狩人の夜明け (葉影)
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プロローグ

「ひとつ......聞かせてくれないか......」

 

時計塔にて、月の香りの狩人に敗れたマリアはそう言った。

血塗れになって倒れ、呼吸は荒く、意識がぼんやりとする。

月の香りの狩人はマリアの側へゆっくりと歩み寄り、顔を近づけるようにして屈んだ。

睫毛は長く、鋭い目。髪は赤く肩の辺りまで伸びており、身体は全体的に少し細く、腰つきや胸の膨らみは女性のそれであった。顔は鼻の辺りまで服で隠されているため、どのような表情かは窺えない。

 

「私は......また繰り返すのか......この悪夢を......穢れた過去を......」

 

マリアがそう言うと、月の香りの狩人は少しの間目を伏せ、しばらくして静かに答える。

 

「貴女は十分に苦しんだ。もう過去の罪を背負う必要は無い」

 

そう言うと、月の香りの狩人はゆっくりと立ち上がり、マリアの側を離れ、マリアが座っていた椅子に近づく。

血塗れのマリアは動くことも出来ず、ただその背中を見ていることしか出来ない。もう彼女には月の香りの狩人を止める意思も無かった。

 

月の香りの狩人は、マリアの椅子に置いてあった星見盤を持ち、ゆっくりと頭上に掲げた。

すると、時計塔の上部にあるいくつもの鐘が鳴り響き、巨大な時計盤から地響きのような音が聞こえてくる。

月の香りの狩人は、ただ時計盤の向こう側への道が開かれるさまをずっと見続けていた。

先の秘密を見つめるその目は、狩人としての正義を持つ目にも、微かな好奇を持つ目にも見える。

 

 

 

 

マリアの視界がぼやけていく。

 

 

(もう私は死ぬのか......いや、すでに死んでいたのだったな......)

 

 

 

時計の歯車が動きだす。

 

 

(すべて消えてしまうのだろうか.......この穢れた血とともに......)

 

 

 

時計の針が動く音がする。

 

 

身体から滴る血の音も微かに聞こえる。

 

 

(すまない......)

 

 

血の音は、かつて教会の血の聖女だった彼女を思い出させた。

 

 

(私は......最後まで............君を................)

 

 

もう殆ど目は見えない。

 

ほんの少しだけ、月の香りの狩人が自分の方に振り返った気がした。

 

 

「私がこの悪夢を終わらせる」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いつの間にか、もう月の香りの狩人の姿はそこにはなかった。

 

もうあれからどれくらい時間が経ったのかも分からない。

 

そして、長い間開かれることのなかった時計盤の穴を見たのを最後に、マリアはゆっくりと目を閉じた。

 

 

 

 

意識を手放す瞬間、どこからか声が聞こえた気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ああ、狩人様。また繰り返すのですね」

 

 

 

 




Bloodborneの物語、人物の解釈は本当に難しくて、正直自分でもよく分かっていません。
なので、他の人との解釈の違いは当然出てくると思います。
その部分を理解していただいたうえで読んでもらえると嬉しいです。

自分はISが物凄く好きなので、「ISとBloodborneの世界観を混ぜたらどうなるのか」と思い、このような作品を書かせてもらいました。
書いてる反面、「この二つは混ぜるべきではないかも」とも少し思ってしまっています(笑)

ゆっくり更新していく予定です。
よろしくお願いします。


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前編 血
第1話 目覚め


「………う、ん……」

 

気がつくと、マリアはベッドの上にいた。

天井や壁は白く、部屋の棚には薬品と思われるような瓶がたくさんある。

どうやらここはどこかの診療所のようだ。

目覚めたばかりなので、まだ視界がぼんやりとする。なんだか長い夢を見ていた気分だ。

窓の外を見ると、色が映えた青空に所々雲が漂っている。時刻は昼間、といったところか。こうして青空を見るのはひどく久しいことのように感じる。

しかし、改めて部屋を見渡してみると、今までに感じたことのない違和感を感じる。

 

「ここは……いったい……」

 

自分の寝ているベッドの向こう側に、大きな四角の機械の箱のようなものが備え付けられてある。あのような物は見たことがない。その横には、いくつもの小さなスイッチが付いた長方形の物体が置いてある。あれであの機械の箱を操作するのだろうか?

それに、自分の枕元の壁にも機械の板のようなものが備え付けられていた。板の中で文字が流れている。

見たこともない文字だったが、何故か読み取ることはできる。今日の日付、天気、気温などの情報がその板の中で流れていた。

また、部屋の奥を見ると、扉のようなものがあったが、自分の知っている扉とは違う。少なくともドアノブは見当たらない。

この部屋にある物はマリアの知っている物とはずいぶんとかけ離れていた。なんだか、近代的で発展したもののような……。

 

ぼんやりとしていた視界がだんだんとはっきり見えるようになってきた。

ベッドの横の机には、自分の着ていた狩装束が畳まれており、その側には小さな手鏡が置いてあった。

なんとなしにその手鏡を持ってみる。

 

「これは………」

 

自分の着ている服装もあまり見たことのない物だった。生地は布で、色は薄い水色だ。この診療所では患者にこのような服を着せるのだろうか?

 

色々思慮を巡らしていると、部屋の外からカツカツと足音が聞こえた。

足音は部屋の前で止まり、扉からプシュッと空気の抜けるような音がし、扉が開いた。

扉の向こうには、長い黒髪の女性が立っており、マリアを見て部屋に入ってきた。

 

「目が覚めたか?」

 

その女性は黒い服装を着ており、黒のヒールを履いている。ストッキングも履いており、細身の体型のため、全体的にスラッとした印象だ。

髪は肩の辺りで一つに結ってあり、背中の中心辺りまで伸びている。

目は鋭く、マリアのような西洋系の顔とはつくりが違うが、美人の部類に入る人物だろう。

 

「ここは……私の知っている場所とはずいぶん違うように見えるが……」

 

「IS学園の保健室だ。お前は学園の中の森林地で倒れていたんだ。私がたまたま倒れていたお前を発見したから良かったものの、あのままの状態では死んでいたぞ」

 

「IS……学園……?」

 

聞いたこともない単語だ。ここがどこかの学校というのは分かったが、「IS」など初めて聞く。

 

「私は織斑千冬だ。この学園で教師をしている。まぁ、大抵の人間は私の名前をメディアで知っているみたいだが、お前の表情から見るに、どうやら知らないみたいだな」

 

「………」

 

「とりあえずは名前を聞こう。名前は?」

 

「……マリアだ」

 

「そうか。ではマリア、ISは分かるか?」

 

「……いや、初めて聞く言葉だ」

 

「……ふむ。では質問を変えよう。これは私が最も聞きたかったことだが、この学園にどうやって入ってきた?自分がどこから来たか覚えているか?」

 

「私は……」

 

私は何故このような場所にいる?

元々私は……そうだ。

私は悪夢に囚われて、時計塔で死んだはずだ。

月の香りの狩人に敗れたことまでは覚えている。

しかし、気づけば知らない部屋で目が覚めて……。

 

「……全く覚えていない。そもそもこんな学園があることも知らなかったんだ。私も何故自分がここにいるのか分からない」

 

「……記憶喪失、というやつか?」

 

本当は記憶喪失というわけではないが、否定すると話がややこしくなりそうな気がしたため、マリアは他の話をすることにした。

 

「私からも質問がある」

 

「なんだ、マリア」

 

「ここはどこの国で、今は何年だ?」

 

「ここは日本。IS学園は学園自体が一つの島で出来ているんだ。そして今は2020年だ」

 

「2020年だと⁉︎」

 

「ああ、そうだ」

 

信じられない。自分が生きていたのは19世紀だ。それを考えると、私は200年も未来に来たというのか⁉︎

マリアは驚きの表情を隠せない。

 

「信じられない、と言った表情だな。まぁ記憶を失っているのならば無理もない。演技をしているわけでもなさそうだしな。どこかのスパイ、ということはまず無いだろう」

 

「………」

 

なるほど、しかし200年も経っているならば、文明が発達しているのも理解出来る。この部屋に知らない物がたくさんあっても当然だろう。それに、日本という国も何かの文献で読んだことがある。まさか異国で目覚めるとは……。

今自分が直面している事実に驚きつつも、マリアは冷静に考えていた。

 

「もう身体は動かせるか?」

 

そう言われて、マリアは自分の身体を動かしてみる。

 

「ああ、大丈夫だ。痛みもない」

 

「そうか……。ならここを出ても大丈夫だろう。しかし、帰る宛てはあるか?」

 

「………」

 

「ふっ、冗談だ。酷い質問をして悪かった。今日はひとまず私の家に来い。生意気な弟がいるが、料理はそこらの店より美味い。食事面は安心するんだな」

 

「………ありがとう、千冬」

 

「構わんさ。ああ、そうだ。行く前に一つ」

 

「……?」

 

「お前が倒れていた所に、これが置いてあったんだが、お前の物か?」

 

そう言って千冬が見せたものは、かつてマリアが使っていた狩武器で、長い刀身を持つ『落葉』だった。

 

「これは……確かに私の物だ」

 

「剣でも学んでいたのか?珍しい形の刀だが……。まぁなんにせよ、人前では出さない方が身の為だ。この国では持ち歩くだけで罰せられるからな」

 

「すまない、ありがとう」

 

「気にするな。さぁ、行こうか。あぁそうだ、買い物に付き合ってもらうぞ。弟から食材の買い出しを頼まれているからな。それと、服はこれを着るといい。一般的な女性服だ。サイズは大丈夫だろう」

 

千冬はそう言うと、マリアに白のシャツと黒のジャケット、そして深緑色のパンツを渡した。

千冬はマリアに背を向け、扉を開けた。

 

「私は外で待っている。準備が出来たら行くぞ」

 

そう言って、千冬は扉を閉めた。

マリアは千冬の渡してくれた服装に着替えつつも、自分がここに来たことには何か意味があるのだろうかと考え続けた。



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第2話 反応

「すまない、待たせたな」

 

千冬の渡してくれた服装に着替えたマリアは、保健室を出て外で待っていた千冬に声をかけ、2人は廊下を歩き出した。

 

「似合ってるじゃないか。サイズも問題ないみたいだな。山田先生に任せて正解だった」

 

「山田先生?」

 

「私の同僚だ。マリアを保健室へ運ぶのを手伝ってもらったんだ」

 

「その人にも礼を言いたい」

 

「私から伝えておくよ」

 

「そうか……すまない。ところで、今の女性服はこのようなスタイルが主流なのか?」

 

自分とは違う時代の人間が着る服装に興味を持つマリアは、早速千冬に尋ねてみた。

 

「さぁな。服の組み合わせは他にももっとあるだろう。ただ私はファッションには疎くてな。その山田先生に頼んだというわけだ」

 

「千冬の着ているその黒い服は?」

 

「これはスーツだ。日本の職場ではフォーマルな服装だ」

 

ちなみに、マリアの狩装束も山田先生が綺麗にしてくれたらしく、今はマリアの持つ紙袋に入っている。

 

他愛もない会話をしていた2人は、しばらくした後、建物の外に出た。

千冬によると、今自分たちがいた建物は学園の1年生の校舎で、保健室の他にも、学園生たちが勉強する教室や、1年生を担当する教師たちの職員室などがあるらしい。

この学園は1年生から3年生までの学園生らがおり、日本に留まらず、海外からの生徒も大半を占めているらしい。

そして何より、敷地の広さにマリアは圧倒された。真っ白で現代的な校舎やガラス張りの建物などがたくさんあり、広場には噴水や緑の木々など、まるで一つの街と言ってもおかしくない規模だ。島全体が学園だという事実も頷ける。

 

しばらくの間、学園の光景に圧倒されていたマリアは、遠くの方で何か大きな物体が飛んでいることに気づく。

目を凝らして見てみると、人が何かの機体に乗って空を羽ばたいていた。

 

「千冬……まさか、あれがISか?」

 

「そうだ。IS搭乗者をしっかりと教育するのが、ここでの私たちの仕事だ。整備科のコースもあるから、全ての学園生がIS搭乗者、というわけではないがな」

 

マリアの生きていた時代では、人間が空を自由に舞うなど夢のまた夢。

時代を経て人間がこんなにも進化した物を創り上げたことに、素直に感動していたマリアだった。

 

「本当に……凄いな……」

 

「ISが作られたことによって、ここ10年で社会は大きく変わったな。ISは女性にしか起動出来ないんだ……本来はな」

 

「本来は?」

 

「まぁ色々あるんだ。気にすることはない」

 

千冬の言ったことが少し気になったマリアだったが、再びISに視線を戻した。

マリアのISに対する好奇心は非常に大きく、もっと長く見ていたいと彼女は感じていた。

 

「近くで見たいか?」

 

「いいのか?」

 

「そんな好奇に輝いた目でISを見てれば、すぐに分かるさ」

 

自分の感情が顔に出てしまっていたことを、マリアは少し恥ずかしく思い、顔を赤らめた。

だが、あの空を舞う機体を間近に見れるのは、マリアにとって嬉しいことに違いなかった。

千冬によると、ISはアリーナで練習を行っているらしい。

2人はそのままアリーナの方へと足を運んだ。

 

 

 

〜〜〜

 

 

 

先ほどの校舎から5分程度歩き、2人はアリーナに着いた。

アリーナは学園に複数あるらしく、2人が今いるアリーナもその内の一つなんだそうだ。

アリーナはISの練習や、学年内の公式試合などに使用される施設らしい。

学園に配備されているISの数にも限りがあるらしく、アリーナでの練習の予約を取るのがなかなか難しいのが学園生の悩みだと千冬は話してくれた。

そんな会話をしながらアリーナの観覧席でISを見ていた2人に、一機のISがこちらに近づいてくる。

そのISは2人の前で、緩やかに停止した。

 

「やぁ、山田先生。ISの点検は順調か?」

 

「織斑先生!いらっしゃったんですね。もうじき終わる予定ですよ」

 

ISに乗った女性は山田先生というらしい。緑色の髪で、眼鏡を掛けており、少し垂れ目で、おっとりとした雰囲気を漂わせている。

山田先生は千冬と話しながら、マリアのことが気になるのか、チラチラと視線をマリアに向けていた。

 

「織斑先生、この方が……」

 

「あぁ、そうだ。名前はマリア、というらしい。学園で倒れていたことは本人も身に覚えが無いらしくてな。とりあえずは今日、私の家で世話をすることにしたんだ」

 

「そうだったんですね……」

 

「山田先生、といったか。千冬と一緒に私を介抱してくれて、本当にありがとう」

 

「いえいえ!いいんですよ、マリアさん。あなたが無事で本当に安心しました。私は山田真耶。ここIS学園の教師です。織斑先生は私の先輩に当たる人なんです」

 

「そうか。私が着ていた服も、貴女が綺麗にしてくれたと聞いた」

 

「そんな、お礼を言われることでもないですよ。女性にとって服は大切な物ですからね」

 

「本当にありがとう、真耶」

 

「え、あ………あぅ」

 

真耶は人から自分のことを名前で呼ばれたことが滅多にない人物で、マリアに突然名前呼びをされたため、照れて恥ずかしくなった。

 

「コホン……山田先生、何を照れているんですか……」

 

若干呆れ顔で言う千冬。

 

「え、あああ、すみません!ところで、お2人はどうしてここに?」

 

「あぁ、マリアはISのことを知らなくてな。記憶喪失も考えられるが……。初めて見たというから、連れて来てやったんだ。見せてやるくらい、大丈夫だろう」

 

「そうだったんですね」

 

「そうだ、マリア。せっかくだ。ISのピットに連れて行ってやろう」

 

「ピット?」

 

「ISが離着陸するためのゲート、みたいな場所だ。ほら、そことあそこと……全部で4つある」

 

「あれか。入って大丈夫なのか?」

 

「私がいるから大丈夫だ。山田先生、もうISの点検は終わりそうなのだろう?後は他の先生たちに任せるといい。山田先生もピットに来てくれ」

 

「はい、分かりました!」

 

そういうと真耶は、ISに乗って点検している他の教師たちに礼を言ってから、ピットに向かった。

 

「では、ピットに行くか」

 

 

 

〜〜〜

 

 

 

千冬とマリアがピットに入ると、真耶は既にISから降りた状態で待っていた。

 

「山田先生、学園のISになにか不調はあったか?」

 

「いいえ、生徒の皆さんが安全に使用してくれたおかげで、損傷なども大したものはありませんでした。これで安心して新学期を迎えられますね、織斑先生」

 

「そうだな」

 

「マリアさん。これは『打鉄』といって、刀を主な武器としたISなんですよ」

 

「そうなのか……やはり空を飛ぶだけあって、しっかりとした装甲をしているんだな」

 

「ISは元々、宇宙空間での使用を目的として開発されたマルチフォーム・スーツでな。搭乗者の身体を守るために、防御機能には特に力を入れているんだ」

 

「……宇宙か」

 

『宇宙』という言葉を聞いて、打鉄を見ながら思いつめた顔をするマリア。

打鉄はISが歩んできた歴史を3人に漂わせるように、ただひっそりとそこに鎮座している。

マリアは打鉄に見つめられているような気がして、後ろめたさを隠すように打鉄から少し目を逸らした。

 

「マリア、どうかしたか?」

 

千冬に言われ、我にかえるマリア。

 

「いや、なんでもない」

 

マリアは顔を上げ、打鉄と向かい合う。

ただ沈黙を守り続ける、一つのIS。

ISと向かい合い、そこから目を離せないマリア。

自分の過去に起きた後ろめたさをISから責められているように感じるのに、マリアはどんどんISに惹かれていく。

マリアは本能で感じた。

 

───ISに関われば、自分の運命が大きく変わる───

 

理性では「触れてはいけない」と分かっているのに、頭のどこかでそれが自分の運命だとマリアに囁いていた。

ISに一歩ずつ近づくマリア。

まるで誰かに操られるように、マリアはISに手を伸ばす。

そしてISに手が触れた瞬間、マリアの身体を眩しい光が覆った。

その光からは、とても強い風が吹き出す。

 

「な、なんだこれは⁉︎」

 

突然のことに戸惑う千冬と真耶。

長年、ISに触れてきた千冬にはすぐに分かった。

普通の搭乗者とは違う。

マリアが纏う光からは、普通の人間からは出ないような力が溢れ出していた。

 

 

 

眩しい光と強力な風から、腕で顔を隠すようにする千冬と真耶。

光と風が収まり、2人が目を開けると、本来の形から変形したISを身に纏ったマリアがそこにいた。




文書を書くのは難しいですね。
本を書く人は本当に凄いと改めて感じます。


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第3話 損傷

千冬と真耶は、今までに見たことがない現象を目の当たりにしていた。

 

「これは……いったい……」

 

「お、織斑先生……ISが……」

 

真耶は予想だにしなかったISの変わり果てた姿に少し怯えたような表情を浮かべていた。

 

(どういうことだ……?マリアは女性だから、ISを作動したのは理解できる。それはいい。しかし、あの形は何だ⁉︎打鉄の、いや全ISの姿とはまるで逸脱しているではないか‼︎)

 

マリアが身に纏っているISは驚くほど形が禍々しく歪んでおり、腕や肩の装甲の半分以上は剥がれ落ち、マリアの身体の一部が見えてしまっている。脚の部分の装甲も、所々が赤黒く変色しており、形が不規則に棘のように鋭くなってしまい、非常に危険だ。背中に備わっている飛行用の翼であるカスタム・ウィングも、内部の機器回路などがほとんど見えてしまい、もはや飛ぶことすら不可能に思われる。

千冬は警戒心を保ちつつ、しかし前代未聞の出来事にどう対処すればよいか分からなかった。

一方でマリアは、自分がISを身に纏ってしまったことに対し、極めて冷静でいた。

 

(これが……ISなのか?私が想像していた搭乗のあり方とはかなりズレているが……。)

 

マリアは周囲を見渡してみる。何故だか、自分の見ている光景にノイズのような、故障寸前のような砂嵐が走っている。

 

(もしや、壊れているのか?いや、私が触れる前は不調など無いように見えたが……。しかし、視界だけでなく耳にもノイズが走っている……。それに何だか気分が悪い。吐き気もする)

 

ISについて何も知らないマリアであるが、一つだけ分かったことがあった。

 

私はこのISに拒絶されている。

 

ノイズは更に増え、気分の悪さも増してきた。

 

「マリア、どうした⁉︎顔色が良くないぞ」

 

「マリアさん、もしかして気分が悪いですか⁉︎それなら、今すぐISから降りてください!『降りる』と頭の中で念じれば、自然に解除出来ますから!」

 

「うっ……分かった」

 

マリアは頭の中で念じ、ISを解除した。ISは変わらず歪んだ形のままである。

 

「マリア……聞くが、このISに何かしたか?」

 

マリアの様子から見るに、答えは違うと分かりきってるが、それでも千冬はマリアにそう尋ねてみる。

その顔には少なからず疑いの表情を浮かべていた。

 

「いや、私はただ触れただけだ。それ以外のことは何もしていない……」

 

「そうか……」

 

千冬にも人を見る目はある。マリアの表情を見れば、嘘をついていないことなど直ぐに分かった。

 

では、一体なぜ?

