、垂直に落下するのでなく、すぐに穴は傾斜が緩やかになりそこを滑っていた。

 そこそこの加速がつき、ウォータースライダーなどやったことのないサトシはそのスピード感に恐怖と興奮を覚えたが、反射的にでる叫び声だけは止めようがない。

 明かりも入らず真っ暗な中を進む滑り台のようなものだ。怖いのは仕方がない。

 

 

 ある程度滑り落ちると、進む先に明かりが見え、そこに向かって滑っていっていることに気づく頃には光が大きくなり、サトシはその光を通り抜けた。

 

 

 飛び出た場所は、広く明るい空間だった。

 滑った勢いそのままに飛び出したため、サトシは地面にころがり、三回転した後に地面に突っ伏す形でようやく停止した。

 

 

「いっててて・・・」

 

 

 なんとか擦り傷ぐらいで済んだが、随分と降りてきた気がする。ここは一体どこなのか。

 と考えていると後ろから岩肌を滑る音が聞こえ、咄嗟に振り向くと自分の元へ黄色い塊が発射された瞬間だった。

 

 

 

 悲鳴をあげる暇もなく、サトシは二メートル四十センチの巨体に押しつぶされた。

 顔を黄色い胸筋に埋めて呼吸できず、地面をバンバンと叩いていた。

 

 

「ぶっは!!!死ぬとこだった!!自分のポケモンの胸筋で呼吸困難で死ぬって!!!」

 

 

 あまり想像したくない最期だ。

 なんとか無事に脱出できたが、キッとピカチュウを見てもピカピカ言っているだけだった。

 テヘペロという効果音が聞こえてきそうなピカチュウの仕草に嘆息しつつ、改めて周囲を見やる。

 

 

 

 

 

「――――――――ピッピだ。」

 

 

 

 

 

 ピッピがいた。

 

 いや、正確にいうと、ピッピ達がいた。

 

 数十匹に及ぼうという数の月の妖精達。

 それがこの広い空間――直径二十メートルほどの丸い広場に散らばって存在していた。

 

 

 見た目にほとんど差が無いため先ほどのピッピがどこにいるのか全く見当もつかない。

 

 ピッピ達は皆サトシの方を見つめ、ピッピッと嬉しそうに踊りはじめた。

 

 

「一体どうなって・・・・」

 

 状況を把握する前に物事は進んでいく。

 数匹のピッピがこちらに来てサトシの手を握り、広場の中心へ誘導する。

 

 これも罠なのか、などと邪推することも無く、素直に誘導されて広場の中心へ歩いていくサトシ。

 ピカチュウもピッピに誘導されてサトシに後に続く。

 

 

 広場の中央に来たサトシ。

 その周囲に円陣を組むようにサトシを囲むピッピ達。

 

 いよいよわからない。

 歓迎してくれてはいるようだが、ピッピがサトシ達を歓迎する理由は一体どこにあるのか。

 

 サトシはピッピに勝手についてきただけだ。

 招かれざる客であるはずのサトシが好待遇のはずは無い。

 にも関わらずピッピは好意的に接してきている。

 

 

「ピッピー」

 

「ピカピカ」

 

 

 ピカチュウとはなにか通じ合っているようだ。

 せめて理解できるならいいのだが、空気感でふんわり把握するしかサトシにはできない。

 

 ピッピもそれは理解できているようで、サトシの元へトコトコと歩いてきたピッピは、手に持った枝で地面に絵を描き始めた。

 

 

「わあ、絵が描けるんだね。器用なんだなーピッピ・・・は・・・・・あ・・」

 

 

 ピッピが地面に描いた絵。

 

 それを見て、意味を把握したサトシは涙が止まらなかった。

 

 

 

 

 

 

 そこに描かれていたのは、天使の輪っかがつけられたトランセルの絵だった。

 

 

 

 

 

 

「――――――トランセル」

 

 忘れていたわけではない。

 むしろ大きな傷をサトシに残していた。

 しかしサトシは一度区切りをつけたのだ。しっかりと墓標を立て、再度くることを約束して。

 

 それでも涙が止まらない。

 

 

 そう、ピッピ達は、トランセルを供養したいと。

 ポケモンを愛し、道具ではなく友達だと。相棒だと建前でなく本気で考えているサトシを想い、ピッピ達がトランセルを天国へ送り届けてくれるというのだ。

 

 涙を流したサトシがピッピを見ると、ピッピは持っていた枝で上を指している。

 

 それにつられて上を見上げると、そこには―――

 

 

 

「うわあ――――すごい。」

 

 

 

 雲一つない夜空を切り取る大きな円の中心に、金色に輝く月。

 

 見惚れてしまう。普段頻繁に見ている月。

 なのに今この場所で見る月には魔性とも思える美しさがあった。

 しばらく茫然と月を見上げていたサトシだが、足元でピッピッと声がしたため、ハッとして視線を戻す。

 

 

 満足そうな笑顔を浮かべ、くるくる回りながら飛び跳ねるピッピ。

 そしてピッピは輪に戻り、合図を送ると歌を歌いながら、サトシの周囲で踊り始めた。

 

 

 美しい旋律、ハーモニーを奏でるピッピ達の歌。

 一つの完成された音楽。聴くものの心を震わせ、魂を磨く至高の時間。

 

 その歌は美しいだけでなく、悲しさという感情も想起させる。

 哀悼の想いを込めたピッピ達の合唱。

 輪の中心でその歌声に聴き入るサトシは、やはり涙がとめどなく溢れ、世界で最も美しく素晴らしい音楽を聴きながら、短い時間であったが激闘を共にし、今後も共に進んでいくことを心に決めていた親友のことを想っていた。

 

 ピカチュウもその旋律を、大人しく目を閉じて聴き入っている。

 

 

 ピッピ達の歌声はサトシの周りを包み込み、張りつめていた想いを吐き出させ、落ち着いた気分にさせた。

 十四歳の少年にとって支えきれる物事などたかが知れている。

 それをまとめて和らげ、本来の少年の心に少しだけ戻っていた。

 月の妖精による合唱は長い旅における一時の休息をサトシに与えたのだった。

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

 

「ピッピカ」

「ピピッピ」

 

 広場の中心で、泣きはらした目を閉じて眠る少年。

 年相応の寝顔でその場に横になり、寝息を立てている。

 

 どこからもってきたのかピッピが毛布を持ち出し、サトシに掛ける。

 

 

 オツキミ山の夜は静かに、ゆっくりと過ぎていく。

 月の光が少年の心を癒し、夜の静けさが太陽の上るその瞬間まで少年を優しく包み込む。

 

 

 サトシの寝顔は、憑き物が落ちたかのように安らかだった。

 

 

「トランセル、進化したらもっと――あそぶむにゃ」

 

 

 小さい声でつぶやくように言った寝言。

 ニッコリとした目でサトシを見る黄色いポケモン。

 

 そのまま旅の連れを見守り、夜は更けていく。

 

 

 




たまには休息を。


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第三十五話 ポケモン好きと、ポケモン好きな人間好き

 ポポッポッポと鳴くポッポの声で目が覚める。

 固い地面の上で寝てしまった所為か、身体が少し痛い。

 風邪を引かなかったのはいつのまにか掛かっている毛布のおかげか。

 

 ぼーっとする頭をフラフラさせ、朝の風に無理やり顔を当てる。

 

「・・・いつのまにか寝ちゃってたのか。」

 

 ここはオツキミ山の最奥地。

 ピッピの集まる場所。

 

 昨日の幻想的な雰囲気が嘘のように、その場所は単なる円形に山が削れた空間だった。

 ピッピは夜にしか姿を現さないのか、たくさんいたピッピの姿はすでに無く、そこにいるのはサトシとピカチュウだけだった。

 

「ピッカチュ」

 

「おはようピカチュウ。今日もいい朝だね。」

 

 サトシは寝ずに見張っていたピカチュウのことは知らないし、ピカチュウとしても知ってほしいことではない。

 こういうのは言わないことが大事なのだ。サトシには無言の美徳というものを理解することはまだできないが。

 そのうち理解できるようになるだろう。ただでさえ成長の早い一人旅なのだ。

 男子三日会わざれば括目してみよ。

 サトシの成長も目を見張るものがあるだろう。

 あまりいい方向への成長と言えないのが残念なところではある。

 

 

「とりあえず出発しよう。といっても、出口は一体どこなんだろ。」

 

 ここへはピッピに案内されて落ちた岩の滑り台で来た。

 言うに及ばず、一方通行である。

 さすがのピッピといえどあの穴を駆け上がったりはしないだろう。

 とすればどこか山の中の洞窟へ戻る道があるはずだけれど――――

 

 そう考え、きょろきょろと周囲を見渡す。

 特に変わったものはなさそ「ピッピー」あった。

 

「ピッピ!」

 

 だだっ広い広場の端っこに一匹だけ。

 直感ではあるがここまで案内したピッピだと思う。

 さすがに放置しておくわけもなく、帰り道も教えてくれるようだ。

 死を運ぶ妖精でなくて本当によかった。

 

 ピッピのついてこいという手の動きに誘われ、ピカチュウと共にピッピのいる岩壁の方へ歩いていく。

 

 

 壁に近づき、ピッピの指さす所を見ると、壁と地面のちょうど境目の部分が陥没しており、ゆったりとしたスロープで奥に続いていた。

 おそらくここが外にでる道ということなのだろう。

 道を確認すると、ピッピが先に進んでいく。

 案内してくれるらしい。

 昨日の夜と同じようにピッピの背中を追いかけ、ピカチュウ共々ついていく。

 

 案内が必要なのかな?と入るときは思ったが、その地下通路は恐ろしいほど入り組んでいた。

 オツキミ山の中のどこにでも出られるようになっているのだろうか。

 

 これは確かにピッピと遭遇する可能性はかなり低いと言わざるを得ない。

 恐らく、ピッピと出会ったということは、ピッピを見つけたのでなくピッピが会いに来たということなのだろう。

 

 そんな納得をしつつ、先導するピッピを見失わないように通路を進んでいく。

 

 

 

 しばらく進むと白い光が見えてきた。

 間違うことなく、あれは太陽の光だ。

 

 

 

 その光を抜けると緑多き外の世界。

 およそ半日ではあるが随分と懐かしく感じる。

 

 オツキミ山本来の出口とは違う場所のようで、小高い丘のような場所に出た。

 丘の下を見渡すと、街並みが見える。

 おそらくあれがハナダシティだろう。

 

「ピッピッピー」

 

「ピッピ、ありがとう!またオツキミ山に来るね!今度は僕がピッピ達をもてなすよ!」

 

「ピッピー」

 

 満面の笑みで見送ってくれるピッピ。

 月明かりの元では幻想的な存在だったポケモンだが、お日様の下だとその愛くるしい見た目に拍車がかかり、とてもかわいい。

 

 目の前にレアなポケモンがいるが、サトシは捕まえるつもりなど毛頭ない。

 感謝してもしたりないほどのものを受け取ったのだ。

 今度きちんとお礼に来よう。

 

 

「じゃあね、ピッピ!」

「ピッカピー」

 

 大きく手を振り、月の妖精に別れを告げる。

 ポケモンを愛するサトシはピッピのことが大好きになった。

 ポケモンを愛してくれるサトシを、ピッピもお気に召したようだ。

 

 

 手を振りながらしばらく歩き、そしてオツキミ山に背を向けた。

 目指せハナダシティ!

 いろいろな想いを胸に、サトシは新しい気持ちで力強くその一歩を踏み出した。

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

 

 オツキミ山内部のある場所―――

 

 あきらかに不自然に置かれた少し大き目の石。

 知らぬ者が見れば、何も感じず通り過ぎてしまう石。

 ある少年にとっては特別な石。

 

 その石の前に綺麗な花が置いてある。

 小高い丘に咲くような、綺麗な花が色鮮やかに置かれている。

 

 これから毎日、この花は置かれていくのだろう。

 

 

 ある少年と、その親友のために。

 

 

 

 月の妖精は笑顔でオツキミ山を見守り続ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うわーーー!広い!」「ピカー」

 

 ハナダシティに到着したサトシ達の第一声は、田舎者丸出しのような言葉だった。

 カントー地方という規模で見れば、まだまだのどかと言えるくらいの規模の町ではあるが、マサラタウンという小さな町からきたサトシにとっては、どこにいっても大都会なのだ。

 

 

 住民も多いし、水も豊か。

 加えて穏やかな街並み。

 漁港のあるクチバシティと隣接している街なだけあって海産物も豊富に食事に並ぶそうだ。

 そして当然、ハナダシティジムもある。

 

 カスミ・・・カスミかあ・・・

 

 

 タケシさんの話が蘇る。

 超絶サディスティックのカスミ。

 あまりに不名誉な通り名だと思うのだが、本人としてはどう思っているのだろうか。

 カスミについても情報を収集しなければ。

 

 さらに、ここではもう一つやることがある。

 

「マサキ、という人を探さないと。」

 

 トキワシティのおじいさんがマサキを訪ねろと言っていた。

 マサキという人がどういう人なのかはわからないが、訊けばわかるといっていた。

 おそらくハナダシティでは有名な人なのだろう。

 まずはその二つ。

 というわけで早速―――――

 

「ピカチュウ、マサキを探しにいこっ・・・てうわあ!」

 

 ピカチュウの顔を見ると、おいしいにおいに誘われてか涎だらっだらな顔で街を見ていた。

 

「あ、あははは。そういえば何も食べてなかったね。先にご飯に行こう。」

 

 コイキングに大金使ったとはいえ、まだ半分残っているのだ。

 食費にお金をかけても大丈夫だろう。

 だってまだこんなに残っているのだから。

 

 大金を持っていると嵌りやすい真理トラップにまんまと引っかかるサトシ。

 まだある、まだあるを続けるともう無いに変わるのだ。

 家計簿などつけたことはないし存在すら知っているか怪しいお年頃。

 もちろん教えてくれる人はここにはいない。

 ピカチュウもおなか一杯ご飯を食べるだけで、その支払元に関心は全くない。

 

 金銭感覚のマヒした十四歳と、食うだけ食うでっかいポケモン。

 今後の金銭管理はまともに機能するのだろうか。

 

 一人旅の大変さをサトシが身をもって味わうのは、まだ先の話である。

 

 

 

 ちなみに、クチバシティで獲れた何かの魚のお刺身を食べたが、あまりのおいしさにピカチュウがドカ食い。

 ハナダシティでの食事の初回にして支払い金額が万を超えてしまったが、厚さの減らない札束を手にしたサトシは何の躊躇もなくお支払い。

 やはりサトシの敵は裏の住人だけでなく、サトシ自身の金銭感覚なのであった。

 

 

 

 




ついにハナダシティ。

皆様感想ありがとうございます。
その感想が書くエネルギーとなっております。



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【番外編】あるおじさんのお話

「よーーーいしょーーーぉ」

 

 垂らして数分で重くなった釣竿を上げる。

 

 ざばー、という水の音。

 そして―――

 

 

「ココッコココココココッコッコッコココ」

 

 

 釣られる赤くて大きいコイの王様。

 

 

「二十三匹目。こんなもんでしょうかねえ。」

 近くにだれもいないが、無言で釣りをするのも気が滅入るため独り言が自然と増える。

 

「しかし、エサも無く食いつくなんて、なんか哀れなポケモンですねえ。」

 

 手にもつ釣竿はとてもボロい。

 加えて、魚釣りに必須なエサすらついていない。釣り糸の先には釣り針が垂れ下がっているのみ。

 

 午後の昼下がり、延々とコイキングばかり釣り上げている四十半ばの中年男性。

 別に職を失って自暴自棄になっている中年男性ではなく、立派な研究員だ。

 なのになぜ、皆がオフィスで忙しく仕事をしている最中に、川でコイキング釣りなどしているのか。

 

「これもお仕事。とはいえ、さすがに何時間もすると飽きますねえ。」

 

 どうやら仕事らしい。

 コイキングを釣る仕事。楽そうではあるが、毎日やるとなると話は別だ。

 パン工場、総菜工場、ねじをはめてそれをとる工場。

 単調作業というのはメンタルを極端に疲労させる労働なのだ。決して楽ではない。

 コイキングを釣るのが仕事ということは、当然コイキングを必要としている別の何かがあってこそのものだ。

 

「では、研究所に戻りますか。」

 

 どっこいしょと腰をあげ、大量に捕まえたコイキングを手に、自分の本来の職場である研究所へ歩きはじめる。

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

『ポケモン強化化学研究所』

 

 それが男性の務める職場だ。

 わかりやすい名前の通り、ここではポケモンを如何に強靭にするかという研究が行われている。

 当然、インドメタシンやタウリンを与えてその成長の幅を見守るなどという生易しい研究ではない。

 非公認非公式犯罪スレスレどころか突破して宇宙まで飛び出してしまいそうなほど、非道徳的な実験を繰り返している。

 いわゆる闇の組織お抱えの研究所だ。

 

 

「大仰な目標を掲げてはいますが、結果のわかりづらい研究なんですよねえ。」

 

 

 この男性に割り当てられている研究は『進化不良の意図的発生法について』だ。

 

 確かにこれがわかれば理想的だ。

 なにせ、ステータスを大幅に伸ばすことが可能になるのだ。

 現状、すべてのステータスに対して有効なドーピングアイテムは存在しない。

 攻撃なら攻撃、防御なら防御。それぞれのステータスに対して法外な値段のするアイテムを与え続けなければならない。

 しかも適正がなければ死ぬかもしれないとリスクもしっかりある。

 そのため、リスクなく高ステータスのポケモンを生み出す研究は非常に意義のあるものだ。

 

 しかし問題がある。

 

 

「研究しようにも、そもそもサンプルがないのが問題ですよねえ。」

 

 

 そう、『進化不良』および『進化拒否』の状態になったポケモンは、この研究所には存在しない。

 世界規模で見ても、自然個体はもとより、副作用によって生まれた個体ですら数が非常に少ない。

 副作用によって生まれた個体についても、その原因は全くもってわかっていない。

 単純に確立論なのか、はたまた元になる個体に違いがあるのか。その場合DNAやら育った環境やらエサからすべて洗い出さなければならない。

 となると一人でこなせる研究の量ではない。

 

 つまり、自分は研究しても意味がないと思われている分野に宛がわれ、体よく組織から分離された人間なのだ。

 

 

「まあ、楽でいいですけどねえ。研究者としては結果を出したいところではありますが。」

 

 

 独り言ちる中年研究者。

 

 

 そもそも何故組織から厄介者扱いされているのか。

 

 

 つまるところ、この男性は悪の組織に向いていなかった。

 どちらかというと正義に近い思考の持ち主。しかし、その発想はネジが外れているのかなんなのかわからないが、一般人には理解し難い研究ばかりしていた。

 結果的にこの男性を抱えたいと考える通常の研究所は減り、募集があった研究所になだれ込み、そこが実は悪の組織だったという不運。

 

 ともあれ研究できる場所を確保した男性は、多少なりともよろこんではいた。

 なにしろ、別に悪の手先として悪事を働くわけではないのだ。

 もちろん生物実験は数多くある。

 しかしそれは学術の探求として必要なものだ。

 それが平然とできるのも、この男性の探求心が飛びぬけていたからと言える。

 

 つまり、大量にゲットしてきたコイキングは、同環境における個体差の調査のために捕まえてきたポケモンというわけだ。

 同種が手軽に手に入り、一年通して釣竿一本で捕まえられるという低コストな存在。

 それがコイキングだったというだけの話。

 

 ―――まあもう一つあるとすれば、進化拒否が発生してステータスがあがっても、襲われる心配が少ないという理由もある。

 

 これについては杞憂だと思うが、念には念を。

 常に最悪をイメージするのも研究者の務め。

 そう考えている男性は、今日も今日とてコイキングを材料に強化化学の研究を始めた。

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 深夜四時。

 研究というのは時間に縛られない。

 気づいたら夜で、気づいたら朝なのだ。

 この時の男性も例外なく、時間を気にせず研究に没頭していた。

 

 

「やはり、うまくいきませんねえ。」

 目の前の水槽でスイスイ泳いでいるコイキングを目の前にして、そのステータスの変化を記した調査結果シートを、コーヒー片手に見ながら独り言を言う。

 

 自分の所属している悪の組織が何をしているか。

 詳しいことはわからないが、まあ大体想像はつく。

 強いポケモンを手に入れ、いろんな犯罪につかおうというのだろう。

 

 たしかにドーピングをし続けると強いポケモンにはなるだろう。

 しかし、いくら大きな組織であっても、誰にも勝てないような最強のポケモンが作れるかといったら、それは否だ。

 

 所詮は薬によるブースト。

 ドーピングに適正のある個体を調査する研究は別の場所で進められている。

 それについては意義があるのか、そこそこの人数を割り当てられているようだ。

 

 しかしいくら適正があっても限界はある。

 世の中はそんなに単純ではない。圧倒的な力など存在しないのだ。

 

 

「だからこそ、わたしの研究が必要なんですがねえ。」

 

 

 ポケモン自身の成長力を飛躍的に上昇させる。

 そうすればそこまでトーピングに頼らずともステータスがそこそこ高いポケモンは量産できるだろう。

 どちらにしても世の中に影響を与えるほどの強いポケモンは生まれないだろうが。

 

 

 そんなネガティブなことを考えながら、次にコイキングに与えるための薬を調合する。

 研究者なのだ。自分の考えと精密な動作は全くの別物。

 自分の立場と研究内容に毒づいていても、研究脳と手先はしっかりと配分を終えた新しいドーピング薬を作り上げていた。

 

 

 

「・・・色が怪しいのはなんとかならない、ですねえ。」

 

 実験机の上の試験管立てに置かれた試験管の中には、緑色に発光する怪しさ満点の薬が入っている。

 すでに温くなったコーヒーをすすりながらそれを眺める男。

 

 そこでようやく、自分が少し眠くなってきていることに気づいた。

 

「さすがに頭を使いすぎましたねえ。これを投与したら休みますか。」

 

 と、水槽のコイキングの方を見ながら、机の上に積んだ本の上にコーヒーを置く。

 

 

 何故そこに置いたのか。

 

 

 その時、男性の思考は緩んでいた。

 

 積んだ本の上など、バランスが悪いにもほどがある。

 それなのにそこに置いたのは、ある種めぐり合わせなのか運命なのか。

 

 

 何かに導かれるように、コーヒーの入ったカップが傾き、新しい薬に向けて中身をぶちまけた。

 

 

 

 

「あーーーあ。やっちゃったなあ。」

 

 

 

 気づいた時には手遅れ。

 緑色に発行していた気色悪い薬品は、コーヒーの黒が混ざってマーブル柄に淀んでいる。

 

 捨ててまた同じものを作るしかないかなぁ、と考えていると、試験管の中身が変化し始めていることに気づく。

 

「ん?なんかおかしいねえ。コーヒーがなんらかの作用を・・・?」

 

 

 試験管の中身が、コーヒーの色素だけでは変化するはずのない色に変化していた。

 黒くなるはずの液体が、どんどん透明に澄んでいく。

 

 薬品らしい薬品の色から、山で汲んだ地下水のように澄んでいる。

 

 明らかに異常な変化に、先ほどまでの眠くなった思考はクリアになり、若干の興奮を覚える。

 

 

「まてまて・・・まだ何が起こったのかわからないんです。まだ・・・」

 

 

 先ほどまで自分が飲んでいたコーヒーの成分を書き出す。

 コーヒー豆?砂糖?それとも私の唾液?いつのまにか入ったチリの一部とか・・・・

 

 いろいろと考え、一つの結論にたどり着く。

 

 

「カフェイン。これの可能性が高いですねえ。」

 

 

 一旦そう結論付けた。

 とにかく、この透明なドーピング薬の効果を試してみないことには始まらない。

 

 早速その試験管を持ち、コイキングの入っている水槽へ向かう。

 

 

「防御ベースのドーピングです。防御が少しばかり上がるのは許容範囲内として、他のステータスがどうなるか。」

 

 

 つぶやきながら、コイキングに薬を注入していく。

 

 

 

「終わりですね。反応があるまで時間がありますし、今の薬を解析しましょうかねえ。」

 

 

 

 そういって、男性は薬の成分調査のために部屋を離れる。

 すでに眠気など吹っ飛んでおり、新しい反応をした薬に興味津々だった。

 

 

 その間も、コイキングは変わらずスイスイと水槽を泳いでいた。

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

 

 男が解析を始めてから五時間が経過していた。

 

「やはり、ポイントは一定量のカフェインですねえ。しかし薬に対する量の比率が繊細すぎますね。奇跡でも起きない限り発見できない。」

 

 奇跡。

 世の中では新しい技術は奇跡によってもたらされた事例が数多くある。

 偶然作法を間違えた。

 偶然温度を間違えた。

 偶然置き場所を間違えた。

 

 そのようにして生み出された新技術は数知れず。

 その中の一つに、この男性の事例も加わることになる。

 

 

「さて、透明になった原因はわかりました。あとは、個体に対する反応ですねえ。」

 

 二十四時間を超えて実験を繰り返している男性は疲れも忘れ、興奮した様子で投薬したコイキングのいる部屋へ向かった。

 

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

「・・・・・なんて、ことですか。」

 

 

 

 部屋を出る前となんら姿が変わらないコイキングを見たときは若干落胆したものだが、念のためにステータス調査をしてみた結果を見て、愕然とした。

 

 

「防御力が、飛躍的に上がっている。それに他のステータスの伸びも、通常に比べて異常値ですねえ。」

 不思議な飴を与えて無理やりに成長させ、その伸び幅を計測。

 そのステータスの伸び方が、他のどのようなポケモンよりも多い。

 中心とした防御のドーピング薬の所為なのか、防御は突出して高くなっている。

 

「パルシェンよりも固いんじゃないですかねえ。コイキングですらこれですか。」

 

 

 実験対象はコイキング。

 もしこれがバトルに耐えうるポケモンだったとしたら、その能力はどこまで上がるのか。

 

 

「考えたくはありませんが、他のどのポケモンよりも強い、世の中に影響がある強さを持つポケモンが生まれる、でしょうねえ。」

 

 

 遺伝子からポケモンを作り上げる研究なんかも進めているという噂を聞いたことがあるが、そんな大がかりなことをしなくても異常な能力をもつ個体が作り出せる。

 これを組織が知ったら大変なことになってしまう。

 それこそ、世界中が危機に陥るほどに。

 

 

 

「・・・・何かの間違いということもあります。もう一度同じものを、別の個体に投薬してみましょうかねえ。」

 

 

 

 研究者として、効能は全て把握すべき。

 その考えから、別のコイキングを水槽の中へ出し、先ほど調合した同じドーピング薬を投薬した。

 

 

 研究所の外はすでに太陽が昇り、何も変わらずに世界を明るく照らしていた。

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

 一度睡眠をとり、目が覚めたのは二十三時。

 起きていた時間を考えると短すぎる睡眠時間ではあったが、こういう生活に慣れているのか身体はしっかり回復していた。

 

 珍しく独り言もなく、無言で研究室へ向かう。

 

 部屋に入り、見た目の変化がないコイキングを確認し、今まで数百回と繰り返した作業でステータス調査を行う。

 

 

 古いプリンターがガタガタと音を立てながら調査結果を印刷する。

 音が止まり、一枚の紙を手に取り、その結果を見る。

 

 

「・・・・やはり、ですか。」

 

 

 半分期待していた。しかし、もう半分は失敗してほしかった。

 

 

「二十レベルを超えても進化反応なし。間違いなく進化不良もしくは進化拒否。」

 

 

 男性は一度ぎゅっと目を閉じると、数秒何かを考えていた。

 

 やがて何かを決意したかのように目を開き、研究室を見渡す。

 

 

 そして、研究室の中にあるありとあらゆる研究資料、調査資料を掻き集め、シュレッダーに投げ込んだ。

 

 

 無言で、過去の研究成果をすべて。

 成してきた行動がすべて水泡に帰す。

 努力は無かったことになる。

 ここにいた意味すら、残らない。

 

 しかし、男性はなんの痕跡も残すつもりはなかった。

 

 その様子をコイキングは大きな瞳で眺めている。

 

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

 一通りの書類を処分した男性は、最後にコイキング二匹が泳ぐ水槽を見る。

 水槽に近づき、モンスターボール二つを水槽の中へ向ける。

 赤い光と共にコイキングがボールの中へ戻る。

 

 モンスターボール二つを握りしめ、重要なものが何一つ無くなった研究室を再度見渡す。

 

 

 そしてそのまま、研究室を出ていった。

 

 

 次の日以降、男性が研究室に戻ることはなかった。

 

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

 数年後―――

 

「ぼっちゃんぼっちゃん、ここだけのスペシャルな話があるんですが、ききます?」

 

 ドーピングで強化されたピカチュウを連れた、純粋そうな男の子を見つけた。

 なんとなく、いままで秘密にしておいたコイキングを譲りたくなった。

 そう、なんか、そんな気分になった。不思議な男の子だ。

 しかし、タダであげるわけにもいかない。墓までもっていこうと思っていた秘密だ。

 

「たったの五十万円!どうです?」

 

 ドーピングを使ったポケモン同士で戦わせるバトルは法外な値段がやりとりされるのは知っている。

 この少年も、これくらいなら持っているのではないかと推測しての金額。

 

 

 ああ、ダメですか。

 粘ってみたのですが、やはりコイキングに五十万円は払わないですよねえ。

 残念でしたねえ。

 

 そう思って、去っていく少年の背中を見つめる。

 

「おや、ピカチュウですかねえ?」

 

 ドーピングで強化されたピカチュウが、こちらに近づいてくる。

 手に札束を握りしめ。

 

「おや、これはこれは」

 

 なんという幸運。あの少年は随分とポケモンに愛されていますねえ。

 一旦あの少年は怒るでしょうが、まあそれは大目に見てもらいましょう。

 

 このコイキングの可能性は私にもわかりませんが、きっと役に立つはずです。

 

 

 あ、少年が全力で走ってきましたね。

 お金は返しませんよ?

 

 

 さて、なにか役目を終えたような気分です。

 

 

 潮時ですかねえ。また別の場所に行ってみましょうか。

 

 カント―から出るのも、ありですねえ。

 

 

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 数日後、ロケット団内部で指名手配された男性がいた。

 

 異常な強さをもつコイキングを作り出せる可能性をもつ研究者として。

 

 数年前に研究所を脱走したロケット団所属の研究員。

 

 未だその行方は知れず、研究成果についても不明のまま。

 

 異常な頑強さを持つコイキングが存在するという事実から推測された研究成果を求め、闇の組織はやっきになってその男性を探しているようだ。

 

 

 きっとどこかでまたコイキングを売っているのだろう。

 

 コイキングおじさんの人生は、まだまだ続く。

 もう一匹の、研究成果と共に。

 

 

 




コイキングおじさんの過去。
短くまとめようと思って書きはじめたら、なんかすんごい長さに。

本編より大ボリュームってどういうことなの。



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第三十六話 ハナダシティ

「コラッタ!」

 

「コックーン」

 

 

 ネズミとサナギの死闘が繰り広げられている。

 コクーンの固くなった身体に頑張ってひっかき傷をつけるコラッタ。

 近づいてきたコラッタに超超近距離で打ち出すどくばり。

 

 遠目で見ると二体のポケモンが戯れているように見えるかもしれない。

 本人からすると必死に戦っているのかもしれないが、裏のバトルを経験したサトシからすると安心極まりない戦いだ。

 なにせ死ぬ心配が無い。

 生きるか死ぬかを外で気にすることがあるなんて旅に出る前は考えもしなかった。

 

 しかしすでに何度か死の境地からサトシは生還している。

 十四歳としては重過ぎる経験ではあるが、トランセルの一件の後はある種の慎重さを手に入れた。

 

 後悔もしているし悲しみもある。しかし立ち止まることはなかった。

 好奇心旺盛で無邪気なだけだった少年を、この旅は間違いなく成長させている。

 軽はずみな行動をすると、取り返しのつかないことが起こるという実体験。

 サトシは大人でもなかなか得ることが適わない、自分の行動すべてに対する慎重さと臆病さを手に入れようとしていた。

 

 当然これも本来は少年に不要なものではあるが、サトシはこの旅においては必要だと判断していた。

 

 

 

 というわけで緊張感の欠片が少しだけある程度のポケモンバトルをサトシは念のために周囲を警戒しながら見守っていた。

 

「お、倒した。」

「ピピカチュー」

 

 コクーンは無事にコラッタを撃退したようだ。

 

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

 

 ―――少し前

 

 

 

「よく考えたらさあ、ピカチュウ。」

 

「ピカピ」

 

「僕の手持ちポケモン、おかしいと思わない?」

 

「ピ?」

 

 

 サトシの手持ちポケモンは、ピカチュウ、クラブ、コクーン、そしてコイキング。

 普段表に出せないピカチュウを除くと、まともに戦えるのがクラブしかいない。

 

 さらに、四匹のうち三匹はサトシが捕まえたポケモンではない。

 すべてもらった、もしくは購入したものだ。

 

 そこで、通常戦えるポケモンを育てると共に、新しいポケモンをゲットするためにハナダシティ手前の四番道路でポケモン探索することにしたのだ。

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

「ここにでてくるポケモンは、コラッタとオニスズメが多いのかな。さすがにオニスズメにコクーンはかわいそうだからクラブで。」

 

「オニー」

「クラブー」

 

 クラブはある程度レベルが高いので問題なく戦える。

 虫ポケモンの天敵、鳥ポケモンに対しても、大きいはさみで叩き落とす姿は頼りがいがある。

 

 コラッタにはコクーン、オニスズメにはクラブを戦わせてレベルアップを図る。

 

 

「コクーーーン」

「コラッ・・・タ」

 

 

 コクーンが七匹目のコラッタを倒す。

 

 

「やったねコクーン!」

 

 と声をかけると、コクーンが白い光に包まれ、点滅している。

 

「お!ついに進化かな。」

 

 トランセルは大きな蝶になるポケモン。

 対してコクーンは――――

 

 

「スッピアーー!!!」

 

 

 大きな蜂。

 

 二つの大きな目と、両手には長く鋭利な針。

 見た目から非常に攻撃的である通り、スピードを活かしてその針を突き刺す攻撃方法がメインとなる。

 

 虫ポケモンの対をなすこの二つの系列は進化の早さからも重宝される存在だ。

 虫嫌いな人以外には、だが。

 

 

「スピアーだ!すごい!かっこいい!」

 

 

 少年の趣味として昆虫採集が多いという統計に例外なく、サトシも昆虫にはそこそこの興味があるようだった。

 キャタピーとビードルを捕まえたのも、きっとそのあたりの心理が働いていたものだと思われる。

 

 

 

 

 なにはともあれ、きちんと戦闘できる戦力が二匹に増えたのは喜ばしいことだ。

 あともう一匹くらいいるとよいのだけど――――

 

 と考えようとして足元を見ると、地面からひょっこり頭を出してサトシを見つめるつぶらな瞳。

 アミダクジのような模様を背中に持ち、モソモソと地面を掘り進める愛らしいポケモン、サンドがそこにいた。

 

 

「サンドだーーー!かわいいいーーーー!」

 

「ピピッカチュ」

 

 

 次に捕まえるポケモンが決まったようだ。

 ピカチュウも同意なのか、放り投げようとは今のところしていない。

 この黄色いでっかいのも随分サトシに馴染んだものだ。

 むやみやたらに自分勝手に行動することは減ってきた、ような気もしないでもない。

 

 サンドはモソモソと地面から這出し、よいしょよいしょという言葉が似合いそうな動作をしつつ、ようやく全身を地上に出した。

 

 

「サンドー」

 

「ようし!まずは弱らせるぞ!いけ、スピアー!」

 

「スピーア」

 

 

 進化したてホヤホヤのスピアーをそのままバトルに投入。

 スピアーも張り切っているようだ。

 

 

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 夕方―――

 

 

「はい、モンスターボール四つ、お預かりします。」

「お願いします。」

 

 ポケモンセンターでポケモンを預ける。

 無事にゲットしたサンドを合わせて、手持ちのポケモンはこれで五匹になった。

 バトルをしていないピカチュウはサトシの横に残り、効果があるんだかないんだかわからない服を着こなし、周囲の人の視線を釘づけにしている。

 目を奪われて、というよりかは何か大変なものを見てしまったという驚愕の目ではあるが。

 

 そんな視線も慣れたもの。

 平然とした佇まいでサトシもピカチュウも壁際で自分が呼ばれるのを待っていた。

 

 有名人は有名であることを自覚すべき。

 サトシは弱冠十四歳にして「見られる事」に慣れてきたのだ。

 羨望の眼差しではなく、奇異の目であることは遺憾ではある。

 

 別に見られることに快感を覚え始めた、などと不思議な性癖に目覚めることもなく、トキワシティニビシティに続きまったく同じ顔の受付のお姉さんの呼びかけを待つ。

 

 

「サンドは地面タイプ。つい勢いで捕まえたけど水が弱点だとカスミとは相性が悪いか。でも、単純にタイプで相性が図れないところもあるんだよね・・・」

 

 

 タケシ戦では、水に弱いはずの岩タイプはなみのりを受けてもほとんど影響がなかった。

 そして岩に弱いはずのピカチュウが戦えていた。

 

 

「タイプの相性は戦い方で補う、か。サンドも役に立てるかもしれない。」

 

 

 まだまだ何の糸口も見えないカスミ戦。

 本人と対面もしていないのに対策もなにもないのだが、とてつもなく強い水タイプとどう戦うのか、くらいは考えても損はないだろう。

 本来であれば電気タイプのピカチュウだけで一網打尽にできるハズなのだが、それはそれ。裏の住人同士のバトルに想像は役に立たない。

 現にタケシさんから忠告を受けている。決して無視はできない。

 

 

 うーん、と悩んでいると受付から呼ばれ、一旦考えるのをやめて自分のポケモン達を取りにいった。

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

 

 外にでるとハナダシティはすでに暗くなっており、家々から漏れる照明の光と、道を照らす電灯が街並みをまばらに照らしていた。

 

 

「・・・ホームシックじゃないよ。さみしくなんてない。そうだよね、ピカチュウ。」

 

「ピッカ?」

 

 

 まだ長期間とはいえないほどの旅路。

 しかしその期間も、こと少年となっては意味合いが違う。

 若い時期の日々から得られる経験値は非常に多い。

 それゆえ、一日の時間が長く感じられるのだ。

 サトシも当然いろいろな思いを感じており、その中に故郷のことも含まれる。

 

 この年までマサラタウンを出ることはほとんどなかった。

 身の回りにいた人が遠く離れていく感覚に寂しさを覚えるのは通常の反応。

 むしろ、これが本来の少年の在り方。

 家出少年は一週間と家に帰らない時間を過ごすことは困難なのだ。

 サトシも強がってはいるが例外ではない。

 

 しかし母親に会いに戻るわけにもいかない。

 

 ということで

 

 

『おおーおサトシィ!ホームシックにでもなったかな?』

 

「・・・・・・・・・・・そんなことないです」

 

 

 近くのベンチに座り、心の慰みにオーキド博士に連絡をする。

 まんまと自分の思考を読み取られたことに顔をしかめるが、言葉だけでも反抗しておくのはまだ少年だからか。

 

 

『そうかそうか。では何の用事かの?』

 

「・・・そうですね。最近の報告でもしようかなと連絡しただけです。」

 

『ほほう、興味深いのう。ちょうど今紅茶を入れたとこなんじゃ。話しておくれ。』

 

 

 オーキド博士の配慮に心の中で感謝する。

 今はいろいろと話し相手が欲しい。

 

 

「はい。いろんなことがありました―――――」

 

 

 

 夜風に吹かれながら故郷の人物と会話する。

 多少は気も紛れるだろうか。

 明日からは本格的に捜索を始めよう。

 新しい仲間と共に。

 

 

 



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【番外編】オーキド博士のドーピング☆実験室 二匹目

本編差し置いて番外編。

思いつきで書いてるからね。仕方ないね。



 これはオーキド博士がドーピングアイテムの研究に勤しんでいた時のお話。

 ドーピングを行うことでポケモンがどう変化するかをつぶさに観察し、まとめていた時期。

 博士も特に罪悪感などなく、研究者という立場でガンガンドーピングを使っていた狂気の時代である。

 助手のタツロウと共に今日も今日とて生物実験に没頭する。

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

「本日もーーー!やっていくぞーーー!ドーーーーーーーーーーーピング!!」

 

「やるぞー」

 

「今日も快晴、気温も適温、湿度OK雲一つなし!まるで我々の実験を歓迎してくれているようではないか!タツロウ君!」

 

「そーーですねーかんげいです。」

 

「ぬわっはっは!では早速やろうではないか!タツロウ君、アレを用意したまえ・・・!」

 

「よういです」

 

 

 朝から元気すぎる二人。

 ここはオーキド博士の研究室。別名『ドーピング狂気野郎が二人で狂った化け物を生み出す狂気な研究室』。

 ちなみにこの研究所内で近寄ってはいけない研究室ランキング一位を毎年獲得している猛者だ。

 

 しかもそんなランキングに微塵も興味がない二人。

 興味があるのは当然ドーピングのことだけである。

 

 

「よういできましたーです」

 

 タツロウ助手がガラガラと倉庫から引っ張り出してきたのは、大きな壁のような機械。

 二メートルほどの鈍色の壁に貼り付けにされているのは、強力な鳥ポケモン、オニドリル。

 パッと見にはバーベキューの鉄板に載せられた丸焼き用のお肉。

 ただし、首を九十度横に傾ければだが。

 

 羽も胴体も足も首もガッチリと固定されていたため、大きくもがくこともできないオニドリル。

 気性が荒いためなんとか抜け出そうとバタバタしているようだが、無駄である。

 

「OKだ!これぞドーピングするポケモンを選ぶためだけに作られた新兵器!!名付けて!!!」

 

「なづけてー」

 

「『オニドリルの攻撃力を上げると嘴が伸びる作用を利用したドリルくちばし装置』略して『伸びる口』だ!」

 

「せめてくちばしまでいれてはいかがでしょうかー」

 

「なるほど!気づかなかった!では伸びるくちばし!さっそく起動!!」

 

「きどうですー」

 

 

 これは開発中の攻撃力を超絶上げるドーピングアイテムを大量に使い、一気に貼り付けにしたポケモンに注入する装置。

 本来は身体的変化を伴うドーピングの効果を、ポケモンを拘束して観察できるように開発された機械ではあるが、そもそもパワーが上がったポケモンを拘束できるだけの把持ができず、且つ特殊攻撃に対しては何の効果もない。

 

 特殊攻撃をアップさせてたユンゲラーのサイコキネシスでその場にいた三十人が精神異常で病院送りにされたのはいい思い出だ。

 

 そのどうしようもない欠陥機械をオーキドがもったいないからと引き取り、今回日の目を見ることとなったわけである。

 

 

 

「いっきまーーす」

 ガコンと赤いレバーをONの方向に入れる。

 ウインウインと内部で動き始める『伸びるくちばし』装置。

 数秒後、赤く点灯していたランプが青くなり、準備完了の文字が光る。

 

「おーーーーーーぅけーーーーいぃぃだ!では毎度おなじみのルーーーレット!起動!」

 

「きどうですー」

 

 スイッチを入れると、毎日のように起動しているルーレットが回り始める。

 ポケモンの名前が所せましと書いてあり、いわゆる回転ダーツにより研究対象を決定するのだ。

 

「ギュンギュンギュンギョンギョンギュギュギュギュギュギャギャギャギャリュリュリュリュルルルルルルキュイーーーーン」

 

 高速回転すぎて視認することはもはや不可能。この前興味本位でシェルダーを回転している円盤の端っこに放ったら真っ二つに切断された上に摩擦で焼けておいしいにおいがしたので二人で醤油をかけて食べた。

 癖があったがなかなかおいしかった。

 

「では!伸びるくちばし――――発射!!!」

 

「ポチっとな、ですー」

 

『危険押すなアブナイ』と雑にシールが張られたボタンを強めに押すと、機械内部でガコンッと何かが動いた音がした。

 

 その後、もがいていたオニドリルの憤怒の顔が一瞬青ざめ、白目をむいてくちばしの横から泡を吹いている。

 ばたつかせていた羽も痙攣をはじめ、明らかに状態がおかしい。

 

「ぬぬ?薬を入れすぎたかのう?拒否反応かもしれん。」

 

「ようすをみますー」

 

 トテトテとオニドリルに近づくタツロウ。

 

「・・・!!いかん、離れるんだ!!」

 

 ビクッとして足を止めたその瞬間、タツロウの眼前を何かが一瞬で通り過ぎていった。

 

 

 硬直するタツロウ。

 そして

 

「あぶなかったーですねーもうすこしで串刺しでしたー」

 

「はっはっは!注意力がないのうタツロウ君!危うくオニドリルとタツロウ君の焼き鳥ができるところだったわ!がはは!」

 

 

 やはりネジがぶっ飛んで空の彼方に消えている二人である。

 特に問題はないようだった。

 

 

「しかもきちんと的に刺さっておる!さすがオニドリルだな!狙いは正確!気絶しておるが!」

 

「かくにんしまーすー」

 

 

 テンション高く笑い続けるオーキド。

 

 オニドリルのくちばしが貫通した的を見るタツロウ。

 そこに書いてあったのは――――

 

 

「ルージュラですー」

 

「ルージュラじゃと!?」

 

 

 ルージュラはなかなかレアなポケモンだ。

 野生の個体は発見そのものが難しく、誰かが手にしたものを交換して手に入れることがほとんど。

 その容姿から、一節では人間が何等かの影響で変貌した姿ではないかなんて噂まで立っているほどだ。

 

「たしかにこの研究所にはたいていのポケモンが保管されておるし、当然ルージュラもおる。しかしそんなレアなポケモンをドーピング実験に使うなどと・・・」

 

 瞑目するオーキド。

 いつも問答無用傍若無人で薬物薬物ハッピーーィィィ!!と叫んでいる人物ではあるが、さすがになかなか手に入らないポケモンを実験に使うことには抵抗が――――

 

 

「レアポケモンを実験に使う機会などそうそうない!適当に書類ちょろまかしてポケモン管理部からルージュラを攫って―――もとい借りてくるんだ!!」

 

「かりるですー」

 

 

 全く抵抗は無いようだった。

 狂気のサイエンティスト・オーキドはルージュラがどのように変貌するか楽しみで仕方がないという顔をしながら、泡を吹いたオニドリルはあとで焼き鳥にしてみようかななどと物騒なことを考えていた。

 

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 一時間後

 

 

「はかせー、もってきましたー」

 

「随分かかったな、タツロウくん。さすがに手間取ったかね。」

 

「うまいこと言ってきましたー」

 

 

 オーキドはタツロウのことを信頼している。

 こんな間延びしたしゃべり方でアホっぽく感じられるのだが、頭の回転は速く頭脳明晰なのだ。

 オーキド自身もこの年で一つの研究室を任されることは異例であり、その才能を如何なく発揮している。

 そんな二人が一堂に会しているのだ。

 もはや誰にも止める術が無いのは自明の理。ポケモン管理部も言いくるめられてしまったというわけだ。

 

 

 持ってきたルージュラを鉄檻の中に出す。

 赤い光を伴ってボールからでてきたルージュラは、データ上知ってはいたがかなり人に近い造形をしている。

 

 黒い肌に大きな瞳。

 長い髪の毛を携え、魔法でも使いそうに目の前に掲げた手をウネウネさせている。

 

「相変わらずキモイのう。」

 

「きもいですー」

 

 一部に熱烈なファンがいるが、その容姿を好意的に捉える人はなかなかいない。

 その一部の人々もたぶん一周回ってかわいいとかそういうレベルの思考だろう。

 

 

「では、早速いくかな!タツロウ君、エスパー遮断ガラスの用意はいいかな?」

 

「ばんぜんですー」

 

「よろしい!ではドーピング開始!!」

 

「れっつごー」

 

 相変わらずのテンションでドーピング実験を開始する。

 一体どんな化け物が生まれるのか。

 異常に筋肉の肥大したサイクロプスのような巨人なのか、はたまたメデューサのように髪の毛が蛇になったりするのか。

 その変化にドキドキワクワクしながら、科学者二人は経過を見守った。

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

「タツロウくん」

 

「はいー」

 

「どうしてこうなった」

 

「なぞですー」

 

 

 エスパー遮断ガラスの向こう側にいるのは――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 絶世の美女だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 砂金のように美しく光るブロンドの髪に、小麦色に日焼けしたきめ細かい絹のような肌。

 百八十センチはあろうかという高身長でスレンダーなシルエット。

 加えてなぜか服装までボディラインがよく見える黒いワンピースドレスと黒いハイヒールに変わっている。

 実は顔が元のまま、なんていうオチがつくこともなく、その顔も目鼻立ちが整い、美貌と言うに相応しい美しさを誇っていた。

 

 まさに美女。

 ルージュラの原型なぞ「金髪」と「なんか黒い」という色としての特徴しか残っていない。

 この姿を一目みて、誰がもともとルージュラだと信じられるというのか。

 

 現場に居合わせたオーキドとタツロウ含め、街中でこの姿を見かけても全く気付くまい。

 目を奪われるという意味では目立つだろうが、決して本来の姿を看破できる者は存在しない。

 

 

「タツロウくん」

 

「はいー」

 

「わたしはこの人物になら、殺されてもいいと思う。」

 

「ぼくもですー」

 

「エスパー遮断ガラスと、鉄檻をはずしたまえ。」

 

「はずしますー」

 

 

 壁についている二つのスイッチを順番に押すと、ガラスと檻が徐々に床下に収納されていく。

 ガラス越しで錯覚していたわけではないことがそこでわかる。

 

 絶世の美女がマッドサイエンティスト二人の前に、なんの隔ても無くその姿を露わにさせた。

 

「「・・・・・・・」」

 

 押し黙る二人。

 美女の方が背が高い上にヒールまで履いているため、必然的に見上げる形になる。

 

 美女はゆっくりと数秒かけて周囲を見渡した後、ようやく二人の顔をその視界に入れる。

 そして口を開く。

 

 

 

 

「―――感謝するわ。」

 

 

 

 

 確かにそう言った。

 その声も、聴いた人間の思考を一瞬で奪うほど繊細で美麗な音をしていた。

 コンサートホールで目を閉じてモーツァルトでも聴いたかのような美しい旋律。

 その声はもはや至高の音楽。

 超能力とも思えるその声は、容姿の端麗さも相まって防ぎようのない美貌の暴力。

 この世に二人と存在しない。

 まさに絶世の美女という呼び名に相違ない振る舞いだった。

 

 

 その場に棒立ちになるオーキドとタツロウ。

 何も言えないまま美女をじっと見つめる。見つめ続ける。

 

 一言感謝を告げた美女は、もう一度二人と視線を交わしたあと、自然な美しい歩き方で研究室のドアを開け、そのまま出ていった。

 

 

 歩き去る姿も見惚れるほど美しい。

 そんなことを茫然と考えていた二人。

 両名とも本来の目的をすっかり忘れて立ち尽くし、その状態のまま数分が経過した。

 

 

 

 ようやく意識と思考が復活しはじめたオーキドとタツロウ。

 

 しばらくの静寂の後に発した第一声はオーキドからだった。

 

 

 

「帰ろう。」

 

「はいー」

 

 

 

 本日の研究は幕を閉じた。

 

 

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 後日―――

 

 ある家庭の一幕。

 

 家族四人で晩御飯を食べている時に、テレビに一人の歌手の姿。

 美しい容姿と類まれな歌声で最近一気にトップ歌手に躍り出た人物。

 ルージュ・ラヴィーンと名乗るその人物はあっという間に世界中を虜にしていった。

 

 世界を席巻するスピードはまさに、エスパーではないかと噂される程だったという。

 

 

 




ルージュラかわいいよルージュラ。


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第三十七話 ゴールデンボールブリッジ

「ここはゴールデンボールブリッジ!五人倒すと素敵な賞品がもらえるよ!」

 

「はあ、そうですか。」

 

 

 ハナダシティ探索を開始し、マサキについて周辺に聴きまわった結果、街の北に彼の家があるらしい。

 トレーナーのトレーニングに使われている場所らしくあまり用のない住人は近づかないようだが、景色のいい場所などもあるらしく時たま若者がそちらの方へ歩いていくそうだ。

 

 そんな話しをいくつか聴いたので街の北へ足を運んだところ、北へ行くための橋を誰かが陣取っており、橋の前に立っていた人に話しかけたところ先ほどのような反応をされたというわけだ。

 

 

 人探しに厄介ごとは避けたかったが、北地区にいくにはこの橋しか手段がないらしい。

 なるほど、これなら確かに住人が近づかないわけだ。

 北部がトレーナーの巣窟になっているのもうなづける。

 

 

「少年、チャレンジするかい?」

 

「・・・ちなみに戦わずに渡る方法は?」

 

「全員一斉にトイレに行った瞬間とかかな?無いとは思うけどね!ははは!」

 

 なんか冗談を言われてしまった。遠回しに戦うしかないと言っているようだ。

 

 サトシは嘆息し、ゴールデンボールブリッジとやらに足を踏み入れた。

 

 

 

 サトシの使うポケモンはクラブ、スピアー、コイキング、サンドの四体。

 当然ピカチュウを使う予定はない。

 本人が戦いたがってもこればっかりは言うことを聴いてあげられない。

 強硬手段にでられてしまったら止めようがないのは事実ではあるが。

 

 サンドこそ捕まえたばかりではあるが、クラブもスピアーもそこそこ戦える優秀なポケモンだ。

 そこはサトシも信頼しているし、慎重にもなっている。

 問題はコイキングだ。

 

 パッと見はわからないが、このポケモンはおそらくドーピングされたポケモンだ。

 見た目は変わらない。普通のコイキングとまったくと言っていいほど同じだ。

 むしろ見分けがつかない。

 コイキングの群れにでも出くわしたらそれこそアウトだ。

 もはや回収の手段は無いだろう。

 

 そんなコイキングではあるが、使うかどうか非常に微妙なのだ。

 

 性質上、負けることは無いとは思う。

 なんせ異常に固い。

 弱点属性の電気やら草やらで集中攻撃されたらわからないが、それでも即瀕死なんてことにはならないだろう。

 いくら強いポケモンでも銃弾を超える威力を持つ技が使えるものはそうそういないと信じたい。

 

 ただ、問題もそこにある。

 弱いはずのコイキングが、いくら切っても叩いても倒れない。

 体当たりされるとかなりの大ダメージを受ける。

 

 そんなことが続けば当然不思議がる人がでるのは必然だ。

 

 つまりコイキングを戦闘に出すにもそれなりのリスクを背負う。

 どこまで使いづらいポケモンなのか、文句を言おうにもコイキングは話せないし、このコイキングを売ってよこした本人はここにはいない。

 

 

「・・・三体で進もう。」

 

 頭を悩ませるポケモンについてひとしきり悩んだところで、最初のトレーナーとのバトルに突入する。

 

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

 

 ハナダシティはトキワシティ周辺より強力なトレーナーが多かった。

 使ってくるタイプも豊富で対策しづらく、且つきちんと鍛えているトレーナーが多い。

 ゴールデンボールブリッジでの戦いでもそれなりに苦戦させられた。

 

 元々のレベルが高いクラブをうまく使いつつ、五人のトレーナーを撃破した。

 

 これで橋が渡れると一息ついたところで、渡り切ったところにいる黒尽くめの人間に声をかけられた。

 

「すばらしい!五人抜きおめでとう!これが商品だよ!」

 

 そういってサトシに金の玉を渡した。

 

 三センチほどの小さな球体ではあるが、ズシリと感じる重厚感。

 表面は金色に輝いてはいるが、名前通り純金というわけではないだろう。

 ともあれ売ればピカチュウの食事一回分くらいにはなる。

 

 もらったものに対してすぐ売ることを考えてしまうあたり、サトシも随分と現実的になってしまったようだ。

 別にサトシの思考に対してわざわざ突っ込みをいれてくれる人はいないのだが、サトシ自身がふと思ってしまった。

 どの考え方も旅には必要なことだ、大事なことだと自分に言い聞かせて、貰った金の玉を大事にリュックの中へしまった。

 

 

 さて先に進むかなとリュックを背負い直して歩こうとすると、先ほどの男がまた話しかけてきた。

 

「ねえ君、強いね~。・・・・実は、ここだけのいい話があるんだ。」

 

 いい話と聞いた瞬間、サトシは警戒モードに入った。

 なんせ、スペシャルな話と言われて五十万円のコイキングを買わされたのだ。

 結果的にはそこまで悪い話ではなかったのかもしれないが、いい話と言われて本当にいい話であった試しなど何度あろうか。

 

 無言で次に紡がれる話を聴こうとする。

 

 無言を首肯の合図と読み取った黒尽くめの男は話を先に進める。

 

「実は今、ロケット団という組織で人員を募集しているんだ。君、強いからすぐにいい立場までいけるよ。どう、入らない?」

 

 

 

 

 ―――――虫唾が走る。

 

 ロケット団という単語を聴いた瞬間、サトシは激昂しそうになるのを必死に抑えた。

 今にも手がでてしまいそうなほどにサトシの脳内はぐちゃぐちゃになっている。

 わなわなと震える手に気づかず、男はまだ話を続ける。

 

「いい話だと思うんだよね。団員募集の話はそうそうあるものじゃない。活動次第では幹部になるのも夢じゃない。しかも・・・」

 

 どんどん話を進める。サトシが無言なのをいいことに営業トークを延々と垂れ流す黒尽くめ。

 そのサトシはうつむき、身体全体をふるふると震わせている。

 

 

「というわけなんだ。はいるよね?当たり前だよね?」

 

 聴いてもいない演説を終えた黒尽くめが再度サトシに問いかけてくる。

 

 サトシの怒りは限界だ。

 堪忍袋なんてものが実際にサトシの中に存在しているのであれば、それは緒が切れたなんてものではなく、爆発四散して袋ごと燃え尽きていたところだろう。

 だが、サトシはその怒りをギリギリで抑えていた。

 サトシ一人では無理だったであろうその芸当をなんとかこなすことができたのは、肩に置かれた黄色い大きな手のおかげだろう。

 

 トランセルの一件以降、この手はサトシの中でも特別だ。

 平常心をギリギリのところで保たせてくれる。そんな不思議な手だ。

 

 問いに対する答えを待つ黒尽くめの顔を、怒りを表情に出さないようになんとか顔をあげて見る。

 

 歪んだ笑みでこちらを見ている男に対し、サトシはきちんと明確に答える。

 

 

「お断りします。先に行きますので、失礼します。」

 

 

 そう答え、道を塞いでいた男の横に体をすべりこませ、橋を渡り切った。

 

「お、おいちょっとまてよ!入らないんなら・・・・ここで倒れろ!」

 

 そういうと、黒尽くめはモンスターボールを腰から取り出し、投げようとする。

 

 

 その瞬間、その男は呼吸ができなくなるほどの威圧感を感じ、その場にへたり込んだ。

 どっと汗がでる。呼吸が可能になると同時に激しく空気を吸うが、呼吸を繰り返すことができない。

 

 男が感じている威圧感。

 これは目の前の大きい人間から発せられているのだろうか。

 こちらを振り向くことなくスタスタと先に進む少年に対し、大きい人物はぴたりと立ち止まり、首だけ振って横目で黒尽くめを見ている。

 

 細かい表情まで読み取れないが、下手なことをしたら自分の命が無いと、そう言いたげだった。

 

 

 ゴクリと大きな音を立てて唾を飲みこんだ男を確認し、黄色い巨躯はサトシの姿を追いかけ、歩き始めた。

 

 

 

「・・・なんだ、あれ。死ぬかと思った。」

 

 

 

 地面に座り込んだ男は茫然と二つの後ろ姿を眺め、それらは曲がり角で視界から消えた。

 

 

 

 




サトシのメンタルがかなり不安定になりつつある。


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第三十八話 マサキの依頼

 ゴールデンボールブリッジにいたトレーナーと同様、ハナダシティ北地区にいるトレーナーもなかなか強い人が多かった。

 ポケモンセンターと何度か往復しながらトレーナー戦をこなし、サンドとスピアーもそこそこ強くなったと思う。

 

 うれしい。自分のポケモンが強くなるのはとてもうれしいことなのだが。

 

 こんなにも虫の居所が悪いのは、先ほどの橋での出来事の所為か。

 ついついバトルの仕方も意地が悪くなってしまう。

 こんなにも自分は性格が悪くなっただろうかと思うが、思ってしまっているものは仕方がない。

 周囲に怒りを撒き散らさないだけ、自分は感情を抑えているのだと、自分で自分を褒めてもいいくらいだ。

 

 怨念丸出しでトレーナーとのバトルに臨むので相手もサトシの顔を見てビクッとすることが何度かあった。

 

 ともあれ無事に連戦を乗り越えサトシはマサキの家と思わしき場所へと到着した。

 

 

 

「ここ、かな。」

 

 

 

 ハナダシティの平均的な家よりも少し大き目の一軒家。

 特に奇抜な飾りつけもされておらず、平々凡々な見た目だ。

 誰か特別な人が住んでいるという雰囲気は感じられなかったが、周辺にこれ以外の家は無い。

 別荘か何かでない限り、普通の人が住む場所ではないのは間違いない。

 

「・・・入ろう。」

 

 臆していても仕方がない。

 知らない人の家に入るのは緊張する、という程度のお話だ。

 ドアに近づきコンコンと軽くノックする。

 

 ――――返答はない。

 

「・・・?」

 

 小さかったかな?と思ったサトシはもう一度ノックする。

 今度は少し強めに三回ノックした。

 

 ―――――相も変わらず返答はなし。

 

 留守なのかとも思ったが、思い切ってドアノブをひねってみるとどうやら鍵は開いているようだ。

 これはもう入るしかない。

 

 コッソリと、ゆっくりとドアノブを回し、家の中へ入る。

 

「お、おじゃましまーーーす・・・」

 

 家の中は、大きな部屋が一つだけ。奥に続くドアが一つだけ角の方についていたが、人を歓迎するための部屋ではないのだろう。

 コンピューターのようなものがごちゃごちゃと置かれ、机の上は紙が山のように積まれていた。

 ところどころチカチカとランプが点灯しているので、なにがしかの実験を行っていたのであろうか。

 

 珍しいものを見る目で室内を見渡していると―――

 

「ピカー」

 

 後ろからピカチュウの声。

 

「ちょっとまって、ピカチュウ。これは何の機械なんだろう。」

 

 機械についてなんて何もしらない十四歳。

 しかしその銀色でゴテゴテした外見は男の子を虜にするための要素を大量に盛り込んでいるといっても過言ではない。

 サトシもその例外ではなくまじまじといろんな機械を見ているところだった。

 

 

「またんわい。なんやおどれは。わいになんか用なんか。」

 

 

 誰かが聴きなれない言葉遣いを聴きなれない声で話しかけてきた。

 

 

 ビクッとしてソロソロと後ろを向くと、ピカチュウの横に茶髪の天然パーマをした男が怒り顔で立っていた。

 

 

「あ、えと、す、すみません、勝手にはいっちゃって、その、鍵があいてて、えっと」

 

 しどろもどろなサトシ。

 さすがに自分が悪いことをしたと実感があるのだろう。

 素直に謝ることしかできない。

 

 

「あん?鍵があいとったら勝手によそんち入るんかおどれは。泥棒か?泥棒やろ。こないなごっついピカチュウ連れて泥棒か。けったいな奴やな。」

 

 ベラベラベラと隙間なく言葉を続ける男性。

 説明しようとタイミングを見計らっていたサトシだったが、どこにもその隙間が見つからずにしばらく唖然としていた。

 

「―――――なんとか言えや、アホ。言わなわからんやないか。」

 

 ようやく落ち着き、こちらの発言を許してくれるようだ。

 どこか地方の言葉だろうか。言っていることの半分はよくわからないが、怒ってるのは間違いないだろう。

 高圧的なので間違ったことでも言おうものなら再度延々と言葉攻めされるのが目に見えている。

 サトシは言葉を選んで慎重に答える。

 

 

「えっと、僕はマサラタウンから来たサトシです。」

 

「マサラ?あんな田舎から来たんか。はるばるご苦労なことやな。」

 

 一文言う度に何かコメントをするのだろうか。

 ちゃんと最後まで伝えられるか弱冠不安になりつつ、サトシは先に進める。

 

「あなたは、マサキさんですか?」

 

「せやな。わいはマサキや。んでそのサトシくんは何しにウチに来たんや。まさかホンマに強盗しにきたんちゃうやろ。」

 

「もちろんです。」

 

 

 いろいろな細かいやり取りがありつつ、サトシはトキワシティのおじいさんからマサキを訪ねるように言われたことを伝えた。

 そして自分はポケモンマスターを目指してジムリーダーに挑戦中であることも。

 マサキがどういう立場の人間なのか不明なため、ドーピングのことや裏の住民のことなどは触れないように慎重に話した。

 

 

「あー、あのジジイか。まだ生きとったんやな。今更ワイに面倒事投げようてことやな。ええ度胸や。次おうたらどついたるわ。」

 

「あの、えっと、どうすれば」

 

 一人で納得のいっているマサキを見て、いよいよ同意状況かわからないサトシ。

 ピカチュウもよくわからないのか、少し離れたところであやとりをしている。

 随分器用だなと呑気にも考えたが、視線はマサキの方を向いたままだ。

 

「ああー、せやな。きみ、裏の人間やな?あのジジイがワイを紹介したってことはそういうことやろ。警戒せんでもええで、ワイは誰の味方でもあらへん。中立や。パソコンのポケモン預かりシステム作ったりしとる、ただのエンジニアや。」

 

 耳に覚えのある単語がでてきた。

 捕まえたポケモンが少ないのでまだ利用したことはないが、そのようなシステムがあるというのはオーキド博士から聴いている。

 まさかそのシステムを作った本人が目の前にいるとは。

 

「まあ今はそないなこと関係あらへんわ。きみ――サトシくん言うたか。何をしたいんや。ぜーんぶきかせぇや。クソジジイの縁や。道筋くらいは立てたってもええで。」

 

 なんかまた一人で納得して一人で話を進めている。

 拍子抜けした部分もあるが、さすがに敵というわけではなさそうだ。

 有名人が悪事を働くことは少ないだろう。

 裏の住人だとバレている時点でもはや隠すことなどない。

 サトシ個人の感情を抜きにして、いままであったことを話し、そしてレッドに会いたいこと、ポケモンリーグを制覇し、ドーピングを撤廃することを伝えた。

 

 サトシが話している間はうんうんと要所要所で細かくうなずいているくらいで、口を挟んでくることはなかった。

 真面目に聴いてくれているのだろう。

 こうして事情を隠さず話をきいてくれる存在がいるだけでもサトシにとってはありがたい。

 なんせ、事情を知っている人物は大体が戦う相手だからである。

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

「なるほど。そないな考えしとるんかサトシくん。」

 

「は、はい。」

 

「確かにそれならワイの力を貸してやらんでもないわ。ワイが知ってて、サトシくんの知らない情報もある。教えるのも吝かじゃあらへん。しかしな。」

 

「しかし?」

 

「得があらへん。それをして、ワイの何の得がある言うんや。確かにジジイの縁や。だけどそれは話を聞くまでや。サトシ君はワイに何をしてくれるんや?中立の立場は片っぽに有利になるようにしちゃあかんのや。等価交換やなければあかん。」

 

「・・・」

 

 

 そういわれても、サトシに出せる情報など無い。

 いや、強いて言うならばおそらく進化不良なポケモンを所持しているということくらいか。

 ただこれですら確証のある話ではない。おそらくは、という曖昧な話で納得するような男ではないだろう。

 

 サトシが言葉に窮して黙っていると、マサキが待ちきれんと言わんばかりに言葉を突き付けてきた。

 

 

「それなら、条件をこっちから出してもええで。なかなかしんどい条件や。代価がない言うんやったら、仕方ないやろ。」

 

「・・・どんな内容ですか?」

 

「カスミを倒してほしいんや。」

 

 

 予想のしていなかった人物の名前が出てくる。

 カスミ、とはジムリーダーのカスミのことだろう。

 しかし、カスミとマサキと一体何の関係があるというのか。

 

 

「知っとるやろ、ジムリーダーのカスミ。」

 

「名前と存在くらいは・・・あと別名。」

 

「そこまでしっとったら十分やな。めっちゃサドなカスミや。あいつはな、女王様気質なんや。周りにかわええ女の子を侍らすんが大好物なやつなんや。」

 

「・・・それで」

 

「あせるんやない。もちろん、表の顔は別やで。まっとうなジムリーダーやっとるわ。情熱的で正当で果敢で気持ちのええバトルをきちーんとやっとるわ。表向きやけどな。」

 

 話すと何か言われそうなので、黙って話しを促した。

 

「カスミは街中でかわええ女の子を見つけると、ジムに連れ込んで調教すんねん。自分なしでは生きれん思うようにしつけるんや。」

 

 なんかすさまじいことを聴いた気がしたが、兎に角マサキが最後まで話すのをじっと聴いている。

 

「街にあるいとる女の子がどんどん減って、カスミのそばにおるようになる。そうするとおこる問題があるやろ。わかるか?」

 

 急に振られて思考が遅れたが、少しだけ考えてこう口にした。

 

「・・・えと、女の子が減る?」

 

 あまりにお粗末な返答だなとサトシ自信ですら感じた内容だった。

 

「そのとーーーーりや!」

 よかった、合っていたようだ。

 

「街に女の子があるかんようになってしまうんや。たまにジムに挨拶しにいくとかわいい女の子ぎょうさん侍らせて女王様やっとるんやで、カスミは。許せるか?サトシ君。ワイじゃ許せへん。街にかわいい子歩いとらんなんて住む価値ないやんか。タマムシにでも引っ越そうかおもたわ。」

 

 

 カスミのやっていることも驚愕したが、マサキの考えることもある意味常軌を逸していた。

 いや、男の願望としてはあっているのかもしれない。

 街を歩いていてどうも若い女の子が少ないと感じたのはそういうことだったのか。

 ハナダシティの隠れたる秘密が判明したというところか。

 特に騒ぎになっていないということは、住民は知っているのだろう。

 もしくは全員カスミのファンもしくは従者ということになるのだろうか。

 考えるそばから寒気がする。

 

 

「つまり、カスミを撃破すれば、女の子が元に戻ると。」

「わからん。」

 

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

 サトシの思考が停止する。

 そしてすぐに復旧する。

 

 

「わ、わからないんですか?」

「わかるわけないやろ。ただ、カスミの負ける様を見て失望するくらいのことは夢見てもええんちゃうか。あと、単純にスカッとするわ。」

 

 短絡的というか直感型というか。マサキは気持ちのいいくらいに感情に左右されて生きている。

 今のサトシにはできない思考方法に、飽きれつつも尊敬できた。

 

 

「わかりました・・・カスミを倒せば、いろいろと教えてくれるんですね?」

 

「おー、教えたるわ。そのスカッと爽快感ですべてを教えたる。嘘はいわへん、めんどくさいからな。」

 

 

 玄関付近でずっと立ち話をしていたが、サトシの横を通り過ぎ、部屋の真ん中付近に乱雑に放置されているキャスター付きのイスを引き、机の前で座る。

 

「ま、話はそれからや。せいぜい気張ってや。」

 

「――――はい、ありがとうございます。」

 

 そういって、サトシはマサキの家を出ようとする。

 ドアに手を伸ばしたときに、最後にもう一つ、とマサキがサトシを見てこう言った。

 

「カスミに挑戦するときは言ってや。特等席で見たいわ。楽しみにしとるで。」

 

 サトシは軽く会釈すると、ドアを開けて太陽の落ち始めた夕方の空が広がる場所へと足を踏み入れ、ピカチュウが出てくるのを確認した後に丁寧に扉を閉じた。

 

 




ようやく登場マサキ。
カスミがどんどんとんでもない人間に格下げされていく。


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第三十九話 ハナダシティの夜

いつのまにやら10万字も突破したようです。
めでたい。


 カスミを倒さなければ前に進めない。

 レベル上げをしないまま戻れないボスの手前でセーブしてしまったような感覚を覚えつつ、サトシはカスミ対策を考えるためにハナダシティの住民にカスミのことを聴きまわっていた。

 情報収集というやつだ。

 できればカスミのバトルを実際に見てみたい気持ちはあるが、そううまくいくまい。

 せめて表のバトルくらいは見学できるだろうか、と甘い気持ちは無くも無い。

 ともあれ、いろいろな人にカスミについて訊いてみた。

 

 

「カスミ?かわいいよねえ。僕は好きだよ。」

「カスミちゃん?親切でいい子だわ~。」

「カスミか。いつも一生懸命な姿勢が素晴らしいね。さすがジムリーダーだね。」

「カカカカスミたんはボボボクのお嫁さんになるのでゅふ」

「カスミ様?ああ、とても素晴らしい方よ!すべてを受け入れ、自分に厳しい。素敵で最高な人よ。」

 

 

 

 ここまで訊いた情報としては、嫌がっているどころか町民に愛されているイメージしかできない。

 若干途中に変なのが混じってもいたが、サディスティックだという話は一度も出てこなかった。

 

 それどころか好意的な意見が多かったので調子が狂ってしまう。

 タケシさんもマサキさんもカスミは危険人物だ、なんて言い方をするのでかなり警戒していたのだが、一般的にはかなりいい人のようだ。

 もしくは裏の顔を徹底的に隠しているということなのか。

 

 これが普通のバトルであれば、負け覚悟で一度挑戦するなんて芸当も可能なのだが、裏のバトルでは生死に関わる。

 軽い気持ちでチャレンジできないのが痛いところだ。

 

 カスミについてうーんと悩みながら道を歩いていると、それを見ていた一人の男がいた。

 

 

「あんた、おい、あんただ。あんた。」

 

 

 急に声をかけられたサトシは自分のことだとすぐにわからず、周囲を見渡す。

 特に目立った人はいなかったので、声を向けられた対象が自分だと気づき、その男の方へ向き直す。

 若干厳つい顔をしていたが、悪気も悪意も無さそうな一般人だ。年は五十程だろうか。

 

 

「なんでしょうか。」

 

 

 カスミについてずっと考えていたので、あまり思考を別のところに移したくはなかったが、無視するのも気が引けるので要件を手早く聴いてしまおうと思い、先を促す。

 

 

「あんた、カスミのことを訊きまわってるって子供だろ?さっそく噂になってるぜ。せまい町だ、でっかいのとちっさいのの二人組がカスミについて調べてるなんて話題性のある話、すぐに広まる。」

 

 

 内心しまったなぁと軽く思ったサトシ。

 しかし、そこまで困ってはいない。別に知られたからといってどうというものでもない。

 カスミの逆鱗に触れるようなことでもしない限りは、向こうは何もしないしできないハズだ。

 タケシの場合はまさに逆鱗に触れてしまった訳だが、カスミをどうやって刺激するのかなんて情報はいらないし知りたくない。

 

 無言でその男が話を進めるのを待つと、それを察したのか先を話し始める。

 

 

「この町には秘密があってな。一定数の大人のみが知れる秘密さ。その秘密を絶対に他に漏らさないと約束できるなら教えてやってもいい。」

 

「・・・それはカスミに関しての?」

 

「ああ、むしろカスミの本性さ。大人気なカスミのな。」

 

「・・・目的は?」

 

「なに、二十万でいいさ。裏の人間なら安いもんだろ?ガキだから安くしといてやるよ。」

 

 

 サトシは驚愕した。

 もちろん、なるべく表情にださないようにはしたが、息が詰まり言葉に窮する様子からある程度察することはできてしまっただろう。

 何故この男が裏のことを知っているのかが疑問だし、そもそも余所者のサトシに対してジムリーダーの情報を漏らすことも謎だ。

 

 単純に金目的なのだろうか。

 だとしても、サトシを裏の住人だと看破できた根拠は?

 

 次から次へと疑問が湧き出る現状に、サトシはかなり頭を抱えることになる。

 しかしカスミ対策が依然として何も思いついていない現状を打破するきっかけになるかもしれない。

 

 ―――もちろん何の糸口にもならない可能性は高い。

 詐欺である可能性もあるが、半ば乗らなくてはならない詐欺だ。

 人生でこんなにお金の出入りが激しい時期があっただろうか。

 お年玉で増えた分を一日で使い切った時が、一番収支の差があっただろうと思う。

 それが今では十万単位でやりとりだ。

 つくづくお金の桁がおかしいことに麻痺してきた自分に喝をいれつつ、サトシは男の提案に乗ることにする。

 

 

「よし。金は先にもらうぜ。話はそのあとだ。」

 

「先に半分払います。もう半分はちゃんと案内してくれたら払います。」

 

「へん、しっかりしてやがるな。まあいい、十万先によこしな。・・・OK確かに。」

 

「それで、どうすれば?」

 

「今夜零時にここへ来な。ショーに案内してやるよ。他言無用、通報厳禁だ。」

 

「わかりました。・・・あなたは何をしてる人なんですか。」

 

 返ってこない問いだろうなと八割方思っての質問だ。

 単純に興味があったし、答えてくれれば儲けものだと考えた。

 

「俺か?そうだな。しょぼい情報屋とでも言っておく。それじゃあ今夜な。」

 

 

 そう言うとサトシに背を向け、足早に去って行った。

 

 

 情報の価値というものを身をもって知ったサトシ。

 これが吉と出るか凶と出るか。

 

 それは今夜わかる。

 あの男はショーと言っていた。

 このハナダシティに劇場のような施設は無い。

 一番大きいのがハナダシティジムだが、バトルすることに特化したジムの設備に舞台も照明もメイクルームも無い。

 加えて一部の大人しか知らない内容。

 

 逆に言えば、ハナダシティの一部の大人は裏の世界について認知しているということだろうか。

 そうなればハナダシティという町そのものが随分と闇に染まりつつある。

 パッと見は平和そのものな町であっても、裏側ではどんどん闇に埋もれて行っていると考えるとゾッとする。

 

 とにかく夜になればわかる。

 まだ時間はあるし、夜に備えて一旦休んでおくことにしよう。

 

 まだ夕方にさしかかるか、という時分だったがサトシは買い物を済ませて早めに休むことにした。

 ピカチュウは元気すぎて到底休む気が無いように思われたが、寝れる状況ならすぐにでも寝るポケモンだ。

 環境適応能力が異常に高いのはいいことなのだが、なんか拍子抜けしてしまうのも事実ではある。

 

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

 

「お、来たな。待ってたぜ。」

 

「どうも。僕もちゃんとあなたが居てよかったです。」

 

「そんな騙し方はしねえさ。とにかく行こう。」

 

 

 男は腰かけていたベンチから腰をあげ、静かに歩き始めた。

 

 

 深夜零時。

 サトシは定刻通りに指定された場所に来た。

 ピカチュウは目立ってしまうとは思ったが、何があるかわからないので連れてきた。当然変装済みである。

 

 男はすでに待ち合わせ場所にいたが、暗闇に紛れており遠目からはいるかどうか判別がつかなかった。

 

 話しもそこそこに目的地に向けて二人と一匹は足を進める。

 

 数分歩くと男は立ち止まった。サトシも立ち止まり、その場所がどこか確認するために周囲を見渡す。

 大きな建築物が目の前にあり、それは昼間にも何度か目の前を通り過ぎた建物。

 

「ハナダシティジム?」

 

 件のカスミが待ち構えている場所、ハナダジムだった。

 

「そりゃあ、カスミのこととはいえこんな直球な。」

 

「ああ?ジムになんて入りやしねえよ。夜は閉まってらあ。こっちだ。」

 

 そう言うと男はジムの横壁を伝って建物の裏側へと進んでいく。

 人ひとり通れるくらいの幅はあるが、昼間はこの存在に気が付かなかった。

 もし認知できていたとしても、人が通る道だと判断するのは難しいだろう。

 ピカチュウもなんとか通れそうな幅だったので、そのまま男についていく。

 

 ジムの建物沿いに進み、ちょうど入口とは反対側。

 そこにも、入口と同様に扉があった。

 入口ほどしっかりとしたものではなく、片開きのドア一つだけ。

 ドアの横の壁にはカードを通すスリットがついた機械が設置されている。

 

 男がズボンのポケットからカードを取り出し、そのスリットに通す。

 音は出ず、代わりに緑色の小さいランプが一秒ほど灯ると、ガチャリとドアの鍵が開く音がした。

 

 男が手招きし、二人と一匹はそのドアをくぐる。

 

 

 ドアを通り抜けた先には黒いスーツに身を包んだ見るからに怪しい人物が立っており、こちらを見た。

 

 

 どんどん怪しい雰囲気になっていく現実にサトシはかなり滅入っていた。

 まさかこんなにもあからさまに怪しいなんて考えもしなかった。

 

 しかしお金を支払った以上、前に進むしかない。

 この短期間で七十万以上使ってしまっているのだ。

 これ以上お金を無駄にはできない。せめて使った分は価値として回収しないと先が思いやられる。

 

 半ばやけになっているサトシであった。

 

 

「どうも。遅い到着ですね。」

 黒いスーツの男が言う。

 

「ああ、ギリギリですまねえ。ゲストがいたもんでな。」

 

「ゲスト、そちらの子供ですか?」

 

「ああ。問題ねえ、裏の人間だ。」

 

「なるほど。ではこれを。」

 

「おう。じゃあ楽しんでくるぜ。」

 

「ええ、今夜も刺激的で情熱的な夜になるよう祈ってます。」

 

「祈るまでもねえだろ。じゃあな。」

 

 

 男たちがやりとりを終えると、手招きをするのを確認してサトシは歩くのを再開する。

 さきほどの話の内容も気になるが、とにかく今は実際に見てみるのが早い。

 

 

「こいつをもってな。絶対に無くすなよ?ここから出るときに回収すっからよ。」

 そう言うと、サトシに一枚のカードを手渡してきた。

 

「これは?」

 

「入場券だ。無くすとここから出られねえから気をつけな。」

 

 

 

 かなり物騒なことを言われたが、それだけセキュリティが厳重ということだろう。

 絶対に無くさないようにリュックの一番下に忍ばせる。

 

 

「じゃあいくぜ。」

 

 

 これから起こる出来事を待ちきれないと言うかのようにニヤニヤと笑う男に連れられ、先の見えない暗い階段をゆっくり踏みしめながら降りていく。

 

 なんだか既視感のある階段に、サトシは嫌な予感しかしなかった。

 

 

 



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第四十話 カスミという少女

ようやく登場。


 階段で地下へ向かう。

 

 そう、ニビシティジムでもこのような階段を下りた記憶がある。

 既視感はそういうことなのだろう。

 ということは、今から向かう先は裏のバトルをするためのフィールドへ向かっているのだろうか。

 

 しかし、この男はポケモントレーナーではない。

 仮にもしトレーナーだったとしても、わざわざサトシを連れてくる理由が無い。

 

 とすれば今向かっている先では何があるのか皆目見当がつかない。

 それもあとわずかで判明することなので、あまり深く考えても仕方がないとは思う。

 

 

「ついたぜ。ここだ。」

 

 

 いろいろとサトシが考えている間に到着したようだ。

 かなりしっかりした扉が設置されており、扉の奥からはざわついた人の声が少しだけ漏れている。

 

(人、がいるのか?でも一体・・・)

 

「あけるぜ。ついてきな。はぐれないようにな。」

 

 考える間も返事する間も無く、男はその重厚な扉に手をかける。

 ガコン、と大き目の音でロックが外れ、静かに扉を押し開く。

 隙間からはまばゆく白い光が漏れ、サトシの周囲を明るく照らした。

 

 

 

 

 

 

 

「「「ワアアアァァァァァァアアァアアアアアアア!!!!!」」」

 

 

 

 

 

 

 津波のような歓声。

 

 

 どれほど人がいるだろうか。

 中型のスタジアムのような形状をした地下闘技場にほぼ満席の観客達。

 おそらく二百か三百人はいるだろうか。

 真ん中の闘技場部分が下に窪んでおり、フィールドが一階、客席が二階とわけられている。

 地下なのに一階二階と不思議な感じもするが、とにかくそういう見た目なのだ。

 

 

 サトシが茫然と立ち尽くしていると、ニヤニヤ笑っている男が視界に入ったのでそちらを見る。

 

「ほら、こっちこいよ。席に案内してやる。」

 

 言われるがままに席に誘導されるサトシ。

 ピカチュウも興味深々なのか、きょろきょろと周りを見渡している。

 ちなみにこの場所では変装する意味が無いため、普通に全裸である。

 

 男に案内されたのは一番後ろの席。

 距離としては遠いが、観客席には傾斜がついているため、フィールドが見づらいということはなさそうだ。

 

 男が座った隣にサトシも座る。

 座席の後ろが通路なので、一番後ろなのはかえって好都合だったかもしれない。

 ピカチュウはサトシの後ろに胡坐をかいて陣取った。

 

「ちょうどはじまるぜ。ほらよ。」

 

 懐から双眼鏡を二つ取り出して、一つをサトシに渡してきた。準備万端のようだ。

 ここまできたらサトシをだましてお金を奪おうなんて気持ちがあったわけではないのだろうとも思えた。

 

 素直に双眼鏡を受け取り、歓声に覆われているフィールドに目を向ける。

 その時、黒いスーツの人物がフィールド中央に立ち、マイク片手になにかを話そうとしていた。

 

 

「レイディーースエンドジェントルメン!たいへん長らくお待たせ致しました!これより、ハナダシティジムリーダーカスミ様による非公式戦、チャレンジオープンマッチを開催致します!」

 

「「「ワアアアアアアアアアアアアア!!!」」」

 

 大歓声と共に拍手の嵐が吹き荒れる。

 サトシはその空気に圧倒されつつも、歓声で聞こえづらくなった司会者の声に耳を傾ける。

 

 

「ご存じの方が大半かと思われますが、説明しましょう!この非公式戦はカスミ様一人対チャレンジ権を持つポケモントレーナー全員とのバトルです。カスミ様に勝てた場合は賞金一千万円と、カスミ様を一日自由にできる権利が贈られます!くぅー、うらやましい!」

 

 

 もはや声とも音ともわからない大歓声が巻き起こる。

 耳がジンジン響き、頭がガンガン揺れ動く。

 熱狂はさらにエスカレートし、司会の男もヒートアップする。

 

 

「この非公式戦は半年に一度!すでに今大会で八回目となりましたが、未だにカスミ様に勝てたトレーナーは現れておりません!夜通し行われるバトルでチャレンジし、敗れたトレーナーは五十人を軽く超え、全員再起不能!しかし!しかしそれでもチャレンジを希望する馬鹿野郎共は後を絶たない!!今日も、今夜もそんなクソ馬鹿が集まってくれました!では皆様!お待たせしました!我らが最強の女王様、ハナダシティジムリーダー、カスミ様の!登!場!でございますーーー!!!!!!」

 

 

 もはや歓声というよりも狂乱と言った方がいいかもしれない。

 耳を塞いでも手を通り抜けてくる非日常の音楽。

 カスミの登場ということなので、ここで初めてサトシは双眼鏡を構え、フィールドを拡大して見始めた。

 

 

 

 狂乱に包まれた会場の中、ゆっくりとした足取りでフィールドに登場し、さらに盛り上がる会場など興味もないかのようにフィールドの中心へ向かう。

 中心に到着し、サトシのいる方向へ身体を向ける。結果的にサトシはしっかりとその表情と姿を拝めることになった。

 

 

「か、かわいい」

 

 

 控えめに言って、美少女だった。

 

 明るい茶色で染まったショートヘアを頭の左側にまとめて結わいている。

 活発で元気な子のようなイメージのヘアスタイルだったが、身長は一般的な男性よりも少し低いくらい。

 模様の無いシンプルな青いビキニの上に真っ白なフロントジップパーカーを羽織っており、水泳によるものか、バランスの良い締まったボディラインを惜しげも無く晒している。

 普段からあのような恰好でバトルをしているのだろうか。

 ボーイッシュな雰囲気を醸し出してはいるが、サトシよりも少し年上に見える。

 大人びた雰囲気と活発な見た目のギャップがその魅力をさらに高めているようだった。

 

 

 双眼鏡越しにじっくりとカスミを見るサトシ。

 となりの男も、うひょー相変わらず最高の体してるぜ、とかなんとか言って興奮しているようだ。

 

 大歓声の中、カスミが司会者からマイクを受け取り、話し始めた。

 

 

「皆、今日も集まってくれでありがと。大興奮していると思うわ。ワタシもよ。」

 あいている手を顔に持っていき、艶めかしい手付きで自分の唇を指で弄る。

 

「今夜も目を離さないでね・・・。ワタシがめちゃめちゃにしてあげるから、無様に乱れて、踊り死にするといいわ。ああ、ゾクゾクする。今から震えが止まらない。」

 腕を回し、自分の身体をギュッと抱きしめ、はぁ、と艶っぽい息遣いになる。

 

「早くワタシを自由にめちゃくちゃにできる素敵な人を待っているわ。お願いだから、あっさり倒れないでね?遊び足りなくって、幻滅しちゃうわ。せいぜいワタシを楽しませて。よろしくね。」

 

 

 いちいち色っぽい息遣いと話し方をするカスミ。

 そのおかげでバトルが始まる前から自分の席にしっかりと座っている人はごく少数になってしまった。

 少しでも前で見ようと観客席の前列はスーパーの大バーゲンのように人と人が入り乱れてごちゃごちゃになっている。

 おかげで後ろの方はがら空きとなっているため、サトシはゆっくりと双眼鏡に映るカスミの姿を凝視することができた。

 

 

 歩きながら観客席に向けて何度か投げキスをした後、カスミはフィールドから出て、その美しい姿を消した。

 

 

 カスミが見えなくなるまで双眼鏡にかじりつき、見えなくなってようやく顔を上げた。

 その様子を隣からニヤニヤと笑いながら観察してた男が声をかけてくる。

 

「どうだった?いい女だろ。」

 

「たしかに、かわいい・・・じゃなくて!」

 見惚れていたのは事実だが、ちゃんと訊くべきことは訊かねばならない。

 

「これからカスミとトレーナーがバトルするって、裏の?」

 半ば確信に近い問いではあるが、肯定をもらうまで安心できない。

 

「当然だろ。カスミの素の姿が見らえるのはこの半年に一度の非公式戦と、部外者が立ち入れない公式戦の時。あとはカスミが気に入った女の子に対してって話だ。」

 

「いくらカスミが強くても、一晩中裏のバトルを続けるって・・・正気じゃない。」

 

「ああ、狂ってやがる。だがさっきも言ってただろ。勝てたやつはまだいない。それだけ強力なのさ。ま、見てればわかる。」

 

 

 サトシの知る限り、裏の住人同士のバトルは血肉を削る激しいバトルばかりだ。

 続けて別のトレーナーとバトルをするなど正気の沙汰ではない。

 カスミは一晩で十人近いトレーナーと戦うという。それだけ腕に自信があるということか。

 

 しかしこれはチャンスでもある。

 サトシはカスミを公式戦で撃破する必要があるのだ。その戦い方を何度も見ることができるこの場所に居られることは、まさに願っても無い幸運といえよう。

 

 ありがたく利用させてもらうことにした。

 

 

「あの、おじさん?訊きたいことが二つほどあるのだけど。」

 サトシが眉根に皺を寄せて小声で言う。

 

「あん?なんだ改まって」

 

「まず一つ目・・・ごはんは売ってますか。」

 

 

 驚いた目でサトシを見つめる男。

 次第にしかめっ面が笑顔に変わる。

 

 

「プ、クックック。ああ、あるさ。その扉を出てすぐのところに売店がちゃーんとある。酒は買うなよ?」

 

 娯楽施設にはあってしかるべき、売店もあるようだ。これでおなかをすかせたピカチュウにどつかれることもあるまい。

 

「んで、もう一つは?」

 

「えっと・・・ですね。その、なんというか。勝つと、一日自由にできるって、ど、どのあたりまで?」

 

 

 もじもじしながら質問するサトシ。

 若干赤面しているのは、そういうことなのだろう。旅の最中とはいえサトシは十四歳。思春期真っ只中。

 カスミの美しい肉体に目を奪われ、いろいろなことを想像してしまったのは悪いことではあるまい。

 

 

「はっはーーん、なるほど。それを気にしてるのか。安心しろ、何からナニまでぜーーんぶだ。本人がそう言ってる。」

 

 

 それを聴いてさらに赤面するサトシ。かわいいものである。

 

 も、もういい、と言いながら手を振り、赤い顔をなんとか抑えようとしていた。

 

 なかなか元に戻らない顔の色を気にしながら、サトシはカスミのバトルが始まるのを待った。

 

 

 



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第四十一話 圧倒的な実力

実は一番好きなジムリーダーはカスミです。
かわいい。


「第一試合!カスミ様対ヒロミツ!もう間もなく開始です!お立ちの皆様はご自分の席へお戻りください!」

 

 ピカチュウが両手いっぱいに買ったポテトチップをサトシの席に積み、座れないじゃん、とサトシが独り言ちたところで司会の声が聞こえた。今からバトルが始まるようだ。

 

 サトシは一度自分の席を見て、うず高く積まれたお菓子の山を確認すると、溜息をついてピカチュウの横に立った。

 ポテチの袋をあけ、パリパリモグモグと一気に消費を始めるピカチュウを横目に、ざわざわと声が大きくなる観客の動きを見ながらバトルが始まるのを待つ。

 

 案内してくれた男は早々に缶ビールを一本開け、サトシと同じように試合を待っている。

 

 しばし無言でフィールドを眺めていた二人だったが、ふと気になることが思い浮かんだので時間つぶしに話しかけた。

 

「おじさん。」

 

「おう、なんだ。」

 

「おじさんはいつからハナダシティに住んでるの?」

 

「ん?そうだな、十年くらい前からかな。それがどうした?」

 

「その時のジムリーダーは誰だったの?」

 

「ああ、そこが気になってんのか。あんまりはっきりしたことはわかんねえが、カスミの姉妹だって噂だ。至極真っ当で、正義感溢れるそれはそれは模範的なジムリーダーだったそうだ。」

 

「・・・いつからカスミに?」

 

「そうだな、五年前ってとこかな。」

 

「なんでカスミがリーダーに?」

 

「そいつは・・・ああ、バトルが始まるぜ。」

 

「そんなきになるところで」

 

 

 あとでな、と気のない返事をすると同時に、大歓声が沸き上がる。

 

 

「それでは!カスミ様対ヒロミツのバトルを開始致します!!両名、前へ!!!」

 

 ヒロミツと呼ばれた人物とカスミが同時にフィールドに入場する。

 サトシからみて右側にカスミ、左側にヒロミツが歩いて入り、一定の距離を置いて止まった。

 

 カスミがフィールドに入ってきた瞬間、会場全体から「カスミ!カスミ!」のコールが鳴りやまない。

 なるほど、挑戦者にとってはかなりアウェイの空気になるのか。戦いづらいだろう。

 しかし勝てば関係ない。金も女も、勝てば手に入るのだ。

 なんて弱肉強食の世界。戦国時代にでも戻ったんだろうかなどと余計なことまで考えたが、その条件に生唾ゴックンしたサトシも例外ではない。

 その事に気づくと自分で自分を卑下したくなるというものだ。

 

 

「使えるポケモンは三体!勝ち抜き戦です!先に三体を下した方が勝利となります!ヒロミツトレーナー、是非とも大金とカスミ様を自由にできる権利を手にして帰ってくれ!」

 

 おそらく意識が高まったであろうヒロミツ。カスミという存在はそれだけ魅力的なのだ。

 

「それでは、バトル、スターーーーーーーートオゥウ!!!」

 ビーーーッ という大きな電子音が鳴り響き、より大きな熱狂と歓声が会場を包む。

 バトル開始だ。

 

 

 サトシは双眼鏡を片手に目を凝らす。

 カスミ打倒のヒントを得るために、一瞬たりとも目を離さないつもりだ。

 別にカスミの艶めかしい身体をずっと見ていたいからではない。

 

 撮影厳禁なのがくやしいところではある。違う、そうじゃない。

 

 自分で自分を説得し、バトルに集中しはじめた。

 

 

 

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

「どうだったよ?」

 

「どうもなにも・・・。」

 

 バトルが終わり、カスミコールが響く中で男がサトシに感想を求める。

 正直な感想は、すごすぎてわからない、だ。

 

 勝負の結果は当然カスミの勝利。

 しかも、完膚なきまでに叩きのめした。再起不能なほどに。

 

 

 次の対戦は十五分後です、というアナウンスを聞きつつサトシが何を話すか考えつつ感想を述べる。

 

 

 対戦相手――ヒロミツって人はカスミ対策をしてた。手持ちポケモンはサンダース、ウツボット、ナッシー。明らかに弱点を意識してる。

 対してカスミのポケモンはヒトデマン・・・のみ。

 二体目を拝むことなく、ヒロミツのポケモンは三体とも殲滅されてしまった。

 

 このフィールドは水場がほとんど無い。

 中央付近に円形にプールがあるが、全体をカバーする大きさとはとても思えない。

 あくまで水ポケモンを出すためだけの水場のようだ。

 そしてヒトデマンはその水場すら使うことは無かった。

 

 サンダースの素早い電撃攻撃を、身体を手裏剣のように回転させて高速で動いて回避。

 スピードスターがサンダースの足に当たった瞬間骨が折れたように曲がり、そのまま数発受けて瀕死。

 ウツボットはフィールド全体にも及ぶはっぱカッターを撒き散らし、見えないほどのスピードでようかいえきをピンポイント射撃。

 さすがに分が悪いと思ったら、身体を再度手裏剣のように回転させてはっぱを蹴散らしながら移動。

 ようかいえきが当たることもなく、ウツボットの至近距離へ着地。

 つるのムチで応戦するも虚しく超圧縮されたみずでっぽうで身体に何度も穴をあけられて瀕死。

 弱点だろうがこうかがいまひとつだろうが関係ない。単純な破壊力さえあれば何の問題もないということを示した。

 

 ナッシーも同様。ソーラービームもたまごばくだんも当たらず。鈍重なナッシーの周囲を飛び回り翻弄、スピードスターで原型が無くなるくらいボッコボコにして終了。

 

 見せ場どころか攻撃を当てることすら出来ていない。

 

 

 

「正直、凄惨すぎて見てられないレベルでしたよ・・・わかったのはヒトデマンを使うってことと、技構成がスピードスターとみずでっぽうは少なくとも持ってる。それくらいしかわかってない。一体どうすればいいのか全く皆目見当もつかないです。」

 

 半ばあきらめにも似た感情。事実、カスミは強すぎる。

 いくらか裏バトルの記憶が浮かんできたが、それと比べても練度の違いがわかる。

 弱点をついたパーティ構成、しかもかなり高レベルで高ステータスなドーピングポケモン達。

 あのヒロミツという人物もかなり熟練のトレーナーだと感じられる戦い方だったが、足元にも及ばなかった。

 それになんというか、ただただ痛めつけるバトルというわけでなく、演出しているようにも見えた。

 相手のポケモンが瀕死で済んでいるのもその考えに至る理由だ。

 

 

「あんた、カスミに挑むつもりなんだろ?」

 

「それくらい想像できてるでしょう、おじさんなら」

 

「はっはっは!ちげえねえ。んで、糸口はつかめたのか?」

 

「さすがに、なんにも・・・」

 

「まあまだまだバトルは続く。二十万円分、しっかり見ていくこった。」

 

「そうします・・・」

 

 

 この男はサトシを気にかけているようだった。

 単純に十四歳の少年をこんな場所に連れてきたので、保護者のつもりなのかもしれない。

 実はカスミの手の者で、サトシの内情を知ろうなどという輩の可能性はあったが、ピカチュウの存在が知れてる以上ほとんど隠すものなど何もない。

 素直にあたりさわりのないことを話している分には問題ないだろう、というサトシの判断だ。

 

 一通り話したいことも話したのか、酒を買ってくる、と言って男は一旦席を離れた。

 

 

 ピカチュウはバトル中こそその手をとめて見ていたようだが、今はまだお菓子を食べる手を激しく動かしている。

 ポイポイと口に放り込みとてもおいしそうに食べているので、サトシも自席に積まれているお菓子袋の山から一つ袋を取り、バリバリと開けて食べてみた。

 

 絶品しょうゆ味とかかれたスナック菓子は、しょうゆかどうかは微妙なところだが、味はなかなかにおいしかった。

 

 

 

「カスミのポケモンの一体はヒトデマン。スターミー以外は頻繁に入れ替わるってタケシさんが言っていたけど、スターミーの進化前のヒトデマンの戦い方が最初に見られたのはラッキーかもしれない。」

 

 

 当然、全く同じ戦い方などしないとは思うが。

 どの技も一撃必殺の威力を秘めているのはドーピングポケモンであればありえない話ではない。

 

 恐るべしは、ヒトデマンという進化前のポケモンをあそこまで凶悪に仕上げたカスミのトレーナーとしての能力の高さか。

 水ポケモンの特性や体質を完全に理解しているのだろう。

 伊達に水ポケモンを極めたハナダシティジムリーダーではないということか。

 

 まったく勝筋が見えないカスミに頭を抱えるサトシと、考えてるのか考えてないのかわからないピカチュウ。

 ある意味似た者同士かもしれない。

 

 うーんうーんとうなっているところへ、缶ビール片手に男が戻ってきた。

 

 

「おお、悩んでるな。素直に娯楽として楽しめないのは辛いところだなっと。」

 プシュっと缶を開けながらサトシの苦悩を笑う。

 

「・・・そうですね。そうだ、さっきの話の続き。」

 

「ん?なんの話だっけか。」

 

「やっぱり忘れてる。カスミがなんでリーダーになったかって話ですよ。途中だったでしょう。」

 

 

 バトル前に、男が途中まで話したことを思い出し、続きを促す。

 

 

「ああ、そうだったそうだった。別に大した話じゃないぜ。カスミが――――」

 

 

 すこし溜めて、なんでもないことのようにあっけらかんとサトシに向けて言い放つ。

 

 

 

 

 

 

「カスミが、自分の姉を殺してリーダーの座を奪ったのさ。」

 

 

 

 

 

 



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第四十二話 悪夢のはじまり

書き溜めが消えつつある。
みんな、オラにチカラ(評価と感想)を分けてくれ!
あ、読んでくれるだけでいいです。ありがとうございます。




「カスミが、お姉さんを殺した・・・?」

 

「ああ、そうだ。おっと、他人には言うなよ?ここにいる奴らでも知ってるのは少数だ。」

 

「それって僕にも言っちゃいけないんじゃ・・・」

 

「よそもんのお前が何を言ったところで町の人間は誰も信じやしないさ。噂が広がる前に消されるぜ。本人ごとな。」

 

「危険なにおいしかしない。しかしなんでそんなことを・・・?」

 

「さあな。そこまでは知らねえ。」

 

 

 とてつもない闇の部分を聴いてしまった気がする。

 カスミは自分とあまり年齢は変わらないように見える。その年で、実の姉を手にかけている。

 しかも動機が、ジムリーダーになるため?

 狂っている。常軌を逸している。

 実の姉であれば、しばらく待っていれば自分にもその立場になるチャンスなどいくらでも巡ってくるだろう。

 それでも、まだ少女の域を出ないうちに手を血で染めたのか。

 見た目の可愛さとは裏腹に、カスミは随分ととんでもない人間のようだ。

 

 いや、サディスティックと聞いた時点で敬遠はしていたのだけど、それ以上に。

 

 バリバリとポテチを食べ続けるピカチュウを横目に、カスミという人物について考えるサトシ。

 

 カスミが実の姉を殺してまでジムリーダーの座を奪ったのは何故なのか。

 権威?恨み?才能の誇示?なにかの反動で?正当防衛とか?

 いくら考えてもそういう動機しか思いつかない。

 

 しかし今のカスミは、パッと見は生き生きとしているように見える。

 ということはやはり才能の誇示だろうか。自分という存在を認められたい、という感情か?

 

 うーん、うーんとうなるサトシを、青春だねえとどうでもいいようなことを言いながらビールを空ける男性。

 

 そしてそのような時間も長く続くことなく、次のバトルが始まろうとしていた。

 

 

「皆様お待たせいたしました!間もなく第二試合、カスミ様対ノボルが始まります!お立ちの方は席へお戻りください!」

 

「お、はじまるな。次はどうなるかね、へっへ。」

 

「・・・」

 

 

 サトシは少し見るのに戸惑いを感じていた。

 正直言って、他人のトレーナーが使うポケモンであったとしても、ポケモンが過剰に傷つけられる様を娯楽として楽しめる感覚を持ち合わせていない。

 それどころか嫌悪感すら感じる。

 

 なんでここにいる大人達はこんなものをショーとして楽しめるのだろうか。

 ジムリーダーという強者が格下のトレーナーをいたぶっているだけ。

 お金と身体というわかりやすい賞品までぶら下げて。

 

 

 サトシにはまだ理解も承認もできないことだった。

 他人の不幸を見て笑う、自分ではない誰かが痛めつけられる様を見て満足する。

 強者が弱者をいたぶっていることを娯楽として感じ、金を投じ、アミューズメント、エンターテインメントとして楽しむ。

 カスミという未成年の少女を看板にし、金銭欲と性欲に溺れる。

 繰り広げられる光景はポケモン同士の殺し合い。

 トレーナーを絶対的に信用しているポケモン同士で戦いあい、潰しあう。

 どのような気持ちなのだろうか。

 ポケモン達は、トレーナー達は。

 

 自分の欲望のために生死を左右するバトルに放り込まれるポケモン達を、他人事として見ていることなどサトシにはできない。

 今まで、そのバトルで失われてきた命を知っている。

 相手のポケモンも、自分のポケモンも。

 

 しかも娯楽として。遊びとしてその命を散らそうとしている。

 

 カスミは演出しているようだが、その先が無いとは言い切れない。

 いや、十中八九、熱中し盛り上がったらポケモンの命が失われるだろう。

 

 いかに醜く、いかに残酷で、いかに気持ち悪いか。

 

 このバトルは狂気そのものだ。

 トレーナーも、観客も。

 

 ハナダシティの夜は狂気に包まれている。奇しくも、真っ当なポケモンマスターを目指すトレーナー達の目標であるジムリーダーによって、真っ当でない淀んだ空気が生み出され続けているのである。

 許されていいことではない。

 

 

 サトシは苦虫を噛み潰したような顔をしつつ、今まさにバトル開始となりそうな会場を見つめていた。

 

 

 

 

「双方、準備はできましたね?―――OK!それでは第二試合!カスミ様対ノボル、バトル、スターーーーーートオゥ!!!」

 

 今夜二度目となるけたたましい電子音と共に、大歓声が上がる。

 

 

 サトシは双眼鏡片手に、他の何も目に入らないと言わんばかりにカスミと、ノボルというトレーナーを凝視していた。

 

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

 

「あらあら、もうおしまい?ねえ全然満足できないわ―――もっと楽しませてよぅ」

 

「くっ・・・そんな馬鹿な・・・」

 

 

 唇に指を立てて、艶めかしく舌を動かして吐息を漏らす。

 頬は紅潮し、目も少し虚ろになっている。

 サディスティックな性癖というのは間違いなさそうだ。

 

 会場全体がカスミの色っぽい姿と仕草を見て興奮している。

 正確には二人を除いた、全員だが。

 

 一人はノボル。

 あと一体となった自分のポケモンが入ったモンスターボールを握りしめ、緊張感と焦りが最高潮に達した自分の心を静めている。

 

 そしてもう一人はサトシ。

 第一試合を上回る圧倒的な動きと攻撃力で瞬く間に二体のポケモンを瀕死状態に追い込んだヒトデマン。

 

 見た目的には通常のヒトデマンと大差ないのに、トレーナー次第でここまで違うものなのか。

 ポケモンバトルは単純にポケモンの強さのみではないということを、暴力をもって知らしめるカスミ。

 

 その光景はある種、滑稽といってもいい。

 巨大なドーピングポケモン達を、星形の進化前ポケモン一体が翻弄し、蹂躙する。

 サトシとしては奥歯をギリギリとかみしめるほどの惨状ではあったが、娯楽として楽しめる人間からすると、まさに他人の不幸は蜜の味のようだ。

 何か所かから死ねだの殺せだの物騒な言葉まで出始めた。

 まだ二試合目だというのに、会場の熱狂は最高潮だ。

 

 サトシは苦悩の表情でバトルフィールドをじっと見つめている。

 

 

 

「最期のポケモン・・・楽しませてくれる?ねえ、もっと私のヒトデマンにいじめさせてよ・・・・カタくてハヤくておっきいポケモンはいないの?」

 

「くそが!やってやる!せめて一矢報いてやる!」

 自分で自分を奮い立たせるノボル。

 叫びすぎてカラカラに乾いた喉で、ガラついた大声で叫ぶ。

 

「いけ!フシギバナ!!!」

 

 赤い光と共に現れる巨体。通常の大きさは二メートル程だが、このフシギバナは一回り大きく三メートルはあろうか。

 背中についている大きな花も、本来は美しく咲く花びらだが、その色は漆黒。

 四枚の巨大な葉っぱの上に咲き誇る花は境目が見えないほどの黒に染まり、毒々しさと禍々しさを同時に演出していた。

 

 

「あああーーーー!さいっこう・・・!いいポケモンだわ。うん、決めた。」

 

 怪訝な顔をするノボル。

 決めた?何を?どうするつもりなのか?

 

 

 

 

 

「今日最初のエ・モ・ノ♪フシギバナをその黒い花に負けないくらい血の色で染めて、ブチ殺してあげるぅ!!きゃはは!!」

 

 

 

 今夜初めて嬉しそうに笑顔を見せるカスミ。

 無邪気で、無垢で、凶悪で、邪悪で、残酷な笑顔を浮かべる少女。

 

 

 ハナダシティ非公式戦、さらなる熱狂に包まれながら夜は過ぎていく。

 サトシはずっと、ひと時も目を離さずフィールドを見つめ続ける。

 

 

 

 

 



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第四十三話 血の匂い

みじかめ


 温度も湿度も上がる。

 サトシの額にじわりと浮かぶ一滴の汗。

 

 フィールドを取り囲む観客席から溢れ出る歓声という狂気の波。

 温度と共に高まるその波は、耳だけでなく感情も支配していく。

 

 気持ちが高まり、理性の制御ができなくなる。

 感情の赴くままに声を発し、腕を振り上げ、床を踏みつける。

 

 その中にいるサトシも、例外ではない。

 感情の制御ができなくなりつつある。

 ただし、喜でも楽でもない。

 サトシを支配するのは狂気に対する嫌悪と、カスミに対する恐怖。

 

 カスミは殺すと言った。恨みも無く、動機も無い。

 ただただ楽しむため。自分の性癖を満足させるためだけに、殺す。

 

 このショーは、観客を喜ばせるためだけのものではない。

 あくまで、カスミ自身の欲求を効率良く解消するための催しごとなのだ。

 

 カスミの発言は、その表現を確信とするに等しいものだった。

 

 じっくりと浸み込む闇の空気を吸い込むと、カスミは歓声に満足したのか動き始める。

 

 

「いくわ。ヒトデマン、スピード――――」

「させるか!フシギバナ!『やどりぎのたね』!」

 

 ヒトデマンに行動させる前に対策をする。やどりぎのたねは徐々に相手の体力を奪う技だ。

 通常であればその吸い取る量は微々たるものだが、果たしてトーピングポケモンになるとどうなるのか。

 

 

「バナーーー!!」

 黒く巨大な花が開き、ヒトデマンに向けてピンポン玉のような、これもまた漆黒の種を撃ち出す。

 

 いや、おそらく打ち出したのであろう。

 歓声にかき消されて音は聞こえないため、必然的に視覚に頼った見学になる。

 しかし、打ち出されたはずの種は全く見えない。

 一瞬不思議に思ったが、次の瞬間にはヒトデマンの足元と、星形の端の一部が粉々に吹き飛んだ。

 

 さらにその攻撃は物理的な破壊力だけではなく、副次的な効果をもたらす。

 粉々に吹き飛ばした足元と胴体から、一瞬で太く頑丈な蔓が伸びあがり、ヒトデマンに絡みつく。

 

 いままさに動こうとしたヒトデマンは出鼻を挫かれ、その場でバランスを崩す。

 さらに勢いを増す蔓の群れ。

 ヒトデマンの体力を吸い取る魔の手は身体の半分を覆う勢いだ。

 

 

「フシギバナ!ソーラービーム!!!」

「バナアア!!!」

 

 

 動けなくなったヒトデマンを確認し、これ以上のチャンスは無いとばかりに草タイプ最強の一撃を繰り出す準備を始める。

 ここは地下のため、照明は強いが太陽光は当然はいってこない。

 ドーピングによって短縮化されているとはいえ、数秒のチャージ時間がある。

 

 それでも、強力なやどりぎのたねによって束縛されたヒトデマンには成す術など無い。

 ソーラービームの破壊力は誰もが知るほどの威力。

 直撃すれば跡形もなくなる程だろう。その威力を信頼し、殲滅できると確信しているからこそ、ここで数秒の時間を消費しても良いと判断した。

 

 当たれば勝てる。

 カスミに一矢報いることができる。

 

 ノボルの鼓動は過去最高の速さと音を出しているようだった。

 ソーラービームが放たれるまでの数秒。

 

 ここまで長い数秒が過去にあっただろうか。

 緊張感から笑みすら出てくる。

 これでヒトデマンを倒せる。

 もうすぐフシギバナのチャージが終わる。

 それで終わりだ・・・!

 

 悲劇で顔が歪んでいるだろうか。そんなことを少しだけ期待してカスミの顔を見上げる。

 

 ・・・?

 

 

 笑顔だ。

 

 

 カスミは笑っている。

 しかも、先ほどの紅潮した顔よりも、もっと甘く、甘美なものをみるかのように。

 笑みというよりも、歪み。

 興奮し、息があらく、耐えきれないという風。

 

 すべての感情が高まりすぎて、かわいい顔が歪んでいるようだ。

 

 

 あと少しでソーラービームが放たれる。それなのに、あの顔は一体なんなのか。

 一体・・・・・――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ヒトデマン、『バブルこうせん』」

 

 

 

 

 

 

 

 ヒトデマンの前に、急速に回転する泡が一つだけ生成される。

 泡は一気に膨れ上がり、その大きさは一メートルを超える巨大な球体になった。

 

 虹色に光を反射する巨大な泡。

 不気味にぐるぐると回転する球体が、途端消えた。

 

 

 そして次の瞬間、フシギバナの顔が消えた。

 

 フシギバナの後ろにいた、ノボルというトレーナーも、頭部と、足の膝から下を残して、跡形も無く消えた。

 

 

 

 静まり返った会場に、ボトリ、という頭が落ちた音が響く。

 頭部から臀部まで直径一メートルの穴があいて空洞になったフシギバナが、その大きな漆黒の花を支えることができなくなり、崩れ落ちた。

 

 

 

 その光景を、興奮のあまり立つことすらできなくなったカスミが、地面に膝をつき、自分の身体を抱きしめ、震え、顔を真っ赤にしながら眺め、こう言った。

 

 

 

 

「ああ・・・・さいっこう・・・・・」

 

 

 

 

 

 



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第四十四話 不幸の使者

 数秒の静寂の後、会場は再度熱狂に包まれた。

 

 やったぜ!第一の犠牲者がでたなへっへ!みろよあの様!カスミ様のバブル光線は最高だ!ビビったまま死んじまったな!綺麗に穴空いてるぜフシギバナ!マジ笑える!!死んだ死んだ!歓喜に震えるカスミエロい!ああーたまんねえ!

 

 ――――――

 ―――

 

 

 

 何も耳に入ってこない。

 

 フィールドでは、朽ちていくやどりぎのたねをまとったヒトデマンと、振るえる自分の身体を包み込むように抱えるカスミと、血をびゅーびゅーと吹き出すノボルのものだった頭部と、大きい漆黒の花が、それぞれの存在を主張している。

 

 サトシは、人が目の前で死ぬ瞬間に立ち会うのはこれで二度目のことだった。

 トキワの森のキャタピー使い、虫取り少年が一人目。

 自分の相棒、キャタピーに胴体をブチ抜かれ、内臓を草むらにばら撒いた。

 

 そして二人目。

 フシギバナごとヒトデマンのバブル光線にまきこまれ、粉々に弾け飛んだ。

 消えたとしか思えない程、粉々に。

 

 バブル光線とはまさに対象をバブルのように弾けさせる攻撃のようだ。

 直撃を受ければ、誰であろうと助からない。驚異的な技であるとともに、カスミの代名詞的な技。

 

 

 会場の観客は、これ以上の娯楽はない、とばかりに叫び、笑い、中傷し、貶している。

 ノボルというトレーナーが二十メートルの綱渡りから落ちたピエロであるかのように、その存在そのものを滑稽だと笑っている。

 

 サトシにはそれが、何よりも気持ち悪く、許せないことだった。

 裏の世界に入った。

 確かに、結果だけみたら命のやり取りを前提としてこの世界にいるのだろう。

 ヒロミツも、ノボルも、自分も、そういう意味では全く同じ。

 

 境遇は違えど、立場は同じ。

 ゆえに、いつだれがノボルのようになるかはわからない。

 

 

 サトシは再度味わう死の匂いを感じ、吐き気をもよおし、口を押えその場に座り込んだ。

 おいおい、大丈夫か?と声をかける男性を無視し、この空間そのものに嫌悪感を抱いたサトシは、一刻も早くこの場を去りたかった。

 

 もう駄目だ、カスミのバトルを見ようと思ったが、これ以上は無理・・・―――

 自分の精神が持たない。

 このままだと発狂してしまう。人とポケモンの死に近づきすぎている。

 

 ピカチュウを連れて、もうこの会場を出よう。うん、それがいい。

 

 

 

 ここまで考え、ふと気づいた。

 

 

 

 こういうとき、真っ先にサトシの心配をしてくれるピカチュウの気配がない。

 いや、心配してくれているかはわからないが、少なくとも近くにはいつもいた。

 あの大きな手も、すべてを安心させてくれるポーカーフェイスも、傍に無い。

 

 吐き気がありつつ、顔を上げて周囲を見渡す。

 すぐにでも見つかりそうな黄色い巨体が、見つからない。

 

 サトシの座席にうず高く積まれたお菓子の山も、そのままだ。

 

 動悸が早まる。

 ピカチュウが、無断でサトシの元を離れるときは、大抵厄介事になってはいなかったか。

 タケシの件、コイキングの件、両方ともかなりサトシにとっては致命的な行動に他ならない。

 結果だけみればうまくいったと言えるかもしれないが、それは偶然だ。

 こんなことがずっと続いたら命もお金もいくらあっても足りない。

 

 バクバクする心臓を無理やり押さえつけ、サトシは吐き気を押えながらフラフラと立ち上がり、もっとよくピカチュウを探そうと歩きはじめようとした。

 

 バトルの前までは居た。

 バトル中は集中していて、まったく周りが見えていなかった。

 そのことを悔やみながら、ピカチュウを探す。

 

 

 その時、フィールドのマイク越しにカスミの声が聞こえた。

 

 

 

 

 

 

「あなたは誰のポケモンかしら?」

 

 

 

 

 と、少々の驚きを孕んだ声で誰かに話しかけていた。

 

 

 再度静まり返る会場。

 

 カスミの視線の先。

 まだ会場の照明が届かないバトルフィールドの入口から、のそのそと何かが出てきた。

 

 静まり返った会場に疑問を抱いたサトシも、その視線の先を追う。

 

 

 

 黄色くて、膨れ上がった筋肉の鎧を抱く、ニッコリとしたポーカーフェイスをもった、先ほどまでポテチを食べていたサトシのピカチュウがそこにいた。

 

 

 

 

「え、は?」

 

 

 

 毎日みているその姿。

 見間違えようハズが無い。

 仮にドーピングされたピカチュウが他にいたとしても、人型にはならないハズだ。

 オーキド博士も言っていたではないか。

 あれば突然変異的に変化したと。

 

 あのピカチュウは、間違うことなくサトシのピカチュウだ。

 

 

 そのピカチュウが、なぜか主人の元を離れ、カスミのいるバトルフィールドへひょっこりと顔を出した。

 何がどうなっているのか全くもって理解できない。

 わかったことといえば、ピカチュウがまた厄介事をサトシの元へデリバリーしてくれたということだ。

 

 観客達の表情は様々だ。

 唖然としている者、これから何がおきるか興味深々の者、ショーの邪魔をするなとイラつき顔の者、カスミがどう出るか楽しみにしている者。

 

 カスミ自身もこの展開は予想していなかったようで、先ほどまでの恍惚の表情を少し抑え、黄色いポケモンの出方を伺う。

 

 

 

 

「・・・・――――-!!おじさん!あそこにはどうやっていくの!?」

 

 観客同様に唖然としていた男が、サトシの声に反応して自分を取り戻す。

 

「え?あ、ああ、そこの扉の、Bの階段を降りればいけるぜ―――ってか、おい、どうなって・・・」

 

「ありがとうおじさん!」

 

 男性の言葉を最後まで聴くことなく、サトシは駆けだした。

 余計なことをする前にピカチュウを止めなければ。

 すでにしでかしてしまってはいるが、今はショーの真っ最中。

 ポケモンのトレーナーがイレギュラーを謝罪すれば、いったんは事が収まるハズ。

 

 甘い考えかもしれないが、このままピカチュウがやらかしてしまうよりも、時間が稼げるはずだ。

 あのヒトデマンは危険だ。タケシも強かったが、あれとはまた別の強さを持っている。

 それに作戦も何もない。

 というかああああもう!なんで勝手にこんなことするんだああああああ!!!!!!!!

 

 

 叫びたくなる衝動を薄皮一枚で我慢しながら、サトシは全力で階段を降り、フィールドへ続く道をただひたすらに走った。

 

 

 

 そして、ピカチュウの元へたどり着いたときには、手遅れだったと痛感することになった。

 

 

 

 

「あなたがそのピカチュウのトレーナーね?いいわ、相手してあげる。こういうイレギュラーに対応するのも、エンターテインメントの面白いところだと思うわ。」

 

 

 

 サトシが息を整えている間に、いろいろと言われてしまった。

 観客が沸き上がり、状況的に何か言い返すわけにもいかなくなってしまった。

 言い返したところでピカチュウは戦う気満々のようであったが。

 

 

「ふふ、ねずみポケモンであるピカチュウが人型になるなんてね。どういう育て方をしたのかしら―――いじめがいがありそう・・・!」

 

 

 ああーーー完全にスイッチはいってるよこの人。

 やるしかないのか。

 

 

 

「いきなさい、ヒトデマン!さんざん苛め抜いて、穴だらけにしてあげましょ!!あはは!!」

 

 




やはりやらかすピッカピカ。


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第四十五話 圧倒

「ねえピカチュウ、なんで君はそんなにも僕を困らせるの・・・」

 

「ピッカー」

 

 

 相変わらずの笑顔。もはや怒る気力すらない。

 

 現在、二回の試合によって荒れたフィールド―――肉片や血の跡をざっくりと清掃している。

 

 せめて、バトルだけに集中させてあげるわ。掃除が終わるまでに、辞世の句でも考えておくのね。とカスミが指示を出した結果である。

 

 余計なお世話だと思いつつ、時間が少しでも増えるのは御の字だ。素直に従うことにした。

 そして一体なんの意図があって、ピカチュウがいつも暴走するのかを本人に訪ねているところである。

 当然返ってくる言葉は「ピ」と「カ」くらいなものだが。

 

 

 

「間もなく清掃が完了致します!非公式マッチ始まって以来初!飛び入りトレーナーのサトシ!本来ありえない采配ですがこれも一興ということで、特別にカスミ様が許可致しました!皆様、余興としてお楽しみください!間もなくバトル開始となります!」

 

 

「ちぇっ、余興だってさ。ピカチュウ。」

「ピカー」

 

 ピカチュウが傍にいるからか。だんだん落ち着いてきた。

 今はバトルに集中しなければ。

 ただでさえトレーナーの実力差があるバトル。

 

 カスミは、水ポケモンについて熟知し、且つ自分の操るポケモンにおいては全ての能力を発揮させることができるだろう。

 それに対してサトシ。バトルはほぼピカチュウ任せであり、持っているポケモンもレベルが低い。

 ぶら下げているモンスターボールに入っているのもノーマルポケモンが大半。

 ・・・一部頑丈なまな板がいるが。

 

 兎に角、短い時間ではあるが作戦を練らないといけない。

 まったく思いつかないし、思いつく気もしないのはご愛嬌と言うべきか。

 

 飛び入りだし、殺されるってことは・・・ないよね?

 あーでもカスミ張り切ってるし。熱の入り具合によっては危険かもしれない。

 

 っとそうじゃない、作戦は――――「それでは!カスミ様対サトシ!!バトル開始します!!両者前へ!!」

 ――――行き当たりばったり!

 

 

 もはやなるようにしかならない。

 不安だし心配だし怖い。

 しかしやるしかない。

 大丈夫。ピカチュウがいれば、なんとかなるって。

 

 そんな甘すぎる考え方に自分に嫌気がさす。

 先ほどのバトルを見て、よくもまあなんとかなるなどと思いつくものだ。

 よっぽどお花畑な脳内をしている。

 ただ、実際のところ妄想にすがるしかサトシにできることはない。

 戦略も作戦もない。強いポケモンはピカチュウだけ。

 電気技も回避される。バブル光線が直撃すれば粉々に爆散する。

 

 一体これを絶望と言わずなんというのか。

 足がガタガタ震えながら、フィールドをゆっくり歩きながら、指定の場所についた。

 

 

 カスミを正面に見る。

 双眼鏡越しでもそのかわいさはわかったが、実際に目の前にすると、なるほどかわいい。

 戦闘間際になってもそのような感情を抱いてしまうのは、魔性の美しさと言うべきか。

 意味も無く見惚れてしまう。

 サトシが見惚れたところでピカチュウにはそんな感情は無さそうなので、バトルに影響は無さそうではある。

 

 

 とにかく今はピカチュウを信じるしかない。

 まったく弱点の見えないヒトデマン。

 でも今は先ほどのフシギバナ戦で負った傷もそのままだし、きっとなんとかなる!

 

 

 

 

 サトシとカスミが向き合って立つ。

 中央に水のプールがあり、それを中心にピカチュウとヒトデマンもお互いをにらみつける。

 

 観客の暴力的な声援は増す一方だが、今は全く耳に入らない。

 目の前の現実に集中している。

 

 

 

「それでは特別戦!カスミ様対サトシ!バトル、スターーーートオゥウウ!!!」

 

 

 

 三度目となる、ビーーーッという無機質な電子音を聞く。

 過去二回、全く同じ音を聞いているが、聞く立場が違うだけでこんなにも異質なものになるのかと、サトシは不快な感情を隠すつもりもなく顔に出していた。

 

 

 

 バトル開始と同時に、カスミが動く。

 

「余興とはいえ、たっぷり楽しませてもらうわ!ヒトデマン、たいあたり!」

 

 

 ヒトデマンは手裏剣のように身体を回転させ、ピカチュウに向けて高速で移動してきた。

 あの回転はたいあたりの応用だったのか、と今更ながら思い、ただのたいあたりをあそこまで凶悪な技へ昇華させたカスミの手腕に素直に関心する。

 性格は褒められたものではないが。

 

 

 ピカチュウにせまる高速回転する物体。

 サンダースの電撃もすべて回避された攻撃方法。

 ピカチュウは一体どのように対応するのだろうか。

 

 

 サトシには見守ることしかできない。

 

 

 

 

 

「ピッカー」

 

 

 

 

 

 迫るヒトデマンに対し、ピカチュウがとった攻撃方法はシンプルだった。

 

 水ポケモンの弱点は、電気。

 

 

 そのセオリーに則って、それ通りに攻撃した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 バトルフィールド一帯が、光に包まれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 回避不能。それがピカチュウの出した答え。

 

 

 

 

 

 しかしこれだけの範囲を攻撃するのは容易ではないし、ピカチュウの消耗も激しい。

 そのデメリットを、なるべく威力を落とすことで対応した。

 

 ピカチュウの狙いはヒトデマンの動きを止めることだけ。

 

 一瞬の回避不能な電撃で、動きが止まったヒトデマン。

 その次の瞬間には、ピカチュウがヒトデマンの身体を握りしめ、フィールド中央のプールへ叩き込んだ。

 

 

 

 バシャーーーン という水が弾ける音が聞こえ、その後プール全体からバリバリバリという音と共に光が漏れる。

 

 

 サトシが気づいたときには、真ん中のプールに黒焦げになったヒトデマンがプカプカと浮いてきていた。

 

 

 

 会場全体が静まり返る。

 

 あっという間の出来事に、思考が追いついていく人間が存在しなかった。

 唯一平常運転だったのは、黒焦げになったヒトデマンを満足そうに眺める黄色い巨躯のみ。

 

 

 あれほどまでに数多くのポケモンを翻弄し、沈めてきたヒトデマンがものの数秒で圧倒されてしまった。

 その事実を認めることがどれだけ難しいか。観客全員が知っている。

 弱点を突かれても、そんなものは関係ないとばかりに圧倒的な力をもって潰してきたヒトデマン。

 皮肉なことに、弱点属性によって倒されてしまった。

 

 

 

 一番先にその現状を把握したのは、カスミだった。

 

 

 

「・・・なかなかやるわね。私のかわいいヒトデマンを黒焦げになんて、ひどいわ。ヒトデマンの弱点、見抜いていたのかしら。」

 

 

 

 弱点?とサトシは首を傾げる。

 そんなものがあったのだろうか。

 電撃、のことじゃないだろう。あらためて確認することでもない。

 じゃあ、今までの戦いでヒトデマンの弱点がわかるような出来事があっただろうか――――――あ、まさか・・・

 

 

 

「やどりぎのたね・・・・?」

 

 

 

 やどりぎのたねは本来攻撃用の技ではない。

 キャタピーのいとをはくの事例もあるが、致命傷を与えるほどのダメージを生み出すのは考えづらい。

 

 にも拘わらず、ヒトデマンは身体の一部が弾け飛び、損失している。

 防御に関してドーピングをしているのであれば、ダメージこそ受けても身体の損失にはならないハズだ。

 

 

 ヒトデマンの攻略法は、とにかく一度でも攻撃を当て、その隙を攻めきる。

 それをピカチュウは読んでいたのだろうか。

 

 顔をみてもニッコリしているだけなので真意はわからないが、とにかくピカチュウはヒトデマンを撃破した。

 これは喜んで良いに違いない。

 

 

 

「やった!すごいピカチュウ!」

 

「ピッカー」

 

 

 諸手を上げて喜ぶサトシ。

 バトルはまだ序盤戦だ。

 しかもピカチュウが破れたら後がないサトシにとっては常に大将戦。

 背水の陣なのはサトシの方なのだが、それでも喜ばずにはいられなかった。

 

 

 喜ぶサトシを、冷めた視線でみやるカスミ。

 

「油断、とは違うわね。あのピカチュウ、並じゃないってことか。ちょっと予定が狂っちゃった。」

 ぼそぼそと独り言をするカスミ。

 

 

 その時まで、誰も気づくことがなかった。

 カスミが現在持っているポケモンは、一度にもてる最大数の六体だということに。

 

 

 

「非公式戦で、まさか本気のポケモンを使うことになると思わなかったわ。」

 

 

 

 カスミは手に持っていたモンスターボールを、入れ替える。

 本来出す予定の無かった、公式戦用のボール。

 

 

 喜ぶサトシを見て、再度笑みを浮かべるカスミ。

 

 

 

「いいわ、その顔、悲痛に歪ませてあげる。格の違いを見せつけてあげるわ。」

 

 

 

 そう静かに言って、切り替えたモンスターボールをフィールドに投じた。

 

 

 

 

「いきなさい!ニョロボン!」

 

 

 

 

 赤い光と共に、二メートルを超え、頑強な筋肉に包まれた、人型のポケモンが姿を現した。

 その姿は、筋肉に包まれた黄色いポケモンと、かなり似通った体型をしていた。

 

 

 

 

 

 




カスミ手加減から本気モード


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第四十六話 物理対物理

 ニョロボン おたまポケモン。

 

 珍しい、水と格闘タイプを同時に持つ。その見た目はより暴力的になり、独自のコンビネーション攻撃を行う。

 

 

 

「ニョロボン・・・本来は一メートル少しくらいしか身長はないはずだけど、やっぱり規格外なのか。」

 

 

 

 見た目だけ簡単に表現するならば、頭部の無いボディビルダー。

 体型はかなりピカチュウに近い。身長も同じくらいだ。

 ニョロボンの方が若干背が低いと感じるのは、頭部が無い所為だろう。

 もっとも形としての頭部がないだけで、胴体の上の部分にはぎょろりと鋭い眼光を覗かせる二つの目がその存在を主張している。

 愛嬌の欠片も無い、ただただ不気味な姿だ。

 胴体はぐるぐると不思議な文様がついているが、そこから伸びる四肢はしっかりと作りこまれ、一撃で相手に穴をあけてみせるという気概すら感じられた。

 

 

 

 会場がざわついている。

 あれだけ猛威をふるったヒトデマンが一蹴されてしまったこともあるが、なによりカスミの二番手、ニョロボンの存在だ。

 

 

 サトシは知る由もないが、カスミはこの非公式戦においてニョロボンを出したことは無かった。

 後半戦になれば、一番手も疲労により倒されることはままあった。

 しかしその都度出してきた二番手は、ヒトデマン同様に進化前のポケモン達。

 タッツーであったり、シェルダーであったり、トサキントであったりした。

 

 それでも驚異的な強さを誇り、三番手まで出したことは過去に一度だけ。

 カスミにとっては圧倒的な実力差でもって、時間をかけていたぶり、最期に絶望に叩き落とすことに快感を覚えている。

 つまるところ、カスミが本気のポケモンを出すことは、ある程度実力が拮抗しているということを自ずから認めることになる。

 不快極まりなかったが、それでもカスミは自分のポケモンの強さに圧倒的な自信を持っている。

 

 自分のポケモンが負けるはずはない。

 

 特に自分が集中的に鍛えている数体のポケモンについては、誰にも負けない。

 その自負があるからこそ、力をもって力を制する必要があると感じた。

 

 

 すなわち、筋肉には筋肉。

 あの筋肉の塊を、自分の自慢のポケモンで制し、地べたに這いつくばらせた時にこそ、最大の快感を覚えることができよう。

 

 

 

「思い知るがいいわ。上には上がいるということを。」

 

 カスミが不敵な笑みを浮かべる。

 

 

 

 会場は、先の二戦とはうってかわって静かだ。

 カスミの演出によって大きな盛り上がりを見せるこの非公式戦。

 しかしそのエンターテインメントショーには異物が紛れ込み、いままさにこの空間にあるべき空気を蝕んでいる。

 

 

 居心地の悪さを身に覚えながら、サトシはバトルフィールドを見守る。

 

 

 

「ニョロボンは力の強いポケモン・・・でもタケシの岩ポケモンみたいに、耐久力に優れたポケモンじゃない。回避しつつ、攻撃を当て続ければ。」

 

 しかも、属性は相変わらず水。電気タイプが弱点であることに変わりはない。

 決まり手がピカチュウの方が多いのだから、油断さえしなければピカチュウが負けることは―――――

 

 

 

 

 

「ニョロボン、『かげぶんしん』」

 

 

 

 

 カスミの一言に応じたニョロボン。

 

 特に変化が無いと感じたのは一瞬のみ。

 

 目がぼやけているのかと思ったが、そうではないらしい。

 ニョロボンの身体が徐々にぶれていき、完全に二体になった。

 

 

 

「・・・・・??」

 

 

 目を疑った。

 かげぶんしんという技は確かに聞いたことがある。

 しかし、あそこまで明確に分かれるものだろうか。

 

 驚いたのも束の間。

 ニョロボンはその姿をさらに四つに増やしていた。

 そしてさらに倍、その倍と増やしていき、最終的には十六体のニョロボンがフィールドを埋め尽くした。

 

 

 

「・・・・・・・・」

 言葉がでない。

 サトシとピカチュウの目の前には、二メートルを超える巨体が十六体存在しているように見える。

 

 かげぶんしんという技の特性上、本体は一体。

 しかし、この十六体が同時に攻撃を仕掛けてきた場合、その中から本物を見つけることなどできるのだろうか。

 

 ピカチュウの電撃なら攻撃を当てることはできるかもしれない。

 しかし、電撃に対しての防御方法をカスミが放置しておくなど考えづらい。

 しかも十六体を同時に攻撃しなけばならないのだ。

 無駄なエネルギー消費が多すぎる。

 

 

 

 ヒトデマンなど比較にならない。

 これがカスミ。ハナダシティジムリーダーのカスミなのだ。

 

 こちらが絶望すれば、カスミは恍惚の表情を浮かべる。

 なるほど、これは確かに精神にくる。

 

 

 サトシが十分に絶望したところで、ピカチュウが前に出る。

 

 

「ピカチュウ・・・?大丈夫なの?」

 

 思わずサトシが問いかける。

 

 

「ピカピカー」

 

 

 返ってくる返事は、いつもと変わらずそれだけだった。

 

 

 

 

「いきなさいニョロボン!『メガトンキック』!」

「ニョロボーン!!」

 

 

 

 メガトンキック。言わずもがな、ものすごく強い蹴りである。

 タケシのサイドンが使っていたのはメガトンパンチ。

 メガトンキックは、それよりもさらに高威力になる反面、命中率が下がる。

 しかしこの状況。十六体のニョロボンが放つメガトンキックをどう回避すればいいのだろうか。

 

 

 影分身と、本体の違い・・・それは・・・・――――!!!

 

 

 

「ピカチュウ!右から四番目だ!」

 耳をピクっと反応させ、サトシの声に応じる黄色い巨体。

 

 すぐさま回避行動をとる。

 

 

 ズッガアアーーーーン!!!

 

 

 数体のニョロボンのメガトンキックがピカチュウに突き刺さる。

 しかしそれは物理的なダメージを残すことなく、その姿を消す。

 

 反面、ピカチュウが直前までいた場所には大きな衝撃音に見合う、砕けた地面があり、実体を持つニョロボンがギロリとピカチュウを見る。

 

 

 

「あら、よくわかったわね。」

 特に驚くわけでもなく、カスミがサトシに問う。

 

 

「影分身には影が無い。この強い照明の下だと、その違いははっきりでる。―――運がよかった。」

 

「なるほどね。でも、次はそうはいかないわ。」

 

 

 事実、それがわかったからどうなるわけでもない。

 影分身の脅威は、単純にその見た目による圧力。

 ただでさえ威圧感のあるニョロボンが複数体迫ってくるのだ。

 その迫力は、いくら影分身とわかっていても平常心でいられるものではない。

 

 

 たった今の邂逅は前哨戦に過ぎない。

 そもそも裏の住民同士におけるバトルは、技と技の応酬という綺麗なものではない。

 

 名前もつかないような暴力同士がぶつかり合う血肉を削る争いなのだ。

 殴り、投げつけ、蹴り上げ、叩き付ける。

 そんな生々しい争いこそ、本来の裏バトル。

 見た目が派手で演出効果のある戦いに意味はない。

 

 お互いのポケモンもそれがわかっているようで、下手なことをすることなく、ジリジリと近寄っていく。

 

 

 

 

 重い空気。

 先ほどまで痛いほどあがっていた罵声も歓声も、今ではまったく聞こえない。

 過去にない展開に、観客すら緊張感をもってこのバトルを見守っている。

 

 

 まだ余裕そうな顔をしているカスミと、額から汗を流し歯を食いしばるサトシ。

 

 緊張の糸は何かをきっかけにすぐに切れる状態にあり、そのきっかけを作る役目を背負ったのは―――

 

 

 

「ピカチュウいっけーーー!!!!!」

 

「ピカーーーー!!」

 

 

 

 何の作戦もなく、ただ自分のポケモンを信じ、背中を押すサトシだった。

 

 

 地面を蹴り出すピカチュウに合わせ、ニョロボンも前に飛び出す。

 

 ピカチュウの右拳とニョロボンの左拳が激しくぶつかり合い、轟音と共に第二の邂逅が幕を開けた。

 

 




レベルをあげて物理で殴る。


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第四十七話 死闘

 二つの拳がぶつかり合う。

 

 一度、二度、三度。

 

 打ち付けあう度に轟音が響き渡る。

 見るからに腕力に頼った攻撃を得意とする二体のポケモンは、その期待を裏切ることなく、その膂力を最大限発揮して、お互いにぶつけ合う。

 

 足を踏みしめ全身の発条を撓らせて発射するお互いの大砲はほぼ互角。

 

 踏みしめた地面は指先から亀裂が走り、足元は陥没し、その衝撃の強さを物語る。

 

 

 四度、五度、六度。

 

 

 ほぼ同様の体躯から繰り出される拳はお互いの存在の証明。

 他の戦術をとるべき、もっと効率のよい戦闘があると互いに理解していても尚、その拳の応酬が止まることはない。

 

 すでに数えきれないほどの拳が相殺され、より強烈な一撃を叩き込まんと振りぬいた双方の打撃がぶつかり合い、互いに後方に弾け飛ぶ。

 

 

 

 再度距離をとった二体のポケモン。

 その様子を見ていた数百の目。

 

 今まで静まりかえっていたその目の持ち主達も、大きな力同士による互角の打ち合いに、先ほどとは異なる性質の歓声を生み出し始めた。

 

 

 

 

「うおおおおすげえええ!!!」「なんだなんだあれ!あんなんはじめてみたわ!」「どうなってんだ!?」「おいおいおい冗談だろ?」「カスミ様に一歩もひいてねええ!」「ピカチュウって人型だっけ?」「筋肉!筋肉!」

 

 

 

 純粋に、闘争そのものに対する歓声が湧いた。

 マイナスの感情でなく、技量に対する賞賛。

 本来あるべきバトルの形。

 

 一方的な虐殺でなく、対等な力量同士の打ち合い。

 

 技の研鑚に対する礼儀、評価として自然に歓声があがる。

 

 

 裏のバトルとはいえ、今は誰の頭の中にもマイナスの感情はない。

 自然と湧き出る熱い思い。

 それこそがこのバトルの性質をもっとも正確に表わしている。

 

 

 

「やるわね。私としては、かなり不服ではあるけど。」

 

「あ、うん、そう、だね、はは・・・」

 

 

 サトシとしては、ここまで実力が拮抗してしまうと後がないだけに困ってしまう。

 まだ出してはいないが、ニョロボンも当然バブル光線をもっているだろう。

 あれを食らえばさすがのピカチュウといえど、死んでしまうのではないか。

 

 ブルブルと頭を振り、不吉な思考を吹き飛ばす。

 今はそれを考えても仕方がない。

 なんとかこちらの損傷を押え、ニョロボンを下さなければ。

 ピカチュウが倒されてしまったら、もう後はコイキングを盾にしてこの会場から逃げ去るくらいの選択肢しか残されていない。

 

 無事に助かる可能性は限りなく低いが。

 

 

 とにかく今はピカチュウに頼るほかはない。

 なんとも情けない話ではあるが、そもそもこの戦いに突入した原因もピカチュウなのだから、そこはなんとかしてもらうしかない。

 というかなんとかしてくれ。

 

 

 

 祈るような気持ちでサトシはバトルを見守る。

 

 二体のポケモンによるバトルは、さらに激しさを増す。

 

 

 

 

 

 一度離れた二体は、遠距離戦へと転じる。

 

 赤い頬袋からパリパリと放電し、威力重視の集中型電撃攻撃。

 本来のピカチュウの代名詞的攻撃、『十万ボルト』だ。

 

 

 予測のできない特徴的な軌跡を残しながら、電撃が高速でニョロボンへ襲い掛かる。

 ニョロボンは二メートルを超す巨体。

 ドーピングによってスピードが強化されてはいるが、ヒトデマンのように高速で移動しながら回避するという離れ業はできない。

 

 高威力の電撃攻撃が直撃すれば、ニョロボンとはいえ大ダメージを受けることは必至。

 ましてや攻撃をしているのはフィールド全域をカバーできる電撃を放つことができる異常なポケモンなのだ。

 恐らく対策を講じているとは思うが、弱点属性を攻撃しない手はない。

 

 セオリーはセオリー。

 絶対的に不変のルールとして存在するのだ。

 

 

 

 

 唸る電撃がニョロボンを穿つ瞬間、ニョロボンの周囲に泡が発生する。

 高速回転し、一瞬で膨らむ残虐な泡。

 まぎれもなくバブル光線によって作られる泡に他ならない。

 

 だが、いくら凶悪な破壊力を秘めていようと電撃を防ぎ切るバリヤーにはなりえない。

 最初の電撃攻撃を受けた瞬間、泡全体に電気が走り、割れてしまった。

 

 

 意味のない行動――――と断じることはできない。

 何故なら、次の瞬間には、ぐるぐると円を描いた模様をもつおたまポケモンは、十万ボルトを放ったばかりのピカチュウの数歩前まで踏み込んで攻撃態勢をとっていたのだから。

 

 

 

 

 初撃のみ。

 

 

 

 ニョロボンにとって、高速で襲い掛かる電撃攻撃は初撃のみ防げれば全く問題無い。

 それさえ防いでしまえば、その強力な脚力によって相手の袂へもぐりこむだけの時間が稼げる。

 

 これが、ニョロボンの電撃への対抗策。

 そしてもちろん相手の近くにいくだけで終わるはずがない。

 

 技を放って隙ができた敵を眼前にすることはただ一つ。

 

 

 そのままの勢いでピカチュウへ突進し、直前で跳躍。

 ピカチュウの両腕をそれぞれ足で挟み込み固定。

 

 足を軸に、自身の身体をピカチュウの背後に回し、ピカチュウの両足首を手でしっかりと掴む。

 

 両腕と両足がガッチリと後ろから固定されたまま、勢いをつけて地面を力強く転がり、ピカチュウを数十回にわたって硬い地面に叩き付けた。

 

 

『じごくぐるま』

 

 

 格闘タイプでトップクラスの破壊力を誇り、且つその豪快な見た目と残虐性は他の追随を許さない。

 

 当然何度も何度も地面に打ち付けられる対象はたまったものではない。

 フィールドの端まで転がり続けたニョロボンは、最後に思いっきり壁にピカチュウを投げつけ、強烈な音と共に壁を破壊した。

 

 

 

「ぴ、ピカチュウーーーー!!!!」

 

 

 サトシの叫び虚しく、壁にヒビが入り陥没するほどの力で投げつけられたピカチュウは、土煙の中で座り込んでいた。

 

 

 

「あらら、とんだカウンターをくらっちゃったわね。あっはっは!むやみに電撃なんてするから隙を作る原因になるのよ。ふふふ、ああ、気持ちいいわ・・・!」

 

 

 

 カスミが嫌な笑みを浮かべる。

 

 

 不安になるサトシ。

「ピカチュウ―!おきて!!ピカチュウ!!」

 

 とにかく声を荒げるサトシ。

 無論、それくらいしかサトシにできることはない。

 なにせ、ピカチュウが負けてしまったら次に出すポケモンは消去法でコイキングだ。

 何もできずに刺身にされてしまうのがオチだ。

 それだけはなんとしても避けたい。

 

 

 サトシの声に呼応してなのかどうかはわからないが、へたりこんでいたピカチュウが、瓦礫をガラガラと崩しながら立ち上がった。

 

 

 見た目的にはそんなにダメージを負っているようには見えないが、さすがにあれだけの攻撃を食らっているのだ。

 無事であるはずが無い。

 

 

 

「ピカチュウ・・・」

 

 

 

 自分の無力に嫌気が刺す。

 何もできない自分が歯がゆい。

 

 なにか、なにか有効な戦法がないだろうか。

 

 遠くからの電撃がカウンターされる。

 しかし近距離で当てたところで相手の攻撃範囲であれば危険だ。

 

 相手の攻撃を防ぎつつ、こちらの攻撃だけを当てるには・・・・

 

 

 

 そんな理想的な攻撃が可能なのか。

 一見無理なようではあるが、それでも考えなければならない。

 

 

 

 

「・・・ピカチュウ、ちょっと」

 

「ピカピ?」

 

 

 小声でピカチュウに話しかける。

 もしかしたら――――

 

 

 

 

 

 

 

「作戦会議は終わりかしら?もう少し楽しませてくれるんでしょ?」

「ニョロボーン」

 

 

 余裕のつもりだろうか。

 いや、実際過去ずっとそうだったのだ。

 

 トップを走り続けてきた者だからこその余裕。

 そして、完全な状態を完膚なきまでに打ちのめしてこその愉悦。

 

 この試合がまだ終わっていないのは、そのカスミの性質が少なからず影響していると考えざるを得ない。

 サトシもそれに救われているのが現状なのだ。

 

 

 

 どうでもいいことだが―――

 ニョロボンもふんぞり返って、余裕そうな態度をとっている。

 

 ポケモンはトレーナーに似るんだろうか、などと考えて、自分のピカチュウが視界に入ってきたため、思考を停止させてバトルに集中することにした。

 

 

 

 現状一手、ピカチュウが負けている。

 

 身体能力はほぼ同じ。

 しかも弱点関係であるにも関わらず、この状況。

 

 何度も思うことだが、カスミのトレーナーとしての能力は尋常じゃない。

 

 真っ当なジムリーダーとして立ちはだかったとしても、かなり強力な壁として立ちはだかったことだろう。

 

 まさに天才。

 ポケモントレーナーという天賦の才を持つ人物。

 

 しかし負けるわけにはいかない。

 自分の目的のためには、この強大な壁でさえ乗り越えていかなければならない。

 

 

 

「ピカチュウ、いいね。電撃攻撃が効かないなら、きっとこれで。」

 

「ピッピカチュ」

 

 

 

 概ね同意のようだ。

 あとはピカチュウの采配に任せるしかない。

 

 

 

 

「さあ!絶望を味わいなさい!肉が削られ、骨が折れ、その肉体の一片一片をいたぶり、愛してあげる!!!」

 

 

 

 ニョロボンとの決着はもうすぐだ。

 

 

 

 




ニョロボンが好きになってきた。


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第四十八話 ニョロボン対ピカチュウ

あえてここでこのタイトル。


 サトシはピカチュウとニョロボンから遠ざかる。

 

 事実として役に立てることは現状ないし、ニョロボンの技構成もわかった。

 かげぶんしん、メガトンキック、じごくぐるま、バブルこうせん だ。

 

 バブル光線の巻き添えになるわけにはいかない。

 うまく射線上から避け、自分の位置を確保する。

 

 

 

「地べたを這いつくばる虫のようね!愉快だわ!でもまあ、その生に対する執着だけは褒めてあげる!無駄だけどね!!あはは!」

 

 

 

 いちいち上からの言い方だ。

 だがそれに一喜一憂している場合ではない。

 命がなければ始まらないし終わらせられない。

 とにかく、自分の命が最優先だ。

 

 

 

「ピカチュウ・・・たのむよ―――」

 

 

 

 

 その願いに、ピカチュウはその大きな背中で答える。

 

 

 

 会場の空気は最高潮だ。

 一進一退の攻防に、観客も熱をもって盛り上がっている。

 

 フィールドにいる2人にはその声は一切耳に入ってこないが、それでも会場の室温は徐々に上がり、頭が暑くなってくる。

 

 

 ピカチュウが地面を蹴り、前へ走り出す。

 隙のできる電撃攻撃はしない。

 あくまでピカチュウの選んだ戦法は肉弾戦。

 

 反して、ニョロボンの戦略はどうか。

 

 肉弾戦においてあまり差が無いと察したニョロボンは遠距離戦を選択。

 ニョロボンの周囲に大量の泡が形成されていく。

 

 単発のバブル光線は一メートルを超える大きさの泡であったが、ニョロボンの周囲に浮く泡は三十センチ程。

 

 しかし、その数は十を超える。

 

 ニョロボンが片手を振り上げ、何かを投合するように振り下ろすと、浮いている破壊の球体が三つ、高速でピカチュウの方へ発射された。

 

 

 ピカチュウは走りつつ、右に宙返りし、首を振り、左にステップし、紙一重で躱していく。

 

 

 しかし球体の攻勢は収まらない。

 次々と飛翔する虹色に輝く破壊の泡。

 

 避けきれないとなれば微量の電撃で泡を破裂させる。

 その一瞬の隙にニョロボンはさらに泡を生成し、ピカチュウへ打ち出す。

 

 距離が縮まっては離れ、離れては縮まりを繰り返す。

 

 

 一見互角の攻防のようだが、バブル光線は一撃必殺。

 身体のどこかにでも当たればそこが爆散するという脅威の技。

 

 それが大量に襲い掛かってくる恐怖を、どれだけの時間耐えきれるというのだろうか。

 電撃一発で割れるとはいえ、逆に言えば電撃一発を当てないと割れないのだ。

 ピカチュウが不利な攻防だというのは明らかだ。

 

 

 ピカチュウもそれがわかっているのか、ジリ貧を続けるつもりはないようだ。

 

 ニョロボンの手の内はすべて割れている。

 だがピカチュウはまだ、切れる札がいくつか残っている。

 

 できれば最終戦まで相手に見せたくなかったが、負けるよりかはマシだ。

 

 

 

 

「これで最期よ!!」

 

 

 

 

 カスミの声と共に、大量の泡がピカチュウに押し寄せる。

 

 回避もできない、電撃で処理しきれる量でもない。

 絶対絶命の瞬間、ピカチュウはその場から姿を消した。

 

 

 

 何もいない空間で泡がお互いにぶつかり合い、破裂音と共に姿を消す。

 

 先ほどのピカチュウとは逆―――今度はニョロボンの懐に、腰を沈めて拳を振りぬく直前のピカチュウが存在していた。

 

 

 

 ―――『こうそくいどう』

 

 

 

 ピカチュウの切り札であり、本来スピードを活かす戦い方をするピカチュウにとっても相性抜群の技である。

 

 初見の相手であればほぼ間違いなく先手が取れるであろう、目にも見えない速さの一撃。

 

 感知などできない。回避もできるはずがない。

 ピカチュウの渾身の一撃は、狙いを少しも外すことなくニョロボンのうずまき模様の中心を貫通した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「んーーー、おしい!残念でしたぁ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 カスミの嬉しそうな声が響き渡る。

 

 ピカチュウが打ち抜いた拳は、確かにニョロボンを貫通していた。

 しかしそこに手ごたえはなく、体液が飛び散ることもない。

 

 徐々に薄れるニョロボンの姿。

 

 

 

 

『かげぶんしん』

 

 

 

 

 自分の分身を作り出し、相手の攻撃を躱す技。

 

 

 

 ピカチュウの目の前からニョロボンの姿が消える。

 渾身の一撃は虚しく空を切り、そのエネルギーを霧散させてしまった。

 

 では、本物のニョロボンは一体どこへ――――――

 

 

 

 

 

 ピカチュウの黄色い姿が黒く染まる。

 強い照明から生み出される光は、同時に濃い真っ黒な影を生み出す。

 

 黄色い巨体をその濃すぎる黒が覆った。

 

 

 

 瞬間、ピカチュウが上を見上げる。

 

 ニョロボンがピカチュウに向けて、全力のメガトンキックを繰り出した瞬間だった。

 

 

 

 

 回避不能の一撃。

 

 相手の隙をついたピカチュウの高速移動。

 しかし、それすらもカスミとニョロボンは読んでいた。

 

 ジムリーダーの名前は伊達ではない。

 戦闘の一手先、二手先を読む能力無くして、その立場は務まらない。

 

 

 いくつもの死闘を乗り越えてきたカスミとニョロボンの戦闘の勘。

 単純な技の威力や技量よりも、戦闘においてはこの勘こそが勝敗を決するのだ。

 

 

 

 カスミが今日最高の恍惚の表情を浮かべる。

 

 サトシは無言で戦闘を見守る。

 

 

 ニョロボンのメガトンキックがピカチュウに触れた瞬間、この試合の決着は着いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どういうことよ・・・ねえ、どういうことなのよ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 カスミが吠える。

 サトシは相変わらず、無言でフィールドを見守っている。

 

 

 

 

 フィールドには二体のポケモン。

 一体は立ち、一体は倒れている。

 

 

 

 ほぼ同様の背格好をしたその二体。

 立っているのは、筋肉の鎧を纏っている、黄色い巨躯だ。

 

 

 

 

 

「おかしいじゃない!私の―――私のニョロボンがピカチュウを蹴り潰したでしょ!!!なんで逆なのよ!!なんで、どうして!!!」

 

 

 

 

 怒気を孕んだ悲痛な叫び声を、サトシは無言で聞き続ける。

 

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

 ニョロボンのメガトンキックがピカチュウに触れる瞬間、ニョロボンの動きが突如止まった。

 

 慣性によってそのままピカチュウに向けて落ちていったが、難なく回避する。

 

 

 

 サトシがピカチュウに伝えた唯一の情報。

 

 そして、ピカチュウが持つ最後の技。

 

 

 

『でんじは』である。

 

 

 

 

 電気を発すればバブル光線の泡は破裂してしまう。

 

 破壊力抜群の攻撃ではあるが、相性としてはたしかに電気には弱い。

 つまり、必然的にニョロボンの決め手は随一の物理破壊力を誇る、メガトンキックとなる。

 

 

 

 ピカチュウに触れねば倒せない。

 しかし、ただの電撃を纏っていたからといって、ニョロボンに多少のダメージを与えるのみ。

 メガトンキックの勢いを打ち消せるものではない。

 

 

 しかし、電磁波ならば。

 

 

 相手を確実に麻痺に追い込む技。

 動けなくなれば当然、技を出すことはできない。

 

 そしてもちろん、動けないということは、ピカチュウの攻撃を防ぐこともできない。

 

 ニョロボンの攻撃をいなし、先ほど打ち損じた胴体へ、再度渾身の右拳をめり込ませる。

 

 身体がくの字に折れ、白目を剥く。

 さらにそのまま地面に叩き付け、十万ボルトを直接胴体へ流し込む。

 

 麻痺した身体では悲鳴を上げることも出来ず、バリバリバリという電気の流れる音がその代わりとなり響き渡る。

 

 

 先ほどのヒトデマンと同様の光景が広がり、その後に残るのもまた同様。

 黒焦げになったニョロボンの巨体が、パチパチとまだ放電しながら、少しも動くことなくピカチュウの足元に倒れた。

 

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 ―――まさに一瞬の出来事だった。

 

 カスミは勝利を確信していた。

 影分身によって攻撃を回避し、メガトンキックでとどめを刺す。

 

 完全に勝利のビジョンしかカスミには見えていなかった。

 それなのに、現状はそのイメージと異なる。

 

 本当の意味で、カスミの思惑を超えられてしまったのだ。

 油断でも、偶然でも、ポケモンの能力の差でも無い。

 

 カスミが一番負けてはならない分野。

『駆け引き』に置いて、自分より年下である、飛び入り参加の初心な少年に負けてしまった。

 

 

 サトシには全くそのつもりがないし、戦闘における駆け引きはすべてピカチュウが行っている。

 

 しかしそれでもカスミが駆け引きに負けたことには変わりがない。

 

 

 負けた。

 

 あえて負けたのではない。勝って、打ちのめすために戦ったのに、負けてしまった。

 過去にない経験。

 これはカスミの心を酷く傷つけた。

 

 

 手を握りしめ、振るわせるカスミ。

 その姿を見て、会場の静まりかえる。

 

 

 

 

 誰も、何も声を発さない。

 

 ここで最初に何かを言う権利があるのは、カスミのみ。

 それはサトシを含め、すべての人間が理解していた。

 

 

 そして間もなく、その権利者がこの静寂の空気を切り裂き、言葉を発した。

 

 

 

 

 

 

 

「あーあ、もういいや。やーめた。」

 

 

 

 

 

「・・・・・・は?」

 

 サトシは素っ頓狂な声を上げた。

 

 

 

 

 



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第四十九話 欲望というモノ

こんなに感情の上下が激しいショーが存在するだろうか。

 

今夜何度目かになる静寂が訪れた。

 

 

 

「え、一体どういう―――」

 

 

 

サトシをもってすら、何を言ったのか理解できない。

 

今カスミは、確かに やめる と言ったのだ。

やめるとは何のことなのか。

バトルを?いやしかしまだ二試合目。三体目のポケモンを倒さなければ終わらない。

それをこそサトシはもっとも警戒していたのだが。

 

動揺を隠せない、といった様子でカスミや審判、観客を見やる。

 

審判も茫然としているあたり、本当になにも知らないようだ。

 

 

 

 

「だーかーらー、やめたの!ニョロボンもやられちゃったし、つまらないからやめる!なんか文句あるの!?」

 

 

 

 

ここにいる全員が茫然としている。

当然だ。今カスミが言っていることは単なる我儘であり、自分勝手。

 

カスミがここでのバトルをやめる。

それによって、サトシは余計なバトルをしないで済むという利点はあるが、果たしてそれでよいのだろうか。

 

サトシも正常な判断を下せずに、どうすればよいのかわからず黙っている。

 

 

しかし、ずっとそのような状況が続くはずもない。

この空間にいる数百人は、そのような展開を誰一人として期待していないのだから。

 

 

 

 

 

 

「ふざけんな―――――」

 

 

 

 

 

だれともなく、声が漏れる。

 

その小さな声は、徐々に周囲に広がり、大きな流れとなる。

水面に落ちた水滴のように、波紋が波紋を呼ぶ。

 

 

 

「ふざけんな!!やめるってなんだおい!」「こっちは金払って見に来てんだ!さっさとぶっ殺せ!」「負けんのが嫌なのかてめえ!さっさと負けて犯されろ!!」「人気だからって調子にのってんじゃねえ!この雌豚が!」「負けたんならはやく脱げ!」「俺が犯してやる!」「もう我慢できねえ!」「下行け下!」「輪姦してやる!」

 

 

 

小さな怒りは罵声に変わり、大きな怒りは怒号に変わる。

激しい闘争によって抑えられてきた観客の欲求が解放され、限界まで溜まっていた感情が行動となって押し寄せる。

 

結果、会場は大混乱となり、観客席から発せられる怒号と、フィールドへと続く階段に押し寄せる男達で溢れかえった。

 

 

 

 

「なによ・・・そんな・・・だって、嫌・・・・」

 

 

 

 

おろおろとするサトシをピカチュウが宥め、なんとか周囲の出来事を正常に認識し始めた。

間もなく鬱憤を晴らすべくこのフィールドに観客が押し寄せるだろう。

 

カスミは先ほどまでの余裕は消え、観客の変化に怯え、顔面は蒼白になっている。

ガチガチと歯をぶつけて怯える姿は、本来の年相応の少女に見える。

 

 

サトシはその姿を見て、考えてしまう。

 

 

 

「ピッカー」

 

「うん、わかってる。カスミはそうなって当然だと思う。でも―――」

 

 

 

おそらくピカチュウは、助けてもしょうがないよ、とそんな感じでいるのだと思われる。

しかしサトシは十四歳の少年。

理屈だけで考え、判断を下すにはまだまだ精神が完成していない。

 

サトシがとる行動は決まっていた。

 

 

 

「ピカチュウ、助けるよ!」

「ピッピカー」

 

 

 

やれやれ、というニュアンスでピカチュウの声を聴くのは何度目か。

しかし、ピカチュウが自由に動いた結果が現状なのだ。

これくらいの我儘、訊いてもらわないと割に合わない。

 

目の前で自分とそう変わらない年齢の少女が怯えている。

たとえ自分が騙されていようとも、後で罵声を浴びようとも、助ける以外の選択肢が選ばれることはついに無かった。

 

 

 

 

 

ピカチュウが怯えるカスミを抱える。

一瞬ビクッと身体を強張らせたが、何をするでもなく、そのまま縮こまっていた。

 

暴れられなくてよかったと内心思い、ここからどうやって脱出するかを考える。

 

ここへの入口はサトシが知っている限りは一つだけ。

しかしそこへ戻るためには、観客席へ戻らなければならない。サトシが降りてきたこのフィールドへの入口はもう間もなく男たちが押し寄せてくるため問題外。

 

しかし他に戻る道が無い。

ピカチュウだけなら飛び上がれば客席までは行けるだろうか。

行ったところでどうしようもない。

何よりサトシが脱出できなければ意味がない。

 

 

ああでもないこうでもないと考えているうちに、フィールドへの入口から罵声が聞こえてくる。

 

 

 

「うわああきたきたきた!!」

 

 

 

と、焦るサトシに声をかけてきた人物がいた。

 

 

 

 

「君!おい!」

 

 

知らぬ声に焦って振り向く。

 

 

「・・・審判の人?」

 

 

散々いろんな煽りをして会場を盛り上げ、一番近くでこのバトルを見ていた審判がいた。

そういえばいたな、と少しだけ思ったが、今はそれどころではない。

 

 

「な、なんですか!今はゆっくり話をしている場合じゃ!!!」

 

「聴け!カスミ様の出てきた入口がある!そこから逃げたまえ!」

 

「え、え!?助けてくれるの!!??」

 

「答えている時間はない!いいから急いで!」

 

 

納得いかない状況ではあったが、確かにカスミが出てきた通路には誰も押しかけていないようだ。

おそらく観客席とつながってはいないのだろう。

 

 

選択肢は無い。

 

 

 

 

「なんでこう―――いつも選ぶ余地が無いことばっかりなの!!!!」

 

 

 

自分の不運に嘆きつつ、全速力で走る。

ピカチュウもそれに続く。

 

 

しかし、すでに狂った男たちがフィールドに入ってきていた。

 

「にがすなああ!!!」「犯せえ!!」「男の子でもいいのよワタシはうふふ」「カスミを抱かせろおおお!!!」

 

 

 

「ひいい!!」

 

 

このままでは間に合わない。

 

 

「くそ!」

サトシは腰に手を伸ばす。

モンスターボールを二つ掴み、投げずに走りながらその場にポケモンを出す。

 

「サンド!『すなかけ』!!スピアー!羽ばたいて砂を撒き散らせ!」

 

「サンドー!」「スピアー!」

 

 

 

サンドが砂を巻き上げ、襲い掛かる男たちにばら撒いた。

 

さらにスピアーがその砂を広範囲に散らす。

 

 

簡易的な砂嵐となったフィールド。

視界が悪くなり、歩くのも覚束ない状態になった男たちは、その場に止まらざるを得ない。

目に砂がはいって屈む姿もあったが、それを眺めている暇は無い。

 

すぐにサンドとスピアーをボールに戻し、通路へと向かう。

先にサトシが入り、カスミを抱えたピカチュウが続く。

そのまま走りながら後ろを見ると、すばやく扉を閉めている審判の人がチラリと見えた。

 

あの人は何者なのだろうか。

 

 

安心はできない。

この通路がどこに続いているかはわからないが、とにかく進む。

 

 

 

しばらく進むと、ぼんやりと明るい光が見え、悩むことなくその光の中へ身体を滑り込ませた。

 

 

 

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

「ここは・・・・?」

 

 

 

 

 

先ほどの会場よりも少し小さい、バトルフィールド。

どこか既視感を覚えたがすぐに思いついた。

 

ニビシティジムの地下にあった、裏バトル用の空間にそっくりだ。

 

 

水場が多く設置され、その空間はハナダジム用にデコレーションされてはいるが、広さはほとんど同じだと感じられた。

 

 

 

しばらく周囲を見渡していると、ピカチュウの手元から声が聞こえた。

 

 

 

 

 

「ここはジムの地下よ・・・あっちとつながってるの。ここヘは私の許可なく入れないわ。」

 

 

 

 

サトシは後ろを振り向き、声のした方へ顔を向ける。

まだピカチュウに抱きあげられたままの姿勢で、カスミが話していた。

 

 

 

「カスミ・・・」

 

 

 

先ほどの惨状が頭の中に蘇る。

一体どんな声をかければいいのか。

何を話せばいいのか。

 

まったく思いつかなかった。

非常に空気が悪いと思いつつ、明るく場をごまかすなんて芸当もできず、口ごもる。

 

 

 

しばらくその場を静寂が包む。

そして口を開いたのは、やはりカスミだった。

 

 

 

「助けてくれて、ありがと。一応お礼はするわ。」

 

 

 

目を見開いた。

まさかお礼の言葉が聴けるとは思ってもみなかった。

しかも口調は高圧的なままではあるが、その姿はかよわい少女そのもの。

ひどく可憐で、儚い姿に見えてしまった。

 

 

「いや、まあ、うん。」

 

 

一応何か言おうとしたが、結局なにも思いつかずに訳のわからない返事になってしまった。

慌てるサトシを見てクスリと少しだけ笑うカスミ。

それを見て顔が紅くなるサトシ。

いい感じに弄ばれているようだ。

 

 

「訊きたいのだけど、いい?」

 

「え?ああはい!なんでしょう!」

 

 

緊張のあまり勢いのついた返事になってしまったが、構わずカスミは先に進める。

 

 

「なんで助けたの?私はあなたを殺そうとしていたのよ?ポケモンをいたぶった後に、派手に血の花でも咲かせようかな、とか思っていたのに。」

 

 

それを聞いたときに、ほんとになんで助けたんだろう僕は。と深く後悔したが、それも後の祭り。

素直に本心だけ告げる。

 

 

 

「・・・女の子が、怯えているのをほっとけなかった。」

 

 

なんとも恥ずかしいセリフ。

しかし、抒情に溢れた詩的な表現など十四歳の少年にできるはずもなく、思ったことをそのまま伝えるのが限界だ。

 

 

それを聞いたカスミは、先ほどのサトシのように目を丸くして、自分の手で顔を覆った。

 

 

 

「プッ、クククク。あは!あははははははは!!」

 

 

 

急に笑い出すカスミ。

 

頭の中にハテナマークを浮かべてカスミを見る。

 

 

 

「あーーー面白い!なに、それ!あなた面白すぎるわ!」

 

 

 

何も言い返せない。

唇を前に突き出し、憮然とした顔でカスミを見る。

 

 

 

しかし、先ほどまでの弱弱しい姿から多少気力は戻ったようだ。

それに少しだけ安心する。

 

 

 

「もういいわ、降ろしてちょうだい。」

 

 

 

ピカチュウの太い腕をポンポンと叩き、そう伝える。

 

ピカチュウは一度サトシの方を見て、頷いたサトシを確認してカスミをゆっくりと地面に降ろす。

 

 

 

カスミの美しい肢体がサトシの視界に再度入る。

とっさに下を向き、照れた顔を隠すサトシ。

 

 

その姿にニコリと優しい笑みを浮かべるカスミ。

 

そして、言葉を発する。

 

 

「サトシ、と言ったわね。」

 

「え?ああ、はい、サトシです。」

いきなり名前を言われ、カスミの方を向いたが、やはり紅い顔はそのままだ。

 

 

 

一呼吸置いて、カスミが話し出す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「サトシ、三回戦目をしましょう。まだ、戦いは終わってないわ。」

 

 

 

 




サトシの初心さがかわいい。
そしてカスミはもっとかわいい。


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第五十話 カスミ

「えっ?」

 

 耳を疑う。

 何か現状発する言葉としては、非常に納得しがたいものだった気がする。

 

「だから、バトルよ。バトル。最終戦、まだだったでしょ?」

 

「それはまあ・・・」

 

 

 事実としては確かにその通りではある。

 しかし、先ほど行われるはずだった最終戦は、カスミ本人によって取り消されたのだ。

 その結果、あのような暴動となってキャンセルした本人に襲い掛かったわけで。

 

 

 

「わかってるわよ。言いたいことは。私の自業自得だっていうんでしょ。」

 

 

 どうやら頭が悪いわけではないらしい。

 

 

「確かに自意識過剰だったわ。それについてはなにも言わない。救い出してくれたことにお礼もする。でも、バトルは必要なの。」

 

 

 言っていることがよくわからない。

 しかし、別に戦闘狂というわけでもなさそうだ。

 なにより、先ほどのショーにおけるカスミの姿と、今の目の前のカスミの姿がどうしても結びつかない。

 

 ショーにおけるカスミは、『超絶サディスティック』の名に恥じない振る舞いだった。

 いや、恥じてほしいのだが、それにしても違いすぎる。

 

 

 サトシが言葉に窮していると、カスミはサトシの目をしっかりと見つめて、こう言った。

 

 

 

「とにかく、戦って。私はサトシを完膚なきまでに叩き潰すわ。持っているポケモンは―――五体ね。全部使っていいわよ。同時にね。」

 

「え、ぜ、全部!?五対五ってこと!??」

 

 

 カスミが首を振る。

 

「いいえ。私は一体。はっきり言って、負ける気がしないわ。あなたのピカチュウも大したものよ。それは認めてあげる。でも、それでも。私のスターミーには及ばない。」

 

「それにしたって!」

 

「完膚無きまでに叩きのめすって言ったでしょ?私はあなたに二回負けているのよ?これくらいのハンデで勝たないと、私は私を許せない。」

 

 

 先ほどの笑顔とは違う、苦い顔をしてカスミが唇を噛む。

 カスミは、常に上にいなければ納得できない。

 ジムリーダーになる前も、なった後も、自分のフィールドにおいて本気のバトルで負けたことなど無かった。

 

 それが自分の価値であり、証明なのだ。

 

 故に、負けは許されない。

 妥協すらも、カスミには許されない。

 

 完全に、完膚なきまでに、再起不能に打ちのめさなければならない。

 

 カスミとは、そういう人間になってしまった。

 

 

「バトルをやる理由が・・・」

 

「公式戦扱いにするわ。この場所は、公式戦用だもの。もちろん勝てばバッジもあげる。・・・望むならショーの賞品も。」

 

 

 

 サトシの目的は、バッジを得ること。

 であれば、五対一で戦えるこの状況はチャンス以外の何物でもない。

 

 しかも望めば・・・その・・・・うん。

 

 

「・・・わかった。」

 

 

 ニコリと笑顔になるカスミ。サトシは複雑な心境ではあったが、バトルをすることには同意した。

 

 

「さあ、始めるわよ。回復する時間くらいはあげる。」

 

 

 サトシは無言で頷き、戦うための立ち位置に移動をし始めた。

 

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

 

 部屋の反対側。

 ちょうどカスミと対照の位置に立ったサトシは、自分のポケモンを外に出す。

 

 四つの赤い光が、ポケモンを形作る。

 

 クラブ、スピアー、サンド、そしてコイキング。

 

 三体はノーマルポケモン。

 さすがに正面には立たせられない。うまくサポートに回ってもらう。

 もう自分のポケモンを失うのはゴメンだ。

 

 三体とも緊張の面持ちだ。

 相手が水・エスパータイプだということもあり、弱点であるスピアーとサンドは必死といえるだろう。

 

 

 そして――

 

 

「コイキング。どうしようか。」

 

「ココココッコッコッココココ」

 

 

 出したはいいものの、使い方に困るポケモンも珍しい。

 現状盾としてしか利用価値の無いものとして扱ってはいるが―――

 

「あ、でも水場なら・・・」

 

 ここは人工的とはいえ、水場が要所要所に設置されている。

 

 当然カスミに有利になる環境ではあるが、それは水ポケモンであればこちらにも有利に働く。

 

 床の上でバタバタと跳ねているコイキングを、グイッと押して水に入れてみる。

 

 

「ココココ『バシャーン』」

 

 

 

「・・・お!なかなか速い気がする。」

 

 

 当然といえば当然ではあるが、魚らしくスイスイと泳ぐ。

 それすら信じられなかったサトシもサトシではあるが。

 

 

「コイキングは隙を見て水中からアタックかな・・・とりあえず固いからほっといても大丈夫そうだし。」

 

 

 完全に放置宣言するサトシ。

 別に不満もないのか、コイキングは久しぶりの水中を喜んでいるのか、スイスイと泳ぎ続けている。

 

 

 クラブとスピアーとサンドにも指示を与えたいところだが、いかんせんスターミーの情報が無さすぎる。

 

 精々、おそらくバブル光線は覚えているのではなかろうかという曖昧な想像のみだ。

 

 下手なことをしてバブル光線で消し飛ぶくらいなら、最初はピカチュウに任せて様子を見ていた方がいいだろう。

 

 

 

「いいかしら?さっさと始めるわよ!」

 

 

 時間も無いようだ。

 やるしかない。

 

 

 

 

 カスミの正面に立つ。

 中央に土台があり、その周囲は水で覆われている。

 他にも要所要所島のように土台が存在しており、水場を囲んでいる部分を含めて面積的には半々くらいだろうか。

 

 他に遮蔽物や障害物が無いのは、正面から打ち合い、相手を叩きのめすカスミの性格が現されているように思える。

 

 

 サトシの周囲をクラブ、スピアー、サンドが囲む。

 コイキングはすでに水の中だ。どこにいるかは、サトシにもわからない。

 

「ピカチュウ、気を付けて。」

「ピカー」

 

 いつも通りのニッコリ顔で答え、中央の土台へと足を進める。

 

 

「いきなさい!スターミー!!」

 

 

「フゥン!」

 

 

 

 星型の身体が前後に二つくっついたような体型。

 中心に赤い宝石がはめられているような幾何学的な不思議な造形。

 

 

 

「・・・?」

 

 

 確かにスターミーだ。

 スターミーにしか見えない。

 

 

 

「ノーマル・・・?」

 

 

 

 カスミの出したスターミーには、ドーピングによる身体構造の変化がほとんど見当たらない。

 

 よくよく見ると、少しだけ尖ってたり、大きくなってたりするような気もするが、パッと見はほぼノーマルと言っていい。

 

 

 

「驚いたかしら?スターミーの外見は芸術だわ!それを崩すなんてとんでもない。でも、見た目で侮ったら細切れになって海の藻屑よ!」

 

 

 

 トコトン、カスミの技量には恐れ入る。

 しっかりとドーピングはしている。

 しかし、身体的な変化はほとんど発生していない。

 

 どうコントロールしているのかはわからないが、恐らく何かコツがあるのだろう。

 身体的な変化をそのままにドーピングしているトレーナーは邪道だという。

 美しい造形を保ってこそ、実力あるトレーナー。つまり、カスミ自身だと言っているのだ。

 

 

 

「自意識過剰もそこまでいくと、尊敬しちゃうよ。」

 

 

 

 サトシは苦笑いで、カスミを見つめる。

 

 派手さは無い。

 しかし、戦闘力だけでなく、見た目にもこだわる。

 やはり、カスミは天才だと言える。

 すべてにおいて上を求め、自分のことをトコトン信じる。

 

 

 それによって発生する問題もある。

 周囲が見えないという、重大な欠点が。

 

 それを踏まえても、カスミはすべてにおいて魅力的だと感じられる。

 

 

 極端ではあるにしろ、天才とはそういうものなのだと理解できる。

 

 

 理解者は自分だけ。

 孤独、孤高。

 それが、本当の天才というものなのだと。

 

 

 

 

 カスミ対サトシ。

 

 

 存在そのものを賭けた、最終戦が幕を開けた。

 

 




カスミ編、ようやく終盤戦。


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第五十一話 カスミのスターミー

 場所を変えての三戦目。

 サトシに、先ほどの記憶が甦る。

 

 バブル光線によって身体が消え去ったフシギバナとトレーナーのノボル。

 そんな残虐なことすら恍惚の表情で実行するカスミの性格。

 自身のバトルに絶対的な自信を持つが故に、負けた時にはそれ以上の戦いをやめてしまう。

 

 カスミは無理なバトルはしない。そして、圧倒的な力でねじ伏せられないバトルにおいては興味すら無い。

 

 バトルが好きなのではない。勝つのが好きなのだ。

 戦うならば捻じ伏せる。カスミが戦うと決定した時点で、相手は負けることが決定しているのだ。

 

 そう、思考の根底から考えてしまうほどにカスミは強く、追い詰めるトレーナーも過去存在していなかった。

 

 つまり、初めての経験。

 カスミを追い詰め、戦うことを放棄させてしまうほどの相手。

 一度は放棄した。

 勝つことができなかったために興味を無くした相手ではあったが、なかなかに面白い人間のようだと、再度興味を持った。

 

 であれば、戦う。

 戦って捻じ伏せる。

 カスミにとっての興味とはそういうことだ。

 

 しかも普通に戦って勝っても収まらない。

 相手は二度、カスミを破っている。

 しかも一度は本気でやったにも関わらず、だ。

 

 普通に勝っても、そればかりは納得がいかない。

 それすらも帳消しにするくらいの勝ち方をしなければ。

 相手に負けを認めさせなければ。

 

 カスミが、カスミとして存在できる条件を満たすには、それしかない。

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

「いくわよスターミー。久しぶりの、手加減無し。力の差を散々見せつけて、完膚なきまでに叩きのめしなさい。」

 

「フゥーン!」

 

 

 

「ピカチュウ、相手は未知数だ。でも、ピカチュウなら勝てると信じてる。」

 

「ピッカー」

 

 

 

 審判もいない。

 観客もいない。

 バトルスタートの合図が鳴り響くこともない。

 

 それでも、バトル開始の合図はトレーナー二人には不要だった。

 極度の緊張感が生む二人だけの空間には、阿吽の呼吸ともいえるお互いの理解があった。

 

 

 数秒の時間が流れる。

 キーンと耳鳴りがする程の静寂。

 トレーナー同士、ポケモン同士でにらみ合う。

 

 永遠に続くとすら思われた無音の空間。

 その空間が、裏のトレーナー二人によって断ち切られる。

 

 

 

「ピカチュウ!―――――」

「スターミー!―――――」

 

 

 

 

「「『十万ボルト』!!!!!」」

 

 

 

 

 サトシは驚きの顔をし、カスミは獰猛な笑顔を浮かべる。

 

 水タイプであるスターミーが電気タイプの十八番である十万ボルトを放った。

 

 ポケモンの中には、自分の弱点となるハズの技を覚えることができる種類がいると聞いたことがあるが、スターミーはその中の一体のようだ。

 

 二体のポケモンから放たれる不規則な軌道を描く光の猛威。

 電撃は互いに交差し、打ち消し合い、壁や地面を削る。

 目を開けるのが困難な程に光を発する自然の脅威。

 数秒間にわたって打ち付けあった電撃は徐々に消え、空気がところどころでパリパリと弾ける音を残して完全に消えた。

 

 

 それが合図とばかりに、二体のポケモンが動き出す。

 

 

 

 ピカチュウの技はすでにカスミには知れている。

 ニョロボン戦ではまだ未知であったため戦略に盛り込むことができたが、すでに知られてしまっている現状において隠すことに意味はない。

 

 相手に隙を見せず、速攻で撃破する。

 それが最善の策であると、ピカチュウは判断したようだ。

 

 前に出た次の瞬間、ピカチュウの姿が消えた。

 

 

『こうそくいどう』

 

 

 ピカチュウの切り札ではあるが、ここに至っては先手必勝のための技。

 最初に切り札を出すというのも立派な戦略であり、実践でも通用する。

 

 実際、虚をつかれたスターミーは身動きが取れずに、懐に入ったピカチュウに反応ができなかった。

 

 

 身体を横に一回転させ、尻尾をスターミーに叩き付ける。

 ピカチュウの肉弾戦でメインとなる技『たたきつける』だ。

 

 

 星形の身体では防御することもできず、直撃を受けて床に激突し、勢いそのままに数度回転して、カスミの数メートル前で着地した。

 

 

「あれ?当たった?」

 

 

 サトシの疑問も最もだ。

 ピカチュウの切り札とはいえ、一度カスミの目に触れている。

 カスミ程のトレーナーであれば、初見ではない技への対策などあっという間にしてしまうハズだと思っていた。

 

 それが、命中した。

 しかもその攻撃に耐えるわけでもなく、その幾何学的な身体を地面に激しく打ち付け、身体にヒビを入れている。

 

 

 裏のバトルにおいて打撃の直撃は致命傷になることが大半だ。

 それを素直に受けることなど考えられるだろうか。

 

 

 サトシが考えていると、カスミはニヤリと笑みを浮かべる。

 それと同時に、スターミーを淡い光が包み込む。

 

 今まで見たことのない光だ。

 

 そんな感想を持ったサトシも、次第に苦い顔に変わる。

 

 

 

 スターミーの身体に走っていたヒビが、消えていた。

 

 

 

「『じこさいせい』よ、初めて見たかしら?」

 

 

 笑顔のカスミがご丁寧に説明してくれる。

 なるほど。つまり、一撃で倒すか、回復する隙を与えずに倒さなければならないということか。

 

 やはり、一筋縄ではいかないようだ。

 先ほどの攻防は、わざと受けたのだろう。

 

 完膚無きまでに倒すというのは、メンタル的なものも含まれているらしい。

 真綿で首を絞めるかのように、徐々にサトシとポケモン達を追い詰めていくようだ。

 

 

「でも、負けない!」

 

 

 負けるわけにはいかない。

 なによりピカチュウは、負けることなど微塵も考えていないだろう。

 

 それを信じ、サトシは作戦を考える。

 

 

 スターミーの回復が終わり、再度二体のポケモンが動き始める。

 

 

 ピカチュウが再度、高速移動で接近しようとすると、今度はスターミーが先手を打つ。

 

 

 それは高速で飛来する弾丸の雨。

 一つ一つが肉を切り裂き骨を削り飛ばす威力を持った塊。

 星形のそれは、鋭利な形状を持ちながら物理法則を無視したかのように飛翔し、対象に殺意を振りまきつつ防ぎようの無い理不尽な暴力として迫り狂う。

 

 

『スピードスター』

 

 

 本来はそこまで強力な技ではない。

 単純にそこそこの威力で命中率が高いという安定した性能を持つノーマルタイプの技。

 先ほどヒトデマンも使用していた技でもあるが、その時も通常のスピードスターよりもある程度スピードと威力が上がっているな、程度の感想しか持たなかった。

 

 しかしこれはどうだ。

 

 スピードスターというよりも、弾雨。

 数も、速さも、威力も段違い。

 遠距離でここまでの破壊力の弾幕を張れるポケモンがこれまでにいただろうか。

 一度でも当たれば継続して何十発もの星形の弾丸を食らうことになり、必然的にタダの肉塊に成り果てる。

 

 ガトリング砲とでも言った方がまだしっくりくる程の物理破壊力を持った攻撃。

 

 

 カスミのスターミーは、近距離で負ったダメージは自己再生で回復し、後は徹底的に相手を制圧し続ける、遠距離特化型に仕上げてあった。

 

 

 まさに砲台。

 物理も特殊も搭載した殺戮兵器。

 

 カスミが絶大なる信頼を寄せることも納得できる。

 このスターミーはそれほどまでの制圧力を誇っていた。

 

 

「ねえサトシ―――」

 

 

 弾幕を辛うじて避けているピカチュウを嬉しそうに眺めながら、カスミが口を開き、ゆっくりとつぶやく。

 

 

「もっと、楽しませてネ?」

 

 

 

 ・・・ああー元に戻ってる。

 

 先ほどのショーを彷彿とさせるカスミの表情と言動に、文字通りげんなりとするサトシであった。

 

 




スターミー っ ょ ぃ


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第五十二話 防戦

 ガガガガガガ!!