 

考えても答えは出ないので、千冬は先ず、何もかもが歪んでしまったISを見ることにした。

 

「山田先生、このISを一先ず検査しよう。そしてマリア、すまないがお前も検査を受けてもらう」

 

「分かりました。ではマリアさん、こちらへ」

 

「……分かった」

 

そう言って真耶はマリアをIS搭乗者専用の診断室に連れて行った。

千冬は2人を見送った後、しばらくの間変わり果てたISを見つめていた。

 

 

 

〜〜〜

 

 

 

「織斑先生、結果が出ました」

 

3人はIS搭乗者の診断室におり、マリアは千冬と真耶とガラスを隔てた検査室にて検査を受けていた。

マリアの横では先ほどのISが検査を受けていた。

白く太い機械のリングが、マリアとISの全身を上から下まで何度も往復をしている。

真耶は目の前のディスプレイを操作する手を止めた。

千冬は少し不安の表情を浮かべ、真耶の言葉を待った。

 

「打鉄のダメージレベルがE、そしてマリアさん自身のIS適性レベルは………Sです」

 

「なんだと⁉︎」

 

ISには損傷の程度を表すダメージレベルという基準値が備われており、レベルEは高度な修理技術を有する者でなければ修復はほぼ不可能とされている深刻さである。

そしてIS適性とは、操縦者がISを上手く操縦するための必要な素質であるが、一般的な操縦者のランクはC〜Aに多く分布している。

 

(ダメージレベルE……そしてIS適性がS……。適性レベルでSを出しているのはブリュンヒルデの私や他のヴァルキリーくらいしかいない……。適性レベルがSにも関わらず、ISに触れただけで破損してしまうとは一体どういうことだ……全てが理解不能だ……)

 

千冬は眉間にしわを寄せ、考え続ける。

マリアはガラスの向こう側で、深刻な顔をしている千冬と真耶を見つめ、どうすれば良いのか分からず、じっと沈黙を保っている。

 

 

 

 

 

「そういえば……」

 

「なんだ?山田先生」

 

「以前耳にしたことがあります。織斑先生も少し聞いたことありませんか?新しく入学してくるイギリス代表候補生の彼女、……」

 

「……あの話か。まさかとは思っていたが……」

 

「はい。イギリス代表候補生の彼女もマリアさんと同じく、初めてISに触れたとき、ISが変形してしまったようです。マリアさんほどの深刻なレベルにまで変形や損傷はしなかったみたいですが……」

 

千冬はマリアと、真耶の前にある投影されたディスプレイを交互に見つめる。

 

「そのイギリス代表候補生の専用機を製造した研究所に聞けば、何か分かるかもしれんな……」

 

「はい、その可能性は高いと思います」

 

千冬はしばらく考え込んだ後、何かを決心したように顔を上げる。

 

「山田先生、マリアを学園に迎えてみないか?」

 

「え⁉︎」

 

「確かに謎は多い。ISに触れたこともない人間がこのランクを出したんだ。だが、私たちに自身の素性について何か嘘をついている様子でもない。あれは本当に何も知らない表情だ。マリア自身も帰る宛が無いと言っている。このままあいつを放っておいて、ISを配備している反社会的勢力団体などに目をつけられるより、私たちがISについて一から教育し、それと並行してマリアの謎を解いていき、帰る場所を見つけてやる方が余程良いとは思わないか?」

 

正直、千冬自身もこのようなことは初めてのため、適切な対処が思いつかなかったが、現時点ではこれが最善の解決策のように思えた。

真耶は少し考え、千冬の目を見て言う。

 

「分かりました、織斑先生。私もそれが今の一番の方法だと思います」

 

「よし、では決まりだな。後はマリアの意思だが……」

 

そう言って、千冬は検査室にいるマリアを見る。

マリアも、千冬が何か決心したように見えたので、真剣な顔で目を合わせる。

 

「マリア、IS学園に来ないか?」

 

「学園に?」

 

「ああ。どのみち、これから何をするかも決まっていないのだろう?ISについて私たちと一緒に勉強してみないか?」

 

「………」

 

マリアは考え込む。

確かにこれから何処へ行くのかも宛は無い。

それに、自分がここで目覚め、ISに触れたことにも、何か意味があるのかもしれない。

ISについても深く知れる機会になる。

 

マリアは千冬と真耶に目を向けた。

 

 

 

「分かった。学園に入ろう」

 

 

 

しばらくここで過ごすのも悪くはないかもしれない。

マリアはこれから自分がどうなっていくのか、しばしの間思いを馳せた。

 

 

 




さっき親知らず抜いてもらいました。
痛い………。


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第4話 家族

今回から形式を変えようと思います。
前書きは僕のつぶやきであったり更新に関する事などを書いて、あとがきは小説の内容に関する事を書いていきたいと思います。
よろしくお願いします。


入学することが決まった後、マリアはいくつかの書類を書かされた。とは言っても、入学するための誓約書に署名をする程度の簡単なものだった。

学園生になるということで、新学期からマリアにも学生寮の部屋が与えられるらしい。真耶はマリアと千冬の横で、また部屋割りを考えないといけないんですね……と頭を抱えて嘆いていた。

 

そしてマリアにも専用機が作られることになった。

千冬がイギリス代表候補生の専用機を製造した研究所に電話をして話を聞いてみると、是非ともマリアの専用機を作りたいと言われた。その研究員曰く、ISに触れることによる損傷については彼らにとっても謎が多く、まだ候補生のデータしか記録が無いので、マリア自身のデータも取りたいとのことだった。

千冬がマリアにその旨を伝えると、マリアはすんなりと了承した。

後日、研究員が学園に来日して、マリアの身体データや、マリアが希望する専用機のスペックなどを伺うらしい。

 

 

そんなこんなでマリアのこれからの予定が決まり、今は学園を出て千冬と帰路についているところだ。

2人は今、学園から市街地へ繋がるモノレールに乗っている。

マリアの生きていた時代は主に馬車や蒸気機関車が使われていた頃で、鉄道の存在自体は知っていたが、モノレールは煙などを排出せず電気を動力とし、非常に静かに走るので、それを初めて目の当たりにしたマリアは再び驚いていた。

 

市街地へ続くモノレールは海の上を走り、空は夕焼け色に染まっている。

2人は向かい合って座り、車窓から見える景色を静かに眺めていた。

 

しばらく眺めていると、千冬が口を開く。

 

「今日は色々あったな」

 

2人にとって、今日起きた出来事は予期しないことばかりであったので、お互いに少し疲労の表情を浮かべていた。マリアも、ああと頷いた。

 

またしばらく沈黙が続き、今度はマリアが口を開いた。

 

「千冬の弟はどんな人なんだ?」

 

「弟か?そうだな……一言で言えば、唐変木だ」

 

「はは、ひどい姉だな」

 

マリアは千冬のバッサリとした冷たい紹介の仕方につい笑みをこぼす。

 

「料理、掃除、洗濯……家事全般はなんでも器用にこなす。マッサージだって出来る。だが女心には丸っきり鈍くてな。それも笑えないレベルだ」

 

「そこまでなのか」

 

「ああ」

 

千冬は話しながら呆れ顔をしていた。マリアもその顔を見て微笑む。

 

 

少し間を置いて、千冬は海を眺めて小さく呟いた。

 

 

「………だが、一度覚悟を決めたことは最後までやる男だ」

 

 

聞こえるか聞こえないか曖昧な声だったが、マリアにはしっかりと届いていた。

 

 

「……仲が良いんだな」

 

「そう思うか?」

 

「そのくらい、見れば分かるよ」

 

「……そうか……」

 

 

千冬と話しながら、マリアは過去のことを思い出していた。

 

自分には家族の記憶が無い。

 

棄てられたのか、勝手にどこかに行ったのか、それとも殺されたのか……それすらも分からない。

もしかすると、本当は家族など最初からいなかったのかもしれない。

 

家族のことなど考えたことはほとんど無かったので、悲しさを感じることも今まで無かったのだが、家族のことを話す千冬のどこか優しげな表情を見ると、ほんの少しだけ彼女のことが羨ましくなった。

 

 

 

マリアは窓の外の夕陽を見て、小さく呟く。

 

 

「……綺麗だな………」

 

「……ああ」

 

 

自分の記憶にある光景はいつも夜だった。

あんなに綺麗な夕陽は長い間見ていない。

 

2人は少し赤味がかったオレンジ色の夕焼けに染まった水平線に目を奪われていた。

駅を降りるまで、彼女たちがそれ以上話すことはなかった。

 

 

 

 

〜〜〜

 

 

 

 

「ここが家だ」

 

辺りはすでに暗くなっており、うっすらと三日月が顔を出している。

千冬とマリアはそれぞれ食材の入ったレジ袋を持ち、やっと織斑家に着いたところだ。

 

 

先程、千冬と初めてスーパーに行ったマリアは、食材の豊富さと、それらを揃える環境の良さにまたまた驚いていた。

マリアは、美味しそうなお菓子や食材を見つけては千冬に「あれは買わなくていいのか」と尋ね、その度に千冬は「必要ない。次から自分で買うことだな」とマリアに言い放った。

しかし千冬はマリアに厳しく言いつつも、マリアの欲しがっていたチョコレートのお菓子を一つだけ密かに買い物かごに入れてやったので、それに気づいたマリアは何だか自分がわがままな子どものような気がして顔を赤らめ、恥ずかしいのか小さな声で千冬にありがとう、と伝えた。

 

 

千冬は家の玄関を開け、マリアに入るよう促した。

マリアはありがとうと言い、家の中に入る。

奥の方から「おかえり」と声がした。

その声の主は奥の扉から顔を出し、2人の元へと駆け寄った。

 

「千冬姉、おかえり。食材買ってきてくれた?」

 

「ああ、これで良いのだろう?」

 

「サンキュー、助かるよ。んで千冬姉、この人は……」

 

そう言うと彼はマリアへと視線を向ける。

 

「ああ、彼女はお前と同じで春からIS学園に入る者でな。諸事情で泊まる家が無く、入学までここに居させてやろうと思うんだが、構わないか?」

 

「俺は大丈夫だぜ。はじめまして、えーっと……」

 

「私の名前はマリアだ。マリアと呼んでくれればいい。そしてしばらくの間世話になる。本当にありがとう、千冬、そして……」

 

「ああ、俺の名前は一夏。一夏と呼んでくれ」

 

「そうか、一夏。本当にありがとう」

 

マリアは千冬と一夏に頭を下げる。

そしてその後、一つ気になることを聞いてみた。

 

「さっき、一夏もIS学園に入学するようなことを言っていたが……」

 

そう言うと、千冬が少し困惑したような表情を浮かべた。

 

「ああ。実は最近、一夏がひょんなことでISを起動してしまってな。ISは本来女性にしか扱えない筈なんだが、世界初の男性IS操縦者となってしまい、学園に入学することになってしまったというわけだ」

 

なるほど、千冬が学園で「ISは本来は女性にしか起動出来ない」と言っていたのはこのことだったのか、とマリアは納得する。

一夏は千冬とマリアから食材の袋を受け取り、2人にリビングへ入るよう促す。

 

「料理、今から作るから。2人とも上がってくれ」

 

 

 

〜〜〜

 

 

 

早速調理に取り掛かろうとした一夏に、マリアが少しでも手助けをしたいと一夏にお願いした。

千冬はちょうどシャワーを浴びていた。

 

「うーん、でも今日の料理は簡単だから、手伝ってもらうことはそんなに無いぜ?」

 

「これからしばらく世話になるんだ。一つでも手助けをさせてほしい」

 

「そっか。じゃあ、今から俺がこの白菜をどんどん切るから、この白菜をさっき買ってくれた豚肉で包んで、この鍋に敷き詰めてくれ」

 

「それだけでいいのか?」

 

「ああ。出来そうか?」

 

「任せてくれ」

 

2人が会話を終えると、一夏は手際良く白菜を適当なサイズに切っていく。

マリアは切り分けられた3〜4枚の白菜を薄い豚肉でしっかりと包み、鍋にどんどん敷き詰めていく。

料理など全くしたことがないマリアにとっては新鮮な感覚で、鍋が白菜と豚肉で覆われていくごとに楽しみを感じた。

一夏が最後に切り分けた白菜を豚肉で包んで鍋に入れると、ちょうど鍋が満杯になった。

 

「よし、後はここに出汁の素をかけて……水を鍋に少しだけ入れる、と……」

 

一夏は鍋に少量の水を入れた。

 

「一夏、もっと水を入れなくてもいいのか?」

 

「白菜から水が出てくるからな。少ないくらいがちょうど良いんだよ」

 

「なるほど」

 

そして一夏は冷蔵庫の中から、あらかじめ細かく短冊切りにされた生姜を取り出した。

 

「生姜を鍋に入れて、と……。よし、完成だ!後はじっくりと火にかける」

 

「ずいぶんと分かりやすいレシピだったな」

 

「手間はかかってないけど、味は保証するぜ。手伝ってくれてありがとうな」

 

「なんてことないさ」

 

2人はしばらく談笑しながら、料理が出来上がるのを待った。

 

 

 

〜〜〜

 

 

 

「よし、そろそろ良いかな」

 

一夏がコンロの火を止めたところで、千冬が顔を出す。

 

「ほう、今日は鍋か」

 

「あ、千冬姉。シャワー終わったんだな。ちょうど今出来たんだよ」

 

「そうか、なら頂くとしよう。マリア、ここの椅子に座るといい」

 

「ありがとう、千冬」

 

椅子に座った千冬とマリアの前に、一夏が台所から大きな鍋を持ってテーブルに置く。

 

「ほい、今日は豚肉と白菜を使ったミルフィーユ鍋だ!マリアが鍋に敷き詰めてくれたんだぜ」

 

「そうなのか。上手く出来てるじゃないか、マリア」

 

「大したことじゃないさ。形が崩れなくて良かった」

 

「冷めないうちに食べようぜ」

 

千冬と一夏は手を合わせていただきます、と一言言った。

マリアは、これがここでの食べるときの所作か、と思い同じように手を合わせた。

3人は鍋から自分たちの皿に具材をよそった。

マリアにとって箸を使うのは初めてだったが、意外とあっさり使うことが出来た。

案外自分は手先が器用なのかもしれない、と独りでに思う。

 

3人はそれぞれ具材を口に運ぶ。

 

「一夏!この料理、とても美味しいぞ」

 

「ありがとう、マリア。この料理を食べるのは初めてか?」

 

「ああ」

 

「生姜がまた良い役割をしているな」

 

「千冬姉、生姜好きだろ?ちょっと多めに入れといたんだぜ」

 

「ふっ、そうか」

 

 

 

 

マリアは千冬と一夏と共に料理を食べながら思う。

こうして誰かと同じ物を食べ、同じ空間を共有し、同じ感動を得るのは、人間にとって大切なことの一つなのかもしれない。

自分はこの感覚を長い間忘れていた。

当たり前のようで、しかし貴重な時間。

家族と共に同じ物を共有し、互いに会話をして、日々を過ごしていく織斑家の姿に、マリアは微笑ましい気持ちになる。

マリアは呟くように口を開いた。

 

 

 

 

「暖かくて……良いものだな…………」

 

「ん?そりゃ鍋は温かいのが一番だろ」

 

「ふふ、そうだな………」

 

 

 

 

美味しい料理は食べる人同士を繋ぎ合わせる。

同じ団欒とした空間を共有する暖かい3人の姿が、そこにあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それから時は経ち、数週間後。

桜の花が開花し、春の景色に彩りが増える時期になった。

今日からIS学園に入学するマリアは、これから過ごす学園生活に不安の気持ちと少しの期待を心に抱き、織斑家を後にする。

 

 

 




「………どこに行った………?」



1人の女性が何かを探している。



「工房の中にも外にもいない……。逃げたのか?それとも死んだか……」



女性はしばらくの間歩き回っていたが、やがて諦め、今にも壊れそうな木製の車椅子にゆっくりと座る。



「まぁ……どちらでも良い」


「人形の一つや二つ、消えたところで問題は無い、か……」



周りには一面を覆い尽くす白い花が咲いており、その中には沢山の墓石がある。



「話し相手は減ったがな……」



そして彼女は空にある月を見た。



「………青いな………」



青白い月の光が花や地面を美しく照らす。

空に漂う青白い月を見る彼女の髪は炎よりも赤く、またその瞳も血のように赤く染まっていた。


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第5話 入学

ここ最近、サークル活動で忙しくしてました。
しばらくこの忙しさが続くので、更新が遅れます。
申し訳ありません。


(これは……想像以上に………キツい…………)

 

 

 

織斑一夏は危機的状況に立たされていた。

今日はIS学園の入学日であり、一夏とマリアは家から一緒に登校してきた。

一夏とマリアは同じクラスで、一夏は最前列の中央、マリアは最後列の窓側の席に座っている。

教室の中は、普通の学校とはなんら変わりのない風景だ。

 

男子が一人だけ、ということを除けば。

 

ISは女性にしか扱えないため、当然IS学園は女子生徒しかいないことになる。

しかし、一夏は世界初の男性IS操縦者となったため、学園にいる男子生徒は一夏だけなのだ。

自分以外は全員異性となれば、一夏にとっては気まずいことこの上ない。

マリアは後ろから一夏を見て、あいつも大変だな、と心の中で思う。

しかし、マリアも人のことを言える立場ではなかった。

一夏は唯一の男子ということで当然注目を浴びていたが、マリアはその容姿で注目を浴びていた。

マリアは顔が西洋風に綺麗に整っていて、全体的にスタイルも良い。そして若い世代には珍しく、まつ毛や髪の毛が真っ白に映えているのが彼女の特徴だ。

すでに一部の女子生徒はマリアの美貌にうっとりしている。

一夏とマリアにとっては慣れない空間であるため、それぞれ誰にも話しかけることもなく、ただ静かに授業が始まるのを待ち続けていた。

 

 

しばらくして、マリアの見知った人物が教室に現れる。

緑色の髪で眼鏡をかけ、少し垂れ目の小柄な女性だった。

 

「はーい、皆さん。席に着いてください」

 

教室内で立ち話をしていた女子生徒たちが、各々自分の席に座る。

 

(真耶……そうか。このクラスを受け持つのか)

 

マリアにとっては少し久しぶりの再会だった。

一方、真耶はマリアが自分のクラスに配属されることを事前に知っていたのか、驚いた表情などはしていない。

マリアの方を見てニコリと微笑み、周囲を見渡す。

 

「皆さん、入学おめでとう!私はこのクラスの副担任を務める、山田真耶です!」

 

真耶は元気よく挨拶するが、全員緊張しているのか、誰も反応を示さない。

 

「あ……ええ、と……」

 

真耶は少しオロオロするが、気を引き締めて言葉を続ける。

 

「き、今日から皆さんは、このIS学園の生徒です。この学園は全寮制で、学校でも放課後でも一緒です。皆さん、仲良く助け合って、楽しい三年間にしましょうね!」

 

次こそ反応してくれるだろうと意気込む真耶だが、返ってくるのは静寂ばかり。

すでに泣きそうな真耶であった。

 

「そ、それでは皆さんに自己紹介をしてもらいましょうか!では、最初の方、お願いします」

 

「はい!相川清香です!趣味はスポーツで、────」

 

そう自己紹介したのは、少し紫がかったショートヘアーの女子だ。

話しているところを見ると、元気が溢れて常に明るい印象である。

一人ずつ自己紹介を聞きながら、皆の名前も覚えないとな、と思うマリアであった。

 

一方、一夏は先程からチラチラと左奥の席に座る少女を窺っている。

 

(ほ、箒……男一人はキツい……)

 

一夏が箒と呼ぶその少女は、鋭い目をしており、腰まで伸びた黒い髪をポニーテールにして結んでいる。胸は他の女子生徒よりも膨らみが大きく、凛とした雰囲気を纏っている。

 

一夏から見られているのに気付いたのか、箒は一夏をチラリと見るが、直ぐに顔を背けてしまう。

それを見た一夏はショックを受けた。

 

(そ、それが6年振りに再会した幼馴染みに対する態度か…?俺、嫌われてるのかな……)

 

一夏が項垂れていると、真耶が突然一夏の名前を呼ぶ。

 

「織斑くん。織斑一夏くん!」

 

「は、はい!」

 

どうやら真耶の声が聞こえてなかったらしく、周囲からクスクスと笑われる一夏。

一夏は途端に恥ずかしくなる。

 

「あの、大声出しちゃってごめんなさい。でも、“あ”から始まって、いま“お”なんだよね。自己紹介してくれるかな?ダメかな?」

 

真耶は泣きそうな顔でそう言って、少し前屈みになって一夏の顔を見て話す。

真耶は一般的な女性よりも胸のサイズが大きく、服装もその谷間が見えてしまうくらいの軽装なので、一夏は顔を赤らめて視線を別の場所に移す。

 

「い、いや、そんなに謝らなくても……」

 

一夏は息を整えて、自己紹介をしようと立ち上がる。

 

(一夏、頑張れ)

 

マリアは心の中で一夏を応援する。

そろそろ自分も何を言うべきか考えなければならない。

一夏は周囲を見てから、自分の名前を言葉に出す。

 

「お、織斑一夏です。よろしく」

 

一夏は緊張してしまい、一言だけの自己紹介となってしまった。

しかし周囲からの、もっと何かないのかと言わんばかりの視線が、一夏を更に不安にさせる。

そこで一夏は深呼吸して、大きな声で続きを言った。

 

「以上です!」

 

一夏についてのより多くの情報を期待していた女子生徒たちはその場でズッコケてしまう。

一夏がオロオロしていると、後ろから黒のスーツを着た女性が歩いてきた。

その女性はマリアもよく知る人物だった。

 

「なんだその自己紹介は……」

 

「げ!千冬姉、なんでここに────いでぇ⁉︎」

 

「学校では織斑先生だ」

 

呆れた顔をした千冬は、その手に持つ出席簿で一夏の頭を強く叩き、教卓に立つ。

 

(そうか、千冬……。やはり世界初の男性IS操縦者で、更にそれが弟となれば、姉が担任を務めるのも納得できる、か……)

 

千冬はクラスメイトを見渡して、凛とした声で言葉を口にする。

 

「諸君、入学おめでとう。私はこのクラスの担任を務める織斑千冬だ。君たち新人をこの1年間でIS操縦者に育て上げることが私の仕事だ。私の言うことはよく聞き、よく理解しろ。出来ない者には出来るまで指導してやる。逆らってもいいが、私の言うことは聞け。いいな」

 

そう千冬が言うと、ほぼクラスの全員が黄色い声援をあげる。

 

「千冬様!本物の千冬様よ!」

 

「私、お姉様に憧れてこの学園に来たんです!」

 

悲鳴に近いような歓声が教室内で響き渡り、マリアは心の中で異常だな、と思う。

 

一方、一夏はまだ事実を受け止められないような顔をしていた。

 

(千冬姉が俺の担任……?ていうか教師してたのかよ……)

 

千冬は一夏に自分の仕事を話したことがなかったため、まさか学園で出会うとは思いもしなかった。

それも、教師と生徒という関係で。

 

「全く……呆れるな。よくも毎年これ程の馬鹿者どもを集められるな。それともなにか、わざと私のクラスに集中させてるのか?」

 

千冬は軽く頭を抱えて独り言を言う。

真耶はそれを聞いて苦笑いをしていた。

 

「で、挨拶も満足に出来んのか?お前は」

 

「いや、千冬姉、俺は────」

 

『千冬姉』と言われた途端に、千冬はまた一夏を叩く。

 

「学校では織斑先生だ」

 

「は、はい……織斑先生」

 

そして今のやり取りを見ていたクラスメイトたちは、ひそひそと互いに話し始める。

 

「ねぇ、もしかして織斑君って千冬お姉様の弟?」

 

「男性でISを動かしたことも、それと関係してるのかな?」

 

周囲がざわつき始めたところで、千冬が注意をする。

 

「静かに!まだ全員自己紹介が済んでいないだろう。続きを始めろ」

 

そう千冬が言うと、一夏の続きからそれぞれ自己紹介を始めていった。

 

そして最後に、マリアの番が回ってきた。

クラスメイトたちも美しい容姿のマリアが気になってたため、静かにマリアの方に顔を向ける。

マリアは特に緊張することもなく、かといって言うべき内容も結局思いつかなかったため、短めの言葉で告げる。

 

「……私はマリアだ。そのまま呼んでくれればいい。日本のこともあまり知らなくてな……。色々教えてもらうと助かる。仲良くしてくれ」

 

一通り言い終えたマリアは、静かに着席する。

周囲は、私が色々教えてあげたいと言わんばかりの嬉しそうな表情だった。

 

皆の自己紹介が終わったた後、真耶が空間投影型ディスプレイを出して、簡単にISについての説明をし始める。

 

「皆さんも知っての通り、ISの正式名称はインフィニット・ストラトス。十年前に日本で開発された、女性にしか扱えないマルチフォーム・スーツです。─────」

 

真耶の説明によれば、IS学園はアラスカ条約というIS運用協定に基づき設置された、IS操縦者育成用の特殊国立高等学校。元々は宇宙空間での活動を想定して開発されたが、宇宙進出は一向に進まず、兵器として運用されてしまう。

現在は条約において兵器運用は禁止され、スポーツとして使用されている。

ISの技能の向上を図るため、世界中から生徒が入学してくる、といった学園だ。

 

付け加えるなら、一夏のような男性操縦者や、マリアのようなISの異常反応を起こす人物は、イレギュラー中のイレギュラーといったところだろう。

 

その後チャイムが鳴り、クラスは休み時間へと移る。

 

 

 

〜〜〜

 

 

 

「ふ、一夏。まるで見世物小屋に居る気分だな」

 

「笑えねぇよ……」

 

休み時間に入り、一夏とマリアは談笑しつつ、大勢の人から見られている空気に少し疲れていた。

クラス内に留まらず、世界初の男性IS操縦者を一目見ようと他学年の生徒まで廊下から遠巻きに見ている。

 

「これが毎日続くと思うと、嫌になってくるぜ」

 

「最初だけさ。じきに慣れる」

 

「だといいけどな……」

 

疲れた顔で机に肩肘をつき、顎に手をつけて座っている一夏の前に、一人の少女が現れる。

 

「ちょっといいか」

 

その少女は6年振りに見た一夏の幼馴染み、篠ノ之箒だった。

 

「あ、箒……」

 

「しばらくこいつを借りるぞ」

 

箒はマリアにそう伝えると、一夏とともに教室の外へと出て行った。

マリアは話し相手が居なくなったため、自分の席に戻る。

 

教科書でも読むか……。

 

周りからの視線から気を逸らすため、マリアは次の授業が始まるまでずっと教科書を読んでいた。

 

 

 

〜〜〜

 

 

 

「で、話ってなんだよ?」

 

一夏は箒に連れられて、校舎の屋上までやって来た。

箒は一夏の顔をチラチラと伺いながら、屋上の手すりを掴んでいる。

 

「6年振りに会ったんだ。何か話でもあるんだろ?」

 

「あ、う……」

 

 

 

篠ノ之箒は小学校のときの幼馴染みであり、箒の実家である篠ノ之神社が開いている剣術の道場の同門でもあった。

小学四年生の時に、箒の姉である篠ノ之束がISを開発し、篠ノ之一家は政府から重要人物保護プログラムによって各地を転々とせざるを得なくなったため、一夏とも離れ離れになってしまったのだ。

 

 

 

一夏と2人になったのは良いものの、なかなか言葉が出てこない箒。

一夏はそんな箒を見て、少し困った表情をし、そういえば、とあることを思い出す。

 

「そういえば」

 

「な、なんだ」

 

「去年、剣道の全国大会優勝したんだってな。おめでとう」

 

「な、なんでそんなこと知ってるんだ⁉︎」

 

「なんでって……新聞で見たし」

 

「な、なんで新聞なんて読んでるんだ」

 

「いいだろそんくらい」

 

一夏は笑いながらサラッと言う。

箒はまさか一夏が自分のことを新聞で読んでくれたとは思わなかったため、嬉しさと驚きが混じったような顔をする。

 

「あ、あと」

 

「な、なんだ」

 

「久しぶり。6年振りだけど、箒ってすぐ分かったぞ」

 

「……え」

 

「ほら、髪型一緒だし」

 

「よ、よく覚えているな……」

 

箒は顔をほんのりと紅くして、髪を指で弄る。

 

「忘れるわけないだろ、幼馴染みのことくらい」

 

「………」

 

一夏の言葉を聞いて、箒は少し複雑そうな顔をする。

そんな箒の様子を見て、一夏は首を傾げた。

 

箒はなかなか切り出せないでいたが、先程から気になっていたことを一夏に聞いてみた。

 

「あ、あの人は……」

 

「え?」

 

「あの人は誰なんだ⁉︎お前が朝、一緒に教室に入ってきた人だ!さ、さっきも2人で話していただろう」

 

「あー、マリアのことか?」

 

箒は怒ったような、不安げな顔で一夏の答えを待つ。

 

「少し前に、色々事情があるって理由で千冬姉が家に連れてきたんだ。良い友達だぜ。箒も仲良くなったらどうだ?」

 

「い、家にだと⁉︎いや、それよりも、ほ、本当に友達なのか⁉︎そ、そ、それ以上なんてことは……」

 

「なんだよ、それ以上って。友達以外の何があるんだよ」

 

「い、いや……ならいい」

 

一夏の反応にホッと安堵する箒。

どうやら本当に一夏とマリアとの間には友達という関係しかないようだ。

 

2人の間にしばらく沈黙が続いた後、予鈴のチャイムが鳴る。そろそろ次の授業が始まる頃だ。

 

「俺たちも戻ろうぜ」

 

「わ、分かっている……」

 

一夏は先に教室へと足を運び、箒は一夏が去った後もしばらく考え事を続けていた。

 

 

 

〜〜〜

 

 

 

先程の休み時間が終了し、教室では再び授業が行われていた。

教卓には真耶が立って授業を行い、千冬は教室の端に立って授業を見守っている。

 

「では、ここまでで何か質問のある人はいますか?」

 

真耶が生徒たちにそう尋ねる中で、1人真っ青な顔をしている人物がいた。

 

(このアクティブなんたらとか攻撃なんたらとか、一体どういう意味なんだ?まさか全部覚えないといけないのか……?)

 

当の人物、一夏は教科書のページを意味もなく何度もめくり、同じページを行ったり来たりしていた。

 

「織斑くん、何かありますか?」

 

「あ、えっと……」

 

真耶は一夏の前に近寄り、優しい顔で尋ねる。

 

「なんでも聞いてくださいね!なにせ私は先生ですから!」

 

「や、山田先生……」

 

「はい!なんでしょう」

 

「ほとんど全部分かりません!」

 

「え、ほとんど全部ですか⁉︎今の時点でついてこれてない方はいますか⁉︎」

 

真耶が一夏の答えに驚き、他の生徒たちにも現状を確認をしてみる。

一夏に反して、他の生徒たちはマリアも含め全員理解しているらしい。

一夏はマリアをチラリと見て、マリアも分かるのか⁉︎というような表情をした。

マリアは一夏のアイコンタクトに気付き、予習はしたからな、といった表情で一夏を見る。一夏はそれを受けて更に顔を青くした。

真耶と一夏のやりとりを見ていた千冬が、一夏の元に歩み寄る。

 

「織斑、入学前の参考書に目は通したか?必読と書いてある本だ」

 

「あ、あの分厚いやつですか?電話帳と間違えて捨て────いだっ⁉︎」

 

「後で再発行してやるから、1週間以内に覚えろ、いいな」

 

「え⁉︎い、1週間であの量はちょっと……」

 

「やれと言っている」

 

千冬は鋭い目で一夏を睨む。

一夏はそれに逆らう気力も出ず、肩を落とし、はいと小さく答えた。

 

「では、授業を始めます。テキストの12ページを────」

 

一夏の問題に一段落ついたところで、真耶が授業を再び始める。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

授業が続く中で、一夏を厳しい顔で見つめる碧眼の少女がいた。

マリアはその少女の、一夏を睨むような雰囲気を感じ、少しだけ目を向け、再び黒板の方に意識を向ける。




『狩人の夢』

かつて狩人たちの憩いの場。
世界の全てと繋がっているが、何処にあるのか曖昧な存在である。
過去、多くの狩人たちが悪夢を訪れた。
ここにある墓石は全て彼等の名残。
もうずっと昔の話である。


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第6話 感覚

イギリス英語っていいですよね。
僕もイギリス英語使用圏内に留学していたので、綺麗なクイーンズ・イングリッシュには憧れています。


「ちょっとよろしくて?」

 

「「ん?」」

 

休み時間、一夏とマリアが話をしていると、一人の少女が二人の前に現れた。

先程、一夏を睨むような雰囲気を出していた少女だ。

その少女の髪は金色に映えており、鼻は高く、碧眼である。身長も低く少し垂れ目ではあるが、その少女の纏う雰囲気は凛々しく、貴族のような印象を受ける。

マリアは心のどこかで、彼女と自分はどこか通じる部分があるような気がした。はっきりとした根拠はないが、彼女の容姿や雰囲気が、マリアのかつて生きていた時代の人々を思い出させた。

しかし彼女の、どこか周囲の人々を見下すような、高飛車な態度がマリアを不快にさせる。同時に、妙な感情が蘇る。

 

 

 

私は……この感覚をどこかで……。

 

 

 

何かを思い出そうとするが、それが何か分からない。

 

「まぁ!なんですの、そのお返事は!わたくしに話しかけられるだけでも光栄なのですから、其れ相応の態度というものがあるのではなくて?」

 

「………」

 

「悪いな。俺、君が誰だか知らないし」

 

 

なんだこの女は……。

 

マリアは碧眼の少女を見て顔を顰める。

 

「な、わたくしを知らない⁉︎このセシリア・オルコットを⁉︎イギリスの代表候補生にして入試首席のこのわたくしを⁉︎」

 

 

イギリスだと……?

 

イギリスの代表候補生と聞いて、IS学園に入学する前のことを思い出す。

確か例のイギリス代表候補生も、初めてISに触れた時、私と同じように損傷を起こしたと聞いたが……。

つまり彼女が、その人物ということか?