 

 

 重機で掘削しているような破壊音を撒き散らす。

 これがまさかスピードスターという技だと、人目見ただけでは誰も信じないだろう。

 

 ガトリング砲のように当たった部分を粉々に破壊しながら射線を変え、高速移動を用いて紙一重で交わし続けるピカチュウを追う。

 

 

「防戦一方じゃないか・・・。」

 

 

 カスミの自信が理解できた。

 確かに、カスミのスターミーは圧倒的な強さを誇っている。

 

 ただの固定砲台ならまだしも、動くし、回復する。

 

 こんなのがいる城壁に攻め入ろうものなら数秒で部隊は全滅だ。

 あのピカチュウでさえ攻撃のタイミングがつかめない。

 

 立ち止まることもできなければ、近づくこともできない。

 本来であればジリ貧な展開。ピカチュウの体力が尽きるのを待ち、とどめを刺されるのが定石。

 

 

 

 しかし、この場にいるのはピカチュウだけではない。

 サトシには、信頼できる四体の仲間が同じ場所に同席している。

 

 何もピカチュウだけでスターミーと戦うことはない。

 卑怯でもなんでもない。カスミが許可したことだ。

 

 ただ、あのスピードスターの爆撃を防げるポケモンがサトシの手元にいるわけも―――――

 

 

「・・・いた。でてこいーーー!!!!!」

 

 

 大声で叫ぶサトシ。

 あえて名前を言わなかったのはカスミに悟らせないためではあるが、果たしてその声は本人に届くのであろうか。

 

 

 

 

 ザッパーン

 

 

 

 

 飛沫と共に現れたのは紅い身体。

 スターミーの弾幕とピカチュウの間に身を翻し、表情を変えること無くその破壊の雨を一身に受ける。

 その姿をコイキングだと認識したトレーナー二人―――――

 

 

「でたーーーーー!!!!」

「はああーーーー!?!?」

 

 

 サトシとカスミが同時に叫ぶ。

 

 出てきてくれるか半信半疑だったサトシだったが、きちんとサトシの指示に従ってくれたことに歓喜の声を上げる。

 反面、自分の自慢のポケモンが放つ破壊の雨をカキンカキンと跳ね返し続けるコイの王様を見て、意味不明だと言わんばかりに悲鳴を上げるカスミ。

 

 サトシはここで初めて、コイキングを買ったピカチュウの判断に感謝した。

 いや、最大の感謝ではない。あくまでゼロだったものがほんの少し上がっただけではあるのだが。

 

 ただ出てきただけでここまで評価が変わるポケモンも珍しい。

 しかし、ただ出てきただけではあるが、ピカチュウ対スターミーのバトルの戦況を大きく変えた。

 

 

 コイキングの尾ひれを鷲掴みにし、盾にしながら全力疾走でスターミーに駆け寄るピカチュウ。

 赤と黄色の綺麗な軌跡を残しながらスピードスターを弾いて移動する謎の物体。

 

 

 これを見た時、サトシは思った。

 

 このバトルは普通じゃない。まともに戦おうと思ったら負ける!

 

 

 緊迫した空気が一転してシュルレアリスムに包まれた瞬間だった。

 

 

 

 見た目はどうあれ、当のポケモン達は大真面目だ。

 

 あっという間に数メートルの位置まで接近するピカチュウ。

 もう間もなく物理攻撃の射程圏内に入る。

 

 ―――!!!!

 

 

 ピカチュウがコイキングを放り投げ、自分も瞬間的に身をかがめる。

 

 その上を、高速回転する泡が耳を掠めるほどの距離で通過していった。

 

 止まったピカチュウを再度スピードスターが襲い、再度距離を離すピカチュウ。

 

 

 攻める切っ掛けは作れた。

 しかし、それだけだ。

 サトシも唇を噛み、苦い顔をする。

 

 

「バブル光線・・・」

 

「あら?当然覚えているわ。わかってたクセに。ふふ。」

 

 

 すっかりドSモードになったカスミ。

 その表情も、有利な状況も相まってとっても嬉しそうな顔をしている。

 

 

 

 ともあれ、これでスターミーも技が出そろった。

 自己再生、十万ボルト、スピードスター、バブル光線。

 

 電気、ノーマル、水。

 タイプもバラバラ、技もバランスよく遠距離構成をしているだけに、かなり攻め辛い。

 

 物理攻撃こそコイキングで弾けるようだが、バブル光線はやはり特殊なのだろう。

 もしも大丈夫であったとしても、実験するわけにもいかない。

 それでコイキングごとピカチュウも消滅してしまったらそれこそ取り返しがつかない。

 コイキングはあくまでスピードスター対策として用いるのが正しいと言える。

 

 

「・・・ん?」

 

 

 ここでふと気づいたことがある。

 

 確かにサトシは攻めあぐねている。

 しかし、カスミはどうなのか。

 

 実質、すべての技に対して対抗手段ができてしまった。

 本当の意味で拮抗した状態となってしまったのだが、カスミの余裕は消える様子もない。

 ピカチュウも、スターミーも、先手で攻撃する方法が無くなってしまった。

 

 サトシが困った顔をしていると、カスミも答える。

 バトルだけでなく、言葉でも攻めようというカスミの思惑ではあるが、サトシにとっては最初から最後まで絶望ばかりなので今更絶望的な何かを突き付けられてもあまり変わらないというのがサトシの考えだった。

 

 

「ふふ、サトシ。あなたって本当におもしろいわ。こんなにも刺激的で、力が拮抗したバトルをするのは初めてだもの。もっと、もっといい顔をして頂戴!」

 

 

 カスミが話し終わると、スターミーの攻撃が再開する。

 星が浮かびはじめ、またスピードスターかと思ったが、今度は様子が違った。

 

 

「泡も浮いてない?」

 

 

 同時攻撃。

 バブル光線とスピードスター。

 

 全く別種の破壊力を誇る二つの攻撃を、同時に繰り出すことができるようだ。

 カスミは一体どこまでその才能を発揮させるというのか。

 つくづく、その才能を全うなポケモントレーナーとして活かすことができなかったのかと思ってしまう。

 

 もはや手遅れではあるのだが。

 カスミの過去に何があったのか。

 姉を殺してまでジムリーダーになったのは何故なのか。

 そんな考えがぐるぐるとサトシの脳内を蹂躙するが、今はバトルの真っ最中。

 どうにか端に追いやって、作戦を考える。

 

 スピードスターとバブル光線を同時に放ってくる。

 もはや防御不可能な破壊兵器となってしまったその技の妙技に、サトシは舌を巻いた。

 コイキングも使えず、ピカチュウは再度高速移動を駆使して回避に専念する。

 

 

「なんとかこの状況を打破するには・・・」

 

 

 もはや戦い方にこだわっていては勝てない。

 汚い手でもなんでも使っていかなければ―――――

 

 

「ん?汚い手、ね・・・」

 

 

 とても気が進まないが、一つだけ思いついてしまった。

 しかし、気が進まない。本当に気が進まないが。

 

 

「そうも言ってられないか。」

 

 

 こういう状況にしたカスミが悪い。そう思うことにして、サトシは作戦執行のために準備を始める。

 ピカチュウにはもうしばらく時間を稼いでもらおう。

 そして、待機していた三匹のポケモンに対して指示をする。

 

 

「これでよし・・・。あとはピカチュウがどれだけ持ってくれるか。」

 

 

 相変わらずパッと見は平気で回避しているように見える。

 実際はどれも紙一重で、一発でも当たれば致命傷になりかねない威力なのだが。

 

 ピカチュウなら。

 ピカチュウであれば安心して見ていられる。

 

 

 サトシはまだ気づいていない。

 いや、気づいているのかもしれないが、考えることを放棄した問題。

 

 

 ピカチュウが失われたら、自分はどうなるのか、ということ。

 

 

 数度経験した命のやりとり。

 当然サトシに恐怖を植え付け、状況判断能力を強化してきた。

 

 しかしその反面、命そのものに対する価値が、下がってきていた。

 拒否感を覚えつつも、サトシは生物の生死に慣れつつある。

 結果、ピカチュウの死というものをうまく想像できずにいた。

 

 命について考慮する時間が圧倒的に少ない。

 十四歳という若さで、死についてなどという哲学的なものを考慮しろなどと無理難題にも程があるが、それでもサトシは考えるべきだった。

 

 

 今回のバトルを切り抜けたとしても、必ずついてまわる死という概念。

 サトシそのものに対しても、ピカチュウに対しても、他のポケモン達に対しても。

 

 裏のバトルはそれらすべてを奪いかねない。

 そして、奪われ、失った時のことを考えておかなければならない。

 

 サトシがそれを本気で考えるのはいつのことだろうか。

 それはもしかしたら、ピカチュウが離れた時であるかもしれない。

 

 知ってはいても、後回しにしている。

 楽な方へ、楽な方へと傾くのは人間の節理であり真理でもある。

 サトシも例外でなく、長引けば長引くほどに、心の闇を深くしていく。

 

 

 

 




サトシ、リーダー2戦目にして危険域。


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第五十三話 決着と、理不尽な感情

「そのピカチュウ、ホントいい子ね。よく避けるわ。」

 

 

 褒められてるのかどうなのか。

 微妙に判断がつかない発言に、サトシの表情も微妙な顔つきになる。

 

 今の攻防が始まって三分程度は経過しただろうか。

 依然として戦況は変わらず、固定砲台スターミーは切れ目なくピカチュウに向けてスピードスターとバブル光線を射出し続けている。

 

 ピカチュウも高速移動でうまく回避している。

 スピードスターがある所為で電撃による強行突破ができないのが痛いところだ。

 立ち止まることも出来ずに逃げ回る。

 バブル光線とスピードスターによって足場が次々と破壊され、ヒビと瓦礫を伝って水が浸食し、足元を濡らす。

 

 結果的に踏み込む力加減の調整が困難になり、ピカチュウの回避力にも影響を与えつつある。

 

 

 多少余裕があるように見えていたピカチュウの回避にも次第に陰りが見え始める。

 スターミーの猛攻に対処しているだけで賞賛に値する動きではあるのだが、こと勝利に結びつくかは話が別だ。

 しかし、それを勝利に結びつけるのがサトシの役目であり、その準備もできた。

 

 作戦開始だ。

 

 

 

「サンド!『すなかけ』!」

「サンドーー!!」

 

 

 サンドの手元から砂が舞い上がる。

 相手の命中率を下げる技。

 シンプルだが非常に有用な技ではある。しかし、援護としてサトシのそばにいるサンドが放つ砂かけは、二十メートル以上離れているスターミーの元には到底届くはずもない。

 

 掛け声虚しく、戦っているピカチュウの手前でパラパラと舞うのが関の山。

 

 

 ――――――――本来その程度でしかない砂かけだが、この時ばかりは違った。

 

 サトシの足元からサンドがばら蒔いた砂かけは、津波かと思う程の、大量に生み出された砂の山だった。

 

 

 大量に巻き上げられた砂は圧巻の迫力ではあった。

 しかし、それは単なる大量の砂。

 スターミーの元へ届かせるにはあと一歩足りない。

 

 が、その一歩を埋めることこそがこの作戦の神髄なのだ。

 

 

「スピアー!」

「スピーーー!!!」

 

 

 スピアーが飛び上がり、その大きな翅を素早く羽ばたかせ風を起こす。

 

 その行動は先ほどのショーで逃げる際に見せた合体技。

 だが、その規模は段違いだった。

 

 

 一度砂を巻き上げ、対象に向けて散らしたものとは違い、今回は事前に大量の砂を掻き集め、まとめてばら撒いた。

 

 まさしく砂塵の竜巻。

 スピアー一体で引き起こした風など大したものではない。

 しかしそれに対して巻き上げた砂が大量であるため、それがそのまま空中で飛散することもなく、しっかりと指向性をもってスターミーの元へ襲い掛かる。

 

 

 予想外の砂塵ではあったが、歴戦の強者であるスターミーには何の問題も無い。

 多少視界が悪くなる程度。

 そもそも砂が入り込む目を持ち合わせていない。

 紅く輝く宝石のような物が、スターミーにとっての目なのだ。

 

 サンドとスピアーが巻き起こした砂の嵐は、視界を悪化させるだけにとどまった。

 この程度問題になるはずが――――

 

 

「駄目よスターミー!一度下がって!!!」

 

 

 カスミの声が響きわたる。

 

 

 しかし手遅れ。

 スターミーの目の前には、コイキングを構えたピカチュウが、スピードスターのみになった弾幕を弾きながら急接近してきた。

 

 

 スターミーの思考が止まる。

 何故ピカチュウが迫ってきているのか。

 そしてすぐに気づく。

 

 間断なく生み出し続けていたはずの泡が、砂が混ざりこんですぐに割れてしまっていることに。

 

 故に、ピカチュウはスピードスターのみを防げばよい。

 そしてスピードスターを防ぐ方法は、先ほど確立したばかりだ。

 

 悪くなった視界も影響し、固定砲台の元へ筋肉の塊の接近を許してしまった。

 

 十万ボルトは打ち消される、スピードで回避もできない。

 スターミーの選択肢は一つ一つ掻き消え、唯一残された選択肢は――――

 

 

『じこさ―――――』

 

 

 食らう前から回復を始めようとするスターミー。

 そんなものは関係ないとばかりに、コイキングという超剛体を振りかざし、スターミーに叩き付ける。

 

 ついに武器としてデビューしたコイキング。

 こういう使われ方をされるとは思っていないだろうが、硬いものには硬いものをぶち当てるのが有効な手段。

 

 その結果、スターミーの紅い水晶体にヒビが入る。

 

 振り下ろしたコイキングを手放し、そのままの勢いでピカチュウが拳を振り上げる。

 

 

 ヒビ状に線が入った赤い視界で、スターミーが目の前の巨体を見つめる。

 もはや自己再生も間に合わない。

 バブル光線も砂の所為ですぐに割れてしまう。

 であれば、自分にできることは―――

 

 

 一瞬で危機を察したピカチュウは、振り上げた拳と、もう片方の腕を目の前に十字に構え、身を緊張させた。

 

 その身体は直後に強い衝撃を受け、勢いが止まる。

 

 さらに空気の爆ぜる音が聞こえ、周囲を光が埋め尽くす。

 

 

 

 威力は落ちるが、一発だけとっさに撃ち出したスピードスター。

 この判断が一瞬でできたのも、スターミーが歴戦を戦い抜いてきたからであろう。

 当然無視できる威力ではなく、ピカチュウもガードせざるを得なかった。

 

 さらに、同タイプとはいえ効かないわけではない電撃。

 牽制としては申し分ない威力の十万ボルトを発する。

 

 一撃こそ与えたにしろ、サトシの作戦は失敗に終わった。

 

 

 

 かのように見えた――――

 

 

 

「いっけええええええええうおおおおおおおおおおお!!!!!」

 

 

 

 サトシの叫び声が聞こえた。

 

 

 それと同時に、スターミーの視界が真っ暗になった。

 

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

 

 時間は少し戻り、砂を巻き上げてフィールドを砂が埋め尽くした頃。

 

 ピカチュウがコイキングを抱え、スターミーに突っ込んでいくのを確認し、サトシは作戦の最終段階に入る。

 

 

「クラブ、『かいりき』」

「クラーブ!」

 

「サンド。頼んだよ!」

「サ、サンドー!」

 

 決死の覚悟で挑む作戦の決め手。

 それは―――

 

 

「いっけえええええええ!!!!」

 

 

 声と同時に、クラブの二つのはさみに挟まれたサンドが、怪力によってものすごいスピードでスターミーに向かって投げつけられた。

 

 

 スピードスターはピカチュウが防いだ。

 バブル光線も砂で封じた。

 残る攻撃手段は十万ボルトのみ。

 

 その十万ボルトを防ぎつつ、スターミーの動きを封じるには。

 

 

 電撃の効果がない、じめんタイプのサンドが突貫すればいい。

 

 

 

 まるくなった身体は投合するには都合がいい。

 加えてクラブのかいりきによってドーピングポケモンさながらの速さで投げられたサンドは、スターミーの電撃を打ち消しつつ、スターミーの赤い水晶体にへばりついた。

 

 

 

 

 再度、スターミーの思考が止まる。

 先ほどの比ではない。

 何も見えないのだ。

 相手が確認できないのでは行動も起こせない。

 何かが視界を覆っているのだとしても、スピードスターもバブル光線も空中に生み出して射出するため、ここまで接近されてしまうとその効果の及ぶところではない。

 加えて十万ボルトを発しているにも関わらず視界が晴れることがない。

 

 混乱が混乱を呼ぶ。

 

 当然、その混乱も長く続くことはなく、強い衝撃によって思考ごと吹き飛ぶことになる。

 

 

 攻撃できないことを悟ったピカチュウは、スターミーの星形の身体の端っこをその凶悪な握力で握りしめ、床に振り下ろして叩き付けた。

 振り下ろしたときの遠心力でサンドはカスミの方に猛スピードで吹っ飛んでいき、小さなカスミの悲鳴が聞こえると同時に後ろの壁にぶつかったが、まるくなるで防御力があがっていたため、もそもそと痛がる程度で済んだようだ。

 

 床に叩き付けられたスターミーの上にマウントポジションをとるピカチュウ。

 そのまま連続して赤い水晶体を殴りつける。

 

 

「スターーミーーー!!!!」

 

 

 

 カスミの悲痛な叫びを無視するかのように、ピカチュウは頑丈な拳で何度も何度もスターミーを打ち付ける。

 

 水晶のヒビも徐々に増加し、紅く煌々と輝いていた水晶はだんだんと光を失い、もうすぐその光を失いそうだった。

 

 

 

「もうやめて!私の負けよ!!」

 

「ピカチュウ!もういい!ピカチュウ!!」

 

 

 

 

 二つのトレーナーの声が重なる。

 

 

 その声を聴いて、ようやくピカチュウの手が止まり、若干不満げな様子を残しながら立ち上がり、スターミーを見下ろした。

 

 

 命だけはつないだのか、スターミーの光はまだ失われてはいない。

 カスミが駆け寄り、スターミーに抱き着いてきずぐすりを与える。

 

 それをサトシは不思議な気持ちで眺めていた。

 

 

 ヒトデマンも、ニョロボンも、倒されたときは動揺することがなかったカスミであったが、スターミーについてはまるで自分のことのように必死になっている。

 自分のポケモンに対してすら非情であったカスミ。

 

 それがスターミーにのみ向けている愛情のようなもの。

 

 なにか理不尽なものを感じざるを得なかった。

 

 

 そして、表面だけを見ず、そういった人間の裏面を自然と意識してしまっていることに、サトシ自信はまだ気づいていない。

 

 

 またしてもモヤモヤした気持ちを残しつつ、ハナダシティジムリーダー戦は幕を閉じた。

 

 




カスミ戦終了。
長かった。


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第五十四話 カスミの過去と、これから。

 カスミは、恵まれた子だった。

 

 

 四姉妹の末っ子として育ったカスミは、何の不自由もなく、何に困ることもなく順風満帆に成長していった。

 

 姉妹揃って才能に恵まれた上に容姿も美しく、物心つく前からポケモンに触れていたために、姉妹達は十代のうちにエリートトレーナーとなり、三女に至ってはハナダシティのジムリーダーとして抜擢される程だった。

 

 

 

 そんな姉妹をみて育ったカスミも、当然自分も優れたトレーナーになるのだと信じて疑わなかった。

 同年代はもとより、カスミは大人とのポケモンバトルにおいても勝率がかなり高く、姉妹にも褒められ、大人にも天才児として大事にされ、自分はすごい、自分は優れている、自分は何をしても許されるのだと考えるようになっていった。

 

 

 姉たちがそうであったように、カスミもその美貌を徐々に開花させていき、美少女という立場を容易に手に入れた。

 

 自分の姉妹が自慢だった。

 自分自身も自慢だった。

 

 自分に悪いようにする人間などこの世に存在しない。そう思っていた。

 

 

 

「きみ、かわいいね。モデルに興味ないかな?おにいさんはタレント会社の社長なんだ。一緒にきてくれたら、もっとかわいくしてあげられるよ。さあ、一緒にいこうよ。」

 

 

 

 疑う心を知らないカスミは、もっとかわいく、美しくなれると聞いて、ついていった。

 

 

 

 

 連れていかれた場所は、地獄だった。

 

 

 

 

 

 カスミが後にショーを行う場所よりも、もっと深い地下。

 

 ほんの十メートル四方程度の、会場というよりもちょっとした応接間のような、だだっ広い空間。

 

 

 そこに、カスミと同じくらいの少女達が目隠しをされ、猿轡をされ、両手を縛りあげられ、大人の男と一緒になってダンスを踊っているように、裸になって激しく動いていた。

 

 ムチで叩かれている子、おしっこをかけられている子、ぺろぺろと身体をなめさせられている子、柱に結びつけられ、死んでいるのではないかと思えるほどに脱力して膝をついている子。

 

 裸の大人の男たちと、自分とそう変わらない少女たちが入り乱れて、ひっかきまわされ、よだれと涙となにか粘液のようなもので塗れていた。

 

 茫然と立ち尽くしていると、さきほどのおにいさんが力任せにカスミの腕を引っ張り、着ている服を引きちぎった。

 

 悲鳴を上げる。

 しかし、助けてくれる人間はここにはいない。

 

 あっという間に裸にされ、乱暴にキスをされ、全身を弄られる。

 

 

 

 

 

 ウソツキ―――

 

 私って、よわいの?――――

 

 力がないの?――――――

 

 力があれば、何をしてもいいの?――――――

 

 おしえてよ。おにいさん。

 力の強いおにいさん。

 

 優しい言葉は全部ウソ?

 

 おしえてよ、おしえてよ、オシエテッテバ―――――――――

 

 

 

 

 

「あーー、すげえいいよ。きみ。ああ名前きいてなかったね。まあいいか。」

 

 

 数時間が経過しただろうか。

 カスミも、その他の少女たちも力を使い果たし、散らかった服の上に倒れるようにうつぶせにくるまっていた。

 

 

 カスミは何も考えられなかった。

 ただ一つのことを除いては。

 

 

 力が、すべて。

 強い人は、何をしてもいい。

 

 

 ぐるぐるとまわっていたその思考が、ようやく自分のものとして認識し始めたカスミ。

 ぐしゃぐしゃになった自分の服を見つけ、満足げにタバコを吸っている男の目を盗み、ポケットから一つのモンスターボールを取り出す。

 

 

 

 強ければ、何をしてもいい。

 

 力があれば、すべてが許される。

 

 優しい言葉は、みんな嘘。

 

 

 

 無言でモンスターボールを転がし、赤い光と共に自分のポケモンが出てくる。

 

 さすがに気づいたのか、大人の男たちは光の発生源の方へ振り向く。

 

 

「スターミー?こんなとこでなにして――――」

「バブルこうせん。」

 

 

 

 男を泡が包み込む。

 大量に生み出された泡が、その場にいる男全員を封じ込める。

 

 すでに声も聞こえない。

 

 

 人を破壊する威力は無いが、水で閉じ込めてしまえば、息はできない。

 男たちはしばらく泡の中でもがいていたが、しばらくしたら一人、また一人と動かなくなっていった。

 

 

 

 

「バブルこうせんバブルこうせんバブルこうせんバブルバブルバブルバブル――――――――――しんじゃえ」

 

 

 

 

 泡が一斉に割れ、息をすることが無くなった大人の肉体が、力なく床に倒れこんだ。

 

 服にくるまった女の子たちがすすり泣く声だけが、唯一聞こえる部屋。

 

 

 一糸まとわぬ姿の美少女は、自分が唯一信頼できる相棒とその場に立ち尽くしていた。

 

 その光景は、芸術作品のように美しく、儚い姿だった。

 

 

 

 

 一部始終をカメラがとらえており、それを見ていた男がいる。

 

「ほほう、趣味の悪いことをする馬鹿を見張っていたが、思わぬ収穫だな。いい闇の色に染まるだろう。」

 

 男はニヤリと笑い、席を立った。

 

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

 

 その後、ドーピングの力を躊躇無く受け入れ、裏の世界に名前を轟かせていく。

 誰にも心を許すことなく、力をもってすべてを蹂躙していく。

 

 ジムリーダーであった三女も、裏の事情は把握していたが、カスミの名前が広まっていることを知ったときにはすでに手遅れであった。

 

 しかし、正しくあり続け、勇猛果敢で優しい心をもったカスミの姉は――――

 

 

 

 カスミに、『優しい言葉をかけた』のだ。

 

 

 

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

 

「あの、カスミさん?」

 

「・・・わかってる。負けたんだもの。約束は守るわ。」

 

 

 バトルが終わって緊張感がある程度ほぐれたのか、涙ぐんだカスミを見て再度ドキドキと鼓動が早まり顔が赤くなるサトシ。

 

 そんなサトシを見て、やれやれとでもいわんばかりにピカピカ言っているピカチュウと、作戦成功を喜び合っている三体のポケモン。

 バトル前となんら変わらない姿でビチビチと水際で跳ねているコイキング。

 

 なんとも言えない空気の中、カスミの言葉を待つ。

 

 

 一向に動く気配のなかったカスミだが、グシグシと目を擦り、顔を上げて立ち上がった。

 あ、目の周りが赤くなって涙の跡が・・・って気にしてる場合じゃない。

 

 

「受け取りなさい。」

 

 カスミがサトシの方に何かを放ってきた。

 あわてて受け取るサトシ。

 

 

「あ、これは―――」

 

「ブルーバッジよ。他の賞品は―――ちょっと保留。どちらにしてもここには無いわ。」

 

 少し顔を赤くして話す。

 

 

 気にしないようにして、無言でうなづく。

 

 

「でも、どうしようかしらね。ここに入る手段はないから、ここにいる間は安全。でも、出たらどうなるかな。」

 

「あ―――」

 

 

 そうだった。

 先ほどの暴動。

 

 時間的にはまだ深夜ではあるが、先ほどの男達はジムの入口を包囲しているのではなかろうか。

 

 当然、ショーのあった会場への通路も。

 

 

 もしも外に出られたとしても、見つかったらどうなるかわからない。

 というか、僕自身も危険だ。

 カスミを逃がした張本人なのだから。

 

 

「まあ、私は負けたんだから、どうなってもしょうがないんだけど。」

 

 

 もうどうでもよくなったのか。

 プールサイドに腰かけ、足をばたつかせて水を蹴り上げている。

 スターミーも一緒だ。

 

 

 しかし、サトシはここで旅をやめるわけにはいかない。

 なにかいい方法がないか。

 

 

「――――これしか思いつかない。けど、まずは外にでないと。」

 

「何かおもいついたの?」

 

 

 興味なさげにカスミが顔をあげて訪ねる。

 

 

「ここから出られる?」

 

「一つだけ、裏道に続く出口があるわ。本来は向こう側からの一方通行だから、ある場所までは見つからずにいけるわ。」

 

「ある場所って?」

 

 

 少し嫌そうな顔をして答える。

 

 

「マサキのとこ。」

「あ、そこ。」

 

 

 予想以上に予想外な答えが返ってきた。

 

 これから向かおうと思った場所に続いている道があるという。

 サトシにとっては都合のいい展開なのだが、カスミはあまり乗り気ではないようだ。

 

 

「マサキを知ってるの?」

 

「そりゃね。パソコンの点検とか、設備のメンテナンスとか、いろいろと出入りしてるわ。」

 

 

 なるほど確かに。

 中立でなければ成り立たない職業ともいえる。

 

 

「あいつ苦手なのよ、私。」

 

「僕も苦手。」

 

 

 どうでもいいところで意見が一致する。

 その展開に、お互いにクスリと笑顔が漏れる。

 

 

「しょうがないわね。いくしかないし。」

 

 

 カスミのしてきた行動を考えると、受け入れがたい性格を持っていることは承知している。

 人もポケモンも平気で殺すし、相手をいじめることに快楽を覚える。

 

 

 そんな相手をそばにドキドキしている自分は、異常者なのだろうか。

 

 

 ふと頭をよぎった考えは、いきましょ、というカスミの言葉に打ち消され、若干のモヤモヤを残しつつ、サトシとカスミはマサキの元へ歩き出した。

 

 

 




かなりハードな過去のカスミさん。

ほんとに作者はカスミが好きなの?と疑問視されそうな内容ですが、安心してください。大好きです(ゲス顔




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【番外編】オーキド博士のドーピング☆実験室 三匹目

何がでるかな、何がでるかな


 これはオーキド博士がドーピングアイテムの研究に勤しんでいた時のお話。

 ドーピングを行うことでポケモンがどう変化するかをつぶさに観察し、まとめていた時期。

 博士も特に罪悪感などなく、研究者という立場でガンガンドーピングを使っていた狂気の時代である。

 助手のタツロウと共に今日も今日とて生物実験に没頭する。

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

「オーーーキドはかせー」

 

 ガチャリとドアを開けて研究室に入ってきたタツロウ助手。

 今日も今日とて破滅的で壊滅的な生物実験が行われるのであるが―――

 

 

「はかせ?」

 

 

 実験室にいたのはオーキドではなく、天井一杯まで巨大化したコダックだった。

 

 

 茫然とするタツロウ。

 ついに失敗したのかとか、巨大化させすぎてつぶされたのかとかいろいろ考えたが、至った結論は―――

 

 

 

 

 トテトテと近づいていき、近くにあったパイプ椅子を両手でつかみ、思いっきりコダックの頭を振りぬいた。

 

 

 

 ゴガンッという音と共に、コダックの頭が首からずれて、床に落ちて転がる。

 

 

 

「はかせー、でてきてくださいー」

 

 

 タツロウの気の抜ける声に続くのは、いつもの元気な笑い声。

 

 

「ガッハッハッハ!ばれたか!イスを振りぬくのが見えて首をひっこめるのが間に合ってよかった!ポキッと逝ってしまうところだったわ!」

 

「これなんですかー?」

 

 

 タツロウが動じずに質問を投げかける。

 まあ、なんとなく予想がついているものではある。

 

 

「これか?ロボットアニメをみておったら、なんとなく巨大ロボットが操縦したくなってな!とりあえずコダックを巨大化させて、皮だけのこしてキグルミっぽくしてみた!結果は重過ぎてまったくうごけんかったがな!わはは!」

 

 

 

 またしても一体、ポケモンの命がどうでもいいことで犠牲になったわけだが、そんなことはこの二人には関係ない。

 いそいそと今日のドーピング実験をするために、準備を始める。

 

 

 

 

「実はタツロウくん。残念なお知らせがあってな。」

 

「なんでしょー」

 

 

「ポケモン管理部から勧告があってな。ポケモンを無駄に消費しすぎだそうだ。」

 

「なるほど」

 

「実験自体は問題ないのだが、ダーツ用ポケモンの調達が難しくなってしまった。」

 

「たいへんですー」

 

 

 まったく重要なことではないのだが、さぞ致命的といわんばかりに力説するオーキド。

 そしてそれに同調するタツロウ。

 

 

 

 

「というわけで」

 

「わけでー?」

 

「無駄にハイパーボールを大量に使って、ビードルを乱獲してきた。」

 

「わーい」

 

「久々にトレーナーの熱意が湧いたわ!ボール投げとっただけだがな!」

 

「これでいくらでもダーツできますねー」

 

「そうだな!そこででてくるのがこの機械!ばばーん!」

 

 

 効果音を自分でいいつつ、カラーリングが青で統一された流線形の大砲のような機械を引っ張ってくる。

 

 

「これぞ!ビードル射出装置量産型RX-2αだ!」

 

「かっこいーです」

 

「威力は初期型を踏襲しつつ、爆発しないように回路を組み直した自信作!しかもコストが半分という驚異的な機械!これは売れる。」

 

「大繁盛ですー」

 

 

 

 一体何に時間を使っているのだろうか。

 しかし、ポケモンだけでなく機械工学、電子工学まで詳しいオーキド博士。

 伊達に天才を名乗っていない。

 

 その才能を一切活かすことができていないが。

 いや、本人的には全力で活かしているつもりなのかもしれない。

 

 

 

 

「さああーあ!本日も!この!装置の!登場、だ!!」

 

「とうじょうですー」

 

 

 

 すでに損傷激しく穴だらけなこの装置。

 回転ダーツでポケモン決めちゃおう☆装置だ。

 

 一度使ったポケモンの名前には穴があくので、同じポケモンを選ばなくて済むのは意外な利点だ。

 

 

「スイッチ、オンンンンン!!!!!」

 

「おんです」

 

 

 ガチャリとスイッチを押すと、見慣れた装置が見慣れた速度で回転を始める。

 

 

 

 ぎゃんぎゃんぎょんぎょんぎょんぎゅりんぎゅりんりんりんりゃりゃりゃりゃりゅりゅりゅしゅいーーーーーーーーーーんしゅああああああああああ

 

 

 

 回転している最中に回転盤がとれたら、研究所が真っ二つになるんじゃないかと懸念されるほどの速度で回り始める。

 

 

 

「そして、ビードル射出装置起動!」

 

 

 

 ゴウンゴウンと起動音がした後、準備完了の合図に青いランプが点灯する。

 

 

 

「発射ーーーーー!!!!!」

 

「ぽちっとな」

 

 

 

 

 

 轟音とも爆音ともとれる衝撃が鳴り響く。

 

 

 

 もうもうと湧き出る煙の中、確かに機械が爆発することはなかった。

 なかったのだが。

 

 

 ダーツ的にビードルが刺さっている。

 

 それはいい。確かに成功だ。

 

 

 だが、それだけでなく、研究室のそこいらじゅうに超速で発射されたビードルが刺さりまくっていた。

 

 

 

「おー!連射できるようにたくさん詰め込んだのだが、裏目にでたのう!またたくさん捕まえてこなければならんの!」

 

 

 

 

 がっはっはと何事もなかったかのように笑うオーキド。

 

 

「ところでタツロウ君。本日はどのポケモンにあたったかな?」

 

「えーとですね」

 

 

 タツロウがビードルの角が刺さっている部分を覗き見る。

 

 

 

「マダツボミですー」

 

「マダツボミか。なんだか想像どおりになりそうだの。」

 

 

 

 マダツボミ

 フラワーポケモン

 人の顔のようなツボミを持ち、蔓状の細い身体で素早く動き回る。

 

 

 

「なんかこう、蔓がすんごい伸びてそこら中溶解液を振り撒くとかそういう感じじゃないかな。」

 

「おもしろそうですねー」

 

 

「とりあえずやってみるかな!さっそくポケモン管理部にいってきたまえ!」

 

「いってきますー」

 

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

 

「いただいてきましたー」

 

「はやかったな!まだ三分しかたっとらんぞ!」

 

「なんかあきらめ顔でしたー」

 

 

 

 マダツボミ程度ならもはや審査すらいらないらしい。

 そこまでこの研究室が有名になってしまったということか。

 よきかな。

 

 

 

「では早速!マダツボミに薬物注入!予想通りか予想を裏切るか!・・・タツロウくん、賭けんか?給料一か月分。」

 

「いーですよー。予想を裏切るに賭けますー」

 

「予想通りに賭ける!がはは!負けても奢ってやらんぞぅ!」

 

「たのしみでーすねー」

 

 

 もはや突っ込みどころしかない研究室。

 しかしこれでも平常運転。マダツボミはどうなってしまうのか。

 

 

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

「給料一か月分でーすねー」

 

「ああ、それはまあ、かまわんのだが・・・」

 

 

 口ごもるオーキド。

 オーキドは蔓が際限なく伸び、溶解液をそこら中に飛ばしまくるみたいなものを想像していたのだが、結果はまるで違っていた。

 

 

 

 蔓は、次から次へと生えてきている。それは間違いない。

 

 

 しかし、生えてくる傍から溶けていっている。

 

 マダツボミの口からは、マダツボミの頭のようなものがそのまま生えてきており、その口からさらに頭が。

 マトリョシカのように連なった頭は、それぞれ溶解液のようなものを延々と垂れ流している。

 

 連なった頭から延びている蔓は四方八方へ伸び、壁に天井に張り付き、蜘蛛の巣のようになっている。

 しかし、下のほうに生えている蔓は、自分の出した溶解液によってドロドロに溶け、マダツボミの直下はすでに自分の出した溶解液と、溶けた蔓が混ざり合って沼のようになりつつある。

 

 

 ある種、無限機関となっているマダツボミのようなもの。

 こういった「根を張る系」に変化してしまう結果は総じて失敗と言えよう。

 

 移動できないから。

 

 

 

 

「タツロウくん」

 

「はいー」

 

「植物に関するポケモンは、気色悪いな!」

 

「そうでーすねー」

 

「レポートに残したら、廃棄廃棄廃棄!」

 

「ひゃっはーです」

 

 

 

 

 というわけで、なかなか成功パターンが生まれないドーピング実験。

 オーキド研究室は失敗を生み出すためだけに存在しているとすら言われているが、タツロウのまとめるドーピングレポートはかなりしっかりした出来をしており、研究レポートを綴じた「オーキド研究室ドーピングレポート集」は研究所内で馬鹿みたいに購入されている。

 

 もちろん研究に役立てるわけではなく、ネタとして。

 

 

 

 

 面白楽しい恐怖の研究は、明日も続く。

 来週も、下手したら来年も。

 

 



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第五十五話 マサキへの報告

 カスミと共に裏口から外に出て、周りを気にしつつマサキの家に向かう。

 時間的にはまだ深夜三時を回ったところ。

 街は寝静まっていたが、ジムの周囲には男の声がまばらに聞こえた。

 

 こんな時間にマサキを訪ねていいものかと悩んだが、朝になってしまうと否応なしに見つかってしまうリスクが高まるため、致し方ない。

 

 

 ちなみに、さすがに水着で外にでるわけにもいかないので、カスミは白いパーカーと対になる白いジャージを履いていた。

 

 カスミはそんなのいらないわよ、とかいっていたが、サトシの猛烈な説得によってなんとか肌を隠してくれた。

 

 

 バトルが終わってからのカスミは無気力というか、覇気とか勢いみたいなものが随分と無くなってしまっているように思える。

 

 単純に疲れたのだろうか。

 それとも、なにか理由があるのだろうか。

 

 

 あまり目立つ行動もできないので、無言で音を立てずにゆっくりと歩く。

 ピカチュウは当然のように服を着て、その光り輝く蛍光色を抑えている。

 

 さすがにこれ以上事を荒げてもらっても困るので無理やりにでも着させるつもりだったが、すんなりと言うことを聞いてくれて助かった。

 

 もとより、ボールに入ってくれればそんな問題も起こらないのだが。

 

 

 

 

 数分そのまま歩くが、男女二人(ピカチュウ除く)が深夜に連れ添って歩いているのだ。

 カスミはなんともないようだが、サトシはこんな経験は初めてで、心臓のドキドキが止まらない。

 無言の空間に耐えきれるはずもなく、少しだけ気になっていたことを小声で訊いてみた。

 

 

 

「あの、カスミさん?」

「カスミでいいわよ。いまさら。」

 

 

 微妙な立ち位置だったため、どっちつかずの敬称だったが、ようやく認可が下りたようだ。

 

 

 それじゃあ、と前置きをして

「カスミ、あの会場にいた―――審判の人とは、どんな関係なの?」

 

 

 あの暴動の中、逃げる道を教えてくれた審判の人。

 ただ一人理性を失うことなく、『カスミ様』とずっと言っていた男性。

 

 

 

「ああ、執事、みたいなもんよ。昔っから私のことを心配してたみたいでね。・・・なに、その顔。」

 

 

 

 カスミにもわかるくらい、驚いた顔をしていたようだ。

 カスミのことを心配するような人間がいたとは。

 いや、馬鹿にしているわけではない。本当の意味で、カスミを心配する人間などいないと思っていたのだ。

 

 他人に心配されることなど屈辱だ、などとでも言い出しそうなくらい、カスミは孤独な天才であるハズだ。

 

 

「別に何も言ってこなかったの。私が何をしようと、どうなろうと、あいつはずっと私を見てたわ。拍子抜けしちゃうわよね。だから私もほっておいたの。結局、一番長く、一番近くにずっといたわ。」

 

 

「そっか、それで・・・」

 

 

「それがどうかしたの?」

 

 

 サトシは、あの暴動の時に何が起きたかを簡単に説明した。

 ―――あまりカスミの状態には触れずに。

 

 

 

「そうだったのね―――馬鹿ね。あいつも。」

 

「・・・」

 

 

 

 あの審判はいまどうなっているのだろうか。

 自分たちを助けたとバレてしまっているだろうか。

 

 であれば、無事だとは考えづらい。

 無事であると思いたいが。

 

 

 

 再び無言になる二人。

 

 

 街の明かりも随分離れ、周囲に人の気配はない。

 そしてこんな時間にも関わらず、だんだん見えてきたマサキの家の窓からは人工的な光が漏れている。

 

 

 

 エンジニアというのはいつまで起きているのだろうか。

 まあマサキであれば寝ずに作業していても体調を崩すということは無さそうではあるが、それにしても遅いとは思う。

 

 

 

 

 黙々と歩き続け、マサキの家の前にたどり着いた。

 空はまだ暗く、街灯もほとんどないこの場所において、マサキの家はかなり異様に映る。

 明かりをつけたまま寝ている、なんてことは無いと信じてはいるが、若干扉を叩くのを躊躇する。

 

 人として常識の範囲で。

 

 

 

 

「まあ、躊躇している場合でも無いんだけどね。」

 

 

 

 夜が明けて空が明るんでくれば、当然人目につくようになる。

 そうなればサトシもカスミも危険な状況に逆戻りだ。

 もしかしたらゴールデンボールブリッジを渡ってこちらへ男たちが来る可能性もある。

 サトシはマサキの顔を一度思い浮かべて、祈るように扉をノックした。

 

 

 

 

 コンコン

 

 

 

 

「・・・・・」

 

 

 返事が無い。

 やはり寝ているのだろうか?

 もう一度扉を叩く。

 

 

 

 コンコンコン

 

 

 

 と、中からドタドタと荒い足音が近づいてきた。

 

 

 直後、勢いよく扉が開く。

 

 

 

「なんやぁうるっさいわ!こんな時分にガンガンガンガンドア叩きよって!しばいたるから覚悟せえや!!・・・・って、なんやサトシくんやないか。どないしたん自分?」

 

 勢いよく扉が開いたかと思えば、嵐のようにしゃべり続ける天然パーマ。

 一つの出来事に三つも四つも話さないと気が済まないらしい。

 

 呆気にとられているサトシを確認し、通常モードに移行したようだ。

 

「それになんや。後ろにおるんはカスミやないか。蝙蝠も眠るような時間に来たとおもたら、愛の逃避行かい。なんやおもろそうやな。」

 

「あ、あいってそんな」

 

「わかっとるわい焦んなやドアホ。とにかく入れや。」

 

 

 そういうとドアを開け放ったまま部屋の中へ、ドカドカと足音を響かせながら入っていった。

 

 

 後ろで気まずそうにしていたカスミを見て、嫌そうな顔もかわいいと少しだけ思いつつ、二人供マサキの家に入り、静かに扉を閉めた。

 

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

 

「で、どういうことやねん。わいはカスミを倒せいうたんや。逢引してわいのとこ連れてこいなんて一言もいうとらんで。」

 

「それはまあ、いろいろと事情がありまして・・・」

 

「最初っからまるっとぜーんぶ説明せえや。隠し事はなしやで。全部や。ぜーんぶ。」

 

 

 マサキの何も言わせない勢いに飲まれそうになるが、チラとカスミを見やる。

 

 部屋の隅っこで地べたにペタンと居心地悪そうに座っているが、サトシの視線に気づくと、もうどうでもいいわよとでも言いたげに、視線を逸らした。

 

 

 サトシにもカスミの行動の意図は伝わったのか、背もたれを前にして座っているマサキに、夜にあった出来事をなるべく細かく説明を始めた。

 

 

 

 チッチッと時計の音が進む中、サトシの声だけが部屋の中で響く。

 カスミも、マサキも、黙ってサトシの話を聞き続けている。

 

 

 

 

 

「――――――というわけで、マサキさんの家にきたんです。」

 

 

 時間はかかったが、なるべく記憶を鮮明に掘り出しつつ最後まで説明した。

 

 

 話を聴いているときと同じ姿勢で、なるほどなるほど と何度も頷いているマサキ。

 どういう言葉が返ってくるのか不安で、心臓の鼓動がどんどん激しくなる。

 カスミも表情には出さないが、同じ気持ちだろう。

 

 なにせ、二人の命運はすべてマサキの判断にかかっているのだ。

 町民に通報しようと、匿おうと、マサキの一存で決まってしまう。

 ここでサトシの旅が終わってしまうのかと不安にもなる。

 

 ・・・さっきから後ろでスヤスヤと寝ているピカチュウにはもはや何も言うまい。

 もうすぐ四時になろうという時に、まだ起きている方がおかしいというものだ。

 

 

 

 

 時計の針が進む音だけが聞こえる。

 緊張の面持ちでマサキの言葉を待つサトシとカスミ。

 

 

 

 

「くっ」

 

 

 

 マサキの声が漏れる。

 

「く?」

 サトシは首を傾げる。

 一体何を言っているのか―――

 

 

 

「く、くくくくく、ぷっ、ぶっふぁふぁふぁふぁふぁふぁあはははははははは!!!!」

 

 

 

 いきなり笑い始めるマサキ。

 

 茫然とマサキを見る二人。

 

 

 

 

「あはっ!あは、あははははははは!な、なんなんそれ!!おもろ!おもろすぎやサトシくん!!!自分芸人目指したほうがええんちゃうん?!わははははは!!」

 

 

 

 そんな返答が返ってくるとは微塵も思っていない二人は唖然とする。

 

 

 

「変なおっさんに声かけられて!そのまま裏のショー会場までノコノコと付いて行って!残虐ショーで吐きそなって帰ろ思たら!ピ、ピカチュウが出てって!プククク!!そのままバトル開始て!!最後にはおっさん共に追いまわされて逃げ込んだ先がハナダジム!そのまま殺されるかもしれへんのに空気に流されバトル!そんなん狙ってもでけへんわ!!!天才や天才!!うわははははははは!!!!」

 

 

 

 笑い始めた時は少しムッとしたサトシであったが、改めて概要だけ並べると確かに笑い話かコントのように出来上がった話のようにしか聞こえない。

 これがマサキと別れて一日も経過しないで起きた出来事だと考えると、よほどの強運か凶運の持ち主とでも言おうか。

 子供のころは濃密な時間を体感として過ごすことが多いと言うが、サトシほど極端な子供も、そういるまい。

 

 なんにせよ、マサキが落ち着くまではまともに会話ができそうにないので、苦い表情のまま笑いが収まるのを待つ。

 

 相変わらずカスミはそっぽを向いているようだが、つい先ほどまでの流れを復習した結果、なにか思うこともあるのか、若干顔が赤くなっているようだ。

 

 

 

 時間は四時過ぎ。

 

 もう間もなく闇が晴れ、日の光が町を照らし始める頃合いだ。

 なるべくそうなる前にいろいろと決めたい思いはあるのだが、いかんせん決定する当の本人がこの調子だ。

 

 

 大人しく待ち続け、同時に、先行きの見えない不安に溜息が漏れるサトシであった。

 

 

 

 



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第五十六話 取引の内容

「そろそろ大丈夫ですか、マサキさん・・・」

 

 

 さぞおかしかったのだろう、数分間は笑い転げているマサキに対して、さすがに耐え切れなくなったサトシが口を出す。

 

 

「ああ、うん、せやな、くくくっ。で、サトシくんはわいに何をしてほしいんや。」

 

 

 急に問われてびっくりしたが、少しだけ考えて、自分の要求をマサキに言う。

 

 

 

「カスミを、助けてほしい。」

 

「おせっかいなやっちゃな。ほっといたらええやんか。サトシくんを殺そうとしたんやで。男どもに犯されようがなにされようがサトシくんには全く関係あらへん。サトシくん自身も、その会場におった男どもには睨まれるやろうけど町をでればなんもあらへん。それでええんちゃうん?なんでカスミを助けたいんかわからんわ。」

 

 

 息をつく間もなくマサキが意見を述べる。

 確かに、その通りではある。

 

 すでにブルーバッジはもらったし、それ以上の用事は本来サトシには無い。

 カスミを助けたせいで町民には睨まれる立場になってしまったのは仕方ないにしても、カスミを倒すという条件を満たしたサトシは、マサキから情報を得るだけでよいのだ。

 カスミを助ける、なんて余計なことはする必要性は全く無い。

 

 

 それでもカスミを助けたいとサトシが思ったのには、具体的な理由は特にない。

 強いて言うならば

 

 

「――――ほっとけなかったから、かな。」

 

「ホンマもんのアホやな自分。」

 

 

 ニヤニヤしながらそんなことを言われてしまった。

 しかし反論もできない以上、サトシは黙っていることしかできない。

 

 

「ま、ええで。カスミを倒してくれたんは事実や。そこんとこの約束は守るで。ただな、サトシくん。カスミを助ける約束は、わいはしとらん。せやからな。どっちかや。言うたやろ?等価交換やて。」

 

 

「・・・」

 

 

 

 サトシは黙り込む。

 マサキの言うことはもっともだ。

 最初にマサキは言っていた。自分は中立だと。

 どっちかに得するように動くには、それなりの代価が必要だと。

 

 自分の目的を果たすにはマサキの情報は必要だ。

 かといって、カスミをこのまま町に放り出すというのも許せることではない。

 うまいこと言って両方を得ることができないかと頭を回すが、マサキの方が口がうまいことは百も承知だ。それも叶わぬ願いだろう。

 

 ああでもないこうでもないと考え込んでいると、カスミがここへ来て初めての声を出した。

 

 

「―――例の賞品があるじゃない。あれを引き合いにだせないかしら。」

 

 

 急に聞こえたカスミの声に、ゆっくりとカスミの方に振り向く。

 賞品。そういえばそんなものがあった。

 

 

 一千万円と、カスミを一日自由にできる権利とやら。

 

 ・・・後半をマサキとの取引に使うのは気が引ける。

 いや、自分で使うつもりも無いのだが。

 

 

 なにか嫌な予感しかしないので、お金の方だけ引き合いに出すことにした。

 

 

 

「マサキさん。」

 

「なんや。」

 

 間髪入れずに返事をしてくる。今のカスミの発言が気になっているのだろうか。

 

 

「先ほど話したショーの賞品として、一千万円ありまして。」

 

「それを代価として出そうっちゅーことか。せやな~なかなかの大金やな~。」

 

 

 イスをくるくると左右に廻しながら話すマサキ。

 

 

「でもなー、ワイ、金はこまっとらんねん。わいしかでけへん仕事しとるし、世界中がワイの作ったシステムつこうとるしな。一千万円は魅力的やねんけど、もう一息やな。」

 

 

 口を塞ぐサトシ。

 もう一方は・・・しかしサトシには出せるものがもう存在しない。

 

 

 

 

 

 

 

「私を自由にしていいわよ。」

 

 

 

 

 

 

 

「!?カ、カスミ!?!?」

 

「ほんまか!!!そんな条件やったら飛びつくで!あのカスミを自由にしてええなんてな!!」

 

 

 サトシがなんとしても出すまいと思っていたものが、カスミの口から放たれてしまった。

 カスミ自身、やはりなにか自暴自棄になっている節はあるようだ。

 

 

「サトシくん、ええな?それならぜーんぶかなえたるわ。ワイのしっとる情報と、カスミを生き延びさせたる。」

 

「で、でも!カスミは―――「いいのよサトシ。どうせあなたも使うつもりじゃなかったんでしょ。」―――・・・」

 

 

 

 ほかでもない、カスミ本人に言われてしまっているのだ。

 そして、一日自由にできる権利などサトシは使うつもりがなかったことも見破られている。

 

 

 そんな二人の言葉と視線のやりとりをニヤニヤと見守るマサキ。

 

 

「ま、そういうことや。ワイの方で手配はしとく。カスミは一旦奥の部屋で寝とき。今日の夜に逃がす算段立てとくわ。最低限の荷物はジムからもってきといたるわ。」

 

 

 不安になっているサトシを横目に、マサキがどんどんと話を進める。

 何も口を突っ込むことができないことに、自分自身の不甲斐無さを感じるサトシ。

 

 

「・・・・わかったわ。サトシは」

 

「なんやー?サトシくんに惚れてしもたんか?カスミ?ぬはは」

 

 赤くなるカスミとサトシ。

 

「そ、そんなわけないじゃない!」

 

「ムキになるなや~。サトシくんはちょこーっと話があんねん。それ話さな、落ち着けんやろ?サトシくん?」

 

「え?あ、そうですね・・・」

 

 

 本当にころころと話が変わる人だなと思った。

 不安もあるし、自分の力の無さも感じているが、それはもうどうしようもないことだ。

 マサキがカスミを悪いようにしないことを祈ることしかできない。

 

 

 

「そう。それじゃあね、サトシ。また後で。」

 

「あ、うん・・・おやすみ。」

 

「おやすみ。」

 

 

 そういって、カスミは奥の部屋へ消え、パタンと静かにドアを閉めた。

 

 

 ピカチュウの寝息だけが聞こえる部屋で、少し胸が痛くなるサトシ。

 

 

 ずっと奥のドアを見つめているサトシを、マサキはまたニヤニヤと眺めて

「なんや、もうラブラブやないか。おもろ。サトシくんおもろ。」

 

「うるさい!そんなんじゃない!」

 

「おー、せやなせやな。ぬっはっは!」

 

 

 口喧嘩になったところで勝ち目はないことは重々承知しているが、顔の赤さをごまかすために怒ったフリなどをしてみるサトシ。

 もしかしたらそれすら見透かされてからかわれたのかもしれない。

 

 やはりこの人は苦手だなと内心思ったサトシだった。

 

 

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

 

「さーて、落ち着いたとこで、いろいろと話そかね。」

 

「お願いします。」

 

 

 マサキが暖かいお茶を淹れてくれたので、ズズズと啜りながら話を聴く。

 

 

「まずはこれいっとこ。おめでとうサトシくん。まさかホンマにカスミを倒せるとは思っとらんかったわ。」

 

 意外な賞賛の言葉に驚きつつ、先ほどのやり取りを思い出して微妙な顔になるサトシ。

 

「まあまあ、そう怒らんといてや。悪いようにはせえへんて。」

 

「・・・僕には何もできませんから。」

 

「おーおー、随分と大人びたことを言うんやな。もっと子供らしいほうが可愛げもあるってもんやけど。」

 

 

 話が逸れそうだったので、サトシはそれ以上言葉を返さず、先を促した。

 それを汲んだのか、マサキが本題を話し始める。

 

 

 

「せやな、何からはなそか。―――サトシくん、『Angel計画』って知っとる?」

 

「エンジェル?いえ、きいたことないです。」

 

「おーけーや。んじゃ、そこからはなそ。」

 

 

 

 そういって、マサキは一度目を伏せ、昔話を話すようにゆっくりと話を始めた。

 

 



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第五十七話 Angel計画

『Angel計画』

 

 裏の世界において、ある考えを実現するために発足したプロジェクト。

 

 

 その考えというのは、このような内容だ。

 

 

 

 ポケモンはドーピングによって非常に強力な力を得ることができる。

 岩をも砕き、津波を呼び、炎が舞い上がり、自然の脅威をその身体に宿す兵器だ。

 

 その力をうまく使えば、世界を支配することすら可能であろう。

 

 そう考えた者は多くいた。

 ドーピングを利用して、力において蹂躙し、征服しようと考えた。

 

 

 しかし、より深く考える者達は、いくら考えてもそんなことは不可能だという結論に達した。

 いくつか理由はあったが、その中でも致命的だったのが、ポケモンと呼ばれる生き物達は、大半が自己判断で行動することができなかったのである。

 

 当然、野生にいるポケモン達はその生態系に沿って行動するが、一度モンスターボールでつかまり、主人が刷り込まれてしまった状態においては、基本的には主人の言うことに対して絶対となる。

 逆を言うと、命令なくして行動がとれない。

 

 これが何を意味するか。

 

 つまり、常にトレーナーが傍にいなければ攻め入ることなど到底できないのだ。

 加えて、力だけあったところでそれを活かす方法を知らなければただの筋肉達磨。

 岩を壊すだけであれば爆弾でも投げつければいい。

 

 ドーピングポケモンは、その強力な力をバトル以外に使うための知識を持ち合わせていなかったのだ。

 

 

 

 大半のトレーナーはこの時点で諦めた。

 そして、裏のバトル自体を楽しむためにポケモンの強化を行っていった。

 

 裏の世界とはいえ健全。

 生き死にが掛かっているにしても、個人対個人。決して大規模な争いに発展することのない、あくまで健全な状態に落ち着いていった。

 

 

 しかし、それで納得がいかない研究者がいた。

 それぞれの能力ではなく。

 

 知識そのものを強化できないかと。

 人間のように行動し、人間のように会話し、人間のように智謀に長けたポケモンを生み出せないかと。

 

 そう考えた。

 

 

 それが、人間の知識と怪物の力を持つ禁断の技術を生み出す計画として始まり、その名前を『Angel計画』と名付けた。

 

 

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

 

「ここまではええか、サトシくん。」

 

「えっと・・・・」

 

 

 何やら新しい裏の世界の事情を知ってしまったらしい。

 人間のような知力を持つポケモンを生み出す計画。

 

 そんなバカげたことが研究されていたとは。

 悪事というものは時に突飛な発想によって技術を開発してしまう。

 無意味なものが大半であっても、ほんの一部が利用価値のあるものだと、そこから一気に派生してしまう。

 

 

 しかし、ここまで旅をしてきてそのようなポケモンにはまだ出会っていない。

 それぞれトレーナーがおり、その命令に従って行動をしていたように思える。

 

 Angel計画なんていうものも初耳だ。

 

 

 

「・・・その計画は、失敗したんですか?」

 

「せやな。失敗したわ。そんなバカげたことが成功するわけあらへん。」

 

 

 それを聞いてほっとする。

 

 

 ――――いや、まて。

 

 失敗した計画をあらためてサトシに話したのは何故なのか。

 軽はずみに物事を判断すると痛い目を見ることは痛いほどに体験している。

 

 今はただの会話なので身の危険が脅かされるということはあるまいが、こういうときこそ思考を働かせなければ、いざというときに働かないものだ。

 

 

 少し考えて、サトシはマサキに問う。

 

 

「――その計画は、すべて無駄になったんですか?」

 

「いや、無駄にはならんかった。少なからず、得られた技術はあったんや。」

 

「それはどんな・・・?」

 

「サトシくん。よぉーく、考えてみぃ。サトシくんは知っとるはずや。心当たりがあるはずや。」

 

 

 

 そういわれて、サトシは意味はわからなかったが、とりあえず考えてみる。

 心当たり?この計画について?

 

 

 

「人のように行動し、人のように考え、人のように自己判断する。そんなポケモン、おらんかったか?」

 

 

「人のように・・・・――――あ」

 

 

 

 後ろを振り向く。

 

 

 

 サトシの視線の先には、鼻提灯を膨らませながらスヤスヤと大の字で眠りこけている黄色い巨体の姿。

 

 人のように食事をし、人のように行動し、人のように自己判断で行動する。

 

 

 

「ピカチュウ――――君は、一体、何ものなの?」

 

 

 

 

 あまりに特徴が一致しすぎる、自分の相棒に対して、疑問を抱く。

 

 今までは気にすることもなかった、ピカチュウの過去。

 

 

 オーキド博士が話してくれたピカチュウの過去に、なにか隠されたものがあったのだろうか。

 オーキド博士も知らない、ピカチュウに隠された事実がある?

 

 

 オーキド博士は裏の事情については何も知らなかった。

 ドーピングに関わっただけの研究者であるオーキドでは知らない、Angel計画という悪魔の研究。

 

 その対象としてピカチュウが使われていた?

 

 考えれば考えるほど、思考が反復する。

 疑問が疑問を生み、解決することなくループし、さらに疑問は増していく。

 

 

「あいてっ」

 

 

 ピカチュウを見ていたサトシの後頭部に軽い衝撃が加わる。

 

 

「落ち着けや、アホ。」

 

 思考の沼に嵌っていたサトシを救ったのは、マサキのデコピンだった。

 後頭部をさすりながら、マサキを見る。

 

 

「ワイはそこまで考えろなんて言うとらんわい。認識できたらそれでええ。次に進むで。」

 

 

 どうやら話はまだ先があるようだ。

 サトシは今の思考を一旦横におき、とりあえずすべての話を聴く姿勢を整えた。

 

 

「準備ええか?」

 

「―――はい。お願いします。」

 

 

 

 ゆっくり深呼吸し、チラとピカチュウを一目みて、マサキの方へ向き直す。

 

 

 

「んじゃ、話すで。」

 

 

 

 

 マサキの話は続く。

 空は徐々に明るさを増し、朝と言ってもいい頃合いになってきた。

 




ちょっと短め。
これ以上はキリが悪くなりそう。


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第五十八話 行くべき道

 Angel計画は頓挫した。

 

 いくつか達成すべき成果を得ることはできたが、最終目的には遠く及ばないものだった。

 数年の歳月をかけて研究者が得たものは、「人の習慣の模倣」「自己判断能力の付与」「人型への変質」など、確かに非常に効果のある結果ではあったが、どれもこれも目的には遠く及ばない。

 

 研究者が追い求めた結果になるには、「信仰心の理解」が不可欠だった。

 善悪の区別など、信仰心さえあればどうとでもなる。

 しかし、自己判断能力がついたまではよかったのだが、それにより善悪の区別を付けるようになってしまった。

 それを払拭することが、どうしてもできなかった。

 

 結果的に研究資金が底をつき、それ以上の進展も見込めない状態になり、その研究者は行方を晦ませた。

 

 

 そこですべて片がついた、と思われた。

 

 

 しかし、失敗に終わったと思われた研究が、再度動き始めたと噂が流れた。

 詳細は一切不明。誰が始めたのかも、問題をどう解決しようとしているかも謎。

 計画が再始動した、という事のみ眉唾な噂として耳に入った。

 

 そしてそれには、ロケット団が関与している、とも。

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

「ロケット団・・・!」

 

「さすがに知っとるわな。ポケモンつこうて、あかんことばっかりやっとる犯罪集団やな。ただ、いくらロケット団いうても、研究を完遂させることなんてでけへん。そんときも、今でもそう言われとる。不思議なんは、どうやってロケット団がその研究資料を手に入れたか、やな。ただの犯罪組織が簡単に手に入れられるようなとこになかったにも関わらず、や。」

 

 

 ロケット団。

 サトシにとって、現状もっとも忌むべき存在であり、名前を聞くだけで吐き気がするほど。そのような思いを抱いている人はサトシだけではあるまい。それ程までに多くの犯罪と悪行を積み重ねている集団である。

 

 

「―――ん?でも、研究は進まないんですよね?それなら問題ないんじゃ」

 

「そこがこの話の核心のとこや。よーく覚えとき。」

 

 

 そういわれて、サトシはゴクリと喉を鳴らし、一言一句聞き逃すまいとマサキの発言に注意する。

 

 

「最近なって、また一つ、噂話がでてきたんや。そのAngel計画についてなんやけどな。」

 

「どんな噂話ですか・・・?」

 

 

 緊張の面持ちでマサキの言葉を待つ。

 

 

「なんでも、レッドが別のとこで絡んどるらしいで。」

 

「レッドが!?」

 

 

 裏と表の統制をしたレッドが、何故今更になってAngel計画などに手を出すのか。

 そもそもずっと行方を晦ませていたレッドが、噂にでてきたということは、本当にどこかに現れたか、誰かが意図的にその噂を流しているかだ。

 

 レッドの存在を考えると、どちらもありそうなことではあるが、その意図は一体何なのか、全く見当がつかない。

 

 

「レッドは何故Angel計画に関わろうとしたんですかね?」

 

「わいも詳しいとこはわからへん。それに、計画を進ませようとしとるのか、止めようとしとるのかもわからん。レッドの真意はなんなんやろな。」

 

「・・・レッドはどこにいるんでしょうか。」

 

「さあ、そこまではわからへん。最も、ここまでインフラが発達した世の中で隠れられる場所なんてそうないで。」

 

「レッドの居場所がわかるんですか!?!?」

 

 

 知りたかった情報がマサキの口から出た瞬間、身を乗り出した。

 裏の世界に入った最初の目標は、レッドに会うことだったので、サトシの反応は当然のことではある。

 肝心のレッドに対する評価と考え方は、旅に出たときよりも変化しつつあるが、真実はレッドしか知らないのだ。

 実際に会うまではあくまで自分の想像にすぎない。

 

 

「そう喚くなや、焦らんでも言うから座っとれ。それに、ただの可能性の話や。」

 

「あ、ごめんなさい――」

 

 

 乗り出していた身体を引き、元の場所に座り直す。

 

 

「カントーにおるなら、多分、ハナダの洞窟やろな。」

 

「ハナダの洞窟・・・?ハナダってことは、この町に?」

 

「まあ、確かにこの町には違いないんやけど。行くのはちーっと面倒やな。」

 

「面倒・・・?」

 

 

 

 マサキが言うには、そのハナダの洞窟というのはこの町の目と鼻の先にあるらしい。

 ところが、その洞窟へ行くには並大抵の力量ではいけないとのことだ。

 

 激流を昇り、岩場を進み、且つ強力な野生ポケモンが蔓延っているという。

 洞窟の存在を知っている人がほとんどいないこともそうだが、何よりたどり着くことが難しい。

 確かに隠れるにはもってこいの場所ではあるようだ。

 

 クラブであればなみのりを使うことができるが、技を出すのと実際の水場を進むのは訳が違うらしい。

 セキチクシティのジムリーダーが持つバッジを、なみのりを持つポケモンに見せることでその本当の能力が開花するという。

 

 

 レッドに会うにはまだ先の話になりそうだ。

 ともあれ、情報を得ることはできた。

 マサキが最初に言っていた通り、これからどう動くべきかの指針を定めることができたように思える。

 

 

「ワイがサトシくんに話せることは、これくらいやな。あとはなんか、ききたいことあるか?」

 

 

 マサキから聴いた情報を反芻し、疑問点を思い浮かべる。

 確かにいろいろと判断が難しいことが多い内容ではあったが、改めて問い直すような疑問点は無い気がする。

 それよりも、今のサトシには気になっていることが一つだけあった。

 

 本来は、サトシが気に掛けるべき問題ではないし、気に掛けるだけの必要性も意味も無い。

 しかし、サトシにとっては非常に重要な問題であるような気がした。

 

 

「カスミは、どうなりますか?」

 

「この期に及んでそれかいな。ホンマおもろいやっちゃな、サトシくん。」

 

 

 他に手段がなかったとはいえ、自分の判断によってカスミは追われる身になってしまったのだ。

 気に掛けないわけにはいかない。

 

 

「心配せんでも、なんもせんわ。カスミはカントーから出して、他所の地域へ行ってもらうわい。ポケモンリーグはカントーが管轄やさかい。そこまで追ってくることはあらへんわ。まあサトシくんがどーしてもっちゅーんやったら、あんなことやこんなことで手―出してもかまへんけどな。」

 

「だ、だめです!」

 

「随分お気に入りやんか~サトシくん~。カスミは人もポケモンもぎょーさん殺してんねんで?人殺しを好きになるなんて、サトシくんもおかしいと思わへんか?」

 

 

 ニヤニヤしながらサトシを見るマサキ。

 随分と下世話なものだ。しかし、カスミも大人びた精神を持っているとはいえ、まだまだ十代の女の子。

 マサキにとっては下手に手を出して遺恨を残すくらいなら、少年と少女の甘酸っぱい恋愛ストーリーを目の前で堪能した方が面白いと判断したようだ。

 とても悪趣味である。

 

 しかしマサキの言うことも最もだ。

 カスミは人殺しであり、ポケモン殺し。

 裏の世界に身を置いているとはいえ、カスミのそれは意味合いが大きく異なる。

 カスミは打ちのめし、叩き潰し、虐殺することに喜びを感じていた。

 あの狂気そのものと言える趣味の悪いショーも、カスミの欲求を満たすためだけに始まった悪魔の一夜だ。

 

 自分ではそう思いたくない、という考えはあるのだが、カスミのことを思うと顔が熱くなり、心臓の鼓動が早まる。

 これが恋だというのなら、間違いなくそうなのであろう。

 

 ただ、その対象が狂人であったというだけの話。

 

 

 本来であれば決して相容れない禁断の恋慕。

 それを成立させようとしてしまうのは、恐ろしくもカスミの魅力か。

 人は危うさを求める。リスクを楽しみたがる。

 サトシにそのような考えがあったのかどうかはわからないし、本人にその気もなかったであろう。

 しかしサトシはまんまと、人間の欲の醜い部分に自ら足を踏み入れようとしていたのだ。

 

 黙るサトシを楽しそうに眺めるマサキは、少年の考えることなど手に取るようにわかっているのだろう。

 その心の葛藤を褒めもせず、責めもせず、どのように変化していくのだろうかと心の中で舌なめずりして楽しんでいるようだ。

 

 闇にはまりつつある人間は、自分が善悪どちらに傾いているのか判断がつき辛い。

 本人たちにとっては由々しき問題であっても、それを見守る第三者にとっては娯楽にもなり得ることだった。

 マサキは別にそういった趣味があるわけではなかったが、あまりにサトシが初心だったので、楽しむことにしたようだ。

 少年のアブナイ恋を成就させてあげるのも、大人の役目などと考えているのかもしれない。

 

 そんなことは露知らず。

 サトシは赤くなった顔で不機嫌な顔を作り、嫌な笑顔を浮かべているマサキをにらみつけていた。

 

 

 



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第五十九話 最後の夜

 もう朝やから、サトシくんは寝とき。

 なんも無いとは思うけど、町にはでえへんほうがええな。

 サトシくんも顔みられとるし、カスミを逃がしとるからええ顔されへん。

 

 わいはジム行って、カスミの荷物とか必要なもん回収してくるわ。

 

 あん?この町でわいに文句言うやつなんておらへんて。

 世界中敵に回すようなもんやからな。

 こんな町のはずれに住んどるのも、誰も近づかへんからや。

 おかげで毎日パーリナイしてもだーれもなんも言わん。

 たのしいで~

 

 

 ―――ちゅーわけや。サトシくんはなーんも心配せんで、てきとーに寝ときぃや。

 別にカスミと同じ部屋で寝ても・・・痛!冗談やって!おもろ!サトシくんおもろ!

 

 

 

 

 

 

 と、そのようなことが先ほどあった。

 少し奥の部屋が気になったが、無論侵入するほどの度胸はサトシには無い。

 大人しくその場で横になり、大の字で寝ているピカチュウを見つつ、毛布にくるまって寝ることにした。

 

 先ほどまで全く眠気など感じなかったが、いざ横になると急激に睡魔に襲われた。

 ショーにジムリーダー戦にマサキの話。

 

 一つの夜に起きたこととは到底思えないほどの密度だ。

 体力のある十四歳の少年とはいえ、さすがに寝ずにここまでのことをすれば疲れもする。身体も頭も過去に無いほど酷使したことを実感したサトシは、睡魔に逆らうことなくそのまま夢の世界へと落ち込んだ。

 

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

 

「サトシくん、おきぃや。サトシくん。おーい、はよおきぃや。」

 

「んあ・・・あさ?」

 

「寝ぼけすぎや、あほ。」

 

 

 寝ぼけ眼をこすり、ボーっとした頭を覚醒状態に戻す。

 目を何度か瞬きさせ、視界が徐々に鮮明になる。

 

 

「ああ、そっか―――」

 

 

 視界に入ったのは見覚えのある天然パーマ。目つきの悪いその男はまぎれもなくマサキだ。

 

 くるりと見回すと、カスミとスターミーと戯れているピカチュウの姿があった。

 

 カスミは目立つ白いジャージ姿から代わり、地味目な服装に着替えている。

 濃い藍色の少しダボついたジーンズに、薄いオレンジのインナー、その上に元々着ていた白いパーカーを着て、黒いジャケットをさらに重ねていた。

 手元にはグレーのキャップも持っている。

 明るすぎず、地味すぎない服装だ。

 年頃の女の子にとっては、かなり不服な恰好ではあるかもしれないが。

 特に、カスミのような自分に自信のある女の子にとってはなおさらだ。

 

 まじまじとカスミを見つめ、カスミからもサトシのことを不思議な顔で見ていることに気づくと、慌てて視線を外す。

 時計を見ると、すでに夕方といえる時間帯。

 どうやら寝すぎたようだ。

 

 カスミからはほのかにシャンプーの匂いがする。

 とっくに起きて、シャワーを浴びて身なりを整えたのだろう。

 

 鼻をくすぐる女の子の匂いに、やはり少し赤くなるサトシ。

 それを相変わらずニマニマと眺めるマサキ。

 

 もう何を言うでもなくサトシは目をそらし、あからさまに誤魔化すために話題を振る。

 

 

「それで、これからの動きはどうなるんですか?」

 

「せやな。サトシくんは明日の朝出発や。そのまんま町を素通りして、南のはずれの一軒家にいく。カスミは今夜、町をでる。ワイが案内するわ。そこで、ワイの言うこと聞いてもらうで。権利の行使やな。」

 

 

 サトシの顔が強張る。なにもしないと言ったばかりではないか。

 サトシの前では、という意味だったのだろうか。

 

 ガルルルと噛みつきそうなサトシだったが、マサキはニヤリと目を向けるだけで何も言わない。

 一体なにを考えているのだろうか。

 

 

「・・・僕とカスミを別々にする理由は?」

 

「念のため、や。一緒に逃げとる、なんて誰かに見られたら、サトシくんは延々と狙われる羽目になるで。サトシくんはあえて明日姿を見せるんや。その時にはもうカスミはおらんからな。なんかきかれても、もう知らんいうんやで。」

 

「――ワカリマシタ」

 

「そう噛みつくなや。別に嫌がらせでやっとるわけやないで。」

 

 

 サトシの気持ちを読んでいるのか、相変わらずニヤニヤとして答える。

 腑に落ちない、という顔をするサトシだが、理に適っていないわけではないので、何も言わずに頷いた。

 

 

「私は、どうなるの?」

 

 

 わりと興味なさげな態度で今まで座っていたが、カスミがようやく口を開いた。

 

 

「カスミはカントーから出てもらうで。おそらくすでにルール違反したんはリーグに伝わっとるやろ。まああいつらのことやからそんなにすぐ動いたりはせえへんと思うが、数日中には手配されるやろ。カントーの外にもワイの知り合いがおる。一旦はそこに預けたる。そのあとは自由にせえや。」

 

 

「わかったわ。」

 

 

 特に興味もわかなかったのか、表情を変えることなく、頷いてまたそっぽを向いてしまった。

 

 その様子もニヤニヤと眺めるマサキ。

 本当に何を考えているのだろうか。

 

 なんとなしにピカチュウを見ると、スターミーの星形の身体を不思議そうにペタペタ触っていた。

 スターミーはくすぐったいのか、うねうねと身体をよじらせていた。

 

 昨日死闘を繰り広げたとは思えないほどに仲がよさそうだ。

 

 ・・・トレーナーの意思で戦っているだけで、ポケモン同士で嫌うということはやはり無いのかなと思い、マサキの話を思い出す。

 

 

「さーて、飯でもくおか。サトシくん、楽しんで食おうや~なはは」

 

 

 先ほどまでの緊張感はどこへやら。

 マサキはからかっているのか気を使っているのかわからないが、カスミと食事を共にできるのは素直にうれしいと思ってしまったので、マサキの好意に甘えることにした。

 

 カスミと共に過ごす最後の時を楽しもうと、サトシは気持ちを切り替えるのだった。

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

 朝。

 

 サトシが起きたとき、すでにマサキはパソコンに向かってパシャパシャとキーボードを叩いていた。

 サトシ自身も、昨日のうちに随分寝てしまったので早起きしたとは感じるのだが、マサキは寝ているのだろうか?

 

 ピカチュウもすでに起床し、大きな身体を振り回して体操をしている。

 マサキは集中しているのか、サトシが起きた様子に気づいていないようだ。

 

(扉をノックしても気づかないのはこういうことか。)

 

 卓越した集中力で仕事しているために、周囲の音への注意は最低限になるようだ。

 邪魔になっても迷惑だなと考え、特に何をするでもなくその場でボーっとしていた。

 

 

 昨日の夜にマサキはカスミを連れて一度家を出ていった。

 マサキの帰りを待とうと考え、しばらく起きていたのだが、深夜二時を過ぎたあたりで待つのをあきらめ、そのまま寝ることにした。

 

 昨日のことを少し思い出しつつ今後のことを考えていると、キーボードを叩く音が止まり、うーん、と伸びをするマサキが見えたので、そこでようやくサトシは立ち上がった。

 

 

「なんや、おきとったんかサトシくん。おはよーさん。」

 

「あ、おはようございます。」

 

「ピカピカ」

 

 

 ピカチュウも元気そうやな、などと特に内容のない雑談を多少交わし、凝り固まった首を回してゴキゴキと音を鳴らす。

 

 

「ほんじゃ、サトシくんもお別れや。」

 

「あの、ほんとに大丈夫ですかね・・・僕の顔も名前もいろんな人に知られているわけですし・・・」

 

「この町の野郎共にそんな根性あらへんわ。大体、ポケモンももっとらん奴らがサトシくんに挑んでくるわけないやろ。ボコボコにして終わりやからな。ちらちらと不機嫌な顔で見るくらいやないか。気にせんで先すすみや。」

 

 

 いわれてみるとそういうもんかな、と納得してしまう。

 ともあれピカチュウが傍にいるのだ。

 何かあっても問題ないだろう。

 ―――ピカチュウが起こさなければ。

 

 

 過去何度も起きている大きな問題は、大抵ピカチュウが引き起こしていることに気づき、頭を抱えるサトシ。

 ともかく、それを気にしていたらこれから旅なんて続けることはできない。

 

 頭を振って考えをスッキリさせ、マサキの家を出る準備を終えた。

 

 

「ええな?まずは町の南にある一軒家を目指すんやで。ほなな。」

 

「わかりました。マサキさん、ありがとうございました。」

 

「ええて。代償はもろとるんやし。」

 

 

 最後の最後にいやらしい笑顔を残し、扉を閉めた。

 本当に読めない人だ、このマサキという人物は。

 

 

 たった二日間の出来事ではあったが、かなり重要なことばかりだった。

 マサキから得た情報、Angel計画とレッドの動向。

 

 もろもろの情報をゆっくり整理しながら、ハナダシティのポケモンセンターへ一度向かう。

 カスミと戦ってからまだポケモン達を回復させていない。

 早くこの町を出たいところではあるが、万全の状態は維持しなければ何が起きるかわからないのだ。

 勢いでいくと怪我をするのは、実体験として十分やらかしているので、これ以上はなるべく避けたい。

 

 

 ピカチュウを連れて、朝の陽ざしを浴びながらゴールデンボールブリッジを通ってポケモンセンターへ向かうサトシ一行だった。

 

 

 



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第六十話 早すぎる再会

「ど、どろぼーーーー!!!!」

 

 

 

 チラチラと大人の男に不自然に見られることに若干慣れ始めた時に、叫び声が聞こえた。

 表向きは治安の良いハナダシティにしては物騒な出来事だ。

 

 まあどこで誰のものが盗まれてもサトシには何の被害もないし、今目立った行動をするとあまりよろしくない状況にいるため、大人しく見過ごそうと判断することにした。

 

 

「ロケット団だーーー!!!誰か捕まえてくれーー!!!!」

 

 

 前言撤回。すぐに助けよう。

 

 駆け足で声の聞こえた家へ向かう。

 後ろについてくるピカチュウが、溜息交じりにピカピカ言っているのは無視し、声が聞こえた家の前に着くと、勢いよく扉を開けた。

 本来なら不作法にも程があるのだが、状況が状況なだけに誰も文句を言う人はいない。

 

 

「大丈夫ですか!!」

 

「おおお、わしの大切な技マシンが盗まれてしもうたんじゃ!奥の窓から逃げたんじゃああ取り返しておくれ!!」

 

「わかりましたーーー!!!いくよピカチュウ!!」

 

「ピカピカ」

 

 

 中にいたおじいさんの話を聴くや否や、すぐに窓から庭へ出る。

 そこには、オツキミ山で見た時と同じ、黒尽くめの服を着た男がいた。

 

 

 ドクン

 

 

 サトシの脳内に、オツキミ山での出来事が甦る。

 つい先ほど起きた出来事のように、鮮明に、生々しく、情景を浮かび上がらせる。

 

 目の前にいる黒服はあいつらではない。

 しかし、それでも仲間には違いない。

 

 ・・・わかってるよピカチュウ。わかってる。大丈夫だから。

 

 

「くっそ、追いかけてくんのはええな。とっちめてやる!」

 

 

 今は日中。繰り出してくるポケモンも、当然ながら通常のポケモンだ。

 とっちめてやるのはこっちだ、と心の中に復讐の火を燃やし、サトシも通常のポケモンで応戦する。

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

「くっそ、くっそ、おぼえていやがれ!」

 

 

 テレビの中のような、よくある捨て台詞をいいつつロケット団の男は逃げていった。

 追いかけたい気持ちはあったが、予想以上に逃げ足が速かったのと、なにかディスクのようなものを投げ捨てていったのでそれを確かめる必要があったので、深追いはしなかった。

 ピカチュウがサトシの頭の上に手を乗っけていたというのもある。

 

 

 ともあれ、ロケット団は撃退した。

 個人宅の裏庭ということもあり、周囲に人目が無かったのは、不幸中の幸いだ。

 

 男が投げ捨てていったディスクを拾い、まじまじと眺めてみる。

 

 

「これが技マシンか。どうやって使うんだろう?」

 

 

 少しだけ小さいようにも感じるが、見た目は音楽CDと大差ない。

 円盤の表面に数字で「28」とだけ書いてある。

 

 

「あとでオーキド博士に聞いてみよう。」

 

 

 サトシは家に一度戻り、おじいさんに技マシンを返そうとしたのだが

 

 

「なに?ロケット団を追い払った?君がか??」

 

「ええ、まあ」

 

「そうかそうか!あの憎きロケット団を!君はポケモントレーナーだね?その技マシンは持って行ってくれてかまわんよ!」

 

「え!?でも大切なものなんでしょう?」

 

「大切なものじゃよ。じゃから、大切に使っておくれ。わしが持ってても使い道がもうないのでな。またロケット団に荒らされるくらいじゃったら、君のようなトレーナーに使ってほしいのじゃよ。」

 

「そうですか――――ありがとうございます!」

 

 

 初めての技マシンを手に、まじまじと眺めるサトシ。

 お礼をいいつつ、大事にカバンの中にしまった。

 おじいさんにこれから町を出る旨を伝えると、そのまま庭を越えていけば町の外周に出られることを教えてもらった。

 

 人目につかずに外に出られるに越したことはない。

 ありがたく受け入れ、町の南に歩みを進めるサトシだった。

 

 

 

 ――――――――――――――――――――――――

 

 

 

「ここ、かな?」

 

 

 周囲には何も無い。

 草むらでちょくちょくマダツボミがウネウネしていたが、別段何かするわけでもなかったので放置しつつ歩いてきたら、そこまで大きくない一軒家が現れた。

 さすがに何もなさ過ぎて人通りも皆無。

 

 町民も近づかないこんな辺鄙なところにある家に、一体誰が住んでいるというのか。

 心なしかマサキの家もこんな感じだったかと思い出す。

 

 扉を叩くと妙な言葉づかいをする天然パーマが勢いよく飛び出してくるのだろうかと不安になったが、あまり長居もしたくなかったので、何とでもなれという気持ちで扉を叩いた。

 

 

 コンコンと扉と叩き、少し間を置く。

 中からスタスタという足音が少しだけ聞こえ、

「はいはい、お待ちを。」

 と落ち着いた声がする。

 

 相手を威圧するかのような言葉でなく安心した。

 程なく扉が開く。

 

 

「おや、あなたがサトシさんですか?」

 

「え?どうして僕の名前を?」

 

「マサキさんからきいております。さあ、中へどうぞ。」

 

 

 なるほど、マサキが先に事情を説明しておいてくれたのか。

 なぜ途中で立ち寄る必要があるのかはまだわからないが、断る必要もないし、なによりマサキの言伝だ。いかないわけにはいかないだろう。

 

 扉をくぐり、若干外よりも暗い室内へ足を踏み入れ、ピカチュウが入ったことを確認すると、静かに扉を閉めた。

 

 

「カ、カスミ!?」

 

 

 なんとそこには昨日の晩に最後の別れを惜しんだカスミの姿があった。

 

 

「え?ど、どうして?」

 事情が分からないサトシ。なんというか、昨日のやりとりからの再会なので、気恥ずかしいというか調子が狂うというか。

 

 

「・・・だから苦手なのよ、あいつ。」

 

「あいつって――マサキが?」

 

 

 あの嫌らしい笑みを浮かべる天然パーマの顔が、再度サトシの脳内を駆け巡る。

 なにやらサトシの及ばない部分でいろいろと張り巡らせていたようだ。

 

 

「クチバシティに今客船が停泊してるから、それに乗れって。そこまでサトシに警護してもらえ、だって。」

 

 ブスッとした顔で淡々と話すカスミ。

 別にカスミには警護など必要無いと思うのだけど。

 

 

「そんなの無視して、とっととクチバに行こうとしたんだけど―――」

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

「サトシくん来るまで行ったらあかんで~、一日はわいの言うこと聴いてもらう約束やろ~?なはは。」

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

「ってことなのよ・・・ほんとに嫌なやつね。」

 

「は、はは。そうだね・・・」

 

 

 マサキさんなりに気を使ってくれたのだろうか、などと少しばかり思うサトシ。

 

 

「あと、これ。」

 

 そういって、カスミはサトシに封筒を一つ渡してきた。

 ズシリと重たい。紙の束のような重量感ではあるが、一体何がはいっているのか。

 

「旅費、ですって。私とあなたで百万。どれだけお節介なのよ、あいつ。」

 

 

 封筒の中にはニビシティでもらったものと同じ厚さの札束。

 短期間で十万単位の消費をしているサトシにとっては、最初ほど感動と驚嘆は起こらなかったが、よく考えてみたらサトシにとって追加のお金は喉から手が出るほど欲しかったものだ。

 しかも、二人で百万ということは半分にしても五十万。

 当面はしのげそうな金額だ。

 

 それにしても―――

 

 

「なんだかんだいって、九百万円は持っていったんだよね・・・はは。」

 

 代価として提示したものとはいえ、必要無いと言っていたお金も結局は回収していく。

 なんというか、しっかりしていると思う。

 

 そうでもないと表と裏に対して中立などという立場を貫くことは難しいのだろう。

 

 

「マサキさん、ありがとう。」

 

 

 いろいろとあったが、マサキは善人であったと思う。

 決め手になった「カスミを一日自由にできる権利」も、余計なお節介に消費してしまっているし。

 

 

「長居しても仕方ないし、行こうか、カスミ。」

 

「そうね。さっさといきましょ。」

 

 

 座っていたカスミが立ち上がり、服をはたいてサトシの方を向く。

 目が合い、サトシは若干照れ臭かったが、特に何も言わずに、ニコリと笑った。

 

 

「ところで、おじさんは何もの?」

 

 

 触れられなかったことに対して特に突っ込むわけでもなく二人を見守っていた男性。

 話を振られて、驚くことなくサトシの疑問に返答する。

 

 

「わたしは、育て屋と言われているよ。預かったポケモンをトレーナーの代わりに育てる仕事をしている。マサキとは、そこそこ長い付き合いだね。」

 

「育て屋さん・・・そんなことができるんですね。」

 

「なに、老後の趣味みたいなものさ。別にわたしは誰の味方でもないし、マサキのお願いなら聞いてやろうという気になっただけさ。ああ、ちなみに裏のポケモンを預けられても困ってしまうよ。ははは。」

 

 

 愛嬌がある普通のおじさんのようだ。

 そして気持ちはありがたいのだが、預けて育ててほしいポケモンはサトシの手元にはいない。

 

 

「すみません、今手持ちのポケモン、少なくて。」

 

「ははは。大丈夫ですよ。また預けたくなったらいつでもいらっしゃい。」

 

 

 嫌味のない笑顔でそう答え、サトシもホッとした。

 

 

「では、お世話になりました。」

 

「はいはい。道中気を付けてね。」

 

 

 軽く別れの挨拶をし、育て屋を後にする。

 

 カスミも無言でついてくるが、別に嫌々というわけでも無さそうだ。

 一度別れの言葉を贈った相手と一緒に歩いているのは不思議な感じがするし、若干気恥ずかしいが、気持ちとしては嬉しい。

 

 一日か二日ではあるが、旅の道連れが増えた。

 

 ピカチュウは相手にされないことに若干不服なようではあったが、こいつとは最後まで一緒にいるのだ。一時の浮気は勘弁してもらおう。

 

 

 そんなことを考えつつ、一行はクチバシティへと続く地下通路へと足を進めていった。

 

 

 




ハナダシティ編、終了。


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第六十一話 クチバシティ

「うっわーーー!!海だーー!!初めてみた!!!」

 

 

 

 地下通路から出て六番道路を抜けると、海に囲まれた港町、クチバシティが顔を見せた。

 ミャーミャーと鳴く鳥の声、絶えず続くザザーンという波が堤防に当たる音。

 生まれて初めて広大な海というものを見たサトシは興奮を抑えきれず、カスミの手を引いて堤防まで駆け出した。

 

「すごーーーい!!ひろーーーい!!!」

「ち、ちょっとまちなさいよサトシ!」

 

 それを若干遠目から見守るピカチュウ。

 なんというか、完全に青春真っ盛りの子供を見るお父さんである。

 

「ピカピカ」

 

 ため息交じりかと思いきゃ、少し嬉しそうだ。

 普段は自由だが、こういうときはきちんと空気を読む。そこまでポケモンに求めていないんだがと通常のトレーナー達は声をそろえて言うだろう。

 

 そもそもモンスターボールに入っているはずのポケモンが口をはさむことなどありえない話ではある。

 

 

 広大な海を目の前にテンションが上がりっぱなしのサトシだったが、カスミの手を握りっぱなしで海を眺めていることに気づいた瞬間に顔が真っ赤になり、あたふたし始めたのは言うまでも無い。

 カスミはカスミでその状況を楽しんでいるようでもあった。

 

 クチバシティ。

 カントーで唯一、外海とつながる港町。

 多くの人とポケモンが集い、同時に離れていく、出会いと別れの町である。

 

 

 

 ―――――――――――――――――――――――

 

 

 

「サントアンヌ号?」

 

「そう。今ちょうど、豪華客船サントアンヌ号がクチバシティに停泊してるの。それの乗船チケットをマサキが手配してくれたわ。一体なんの繋がりがあったのかしらね。」

 

「なるほど・・・それに乗って、カントーからでるのか・・・」

 

 

 地下通路でゆっくりと足を進めながら、カスミとあたりさわりの無い会話をする。

 いや、カスミにとってはあたりさわりのない話ではあったが、サトシにとっては、どれも思い出として心に止めておきたい大切な時間。

 

 まぎれもない恋心ではあるのだが、サトシ自身、まだその事実を認めたくないという気持ちもあった。

 なにせ相手は自分を殺そうとした人物であり、事実、サトシの目の前でも人のポケモンも無残に殺されている。

 そんな相手を好きになってしまった、などと知られてしまったことには、親に顔向けできない。

 いや、それよりも自分が葛藤に押しつぶされてしまう。

 

 絶妙なところでバランスをとっているサトシのメンタルだったが、カスミはいたって平常心、のように見える。

 ―――実際のところは知る由もないが。

 

 

 ともあれ、今度こそカスミとの別れになる。

 叶わぬ恋を知るのも大人への階段の第一歩だと、誰かが言っていた。

 

 

「カスミはさあ――――」

 

「ああ、それは――――」

 

 

 暗い地下通路。

 反響する声を聴く人間はここには二人しかいない。

 

 当然ながら、ピカチュウは数えていない。

 

 

 

 ――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 クチバシティのフレンドリーショップで買い物をすませ、いよいよ豪華客船サントアンヌ号へ向かう。

 その道すがら、珍しくカスミからサトシへ話しかける。

 

 

「船に乗る前に、伝えておかなければいけないことがあるわ。」

 

 

 今まではあまり中身の無いような、あたりさわりの無い会話をしていたが、急に深刻な面持ちで重要そうなことを話そうとするカスミを見て、サトシも なに? と立ち止まり、カスミの声に耳を傾けた。

 

 

「クチバシティジムリーダー、マチスのこと。」

 

「クチバジムのリーダー!?しってるの!?」

 

 

 今にもとびかかりそうな勢いでカスミに迫るサトシ。

 むしろそのまま飛びかかってしって、サトシも立派な犯罪者となって、一緒に船に乗って逃亡生活を送ってしまってもよかったのかもしれないが、残念ながらサトシにそのような度胸は無い。

 

 サトシの剣幕に、カスミも足を止めて落ち着いて答える。

 

 

「ええ、もちろん知ってる。でも、期待してくれているところ悪いけど、大した情報は持ってないわ。私はもちろん、各町のジムリーダー同士って交流はほとんどないの。私も一度会ったきり。人づてに聞いた話だからマチスの性格とかしか伝えられないけど。あと、使うポケモンは電気タイプ。相性的には、どうなのかしらね。」

 

 

 一息に自分の知っている情報を話し始めた。

 タケシのことから、ジムリーダー同士の交流はあまりないものと思ってはいたけど、その通りのようだ。

 

 

「大丈夫!カスミのことも、性格くらいしか聴いてなかったし。」

 

 

 そういうと、カスミがピクリと反応する。

 

 

「きいた?誰から、どんな事を聞いたのかしら?是非詳しく教えてほしいわね。」

 

 

 急に雰囲気の変わったカスミを目にして、たじろぐサトシ。

 自分の事以外は興味ないと本気で思っていそうなカスミが、まさか他人の言葉に反応するとは思っていなかった。

 いや、自分のことが好きだからこそ、他人の意見には敏感に反応するのかもしれない。

 

 

「に、ニビジムリーダーのタケシさんから、えと、その、『超絶サディスティックのカスミ』とだけ・・・」

 

 

 それを聴いたカスミは、途端、顔がカァーっと紅潮し、左右に激しく視線を泳がして、結果俯いてしまった。

 そして小声で

 

 

「あんのクソタケシ―――もう一度ブチのめさないと駄目かしら・・・」

 

 

 とても恐ろしいことを聞いた気がしたのだが、タケシが言っていた私怨についてもなんとなく想像がついた。

 この件については自分の心の中に深く頑強にしまっておこうと、固く決意したサトシだった。

 

 

 その状態のまま十数秒経過し、平静を取り戻したカスミがようやく顔を上げた。

 顔はまだ若干赤い気もあるが、コホンと軽く咳払いしたら、何事もなかったかのように話し始めた。

 

 

「―――マチスのことだったわね。」

 

 

 ようやく本題に入ったと、改めてカスミの話に耳を傾けるサトシ。

 

 

 

「マチスは、節約家、らしいわ。」

 

 

 

 一瞬、思考が真っ白になる。

 カスミはなんと言ったのだろうか。

 なんか、至極普通な、一般的な、悪性の無い、平和的な言葉だったと認識してしまっているのだが、何かの聞き間違いであろうか。

 

 

「――――はい?」

 

 

 サトシはその言葉を引っ張り出すのが精一杯で、その反応もカスミは読んでいたようで、別段驚くこともなく続きを話す。

 

 

 

「節約家っていうのは、まあ通称でね。電気を過剰に使うのは許せない、とかそういう面倒くさいやつ。それが裏の顔なのか表の顔なのかわからないけど、私のように表だけ真っ当のように見せているだけかもしれないしね。」

 

 

 使うポケモンが電気タイプなのに、電気を節約している。

 パッと聞くと矛盾しているように感じるが、電気を愛するが故に大事にしていると考えることもできる。

 それがポケモンへの愛なのか、単純に電気そのものに何か思い入れがあるのかはわからないが。

 

 ともあれ、想像よりも優しい人物なのかもしれない。

 電気タイプと聞いた時は、倒したトレーナー達を電気椅子に次々に座らせて拷問感電死させたり、延々と発電自転車を漕がされたり、延々とパチパチする綿状のおかしを食べさせられたりするものかと思ってしまった。

 

 甚だ失礼な話ではないか。

 見も知らない人をそのような鬼か畜生か判らない化け物と同じ扱いをするなんてことが許されていいものだろうか。

 

 

「ちなみに、使うポケモンはライチュウだそうよ。」

 

「ピカピーーーー!!」

 

「ピ、ピカチュウ!?」

 

 

 今まで存在感を消していた―――といっても消せる程小さい存在では無いので、誰だどこからどう見ても異常に目立つ二メートル四十センチの巨体は逃げも隠れもせず堂々とその場にいるのだが。

 

 そのピカチュウがいきなり可愛い声で強く鳴くものだから、サトシもカスミも同時に声の持ち主へ顔を向ける。

 

 

「どうしたんだよ、ピカチュウ。まだごはんの時間じゃないよ?」

 

「――もしかして、対抗意識かしら?」

 

「対抗意識?どういうこと?」

 

「ライチュウはピカチュウの進化形なのよ?そんな奴に負けない、みたいな感情を出しているんじゃないかしら。」

 

「ピカ、ピカピカ」

 

 

 そう、それ。とでも言わんばかりにカスミを指さして激しく頷くピカチュウ。

 ピカチュウにそんな意識があるだなんて、なおさら人間のようだ。

 マサキの言っていた実験に、本当に関わりがあるのだろうか。

 

 そして、ポケモンに対してのカスミの理解力も驚くべきものだ。

 それこそが、カスミのポケモントレーナーとしての才能の一角なのだと、サトシは改めて認識した。

 

 

「ピカチュウもやる気になっているようだけど、相手はジムリーダー。ニビとハナダを倒したからといって、油断してたら死ぬわよ。それぞれのジムはまったく別物だと思うことね。」

 

 

 嫌に親切に忠告してくれるカスミ。

 その態度に若干の疑問を感じつつ、サトシは感謝を述べる。

 

 

「ありがとう、カスミ。心配してくれてるんだよね。」

 

 

 笑顔で正直にそう言った。

 

 また少し顔を赤くして、フイッと視線を外し、小声で そんなんじゃないわよバカ とボソボソと声に出したのは、波の音に打ち消されてサトシには届かなかった。

 

 波の音が大きくなっていると思えば、いつの間にかクチバ港が目の前だ。

 海の上を歩くべく設置された橋の先には、見上げる程大きな豪華客船、サントアンヌ号の船影が姿を現した。

 

 




サントアンヌ号の音楽が好きな人は、自分だけではないハズ。


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第六十二話 「またね。」

 

「ここでお別れね。」

 

「・・・うん。」

 

 

 

 海の上に渡った橋の上で、言葉を交わす。

 チケットを持っていないサトシは、これ以上先に進むことはできない。

 

 直接自分の身体が海に漂っているかのように、ザザーン という波の音がより大きく聞こえてくるようだが、その波の音は目の前の少女との会話を打ち消してくれる程大きくはなく、永遠に続いてほしい時間は数少ない言葉と共に過ぎ去っていってしまう。

 

 数秒間、二人の間には何の言葉も生まれない。

 それを別れの合図と認識したのか、カスミはゆっくり身体をひねり、橋を渡るために足を進めようとする。

 

 

「あ、か、カスミ!」

 

 

 特に話すことは何もない。

 別れの言葉も、言いすぎるほどに言った。

 それでも、何か話さなければと、想い人の名前を呼ぶ。

 

 

「え、えと、その、む、向こうでも元気に、ね・・・―――」

 

 

 中身の無い言葉。

 しかし、意味こそ無いにしろ、その言葉の中には溢れんばかりの感情が込められている。

 ピタと足を止めたオレンジ髪の少女は、無言で男の子の方を見つめる。

 少し寂しそうな、それでいて嬉しそうな目で、名残惜しそうに、忘れないように、世の中をまだ知らない純粋な目を見つめ続ける。

 

 

「―――ええ、そうね。・・・ねえ、サトシ。最後に一つ、訊いてもいいかしら。」

 

 

 突然の問いかけ。

 

 

「え?う、うん!もちろん!なんでもきいてよ!」

 

 

 二つ返事で許可を出す。

 意図はなく、素直に、目の前の少女の役に立ちたいと思っているからこその返事。

 

 

「私は、なんのために生きているのかな。わかんなく、なっちゃった。」

 

 

「―――――――――」

 

 

 長い沈黙。

 実際は数秒。

 波の音も、風の音も、客船の汽笛も、すべてが聞こえなくなった。

 

 サトシはカスミの問いかけの真意を探ることなく、ゆっくりと吟味し、考慮し、自分の思うことを、正直にそのまま飾りつけすることなく、泣きそうな顔をする少女に伝えた。

 

 

「ここ数日、カスミと一緒に居て、こう思ったんだ。本当は何かを傷つけたり、壊したりすることは好きじゃないんじゃないかって。」

 

 

 カスミは黙ってサトシの言葉を待つ。

 ずっと長い間求め続けた答えが、まさに今目の前にあるのではないかと期待するかのように。

 

 

「カスミは優しい、と思う。思いやりがたくさんあって、その場の空気を和ませてくれる。僕はそう思う。でも、それは僕が勝手に思っている感情。だから、僕が言えることはこれだけだ。」

 

 

 ゆっくりと深呼吸し、気持ちを整え、サトシは質問に対する答えを口に出す。

 

 

「カスミは、それを探すべきだと思う。今までのことは無くならない。それをきちんと踏まえて、考えて、自分で結論を出さなければいけないと思う。」

 

 

 カスミは先ほどよりも表情を崩し、目のフチに小さく涙を溜めている。

 ズキンと傷つく心を堪え、サトシはさらに言葉を続ける。

 

 

「――――でも、僕は、カスミは、誰にでも優しく、強く接することができると思ってる。必ず答えにたどり着くと思ってる。だから、もしふさぎ込んでしまったり、泣きそうになったりしたときは、僕が話を聴きにいくよ。絶対に。どこに居ても。必ず。」

 

 

 心臓の音が周囲にも聞こえているのでは、と錯覚するほどにサトシの鼓動はバクバクと大きな音でリズムを刻んでいる。

 カスミは黙って顔を伏せてしまい、今はその涙で溢れた目元を見ることは適わない。

 

 やがて、顔を伏せたまま手で無理やり目を擦り、涙を振り払ったカスミがゆっくりと顔を上げた。

 その顔はすがすがしい程の笑顔で、サトシの心臓は破裂しそうな程に速まった。

 

 

「厳しいね、サトシは!でも、ありがとう。嬉しかった!!」

 

 

 まばゆいほどの笑顔で少女は少年に最後の別れを告げる。

 サトシもまた、無理やりに笑顔を作って、目の前の少女を見送る。

 

 

「うん!また会おうね!カスミ!!」

 

 

 じゃね、と手を振り、カスミは橋の上を駆けて客船へ向かっていった。

 

 サトシは名残惜しかったが、くるりと背中を向けて、手を挙げた。

 

 

 涙を浮かべた顔を、想い人に見られないように。

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

 なんとか気持ちが落ち着き、その場を離れようとするが、後ろから橋を駆ける音が再度聞こえた。

 別段何を思ったわけでもなく、なんだろう、誰か忘れ物かな?とかそんな単純な考えで振り向くと

 

 

 

 オレンジ髪の少女の顔が目の前にあり、そのまま驚くサトシの口を塞ぎ、頭の後ろに手を回された。

 

 

 

 時間にして一秒程。

 パッとサトシから距離を離した少女は、頬を紅く染め、照れた顔で軽く手を振り、先ほどと同じように橋を駆けていき、今度こそその姿を客船の中へ滑り込ませ、サトシの視界から消えた。

 

 

 驚いた表情のまま固まったサトシ。

 その後ろで、二メートル超えの巨体が不思議そうにサトシを眺め、どうしたの?と言わんばかりにピカピカ言っていた。

 

 そのままたっぷり十分程固まっていたサトシは、動き始めた後もすぐに先ほどの出来事を思い出して数分間悶えるという行動を繰り返した。

 

 町を歩く人達はその姿を見てヒソヒソと小声で会話し離れていく者もいれば、一部始終を見ていた老夫婦からは青春じゃのうほっほっほと無害な笑顔を向けられているのであった。

 

 

 

 ―――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 日が落ちる頃に豪華客船サントアンヌ号は出航し、その船影が見えなくなるまで見送った後、これ以上は何もできないと判断したサトシはポケモンセンターに向かおうとするが、ピカチュウにリュックサックを引っ張られる。

 ぐえ、と変な声を出して立ち止まったサトシ。

 

 

「いてて、どうしたのピカチュウ?って、なにそれ、封筒?」

 

 

 ピカチュウが自分の着ているつなぎのポケットから、一通の封筒をサトシに手渡した。

 それを受け取ると、随分と重たい。

 

 綴じられていない封をそのまま開けると、中には見覚えのある札束と、一枚の白い紙が入っていた。

 

 

「これは、マサキさんの?でもカスミの旅費・・・」

 

 

 白い紙を見ると、一言だけ、女の子らしいかわいい文字でサトシに向けた言葉が書いてある。

 

 

 

『私はいらないわ。またね、サトシ。 カスミより』

 

 

 

 やれやれ、一体いつ仕込んだのだろうかあの少女は。

 この手紙で再度カスミの姿をありありと思い出して悶えたのは言わずもがな。

 同時に、先行き不安だった金銭面がカバーできたのは嬉しい誤算だった。

 これでおいしい海産物を堪能できるというものだ。

 

 サトシにとっても、ハナダシティで味わった海産物は再度食べたいと思っていた。

 その金額に不安を感じていたが、今日くらいはいいよね?

 

 涎を垂らしたピカチュウにハンカチを渡しつつ、晩御飯を堪能するために、大きい影と小さい影は、再度町の中に消えていった。

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

 誰しも寝静まった深夜、豪華客船の甲板で一人の少女が暗い海を眺めていた。

 特徴的なオレンジの髪を隠すグレーのキャップが、風で飛ばないように抑えつつ、ポケットから二枚の写真を取り出す。

 そこには、真面目にマサキの話を聴いているサトシと、寝心地悪そうに床に寝転がっているサトシの寝顔が写っていた。

 

 

「マサキのやつ、こんなの封筒にいれるんじゃないわよ。本人に見られたらどうするのよ。」

 

 

 憎まれ口を叩きながら、その顔は少しだけ紅い。

 指で写真の中にいる男の子の顔をなぞり、しばらく眺めていた。

 

 夜空に輝く月が、少しだけ恋に染まった少女を祝福するかのように、金色に照らし続ける。

 少なくとも今夜は、本来の少女が抱く感情に流されて良いのだと。

 そう、言ってくれているようだった。

 

 




ぐああああああ
カスミEND。

このまま幸せになりたい。


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【番外編】タケシとカスミ

休日用にショートストーリー書きました。


「あーーはっはっはっは!そんなクソザコポケモンで私に挑もうってのー?おもしろすぎるんだけど!弱点属性くらいわかりなさいよ、それでもニビジムリーダーなの!??あっはっはっは!!!」

 

「五月蠅い!弱点属性など関係ない!僕はポケモンを粗末に扱う君を許すわけにはいかない!!!土下座させてやる!!!」

 

「やれるもんならやってみなさいよーー!!無理だけどね!」

 

 ―――――――――――――――――――

 

 数年前。

 

 ジムリーダーが一同に会した催し事にて、カスミがポケモンを卑下したことに激昂したタケシがその場で裏バトルを決行。

 

 

 ある意味、伝説的なバトルとなり、今後はジムリーダー同士の会合が原則禁止になったその日である。

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

 他のジムリーダーが面白そうに眺める中、ニビジムリーダーとハナダジムリーダーの異例のバトルが開始する。

 

 

 

 

「いけ、イワーク!ショボイ水鉄砲ごと押しつぶしてやれ!」

 

「いきなさいシードラ!あんな土塊、穴だらけにしてあげなさい!」

 

 

 

 シードラ。ドラゴンポケモン。

 体中に毒の棘を持つ、凶暴なポケモン。

 

 

 

 

 イワークがその長大な身体を使って、シードラにのしかかる。

 

 それを瞬時に回避するシードラ。

 

 

 

「スピードはなかなかだな。だが、その程度―――」

 

「シードラ!『どくどく』!」

 

 

 

 カスミから笑顔が漏れる。

 相手を苛め抜くことで快楽を得るカスミの真骨頂。

 常に相手を窮地に追い詰めていく最低最悪な技。

 その凶悪さは、徐々にその毒の威力を強めていくことにある。

 

 

 

 シードラの口から、濃い紫色の粘液が、広範囲に拡散されて飛び散る。

 

 避ける間もなく、イワークはその猛毒の塊をその身に受ける。

 

 

 

「イ、イワーク!!くそ!『いわなだれ』!」

 

 

 毒に塗れた身体を大きく振り、シードラに向けて大量の岩を落とす。

 山が崩れたのかと見まごう程の勢いでシードラを押しつぶさんとする。

 

 

「シードラ、『みがわり』よ!」

 

 

 

 ―――みがわり

 体力を犠牲に、自分と全く同じ見た目の身代わりを作り出す。

 一撃で勝敗が決することが多い裏バトルにおいてはあまり活用できる技ではない。

 

 しかし、ことカスミという傑物が使用することで、その意味合いは悉く変わる。

 

 

 

 

 

「な、なにが起きている・・・!」

 

 

 

 

 本来、タダの動かぬ的であるはずの身代わりが、さも本物であるかのように動いている。

 

 

 フィールドには、二体のシードラが、お互いに本物であると主張し合うようにすばやく動き回っている。

 もはやどちらが本物か判別できるのはカスミだけだ。

 

 

「あっはっはっは!愉快!愉快ね!!どう?どっちが本物かしら?早く殺さないと毒で死ぬわよ?うふふふ、楽しいわァ、なんて楽しいの!ほらほらほらもっと舞いなさい!死の直前まで、死に怯えながら、死に悶えなさい!そして最後には死ぬの!あはははは!!!」

 

 

 

 

「サディストめ・・・ふざけやがって・・・!」

 

 

 

 タケシの言葉にはもはや勢いはない。

 そして、イワークの動きも徐々に鈍くなり、もはや死に絶え絶えという状態だ。

 

 

 

「くそ!わかった、僕の負けだ!!バトルはしゅうりょ――――」

 

 

 

 

 

 

「シードラ、『はかいこうせん』」

 

 

 

 

 

 

 刺々しいポケモンから放たれた一筋の光。

 暴力的な光ではなく、細い、一見か弱く見える光の束。

 

 その光が紫色に染まったポケモンに触れた瞬間、光と共に爆散した。

 

 

 

 

 フィールド上に散らばる石屑と紫色の粘液。

 

 それを茫然と眺めるタケシ。

 

 

 

 

「きゃーーーーっはっはっはっは!!!ああああんタマラナイ・・・!!!ありがとうニビジムリーダー・・・あなたのおかげで私のアソコはぐっしょぐしょよ。もう立ってられないくらい。こう、絶望に染まった表情が砕ける瞬間とか興奮するじゃない・・・思わず絶頂しちゃったわよ。」

 

 

 

 

「(下品な女め・・・!)」

 

 

 

 

 

 

 

 

 こうして、タケシはカスミに対して晴らすことのできない恨みを募らせ、発散できる機会にも恵まれずに日々を過ごしていった。

 

 

 

 

 ハナダシティジムリーダーが逃亡した、という話を聞くまでは。

 



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【番外編】マサキの一日

土日は番外編のショートでも書くかな、と思い立ったのでとりあえず。


「ぬあああああああああ!!!!なんででけへんねん!!この機械ぶっ壊れとるんちゃうんか!!まちごうとるわけないやろ!!天才やぞわい!!!!ぬあああ!」

 

 

 朝六時。

 散歩する老人も通らないハナダシティの北東の端。

 

 一軒だけ寂しく佇んでいる世界的に活躍中のエンジニア、マサキの家から絶叫が響き渡る。

 

 いつものことであり、その声で毎日のように驚くのは木々に止まって囀っている鳥ポケモンくらいである。

 

 

 

 マサキ。

 ポケモン預かりシステムを一人で構築し、一人で運用している化け物エンジニアである。

 過去システムが止まったことは一度も無く、大規模な停電が起きたとしても自己発電や副電源、副副電源など、個人でそこまで持ってるの頭おかしいとまで言われる程の設備。

 さらに、世界中のポケモンを管理するだけの処理能力を持つスーパーコンピュータに、保存するだけの容量を持つサーバ、万が一の時のためのバックアップ。

 

 

 仕事でやれと言われても絶対にやりたくない。

 ここまでいくと仕事ではなく「趣味」と言い切らないと継続できるものではない。

 朝の絶叫からするとストレスの塊のような気はするが、それでもマサキは延々と趣味に没頭する。

 

 

 

 

「くっそ、あれがこーであーでそーで、あかん。おうてるようにしか見えん。あーもうようやく組みあがったプログラムやのに、肝心のところでエラー吐きよって。腹立つわ~、なんで言うこときかんねん、このプログラム。くっそ、条件変えてステップ実行せなわからんか~何時やいま、六時!?もうそんな時間かいな!寝とらん!今日も寝とらん!!」

 

 

 

 どうやら修羅場のようである。

 マサキの一日は大体修羅場から始まることが多いようだ。

 加えて一人暮らしのため独り言も非常に多い。

 いくら大きい声で叫ぼうが喚こうが誰にも迷惑をかけないのが利点ではあるが。

 日中に偶然近くまで来たトレーナーがびっくりするくらいだ。

 

 

 

 

「あーー、朝までやっとったけど、全然眠うないで。とりあえず飯くおか。」

 

 

 

 睡眠時間など無い。絶対早死にするだろうという認識がありつつ、眠くないものは眠くないのだ。

 仕方がない。大人しく早死にするとしようと本気で考えているマサキ。

 

 逆に眠くなりやすい体質でなくてよかったとすら思っているくらいだ。

 

 

 

 ――――――――――――――

 

 

 

「あーっと、ここがこうで、ああああああ!ここ変えるとこっちにも影響するやないか!誰やこんな雑なプログラム組んだん!?ワイや!!!!ぬがああ!!!!」

 

 

 朝食を食べ、三時間ほどパソコンの前でプログラムと格闘する。

 殴って治るならいいのだが、残念ながら自分との争いである。

 

 

 

 コンコン

 申し訳なさそうに扉を叩く音がする。

 しかし、マサキには聞こえていない。

 

 

 

「あーと、この変数にこれが代入されて、関数が―――」

 

 

 

 コンコンコン

 先ほどよりも強めに扉が叩かれる。

 

 

 

「誰やあああああ!ワイは今大絶賛デバッグ中やああああ!!!邪魔しとるんやないぞアホンダラァァァ!!!」

 イスを蹴とばしてドタドタと大股で扉まで行き、勢いよく開ける。

 

 

 

 

「ど、どうも。」

 

「なんや、お前か。今日なんかあったか?」

 

「十時から打ち合わせです。例の、新しいシステムについて。」

 

「ああ、せやった。忘れとったわ。入ってええで。」

 

 

 

 システムが世界中で利用されているおかげで、マサキの元には次々と改修案件、提携案件、開発案件が入り込んでくる。

 

 夜通しマサキがプログラム開発に追われているのも、昼間はこういった打ち合わせが入ることが非常に多いためである。

 

 

 

 こうして、マサキは打ち合わせとプログラムに追われる日々を送っている。

 

 そして、たまにサトシのようなイレギュラーが舞い込んでくると、気分転換としていじり倒すのである。

 

 

 

 マサキなりに、日々を楽しんでいるのであった。

 

 

 



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第六十三話 技マシンチュートリアル

 朝日に照らされ、目が覚める。

 昨日の夜にたらふく美味な食事を堪能したため、少々胃もたれ気味だ。

 若干十四歳にして海産物の魅力を知ってしまった。もう後には戻れまい。

 それはピカチュウも同様であるようで、お腹を膨らませた黄色いポケモンも、だらしなくベッドで眠りこけている。

 

 最初の方は規則正しく早寝早起きしていたと思うのだが、どうしてしまったのだろうか。

 しかしよく考えると、最近の生活リズムはおかしい。

 深夜にバトルが行われたり、朝に寝て夜に起きたりと、不規則極まりない。

 サトシの所為では無いことがほとんどなのだが、それでも生活は規則正しいにこしたことはない。

 この生活で多少生活リズムがずれたことをピカチュウにあたっても、付き合ってくれているピカチュウに申し訳ないというものだ。

 

 なるべく時間通り活動できるようにしよう。

 

 そう考えると、鼻提灯を膨らませているピカチュウを起こさないように、静かに立ち上がり、身なりを整え始めた。

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

 ピカチュウが起きたのは実に昼前。

 随分とのんびりしたものであるが、サトシも昼前に起きたことがある以上、文句もいえない。

 そのまま朝食兼昼食を食べに再度クチバシティを探索。

 ちなみにサトシの持つ他のポケモン達―――

 クラブ、スピアー、サンド、コイキングはフレンドリーショップにあるポケモンフードで満足のようだ。

 やはりピカチュウが特殊なのだろう。

 

 

 相変わらず美味しいクチバシティの海産物を再度堪能し、腹ごなしに散歩しながら、カスミの言っていたクチバジムリーダーの事を考える。

 この旅の目的はポケモンリーグ制覇なのだ。決して美味しいものを食べ歩く旅ではない。決して。

 

 

「クチバシティジムのリーダー、名前は―――マチスだっけ。」

 

「ピカピ」

 

 

 ピカチュウと会話(?)しながら情報を整理する。

 

 マチスは電気タイプのポケモンを使う。

 一番の主力がライチュウ。

 ピカチュウの進化形。

 本来のピカチュウに比べ、その身体は大きく、パワーも電撃の威力は段違いになる。

 反面、「かわいくない」という理由で進化させないトレーナーが後を絶たない不遇なポケモンではあるが、能力的には決して弱いわけではない。

 むしろ能力だけを見るならば、早めに雷の石で進化させてしまった方がいいという見方もある。

 

 そこまで記憶をさかのぼり、サトシの頭には一つの疑問が湧いて出る。

 

 

「今、ピカチュウに雷の石を使ったら、どうなるん―――」

 

 

 そこまで言って、ピカチュウから威圧感を感じたため、それ以上を追及するのは控えた。とてつもなく嫌なのだろうか。

 たしかにこれ以上でかくなられたら、サトシとしても困る。

 サイズが合う服が無くなってしまう。

 

 さて、マチスと戦うにあたって弱点属性を攻めたいところではあるが、電気タイプの弱点は地面タイプ。

 サトシはサンドのことを思い浮かべるが、さすがに裏のポケモン相手に通じる映像が全く思い浮かばない。

 電撃攻撃は効果が無い、と一般論ではあるが、それが通じない場合も想定しなければ、サトシはまたしても大事な自分のポケモンを失うことになるだろう。

 

 よくよく考えてみると、サンドは地面タイプの攻撃技を持っていない。

 砂かけが有用なサポート技なので、そればかり使っていたが、折角の地面タイプなのだ。活かさない手は無いと思う。

 

 

「ん?そういえば。」

 

 

 サトシはリュックを開き、一枚のディスクを取り出す。

 技マシン28。

 なんの技が入っているかもわからないが、もしかしたら役に立つ技が入っているかもしれない。

 

 そう考えたサトシは、技マシンの使い方を知るために、ポケモン図鑑の電話機能を起動した。

 ・・・町に着くたびに使っている気がする。―――ホームシックじゃない。違う。

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

『おおーおサトシィ!久しぶりじゃのおお!』

 

 

 いつもと変わらないオーキド博士の声が、若干電子的になってサトシの耳に届く。

 

 

「博士も元気そうで。」

「ピカピッカ」

 

『元気じゃぞー!ピカチュウも元気そうじゃの!』

 

「ピッカー」

 

「博士、実は聞きたいことがありまして。」

 

『なんじゃー?なんでもいってみなさい!』

 

「技マシンを手に入れたんですが、使い方がわからないんです。」

 

『おおーお、ついにサトシも技マシンを使う時が来たんじゃな!感動じゃのう~。とちなみに、ポケモンは何匹くらい捕まえたんじゃ?』

 

「・・・・十匹、くらい?」

 

『クチバシティまで行ってそれだけなのか~!?ピカチュウに頼りすぎもよくないぞ?・・・まあそれはよいとしてじゃ。技マシンじゃな。』

 

「はい。」

 

『なに、難しいことはない。ディスクに数字は表示されておるな?その面を表にして、ポケモンの頭に載せてみるんじゃ。』

 

 

 ピカチュウに座ってもらい、その上に技マシンを載せる。

 数秒すると、数字が消えて文字が浮かび上がってきた。

 

「あなをほる」と赤字で書いてある。

 

 

『文字が表示されたかの?それが技マシンに入っとる技じゃよ。文字が赤いと覚えることはできん。逆に覚えられる技は青色で表示されるんじゃ。』

 

「ピカチュウは覚えられないってことか。」

「ピッピカチュー」

 

『そして覚えさせるときなんじゃが、技が青く表示されている状態で、ディスクの表面を指でぐるっと一周なぞるんじゃ。それで覚えらえるぞ。』

 

「へー、簡単なんですね。」

 

『そうじゃろそうじゃろ。技術の発展は素晴らしいものじゃな。ちなみに、ポケモンはボールから出さなくても覚えられるか覚えられないかの判別まではできるぞ。技を覚えさせた後は数字の表示が消えて、空っぽになるんじゃ。空っぽの技マシンはポケモンセンターで回収しておるから、しっかりリサイクルするんじゃぞ~!』

 

 

 なんと再利用まで考えられているシステムのようだ。

 技術力も去ることながら、随分とエコなものだ。

 

 

「ありがとうございます!オーキド博士!」

 

『うむうむ。ポケモンもしっかり捕まえるんじゃぞ~』

 

 

 プツッという音と共に、オーキド博士の映像が消える。

 

 たしかに、いまだに十匹にも満たない数しかサトシのポケモン図鑑に情報は書かれていない。

 宝の持ち腐れというものだ。

 高価なポケモン図鑑はもはやただの電話としてしか機能していない。

 

 サトシの本当の目的はポケモン図鑑のコンプリートではないにしても、やはり多くの種類を捕まえたいというのが本音だろう。未だにマサキのシステムの恩恵にもあずかっていないのだから。

 

 

「技は、あなをほる、か。ちょうど地面タイプか。―――サンドは覚えらえるかな?」

 

 

 とりあえずサンドをその場に出してみる。

 モンスターボールから赤い光が漏れ出し、小さく丸っこい形を作り出した。

 

 

「サンドー」

 

「あーかわいいなサンドかわいい。」

 

「サンドーー」

 

 

 出したついでに頭を撫でる。

 サトシもサンドも嬉しそうだ。

 

 ある程度堪能したら、サトシは技マシンをサンドの頭に載せてみる。

 

「あなをほる」の文字は青く表示され、サンドがその技を覚えられると明示していた。

 

 

「お、やっぱり覚えられる。サンド、覚えてみる?」

 

「サンド、サンドー」

 

 

 両手をあげてはしゃぐサンド。

 覚えたいようだ。愛くるしい姿を見て、サトシも笑顔になりつつ、オーキド博士に教わったやり方を早速試してみる。

 

 

「えっと、頭に載せたまま、指でぐるっと―――」

 

 サンドの頭に技マシンを載せたまま、指でディスクを一周なぞる。

 

 

 そうすると、技マシンから青色の光が漏れ、同時にサンドの身体も青色に発光した。

 技マシンに表示されている「あなをほる」の文字がだんだんと薄れていき、光が納まると同時に完全に消えた。

 

 残ったのはただの銀色の円盤のみ。

 頭に載せようが振ろうが何も起こらない。

 これが使い終わった技マシンなのか~と少しだけ眺め、とりあえずリュックの中に収めた。

 

 さて、これでサンドはあなをほるを覚えることができたのだろうか。

 

 

「―――サンド、穴掘れる?」

 

「サンド」

 

 

 サンドは頷くと、その場で地面を自慢の爪でえっほえっほと掘り始めた。

 なんというか、そういうことではない気がするが

 

 

「か、かわいいーー!」

 

 

 サトシにとってはそれだけで技を覚えさせた甲斐があったと本気で思えたようだった。

 

 

 

 




昔から、技マシンてどうやって使ってるんだろって思ってた。


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第六十四話 ポケモン大好きクラブ

 サンドがあまりに可愛かったので、そのまま肩車してクチバシティを散歩する。

 このままレベルがあがっていくと進化するわけだが、ちょっともったいない気がしてしまう。

 サンド本人としては進化してもっと強くなりたいみたいな気持ちがあるかもしれないが、この可愛さが失われるのは辛い。

 なるほど、これが愛玩用と言われるポケモンの定めなのか。

 

 ピカチュウも、プリンも、ピッピも、レベルがいくら上がっても進化はしない。

 それぞれ、特別な石を必要とするらしいが、プリンとピッピは何の石で進化するのだろうか。

 ピカチュウは雷の石だし、プリンは風船の石?そんなものあるのかな?

 

 などと意味の無いことを考えながら、わいわいとはしゃぐサンドを背負いつつ歩いている。

 クチバシティはカントー外から多くの人がやってくるため、歩いているだけでも楽しい。

 サトシ自身も初めての海と港町にウキウキとしつつ、海外の珍しい物品などを物色しながら探索していた。

 

 しばらく歩くと、並んでいる家々よりも多少大き目の建物が見えてきた。

 家というより、集会場のように見える。人が住むような建物でないことは間違いない。

 気になって前に立ち止まり、表札を見てみると、『ポケモン大好きクラブ』と書いてあった。

 

 

「ポケモン大好きクラブ?なんか安直な名前だけど、それだけポケモン好きってことなのかな。」

 

 

 サトシ自身、かなりポケモン好きなのは間違いない。

 というかサンドを肩車して歩いている時点で、どこからどう見てもポケモン大好きっ子である。

 ピカチュウを連れていたところで、目を逸らす人が大半だったが、サンドがいるとその視線が若干数向くようになった。

 いや、あまり目立つのは良くないのだが、仕方がない。かわいいので。

 

 ともあれ、ポケモン大好きな自分は十分にこのクラブを見る権利がある。

 表札付近にはチラシが張ってあり、『ポケモン大好きクラブ、会員募集中!気になる方は中へどうぞ☆』と書いてあって、数体のかわいいポケモンが挿絵として楽しそうに手をつないでいた。

 

 

「はいって、みる?」

 

「ピカピ?」

 

 

 あまり興味は無さそうだが、サトシは少し気になるので中に入ってみることにした。

 一旦サンドを地面に降ろし、少し考えて、ボールには戻さずにそのままサンドとピカチュウを連れてドアを開けた。

 

 広い室内には、中央に会議室用の大きなテーブルが置いてあり、ドアと反対側の壁の中央には、大きな机を前にして偉い人が座るような高級そうなイスの上で、手にオニスズメを抱えて大事そうに撫でている男性がいる。

 

 室内は広々としており、十人か十五人くらいだろうか。それぞれポケモンを抱き上げたり、撫でたり、毛づくろいしたりと、思い思いに自分のポケモンを大事そうにしている人達がいた。

 

 サトシがドアを開けて中に入ると、人々の視線がサトシに注がれる。

 見られることには慣れているが、こうあからさまに注目されると若干恐縮してしまう。

 

 

「ど、どうも。」

 

 

 なんとかそれだけ言葉を紡ぐと、一番近くにいたおば―――妙齢の女性が声をかけてきた。

 

「あらあらあらあらいらっしゃい!ポケモン大好きクラブへようこそ!あなたはクラブ入会希望の方かしら?ええそうよねそんなかわいいサンドを連れているのだもの入会するわよねえ当然。名前はなんていうの?――サトシっていうのね!素敵な名前!後ろの大きい方は保護者かしら?不安になる必要なんてないわよーみんなポケモン大好きなだけだものーねえねえみてみてワタクシのニャース。かわいいでしょう!名前はチョコちゃんっていうのよ。この愛くるしいおヒゲにしっぽ!鳴き声なんてまるで天使のようよ!毎日ブラシをかけてるの!つやつやサラサラよ!とってもいい子でなのよ~ほらほら、チョコちゃん、ご挨拶は?―――いい子ね~~♪ほら、ご褒美のお魚よ、あーん、食べる仕草もかわいすぎて抱きしめたくなるわー!またブラシかけてあげるわね!こっちおいで、チョコちゃん。」

 

「ウニャース」

 

 

 

「・・・・」

 

 

 嵐のように来たと思ったら、嵐のように去って行った。

 

 よくもまあここまで一方的に話せるものだ。

 女の人というのはかくもおしゃべり好きなのであろうか。

 それにしてもポケモン好きのレベルが尋常じゃない。

 なんだろう、生活そのもの、人生そのものがポケモンであるかのような。

 

 タケシさんも大概ポケモン好きであったが、ここの人達はもはや規格外だ。

 ポケモン以外には目がいかない。

 行ったとしても、ものの数分で自分のポケモンの元へ興味が移動してしまう。

 生粋のポケモン好き。ポケモンラヴァーズ。

 

 サンドにくいくいと裾を引っ張られて、放心状態から現実に戻ってきたサトシ。

 サンドのことをじっと見る。

 首を傾げて、サトシを見返すサンド。

 

 

「この空間は僕たちには相容れない気がするよ、サンド。」

「サンドー」

 

 

 どうやら同意のようだ。

 入ったばかりで悪いが、退室させてもらおう。

 

 そう思って、閉めたばかりのドアの方に振り向き、出ていこうとする。

 

 ・・・後ろに立っていたはずのピカチュウが居ない。

 もはやお約束。

 この展開にも慣れてきた。

 

 見たところドアが開いた形跡はない。

 ということは室内にいると思うのだけど。

 

 そう思って、再度室内の方に目を向ける。

 サンドもつられて一緒に同じ方向を見る。

 

 あの黄色いデカブツは、今度は何をやらかすつもりなのか。

 あの体格だ。いくら服を着ているとはいえ、隠れるなんて芸当ができるハズがない。

 

 と思う間もなく、サトシの相棒のこまったちゃんはすぐに見つかった。

 

 

「・・・なにしてんの。」

「サンドー?」

 

 

 ピカチュウは、奥のイスに優雅に座っていた会長らしき人物を、座ったままの姿勢になるように持ち上げては降ろし、持ち上げては降ろしを繰り返していた。

 

 あれは、おそらく遊んでいるのだろうと思う。

 意図がある行動ではないだろう。むしろ意図があったら怖い。

 

 おそるおそる会長らしき男性を見ると、特に何も起きていない、みたいな表情で先ほどと同じようにオニスズメを撫でながら、もう片方の手でサトシに向かっておいでおいでしている。

 

 うっわー、絶対怒られるよ。だって偉そうだもん。うん、えらいでしょ、あれはどう見ても偉い。イスが高そうだもん。

 

 まあそのまま裏バトルに突入するような状況でもなかったため、命のやり取りにはならないと思うと少し安堵し、会員達の視線を浴びつつピカチュウの元へ歩いていく。

 

 

「あの、大丈夫でしょうか。」

 

 サトシが声をかけると、男性は笑いながら答える。

 

「ほっほっほ。面白い御仁じゃないか。とりあえず、この上下運動を止めてくれんか。君。」

 

「あ、すみません。」

 

 

 ピカチュウ、と声をかけるわけにもいかないので、サトシの胴回りはあろうかという太い腕にしがみついて、サトシの意図を伝える。

 

 一度サトシの顔を見て、もっと遊びたいという意思を伝えようとしたが、首を振るサトシを見て大人しく男性をイスの上に戻した。

 

 

「やれやれ、これで落ち着いて話せるのう。」

 

「すみません、僕の―――身内がご迷惑を。」

 

「ほっほっほ。どうやら言葉が通じない様子。異国の方かな?ほっほ。」

 

 

 どうやら疑われていないようだ。

 ここは港町。異国の人も頻繁に来るのだろう。

 特に気にすることなく、話は進む。

 

 

「挨拶が遅れたかな。わしはポケモン大好きクラブの会長じゃ。よろしくの。」

 

「あ、サトシと言います。マサラタウンから来ました。」

 

「おお。随分遠くから来たのじゃな。クチバシティは良いところじゃろ。ごはんがおいしい。」

 

「それは本当に。」

 

 

 ごはんの話になったので、おいしかった食事処の話や、おすすめのお店などの話題になり、少し熱が入った会話となった。

 

 

「おっと、すまんすまん。クラブの説明じゃな。・・・それより、わしのかわいいオニスズメについて、語ってもよいかのう?先に。な?このとおり。」

 

 

 やはりこの空間の人達はみんなこうなのだな、と再認識したサトシ。

 

 さすがに会長の前で 嫌です と答えるのも無粋なので、大人しく会長のオニスズメ自慢を聴くことにした。

 もしかしたら、サトシの知らないポケモンの特性などがわかるかもしれない。

 

 胃もたれしそうなポケモンへの愛情を淡々と聞きながら、サトシは晩御飯のことを考えるのだった。

 

 

 




ポケモン大好きクラブって、すげえネーミング。


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第六十五話 ポケモン大好きクラブ会長のポケモン大好きな理由

「でな、いとおしくて、あいくるしくて、――」

 

「(長い!)」

 

 

 いくら晩御飯の内容を考えたところで終わらない会長の話。

 すでに一ヶ月先のものまで考えてしまった。

 それ通りになる事はまず無いのだが。

 

 それからたっぷり三十分は話しただろうか。

 さすが会長、先ほどの女性よりも格段にポケモンを愛しているようだ。

 自分がピカチュウについて語れることなど、自分勝手で怪力ってことくらいしか―――ごめんって、そんな目で見ないで。

 

 ピカチュウと無言のやり取りをしていると、ようやく会長の話は終わりを告げた。

 

 

「ふー。満足じゃ。まさかわしの話をここまで真剣に聴いてくれるとは、サトシくんはかなりのポケモン好きじゃな!」

 

「ええ、まあ・・・」

 それだけ言うと、サトシは続きを話される前に、自分の訊きたい事を先に告げる。

 

「あの、会長。このポケモン大好きクラブは、どんなことをするクラブなんですか?」

 

 

 乗りかかった船、というわけでもないのだが、ここまで関わってしまった以上聴いておきたいと思ったのは事実。

 もし、サトシが話を聞いた人達だけが特殊なのであり、尚且つ入会特典など有利なものがあれば、あわよくば入会などということも考えなくもない。

 

 微妙な考えであって、今のところこのクラブへの魅力は皆無どころかちょっと怖いという意味でマイナスである。

 確かにポケモン大好きではあるが、ここまで過剰に愛するよりも、自然体で接する方が自分には合っている。

 

 

「―――このクラブの目的、かね。」

 

 

 少しもったいぶる会長。

 それほどまでに崇高な目的があるのだろうか。

 ポケモンを愛する人が集まり、ポケモンを愛でるのが目的だ!とか言うようならば、その場で踵を返して立ち去る程度の考えではいるのであるが、なにやらそういう頭おかしい系の事を言い出す雰囲気では無さそうな感じはする。

 

 

「ポケモンを愛でる事がもくて―――」

「帰ります。」

 

 予想通りすぎて、その場でくるりと後ろを向いて帰ろうとするサトシ。

 

「まあ、まてサトシ君。焦るでない。これこれ。大人の話は最後まで聴くものじゃ。」

 

 溜息交じりに再度会長へ顔を向けるサトシ。

 ピカチュウは珍しく興味ありげに、大人しく会長の話を聞いているようだ。

 

 

「このクラブはな。確かに、さっき言ったことも間違ってはおらん。ポケモンを愛でる。それに尽きる。それを目的として集まってきておる会員も非常に多い。だがのう。ふふふ。君ならば話しても大丈夫かなと思っておるよ。なあピカチュウくん。」

 

「ピカピ?」

 

「ピカ―――って、や、やだなあ、さっき、外国の人って言ったじゃないですか~。ははは。」

 

「ほほほ、そうじゃな。ふふ、ここからは少し小声で頼むぞ、サトシくん。この部屋には知らんものもおるでな。」

 

 

 なにやらキナ臭くなってきた。

 目の前にいる好々爺ぶったこの老人は、なにやら表沙汰にできないような事を隠しているようだ。

 サトシの経験上、ピカチュウをピカチュウと見破る人物については警戒する必要がある。それも、少しではなく最高最上の警戒をせねばならない。

 十中八九、裏の世界に関わっているだけでなく、思いもよらない動機で行動している者もいるからだ。

 目の前のポケモンを愛してやまない老人も、今となってはなにかしらの異常性を感じさせる。

 先ほどまでとは違う、狂気染みた空気感、思想を放ち続けているように感じるのだ。

 最初の頃は気づかなかったハズではあるが、多くの経験からサトシはそのような感覚を身に着けつつある。

 

 

 

「(どうする・・・逃げるか・・・いや、もう手遅れな感じが・・・)」

 

「そうか、ピカチュウくん。君はもっと聴きたいのじゃな。」

「ピカピー」

 

 

 あ、これいつものやつだ。

 

 

「では教えよう。ついてきたまえ。ああ、君たち。私は今日は戻るので、あとはよろしく。」

 

「「「はい、会長。」」」

 

 

 なにやら統率されたやりとりに、一抹の不安を覚える。

 なにか、これ以上関わってはいけないような、そんな気がする。

 

 サトシは別にエスパーではない。

 自分の勘がよく当たる、なんてことも思ったことはない。

 しかし人間の第六感というものは時として侮れない精度を持つものだ。

 しかも、大概、そんなことはない考えすぎだと思うとき程当たる。

 

 そして、サトシが危険だと思うときは大体サトシに選択権は無く、判断するまでも無く状況は進行していくのだ。

 

 

 

 だからといって、主人を置いて、会長と一緒に外に出ようとしているピカチュウは一度くらい食事抜きにしてもいいのではないだろうか。

 ひどく不満げな顔をして、ピカチュウと会長を追いかける。

 

 

 くいくいと袖を引くサンドを、またあとでねと告げてボールに戻し、一様にポケモンを可愛がり続ける会員達を横目に、サトシは部屋を出て、まだ明るいクチバシティの街並みの中へ戻った。

 

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

 

「どこへいくんですか?」

 

 

 昼と夕方のちょうど間くらいの時間帯。

 まだまだ活気づいている港町を横切り、ずんずんと元気よく進むポケモン大好きクラブの会長。それに続くピカチュウとサトシ。

 

 

「ほっほっほ。なぁに、わしの家じゃよ。ほれ、あそこじゃ。」

 

 会長が指をさすと、他の家と別段変わらない、良くも悪くも普通の家が見えてきた。

 

 

「普通の家じゃろ?」

 

「ああいや、そんな」

 

「ほっほ、まあ入りなさい。」

 

 

 道に面して直接ついたドアに手を伸ばし、ガチャリと音を立てて開ける。

 そのまま滑り込むように中へ入る会長。

 

 まだ昼過ぎということもあって、中は若干暗く見える。

 別に普通のことではあるのだが、サトシはゴクリと喉を鳴らして唾を飲みこみ、おじゃまします、と小声で言いながら、家の中へ踏み込んだ。

 

 

 家の中に入ると、こちらも普通の枠を出ない造りをしていた。

 テーブルに、イスが四脚。

 テレビは無く、いくつか置かれた本棚に、少しだけ隙間を残していろいろな本が並んでいる。

 奥には食器棚があり、その横には奥の部屋へ向かうドアが一つだけついている。

 

 

「まあ、掛けなさい。」

 

 

 サトシがドアの前で立ち尽くしていると、会長がテーブルの所へ手招きをする。

 

 ロケット団が隠れていて、とかそういう展開も考えてはいたのだが、別段不思議に思うところは無い。

 いたって普通。

 不気味なまでに、意図的に普通に見せているかのような違和感を感じる。

 

 

 

「(考えすぎ、かな。でもなにか―――)」

 

 

 違和感を覚えつつ、サトシは四脚ある木製のイスの一つを手前に引き、一度ピカチュウを方を向き、きょろきょろと見回しているのを見てからイスに座った。

 

 会長はサトシが座るのを待って、その後ゆっくりとイスを引き、腰を降ろした。

 

 

「ふふ、驚いたかね?サトシ君はもう気づいていると思うけれど、わしは裏のトレーナーだよ。いや、正確には『だった』、かな。」

 

 

 会長は、そう語り始めた。

 今のサトシにとっては、裏のトレーナーはそう珍しいものではない。

 馴染んでしまっている。

 これについてはサトシ自身もあまりよくないことだと認識していたが、ピカチュウが傍にいる状態であれば、少なくともサトシ自身に危険が及ぶことはあまり無いと考えていた。

 むしろ、ピカチュウの守護の及ばない範囲。

 サトシはそれを察したからこそ、サンドをボールに戻したのだった。

 

 現状、裏のトレーナーを名乗る人物で危険の無かったのはサカキさんのみだ。

 結果的にはコイキングおじさんもトレーナー、だったのだろうか。

 今となっては知る由も無いが。

 

 つまり、裏のトレーナーだと知った場合、その後の展開を全力で察知し続けなければいけないということ。

 この会長が考えていることはこれからはっきりするかもしれないが、サトシはいつでも立ち上がって逃げられるように、あえてイスをテーブルに入れず、かなり隙間を開けて座っていた。

 

 

「ふふ、そんなに警戒しなくてもいいよ。別にわしは戦うことはしない。戦おうとも思わない。そんな力はないからね。わしは、タダのポケモンを愛してやまない一人の人間さ。」

 

 

 黙って聞く。頷くこともせず、じっと、一言も漏らさないように耳を傾け、情報を整理する。

 

 

「君は駆け引きや取引には向かないね。だが、それがまた人とポケモンに信頼されるというものか。ふっふ、わしには到底無理な話だのう。」

 

「―――話を」

 

「おお、そうだったの。ポケモン大好きクラブとは何か、じゃったな。」

 

 

 サトシは無言で頷き、それ以上は何もせず、先を促す。

 

 

「ポケモン大好きクラブは、ポケモンが大好きな者が集まる場所じゃ。じゃが、その愛し方までは限定しておらん。『ポケモンが好き』という一文さえ、動機の中に入っておれば、問題ない。会員にはその愛し方に沿った場所と方法、道具を提供しておる。」

 

「・・・・」

 

 

 別に、普通のファンクラブのようなものだとは思う。

 好きなものは好き。サトシもポケモンが好きだし、スキンシップをとるのは当然だと思っている。

 中にはタケシやカスミのように特殊な愛し方をするような人もいるが、本質的には変わらない。

 

 しかし、サトシは未だに違和感を拭いきれない。

 この部屋には、あるべきものが無い、気がする。

 それがなんだかわからずにモヤモヤしつつ、会長の話に耳を傾ける。

 

 

「では、わしがポケモンをどのように好きかを先に告白しよう。すべてはそこから始まったのじゃからな。わしがポケモンを好きだから、このクラブは始まったのじゃ。ふふふ。」

 

 

 チクチクと時計の針が進む音だけが聞こえる。

 静かで薄暗い部屋。

 徐々に日が落ちていき、それに応じて室内も暗くなっていく。

 

 たっぷりともったいぶって、ポケモン大好きクラブの会長は、クラブ創設の根源を告白した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「わしは、ポケモンを食べるのが好きなんじゃ。」

 

 

 




衝撃の告白


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第六十六話 狂うということ

 聞き間違いだろうか。

 

 聞き間違いであると信じたい。

 

 だって、そんなことは、許されるものではない。

 いや、ポケモンも生き物であるのだから、それを食べるというのは別に不思議なことではないのだと、そう考えられなくもないのだが、いやそれは確かにそうなのだが、倫理的に許されるものなのだろうか。ポケモンを食べると罰せられる法律など存在しただろうか、いやいや――――

 

 

「ふふふ、驚いたかね?」

 

 

 放心して、考え事をしていたサトシが顔を上げる。

 徐々に夕陽差し込んできた室内に、会長の微笑んだ顔がオレンジ色に染まり、浮かび上がる。

 

 

「―――――どういう、ことですか。」

 

 

 なんとか言葉を捻り出し、疑問を口にする。

 これ以外の訊き方が思いつかなかったので、一番素直で、直接的な訊き方になってしまったのは、サトシが動揺し、混乱しているからだろう。

 

 

「別に、不思議なことじゃあるまいて。サトシ君も、食事は好きじゃろう。ああ、クチバシティにはおいしい海産物が豊富にあるのう。確かにあれは美味じゃな。しかし、サトシ君。ポケモンが食卓に並んだことはないかね?―――そんなことあるわけないという顔じゃな。いいかいサトシ君。ポケモンを食べる、ということは禁止されておらん。カントーでこそ珍しいが、海外では珍味として楽しまれることがよくあるそうじゃ。」

 

「ポケモンを・・・食べる?そんな・・・」

 

「何を不思議がることがあるのかね。ポケモンは可愛い。その見た目は非常に愛らしい。愛でるにはちょうどいい、生き物であるといえる。しかしだ。生き物である以上食べることはできる。ふふ、サトシ君。想像してみたまえ。鳥ポケモンが生きたまま捌かれると、どういう鳴き声を出すのか。魚ポケモンはどうかな。大型のポケモンはなかなかにしんどい。不味いポケモンも多いが、反面美味なものも当然おる。その過程と結果、両方楽しむ。わしがポケモンを好きな理由はそこだ。命を感じる瞬間。失われ、わしの身体の一部となる。それがわしの喜び。愛し、慈しみ、手をかけて育てたポケモンを、自分の一部とする。ああ、幸せだ。なんという幸せ。幸福。一度サトシ君も食べてみたまえ。先ほどのサンド、おいしそうじゃったな。ふふふ。砂が多いのでよく洗わなければ食べられないが。さっぱりして歯ごたえのある肉じゃな。野菜と一緒にサラダにすると良いのう。ふふふ。」

 

 

 頭がおかしくなる。

 この老人は何を言っているのか。

 

 食事としてポケモンが出てくる。

 ああ、確かに、そんな習慣があったとしてもおかしくはない。

 何かの尻尾が珍味だとか、そんな話を聞いたことがあるような気もする。

 

 しかし、目の前の、笑顔の老人はなんと言ったか。

 生きたまま捌くと、そう言ったのか。

 

 

 

 今まで感じていた違和感の正体が、ようやく判明した。

 

 この部屋には、食器棚があるにもかかわらず、キッチンが無い。

 

 

 奥の部屋がキッチンなのだ。

 恐らくは、そこで、命を刈り取り、調理しているのだろう。

 なんということだ。

 先ほど一生懸命撫でていたオニスズメも、そのうちこの老人の胃袋の中に納まるのであろうか。

 

 無意味にポケモンを虐殺するロケット団はまぎれもない悪だ。

 しかし、この人間は、果たして悪なのか。

 ポケモンは可愛がるもの、という共通認識は確かに存在するが、かといって食べてはいけないなどという決まりは無い。

 野生に生きている生き物である以上、どう生きようが、どう死のうが、誰にも関係はないのだ。

 

 

 狂気。

 見ようによっては、タダの珍味好きのグルメと言えなくもないが、サトシにとってはまぎれもない狂気に染まった人物だ。

 

 血に染まる自分のポケモンを想像し、吐き気を感じるサトシ。

 口を押さえ、それでも目はポケモン大好きクラブの会長を睨みつける。

 

 

「おや、裏の人間であれば理解してもらえると思ったんじゃがな。まあ、それも仕方無いことじゃな。他人に理解できない好みを具現化するのが、このクラブなのじゃから。」

 

「どういうこと――――・・・あ、つまり・・・」

 

「気づいたかね?別にわしだけじゃない。ポケモンを食べることが好きな人間は、多いとは言わないまでもそれなりに数はおる。しかし、このクラブはそれだけではないさ。」

 

 

 

 一体、これ以上何を聞かされるというのだろうか。

 一刻も早くこの場から去りたいという気持ちもあるが、不思議とその先を聞くまで帰れない、という気分になっている。

 

 それがなんなのか、サトシにはまだわからない。

 慣れ始め、そして求め始めていることに。

 裏の世界、闇の世界を知りたがっている。興味を持ち、惹かれ、求め始めているのだ。

 狂気そのものへの渇望が、サトシを徐々に浸食していっている。

 

 

 それを感じとったかとらないか。

 老獪な会長は変わらない笑みを浮かべつつ、続きを述べる。

 

 

「たとえば、このクラブにいる人間についていくつか紹介しようじゃないか。皆、とてもとても個性的で、且つ理解しがたい嗜好を持つ人間ばかりだよ。ふふ。サトシ君には、理解できるかな?わしは到底、理解し難いね。それがまた面白いのではあるのだがね。ふふふ。ああ、すまない。久しぶりに若者と会話したものでのう。ついつい長話になってしまう。もう年だのう。」

 

 

 エヘン、と咳払いをすると、老人は狂気に染まった人々について説明し始めた。

 それを、口を押えつつ黙って聞くサトシ。ピカチュウも、何をするでもなくサトシの後ろに立ち、見守っている。

 

 

「ある男は、年はいくつじゃったかな。たしか四十を回っていたかと思うが。その男はのう。ポケモンを性的対象として見ておってな。しかし、ポケモンの生殖行為はそう知られておらんし、どんな種類であろうとも卵から孵るらしい。人間と性行為に及ぶなど考えられん。それでも行為に及びたい男は、ポケモンを人間のようにできないか、という相談をわしにしてきたのじゃ。おもしろい男じゃろう?人間のようになる薬が存在する、という話は聞いたことがあったのでな。喜んで裏の世界へ飛び込んでいったわ。」

 

 

 サトシは黙って聞く。

 老人は止まる様子もなく、次々と話を続ける。

 

 

「ある娘がおってな。若い娘じゃった。二十にも及んでない、若い娘。その子がわしのところへ来て、何を言ったと思う?ふふふ、人間というのはおもしろい。こうまで多くの嗜好を持っておるのかとわし自身も驚愕したわい。その娘はな。自分のポケモンと合体したいというのじゃ。冗談でなく、本気で言っておった。最初はこの娘も、ポケモンとセックスがしたいのじゃと、そう思ったのじゃがな。違うんじゃよこれが。ふふふ。融合したいのじゃと。ポケモンと一体化したいと、そういうのじゃ。さすがのわしも人間をどうこうする勇気はなかったのでな。そういう研究をしている組織があると話をしたんじゃ。藁をも掴む勢いで紹介してくれと縋ってきたのを覚えておる。」

 

「あとは、ああ、両手足を捥いで、自分の元から離れないようにしたいという者がおったり、変わったものだと、ポケモンに食べられたいなんてのもあったのう。」

 

 

 

 呼吸と鼓動が早まる。

 血が巡り、体温が上昇する。

 あってはならない。しかし、まぎれもなく存在する異常さと狂気。

 決して表には出てこないであろう、それらの人々。

 しかし、嫌々ではなく、彼ら彼女らは望んでいるのだ。

 狂気を、自分が異常だと知りながら、渇望するのだ。

 

 日常を過ごしていながら感じる自分の異常さ。

 考えて、考えて、たどり着いた先の狂気は、決して誰にも理解されず、自分の精神を蝕み続ける。

 

 それを解決してくれる場所がある。

 救いを求められる場所が存在する。

 そこに飛び込むことを、誰が否定できようか。

 どうやって狂気を拒否すればよいのか。

 

 この老人は、受け入れているだけなのだ。

 自分の異常性を、他者の狂気を。

 

 

 ポケモン大好きクラブ。

 確かに、その名前に嘘偽りはない。

 

 

 間違っているとすれば、存在そのもの。在り方。

 そして、狂気を持って生まれるという事象を許した、神様が間違えているのだ。

 

 

 

 外は完全に夕方になり、太陽は光り輝く白色から闇の訪れを告げるオレンジ色に変化し、間もなくその光も消え失せ、町は人工の光で溢れる。

 

 

 

 

 サトシはここにきて初めて、果たして狂っているという現象は悪なのだろうかと疑問を抱くことになった。

 

 




14歳が抱くには重過ぎる疑問。


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第六十七話 思考

 夕陽の禍々しいオレンジ色が室内に雪崩れ込み、二人の顔を染め上げる。

 

 

「く、狂ってる・・・こんな、こと」

 

「そうとも。なにか悪いかね?わしは求められることに応えているだけじゃ。わし自身も欲求を叶え、他の者も欲求を叶える。誰が損する?誰も損をしないじゃろう。サトシ君も自分の求める欲求、快楽を求めて何が悪いのじゃ。誰も何も言わん。思うがまま、じゃよ。」

 

 老人から一通りの話を聞き、サトシの精神は大きくグラついている。

 

 

「――――かえります。」

 

 

 一言だけ言葉を発すると、サトシはゆっくりとイスから立ち上がる。

 それに応じて、狂気の老人も言葉を発する。

 

 

「そうか、いつでも、まっておるよ。サトシ君の中の狂気が、花開いたときはいつでもの。」

 

 

 それだけ聞くと、サトシはピカチュウに手招きし、ドアの方へ向かう。

 

 

「最後に、一つだけ話しておこうかの。」

 老人は、首だけサトシへ向け、座ったまま話しかけた。

 サトシはピクリと反応はしたものの、そのままドアへ進み、ドアノブへ手を掛けようとする。

 

 

「わかっておると思うが、マチスもかなりの狂人じゃ。戦うならば、いろいろと考えておくことじゃよ。ふふふ。わしとは相いれないがの。群れる老人と孤独な軍人は一緒にはおれんようじゃ。ほほ。」

 

 

 サトシはそこまで聞き、ドアノブを回して、随分と暗く、濃くなったオレンジ色に身を晒し、波の音と潮の香りがする風をうけ、ポケモンセンターへ歩いていった。

 

 一人残されたポケモン大好きクラブの会長。

 

 

「ほっほっほ。若いのう。―――さて、そろそろ晩御飯の準備でもしようかのう。」

 

 

 イスをギギと引き、自分のイスとサトシが座っていたイスを元の位置に戻し、ドアの鍵を閉め、ふふ、と嬉しそうな、それでいて楽しそうな声を発し、老人は奥の部屋へと消えていった。

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

 

 ドサ、とポケモンセンターのベッドへ横になる。

 いろいろ頭がごちゃごちゃになりながら歩いていたため、すでに日は落ち、晩御飯の時間も過ぎようとしていたが、サトシは寝るでもなく、動くでもなくずっと何かを考えていた。

 

 半ば巻き添えで晩御飯をとれないピカチュウであったが、特に文句も言わずサトシの傍でじっとしている。

 

 

 わかりきってはいた。

 結論など、出ないと。

 何が正しくて、何が悪いなんてことは、いくら考えたところで結論などでないのだ。

 今までのサトシであれば、狂っている、異常であることは悪いことであった。

 しかし、今のサトシは、『正当な異常性』というものを知ってしまった。

 

 考えてみれば、サトシはすでにその矛盾を受け入れているのだ。

 カスミという存在によって。

 

 カスミは紛れもなく、異常な考え方をしている。

 躊躇無く殺し、その結果を喜んで受け入れる。

 それを目の前で見ているし、恐怖もした。納得もできない。

 それなのに受け入れている自分がいる。想いを寄せている自分がいる。

 思考と感情の矛盾。論理的でなく感情的。

 刹那的な感情に従って生きるなど、獣のそれではないか。

 とても人間のする沙汰ではない。

 

 現実問題、その獣が集まる団体の中に踏み入ってしまい、且つ自分がいかに獣かということを大真面目に考えている今現在。

 

 うーんうーんとベッドの上で頭を抱えて悩んでいると、急に目の前に黄色い塊が現れた。

 

 

「うわあ!!」

 

 

 驚いて悲鳴を上げてしまったが、よく見れば見慣れた黄色い塊――もとい、ピカチュウの顔だった。

 

 

「もーう、びっくりするじゃないか。お腹すいたの?」

 

「ピカピー」

 

「――そうだよね、もうこんな時間だもんね。」

 

 

 壁にかかっているシンプルな壁掛け時計を見やると、晩御飯を食べるには少し遅い数字を針が刺していた。

 サトシのことを思って待っていてくれたのかもしれないが、もはや限界のようだ。

 わかったよ、とため息を大きく一つ吐いて、起こした身体を再度ベッドに投げて、天井を見上げる。

 

 

 ――――ひどく滑稽だ。

『人それぞれ考え方が違う』ただそれだけのハズなのに。

 それに対して正しいだの異質だの。

 そんなことを延々と考えたところで、時間の無駄だ。

 

 

 急に思考が冷め、サトシはむくりと身体を起こした。

 

 いくら考えたところで結論などでない。

 なにせ、自分自身が異常だ、などと自分一人で気づける訳が無い。

 比較する対象があって、初めて自分が違うということがわかるのだ。

 そしてそれは他人においても同様。

 悪事は悪事。それを許すことはできないし、今後も許すつもりはない。

 

 ただ、その世界しか知らなかったり、そうすることでしか自分を証明できなかったりする人がいた場合、自分はどう判断し、どう行動するのだろうか。

 

 カスミの例はあくまで特殊。

 特異な感情を抱いてしまったのだから、それはもう仕方ないとするしかない。

 だってほら・・・キ、キスとか・・・され、されされちゃったし・・・

 

 

 頭の中でしどろもどろする。

 

 少しだけ紅くなった顔。

 

 若干悶絶した後、ある程度吹っ切れたサトシは、今度こそベッドから立ち上がった。

 考え事をやめた途端お腹がすきはじめ、同じくお腹を空かせたピカチュウと共に、夜のクチバシティに繰り出した。

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

 

 朝日を浴び、そのまぶしさで目を覚ます。

 

 昨日、しっかり食べてすぐに寝たため、きちんと起きられたようだ。

 ピカチュウはすでに起きており、室内で体操のようなものをしている。

 とても邪魔だ。

 

 

 

 起きたばかりでしっかりと目が開かないサトシであったが、邪魔なピカチュウを通り抜けて洗面台へ向かう。

 顔を洗って、歯を磨く。

 

 朝の身支度を整え終わる頃にはピカチュウの体操も終わり、すごい速さで腕立て伏せをしていた。

 シャコシャコと音が聴こえそうな程に速く、総じてキモい。

 

 

 昨日のことが頭をよぎり、完璧にすがすがしい朝とまではいかなかったが、まあ仕方がないだろう。

 あまりのんびりしているわけにもいかない。

 今日はジムに見学しに行ってみよう。

 

 クチバシティに来てからそれなりの時間が経過したが、マチスの話はほとんど聞いていない。

 節約家という話だが、あまり外にはでないのだろうか。

 ・・・・あの会長は、なんだか相容れないみたいな話をしていたが。

 

 ともあれ、ビクビクしていても始まらない。

 どんな人かどうかだけでも見てみたいので、昼間の明るいうちにジムに行ってみることにする。

 

 本来、急にバトルになる方がおかしいのだ。

 ニビシティとハナダシティではもろもろの事情が幾重にも重なってバトルする流れになってしまったが、裏とはいえ公式戦なのだ。

 正式な手順を踏んでバトルするのが一番好ましい。

 

 

 過去二度のジムリーダー戦を思い出し、激戦の記憶が甦る。

 ―――よく勝てたなあ・・・

 

 そして、その二回のバトルの両方とも、原因はピカチュウだった。

 そこまで思い出し、ふとピカチュウの顔を見る。

 

 素知らぬ顔で今度はスクワットをしている。

 これも随分速い。

 

 

 ・・・ピカチュウを連れていくべきではないのだろうか。

 しかし、いざバトルとなった場合、ピカチュウがいなければどうしようもない。

 なによりこのピカチュウをほっといて出歩くと何が起きるのか想像もしたくない。

 

 というわけで、半ば強制的に連れていくしかないことに、サトシは頭を悩ますのだった。

 

 

 

 



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第六十八話 クチバシティジム

「ここがクチバシティジム―――なのかな。でも・・・」

 

 

 入れない。

 

 

 クチバシティジムと思わしき建物は見えるが、周囲を生垣に囲まれており、入口が無い。

 

 建物を発見してからすでに十五分程、周囲をぐるぐるうろうろしていた。

 すでに廃棄された建物で、別の場所にあるのだろうか。

 いや、でもたまにジムの中から声が聞こえるということは誰かしらが利用しているということだし、無人ということはないだろう。

 

 ともすれば、一体どこから入ればいいのだろうか。

 ハナダシティのように裏道があったりするのかな?