研究所の職員からは彼女の名前を聞いていなかったが、オルコットというのか……。

 

「そうか、君が例の……」

 

「あら、貴女は?」

 

「……研究所から伝わってないのか?」

 

マリアが一夏に聞こえないように小声でそう言うと、セシリアは途端に険しい表情をする。

 

「……そうですか、貴女が……」

 

「なぁ、質問良いか?」

 

一夏がセシリアを見て質問をする。

セシリアはマリアを睨んでいたが、一夏に呼ばれ、ハッとして一夏に応える。

 

「えぇ。下々の要求に応えるのも貴族の務めですわ。よろしくてよ」

 

「代表候補生って、何だ?」

 

「んなっ⁉︎」

 

セシリアは口をあんぐりと開けてワナワナと震えている。

他のクラスメイトもこちらの会話を聞いていたのか、一夏の予想外の発言に驚いている様子だ。

 

「し、信じられませんわ!日本の男性というのは、こんなにも知識に乏しいものなのかしら⁉︎常識ですわよ、常識!」

 

「で、代表候補生って?」

 

セシリアは目を光らせて微笑み、一夏に誇らしげに説明をしようとする。

しかし、先にマリアが一夏に教えてしまった。

 

「一夏、代表候補生はその国のIS操縦者の代表になり得る候補生として選出された者だ。単語からして大体分かるだろう」

 

「ああ、確かに」

 

「………何故貴女が説明するのですか?」

 

「ああ、すまない。そんなに言いたかったか?貴族である君の口を、わざわざ煩わせたくはなかったのでね」

 

「………癪に障りますわね」

 

セシリアはマリアとの会話に見切りをつけ、一夏の方に向き直る。

マリアも何も言わなかった。

 

「まぁ、要するにエリートのことなのですわ!そのエリートであるわたくしとクラスを共にするだけでも幸運中の幸運。もう少しその現実を噛み締めてくれませんこと?」

 

「そうか、それはラッキーだ」

 

一夏はあっけらかんとセシリアに言う。

一夏の返答が面白くなかったのか、セシリアは一夏をじっと見つめる。

 

「………馬鹿にしていますの?」

 

「お前が幸運だって言ったんじゃないか」

 

「大体、何も知らないくせによくこの学園に入れましたわね。男でたった一人、ISを操縦出来ると聞いてましたけど、期待外れでしたわ」

 

セシリアは一夏を蔑むような目をしながら鼻で笑う。

一方、一夏は馬鹿にされてることなど全く気にしていない様子だ。その辺りまで鈍いのかどうかは本人にしか分からないが。

 

「俺に何かを期待されても困るんだが」

 

「まぁ、わたくしはエリートですから、貴方のような人でも優しくしてあげますわ。泣いて頼むのであれば、わたくしが貴方にISについて一から教えて差し上げてもよろしくてよ?何せわたくし、入試で唯一、教官を倒したエリート中のエリートなのですから!」

 

セシリアは誇らしげな顔で一夏に言う。また彼女の言葉は、マリアにも伝えているような感じが取れ、所詮わたくしと違い貴女にも教官は倒せなかったのでしょう、と言いたいようなメッセージがマリアに伝わる。

マリアにとっては、倒せなかったどころかそのような試合の機会もなかったため、入試の過程として生徒と教師が試合をすることは今初めて知った。

 

セシリアの言葉を聞いた一夏は、何か疑問に思ったのか首を傾げる。

 

「あれ、俺も倒したぞ、教官」

 

「はぁ⁉︎」

 

セシリアは目を大きく開き、一夏に詰め寄る。

 

「貴方も、貴方も教官を倒したというのですか⁉︎」

 

「いや、倒したというか……」

 

「た、倒したのはわたくしだけと伺っていましたが……」

 

「“女子では”ってオチじゃないのか?まぁ落ち着けよ」

 

「こ、これが落ち着いていられ────」

 

セシリアが更に一夏に詰め寄ろうとすると、授業開始のチャイムが鳴ってしまった。聞けずじまいになり悔しい顔をする。

 

「この話はまた後で!よろしいですわね⁉︎」

 

そう言うとセシリアは渋々自分の席へと戻って行った。

 

2人の会話を聞いていたマリアは、セシリアが去った後、一夏に問いかける。

 

「一夏、本当に教官を倒したのか?」

 

「いや、試合が始まった直後に教官が突っ込んできたから、避けたんだよ。そしたら壁にぶつかっちまってさ。何もしてないのに勝ってしまったんだ」

 

「それは……勝ちなのか?いや、どんな形でも勝ちは勝ち、か」

 

マリアは笑いながら少し拍子抜けする。

 

しかし、あの代表候補生は何故ISに異常反応を起こさせたのだろうか?

いや、そもそも自分の原因も解らないのに、彼女のことも解るはずもない、か……。

何れにしろ、彼女には好感が持てない。その事について尋ねる気もしないな。

 

千冬と真耶が教室に入ってきたので、マリアも自分の席へと着席した。

 

 

 

〜〜〜

 

 

 

「織斑くん、マリアさん、少しいいですか?」

 

放課後、周囲の生徒達が帰って行く中、真耶が一夏とマリアを呼び寄せる。

 

「実は、お二人の部屋についてなんですが……」

 

「急な入学のため、私達はしばらくの間一夏の自宅から通うと聞いていたが」

 

「ええ、そうお伝えしていたのですが、少し事情がありまして、お二人とも今日から皆さんと同じように学生寮の部屋が使えるようになりました」

 

「え、でも俺荷物は何も持ってきてないですよ?」

 

「その面は安心しろ」

 

三人の話していたところに、千冬が混ざってくる。

 

「お前の荷物は私が用意した。1週間分の下着やシャツ、携帯の充電器があれば過ごせるだろう」

 

「あ、千冬姉」

 

「学校では織斑先生だ。それとマリア、お前の分も用意してある。下着も何着か用意した。まぁ……胸のサイズは計ってないが、とりあえずは大丈夫だろう」

 

「そうか、ありがとう」

 

「ち、千冬姉、何言ってんだよ……」

 

「学校では織斑先生だ!」

 

千冬とマリアの会話を聞いて顔を赤くした一夏の頭を、千冬が出席簿で叩く。

一夏は痛そうに頭を抑えた。

 

「こちらがお二人の部屋の鍵です。突然で申し訳ありませんが、よろしくお願いしますね」

 

そう言って真耶は二人にそれぞれ部屋の鍵を渡す。

その後は学生寮の簡単なルールを聞いて、一同は解散となった。

 

 

 

〜〜〜

 

 

 

「ここか……」

 

マリアは自分の部屋に辿り着き、鍵を挿して部屋の中に入る。

扉を開けると、ベッドは二つあったが、ルームメイトは誰もいなかった。どうやら自分一人だけのようだ。

 

マリアは部屋の環境の良さに少し感動していた。

部屋にある液晶テレビといった機器などに関しては、千冬達の家で見慣れていたためさほど驚くことはないが、一学生のためにここまで綺麗で整っている部屋が提供されるとは、なんとも贅沢な学園だろう。

机の上には、千冬が置いてくれたであろう荷物が置かれていた。

 

マリアが荷物を開こうとすると、廊下から喧騒が聞こえた。

音の正体を見ようと部屋の扉を開けたマリアは、少し離れた所で一夏がいるのを見つけた。

なにやら扉の前で誰かに話しかけているようだが、相手が見当たらない。

 

「い、今のは謝るから!お願いします箒さん、中に入れてくださいお願いします!」

 

一夏がそう言ってしばらく経つと、一夏の前の扉が開く。

 

「……………入れ」

 

扉を開けたのは一夏の友人、箒であった。まだマリアは箒と話していないため、箒がどのような人物か知らないが、今日二人で屋上に行ったり、お互い下の名前で呼ぶところを見ると、仲は良いのだろう。

 

マリアは部屋に入り、衣服を脱ぎ浴室に入る。

 

今日は寝るか……。

 

その日は特に課題もなかったため、シャワーを浴び終えた後は直ぐに眠りに入った。

 

 

 

〜〜〜

 

 

 

翌日、朝の食堂。

一夏と箒は隣同士、席に座って朝食を食べていた。

が、二人とも会話がなかなか弾んでいない。

 

「なぁ、昨日のことまだ怒ってるのか?」

 

「………」

 

「………もう許してくれよ……」

 

一夏は謝罪の言葉を箒にかけるが、箒はそれでもツンとした顔をしている。どうやら簡単には許す気になれないらしい。

一夏は暗い雰囲気を変えようと、話題を変える。

 

「箒、この鮭美味いな」

 

「………」

 

「この玉子焼きも美味いぞ、箒!」

 

「………で呼ぶな」

 

「え?」

 

「名前で呼ぶな、と言っている!」

 

「じゃあ……篠ノ之さん?」

 

「それもダメだ!」

 

「じゃあ、そこの少女!」

 

「お前というやつは……!」

 

「ねぇ、隣いいかな?」

 

一夏と箒が話していたところに、三人の少女達がやってくる。

 

「おう、いいぜ。確か君は……」

 

「ありがとう!私は谷本癒子。こっちは布仏本音で、その隣は四十院神楽ね」

 

「よろしくね、織斑くん」

 

「よろしく、おりむ〜」

 

谷本癒子という少女はおさげ型の髪をしており、相川清香と同じく明るそうな印象だ。

反対に、四十院神楽と呼ばれた少女は大人しめの雰囲気で、箒と同じように黒髪で大和撫子といった容姿をしており、気品がある。

そして布仏本音と呼ばれた少女は、狐の着ぐるみのようなものを着ており、全体的にのほほんとしている。

 

三人は一夏の隣に座れたことに喜び、互いに笑顔でハイタッチをし合う。

周囲の女子生徒からも、先を取られた、まだチャンスはあるなどの言葉が聞こえる。

 

「なぁ、その“おりむー”って何だ?」

 

「だって〜〜名前が“おりむら”でしょ〜〜?だから、おりむ〜」

 

「そんなあだ名付ける人初めてだぜ」

 

「それよりも織斑くん、朝ごはんいっぱい食べるんだね」

 

「男の子って感じだね!」

 

「そうか?ていうか、女子はそんなんで足りるのか?しっかり食べないと一日もたないぞ」

 

一夏の朝食は焼き魚と味噌汁、冷奴や納豆といった健康的なメニューだが、彼女達三人はパン一枚にサラダ、またはゼリーと健康ジュースのみなどといった少ないメニューである。

一夏に指摘された彼女達は苦笑いをして誤魔化す。

 

「あ、あはは、私達は……ね?」

 

「お菓子食べれるし!」

 

ダイエットなのか、男子と違って単に少食なのか…。

女子にも色々とあるのだろう。

本音のお菓子が食べれるという返答はよく分からなかったが。

 

彼女達と一夏が楽しく談笑していたところで、箒がすっと席を立ち上がる。

 

「私は先に行くぞ」

 

「ああ、また後でな」

 

「………」

 

箒は何も返事をせず、足早にその場を去っていった。

そのやりとりを見ていた癒子達が、一夏に尋ねる。

 

「ねぇ、織斑くんって篠ノ之さんと仲良いの?」

 

「ああ。まぁ幼馴染みだし」

 

「「「幼馴染み⁉︎」」」

 

「ああ。幼い頃、剣道場で一緒に頑張ってた仲だったんだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一夏は少し遠い目をして、過去のことを思い出そうとする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あんまり覚えてないんだよな……昔のこと………」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

食堂の扉が開き、一人の教師が入ってきた。

 

「遅い!食事はもっと効率良く、迅速に取れ!私は一年生の寮長も勤めている。遅刻した者はグラウンドを十周は走ってもらうぞ」

 

そう厳しい声をあげたのは千冬だった。

千冬の言葉を聞いた女子生徒達は、一斉に急いで朝食を口に運ぶ。

 

 

そうか、寮長……。

 

なるほど、道理で家に帰って来ない訳だ……。

 

 

千冬が寮長と知った一夏は、千冬の新たな一面を知り、静かに微笑む。

 

やがて一夏も朝食を済ませ、教室へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一夏が朝食を済ませる少し前。

箒は食堂を出て一人で教室に向かっていた。

その顔には怒りの表情が浮かんでいる。

 

「全く……一夏というやつは……!」

 

「どうしてあんなにデリカシーが無いのだ!」

 

愚痴をこぼしながら廊下を歩く箒。

そんな箒の肩を、誰かが触った。

箒は一夏が来たと思い、振り向く。

 

「何だ一夏!私は────」

 

「おはよう、篠ノ之さん」

 

振り向いた所にいたのは、一夏ではなくマリアだった。

箒は途端に恥ずかしくなり、顔を紅くする。

 

「ふふ、一夏でなくてすまない」

 

「い、いや、私は別に一夏なんて……」

 

箒は顔を紅くしながら、コホンと咳払いをする。

 

「貴女は……マリア、さん?」

 

「マリアでいいよ」

 

「そ、そうか、マリア……おはよう。私のことも箒でいい」

 

「そうか、箒。これからよろしく頼む」

 

マリアは箒に優しく微笑む。

箒はその立ち振る舞いと優しい表情を見て、周囲の人よりも大人な印象を受けた。

 

二人は一緒に教室へと続く廊下を歩き出す。

しばらくして、最初にマリアが口を開いた。

 

「一夏が気になるか?」

 

「え⁉︎」

 

「顔に書いてあるよ」

 

箒はそこまで自分の思っていたことが顔に出ていたことに恥ずかしくなる。つい自分の手で顔を何度か触ってしまう程に。

 

「昨日、一夏と同室みたいだったが何かあったのか?」

 

「!知っていたのか……」

 

「私の部屋は少し離れた所にあってな。二人の姿が見えたんだ」

 

「そうか……」

 

箒は一呼吸置いて、また話し始める。

 

「い、一夏と私は同室ということに驚いたが、それはいいんだ。ただあいつは、あろうことか私の、し、下着を………」

 

「すまない、何だって?」

 

箒の最後の言葉が小さくてもう一度聞き直すマリア。

箒は顔から火が出るくらい顔を紅くし、わなわなと震える。

 

「と、とにかく!あいつは女心に鈍過ぎるのだ!全く、唐変木にも程があるぞ……!」

 

一人怒りながらも顔を紅く染める箒を見て、マリアは優しく微笑む。

 

「好きなんだな……一夏のことが」

 

「な⁉︎な、な、ななな、なにを……⁉︎」

 

「大丈夫。箒ならきっと幸せになれるさ」

 

「い、いいいいったいなにを……⁉︎」

 

箒はますます顔を紅く染める。恥ずかしさのあまり言葉も出ていない。きっと図星なのだろう。

 

 

一夏のことを考えている箒の姿を見て、マリアは少し思い耽る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そういえば、私にも…………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何かを思い出そうとするが、何も出てこない。

 

 

この世界に来てからというもの、何故か過去の記憶が断片的にしか残っていないのだ。

 

 

それも、だんだんと曖昧になっていくような感覚……。

 

 

 

何か大切なことを、感情を、私は記憶の片隅から零してしまったのか………?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ほら、教室に着いたぞ」

 

マリアは箒に教室に入るよう促すが、どうやら一人の世界に入ってるらしく、聞こえていないようだ。

マリアは笑みを零し、先に教室に入った。

 

 

 

〜〜〜

 

 

 

授業開始のチャイムが校内に響き渡り、生徒達が授業に臨もうとする頃。

千冬は教卓に立ち、クラスの前で話し始めた。

 

「さて、授業を始める前に……一つ決めておかなければならないことがある。クラス代表について、だ」

 

クラスメイト達はクラス代表という言葉を聞いて、期待を持った表情をする。

 

「クラス代表は、対抗戦だけでなく、生徒会の会議や委員会への出席など………まぁ、クラス委員長と考えてもらっていい。自薦他薦は問わない。誰かいないか?」

 

千冬が生徒達にそう問いかけると、一人の生徒が手を挙げる。

それに続き、他の生徒達も手を挙げ始めた。

 

「はい!織斑君が良いと思います!」

 

「え」

 

「私もそれが良いと思います」

 

「いや、ちょっと」

 

当の一夏はまさかの展開に驚き、抗議を始める。

 

「ちょっと待ってくれ!俺にクラス代表は当てはまらないぞ」

 

「自薦他薦は問わないと言った。拒否権は無いぞ」

 

千冬が一夏にそう言うと、一夏はマジかよ…と言いながら大人しくする。

 

「他にはいないのか?いなければ無投票当選だぞ」

 

「はい!私はマリアさんがクラス代表になってほしいです!」

 

「わ、私も!」

 

「ほう……マリアか………」

 

千冬は意外な選出に面白そうな表情を浮かべた。

窓の外を眺めていたマリアは、まさか自分が選ばれるなどと思わなかったので、多少驚いている。

 

「では、この二人のどちらかでいいか?何かしらの形で決めてもらうことになるが……」

 

千冬が次の段階へ移ろうとした矢先に、教室の後ろの方から机を強く叩く音が聞こえた。

 

「納得がいきませんわ!」

 

音の主はイギリス代表候補生のセシリアだった。

セシリアは主張を続ける。

 

「そのような選出は認められません!男がクラス代表なんていい恥晒しですわ!それに、あのマリアという方が選ばれる理由も分かりません!どちらも実力なんて知れてるのに、そのような屈辱を一年間わたくしに味わえと⁉︎」

 

セシリアはこれ以上ないくらい怒りの言葉を口にする。

 

「大体、文化としても後進的な国で暮らさなくてはいけないこと自体、わたくしにとっては耐え難い苦痛!実力で見ればわたくしがクラス代表になるのは当然ですわ!それを物珍しいからという理由で極東の猿や老婆の様な白髪の女が選ばれては困ります!わたくしはこのような島国までISの修練に来ているのであって、サーカスをする気なんて─────ひっ⁉︎」

 

セシリアがまくし立てていた矢先、教室中に途轍もない殺気が走る。

 

その殺気の主はマリアだった。

 

マリアはゆっくりと立ち上がり、セシリアの方へと近づいていく。

 

 

「ほう?貴様……どうやら死にたいらしいな」

 

 

マリアはセシリアの目の前で止まり、セシリアの胸ぐらを掴み上げ、セシリアの顔を強引に近付ける。

 

セシリアは顔を蒼くし、怖れの表情を浮かべ、恐怖のあまり何も言えないでいる。

周囲のクラスメイト達はあまりのマリアの恐ろしさに顔を真っ青にし、まるで自分の命が狩り取られるかのように錯覚していた。

 