 そんなことを考えながら、ジムの周りをうろうろするサトシ。

 

 いい加減誰かに訊いてみようかと思ったとき、

 

 

「おや、サトシ君。」

 

「げ、会長。」

 

「げ、とはご挨拶じゃな。ほっほ。」

 

 

 ポケモン大好きクラブの会長が声をかけてきた。

 そういえば、例の集会場が近くにあり、会長と遭遇したことも偶然ではないだろう。

 

 

「どうしたのかね?同じところをぐるぐると。」

 

 

 あまり頼りたくは無かったが、よく考えたら別にこの会長とは何の利害関係にも無い。日常会話をしたところで何も変わらないだろう。

 

 

「―――でも一応確認しよう。代価とかないですよね?」

 

「ほほほ、随分用心深いことじゃな。あれじゃろ?ジムへの入り方じゃろ?それくらい教えるわい。ほっほ。」

 

 

 なんか見透かされてる感じが気に食わなかったが、それを言ったところで得は無いどころか、せっかくの好意が無駄になる。素直に聴くことにする。

 

 

「―――で、どうやってはいるんですか?」

 

 

 少しふてくされた顔で質問する。

 

 

「うんうん、その正直な顔がとても良いのう。わしも若い頃は―――おっと、長話になってしまうな。これはまた今度にしておこう。ほほほ。さて、入り方じゃが。ブルーバッジはもっておるかな?いあいぎりを使えるポケモンも必要じゃ。」

 

「ブルーバッジ?ああ、カスミの―――ありますよ。いあいぎりも、クラブが覚えてます。」

 

 

 腰のモンスターボールをポンポンと叩きながら答える。

 

 

「よろしい。それならば話は早い。ちょうど、ほれ、そこの生垣を見てみなさい。」

 

 そう言われ、会長が指さした方を見る。

 

 

 生垣には違いないのだが、よく見るとその部分だけ細い木が植えられているだけのようだ。

 葉っぱが多く茂っているため気づかなかった。

 

 

「あれくらいの木であれば、ポケモンの技で切ることができるんじゃよ。ブルーバッジをサトシ君の、いあいぎりが使えるポケモンに見せるのじゃ。」

 

 

 サトシは言われるがままに、クラブをボールから出す。

 

 懐に着けているブル―バッジをクラブに見せる。

 クラブはバッジを数秒間眺め、何を理解したのか、はさみをジャキジャキと音を立てる。

 

「クラブ、あの木を切れる?」

「クラーブ!」

 

 

 クラブは木の目の前に行き、その大きなはさみを掲げ、勢いよく振りぬいた。

 すると、木は根本から切断され、茂った葉っぱと共に奥に向けて倒れ、ジムへ入るための細い道が開かれた。

 

 

「なるほど、でもこれ勝手に切っていいんですか?」

 

「よいのじゃよいのじゃ。むしろ、切って入れるかどうかが資格証明みたいなもんじゃからな。」

 

 

 なるほど、これが秘伝技というものか。

 技として使えるだけでなく、通行の障害も取り除いてくれるという。

 使用にはジムバッジが必要だというが、いあいぎりに必要なバッジがブルーバッジだったというわけだ。

 

 ブルーバッジが無ければ使えない以上、バッジ無くしてクチバシティジムに入ることはできない。

 生垣を乗り越えるか火を放つかでもしないかぎりは。

 どちらにしてもタダでは済まないのが目に見えているが。

 

 

 いあいぎりを使って入る事そのものが力の証明ということになる。

 

 

「―――ありがとうございます。」

 

「お礼くらいにこやかに言ってもよいのではないかのう?ほっほっほ。」

 

 

 心から感謝する、というのも癪だったので、一応形式上だけでもお礼をする。

 

 

「まあ、別にかまわんよ。情報収集も必要じゃからな。まさかこのままジムに殴り込むわけではないんじゃろ?侮ると痛い目を―――散々見てきたって顔じゃな。ほほ。」

 

 

 サトシとてそこまで考え無しではない。

 むしろ今までが唐突すぎたのだ。

 

 よくよく考えればジムに行こうと自分から進んで足を運んだのは初めてのことだった。

 行き当たりばったりで勝負してばかりだったが、今回はしっかりと作戦を立てることができそうだ。

 

 恐らく集会場に向かうのであろう会長に手を振り、隙間ができた生垣を通り抜けた。

 ピカチュウは横幅が足りなかったので、身体を横にしてカニ足で入り込んだ。

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

 

「よーう!未来のチャンピオン!ここはビリビリ痺れる電気ポケモンの使い手、マチスのジムだ!まひなおしを忘れないようにな!」

 

 

 実に的確なアドバイスだ。

 麻痺になったら治さないと危ない。

 

「治す暇があれば、だけどね・・・」

 

 麻痺になった瞬間に拳を叩き込み、勝ちを捥ぎ取ったニョロボン戦。

 裏のバトルにおいてバトル中に道具を使う時間などほぼ無いに等しい。

 

 しかし、今サトシの頭の中で大きくウェイトを占めている考え事は、まひなおしの事ではなく―――

 

 

「節約家じゃなかったっけ・・・?」

 

 

 煌々と点灯したジム内の照明。

 盛んにトレーナー同士のバトルが繰り広げられており、要所要所で電撃の光が見え、バチバチという音が聴こえてくる。

 

 雰囲気としてはニビシティのジムに近いのだが――――――

 

 

 きょろきょろと見渡し、ちょうどバトルが終わったであろうトレーナーを見つけ、話しかけた。

 

 

「あの、すみません。」

 

「ああ?誰だあんた。」

 

「サトシといいます。初めてクチバジムにきたんですが、その、ジムリーダーはどこにいますか?」

 

 

 サトシが気になったことは、これだけ盛んにも関わらず、指導者らしい人が全くいなかったこと。

 当然マチスらしい人もおらず、端から端まで注意深く観察しても、ジム所属の電気タイプ使いと、挑戦しているトレーナーの姿ばかりだ。

 ジムリーダーらしき人物は影も形も無い。

 

 

「ああ、マチスさんか。あの人は滅多に出てこねえよ。」

 

「でてこない?バトルは?」

 

「マチスさんは昔、軍隊で少佐だったらしくて、用心深い性格だ。ほら、奥に扉があるだろ?ジム内の仕掛けを解かないと、中に入れないって寸法だ。ジム所属のトレーナーでも、ほとんど会えないんだぜ。」

 

「会うにはどうすればいいの?」

 

「マチスさんに会いたいのか?それなら―――俺を倒したら教えてやるよ!」

 

「え?ちょっと、いきなりそんな」

 

「問答無用っ!」

 

 

 

 どうやら表向き、マチスと会うには随分と面倒な手順が必要なようだ。

 マチスは昔、軍隊にいたという。

 このジムのトレーナーが好戦的なのはマチスの影響なのだろうか。

 

 そして、カスミが言っていた『マチスは節約家』という単語。

 ジムの様子を見る限り、その様子は一切見えない。

 というより、過剰に電力を消費しているようにすら思える。

 

 これで命に対する節約家で、命を大事にしましょうとかいう善良な人であれば救い様もあるというものだろうが、そううまくはいかないだろう。

 

 なにせ、マチスは軍人だったという。

 どのようなバトルになるのだろうか。

 

 サトシは肝心な情報が得られないまま、とりあえずクチバシティジム内のトレーナーと戦っていくことにした。

 

 

 ちなみに、先ほどの好戦的な青年はコイルばかりつかってきたので、サンドの穴を掘るで一網打尽にできた。

 サンド、かわいいしつよい。

 

 

 

 通常のトレーナーとのバトルが久しぶりに感じる。

 なんというか、やはり緊張感に欠ける。

 本来これが正しいものであると頭でわかっていても、どこか危機感に欠けるし、どうでもいいなどと思ってしまう。

 

 相手との意識の差。

 戦う場所が違うだけで、トレーナーの意識というのはここまで違いが出てしまうのだなと、サトシは肌で感じた。

 

 

 



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第六十九話 扉の奥

「君は本当に強いな・・・!」

 

「あ、どうもありがとうございます。」

 

 

 紳士風のトレーナーとのバトルに勝利たサトシは、遠慮がちにそう言った。

 ジム所属のトレーナーと数戦行ったが、別段特筆するところもなく、普通に戦い普通に勝利した。

 

 勝利する度にマチスについての情報を訊いてみたのだが、どれも曖昧な表現で濁すばかり。

 このビリリダマばかり出してきた紳士風の男にも、そんなに期待せずにマチスについて尋ねてみた。

 

 

「なに?マチスと戦いたいのか?」

 

「あ、えと、戦いたいというか、会ってみたいというか。」

 

「ふむ―――であれば、会えるかどうかはわからないが、奥の部屋へ行ってみるといい。」

 

「奥―――って、あのドア、仕掛けで開かないんですよね?」

 

 

 最初のトレーナーに聴いた言葉をそのまま言う。

 

 

「そうだな。君はマチスと戦うには十分な強さだろう。仕掛けについて、説明してあげよう。このジムにはたくさんのごみ箱が置いてある。そのゴミ箱の底にはそれぞれスイッチがあってね。押せる状態にあるスイッチが一つだけある。そのスイッチを押してから三十秒以内に、もう一つのスイッチを押すことができれば、奥の部屋へ入ることができるのだ。当然、場所は毎回変わる。」

 

「うわあ・・・面倒くさい。」

 

「それだけ用心深い男なのだ。健闘を祈るよ、少年。私は倒れたポケモン達を回復してくるとしよう。」

 

 

 それだけ言うと、トコトコと歩いていき、ジムの外へ消えていった。

 

 

「―――さて、ゴミ箱ね。ええと、ごみ箱は・・・」

 

 

 サトシは周囲を見渡し、先ほどの紳士風の男が言っていたゴミ箱を確認する。

 なるほど、今までは気にすることはなかったが、そこかしこにゴミ箱らしきものがいくつか・・・たくさん・・・いっぱい・・・・ありすぎない?

 

 

 ジムの中には、全く見た目が同じゴミ箱が実に五十個以上置いてあった。

 重なって見えないものや、物陰に隠れているものなど含めたら六十個はあるのではないか。

 

 

「節約家っていうか・・・臆病だね・・・・」

 

「ピカピー」

 

 しかし、開けないことには始まらない。

 裏のバトルをするもしないも、まずは会って話をしなければ。

 タケシもカスミも、普通の出会い方をしていれば普通に話せたはずだ。

 そして改めて戦う日程を決めて、バトルすればいいだけではないか。

 

 なぜいままでその通常の流れに一度もなっていないのか甚だ疑問ではあるが、今回こそ、きちんと正面から準備万端で戦いたい。

 そう、心に決めるサトシだった。

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

「ピカピー」

 

「うるさい。こういうの苦手なんだよ。」

 

 

 今、鍵のロックが解除された扉の前にいる。

 たっぷり二時間、ジムの中を駆け巡り、トレーナー達から奇異の目で見られても気にせずにスイッチ探しを行った。

 

「大体、三十秒しかないっておかしい!いくら頑張っても十個も確認できない。全部で六十個近くもあるのに。」

 

 

 つまりは運に頼るしかないのだ。

 その運が絶望的に悪かったというだけの話である。

 

 

「普段運が悪いんだから、こういう時くらい運が良くてもいいと思うんだけど―――」

 

 

 ぼやきつつ、ロックが外れた扉の前に立ち、前に押し開ける。

 他のトレーナーも注目しているようだったが、サトシとピカチュウが通った後はゆっくりと閉じ、ズズン、と重そうな音を立てて壁と一体化し、再度ロックがかかった音がした。

 トレーナーはそれを見届けた後、自分達のバトルと鍛錬にいそしみ始めた。

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

 

「誰もいない―――」

 

 

 扉をくぐると薄暗い通路に出た。

 そのまま少し進むと八畳間程の大きさの部屋にでた。

 

 一面コンクリートがむき出しの部屋で、照明も裸電球がそのまま垂れ下がっている。

 ケーブルが這った天井を見上げつつ部屋の中を確認したが、電球以外に何もなく、伽藍としていた。

 

 

「なにもない?」

 

 

 そこそこ広い室内を、足音を立てながら歩き回る。

 音を吸収する物質が何も無いこの部屋では、その足音も不気味に反響し、何も物がないという不自然さをさらに増長させる。

 

 

 壁沿いにトコトコと歩いていると、ドアが一つだけあった。

 入ってきたときにわからなかったのは、壁とまったく同じグレーで塗りつぶされていた上、小窓もついていなかったためだ。

 

 ドアの取っ手を動かすと、ガチャリと開いた音がする。

 ―――鍵がかかっていない。

 

 

 そのまま押すと、ギギ、と少しだけ軋んだ音がして、奥へと少しだけ開く。

 

 

「・・・・・・」

 

 

 少し考え、後ろを振り返る。

 そこにはいつもと変わらずかわいいポーカーフェイスを翳したピカチュウが堂々と立っている。

 が、別に先導するわけでも、逃げようとするわけでもない。

 すべてサトシの判断の元に動くようだ。

 今までの自由さはどこいった。

 

 

「はあ・・・」

 

 

 大きく息をする。

 正直、奥へは行かない方がいいとは思う。

 なにか嫌な予感がする。

 しかし何も得ないまま踵を返し、あのゴミ箱あさりの二時間を無駄にするのもいただけない。

 

 

 どちらにせよマチスには会わなければならないのだ。

 バトルになる可能性も考慮したが、大丈夫、ちゃんと説明すれば大丈夫だって。

 

 そんな根拠のない自信と共に、サトシはピカチュウを連れて重い扉の奥へと足を進めていった。

 

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

 

 扉の奥には階段があり、降りると通路が続いていた。

 

 通路は暗く、数mおきにオレンジ色の裸電球がぶら下がっているだけだった。

 すでに設置されて長いのか、切れかかってチカチカと不規則に点滅しているものもちらほら。

 過去に暗い通路を何度か通ったが、それらは足元だけを照らすような照明だったが、こちらは明るさと暗さが不規則に入れ替わり、且つコンクリートで作られたままの通路は、その密閉間からか酷く不安にさせた。

 

 道としては分かれ道も無く迷うことはないのだが、何度か折れ曲がり、小さい部屋のような場所を通過しつつ、足音だけが響く道をサトシは歩いていった。

 

 

 

「随分、長いこと歩いた気がするけど、実際そうでもないのかな・・・」

 

 

 

 通路自体が狭く、見た目の変化もないため感覚が狂うが、まだサトシが歩き始めてから数分しか経過していない。

 そして

 

 

「―――光だ。」

 

 

 サトシの歩く先は行き止まり―――かと思ったが、どうやら扉のようだった。

 格子が嵌められた小窓が付いており、そこからは弱々しい光が漏れている。

 

 牢獄をイメージさせられるような風貌だったが、まさかジムリーダーの部屋の奥に牢獄があろうはずもない。

 

 覚悟を決めて、そっと扉に近づき、まずは聞き耳をたてる。

 

 

「・・・デース、モット・・・シ・・・タラキ・・・」

 

 

 声が小さくてよく聞き取れない。

 なにやらズズズ、という振動音のようなものも聞こえる。

 

 好奇心というものは怖いものだ。

 時にそれが致命的となり得る行動であっても、興味というものはそれを回避する思考を一切奪っていく。

 

 サトシにおいてもそれは例外ではなく、考えることなく、その小さい声の持ち主と、振動音の正体を突き止めるために、光が漏れている小窓からそっと中を覗いた。

 

 中には、またしてもサトシが知ることの無かった世界が広がっていた。

 

 

 



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第七十話 フィクションとノンフィクション

「サア、モットハタラクノデス!シヌホド、シンデモ、シンデカラモ、ハタラキツヅケルノデス!!!」

 

 

 頭の側面を刈り込んだ、金色の跳ねた短髪を持ち、軍服に身を包んだ大柄な外国人がいた。

 いや、正確には外国人かどうか判断はつかないのだが、カタコトな話し方と、その体格、髪の色からそう判断した。

 

 

「(一体何をしているんだろう・・・)」

 

 

 恐らく、この金髪の人物がクチバシティジムリーダーのマチスなのだろう。

 昔軍人だったと聴いたし、軍服なのも納得がいく。

 

 そこまではわかったが、サトシが今覗いている範囲ではそこまでしかわからない。

 働け、という言動は何を意味していて、誰に向かって投げかけているのか。

 サトシは、ぐぐ、と顔をずらし、ジムリーダーらしき人物が話している対象を見ようとした。

 

 そして、見たことを後悔した。

 

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

 

 最初にサトシは、あ、漫画で見たことあるなーと、そんな感想を持った。

 非現実的な現実。虚構と思いたい真実。夢だと信じたい事実。

 自分はここにいるのではなく、実は夢の世界での出来事なのでは、と無意味な夢想を繰り返す。

 

 男の視線の先にあったのは、『発電機』だった。

 

 

 

 ごりごりごり ずりずりずり と鳴る歪な振動音は、直径一メートル程もある大きな柱についた枝のような棒を押し、柱を回転させたことによって発生する擦過音。

 

 柱についた四本の横棒を、それぞれ一人ずつ押し、柱を回すための動力源となっている。

 

 その不快な音を出す柱は一つだけではなく、見えるだけでも四つ。

 それぞれに動力源となる男性が四人ずつ棒を押して、文句一つ言うことなく、延々と力をこめて歩き、ごりごりごり、ずりずりずりと柱を回転し続けている。

 

 彼らが着ている服も、全く同じもの。

 それこそ、奴隷と表現せざるを得ないほどのボロボロな布きれ。

 よく見ると年齢も様々で、随分と年をとった人もいるし、サトシと同じくらいではないかという若い顔も見受けられる。

 

 サトシが漫画の世界か何かと勘違いするのも無理はない。

 そこには前時代的な、奴隷を使った人間発電機のイメージそのものが存在していたのだから。

 

 

「(なんだあれ・・・あの人たちは一体・・・?)」

 

 

 サトシは混乱していた。

 いや、しかし考えてみると理に適っている部分も無くはない。

 マチスは節約家、という情報。そして昔軍人だったという話。

 捕まえた人間を使って発電し、節約する。

 

 

 ―――非効率的すぎる。本当に、そんなことを考えているのか。

 

 

 それはもう節約でもなんでもない。

 ただの拷問だ。

 人を・・・電気をつくるためだけにこれだけの人を・・・

 

 サトシは絶望を感じただろうか。耐え切れないだけの嫌悪感を感じたのだろうか。

 実の所、確かに嫌悪感を感じはしたが、その非現実感から、そこまでの衝撃を受けてはいなかった。

 

 しかし、これがさらなる悲劇を生むことになってしまった。

 

 

「オットー、ソロソロディナータイムデスネー。」

 

 

 その場の空気に合わない明るい口調で、金髪の男がカタコトで話す。

 言葉に反応して、ずずずと回転していた柱が止まる。

 疲れ果てたのか、数人膝をついて呼吸を荒くし、柱にもたれかかる者もいる。

 

 食事の時間、ということだろうか。

 さすがに食べるものも制限するなんてことまではしていないようだ。

 そこまで鬼畜なことはしないようで――――

 

 

「コンカイノディナーハ、ケンジクンノステキナポケモン、ピジョットデース!ゴチソウデスネ!!!ハッハ!!!」

 

 直後、膝をついて息を整えていたサトシと同じくらいの少年が、大声で泣き崩れた。

 

 

「うわああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!!ピジョットォォォ!!!そんな!!うそ・・・だろ・・・・」

 

 

 そして、すすり泣く声と共に動かなくなった少年。

 

 サトシは、一連の流れを理解するのに、ある程度の時間を要した。

 いや、理解したくはなかったが、サトシはその意味をすでに知ってしまっていた。

 

 奥の方からガラガラガラと、何かを運ぶ音がして、数秒して止まった。

 

 なんとかサトシの視界に入ったそれは、大きな皿に載せられた肉の料理。

 それを、奴隷のような服を着た女性が三人程で運んできていた。

 普通の料理に見えたのは一瞬で、だらしなく舌を出したピジョットの頭がそのまま載せられていることに気づくと、途端、吐き気を覚えた。

 

 ここまでいくともはや納得し、理解するしかない。

 

 あのジムリーダーらしき男は、トレーナーに強制労働をさせ、持っていたポケモンを食料として活力源とさせていたのだ。

 

 ポケモン大好きクラブの会長を思い出す。

 彼は、自分の趣味嗜好としてポケモンを捌き、食べて、自分の糧としていた。

 しかし、同じ行為が目の前で繰り広げられていようとも、その意味はまるで違う。

 この男はただのエネルギー源として利用しているに過ぎない。

 しかも、そこに選択肢はない。彼らは食べるしかないのだ。

 食べ物がどんなものであろうとも。その命が自分の愛したポケモンのなれの果てだったとしても。近いうちに自分のポケモンが食卓に並ぶかもしれないという恐怖を常に感じながら。

 

 この男は楽しんでいるのだ。

 絶望を。苦悩を。人間として守らなければならない部分を平然と踏み越えている。

 効率的な方法はほかにあるハズ。しかし、あくまで原始的な方法にこだわっているのは精神をへし折るためか。

 わかりやすく絶望を伝えるには、無駄な機構や仕組みはいらない。

 見ただけで用途がわかるものを突きつければ、自分の運命がすぐに想像できてしまう。

 一種の脅迫のように機能するのだ。そして当然、漫画のように颯爽と現れ、悪者を退治して助けてくれる正義のヒーローは存在しない。

 ここは現実。紙の上に描かれる友情と正義と愛情のお話ではないのだ。

 

 一体なぜ、ここまでのことが平然とできるのか。

 人を人と思わない鬼の所業としか考えられない。

 ますます現実とは考えられない事実の連続に、サトシも周囲への注意が散漫になりつつあった。

 

 思わず窓から顔を離し、一歩後ずさる。

 

 そのサトシの行動は仕方ないといえよう。

 常軌を逸した情景を目の前にし、人間のやることとは思えない現実を目の当たりにしたのだ。サトシの過ごしていた日常の中では決して見ることの敵わない光景。

 漫画や映画の中で、フィクションとして描かれる地獄のような景色。

 その非現実的な事実を自分の目で、しかも同年代の少年がその地獄の中にいるという現実。

 そんなものが扉一枚隔てた向こうの世界に存在している状況にサトシ自身が立たされている。

 

 一歩。恐怖心によってたった一歩下がることを、誰が咎められようか。

 

 その結果が取り返しのつかないことになったとしても。

 

 

 

 

 

「ピカ」

 

 

 

 

 

 サトシは凍り付いた。

 文字通り、身体も頭も、すべてが固まった。

 

 

 一歩下がったサトシの足が、ズヌ、とピカチュウの黄色い素足にめり込んだのだ。

 別にそんなことで怪我をしたりするような肉体でないのは百も承知だが、反射的にでる声だけはどうしようもない。

 人間でいうところの、いてっ、という咄嗟の反応。

 仕方がない。

 どうしようもなく、どこにも責任がない。

 

 強いていうならば、すべてに運が無かったのだ。

 

 

 

「Who are you! Freeze!!!!」

 

 

 

 爆音か轟音か。

 とにかく咄嗟に耳を塞ぐ程の大音量で、金髪の男が叫ぶ。

 奴隷服に身を包んだ男女は震えあがり、扉を隔てたサトシは ひっ と小さく悲鳴を上げて、尻餅をついた。

 

 

 ツカツカと扉の元へ歩いてくる金髪の男。

 サトシはそれがわかるや否や走って逃げようとするも、恐怖でうまく立ち上がることができない。

 肝心のピカチュウは先ほどと変わらず仁王立ちだ。

 自分だけ逃げるという選択肢はとりあえず無いようだったが、サトシはそれどころではない。

 

 逃げる算段を思いつく前に、無常にも扉が勢いよく開き、逆光に照らされた大柄な軍人がサトシの目の前に現れた。

 

 



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第七十一話 マチス

 勢いよく開かれた鉄の扉は、ガーン という大きな音を響かせて壁に打ち付けられた。

 金髪の男とサトシの間に隔たりは無くなり、十数分の時間を経てその視線をようやくお互いに交わした。

 百九十センチはあろうかという身長に、鍛えられた筋肉で膨れ上がった身体。

 軍服の袖はパンパンに張りつめ、その中身が偽物でないことを示している。

 

 眼光は鋭く、現状不審者であるサトシを睨みつけ、動くことを許さない。

 視線で殺すという表現がここまで一致する状況も珍しい。

 

 サトシは尻餅をついたままコンクリートの床に座っていたので、巨人を見上げるかのような威圧感だった。

 実際はピカチュウの方が高身長で筋肉の量も段違いではあるのだが、それが人間に変わるだけでここまで恐怖心が煽られるのかと、サトシはガタガタと震えるしかできなかった。

 

 逃げるとしても一本道。

 この男がなんの罠も仕掛けずにいるわけがないと、無言のうちに確信してしまう。

 

 

 怯えるだけで何も言えないサトシを見て、金髪の男が口を出す。

 

 

「ユーハダレデスカ?ナゼココニイル?」

 

 

 怒り心頭な表情と、氷のように冷たい眼光はそのままに、カタコトでサトシに話しかけてきた。

 下手な回答をすると真っ先に戦闘になるか、捕えられて奴隷行きだ。

 サトシは無理やり心を落ち着け―――それでも心臓は速くなりっぱなしだが。

 頭を振って高温になって思考停止していた脳みそを少しでも冷やし、回転させる。

 

 

「ぼ、ぼくは、サトシ。マサラタウンからきたサトシです・・・・ジムリーダーの部屋に行ったら、誰もいなくて―――奥に進んできたんです・・・・」

 

 

 ゆっくりと言葉を選んで、事実だけを述べる。

 嘘を吐く余裕は無いし、そもそもサトシは嘘を吐くのが苦手だ。

 顔にも出やすいので、こんな状況ではすぐにバレてしまう。

 しかも相手は元軍人だ。嘘を見抜くくらいのことは平然とやってのけるだろう。

 結局のところ、正直に事実のみを述べるのが一番良いと判断した。

 

 

 

「OHHH!SHIT!!ロックシテナカッタデース!!ユーハノーマルトレーナーデスカ?」

 

 

 

 急に雰囲気の変わる金髪男。

 どうやら怒気は多少収まったようだが、それでもサトシが危機的状況にいるのは間違いない。下手なことができない状態はまだ継続中だ。

 

 ノーマルトレーナー、というのは、文字通り普通のトレーナーのことだろう。

 いいえと口で説明するのも難しかったので、上着の裏につけてある黒いバッジを見せた。ジムリーダーにこれを見せれば説明いらず、とサカキさんが言っていたのを思い出したのだが、実際ここまで黒いバッジを見せる機会は無かった。本当にわかるのか不安ではあったが、オーナルホドネと小さくつぶやいているのを見ると、問題は無いようだ。

 

 

「ソウデスカ、ワカリマシタ。ベツノヘヤデ、ハナシマショウ。キナサイ。」

 

 

 そう言うと、金髪の男は踵を返し、サトシへ背中を向けて歩き出した。

 

 

「(うまくいった・・・?でももう逃げられないな・・・)」

 

 

 なんとか気持ちも落ち着いてきたので、よいしょ、と腰をあげて男に着いて行く。

 ピカチュウも特になにをするでもなく大人しくついてくるようだ。

 

 本当に、意外なほどに落ち着いている。

 今日のピカチュウはどうしてしまったのか。

 こんな状況でも不安になるくらい、静かに動いていた。

 サトシを抱きかかえて全力疾走で逃げるくらいのことをすれば、もしかしたら危機は脱するかもしれない。

 

 

「(でもそうすると、バッジ取得が難しくなるのか・・・)」

 

 

 ジムリーダーを倒す、という目的がある中では、敵前逃亡はあまり喜ばしくない。

 戦ってくれなくなったらそれこそ目も当てられない。

 ここは大人しくついていくしかあるまい。

 というか、そう考えるとピカチュウはきちんと空気を読んで行動しているのだろうかとも思うが、まあそんなことはないだろう。だってピカチュウだし。

 

 自分の中の疑問を自分の中で解決し、スタスタと歩いていく金髪の男に追いつくべく速足で歩き始めた。

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

 恨めしいような、救いを求めるような、そんな目を周囲から向けられながら奥へと進むサトシ達。

 サトシが扉の小窓から覗けていたのはほんの一部で、室内はかなり広い。

 当然、その広さに応じて同じ服装をした男の人数も多く、それぞれ何も言わず、延々とそれぞれの役割をこなしている。

 サトシの方を無言で見つめながら。

 

 

「(どうしよう・・・すごく居心地が悪い。助けてあげたいけど、今はごめんなさい・・・)」

 

 

 サトシとしても助けてあげたいという気持ちは溢れんばかりにある。

 しかし、何をもって助けるかという判断をしかねていた。

 

 

 ただ解放すればよいのか。

 それならばピカチュウに暴れてもらえば可能かもしれない。

 しかしこの建物の設備は現段階で何もわかっていない。

 先ほどのジムリーダーの部屋まで逃げ戻ったとして、そこが開いているという確証はどこにもない。

 

 それに、彼らがどういう人間かどうかもわからない。

 この金髪の男は犯罪者に罰を与えているだけなのかもしれないではないか。

 それならば、いや、それでも納得できないことは多々あるが、多少は理解できないこともない。

 

 悶々とそんなことを考えて歩いていると、目の前の男がピタと立ち止まる。

 サトシも立ち止まり、俯いて考えていた頭を上げると無骨な鉄製の扉があり、ちょうど手をかけて開くところだった。

 

 

「ココデース。ハイリナサイ。」

 

「あ、はい。」

 

 

 先ほどの怒気はどこへやら。

 落ち着いた軍人然とした口調―――カタコトではあるが―――をして、サトシを部屋へ招き入れる。

 

 それにしても、この空間には無骨で飾りつけの無いものしかないのだろうか。

 コンクリート打ちっぱなしの壁、鉄製の扉。本当に現実のものとは思えない空間に、サトシは恐怖を感じつつもある種の好奇心すら覚えていた。

 

 もしかしたら、厳格な人なのではないだろうか―――そんな淡い期待を抱きつつ。

 都合の良い方に考えるのは仕方がない。

 なにせ、ここに来てからサトシが見ている光景は、非現実的で、フィクションな光景ばかりなのだから。

 

 

 ―――フィクションであれば、尚残酷な展開が待ち受けている可能性があるということも当然考えられるのだが、そこまで頭が回るほど今の状況はリラックスできるものではなかった。

 

 

 

 

 

 部屋に入ると、中は鹿の頭の剥製やら国旗やらが壁にぶら下がっており、調度品のようなものもいくつか置いてある。

 照明も裸電球ではなく、ちゃんとした照明器具を使っていた。

 中央には低いテーブルにソファが相対して二つ置いてある。

 一応客人を迎える様相が整っている部屋のようだ。

 

 

 金髪の男が手で座るように促し、とくに逆らうこともなくサトシはソファに腰を降ろした。

 広めのソファではあったが、なぜか今回はピカチュウも隣に腰を降ろした。

 少しだけピカチュウの方を見て、すぐに正面に向き直した。

 

 

 サトシが座ると、マチスもソファに腰を降ろす。

 

 

 

「ハジメマシテ、ミーハ、クチバシティジムリーダーノマチスデース。」

 

 落ち着いた口調で話し始める。

 やはりこの男がマチスだったようだ。

 

 

「ぼ、僕の名前は―――」

「サキホドキキマシター、サトシサン。オアイデキテコウエイデス。」

 

「あ、はあどうも。」

 

 

 なんというか、とても調子が狂う。

 先ほどの光景を見た後だと、本当にどういう人物なのか想像できない。

 とにかく話を進めることに集中する。警戒心はそのままで。

 

 

「サトシサンは、ミート、バトルシニキタンデスカ?」

 

 笑顔でマチスがそう話す。

 

「え、ああ、まあ、そういうことに、なるんですけど・・・」

 

 

 本当に、調子が狂う。

 当然の事を、当然のように話しているだけなのに、何を考えているのか全く分からない。

 

 

「ソウデスカ!モチロン、イツデモカンゲイデース!シッカリトジュンビシテ、カカッテキナサイデス!!」

 

 

 不気味な程に物わかりが良い。

 しかし嘘を言っているわけではなさそうだ。

 

 サトシもあまり深入りしたくないと判断し、本人も言っていることなのだし、一度ジムを出ることにした。

 マチスがどんな人物か確かめるという目的は達したのだし、早めに戻ろうそうしよう。

 

 

「じゃ、じゃあマチスさんの言う通り、一旦戻って準備してきます!」

 

「ソウスルトイイデース。セイセイドウドウ、バトルシマショウー!」

 

 

 何事もなく、ジムを出ることができそうだ。

 最後に、気になっていたことを一つだけ質問する。

 そう、なんの問題もなく、なんの疑問もなくジム戦を迎えることができるように。

 

 

 

 

「さっきの人達は、なんの人なんでしょう?」

 

「アア―――」

 

 

 マチスは変わらず笑顔で答える。

 つられてサトシも、口角を少し上げて笑顔を作る。

 

 

 

 

 

 

「モチロン、ミーニマケタアブノーマルトレーナーデスヨ。ハハハ。」

 

 

 

 

 

 

 ああ、やっぱりそうなのかと、サトシはいい人だと判断しようとした自分を呪うことにした。

 

 

 



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第七十二話 問いと、応え。

 ニコニコと、屈託のない笑顔でマチスが答える。

 

「ミートバトルシテマケタ、アブノーマルトレーナーハ、ミーノドレイニナッテモライマース。コロサナイデイカシテアゲルノデス。ミーハトッテモヤサシイ。HAHAHA!」

 

 

「・・・」

 

 

 なるほど、確かにそういわれると、殺されないだけマシなのだろうか、と納得しかけてしまう。

 感情抜きにした思考回路になりかけていることに気づき、いやいやいやと頭を振る。

 そもそも殺す前提の方が間違えているのだ。

 どちらがいいどちらが悪いなどという単純な判定で決めるには、あまりに問題が大きすぎる。

 選択肢は両方地獄。バッドエンド一直線だ。

 それを乗り越えるには、マチスに勝利するしかない。

 

 

 サトシはたっぷりと考えた上で、マチスに再度問いかけをする。

 

 

 

「・・・本音は?」

 

「アタマガイイヒトハキライジャナイデスヨ。」

 

 先ほどとは違う、ニヤリとした表情を浮かべるマチス。

 明らかに意図が異なる笑顔に対し、サトシはマチスに対して、底知れぬ恐怖を感じた。

 しまった、この質問は墓穴だったような気が―――

 

 失言に気づくサトシだったが、もう手遅れだ。

 言葉には責任を持つべし。そんな格言があったようななかったような。

 思ったことをつい口にしてしまうという思慮の浅さが、またしてもサトシを追い詰める結果になる。

 

 

 

「サトシサンハ、ホカノトレーナートハチガウヨウデスネ。イイデショウ。オハナシシマショウ。」

 

 

 マチスはソファに深く座り直し、ニコニコと笑顔を浮かべて話し始めた。

 

 

 

 

 ミーは軍人デス。

 いえ、正確には元軍人。以前はいろいろな戦場で生死の狭間を彷徨いまシタ。

 もう知っていると思いマスが、ミーのライチュウはその時からのパートナーデス。

 

 戦場では勝ったものが全てを手に入れマス。

 負ければ全てを失いマス。犯されようトモ、奴隷にされようトモ、殺されても文句は言えまセーン。

 

 飢えを凌ぐのも、命を守るのも全て自分の責任デス。

 

 

 ―――エ?そんな厳しい経験をしておきながラ、なんで奴隷のような人を増やすのか、ダッテ?

 

 HAHAHA。可笑しなことをいいますネ。サトシサンはジョークが好きなようデスネ。

 

 勝者が敗者を所有するのは権利デス。

 自分のモノをどう使ってモ、誰にも文句は言えまセン。

 サトシサンもオモチャで遊んだことはあるでショウ。

 ロボットで遊んだことはありませんカ?

 思いっきり引っ張って、腕が取れてしまったことはないデスカ?

 それと同じですヨ。

 

 

 ―――オオ、随分と熱狂的ですネ。元気がいいのは素敵なことデス。奴隷になった人の気持ち、デスカ。勿論わかりますトモ。

 なにせ、ミーも敵の所有物だったことがありますカラ。

 それはそれは酷い扱いデシタ。

 

 死にたくなるホドの、痛みと辛さと孤独さがありまシタ。

 あんな思いは二度と、どんなことがあっても、ゴメンデスネ。

 自分でもよく生きて帰れたなと思ってイマス。

 

 解放された理由ですカ?HAHAHA!解放などされていまセン。

 逃げ出したのデスヨ。脱出デス。脱走デス。死にもの狂いデ、死に掛けなガラ、死ぬ思いデ、走っテ走っテ、駆けずり回っテ逃げましタ。

 正に命がケ。見つかれば死、追いつかれても死。デモ、ミーは逃げ切りましタ。

 この時ほど神に感謝した事は無いでショウ。

 これからの人生全てを見ても、あれほどの苦境は訪れないとミーは思いまス。

 

 

 ―――オット、話が逸れましたネ。奴隷の気持ち、でしたカ。

 今言った通りデスヨ。辛くて苦しイ。

 ですガ、それがどうしたのデスカ?

 奴隷は所有物なのですカラ、どうなろうと関係ありまセン。

 所有物は所有者を満足させる為にあるのデス。

 ミーがそうであったようニ。

 ミーの所有物もそうあるべきなのデス。

 

 

 ―――ポケモンバトルは戦争ではナイ、ですカ。

 ノンノンノン、ナンセンスです、サトシサン。

 バトルも戦争も本質は何も違いまセン。

 勝者と敗者を決めるツール。ただそれだけデス。

 

 勝者が得テ、敗者が失ウのデス。この世界において、ただ一つのルールであり、真理デス。

 なんの疑問があるというのデスカ?

 

 

 

 ――――ポケモンをわざわざ食事として出すのは何故カ、ハハハ。いろいろ出てきますネ。サトシサンは好奇心旺盛ですネ。人生の先輩から学ぼうとスル姿勢はとても良いと思いマス。

 それは勿論、無駄を省く為デス。奴隷の食事を他から調達するなんて、手間がかかりマスシ、コストもかかりマス。

 なにより最初から大量の食糧を所持して奴隷になってくれているのですカラ、それを利用しない手などありますカ?

 

 可愛そウ?奴隷なんですカラ、そんな気持ちは一切ありまセンヨ。

 ペットが生きるための食事を用意していルだけなんですカラネ。

 

 エ?本当にそれだけカ?ホホウ、サトシサンはなかなかいい勘をしていますネ。

 とてもとてもイイ勘デス。

 

 このままミーの所有物にするのは惜しいクライ―――冗談ですヨ、バトルの後の話デス、ハハハ。

 

 

 勿論、楽しいからデス。

 オモチャで遊ぶのは当たり前デショ?

 オスはよく働いてくれマスし、メスはいい遊び道具デス。

 サトシサンも遊んでいきマスカ?ここまで話したのも久しぶりデス。それくらいのサービスは―――ハハハ、要らないデスカ。これは失礼しまシタ。

 

 

 

 おっと、随分話し込んでしまいましたネ。

 ハハ、サトシサンには戦争はまだ早いようですネ。

 大丈夫ですヨ。サトシサンは特別扱いしてあげマス。

 

 

 

 ―――ハハ、勿論、バトルが先ですヨネ。楽しみデス。

 

 

 少し席を外してほしイ?―――いいですトモ。

 勝者が決まるまでは客人デス。どうぞごゆっくりしていってくださいネ。

 なんならミルクでも出しますカ?

 

 ―――わかりまシタ。まだ『オモチャ箱』で遊んでるのデ、出る時は声を掛けてくだサイネ。ハハハ。

 

 

 

 

 

 

 

 笑い声を残しながら、マチスは鉄の扉をゆっくりと閉め、ガチャリ、と重々しい音がした後、部屋の中はようやく静かになった。

 

 

 苦虫を噛み潰したような顔をしているサトシを残して。

 

 

 



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第七十三話 注意散漫怪我一生。

 遠くの方で振動音が聞こえてくる。

 そして時々、可笑しなモノを見たかのような馬鹿笑いが耳に入る。

 

 頑丈な扉と壁に囲まれているため、遠くで誰かが遊んでいるのか、程度の音にしか思えないのだが、紛れも無く扉一枚隔てた場所で行われている鬼の所業だ。

 サトシにとっては『悪』だと、なんの躊躇も無く断じることができる行為なのだが、悲しきかな、サトシの頭の中には、悲惨な仕打ちを受けている彼ら彼女らを救う手立てが思いつかない。

 

 唯一あるとすれば、サトシがバトルで勝利すること。

 当然、勝利したくらいで手放しで解放する男ではなさそうなので、バトルの前に条件を提示する必要がある。

 

 こちらも奴隷になる可能性がある以上、対する条件を提示することも可能だとは思う。

 それに、サトシが勝利するということは、マチスは本人が言うところの敗者になるということ。そう考えればどんな条件でも問答無用で訊かせることができるような気がする。

 

 マチスが、自分が敗北した時の対策をとっていないハズは無いとも思うのだが。

 

 その場合、奴隷の解放を求めた場合、それに対する条件を求められるか、もしくは拒否されるかだ。

 どちらにしてもサトシに不利な条件には変わりがない。

 

 この条件を受けたところで、マチスには何の得も無いのだ。

 勿論、そうなったところでサトシにはそれしか彼ら彼女らを救う手立てが思いつかない。

 

 

 

「最悪、マチスを捕まえて―――」

 

 

 

 そこまで考えて、ブンブンと頭を振る。

 

 今、自分は何を考えていたのか。

 捕まえて―――拷問すると、そう言おうとしてはいなかったか。

 

 身震いする。

 自分の思考が狂い始めているのでは、と初めて自分の脳みそに疑問を感じる。

 十四歳という穢れの知らない脳を動かす歯車が、徐々にずれ始めている。

 気づかない程度にじわりじわりとずれていったその歯車は、ここにきてようやくサトシにとって実感できる形で正体を現し始めた。

 

 

 冗談だと、何かの間違いだと、そう自分を誤魔化す事は簡単だったが、今回は何故か、気の所為だと断ずる事が出来ず、心臓を茨で締め付けるような痛みと気持ち悪さを胸に抱えることになった。

 

 

 

 

「結果がどうなろうとも、僕はマチスに挑まなければいけない。」

 

 

 

 

 選択肢は元より無い。

 バッジを取得するという目的に追加して、奴隷となってしまったトレーナー達を助けるという目的ができただけだ。

 

 さて、あと問題があるとするならば、どうやってマチスから勝利を奪い取れるかということなのだが―――

 

 

 

 

 

「タケシさんは岩場、カスミはプール、電気タイプのマチスはどんなフィールドなんだろう。ピカチュウ、どう思う?」

 

 

 なんとなしに首を起こし、横に振る。

 まあ、何を訊いたところで返ってくる返事はピカピカだけなのだが。

 

 だが、唯一返ってくるその二文字ですら、今回は返ってこなかった。

 

 

 同じ部屋にいたハズのピカチュウが忽然と消え失せ、重く閉ざされていた鉄製の扉がいつのまにか開かれ、キィキィと音を立てて揺れていた。

 

 

 

 開かれた扉の先を、振り向いた姿勢のまま直視し、注目していると、わー きゃー と悲鳴が聴こえ、その合間合間に英語で怒鳴り声が聞こえてくる。

 

 ほどなく笑い声が聞こえ、ガゴン、バキバキという音がしたかと思ったら再度怒りの声が聞こえ、悲鳴も復活した。

 

 聴くだけでも阿鼻叫喚。一体何が起きているというのか。

 

 そして、十中八九ピカチュウが引き起こした出来事だと判断できるだけに、サトシの苦悶の表情が目に見えて悪化する。

 そして、心に決めるのであった。

 

 ピカチュウ用の首輪を購入し、勝手に移動しないようにすることに。

 

 

 ―――結局はつけたところで、引きちぎられて何の障害もなくフラフラしてしまうことが容易に想像できるのではあるが。

 

 

 

 

 現実逃避をしたい、という一種の強迫観念に近いものと戦いながら、サトシはゆっくりと立ち上がり、扉の方へ音も無く歩き、そっと扉の外に視線を動かした。

 

 

 どういう風に考えても、明らかにピカチュウが粗相をしでかした結果しか思いつかない。

 若干十四歳にしてここまで心労に悩まされることは非常にレアケースと言えよう。

 胃が痛くなる、なんて表現をまだサトシが知っているとは思えないが、胸がキリキリと痛むこの感じは紛れもなくストレスによるものだ。

 部下に恵まれない上司よろしく、相方に恵まれなかったサトシの身体が気遣われる。

 

 しかし、その経験をもって人は大人になるのだ。

 サトシも徐々に大人の階段を昇っているに違いない。

 どういう大人へ続く道かは知る由もないが。

 

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 サトシがうんうんと唸って考えていた時まで遡る。

 その視線の先にも、思考の中にもピカチュウの姿は無い。

 頭の中にはマチスとの交渉について絶賛考え中であり―――サトシの悪い癖なのだが―――他の事は一切関知しない状態になっていた。

 

 

 当然その間ピカチュウは手持無沙汰になる。

 サトシがいくら今後の所作に悩んでいたところで、ピカチュウにとってはどこ吹く風。戦うことになるのは自分であることなど念頭に無いらしい。

 なにか面白そうなものはないかななどと考えているかどうかは本人にしかわからないが、よっこいしょと座っていたソファから立ち上がり、とりあえず室内を物色する。

 

 サトシはそんなことに気を回している心の余裕は無く。床を見ながら頭を抱えて考え込んでいる。

 もはや十四歳の少年の考え込み方ではない。

 人間、絶体絶命の危機に陥るとこういう思考方法に帰結するのだろうかと、考えたくなるほどの、美しい形での悩み方だった。

 

 

 ピカチュウはしばらく室内の調度品を物色していたが、得に収まりの良いものが無かったのか、そのクリっとした大きなつぶらな瞳で鉄の扉を見据える。

 

 少しだけ何かを考えたような間があり、やっぱり何も考えていないようにスルスルと歩いて、決して無視できないようなガチャリという音を立てて鉄扉を開いた。

 

 ――サトシは気づかなかったが。

 

 

 

 キイイと甲高い音を立てながら扉はゆっくりと開き、開き切った時には、すでに室内に黄色い巨体の姿は無かった。

 

 

 

 

 

 扉の外に出て、『オモチャ箱』の中を一望したピカチュウ。

 ただし、マチスにとってのオモチャとピカチュウにとってのオモチャは違うようだ。

 ピカチュウにとって、この施設にある『発電機』の数々は、なんだか面白そうな遊具にしか見えなかったのだ。

 おそらく、ではあるが。この後のピカチュウの行動を考えると、そうとしか思えなかった。

 これをすら意図をもってやっていたとすると、まさしくピカチュウの目的はサトシを困らせることではないだろうかと、解決できない疑問を抱かざるを得ない。

 

 

 

 ピカチュウは先ず、手近にあった発電機―――直径一メートル程度の柱の元へ行き、必死に押していた六十歳程の男性を両手でつかみ、横に降ろした。

 

 何が起きたかわからない、といった顔で、棒を押していた姿勢そのままで硬直する男性。

 その結果、四人で廻していた柱を三人で廻す羽目になり、残った三人は突然重くなった柱に驚愕したあと、横に外れた男性とピカチュウを睨みつけた。

 

 

 未だに何が起こったかわかっていない男性であったが、今まで一緒に柱を廻していた人達から睨みつけられることで状況を把握したようだった。

 柱は止まり、その違和感は周囲に伝達し、徐々に広がっていく。

 

 

 そしてその違和感の波はついに金髪の男にまで届き―――

 

 

 

「What you doing!!(何をやっているんだ!)」

 

 

 

 という怒号と共に、ツカツカと速足で歩いてくる。

 

 奴隷の恰好をしている人達は、自分には責任はない、全てあいつが悪いのだとばかりに視線を黄色いデカ物の方へ一斉に向ける。

 

 それを見てなのかどうかはわからないが、マチスは一直線に視線の向く先へ進んでくる。

 

 

 

 そんなことは知ったことかと自由に振る舞うピカチュウ。

 柱についた横棒―――今まで男性が押していた場所を陣取ると、ものすごいスピードで廻し始めた。

 

 そのあまりの勢いに、他の横棒で廻していた三人が外側へ撥ね飛ばされる。

 重い柱を一人(?)で廻している姿も滑稽だが、その勢いと満面の笑顔がたまらなく面白い。

 

 その姿に、怒気を孕んだマチスもたまらず吹き出し、HAHAHAと笑うのだが、回転が速すぎて横棒が根本からちぎれ、勢いそのまま回転する他の横棒に激突しピカチュウが撥ね飛ばされ、もう一つの発電機へ激突。

 

 廻していた柱は高速回転しすぎてバリバリバリメキメキメキという音を立てて盛大に崩壊。

 ピカチュウが激突したもう一つの柱も頑強な筋肉が勢いよくぶつかったことで柱が傾き、これも回転に耐えられなくなって煙を吹き、ボン、という音と共に故障したようだ。

 

 肝心のピカチュウはぶつかった勢いそのまま床に転がっており、笑顔を上に向けて大文字で仰向けになっている。

 

 

 

 いろいろと突っ込みどころがある行動ではあるが、肝心の突っ込み役はいまここには誰一人としていない。

 

 先ほど大笑いしていた金髪の軍人は―――

 

 

 

「Hey、ユーはサトシサンノピカチュウデスネ。イイデショウ。ソチラガソノキナラ、イマスグニデモ、センソウヲ、ハジメマショウ。ココマデ、コケニサレタノハ、ヒサシブリデース。」

 

 

 それはそれはお怒りだった。

 

 

 そして、遠くからその光景を見ていたサトシは、網に捕らわれた魚のような、もうどうにでもなれと言いたげな死んだ目をしていた。

 

 

 

 

 

 




ああああああああああ!!!


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第七十四話 本物の殺意

 一体どういう状況なのか。

 

 自分が考え込んでいた時間はそんなでも無いハズだ。

 それこそ、ものの十分に満たない程度。

 

 一体その短時間に何をしたらここまで破滅的な状況になり得るのか、ピカチュウの言葉を理解できるのであれば小一時間問い詰めたい。

 しかし、その問い詰める時間すら、今は取れそうにないのが実態ではあるのだが。

 

 

 

 サトシは目の前の惨劇をなるべく客観的に見ようとしたが、あまりにあんまりなのでなるべく考えたくなかった――

 

 

 歪な振動音を鳴らしながら回転していた拷問器具は、一本は根本から折れ、どう頑張っても回転させることが不可能な状態になっており、もう一本はなにか固いものが当たったかのようにべっこりと凹み、軸がブレて回転した所為で壊れたのか、盛大に煙を吹いてバチバチと電気をそこら中に漏らしている。

 

 その周りには、機能を失った発電機を廻していた男性達はもとより、他の機械を動かしていた男性も、何事かと野次馬しにきており、三十人近くはいそうだ。

 そして、その人だかりすら寄せ付けない邪悪な気配を漂わせ、見る者すべてを殺しかねない眼光を、サトシに対して全力で飛ばしている金髪の男がいた。

 

 

 

 恐らくマチスはこう考えているだろう。

 サトシが、奴隷達を救うためにピカチュウをけしかけたのだと。

 あの機械さえ壊してしまえば、混乱が起きて、脱出できるのではないかと。

 

 その証拠に―――

 

 

 

「ザンネンデシタ、サトシサン。オモイドオリニイカナカッタヨウデスネ。」

 

 

 

 なんてことを、低く重い声でサトシに向かって放ってきている。

 

 サトシは壊れて煙を吹いている機械の横で気持ちよさそうに大の字で寝ている黄色いのを恨みがましく睨みつけた後、泣きそうになりながらもゆっくりとマチスの方へ近づいていく。

 

 ここで全力で駆け出そうものなら、本気で殺されかねない。

 相手は軍人。きっとなんちゃらコンバットやらうんちゃらソバットやらきっとそういう格闘術も修めているに違いない。

 二メートル近く身長があるマチスからそんなものを食らえば真っ二つでは済まない。

 奴隷よりも辛い未来が待ち受けていること請け合いである。

 サトシにできることは、なるべくマチスを刺激しないように恐る恐る足を進めるしか選択肢が無い。

 毎度毎度選択肢が無い状況に陥る身に、いい加減お祓いでもした方がいいのかなと思い始める。カントーにもお祓いができる人がいる町があるというけれど、もし立ち寄ることがあればお願いしてみようか。

 

 凄まじい現実逃避を頭の中で繰り返しつつ進むと、あっという間にマチスの目の前に到着した。

 

 短く切った金髪を逆立てているマチスであったが、この時はさらに勢いよく逆立っているように感じる。まさに怒髪天を衝くという表現が相応しい。

 そんな言葉遊びをしている場合ではないのだが、こういうときに限って、そういう頭が働くものだ。

 一周回って冷静になる、というやつである。

 

 ゴクリと音を鳴らして唾を飲みこみ、マチスの目を見て反応を待つ。

 

 

 

「フフ」

 

 

「ふ?」

 

 

「フフフフ、ハハハハハハハハ!!!」

 

 

 何故か大声で笑い始めるマチス。

 予想の斜め上の反応に、サトシは虚をつかれ、何の反応をすることなくマチスの次の行動を待つことしかできなかった。

 

 

「ハハハハ!サトシサン、アナタハトッテモカシコイ!アナタノサクセンハミゴトニセイコウダ!」

 

「え・・・?」

 

 

 作戦、作戦と言ったのか、この男は。

 サトシはなんの作戦も練っていないし、練れてもいない。

 当然、実行に移してもいない。移せるものなら移したいが、実行できる作戦など無い。

 困惑の表情を浮かべるサトシを見て、それを図星による表情だと判断したのか、マチスは嬉しそうに言葉を続ける。

 

 

「ミーヲオコラセテ、バトルデノハンダンリョクヲ サゲルサクセンデスネ。ハハハ!ダイセイコウダ!ハッハッハ!!!」

 

 怪訝な表情を浮かべていたサトシだったが、次の瞬間その顔が恐怖に染まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ナニセ―――コンナニオコッテルノデスカラ。」

 

 

 

 

 

 

 

 鬼と見紛う造形へと変貌したマチスの形相は、修羅の日常であった軍人の時代へと戻っているようで、瞬間的に殺されないのは運が良かったのだなと何の雑念も無く思えた。

 マチスが目の前で怒気を発している瞬間には立ち会っているが、現在のマチスは怒気とは全く異なる種類の感情を振り撒いている。

 

 

 ――――殺意。

 

 

 本来、戦場であればこの感情を出したマチスと遭遇した人間は、悩む事無く、考える事無く、遺言を残す時間も無く、その命を散らしたことだろう。それなのに、ガタガタと全身を震わせて怯えるサトシの命の灯がまだ灯っているのは、ここが戦場ではないからか。あるいは、殺すよりも辛い目に合わせてやるということを心に決めたからなのか。

 

 そのどちらだったとしても。あるいは、別の理由があったとしても。

 サトシはそこから一歩も動くことが出来ず、呼吸をすることも忘れ、ただただマチスの眼光に視線を固定されて恐怖に震えている。

 

 

 

 

 

 

「ツイテキナサイ。ソノツモリナノデショウ?」

 

 

 視線を逸らさずに小声で呟く。

 サトシに反論はできない。

 首を横に振ることすら許されない。

 命の遣り取りを日常的に経験し、数えきれない程乗り越えてきた者にしか宿らない気迫であり、威圧。

 マチスは紛れも無くその能力を自分の物にしている。

 そして、現代において使う機会など訪れないであろう技術。

 それをたった今、十四歳の少年に対して如何なく発揮している。

 

 首肯以外の行動をとった瞬間、命が絶たれると確信できる説得力。

 

 サトシは無言で弱々しく頷き、それを確認したマチスはそのままサトシの横を通り過ぎるように靴の音を鳴らして歩いていく。

 

 

 

 一秒程放心していたが、すぐに正気に戻り、近くに転がっていたピカチュウを文字通り叩き起こし、ピカピカ言っているのを無視して腕を引っ張り、マチスへ追いつこうと速足で進む。

 

 

 

 先ほどの応接間よりも先に進む二人と一匹。

 

 

 後には、一連の流れを無言で見守っていた、ボロ布を身にまとった男たち。

 お互いがお互いに目を合わせ、視線だけで会話する。

 

 

 

 もうもうと上がる煙は換気扇に吸い取られ始め、放電していた柱も今では静かに横たわっているのみだった。

 

 

 

 

 



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第七十五話 クチバシティジムの戦場

 どこまで行くのだろうか。

 

 すでに奴隷たちの居た部屋を出て、相変わらず無骨に作られた通路を歩き、階段を幾度となく降りている。

 途中分かれ道があったり昇り階段があったりと、もはや迷路だ。

 不規則にぶら下がった橙色に光る裸電球と、見た目の変わらないコンクリート打ちっぱなしの通路の所為で、時間も方角も狂わせられる。

 恐らく途中で逃げられるのを防ぐ為、なのであろう。

 

 マチスがここでいなくなってしまえば遭難してもおかしくない。だがそんな手段はとらないだろう。

 自分の手で痛めつけ、苦しませる。それが今のマチスを動かしている原動力なのだから。

 

 

 

 何度か階段を降り、チカチカと光る電球を通り過ぎ、方角も距離も深さもわからなくなった頃、マチスが止まった。

 無言で付いて行ったサトシも足を止める。

 

 

 マチスの前には、切れかかった電灯に不気味に照らされてた、すでに見慣れた重々しい鉄の扉がある。

 しかし、裏のトレーナーとは何故こうも地下深くが好きなのか。

 勿論、考えれば当然のことではあるのだが。

 戦いの規模が大きくなりやすいし、見つかっては都合が悪い。

 それらを解消できるのは広大な無人島か地下くらいなものだ。

 

 分かってはいても、どうにも陰鬱な気分になる。

 表では生きられない、裏の世界に生きる住人でいる認識は当然あるのだが、日の光を浴びれないというのは、この生活を始めて間もない自分にとっては辛い以外の何物でもない。

 緑に溢れ、光を浴びる明るいバトルで、戦った後は固く握手をして昨日の敵は今日の友になる展開などは裏の世界には存在しないのであろうか。

 

 

 ―――考えれば考えるほど馬鹿馬鹿しい。何を今更言っているのか。

 今生きている世界は暗く闇に閉ざされた不毛な世界だと何度も認識しているハズなのに。

 

 

 

 

「ココデース。」

 

 マチスはそう言って、鉄扉のドアノブを掴み、廻して押し込む。

 ギリギリギリ、ザリザリザリ と扉が地面を擦る異音が聴こえ、その音が消えると同時に、マチスは開いた扉の奥に姿を消した。

 

 

 見失わないようにサトシもすぐに追いかけ、扉の向こうへと足を踏み入れる。

 

 

 と、足を踏み出した途端、突然足元が不安定になり、そのまま足を取られて前のめりに膝をつく。

 

 

「あいてっ」

 

 

 手をついた場所は今までの冷たいコンクリートではなく、雑草の茂った土の上だった。

 

 手の平をまじまじと眺める。

 紛れも無く、茶色で、少し湿った、若干砂利のようなものが混じっている、日常的に見ていた土だ。

 

 

 

「え?土?」

 

 

 

 つい声に出す。

 ここは室内であったハズ。

 知らず知らずのうちに地上に出た、なんてことは言われても信じられない。

 元々地下にいた上に、さらに階段で下ってきたのだ。

 地上であろうはずがない。それに、周りは海だ。山であったなら可能性が無くは無いのだが、それすらありえない。

 何をどう考えても、ここは室内なのだ。

 ということは―――

 

 

 

「ミーハ、コノバショニ、ジャングルヲ ツクリマシタ。ミーノ、イチバントクイトスルフィールドデース。」

 

 

 

 つまりはそういうことだ。

 岩場、水場、その次は森の中。

 電気タイプから予想もできない場所ではあったが、そもそもピカチュウの住処もトキワの森だった。

 電気ポケモンが森にいることは大きく間違ってはいないのだろう。

 

 しかし当然、そういう意味でマチスはこの場所を用意したのではないだろう。

 

 

 サトシは立ち上がり、手と足を軽く掃う。

 顔を上げて、目の前に広がる大自然を凝視する。

 

 

 

 

 夕暮れ時。

 一面に広がる緑色は、照らす光によってその色を暖色へと一様に変貌させている。

 サトシの正面には数メートルほど草地が広がり、その先は鬱蒼と茂った木々。

 軽く五メートルは超えようという広葉樹が数百本と生え、少しでも光を吸収しようとその枝から無限にも思える程の葉が風に乗ってひらひらと瞬いている。

 

 空から照らしているハズの太陽光は森の表面を撫でるだけで、その中までは光をほとんど下ろしてこない。

 葉の一枚一枚に意思があるかのように、自己主張するかの如く光を遮断し、森の暗黒を作り出している。

 

 よく見ると訳の分からないくらい縦横無尽に張っている蔦や、不気味な花や実、バカでかい葉っぱがあったり、鳥や動物の鳴き声まで聞こえてくる。

 

 

 気温はそう高くないと感じるのだが、見た目は完全に亜熱帯のジャングルそのもの。

 そして、ここが室内であることなど到底信じることができないだけのリアルな森だった。

 

 

「ココガ、サトシサンガ、ジンセイデサイゴニミル、シゼンノケシキデース。」

 

 

 室内なのに自然の景色とは洒落がきいている。

 そして、案の定ここがバトルフィールドのようだ。

 

 

 サトシが無言で森を見つめていると、マチスは特に何を言うでもなく、一度目を閉じ、ゆっくりと開けて、再度言葉を進める。

 

 

 

 

 

 ―――バトルのルールを説明しまショウ。

 

 この森の中には、円形に切り開かれた場所が二つありマス。

 そうですネ、直径十ヤードくらいですかネ。

 ―――オット失礼、メートルが主流でしたネ。九メートル程度ですヨ。

 

 ミーとサトシサンはお互いにその場所でスタートでス。

 お互いに、その場所の中への攻撃はできまセン。

 所謂、セーフティーゾーンデス。安全地帯ですヨ。

 

 ポケモンは何体使っても構いまセン。

 ミーのポケモンはライチュウ、オンリーでス。

 

 

 そして、これを渡しマス。

 

 ―――バトル用の腕時計デス。

 二つスイッチがついているでしょウ。

 そのスイッチを同時に押すと、敗北になりマース。

 

 

 ――――そんな簡単でいいのカ、ですカ。

 

 ハイ、ミーは殺すのが目的ではありまセン。

 勝つのが目的デス。

 

 

 ・・・ああ、勿論、殺されても負けデース。

 殺されたくなければ、大人しくセーフティにいる事デスネ。

 

 

 ―――ミーがこのルールを守るかどうカ?ハハハ、愚問ですネ。

 サトシサンはそれを知る手段はありまセン。

 守る事を信じるしかないのデス。選択肢はありまセン。

 

 精々、ルールを破らないように、祈っててくだサイ。

 神はどこに居てモ、見守っているのデス。・・・サトシサンはキリシタンでは無いですカ。ではテキトーにお祈りしてくだサイ。そうですネ、死神とかお勧めですヨ。

 

 

 

 

 ルールはこんなところですヨ。ベリーイージーでス。

 今は―――十七時過ぎですカ。十八時にスタートでス。

 マップをお渡ししマス。

 一度森の中を見回ると良いですヨ。迷子になられても困りますからネ。

 

 しっかりと作戦を練っテ、正々堂々と良いバトルにしまショウネ。

 

 

 

 

 

 

 全く笑みを零す事無くそう告げたマチスは、最後に冷たい視線を一度サトシに投げ込んだ後、踵を返して森の中へと消えていった。

 

 

 

 

 地図と時計を手にしたサトシは茫然と立ち尽くしていたが、すぐに頭を回して行動を開始した。

 時間は着々と過ぎていく。

 こうなったらやるしかない。

 敗北はそのまま人生終了コースなのだ。

 なにがなんでも負けるわけにはいかない。

 

 この一時間を有効に使うため、とりあえず手持ちのポケモンを外に出し―――コイキングを除いて―――森の中を速足で探索することにした。

 

 

 相手が見えない森の中でのバトル。

 マチスの鬼のような表情を思い出し身体が震えるが、ぶんぶんと顔を振って平常心を保つ。

 

 

 

 

「いこう、みんな。」

 

 

 

 信じる仲間を引き連れて、サトシもマチス同様、森の中へ進んでいった。

 

 

 

 



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【番外編】オーキド博士のドーピング☆実験室 四匹目

 これはオーキド博士がドーピングアイテムの研究に勤しんでいた時のお話。

 ドーピングを行うことでポケモンがどう変化するかをつぶさに観察し、まとめていた時期。

 博士も特に罪悪感などなく、研究者という立場でガンガンドーピングを使っていた狂気の時代である。

 助手のタツロウと共に今日も今日とて生物実験に没頭する。

 

 

 

 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

「ぬおおおおわああああああああ!!!!!!」

 

「うびょびょびょーーーーーおおおーーおーーおおおおーーー」

 

「えんだあああああああああああいいいいあああああああ!!!!!」

 

「かぺぺぺぺぺぺぺにゅろろろろろろろぽぽぽぽぽ」

 

「ええええええいいいいいいいあああああああああああああ!!!!!!!!!!」

 

「くぁswでfrgtyふじこl」

 

 

 

 ここはオーキド研究室。

 ただでさえ誰も近づかない場所であるのだが、中から異様な叫び声が幾度となく聞こえてきたため、さらに人が寄り付かなくなっている本日。

 

 地獄からの呼び声なのか、はたまたついに本当に狂ってしまったのか。

 元々狂った二人の研究者だったが、一体どうなってしまったのだろうか。

 それを知ろうとする人はいなかったし、知りたいと思う人すらいなかったのだが。

 

 

 そんな研究室では、懲りもせずに新しいドーピングポケモンの研究が行われていた。

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

「タツロウ君!難しい叫び声だな!どうやってしゃべっとるんだそれは!!がはは!」

 

「博士のもいろいろアウトっぽい絶叫でーしたー」

 

「ぬははは!なんだか叫びやすかったのでな!!」

 

「ところで、一体これなんでーすかー?」

 

 

 

 どうやらタツロウはわかっていない状態で、急に叫び始めたオーキドにつられて謎の叫び声を上げ続けていたようだ。

 阿吽の呼吸、というより同調念波というかなんというか。

 ある種洗脳に近いやりとりが日常的に行われているのだが、そこに突っ込む人なんて研究室設立以降一度たりとも存在していない。

 

 

 

「実はな・・・・どうしても、ドーピングしてみたいポケモンがおってな・・・・」

 

 いつになくしんみりした雰囲気になるオーキド。

 雰囲気だけは、うまく研究成果が出ない憔悴した研究者なのだが、言っている内容はいつも通り物騒な内容である。

 

 

「そのポケモンの事を考えるだけで、胸が焼けそうになる!手が震え、心臓の鼓動が激しくドラミングする!心臓が自分自身を殺そうとしているかの如く!胸を!叩くのだ!息が苦しくなり、呼吸がうまくいかない・・・!酸素欠乏で頭もこれ以上なく痛い!!極度の緊張で足が震え、腰が笑い、へたり込んで尚、その思考は支配され、それ以外の事をドブ沼の中へ叩き込んでしまう!一体、どうなるのか!そのポケモンを!ドーピングすることで!一体全体!どうなってしまうのか!!わたし気になります!!!!!!あああああ!!!!!」

 

 

 もはや意味不明である。

 しかし、このような事態が過去にあっただろうか。

 あったとしても思い出したくは無いオーキド研究室の惨劇ではあるが、オーキド個人に関しては、あくまで研究者。謎の探求こそが仕事であり、使命であり、命題なのだ。

 疑問を追い求め、答えを追及しようとするオーキドを誰が止められようか。

 止めた方がいいのだが、誰も止める者はいない。むしろ―――

 

 

「はかせー、どのポケモンをドーピングするーんですー?」

 

 

 悪化させる存在しかこのオモシロ空間にはいないのだ。

 定番の展開。

 そうして一日が始まるのだ。恒例行事のようなものである。

 

 

 

「きいてくれるか!タツロウ助手!!!」

 

 がばと起き上がり、力強くタツロウの両腕をがっしと掴み、ガクガクと前後に揺さぶる。

 

 

「もおおおおちろんんんでえええすよおおおおはああかせえええ」

 

 身体を前後に振られ、それに合わせて頭も前後に揺さぶられながら返答するタツロウ。

 そんなタツロウを勢いそのままに ぺいっ と手放し、オーキドが熱弁を開始する。

 

 

「よくぞ言ってくれたタツロウ君!まず一つ疑問を解消せねばなるまい。先ほどの雄叫びだが・・・・あれは何も世の中に絶叫して上げた叫び声などではない。」

 

「なんだったんですかー?」

 

 オーキドに投げられ、床に仰向けに転がったままの姿勢でタツロウが返事をする。起きろ。

 

 

 

 

「歌だ。」

 

「うた?」

 

 

 オーキドは何を言っているのか。

 先ほどの鶏の首を絞めた時に出る死ぬ間際の金切声のような叫び声がよもや歌などと。冗談にしても笑えない。

 やはり気を違えてしまったのだろうか。

 

 

 

「タツロウ君。歌の得意なポケモンといえば?」

 

「プリン、でーすか?」

 

「その通り!より具体的に言うならば、その進化形のプクリンこそが、現状もっとも歌の上手いポケモンであると言える。」

 

「なるほどーです。ということは?」

 

「そう。言いたいことはこうだ。最も歌の上手いポケモンであるプクリンをドーピングすることでもっとビューティフルでアメージングでパワフルでデストロイ的な歌が聴けるのではないだろうか!!どうだ?興奮しないか?タツロウ君!!!!」

 

 

「はかせ、もしかしてー、ルージュラの件でーすかー?」

 

「よくわかったな!さすがはタツロウ君!一本捕られたわ!!そうだ!あの歌声を再現できはしないかと日々憔悴しておるのだよ!!!」

 

 

 ルージュラの件。

 そう、あの衝撃的で笑劇的なドーピングポケモンの、云わば前代未聞の成功事例である。

 当然ながらあの実験結果はオーキドとタツロウ二人の手により揉み消され、もはや二人以外に知る者はいない。

 

 知られてもいい事実というものは実は少なかったりするものだ。

 世の中は秘密で溢れている。

 一世を風靡しているルージュ・ラヴィーンの正体など、秘密である方が世界平和に貢献しているというものだ。

 

 彼女の歌声は誰にも真似できない美声だとして、世の中を喜びと嫉妬の渦に巻き込んでいる真っ最中である。

 

 

 

「あの歌声を・・・もはや見た目はどうでも―――良くはないが―――いや!良くない!良くないのだが!それでも歌声を再現できはしないかと!そうは思わないか!タツロウ君!!!!!」

 

「はいーおもいますーーーーうううううぅうう」

 

 

 再度両腕を掴んでタツロウを揺さぶるオーキド。

 この衝動を止めるには、もはやドーピングしかない。

 

 

 

「しかし、問題がある。プリンは問題無く入手できるのだが、プクリンに進化させるには、月の石がマストアイテム!その月の石は入手が困難なレアアイテム!それなのに管理部には月の石の在庫は無いと!そんなことを言いやがるのだ!!まったく使えん奴らめぇぇええ!!!!」

 

「もってまーすよー」

 

「もっておるのかああああああ!!!!!!!!!さすがタツロウ助手!!!!」

 

「やりましょうはかせー、絶世の歌声を、てにいれるのでーすー」

 

「神か!!!!!タツロウ君、君は今日から助手ではなく神だ!!タツロウ神!!がはは!」

 

「ぼくが神なら、はかせは創造主でーすよー」

 

「ぬははっはあははは!!!そうだな!では創造するとしようか!!!準備したまえタツロウ神!!!」

 

「はいー、オーキド創造主」

 

 

 

 もはやドーピングの目的があやふやになりつつあるが、これも研究の為なのだ。

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

「準備はできたか?タツロウ君。」

 

「ばっちりでーすー」

 

 

 檻の中にはプリンが一体。

 これから何が起こるかなど知る由もない、純粋無垢なプリンが、陽気にプリプリプリンなどと綺麗な歌声で歌っている。

 

 

「よし、進化させるのだ。」

 

「いきますー」

 

 

 タツロウがごつごつとした三日月型の石をプリンに触れさせる。

 プリンもそれを拒否することなく受け入れ、数秒間触れていると石が発光し、シュワシュワシュワという音と共に、プリンも青白く発光を始めた。

 

 発光が終わると、プリンは一回り身体を大きくしたプクリンへと進化していた。

 

 

 

「うむうむ。何度見てもこの進化の瞬間というのは感動するのう!」

 

「そーですねー」

 

「では一通り感動したところで、早速ドーピング!」

 

「どーーぴんぐー」

 

 

 感動したのかどうなのか。

 いや、おそらく感動したのだろう。

 念願の研究を進められるということに対して。

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

「怖いのう」

 

「こわいでーすねー」

 

 

 二人にして怖いと言わしめた、ドーピング後のプクリンは一体どのような姿なのか。

 しかし、自分たちで変化させておいて怖いとは無責任にも程がありそうなものではあるのだが、そんな事は気にも介さず、とにかく思ったことを口に出す。

 一般社会において生きるには思ったことをすぐに口に出すことは非難され易いのだが、こと研究職においてはどんな些細な変化も口に出し、共有するのが非常に重要だ。

 最も、研究対象であるプクリンにとってはそんなことよりも自分の変化の方が重要ではあるのだが。

 

 

 では、肝心のプクリンは―――

 

 

 

 

 身長はおおよそ二メートル。

 本来の大きさの倍程度だ。

 迫力はあるが、数多くのドーピングをしてきた二人にとっては、そう驚くものではない。

 つまり、二人に怖いと言わしめている原因は別にある。

 

 全体像は、そう変化していない。

 シルエットだけ見るとプクリンに見えるだろう。

 

 では何が違うのか。

 

 

 

 このプクリンには、目がどこにも存在していなかった。

 そして、その代わりに、プクリンの正中線を縦断するように、口が十数個並んでいたのだ。

 しかも本来のプクリンの口では無く、人間のそれである。

 唇があり、歯があり、舌がある。

 そんなものが頭頂から足元まで一列に並んでいるのだ。

 

 目が無いことも相まって、非常にグロテスクだ。

 シンプルに怖い。全体の造形が狂っている化け物よりも、よっぽど化け物らしい。

 

 視界が失われてしまったのは、おそらく歌う事に対して必要ないと判断されたのだろうか。

 周囲に影響を与えられず、思う存分自分の世界に浸れると、そういうことなのだろうか。

 

 

 

 

「口がたくさん・・・これでいろいろな声質を出すことができる、とかそういう感じかの?」

 

 

「あ、はかせ、歌うみたいでーすよー」

 

 

 

 プクリンがその大量にある口を一斉に開き、歌い始めた。

 

 

 

 そして、その歌声を正しく聴ける者は誰一人としていなかった。

 

 

 

 

 

 プクリンが口を開いた瞬間、ワクワクしていたオーキドとタツロウは猛烈に重たくなる瞼を感じ、膝の力が途端に抜け、床に崩れ落ちた。

 

 その影響範囲は研究室だけではない。

 超高周波数帯で発せられるプクリンの歌声は、あらゆる壁も遮断することは適わず、球状に広がり続ける歌声は研究所を丸ごと包み込む。

 

 歌い始めて数秒後には研究所にいる全ての人間とポケモンが瞬間的に眠りに落ちた。

 持っていた書類をばら撒き、食べていたものはそのままに、受話器を取りこぼし、誰一人残さず床に崩れ落ち、スヤスヤと気持ちよさそうに眠りこけていた。

 

 そして、それだけでは止まらない。

 

 もはや音として捉えることは不可能な程の、超音波に近い歌声。

 それを知覚すること無く、その歌声の範囲内の生き物は余すところなく眠りに落ちる。

 

 

 そして、プクリンの歌声は最終的に町をも包み込んだ。

 そして、その歌声を認知できた者は誰一人として存在しなかった。

 

 

 綺麗な歌声なのか、美しい歌声なのか、優しい歌声なのか。

 誰も理解できず、誰も知覚できず、誰も最後まで聴くこと敵わず。

 

 

 

 町全体を静寂に追い込んだプクリン。

 幸いだったのは、車など、人間の力を超える物体が町を走っていなかったこと。

 そして、この歌が二度と歌われることが無かったということだ。

 

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

 

「ん・・・ここは・・・研究室か・・?一体何が、どうなって・・・?」

 

 

 オーキドが床から起き上がる。

 慣れない環境で寝ていたせいで傷んだ身体の節々をマッサージしつつ、立ち上がって時計を見る。

 

 

「午前十一時・・・はて、実験を始めたのは昼過ぎだったはず・・・ってまさか!!!」

 

 

 

 

 

 丸一日。

 プクリンが歌い始めた瞬間から、ほぼ一日の間、寝続けていたのだ。

 そして、研究所の各所からも悲鳴が上がり始める。

 まさに阿鼻叫喚だった。

 

 

 

「――――プ、プクリンはどうなって」

 

 

 オーキドは檻の中へ視線を向ける。

 

 

 

「―――――――」

 

 

 

 無言で中を見つめる。

 そして、ふい、と視線を外し、トコトコと自分の助手の方へ歩いていき、揺さぶる。

 

 

「タツロウ君、おきたまえ。タツロウ君。ええい、おきんか。」

 

「うにゅ・・・あ、おはよーですはかせ。」

 

「タツロウ君、起き抜けだが、あれを見たまえ。」

 

「はいー?あ―――」

 

 

 タツロウも檻を見る。

 

 

 

 

 

 プクリンは、死んでいた。

 

 全ての力を使い果たしたのか、大きな身体を前のめりに倒し、完全に脱力していた。

 呼吸による身体の上下も無い。微塵も動くことが無くなっていた。

 

 自慢の歌声を、命を賭して披露したプクリン。

 その歌声を聴いて感動した者は、残念ながら居ない。

 

 

 

 

 全ての生き物を眠りに落とし、丸一日の間、町一つを静寂で包み込む。

 

 その代償として命を落とす。

 

 

 兵器としては、なんという成功事例であろうか。

 最強の睡眠兵器。

 しかし、在り方としてはとても残酷で、皮肉で、可愛そうだった。

 ただ歌いたかっただけの存在。しかし、その歌を聴ける生き物はいない。

 

 矛盾そのもの。

 

 

 

 

「今回の実験は、失敗だのう。」

 

「はいー」

 

 

 

 

 狂気を纏った二人の研究者も、今回ばかりは気が乗らない様子だった。

 そして、綺麗な歌声を聴くために、テレビをつけて歌番組を見始めた。

 

 

 

 

 

 

『みなさんお待たせしました!絶世の歌手、ルージュ・ラヴィーンです!!』

 

 

 

 

 

 

 



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第七十六話 絶望への恐怖

 森の中は人工物とは思えない程に真に迫り、迫力のある植物の猛襲だった。

 

 不規則に並んだ木々、歩くのも困難な草むら、ぶら下がれる程太い蔓など、ここが室内だとは到底思えない程リアルで、サトシの感覚を狂わせた。

 要所要所にマーキングがされており、それのみが現在地を知るための唯一の情報だった。

 

 そのマークをたどって、十分かけてようやくサトシは自分のセーフティゾーンへたどり着いた。

 

 

 

「ここが安全地帯・・・九メートルって言ってたけど、周りが森だとこんなに狭く感じるのか・・・」

 

 

 全ての方角を森の木々が遮断している。

 上にぽっかりと空いた穴だけが天井を見ることができ、唯一そこだけが人工物であることの認識を得ることができる。

 周囲を背の高い木々が覆うというのは、ここまでの圧迫感を感じることになるのか。

 九メートルの円というのはそこそこの大きさのハズだが、実際立ってみると数字以上に狭く感じる。

 

 この安全地帯という場所も、ただ単に木が無い、というだけで、露出した地面はそのままだ。

 どんな場所かは確認したので、今度は森をぐるりと一周してみることにする。

 マチスの安全地帯も確認しなければならない。

 

 時間も少ないため、サトシとポケモン達は再度、森の中へ足を踏み入れた。

 

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

 

「オー、テキジンシサツデスカ?ゴクロウナコトデスネ。」

 

 

 

 相変わらず言っていることはジョークなようでも、顔は全く笑っていない。

 マチスが不正を働いてはいないだろうかと一応立ち寄ってみたのだが、特に両陣営とも違いは無いようだった。

 

 森の中は何処も彼処も入り組んでおり、マーキングと地図無しでは歩き回るのも困難だった。

 マチスは完全に森の構造を把握しているだろう。

 この時点で、マチスの絶対有利は動かないということになる。

 

 

 

 サトシとポケモン達は、安全地帯に戻ってきていた。

 ぐるっと森を回り切るのに三十分。

 いくらなんでも広すぎる。

 タケシとカスミのジムはここまで広大ではなかったハズだが、これもマチスがバトルを有利に進めるための仕掛けということなのか。

 

 

 バトルが始まるまであと二十分。歩きながら考えてはいたが、このバトルに勝利するための作戦はまだ思いついていない。

 

 うーんうーんと考えるサトシの周りを、スピアーが心配そうにくるくると飛び回る。

 サンドは背中によじ登り、クラブはカシャカシャとはさみを鳴らす。

 コイキングは未だにボールの中だ。

 

 肝心のピカチュウは、安全地帯の周囲をきょろきょろと観察しているようだ。

 一応、やる気にはなっているらしい。そうでなくては困るのだが。

 なにせ、今回もピカチュウの所為で余裕の無いままバトルする羽目になっている上に、リーダーのマチスはブチ切れ状態だ。

 考えうる最悪の状態で戦う事になっている。

 後の祭りとはいえ、ピカチュウは一体何を考えているのか。

 きっと何も考えていないんだろうな。

 

 

 考えるまでもなく結論がでた問題は置いといて、本題を考える。

 

 

 

 

 マチスはこの森でどのようにバトルを展開させるのだろうか。

 そもそも、戦うのはポケモンなのに、何故安全地帯というものをわざわざ作り、そこにトレーナーを配置しているのか。

 

 ポケモンへ直接命令することが出来なくなる―――でもそれはマチスも同じハズ。

 森の中では単純にポケモンの練度のみが勝敗を決することになる。

 命令できるのは安全地帯に戻ってきたときのみ。

 

 

 ――――――果たしてそうなのだろうか。

 

 何か、見落としている気がする。

 しかし、今それを考えている時間は無い。

 時間は無常にも刻一刻と迫ってきている。

 何も対策を立てないままバトル開始となるのが一番まずい。

 

 残り時間は十分。

 サトシは深く瞑目し、現状取りうる、もっとも安全な守備的作戦を考え、自分のポケモン達に伝えた。

 

 

 

 ―――マチスの出方が全く分からない。

 使うポケモンはライチュウ。

 これについては間違いはないだろう。

 恐らくライチュウ対ピカチュウのバトルになるのだとは思うが、だとしたらなおさら、トレーナーが身を隠す意味が分からない。

 

 多対一の対策だとしても、トレーナーが負けを判断する意味は一体どこにあるというのか。

 

 

 

 サトシは腕につけた時計を見る。

 一見普通の腕時計だが、ボタンが二つついており、それを同時に押すことで負けとなる。

 

 トレーナーが負けを認めることで、バトルが終了する。

 それだけ聞くと、健全なバトルだ。

 最も、負けを認めてしまったら奴隷生活が幕を開けるのだが。

 

 それを置いたとしても、優しすぎる。

 ポケモンバトルだというのに、バトル以外の要素が多すぎて判断ができない。

 

 判断力を鈍らせる、という作戦なのだとしたら大当たりだ。

 本質はライチュウ対ピカチュウのみ。

 そう断じればサトシも楽ではある。

 

 だが、あのマチスがそれだけで終わるだろうか。

 

 ぐるぐる、ぐるぐると思考が巡り、結論の出ない疑問を延々と繰り返す。

 

 

 サトシも、わかってはいるのだ。結論など無い事を。

 

 だが、これはサトシにとって現実逃避の一種であった。

 考えなければ、耐えられない。

 思考に身を寄せなければ、恐怖に打ち勝てない。

 

 

 今までも死に触れることは何度かあった。

 しかし、サトシ自身が、生きながらにして絶望への恐怖を味わうのは初めての経験。

 今までは死ぬかもしれないという事実に理解はしつつも、どこか夢のような、非現実的な響きだった。

 当然だ、人間は一度しか死ぬことはできないのだから。

 死ぬことへの準備など出来るハズもない。

 

 ただ、死ぬことは出来ずとも、殺すことはできる。絶望を与えることはできる。

 その、『人間を絶望の縁へ叩き落とす覚悟』を、マチスはサトシに見せつけた。

 

 死ぬことへの恐怖という形の無い、曖昧であやふやなものではなく、お前を殺す、恐怖の底へ叩き落とす、絶望を感じろ、という攻撃的で残忍で残酷な宣言をその身に受けたのだ。

 

 サトシが怯え、震えるのも無理は無い。

 ただの一般人が殺すだの死ねだの言うのとは意味合いが異なる。

 本物の軍人。実際に何度となく人間を苦しめ、苦しめられてきた張本人。

 

 メンタルで勝てるハズは無い。

 サトシ個人で勝利を得るのは不可能と言っていい。

 

 唯一の勝機は、この空間を作り上げたピカチュウしかいないとは、皮肉にも程がある。

 

 

 今更。今更ながら、サトシは裏の世界へ踏み込んだことを後悔した。

 しかしそれも手遅れ。

 この世界へ来るか来ないかの判断は、トキワシティジムにてすでに完了している。

 

 十四歳の少年は自分の決断においてこの場所にいる。

 もはや取り消せない事実だ。

 

 

 

 

 

 

 

「残り時間、五分―――――」

 

 

 

 

 

 

 もはや何も考えられない。

 サトシの、過去最大に絶望的な戦いが、幕を開けようとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 




サトシ、順調に崩壊中。


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第七十七話 二つの戦場

 ガガッピーーキュイーーー

 

 

 

 曇った電子音が聞こえ、その後に同じような音で人の声がした。

 

 

『サトシサン、キコエマスカ。ゴフンゴニ、バトルスタートデス。ブザー ガ ナルノデ、ソレガスタートノアイズデス。デハマタセンジョウデアイマショウ。』

 

 ガガッ という、乱れた音が鳴り、周りはまた木々のざわめきだけが聞こえる静かな空間に戻った。

 

 

 

 どうやら無線でマチスが話したようだ。

 そんなことにすら、少し頭を回さなければ気づけない程に、サトシは怯えていた。

 

 時間の余裕があればあるほどいい。

 そう思っていた。

 実際、過去のバトルにおいては時間の余裕はほとんど無かった。

 それ故に、もっと時間があれば、有効な対策が考えられるのに、と悔しがっていたものだ。

 

 だが、今はどうか。

 一時間。今までに比べたら破格だ。

 十分すら猶予の無いバトルが日常になっている中、持て余す程の時間。

 

 その時間の余裕が、制限時間として、サトシに重く伸し掛かっていた。

 まだ五分。たった五分。

 サトシの運命を決めるバトルが始まる。

 事実としては過去に何度も体験しているハズ。

 ここにきてその重圧を肌に感じているのは、しっかりと考える時間が出来てしまったからだ。

 この一時間という長さをあえてマチスが取ったのも、あるいはサトシのメンタルをへし折る作戦の一部なのかもしれない。

 

 

 恐怖、絶望、悲観、慄然、暗澹、悄然、震駭。

 ありとあらゆるネガティブな感情が身体を襲い、寒気を呼び起こし、震えが自身を支配し、言うことを聞かない。

 

 もしかしたらこのまま息絶えてしまうのでは、と酷く不安な気持ちになる。

 

 このままバトルが始まり、何もしないまま勝敗が決してしまう可能性もある。

 そうなってしまったらサトシが立ち直ることは二度とないだろう。

 

 

 恐怖に慄くサトシ。

 そして、そんな状態のサトシを救うのは、いつもこの手だった。

 

 

「ピカチュウ・・・」

 

「ピカピ」

 

 

 問題ないと。任せておけと。

 そんなことを言いたげな、大きな手のひら。

 それをまたしてもサトシの頭に優しく載せる。

 安心できる。今まで感じていた恐怖心が嘘にように退いていく。

 

 

 

「ピカチュウ・・・ありがとう。」

 

「ピッピカ」

 

「――――でも!この状況作ったのピカチュウじゃないかあああ!!!」

 

「ピカピ?」

 

 

 

 なんともふざけた相棒だろうか。

 だがこの状況を乗り越えるにはピカチュウの力は必須だ。

 それに、この一連の遣り取りで、サトシは先ほどのマイナス思考の連鎖から解き放たれていた。

 

 

「うん、そうだよね。怯えていても何もできない。やるしかないんだ。」

 

 

 勇気の欠片。相変わらず希望は見えないが、やるだけやってやろうという意思は芽生えた。

 サトシは立ち上がり、自分の仲間を鼓舞する。

 

 そして、タイミングを見計らっていたかのように、ビー というブザー音が森に鳴り響く。

 

 

 クチバシティジムリーダー戦が始まった。

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 バトルが始まり、二十分が経過した。

 

 チクチクと進む腕時計の時刻を見ながら、変わらず鳥の声や木々の騒めきばかりが聞こえる森の中を凝視しつつ、勝負の行方を見守る。

 

 

 ―――それにしても、変化が無さすぎる。

 バトル開始後に自分のポケモン達が散らばった後、何の変化もない。

 さすがにピカチュウとライチュウが遭遇したら、何かしらの音はするだろう。

 それが未だに聞こえないということは、まだお互いにポケモン同士の衝突はしていない、ということだ。

 

 

 

(大丈夫、だとは思うけど)

 

 

 

 サトシには何もできない。

 森の中でバトルが繰り広げられるとして、その場所がわかったとしても、サトシにはできることが何もない。

 

 むしろ邪魔になるだけだ。

 この状況でできることは、考え、信じることだけ。

 

 何かあれば戻ってくるハズだ。

 その為にスピアーがいる。

 

 

 

 サトシは、スピアーに偵察を任せていた。

 実際バトルになれば、スピアーには悪いが勝負にならない。

 おそらく森に一番馴染んでいるのは虫タイプであるスピアーだが、相手はライチュウ。

 しかも、ありったけドーピングされているであろう、マチスのライチュウだ。

 空中から戦場を見守ることができるのは、この空間においてスピアーのみ。

 戦場において空中が一番安全であるハズだ。

 何かあれば、スピアーが来てくれる。

 

 うんうん、と自分を安心させるために大きく頷き、小声で大丈夫大丈夫と繰り返す。

 自分が信じなくて勝てるハズはない。信じるんだ。自分の仲間を。ピカチュウを。

 そう、自分に説得をかけ、納得する。

 

 

 と、その時―――

 

 

 

 

 ドーーーーォォォン―――

 

 という、衝撃音か爆発音のような音が響き渡り、頭上を鳥のような生き物が群れで横断していった。

 

 本物の鳥もいるのか、という感想も抱いたが、サトシは音のした方角をキッと睨みつける。

 ついに始まった。

 

 

 先ほどの音には及ばないまでも、継続して音は聞こえてくる。

 間違いなく、ピカチュウとライチュウが戦っているのだろう。

 

 不甲斐無い自分に何もできないことは、先ほどたっぷり考え、恥じたではないか。

 今はピカチュウを信じるのみ。

 

 

 

 

 

「バトルノ テンカイガ キニナリマスカ?」

 

 

 

 

 

 

 ハッとして、サトシは後ろへ振り向く。

 

 

 

「そんな・・・なんでここに・・・?」

 

 

 

 サトシの安全地帯の少し外。木々の間からすでに忘れられそうにない、短い金髪の男が立って、こちらを見ていた。

 

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

「マチス―――安全地帯への攻撃は――――」

 禁止であるハズ、と言おうとしたのだが、ふと考える。

 

 マチスの言っていたこのバトルにおけるルールを頭の中で何度も反芻する。

 安全地帯。攻撃は禁止。攻撃は。つまり―――

 

 

 

「攻撃しなければ、出入りしていいと―――そういうことか・・・」

 

「サスガ、リカイガハヤイデスネ。」

 

 

 

 ギリ、と唇を噛みしめる。

 ルールは簡単、マチスは確かにそう言った。

 簡単・・・・簡単・・・・

 

 

 

 

「簡単―――すぎる。」

 

 

 終始仏頂面だったマチスが、ここで初めて、少しだけ笑みを見せた。

 それ以上は何もせず、採点するかのようサトシを見続ける。

 

 

「ルールの抜け穴・・・確かに、安全地帯については『攻撃しない』としか言っていない。他にもありそうだ―――それほどまでに、ルールの縛りが少なすぎる!!」

 

 

 ザア、と風が二人の間を横切る。

 遠くではまだドオン、ドオンと戦いの音が聴こえている。

 どちらが優勢なのか、劣勢なのか、その判断は微塵もつかない。

 

 数秒、互いに無言で目だけを見やる。

 サトシは目を見開き、マチスは目を細めて、お互いにお互いを見つめあう。

 

 

 

 

 

「フフフ、ハハハハハハハハハハハハ」

 

 

 

 

 

 ついに堪え切れなくなったのか、堰を切らしたようにマチスが大きな声で笑い始めた。

 緊張の面持ちで金髪の男を見続ける。

 その笑いの真意はなんなのか、一言たりとも聞き逃さないために。

 

 

「ハッハッハ・・・サトシサン、マスマスオシイ。トテモ、トテモユウシュウダ。『オモチャ箱』ヲコワシタノハ、コノサイ ユルシマショウ。ミーノ、ブカニ ナリマセンカ?」

 

 

 ―――ブカ?部下と言ったのか、この男は。言うに事欠いて、マチスの思想に染まり、マチスと同様の事をやれと、そう言ったのか。

 確かにサトシは今窮地に立たされている。

 未だに続く戦いの音が途切れた時に、勝敗が決しているかもしれないのだ。

 その結果、死ぬかもしれないし、あるいは奴隷として一生を終えるのかもしれない。

 しかしそれでも尚、命を天秤に賭けても、サトシは越えてはならない一線があることを知っている。

 

 いまさら綺麗ごとを並べるつもりはない。

 事実だけを述べれば、反する事をしたことはある。

 だが、サトシにとって、形容しがたく、あやふやで、どっちつかずの、子供だましな正義感というものは確かに存在しているのだ。

 

 十四歳というまだまだ大人とは言えない年齢。

 確固たる信念を得るのはまだまだ先の話。

 

 故に、言えることがあるのだ。信じることができるのだ。

 世の中を知る前だからこそ、前を向いて口に出せることがある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「僕は―――そんな最低なことはしない。人として、許せないから。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それを聞いて、マチスは怒るだろうか。驚くだろうか。残念がるだろうか。はたまた興味を失うだろうか。

 

 

 

 

 マチスは口を噤んでいる。

 無言、ではあるのだが、その口の両端は、耐え切れないとばかりにヒクヒクと上下し、笑みにもならない笑みを作り出している。

 

 マチスは何よりも、嬉しかったのだ。

 サトシが、全く穢れを知らないということが。

 純粋に正義を目指し、愛情を求めていることが。

 そして、それらを木端微塵に、一片残らず粉々にし、踏みにじることができる自分の立場と状況に、耐え切れない幸福と至福を味わっていた。

 

 

 サトシは何度目かとも思えない、地雷を踏んだ。

 マチスは、サトシを部下にしたいと本気で考えていたわけでは無い。

 サトシを如何に残酷な方法で壊すことができるかを考え、実行に移しているのだ。

 

 

 

 

(Oh my god・・・なんて瑞々しク、美しいハートの持ち主なんでしょうカ―――)

 

 

 

 

 全てにおいて最悪。

 ピカチュウとライチュウの激しいバトルが繰り広げられている傍ら、安全地帯でも静かな戦場が幕を開けていた。

 

 

 



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第七十八話 マチスのライチュウ

 ビー という無機質な電子音が鳴り響き、ピカチュウは安全地帯から森の中へと姿を消した。

 森の中に数メートルも踏み込めば、すでに視界は四方すべて木々で埋め尽くされる。

 恐れ知らずとも思われるこの二メートル四十センチの巨体の持ち主は、果たして恐怖を感じたのであろうか。

 当然それは本人にしかわからない。

 だが、身体に震えは無く、その足取りはしっかりとしたものだった。

 自棄になっているのではない。しっかりと進む反面、安易に音を立てないように地面を優しく踏みしめ、紙か風船かと思える軽い所作で森の中を進んでいく。

 当然ながら音をいくら立てずとも、その姿は目が覚めるような蛍光色。

 一瞬でも視界に入れば、認識されるだろう。

 

 

 それはお互いにいえることではあるのだが。

 

 

 相手はライチュウ。

 その実物の姿はまだ一度も見たことはない。

 ライチュウはその名前から想像できるとおり、ピカチュウの進化形。

 当然、その身体に纏った色も暖色であるオレンジ色だ。

 

 姿かたちもかわいいねずみポケモンだ。

 本来の姿は、だが。

 

 果たしてドーピングした姿はそれ通りの姿をしているのだろうか。

 それとも、元の姿からは到底想像もできないような化け物に成り果てているのだろうか。

 

 

 それも考えられる。

 なにせマチスのことだ。この森に適正のあるように迷彩柄にでもなっているかもしれない。

 そうなれば発見は難しい。

 ピカチュウが一方的に不利な戦いになってしまう。

 

 

 

 

 ピカチュウがそこまで考えていたかは不明だが、ピカチュウ自身はなるべく身を隠すように進むことを選択したようだ。

 思った以上に慎重だ。

 それとも、動物の本能であろうか。

 森の中で戦う、という状況がピカチュウにそう動くことを強いているのか。

 

 

 その状態のまま十数分が経過する。

 ピカチュウの慎重な行動は、確かに無駄にはならなかった。

 無駄にはならなかったのだが、有効でもなかったことが、この後すぐに明らかとなる。

 

 

 

 

 小さくガサガサと音をたてながら草むらをいくピカチュウ。

 ゆっくり進んでいるとはいえ、十分にマチスの方向には来ているはず。

 にも関わらず、相手の気配を欠片も感じないというのは、些か不気味ではあるまいか。

 

 

 ピカチュウをもってすら、若干不信に思い始めたその時―――――

 

 

 

 

 

 

「ピピカ!?」

 

 

 

 

 

 気配を感じ取る。

 前方にはいない、後方へ振り返れどいない。

 

 間違いなく近くに存在はしている。

 ピカチュウが気配を感じて集中していたら、今まで暗かった森の周辺が、太陽に照らされたかのように明るくなっていった。

 

 

 

 

 

 

 

 ドーーーーォォォォォン――――

 

 

 

 爆音。

 何かが爆ぜて散った音がした。

 

 この状況で爆発音がしたとしたら、可能性は一つしかない。

 

 

 

「ラーーーイ」

 

「ピッピカ」

 

 

 ピカチュウの頭上。

 太い木の太い枝を撓らせて、何かがこちらを見下ろしている。

 

 間違いない。

 今の攻撃は、その陰が放った電撃攻撃。

 

 ピカチュウが一瞬早く察知して回避したため、ダメージはないが、地面は深くえぐられ、その攻撃力の高さを物語っている。

 

 

 ピカチュウがその陰を正確に認識する前に、枝に乗っていた生き物はすぐさま飛び降り、音も無く着地し、止まることなく攻撃を仕掛けてきた。

 

 

 

 咄嗟のことで、ピカチュウも若干反応が遅れる。

 まだ相手の姿を完璧に認識していない状態では、どれくらいの距離で、高さで、方法で戦えばいいか判断がつかない。

 

 森の暗さもあるが、撃っては逃げ、叩いては避けを繰り返す攻撃方法に、ピカチュウも困惑していた。

 

 

 

 

「ピッピカ」

 

 

 

 だんだんその戦い方に嫌気がさしてきたのか、ピカチュウは照準を定めないままに、全方位に電撃を発した。

 攻撃が目的ではなく、相手の姿を明らかにするために。

 

 恐らくライチュウと思われる、その姿を把握し、打ち取るための攻撃手段を見定めるために。

 

 

 二度目の爆発音が鳴り響き、周囲を万遍なく光が照らす。

 一秒にも満たない光の奔流ではあったが、今まで不鮮明だった生き物の正体を判別せしめるだけの効果はあった。

 

 狙い通りにその姿を確認したピカチュウも、望み通りの結果が得られたことに満足したようだ。

 

 

 だが、結果が得られたことで新たに疑問が生まれる。

 

 

 本当に、合っているのだろうかと。

 自分の見た姿が、本当に今戦うべき相手だったのかどうかと。

 

 

 この戦いにおけるピカチュウの目的は、ライチュウの打倒だ。

 それが目下一番の難敵であり、強敵のハズ。

 故にライチュウさえ下せば、サトシの勝利となる。

 それはわかる。その行動にも目的にも文句は無いし、ピカチュウもその役割を受け持つからこそ今まで戦い、勝ち抜いてきたのだ。

 

 どの相手も強力だった。紙一重の勝利ばかり。ドーピングを用いたバトルはここまで苛烈で熾烈になるものかとヒヤヒヤしたものだ。

 

 

 

 

 今、ピカチュウの目の前にはライチュウがいた。

 どこからどう見てもライチュウだ。

 

 だが、その姿は明らかに、通常のライチュウだった。

 違いがあるとすれば、極端に傷だらけ。それも最近についた傷ではなく、古傷。

 ポケモンセンターで気軽に治せる最近ではなく、そんな施設ができる遥か前に傷を負い、自然治癒した負傷の痕跡。

 

 その傷跡を、全身に纏っている。

 身体も、顔も、腕も、足も。

 不思議と痛々しいという感想は抱かない。

 傷の一つ一つが強さの証。

 とてつもない生存本能の結果。あらゆる困難を乗り越え、今に至るまでの戦場においての名誉の勲章。

 

 

 まさに歴戦の兵、という表現が相応しい姿だった。

 

 

 

 ただ、それだけでは説明がつかない。

 確かに強いだろう、難関だろう。だが、このピカチュウ相手に、ドーピング無しの通常のポケモンで挑む意図が一体どこにあるというのか。

 

 

 

 身長は三倍近く離れ、体躯も大人と子供程も差がある。

 この情景だけ見るならば、ライチュウの進化形がピカチュウだと言われても、ああそうなのか、と納得しかけてしまいそうになる。

 

 拍子抜け、と言ってしまうのはライチュウに対して失礼ではあるが、ピカチュウは自身の進化形であるライチュウと骨肉のバトルが展開できると期待していたこともあるのか、少しだけ戦意を失ってしまった。

 

 

 

 そう、失ってしまったのだ。

 

 

 

 

 隙―――感情の上下からくる、空気のズレ。

 本来であれば気付けるハズの無い、ピカチュウの一瞬の隙。

 戦闘に慣れすぎたライチュウであり、且つ同系統のポケモンであるからこそ気付けたその隙は、ライチュウにとって十分な時間であった。

 

 

 

 膨大に電気を溜めこんだライチュウの尻尾がピカチュウの左頬に叩き込まれ、三度目の爆発音と共にピカチュウの巨体が右側に強烈な勢いで吹き飛ばされ、太く強く育った木を三本ブチ折り、地面に転がって草叢に頭から突っ込んだ。

 

 

 木がまとまって折れたことで少しだけ森に切れ目が出来、ピカチュウを光が照らす。

 

 草叢からガサガサと音を立てて起き上ったピカチュウは、頬をさすりつつ尻尾を叩き込んでくれた相手を見るが、そのまま待ってくれる程余裕のある相手ではなかったようだ。

 ピカチュウのように雷型の尻尾ではあるが、その形は先端のみに集中しており、その特徴的な尻尾は、黒く細長い。

 身体の倍近く長いその尻尾の先端は、一目でわかるほどに、超高電圧の電気が溜まっており、空気放電しながらさらにその威力を高めている。

 

 

 

 

 ――――ライチュウは、ピカチュウに比べてより膨大な電力を頬袋に溜めることができる。

 溜めこんだ電力に応じてその身体能力を高め、気力も上がる。

 特性として、特徴的な尻尾は空気中の微小な電気を集めることができる。

 

 

 マチスのライチュウは、その特性が異常発達していた。

 資源が極端に少ない戦場に長い間いた為か。

 

 戦場において電気は万能に近い。

 電気ポケモンは便利なようだが、反面、発電量が体力に比例する電気ポケモンは、体力の回復がほとんど見込めない戦場においては扱いが難しい。

 

 しかし、その中でマチスのライチュウは、自己の特性を最大限利用することを覚えた。

 

 電力の維持のためにあるこの尻尾の能力を、攻撃手段として活かす方法を覚えたのだ。

 

 

 

 

 

 

 ライチュウは間違いなくドーピングの恩恵を受けていない。

 だが、戦場で学んだ戦闘の勘と、戦い慣れ、という点において、他のどんなポケモンよりも経験値が高く、また負けることも無い。

 

 

 カントーで生まれ育ったレッドとは異なる、ノーマルポケモンが裏の世界で戦えているレアな事例。

 それがマチスという軍人が唯一信頼し、また生涯のパートナーとして認めているポケモンの正体。

 

 

「マチスのライチュウ」は、どのような障害をもってしても防ぐことが出来ない、優れた軍人なのだ。

 

 

 




ライチュウさんカッケエ・・・


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第七十九話 マチスとサトシ

 サトシは考えていた。

 

 これはチャンスではないかと。

 

 

 

 場所は再度、サトシの安全地帯へと戻る。

 マチスは未だ安全地帯の一番端、草叢から出るか出ないかのところで、サトシを見つめながら口角を少しだけ上げてニヤニヤしている。

 

 森の奥からは戦いの音が絶え間なく聞こえ、大きな音が響く度に、ピカチュウが負けてはいまいかと心配になる。

 目の前で見ていたところで戦況が変わるわけではないのだが、それでも、勝負の行方というものは常に気になってしまう。

 

 なにせピカチュウの敗北は、そのままサトシ自身の敗北に直結しかねない。

 断言しないのは、このバトルにおいての敗北は、サトシ自身の判断に委ねられるからである。

 

 ―――左手に巻かれたデジタル時計を右手で触れる。

 自己判断でこのスイッチを押さない限り、このジムリーダー戦は終わることはない。

 ピカチュウが負け、他のポケモンが一網打尽にされていたとしても、敗北宣言はサトシの一存で決まることなのだ。

 

 

 何故こうまでも回りくどい勝敗の決し方をするのか。

 それは、サトシの目の前にマチスが居る、という事実をよく考えれば自ずと理解できることだった。

 

 

 

 

 マチスは動かない。

 この無言の空間を楽しんでいるかのように。

 恐らく、慣れているのもあるだろう。

 サトシはマチスからの威圧と、無言の空間からの圧力を二重で感じている。

 反してマチスはいたって余裕の表情だ。

 戦闘開始までの怒気を孕んだ表情はどこへやら、今はまったく正反対ともいえる表情をしている。

 反対といえど、優しいとはかけ離れた、なにか悪巧みを思いついた少年のような、落とし穴に落ちる直前の人を見た時のような、子供が無邪気に毒入りのケーキを食べているのを優しく見続けているときのような。

 兎に角、そんな気味の悪い、悪性であることは間違いないのだが、単純に真っ直ぐな怒りでは無く曲って歪んで崩れている捉えようの無い気味悪さを含めた表情をしていた。

 

 その表情から読み取れるマチスの感情。

 間違いなく、マチスは楽しんでいる。

 何を、と聞かれても、今のサトシにはすべてを理解することはできないだろう。

 サトシに理解できるのは、マチスが何かしらを楽しんでいる、ということのみ。

 

 さらにサトシは考え、今この現状を生み出している根本原因。それを予想する。

 

 

 

 自分の敗北は、自分で決める。

 そのルールが存在する理由として考えられ得ること。

 

 つまり、『如何に相手に敗北を認めさせるか』という勝負なのだ。

 ポケモンの勝負は、確かに重要な要素ではあるのだが、それ以上に、トレーナーのメンタルが重要視される。

 

 この事実に気付いた時、サトシは何を思っただろうか。

 

 ポケモンバトルに有るまじき、トレーナー同士のバトル。

 それも、自棄になったトレーナーが起こす物理的で発作的な暴動ではなく、お互いの思考能力、説得能力、心理読解能力をフル活用する精神の戦い。

 

 人生において経験したことのない、物理に頼らない戦い。

 マチスは軍人。当然、そのメンタルはあらゆる意味で完成されているだろう。

 反してサトシは、お世辞にも口論に強いタイプではない。

 確固たる信念も無ければ、相手を口車に載せるだけの技量も無い。

 足りない技術でハッタリをかまそうなどと愚かな手段が通用するとは、さすがにサトシも思わなかった。

 

 

 

 

 しかし、サトシは勘違いをしていた、と思った。

 ここはサトシにとって、肉体的には一番安全な場所なのだ。

 

 つまり、不利なのはマチスである。

 

 どれだけ粗末な攻撃であろうとも、マチスはサトシに反撃はできない。

 もっとも、サトシが足を振ろうとも、拳を振り下ろそうとも、マチスの鍛え抜かれた鋼の肉体にどれほどのダメージが入るのか。

 サトシ有利な状況には間違いない。

 だが、その状況を活かせるだけの用意も作戦も実力も、今のサトシには欠けている。

 

 その結果、この沈黙。

 

 お互いに何をするでもなく、遠くで響く戦いの音を聞くのみ。

 

 

 

 

 ピカチュウが戦っている。

 今まで、サトシを何度も危機から救ってくれた(危機に追い込んだりもしたが)ピカチュウが、今この場に居ない。

 戦うのは、自分。いつまでも頼りっきりでは成長しない。

 

 マチスに、勝つのだ。

 精神面であの軍人に勝るのだ。それしか無い。

 

 

 サトシは自分の中で覚悟を決める。

 そして、マチスに負けを認めさせるべく、話を始める。

 

 

 

 

 

 マチス―――

 

 

 ハイ、なんでしょウ、サトシサン。

 

 今戦っているのは、ピカチュウとライチュウでいいのか?

 

 そうでしょうネ。

 

 ピカチュウが簡単に負けるわけない。

 

 エエ、ミーもそう思いまス。

 

 それを分かって、何でここにいる?

 

 ハハハ、サトシサンも気付いていることですヨ。

 

 ・・・僕と、勝負をしようということか。

 

 ショウブ、勝負、ネ。ですガ、サトシサン。勝負だと思っているならバ、勝ち目がありますカ?ミーを相手に、どう戦えば勝てるカ、想像できてますカ?

 

 

 ―――正直ですネ。本当ニ、本当ニ、良いですヨ、サトシサン。――イエ、こちらの話でス。

 

 

 何が言いたい・・・

 

 

 何ガ、ですカ。そうですネ。少なくともミーには、サトシサンを敗北に導ク為の方法がいくつかすでにありますトモ。

 

 ・・・僕にだって、お前を倒すことくらい

 

 ハハハ。そうですネ。それを競ウのが、このバトル方式の醍醐味なんですかラ。

 マアゆっくりト話しましょウ。どちらかが敗北を認めるマデ。

 

 

 ―――サトシサンは話すのが苦手なようですネ。そういウ、初心なところもいいですネ。壊し甲斐があるってものデ・・・ジョークですヨ、ハハハ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一通り言葉を交わす。

 サトシは、ここまでの会話で十分すぎるほどに感じた。

 言葉でこの男を屈服させることは、到底不可能だ、ということを。

 

 このバトルにおいては致命的ともいえるこの状況。

 いや、そもそも、このバトル条件を飲まざるを得ない状況を作ることこそが、マチスの戦略だったのか。

 そう思うと納得がいく。最初からサトシを挑発するような言動を繰り返していたのも、そのためなのか、と。

(やったのはピカチュウだけども)

 理不尽極まりない。

 目の前の男はその理不尽すらも自分の戦略に組み込むのだから、本当に勝ち目が無い。

 

 あらゆる面でサトシの上をゆく。

 それはもちろん、サトシの持ちえない部分においては特筆するセンスを持ち得ている。

 

 

 

 

 

 

「サトシサン、ジツハ、プレゼントガアルノデス。」

 

 

 急にそんなことを話し出すマチス。

 目線をふい、と左に逸らし、愛おしい思い出でも語るような口ぶりで、遠くの方を見つめながら語る。

 

 

 ザア、という風の音が耳につく。

 そういえば、ここは室内だ。

 風まで再現しているのだとするならば、もはや偽物の要素などどこにもない。

 ここは森なのだと、頭が再認識する。

 

 未だ鳴ることを止めない戦いの音。

 低くくぐもった衝撃音が何度か鳴り響き、それに合わせて不快な風がハーモニーを奏でる。

 それはプレゼントなどという本来好意を持った相手にしか贈らない物をサトシに贈るという不可解な行為をするマチスの意図を、端的に表しているようだった。

 

 

 

「・・・・・」

 

 

 サトシは何も答えない。

 少しだけ怪訝な顔をして、マチスの出方をうかがう。

 

 

 マチスは少しだけ顔をサトシの方へ傾け、口元だけでなく、きちんと目でもニッコリという笑顔を作った。

 その顔はどうしようもなく歪に思えた。自分の感情を捻じ曲げている顔だ。

 本当はもっと嬉しいか、もしくはもっと怒っているか。

 

 

 

 マチスは笑顔のまま無言で少し屈み、横の草叢に手を突っ込む。

 

 ガサガサと草叢を弄るマチスは、ものの数秒で目当ての物を掴んだらしい。

 ピタリ、と動くのを止めたマチスは、またも顔だけサトシの方を向き、先ほどよりもさらに歪な笑顔を浮かべ、下手投げでサトシの方へ何かを放ってきた。

 

 

 大きく放物線を描いて投げられた物体―――何か丸い、すこし歪んだボールのようなものがサトシの目の前一メートル程に、ドチャ と不思議な音を立てて落ち、少しだけ転がってサトシの足先三十センチくらいのところで止まった。

 

 

 

 細かく模様が入った大きな水晶のようなものが二つついた、黄色い塊。

 紐のようなものも二つついている。

 

 

 それは見慣れたもので、見慣れない姿だった。

 

 

 

 

 

 

 

「―――――――――す」

 

 

 

 

 サトシは言い淀み、嘘だと信じたい気持ちで胸がはち切れそうだったが、紛れもな事実でどうしようもなく今起きている事象を理解してしまった。

 

 目の前にある黄色いボール。

 間違えるハズがない。それほどまでに見慣れた、その『プレゼント』は

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「スピアー・・・・・・・?」

 

 

 



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第八十話 死は常に近し、また生も近し

「は、え、は?」

 

 思考が止まる。息が詰まり、呼吸ができない。

 この目の前にある、黄色いモノは一体なんだろう。

 いや、知っている。僕はこれを、この形を知っている。

 でもそんなハズは無い。そんなハズは無いのに、そんなことが起きている。

 だって、僕のポケモンにした指示は―――なんだっけ?あれうまく思い出せないなんだっけなんだっけなんだっけ??

 

 

 動揺し、視線があやふやになり、瞳孔が上下左右に細かく揺れる。

 それでも視界には、苦楽を共にした自分の友達が、随分とその身体を小さくして、二度と光を灯すことが無くなった双眸を晒している。

 

 

「か、は」

 

 

 声が出ない。

 嘘だ。これは何かの嘘。冗談の類。

 マチスはよく、ジョークを飛ばしているではないか。

 そう、これは嘘。嘘嘘嘘嘘。

 

 ヒクついた顔で、縋るような気持ちで少しだけ顔を上げて、黄色い物体を放ってきた張本人に目を向ける。

 ジョークだと、そう言うハズだ。

 だって、だって――――

 

 

 

 

 ―――――スピアーは空を飛んでいたのだから、やられる事は無いのだから

 

 

 

 

 

 マチスはサトシの顔をじっくりと観察し、ゆっくりと笑みを浮かべる。

 

 いい顔ですネ、サトシサン―――

 

 そんなことを思いつつ、マチスは口を開く。

 

 

 

「サトシサン」

 

 

 

 サトシは無反応だ。

 というよりも、次の言葉を待っている、と言った方が正確か。

 期待を込めて。ジョークですハハハと、そう言ってくれると信じて。

 

 

 

 

 

 

 

 友を理不尽に奪われる気持ちはどうですカ?

 

 

 

 

 

 ああやっぱり。

 この男は最低だ。嫌、最低なんてものじゃない。存在そのものが悪で、嗜虐趣味に染まっている。

 過去に抱いたことのない、クソのような嫌悪感。

 だがそれよりも。

 長く連れ添った仲間が一部だけになり、目の前に転がっている。

 その事実だけで、十分だ。

 相手がどんな人物だろうとも、許せない。

 

 以前にも、このような気持ちになったことはある。

 トランセルのとき。

 忘れることなど出来るハズも無い。

 押し隠しているだけで、いつでもその思いはサトシの心の中で薄皮一枚で隔てられていた。

 駄目だと。

 この気持ちを表面に出してしまったら、実行に移してしまったら、自分は抑えられなくなる。

 

 

 

 ドクンドクンと、心臓が身体全体に振動を伝える。

 血の巡りが身体を熱くし、脳みそをさらに加熱する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ああ、ダメだ、耐えられ――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 気付いたら、飛び出していた。

 形振り構わず、何も考えず、一直線に、絶叫しながら、悪魔のような人間に向かって駆けだした。

 

 呼吸などできない。

 声とも思えぬ叫びが森に響き、数メートルあった距離をあっという間に縮めていく。

 

 

 ニヤリと顔を崩すマチス。

 もはや表情の機微など知る由も無い。

 怒り、憎しみ、悲しみ、様々な感情が一遍に押し寄せる。

 マチスに向かって振りぬいた十四歳の少年の拳は、笑みを零した軍人にあたる事無く空を切る。

 

 勢いは止まらず、故にマチスが少しだけサトシの進路を足で塞ぐと、何の抵抗も無く簡単に地面に突っ伏した。

 咄嗟に手を付き、身体を二回転ほどさせてうつ伏せで止まる。

 嗚咽を発するサトシ。同情に値するし、憐れでもある。

 だが、マチスはそのような感情をたとえ抱いていたとしても、それはネガティブでなく、ポジティブだ。

 嬉々として憐れみ、嬉々として同情する。

 

 

 顔を下にして声にならない声を漏らすサトシの背中に右足を載せ、じっくりと力を入れ、徐々に地面に押し付ける。

 

 サトシが抵抗できる力ではなく、数秒後には地面に頬をこすりつけ、地べたに這いつくばる。

 

 

 

 サトシは、イージーなルールに守られていた安全地帯を、勢い余って抜け出してしまった。

 

 

 

 つまり、もうサトシの身を守る壁は存在しない。

 感情によって勝負をふいにしてしまったのだ。

 冷たい地面に顔を擦りつけ、だんだんと頭が冷静になる。

 

 

「(ああ―――もう、疲れた――――)」

 

 

 自暴自棄。

 

 極度の緊張感から解き放たれたサトシに残ったモノは、何も無い。

 愛情込めて育てたスピアーが、あっという間に殺された。

 命を絶たれた。

 一体誰の所為で、そういう結果になってしまったのか。

 

 殺したマチスが悪い。うん、確かに最もだ。

 殺されたスピアーが悪い。確かに、これもまた真実だろう。

 

 だが、サトシにとってその二つは頭になく。

 

 

 

 マチスという凶悪な人間の本質を理解せず、その手の及ぶところにスピアーを投げ出してしまった、自分が最も悪いのだと、そう感じていた。

 

 

 

 極論。

 しかし、人は絶望や悲しみに追われた時、それ以外の事を考えることができようか。

「もしも」とか「たとえば」とか「だったなら」とか、そういう机上の空論が通じるのは研究室だけだ。

 ここは紛れも無く戦場で、一つの判断ミスで勝敗が決してしまうほどに繊細で、サトシは判断を間違えた。

 

 その結果が今である。

 

 サトシのスピアーが死に、自身はまんまと安全地帯の外に誘導され、地べたに這いつくばって土塗れになっている。

 

 本来は、逆の立場でなければならないのに。

 悪が土をなめ、正義が拳を天に突き上げる。

 ハッピーエンドとは常にそういう物語にならなければならない。

 

 ―――そうならないのは、ここは紛れもなく現実で、悲惨で悲劇で悲哀な事実が突きつけられている。

 

 

 

 

 ぼーっとする頭に、マチスの声が反響して聞こえてくる。

 

 

 

 

 ここに向かっている時ニ、木々の随分上に飛んでいル虫が見えたのデネ。

 木に登っテ、隙を見てナイフを投げて落としましタ。

 この森には他にポケモンはいまセン―――つまりこれはサトシサンのポケモンであるというコト。

 まだ生きていたのデ、まず翅を少しずつ刻んデ、節を折るように、肢を細かく捥ぎ取り、危険な針を根本から切り取リ、腹を捌き、首を撥ねましタ。

 ミーと云えども虫を捌いたのは初めての経験デシタ。

 なかなかいい勉強になりましたヨ?

 死に瀕した虫ケラが、どんなふうに悶え、苦しむのカが、ヨーーーークわかりましタ。

 こんな経験をさせてくれたサトシサンにはお礼をしなければイケナイと思ったのデ、スピアーの首だけ綺麗なまま持ってきタのデス。

 どうですか?サトシサン。嬉しいでショ?嬉しくて嬉しくて、涙が止まりませんカ?

 ホラホラ、サトシサンの大事なフレンドがこっちを眺めていますヨ?飛ぶための翅もなけれバ、もがく為の肢もありまセンけどネ。ハハハハハ。

 

 

 

 

 

 サトシは動けない。

 背中を力強く踏みにじられていることもあるが、力が出ない。

 精神が、サトシを動かすことをあきらめている。

 自分のポケモンの悲惨な最期を事細かく聞かされ、それが全て自分の責任だと背負い込む。

 

 十四歳の少年にとっては許容できる限界を超えてしまっていた。

 ピカチュウというストッパーがいたからこそ保てていた平常心も、もはや機能しない。

 ここに倒れているのは、心が空っぽになりかけた、廃人じみた子供。

 

 それを心底嬉しそうに見下す元軍人。

 だが、この男はまだ辞めるつもりはない。

 やめてと懇願されたところで、止めるきなど毛頭ない。

 

 まだ手ぬるい。

 マチスはこの程度で、終わらせるなどという発想はなかったし、もっと苦しめなければ割に合わないとまで思っていた。

 

 怒りと楽しみ、その両方を共存させた感情。

 マチスにとってサトシは極上の遊び道具であると同時に、憎むべき敵でもあったのだ。

 

 

 

 だが、もはやサトシにとってもそれすらもどうでもよくなりかけている。

 さっさと敗北を認めてしまおうか、ああ、でも奴隷は嫌だなあ、いっそこのまま楽にしてくれないかなあ、などと考えてすらいる。

 

 

 

 マチスはまだごちゃごちゃとサトシを追い詰めるようなことを口にしているようだが、もはや聞こえないし、聞く気にもならない。

 

 

 

 

 

「―――――――――」

 

 

 

 

 すべてをあきらめて、時計のスイッチを押そうと手を動かし始めた時、ふと違和感を感じる。

 

 

 

 

 

 マチスの死角になっている、サトシの足があるあたりの地面。

 そこが少しだけ動いたように感じた。

 

 

 

 取るに足らないような違和感。

 だが、他に考えることも無い中でのそのちょっとした現象は、サトシに残されたごくわずかの理性を取り戻すのに十分だった。

 

 

 

 

 

「(なにか・・・・なにかわすれて・・・・・)」

 

 

 

 

 

 ものの数秒。

 考えた時間はその程度。

 

 だが、その短い時間に、サトシは自分のすべきことをしっかりと思い出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 クッソ・・・・覚えてろマチス。反撃、開始だ!!!

 



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第八十一話 ライチュウの願望

 ピカチュウは困惑していた。

 

 実際、何を考えているかよくわからない生き物ではあるのだが、この時ばかりは、見てわかる程度には調子を崩されていた。

 

 

 ライチュウがその姿を露わにしてまだ間もない。

 明らかにピカチュウよりも劣る。

 体躯も、パワーも、スピードも、全てのステータスにおいてピカチュウが遥かに勝っている。

 

 だが、すでに数えきれない程に衝突しているにも関わらず、ピカチュウはライチュウに対して直撃を与えられずにいる。

 

 

 空気中の電気を凄まじいスピードで吸収するライチュウにとって、ピカチュウの発する電撃はエサでしかない。

 もちろん直撃すればある程度のダメージは与えられることには違いない。

 それをしたところで戦闘にそこまで影響を与えるものではないのも確かではあるのだが。

 

 

 最初の数合でそれは判断できたのか、ピカチュウは物理攻撃のみで応戦している。

 当然、手加減などしていない。

 何の問題も起きないとは考えてもいるが、このライチュウを早く下してサトシの元へ戻る必要がある。

 

 物理攻撃力のバカ高いたたきつけるも、高速移動を用いた拳の応酬も、すでに実践済みだ。

 

 それなのに、ピカチュウの目の前には目まぐるしく森を駆け巡るライチュウの姿が存在し、まだ一撃も加えられてないことを示している。

 ピカチュウの攻撃はどれも一撃必殺。

 ましてや、それがノーマルポケモンに対して振るわれるのであれば尚更だ。

 

 しかし、届かない。

 あと一歩、紙一重のところでスルスルと躱され、ついでに反撃を一撃叩き込まれて距離を離される。

 

 チャンスかと思えば木々に身を隠し、危ういと思えば途端に攻めてくる。

 

 

 明らかに過去に戦ってきた相手とは性質の異なる戦い方。

 

 これはもはや技の応酬ですらない。

 そして、勝つためのやり方でもない。

 

 ライチュウはどこまでも『負けない戦い方』をしていた。

 

 

 

 ライチュウはマチスの考えの全てを把握しており、その中で自分の役割がなんなのか完璧に理解している。

 

 ライチュウにとって、ピカチュウを倒すということはさほど重要ではない。

 この勝負の決着は、サトシの心が如何に早く折れるか、というところに尽きる。

 

 であれば、サトシの心のよりどころであるピカチュウをとにかく長くサトシの元から離す事が、このバトルの勝敗を決定づけるものになる。

 

 

 ピカチュウにとって、これほどやり辛い相手はいない。

 なにせ、勝ちに来ない。

 これがピカチュウの抱いている困惑の原因に他ならないのだ。

 

 過去、すべて正面から戦い、その膂力を持って打倒してきたピカチュウ。

 ピカチュウは無論の事、相手も正面から挑む者しかいなかった。

 

 そもそもポケモンバトルとはそういうもので。

 純粋な戦闘力と戦略が相手に勝っているかを競うもので。

 

 勝負を長引かせることが目的、なんていう逃げ腰で情けないバトルを展開するトレーナーもポケモンも存在しなかった。

 

 

 

 つまりこのバトルは、ポケモンバトルでは無い。

 マチスが用意した、サトシを壊す為だけに存在するゲーム。

 ピカチュウもそのゲームにおける駒の一つでしかない、とそういうことだ。

 

 

 

 そこまでピカチュウが考え抜いたかどうかはわからないが、ピカチュウをその場に束縛する程度に攻撃し、逃げ回るライチュウに対して、徐々に困惑からイラつきに変わっていった。

 

 

 

 ピカチュウとしては、単純に戦いがしたかったのだ。

 ただ遊びたい、ただ食べたい、ただ走りたい。そんな子供のような理由の無い理由。

 やりたいからやりたいのだ、と。

 単純に自分の進化形とのバトルをしたかった。

 

 他の意図が有るにしろ無いにしろ、歴戦の兵である、ある意味伝説染みたライチュウを目の前にして、戦いたい、戦って勝ちたいと思うその心を否定出来はしないだろう。

 

 

 故に、ピカチュウは動く。

 もはや様子を見る必要などない。

 ここからは、自分のすべてを見せてやろうとばかりに、心を変える。

 

 

 

 

 

「――――――――――――!!」

 

 

 

 

 止まることなく動き回っていたライチュウが動きを止め、踏み馴らされた地面に着地し、雰囲気の変わった相手をそのつぶらな瞳で見つめる。

 

 

 

 ライチュウが感じたのは、ポケモンバトルにおける気迫とは全く別物であった。

 それは、殺気。

 しかしただの殺気などライチュウはそれこそ死ぬほど浴びてきた。

 誰がどれだけいるかもわからない密林の中で銃弾が飛び交うそんな戦場において、殺気など空気のようにそこら中に存在する。

 

 

 ライチュウが立ち止まった理由としてはまだ不十分。

 ではその理由はなんだったか。

 

 

 

 懐かしい――――と、ライチュウはそう感じていた。

 

 

 

 

 

 殺気とは二種類ある。

 一つは、相手から何等かの働きかけがあり、その反動で生み出されるもの。

 所謂、かたき討ちであったり、恨みであったり、報復であったりする。

 

 もう一つは、互いに殺すまで終わらない、殺し合いをするんだ、という空気を作り上げるもの。

 

 

 ピカチュウが発したのは後者。

 小細工など、自分達の間には不要。全力で決着をつけねば禍根が残る。

 それで満足か、トレーナーの言いなりで、心を無にして望む戦いも出来ず、それで満足か、と。

 

 

 

 身体についた無数の傷。

 そして、尋常じゃない電圧を溜めこみ、相手へ瞬間的に叩き込む技術。

 攻撃を接近戦ですべて躱しきる勘の良さと身のこなし。

 

 それらは逃げ回ってつくものではない。

 常に最前線で、自分よりも遥かに強い相手と日常的に戦っていなければ到底たどり着くことができない境地。

 

 そんなライチュウが、戦いを拒むだろうか。

 類まれな力と勘を持つピカチュウを目の前にして、退くだろうか。

 

 

 応えは、否。

 

 

 本気の戦闘を挑まれた。

 それに応えねば、軍人の名が廃る。

 

 当然、軍人はミッションを達成するのが最優先事項だ。

 

 だがこの時は。

 もしかしたら自分に勝るとも劣らない相手と、骨肉の争いができるのかと。

 

 

 

 あのトレーナーにして、このポケモン。

 

 

 ライチュウは立派に狂っている。

 よりハイレベルな戦いを求める戦闘狂。

 自分が傷つくことは厭わず、さらなる技の研鑚と、相手を打ち崩すことを望む。

 

 そして、そのような戦闘をライチュウは数えきれない程乗り越え、その都度相手を消し炭に変えてきた。

 

 

 

 バトルそのものが緩んだ現代。

 クチバジムでのバトルは退屈そのもの。

 誰と何度戦おうとも、このような殺気を放つポケモンなど一体もいなかった。

 

 

 

 

 ライチュウは足元をポンポンと踏みしめ、ピカチュウを正面に見据えた。

 ピカチュウもまた、自身の殺気の意味を正しく理解し、乗ってきたライチュウに敬意を表す。

 

 

 

 これまでの戦いで荒れた森の中。

 風によって、倒された木々の葉がサワサワと音を立てて揺れている。

 

 静かなこの場所において、二体のポケモンの真剣勝負の火蓋が切って落とされた。

 

 

 



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第八十二話 ピカチュウ対ライチュウ、開戦。

 ライチュウにとって、ポケモンバトルとは非常にどうでもよい事象であった。

 

 十年以上に渡ってマチスの傍におり、共に戦場を駆け巡っていた時代。

 その時はこのような平和な日常の中に身を置くことなど考えてもみなかった。

 

 自分の居場所はここであると、戦場の中でしか自分の存在価値はないのだと、そう心から思っていた。

 

 

 それ故に自分の体質を活かした戦術を身に着け、如何にして戦いの場で生き残れるか、ということに焦点をあてて、それを極めるために生きてきた。

 

 

 

 ――――だが、戦いは終わった。

 

 

 本来、終戦というものは喜ぶべきものだ。

 戦場にいた他のポケモンも、そのトレーナーも軍人仲間も、例外なく喜び、手を取り合って酒を飲み、平和を分かち合っていた。

 

 勿論、理解はできる。

 戦いはお互いを傷つけ、殺し、争い、奪い、そして失うものだ。

 そこに利点も美点も何もない。

 強者が弱者を虐げる。当然何等かの政治的な観点だったり歴史的は背景があったりもするが、戦うだけの駒となっていたライチュウにとっては関係の無い事象であったし、それについて考察する余裕も無かった。

 

 戦いが終結することでその無意味な奪い合いは終わり、形式だけなのかもしれないが、お互いに争うことは無くなった。

 喜ばしいことだ。

 非情に、喜ばしい。

 これで、戦うことは無くなる。

 

 

 

 

 ――――――戦わないとは、どういうことなのか。

 

 

 

 

 ライチュウにはそれがわからない。

 気付いた時には戦場にいた。

 戦いの道具として最初からいたのか、元々は愛玩されていたのか、それすら曖昧になっていた。

 

 他のポケモン達は、平和を喜んでいるように思う。

 では、何故自分は、素直に喜べないのだろうか。

 

 

 

 

 

 ライチュウと共に戦い抜いたマチスという生粋の軍人。

 彼は良くも悪くも、軍人すぎた。

 

 厳しい戦場を駆け抜けるためだけのパートナー。そうとしか見ていない。

 当然愛情もあっただろう、愛着もあるだろう、ライチュウの死ぬときは自分の死ぬときだと心から思い、信頼もしていただろう。

 

 

 だが、それを表に出すことは無い。

 その影響で、ライチュウは愛情というものを全くと言っていいほど知らない状態だった。

 

 感情の欠如。

 幸せとか、平和とか、恋とか、友達とか、とにかくそういったハッピーになれる要素というものが悉く理解できない。

 

 

 

 では、自分にとって「幸福」とは何か。

 考える時間はたっぷりとあり、結論に至ることも容易なことだった。

 

 

 

 

 

 自分にとっての幸福は、戦いの中にしか無い。

 

 

 

 

 

 そう、結論づけた。

 

 普通の人が聞けば、なんて悲しい性なのかと言うだろう。

 どこまでも報われない生き方だなと言うだろう。

 それは幸福ではなく、絶望だよと言うだろう。

 

 

 だが、いくら何を言われたところで、説得されたところで、ライチュウの結論は変わる事無く、微塵も揺らぐことは無い。

 

 

 

 こうなった自分を作り上げたマチスを恨むだろうか。

 ――――それは無い。なにせその生き方しか知らない。

 

 では、そう生きざるを得なかった時代を恨むだろうか。

 ――――それも無い。そうするしかなかったのだから。

 

 

 

 

 知らないことは幸せだ。

 そして、一度身についた習慣は、後から身に着けた知識では変わることなく。

 ライチュウは戦いを、より厳しく、激しい戦いを望むようになる。

 

 

 

 

 

 しかし、ライチュウの望みが叶うことは無かった。

 

 

 

 

 平和な世界に争いは不要だ。

 ポケモンバトルを争いと呼ぶ人がいるとすれば、ライチュウは一笑に付すだろう。

 あんなものは、戦いですらない。

 多少強いポケモンが居たとしても、それはただの技のぶつけ合いだ。

 

 心技体すべてを織り込んで、お互いの在り方を死ぬまでぶつけ合う。

 それが限りなく同じレベルで展開されるからこそ、戦いなのだ。

 そうでなければただの虐殺か、弱い者いじめか。

 そう思えるほどには、ライチュウは強すぎた。

 

 

 いくらドーピングしたポケモンが相手だろうと、当たらなければどうということは無いし、弱点の無いポケモンなど存在しない。

 

 生き物なら関節や眼球は弱いだろう。

 岩のような相手でも、あらゆる衝撃に耐えられるわけではない。

 勝負は短期間で決着をつける必要性はない。心理戦もお手の物だ。

 

 

 

 ライチュウと同等に戦える存在が、ライチュウの戦える範囲ではいなかった。

 

 そして、考えることを止めた。

 

 

 

 自分はマチスのために存在する。

 マチスの命令に従い続ける。それで、良い。そう生きることに納得すればいい。

 

 

 軍人という考えに染められたライチュウであるからこそ、自分の感情を抑制することにも抵抗はない。

 そうして、数年の時が流れる。

 何も変わらない。変われない。だが、それでいいと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――――――――だが、現れてしまった。

 

 

 

 

 そして、タイミングにも恵まれてしまった。

 

 ライチュウの役目は、ピカチュウを止めること。

 

 

 倒してしまっても、問題は無い。

 

 

 

 マチスの命令違反にはならない。

 

 

 

 こじつけだろう。無理やりだろう。だが、そこまでしても、ライチュウは戦いに、骨肉の戦いを望んでいたのだ。

 

 

 アルコール中毒者が、目の前に冷えたビールを出されて我慢できるだろうか。

 

 ライチュウに「戦う」以外の選択肢はもはや消え去っていた。

 

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

 

 ピカチュウとライチュウが対峙する。

 

 

 

 そこには何も障害はない。

 木々がざわざわと風に揺れ、それにつれて木漏れ日が二体のポケモンに少しだけ注ぐのみ。

 

 ピカチュウにとっても、ライチュウにとっても、望む展開だ。

 

 

 

 お互いに挑戦者。望みは、相手を打倒すことのみ。

 

 

 

 

 黄色い巨体のポケモンと、橙色の尻尾が長いポケモンは、お互いに視線を交わし、戦いの同意を確認する。

 

 

 

 

 そして、ほぼ同時に動き始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 ピカチュウはその身体を全力で使い、地面に足跡を強く残しながらライチュウに向けて疾走する。

 

 高速移動は使っていないが、その初速から異常ともいえる速さを叩き出し、自分の三割ほどの大きさの相手を攻めたてる。

 

 

 

 対してライチュウは、軽く足馴らし程度に跳躍したかと思うと、ピカチュウの突進を直前で身体を翻して回避する。

 

 本来ではありえない、空中での体重移動。

 ライチュウはそれを、尻尾から発する強大な電力と、重心移動によって成し遂げていた。

 

 一歩間違えれば肉塊と成り果てる攻防。

 

 まさに命を賭して身に着けたライチュウの技術であり、誰にも真似できない奥義でもある。

 

 そのまま身体を反転させたライチュウは、膨大に溜め込んだ電気を纏った尻尾を、ピカチュウに叩き付ける。

 

 最初こそ直撃したその攻撃だが、ピカチュウとて一度見た攻撃を何度ももらう程馬鹿ではない。

 難なく腕でガードし、勢いを殺す。

 

 

 

 ―――直後、ピカチュウの身体が上下反転し、地面に叩き付けられた。

 

 

 何が起きたか、と頭に疑問符が浮かんだが、ガードした左手にライチュウの尻尾が巻き付いている。

 

 

 ライチュウは叩きつけたと同時に尻尾を腕に巻きつかせ、ピカチュウの勢いをそのまま活かして足を払い、柔道よろしくピカチュウを頭から地面に叩き付けたのだ。

 

 ピカチュウが剛であればライチュウは柔。

 一撃の威力もさることながら、ライチュウは格闘術というものも身に着けていた。

 当然手足の短さから人間のするような格闘はできないが、理論は応用できる。

 

 つまり、尻尾。

 その長い尻尾を利用することで、ライチュウは近接格闘においても高い戦闘能力を誇る。

 

 

 

 

 

 ピカチュウを地面に叩き付け、尻尾を離し、即座に後ろに飛ぶ。

 

 その後すぐに、ピカチュウの尻尾がライチュウの居た空間を通過する。

 

 

 

 

 再度距離の開いた二体の間。

 

 ライチュウはニヤリと笑みをこぼし、ピカチュウはむくりと起き上り、より威圧感を高めている。

 

 

 

 

 ピカチュウ対ライチュウの戦いは、さらにヒートアップする。

 

 

 

 

 

 

 

 



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第八十三話 ライチュウの技

 拳を躱し、時には攻め、時には防ぎ、相手の視線を読み、行動を予測し、瞬時に対策を練る。

 

 互いの電撃は交錯し、周囲に甚大な被害を与えていく。

 その威力ですらも二体のポケモンに傷を負わせることは適わず、戦う舞台を整えるための脇役として機能している。

 

 ただし、その脇役をすら戦いに引き込めるのがライチュウの非凡な能力であり、攻撃の要だ。

 

 ドーピングができるのはあくまで能力の強化であって、能力の習得では無い。

 故に、ピカチュウは能力の幅という点で進化形であるライチュウに劣る。

 

 ピカチュウにはそれを補って余りあるほどのステータスがあることに間違いは無い。

 ポケモン図鑑に並べられた無機質なステータス数値だけ見れば、十人が十人ともピカチュウの圧倒的な勝利で終わるだろうと予測を立てることだろう。

 

 

 勿論、それ通りに動いていないからこそ、この戦いは熾烈を極めているのだが。

 

 

 

 

 戦いが始まってものの数分。

 それまでの前哨戦とは比較にならないほどの激しい戦闘が繰り広げられていた。

 

 

 

 ピカチュウの打撃は、ノーマルポケモンにとってはどれも致命傷である。

 高速移動や叩き付けるという技を使わずとも、その威力については強靭な筋肉を見れば納得できる程に、触れる物を叩き割っている。

 

 一撃でも当たれば致命傷と為り得る攻撃が繰り返されているにも関わらず戦いが終わらないのは、単純に当たっていないからだ。

 

 

 

 ライチュウは、自分の防御力についてなど、知りすぎているほどに知っている。

 当たればお仕舞い。当たる場所が腕だろうが足だろうが、触れれば弾け飛ぶ拳を防御するなどと阿呆な事は考える余地も無い。

 

 回避。それのみ。

 

 

 

 だが、それのみではライチュウに勝ち目など無い。

 

 当然ながら攻撃を行わなければ勝機は見えない。

 

 

 尻尾による打撃も、何度も繰り返せば見切ることもできよう。

 現にピカチュウは、最も注意すべきは尻尾による不意打ちということを理解し、常に注意している。

 

 防御も、攻撃も抜かりはない。

 

 

 

 

 では、ライチュウは万策尽きたと諦めた顔をしているだろうか。

 

 

 

 

 ―――当然そんなことは無い。

 臨んだ勝負に、臨んだ展開。

 苦難の連続、強力な相手。

 

 

 

 

 ライチュウは嬉しくて仕方がなかった。

 

 

 

 

 

 本気を出すべき相手だと、今度こそ理解したライチュウは、ようやくその力を見せ始める。

 

 

 

 

 

 

 ライチュウはまだ、十万ボルトという十八番の技しか出していない。

 残り三つ―――ライチュウの真骨頂は、ここから始まる。

 

 

 

 

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

 

 幾度目かの攻撃と回避の応酬が繰り広げられた後、二体は再度距離をとり互いを見やる。

 

 このままでは何も変わらない。

 ライチュウの体力が尽きるまで攻撃するというのも考えられるが、はてこのライチュウはどれだけの体力を持っているのだろうか。

 ―――軍人であるということを鑑みれば、短時間で体力切れを起こす程、やわな身体をしていないだろう。

 

 であれば、回避できないレベルで攻撃をし続けるしかない。

 

 

 

 

 その考えに至り、ピカチュウは高速移動でライチュウを攻める。

 技は一度見せている。回避もされた。

 だが、その速さが延々と続くのであれば、ライチュウ程の存在ですらミスを犯すのではないか。

 そのような考えがあったのだが――――

 

 

 ピカチュウは驚愕した。

 

 

 

 

 自身が高速移動によってライチュウの目の前に移動した時、目の前にライチュウの姿は無かったのだ。

 

 

 

 

 そして背後から気配を感じ、ピカチュウが後ろへ振り返ると、そこにはライチュウの姿があった。

 

 

 

 

 ―――移動した?ピカチュウの高速移動に反応して?

 

 

 

 

 

 ある考えに行き着く。

 

 

 今、ライチュウは間違いなく「こうそくいどう」という技を使用したのだ。

 でなければ説明がつかない。

 

 

 しかし、そんなことはあり得ないのだ。

 

 

 

 なにせライチュウは、「こうそくいどう」という技を覚えることは無いのだから。

 

 

 

 

 

 

 ライチュウは自力で技をほとんど覚えない。

 雷の石という特殊な進化方式をとる所為か、ピカチュウをごく早い段階で進化させると技をほとんど覚えていない。

 つまりは技マシンに頼ることになる。

 

 技マシンに高速移動は無い。

 

 

 

 

 

 

 ――――――否、一つだけ、高速移動を使う手段があった。

 

 ピカチュウがそこまで考えていたとは思えないが、確かに方法としては存在する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ものまね」

 

 

 

 

 

 

 

 マチスはなんて技を覚えさせているのだろうか。

 ポケモンバトルにおいて実用性はほぼ皆無。

 相手をおちょくるためだけに存在するのではなかろうかとすら言われている、不遇な技。

 しかし、ライチュウが、それも適切なタイミングで使うことによって、非常に有用な効果を生み出した。

 

 それを見極めることが出来るという前提条件。

 ライチュウはこの戦闘においてのみ、「こうそくいどう」を自分のもののように使うことができるのだ。

 

 

 

 

 ドーピングにおいてスピードで勝っているピカチュウのアドバンテージが失われる。

 それでも、ピカチュウは攻めることはやめない。

 高速移動を使いつつ、さらにスピードの上がったライチュウを捉えようと、何度も何度も拳を振り上げる。

 

 

 しかし、当たらない。

 

 もともと回避されていたのだ。

 さらにスピードを上げたライチュウにあたるハズも無い。

 

 

 

 ライチュウが優勢に立っているように見える。

 だがここにおいても、まだ勝利の糸口はお互いにつかめていない。

 

 結局、ピカチュウにダメージを与えることはできていないのだから。

 

 

 

 

 そんなことは百も承知、とばかりに、ライチュウは次の攻撃に移る。

 

 

 

 

 

 

 

 次の瞬間、ピカチュウの目の前に、最初の電撃とは比べ物にならないほどの規模の電撃の放流が発生した。

 

 

 聖なる、と頭につけても疑う者はいないほどの極太の光の柱。

 その柱が消えた後には、炭となって朽ちた木と、黒焦げで原型をとどめない草や葉っぱが散らかっていた。

 

 

 

『かみなり』

 

 

 

 十万ボルトとは段違いの威力を誇り、電気タイプの最強技。

 持っていて当然、とばかりにライチュウは自慢げに笑う。

 

 

 そんなもの、当たらなければ意味は無い、とばかりに構えるピカチュウ。

 

 至極最もだ。

 実際、今の雷もピカチュウには当たっていない。

 命中精度からかみなりではなく十万ボルトを採用するトレーナーは数多い。

 

 

 それが、相手を狙い撃つ用途であればの話だが。

 

 

 

 

 

 

 ピカチュウの前には、先ほどとは違う、ライチュウの姿があった。

 

 

 

 尻尾に溜まっていた電気の量が、尋常じゃない量になっている。

 

 

 

 

 

 えげつない。

 ピカチュウはそう思っただろうか。

 

 ただでさえ自然に蓄えられるライチュウの電気。

 それに加え、自身の雷によって超膨大な電気を溜めこみ、太陽かと思えるほどの輝きと、百人の拍手かと勘違いするほどの放電音を出していた。

 

 ライチュウの結論。

 ライチュウの攻撃は、トコトンまで「電撃」である。

 

 スピードスターやら、のしかかりやら、メガトンパンチやら、いろいろと覚える選択肢がある中、何故重複するように電気の技を二つも覚えているのか。

 

 それは、ライチュウが蓄えた電気の量で、自身のステータスを底上げできるからに相違ない。

 

 

 そして、雷によって許容限界を突破して溜め込んだ電気はただ自然放電するのみ。

 勿論、そうなる前に―――――

 

 

 

 

 

 ライチュウは高速移動でピカチュウに向かって飛び出した。

 ピカチュウも高速移動で、カウンターを狙う。

 

 

 

 

 基礎的なスピードはピカチュウが勝っている以上、ピカチュウに分がある。

 だが、戦いなれたライチュウがただ真っ直ぐ飛び込むとは思えない。

 しかし、これ以上打てる布石があるだろうかと疑問に思う。

 

 

 

 

 最後の衝突をする前に、ライチュウは最後の奥の手を放った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ピカチュウの視界が白くなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 何も見えない中、ライチュウの弾ける電気音だけが聞こえる。

 

 一番意識していた視覚情報が失われ、ピカチュウは瞬間的に茫然自失となった。

 一体何が起きたのか、と。

 

 

 

 

 

『フラッシュ』

 

 

 

 

 これが、マチスの覚えさせた最後の技。

 

 どこまでも、悉く、戦闘に不向きな技。

 

 

 しかし、使いこなすことでここまで戦況を変化させるものなのだろうか。

 マチスの嫌らしさは当然あるが、そのクセが強すぎる技構成を使いこなすライチュウもライチュウである。

 あの軍人にこのポケモンあり。

 

 ライチュウは勝利を確信する。

 

 

 

 

 

 

 

 ライチュウは渾身の力を込めて、尻尾をピカチュウに向けて振り抜いた。



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第八十四話 決着は突然に

「オ、テイコウシテマスネ?」

 

「おかげ様でね・・・」

 

 

 サトシは両腕に力を入れ、地面からなんとか起き上がろうと抵抗する。

 当然それに応じてマチスも足にかける体重を増やすだけなので、サトシが起き上れることは無い。

 

 それでも、サトシにとってはその行動にこそ意味があるのだ。

 反抗する意思。自分はまだ死んではない、という自己主張。意思表示そのものがサトシの息を吹き戻させる。

 

 と同時に、マチスにとっても願ったり叶ったりの状況でもあったのは、サトシは予想できただろうか。

 抵抗の無い相手を攻めるなど、つまらないにも程がある。

 反骨精神があればあるほど、マチスにとっては甚振り甲斐のある相手であるといえよう。

 そういう意味では、非常に有り難いサトシの抵抗に、マチスはその顔を歪める。

 

 

 

「イイデスネサトシサン。トッテモイイデスヨ。ダケド、ナニモカワッテイマセン。」

 

 

 

 そう、状況に変化は無い。

 サトシが如何に気持ちを入れ替えようとも、ここは安全地帯の外で、サトシを守るものは何もない。

 マチスの足の下で地べたを這いつくばるのみ。

 それ以外の行動は許されてはいない。

 

 

 だが、身体を動かせなくとも出来ることがある。

 サトシにとってはそれが唯一と言っていいほどの武器である。

 

 

 

 

 

 サトシは思いっきり身体をうねらせ、手で身体を起こそうともがき、足をバタつかせてバランスを崩そうとする。

 

 だがその程度でマチスという鉄壁の軍人が体幹を崩すハズも無く。

 我儘を言う子供を押さえつける親のように、マチスは難なくサトシを押さえつけ続ける。

 

 

「ムダナテイコウデスネ。モウスコシ、アタマノヨイヒトダトオモッテイマシタガ。」

 

「うるさい!どうせお前のライチュウは今頃ピカチュウに倒されているに決まってる!お前と同じで油断してる間にやられるんだ!さっきの施設みたいに!!」

 

 

 マチスの蟀谷がピクリと反応する。

 

 

「ナンデスッテ?ミーガ、ユダン?」

 

「そうだ!あの施設を壊されたのだって、僕を子供と侮ったからだろう!」

 

「・・・ソンナヤスイチョウハツニハ、ノリマセン」

 

 

 地に伏せている状態のため、サトシにはマチスの顔は見えない。

 だが、その口調に先ほどの余裕は感じられないように思える。

 

 

「そんな事はない・・・みえみえだ、態度を見れば!お前なんか軍人じゃない!軍人失格だ!!!!」

 

 

 

 

 子供の戯言だ。

 論理も理屈も通っていない。

 何の証拠も推論もなく、喚いているだけの子供。

 そんなことは分かっているし、マチスも相手にしようとはしなかった。

 だが、人には誰でも、触れてはいけない一線というものがある。

 サトシの意図がどこにあったにしろ、マチスは相手にする必要はなかった。

 それが最善であり、そうすべきであった。

 

 だが、幸か不幸か、サトシはマチスの一線に触れてしまった。

 

 

 

 

「――――――」

 

 

 

 

 マチスは無言で、右足をサトシの背中から離した。

 

 いち早くそれに気づいたサトシは立ち上がって安全地帯に戻ろうと身を起こそうとするが――――

 

 

 

 

「がっ!?あぐ・・・っ」

 

 

 

 マチスの頑丈なブーツで思いっきり横っ腹を蹴られ、サトシの軽い身体は一メートルほど宙に浮かび、地面に叩き付けられ、ゴロゴロと数回転がった。

 

 手心の加えられていない蹴りの衝撃に、サトシは呼吸も忘れ、その痛みに悶える。

 

 

 

 サトシの状態に何を思うことなく、マチスは小さく、だがはっきりと口にする。

 

 

 

「ボーイ、イッテハイケナイコトヲ、イイマシタネ。」

 

 

 

 

 突然空気が冷えたのか、と感じるほどに背筋を凍らせるサトシ。

 だがまだ呼吸がうまく出来ず、そのまま咳き込むことしかできない。

 

 

 

 マチスにとって軍人とは「人生」であり「誇り」であり「正義」である。

 マチスというものを作り上げている要素の大半は軍人という在り方に元を成す。

 それは否定できるものではない。否定してはならない。

 否定は、マチスそのものの存在を拒絶することと同義だ。

 それほどの大事なものを貶された。

 否定され、貶められた。

 

 マチスにとって唯一、そして最も大事なものだった。

 

 

 それを失格、と。

 値しない、と。

 もはや怒りを通り越し、サトシを虫ケラ程度にしか思っていない。

 

 故に、殺す。

 元々生かすも殺すもマチスの一存のみであった。

 

 ゲホゲホとようやく息を整えてきたサトシに向かって、一歩踏み出す。

 

 

「マチス、僕はお前を―――ゲホッ――許さない。絶対に。絶対にだ。」

 

「――――」

 

 マチスはもう一歩、足を進める。

 

 

「だから、この勝負に決着をつけて―――」

 

 

 さらにもう一歩。サトシへの距離はあとわずかだ。

 

 

 

「償わせてやる!すべてを!!!!いっけええええええーーーー!!!!!」

 

 

 

 マチスがその言動に、若干の怪訝な顔をする。

 だが、時すでに遅し。

 マチスの背後には―――――――

 

 

 

 

 穴を掘って地面に潜んでいた、サンドが飛びかかっていた。

 

 

 

 

 

 マチスは油断しているだろうか。

 厳密にはそうではない。だが、集中はしていた。サトシの姿に、表情に、声に。

 

 故に、周りの気配には愚鈍になっていると言えるだろう。

 この状況で背後からの攻撃を察知することなど到底できるハズもない。

 

 だが集中していた為に、サトシの表情の微妙な変化を見逃さなかった。

 

 

 つまり、失敗。

 

 

 

 マチスは片足を軸にくるりと急速に身体を反転させ、もう背中に張り付こうと迫っていたサンドを視界に納め、あっという間に左腕の中に捕獲してしまった。

 

 

 

 

「あ・・・・」

 

 

 

 絶句。サトシの目論見は概ね想定通りだった。

 挑発も、隙をつくることも、及第点と言えよう。

 マチスの超人的な反射神経を除いては。

 

 簡単なことだ。

 マチスは悉くサトシの想像を超えていたのだ。

 その身体能力は、人間という種族においてはトップクラスだろう。

 

 

 

 

「コレガ、サクセンデスカ?バカバカシイ。」

 

 

 

 

 一笑に付す。

 こんなものが、歴戦を戦い抜いてきた自分に通用するものかと。

 馬鹿馬鹿しい、ふざけているのかと。

 

 

 

 

 マチスは左腕にもがくサンドを抱えながら、サトシの方を再度向いて、睨みつける。

 

 

 サトシも苦い顔をし、同様に睨みつけるが、その視線に力は無い。

 最後の勇気を振り絞って、なんとか自分を保っている。

 

 この作戦はサトシの安全地帯でやるべきものだった。

 その方が安全だろうと。だがそれももう手遅れだ。

 状況は悪化の一途を辿るのみ。

 

 

 サンドが捕獲され、サトシのポケモンは再度命の危機に晒される。

 

 

 

 

「コンナポケモンデ、ミーにイドモウト。ヨワイ、デスネ。」

 

 

 

「―――――」

 サトシは黙って動かない。

 もはや絶対絶命だと思われた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 二人は気づいていない。

 

 

 

 

 

 

 先ほどまで延々と続いていた、もう一つの戦場の音が、すでに止まっていることに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 じりじりと近づくマチス。サトシはマチスをキッと睨んだまま動けない。

 

 

 

 あと一メートル程度となった二人の間はさらに縮まろうとしていた。

 だが、それは急に止まることになる。

 

 

 

 

 

 

 ガサガサガサ―――ズーーーーーーン!!!!!

 

 

「ナンデスカ!?」

 

 

 上から木々を切り開き、何か大きな塊が二人の目の前に落下し、大きな音を立てて地面をへこませた。

 

 

 

 

 土煙がその物体を覆い隠すが、風に煽られてすぐにその姿を表した。

 

 

 

 

 

 

 

 そこには、オレンジ色の、耳と尻尾が長いポケモンが白目を剥いて横たわっていた。

 

 

 

 

 

 

「Ohhhhh!!ライチュウ!!!!!!」

 

 

 

 

 

 動揺―――

 

 

 

 

 ほんの一秒程度。

 

 視線はサトシから外れ、自身の相棒へ。

 

 

 

 油断―――

 

 

 踏みしめていた地面から重心がずれる。

 

 

 

 

 サトシは、その瞬間を逃さなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「クラアアアアアアアアアアーーーーーーーーブ!!!!!!」

 

 

 高らかに叫ぶ。

 口の中に残った土がジャリジャリと音を鳴らす。

 だが、そんな些末なことなど気にならない。

 

 

 

 マチスの後方――――安全地帯の一番端。

 

 そこから、すさまじいスピードでコイキングが横に回転しながらマチスに向かって一直線で飛んできた。

 

 

 

 動揺していたマチスに避ける余地もなく、コイキングはマチスの両足に直撃し、バランスを崩す。

 

 

 その結果、マチスは後ろに倒れ、尻餅をつく。

 

 

 

 

 

 その衝撃で左手の力が緩み、サンドが自由になる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ビーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 

 

 大きな電子音が鳴り響く。

 

 

 機械の声が言葉を発する。

 

 

『ケッチャクガ ツキマシタ。チョウセンシャ ノ ショウリ デス』

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・What?」

 

 

 

 

 

 

 

 サトシは呼吸を早くし、その顔に少しだけ笑みを浮かべる。

 

 

 マチスは尻餅をついたまま、茫然と、反復されている電子の声を聴く。

 

 

 何が起きたかわからない、という顔で、呆気にとられて天井を仰ぎ、自身の敗北を告げる声に耳を傾ける。

 



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第八十五話 軍人らしさ

 マチスの敗北を告げる無機質な声。

 

 その音が鳴る仕組みを知っているのはマチスのみであるが、何故鳴っているのか理解が及ばない。

 

 

 

 この音声が流れるのは、腕時計にあるスイッチを押した時ダケ―――

 そして、挑戦者の勝利と反復していることから、マチスが敗北したということ。

 

 

 

 しかし、マチスはスイッチを押していない。

 ならば何故、声高々と敗北宣言が行われているのか。

 

 鳴り響く声を、上を仰いで聴いていたが、その発生源である自分の時計にゆっくりと視線を落とす。

 

 

 

 

 そこには、短い手で一生懸命に腕時計のスイッチを押す、サンドの姿があった。

 

 

 

 

 

「バカナ・・・ナニヲシテイル」

 

 

 

 

 

 マチスの声にビクッと反応したサンドは、そそくさとサトシの元へ駆けて行き、その懐に収まった。

 

 よしよし、よくやったと撫でる反面、その視線だけはマチスから外さない。

 

 

 

 理解できない、という風のマチスに対して、サトシは告げる。

 

 

 

 

 

 

「ボタンは、自分が押さなきゃダメなんて、一言も言ってなかった。」

 

 

 

 

 

 

 ルールの抜け穴。

 マチスが設定したルールはあまりに簡単で、盲点が多い内容だった。

 それはサトシ自身には不都合の多いものであったが、マチスにとっても同様のリスクがあった、とそういう訳だ。

 

 

 

 相手を不利にするために、あえて緩いルールにしていた事が裏目に出た。

 それを利用されること。

 

 考えなかったわけではない。

 だが、「自分自身に敗北を認めさせる」という行程が非常に重要であったため、マチスにとって「自分以外がスイッチを押す」ことなど一笑に付すレベルの事で、そんな意味の無いことをする人間などいないと、そう思ってしまっていた。

 

 

 それは駄目だと言えるだろうか。

 そんなジョーク染みた勝ち方が認められるものかと、言えただろうか。

 

 

 言えたとしても、それは、ルールをそのままの意味で受け取り、純粋な気持ちで勝負に挑んだ者だけだろう。

 しかし、マチスは違う。抜け穴を用意し、自分がそれを利用することで勝負を有利に運んでいた。

 そんな人間が、ルール外のことだなどと妄言を吐けるハズがない。

 

 サトシもそれがわかっていたからこそ、こういった作戦にしたのだった。

 

 

 

 

「イツカラデスカ―――イツカラ、コンナサクセンヲ」

 

 

 

 

 マチスが静かに問う。

 

 激昂するかと思っていたサトシは面食らったが、その表情から、単純に疑問をぶつけているだけなのだと判断すると、慎重に話はじめた。

 

 

「相手のスイッチを押す、ってのは最初から考えてた。でも、まさかそんな頓智が通るとは思ってなかったから、話だけに留めたけど―――」

 

 

 

 まさかマチスからその頓智を使ってくるとは思わなかった。

 

 

 

 その時点で、サトシの廃案は再度活力を帯び始める。

 勝機が、勝筋がひっそりと息を吹き返したのだ。

 

 そして、その案は冗談混じりとはいえ、サトシのポケモンに漏れなく連携されており、結果的にそれが功を奏した、というわけだ。

 

 

 

 

「ミーノコウドウガ、ウラメニデタト、ソウイウコトデシタカ・・・」

 

 

 

 

 勿論、それだけが勝因ではない。

 むしろサトシは絶体絶命の危機にまで追い詰められていたのだ。

 

 その危機をチャンスに切り替えたのは言うまでもなく―――

 

 

 

 

 

「ピッカー」

 

「ピカチュウ!ありがとう!!」

 

 

 

 この黄色いでっかいのである。

 あの状況、ライチュウが何故か上から降ってきたことで、マチスが一瞬隙を見せた。

 そしてそれが無ければ、近寄られたマチスに下手したら命を奪われていたかもしれない。

 

 なんとも運の要素が強い勝利であった。

 最も、作戦が成功したところでピカチュウが敗北していたらどうしようも無かったため、ピカチュウの勝利にも安堵の息を吐く。

 

 

 

 

 一頻りお互いの健闘を称えあったら、再度マチスの方へ意識を向ける。

 

 

 

 先ほどまでの勢いはどこへやら。マチスは尻餅をついた姿勢からほとんど変わらず、優柔不断に視線をキョロキョロさせて、ブツブツとなにか呟いていた。

 

 

 

 

 それを見て怪訝な表情をするサトシ。

 声を掛けない、という選択肢は無いため、問答無用で話しかける。

 

 

 

「――――マチス?」

 

 

 

 声を掛けられたマチスは、ビク と肩を震わせる。

 同時にヒッという悲鳴にも似た小さい声が聞こえた。

 

 

 

「――――?」

 

 

 明らかにマチスの様子がおかしい。

 とはいえ、不用意に近づくのも考え物だ。

 いきなり首を絞め落とされていつの間にか奴隷だなんて、笑えないにも程がある。

 

 それでもこのままじゃ埒があかないので、ゆっくりとマチスに近づき、マチスさーん、と小声で声を掛ける。

 近づくにつれて徐々にマチスがボソボソとつぶやいている内容が判別できるようになってきた。

 そして、その内容をきちんと聴こうと耳を澄ませる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 負ケタ負ケタ嘘ダ信じられなイ嫌ダ嫌ダ拷問ダケハ痛イノダケハ無理ヤメテ耐えられナイソンナ無理ニ決まッテアアアア情報ナンテモッテイナイ全部ゼンブハナスカラタノムカラ助ケテソンナソレハ無理無理ムリムリ助けてたすけたすけテソンナそれは曲らなイタイイタイイタイ殺さないデタノムから頼むかラ命だケはムリむりムリムリそれはヤメテやめ引っ張らないイデそんなミーがマケルなんてアリエナイありえないありえなイ拷問は尋問はされたくナイ死んでしまウ死ぬ死ぬシヌイタイイタイ無理むりむリムリリリリイイイイアアアアアリエナイミーがナンデ負けるハイボク逃げニゲ逃げないト殺されころころコロコロコロコロ殺されるルルル―――――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ひい!!!」

 

 サトシは咄嗟に飛び退き、後ろにいたピカチュウに当たってしまった。

 ガシ、とサトシの肩を掴み、転ばないようにするピカチュウ。

 自分の頭程もある手に両肩を掴まれているとなにかしらの危機感を覚えてしまうが、今はそれどころではない。

 

 

 

 

 

 サトシはあらためてマチスを観察する。

 歯をカチカチと鳴らし、寒さで凍えているかのように身体を震わせながら両手で自分を抱きしめている。

 

 

 

(怯えている・・・?)

 

 

 

 そうとしか思えない。

 敗北したことで、過去に拷問されたことを思いだしたのだろうか。

 

 マチスは最初に会った時に言っていた。

 敗者は、勝者の所有物であると。

 その考えが真理であり真実であると。

 

 つまりは、自分がその道理の中に嵌りこんでしまった為に、葛藤に耐えられなくなってしまっているのだ。

 

 

 

 敗者はその時点で権利ある人間では無い。ただのモノになってしまう。

 そして、モノになってしまった人間の行く末など、自身が一番よく分かっている。

 

 そこに反抗するなどという選択肢は存在しない。

 そう思えないほどに自分に刷り込んでいるのだ。

 勝者が得て、敗者が失う。

 

 奇しくも、マチスが崇拝していた軍人という生き方に、自分自身が雁字搦めにされて、思考の檻に捕らわれ、自身の考え方に恐怖し、慄いている。

 

 

 

 憐れだ、とサトシは思った。

 

 しかし、同情などできない。

 マチスは同情されようも無いほどに奪いすぎていた。

 一つの生き方として納得できる範囲を超えていた。

 

 サトシは別に正義の味方ではないし、偽善者でもない。博愛主義者でもないし、無償で人を救い導く聖人君子でもない。

 

 

 だが、サトシは自分の愛すポケモン、スピアーを亡き者にされている。

 それだけで、マチスを救うなどという選択肢は根元から絶たれていた。

 

 本当はブチ殺してやりたいところだが、それは両肩に載せられている大きな手が止めるだろう。

 サトシとしてもそれくらいの正気はまだ保てているつもりだ。

 

 まずはやるべきことをやろうと、決意した口調で目の前の憐れな男に告げる。

 

 

 

 

「マチス!」

 

 

 

「ヒィ!!」

 

 

 顔を上げて、身体を引きずって後ろへ下がる。

 身長がそこまで高くないサトシではあるが、必然的に見下す立ち位置となっている。

 

 

 

 なるべく感情を押し殺して、サトシは要件を伝える。

 

 

 

 

 

 一つ目は、ジムバッジを渡すこと。ここに来た本来の目的を忘れてはいけない。

 二つ目は、奴隷となっていた人達を解放すること。

 

 

 マチスはすぐさまオレンジバッジを差し出し、奴隷の解放も約束した。

 

 

 

 そして―――

 

 

 

「―――スピアーを、地上に埋葬したい。」

 

 

 

 バラバラになったスピアーを集め、布で包み込む。

 今は、今だけは感情を出してはいけないと思って、努めて押し殺してはいたのだが、この時ばかりは目尻に水滴が溜まる。

 グシグシとその水滴を擦りつけ、手が震えながらも大事に友達を抱え込む。

 

 

 

「ライチュウは・・・―――」

 

 

 

 

 ライチュウは、動くことはなかった。

 上から落ちてきた状態そのままで地面に横たわり、黒焦げになった胴体を晒していた。

 ピカチュウがやった、のは明白ではあるのだが、さすがに責めるつもりは無い。

 

 敵であったし、仕方ないとは思う。でも、ポケモンに罪は無い。

 サトシは、スピアーと同じく埋葬してあげようとライチュウに近づくが―――

 

 

 

「ライチュウハ、ソノママデオネガイシマス・・・」

 

 

 小さく、だがハッキリと言ったその言葉を聞き、サトシは立ち止まった。

 マチスは下を向き、表情を隠している。

 一体何を思っているのだろうか。

 長年連れ添った相棒がいなくなり、悲しいのだろうか。

 それとも、立派に戦った戦友が誇らしいのか。

 

 どちらにしても、軍人ではないサトシにその気持ちがわかるハズも無い。

 

 マチスに同情することはなかったが、マチスの相棒であったライチュウの気持ちを一番汲めるのはマチスであろう。

 

 

 

 

「・・・わかった。このままに、する。」

 

「アリガトウゴザイマス・・・」

 

 

 静かなやり取り。

 そこに交錯した思いはお互いに知れず、理解も出来ない。

 

 

 

 

 癒えることの無い心の傷がジクジクと痛み、それでも強くあらんとする少年は、はたから見ると非情に痛々しい。

 

 それでも少年は前へ進む。

 進んでいないと、押しつぶされてしまいそうに思うから。

 

 

 



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第八十六話 別れと、絆。

 カツ カツ カツ

 

 

 障害物の無いコンクリートの通路は、小さい音でもよく響く。

 マチスを先頭に、一度来た道を戻る二人と一匹。

 

 ここでマチスに逃げられでもしたら遭難すること請け合いだったが、逃げようとした瞬間ピカチュウのアイアンクローが炸裂して下手したら完熟トマトスープのようになり、コンクリートの染みになってしまうので、マチスは慎重に道案内をしていた。

 

 

 森の部屋まで行くときにかかった時間はわからないが、すでにそれ以上の時間は経過していると思われた。

 昇り階段が多く、何よりマチスの歩く速度が来た時の半分程度しかない。

 こちらもあまりはしゃぎたくない状況ではあったので、時間は気にせず素直に歩いてついていった。

 

 

 暫く歩くと、見覚えのある鉄の扉が姿を現した。

 

 相変わらず、と言えるくらい久々に見るように感じるが、実際は二時間か三時間か。

 

 

 マチスが力を込めて扉を押すと、特に抵抗することなくゆっくり、甲高い金属音を出しつつ開いていく。

 

 

 

 扉を過ぎると、奴隷たちの居る部屋『オモチャ箱』へ戻ってきた。

 緊張で周囲が見えなかった時と違って、今は多少落ち着いている。

 いや、落ち着いて見せているだけではあるのだが、見せかけだけでも無理やり変えると、中身もそれに準じてある程度変わってくれるものだ。

 

 来た時には見えていなかったものが今になって視界に収まる。

 

 

 汚らしいボロボロの布きれを身に着けた女性達が台所らしきところに立ち、洗い物をしていたり掃除をしていたりと動いている。

 壊れてしまった施設はさすがにそのままだが、正常に動くところでは飽きる事無く重々しい音を立てる柱を回し続けていた。

 

 

 鉄の扉が開く音に気付いた数人は少しだけ首を振り、サトシの方を向くが、また新しい仲間が増えるのか、といった悲しい目を一瞬だけつくり、また自分の作業へと意識を集中させる。

 

 

 

 

 マチスは無言でその場に立っている。

 

 おそらく、このまま時間をかけても、解放を宣言できる精神状態ではないだろう。

 

 ある種の優しさ、ととられるかもしれないが、サトシとしては一刻も早くスピアーを埋葬してあげたいのだ。

 マチスが話し始めるまで嫌らしく待ち続けるなんてことはしたくない。

 

 

 

 

 

「―――みなさん!!」

 

 サトシが大声で叫ぶように声を出す。

 ピクと反応して、作業の手を止めてサトシの方を向く者が三割ほど。

 あとは気にせず作業を続けていたが、サトシは構わず先を話す。

 

 

 

 

「僕は、マチスとの勝負に勝ちました!!みなさんはもう自由です!!」

 

 

 

 事実を告げる。

 特に反応はないように思えるが、サトシに向けられる視線が倍に増えた。

 

 もう一度、サトシは大声で告げる。

 

 

 

「マチスは敗れました!敗者、です!!!みなさんが言うことを聴く必要はもうありません!!」

 

 

 

 敗者、の部分でマチスの肩がピクリと動いたが、サトシは無視する。

 

 

 

 部屋にいる奴隷達は少しずつ作業から手を離し、枯れた声で小さく会話をしている。

 

 

 それを確認したサトシは、役目を終えたと思い、マチスに話しかける。

 

 

 

 

「マチス、もう、出口はあいている?」

 

「イ、イエ・・・コノカードキーガヒツヨウデ―――」

 

「ありがとう」

 

 

 サトシはマチスの出したカードキーをひったくり、ピカチュウを従えてさっさと出口へと向かう。

 

 

 マチスはポカーンとしてその場に立ち尽くしている。

 

 その間にも、元奴隷達の会話は徐々に大きくなり、波立つように広がっていく。

 

 

 

 そして、ジムの入口へ向かう鉄扉を開けたサトシは、その通路へ入る前にくるりと部屋の方を向いて、言い放つ。

 

 

 

 

「ではみなさん、あとは――――――」

 

 

 

 

 そこでいったん区切る。

 改めて息を吸い込み、高鳴る心臓と、涙があふれそうになる目を無視し、言う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あとは、ご自由に。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 通路へと向き直った怒れる少年は、そのまま鉄の扉をくぐり、ピカチュウと共にその姿を消した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後、後ろの方から、散々聞いた軍人の叫び声と、数十人の怒声のハーモニーが聞こえてきたが、サトシは特に何も思うことなく、涙目をこすりながら振り返ることなく前へ進み続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

 クチバシティジムから出た時にはすでに日は暮れ、星が瞬くだけの暗闇になっていた。

 

 

 時間の感覚は無かったが、なんとなく、もう遅い時間なのだなと思った。

 サトシはフラフラと歩きはじめ、人がなかなか寄り付かなさそうな、それでいて日当たりがよさそうな場所を見繕い、腰を降ろした。

 

 

 

 

 大事に抱えていた、白い包みを静かに地面に置く。

 

 

 そして、持っていたポケモンをすべてその場に出した。

 

 

 赤い光と供に、三体のポケモンが姿を現す。

 いつもは元気な仲間達だったが、この時ばかりは鳴き声一つ上げず―――あのコイキングでさえ―――白い包みを眺める。

 

 

 

「サンド――――お願い。」

「サンドー」

 

 

 サンドはざくざくと、地面に大き目の穴を掘る。

 ちょうど、ポケモン一匹がそのまま入りそうな大きさ。

 

 

 

 

 その間も、サトシはジッと、白い包みの方を見続けていた。

 

 

 

 

 

 穴が掘られ、サンドがサトシの元へ戻る。

 ん、ありがと と小声で伝え、サトシは白い包みをゆっくりと持ち上げ、震える手を無理やり押さえつけ、サンドの掘った穴の前に立つ。

 

 そのまま数分。

 サトシはそのまま立ち尽くし、海の風を身体に受け続ける。

 

 

 ピカチュウもクラブもコイキングもサンドも、何も言わず。

 ただその場でサトシと、サトシの手の中を見続ける。

 

 

 

 

 

「お別れだね、スピアー。」

 

 

 

 

 そっと、穴の中に白い包みを置く。

 少しずつ、少しずつ、時間をかけてその穴に土をかけていく。

 

 ポケモン達も手伝う。

 コイキングも尾ひれをパタパタと動かし、手伝おうとはしているようだ。

 

 

 

 無言で土をかけ続け、数分で埋め終わる。

 

 目立っても良くないと思い、小さ目の石を墓石替わりに置く。

 

 

 

「スピアー・・・ごめん、ごめんね、守って、あげ、あげっ、ぐ、ああ、ああああああああ・・・・」

 

 

 

 抑え込んでいた涙が溢れる。

 

 暗い空に響くのは波の音と、風の音と、一人の少年の嗚咽。

 そこには反省と後悔と苦悩と、なによりも愛情が混ざりこみ、そして掻き消えていった。

 

 

 

 

 

 

 クチバシティジムリーダーマチスとのバトルは、サトシに軍配が上がり、オレンジバッジを取得した。

 だが、同時にまたしても消えない傷を十四歳という未成熟な少年に残していった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 サトシが目を覚ますと、見知った天井が目に入る。

 

「ん・・・寝ちゃった・・・のか」

 

 

 スピアーの埋葬をし、泣き崩れたあたりから記憶が無い。

 ピカチュウが運んでくれたのだろうか、と確認しようと起き上がろうとするが、なにやら身体が重たい。

 

 

 

 おかしい、昨日のバトルはこんなにも自分の身体を酷使してしまったのか、と思い返しつつ、首だけ傾けて周囲を確認する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――――――――おせっかいだなあもう。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 サトシの上には、クラブとサンドが重なり、呼吸に合わせて身体を上下させていた。

 ベッドに入りきらなかったのか、ピカチュウはサトシのベッドの端に顔だけ突っ伏して寝ており、コイキングに至ってはサトシの枕の下にいるようだ。

 

 ・・・直接じゃなかったのは、辛うじてのやさしさかな。

 

 

 

 そんなことが頭をよぎるが、愛すべき仲間の好意を卑下するわけにもいくまい。

 サトシは覚醒した頭の中で感謝しつつ、皆を起こさないようにしばらくそのままの姿勢で横になっていることにした。

 

 

 

 

 

 唯一、この状況で困ったことがあるとするならば。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 涙を拭うための手が、サンドとクラブの下敷きになっていて動かせないことだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 サトシはゆっくりと深呼吸し、窓から差し込む日の光を感じ、今日はゆっくり休もうと心に決めるのであった。

 

 

 

 




マチス戦、終了。


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第八十七話 バトルの記憶

 たっぷり昼までベッドの上でうたた寝を続け、今は遅めの昼食をとっている。

 

 ポケモンセンター近くの定食屋に入り、ピカチュウと共にクチバシティのおいしい食事に舌鼓を打っている。

 

 

 

「でも、よく勝てたなあ・・・マチス。ただのバトルじゃなかった分、かなり危なかった。」

 

「ピピカー」

 

 

 事実、タイミング次第では敗北一直線だっただろう。

 マチスの逆鱗に触れなければ別の戦い方もあったのだろうかと考えてもみるが、すべて今更の話だ。

 

 それにしても――――

 

 

 

「ピカチュウ、ライチュウとはどんなバトルだったの?」

 

「ピッピカチュー」

 

 

 うん、全く分からない!