あの千冬でさえも、マリアが漂わす殺気に警戒している。

 

「代表候補生であるお前の言ったことは、イギリスの主張として認識される。お前の発言は間違いなく国際問題になるだろうな……」

 

マリアのかつて生きていた時代と違い、今は文明が進んでいる。

セシリアの発言など、教室の音声機器を弄れば再生する事など造作も無いであろう。

代表候補生でありながら今更その事実に気付いたセシリアは、ますますその顔を蒼く染める。恐怖と後悔のあまり、少し震えているようだ。

 

マリアはそんな様子のセシリアを見て、鼻で笑う。

 

「出自は貴族みたいだが、中身は傲慢な泥に塗れた只の下種なようだな。気品の欠片も無い」

 

少し離れた所で二人の様子を見ていた箒は、マリアの先程の姿との違いに驚いていた。

 

私と話していたときは、あれほど優しい顔をしていたのに、これほどの恐ろしい殺気を放つとは……。

 

只の一生徒ではなく、目の前の獲物を狩り取る一人の狩人がそこにいるように感じた。

 

 

マリアはセシリアから手を放し、セシリアは自分の椅子に力無くへたり込む。

 

 

マリアは去り際に、セシリアに一言放つ。

 

 

 

「私達が選ばれるのは恥晒しと言っていたが、私からすればお前が選ばれるなどいい恥晒しだよ」

 

 

 

マリアは自分の席に座ると同時に、殺気を消す。教室中の空気の重さが少し無くなった。

 

 

そして、セシリアは自分が貶されたことに対して、自分のプライドが許さないのか、立ち上がってマリアに宣戦布告する。

 

 

「決闘ですわ!」

 

 

それを受けたマリアは、もうセシリアの相手をするのが面倒になったのか、一夏に受け流す。

 

「だ、そうだが。一夏、どうする?」

 

「いいぜ。四の五の言うより分かりやすい」

 

一通りのやり取りに区切りがついたと判断した千冬は、クラス代表についての決定を下す。

 

「話は纏まったな。ではクラス代表を決める試合は一週間後、第三アリーナで行う!織斑とオルコット、そしてマリアは各々準備をしておくように」

 

そう言い終えた千冬は、今日の授業を始めた。

マリアは窓の外を見て、自分の今作られているであろう専用機に思いを馳せた。

 

 

 



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第7話 力

午前の授業が終盤に差し掛かり、後数分で昼休みのチャイムが鳴ろうとする頃。

授業に区切りを付けた千冬が一夏とマリアを見た。

 

「織斑、それからマリア。お前達のISだが、準備迄に少し時間が掛かるぞ」

 

「え?」

 

一夏はよく分からないといった表情で千冬を見る。

 

「マリア、お前は色々事情があってはっきりとしたことは我々も知らされていないが……織斑、お前には予備の機体が無い。学園で専用機を用意するそうだ」

 

千冬が『専用機』という言葉を発した途端に、周囲が騒つく。

どうやら一年生のこの時期から専用機を与えられることは極めて稀らしく、政府からの支援も出るなどといった話が周囲から聞こえてくる。

 

「専用機があるって、そんなに凄いことなのか?」

 

世界のIS事情について未だよく解っていない一夏は首を傾げる。

そんな一夏の前に、一人の少女が現れた。

 

「それを聞いて安心しましたわ」

 

その少女は、先程一夏とマリアに決闘を申し込んだセシリア・オルコットだった。

 

「私が専用機で貴方達が訓練機では、流石に公平ではありませんものね」

 

一夏はセシリアの言ったことに質問をする。

 

「お前も専用機を持っているのか?」

 

「ご存知無いの?宜しいですわ。庶民の貴方に教えて差し上げましょう」

 

そう言うとセシリアは髪を少しかき上げる。

 

「この私、セシリア・オルコットはイギリス代表候補生。つまり既に自身の専用機を持っていますの。世界にISは467機。専用機を持つ者は、全人類の中でもエリート中のエリートなのですわ!」

 

「たった467機?」

 

ISの数の少なさを初めて知った一夏に、谷本癒子が解説を加える。

 

「ISの中心に使われている『コア』という技術は一切開示されてないの。467機全てのISのコアは、篠ノ之束博士によって作成された物なんだよ」

 

それを聞いた一夏は、静かに視線を箒へと向ける。

箒は此方に耳を傾けようとせず、窓の外を見ていた。

 

「ISのコアは完全にブラックボックスで、篠ノ之博士以外は誰もコアを作れないんだって。でも、博士はコアを一定数以上作ることを拒絶しているの。国家、企業、組織機関では、割り振られたコアを使用して研究・開発訓練を行うしかない状況なんだよ」

 

癒子の解説を引き継ぐように、千冬がその先を続ける。

 

「本来なら、専用機は国家や企業に所属する人間にしか与えられない。が、お前の場合は状況が状況なので、データ収集を目的として専用機が用意される、という訳だ」

 

一夏は、取り敢えずは納得したという表情をしている。

そこで一人の女子生徒が、千冬に質問をした。

 

「先生、もしかして篠ノ之さんって篠ノ之博士の関係者なんでしょうか?」

 

千冬はチラリと箒を見る。

箒は自分の机に視線を保っていた。

 

「そうだ。篠ノ之はあいつの妹だ」

 

千冬がそう言うと、途端に周囲は驚きの声が上がる。

箒は周囲の反応が鬱陶しい、といった顔をしていた。

 

「篠ノ之博士がお姉さんなの⁉︎凄いな〜」

 

「篠ノ之博士って、世界中の国や企業が探しているんだよ」

 

「ねぇねぇ、篠ノ之さんなら何処に居るのか知ってるんじゃない?」

 

他のクラスメイト達が好き勝手言う中、箒は彼女達に向かって声を張り上げた。

 

 

「あの人は関係ない!」

 

 

箒は言葉を続ける。

 

 

「私はあの人じゃない。教えられるような事は何も無い」

 

 

周囲が静まり返る中、昼休みのチャイムが鳴った。

 

 

箒と束さんって、そんなに仲が悪かったっけ……。

 

 

一夏は箒を見ながら、心の中でそう思った。

 

 

 

〜〜〜

 

 

 

「箒、飯食いに行こうぜ」

 

箒の元に、一夏がやって来た。

しかし箒は浮かない顔をしている。

 

「私はいい」

 

「他のクラスメイトとも一緒に行こうぜ。やっぱり皆仲良くしたいもんな。ほら、立て」

 

一夏はそう言って、箒の手首を掴む。

 

「おい!私はいいと─────」

 

「なんだよ、歩きたくないのか?あ、おんぶしてやろうか?」

 

一夏は笑いながら軽く冗談を言う。

箒は其れに恥ずかしいような腹が立つような感情が混じり、一夏の手を振りほどき、一夏を突き飛ばそうとする。

 

 

「ええい、離せ!この─────」

 

 

「箒」

 

 

一夏を突き飛ばそうとする箒の腕を優しく止める者がいた。

 

 

「マ、マリア……」

 

「私も一緒にいいか?」

 

マリアは微笑みながら二人に問いかける。

 

「ああ、いいぜ。じゃあ行こう」

 

一夏はそう言うと、教室の外へと足を運ぶ。

マリアは箒に耳打ちをした。

 

「落ち着くんだ、箒」

 

「わ、私は落ち着いてる」

 

「ふふ、世話が焼けるな」

 

「な、なんだそれは」

 

「色々あるんだろう?また話は聞いてやる。今は昼食を食べよう」

 

そう言うとマリアは、箒の手を取って歩き出す。

その光景を見ていたクラスメイト達は、箒を羨ましそうな目で見ていた。

 

 

 

〜〜〜

 

 

 

食堂に入ると、マリアは先に席を取っておくと言って、一夏達と一旦分かれた。

一夏と箒は食堂のメニューの受け取りカウンターの列に並んでいる。

 

「あんなにムキになることないだろ。折角気を遣ってやったのに」

 

「………誰がそんな事を頼んだ」

 

「頼まれたって、普通はしないぞ。箒だからしてるんだぞ」

 

「な、なんだそれ……」

 

「おばさん達にも世話になったし、幼馴染なんだ。これくらいの世話は焼かせろ」

 

箒は一夏の言葉に、複雑のようで、しかし何処かで嬉しいような気持ちになる。

 

「あ、ありが─────」

 

「はい、日替わりセットね」

 

礼を言おうとした箒の言葉を遮るように、注文したメニューが出てきた。

 

「ん、何か言ったか?」

 

箒の言葉は一夏に届かなかったようで。

 

「ふん!早くマリアの所へ行くぞ」

 

箒は少し怒った顔でマリアの所へ向かい出す。

 

「俺、何かしたかな……」

 

一夏は溜め息を吐き、箒の後を追った。

 

 

 

〜〜〜

 

 

 

昼食を食べている時、一夏が箒に話しかけた。

 

「なぁ、箒」

 

「なんだ」

 

箒は相変わらず怒った顔をしており、一夏に目を合わせようとしない。

マリアはそれを見て、昼食を食べながら少し呆れていた。

 

「ISのこと、教えてくれないか?このままじゃ何も出来ずにセシリアに負けそうだ」

 

箒は知ったことかと言いたげな表情で一夏の言うことを流す。

 

「出来もしない事に乗るからだ」

 

「そこをなんとか、頼む!」

 

一夏は箒に手を合わせて懇願する。

 

箒が黙っていると、見知らぬ女子生徒が近寄ってきた。

 

「ねぇ、君が噂の子?」

 

「え?」

 

「私三年なんだけど、君ってまだ素人だよね?私がISについて教えてあげようか?」

 

そこにいたのは先輩である三年生の生徒で、一夏のISの特訓に付き添ってあげる事を提案してきた。

が、その表情から見るに、ISの特訓よりも一夏と一緒に居たい事が本命のようだ。

 

すると、箒がすかさず女子生徒に言い放った。

 

「結構です。私が教えることになっていますので」

 

「貴女も一年でしょ?私の方が上手く教えられると思うな」

 

女子生徒は勝ち誇るような目で箒を見る。

箒はその目を無視して言葉を続けた。

 

 

「私は、篠ノ之束の妹ですから」

 

 

「え⁉︎」

 

 

女子生徒は途端に驚きの表情を浮かべた。

 

 

「ですので結構です」

 

「そ、そう……なら仕方ないわね」

 

 

悔しそうな顔をして退く女子生徒。

一夏は箒を見た。

 

「教えてくれるのか……?」

 

「放課後」

 

「え?」

 

「放課後、剣道場で特訓だ。腕を見てやる」

 

「ありがとう、箒!」

 

一夏は喜んで箒に礼を言う。

箒は、そういえば、といった表情でマリアを見る。

 

「マリアも来ないか?」

 

「私が?良いのか?」

 

「ああ。是非来てくれ」

 

「そうか、なら行かせてもらおう」

 

純粋にマリアの腕を見たい、といった箒の気持ちがマリアにも見て取れたため、一夏と二人にしてやる気遣いは必要ないとマリアは感じた。

それにマリア自身も、ここに来てからまだ剣を一度も振るったことがないため、腕が鈍くなっていないか心配であった。

放課後の特訓の約束をし、三人は昼食を終える。

 

 

 

〜〜〜

 

 

 

マリア達は箒に連れられ学園の剣道場に来ていた。

マリアは剣道の防具や竹刀を見るのは初めてで手順が分からず、取り敢えず箒に言われ袴だけ着ていた。

最初は箒と一夏が勝負をすることになった。

マリアは少し離れた所で見ている。

 

「一夏、腕は落ちていないだろうな」

 

「た、多分……」

 

一夏は不安げな表情で箒に応える。

 

剣道場の部屋の隅には、一夏達が稽古をすると何処かで耳にしたのか、何人か女子生徒達が集まっていた。

 

箒が呼吸を整え、静かに言う。

 

「では、いざ尋常に……」

 

一夏も竹刀を構え、箒をしっかりと見据えた。

 

 

「「勝負‼︎」」

 

 

合図が下りると、箒が床を蹴り一夏に瞬時に詰め寄り、頭上から竹刀を振り下ろす。

一夏はそれを辛うじて受け止める。後ほんの僅か遅ければ頭を打たれていただろう。

 

「くっ……えい!」

 

一夏が竹刀で箒を振り払うと、箒は瞬時に下がり、下がり際に目に見えない程の速度で竹刀を一夏の胴に振り払った。

 

「ぐっ……!痛ぇ……」

 

「一本だな。次いくぞ」

 

箒と一夏は再度竹刀を構え、稽古を再開する。

 

一夏が箒の面を取ろうと頭上から竹刀を振り下ろすが、箒はそれを横に薙ぎ払い、一夏がよろめいた隙に一夏の面を取る。

 

「ぐはっ⁉︎」

 

「遅い!次!」

 

 

 

 

その後も箒と一夏は竹刀を交えるが、一夏は全て箒に一本を取られ続けた。

 

 

 

二人が稽古を始めてから数十分後。

 

一夏がついにバテてしまった。

 

床に座り込んで息が上がってしまった一夏を見て、箒は呆れる。

 

「どういうことだ……」

 

「え?」

 

「何故そこまで弱くなっている⁉︎中学では何部に所属していた⁉︎」

 

声を張り上げて一夏に問う箒。

 

「帰宅部!三年連続皆勤賞だ!」

 

「鍛え直す」

 

「え、でも」

 

「IS以前の問題だ!これから毎日放課後、稽古をつけてやる」

 

「いや、俺はISのことを」

 

「だから、それ以前の問題だと言っている!」

 

箒にこっぴどく叱られている一夏を一方に、二人の稽古を見に来ていた女子生徒達は、小さな声で一夏を見て話し合っていた。

 

「もしかして織斑君ってさ……結構弱い?」

 

「ほんとにIS操縦出来るのかな……」

 

話し声が小さくても一夏にはしっかりと聞こえており、一夏は一人溜め息を吐いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「マリア、次は私としてみないか?」

 

 

一夏を余所に、箒はマリアの方を向いて試合に誘う。

 

「しかし私はルールを知らないぞ」

 

「構わないさ。マリアのやり易いやり方で良い」

 

「そうか」

 

マリアは立ち上がり、箒の前に行く。

一夏は二人から少し離れたところで座っていた。

 

「マリア、大丈夫か?箒は全国大会で優勝してるんだぜ」

 

「そんな功績があったのか、箒。きっと途方も無い努力を積んだのだろう」

 

マリアは心底感心した顔で箒を見る。

 

 

 

 

「もう過去の事だ。いつまでも過去に縋り付いては意味がない」

 

 

「………」

 

 

 

 

箒の言葉に、妙に深く考えてしまうマリア。

 

 

「マリア、どうした?顔が暗いぞ」

 

「……いや、何でもない。始めよう」

 

 

マリアは顔を上げ、先程箒から受け取った竹刀を握る。

 

考え事は部屋に帰ってからだ。

 

マリアは箒との稽古に集中することにした。

 

「二人とも、準備は良いか?」

 

一夏がマリアと箒に確認する。

両者ともそれに応えた。

 

剣道場の隅では相変わらず女子生徒達が観戦している。

どうやらマリアのことも気になっているみたいだ。

 

「じゃあ、そろそろいくぞ」

 

一夏の言葉を聞いて、箒は竹刀をしっかりと構える。

マリアは箒を見据えた。

 

「では……始め!」

 

一夏が開始の合図を出す。

箒はマリアの実力がまだ分からないため、いきなり仕掛けることはせず、マリアの反応を待つ。

 

マリアは箒が来ないことを感じ取り、自分から行くことに決めた。

 

マリアはゆっくりと、自分の横に水平に竹刀を伸ばす。

 

マリアの動作は無駄がなくとても静かであった為、箒はまるでその場から音が無くなったように感じた。

 

マリアが竹刀を自分の横に伸ばし切った直後、箒の方へと走り出し、気付いた時には既に箒の胴を竹刀で打っていた。

 

「なっ⁉︎」

 

「い、一本!」

 

一夏が一本の判定を下す。

箒はマリアの素早さに愕然とした。

普通の人間には絶対に出せないスピードだ。

先程まで離れた所に居たのに、気付けば私の後ろに居る。

しかも胴を打った上で、だ。

 

箒はもう一度マリアに挑むことにした。

 

「マリア、もう一度頼む」

 

「分かった」

 

再度、一夏が開始の合図を上げる。

 

箒は今度は先手を打たれまいと、先に仕掛けることにした。

爪先で床を力強く蹴り、マリアに急接近し面の一本を取ろうとする。牽制攻撃を仕掛ける事も考えたが、いきなり自分に一本を取ってきたマリアにはフェイントなど通用しないだろうと箒の勘が訴えていた。

素早く竹刀をマリアに目掛けて振り下ろす箒。

するとマリアは箒の攻撃を防ぐことはせず、逆に竹刀を箒に向け突き出してきた。

箒は反射的に離れなければならないと感じたが、身体が意識に追いつかない。

マリアの突きは箒の持つ竹刀に当たり、箒は自身の動きを止められた。

 

なんて恐ろしいんだ─────。

 

この決して太くはない幅の竹刀を正確に突きで当てに来るなど到底出来ることではない。

況してや眼にも止まらぬ速さで。

一瞬の箒の動揺を感じ取ったマリアは、それを見逃さなかった。

瞬時に竹刀を戻し、流れるような動作で箒の眼前に竹刀を突く。

 

「勝負あり、だな」

 

マリアは箒に竹刀を向けたままそう答える。

眼前で竹刀を向けられている箒は、いつの間にか勝負がついてしまっていることに頭が追いつかず、マリアの声で我に返った。

一夏もあまりのマリアの強さに口を開けたまま驚いている。

 

マリアは竹刀を引っ込めて、二人に話しかける。

 

「二人ともありがとう。実はこれから少し用事があるのを忘れていた。後は二人で続けてくれ」

 

マリアは箒に竹刀を返す。

 

「また明日」

 

そう告げたマリアは、二人に背を向け剣道場を後にする。

扉が閉まった後、一夏は箒を見る。

 

「な、なぁ箒、その……マリア、凄かったな。俺達も頑張らないと……」

 

一夏は箒にどう言葉をかけて良いのか分からず、無難な言葉遣いを選ぶ。

何せ箒は全国で一位に輝いた戦績を持つ人物なのだ。あまりにも呆気なく勝負がついてしまい、箒はかなり混乱していることだろう。

一方で箒には一夏の声は届いておらず、案の定先程起きた事実に困惑していた。

 

私には全国大会で優勝した過去がある。

 

慢心はせずとも、自分の持つ剣の振りに誇りは持っていた。

しかし、それを圧倒的な力を持つマリアに粉々にされた。

過去に縋り付いては意味がないと他人に偉そうに言っておきながら、まだ自分はどこかで縋り付いていたなんて笑えない。

 

何故あれほどの力が─────。

 

箒は今日の授業中に起こった出来事を思い返していた。

 

セシリアに侮蔑されたマリアが、凄まじい殺気を放つ─────。

 

あの目の前の命を狩り取る『狩人』のような姿は、マリアの力と関係しているのだろうか……?