 

 

 

 空から落ちてきたライチュウしか見ていないサトシ。

 その姿はノーマルポケモンのように見えたが、カスミの例もあるし、ドーピングされていたかもしれない。

 ピカチュウの話を理解できない今、真実は闇の中だ。

 

 

 

 

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 ライチュウがフラッシュを放ち、周囲が白に染まる。

 超高速戦闘において、相手を見失うというのは致命的だ。

 そして、暗闇を見分けられる生き物は数多いが、強力な光の中を判別できる生き物はそういない。

 

 ピカチュウも例外ではなく、その視界は間違いなく白に染まり、何も見えていない。

 

 

 ライチュウの狙いも違い無くそこにある。

 そして、狙い通りにいった展開を前に踏みとどまる思考は持ち合わせていない。

 

 

 渾身の力を込めて、尻尾を振りぬく。

 何十何百と繰り返された攻撃の形。

 その動作に濁りはなく、躊躇も無い。

 

 

 いくら固いガードだろうと、森の反対側まで吹き飛ばす。

 並大抵のダメージではないだろう。

 

 

 ライチュウの確信と共に、膨大に電気を溜めこんだ尾撃はピカチュウに直撃した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 直後、ライチュウは身動きが取れなくなった。

 

 

 

 

「ラ、ライ?」

 

 

 動けない。

 正確には、尻尾が縫い付けられたように固定されている。

 

 

 

 フラッシュの光が徐々に収まり、現在の状態を映し出す。

 

 

 

 

 

 吹き飛ぶはずだったピカチュウは、一歩も動くことなくその場に立っていた。

 

 しかしその身長は幾分か先ほどよりも低い。

 

 

 視線を下に移すと、ピカチュウの左足の膝から下が、地面に突き刺さっていた。

 

 

 

 

 そして、ライチュウの尻尾も同様に、ピカチュウの左手と共に地面に埋め込まれている。

 

 

 

 

「――――――!!?」

 

 

 

 ライチュウの尻尾に蓄えられた電気は、地面に接触し続けることで拡散している。

 

 

 

 

 ライチュウの攻撃をその場で耐えるために、自分を地面に固定した。

 並の攻撃であれば、これで吹き飛ぶことはないだろう。

 しかしライチュウの攻撃は並ではない。

 その強力な打撃に耐えねばならない。

 

 本来であれば耐えきれることなく吹き飛ばされて木々を叩き折るほどの威力だが、こと相手がピカチュウだとするならば話は変わってくる。

 

 吹き飛ぶ、という動作は、ダメージを運動エネルギーに転換させてそのダメージを軽減することができる。

 もちろん、その後に木にぶち当たっていたらダメージは増加の一途をたどるのだが。

 

 ピカチュウはその吹き飛ぶ、という選択肢を外し、その場に止まることを選んだ。

 それはつまり、自身に及ぶダメージを最大限受け切るということに他ならない。

 

 しかし、それを受けてでも、ピカチュウはこの場にとどまらなければならない。

 反撃の機会。

 紛れも無く、ライチュウは今の攻撃が最大の攻撃だ。

 クリティカルヒットしていれば、ピカチュウとて無事では済まないほどの威力だった。

 だが、足を埋める、という突飛な発想によって、ライチュウが狙っていた部位から、打点がずれた。

 

 

 

 ダメージは受けるが、致命的ではない。

 

 ピカチュウは意識が飛びそうになるのを堪え、渾身の一撃を加えて隙ができたライチュウの尻尾を左手でつかみ、左手ごと地面を打ち抜いた。

 

 

 

 ピカチュウは左手と左足が。ライチュウは尻尾の大部分が地面に埋まった状態となる。

 

 状態としてはライチュウの方が有利に聞こえるかもしれない。

 四肢の自由なライチュウの方が出来ることは多い。

 

 結果を導き出せるか、という点を除いてではあるが、

 

 ライチュウにとって、尻尾はすべてだ。

 攻撃の要であり、回避の起点である。

 それを封じられればどうなるかなど自明の理ではある。

 

 そんなことが出来るかどうかは、過去ライチュウの対戦相手だった者たちに訊いてみるといい。

 

 口を揃えて言うだろう。

 

「そんなことは不可能だ」、と。

 

 

 

 

 つまりは、今の状況はライチュウにとって、完全に想定外だった。

 故に生まれる一瞬の隙。それを見逃すほどピカチュウもお人よしでは無い。

 

 

 電撃をたらふく蓄えた渾身の右拳が、ライチュウの小さい身体に突き刺さり、轟音と共に吹き飛んだ。

 

 

 

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

「和食もいいけど、洋食もおいしいね。」

「ピッピカチュ」

 

 

 

 カルパッチョなどという魚を使った料理をつまみながら、昼食を堪能している一人と一匹。

 

 

 お腹が膨れて、そろそろ出ようかと席を立とうとした時――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あああ!やっと見つけた!!!」

 

 

 

 

 

 

 と、店内に響く大きな声で叫ぶ男。

 

 

 立ち上がろうとした姿勢のまま、なんだろうと声の方向へ顔を向けるサトシ。

 その男は、なぜかサトシの方を指さして硬直していた。

 

 

 

 

 

「・・・・・―――――」

 

 

 

 サトシは一応後ろを見る。

 だが、そこに人はいない。

 

 

 ということは、あの男が見つけた人間とは、自分のことなのだろうか、と考えてみる。

 いやいや、そんなはずはない。

 探されるようなことは・・・あんまりしていないし。

 

 若干だが不安になる。

 しかし考えている間にも、その男はサトシの方へ歩いてくる。

 

 店内は徐々に喧噪を取り戻していった。

 

 

 

 

 

 男は短髪で、精悍な顔つきをしている。

 普通のジーンズに普通のシャツ。

 身長はやや小さ目。といっても十四歳のサトシよりかは高い。

 年も、二十そこそこといったところだろうか。

 別に変わったところはない、どこにでもいそうな男性。

 

 そんな男が額に汗してサトシの目の前に立ち、息を乱している。

 

 

 

「・・・あの、どのようなご用件でしょうか・・・?」

 とっさに言葉が丁寧になる。

 見知らぬ相手だ。おそらく、会ったことは無い。

 

 

 すると、相手は少し焦った様子でいやいやと手を横に振る。

「ああーっと、済まない。驚かせるつもりはなかったんだ。えっと、ちょっとついてきてもらえないかな・・?ここだと話し辛い。」

 

 

 

 話し辛いと言われ、少し警戒する。

 ただ、あくどい事をしようとする人間がわざわざこんな真昼間に、人が多いレストランで誘拐しにくるだろうか。

 

 そこまで考えて、且つピカチュウもいる、ということも加味して。

 

 

 

「うーーーーーーん、わかりました。怪しいと思ったら逃げますよ?」

 

「ああ、構わない。ありがとう。」

 

 

 

 とくに嫌な顔もすることなくサトシの提案を受け入れる男性。

 

 とりあえず会計を済ませ、また何かに巻き込まれたかな?と少し不安になりつつも、男についていくサトシだった。

 

 

 

 



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第八十八話 お礼

「どこにいくんですか?」

 

「もう少し、あそこだ。」

 

 

 男性が指さした場所は、そこそこ大きな建物で、パッと見は集会場のような場所で。

 

「・・・・」

 

 ポケモン大好きクラブ、という看板を掲げた、サトシの知っている建物だった。

 

 

「・・・帰っていいですか。」

 

「ええ!?いや、勧誘とかじゃないから!ほんとに!聴いてほしいことがあるだけだから!」

 

「えええ・・・・」

 

 

 

 一気に気分が落ち込むサトシ。

 無理も無い、ポケモン大好きクラブには、あの会長がいるのだから。

 

 いや、会長だけではない。

 サトシは、あの極端にポケモンを可愛がる行動そのものがあまり好きではない。

 自然体で接することはできないのだろうか、と常々思う。

 

 だが、この男性がこのタイミングで会長の差し金で来るとは思えず、行くだけ行ってみることにした。

 

 不愉快な点があれば真っ先に部屋を出て、ついでにピカチュウをけしかけて行くと脅しつつ、男性について部屋に入る。

 

 

 

 そこには、先日見たよりもかなり多くの人がおり、そしてその全員がサトシの方を見ている。

 

 それは室内に入ってきたから、という一時の視線でなく、サトシ自身へと向けられたもので、尚且つ敵意を全く感じないものでもあった。

 

 

 

 はいった傍から二十人近い人数から視線を向けられるサトシ。

 何の準備もなくこのような状況に陥ったら、さすがに動揺する。

 サトシも例外ではなく、え?え?と挙動不審になりながら、何が起きているのか理解しようとしている。

 しかし、考えて理解できるものでもなく――――

 

 

 

「・・・これ、どういう状況?」

 

 

 

 素直に訊くことにした。

 

 男性はニコリと笑みを零し―――特に嫌味な笑い方ではなく―――サトシに笑いかけて、何が起きているかを説明する。

 

 

 

 

 

「ここにいるのは、全員マチスにつかまっていた人達だ。君のおかげで救われた。ありがとう。」

 

 

「え?あ・・・」

 

 

 

 

 マチスに捕らわれていた者たち。

 よく見ると老若男女、いろいろな人たちがここにいて、全員にこやかにサトシの方を見つめている。

 そして口々に ありがとう、ありがとう、ありがとね、ありがとさん とお礼の言葉を告げる。

 

 予想外の展開におどおどとするサトシ。

 口をついて出てくる言葉も、驚きを言葉にするとこんな感じになるのかな、と思えるほど狼狽えているような言葉ばかりだ。

 

 

 

「あ、え?いやそんな、っていうかなんで」

 

 

 

 暫くはそのやりとりが続けられたが、先ほどの男が手で制し、一旦静かになる。

 

 

 

 一旦息を整え、サトシが話しはじめる。

 

「ちょちょ、ちょっとまってください。別に助けるつもりだったわけじゃな―――」

 

 

「またまた謙遜を!」「僕達のヒーローだ!」「君のおかげで救われた」「あの地獄から救ってくれてありがとう」「これで自由だ!」「感謝申し上げる。」「この恩は一生忘れない」「いくらでも褒美をあげよう。」「ずっとついていくぜ、兄貴」「本当にありがとう」「感謝する。」「死ぬほど嬉しい」「これで帰れる」「ありがとう」「本当にありがとう!」「正義の味方だ」「まさに救世主だった」「君のおかげだ。」「ああ神様。感謝を」「清々したよ」「マチスはもういないしな」「死んでよかった」「あんなやつ、二度とごめんだ」「生きる価値がないね」「少年には感謝をしなければ」「ありがとう」「ありがとう」「とってもありがとう!」「アリガトウ!」

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

 サトシは、四方八方から飛び出す感謝の言葉を受け、こう思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 気持ち悪い、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そしてすぐに、自分の思考を顧みる。

 

 いま、なんと思ったか。

 気持ち悪い、と、自分は確かにそう感じた。

 

 いやいや、有り得ないだろうと。何故感謝の言葉を受け取って、気持ちが悪いなどと感じるのか。

 思考回路がおかしいじゃないか。普通は逆だろう。どうしたしまして、と。

 感謝には受け取るものであって拒絶するものではない。

 当然のことだし、今までそう生きてきたはずだ。

 では何故、自分はこの状況下で「キモチワルイ」などと真っ先に考えてしまったのか。

 

 

 ここにいる人達は、まぎれも無く苦境にあっただろう。

 そして、その状況から救ったのだから、サトシは確かにヒーローだろう。

 ヒーローであるし、救世主であるし、英雄だろう。

 

 だが、サトシは間違いなく言葉の節々に違和感を感じ得なかった。

 

 それは当然のように自然に割り込み、日常の一欠片として振る舞っていた事象。

 サトシ自身にとっても、それはそうなるべきだと思っていたし、事実そうなったというだけの話。

 互いに臨む結果になっただけ。

 

 

 そう、『マチスが死んだ』という事実。

 

 これはサトシも、元々奴隷だった人間たちも望む結果だった。

 マチスがいなくなれば、マチスなんて死んでしまえば、こんなやつ生きている価値がない。

 そんな黒々とした思考が平然とまかり通る空間。

 それが『オモチャ箱』での空気だったし、最終的にサトシが抱いた感情でもある。

 

 合っている。どうしようも無く合っている。正解であり、正しい。

 奴隷という立場、仲間を殺された立場であれば抱いて当然の感情だ。

 紛れも無く、その立場に追い込んだ原因に対して敵愾心を持つし、恨みの感情を隠さずに持つだろう。

 もし例外がいるとしたら、それは神か菩薩か。

 

 当然、汚い感情に塗れた地上にいるのは、醜い感情と思考をもった人間のみ。

 こういったマイナスの感情をもつのは至極自然なことであるし、真理だ。

 

 

 

 だが、それでも、サトシという人間はどうしようもなく純真で、どこまでも真面目で、果てしなく正しくあろうとする。

 

 サトシは聖人ではない。常に正しくできる人間など存在しないだろう。

 それは本人も十分に理解している。

 サトシの手の届く範囲すら守り切ることはできない。それどころか、自分自身を守ることすら覚束ない。

 

 だが、サトシは反旗を翻す。

 自身の思考について。自然に抱いた感情に対して。

 

 

 

 気持ち悪い、と感じたのは、その違和感のことに他ならない。

 ありがとうという感謝の気持ちと、マチスを殺した、という悪意。

 それが同時に同じ空間に滞在しており、尚且つそれがさも当然であるかのように人々は振る舞う。

 口をそろえて言う。

 

 

 ああ、マチスが死んでよかった。

 マチスを殺せたのは君のおかげだ。

 

 

 その文字の羅列に、どうしようもなく吐き気を覚える。

 

 マチスを殺したのは自分ではない。

 それなのに、殺したのはサトシだと断定するかのような文章。

 

 事実だ。紛れもない事実。しかし、認められない。

 この感謝を受け取ってしまえば、サトシは『マチスを殺した』という烙印が押されてしまうのだと。

 いや、自分は殺してはいない。直接手を下してはいない。

 しかし、殺す手はずを整えたのは自分ではないだろうか。

 いや、マチスを殺せなんて一言も言っていない。

 そういう意味合いにとれるような言い方をしただろう。

 それでも、自分は殺してなんていない。

 皆感謝をしている。マチスを殺してくれてありがとう、と。

 違う。僕は殺してなんていない。違う。違う。違う。

 

 

 

 

 

 思考が回る。

 ぐるぐると、ぐるぐると、罪と自我の間で揺れ動く。

 次第に周囲の声は聞こえなくなり、頭の中で自分の声が鳴り響く。

 

 サトシ自身が、サトシ自身の明確な意図によって、殺人を犯したのだと。

 

 

 

 

 

 

 

 そんな中、聞き覚えのある声がサトシを現実に引き戻した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いい顔をするようになったのう、サトシ君。」



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第八十九話 Hello world.

「会長・・・?」

 

「一日足らずで随分と表情豊かになったじゃないか。サトシ君。ふふ。」

 

 

 無邪気な笑みを隠そうともせず、老人は苦悩する少年に話しかける。

 

 少年の方も、嫌そうな表情をあからさまにつくり、老人を睨みつける。

 

 

「どういう、ことですか。」

 

「ふふ、そう嫌そうな顔をするもんじゃないぞ、少年よ。別に取って食おうというわけではないでな。」

 

 

 食う、という単語にビクッと機敏に反応する。

 サトシにとってこの老人は半ばトラウマに近い。

 胃をキリキリさせるような話を突然にされて、何が正しいかを懇々と考え続けたのは記憶に新しい。というか今でも考えている。

 

 

 思えばクチバシティでは嫌な思い出ばかりだ。

 

 ・・・一部大事な思い出もあるにはあるが、ポケモンが大好きなこの老人にしろ、戦場の亡霊染みた軍人も、精神衛生上、非常によろしく無い記憶を少年に刻み込んでいる。

 

 クチバシティでの用事も済んで、次の町へと行こうとする最中、なにを好き好んでこの老人に会わなければならないのか。

 おかげで余計なことを考えてしまったではないか。

 

 

 

 ―――余計なこと、と断じるにはあまりに重いことではあるのだが。

 

 

 そんなことを考えていると、ニコニコと笑みを零す老人が言葉を発する。

 

 

 

「自分が何ものであるのか、悩んでいるように見えるぞ、サトシ君。」

 

「何ものか・・・?」

 

「そうじゃ。ふふふ、マチスは死んだか。あやつとは相容れなかったのでな。わしも実はなかなかに嬉しかったりするぞ、サトシ君。ふふ、君のおかげだよ。」

 

 

 ―――君のおかげ、であると。

 

 

「いい顔だ。ふふ、マチスを殺してくれたお礼じゃ。いくつか世話をしてやろうじゃないか。―――ああ、君たち、サトシ君へのお礼は済んだじゃろう?今後についてはまた話をしてやるでな。また明日、ここへ来るといい。」

 

 変わらぬ笑顔で、十数人の老若男女にそう告げる。

 

 

 

「し、しかしまだ一人ひとりお礼をしていないですし――――」

 

「もう済んだ、そうじゃろう?」

 

 少しだけ目を細めて、あらためてゆっくりと、確実に聞き逃しが無いようにもう一度老人が忠告する。

 

 

 ゴクリ、と喉を鳴らしたのは誰だったか。

 集団に向けて放たれた老人の眼光は平和ボケしたそれではなく、明らかに敵意を持ったものであった。

 相手にしているのは裏のトレーナー。少なからず命の遣り取りをしている者ばかりだが、老人はそれ以上の、有無を言わさぬ圧力を放っているように感じる。

 

 はたから見ていたサトシからしてもその威圧は感じ取ることができ、この老人は一体何者なのか、と考えてしまう。

 

 

 

 

「―――わ、わかりました。また明日伺います。」

 

 

 直後、険悪な雰囲気は緩和され、明るい笑顔に戻る。

 

「ふふ、それでよいのじゃ。」

 

 

 

 ぞろぞろと部屋から出ていく人達。

 出る直前までサトシに一声掛けていく者もいれば、先ほどの会長に気圧されたのか無言のまま出ていく者もいる。

 どちらにしてもサトシにとってあまり興味が無いことであった。

 興味の渦中にあるのは、やはり目の前にいる老人。

 

 先ほど、いくつか世話をしてやる、と言っていた。

 世話、とはいったい何のことか。

 

 次から次へと疑問が湧いて出る。

 

 

 ―――それも、これからわかることではある。

 

 

 

 

 サトシが行動を起こすこともなく、団体はすんなり部屋から外へ出ていき、パタンという軽い音と共に扉が閉められた。

 

 部屋に残っているのはサトシと、ポケモン大好きクラブ会長のみ。

 

 

 

 

「ふふ、騒がしかったかの?」

 

「いえ・・・それより、僕を呼んだのは彼らでなく、会長、ですね?」

 

 

 サトシの発言で目を丸くする会長。

 パチクリと瞬きをした後、吹き出すように笑い出した。

 

 

「ふぁっふぁっふぁ!ああ、そうじゃとも。ふふ、随分と聡明になったじゃあないかサトシ君。一体マチスの元で何があったのかね?もちろん、自分らを解放してくれた英雄にお礼がしたいという彼らの主張もある。わしはついでに、サトシ君とまた会話がしたかっただけじゃよ。」

 

「その割には、随分と冷たい反応でしたけど――――」

 

「そうじゃな。うむ、まさにその通りじゃ。では、わしの言うことを聴かずに帰るかの?それも良いかもしれんのう。」

 

 

 ―――サトシは考えた。

 帰りたい。そう考えている。

 もはやこの老人の顔も見たくない。そう思えるほどには、サトシは会長を嫌っていた。

 

 しかし、こうも考える。

 会長はサトシを見るなり、「いい顔をするようになった」と言い放った。

 これはどういうことなのか。

 

 

 サトシが裏の世界に入り込んでからずっと思っていた事。

 考えても考えても結論など出なかったこと。

 

 かつて虫取り少年にも問うたことがあった。

 

 

 

 何故、この世界に入るのか、と。

 

 

 

 得るものはなにか。失うリスクを受け入れても尚、手に入れたいものがこの場所にはあるのかと。

 失うとはどういうことか。失った後に、自分はどうなるのか。

 

 

 経験したことも、これから経験することもあるだろう。

 

 だが、サトシの中で結論など出るハズも無かった。

 こんな異常な世界に入る人間など、みな狂っていると、そう感じてすらいるのだから。

 だからこそ、聴くべきではなかろうか。

 

 こと『狂気』という訳の分からないものについて、目の前の老人は誰よりも見続けているだろう。

 そしてその都度、考えてきただろう。

 

 

 そんなに狂っているのか、素晴らしい。と。

 

 異常であればあるほど、世界は闇に満ちている。

 だが、道が開けた時に、世界は一層輝いて見えるのだ、と。

 

 

 

 

 

 ――――――――――たっぷりと時間をかけて考えた後、サトシは会長の話を聞くことにした。

 

 幸か不幸か、会長はサトシが判断を下すまで急かす事無く、時間そのものを楽しむようにゆっくりと豪華な椅子の上でサトシを見つめていた。

 その手には、いつかいたオニスズメの姿は無かった。

 

 

 

 

 

 

「――――聴きます。」

 

「そうかそうか。それは僥倖。ふっふ。」

 

 

 少しだけ嬉しそうに身体を動かし、小さくギシギシと椅子が鳴る。

 

 

「サトシ君も座りたまえ。昨日の今日で、さすがに疲れておるじゃろう。」

 

「・・・」

 

 

 サトシは無言で近くにあったイスを引き、腰かける。

 ピカチュウは横に立ち、珍しく静かに会長を見つめている。

 

 心なしか威圧感を感じる気がするが、会長の得体の知れなさに対する警戒心だろうか。ピカチュウもそういうことを感じるのか。

 

 

 と思った傍から、サトシの帽子のツバをくいくいと上下に揺らす。

 うん、気のせいだったかもしれない。

 

 

 

 

 サトシが腰かけ、そのイスも少しだけ軋む。

 他に音が無い部屋だと、その静かな音ですら耳につく。

 ではさっそく、と話しはじめたのは当然会長だ。

 

 

 

「サトシ君、君は先ほど、あの連中の『お礼』を聴いて、こう思ったじゃろ。おかしい、と。何か違和感がある、と。」

 

「・・・ええ」

 

「その違和感を、感じることができる。そして、それが決して正しくないと思える。それが重要なのじゃよ。」

 

「・・・」

 

「まだ実感がわかないかの?ふふ。それとも、はやくこのモヤモヤを解消してほしいと、そのようにも見えるな、サトシ君。」

 

「・・・そう、ですね。悔しいですが、そうかもしれません。」

 

 

 サトシは何度も自分と問答を繰り返した。

 何が正しく、何が間違いか。

 死とはなにか。生きるとはどういうことか。

 欲望、信仰とは。悪とは、正義とは。

 仲間とは。

 この旅にでてから、もはや数えるのも億劫になる程度には考えてきた。

 そして、その道の大先輩がサトシを世話してくれるという。導いてくれるという。

 

 

 甘い果物だろうか。優しい手だろうか。

 手に取れば救われる、救いの人であろうか。

 

 今のサトシからしたら、この老人はそのように見えたかもしれない。

 しかし、もしかしたらその手は魔性かもしれないのだ。

 

 もしもサトシの求める解答が得られたとしても、その解答自体が救いの無いものだったとしたら、耐えられるのだろうか。

 

 

 そしてそうだったとしても、サトシには会話を止める勇気が無かった。

 この先を聴かなければ、また同じ事を考えて立ち止まってしまうと思った。

 

 故に、聴く。これは勇気であるかもしれないし、臆病であるかもしれない。

 だが感情は関係なく。

 サトシはこれ以外の選択肢は無い、と断定するかのように、話を先にと促した。

 

 

 

 

「では、最初に簡潔に答えよう。今サトシ君が陥っている考え。それこそが―――――」

 

 

 

 

 

 

 たっぷりともったいぶって、老人は吐き捨てるように、サトシに言い放つ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「狂人への入口、というものだ。ようこそ、サトシ君。狂気の世界へ。」

 

 

 

 

 

 

 

 老人の言葉は魔性の手であり、サトシはそれを握りしめてしまった。

 

 



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第九十話 狂って狂って狂います。

 そう青い顔をしなくてもよかろう、サトシ君。

 別に悪い事ではないぞ?

 

 

 ――――訳が分からない、という表情じゃな。ふふ。いいじゃろう。より詳しく、話してあげるとしよう。長話は得意なのでな。ふっふ。

 

 

 

 

 そもそもだ。サトシ君は『狂う』という意味について考えたことがあるかね?

 

 

 ―――狂うは狂うだ、と。なるほどなるほど。では質問を変えよう。

 サトシ君は、一体何をもって狂っていると判断しているかの?

 

 

 

 ―――――答えられん、か。つまり、明確な定義もなく、相手を見て狂っていると、異常者であると断じていたわけだ。

 

 いやいや、別に悪いことではないさ。

 むしろそれが普通だろうさ。

 

 しかしサトシ君は多くの狂人がいる世界に足を踏み入れておる。

 人間の裏面を知っておくことはとても大事なことじゃよ。

 そこのところを、しっかりと覚えておくとよい。

 

 

 

 

 狂っている、ということは、平たく言えば他の人と違っている、ということだ。

 自分にとって当たり前だと思っている事柄が、他人のそれとは違う。

 

 まあよくある話じゃな。自分の意見が他人とぶつかる。

 しかし、五人や十人と意見が違う、などというレベルではない。

 数十人、数百人の持つ常識と自分の常識が異なる。

 

 そして、大多数の意見が正しいものだと認識できない。

 むしろ、自分の方が正しいのだとも思ってしまう。

 

 

 この状態が、所謂狂気というものだ。

 

 

 

 思ったより普通のことじゃろう?

 狂気とは意外と近くにあるものじゃ。

 

 

 

 

 ただ勿論、その度合いには違いがあるがな。

 

 

 サトシ君の年齢じゃと、そうじゃな。

 道を這っている蟻を踏みつぶす友達はおらんかったかな?

 子供が三十人集まれば、一人くらいはそういう子がおるじゃろう。

 命を無下に扱う行為じゃ。

 子供は残酷、なんて言葉もある。

 それも一つの狂気じゃな。

 どうじゃ、親近感が湧いたかの?ふふ。

 

 

 ―――それは子供のやることだ、か。行為としてはそうじゃが、それが大人になったからといって何が違う?

 殺す対象が虫けらであろうとポケモンであろうと人であろうと、やっていることの本質は変わらない。

 自分の力を振りかざし、弱者を虐げる。

 その行為が、たまたまこの世界、この時代においては少数派であっただけ。

 

 

 理不尽だとは思わないかね?

 ただ数が少ないというだけで狂っていると判断されてしまう。

 どうじゃ、こう聞くと、別に狂っているというだけでは大したことないと思わんか。

 

 

 

 ―――おおそうじゃな。サトシ君の場合を教えてあげよう。

 ふふ、言っておくが、サトシ君の事例はかなり興味深い。

 

 

 

 サトシ君はな。

 一言で表すのは難しいのう。

 

 たとえば正義。平和。善事。綺麗事。そのようなものを感じる。

 

 

 

 ―――ん?それの何が狂っているのかって?いい事だろう、と。

 いいことかどうかはこの際置いておこう。

 先ほど挙げたもので表すならば、サトシ君は『正義に狂っている』のじゃよ。

 

 厳密に言うと正義とも違いそうじゃがの。

 狂気とは常に複雑な想いを持つものじゃ。それは、これからサトシ君自身で見つけていくとよいじゃろう。ふふふ。

 

 

 

 まだわからないという顔じゃな。

 ここで言う正義というのは、サトシ君にとっての正義のことじゃ。

 ポケモンが殺される、親しい人が傷つけられる、自分自身が虐げられる。

 そのようなことに、異常に敏感になっておるじゃろう。

 

 普通の人が思わない域で、強く反応してしまっている。

 

 

 

 よいかね。これが、他人と違うということじゃ。狂っているということじゃ。

 

 

 

 

 

 ―――生き物を殺すことはいけないことだ、と。では、逆に問うぞサトシ君。

 神のすることは良い事かね?

 別に信仰心を試しているわけではないぞ?一般論の話じゃ。

 神や聖人といった者たちは、全て正しい行動をするかね?

 

 

 

 ――――なるほど。それは正しいと。

 

 では、戦争はどうかね。

 人と人が武器を持ち、兵器を駆使して殺しあう。

 その行為は正しいかね?

 

 

 ――――正しくない、間違えていると。ふふ。

 

 

 

 

 ならば、聖なる戦争はどうかな?

 

 神や聖人が旗を掲げ、悪しきものを罰せよと人々を薙ぎ払う。

 どうじゃ?んん?正しい者が正しくないことをしておるな。これはどうなんじゃ?

 

 

 

 

 ――――それでも戦争は駄目だ、と。

 

 ふふ、サトシ君。そこじゃよ。そこが重要じゃ。

 

 

 神だろうとなんだろうと、自分の方が正しいと。

 そう思っている事が肝心かなめなのじゃ。

 

 普通の人は今の問いになんと答えると思う?

 

 

 

 正解は、『無言』じゃ。

 答えなど無い。神も正しいし、戦争も仕方がない。

 時代や人々によってはそういったことも当然起こり得る。

 そのジレンマに悩まされる者もいる。

 

 

 だがサトシ君は悩む事無く、戦争は悪だと断じた。

 たとえどんな悪行を積み重ねた者であろうとも、生かすと。

 少なくとも自分は殺さない。殺すはずがない。何故かと言われれば、それは自分だからだ、と。

 自分が自分であるが故に、自分の所為で命が無くなることは無い。

 結果的にそうなったとしても、自分の所為では無い。どっかの誰かが勝手にやったことだ、と。

 

 サトシ君、もしや、マチスに同情を感じてはおらんか?

 数十、いや、もしかしたら数百の命を快楽のために奪い尽くし、今なお貴い命を弄ぶ。

 そんな最底辺の人間ですら、殺すことはならんというのかね。

 いつ命が失われるかわからない状況でいた先ほどのトレーナー達。

 彼ら彼女らの方が悪なのではないか、などと考えておるのではないかね。

 

 

 

 それは異常じゃぞ?サトシ君。

 救われるべき人を憎み、罰せられるべき人に同情する。

 

 どこに正当性がある?君自身も、マチスなど死んでしまえばと思っておったハズじゃろう。

 なのに何故救った人たちを恨む。憎む。蔑む。

 君は紛れも無く良い事をしたのじゃ。

 皆に嫌われており、さらに命を奪う人間を打倒し、その存在を消した。

 素晴らしいじゃないか。誇ることだ。

 

 決して苦い顔でトボトボ歩くことじゃない。

 誇る事だ。自分はマチスの悪行を暴き、人々を救ったと。

 

 

 

 

 

 ―――――だが、君はそれを善しとしない。

 どんな理由があるにしろ、生き物を殺傷することは悪だと。

 

 

 

 成程。それこそ正に聖人の考え方であろうよ。

 先ほどの聖戦などといった矛盾は抜きに、聖人であろう。

 

 

 

 

 ではサトシ君、最後の問答だ。

 

 数十人、数百人という単位では無く――――もっと広い範囲。数千人数万人数億人と異なる思想を持ち、それを我が物とし、正しいと心から思っている事。

 

 狂人であるな?まぎれも無く、常識外れの狂人であるな?

 

 では、その狂いに狂っている狂人が、その考えを広めたらどうなるか。

 

 

 自分はこう考えている。君は理解できるかね?と。

 

 

 

 そして、それに同意し、さらに広がる。

 

 

 

 気付けば、その狂人の考えを至高とする人間が数百人数千人数万人と膨らむ。

 

 さあ、これは狂人と言えるかね?

 理解者が居る。同士が居る。他人に理解できないというジャンルから外れる。

 

 

 

 

 よいか、サトシ君。

 こうなった狂人がなんと呼ばれるか。

 

 

 

 

 

 

 

『聖人』または『先導者』と呼ぶのだ。

 

 

 

 そしてこれこそが、世の中の流れを生み出し続ける理である『信仰』というものなのだよ。

 

 

 

 狂人転じて聖人と化す。

 皮肉じゃろうサトシ君。

 今まで狂っていると散々罵られてきた人間が、ある一点を切っ掛けに聖人となるのだ。

 崇め奉られる対象となるのだ。ふふ、面白いじゃろ。

 

 

 

 

 

 サトシ君、君はどうなるかね?

 極端に死を嫌う狂人となるか、同士が無限に広がり続ける聖人となるか。

 

 

 

 それとも、自分の気持ちを隠し続け、普通の振りをして生きるか。これもまた選択じゃな。

 

 

 

 

 

 

 本能に忠実になりなさいサトシ君。抑え込むことなど何もない。

 思うがままに狂い、思うがままに進むといい。

 

 

 

 

 ―――ほうほう、そんな動物のような行動でいいのかと。

 

 

 ふふ、もちろんじゃとも。

『狂』という漢字を思い浮かべなさい。

 

 

 獣辺に王と書くのじゃ。

 獣の王。言い得て妙じゃと思わんか。

 

 

 本当に狂うということは、獣の王ほどに獰猛で、欲望に忠実でなければならんということじゃ。

 儂やサトシ君などまだまだ甘ちゃんじゃよ。

 

 

 

 

 さて、これくらいでよいかの。

 これ以上サトシ君の頭を悩ませると、そこのピカチュウに殺されてしまいそうじゃからな。

 殺すのを嫌うサトシ君にとって、その展開になるのは避けたいことでもあろう。

 

 

 

 ふふ。サトシ君の成長を楽しみにしておるよ。

 

 

 

 



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第九十一話 『仲間』

 サトシはハナダシティへの地下通路を通っていた。

 

 

 クチバシティを東に抜けて十一番道路を進もうとしていたのだが、通り掛けのトレーナーから、今は十二番道路へ続く場所に大きなポケモンが陣取っていて進めず、ハナダシティから九番道路を通ってイワヤマトンネルを通る必要があると言われ、特に確かめることなく空返事をし、そのままの足でハナダシティへ戻っている最中だ。

 

 

 

 トントンと靴の音が地下通路内に寂しく響く。

 以前ここを通った時には感じることはなかった寂しさ。

 少しでもこの地下通路が長くなればいいのに、と思ったものだが、今となっては早く通り過ぎたい気持ちしかなかった。

 

 薄暗く、距離の目印となるものも特にない。

 小さい電灯が等間隔で延々と並んでおり、通路について考えることを拒否するような無機質な道。

 それは必然的にサトシを思考の渦に落とし込んでいった。

 

 

 

 いままで考えることもなかった。いや、考えることを拒否していた。

 

 自分の考え方について考える、なんてことをすることが通常あるのかどうかという点を思えば、そう卑下することもない。

 もし通常の人が、自分は一体何者なのかと自問自答するとするならば、それはある程度精神が定まり、人生の方向性が決まりつつある人間のすることだろう。

 決して十四歳の思春期真っ盛りの少年がすることではない。

 

 

 しかし、サトシはもうそのことを考えなければならない状態になっていた。

 ポケモン大好きクラブの会長によると、サトシは狂人であるらしい。

 それも、幼少の頃に一時的に得る残酷性では無く、大人のそれと同様の。

 

 全力で拒否したい事実ではあるが、狂うという概念についていろいろと詳細に説明してくれた今、その反骨精神すら折れかかっている。

 

 サトシは狂っている。それもかなり歪な方向に。

 

 

 

「ははっ」

 

 

 

 自嘲。

 一体どうしろというのか。

 

 正義に狂っているといえば、聞こえはいいかもしれない。

 だが本質は、『生き物の生死が自分に関わっている』という状態を極端に嫌うだけの我儘な子供であったという事実のみ。

 

 

 いや、我儘な子供であればまだよかった。

 問題は、その状態に嫌悪感を抱き、吐き気を催すほどのものだということだ。

 それはもはや体質。

 考え方ですらない。サトシは身体が反応するほど、死というものに敏感になっていた。

 

 普通の人であれば、嫌だなという感情は抱いたとしても、それだけで終わるだろう。

 それが普通なのだ。

 そして、サトシは普通では無い。

 

 

 原因として考えることは確かにある。

 トランセル、そしてスピアーの死。

 他にもポケモンの死やトレーナーの死を目の前で見てきてしまっている。

 そこに忌避感を持つことに、誰が文句を言えようか。

 

 

 ―――文句などない。

 結果だけだ。

 

 結果的にサトシは、死を嫌うだけの、偽善者にもなり切れない、聖人もどきになっていた。

 

 

 

 

「どうしようもない人間だね、僕は。」

 

 

 

 

 やはり自嘲的に言う。

 悪は許せない、なんて言いながら、善人すらも悪に染めてしまう。

 反面、悪を救おうとしてしまう。

 

 

 

 ピキピキと罅割れて行く。

 このまま旅を続ける意味などあるのかと弱気になる。

 自分を保つためには、今からでも家に籠ってお母さんと一緒に過ごした方がよいのではないかとも思う。

 

 

 

 ここまでだろうか。

 

 

 

 歩くのが億劫になり、暗い地下通路の真ん中で立ち止まる。

 

 そのまま俯き、思考に耽る。

 

 

 

 どうすればいいのか、と答えの出ない問答を自分の中で繰り返す。

 

 

 サトシの頭の中も視界もすべて闇に落ちてしまいそうになる―――――

 

 

 

 

 

 

「ピカ」

 

 

 

 

「―――?」

 

 

 ピカチュウが急に声を出したので、なんだろう、と顔を上げると

 

 

「むぎゅ」

 

 

 ピカチュウがサトシの両頬をつねる。

 勿論千切るつもりではない。

 ぐにぐにとサトシの頬を引っ張ったり縮めたり。

 

 

「ふぁいふふんふぁふぉ、ひふぁふゅー」

 

 

 憮然とした顔でピカチュウの顔を眺め、息の漏れる口で文句を垂れる。

 

 目の前のでっかいやつはいつも通りのニコニコ顔だが、なにやら雰囲気が少し違うように思える。

 

 サトシがハテナマークを頭の上に浮かべていると、ピカチュウはサトシの顔から手を離し、少し屈んだ。

 

 

 ピカチュウの行動の意味がよくわからないサトシは、そのままピカチュウを眺める。

 ピカチュウが屈んだことでサトシの視線も上から下へ。

 

 そして、次の瞬間ピカチュウの腕がサトシの腰に伸びてきて、腰についているモンスターボールを全て取り外し、ぽいぽいぽいと近くに放り投げた。

 

 

 

 

「うわわ!?なにするんだよピカチュウ!!!」

 

 

 

 投げられ、床にてんてんてんと弾んだボールは、一筋の赤い光を吐き出し、サトシのポケモンの形を作り上げた。

 

 

 クラブ、サンド、コイキング。

 

 

 皆、一様にサトシの方を見ている。

 

 

 

「ピカチュウ・・・?一体・・・」

 

 

「ピカ、ピカピ」

「クラーブ」

「サンドー」

「ココココッコッココココ」

 

 

 

 何やらポケモン同志で会話しているようだ。

 当然ながらサトシには言葉がわからないため、不思議に思いながらも自分のポケモン達をそのまま見守る。

 

 

 

 暫くすると、ポケモン達の会話が終わった。

 ポケモン達はサトシの方をおずおずと見ているようだが、クラブがとてとてとこちらに歩いてくる。

 

 

「クラブ?何がどうなって――――」

 

 

 

 

「クラーーーブ!!!!」

「どあああああいってええええええ!!!!」

 

 

 クラブが大きいはさみを振り上げ、サトシの脛にフルスイングしてきた。

 

 予想外の衝撃に、サトシはもんどりうってコンクリートの床に転がる。

 

 

 

「ク、クラブ!急になにをする――――・・・サンド?」

 

 

 

 いつのまにやらサンドが目の前にいる。

 サンド? と声をかけようとしたが、くるりと身体を丸めてサトシの腹にたいあたりしてきたサンドにその声を止められた。

 

 

 

「ごっ!?あが・・・おおおおお」

 

 

 

 お腹を押さえて床を転がるサトシ。

 まったく意味が分からない中での衝撃に、頭はかなり混乱している。

 

 

「一体・・・どうなって――――ぶぎゅる」

 

 

 とどめとばかりに、跳ねたコイキングがサトシの背中に落ち、起き上がろうとしたサトシを再度地面に縫い付ける。

 

 

 

「コ、コイキングまで・・・・ああもう!!」

 

 

 

 背中からコイキングをどけて、ゆっくりと立ち上がる。

 

 お腹を押さえつつ立ち上がり、視線を地面から上にあげると、黄色い姿が目に入る。

 

 

 

「ピカチュウ・・・?なにを・・・・だっ!?」

 

 

 立ち上がった途端、ピカチュウのデコピンがサトシの額を打ち付ける。

 ピカチュウにとっては大した威力を込めていないのだろうが、サトシにとっては額が赤く腫れるほどに強い。

 

 

 

「ああーーーーーなんなんだよおぉ!みんなして!!!」

 

 

 叫ぶサトシ。

 どうしようも無い現実に悩まされている少年の叫び声は誰もいない地下通路に虚しく響き渡る。

 

 

「ピカピ」

 

「ううん・・・・?」

 

 憮然とした顔でピカチュウをにらみつけるが、ピカチュウはサトシの後ろを指さす。

 

 その指先が何を指しているのかを確認するように、後ろを振り返る。

 

 

 

 サトシのポケモン達が見つめている。

 じっと、視線を外す事無くサトシの目を見て、微動だにしない。

 

 

「みんな・・・?なにを・・・・」

 

 

 

 サトシは考える。

 この状況について。サトシのポケモン達が一体何を思っているのか。何をサトシに伝えようとしているのか。

 苦楽を共にしてきた仲間たち。

 その数を減らしても尚、サトシを見放すことなく付いてきてくれている。

 当たり前の事ではない。

 モンスターボールという枷があったとしても、その信頼は本物で、掛け替えのないものだ。

 そんな単純なことすらも考えから外れてしまっていたのか。

 サトシ自身の悩みは自分だけのものではない。そう言いたげな瞳でサトシを見据え、訴えてくる。

 

 もっと信頼してくれと。サトシがどうなろうと、どう考えようと、自分たちは裏切らない。そう心から思えるほどに、サトシからたくさんのものを受け取っていると。

 

 

 

 

 

 知らずのうちに、サトシは涙を流していた。

 

 膝から崩れ落ち、サトシは、如何に自分が恵まれていたかを察する。

 

 

 自分には仲間がいる。

 たとえ自分がどうなってしまおうとも、どう進もうとも、共に歩んでくれる仲間がいる。

 それを改めて感じとった。

 

 

 

 

 

 

 

「みんな――――あり、がとう。ありがとう――――」

 

 

 

 

 

 

 

 サトシは仲間を、力強く、力強く抱きしめた。

 

 

 

 



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第九十二話 イワヤマトンネル

「ここがイワヤマトンネルかあ。」

 

「ピカピー」

 

 

 ハナダシティを通り過ぎ、トレーナーと戦いつつ九番道路を進むと、大きく切り立った山が見えてきた。

 オツキミ山のように観光できるような雰囲気は無く、来る者を拒むように攻撃的で刺々しい雰囲気を醸し出していた。

 

 イワヤマトンネルにもポケモンセンターが敷設されていたが、人はほとんどおらず、到着したのが夕方というのもあってさらにその不気味さを増しているように感じた。

 

 

 入口もトンネルというよりただ単に崩したら空間があった、と言った方が正しいと思えるほどに雑で、今にも形が変わってしまいそうな程に脆く崩れ落ちそうにも思えた。

 夕陽によって刺々しく切り立つイワヤマは真っ黒な影が落ち、シルエットのみしか見えない巨大な怪物のように見える。

 

 

 

「夜に入るのはちょっと嫌だね・・・ポケモンセンターで一泊しよう。」

 

「ピッカー」

 

 

 同意したのか溜息なのか。

 意味合いとしてはどっちもとれるような態度だったが、サトシの心労も拭われたわけでは無い。

 不安を煽るような環境で進むのは好ましくないというのもあるが、単純に進む気になれなかった。

 夕暮れの橙色に染まるポケモンセンターのドアを押し開き、閑散とした室内をさっと見渡したが、いつぞやのおじさんのような変わった人もおらず、ふうと一息ついた後にカウンターに足を運び、傷ついたポケモン達を癒すべくボールを預けた。

 

 

 

 外で感じていた不気味な雰囲気が嘘のように消え去るほどの、ある意味能天気ではないかとも思える空間。

 無機質な白い電灯が万遍なく照らされた室内では、いままで考えていたことがすべて夢の中の出来事ではないかと錯覚する。

 紛れも無い現実なのだと頭ではわかっているが、今はその虚構に少しでも埋もれたいと思える。

 

 並んでいるイスは十人ほど腰かけられるスペースがあるが、今は誰も座っていない。

 サトシはそれでも遠慮がちに、一番端っこに座ると ふう と一息ついた。

 

 

 

 

「クチバシティを出て休まずここまできたけど・・・さすがに疲れたな。」

 

 

 距離としてはそこまででもない。

 しかし、九番道路も例に漏れず多くのトレーナーが待ち構えていた。

 さすがにトレーナーも強力になってきており、そろそろサンドとクラブのみでは辛くなってきている。

 

 とはいえ、新しくポケモンを捕獲するのにも若干の抵抗がある。

 

 今サトシの元にいるポケモン達はサトシの事を信頼してくれているだろうし、今後その考えが変わるとも思えない。

 もし変わるとしたら、それはもうサトシが取り返しのつかない状態になった時だろう。

 

 成り行きだったとはいえ、サトシの歩む道は非常に危険だ。

 バトルの度に危険にさらされるし、命も脅かされる。

 そもそもドーピングされたポケモンのバトルに、普通のポケモン達が挑まされているのだからそれも当然ではある。

 

 これ以上、通常のポケモン達を裏のバトルに巻き込んでもいいものか――――

 

 

 

 

「どちらにしても、今のままだと普通のバトルも勝ち進むことが難しくなる。選択肢は多い方がいいし。」

 

 

 裏のバトルに出すかどうかは別として、手数は多い方が良い。

 イワヤマトンネルで何匹かポケモンを見繕ってみよう。

 

 

 

 サトシがそう結論付けると同時にカウンターからポケモン回復完了の呼び出しがあり、いつの間にか俯いていた顔を上げて、愛すべき仲間たちを受け取りに、笑顔あふれる看護婦さんの元へ歩いていった。

 

 

 

 

 その日は特にすることも無かったので、早い時間に宿泊施設へ入り、そのまま眠りに落ちた。

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

 次の日の早朝。

 

 たっぷりと睡眠時間をとったため固くなった身体を伸ばしつつ、サトシはポケモンセンターから外へ出た。

 

 

 

 山に囲まれた場所なだけあって空気は割と綺麗だ。

 天気も良く、雲一つ無い青空がイワヤマに切り取られ、獣の牙のようにトゲトゲしい姿になっている。

 気持ちのいい気候ではあるのだが、その姿がまるでサトシに噛みつこうとしている怪物のようで、少しだけ不安になる。

 

 

 まあそれも、隣にいる黄色い怪物に比べてたら大したことはないのだが。

 ちらりとピカチュウの横顔を見つつそう思う。

 

 

 少し口を緩ませ、口角を上げる。

 悩み事はたくさんある。

 だけど、進むしかない。止まることは許されない。

 なにより自分を信頼してくれているポケモン達の為にも。

 

 

 

 

 よし、と気合を入れて、不気味に口を開けるイワヤマトンネルへ足を進めるサトシだった。

 

 

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

「うっわ暗い。」

 

 

 

 イワヤマトンネル。

 その名の通り岩山の中に出来た天然の洞窟。

 しかしオツキミ山のように光はほとんど入ってこないため、中はほぼ暗闇。

 少しだけ入る光によって壁の位置くらいはなんとか見えるが、一寸先は闇という言葉が物理的に当てはまるほどに何も見えない。

 入口から入る光に照らされた部分だけが存在しているかのように、そのほかは何がどこにあるのか全くと言っていいほどわからない。

 

 通りで人が少ないハズだ。

 こんな暗闇では歩くことすらままならない。

 懐中電灯を持っていたとしても、調子に乗って歩いていると壁に激突してしまいそうだ。

 道を照らすことができる技もあるらしいが、ここまで来てしまったらそんな情報も無いようなものだ。

 

 

 

「懐中電灯と――――ピカチュウがいればなんとかなるか。」

「ピカピー」

 

 

 

 懐中電灯で進路はなんとなく照らせる。

 ピカチュウの自然放電で周囲もぼんやり照らせる。

 

 とにかく抜けることだけ考えれば、困ることは無いだろう。

 

 

 

 サトシは懐中電灯のスイッチを入れ、意を決して暗闇の中へ足を踏み出した。

 

 

 

 

 

 

 



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第九十三話 やまおとこ

 イワヤマトンネルの中は暗く、懐中電灯の照らす円形の空間が見えるのみ。

 周囲を薄ぼんやりとピカチュウが照らしているが、それも微々たるもの。精々、なにかしら動くものがあるかないかくらいの識別しかできない。

 

 勿論、この闇の中においてはそれだけでも非常にありがたい情報ではある。

 ピカチュウと共に慎重に歩きつづけ、行き止まりでも焦らず引き返し、先に進む。

 

 

 この暗闇ではトレーナーもいないだろうと思っていたら、数人とすれ違った。

 さすがにバトルするつもりのトレーナーは少なく、話を聴いてみたら興味本位で入ってみたとか、怖い所が好きとか、暗いからこその解放感がいいとか、まあ人それぞれ理由はあるようだ。

 

 一人だけバトルを持ちかけてきたトレーナーもいたが、丁重にお断りした。

 この状況では的確に指示も出せないし、なにより不安だ。

 

 このイワヤマトンネルについては早急に抜け出したい。

 

 

 サトシはとにかくこの空間から早く外にでることだけを考え、足を進めていった。

 

 

 

 

 

 暫く歩くと、小さく揺らめく光が見えてきた。

 

 

 出口かな?とも思ったが、事前に言われていた情報を考えると出口はまだまだ先だ。

 光の揺らめきからしても出口から漏れる太陽光とも言い難い。

 

 あまり人との遭遇は芳しくないと考えてはいたが、懐中電灯で周囲を照らしたところ、どうにもあそこを通らないと先に進め無さそうだ。

 

 意を決して先に進む。

 

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

 

 光に近づいていくと、その正体が焚火だと判明した。

 この暗闇だ。焚火をしたくなる気持ちはわかる。だが、ここは岩山。薪など無い。

 ということは持参してきてここで火を焚いたということになる。

 

 

 

「こんなとこで焚火?一体誰が―――」

 

「やあこんにちは。」

 

「ひぃ!!」

 

 

 焚火を見ていたら、急に後ろから声を掛けられた。

 思わず背筋を凍らせて小さく悲鳴を上げる。

 

 後ろを振り向くと、そこには黄色くないピカチュウ―――のような人がいた。

 焚火の光と懐中電灯の照明に照らされた人物はヒゲだらけの顔でニッコリと笑い、サトシを見つめていた。

 

 身長は百九十センチメートルはあろうか。

 ピカチュウに比べたら小さいが、一般的な人間の平均からしたら十分に巨大と言える。

 それに加え、横幅も規格外だった。

 分かりやすく言えば相撲取り。しかし、ただ太っているというわけでもない。

 どちらかというと体つきが良すぎる、という感じ。

 登山用の装備をごちゃごちゃとベストとズボンに括り付け、洞窟内のヒヤリとした空気をものともしない半袖から伸びる腕はパンパンに膨れ上がっている。

 

 そして自分の胴体ほどもありそうなリュックを背負い、全身通して色は深い緑色でほぼ統一されていた。

 

 

 

「えと・・・・どなたでしょうか。」

 

 

 異様とも思えるその姿に圧倒されつつ、サトシは問いかける。

 表か裏か。そこのところも一応念頭にいれつつ、疑念の表情をなるべく出さないようにした。できていたかはともかくとして。

 

 

 

「おーぅ、なかなか胆力のある少年だなぁ。」

 

 

 

 のんびりとした口調で男は話し始めた。

 

 

 

「おれは、やまおとこって言われてる。その名の通り、山が好きだ。いっつも山にいる。イワヤマは人が少ない。だからいい。とてもいい。」

 

「はぁ、なるほど・・・」

 

 

 やまおとこ。登山者とか、そのようなものだろうか。

 なんにせよ敵性のある存在ではないようだ。

 

 

 

「やまおとこさんはここでずっと暮らしているんですか?」

 

「ああそうだ。たまあに町へ降りて物資の調達をしているが、ほとんどは山の中にいる。少年はこんな山の中に何しにきたんだ?」

 

 

 

 本当に筋金入りの山好きのようだ。サトシには理解し難いが、好きなことに熱中しているんだなということはハッキリとわかる。

 趣味や好きな事に没頭するという感覚は、旅に出てからは無かったが、通常の思考であればごくごく自然のことであろう。

 サトシ自身が十四歳の少年としては逸脱してしまっているのだから。

 

 

 

「僕は―――ポケモンマスターを目指して旅をしているんです。」

 

 

 嘘は言っていない。嘘は。

 そう、自分に言い聞かせる。

 

 

 

「ほーぅ、ポケモンマスターかぁ。いいじゃないか少年。夢があふれるなぁ。」

 

 

 

 やまおとこは嬉しそうにヒゲをもしゃもしゃと弄りながら、ニンマリと笑っている。

 

 

「どうだあ少年。これからごはんを作るんだが、一緒に食べて行かないかぁ?おいしいぞぅ?なあに遠慮はいらないとも。」

 

 

 やまおとこは、ズボンに括り付けられていた鍋をカンカンと指で弾きながらそう言った。

 

 

 

「ごはん・・・・まあ確かにお腹はすいているけれど・・・」

 

 

 正直、この洞窟を早く抜けたいという気持ちの方が強い。

 この男には申し訳ないが、このまま通り過ぎさせてもらおう。

 

 

「すみません。気持ちは嬉しいですが、先に進みます。」

 

 

 パチパチと弾ける火の粉を横目に、サトシは軽く会釈をする。

 

 

「そーうかい、残念。きっと楽しい時間になっただろうに。」

 

「いえいえ、それでは。」

 

 

 

 焚火の横を通り過ぎて、先に進もうとする―――のだが

 

 

「ピ―――いや、どうしたの?」

 

 

 焚火の光を一身に受けてオレンジ色に揺らめく巨体が目の前に立ち尽くしている。

 思わずピカチュウと言いそうになったが、そこは気合でねじ伏せた。

 

 

「そこにいたら進めないのだけど・・・」

 

 

 目の前にいる巨体に、困った顔を向ける。いつもどおりの悪戯かなと思ったのも束の間。

 

 

 

「―――ってちょちょちょおいおいおわあああ!!!」

 

 

 

 ピカチュウが急に振りかぶってサトシに殴りかかってきた。

 思わず目をつぶり、身を縮ませる。

 さすがに歩く暴力と言っても過言ではないピカチュウの筋肉から繰り出される右ストレートを顔面に食らって無事でいられるほどサトシは頑丈では無い。

 一体何を考えて――――

 

 

 

 

 ごっしゃあ、がしゃんざざざごん

 

 

 

 

「・・・・え?」

 

 なにやらすごい音が後ろから聞こえた。

 そろそろと後ろを振り向き、懐中電灯を向けると、顔面を押えて地面に転がっている男がいた。

 

 

 

「・・・・・え?え?」

 

 

 何が起きたのか全く分からない。

 分からないのだが――――

 

 

 

 

「あいたたた、何をするんだ、痛いじゃあないか。」

 

 

 

 地面に転がっているのは先ほどサトシと話していたやまおとこ。

 それだけ見るならば、ピカチュウがまた粗相をしでかしたことに冷や汗を感じるところではあったのだが、今回ばかりは事情が全くと言っていいほど違っていた。

 

 

 

「急に殴ってくるだなんて、ひどいなあ。」

 

 

 

 変わらずのんびりとした口調で話すやまおとこ。

 その表情は、まだ手で押さえていて判別できない。

 

 

 

「いきなり人に危害を加えるなんて、いけないことだぁ。」

 

 

 

 男の言うことは最もだ。

 急に目の前で巨大な男が顔面を思いきり殴ってきたらそりゃ怒るだろうし、理不尽だなとも思う。

 サトシ自身もその言葉には同意だ。反論の余地は無い。むしろ謝らなければならないところではあるだろう。

 

 しかし、こと今現在の状態において、サトシは謝るなんて選択肢をとるという思考すら無かった。思いつきすらしなかっただろう。なぜなら―――

 

 

 

 

「やまおとこさん―――――あの・・・・・」

 

 

 

 

 サトシはゆっくりと、そして警戒心を最大にして問いかける。

 

 

 

 

「なんだい、少年。」

 

 

 

 やまおとこも、その声にゆっくりと優しく反応する。

 最初から全く変わらない、優しくおおらかな声だ。

 

 

 

 

 

 

「なんで――――――――――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「服を着ていないんですか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 裸の男が応える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「抱きしめるのに、服は邪魔だろう。」

 

 

 

 

 さも当然のように、変わらない口調で、そう言ったのだった。

 

 

 



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第九十四話 暗闇のバトル

「え?え?」

 

 

 まるで意味が分からない。

 抱きしめる?裸?なんで?

 

 

 次から次へと疑問が噴き出てくる。

 何一つ理解ができない。理解できる要素が無い。

 

 

 

 サトシが内心慌てふためいていると、目の前で裸の男が立ち上がった。

 筋肉質な身体をしているが、胸も足も毛が多く生えており、場所が暗いこともあって、ほぼ真っ黒に見える。

 殴られた顔面はまだ痛いのか、右手で覆うように押さえておりその表情はまだ確認できない。

 隙間から覗く口元だけで、その考えを把握するしかない。

 

 

 

「なにを不思議そうにしているんだい。目の前にかわいいかわいい少年がいるんだ。抱きしめる以外の行動をとるなんて、それこそ失礼だろぉ。」

 

 

 

 そう言うと、男はようやく顔の痛みが治まったのか、右手を降ろし、サトシの方を見る。

 その顔は紅潮しており、息遣いが荒い。先ほどよりも目つきが鋭く、逃がさないといった感情を帯びているようだった。

 

 

 

 

「まったく、少年の連れがいなければそのまま抱きしめて寝そべって優しく撫でてしゃぶってしてあげたのにぃ。でも逃がさないよぉ。」

 

 

「ひぃいい!ピカチュウ助けて!!!」

 

 

 

 

 ――――――あ、と思ったが手遅れだった。

 つい口に出してしまった。何を言っているのか、と勘違いされるように祈るサトシではあったが

 

 

 

 

 

「ピカチュウ、なーるほどぉ。暗くてわからなかったなぁ。」

 

 

 

 

 残念ながら認識されてしまったようだ。

 そしてそれは、この男が裏の住人だということを意味する。

 

 

 

 

「ただの大男じゃないってことだぁ。それじゃあおれもポケモンを出すしかないなぁ。ポケモン相手じゃ、分が悪いしねぇ。」

 

 

 

 

 やまおとこは落とした服のポケットからモンスターボールを一つ取り出し、自分の目の前に赤い光を展開させた。

 

 

 

 

 

 

 

 この周辺は焚火の光である程度照らされている。

 二メートル四十センチのピカチュウの顔が認識できる程度には明るく、殴り飛ばされたやまおとこの土に汚れた裸体も揺らめく火に合わせてゆらゆら揺れて見える。

 

 

 だが、目の前のポケモンの全容を拝むことはできなかった。

 

 

 

 

 その大きさはピカチュウを軽く上回る。

 もはや顔は焚火の光はほとんど届かず、ぼんやりとオレンジ色に染まっているのみ。

 身長にして、三メートルはあるだろうか。

 体躯は強靭の一言。暴力的なまでに膨れ上がった四肢はだらりと脱力しているにも関わらずはち切れんばかりで、破裂寸前の風船のようにパンパンになっており、四肢それぞれに血管が所狭しと浮き出ている。

 

 黒いアンダーパンツのみを身にまとい、腰にはなんらかのチャンピオンベルトのような物を巻いている。

 

 この身長としては足は短めだろうか。それに反して腕は長く、太い。

 バランスとしてはゴリラに近い。だが、自分で言っておいてなんだが、ゴリラと比較など失礼ではないかと思えるほどに肥大した体躯は、ある意味壮観であった。

 

 

 

 

 

「どうだい。ぼくの肉体パートナー、ゴーリキーだ。筋肉の弾力が、抱きしめると最高に気持ちがいいんだよ。」

 

 

 

 

 やまおとこの声はもはやサトシの耳に届いてはいなかった。

 別次元の恐怖。

 今まで筋骨隆々のポケモンは多くいたが、ここまで威圧感を放つものは居なかった。

 なにより、ゴーリキーは元々がボディビルダーのような体型をしている。

 ―――最もその本来の身長は、目の前にいる巨大なポケモンの半分に満たないのだが。

 

 身長は倍。その威圧感は何倍だろうか。

 単純に筋肉質なポケモンというだけであればピカチュウで見慣れていたにも関わらず、サトシは圧倒的なまでの脅威に目を背けられずにいる。

 弱点を補うのでなく、得意分野をトコトン追及する。

 眼前のモノはまさにその極地。故に、慢心なく堂々とした立ち姿で未熟な少年トレーナーを出迎えた。

 

 

 

 

「少年、へたり込んで動かないのはあまりオススメしないなぁ。こうなったからには少しでも抵抗するような姿勢でないと、おれは楽しくないぞぉ。」

 

 

「・・・―――――」

 

 

 

 サトシは無言で後ずさりし、ゆっくりとピカチュウの元へ行く。

 見上げる形だったゴーリキーの全貌がそれでようやくつかめた。

 まさに巨人。タケシのサイドンの方が一回り大きいが、あれはどちらかというと怪獣に近いフォルムだっただけに、その大きさにも納得はできた。

 だがこのゴーリキーは人型。ギリギリ人間の身長と言っても大丈夫なピカチュウと違い、明らかに人外。人型なのに人ではない。その違和感が如何ともし難く、そこから生まれる恐怖心も相当なものだ。

 

 

 

 ピカチュウが無言でサトシの前に出る。

 裏のバトルはいつも緊張するものだが、今回に限っては別種の恐怖を感じる。

 暗いからなのか、ゆらゆらと揺れる火の光に煽られているからなのか。

 見た目以上に大きく感じる相手のポケモンを前に、さすがのサトシも不安になる。

 

 

 

 

「そのピカチュウも、なかなかいい身体をしているなぁ。抱きつきたいなぁ。その筋肉の弾力を全身で感じて、おれのこの泥だらけの身体を押し付けて擦りつけたいなぁ。ゴーリキー、殺さないように、若干の反抗心を残しつつ立てないくらいのバランスで痛めつけていこぅ。それがいい。人型のピカチュウ。しかもここまで筋肉質なのは特に珍しい。どんな味なんだろーぅ。ピチピチの少年と鍛え抜かれた人型ポケモン、うーん、今日はとってもいい日だぁなぁ。ほーら、少年も怯えていないで、服を脱ぎなぁ。解放されよぅ。」

 

 

 

 サトシは全身に感じる理不尽な寒気に襲われ、ぎゅっと自分の身体を抱きしめ、さらに後ずさりする。

 

 そして、それに合わせるように三メートルの巨人は一歩前に出る。

 

 

 

 

「ピ、ピカチュウ!十万ボルト!!」

 

「ピッカピ」

 

 なんとなく触れたくない、と思ったからか。

 珍しくサトシが攻撃の指示を出し、ピカチュウも同意なのか頬袋から激しく放電し、ゴーリキーに襲い掛かる。

 

 

 

 

「ゴーリキー、『からてチョップ』」

 

 

 

 ゴーリキーの身体を電気が這う。

 ドーピングされたピカチュウが放つ十万ボルトはかなり強力で、特殊防御の低いゴーリキーにとってはかなり痛いハズである。

 

 にも関わらず、この筋肉達磨は意に介さず、左足を地面がひび割れるほどに踏み込み、手刀の形にした右手を野球のピッチャーのように大上段に振りかぶり、力いっぱい振り下ろした。

 

 三メートルの身長において、その腕の長さは如何程だろうか。

 一般的なバランスよりも長い腕が生えているこの巨人が大きく振りかぶってその手を振り下ろす。

 ―――都合五メートル近い高さから落とされる筋肉の塊は、頭上に落下する隕石のようで、当たれば跡形も無く粉々になるのではないかと理由なく納得してしまいそうなほどの圧力を放っていた。

 

 ましてやこの闇の底のような場所。

 攻撃の出所も判断しづらい環境において、巨大な体躯から繰り出されるリーチの長い暴力は回避するのもままならない。

 

 

 直前まで発していた十万ボルトの光により、辛うじて攻撃のリーチを見定めたピカチュウは身体を逸らし、なんとか攻撃を回避した。

 

 

 

 

 ――――回避した、のだが。

 

 

 

 

 

「――――――うっそでしょ・・・」

 

 

 

 からてチョップが振り下ろされた地面は轟音と共に弾け飛び、本当に隕石が落ちたかのように陥没し、周囲に砕かれた岩の欠片と地面を撒き散らした。

 

 当然その近くにいたピカチュウも飛散した岩の欠片が直撃し、浅くない傷を体中に負うことになってしまった。

 

 

 

 

「相性が・・・よすぎる。」

 

 

 

 ポケモンのタイプではなく、地形との。

 暗闇の中で過ごしてきたやまおとこというトレーナーとそのポケモン。

 物理破壊力によって付随する武器となる岩場。

 

 普通に戦う、という条件の元であればピカチュウが勝つかもしれないが、ことこの『イワヤマトンネル』という場所において、このやまおとこは異常なまでに驚異的だった。

 

 

 

 

「避けても無駄だよーぅ。血に塗れて身体を擦り付けるのも、なかなか興味深いねーぇ。」

 

 

 

 

 

 サトシの頭の中は、けたたましくアラートが鳴り響いていた。危険だ、このままではよくない、と。

 

 

 

 

 

「―――――――――――ピカチュウ!!!!!!!」

 

「ピ?――ピカ」

 

 

 

 焚火の火にのみ照らされた表情でも、ピカチュウはサトシの意図を汲み取り、焚火を思いっきり蹴り飛ばした。

 

 その結果、まだまだ消える気配のなかった火が空中に散らばり、急激に酸素量を増やした火が一瞬だけ燃え上がり、地面に転がってその勢いを弱めた。

 

 

 

 

 

 

「・・・・あーあ、しまったなぁ。そういうことかぁ。」

 

 

 

 

 

 数秒その散らばる火を目で追いかけてしまったやまおとこは、その判断を後悔した。

 

 

 

 気付いた時にはピカチュウもサトシも闇の中に溶け込み、気配すら無くなっていた。

 

 

 

 

「久しぶりにおいしそうな男の子だったのになぁ。まあまたすぐに別の子が来るだろう。」

 

 

 

 そういうと、やまおとこはゴーリキーをボールに戻し、脱ぎ捨てて土に汚れた服を気にせず身に着け、散らばった火を集め、再度焚火を作った。

 

 

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

「―――ピカチュウ、もう大丈夫、だと思う。」

 

「ピカピ」

 

 

 サトシを抱えたまま音も無く走っていたピカチュウが少しずつスピードを落とし、立ち止まる。

 ほとんど光の無いこの空間で走れるのは、ピカチュウが夜行性であるネズミのポケモンであったため夜目が効いたことと、微弱な放電によって壁との距離をある程度測れたからだ。

 

 

 ピカチュウの腕から降り、再度ピカチュウによって仄かに照らされた周囲を注意深く確認し、何もいないと判断した後に懐中電灯をつけた。

 

 

 

「裏のトレーナーにも、いろいろな人がいるね・・・・まだ足が震えているよ。ピカチュウ。」

 

「ピッピカチュ」

 

 

 

 単純なポケモンバトルとしても驚異的だったゴーリキーではあるが、それ以上にトレーナーの性質がかなり特殊であった。

 

 ポケモン大好きクラブの会長の言葉を少し思い出し、苦い表情を隠しもせず表に出す。

 

 

 

「イワヤマトンネルはもう来たくないね。というより暗いところはなるべく近寄らないようにしよう。」

 

「ピーカー」

 

 

 この点についてはピカチュウも同意のようだ。

 先ほどの負傷をキズぐすりで回復し、少しでも早く洞窟を抜けるため、速足で進み始めるサトシとピカチュウであった。

 

 

 

 

 



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第九十五話 新しいポケモン

 暗く湿った洞窟をヒタヒタと歩いていく。

 サトシは靴を履いてるからいいとしても、ピカチュウの足はもうびしゃびしゃではないだろうか。そんなことを心配するくらいに長い間この闇の中を歩いている。

 

 

 

「・・・・長い。」

 

「ピッカピ」

 

 

 

 トンネル、と言われているのだから一本道かと思いきゃそんなことは無い。

 曲がりくねった道に、多くの行き止まり。ほとんど何も見えないので気を付けないと頭をぶつけそうになったり躓いて転びそうになったり。

 やまおとこの例もあるのでトレーナーはなるべく避けて静かに歩き、だだっ広い空間に出たと思ったら人ひとり通るのに精いっぱいな細道になったり。

 

 天然の洞窟。クチバシティから道沿いにいけたらと今更ながらに思う。

 あの時は言われるがままに回り道してしまったが、見るだけでも十三番道路を進んでみるべきだったかと後悔する。

 当時は考えることすら億劫だったので致し方ない、と自分を納得させつつも、こう足場が悪いと疲労も早い。暗闇の中ではあるが、一旦休憩することにした。

 

 

 

 

「ピカチュウ、少し休もう。」

 

 

 

 そう言うと、腰かけるのに適当な岩を見つけ、トコトコと近づく。

 リュックを降ろし、ふう、と一息つく。

 

 

「ピカチュウも休みなよ。」

 

 

 そういいつつ、岩に腰かける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ぐにゃり

 

 

 

 

 

 

「ぐにゃ?」

 

 

 

 岩とは思えない質感に、サトシは首を傾げる。

 

 腰かけた部分がサトシの身体に沿って凹み、手をついた部分の手触りも、冷たい岩ではなく、すこしひんやりする餅のような感じ。

 ねばねばはしていないが、プニプニしている。

 

 

 

「うわああ!」

 

 

 

 前につんのめる形でサトシはその岩から離れる。

 世界広しといえど、座った途端にぐにゃりと変形する岩というものは存在しないだろう。おまけにプニプニと気持ちのいい触感。

 目をつむって触っただけであれば良いのかもしれないが、懐中電灯で照らした見た目は完全に岩。

 その岩が、今はうねうねぐにぐにと波打っている。

 

 

 

 

「・・・・何、これ。」

 

 

 

 

 うねうねしている岩が、徐々にその色を変え、岩のようなゴツゴツした質感も、滑らかになる。

 ちょうどサトシが座った部分に、二つの点と線が一本引かれた。

 

 

 

 

「・・・顔?って、あ、これもしかして――――」

 

 

 

 ふと思い立って、ポケットに突っ込んでいたポケモン図鑑を手に取り、その謎の岩に向ける。

 

 

 

 ポケモン図鑑が反応し、赤いランプをピコピコと点滅させた。

 

 

 

 

「――――メタモン。イワヤマトンネルにいるなんて。」

 

 

 

 メタモン。へんしんポケモン。

 その生態は謎に包まれており、細胞のつくりを自分で変化させて、他の生物のように変身できる。

 



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第九十六話 新しい仲間

 岩とスライム状の中間の状態でぐねぐねしているメタモンをまじまじと見つめる。

 これで生き物だというのだから、不思議極まりない。

 変身能力を持つというだけでも生物離れしているというのに、スライム状の身体を改めてみてもその特異さが際立つ。

 

 ピカチュウも面白がっているが、手は出そうとしていない。

 

 

 

「・・・捕まえてみよう。」

 

 

 

 単純な興味もあった。

 正直言って、本心は新しい仲間をなるべく増やしたくは無いと思っている。

 理不尽に失われる可能性のある命をこれ以上見たくは無い。

 先に進む以上、新たな仲間は必ず必要にはなるだろう。

 それでもまだ心に傷を負って間もない今は避けるべきことだと、自分で判断していた。

 

 メタモンを捕まえようと思ったのは、このポケモンが生物離れした姿をしていたからという理由もある。

 ポケモン好きなサトシからしても、なかなか見ること敵わないレアなポケモンを目の前に、興味と好奇心が勝ったということもあるだろう。

 

 

 リュックからモンスターボールを取り出し、慎重にメタモンに向かう。

 メタモンは相対したポケモンに変身して戦う。

 下手に変身されてしまうよりは、モンスターボールを直で投げた方が安全だ。

 

 

 

 ――――とここまで考えて、自分の隣にバカでかいポケモンが立っていることに気が付いた。

 

 

 途端に冷や汗がブワっと出てくる。

 すぐさまメタモンに振り向き、モンスターボールを投げる。

 変身させてはいけない。そんな考えがサトシの脳内を支配していた。

 

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

 

「げ、ゲットできた・・・」

 

 

 

 なんという緊迫したバトルであったか。

 いや、戦ってはいないのだが、メタモンの気が変わって変身してしまったら、目の前にこのどでかいピカチュウがもう一匹現れることになる。

 そうなったら、なんとなくモンスターボールを投げても捕まえられないのではないかと感じてしまった。

 

 仕方ないことではある。なにせ、常日頃からサトシの相方はモンスターボールに全く入ろうとしないのだから。

 

 モンスターボールを三つほど無駄にしたが、無事にメタモンをゲットすることができ、サトシは一息ついた。

 

 メタモンが入っているモンスターボールを眺め、うーんと唸る。

 

 

 

「まあ、捕まえたのはいいけれど、果たしてどうバトルに組み込もうか。」

 

 

 

 一般的には非常に使いづらいポケモンだ。

 使用できる技は「へんしん」のみ。相手の技と能力をそのままコピーして自分の肉体を変化させる技。

 それだけ見ると使いやすそうに見えるのだが、自身の体力はそのままなのと、単純に変身する時間がある程度必要になるという点が問題だ。

 さらに言うと、通常のバトルにおいては許容できるかもしれないが、こと裏のバトルとなった場合、果たしてドーピングされたポケモンにも変身できるのだろうか。

 変身できるのであればかなりの戦力が期待できるのだが、そううまくいくだろうか。

 

 

 

「・・・ものは試し、かな。でてこい、メタモン!」

 

 

 地面に向けてモンスターボールを向ける。

 すでに見慣れた赤い光が、一時的に洞窟内を少しだけ明るく照らしたが、すぐにサトシの懐中電灯の光だけになる。

 

 

「メッタモン」

 

 

 薄い紫色で不定形のポケモン、メタモンが現れた。

 

 

「見れば見るほど不思議なポケモンだなあ。どうなってるんだろう。」

 

 サトシは近づいて恐る恐る触ってみる。

 

 

「おお、柔らかい。すこしヒヤッとしてる。」

「メタメタ」

 

 

 無表情なので感情を読み取ることは難しいが、特に嫌がっている感じではなさそうだ。

 サトシの手のひらに合わせて身体をうねうねぐにぐにと波打たせている。

 

 

「へぇーすごい。これからよろしくね!メタモン!」

「メタモーン」

 

 

 一通り挨拶を交わす。

 いよいよもってサトシのパーティは謎の構成になっていくが、もはやサトシにとっては気にすることもなかった。

 

 

「じゃあメタモン。さっそくなんだけど――――」

 

 メタモンの豆のような目を見つめて、サトシが最初の命令を下す。

 

 

「このピカチュウに変身してみてほしいんだけど。」

 

 

「メタ?メター」

 

 

 サトシの指示を聴き、横にいるピカチュウに目を向けるメタモン。

 ピカチュウは意味を理解してるのかどうなのかわからないが、かっこよく変身してほしいのか、両腕を上げてマッスルポーズをとっている。

 

 無論、サトシの視線はそちらには向いていない。

 

 

「メタメタ」

 

「お。おおおおお!」

 

 

 メタモンの身体がうねうねと波打ち始め、どんどんその形を変えていく。

 どんどんとその姿は大きくなり、三十センチほどしかなかった身長も、すぐにサトシを追い越し二メートルを超えた。

 

 

 どうやったら三十センチのメタモンが二メートル四十センチのピカチュウに変身できるのか。

 そのあたりはおそらく理論では説明できない部分なのだろう。

 難しいことはわからないが、目の前の現実として起きている現象のため無理やりにでも納得するしかない。

 

 徐々に波打った身体がまとまっていき、形も人型に近づいていく。

 

 数秒後、その姿は寸分違わず黄色い巨体になっていた。

 

 

「おおお、すごい!まったくおんなじ!よし、ポケモン図鑑でステータスを見てみよう。」

 

 

 

『へんしん』という技はステータスをもコピーする。だがそれがドーピング相手でも通じるのかどうか。確認しておかないといざってときにハリボテでは、一気に窮地に陥ってもおかしくない。

 

 

「えーっと、ステータスは・・・お、おお!すごい!高い!でもHPはさすがにメタモンのままか。攻撃を受けるわけにはいかないね。ほーでもすごいなあ。ドーピングでアップした能力までコピーできるなんて―――――ってあれ?ステータスがどんどん下がって・・・ってうわ!」

 

 

 

 ステータスの変化に疑問を覚えたサトシが変身したメタモンの方を見ると、姿がどんどん崩れ、うねうねと身体が小さくなっていった。

 

 

 

 そして最後には、元のメタモンよりも小さく、ぺったんこになってしまった。

 

 さすがに焦ったが、メタモン自身は特に慌てている様子も無い。

 しばらくそのまま観察していると一分ほどでムクムクと元の大きさに戻り、胸をなでおろした。

 

 

「びっくりした・・・・元に戻ってよかった。」

 

 

 メタモン自身も不思議だったのか、自分自身を見るように身体を動かしている。

 

 

 

「ドーピングポケモンに変身するのは制限がかかるのかな・・・短時間しか変身できなくて、その後はへばっちゃうとか。」

 

 

 安易に変身するのは避けた方がよさそうだ。

 それに、短時間だったとしても強力なドーピングポケモンに変身できることはかなりの利点だ。

 あとはメタモン自身に何かしらの影響がないかが心配ではあるけれど―――

 

 

 

 元に戻ったメタモンを見つめる。

 サトシの視線に気づいたメタモンもサトシを眺め、先ほどと変わらない表情を浮かべている。

 

 いや、表情といっても、点が二つと線が一本の、顔を表現するのに最低限のパーツが並んでいるだけで、細かい感情を読み取ることはできないのだが。

 

 それでも、別に嫌そうな感じではなさそうだ。

 そのへんの感情の機微も、時間が解決してくれるだろう。と思う。

 

 

 

「メタモン、一緒にがんばろ!」

「メター」

 

 

 

 苦楽を共にする、新しい仲間が加わった。

 

 

 



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第九十七話 シオンタウン

「うわっ――――まぶし・・・くない。あんまり。」

「ピカチャ」

 

 イワヤマトンネルを抜けると、外の光を全身に浴びる。

 足元すら見えない闇の中に居た反動で、その光は視界をすべて白く埋め尽くすものであるはずだったが、天気は今にも雨が降りそうなほどの曇天だった。

 時間はまだ夕方前だと思うが、本来照らすはずの太陽光は拝めず、空を見上げると今にも落ちそうな程に分厚く積み重ねられた雲が彼方まで続き、頭上一面が薄暗いグレーに染まっている。

 

 おかげで目もすぐ慣れたのだが、せっかく数時間ぶりに表にでてきたのだからもう少しお天道様にも歓迎してほしいものだ。

 いや、歓迎してくれていないのであれば、この先の旅路がひどく不安なものに感じる。

 

 そもそも希望など少ない旅ではあるので、お天道様の気持ちも言いたいこともなんとなく察しが付くが、空が曇っていたので旅を止めました、なんて理由でマサラタウンに戻るわけにもいくまい。

 

 はあ、と一つ溜息をついて、改めて周囲を見回す。

 

 

 イワヤマトンネルに入った場所はそこまで高い位置ではなかったハズだが、出てきた場所は山の中腹の少し下あたりだろうか。

 均されているとはいえ、かなり荒れている岩だらけの坂道の先にはそこまで大きくない町が少しだけ見えている。

 

 

「・・・疲れてるんだけどなあ。」

 

 

 足元すら見えない暗闇での行軍。

 ピカチュウが居たおかげで、多少周囲の雰囲気がわかったとはいえ、頼りになる光源は懐中電灯のみ。

 おまけに歩きなれない凹凸の激しい岩のトンネル。

 

 歩きやすい運動靴を履いているとはいえ、さすがに数時間岩場を歩き続けるというのは非常に疲れる。

 トンネルを抜ければすぐに町だと思っていたため、余計に疲れる感じがしたが、現実は無常だ。

 ぐるりと周囲を見回すと、ここにもトレーナーが数人歩いているのが見える。

 手持ちのポケモンを強くしたいのはやまやまだが、今は一刻でも早く町にいって休息をとりたい。

 ここは大人しくトレーナーを避けつつ、最短距離で町を目指すことにした。

 

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

 

「ふー、疲れたぁ。」

 

 町に着くと目の前にポケモンセンターがあったので、これ幸いとすぐさま入った。

 もはや少しも歩きたくなかったため、ポケモンを回復させ、そのまま宿泊施設へと移動した。

 

 夕食を食べたいという視線を随分高い位置から感じたが、リュックから保存食をいくつか黄色い手の上に置き、サトシはそのまま眠りに落ちた。

 少し不服そうな顔と、手にパンのようなものをいくつか載せた姿はいささか哀愁を感じるものがあったが、もはや一ミリも動きたくないという思考が先行し、自分の体を休めることを優先したサトシだった。

 

 

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

「ふわあああ・・・」

 

 

 窓から入る光を浴び、目を覚ます。

 時計を見ると、まだ随分と早い。

 疲れていたとはいえ、さすがに夕方か夜かという時間帯に安んだのは早すぎたようだ。

 まだ虚ろな目を擦り、のろのろとベッドから起き上がり、洗面台で顔を洗う。

 

 

 

 不細工な寝ぼけ面からシャキッとした少年の顔に戻り、ふう、と小さく深呼吸をする。

 ふと窓の外を見ると、昨日程ではないが曇っている様子。

 ここ最近はずっと晴れていたように感じるだけに、曇天が継続すると否応なしに重い気分になる。

 だが、この程度の気分で止まるサトシではない。

 これの百倍は暗い気分が何度もあったのだ、今更この程度でどうということも無い。

 

 一通り準備が終わってしまったので町に出たいところではあるが、さすがにまだ早い。

 ようやく普段起きる時間になろうかという頃だ。

 

 ピカチュウもまだ寝ているし、リュックの整理でもして足りないものを把握しておこう。

 

 そう考えてリュックを引き寄せ、ベッドの上で中身を一つずつ出して確認していく。

 

 

「―――モンスターボールはまだある。キズぐすりはもう無いか。買っておかないと。」

 

 急に巻き込まれるバトルが多いため、キズぐすりは多めに持っておく必要がある。

 とはいえ、それ以外の道具は少ない。

 リュックの多くを占めているのは食料である。

 

 

「―――食料が占めている、のだけれど。」

 

 

 無い。

 

 悉く食料が無い。

 

 サトシの朝ごはんすら無い。

 

 

 昨日はあった。

 寝る前は、確かに。

 

 

 ピカチュウに二つか三つか渡して・・・

 

 

 

「―――――」

 

 

 

 サトシはすくっとベッドから腰を上げ、寝息を立てているピカチュウの元へ歩く。

 うつ伏せに寝ているピカチュウの手を掴んで持ち上げると、くしゃくしゃになったビニールの山。

 

 

 その数を数えると、持っていた保存食の数と大体一致する。

 

 

 

 ああそういうことか。

 

 

 このピカチュウは疲労で爆睡しているわけではない。

 

 たらふく食べて、お腹いっぱいで寝ているのだ。

 

 

 

 

「―――――・・・・はぁ。食料、たくさん買っておかないと。」

 

 

 

 もはや何も言うまい。

 ポケモン用のフードだけ綺麗に残されたサトシのリュックの食糧事情。

 

 仕方がない。自分の朝食はしばらく我慢するとして、ポケモン達に朝ごはんを出すとしよう。

 

 

 

 モンスターボールからポケモンを出しつつ、それぞれの好きなポケモンフードを与える。

 クラブ、サンド、コイキングと与えている中、はたと気づく。

 

「・・・そういえば、メタモンは何を食べるのだろう。」

 

「メタ?」

 

 予備で買っておいたものをいくつか並べると、興味を持ったものが一つあるようだ。

 

「お、それが好きなのか。ええとその味は・・・ぶどう味?ああ、紫だものね。ってそんな感じでいいの?」

 

「メッタモン」

 

 

 それでいいらしい。

 

 ともあれ、一時の平和な時間を過ごしつつ、ピカチュウが起きるのを待つサトシだった。

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

 ピカチュウが起き、随分と軽くなったリュックを背負ってポケモンセンターのロビーに出る。

 来るときは疲れすぎて周囲が見えていなかったからか何も気づかなかったが、随分と空気が重い。というか暗い。

 いつも底抜けに明るい看護婦さんだけは変わらないため、周囲とのギャップでより明るく見える。

 

 なんだろうこの感じは、と眉を寄せて様子を見ていると、サトシのシャツの裾をくいくいと引っ張られ、顔をそちらに向けると、小さい女の子がこちらを見ている。

 歳は五、六歳といったところだろうか。目をまんまるくし、世の中がキラキラしたもので埋め尽くされているのだと主張しているかのようなキラキラの視線でサトシをじっと見つめている。

 

 

「きみ、どうしたの?」

 

 

 少し笑顔を作り、女の子に話しかける。

 遊び相手が欲しいのかな?とかその程度の軽い考えで女の子の目を見つめ返す。

 

 

「あのね、あのね、おにーちゃん。」

 

 

 可愛らしい声でサトシに声を掛ける。

 サトシは少し癒されながら、なんだい?と応える。

 

 

「えっとね。おにーちゃんは、ゆーれーってしんじる?」

 

 

 ポカン、とするサトシ。

 質問が予想外だった所為だろう。しかし、いろんなことに興味を持つ子供のことだ。

 きっとおばけの絵本でも読んだのだろう。

 

 

「ゆうれいかー、おにいちゃんは見たことないなあ。」

 

 

 脅かすのも趣味が悪いし、否定するのもどうかなと思い、サトシは無難に見たことない、と答えた。

 

 

「そっかー、じゃあきのせいかな。」

 

 

 女の子の視線が、サトシの目から少し外れ、ちょうど肩くらいのところに向けられる。

 

 

 

 

 

「おにーちゃんの右肩に、白い手が置かれてるなんて私の見間違いよね!あーよかった!」

 

 

 

 女の子はようやく笑顔になると、たたたた、とロビーを横断し、ドアを開いてポケモンセンターから姿を消した。

 

 

 

 

 

 

「―――――――――――――え?」

 

 

 

 



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第九十八話 ゆうれいは存在するか

「肩に、って、え?どういう、こと・・・?」

 

 

 その問いかけに答える人はもういない。

 そしてもちろん、肩を見てみてもそこに何もありはしない。

 

 

「い、いたずらだよね。は、はは、おにいさん騙されちゃったなーははは。ピカチュウ、少し距離置くのやめて。やめて。」

 

「ピッカピー」

 

 

 何故か二メートル程距離を置いて立つピカチュウ。

 冗談なのか、動物の勘のようなものなのか。

 どちらにしても勘弁してほしい。

 

 ただ、もし幽霊などというものが存在するのであれば、サトシの肩や背中に手を置いている可能性は否定できない。

 目の前で命が霧散したことは何度もあるし、サトシが起因となるものもいくつかある。

 

 いままでに失われた命を思い出す。

 とても笑って思い出せる内容ではないが、決して忘れてはならないことだ。

 忘れてしまったら、それこそ心から闇に染まってしまい、間違うことなく狂人の誕生だ。

 

「まあ、トランセルとスピアーには、憑かれていても仕方ないね。」

 

 自分の責任によって失われた仲間を思い浮かべ、自嘲気味に笑う。

 サトシの事を恨んでいるだろうか。

 それとも、見守っていてくれるだろうか。

 

 後悔もするし、悔やみもする。

 なればこそ、これ以上仲間を失うことは許されないし、するつもりも無い。

 それだけは守らなければ、と改めてサトシは決意する。

 

 

 ピカチュウに、いくよ、と声を掛け、引き連れてポケモンセンターを出る。

 

 ドアを押して出ようとする時に、ふと思い、口に出る。

 

 

「・・・マチスに憑かれるのは嫌だなあ。」

 

 

 つい出てしまった言葉はそのままロビーに残され、サトシはポケモンセンターから外へ出た。

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

「なんだろう―――やっぱり空気が重い。ここがシオンタウンか。」

 

 

 シオンタウン。

 町をぐるりと見回すと、背が低い建物が大半。

 その中に異質ともいえるほどに背の高い塔が聳え立っている。

 

 歩いている人に訊くと、ポケモンタワーと言うらしい。

 死したポケモンを埋葬し、祈るために建立された魂の安らぐ場所。

 有体に言うならば、ポケモンの墓地である。

 

 

「墓地・・・・もしかして幽霊とかでたり?いや冗談ですけ」

 

「幽霊?ああ、最近はよく見るね。今は塔に行かない方がいいかもね。なんか、魂の居所が悪いみたいだよ。」

 

「・・・幽霊、出るんですか。」

 

「うん。よく出る。なんの幽霊なのかはわからないんだけどね。シルフスコープがあればなあ。」

 

「シルフスコープ?」

 

「知らないかい?シルフカンパニーが開発した、見えないものを見えるようにする機械だよ。それがあれば僕もラッタに会えるかなあ。」

 

「・・・ありがとうございます。」

 

「うん、塔に入るときは気を付けてね。それじゃ。」

 

 

 力なく手を振って、男はフラフラと町の中を歩いていった。

 

 

「―――シルフスコープ、ね。」

 

 

 

 シルフカンパニー。

 言わずと知れた、ポケモン業界に革命を起こし続けている開発会社だ。

 モンスターボールはもちろん、ポケモンに与える道具もポケモンセンターの仕組みも、ほぼすべてがシルフカンパニーの関わるところだ。

 カントーで最大規模ともいえるこの会社が開発した、とあれば噂話であっても信憑性はかなり高いだろう。

 見えないものが見える、なんて眉唾な能力を持った機械が開発されたとしても不思議ではない。

 

 もっとも、それを何に使うつもりなのかという部分に触れると痛い目にあいそうなので、疑問は心の奥深くにしまっておくことにする。

 

 

 サトシは自分の中でうんうんと自身を納得させた。

 

 

 ポケモンタワーには、信じ難いことだが幽霊がちゃんといるらしい。

 いや、別に疑うわけではないのだが、どうしても非現実的なことに対してなんの理由もなく首を縦に触れるほどサトシはお子様でも夢想家でもなかった。

 しかし、実際に塔にいって幽霊に挨拶してくるというのも考え物だ。

 

 ・・・別に怖いとかそういうのではなく。

 ほら、幽霊の機嫌がすごく悪いという話だったし。

 

 ともあれ、そのシルフスコープというものがあれば、ポケモンタワーで幽霊を見てみるのもいいかもしれない。あくまで手に入ればの話ではあるが。

 

 それに、自分のポケモン―――トランセルとスピアーはここにはいない。

 きちんと、想いを込めて埋葬した場所がある。

 他人様の墓地を興味本位で踏み荒らすというのも趣味が悪い。

 

 この町は意味も無く滞在する場所ではないだろうし、ジムリーダーがいる町でもない。

 大人しく次の町へ行くことにしよう。

 

 

 サトシはそう決めると、次の目的地を定める。

 

 

「えっと、町から出るには南側と西側・・・南側はクチバシティにつながっているから、まだ通行止めになってるかな。戻っても仕方がないし。西に抜けて、タマムシシティかヤマブキシティに向かおう。」

 

 

 タマムシシティにはカントー唯一の巨大デパートがあるらしい。一つ食べるとお腹いっぱいになる美味しい保存食とか売ってないだろうか。

 

 

 かなり切実な食糧事情を考えつつ、その原因である黄色いでっかいのを引き連れ、サトシはシオンタウンを後にした。

 

 

 

 

 

 



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第九十九話 タマムシシティ

忙しい。それにしても、しばらくまったり日常話ばかりになるのだろうか。
それはいけない(使命感


「通行止め?」

 

「そーなんです。すいませんね。」

 

「どうして?」

 

「すいません、わたしもよくわからないんです。急に言われまして。」

 

「そうですか・・・」

 

 

 ここはヤマブキシティへと続く関所。

 シオンタウンから西へ進むとたどり着く場所で、通常であればここを通ればヤマブキシティに行ける。

 ヤマブキシティにはシルフカンパニーもあるので、シルフスコープの情報が得られればとも思ったのだが、なぜか今は通行止めになっているようだ。

 理由を訊いてもわからないという。

 関所のお兄さんもあまり興味がないのか、言われたことをやっているだけのようだ。

 

 長い時間ここにいるのか、その表情からは疲れが垣間見える。

 

 

 少し引っかかるものはあるが、強行突破したところでいい事など何もない。

 別に道が途絶えたわけではないので、もう片方の道へ進むことにする。

 

 

 関所の隣にはタマムシシティへの連絡通路があり、ここを通ればすんなりタマムシへ行くことが出来る。

 ヤマブキへはその後行けば良いだろう。

 

 

 

「デパートもあるしね。ピカチュウ。」

 

「ピッカピ」

 

 

 心なしか嬉しそうなピカチュウを横目に、サトシは連絡通路へと進んでいった。

 

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

 タマムシシティ。

 カントーで唯一の巨大デパートに、たくさんの人が出入りするホテル、ゲームコーナーなど数多くの施設が所せましと立ち並んでいる。

 そしてもちろん、ポケモンジムリーダーもいる。

 考えるだけで億劫になるのだが、この旅の目的の一つなだけになんとも言えない気分になる。

 

 しかし、それも情報の上でだけ。

 実際に見るとなると―――

 

 

 

「うっわーーーー!!!!でかい!!広い!!すごーーーーい!!!」

「ピッカピー」

 

 

 連絡通路を出て、タマムシシティを目の前にしたサトシは真っ先にその気持ちを言葉に出していた。

 巨大な建物。人の多さ。街並みの広さ。

 そのどれをとっても規格外。サトシの記憶の中には映像の中でしか存在しえない物ばかりだった。

『ビル』なんて概念など無かったサトシにとって、巨大なビルが立ち並ぶタマムシシティは夢かファンタジーかといったように見えているだろうか。

 興奮するのも無理は無い。

 当然ながらこの興奮を押さえることはできず、変装したピカチュウの手を引いて一番巨大な建築物―――タマムシデパートへ駆けて行くのだった。

 

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

「眩暈がしそう・・・」

 

 

 

 サトシの身長よりも高い棚が延々と並んだ店舗内。

 中央には巨大なカウンターに何人も並んだショップ店員。

 しかも一フロアで終わりでは無い。

 一階に案内カウンターがあるのも頷けるというものだ。これでは目的の物を見つけるだけで日が暮れる。

 これが何フロアも上に続いていると聞いただけで眩暈がしそうなほどだった。

 タマムシの住人は日ごろからこのデパートに出入りしているのだと考えると、休日に困ることはないな、などと田舎者丸出しの考えを惜しげも無く披露しつつ、案内してもらった食料品のコーナーへトコトコと歩いていくサトシだった。

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

 さすがに一つ食べれば体力も満タンになりお腹もいっぱいになる豆みたいな便利なものは売っていなかったが、やはり今までのフレンドリーショップとは比べ物にならないほどの品ぞろえで、サトシもピカチュウも目移りしてしまった。

 保存食はあくまで保存食。お腹を満たして栄養を摂取することが目的ではあるのだが、美味しいものは非常に少ない。

 むしろ長期間歩き回るのに必要なのは栄養なのであっておいしさでは無いのは当然のことだ。

 

 しかしサトシはまだ子供でおいしいものに飢えているというのもあるし、なによりもピカチュウの存在。

 美味しい物以外は好んで食べようとしない。

 食べるものが無ければ嫌々食べるのではあるが。

 

 ゆえにこのタマムシデパートの品ぞろえは感謝するしかない。

 美味しい保存食の数々は、サトシの時間を根こそぎ奪っていった。

 

 

 ホクホクの顔で売り場を離れた時にはここに来てから二時間近く経った後だった。

 

 

 

 

「さて、買うものは買ったし、ぐるりと商品を見てみようか――――」

 

 サトシの言葉が詰まる。その視線の先には

 

 

『ドーピングアイテムはこちら』の文字が書かれた看板が天井からぶら下がっており、ショーケースに並べられたアイテムを数人がまじまじと眺めている。

 

 

「ドーピング・・・」

 

 

 市販されているドーピングアイテム。

 サカキ曰く、金額の割に効果がほとんどない詐欺アイテムと酷評されていたが、やはりアイテムを利用するだけでポケモンを強化できるというのは魅力的であるようで、そこそこの人気はあるようだ。

 

 サトシも少し気になり、ドーピング売り場に近づいてショーケースの中をのぞいてみる。

 

 そこには六種類のアイテムが置いてある。

 

 タウリン、ブロムヘキシン、インドメタシン、リゾチウム。

 この四種類に、それぞれ九千八百円と値札がついている。

 そしてマックスアップとふしぎなアメには非売品と書いてある。

 

 

 ステータスを上げるアイテムとしては、単品で使ってもあまり効果が無い。

 ポケモンのレベルが低い時にある程度まとめて投与することでそこそこの効果があるようだが、裏の世界に浸っているサトシから見てもあまり安いとは思えないこの金額。

 飛ぶように売れる、という代物ではやはり無いようだ。

 

 当然だよね、と心の中でつぶやく。

 表の世界でのドーピングとは所詮この程度の存在なのだ。

 本来の在り方。オーキド博士達が調整したであろう、危険の無い形。

 

 裏の世界こそが異常なのだ。

 

 

 やはりドーピングアイテムなんて無い方がいい。それを達成するために自分がいるのだ。

 

 

 

 サトシはあらためて決心して、売り場を離れた。

 そして、デパートを今度こそ一周するためにピカチュウと共に昇り階段へと足を運んだ。

 

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

 

 一番上の階まできて一通り見たので、下に降りるかと思ったが、もう一つ上にいける階段を見つけて昇ってみると屋上に出た。

 いくつかの自動販売機とベンチが点在しており、一応憩いの場としての体裁を保っている。

 

 

 

「ジュース、飲もうかな。ピカチュウも飲む?」

「ピカピ」

「じゃあ買ってくるね。」

 

 

 言葉は通じていない。

 だが、まあピカチュウは飲むだろうなと特に理由の無い確信めいたものがあっただけだ。

 

 

 

「おいしいみず、サイコソーダ、ミックスオレと。」

 

 

 少し悩み、ミックスオレを二つ買う。

 

 

 小さ目の缶がゴトンと落ちてくる。

 それをもってピカチュウの元へ行き、一つ手渡す。

 

 

 

「おー、久しぶりのジュース。」

 

 

 ベンチに腰掛け、ジュースを飲みながら缶を眺めると、『ポケモンも大好き!体力満タン!』と書いてある。

 

 

「へー、ポケモンも飲めるんだ。体力回復するのかな?どう?ピカチュウ。」

 

「ピッカー」

 

「何本か買っておこうか。バトル中にジュース飲んでる余裕は無いと思うけど。」

 

 

 飲み終わった缶をゴミ箱に放り込み、再度自販機へ行っていくつか買い込む。

 自販機でわざわざおいしい水なんて、とも思ったが、喉が乾いた時に水が一番飲みたくなることもあるなと思ったので三種類とも買った。

 サトシの今の資産からするとこの程度の出費は無いようなものだった。

 

 

 

 

「よーし!タマムシにはジムがあるし、先ずは行ってみようか。」

 

「ピカー」

 

「今日はもう夕方だから、明日ね!」

 

「ピッカチュー」

 

 

 

 結局タマムシデパートしか行かず、ゆっくりと晩御飯を食べて、タマムシシティの初日は終わるのだった。




まずはジムへ。


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第百話 タマムシシティジム前にて

「うほー、かわいこちゃんがいっぱいじゃわい。」

 

「おじさんなにしてるの?」

 

「ピッカチャ」

 

 

 日を改め、たっぷりと寝てたっぷりと朝ごはんを食べた後、サトシはタマムシシティジムへ来ていた。

 街中探して見つからず、素直に道行く人に尋ねたら、クチバシティジムのように入口が基本封鎖されているということだった。

 

 その場所を教えてもらい、いあいぎりで突破し、ジムの前にいざ来てみたらジム内をじっと見つめている男がいたので様子を見たところが、現在の状態だ。

 なにやら怪しすぎる男だったので少し引いて見ていたのだが、とうとう我慢できずに話しかけてしまった。

 これにはピカチュウもあきれ顔だ。

 

 

「ん?なんじゃ子供か。別に怪しいことなんかしとらんわい。げへへ。」

 

「怪しすぎてどうしようもない。」

 

「あんたも見るか?ちょうどあんたくらいの歳の子が多いぞい。うへへ。」

 

「歳?」

 

 

 怪しいが、別に嘘をついているわけでもなさそうだし、なにより欲望に忠実なのが目に見えてわかる。

 

 何に興奮してるのかはわからないが、少し気になったのでサトシも覗いてみる。

 ただの偵察だ。ジム内の偵察。うん。

 

 そう心の中で反芻してそろりと中をのぞき込む。

 

 

 

 中はとても華やかだった。

 

 

 

 

 

 色とりどりの花、すらりと伸びた木々、青々と茂った葉っぱ。

 あらゆる綺麗で美しい植物が整理されて並んでおり、且つ美しい状態で保たれている。

 カントーでも見たことのないものがたくさんあるし、なにより室内であそこまで育て上げるのは至難の業だ。

 それだけでも見ごたえのあるものだったが、怪しいおじさんが見ていたのはもう一方の方だ。

 

 

「かわいいこ、ばっかり。」

 

 

 古今東西の美少女を集め切ったのではないか、とも思える美形揃い。

 そして全員女の子だ。

 ミニスカートを履いた子もいれば、大人し目の服装の子もいる。

 楽しそうにおしゃべりをしている様子もあるし、ゆったりとまどろんでいる子もいる。

 そして、男性は一人たりともいない。

 四方八方見渡しても、女性ばかり。

 

 花を愛でる女性の園。

 タマムシシティジムの最初の印象はそんな感じだろうか。

 

 

「どうじゃ、いい景色じゃろう。ぬふふ。」

 

 

 横で頬を赤らめて嫌らしい目つきで窓に顔をこすりつけている男を細くした目で睨んだ。

 無視しようとも思ったのだが、なんとなく癪だったので一言だけ返事をする。

 

 

「そうですね。とりあえず、これから入ろうという気はかなり削がれました。」

 

「なんじゃあんたトレーナーか。エリカは強い女子だぞー。にょほほ。」

 

「エリカ?」

 

「そうそう。ジムリーダーの名前。しかもおしとやか。まさに大和撫子。そして草ポケモン使わせたら右に出る者はいないんだ。強い女の子も素敵だーぬぽぽ。」

 

「(ぬぽぽ?)草ポケモン・・・!」

 

 

 

 タマムシジムのリーダーはエリカというらしい。

 そして、草ポケモンの使い手。

 

 

(草か・・・相性としては良くも悪くもない。でもいままで戦った経験もないし・・・どんな戦い方をしてくるんだろう。)

 

 

 今までに見た裏のトレーナーが使っていた草ポケモンは、ナッシーやフシギバナが記憶に残っている。

 ・・・凄惨に敗北してしまったが。

 エリカがフシギバナを持っている可能性はあるだろう。

 そうすると使う技ははっぱカッターやソーラービームだろうか。

 ―――どれも非常識な威力をしていることは想像に難くない。

 

 ソーラービームに至っては、破壊光線程度の威力はやはりあるのだろうか。

 そう考えると迂闊にバトルは挑めない。

 どうにかして相手の戦力を確かめる方法はないだろうか。

 

 

 サトシは過去の経験からいろいろなことを想定する。

 だが、所詮は想像である。見てもいない、戦ってもいない相手の戦力を分析するなど若干十四歳のできる芸当ではない。

 

 

 それでも考えられるところはあるだろうと、うーんうーんと唸って頭をひねる。

 

 その悩む様子を見る隣の男。

 

 

 

「・・・・便秘かい?」

 

「違います。」

 

 

 そんな無駄なやり取りをしていたのだが――――

 

 

 

 

 

 

 

「あんたら、なにやっとんの?」

 

 

 

 

 

 先ほどのサトシと同じような問いかけをしてくる男がいた。

 

 

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

「そか。おまえもトレーナーか。―――ジムに挑戦するんだろ?なんで窓からこそこそ中みとんの。」

 

「それはまあ、いろいろとありまして・・・」

 

「ふーん。すぐ行かないんなら、俺が先にいくぜ。―――まあ、窓から覗いてても俺の戦いは見れないと思うけど。」

 

「?それってどういう―――あ、そういう、いやなんでもな」

 

 何かを察し、すぐに口を塞ぐサトシ。

 

「あん?なにいって・・・そうかお前。こっちか。なら尚更だ。先にいかせてもらうぜ。」

 

「ど、どうぞ・・・」

 

 

 

 少しだけ会話をすると、男は颯爽とジムの中へ入っていった。

 開いたドアから黄色い歓声が聞こえたが、すぐにドアが閉じ、聞こえなくなった。

 

 

「ん?あの若者もトレーナーかね?エリカに挑むなんてなあ。」

 

「・・・そうですね。」

 

「さあて、そろそろ帰るとするかな。今日もたっぷり見させてもらったしな。きみはどうするんだい?」

 

「僕は―――あの人が戻ってくるのを待ってます。」

 

「そうか。トレーナーだものな。情報は大事だものな。エリカは強いぞーにゅほほ。」

 

 

 変な笑い声を残して、男はサトシに背中を見せてスタスタと歩き去って行った。

 

 なんとも言えない視線でそれを眺め、男が見えなくなったらくるりとジムに振り返った。

 もしかしてピカチュウいなかったりして、とも一瞬考えたが、今回はまだいたので安心した。

 ジムの近くでピカチュウから目を離すのは自殺行為だと何度も経験しているにも関わらず、自分は学習しないらしい。

 ともかく、先ほどの男が戻ってくるのを待ってみよう。

 明言しているわけではないが、間違いなく裏の住人だろう。

 バトルになったとしても一、二時間もすれば戻ってくるハズだ。

 

 ―――――戻ってこれる状態であればの話ではあるのだが。

 

 

 不安ではある。

 だが、相手は物腰穏やかなお嬢様というらしいではないか。さすがに命を奪うことまではするまい。おそらく。たぶん。きっと。

 

 ・・・か、カスミは例外だから!カスミは、なんかこう、あれだから!大丈夫!

 

 

 

 自分の中で謎の自問自答を繰り返しながら、先ほどの男の帰りを待つ。

 待ったところで情報が手に入るかどうかはわからないが、それでもなにかしら得る物はあるだろうと思う。

 期待しているわけではないが、どちらにしろ今ジムに入ったところでエリカと相対することはできない。

 普通のトレーナーの振りをして戦うにしても、戦えるポケモンはクラブにサンドにメタモン。メタモン以外は弱点だ。とても真っ当に戦える相手ではない。

 

 

 

 草叢の上で駆け回っているピカチュウをぼんやり眺めながらイメージトレーニングを重ねる。

 たとえば、あのフシギバナが相手だったらどう戦うだろうか。ナッシーが相手であればどうか。それとも、すごく強いマダツボミなんかがいたらどうだろうか。

 

 今まで自分が遭遇した草ポケモンを思い浮かべ、自分の中で強いポケモンに変えてみる。それをピカチュウと戦わせてみる。

 

 

 

 

「・・・・全然わからない。」

 

 

 

 頭で考えるだけ―――とはいえ、イメージトレーニングとは意外と高度な技術だ。

 正確に能力を把握しているだけでなく、具体的に三次元を脳内に作り上げて、さらにそこで不確定要素を交えながら数十パターンもの展開を考えていき、勝利パターンを作り上げていく。

 

 経験も知識も少ないサトシにとってはそれは難易度の高すぎることだった。

 類稀な空間把握能力も、百手先を読める力も無い。

 サトシの行うイメージトレーニングは、なんとなく不安を消し去ることができるという、云わば自己暗示に近いものだった。

 本来のイメージトレーニングとは目的の違う行動ではあるが、サトシなりに効果のあることではあったようだ。

 

 

 ここは人目も無いためか、ピカチュウも正体を隠すつもりもなくその高い身体能力で飛んだり跳ねたり走ったりしている。

 

 

 

 

 

 いろいろなことをボーっと考えながら座っていると、刻々と時間は過ぎ、変な笑い方の男と別れてから二時間が経過したが、ジムに入ったトレーナーが戻ってくることはなかった。

 

 

 

 



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第百一話 挑戦

 結局、日が落ちるまで待っていたが、ジムから誰も出てくることはなかった。

 裏口とかあるのかも?とも考えたが、それも考えたところで結論は出ない。

 

 ジムの普通のトレーナーが出てきてもなんて反応してよいかわからないため、この日はそのままピカチュウを連れてポケモンセンターに戻った。

 

 

 ベッドに腰掛け、今日の事を改めて考える。

 あの男はエリカに殺されてしまったのだろうか。

 裏のバトルである以上、その可能性は当然あり得るし、しかもジムリーダー戦だ。

 その可能性はかなり高いとも思える。

 

 そしてそれが事実なのであれば、エリカの性格は、タケシのようにきちんと会話できる精神構造をしていないということにもなる。

 であれば、サトシも状況次第では帰らぬ人に・・・・このポケモンセンターの景色が最後に見る光景に・・・

 

 

 ぶんぶんと頭を振って今の考えを消し去る。

 当然ながら簡単に消えてくれるほど人間の脳内は簡単にはできていないため、悶々と頭の中に残り続けるのではあるが。

 

 

 これ以上考えても無意味だ。

 なるべく多くのアイテムをそろえて、エリカに挑戦するしかない。

 

 

 新しくポケモンを捕まえ―――たところで何が変わるというのか。

 むざむざと死にゆくポケモンはなるべく増やしたくはないし、なにより信頼関係のできていないポケモンをいきなりジムリーダー戦に投入しようというのか。

 それはもう、なんと言われようとも許容できることではない。

 

 

 

「・・・・寝よう。」

 

 

 

 たっぷりと考えた後で、サトシは眠りにつくことにした。

 寝ればある程度考えが整理されるだろうと、人間の脳みその構造に任せて、自分は早めに体力回復に努める。

 

 すでに寝ているピカチュウを数秒眺め、そして横になるとごそごそと毛布をかぶり、最後かもしれない夜を、あまり考えないようにして目を閉じ、やがてすぅすぅと穏やかな寝息だけが聞こえてきた。

 

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

 

「ポケモンは捕まえないと言ったけど、見るくらいはいいよね。いや、レベル上げとかもあるし。」

「ピカピー」

 

 

 ここはタマムシシティの東、七番道路。

 道路というには非常に短い。サトシがシオンタウンからここへ来るのに使った連絡通路から出るとこの場所に行き着くのであるが、目の前に広がるタマムシシティに興奮してしまい、何も思うことなく通り過ぎてしまっていた。

 短いだけでなくトレーナーもいないが、ポケモンが生息する草むらだけはきちんと存在している。

 

 

「ポケモン図鑑を集めるのも大事だしね!お、さっそく新しいポケモン!いけ、サンド!」

 

「サンドー」

 

 

 出てきたポケモンはナゾノクサ。

 この後行われるジムリーダー戦に備えて、気持ちだけでも勝つために、草ポケモンをなんとなく多めに倒してみるサトシだった。

 

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

 

「サンド、『きりさく』!」

 

「サンドー!」

 

「ニャーーーース」

 

 

 野生のポケモンを倒し始めてからおよそ一時間。

 そろそろいいかなと思い、一度ポケモンセンターに戻ろうとしたが――

 

 

「サンド?」

 

 

 サンドの様子がおかしい。

 じっとうずくまり、身体全体から発光しており、その光を徐々に強めている。

 

「これは―――進化の光!ついに進化するんだね!」

 

 

 サトシは目をキラキラさせながらサンドの進化を見守る。

 サトシの手元には進化したポケモンはいない。

 光を纏って進化したポケモン達は、皆死んでしまった。

 故に、サトシにとって進化とはかなり特別なものである。

 

 完全に光に包まれたサンドはその体積を増していき、一メートル程の大きさに。

 まるっこい体型だったものが、より戦闘向きの体格に変貌する。

 

 

 光がおさまると、そこにはびっしりと背中に棘が生え、尖った耳を持つポケモン、サンドパンの姿があった。

 

 

 

「サーンドパン!」

 

「おー!かっこいい!」

 

 

 より大きくなった自分のポケモンを見て、サトシは素直に喜ぶ。

 

 

「でも、もう肩に載せたりはできないね!」

 

 苦笑いしながらサトシは言い、サンドパンも首を傾げる。

 かわいい姿だったサンドは確かに良かったが、サトシはポケモンを可愛がるために旅をしているわけではない。

 より戦い向きの身体となったサンドパン。この身体で出来る戦い方のパターンは今までの比にならないだろう。

 素直に喜び、同時に命を散らさないように最大限の注意をしていくことを心に誓う。

 

 

「再会するのがポケモンタワー、なんてことはやめてよね。」

 

「サーンド、サンドパン」

 

「うん!頑張ろう!あらためてよろしくね、サンドパン!」

 

「サーンド!」

 

 

 共に苦楽を乗り越えた仲間の進化の喜びは大きい。

 進化する兆しすら見えないコイキングと、進化なぞ死んでもしないとばかりのピカチュウ。

 進化の可能性があるのはあとクラブだけかと、すこし寂しさも覚える。

 

 だが、むやみにポケモンを捕まえるというのも・・・今はまだできない。

 なによりサトシの罪悪感がそれを許してはくれない。

 メタモンほどに生物離れしたポケモン―――いるのかどうかはわからないが―――であればとも思うが、それでも生物であることに変わりはない。

 結局はサトシの一存。ある意味、メタモンはそのサトシの一存に巻き込まれた可哀想なポケモンであるのかもしれない。

 

 

 

「で、モンスターボール勝手に投げるのやめてくれない?ピカチュウ。」

「ピカチャ」

 

 頭にメタモンを載せられてなんとも言えない感触に背筋をゾクゾクさせながらピカチュウに文句を言う。

 ひんやりしたメタモンの身体が、頭の熱を直接取っていく。

 

 

「・・・頭冷やせってこと?」

 もちもちとした感触を頭と首に味わうサトシ。確かに頭は多少スッキリしたように感じる。

 

「ピッカー?ピカピ」

 首を傾げて、サトシに載っているメタモンをうにょうにょと伸ばしたり縮めたりし始めた。

 非常にシュールな光景だが、一連の流れを見ていたサンドパンは楽しそうに両手をあげてはしゃいでいる。

 見た目は攻撃的になっても中身は基本的に変わらないようだ。当然ではあるが。

 だが、サンドの面影がしっかり残っていることになんだかんだ安心するサトシだった。

 

 

 

「ぬぐお、メタモン、それ息ができな・・・」

 

 鼻を塞がれたので口だけはなんとか死守しようともがくサトシだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて、来てしまった。」

「ピカピッカ」

 

 ポケモンリーグ公認タマムシシティジム。

 ジムリーダーはエリカ。草ポケモン使い。

 

 

 

 

 ――――慣れた、とはとても言い難い空気。

 ポケモンジムリーダーに挑戦する時は、基本的に弱気だ。

 結局昨日挑戦していたトレーナーの行方は知れず。

 

 

 どうなってしまったかは、もはや言わずもがな。

 裏のトレーナーである以上、避けては通れない展開であり、この結果である。

 いつでも付いて回る『死』という概念。

 だんだんその感覚が希薄になっているような気もするが、自分が生き物である以上、死とは恐怖そのもの。そして、自分自身に対してこそ希薄になるが、こと仲間においてはこれ以上失うことは断じてできない。

 

 ――サトシ自身にとっても、これ以上仲間を失うことにどれだけ耐えられるだろうか。

 むしろ一度、決壊寸前まで行っていたのだ。

 今の仲間に助けられたが、その仲間がいなくなってしまった時は一体どうすればよいのだろうか。

 

 他力本願ではあると思うし、自力でメンタルを整えられないことに情けなさも感じる。

 しかしそれでも、サトシにとっては仲間の存在は生命線なのだ。

 サトシ自身もそれがよくわかっている。一心同体。サトシの死はポケモン達にとっても耐えがたきものになるだろうし、逆も然り。

 だがそれを差し置いても尚、サトシはこの狂った世界を修正するために挑み続ける。

 

 

 

 



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第百二話 タマムシシティジム

「ようこそ、タマムシシティジムへ。わたくし、ジムリーダーをさせていただいております、エリカともうします。わざわざこのような場所においでくださいまして、ありがとうございます。」

 

「あ、いえいえこちらこそありがとうございます?」

 

「それで本日はどのようなご用件でしょうか。異性ばかりの場所でしょうから落ち着かないでしょう。申し訳ございません。皆、男嫌いなものでして。」

 

 

 

 

 タマムシシティジムの中に入ると、こちらに視線を飛ばした数人からキャーキャーと甲高い声が何重にもなって聞こえた。

 幸喜の声であったりもしたし、悲哀の声であったりもした。

 どちらにしてもサトシにとってはただ五月蠅いだけであるのだが。

 

 

 整然と並んでいる草木の道を通り一番奥までいくと、その人はいた。

 肩口までで綺麗に切り揃えた黒髪に、髪を抑えるために赤い手拭を頭に巻いている。

 

 上品な赤に染まった腰の高い和服を着こなしており、有体に言えば和服美人。いや、美少女か。

 カスミも対外であったが、エリカも別方向での美少女といえよう。

 服装にも表れているが、その性格もかなり丁寧でおしとやかに見える。

 

 振袖に身を包んだ黒髪の美少女は、何か現実離れした雰囲気を出しているが、その空気の正体はまだサトシにはわからなかった。

 

 

 

 

「あの・・・きょ、今日はバトルとかじゃなくて・・・その、話を聴きたいな、と。」

 

「話、でしょうか。もちろん、お話は好きですわ。草花はお好きですか?わたくしは見てのとおり大好きでして、いつもお手入れして綺麗なお花が咲くのを心待ちにしているのですわ。」

 

「なるほどー――ってそうでなくて」

 

 

 言葉に詰まったが、これ以上誤魔化しても何も生まれないとサトシは判断し、ジャケットを少しまくり、エリカにだけ見えるように黒いバッジをちらりと表に出した。

 

「あらあらまあまあ。そういうことでしたの。なるほど、話というのはそういうことでしたか。承知いたしました。それでは奥へ。客間にご案内いたしますわ。」

 

「あ、あの!すぐに戦うなんてことは―――」

 

「大丈夫ですわ。わたくしはそこまで下品ではございません。準備できてからで結構です。みなさん、この方はわたくしの大事なお客様です。手を出してはいけませんよ。」

 

 

 

 はーいエリカ様、とお世辞にも揃っていない声ではあったが、きちんと全員返事をしたようだ。

 なんというか、普通にいい人のような気がしてきた。

 あまり期待しすぎると痛い目を見るのだろうということは容易に想像できることではあるのだが。

 なにせ、ジムリーダーである。サトシの中ではジムリーダーとは世間的にトップクラスで狂っている人達のことを指すようになっている。

 

 タケシ、カスミ、マチス。本当に忘れようもないほどに印象的な人物ばかりだ。いい思い出とは限らないが。

 

 

 しかし、今日これからバトルするということは無さそうだ。

 今までも、基本的にはジムリーダーは嘘はつかない。

 ピカチュウの粗相というイベントが発生することによって前言撤回されることはあっても、自主的に嘘をつくことは誰もしてこなかった。

 

 あのマチスにしても、だ。

 

 

 とりあえずピカチュウから目を離さなければ、エリカについていっても問題はなかろうと思う。

 

 

 

(こういうところが迂闊だってのもわかってるつもりなんだけどね・・・)

 

 

 わかったところで行かなければ何も進展しない。

 不利になることは承知の上でエリカの後を続く。当然、ピカチュウの太い指は掴んだままだ。

 はたからみると手をつないで仲の良い友達のように見えるが、そんな恥ずかしい見た目を気にするほどサトシには余裕がない。

 今回は何としても粗相を防がなければ。有効な作戦が立てられなくなる。

 

 

 知ったところで有効な作戦が立てられるかは別問題ではある。

 それでも何も知らずに挑むよりも勝率があがることは間違いない。

 

(今日は話すだけ。情報収集だけ。いいね?)

(ピカー)

 

 

 ボソボソと会話していると、エリカの言う客間にはすぐに到着した。

 美しく大きな活け花、純和風の室内。椅子ではなく座布団。

 エリカは部屋に入ると、淀みない所作で下駄を脱ぎ、音をほとんど立てずに手前の座布団の前に立った。

 

 サトシも靴を脱いで、座敷に上がる。手のひらで奥へ、と誘導されたのでそのまま奥へ行って、座布団に胡坐をかく。

 そして、サトシが座ったのを確認すると、エリカもすっと座布団へ正座し、背筋をピンと伸ばしてサトシへと視線を向ける。

 

 

 それと同時に、入口の襖が小さく音を立てて開き、和服を着た少女がお盆にお茶を二つ載せて持ってきた。

 

 

 エリカを見るなり、驚いた顔をする。

 

「エリカ様!また下座に!ジムリーダーなのだから上座でよいのだとあれほど!」

 

「よいのです、サトミ。お客様は丁重におもてなしするものですよ。」

 

「でも・・・・」

 

「お茶、ありがとうございます。下がってよいですよ。」

 

「・・・はい、失礼いたしました。」

 

 

 

 サトミと呼ばれた少女は振り向かずにそのまま下がり、襖を越えたところで丁寧にお辞儀をし、また静かな音をたてて襖を閉じた。

 最後に トン という音をたてて、この部屋にサトシとエリカ、そして湯気をたてるお茶が二つ残された。

 

 

 ちなみにピカチュウは何故かエリカの隣に正座をしている。何かしらやらかさないかとヒヤヒヤするが、引っ張っても動かなかったのでこのまま進めるしかない。

 

 幸いにもエリカもこの状況を楽しんでいるようだ。

 ジムリーダーの胆力は半端ではない。

 

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

 

「ではあらためて。わたくしはタマムシシティジムリーダーのエリカと申します。この度はこのような辺鄙な所までご足労いただき、ありがとうございます。」

 

「あ、いえそんなご丁寧に。僕はマサラタウンのサトシです。」

 

「まあ、随分遠いところからおいでくださったのですね。サトシさん、お疲れではございませんか?」

 

「えっと、休んではいるので―――」

 

「そうでしたか。大変なご無礼を。」

 

「―――・・・・・」

 

 

 

 

 どうしよう、すごくやり辛い。

 

 心からそう思うサトシだった。

 今までは我が強いリーダーばかりだったので、どちらかというとサトシの方が場に流されることが多かったのだが、エリカは全くの正反対だ。

 本当に日常会話するためにここにいるのかと錯覚する。

 

 これは早く本題に入らなければ時間だけが過ぎていってしまう。

 

 

 

 よし、と心の中で勢いをつけて、注意深くエリカに問いかけをする。

 

 

 

「あ、あの!」

 

 ちゃぶ台に乗り出す勢いで問いかける。

 

「はい、なんでしょう。」

 

 微塵も動じず、それに応える。

 

 

 

 ゴクリ、と息を鳴らして、思い切って口にする。

 

 

 

「タマムシジムの―――いえ、エ、エリカさんの、裏のバトルはどのようなものになるますでしょうか!!」

 

 

 緊張のあまり若干噛んで不思議な言葉になったが、聴きたいことはこれだ。

 策謀を張り巡らす能力はサトシには無い。顔にもでるし、知識量も圧倒的に足りない。

 サトシにとって、もっとも信頼を得られるべき行動は、嘘を言わないことだ。

 サトシは一切計算などしていないが、この態度は悪い結果を招くことも多い。

 しかし、人によってはこれ以上ない、高評価を得ることになる。

 

 エリカはどちらであるかというと―――――

 

 

 

 

「うふふ、わたくし、正直な人は好きですわ。ええ、サトシさん。これで緊張していなければ満点なのですけれど、誠実さがすごく伝わってきますわ。もちろん、教えて差し上げます。」

 

 

 後者、であるようだ。

 

 

 元々笑顔だった表情をさらに綻ばせ、満面の笑みになるエリカ。

 天使のような笑顔と予想外の反応に、さすがにサトシも唖然となる。

 

 

「あら、いかがしましたか?お話が聴きたいのでしょう?」

 

 エリカの言葉でハッとなり、ありがとうございます!と元気に言う。

 そして、胡坐を解いて座布団の上で慣れない正座を組み、痺れるの覚悟でエリカの話に耳を傾ける。

 バトルになればお互いに傷つけあうのみではあるが、する必要のない話をわざわざ聴かせてくれるというのだ。

 正しい作法など知らないが、誠意は見せなければならない。

 

 

 それを見たエリカはニコリとし、姿勢を正す。

 

「ええ、ええ、とてもいいですわサトシさん。それではお話しましょう。―――そうですね、先ずは、わたくし自身の事を。」

 

 

 

 瞬きもせずに、サトシはエリカの事を見据える。

 エリカがどのような皮をかぶっているのか。

 それが今から判明する。なるべくなら、今のこの印象のまま変わらないものであってほしい。無理だろうけれど。

 

 

 

 

 サトシの思惑が伝わったかどうかはわからないが、エリカが一言、そのままの笑顔で発する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「わたくしは、お金が好きなだけ、ですわ。うふふ。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・・・・・・・お金?」

 



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【番外編】オーキド博士のドーピング☆実験室 五匹目

いそがしい。


これはオーキド博士がドーピングアイテムの研究に勤しんでいた時のお話。

ドーピングを行うことでポケモンがどう変化するかをつぶさに観察し、まとめていた時期。

博士も特に罪悪感などなく、研究者という立場でガンガンドーピングを使っていた狂気の時代である。

助手のタツロウと共に今日も今日とて生物実験に没頭する。

 

 

 

・・・本編が気になる?そんなもんは知らんなぁハハハ。

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

「ついにきたぞ、タツロウ君。」

 

「なんでしょう、オーキドはかせ。」

 

 

狂いに狂ってる日常を送っている両名であるが、今日に限っては何故かシリアスな顔をしているオーキド。

いつもは笑顔で薬物注入じゃーとか騒いでるだけであるが、雰囲気が随分と異なる。

ついそれに合わせてタツロウも真顔で返答するが、特に意味はない。

 

 

「この時を、待ちわびていたのだ。この研究を始めた時からずっと、これを、この機会を。」

 

「はかせ・・・一体なにが・・・?」

 

「ポケモン管理部に―――あるポケモンがついに仕入れられたのだ。なかなか発見できないレアポケモンなだけに、今まで時間がかかってしまったが。ついに――――」

 

「ごくり」

 

「メタモンだ。」

 

 

 

言葉を失う。

どうなるのかまったく想像がつかない。今まで数多くのポケモンをドーピングし、その変貌するパターンを記録し続けているこの二人ですら、メタモンの変貌は未知数。

変身したポケモン以上の力を得るのか、はたまたスライム状の身体そのものの能力があがるのか。

それとも想像だにできないほどの何か別の能力に開花するのか。

禁断のドーピング実験体。だからこそやる必要がある。

不可解な胴体を持つメタモンに、強力なドーピング。

考えるだけで身震いがしてくるというものだ。

 

 

「はかせ、ついにやるときがきたんでーすね。」

 

「ああ、研究者をやっていてよかったと心から思える瞬間だ。未知への探求。それこそがすべての原動力。さあ、もう手配は済んでいる。管理部からメタモンをいただいてきなさい!」

 

「おまえのものはおれのもの」

 

 

どっかのガキ大将のような言葉を残し、タツロウは研究室を出ていった。

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

チッチッチッ

 

 

時計の針の音だけが異様響く室内。

オーキドも無言で目を瞑り、静かに時を過ごす。

 

そのまま数分が経過し、異常に静かな研究室に周囲の人間が違和感を感じる頃――――

 

 

カッとオーキドが目を大きく開くのと、モンスターボールを持ったタツロウが扉を勢いよく押し開けるのは同時だった。

 

 

「きぃたかあああタツロウ君!!!」

 

「はかせー持ってきました」

 

 

満を持して登場したタツロウに、椅子を倒す勢いで立ち上がったオーキドが出迎える。

 

 

「早速!檻の中に出すんじゃ!メタモンはスライム状だから強化ガラスでな!」

 

「だしますー」

 

 

バシューと赤い光を伴ってスライム状のポケモン、メタモンが現れる。

周囲がガラスで覆われていることには特に無関心のようで、その場でうにょうにょと身体を波打たせている。

 

 

「きたか・・・ついにこの時が。」

 

「きましたねーはかせ」

 

「どうなると思う?」

 

「スライム状なので、無限増殖とか面白そうですー」

 

「それは世界が滅びるな!うわははは!」

 

 

 

一通り騒いだところで、何を考えているか全くわからないメタモンに、ドーピング薬を注入していく。

 

 

 

「さあ、終わったぞ・・・」

 

「たのしみでーすねー」

 

「期待を込めて、いつもの倍はいれてしまったぞ!」

 

「たのしみでーすねー」

 

 

 

 

メタモンは豆のような目で、二人の様子をガラスの中からじっと眺めていた。

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

「どうだタツロウくん。そろそろ効果が現れてくる時間なのだが。」

 

「まだ何も変化は無いでーすねー」

 

「ふうむ、他のポケモンに比べて馴染むのに時間がかかるのかのう。」

 

 

薬品投与からおおよそ二時間。普通のポケモンであれば大抵のものが効果が現れてもおかしくない時間だ。

だが当のメタモンは何の変化もなく、投与時と変わらずうねうねと身体を波打たせている。

 

 

「何故だ。とっくに効果は現れていておかしくない。今までもポケモンのタイプや特性によって多少時間が前後したことはあるが、概ね一、二時間で明確な変化が起きている。」

 

 

目の前の不定形の生物は変わらずその不思議な身体をうねらせている。

なにも変わらず、先ほどと同じように。

 

 

「何も、変わらず・・・?」

 

 

ふと考える。

さすがにおかしいではないか。

通常の倍の量を投与したのだ。変化しないハズが無い。

メタモンがポケモンである以上、それは絶対と言える。

もしも変化しないのであれは、メタモンはポケモンでは無い何かということになってしまう。

それは考えづらいことだ。

 

ということは、ドーピングは作用する。時間の問題か、あるいは―――

 

 

 

「すでに、変化している――?」

 

 

 

その考えに至った瞬間、異変が起きた。

 

 

 

 

「は、はかせー、メタモンがどんどん小さくなっていきますー」

 

「なに!?ついに変化が!――だが小さくなるだけなら不思議なことでは・・・」

 

 

 

二人は黙る。

目の前の光景を信じたくないが為に。

 

 

 

 

 

「「―――消えた。」」

 

 

 

 

 

忽然と、メタモンは消えた。

もともとその場所には何もいなかったかのように、空気のように消え去った。

 

 

 

「空気・・・・!!!タツロウ君!ポケモン図鑑を向けるんだ!」

 

「はいー、あ、反応はありますね。―――どんどん上昇中ですー」

 

「なんてこった!そういうことか!!!」

 

「どういうことですー?」

 

 

 

 

 

「メタモンは――――空気に変身したのだ!!!換気口から外にでるぞ!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

生物的には全く説明がつかない。だがそうとしか言えない。

不定形とはいえ固形物が、どうやったら目に見えない空気などに変化できるのか。

質量どころの話ではない。むしろその状態で再度元に戻れるかも怪しい。

 

 

 

 

「タツロウ君!外にでるぞ!換気口の出口だ!ポケモン図鑑を頼りにな!」

 

「いくですー」

 

 

 

 

ドタドタドタと、慣れない全力疾走をして息を切らしながらオーキドとタツロウは外へ駆けだしていった。

 

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

 

「タツロウ君。これはマズいな。」

 

「これは想像以上でーすねー」

 

「帰って寝るか!」

 

「そーしましょー」

 

 

 

狂気の科学者二人は肩を組んで鼻歌交じりに研究所へ戻っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

その日の夜。ある家庭のテレビでニュースが流れていた。

 

ごはん片手に流し見するのが常であったが、このニュースには誰もが箸を止め、ぽかんとしながら見入ったという。

 

 

 

本日午後三時頃。

 

 

そこそこの大きさを誇るこの町の外に―――

 

 

 

 

『全く同じ町が出現した。』

 

 

 

 

並ぶ家々も、町を行く人々も、エサを求めて吠える犬も、すべてそっくり同じものがすぐ横に現れた。

 

 

目撃した人は蜃気楼でも見たかのようにボーっと見つめていたらしい。

 

 

 

その町に紛れ込んだ人はいなかったようではあるが、間違いなくその町にはもう一人自分がいた、ということになる。

その不気味さはすでに終わったこととしても語り草だ。

 

 

 

 

そう、終わったことだ。

 

 

急に出現した全く同じ町は、ものの二十分程でまさに霧のようにその姿を消し、何事もなかったかのように静寂を取り戻したのだった。

 

 

 

 



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第百三話 お金の価値は

ようやく続き。
しかし少ないのはご愛嬌()


「お金が好きって、お金が好きってこと?」

 

「その通りですわ。お金が好きってことです。」

 

思わず同じ言葉を反芻してしまったが、もっとこう、なんというか、清楚な顔に隠された想像だにできない狂気な中身を告白されるのだと身構えていたサトシにとって、あまりに拍子抜けする内容だった。

 

あまりに普通だ。いや、これが通常なのかもしれない。むしろ今までのジムリーダーが極端だったのだ。

ポケモンを極愛する変態に人殺し厭わずのドが付くほどのサディスト、果ては時代遅れな人間奴隷を遊び道具にする元軍人。

思えば思う程に一体自分は何と戦っているのかと錯覚する面々。

ポケモンリーグの制覇を目指しているにも関わらず、心身問わず戦っているのは一癖も二癖もある人間ばかり。サカキさんから裏のバトルについて教えてもらった時に、それなりに血みどろの戦いになるのではと背筋が凍ったものだが、今となってはポケモンバトルよりもそのトレーナーの方が恐ろしい。

いや、勿論圧倒的な破壊力を持つポケモン達も驚異的ではあるのだが、重火器を操作するのはいつだって人間だ。力を持たないからこそ最も恐れる存在である、なんて小難しい本を開いた時に目に入ったことがある。

見た時は意味の分からなかった文章だが、今となっては痛いほどにわかる。わかってしまう。

若干十四歳のこの身で人間の恐ろしさなんてものを知りたくなかったがそれも後の祭り。

 

 

ともあれ、目の前にいるニコニコと清楚な笑いを続けている少女はそのような人外の狂気を纏った連中とは違うらしい。

お金が好きなだけであれば、サトシ自身も例にもれず好きだ。というか世界中の誰に質問しても9割以上は好きと答えるのではないか。

 

・・・しかしそんな当然とも思えることをわざわざこのタイミングで言うだろうか?

 

 

 

安心していた認識に陰りが出始める。

我ながら人間不信になったものだと感じたが、ことジムリーダーを相手にいくら不信に思ったところでその予想を悉く裏切ってさらに悪い方へ飛び込んでいったのだからあながち悪い判断ではない。

もしかしたら、あくまで可能性の話で、そんなことは無いとは思っているが、万が一ということもあるのだし、質問するのはタダだし、言わないと伝わらないこともあるし。

 

いろいろな理由を並べてジムリーダーの美少女、エリカへ問いかけるタイミングを見計らう。

今回は墓穴にならないだろうか、と一瞬だけ頭をよぎるが、結局のところ訊いてみないとわからない。

むしろ今回はすでに相手の懐に入り込んでいる。

互いに臨んだ場所だとはいえ、敵陣に乗り込んでいる以上は少しでも多く情報を持ち帰らなければなるまい。

・・・帰れるかどうかは運次第なのが、相変わらず杜撰な計画に吐き気がするが我慢して問いかける。

 

 

 

「あの、エリカさん。」

 

「はい、なんでしょう。」

 

余り緊張しているように見せず、若干笑顔で気軽な感じで話かける。

そう、大したことじゃないんだってことを空気感でアピールする。当然サトシにそんな芸当はできないのでひきつった笑顔ではあるのだが。

それに応えるエリカも、サトシの緊張は織り込み済みなのか気にすることなく話を促す。

 

 

「お金が好きって、その、どれくらいですか?」

 

 

なんとも曖昧な質問。しかしサトシにはこれ以上踏み入った問いかけは地雷なのではないかと自重した。その結果がこの「受け取り様によってはいろんな意味に捉えられる感じ」の質問だった。

 

 

「どれくらい、ですか。そうですね、命の次にくらいでしょうか。ふふふ。」

 

「そ、そうですか!そうですよね!お金大事ですもんね!」

 

ああよかった、普通の人よりも過激ではあるけれど、表現としては一般人と言っても大丈夫ではなかろうか。よくあるたとえ話だ。命の次にお金が大事。うん、そうだよね!お金いいよねお金バンザイ!

 

 

「ああ、もちろん、わたくし以外の命は含めておりませんけれど。」

 

 

 

あああああああああああ!!!やっぱり地雷だったあああああああああああああああ!!!!!!

 

 

 

いや、まだわからない。ほら、よくある比喩表現というものなのかもしれない。

それほどまでにお金が好き、という誇張表現な可能性も――――――

 

 

「昨日おいでくださった男性のトレーナーは大した金額になりませんでしたわ。やはり男性は高い金額が付きづらいのですね。タバコも吸っておられるようでした。」

 

「そ、ソウデスカ・・・」

 

「あ!でもサトシさんのような少年はけっこう高値がつくのですよ!内臓もキレイですし、少年好きなお方は結構いるので安心してください♪」

 

 

語尾に音符を付けてしまうような弾んだ口調で、まるで買い物ついでに好きなぬいぐるみでも買ってもらった女の子のような屈託のない笑顔で告げられてしまった言葉は、その明るい雰囲気とは反して酷く醜悪でドロドロとした闇の世界を伺わせる内容で、そして何よりサトシがどこか知らない御仁の所へ売られてしまうという結末を断定していた。

やはりというかなんというか。

 

想像通りになってほしくないことであればあるほどに、想像以上になってしまうのはもはや呪いだ。

この場にいるのは最初から変わらない笑顔の少女と、苦笑いから諦めの笑顔に変わった少年と、出会ってから一度も変わらない笑顔。

音声をOFFにしてこのシーンを映画で見ていたら、きっと笑いが絶えない二人と一匹の青春あふれる初々しいお茶会だと思うだろう。

現実は非常だ。楽しいお茶会にしたかったのは事実であるし、目の前にいる少女は躍起になって探しても見つからないほどの美少女。かわいい女の子を前にして話すシチュエーションに心臓の鼓動は速まる一方だったが、今は別の意味でさらに速くなっている。

血の巡りは良くなる一方で、顔色はどんどん悪くなっていくようだ。

 

 

サトシの考えは正しかった。

 

ジムリーダーは、狂っているやつばかりなのだと。

 

 

 

 

 

「あらサトシさん、顔色が悪いですわ?」

 

 

「そう思います。」

 

 

今の話を聴いて顔色が悪くならない人がいたとしたら、それはマトモなメンタルをしていない。人身売買を生業としているか、快楽殺人者か。当然サトシはそのどちらでもない。

 

 

そして、もはや地雷を踏みぬいた以上は訊くところまで訊かねばなるまい。

作戦名はこうだ。「なるようになれ」いつも通りである。

 

 

 

「つかぬことをおききしますが」

 

「なんでございましょう。」

 

敬語だか時代劇なのかわからない不思議なしゃべり方になっているが、気にせずそのまま進める。

 

「たとえば、たとえばの話ですが、僕はこのままジムを出ることができるのでしょうか。」

 

 

意を決して質問する。

もちろん戦う。戦わなければならない。でもほら、心の準備とかあるじゃない。だから一回出してもらっていいかな?とかそういう感情を目一杯込めて言う。

 

 

「ええ、もちろんできますわ。わたくし、そんな下品ではございませんもの。」

 

「え、出してもらえるんですか。」

 

 

想像以上に拍子抜けだ。

もっとこう、出られるとでも思っていたのですか無理ですわおほほとか言われそうだったのに。

 

 

「でも、早めに戻ってきた方がいいと思いますけれど。」

 

「え?どういうことですか?」

 

「わたくし、じっくりとお話もせずに戦うなんて下品なことは好まないですけれど、目の前のお金をみすみす逃すほど愚かでもないですわ。」

 

 

?ますますわからない。

先ほどの話と、逃す云々の話のつながりが見えな―――――

 

 

「サトシさんが飲み干したお茶、わたくしが育てた植物の種子が含まれてますの。」

 

「しゅし・・・あ、種ってこと――って、え?」

 

「なかなか面白い植物でして、人の身体に入ると消化されずに腸に寄生して三日間栄養を蓄えますの。」

 

「た、たくわえて・・・?」

 

 

「三日が経つと、急激に茎と蔓を伸ばして成長して、肛門と口の両方から一気に蔓を伸ばして大きな花を咲かせるのですわ。その様子はとても形容し難い美しさなのです。」

 

「・・・・・・・」

 

「このお花の素晴らしいところは、人の身体へそこまで影響がないところです。もちろん地面に根付いて身動きとれなくなりますし、呼吸もかなりし辛くなりますが、数秒で枯れさせる方法もあるのでとても便利ですわ。」

 

 

 

サトシは無言で飲み干した湯呑を見下ろす。

美味しいお茶は出涸らしまで残さずサトシの胃の中に納まっている。

 

 

 

「・・・三日間?」

 

「良いバトルをしましょう。もちろん、わたくしに勝てば花は咲くことなくトイレに流されるお薬をお渡しします。」

 

 

すぐさまバトルというわけでは無いようだが、制限時間がついているようだ。



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第百四話 エリカ

みなさんお待ちかねのフェチトーク回(待ってない



 何故そんなにお金が好きか、といった顔をしてますわ。うふふ、随分余裕ですのねサトシさん。

 ―――成程、ここまできたら訊いておきたいと。

 知ることが怖いとは思わないのですね。正直なことは良い事ですわ。

 わたくしも今日は気分が良いので、サトシさんが望むのであればお話を続けましょう。

 

 

 しかし、何故お金が好きかなんてこと、サトシさんも十分承知しておられるのではなくて?

 ―――そんな首を傾げなくても、当たり前のことです。

 

 お金は何でも得ることができるからですわ。

 本当に、ただそれだけなんですの。

 

 お金はあればあるほど良いでしょう。それは誰もが望むことで、当たり前で、当然のことでしょう。

 人はお金で動きます。

 物もお金で動きます。

 一万円で動かなくても、百万円では動くでしょう。

 百万円で動かなくても、一千万円では動くでしょう。

 お金はプライドを変え信念を変え友人を変え師を変え弟子を変え生活を変え考えを変え行動を変えます。

 そしてそれと同じように、変えるだけでなく買うことも。

 もちろん、売ることも。

 

 先ほどお話した男性を覚えていますか?彼はもうここにはいませんが、どこか別の場所でわたくしが受け取ったお金の対価となっているでしょう。

 生きて行動しているのか、死んで誰かの所有物になっているのか、それはわたくしは存じません。

 彼はわたくしに負けたのですし、裏のバトルとはそういうものなのでしょう?

 

 

 ――――人の命をなんだと思っている、ですか。

 そうですね、なんとも思っていません。―――うふふ、そんな顔をしなくても、ちゃんとお話しますよ。お話は好きですから。

 

 サトシさんが言いたいことは、人の命はお金じゃない、とそういうことなのでしょう。

 確かにお金で命は作れませんね。でも買うことはできるのです。

 人命に値札がついているなんて、わたくしも馬鹿馬鹿しいとは思っています。

 実際、わたくしを買いたいなんて言う方がおられたところでいくら積まれても販売なんていたしませんわ。

 

 ですが、この世の中、この世界において、命には漏れなく値札がついているのです。

 それも同じ値段ではなく、それぞれ違いがあります。

 数万円の人命もあれば、数十億の人命もあります。そしてそれは本人の望むところではありません。

 

 サトシさん、命の価値はどうやって決められると思いますか?

 これは人命だけではありません。動物も虫も植物も魚も、なんでもです。

 

 ―――――うふふ、それは利用価値ですよ。その命に対して、どれだけの人が価値をつけるか。オークションのようですわね。

 たとえば、わたくしの好きなお花。先ほどの庭園にはいろいろなお花が育っています。

 お花畑で摘んだお花は、当然タダで手に入れました。

 それは、その命にはその時点において価値がなかった、ということです。

 そのお花を求めたのはわたくし一人。わたくし自身はそのお花に価値を見出したことになりますが、お金と価値は同義ではありません。

 お金というシステムはわたくし達人間が生み出した「可視化した価値」です。

 価値を表現するために、なにがしかの数値が必要だったのです。

 狭い範囲でのコミュニティにおいては物々交換なんて曖昧な価値感覚でも問題はなかったようですが、今となっては世界中とやりとりが簡単にできてしまうのです。

 統一した価値感覚がなければ、争いが絶えないでしょう?

 

 わたくしがお花に百億円の価値がある、と言ったところでそのお花とビル一棟を交換する人はいないでしょう。

 

 ですが、五千万人の人が、お花に百億円の価値があると断言したらどうでしょう。

 何の変哲もないお花畑に生えていた一輪の花に、途端に百億円の値札が貼られるのです。

 これは誇張でもなんでもありません。価値とはそういうものなのです。

 

 お話を元に戻しますわ。

 人命の価値のことです。

 もっとも、これも同じです。

 その人の命を、どれだけの人が求めているのか。ただそれだけです。

 お金が無くて困っている家族から売りに出される少女の値段は、非常に安いことが多いようです。

 それは、その家族がお金を求め、対価として少女を差し出すからですわ。

 この時、その少女を求めている人はとても少ない。だから安いのです。

 逆に、国の要人を連れ去った誘拐犯が求める身代金は非常に高い。

 これはその人にそれだけの価値があるとたくさんの人が認知し、求めているからですわ。

 

 

 ――――それでも、お金を追い求める理由にはならない、そんなにお金があってどうするのか、ですか。

 

 うふふ、サトシさん、それは見当はずれな質問ですわ。

 最初に申し上げた通り、わたくしはお金そのものが好きなんですの。

 今お話していたのは、命の価値についてわたくしの考えをお教えしただけですわ。

 極論をいってしまいますと、お金を使って何かをするという大きな目的は、わたくしには全く無いのです。

 高級な車を何十台と持ちたいわけではありませんし、国を裏から支配したいなんて思いもありません。

 大きなお屋敷が欲しいわけでもありませんし、それこそ奴隷のような方々を所有したいとも思っておりません。

 あ、でもおおきな植物園とかは欲しいかもしれませんね。うふふ。

 

 つまりはそういうことです。わたくしは「価値そのもの」であるお金というわけのわからない意味不明な物体を、よりたくさん所有したいだけなのです。

 サトシさんはここまでにいくつのバッジを得られたのですか?―――三つも得られたのですね、素晴らしいですわ。ジムリーダー達はさぞ、欲望の塊だったのでしょう。

 いつの時代も、リーダーとは自己顕示欲が強い者がなりますから。

 わたくしも彼ら彼女らの勢いにはついていけませんの。

 わたくしはいつもゆっくりと眺めて、お昼寝していたいのです。

 でも、お金を得るということに関してはわたくしも欲に溺れているかもしれませんね。

 

 命の遣り取りも好きではありませんですし、なにより価値があるものをわざわざ失うような行動なんて、愚かだとおもいませんか?

 

 タマムシシティジムのリーダーなんて立場に座っておりますが、わたくしにとって、一番お金を得る可能性が高い場所にいるまでのことです。

 

 おわかりになりましたか?うふふ。

 

 

 え?手元に百万円くらいあるから、負けてもそれでなんとかしてほしい?うふふ、サトシさんは冗談がお好き?

 

 サトシさんの価値は、百万程度では賄えませんわ。こちらのピカチュウも、場所によっては高く買い取っていただけそうですし。

 

 

 ――――そんなに買いたい人が都合よく出てくるのか、ですか。ええもちろん。たくさんいますわ。

 

 世の中は広いですわ。

 その人の労働力が欲しいという人も、中身が欲しいという人も、性欲の吐き出し場所として欲しいという人も、数えきれない程に。

 サトシさんくらいのかわいい男の子なんて、引く手数多です。昨日の男性なんか比べ物にならない程に。

 

 サトシさんが今までに会った人の中にも、もしかしたらお得意様がいるかもしれませんよ?

 

 ―――うふふ、例えの話です。それほどまでに、人を所有したいという欲を持った人が多いということですわ。

 

 ―――ちゃんと働けばお金が手に入る?さすがに冗談でしょう?

 世の中は働かない人が廻しているのです。

 御給金などというものに執着しているからお金が増えないのですわ。

 サトシさんもわかっているのではないですか?

 裏の世界に入っていくつかバトルもしているのでしょう。それであれば、日ごろのお小遣いなどは比べ物にならない程の大金を目にしてきているのではないでしょうか。

 ようはそういうことですわ。

 

 

 うふふ、お話をするのは楽しいですわ。

 でも、随分と話し込んでしまいました。わたくしはもっとお話ししたいのですが、先ほどからわたくしの可愛い侍女達の嫉妬の視線を感じますの。そろそろ楽しいお茶会はお開きに致しましょう。

 

 サトシさんもピカチュウさんも、またお会いできる日を楽しみにしていますわ。

 すぐ再会できるとよいのですが―――うふふ、そうでしたわ。そう怒らないでください。可愛い顔が台無しですわ。

 

 

 

 それでは、楽しいバトルにしましょう。うふふ。

 



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第百五話 戦い前夜

「いや、無駄だってのはわかってるのだけどね。」

 

 

 聴こえるところに誰もいない時、人は無駄に独り言が増えるものだ。

 

 ここは個室で、一般的にはお手洗いと言われているところである。

 

 

 そしてサトシはすでに三十分近く便座に座っているが、別にお腹が痛いわけでもないし、食べすぎたわけでもない。当然便秘であるハズも無い。

 

 

「トイレに籠るくらいで都合よく種がでてきたりしないよね・・・はあ。」

 

 

 そう、サトシはなにかできることがないかと考えた結果、まずはトイレに籠ることにしたのだった。

 

 とはいえ、体調は健康そのもの。

 三日後に口と尻からにょきにょきと草花が生えてくるとは到底思えない。

 

 思えないのだが、相手はジムリーダー。嘘などと思い込むことは危険極まりない。

 元々戦う予定ではあったので問題は無い。勝てばいいのだ、勝てば。

 

 

 そう自分に言い聞かせても、お腹の中に何か別の生き物がいて、今現在サトシの栄養分を着々と吸って蓄えていると考えると気持ちの良いものではない。むしろ最悪に近い。

 期限は三日間。この日数も当てになるやらならないやら。

 

 

 

「・・・・決着は、明日の夜。」

 

 

 タマムシシティジムから盛大に見送りをされ、良い笑顔で「楽しみに待っております」なんて言われてしまった。

 エリカの正体を知る前であれば、顔を紅潮させて照れるような状況になっていたかもしれないが、今となっては恐怖しか感じない。

 あの笑顔の裏に隠されていたものは今までのジムリーダーのものとは大きく異なる。

 

 命の危機、という意味では同じかもしれないが、どうなるかわからないという点では他のジムリーダーとは一線を画す。

 怖すぎる。もしかしたら死ぬより怖いかもしれない。

 

 ああ、エリカの言っていた、知ることが怖くないのかってそういうことか・・・

 知る事によって、知識を得ることによって、それまでぼんやりとしていた物事の輪郭がくっきり明確になる。

 知る事によって恐怖がなくなることもあるけれど、知ることでさらに怖くなることもあるんだな・・・というか、よくよく考えたらジムリーダーみんなそうか。

 死ぬこと以外への恐怖を感じたのはエリカが初めてではあるけれど。

 

 

 いろいろと考えているが、考えたところで結果は変わらない。

 はあとため息をつきながら便座から立ち上がり、大して汚れてもいないトイレの水を、流すためにレバーを引き、ドジャーと流れる水の音を背後にサトシはようやくトイレから外に出て行った。

 

 

 

 

 

「ピッカー」

 

「ごめんねピカチュウ。待たせたね。」

 

 

 日はとっくに落ち、サトシとピカチュウはポケモンセンターの宿泊施設にいた。

 ジムから出て、サトシはぐったりしていたのですぐにセンターへ行こうとしたがピカチュウがぐいぐいと引っ張るので食事へ行くことになった。

 

 正直サトシは何か口にできる状態ではなかったのだが、ピカチュウは今回何も粗相をしなかった。

 大人しくエリカの横に座っており、なんとなく楽しそうに見えた。

 ―――こっちはまったく楽しくなかったのだが、相変わらず何を考えているのかわからない。

 

 ともあれ、大人しくしていてくれたのでこれ以上物事が拗れずに済んだというのもある。

 明日の戦いの為にもピカチュウには精を付けてもらわなければと思い、フラフラの足をなんとか動かしながらタマムシシティの名物料理を探しに街へ繰り出したのだった。

 

 

 

 サトシも最低限食べたが、この黄色いでっかいのはいつもの倍は食べただろうか。

「お前の分も俺が食べといてやるよ!」なんて冗談を言われたことがあるが、本当にサトシの分まで食べたのではないだろうか、この黄色いのは。

 

 お腹いっぱいになったピカチュウを横目にポケモンセンターに戻り、なんとなくトイレに籠ってみた、というわけである。

 

 

 

 

 

 

 

「さて、みんな出ておいで。」

 

 

 サトシは自身のポケモン達をその場にすべて出した。

 クラブ、コイキング、サンドパン、メタモン。そしてピカチュウ。

 

 

 タイプにして水、水、地面、ノーマル、電気。

 決してバランスがいいとは言えない。コイキングに至っては水というよりも防具に近い。

 

 サトシのじとっとした視線を感じたのか、小さくビチビチと身体を動かすコイキング。

 

 

 

 

「さて、明日はエリカとバトルをするのだけど――――」

 

 静まりかえる。

 なにせ相手は草ポケモンの使い手。

 メインで戦うのはピカチュウだとして、五体中三体が弱点属性という状態。

 さらに

 

 

「どんな戦い方なのか、聴けなかった。」

 

 

 さらに静まり返る。

 情報収集すると意気込んでいながら、決死の覚悟で持ち帰ってきたのは、エリカの趣味の内容。そしてサトシのお腹に巣食うかわいいお花の種子。

 むしろマイナスの成果だ。一体何しに行ったのだろう。

 

 

 ポケモン達から無言の抗議の視線を受けるが、もはやサトシには弁解の予知はない。

 そもそも期待するべくもない交渉能力しか持っていないのだから、ある意味当然の結果である。

 

 

 

「うーん・・・」

 

 

 草ポケモンと戦うイメージができない。

 裏のバトルではカスミの時に数体の草ポケモンを見ることはできたが、ほとんど効果を発することなく戦いが終わってしまった。

 だがそれぞれの技に対して対策を練ることくらいはやるべきだ。

 だが、いや、それよりも――――

 

 

 

 

「お腹の中が気になって集中できない・・・・というか、これ下手したら今までで一番怖い・・・」

 

 

 今までの戦いは、ほぼすべて行き当たりばったりだった。

 それゆえに考える時間などなく、その場の勢いでやってきた。

 それが良い事か悪い事かは置いといて、サトシにとっては状況そのものが襲い掛かってきた形で、強制的にイベントに巻き込まれていた。

 戦うしか選択肢は無かったから考える必要もなかったのだが、今回は違う。

 

 

「戦うための作戦も練れるし、準備もできる。なのに、この命を握られている感じがすごく怖い・・・」

 

 

 自分の未来が想像できる。

 口と肛門から勢いよく緑色の蔦が伸び、呼吸も苦しく身体も痛い。それでも意識はそのままで、目の前に見えるのは大きな花弁の裏側。

 

 

「こわすぎる!!!!うわーん!!!」

 

 

 もはや作戦どころではない。

 ポケモン達もなんとなくそれは察したようで、前代未聞、ポケモン達のみで作戦会議が始まった。

 

 だが所詮は本能に忠実な野生の生き物だったポケモン達。

 有効な作戦がでること敵わず、だがそれすらもあまり理解できないポケモン達は不毛な作戦会議を延々と続け、小一時間も解読できないジム戦の作戦会議を展開した結果、サトシが向けたボールに強制収納されてしまった。

 

 

 

 

「駄目だ・・・・ごめんピカチュウ、ものすごく、頼りにさせてもらう。」

 

「ピッカピー」

 

 

 それは了承だったか否定だったか。

 サトシにその意味合いを理解することはできないが、それを詮索する体力も精神力もないため、そのままベッドに倒れこんで、お腹を押さえながら瞼を降ろし、眠りの世界に身を寄せた。

 

 

 

 



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第百六話 四度目のジム戦、開幕。

エリカのキャラ、けっこう好きかも。
皆様、感想ありがとうございます。きちんと何度も読ませていただいております。

前みたいに全返信できなくなってすみません。本文に集中しておりますので許して☆

めっちゃ力になってます。



「あら、随分早くいらしてくださったのね。嬉しいですわ。」

 

「ええ、これ以上耐えられそうになくて。」

 

 

 なんとも情けない返答。

 サトシは次の日の朝にはタマムシシティジムの元へ再度訪れていた。

 理由は、なんのことはない。自分のお腹の具合が気になりすぎてどうしようもなくなったからである。

 

 実際にはなんの影響も現れていない。

 お腹を下すこともなかったし、お腹がすきやすくなっているということも特にない。

 ただ、なんとなく気持ちが悪い。お腹の中に自分以外の生物が陣取っている、というだけでえもいわれぬ不快感がある。

 

 さすがに自分の身体の中に生き物を入れた経験がある人は少ないだろう。

 なんとなく気持ちわるい、というだけでここまで精神に影響を与えるとはサトシ自身も思っていなかった。

 また一つサトシは成長した。望まぬ方向にではあるが。

 

 

「覚悟はできたかしら?なんなら、まだ一日ごさいますし、準備なさってもよいのですよ?」

 

「・・・ありがたい申し出ですけど、これ以上延ばしても僕が耐えられそうにないので。」

 

「そうですか、うふふ。それでは、フィールドへご案内しましょう。」

 

 

 少しだけ面白そうな笑みを零すと、周囲の女の子に、あとはお願いします、と声をかけてからゆっくりと流れるようにジムの奥へ歩いていった。

 

 

 ついてこい、ということと判断し、サトシはエリカの後に続く。

 昨日通った入口とはまた別の通路。

 通路はきちんと視認できるくらい明るく、道幅も高さも、ピカチュウがゆうゆうと歩けるくらいには広かった。

 それだけでも驚いたのだが、また陰気な地下に案内されるのだろうかとげんなりしていたにも関わらず、意外なことに階段は昇りだった。

 

 

「昇り・・・?」

 

「うふふ、到着してからのお楽しみですわ。」

 

 確かに、謎はすぐに解ける。

 エリカはいろいろな部分で今までのジムリーダーと異なる。

 予想通りの展開など、望むべくもないだろう。

 最も、予想通りになったことなど今まで一度たりとも無いのだが。

 

 

 そんなことを考えていると、やはり一度も下へ降りることなく扉が現れた。

 

「さあ到着しましたわ。どうぞ、お入りください。」

 

「あ、はい・・・」

 

 

 何故かわからないがお先にどうぞと道を譲られた。

 まさか扉を開けると落とし穴、などという古典的な罠が仕掛けられているのではなかろうか。

 

 

「―――ここまできてそれはないか。」

 

 

 そう結論し、ドアノブをひねり―――一応警戒しながら奥へと押し開いた。

 

 

 

「―――――うわあ!すごい!!」

 

 

 

 目の前には色とりどりの花や植物がキレイに整えられて咲き乱れている。

 アーチ状に蔓が這っているオブジェもあれば、季節ごとに色が変わるような配置の花壇もあり、そのすべてに管理が行き届いていた。

 

 緑を中心に、カラフルな花びらが広がるこの場所は、周囲すべてがガラスに覆われており、朝の光がキラキラと輝き、降り注いでいた。

 

 同じ植物を誂えたとはいえ、マチスの場所とは大違いだ。

 

 そして当然、ただの庭園ではなく、広い室内の中心には雑草一つ生えていない、整頓されたバトルフィールドが違和感なく存在しており、まるで一枚の絵画のように不足の無い完璧な状景となっていた。

 

 

 

「うふふ、驚いてくださいましたか?わたくし、この場所をお客様にお見せするのが大好きですの。」

 

 驚いて口をあけているサトシの後ろから、無邪気に喜んでいるエリカの声が聞こえてくる。

 

 声の方へ顔を向けるが、本当に含みの無い、心から嬉しいという顔をしており、何も知らない人が見たら心拍数が急上昇するところだ。

 

 

 サトシもこの景色に心奪われる程には美しく、エリカの笑顔もとても素晴らしい。

 

 だが、ここへ来た目的なそこではない。

 ただの観光でここへこれたのであれば、どれだけ素晴らしかっただろうか。

 ゆっくりと草花を眺めながら、太陽の光を浴びて食事でもしたら、どんなに素敵だっただろうか。

 

 

「―――でも、そうじゃない。」

 

「ええ、そうですわね。わたくしと戦いにきたのですものね。うふふ。」

 

 

 そう、ここへは戦いにきたのだ。

 手も震えるし、心臓の鼓動は、エリカの笑顔に惑わされるどころか、朝から高まりっぱなしだ。

 ここの景色は素晴らしい。最高だ。だけど今は、それを楽しむわけにはいかない。

 なにせ命がかかっているのだから。

 

 

 いかに十四歳の少年とはいえ、勝ち負け以前に死の宣告がされている自分の身体に危機感を覚えないほどお子様ではない。

 

 厳密には死ぬわけではないらしいが、口と肛門から植物が生えている自分の姿など想像するだけで背筋が凍るというものだ。

 

 それを見て面白がるピカチュウの姿も、なんとなく見えるからなおさら負けるわけにはいかない。

 

 

「では、ルールの説明を。」

 

 サトシは無言でエリカの顔を見やり、話を促す。

 ジムリーダー戦では通常のポケモンバトルとは異なるルールで戦ってきた。

 タケシ戦ではバトルロワイヤル形式、カスミ戦は一対多。マチスはトレーナー同士の心理戦までやってきた。

 

 もはやルール無用だ!と言われてもそうですかと納得せざるを得ないような状況にも思える。

 エリカに限って、それはないと思うが。というかそう思いたい。

 

 

「わたくしは変則的なルールは好みません。基本的には従来のポケモンバトルと同様で一対一のバトル。そして三体の勝ち抜き戦ですわ。特殊ルールとして、ポケモンは瀕死や死亡でなくても戻してかまいません。ただし、その時点で戻されたポケモンは敗北扱いとします。そして当然ですが、トレーナーがフィールドに出していいポケモンは一体のみ。トレーナーへ攻撃することも禁止ですわ。」

 

 

 一息にルールを説明するエリカ。ルール説明自体は毎回やっているのだろう。慣れた口調でスラスラと最後まで言い切った。

 

 

 ルールはシンプル。いつでも戻してよく、トレーナーアタックも禁止とあえて説明しているのはエリカらしいと言うべきか。悪戯に命を粗末にしないという決め事だろう。

 

 だが―――

 

 

 三体の勝ち抜き戦―――こちらで戦えるのは相変わらずピカチュウのみ。

 それならば総力戦の短期決戦にした方が有利だろうか。

 

 バトルロイヤル形式。

 サトシのポケモンでまっとうに戦えるのはピカチュウのみ。

 疲れがたまり、技の対策もされ易くなるというリスクを消すための作戦としては非常に有効とも思える。

 

 

「エリカ―――さん、提案があるのですけど」

 

「うふふ、エリカで結構ですわ。サトシさん。なんでしょうか。」

 

「バトルロイヤル、三対三の総力戦へ変更しませんか?」

 

 

 ジムリーダーにとっても望む展開のハズだ。

 なにせ一体一体が属性を極めたポケモン達。タケシがそうであったように、提案を受ける可能性はとてもたか―――

 

 

 

「お断りですわ。」

 

 

「―――い・・・え?」

 

 

 断られた?

 

 

「ええ、わたくし、ルールはルールで変更はしませんわ。そこに手をくわえてどちらかに有利になる可能性を出してしまうと、あとで反論がでてしまいますもの。あの変更が無ければ、とかもう一度ちゃんと、とか。それは楽しくありませんわ。きちんと定められたルールの元で戦えば、どちらが負けても反論できないでしょう?ルールの内容も、かなりフェアな内容だと思いますわ。もしアンフェアだと言うのであればどこが不公平かお聞きしたいくらいですもの。」

 

「ぐっ・・・」

 

 

 至極最もな話だ。

 ポケモンの回収は自由。一対一。三体の勝ち抜き戦。文句の付けどころも無いほどにフェアなルールだ。

 加えて裏のバトルでは警戒すべきトレーナーアタックも禁止。

 改善の余地もない。むしろ裏バトルの公式ルールとして採用したいくらいだ。

 ぐうの音も出ないとはこのことだ。

 反論できない以上、エリカのルールで戦わざるを得ない。のだが――――

 

 

(ピカチュウだけで勝ち抜けるのか―――?)

 

 

 今まで一対一で三連戦をしたことは無い。

 カスミの時でさえヒトデマンとニョロボンの二戦。しかもヒトデマンはおもいっきり手加減してのポケモンだった。

 弱点属性だったという強みもある。

 

 思えば余裕のある戦いなど一度もなかった。

 全て紙一重で勝ちを拾ってきただけのジムリーダー戦。

 初めてのまっとうなバトル。

 故に、勝算はあるのだろうか。

 

 緊張の面持ちで汗を垂らす。

 そんなことは意にも介さず、エリカは話を続ける。

 

 

「それでは、始めましょう。ポケモンは出しておいてもボールに入れておいてもかまいません。ちなみに、わたくしのポケモンはモンジャラ、フシギバナ、ラフレシアですわ。うふふ、これくらいはサービスしてあげます。」

 

「それは・・・どうも。」

 

 

 これは情けか純粋に好意か。

 どちらにしても、草ポケモンを極めたトレーナーの繰り出すポケモン達は一筋縄ではいかないだろう。

 

 

 ・・・がんばれピカチュウ!

 

 

 ここまで珍しく大人しくついてきていたピカチュウが「ピカチャ~」という溜息染みた声を小さく出したが、サトシには聞こえなかったようだ。

 

 

 

 

 

「さあ、楽しい楽しい、戦いを始めましょう。サトシさん、お覚悟を。うふふ、お覚悟をって言葉、格好よくありませんか?わたくし、こういうセリフ言ってみたかったのです。」

 

 

「・・・さいですか。」

 

 

 締まらない。

 

 

 

 

 

「冗談ですわ。では、タマムシシティジムリーダー エリカ。参りますわ。」

 

 

 

 四度目のジム戦が幕を開けた。



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第百七話 モンジャラ戦

「うふふ、ではまいりますわ。いきなさい、モンジャラ!」

 

 エリカの手からモンスターボールが放たれる。

 その動作も流麗な演武のごとく、美しく見惚れるものだったが、それを楽しんでいる状況でないことは百も承知だ。

 モンジャラはツル状ポケモン。その名前通り、見た目はうねうねと大量のツルで覆われており、キラリと光る二つの目と、ちょこんと申し訳程度に外にでている足以外は全くの謎。噂では溺れた少年の幽霊、なんて根も葉もないものすら存在する。

 ようは、謎だらけのポケモンというわけだ。

 

 まあよく分かっていないポケモンはモンジャラだけではなく、結構な数が存在するため、そこまで問題ではない。問題なのは理解不能な部分ではなく、生理的嫌悪感を生み出すその見た目だ。

 

 そんな意味不明なポケモンをトレーナーが繰り出す。

 しかも裏の住人により育てられたポケモン。一体どのような変化をしているのか、想像しえない。

 当然、逃げるなんていう選択肢はない。迎え撃つだけである。

 

 

「一体どんなポケモンが・・・」

 

 

 サトシの心配をよそに、草木に囲まれた広大なフィールドの中央で赤い光が輝き、戦う相手を形作る。

 いままで幾度となく見たこの光景。そして毎回のように感じる緊張感。

 ジムリーダーエリカの繰り出した一匹目のポケモンの姿が明確になり、サトシの視界に飛び込む。

 

 

 

 

「・・・・え、ちっちゃ」

 

 

 

 視界に飛び込んできたジムリーダー最初の一匹は、おおよそ五十センチに満たないほどの身長しかなかった。

 

 ボールから出てくる時の、あの壮大なエフェクトはなんだったのだろうか。

 大きく広がった赤い光が凝縮して出来上がった姿は拍子抜けしてしまうほど小さいシルエットに過ぎなかった。

 

 

 本来、モンジャラは大きいと分類されるポケモンではない。

 その存在自体がレアで個体数が少ないため、統計情報としてはあまり信用のおけるものではないらしいが、それでも大体の個体は一メートル程度の身長として認知されている。

 そこから大きく外れた個体は今のところ確認されていない。

 

 つまり、目の前にいる小さな、本来のモンジャラの半分程度しかない大きさのモンジャラは、まぎれも無くドーピングによって得られた効果によるものだろう。

 

 しかし、いや、それでも――――

 

 

 

「ドーピングで、小さくなるなんてことがあるのか・・・?」

 

 

 ドーピングは基本的に能力を強化するものだ。

 強化によってその姿を変えることがあるとするならば、それは肥大化するという選択肢しかないように思える。

 変化を少なくする、という方法はカスミがやっていたようにあるにはあるようだが。

 

 

「驚いてらっしゃるようですわね。うふふ。かわいいでしょう。でも、無駄な詮索は不要ですわ。すでに戦いの火蓋は切って落とされたのですもの。お互いに戦場を目の前にしている以上、あとは戦って決着をつけるのみだとは思いませんか?サトシさん。うふふ。」

 

 

 挑発、とも思える発言ではあるが、ことエリカに限ってその可能性はとても低い。ここまで戦う条件としてはフェアを貫いてきた人間だ。これは挑発ではなく、鼓舞。今すべきことを導く発言であり、サトシもそれを行動で返答する。

 

 

「よし!いけ、ピカチュウ!」

「ピッピカチュー!」

 

 

 サトシは傍らに立っていたピカチュウを戦場へ送り出す。

 何度も見てきたその背中。今となっては頼りになる姿だ。こと戦いに限っては、の話ではあるが。普段はむしろボールに入っていて欲しい。切実に。

 

 いろいろな思いも考えるべきこともあれど、エリカの言う通り今はバトルに集中すべき。サトシも気持ちを入れ替え、ピカチュウと共にバトルに挑む。

 

 タマムシジムリーダー戦、開始だ!!

 

 

 

「こちらからいきますわ。モンジャラ、『せいちょう』」

 

「ジャラー」

 

 

「せいちょう・・?たしか、特殊を上げる技だったけど―――」

 

 

 そんな技が裏のバトルで何の役に立つのか、というサトシの言葉は放たれることなく、サトシの口からは息が詰まった呼吸音がでたのみだった。

 

 

 

 

 

 

 

 ――――『せいちょう』を使ったモンジャラは、その体積を倍に増やした。

 

 より正確に言うならば、モンジャラにまとわりついているツル状のものの量と長さが爆発的に増え、その見た目をより醜悪なものへ変貌させた。

 

 

「――――趣味悪いよ・・・!!ピカチュウ!十万ボルト!!!」

「ピカー!」

 

 

 ピカチュウの頬袋から一筋の放電がされ、それをなぞるように巨大な電撃が放たれる。

 光の猛獣とでも表現したくなるような暴力的で怪物的な光の束は目の前の敵を黒焦げにするべく容赦なく襲い掛かる。

 その圧倒的な力の奔流に対抗すべく、エリカはモンジャラに命令を下す。

 

 

 

 

「モンジャラ、『せいちょう』」

 

 

 

 

 サトシは途端に背筋に寒気が走った。

 これはいけない、早く決着をつけなければ、取り返しのつかないことになると、そう本能が感じた。

 それほどまでにエリカの命令は異常であったし、それによるモンジャラの変化も異常すぎるほどなものだった。

 

 

「ジャラー」

 

 ピカチュウの電撃が襲い掛かるその瞬間、モンジャラは再度爆発的な成長を遂げる。

 そして、圧倒的な威力を誇るピカチュウの十万ボルトは、モンジャラのツルを大量に焦がし、削り取った。

 

 

 

 ――――そう、焦がして、削り取っただけだった。

 

 

 

 

「せいちょうを防御に使うなんて・・・そんなのあり!?」

 

「うふふ、裏ポケモン同士のバトルは単なる力と力のぶつかりあいではないのですわ。工夫次第でいろいろな事ができますの。うふふ、楽しいでしょう。」

 

「やっぱり趣味悪い・・・・」

 

 

 モンジャラを守ったのは、モンジャラ自身。

 攻撃に使われるはずのツルを大量に纏うことによって、モンジャラ自身を守り抜く。

 当然ツルはズタボロになるが、『せいちょう』によって何度でも復活できる。

 敵の攻撃を凌ぐのは単純に防御力だけではない。たった一つの小石であれば蹴り飛ばせば無くなってしまうが、百万の小石が積まれていたとしたら一つ二つ蹴って弾いたところで影響は無いに等しい。

 目の前のポケモンを倒すには百万の小石を短時間で弾き切らなければならないのだ。

 

 

 

「―――――ピカチュウ!!!」

「ピカピ?」

 

 

 サトシが命令を下す。

 今までピカチュウと共に戦い、ピカチュウと共に勝利を掴んできた。

 そのサトシがこの苦難な状況を打破するための作戦。

 その内容は――――

 

 

 

 

 

 

「任せた!!!がんばれ!!!!!」

 

「ピッカピー」

 

 

 

 

 単なる丸投げであった。

 

 

 

 

 

「うふ、あははははは!!サトシさん、冗談ではなくて?試合を放棄するにはまだ早すぎますわ!」

 

 

 エリカの発言も頷ける。ポケモンはトレーナーが指示をしてこそ高度な戦略をもったバトルに展開するのだ。

 それをポケモンに任せるなど愚の骨頂。

 単なるパワーファイトならいざ知らず、互いの戦略が結果を大幅に左右するハイレベルな戦いにおいて、ポケモンに行動を任せるなど自殺行為も甚だしい。

 

 一般的なポケモンバトルにおいて、その考えは大いに正しい。むしろそこに例外など存在してはならない。本来のポケモンバトルにおいてならば。

 

 

 しかし、今行われているのは裏のバトル。

 ここに自然の摂理は通用しない。ましてや、ここにいるのはただのドーピングポケモンではない。

 人間の思考、行動をその身に宿した謎多きドーピングポケモンのピカチュウなのだ。

 

 

 そのピカチュウの行動を最大限最適化する方法ならば、サトシは十分に知っていた。

 サトシは命令をしたのだ。『自由に戦え』と。

 

 

 

 

「うふふ、一体なにを・・・・?」

 

 

 

 ふとエリカが戦場に目を戻すと、すでにピカチュウの姿が無い。

 そして過去の戦闘経験からこれを危機だと察しすぐに行動を起こしたエリカはさすがと言える。

 

 

「モンジャラ!『からみつく』!」

 

 モンジャラの周囲を蠢いているツル状の物体が、突如指向性を持ったように動く。

 一瞬ピタリと止まったツルは、今までの柔軟な動きを止めて一直線に外側へ高速で伸びていく。

 そして、周囲五メートル近くの全方位を、モンジャラのツルが超高速で貫いた。

 

 

 しかし、エリカの一瞬の油断は、勝敗を決するのに十分な時間でもあった。

 

 

 サトシから見てその光景は、モンジャラを中心にして直径十メートルを超えるドーム状の物体が突然現れたように見えた。

 勿論それは錯覚ではあるのだが、そのドームに捕らわれて生きている生物など存在しないのは明白。

 だが、その死のドームは数秒と待たずに柔らかいツルに戻り、力なく地面に落ちた。

 

 

 

 そのドームがあった中心には、ツルが非常に少なくなったモンジャラと、そのツルの数少ない隙間、顔面に位置する場所をピンポイントで拳で打ち抜いているピカチュウがいた。

 

『こうそくいどう』。ピカチュウの十八番であり、物理攻撃力の高いこのピカチュウにおいて、非常に相性のいい技だ。

 瞬時に近づいたピカチュウによって、無防備な顔部分を叩いた、というわけである。

 

 

 

「モンジャラ!・・・死んでは無いようですわね、戻りなさいモンジャラ。」

 

 

 

 仰向けに倒れたモンジャラが僅かに呼吸で上下している様子を確認し、エリカはすぐさまモンスターボールで戻した。

 

 

 

「・・・なかなか、やりますわねサトシさん。」

 

 

「え?・・・は、え、は、あ、ああ!もちろん!ピカチュウはすごいんだ!」

 

 

 

 いまいち状況を把握するのに時間がかかっていたため、急に話を振られて動揺してしまったが、ピカチュウが勝った、ということなのだろう。

 

 

 

「ピカピ」

 

 

 激闘の一戦目を制したピカチュウがサトシの元へ戻ってくる。

 

 

「よくやったぞピカチュウ!その調子で・・・・って、怪我してるじゃないか!きずぐすりを!!」

 

 

 ピカチュウの身体には結構な数の刺し傷、打撲痕があった。

 おそらくモンジャラの最後の攻撃を至近距離で食らってしまったのだろう。

 

 ―――逆に言えば、至近距離で助かったということかもしれない。

 まだ加速しきる前に攻撃を受けたためにこの程度で済んだのだ。もう少し離れていたら完全に串刺しだったかもしれない。

 殺すことは避けたいと言っていた割には、随分とえげつない技を使うものだ。

 

 

 

「・・・あの、エリカさん。」

 

「はい、なんでしょうサトシさん。」

 

「さっきの『からみつく』、からみつくどころか刺しまくってるんですが。」

 

「うふふ、大丈夫ですわ。さっきの技は、刺した後、身動き取れなくなってから身体が見えなくなるくらいからみついて、息の根を止める技ですもの。きちんとからみつきますわ。」

 

「怖いよ!!!えげつないよ!!!」

 

「うふふ、あなたのピカチュウ、随分とお強いですわ。わたくしも油断しておりました。お詫びに、二番手はそううまくいかないと思ってくださいね。うふふ。」

 

 

 エリカが二つめのモンスターボールを手に持つ。

 相変わらずニコニコと変わらない笑顔を見せているエリカだが、先ほどまでの笑顔と明らかに異なる。

 見た目だけでは説明のできない、決定的に違う空気を纏っている。

 ここからが正念場、ということか。

 

 ゴクリ、と喉を鳴らすサトシ。サトシは最初から油断などしていないが、それでも目の前の余裕綽々だった人物の変化を見過ごせるほど緩くは無い。

 再度戦いに対する感情を高ぶらせ、身構える。

 

 

 

「まだまだ楽しませてくれるのでしょう?いきなさい、フシギバナ。」

 

 

 

 戦いの前にエリカが申告した通り、フシギバナがが二番手。

 ドーピングされたフシギバナを見るのは二回目だ。

 カスミの所で裏のトレーナーが使っていたが、たしか黒い花を携えて一層巨躯となっていた。

 ドーピングの仕方によってその姿かたちを大きく変動させるが、はたしてエリカの育てたフシギバナはどのような変貌を遂げているのだろうか。

 

 

 

 本日二度目の赤い光が展開される。

 最初に大きく光り輝いたモンジャラとは違い、今度は小さく赤い光が漏れる。

 

 

 

 そして、赤い光が最も有名な草ポケモンの姿を形作り、その大きな花を見せびらかす様に自慢げにその場に現れた。

 その姿はどのようなものであったか―――――

 

 

 

 

 

「うっそでしょ・・・・」

 

 

 

 

 サトシの目の前には、フィールドの半分近くを埋め尽くす、体長十メートルに及ぶのではと思われる程の巨躯となったポケモンが姿を現した。

 

 

 

 

 

 

 



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第百八話 花花花

 サトシが過去に見た一番大きなポケモンは、タケシのイワークだった。

 ただでさえ八メートル近くの体長を持つイワークが、ドーピングによってその大きさをさらに倍増させていた。

 巨大、というだけで少年としては非常に嬉しい興奮を覚えることが多いと思われるが、それは普通のイワークまでだ。

 

 感動を過ぎると、巨大というものを見た時の感情は恐怖に変わる。

 圧力を感じるだとか、存在感がありすぎるとか、そういったことも当然含まれるが、今回のサトシにとって更なる恐怖を煽るものがあった。

 

 

 敵意、である。

 

 

 大きさが同程度の相手であれば、たとえば筋力の違いであったり、能力の違いであったりで強弱が決する。作戦、戦略というのもその個々の能力に付随してのものに過ぎない。

 

 ただ、大きさだけはそもそも異なる。

 巨大というだけで、圧倒的なのだ。

 そこに能力の差や筋力の差など関係ない。巨大とは力そのもので、抗いようの無いこの世の摂理そのものだ。

 

 故に、そのような、ある意味真理に近いとすら思える力そのものである存在が、明らかな敵意を剝き出しにして、自分に向けてきていると感じた時、人はどういう反応をすれば正しいのだろうか。

 

 さらに言うならば、その存在と戦わなければならないという選択肢しか無い場合、どういう感情を持つべきだろうか。

 

 

 その問答に答えは無い。

 何故ならば―――

 

 

 

 

 

 

「・・・やるしかないのか。でもどうやって。」

 

 

 サトシも場馴れしたものだとは、自分でも感じている。

 見たことも感じたことも無い恐怖など、この旅で何度も経験している。

 恐怖に麻痺しているといってもいいかもしれない。男らしいともいえるし、命知らずともいえる。

 いやそもそも、この戦いに応じてる時点で、見ようによっては命知らずという一線は超えているのだ。

 

 サトシの脳裏を「狂気」という言葉がよぎる。

 しかしぶんぶんと頭を振り、悩みを吹き飛ばす。

 

 

「今はバトルに集中するんだ・・・・。でも、これは―――――」

 

 

 

 

 

 フシギバナ。

 以前はそこそこ野生が存在したポケモンの系列。

 フシギダネ、フシギソウ、フシギバナ。

 その能力の高さからゲットしようとするトレーナーが後を絶たず、今となっては野生を探すことは非常に困難となっているレアなポケモンだ。

 

 そんなレアなポケモンに惜しげも無くドーピングを施すトレーナーは、やはりその強さを理解してのことだろうか。

 

 確かに、巨体。

 本来のフシギバナも二メートル近い体長で、大きなポケモンに分類されるだろう。

 

 とはいえ。

 

 目の前のアレを肯定する材料にはならない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――――目の前には、「花畑」があった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 色とりどりの花が咲き乱れた、花畑。

 本来は四枚の花びらがついている背中の大きな花は、まるでバラのようにたくさんの花弁をつけ、その色は真紅に染まっている。

 

 その周囲を所狭しと数百の花が埋め尽くし、フシギバナの背中一面を覆っている。

 

 さらに、特徴的なフシギバナの顔を隠しているのは二番目に大きな花。

 こちらはコスモスのような形をした花で、色は毒々しい紫色。

 その大きさも相まって、まるで顔そのものが花になってしまっているかのようだ。

 

 

 まさに花畑。この世すべての種類の花が咲き誇っているのではと錯覚するほどの花が咲き乱れ、ちょっとした山かと思えるほどの巨躯を持つフシギバナが、エリカの二番目のポケモンである。

 

 

 

 

「どうでしょうサトシさん。わたくしのフシギバナは。とっても美しいでしょう。いつでもこんなに美しいお花畑が見られるんですの。うふふ。」

 

 

 変わらぬ笑顔でそう告げた。

 エリカはブレない。どこまでも、そのままだ。

 

 

 ただ話している分にはおしとやかという一言で片付いたその態度だが、こと戦闘になるとその異質さが浮き彫りになる。

 

 楽しんでいるようではある。だが、それ以上の感情の高ぶりは無い。

 平然と戦いを行っている。エリカは平常心を保っているように見える。

 だが、繰り出すポケモンはエリカの内面を表しているかのように凶悪で、凶暴で、不気味だ。

 まるで本当の自分を隠しているかのように、本当の想いがポケモンに託されているかのような気さえする。

 ひどく曖昧で、歪で、気持ちが悪い。

 

 

 

 

「美しい、ね。僕にはそう思えないけど――――」

 

 

 

 ボソっとつぶやいたサトシの言葉は、エリカに聞こえたか聞こえなかったか。

 サトシには一層笑顔になった気がした。

 

 

 

 

「とにかく、やるしかない。いけ!ピカチュウ!連戦だけどがんばれ!」

「ピッカチュ」

 

 

 

 きずぐすりで回復したピカチュウは、すでに万全だ。

 とはいえ、あの城塞染みた巨体にどのような攻撃が通用するというのだろうか。

 

 

 

 手始め、とばかりにピカチュウが先に動く。

 

 

 

「ピッカーーーピーーー!!!」

 

 

 十万ボルト。

 先ほども見せた、電気ポケモンの得意技。

 元々の威力もさることながら、ドーピングされたことでさらなる威力を誇る。

 

 

 

「うふふ、効くと思って?」

 

 

 

 驚異的な威力を持つ十万ボルトでさえ、フシギバナを動かすには足りないらしい。

 いや、まったく効いていないというわけではないと思うが、この巨体の前ではすべての攻撃がかすんでしまう。

 人知を越えた力をもってしても、人知を超えた大きさの前では足掻く子供と同等の扱いにしかならない。

 

 

 

「それではこちらもいきますわ。フシギバナ、『しびれごな』」

 

 

 

 エリカの命令直後、大きな真紅の花が、時間を戻したかのように花弁を閉じ、つぼみのようになる。

 そして勢いよく花弁が開いたと同時に、花の中心から猛烈な勢いで粉が噴出された。

 

 ―――まるで噴火。違いといえば、噴出しているのが火山ではないことと、噴出されているものが溶岩ではなく粉だということ。

 一目みただけでは粉と断じることが難しいほどに大量の粉が上空に向かって吹き上がり、そして、フィールド全域を覆いながら徐々に降下してくる。

 

 

 

「ピカチュウ!電撃で焼きながら躱すんだ!吸い込んだら危ない!」

 

「ピッピカ」

 

 

 わかってる、とでもいいたげなピカチュウだったが、文句を言っている場合ではない。

 

 このバトルにおいて、フィールドから外にでるということは敗北を意味する。

 つまり、ピカチュウにとって逃げ場はない。ゆえに、この中でなんとかするしかない。

 フィールド全域を覆い尽くすしびれ粉。

 それをなんとか自分の周囲だけ電撃で焼いて防ぐ。

 ジムリーダーとのバトルで麻痺状態になるなど死と同義だ。

 意地でも状態異常になるわけにはいかない。しかし――――

 

 

 

 

「量が・・・多すぎないか・・・・!!」

 

 

 

 

 終わらない。

 一度吹き出したしびれ粉が、一向に終わる気配を見せない。

 焼いても焼いても、次々と降り注ぐ。

 檻の無い牢獄。抗うのを止めた瞬間に動けなくなる恐怖。

 しかし、恐怖はそれだけではない。

 

 

 

「うふふ、フシギバナ、『つるのむち』」

 

「バーナー」

 

 

 エリカからの命令が飛ぶ。その次の瞬間――

 

 

 

「!!!ピカチュウ!」

 

「ピカ」

 

 

 電撃を発しながら大きくステップを踏んでその場から離れる。

 そのすぐ後、ピカチュウがいた場所はまるでハルバートで抉ったかのように大きな傷跡が地面に残されていた。

 

 

 

「あら、よく避けられましたわね。さすがピカチュウさんですわ。」

 

 

 言葉が出ない。

 

 エリカの繰り出す技は、一つ一つは本来そこまで強力なものではない。

 だが、複合して使うことですさまじい制圧力と殺傷力を得る戦い方をしている。

 

 モンジャラもさることながら、このフシギバナ。まったく勝筋が見えない。

 超巨体での防御力に、しびれ粉による行動制限、そして驚異的な切断力を持つつるのむち。

 まさに城塞。一片の弱点も無いように思える。

 

 

 

「くっそぅ、このままじゃ体力も集中力も持たない。電撃でしびれ粉を燃やし続けるしか・・・ん?燃やす・・・?あ、そうか」

 

 

 

 完全に失念していた。

 相手は草ポケモンなのだ、当然火には弱いはず。

 ジムリーダーは自分の苦手属性の対策はもれなくしているとは思うが、それでも弱点は弱点だ。

 さすがに直接電撃を浴びせたところでフシギバナ本体を発火させることはできないだろうが、この舞っている粉ならば別だ。

 一瞬で燃え尽きる小さな火種だったとしても、フシギバナに延焼させることができれば、きっとダメージになるだろう。

 

 

「よし!ピカチュウ、フシギバナの近くで電撃だ!」

 

 

「ピカピ」

 

 

 つるのむちの猛攻を回避しながらフシギバナに近づくピカチュウ。

 幸い、近寄ること自体はさほど難しいことではない。フシギバナ自体はほぼほぼ動かないし、動いたとしてもその巨体がピカチュウのスピードに追い付けるとは思えない。

 

 

「あらあら、サトシさんもなかなか聡明ですわ。うふふ。」

 

 

 近づくことでつるのむちの攻撃がさらに激しさを増したが、周囲の粉を焼き焦がすための電撃が、フシギバナにもあたる距離になった。

 そして、微小な火種がフシギバナの身体に咲き乱れる花の一輪に引火し、周囲の花に燃え広がっていった。

 

 

 

「よし!ピカチュウ、その調子だ!」

 

 

 

「あら、燃え移ってしまいましたわ。」

 

 

 

 弱点である火がフシギバナに燃え移っても、エリカは狼狽える様子は無い。

 サトシとしては会心の一撃のつもりだったのだが、エリカのその態度を見て不信に思うと同時に、得も言われぬ恐怖感を味わった。

 底が見えない、何を考えているのか見通せないという、理解できないものへの恐怖というものを目の前にし、サトシは過去に味わったことのない感覚を経験していた。

 

 

 

 

「うふふ。いきましょうフシギバナ。『―――――――』。」

 

 

 

 そして、サトシはさらなる絶望感を味わう。



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第百九話 背水

「よしピカチュウその調子だ!」

 

「ピッピカ」

 

 

 燃え盛るフシギバナ。

 左前脚に咲いている花が勢いよく燃えている。

 圧倒的な巨体からしたらまだ一部分ではあるが、それでも炎は燃え続け次第にフシギバナの全身を包み込むだろう。

 そういった意味では、フシギバナの花に満たされた体表は弱点だらけともいえる。

 

 

「や、やったか!?」

 

 

 もちろん、そのようなわかりやすい弱点を草タイプを極めたジムリーダーが放置しておくわけも無いのだが。

 

 

 

「うふふ、詰めが甘いですわサトシさん。」

 

 

 エリカは微笑む。

 パチパチと火の粉を散らす自分のポケモンを目の前にして、弱点である炎に徐々に浸食され始めている草ポケモンを視界にいれて、それでもエリカはその笑顔を崩さず、むしろさらに微笑ませている。

 

 

 ―――異常だ。サトシは素直にそう思った。

 否、そんなことはとうにわかっている。だが改めてサトシがそう感じたのには理由がある。

 今まで戦った裏のトレーナー達には、良くも悪くも『わかりやすさ』というものがあった。善悪はともかく、なにかしらの信念というか、自分はこうあるべき、という確固たるものがあったように思える。

 しかし、目の前の少女からはそれを感じられないのだ。

 

 本人としてはお金を得ることに狂っている、とそう言っていたが、そもそもお金を得るということは行動した結果であって理由ではない。

 

 お金というものは行動を起こすために必要なものであって、それが最終到達点になることは基本的には無いことだ。

 

 

 であるならば、エリカという人物には理由が無い。

 それに伴う目的も無い。

 あるのはただただ『過程』のみ。それがなにより不気味だった。

 

 

 燃え盛るフシギバナを前にしても平常心を保っているのは自信からなのか、はたまた興味が無いからか。考えれば考えるほど測れない、笑顔という鉄仮面をかぶっているということなのだろうか。

 

 

 

「うふふ、フシギバナ、『せいちょう』」

 

 

「!!!」

 

 

 モンジャラの時にも、回復手段として用いられていた『せいちょう』。

 用途だけ考えれば確かにフシギバナが覚えていてもおかしくは無い。

 つまりこの状況で使うならば―――

 

 

 

「そんな・・・・!!」

 

 

 火のついた花が端からどんどん落下し、地面に落ちて燃え尽きる。

 そしてまた違う花が次々と生え、フシギバナの体表を再度花で埋め尽くす。

 

 その繰り返しを数秒間続けた結果、花畑に燃え広がっていたサトシの活路はなんの感慨も無く落ちて消えた。

 

 

 

「あらあら、サトシさん、落胆している暇があって?まだ勝負は終わってませんわ。うふふ。」

 

 

 その言葉に応えてか、フシギバナは再度背中の巨大な花から粉を噴出する。

 

 

 

「くっそー!ピカチュウ!もっと電撃だ!おもいっきりGO!」

「ピカピー」

 

 

 もはや打つ手無し。

 しかし降参するわけにもいかない。サトシの身体の中にはサトシ自身を活け花にしてしまう悪魔の植物が根付いているのだ。無理無謀と言われようが攻め続けるしか選択肢は元より無い。

 

 ピカチュウも表情の変化こそ無いが、サトシの言うことに従っている現状を見ると具体案は無いようだ。

 

 

 

 フシギバナの身体を電撃が這う。

 先ほどよりも大きな光の帯はより多くの痺れ粉を焼き、花畑を蹴散らす。

 

 

 

「うふふ、ヤケになっても勝利を拾うことなんてできませんわサトシさん。」

 

 

 フシギバナの周囲を飛び跳ねるピカチュウ。

 それの後を追うつるのムチ。勝敗の見えた攻城戦。

 ここに再度勝機を見出すことは困難と言わざるを得ない。

 

 

 

 

 

 それこそ、奇跡でも起こらない限りは――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ドッグァアアアアアアアアアアン!!!!!!!

 

 

 

 

 

 

 

「!!??な、なに!?」

 

 

 

 突如、サトシを暴風が襲う。

 咄嗟に腕で顔を覆う直前に見たものは今までピカチュウが居た場所が赤く包まれた瞬間で、すぐ後に白い煙が視界を阻んだ。

 

 

 

「ばく・・・・はつ・・・?なんで・・・!?」

 

 

 

 

 奇跡か偶然か。

 フシギバナとピカチュウを包み込んだ赤い火の玉の正体は、『粉塵爆発』というもの。

 

 

 漫画やアニメの世界ではよく聞く単語ではあるが、簡単にこの化学現象が発生するかというと、答えは否だ。

 

 非常に微細な粉塵が一定濃度であり且つ燃焼に必要な酸素が十分にあり、そこで着火することで発生する。言葉で言うと簡単に聞こえるのだが、実際は浮遊する粉塵の粒子間距離が開きすぎていると燃焼は伝播せず、逆に密度が濃すぎると燃焼するための十分な酸素が空間に無いために燃焼が継続できず、いずれの場合も爆発しない。

 

 発生条件が非常にシビアである反面、その威力は絶大だ。

 条件がそろえば工場一つ、炭鉱一つまるまる炎に包まれるという危険極まりない現象であり、密閉空間であればあるほどその中にあったものの被害は想像し難い。

 

 

 

 そして厄介なことに、ここでいう粉塵というのは可燃性であればその種類はほぼ問わない、ということ。

 石炭粉はもちろん、砂糖やコーンスターチでも爆発する。

 

 

 つまりは、この巨大なフシギバナが発した粉が蓄えられた花弁に包まれた空間。

 花弁が閉じ、空気と共に噴出する瞬間。

 

 高密度になった粉と空気に、燃えた火種が放り込まれ、爆発した。

 

 

 その結果――――

 

 

 

 

 

「フシギバナ―――?」

 

 

 

 

 

 巨大は花の内部で爆発した以上、その被害は計り知れない。

 美しい花畑で飾り付けられたバトルフィールドは、フシギバナの悲鳴に包まれた。

 

 

 

「■■■■■■■■■■!!!!」

 

 

 文字にすることすらできない、痛みからくる叫び。体内から燃やされ、自慢の巨大な花は半分弾け飛び、もう半分も飛び散った火の粉で穴だらけの花びらを残しているのみの無残な姿を晒している。

 

 

 

 サトシが呆けていると、後ろからドタドタと騒がしい足音が聞こえ、勢いよく扉が開かれた。

 

 

 

 

「エリカ様!!今の音は・・・キャーーーーー!!フシギバナ!!!!」

 

 

 

 

 出てきたのはエリカの従者が数人。

 惨状を目の当たりにし、甲高い悲鳴を上げる。どうやら裏の事情には通じているようだが、ここまでの惨状を見たことは無いらしい。

 

 

 

「落ち着きなさいあなたたち。すぐに消火しなさい。フシギバナはさがりなさい。もういいですわ。」

 

 

「は、はい!みんな、消火するわよ!」

 

 花畑だけあって、水場はそこかしこにあるようだった。

 侍女達は手に手にホースを持ち、フシギバナに勢いよく水を放出する。

 

 フシギバナもエリカの声だけは聞こえているのか、徐々に鎮火し始めると、ぐったりとしながらもズリズリと後ろに下がり、エリカの後ろでぐったりとしてしまった。

 あれだけの爆発で命を失わなかったのはその大きさからくる生命力なのだろう。

 侍女達は引き続き水をかけ続け、フシギバナの身体を冷やす。

 

 

 そう、あれだけの爆発を堪え切れたのは巨体であるフシギバナだったからで。

 

 ではそのすぐそばにいた、フシギバナに比べたら小人のような大きさの生き物はどうなったか。

 

 

 

 

 

「ぴ、ピカチュウ・・・・」

 

 

 

 

 サトシの目の前には、フィールドの外まで爆発で吹き飛ばされた、全身に傷を負ったピカチュウの姿があった。

 

 

 

「ピカピ~」

 

 

 よもや死んではいまいかと心配したが、なんとか命はあるようだ。

 フシギバナの花びらである程度爆発の威力が殺されたのか、かなりのダメージを負ってはいるが辛うじて無事なのは、不幸中の幸いというべきか。

 

「すぐにキズぐすりを・・・」

 

 カバンからありったけのキズぐすりを引っ張り出し、ピカチュウの大きな身体に吹き付ける。

 

 大きな傷はもちろんこの場で治ることは無いが、体力の回復はできる。

 また元気よく駆け回ることはできるようになるだろう。

 

 

 

 

 しかし、気が動転していたかどうかはわからないが、サトシにとって重大な決断が迫られる。

 

 

 

 

 

「サトシさん、まだ勝敗はついていませんわ。次のポケモンを、お互いに。」

 

 

 

 

 サトシがゆっくりとエリカの方に振り向く。

 

 

 エリカの顔は、先ほどと変わらず笑顔ではあったが、少しだけ陰りが見えた。

 

 

 

「いきなさい、ラフレシア。」

 

 

 

 エリカの手から最後のポケモンが放たれる。

 

 

 

 赤い光を伴って現れたポケモンは、一輪の花、だ。

 

 

 

 

 ラフレシア―――フラワーポケモン。

 体長一メートル二十センチ、体重十八.二キロ。

 毒の花粉をばら撒く大きな花を頭に載せたポケモン。

 

 

 ポケモン図鑑から得られる情報はこれくらいだが、目の前にいるポケモンも、情報としてはあまり違いは無い。

 

 違う場所があるとするならば、全身違うともいえる。

 

 

 

 まず、花びらは四枚でなく八枚だ。そして半分が鋭利に尖っており、もう半分が鈍器のように肥大化している。それらが交互に並んでおり、色は赤で統一されている。

 

 そして本来は青紫のような色でニッコリと微笑んでいる二足歩行の胴体があるはずだが、顔が無い。そして手も足も無い。あるのは紫色の木の根のよなものがグネグネと蠢いているのみ。

 パッと見は切株に大きな花を載せた感じ、と言えなくもない。

 そんな状況があるのかどうかはわからないが、とにかくそんな感じなのだ。

 

 

 

「わたくしの三体目のポケモンはいかがかしら?大きくないから拍子抜けしちゃったかしら。うふふ。」

 

 

 

 サトシはゴクリと喉を鳴らす。

 

 

(こ、怖い・・・なにあれ・・・)

 

 

 

 顔が無い。ただそれだけでここまで不気味さが増すのだろうか。

 こちらを見つめているわけでもないのに、明確な敵意を感じる。

 今すぐにでも攻撃してきそうなものを、エリカという存在が抑えているようだ。

 

 

 

「さあ、サトシさんも次のポケモンを。」

 

 

 

 そして、サトシの懸念していた自体がついに発生した。

 

 

 

 

 ピカチュウの退場。

 

 

 想像していなかったわけではない。わけではないが、それでも、一気に賭けのレベルが上がったのは事実だ。

 そしてサトシの持つポケモンで、単体で勝利に導けるポケモンは、現状ピカチュウのみと断言できる。

 つまり、普通に戦っては勝筋など微塵も存在しない。

 

 

 

 

 サトシは一度ピカチュウに視線を落とす。

 

 

 場外で仰向けに倒れているピカチュウは、そのまま爆睡していた。

 鼻提灯をつついて叩き起こしてやりたいが、ここまで健闘してくれたピカチュウにこれ以上の無理を強いることはできない。そもそも場外まで飛んできているのでもう参加できないのではあるが。

 

 

 

 サトシは自分の腰のボールの一つを手に取り、そのボールをじっと見据える。

 そしてエリカの方へキッと視線を向け、ボールをフィールドに投げ込む。

 

 

 

「僕のポケモンはこいつだ!!いけ――――」

 

 

 

 

 フィールドの中心でモンスターボールが割れ、赤い光と共にサトシのポケモンが飛び出す。

 まばゆい光が作り出したポケモンの形は―――

 

 

 

 

 

 

「コイキング!!!!」

 

 

「ココココッコッコッコココココココッコ」

 

 

 

 

 

 

 ジム戦で最も場にそぐわない、史上最弱のポケモンが姿を現す。

 

 

 

 

 

「・・・おふざけになっていますの?」

 

 

 

 サトシ、初のピカチュウ抜きの戦いが幕を開ける。



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第百十話 ラフレシア戦

「サトシさん、ご自分の状況がわかってらっしゃらないのかしら。それともピカチュウだけでもう打つ手が無い、とでもおっしゃる?」

 

 

「・・・」

 

 

 エリカの言うことも最もだ。

 なにせフィールドに出ているのはコイキング。

 大きいわけでもないし色が違うわけでもない。ごく普通の、一般的にみられるコイキングそのものなのだから。

 

 

「お答えに、なりませんか。まあ良いですわ。勝負をお捨てになったのでしたら、無駄な命を失うこともないのですし、すぐに終わらせましょう。」

 

 

「・・・・」

 

 

 

 サトシは応えない。いまこの状況、何一つ相手に有利な情報を漏らすことは許されない。それが即敗北につながる可能性がある以上、一言たりとも言葉を発しないことがサトシにできる唯一の戦いだった。

 

 サトシは言い争いに強い方ではない。むしろ弱いと言える。さらに相手にしているのは百戦錬磨のジムリーダー。経験もレベルも段違いだ。言い負かすことなど考えてはならない。かたくなに口を閉ざし、唯一の作戦を遂行する。

 

 

 そう、サトシは勝負をあきらめたわけでは無い。

 ピカチュウが戦えなくなった時にどのように戦い抜くか。

 数々の小賢しい戦法を駆使して勝ち抜いてきたサトシにとってはそれが正しい戦い方であるし、唯一の戦い方ともいえる。

 単純な戦力であるピカチュウが戦線離脱したことは完全に予想外で、賭けのレートが百倍くらいになったが、それでもあきらめるわけにはいかないのだ。

 エリカの和室に一輪挿しとして飾られるわけにはいかない。

 

 

 

「ラフレシア、『しびれごな』」

 

「…」

 

 

 ラフレシアは無言で花弁をコイキングに向け、勢いよく痺れ粉を噴出した。

 広範囲に散らせて回避を難しくするフシギバナとは対照的に、ラフレシアは完全に指向性。

 一対一を主軸に置いた単体攻撃特化型。

 パーティの構成をみてもエリカはかなりバランスがとれている。

 戦いのおいて賭けをせず安定して勝ちにいく、という考えが顕著に現れている。サトシもバランスをとりたいと考えてはいるようだが、現実はそう甘くはないようだ。

 

 攻撃手段がたいあたりくらいしか無いコイキングに対して痺れ粉をあえて放ってくるあたり、油断もしていない。精神の乱れがほとんどない証拠でもある。

 

 

 

「ココココッコーーーー」

 

「コイキング!」

 

 

 

 ラフレシアの噴出した痺れ粉は一直線にコイキングに向かい、そのまま粉を浴びた。

 水場も無い場所ではコイキングはビチビチ跳ねることくらいしかできない。

 回避行動などとれるハズもなく、何の抵抗もなく成されるがまま、痺れ粉を全身に浴びせられ、麻痺状態となった。

 

 

 

「ああ!コイキングが跳ねなくなった!」

 

 

 

 麻痺の影響だろうか。

 跳ねることが生きがい、とでも言わんばかりにひっきりなしに跳ねていたコイキングはその動きを最小限にし、地面に横倒しになってしまった。

 海岸に打ち上げられてしばらくたった魚のようにしか見えない。

 ほんの少しだけ尾びれを動かしている姿はもはやポケモンバトルに参加しているとは思えない状態だった。

 

 

 

「これでほんの少しの抵抗もできないですわ。ラフレシア、『はなびらのまい』」

「・・・」

 

 

 またも無言でラフレシアが蠢く。

 口が無いのだから話すことができないのは当然とも思うが、もはやポケモンとしての存在そのものを否定しているようで、不気味なことこの上ない。

 

 

 

「コイキングなんて売ったところで、二束三文にもなりませんね。うふふ。そのまま潰しちゃいましょう。」

 

 

 

 エリカのセリフがそのまま命令になったのか、ズゾゾゾ、と蠢いていた根っこのようなものが明確な意思をもって動き始めた。

 徐々に数を増やし、地面に這って伸びていく。そしてその姿は――――

 

 

 

「蜘蛛・・・?」

 

 

 

 八本脚。

 いや、正確には脚のように見えるだけの植物。

 

 八枚の花弁を持つ花の中心から延びた根っこのようなものが形作り、脚のようなものを八本作り上げ、それぞれが地面に根付くように直立している。

 そして中心にある花はその脚によって三十センチメートルほど地面から離れている。

 

 シルエットだけ見れば、なるほど蜘蛛のように見える。

 しかし実際は大きな花から蜘蛛の脚のような植物が生えているだけ。

 言葉にするとたった一文で表現されてしまう姿ではあるが、言葉以上に気持ちが悪い造形をしている。

 

 

 そしてもちろん、それは見た目だけでは無い。

 

 

 

「さあラフレシア、格の違いを見せてあげましょうか。」

 

 

 その言葉が理解できたかできないか。

 そんなことを考える余地など無いということをサトシは直後理解した。

 

 

 

「はやい!!」

 

 

 

 蜘蛛の姿は見かけだけではなく、その特性すらも蜘蛛に模倣しているようだ。

 それぞれの脚を器用に使い、一歩一歩地面を踏みしめ急加速を実現している。

 小さい蜘蛛ですら驚くほどの加速だが、それが体長数メートルの化け物が行うものであったなら、その脅威度は計り知れない。

 

 無論、そんな化け物に相対するのが痺れて動けなくなったコイの王様だというのだから笑うに笑えない。

 

 

 

 スライド移動のように上下移動無く、猛烈な勢いで近づいたラフレシアは、コイキングの二メートル程手前で急停止し、その花弁を全てコイキングに向けて八枚同時に射出した。

 

 

 一撃必殺。本来であればそうなるほどの威力。

 抜群の安定感で高速移動をしつつ、見るからに攻撃力の高い花弁をショットガンのように射出する。

 これがラフレシアの戦い方だった。

 シンプルであるが故、どのタイプにも有用な戦術。

 四枚の鋭利な花弁によって切り刻まれ、四枚の鈍器のような花弁によって押し潰される。

 

 発射された花びらは数秒で再生し、そのわずかな隙ですら機動力によってカバーされてしまう。

 

 花弁の舞による攻撃、草ポケモンにあるまじき機動力、痺れ粉による麻痺攻撃。

 

 

 さらに技を二つ隠し持っているということを考えれば、エリカが最後のポケモンとして出すのも頷けるほどの強さだ。

 

 

 通常であれば太刀打ちできるポケモンの方が少ないだろう。

 ましてや相手はコイキング。

 

 しかし、サトシのコイキングは普通では無い。

 長年の研究により生み出されたコイキングは―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ガッキイイイイーーーン!!!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 とにかく硬いのだ。

 

 

「よし!」

 

「はじいた、のですか?随分お堅いんですのね。うふふ。」

 

 

 予想外。ではあるものの、戦況は何も変わっていない。

 麻痺したコイキングがいくら攻撃を防ごうとも、勝ちは永遠に来ない。

 ダメージが通らないのであれば、別の方法で勝てばいいだけである。

 

 

 

「ラフレシア、相手は何もしてきませんわ。そのまま場外まで弾き飛ばしなさいな。」

 

「……」

 

 

 

 無言の首肯。

 ラフレシアの花弁はすでに八枚とも再生し、先ほどと変わらない凶悪な花の様相を取り戻している。

 その悪趣味な花を再度コイキングへ向け、八本の根を器用に動かし加速する。

 

 

 そして今度は真横から八枚の花弁を射出した。

 一枚も外す事無くコイキングに命中した結果、フィールドの真ん中付近を陣取っていたコイキングはあっけなくサトシのいる場外まで弾き飛ばされてしまった。

 

 

 

 

「あら、本当に何もできないのですね。うふふ。もう後がないですわ、サトシさん。」

 

 

「・・・・。」

 

 

 

 弾き飛ばされたコイキングは、キレイな放物線を描いてフィールドを縦断し、サトシの隣にポテっと落ちた。

 

 

 

 

 その瞬間。

 

 

 

「バナーーー」

 

 

 

 エリカが声の方へ顔を向ける。

 少しだけ、笑顔が崩れる。

 

 

 

 エリカの横を突如通過した山のようなフシギバナは、巨体に似合わず大跳躍をし、フィールドの半分を陰で覆い尽くし、そのまま全体重をかけて押しつぶした。

 

 

 

 

 

「・・・・フシギ、バナ?一体何を・・・」

 

 

 

 

 

 エリカの笑顔が完全に消える。

 理解できない、という感情をそのまま出したような表情。

 

 それはそうだ。なにせフシギバナは自分の後方でまだ水を浴びて傷を癒しているハズなのだから。何故そのフシギバナが急に飛び出してきたのか。

 

 

 

 エリカはゆっくりと後ろに振り向く。

 そこには、先ほどを変わらず傷だらけのフシギバナが横たわっている。

 水をかけている侍女達もそのまま。

 

 

 ではこのフシギバナは?

 

 

 

「・・・あ」

 

 

 そして気が付く。フィールドの半分をこの巨体が押しつぶしたということは。

 その領域にいた自分のポケモンはどうなったのか。

 

 

 

 

 

 茫然としているエリカを横目に、サトシは小さくガッツポーズをする。

 

 

 

 

 

 それが合図だったのか、エリカの横にいたフシギバナはシュルシュルシュルと音を立てて急激に小さくなっていく。

 

 

 その後エリカの目に入ったのは、紫色の小さい物体と、原型を留めない程に地面に圧縮されて押しつぶされた赤と紫の平らな何かだった。

 

 



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第百十一話 エリカ戦、終了。

 エリカは孤児だった。

 

 幼いころに両親を事故で失い、孤児院に預けられる。

 物事の良し悪しもわからず、両親の顔すら認識する前だったため、悲しむということもなく、孤児院での生活を受け入れた。

 

 孤児院での生活に不自由は無く、エリカは特に自分の境遇に疑問を抱くことなく育っていった。

 

 そして物心がつき始めた時、エリカはふと疑問に思った。

 

「自分は一体何なのか」と。

 

 子供が考えることだ。結論などでるはずも無いし、一晩寝て起きてしまえば忘れてしまうだろう小さい疑問。大人になれば、再度同じ疑問を持つ者もでてくるだろうが、誰かに庇護されて育っている子供が抱くには重過ぎるものだ。

 

 

 しかし、エリカは忘れなかった。

 それどころか、四六時中考え続けた。

 足りない知識は本を読んで覚え、さらに奥深くまで思考を巡らせた。

 

 

 何故とかどうしてとか、そういう理由はあまり興味が無く、「何」か。

 自分という存在の意味。どういった存在なのか。何を求められているのか。

 エリカはそれを知るために、とにかく考え続け、そして子供ながらに結論に至った。

 

 

 

 

 

 

 ああ、自分は何でもないのだと。

 

 

 

 何も求められず、何も意味を持たず、ただいるのみ。

 そこに存在しているだけの存在。

 愛も無ければ、役割も無い。

 食べて寝るだけの物体。

 

 

 では、自分はこれから何になればいいのだろうか。

 何でもない自分が、一体何すればいいのだろうか。

 

 

 結論から出た問いに、エリカは恐怖を覚えた。

 

 

 何もないという状態に、理由もなく背筋を凍らせた。

 怖かった。自分という存在を何かで定義しなければ、どうにかなってしまいそうだった。

 

 

 

 そこでエリカは再度思考に耽る。

 

 この頃には同じ孤児院の子供とは全く言葉を交わすことが無くなり、大人に対しても最低限の言葉しか話さなくなっていった。

 

 

 

 数か月という時間を使って考え抜いた結果。

 数々の本を読み、世の中は不自由と理不尽に埋め尽くされていることを知り、エリカはエリカ自身を「自由な存在」として定義することにした。

 

 何にも束縛されない、自分の考えたことが出来る存在になろう、と。

 

 

 別にエリカは今の生活に不満があったわけでは無いし、不自由を感じているわけでもない。

 だが、漠然とその方がいい気がする、という結論に至ったまで。

 

 

 

 この時エリカ六歳、「束縛されない生き方」というものに束縛されていくこととなる。

 

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

「まいりましたわ、サトシさん。わたくしの負けです。」

 

 

 

 

 地面の模様となってしまったラフレシアをから目を離し、サトシの方を見てエリカが言った。

 

 

「え?あ、ああうん。はい。」

 

 

 なんだかよくわからない答え方になってしまったが、それには理由がある。

 エリカの対応がひどく事務的なものに感じられたからだ。

 今までのジムリーダーは、自分のポケモン、特に最後に繰り出すポケモンにはかなりの愛着があるようだった。

 タケシも、カスミも、マチスも、それぞれの想いの違いはあれど、一番大事にしているポケモン達だったハズだ。

 当然敗北した瞬間は感情的になっていたし、愛情が感じられた。

 

 

 それなのに、エリカにはそれが無い。

 フシギバナがメタモンの変身だった時はさすがに驚いていたようだが、それだけだ。

 予想外の事が起きた時に驚くのは人として当然の事だ。

 それで驚かない、ということは予想ができていたということになる。

 粉塵爆発も、メタモンの変身も、エリカにとっては予想外だったため表情に変化があった。

 だが、それ以外の事についてはどうだろうか。

 モンジャラの敗北も、フシギバナの大怪我も、ラフレシアの敗北も、別段目立った感情の変化は無かったように見えた。

 事実の確認をして、それに応じた対応をする。

 ただそれだけ。ほかの何にも興味が無い。そのように感じたからこその違和感だ。

 

 

 

「この場所は彼女らに任せて、わたくし達は下に戻りましょう。いろいろとお話することがあるかと思いますので。」

 

 

 フシギバナに水をかけている侍女達に視線を送り、お辞儀したことを確認してエリカは試合前と変わらない柔らかい動きでゆったりと歩き始めた。

 

 呆気にとられたサトシだったが、とりあえずメタモンとコイキングをモンスターボールに戻し、ピカチュウを起こして、多少の違和感を残しつつ荒れた庭園を背にエリカについていった。

 

 

 

 

 

「どうぞ、お座りになってください。」

 

 

 最初に訪れた際に案内された和室に再度案内され、落ち着かないと思いつつ座布団に胡坐をかくサトシ。今回はピカチュウはサトシの隣に座った。

 

 

 サトシが座ったのを見て、エリカもゆっくりと座布団の上に正座し、相変わらず変わらぬ笑顔で話はじめた。

 

 

 

「さて、まずはおめでとうございます。タマムシジムのバッジ、レインボーバッジをお渡しします。」

 

 

 エリカが座卓の上に高級そうな小さい木箱を置き、サトシの方へずらす。

 

 サトシがゆっくりと箱を開けると、またも高級そうに紫の布で包まれた何かがあり、それを広げると七色に輝く花形のバッジが現れた。

 

 

 一度エリカを見て、頷くのを確認してからバッジを手に取り、そのまま自分のジャケットの裏に留めた。

 

 

 

「これでサトシさんのご用件はとりあえず終わりですが、いくつか訊きたいことと問いたいことがございます。」

 

 

 エリカはそう切り出す。わざわざバッジを渡すためにこの部屋に案内されたわけではなさそうだ。先ほども話がいくつかあるみたいなことを言っていたのだし。

 だが、エリカの話を聞く前に話すことがあるのを忘れてはいない。

 

 

 

「ちょ、ちょっとまって!まずはこの物騒な植物をなんとかしてよ!」

 

 

 そう、サトシの胃帳に根付いている植物。急いでバトルをしなければならなくなった原因。これをなんとかしない限り、サトシは落ち着いて話などできない。

 

 

 

「ああ、そういえばそうでした。」

 

「そういえば・・・って・・・」

 

「嘘ですわ。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 場が凍る。

 

 

 

 

 

 

 

「・・・今、なんとおっしゃいました?」

 

 

 改めてサトシが問いかける。なにかとてつもない言葉があっけらかんと言われたような気がして。

 

 

 

 

「嘘、ですわ。そのような植物、サトシさんの中にはありませんわ。」

 

 

 

 

 

「・・・・えええええええええええええええ!!!!!」

 

 

 

 驚愕の事実。

 いや、まだ本当に入っていないのか確認ができたわけではない。それこそ騙そうとしているのではないか。

 

 

「いやいやいや!だってそんな!一体なんで!」

 

「もちろん、サトシさんをバトルから逃げさせなくするためです。口をついて出た嘘、口から出まかせですわ。」

 

 

 絶句。何も言えない。

 いや、ジムリーダーが嘘を吐かない、などと勝手に思い込んでいたのはサトシだ。

 しかしそれにしても、ひどすぎるのではないか。

 

 

「それとも、本当に飲まされていた方がよかったですか?」

 

「いや、それはそれで嫌だけど・・・」

 

「でしたら、これでお仕舞ですわ。お話に戻りましょう。」

 

 

 非常に納得いかないし腑に落ちない。

 エリカが何故そんな余計な嘘を吐く必要があったのだろうか。

 疑問は晴れないままとりあえずエリカの話を聴くために乱れた座布団を整え、胡坐をかきなおす。

 

 

 

「さて、まずはご質問したいことが。先ほどのバトルの件ですわ。負けたことに文句を言うつもりはありませんが、最後にわたくしの後ろから出てきた、あれはメタモンですか?」

 

 バトルの内容に興味をもってきたエリカに少し驚きつつ、サトシは答える。

 

「うん、ピカチュウが負けたらどうするかを考えたんだけど、一体一で勝てるポケモンを僕は持っていない。それこそ不意打ちするくらいしか。それに不意打ちできたとしても並の力じゃあ反撃されてしまうのが目に見えてる。だから、絶対に避けられないように一撃で倒す必要があった。」

 

 

 エリカは静かに聴いている。

 何を考えているかサトシにはわからなかったが、そのまま話を続ける。

 

 

「メタモンはドーピングポケモンでも少しだけなら変身できる。だから、それを使ってなんとかしようと考えてた時に、フシギバナがでてきた。コイキングに注目させてる時にサンドパンに穴を掘らせて、フィールドの外を通ってメタモンをエリカの方へ送り込んだんだ。コイキングが場外になった時に、フシギバナに変身して攻撃しろって命令して。」

 

 

 

「そういうことでしたのね。」

 

 

 エリカは深く瞑目した。納得した、と言っているようにも見える。

 

 

 

 

 

 しばし静寂が続く。

 黙って目を閉じているエリカを前に、サトシも何を切り出せばいいかわからずに困った顔で口を閉ざす。

 

 

 

 そのまま十数秒が経過した時。

 

 

 

 

 

「ふ、うふふふふ、あはは、あはははははははははは!!」

 

 

 突然エリカが笑い出した。

 

 

「あはははは!く、くくく、うふふ、あは、あははは!あはははははははは!」

 

 

 

 目を開いてエリカを凝視するサトシ。

 今まではニコニコと張り付いたような笑顔をしていたエリカが、思いっきり感情を表に出して大笑いしている。

 茫然としつつ、何をしていいかわからないサトシはエリカを見続ける。

 

 

 

 一分ほど笑い続けたエリカはようやく落ち着いてきたようで、呼吸を整えている。

 笑いすぎて涙で目尻を赤くしたエリカの顔は妙に色っぽく、不意打ち的にドキドキしてしまった。

 

 

「・・・・あの、エリカさん?」

 

 

「はあ、はあ、うふふ、こんなに笑ったのはどれだけぶりかしら。サトシさん、そんな賭けの要素が強い作戦でわたくしに挑んでいたのですか?それでわたくしに勝ったと?うふふ、ありえないと思いませんかサトシさん?」

 

「まあそりゃあ、そうだけれど、そうするしかなかったし・・・」

 

 

 もともと考えられないレベルでこの絶望的な旅を続けているのだ。

 ドーピングされたポケモンで戦えるのはピカチュウ一体のみ。

 コイキングがもしかしたらドーピングされているだろうが、戦えるかどうかは訊くまでも無い。

 そんな状況で各種族をマスターしているジムリーダーに挑もうというのだ。

 始まりからしてありえないのだから、小賢しい真似でもなんでもしなければ勝利になど到底たどり着けないのは目に見えて明らかだ。

 

 

「本当に、自由なのですね、サトシさんは――――」

 

「自由?そうかな・・・?」

 

 

 この旅自体は確かにサトシの決断でスタートしたものではあるが、制限事項が多すぎるし命の危機なんて日常茶飯事だし、自由なことなんてないのだと思うのだけど――

 

 

 

「ええ、とても自由です。羨ましいほどに。憧れるほどに。」

 

 

 そんなことをとびきりの笑顔を向けて言ってくるのだから、このエリカという人物は本当に測れない。

 ただ、この時に限って、疑る気持ちは無く、単純に好意として受け取ってもいいかな、と感じた。

 

 

 

 

 

 

 その後、ほんの少しドギマギした後、エリカが話を続ける。

 

 

 

 

「さて、これが最後ですわ。裏の試合に勝った報酬として金銭をお渡しするのが習わしですが、ここでサトシさんにお訊きします。」

 

 

 先ほどとは違う、少し真面目な雰囲気にサトシも姿勢を正し、エリカの話を聴く。

 

 

「まず、ここに三百万円ございます。」

 

「さ・・・さんびゃくまん!?」

 

 

 自分が今までにもらった総額を超える金額の提示に驚愕すると同時に目を輝かせる。

 

 

「こんなにもらえるんですか!?」

 

「ええ、差し上げます。ただ、ここで一つ提案ですわ。」

 

「提案?」

 

 

 なんだろう、ジムリーダーからの提案というとあまりいい予感はしない。

 

 

「あらかじめお伝えしておきますが、わたくしに勝利したことに対する褒章というわけではございませんわ。あくまで、わたくし個人としてサトシさんの事が気に入ったからこその提案です。」

 

 

「そ、そうなんですね。」

 

 

 なにやらひどく気に入られているようだ。

 勿論、今のサトシは旅に出始めた頃とは違う。訊くべきことは訊いておく。

 

 

「それを聴いて命の選択を迫られるなんてことはありませんか?」

 

「うふふ、もちろんですわ。ご心配なさらず。」

 

 

 

 先ほど嘘を吐かれた以上は完全に信用するのも馬鹿らしいとは思うが、疑っても証明できるわけもないので、とりあえず頷くことにした。

 

 

「それで、提案て?」

 

「はい。これからサトシさんにお話する提案とは、情報の販売ですわ。」

 

 

「情報?」

 

「はい。情報です。そのお値段は、四百万円です。」

 

「四百万!?さっきのお金を含めても、僕のほぼ全財産ですよ!?」

 

「それはなにより。情報の価値を考えればそれでも安すぎるくらいです。」

 

「安すぎるって・・・」

 

 

 全財産と聞いてピカチュウの視線がサトシに全力で注がれているが。食事の心配はサトシにとっても同じだ。生半可な情報では梃子でも動かないつもりだ。

 

 

「それで、どんな情報なんですか?」

 

「ええ、それは―――」

 

 

 たっぷりともったいぶって、ゆっくりと時間を楽しむように、緊張感を肌で味わい、口にする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ロケット団秘密基地の場所、ですわ。」

 



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第百十二話 激戦後の夜

 サトシは耳を疑う。

 

 一体何故、今その単語がでてくるのだろうかと。

 サトシの大量のトラウマを刷り込んでいる傍若無人悪逆非道の組織、『ロケット団』の名前を。

 もはや聞くだけで寒気が走り頭は沸騰し目が血走るのではないか、と思う程にサトシは黒尽くめの組織を憎んでいるが、別段ここにロケット団がいるわけでは無い。

 まずは落ち着いてエリカの話を聴くことに専念する。

 

 

「今、ロケット団って言いました?」

 

 

 改めて問う。

 

 

「ええ、ロケット団秘密基地、と言いましたわ。」

 

 

 そして先ほどと変わらぬ答えを返す。

 

 

「ロケット団の秘密基地の場所を知っているんですか?」

 

「はい、知ってますわ。その場所と、入り方の情報ですわ。」

 

「一体なんでそんな情報を知って・・・」

 

「簡単なことです。わたくしの大事な取引相手ですもの。うふふ。」

 

「取引相手・・・?」

 

 

 

 取引相手、しかも大事なということはエリカとロケット団はそこそこ頻繁にやりとりをしているということになる。

 ということはエリカはロケット団という組織の一員、ということにならないだろうか。

 いや、エリカの話を聞いている限りそのような話は想定できないし、そもそもそんな大事な情報をエリカという人間が漏らすだろうか。

 取引相手ということは金銭のやりとりをしているはず。エリカの大好きなお金の収益源の一つであるはずなのに、何故わざわざその場所を教えようとするのだろうか。

 何か理由があって?もしかしてサトシを売り渡そうとしているのではないか?いやそもそも――――

 

 

 

「そんな深く考えることはございませんわ。」

 

 

 

 ハッと顔を上げる。どうやら深く考えこんでしまっていたようだ。

 エリカにもわかるほどにうんうんと唸りながら考えていた自分の悪い癖を反省しつつ、どういうこと?とエリカの話を促す。

 

 

「先ほども申し上げた通り、これはわたくしのサトシさんに対する好意でのことです。損得ではございませんわ。もちろん、全てをサトシさんに対して差し出しても良いというお話ではございませんので、ある程度の代価はいただきますけれど。」

 

「その代価が四百万円・・・」

 

「ええ、その通りです。」

 

 

 

 その代価が高いのか安いのかはサトシの知識では判断はつかない。

 だが恐らく非常に破格なのだろう。なにせ裏のバトル一つで百万円単位で動く世界なのだ。

 四百万円という金額はサトシにとっては非常に大金ではあるものの、商売を生業とする人間からしたら大した金額ではないと考えられる。

 

 無論、世間的に価値の高い情報であっても、サトシにとって価値が無ければ即刻お断りしている。

 だが情報が情報だ。

 なにせ憎きロケット団のアジトを潰せるチャンスなのだ。

 

 

「どういたしますか?」

 

「・・・・僕は――――」

 

 

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

「あーーーーー、疲れた!!!」

 

「ピカピー」

 

 ポケモンセンターのベッドにうつ伏せに飛び込む。

 大して柔らかくもないベッドだが、多大なる精神的不安と肉体的疲労から解放された瞬間というのはそれだけで極上の瞬間なのだ。

 このままとりあえず睡眠状態に入りたいサトシであったが、それを止める存在がいる。

 

「ピカ、ピカピカ」

 

 黄色いでっかいのである。

 普段はサトシのことなど放置して真っ先にベッドにもぐりこみ寝息を立てるハズが、この時に限ってサトシの裾をくいくいと引っ張って睡眠の妨害をする。

 

 そしてサトシもその妨害を嫌がりつつも、妨害理由について目安がついているだけに無碍にできない状況にある。

 

 

「・・・しょうがないだろ、お金ないんだから。」

 

「ピッピカチュー」

 

 

 ピカチュウの手元にはタマムシデパートで購入したパンやおにぎりがいくつか握られており、それを食事とすることに不満があるようだ。ちゃっかりサトシの分も握られていたが、それくらいは見逃すことにした。

 

 そう、今現在サトシの手元にあるお金は十万円に満たない。

 理由はもちろん、エリカの提案を受けたからである。

 

 四百万円という金額は決して安くない。

 そして、サトシがロケット団の秘密基地を潰す意味も必要性も特にないことはわかっている。

 

 しかしそれでも動かざるを得なかった。

 なにせロケット団だ。エリカがどこまでサトシの事を探っていたかはわからないが、まんまと載せられた可能性も否定できない。

 もしそうだとしたらエリカはサトシのことを本当によくわかっていると言える。

 何故ならロケット団の事に関しては、サトシは平静を失う。

 たった一人の少年が影響を及ぼせるほど小さい組織でもない。エリカから仕入れた秘密基地とやらも、どこまでロケット団の核心に迫れるかわからない。だがそれでも。サトシはその情報を手に入れるしか選択肢が無かったのだ。

 

 

 サトシはぐるりと身体を回し、ベッドの上で仰向けになり、天井をボーっと眺めつつ、エリカとの対話を思い出す。

 

「―――エリカ、結局何を考えているかわからなかったな。」

 

 

 タマムシシティジムリーダー、エリカ。

 バトルをして勝利したことに関しては僥倖と言えよう。かなり賭けの割合が高いバトルであった上に、ピカチュウが敗北するという最大の危機が訪れた初めての経験。

 そのうち来るだろうと思っていた事態ではあるが、それでも実際に来ると緊張感がハンパじゃない。

 

 唯一持っていた剣が折られた時にどう戦えばいいというのか。

 それを何とかしないといけないのだから綱渡りにも程があるが、それでもサトシは武器を無くして勝たなければならないし、千切れかけのロープを渡り切らなければならない。

 

 今回は運よく、と言っても、過去の戦いを顧みても大半が運要素が非常に強い勝利ばかりであった。

 あと四つ。そしてその後はポケモンリーグ。

 前途多難にも程がある。

 

 だが、今回のバトルでわかったことは、ジムリーダーは、ジムリーダーとしての役割をこなせばそれ以外は基本的に自由なのだということ。

 今更な考えかもしれないが、いままでのジムリーダーがいろいろな意味で突出していたのに対し、エリカはかなり常識的な思考を持っているように思えた。

 あれを常識と考えるほどにはいろいろとおかしな人達と関わってきたサトシであったが、それにしてもエリカからはこだわりというか、そういう生き方のようなものがまるで感じられなかったのだ。

 

 なんというか、統一性が少ないというか、つかみどころがない。

 エリカという人間に対して、心にしこりが残る。別に恋とか憎悪とかそういう感情的なものではなく、単純に存在として違和感を覚える。

 

 

「まあ、それを知ったところで何にもならないのだけど。」

 

 

 そう、どうにもならない。

 サトシはエリカと戦い、勝利した。そして何故かロケット団アジトの情報を購入した。ただそれだけだ。

 

 そして今考えなければならないことは、エリカの事ではないハズだ。

 

 

 

 そこまで考えて、サトシは仰向けの身体をゆっくりと起こす。

 ベッドの端に座る形になり、ピカチュウの全身が視界に入る。

 ちょうど最後のパンを咀嚼している最中だ。サトシの分も含めて。

 いつもの外食に比べて随分と安く済んだとはいえ、これだけ大量に食べられたらお金が尽きるのも時間の問題だろう。

 そのあたりの問題も考えなければならないが、まずは―――

 

 

「ロケット団アジト。乗り込む準備をしないと。」

 

 

 アジトは逃げない。とはいえのんびりするほどサトシがロケット団に抱く感情は優しいものではない。

 本当は一刻も早く殲滅したいところではあるが、相手も裏ポケモンを所持している可能性が高い以上油断はできない。

 まずはエリカ戦での傷を癒し、消費した道具を補充しなければ。

 

 

「・・・またお金かかるなあ。」

 

 

 世の中を走るにはお金が必須なのだなと改めて認識し、エリカの考えもあながち間違いではないのかもなどと頭の隅で考えつつ、サトシは眠りの世界へ落ちていくのであった。

 

 

 



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第百十三話 ロケット団アジト

ついにきてしまった。


 ロケット団とは悪の組織である。

 

 一概に悪の組織と言ってもいろいろあるが、その中でもかなり影響力の高い、最悪に近い組織の一つが所謂ロケット団。

 殺人強盗強姦誘拐恐喝など個人レベルでできる悪事はもちろん、買収占拠ハイジャックと組織単位での悪事もこなす、悪の権威のような団体である。

 

 そして厄介なことに、名前を知らない人がいないのではという程に有名な組織であるにも関わらず、その実体は不明。

 何人いるのか、どこに集まっているのか、目的はなにか、リーダーは誰か、何一つ明確にわかっていることは無く、唯一認知されているのが「最悪の組織」というだけだ。

 恰好も死ぬほどわかりやすく、黒尽くめ。目立つ格好でありながら悉く逃げおおせ、その正体は明らかにならない。

 急に現れ、悪事を働き、急に消える。

 そんな考えられない行動を集団で行うのだから性質が悪い。まさしく最悪を意のままにする組織である。

 

 

 

 しかし、あり得るのだろうか。

 いくら巧妙に作戦を練り、綿密な計画を元に行動をしたとしても、団体行動である以上、かならずヘマをする人間がいてもおかしくない。さらに言えば数十人単位で動くことも珍しくないのに、目撃情報が全くと言っていいほど無い。

 幽霊か亡霊か、そのような非現実的な存在でなければ到底有り得ないような動き方を何度も繰り返している。

 

 こんなことが可能なのは、本当に幽霊であるかもしくは―――

 

 

 

 誰かが情報を操作しているとしか、考えられないのだ。

 

 

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

 

「おはようピカチュウ。もう身体はいいの?」

 

「ピカピ」

 

「そっか。よかった。」

 

「ピッピカチュ」

 

 

 傍から見ていたらポケモンと会話できるエスパー少年であるが、もちろんサトシはピカチュウの言葉など理解していない。

 だがこの旅で連れ添っている一番長い仲間だ。ニュアンスというか、なんとなく雰囲気で言っていることがわかりそうな気がしているだけである。

 

 ポケモン達と朝食をとり、身支度を整える。

 いつもの習慣で、何一つ変わらない。唯一違うことがあるとするならば、これから行うことに対する心構え。

 

 

「さあ、いこうかみんな。」

 

「ピカピカ」「サンドパン」「クラーブ」「ココココッコ」「メター」

 

 各々の返事を聴き、サトシは立ち上がる。

 いざ、ロケット団アジトへ。

 

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

 

「―――――ここ、かな?」

 

 

 

 サトシがいるのは、ある建物の入口前。

 建物には大きく「タマムシゲームコーナー」と書いてあり、中からジャラジャラという大きな音が自動ドア越しに聞こえてくる。サトシにとってゲームとは家にあったテレビゲームくらいなものだが、たくさんのお金を賭けて非日常感を味わう大人の娯楽として存在しているらしい。

 まさかこんなところにロケット団アジトがあるなどとは誰が想像できようか。

 エリカの情報無しでは到底たどり着くことなどできなかったであろう。

 

「よし、行こう。」

 

 意を決して、自動ドアの前へ踏み出し、ウイインと開くガラスの板を通り抜け、大人の娯楽場へ足を踏み出した。

 

 そして、すぐに足を戻して外に出る。自動ドアはそのまま閉まりまた世間との壁を生み出した。

 

 

 

 

「・・・・耳が痛い」

 

 予想以上に五月蠅い。

 これでもかというボリュームで流れている店内BGMもそうだが、大量にあるスロットマシーンをじっくりと眺めながら手元を動かす大勢の大人達。そしてジャラジャラと鳴り響くコインの音と何を言っているかわからない店内放送。

 そのすべてが織りなす演奏会は普通の人間が耐えられるレベルとは到底思えない程の圧力を放っていた。

 初見のサトシが一度撤退してしまうのも仕方のないことかもしれない。

 

 

「すごいエネルギーだ・・・・これが大人の遊び場なんだ。」

 

 

 ゲームは子供の遊び道具。サトシ自身子供でありながらそれは十分承知していたつもりだった。

 なのに、目の前の建物にいる大人たちはゲームに子供以上に熱中し、資産を投入しリスクを楽しんでいる。

 明日食べる食事にも悩む現在のサトシにとっては散財する気持ちなどわかりようもなかったが、これが大人なのか、と意味も無く納得してしまっていた。

 ともあれ、驚いてばかりもいられない。別に大人の娯楽を体験しにきたわけではないのだ。

 よし、と再度意を決して歓喜と悲哀に包まれた大人の娯楽場にあらためて踏み込んだ。

 

 

 

 

 

「ん?きみもあそびにきたのかい?コインやろうか?」

「あらーかわいいこ。駄目よこんな場所きたら。」

「がっははは!大当たりじゃーーい!」

「これがはずれたらやめる・・・これがはずれたらやめる・・・・」

「ポリゴン・・・欲しいなあ」

 

 

 なにやらいろいろな事情を抱えた人が多いようだ。

 

 どうも、と小さく会釈しながら場違いな空間で歩みを進めながら、エリカの言葉を思い出す。

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

「タマムシゲームコーナーの一番奥。そこにあるポスターの前に男がいます。その男に、こう伝えてください。」

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

「男・・・男・・・あいつか。」

 

 

 数十台ならんだスロットマシンの列を抜けると、カウンターの横に誰の興味も引かなさそうなポスターが貼ってあり、その前を帽子を深めに被った地味目な男が陣取っていた。

 

 一応周囲に気を配り、他の視線や隠れている人間がいないか目を見張る。

 特に問題が無さそうな事を確認し、それでも用心しながら男の方へ歩いていく。

 

 

「あの、すみません―――」

 

 男に小さい声で話しかける。サトシの消え入りそうな声は周囲の騒音に打ち消されたが、近づいてきた子供には気づいたようだ。

 

 男はサトシの方を向いて、じっくりと目を細めて眺めた後、ぷいと興味無さそうにそっぽを向いた。

「ああん?なんだお前、あっちいけ。ここに近寄るな。」

 

 

 

 まあ当然、そういわれるのだろう。

 何の情報もなければここで無理やりにでも通るところではあるが、サトシには四百万円分の情報があるのだ。

 相手にしてくれない男の前に立ち、面倒くさそうにサトシを視界に入れたところで口を開く。

 

 

「あの、ええと、『花を届けにきました』。」

 

 

 その言葉を言うと、まるで興味のなかった男が目を見開き、サトシの事を再度じっくりと眺める。

 

 

「・・・なんだ、お客さんか。人を変えた時は伝えろって言ってあるのによ。・・・まあいいや。こっちこい。」

 

 

 サトシの返事を待つことなく、奥の方へ歩いていく。ちょうど棚の影になっており、関係者以外は立ち入れない場所のようだった。

 慌ててサトシも付いて行く。エリカの情報は正しかったようだ。ここでいきなり捕まったらエリカの事を恨んでも恨み足りないところだったが、お金の遣り取りをしての約束事はしっかり守るようだ。

 その点については商売人である以上、あまり心配していなかったが、先ずは最初の関門を突破できたことに胸を撫で下ろす。

 

 

 

 男が部屋の隅っこの壁の前に立つ。

 ちょうどゲームコーナーのどこからも見えない死角になっているところだ。

 そこで男が手に持っている何かの端末のようなものでいくつかボタンを押すと、目の前にあった壁に音も無く縦線が引かれ、そのまま横にスライドして地下への階段が現れた。

 

 

「ほら、さっさと来い。」

 

 男はそう一言だけ言うと、すっと壁の向こうへ消えた。

 サトシも慌てて追いかける。

 

 サトシとピカチュウが壁を抜けると、すぐに壁は閉じ始め、元通り何の変哲もないゲームコーナーの壁に戻った。

 

 

 

 男について暗い階段を降りていくと、すぐに人工的な光が見え、降りた場所は研究所のような場所だった。

 通路に沿って部屋がいくつかあるようだが、その全てが頑強にロックされた扉が設置されている。

 電子ロック、というものだろうか。オーキド博士の研究所で同じようなものを見たことがあった。

 

 目新しいものを見るようにキョロキョロしていると、男が不機嫌そうに早くきやがれと声を投げかける。

 サトシも本来の目的をしっかりと意識し、心の中で高ぶる緊張感を抑えつつ、静かに男に着いていく。

 

 今になって気づいたが、この男は変装したピカチュウを見ても何も動じなかった。

 単純に無関心なのか、もしくは見慣れているかのどちらかだろう。

 

 前者であってほしいが、十中八九後者だろう。

 裏のポケモンを見慣れているからこそ、ピカチュウのようなポケモンを見たところで、まあこういうのもいるか、と勝手に腑に落としてしまったわけだ。

 サトシにとってはありがたい状況ではあったが、逆に言えば、このアジトにおいては裏のポケモンは平然といる認識でいる人間ばかりということになる。

 もしもエリカの情報なしで乗り込んだ場合はたくさんのドーピングポケモンと戦うことになった可能性を考えると、背筋が凍る思いだ。

 

 これだけでも四百万円の価値は十分にあったかもしれない、などと考えながらスタスタ歩く男に遅れないように歩幅を大きくして歩く。

 

 

 

 通路を歩き二回ほど曲ると、先ほどまで並んでいたドアとは違う雰囲気のドアがあった。

 タマムシデパートでも同じようなものを見た。これはエレベーターというやつだ。

 

 男がポケットからジャラと鍵の束を出し、ドアの横についている穴に差し込んで回すと、エレベーターのドアがゴウンゴウンと音を立てながらゆっくりと開いた。

 

 

 男と共にエレベーターに乗り込むと、男はすぐにドアを閉め、B4と書かれたボタンを押し込む。

 

 

(一体どこに向かっているのだろう・・・)

 

 

 ここまで何も言われない。

 恐らくエリカからの遣いはこうする、というやり方が定着しているのだろう。

 それだけエリカがロケット団に対しての信頼感を得ているということになる。

 

 しかし、サトシがエリカからの遣いとして来たと知られた場合、その信頼は崩れ落ちるのではなかろうか。

 すぐにここまでの信頼を得ることは無理だと思うし、一度構築した信頼を作り直すのはさらに難しいだろう。

 それでも自分しか持たない経路をサトシに提供したということは、もはやロケット団との取引を停止するという判断なのかもしれない。

 

 ―――最も、サトシを罠にはめているだけなのかもしれないわけではあるが、それを訝ったところで何も得るものは無い。失うものも無いかもしれないが。

 ともあれもう戻ることはできない。

 覚悟を決めてエレベーターが止まるのを待つ。

 

 

 

 ――――チーン

 

 

 気の抜ける音を出してエレベーターがガコンと音を立てて雑に止まる。

 入る時と同じく、ゆっくりとドアが開き、開き切る前から男はエレベーターから外に出る。

 

 

 それについて外に出ると、先ほどの研究所然とした雰囲気から少しだけ変わり、清潔感のある整っている感じがする。

 おおまかな構造自体は変わらないが、客を案内する場所、ということなのだろう。

 一層緊張感を高めるサトシを他所に、男が目の前にある大きなドアの横にあるインターホンのようなものに話かけようとしている。

 

 

 

 はた、とサトシは気づく。

 

 

 ここまできてようやく気付く。

 サトシは後悔したかもしれない。

 

 一体自分は、ここで何をしようとしているのか、と。

 

 

 

 ロケット団の殲滅?確かにそれもある。

 悪事を止めさせる?それもある。最もだ。

 

 そしてそれらを実行するとして、これから会う人物に何を話せばよいのだろうか。

 サトシの頬を暑さからではない汗が落ちる。

 

 もう数秒後に迫っている現実に、サトシはなんの準備もしていない。

 いや、それは正確ではない。準備はしてきているのだ。それも十分に。戦う準備は。

 

 

 していないのは、交渉の準備だ。

 サトシのこの旅での出来事が裏目にでる。行き当たりばったりでの出来事が重なった結果、その場でなんとかなるだろうという甘い考えがサトシの中に知らず知らずのうちに刷り込まれていた。

 

 そしてロケット団のアジトに侵入する以上、待っているのはバトルだけだと早計していた。

 

 

 エリカからアジトへの入り方を教えてもらったにも関わらず、すぐさま争いになるものだと勘違いしていた。

 

 

 

 もはや手遅れ。

 サトシを待つのは、エリカとの交渉に長けた誰かであることは間違いない。

 それを迎え撃つのは、何の準備もしていない十四歳の少年。

 

 

 そして心構えをすることも許されず、男はインターホンへ声を掛ける。

 

 

 

 

「ボス、お客さんです。」

 

『入りたまえ。』

 

 

 

 焦っていたサトシの思考がさらに止まる。

 

 なにか、耳に引っかかる。

 聞いた覚えがあるような気がする声。

 そんなハズは無い。あるわけがない。

 

 ドアが開く。左右に重々しくスライドして開くドアの先に待っていたのは、ブラックスーツに身を包んだ人物。

 

 緊張と驚愕を隠せないサトシを見たその人物は、サトシ程ではないが驚きの表情を浮かべ、すぐにニコリと口だけの笑顔になる。

 

 

 

 そして、聞き覚えのある声でこう言った。

 

 

 

 

 

 

「これはこれは珍客だ。ロケット団のアジトへようこそ、サトシ君。」

 

 

 

 

 

 この旅の発端となった人物、トキワシティジムリーダーのサカキがそこにいた。



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第百十四話 望まぬ再会

皆様の好きな話ってどれですかねえ。
わたくしはカスミと別れる62話「またね。」が一番好きです。

次点はライチュウ戦。ライチュウかっこいい。



「ふふふ、まさかサトシ君とこのようなところで再会するなんてね。夢にも思わなかったとも。」

 

 高級そうな、皺ひとつ無いダークスーツに身を包んだ男、サカキが話し始める。

 

 

「あれ、ボス、知り合いですか?」

 

 サトシをここまで連れてきた男が問うと、ああ、と短く返事をする。

 

「案内ご苦労。君はもう戻りたまえ。」

 

「へい、ごゆっくり。」

 

 

 男は特に詮索することなく、来た時と同様にエレベータに乗り込み、ドアが閉じる前にサカキに対して小さくお辞儀をして、そのまま機械の駆動音と共に上階に戻っていった。

 なるほど、適切な距離感というものをしっかりと理解している人間のできることだ。組織のトップと遣り取りができるだけの経験と知識と信頼を勝ち取ってきた男なのだろう。

 

 サトシがそんなことを思う余裕があったとは思えないが、エレベーターの動く音が消え、何か別の機械がウィンウィンと小さく動く音のみが聴こえるのみとなったのを合図に、サトシが口を開く。

 

 

 

「サカキ、さん」

 

「ふふ、なんだねサトシ君。こうやって話すのは随分と久しぶりだね。トキワの森での遣り取り以来だと思うが。」

 

 

 これ以上は無いほどにサトシの心臓は鼓動を早くしている。

 サトシの頭の中を支配しているのは疑念の感情が大半だ。

 すなわち、何故ここにいるのか、ということのみ。

 

 サカキ自身もこの状況を想定していたわけではないが、別段緊張するようなことも無く、堂々と接しているように見える。

 

 

 

「―――一体、どういうことですか。」

 

 

 その一言をひねり出すのにかなりの時間を費やしたことからも、サトシの頭は正常な働きをしていない。

 熱を持ち、思考が止まっている。

 当然そんな馬鹿げた質問に答える男も、嘆息せざるを得ない。

 

 

 

「ふふ、サトシ君。私は君の事をかなり買っているのだ。ドーピングされたポケモン一匹でどこまでいけるものやらと思っていたが、まさかタマムシシティまでたどり着けるとは。そこまでの経験を経た君であれば、この状況が何を意味するのかくらい、考え付くのではないかね。」

 

 

 

 もったいぶるような、それでいてサトシを試しているような口ぶりで、問いを問いで返す。

 どこか楽しんでいる様子でもあるが、無論サトシにそのような余裕は無い。

 

 だがサカキの問いで徐々に頭の回転が戻ってきたので、状況をヒートアップした脳みそで考える。

 

 そして、考える余地も無く、結論はすぐに出てしまった。

 

 

 

 

 

 裏の世界に詳しいこと、ボスと呼ばれていたこと、そして何よりこの場所にいること。

 

 

 ここから導き出される結論は、悩む必要も無いくらいに決まり切っていた。

 

 

 

 

 

「サカキさん、あなたが、ロケット団のボス――――」

 

 

 

 

 ひねり出す様に出したサトシの答え。

 それを満足そうに聴いたサカキは、相変わらず口だけの笑顔を作り、コクリと頷く。

 

 

 

「正解、だ。ふふ、サトシ君。君も思うことがいろいろとあるだろう。私も忙しい身だが、君にこの世界のことを伝えたのは私だ。その責任も込めて、少し話をする時間をとろう。」

 

 

 サカキはサトシに背を向け、部屋の奥へと移動した。

 恐らくは自分専用と思われる豪奢なイスに腰掛け、デスクに肘をつく。

 

 

 サトシも来客用と思われる二人掛けのソファに腰掛ける。

 

 ギシ、と中の発条が軋む音が聞こえ、空気感とは真逆に座り心地の良いクッション材に身を包まれてサカキの方を向く。

 

 

 それを確認したかしないか、ほぼ同時にサカキが話し始めた。

 

 

 

「私はこう見えても驚いているのだよ。驚いていないように見えたとしたら、それは大人だからだ。大人は感情を隠すのが上手い。サトシ君もいろいろな経験をしたと思うが、感情を隠す事に関してはまだ未熟なようだ。」

 

「そんなことは―――」

 

「ああ、わかっている。言わずとも、わかっている。だが話させてくれるかね。私は珍しく驚き、感動している。あの弱弱しい少年からどのような経験を積めばこの短期間でここまで成長するのか。精神面だけではない。ジムリーダーを四人も下している時点で、君の実力は十分にトップクラスだ。ピカチュウはもとより、ノーマルポケモンをも使い、妙に頑丈なコイキングも、と。ふふふ、変わったパーティだ。」

 

 

 

 驚いた―――サカキはサトシの内情について、随分と知っているようだった。

 だが、考えてみればそれも自明で、抜けている自分に腹が立つ。

 

 

 

「たしか、バトルの情報は記録されるんでしたっけ・・・」

 

 

 

 サカキが最初にした説明を思い出す。

 裏のトレーナーが行った公式戦及び監督者がいるバトルの場合、トレーナーの情報が逐次記録される。

 サトシが今まで行った公式戦は四度。いずれもジムリーダーとの戦いだ。

 記録されていてもおかしくは無い。

 

 

 

 サカキは、その通りだが、と前置きをして続きを話す。

 

 

「実際には形骸化しているシステムに近いがね。対策すべきジムリーダーの情報など知れている場合が多いし、通常のバトルにおいてはわざわざ調べる時間など無い。だがまあ、サトシ君の頭脳が再度回転を始めてくれたようだ。そこに関しては喜ばしいな。」

 

 

 サカキは姿勢を崩すこと無く淡々と語る。

 

 

「それに、サトシ君がここにいること自体が、私にとっては奇跡のような確率だ。本来ロケット団と関わりを持つ人物は非常に限られるし、偶然関わったとしてもすぐに消されてしまうだろう。タマムシジムリーダーの合言葉で入ってきたようだが、随分と気に入られたようだな。君にとってはあまりいい選択肢だとは思わないが、ロケット団に何かされたかね?サトシ君。」

 

 

 ぴくりとサトシが反応する。

 今はサカキが相手であるから抑えている部分が多い。

 サカキは確かにサトシを裏の世界に連れ込んだ張本人ではあるが、選んだのはサトシだ。

 何も知らずにピカチュウを連れまわし、裏の戦いに知らずのうちに巻き込まれるよりかははるかにマシだろう。

 そう思うからこそサカキには感謝をしていた。

 

 故に、そのサカキがロケット団のボスであるという事実を目の前にしても、なかなか吹っ切れないでいる。

 トランセルの仇だ、と頭の中でわかってはいても、理性と感情でぶつかり合ってサトシは行動を決めかねている。

 

 そのおかげで理性を保てているというのもあり、とにかくサトシは最後まで話をしようと決めた。

 

 

 本来であればすぐさま戦いに発展した方がわかりやすいが、相手は最強と名高いトキワシティジムリーダー。さらにロケット団のボスも兼任しているというのだから、戦わないという選択肢がとれるのであればそうするのが無難だろう。

 

 ―――最も、サトシの感情が振り切ってしまった場合はその限りではないが。

 

 

 

 サトシの苦い顔と食いしばった歯を見て何かを察したのか、サカキは笑顔を消した。

 

 

 

 

 

「そうか、私の組織が君に迷惑をかけたようだ。すまないとは思う。」

 

 

 

 

 サトシは顔を上げる。

 その顔は確かに苦い顔ではあるが、思いがけない非礼の言葉に驚愕したからでもある。

 

 

 

 サカキとの対話はさらに思いがけない方向に進んでいく。

 



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第百十五話 葛藤の先にあるものは

「・・・謝って・・・・許されることだと思っているんですか。」

 

 

 口をついてでてしまう。感情に身を任せそうになってしまう。

 それだけサトシの心に刻まれたトラウマは重く、今も変わることなくサトシの中に根付いている。

 忘れようと思っても忘れられる事ではないし、そもそも忘れることなど許されるハズもない、サトシの業なのだ。

 ロケット団による悪意だった、と言うことは簡単だが、サトシはそれ以上に、自分の行動の招いた結果だと考えている。

 たとえサカキが善意によって謝罪をしていたとしても、その言葉だけで許していいものではない。

 

 ――――もちろん、わかってはいる。サカキさんを責めたところで答えなどでないことは。

 トランセルを殺したのはロケット団員。それは間違い無い。

 だが、サトシはロケット団というものを正しく誤解していた。

 全ての団員が、あいつらのように人間のクズの集まりだという誤解。

 ロケット団という組織そのものが悪であると、そう考えていた。

 

 まだ完全にその考えが崩れたわけではないが、このサカキという人間がトップにいることの意味を、サトシは測りかねている。

 トランセルに直接手を下した人間のみが悪なのか、組織そのものが悪なのか、組織を作り上げたトップの人間が悪なのか。

 組織がなんらかの影響によって瓦解したとして、それはトランセルの仇を打ったことになるのだろうか。

 人間のクズともいえる奴らが、野に放たれるだけではないのか。

 そうすると被害はさらに広がるだろう。

 今まで陰で組織されていた悪人どもが、表だって悪事を行う可能性を捨てきれるほど、サトシも楽天家ではない。

 

 いろいろな考えが渦巻き、サトシを思考の渦に落とし込んでいく。

 

 

 

 

「サトシ君。」

 

「―――――あ、は、はい」

 

 

 サトシを思考の渦から引っ張り上げたのは、目の前にいる人物だった。

 会話の途中に突然考え始めてしまったら当然のこととも思えるが。

 

 無論、サトシの脳内では、目の前の人物こそが思考の中心であったため、警戒せざるを得ない。

 サカキの思惑が予想できず、不安の面持ちで顔を上げる。

 

 

「君が何を考えているかおおよそはわかる。私という人間と、ロケット団という組織が結びつかないのだろう。」

 

 ゴクリ、と喉を鳴らす。

 サトシにとってサカキと言う人間は感謝する人間であると同時に、一人の大人の在り方として尊敬すらしていた。

 だが、ここにきて新しいレッテルが張られることになる。『油断ならない人物』という警戒に似たものが。

 

 

「サトシ君が知りたいことというのは、私の目的と、ロケット団という組織の目的を話せば解消されるだろう。そしてその後のサトシ君の行動も、話す内容によって決定づけられていくことは容易に想像できる。だが―――」

 

 

 サトシは無言でサカキの話を聴く。

 まばたきをすることすら億劫になるほどに、サカキの話に集中し、理解に努める。そうしていないと思考を放棄してしまいそうだったから。

 

 

 

「残念ながら、目的を話すことはできない。少なくとも今は。」

 

「出来ない!?どうして―――」

 

 声を荒げる。

 思わず感情に身を任せて発言してしまったが、それも当然のようにサカキの手のひらの上のようだ。

 

「何故か、という理由も含めて『話せない』ということだ。サトシ君、世の中には問いに対して必ずしも答えが返ってくることばかりではないと知るべきだ。ここでこうして私と君が会話をしていること自体、異常な出来事だ。本来はあり得ない采配だ。君はロケット団のボスが私でなかったらどうするつもりだったのかね?お遣いが嘘だと発覚した時点で殺されていたと思うがね。ここはロケット団の秘密基地で、君は旅の途中で行方を知っている者はいない。そこのピカチュウが暴れたところで、たかが知れている。君は今この場に置いて、非常に幸運の元にいるということを一時も忘れてはいけない。」

 

 

 サトシは押し黙る。何も反論の余地が無い。

 今現在、サトシはサカキという権力に保護されているのだ。

 裸一貫で悪の巣窟に飛び込んだ割には、あまりにもお粗末な結果と言える。

 何もできずに悪のボスに保護されているなど、笑い話にもならない。ただの屈辱だ。

 

 グッと下唇を噛みしめる。

 自分の力の無さに憤慨すると同時に、行先の無い怒りを一旦自分に向けて矛を納める。

 

 

「君の言いたいことはよくわかる。恨みもあるだろう、それも承知だ。だが、サトシ君。君は自分という人間をよく知るべきではないかね。自分には何ができるか。自分の手に及ぶ範囲というのはどこまでなのか。組織の壊滅を願うのだとして、それは力任せに団員全員を打倒すことなのかね?もっと別の方法はないのかと考えはしないのかね?余りに短絡にすぎる。命を粗末にしてはいけない。」

 

「・・・」

 

「サトシ君。私から再度、選択を迫るとしよう。感情を抑え、理性で選びたまえ。」

 

「選択・・・?」

 

 

 選択。サトシがこの旅を始めたのも選択だった。

 家に帰って、普通の子供として過ごすか。

 ピカチュウを連れて、世界の裏側を知るのか。

 人生において最大とも思える選択肢を提示した人間から、再度の選択の提示。

 

 

 

「そう、選択だ。私から二つの選択肢を提示しよう。選びたまえ。」

 

 

 サカキがそう告げると、数秒瞑目し、そしてサトシを見据えて口を開く。

 

 

 

 

 

 

 一つ目。私をこの場で打倒し、ロケット団を消滅させる。

 

 

 二つ目。何も見ていない、聴いていない事にし、この場を立ち去る。

 

 

 

 

 

 息を飲む。ここに来てからというもの、サトシの手の震えは止まることを知らない。

 

「・・・・それって―――」

 

「破格の条件だと思うがね。君は今日ここには来ていない。ただそれだけだ。それだけで命を拾える。私と戦うというのであれば、それでも結構だが――――オススメはしない。」

 

 

 サカキが目を細める。

 サカキという人間は、たとえ十四歳の少年が相手だったとしても決して手心を加えないだろう。

 それはトキワシティジムリーダーとしてもそうだし、ロケット団のボスとしてもだ。

 

「ーーーーーー」

 

 

 ここで戦うという選択肢をとれば、サトシは十中八九、命を失うだろう。目に見えている。

 今まで戦ったジムリーダーとはどれとも違う。

 今のサカキが発するオーラというか、空気感はポケモンバトルをするという前提から出ている物ではない。

 目の前の障害を蹴散らす。ただそれだけだと言っているように感じられる。

 

 ジムリーダーとしてはサトシにはこのままポケモンリーグへと進んでほしいと願っている。

 だがロケット団のボスとしては周辺を飛び回る羽虫は叩き潰さなければならない。

 

 故に、二択。

 

 

 

 ギリ、と奥歯を噛みしめる。

 ここまできて、ここまできて何もせずに帰らざるを得ない。

 しかし、それ以外の選択肢は無い。

 

 

 

「――――――わかりました。僕は今日、何も見ていません・・・」

 

 

 絞り出すように口に出す。

 目尻が涙で滲む。自分の無力さが許せない。

 

 

 

「それでいい。今後は軽率な行動は控えることだ。君自身のすべきことはこんなことではないだろう。」

 

「・・・・」

 

「ふむ、だがサトシ君。その行動力だけは賞賛に値するものとして評価しよう。結果だけ見れば迂闊なものだと一蹴もできるが、すべてを否定するほど私も愚かではない。これを持って行きたまえ。」

 

 

 サカキが立ち上がり、サトシの目の前まで歩き、何かを手渡す。

 

 

「これは・・・?」

 

「聞いたことがあるかね?シルフスコープというものだ。私の立場ではなく、個人としての贈り物だ。受け取りたまえ。」

 

 

 シルフスコープ。どこかで聞いたことがある気がするが、今はそれを思い出すだけの機能を脳みそが残していない。

 手渡されたものをそのまま受け取り、茫然と見つめるのみだ。

 

 

「さて、それではしばしのお別れだ。次に会う時はトキワシティジムであることを切に願うとしよう。」

 

 そう告げると、サカキはデスクに設置されている電話を取り、部下を迎えに呼ぶ。

 一分と待たずにエレベーターが先ほどと同様に重々しい音と共に開き、地味な服装をした帽子の男が顔を出した。

 

 

「ボス、お呼びですか。」

 

「この少年を外に送ってあげなさい。丁重にな。」

 

「承知しました。ほら、こっちこい。」

 

 

 サトシは無言で立ち上がると、帽子の男について部屋を出る。

 

 エレベーターに乗る前に顔だけで振り返ると、すでに部屋のドアは閉じてサカキの姿は見えなくなっていた。

 

 

 サトシはグッと胸にこみ上げるものがありつつ、帽子の男が待っているエレベーターにピカチュウと共に乗り込み地上へと戻っていった。

 

 

 

 

 



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第百十六話 一時の休息

 地上に出ると、外はまだ明るく、サトシの落ちに落ちた気分など関係ないとばかりに太陽がきらめいている。

 夕方までにはまだ時間があり、絶好のお散歩日和といったところだが、当然そんなことをする気分ではなく、今日は早々にポケモンセンターで休もうと足をずるずると重苦しく運ぶ。

 

 しかし、誰がどう見ても無気力なサトシをくいくいと引っ張るやつがいる。

 

 

 

「・・・ピカチュウ、今日はちょっと」

 

「ピッカピ」

 

 

 昼食をとっていない上にこのまま夕食まですっぽかされることを懸念したのだろうか。

 こういう時は空気を読んだりサトシの心情を汲み取ったりしてほしいものだが、そんなものより自分の食事が大事らしい。

 気分で腹は膨れないのだ。

 

 さすがに二メートル超えの筋肉の塊を引きずってポケモンセンターまで歩くことは不可能なので、仕方なく近くのレストランに入ることにした。

 タマムシデパートで調達した方が安く済むが、今日に関してはてっとり早く済ませて早く休みたいという気分が勝った。

 

 早く済ませたいという心持ちに変わった所為か、多少歩調が回復したようにも思えるサトシは、裾を掴んだままのピカチュウを誘導して視界に入っていた大き目のレストランへと身体を滑り込ませた。

 

 

 

 

「いらっしゃい。空いてる席にどうぞ。」

 

「・・・どうも。」

 

 

 返事すら元気が無い。

 遠目でみたら老人ではあるまいかと思えるほどゆっくりとテーブル席に移動し、ピカチュウと対面で座る。

 ピカチュウにメニューを渡し、指さすものをいくつか注文し、そのままテーブルに突っ伏す。

 

 

 

「―――一体僕は、何をやってるんだろ。」

 

 

 

 どっと疲れが湧いてくる。

 身体の疲れではなく、精神の疲れ。

 ものの一、二時間といったところではあるが、極度の緊張感は丸一日動き続けたのではないか、と思えるほどの疲労感と倦怠感を生み出していた。

 

 さらに、サトシの頭はこれでもかという程に様々なことを考えなければならない状況にある。

 目の前のバトルのことだけ考えていた今までとは違う。

 とにかく前に進んでいれば解決するだろう、という安易な考えは命を危機に晒すということを身をもって体験した。

 ロケット団の事は絶対に許せないと躍起になっていたのが嘘のように、今は思考が冷めている。

 なにしろ、先ほどまでサトシはその憎きロケット団のボスに保護され、丁重に送っていただいたのだ。

 一体何しにいったのだろうか。恨みはどこへ。自分の身の可愛さからだろうか。

 そもそもサトシとロケット団の間に接点はほとんど無い。

 トランセルが殺された、という事実の除いた場合、サトシ自身に被害は何もないのだ。

 もちろんその一件が非常に大きなウェイトを占めているというのはあるが、果たしてその一件だけを理由にサトシがロケット団の壊滅を行う必要性があるだろうか。

 

 サトシ自身の命を晒し、数千とも数万ともいわれている組織を壊滅に追い込む。

 ロケット団のボスは実はトキワシティジムリーダーだという情報も掴んでいる。――――当然その情報を誰かに伝えることはサトシの死を意味することになるだろうが。

 もっとも言ったところで信じてなど貰えないとも思える。突拍子もない話だし、サトシ自身も実際に見るまで信じられなかった。

 

 

 サカキさんは言っていた。

 自分自身にできることを考えろと。

 身の程を知れ、と。

 ジムリーダーを四人倒した。それは確かに実力がある証明にはなるかもしれない。だがそれだけだ。

 そんな人間は今までも多くは無いにしろいただろう。

 サトシもその中の一人というだけの話。

 まだ裏の世界は何も変わっていない。何も変えられていない。

 いなくなったジムリーダーはまた別の人間が入るだろうし、入れ替わった理由を問う人がいたところでサトシの名前が出ることはまずないだろう。

 

 何も変わっていない。何も変わらない。

 所詮はたった一人の少年が海の上でばしゃばしゃと足掻いているだけ。

 波立った海面はあっという間に別の波にかき消され、サトシ自身も飲み込むだろう。

 

 

 無力。

 ピカチュウという非日常的な力を手に入れたことにより、サトシ自身は勘違いしていたのかもしれない。

 自分には力がある、と。どんな大きな事でも変えることができる力があるのだ、と。

 そう、考えればわかることだったのだ。

 サトシ自身はごく普通の十四歳の少年なのだ。

 ジムリーダーを打倒してきたとしても、その事実は何も変わらない。

 

 もちろん、この先ジムリーダーを、サカキさんを含めて倒し、ポケモンリーグを制覇すれば裏のルールを変えることができるだろう。

 サトシには、それが漠然と自分ならできるという根拠のない自信があったのかもしれない。

 英雄願望に憑りつかれていたのかもしれない。

 

 それがどれだけ困難なことで、奇跡に近い確率で、誰もが一笑に付す壮大な目的であることなど、少し考えればわかることなのに。

 

 

 

『自分という人間を知るべきだ。』

 

 

 

 サカキの言葉が脳内に木霊する。

 そういえば、クチバシティのポケモン大好きクラブの会長にも同じようなことを言われていた。

 自分という存在を知る事だと。

 サトシという人間が、何に狂っているのかだんだんと明確になっていくことだろうと。

 

 

 

「―――――わからないよ・・・わからない・・・・」

 

 

 

 口をついてでた言葉は、弱音。

 サトシは十四歳の少年。本来であればマサラタウンで同年代の友達と遊んでいるだろう。

 今となっては大人でもしないような経験を数多くしている。

 しかし、いくら経験をしようともまだ感性豊かな十代の子供。理不尽な出来事を割り切って乗り越えるなどという器用な真似を覚えていない。

 さらに言えば、いくら悩み事を抱えようとも相談できる相手はいない。多感な時期にこそ相談相手や心の味方は必要であるにも関わらず、サトシはここまで自分と、自分のポケモン達で必死に進んできた。

 ポケモン達は確かに自分を信頼してくれているだろう。

 だが、言葉の通じない彼らはサトシの相談相手にはなり得ない。気持ちは通じていても、言葉は通じない。

 人間の相手は、人間にしか務まらないのだ。

 

 いままでだましだましやってきたサトシの精神は、ここにきて限界になりつつある。

 十四歳という若年層にはあまりにも負担をかけすぎている。

 ただでさえ命の遣り取りとなるポケモンバトルだけでなく、サトシの精神を削り取っていく人間との関わり。

 

 

 オーバーヒートした頭脳は休息を求め、サトシ自身の防衛機能によって睡眠へと誘っていく。

 突っ伏した頭の先ではカチャカチャとピカチュウが食事している音が聞こえているが、すべてがどうでもいいと思えるほどに衰弱したサトシは抵抗することなく意識をストンと落とした。

 

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

 

「――――――――・・・・んあ」

 

 

 

 頭にモヤがかかったような感覚から徐々に思考を取り戻す。

 重い瞼は放っておくと閉じそうなまでに疲れているが、それは硬いテーブルに突っ伏していたことによる身体的疲労によるものだ。

 

「――――眠っちゃったのか・・・えっと」

 

 目を擦って無理やり現実世界へと意識を戻す。

 押し付けて赤くなった額を抑えつつ顔を上げると、随分と暗い。

 両肩に重みがあると思ったが、いつの間にか毛布が掛けられていた。

 

 周囲を見回すとようやく状況が把握できてくる。

 

 ここはあの後入ったレストランで、もうお客さんがいないことを考えるとすでに閉店してしまったようだ。

 先ほどからカチャカチャジャージャーと響く音はキッチンから聞こえてくる。

 閉店間もなく、食器を洗っているのだろうということが想像できた。

 

 ところで、眠りこけている主人の頭の上でバクバクと食事していたでっかいのはどこへいったのだろう。

 

 

 毛布を背もたれに掛け、フラフラとキッチンへと歩いていく。

 よく考えてみたら朝食の後何も食べていない。

 睡眠をとったにも関わらず体力回復しきれていないのもその所為だろう。

 

 空腹を知らせるお腹を押さえて光が漏れるキッチンをのぞき込むと、大きい影と中くらいの影。

 

 言わずもがな、皿洗いしているコックと蛍光色を光らせているピカチュウだ。

 

 

「・・・あの」

 

 

 サトシが声を掛けると、気づいたコックが水を止める。

 

 

「ああ、起きたんだね。よく寝ていたから起こすのも憚られてね。食器洗いをこのお兄さんにも手伝ってもらっていたよ。ははは。」

 

 

「お兄さん―――ああ、なるほど。」

 

 

 ピカチュウの事か。相変わらず一般の人には図体がでかい変装した滑稽な人間だと思われるようだ。不思議なことに。

 

 

「それによく食べていたからね。お代ももらわないとね。ははは。」

 

「あ、すみません・・・すぐに」

 

 

 リュックから財布を出し、お金を支払う。金額は気にしないようにした。

 

 

「何も食べずに寝てしまっていたからね、なにか食べるかい?ああお代はいらないよ。賄いだからね。」

 

「あ、そんな―――」

 

 申し訳ないです、と言おうとしたがお腹のアラート音は理性と反して鳴り響いてしまった。

 

「・・・ご迷惑でなければ」

 

 白いエプロンを締め直したコックはニコリと笑って

 

「ははは、子供をお腹すかせたままにするほど落ちぶれてはいないよ。ちょっとまっててね。」

 

 

 そういうとコックはピカピカに片付いているキッチンに再度向かい、冷蔵庫を軽く物色し始めた。

 

 

 コックが離れていくのに対して、サトシに近づいてくる大きな姿。

 

 

「ピカチュウ・・・」

 

「ピッカピ」

 

 

 今日の朝と全く変わらない相方の姿。

 サトシの気分がいくら落ちようとも、ピカチュウはいつもマイペースだ。

 ―――マイペースのように振る舞っているのかもしれないが、さすがにそうまで気遣われていると思うとやるせないので、本気でマイペースなのだと思うことにした。

 

 

 そして、今はそのあっけらかんとしているピカチュウに少しだけ救われている気がした。

 なんだかんだでこの黄色いのはサトシの精神安定剤として機能しているのだなと改めて感じる。

 

 

「なんか、助けられてばっかりだね。僕は。」

 

「ピカピー?」

 

 

 わかっているのか、わかっていないのか。

 

 少なくとも今のサトシにとってそんな細かいことはどうでもよく、一方的な独白を受け止めてくれる存在がいるだけでもありがたいと感じた。

 

 

 

 そうしていると、キッチンから美味しい匂いが漂ってきたので、とにかく今はお腹を満たして、それから考えようという気持ちになるサトシだった。

 

 

 



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第百十七話 無謀が生み出す結果とは

 おいしい食事を堪能し、コックにお礼を言って外に出た時には、すでに日は無く月が輝く暗闇となっていた。

 なんとなく予想はしていたが、かなり寝すぎてしまったらしい。

 精神的疲労があったとはいえ、さすがに寝すぎだろうか。

 

「でも、まだ寝れる。」

 

 精神的なものは多少改善されたが、それでもテーブルの上で突っ伏して寝ていただけでは万全の状態とは言い難い。

 たっぷりと睡眠をとったとはいえしっかりとベッドで休息をとりたいのが本音だ。

 それに、夜に考え事をすると決まって悪い方向に発想が広がってしまう。

 なにも考えず、とにかく朝まで大人しくしていよう。

 

 

「寝ている時に、勝手に頭が整理されるって言うしね。ピカチュウ。」

 

「ピカー」

 

 

 なんとなしにピカチュウに声をかけるが、それも深く考えないようにするための僅かながらの抵抗手段なのだ。

 とにかく今はポケモンセンターに向かい、無理やりにでも休息をとるべきだと判断した。

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

 朝、目が覚める。

 あんなに眠っていたにも関わらずしっかりと睡眠時間はとれたようだ。

 合計したら半日以上は軽く寝ていた気がするが、それもきっと必要なことだ。

 

 長い睡眠時間で鈍った身体をうーんと伸ばし、軽く柔軟運動をする。

 ある程度身体が温まったら、グースカと寝ているピカチュウをペチペチ叩いて起こすと、特に何も考えないようにしてポケモンセンターを後にした。

 

 

 朝日を浴びながら消費しきってしまった食料を買いにタマムシデパートへ行くが、十時開店だという。

 今はまだ九時前。たっぷり一時間以上あるが、特にすることも無いので気を紛らわせるために街を散歩する。

 

 

 相変わらず雲がほとんどない晴れ空。

 サトシの心も同様とはいい難いが、心が曇っている上に空も曇っているとなればさらに気分が落ちること必至なので、まだマシだと思うことにした。

 

 

 

「こう見てると、平和だね、ピカチュウ。」

「ピカチャー」

 

 まだ朝も早い。

 今日が一般的には休日なのか平日なのかはもはや感覚が無いが、歩いている人がまばらなのを見ると休日だと思っていいかもしれない。

 

 しかし、しばらく歩くと休日らしからぬ喧噪が見えてきて、サトシは疑問に思う。

 

 

「なんだろう、人が随分集まっているけど―――あ、すみません、なにかあったんですか?」

 

 やじうま根性なのか、ちょうどサトシの横を速足で通り過ぎようとした男に声をかけ、何があったか訊いてみた。

 

 

「ああ、なんか昨日の夜に火事があったらしいぜ。」

 

「火事?気付かなかった・・・どこであったんですか?」

 

 

 火事とは物騒な。

 一見平和と思われたタマムシシティでもやはり街にありがちな騒動というのは起こりえるようだ。

 当然といえば当然だが、興味本位で場所も訊いてみる。

 

 

「それが、タマムシジムらしいぜ。ビックリだよな~。んじゃ、先にいくわ。」

 

 そう言うと男はスタコラと走り去り、人ごみに紛れて見えなくなった。

 

 

 一人残されたサトシは、今聞いた言葉をにわかには信じられず、口を開いて茫然としていた。

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

「ち、ちょっとすみません、通してくださ、い!」

 

 

 人ごみを潜り抜けるサトシ。

 

 なんとか建物を確認できる位置まで来たが、目の前にあるのは見る影もないほど消失した元タマムシシティジムの姿だった。

 壁はほとんどが黒く焦げ、窓は全壊、ドアも燃え尽き崩れ落ちている。

 崩れたドアの隙間から見える庭園だった場所には植物があったとは思えないほど何もない煤けた空間が広がっていた。

 

 

「そんな・・・」

 

 

 愕然とする。

 一体誰がこんなことを―――と思った矢先、周囲から噂話が飛び込んでくる。

 

 

「おい、昨日ロケット団がうろついてたらしいぜ。」

「マジかよ、怖え~」

「そいつらが火をつけたって話だ」

「ほんとか!?でもなんでだろ。なんの意味があったのかな。」

「なんかエリカに恨みでもあったのかね?」

「なんだろな~まあ俺らには関係ないけどな。」

 

 

 

 ――――――エリカ?ロケット団?

 

 

 

 単語が一つ一つサトシの脳内に流れ込む。

 あえて止めていた頭の回転が再度ぐるぐると回り始める。

 

 

 

 

「――――僕の所為?」

 

 

 

 途端にブワッと冷や汗が噴き出る。

 目を見開き、鼓動が高まり、さらに脳に血液を送る。

 

 

「はぁ・・・はぁ・・・・・そんな、まさか、でもそれしか・・・」

 

 

 タマムシシティジムがロケット団に燃やされたのだとしたら。

 その原因は、よもや自分ではあるまいか。

 

 つまり、エリカしか知らない合言葉でサトシがロケット団アジトに侵入したという事実。

 サトシ自身はサカキの温情で解放されたとはいえ、そもそもエリカが情報を漏らさなければそのようなことにはなり得なかった。

 つまり、エリカは取引先としてのロケット団の信頼を失ったのだ。

 当然といえば当然。

 むしろ今までなぜ想像できなかったのか。

 ロケット団を裏切るということがどういうことなのか。

 サトシは四百万円という目先の金額のみに捕らわれてしまっていたが、エリカにとっては本当にどうでもいい金額だったに違いない。

 情報を提供する意思をもったのはエリカだ。それは間違いない。

 だが、サトシがその情報を買わなければこのような事態にはならなかった。ならなかったのだ。

 

 

 またしても失う。

 サトシを起因として、取り返せない大きなものを、またも失ってしまった。

 

 当然サトシに悪意は無いし、責任も無い。

 だが失い続けてきたサトシにとって、感覚は非常に敏感になっている。

 たとえサトシに何の責任も無い状況だったとして、責任を感じざるを得ない程に、サトシの心は物事に対してデリケートになっている。

 

 

 加えて、エリカとは命の遣り取りを実はしていない。

 今までのジムリーダーはサトシを殺すつもりで来る人間ばかりであったが、エリカは単純にポケモンバトルしか行っていない。

 ―――結果的にエリカのポケモンは命を落としてしまったが、ルールの上では真っ当な勝負だったことに違いは無い。

 

 サトシ自身も拍子抜けしてしまった試合後の一幕もあったが、なんにせよエリカにはそこまで歪なものを感じなかったし、恨み憎しみがあったわけでもない。

 一般的に見たら十分狂っている対象ではあるのだろうが、サトシにとってエリカはまだ狂気レベルが低いと思っていた。

 

 

 その結果、ジム全焼という事実をサトシは「自分の所為」と誤認識してしまうに至る。

 

 

 ガクガクと震えているサトシだが、人ごみの押し合いとは違う、肩をトントンと叩かれている感触があることに気づく。

 

 なんだろうと思い振り向くと、おどおどしているが黒髪の小柄な、十分に美少女と呼んでもいいのではと思える可愛い女の子がいた。

 というか、どこかで見たことがある。それも最近。どこで見たのかと思い出していると―――

 

 

「あの、ちょっと一緒にきてくださいませんか。エリカ様からの伝言がございます。」

 

 と、サトシの耳元で小声でささやく。

 

 そして思い出した。

 フシギバナに水をかけていたエリカの従者の一人だ。

 

「って、ええ!?」

 

「あ、あの、大きい声ではちょっと・・・」

 

「あ、ああごめん。行こう。」

 

 同様して少し大きい声で驚いてしまった。

 

 幸い周囲の人ごみの喧噪にかき消されて注目はされていないようだ。

 この少女曰く、エリカからの伝言があるという。さすがに無視するという選択肢は無い。

 人ごみを来た時とは逆に押しのけて進み、人が少ないところへ戻る。

 幸いピカチュウが歩くだけで道が開けるため、子供二人でも困らずに脱出することができた。

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

「このへんでいいかな・・・どう?」

 

 人ごみを離れて、街の外れまで来た。

 すでに人が活動し始める時間ではあったが、建物の裏までくると人は全くいなかった。

 

「はい、あの、ありがとうございます。」

 

 丁寧にお辞儀をしてくる。なんというか、さすがエリカの侍女だなと意味もなく感心してしまう。

 だが今はそれよりも

 

「エリカからの、伝言って―――」

 

 早速切り出す。

 というか、今はなによりもその内容が気になって仕方がない。内容次第でサトシの身の振りが変わってくる可能性も否定できないのだ。―――恨んでやるみたいな内容だったら立ち直れない自信がある。

 

「はい、あの、まずはこれを読んでいただけますか。エリカ様からのお手紙です。」

 

「手紙?」

 

 女の子の手には折りたたまれた紙が握られていた。

 元々は綺麗に四つ折りされていたのだろうが、この子が握りしめていたためか皺ができている。

 かなり強く持っていたのだろう。そこにどのような想いがあるかは、読んでみればわかるかもしれない。

 

 サトシは手紙を受け取ると、丁寧に広げて、読み始めた。

 そして、驚愕の表情を浮かべる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――――――――漢字が多い。」

 

「ピカ~」

 

 

 ピカチュウに呆れられるような声を出されたが、ひらがなすら書けないピカチュウに言われる筋合いはない。

 ・・・もしかして書けるのかな?しゃべれないだけ・・・?そんなことはないよね・・・!

 

 

 多少不安になりつつ、気を撮り直して印刷したかのように綺麗な字体に感動しつつ、エリカの手紙を読み進める。

 

 




どきどき


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第百十八話 シオンタウン再び

 拝啓 サトシ様

 

 穏やかな日々が続いております。サトシ様は益々ご健勝のことと思います。

 

 さて、サトシ様がいつ頃この手紙を手に取っておられるのかは存じませんが、私と別れた後の出来事についてお伝えしたく、筆を取った次第でございます。

 うふふ、サトシさんには難しい文章でしょうか。多少噛み砕きながらお書き致します。

 

 先ずはお詫びをしておかなければなりませんね。

 何の準備も無くロケット団の秘密基地に行かれる事は無いかと思いますが、サトシさんが生きていようが死んでしまおうが、私はタマムシジムを追われる身になるでしょう。

 サトシさんは随分と心労を抱える方のようですから、最初に申し上げておきますが、私は生きております。

 そして、後悔や恨みつらみもございません。

 

 詳しい理由をお伝えする事は出来かねますが、ロケット団の方々とはそろそろ縁を切るつもりでした。

 当然、簡単に切れるものではありませんから、相当の覚悟が必要です。

 その点に関しては、私よりも長らく仕えてくださった侍女の皆様に申し訳なさを感じております。

 

 

 

 ・・・・と、いろいろとそれっぽいことを書き連ねてみましたが、サトシさんには私の本音を少しだけ伝えておくことにします。

 サトシさんの自由さというものに興味が湧きましたので、私も旅をしてみようかと思ったのです。

 うふふ、これを読んでいるサトシさんの表情が目に浮かびます。

 

 それでは、これで失礼致します。

 道中お気をつけてくださいませ。またお会いできることを楽しみにしております。

 

 

 エリカ

 

 敬具

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

 

 皺だらけの手紙を綺麗にたたみ、おずおずと心配そうに待っている従者に返す。

 落ち着かない様子ではあったが、手紙を両手で丁寧に受け取り、サトシに小さくお辞儀をする。

 

 すごく丁寧だ。サトシはそう思った。

 こんな状況ではあるが、この女の子もエリカの関係者ということで追われている立場なのかもしれない。

 サトシはお礼を言うと、その場を後にしようとする。

 

「あ、あの!」

 

 振りかえろうとするサトシにあらためて声をかけてくる。

 

「ん?まだ何かあった?」

 

 立ち止まり、半身で女の子に目を向ける。

 あまり一緒にいるところを見られない方がいいとは思うのだけど。お互いに。

 

「えと、エリカ様からの言伝がありまして、手紙を読み終えたら伝えてほしいと。」

 

 なるほど、まだ要件は済んでなかったらしい。

 しかし、エリカからの言伝・・・・一体どんな内容なのか。手紙に書けば、とも思ったが書けない内容なのかもしれない。

 

 

「ではお伝えしますね。『見えるものが全てじゃないですわ。見えないものを見ることも時には必要です。』だそうです。」

 

「見えないものを、見る?どういう意味?」

 

「あの、私も意味まではわからないので・・・すみません。それでは、お時間お取りして申し訳ありませんでした。私はこれで失礼させていただきます。」

 

「ああ、うん、ありがとうございました。エリカにもよろしく。」

 

 

 女の子は深々とお辞儀をすると、ニコリと少しだけ笑って、そのまま裏路地の奥へと足早に去って行った。

 

 その背中を見えなくなるまで見届け、先ほどのメッセージを頭の中で反芻する。

 

「見えるものが全てじゃない、見えないものを見ることが必要・・・?」

 

 エリカは一体何を伝えようとしているのだろうか。

 恐らくサトシの事を案じてのことだと思うのだが、やはり何かしら回りくどいことをしないと気が済まないのだろうか。

 金か、やっぱり金か。

 それともささやかな報復とやらか。

 しかし、それでも意味の無いことをする人間とも思えないので、その意味について思考を巡らせる。

 

「見えないもの、見えるもの、ってなんだろ。目に見えるものって意味ではないよね、きっと。」

 

 どうしよう、まるで分からない。

 エリカは少なくともサトシの百倍くらいは教養のある人間だろう。いや、もっとかもしれない。

 サトシから見たら十分に天才と言っても問題ないレベルだ。

 いきなり天才から「もっと考えて行動しろ」と言われても次元が違いすぎてまったく想像できないというのが本音だ。

 サトシとて考えずに行動しているわけではない。結果がついてこないのは置いとくにしても、サトシなりに一生懸命考えているのだ。結果はついてこないが。

 

 そもそも見えないものを見るってどうやるんだ。

 頭をひねる。

 その言葉通り、うーんうーんと首を傾げ、足りない頭で一生懸命考えるが、無いものは無い。あっという間に助けを求める。

 

 その助けを求める先が答えを持っているとは微塵も思ってはいないのだが。

 

 

「ピカチュー、どういうことなん・・・・なにしてるの」

 

「ピピカチュ」

 

 

 ピカチュウの顔を見上げると、なにやら怪しいゴーグルのようなものを付けている。

 ただでさえ怪しいピカチュウなのに、より一層サイケな見た目になって、サトシ自身も若干引き気味だ。

 ゴーグルをつけたピカチュウは周囲をくるくると見回しながらピカピカ呟いている。

 時には手を掲げたり、何も無い空間をブンブンと手を振ったりと挙動も怪しい。

 

 しかし、ピカチュウのつけている非常に怪しいゴーグルはどこかで見覚えがあった。

 

 

「・・・・あ、シルフスコープ。」

 

 

 茫然自失しながら受け取ったため記憶からほとんど消え去っていたが、ロケット団アジトにもぐりこんだ際にサカキから餞別にと受け取ったものだ。

 ロケット団のボスから施しを受けるなどと、と今になって思うがそれも後の祭りだ。

 

「シルフスコープ、ってなんだっけ、どこかで聞いたことがあるような。」

 

 記憶を遡る。曲がりなりにも十四歳の少年。

 子供の記憶力というものは馬鹿に出来ない。過去の記憶をするすると遡り、そして思い当たる。

 

「・・・・」

 

 思い当たったのはいいのだが、笑顔になれず、苦い顔でピカチュウが楽しそうにつけている道具を見つめる。

 確か、シルフスコープとは見えないものを見るための道具、とか言っていた男がいたようないなかったような。

 

「・・・ピカチュウ、それ何か見えてるの?」

 

「ピカピ?ピカチャー」

 

 先ほどから奇妙な挙動を繰り返しているピカチュウだが、サトシの見えないものが見えているのであればまあ察することができるというもの。理解したいとは到底思えないのだが。

 

 

「ん?見えないものが見えている・・・?」

 

 

 矛盾の肯定。

 しかし、その単語の並びは先ほど十分に思考している。

 エリカのメッセージが意味しているものとは違いそうではあるが、当てはまるものを潰していくことは無駄ではあるまい。

 ピカチュウがそれを気づかせようとして今の行動をとっている、ハズはないだろうな。絶対楽しんでるだけだなこれは。

 

 

「・・・あまり気が乗らないけれど、次の目的地は決まったかな。」

 

 

 エリカからの伝言を心に刻みこみ、サトシは来た道を戻ってシオンタウンへと向かうことにした。

 

 

「やめて、ピカチュウそれ無理やりかぶせようとしないで。やめて、怖い怖い。やめ、ちょ、やめろー!!」

 

「ピピカチャ」

 

 

 前途多難という言葉が頭を何度も通り過ぎるが、それも今更な話だ。

 タマムシデパートで買い込んだ大量の格安食料を齧りながら、一路シオンタウンへ。

 

 

 

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

「相変わらず辛気臭い町・・・といったら怒られるのかな。」

 

「ピーカピ-」

 

 

 シオンタウン。

 ポケモンタワーという、ポケモンを埋葬し慰霊する施設がある唯一の町。

 町を行く人々もどこか悲しげな空気を纏っている人ばかりで、楽し気に笑顔で闊歩しているのは後ろにいる黄色いのくらいだ。

 

 ちなみにいちいちいろんな場所に反応するのが非常に嫌だったのでピカチュウからシルフスコープは没収してある。

 当然サトシは着けていない。怖いので。

 まあこんなものがなくても自分のポケモン達を哀悼することはできるので、ポケモンタワーの出入り口を眺めていてもシルフスコープを所持している人は一人もいない。開発されたばかりというのもあるだろうが。

 

 そもそも、見えないものをあえて見たいという好奇心旺盛で無謀で怖いもの知らずな人間がこの町にいるのだろうか。

 いなくなってしまった自分のパートナーに会いたい、という願望は確かにあるのかもしれないが、それ以外も平気で視界に入ってくるだろう。

 サトシとてトランセルとスピアーにまた会いたいという気持ちはあるし、彼らからの叱責も甘んじて受ける覚悟はある。呪われてしまうことも甘受しよう。

 だが他の幽霊的なものの怒りを買って憑りつかれてしまうのは御免こうむる。

 

 

 なんとなくズカズカと慰霊の塔に踏み入るのは気が引けるのでその場をうろうろとしていると、いくつかある建物の看板が目に入る。

 

 

「・・・・ポケモンハウス、ポケモン保護ボランティア施設。へえ、そんなのあるんだ。」

 

 

 なんとも献身的であろうか。捨てられたりいじめられてるポケモンを保護する、みたいな活動だろう。

 死と退廃に満ちたこの世の中、と思っているのは裏の世界にどっぷり浸かったサトシならではの視点だが、優しい人達もやはりいるのだなと思える。

 一筋の光。闇のように真っ黒く染まりあがりつつあるサトシの心に、白く健全な絵の具がさっと塗られる。

 

 と思ったのだが、世の中には健全を装ってこれ以上黒くならないのでは、と思えるほどの活動をしているポケモン大好きクラブという存在があったのを思い出した。

 というか、クチバシティの件以降、サトシの心にはポケモン大好きクラブの会長が巣食っていて不吉な笑みを浮かべながらサトシを見守っている。早急に帰って欲しい。

 

 

「まさか、ね。」

 

 

 さすがにあんなトチ狂った施設がいくつもあるわけないよねはははと表面上考えつつ、とりあえずドアに手をかけて中の様子を見てみることにした。

 

 学習しないなあとサトシ自身でもわかってはいるが、多少なりとも安心感を得たかったというサトシの心境も察して余りある。

 普通の人もいるのだ、狂っているのはごく一部なのだと確信したかったのだ。

 

 

 

 ギィ、と若干軋みながら開くドアの先には、子供が二人。サトシよりも小さく、十歳に満たないくらいだろうか。

 愛らしい、というには場違いかもしれないが、男の子一人と女の子一人が今のこの建物の主人のようだ。

 

 せめて出迎えの言葉くらいはくるのかと一瞬思ったのだが、その二人はシクシクと目を擦って泣いているではないか。

 

 さすがに不穏な空気を感じ、駆け寄って声を掛ける。

 

 

「ど、どうしたの?大丈夫?なにかあったの?」

 

 

 シクシクと泣いて赤くなった目尻と顎まで垂れた涙と鼻水をティッシュで拭きながらサトシは尋ねる。

 

 

 

 

「おじ、おじいちゃんが!ぽけもんたわーからかえってこないのぉぉ!うえぇええ!!」

 

 

 

 

 サトシのポケモンタワー行きが確定した瞬間であった。

 



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【番外編】オーキド博士のドーピング☆実験室 大会編

ナニコレ。


『第一回!ドーピングポケモントーナメント略してDPT杯!開幕ぅぅーーーーーーー!!!!!』

 

「「「「「うおぉおおおおおぉぉおおお!!!!!!」」」」」

 

 

 大規模な研究施設を丸ごと改修してバトルフィールドにし、観客席で囲んだ闘技場のような場所。

 五十メートルはありそうな縦長のフィールドを楕円形につつみこみ、階段状に観客席を配置した本格的なドーム状の建物。

 そこに押し詰めているのは大半が白衣と眼鏡にサンダルを身にまとったTHE研究者達。

 

 そう、研究者達による大規模な遊びもとい実験としてドーピングポケモンバトルが幕を開けたのだ。

 

 

 バトルフィールドに面した壁、客席のすぐ下に位置する場所で強化ガラスに包まれた席にいるのは――

 

「司会実況はこの俺!ポケモン生態研究室九期生、最近出した論文は『ポケモンの人工繁殖方法についての考察』、好きなポケモンはリザードンのコニシだ!ヨォロシクゥ!!」

 

 歓声の中、エコーのかかったマイク音声が響き渡る。

 そしてそれによりさらに熱を帯びる観客の嬌声。動物園と見紛うレベルで理性を飛ばしている。

 それほどまでに日頃のストレスがたまっているということだろうか。

 

 

「そして!俺の隣に座っているのはもちろんこの人!ポケモン研究の異端児!オモシロ研究者!天才と変態は紙一重!ドーピングサイコ!研究室破壊回数はダントツトップ!たまった始末書ファイルは百を超える!数々の異名を持つドーピングポケモン界きってのマッドサイエンティスト!オーキド博士だぁぁぁぁぁぁあああああああ!!!!!」

 

 

「「「「「■■■■■■■■■■■■!!!!」」」」」

 

 

 何を言っているのかもはや判断がつかない程に、喉がぶっ壊れるのではと思える声を出す観客たち。

 オーキド研究室のレポートを毎度楽しみにしているファンもいれば、毎日のようにレアなポケモンを回収されていくポケモン管理部の涙の怒号も飛んでいることだろう。

 

 

「本大会では解説として入っていただきます!それでは解説のオーキド博士、一言どうぞ。」

 

「うむ―――ついに、ついにこの日がきた。わたしは待ちわびたのだ。作れど作れど廃棄されていく愛すべきポケモン達。彼らの死は無駄ではない。死というものはすべからく研究には必要なものだ。だが、それは死を与える人間達にとっては必要でも死するポケモン達にとってはなんの意味も無い虐殺であると。」

 

 一言どころか語り始めたオーキド。

 だがそれを止める声を完全無視して話を進める。

 

「だが!彼らがついに日の目を見るのだ!暗く冷たい研究施設から外へ出て、手に入れた力を存分に揮えるのだ!多くは破滅を導く失敗作!世間に出ることはあり得ない。しかしそれでもわたしは!オーキドという無力な研究者は願ったのだ!懇願したのだ!失敗という命の辞表を叩きつけられた彼らが役に立つ日がくるようにと!そしてついに!願いは叶う!このDPT杯こそ!その夢の世界!願望の盃!思う存分破滅的な力をぶつけてほしい!いざ!レッツ!!!ドーーーーゥピングゥゥゥゥウウウウウウ!!!!!!!」

 

 

 

 再度会場が揺れるほどの叫び声が上がり、熱は最高潮。

 まだ始まってすらいないのにフラフラガクガクになる者も出始めている。

 さすが研究者。体力が無い。

 

 

「さあ再度わたくしコニシに代わり、ルールの説明だ!ルールは簡単!八名のポケモントレーナーによるトーナメント戦!一対一で対戦し、決勝戦で勝利したトレーナーが栄誉あるDPT杯の初代チャンピオンだ!所持ポケモン数は一匹のみ!これはあれだ!多すぎるとマジで危ないからだ!お察し!!!そしてここにいる人間達!お前らの命は保障しない!睡眠不足な研究者ばかりで頭も意識も判断力もブッ飛んでる奴らばかりだと思うが、命は自分で守れよ!ちなみに一番危ないのはバトルフィールドに面している俺とオーキド博士だ!文句ねえだろ畜生!」

 

 

 そう、この場所にいるのは九割が命知らずで一割がノリで来ている。

 要するに全員疲れている。変わり映えのしない研究から現実逃避している連中ばかりだ。

 もちろんドーピングに関わる研究をしている人間にとってはなにかしら発見があるかもしれないが、それと自分の命を天秤にかけている時点で疲れている。

 

 こんな数多くの貴重な人材を死地に送り込む暴挙が研究施設に許されているのは、当然理由がある。

 まず、皆疲れていた。

 研究者というのは、研究が実って実績が生まれるからこそ研究しているのだ。

 だが、ここ数か月の間、ほぼすべての研究室で目立った発見も実績も生まれなかった。

 溜まるヘイト。溜まる鬱憤、ストレス。睡眠時間はどんどん削られ、無能な上司の罵詈雑言が飛ぶ日々。

 このままでは駄目だ、なにか発散することができなければ、皆頭がおかしくなってしまう。

 

 と一念発起したのが、一番頭がおかしい研究室のオーキド博士だった。

 

 

『ドーピングポケモンによるフィクション染みた力と力のぶつかり合いのバトルを娯楽として提供した場合による経済効果とストレス発散度数の考察』というもっともらしいことを並べただけの無茶苦茶な論文(読むと納得せざるを得ないレベルの論文)を学会で発表し、多くの賛同者(洗脳者)を得て、多大なる協賛資金と研究資金を獲得。

 それを元手にして、すでに使わなくなっていた大規模研究施設を買い取り、バトルフィールドへ改造。

 

 上の人間からすると頭を抱えざるを得ない状況ではあるが、もはや後には引けない為、安全対策を万全にするという条件で合意。

 

 そして今に至る。

 

 

 結果はバトルが始まる前から多くの研究者のストレスを解消していると言えよう。

 あとは穏便にバトルが終わってくれれば何の問題もないと共に、オーキドの論文の正当性が証明され、第二回大会の開催が決定されてしまうことには、まだ誰も気が付いていない。

 

 

 

「さあ早速始めていこう!第一試合はマサヒロVSヤスシ!!それ以外の情報は無い!!どんなイカれたドーピングポケモンを繰り出してくるのか!参考文献はオーキド研究室タツロウ助手著の研究レポートを見ろよ!どうせ全員持ってんだろ!!俺も持ってるぜ!!!さてそれでは両名、入場してくれーーーー!!!!」

 

 

 コニシ司会の紹介が終わると同時に、バトルフィールドに続く対面した二つの扉がズズズと重々しく開き始める。

 パッと見、鋼鉄製。ドーピングポケモンの持つ破壊ポテンシャルがどの程度か予想することが難しいため、十センチメートルほどの鋼鉄板を二枚重ねた扉を二重につけるという力の入れよう。

 ちなみにエスパー対策に観客席はエスパー遮断ガラスや緊急時観客離脱システムなど様々な防御オプションで守られている。

 貴重な人材資源は金を湯水のように使うことで賄っている。

 それでも命の危険が無くなるわけではないのが、このDPT杯のスリルポイントだ。

 もちろんトレーナーも特殊なガラス壁で守られている。抜かりは無い。想定できる範囲においては、だが。

 

 

 時間をかけて開き切った鋼鉄の扉の奥から、一人ずつゆっくりと歩いてくる。

 

 電灯とスポットライトに照らされた二人は、案の定、白衣姿だ。

 

 

「さあフィールドの上では肩書きなど不要!マサヒロとヤスシ、一体どのようなポケモンを繰り出すのか!それではバトル、スターーーーーートオゥ!!!!!」

 

 ワッと沸き上がる歓声の中、二人の研究者、もとい、この場では一人のポケモントレーナーが、互いにモンスターボールを手に取る。

 

 

 

 バトル開始の合図と共に、先ずはマサヒロがモンスターボールを広いフィールドに投げ放つ。

 

 ボールから放たれた赤い光が作り出すのは巨大な影。

 地上に降り立ったのは、炎を纏う四つ脚の怪物――――

 

 

「―――っと、これは一体なんのポケモンだ!!??四つ脚の炎ポケモンなんてギャロップくらいしかいないのでは!?解説のオーキド博士!」

 

「うむ!あれはギャロップとは似ても似つかぬな!だが四足歩行のように見えるが、あの姿、火を噴き続ける様子から、ブーバーじゃな!!」

 

「なななんと!あれがブーバー!!しょっぱな飛び出してきたのは四足歩行で筋骨隆々になってしまった炎ポケモンのブーバー!ドーピングは攻撃力の極振りか!腕力にモノを言わせて疾走しつつ、火炎放射と炎のパンチをお見舞いってか!!レアポケモンなのにドーピングの容赦ないな!!だがそこがいい!ポケモン管理部に怒られろ!!」

 

 

 ブーバーは二足歩行の炎タイプのポケモン。

 生息地はグレン島でのみ発見されている非常にレアなポケモン。

 そんな貴重な個体があろうことかパワー極振りで異常発達した両腕と両足によってまるで重戦車のようなシルエットをしている。

 特徴的な炎の流線形をそのまま形にしたような頭部ももりあがった肩に隠れ、パッと見でブーバーだと判断したオーキドはやはり権威と言える。

 

 

「さあそれに対するポケモンは一体なんだ――――・・・・ってあれ、あのモンスターボールはなんでしょうか!オーキド博士!あれ何!!」

 

「ぬ?どれどれ・・・」

 

 

 ヤスシの持つモンスターボールは、雁字搦めに鎖が巻き付き、「封」と達筆で書かれた札とか「危険」とか書かれたシールが貼り付けてある。見た目だけで開けてはいけないとわかるような代物のように見えるのだがどういうことなのか。

 

 

「おおおおおおお!!!あれは封印指定!さっそくでてきたな!!」

 

「封印指定!?なにそれ!!オーキド博士説明を!早く!!」

 

 

 実況席が異常な盛り上がりをしている。

 ある意味当然だ。なにしろフィールドに一番近い。逃げるかどうかの判断を真っ先にしないといけないのだ。

 

「その名の通りじゃよ!封印する必要があるくらい危険性のある失敗作じゃ!廃棄することも難しく、保管するにも危険!まさに封印しなければ危険なドーピングポケモンということじゃ!がっはっは!!楽しみじゃなああ!!」

 

「ぜんっぜん楽しくないが!この人が逃げて無いってことはまだ大丈夫!!横の様子を気にしながら実況するぜ!覚悟を決めろ!逃げたら一生チキンの汚名を着せてやる!!」

 

 

 

 ヤスシが力任せにモンスターボールにからみつく鎖を引きちぎる―――だけの力は無いので、ゆっくりと紐解く。

 

 そして鎖のほどけたモンスターボールを、思いっきり空高く放り投げた。

 

 

 

 モンスターボールが開く。

 

 次の瞬間、煌々と照らされていたバトルフィールドの大半を巨大な影が覆った。

 

 

 

 上を見上げるブーバーとマサヒロ。そして実況席の二人。

 突然の出来事にフィールドを見下ろす観客。

 

 その大きな影がフィールドに落ちると、地獄が完成した。

 

 

「なななななんだーーー!!!!???これはどういうことだ!!!!何が起きてるーーー!?!?!?」

 

 

 マイクの線が切れそうな程に叫ぶ実況コニシ。一回戦目からフルスロットルだ。

 だがそれも頷ける。

 今実況席を守るガラスの鉄壁は、紫色のドロドロしたもので完全に見えなくなっているのだ。

 

 

「なんっっっも見えねえ!!!解説のオーキド博士!!!お前が頼りだよろしく頼む!!!!!」

 

「初戦からなんというものが見られるんじゃ!テンションあがるな!こいつはベトベターじゃ!いや、こうまで広範囲をカバーするヘドロを生み出せるとなるとベトベトンレベルかもしれんな!どちらにしてもなんも見えんな!がはは!」

 

「なるほど博士ありがとう!確かに見えなきゃ実況できねえ!カメラさーーーーん!」

 

 

 

 

 コニシが叫ぶと、目の前に空からの映像が映し出される。

 どこまで金をかけてるのだろうかこの大会は。

 

 映し出された映像は、まさに地獄だった。

 

 フィールドの大半を埋め尽くした紫色。

 強化ガラスで守られたトレーナー二人の無事が確認できたことは行幸ではあるが、ブーバーらしき影はどこにもない。

 要所要所で何かが溶けて蒸発したような煙がブシューブシューとあがっていることから、強酸性の毒ヘドロのようなものなのだろう。

 あっという間に溶けて無くなってしまったことが容易に想像できる。

 

 超頑丈に作っている会場だからこそ無事だが、ここでなければ会場にいる観客もろとも全滅しかねない生物兵器。

 どうやら封印指定とは過剰表現でもなんでもなく、言葉通りの意味らしい。

 

 

「ブーバーは消えてなくなっちまったがトレーナーは無事で何よりだ!貴重な人材資源は大事にしないとな!あとマサヒロ選手はレアポケモンを失った始末書を今日中に提出忘れんな!」

 

 声は聞こえないががっくりと膝をついているマサヒロの姿が映し出される。なんというか、悲惨。

 

「というわけで第一試合はヤスシ選手の勝利!これどうやってボールに戻すのかわからねえけど専門の業者がいるらしいから会場復旧まで休憩な!その間はお待ちかねのオーキド博士の解説タイムとシャレこもうじゃないの!オーキド博士よろしく!!」

 

 

 わああああと歓声のあがる観客席。

 それは勝利者を称えるものか、敗者を慰めるものか、恐怖に打ち震えるものか、それとも単に騒ぎたいだけか。

 様々な思惑が交錯する中、DPT杯は続く。そしてオーキドもノリにノッている。

 

 

「がはは!一試合目からこうも素晴らしいドーピングポケモン達が骨肉の争いを繰り広げるとは眼福じゃな!まあ骨も肉も残さず無くなってしまったがな!こんな特等席で見れるというのにコニシ君、慌てすぎじゃないかね?―――何?マジでちびりそう?がっはっは!大丈夫大丈夫!多分な!さて今の試合はブーバーとベトベトンのバトルじゃったが、やはり質量というのは非常に強力じゃな。当然それを打倒すポケモンも存在するだろうが、質量は力!物量は暴力!ある意味基本ともいえる原則に忠実で、さらに触れたものを溶かすという毒性を強めたヘドロポケモン。まさに悪夢の兵器といえよう!反してブーバーじゃが決して弱いわけではない。戦う姿が見れなかったのは心残りじゃが、あそこまで最適化したドーピングポケモンは非常に作るのが難しい。全身でなく、四肢を中心に能力を高め、全身に炎を纏うことによって、単体での戦闘能力はかなり高レベルと判断できる!ベトベトンに敗北してしまったのは単に相性の問題だな!相手によってはかなり強力であっただろう。そう考えると采配の運がなかったともいえるし、逆に言えばこのブーバーに当たらなかった他の選手はラッキーだったともいえるな!」

 

 

「なるほど~今日も絶好調のオーキド博士!さすがはドーピングで数多くのポケモンを使い潰してるだけはある!」

 

「がっはっは!褒めても何もでないぞ!」

 

「褒めてねえ!!だがそこがいい!そんなこんなで会場の状態が整ったようだぜ!専門業者さすがだな!めちゃめちゃ早い仕事に大感謝だ!」

 

 あっという間に広がったベトベトンがモンスターボールに収納(封印)され、溶けて使えなくなったライトだのの周辺機械を交換し、バトル前とほぼ同じ状態まで復旧されている。

 撤収作業を進める専門業者に惜しみない賞賛と歓声が掛けられる。

 全ての事が好意的にとらえられる幸せな空間だ。やっていることはカオスでしかないが。

 

 

「んじゃあ第二試合にいくぜ!次の選手は―――・・・ってオイオイオイマジか!オーキド博士きいてねえぞ!どうなるんだこれ!次のバトルはヒロキVS――――タツロウ!!」

 

 

「「「「「グオアアアアアアーーーーー!!!!!」」」」」

 

 もはや獣の咆哮とでも言おうか。

 ある意味この研究所で一,二を争う有名人となりかけている人物。

 そう、オーキド研究室のドーピングポケモンレポートの著者、タツロウ助手であった。

 ファンというか、ある意味神扱いされている人物といっても過言ではない。

 そしてそのキャラから女性人気も高いという脅威のスペック。

 オーキド研究室は求めるレベルが非常に高い上に入りたがる人も少ないという圧倒的さを誇る場所だったが、そこへ入れた唯一無二の人物としても有名で、知能面も優秀だ。

 

 

「俺はまだ疑心暗鬼だぜ!本当に本人か?タツロウって名前は他にもいるんじゃねえのか?どうなのよオーキド博士!とりあえず出てきてもらおうか両選手入場だーーーー!!!!!」

 

「がはは、でてきてのお楽しみじゃ!」

 

 

 高らかに笑うオーキド博士を横目に、再度重苦しく二つのドアが開いていく。

 

 二重扉が開ききり、今度はスタスタと扉の奥から姿を現す。そこにスポットライトがあたり――――

 

 

 

「やあぁっぱりてめえか!!!!あまりにも有名!唯一オーキド研究室に耐性を持つ脅威のマッドサイエンティスト候補!オーキド二号!そして我らがバイブル『ドーピングレポート』の著者!!!こいつ出てきちゃ駄目だろう!!!!一番駄目なやつだろ!!!というかオーキド博士自身が出場するのを止めるのにいっぱいいっぱいで目が行ってなかったぜ畜生!!!!!!!」

 

 

 早足で出てきたタツロウはふにゃふにゃと手を振り、聞こえないのだがおそらくいつもどおり「たーのしみでーすねー」とか言っているに違いない。

 

 相対するヒロキはすでに顔が青い。いや、研究者なのでもともと体調が優れないのかもしれないが、輪をかけて酷い。

 

 

「ぐだぐだ嘆いていても始まらねえ!もういこう。いっちゃおう。何があっても知らねえぞ第二試合、開始ィ!!!」

 

 

 始まると同時に、タツロウがボールを放り投げる。

 ほんとに自然な動作で、いつも通りに、ぽーんとボールを放り投げる。

 

 当然のようにボールに貼ってある『封印』の札。

 

 

 

 そして中央付近でパッカンと割れるモンスターボールから出てきたのは――――

 

 

 

 全身にピキピキと血管のようなものが走った、紫色と赤色をごちゃまぜにしたような体色で、空中に少しだけ浮いていて、パンパンに張りつめた球体が三つほどつながっていて、凶悪な般若のような顔を必死に歪ませている、体長が五メートルはありそうなモンスターだった。

 

 

 

 

「――――――――」

 

 

 

 

 会場が静まり返る。

 

 それも数秒。

 

 数秒後に、本日最も大きい声を、観客全員が発した。

 

 

 

「「「「「「「うわあああああああ!!!!!!!!!!」」」」」」」」

 

 

「マタドガスじゃねええかああああ!!!なんてもの出しやがる!全員まとめて自爆するつもりかよあいつ!!!ってタツロウどこいった!!!??」

 

 

 フィールドを見ると、ゴゴゴゴと閉まる扉の奥から手を振っているタツロウが見えて、すぐに見えなくなった。

 

 

「タ、タツロウ逃げやがった!!!!!おいオーキド!!!これどうなって・・・・ってオーキドどこいったーーーーーああああああああああああ!!!!!!!ふざけんな俺も逃げる!!!!!!おたっしゃで!!!!」

 

 

 阿鼻叫喚。

 

 疲れ果てていたハズの研究者は我先にと会場から逃げ、選手も逃げ、実況も解説もスタッフも全員逃げた。

 

 

 

 そして、頑丈さにこだわって作った会場は、その機能を思う存分発揮し、外壁だけ残して内部の設備を悉く爆発炎上させるにとどまった。

 

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 後日。

 

 

 研究所内では新たな発見や研究成果が多発。

 多分いろいろな刺激や命の危機を感じたことによって覚醒したのでは、と懲りずにあらたな論文をでっち上げて第二回大会を画策するオーキドの姿があった。

 

 ちなみにタツロウ人気はとどまることを知らず、『破壊神』とか『自爆厨』とか『ハイパーヤンデレ野郎』とかいろいろな異名をGETするに至ったが、本人はそんなこといざ知らず、オーキドと共にあらたなドーピングポケモンを生み出す日々に戻るのだった。

 

 

 

 

 

 




自重しない。


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第百十九話 日常との再会

「ポケモンタワー、やっぱりなんかこう、威圧感みたいなものがすごいな・・・」

 

 今まではなんとなく遠目からしか見てこなかったが、目的ができてしまった以上もう避けられる問題では無い。

 あの子供たちが言うには『ふじおじいちゃん』という人物は定期的にポケモンタワーに亡くなったポケモン達の慰霊に来ているようだが、基本的に朝出て昼前には帰ってくるとのことだった。

 それなのに、昼どころか夕方になっても帰ってこず、夜が明けた今日の朝にも帰ってきた形跡は無かったらしい。

 

 そんなことを泣きながら、すべての単語に濁点が付いたようなしゃべり方で説明してくれた。

 具体的には「ぼびいびゃんが!えぐえぐ!びぼうがりゃがえってごばいぼ!」とかそういう感じである。

 我ながらよく解読できたなと思うが、人間必死になれば読解能力すら向上するといういい例だろう。

 

「幽霊に憑りつかれた、とか?まさかね・・・」

 

 幽霊など居ない。サトシとてもっと小さい頃は人並みにおばけという存在について怖がっていた記憶はあるが、すでに意味なく怯える時期は過ぎ、今となっては見えるものの方が怖いという認識に変わっている。

 それもこれもこの旅が数多くの有意義な経験をサトシに与え続けているからだろう。

 嬉しきことかな。あとは命の危機さえなければ諸手を上げて喜べることではあるのだが、残念ながら一番身近な問題が命の危機だ。

 

 自分の状況に嫌気がさしつつ、他人の危機は放っておけない善人まがいのサトシ。

 いや、ポケモン大好きクラブの会長曰く『正義に狂っている』状態らしいが、サトシにとってはまだその実感らしきものは感じられない。

 トラウマに近い経験ではあるが、サトシはこの旅において非常に重要な技を身に着けている。

 そう、『考えたく無い事は棚に上げる』という必殺技だ。

 現実逃避とも言うし、後回しとも言う。ともかく、サトシはサトシ自身の思考法によって、問題を先送りにすることでかろうじて正常なメンタルを保っているのだ。

 まさに綱渡り。もはやサトシの脳みそキャパシティは限界を超えており、考えすぎて煙が上がるほどなので、必要な情報がそろうまでは全部まとめて後回しだ。

 

『旅を続ける』ことが、今のサトシにとって最も大事なことだ。

 

 

 そして、ふじおじいちゃんを何かから救出するのが今考えるべきことだと、サトシは結論づけた。

 

 

 

「よし、いこう。」

「ピピカチャー」

 

 

 意を決して、不気味なオーラを出す慰霊の塔の入口に足を踏み出した。

 

 

 

 

  ―――――――――――――――――――

 

 

 

 

 ポケモンタワーの中は、外から見たイメージとほぼ変わらない様相だった。

 つまりは、重苦しい。

 シオンタウンの町を歩いている人達も大概であったが、ここはさらに暗い。

 落ち込んでいることがここへの入場チケット代わりだ、といわんばかりに皆視線を落とし、足元をみつつフラフラとしている。

 もちろん全員が全員そういうわけではない。

 きちんとお墓参りに来ている人も当然いるにはいるのだが、単純なお墓参りという雰囲気ではなく、やはりなにか重苦しい空気というのを醸し出している。

 

 サトシ自身もこの建造物の中に足を踏み入れた時から何か重苦しいものを感じる。

 人に充てられたか、空気に充てられたか、それはわからないが、何かしら人為的なものとは程遠い影響がこの塔の内部に及んでいることは間違いなさそうだ。

 

 

「うう、絶対何かいるって・・・なんか階段の上薄暗いし・・・奇声みたいなのも聞こえるし・・・どうなってんの」

 

 

 部屋の隅に二人が並んでギリギリ通れるくらいの階段があり、あの周辺だけ景色が歪んで見えそうなくらい何かを感じる。

 あれ?自分って結構霊感強い?とかそういうことを平然と思えるくらいにはこの空間は異常に過ぎる。

 

 ゴクリ、と唾を飲み込み、階段を一歩一歩登る。

 だんだんと緊張感があふれる、予定であったがピカチュウが後ろから肩を強く押し込んだため半ば駆け上がる感じで二階へ到達した。

 急激に心拍数が増加したことをピカチュウに叱責するがどこ吹く風。

 いつも通り何を言っても無駄だなとため息交じりに納得したところで周囲を見回す。

 

 

「―――お墓だ。」

 

 

 大量の墓石。

 迷路のように、とは言い過ぎだが、狭い室内に所狭しと均一な墓石が並んでいる。

 大きさは六十センチ程度であろうか。直方体の石の切り抜きをそのまま墓石にしたような墓がサトシの視界を埋め尽くした。

 

 サトシは目を閉じる。わかってはいる。わかってはいた。ここはそういう場所だ。

 墓地というのは否応なしに死を連想させる。覚悟をしていなかったわけではないが、それでもサトシの脳内には失った掛け替えのない二つの命が強く浮かび上がる。

 

(トランセル、スピアー・・・僕は)

 

 この旅で失ってしまた二つの命。サトシの目の前で散っていった命はさらに多い。

 旅に出る前から考えると、命に対する考え方は、元々どんな考えであったかを忘れるほどには変わっていた。

 どれだけ掛け替えのないものかということと、どうしようも無くあっけなく消えてしまうものだということ。

 

 

 墓石で埋め尽くされた部屋を見回すと、何人かお参りに来ている人がいた。

 墓石の前でうずくまっている人もいれば、供え物をしている人もいる。

 

 ポケモンハウスの子供たちの言葉から、なにかしら騒動が起きているのでは、と危惧していたが、墓地としては平穏そのものだ。

 目に見えるものに関してでいえば、だが。

 

 

「・・・立ち止まっていてもしょうがないし、進もう。」

 

 

 意を決して進もうと足を持ち上げるが―――

 

 

 

「よー、サトシじゃん。なにしてんの?」

 

 

 

 横からかけられた随分久しぶりな声に、持ち上げた足をそのまま元の場所に戻し、声の主の顔を見る。

 実際にはそこまで長い間会っていなかったわけではない。向こうもそのつもりで気軽に話しかけてきたのだろう。そういうことがすぐに察知できるほどに気軽に、容易に話しかけてきた。

 数多くの悲惨な経験を有り得ない密度で体験してきたサトシにとっては、それはひどく懐かしく感じ、同時にある種の感情が沸き上がった。

 

 

 

「・・・シゲル。」

 

 

 オーキド博士の孫。目が覚めるようなオレンジ色の髪をツンツンに尖らせ、シンプルな黒いシャツを羽織った

 すでに気にしなくなって久しいが、サトシと同時期に旅に出た人間はあと三人いたということをたった今思い出した。

 その中の一人が目の前の人物、サトシの幼馴染であるシゲルだ。

 

 

「ポケモンタワーに用事?残念だけど上は通れねえぜ。無駄足だったな。」

 

「・・・そう、なんだ。」

 

「なんだよー元気ねえな?それより、バトルしようぜ。俺の育てたポケモン、すっげー強くなったぜ。」

 

 

 幼馴染からの提言。

 墓地という陰鬱な場所においても、そんなものは関係ないとばかりに明るく振る舞うシゲル。

 そして気軽にポケモンバトルをしようと至極真っ当なポケモントレーナー生活を送っているようだ。

 

 真っ当で、真っ直ぐで、汚れなく。

 特に意図があるわけでもなく、純粋に力試しをしようと、幼馴染は提案してきている。

 

 その曇りなき眼が、サトシにとってまぶしくて仕方が無かった。

 

 

 

「ごめん、シゲル。今はそんな気分じゃないんだ。また、今度。」

 

「なんだよーケチ。―――まあいいや。もっと鍛えて圧倒的な力でねじ伏せてやるぜ!じゃーまたな。」

 

 

 そのままサトシの横を通り過ぎ、スタスタと振り返りもせずに階段を降りて行った。

 その背中を、なんとなく目で追いかける。

 複雑な感情がサトシの中で渦巻くが、そんなことを知る由も無い純粋なポケモントレーナーが見えなくなってもしばらくその方向を見つめていた。

 

 

 

「ピカピ?」

 

「うん、大丈夫。行こうか。」

 

 

 ほんの短い間、過ごす環境が違うだけでここまで人間に影響を与えるものなのかと身をもって感じる。

 普段から裏の世界とは何の関係も無い人々と接する機会はある程度あるものの、幼少の頃を共に過ごし、似たような価値観を持っていたハズの幼馴染がこうまで感覚が変わっていると、驚きを通り越してなにか悲しい、大事なものを置いてきてしまったのではないかと心配にすらなる。

 

 当然、その発想は大きく異なる。サトシは得てきたのだ。この旅において、大人ですら到底得ることが適わない程の経験を、その小さな身体で受け止めてきた。

 少年の身には収まるハズの無いそれらは、今もサトシを蝕み続けている。

 小さいころは口汚く仲良く罵り合っていた友人を前にして、何か達観したかのような感覚に襲われた。

 なんて純粋で、キレイで、儚く、幼いのだろうと。

 ただ単にポケモンバトルをしたい。自分の育てたポケモンで頂点を目指したい。そんな言葉が言わずとも聞こえてくるようで、サトシにとっては、自分とは全く違う生き物なのだと錯覚してしまう程だった。

 

 紛れも無く幼馴染で、友人で、同年齢。そしてライバルであった。

 十四歳の旅立ちの日、サトシは本当に『日常』という掛け替えのないものから遠ざかる道を選んだのだなと再度認識する。

 知識や経験を得ることで幸せになるとは限らない。

 世界の理を知れば知るほどに、絶望が襲うのだという、ある種の真理すらも感じ始めていた。

 

 それでもサトシは選んだ。

 その選択を後悔しているだろうか。あの時戻っていれば、と悔やむだろうか。

 

 

 ――――どちらにしても、サトシは進むしかないのだ。後続は絶たれ、今は前に続く細い道をゆっくりと進むのみ。

 

 

 

 

「なんか、さらに危険な空気が漂ってる気がする・・・」

 

 

 

 二階から三階へと昇る階段を前に一度立ち止まるが、命の危機、というわけではない。

 頭にゴーグルのようにシルフスコープを装着し、意を決して三階へと足を進めた。

 

 



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第百二十話 死は近くに

 寒い。

 三階に到達した時に感じた最初の感情はそれだった。

 部屋が寒いというわけでは無いのだと、直感的に感じる。独特のヒヤリという感触は、いうなれば緊張感や視線で感じる寒気と同様のもの。それが部屋に入るなり感じられるということは、この空間自体がそういうことなのだろう。

 つまりは、人ならざる者、実体無き者達が跳梁跋扈しているということなのかと信じたくなるような空間。

 部屋の構造自体は二階とさほど変わらないとも思えるが、それを錯覚させるほどの空気。

 幽霊がでやすそうな場所、などと肝試し染みたお遊びはとうに卒業したサトシであったが、ここは紛れも無く本物。

 

 でやすいどころかすでに出ている。

 

 

 そう、シルフスコープを付けたサトシの目には、右に左にふよふよといろんな半透明のものが浮いている次第だ。

 初めて視界に入った時こそ驚いたが、ここまでたくさんいるとなるとさすがに慣れるというものだ。

 肌寒く薄暗いという環境であるため、急に目の前に一体の幽霊的な何かが出現でもしたら大声で奇声を上げてすぐさま反転して全力ダッシュする自信はあるが、恐怖とは急にくるから怖いのだ。ゾンビ映画のように身体的なリスクでもない限り、死体が町を闊歩するのに慣れるのも道理である。

 

 そして、幽霊よりも怖いものがある、と実感を持って明言することができるようになったのは経験として喜ばしいことではある。

 つまりは

 

 

 

「キイイイエエエエエエエエエイエエエエエエエ!!!!!!キエエエエエキョワアアアエエエキキキ!!!!!!」

 

 

 

 これである。

 半狂乱状態で巫女服のようなものを着た女性が長い髪をヘッドバンキングか獅子舞かと思えるほどに振り乱して謎の叫び声を発しているのだ。

 たとえ美しい女性だったとしてもこの姿を見ると万人が目を背けるに違いない。なんと勿体ない。

 ただもちろん美女だけというわけではないので、文字通り化け物染みた生き物に変貌してしまっているような人もいるようだ。

 この状態になっている人が数人、部屋を徘徊している。

 見た目が見た目だけに、ゾンビよりも怖い。

 

 

「と、とにかく刺激しないように上の階層へ行こう・・・幽霊的なものにも触れないように」

 

「ピピカチャ」

 

 

 とはいうものの、シルフスコープを通してみる景色というのはなんとも現実離れしている。

 見えないものを見る、などというトンデモ発想が何ゆえ開発され商品化されるに至ったのか。

 需要と供給に見合った商品とはとても思えないが、今やポケモンという生物がデータ化されパソコンに保存できる世の中である。科学技術の発展は素晴らしい。田舎暮らしだったサトシの家とてテレビもパソコンもゲーム機もある。

 なにより研究施設であるオーキド博士の研究所があるのだから、十分に時代の恩恵は受けていると言える。

 

 もっと未来に向けて空を飛ぶ靴とかどこにでも行けるドアとかタイムマシンとかに精を出せばよいのに、幽霊を見るなどという暴挙に走ったのか一般人のサトシには到底理解できないものだ。

 

 それとも、研究者の本分がそもそも自分の欲求を満たすだけに存在しているのかもしれないが、それもサトシには全く持ってわからないことである。

 

 もっとも、シルフスコープから見える景色を考慮にいれると研究者とは有能なのか天才なのかバカなのかいろいろ問い詰めたくもなる。

 見えるのだ。いろいろと。

 ぼんやりとだが、ポケモンのような姿がそこかしこに。

 そして、数は少ないが人間のような形も見受けられる。死しても魂はポケモンと共にあり、みたいなことなのかもしれない。

 霊に意識や思考があるのかはわからないが、サトシに向かって来たり興味をもったりということは無いようだった。

 シルフスコープが無かったら見えてもいないのだから、当然といえば当然であるが――――

 

 

「ん?なんか人型の霊のようなものが勢いよくこっちに―――――」

 

 

「キエエエエアアアアアアアアアアア!!!!悪霊退散悪霊退散アクアクリョリョリョリョーーーーー!!!!」

 

 

「うわあああああ本物だ!!!」

 

 

 

 思わずピカチュウの後ろに隠れたサトシだったが、全力疾走してきた人は急ブレーキさながらに立ち止まり、猫背ぎみに俯く。

 長い黒髪が垂れ下がり、簾のようになって顔が見えず、非常に怖い姿でゆらゆら横に揺れている。

 

 そして、何かを握りしめた手をゆっくりとサトシの方へ掲げる。

 

 

「―――モンスターボール?」

 

 

 その手に持つはモンスターボール。

 それの意味するところは全世界において共通。いつの間にか少しだけ顔を上げてうっすらと目が見える目の前の人物が歪な笑顔を浮かべ、握りしめた手を開く。

 手のひらの束縛から解き放たれたボールは床にカツンと固い音を響かせ、すでに見慣れた赤い光を放つ。

 場の空気も相まって、非常に禍々しい光となりポケモンの姿を形作る。

 

 

 

「あれは―――幽霊・・・?いや、ポケモンか!」

 

 

 咄嗟にポケモン図鑑を向けると、ガスのように空中を漂い邪悪な笑みを振りまくポケモンはゴースというらしい。

 とことんポケモンという生き物は不思議が多い。メタモンの不定形も大概だが、今度は実体もないらしい。

 

「でも、やらなきゃ・・・・幽霊って触れないよね、たぶん。いけ、クラブ!」

 

 腰につけたモンスターボールの一つを目の前に放る。

 そこから出てきたのはピカチュウに次ぐ古参のポケモン、クラブ。

 

 

「キキキ、ケキャキャきゃきゃ」

「ゴース」

 

 

「クラブ!なみのりだ!」

「クラーブ!」

 

 

 大きなはさみから勢いよく水が放射され、ゴースの身体を文字通り水で流す。

 

「ゴ、ゴゴース」

 不敵な笑顔が消え、あっという間にガスのように霧散してモンスターボールへ戻っていった。

 実体として人が触ることはできないが、ポケモンの放つ技であれば効果があるようだ。

 不思議ではあるがそういうものなのだろう。

 

 

 そして

 

 

「・・・あの、大丈夫ですか?」

 

 

 

 クラブの放射した水がゴースを通り抜け、正面から水を浴びる羽目になった女性は何があったかわからない、といった風に目をパチクリさせ、キョロキョロと周囲を見渡している。

 

 ちなみにびしゃびしゃになった巫女服はボディラインをひどく強調する上に要所要所透けており、かなり刺激的だ。

 黒髪長髪な上、今まで狂気に満ちていた表情も消え、薄化粧の素敵な女性へと変わっていた。当然直視する度胸はサトシには無い。

 

 

 

「ここは、あなたは、わたしは?」

 

 

 まだ混乱しているのだろうか?それとも記憶喪失的な症状だろうか。

 

「えっと、ここはポケモンタワーで、僕はサトシといいます。」

 

「―――ああ、ごめんなさい。大丈夫。君が祓ってくれたのね。ありがとう。」

 

「祓って?」

 

 首を傾げるサトシ。だが、考えることもなくすぐに答えは告げられる。

 

「私は祈祷師なの。悪霊がでるというので鎮めにきたのだけれど、逆に乗っ取られてしまったみたい。迂闊だったわ。」

 

「キトーシ?」

 

「ああ、そうね、悪いお化けを成仏させたりする人のことよ。」

 

「なるほど。」

 

 お化けや悪霊なんてものがいるかどうか半信半疑な部分があったが、これはもはや信じるしかないようだ。

 なにせ水が滴るほどびしゃびしゃなお姉さんが悪霊に憑りつかれてしまっていたのだから。

 早く上着着てください。

 

「君は何しにここへ?かなり危険だから早く戻った方がいいわよ。―――私は戻るわ。水浸しだし、私の手に負える状況じゃないし。」

 

「えと、まだやることがあるので」

 

「そう。忠告はしたわよ?じゃあまた生きてるうちに会えるといいわね。」

 

 

 最後に恐ろしいことを言って、祈祷師の女性は足早に階段を降りて行った。

 

 

「生きているうちに、か。」

 

「ピカピ?」

 

「いや、大丈夫だよ。先に行こう。」

 

 

 

 生きているうちに。

 その言葉はあまり聞きなれないものではあるが、裏の世界に生きているサトシにとっては酷く生々しく、冗談と聞き流すことはできなかった。

 常に死と向かい合わせな日々を送っている。だからといって死を常に覚悟できている訳ではない。

 死んだことが無いのだから、死を覚悟しているなんて言ったところでそれは真実ではないし、覚悟などできていない。

 そもそも生きているという状態がどういうものかもよくわかっていないのだ。

 夜にオヤスミと寝てしまって、その後に起きることがなかったとしたらそれは死と同義ではないのかとも思う。

 

 生も死も曖昧。この旅でサトシは幾度となく生き物の生き死にについて深く考える機会があったが、その何れも答えは出ていない。

 サトシ自身がシルフスコープの向こう側に立っていることを考えたところで何の意味も無いが、いざ考えてもそこに特別な感情は生まれなかった。

 

 ―――まあ、そういうことになるかもしれないな。

 とだけ思ったくらい。

 死を覚悟しているというには程遠いが、死ぬかもしれないなとは思っている。

 そのちょっとした心構えだとしても、日常に埋もれて平々凡々と生きている一般人と比較すると天と地ほどの違いがあるだろう。

 

 故にサトシは逃げることは無い。

 死を覚悟するのではなく、可能性を受け入れることで、サトシは今の目的を見失わずに足を進めることが出来る。

 

 

「とはいえ、怖いものは怖いから、早く『ふじおじいちゃん』を見つけよう。」

 

「ピッカピ」

 

 

 階を進めるほどに強くなっていく寒気と恐怖感。

 何が原因か、というのも気になるところではあるが、まずは子供の泣き顔を止めなくては、とさらに上の階へと足を進めるサトシだった。

 

 

 

 



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第百二十一話 六階

ちょっとみじかめ


「ピカチュウ・・・僕は今、猛烈に逃げたいと思ってる。」

 

「ピピカチュー」

 

「というか泣きそう。なにあれ、ポケモン?」

 

「ピカチャー」

 

 

 ポケモンタワー六階、昇り階段前。

 最上階まであと一階となったところでサトシは「ふじおじいちゃん」の事を忘れ、脱兎のごとく逃げ出したい衝動に駆られていた。

 正確には忘れたわけではないが、忘れたことにしてそのまま踵を返して塔を降りちゃおうかな、などと善人にあるまじき行動をしようとしていた。

 話だけきくならば馬鹿にされても仕方のない失態だが、現場に居合わせたサトシからしたら馬鹿にした人間を片っ端から首根っこをピカチュウに掴んでもらい、この場所に放り出して自分だけ逃げたい。

 そうすればサトシの気持ちを全員が全員理解してくれるに違いない。

 

 それほどまでに今の状況はサトシの経験した危険ランキングのかなり上位に位置するほどに切羽詰っていた。

 

 

「死なない方が確立低い気がする。」

「チャー」

 

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

 ポケモンタワーの三階以降、サトシとピカチュウは数多くの祈祷師に襲われ、毎度のように水をぶっかけて撃退した。

 清めの水とはよく言ったもので、やはり水には何等かの浄化作用のようなものがあるようだ。

 その水はクラブのはさみから放出されるものだとしても、水は水だ。ついでに憑りついているのであろう幽霊っぽいポケモンも退治できるのだから御の字だ。

 最初こそびっくりしたものだが、相手がポケモンだとわかるとサトシも調子が戻ってきた。

 ポケモンバトルは十八番なのだ。ましてやガス状とはいえ普通のポケモン。

 ドーピングポケモンですらないのだから、恐れることは無い。

 ・・・・憑りつかれたりしないよね?とそこだけ不安だったが、まあ最悪クラブが水をサトシにぶっかけてくれることだろう。

 ピカチュウに憑りつくようなことがあったら、すべてをあきらめよう。

 そう心に決めて、ポケモンタワーの内部を水でびしゃびしゃにしながら進んで行った。

 

 

 突然違和感に襲われたのは六階に到着した時だった。

 いままでも謎の寒気や気配など山のように感じてきたが、この階層だけ明らかに異常。

 シルフスコープが無くてもどんよりと暗く重い空気が目に見えているかのようで、体感的に寒気を感じるにも関わらずじっとりと汗がにじむ。暑いわけでも湿度が高いわけでもない。それなのにサトシの体調は明らかにおかしくなっている。

 まるで生きている人間を寄せ付けないと言わんばかりの圧力。

 フロア自体が一つの幽霊で、その体内に取り込まれているのだと言われても、成程と納得してしまうだろう。

 それほどまでに異質で不可解な空間だった。

 

 ピカチュウがそれを感じているかどうかは表情から読み取ることはできないが、キョロキョロと優柔不断に視線を動かしていることから何かを感じていることは間違いなさそうだ。

 

 ポケモンタワーは七階層の建物。

 一階毎の室内はそこまで広いわけでは無い。ここまで「ふじおじいちゃん」らしき人物がいなかったことを思うと、おそらく次の最上階にいると考えるのが妥当だろう。

 ここまで来て戻るわけにはいかない。

 意を決して七階へ行く階段へと足を進める。

 

 

 入り組んでいるとはいえ、墓石で作られた道。

 それにそこまで広い場所ではない。サトシはものの数分で目的の階段前へとたどり着く。

 

 いや、たどり着いたハズだった。

 ここは階段、のハズなのだ。

 それなのに、数メートル手前から見ている階段らしきものは黒いモヤに包まれ、かき混ぜた生クリームのように歪み、その形を歪なものに変貌させている。

 足をどこにかけていいのかもわからない程にぐるぐると形を変え続ける階段らしきモノ。

 それを包み込む黒い霧。

 

 それだけならば。

 

 いや、それだけと断ずるのはかなり危険な状態だとは思うが、それでも見た目だけの問題ならばサトシは足を踏み出せただろう。

 異次元につながっているわけでもなし、きっと幽霊的な、ガス的な何かが光を歪めて見せ方を変えているのだろうと信じることもできた。

 意を決して一歩踏み出せばそこにはこれまでと変わらない陰気で陰湿な階段が続いているのだろうと思えた。

 

 しかし、サトシは足を踏み出さない。というより、踏み出せない。

 意思と身体の反応がずれている。

 頭の中では進もうとしている。身体に進め、歩けと命令している。

 にも関わらず、身体はピクリとも動かない。

 別の生き物として切り離されてしまったかのように、サトシの身体はサトシの言うことを聴かない。

 それどころか、その場から離れようとする力すら感じる。

 

 目の前の霧は無関係ではないと、そう感じるのも時間の問題だった。

 なにより、先ほどから頭に響いてくる声。

 サトシの意思を蹴とばし、無理やり意識に介入してくる謎の声。

 

 明確に、ハッキリと、サトシの頭にこう語りかけている。

 

 

 

 

 

 

「タチサレ タチサレ」

 

 

 

 

 

 

(そういわれてもね・・・)

 

 サトシは辛うじて動く手を顔の位置までゆっくりと上げ、シルフスコープを顔に降ろし、両目で機械越しの黒い霧を見る。

 霧が幽霊的なナニカだとすれば、シルフスコープがその正体を看破してくれるだろう。

 

 

(さあ、正体を見せろ・・・!)

 

 

 心の中でそう叫ぶ。

 

 

 

 そして、直後に口から言葉が出る。

 

 

 

 

 

 

「ピカチュウ・・・僕は今、猛烈に逃げたいと思ってる。」

 

 

 

 

 ピカチュウの呆れた顔が見なくても想像できる。

 だが、今回は許してほしい。サトシの目の前にいるのは、ピカチュウの身長を上回り、異常発達した筋肉が血に塗れ、血管が所せましと張り巡らされている肉体、そして頭骨が露わになった顔面に、五メートル以上はあろうかという尻尾を持ち、手には鋭利に削られた長い骨が握りしめられている。

 身体を覆う血管はところどころ破裂し、細かく血を垂らし、飛散させており、頭の骨の目があったであろう空洞からも痛々しいほどに血を垂れ流している。

 その巨大で不気味な見た目からドラゴンか何かと見間違えてしまう程。

 眼球の無い空洞はサトシを凝視しており、口からブシュウ、と蒸気のようなものを噴出する。

 

 

 

 

 

「ゴオオアアガガガガラララララガガガガギャギャギャアアアアラララガガガグギギ!!!!!」

 

 

 

 

「ひっ――――」

 

 突然悲鳴にも似た叫び声をあげた化け物。

 

 驚いたサトシはバランスを崩し、その場に尻餅をつく。

 その反動でポケットに入れてあったポケモン図鑑が床に滑り落ち、パカリと開く。

 

 ピコピコと光る図鑑から、おもいきり場違いな平坦な電子音でサトシに情報を伝えてきた。

 

 

 

 

 

『ガラガラ ほねずきポケモン。せいかくは きょうぼう で、てにもつ ホネで こうげき してくる。』

 

 

 

 

 

「ガラガラ・・・?」

 

 

 目の前で暴れ狂う化け物はポケモンのガラガラ。

 ポケモン図鑑に表示される姿はまだ愛くるしいと言えるものだったが、目の前のものと比較すると到底同じ生き物だと思えない。

 

 

 

 

 つまり、この亡霊は。何かに怒り狂うこのポケモンだったものは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 明らかに、過剰なドーピングを施されたポケモンの姿そのものだった。

 



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第百二十二話 亡霊の抱くモノ

佳境。


 ポケモンタワーの各フロアの天井はそこそこ高い。ピカチュウがしっかりと立ってもまだ余裕があるところを見ると、ゆうに三メートルはありそうだ。

 狭苦しい空間だと霊も休まらない、という気を利かせたのかもしれない。それ自体は非常に素晴らしいことだと思う。

 だが、サトシの身長の倍はありそうな天井の高さに届く身長の持ち主で、尻尾はそれよりもさらに長い化け物がサトシを見下しているともなれば、広い空間であることは決してプラスでは無いと、この時ばかりは思える。

 

 狭ければ逃げられる可能性も高くなったというもの。墓石が乱立しているとはいえ、相手にとってもそれは障害となるハズ。

 小柄な分サトシが逃げる方に多少の分があるのでは、と考えたのだが、あいにく身長制限はこのフロアには無い。

 目の前の血みどろな化け物にとって、行動を制限するものは雑多に並べられた墓石しかないだろう。

 もっとも、それすらも邪魔になるかどうか怪しいほどの膂力を持っていそうではあるのだが。

 

 

「グシュウウゥウウウ・・・・ガララグガギ」

 

 

 眼球の無い眼窩をサトシに向ける。目が無いのに視線を感じるとは思えないのだが、サトシは間違いなく視られている、という感覚を覚えている。

 サトシは尻餅をついたままガラガラから目を離さないでいる。いや、離せないでいる。

 一瞬でも目を逸らしたら、左手に持つ鋭利な骨で貫かれるか、サトシ三人分ほどの長さを誇る尻尾で薙ぎ払われるか、はたまた血管が浮き出てパンパンに張りつめた脚でぺちゃんこにされるか。そんな未来が容易に想像できる。

 

 そういえば、とサトシは思う。

 サトシ自信が直接的に死の危険にさらされた経験はほとんどない、という事実。

 ポケモンバトルの後、死の運命をたどるのではという展開はいくつかあった。

 だが、数秒後にはサトシの首が胴体と切り離されているかもしれない、という直接的な暴力にさらされることは無かった。

 あくまで、「健全な裏バトル」の枠の中で戦っていたのだ。猪口才な頓智を使って辛うじて勝ち進んできたサトシにとって、知恵も知識も不要な、単純な暴力による争いを前にすることがどれだけ危険なことであろうか。

 作戦も、感情も、何もない。

 あるのはただただ怨恨。肉体を失って尚、何かを恨み続けて現世に漂う怨霊。

 

 

 緊張―――

 

 だが、この緊張は少しの切っ掛けでプツリと切れ落ちる。

 瞬きも呼吸も出来ない空気の中で、意を決してサトシが動く。

 

 

 

「―――ピカチュ」

 

 

 

 最後まで告げることなく、サトシの横を一筋の黄色い閃光が通り抜ける。

 そして、サトシの十数センチ先まで迫っていた鋭利な骨を持つ手を握りつぶすかのように掴んで止めた。

 

 数メートル離れていた距離を一瞬。

 ピカチュウの反応が一秒でも遅れていたならば、今頃サトシの顔面は大きな穴が開いていただろう。

 

 

「う、うおおおおおおおお!!!」

 

 

 手と足をバタつかせて後ろに全力で下がるサトシ。

 冷や汗どころではない。

 全く見えなかったのだ。幽霊さながらとでも言おうか、動作の始点すらもサトシの目で認識することができなかった。

 いや、本当に幽霊なのだとすれば消えたりすることも可能なのか?

 それであれば物理的に接触できることが説明できないが、そんなことはもう今考えていても仕方がない。

 ドッと大量に吹き出した汗で全身がぐしゃぐしゃになり、心臓が普段の三倍速く鼓動を打つ。一度たりとも瞬きしてはならないと見開いた目。もちろん泣きそうだ。

 サトシにできることは格好悪いことなどお構いなしに、手も足も全身を使って後ろに下がることだけだ。

 

 視線を外すことはできない。

 ピカチュウがガラガラの腕を止めているとはいえ、ピカチュウを遥かに上回る身長と筋肉。

 過剰にドーピングされたであろう血管の浮き出た腕はピカチュウのそれよりも一回りは太い。

 明らかに基礎能力がピカチュウよりも上。それに加え、思考しながら動く生物と、思考を放棄した化け物では根本的に反応速度に差が生まれる。

 さらに言うならば、ピカチュウは守るべき主人という枷が嵌っている。相手は当然、命すらも守るべき対象には含まれていない。

 

 通常のポケモンバトルにおいては自分の命は自分で守る、などとのたまうことが出来たが、今回は無力。

 空元気すらも張る意味を持たない程に強力で、絶望的。

 兎に角、目を離さずに少しでも離れることがサトシにできる最善。気を緩めれば即刻、死が待っている。

 

 

 

(やばいやばいやばいやばいやばいってこれ!!!)