 

 

考えても分かる筈も無く、二人の間には暫くの間沈黙が流れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

遠くの方では稽古の様子を眺めていた女子生徒たちが、何やら興奮冷めやらぬ様子で喋り合っていた。

 

「す、凄かったよね……」

 

「なんか、美しくて、神々しいというか……」

 

「マ、マリア様……」

 

元々マリアの容姿の美しさに惹かれていた彼女たちは、マリアの圧倒的な強さも相まって、彼女へのイメージがどんどん崇拝的なものへと形を変えてゆく。

マリアの知らぬ所で、今日の様子が語られることはそう時間がかかることではなかった。

 

 

 

~~~

 

 

 

シャワーを浴び、寝るための格好に着替える。

二人には用事があると言って帰ってきたが、本当は唯考え事をしたいだけだった。

机の電気をつけ、椅子に座り、ノートと鉛筆を取り出す。

マリアは、この世界の事情を一先ず纏めることにした。

学園に入学する前から予習していた内容も含め、分かっていることを次々と書き出す。

 

 

 

 

篠ノ之束博士によって開発された飛行パワードスーツ『インフィニット・ストラトス』は数に限りがあり、未だ博士にしか作ることが出来ない『コア』は博士自身によって一定数以上作ることが拒絶されている。

世界の軍事バランスが崩壊するのを阻止する為、アラスカ条約というISの軍事利用の禁止などを定めた条約が国家間で締結された。

現在はスポーツという形で落ち着いている。

 

 

 

 

そして現在は2020年。

自分がいた時代は200年も遡る。

自分が生まれ、そして死んだ『ヤーナム』という都市は現在発行されている世界地図には何処にも記載されていない。

ここが同じ世界なのか異世界なのかも不明である。

 

 

 

 

そしてこの世界に目覚めて以来、過去の記憶が断片的になってしまっている。

不意に何処かで感じたことが自分の中で何かと繋がる感覚がたまにあるが、それが何であるのかははっきりと思い出せない。

 

 

 

 

学園で倒れていた自分の横には、嘗て『落葉』と名付けていた狩武器があった。

しかし私は過去にこの武器を捨てた筈だった。

そのことは覚えているのに、何故捨てたのかは覚えていない。

 

 

 

 

 

 

 

 

───いつまでも過去に縋り付いては意味がない───

 

 

 

 

 

箒の言っていた言葉が、私の中で繰り返される。

 

 

 

私の過去は……。

 

 

 

 

私は過去に大きな罪を……。

 

 

 

 

罪?罪とは一体何だ……。

 

 

 

 

私は罪を犯していたのか……?

 

 

 

 

しかし、この拭えない感情は─────。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お願い、私を見捨てないで……………私まだ、役に立てるのだから……………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ふと目が開く。

時計の針は夜中の二時を過ぎていた。

机には途中まで書いたであろうノートが広がっている。

 

 

私は眠っていたのか……。

 

 

なんだか長い夢を見ていたような気分だ。

 

 

未だ少し重い瞼に逆らうことはせず、大人しくベッドに入る。

 

 

夢の中で聞いた声は何処か懐かしく悲しげで、その声は思い出す度に私の心を締め付ける。

 

 

 

思い出そうとする内に、マリアは深い眠りに入っていった。

 

 

 




『落葉』

時計塔の女狩人、マリアの狩武器。
カインハーストの『千景』と同邦となる仕込み刀であるが
血の力ではなく、高い技量をこそ要求する名刀である。

マリアもまた、『落葉』のそうした性質を好み
女王の傍系でありながら、血刃を厭ったという。


だが彼女は、ある時、愛する『落葉』を捨てた。
暗い井戸に、ただ心が弱きが故に。


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第8話 白と緋

大変お待たせしてしまい申し訳ありません。
来年の夏頃までは忙しく、あまり投稿が出来ません。
ただストーリーは最後まで考えているので、責任を持って執筆させていただきます。
優しい目で見守ってくださると嬉しいです。


クラス代表決定戦当日までマリアは一人自主鍛錬を行っていた。

最初は箒や一夏からも稽古に誘われていたが、断った。

一夏を想う箒の意を汲んで二人にしてあげようと考えたのも理由の一つだが、どちらかと言えば、クラス代表決定戦で戦うことになる一夏にあまり自分の型を見せたくなかったのだ。

マリアはセシリアにも一夏にも敗れないつもりでいたが、ISという大きな武器を皆が扱う以上、勝負では何が起きるか分からない。

一先ずは、自分で出来るだけの鍛錬を積もうと、箒に竹刀だけ借りて当日まで竹刀を振って過ごしていたのだ。

 

 

決定戦前日になり、マリアは千冬から呼び出しを受けた。

用件は、マリアの専用機が明日、つまり決定戦当日に届くという連絡をイギリスのIS研究所から受けた、というものだった。

マリアは久々に自分が狩装束を纏うことになるのか、と心の中で思った。

マリアは入学前、研究所の職員と専用機について話し合う機会があり、マリアのIS操縦時は自身の狩装束を纏えるようにし、武器は落葉にしてほしいと大まかな形で頼んでいたのだ。

研究所がそれらをどういった形で実現してくれるのかは当日実際に機体を見てから解る事であるが、研究所はマリアの依頼を快く了承してくれていた為、それらについてはしっかりと考慮されていることだろう。

 

 

そして、決定戦当日。

マリアや一夏、箒、千冬は第三アリーナ・Aピット内にいた。真耶は席を外している。

既にセシリアは専用機を纏ってアリーナ内で試合が始まるのを待っている。

 

 

「お、織斑くん織斑くん!」

 

「落ち着いてください、山田先生」

 

駆け足で一夏達の元へ来た真耶を、一夏が落ち着かせる。転びそうで、見ているこっちも心臓に悪い。

 

「山田先生、聞かせてください」

 

暫くして落ち着きを取り戻した真耶に、千冬が促す。

 

「は、はい!たった今、織斑君の専用機が届きました!」

 

「やっとか……織斑、直ぐに準備をしろ。アリーナを使用出来る時間は限られているからな。ぶっつけ本番でモノにしろ」

 

いきなりとんでもない事を言われた一夏は困惑する。

 

「え、あの」

 

「この程度の試練、男子たるもの軽く超えてみせろ、一夏」

 

千冬に続いて箒からも厳しい事を言われる。

 

「え?いや、えっと……」

 

「「「早く!」」」

 

千冬、真耶、箒の声が重なった。

 

 

 

ピット搬入口が鈍い音を立てて開き始める。斜めに噛み合う防壁扉は、重い駆動音を響かせながらゆっくりとその向こう側を晒していく。

 

 

 

 

 

────そこには、『白』がいた。

 

 

 

 

 

眩しいほどの純白を纏ったISが、その装甲を解放して搭乗者を待っていた。

 

 

 

「これが織斑君の専用機、『白式』です」

 

 

 

無機質なそれは、しかし俺を待っているように見えた。

 

 

 

こうなることをずっと待っていた。

 

 

 

この時を、ただこの時を。

 

 

 

早く私と一つになれと囁きかけている。

 

 

 

 

一夏はほんの僅かだが、その白から何か暗いものを感じた。

しかし一夏の疑念は直ぐに消える。

 

 

 

 

 

「織斑、早速準備をしろ。時間が無いからフォーマットとフィッティングは実践で行え。出来なければ負けるだけだ、分かったな」

 

何とまぁ先程から無茶を言う姉だと思いつつ、一夏は白式に触れる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれ……?」

 

 

触れた瞬間、目の前の光景が変わった。

 

 

何だか全体的にぼんやりとした映像で、今居るはずのピットではない。

一夏は声を出すことも出来ず、ただその光景を見続けていた。

 

目の前には死にかけた一本の蛍光灯。

灯が自分の存在意義を捨てたのかと思えるほど部屋は暗く、殆ど見えない。

俺は手術台のようなものに仰向けでいた。

 

動くことが出来ない。

鋭い音がする。

古く錆び付いた車輪が回転する音だ。

 

この音は車椅子だ。

目を凝らせば、もう何十年も使い古されたような車椅子が此方に寄り添って来ているのが分かった。

誰かが座っている。

顔は見えない。

 

 

 

 

 

「成る程、君が………」

 

 

 

女性の声だ。

 

鼻から下は布で隠されており、どのような顔であるかははっきりとは分からない。

瞳と肩まで伸びた髪は血のように赤く染まっている。

 

 

 

「君は正しく、そして幸運だ」

 

 

 

 

()に隠された秘密こそが、君を導くだろう」

 

 

 

 

「だが、全てを語るべき法もない」

 

 

 

 

女性は俺に顔を近づける。

 

 

 

 

「だから君、先ずは私の血を受け入れたまえよ」

 

 

 

 

女性は注射針のような物を取り出した。

 

 

 

 

 

「なあに、何も心配することはない」

 

 

 

 

「此処で起きた事は、全て夢のようなものさ」

 

 

 

 

「何があっても、また君に会いに行くよ」

 

 

 

 

右腕にチクリとした痛みが走る。

 

不思議な感覚だ。

 

目の前が更に暗く、ぼんやりとした輪郭を帯びた視界に変わる。

 

女性が静かに笑っている。

 

その笑い声も、次第に遠くなって………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「一夏!」

 

 

ハッと顔を上げる。

いつの間にか自分の見ている光景はピット内に変わっていた。

目の前には白式がある。

今俺を呼んだのは千冬姉みたいだ。

 

「おい、大丈夫か」

 

「あ、ああ……」

 

 

 

何だったんだ、今のは……。

 

 

 

改めて、白式に手を当て、意識を集中させる。

 

試験の時に、初めてISに触れた時に感じた電流のような感覚はない。

ただ、馴染む。理解できる。

これが何なのか。何のためにあるのか。

 

「背中を預けるように……ああそうだ、軽く座る感じでいい。後はシステムが最適化する」

 

千冬姉の言葉に従い、白式に身体を預ける。

受け止めてくれる感覚がした後、装甲が空気の抜けるような音を立てながら俺の身体に合わせて閉じた。

 

まるで、初めから自分と白式は一つの肉体であったかのように、繋がる。

 

自分の視界の解像度が一気に上がり、クリアな感覚が目の前と全身に行き渡る。

皆の肌の繊細な色彩やつくりがハッキリと見える。

 

 

マリアが此方を見ていた。

あまり表情を出さないようにしているのか、その顔から読み取れる感情はよく分からないが、何処か訝しげな目を向けられている気がする。

 

「マリア、何か俺の顔に付いてるのか?」

 

「いや………なんでもない。白式は問題なく作動しているのか?」

 

「ああ。特に異変は無いぜ」

 

すると、白式から警告が発せられた。

 

『戦闘待機状態のISを感知。操縦者セシリア・オルコット。ISネーム『蒼の雫(ブルー・ティアーズ)』。中距離射撃型。特殊装備有り─────』

 

「ISのハイパーセンサーは問題無く動いているな。一夏、気分は悪くないか?」

 

いつもと同じように聞こえる千冬姉のその声は、僅かながら震えていた。

ああ、俺を心配してくれているんだな。それに名前で呼んでいるし。

 

「大丈夫、千冬姉。いける」

 

「そうか」

 

俺の返事を聞いて安心したのか、震えは無くなった。やっぱり、家族だから分かるのかな。

 

「いよいよだな、一夏。私との勝負も楽しみにしているぞ」

 

先程の表情とは変わり、自分を激励してくれるマリア。

ああ、と頷き、それとなく箒に意識を向ける。

何か言いたそうな、けれど言葉を迷っているような表情だ。これもきっと、普段なら分からないようなレベルなのだろう。

 

「箒」

 

「な、なんだ」

 

「行ってくる」

 

「あ、ああ。勝ってこい」

 

その言葉に頷きで応え、ゲートに進む。

身体を前に傾けるだけで、白式がふわりと空中に浮かび、前へと動いた。

 

 

ゲートが開くまで、後五秒。

 

相手は、すぐそこで俺を待っている。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

ゲートが開くと、一夏は身に纏った白式と共に空へと飛び立った。

 

 

あの時一瞬感じた、()()()()()()のようなものを見出した感覚は何だったのだろう。

 

あの悪夢で、あの時計塔で感じた()()()()

 

何故かその香りが私の中でフラッシュバックを起こす。

 

そして私をあの悪夢から解放した女。

顔は覚えていないが、赤く染まった瞳と髪を持っていたことは微かに覚えている。

 

「考えすぎ、か……」

 

考えても答えは出ないので、今は試合に向けて集中することにしよう。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

一夏とセシリアの試合は、セシリアの勝利という結果に終わった。

管制塔の中では真耶、千冬、箒の三人がモニターから試合の行方を見届けていた。マリアは一人で集中したいらしく、ここにはいない。

 

試合の内容はこうだ。

序盤、セシリアのライフル装備『スターライトmk.Ⅲ』と、このISの名前でもある6機のビット『蒼の雫(ブルー・ティアーズ)』の交互の攻防に苦戦する一夏だったが、一夏は、セシリアは自分の意識が向いている装備からしか攻撃出来ないという弱点を見つけ、隙を突き次々とビットを破壊していく。

しかし最後、ビットを全て破壊し、白式の最大の攻撃でもある零落白夜をセシリアに当てる寸前に、一夏のシールドエネルギーがゼロになり、試合は終了してしまった。

 

ピット内に戻ってきた一夏は、納得のいかないような顔で白式を解除する。

 

「俺、なんで負けたんだ?」

 

「それは、一夏くんの装備、零落白夜に原因があります」

 

真耶は一夏達に向けて空中投影ディスプレイを出す。

そこには一夏が零落白夜を使っていた時の映像が流れていた。

 

「白式の最大の攻撃である零落白夜は、非常に大きな攻撃力を相手に与える反面、弱点があります」

 

「弱点?」

 

「零落白夜を発動するには、白式のシールドエネルギーを消耗する必要があります。今回、一夏くんは序盤にオルコットさんから何発もの攻撃を受けました。そのため、残り少ないシールドエネルギーで零落白夜を発動し、シールドエネルギーが底をついた、というわけです」

 

なるほどと思いつつ、扱い辛い機体だなと心の中で思う一夏。

 

「いわば、諸刃の剣というわけだ。零落白夜をどのタイミングで使うのかを常に考えなければならない。そういう面を考えると、白式は欠陥品だな。まぁ……完璧な機体なんて無いのだから、欠陥品というのも可笑しな話だが」

 

千冬はそう言って、一夏の手首を見る。

白式は今、一夏の手首でガントレットとなって待機状態にあった。

 

「次はマリアさんですね。私、呼んできますね」

 

真耶は三人にそう告げ、その場から席を外した。

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

暫くして、真耶がマリアを引き連れて戻ってきた。

 

「よし、山田先生。マリアの専用機を」

 

「はい!」

 

千冬に促された真耶は、機械を操作し防壁扉を開く。

扉は先程と同じような重い音を出し、ゆっくりとその向こう側にある機体を晒していった。

まだ誰も見たことのないISに、皆はどんな姿なのか少しながらも期待している。

 

 

 

─────マリアの専用機であるISは、IS本来の姿と全く異なる形をしていた。

 

 

 

大きく異なる点として、ISに備われているはずの胸や腹部の装甲や翼の部分が無い。

あるのは肘から手までを覆う装甲と、膝下から足先まで伸びる装甲だ。

全体的に白と(あか)の色が施されており、両腕の下には並行して刃が、足首の部分には小さい刃を帯びた歯車のようなものが付けられている。

マリアは大体のデザインをあらかじめ研究所に希望していたため、この期待の姿に然程驚かなかったが、前例の無いISの姿にマリア以外の四人は目を白黒させている。

マリアは今まで自分の部屋に置いていた落葉を持ち、そのISに近づいた。

 

 

「さて、これに触ればいいのか?」

 

「ち、ちょっと待ってくださいマリアさん!」

 

 

あまりの事態のついていけなさに困惑し、一人先に行こうとするマリアを留める真耶。

 

「織斑先生……これはISなのでしょうか……?」

 

「……さぁな。研究所がISというのならば、ISなのだろう。まったく、マリアが来てからというもの、イレギュラーが多いな……」

 

顎に手を添え、考え込む千冬。

すると、一夏が装甲についての質問をする。

 

「なぁマリア、このIS、形が俺たちの知っているISとかなり違うってのもあるけどさ、翼が無いぜ?これじゃ飛べないんじゃないのか?」

 

「ああ、翼は私の希望で外してもらった」

 

「外した⁉︎ど、どうしてですか⁉︎」

 

真耶が驚いて声を上げる。

 

「サイズが大きいし、邪魔だからな。私には合わない」

 

「じ、邪魔って……」

 

「だが、空へ行けるようにはしてくれているらしい。だから大丈夫だろう」

 

一体何が大丈夫なのかと怪訝に思う四人。

マリアはISの横に、小さい箱が添えられているのを見つける。

近づいて手に取ると、そこには“Lady Maria, you must listen to this.”と記されていた。

これは私が死ぬ前まで目にしていた言語だ。

学校でも時々見るが、イギリスでもこの言語が使われているのだろうか。

まだまだこの世界には知らないことだらけだから、もっと図書館などで調べていかなくてはいけない。

箱を開けると、そこにはテープレコーダーが入っていた。

マリアはボタンを押してみる。

すると、暫くして女性の声がレコーダーから流れ出した。

 

『Hello, Maria. This is from a lab in UK and......おっと、そういえばそこは日本だったわね』

 

自分にとってとても馴染みのある言語が聴こえてきたが、女性の声は日本語へと変わった。

少しの懐かしさを感じるとともに、日本語に変えなくてもいいのにとマリアは思う。

一方で外国語に馴染みのない一夏と箒は、日本語が聴こえるまで女性が何を言っているのかサッパリであった。

 

『初めまして。私は研究所の職員のエマよ。貴女がマリアね。今回は私達の研究に協力してくれてありがとう。お陰で他とは変わったISを作ることが出来たわ』

 