 

 

 

 サトシが脳内危険アラートを大音量で鳴り響かせている中、ガラガラが空いている右手を大きく振りかぶり、ピカチュウに向かって振り下ろす。

 ピカチュウは後ろにのけぞり躱す。必然的に掴んでいたガラガラの左手を離すことになるが、振り下ろした右手が床を大きく陥没させたことを考えると致し方ないことだ。

 

 なにはともあれ、ピカチュウが時間を稼いでいる間になんとか階段まで戻って逃げなければ―――

 

 

 と、そこまで考えていたことが一瞬で真っ白になった。

 

 ガラガラがピカチュウを押しのけてサトシに向かって走ってくるのを目撃してしまったために。

 

 

 左手の骨をサトシに向け、一気に突き刺そうと身体をひねる。

 景色がゆっくり流れる。このゆっくりな流れの中、サトシだけが普通に動けるのならば回避もできるかもしれないが、現実は非常だ。

 所謂、走馬灯のようなものを見ているのだろうか。

 

 しかし、サトシをめがけ突進していた化け物がガクンと急停止し、後ろに引っ張られるようにサトシから猛スピードで離れていき、墓石をいくつかなぎ倒して床に追突した。

 

 

 ピカチュウがガラガラの長い尻尾をガッチリと腕で挟むように締め付けて前進を止め、綱引きの要領で引っ張り、床に打ち付けたのだ。

 

 

「はっ、はっ、はっ、はあっ―――」

 

 

 ありえるだろうか。

 目の前で自分の攻撃を止めていた相手を無視し、逃げ回っている人間へ一直線に向かってくることなど。

 

 ましてやその相手はピカチュウ。

 能力だけでいえば非常に高い相手。油断すれば手痛い反撃を食らうことは必至。

 にも関わらず、理性を飛ばした化け物は自分へ敵意を向ける相手ではなく、逃げ惑う人間を殺そうと向かってきた。

 ポケモンバトルではありえない。

 そもそもポケモンが意図的に人間を襲う話など聞いたことが無い。

 基本的には人間に友好的な存在で、トレーナーアタックなどという凶事が存在するのも、トレーナーの命令ありきのことだ。

 

 目の前のポケモンらしきものは、そんな都市伝説を信じる方がおかしいと言わんばかりに襲い掛かってきた。

 いや、これはポケモンという区切りではなく、この目の前の化け物が有する何か。

 この世に縛りつけられている理由。

 唯一、達成すべきと無意識化に刷り込まれている目的。

 

 

 

 

 

「人間を・・・恨んでいる?」

 

 

 

 崩れた墓石の中に音も立てずに立ち上がる黒く巨大な影。

 中身の無いハズの眼窩が赤く光り、同じ穴から流れ落ちる液体をさらに紅く照らし上げる。

 手に握りしめる尖った骨をさらに強く圧迫し、浮き出た血管を破裂させ、血が噴き出る。

 

 ピカチュウはガラガラを放り投げた後、サトシの前に滑り込むように移動している。

 ガラガラの空っぽの目には何が映っているのだろうか。

 

 ほんの数秒の空白。だが、それを維持する理由は少なくともガラガラには無い。

 故に、その空白の時を絶つのも憎しみに憑りつかれた亡霊だろう。

 

 ガシ、とガラガラは近くの砕けた墓石を右手でつかみ、ヒビが入るほどの握力で把持した石を振りかぶって―――投げた。

 

 

 片手で投げられる大きさだっただろうか?と無粋なことを考える余裕が多少生まれたのは、前にピカチュウが陣取っていたことによるものだろうか。

 なにせ、サトシの周りに見えている多くの墓石は一辺五十センチメートルはあろうかという巨石。

 墓石としては小さいのかもしれないが、片手で投げられるかと言われれば、サトシは今後こう答えるだろう。

 

「投げられる存在に遭遇したくない。」

 

 

 放物線でなく、直線で飛んでくる質量の塊。

 ピカチュウが電撃を蓄えた拳で撃ち落とす。

 右に逸れる形で床に叩き付けられた墓石はいくつかの欠片に砕かれ、サトシの周りに散らばる。

 

 だが、それに意識を奪われている時間は無い。

 

 

 次々に巨大な石がロケット砲のようにピカチュウとサトシを襲う。

 振りかぶって投げる。

 投げ放った手でそのまま別の石を掴み、返す手で投げる。

 本当に片手で投げているのかと疑問を抱くほどにその繰り返す所作は非常に速い。

 

 そのすべてがこちらに猛スピードで飛んでくる。

 それはピカチュウを狙ったものか、サトシを狙ったものか。

 

 ピカチュウは回避することは許されない。

 すぐ後ろでサトシが行き場を失い身を縮こまらせている。

 事実、ピカチュウの後ろから少しでも横に出たらガラガラの放つ塊はサトシの胴体を半分にしてしまうだろう。

 撃ち落とすしか無い。一発一発が即死の威力を持つ破壊の塊。

 如何に電気で強化しているとはいえ、生身の拳。

 尻尾でのたたきつける攻撃であれば岩を砕くこともそこまで難しくは無い。

 だが、身を捻って繰り出す尾撃はこの連続で飛来する攻撃を相手にするには隙が大きい。

 故に手詰まり。

 兎に角、投げる石が無くなるまでピカチュウは拳が血に塗れようとも骨が砕けようとも打ち払い続けるしかないのだ。

 

 

 もちろん、部屋を埋め尽くすように乱立する墓石とはいえ無限ではない。

 ある程度の時間が経過するとガラガラの周囲には崩れた墓石は無くなり、攻撃の手は収まる――

 

 

 ハズも無く、巨躯とは思えないスピードでガラガラそのものが飛びかかってきた。

 

「・・・!・・・・・!!!」

 

 

 サトシはがむしゃらに後ろに下がる。

 ばら撒かれた墓石の欠片に躓きながらバタバタと逃げ惑う。

 それを庇うようにピカチュウはガラガラの攻撃を防ぐ。

 

 

 未だに攻撃対象はサトシのようだが、逆に考えればピカチュウは攻撃されないということ。

 自分の防御をあまり考えずに攻撃に移れることはサトシを守る事にもつながる。

 

 飛びかかるガラガラをあえて回避せず、ピカチュウも大きく前へ踏み込んで懐に入り、全身で三メートル近い巨体を止め、そのままがら空きの腹に両手で拳を突き立てる。

 一撃一撃が必殺の威力。肉がちぎれ、骨が砕ける音を毎回響かせる拳の連打を打ち込み、反転して尻尾のたたきつけるをお見舞いする。

 

 下に振りぬかれた尻尾をまともに頭に食らって床にへばりつくように叩き付けられたが、その反動でそのまま立ち上がり、長大な尻尾で周囲の墓石ごとピカチュウを打ち払う。

 尻尾の根本部分で直撃したにも関わらず、大きく弾かれ墓石を派手に破壊しながら床に倒れる。

 

 すぐに飛び上がるように立ち上がり、サトシへ向かおうとするガラガラの頭を高速移動で蹴り飛ばすが、脚を掴まれ床に叩き付けられる。

 だが、すぐに身体を横に回転させ、ガラガラの後頭部を尻尾で叩き付け、顔面から床へと打ち抜く。

 

 

 

 

「・・・・・・・・」

 

 

 

 

 サトシは何もできなかった。

 飛散する墓石と床の欠片から頭を守ることしかできない。

 

 すでに逃げる先の階段の場所すらわからなくなってしまっている。

 

 

 

 何もできない。

 

 

 

 しかし、サトシには経験がある。

 

 

 

 戦いにおいて、サトシが何かできる場合の方が少ない。

 

 そしてそういう時にこそ、狭まった視野が徐々に広がり、全体を見渡せるようになる。

 

 

 恐怖に打ち震えるだけの普通の少年、という位置づけにするにはサトシの危機的な経験は多すぎる。

 

 つまりは見えるのだ。いろいろなものが。破壊の権化と化している亡霊だけではなく、この室内の状況。

 

 

 そして見つけてしまう。この状況にあまりに不釣合いな存在がいることに。

 六階には生き物どころかガラガラ以外の幽霊はいない。

 そのハズなのに。

 

 墓石の影をトコトコと歩く小さい姿が見えてしまった。

 

 

 ありえるのか―――?そんなことが?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――カラカラ・・・?」

 

 

 

 自分の頭より随分と大きいブカブカな頭骨をかぶり、キョロキョロと頭を振りながら歩いている生き物がいる。

 亡骸と幽霊しかいないハズの、このポケモンタワーに。

 

 

 

 

 



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第百二十三話 死と虚ろ

「カラカラ・・・?なんでこんなところに―――というか」

 

 危ない。それもトップクラスに。

 ここは吹きすさぶ暴風雨地帯よりも危険。地雷原どころか爆撃真っ最中のような状況。

 狭い室内はどの場所においても安全地帯は無く、墓石と床の破片か塊がいつ飛んできてもおかしくない。

 あの化け物染みたガラガラに何故か標的にされているサトシ程の危険は無いだろうが、それでも邪魔者だと認識された瞬間に墓石に潰されてそのままカラカラの墓標となるなんてシャレとしても笑えない。

 

 現に、そんなことを考えている間にもサトシの頭上数センチを墓石の欠片がヒュンヒュンと掠めていく。

 この場所においてサトシが最も危険な立場にある以上、他の生き物の心配をしている場合ではない。それは火を見るより明らかだ。

 サトシは何を置いても今は自分の命を守り切ることに最大限の力を尽くすべきで、それ以外の選択肢を持ってはならない。

 ましてやひょっこりこんな危ない場所に現れた野生のポケモンを助けに行くなど、武勇伝として語るならば確かに良いかもしれないが、語る人間が死んでしまっていては元も子もない。

 サトシはヒーローでなければ正義の味方でもない。そんなものは自分が一番よく分かっている。

 自分の手元にある命すら守ることができない愚かで矮小な人間。

 

 

 ―――だがそれでも。

 

 

 

『サトシ君、君は正義に狂った人間なのだ。』

 一度聴いてからサトシの魂に刻まれた呪いの言葉。

 

 狂人。サトシは狂った人間。

 

 認めたくない言葉。だが、この状況においては、サトシ自身も理解できた。

 ああ、自分は、たしかに、狂っているのかもしれない。

 

 

 

 

 

 そして、サトシは隠れていた墓石の影から飛び出し、全力で走り出した。

 

 

 

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 守るべき人間が命知らずだった場合、果たして守護者は何を思うだろうか。

 自らが盾となり矛となり、命を賭して守っているにも関わらず、死地へ飛び出していく命知らず。

 助かる算段あってのことか。それとも命を捨ててでもやらなければならないことか。

 いずれにしても守る立場からすればたまったものではない。盾は持つべき人間がいるからこそ盾として意味を成すのだ。

 持つ者がいなくなれば地に落ちて踏みにじられるだけのもの。

 

 故に、盾は何が何でも主人を守らねばならない。

 たとえ投げ捨てて敵地に駆けだしたとしても、必ずだ。

 

 

 

 

 

 

 サトシが墓石の影から飛び出した瞬間、ピカチュウという邪魔者の相手をしていたガラガラは即座に反応し、首をサトシの方へぐりんと回転させる。

 それにつられ、ピカチュウもチラリとその方向へ視線を向ける。

 

 位置的にピカチュウの背後にいたサトシの暴挙に気づいたのはその瞬間。

 そして気付くと同時に猛スピードで飛び出したガラガラの足首をなんとか掴み、そのまま地面へ叩き付ける。

 

 顔から床に激突するガラガラだが、もはや痛む肉体も苦しむ表情も失ってしまっている。

 手で床を剥ぎ取りながら身体を引き摺ってサトシに飛びかからんとする。

 

 

 

「ぬおおおおおおお!!!!!」

 

 

 

 サトシは横を見ない。

 見たら否応なしに立ち止まるか全力でUターンしてしまう。

 だから、真っ直ぐ目標だけ見て、走り抜ける。

 距離にして数メートルといったところ。長い距離ではない。十歩も無いだろう。

 全力で走れば二秒か三秒でたどり着ける距離。

 

 距離だけ見れば、そんな大したことは無い。

 だが、体感時間はいかほどか。

 サトシの一歩で、あの化け物は一体どれだけ動けるのだろう。

 考えるだけで死ぬ未来しか見えない。

 

 故に、考えない。

 考えず、振り向かず、立ち止まらない。

 過去生きてきた中で最も死に近い数秒間。

 

 

 

 サトシの横一メートル程度の所でガラガラが地面に激突するも、前だけを見て全力で走る。

 

 そして自分の危機など意にも介していないブカブカの頭骨をかぶったポケモンをスライディング気味に飛び込んで抱きしめた。

 その勢いのまま、奥へと転がり込み、なんとかいくつかの墓石の間を潜り抜けて影に隠れた。

 

 

「ぐ・・・、ま、間に合った・・・―――」

 

 

 腕の中のすっぽり収まったカラカラは特に暴れることもなく抱かれるままになっていた。

 骨をかぶっているという若干不気味な印象とは別に、手触りはフワフワとしている。

 

 だが、そんな癒しの手触りを楽しむことはこの時のサトシには全く出来なかった。

 何故なら、先ほど何とかやり過ごした化け物がサトシに猛追を仕掛けてきているからだ。

 

「うわああ!やばいってやばいって!!!」

 

 右手でカラカラを抱きかかえたままじたばたと別の墓石の隙間へと身体を滑り込ませる。

 その瞬間、今までいた場所がいくつかの墓石ごと電柱のような尻尾で貫かれる。

 

 

 へっぴり腰で逃げ回るサトシだが、そんな様相で逃げられる相手ではない。

 いや、例えサトシが人間にしては筋骨隆々だったとしても、はるかに規格外な体躯を誇るガラガラの亡霊とは比べる方がおかしいというものだ。

 

 あっという間に距離を詰められる。

 絶対絶命の状況だが、ここにいるのはサトシとガラガラだけではない。

 主人の危機をしょうがなく守る存在がいるのだ。

 

 ガラガラの横っ面を黄色い閃光が貫き、ガラガラを大きく吹き飛ばす。

 

 

 

「ビガジューーー!!!死ぬかとおぼった!!!」

 

「ピッピカ」

 

 

 死にたがりの主人を持つと大変だ、と言葉にしなくても伝わってくる。

 だが、落ち着いてはいられない。なにせ相手は化け物。体力とは無縁な亡霊なのだから。

 

 

 ドガン、という大きな音と共に墓石を叩き壊して起き上がるガラガラの亡霊。

 一体いつまでこの争いは続くのだろうと辟易してしまう。

 しかし、解決手段も思いつかないのが現状だ。

 

 なんとか攻勢を凌ぐため、サトシは身構える。

 

 

 

「・・・・ん?」

 

 

 動かない。

 今までサトシを見ると考える余地も無く突進してきていたガラガラが、サトシの方をジッと見つめて微動だにしない。

 電池のきれたオモチャのようにピタリと止まってしまった。

 

 ピカチュウも急に止まってしまったガラガラに対して警戒したのか、サトシをかばうように立ち、その場にとどまっている。

 

 

「一体何が・・・って、おっとっと」

 

 

 手元からそんなに大きくない抵抗がある。

 咄嗟に目を落とすと、ぱたぱたと手足を動かすカラカラが見えた。どうやら降りようとしているようだ。

 

 

「あ、危ないよ、こら、って、あああああー」

 

 

 ちいさい身体はするりとサトシの腕から抜け出し、ピカチュウの足元をすりぬけとてとてとてとガラガラの方へ歩いていった。

 

 サトシも追いかけようとするが、ピカチュウが静止する。さすがに二度死にに行くような真似を許してはくれないらしい。

 折角救出した命が目の前で失われてしまうという未来が浮かび、唇をかみしめるが時すでに遅し。

 先ほどはピカチュウが相手をしていたからこそ何とか間に合ったのだ。

 正面から突貫して生き延びられるとは、楽観的に考えても到底思えない。

 

 サトシは小さな命が無くなることを覚悟した。

 

 

 

 

「――――・・・・え?」

 

 

 とてとてと歩いて行ったカラカラは未だに無事だ。

 というより、あの化け物の足元までたどり着いて自分の体長程もある足先にしがみついている。

 

 ガラガラはちょっと足を上げて再び下ろせばしがみついたカラカラをぺしゃんこにできるだろう。

 だが、先ほどから何故か微動だにしない。

 

 サトシの方を睨んでいた中身の無い双眸は、今は足元をじっと見つめている。

 

 

 時間だけが過ぎていく。

 サトシはもちろん、ピカチュウすらもどうしていいかわからずに大きな亡霊と小さな生き物を交互に眺めている。

 

 

 

 

 

 そして突然。

 

「カ、カラ、、カラカラカラカラ!!!!!」

 

 

 カラカラが大声で鳴きはじめた。

 

 

「カラカラカラ!!!カラカララカラカラカラ!!!」

 

 

 

「えええ!そ、そんな刺激すると!!!」

 サトシが身を乗り出そうとしても、ピカチュウが阻止する。

 自分の無力さを嘆きつつ、自分の命を顧みて抵抗はしない。

 

 さすがにもうピカチュウは守り切れないだろう。

 

 

 それでもピカチュウの横から身を乗り出すサトシ。

 

 

 

 

 だが、動かない。

 

 

 いや、それどころか―――――

 

 

 

 

 

「ち、縮んでない?」

 

 

 

 

 

 しゅるしゅるしゅると少しずつ小さく、それも血まみれの傷だらけだった身体の外面がボロボロと崩れ落ちるようにして。

 

 最後に残ったのは、カラカラよりも一まわりほど大きい姿。

 その姿は明確にクッキリと見えたわけでは無いが、泣き叫んでいたカラカラをすっと一撫でし、数秒して消えていってしまった。

 

 

 抱き着いていた何かが居なくなったため、カラカラはこてんと前にうつ伏せに倒れたが、先ほどの泣き声は消えていた。

 

 

 

 あまりにも突然のことで茫然としてしまっていたが、サトシははっと我に返ると小走りにカラカラの元へ向かった。

 ピカチュウは止めることはしなかったが、周囲への警戒はしているようだ。

 頼れる相棒である。たまには。

 

 

 

「カラカラ!!・・・あ、寝てる。」

 

 

 よもや死んでしまったのではと思ったが、スヤスヤと小さい身体を小さく上下してうつ伏せに眠っていた。

 

 

 

「でもなんでだろう・・・?ガラガラは消えちゃったし。」

 

 

 

 正直なところ胸を撫で下ろした。ガラガラが消えてしまった原因についてはわからないが、命を脅かす危険は去ったのだ。めでたい。

 

 

「とりあえず、連れて行こうか。ここに置いておくわけにもいかないし。」

 

 よっ、という声と共に再度カラカラを抱き上げる。

 今度はスライディングせずにゆっくりと。

 

 

「それにしても一体なんだったんだ・・・ピカチュウ―ありがとうー」

 

 

 溜息しつつ、自分の命をこの戦いだけで何度救ってくれたかわからない相棒の方へ視線を向ける。

 

 

「ピッカチャ」

 

 

 いつも通り理解できない返事をする。

 だが、サトシは何か違和感を覚えて改めて周囲を見回す。

 

 

 

「・・・・あれ?壊れて、ない?」

 

 

 

 

 先ほどさんざんブチ壊していた墓石が、元に戻っている。

 というよりも最初から壊してなどいなかったのではないかと思えるほどに、戦いの痕跡が一切無い。

 

 自分の身体は間違いなく転げまわりいくつか墓石にぶつかった痛みが残っているし、ピカチュウの手の怪我もその激しい攻防の証拠だ。

 あれらもすべて亡霊の仕業なのだとしたら、本当に今生きているのが不思議なくらいだ。部屋の中すべてが幻想だったとは到底思えないが、改めてこの状況に感謝する。

 

 階段の方に目を向けると、来るときにかかっていた黒いモヤも歪みもなくなり、嘘のようにスッキリした階段が姿を現している。

 シルフスコープを覗いてみてもこの部屋の中には何もいない。

 

 

「・・・不思議だけれど、無事でよかった。ピカチュウ、きずぐすり。」

「ピッピカチュ」

 

 ピカチュウの傷を簡易的に治療しながら、先のことを考える。

 もうなんか帰りたい気持ちでいっぱいだが、ここに来た目的をまだ達成していない。

 

 

 手元でスヤスヤ眠っているカラカラを眺め、相変わらずフワフワしている毛並みを撫でる。

 

 

「・・・ずっと撫でていたい。」

「ピカチャー」

 

 

 現実逃避しそうになる気持ちを抑え、少し休憩してから階段を上ることにする。

 

 次が最上階。果たしてふじおじいちゃんはいるのだろうか。

 

 

 

 

 




もうちょっと更新頻度あげたい。


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第百二十四話 最上階

「そろそろいこうか。」

 

「ピカチュー」

 

 そんなに長く休憩していられない。

 それに、ここにまたいろいろなモノが侵入してくる可能性もある。

 眠っているところを可哀想だが、手元のポケモンにはそろそろ起きてもらおう。

 

 

「カラカラ~朝だよ~」

 

 

 ゆさゆさと小さい身体を優しく揺らす。

 相変わらず手触りの良い身体だ。

 

 先ほどの亡霊に眠りから覚めない呪いとかかけられてないだろうかと懸念したが、うとうとしながら頭にかぶった骨を重そうに揺らし、起き上った。

 

「カラカラ、大丈夫?」

 

 

 頭をフラフラと振っていたが、徐々に定位置に戻ってきた。

 サトシの顔を見上げ、つぶらな瞳を頭骨の隙間から覗かせる。

 骨をかぶっているという状態は言葉だけ聞くと異常な気がするが、目の前のポケモンにおいてはその限りではなく、とても愛らしく見える。

 

「カラ、カラカララ」

 

 悲しそうな声をしているが、それは元からなのかもしれない。

 見た感じでは元気そうなのでここでお別れだ。

 

 

「じゃあね、カラカラ。あんまり危ないところいくんじゃないぞ。」

「ピッカチャ」

 

 カラカラに手を振りつつ立ち上がる。

 目指すは最上階だ。

 

「行こう、ピカチュウ。」

「チャー」

 

 ピカチュウに声をかけ、一歩踏み出す。踏み出せない。

 なにやら足が重たい。いや、金縛りとかそういうレベルの動かせないではない。数キロ程度の錘が右足首に巻き付いているような。

 

 

「・・・カラカラ?」

 

「カラ、カラカラ」

 

 ちいさいもふもふがサトシの足にしがみついている。

 その右手には特徴的な骨を持っているため、若干食い込んで痛い。

 がっしりとしがみついているのでかぶっている頭骨も若干ずれ気味だ。それもサトシの足に食い込んで痛い。

 

 

「・・・えい」

 

 

 右足を持ち上げる。数キロ程度なら多少力を込めれば上下できる重さだ。

 もちろんカラカラはしがみついたままだ。

 

 

 無言で足を降ろす。カラカラの位置は変わらない。サトシの足の上下運動と共に上下しただけだ。

 

 

 

「・・・一緒にいきたいの?」

 

「カラカラ!カララ!」

 

「うーん」

 

 

 サトシとしてはとても気が乗らない。

 何せ、先ほどのような命の危機は今回だけではないのだ。

 個人的には二度と起きてほしくない出来事ではあるが、残念ながらサトシは常日頃から命の危機とは日常的に付き合っているご近所さんなのだ。

 我ながらなんであんな出来事の後でこんなに平常心が保てているのだろうかと疑問が浮かぶほどだ。なんだかんだで危機的状況からの復帰は慣れつつある。実際は慣れているというか前に進むために頭の隅っこに追いやる術を身に着けただけではあるのだが。

 

 サトシの旅はドーピングポケモンと共にある。

 ノーマルポケモンも旅のお供にはいるにはいるが、サトシは過去自分の誤りで仲間の命を散らしている。

 このカラカラもその危険な旅路に連れて行けるかと言われれば、決してはいとは言えないのだ。

 

 だが、足を離してくれそうにないこの小さなポケモンはどうすべきか。

 ピカチュウに引きはがしてもらうのは簡単だが、なんとも気が乗らない方法だ。

 

 

 とするならば――――

 

 

「とりあえず連れて行こうか・・・ポケモンセンターに預けるっていう手もあるし。」

 

 しょうがないな、という溜息をよそに、その顔は若干笑顔。

 なんというか、ポケモンに愛されるというのはどんな状況であってもうれしいものだ。さっきのガラガラはノーカウント。

 あんな愛され方は嫌だ。

 

 嵐のような暴力を想い出し、背筋を震わせつつ、カバンから空のモンスターボールを取り出して足元に転がす。

 カラカラはそこでようやく足から手を離し、ぺしっとモンスターボールを空いている手で叩く。

 ボールが開き、赤い光がカラカラを包み、やがてボールに収まった。

 

 そのボールを拾い、サトシはにこやかに言う。

「よろしくね、カラカラ!」

 

 

 こうして成り行きな感じはすれども、新しいポケモンを捕まえたサトシ。

 そして今度こそ軽くなった足を踏み出し、ピカチュウと共に最上階へ向かうのであった。

 

 

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 他の階層よりも若干長い階段をゆっくりと緊張の面持ちで昇っていくと、上から声が聞こえてきた。

 どうやら上の階層では誰かが話し合っているようだ。そこにふじおじいちゃんはいるのだろうか。

 

 

「・・・だろ!いい加減に・・・ろ!!」

 

 

 喧嘩しているのだろうか?

 あまり厄介毎に首を突っ込みたくないんだけど。

 

 どの口が言うのか、とピカチュウが思ったかどうかは誰にもわからない。

 しかし上で何かでもめていることは間違いなさそうだ。

 ふじおじいちゃんが戻ってこなかった理由もきっとそれなのだろう。

 どんな理由であれ、ポケモンハウスにいた子供たちを安心させるためふじおじいちゃんには塔を降りてもらわなければならない。

 口喧嘩に第三者の自分が割り込むのは非常に気が引けるが、それも致し方あるまい。

 

 

 そう思いつつ、階段を上り切り、最上階の床からひょいと顔を出した。

 

 申し訳なさそうな顔だったが、その顔が苦悶の表情に変化するのに数秒と時間はかからなかった。

 

 

 

「・・・・ロケット団。」

 

 

 

 顔を出した先にはすでに見慣れた黒尽くめの服に身を包んだ数人の男たち。

 余りにも見覚えがあり、間違えようがない集団。

 そして、今は最も会いたくない組織ダントツトップのロケット団だ。

 こう行く先行く先でロケット団と関わることが多いと本当に嫌になる。

 ただでさえタマムシシティで命からがら抜け出せたというのに、またなのか。

 さすがにサカキはいないようだが、やっぱり関わると報告とかされるのだろうか。

 個人的には全員そのまま墓地に埋めてやりたいところではあるがここはポケモンを埋葬するための塔。人間はご法度だ。

 

 会いたくなかったが会ってしまったものは仕方がない。

 蹴散らしたいところだがサカキさんのこともある。なるべく穏便にできるなら―――

 

 

 

「なんだてめえ!!」「盗み聞きか!?」「ぶっ殺してやる!!!」

 

 

 

 前言撤回。

 見事な悪のセリフのハーモニー。

 黒い服に隠れて見えなかったが、よく見ると三人の黒服に囲まれた老人の姿が見える。おそらくふじおじいちゃんだろう。

 

 裏ポケモンを出されると厄介だな、と考えていたが、どうやら持っているのは通常のポケモンだけのようだ。よかった。

 よかったけど相手はロケット団。多少痛い目に合わせても問題ないよね?はっはっは。

 

 

 どんどん黒くなっていくサトシの性格を気に掛ける人間はおらず、黄色いでっかいのがいるのみである。

 

 

 



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第百二十五話 フジ老人

「大丈夫ですか?」

 

「おお、君は?」

 

「えっと、サトシといいます。ポケモンハウスの子供たちに頼まれて。」

 

「ああ、そうか。わざわざありがとう。子供たちには心配をかけてしまったようだね。」

 

「あなたがフジさんですか?」

 

「そうだよ。こんなところまですまないね。助けてもらったようだ。」

 

 

 ロケット団三人は特に問題無く撃退した。

 こちらのノーマルポケモンも随分と経験を積んでいる。なにせ相手がドーピングしているのにこちらの大半はノーマルなのだ。得られる経験値は尋常じゃ無い。

 その中でもクラブは最古参だ。サンドパンもとても優秀だ。かわいいし。

 コイキングとメタモンはさすがに戦う場所が限られているから先ほどのバトルではお休みだ。

 コイキングが戦っているシーンなど、過去に数度見られたかどうか、というくらいではあるが。

 持っているポケモンをすべて瀕死に追い込んだら「覚えてろよ!」というお決まりの捨て台詞と共に去って行った。

 オツキミ山の件があったので一応警戒していたが、裏のポケモンには精通していない正真正銘下っ端のようだ。

 ただ気になるのは―――

 

 

 

「何を訊かれてたんですか?」

 

 

 ふと疑問に思ったことを口にだすのはやめた方がいい。

 過去に散々な目に何度も会っているにも関わらず、サトシはまだ学びきれていないようだ。

 藪蛇という言葉をいい加減覚えた方がよいといつも考えておきながら肝心な時に忘れるのではまるで意味が無い。

 

 

 

「―――それは答える必要があるのかね?」

 

 

 

 フジの返答に先ほどの温和な雰囲気が含まれていないことに気づかない程サトシは鈍感では無い。

 そもそも訊くなという話ではあるが。

 

 

「あ、いや、そんなつもりでは、えっと、あの、ごめんなさい。」

 

 

 しどろもどろになりながらも悪気がないことを伝える。

 サトシは不器用だが嘘を吐ける性格ではないことが幸いして、フジ老人は警戒を解いてくれたようだ。

 

 

「いや、まあよいさ。きみ―――サトシくんだったか。助けてくれたことには変わりない。詳しいことを言うことはできないがお礼はさせてもらおう。」

 

 ニコリと笑顔になるフジ老人を見て、安心する。

 よかった、さすがに過去のジムのように「余計なことを訊くなブチ殺す」にはならないようだ。

 

 

「いえ、無事でよかったです。子供たちの所へ戻りましょう。」

 サトシはもう一刻も早くこの塔から出たかった。

 最上階とはいえ辛気臭い雰囲気は変わらないし、ロケット団とは比較にならない程のバトルを先ほど終えたばかりだ。すぐにでも休みたい。というか毛布にくるまって記憶を遡って恐怖を感じる未来が想像できるから美味しいものを食べて少しでもいい記憶を植え付けたい。

 

 

「うむ、そうだね。―――ところでサトシ君。下の階でカラカラを見なかったかね?わしと一緒におったのだが、急に逃げ出してしまってな。」

 

「ああ、それなら多分」

 

 サトシは腰につけたモンスターボールを一つ取り、足元に転がす。

 

 パシューという音と共に赤い光が小さい身体を作り出す。

 

「カラカラ」

 

 先ほど捕まえたカラカラだ。思えばなんであの場所にいたか不思議だったが、上から来たのなら納得だ。

 

 

「おお、無事だったか。よかった。おいで。」

「カラ?カラカラー」

 

 感動の再会。といっても一時間も経ってないだろうが、もしかしたら二度と会えなくなっていたかもしれないのだ。

 そもそも、下にいた化け物をフジさんは知っているのだろうか。

 

 

「あの、六階にいた亡霊、のようなものって知ってますか?」

 

 カラカラを抱き上げているフジ老人に話しかける。そもそもあんな化け物が陣取っていたならばここにたどり着くことなど到底無理だ。

 

 

「亡霊?わしが来る時には居なかったが―――どんな亡霊かね?」

 

「ポケモンの霊でした。えっと、その、傷だらけの、ガラガラのようでした。」

 

 一応ドーピングの事は伏せた。この老人がどこまで知っているのか定かでは無いし、まあ間違っている表現でもないだろう。

 

 

「傷だらけ・・・のガラガラ、か。なるほどのう。」

 

「何か知ってるんですか?」

 

 深い意味は無い。先ほどとは違って、これは訊いても良いだろうと判断した。

 

 

 フジ老人は少し考え、チラリとピカチュウの方を見て、そしてサトシの顔を見た。

 

 

「君は―――知っている人間か。やれやれ、こんな子供まで。嫌な世の中だね。」

 

 サトシは少し驚いた顔をする。この老人はやはりただの老人ではないようだ。ロケット団が押し寄せてきていた理由もそのあたりにあるのだろうか。

 

 

「そのガラガラ、ガラガラに見えたかね?」

 

 一般的には意味の分からない質問。だが今のサトシには十分すぎるほどに理解できる。

 

 

「・・・いいえ。その、こういう言い方は、していいのかわかりませんが」

 

「かまわんさ。言ってみなさい。」

 

 サトシは一息入れて、絞り出すように声を出した。

 

「・・・その、化け物のようでした。」

 

「――――そうか。」

 

 

 フジ老人はカラカラを右腕に抱いたまま、左手で自分の目頭を押さえると、俯いて黙ってしまった。

 

 沈黙。

 

 サトシはあのガラガラとこの老人とは何かしら関係があったのだろう、と察することができた。

 そしてもしかすると、抱いているカラカラも。

 無言の空間を不躾に壊すようなことはせず、サトシはフジ老人を黙って待ち続けた。若干不安だったピカチュウも珍しく空気を読んでくれたようだ。本当に珍しい。

 成長なのか気まぐれなのかはわからないが、成長であってほしい。

 

 

 頭の隅っこでそんなことを考えていると、鼻と目を少しばかり赤くしたフジ老人がサトシの方へ顔を向けた。

 

「―――すまないね。年を取るとどうにも感傷的になって仕方がない。」

 

「いえ―――」

 

 サトシはそれに対しての答えを持ち合わせていない。相槌を打つしかできない自分は、まだまだ未熟だなと思い知らされる。

 

 

「―――そのガラガラは、この子の親なのだ。一説には、子のカラカラは死んだ親の頭蓋骨をかぶる、などと言われているがほら話のようなものだね。」

 

「親・・・一体なんであんな・・・」

 

「簡単さ。――いや、君なら簡単にわかるだろう。ロケット団だよ。彼らが過剰にドーピングを施したのさ。そして、身体が耐え切れずに死んでしまった。一体なんの研究だったのか、それはわしにはわからない。だが、結果的に親のガラガラは死に、子のカラカラは残された。カラカラは孤独ポケモン、などと言われているが。親の存在が必要な時期もあるのだよ。なのに、親がいなくなってしまったこの子はどうすればいい。わしには答えが出せなかった。」

 

 ギリ、と歯を食いしばる。また、ロケット団は無駄に命を散らせているのか。それも親子でいるポケモンを離れ離れにするなんて―――

 

 

「そう怒るな、サトシ君。理解はできるのだ。わしも。たとえロケット団だとしても実験に犠牲は付き物だということは。それでサトシ君。そのガラガラの亡霊はどうなったのかね?」

 

 急に話を振られて少し驚いたが、サトシは先ほどのバトルの顛末を簡単に話した。

 

 

「そうか・・・よほど人間に恨みを残して死んでしまったのだな。それにしてもよく無事だったものだ。そのピカチュウ、かなり強いのだね。」

 

「ピッカピカ」

 

 自信たっぷりに胸を張るピカチュウ。

 それに対して安心しきれないのは仕方がないだろう。あのガラガラは明らかにピカチュウのことを相手にしていなかったのだ。

 本気でぶつかれば負けていたのでは、と思えるほどにあの亡霊は驚異的な強さを持っていた。

 

 

「わしはそのガラガラを埋葬しに来たのだよ。ほら、ちょうどその墓だ。サトシ君もお参りしていくといい。」

 

 フジ老人の指さす方を見ると、下層の墓石よりも随分と大きな墓石があった。

 静かに近づき、目の前でしゃがんで手を合わせた。

 

 きっとあのガラガラは自分の子供に誰も近づけたくなかったのだろう。

 特に、自分と子と離れ離れにさせた人間に対しては。

 

 殺されるかもしれないという程の激闘をしたが、サトシはガラガラを恨むことはせず、安らかに、という想いで黙祷をささげた。

 

 

 

「さて、そろそろ行こうかね。」

 

「はい。・・・あの、ちょっと訊いていいかどうかわからないんですが、訊くだけきいてみていいですか。駄目なら駄目でいいので・・・」

 

 恐る恐る、といった感じでサトシは尋ねる。

 サトシとしては会話の中にとても引っかかることがあったのだ。サトシの旅はポケモンリーグを制覇することが目的ではあるが、ロケット団のこと、Angel計画のこと、レッドのことなど多くの情報を必要としている。

 裏の事情を知っている人間がいたら少しでも話を聴いておいた方が良い。

 

 

「―――言ってみなさい。」

 

 少し間を置いたが、特に表情を変えることなくそう言った。

 

 

「さっきの話の中で、実験に犠牲は付き物なのは理解できる、と言っていたのが気になりまして・・・」

 

 

 先ほど、話を急に変えてはぐらかされてしまいそうだったが、この老人は「死んでしまったこと自体には怒っていない」と言ったのだ。

 その感覚は一般人において有り得ない思考であり、いくら普通の振る舞いをしても隠し切れるものではない。

 

 

「ふむ、言った通りだね。サトシ君、ここからは他言無用で願うよ。最も、言ってしまったら殺されてしまっても文句は言わないで欲しいね。」

 

 ものすごく物騒なことを言い、こちらの了承を得る事無く続きを話はじめた。

 

「詳しいことは言わないが、わしは元々研究者だ。随分と前の話だけどね。そこで随分と命を粗末に扱ったから、理解はできる、と言ったわけだ。」

 

「なる、ほど。そうだったんですね――――」

 

 

 ここで研究内容は訊かないほうがよいだろう。先ほどの言動から、このフジという人間が何かの研究者だったという話ですらトップシークレットだということだ。

 

 

 数秒の沈黙。

 これは会話の終了の合図だな、と判断した。

 これ以上は語るまいと空気が表している。サトシもこういう機微にもっとまめに気づけばよいのだが、なかなかそううまくはいかないものだ。

 

 

「じゃ、じゃあ戻りましょうか!子供たちが待ってますし!」

 

「うむ、そうだね。ほら、カラカラ。サトシ君のところへ戻りなさい。」

「カララ」

 

 ずっとフジ老人の右腕に抱えられていたカラカラは床にぴょんと飛び降り、サトシの元へとてとてと歩いてきた。

 サトシがそれを抱きかかえると、カラカラも抵抗することなく腕の中へ納まった。あっちからこっちと節操のないことだ。

 

 

「よーし、さっさと降りよう。怖いし。」

「ピカチャー」

 

 ピカチュウも同意のようだ。世の中は目に見えるものだけで回ってほしいものである。

 

「そういえば、エリカの言葉の意味はわからなかったな・・・やっぱり幽霊のことじゃないか。」

 

 そんなことを独り言ちながら、トコトコと階段を降りていく。

 

 

 フジ老人もその後ろを付いて行くが、階段を降りる前に立ち止まる。

 

 サトシ達がそのまま階段を降りていくのを少し眺め、今まで自分が居た室内を振り返る。

 

 

 部屋の一番奥を眺め、目を細める。

 

 

 

「ここは、何があってもわしが守る。誰の手にも渡すまい。だから安心して眠れ。ミュウ。」

 

 

 

 そう告げて、遺伝子研究の第一人者、フジ博士は階段をゆっくりと降りて行った。

 

 

 

 

 

 

 

 




フジ老人の設定はいろいろ調べましたが、おそらく真実だろうと思われるミュウの研究者説を採用しました。
詳しくはググってくださいませ(放り投げ


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第百二十六話 研究者の終着点は

「「ふじおじいちゃん!!!!」」

 

 ドアを開けてポケモンハウスの中へ入ると、二人の子供が飛びついてきた。

 勢いよく来た割にはフジ老人は狼狽えることなく二人とも受け止め、よしよしと頭を撫でる。

 

「おお、すまないな二人とも。心配をかけてしまったね。もう大丈夫。」

 

「ぶええええおじいぢゃんーーーよかっだーー!!」

「ぼじいぢゃんがえってごないどおぼっだー!!」

 

 鼻水と涙で顔面がぐしゃぐしゃの二人をにこやかに抱きしめるフジ老人。

 そして、それを後ろから笑顔で見守るサトシ。

 無事に再会できてなによりだし、こんなに喜んでもらえるなら頑張った甲斐があるというものだ。

 

 と、そう思ったが頑張った内容が命の遣り取りだったりするので今後こういう頑張り方はなるべく避けたいと思うサトシ。

 そしてそれに巻き込まれるピカチュウもピカピカと同意しているようだ。諦めているかもしれないが。

 最も今回は完全なる人助け。しかもここまで厄介事になるとは思ってなかったのだし。セーフセーフ。アウト?

 

 自分の中で謎の問答を繰り返している間に、フジ老人はすでに子供たちをあやし終えていた。

 

 

「サトシ君、感謝するよ。ありがとう。」「ありがとーー!」「ありがとーおにーちゃん!」

 

 満面の笑みを浮かべて感謝を述べてくる子供たち。

 子供の笑顔というのは周囲を幸せにする効果があるというが、まさしくその通りだと心から感じた瞬間だ。

 

「うん、どういたしまして。」

 

 こちらも笑顔で返事をした。

 

 

「さてサトシ君。先ほどのお礼だが―――そうだな、わしはもう使わないし、旅をしているサトシくんならば役に立つこともあるかもしれないね。」

 

 そういって部屋の隅に設置されている棚の引き出しを開けて何かを取り出し、サトシの手へ渡した。

 

「これは・・・笛?」

 

「そう、それはポケモンの笛と言ってな。眠ったポケモンを起こすことができる笛だね。」

 

「眠ったポケモンを?揺さぶるとかじゃダメなのかな。」

 

「ははは、至極最もな疑問じゃが、その笛は揺さぶっても起きないポケモンでも起こすことができる。朝寝坊なポケモンだって一発で起きるぞ。」

 

「ほえー!すごい。」

 

 

 ピカチュウはなんだかんだ早起きなので朝寝坊はどちらかというとサトシの方だが、さすがに人間に効果は無いだろう、と思う。

 戦闘中に眠らせる技があるらしいし、そういう時にも役に立つだろう。

 

 

「ありがとうございます」

 

「ははは、よろこんでくれてよかった。」

 

「ええーおじーちゃん僕もほしいー」「あたしもー」

 

「君らにはまだ早いねぇ、もう少し大人になったらかね。」

 

「ぶーいじわるー」「ぶー」

 

 

 なんだろう、すごく癒される。日常から離れて久しくこんなのほほんとした空間に出会っていない。

 血と憎しみに溢れた日常を送っているサトシからすると眩しすぎて直視できない。幼さは武器だ。物理的に。

 

 

「さて、サトシ君。実はわしからお願いがあってな。」

 

 一頻り笑った後、フジ老人はサトシにあらためて、と話をする。

 

「なんでしょうか?」

 

「カラカラを譲ってほしい。」

 

「―――カラカラを?」

 

「うむ。君が捕まえたのは事実だし、強要はしないがね。ただ、そのカラカラはわしの元に置いておきたいのだ。勿論タダで譲ってくれとはいわん。わしのポケモンと交換だ。」

 

「交換―――」

 

 

 ポケモン交換。そういえば聞いたことがある。

 パソコンでデータとして管理できる時代だ。交換というシステムがあってもおかしくはないか、と納得してしまったのを覚えている。

 

 サトシ自身、しょうがなく捕まえたポケモンであるし、なにより戦いに巻き込みたくないという想いがある。交換せずとも譲りたい気持ちだ。

 

 

「何と交換ですか?」

 

 当然気になるのがここだ。サトシ自身新しいポケモンとの出会いは大事にしたいと思っているし、なにより元研究者の持つポケモンだ。良いポケモンである可能性が高い。ひどく現実的な考え方だがサトシは変わってしまったのだ。致し方あるまい。

 

 

 

「そうじゃな。―――ではわしのゴーストと交換でどうかな?」

 

「ゴースト―――って、ポケモンタワーのゴースみたいな?」

 

「そう、ゴースの進化形だね。」

 

「幽霊も進化するんだ・・・」

 

「正確にはゴースは幽霊ではないけどね。ただ、ガス状の身体だというだけだ。死んだポケモンの姿、とも言われているけれどね。」

 

「は~そうなんですね。」

 

 

 ゴースト。

 よく考えれば最適解ではあるまいか。

 ガス状の身体で実体が無い。殴っても切っても通じない。もちろん特殊攻撃は効いてしまうが死ぬということは無さそうだ。

 それがドーピングをしたポケモンにも有効かどうかはわからないが、肉体のあるポケモンよりかは確実に生命を維持できる可能性は高いだろう。

 名前からしてもうこれ以上死にようがなさそうだ。成仏とかにだけ注意すればいいのだろうか。

 

 自分のポケモンが死んでしまうということを避けるため、サトシはポケモンを捕まえることをかなり避けてきた。

 別に使わなければいいだけの話ではあるが、捕まえてすぐにパソコンに預けてしまうというのも気が引ける。

 それにこの旅はすべてのポケモンを集める、という高尚な目的ではない。あくまでポケモンリーグ制覇だ。

 

 そういう意味でもこの交換は有意義と思えた。正直まだ幼いカラカラを慎重に連れて歩くよりもいくらかでも戦闘ができるポケモンの方が心強い。

 それにゴーストタイプ。レア度?サトシにとって貴重かどうかは二の次だ。なんせ命がけなので。

 

 

「いいですよ!」

 

「おお、では交渉成立だね。ではポケモンセンターに行こう。ポケモン図鑑を持っていれば交換できるのじゃが、わしは持っていないからね。」

 

「あ、トレーナーでは無いんですね。」

 

「ああ、そもそもわしの時代にはそんな便利なもの無かったからねえ。」

 

 なるほど、時代の進歩は凄まじく早いらしい。サトシも置いてかれないようにしなければあっという間にジェネレーションギャップを感じるに違いない。

 

 

「じゃあ、ちょっと出てくるよ。大人しくお留守番しているようにね。」

 

「「はーーい!」」

 

 

 ほほえましい光景を見つつ、サトシとフジ老人はドアをくぐり、ポケモンセンターへ向かった。

 

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

「はい、交換ですね!それではこちらの機械に交換するポケモンが入ったモンスターボールを置いてください!」

 

 サトシは頷き、カラカラの入ったモンスターボールを置く。

 フジ老人も持っているボールを反対側へ置いた。

 

「ありがとうございます!―――はい、確認できました!今モニターに映っているポケモン同士の交換でよろしいでしょうか!」

 いつも元気いっぱいのポケモンセンターのお姉さんのはきはきした声を聴いているとこっちも元気になるなあと思いつつ、モニターを確認する。

 そこにはカラカラとゴーストの姿が映し出されていた。

 

 

 フジ老人と顔を見合わせ、お互いに頷くとお姉さんもニッコリとして頷いた。

 

「それでは今から交換を行います!」

 そういって、機械についたパネルをピピピと操作すると、モニターの表示が変わり、交換の状況が映し出された。

 

 初めての経験で少し緊張したが、交換は無事に完了したようだ。

 

 

「はい!これで交換が完了しました!モンスターボールをお取りください!」

 

 機械に設置した自分のモンスターボールを受け取る。成程、ボールは変わらず、中だけ入れ替わるんだな。

 中が変わっている自分のモンスターボールをまじまじと見つめる。

 フジ老人もボールを受け取り、お姉さんにありがとうと伝えている。

 

 

「ご利用、ありがとうございました!」

 

 

 元気なお姉さんの言葉に送られ、ポケモンセンターを後にする。

 

 ポケモンハウスへ向かおうかとも思ったが、よく考えたらサトシはもうポケモンハウスに戻る用事は無い。

 あの子供たちに会ってしまったら別れを惜しまれてしまう気がするので、このまま別れることにした。

 フジ老人にもその旨話すと、それがいいね、と同意してくれた。

 

 

「それでは、ありがとうございました。」

 

「いやいや、それはこっちのセリフだよ。世話になったね。」

 

「ゴースト、大事にしますね!」

 

「―――ああ、そうだね。そうしてくれるとうれしい。」

 

「?はい、もちろん。」

 

 ちょっと間が空いたのが気になるが、まあわざわざ訊くことでもないだろう。

 

「サトシ君は次の目的地は決まっているのかね。」

 

「――ああそういえば決まってないですね。」

 

 我ながらノープランだ。まあ特に理由が無ければ次のジムがある町にいくまでではあるが。

 

「ふむ、それならヤマブキシティがいい。カントーで一番発展している街だ。それに、ポケモン関連の開発を一手に担っているシルフカンパニーがある。きっとなにか発見があると思うよ。」

 

「ヤマブキシティ・・・あこがれの都会・・・いいですね。」

 

「それに、ヤマブキシティにはジムが二つあってね。一つは公式ジムでジムリーダーはナツメ。もう一つは非公式なジムがあると聞いた。詳しくは知らないがね。」

 

「非公式ジム?そんなものがあるんですか。」

 

「うむ――――まあ、表向きは楽しめるだろうね。」

 

「・・・表向きは、ですか。まあそうですよね・・・はは」

 

「ははは、それが君の選んだ道なのだろう。何があっても焦ってはいけないよ。落ち着いて考え、行動するんだよ。」

 

「はい、ありがとうございます!」

 

「はは、老人は別れ際のおしゃべりが多くてしょうがないね。それではまたどこかで会おう、サトシ君。」

 

「ぜひとも!」

 

 

 サトシはフジ老人と握手を交わし、別れを告げる。

 ヤマブキシティはシオンタウンを西側に通り抜けていけばたどり着く。タマムシシティに行くときに一度通った道だ。

 

 何度も振り返って手を振るサトシとピカチュウを笑顔で見えなくなるまで見送るフジ老人。

 

 

 そして、サトシにはもう聞こえないだろう距離があき、小さくつぶやく。

 

「さて、あの少年はどうなるか。年老いた研究者にできたことは、あのポケモンを渡すことだけか。年は取りたくないものだね。」

 

 

 すでに見えなくなったサトシを追うように目を凝らし、その方向を見定める。

 

 

「さて、子供たちの元に戻るとしよう。わしの命の使い道はすでに決まっているのだから。」

 

 

 誰に向けるでもなくそうつぶやくと、年老いた研究者はゆっくりと自分の帰りを待つ者の元へ戻っていった。

 

 

 

 

 



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第百二十七話 新たな仲間は友になれるか

「ここを歩くのは三度目だね、ピカチュウ。」

「ピカチャー」

 

シオンタウンからヤマブキシティへ向けて、現在のんびり歩いているサトシ一行。

一度往復している道なため、特に戸惑うことも無くゆっくりまったり歩いている。

時間的にはもうそろそろ日が落ちようかというところ。

たまには夜の行軍もよいかなとも思ったが、野宿は嫌なので今日中にはヤマブキシティまでたどり着きたいところだ。

野生のポケモンが生息してそうな深い草叢が広がってはいるが、基本的には平坦な道のりだ。一度通ってしまえば迷うことも無い。

 

ちなみに、シルフスコープはカバンの奥深くにしまってある。見たいと思わないし、見えても困る。死を偲ぶことは大事だと思うが、この世とあの世が交わって良い事など無いとサトシは思った。

ポケモンタワーの一件でシルフスコープの性能が発揮されすぎてしまったため、なおさらだ。

 

ピカチュウがたまに装着したがってカバンを漁るが、力づくで拒否する。

無論、すぐに負けて滑稽な顔をしたピカチュウが優柔不断にうろうろする謎のモンスターが誕生するわけだが。

 

 

「ピッピカチュ」

 

「ん?どうしたのピカチュウ」

 

 

なんとかピカチュウからシルフスコープを遠ざける方法は無いだろうかと考えていたサトシの肩をツンツンするピカチュウ。お腹すいたのかな?

 

「ピカピカ」

 

「ん?ああそっか。」

 

ピカチュウの指さす方向はサトシの腰あたり。つまりモンスターボール。

ようやくピカチュウが入る気になったかと期待したかったが、言いたいことはこれだろう。

 

「ゴースト、会っておかないとね。」

 

「ピカピカチャ」

 

フジ老人と交換で手に入れたゴースト。

そういえばまだボールから出していない。しっかりと交流しておかないといざってときの連携が難しくなるため、命に関わるバトルばかりのサトシにとっては必須な事だ。

サトシはモンスターボールを腰から外し、近くの地面に転がした。

モンスターボールが開き、赤い光が飛び出す。

すでに見慣れたその光がポケモンの形を作り出す。

 

そして生まれたポケモンは。

 

 

 

 

 

「・・・・・誰?」

 

 

 

 

ゴースト、と言われれば顔はそんな感じがするが二足歩行の丸っこいポケモンが姿を現した。

色もほぼ同じ濃い紫。だが、ゴーストはその名の通りゴーストっぽく浮いていたがこのポケモンはしっかりと地面に立っている。

ニタリ、という音が似あいそうな笑顔をサトシに向けたり、きょろきょろ夕暮れ時の景色を見たりしている。

 

「フジさんと交換したのはゴーストだったハズだけど・・・」

 

不思議に思ってポケモン図鑑を向けるサトシ。ポーン、と気の抜ける電子音を響かせて目の前のポケモンの情報をしゃべりだす。

 

『ゲンガー シャドーポケモン いのちをねらう標的の影に潜むといわれている』

 

 

「・・・それだけ?」

 

本当に図鑑なのか?と思えるほどに情報が少ない。こうなったら―――

 

 

 

 

『おおおーおサートシィー!!ひっさしぶりじゃのー!全く連絡が無いんで寂しかったぞガハハ』

 

「すみませんオーキド博士、いろいろ大変でして・・・」

 

『なあに気にするな!元気に生きておることがわかってなによりじゃわい!』

 

相変わらず元気な人だなと思う。だがそれに助けられることが多いのも事実だ。

 

『ところで何か用事かね?』

 

「実はポケモン交換でゴーストをもらったハズなんですが、ボールから出してみたらゲンガーっていうポケモンに変わっていてどういうことなんでしょう?」

 

『随分混乱しておるな!それはもちろん理由があるぞ!特殊進化というやつじゃな。』

 

「特殊進化?」

 

『そうじゃ。捻りも何もない名前じゃが、特殊な進化形式のことじゃ。これについてわかっていることはかなり少ない。』

 

サトシはピカチュウと戯れているゲンガーをチラリと見て、ポケモン図鑑へ再度顔を向ける。

 

『まず一つ、この特殊進化するポケモンは四種類しか発見されておらん。そしていくら育てても進化しないという。進化するのは、他人の手に渡った時、というのが通説じゃな。』

 

「他人の手に渡った時?そんなことで進化するんですか?」

 

『最もな疑問じゃな。じゃが、信憑性は高いぞ。確かに目撃例は少ないが、所持しているトレーナーも居ないわけでは無い。サトシは運がよかったのう!』

 

「なるほど、そういうことだったんですか・・・」

 

『うむ!バッジは残り四つじゃな!頑張るんじゃぞ~』

 

「ありがとうございます!博士!」

 

『ではの~』

 

プツンという音と共に、オーキド博士の顔が消え真っ黒な画面に戻った。

 

サトシは図鑑をしまって立ち上がり、ゲンガーの元へ向かう。

 

 

サトシが近づくと、ピカチュウとゲンガーが反応してこっちを見る。

 

「ゲンガー、よろしくね!」

 

「ゲン?ゲンガーガ」

「ピカピ?チャーピカピ」

「ゲンガー、ゲンガガー」

「ピカピカピー」

 

なにやらピカチュウとゲンガーが話し始めた。

 

サトシは首を傾げて、その行動を見守る。

 

何度かピカチュウとやりとりをすると、ゲンガーはサトシの方を向き、眺めている。

 

「ゲンガー?どうしたの?」

 

サトシが問いかける。

 

数秒後、ゲンガーは手で自分の目のあたりを押さえ、大きく舌を出した。

いわゆる『アッカンベー』というポーズに似ている。

 

 

「えええ!!なんでアッカンベー!?」

 

サトシが驚くと

 

「ゲギャギャギャギャ!!!」

 

お腹を押さえて笑い出した。

 

「え?え?どういうこと???」

 

 

サトシが混乱している中でゲンガーは笑い転げている。

 

そして急に倒れた。

 

 

「!!!ゲンガー!?」

 

 

慌てて近づいて倒れたゲンガーを見下ろしてみると

 

 

「ガー ガー zzz」

 

いびきをかいて眠っていた。

 

 

「・・・・どういうこと?」

 

 

 

サトシはゲンガーと仲良くなれるか若干不安になった。

 

 




ゲンガーは萌えキャラ。


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第百二十八話 通行止め

みじかめ。


 サトシとピカチュウがヤマブキシティへの入口についたのは、すでに周りが暗くなり、月が煌々と輝いている時間だった。

 他の街とは違い、東西南北に関所が設けられていている。怪しい奴が通らないようにするというやつだ。

 サトシ一行は、旅する十四歳とドアをくぐるのも大変な二メートル四十センチの巨体。あやし・・・くはない。きっとセーフ。セーフだと思いたい。

 

「夜になっちゃったね、ピカチュウ」

「ピーカピー」

 

 同意してくれているのか楽しんでいるのか悲しんでいるのか暇なのかお腹すいたなのか、未だによくわからない返事だがまあいつも通りなので特に気にしないようにしている。お腹すいてるなら勝手にリュックを漁り始めるし。

 よく考えたらポケモン同士、鳴き声は全然違うのに内容が通じているのは何故だろうか。鈍りみたいなものなのか。

 僕の言葉は通じているようなので、ポケモンというのは例外なく自動音声翻訳機能がついているということか。便利そう。

 しかし、そんなどうでも良いことを漠然と考えている時間は無い。サトシ個人としてはなかなかに頭の痛い問題があった。

 

「ゲンガー、どうしよう・・・」

 

 サトシの目の前でアッカンベーをして爆笑して爆睡してしまったゲンガー。

 押しても引いてもウンともスンとも言わないので、どうしたもんかと思った。

 手に入れたばかりのポケモンの笛を使おうかとも思ったが、別にバトル中でもないし、無理に起こして不機嫌になられても困る。

 仲好さそうに話していたピカチュウを見てもどこ吹く風だ。サトシに合わせて首を傾げて遊んでいる。

 

 こんな道のど真ん中で立ち止まって野宿するわけにもいかないので、とりあえずゲンガーはモンスターボールに戻し、そのまま進むことにした。

 うんうん悩んで歩いているうちに瞬く間に暗くなり、結果、夜の行軍となってしまったわけである。

 

「とりあえず、ポケモンセンターまで行こう。さすがにもう夜遅いし。」

 

 そう判断すると、すでに目の前まできていた関所―――窓から光が漏れている小さい建物の中へ入っていった。

 

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

「ここは通行止めだよ・・・はぁ」

 

「通行止め?」

 

 

 中に入ると、本来はシャキッとした人が管理をしているのだろうが、ぺっとりとテーブルに張り付くようにしている人が居た。

 なんかこのまま強行突破してもいけそうな気がするが、さすがに気が引けるので話を聞いてみる。

 

 

「ヤマブキシティで何かあったんですか?」

 

 

 質問したサトシを疲れた身体をゆっくりと起こして見る管理人。

 よく見るとヒゲがまばらに生えている。しばらく帰れていないのだろうか。

 

 

「何か、ねえ。何かはあったんじゃないかな。その何かがわからないんだけどね・・・はぁ。」

 

「何かがわからない?わからないのに通行止めなんですか?」

 

「真っ当な疑問だと思うよ・・・それよりもキミ、何か飲み物もってないかい。喉が渇いたんだけど交代がいなくてね・・・」

 

「あ、それは大変。どうぞ。」

 

 

 先ほどから随分疲れた様子だったのはそれが原因だったのか。

 それは無駄に動きたくなくなるのもわかる。水分不足は疲れの原因なのだ。特に長時間動いたりしている時には。

 サトシはリュックからタマムシシティで買い込んだおいしい水を数本出し、管理人に渡した。

 

「おおお、ありがとうキミ。早速いただくよ。――――ゴク、ゴク、ゴク。ぷはー」

 

 おいしい水ではあるが、本当においしそうに一気に飲み干した。本当に喉が渇いていたようだ。

 

 

「ふう、ありがとうキミ。さて、通行止めの理由だけど、本当にわからない。いきなり連絡がきて、誰も通すなって。訳が分からないけど、無視することもできなくてね。東西南北どこの関所も同じみたいだ。」

 

「そんなことって・・・」

 

「うん。僕はここを離れることはできないし、キミ、様子みてきてくれない?他の人には黙っとくから。」

 

「え?いいんですか?」

 

「どうせバレやしないよ。連絡があってから誰一人として来てないんだから。飲み物のお礼だよ。通りたいんでしょ?」

 

 

 嬉しい誤算。タマムシデパートの飲み物が安いからと大量買いしておいたのが功を奏したようだ。

 貧乏生活に変わりは無いが。収入源がジムからの報酬しか無いというのが辛いところだ。ピカチュウと一緒に大道芸でもやって小銭を稼ぐか、と思ったがお手玉にされるサトシを想像してやめた。稼げそうではあるが。

 

 

「ありがとうございます!街の様子を見てきます!」

 

「うん、飲み物ありがとう。」

 

 

 二本目のおいしい水をちびちびと飲みながら見送ってくれた。

 関所を抜ければあこがれの大都会、ヤマブキシティだ。ポケモンジムが二つあり、ポケモン技術開発のトップ、シルフカンパニーもある。

 なんというか是非見学させてもらいたいものだ。ピカチュウが入りたがるようなボールがあったら是非購入したい。

 

 そんな憧れと希望を抱きながら、サトシは夜のヤマブキシティへ足を踏み入れるのだった。

 

 

 

 

 

 



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第百二十九話 問題点とゲンガー

「うわーー!でかい!ひろい!明るーい!」

 

「ピカピカ」

 

 

 上京したばかりの田舎者発言をしたのはもちろんサトシ。

 関所から出て少し歩くと、目の前には見上げるほどのビルが所狭しと並んだ大都市ヤマブキシティ。

 いくつか一軒家らしき住居も確認できるが、大半はビルとなっている。

 サトシが今まで見た高層建築物はタマムシデパートが最も大きいが、それを上回る建物が指で数えられないくらい存在していることにまったく現実感が得られなかった。

 

 そしてその中でも街の中心からにょきっと頭を出している最も背の高いビル。おそらくあれが噂のシルフカンパニーだろう。

 街のどこからでも見えるのではと思えるほどに巨大な建築物は、世界の中心地はこの建物なのではないかと錯覚してしまうほどに存在感がある。

 

 その大きさを表現する例えを持っていないサトシが考えていたことは「マサラタウンがいくつ入るんだろう?」なので、比較対象がカントーに無いのも頷ける。

 

 シルフカンパニー含め、多くのビルからは夜遅いにも関わらず光りが漏れている。

 恐らく娯楽施設もあるだろうし、仕事をしている人もいるのだろう。そのどれもがサトシにとってはキラキラして魅力的なものに思える。

 実際はデスマーチをしている会社員などという人種が存在しているだろうが、サトシはまだそのことを知らない。もっとも、サトシ自身もリアルデスしそうになることが頻繁にあるので理解したところで自分よりはマシと感じるかもしれないが。

 

 

「ピーカ」

 

「あ、そうだね。ポケモンセンターに―――」

 

「ピーカピー、ピカピ」

 

「え?―――ああ、ごはんね・・・」

 

 

 サトシにとって未来の情景の中でドキドキと胸が高揚していたが、一気に現実に引き戻すピカチュウ。

 加えて、食事と金銭問題という現実を直視しなければならないという状況。

 流通盛んそうな街に来たからといってサトシの財布が膨らむわけではないのだ。

 

 さすがにこの時間に散策するのは気が引けるので、近くにあったオレンジ色の看板の丼ぶり屋に足を運んだ。

 安い金額でなかなかに美味しかったが、ピカチュウが特盛を二杯とトッピングをたらふくつけた所為で出費事体は普通のレストランとあまり変わらなかった。いい加減自炊を考えるべきだろうか。

 自炊できる環境があればの話だが。台所ポケモンとかいないかな。

 真面目にそんなことを考えたサトシだが、お腹は膨れたのでいい加減ポケモンセンターへ向かうことにした。散策は明日だ。

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 ポケモンセンターに到着し、特に傷ついたポケモンもいないのでそのまま宿泊施設へ向かう。

 いつも思うがポケモントレーナー向けに宿泊施設があるというのは非常に助かる。ホテルなど毎度泊まることはできないし、ポケモンを預けることもできない。

 旅人向けなので普段使う人は少ないが、おかげですぐに使うことができる。お世辞にも寝心地が良いとはいえないが野宿するよりマシだ。

 

 ピカチュウと共に個室に入り、ベッドに腰掛ける。

 そして久々に今後のことを考える。最近起きたことが多すぎて、考える時間が無かったのだ。ピカチュウはもう寝てる。

 

 

 

「タマムシシティでのこと、結局エリカの言った言葉についてはわからず仕舞い。まあこれは想像してた通りかな。」

 

 見えないものを見ることが大事。その見えないものについては全く分からなかったが、それは幽霊のことでは無かったようだ。案の定ではあるが。

 現実に存在するかしないかということでは無く、もっと抽象的な、比喩的な表現なのだろうか。

 だが、これについては考える余地が無い。頭にとどめておく程度でよいだろう。

 

 

「ロケット団については、しばらくは関わらない方がいいね・・・事情によるかもしれないけれど」

 

 

 タマムシシティでの一件。まさかのサカキさんがロケット団のボスという事実。当然口外していないし、出来ない。絶対消される。もちろん物理的な意味で。

 そもそもロケット団へ関わる理由は私怨のみだ。その理由が小さいとは思わないし、絶対何かしらで復讐してやりたいとは思うが、今は我慢すべきだ。

 中途半端な準備で臨むには相手が巨大すぎる。それをタマムシシティのロケット団アジトで痛いほど思い知らされた。

 ボスがサカキさんというのも問題だが・・・それは今は考えないようにしよう。

 

 

 

「シオンタウンのポケモンタワーでのこと。」

 

 頭が痛いことにこれもロケット団が関与していたようだ。

 動機としてはフジさんを迎えにいくという簡単な話だったハズだが、何故か命の遣り取りになってしまった。

 ガラガラの亡霊との戦いは熾烈を極めたが、これも元はと言えばロケット団が原因。ロケット団許すまじ。

 フジ老人が元研究員という話も気になるが、これも考えたところでわかる事では無い。精々、「ロケット団が欲しがる情報を持っている研究員」だということ。

 ・・・すごく重要な情報な気がするが、これも記憶の底に封印しておこう。

 よく考えるまでもないが、サトシは世の中の闇の部分のすごく重要なところをいろいろと知ってしまっているようだ。

 ピカチュウがいなかったら一度や二度どころではなく死んでいることを考えると、ここまで知ることができる人はほぼいないのだろう。

 嬉しいやら悲しいやら。

 

「レッド、そしてAngel計画について。」

 

 マサキに聴いた情報から進展無し。これについては調べようが無いし考えようも無い。マサキから得られただけでも儲けものだろう。

 なみのりで荒波を乗り越えられるようになるにはセキチクシティのジムバッジが必要らしいし、ハナダの洞窟に行けるのはまだ先か。

 サカキさんならAngel計画について知っているだろうか・・・いや、やめとこう。すごく危険な気がする。

 

 おさらいはこれくらいか。

 そして現状だが――――

 

 

「ヤマブキシティ、いたって問題が無さそうに見える。」

 

 

 そう、この街は閉鎖されているのだ。

 東西南北どの関所からも入れないし、出られない。

 サトシとしてはなにか事件に巻き込まれてるとか巨大怪獣が出現してるとか人が全員石になってしまったとかそういうことを想像していたのだが、街の中は別段変わったところが無いように思えた。

 到着したのが夜だから、という可能性もあるが、それにしても普通だ。

 混乱している人もいなければ閉鎖しているお店も無いように見えた。

 しかしそれでも通行止めがされており、それを指示した人間がいる。これはどういうことなのか。

 とにかく明日、散策すれば何かわかるかもしれない。後回しだ。

 

 

 

「そして、今一番重要な問題。」

 

 そう呟くと、モンスターボールから一体のポケモンを出す。

 室内を赤い光が数秒照らし、出てきたのは

 

「ガーーzzz ガーzzz」

 

「まだ寝てる・・・はぁ」

 

 

 そう、ゲンガーだ。

 このポケモン、ずっとこれである。

 今までこんなことがなかったため、どうして良いかまったくわからない。

 良くも悪くもポケモンに愛されてきたサトシにとって、手がかかるポケモンというのはどうして良いかわからないのだ。

 コイキング?あれは手はかからないからいいのだ。

 

 さすがに寝すぎなのでポケモンの笛を使おうかと何度も思ったが、サトシの良心がそれを阻止する。

 起こしたところで重要な何かをするわけでもなし。結局サトシは何もできずにいる。

 

 

「フジさんにどういうポケモンなのか訊いておけばよかった。」

 

 後の祭りである。しかしよく考えると、現状でもできることがあった。

 

 

「そうだ、ポケモン図鑑。レベルとかステータスとか技とかはわかるハズ。」

 

 

 ポケモンを数字として見ないサトシにとってはあまり使ってこなかったものではあるが、技の確認はしとかなければ。

 それによってバトルでどう使えるのかが変わってくる。

 

 そう思いついて、サトシはリュックからポケモン図鑑を取り出し、ガーガー寝ているゲンガーに向けてみる。

 ポケモン図鑑の画面にゲンガーの情報が映し出される。なんとも便利な道具だ。シルフカンパニー万歳。

 

 ふんふんと頷きながら図鑑の画面を見つめる。

 情報、ステータス、技の順番で見て、再度繰り返してみる。そしてもう一度繰り返す。

 

 四度目を見ようと思ったが、さすがにもう見間違えではないと認識したのか顔を上げて寝ているゲンガーを見る。

 

 

 

「・・・すごくつよい気がする。」

 

 ドーピングポケモンに慣れたサトシにとって、ステータスはさほど重要ではないことがわかっている。大事なのは技の使い方だったり作戦だったりするからだ。ステータスの低いノーマルポケモンで圧倒的な勝利を飾っているレッドが良い証拠だ。

 しかし、レベルが七十を超えていることに関してはさすがに動揺せざるを得ない。

 

「レベル七十二。フジさん、一体どれだけ育ててたんだろ・・・こんな強いポケモンを交換するなんて。よかったのかな。」

 

 他のゴーストと間違えたのでは?とも思ったがあの強かな老人だ。そんな初歩的な間違いを犯すはずはないだろう。

 サトシへのささやかなプレゼントということでありがたく受け取っておこう。

 

「技は、えっと、さいみんじゅつ、ゆめくい、ナイトヘッド、サイコキネシス。催眠術はなんとなくわかるけど、他のはどんな技なんだろう。」

 

 

 技についてもポケモン図鑑で確認できるようだ。すごく便利。

 

「『ゆめくい』眠っている相手の夢を食べて、体力を削る。・・・起きたら疲れてる感じ?」

 次を調べる。

「『ナイトヘッド』相手に幻影を見せてダメージを与える。自分のレベルによって威力が上がる。・・・幻影でダメージ?黒歴史を見せて精神的ダメージとか?」

 頭を捻りながら次を調べる。

「『サイコキネシス』超能力で相手を攻撃する。・・・・どんな?」

 

 

 調べてもあまりよくわからなかった。

 サトシの頭が悪いのか、それとも技が高度なのか。

 特にナイトヘッドがわからない。でも、レベルが高いほど威力が高いならこのゲンガーならすごく強いに違いない。

 

 

 問題があるとするならば、まだゲンガーが寝ていることだろうか。

 

 

 

「・・・ちゃんと戦ってくれるのかな?」

 

 

 一抹の不安を覚えたが、まあなんとかなるかなと淡い期待を抱き、随分と時間が経過した時計を見て、電気を消してベッドに潜り込むサトシだった。

 

 

 

 

 

 

 




ゲンガーっょぃ


さて、すでに全編で40万字を突破しておりますが文庫化してほしい人とかいるんでしょうか。
そうなったら挿絵とか自分で描けるしすぐ作れそう。

希望者が多ければ作りたい。

コメントで残すかツイッターでDMくれるかとかリプるとかしてくれればうれしいです。

文庫化しなくても続きますとも(^ω^)


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第百三十話 悲劇再び

 サトシがポケモンセンターから出て、ヤマブキシティを散策し始めてすぐに異常さに気が付いた。

 昨日は夜だから気付かなかったが、ここはカントー随一の大都市ヤマブキシティであるにも関わらず、外を出歩いている人が極端に少ない。

 そしてその理由もすぐに理解することになった。

 

「ロケット団―――」

 

 

 全部ではないが、多くの建物の入口でその出入りを見張っている黒服達。

 その服装は嫌になるほど見慣れていて、最も嫌悪感を示すものだ。

 この街はどういうわけか、ロケット団に占拠されている。

 そして、これもどういうわけか、特に暴動らしい暴動も起きず、静かに時が過ぎるのを待っているように感じる。

 これだけ大きな街であれば自警団などもあるだろうし、騒ぎが起きている様子も無い。

 なによりロケット団がヤマブキシティを占拠しているなどという情報はどの街にも流れていなかった。

 ここ最近の話なのだろうか?

 

 と、そこへタバコを咥えた男性がフラフラと散歩をしているのを見つけたサトシ。

 その空間だけ切り取ったら占拠されている街での行動とは思えないが、だからこそ何か有力な情報を持っているかもしれない。

 

 急ぎ足で男性に近づき、声をかけた。

 

 

「あの、すみません。」

 

「んあ、誰だいあんた。見ない顔だな。」

 

 ぷー、と咥えたタバコを吹かし、サトシの顔を見て立ち止まる。

 

「あの、ヤマブキシティで今何が起きてるか知ってますか?」

 

「なに、あんたは知らないの。この街にいれば誰だって―――ああ最近入ってきたのか。どんまいだな少年。」

 

「どんまい・・?あの、何が起きてるか教えてもらっていいですか?」

 

「何、って―――見たまんまだよ。ロケット団に占拠されてんの。笑えるよな。ははは」

 

「いや、確かにそこかしこにロケット団はいますけど、なんというか、占拠されてる割には自由というか、おじさんも。」

 

「まだおじさんって歳じゃねー。おにいさんってよべ。」

 

「おにいさん。」

 

「おう、良い子だ。まあこの街が落ち着いてるのは理由があるのさ。」

 

「理由?」

 

「いわゆる犯行声明ってやつ?なんだかわからんが、シルフカンパニーの社長と話したいんだと。だからそれが終わるまで騒ぐな、余計なことしなければ何もしない。ってな具合さ。」

 

「シルフカンパニーの社長とロケット団が?一体なんの用事で」

 

「そこまではわかんねー。まあ、変なことせず静かに普通にしてればそのうち終わるんだから、とりあえず静かにしてようって話だ。」

 

「なるほど・・・シルフカンパニーには入れるんですか?」

 

「そりゃ無理だ。街中はいろんなとこでロケット団がちょこちょこ見張ってるが、シルフカンパニービルだけはガッチリと入口を見張りで固めてる。なんか用事があるんならしばらく静かに待ってたほうがいいぜ。」

 

「そうですか・・・わかりました。ありがとうございます!」

 

「おー、ヤマブキシティを楽しんでってくれや。今は無理だけどな。ははは。」

 

 

 雑に手を振りつつ、燃え尽きたタバコを手持ち灰皿につっこみ、新しいタバコに火をつけて、また男性はゆっくり歩いて行った。

 

 

 男性を笑顔で見送った後、すぐに眉間に皺を寄せてブツブツとつぶやくサトシ。往来に人がいないのが幸いだが、ヤマブキ本来の喧噪があるならば完全に不審者だ。

 

「うーん、どうしようかな。何もしなければ関わらなくていいっていうのは今の状況ではとても助かるんだけど。」

 

 現段階でロケット団と関わるとロクなことにならないのは明白だ。

 しかもシルフカンパニーの社長と会話しているとなれば当然幹部クラスは来ているだろう。絶対に会いたくない。

 もしかしたらサトシの顔も割れている可能性があるし。

 

 

「ピカチュウは何かアイデアある?」

 

「ピカピ?ピッカッピー」

 

「そうだねあはは」

 

「ピカチャー」

 

 

 会話が成立しているようで全く成立していない。会話のドッジボールだ。ようするにぶつけ合い。

 サトシ自身もまったくわかっていないが、なんとなくうんうんとわかったフリをするのが日常である。

 

 

「まあでも、シルフカンパニーのビルまで行ってみようか。せっかくのヤマブキシティだし、散歩くらいはいいでしょ。」

 

「ピッカチュ」

 

「よーし、散策しよう!ピカチュウは目立たないようにね!無理だけど!」

 

「チャーピカ」

 

 

 いろいろな恐怖を経験してきたサトシにとって、命の危険が無い行動は意外と平気になっていた。

 経験というものはかくも素晴らしいものなのだ。鈍感になったとも言うが。

 

 

 

  ―――――――――――――――――――

 

 

 

「ふあー、でっかい。」

「ピッカピ」

 

 

 シルフカンパニーから数十メートル離れたところでサトシは上を見上げている。

 どうせならもっと近くの正面で見上げたかったところだが、この距離でも黒服連中が睨んでくるのでわりと限界だ。

 あまり刺激したくないし、何かされたらサトシ自身も自制が利くか怪しい。なるべく関わらないのが吉だ。

 

 

 しかし守りが固いと言っていた割には見張りの数は少ない。

 街を一通りぐるっとしてきたが、ビルの入口やポケモンジム、普通の家など主要な建物以外にも見張りはそこそこ立っていた。

 広い街を見張るとなればそれだけ人数が必要になるということか。

 事実、シルフカンパニーの入口を見張っているのは三人程度だ。

 まあ実際、大人しくしていれば何もしないと言っているのにわざわざ殴り込むやつはいないということだろう。すごくそう思う。厄介事は避けるに限るのだ。

 

 

 感情先行のサトシらしからぬ冷静ぶり。それだけタマムシシティのアジトでの一件が心に残っているということだ。ロケット団コワイ。というかサカキさんがコワイ。

 

 

 

「さて、シルフカンパニーも見たし、そろそろ戻ろうかピカチュウ。ピカチュウ?」

 

 

 サトシが硬直する。

 なんだろう、胸騒ぎがする。すごく懐かしい感じだ。忘れたころに来る嵐のような。

 安心は天敵だとか。油断は死を意味するとか。なんかそういう体験を何度かした気がして、そのたびにもう油断しないとか考えていた気がする。

 

 

「―――いない!どこ!!うわあああん!!!」

 

 

 上空含めて全方位を見渡すサトシ。

 そして、見つけた時には案の定。

 

 

 

 

 

 

 ピカチュウが音も無くロケット団員を三人とも気絶させてしまった後だった。

 

 

 




ブックマーク1000超えありがとうございます(^ω^)
でも評価☆いれてくれてる人が70人くらいしかいないんだぜ()

もっと評価してくれると作者のモチベが上がります。
よろしくお願いします(土下座)


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第百三十一話 侵入

「どうしてこうなった。」

 

「ピーピカチュ」

 

 

 ここはシルフカンパニー三階のとある室内の物陰。

 何故こんなところにいるかというと、もちろん隠れているからだ。

 バカでかい黄色いのは入口の死角になる部屋の隅に押し込んでいる。とりあえず悪びれるつもりもなければ反省するつもりも無いらしい。現状も楽しんでいるようにしか見えない。

 

 そして、何故隠れているかという原因については、もはや思い出したくない程に後悔の塊だ。サトシに非は無い。あるとすれば、あの筋肉達磨が勝手に動くのを止められなかったことだろう。

 

 

「なんでこんなことに・・・・はぁ」

 

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

 三十分前。

 

 ピカチュウがチョップで気絶させてしまったロケット団員三名。

 その時点で逃走を計れていたのであれば、ここまで状況が悪くなることはなかっただろう。

 ということはつまり、サトシは犯行現場から逃走することは適わなかったわけだ。

 

 

「ピカチュウ―!!!なにしてんの!!!うわーん!!!」

 

 サトシが悲痛な叫びをあげる。その声に反応し、ピカチュウはちらりとサトシに顔だけ向ける。

 

「ピカチュウ!逃げよう!もう行こう!たのむから!ぷりーずごーほーむ!」

 

 サトシの必死な声に心を動かされたのか、ピカチュウはくるりと胴体をサトシの方へ向けた。

 

「ピカチュー!わかってくれー――」

 

 そして右腕だけで鍵がかかったガラスのドアをメキメキメキバーンという音と共に破壊した。

 

「ビガヂューーーー!!!!!」

 

 もはやコントのような展開だが、サトシにとっては笑いごとでは無い。さらに悪いことに、ぶち壊したドアの向こうへひょーいと乗り込んでいくピカチュウを見たサトシは泣き崩れそうになるメンタルを何とか維持し、ピカチュウを追いかける。

 これぞサトシがこの旅で得た極意、「ええいなるようになれ!」である。

 強くなったのか弱くなったのかはわからないが、ピカチュウをこのまま放っておくとさらに悪い状態になる気がする上に、サトシのボディーガードが居なくなることはさらにマズい。

 結局のところサトシはピカチュウについていくしか選択肢が無かった。どっちが主人なのか。

 

 

 ひしゃげたドアを潜り抜け、シルフカンパニー一階のロビーに入る。

 なるほど大企業なだけはある。非常に大きな空間にシャンデリアのような煌びやかな照明器具。鏡かと思えるほどにピカピカに磨き上げられた床。

 種類のわからない観葉植物が存在感を放っており、カウンターの中には受付のお姉さんの頭だけ見えている。中で座っているのだろう。

 そして当然ながら、黒尽くめの衣装をまとった犯罪集団もいるわけで。

 

 

「おい!てめえらなにもんだ!?外の見張りはどうしぶげら」

 

 

 何かしゃべっている間にピカチュウが撥ね飛ばした。交通事故かと思えるほどに綺麗な放物線をえがいてキレイな床を唾液で汚しながら滑って行った。

 そりゃーもちろん、団員は一人だけのハズも無く、一匹みたらなんとやら。わらわらと奥から湧いてでる黒尽くめ。

 そしてもちろんこう言うのだ。

 

 

「なんだてめえ侵入者か!ぶっころたわば」

 

 

 デジャヴュか。先ほどと同じ光景がサトシの目の前に広がる。違いがあるとするならば,今度は観客が五、六人おり、異常事態を伝えられる人間がいたことた。

 

 

 

「し、侵入者だーーー!!!!」

 

 

「やばいってピカチュウ!逃げないとピカチュー!!!たのむ動いてーーー!」

「ピッピカチュ」

 

 

 やれやれという感じでようやくサトシの方へ戻ってくるピカチュウ。やれやれはこっちだ。それもとびっきりのやれやれだ。

「入口はもう駄目だー上に逃げるしかないー!」

 

 ブチ壊して入ってきた入口はすでに立ちふさがれ、手にはくの字に折れ曲がった金属。

 威嚇かと思えばもう撃ってる!撃ってるから!

 

「ピカチュウ速く!階段で上に!!」

 

 焦りながら叫ぶが、ピカチュウはすでにサトシのすぐ後ろにいる。なんせサトシの百倍くらい速いので。

 

 

「殺せえええ!侵入者だ!!!」「追いかけろ!」「何人かやられたぞ!」「ボスへ報告を!」「うだらあああ!!!」

 

 

「ひいいい!!」

 

 

 サトシとピカチュウは階段を駆け上がり、三階に入る。

 人がいないのを確認し、空いている部屋へ飛び込んで隠れたというわけだ。

 三十分経った今も、出るに出られない状況のため息をひそめてしょんぼり座っていた。

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

 

「社長、いい加減に話を聞く気にはならないかね。」

 

「何を言われてもロケット団へ協力などできんよ。」

 

 威圧感を込めた声に対し、あっけらかんと、されど強い意志を感じられる声でハッキリと答えた。

 

「シルフカンパニーにとっても悪い話ではないハズだ。」

 

「君達に関わるということがすでに悪い話だろう。」

 

「・・・平行線だな。」

 

「ああ、そうだな。」

 

 

 平行線。このやりとりを幾度となくやってきたが、それもそろそろ限界か。

 

(こうなればあの手段を使うか・・・)

 

 そう考えた時

 

 

 プルルルルルル

 

 

「・・・失礼。」

 

「かまわんよ。」

 

 

 部屋は出ず、その場で電話に出る。

 

「私だ。交渉中に連絡をするなと―――何?・・・そうか、わかった。引き続き探せ。見つかったら私の元へ。ああ、そうだ。―――頼んだ。」

 

 プツッ

 

「終わったかね?トラブルかね?」

 

「いえ、まあ、そうですね。少し五月蠅くなりそうですよ。」

 

「構わないさ。どうせ何も進まないのだから。」

 

「私としてはもう少し進んでほしいのですがね。」

 

「無駄な時間だな。ところで何が起きたのかな?」

 

「侵入者だそうです。」

 

「ほう?ヤマブキの人間では無いな。どんなやつかね?」

 

 

 

 

 

「・・・バカでかい人型の何かと、少年だそうですよ。」

 

 

 

 

 




トライバルデザイナー GAI(中の人)

tw→@kamibukuro18


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第百三十二話 ピンチは運で乗り越える

サトシ、シルフカンパニー攻略なるか。


「くっそぉ、いねえぞ!」「どこに行きやがったあのガキと・・・何?」「えっと、あのデカい・・・何?」「とにかくガキとデカい何かだ!」

 

 

(ど、どうしよう・・・)

 

 

 サトシはまだ隠れ場所に潜んでいる。

 というのも、逃げてすぐに室内に飛び込むとは思っていなかったらしく、上層の方から探索が進んでいるようだった。

 しかしそれも時間の問題。すぐに三階の探索が始まるだろう。

 今逆に一階に戻って脱出するというのも考えたが、入口はすでに塞がれているだろうし、そもそもピカチュウが逃げ出す選択肢を取らせてくれるかどうかが甚だ疑問だ。

 逃げさせてくれるなら最初からこんな暴力的に乗り込んだりはしないだろう。

 せめて見つからないように慎重にとかだったら考慮の余地があったが、ドアをバリバリガシャーンと破って乗り込むなんて考える必要も無く逃げることを考えてない。

 まあロケット団のこともぶちのめしているのだから向こうの味方というわけでもないだろうが、さすがに今回は逃げられる自信がない。

 きっと監視カメラとかに映っているだろうから指名手配とかもされちゃうんだ・・・・はぁ

 

 

 と、超絶ネガティブに陥るサトシ。

 当事者のピカチュウは部屋の隅っこに体育座りしている。

 反省していると思いきゃ、顔は笑顔だし耳もぴょこぴょこさせているので反省はしていないだろう。

 まあそれはいつものことなので半ばあきらめ気味だ。

 問題はこれからどうするか、である。

 

 

 

「うーん、何か使えそうなものは無いかな・・・なんだろう、ロケット団全員馬鹿になる道具とか。」

 

「ピーーカチュ」

 

 そんな道具は無い、と言わんばかりのタイミングでピカチュウが声を出すが、それも無視する。今はそれどころではない。

 とりあえずネガティブなことを考えるのは一旦止めて、周辺散策をする。

 暗い室内を手探りで探す。整理はされているが整頓はされていない感じの、モノが多い場所だ。

 テーブルの上によくわからない書類が詰まれていたり、壁に据え付けの棚にはなんだかわからないものがごっちゃりと入って無理やり閉めてある。

 開いたら大変なことになりそうだ。

 

 端の方ではよくわからない大きい機械がゴウンゴウンと低い音を響かせながらチカチカとランプを光らせている。緑色に光っているランプを見ると、正常に動いているということだろう。

 

 大きな音を立てそうな場所は避け、ゴソゴソと散策を続ける。当然役に立ちそうなモノはそう簡単に見つかるはずはない。

 

 

「うーん、やっぱり無駄かな・・・でももうちょっと」

 暗くて見えづらい中、ゴソゴソと目標無く探し続けるサトシ。

 別に何かを探しているわけでは無い。ただ、単純に外に出るのが嫌だったからなにかしら行動していれば気がまぎれるというだけだ。

 

「ロケット団を全員全裸にする道具とか無いかな~っと」

 

 そこまで広くない室内を歩き回る。数分も持たずにぐるりと一周してしまい、元の場所に戻ってくる。

 そして深いため息を一つ吐く。

 

「まあ、そううまくいくわけないよね、ピカチュ――『ガーン!!ガラガラガラガシャーン!!!ゴトッガコン』――う?」

 

 溜息をついた姿勢のまま、ゆっくりと音のした方へ顔を向ける。ギギギギと錆びたロボットが出す音が聞こえそうなほどぎこちなく。

 

 

 視線の先には、先ほどまでパンパンにいろいろなものがつまっていた棚。

 今は唯一の枷だった棚の扉が開け放たれ、中身が無残にも床に散らばっている。

 その扉に自慢げに手をかけているのは部屋の隅っこに縮こまっていたハズのでっかいの。

 この暗い空間においてもその蛍光色は目立つ。見間違えることも無くて便利だ。この場でなければ。

 

 だらだらと汗をかき、息をのむサトシ。そして当然のように聞こえてくる怒鳴り声と、大きくなっていくドタドタという複数人が走る音。

 

 

 部屋の出口は一つだけ。

 今出たところで捕まるのは必至。

 そして捕まったら死亡確定コース。都合よくピカチュウが助けてくれることを期待できるほど楽観主義者でもない。

 しかし逃げ道は無い。隠れる場所も無い。

 

 

 

「あががががどうしようどうしよう!!!」

「ピカピッカ」

「ピカピッカじゃないよもう!うわー」

 

 バタバタとピカチュウを追い回すサトシ。それをひょいひょいと躱してくるくると部屋を回る。

 外の足音はもうすぐ近くに迫っている。

 

 

「ああああー!!!もう駄目!」

「ピカピ」

 

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

「うおらああここか!出てこいクソガキ!!」「ぶっ殺してやる!」「こんなところに隠れてやがって!」

 

 

 怒声と共に閉じていたドアが思いっきり叩いて開かれる。

 ドアを壊す勢いで開いた所為で、内側の壁に激しく激突し、ガーンという大きな音を出して止まる。

 室内を通路側の照明が少しだけ明るく照らす。

 

 

「・・・あれ?いねェ。」

「さっき間違いなくここから音がしたよな。」

「ああ。ガシャーンって。」

「隠れるような場所もねえ。咄嗟に逃げたのか?」

「んじゃこのフロアにいるハズだな。探すぞ。」

「おう。手間取らせやがってクソガキと、なんかでかいやつ。」

 

 

 一通り話すと、ロケット団員数人は音がした部屋から離れ、別の場所を探しにいった。

 

 

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

 

「一体、何がおきた?」

 

「ピーピカチャ」

 

 

 サトシとピカチュウは、別の部屋にいた。

 先ほどまでいた暗い部屋ではなく、ここは白い人工的な光が室内を照らしている。部屋の大きさも先ほどの倍近く広い。

 設備はそこまで変わりないようだが、相変わらずゴウンゴウンと低く唸る機械が壁一列を陣取っている。

 

 ぐるりと見回すが、出入り口用のドアが一つ設置されているのみで、他に入れる場所は無さそうだった。

 

 天井を見ても穴らしきものは無いので、落とし穴という線も無い。

 

 

「・・・何が起きたんだろ。」

 

 

 そうつぶやき、考えるためにうつむいて思考を働かせようとしたら―――

 

 

 

「・・・・おや?これはなんだろ。」

 

 

 なにやら四角い縁取りの幾何学模様が床に描かれている。一メートルは無い、一辺六十センチメートルくらいだろうか。

 それくらいの模様が床に存在している。

 

「・・・・あやしい」

 

 見渡してみても、他の床にはこのような模様は無い。

 サトシとピカチュウがいた場所にある一つだけ。

 

「いやでもまさかね?そんな技術があるハズが」

 

 疑心暗鬼になりつつ、しかし可能性として有り得るのではと考えている仮説。

 

「もしかしてこれ、ワープゲート的な?」

 

「ピーカピーカ?」

 

 そんな未来的な技術があるのだろうか。

 いや、この世の中何があってもおかしくは無い。なんせポケモンという生物を電子データで保存できる時代だ。

 ましてや今いる場所はその技術の最先端、シルフカンパニーの中なのだ。

 しかしそれでも、信じがたい。

 人間を別の場所に転送する機械など。

 

 

「もし、もしも本当にそうだとして、今これを踏むのは無謀な気がする。」

 

 そう、仮にワープゲートだとしたら、この向こうではサトシを追っていたロケット団がうろついている可能性が高い。

 

 

「うん!やめよう!ここはロケット団いないみたいだし、すこし脱出方法を考えることが「ピッカー」でき?」

 

 急に独り言に割り込んできた甲高い声を出す生き物に気を向けると、四角い模様の上によいしょっとばかりに足を踏み入れていた。

 

 

 そして、軽い光が四角い模様に沿って走ったと思ったら――――

 

 

「消えた・・・」

 

 

 跡形も無く、ピカチュウがその場から忽然と消えてしまった。

 

 

「うわ、光った。」

 

 

 そしてすぐに再び模様が光ったら――

 

 

「でてきた。」

「ピッカーチャ」

 

 

 数秒前までいたピカチュウが元通り。よかったよかった。

 

 

 しかし肝が冷える。

 ピカチュウの自由さは今に始まったことではないが、正体のわからない仕掛けで離れ離れになるのは今後は避けたい。

 

 

 とにかく、この模様は別の部屋と繋がる仕掛けのようだ。

 つまり、向こうからこちらへも移動できるということ。今のところロケット団はこの仕掛けに気づいていないようだが、早めに移動する方がよさそうだ。

 

 

 サトシはそう判断し、静かな今のうちに場所を移動することに決めたのだった。

 

 




評価してくださるとランキングとかそういうのに結構影響するっぽいのでありがたいです。


――――――――――――――――――
トライバルデザイナー GAI(中の人)



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第百三十三話 紅い部屋

グロ注意。
グロ注意。マジ注意。

言ったからね?



 サトシは紅い部屋にいた。

 

 その色は本来の壁紙の色では無く、大きなバケツでペンキをぶちまけたように壁を前衛的に彩っている。

 この部屋はアートを展示する部屋なのか、と錯覚する程に現実離れしており、赤と白のコントラストで埋め尽くされた室内はそれに応じたオブジェも展示してあった。

 

 六畳間ほどのそこまで広くない室内の真ん中に鎮座していたのは亀の甲羅のような、大きいオブジェ。

 ちょうど人が跨って快適に乗れそうな大きさの甲羅。そして亀ならば本来あるハズの四肢と頭部の位置には何もなく、夥しい量の赤い液体が今もドクドクと床を汚している。

 元々の色がわからないほどにそのオブジェも真っ赤に染まっており、地上の物とは思えない、地獄にある岩を表現しました、とこのオブジェの作者が言いそうなグロテスクな見た目をしている。

 

 部屋に満ちた吐き気を催す程の鉄臭さが拍車をかけてその不気味さ、気味悪さを強調させる。

 思わず鼻を手で覆う程に濃密な臭いはその場からすぐに去りたくなるが、その不快感を忘れさせてしまうオブジェの数々と紅白のコントラストの強さが足を止めさせ、身動きをとれなくさせる。

 最も大きいオブジェから視線を外せば、対照的に小さいオブジェの数々が目に付く。

 そのどれもが赤黒い色に染まっているが、やはり形が前衛的で目を惹きつける。

 一体どのような脳みその持ち主がこのような造形を生み出せるのか、考えてもわかるものではない。

 少なくともいえることは、普通の神経ではないということだ。

 

 会議テーブルの上に円形に並べられているのは、何かの輪切りのようなものだ。

 だが、直径二十か三十センチほどの歪な円形の輪切りが五枚、ちょうど咲いた花に見えるように丸く並べられている。

 当然すべて赤く染まっており、輪切りというにはお粗末な程切り口がズダズタだったが、その歪さが芸術性を強調しているとも思える。

 

 そのテーブルの下には大量のナイフが突き立てられた平べったい何かが横たわっている。

 形としては、そう、亀。ウミガメのヒレのような、船を漕ぐオールのような、葉っぱのような、そんな流線形の形をしている。

 元々の色は水色だったのだろうか、と思考できる程度にほんの少しだけ赤黒いペンキから逃れている隙間があったが、すぐに垂れてきたペンキに覆われて元の色も見えなくなった。

 十本以上が刺さっているであろうこの物体も、何か現代社会の風刺でも表現しているのだろうか。前衛芸術というものはまだ理解できないのだが、恐らく今後も理解できることはないだろうなと感じる。

 

 一定の法則なく床に散らばっているのは白い硬質な何か。

 人と比較するとサイズは非常に大きいが、形や色を見ると歯や爪のように見える。

 材質上液体を表面に留めている量が少ないようだが、床に万遍なく広がった赤い水たまりに浸っており、飛び石のようになっていた。

 そしてよく見ると白い欠片の端には赤い肉のようなものがこびりついており、なかなか凝った作品なのだろうか、と感じた。

 

 赤と白のコントラストが描かれた壁面に目を移すと、一層赤が強調された空間にいくつかのオブジェが貼り付けられていた。

 ああ、あれはきっと骨をイメージして作られたものだなとすぐにわかったのは、長い脊椎のような形をしたオブジェだ。

 細長い肉の塊、尻尾のようなもの、が半分ほど切り裂かれ、内部の骨格が引き摺りだされている。

 それが左右対称になるように、そして半分の境界がしっかりと見えるように万遍なくナイフで壁に固定されており、まるで高級な部屋にある動物の剥製やら毛皮やらそんな感じに壁を飾っている。

 斑に赤い液体がついているが、周囲の壁がほとんど赤で埋まっているためそこまで目立った感じはしない。安定感のある色合いだな、と芸術家気取りで頷く。

 

 こまごまとした柔らかそうなものがところどころ床に散らばっていたりいくつかが串刺しにされて置いてあったり、投げつけたのだろうか、壁にこびりついていたりするが、サトシは壁の中央に貼りつけられた最後のオブジェに目を奪われていた。

 

 

 

 

 何かの、頭部。

 

 

 バスケットボール大ほどの大きさの、何か動物の頭部が壁に飾られている。

 うすい水色で且つ大きな口を見ると人の頭ではなさそうだ。

 筋肉を切られているのか、顎は閉まることなくだらりと力なくぶら下がっており、正面を向いているハズの角度にも関わらず視線が無いのは、双眸が抉り取られているからか。

 どこにあるのだろうかとじっくり見ると、ぶら下がった下顎の中に放り込まれていた。見つかってよかった。

 

 頭部には当然首があって然るべき。明らかに人よりも長い首からは先ほどの骨のオブジェのように途中から脊椎が露わになっており、美しい幾何学構造を見せつけている。

 未だに滴り続ける赤い液体が時間の流れを感じさせ、芸術作品に時間という概念を付加した瞬間美を作り出すことに成功している。

 この作品を見ることができたのは行幸と言えるのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 と、そこまで無意識に考えてしまったのは仕方のないことだと言える。

 この幼気な少年にとっても、あるいは経験を積み重ねた老人であっても、目の前の空間に存在しているのは初めて見るモノで、想像すらしえなかったものだ。

 

 動物に鏡を見せると映ったものが自分だと認識できずに混乱するという。

 世の中、信じがたいものに対しては動物だろうと人間だろうと思考を停止させるか錯乱するかの選択肢しか存在しない。

 

 

 だが、そこらの大人よりも濃密な死の香に覚えがある少年が現実に戻ってくるのにそう時間はかからなかった。

 

 

 そして、途端に視界がぐらりと揺れる。

 急激に胃液が逆流し、我慢できない吐き気を催す。なんとか口を押えて留めるが、目に映る地獄のような光景と充満した生臭い鉄の臭いに、油断するとすぐにでも周囲にぶちまけそうだ。

 過去に多くの死を見てきたサトシではあったが、ここまで凄惨なものは初めてだ。

 この室内にあるものはポケモンだったものに違いない。

 そして、ただ殺すには飽きたらず遊んでいる。

 そう、死体で遊んでいるのだ。

 

 過去、殺すことを喜びとした人間はいた。裏の世界においても、わかりやすい狂気ではあるだろう。

 当然認めることも納得することもできない事ではあるが、客観的に、第三者視点で見て、ポピュラーな狂気と言える。

 

 だが、これは何だ。

 

 殺すことではなく、死体そのもの。

 命を絶つことではなく、命で遊ぶ。

 いや、おそらくその両方。

 

 殺す過程も、殺した後も、余すことなく楽しんでいる。

 

 もはや甲羅をもつなんらかの生き物であったことしかわからないほどにバラバラにされている。

 そして明らかに、飾りつけをしている。

 大きな生き物であるため、その血液量も半端では無い。

 サトシの足元でピチャリと音がするほどの血だまり。

 これらを見ながら、まるで砂場で遊ぶ幼児のように無邪気に遊んだのだ。命を。

 

 知らず知らずのうちにサトシの全身は震え、頭痛が増し、涙が止まらない。

 

 サトシを襲う過去の記憶。憎悪。殺意。

 

 一体どんな神経をしていればこのような残虐非道なことができるのか。

 ロケット団とは、一体何なのか。こんなことに目的があるというのだろうか。

 

 壁に括り付けられたポケモンの頭部。

 その中身の無い双眸を強く見つめ、嗚咽を零す。

 

 

 わかっている、これは自分の所為ではない。

 自分がどうこうして回避できた問題ではない。それはわかっている。

 だがそれでも、何故なのか。何なのか、この感情は。

 

 

 

「ぐ、うううう、があああ、あ、あああ」

 

 

 声にもならない声を出す。

 震える身体を自分で抱きしめ、血に汚れることも厭わず、床に跪く。

 

 

「ごめん、ごめん、なざい・・・・」

 

 

 涙と鼻水と涎で顔をぐしゃぐしゃにしながら、相手のいない謝罪を続ける。

 

 

 そして、その背中に大きな手が添えられる。

 

 

 

「ぐあ、びがじゅう、うう、ぐう、ああああ」

 

 

 

 

 

 これは狂気だろうか。

 サトシには何も原因はないし、責任も無い。

 ただ、サトシの知らない場所で命を無残に散らしたポケモンがいた、それだけ。

 

 正義に狂う、ある老人がイメージしたサトシの狂気像そのもの。

 だが、誰が否定できようか。

 心優しい少年。この未熟な少年を狂っていると断言できる人間がいるとするならば、それこそ狂気であるのではないか。

 

 

 サトシの中では、何もかもがぐちゃぐちゃになっていた。

 正義も、悪も、感情も、自分も、世界も、価値観も、何もかも。

 

 人間とは何なのか。

 ここまで残忍なことが平然と実行できるものなのか。

 

 

 

 サトシにとって、過去最大の感情の揺れが襲い掛かっていた。

 

 



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第百三十四話 感情の渦

サトシ、過去最高にいろいろとピンチ。


「き、きみ・・・」

 

 未だ嗚咽を零しているサトシに、部屋の隅から消え入るような声が聴こえたのは幻聴ではなかった。

 部屋に入った時点では気づかなかったのはこの部屋の衝撃たるや、というところだろう。

 部屋の隅で血に塗れて震えていた研究員に気づかなくても仕方がない。

 

 声の方を眩む視界と頭を駆使して眺めてみると、真っ赤に染めた白衣を纏ったやせぎすの研究員が自分の足を抱えて部屋の隅で震えながら、度の強そうな眼鏡越しにこちらを見ていた。

 

「あなたは・・・?」

 

 サトシも何かにすがるような気持ちで返答する。

 何かを知っている人であるハズだが、それを知ったところでどうなるのかとサトシの中で葛藤が渦巻く。

 それでもこの現状、何か話せる相手がいるというのは精神的に多少の救済になることは本能的にわかっていた。

 

「わ、わたしはシルフカンパニーの研究員、です。きみは何故こんなところ、に?」

 

「・・・僕は成り行きというか、いや、それよりもこれは一体何が・・・」

 

 

 なるべく視界に入れないようにしたところで鼻を突く生臭い刺激臭は嫌でも先ほどの情景を掘り起こす。

 それに部屋全体に飛散した血液はどこを向いても視界に入る。

 

 

「―――・・・地獄のようだった。わたしは一体どうすれば弔えるのだろうか。こんな、こんなバラバラになっては集めて埋葬することも難しい。泣きながら眺めていることしかできなかった。」

 

「・・・」

 

 

 この惨劇は研究員の目の前で行われたようだ。それが知れただけで、胸が苦しくなるし、涙が止まらない。

 

 

「ロケット団が、わたしの目の前で、ラプラスを・・・研究所で飼っていたポケモンを・・・・いきなり引き裂いて・・・ぐっ、ううう」

 

 目の前で自分のポケモンを惨殺される苦しみというのは如何程のものだろうか。

 サトシ自身、眼前で自分の愛すべきポケモンを失った苦しみは理解できる。

 だが、その命を弄ばれる経験まではしていない。切り裂かれ、串刺しにされ、抉られ、ばら撒かれる。

 想像するだけで吐き気がするものを無理やり見せられ、聞かされたこの男は何を思い、考えたのだろうか。

 

 今まではロケット団がどのような悪行を繰り返しているのか、という情報については、自分の体験とテレビ越しのものしかなかった。

 ゆえに、甘く見ていた。偶然、自分だけが酷い目にあったのではないかと。テレビでやっている情報は誇張表現で、どこか遠い場所でのお話だと。

 

 それらは、すべて真実で、むしろ誇張どころか抑えて伝えられていたのだと。

 同時に、サトシの中を怨恨の炎が沸き上がる。

 わかっている。実力不足な事は。それでも、もはや自分の枠の中の問題では無い。

 許してはいけないのだ。例え相手が誰であっても。悪は駆逐されるべきなのだ。

 

 

「僕、先に進みますね。」

 

 

 跪いて赤くなったズボンを気にせず、ゆっくりと立ち上がる。くちゃ、と音がして、それがもともと生き物の中にあったものだと考えるとものすごく違和感を覚えた。

 血液の鉄臭い臭いが充満している室内だったが、サトシは覆っていた鼻を解放し、ぐっと我慢して空気を吸い込む。

 咳き込むほどに強い死の香り。研究員はすでに麻痺しているのだろう、先ほどから口鼻を覆ってはいない。

 サトシはぐっと気を引き締め、室内を見渡す。

 瑞々しい赤に染まった室内と、苦しみと悲しみに包まれたポケモンだったモノ。

 到底長時間直視できるものではない。まともな神経を持ったものならば数秒とて意識を失う程の空間。

 

 されど、意識を絶つわけにはいかない。

 この光景をしっかりと焼き付けておかなければならないのだ。

 奥歯にヒビが入るのでは、と思える力で噛みしめ、手のひらに爪が食い込み傷がつくことも厭わずに強く拳を作る。

 目に、鼻に、脳に、肌に、焼き付ける。

 それがサトシにできる唯一の供養。

 

 

 先ほどのサトシの言葉に、研究員は反応しない。

 俯いたまま、えぐ、えぐ、と嗚咽を零している。

 

 ちらりと研究員に視線を移し、そして部屋の隅にあるワープゲートを確認する。

 

 そこにはあまり血が飛散していなかったのと、薄くついた血痕の上に足跡が残っていたことですぐにわかった。

 そして同時に、一部のロケット団員はすでにワープゲートのことに気づいていることもわかった。

 

 

 バラバラになった身体の一部を横目見ながら、ピチャピチャと足音を立てて進む。

 ピカチュウの顔を見ることはしなかったが、続く音が聴こえるのでついてきてはいるようだ。

 

 そして立ち止まることなく、赤い部屋を後にした。

 

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

 

 ゲートを抜けると、清潔な匂いに思わず空気を大きく吸い込む。

 そして、ダンスを踊ったかのように乱雑についた血の足跡が嫌でも目に付き、そしてその足跡の持ち主もすぐに発見できた。

 

 

「ぎゃははははは!!ああーたのしいたのしい!!ぎゃはははははははは!!」

 

 

 こいつだ。疑いようも無い。黒であるはずの服装が真っ赤に変わり、手も足も顔も自分のものではない血液がしたたり落ちている。

 サトシを憤怒の炎が襲い掛かる。

 

 

「過去あんなにたのしかったのははじめてだーー!!!こう、サクっと、ぴゅーっと!うはははは!!!ぎゃははは!!!」

 

「黙れ!!!糞野郎!!!!」

 

 

 サトシの方を見向きもしなかった男がピタリと止まり、首だけサトシの方を向く。

 その眼は大きく見開き、血走っている。口は左右に限界まで突っ張って笑っている。

 顔中にべっとりとついた血で臭いも相当するハズだが、それすら楽しんでいるように、男は気にすることなく満面の笑みを浮かべている。

 

「ああ?誰だよお前。って、そこにいるってことはあの部屋を見てきたんだろう?そうか、そうだよな。靴も服も赤いもんな。くくく、くっく、うふはは」

 

 ニタニタと嫌な目つきでサトシを舐めるように眺めてくる。

 だが、サトシとて気圧されるわけにはいかない。先ほどからピカチュウの手が肩を押さえているが、知ったことではない。

 ぎゅっと歯を食いしばり、ふざけた顔をしている男を睨み返す。

 

 

「ぐふははは、そうかそうか、それでどうだったよ?たのしんでくれたか?俺の芸術作品をよ?ん?すばらしいだろ?いやあ残念だ、制作中を是非見せたかったなァ。あんなにたのしいことがこの世に存在するなんてしらなかったァ。たっくさんナイフを持っててよかったよ。おかげでたくさんたのしめた。あがはは、ポケモンって刺すとあんなに血が出るんだな。ぴゅーっと。ぴゅーっと。家畜の分際でいっちょまえに鳴き声まであげちゃって。おまえにもきかせたかった。あの研究員みたいになァ。」

 

 

 

 ドッドッと心臓が鳴り響く。

 こいつを生かしておいてはいけない。

 こいつは殺さなければならない。

 こいつは人ではない。だから殺してもいい。

 うん、そうだよね。人じゃない、化け物だ。死ぬべきなんだ。

 さつじんはだめだけどばけものだかららら、たいじょじょぶぶ。

 

 

 

 そして、サトシが細い糸一本で維持していた感情の渦が、音を立てて切れ落ちる。

 

 




みなさま応援ありがとうございます。

評価してくださるとまじでいろいろと反映されるっぽいのでよろしくお願いします。
もっといろんな人に読んでほしいですとも。




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第百三十五話 望まぬ再会が生み出すものは

「があああああああ!!!!」

 

 叫ぶ。その怒りの対象へ飛びかかろうとするも、自分の相棒に肩と腕を掴まれ、振り上げた手は空を切る。

 

「ピカピ」

 

「なんだよ!ピカチュウ!あいつは殺さないといけないんだ!!殺さないと駄目なんだ!!殺す!!殺す!!!!殺す!!!!!!!」

 

 喉が枯れる。思考にノイズが走る。ガッチリと掴まれた腕を振りほどこうと力を込める。

 だが、所詮は十四歳の子供。自分の倍程もある大きさのピカチュウに力勝負で勝てるハズも無い。

 

 

「ぎゃはははは!なにしてんだよ!!そんなに嬉しかったのか?楽しかったのか?ぐはは、おれの作った美術館はよ?大興奮だな!!いやーほんとに見せたかったぜ。甲羅から順番に身体を切り落としていく時に泣き叫ぶんだ。なかなかタフネスあったなあ、首を落とすまでは意識あったみたいだし。目ん玉くりぬいても意識があったのはさすがに驚いたけどなァ。なんつーの?生命のしんぴ?ぎゃははは!しっかし海のポケモンだからかけっこうしっかりした肉付きでよお、こう、筋にそって切らないとかてえんだよ。ぐひゃひゃ、歯を切り落とすのはすっげえ大変だったなァ、きれいに落とそうと思ったのに周りの肉がぐちゃぐちゃになっちまった。頭は綺麗に飾ろうと思ったのにぐちゃぐちゃ。でもまァ、それがまたアートっつーか?おれの天才的なセンスが花開いたっつーか?げひゃひゃひゃ!!」

 

 

 馬鹿笑いしながら話すロケット団員を、歯を食いしばって睨みつける。

 サトシがいくらもがこうとピカチュウはその手を離そうとはしない。

 

「ピカチュウ離せよ!!なんでだよ!!!ころす!!ころすんだ!!!ころすころすころすころすころすころすころすころすころすころすころすころすころすぅううううあああああ!!!!!」

 

「あーがはははは!そんなに殺したいんならよぉ、俺が殺しちゃうぜェへへへ。ポケモンも良かったけどよォ、子供を殺すのは初めてだなァ。せっかく殺しやすいように抑えててくれてんだもんなァ、そのでっかいのに感謝しないとな!あとでそいつも殺すけどよォ!!!」

 

 そういうと男は腰にいくつかぶら下がっているナイフを一本抜き出し、器用にくるくると指で回転させる。

 血みどろの服からはまだ絶える事無くぽたぽたとラプラスの血液が垂れ、新しい血痕を床に形作る。

 笑いながら血を振りまき、ナイフを弄ぶ光景は酷く滑稽で、ミュージカルのワンシーンのように現実味が無く、デビューしたての舞台役者のようだった。

 このような劇があったとしたら興味本位だとしても見に行くことはないだろうが。

 ともあれ、その態度が少年の心をさらに抉ることになる。

 

 

「ふざけるな!!お前なんか!!お前なんか殺してやる!!僕が!!!地獄に落としてやる!!!」

 

「やってみろよォ!!!そんなナリで殺せるのかよォ!!!ぎゃははははははは!!!!」

 

「五月蠅い!!!!死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね!!!!!」

 

「ぎゃはははははは!!!ほらほらほら、もうすぐボクちゃんの目ん玉がくりぬかれちゃうぞォぐへへひゃひゃ」

 

「ああああぐああああああああなんでだよ!!!なんで、なんでなんだよおおおおおおおおおお!!!!!!!」

 

「ああはあああ、ほおラ、逝ってらっしゃ『ドンッ』あびゃ?」

 

「――――・・・・?え?」

 

 

 

 目の前まで迫っていたロケット団員の手からナイフが落ちる。

 カラン、という甲高い音に酷く違和感を感じる。

 そして膝が折れ、自分の振り撒いた血液の中に倒れ、べしゃ、という音と共に動かなくなった。

 

 

 目前でうつ伏せに倒れた男をまじまじと見つめる。

 後頭部からじわりと血がにじんで川のようにトロトロと流れ、首を伝って床にポタポタと落ちている。

 

 茫然と見つめる。

 自分の高ぶった感情が無かったかのように冷める。

 

 しかし一度振り切った思考はなかなか復帰せず、ただ茫然と、動かなくなった男を見つめ続ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

「接客中に五月蠅いやつだ。」

 

 

 

 

 

 

 突然頭上から――サトシは下を向いていたので正面から―――声が聞こえた。

 聞き覚えのある声で、一番聞きたくなかった声だった。

 

 

 思考能力が戻っていないにも関わらず汗がドッと吹き出し、本能的に危機を悟る。

 だが、今のサトシを支配している感情は恐れではなく、怒り。

 ふつふつと湧いて起こる激情を抑えるため、正面を見ることはできなかったが、恐らく知っている目の前の人間は我関与せずとばかりに話を続ける。

 

 

 

「まったく、騒がしいと思えば品の無い男だ。殺すだのなんだの。子供の戯言だな。そうは思わないか――――サトシ君。」

 

 

 自分を呼びかける声。

 躊躇なく、何も声をかけることなく、自分の組織の団員を打ち殺した人間。ただ騒がしいという理由だけで。

 

 

 

「どうした?大人の呼びかけには返事をするものだ。そこまでマナーの無い人間ではないだろう、君は。」

 

 

 ゆっくりと顔を上げる。

 ギリギリと歯を食いしばり、拳を固く握りしめる。

 

 

 

「おやおや、少し見ない間に随分と変わったな。男子、三日会わざれば括目して見よとは良く言ったものだ。」

 

「―――サカキさん」

 

 

 

 ロケット団のボス。そしてトキワシティジムリーダーであるサカキが、平然とした顔をしてそこに立っていた。

 

 

 床に振り撒かれた血痕が届いていない位置に立ち、片手に黒光りする金属の塊。ダークスーツをビシッと着こなし、髪の毛もオールバックで固めてある。

 パッと見は完璧なビジネスマンだが、その眼は冷酷そのものだ。

 

 

「よくここまで来たな、褒めてやろう。とでも言ったほうがよいかね?サトシ君。」

 

 

 サトシは返事をせず、グッと目を細めてサカキをにらみつける。

 ジョークを言っているようだが、その顔は鉄仮面を張り付けたかのように平常な顔をしている。

 

 

「何を怒っているのか知らないが、君はこの男を殺したかったのだろう。良かったじゃないか。私が代わりに殺してやっただろう。」

 

 

「・・・―――」

 

 

「ふむ、まあいいだろう。久しぶり、という程長い時間ではないが久しぶりだな。正直、私は会いたくはなかったがね。」

 

 

「・・・」

 

 

「サトシ君がどういうつもりでここまで乗り込んで来たのか。まあ興味が無くは無いが、ここまで愚かだとは思わなかった。君にはもう少し期待していたのだがね。タマムシシティの一件では反省しなかったかね?」

 

 

「・・・・」

 

 

「まあいい。それもここまでだ。サトシ君、残念だが消えてもらう。ここまで掻きまわされては私も黙っているわけにはいかないのでね。」

 

 

 サカキは手の中の金属をカチャリと鳴らす。数十回、数百回と繰り返されたような慣れた手つき。

 

 淀みなくそれをサトシの方向へ向ける。

 

 

 

「さらばだサトシ君。あるいは君ならばと思ったが、私が期待しすぎだったようだな。」

 

 

 サトシは悔しそうに歯を食いしばり、息をのむ。

 

 

 

 

 

 

 

 ドガァン!!!!

 

 

 

 

 

 

 

 



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第百三十六話 直情と冷淡

 轟音に包まれる室内。

 

 

 固く閉じられたサトシの瞼は、数秒経っても何も起こらない現状にそっと開けられる。

 

 

「やれやれ、そのまま抑えておいてくれればよいものを。」

 

 

「ピカチュウ・・・?」

 

 

 

 ぼやけた視界の先には、右拳をサカキに向かって振り下ろしたピカチュウと、それを手のひらで受け止めたポケモンがいた。

 ちょうどサカキを守るように右手で庇い、左手で受け止めている。

 

 

「随分と手癖の悪いポケモンに仕上がったものだ。そこだけは褒めてやろう。だが、まだ足りない。」

 

「ピ、カ」

 

 ピカチュウが押される。ピカチュウの拳を片手で止めたこともそうだが、押し返すことができることは並のポケモンではできない。

 

 

「ピカチュウ―――」

 

「ピカピ」

 

 

 押されるまま後ろに下がり、サトシの前で庇うように止まる。

 

 

「ニドキング、ご苦労だった。戻れ。」

 

「ニドー」

 

 ピカチュウと同程度の大きさ、より筋肉で引きしまった胴体。太い腕、巨大な角。間違いなくドーピングされたポケモン。

 それも、今まで戦ったポケモンの比では無く、純粋に高い戦闘能力を持っていると容易に想像できる。

 

 

「さて、どうしたものか。ここで私と戦うかね、サトシ君?」

 

 問いかけ。困ったような口ぶりだが、実際は余裕なのだろう。戦わなければそのまま殺し、戦うなら叩き潰して殺す。選択肢など無い。

 

「僕を、殺すんですか、サカキさん・・・・」

 

「ああ、殺すとも。」

 

 躊躇う時間など無い。すぐさま返ってきた非常な回答。以前ならば怯えて何もできなかった。だが、今は違う。言わねばならない。

 

 

「何故、何故なんですか。なんでこうも簡単に命を奪うんですか!ラプラスも!トランセルも!に、人間の命すらも!!どうしてそんなに!!!」

 

 

 叫ぶ。思いを。溜めていた感情をぶちまける。

 目の前の男がどのような人間なのか。行動理念は、精神構造は。目的は。どういう生き方をすればこんな壊れた人間になるのか。

 

 

「不要、もしくは運が悪かった。それだけだ。」

 

 

「な・・・・?」

 

 

 二の句が継げないとはこのことかと今になって理解できた。

 深い意味など無いというのか。単純に必要かそうでないかで命が奪われてしまうというのか。

 

「そんな、馬鹿なことが――――」

 

「馬鹿なこと、かね?必要なものが残り、不要なものが消える。運があれば残るし、無ければ消える。ただそれだけのことだろう。一体どこに破綻がある?矛盾がある?」

 

「じゃあ無意味に殺されても運が無かっただけだとでも言うのか!!!」

 

「そうだとも。」

 

「ふざけるな!!なんなんだよロケット団て!!何が目的なんだ!!計画って!エンジェルってなんなんだよーーーーー!!!!!!」

 

 

 

 

 

 サトシのゼェゼェという呼吸音のみが狭い空間に反響する。

 

 

 

 

 

「Angel、といったかね。」

 

 ハッとする。だが、もう引かない。ここまで来たらもう何も無い。もとより助かる見込みの無い命だ。徹底的にしゃべってやる。

 

「―――そうだ、Angel計画!ロケット団が最近調査してるみたいじゃないか。」

 

 

 サカキが初めて驚いた表情をしている。

 しかしすぐに元の顔に戻り、少し目を細めて口を開く。

 

 

「Angel計画についてどこまで知っている?」

 

「へん、教えるものか。」

 

「―――なるほど、一通りの概要は知っているようだ。」

 

 

 今度はサトシが驚く。サトシは話していないにも関わらずサカキはサトシの思うところを理解してしまっている。

 

 

「ど、どうして」

 

「自分でもわかっているのではないかね、サトシ君。君は顔に出やすい。言わずとも目を見ればわかるとも。」

 

「ぐっ」

 

 

 図星だ。だが、この状況でそこまで読んでしまうサカキも異常ではあった。

 あらゆる面で図抜けた才能を持っているようだ。感情が高ぶった今のサトシにとって、最も最悪な話し相手と言える。

 

 

 

「・・・成程。そこまでたどり着いていたか。誰から聞いたか、までは問うまい。しかし、そうか。」

 

 

 

 ぶつぶつとつぶやくサカキ。いつもハッキリと的確に言葉を紡ぐ人間が、だ。

 想定外の出来事が起きたのだろうか。サトシがAngel計画について知っていたということがそれだけ大きな問題なのだろうか。

 

 サトシは待つしかない。

 依然ニドキングはサカキの横に控えているし、先ほどの邂逅を考えるとまともに戦って勝てるなどと安易な考えを持てる相手ではないことは明らかだ。

 逃げるにしてもシルフカンパニーの中はロケット団員だらけ。たとえサカキを倒せたとしても無事に逃げられる保証は全く無い。

 それにロケット団員と遭遇して平静を保てる自信が今のサトシには微塵も無い。

 

 

 十数秒後、瞠目していたサカキが再度視線をサトシに向け、口を開く。

 

 

「サトシ君。状況が変わった。君はまだ利用価値がある。もう一度だけチャンスをあげよう。」

 

 少し驚くサトシだったが、この状態で諸手を挙げて喜ぶほどおめでたい人間では無い。

 

「・・・一体どういうことですか。」

 

「言葉以上の意味は無い。君が先ほど私の問いに答えなかったように、私も君の問いに答える義務は無い。」

 

「む。」

 

 しまった、揚げ足を取られたか。だがもともと答えるつもりなどないのだろう。先ほどの鋭い、威圧するような視線も今では多少緩んでいる。

 ずっと右手に握りしめていた金属をわざとらしく懐にしまいながら話を続ける。

 

 

「もうシルフカンパニーに用は無い。ロケット団はこれより撤収する。サトシ君、これが最後のチャンスだと肝に銘じておきたまえ。ピカチュウもね。私のニドキングの強さはあれだけでもわかっただろう。奇策で勝てるとは思わないことだ。」

 

「ピカピ」

「ぐっ」

 

 

 すべてお見通しということか。もはや敵としてしか見ることができないが、なんというか何を考えているかわからないだけに最もやり辛い相手だ。

 一番敵に回したくない人間を敵にしてしまったのかもしれない。いまさらどうしようもないが。

 

 

「サトシ君。お節介なようだが、これだけは言っておこう。君は直情的にすぎる。結果的に命をつなげることにはなったが、それは大きな欠点だと認識したまえ。」

 

「・・・それでも、許せないものは許せない。」

 

「そうかね。だが、直情的なのはメリットでもあるのだよ。冷静さは人を支配できるが扇動はできないものだ。君がこれを理解するのはまだ先だろうがね。」

 

「・・・」

 

「ふふ、そして、私はサトシ君と似ている部分もあると感じたよ。先ほどの君のセリフ、『許せないものは許せない』だったか。その通りだと、私も思う。」

 

「え?どういうこ―――」

 

「ではまた会おう、サトシ君。ロケット団ボスとしてではなく、今度こそジムリーダーとしてね。」

 

 

 そう一方的に告げると、サカキは足早に去って行った。

 

 

 



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第百三十七話 シルフカンパニー社長

お ひ さ。


「私がシルフカンパニー社長だ。」

 

「はぁ。」

 

「ピカ」

 

 

 サトシの前にはグレーのスーツに身を包んだ恰幅の良い小柄の男性が座っていた。

 頭の上部分は禿げ上がり、小さ目の丸メガネをかけている。申し訳ないが社長という肩書に対して見た目がかなり負けている。

 最も世の中の社長というものはこういう人間が大半なのかもしれない。なにせサトシ自身は社長という存在に遭遇したのはこれが初めてなのだ。悪の組織のボスとは先ほどまで話していたが、あれはもう別の存在だろう。

 

 なぜサトシがシルフカンパニー社長と正面切って話しているかというと、疲れ果てて帰ろうとしているサトシを社長の横で微動だにせず立っている秘書がサトシを社長室へ招いたからである。

 

 

「君がこのビルにわざわざ侵入してきた子供かね?」

 

 

 そしてそんなことを言い出すものだからサトシもげんなりしてしまう。

 もうなんというか、一刻も早くベッドに倒れ込みたいのだ。もはや自分で考える範疇を越えているため、一度眠りたい。寝ている間の自分に記憶の整理を任せたい。

 娯楽でも趣味でもなんでもない、ただの作業としての殺意を向けられることがこんなにも疲弊するとは思わなかった。

 それにむごたらしく惨殺されたポケモン。

 見事に「思い出したくないけど忘れてはいけない記憶」ランキングの上位に食い込む出来事だ。いい思い出で満たされて欲しいものだが、実際は凄惨なものだらけだ。

 とはいえ、サトシが侵入したことで破壊されてしまった施設もあるかもしれないし、実際に部屋の棚を(ピカチュウが)破壊してしまった。

 多少の罪悪感はあるので逃げることなく応じたのが現状というわけだ。

 

 

「・・・はい。どうせなら意図的に侵入したかったところですけれど。」

 

「ふむ?そう、そこのところを詳しく聴きたいのだ。何故黙っていれば撤退するロケット団がいるシルフカンパニーに乗り込んできたのか。少なくともヤマブキの住人は皆知っているハズだが。」

 

「ええと―――」

 

 

 言っていいのか悪いのか。

 サトシの横にちょこんと体育座りしているピカチュウが封鎖されている玄関ドアを破壊して飛び込んでいったからしょうがなくついてきたなどと。

 

 それに、ドーピングのことについてどれだけ知っているのかもある。

 まあこれについてはサカキと直接話している時点で問題無いとは思う。

 しかし問題はさしたる意味も無くこのビルに侵入してしまったことで―――

 

 

 サトシが頭の中でしどろもどろしていると、見かねた社長が声を掛けてきた。

 

「何をそんなに考えているのかわからんが、言いづらいことなら別に強制はせんよ。それなら先に私の要件を伝えるとしよう。」

 

 黒い革張りの高級そうなイスに体重を掛けて、社長がサトシの顔を見る。

 

「まず、感謝を述べよう。ありがとう少年。君が騒ぎを起こさなければ、私とシルフカンパニーはもっと長い間身動きが取れなかっただろう。」

 

 サトシは驚いた顔をする。何かしらの叱責があることは覚悟していたが、反対に感謝されるとは微塵も思っていなかった。それでも疲れた表情は拭えなかったが感情の変化は感じ取ってくれたようだ。

 

「うむうむ、素直でよろしい。ついでに君の心配しそうなことを先に答えておこう。」

 

 無言のサトシに構うことなく、社長は言葉を続ける。今のサトシにとってはありがたい。ただしゃべりたいだけなのかもしれないが。

 

 

「まず、君がこのビルで行った行動については、どんなものであったとしても追及するつもりは無い。」

 

「え?」

 

 

 思わず声を上げるサトシ。だが、そんなサトシは気にもせず、次々と話を続ける社長。問答無用な部分もあるが、相手の状態を見てどう会話すべきかわかっているのだろうか。

 いちいち問答するよりも一度にまとめて伝えた方がよいと判断したらしい。

 

 

「そして、そのポケモン。薬品で強化されているね。あの男が気にかけているようだったしね。君のような子供が裏の世界に飛び込んでいるとは信じたくは無いが、稀にそういうこともあるからね。」

 

 

 一つ一つ、確実にサトシの疑問、疑念を潰していく。見た目は確かに五十代ほどに見える肩書き負けする男性だが、中身はやはり常人では無いようだ。

 思考速度も発想力もサトシの比では無いほど高等だ。サカキと対等に話せる時点で推して知るべしか。

 そうでもなければ世界一とも称される開発会社「シルフカンパニー」の社長とはなれないだろう。

 

「そしてロケット団を憎むも、知りすぎているが故に生かされている、と。あの男も酷なことをする。ともあれこれで引っかかっているものは答えられたかね?」

 

 

 そういって肩をすくめておどけたポーズをとる。その見た目も相まってひどくユーモアがあり、滑稽にも見えたが、その姿勢にサトシも若干だが会話の余裕が生まれた。

 

 

「―――そうですね。さすが社長ってところですか。」

 

「ははは、そんな大層なものでもないさ。」

 

 

 疲れ果ててはいたが、なんとか表情だけでも笑顔を作ると、サトシは事の顛末をざっくり話し始めた。

 社長は ふむふむ、ほほう、なるほどなるほど と多種多様な頷きをいれつつ、興味深そうに聴いていた。

 石像のように微動だにしなかった秘書の女性も、ラプラスのくだりになると少しだけ眉をひそめたように見えた。

 

 そして、あまり他言しない方がよさそうなサカキとの会話内容だけ伏せ―――もう知っているとは思うが―――サトシは話を終えた。

 

 

 少しだけ無言の空間となる。カチカチと時計の針の音だけが無性に大きく聞こえ、シルフカンパニー全体で響き続けるゴウンゴウンという機械の音も社長室には届かないようだった。

 心配そうに社長を見るサトシを他所に、社長はなるほどなるほどと一人で頷きながら何かを考えている。

 そして、十秒程で顔をあげた。

 

 

「少年、君の素性も今後の方向性も私はわからん。だが年相応でないことをしようとしているのはわかる。あの男と関わっておるしな。」

 

 サトシは頷きもせず、かといって首を振ることもせず社長の言葉をじっくりと聴く。

 

 

「だから、私は今回の件の感謝だけ伝えよう。それ以上、私ができることは無いだろう。」

 

 そう言うと、社長は よっこいしょ とイスから立ち上がり、トコトコとサトシの元へ歩いてくる。

 立つとその小柄さがさらに際立つ。さほど背の高い方ではないサトシよりも身長は低い。社長は見た目では無いということだ。

 勿論、見た目も相応の方が効果が高いことは否めないが。

 

 サトシの正面に立った社長は、ずいっとサトシの方へ腕を伸ばしてきた。その手には凹凸のある特徴的な紫色のモンスターボールが握られている。

 

 

「これは?」

 

「マスターボールと言う。シルフカンパニーで現在開発中の試作品だ。通常のポケモンであれば必ず捕まえることができるという超素晴らしい代物だよ。」

 

「必ず捕まえられる!?そんなモンスターボールが・・・」

 

「うむ。ただし、強化されたポケモンは確実とはいかんがね。」

 

「ドーピングされたポケモン―――って野生にはいないのでは?」

 

「発想が乏しいな少年。ポケモンは『逃がす』ことができるし、野生のポケモンが勝手にドーピングアイテムを摂取することだって考えられる。ボールを使わずに、物理的に捕獲することだってできるんだぞ。」

 

「あ―――なるほど」

 

「そういうこともあり、まあ可能性は無いと思いたいがもしそういったポケモンと遭遇してしまった場合、通常のボールでは捕獲はほぼできないし、マスターボールをもってしても限界まで弱体化させないと難しいだろう。まあ、普通に使うことだね。」

 

 

 サトシは社長からマスターボールを受け取る。

 必ず捕まえることができるモンスターボール。

 通常のポケモンに使うにしても、もったいなくて使える気がしない。

 

(ものすごくレアなポケモンが出たら使おうかな)

 

 そう考え、社長にお礼を言う。

 

 いやいや、それはお互い様だよ と遠慮謙遜。これが大人の遣り取りなのか、面倒なんだなと少し思ったサトシだった。

 

 

 




ピカチュウ活躍なし


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第百三十八話 重い記憶

 シルフカンパニーの壊れた玄関ドアをくぐると、すでに日は落ちていた。

 まだ日が高い時に散策していたハズだが、随分長いことビルの中にいたらしい。

 ここ数時間で起きたとは思えないほど密度のある時間であったことは間違いないが、それでも体感以上の時間を過ごしていたようだ。

 緊張感とは時間を短くも長くも感じさせるものなんだなと思った。

 ともあれ、サトシは体力的にも精神的にも非常に疲れていた。日が落ちたとはいっても発展したヤマブキシティのビルを縫うように存在する道路には等間隔で眩く輝く電灯が設置されており、夜の静けさを感じることは無い。

 しかしそれは夜の静けさを失う愚行でもある。

 夜になればしっかりと暗いマサラタウンで育ったサトシにとって、ヤマブキシティの眠らない街の様相は疲労した身体に堪えるものとなっていた。

 

 ピカチュウは疲れている様子はなかったが、とくに悪戯することなくトロトロと歩くサトシの後ろについてきている。

 さすがに大きい胴体は街中では目立っていたが、街中は先ほどまでいたロケット団の話で持ち切りだったため、近くを通り過ぎる時に少しだけ驚かせるにとどまった。

 当然、騒ぎになっては困るのでなるべく注意するつもりではあったが、身体も頭も疲れ切ったサトシにとって、ピカチュウの起こすちょっとした悪戯など二の次で良いという判断すらしており、一刻も早く休息を取りたいという感情しか存在しなかった。

 

 

 若干の注目を浴びながらポケモンセンターの自動ドアをくぐり、いつも変わらぬニコニコ笑顔の女性を素通りし、そのまま宿泊施設へと歩いて行き、ベッドに倒れ込んだ。

 思えば危険な事をしているものだ。

 ただでさえ目立つピカチュウをそのまま連れまわして歩くなどと。裏のトレーナーがいないとも限らないのだ。まあ粗末な変装である程度回避できていること自体が信じ難い現象ではあるのだが。

 本来ならば昼前からずっと飲まず食わずで過ごしてきたサトシとピカチュウだったが、サトシはもとよりピカチュウも大人しくベッドに横たわっている。

 ・・・サトシに背を向けていて見ることができないピカチュウの顔がモグモグという音を立てながら微かに動いているのはきっと気のせいなのだろう。

 ピカチュウだってセンチメンタルになることくらいあるに違いない。きっとそうだ。

 

 安いパンの包み紙がくしゃくしゃと音を立て、すぐにコトンと空っぽのゴミ箱に落ちる音がした。

 

 そしてその音を最後に、特になにも考えることなくサトシは眠りの世界に落ち込んで行った。

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

 窓から差し込む光を感じ、サトシは目を開いた。

 ひどく頭が痛い。ズキズキと痛む右側頭部を手で押さえながらベッドから身体を起こす。

 時計を見ると短針はすでに真上を指していた。

 

「・・・さすがに寝すぎたかな。」

 

 そして反射的に昨日の出来事を想い出し、頭の中を巡る。半ば強制的に見せられる過去の映像はやけにリアルで、鮮明にサトシの脳裏に焼き付いていた。

 

「うぷっ!」

 

 突如襲い掛かる強い吐き気。

 疲れのとれていない身体を無理やり動かし、トイレへ駆けこむ。

 

 胃の中身を吐き出す。そういえば昨日の朝食から何も食べていない。出てくるのは胃液が大半だ。

 サトシの頭にフラッシュバックしているのは血の惨劇。そして命の危機。

 慣れるハズも無い。あれは殺意そのものが混流した空間だった。

 

 一晩寝ればなんとかなる、なんて雑で迷信じみた方法で解決する限界をついに超えてしまったようだ。

 口の中に気持ち悪く残った液体をペッと便器の中へ吐き捨て、口を拭う。

 

「・・・くそっ」

 

 頭から消えない。いや、消してはいけないのだがそれでも気分を切り替えることができないでいる。

 今までにも凄惨な現場に居合わせたことは何度かあるが、今回のものは別格だったらしい。

 よく考えてみると十代の少年が人やらポケモンやらが殺害される現場に何度も居合わせているという事実自体がおかしいわけだが、もはや今更だ。

 

 トイレから出て、洗面台の蛇口から水を出し、直接頭を濡らす。冷たい水が無理やり思考を元に戻してくれる。

 原始的なやり方だが、文明がいくら発達しても変わらないやりかたもあるということだ。考えた昔の人に感謝。

 

「ふう・・・すっきりした。少しだけだけど。」

 

 立ち止まってはいられない。

 自分の目的は、こういった惨劇を無くすことも含まれているのだ。すでに後には引けない状況まできている。

 おそらくだが、ここで逃げたところでサカキが自分を脅かすだろう。

 昨日見逃されたのはそういう意味だ。生かされている、ということ。

 

 いけない、と思っていてもすぐに思考がネガティブになってしまう。

 頭痛もしてくるし、こういう時はおいしいごはんを食べるに限る。

 お金は無いので安くて美味しいお店を探そう。

 

「えっと、ピカ・・チュウ?」

 

 ふと見渡してみると黄色いでっかいのがいない。いつものことではあるが、こういう時に居ないと若干ではあるが寂しさも感じる。

 あんなのでも近くに居てほしいと思うこともあるのだなと新たな発見をしたサトシ。

 まあそう遠くには行ってないだろうと考え、荷物をまとめて部屋を後にした。

 

 

 

 

 

 

 ポケモンセンターのロビーまで出ると、そこに見慣れた体躯の生き物がいた。

 そして何やら十人ほどの人だかりができ、軽く盛り上がっている。

 ポケモンセンターで盛り上がる出来事なんてあるだろうか?もしやピカチュウの正体がバレた・・・?

 

 一抹の不安を覚えたが、ドーピングだの裏だのなんだのという物騒な単語は聞こえてこない。

 むしろもっとやれとかいけいけとかやっちまえとかそういう健全な盛り上がり方をしている。

 悪い事、という感じはしない。

 

「ちょ、ちょっとすみません。」

 

 サトシは人と人の間に顔を突っ込み、その中心の様子を見た。

 

 

 

 

「ぐおおおおおおおおおああああああ!!!!!まぁけてたまるかああがががががあああああ!!!!」

 

「ピッピカ」

 

 

 

 

「・・・何やってんの?」

 

 

 そこには、筋肉隆々な肉体を白い武道着で包んだ暑苦しくむさ苦しい男と黄色い巨体が腕相撲をしていた。

 

 



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第百三十九話 空手王

「ピカの日常」というピカチュウ(かわいい)のイラストをまとめました。


【挿絵表示】





「く、なんというパワーだ・・・!空手王のこの私がここまで押されるなんて・・・!!!」

 

 どうしよう、すごく盛り上がっている。

 本来このピカチュウはなるべく注目を避けなければならない。

 今の状況は注目を避けるどころか浴びている。これでもかというほどに浴びている。

 この中でピカチュウだと気付いている人がいないことを祈るしかない。

 むしろ気付かない方がおかしいと思うのは自分だけなのだろうか。

 

 

 そんなことを悶々と考えていると、さすがに体格の差があったのか、ピカチュウが徐々に押していき、空手王の右手甲はテーブルの上にゆっくりとくっついた。

 

 

「ぐあああああ!負けた!負けた!!」

 

「ピカピカ」

 

 

 右手を上げて勝利をアピールするピカチュウ。

 ゴングが聞こえるのは空耳だと信じたい。ここはリングでもなければ闘技場でもない。ポケモンセンターの休憩スペースなのだ。

 

 それより先ほどよりも注目を浴びている。

 もうこれ以上自分の胃袋を刺激しないでほしい。若干十四歳にして胃に穴をあけたいとは思わない。

 

 

「いやあ、良い勝負だった!君、名前はなんというのだ?」

 

(あ、まずい)

 

 

 さすがに「僕の名前はピカチュウです!」なんてハキハキ答えられる発声器官は持ち合わせていないだろう。

 かといってピカピカしか言えないことに気づいたらかなり疑われてしまうに違いない。

 そう思うと、サトシは人だかりを掻い潜って一人と一匹の近くに行こうとする。

 

「ちょ、ちょっとすみませ・・・」

 

 

「ピカピ」

 

「むうん?ぴかぴ?」

 

 

 

 やってしまった。

 

 一歩遅かったサトシ。もう人だかりから腕まで出ていたのに、惜しい。

 サトシの冒険はここでお仕舞い!!!!

 

 

「成程!ぴかぴ、という名前なのか!うむ、良い名だな!!」

 

「ピッカピ」

 

 

 あ、この人あんまり頭良くないんだ。

 安心と同時に、何故か確信してしまった。

 

 

「あ、あの」

 

 ようやく人だかりから出てこれたサトシは申し訳なさそうに声をかける。

 

 

「むん?何かな少年!サインかね?それとも固い握手を交わしたいのかね?がはは」

 

「えっと、その」

 

 

 自分のことを空手王と名乗った人物は、近くで見るとすごい迫力だった。

 さすがにピカチュウと比較するのは人間には可哀想だが、それでも二メートルに迫る高身長と分厚い胸板。

 強い眼力、眩い笑顔。

 そしてアピールなのかわからないがポケモンセンターまで白い武道着で来ている。

 

 典型的な武道家なのだろう。

 むしろこの姿でインテリだと言われてもジョークとしか思えない。それを狙ってこの姿なのだとしたら人間不信に陥るレベルだ。

 腕も丸太のように太く、人間としてはトップクラスに強いのだろう。あくまで身一つで戦う人間としては、だが。

 

 サカキのことを頭に浮かべて、強さっていうのはいろいろあるのだなあと苦虫を噛み潰したような顔をしたサトシ。

 それを見て首を傾げる空手王。

 まあずっと黙っていても話は進まないのでなんとか辻褄を合わせる努力を試みる。

 

「その大きいの・・・ぴかぴ?は僕の旅の連れでして・・・それで、あの、そろそろ先に進みますので・・・」

 

 そう、まあ無理のない設定で、間違えてはいないギリギリのラインで説明をする。

 内心ドキドキだ。

 

「ふむ、うむ、成程。」

 

 何がなるほどなのだろうか。そこのところを教えてほしい。何を納得されたかによってはすぐにこの場所から撤退せねばならない。

 しかもヤマブキシティではまだやらなければならないことが残っているのだ。

 目的を果たす前に騒ぎになってはいろいろと動きづらくなる。

 いや、シルフカンパニーの玄関をブチ壊して突入していった時点で騒ぎになっていないというのは無理があるのは承知しているのだが。

 とにかくこの脳みそどころか髪の毛一本に至るまで筋肉で構成されていそうな人物に素性を知られると、いろいろと面倒そうなのは変わりない。

 早々にここを立ち去りたい。

 

 などと、心の中で冷や汗をかきながら待っていると、空手王は大きい両手を広げ、サトシの肩に振り下ろしてきた。

 

「ひい!」

 

 バン、という音と共に自分の身長だと胸板くらいしか目に入らない近距離で、サトシは両肩を掴まれた。

 

(やばい!死ぬ?このまま殺される????)

 

 もういろいろと漏らしそうな状態だったが、サトシはなんとか上を見上げ、こちらを見下ろしている空手王の顔をみつつ

「あの、なんでしょうか・・・?」

 と蚊のような声でつぶやく。

 

 そして

「少年よ!まさか君のような若者が旅をしているなんてな!きっと涙無しには語れない事情があるのだろう!!うむうむ、何も言わんでよい!俺にはわかるさ!!苦労しているのだな少年よ!」

 

 などと声を張り上げて口に出した。

 

 サトシが何も言えず茫然としていると、空手王はさらに言葉を紡ぐ。

 

 

「さぞ危険な道程であっただろう!しかしこのぴかぴが一緒であったならかなり頼もしい!この空手王から腕相撲で一本とれた人間は久しぶりだぞ!がはは!」

 

 勢いに振り回されているサトシだったが、とりあえずここまでの空手王の振る舞いに悪意は無い。

 それに、ピカチュウのことを「人」と言っている。その時点で裏の世界とは無関係か、ほとんど踏み込んでいないかだろう。

 心の中的には安心できたが、こう、両肩を掴まれてガクガクされるのは首がもげそうになるのでなるべく早くやめていただきたい。

 ぴかぴが居ても首がもげたら死んでしまう。いくら頼もしくても死んでしまう。

 

「うむうむ、時間を取らせてしまったな少年!急ぐ旅なのだな。ぴかぴよ、しっかりとこの少年を守るのだぞ!」

 

「ピカッピ」

 

「うむ、がはは!そうだ少年!時間が少しでもあるのならば、是非とも我がジムに遊びにこんか?」

 

 サトシの顔が凍り付く。

 

「・・・ジム、ですか?ポケモンジム?」

 

「そうだ!俺の道場兼ポケモンジム!といっても非公式だがな!あのナツメのやつめ、次は絶対に叩き潰してやる!」

 

「ちょちょちょ、ちょっとまって!」

 

「ぬん?どうした少年。顔が青いぞ?」

 

 

 いろいろと聞き逃せない情報があった気がするので一度会話を止める。そして脱出したい一心だった脳内を整理し、あらためて空手王に尋ねる。

 

 

「ええと、空手王さん?のジムは非公式で、バッジがあるわけではないんですか?」

 

「うむ!その通りだ!悔しいことに公式を決めるバトルで敗北してしまってなあ!」

 

 そういえばヤマブキシティにはジムが二つあるって言っていた気がする。

 つまり、この空手王がいるジムというのが一つで、そしてもう一つが―――

 

「公式ポケモンジムとなっているのがエスパー使いのナツメがいるジムだな!貧弱な見た目をしておるのに、不思議な力を使ってくる。俺の格闘ポケモンじゃ近づくこともできん!」

 

「エスパー使いの、ナツメ・・・それがヤマブキのジムリーダー。」

 

「おう!そういうことだな!」

 

 

 

 エスパー。

 話には聞いたことがあるが、その実態はまったくと言っていいほどわからない。

 手持ちのポケモンではゲンガーが近い。どちらにしても不思議な力で相手を倒す技を使う。

 ともあれ、情報が全く無い状態でエスパーと戦うことは自殺行為。ただでさえいろいろと規格外なドーピングポケモンの戦いなのだ。

 少しでも情報を得ておきたいのが実際のところだ。

 

 

 

「空手王さん。」

 

「なんだね少年。」

 

 

 ここでとる選択肢はこれしかないだろう。

 まあ多少の危険はあるだろうが、無策でナツメに挑むよりマシだろう。

 

 

 

 

 

 

「道場、これから遊びにいってもよいですか?」

 

 

 

 虚をつかれた顔から、すぐに先ほど以上の満面の笑みに変わった。

 

 

 

 

 

「もちろんだ少年。歓迎しよう。」

 

 

 

 




ついに登場空手王。




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第百四十話 思わぬピンチに戦々恐々

「ずあああ!!!」

「とりゃあああああ!!!!」

「あだだだだだだだ!!!」

「どっせええええい!!」

「ほあたたたたたたた!!」

「ぜい!ぜい!どりゃあ!」

 

 

 汗臭い。

 サトシの最初の感想は、そんなしょうもないものだった。

 

 

「どうだねサトシ君!!俺の弟子達は!!さすがに俺には及ばないが皆一筋縄ではいかない連中だぞ!!」

 

「ソーデスカ」

 

「ピーピカチュ」

 

「がっはっは!まあゆっくりしていってくれ!!」

 

 

 

 ヤマブキシティ非公式ポケモンジム。

 空手王がリーダーで、使われるポケモンはすべて格闘タイプ。

 格闘タイプのポケモンで思い出されるのはイワヤマトンネルで遭遇したやまおとこのゴーリキーだ。

 決して思い出したくない記憶のトップテンに堂々ランクインしているが、単純に強力なポケモンだった。

 ポケモンは地形との相性で何倍にも強力に立ち回ることができるということを学べた貴重なバトル。

 それと同時に、知らない人に優しくされても危機感を捨ててはいけないということも学んだ。

 下手をしたら今頃はいろいろと大変なことになっていたかもしれない。

 想像すらできない領域であることは間違いないが、きっと大変なことであることに確信がある。

 

 しかし、あくまでこのジムはノーマル。

 普通のポケモンで、暑苦しいとはいえノーマルでのバトルがメインだ。

 ポケモンがこういったトレーニングで強くなるかはわからないが、人に交じってポケモンもトレーニングをしている様子も見ることが出来た。

 これも一つの愛ある接し方の一つだろう。そういう意味ではとても好感がもてる。

 長らくポケモンを大事にしているトレーナーと会わなかったため、何故か安心してしまった。

 本来、ポケモンとの生活はこういうものなのだろうなあと子供らしからぬ考えに至ってしまうのも、サトシがどっぷりと裏の世界に入り込んでしまっているに他ならない。

 少なくともその裏表の無い表情に、サトシ自身は居心地の良さを感じていた。

 

 

「全員集合ー!!!リーダーがいらしたぞ!!!」

「「「おおおーー!!!!」」」

 

「うわ!びっくりした!」

 

 

 急に大声が聞こえ、さらにそれを倍にしたような返事。

 道場の中で反響して声だけでサトシの頭はぐらぐらする。

 そして暑苦しい男達がサトシの目の前、もとい、空手王の前に整列した。

 綺麗に整列しているし姿勢もキレイなのだが、汗だけはどうしようもない。要するに暑苦しさが倍増しだ。

 体感温度で室温が三度程上昇した気がする。

 

 

「おうお前ら!!お客さんだぞ!!子供ながら旅をしているという根性があるサトシ君だ!」

 

「「「サトシさんよろしくお願いします!!!」」」

 

「そしてこちらの良い身体をしているお方が、この俺を腕相撲で負かしたぴかぴさんだ!」

 

「「「ぴかぴさんよろし・・・・」」」

 

 ぴたりと止まる。

 まるで示し合わせた八百長のようだったが、その面々の顔にぶわっと広がる脂汗を見ると、そうでもないらしい。

 いや、もともと汗はかいていたのだがそれでも見て取れるほどに。

 

「負かせた・・?」「リーダーを・・・?」「うそだろ・・・?」

 

 ざわざわと筋肉が、いや格闘王の弟子達が騒ぎ出す。

 それほどまでに衝撃的なことなのだろう。名前に「王」とついているのだから、その力はおそらくかなり高いと想定される。

 もちろんサトシは格闘の世界に疎いのでどれほど強いかなど全くもってわからない。

 それに興味も無い。

 サトシからすると「わあ!筋肉がいっぱいだ!!黄色いでっかいのだけで十分だよもう増えないでよ!」である。

 供給は間に合っているのだ。サトシ需要は一切ない。

 最も、筋肉からすると筋肉の供給はあればあるほどいいらしい。バブル真っ盛り。そしてバブルが弾けることは無い。常に昇り調子だ。

 

 

「俺自身、まだまだ上がいることを知ったぞ!!お前らもぴかぴさんにいろいろと指導してもらえ!!」

 

「うおおお!リーダーより腕力があるなんてやばいっす!!」

「腕相撲とはいえ、リーダーに勝てるやつがこの世に存在するなんて思わなかったっす!!」

「ぐおお!俺も負けてられないっす!ぴかぴさん!一つ手合せ願います!!」

「俺もお願いするっす!」

「俺も!!」

「俺も俺も!!!!」

 

 

 何度も確認するが、このぴかぴと呼ばれているのはドーピングでこれでもかというくらい強化されたピカチュウである。

 当然肌の色も黄色だし、発する言語もピカチュウ語だ。「ピ」と「カ」と「チュウ」くらいしかしゃべれない。

 いくら服を着ているとはいえ、ここまで騙しとおせるのかと不安になってしまう。いや、今までこんなお粗末な変装でよくやってこれたなと思うが、それはなるべく人との接触を避けてきたサトシの功労ともいえる。

 だが、ここまで真正面で十数人から見据えられても気づかれないとなるともうこの変装は完璧なのだろうかとサトシ自身が錯覚してしまいそうだった。

 この世に常識を持っている人間はサトシしかいないのか。

 こうなると、逆に誰か気づいてほしいと思ってしまうサトシだった。

 

 

「―――って、ちょっとまって、それはまずい。」

 

 

 半ば仲間はずれのような感じだったので微笑ましく見守っていた少年だったが、今非常に危険な状態にあることにようやく気付いた。

 いくら鍛えていて筋肉モリモリだったとしても、ピカチュウとやりあうとか自殺行為にも程がある。

 さすがにピカチュウも九割くらい手を抜いてくれると信じているが、言葉の通じない生き物に「手加減してね☆」とお願いしても理解しているかどうか判断が付かないのだ。

 いくらなんでもリスキーすぎる。

 というかなんでこの人達はこんなに血気盛んなの。身長二メートル超えてる生き物に対して手合せ願おう!なんて普通言わないでしょ。

 だから落ち着いて。命を粗末にしないで。

 

 必死にそう思っても「やるぞー!」とか「へっへ、お前には無理だぜ」とかしか聞こえないので、ピカチュウにちゃんと手加減するよね?と小声で伝えてみる。

 

「ピカピカ」

 

 駄目かもしれない。

 

 とりあえず逃げる準備だけはしておこう。

 そう思ったサトシだったが、空手王に肩をふんずと掴まれていて身動きが取れない。

 本人としてはコミュニケーションのつもりなのだろうが、サトシにとっては拘束されたも同然だ。

 動きたくても動けない。これを拘束と言わずしてなんという。肉体言語はサトシには使えない。

 

 もうなるようになれ、といつも通り投げやりになったサトシ。こうなったら最悪の展開だけを想像しておこう。

 その時の行動だけ先に考えておけば、いざとなっても慌てることはない。平常心平常心。サトシ、クールになれ。

 

 しかしサトシの脳内に浮かぶのはすべての弟子の身体に拳大程の穴が開き、格闘王がブチ切れてサトシが真っ二つにされる未来しか思いつかない。

 そうこうしているうちに手合せの舞台が整ったようだ。

 なぜこんなところで死を覚悟しなければならないのか。せめて公式ジムリーダーの手で夢半ばに潰えたかった。その方がまだ恰好がつく。いや、死にたくはないけれど。

 

 

「それではぴかぴ選手の十人抜き手合せ、始め!!」

 

「よっしゃあ!!!」

 

 

 いつの間にかピカチュウが挑戦者になっている上に、十人抜き手合せというイベントになっている。

 もう知らない。

 知らないけれど、神聖なる道場が血の海にならないことを祈ろう。ピカチュウ、頼むから手加減しておくれ。

 

 

 

 サトシのメンタルを削り取る戦いが今、幕を開けた。

 

 

 




サトシ、思わぬところでピンチ。





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第百四十一話 人間の壁

空手王。


 がっしりと肩をつかまれて身動きがとれないサトシだったが、その状況はさておき内心は少しほっとしていた。

 

 

「さすがぴかぴだな!俺の自慢の弟子たちを歯牙にもかけておらん!腕力だけではないということか!!」

 

「はは、そのようで」

 

 

 サトシの不安をよそに、ピカチュウはそれっぽく立ち回っていた。

 空手家の攻撃いなし、時には受け止め、足をかけて転ばせ、つかんで放り投げ。

 普段のピカチュウのバトルに比べると遊んでいるようにしか見えない。

 もちろん、それは超高速且つ一撃粉砕の破壊力ばかりのバトルを見ているサトシだからこそである。

 通常の視点でピカチュウと空手家のバトルを見れば、それは高度な技術が展開される芸術的な戦いと思われんばかりの流れるような動きであった。

 

 ピカチュウも人間を相手にすることはほぼないだろう。

 そういう意味では存外楽しんでいるのではないだろうか。

 よーしピカチュウ、その調子で頼むよ。頼むからそれ以上本気にならないでね頼むから。

 

 微笑ましく見守っているサトシの心境は複雑だ。

 死地をここにはしたくない。

 ただでさえ肩をガッシリと掴まれ身動きができない状態だ。

 先ほどから何度か脱出を試みているものの、当の空手王は微動だにしない。

 きっとサトシが目の前の戦いに興奮しているのだ、くらいの認識でしかないのだろう。

 その証拠に、上を見上げればうんうんとうなづく空手王のにこやかな顔が嫌でも目に入る。

 基本的にでかい生き物にはいい思い出が無い。

 黄色いのも、イワヤマトンネルのも、そして汗臭いのもだ。

 まったく、自分が何をしたというのか。

 というより、何もしていないのになぜこんなにも巻き込まれなければならいないのか甚だ疑問だ。迷惑極まりない。

 せめて自由に逃げられる状態にはならないものか。

 ならないな。ならないだろうな。

 

 

 誰も知らない中で絶望感に打ちひしがれるサトシだったが、目の前の戦いはすでに八戦目。

 ピカチュウは傷一つなく、そして相手もやたらに傷つけることなく圧勝していた。

 なんとも器用なことだ。あのピカチュウにこんな技術があったとは。

 落ちてるそばからイシツブテを衝動的に全力投球してしまうとは思えない繊細さだ。

 

 相手も「かー!負けた負けた!!完敗だ!!」と遺恨を残している様子はない。

 強いて言うならばもっと戦いたい!という意欲を感じられる程度だ。

 一人の格闘家としてはいいのかもしれないが、サトシにとっては暑苦しいし面倒くさい。

 数々の死闘を潜り抜けてきたサトシはもはや大抵のことでは動じない。

 クールな十四歳なのだ。だが動じなくても命の危機には敏感だ。肩がもげるとしても脱出すべきだろうか?などと真面目に考え始める始末。

 

 そんなことに思慮を巡らせていると、十人目の空手家が「ぐわー!」という声と共に床を滑って壁にドスンとぶつかり、ピカチュウが混信のドヤ顔を繰り出していた。いや、いつもと変わらない表情なのだが、気持ち的に。

 

 

 何事もなく終わったことにサトシも安心して一息つき、これで何事もなく帰れる、と考えそうになったが、そもそもここにきた目的をまだ達成していないことに思い至る。

 いけないいけない、ヤマブキジムリーダー ナツメの情報を得に来たのだった。状況に流されてしまうのは自分の悪癖だ。これではまたサカキの思い通りになってしまうではないか。

 自分の空気を作り出す能力も、これから身に着けていかなければ。

 

 そう心の中で決心したサトシは意を決して渾身の言葉を紡ぎだす。

 言うんだ、そして場の空気を変えるのだ!自分が主導権を握るのだ!!

 

 

「あ「すばらしいな!!!!それでこそ俺が見込んだお方だ!!!」の・・・」

 

 

 見事に割り込まれた。

 上を見上げると鼻息荒い空手王の満面の笑み。

 話に割り込むくらいなら肩を離していただけないだろうか。

 サトシが空気を作り出すことは適わず、空手王の演説が問答無用で始まってしまった。

 

 

「いやあ、まさかここまで強いとは思わなんだ!腕力があるだけでなく、技も見事とは面目が立たないとはこのことだ!いやはやなんとも素晴らしい。俺の自慢の弟子達がまるで子供扱いだ!それに加えて十人抜き!この道場でぴかぴさんに勝てる者はおるまいな!!がはは!!!」

 

 

 

「・・・・」

 

 

 

「しかしなんという力と技術か。それだけの能力を得るには想像も絶するような努力と修練が必要に違いない。俺もたいがいのことはやり遂げてきたつもりだったが、まだまだ上には上がいるということなのだな。格闘の道において横に立つものはおらんと思っておったが、まさに井の中の蛙だったというわけだ。」

 

 

 

「・・・」

 

 

 

 

 サトシはわかってしまった。

 

 空手王の思うことが。

 徐々に強くなる肩への圧力。

 最初の快活さが少しずつ失われている口調。

 ただただ純粋に、追及してきたのだろう。

 この空手王という男は、自分の肉体を痛めつけ、見えざる強者と対峙し、考えうるすべての鍛錬を実行してきたのだ。

 そして、そのすべてをたった今、目の前で否定されたのだ。

 

 サトシは気が付いた。気が付いてしまった。

 

 この道場において、ピカチュウは人間なのだ。

 サトシは勘違いしていた。

 ピカチュウは勝ってはいけなかった。

 ただの腕力馬鹿であれば、この道場においては弱者なのだ。

 ゆえに、空手王はほんのレクリエーションのつもりで戦わせたに違いない。

 

 

 しかし、それに圧勝してしまった。

 

 ピカチュウがドーピングされていることを認知しているサトシからすると当然のことであるが、空手王にとってはただの人間に相違ない。

 

 そして、人間である以上、越えてはいけないラインというものが存在する。

 人間では越えられない壁。

 そして、空手王はその壁にかなり近い部類の人間だ。

 それをたやすくブチ抜き、スタスタスタと過ぎ去ってしまった。

 

 であるならば、空手王のとるべき行動など、今のサトシには容易に想像できるというものだ。

 我ながら嫌になる。

 人間の感情の機微にここまで敏感になってしまった旅の道程を恨むしかない。

 

 先ほどよりも強く握られた肩はあきらめ、天を仰ぐように上を見上げる。

 そこには、ギラついた目で迫力のある笑顔の空手王。そして言うことは決まっている。

 

 

 

 

 

 

「ぴかぴよ、次は俺が相手になろう。」

 

 

 

 

 

 

 最悪だ。

 



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第百四十二話 人として

いまさらですがキャタピー戦の挿絵描きました。

【挿絵表示】



 空手王にとって、格闘技がすべてだった。

 追い求めるは強さのみ。その他のことなど捨て置け、と自分を律することもさほど苦悩することもなく、淡々と強さのみを追求し、そして実を伴って行った。

 

 拳を振り抜くこと数万回。

 幾月も幾年も積み重ねた研鑽の日々。決して裏切ることの無い泥臭い鍛錬。

 凡人である肉体も限界を越え、ついには「王」の名を冠するまでに至る。

 

 しかしそれでも自惚れること無く。

 いつの間にやらついてきた者達と共に、まだ見ぬ強き者に勝利するためだけに変わらず努力を続けてきた。

 

 それが。

 

 

 その研鑽の日々が。

 

 

 

 立った今、まるで無駄だったのではないかと思える程。

 

 

 偶然出会った名も知らぬ巨躯。

 どこぞの格闘大会に出ていればあっという間に優勝をかっさらうであろう実力者。

 

 そんな人物が目の前にいる。

 

 空手王の心は大きく揺さぶられる。

 精神統一を繰り返しているこの男には普段動揺など起こりえない。

 しかし、ことこの瞬間においては高鳴る鼓動を抑えること適わず。

 

 悔しさもある。だが、それ以上に昂っていた。自分よりも強いのではないか、と思える相手。

 頂点に登り詰めてからも追い求めてはいた。きっといると。

 自分よりも、高い位置から見下ろしている者がいるはずだと。

 しかし当面現れる兆しは無く、空手王自身も挑戦者という立場を忘れつつあった。

 

 

 だが。

 

 

 偶然なのか、運命なのか。

 

 

 決して交わるハズのない相手。

 少年と共に旅をしている、というだけ。出会うにしても奇跡的な確立。

 

 だが、出会ってしまった。そして見てしまったのだ。

 

 

 

 これが、挑まずにいられるだろうか。

 

 久しく忘れていた、挑戦者という立場。

 ついに空手王は王者の座を一旦返上する。

 

 一人の格闘家として、挑むのだ。

 強き者への礼儀として、身一つで挑む。それが自分が生きてきた人生そのもの。

 

 

 

 

 気がつけば帯を硬く締め直し、強者の前へ足を踏み出していた。

 少年と共に戦いを見守るつもりであったが、すまないな少年。

 俺は自分の心に嘘はつけんのだ。

 ちらりとサトシ少年の顔を見ると、あたふたと慌てふためいている。

 なるほど確かに自分の旅の相棒が傷つくことを案じているのだろう。

 

 自分の視線に少年が気づく。ニコリを笑ってやる。

 案ずるな少年よ。俺は過去のすべてを否定されて悔しいが、それ以上に嬉しくもあるのだ。

 だから、多少手荒くなっても、仕方がなかろうよ!

 

 もはや何も言うまい。戦うのみ。拳で会話するのみよ。

 

 

 

 

 

「ぴかぴよ。」

 

 

 

 自分よりも大きい相手が首をかしげてこちらを見る。

 殺気も闘志も感じられない。舐められたモノだ。だが、それほどまでに力が離れているということだろうか。

 

 

 

「俺は、たった今から挑戦者だ。」

 

 

 

 無言。何も言わなくても、やることは変わらない。

 

 

 

 

「一人の格闘家として、ぴかぴよ。貴様と戦おう。よもや断ることなど出来はしないぞ。なあに、そなたにとっては赤子の手を捻るも同然なのだろう?」

 

 

 

 こちらの闘志に反応したのか、ぴかぴは身体をこちらに向ける。そうだ、それでいい。

 

 

 

 

「いざ、参る。」

 

 

 

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

 サトシにとっての心配は、空手王の思考とはほど遠いものだった。

 なにせ、完全に旅の目的とは関係ないところで命の危機を感じているのだ。

 いや、先ほどよりも状況は悪化している。

 なにせ今度は大将戦。きっと強いに違いない。

 いや、さすがにピカチュウが負けることはありえないとは思うのだけど、かといって中途半端に強いと勢い余ってお腹と背中をつなぐトンネルを作りかねない。

 お腹と背中がくっついちゃう、なんて言葉を物理的な表現として使いたくはない。

 そんな機会は一生こないでほしい。

 

 いや、しかしよく考えるとサトシ自身に命の危機は無いのかもしれない。

 もし勢い余ってしまったとしても、弟子であればピカチュウがいなしてくれるだろうし、逃げることくらいはなんとかできそうだ。

 

 ・・・いや、もしかしたら空手王というくらいだ。この道場では収まりきらない弟子がいるかもしれない。

 そうしたら一生格闘家からの指名手配を食らう羽目になる。さすがに筋肉の鎧に覆われたストーカーに一生追われ続けるなんて想像するだけで気が滅入る。

 そう考えるとこの場にいる全員を証拠隠滅・・・・

 

 

 そこまで考えて、ありえないありえないと頭をブンブンと振って思考を戻す。

 感覚がおかしくなっている。いくらなんでも殺人を許容できるハズが無い。

 命のやり取りが多いとは言っても、それは裏とはいえルールあってのバトルの中でのことだ。

 平和的バトルとはいかない物騒な社会ではあるが、それでもルールの中での話。

 

 しかし目の前で繰り広げられようとしているのはあくまで「人間対人間」という前提。

 決して交わってはいけなかった戦いなのだ。

 それを知ってか知らずしてか、ピカチュウはここまで目立った傷を与えることなくやり過ごした。

 

 にも関わらず。

 

 あの筋肉王は戦いを挑む。

 まあいろいろと思うことがあるのは理解できる。

 人生すべてを捧げて来たのであろう空手王よりも強いかもしれない存在。

 怒るのもわかる。なればこそ挑戦したいのもまあ理解はできる。

 

 だがそれは人間の範疇の話だ。決してドーピング漬けされたポケモンに対しての話ではない。

 負けて当然なのだ。むしろドーピングせずにその肉体にまで昇華させたことは誇っていい。

 

 ・・・だがもちろんそんな事は言えない。

 そこのでっかいのはポケモンなのです!なんて言える訳が無い。裏の世界と表の世界はそう簡単につなげていいものではない。

 それに自分の身の危険度も一気にレベルマックス真っ赤に染まるに違いない。

 それだけは勘弁だ。

 

 そうなると、もはや見守るしかない。

 ピカチュウがうまくやってくれる。そう信じるしかない。

 

 信じるに足る過去の証拠というものが著しく欠如しているということが不安の種ではあるのだが信じるしかない。

 

 

 

 

 

 

「ピカピー」

 

「どうしたぴかぴよ、こないのであれば、こちらからいくぞ!」

 

 

 

 

 サトシにとって、史上最高に無益な戦いの火蓋が切って落とされた。

 

 



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第百四十三話 限界を超えて

 空手は、今でこそ硬派なスポーツとして多くの人に受け入れられているが、本来は殺人すら容易な格闘術である。

 鍛え抜かれた肉体は全身凶器。拳は砕き、指は刺し穿つ。且つ耐久力も常人の域ではなく、まさしく生きた戦闘機械。

 対象を息の根を確実に止めうる技術として存在する。

 

 王の名を関する人間からすれば、当然スポーツとしての空手など唾棄すべき存在。

 稽古だとして、怪我もするし気も失う。時には命とて例外ではない。

 

 それが空手の神髄というものだ。空手王にとってそれは考えることもなく身についている価値観である。

 

 

 

「ぬうん!」

 

 

 

 空手王が大きく踏み込み、正拳突きを繰り出す。

 一般人から見たらその踏み込みの距離がおかしいし、速度も尋常じゃない。人間ならば避けることはかなり困難だろう。

 

 しかし、見える。

 人間には酷なのかもしれない。

 見えないほどの速さというものを幾度となく経験してきたサトシにとって、動きが見えるということは遅いということだ。

 当然、ピカチュウにとっては避けるのは容易い。

 

 ひらりと身を捻ると、空手王の拳は数センチ横の空間を突き刺した。

 

 

「まだまだぁ!!」

 

 

 流れるような動き。流水のように自然で、炎のように激しい猛攻。

 無駄な動きなど一切無い、人間の武道の極致。

 

 しかしやはり、人間の枠を超えることは無い。

 鍛えるという工程を省いて人為的に作られた戦闘生物に及ぶことはなく、拳撃も蹴撃も届くことは無い。

 

 

 

(やっぱり、勝てるわけないよね・・・)

 

 

 わかりきっていたこと。サトシとて期待していたわけではない。

 

 ピカチュウが一発、拳を振りぬき、かろうじて防御した空手王が一メートルほど後方に弾かれた。

 

 圧倒的な力の差。

 追いつけるハズは無い。そもそも戦う舞台が違うのだ。人と戦車が対等で無いように、この戦いも無茶無謀なものだ。

 決して対等ではない。

 きっと空手王も脳みそのどこかではわかっているハズなのだ。力の差がありすぎる、と。

 

 しかし、弾かれた空手王の腕の隙間から除く表情は、サトシを困惑へと導いた。

 

 

 

「・・・笑ってる?」

 

 

 笑み。苦悶の表情ではなく、笑み。嘲笑という感じではない。単純に楽しい時にでる笑顔。

 

 

「くはは、さすがだな。まったく敵わん。磨いてきた技が一撃も当たらんとはな。正直、かなり悔しいぞ。」

 

「ピカピ~」

 

 

 口では悔しいと言っているが、顔にはまったくそのような感情は出ていない。

 むしろ逆。嬉しさすら感じられる。

 

 サトシにはその意味がまったく分からなかったが、彼の弟子達は困惑することなく、納得の表情をしている。一体なんなんだ。

 

 

 首を傾げているサトシのもとに、一人の空手家が近づいてくる。

 

 

「不思議かね、少年よ。」

 

「はあ、まあ、そうですね。なんで勝ち目の無さそうな戦いを敢えてするのか、とか。」

 

「勝ち目の無さそうな、か。くく、そう見えるのも無理からぬこと。」

 

 

 傾げていた首をさらに傾け、その格闘家を見る。

 

 

「どういうことですか?」

 

「少年よ、人間の限界はどこにあるのか考えたことはあるかね?」

 

「人間の限界・・・ですか。」

 

 

 どうしよう、全く興味が無い。というか人間には到達できない戦いをずっと見てきてしまっているので、もはや自分を強くしようとは思えない。

 無論、肉体的には強靭に越したことはないのだろうが、限界にチャレンジするつもりはさらさら無い。

 

 

「肉体的な人間の限界はもちろんある。いくら強靭に鍛えることができたとしても、筋肉が増えることは無い。それに単純に人間という種族の限界があるからだ。」

 

 

 どうしよう、インテリ系筋肉だ。これで眼鏡でもかけていたら完璧だったのだが、目が悪くなるような習慣など無いのだろう。

 サトシを視線で突き刺せそうな眼力を見せつけてくる。

 

 

「だがな。人間は本来、もっととてつもないエネルギーを秘めているのだ。」

 

「とてつもないエネルギー?どういうことですか?」

 

 

 少し興味のある話だ。人間と戦う機会など訪れない方がいいに決まっているが、もしサトシでもいきなり強くなれるのであれば知っておきたい。

 ポケモンバトルでも役に立つかもしれないし。主にピカチュウの被害にあわないために。

 

 

 

「人間は本来持っている力の二割程度しか出せないのだ。肉体が傷つかないように、その力を抑制している。」

 

「たった二割!?」

 

「その通り。これは人間である以上避けられない、本能によって抑制されていること。だが、この抑制を外す手段もまた存在する。」

 

「抑制を外す・・・?どうやって?」

 

「何も考えない、無意識下で全力を出す。一つの目的を果たすためならば肉体のことなど二の次だと脳に錯覚させるのだ。」

 

「脳に・・・錯覚させる?そんなことが可能なんですか?」

 

「少しだけならば、現実的に可能だ。特訓次第ではその効果も多少上がる。」

 

「なるほど・・・でも、それが限界だとすれば、ぴ―――ぴかぴにはとてもじゃないけど勝てないと思うけれど・・・」

 

 

 ちらりと戦いの場を見やる。

 呼吸を整える空手王と、じっと動かないピカチュウの姿が目に映る。

 

 

「少年よ。君は空手王という存在がどれだけのものなのか理解していない。いや、空手とは縁のないお客人だ。それも仕方がないことか。」

 

「どういうことですか?」

 

 

 いや、それはもちろん空手王なんていう存在自体、今日のついさっき知ったばかりだ。

 カント―は王国ではないし、王様なんてものはもはや歴史の教科書でしか見ない。

 ああ、でもポケモンリーグには「四天王」という王の名を関する人達がいる。

 意外と王様はたくさんいるのかもしれない。一つ勉強になった。

 

 

「空手を学ぶ人間は数えきれないほどにいる。その中には当然人生をかけて空手をしているのも少なくない。その中であのお方が不動の王として頂点に君臨しているのは何故か。」

 

 

 何故?強いからではないのか。いや、それならば「不動」というのはおかしい。同じだけ鍛えてきた人間と切磋琢磨することすら無いということだ。

 

 

「その答えを、これから見れる。少年よ、このわたしとて、直接見るのは初めてだ。高揚が止まらない。ある意味、あのような相手を連れてきてくれて感謝すべきやもしれん。」

 

 

「答え・・・?一体なんの・・・うっ!」

 

 

 ズン、という低い音が道場に響く。

 

 空手王が大きく脚を開き、全体重を乗せて踏み込んだ。

 呼吸はすでに落ち着いており、相変わらず恐怖も動揺も無さそうである。

 むしろ昂る感情を抑えきれないという感がある。

 

 両拳を固く握りしめ、獰猛な笑みを浮かべた空手王が口を開く。

 

 

 

「ぴかぴよ。やはりお前は人間の範疇では手も足も出ないようだ。だが、それならば。それならば、だ。」

 

 

 空気がピリピリとし、肌に刺さる。

 ピカチュウの出す殺気ではない。それとはまた別の感覚。

 何をしようとしているのだろうか。

 

 

 

「お前が人間を超えた存在であるならば、この俺も人間を超えて戦っても問題はなかろうよ。」

 

 

 

「人間を・・・超える?」

 サトシが無意識に反芻した直後、空手王の肉体に変化が起きる。

 

 

 

 ただでさえ巨大な肉体が、さらに肥大する。

 いや、正確に言うならば、肉体そのものではなく筋肉自体が少しずつ肥大化している。

 まだ人間の領域にあった肉体が、それを超えて成長する。そんなことがあっていいのだろうか。

 

 

 異様な空気に反応したのか、ピカチュウも攻撃に備え、若干前傾姿勢となっている。

 

 身体全体が若干赤みを帯び、まさに人外。それはまるで鬼のような姿。

 

 

 

「ぴかぴよ、あまり長い時間はかけられん。全力で行かせてもらうぞ。何、お前なら死にはしないだろう。」

 

 

 

 少しだけ身体を前に傾ける空手王。そのシルエットは肥大化した筋肉も相まって、ピカチュウとかなり酷似していた。

 

 

 

 

 

 

「ぬん!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 バンッ!!!!ドゴッ!!!!!