エマと呼ばれた女性は説明を続ける。

 

『このテープが聴かれているということは、貴女は今新しい専用機の前にいて、そしてもうすぐ対戦、ということになるのかしら。相手、ウチのセシリアみたいね。彼女、結構噛み付きやすい性格なんだけど、実は頑張り屋さんなのよ。だから、仲良くしてあげてね』

 

セシリアのことを言われ、少しだけため息が出るマリア。

 

『さて、余談は此処まで。本題の専用機に入るわ。先ずは、機体に触れてみて』

 

一応、マリアは千冬を見た。

千冬も此方を見て、頷く。触れても問題ないと判断したのだろう。

マリアは、白と緋が塗られた機体に触れる。

すると、機体が緋い光に包まれ、光が収まる頃には既にマリアの身体に装備されていた。

そしてマリアの服装は、かつて自分が着ていた狩装束になっていた。黒と茶色が混ざったような全体的に暗い色で、西洋風の服装だ。

背中の片側にだけマントが付けられており、ISを装備しているため手と足は機体で覆われている。

 

『装備出来たかしら?貴女の専用機の名前は、『緋の雫(レッド・ティアーズ)』。深い意味は無いわ。貴女の写真を見たとき、何となく緋色のイメージが湧いたのよ。髪は綺麗な白色だけどね。セシリアのISと名前が似てるけど、嫌なら好きな名前に変えていいからね』

 

緋の雫(レッド・ティアーズ)』と呼ばれたマリアの専用機は、僅かに呼吸をするように緋く光り、沈黙を守っている。

 

『貴女の要望で、IS装着時には貴女の装束が自動的に装備されるわ。これ、ISスーツに引けを取らないくらい頑丈ね。驚いたわ』

 

そういえばこの狩装束を着るのは久しぶりだ。

 

『それと貴女の持ってる『落葉』なんだけど、ISの装着時、非装着時にかかわらず量子変換出来るようにしておいたわ。部分展開みたいなものね。つまり、貴女の好きな時に『落葉』を出現させることができる』

 

『後は、空を飛ぶ方法なんだけど……足が翼の代わりになってくれるわ。貴女が翔べば、足の裏の大気を固定してくれる。“昇華”の現象とはちょっと違うんだけど、まぁ実際にやってみれば分かるわ。ほんと、翼を外すなんて考えるの、貴女が多分最初で最後だわ。作るの大変だったんだから。大事に使ってよね』

 

エマの、若干疲れたようなため息が聞こえた。

やはりISの翼を外すなんて無茶なことだったんだと改めて思うマリア以外の四人。

 

『他の機能とかも説明したいけれど……自分で模索していく方が分かりやすいと思うわ。じゃあ、初めての対戦、頑張ってね。良い結果を期待してるわ』

 

そこでテープの音声は切れた。

マリアは四人に顔を上げる。

 

「では、行ってくる」

 

エマの説明に呆気に取られていた四人はマリアの言葉で我に返る。

 

「全力を出していこう、マリア」

 

「次は俺と対戦だからな!俺みたいに負けないでくれ!」

 

「も、もはやISといえるのかどうか定かではないですけど……頑張ってください、マリアさん!」

 

「ふっ……見ものだな」

 

マリアに応援の言葉をかける四人。

マリアはそれに応えるかのように、しっかりとした足取りでゲートへと向かった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

空を見上げると、蒼い機体が浮かんでいた。

セシリアのIS、『蒼の雫(ブルー・ティアーズ)』だ。

マリアは膝を曲げ、空に向かって高らかにジャンプする。

エマの言っていた通り、足先の大気を踏み台にして跳ぶことが出来、5歩くらいジャンプしてセシリアの前で止まった。

 

セシリアは何故か、その顔を赤く染めていた。

目は少しトロンとしている。特徴的な垂れ目が細まっている。

彼女の口から微かに一夏の名前が聞こえたような気がする。

しかし、セシリアはマリアを視界に捉え、我に返る。

 

「お、遅かったですわね」

 

「風邪か?日を改めてやってもいいんだぞ」

 

「よ、余計なお世話ですわ!」

 

赤く染めた顔を指摘され、きまりが悪くなるセシリア。

しかし彼女の表情は直ぐに敵を見据えるものへと変わった。

 

「というか……なんですの?その機体は。まさかそれで私に勝てるとお思い?」

 

「御託はいい。さっさと始めるぞ」

 

「……‼︎いいですわ。その言葉、後悔なさらないで下さい」

 

セシリアはライフルを構え、マリアを睨む。

対するマリアはそれに臆することもなく、静かにセシリアを見据えている。

 

まるで二人の周りから音が消え去ったように静寂になり、やがて試合開始のブザーが響いた。

 

 




緋の雫(レッド・ティアーズ)

イギリスで製造された、マリアの専用機。
手足のみの装甲という、他のISとは逸脱した外見をしている。
近接武器としての機能をしており、強力な衝撃を生み出す力を持つ。

その威力は、血の性質に依存する部分が大きい。


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第9話 対峙

マリアのIS、レッド・ティアーズはDMC4に出てくるギルガメスを参考にしています。
オリジナル機体でなく、申し訳ないです。


試合開始の合図が鳴ると同時に仕掛けたのはセシリアだった。

マリアに向けてレーザーライフルを一発放つ。

しかしマリアはそれを避けようともせず、顔を少しだけ右に傾ける。その直後、セシリアの放ったレーザーがマリアの顔の横を通り過ぎた。

 

「……威嚇射撃と分かってましたのね。舐めた真似を……」

 

「………」

 

セシリアはブルー・ティアーズに備わっている4機のビットを起動させ、マリアの方へ高速で突進しながら、ライフルとビットから交互にレーザーを撃つ。

マリアは上空に避け、セシリアとビットを見て、位置関係を把握する。

下方にライフルを構えたセシリアが、前方上空と背後にそれぞれ2機ずつビットがある。

まだレッド・ティアーズの機能を全て把握していないため、手始めに厄介なビットに焦点を当てる。

背後のビットからレーザーが撃たれる。

マリアは身体の重心を低く構え、試しにレーザーを回し蹴りする。

するとレーザーは跳ね返り、アリーナのグラウンドに穴を開けた。

それを見たセシリアは驚愕する。

 

「な⁉︎」

 

なるほど、どうやらこのISは近接武器の役割を持つのだろう。

恐らく、力を貯めることで、その分衝撃が増す、といった具合か。

 

「……なるほど、大体把握した」

 

今度はマリアから仕掛ける。

マリアは持ち前の速さで、目の前のビットに急接近する。

そしてビットを掴み、近くに浮かぶもう一つのビットに狙いを定めて投げる。

2機のビットはぶつかり合い、爆発を起こし破壊した。

セシリアは、いつの間にかマリアが自分のビットを2機も破壊したことに驚いていたが、同時にライフルをマリアに向けて放つ。代表候補生として、怖気付いてばかりではいられない。

 

しかし、マリアはそのレーザーを落葉で切り、セシリアに高速で近づこうとする。

セシリアは残りの2機のビットを急いでマリアに放つが、マリアはそれらを難なく避け、今度はパンチで破壊する。

 

残されたのはセシリアのみ。

マリアはすぐそこまで来ている。後1秒もしない内に自分に攻撃をしてくるだろう。

セシリアは横に飛びながらライフルを撃ち、マリアと距離を取る。

しかしマリアはセシリアの攻撃を全て躱す。

 

「く……速い……」

 

セシリアは焦り、思わず口に出てしまう。

誰がどう見ても、セシリアの分が悪い状況になっているのは確かだった。

マリアは続けて追って来ている。

セシリアも続けてライフルを撃ちながら距離を空ける。

すると、マリアは落葉を構え、先程のようにライフルから放たれたレーザーを切り落とすと思いきや、落葉をセシリアに向けて一直線に投げた。

セシリアは予想だにしなかった攻撃に面食らい、反応出来ない。

そして一直線に投げられた落葉はセシリアのライフルを弾き飛ばし、宙を舞う。

 

こんな筈ではなかった。

 

まるで全てがスローモーションになったような感覚。

セシリアは地面に落ちてゆくライフルを見る。ゆっくりに感じる故か、その銃口に刻まれた傷までも鮮明に見える。

顔を前に向けると既に眼前に迫っていたマリアが脚を空に向けて上げており、その脚を一気に自分に振り落とす。

蹴飛ばされたセシリアは地面に直撃し、少し遅れて落ちてきた自分のライフルが顔の横に突き刺さる。

 

こんな筈ではなかった。

 

空高くにいるマリアは、いつの間に取り戻したのだろうか、落葉を構え自分に向かって急降下で飛んでくる。

ここで何かしなければ、負けてしまうだろう。

しかしもう手元には武器が無い。

まだ2門のミサイル発射装置が自分の腰に残っているが、恐らく使う前に自分が落葉で切られる。

もう彼女は、目と鼻の先にまで迫っている。

 

こんな筈ではなかった。

 

まさか、見下していた彼女の力がこんなにも圧倒的なものだったなんて─────。

 

いや、そんなことは既に分かっていた。

自分は彼女に喧嘩を売った。

そして身の震える程の殺気を浴びせられた。

自業自得。

もう、あそこで勝負はついていたのかもしれない。

 

 

 

 

怖かったのだ。

 

誰かに、自分の地位を脅かされることが。

 

自分が今まで必死に守り通してきたものを奪われることが──────。

 

 

 

 

***

 

 

 

 

父は、母の顔色ばかり伺う人だった。

 

 

名家に婿入りした父。母には多くの引け目を感じていたのだろう。幼少の頃からそんな父を見て、『将来は情けない男とは結婚しない』という思いを幼いながらに抱かずにはいられなかった。

 

ISが全世界に発表されてからは、父の態度は益々弱いものになった。

母は、どこかそれが鬱陶しそうで、父との会話を拒んでいるきらいがあった。

 

 

 

母は、強い人だった。

社会の秩序が女尊男卑となる以前から、女でありながらいくつもの会社を経営し、成功を収めた人だった。

厳しい人だった。

けれど、意志を強く持っていて、憧れの人だった。

 

 

 

両親はもういない。

何年も前に事故で他界した。

いつも別々にいた両親が、どうしてその日に限って一緒にいたのか、それは未だに分からない。

 

越境鉄道の横転事故。

 

死傷者100人を超える大規模な事故で、一度は陰謀説が囁かれたが、今となっては謎のままだ。遺体も未だに発見されていない。

 

とてもあっさりと、両親は帰らぬ人となった。

不思議と涙は零れなかった。

 

それからは、あっという間に時間が過ぎた。

 

手元には、両親の遺した莫大な遺産だけが残った。

それを金の亡者から守るためにあらゆる勉強をした。その一環で受けたIS適性テストでA+の判定が出た。

政府から国籍保持のために様々な好条件が出された。

両親の遺産を守るため、即断した。

装備時の、原因不明のIS損傷など最初は苦労が多かったが、第三世代装備ブルー・ティアーズの第一次運用試験者として選抜された。

そして稼働データと戦闘経験値を得るため日本にやってきた。

 

しかし来日当時の自分はまだ、偏見が多かった。

男という生き物は皆媚び、諛うもの。女という生き物は女尊男卑社会に胡座をかき、力もないのに強くなった気でいるもの。

それが自分の思っていた男と女の像だった。

 

 

だが、出会ってしまった。

 

 

織斑一夏という、理想の、強い瞳をした男と。

 

 

そして、マリアという、憧れの、強い意志を持った女と。

 

 

先程戦った織斑一夏。

彼が何故負け、何故自分が勝ったのかは分からない。

しかし、勝ち負けはどうあれ、自分は彼に異性として惹かれている。きっと、そうなんだと思う。

 

 

そして、今目の前にまで迫っているマリア。

彼女もまた、強い意志を持ち、自分に挑んでいる。

そうでなければ、あの教室で、自分にあれ程の言葉を伝えない筈だ。

普通の人であれば、代表候補生に何か言われても力の差は歴然であり、言い返すことはなかなか出来ない。

『自分』という人間をしっかりと持っている彼女こそ、敬意を払うべき人間なのだろう。

ここで自分が敗れても、自分には何かを言う資格はない。

 

全ては自分の偏見が招いた衝突だったのだ。

 

彼女は悪くない。

 

悪いのは自分だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だが、だからと言って、自分が敗けるべき理由は何処にもない。

 

自分には、これまで遺産を守り抜いてきた力がある。

 

自分には、どんなに苦しいことでも耐え抜いてきた心がある。

 

 

そして何より、

 

自分には、祖国を代表する者としてのプライドがある。

 

 

 

 

 

ここで敗けるわけにはいかない。

 

 

 

 

─────私は、貴女に敗けるわけにはいかない!

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 

 

 

「あああああああああ!!!」

 

「⁉︎」

 

マリアの落葉がセシリアのシールドを切り裂こうと剣先がつく寸前、突如セシリアの身体から強力な衝撃波が放たれる。

マリアは咄嗟に反応することが出来ず、その衝撃をまともに受け、100m以上離れたアリーナの壁に一瞬にして打ち付けられる。

 

「ぐっ……かはっ………」

 

壁は崩れ、マリアは理解が追いつかないために身体を起こすことが出来ない。

想像を絶する速さで壁に打ち付けられたため、内から吐き気がこみ上げるが、耐える。口の中は少し、血の味がする。

衝撃波のせいで、辺りはグラウンドの砂の粉塵が舞い上り、セシリアの姿は見えない。

 

しかし、彼女はそこにいる。

確かにそこで、呼吸をしている。

姿が見えなくとも、分かる。

 

マリアは遠く離れた、セシリアがいるであろう場所をじっと見る。

 

やがて粉塵は晴れ、その姿が明らかとなる。

 

 

 

 

蒼い機体の周りを、()のように赤い空気が漂っていた。

 

マリアを見据えるセシリアの目は、先程感じられた恐怖心などは一切無く、堂々としていた。

 

 

「私は……ここで貴女を倒します」

 

 

「貴女を倒して、私が今まで築き上げてきた力を証明します!!」

 

 

そう言って、セシリアはライフルをマリアに向けて構える。

マリアには分かった。

セシリアの顔からは、今まで自分に向けてきた高飛車な態度などは無く、一度全てを省みて、そして私という一人の人間に敬意を払い、闘いを挑もうとしているのが分かる。

セシリア・オルコット。

彼女もまた、敬意を払うべき人間だったのだ。

 

マリアはエマの言っていたことを思い出す。

 

 

─────彼女、実は頑張り屋さんなのよ。だから、仲良くしてあげてね。

 

 

(本当だな。よく分かったよ、エマ─────)

 

 

マリアは瓦礫を退かして、ゆっくりと立ち上がる。

 

「面白い……オルコット」

 

そして、落葉を変形させ、二刀に分ける。

 

「君がその気なら、私も敬意を持って其れに応えよう」

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

「あ、あれは一体……何が起こったんですか⁉︎」

 

真耶が身を乗り出して画面に食いつく。

 

「オルコットさんの身体から、凄まじい力が……」

 

千冬は口を閉ざし、画面の中のセシリアを見る。

先程一夏と戦っていたときに見せたつけあがった目ではなく、目の前の敵を誠心誠意で倒す、一人の戦士としての目をしている。

更に、セシリアの動きは先程と打って変わって、途轍もなく速い。エネルギーを消耗していないから、瞬時加速ではないだろう。

ということは、セシリア自身の基礎能力が上がったということだろうか。

詳しくは分からないが、セシリアの中で何かが変わったのは確かだ。

今のセシリアは強い。

最早どちらが勝つかは、神のみぞ知るといったところか。

画面を見つめる千冬達は皆言葉を発さず、その試合の行方を見守っていた。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

セシリアが高速でマリアに突進する。

マリアも二刀の落葉を交差させセシリアを斬ろうとするが、避けられる。

背後に回ったセシリアはマリアに向けてライフルを撃つ。

レーザーがマリアの上半身目がけ迫ってくるが、マリアは身体を逸らしてそれを避ける。

しかし、そのまま素通りすると思われたレーザーが、なんと軌道を変えてマリアに直撃した。

 

「ぐっ⁉︎」

 

再び地面に落とされるマリア。

レーザーの偏向射撃というものは、かなり技術の高い技だ。

セシリアの覚悟が先程と変わったためか、今セシリアは一種の覚醒状態に入っているのかもしれない。ブルー・ティアーズの周りを赤い空気が纏っているのもそれに因るものだろう。

レーザーを直に受けてしまったマリアの身体や顔には傷口が出来てしまい、血が出ている。

そしてマリアは驚く。

 

「吸い込まれている……?」

 

空気中に滴り落ちたマリアの血が、ブルー・ティアーズに吸い込まれていることに気付く。

そして吸い込んだと同時に、覚醒前にマリアが負わせた機体の損傷が修復されていく。

 

(私の血で機体が修復されている……?ということは、恐らくシールドエネルギーも……とすれば、かなり不味い状況だな)

 

マリアの予測通り、事実セシリアのシールドエネルギーは少しながらも回復していた。

 

マリアは闘いながら、思う。

 

(何故、オルコットが……?血で回復するなど、まるで─────)

 

そう、まるで『狩人』だ。

狩人という言葉が頭に出るたびに、マリアは複雑な感情を覚える。

 

「余所見している暇はありませんわ!」

 

「⁉︎」

 

セシリアがライフルを何発も撃ち、放たれたレーザーはバラバラに動きを変えて迫ってくる。

マリアは落葉で斬り落としたり体術で跳ね返すなど、なんとかして耐える。

 

二人の攻防は、その後も長く続いた。

 

 

そして、決着をつけようと、セシリアが先に仕掛ける。

ライフルを十発以上撃ち、一つ一つのレーザーを屈折させマリアを追わせる。

空を飛んでそれらから距離を置くマリアに、すかさずミサイルを何発も撃つ。

レーザーがマリアを追い詰めた先には、火を吹いたミサイルが待ち構えていた。

 

セシリアは、勝ったと確信した。

しかし、マリアにレーザーとミサイルが当たる寸前、逃げ場を無くしたマリアが此方を見て、口の端を僅かに上げた。

 

(……⁉︎)

 

 

まるで、私の勝ちだというような表情だった。

が、直後にレーザーとミサイルに撃たれ大爆発を起こす。

マリアの飛んでいた場所に煙が立ち込める。

きっと、さっきのは見間違いだろう。

やがてマリアは地面に落ち、試合終了のブザーが鳴るだろう。セシリアはそれを待った。

 

 

しかし、試合終了のブザーが鳴らない。

セシリアは疑問に思いつつも、煙からマリアの血がブルー・ティアーズに流れ込んできたため、自分の勝利を確信した。

 

その時。

 

「な⁉︎」

 