 

 

 

 

 

「うわ!!!!何!!??」

 

 

 

 何かが弾ける音がした後すぐに、壊れるような打撃音。

 突然の衝撃に目を閉じてしまったサトシはすぐに目を開けて見渡す。

 

 一瞬前までいた空手王はおらず、床は破裂したかのように砕けている。

 ピカチュウの方へ焦って目を向けると、ピカチュウごと拳を打ち抜き、壁にたたきつけた空手王が堂々と両の足で立っていた。

 

 

 

 

「・・・あてた?というか、見えなかった・・・・どういうこと?」

 

 

 

 

 空手王は人間だ。それは間違いない。

 だが、そうであるならば今目の前で起きた現象の説明がつかない。

 人間には不可能な動き。それを空手王はいともたやすくやってのけた。

 

 

 

「どうだ少年。これが、空手王という人間が到達した肉体の極致だ。」

 

「一体何がおきたんですか・・・?」

 

「あのお方はな。肉体のリミッターを自分の意志で外せるのだ。どのような環境で修行を重ねたらそのような精神の極致に至れるのか、想像すらできんがね。」

 

「でも、それでもあの筋肉は!?なんかでかいですよ!」

 

「パンプアップというものだ。一時的に筋肉に栄養素と血液を集めることによって、筋肉を肥大化させる。当然だが、あそこまで極端に大きくなるものではない。」

 

「・・・」

 

 

 

 

 人間の限界。

 サトシは考えを改めなければならない。

 単純に体を鍛える、などと言葉で表せられるものではなかったのだ。

 あれは。あれはとてつもない犠牲を孕む諸刃の剣。

 肉体を安全に維持するための抑制を外す?しかも後天的に、だ。

 およそ考えられることではない。思いついても、実行に移せるわけがない。

 筋肉の全力を出し続ける、という狂気。

 そして、その効果を最大にするためのパンプアップ。

 

 ここでようやくサトシは気づいた。

 空手王は、「空手に人生を費やした」のでは無かったのだ。

 より強く。より強靭に。より高く。

「ただただ強くなることに人生を費やした」のだ。

 空手というのはただ単に、好みの問題であったのかもしれない。

 だがそれでも結果的に空手王は人間の枠を超えた。故の「王」。不動の頂点。人間の極致。人知を超えた存在。

 

 人として到達できる限界に達した唯一の存在。

 

 

 この戦いは、人間対ポケモン、という奇妙なお遊びイベントバトルでは無くなってしまった。

 人間を超えた生き物と、ポケモンを超えた生き物の戦い。

 そこにあるのはただただ強さを競うだけの場。

 その強さに過程は関係ない。

 より強くなるためにどうすればよいかを追求した者のみが立つことを許される特殊な武道場。

 

 もはやサトシをしてこの戦いを止める気にはならなくなっていた。

 見守る。それしかない。

 

 

 十中八九、ピカチュウが勝つのかもしれない。時間稼ぎさえできれば空手王は今の肉体を維持できないのは明白。

 だがそれでも。一人の人間が到達できる最高峰の戦いを見届けることに感謝感動はあれど失望など一寸たりとも無い。

 

 見る。見るのだ。

 

 瞬きすることすら悩ましい。この場所にいることができたことに感謝して。

 

 

 

 

 

 

 

「さあぴかぴよ。準備運動は終わりだ。ここからが本当の戦いだ。」

 

 

 

 

 

 




っ ょ ぃ


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第百四十四話 人と人為らざる者

おひさ~


「ぴかぴよ、どうだ、血沸き肉躍るか?俺はまさに字の如く、だ。がはは。」

 

 

 空手王が殴り飛ばしたピカチュウを見下ろし、満足げに言葉を落とす。

 その体は人間のものとは思えないほど紅く、鬼というものが存在するのであればこういう見た目かもしれないなどとふと考えてしまった。

 サトシからすれば鬼のような生き物は何度も見てきたハズで、ある程度耐性がついているものだと思っていたのだが、『鬼のような人間』を目の前にすると、それはそれで別種の恐怖に包まれた。いや、もしかしたら『人間のような鬼』なのではあるまいか、と頭をよぎってしまう程度には、空手王は人間離れしていた。

 

 壁に穴をあけたピカチュウがゆっくりと体を起こす。

 その表情はいつもと変わらず、ニッコリとしたポーカーフェイス。だが心なしか、ムッとしてるような感情が見て取れた。

 そんなことがわかるのは長旅を共にしてきたサトシだけなのかもしれないが、ピリピリと緊張した空気がさらに重苦しくなったのはピカチュウの影響であることは想像に難くない。

 先ほどまではピカチュウが本気を出したらどうやって逃げ出そうか、などと考えていたサトシであったが、あの空手王を前に穏便に済ませる方法が存在するのだろうか。

 もはやサトシの脳内で完結できる問題ではなく、固唾を飲みながら見守ることしかできなかった。

 

 

「ふむ、やはり無傷か。まああの程度でくたばってしまうような相手でないことは承知の上。俺にも時間が無い。嫌だと言っても相手をしてもらうぞ!」

 

 

 そう言うと、空手王は再度床を踏み砕く音と共に姿を消す。常人が見ることすら叶わぬ速さの極致。

 生き物としての限界など存在しないのだと確信しているからこそ成し遂げられる人間の極意。それを相手取るのは同様に限界を超えた生き物。

 

 

「ピカ~」

 

「見切るか・・・!だがそれでなくてはな!」

 

 

 空手王の一撃をピカチュウが受け流す。

 いつもなら掌で受け止めるピカチュウでもってして、一撃一撃をひらりひらりと躱す。しかしそれは余裕なのではなく、正面切って受け止めることが困難であることの証左。

 否、ただの力技であれば受け止めることは不可能ではないし、過去にもあれ以上のパワーを持った相手とも戦っていることは間違いない。

 だが、違うのだ。技術が、信念が、気迫が。人間が強化されたポケモンに勝る点、それをすべて高めた相手。

 決して慢心せず、決して立ち止まらず、決して油断せずに突き進んできた一人の人間。

 その存在そのものが、力の権化であるピカチュウを押し込んでいた。

 

 

 

「す、すごい・・・」

 

 

 息を呑む。

 ピカチュウにしてみれば、電撃を使えば勝てる勝負なのかもしれない。

 事実、ここに至るまで人間として使えるものしかピカチュウは使っていない。電撃しかり、尻尾しかり。

 最初はお遊びのつもりだったのだろうが、今はどうか。

 音が遅れて聴こえるほどの速度で打ち出す空手王の拳。

 当たらずとも風船を破裂させたような音が耳を突き刺す。

 空気を切り裂き、拳圧で空間を振動させる。

 華やかな戦いではない。唯々愚直で、重苦しく、それでいて、命そのものを感じる闘い。

 ピカチュウもその空気に充てられたのかもしれない。

 その理由はピカチュウにしかわからないが、とにかくピカチュウは人間として空手王と対峙しているように思える。

 

 

 

「ははは!どうしたぴかぴよ!躱すだけでは勝負にならんぞ!!ぬおおおおりゃああ!!」

 

 

 

 大きく踏み込み、右中段蹴りを放つ。

 そして、当たれば骨が折れるどころか胴体が真っ二つになりそうな蹴りは、何もいない空間を切り裂いた。

 

 

「・・・・!?」

 

 

 それまで極限まで鍛え抜かれた動体視力によって補足されていた巨体。ただでさえ目立つ大きさではあるが、それは空手王も同じ。

 自分が巨体であるがゆえに、自分以上の巨体が目の前で消え去る、という現象が理解できない。

 たしかに自分以上の強さを持ちうる相手との闘いだ。力量の差を感じる部分はある。

 自分の渾身の一撃をこうするすると躱されているのだ。だがそれは良い。寧ろ望むところだ。当たればタダでは済まない、と認識されているからこその回避への専念のハズだ。

 だが、それが、そうだとしても、この現象はなんだ。

 

 いない。消えた。

 

 完全に視界から消えた。周囲からすれば自身の動きすらまともに見えてはいまい。だがこの空手王本人が見失うなどということが果たしてありえるだろうか。

 

 

 時間にして一秒に満たない、ほんの小さな空虚。

 一瞬でも反応が遅れていたら、どうなっていただろうか。

 空手王は全身の力を一気に抜き、膝から崩れ落ちた。

 

 そして頭の上、数ミリの所を何かが突き抜けた。

 

 

 

 

 傍からみれば空手王が謎の一撃を受け、倒れこんだように見えただろうか。

 

 だが実態は高度な格闘戦。格闘の頂点に立つ空手王にすら、空虚を生み出してしまう程の精密な動き。

 

 

 

「がはは、危ないところだった。まさか足の影に入るとはな。その巨体でよくやる。さすがの俺も一瞬見失ったぞ。」

 

「ピーピカ」

 

 

 もはやなんだかわからない。

 サトシがインテリ門下生に説明を促す。

 

「ん?ああ――もはや私にもはっきりと見て取ることはできないが・・・蹴りというのは拳に比べて胴体を大きく捻る必要があるから、自然と死角ができる。そこに一瞬で入り込み、背後に回り込んだのだろう。加えて、空手王のあの脱力。この一瞬の油断すら許されない状況で一気に全身の力を抜くことで最速で回避する。もはや人間業では無い。」

 

 

 ということらしい。もはや人知を超えている。

 遠くで見てればなんとなくわかるのかもしれないが、今見ているのは数メートル先の出来事だ。

 目の前でものすごいスピードで動かれたら、もはや目で追う事など不可能だ。

 サトシに理解できる範疇はとうの昔に超えているので、決着を見守るしかない。

 

 

 

「ぴかぴよ。」

 

「ピカー」

 

「やはり、本気で闘うことはできぬのだな。」

 

 

 

 周囲がざわつく。

 本気では無い―――?空手王の猛攻をあれだけ受けておいて、本気ではないと。

 サトシは内心ドキドキしているが、口には出さない。

 だが、もう空手王は気づいているのだろう。到底自分には届かない場所にいる相手なのだと。

 人生を懸けて、命を賭して磨き上げてきた自慢の肉体、技。それをもってすら、届かない武の頂。

 

 空手王にとって強さとは全てであり、つまりは自分こそが全ての頂点であろうとしてきた。

 ただ、少なくとも自分ではなかった。それがわかってしまうのも、強さ故。

 

 

「ぴかぴよ、最後の我儘だ。」

 

「ピー?」

 

「もはや技ではお前に勝てぬ。その身のこなし、到底真似できん。だが、このまま敗者となるのだけは納得できん。この空手王、自分の力を最大で、全力でぶつけたい。それさえできれば満足だ。たとえそれで負けてもな。」

 

 

 

 敗者の弁―――こういうのを言い訳と言うのだろうか。

 駄々をこねる幼児のような、そんな幼稚な言い訳。

 闘いにおいて正々堂々など存在しない。それはただのスポーツであって、闘いではないのだ。

 そして、空手王対ピカチュウは、スポーツの範疇では無いことは誰の目にも明らか。

 その上で、空手王は何の臆面もなくこう言うのだ。「自分のフィールドで戦え」と。

 

 

「―――わかっている。我儘だとも。だが、いいではないか。こんな機会、二度と訪れるかどうかわからんのだ。少なくとも今まで、ここまで本気で立ち会える者など存在しないとすら思っていたのだ。一生のお願いというものを使えるのだとするならば、俺はたった今、ここで使う。ぴかぴよ。純粋に、力比べがしたい。」

 

 

「―――ピーカ」

 

 

 

 頷いた、のだろうか。

 とくに微動だにしない姿勢は変わらずだが、別に否定しているような感じもしない。

 まあピカチュウが否定する時は問答無用でつかんで放り投げるという選択肢しかないのだが。

 

 

 

「がはは、それでこそぴかぴだ。礼を言う。では、早速始めよう。」

 

 

 

 

 一体何をするのかと、その場の誰もが考える。

 純粋な力比べ。空手王はそう言った。今までのは技比べとでも言いたげな。

 技では完敗したと。そう認めた。だが力では負けぬと。それゆえの『力比べ』。

 何をもって勝敗を決するのか。皆が空手王の言葉を待つ。

 

 

「ぴかぴよ――――」

 

 

 紅い身体。頭に巻かれたハチマキが不自然にたなびく。

 目を一段とギラつかせ、ニンマリと獰猛な笑みを浮かべて、決戦方法を口に出す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「準備はいいな。腕相撲だ。」

 

 

 

 

 

 



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第百四十五話 闘いの後は酒と肉

筋肉の考えることはこれ


「それでは、構えて。」

 

 

 どこからか用意された分厚い丸テーブルの上に丸太のように太い腕が二つ乗せられる。

 腕相撲。空手王が決着に選んだのはただの腕力勝負。いや、厳密にはいろいろとテクニックがあるらしいが、サトシはお世辞にも腕力がある方ではないし、腕相撲について本気で学ぼうと思うほど熱い思い入れのある競技ではない。

 だが、目前に広がる風景はただのお遊びという考えを払拭してしまうほどに重苦しいし、暑苦しい。

 

 空手王は獰猛な笑みを浮かべ、ピカチュウの変わらぬ笑顔を視線で突き刺す。

 いくら狂暴な視線で突き刺されようとも、ピカチュウのポーカーフェイスが崩れることはない。

 

 二人が岩のような手を合わせ、握る。

 ただそれだけの所作だが、まるでお互いの拳を握りつぶそうとしているかのようで、ひどく殺気に満ちている。

 腕相撲というスポーツ競技のハズが、よもやこのような殺意に包まれた状況を生み出すなどと誰が想像できただろうか。

 

 

「ぴかぴよ、小細工は無用だぞ。俺の渾身の力を見せてやろう。ポケモンセンターのようにはいかないからな。」

 

「ピッピカ」

 

 

 互いの右手を握り、左手はテーブルの端をつかむ。

 

 

「双方構え、力を抜いて」

 

 

 数秒の間。サトシの心臓ははち切れんばかりに脈を打ち、口が乾く。

 いままで戦ってきた相手に比べ、地味に過ぎる。

 だが、殺し合いでは無い闘いにおいてここまでの殺気を出せるものなのか。

 いや、本人たちは殺すつもりで挑んでいるのかもしれない。少なくとも空手王にとっては全身全霊を込めての勝負だろう。

 

 

 

「用意――――始めぇっ!!」

 

 

 

 

 瞬間、二本の丸太が、倍近い太さに膨れ上がり、生物最強を決める腕相撲が始まった。

 

 

 

 

 

 

 ――――結果は、ピカチュウの勝利。

 いや、力は互角だったと言える。だが、力の根本となる部分がそもそも異なる。

 ピカチュウは過剰なドーピングによって生み出された素の力。

 反して空手王は常軌を逸したトレーニングによって得られた時間制限付きの力。

 生み出される力が同様だとすれば、その結果は火を見るより明らかだ。

 

 

 床が軋み、丸テーブルにヒビが入る腕力と腕力の死闘は、実に十分も続いた。

 最初はハラハラドキドキしながら見守っていた弟子達だったが、途中からは応援の声が大きくなっていった。

 空手王にバンプアップの限界が到来し、力の均衡を失った勝負は一瞬で終了した。

 ピカチュウが空手王の右腕を丸テーブルに叩きつけ、そのままテーブルを破壊。空手王は右に一回転して床に激突。

 パラパラと木屑が舞う中、弟子達の歓声に包まれて史上最も暑苦しい腕相撲対決は幕を閉じた。

 

 そして。

 

 

 

 

「どうしてこうなった。」

 

 

 

 

 サトシは今、史上最高に暑苦しい宴会の真っ只中で、オレンジジュースをストローでちゅーちゅー吸っている。

 サトシの周囲にはサトシの倍近くある人間が大勢で囲っており、さらに大きい黄色いのが右隣りに鎮座している。

 道場の地べたに広げられた一升瓶の日本酒と食べ物(主に肉)の数々を囲み、どんちゃんどんちゃんと本当に聞こえてきそうな程に盛り上がる空間で、手に酒を持ち、用意された肉を大量に消費する資本主義社会の鏡のような何か。

 当然未成年のサトシは特別に用意されたオレンジジュースを飲む。そしてピカチュウが酒を呑めるかどうかはわからないが、仮に酔っぱらってしまった場合は皆の持っている酒が赤く染まってしまう可能性も否定できない上に自分の身の安全も確保できないので、ピカチュウにもオレンジジュースを与えている。しかし目の前に出された肉の数々は別なので、ここぞとばかりに大量にかっくらう人外一名様。

 ちなみにサトシは特に何もしていないにも関わらず食欲があまりない。おそらくはいろいろな心労が祟っているのだろうと思われる。

 なんとも非常に居心地の悪い空間ではあるが、サトシの力では大量にいる筋肉達磨相手には分が悪すぎるので大人しく人工甘味料をちゅーちゅー吸っているしかないのだ。

 

 

「しかし、一体なぜ宴会なんですか・・・?」

 

 

 サトシが口に出す言葉は至極最も。ただし一般人の思考からして、という但し書きが付くが。

 そこに一般人ではない空手王が応える。

 

 

 

「なにをいうのだサトシさん。あれだけの素晴らしき闘いを繰り広げたのだ!酒を呑まずして終われるわけがなかろう!がっはっは!」

 

「そういうもんですか・・・」

 

「経験豊富なサトシさんとはいえ、まだ未成年。この感情の昂ぶりはまだ理解できんか!がっはっは!」

 

 

 そう言ってサトシの背中をバンバン叩く空手王。旅をしている以上、同世代の少年よりも身体は頑丈であるハズだが、空手王の手は凶器であり鈍器なのだ。

 そんな手でバンバンと叩かれたサトシ。おそらく服の下は真っ赤な紅葉が出来上がっているに違いない。いや、この衝撃からすると骨にヒビくらいいっている可能性も否定できない。

 

 そんなことをもやもやと考えながら、ぴかぴとの闘いについて語る空手王に耳だけ貸す。

 

 

 ふとピカチュウの方を見ると、そこには空手王の弟子達が群がり、いろいろな言葉を投げかけている。

 当然、ピとカとチューしか返答できないわけだが。

 盛大に酔っぱらっている筋肉達はそれでも問題ないらしい。質問したところで、「そっかー!さすがぴかぴさん!」とか適当な事を繰り返している。

 

 

 いつ終わるのかなあと時計をちらちら見ながら空手王の言葉を聞き流していたが、よく考えたら判断力の低下している今ならいろいろと質問すれば答えてくれるのではないかと思い、当たって砕けろで訊いてみることにした。

 本当に骨が砕けないことを祈って。

 

 

 

「あの、空手王さん?」

 

 

 ご機嫌に日本酒を煽っていた空手王がサトシに顔を向ける。

 

 

「おう、どうしたサトシさん!酒を勧めることはできんぞ!勝手に呑むなら目をつむるがな!」

 

 

 しれっと危険な事を言わないでいただきたい。スルーして本題に戻る。

 

 

 

「あの、ナツメについて―――ヤマブキジムリーダーについて訊きたいんですが・・・」

 

「ぬん?ヤマブキジムについて?」

 

 

 そう、サトシはなにも筋肉に囲まれて宴会するためにヤマブキシティまで来たのではない。もちろんシルフカンパニーのドアを叩き壊すために来たわけでも。

 ヤマブキシティジム、ナツメを制するために来たのだ。

 空手王が裏の事情に精通しているとは思いたくない―――むしろ精通していたら衝撃を隠しきれずに卒倒する可能性すらある。

 ピカチュウがドーピングしたポケモンだとバレていない以上、これ以上のいざこざは御免被る。

 百害あって一利無し。触らぬ神に祟り無し。知っていることを聞き出し、早急にここを去りたいのである。

 

 

 

「はい。その、僕もポケモントレーナーなので、ジムリーダーの情報があれば教えてほしいな、と」

 

 

 間違ってはいない。間違っては。

 

 

「そうかそうか、確かにそうであったな!といっても、俺の知っている情報などたかが知れているが―――」

 

 

 そういうと、しばし瞑目し、思い出すように言葉を出す。

 

 

「ナツメは、こう、かわいい系というよりも美人な感じだな。顔は少しキツめだが、そういうのが好きな男もおるだろう。スタイルはとても良いな。なんというか、むちむちぼいんぼいんでは無いがスレンダータイプで―――」

 

 

「いや、そういうことじゃないです。」

 

 

 何を言っているのかこの脳みそ筋肉は。いや、ちょっと興味はあるが。そうか、スレンダータイプなのか。

 

 

「ってそうじゃなくて!ポケモンのことです!」

 

 

「ぬ?そうかポケモンのことか!がはは!」

 

 

 先ほどポケモントレーナーとしてと言った記憶があるが、そうか僕も酔っぱらっているのか。記憶が曖昧だ。

 そういうことにして、話の途中でも一升瓶を手放さない空手王がまともな思考を保ってくれるか心配しつつ、続きを促す。

 

 

 

「ナツメはどんなポケモンを使うんですか?」

 

 

「うむ、ナツメの使うポケモンはエスパータイプというやつだ。」

 

 

「エスパータイプ・・・」

 

 

 言葉の上では知っている。超能力というやつだ。しかしそれがどのような技なのかは検討もつかない。

 実際に闘ったことがあれば想像することくらいはできそうだが、なんだろう、スプーンを曲げたりするのだろうか。

 

 

「どんな技なんでしょう・・・?

 

 

「そうさなあ―――手を触れずに持ち上げて投げ飛ばしたり、光線のようなものを出したり、急に消えたり、だな。パワーでは負けない自負があったが、さすがにお手上げだった。なにせ触ることすらできないんだからな。」

 

 

「手を触れずに飛ばす・・・?光線・・・?消える・・・?」

 

 

 うん・・・まったくわからない!

 というか、触れない相手にどうやって勝てばいいのだろうか。

 物理技が効かないのであれば、電撃は届くのだろうか?

 いや、消えると言っても実体はあるわけだから、物理攻撃を当てられれば勝てる?

 いやいやそもそも当たらないから勝てないのであって――――

 

 

「どうやって闘うんですかそれ。」

 

 

 素直な感想が口から滑り落ちる。

 いけない、サトシもやはり酔っぱらっているようだ。思考を放棄する時間がいつもより早い。

 

 

「さあなあ、それがわかれば俺もリベンジを考えるんだがな。がっはっは!まったく思いつかんのだ!!!」

 

 

「デスヨネー」

 

 

 

 八方塞がり。

 いや、過去の闘いも同じようなものだったではないか。

 勝ち目の見えない闘いに活路を見出す。今までずっとそうだったではないか。

 

 うん、きっと大丈夫。たぶん。おそらく。・・・・大丈夫だよね?

 

 

 

 どんどん自分の中の自信というふわふわしたものが霧散していくのがわかる。

 普通に考えて、目に見えない力との闘い方など想像できるハズが無い。

 岩、水、電気、草。すべて目に見える。故に対策もある程度打てる。

 だがエスパーなどという超常現象に対策など打てるはずもない。というか弱点などあるのだろうか?

 

 一人でうんうんと唸っていると空手王が「便秘かサトシさん?がはは!」などと酒臭い口を近づけて冗談を言ってくる。

 いや、冗談かどうかは疑わしい。本気で言っているのかもしれない。

 

 若干十四歳ながら、眉間にしわを寄せるのに慣れてきたなあと考えた時、空手王が何かを思い出したようにこちらを見た。

 

 

 

「そういえば、ヤマブキシティのどこかにエスパーに詳しい御仁がいると聞いたことがあるぞ。」

 

「エスパーに詳しい人?どんな?」

 

 藁をも掴む気持ちで耳を傾ける。この際だ。些細な情報であっても頂いて行くべきだろう。

 

 

「ええと、何と言ったかな―――うーむ、ええと」

 

 

 ドキドキしながら空手王の言葉を待つ。頼む、思い出してくれ。酒に負けるな。

 

 

 

「ああーーっと―――そうだ!思い出した!」

 

「なんて人ですか!」

 

 

 思わず身を乗り出す。乗り出したところで空手王からしたら見下ろすことに変わりは無い程度の乗り出ししかできないが。

 

 

 

 

 

「『エスパーおやじ』と呼ばれていたな!!」

 

 

 

 

「エスパーおやじ・・・・?」

 

 

 

 

 

 それは名前なのか?と一筋の不安がサトシの頭を過ったが、これ以上の情報は訊き出せそうになかった。

 なぜなら「ういー飲みすぎたわーちょいと運動するかな!」とか言って弟子を二人程片手で持ち上げ、試合稽古を始めてしまったからだ。

 もちろん全員酔っぱらっているので千鳥足ではあるが。これは空手ではなく酔拳というやつなのか。

 

 弟子を放り投げた空手王がそれに引きずられて一緒に床に転がっているところを見て、酔拳でも無いなと思い、今聞いたことを頭にしっかりと刻み込んだ。

 

 

 エスパーおやじ―――・・・一体何者なんだろう・・・

 

 

 酔いながら試合している空手馬鹿と、無限に食べ続ける黄色いでっかいのと、散らかった酒瓶に囲まれながらそう思うサトシであった。

 

 




現在のサトシについてまとめました。自分も忘れかけてたので。

サトシ
14歳
〇所持金
 8万円くらい
〇持ち物
・食べ物
・飲み物
・きずぐすり
・マスターボール
・モンスターボール
など

〇ポケモン
・ピカチュウ(つよい。メイン火力。)
・クラブ(トキワシティでおっちゃんからもらった。秘伝マシン要因。)
・コイキング(硬い。レベルは高いが進化しない。)
・サンドパン(ノーマルサンドパン。かわいい。)
・メタモン(多分普通のメタモン。ドーピングポケへの変身は短時間。)
・ゲンガー(フジろうじんと交換したゴースト。なお言う事は聴かない模様。)

〇バッジ
・グレーバッジ
・ブルーバッジ
・オレンジバッジ
・レインボーバッジ


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第百四十六話 思考の渦

 すでに日が落ちて幾許か経った後、サトシはピカチュウを連れてポケモンセンターへと向かった。

 空手王率いる空手馬鹿集団は特に引き留めることもせず、みんな笑顔でサトシ達を見送ってくれた。

 よくよくこれまでの展開を思い起こしてみると別に悪意など無く、皆いい人だったなあと今更ながらに思う。

 表裏の無い善意など、どれだけぶりに味わっただろうかと立ち止まって考えてしまうほど、サトシは裏のある人間とばかり接してきていた。裏の世界に関わりのある人間など、基本的にはごく少数であるハズなのだが、やはり類は友を呼ぶ。裏の人間には裏の人間が寄ってくるということだ。

 空手王は純然たる空手の王だった。なにより自分の肉体を鍛えることと、強い者と対峙すること以外に興味の欠片もない。

 疑ってしまった自分を恥じたくなるほど、彼らは真っすぐで、輝いていた。

 

「自分は何をしてるんだろう。」

 

 ふとそんなことを考える。

 空は雲に包まれているのか、月は見えない。涼しい夜風が汗をかいた身体を冷やし、頭を無理矢理に覚ましてくれる。

 ピカチュウがちゃんと付いて来ていることをこまめに確認しながら、ゆっくりとヤマブキシティのだだっ広い道路をポケモンセンターに向かって歩く。

 空手道場の面々は皆、自分の目標をもって日々努力をしていた。

 もちろんサトシにも目的はあるし、努力もしている。字面だけ見れば同じ事。だが、根本は大きく違う。

 彼らは自分の為にやっている。自分が定めた目標に向けて、努力に見合う結果を求めて日々邁進している。

 サトシは―――違う。

 サトシのしていることは、サトシの為では無い。

 

「何の為に―――」

 

 何の為に。何の為に。なんのために。

 わかっている。ドーピングに蝕まれた裏の世界を壊す為。ロケット団を壊滅させる為。そうだった。そうだったはず。

 

「そうだったっけ。そうだったのかな。」

 

 間違いは無い。間違えようも無いほど明確な目的。

 世の中に闇しか落とさない裏の世界は無くなるべき。サトシ自身も被害者だ。トランセルも、スピアーも失った。救えなかった命もある。絶対に許すことはできない。それは許されないこと。

 

『それが狂気というものだ。』

『見えないものを見ることも大事ですわ。』

『Angel計画って、知っとるか?』

『裏の世界にようこそ、サトシ君。』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ピピカチュ」

 

 頭の上から聞きなれた声。

 

「ピカチュウ?――あ、ポケモンセンターか。」

 

 いつの間にかポケモンセンターに着いていた。

 広い街の端から端ほどに距離があったハズだが、考えていると時間があっという間に過ぎ去っていく。

 こまめに確認しようと思っていたピカチュウの行動だが、結局自分の思考の渦に巻き込まれてしまっていた。

 トラブルを引き起こさずに付いてきたピカチュウに一先ず安心し、夜になって強い光が外に漏れているポケモンセンターへと入っていった。

 ピカチュウを回復させるべきか、と少し考えたが、別段ダメージを負っている感じでは無かったし、たっぷりと肉を食べてお腹いっぱいですぐに寝たいらしく、サトシの肩を押してくる。

 ふう、と一つ溜息を零し、精神的には自分の方が疲れているなあと思いながら宿泊スペースへ足を進めるのだった。

 

 

 

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

「雨だ。」

「ピカカ」

 

 

 昨日の帰り際、空が雲に包まれてたことを思い起こす。

 そういえばあまり雨に降られることは無かったなあと思いつつ、止むまで待つか、傘をさして外に出るかを悩む。

 折り畳み傘は持っている。ただしサトシの分だけ。

 旅に出るのだから最低限防雨装備は持ってはいる。だが問題はこのでっかいのである。

 

 

「ピカチュウ、後で出してあげるからボールに入っててくれない?」

 

「ピ?ピカピカ」

 

「そっかー。そうだよねーわかってた。」

 

「ピッピカチュ」

 

 

 言葉が違えど意思は通ず。

 ただし通じるだけで指示に従ってはくれない。

 これを信頼関係と言い切っていいものかどうかは疑問が残るが、長い旅によって得たかけがえのない物の一つであることに間違いない。

 とはいえ、雨脚もなかなかに強い。直ぐに止みそうには無いだろう。

 この雨の中をピカチュウをずぶ濡れにしてまで外出するか、という疑問に対して、結論はすぐにでる。

 

「雨が止むまで、待ってようか。」

「ピカピカー」

 

 時間に追われた状況でもない。

 なるべく急ぎたい旅ではあるが、かといって一日二日でどうにかなるものでもない。

 大人しくポケモンセンターの中にいるとしよう。

 

 

「とはいっても、ポケモンセンターで何かすることあるかな・・・」

 

 

 ポケモンセンターはその名の通り、ポケモンのための施設である。

 傷ついたポケモンを癒す場所。

 宿泊施設があったり、ポケモン交換ができたりもするが、基本的には治療施設。娯楽などあろうはずも無い。

 だが、それゆえにポケモントレーナーには事欠かない。

 雨に降られて避難しているヤマブキシティの住人も数人いるようだ。

 大きなリュックを背負っているトレーナーもいるようだし、いろいろと情報を収集するのもありだろう。

 

「エスパー親父の情報もあらかじめ知っておきたいしね。」

 

 というわけで、ピカチュウはそこらで遊んでいるポケモン達との交流をさせ、自分は情報収集へと繰り出すのだった。




短かめ


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第百四十七話 異次元の恐怖

「ここがエスパー親父の家・・・普通だ。」

 

「ピカピカ」

 

 雨は二時間ほどで止み、サトシとピカチュウは晴れ間が除く空の下、水たまりを回避しつつ昼前にエスパー親父の家へと向かった。

 雨が上がったとはいえまだ昼前。わざわざ足元を濡らしてまで積極的に外に出るのは遊び足りない子供くらいなので、普段よりは人通りの少ない幅広の道を、集めた情報を整理しつつ歩き、そう長くない時間でエスパー親父の家に到着した。

 

 当面の目的地であった場所に到着したのはいいものの、サトシはこの家に入るのを若干躊躇していた。その理由はもちろん、エスパー親父についての情報そのものである。

 

 

「なんか、あんまり、というか、ほとんどが良い噂じゃないのが心配・・・」

「ピピカチャー」

 

 

 ポケモンセンター内でエスパー親父の情報を集めるのは難しいことではなかった。

 というのは、ヤマブキシティ内において彼はそこそこの有名人であったからだ。

 それが良い意味での有名人であったらサトシはどれほど気が楽だっただろうか。

 家の前で眉間にしわを寄せて立ち尽くしている現状から察してほしい。

 

 ヤマブキシティに来てから何度目の溜息か。きっとまだまだ出てくるだろうネガティブな呼吸をしつつ、サトシはエスパー親父についての情報を頭の中で反芻する。

 

 

『エスパー親父?なんであんなやつのとこへ?頭おかしいから街の人は誰も近づかないよ。』

『ああ、あのおっさんね。たまに大声で叫びながら深夜に散歩してるよ。』

『なんでエスパー親父って呼ばれてるか?頭がおかしいからだと思うけど。』

『何か能力があるのかって?さあー・・・』

『ポケモンのエスパーとの関わり?無いんじゃない?』

『ある意味ヤマブキの名物ではあるけど、少なくともオススメできる名物ではないよ。』

『場所?シルフカンパニーのそばだよ。すぐわかると思う。』

『エスパー親父ね。うさんくさいマジックを使うとかなんとか。超能力?ははは、ナツメでもあるまいし。』

 

 

 

 

 

「聞けば聞くほど、ポケモンとの関係性が無さそうだった。」

 

 正直な感想はこれだ。

 そしてさらに言うのであれば、会話できるかどうか非常に不安だということ。

 住人から得た情報のところどころに『頭がおかしい』という単語が含まれている。

 サトシ自身、上から下までいろいろな人間と対峙し、時には人間ですらないモンと接してきたので今更どんな相手が来ようと驚かないつもりだ。

 あくまでつもりなので、ここにきてさらに想定外の相手の場合は驚く自信はあるが。

 ともあれ、これまで相手にしてきた人間は少なくとも会話はできた。

 しかし、もし住人の言うことがそのままの意味だった場合はサトシがここにくる必要性は皆無だ。

 

 

「とはいえ、それが真実である証拠も無い、か。」

 

 

 裏を読む。

 自分の目で見るものだけを信じる。

 さらに言えば、見えないものを見る力。なんとなしにエリカが言っていた言葉が頭に浮かぶ。

 その言葉の意味はエリカにしかわからないが、もしかしたら正解などなく、サトシを悩ませるためだけに残した答えの無い問題なのかもしれない。

 どちらにしても、何をするときにでも頭の中に浮かんでくるエリカの笑顔。

 図らずともいろんな事に注意を向けるようになったのはいいことだ。

 

 ふう、と大きく息を吐いて、心の準備をする。

 ピカチュウは―――ちゃんといる。ここ最近は勝手な行動をしていな・・・いような気がしたけども、実際の所は昨日空手王とやらかしたばかりな上、シルフカンパニーの件もあるので、やはり勝手な行動をしているなと再認識。

 

 そっちの方も心の準備をし、エスパー親父の家のドアをノックしようと手を伸ばす。

 

 

 

 

 

 

「あのーすみま『ガチャバーン!!』せん?」

「ははははは!君が来ることはわかってた!わかってたぞうっ!わたしはエスパー親父!ははははは!サトシ君だね!わかってる!今日は天気がよいね!はーははははは!」

 

 

 ドアをノックしようと手を伸ばした瞬間、ドアが勢いよく開き、おじさんが大声で畳みかけてきた。

 思わず茫然としてしまったが、この人がエスパー親父らしい。

 随分と背が高い。百八十センチメートルはあるだろうか。頭は丸刈りにしているが顔は無精ひげに覆われている。

 服は・・・お世辞にも清潔とは言えないしわくちゃのジーンズと長袖の黒いシャツ。そして裸足。

 顔つきは、外国人のように目鼻立ちがクッキリしている。

 きちんとした格好をすればそこそこモテそうな見た目ではあるが―――

 

 

「ははははは!!いやあきたか!きちゃったな!!ははははは!!サトシ!逆からだとシトサ!うわははははは!!!この黄色い置物はなんだい?知ってるけどね!ぴかぴだろ?冗談だよ!!ピカチュウなんだろうこれ!はははは!なんで知ってるかって?エスパー親父だからね!エスパーだから!やっぱり!そうだよな!そうそう!ははははははは!」

 

 

 サトシは、もしかしたら初めて会話できない相手かもしれないと本気で思った。

 しかし、聞き捨てならない単語が多く含まれていることにはすぐに気づいた。サトシはエスパー親父と会った事など当然ながら無い。

 その存在すら、昨日知ったばかり。住人の話からすると、この男と頻繁に会って近況を報告する人など居ないことは明らかだし、そもそもヤマブキシティの中で現在サトシの名前とピカチュウの事実を知っている人間はシルフカンパニーの社長しか存在しない。

 シルフカンパニーとこのエスパー親父が綿密に繋がっている―――などということが無い限り、この男が今話している内容は、この男が知っている訳が無い情報だ。

 目の前の男はその大きな体を細かく動かしながら、大きな声で笑ってピカチュウとサトシに交互に話しかけている。

 そして、その全てが自己完結している。

 

 先ほどからサトシは無言。

 喋らないわけではない。喋れない。

 サカキとも違う、マチスとも違う、完全に直接的な恐怖とは異なる別種の恐怖。

 見透かされている。

 サカキもサトシの考えを見透かすことはあったが、それは経験と技術からの推測にすぎない。

 だが、この男は違う。見ているのだ。聴いているのだ。サトシ自身の内側を。

 現状命の危機は感じられない。危機的状況というわけではない。生命に関するやりとりは起こりえないだろう。

 しかしサトシの身体からは汗が吹き出し、手は震え、目は瞬きを忘れている。

 

 怖い。

 サトシは心底、そう思った。

 

 

 

「ははははは!ピカチュウ!君は愉快!愉快だな!私を空まで連れて行ってくれるかい?知っているよ!空はとっても近いからね!ははははは!」

 ピカチュウに胴をつかまれ、上げたり降ろされたりしているエスパー親父を見て、唯々茫然とするしかないサトシだった。

 

 




エスパー親父登場。


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第百四十八話 エスパー親父

「ああ、さてと。ははは。いつまでもこんなところで話もできないね。わたしの家においでよ。すぐそこなんだ。」

 

 そう言うと、エスパー親父は歩き出した。ここは自分の家ではなかったのだろうか。

 サトシは眉間にしわを寄せながら男についていく。ピカチュウは相変わらず何を考えてるかわからないが、別段気にすることは無いようだった。

 実は気にしている可能性も否定はできないが、否定したところでサトシがひょいとつかまれて地面に埋められてしまうだけなので、いくよピカチュウと一言かけるだけに思いとどまった。

 

「いやあ、本当にサトシなんだね。久しぶり、あいたかったよ。昨日はいいパーティだったね。またやろう。おっと、もう僕の家についてしまった。さあ、中に入ろう。」

 

 たどり着いた場所は、先ほどの家の前。

 ぐるっと周辺を歩いただけで、また同じところに戻ってきた。

 

 正直こっちの頭がおかしくなりそうだと思いつつ、何の収穫も無さそうだが解放もしてくれない様子なので、のそのそと暗い家の中に入っていった。

 

 

 

 中に入ると、サトシは眉間に寄っていた皺をさらに増やした。

 

「どうだい、僕の家は。とっても素敵だろう?アンティーク家具にこだわっているし、いつも清潔にしてるんだ。ガーデニングが好きでね。まるで花畑にいるようだろう!はははは!」

 

「そ、そうですね・・・はは」

 

 

 家の中はお世辞にもキレイとは言い難いものだった。

 鼻が捻じ曲がるほどでは無いが、かび臭いような埃っぽいというか。生臭くはないので食べ物が放置されていることはなさそうだが、そこそこ広い部屋の中に足の踏み場がとても少ない。

 サトシ一人ならまだしもピカチュウはとてもじゃないが床を踏める状態ではないだろう。

 ピカチュウ自身もきょろきょろと部屋の中を見回している。

 花畑どころか、花の一輪すら無い灰色の室内。

 電気は切れているのだろうか。シルフカンパニーのビルの影が建物全体に落ちてきており、昼前だというのにまるで夕暮れのように薄暗い。

 しかしエスパー親父本人はまったく気にしていない、というか気づいてもいないのだろうか。

 ちょっとまってね、いまテーブルを用意するから、とゴミの山をガサガサと乱暴に動かしながら、埃塗れのテーブルを引きずり出している。

 どこまで本気で、どこまで冗談なのだろうか。

 舞い上がる埃にさらに顔を曇らせながら、サトシは心の中で二十回以上溜息をつきつつ、エスパー親父の行動を見守った。

 

 

 

「さあ待たせたね。こちらへどうぞ!ピカチュウは座るかい?それとも座るかい?ははは、サトシはこっちだね。さあ座って座って。お茶を用意しよう。おっと、もう用意してあったか。」

 

 サトシは何もないテーブルの上を一瞥し、心の中で二十一回目の溜息をついてから勧められたイスを引いて、積もった埃をはらいつつ座った。

 ピカチュウは、イスが無かったのでそのまま立っていた。サトシの帽子を左右に動かしている様子を見ると、若干不服ではあるようだ。

 

 

「あの、それで―――」

「ははは、言わなくてもいい。わたしはエスパー親父。君の考えていることなんてお見通しだよ!君はこれがほしいんだろう?」

 

 そう一方的に喋り続けるエスパー親父が何かを渡してきた。

 別にいま欲しいものなど考えていたわけではないのだが―――これは技マシン?

 

「技マシンの中はサイコキネシス!エスパーポケモンだけ使える強力な技だぞ!ははは!」

 

「エスパーポケモン・・・なぜそんなものを」

 

 

 何故、この男が技マシンを持っているのか。そして自分にそれを渡すのか。

 この男は明らかにサトシのことを知っている。いや、視ているのか。

 だとすればここに来た本来の目的も視れているのではないだろうか。でなければ、こんなものを僕に渡すはずがない。わざわざポケモンとの関連を示すようなものを。

 エスパー親父はサトシに技マシンを手渡し、ニコニコと笑顔で反応を伺っている。

 

 

「・・・あの」

 

「知りたいかい?」

 

 

 またしても遮られる。

 訳の分からない言動をしていたのが嘘のようにハッキリとした言葉。

 表情は変わらず笑顔。体を前後に揺らし、落ち着きは無い。しかし、視線だけはしっかりとサトシを見据えている。

 

 サトシは、もしかしたら会話すら覚束ないのではという考えを改めた。とても正常な状態では無いとは思う。街の住人から頭がおかしいと言われるのも理解できる。だが、この人はもしかして、何か重要なことを隠し通しているのかもしれない。

 

 サトシが応答に窮していると、やはりエスパー親父が口を開く。

 

「うんうん。そうだよね。そうに違いない。わかっているとも。わかるとも。私はエスパー親父。君の心が視えるのだ。そして、だから、わかるのだ。それでも、知りたいというなら話してあげよう。知る勇気があるのなら、話してあげよう。それがわたしの、エスパー親父だからね。ははは。」

 

 

 うんうんと頷きながら男は一人で納得しているようだ。

 本当にこの男にはサトシの考えていることが手に取るようにわかっているのだろうか。手品、にしては情報の質が高すぎる。この男が先ほどから出している単語は知っている人間が極端に限られている。

 そしてその誰ともこの男との接点が見いだせない。

 余計なトラブルにはもう巻き込まれたくない。いや、もう巻き込まれているのだろうか。どちらにしても聞かずに無理矢理出ていくというのも手段の一つだが、ナツメの情報を知っている可能性を考えればそれも難しい。

 今のサトシにとってナツメの情報は喉から手が出るほど欲しいのだ。文字通り命に関わる。

 

 

「・・・ナツメの事を知っているんですね?」

 

「もちろん知っているとも。わたしはエスパー親父。ははは、彼女に目をつけるとはお目が高い。だが彼女はやめておいた方がいい。彼女にとってもう世の中などどうでもいいのだからね。はははは。わたしもそう思うとも。なにせ、エスパーとは、そういうものだからね。わかるのだからね。そう、わからないのは彼女とわたし。それでもよければ彼女のことを少しだけ、私の娘のことを話そう。ははは。笑ってしまう、悲しい話だとも。」

 

「ナツメが―――娘!?」

 

 

 回りくどい話を注意深く聴いていないと聞き逃しそうではあったが、衝撃的なことを口走っている。

 ヤマブキシティジムリーダーのナツメは、エスパー親父の娘。

 

「いやでも、そんなことが・・・?」

 

 これが事実だとするならば、ヤマブキシティの住民達が知らないハズは無い。

 しかしサトシが訊きまわったにも関わらず、そのような話は一つも出てこなかった。

 むしろ、二人には一切関係が無いとも思わせる発言もあった。

 エスパーと関連のある人物。エスパーポケモン使いのナツメ。対して住民から頭がオカしいと言われているエスパー親父。

 そこに一切の関連性が無いと。

 ある筈が無いと。

 

 

 

「―――信じさせる、ため?」

 

「ははは、サトシはいい勘をしているね。ははは、会話するなんて久しぶりだなあ会話。会話。いいね会話。何せ皆、私までたどり着かないのにナツメに挑む。ナツメには勝てない。ははは、彼女には、娘に勝てるわけが無いのだ。そして皆、壊れてしまう。わたしのように。わたしは、僕は、私は、ワタシは、知っている。だが彼らは知らない。会話をしない。必要ないからね。会話など必要無い。ははははは。サトシは素晴らしい。他のトレーナーとは大きく違う。とても、最高に、違う。素晴らしい。素敵だ。わたしの元に来れた。それだけで希望だ。娘を救えるか。サトシにナツメが救えるか?とても無理だ。不可能だ。だが君は、サトシは。無理を乗り越えてきた。しかしナツメは、無理だろう。彼女に光は無い。唯一救えるはずだったわたしがこれだ。わたしには救えなかった。あああ!わたしには!!!!わたしには出来なかったのだ!!!それなのに!それなのにあいつらは!!道を作ったのだ!あるはずのない道を!落ちるとわかっている道をナツメに!許せない!!だがなにもできないのだ!わたしは出来なかったのだから!!あああああ!!!はは!はははは!!可笑しいなサトシ!わたしは君を殺したくはない!だが殺すことになる!わたしはまた失うのだ!!わたしの半分すら生きていない命を、たやすく奪うのだ!!ははは!ははははははは!!!!」

 

 

 

「・・・・」

 

 

 サトシはなにも言わず、息を呑む。

 この男は何か、重大な何かを抱えている。それは間違いない。

 だがサトシは、何も言うことができない。圧倒されてしまっている。

 

 二人の呼吸の音だけが静かに聴こえ、暗く黴臭い室内はさらに重い空気で包まれている。

 

 

「・・・サトシ。君は、本当にナツメを倒すつもりなのか。」

 

 

 問い。この男にとって、その行為にどんな意味があるのだろうか。本当に心の中が読めるのであれば、その必要など無い。口からでる言葉など、真実とは限らないのだから。それは熟知しているハズなのに。この男はサトシに問う。

 

 

「本当に、本当に、ほんとうに彼女を、救うのか。サトシ。」

 

 

 悠久とも思える時の流れ。

 サトシの思考は、はたしてこの男には届いているのだろうか。

 しかし、たとえ届いていたとしても、この男はそれを望んでいるわけではない。

 意思を問うているのだ。口からでる言葉をこそ、求めているのだ。

 エスパーであるということがどういうことなのかを本当に理解できるのは当の本人だけ。心の中を視ることができるということに、普通の人は優位性を感じるだろう。

 しかし、目の前の男は決して、優れた人間の末路ではない。

 その男が問うている。叶うハズの無い事実を、覆す意思があるのかどうかを。

 

 

 

 

「――――はい。」

 

 

 

「・・・そうか。サトシはそう言うと、わかっていたよ。わたしはエスパー親父だからね。なんでも、お見通しなのさ。」

 

 

「話を、聴かせてください。」

 

 

「いいとも、わたしはエスパー親父。ナツメのことを話そう。」

 

 

 時刻はちょうど十二時を指す。

 外だけは徐々に賑わってきているが、喧噪とはかけ離れたこの部屋で、ある男の人生が語られる。

 




重要人物の予感。


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第百四十九話 超能力者と研究者

過去の話


 ナツメのことを話そう。

 と言っても、私が知っているのは私があの子の父親だった時までの話。

 今のことはまるでわからないし、知ることもできない。

 そういう決まりなのだ。そうするしか無かったのだ。私を責めないでくれ――

 

 私は若い頃、そこそこ名の通ったエスパー――超能力者だった。

 といってもヤマブキの中でだが―――もう覚えているものはいないだろうが――とにかく、『本物の』超能力者として随分ともてはやされたものだ。今となっては見る影も無いがね。

 当時は順風満帆だった。きっと私は選ばれた人間なのだと、本気で思っていた。だが、だからこそ、気づくのが遅れたのだ。私に近づく者の正体に。心を読める私が、どうして見誤ってしまったのか。それは至極簡単な話だ。彼らは本心で言っていたし、提案自体も魅力的だったからだ。少なくともその時はそうだったのだ。なんの問題もないハズだった。

 

 ある日、テレビ番組での収録が終わった後、私に近づいてきた者がいた。

 見た目は――普通の若者。彼は私を呼びにきただけの伝令係だった。内容は『君の優れた才能を継承したい。興味があれば来てほしい。』

 

 心を読んでも、それ以上はこの若者は何も知らないようだった。

 継承―――考えたことも無かったが、もし私の能力を受け継がせることができるのであれば、世の中はもっと互いのことがわかるようになるのではないか、と思ったのだ。

 私は愚かだった。その時にもっと深く考えていればと今でも後悔している。

 

 

 案内された場所はマンションの一室。何もない暗い部屋に立っていたのは研究者然とした白衣の男だった。

 

 この男は良くも悪くも研究者で、ごくごく単純な思考しか無かった。いや、無かったように見えた。

 なにしろこの男にあるのは興味のみ。能力の継承、などという突拍子も無い、前例のないことが果たして可能なのかどうかという可能性の追求しか頭になかった。当然プランは訊いた。一体どのようにして継承するつもりなのか。研究するとして、本当に可能かどうか検討は立っているのか。他にもいろいろ、だ。

 その男はすべて答えてくれた。丁寧に、説得力のある説明をしてくれた。惜しむらくは、私にはそれをすべて理解できるだけの知識が無かったことか。そして、すべて理解できない段階で断るべきだったのだ。だが当時の私にはそれすら考える知恵が無かったのだ。なんという、なんということだ。私は多くの犠牲を出す選択をしてしまったのだ。知らぬ存ぜぬを通せるレベルの話ではない。弁解の余地無く、当事者だ。この私は、その時点で足を踏み入れてしまったのだ。戻れない底無し沼に。

 

 

 その男、名前は―――サトシは知らない方がいいな。余計な危険を呼ぶ必要は無い。仮にムロと呼ぶことにする。

 ムロが提案してきた内容はこうだ。

 まず、私が街を歩き、誰彼構わず心に念を送る。そして、それに反応する人間を探す――

 何、まずは遺伝的な部分から検証しようということさ。

 潜在的に超能力を持っている人間を探し出し、交配し、子を成す。

 その時は私には相手はいなかったし、お互いに超能力を持っていれば分かり合える部分も多いのではないかと思い、効果がでるかはわからないが協力することにした。

 結果は―――もうわかるね。私の妻となり、ナツメを生んだのだ。

 別に嫌々結婚したわけじゃない。妻は自分の能力を隠して生きていた。理解のある人間と一緒の方が気楽だったというわけだ。

 

 ここまでは順調―――サトシには不快なようだが、まぎれもない事実だ。私も今となっては不快どころか忌避すら感じるようだよ。まったく、本当に度し難い。よくもまあ当時は平静を保てていた。本当に―――度し難い。

 

 

 話を続けよう。

 結論から言うとナツメは非常に強いエスパー能力を持っていた。

 私も、妻をも上回る程に。

 そしてそれは、エスパー能力が遺伝することを証明できた最初の実験ということになる。

 非常に大きな発見だったよ。私も嬉しかった。

 それに、単純に娘ができたということも嬉しかった。どんな理由にしろ、自分の子を成すということはこんなにも幸福なものなのかと思ったほどにね。

 

 そしてもちろん、実験はこれで終わらなかった。

 ムロは、次は人工的に、後天的にエスパー能力を他人に付与できるかどうかの実験を始めた。

 目的は、皆がエスパーを所有するようになれば、お互いに理解しあえる、平等な世界になるからということだった。

 考えていることが視える私からしても、それは真実のようだったよ。

 私に嘘をつくことなんてできないからね。

 しかし、私はムロという人間を侮っていたのだ。きっと私も、エスパーを持った人間が、人間を超越した何かだと勘違いしていたのだろう。

 だからこそ、ムロという普通の人間を侮ってしまったのだ。私がいなければ研究など進むわけがない、と下に見てしまっていたのだ。

 

 そこから数年、私はムロの言うことに従いつつ、妻と一緒にナツメを育てた。それは楽しく、幸せな時間だったよ。

 もはや取り戻すことはできない、幸福な時間。夢の中だったのだ、と言われても、今なら信じてしまうほどにその幸せの欠片すら今は残っていない。

 全て私の掌から零れ落ちてしまった。

 その数年の間は特に変わったことは起きていない。

 ムロは数週間に一度私を呼び、指示されたエスパー能力を使うという簡単なことばかりだった。それがどのような結果を生み出しているのかは、私は知る由も無かった。

 なにせ、ムロが考えていることは幸福な世の中になることのみだったのだからね。

 

 

 時は過ぎ、ナツメが成長し徐々に言葉も話せるようになった頃、私はいつものようにムロに呼び出された。

 いつもと違ったのは、今回は妻も連れてくるようにと言われたことだ。

 別に疑うこともなく妻を連れていき―――もちろん預ける先も無いのでナツメも一緒に連れていった。

 ムロが言うには、ついに実験の目途が立ったのだという。

 それで、まずは妻のエスパーの継承を試してみるとのことだった。

 私ではダメなのか?と訊いたら、私の能力では強すぎて相手の体がもたないらしい。

 一週間程度実験にはかかるらしいので、その間ナツメと私は家で妻の帰りを待っていた。

 

 多少の不安はあったが、私はムロを信じていた。

 特に問題など起きるはずもなく、妻は帰ってきて、実験は成功するものだと確信すらしていた。

 

 そう、確信してしまっていたのだ。

 

 

 妻は一週間経っても帰ってくることは無かった。

 

 

 

 

 

 

「少し、休憩しようか。サトシ。こんなに長く喋るのは久しぶりでね。すまないが休憩させてくれ。わかってはいるんだ。聞き取りづらいところもあるだろうが、わたしはわたしでいることがとても難しい。」

 

「・・・わかりました。大丈夫です。」

 

「ありがとうサトシ。少し休むとしよう。少しだけ休もう。」

 

 エスパー親父はそう言うと、身体を前後に揺らしながらうつむき、黙ってしまった。

 

 

 サトシも、それ以降一言も話すことなく、イスの上でじっと考えていた。

 この男の身に起きたこと。

 一体何が起きたらこれほどまでに憔悴しきり、精神を病んでしまうというのか。

 聴かなければならない。

 それが、サトシ自身の救いにもなるし、この男の救いにもなるハズだから。

 

 

 

 

 




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【番外編】オーキド博士のドーピング☆実験室 六匹目

 これはオーキド博士がドーピングアイテムの研究に勤しんでいた時のお話。

 ドーピングを行うことでポケモンがどう変化するかをつぶさに観察し、まとめていた時期。

 博士も特に罪悪感などなく、研究者という立場でガンガンドーピングを使っていた狂気の時代である。

 助手のタツロウと共に今日も今日とて生物実験に没頭する。

 

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

 

「オーキドはかせー」

 

「お、タツロウ君。よいところにきたな。ちょっと手伝ってくれないか。」

 

「はいー。何してるんでーすかー?」

 

「うむ、ディグダの長さを知りたくてな。睡眠薬で眠らせて引っ張っておるのだが、微動だにせんのだ。抜けるどころかぴくりとも動かん!一緒に引っ張ってくれ。」

 

「それはきになりまーすねー」

 

「そうだろうそうだろう!よし、では一気にいくぞ!せーの―――」

 

 

 

 ここはポケモン研究所きってのド変態狂気空間、オーキド研究室。

 ドーピングのドーピングによるドーピングのための研究室。それがここである。

 今日も今日とて狂気に塗れた最低で最悪で非人道的な実験が笑い声と共に繰り広げられるのである。

 

 

 

 

「いやー、まさか根本から千切れてしまうとはな!ディグダの長さはポケモン七不思議と言われてるだけはある!やはり異次元か何かとつながっておるのだろうか。」

 

「どんな手段をつかっても観測できないですー」

 

「いやはや、本当にポケモンというものは謎が多いな!がはは!」

 

「たのしーですー」

 

「ふむ、どんな手段を使っても、か。タツロウ助手よ、私の言いたいことがわかるかね?」

 

 オーキドがもったいぶってタツロウに問う。

 きっと博士として助手を試しているのだろう。必要な知識がついていればきっと答えられるだろうと。

 オーキドはそう信じて疑わない。もしここで間違えるようなら、オーキドの見込み違いだったというだけの話。

 だがもちろん、タツロウは稀代の天才であり、非常に優秀。当然のようにオーキドの期待に見事答えて見せるのである。

 

 

「ポケモン管理部からディグダをいただいて―――借りてきますー」

 

「それでこそタツロウ助手だ!うむ、予備を含めて五匹ほどいただいて―――借りてきたまえ!」

 

「いってきまーすー」

 

 

 もはや返す当てが無いことが分かりきっているにも関わらず、頑なに借りてくるという姿勢を突き通す研究者二人。

 もしそこでなにか突っ込まれても、研究に犠牲はつきものだとか研究所にいるより自由な空に行った方がポケモンのためだとかそもそも貸し出すお前らが悪いだとかいろいろな屁理屈を並び立てて納得させるに違いない。

 以前はオーキドがやっていたものが、世代交代しただけである。

 タツロウが助手に入って数人は今後は落ち着くだろうか、などと考えたらしいが、元の木阿弥、奪いに来る人間が変わっただけである。

 むしろ始末書を書くスピードが段違いに上がっただけに、持っていかれるポケモンの数も以前に比べて倍増し。

 上司の叱責による唾液と自分の涙によって濡れた手でモンスターボールを手渡すポケモン管理部の面々ではあるが、そんなものは知ったことでは無いとばかりに何度だって言いくるめてしまうのがオーキド研究所の精鋭である。涙しか出ない。

 

 

「借りてきまーしたー」

 

「うむ、今回はちと趣向を変えてみようとおもっておる。」

 

「趣向、でーすかー?」

 

「ディグダの進化系を知っておるかね?」

 

「ダグトリオでーすねー。」

 

「その通り。ディグダが三体一緒になったような見た目だな。ゆえに、トリオというわけだ。」

 

「そーでーすねー」

 

「つまり、だ。四体ならカルテット、五体ならクインテット、六体ならセクステット、七体なら―――」

 

「ダグセプテットでーすかー?」

 

「その通りだ!さすがタツロウ君!理解が早いな!」

 

「ということはー、一気に複数体のドーピングでーすかー?」

 

「うむ、実はドーピングによるポケモンの融合実験というものが過去にも存在しておってな。その時は失敗だったようだが、今ならいけると思わんか?」

 

「その論文、ぼくも読んだことありまーすー。たしか、行き詰った研究者が半分ネタで書いたやつでーすー」

 

「おお、タツロウ君も知っておったか!というか、私が書いた!!!!面白そうだったのでな!!ノリと勢い、というやつだ!!がはは!!」

 

「すごく納得しまーしたー」

 

「そうだろうそうだろう!では早速、例の装置を出してきたまえ・・・!」

 

「かしこまりーですー」

 

 

 

 

 

 ポケモン融合実験―――

 後々に正式に研究が進められるようになるが、この頃は冗談にしても趣味が悪いと言われていたものである。

 その理由は、難易度が高すぎる、非人道的、生命の冒涜、理論上不可能、悪魔の実験、合体後のポケモンの扱い、人類滅亡への布石など様々言われ続けてきたものだが、オーキドは「面白そうだから」の理由一つで実験を開始した。

 当然周囲の反対は数百にも及ぶほどに達し、理論の構築や実験手順などきちんと構築した上でプレゼンまで行ったが、学会は終始批判の嵐。オーキドの声など一番前に居ても聞き取れないくらい大ブーイングの中で行われた。

 結論から言うと実験は失敗。証明もできない理論から生み出された実験である以上、失敗は必然であった。

 そして、この悪魔の実験は永遠に闇に葬られることとなった。

 

 

 

 

 ハズである。

 

 

 

 

 

 

「いやあ、まさか大掃除しておったら論文の原本がでてくるとはな。私もすっかり忘れておったわ。印刷物や内容、実験結果についてはすべて破棄されたと思っていたが、肝心の原本が廃棄されていないとは!がはは、これは天命だな!」

 

「はーかせー、準備できまーしたー。」

 

「うむ!ご苦労!」

 

 

 タツロウが用意した機械は、金属の大きな卵に五本の脚がついたような形をしていた。

 

「はかせー、これはどんな機械なんでーすかー?」

 

「うむ、これはだな。複数のポケモンを一体として扱うことができるようになる機械、と説明書に書いてある。詳しくはしらん。」

 

「詳細不明でーすかー」

 

「なんでも、開発部がヤケになって酒をたらふく呑んだ時にノリで作ったら出来てしまったらしい。設計図も無ければ仕組みもわからん。なんせ酔った状態で作ったものだから企画も記憶も無い。しかし作ってしまったものは使うしかあるまい。企画書が無い以上、正式に採用するわけにもいかない。廃棄するしかなかったところで、私が見つけたのだ。捨てるくらいならくれ、とな。がはは、もらっておいてよかったわい!」

 

「テストはしまーしたかー?」

 

「しとらん!今回が初!」

 

「さーすがはかせでーすねー」

 

「そんなに褒めてもドーピング薬くらいしか出んぞ!それでは早速、ディグダを五体中に入れるんだ!」

 

「いれるーですー」

 

 

 タツロウがポケモン管理部から拝借してきたモンスターボールから順々に機械のにディグダを出していく。

 中からかわいい声が重複して聞こえてくるが、いくら可愛かろうとも一般人の感情などとっくの昔に捨て去って新しい知識への探求という道に踏み出し、さらにその道からも踏み外してドーピングサイコ野郎と化した二人の前には無力だ。

 順当に機械の中に入れられるディグダ達。

 最後の一体が入れられ、そしてフタを閉じる。

 

 

「はーかせー、できまーしたー」

 

「うむ。ではその機械ごと檻の中へ。当然の如くドーピング薬を注入する機構も搭載済みだ。今回は五体同時!下手したら研究所が壊滅する可能性も否定できん。防護はきちんと抜かりなくだぞ!」

 

「まかせてくださーいー」

 

 

 ガキョンガキョン、がっちゃんういーん

 

 なんだかいろいろな音を響かせつつ準備をするタツロウ。

 もはやそこに躊躇いは無く、平然と何の罪もないポケモン五体を生贄にする儀式を進める。

 

 

「できたか!?」

 

「できまーしたー」

 

「よし、それではいくぞ!スイッチオーン!!」

 

「オンですー」

 

 

 ガチリ、と音がする程には固めに設計された赤いスイッチを押し込む。

 この手のスイッチが赤いのはもはやお約束だ。

 

 

 中からかわいい声の五重奏が聞こえてくるが、そんなことなどお構いなしに機械がウインウインと動き始める。

 謎のライトが赤から黄色に変化し、ビコビコと激しく点滅している。説明書を見ると『ミックス中』とだけ書いてあった。意味はよくわからない。

 動作音が声を掻き消したあたりで、機械が不自然に動き始めた。

 卵型の金属の塊が、グイングインと回転軸をずらしながら回転する。

 普通回転するときは遠心力によって分離することを考えてのことが多いハズだが、あれか。ミキサー的な意味合いなのだろうか。

 しかしそれだとドーピングする間もなく中のディグダはクリーム状になってしまう。

 ドーピングするまでもなく原型を留めない融合ポケモンとなってしまうだろう。

 もちろん命は無い。

 

 もちろん開発部がそんなミスを犯すハズも無く、機械は(きっと)正常に動作しているに違いない。

 その動作原理を知っている人間はもはや存在しないが、それでも機械は存在している。

 存在している以上、動作はするのだ。

 

 黄色く点滅していたライトが紫色に変化する。

 薄い説明書を再度見ると、『注入してるよ』と書いてある。ドーピング薬を注入しているということなのだろうか。

 ということは中では五体のディグダが無事に一体として認識できる状態になっているということだ。

 どういう形状になっているのか非常に興味があるが、今機械を止めることはできない。

 二度と動作しなくなる可能性も否定できないし、修復することは不可能だ。

 これを逃したらポケモン融合ドーピング☆ハッピー実験は失敗に終わってしまう。固く手を握り、歯を食いしばってその興味を辛うじて抑え込む。

 せめて、せめて窓でも付いていれば・・・!と開発部を恨むが、開発した当人すら設計を覚えてない以上は責めることすらお門違いだ。泣き寝入り。八方塞がり。焼け石に水。暖簾に腕押しだ。

 

 そんなことを考えて血の涙を流している間に、不気味に点滅していた紫色のランプが緑色に変わり、ビコビコと激しい点滅も終わった。

 同時にビーーー!という音と共に謎の白煙が機械から出てくる。説明書によると特に意味はなく、演出で入れてみましたぁ〜。カッコいいでしょ?と書いてある。オーキドは小さい声で「たしかに」と呟いたが、ビービーとけたたましく鳴り響くサイレンのような音にかき消され、誰の耳に届くことも無かった。

 

 卵型の機械の扉の鍵がガチャリと音を立てる。回転の力で壊れたのか、扉はそのまま床に落ちてガランガランと大きな音を立てて転がり、檻をすり抜けてオーキドの足元で倒れてグワングワンと何周かした後、止まった。

 

 すでに地獄の釜のフタは開いた。

 しかし―――

 

 

「何もでてこんな・・・」

 

「そーでーすねー」

 

 

 出てくるのは機能の一つである白煙(演出)のみ。

 ビービーというサイレンのような音と、強く光る緑色のランプがその白煙をさらに不気味なものへと変貌させる。

 まるであの卵型の機械の中にいるものが、この世のものではないかのように思える。

 扉の位置は二人の位置からは死角になっており、中は見えない。

 声も聞こえないことから、もしかしたらドーピングの適正にあわず死んでしまったか、はたまた機械の故障で死んでしまったか。どちらにしても中を確認しないことには始まらない。

 

 

「タツロウ君、ちょっと、横から見てみてくれんか。」

 

「オーキドはかせ、ちょっとビビッてませーんかー」

 

「何を言う。タツロウ君こそ足が震えておるぞ。」

 

「なんというか、今までにない緊張感ですー」

 

「未知の領域というものは常に緊張するものだ。それはこの私とて例外では無いのだ。でもちょっと怖い。なんで出てこないの。」

 

「ちょっと見てみますー」

 

「気を付けるんだぞ!」

 

 タツロウが檻の横から回り込み、機械の中を覗き込む。

 

 

「お・・・これはまた・・強烈でーすー」

 

 タツロウが零した言葉は『強烈』。

 

「な、なにが強烈なんだね?」

 

 

 タツロウは無言でオーキドの方を見る。

 無言の首肯。

 見てみるのが早い、とのことなのだろう。

 百聞は一見に如かず。いや、なるべくみたくは無いのだが、研究者というのはどうしても自分の目で見ないと気が済まない性分なのだ。

 生きるか死ぬかは二の次。

 オーキドは意を決してタツロウの元へ足を進め、機械の中を覗き込む。

 

 

「こ、これは・・・強烈だな・・・・」

 

「はい、強烈でーすー」

 

 

 檻越しに見た卵型の機械の中は、まるで動物の腸の中のようだった。

 球状の機械の内側の壁にびっしりと人の指のようなものが張り付いており、ぐねぐねうにうにと蠢いている。

 色は茶、赤、オレンジなど暖色系で配色されており、大きさはそれぞれ十センチ程度だろうか。

 そしてそのすべてに、白目を剥いた二つの目と、赤く丸い口がある。

 つまり、素材となった五体のディグダが一回り小さくなり、数百体とも思われるような集合体となって機械の内側に張り付いている。

 すでに機械の内壁はまったく見えず、壊れた扉から除く景色はまさしく生き物の体内そのもの。

 ゴクリ、と喉を鳴らす二人はこの世の物とは思えないと言わんばかりである。

 

 

「タツロウ君、確か、以前管理部からちょろまかしてきたコラッタがいただろう。」

 

「はいー」

 

「あれ、放り込んでみたまえ。」

 

「りょうかいですー」

 

 タツロウが研究室のキャビネットに放り込まれていたモンスターボールを持ってくる。

 

「もってきまーしたー」

 

「よし、ちょうど機械の中心をめがけて出すのだぞ。」

 

「いけーコラッターですー」

 

 

 タツロウの持つモンスターボールから赤い光が飛び出す。

 

 卵型の機械の中心をめがけて赤い光がのび、その先端にかわいらしいコラッタの姿が形成される。

 

「コラッ」ずぶりゅ

 

 

 機械の中が大きく波打ち、中心めがけて一気にディグダが押し寄せる。

 結果、コラッタは久方ぶりにボールから出られた喜びも束の間で姿を消した。

 

 身体を伸ばして中心に押し寄せたディグダはしばらくゴリゴリベシャベシャという音を立て、またゆっくりと元の位置に戻って再度うねうねと身体を脈動させ始めた。

 

 コラッタだったものはなんの痕跡も残っておらず、骨の欠片も肉の一片も血の一滴すら見つけることはできない。

 

 

「タツロウ君。」

 

「なんでしょーはかせー」

 

 オーキドはタツロウの方を見つめる。タツロウもオーキドを見る。

 しっかりと、間違えることなく、発言を明確に伝えなければならない。

 

 

「封印!!!」

 

「しょうちしまーしたー」

 

 

 ポケモン融合実験は成功したが、なんかマジで危険な気しかしないのでこの実験は闇に葬る決断を下したオーキドだった。

 

 ちなみに実験レポートは極秘裏に作成されたが、タツロウのドーピングポケモンレポートにはちゃっかり記載された。

 あえなくバレたことで研究所長にはこっぴどく叱られたが、肝心の融合機械が壊れてしまった上に作れる人間もおらず、設計書も無いため、『再現性が皆無』ということでその場を免れたオーキドだった。

 




本編より長い。
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第百五十話 全てを失った男

エスパー親父の話、長くない?()


 さて、サトシ。

 そろそろ続きを話そうか。何、大丈夫だとも。十分に休んだとも。それに、早く話し終えてしまいたい。あまり長い間話したいとは思わない。しかし、話さなければならない。

 サトシ、聴いてくれ。背負ってくれ。

 

 

 

 ――――どこからだったか。

 そう、妻が、かえってこなかったというところだったね。

 最初は何かの間違いかと思ったよ。

 きっと実験が長引いているんだと思った。

 しかし連絡は無く、私はナツメと共に家で待つほかなかった。

 

 二週間待っても妻は帰ってこなかった。

 私はムロを信用し、黙って待ち続けた。

 

 三週間待っても妻は帰ってこなかった。

 さすがのナツメも妻の行方を気にしていた。

 

 二か月が経つ時、私は我慢の限界だった。

 ナツメを連れ、足早にムロの研究所へ向かい、そして―――絶望した。

 

 

 

 研究所に出向くと、ムロはすぐに出迎えてくれた。

 その雰囲気は別段、二か月前と大差なかったし、むしろ上機嫌とも思えた。

 

 私は問いただした。

 一週間で終わると言っていたハズが、もう二か月だ。妻は無事なのか。実験はどうなったのか、と。

 私はこの時に気づくべきだったのかもしれない。

 この男の、ムロの思考が、何か黒いものに覆われてうまく読めないということに、もっと強く違和感を覚えるべきだったのだ。

 

 しかしこの時の私はそんなことすら気にも留めないほどに心配だったのだ。妻のことが。

 

 そんな私の心境など気にも留めず、ムロはにこやかにこう宣言したのだ。

 

 

 

 

 実験は成功したよ。君のおかげだ。

 

 

 

 

 私は茫然としたよ。

 ナツメにはその意味がよくわからなかったようだけどね。それは唯一の幸いだったのかもしれない。

 しかし、私はすぐに我を取り戻し、再び問いかけた。

 

 成功したのであれば、なぜ妻は帰ってこないのだ、と。

 私は確かに聞いた。実験は一週間で終わると。そしてムロは今「実験は成功した。」と言ったのだ。

 ならばなぜ、妻は私の元に戻っていないのか。私の妻、ナツメの母は一体どこにいるのだと。

 

 ムロはうんうんと何度か頷いた。

 その顔は笑顔で、いつものように迷いも躊躇も無い、自信に満ちた顔だった。

 まるで私が今ここにいることすら、想定していたかのように。

 科学者とはこと「想定」という不確定要素の追求に関しては、エスパー以上に超能力染みている。

 そのことは私自身、当時は信じれられなかったが、今となっては私は科学者という存在そのものに恐怖を覚える。

 

 顔をあげて、目を薄く開けてこちらを見つめたムロは、私にこう言った。

 

 

 

 

 ―――実験は一週間で終わると言ったが、君の妻が一週間で戻るとは、言った覚えがないのだがね。

 

 

 

 

 その時、私は本気でこの男を殺してしまおうと思った。

 だが、私には理性があった。それにナツメもいる。ここで人を一人バラバラに跡形もなく消し飛ばせば私の気は多少晴れたのかもしれない。しかしそれではナツメに消えない強烈な記憶を植え付けえてしまう。それに、妻の行方をまだ聞いていない。それを確認しなければ、私はさらに自分の中に闇を作り出すことになってしまう。

 

 

 ニコニコとしているムロに、妻の行方を尋ねる。

 ムロはこう答えた。「ついてきなさい。ただし、ナツメちゃんはダメだよ。君も、その子に実験など見せたくないだろう?」

 その時のムロの表情は本当に優しげで、悪意の欠片も無いようなものだった。

 とても印象的で今でも目に浮かぶ。

 あの悪魔のような男の笑顔は、ひどく頭にこびりつく。

 

 ――ともあれ私もナツメを連れていきたいとは思わなかった。ナツメの目の前で私が取り乱してしまうと、さらに不安にさせてしまう。

 この時はナツメも幼かったから、人の頭の中を正確に視ることはできていなかったのが幸いだった。

 ナツメを研究員に預け、その部屋で待機してもらい、私はムロと共に研究所の奥へと足を進めた。

 私自身も何度も出入りしている場所だ。特に珍しいこともなく進んでいったが、ある階段を降りている途中でムロは足を止めた。私もムロの背中を前に、足を止めた。

 

 ムロが壁を前にし、壁に手を触れると、重々しい音と共に人が一人通れるほどの通路が現れた。

 二コリと微笑を零すと、ムロはその隙間に身を滑らせた。

 私もそれに続き、暗い通路に足を踏み入れた。

 

 通路はオレンジ色の蛍光灯が不規則に弱弱しく灯り、灰色のコンクリートを照らしていた。

 二つの足音が響き、時々低い機械の駆動音が聞こえる中で私とムロは無言でゆっくりと歩く。

 私は後ろからついていったからムロの顔を確認することはできなかったし、何故か頭を視ることもできなかった。

 その時は気が動転していたと思っていた。

 

 長い通路を数分歩くと、扉が見えた。

 これまでの通路の雑さからは想像できない、高度なセキュリティに守られた扉だ。この先に妻がいるのだろうか。

 ムロが指紋認証と目の虹彩認証を同時に行うと、電子的な高音が鳴り、機械的な駆動音が三度響く。

 

 

 随分厳重なセキュリティだな、と私はムロに問いただす。

 

 それはもちろん、トップシークレットだからねえ、とムロは答える。

 

 

 何の意味もない会話をし、ムロは重そうな扉を両手で押し開けた。

 

 

 暗かった通路に強烈な光が差し込む。

 あまりの明度の違いに私は目を閉ざした。

 

 

 ―――さあ、目を開けたまえ。君の求めたものだよ。

 

 

 ムロの声が聞こえ、少しずつ目を開ける。

 徐々に目を慣らし、光の先にあるものに視線を定める。

 そこには見慣れた顔はたしかに存在した。

 

 

 私は、膝をつき、身体を震わせ、自分の目を疑った。

 

 

 

 

 ―――どうだい?美しいだろう。これが研究の成果だ。君の妻はまさしく、実験を成功に導いたのだ。

 

 

 

 ムロはそう高らかに宣言した。

 微塵も躊躇う事無く、一片も後悔した素振りを見せず、自慢気に、実験は成功した、と宣ったのだ。

 

 

 彼はこの光景を何度見たのだろう。

 一体どれだけ、これを目の当たりにしたのだろう。

 何も感じずにいられたのだろうか。ムロは、他の研究員は、ただただ研究の成果だけを追い求めることに疑問を抱かなかったのか。

 

 ―――きっと抱かなかったのだろう。

 そんなことなど、どうでもよいくらいこの研究の結果が魅力的だったのだ。

 そうでなければありえない。ありえて良いハズが無い。

 

 

 

 

 

 なあムロ———

 

 なんだい?

 

 君は何も感じなかったのかい?

 

 感じたとも。素晴らしい研究の成果に対する、喜びを。

 

 

 

 

 

 私は泣き崩れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 頭と脊椎だけで液体の中に管でつながれている妻の姿を前にして。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

「―――・・・・・」

 

「そうだ、サトシ。君が今考えている事を、私も考えた。一体、どうしてそのような行動がとれるのか、甚だ疑問だったとも。あまりに残忍で、非道で、救いようのない外道だ。」

 

「それで、その後はどうしたんですか・・・?」

 

「その後か。その後は―――」

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

 

 ―――無駄だよ。この研究の成果は私の理論をより強化したのだ。どうだい、エスパー能力は使えるか?ははは。使えまい。私の研究は、さらなる高みへと昇り詰めるのだ!

 

 

 私は全力をこめてこのムロともどもこの研究所を破壊しようとした。

 だが、能力は発動しなかった。

 この男はエスパーの理論を解析し、それを防ぐ研究も行っていたのだ。

 ムロの思考が常に黒い靄に覆われていた感覚の答えを、ようやく理解した。

 あれは私の感情によるものではなく、エスパーを遮断する実験そのものだったのだ。

 私がその違和感に最初から気づいていれば、こんなことにはならなかったかもしれない。だが、すべては遅すぎたのだ。

 エスパー能力が失われたこの状況で、私が成せることは皆無に等しい。

 叫んだところでどこにも声は届かない。

 研究施設の一室。

 この場所には私のすすり泣く声と、妻だったものが入った大きなシリンダーが放つコポコポという気泡の音だけが響いていた。

 

 

 

 失意に沈んでいると、ムロが口を開いた。

 

 

 ―――君の奥さんだがね、これでも生きているんだよ。感動の再会をさせてあげたくてね。これも科学の進歩の賜物だ。彼女は非常に役に立った。おかげで当初の目標は大方達成できた。

 だが、まだ足りない。今度はもっと大きな力のエスパーが必要だ。

 わかるかい?おっと、今は思考は視えないね。ははは、そう、ナツメちゃんだ。両親がエスパーとして生まれたあの子の潜在能力は想像を遥かに超えるものだよ。あの子の力があれば、研究はさらに進歩するだろう。

 

 

 ―――ナツメに手は出させない・・・

 

 

 そうか。我々の庇護下から外れると、そう言うのかね?今更普通の生活に戻れるとでも?無理だね。より強力なエスパー能力。コントロールも覚束ない状態で、一体どうやって通常の生活が送れると?

 理解も無い、仲間も居ない、そんな状況で、どうするのかね?君が守れるかね?

 ―――理解したまえ。感情に流されて大事な娘を失いたくはないだろう?

 それとも、ここに連れてこようか?ナツメちゃんを。

 お母さんと対面させてあげるのも優しさだろうからね。優しいお父さんも大変だ。ははは。なに、安心したまえ。ナツメちゃんはあんな姿にしないとも。非常に有用な実験体だ。大事に、大事に扱うとも。ああ、これから楽しみだ。ははははは。

 

 

 

 

 私はどうすることも出来なかった。

 ただただ、自分の愚かさと無力さを痛感し、妻とナツメに懺悔し続けるしか、私に残された道は無かったのだ。

 最初からこの男など信用しなければ。

 妻を娶ることなど夢物語と一蹴していれば。

 一生を道化として過ごしていれば。

 

 数えるのも億劫になるほど後悔した。何度も死のうと思った。

 だが、私が死んだところで一体何が変わるというのか。

 生物学的にという理由だけで変わり果てた姿で生かされている妻。

 一体どんな実験をされているか想像もできない愛娘。

 私はそれからただの一度もナツメに会っていない。

 完全に切り離された。

 情報を漏らさないための生贄のようなものだ。

 私と妻、そしてナツメの関係に関する資料、情報は徹底的に改ざんされ、すでに証拠など何も残っていない。

 

 私は一人になった。

 何もできない、何もできなかった、ただの一人のエスパーになった。

 

 こんな能力、捨ててしまいたかったが、捨てようと思って捨てられるものでもない。これは呪いのように私にのしかかる。

 意識せずとも周囲の声は私の脳へ入ってくる。

 一番聴きたい声はもう二度と聴こえないというのに。

 

 次第に私は自分というものがよくわからなくなってしまった。

 そして、どうでもよくなったのだ。

 

 笑ってくれていいのだ。全てを見捨てた男だと。

 全てを諦めた男だと―――

 

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

「―――これで、私の話は終わりだサトシ。もはや私には何も残ってはいない。」

 

「ナツメは―――なぜジムリーダーに?」

 

「さあ、わからない。私がそのことを知ったのも、偶然頭の中に聴こえたからでね。ただ生きているというだけで、私には救いだった。たったそれだけで、私が生きている意味があるのだと思うしかなかった。」

 

「何故・・・その話を僕に?」

 

「・・・さあ、なんでだろう。サトシ。君が万が一ナツメを倒せたとして、何が変わるというわけでもない。だけどね。ナツメは。ナツメは。とても優しい子なんだ。だけど、あそこに行ったトレーナーの大半は、自分を壊す。」

 

「自分を・・・壊す?どういうことですか?」

 

「わたしもよくわからない。わからないんだ。恐怖か、混沌か、深淵か。とにかくぐちゃぐちゃになっているんだ。本当にわからない!ああああ!!わたしはサトシをあの場所へ送るのか!!また!わたしの様に!!」

 

 

 エスパー親父はそういって、自分の頭を強くテーブルへ叩きつけた。

 

 

「ちょ、何してるんですか!?」

 

 

 サトシの制止になど耳を貸さず、エスパー親父は何度も何度もテーブルに頭をぶつけ続ける。

 

 

「わたしは!もう!失いたくは!ないのだ!なのに!!」

 

 

 エスパー親父はゆっくりと顔をあげ、血で滲んだ額を抑える。

 

 

 

 

「―――この掌からは、すべてが零れ落ちていく。」

 

 

 




壮絶な過去


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第百五十一話 思考の夜

 ポケモンセンターでの夜。

 サトシはベッドの上で毛布にくるまり、じっと考えていた。

 ピカチュウはすでにピーカピーカと寝息を立てて寝ているが、特に腹を立てることも気にすることもなく、昼間の話を頭の中で反芻する。エスパー親父は狂った、頭のオカしい人間だった。誰が見たって、誰が聞いたってそう思う。もしかしたらあの話もただの妄想虚言の類かもしれない。本当はナツメとは無関係で、勘違いしているだけの、街の評判通りの人なのかもしれない。

 しかし、それであるならば。いや、それであったとしても、エスパー親父の話は真に迫るものがあった。実際の体験でなく、あそこまで話せるものだろうか?話せる人がいるのだとしたら、それはもう騙されてしまったとしても納得できるだろう。サトシの中において、エスパー親父の話は信じるに足るものだと判断する。

 

 ―――だが、だとしたらどうする?ナツメがエスパー親父の実の娘だとして、自分ができることは一体なんなのだろう。

 サトシ自身の役割としては、当然ながらジムリーダーを倒し、バッジを得ること。挑戦したトレーナーがそろって壊れてしまったという話は気になるが、挑戦しないという選択肢は最初から無い。・・・逃げたいと思うこともあるが、もはやサトシにその選択は許されない。だからこそ、自分の運命から逃げられずに狂っても生き続けなければならないエスパー親父のことも少しわかってしまう。

 絶望―――なんの救いもなく、ただ生き続けることを強要されるだけの毎日。それを絶望と呼ばずしてなんと呼ぶのか。まだ十代の幼いサトシからしても、あの男の境遇は正しく絶望と言えるものだ。自分の目で変わり果てた妻を見て、唯一の救いであった娘すら奪われる。自分に残されたのは生き続けるという行動のみ。いや、この生き続けるという行為が唯一、自分の運命に反抗しているともいえる。死んだ方がどれほど楽か。しかし妻と娘を残し、自分だけ逃げることに対する罪悪感はそれを許さず、今でも衰えずに男の心を蝕み続ける。

 

 「何もできないって、どれだけ辛いことなんだろう・・・」

 

 誰も聞いていない、電気の消えた部屋で口をついて出た言葉。現状を打破したい、どうにか前に進みたい。だが、実際にできることは皆無。サトシは現状を変えるための力を与えられ、なんとかかんとか進んでいる。幸せとは程遠い道のりではあるが、それでも変えていくだけの最低限の力は持たされている。

 しかし、この男はそれすらも無い。自分の一番守りたい、守りたかったものが掌から零れ落ちてしまっている。そしてこぼれたものをつかんで離さない人間がいる。もはや抵抗する気力すら奪われている。

 

 この状況―――ナツメは知っているのだろうか・・・ジムリーダーをやっている理由は、実験の一部なのか?

 ナツメは自分の親を、生まれを、今でも認識しているのだろうか?もしかして研究員によって記憶を操作されたり、などされているのではないか?

 

 

 ・・・やめよう。全ては推測。確証が無い以上、サトシがいくら考えたところで無駄だ。

 サトシが考えるべきことはバトルについて。エスパー親父の境遇でも、ナツメの状況でもない。どうやったらナツメに勝てるか、ということだけ。

 しかしそれにも問題が残る。

 

 

「エスパーの技について、まったくわからない。」

 

 

 こんな状態で挑んでもいいものだろうか。

 ただでさえドーピングポケモン相手だと不確定要素ばかり。通常の技すら知らずに挑むことは自殺行為でしかない。

 バブル光線はすべてを消し去る消滅の泡。花びらの舞は破壊と切断をまんべんなくお見舞いしてくる。知識など合って無いようなものではあるが、そもそも前提となる知識すら無い。

 

「一体どうすれば・・・困った・・・困った・・・困ったときは―――オーキド博士?」

 

 そういえば身近にポケモンにやたら詳しい人がいた。ドーピングされたポケモンについてはさすがにわからないだろうが、少なくとも通常のポケモンに関しては右に出る者は少ないだろう。久しく声を聴いていない気もするし、少し夜遅くなってしまったが連絡してみることにしよう。

 

 サトシは毛布からもそもそと抜け出すと、ハンガーに掛けていた上着のポケットからポケモン図鑑を取り出し、ピポパとオーキド博士に連絡をした。

 

 プルルルルプルルルルピッ『おおーおサトシィ!久しぶりじゃのぉー!!しばらく連絡がなかったから心配じゃったぞ!』

 

「久しぶりですオーキド博士。いろいろと大変でして・・・」

 

 変わらぬオーキド博士の笑顔とハイテンションな声。救われるような気持ちもあれど、そう感じてしまう自分はどれほど変わってしまったのかが嫌でも認識できてしまう。日常と離れてまだそこまで経っていないハズだが、この変化は以前のサトシを知っている人間からすればすぐに見分けが付くほどだった.。

 

 

『そうかそうか~・・・なんだかあれじゃのう。随分、顔つきが変わったかね?サトシ。』

 

「そ、うですか?」

 

『うむ、なんかこう、目つきが違うというかじゃな。』

 

「・・・はは、ちょっと寝不足でして」

 

『――そうか、ちゃんと寝ないといかんぞーがはは』

 

「そうですよね!気を付けます!」

 

 

 誤魔化し。いや、誤魔化せてなどいない。ここ数週間の濃密な経験は、紛れもなく十四歳の少年を変貌させた。

 人の生き死に、壮絶な生き方をしている狂人達、日常に溶け込む悪意、愛するポケモンの喪失。短期間とは思えない程に多くの経験をしてきたサトシにとって、もはや平和な日常とはなんだったのか思い出すことも困難な程に遠い存在になってしまっている。自分自身も死の恐怖に晒され、何度か命を拾う経験もし、もはや生きている方が不思議だとすら思う。それでもこのオーキド博士という存在は数少ない「サトシが普通の少年であった」ことを知っている人間だ。そして「裏の世界に足を踏み込んでしまった」ことも知っている。

 ―――同様の人間としてサカキもいるのだが。

 片や日常の象徴、片や裏社会の象徴。

 まったく相容れない二人がサトシを日常へ結びつける存在かと思うと、どれだけ特殊な状況に自分が置かれているのかと溜息すら出てくる。

 感謝すべきか恨むべきか。

 裏の世界に入ってしまうきっかけではあるが、もはや過去の出来事。

 恨みつらみを今更言おうとも現状は何も変わらない。それは痛いほど身をもって体験した結果に得た教訓だ。

 

 

『ところでサトシ、何か用事があったのではないかな?』

 

「あ、そうでした。実は―――」

 

 

 微妙な無言の空気を破ってくれたのはオーキド博士。ありがたいと思いつつ、サトシは連絡した本題―――エスパーポケモンについて尋ねた。

 もちろん、ナツメについては伏せて。

 

 

「―――というわけでして、エスパーポケモンの技について知りたいです。」

 

『なるほどのう。確かにエスパーポケモンが生態が不思議なものも多い。代表的なのはケーシィじゃな。すぐにテレポートで逃げてしまう。スリープなんかは夢を食べると言われておるし―――』

 

「夢を食べる?それって『ゆめくい』のことですか?」

 

『おお、知っておるのか?ゆめくいという技は確かにある。夢を食べて体力を回復させるらしいが、実際はどういうメカニズムでポケモンがポケモンの夢を食べておるのかはわかっておらん。眠っている間にしか使えないということだけわかっておるが。』

 

「眠っている間だけ・・・夢を食べるだけで、死んじゃったりするんでしょうか・・・?」

 

『どうかのう?体力的に喪失するかは怪しいが、精神的に死亡するというのは可能性としてはありえそうではあるのう。』

 

「精神的に死亡?どういうことですか?」

 

『サトシは夢を見たことはあるかね?』

 

「はい。」

 

『うむ、夢を見て起きたらなんだか疲れているということはなかったかの?眠っていたハズなのに、何故か体力が消耗しているという出来事。』

 

「あ、そういえばあったような気がしますね。」

 

『夢の中で疲弊する、もしくは夢自体がなにか自分のエネルギーそのものだと仮定するならば、食べられることで体力が消耗するというのはありえない話ではないのじゃ。それで死んでしまうことすらあるじゃろう。無論、あくまで仮説じゃがな。』

 

「夢自体がエネルギーのようなもの・・・」

 

『それに、夢は記憶と密接に結びついておる。もしかしたら、記憶を食べておるのかもしれんぞ。そんなことができるかどうかは、スリープにでも訊くしかないがな!がはは!』

 

「なるほど・・・サイコキネシスってどんな技なんですか?」

 

『サイコキネシスはエスパータイプでもかなり強力な技じゃな。系統としてはねんりきと同じようなものじゃよ。』

 

「ねんりき?」

 

『ねんりきは手を使わずに物を持ち上げたり、細いものを折ったり曲げたり―――つまりは手を触れずに力を加えることができるのじゃ。』

 

「手を触れずに力を加えられる!?絶対勝てないじゃないですか!」

 

『まあまあ、そう急ぐでない。別に無敵の技というわけでもないのじゃ。ねんりきじゃ大して力を加えることはできん。小石をぶつけたり、転ばせたりとかその程度じゃ。サイコキネシスじゃと相手を持ち上げて地面にたたきつけるとか、より強い力を出せるようになっておるようじゃ。ただ―――』

 

「ただ?」

 

『これもゆめくいと同じで、詳細なことはわかっておらんのじゃ。おそらくそうであろう、という仮定、仮説。実験に基づくデータで想定するしかできんからのう。』

 

「なるほど・・・ナイトヘッドはどういう技なんでしょう?」

 

『悪夢を見せ、精神的なダメージを与えるらしいんじゃが、これもそうとしか解釈できなかった、という実験の結果じゃな。これはゴーストタイプの技じゃが―――そうか、ゲンガーじゃな?』

 

「はい、試してみようと思ったんですが、全然いう事をきいてくれなくて・・・・」

 

『がっはっは!他のトレーナーからもらったポケモンはいう事をなかなかきいてくれんからな!ま、馴染めば言うことをきいてくれるようになるじゃろう。』

 

「そう信じてます・・・」

 

『うむうむ、ではヤマブキシティジム、ファイトじゃぞ~』

 

「ありがとうございました、オーキド博士!」

 

『じゃあの~』プチッ

 

 

 

 

「オーキド博士、変わらないなあ」

 

 そう一人呟くサトシ。だったが。

 

「ピカピカ~」

 

「ん?起こしちゃったか、ごめんねピカチュウ。」

 

「ピ」

 

 

 ついオーキド博士につられて少し大きい声になってしまったようだ。

 ぐっすり眠っていたピカチュウが起きてしまった。だが、別に不機嫌そうには見えない。いや、表情だけ見たら機嫌がよかろうと悪かろうと同じなのだが、なんとなくそう思った。

 

 久しぶりにオーキド博士の声が聞けたからだろうか?

 そう思ったがサトシのリュックからおにぎりをこっそり出して食べているあたり、そうでもないかもしれない。夜食?

 

 ジムリーダーとのバトルについては明日考えよう。

 幸い、今回は時間に追われていない。・・・よく考えたら追われているバトルしかしていない。

 

 自分の境遇の不遇さと、その大半がピカチュウに起因しているものだと思うとおにぎり食べてる背中を蹴っ飛ばしたくもなるが、そうすると残りの食料がすべてピカチュウの胃袋に収まってしまう可能性もあるので、大人しく眠ることにした。

 

 エスパー親父の話は気になるが、サトシはサトシで切羽詰まっている。他人のことなど気にしている余裕はないのだと自分に言い聞かせ、再度毛布にくるまって浅い眠りについた。

 

 

 

 




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第百五十二話 ヤマブキシティジム、突入。

「ここがヤマブキシティジム・・・空手道場の傍だったんだ。」

 

「ピカピカチャ」

 

 

 次の日の朝、サトシはピカチュウと共にヤマブキシティジムの前にいた。

 隣の建物から「どっせええい!!どありゃああ!!!あちょおおおお!!!!」などと嫌でも聞こえてくるのは、夏にセミがミンミン煩いものと同等の風物詩的なものだと考えればなんとかやり過ごせそうだった。

 そうでもしないと嫌な思い出しか出てこない。

 たまに「ぴかぴさんに投げ飛ばされてもいいのか!オッス!」とか聞こえてくるのは全力で無視したい。これからジムリーダーに挑もうというのに、非常に残念で複雑な気持ちになる。隣にいるピカチュウはまんざらでもないようなのがなおさら腹が立つ。

 しかし、それくらいは我慢しよう。なぜなら、これから死闘を繰り広げる覚悟なのだから。

 

 何度も見ているポケモンジムの外観。これからポケモンマスターを目指すポケモントレーナーにとって、それは見るだけでやる気と熱意に満ち溢れるものであるだろう。自分の力量を試す場所。力の証明。努力の成果。それぞれの想いを胸にジムリーダーへと挑戦する神聖な場所。本来はそういった場所なのだが、今のサトシにとっては地獄の門のような、処刑台のような、たとえ打ち破ったとしても決していい感情など発生しえない場所である。自分はこの短期間でどこまで歪んでしまったのやらと自嘲してしまう。ヤマブキシティは大きな街であるが故、他のポケモントレーナーも多く訪れるようだ。たった今、サトシの横を通って昂った心を表情に出した少年がヤマブキジムへと入っていった。自分と同程度の年齢。同程度の背格好。しかし、その表情は明るく夢に溢れているように見えた。少なくとも、サトシの表情はそうではないのだろうと、昨日のオーキド博士の言葉から想像できる。

 どうしても以前の自分と重ねてしまうが、ブンブンと首を振り、余計な感情を払拭する。

 

 

「やめよう。僕は僕だ。やるべきことを、やるんだ。」

 

 

 自分に言い聞かせるように決意の言葉を声に出し、サトシは先ほどの少年に続き、ヤマブキシティジムに足を踏み入れた。

 

 

 と思ったら、すぐに出てきた。

 

 

「ピカチュウも来るんだよ!!!」

 

「ピピカチャー」

 

 石をひっくり返して、へばりついている気持ちの悪い虫で遊んでいるピカチュウの手をひっぱり、なんだか緊張もほどけてしまった心持で再度ジムの中へと入っていくサトシだった。

 

 

 

「うわ!虫は置いて来てよ!!」

 

 

 

 そんな言葉を残してジムの扉はゆっくりと閉じ、サトシは日常と隔絶された。

 

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

 

「ピカピー」

「うるさいな・・・苦手なんだよこういうの」

 

 

 サトシは迷子になっていた。

 

「なんでジムの中でワープしなきゃいけないの・・・シルフカンパニーで使ったけど、本当に原理がわからない・・・」

「ピ~カ~」

「ピカチュウ、行ったり来たりしないで」

 

 ヤマブキシティジムの中は、シルフカンパニーの中に設置されていたワープゲートが大量に設置してあり、たくさんある部屋それぞれを結んでいるようだった。

 それぞれの部屋には出入口は無く、ワープゲート同士で繋がっている。もちろん地図なんてものは無く、どの部屋にいくのかは全くの謎。行ったり来たりを三十分近く繰り返した結果、ようやくナツメの場所へとたどり着いた。

 

 

 

「私はエスパー使いのナツメ。あなたがくることはわかっていました。」

 

「え、そうなの?」

「ピカピチャ」

 

 これは予想外だ。様子見とかできないということか。サトシが裏のトレーナーだということも―――

 

「それでは、裏のバトルへご案内します。」

 

 しっかりバレているようだ。エスパーというのはなんともやりづらい。

 いつもはこう、もっとドタバタしているというか、ピがつくでっかいのが何かやらかして否応なくバトルに突入するというか―――というか、そのピがつくでっかいのはどこへ?

 

 先ほどまで後ろでワープゲートで遊んでいたピカチュウがいない。

 隠れようにもここは出入口の無い小部屋。隠れられるような場所はワープゲートの先のみ。

 一気に背中に冷や汗をかく。ちょっとまて。これから裏のバトルが始まるというのに、主戦力であるピカチュウが不在。というか戦力になる存在がピカチュウしか現状いない。ドーピングポケモンなど硬いだけのコイキングオンリー。いくら硬くたってエスパー相手に通じるかどうか非常に怪しい。なんたって手を触れなくても攻撃できるのだ。コイキングの柔らかい内側的な部分にダメージを与えるとかそういうこともできるかもしれないではないか。そうなっては無残なコイキングのお刺身だ。いや、お刺身するほど身が無いという噂も聞いたことがあるが、どちらにしてもたまったものではない。

 

 

「ちょちょ。ちょっと待ってください!?」

 

「お連れのポケモンが迷子でしょうか。もうすぐ戻ってきますよ。」

 

「え、ほんと?」

 

「ええ。ですが―――いえ、なんでもありません。」

 

「?」

 

 ちょっと含みのある言い方だったが、あのエスパー能力者が言っているのだ。きっと戻ってくるに違いない―――ちょっとまて、もしかしてピカチュウの考えていることがわかるのかな?それならいろいろと訊きたいことが!

 

「残念ながら私ではポケモンの考えていることまではわかりませんね。」

 

「あ、そう・・・ですか。」

 

 やりづらい。というかそのやりづらい相手とこれから戦わなければならないのだが、どうも気が抜ける。本当にジムリーダーなのだろうか?

 過去にジムリーダーから感じたような闘争心とか気迫とか、そういったものがあまり感じられないが―――

 

 そんなことを考えていると、ワープゲートが動作して黄色いのが現れた。一体どこに行っていたというのか。というかこの短時間で戻ってこれたあたり、サトシより迷路に関する記憶能力は優れているということだ。腹が立つ。

 

 

「もう!ピカチュウ!どこにいって―――」

 

 

 ピカチュウの方に振り向き、その行動を咎めようとしたところでサトシは言葉を失った。

 

「ピッカピ~」

 

 ピカチュウはいつものとぼけた笑顔。そのふざけた格好もいつも通りだが、いつも通りではない部分があることにサトシはすぐに気づく。

 そして、ここにいるサトシ以外の人間は数分前には気づいていた。

 

 

「ピカチュウ―――どゆこと?」

 

 

 ピカチュウが小脇に抱えていたのは、昨日たっぷり話し込んだ狂人、エスパー親父その人だった。

 

 

 

「おやサトシ、久しぶりだね。お茶でも飲むかい?ははは。」

 

「ピピカチャー」

 

「ははは、ピカチュウ、面白いことを言うね。でもストロベリーパフェはつい先週切らしてしまったよ。代わりにアップルタルトでどうかな?」

 

「ピッピカチュー」

 

「そうかそうか、ははは。なかなか泣かせることを言うじゃないかピカチュウ。なあサトシ。ははは。ところで今日はお客さんが多いね。そちらのお嬢さんはサトシの恋人かい?」

 

 

「いや・・・その・・・・」

 

 

 

 なんと答えてよいものだろうか。

 いや、そもそもこの男は今どこにいるのかわかっているのだろうか。

 そして目の前にいる人物が誰か、理解できているのだろうか。自分の愛娘、その成長した姿を見分けることができていないのだろうか。超能力者ならばそのあたりは関係ないものだと思いたいが―――

 

 

 

 そこまで考えて、サトシはハッと気づき、振り返る。そこには若干だが先ほどよりも表情を曇らせたヤマブキジムリーダーの姿。気づいて、いるのだろうか?しかし、それをサトシが訊くのはおかしいとは思うのだが―――

 

 「あなたが思うようなことはありませんよ。バトルの邪魔ですから、連れて行くことはできません。」

 

 これである。まあ言葉足らずに説明するよりよっぽどいいのだが、隠そうとしていることも見通されてしまうとなると、どう戦えばいいのかと眉間にしわを寄せてしまう。本来であればバトルに専念しなければならない―――のだが、何故かピカチュウがエスパー親父を抱えてきた。見た時は心臓が止まるかと思ったが、特にトラブルは起きていない。そう、サトシは無関係なのだ。口に出さないのであれば、明確な意思は無いのだから問題ないハズだ。ナツメも超能力者なのだから、それくらい多めに見てくれるハズ。そのハズだ。しょうがない。しょうがないのだが―――

 

 

「ナツメ、さん、この男を知らないんですか?」

 

 

 口が勝手に、というのは言い訳だろうか。こんなことを生死がかかっているかもしれないバトルの前に話すべきことでないことはわかっている。そもそもそんな話をするつもりではなかったし、直前まで一片も考えてなかった。やめといた方がいい。藪蛇だ。そんなことはわかりきっている。考え無しに行動して結果がよかった試しがないじゃないか。本当に、本当に自分は救いようがないほどに学習しない。

 背中だけ土砂降りにでもあったくらい汗をかいている。だが、もう後には引けない。

 

 

「それは―――」

 

 

 ナツメが口を開く。が、そこに割り込んで来る存在がいたのは、サトシにとって幸か不幸か。

 

 

 

「ナツメだって?ははは、いったい何を言ってるんだサトシ。ナツメがいったいどこにいるというのかね?ははは、サトシは芸人にでもなったのかね?」

 

 

 

 いまだにピカチュウに抱えられた姿勢のまま、エスパー親父が喋り出す。絶望的な人生を送り、破滅的な人生を送っている、狂気になるしかなかった人物が、場が凍ることなど知る由も無いほどにあっけらかんと、さもどうでもいいことで興味のないことのように、世間話のように口を開く。

 ナツメは―――何も言わない。

 

 

 

「―――え?ナツメは目の前に・・・」

 

 ぼそりとサトシが口に出す。だが、エスパー親父は何事もなかったように、動揺する兆しも見せず、はははと笑い飛ばす。

 

 

 

「ははは、はははは、サトシ、私の目の前にいるのはサトシだろ?ピカチュウは上で、前にサトシだ。まったく面白い冗談だねははは。」

 

 ごくりと唾を飲み込む。ナツメは、何も言わない。

 

 

 

 

「な、ナツメはこの人ですよ!この人がナツメです!!」

 

 

 

 思わず声を荒げる。再会なのだ。互いにとって、念願であるはずの再開。気づかないのだろうか?本当に気づいていないのか?エスパー親父も、ナツメも―――

 

 

 

「・・・・・――――」

 

 

 エスパー親父は黙る。黙ってヤマブキシティジムリーダーを眺める。じっと、じっと、上から下まで、そして頭の奥まで見通すように、じっくりと時間をかけて眺めた。

 たっぷりと時間をかけて、そしてピカチュウに抱えられたシュールな姿勢のまま、口を開いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「この子はナツメではない、サトシ。ナツメじゃあない。誰だね?」

 

 

 

 

「―――え?」

 

 

 

 

 

 

 ヤマブキシティジムリーダーは、何も言わず、その男をじっと見つめている。

 

 

 

 




はて?


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第百五十三話 ヤマブキジムリーダー

「サトシ、この子は誰だね?ははあ、ナツメという名前の別人かな?サトシが冗談が上手いとは夢にも思ってみなかったよははは。」

 

 

 エスパー親父が嘘をついているようには見えない。サトシに気遣っている、などという芸当ができる人間でもない。

 加えて嘘を吐く理由も動機も無い。つまるところ、この男は本当に目の前の女性のことを自身の娘だと認識していない。

 そんなことがありえるだろうか?エスパー親父は確かに狂ってしまっている。だが、それは自信の欲に従ったのでなく、そうなるしかなかったからだ。そうならなければ、自分自身が崩壊してしまうためにとった、言わば防御策。狂うことで辛うじて自身を繋ぎ止めておけたのだ。

 しかし、それはそこまでしても心に繋ぎ止めておきたかった妻と娘を忘れてしまう、などということとは到底結びつかない。そのようなことは、あってはならないのだ。普通の親子であっても、子が成長した姿を見誤ることは少ないだろう。それがエスパーであれば、なおさらではないか。だが、それならば、なぜこの男はナツメのことを『ナツメではない』などと宣うのか。

 ナツメなのに、ナツメではない。―――いや、それはつまり・・・しかしそんなことが・・・?

 

 

 

「サトシさん―――」

 

「え?は、はい!?」

 

 急に声をかけられるので声が上擦ってしまった。恥ずかしい。だが、よくよく考えれば声をかけられた理由などすぐにわかる。

 なにせ、この女性にはサトシが上っ面で考えていることなどお見通しなのだから。

 

「この男性を連れていくことはできませんので、ここで待っていていただくことになりますが、よろしいですか?」

 

「え?あ、そうですね、はい。」

 

 

 至極まっとうな話だ。サトシも戦っている空間にエスパー親父がいたらやり辛いにも程がある。戦闘中にお茶でも出されかねない。だが、それはサトシの事情として、だ。この男の事情としては、この戦いは見過ごせないものではなかろうか。いや、もしも仮に、この男女の関係がそうでないならば話は変わるのだが・・・・

 

 

「私は問題ないとも。サトシ、おつかいにいくのならストロベリーパフェを買ってきておくれ。ああ、ついでに紅茶もきれていたのだったよ。サトシのおすすめのコーヒー豆を買ってきてほしい。きっとピカチュウも満足してくれるさははは」

 

「そう、ですね―――ピカチュウ、その人を降ろしてあげて。」

 

「ピピカピ」

 

 

 ピカチュウは素直にエスパー親父をゆっくりと床に降ろす。

 エスパー親父は、おおすまないね、といいながら壁に背中をついて座り込む。

 

 

「では、行きましょうか。トラブルを避けるため、この部屋のワープゲートは停止しておきます。」

 

「あ、はい・・・」

 

 

 壁にもたれかかってぶつぶつと独り言を言っているエスパー親父をそのままに、ナツメとサトシは扉を開け、奥へと進むのだった。

 

 

「ピカチュウも来るんだよ!!頼むから!!!」

 

「ピピカー」

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

 ナツメと共に狭い通路を歩く。いつも思うのだが、なぜポケモンジムの裏バトルへの道はこう暗くて不安を煽ることが多いのか。

 唯一の例外はエリカの戦ったタマムシシティジムだが、あれはあれで緊張感があった。いや、おそらくどんな形状であったとしてもサトシは不安になるだろうなと、今更ながら思った。

 ヤマブキシティジムでも例外なく少ない照明と狭い通路なのだが、きちんと整備されているようだ。というより、機械、なのだろうか。緑色の光が漏れるスイッチだったり、空気が漏れる換気口のようなものとか、よくわからないがなにかの研究施設のようだ。

 

 サトシが物珍しそうに周囲を見ながら歩いていると、ナツメが口開いた。

 

 

「あなたは、彼のことを知っていたのですか?」

 

 

 急に声をかけられびくりとしたが、ナツメの方に顔を向ける。

 ジムリーダーの女性はいつも美人だ。そういう人が選ばれているのだろうか、などと無粋なことを思ってしまうが、才色兼備な人間くらいでないと務まらないほどのものなのかもしれない。天に味方された存在。・・・ナツメも美貌と才能には恵まれたようだが、運命の方にはどうだったか。それはサトシには判断ができない。黒い長髪、切れ長の目、長身でスタイル抜群。まるでテレビに出てくるモデルのようだ。初心な少年であるサトシには当然ながら目に毒な光景ではあるが、今は命すら軽んじられる裏のバトルの直前。ドキドキはすれど、それは決して美人な女性に対しての感情ではない。今のうちに鼓動をたくさん打っておかないと、すぐに動かなくなってしまうかもしれないという心臓の必死の抵抗のようだった。

 そんなナツメから言われた言葉は、意外ではあったが、違和感のあるものでは無い。サトシにとっても拒否する質問でもないのでそのまま答える。

 

 

「ええ、昨日街で話しました。」

 

「・・・そうですか。彼とナツメの関係も、ご存じなのですね。」

 

「―――はい。それが真実であるかは、僕には判断できませんけど。」

 

 

 正直に答える。それしかサトシの取れる選択肢は無い。嘘を吐いたところで相手はエスパーなのだ。考えなど掌の上のハズ。そのエスパーがわざわざ口に出して訊いてきているのだから、思ったことを答えるしかない。何の意味も無い嘘をついてトラブルを起こしたいとは思わない。

 先ほどトラブルを起こしかけたピカチュウをチラと見て、不思議そうに首をかしげるでっかいのを確認し、ふんっと鼻を慣らして再度ナツメの方を見る。

 

 

「そうですか―――」

 

 

 ナツメはそれだけ言うと、また黙ってしまった。

 これからバトルをするというのに、本当に気が滅入ってしまう。気になることが多すぎる。サトシはブンブンと頭を振ると、今考えるべきこと―――エスパーポケモンへの対策を考え始めた。

 といっても、サトシにとってエスパーポケモンは正直未知数。そんな未知数な相手に対し――しかもドーピングポケモン相手にどう立ち回ればいいのか。ピカチュウとて見えない攻撃を防ぎきれるとは思えないし。

 

 ピカチュウの方をまたチラリと見ると、何を感じたのか親指をぐっと立ててサトシにアピール。いわゆるサムズアップ。グッジョブのポーズ。サトシは別に何も言っていないのだが、あれか。ピカチュウもエスパー能力に目覚めたのか。サトシの思考を読み取って、「大丈夫だ、俺にまかせろピカ!」とかそういう意味合いを込めているのだろうか。親指をくいくいと動かすピカチュウを見ると、作戦らしい作戦があるとは思えないのでサトシは再度思考する。

 

 ―――もちろん、思考したところで何が思いつくわけでもないのだが。無から有は生まれない。サトシの得た前情報など、オーキド博士から得られた微々たるもののみ。本当に助けてくれる気があるのだろうか?いや、戦うのはサトシだ。それにオーキド博士がドーピングポケモンとの戦い方などわかるわけもない。やはり自分で考えるしか・・・

 

 

 

 そんなことを延々と堂々巡りしている間に、前を歩いていたナツメがぴたりと止まった。

 見ると、数メートル先に頑強そうな壁がある。いや、いろいろと棒が張り巡らされ、それぞれが壁に突き刺さっているところを見ると、セキュリティの高い扉なのだろうか。ここがゴール、いや、地獄への入り口か。

 サトシの心臓の鼓動が最高潮に高まる。このまま昇天しそうだ。勢いできた今までのバトルとは違い、緊張感が半端じゃない。相手はポケモンの中でも非常に特殊なエスパータイプ。手を触れずに攻撃できる上にドーピングされている。もはや想像できない。戦って慣れよう、などと考えている間に一匹残らず肉片にされていてもおかしくない。ああ、自分はここで死ぬのだろうか。いや、さすがに直接トレーナーに攻撃はしない、と思いたい。でもピカチュウの幽霊とかに憑かれたらどうしよう。シルフスコープ無くても見えそう。

 

 ごちゃごちゃと到達地点の無い考えをぐるぐるとしていたが、ふと我に帰る。

 

 

 

「・・・えっと、ナツメさん?」

 

 

 

 ナツメが立ち止まって数分が経過している。扉と思われる壁は目の前。それ以外の道は無い。

 それなのに、ナツメが動く気配はない。

 サトシが声をかけても、こちらを向こうとしない。その長い黒髪が、換気口から流れ出るぬるい風で少しだけ揺らしながら、なにかを決断するのを待つように、じっと立っている。

 

 

 (どうしよう、ものすごく居心地が悪い)

 

 

 そんなことを思うサトシだが、時間が稼げるのは良いことだ。これ幸いとばかりに見えない攻撃に対する作戦を考える。

(とりあえず、一対一だと厳しいからまた総力戦にして―――)

 そんなことを考えていた矢先。

 

 

 

「サトシさん―――」

 

「え?あ、はい。」

 

 

 

 思考の時間は終わった。作戦らしい作戦など、いくら考えたところで立たないのはいつも通りではあるのだが、どうせならもっと心の準備期間が欲しかった。準備などいくらしても無駄なのは経験上知っていることではあるのだが、やはりなんとなく準備した方がいい結果になるような気がするのだ。

 ナツメは一呼吸おいて、それでもサトシの方は向かず、黒い髪の奥にある表情は見せずにサトシに問いかける。

 

 

 

「本当に、裏のバトルに挑みますか?」

 

「え・・・?」

 

 

 

 一体何を言っているのだろうか。ポケモンジムにはポケモンバトルをするために来ている。

 リーダーが戦いの意志を問うことなどあるのだろうか。もしかしたらナツメはバトルが嫌いなのだろうか?いや、それならば挑んだトレーナーが壊れてしまうというエスパー親父の話と食い違ってしまうし・・・いや、戦いが始まったら制御できなくなるとか!?いままでのジムリーダーの狂気レベルからすると、ナツメが普通だとは到底思えないし、そういう線も―――

 

 

「いえ、そういうことではないのです。」

 

「ですよね。ははは。」

 

 

 当然ながら思考を読まれているようだ。

 

 

「でも、それじゃあ一体どうして?」

 

「それは―――」

 

 

 単純な疑問。このジムリーダーには謎が多すぎるし、なにより『普通』なのだ。能力や立場云々は別として、そもそも人間の在り方として『普通』。サトシの経験上、なんらかの異常性をもっているのがジムリーダーというものだったので、目の前の人間とはどうしても『ジムリーダー』という存在が結びつかない。

 サトシの勘違いや思い違いかもしれない。むしろサトシの考えが突飛であるだけかもしれない。だが、裏の世界を短期間で密度高く体験してきたサトシにとって、その乖離はあまりにも違和感だった。

 

 

 

「サトシさん―――」

 

「はい。」

 

 

 

 何度目かの声かけ。サトシはただ返答する。

 

 

 

「あなたは、相当強いのですね。」

 

「え?いや、そんなことは・・・」

 

「ジムリーダーを四人。そうできることではありません。」

 

「はあ――――」

 

「ですが、ヤマブキジムは無理です。」

 

「それはやってみないと―――」

 

「あなたは、正しすぎます。」

 

「え?」

 

 

 まるで意味がわからない。一体ナツメは何を言っているのか。正しすぎる?確かにとある会長からはそのようなことを言われたが、だからといってポケモンバトルになんの関係があるというのだろうか。

 

 

「それでも、挑みますか?」

 

 謎の問いかけ。だが、それに対するサトシの答えは決まっている。もう戻れる道は崩れ落ちているのだから。

 

 

 

「・・・はい。怖いですけど。」

 

「そうですか―――では、一つだけ先に言っておきます。」

 

 

 

 サトシは無言で促す。なんだろう、という軽い疑念を胸にして。その言葉がどれだけ重く自分にのしかかるのかを覚悟せずに、目の前の女性の言葉を無警戒に待つ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「私はナツメではありません。エスパー能力を与えられた、別の人間です。」

 

 

 

 

 

 

「――――――え?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 サトシの脳内に、エスパー親父との会話が猛烈なスピードで駆け抜け、そして疑念が解消され、あまりの事実に吐き気を感じ、無意識に口を押える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「この先にナツメ様がおられます。では、どうぞ。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 頑強に固定された扉がゆっくりと開錠され、頭が混乱したまま、サトシのジム戦が始まろうとしていた。

 

 

 

 

 




評価感謝です(*'ω'*)

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第百五十四話 人としてのカタチ

ちょっと短め


 だだっ広い、コンクリートで包まれた空間。冷え切った空気が急激に身体の中に流れ込んでくるようで、思わず身震いする。

 天井はそこまで高くなく、精々四メートルといったところだろうか。それに反して横への広がりは三十メートルはくだらない。

 白い無機質な蛍光灯が点々と天井に埋め込まれているが、この広大な空間を照らしきれてはいない。光と光の間には真っ黒い影に支配され、等間隔に白と黒のコントラストを生み出している。

 コンクリートと蛍光灯以外にほぼ何もない空間ではあるが、一番奥の中心。そこに巨大な金属の塊が鎮座し、低いノイズ音を途切れる事無く響かせている。

 

 例えるなら、脳髄。複雑に絡み合ったケーブルと金属の配管。鈍く光る鼠色の管は入り組み、外界からの接触を拒んでいるように見える。シルエットだけみれば大きなドーム状に見える機械の中心には、この部屋の入口同様に頑丈に固定された窓。人が一人通れそうな大きさでまるで潜水艦についている丸窓のような形をしている。その中は怪しく発光する緑色の液体に満ちており、中は濁っていて何がその液体で覆われているのかは分からない。

 

 その機械の対称。部屋の反対側の扉から入ってきたサトシは、その異様な光景と空気に、どうしようもない、肺と胃が同時に収縮するような感じに襲われ、手を固く握り震わせていた。

 

 

 

「さあサトシさん、到着しました。ここが、バトルフィールドです。」

 

 

「ここ・・・が?」

 

 

 

 何もない。いや、バトルするだけなのだから何も無くても問題は無い。むしろ邪魔になる物は無い方がよい。

 あるのは明らかに足りていない照明と、異物感を漂わせる謎の機械。

 戦う分には問題無い。無いのだが、肝心なものが不足している。

 

 

「ナツメは―――?」

 

 

 表の顔を担当していた影のナツメに案内され、『本当のナツメ』の場所へと来たハズだ。

 だが、その当の本人がこの部屋にいない。これはどういう事なのか。疑念は尽きず、さらに寒気を強く感じる。

 

 

「ナツメ様なら、もうおられます。」

 

「いる・・・?どこに―――」

 

 

 女性がゆっくりと右手を持ち上げ、正面を掌で示す。

 

 

「あちらにおりますのが、ナツメ様です。」

 

「あちら、って―――もしかして・・・」

 

 

 手の先は、低音を響かせている機械。サトシが感じていた不安感が形を成して押し寄せてくる。

 

 

「はい、あの機械の中に、ナツメ様はおられます。能力が強すぎる故、常に機械の中で管理されております。」

 

「管理・・・?常に、って・・・?え、ナツメは出てこれないってこと―――?」

 

「はい。ナツメ様はあの中から出ることはできません。動くことも、喋ることもできません。できるのは、エスパー能力を発揮する事のみです。」

 

「そん・・・な・・・・」

 

 

 

 ナツメは生きている。だが、それだけだ。

 エスパー親父の話は聴いたし、実験や研究の事も知識としては頭に入っていた。

 生物学上は、生きている。しかし、自由は無い。

 サトシとそう年齢も変わらないハズの少女。

 だが、それ以外のことは悉くかけ離れた境遇にいる少女。

 サトシ自身も相当恵まれない状況に置かれていると自負していたが、彼女の前で自分が恵まれていないなどと口にできる人間がいるのだろうか。

 食べる事も、寝る事も、動く事も、遊ぶ事も、悩む事も、楽しむ事も、泣く事も、話す事も、何もかもが奪われて、超能力の研究のためだけに現世に固定されている。

 あれは生きていると言えるのだろうか。生きていると言っていいのだろうか。

 研究者はこぞって言うのだろう。『生物学的には生存している。問題無い。』と。

 エスパー親父にも、何の躊躇いもなく平然とした顔でそう言い切ってきたのだろう。

 

 

 

 

 

 

 ―――――反吐が出る。

 

 

 

 

 

 

 

 何が研究なのか。何が大事に扱うだ。人間としての最低限の尊厳すらも、研究というものは否定しえるものなのか。そこまで価値があるものなのか。一人の人間を絶望に陥れ、一人の人間の形を奪い、一人の人間の自由を奪う。これが、同じ人間が出来ることなのか。許されていい事なのか。

 

 サトシを憎悪が蝕む。

 初めて、自分の事でもなく、ポケモンの事でもなく、一人の他人の事に対して憎悪を抱く。

 分かっている。今までも人が殺されるという事はあったし、それを目の前にした事もあった。

 だが、それは理由があった。到底受け入れる事などできないが、筋が通っていた。

 裏のバトルでは生き死にが起こりえる。裏に関わる人間であればそれは覚悟しているし、そうでなくても認識はしている。そうなるかもしれない、と。

 

 だが、これは、何だ。

 命があればいいのか。なんの問題も無いというのか。何の覚悟も、罪悪感も、責任も、何もない。

 あるのは単なる研究結果のみ。興味関心。趣味嗜好。

 そんなもののために、世界を知る前の子供からすべてを奪うのか。それが、同じ人間の所業なのか。

 

 

 

 

 

 歯を食いしばり、ギリギリと音を出す。強く握りすぎた手からは、爪が食い込んで血が滴り落ちる。

 ポタポタと、無機質なコンクリートの床に赤い模様を作り出す。

 

 

 

 

『あなたは、正しすぎる。』

 

 

 

 

 

 先ほどの言葉がサトシに強く圧し掛かる。

 分かっている。バトルには関係無い。サトシのやるべきことには何の関連性も無いことは百も承知だ。

 分かっているし理解しているし認識も把握もしている。だが、だが―――

 

 

 

 

 

『サトシ君は、正義に狂っているのだよ。』

 

 

 

 

 

 ダメだ。自分の目的を見失ってはいけない。余計な感情は押し込まなければ。

 そうでなければ、きっとまた失敗する。それは良くないことだ。学んだことだ。

 

 

 

 

 

『自分の出来る事を考えたまえ。君は直情的に過ぎる。』

 

 

 

 

 

 知っている。分かっている。だけど、だけど。

 

 

 

 

 

 

 

 サトシは無言で床を見つめ、黙っている。

 

 傍にいる女性も、無言でそれを見つめる。

 

 

 

 

 だが、この部屋に入った時点で、選択肢も、猶予も無い。

 ここまでに何度もあった選択肢。だが、ここに来るという選択をしたサトシには、すでに再選択の余地は無い。

 故に、黙っていても状況は進む。

 十四歳の少年の葛藤など、さも無かったかのように、先へ先へと進む。

 

 

 

 

 

「―――では、ここでお待ちください。」

 

 

 

 

 女性は一言そう伝えると、コツコツと小さく足音を反響させ、奥の機械の元へゆっくりと歩いて行く。

 

 振り向く事無く機械の前まで行くと、窓に優しく手を這わせ、目を閉じた。

 

 ―――数秒後、目を開くと、今まで黒かった瞳に緑色の光が加わっていた。

 

 女性が手を下げ、くるりと身体を反転させる。

 サトシの方へ目を向け、口を開く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『私がナツメ。ヤマブキジムリーダーのナツメ。さあ、戦いましょう。』

 

 

 

 

 先ほどとは違う口調で、そう言い放った。

 



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第百五十五話 再びの喪失

「ナツメ・・・?え?どうして・・・・?」

 

 眼光が怪しく緑色に光る女性。

 姿形は紛れもなく先ほどまで隣にいた女性だが、身にまとう空気感は全くの別人のそれ。

 

 

『私は超能力で身体を操っているにすぎない。さあ、戦いましょう。』

 

「超能力で身体を―――そうか、機械の中から・・・」

 

 

 意識はある、ということだ。

 だが、他人の身体を支配しなければ意思疎通はできない。それがどれだけ自由の無いことで、不幸なことなのか、彼女は理解しているのだろうか。

 

 

『バトル方式は総力戦。お互いにすべてのポケモンを出してバトル。最後に残ったポケモンのトレーナーが勝利よ。じゃあ始めましょう。』

 

「え!?ちょ、ちょっとまって!ナツメはなんで戦うのさ!研究対象になってまで!自由を奪われてまで!」

 

『私のポケモンはバリヤードとフーディン。出なさい。』

 

「話を――――」

 

 

 問答無用。何も話すことなど無いとばかりにナツメはバトルを進める。

 機械の両サイドから赤い光が漏れだす。

 見慣れた光景。サトシもよく知っている、モンスターボールから出る光だ。

 

 光が形作った二体のポケモンが弱々しい蛍光灯に照らされて浮かび上がる。

 

 

 サトシから見て右。

 白い胴体、頭には赤い角、細い四肢。顔はスマイルマークのような笑顔。

 バリヤードというポケモンの姿を当てはめるのであればそれらは満たしていると言える。

 だが、それ以外を含めると到底バリヤードなどというポケモンとはかけ離れた造形をしている。

 

 まず、笑顔は表情では無い。能面を張り付けたかのような不動の笑顔。感情も感じられなければ、生命であるかどうかも曖昧になるかのような、不安と不吉を形にしたらこうなるのかと感じてしまうような、不気味な顔。

 

 足は不自然な程細く、その先端には角と同様に赤く尖った靴状の物体が浮き上がっている。

 人間の足から皮膚と筋肉をまるっと削ぎ落した大腿骨そのもののような不自然な細さとリアルな造形。

 その二本の脚では支えきれないハズの胴体はきちんと一定の高さを保ち、左右にゆらゆらと揺れている。

 

 腕は一際異様な造形をしている。

 その数六本。本来生えている通常の二本とは別に、腹部から二本、腰のあたりにさらに二本。左右前後に伸びた六本の腕はそれぞれ円を描くように不気味な動きをしている。

 それだけでも奇怪な姿をしているが、さらにその異様さを増大しているのがその六碗の先に付いている物。

 普通は腕の先端についているものは掌と五本の指。だがこの生き物の掌についているのは「五本の腕」だ。

 腕の先端から伸びるのはさらなる腕。その腕の先に掌があり、指が五本ついており、うねうねと気味悪く動いている。

 

 六本の腕それぞれから五本の腕。都合三十本の腕から百五十本の指が蠢いている。

 醜悪―――ドーピングの効果としてはあまりに狂った造形。神に見放されたか、それとも造形主が狂っていたか。

 子供が粘土細工で作るにしても、もう少し救いようのあるデザインに落ち着くだろう。

 

 

 

 

 サトシから見て、左。

 人の形をしている。が、人と形容するにはあまりにもふざけている。

 黄色い痩せぎすの胴体に、細長い四肢。それは良い。フーディンというポケモンはそういうモノだ。

 だが、その頭部が異常な程に巨大。

 本来の狐のような形からは程遠い、後ろに倍近く膨張した巨大な脳と、それを覆う頭骨。

 その重みを支えるために、腕を床につき、四つん這いになっている。

 

 黄色く細い胴体からはあまりに不釣り合いな頭。

 歪な形をした頭に張り付く顔には、白く長い髭が二筋。

 床にだらりと垂れ、ゆうに二メートルはあろうかという髭はまるで手足のようにグネグネと怪しく動いている。

 おそらくはエスパー能力によって動かしているのだろう。

 だがそれですら、自身の頭の重量を支えるには不十分なようで、ずりずりと床に這いつくばっている。

 

 

 

 

 

 

 

 これが、ナツメのポケモン―――

 不気味で醜悪。

 そして得体が知れない。

 心もとない照明に照らされるその姿からはどのような攻撃をするのか想像できない。

 

 

『さあ、あなたもポケモンを出しなさい。始めましょう。』

 

「ちょ、ちょっとまって!まだ質問に―――」

 

『しつこいわね。私がやってあげる。』

 

 

 

 サトシのモンスターボールが緑色に発光し、六個すべてが手も触れずに床に投げられる。

 ボールはそれを合図に赤い光を機械的に射出し、中のポケモンを無理矢理に形作る。

 

 クラブ、サンドパン、コイキング、メタモン、ゲンガー。

 五体のポケモンがサトシの命無くフィールドへ現れた。

 

 

「な!か、勝手に!!まだ何も―――」

 

 

 

 

 ―――次々に状況が進んでいく。

 サトシは今まで、望むにしろ望まないにしろ、自分の意志で物事を進めてきた。

 状況に合わせ、自身で考え、行動を決定してきた。

 だが、そんなサトシの意志や考え、問い、疑問などまるで眼中に無い。

 存在すらも、ただの一人のポケモントレーナー程度としか認識されていない。

 そのような状況は初めてで、さらに迂闊な事に、サトシの中では今、単純に割り切れない理不尽が大量に渦巻いている。

 解消できないとは頭でわかってはいても、投げかけずにはいられない疑問が山のようにある。

 何故戦っているのか。父親のことは。母親のことは。研究については。今の状況は。自分のことは。超能力については。

 疑念は尽きない。そして、そのどれもが、サトシの望む回答は得られないだろうということもわかりきっているのに。

 それでも訊かずにはいられないのはサトシの本質なのか、優しさなのか、哀れみなのか。それとも、それこそが狂気なのか。

 自身の中で何も状況に追い付いていない。それがどれだけ危険な事かを認識する余地が生まれない程、サトシの頭の中はごちゃごちゃと答えの無い疑問がぐるぐると渦巻いていた。

 

 常日頃ではそれでもいいだろう。だが、今はバトルの―――それも裏のバトル。ジムリーダーとの戦いの真っ最中。この状況下で余計な思考をすることなど自殺行為で、そのことなどサトシ自身、身をもって知っているハズなのだが、サトシ自身の中核的な部分がそれを許容できずにいた。

 

 ナツメがその思考を読み取っていたかどうかはわからないが、当然のように、さらにサトシの混乱と後悔に落とし込んでいく。

 

 

 

 

 

 

 

『―――サイコキネシス』

 

 

 

 

 

 

 

 サトシの目の前で、サンドパンが身体中から血を噴き出し、その場に崩れ落ちた。

 

 

 

 

 

「――――――えあ?」

 

 

 

 

 

 

 

 思考の渦の中にあったサトシの脳内が何か別のもので上書きされる。

 数メートル先に、血だまりが広がり、鉄のような臭いが鼻孔に刺さる。

 ドクンドクンと心臓が波打ち、頭の中は紙にぐりぐりと鉛筆で書き殴った跡のようにぐちゃぐちゃで、目の前に起きた出来事を受け入れられずにいる。

 視界はボヤけ、歪み、ぐるぐるとかき回される。呼吸が早まり手が震える。

 その間にも目前では赤い染みがじわじわと広がり続け、サトシのつま先をぴちゃりと赤色で滲ませた。

 

 

「サン・・・ドパン・・・?」

 

 

 サトシに過去の記憶が急激に押し寄せる。

 自身のポケモンを失った、不甲斐ない記憶.後悔すべき教訓。気づいた時にはいつも手遅れ。それが裏のバトルであるという認識はあれど、到底許容できない行為。

 目の前で救えた命が失われるという経験は、普通であればそうそうするものではない。それこそ物語の主人公で悲劇の過去を背負うなどというありきたりなストーリーを抱える羽目になった創作物でなければ。

 物語の上ならばかわいそうと思って終わりだろう。文章を読んだだけであれば、そういう話なのだろうと一蹴できよう。

 感情移入もするかもしれない。自分に重ねるかもしれない。それによって悲しみを共有しようとするかもしれない。

 そうできるように書かれていることが、優れた物語の前提だろう。

 ―――だが、それは真実ではない。感情移入など、『そうであった気分』を想像するだけだ。決して、決してそれを経験した人間はそういない。居たとするならば、そのような文章が書かれた本など引きちぎって燃やしてしまうだろう。

 二度と味わいたくない感情、体験、そして自己嫌悪。

 偽りの感情移入などで到底同意できるなどと口にできない『本物の感情』を、あろうことか物語の上でなく目の前のリアルとして反復してしまった時の感情は、到底想像のできない、筆舌し難いものになる。

 

 

 

「え・・・あ・・・・?うぇ?」

 

 

 悲鳴をあげる、などというありきたりな感情表現など、出来ない。

 ただ、ただ理解不能な声を出す。

 頭の中が伽藍洞となり、今までの思考などかき消えて目の前の光景に目を見開くことしかできない。

 まだ息があるのか、ピクピクと小刻みに動く身体からは、その動きに合わせて血が噴き出している。

 

 

 

 

「う・・・えぅ・・・・」

 

 

 

 

 何もできず、ただ立ち尽くす。

 目の前で起きた出来事が理解できない。理解しようとすると記憶が拒絶する。理解してしまうと、自分の精神が崩壊してしまうと、無意識化で脳が制御しているかのように、サトシは唯々、つぶさに、目の前を見つめて茫然とするしか出来ない。

 頭が焼け付くように痛く、足元もふらつく。開きっぱなしの瞼の所為で眼球が乾き、ひりつく。

 

 

 

 

 数秒―――

 

 

 

 

 

 黄色い閃光が、薄暗い地下室を一閃し縦断する。

 主人の命令は無く、同調するポケモンも無く。

 一筋の眩い光線となり、同じく黄色い身体を気味悪く這いつくばらせるポケモン目掛け、拳を振り抜く。

 

 普通の反射神経、反応速度ならば到底躱しきれない。

 貧弱な胴体など、真っ二つに千切れ跳ぶ。

 

 

 だが、巨大な拳が降りぬいた空間には何もなく、空間を打ち抜く高速な物体が出す空気との擦過音のみが地下空間に反響したのみだった。

 

 

 

 

 

 

 

 



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第百五十六話 二体のエスパー

 高速移動を駆使したピカチュウの一撃を回避することは、ほぼ不可能に近い。

 制止状態から急速に動く物体など認識できる余地がある筈も無く、そもそも肉眼で捉えられる速度では無い。

 そうでなければただ速く動くだけの技に『高速移動』などという名前が付く事などありえない。あらゆるものを置き去りにするスピードだからこその技。

 その技を捉える方法は、常人離れした動体視力を持っているか、同じ速さで動くことが出来るか、未来予知が出来るか、そもそも避ける必要が無いほどの耐久力か。

 だが、そのどれにしても相手に肉体がある以上、『何かに当たる』という結果は付きまとう。

 直撃にしろ、ガードされるにしろ、そこには必ず物体への衝突という物理現象が起こりうる。奇跡的に回避しえたとして、それは打った張本人―――ピカチュウの認知の中で完結されうる出来事。

 

 だが、たった今、そのどれとも異なる結果が発生し、ピカチュウを混乱へ陥れる。

 たった一瞬。認識から外れる。その場所に直前まで、それこそ拳が当たるか当たらないかという瞬間までその場所には異形の化け物が居たハズだった。

 

 ―――ゾク、と悪寒を感じてピカチュウは右を見る。視線の先にいるのはバリヤードのハズだが、ピカチュウとバリヤードの間には今胴体を打ち抜こうとした相手、フーディンが地面に這いつくばって、細い目を見開いてこちらをじっと見ている。

 

 

 何故そこにいるのか。

 高速移動で動くピカチュウにすら、そこに至るまでの過程がすっぽ抜けている。

 つまり、フーディンは動いていないのに、移動している。

 矛盾そのもののようだが、そうとしか言えない。

 

 

 

 ―――テレポート。フーディンが使用した技は、その場から消えて別の場所に転移するという技。

 本来は戦闘から離脱するための技。戦闘に応用できないものかと考えたトレーナーもいたが、そもそもどこにテレポートできるか細かくコントロールできるものでは無く、単純に逃げ出すくらいしか用途が無かった。

 尚且つ、技を使うために精神を集中する必要があるため、使うと決めて瞬間的に移動することなど出来ない代物。

 

 フーディンの進化前、能力の低いケーシィが逃げ回るためだけに覚えているのではと考えられているほどに実践で使い道の少ない技。

 

 だが、それをコントロールし、瞬間的に狙った場所に移動できるとすればどうだろうか。

 自身の認識の中であれば、どこにでも、好きな場所にテレポートできる。

 ただそれだけ、と揶揄するにはあまりに凶悪な技。

 空間指定のテレポートというのは言うほど簡単なものでは無い。

 何故なら、移動先の空間座標を正確に認識できていなければ、下手をすれば自身の身を破壊しかねない。

 コンクリートで固められた床の中に移動してしまえば、考える余地無くその身は瞬間的に粉々になりコンクリートと混ざったグロテスクなシェイクとなり果てる。

 

 正確に空間座標を把握し、移動前から移動後の場所を計算し、且つ正確に計算した場所へとテレポートを行う。

 不規則だからこそ安全だった技をコントロール下に置くための弊害。

 通常では不可能。いや、むしろ可能だと考える方が埒外な物。

 それが『テレポート』をコントロールするということなのだ。

 

 

 

 ―――ピカチュウは初撃を外した。だが、だからなんだとでも言うが如く、第二撃を繰り出す。

 フーディンはまたも消え、ピカチュウの腕の範囲外へとテレポートする。

 三撃目も同様。

 ピカチュウは追いすがる。

 まるで遊ばれているかのように、フーディンはピカチュウを翻弄し、弄ぶ。

 

 

 ピカチュウは尚も目にも止まらない高速をもって地面に頭をこすりつける化け物に拳を振りぬき、そしてついにその拳に衝撃の反動が返ってくる。

 

 

 

 だが、そこにいたのはフーディンでは無い。

 フーディンが消えた場所に現れたのは無数の掌。

 そしてその掌が作り出す『バリアー』だった。

 

 ピカチュウの拳は、その透明の壁に阻まれ、フーディンどころかバリヤードにも届かない。

 直ぐに右にステップし、バリヤードの左腹にボディブローを撃ち込むが、前後左右に蠢く腕を持つバリヤードに死角は無く、再度バリアーで防がれる。

 

 フーディンはバリヤードの後ろから動かず、あざ笑うかのようにグネグネと髭を動かしながらピカチュウを見上げている。

 

 二度の攻撃を完全に防がれたピカチュウだが、ピカチュウとて歴戦の兵。

 目の前で繰り出すテレフォンパンチが通じずともまだ攻撃手段はある。

 

 ―――ピカチュウの両頬から光が漏れる。今までに数々の標的を無力化してきた伝家の宝刀。まともに食らえば黒焦げになる威力の電撃。『十万ボルト』である。

 

 

 薄暗い室内を太陽が発生したかのような強烈な光が暴れまわる。

 空気が破裂するようなチリチリという音と、部屋の奥で豪快に炸裂する稲光。

 通常なら跡形も無くなり黒い跡しか残らないほどの高電圧だが、相手はジムリーダーの持つ強力なドーピングポケモン。さすがにノーダメージとはいかないが、拳を撃ち込むだけの隙はできる。

 

 そう思ってか思わずか、ピカチュウは再度高速移動からの強烈な打撃技『たたきつける』を繰り出す。

 

 

 

 

 ――――強烈な光が姿を消し、そこに三体の無傷なポケモンが再度姿を現した。

 

 

 十万ボルトはバリヤードの『光の壁』で完全に防がれ、叩きつけるはフーディンの『リフレクター』で無効化された。

 

 

 二つの防御幕がナツメのポケモンを覆う。

 

 

 

 ピカチュウが攻撃を仕掛けて十数秒。

 サトシのポケモン達は微動だに出来ず、サトシ自身も思考停止状態。

 ピカチュウの攻撃は完封されてしまった上に、ナツメのポケモンはまだまだ余力を残している。

 

 

 

 ナツメが操る女性は無表情で、何の関心も無さそうに、いつもやっている作業の如く、誰に言うでもなく呟く。

 

 

 

『もういい。無駄だから終わらせましょう。』

 

 

 

 

 バリヤードとフーディンの防御壁が解かれ、二体のポケモンが待ちかねたとばかりに、ゆらりとその身を揺らして一歩踏み出した。

 

 

 

 ―――ピカチュウは動く。

 それしか選択肢が無い。

 

 

 他のポケモンに何ができようか。

 クラブ、メタモン、コイキング。

 ゲンガーに至っては言う事をきかない。

 

 寧ろ、ピカチュウの邪魔をしてしまう事にもなりかねない。

 今、ピカチュウは目の前のことで手一杯なのだ。とても誰かを守れる状況には無い。

 常に高速移動でバリヤードを攻撃し続ける。

 時折コンクリートの壁が丸く抉れるのはフーディンのサイコキネシスか。

 とても念力とは思えない破壊力。それがあの自身の身体能力を犠牲にした脳の巨大化の結果だと言われれば、納得せざるを得ない。

 まるで固定砲台。だが、スターミーの時と違い、この砲台が放つ砲弾は目に見えない上に、その砲身すらも自由自在にテレポートし、様々な角度でピカチュウを襲う。

 さらに言うのであれば、その不規則な動きに指示をしているのがあの不気味な機械の中にいるナツメ本人なのだ。

 あらゆる意味で規格外。エスパーとして深くポケモンと深層で繋がり、直接指示しているとしか思えない程の正確さ。

 ピカチュウはその不規則に襲い掛かるサイコキネシスを回避するために、自身も不規則に動き続けるしかない。

 しかし、いくら致命的な攻撃を躱したと言っても、ピカチュウはテレポートしているわけではない。当然、その体には物理法則が降りかかる。

 急に反転すればそのために無駄な力が足にかかり、ジワジワと疲労と微小なダメージを蓄積する。ドーピングを施された強靭な体とて、自身の持つ実在の肉体。普段なら問題の無いダメージでも、このレベルの戦いでは致命的にすらなりえる。

 事実、フーディンの放つサイコキネシスは徐々に正確性を増し、ピカチュウの巨躯の端々を抉り、削り取っている。

 

 消耗戦―――だが、ピカチュウとてそれは百も承知。とにかく二体のうちどちらかを打倒しなければならない。

 

 

 意を決し、一転攻勢するためにピカチュウは電撃を身に纏い、拳をバリヤードに思い切り撃ち込んだ。

 いつぞやのライチュウがやっていたように、自身に電撃を纏うことでその破壊力を増大させる。これであればバリヤードの鉄壁を打ち破れるハズ。

 

 

 

 ピカチュウの巨大な拳は、バリヤードのバリヤーを破壊し、華奢な胴体をぐしゃぐしゃに叩き折り、勢いそのまま猛烈なスピードで弾け飛び、灰色の壁にぐしゃりとへばりつき、前衛的なアートのように血みどろの塊と化した。

 

 

 

 ―――バリヤードは倒した。が、油断はできない。次はフーディンだ、と意識を切り替えようとしたピカチュウを、誰が攻められようか。事実、バリヤードの身体は滅茶苦茶に破壊され、無機質な壁を飾る芸術と化したのだ。

 

 

 

 

 ―――ではこれは。

 

 

 

 

 ―――目の前に存在している無数の腕は、いったいどこの誰の腕なのか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――『みがわり』

 

 自身の体力を使うことで、まったく同じ個体を作り出す技。

 その名の通り本来はただの身代わりなのだが、ことドーピングの蔓延る裏の世界においてはその限りでは無い。

 

 つまりバリヤードは。この異形の怪物は。たった今破壊した物はただの身代わりで、目の前にいるこいつこそが本物で。

 

 

 

 

 

 ―――・・・!!

 

 

 もう一歩。

 

 ピカチュウはさらに勢いを増して怪物に襲い掛かる。

 大丈夫、今の攻撃はバリヤーを割った。つまり、もう一度繰り出せば同じ結果になる。もう身代わりを使う時間は無い。これで、これでバリヤードを今度こそ壁の染みに出来る。

 

 

 

 さらに加速した拳を撃ち込む。躊躇など無い。先ほどと同様にその脆い胴体を殴り壊す。

 

 防御が割れればただの脆い肉体に過ぎないのだ。

 筋肉の権化のような身体から放つ岩のような拳を、耐えられるわけはない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その一秒後、ピカチュウは床に転がり気を失っていた。

 

 

 

 

 

 

 




やべえじゃん。


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第百五十七話 正しさ

おひさしぶり


 崩れ落ちる巨体。

 幾度となくその無類のパワーとスピードを駆使して戦い抜いてきた肉体が、ついに倒れる。

 考えるまでもなく、それは必然であった。むしろ主力となりえるポケモンが一体の状態で勝ち進んでこれた現状こそが奇跡であったと認識すべきだった。

 この事態は起こるべくして起きた。起きてほしくない、という願望に縋ることなど到底不可能だった。

 ピカチュウ一体で勝ち抜くという薄氷を踏むような戦い方で、数々の挑戦者を叩き落としてきたジムリーダーを下し続けるなど出来はしない。

 

 その脆い牙城を打ち崩した張本人―――ナツメのバリヤードは、その変わらない能面のような笑い顔を二つ胴体から生やし、片方がねじ切れるようにして地面に落下し、ほどなく崩れるようにして消え去った。

 

 

 

 

 

 

 ピカチュウが勢いに任せて殴り掛かり、強靭なバリアーを割った。

 威力は随分と削がれたが、軟な胴体を破壊するには十分な威力。ピカチュウの拳はバリヤードの顔面を正面から打ち抜く。

 砕いた感触。幾度となく味わった破壊の手ごたえ。この期に及んで躊躇など無く、その硬く握った拳には十分な手ごたえがあった。

 しかし、その直後にバリヤードの手がピカチュウを打ち抜いた。

 

 ―――カウンターという技は、そもそも自身が攻撃を耐えねばならない。

 ドーピングの蔓延る裏の世界では、正面切って攻撃を耐えるなどということは愚行の極みであり、防御力と体力を自慢する強化を行ったポケモンでも、相手の攻撃には細心の注意を払う。

 その過酷な状況の中で、相手の攻撃を受けねばならないという技の発動条件を満たす事はとても正気とは思えないものであり、且それを選択するトレーナーなど居ない。

 

 だが、もしも、相手の繰り出すものが物理攻撃であることが事前にわかり、その強力無比な打撃を耐えうる術があるのだとすれば、カウンターという技は相手を倒しうる攻撃として十分以上に効果を発揮する。

 攻撃を耐えうることが前提条件。その前提条件を満たすことができるのだとすれば―――

 

 

 

 部分的に『みがわり』を使う。当然相応の体力を消耗するし、そこ以外に攻撃を受ければ何の意味も無い。

 それを解消することができるならばその限りではないという事。

 ピカチュウの渾身の一撃はバリアーで威力を削がれ、拳の軌道をずらされてバリヤードの顔面を打ち抜いた。

 

 ―――否、顔面を打ち抜かざるを得なかった。

 そしてそれは意図するところであり、その結果ピカチュウの混信の一撃は部分的にみがわりしたバリヤードの頭部を破壊するにとどまり、威力が落ちたとはいえ自身の攻撃に対するカウンターを受け、無意識に叩き込まれた打撃によってピカチュウは意識を飛ばし、地面を舐めることになった。

 

 

 

 

 

「あ・・・ぴ、ぴかちゅう・・・・?」

 

 

 

 今まで放心状態だったサトシから声が漏れる。

 だが、それは思考の復活でも起死回生の手段が思いついたわけでもない。ただ、現状を見つめることに恐怖するただの一人の少年。

 そんな状態の少年がまともな思考をできるはずも無く、口から洩れるのは単なる救済の願いのみ。

 

 

「みんな・・・死なないで・・・お願い・・・だから―――」

 

 

 それが届いたのがどうなのか。

 だが、長く連れ添ったサトシのポケモンにとって、それは指示として十全に機能する。

 たとえそれが無意味なものであったとしても、何もしないという選択肢は死を意味するのだから―――

 

 

 

「クラーブ!!」

 

 クラブが両手のはさみから水を噴き出す。『なみのり』の技だ。

 通常のポケモン相手であれば十分な威力を誇る攻撃ではあるが、ことドーピングポケモン相手ではまるで意味を成さない。

 バリヤードには当然のように光の壁で防がれ、フーディンはテレポートで消える。

 

「クラブ!クラーブ!」

 

 何度も、何度でもなみのりを繰り出す。必死に抗うしか選択できない。逃げることも降伏することも許容できない。なにより目の前で自身の主人が危機に陥っている。そんな状況を看過できる訳が無い。

 故に、抗い続ける。

 

 ―――それが何かを生み出すことに繋がるかは、全くの別問題だが。

 

 

 幾度かの攻撃をし、さらに限界まで撃ち続ける気概を見せるクラブだったがついにその手が止まる。

 目の前に破滅の象徴―――巨頭の化け物が突然出現した。

 

 

 

 地面を這いずり、不気味に髭をうねらせる。

 その目はジッと気味悪くクラブを見据える。通常であればそこから動くことなど出来ない。

 目に、迫力に、威圧感に、その動きを完全に封じられる。

 

 だが当然ながらそれだけで済む相手では無い。

 これは互いのどちらかのポケモンがすべて戦闘不能になるまで続くのだ。

 それは瀕死などという生易しいものだけでなく、死亡も含まれる。

 裏のバトルとしては当然で、だからこそトレーナーも全力を投じ、強力に育成した自身のポケモンを繰り出す。

 

 その条件を満たさないことの方が例外で、その例外がどうなったのかは語るべくもない。

 

 

 

 

 

『―――サイコキネシス』

 

 

 

 

 

 感情の無い声がそう呟く。

 

 

 

 フーディンの目が緑色に輝き、次のターゲットに狙いを定める。

 不可視の一撃がクラブを襲う。

 だが、その間に割り込んだ存在がフーディンの一撃を辛うじて打ち払った。

 

 

 

 クラブとフーディンの間に立ち、コンクリートの壁すら穿つ威力のサイコキネシスを耐えたのは、醜悪という言葉を具現化したような見た目をするバリヤードだった。

 

 

 

「・・・―――?」

 

 

 一瞬の間。

 この部屋の全ての視線がそのバリヤードに注がれる。―――ピカチュウと戦っていた、もう一体のバリヤードも含めて。

 

 その数秒の間に、何か逆転の秘策があれば変わったのだろうか。

 少なくともこの攻撃を決死の覚悟で防いだポケモンは、その行動だけで精一杯だったといえる。

 

 部屋に現れた二体目のバリヤード。その姿がぐにゃりと波打ち、紫色の小さいスライム状の塊へと変貌した。

 ―――メタモンのへんしん。その力はドーピングされたポケモンへすら変身を可能とするが、数秒の後に元の姿よりもさらに小さい姿へと収縮してしまう。時間制限付きの一発勝負な能力。つまりは切り札的な使い方をすべきもので、そのタイミングはトレーナーの指示があってこそ生かされる。

 だが、今この場所に適切な指示を出せるトレーナーはおらず、メタモンは唯一の指示である『生きて』という言葉に従ったに過ぎない。

 トレーナーの適切な指示が無いバトル。そんなものは当然ポケモンバトルと言うにはあまりにお粗末。

 だが、トレーナーの意志が介在しないポケモンの動きというのは、ことこの場所、このバトルにおいてのみ、さらに言うのであれば、自意識で適切に動くことを可能とするポケモンが居る場合に有効的な戦い方でもあった。

 

 

 

 

 ―――思考を読めないこと。ナツメが強力である理由の一つが、『トレーナーの思考を読める』ことだ。

 その能力は卑怯そのもの。本来、トレーナーの指示無くしてポケモンは動けないのだから、その思考を読むことは相手の攻撃に合わせてすぐに対応できる。

 だが、このバトルにおいて、相手のトレーナー―――サトシはすでに通常の思考を失っている。目の前で一体のポケモンを始末すれば、怒って思考が読みやすくなるハズだったが、何故だかこの少年はそうならなかった。

 結果、ナツメは目の前の事象のみを観察し、対処することになる。

 

 ―――最も、それが普通であり、それでサトシが有利になるわけでもない。

 これが凡庸なトレーナー相手であれば、指示を無くしたポケモンを一掃すればよい。

 そして、サトシ自身はまぎれもなく凡庸なトレーナー。

 違うとすれば、そのポケモン達。

 

 サトシのポケモン達は、基本的には普通のポケモン。一部例外もいるにはいるが、血が舞い踊る闇の世界に長い間身を浸していたのはピカチュウのみ。

 その他はあくまでも通常のポケモン達。生まれや経歴に差はあれど、普通でまっとうなポケモン、であった。

 

 しかし、サトシの元にいたという現実はその「普通のポケモン」を数段成長させるに十分以上の環境が整っていたことは、当のポケモン達にとっても、そのトレーナーであるサトシにとっても想定したものではない。

 

 その偶然に偶然が重なったからこそ生み出された一瞬。発生するはずの無い想定外。ドーピングされたポケモンに変身するというメタモンの変異体。それを目の前にして、あのナツメにしてほんの数瞬だけ思考が止まり、視界が狭まる。

 なんの展開も望めなかったこの状況においてそれはあまりに短い時間だったが、もう一つの想定外によってそれは悉く覆される。

 

 

 

 

 

 ―――崩れ落ちる音がした。

 

 起こり得る筈の無い場所で、起こり得る筈の無い生き物が崩れ落ちる。

 意識を失い、体の力が抜け、制御していた超常の力も発散し、地球の重力に引かれて地べたに這いつくばる。

 

 ナツメの容れ物がその音の元に意識を向けた時には全てが終わっており、その空間を漂う黒い霧の姿を拝むことしかできない。

 無数の手を持つナツメのバリヤードは、今までどこにいたのか、ゲンガーのナイトヘッドによってその意識を飛ばしていた。

 

 

 

 

 ―――『ナイトヘッド』

 悪夢を見せて精神にダメージを負わせる、と言われているゴーストタイプが持つ技。

 この性質上、詳しいことはあまりわかっておらず、未だにどのような効果なのか解明した者はいない。

 

 ただ唯一わかっていることは。

 

 

 人間に対してこの技を使用した実験の際に、人間性の喪失、言語能力の喪失、思考能力の喪失など、およそ人間と例えるのは困難な状態になったということのみである。

 

 無論、このことが記載された論文は公表されることなく、ある組織の書庫深くに保管されるに止まっている。

 

 

 

 

 

 イソギンチャクのようなシルエットのピエロが崩れた時、最も効果的に動けるのはそれを成した張本人、ゲンガーのみ。

 ゲンガーは糸の切れた操り人形を見ることもなく次のアクションを起こす。

 ゲンガーの視線は次のターゲット、フーディン。

 

 その攻撃は『サイコキネシス』。

 

 

 

 サイコキネシスはフーディンだけの技では無い。ゲンガーとてその技は習得している。

 遠距離による見えない破壊の手。その攻撃は相手が誰であろうとも際限ない破壊を産む。

 だが、それはもちろん破壊する対象が狙った先に存在していればの話だ。

 

 ゲンガーがサイコキネシスを放った先にフーディンは居ない。

 厳密には、居なくなったという方が正しいのだが―――

 

 その狙っていた筈のフーディンがどこにいったのか。それは当然、このバトルとも呼べない一方的な破壊行動に決着をつけるべく、最適な行動をとったまで。

 

 

 ゲンガーを襲う背後からの殺気。

 存在しなかった筈の何かがそこにいることは間違いなく、それが何であるかは明確。

 それに気づくだけの時間があったのは偶然が作為か。

 しかし、ゲンガーの身体の右半分が消し飛んだことは事実である。

 

 ゲンガーの身体はゴーストであり、実体があるわけではない。右半分が削れたとて絶命するわけでも、その常にニマリと笑っている表情も崩れない。消し飛んだ部分を補うように、残った左半身から霧が周囲を覆う。

 

 テレポートでゲンガーの背後に回ったフーディンも覆い隠し、そして、フーディンは霧から背後に弾き飛ばされ、ダメージを負う筈のない身体にダメージを負い、か弱い胴体をくの字に曲げて気を失った。

 

 

 

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

 静寂。

 

 耳を刺す静寂がこの空間を埋め尽くす。

 今まで動いていたものが、一斉に停止する。

 誰も想像しえなかった偶然と、一瞬の出来事。

 

 

 誰もがこの状況を読めない中、ゲンガーの霧が収束し、新たな右半身として定着する。

 そして霧が晴れた中に横たわって居たのは、この場に最も似つかわしくないポケモン、コイキングであった。

 

 

 

 

『コイキング・・・?』

 

 ナツメの容れ物が言葉を発する。

 超能力によって相手の思考が読める人間において、事象に対する疑問などいつぶりであろうか。

 それほどまでにナツメは確信の元に行動選択をしてきている。

 

 しかし目の前に起きた出来事はなにか。

 倒される筈のない鉄壁の守りを誇るバリヤードが無数の手を地面に散らばらせ、最強の超能力攻撃を持つフーディンが壁を背にその巨大な頭を地面に擦り付け、白目を剥いている。

 

 その自身のポケモン達を勝ち誇った顔で見下ろすのは黒い霧。嫌味ともとれる三日月型の口元でニヤリと笑い、さも当然だとばかり勝ち誇る実体の無い生物。

 

 

『最初からコイキングを狙って・・・・?』

 

 

 ゲンガーがフーディンに向けて放ったサイコキネシスは、コイキングを引き寄せるため。

 フーディンが自身の背後に回ることを想定して、わざと自分に向けてコイキングを高速で引き寄せた。

 そして自分自身を目くらましとして、物理攻撃の効かない自分の身体を貫通させてフーディンに激突させた。

 

 

 なんともあっけない幕切れ。しかし、その全てが奇跡とも思える偶然の上に成り立ったもの。

 どの要素が欠けてもなり得ない、綱を渡るような奇跡の一瞬。

 

 その要因の最も重要なことが、誰の意識からも外れて居たゲンガーという存在そのものだった。

 

 

 そして、そのゲンガーの行動はここで終わることはなかった。

 

 

 ゲンガーはトコトコと横たわったフーディンの元へ行き、目の前で立ち止まる。

 まじまじとその巨大な頭を眺め、大口を開けてその頭に噛り付いた。

 

 当然、ガス状であるゲンガーが肉を貪ることなどあり得ない。だが、何も食べないかというそういうわけでもなく。

 この何を考えているかわからない不定形のポケモンは、「夢を食う」のだ。

 

 

 

 

 

 

『ゆめくい』とは、これまた効能のはっきりしていない技の一つである。

 相手の夢を食べることによってその活力、精神エネルギーを我が物にするというが、夢を栄養にできるかどうかなど、それこそポケモンにしかわからない。だが、事実として目の前に結果があるのだとすれば、それは紛れもない事実なのである。

 

 そして、当然ながらこの技を人間相手に試そうなどという悪魔の研究をする悪魔のような人間もいるわけで、その研究結果はーーー

 

 

 

 

 

 

『きゃあああああああああああああああああああああああ!!!!!!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 響き渡る叫び声。

 ナツメの容れ物だった女性は叫び声をあげ、白目を剥き、口から泡を吹きその場に膝をつき、頭を抱えながら地面をもんどりうって転がる。

 ゆめくいの攻撃をされたのはフーディンだが、ナツメとフーディンは深く意識の底で繋がりすぎていた。

 そのため、ゆめくいの効果はフーディンに止まらず、ナツメにも及ぶこととなる。

 

 

 人間にゆめくいを使用した際の結果は、『記憶の欠如および重度の混乱』。

 ナツメ自身が記憶の中で生きている今において、それは死と同様の亡失を意味する。

 

 そのナツメの束縛が解かれ、容れ物の女性は本来の自我を取り戻す。

 

 

 

 

 

 

 

「・・・は!ナツメ様!!ナツメ様!!!!ああ、なんてことに!!!!今お出しします!!!!」

 ナツメから解放された女性は地面から起き上がり、ナツメが入っているという機械についているハンドルに手をかけ、力一杯回す。

 機械についている小さな窓が開き、続いて人一人通れる程度の隙間が機械に生まれる。

 緑色の液体がコンクリートの床に広がり、機械の中から裸の、黒髪の長髪が液体と共に身体に張り付いた少女が力なくこぼれ落ちる。

 それを汚れることを厭わずに女性が抱きかかえる。

 

 

「ナツメ様!ナツメ様!!大丈夫ですか!!!ナツメ様!!!」

 

「・・・・あ、ここは?おかあさん・・・?」

 

「ナツメ様・・・記憶が・・・?」

 

 

 

 

 

「ああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!なあああつめえええええええええええ!!!!!!!!こんなところにいたのかあああああああいいいいあああああ!!!!!!」

 

 

 

 

 勢いよく入り口が開け放たれ、エスパー親父が乱入してきた。

 サトシや倒れたポケモン達には目もくれず、正面の機械の元へ震える足で疾走する。

 

「ナツメ!ナツメ!!ナツメ!!ナツメなのか!!!?ナツメがそこに!!!!ああなんてことだ裸じゃないか!!!これを着て!!お父さんだ!お父さんだぞナツメ!!!わかるか!!?わかるかい!??念話はしなくていいからな!言葉で!!!しゃべれるかナツメ!!!」

 

 着ていたジャケットを脱ぎ、ナツメを覆う。

 女性から半ば奪うようにしてナツメを抱き寄せ、その女性は別段拒否するでもなく成されるがままナツメを手渡した。

 

 

 

 エスパー親父が怒涛の勢いでナツメに話しかけている間、ゲンガーはまずピカチュウの元へ行き、デコピンする。

 物理的な干渉もある程度はできるようだ。

 

「ピッピカ」

「ギャギャギャ」

「ピピカチャ」

 

 なにやら会話をし、ピカチュウを連れてサトシの元へ行く。

 呆然とサンドパンを見ているサトシの前にゲンガーが立ち、同様にデコピンをする。

 

 しかし、無反応。茫然自失している。

 

 ゲンガーがやれやれというジェスチャーをすると、ゲンガーの後ろからピカチュウがのそりとでてきて、ギリギリと音が出そうなほどに人差し指と親指をしならせ、サトシにデコピンを放つ。

 

 

「あいったあああ!!!!!いたい!!!!何!!?いたい!!!いっっった!!!いったい!!!」

 額に手をあて転がるサトシ。

 

「っ何するのピカチュウ!!いきなりでこぴ・・・・ん?あれ、僕は何を・・・あ・・・」

 

 止まっていたサトシの脳みそが再度稼働を始める。

 ここはナツメのジムで、バトルの最中―――バトルは終わったようだが―――ピカチュウもゲンガーも無事で、あの悪魔のようなナツメのポケモンは奥で倒れている。

 どうやらまたポケモン達に救われたようだ。だが――――――

 

 

「サンドパン・・・そんな・・・」

 

 

 サンドパンは、もう動いていない。

 やられた時はまだ呼吸があった。だが、今は無い。もう、命が失われている。

 

 もしかしたら守れたかもしれない命。だが、またしても自分の判断により大事な、かけがえのないものを失った。

 十代の少年に期待するにはあまりに重すぎる問題。目の前で自分のポケモンが何度も血まみれになり命を落としているにも関わらず、それに慣れて適切な判断ができるようになれなどと、一体誰が言えようか。

 もしかしたらそれが裏の人間として馴染む条件なのかもしれない。ポケモンを命としてではなく、一つの数として捉える悪魔の思考を持つことこそが、この狂った世界における生き方なのかもしれない。

 サトシはそんな考えは糞食らえとしてここまできた。ここまで来てしまっている。結果、サトシの精神は無力な正しさの奴隷として今もなお蝕まれ続けているのだ。

 

 サトシはサンドパンに何をしてやれただろうか。

 せめて、死ぬ間際に抱きしめてやることくらいできたのではないか。―――それをせず、ただ悲しみに埋もれていたのは紛れも無いサトシ自身の判断。

 脆弱な精神を持っているサトシの、どうしようもない人間の判断なのだ。

 

 

「また、また僕は――――――あいたっ」

 

 

 先ほどとは違う軽いデコピン。ゲンガーのデコピン。

 

 

「ゲンガー?一体なにを」

 

 ゲンガーを見ると、短い腕でどこかを指差している。

 そちらに目を向けると、

 

 

「やあ、そろそろいいかね、サトシ。」

 

「あ、エスパー親父さん―――と、その子は?」

 

 エスパー親父の腕の中に収まっている少女。サトシには見覚えの無い人物だが、こんな子、この場所にいただろうか?

 

「ナツメだよ。ナツメだ。私の娘。ようやく会えた私の娘だ。」

 

「え?あーうん?そう、なんですか。」

 首を傾げながら、頭があまり働かないサトシはうなづく。

 

「ナツメはね。私の声に、おとうさん、と一言返したんだよ。今は眠ってしまっているが。だが、今私の手の中にいるのはまぎれもないナツメだとも。ようやく会えたんだ。もうこんなところには置いておけない。私は今すぐに、ここからナツメと共に逃亡する。どこにかはわからないが、とにかくこの場所からなるべく遠くに、人の少ないところにだ。サトシのおかげで私はナツメに会えた。ありがとう。君は本当に、成し遂げたんだね。私の見込んだ通りだった。すまない。ありがとう。ではさらばだ。もう会う事もないだろう。」

 

 

 一方的にそう話すと、エスパー親父はサトシの言葉を待つ事なく一つしかない扉を抜けて、外へと抜け出していってしまった。

 

 呆然と扉を見つめるサトシに、またも背後から声をかけられ、目を向ける。

 

「あ、えっと、ジムリーダーの」

 

「いえ、私はただの容れ物ですので、名前などはありません。まずはバトルの勝利、おめでとうございます。いろいろと状況が読めないかもしれませんが、これをお渡しします。」

 

 そう言うと、サトシに分厚い封筒と、バッジを手渡した。

 金色に輝くそれは、まぎれもない勝利の証、ゴールドバッジだ。

 

 

「さて、私は彼に、エスパー親父と名乗るあの方についてゆきます。」

 

「・・・エスパー親父に?」

 

 どうして、という言葉を発する前に女性はつらつらと話を進める。

 

「あの方からナツメ様の事情については聞いているのでしょう。私は、実験によって生み出されたコピー。いわゆるクローン人間です。」

 

「え?それってどういう―――」

 

「そして、私の記憶は、ナツメ様の母親のものをこの身体に移植したものです。」

 

「――――――・・・・・・え?」

 

「私は、ナツメ様を保護、管理する役割として作られました。もうその役目も終わりのようですが。私は自分の身体の記憶の食い違いにひどく不安定さを感じていましたが、もう少しナツメ様の側にいたいという、記憶の中の母親が私をそう行動させようとしています。作られた私に生きがいなどというものがあるとは思いませんでしたが、あのかわいそうな子と一緒に、もう少しだけ生きてみようと、そう思います。この設備は別の場所から管理されているので、すぐに異常に気づいた研究員が察知するでしょう。私はここでお別れです。あなたにお礼を言うべきか、私にはわかりません。ですが、ナツメ様を解放してくださって、ありがとうございます。それだけは、まぎれもない本心です。それでは。」

 

 

 そう一方的に告げると、女性も先ほどのエスパー親父のように足早に扉を抜けて行ってしまった。

 

 あまりに一方的で、サトシが考える時間など無いに等しい。

 

 

 結果、この場所には。

 

 呆然とするサトシと、何をすべきかオロオロするクラブと、小さくなったメタモンと、横たわっているコイキングと、サトシを見つめるピカチュウと、ニヤニヤするゲンガーと、もう動かなくなったサンドパンだけが残されていた。

 

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 ここにずっといるわけにもいかない、とようやく判断できたのはあれから一時間ほど経ってからだった。

 

 サンドパンを抱きかかえ、ヤマブキシティジムを後にする。

 服に血がべたりとついてしまったが、特に気にすることもなく、申し訳なさと無力さを抱えながら、決して軽くはないサンドパンを抱えて歩く。

 

 空は徐々にオレンジ色の染まろうかという色合い。

 さすがにこの姿で大都市ヤマブキシティの往来を行くのは余計なトラブルを起こしかねないが、そんなことを考えている余裕はもはや無い。なるべく人に会わないように裏の道を――――――

 

「おおお!!!サトシさんではないか!ジムバトルはいかがでしたかな・・・って!その血は一体!!!!抱えているポケモンはどうしたのですか!!!!!」

 

 

 サトシ史上、最も暑苦しい男に早速見つかってしまった。

 よくよく考えてみれば、この空手王と名乗る男のいる場所はヤマブキシティジムの隣。遭遇してもおかしくは無い。無いのだが。

 

 

「あの、いまはちょっと・・・」

 

「ぬうん、まさかそのポケモンはもう―――」

 

「ええ、まあ。なので、お墓を―――」

 

「任せてくださいサトシさん!この筋肉、サトシさんの為ならばいかようにでもお使いあれ!おおい!お前ら!!」

 

「タテヨウト・・・」

 

「なんでしょう空手王!―――ぬぬぬ!?そこにおられるのはサトシさんとぴかぴ殿!その血はいかがされた!!」

 

「あの、えっと」

 

「お前ら!サトシさんのポケモンが!ポケモンが天に召されたのだ!!この空手王、一度拳を交えた相手は友である!しかも我らに修行までつけてくださったのだ!その恩義に報いるのだお前ら!!全力でサトシさんのポケモンの墓を建てるのだ!!!!」

 

「なんということか!!!ぐぅ・・・!目から汗が、止まらぬ!!!」

「愛するポケモンを失うのはいつだって苦しい!悲しい!!」

「うおおおおおお!!!!サトシさあん!!!!!」

「任せてください!!!俺たちが立派なお墓を建てるゆえ!!!!」

「やるぞおおお!!!!手を抜いたら腕立て二万回!!!」

「「「「うおおおおおおお!!!!」」」」

 

 

 何も言わずにむさくるしい連中が空手道場の裏手で工事を始めてしまった。

 

 サトシもさすがに諦め、サンドパンをぎゅっと抱きしめてその様子を見守る。

 

 

「さて、サトシさん。」

 

 その横で空手王がサトシに声をかける。

 

「・・・はい」

 

「俺は頭はよくない。だからなんて声をかけるべきかわからぬ。」

 

「・・・」

 

「だが、これだけは言える。これしか言えん。」

 

「・・・」

 

「抱えて生きろ。決して忘れず、共に生きるのだ。それだけが、その魂に報いる方法だ。」

 

「・・・魂に、報いる」

 

「そうだ。魂に報いるのだ。向かい合うのだ。正面で立会い続けるのだ。お前が何を考えようとも、向き合い続けるのだ。それが、戦友の死を看取った者の宿命であり、果たすべき役目なのだ。」

 

「・・・」

 

「サンドパンと共に生きろ。今まで共にあった魂と共に進め。立ち止まることは許されぬ。自身の信念など、死した友と比べるに値しないものだ。身体は死しても魂は死せず、だ。」

 

「・・・」

 

「今はいい。今は思い出に浸ることも大事だ。だが、お前は進める。進む。そうだろう、サトシ。我が友よ。―――おお、できたようだぞ。さあ、供養してやれ。」

 

 サトシが目を向けると、この短時間で作り上げたとは思えない立派な墓がたっていた。

 

 

「・・・空手王さん」

 

「おう、なんだとも」

 

「―――ありがとうございます」

 

「応とも。」

 

 

 お墓に貴賎は無い。ピッピに守られたトランセルも、海を眺めるスピアーも。それらはみんな同等で、サトシにとってはかけがえのない存在で。

 

 

「サンドパン、ごめんね。でも、僕の中でこれからも一緒に進もう。」

 

 そこに加わるこの場所も、かけがえのない存在で、共に歩き続けるのだろう。

 

 

「全員!!黙祷!!!!」

 

 

 少し威勢の良すぎる人達だけど、この場所を守ってくれるだろう。

 

 

「一緒に行こう。そして、また一緒にここに戻ってこよう。」

 

 

 悲しみと共に、悔しさと共に、恨まれていたとしても、憎まれていたとしても。

 面と向かって共に進む。

 

 

「それが、僕の負うべき役割。何に対しても優先すべき、僕の宿命。ですね。」

 

「応。さすが我が友!」

 

 

 何が正しいかはわからない。エスパー親父も、ナツメも、あの女性も、きっと自分の中の正しさがあったのだろう。そして、それはきっと同じじゃない。人それぞれの正しさがあり、間違いもある。それはとても自由だけれど、自分の自由に他人を巻き込むことは許されないんだ。それは、きっと、間違えているから。

 

 

 一歩。また一歩。サトシは前に進む。

 それしか選択肢は無いのだと、今は言える。サトシも自分の正しさで巻き込んでしまっているのだ。

 自身のポケモンたちは、その正しさの犠牲になってしまっている。

 だから、立ち止まることは許されない。一緒の方向を見ていたのだとすれば、なおさら。

 

「行くよ。僕は進む。トランセルも、スピアーも、サンドパンも。一緒に行くんだ。」

 

 

 日は暮れて、街からはは色とりどりの光が漏れる。

 明るく輝く、魂のように。

 

 キラキラ、キラキラと。

 

 

 

 

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

 

「博士、今回のレポートです。」

 

「ああ、そこに置いておいてくれ。」

 

「残念でしたね。」

 

「いや、そうでもないさ。失敗は成功の母、だろう?」

 

「博士がその言葉を使うなんて、槍でも降ってきそうですよ。」

 

「私だって失敗くらいするとも。」

 

「そうであってほしいですね。」

 

「ははは。さて、次の準備はできているかね?」

 

「ええ、すでに記憶も埋め込んであります。」

 

「管理者も、できているかね?」

 

「抜かりなく。」

 

「さすがは私の助手だ。成功の母はもう目の前だな。」

 

「そうであってほしいですね。―――ではまた後ほど。」

 

「ああ、よろしく頼む。」

 

 自動で開く白いドアから研究員が出て行くのを見届け、博士と呼ばれた男は目の前にある大きなシリンダーを見上げる。

 

「やれやれ、君にも困ったものだ。いい加減に言うことを聞いてくれてもいいと思うのだがね。」

 

 室内に話せる人間は博士以外にはいない。

 

「まあ、君の能力は想像をはるかに超える。ゆっくりとやっていこうじゃないか。ナツメちゃん?」

 

 ゴウンゴウンと、緑色の液体に浸かった長髪の少女は無言で揺らめいている。

 

「ナツメちゃんのクローン体作成の研究は間も無く佳境に入る。ヤマブキジムを利用しての実験も、あと数年だな。いい調子だ。」

 

 ときたま、呼吸をするように液体の中に気泡が浮かぶ。

 

「さあ、またお母さんと一緒にジムリーダーの真似事をしようね。ナツメちゃん。はっはっは。」

 

 

 一人の男の笑い声が研究所の一室に響き渡る。

 自分の正義で他人を利用し続ける。

 それは間違いなのか、それとも――――――

 

 

 

 




ナツメ編、終了です。
ああーん疲れたよもうチカレタ
長くなりすぎナツメ編。さあ、次はどこだろう。


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第百五十八話 さらばヤマブキシティ

 

「いろいろとありがとうございました。」

 

「なんの、こちらこそだとも。」

 

 

 空手王と硬い握手を結ぶ。最初こそはむさくるしくてあまり関わりあいたくないタイプの人だったが、蓋を開けてみればとても真っすぐで、人情味あふれる人だった。強い人間に対して直情的になるのはやめていただきたいとは思うが、そのおかげで会えたともいえる。

 人生何が得になって何が損になるかわからない。このピカチュウと出会ってしまったことは果たしてどちらなのだろうか。

 九割方は損な気がするかな。うん。

 

 ジムリーダーとの戦いが終わり、空手道場の面々と別れた後はポケモンセンターにいき、ポケモン達を預けた後は泥のように眠った。

 ヤマブキシティではいろいろなことがありすぎた。

 シルフカンパニーでのいざこざ、空手道場でのトラブル、エスパーおやじとの邂逅、ナツメとのバトル、そしてサンドパンとの別れ。

 とてもここ数日で起きた出来事とは思えない、だがどれも重要な出来事だった。

 本当に、本当に重要なことばかりだった。

 

 ここで少し休息をすることも考えなくもなかったが、サトシは自分のことがどうであれ、進むという道を選ぶことを決めたのだ。

 であるならば進むしか選択肢は無い。そして、進むべき道は最初から決まっていることだ。

 

 ヤマブキシティジムでのバトルの内容は詳しくは覚えていない。誰かが伝えてくれれば、とも思うが、当のリーダーナツメはエスパーおやじ、表向きのジムリーダーの女性と共に失踪。

 なんとなしにエスパーおやじの家の前に行ってみたが、人の気配は無く、もう数年は人がいなかったのではないかとも思わせる程に、活気というものからかけ離れた空間となっていた。

 通りすがった人に遠まわしに尋ねてみると、「エスパーおやじ?どうせまたどっかフラフラしてるでしょ。」と素気ない態度をとられてしまった。もとより期待はしていなかったが。

 ヤマブキジムの前を通りかかると、ジムは照明が落とされ、閉まっているようだった。原因はわかりきっていることだが、公式ジムが無くなるということは無いだろう。すぐに変わりのリーダーが配置されると思う。まともな人になれば、と本心で思うが、そうはならないだろうとも考えてしまう。

 それを防ぐことは今のサトシにはできないし、それをやろうとすることは「自分の役割」から逸脱している。悔しいが、それが今までの旅で学んだことの一つでもある。

 最も、勝手にサトシの意思から外れた行動をする生き物が手元にいる以上、必ず守ることは約束できないのだが。

 

 シルフカンパニーのある通りは相変わらず人通りが多く、賑わっていた。

 随分と人が多いな、と思っていたら、シルフカンパニーの社長が「街の人に迷惑をかけたから」という理由でシルフカンパニー商品の特価セールを開催しているらしい。

 あの社長のことだ、ただそれだけの理由でそんなことをするとは思えない。その真意はサトシには到底わからないが、それだけではないのだろうな、ということはわかる。あの社長も、サカキも、サトシの想像を遥かに超える知略の持ち主なのだから。

 

 そして最後に空手道場を訪ね、別れを告げる。

 この暑苦しさは慣れないけれど、この旅において一番裏表なく接した人達だ。

 サトシの旅にとって、この存在というのは非常に大きい。なによりサンドパンの眠る場所。感謝こそすれど、蔑ろになどできよう筈が無い。

 

 腕が取れそうなほど筋肉達磨達に握手をされ、別れの涙を流されることには苦笑いしかできないが。

 

 そこで別れようとしたが、街を出るまで見送るという熱い言葉を断りきることが出来なかった。

 まあピカチュウだけでっかいのがいるよりも、でっかいのだらけで歩いた方が逆に目立たないような気がしたので了承したのだが、木を隠すには森の中という言葉を考えた人も、「筋肉を隠すにはたくさんの筋肉の中」なんて状況を想定していなかっただろう。

 非常にむさくるしい。

 

 そして街の南側──クチバシティへの関所の前まで来たのである。

 

 

 

「サトシ、ぴかぴ、次はどこにいくつもりなのかね?」

 

「次はセキチクシティに行くつもりです。」

 

 

 セキチクシティ。ヤマブキシティに次ぐ大きな街。ただその大半の土地は「サファリゾーン」というアミューズメントパークで占められている。

 なんでもポケモンが放牧されており、限られたルールの中で自由に捕獲できるらしい。しかもここにしか生息しないポケモンも多いという。普通のトレーナーにとっては言わずもがな、きっと裏のトレーナーにとっても貴重なポケモンを捕獲できるこの場所は重宝されているのだろう。

 しかし、そんな貴重なポケモンがいる場所にロケット団が押し寄せることが無いのだろうか?と疑問を抱いたが、治安は非常に良いらしい。

 なぜかというと、

 

「ジムリーダーが街の見回りをしている、と。」

 

 

 その話を聞いた時には耳を疑ったものだが、翌々考えてみると不思議なことは無い。頭のおかしい狂った人間ばかりなジムリーダーではあるが、それは裏の顔。

 表の顔は別段嫌われるようなことはしていないのだ。むしろ好かれてすらいる。

 だからこそ、セキチクシティのリーダーも表向きはきちんとしているのだろう。

 それにしても随分と町民に好かれているらしいというのが気にはなるが、どちらにしても行ってみればわかることだ。

 

 なにより、表向きの顔だとしても街の治安がいいというのは喜ばしい。本当に、喜ばしい。素晴らしい。治安がいいのはとても良いことだ。うん。

 

 

「セキチクシティか。少しばかり長い道のりだな。走っても半日はかかる。」

 

「それじゃあ、二日くらいはかかりそうですね。」

 

 

 筋肉基準での計算はサトシには適用されないのだ。むしろ二日でたどり着けばいいのだが。

 

 

「セキチクシティに行くにはタマムシシティからサイクリングロードを通れば楽だが、あそこは自転車かオートバイが無ければ通れないからな。」

 

「自転車、僕乗れないですし、仕方ないです。」

 

 

 それに、自転車は非常に高価なのである。いや、いくら高価でも今のサトシには購入できる気がするのだが、それによってピカチュウが不機嫌になることを考えると気が気ではない。快適な旅よりピカチュウの胃袋を優先すべきなのだ。むしろそれによってサトシの旅の難易度が変わるといっても過言では無い。

 触らぬピカに祟りなし。くわばらくわばら。

 

 セキチクシティに行く手段はもう一つ、東側の十二番水道を通っていく方法がある。

 そして、その十二番水道に行くためにはシオンタウンか、クチバシティを経由する必要がある、というわけだ。

 

 その二択でクチバシティを選んだ理由はもちろん、スピアーがいるからである。

 むしろ、スピアーがいなかったらシオンタウンを選びたかった。クチバシティには、あの「ポケモンだいすきクラブ」という狂気に染まった団体が存在するからだ。

 未だにポケモンだいすきクラブ会長のことが頭を過る度に頭痛がする。

 会長の言葉はサトシの内側をガリガリと削り取り、癒しきれない傷を残し、「信仰」という狂気のメカニズムを刷り込んでいった。知りたくは無かったが、それがサトシの本質だというのであれば、なんとかせねばなるまい。

 自分を知ることも時には必要。そう思うことにしている。

 それにあの街はカスミと別れた場所でもある。

 いろいろと複雑な事情が絡んだ結果、クチバシティを選択したのだった。

 

 

「それじゃあ、そろそろ行きます。いろいろとありがとうございました。サンドパンのこと、よろしくお願いします。」

 

「うむ、心得た!──ーサトシ、最後に一つ、お願いがある。」

 

「お願い?なんでしょう。」

 

「ぴかぴ殿と、腕相撲をさせてくれないだろうか。」

 

「・・・・はい?」

 

「腕相撲だ!これだけの御仁に相まみえることなどそうそうあるものではない!せめて最後に、あの時のリベンジマッチをお願いしたい!」

 

 

 筋肉の考えることはやはり筋肉なのだろう。

 しかし、サトシは別にそのお願いに対して答えは持たない。

 なぜならその腕相撲は、ピカチュウが勝手にやらかしたことなので、その回答権もピカチュウが持つべきことだ。

 トレーナーとしてはどうかと思うが、一人の人間(らしきもの)と認識されている以上、それを決めるのは当人同士である。

 

 そう判断したサトシは、ちらりとピカチュウの方に目を向ける。

 やる?ピカチュウやる?という思いを込めて目を向けたつもりだが、ピカチュウは屈伸したり腕立てしたりしている。

 もはや準備は万端らしい。いうまでも無かった。

 

 

「ははは!さすがぴかぴ殿!挑戦はいつでも歓迎というわけか!!」

 

「ピッピカ」

 

 

 もはや何も言うまい。

 いそいそとその場にあったブロックの上でお互いの手を握り合う。

 周囲の門下生達も多いに盛り上がる。なんとも騒がしいものだが、しかし、悲しい顔ばかりしているよりは。

 曇った表情をし続けるよりは。

 笑って先に進む方が今はいい。そう思う。

 

 

「よーし!!!!絶対負けるな!!!ピカ───ぴ!!!!!!」

 

「ピッピカ」

 

「ぬはは!今度こそは負けぬ!!いくぞぴかぴ!!」

 

 

 ヤマブキシティの南端。

 この街で最も暑苦しい人たちの声が通り抜けていく。

 

 雲一つない濃い青空の下で、拳が叩きつけられる音が鳴り響いた。

 

 




次の街は思い出のあの街


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【番外編】オーキド博士のドーピング☆実験室 七匹目

 これはオーキド博士がドーピングアイテムの研究に勤しんでいた時のお話。

 ドーピングを行うことでポケモンがどう変化するかをつぶさに観察し、まとめていた時期。

 博士も得に罪悪感などなく、研究者という立場でガンガンドーピングを使っていた狂気の時代である。

 

 

 ────────────────────────

 

 

「ここがこうなって、ええと、ふむふむなるほど。こっちはどうかね──ほほう興味深い。」

 

「オーキドはーかせー何をしてるんでーすかー?」

 

 

 ここはオーキド研究室ではなく、研究所内の設備「耐火耐圧耐水耐衝撃耐エスパー耐電防護室」である。

 いうまでも無く、ポケモンの暴走に備えての設備であるが、なぜオーキド博士がこんなところにいるかと言うと───

 

 

「いやー、先週の実験でビリリダマを使って研究室が大破してしまったからな!いい加減研究室を破壊するのを止めてくれとお叱りを受けてしまってな!仕方ないからこの場所で実験をしているというわけだ!!」

 

「なるほどでーすねー。つまり、ここでなら何をしても文句は言われないということでーすねー。」

 

「さすがタツロウ君!物分かりがいい!ここで何が起ころうが何が生まれようが、私たちには関係が無いな!がはは!!」

 

「はかせこそ責任転嫁の天才でーすねー。ところで何をしてるんでーすかー?」

 

「おお、そうだったな。こいつを見たまえ。」

 

「これはー、コイル、だったものでーすかー?」

 

 タツロウの目の前にあるのは、金属のパーツのようなもの。

 大きなネジが二本。より大きいネジが一本。球体の金属らしきものがいくつか。U字型の磁石っぽいものが二つ。

 まぎれもないコイルを構成するパーツ達だ。

 

「ポケモンは不思議だな。通常の動物のような姿もあれば不定形がおったり、ガス状がおったり、はたまた金属っぽいものがおったり。生態系は研究してもしてもわからないことばかりだな。そこで、体の構成を調べれば何かわかるのではないかと思ってだな。────分解してみた。」

 

「謎の解明には必要な犠牲でーすー」

 

「その通りだな!そしてわかったことがある。」

 

「なんでーしょー?」

 

「コイルはな。」

 

「コイルはー?」

 

「分解すると死ぬ。」

 

「なるほーどでーすねー。」

 

「しかしよく考えてみたまえ。これは不思議ではないかね?」

 

「どういうことでーすかー?」

 

「コイルはポケモンとはいえ機械だ。機械工学を修めたこの偉大なるオーキド博士の手にかかれば分解して再度組み立てるなど造作も無い。しかしだ。コイルは一度分解してしまうと、再度組み立ててもウンともスンとも言わん。傷薬を与えてもポケモンセンターに連れて行こうとまったく動かないのだ。これはつまり、分解してしまうとポケモンとしての特性が失われるということで、つまりコイルというポケモンはこの機械のパーツが組み合わさったものに何かが宿り、動いていたと考えることができる。その何かが『コイル』の大本、ということになる。しかし、コイルは通常のポケモンと同様に傷つき、瀕死になるし、回復もできる。機械なのに、だ。そしてその胴体の傷は通常のポケモンと同じく回復もできる。修復できるのだ。バラしてみるとただの金属片にも関わらず、『コイル』として存在しているときにはその胴体はポケモンとして扱われる。この矛盾がどうしてもわからん。まだ何か謎がありそうだな。」

 

「難しいでーすねー」

 

「うむ。まあ分解してわかることはあらかた調査したのでな。ここらで───」

 

「ここらでー」

 

「コイルにドーピングでもしてみるとするかな!!」

 

「どうなるんでーすかねー」

 

 

 もはややる理由が「とりあえずやってみる」になってきているオーキド一味。

 犠牲になったポケモン達は数知れず。すべてはタツロウ助手の執筆するドーピングポケモンレポートに集約されている。

 ちなみにドーピングポケモンレポートはすでに第五巻まで発刊されており、すべての研究者のバイブル(悪い例)として重宝されている。

 その功労がオーキド研究室の自由さを拡張させており、もはや手に負えない。対応策は如何に早くあきらめるかに尽きるという世紀末仕様。どうにでもなれ。

 

 

 

 ──────────────────

 

 

「はーかせー。管理部からコイルをかっぱらってきまーしたー」

 

「タツロウ君、かっぱらってきたとはなんだね。言い直しなさい。」

 

「没収ですー?」

 

「違うな」

 

「徴収ですー?」

 

「それも違う」

 

「強奪でーすかー??」

 

「おしい」

 

「永久に借りる」

 

「それだ。次から間違えないようにな!」

 

「わーかりまーしたー。」

 

「では早速いこうじゃないか。夢の世界へレッツゴー!」

 

「れっつごーでーすー。」

 

 

 夢の世界とは言ってもオーキドもタツロウも現実世界の住人である。

 夢の世界に行くのは当然ながら永久に借りられたコイル。夢から戻ってこれない可能性が非常に高い上、夢の中の方が現実よりも地獄寄りになりそうというのがなんともいたたまれない気持ちになる。

 ちなみにいたたまれない気持ちになっているのはポケモン管理部の面々である。

 

「ではタツロウ君。あれを用意したまえ・・・!」

 

「こちらに用意してあーりまーすー」

 

 そう言ってファンファーレでもなりそうなポーズで両手を向けた先に、何やら乗用車くらいの大きさの物体に赤い布が被せられている。

 随分と大きい。オーキド研究室では場所をとりすぎてしまいそうなほど大きい。

 

 

「ふふふ、これこそデカすぎて研究室では使用できなかったマッスィーン!タツロウ君、さあ満を持して赤い布をパーっと!パーッとやってしまいなさい!」

 

「ぱーっとですー」

 

 

 タツロウが布の端っこを持ち、文字通りパーッと中身をさらけだす。

 そこに現れたのは、大きな車に大きないわゆる砲塔がついている、いわゆる戦車といわれているものにとてもよく似ていた。

 ただし、無限軌道の上についているのは銃座で、大砲の代わりにガトリングガンがついている。さらになんだかよくわからない銃口があっちにもこっちにも、よくわからないくらいついている。全体的によくわからない。

 

「これぞ機械設計部に私が(酔った勢いで)依頼してその要望に予想以上に応えて(酔った勢いで)作り上げた最高のマッスィ──ン!ドーピング☆射撃装置だ!!!」

 

「ぱちぱちですー」

 

「このドーピング☆射撃装置は秒間八発の速度で大口径ドーピング銃弾を連射することができるガトリングドーピングガンをメインに、自動照準機能を備えたアサルトドーピングライフルが十門、近づいた物に容赦なく散弾をぶちかますショットドーピングガンを八方向に一門ずつ、さらに百八十度旋回可能で射程距離三千メートルのスナイパードーピングオートマチックライフルが二門ついた合計二十一の重火器がドーピング弾をしこたま打ち込むという究極のロマン兵器!もとい実験器具!近づくポケモンも遠ざかるポケモンも寝てようが走ってようがメシ食ってようが関係なくレッツ☆ドーピングしてしまうのだ!」

 

「すごいですー」

 

「さあ、タツロウ君!早速永久に借りてきたコイルを放つのだ!まんべんなくな!」

 

「はいですー」

 

 そう言うとタツロウは永久に借りてきたコイルをたくさん、ざっと三十匹ほど各所に放出した。

 この空間は小さめな体育館くらいの大きさがあるが、装甲が重要な設備のため中身は空っぽ。

 その空っぽの空間に小さい点が三十と、がちゃがちゃといろいろなものがくっついている謎の機械が一つ、そして頭のおかしい人間二人。

 

 それらが組み合わさると────

 

 

 

「タツロウ君!君は操縦を担当してくれたまえ!私は撃つ!」

 

「僕もうちたいでーすー」

 

「がはは!わかっておる!順番だ順番!」

 

「やったーですー」

 

 

 オーキド博士がいそいそと銃座に乗り込み、タツロウが操縦席へと入り込む。

 

 

「レッツパーリィーーー!!!!!」

 

「ひゃっはーです」

 

 

 エンジンに火が入り、重低音が響き渡る。

 そして床をひっかくような尖った音が連続して鳴ると、キャタピラが高速回転して激しい振動と共に急発進する。

 

「おはあ!なかなかワイルドだなタツロウ君!私も負けてられんな!がははは!それそれそれえ!!!」

 

 

 急な大音量にびっくりしてコイル達は蜘蛛の子を散らしたように逃げ惑う。

 

 しかし二十一門のドーピング砲は容赦なくコイルを打ち抜く。何も問題は無い。ドーピングしているだけだ。ぶち殺そうとしているわけではない。

 

 ドッドッドッドッドッドッドッドッとガトリングガンの小気味よい振動がオーキド博士を揺らす。

 その一発一発がコイルに狙いを定める。

 もちろんオーキド博士は工学博士ではあっても重火器の専門家ではない。大半のドーピング☆弾丸はあらぬ方向に飛んでいく。

 だが弾丸は有り余るほどにある上に、オートでアサルトドーピングライフルが容赦なくコイルを打ち抜いていくし、高速回転する無限軌道とタツロウの謎のドライビングテクニックによって車体に近づいてしまったコイルはショットドーピングガンで全身ドーピングまみれだ。遠い位置にいたところでスナイパードーピングライフルがせわしなく、そして確実に打ち抜いていく。

 オーキド博士がいくらトリガーハッピーになろうとも結果は何も変わらない。ただのドーピングだ。

 

「がははははは!!逃げても無駄なのだ!!!がははははははは!!!」

 

「はかせー、そろそろ交代ですー」

 

「ぬん?仕方がないな!ほらタツロウ君、君の力を存分に発揮したまえ!」

 

「ひゃっはーですー」

 

 

 そして正確無比にほぼ全弾ガトリングを命中させる脅威のエイム能力をタツロウが見せつけ、オーキド博士はキャタピラでドリフトしたりウイリーしたりと、まさにこの世の地獄が展開されていた。

 

 

 

 

 

 

 ──────────────────

 

 

 

 

 

 

「ふう、ひと汗かいたな!ではタツロウ君、外にでて観察だ!」

 

「はいですー」

 

 

 一通りコイル掃討戦を繰り広げた後は、ドーピングでの効能が出る前に防護室から外に出て、内部カメラにて観察する。

 なぜかというと、もちろん危険だからだ。

 とっさに大爆発したり超磁力を発生させたりされると、さすがのマッドオーキドでもひとたまりも無い。

 なんせ体は普通の人間だ。たぶん。

 

 

「よし、では中を見よう。カメラは順調に動いているかね?」

 

「はいー、六箇所全部、正常に稼働してるですー」

 

 六台のモニターに映し出されているのは床に散らばっているコイル達。

 今のところ身動きはしていない。

 

 

「まだ動かないでーすねー」

 

「何、まだレッツドーピングしてから三十分程度だ。コーヒーでも飲みながら待とうじゃないか。」

 

「砂糖一つミルク無しでお願いしまーすー」

 

「淹れさせるつもりか!ちゃっかりしてるな!」

 

「照れるですー」

 

「褒めとらんわ!がはは!よし、とびっきりのコーヒーを淹れてやろう!名付けてタウリンコーヒー」

 

「ドーピングは無しでお願いしーますー」

 

 

 

 

 

 ──────────────────

 

 

 

 

 

「タツロウ君。」

 

「なんでーすかー」

 

「これはマズイのではないかね。」

 

「世界の危機でーすねー」

 

 

 

 六つのモニターには、世界の危機と比喩されるコイルの行動が映し出されている。

 

 

 

 二時間経過した時点で、コイルは計ったかのように三十匹すべてが動き始めた。

 そのあたりはドーピングされても機械なのだな、程度にしか思わなかったし、特に気になるようなことでもなかった。

 それからコイルはよたよたフラフラと浮いたり転がったり、時たまお互いにぶつかったりしていた。

 過剰なドーピングによる副作用だろうか、もしくは銃弾としてドーピングを打ち込む方式に何か問題があったのだろうか、などと考察をしていた。

 若干の不満を抱えつつ、まだどうなるかわからないという今までの経験と勘から、さらに観察を続ける。

 

 さらに一時間後。

 今までずっとフラフラコロコロしていたコイル達が、明確に行動を開始する。

 互いの磁力を利用してコイル同士が連結を始めた。

 それだけであれば、珍しいながらもたまに見るコイルの習性ではある。コイルが三体永続的に結合することでレアコイルになる、なんて話もあるくらいだ。

 だが、この時ばかりは常軌を逸していた。

 三十体全てが、明確な意思を持っているかのように連結し、且つ一つの個体のように振る舞い始めたのだ。

 そしてその形はまるで人の様。全身が金属で、それぞれがコイルの形を保っているが、シルエットは人。

 その人型がキイキイガチガチと細かい音を発しながら自分の動かし方を確認するようにモゾモゾコツコツとダンスを踊るように金属の胴体を蠢かせる。

 

 そこから十五分後。

 動いていた金属の人型がピタリと止まる。

 

 モニターの先をじっと眺める二人。

 

 そして、金属の人型は、その両腕にあたる部分をガチリと床に押し付けた。

 何が始まるのか、と考えた次の瞬間、触れていた部分がぽっかりと無くなった。

 

 直径三十センチほどの半球型の穴が二つ。両腕の先の空間がいきなり無くなったのだ。

 さらにその分だけコイルの集合体の密度が増す。

 

 ゆっくりと、もう一度両腕を床に押し付ける。

 ぽっかりと二つ穴があく。

 機械の隙間が埋まっていく。

 

 腕を押し付ける。

 穴があく。

 胴体が埋まる。

 

 

 

 数分でガチャガチャと機械を雑にくっつけただけだったコイルは、はっきりと人のシルエットを獲得していた。

 ただし、その大きさは身長五メートルに近い。金属の鈍い銀色が全身を包み込み、滑らかに動いている。

 

 

 

「・・・電気分解か?」

 

「あんな急速な分解反応見たこと無いでーすー」

 

「しかも分解したものを取り込んでおる。」

 

「化学を超越してまーすねー」

 

「タツロウ君。」

 

「はーいー」

 

「あれはあらゆるものを急速に分解し、自分に取り込み、さらに今までの経過を見ると自己成長もしておる。学習能力も高いようだ。」

 

「そうでーすねー」

 

「問題になるのが──―」

 

 

 オーキド博士が言葉を出す前に、見ていたモニターの一つが真っ暗になり、続けて一つ、また一つと黒くなる。そして最後の一つがノイズ交じりになり、消えようかという直前、スピーカーからハッキリと言葉が聞こえた。

 

 

 

 

 

 

『コロス、ノデ、オマチクダ、サイ、ネ』

 

 

 

 

 

 

 最後のモニターが黒くなる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はーかせー?」

 

「そう、問題なのが、その動機なのだ。まあたった今その動機がハッキリしたわけだがな!!!!」

 

 

 

 

 

 数秒の間。

 

 

 

 

 

 

「タツロウ君!緊急封印装置発動!!!相手が悪い!!!!すべてを分解する破壊殺戮マッスィーンなど手に負えん!!!!無理無理の無理だ!!!!ターミネーターの方がよっぽど楽だぞ!!!!!」

 

「発動でーすー」

 

 タツロウが厳重に蓋がされた赤いスイッチを押し込む。

 

 この「緊急封印装置」とは、ようするに施設まるごとを使った最終安全装置。修理とか再建築代とかそういうのよりも、もっと大事なものを守る時にのみ使用が許される。

 施設内のポケモンの特性を認識し、片っ端から実弾やら硫酸やらで破壊しつくした後、弱点となる物質で施設内部を充填、完全封印した後に地下深くに埋め込むという大がかりな装置なのだ。

 

 

 研究所内にも警報が鳴り響く。

 その警報の意味は所内全員が熟知している。すなわち仕事など捨ててさっさと逃げろという合図。

 

 嵐のような叫び声と山が崩れるような大轟音が周辺を包み込む。

 

 

 その渦中にいるオーキド研究室の二人。

 

 もはや二人は逃げることはしない。

 もしこれでなんともならなかった場合、真っ先に狙われるのは自分たちなのは目に見えている。

 

 

 

「さて、タツロウ君。いけると思うかね?」

 

「もし想像通りだとすると、成功確率は十パーセント行けばいい方でーすねー。」

 

「がはは、タツロウ君は楽観主義者だな。五パーセントがいいところだろう。」

 

「九十五パーセントで世界が滅びるんでーすねー。」

 

「言い残す事はあるかね?」

 

「レポートを書いておきたかったでーすねー。」

 

「がはは、さすがタツロウ助手!さて、どうなるか・・・」

 

 

 

 どでかい音が一通り終わると、目の前には広大な更地が広がる。

 一面灰色の硬質なもので埋め尽くされている。文字通り封印の跡地。今後はこの場所はコイル封印の地として二度と使用不可能な敷地となるだろう。

 

 

 

「大丈夫、かね。」

 

「どうでーしょー」

 

 

 

 

 ────── 一時間後

 

 

 

 

「何も起こらんな。」

 

「でーすねー」

 

 

 

 

 ────── 二時間後

 

 

 

「これは大丈夫ではないか?」

 

「ですかーねー」

 

 

 

 

 ──────── 三時間後

 

 

 

「五パーセント来たか。」

 

「ぽいでーすー」

 

「さすがに今回は事情説明が必要だな!がはは!」

 

「研究室でやらなくてよかったーですー」

 

「あそこだったら間違いなく世界はコイルの塊になっとったな!危ない危ない!!」

 

「きけんでーすー」

 

「というわけでタツロウ君、今回の件もレポートにまとめておいてくれたまえ。」

 

「しょうちーですー」

 

 

 

 

 

 

 

 ────────────────────

 

 

 

 

 

 

 コイル跡地は立ち入り禁止区域として隔離された。

 そこに近寄る者はいなかったし、わざわざ調査する命知らずもいなかった。

 

 そのため、誰も気づくことは無かった。

 

 

 

 その跡地の中心に、U字の磁石の先端が飛び出ており、その周囲三十センチ程度がぽっかりと穴が開いていることに。

 

 コイルは死んだのか、まだどこかで動いているのか、それは誰にもわからない。

 それはもちろん、夢の中にいるコイル自身にも。

 

 

 

 

 

 

 




生還。


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第百五十九話 クチバシティ再び

 ヤマブキシティ南を抜けると、クチバシティは目と鼻の先だった。

 前に来た時はカスミと一緒に地下通路を抜けてきたのだが、周囲に気が向くような状況ではなかったのでまったく気づかなかった。

 カスミは今頃どこにいるのだろうか。無事に陸地にはたどり着いたのだろうか。

 

 まだそこまで時間は経っていない筈だが、もう数か月も経過したような、そんな気すらする。

 自堕落に夢と希望だけを目指して生きていた時期とは大違いだ。旅に出てからは毎日が濃厚で、まるで一日が一週間くらいの密度に感じる。

 カスミのことを想うと今でも胸が高鳴るし、別れの瞬間を思い出すと顔が紅潮する。

 幸い、紅い顔を見てからかう人間はいないが、もうクチバシティはすぐそこだ。

 ぶんぶんと頭を振り、徐々に感じ取れる海の香りでリフレッシュさせる。

 

 クチバシティは長居せず、要件を済ませたらすぐに抜けよう。

 急いだところで何があるわけでもないのだが、なんとなく、そう、なんとなくこの港町には長居したくないのだ。

 

 そんなことを考えていると、あっという間にクチバシティの入り口に到着した。

 

「ついたー!」

「ピッピカチュ」

 

 ピカチュウと共にもろ手を挙げて潮風を全身に浴びる。

 やはり海の香りというのは格別なのだ。

 勝手な行動をとらないように、まずはピカチュウと予定の確認をする。

 会話できているかなど関係ない。気休めではあるが、ピカチュウも頭の隅っこにはサトシの言葉がうすぼんやりと残っていることに期待する。

 

「まずはスピアーのところに行く!」

「ピピカチャ」

「そしておいしいごはんを食べる!!」

「ピッピカ」

「お買い物をする!!!」

「チャー」

「そして町を出る!!!!」

「なるほどのう。」

「よし!れっつご・・・」

 

 

 

 

 はた、と足が止まる。

 今、なんだかとっても違和感を感じた。

 いや、きっと気のせいに違いないと思うのだけれど、自分の言葉に対してピとカとチュウ以外の言葉で反応された気がしてならない。

 何かの勘違いだと思う。青天の霹靂ではあるまいか。

 しかしなんだか聞き覚えのある声だった気がするし、しかもその声はサトシのトラウマに直結するような気がしてならない。

 ものすごく忘れたい記憶だが、脳髄の奥の奥にびっしりと絡みついているその記憶はときどきひょっこり顔を出してサトシの苦しめていくのだ。

 そしてその記憶を笑顔で植え付けていった人物はここクチバシティにいるわけで。

 そう、たしか、そのような口調だったような気が、しないでも、ないような、気がする、のだけれど。

 

 

「久しぶりじゃのう、サトシ君。元気にしておったかの?」

 

「ううわあああああああ!!!会長だ!!!!」

 

「そうとも、ポケモン大好きクラブの会長じゃよ。ほっほっほ。」

 

 

 目の前に急に現れたこの人物こそが、サトシのトラウマそのものであり、且つサトシ自身も知らない、サトシの内面を深く知る人間である。

 ポケモン大好きクラブとはその名の通り「ポケモンが大好きな人が集まるクラブ」である。

 もちろんその名前通りにポケモンを愛して愛してやまない人達が集まるクラブであり、その言葉以上の意味は無い。

 そう、言葉以上の意味は無いのだ。

 だから、その言葉で定義できる部分はすべて包括する。

 

 ポケモン大好きクラブは「好きな理由」については一切合切問わず、全てを受け入れ、もっと好きになれるように環境を提供するという、字面だけみたら大変すばらしい活動なのである。

 その会長ともあろうお方が、どんな理由でポケモンを愛してやまないかと言うと、「ポケモンを食べるのが好き」とのことだ。

 まさに狂気に染まった狂ったクラブを運営している狂った人間なのだ。

 

 

 サトシがクチバシティを早急に立ち去ろうと思っていた理由はまさに、この人物と会いたくなかったからだ。

 それほどまでにサトシはこの人物を最重要警戒人物としてチェックしている。ちなみに警戒人物リストの中にはサカキと、イワヤマトンネルのやまおとこがいる。

 

 

「元気そうじゃの、サトシ君。少し、影が増えたようにも視えるが―――良いことじゃな。ほっほっほ。」

 

「そうですか・・・」

 

「ピカチュウも、壮健そうじゃな。」

 

「ピーピカピ」

 

「ところでサトシ君。これからどうじゃ、お茶でも。」

 

「嫌です。」

 

「ピカピカ」

 

「おや、つれないの。先の短い老人に少しばかり付き合ってくれても損は無いのではないかね?ほれ、ピカチュウも乗り気じゃないか。ほれほれ。」

 

「ピカピーカピカ」

 

「・・・先に済ませたい用事があるので・・・その後に少しなら・・・まあ・・・」

 

「そんな嫌そうな顔を見たのは生まれてこの方初めてじゃ。長生きするものじゃな。ほっほっほ。では、わしの家でいいかね?」

 

 

 サトシの頭に記憶がよぎる。

 薄暗い室内に木製のダイニングテーブルとギシギシと軋む椅子。

 そして食器棚。キッチンは無い部屋。

 奥の部屋に続く扉が一つ。

 そこで会話した内容。

 知らされた事実。

 

 

「・・・嫌です。」

 

「ほほ、随分ハッキリ物を言うようになったではないか。わしは嬉しいぞ!では、ポケモンセンターの隣にある喫茶店にしよう。わしはのんびりしておるから用事が終わったら来なさい。待っておるよ。ほっほっほ。」

 

 

 そう言うと、ポケモン大好きクラブの会長は、老人とは思えないほどの健脚でスタスタと町の中へ消えていった。

 

 

「なんでこう、一番会いたくない人に一番最初に会うのだろうか・・・」

 

 

 世の中とはいつだってそういうものである。

 いい気分の時に悪いことが起き、都合のいい時に都合の悪いことが起きる。

 時間が無い時にトラブルが起き、余裕があると思うと実は余裕の欠片も無かったり。

 まるで狙っているかのように、ピンポイントで不都合がサトシを襲う。もはや伝統芸。運に見放されている割に、命に関する運だけはついている始末。

 死ななければなんでもいいと思っている神様など、非人道的にも程があるのではないだろうか。いや、神に人道は無いのか。

 

 そんなことを考え、はあとため息を大きく吐いて、サトシは歩き始めた。

 

 

 

「・・・もしかして見られてたり、して?」

「ピピカ?」

 

 

 そんな被害妄想すら思い浮かべるサトシであった。

 もう早く歩く必要は無いので、久しぶりの港町を散策しつつスピアーの元に向かった。

 

 

 ――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

「久しぶりだね、スピアー。」

 

 人気のない町のはずれ。

 海が一望できるこの場所に、サトシのスピアーが眠っている。

 ビードルの時にゲットし、多くのバトルでサトシを助け、そしてクチバジムで命を落とした。

 未だにその光景は目に、脳に焼き付いている。決して忘れてはならない記憶。

 

 

「スピアー、ごめん。ありがとう。」

 

 

 サトシは目立たない程度の花を手向け、手を合わせる。

 ピカチュウの声も今は聞こえない。後ろで黙って立っている。

 

 

「スピアー、僕はもう、迷わない。でも僕は弱いから、一人だときっと止まりそうになってしまう。だから、一緒に行こう。みんなで先に進もう。」

 

 

 ざざ、と強めの風か吹く。

 草が大きく揺れ、木々がざわめく。

 まるでサトシの声に応えたかのように。

 

 しばらくその場所に立ち尽くすサトシ。

 そして、ふと顔を向け、

「ピカチュウ、行こう。」

 と言い、ゆっくりと踵を返して町の中へ向かっていく。

 

 

「ピッカピッカ、ピッピカピ」

 

 しかし、ピカチュウはその場所でなにかやっている。

 

「ピカチュウ?いくよ?」

 

「チャ!ピッカチュ」

 

 ピカチュウが振り向き、サトシへついていく。

 

 その手には、サトシのカバンからいつの間にか抜いていたシルフスコープが握られていたが、サトシは知る由も無かった。

 

 

 

 ――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

「ほっほっほ、待って居ったよサトシ君。」

 

「おまたせ、しました。」

 

 

 ポケモンセンターの隣の喫茶店。

 スピアーのところに行った後、ピカチュウと共に昼食に行った。

 クチバシティに到着したのは昼前だったので、これ以上延ばすとピカチュウの機嫌を損ねる。

 決して会長と会うのを先延ばしにしたわけではない。ごはんのためだ。

 

 そこでいつも以上にたくさん、且つ豪勢に海産物を胃袋に入れる。

 少しでもストレスを減らそうという試みではあるが、そこそこの金額のクチバシティの海産物をなぜこんなにたらふく食べられるのかというと、ヤマブキシティジムでもらった封筒の中に、二百万円入っていたからだ。

 これは大きい。久しぶりにガッツリ食事できると思うと喜ばざるを得ない。

 ピカチュウともども胃袋いっぱい食べた後、(金額は見ていない)非常に重い足取りでポケモン大好きクラブ会長の待つ喫茶店に来たというわけだ。

 

 

「まあまあ、座りなさい。」

 

 

 喫茶店の中は、昼過ぎという時間もあってか八割方の席は埋まっている。

 ピカチュウは目立つが、会長が一緒だということを知ると皆納得の面持ちでスルーしていく。

 

 

「さてサトシ君。すこしばかりお話しよう。わしはおしゃべりが大好きでな。ほっほ。」

 

 

 

 そして、まったくもって落ち着かない、食後のお茶会が始まったのであった。

 

 

 




会長再来



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第百六十話 会長のありがたいお言葉

 喫茶店の止まない喧噪の中、ポケモン大好きクラブの会長が口を開く。

 

 

「さて、まずは、そうじゃな。サトシ君も少し成長したようじゃし、自分のことがわかってきたのではないかな?」

 

「・・・どう、でしょうね。」

 

「ほっほ、考える余地が出来ただけでも上等じゃな。どうやら本当にいろいろとあったようじゃな。」

 

 

 サトシは無言で正面の老人を見つめる。老人はその視線に気づきながら、特に意識するでもなくサトシを見返す。

 口元を笑顔のそれに歪ませ、まるで孫に人生の教訓でも教えているかのようだ。

 無論、サトシにとってその笑顔は歪の象徴でしかない。早く済ませてしまいたい、という思いから、無言で次を促す。

 促された老人も、小さく頷くと続きを嬉しそうに話し始めた。

 

 

 

 さて、サトシ君。早速だが、君はなかなかに有名人のようだ。

 ―――そんな驚いた顔をしなくても、よく考えずとも自明だろう?

 人型のピカチュウを連れまわし、右も左もわからないような少年が次々と裏のジムリーダーを下していっている。

 一度や二度ですら驚愕だが、ニビシティ、ハナダシティ、クチバシティ、タマムシシティ、ヤマブキシティ。五度ともなればそれはもはや奇跡とも思えるほどの偉業だ。

 裏の世界というのは情報の質がモノをいうが、君の情報は黙っていても耳に入る。

 なんせ、裏のジムリーダーはただでさえ高すぎる壁。普通は一人倒すだけでも相当に貴重な逸材なのだよ。

 それをすでに五人。しかもあのナツメまで下しおる。ほっほ、これはわしにも想像できんかったよ。

 エスパーポケモンはその特殊さ故、ドーピングするにも非常に難しいタイプなのじゃが、それを限界まで強化しているヤマブキジムリーダー。

 しかもそれを操るリーダーが―――まあそれはあえて言うまい。サトシ君には痛いほど、わかっていることじゃろうしの。

 

 ん?わしはどこまで知っているのか?ほほ、それは言えんな。先ほども言った通り、情報は質が大事。つまりは、より良い情報を得るためには、それ相応の代価が必要ということじゃよ。

 サトシ君も、そのような経験があるのではないかな?ほっほ。

 

 わしがサトシ君にいろいろとお話をするのはだな、いつぞやのお礼と、あとは単純な興味本位じゃ。

 いくつ歳を重ねても、興味というのは尽きることを知らないのでな。世の中には不思議な物事が溢れておる。

 

 

 ―――ほほ、そんな渋い顔をするな。分不相応という言葉もある。サトシ君はこのまま進めばよいということじゃ。それに進むだけの理由があるのじゃろう?他人からの情報など、君にとってはさほど重要なものではないのではないかな?

 ―――ふむ、強くなったのうサトシ君。わしはとても、嬉しく思う。

 君のようないたいけで純真な少年が自分から裏の世界に飛び込んできた、なんてことを知った時は、なんて世の中なのだ、と悲観したものだ。もっとも、本当はわしと同じ穴の狢だったわけじゃが―――ほっほ、そう怒るでない。一つや二つ、頭のネジが外れてでもいない限り、裏の世界に飛び込む人間などおらんじゃろ。サトシ君は立派な狂い人じゃよ。少しは馴染んだかの?んん?どうじゃ?自分が狂っているという自覚は?裏の世界に生きる人間の思考というものが多少なりとも理解できてきたのではないか?自分という人間がいかに歪な存在か理解できたかの?

 

 ―――――ほっほ、そういきり立つな少年。注目されてしまうぞ?ここは公共の場所なんじゃからな。いかにも、普通の世間話をしているようにしないと、誰に聞かれていることやら。ま、そんな気にすることでもないがの。

 

 ―――さて、サトシ君が前に進む決断をし続けているというのには、正直なところ意外でもあるんじゃ。

 いつ折れてもおかしくないか弱い存在。

 自分の周りのことにひどく影響を受けやすい、とても安定しているとは言い難い精神。

 一人では、決して進むことなどできなかったじゃろうな。

 支えているのは、ポケモン達か。

 ほっほ、わしからしたら到底考えられぬことじゃが、まあそれはよい。前振りが長くなってしまったが、今日話したいと思っておることは、そのあたりに関係することじゃ。

 

 サトシ君。君は今まで、自身のポケモンをどれだけ失ったかね?

 普通のポケモンにしろ、ドーピングされたポケモンにしろ、死ぬときは死ぬ。それは裏も表も関係ないことではある。

 だが、サトシ君は、その自分の手の届く範囲において、何かを失うということを非常に恐れておる。

 異常なまでに、じゃ。

 普通の人間ならそうだろう。もちろん、その通り。だが君は普通ではないだろう?

 君はすでに普通の人間という範疇から逸脱しておるということを理解したまえ。

 普通の人間は、使命感などという不確定で不明確な要素で命のやり取りなどというふざけたことはしないのじゃ。

 身の保身、安全、安定。それらのものを何より愛し、大事にする。それが、普通の人間じゃ。

 君はそうではないのだろう?わしもそうじゃが―――変化を求める者というのはいつだってそうじゃ。

 世界の理から外れようとするには膨大なエネルギーが必要。そしてそれを持つ者というのは大抵普通の生き方なおせんのじゃ。君のように、な。

 

 しかし君はそのことを認めようとせんな。

 もちろん、論理から外れることを選択するのはとても勇気のいることじゃ。たとえ自分にとっての真実だと明白なのにも関わらず、一歩踏み出すことはなかなかに難しい。その一歩を踏み出せた君になら、何があっても歩み続けることができると、そう思う。

 

 じゃがな。君はまだ知らないことが多すぎるのじゃ。

 勉強不足だとか、そういうことを言っておるのではなく、単純に経験じゃよ。経験値の無さが問題じゃ。

 なんの経験値かというと、もちろん裏の世界のじゃ。このあらゆる思想、宗教、価値観、恐怖、真実、混沌、生と死が渦巻いているこの世界。君は知ってからどれだけの時間がたった?

 以前会った時はまだ狂気の一旦に触れた程度、今は幾分か迷いが吹っ切れたようではあるが、それもまだ入り口にすぎん。むしろそうなってからようやくスタートに立つのが裏の世界というものだ。

 サトシ君はいろいろと過程をすっ飛ばしてしまっておるのじゃ。もちろん、それに伴う理由というものもあると思うが、だがそれ故に脆い。脆すぎる。その脆すぎる人間が何故ここまでやってこれたのか。君にはわかるかね?

 

 ―――そうじゃな。君と共に歩んで来たポケモン達の存在。それが全てじゃ。

 

 君という存在は、ポケモンと共にある。故に、ポケモンが死ねば相応の影響を受ける。それは君自身、多く経験しておるじゃろう。きっと毎度のように危機に陥っていると思うが、それを救ってきたのもまたポケモン達ということじゃろう。

 一般的に見れば、愛あるポケモントレーナーと、ポケモン達との友情じゃろうか。映画でも撮れそうな美徳じゃな。

 じゃがこれは現実。君が危機に陥って、自身の命を失う危険に晒された時にポケモンが救ってくれる。

 この状況が今まで何度あったかね?君は何度殺されかけた?んん?どうじゃ?何回命を拾ったのかね?

 

 ―――サトシ君。君の存在はあまりにもか弱い。この裏の世界で生きていくにはなおのこと、いろいろな物事を天秤にかけながら進まなければならない。そして、裏の世界では命という尊い物ですら、単なる代価でしかないのじゃよ。

 そんな過酷な世界において、君はポケモンにあまりにも依存しすぎている。

 サトシ君の価値観や思想に関してはわしも非常に興味をもつが、このまま放っておくと、わしの残り少ない良心というものが悲鳴を上げるでな。アドバイスじゃ。

 

 いいかね。君がここまでやってこれたのは、多くの物事を横に置いてきたからじゃ。考えるべきことを考えず、決めるべきことを決めず、ただ単に『目的』という形の無い物に振り回されてきているだけじゃ。それが大事なこともあろう、行動力こそが道を示すこともあろう。だが、ずっとそれではいかん。君は、考えねばならんのじゃ。

 ただ進むのでは、行き止まりになった時に対処する方法が無いのだと知るべきじゃ。

 ほっほ、考えようとしたことくらいはあるはずじゃ。

 考えてはならぬと無意識に抑えてしまっただけじゃろう。悪いことではない。むしろ年齢と経験を考慮すれば、やむなしと言える。そうでもしなければ、心が耐えられんかったのじゃろう。

 

 じゃが、今は。今は違うじゃろう?

 君は、ようやくスタートに立ったんじゃ。そうでなければその顔はできん。ヤマブキで何があったのかは知らんが、きっとそういうことなのじゃろう。

 

 受け入れ、前進する。

 

 それができるようになって、ようやく前が向けるのじゃよ。

 前を向いたら、考えなければならん。

 行き当たりばったりで行動するには、この旅はあまりにも無謀だと、今はわかるじゃろう?

 君の信念、思想、達成すべき目的、愛すべきポケモン達、そして自身の命。

 全ての物事は天秤に載せる部品でしかない。

 比べれば片方は落ちる。それが天秤というものじゃ。常に心の中に天秤を持つのじゃよ。

 目の前にある物事に対して、差し出すものは何か。優先すべき事象は何なのか。それを冷静に判断できてこそ、裏の世界を生き残る術というものが身についていくのじゃ。

 

 よいかサトシ君。自分を持ちなさい。自分を否定してはならぬ。狂気が渦巻いていようとも、日常から切り離されようとも、君自身は君自身なのじゃ。

 戸惑いは恐れ。恐怖は死。正しく自身を認識していなければ、物事は悪化する一方じゃ。

 わしが言いたいことというのはそれじゃ。

 ほっほっほ、ちと難しい話じゃったかな?まあそれもよい。

 じっくりと自分でかみ砕き、理解し、周りに流されず、自分の判断で進むのじゃ。たとえ何があろうともな。

 

 

 ―――ん?なんでそんなことを教えてくれるのかって?ほっほ、それはな。老後の楽しみというやつじゃ。

 サトシ君という存在が世界を変えるのであれば、さて一体どのような世界になるのか楽しみじゃ!善きにしろ悪きにしろ、楽しみにしておるとも。ほっほっほ。

 

 

 

 

 ――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

 

 喫茶店から出る頃には、周りはすでに夕暮れ時となっていた。

 遊んでいた子供も家に帰り、今頃は暖かい食事を待っている頃合いだろう。

 

「・・・・・」

 

 日常であったはずの光景も、今のサトシには遠い昔のことのように感じた。

 まだ数か月程度。それでも日常と隔絶された世界では、それ以外の記憶を猛烈な速度で過去へと押しやる。

 ―――戻れるだろうか。今でも、自分は元通りになれるだろうか。

 

「―――・・・」

 

 無言で小さく首を振る。

 その答えは、考えずとも出ている。出てしまっている。

 

 

 

「さて、わしは帰ることにするよ。夕食の準備をせねばならんでな。ほっほ。」

 

 

 ポケモン大好きクラブの会長は、そう言ってスタスタと歩き去ってしまった。

 本当に言いたいことを言いたいだけ言って、満足して行ってしまった。まったく、あの老人は本当に好きになれない。

 

 

「考えろ、か。」

 

 

 口をついて出るのは会長のありがたいお言葉。

 悔しいが、ズンズンと図星を刺されながら聴いていただけに何も言えない。

 人の心の中が視えるのだろうか?

 だからこそあのような歪んだ存在になってしまったのかもしれない。

 結局『狂ったままでいいんだよ』って結論をにこやかに話していただけに、決して信用してはいけない人間ベストスリーに見事にランクインだ。まったくめでたくない。

 

 

 ―――考えるべき。それはわかっている。わかっているのだが。

 

 

 何気なくピカチュウの方を向く。

 いつの間に取ったのか、シルフスコープをつけて周囲をぐるぐると見まわしている。

 それを取り上げて、自分につける勇気は、今は無い。

 

 

「それでも、僕は進まないといけない。考えながら。進む。」

 

「ピカピッチャ」

 

 

 ピカチュウが服のすそを引っ張る。

 

 一緒に進もうぜ相棒!みたいなノリかと思ったが、口からよだれが出ているところを見ると晩御飯の催促のようだ。

 夕日が名残惜しそうに水平線から姿を消す。

 今日は夕食をとり、明日クチバシティを出立することにする。

 

 そして、よだれの垂れたピカチュウを連れて夜のクチバシティでレストランを探すのだった。

 

 

 

 

 




ありがたい。

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第百六十一話 ポケモン大好きクラブ会長

 ポケモン大好きクラブ

 

 

 

 私は何かおかしいのだろうか?

 

 

 

 

 今まで生きてきて、ふと抱く疑問。それはいつも心の中に巣食っていたように思う。

 どうにも落ち着かない。

 私は、他の人間とは何かが違うのだろうか。見た目は同じ人間。なのに、何かが決定的に異なるような気がしてならない。

 

 思えば昔から奇異の目で見られることは幾度かあった。

 昆虫を口にした時など、同年代の友人達からは距離を置かれ、それを知った両親からも「二度とするな」と釘をさされた。

 一体何が悪いのか、おかしいのかが私には理解できなかったが、周りの人間が「やるな」というのであればそれはやってはいけないことなのだろう、と認識することはできた。

 

 だが、私はまたも口にした。頭の中では認識はしている。やってはいけないことだと。一般的に、常識的に、それは常人のすることではないと。

 好奇心旺盛で大抵のことは「興味」で済まされる年齢―――十歳にも届かない時は笑ってすまされていたことも、それを過ぎるとさすがに周囲の目が変わってきたのは本人からしても明らかだった。むしろ、そういう風に見せることで本人にも理解してもらおうという親切心だったのかもしれない。直すなら今のうちだと。はやく子供心から抜け出し、常識を身に着けろと。そういう思いを視線に込めていたのかもしれない。

 

 

 だが、私は止めようとしなかった。いや、正しく言えば「止められなかった」のだ。

 十代の半ばにして、私はついに野良猫を食った。

 カブトムシを食おうが、ゴキブリを食おうが、周囲の目は変なものを見る目で済んでいたが、この時から周囲の目は恐怖のそれに変わったのをハッキリと覚えている。

 

 そして、なぜか警察に通報され、補導された。

 動物愛護がなんたら、という話を延々とされ、十代だったということもあり、その時は釈放された。

 

 まったくもって理解の外だ。

 なぜ、昆虫がよくて猫がダメなのか。

 そもそも牛や豚や馬や鳥はどうなのか。食べているではないか。それらは良くて、なぜ猫はいけない。

 別に猟奇的なことをしているわけではない。

 きちんと苦痛を与えずに殺しているからそこらで蹴って遊んでいる奴らよりよっぽと健全だ。苦痛を与えるなど非人道的ではないか。あまり美味しい肉ではなかったが、病気にならないように火も通したし、味付けもした。食べる前には「頂きます」と命に対する礼儀も言葉にしたし、手も合わせた。

 一体何が問題なのか。

 何が問題で私だけが特別扱いされねばならないのか。

 

 まったくわからない。

 むしろ、なんの考えもせずに生きている周囲の人間よりも、私の方がよっぽど考え、理解している。

 理屈を通している。いけないことなど、していない。

 他の人間と同じように、動物を殺し、食べているだけではないか。何がいけない。何が。どうして。どうして。どうして―――

 

 

 

 ――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 二十歳をこえ、私はポケモントレーナーになっていた。

 研究も兼ね、ある程度論文を出したりもしていた。そこそこのお金ももらっていたので不自由は無かった。

 この頃には「常識」というものがどういうものかを概念的に理解していたので、普通に生きる分には問題は起こらなかった。動物は隠れて殺していたし、骨はきちんと洗浄し、アクセサリーショップなどに寄贈していた。骨を使ったアクセサリーは若者の間でも人気だ。

 

 割と気に入っている生活だったし、特に問題も起こらなかった。このまま誰にも知られずに、密に食事を楽しむことにした。

 

 

 そんなある日のことだった。

 私の耳に入ってきたのは、「ポケモン食」のことだ。

 

 海外で珍味として極稀に裏で出回るようだが、この時の私の心を持ちようを伝えるには、言葉というものはあまりにも不自由だ。

 食べてみたい。食べたい。私の血肉にしたい。その味は、調理法は、どの種類がうまいのか。そもそも食べることができるのか。

 興味は尽きない。

 尽きないのだが、それは果たして「許されること」なのか。

 

 隠れてすれば問題は無い、か?

 いや、だが、感づかれた時は猫の比ではないだろうし、さすがにポケモンの骨など扱っているアクセサリーショップは無い。

 それにポケモンは未だに未知の存在だ。研究が進んではいるが、まだわからないことの方が多い。

 そんな生き物を食べる・・・?

 考えずとも、今まで学んだ「常識」とやらからすればそれは間違いなく禁忌だ。

 やってはいけない。だが、本当に、絶対にやってはいけないのか?いや、例がある以上、「食った」という実績がある以上、それは必ずしもやってはいけないということではないのではないか?

 そもそもなぜ食べてはいけない?誰が決めたのだ?法で定められているのか?

 

 

 私は一週間かけて文献を調べたが、「ポケモンを食べてはいけない」などと書かれた法文は発見できなかった。

 ポケモン保護法とやらには「ポケモンの命をみだりに奪ってはならない」と書かれていたが、私は快楽殺戮をしているわけではない。命に感謝し、無駄な部分など少しも残さずに頂いている。粗末にしているつもりは毛頭ない。

 

 だが。

 今まで学んだ「常識」に阻まれる。

 人は一人では生きていけない。周囲の人間と同調しなければ。

 私とて好んで奇異の目を向けられたいとは思わない。理解できないだけで、嫌なものは嫌なのだ。

 

 私はいったん、それとはなく周囲の人間に話をしてみることにした。

 

 

「ポケモンを食うという人間が海外にはいくらかいて、裏で取引されているようだが、どう思う?」と。

 

 

 わかりきっていたことだが、返ってきた答えはこうだ。

 

 

「え?そんなことあるの?うわあ怖いなあ。ポケモンを食べるだなんて。」

「マジですか?ありえねー」

「そんなことする人、どうせ人も殺してるに違いないわ。」

「どんな時代でも、そういう考えする人いるんだなー。絶対関わりたくない。」

「キモい。ありえないでしょ。」

「ポケモンを食べる?嘘でしょ?」

「頭おかしいね。」

 

 

 

 そんな中、あきらめずに訊いていた時に、たった一人。なんの変哲もない、普通の人間のように見えた人。

 その人が返した答えが、私の中に潜んでいた捻じ曲がった思考に火を入れた。

 

 

「・・・興味あるの?食べたい?」

 

 

 一瞬思考が停止した。まさか、この人物からそんな回答が来るとは夢にも思っていなかったからだ。

 冗談の類にしては「常識的に」ありえない。

 しかも、目も口も笑ってはいない。この人物は真面目に、本心で、「本当の私」と対峙しているのだ。

 

 

 たっぷり十数秒考えたが、私の答えは決まっていた。

 

 

「ああ―――食べさせてくれるのか?」

 

 

 その人物はそこでニッコリと笑顔を見せ、

 

「一か月後、ここに来てくれ。」

 

 と紙を渡された。

 それは小さい、カードサイズのチラシ。

 お洒落なイタリアンでも提供しそうな見栄えの良い、逆に言えばありきたりな見た目。

 そこに日時と場所と、「美味しい料理をお楽しみください」と一言書いてあった。

 これだけ見たら、ただのお食事会への招待状だ。

 

 チラシから目を上げ、その人物を見る。

 再びニコリとした後、「ではまた」と一言だけ残して、何食わぬ顔で仕事に戻っていった。

 

 

 

 

 ――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 私はチラシに書いてあった日時に、書いてあった場所にきた。

 もちろん口外はしていない。

 時間は深夜零時。こんな時間に出歩くには向かない、郊外の廃れたビルの前。

 街灯も数本だけ。それらもチリチリと音を鳴らし、今にも消えるかと思わせる灯を見せている。

 

 本当にここか―――?と疑問を抱いたが、私を待っていたようで、招待状をくれた人物がビルの入り口で手を振っていた。

 

 

「やあ、きたね。」

 

「ああ、しかし、こんなところで?」

 

「こんなところだからさ。」

 

「そういうものなのか。」

 

「そういうものさ。じゃあ、入ろうか。」

 

 

 足元だけを少しだけ照らす非常灯。

 ビルの中に入ると人はおらず、とても洒落たレストランがあるようには見えない。

 

 その人物はエレベータの前で立ち止まり、ボタンを押す。もちろん上のボタンだ。

 レストランは上の階にあるのか、と考えたが、外から見た時にはどの階にも光は漏れていなかった。

 窓の無い部屋があるのだろうか。

 

 とそんなことを考えていると、エレベータがいる階を示す光が5、4、3、と下に降りてくるのが確認できた。

 

 エレベータの光が1になって数秒経ち、目の前のドアが開く。

 その人物に誘われるがままエレベータに入るが、なんの変哲もない普通のエレベータだ。

 何階にいくのだろう、と見ていると、5のボタンを押した。

 

 エレベータのドアが閉まり、そのまま上へと進む。

 

 五階に到着したので、私は出ようとしたのだが、それを手で制された。

 

 出ないのか?と尋ねると、まあ待ってなよ。と返ってくる。

 そのままその人物は3のボタンを押す。ドアは閉まり、次は三階へ降りる。

 三階に到着し、次は2のボタンを押し、二階へ。その次は再度五階。そして一階に戻り、四階、二階、また一階。

 

 いい加減何がしたいのか訊こうとしたが、その人物が1のボタンと5のボタンを同時にカチカチと二度同時に押し込む。

 

 何しているのかと思ったが、行き先を告げる階層の光は全て消えてドアが閉まる。

 そして、エレベータは下に向かって降りていくではないか。

 

 あるはずの無い、地下。

 行くはずの無いエレベータ。

 

 おい、と声をかけても、まあまあ、としか返ってこない。

 

 理屈はわかる。それだけ常識とはかけ離れた場所なのだと。

 エレベータはしばらくして停止する。

 ドアが開くと、まるで地下とは思えない、豪華絢爛なレストランが目の前に広がっていた。

 

 

「お待ちしておりました、スペード様。そちらはお連れの方ですね。ご案内します。」

 エレベータの前で待ち構えていたウェイターが。一流レストランのような振る舞いで私たちを出迎える。

 床には赤い絨毯。調度品と思われる数々の見栄えの良いアンティーク。

 カラフルで豪華な花も活けてある。

 結婚式場のように十人程度が座れる丸テーブルが二十はあるだろうか。

 すでに席はほぼ満席。その中の一つに案内され、「スペード様」「ご招待」と書かれた紙が置いてある席へと座る。

 

「なあ、これはどういうことなんだ?スペードってのは?」

 

 私は席に着くなり、そう尋ねる。

 

「スペードは僕のあだ名みたいなもんだよ。あ、ここでは本名は禁止。秘密を漏らすような人間はいないけどね。」

 

「どうして?」

 

「漏らしたら殺されるからさ。」

 

「・・・なるほど。」

 

 

 そう言うしかなかった。

 なるほど、ここはそういう場所なのだ。

 私は今まで生きてきて、このような空間は本や物語の中だけのものだと思っていたが、実在するものなのか。

 

 一般人の目には触れない、秘密の裏の世界。

 そこには表では出せない、本当の自分が出せる場所。

 きっと、他の席に座っている人間も、そういう人達ばかりなのだろう。

 

 

「さあ、時間だ。今日のメニューは何かな。」

 

「メニュー?」

 

「君は何しにここへ来たんだ?食べに来たんだろう?」

 

「ああ、そうだった―――そうだったな。」

 

「その通り。君は今から食べるのさ。―――ポケモンを。」

 

 

 ウェイターが料理を運んでくる。

 私の前に置かれた料理は小ぶりの深皿に小さく盛られた、赤と青のきれいな食べ物。

 

 周囲からも「おお、美しい。」だとか「素敵な色合いね。」だとか感嘆の声が聞こえる。

 

 皿に添えられた紙には料理の名前が書いてある。

 

 

『メノクラゲのアミューズブーシュ』

 

 

 感動した。

 目の前にあるこの美しい赤と青の料理。これはメノクラゲだという。

 偽物が出るわけがない。この空間でそんな心配をする方が無粋だというのは明らかだ。

 であるならば、これはまぎれもなく、本物のメノクラゲ。あの、メノクラゲだ。

 赤い目と、あのうねる青い胴体が、この目の前にある料理。

 

 隣ではすでに食べ始めているようで、声が聞こえる。

「ああ、やっぱり今回の料理は格別にうまい。早く食べてみなよ。」

 

 その人物の方を見ると、フォークを片手にこちらを見てニッコリと笑っている。

 今気づいたが、すでに赤ワインが注がれていた。

 その人物のワインはすでに半分ほどになっていた。随分と進むのが早い。

 

「いい料理は酒が進むね。」

 

 そんなことを言いながら、メノクラゲをつまみながら赤ワインを喉に流し込んでいた。

 

 周囲を見渡しても、同じようなものだった。

 普通に、美味しい料理と酒を楽しむ人たち。

 

 この目の前の料理に釘付けになっているだけの私とは、やはり違うのだなと感じる。

 

 震える手でフォークを握る。

 赤と青の、つるりとした料理を救いとる。

 フォークの隙間から覗かせる色は、まさしくメノクラゲのそれ。

 キラキラと輝く宝石のようだ。たとえるならエメラルドとサファイアだろうか。もしくはラピスラズリか。

 

 ゴクリ、と喉を鳴らし、ゆっくりと口の中に運ぶ。

 

 

 ああ、私は、今、ポケモンを食べるのだ。

 

 

 

 ・・・―――――

 

 

 美味い。なんという美味さ。これが、メノクラゲなのか。あの、メノクラゲなのか。

 舌がピリっとするのはかすかな毒の所為だろうか。だとすれば、シェフの腕は確たるや。

 ポケモンというものを理解しきっていなければ、この料理はつくれまい。

 さらに見た目の美しさにこだわるのは当然として、なによりこの中毒性だ。

 

 進む。

 止まらない。

 ワイン片手に味わうのも忘れ、ただただひたすらに、目の前のポケモンを食らう。命を、食らう。

 

 今の私ほどガツガツという効果音が似合うことも無いだろう。

 アミューズブーシュはコースの前の突き出しに近い。ただのワインの付け合わせの感覚だ。

 量など期待すべくもない。

 当然ながらあっという間に皿の中は空っぽになる。

 

 私は不作法なのをわかりつつ、フォークを皿にカチャリと当てて、音を出す。

 ああ、美味い。こんなに美味しいものがあるだなんて。知らなかった。

 

 恍惚の表情だったのだろうか。隣から

 

「どうだい?」

 

 と問いがかかる。

 私はそちらをゆっくりと振り向き、こう答えた。

 

「ああ、最高だ。」

 

 その人物はワインで赤くなった頬を緩ませ、満面の笑みを浮かべた。

 

 

「そうか、それはなによりだ。さあ、次はオードブルが来る。今晩はゆっくりと、食事を楽しもう。」

 

 そう告げ、私は

 

「ああ、それは楽しみだ。本当に、楽しみだ。」

 

 と答えた。

 

 

 

 

 ――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 食事を終え、ビルを出る。

 まだ時間は深夜三時頃だろうか。周りは暗く、人の気配は無い。

 今にも消えそうな街灯が私を現実へと出迎えてくれた。

 

 現実。現実か。だとすれば、先ほどまでのあの至高の時間は夢だったのか。

 

 フフッと、小さく笑ってしまう。

 

「どうしたんだい?妙に嬉しそうだね。」

 

「ああなに、些細な事さ。些細なことで、すぐにでも気づけそうなことに、たった今気づいただけのことさ。」

 

「そうか。それはなによりだ。それで、感想は?」

 

「感想か。言わなくてもわかるだろう、というのは無粋かな?」

 

「ある程度のリスクを背負って君を招待した身としては、言葉で聴きたいこともあるさ。」

 

「リスク―――ああ、そりゃあ、そうだな。」

 

 

 思えば、なぜこの人物は私をここに誘ったのだろうか。

 ただの世間話、噂話を口にしただけ。

 なのに、ただの知人であっただけの私をこのような裏の世界へと。

 

 少し考えればリスクだらけ。私が警察にでも通報することは考えなかったのだろうか。

 

 

「感想の前に、なぜ私を?」

 

「君は、何かを探してた。君の目と行動を見ていればわかるよ。それだけさ。」

 

「それだけ・・・?」

 

「僕は、人を見る目があるってこと。」

 

「―――なるほど。私は君のお眼鏡にかなったということか。」

 

「そういうこと。」

 

「はは、ありがとう。君のおかげで、私は世界の広がりを感じられた。食事は、最高だったよ。今まで食べた中で、ダントツに美味かった。美味しいものを美味しいと言える人達と、こうして食事ができることは、なんのことはない、普通のことだと私は思う。」

 

「ああ、その通りだね。だけど―――」

 

「常識がそれを許さない。常識とは、一体なんなのだろうか。」

 

「大多数の人間が作り上げた、単なる幻想だよ。少数であるというだけで、物事は否定されるのが世の中だ。」

 

「こうして、隠れて生きていくしか無いというのか。私のような人間がこんなにもたくさんいるというのに。」

 

「そう思うかい?」

 

「ああ。この世界は、理不尽なことばかりだ。」

 

「そう思うんだね。」

 

 

 その人物は、右手を差し出す。

 

 

「この手は?」

 

「この手を握れば、君はこれから裏の世界に飛び込むことになる。今まで見てきた世界はほんの一部に過ぎない。世の中は君が知るよりはるかに大きく、そして深いよ。君は今まで通り、表の常識の中で隠れて生きていくか。それとも、裏の世界で別の常識の中で生きていくか。今ならまだ一晩の夢で済むけれど。」

 

 

 

 私は考えた。

 この手はまぎれもない、悪の手。

 握れば私の世界は壊れるだろう。

 今の決して不自由ではない生活は、消えてなくなるかもしれない。

 だが、私は、違うのだ。

 普通の人間とは、常識とは、異なる存在なのだ。

 

 そうであるならば、なぜ普通の世界で生きられる?自分が自分を否定して、だまし続けて、一体どうなる?

 私という異物がこの世界に生まれ落ちたのは何故なのか?

 そして、その異物達によって作られた世界があるのだ。

 ならば。

 私の居場所は、ここではない。

 いるべき場所が、もっと適した場所が、あるというならば。

 

 

 

 ――――行こうではないか。

 

 

 

 

 

 

「―――ようこそ、裏の世界に。」

 

 

 

 

 私はなすべきことがある。今出来た。

 

 私のような人間を救う。居場所を求めている人間達を救うのだ。

 全ての人間には居場所があるということを、伝えねばならない。

 私を求めている人間は、きっとたくさんいるのだ。

 

 

 

 

 

 ――――二十年後。クチバシティにポケモン大好きクラブが発足する。

 表の顔と裏の顔を持つ、世界で初めての『世界の出入口』である。

 

 



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第百六十二話 眠るポケモン

カビゴンはつよい。


「え?通れないんですか?」

 

「そうなんだよ。こまっちゃうよねーえ。」

 

 

 

 サトシはフレンドリーショップで買い物しつつ、店員にクチバシティの東側の情報を訊いていたのだが、なんと十一番道路の先は通れないらしい。

 なんでも、ずっと眠っている馬鹿でかいポケモンが陣取っている所為で、ここ数週間封鎖されているという。

 

 何度も起こそうとしているのだが、押しても引いても叩いても起きる気配は無く、モンスターボールを投げつけてみてもまるで捕まる様子も無い。

 釣り好きは皆十二番道路へ行くのだが、道が塞がれているので泣いているそうだ。

 

 現状十二番道路へはシオンタウンを経由して行かなければならないため、コイキングが嫁の敵でも無い限りわざわざ行く事もしないのだろう。

 サトシも気乗りはしないが、通れないのであれば仕方が無い。

 

 

 

「うーん、それじゃあシオンタウンから行くしかないのかな。」

 

「ピッピカ」

 

「ああでも、いい加減邪魔だからポケモンリーグから指示が出ただかいってたねーえ。今頃どかしてるんじゃないかーな?」

 

「そうなんですか!じゃあ通れるようになってるかも!行ってみますね!」

 

「そうするといいーよー。」

 

 

 

 ショップ店員にお礼をいいつつ、サトシは十一番道路に向かう。

 

 クチバシティに来るのは二度目だったハズだが、なんだかものすごい濃厚な時間を過ごしていた気がする。

 もちろん悪い方で。

 いや、一部良い思い出も無くも無いのだが、それはまあ、あまり思い出すと赤面してしまう。

 

 ———今頃カスミはどうしているのだろうか。

 きっとあのカスミのことだから、使えそうな男とか手駒にして悠々自適に生きているような気がする・・・

 でもちょっと他の男と一緒にいるのは許せないというか気が気じゃないというか、いやでもカスミだからそういう気にはなったりならなかったりするのだろうか?いやいや

 

 

 

「ピカピカ」

 

「そうそう、ぴかぴか・・・じゃなくて」

 

 

 

 現実に戻ってきたサトシ。案の定赤面して顔が熱くなっていた。所詮はまだ十代の少年である。

 

 

 

「・・・なんでもない!いくよピカチュウ!」

 

「ピッピカ〜」

 

 

 

 一路、十二番道路に足を進めるのだった。

 

 

 

 

 

 

 ――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

 十二番道路は草むらが多く、整えられた道も入り組んで迷路のようだった。

 普段はトレーナーが多く、バトルスポットとして皆利用していたようだが、今日に限ってはほとんど人がいない。

 最初は随分とトレーナーが少ないなあ、などと思っただけだったが、その理由はすぐにわかった。

 

 

 

「随分な人だかり・・・なんとかしようとしてるってのは当たってたんだな。」

 

「ピピカチャ」

 

 

 

 十二番道路の東側。

 本来は単なる関所があるだけの場所のハズだが、十数人は集まっており、祭りでも始まるのかというくらいに野次馬根性を発揮させている。

 サトシのような子供にとって大人の垣根をかき分けるのは難しいが、その大人よりでっかいのがいるため、先に進むのにはあまり困らなかった。

 むしろ率先して大人の海が裂けていく。

 さすが黄色いでっかいの。でかいというのはそれだけで強い。威圧感も半端じゃない。

 マイナス点を言うとすれば、そいつがサトシの相方だということなのだが。

 

 間もなくサトシはギャラリーの一番前で、噂のポケモンを目の前にする。

 

 

 

「うわあ、おっきい。」

 

 

 

 山のように大きい、というたとえをする場所は今を逃すと次にいつ言えるかわからないだろう。

 サトシが少年だからというわけではなく、大の大人からしても十分に『山のように大きい』

 

 丸い熊のような見た目をした巨大な生き物がぐーすかぐーすかいびきを立てて狭い道を文字通り塞いでいた。

 その山の麓———すぐそばで一人の青年が特徴のある口調でつばを飛ばしながらいろいろと周囲の人間に指示を出しているのが見えた。

 その口調はどこかで聞いた事があるような気がする、というか忘れようにも忘れられない、夢に出てきてもおかしくないくらいのインパクトをサトシに与えていった人間で———

 

 

 

「そこちゃうで!ああもう何度言ったらわかんねんこのグズ!もちっとわいを見習って効率よくやりいやアホンダラ!!」

 

「———マサキさん?」

 

「ああん?なんやわいは今忙しいんや!気軽に声かけんでもろてええか!?ってか誰やねん忙しいん見たらわかるやろこれやから野次馬っちゅーのは嫌いなんや見せ物ちゃうで金払えや!・・・ってなんや、サトシくんやんか。久しぶりやな元気しとった?死んでのうてなによりやな。業界長いと二度目に見たときは墓の名前なんてことはよーあるんやさかい気にせんといてや。サトシくんちっと痩せたんちゃう?ストレスなんか?おこちゃまなのにいっちょまえにストレスなん?ウケるわあサトシくん。バトルで死なんでも過労死なんて笑えるわ〜大爆笑やわ〜。よおそっちのでっかいのは相変わらずでっかいなあ元気そうやん?サトシくんも見習ったらええでもうちっと気軽な感じで行ったほうがええんちゃう?眉間にシワよっとるで?そんなんじゃモテへんやろ。彼女とかできてん?できてへん?ああそういえばサトシくんには心に決めた女の子がおるんやったな!今頃なにしとんやろうなあ、まあわいには関係あらへんけど。しらんけど。サトシくんちゃんと飯食っとる?ドーナツあるんやけどサトシくん食う?ほら遠慮せんとうまいで?ここくる時にクチバシティのおばちゃんにもろてんけど、ほらわい人気者で有名人やから、こういうものもらうんやけど、こうたくさんもろても食いきれんやんか。お、でっかいのは欲しい?欲しいんか?ええな気に入ったわ。年上には気を使ったらあかんねんて。いやあでっかいのは出世するんちゃう?こういうとこもサトシくんは見習ったらええと思うわあ。ほらほらもっと食えやでっかいの。ほんまめっちゃ食うなあおもろいやっちゃな。サトシくんはよくわんと食い尽くされてしまうで?ほれほれほれ。」

 

「・・・・・おひさしぶりですマサキさん。」

 

「せやなあサトシくん。こんなところでなにしとるん?ははあさてはセキチクシティに行こおもてるんやろ。あたりか?あたりやな?さすがわいは天才やな!サトシくんの考えとることなんてお見通しやで。しっかし起きひんポケモンが道塞いどるからなんとかせえゆうて呼ばれたんはええけど、こりゃさすがのわいもお手上げやな〜ほんまに何しても起きひん。まったく起きひん。もう隣でわいも一緒に寝てしまいたいくらいのいいオヤスミっぷりやでこのポケモン。ぶん殴ろうが叩こうがわめこうが大声で叫ぼうが全く反応ナシナシのナシ。モンスターボールも全然無駄。ねむけざましでも無理矢理口につっこんだろおもたけど、試しに気の棒で口をこじあけようおもて差し込んでみたらポッキーみたいにポキポキ食べてしもーた。手なんてつっこんだら丸ごとぺろりされてしまうわい。とはいえわいもメンツちゅーもんがあるさかいなんとか起こそうおもていろいろ試しとるとこやな〜しかしお手上げっちゅーか八方ふさがりっちゅーか四面楚歌っちゅーか、手のうちようがないって感じやな〜ほんままいったで〜」

 

「はあ・・・そうなんですか。」

 

 

 

 

 本当にマシンガンなのだろうかこの人は、というくらいペラペラと言葉が出てくる。

 サトシが一言話すとマサキは百は話すだろう。以前に増して言葉のデパート感が増しているが、聞く限りではマサキがこの眠れるポケモンをどうにかしようと派遣されてきたようだ。

 偶然もあるものだ、と思ってはいたが、マサキは知る人ぞ知るポケモンの専門家。

 当然といえば当然なのかもしれない。

 サトシが知らないだけでいろいろなところにパイプを持っている人間だ。その知識を求められて今ここに呼ばれているのだろう。

 

 しかし、そのマサキを持ってしてもこのポケモンを起こすことはできていないらしい。

 一体このポケモンはなんなのだろうか———?

 

 

 

「っと、困った時のポケモン図鑑。」

 

 

 

 サトシは赤い手帳をポケモンに向ける。聞き慣れた電子音声に耳を澄ませる。

 

 

 

『カビゴン。いねむりポケ「カビゴンやな。いねむりばっかりしとるポケモンや。あんまりおらんポケモンやから見る事はほっとんど無いんやけど、基本はごっつ食ってごっつ寝るポケモンや。一回に数百キロも食ってそのまま眠りこけてしばらく起きないんや。しっかし普通は二メートルくらいなもんなんやけど、三メートルはあるやんこいつ。たぶんごっつ大量のメシにありついたんやろうな。その分食って、その分寝とるってことやろ。はた迷惑なやつやでほんま。」

 

「・・・なるほど。」

 

 

 

 心無しかポケモン図鑑が涙を浮かべているように見える。

 いやその、なんかごめん。ポケモン図鑑。

 

 

 

「さてどないしよかね。ポケモンの笛でもあればええんやけど、わいはもっとらんし・・・」

 

「ポケモンの笛?」

 

「なんやサトシくん知らんの?どんなポケモンでもグッドモーニングする素敵でナイスなアイテムや。音はしょぼいけど効果はバツグンなんやで。しかし聞こえたポケモンはみーんな起きてしまうからイタズラに吹くバカが出てきてん。無理矢理起こすのは良く無い言うて、随分前に販売中止になってしもたんやけど。もう持っとる人間もほとんどおらんやろなあ。便利なんやけど。」

 

「どんなポケモンでも起こす笛・・・どっかで聞いたような・・・あ」

 

 

 

 そういえば、シオンタウンでポケモンハウスのフジさんからもらった笛。それが確かどんなポケモンでも起こすとかなんとか言っていたような。

 サトシはごそごそとリュックの奥底をあさると、ポップな見た目の笛を引っ張りだした。

 

 

 

「あの、マサキさん、もしかしてこれですか?」

 

「ん?お?おお!それや!なんやサトシくん持っとるんならはよ言ってえな!イジワルかサトシくん!やらしいなあ焦らしプレイなんていつ覚えてん?まあええわ!それがあれば一発や!おおいおまえら!もおええわ!どいとって!そこにおったら逆に危ないわ!ほらさっさとどき!」

 

 

 

 今まで黙々とマサキの指示に従って作業していた数人があからさまに嫌な顔をしてこちらに振り向く。

 マサキの強い口調で命令されてたらそりゃあ嫌な顔にもなるだろうなとサトシは思ったが、障らぬ神に祟り無し。何も言わないに限る。何か言ったらきっと百倍どころか千倍になって帰ってくるに違いない。

 作業スタッフ達はしぶしぶという感じをあからさまに出し、離れていく。

 まあそんなことを気にするようなマサキではないのは、サトシも含め全員が認知していることではあるのだが。

 

 

 

「よーしどいたな!そんじゃサトシくん!吹いたって!ピーヒャラピーヒャラや!素敵な音色を奏でるんやで!」

 

「え・・・僕、笛とか吹いたことないんですけど・・・」

 

「そんなんテキトーでええねん!ピーでもパーでもテキトーに吹きいや!」

 

 

 

 そう言われても、こう衆人環視の中で笛を吹くというのはなんとも恥ずかしい。

 だが、吹かねば何も進まない。そもそもみんなしてサトシが笛を吹くのを待っている。

 

(こんな状況で笛を吹くことになるなんて・・・)

 

 そんなことを思いつつ、サトシはポケモンの笛に口をあて、思いっきり息を吹き込んだ。

 

 

 

 

 




コミケに応募しました。2020夏。あたればいいな。


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第百六十三話 マサキの気苦労

 穴の開いた風船が空を飛びながら出す高音のような笛の音が周囲に響き渡る。

 サトシの手の中にあるポケモンの笛は、笛の名に恥じない大きな高音を出し、その役目を十全に果たす。サトシは顔を真っ赤にしつつ、肺にため込んだ空気を力いっぱい吐き出し続けている。

 

 

「って!もおええわ!!!」

「あいたっ」

 

 どこから持ち出したのか、マサキのハリセンで頭をはたかれたサトシはようやく口からポケモンの笛を離した。頭をさすりながらサトシは顔を上げ、そのまま硬直した。

 

「ほれ、おきたで。さすがのポケモンの笛、様様やな。」

「え、ああ・・・」

 

 

 目の前には、壁。横にも縦にもバカでかい。こんな生き物がこの現代に存在しているものなのやら、と本気で思うほどに、目の前の壁はもぞもぞとゆったり動き、ふわああ、などとこれまた大きな口で欠伸をかましている。大きさの比較をするならばいつぞやに戦ったエリカのフシギバナの方が何倍もデカいのではあるが、こう、心構えというか、『普通の世界』における意識の持ちようがあるのだ。

 むくり、と起き上がったカビゴン。サトシが三十人ばかり重なり合ったらこれくらいの大きさになるだろうか?けたたましい笛の音に起こされたとは思えないほどゆっくりと顔を上げ、細い目で周囲を見渡している。

 注意深く観察していると、その視線が一点で止まるのをサトシは見逃さなかった。その視線の先にあるのは―—―

 

 

「ほーれ、カビちゃんドーナツやで~うまいで~こっちきいや~」

 

 

 まさかのマサキさんだった。いや、正確に言うならば、マサキの手の中にあるイチゴチョコがトッピングしてあるドーナツ。しかも砕いたナッツが混ぜ込んである、食感がとてもいいドーナツだ。

 カビゴンが食感を楽しむ食べ方をするかどうかはさておき、大量に食べて眠っていたはずのカビゴンは寝起きにも関わらず次の食事を目ざとく見つけたようだった。一体どれだけ食べれば気が済むのかと本気で訊きたくなるが、よく考えればウチの黄色いのも大量に食べてはスヤスヤ眠っていることが多い。起きているうちに栄養を補給しておこうというのは野生の本能なのだろうか。それとも単に食べたいだけか。どちらにしても、食料を生産する人間側としてはたまったものではない。

 いや別にサトシ自身が生産しているわけではないが、黄色いのに限っていえばサトシの懐事情を勘案しない食欲だ。目の前の巨大なポケモンの食糧事情なんぞ自己負担してしまうことになれば、それこそポケモンリーグ制覇を考えるより前に飢えてしまうだろう。なんというか、たまったものではない。

 サトシがそんなことを考えている間にもカビゴンの細い目はじっとりとドーナツを眺め、そして巨大な体に見合った大きな手をゆっくりと動かし、マサキの手の中にあるドーナツを取ろうとする。

 

「っと、そうは問屋が卸さんで〜ほれほれ〜」

 

 ひょい、とカビゴンからドーナツを遠ざける。なるほど、ドーナツで釣ってとりあえず道の外へとおびき出そうということか。そんな簡単なことで釣られるとは思え・・・釣られてる。

 カビゴンは起き抜けで寝ぼけているようでまだ若干頭がぐらぐらとしているが、食べ物には敏感らしい。なんて食い意地の張ったポケモンだろうか。隣のピカチュウも大概ではあるのだが。そのピカチュウもマサキの手に握られているドーナツをじっくりと見つめて、よだれを垂らしている。さっき食べたでしょ。

 もそもそと起き上がり、マサキの誘導に釣られて動き、徐々に先への道が解放されていく。

 

「よっしゃ、このあたりでええやろ。このあたりなら邪魔にならへん。また腹減って起きたら勝手にどっかいくやろ。」

 

 カビゴンが道から完全にどいたのを確認し、ドーナツを箱ごとカビゴンの手に渡す。それを箱ごと口に放り込み、カビゴンはまたスヤスヤと夢の世界に旅だっていってしまった。なんというか、欲望に忠実なポケモンだ。

 

「ちゅーわけで皆様方、これで道路は通れるようになったで。このカビゴンはしばらく観光名所にでもして金稼ぎしいや。」

 

 親指と人差し指で丸く輪っかを作り、マサキはニカっと笑う。うん、人は悪くないのだろうが、マサキさんも欲望に忠実すぎて反感を買うタイプ!

 

 

 —————————————————————

 

 

「いやー、サトシくん通りかかってよかったわ!ほんま助かったわ!おおきに!」

「ああいえ、僕もここ通れないとシオンタウンまで回り道しなきゃいけなかったので。」

 

 横に退いたカビゴンを写真に撮ったり、さっそく釣り人が通って行ったりしている中、マサキから声をかけられた。

 

「それかて感謝感謝や!世の中感謝でまわっとるんやで〜サトシくんも他人の反感買うような生活送ったらあかん・・・って、そういう生活やったな!」

「べ、別に好きで変な目を向けられているわけでは」

「せやな!ごもっともや!———さて、わいはこれからお偉いさん方に報告せなあかんけど、サトシくんはセキチクにいくんやったけ。」

「はい。」

「セキチクちゅうことは、誰やったっけ———ああ、キョウのクソ野郎んとこか。あまりにクソすぎて忘れとった。忘れたかったやつやな。思い出してしもたやんけ、どないしてくれるんやサトシくん。」

「ええ・・・そんなこと言われても。キョウって、ジムリーダーですか?」

「せやな。セキチクシティジムリーダーのキョウ。毒ポケモンを使うトレーナーや。なんでも、忍者らしいで。ニンジャ。」

「に、にんじゃ?」

「そ、忍者。なんやサトシくん知らんの?サトシくんくらいの年齢やとめっちゃ調べたりとかしてそうやん。漫画とかにでてきとるんちゃう?あれや、めっちゃ足速かったり刃物投げつけたり、煙出して逃げ出したりするやつや。」

「なんですかそれ、強盗ですか?」

「ぶふぉ!言い得て妙やな!確かに逃げ足速い強盗やな!———まあわいもまっとうなポケモンバトルする分には口は出さんわ。サトシくんもジムリーダーがどういう人間かってわかってきたんちゃう?何事も経験は大事やな。せいぜい気ぃ張っていきぃや。応援しとるさかい。」

「はぁ」

「なんやあ、元気ないなあ少年!そんな湿気た面しとるから金も女もよってきいひんねん!あ、金は持っとるんやっけ?わいのプレゼントした金は?———え、もうない?この短期間でどうやったら百万溶かせるんや?逆に才能やな。うけるわ。———っと、そろそろいかんと怒鳴られてしまうわ。サトシくんも達者でな。」

「はい、マサキさんもちゃんと寝てくださいね。」

「無理やな!」

 

 マサキに手を振り、サトシはピカチュウと共に十二番水道に向けて出発するのを、天然パーマは大手を振って見送った。それはもう、満面の笑顔で。なんの心配も無いかのようなそぶりで。

 

「———さて、キョウんとこか。なんもおこらんとええけど・・・ううん、わいもお人好しやな。サトシくんはいいおもちゃやから死ぬと目覚めが悪くなりそうやし。ま、とりあえず仕事や仕事。立場っちゅーんはいつもがんじがらめで面倒やわ〜」

 

 頭をポリポリと掻きながら、マサキは大声で人を威嚇して道をあけ、クチバシティへと戻っていった。

 



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第百六十四話 釣り人

「ここが十二番道路か〜本当に釣り人ばっかりだ。」

「ピカピカ」

 

 十二番道路。シオンタウン、クチバシティ、セキチクシティを結ぶ大きな川に架けられた橋。

 大きな川の上を歩いているような感覚になれることから、デートスポットしても親しまれるが、多くの人の目的は釣りにある。

 

 ここでは多種多様なポケモンが釣れる。ゲットするつもりの人も、単純に釣りを楽しみたい人も、水ポケモンを求めて常に数十人の釣り人が竿を投げ、釣り糸を垂らしている。

 そしてもちろん、ポケモントレーナーもたくさんおり、釣りを楽しむ人よりは少ないがポケモンバトルも毎日のように行われているのである。

 

 

「ピカチュウ、気をつけてね?さすがに橋が壊れることは無いと思いたいけど、ピカチュウ重いし。」

「ピッピカチュー」

 

 

 落ちる訳ない、と言わんばかりのバカにした顔をサトシに向けるピカチュウだが、サトシはもはや何も信用しない。

 心配しすぎたところで、このでっかいのはいつもその心配など無下にして大暴走するのが常。

 せめて目の届く場所に置いておくことがサトシにできる最大のピカ対策なのである。

 

 

「天気も良いし、絶好のお散歩日和だね。」

 

 

 お天道様にとっては表だとか裏だとか、そんなことはどうでもよいのだろう。

 誰にでもお日様は光を落としてくれる。

 なんて素晴らしいんだ。太陽。おお太陽。

 

 惨惨たる日常を送ってきたサトシにとっては久しぶりの、何の危険も無い道のり。

 これもセキチクシティに到着するまでのことかもしれないが、それでも日常は日常。

 サトシにとってはかけがえの無い、大事なものなのだ。

 

 とても気分がいいからこそ、普段は絶対しないようなこともしてしまう。

 

 

「おじさん、何が釣れるんですか?」

 

 

 通りがかった桟橋で釣り糸を垂らしている男性に声なんてかけてしまった。

 別に問題は無い。なんせ晴れている日に釣果を訊くことなど、普通のことだ。

 

 

「ん?ああそうだねえ———」

 

 

 ただ、問題なのが、サトシはとっくに通常の世界とは違う場所に生きており、またその存在も知れ渡っているということで。

 

 

「今日は随分と大物が釣れたよ。」

 

 

 裏の人間からしたら、巨大なピカチュウを連れているなんてトレードマークを見逃すハズも無い。

 

 

「盗まれないように、裏にバケツを置いてあるんだ。見せてあげるよ。おいで。」

 

「わー!何が連れたんですか?」

 

「それは見るまでの秘密だよ。見るまでのね。」

 

 

 

 ————————————————————————

 

 

 

「あれ?バケツに何も入ってないですよ————」

 

「うん。だって、釣れたのは君だもの。」

 

「え?」

 

 

 顔が笑顔のまま硬直する。

 今、この釣り人は何と言っただろうか。釣れたのは僕、と言ったのか?どういう———

 

 

「まだしらばっくれるのかい?サトシくん。大きな人型のピカチュウと十代の少年。そんな特徴を見間違えるハズが無いね。釣りに集中していたから、声をかけてくれて助かったよ。君、随分な有名人だよ。ちょっと僕に倒されてくれない?」

 

 

 背筋が凍る。

 いや、だがもう間違えようが無い。この釣り人は間違いなく裏の人間で、さらに言うならバトルを挑まれている。

 しかしこの真っ昼間から、人の目も憚らず———

 

 と考えたところで、サトシの周りには誰も人が居ないことに今更気がつく。

 

 

「この場所は僕の秘密の場所でね。人なんてこないよ。何、別に君を殺したいわけじゃない。ポケモン全部置いていってくれればそれでいいよ。まあ、嫌なら僕のポケモンで殺しちゃうけど。」

 

 

 油断した。こんな昼間に、平然とバトルを仕掛けてくるだなんて。

 確かに居なかった訳ではない。が、サトシは裏のバトルの大半がジムリーダーとの戦い。

 一般のトレーナーとのバトル経験は二回。虫取り少年と、イワヤマトンネルのいわおとこ。

 ・・・二人とも思い出したく無い記憶。特に後者。

 だがそれにしても、トキワの森は深い森の中で、イワヤマは暗くて何も見えない中。

 しかし今はそのどちらとも違う。一目に付かないとは言っても、昼間の道路沿いの空間。

 こんなところで襲われるだなんて———

 

 

「な、なんでいきなり・・・」

 

「え?そりゃあ、お金になるからだよ。そのピカチュウしか戦えるポケモンが居ないのにどうやってジムリーダーを倒してきたのか知らないけど、君に賞金かかってるから。」

 

「賞金!?」

 

「なんだ、知らなかったの。さすがに目立ち過ぎだよ。こっちの世界は安定してるの。それを壊されると困る人が結構いるってこと。んじゃ、やろうか。」

 

 

「ちょ、ちょっとま———」

 

 

 サトシは気づいていないが、サトシが今までにやってきた行いは名のある裏のトレーナーからしてみても、『異常』にすぎる。

 

 そもそもジムリーダーを一人倒すことすら難攻不落。

 偶然勝てたとて、無傷とは行かない上、ジムリーダーが本気でない事も多い。

 大金をかけて強化したドーピングポケモンを失っての勝利となれば、その先へ進むことも難しい。

 バッジを持っていることは確かに自身の強さの証明にこそなれど、それはポケモンを失ってまで得たいものかどうかは疑問が残る。

 結局、ジムリーダーを打ち負かす、という気概のある人間はごく少数な上、徹底的に叩きのめされて命を落とす者が大半となっている現状。

 

 そんな中、致命的な傷も負わず、ポケモンも失わず、ジムリーダーを五人倒し、さらに倒したジムリーダーはほとんどが再起不能。

 噂によるとあのロケット団と幾度となく退けているという。

 前代未聞。カントーにいる裏の住人からしてみれば、サトシはまさに嵐の渦中にいる人間であるのと同時に、和を乱す問題児でもあるのだ。

 

 

「ま、君も運が無かったってことで。」

 

 

 そう言うと、釣り人はモンスターボールを手に持ち、ポケモンを出した。

 

 

「さっさと殺しちゃって、ドククラゲ。」

 

 

 釣り人が出したポケモンはくらげポケモンのドククラゲ。

 しかしここは川に近いとはいえ陸上。

 水が無いところでくらげポケモンがうまく行動できるわけが———

 

 そこまで考えて、サトシは目を見張った。

 サトシの目の前に現れたのは、生き物には到底思えない、何かだった。

 

 ドククラゲの頭上には大きい赤い水晶のような器官が二つついているハズだが、この何かにはそれが無い。

 ———その代わり、小さい水晶が大量についている。

 その赤い水晶がついている胴体の色は紫。透き通った青い身体は見る影も無く、強力すぎる毒性によるものか、これ以上濃くならないのではと思える程に、どす黒い紫色。

 びっしりと赤い粒子が付いた胴体の下からは無数の触手が蠢いている。

 数えきれない程の触手の色も万遍なくどす黒い紫色。さらにその数も通常のドククラゲとは比較にならないほど多く、軽く数百本はある。

 

 その結果、地上だというのに動きを鈍らせるどころか、触手を自在に動かすことであたかも陸上生物であるかのように自由自在に動き回れている。

 明らかに地球上の生き物ではない。

 

 

「も、モンジャラを思い出すな・・・気色悪い・・・でも水タイプだ。ピカチュウ、頼むよ!」

 

「ピッピカ」

 

 

 ピカチュウは一歩前に進んだと思ったら、いきなり放電を開始し、ドククラゲをまばゆい光の中へと埋め込んでしまった。

 バリバリバリと高電圧の中に放り込まれた触手。

 

 

「うわわわ!ってピカチュウ!それはふいう・・・ち?」

 

「あーあ、不意打ちだなんて酷いなあ。まあ裏のバトルだし、別によくあることだけど。」

 

 

 弱点である電気技を食らっても、釣り人は狼狽えるどころか平然としている。

 そしてなにより、ピカチュウが放った光の中で、先ほどと変わらない姿で触手をうねうねと動かしている。

 

 

「ど、どうして!?ドククラゲは水タイプだから電気は弱点のハズ!」

 

「———あのさあ、サトシ君。本当にバッジを五つもとったのかい?その程度で?拍子抜けしちゃうよ。僕のドククラゲがその程度の攻撃でどうにかなると思ってるの?ねえ?ふざけてる?裏ポケモン同士のバトルなんて、真っ先に弱点の対策するに決まってるじゃない。どうなってるの君。ねえ。本当にサトシ君なの?———まあそんなことはいいよ。それより僕が許せないのは、ねえ君、さっき、僕のドククラゲを気色悪いって言ったよね?ねえ、言ったよね?それにモンジャラみたいだって?あんなただのツルの塊と同じ?僕のポケモンが?はあ?あのさあ、見てわかんないかな。僕のドククラゲは水中は当然だけど、陸上でも最強なんだよ?わかるだろ?毒だよ。毒。全身が毒なの。それに見てよ、この赤く透き通った美しい水晶体。僕は大きすぎる水晶体はあまり好きじゃなくてね。かなりこだわって投薬したんだ。そしたら、ねえ、すごいでしょ。この水晶体、なんと三百十八個あるんだ。数えたんだよ。三百十八個。触手は何本あると思う?すごいんだよ。五百二十一本。圧倒的だよね。この数。これが気色悪いだって?目が腐っているのかい?どこからどう見ても美しいだろ。こんなに多いんだよ?赤と紫だし。それに比べて君のピカチュウはなんだい?芸術性の欠片も無い。ああ、見るのも嫌だね。もうさっさと死んじゃってくれないか。僕のドククラゲの毒ですぐ死ねるから。ほらほら。死ーね。死ーね。死ーね。」

 

 

 ———ああ、そう、そうだった。

 サトシは確かに忘れていた。そもそも、裏のバトルとはこういうもの。

 ジムリーダーとのバトルは確かに厳しいものだった。

 しかし、それでも「ルールに則ってのバトル」で「目的がある」ものだ。

 

 だが、裏のバトルとは欲望の渦巻く場所。

 何故だとかどうしてだとか、そんなことは訊くだけ無駄なのだ。

 まったく、本当に反吐が出る世界だなと、心の底から思う。

 

 

 

「ドククラゲ、『まきつく』」

 

「ピカチュウ、絶対に捕まるな!」

 

「ピッピカ」

 

 

 視界を埋め尽くすほどの膨大な触手がピカチュウを襲う。

 紫色の津波のようで、まさに回避不能な攻撃とも思える。だが———

 

 

「ん?消えた?」

 

 

 釣り人の目の前からピカチュウが消え、次の瞬間にはドククラゲの頭上に現れ、その巨大な拳に電気を纏わせ、赤い水晶体が満遍なくついた部分へ思いっきり叩き込んだ。

 

 ドククラゲは反応もできず、べっこりと頭を凹ませてその場に崩れ落ちる。

 

 

「な———僕のドククラゲが————そんな・・・一撃・・・?」

 

 

 その場でビクビクと痙攣し、つぶれた頭から赤い液体をバラまきながら、紫色の液体が地面に流れ、草を溶かして煙を出している。

 

 

「お、おおお、やったねピカチュウ!」

 

「チャー」

 

 

 サトシも驚愕の結果である。

 まさかの一撃の元に相手を叩き伏せてしまった。

 しかし、当然と言えば当然。このピカチュウはそもそもが歴戦の強者。

 且つ、時代の変化と共に強化され続けてきた最強の属性マスターのジムリーダーの出すポケモンに悉く勝利してきているポケモン。

 サトシにとってはジムリーダーの繰り出すポケモンが裏のポケモンの基準になりつつあるが、それこそが異常な思い込み。

 実感こそ無いが、間違いなくピカチュウは相性こそあれど、並大抵の裏トレーナーには負けない強さと経験を身につけている。

 

 

「あああ、僕のドククラゲ・・・なんてこった・・・す、すぐにポケモンセンターに・・・」

 

「あのー」

 

「はえ?・・・ああ、えっと、ゆ、許して?」

 

 

 向こうから攻め込んできて許してとは、なんとも間抜けなことである。

 まあ、サトシも別に快楽殺戮者では無いので、許すことも吝かでは無い。無いのだが。

 

 

「えーっと、それじゃあ」

 

「そ、それじゃあ?」

 

 

 サトシはニッコリと笑う。ピカチュウに負けじと、それはもうニッコリと。

 

 

「いくらもってる?」

 

「・・・・・・・」

 

 

 裏の世界に慣れてきたサトシとはいえ、こんな不条理に付き合いたくは無い。

 なので、それはもう、笑顔を貼付けた鬼と化しても仕方が無いのだ。

 ただでさえ命がかかった旅路。

 そんな中で得たひと時のお散歩日和を邪魔した代償はでかい。

 せめて、ピカチュウの食費を頂かないと納得できないというものだ。

 

 賞金がかけられている?知った事ではない。

 周りがどうなろうと、サトシはもう前に進むと決めたのだ。

 その思いは伊達ではない。つまりは、前に進むためには心も鬼にする。

 

 

 

 ————————————————————————

 

 

 

 雲一つない青空。

 サトシとピカチュウはのんびりと川のせせらぎを聞きながら、キシキシと小気味よい音を立てる桟橋を歩いている。

 

「いやあ、いい天気だねー。」

 

「ピカチャッチャ」

 

 

 何事も無かったかのように、サトシとピカチュウは十二番道路を南下していく。

 しばらく歩くと、橋の端に看板があるのが見えた。

 

 

「ええと、ここから十三番道路、だって。」

 

 

 長かった桟橋もここまで。

 橋は陸地につながり、ここからは再度地面の上の生活に戻る。

 そして、もうすぐセキチクシティに到着するという事でもある。

 

 

「まだ日は落ちてないし、このままセキチクまで行きたいね。」

 

「ピカピカ」

 

 

 先ほどのように裏のトレーナーがいないとも限らない。

 サトシも気を引き締め、十三番道路へと足を踏み出した。

 

 



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第百六十五話 セキチクシティ

「ここがセキチクシティ・・・ようやく着いた。」

 

「ピピカチュ」

 

 

 クチバシティから十二番道路、十三番道路を歩くこと半日。

 ようやく到着したセキチクシティはもうすぐ日が落ちるといった時分。

 すでに家々の電灯は付き、外で遊ぶ子供の姿もまばらになっていた。

 

 ヤマブキシティに負けず劣らずの広さを誇るというが、ヤマブキシティが高層建築の多い大都会だとすると、セキチクシティは広大な公園、といった様相。

 住宅こそあれど、放し飼いになっているポケモンがいたり、名物のサファリゾーンの案内看板がそこかしこにある。

 全体的に高い建物はほとんど無く、高台に建てられているセキチクシティジムが一番高い場所にあり、街のどこからでも見て取れる。

 噂によるとジムリーダーのキョウは街の人に人気で、普段から治安維持に積極的に活動しているという。

 パッと聞くだけではとてもいい人なのだろうと思えるが、気になるのは―――

 

 

「マサキさんの言っていた、『キョウのクソ野郎』という言葉・・・評判とは真逆だけれど、まあ今までのジムリーダーも同じようなものか・・・・」

 

 

 ハナダジムのカスミも、クチバジムのマチスも、タマムシジムのエリカも、ヤマブキジムのナツメも、評判とは大きく異なる本性を隠していた。

 唯一ニビジムのタケシだけは、裏表がそこまでなかったように思える。

 安全かどうかは別として。

 

 しかし、気になるのはやはりマサキという人間があれほどまでに嫌うという事実。

 忘れたいほどクソ野郎と言っていたのは、果たしてどういう意味なのか。

 カスミも大概ではあったハズだが、あれか。女の子だからか。女の子は性格が良かろうが悪かろうが関係ないのか。

 マサキなら平然と言いそうなのがまたサトシの混乱を招いている。

 

 ともあれ、すでに夜の帳も下りてきている。

 聞き込みだったり探索だったりは明日にするとして、今日はさっさとポケモンセンターで休むとしよう。

 あれだ、ニンジャってのは夜に活動するらしいし。危ないし。

 

 そんなことを考えていると、後ろからクイクイとサトシの襟を引っ張る存在がいる。

 うん、旅も長い。これがどういう意味かなど、サトシは知りすぎるほど知っているのだ。

 

 

「・・・ごはん、何食べようか」

 

「ピピカチャー」

 

 

 そういうことである。

 セキチクシティはクチバシティと同様、海に面した街。当然名物も海産物である。

 おいしい海産物が食べられて、尚且つ広大なアミューズメント施設もある。

 ああセキチク、なんと素晴らしい街なのか。

 是非観光として来たかった。

 残念ながらサトシは観光している余裕など無いし、観光に勤しんだとしても、裏のトレーナー達にハンティングされる対象である。

 きっと楽しんでいる余裕は無いだろう。

 ただの十四歳の少年だったハズが、いつの間にか賞金付き・・・お母さんに怒られるな・・・・もはや来るところまで来てしまった感がある。

 最も、サトシ自身、まったくもって実感が沸かないことではある。

 

 ジムリーダーを倒すことに必死だったし、大事な仲間も失った。

 もう目的のために進むことしかサトシには許されない。

 ようやくその決心がついたというのに、これである。

 本当にサトシの旅には立ちふさがるものが多すぎるように思えてならない。

 

 だが、だからとって旅立ちの日に尻尾を巻いてマサラタウンに戻り、オーキド博士に普通のポケモンを用意してもらった方がよかっただろうか?

 ―――それはもう、今となってはわからない。

 少なくとも、今のサトシは過去を悔やむことは許されないのだから。

 

 

「あ、ごはんの前にフレンドリーショップに寄るよ。みんなのごはんも買わないと。」

 

「ピピカ~」

 

「我慢して」

 

「ピピカ~」

 

「帽子返して」

 

「ピカッチャ」

 

 

 そんなやり取りをしながら、暗くなって電気のついたフレンドリーショップへ足を運ぶ。

 

 

「ん?ああお客さんか。いらっしゃい。」

 

「あ、すみませんもう閉まりますか?」

 

「いやいや、大丈夫だよ。お客さんを追い出すなんてことはしないよ。」

 

「ありがとうございます。じゃあこれとこれと―――」

 

「はい、どうも。ではこちらお釣りですね。」

 

「ギリギリですみません、ありがとうございました。」

 

「いえいえ、また来てね。」

 

 

 

 ――――――――――――――――――

 

 

 

 ヤマブキジムでまとまったお金が手に入ったので、久しぶりに豪華な夕食をとった。

 セキチクシティはなんと海鮮だけでなく、肉料理も充実しており、とても満足のいく料理を堪能した。

 ピカチュウはサトシの五倍食べたように見えたけれど、何も見ていないことにした。

 

 たっぷりと堪能し、厚さの変わらない財布に安堵しつつサトシとピカチュウはポケモンセンターへと足を運んだ。

 道すがら戦ったノーマルトレーナーとのバトルで傷ついたポケモンを回復し、宿泊施設に行き、サトシはようやく腰を下ろす。

 

 

「はー疲れた!」

 

 

 クチバシティから休まず歩き。さすがの旅慣れした体も疲労は嵩む。今日はゆっくりとベッドで休みたい。

 

 

「っとその前に。―――みんな出ておいで。」

 

 

 サトシはモンスターボールを転がし、手持ちポケモンをすべて出す。

 

「クラーブ」

「ココココッコッコッコココ」

「メター」

「ガーzzzガーzzz」

 

 ゲンガーは寝ているが、まあいつものことだ。

 

 

「ごはんだよー」

 

 

 そう言ってサトシはそれぞれの好きなポケモンフードを取り分ける。

 ゲンガーは寝ている上に食事をとらないようなので、何かそのうちほしいものを聞きださなければならない。

 

 

「クラブと、コイキングとメタモン。あと―――」

 

 

「トランセルとスピアーとサンドパンもね。」

 

 

 

 六種類のポケモンフード。小皿にとりわけ、下に置く。

 おいしそうに食べるポケモン達。

 だが、三つの小皿は誰も手を付けない。

 もちろん、サトシだけでなくポケモン達もわかっているのだ。

 これは自分達の分ではないと。

 

 サトシは静かに手を合わせて、目を閉じる。

 自分と向き合う。過去の自分を受け入れる。

 仲間と前に進むために、仲間全員と共にいる。

 涙は出る。悲しさもある。悔やみもする。

 だけど、受け入れて進む。進む。進むんだ。進むしかないんだ。

 そう自分の心に言い聞かせて。

 

 ジムリーダー攻略も半分を切った。

 あと三人。

 あと、三人だ。

 

 そう心に刻み、ごはんを食べ終わったポケモン達をボールへ戻し、サトシはようやくベッドへと潜り込んだ。

 

 

 

 ――――――――――――――――――

 

 

 

 次の日。サトシは朝のセキチクシティに繰り出し、情報収集をする、つもりだった。だったのだが。

 

 

「おお──ー!ポニータ!かっこかわいい!」

「ドードー!本当に頭が二つついてる!すごい!速い!」

「おお!これがサイホーン・・・これがサイドンに・・・サイドン・・・」

「卵・・・?あ、タマタマっていうポケモンなんだ。へー、一個割れてる?―――そういうものなのか。」

 

 

 たっぷりとセキチクシティを堪能しているようだった。

 ピカチュウのため息もなんのその。

 珍しいポケモンがいろんなところに放し飼いされており、ポケモン大好きっ子のサトシも大興奮だった。

 

 

「いやーすごい。今まで必死すぎて忘れてたけど、やっぱりポケモン好きだな~いいな~」

 

「ピカチャ~」

 

 

 珍しくサトシ側が暴走しつつあるので、ピカチュウもなんだか調子が狂っているのか、随分と保護者っぷりが板についている。

 セキチクシティ名物タマタマアイスを口に放り込みながらベンチに座って休憩していると、いかにも観光案内っぽい女性が近寄ってきて、サトシに話しかけてきた。

 

 

「あら君、セキチクシティは初めて?随分ポケモン好きなのね!」

 

「ん?あ、はい。珍しいポケモンばっかりでとても楽しいですよ。」

 

「それはよかったわ~!私、セキチクシティ観光協会のミキ、よろしくね。」

 

「よろしくお願いします。」

 

 

 こんな普通のやり取りをしつつ、サトシは最大限の警戒を怠らない。

 なんだか嫌な性格になってしまったな、と我ながら思うが、致し方ないことなのだ。

 些細なきっかけが命のやり取りにつながるということを何度も経験しているサトシにとって、闇は日常にうまく隠れ潜んでいると知っている。

 とはいえ、こんな軽率に話しかけてくるとも思えないが、念には念をいれて、名前は教えない。

 

 

「あなたは何しにセキチクにきたの?」

 

「・・・一度来てみたくて。珍しいポケモンが多いのにとても治安がいいと聞きました。」

 

 

 嘘は言っていない。うん。

 

 

「そう!そうなのよ!なんたってジムリーダー直々に見回りしてくれているのよー!本当にキョウさんには頭が上がらないわ!」

 

「・・・そ、そうなんですね!へえ~すごいなあ。キョウさんってどんな人なんですか?」

 

「うんとねうんとね、ちょっと渋みのあるオジサマだけど、笑顔が素敵でね!街のみんなから愛されてて、頼りにされててね!なんでも、ニンジャっていうのの末裔らしいわ!ニンジャってよくわからないけど、とっても強い人らしいのよ!しかもジムリーダーでしょ!毒ポケモンを使うって言われて、最初はちょっと怖かったんだけど、でもバトルの時も礼儀を忘れないの。毒は傷つけるだけではなく、薬としても使えるのだよ、なんて言うの!もうかっこよくて!それでねそれでね―――」

 

 

 たっぷりと三十分ほどキョウについて語ってくださった。

 これがガチ勢というものか、とサトシはわざとらしい笑顔で相槌を打ちながら、少しでも役に立つ情報は無いかと耳をとがらせていた。

 しかし、バトルに関する情報は特になく、「とても良い人柄の素敵なオジサマ」ということだけは十分以上に伝わった。

 

 

「あら、もうこんな時間ね。君、セキチクシティを楽しんでいってね!ばーい!」

 

「ば、ばーい。」

 

「ピピーカ」

 

 

 嵐のようなキョウオタクトークが繰り広げられた後に残されたのは、手の上ですっかり溶けてしまったタマタマアイスの残骸。

 そして、わかったことは。

 

 

「キョウって人は随分と街の人に愛されている。」

 

 

 しかも思った以上に。

 

 

「ジムリーダーとしての表の顔としては素晴らしい、けど。」

 

 

 裏の顔は。サトシの経験上、きっと何かを抱えているハズだと考える。しかし、まだ一人目の情報。

 

 

「もうちょっと聞き込みしてみようかな。」

 

 

 そう言ってすっかり溶け切ったタマタマアイスを喉に流し込みながら立ち上がると―――

 

 

 

 

 

 

「ほう、随分と勉強熱心なことじゃのう。ファファファ。」

 

 

 

 

 

 

 サトシの後ろに不思議な衣装に身を包んだ素敵なオジサマが、音もなく立っていた。



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第百六十六話 キョウとの邂逅

「拙者のことがそんなに気になるかね、サトシ君」

 

背中に冷や汗をかく。

人間、いきなり背後から声をかけられて驚かない人は相当肝が座っているか最初から想定していた人かのどちらかだとは思う。サトシとて数々の修羅場を経験してきたとはいえ、こんな不意打ちに対応できるほど人間離れしているわけでは無い。そう、なんの準備もしていないまま、ジムリーダー本人が自分の背後にいるだなんて、想像からかけ離れていた。それも自分の名前をすでに知っている。

しかし、少し考えればわかることでもあった。ジムの制覇も終盤戦。ただでさえ突破は困難を極めるジムリーダー戦をここまで戦い抜いてきた以上、すでに名前や戦い方を認知されていてもなんらおかしいことは無い。むしろ知っていてしかるべき、と認識しておくべきだったとすら思う。

そして同時に、こんな真昼間から『大人気のキョウ』が裏の顔を見せるわけも無い、ということもサトシは今までの経験でわかっていることだった。

 

「あなたが、セキチクジムリーダーのキョウさんですか。いきなり背後から声をかけてくるなんて、びっくりしましたよ」

「ふむ、至極最も。先ほどの女性との会話が終わるのを待っていたのでな。見つかると面倒故、容赦願いたい」

「なるほどたしかに」

 

先ほどのキョウガチ勢に本人が見つかったら発狂して二時間は離さないだろう。

そして、いくらセキチクシティで大人気の人物だとしても、時間は有限だ。ファンサービスもほどほどにしないと、本来の用件などこなす方が難しい。そのあたりのことも含め、必要以上に街の中には出てこないのだろう。

それでも数多くの信頼を得ているのはニンジャの要領の良さというところだろうか。いまだにニンジャというのがよくわかっていないが。

 

「ファファファ!理解が早くて助かるな!聞いていた通り、随分と頭の回転が早いと見える。肝も座っておるし、ジムリーダーを下してきたというのも強ち偶然というわけでもなさそうだな。」

「・・・やっぱりいろいろと知っているんですね」

「勿論。他のジムリーダーは情報というものを軽んじておる。自分の力を過信しているが故に周囲に目を配ることを怠るものばかり」

「キョウさんはそうじゃない、ってことですか」

「当然よ。だがまあ、今となってはこんな情報収集も無駄でしかないがな。」

「無駄?どういうことですか?」

「意味を知りたくばジムに来るといい。客人として丁重に迎えようぞ。ファファファ」

「え?ちょ、ちょっとまっ・・・いない」

 

草むらの向こうに消えたと思ったら、本当にいなくなってしまった。

周囲を見渡してもどこにもいない。これがニンジャ。不思議だ。

キョウは何しに来たのだろうか。

対戦相手の確認?にしては何も聴き出そうとしていない。

むしろ自分のことを話してすらいる。喋り方が古めかしい感じはするが、人柄も悪いわけではないように感じた。むしろタケシ以来の常識人寄りではなかろうか。比較する対象がタケシ以外にいないというのがジムリーダーの常識外れな人間性を物語っているが、それにしてもなんの異常性も感じない。本当に『気のいいオジサマ』という感じだ。最も、サトシの事情を知りつつ隠しもせずに近寄ってきた以上、裏のバトルをやることに疑問は無いだろう。ではわざわざ近寄っていた目的は?

 

「・・・本当にただの挨拶?」

 

とりあえずジムにおいで、御茶菓子用意して待ってるよ〜というニュアンスを残して去って行った。

そんなことを言われても今までの経験上、ろくでもないことが起きるだろうということは容易に想像できるが、気になることを言っていた。こうして情報を集めることも、無駄でしかないと。

無駄とはどういうことなのか。調べるまでもなく叩きのめす自信がある?そもそも戦うつもりが無い?どちらにしてもジムリーダーとしてどうなのかと思ってしまう。

とにかく行ってみる、という選択肢をとるべきか否かーーー

 

ピカチュウがデンプシーロールよろしく、ドードーの高速つつく攻撃を左右に躱しているのを横目に、サトシは考え、そしてゆっくりと顔をあげる。

 

「うん、わからない!」

 

ニッコリとそう呟くのだった。

 

とりあえず思考放棄したサトシは、元々の予定通りにふらふらと情報収集することにした。

結局のところ、お誘いされずともジムには行かねばならないのだから、キョウでは無いがきちんと情報収集して行く方がよいだろう。それに、毒に対してどう攻略するか、ということも考えねばならない。毒消しが百個くらい必要になるに違いない。いや、そもそも毒消しで消えるような毒なのだろうか?ドーピングされているわけだし、死ぬまで蝕み続けるとしてもおかしくない。もしかしたらそのまま溶けてしまうのでは・・・

いろいろ考えるうちに身震いしてしまう。今まで通りとはいかなそうだ。毒の攻撃は意地でも全て回避しなければならない。

そうは思うが、それでも念のために毒消しはいくつか購入しておくに限る。サトシは道ゆく人にキョウの事を訊きつつ、再度フレンドリーショップへと赴くのであった。

 

 

ーーー

 

 

「待ち兼ねたぞ、サトシ君」

「ど、どうも」

「ピピカ」

 

夜八時を回った頃、サトシはセキチクジムへと顔を出した。

正直なところ行きたくなかった。待ち構えているところにのこのこ顔を出すというのも釈然としない。しかしサトシにとっては行くしか選択肢が無い。

ああ無常。これが罠だったとしたら目も当てられない。サトシとしては万全の状態でここに来る以外にできる抵抗など存在しなかった。念のためにオーキド博士に連絡して毒ポケモンへの対策を訊いたりもしたが、『毒になったらヤバい』くらいの情報しか手に入っていない。そんなことわかってるよ!としか言えず、オーキド博士もがははと笑っていた。これがサトシの遺言にならないことを祈りたい。

ちなみに言うと、街の人から得た情報もまったくもって裏の世界とは紐づかないものばかりであった。効き込みがいい結果になるとは限らないのはハナダシティでの教訓ではあるが、いかんせん情報が無さすぎる。強いて言うならマサキが言っていたクソ野郎という言葉だが、今のところクソっぽいそぶりは見せていない。

まあ街の人に比べてたらマサキの方が深く接しているだろうから信じるとすればマサキの言葉なのだが、あれだ、マチスに比肩できるほどのクソ野郎なのだろうか。そうだとしたら、今度こそサトシの命は蝋燭の火だろう。クソ野郎レベルが低いことを祈るしか無い。頼む、クソレベル低めであってくれ。

 

「この時間を選んでくるとは、流石サトシ君だ。さあどうぞ」

「・・・オジャマシマス」

 

べ、別に街が広くて気付いたらこの時間だったなんてことは無いから。うん。知ってた。ジムの営業時間が七時で終わるとか知ってたし。

 

キョウに導かれるままにジムの中に入ると、今までのジムとはまた一風変わった見た目だった。

 

「えっと、タタミ?ってうわ、ピカチュウ飛んでる。どうなってんの」

 

ピカチュウが壁の無いところで空中に固定されている。

何かにつかまっている姿勢のまま左右をキョロキョロ見回しているピカチュウが地上二メートルのところにいる。ぶっちゃけキモい。

 

「ファファファ。これはセキチクジム名物、『見えない壁』よ。ジムの中は迷路になっておる。この試練を乗り越えてようやく、拙者への挑戦が可能となるのだ」

「なるほど、面倒臭いですね」

 

思えばクチバジムも仕掛けがあった。とても面倒臭かった。あちらは警戒心が強いとかそういう話だったが、こちらは試練ということらしい。試練・・・通常のポケモンバトルに透明の迷路を突破する試練が必要なのだろうか・・・

そうは思いつつ、昼間にこなくてよかったなあと心から思う。きっと一時間くらい突破できない。

キョロキョロしつつキョウについていくと、壁の前で立ち止まる。

 

「キョウさん?」

「ここだ」

 

キョウが壁をぐい、と押すと扉のように壁が開いた。すごく怪しい。

サトシとピカチュウもそれに続く。最悪ピカチュウに破壊してもらって外に出よう。

そう思ったのも束の間、壁の向こうはすぐに茶室。エリカのところで見たような和風の拵え。違うのは卓が無いことか。というかほとんど何も無い。畳が六枚敷かれているだけの、ただの和室だ。

キョウがどこからか座布団を三枚出して置き、さっさと自分が胡座をかいて座った。

 

三枚なのは・・・ピカチュウの分か。

このジムの中では比較的?大人しくついてきているピカチュウ。とんでもないことをしでかさないかと戦々恐々としていたが、いつも以上に見張っているサトシの怨念が通じたのか、目立った悪行をしようとはしていない。みえない壁に登ったのはノーカウント。

サトシも座布団に胡坐をかく。ピカチュウも続いて座る。なぜか正座だが。

 

「お招きに応じていただき感謝の言葉も無い。といっても、放っといても来たとは思うがーーーまあそれはそれ。まずは茶でも飲みつつ言葉を交わそうではないか。客人」

「茶?ってうわ、お茶がある」

 

気がついたら目の前にお茶が出ている。しかも人数分。

ピカチュウが人間と同じものを口にするというのも知っているのか。

 

「・・・それで、なんの話でしょう」

 

お茶をズズ、と口にしつつサトシは早速話を振る。

ジムリーダーの話は録でも無いことばかりなのだ。いい思い出など皆無に近い。カスミ?あれはノーカン。ノーカンだから。

 

「ファファファ、そう構えることでもない。拙者、もう裏のバトルはしたくないのだ。」

「・・・・・・・え?」

 



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第百六十七話 キョウという男

おひさしぶりです


 

「裏のバトルをしたくない・・・?」

「その通り。拙者にはもはや荷が重い。そもそも、道理にかなってないではないか。」

 

サトシにはキョウという男を測りかねていた。

この男はセキチクシティの人々からは愛されていた。

もちろん、ジムリーダーは街の顔だ。それが愛されているというのはごく自然なことで、なにも違和感を感じることなどない。

だがこう、なんというか、サトシの第六感に響くのだ。ただ漫然とこの男を信用してはならないと。

たった今口を突いて出た『裏のバトルをしたくない』という言葉も信じるに値するかどうか。サトシがこの長い旅の中で身に着けた数少ない技術の一つは『信用しない』というもので、つまりサトシがこの場所でなさねばならないことはまさにそれ一つ。

とはいえここで退室してしまったらジムリーダーを倒してバッジを貰うという目的すら達成できなくなってしまう。

因果応報。とにかく話だけでも聴かねばならない葛藤に苛まれるサトシだった。

 

 

「・・・」

「疑念の顔をしておるな。当然のことよ、ここまで多くの狂人と相対してきたのだ。困惑こそあれど手放しに信じていては、それこそおかしいというもの。だが、敢えて言おう。信じてほしいと。」

「そんなことを言われて、簡単に信じるとでも・・・・?」

 

 

眉間のしわが顔全体に広がったかのように満面の渋い顔をしてサトシが答える。

信じる要素が何一つない立場の人間が『信じてほしい』などと宣う。そんなもの、詐欺師の常套句ではないか。いやまあ、今まで出会ったジムリーダー達は須らく一般人の感覚から大きく外れていらっしゃったので人を騙すとかそういう回りくどいことはあまりしていなかったが。

正々堂々破滅させる方々ばかりであった。褒められることでは一切ないのだが、それでもこだわりというか、自分らなりのポリシーがあるように感じられていた。

 

しかし、目の前の男はどうだろうか。

この男はまだ会って間もない。人を見る目がある人曰く、一度会えば大体その人となりがわかるという。

その能力が今この一瞬だけでも欲しい。喉から手が出る、いや喉からピカがでてもいいくらいほしい。

だがそんなものはサトシにはない。ないのだ。ゆえに、とりあえず話を聞くほか無い。

 

 

「信じられぬのも無理はない。少し話そうではないか。君とて、戦わずに済むのであればそうしたいであろう。」

「まあ・・・それはそうですが・・・」

 

 

そうして、キョウはお茶を一啜りし、目を伏せたまま話し始めた。

 

 

 



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第百六十八話 感情は人を変えるか否か

拙者は忍びの者。

忍びと言っても、サトシ君には聞き覚えの無い単語であろう。

何、今となっては拙者の家でしか継いでおらん忘れられた古の慣習よ。

善に従い、悪を滅す、と言えば聞こえは良いが、実際の所は便利使いされた暗殺者に過ぎん。

だが忍びとは世の中の歯車。

自分の意思を抱くことなどあり得てはならんし、そう教えられて育ったものよ。

 

暗殺、拷問、強奪。今の世であれば到底許されない犯罪の数々を行ったがそれらが世に出ることもまた無い。

それが忍びという者だ。

 

―――だが、拙者はその立場、役回りに満足しておったし、誇りでもあった。

なにせもう自身の家系でしか存続すらしていない役職。

それでも求められる仕事は苛烈を極め、簡単な仕事など一つも無い。

十数人おった拙者の兄妹達も一人、また一人と死んでいった。

 

今となっては笑い話だが、仕事に失敗して死ぬなど未熟者、拙者であればなんの問題も無くやり遂げられたのにと嘲り、見下しておったもの。兄妹を兄妹とも思っていない、到底愛と呼ばれるものなど消え失せてしまった環境であった。

いや、もしかしたら兄妹の内何人かは―――これも栓無き事。もはや語るまいよ。

 

 

暗殺というものはただ殺せばよいというものではない。

忍びは周知されてはならない存在。その存在も、認知こそされど、噂話や伝説のようなものであってまさか自身にその架空の存在が降りかかってこようなど想像されてはいけないものだ。

まっとうに生きているならなおさら、そもそも暗殺者などというものが世の中にまだいるなどと想像だにしないであろう。

闇に生きるものからしたら噂話に留まらない存在であろうがね。ファファファ・・・

 

つまり、忍びはその存在を隠蔽するためにありとあらゆる手段を用いる。

死体の処理、目撃者の排除は当然の事。時には秘密裏に、時には大規模に。

決して時代の表には出ないが、時代と共に生きる。

世の中の影として拙者は生きてきたのだ。

 

 

―――――拙者がなぜ今も捕まらずにここにいるか?

サトシ君、もう一度言うが、『拙者は時代と共に生きている』のだ。

拙者を捕まえようものなら、世の中に広まらずに消え去った物事が山のように出てくる。

それをお国がやらかすハズもあるまい。

それに、今はジムリーダーという立場もある。君もよく知っているだろう?・・・そういうことよ。

 

 

さて、昔話が過ぎてしまったが拙者の生い立ち、忍びと言う存在については多少なりとも理解していただけたと思う。

では本題に入ろう。

拙者がもはや闇のバトルなど懲り懲りだということについてだ。

 

 

拙者の操るポケモンについてはもはや語るまでもないと思うが―――毒を使う。

別に毒を使うことについて忌避感を覚えたわけではない。

直接―――やっておったしな。

裏のバトルで結果的に命を奪うことになったとしても、どうということは無い。

散々人の命を奪ってきたのだ。

ここにきて数人、数十人程度今更であるし、そもそも皆命の覚悟をして裏のバトルに参加しているのだろう?

覚悟のある人間など躊躇う理由など無いし、そういう人間の方が時に意外な底力を見せるものよ。

油断すると食われるのはこちら。

手加減するなど言語道断。窮鼠猫を噛む、というやつだな。実際に手を噛まれたこともあるし、なおさら油断できんバトルよな。

無論、拙者が敗れることもある。

ジムリーダー故命を取られるようなことは無いがね。

 

だがある時、また裏のバトルを行った時のこと。

この時に来たトレーナーはこう、いつもと違う感じがした。

本来裏のトレーナーというのは覚悟あって、絶対の自信があって、ある種人生の落伍者であって、且つ得られる物に大いなる希望を見出している、そのようなものばかり。

金であり、地位であり、過去であり、未来であり。

なればこそ笑い、無残に喚き散らして死んでゆく。

我ココにありとばかりに存在が世界に刻まれずとも、目の前の人間に盛大に刻んでやろうと散っていく。そのような者ばかりのハズだ。

 

 

―――そのトレーナーは、必死であった。

その強さもかなりのもので、ここまでに4つのジムを下してきておった。

君になら理解できるだろう?その困難さを。

 

本来そこまでの強さを持っていれば、自信過剰なまでに挑んでくるものだが、油断など欠片も無い。今にも泣きそうなほどに必死の形相。

親の仇とも思える程に熱意と決意が目に見えるようだった。

実際に仇である可能性も否定できないが、今となってはそれもわからぬ。

ただその確かな実績と、強靭なポケモン達、ジムリーダーに限らず多くの狂人を撃退してきた精神力。

流石に拙者も油断ならぬ相手と見定めバトルに臨んだ。

 

 

 

―――結果は拙者の勝ち。

必死な彼も、毒には敵わなかったということだ。

拙者はいつものように、とくに感慨無く終わりを迎えようとしておった。

ああ、拙者とのバトルにおいては何か賭けてもらうことにしているのだが―――賭けるものは特に指定はしていない。基本は金か命か、という者が多い。というより、それ以外に持ち合わせていないのだろうがね。

無論、見合う物があればそれでも良い。地位でも、宝石でも、人身でも。

 

サトシ君は、今まで運良く負け無しというところか。

それは何よりであったな。

 

しかし、彼は負けた。さらにいうならば、自身の命を賭していた。

負けが決まった時に、拙者は見たのだ。

あれだけ必死に、決死の覚悟で挑んだに見えた彼の姿が、一瞬にして絶望に包まれたのを。

頼りにしていたポケモンも倒れ、縋れる相手は拙者一人。

言うに事欠いて、拙者に言葉を投げかけたのだ。

『助けてくれ』とな。

 

助けてくれ?裏のトレーナーが、救済を求める?

なんとおかしな話ではあるまいか。

だが、尋常では無いのだ。神かマリアか仏かにでも拙者が見えているのかと思えるほどに、地を這い、縋りつく。

自分を追い詰め毒塗れにした相手をだ。

 

『頼む、死にたくない、やめてくれ、助けて』と、涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、拙者の脚を掴む。

 

 

―――なんだこれは

 

 

拙者は思った。

過去の暗殺、拷問にはなかった感覚。

成敗に値する相手であればこそ感情など無かったが、この相手は。

彼は、ただただ必死にここまで、後ろめたいことも無く、登ってきたのではないかと。

 

ふと頭をよぎってしまったのだ。

 

 

『タスケテ、シニタクナイ、ナンデモスル、イノチダケハ』

 

 

考える頭の隅で、彼の言葉が木霊する。

なんだ、これは。

救済を求める言葉など散々聞いてきたではないか。なのに、今のこれはなんだ。

 

 

 

―――結果、拙者は何も奪わず、何も与えず、彼を帰していた。

今までに無かった感覚。感情。

 

これはなんだ。なんなのだ。

 

 

 

三日三晩考えた。

そして、漸く拙者は気づいたのだ。

 

命とは、尊いのだと。

手軽に賭けてよいものではないし、奪ってよいものではないのだと。

奇跡的にこの世の中に生れ落ち、奇跡的に何年も、何十年も生きながらえ、奇跡的に自身と遭遇している。

万に一つとも言えない極小の確率の中に、我々は生きている。

それに気づいてしまったのだ。

 

 

 

―――それから拙者は、命を天秤に賭けるのは最終手段のみとした。

奪いたくは無い、だが、奪わざるを得ない。

 

その葛藤に何年も悩まされてきた。

だがそれも限界。拙者には、今更ながら、人の命を奪う才能が無かったと気づかされてしまった。

所詮は技術と思考の洗脳によって成り立っていたに過ぎぬ。

どうしようもなく、人という生き物はここぞという部分で欠陥があるものよな。

感情などというものがなければ悩むこともなかったものを。

 

 

つまるところ、そういうことだ。

拙者は命を奪いたくはない。さりとて役目は全うせねばなるまい。

故に、サトシ君。そなたと戦う上で、命までは取らぬ。そしてこれは拙者の約定。

そなたは自由に戦うとよい。

 

だがあわよくば、戦わずに決着が付くことを望むが、ジムリーダーとして何もせずにバッジを渡すわけにもいかぬ。

 

そればかりは、許してほしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――これで話は終わりだ。付き合わせて悪かったな、サトシ君。」

「いえ―――」

 

 

 

 

サトシを困惑が包み込む―――



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第百六十九話 暗い部屋

困惑。

 

キョウという男の価値観、生き様。

それは確かに壮絶であり、死者と共にあったのだろう。その感情がいつまでも残っており、現在に至るまでの罪悪感に苛まされるものであったのだろう。

忍びという生き方はそういうものだと。ゆえに、役割は役割として受け入れなければならず、さりとて自身の考え、生き様とその役割は反発する。

それは辛いことだろう。人の死に向き合う生き方であって、死を反発する。

自分は忍び。故に、殺す。

そうであればよいと、そうであらねばならぬと教えられてきた結果がこれ。

酷く歪んだ何かと成り果ててしまったキョウという人間は、しかし今もこうしてここに、サトシの目の前にジムリーダーとして座している。

 

矛盾は無い。もちろん、役目を果たすということに忠実であるということに思えるのだが―――

なにか、なにかが。

引っかかる。

 

こういう時は逃げるに限るのだと数多く経験を積んできたサトシならば選べる道だ。たとえそれが問題の先送りだったとしても、強制的に押し寄せてくる問題よりかははるかにマシ。準備できる問題であれば然るべきである。

 

 

「―――お話、ありがとうございました。一度考えさせてください」

 

「ああ、もちろんだとも。またいつでも来るとよい。―――では外まで送ろう。」

 

 

二人と一匹はキン、と静まり返った道場染みた室内を後にし、小さく軋む床をゆっくりと静かに歩き、無言で薄暗い廊下を進んでゆく。

ギシ、ギシと一歩ずつ。

 

 

「・・・そういえばサトシ君」

 

「――なんでしょう」

 

「お茶は美味しかったかね?」

 

「―――はい、まあ」

 

「そうか。それはよかった。」

 

 

後ろでドタ、と大き目の音がして、自身の足元でもそれよりかは小さい、何かが落ちる音がした。

 

それが自分の膝が崩れ落ちる音だと認識したところでサトシの意識の糸は切れて落ちた。

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

ジャラ、という金属が擦れあう音が耳元でうざったく鳴り、サトシは重い瞼を開き、その音の元を探ろうと頭をあげかけ、どうやらそれが自信の動きと連動して鳴っていることに気づく。

 

「う・・・頭が痛い・・・」

 

頭に靄がかかった感覚。仰向けに転がっていた床は手を置くと数秒で体温を奪っていき、そのざらついた感触から石でできているようだった。

 

それは開きかけの瞼を押し上げるのには十分な感覚で、サトシは漸く自身の置かれている状況を理解すべく、むくりと上半身を起こして痛みの残る頭を振り払い、周囲を見渡し、自分の体の状態を確かめる。

 

薄暗い部屋。5メートル四方程だろうか。天井は見えない。壁の手の届かない高い位置に小さい穴・・・窓だろうか。一つだけのその窓からうっすらと明かりが漏れている。

それ以外に光は無く、うすぼんやりと見えるに過ぎない光量。

壁の一つには扉がついており、格子のついた小さい覗き穴がついている。

 

耳障りだった鎖の音は、自分の首につながれた金属の輪から伸びた鎖から発した音のようだ。

ジャラジャラカチカチと室内に響く音はそれだけで気を滅入らせる。

念のため自分から伸びる鎖を目を凝らしてたどっていくと、期待通りかなんなのか。予想を外れることなく壁に空いた小さな穴から鎖が伸びていた。

言わずもがな、この鎖も輪っかも引きちぎれるとは思えない太さと頑丈さ。

 

まあ、つまりは。

ここまで揃っていたらもう間違えようがない。

自分は、抵抗する間もなく捕まり、閉じ込められて鎖につながれているのだ。

 

 

「・・・泣きわめいたところで、どうしようもないんだろうな」

 

 

ここまで落ち着いているのも気持ちが悪い。

それもこれも過去の薫陶あってのもの。感謝などしたくもないが、泣きわめかないメンタルを会得したと考えれば捨てたものではない。経験値万歳。

 

とはいえ、状況は最悪。原因は十中八九、キョウの仕業。

朧げではあるがお茶がどうのと言っていた記憶を掘り起こす。

さらに言えばほんわかと漂っていたお香の匂いもだろうか?無味無臭の眠り粉でも吸わされたか。

まんまと長話に突き合わされて、効能が現れるまで待たれたわけだ。

あの話も嘘・・・か?

どちらにしろ、なんで閉じ込められているのか理由がわからない・・・

 

 

―――いや、理由なんて知りたくもないが、とにかく出る手段も見つけなければ。

きっと何か出る手段があるハズだ。ピカチュウが落ち着いているわけも無いし、そちらも期待できる。

キョウからの交渉もあるだろう。何を要望してくるかはまったくもってわからないので準備などできないが、気持ちの準備はできる。

 

 

自分の尻が冷たくなってきたので体を起こし、石のベッドで固まった筋肉をもみほぐしながら立ち上がり、改めて周囲を見渡す。

―――見事なまでに何もない。

念のため、オーイ!と大きな声で叫んでみたが、もちろん反応なし。

 

特徴の無い石造りの壁も滅入るが、なによりもこの天井だ。

いや、天井は厳密にいえば見えないのだが、底なしの落とし穴が上から迫ってくるような感覚に陥る。

漏れている光で見える範囲には天井と呼べそうなものはない。壁にとっかかりでもあれば登っていけるかと思ったが、当然そんなものは無し。幸い、首につながれている鎖の行動範囲は狭くない。

身に着けていたものも、来ていた服以外無し。リュックもモンスターボールも全て無し。ついでにポケットにいれてたティッシュもハンカチも無しだ。

 

 

サトシは自分のできることをまずすべし、という考えの元、とにかく周辺の状況を調べては頭に入れ、調べては頭に入れを繰り返す。

 

 

 

 

―――そして、どうしようもないということを理解するまでにそう長い時間を費やすことはなかった。

 

 

 

 

 

時計が無いため正確な時間を把握することはできないが、サトシが気が付いてから2時間程だろうか。

サトシはボーっと壁際に座りつつ、今後の展開を考えていた。

キョウはいつくるのだろう。来て何を訊かれるのだろう。なぜ閉じ込めているのだろう。ポケモン達はどこにいったのだろうか。目的は。

 

ぐるぐるぐるぐると答えのない疑問が頭に浮かんでは消えていく。

とにかく今は、待つしかない。

何も情報が無いのだから、まずはキョウを待たなければ。

 

まだ少し続く頭痛にしかめっ面をしつつ、人間らしく睡眠欲だけは襲ってくる。

 

悩んでいても仕方がないという考えもあり、サトシは薄暗い室内を恨みながら、なるべく冷たい石に触れないように体の位置を調整しつつ眠りについた。

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――

 

 

 

 

サトシがここにきて、四日が経過していた。



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第百七十話 薄暗い部屋の中

一日に一度(時計が無いためおそらくそれくらいだろう)に底なし天井から袋が落ちてくる。

それには植物の葉っぱに包まれた堅い塩のおにぎりが二つと水の竹筒が一つ。

 

竹筒が壊れないところを見ると、天井はそこまで高くないのかもしれない。

人間が最低限生きるために必要なものは塩分と水分。

これは死なない程度に配慮された食料というわけだ。まったくもって、最低な食事だ。

 

ご丁寧に部屋の隅の床に穴が開いている。

ようするに、トイレだろう。こちらは五十センチほどで、底に水が流れている。

臭いが気にならないのはせめてもの救いか。トイレットペーパー替わりには、おにぎりが包まれている葉っぱを使うしかなさそうだ。

 

さらに、これもまたおそらく一日に一度だと思うが、キリキリという音がした。

最初は気のせいか、とも思ったが、三度目の音で漸く気づいた。

―――鎖が、巻き上げられて短くなっている。

壁の小さな穴から伸びる鎖。その壁の中に鎖が吸い込まれていく。

つまりは、サトシの行動範囲が徐々に小さくなっているということ。

最初こそ部屋全体を動き回ることができたが、三日目は反対側の扉に手が届かなくなっている。

十数センチだろうか。いくらかはわからないが、そう遠くないうちに壁に縫い付けられ、首を引きちぎられるようなことになるのだろうか。

そう考えて、ぶんぶんと頭を振って余計な考えを吹き飛ばす。

とにかく、長居していい場所でないという認識が強まった。

 

 

 

とはいえ、この四日間、本当に、見事なまでに、何もなかった。

扉を開けて入ってくる者も無ければ、覗く者すらいない。

こちらから覗いても、その先は小さい照明に照らされた暗い廊下が横に伸びているだけ。その廊下も石造りとなれば気分が落ちるのに一役買っているというものだ。

 

はるか上に開いている窓からも何も無し。今のところ、微かな光を出しているだけの穴だ。何もないよりかは遥かにマシではあるが、それだけだ。

希望の光となればよいのだが、今のところその兆候は無さそうだ。

 

一日二日はサトシもうろうろと回ってみたり、鎖が千切れないか石に叩きつけてみたりしていたが、四日ともなるともはや、立ち上がる気力すら沸かない。

何かに使えるかと落ちてきた食料の入っていた袋やら竹筒やらを端っこに積んでおいてはいる。袋を地面に敷くだけでも十分冷たい石の感覚を抑えることはできたが、この場所から出るアイデアが出るものでもない。

サトシは虚空を眺め、なるべく何も考えずにぼーっと座っている時間が多くなった。

 

 

そんな中でも、サトシの頭から離れないことがある。

常にサトシと共に歩いてきた、助けてもらった存在。

 

 

―――ポケモン達は、大丈夫だろうか。

 

 

その思考だけが、今のサトシを支える一本の糸。

逆を言うならば、サトシの精神状態はほぼ限界にきていた。

 

 

 

 

―――――――――――――――――

 

 

 

 

七日目

 

 

「ハァ・・・!ハァ・・・!」

 

 

突如として襲う不安。

過呼吸となり、声を出しながら大きく息を吐きだす。

首や腕をガリガリと引っ搔きながら、握りこぶしを作り自身の頭を殴りつける。

薄暗く何も変化のない室内をぐるぐると無意味に歩き回り、周囲を挙動不審に、一心不乱に見て回る。

 

 

「ハァ・・・!誰か・・・いないのか・・・!かゆい・・・いたい・・・ハァ・・・!うぅ、ピカチュウ・・・みんな・・・」

 

 

不安、焦燥、自己嫌悪など、あらゆるネガティブな感情が自信に襲い掛かる状態はサトシにとって過去に経験の無いもの。

七日間。音もなく、人もなく、光も僅かな空間に晒され続けてきた。それはじくじくとサトシの精神を崩壊に導く。

耳には常に鎖の擦れる金属音。ジャラ、カチ、ざり、と石と鈍い衝突音を繰り返す、サトシと壁を繋ぐ拘束具。

 

 

もはやキョウの目的を考える余地など無く、頭の中にはどうしようも無い不安だけが大きく残っていた。

一体、いつまで、この地獄が続くのだろうか―――

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――

 

 

 

九日目。

 

サトシは壁に背中を預けて座っていた。

一時間程前に落ちてきた食料にも手を付けていない。

ただ無気力に最初から変わらない冷たい石の床を眺めて、ぼう、と焦点の定まらない目がふらふらとしていた。

 

 

 

 

「頃合いだな」

 

 

 

突如、この九日間に無かった存在が割り込んでくる。

聞いたことのある声。追い求めていた他人。一番憎んでいる相手。

 

頭に刺さる声になんとか意識を向け、顔を上げて声の主を見る。

体を動かし、ガチャリと鎖が地面と衝突する。

 

 

「どう・・し・・」

 

「どうして、か。なるほど、まだ考える頭は残っておるのだな。流石はここまで勝ち上がってきただけのことはある。精神的にも随分頑丈なことよ。本来ならもっと判断能力が落ちるものだがのう。いやはや、サトシ君には驚かせてもらってばかりよな。ファファファ」

 

「・・・」

 

「まあ、拙者もそう悪趣味ではない故、説明して進ぜよう。何、大した理由など無いのだが―――いうなれば、鑑賞よ」

 

そう言って、キョウはまたしてもサトシに自分語りを始める。今度は対等ではなく、扉の外で悪辣に笑いながら鎖につながれたサトシに向かって。

 

 

鑑賞?

鑑賞とは、鑑賞のことで、みたり、きいたり?

 

 

然り。

拙者、人には言えぬ趣味なのだが、思い切ってサトシ君には言ってしまおう。

人間観察というか、飼育日誌というか、朝顔の栽培というか、そういったものに似ているといえば伝わるだろうか。

人間がどういう風に壊れていくかを鑑賞するのが趣味でな。

 

サトシ君は今どんな気持ちかね?辛い?怖い?不安かね?

いやいや、殺すようなことはそうしないとも。

拙者は別に危害を加えたりなどしないとも。そんな悪趣味な奴らと一緒にされては心外だ。

ムチだの爪剥がしだの焼き鏝だの、無粋極まる。

痛みを与えるのなど誰にでもできるし、反応も決まっているではないか。

それはただの自己満足、嗜虐趣味に過ぎん。

だが拙者は違う。あくまで観察よ。

拙者は変化を楽しむのだ。

環境においてどう反応し、どう足掻き、どう絶望し、嘆き、苦しみ、諦め、命を請い、叫び、抗うのか。

それこそ人間の個性であり、美しさではないだろうか。

 

のうサトシ君。

人間は美しい。美しいぞ。生まれて死ぬまで、ここまで変容する生き物など他におらん。

今までどういう風に生きてきたのか。

何を考えて、行動して、怒り、楽しみ、泣き、落ち込み、笑ってきたか。

数年か、数十年か、サトシ君はまだ十数年しか生きていないが、その経験たるや尋常ではあるまい。

この短い間でどれだけの死と生に立ち向かって乗り越えてきたのか想像するに難い。なんともはや、壮絶であろうよ。

拙者はそうであれ、と育てられた故、死に立ち向かったところで大した感情は沸かぬが、君は違う。普通に生き、普通に育ち、普通に夢を持ち、暮らしてきた。

それを一時の判断で、こうも血生臭い世界にぽんと足を踏み入れてしまった状況を飲み込み、諦めることもせず、ここまで進んできた。

どういう気持ちだね?うん?ファファファ・・・

 

そう、その顔よ。

写真にでも納めておきたい、良い表情だ。だがそれも無粋よ。

写真は思い出を作るには良い道具ではあるが、やはり実感と体験が重要。

生で見られるこの時を、写真などで切り取る無粋さよ。今、目の前に、現実に生きておるのにだ。

理解できないという顔かね?疲れ果てた身体でさらに不可思議な人間を認識し難いかね?

それもまた、拙者の望む状態の変化よ。

変化、ああ、なんと美しい。

いつまでつなぎとめておこうか。死ぬまでも一興、あえて自由にするも一興か。

 

君のポケモン達も―――ああ、ポケモン達は無事だとも。拙者が何を言おうと信じないとは思うが、信じるしかあるまい?ファファファ。

 

随分とポケモン達に好かれているようだ。裏とは思えない、素晴らしきトレーナーと見える。

あのピカチュウには手を焼いている。まったく大人しくならないが、それも想定内。ポケモンの生死にはあまり興味が無かったが―――あのピカチュウはなかなかに常識の範疇を逸脱しておるな。鑑賞してみるのも面白いかもしれぬ。

 

 

おっと、話が逸れたな。

拙者はそろそろ、お暇しよう。

また、気が向いたら来るとしよう。

何、そう遠くないうちに会えるとも。ファファファ、君がどうなるか、楽しみだ。

 



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第百七十一話 マサキの訪問

更新遅くて申し訳ない。
のんびりがんばります。


何日目だろう

 

まだ数時間も経ってないような

数十日も経っているような

生きているのか

死んでいるのか

 

「うう、うう」

 

じわじわと短くなる鎖

もう部屋の半分にも満たない鎖が唯一の日々の変化。

手の甲を搔きむしり、傷が瘡蓋をつくり、周囲が赤く内出血をしている。

痛みはとうに忘れ、ただそれでも何かしていないと不安が自身を押しつぶそうとする。

何を見ている?何が見えてる?

ぴちゃぴちゃ水の音

かちゃかちゃ鎖の音

ずりずり自分の音

暗く沈む天井の色を見ながら髪の毛を引っ張り耳を塞ぐ。

耳を塞いで、目を閉じても、音は消えずにキーキーと耳の奥で鳴り響く。

無音という名の騒音が頭を突き刺し、ごわごわと脳の中をかき乱す。

右のこぶしで自身の額をゴツゴツと叩き、その音を少しでも抑えようとする。

なんの意味もない行動とわかりつつも、その痛みで少しだけ孤独が抑えられる気がする。

ぎゅうと押しつぶされそうに胸が痛む。

ケガなどしていないが、なにかが心臓を握りしめて離さないような感覚。

こちらも、強めに叩くことによって少しだけ痛みが緩和される気がする。

暗くジメジメとした室内に胸を叩く音が響く。バンバンという自傷の音が反響し、それがさらにサトシを思考の海へと落とし込んでいく。

 

「ああ、あう」

 

自分が自分でない感覚。意識が自分のものではないのではという疑問。

一体、なぜ。自分は何。なぜここに。苦しい。助けてくれ。

 

ぐるぐる、ぐるぐる

 

時間が敵となる中、サトシは最近の日常には無かった音を聞く。

 

 

コツ、コツ、コツ

 

 

小さく地面を叩く音。誰かが、廊下を歩いている?

ああ、また、あの男がくるのか。だが、それでもいい。今は少しでも変化がほしい。

人間、何も変化が無いという状態が一番精神に異常をきたす。

その音は徐々に大きくなっていき、一番大きくなったところで止まった。

 

ガチャガチャ、きぃ

 

扉の開く音。二度目の音。

その音を発した主を視界の隅に捉える。

起き上がる気力はもはや無いが、それでも生きる意志だけでかろうじて。

 

 

キョウ―――ではない。誰・・・?

 

 

逆光で顔は見えない。

だが、そのシルエット、もじゃもじゃな頭、自信の塊のような出で立ち。

さらには―――

 

 

「よー、こんなとこでなにしとるん、自分。鎖でつながれる趣味なんてあったんか。さぞカスミに喜ばれるやろなあ。おもろくてしゃあないわ。アホ。」

 

 

特徴的な口調。

つい最近会ったばかりのハズなのに、その悪態ももはや救世主の一声のようだ。

 

 

「うああ・・・ああ・・・」

 

「なんや、きっしょくわるい声だすなや、アホ。せやからいうたやないか。あのクソヤロウには気を付けって。どうせあることないこと信じたんやろ、サトシ君お人よしやからな。そんなんやからしょっちゅう騙されるんやで。もちっと世渡りの処世術ってもんを身に着け・・・って泣くなやめんどくさいわ。ああもう、ちゃんとしゃべりや。」

 

「マザギざん・・・助けに・・・」

 

「あ、ちゃうで。助けに来たわけちゃうねん。そもそもわいは中立な立場やからな。正面から拉致されたサトシ君救出しにきたで~~~なんてジムリーダーに言えへんねん。すまんなサトシ君」

 

「え・・・・?それじゃ、、なんで」

 

「んーー、まあ建前は、機材メンテナンス的な感じや。あ、勘違いせんといてな。サトシ君。別にほっとこう思っとるんちゃうで?これでもわい、サトシ君のこと気に入っとるんや。サトシ君がこないなとこで骨になるの眺めてるほど人間やめとらん。せやかて、わいも立場っちゅーもんがある。まあ、そんなんやから」

 

 

天然パーマの髪をわしゃわしゃと居心地悪そうに搔きながら、言葉を探すマサキ。

決断力の高さから考えると相当悩んでいる様子ではあるが、間もなく次の言葉をサトシに向けて放り投げる。

 

 

「あー、わいは直接助けられん。やけど、可能性を残すことはできる。サトシ君、これは君にとってもプラスになるかどうか、わいにはわからん。せやけど、このままやと間違いなくこのまま死んでしまう。どうや、賭けてみるか?それとも、このまま命を放り投げるか?わいはどっちでもええ。目覚めがいいか悪くなるか、その程度の違いや。」

 

 

そんなもの、悩むまでもない。

怖い。死ぬのも、一人なのも、このままなのも嫌だ。

だって、このままだとどうしようもない。死にたいと思った。でも死にたくない。

唯一、信用できたポケモン達とも会えない。

信じることも、今はできない。どれだけ経っても、思いは消えないのに、それでも今は汚い自分が見えて嫌だ。

生きたい。生きるためならなんでもする。

それ以外の事など、些末な問題だ。生きねば。生きねばならない。何に縋り付いてでも。

 

 

「・・・生きたい」

 

「―――わかったわ。でも、期待はせんといてや。やるだけやってみるが、結果どうなるかは、天のみぞ知るってやつやな。ほな・・・せや、これはわいの落としもんや。落としたけど、わいにはどうでもええもんやから、取りに戻るのもめんどうなもんやから好きにしてええで。ほなな。」

 

 

そう言ってマサキはポケットから包み紙をサトシの方へ放り投げ、その足で振り返ることなくドアを開け、がしゃりという鈍い音をさせて、速足でその場所から離れていった。

遠ざかる足の音をぼーっとしながら聞いていたが、ふとサトシの目の前に転がる包み紙が目に入る。

くしゃくしゃになった包み紙をゆっくり開けると、小さい手紙が一枚と、赤い飴玉がはいっていた。

 

 

サトシくん、一言だけいうとくわ。

自分のポケモンを信じることや。

ほなな。

 

 

それだけ書いてあった。

裏も見たが、何もなし。

 

自分のポケモンを信じる・・・?そんなの、当たり前のことじゃないか。

当たり前だ。何度も、何度も助けられてきた。

そんなこと、なぜ今更・・・?

 

一抹の疑念は残るが、今のサトシには何もできることは無い。

精々、何か起きた時のために体力を温存しておくことくらいだ。

それくらいの事が考えられるくらいにはマサキとの会話がサトシのエネルギーとなっていた。

 

一緒に入っていた飴玉を口に入れる。

りんごの味。

ここ最近味わっていなかった甘味。

 

衰えていたいろいろな感覚を目覚めさせる味。

その刺激は見た目以上の差し入れで、サトシの精神をぎりぎりのところで食い止める。

まだだ、まだ、もう少し。

 

希望があれば意思は保てる。

たとえそれがか細い一本の糸だったとしても、サトシにとっては十分な生きる希望だ。

 

なるべく長持ちさせようと口の中で動かさずにじわじわと溶ける飴玉を味わい、時間の経過を少しでも緩和させる。

 

 

 

 

―――――――――――――――――――

 

 

 

 

いつの間にか眠りについたサトシは、聴きなれない音が耳に入ったことで目を覚ます。

ゴンゴンと、何かを叩く音と、ガラガラと崩れる音。

悲鳴のような声も聞こえてくる。

 

目を開き、周囲を見渡す。

この部屋に変化は無い。

だが、この部屋の外では間違いなく何かが起きている。

 

・・・マサキさんが何かしたのか?

 

 

身構え、体を起こす。しばらく体を動かしていなかった所為か、立ち上がると足が数秒ガタガタと震えたが、手で幾度か膝を叩いて落ち着かせる。

数秒、騒音が止まったと思ったら、鉄の扉の中心がベゴンと凹んだ。

 

ビクッとし、扉を見ていると、二度三度と扉を叩く音と一緒に凹む場所が増える。

 

五度目に凹んだ時に、扉はその歪みに耐えられなくなり、壁から蝶番ごと外れ、甲高い音を立ててその思い体を床に叩きつけ、ぐわんぐわんと揺れた後、反響音だけ残して止まる。

扉があった場所には、異形な姿が顔を覗かせて、こちらを見ている。

その姿は見慣れているようで、見慣れていない。

黄色い身体。異常に膨れ上がった体躯。筋骨隆々で二メートルを軽く超える身長。

電気を蓄える頬袋をもったサトシの一番付き合いの長いパートナー。

 

「ピカチュウ・・・?」

 

だが、様子がおかしい。

サトシの知っているピカチュウであれば、もう少し小さい。

そして、能天気な顔でピカ~とでも言いながらのしのしと入ってくるハズだ。

 

目の前のそれは、無表情で、目だけがギラギラと光り、その大きさはゆうに三メートルはあろうかという化け物染みた姿。

尻尾はより長く、その身長よりも大きく鋭さを増し、電気が周囲を纏って小石に当たっては弾いている。

 

「ビ、ガァ」

 

雑音のような声。

聞きなれているはずなのに知らない声。

 

ピカチュウと思しきモノはサトシの方をぐるりと首を回して覗き込み、一歩一歩踏みしめながら近づいてくる。

 

 

・・・これは、ピカチュウなのか?

自分のピカチュウなのか、本当に?

 

考えている間に、ピカチュウの大きな歩幅ですでにサトシの目の前に佇んでいる。

後ろから照らされる光はピカチュウの正面に影を落とし、まるで巨大なゴーストとでも見えて居るかのようだ。

 

「ピ、ピカチュウ・・・?」

 

それは、右の腕を大きく振り上げ、そして正面に振り下ろした。

 




どうしたピカチュウ


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第百七十二話 変貌

目の前の石造りの床が砕かれる。

サトシの目前を通過した巨石の如く握られた右手は躊躇なく石を叩き割り、その右手の持ち主の眼光は鋭くサトシを射抜いていく。

 

その目は、以前のような何を考えているかわからない、きょとんとした目ではなく、もっとどす黒い殺意のようなものが感じらえた。

今までも人間からは殺意を向けられたことが幾度かあるが、自分のポケモンから向けられるなんてことは初めてだ。

 

「う、うわあああああ!」

 

後ろに飛びのき、よろけながら後ずさる。

起き抜けの乾いた喉がひりつき、呼吸が早まる。

短くなった鎖はすでにサトシの行動範囲を大きく狭めており、逃げることすらできない。

 

ピカチュウは振り下ろした右手をゆっくりと引き上げ、一度拳を見た後、再度サトシに目を向け、一歩前進する。

三メートル近い身長は歩幅も大きく、あっという間にサトシの目前に立ちふさがる。

この位置から拳を振り下ろされたら、今度は間違いなくサトシの脳天を叩き割るだろう。

目の前の砕かれた床と同じように、頭蓋が割られてそのまま床の染みに変わってしまうだろう。

 

なんだ、どうすればいい?なにがおきてる・・・?

 

混乱。

 

 

だが、ここでサトシの頭をよぎるものがあった。

 

 

―――自分のポケモンを信じるんやで―――

 

 

マサキからの手紙の一文。

あれば、どういう意味―――

 

黄色い巨体が拳を振り上げる。

 

 

「――――!!!!」

 

 

ガバッ

 

サトシは意を決してピカチュウに―――抱き着いた。

 

 

「ピカチュウ!!ゲホッ、ピ、ピカチュウ!ピカチュウなんだろ!?なにしてんだっゲホゲホッ!ハァハァッ!僕だ!サトシだよ!ピカチュウ!なあ、助けに来てくれたんだろ!?何でっかくなってんだよ!ピカチュウ!おいってば!帰って来いよピカチュウ!ピカチュウーーー!!!」

 

 

巨大な体に少年が抱き着こうとも、その体はびくともしない。

振り上げた拳はそのまま振り下ろされ、サトシと壁を繋いでいた鎖を真っ二つに切り裂き、その衝撃でサトシは一瞬首を絞められ、床に投げ出される。

 

「ぐぅっ」

 

むせながらサトシはピカチュウを見上げる。

恐怖で足も手も震えている。

歯がカチカチと鳴り、今にも逃げ出したいという気持ちが大半を占める。

だが、だが、ポケモンを信じろという言葉がかろうじてサトシをこの場所につなぎ留める。

 

 

「ピカチュウ!!!何してんだよ!おいしいごはんあげないからな!それでもいいのかよ!」

 

「ビ、ガ」

 

「無駄に音立てたり、変な事件に自分から巻き込まれたり、今度は巨大化して暴走かよ!ちょっとはトレーナーの言うこと聞いてくれよピカチュウ!なあ!僕のピカチュウだろ!!ポケモンマスターのパートナーだろ!ねえ!」

 

 

ピカチュウがぐらつく。

そして、頭を抱えてふらふらと二、三歩歩き、そのまま壁に体をぶつけながら扉のあった場所を通り抜け、そのまま奥へと消えていってしまった。

 

 

「ピカチュウ・・・どうしたんだよ・・・」

 

 

呆然と立ち尽くすサトシ。

遠くの方で破壊の音がたまに聞こえてくる。

 

明らかに以前と違うピカチュウ。

それとマサキの言葉。

あれは本当に自分のピカチュウなのか?

 

・・・考えていてもしかたがない。

ある意味では、ピカチュウが道を開いてくれた。偶然にも鎖もちぎってくれた。

サトシをこの部屋につなぎ留めるものはもはや無い。

衰えた体にムチをいれ、よたよたと薄暗い部屋から顔を出す。

左右に伸びる長い通路には誰もいない。

サトシはとりあえずふうと一息つき、遠くで破壊の反響音が響く方へ足を進める。

通路は先が見えないように湾曲した造りになっており、先を気にしながら ゆっくり、且つ急いで進むが、三十メートルも歩くと上に登る階段はすぐに見つかった。

 

所々、壁や地面が陥没していたが、歩くのに支障は無い。

キョウに出くわさないものかと恐る恐る階段を上る。

 

薄暗い部屋とは打って変わって、通路から階段は白い照明に照らされていた。

怪しさはありつつも歩きやすいこの現状に文句はいっていられない。

自身のポケモン達も心配だが、とにかくまずは、外にでなければ。

ここでキョウに会ってしまったら、あっけなくまたあの部屋に連れ戻されてしまうだろう。

ピカチュウがかき乱している今がその最後のチャンス。

 

 

階段をあがりきると、そこは最初にサトシが訪れた和室。

隠し階段、のようなものなのか、壁と同じ見た目の扉が床に転がっていた。

・・・つまりは破壊された跡。

先ほどから遠くで聞こえていた破壊音も今やすぐ近く。

 

誰もいない。

 

キョウはどこにいるんだ?

ここまで誰とも会っていない。

部屋にも破壊の後が残っており、壁紙は破れ、畳は折れ曲がっている。

 

・・・通路は、この部屋に入ったところだけ。

ジムの正面玄関。

 

意を決してサトシは通常ジムとして使われている空間へと進む。

 

そう長くない道を過ぎ、広間を見ると

 

 

 

そこには、地獄のような光景が広がっていた。

 

 

 

 

 



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第百七十三話 地獄

「やあ、サトシ君。これはなかなか、楽しいね。ファファファ。全く、ここまでやらなければならないなんて久しぶりで、どうにもうまくいかない。」

 

一面に広がる光景は、地獄と形容してもあまりあるような光景。

惨憺たる光景を多くみてきたつもりのサトシだったが、人間はここまでのことが平気でできるものかと思うほどであった。

 

「何を・・・どうしたらここまで」

 

胃袋から込み上げる何かを無理やり飲み込み、それでも飲み込みきれなかった言葉だけが口から溢れでる。

ここに来るまでに必死で頭の中がぐちゃぐちゃになっていたが、絶望の中にあると思い込んでいた自分が甘かったと錯覚するほどに、今目の前にあるものは現実離れしている。

自分はまだあの牢獄の中で、鎖に繋がれたまま、項垂れて夢をみているのではないかと思うほどに。

 

いや、これが夢であってくれたならどれだけよかったであろうか。

 

 

「どうしたのかね、サトシ君。よもや、怖気付いたともいうまい。」

 

 

怖気付く、なんて生やさしい言葉では言い表せない。

 

 

「こんな・・・・こんなことが」

 

 

室内の畳の上に大量に横になっている生き物たち。

そのどれもが、生きてはいる。

その生きてはいるという状態が、サトシを絶望の淵へと追いつめる。

生きている。生きていればよいのか?と自問自答を繰り返すが、もちろんその解答は「YES」となるのだが、目の前の惨状をみて、また同様の質問を自分へと繰り返す。

 

 

「何を驚いているのかね?サトシ君がいる世界とは、こういう場所だということを知らなかったわけではないだろう?それとも何か、きれいに整えられた赤絨毯の上を優雅に歩いている世界だとでも、本気で思っているのかね?ファファファ」

 

「キョウ・・・お前のやっていることは、人間の行いじゃない」

 

「人間の所業だよ。これが人間なのだよ。見たまえサトシ君。この見るも無残な姿。素晴らしいとは思わないかね?」

 

「お前は・・・狂ってる」

 

「拙者からしたら、君の方がよっぽど気がふれているよ。命は、尊いものだろう?それを平気で取りこぼす、君たち狂人と拙者を一緒にしてもらっては困るね。命は、弄ぶものであろう。美しく、華麗で、儚く、小さく壊れやすい。なあサトシ君。君も味わっただろう?命の尊さを。危うさを。何をすることも許されず、生かされる経験はどうだった?少々イレギュラーがあったが―――その体験を是非ともご教授願いたい。どういう気持ちだった?救いがくると信じられたかね?それとも虚無感?絶望か?拙者に命を媚びることも考えたかね?」

 

「うるさい・・・!そんなことはきいてない!これは一体なんなんだよ!」

 

 

喉がかさつき、口内が乾燥でところどころへばりつき、唇も水分を求めていながら、それでも精いっぱいの声をあげてサトシが声を荒げる。

サトシは、人はもっと理由があって行動していると思っていた。

人それぞれに正義があって、信じるものがあって、救いがあって、生きているものだと思い込んで、信じ込んでいた。

この狂った裏の世界にも、カスミやエリカのような、歯車がかみ合わなかっただけで本当は良い人で、生きる道を誤らざるをえなかっただけなのだと。

だが、この目の前の男は違う。

この男は、ただただ、正気だ。正気であることを自覚し、その上で、これをしている。

サトシにも自覚はある。もはや通常の世界に戻ろうと思っても、馴染めないのではないかと。自身のいる正常な世界と、裏にいる狂気の世界との近さに気持ち悪さと恐怖を覚えてしまうと。

 

 

「なんなのだ、といわれてもだ。これが、命というものだろう。ごく自然、当たり前、世の中に蠢いているものそのものだよ。」

 

「お前は、なんなんだ」

 

「人間だよ。それを知らないサトシ君でもないだろう?ファファファ」

 

 

サトシとキョウのいるこの和室には、多数の生き物が()()()()()

 

ポケモンたち、だったナニカたち。

いや、きっと今でもポケモンであることに間違いはないのだろう。生きてもいる。生きているだけ。

細かい息遣いも、空気を吸って吐く生命としての行動も、心臓の鼓動で脈拍をうつ血の流れも。すべてある。

ないのは、生命としての尊厳。

 

もともとの姿はどのようなものだったろうか。

紫色に変色した体は水ぶくれのようにところどころがブツブツと泡立っており、割れたところからは血とも膿とも思えるような液体がドロリと流れ出て、その液体が皮膚をなでる度に新しい火傷のような傷を生み出す。

その傷がジクジクと音を立てて、また血の泡を生み出し、割れるを繰り返す。

泡が割れる度に体は一瞬痙攣したように小さく跳ね、また細かく呼吸をするだけになる。

叫んで痛みを伝えたところで、聞く耳を持つものがいないのを悟っているのか、ただ痛みを耐え、少しでも苦しみが退くように最低限の動きをするのみ。

 

 

もともとの姿はどのようなものだったろうか。

体の一部が肥大してパンパンに膨れ上がっている。

破裂寸前とも思われるその部位にくっついているように見えるのが、胴体と思われるものだろうか。

その胴体から伸びる四本の細い足は、痛みで震えながらもその場から逃げ出そうとする無駄な努力を続けていた。逃げ出せたところで、行き場はないことを体は知っているのだろう。この地獄から解放されることはない。

 

 

もともとの姿はどのようなものだったろうか。

胴体が大きく切り裂かれたように鋭利な窪みがあるが、そこから血は流れておらず、どす黒く変色した傷口と呼吸が儘ならない苦しみから解放されたがる生き物の姿。

 

 

キョウの目は狂気に燃えていた。サトシに問われても、自分の行いが当然のことだと信じて疑わない。むしろ、こうした残虐極まりない行為に喜びさえ感じているかのようだった。

 

 

「ふふふ、素晴らしい光景ではないか?命の儚さと脆さを味わえるだろう?」

 

 

キョウはさらに付け加えた。

 

 

「人間は愚かだなサトシ君。命というものの尊さを最も理解している生物であるのに、最も命を粗末に乱雑に扱う種族だ。拙者は人間という、未知の生物に対して愛着を持つし、生物全体の命という不可解なものに酷く執着しているよ。見たまえ、こんな姿でも生きている。命とはなんとも鮮烈で、美しく醜いものだな。」

 

 

サトシは膝から力が抜けそうになった。目の前の惨状に恐怖で言葉を失っていた。しかし、ポケモンたちの苦しみを前にしてなすすべもない無力さに、怒りが込み上げてきた。

 

 

「お前は人間どころか、生き物としておかしい・・・!この非道な行為をやめるんだ!今すぐにでも!」

 

 

キョウは大笑いした。

 

 

「ファファファ・・・ファ!命を粗末にしてきたとは思えない言動だな。どうした、おびえているのか?それとも哀れみか?ならばその目で見守れ!死に至る過程を!」

 

 

キョウの手が躯体の一部に触れると、ポケモンは痙攣を起こした。サトシは叫びそうになったが、声すら出なかった。

キョウの手が触れたポケモンは、痛みに耐えかねたのか、ようやく口を開き絶叫した。しかしその声は、ただの掠れた啼き声にすぎなかった。

 

サトシは目を背けたくなったが、それはできなかった。

キョウに対する怒りと、現状をどうあっても変えることができない自身の無力さに無言の慟哭をすることしか許されていない。

目の前の光景を、自分の無力さの体現とキョウという人間の行動を、見続けることしかできない。

 

 

「見るがいい。これが生命の本当の姿だ。弱く儚く、些細なことで滅びる。本当に勿体ないことだ。だが―――」

 

 

キョウは酷薄な言葉を並べた。

ポケモンの身体は次第に朽ち果てていき、最後に頭部が爆裂した。血しぶきがサトシの顔を濡らした。

 

 

「これもまた一興。ふむ、見事だったろう?生と死の狭間を見た気分はどうだ?これが、失われるということよ。ずっと見せていた、あの命の輝きも、なんと呆気ない。一瞬の最後の煌めきともいえるが、終わってみればただの肉塊よ。命あっての、美しさではないかね。」

 

 

サトシは吐き気を催し、そのまま意識を手繰った。

キョウはそんなサトシを変わらぬ表情で見続け、笑みとも哀れみともとれる目をする。

 

 

「サトシ君も、こちら側だと思っている。だがまだ足りないか。もっと拙者を楽しませてくれる存在と期待しているのだが、これを見せれば変わるかな?」

 

 

キョウはゆっくりと壁に手を這わせ、その先にあるスイッチを押す。

カチリと無機質な音をたてると同時に、さび付いた音を鳴らして漆喰の壁が上に開く。

和風な室内には似つかわしくない機械仕掛けだなとふと思った。

そんなささいな思考も、目に映る光景に悉く吹き飛ばされてしまった。

 

 

「さあ、これでどうかな?サトシ君。ほら、見てみたまえ。」

 

「僕の・・・ポケモン」

 

 

開かれた壁の中にいたのは、昏睡状態のような自身のポケモン達。

まだ毒に侵されている様子はないが、かろうじて呼吸している胴体の上下は見られるが―――

壁の中は分厚いガラスで区切られていて、こちらからは見ることしか適わない。

 

 

「これから何が起こるだろうね、サトシ君の大事な大事なポケモン達。さぞ丁寧に、愛されてきたのだろうな。死闘を繰り広げてきたか?強く抱きしめてやったか?笑顔で食事を共にしたか?過去の仲間との思いとやらを背負っているか?一緒にこれからも戦い抜く決意を抱いたか?温もりを覚えているか?互いに信頼しているか?なあサトシ君。困ったね、君は何もできなくただ自分の狂気に気づくことなく這い蹲って拙者に許しを請うか、否定するかしかできない。さあ、どうする?目の前に広がっているポケモン達は誰がやったのだろうな、なにやらとんでもない毒に侵されているように見えるが、さて、治療法などあるのかね、ここまでひどい状態から復帰できるとは到底思えないが、まあ生きているということはきっとこれからも生きることはできるかもしれないが、地獄の苦しみから解放されるかは、そうだな、毒のみぞ知る、というところか。ちなみにこの部屋はな、拙者の調合した毒を煙にしていれることができるようになっておるのだ。外に漏れないように厳重に、な。拙者のお気に入りよ。ここに転がっているポケモン達は拙者と愚かにも対戦しに来たトレーナー達のポケモン。人間達も同じ目に合わせたのだが、サトシ君と違って生きる渇望が少なかったな。悲しいことよ。さて、サトシ君のポケモン達はまだ眠っているだけよ、心配せずともまだ危害は加えていないとも。大事なサトシ君のお友達にそう簡単に手を付けたりしないさ。」

 

「ぴ、ぴかちゅうは」

 

「うん?」

 

「ピカチュウがいない・・・どこにやった、ここに来たハズだ」

 

「ああ、ピカチュウ。あのドーピングまみれの異常成長体ね。適当に落とし穴に放り込んでやったわ。今頃は暗い部屋の中で騒いでいるのではないかな、ファファファ。」

 

「・・・そんな」

 

 

そう、ガラス部屋の中にピカチュウはいない。

―――そして、ゲンガーも。

 

 

これが望みなのか、ただの思い過ごしなのか、サトシには何もわからない。

 

「さあ、ショータイムというやつだ。サトシ君。楽しんでくれよ。ファファファ。」

 



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