回復されると思われたシールドエネルギーが、何故か急激に減っていった。

 

「な、何故ですの⁉︎」

 

セシリアが狼狽えていると、煙の中から二刀の剣が飛ばされ、セシリアの機体を刺した。

そして直後に、その身体を血に染めたマリアがセシリア目掛け猛突進し、強力な蹴りを食らわせた。

蹴飛ばされたセシリアは地面に直撃し、マリアがそれを追ってセシリアに力のこもった衝撃を放とうとする。

セシリアは恐怖のあまり、目を閉じた。

 

 

次に目を開けたとき、倒れた自分の目の前にはマリアがいた。

マリアはセシリアに攻撃せず、顔の横の地面に力を放ったのだ。地面は大きく抉れている。

セシリアのシールドエネルギーは既に0だった。

 

「な、何故ですの⁉︎確かに私のシールドエネルギーは回復される筈でしたのに……‼︎」

 

「……私の機体の足首に、刃が付いていたのを覚えているか?」

 

「え?」

 

セシリアはマリアの足首を見てみるが、刃が付いていた痕跡は見られない。

しかし、なんだか破損した後のように見える。

 

「ブルー・ティアーズをよく見てみろ」

 

「そ、それが何だというのです……な⁉︎」

 

ブルー・ティアーズを目を凝らしてよく見ると、数センチ程度の刃が無数に刺さっていた。

 

「君のミサイルが私に当たる直前、私は自分の足首にある刃を剣で切り刻み、それを自分の身体に刺した」

 

「何ですって⁉︎」

 

「そして爆発とともに私の身体には更に傷が出来る。そこから出る血を君の機体が吸収し、回復すると見せかけて、私の身体に刺さった刃も一緒に吸わせたんだ」

 

「ど、どうして⁉︎何故そのような危険を犯すのです⁉︎」

 

マリアは地面につけていた手を離して立ち上がり、二刀の落葉を一刀に戻す。

 

「君の全力で挑もうとする姿勢に応えただけだよ」

 

試合終了のブザーがアリーナに鳴り響く。

 

『勝者、マリア』

 

マリアはセシリアに背を向け、ゆっくりとピットに向かって歩き出す。

 

セシリアはその背を追うことも出来ず、ただ虚空を見つめていた。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

ピットに戻ったマリアは直ぐに保健室へと連行された。

思っていたよりも大した傷ではなかったので、マリアは別にいいと遠慮したのだが、千冬があまりにも行くように重圧をかけてくるので、仕方なく保健室へと向かった。

それと、機体が損傷したので、一夏には戦えなくてすまないと謝っておいた。

すると一夏は、そんなことはいいから早く保健室にと言って、結局マリアは急かされた。

保健室で30分程手当を受けた後、アリーナを出て、寮へと向かうことにした。

 

 

寮までの道のりをゆっくりと歩くマリア。

箒と一夏には先に帰ってもらうよう言っておいたので、一人で歩いている。

もう夕焼けの時間は始まっていて、空は朱と金に染まっていた。

まるで空と雲を焦がそうとするように、西から太陽が強い光を浴びせる。

 

(暫くの間、また使えるのは落葉だけになったな……)

 

セシリアとの試合で自らレッド・ティアーズを破損させたため、しばらくの間はISが使用できない。

今、レッド・ティアーズはマリアの右耳にイヤーカフスとして着けられている。太陽に照らされ、その小さな飾りは緋く輝いている。

ISの装甲自体は展開出来ないが、落葉や狩装束といった付属装備は展開出来るらしい。

マリアの機体は特別なため、整備科でも対応出来ないらしく、近々研究所に行く必要があるそうだ。

 

後ろの方で遠くから、足音が聞こえた。音の間隔は随分と速い。誰かが走って来ているようだった。

 

「お待ちください!」

 

振り返ると、遠くから此方へ走って来ている人物がいた。

声の主はセシリアだった。

マリアは足を止め、セシリアが来るのを待つ。

そして間もなく、彼女はマリアの元へと着いた。

頰に一筋の汗を走らせた彼女は、呼吸を整える。そして改めて顔を引き締め、マリアに向き直る。

 

「私は、貴女に謝らなければなりません」

 

「………」

 

マリアは何も言わず、セシリアを見る。

彼女もまた、マリアの目を真っ直ぐと見ていた。

 

「先日、貴女にあのような言葉を言ってしまったこと、深くお詫びします。本当に申し訳ありませんでした」

 

そう言って、セシリアは頭を深々と下げる。

マリアはセシリアに、顔を上げるよう促す。

 

「オルコット。私も君に謝りたいことがあるんだ」

 

「……え?」

 

「私にはかつて、あまり好ましく思わない人物がいた……いや」

 

ひどく厭っていたのかもしれないという言葉が出かけて、飲み込む。

自分でも誰のことを言っているのか曖昧だ。

生きていた時の記憶は、やはり霞んでいる。

確かその人物はセシリアと同じ金色の髪をしていて、しかし顔の記憶は……。

 

「あの時……初めてオルコットと話した時、私は無意識に君をその人物と重ねてしまっていた……同時に、私と君は何処か似ているとも感じていた」

 

「似ている……」

 

「変なことを言ってしまってすまない。とにかく、私は君のことを何も知らずに、オルコットという人物を決めつけてしまっていた。すまなかった」

 

マリアも頭を下げる。

 

「い、いえ!マリアさんは悪くないですわ!元はと言えば、私から始めてしまったことなのですし……」

 

セシリアはまさかマリアに謝られると思っていなかったので、驚く。

 

「オルコットと戦って、君が今までどれ程の苦労を積んできたのかが垣間見えたよ。君のよく知る人も褒めていた」

 

「え⁉︎だ、誰ですのそれは……」

 

マリアは少し微笑み、

 

「エマだ」

 

「エ、エマ……そんなこと言わなくてもよろしいですのに……」

 

セシリアは消え入りそうな声でぼそぼそと口にする。その顔は照れているからか、それとも夕日の光のせいなのか、少しばかり赤い。

 

暫く沈黙が流れ、セシリアがぽつりと言葉を口にする。

 

「私、怖かったんです」

 

「………」

 

「私は三年前に、両親を事故で亡くしました。それから家を守る為に、必死になりました。」

 

セシリアは俯き、胸に手を当てる。

 

「私は勉強でもISでも、常に一番を目指していました。でも、ある日研究所から貴女のことを知らされ、身がすくむような思いをしました。自分が今までしてきたことが、無駄になってしまうような気がして……」

 

「オルコット」

 

マリアに名を呼ばれ、顔を上げるセシリア。

すると、セシリアはいつの間にかマリアに優しく抱き寄せられていて、顔を彼女の胸に乗せていた。

 

「君のしてきたことは、決して無駄なんかじゃない」

 

「え……」

 

「本当に、頑張ったんだな」

 

それを聞いて、セシリアの目から、涙が零れた。

 

両親を亡くしてからというもの、涙を流す暇など無かった。

誰かに境遇を知ってもらいたいわけでもなかった。

いつか哀しみが自分を襲って壊してしまわないように、ただひたすら両親が遺した遺産を守る為の勉学に励んだ。

 

でも、本当は。

 

「あ、あら……可笑しいですわね……私、どうして………」

 

本当は、心の何処かで、誰かに知ってもらいたかったのかもしれない。

気づいてほしかったのかもしれない。

 

「私、泣くことなんて………ない、ですのに………」

 

ただその一言を。

「頑張ったんだな」というその一言を、誰かが言ってくれるのを待っていたのかもしれない。

その言葉で、全てが報われ、赦される感情になる。

拭えば拭うほど、涙が溢れる。

 

「うっ……ひっく…………」

 

マリアの抱きしめてくれるその手が、強く、温かい気がした。

彼女の制服が、涙で湿る。

 

「ごめん、なさい、マリアさん………今だけ、ですから………」

 

「ああ」

 

「ひっく………お母様………」

 

心が深い湖に溶け込むように、今まで閉じていた感情が、大粒の涙となって一気に溢れ出す。

まだ大人にもなれない内に両親を失うというのは、辛いことだ。

しかし彼女には悲しむ時間さえ持つことが出来なかった。家を守る為には、子どもでいることはもう許されなかった。

こうして彼女が誰かに打ち明けたことは、彼女にとっても次に進める一歩となるかもしれない。

 

でも、今だけは。

 

今だけは踏みとどまってもいい。思い切り悲しんでいい。

その為に自分の胸が拠り所となるのなら、幾らでも貸してあげようとマリアは思う。

 

夕焼けの空に暗闇の色が混じる。

もうすぐ陽が沈む。

その光は緋と蒼に輝くカフスを照らし、一人の少女の涙を優しく包んだ。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

「お恥ずかしいところを見せてしまいましたわ」

 

「いいさ」

 

泣き腫らして少し落ち着いたセシリアは、恥ずかしそうに言う。

 

「それと、マリアさん」

 

「なんだ?」

 

「私のことは、オルコットではなく、セシリアとお呼びください」

 

セシリアはマリアを見る。

マリアも少し微笑む。

 

「分かったよ、セシリア」

 

「ふふ、ありがとうございます」

 

セシリアも笑った。彼女の笑った顔が見れて良かったと、マリアは思う。

 

「なんだか、分かる気がします」

 

「………?」

 

「私とマリアさんは、『何処か繋がっている』」

 

マリアは、セシリアが何故そう思ったのかが気になった。

 

「例えば、これ」

 

セシリアはマリアに寄り添い、マリアの右耳を指す。

 

「マリアさんの緋と、私の蒼。お揃いのイヤーカフスですわ」

 

「ふふ、そうだな」

 

そう言うセシリアの表情は無邪気で、お揃いという言葉を使う彼女に可愛げを覚える。

そういえば、とセシリアは話を切り出す。

 

「私、ブルー・ティアーズにあのような機能があるなんて全く知りませんでしたわ」

 

「………ああ」

 

「まさか、血で機体を修復するなんて……少し、恐いですわね………」

 

そこからは複雑といった感情と、出会ったことのない自分の力に恐れている感情が見える。

きっと自分も、彼女と同じような顔をしているのだろう。

 

「マリアさんは、何かご存知ですか?」

 

セシリアはそう聞きながらも、自分が答えの無い質問をしているようなものだと自覚しているようだ。

 

「……いえ、変なことを聞いてしまってごめんなさい。マリアさんが私の機体について何でも知ってるわけじゃありませんものね」

 

「………いや、大丈夫だ」

 

中身のない返事を返してしまう。

しかし、確かにセシリアが血で機体を修復させることは予想外だった。

本当は自分でも分かっている。

血を自分に取り入れるなど、『狩人』のすることだと。

しかしマリアは、セシリアをそんな世界に引き込みたくはなかった。

彼女は彼女のままでいい。

関わらせないことの方が、彼女の為にもなる。

 

「セシリア、もう帰ろう」

 

「ええ、そうですわね」

 

もう、夜が始まる時間だった。

学園内の建物の光や路上の電灯が辺りを照らす。

先程までの話とは切り替え、寮に着くまでセシリアとはその後も談笑していた。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

マリアがアリーナを出る一時間程前。

一夏と箒は、寮までの道を一緒に歩いていた。

 

「マリアとセシリア、強かったな……」

 

「………」

 

「これでマリアが、クラス代表なのかな」

 

「………」

 

一夏が話すが、反応が無い。

箒は一夏の顔をチラチラと見ている。

 

「さっきから何だよ」

 

一夏にそう言われ、箒は伏し目がちになり、切り出す。

 

「その……なんだ、敗けて悔しいか」

 

「そりゃ、まぁ……」

 

「そ、そうか……」

 

箒の意図が読めない一夏。

すると箒は、少し上ずった声になる。

 

「あ、明日からは、あれだな。ISの訓練も入れないといけないな」

 

「だな」

 

「あ……その……」

 

箒が立ち止まる。

 

「い、一夏は、私に教えてほしいのだな」

 

「そりゃ、まぁな。他の女子よりかは気が楽だし、束さんの妹だから、ISに詳しいだろうし」

 

「そ、そうか……」

 

箒の顔が紅くなる。

きっと夕焼けのせいだろうと、一夏は思う。

 

「そうかそうか、なるほどな。仕方がないな」

 

そんな箒の顔は、何処か嬉しそうでもあった。

 

「よし、ではこれからは私が教えてやろう。これからは必ず、放課後は空けておくのだぞ?」

 

「お、おう」

 

「ふふふ」

 

「あ、待てよ」

 

何故か上機嫌になって先を歩き出す箒。

何がそこまで嬉しかったのか分からないが、まぁいいかと、一夏は思った。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

シャワーノズルから熱めの湯が噴き出す。

水滴は肌に当たっては弾け、またボディラインをなぞるように流れていく。

白人にしては珍しく均整の取れた身体と、そこから生まれる流線美はセシリアの自慢でもある。

しゅっと伸びた脚は艶めかしくもスタイリッシュで、並のモデルには引けを取らないどころか優っているくらいである。

胸は同い年の白人女子に比べると幾分慎ましやかではあるが、それが全身のシルエットラインを整えている要因でもあるので、本人としては複雑な心境らしい。

しかしそれも白人女子と限定すればの話であって、日本女子と比較すれば充分どころか大きいくらいだ。

シャワーを浴びながら、セシリアは物思いに耽っていた。

 

(今日の試合──────)

 

セシリアは改めて一夏との試合を思い出していた。

どうしていきなり一夏のシールドエネルギーがゼロになったのかは未だに分からない。

しかし、あの時に見た強い意志の宿った瞳。

 

「織斑、一夏………」

 

その名前を、口にする。

不思議と、胸の内が熱くなるのが自分でも分かる。

どうしようもなく心臓は高鳴り、セシリアはそっと自分の唇を撫でてみる。その唇は、触れられることを望んでいたかのように、不思議な興奮を覚える。

 

「………」

 

熱いのに甘く、切ないのに嬉しい。

─────この気持ちは。

 

意識をすると途端に胸をいっぱいにする、この感情の奔流は。

 

─────知りたい。

 

その正体を。その向こう側にあるものを。

 

─────知りたい。一夏の、ことを。

 

「………」

 

浴室には、ただただ水の流れる音が響く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夢を見ている。

 

 

城の中。

床にはいくつもの蝋燭の火と、誰のものかも分からない血が染みついている。

目の前には金と赤で作られた二つの椅子。

その一つに、金色の髪の女性が座っている。顔はよく見えない。

謁見の間と呼ばれるこの場所に本来相応しくない態度を、私は取っている。

私は跪きなど、しない。

 

「………血族の者よ」

 

女は、此方に話しかける。

 

「私は女王。たとえ血族とて、冒してはならぬ分がある」

 

「そんなもの、私の知ったことではない」

 

「………」

 

右手には、落葉を握る。

手には少しばかりの汗。

私は今、この女を殺そうとしている。

 

「それでどうする。殺したところで、私は不死の身。尽きることなく、何度でも蘇るぞ」

 

「………」

 

言われなくても分かっていた。

この女の身体に流れている血は、彼女を永遠にしている。

分かっていても、この女を斬らなければならない。

この女が、両親を殺したということは分かっている。

しかし、いくら探しても、証拠は無かった。

落葉を構えようとするが、腕が上がらない。

私の心は、こんなにも弱かったのか。

 

「………去れ。血族の者よ」

 

女は、何も出来ずに去る私を嘲笑いなどしないだろう。

しかし、どうしても自分の心の弱さに哀しくなる。

私は女に背を向け、外へと繋がる大階段を一段ずつ降りる。

 

暫く降りた後に、後ろから声が聞こえた気がした。

 

「─────貴公に、カインハーストの名誉のあらんことを」

 

 




蒼の雫(ブルー・ティアーズ)

イギリス代表候補生、セシリア・オルコットの第三世代型専用IS。
彼女がISを初めて装備した際に、謎の損傷を起こした経験があることから、この機体は実験・試作機という意味合いが濃い。
故に機体にも謎が多く、血を取り入れる機能なども研究所が意図したものでは無かった。


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第10話 芽生え

ミス(という程でもない小さなミス)に気付き、慌てて消してしまいました。すみません。笑


「えー、授業を終える前に……オルコットからお前たちに言いたいことがあるそうだ。では、オルコット」

 

「はい。ありがとうございます、織斑先生」

 

セシリアは座席を立ち、教壇へと歩を進める。

クラス代表決定戦が終わった次の日。

一夏たちが授業を受けている一年一組の時計の針は、授業終了五分前を指していた。

教壇に立ったセシリアは、クラスメイトに向かい合う。

 

「先日、皆さんに不適切な言葉を発してしまったことを深くお詫びいたします。本当に申し訳ありませんでした」

 

セシリアは真っ直ぐな声で謝罪し、頭を下げる。一週間前のセシリアの言動を見ていたクラスメイトたちも、彼女の誠心誠意な態度に驚く。そのセシリアの姿勢からは、心の底から彼女が反省していることが感じ取れる。

 

「まぁ……誰しも間違いは起こしてしまうものだ。皆も今回のオルコットの件は目を瞑り、改めて仲を深めてほしい」

 

千冬はそう言い、セシリアに座席に戻るよう促す。そして千冬は真耶に引き継いだ。

 

「はい、では昨日の試合の結果から、クラス代表が決定しました!ということで─────」

 

 

 

 

 

 

「ということで、織斑君のクラス代表就任を祝って、乾杯!」

 

「「「「かんぱーい!!」」」」

 

夜八時。

一年一組は食堂を借りて、一夏のクラス代表就任パーティを開いていた。

一同は早速お菓子の袋やジュースの蓋を開けていき、会場は大きく盛り上がっていた。

そんななか、一夏だけ腑に落ちない顔をしていた。

 

「というか、何で俺なんだ?勝ったのはオルコットさんとマリアだろ?」

 

「それは私が辞退したからですわ」

 

「辞退?」

 

一夏はセシリアの方を見る。

 

「ええ。今回の試合、私は代表候補生という座に慢心していました。形式的には一夏さんに勝ちましたが、私としては反省しなければならない内容でした。そこで、ここは初心にかえるべきという意味でも、クラス代表を辞退することにしたのですわ」

 

「そうなのか?勝ちは勝ちで良いと思うが……じゃあ、マリアはどうして?」

 

一夏がマリアに聞くと、マリアは飲んでいたジュースを口から離す。

 

「私はセシリアとの試合で自分のISを壊してしまったからな。クラスの役には立てないよ。それに、なんとなくだが、こういう役目は私より一夏の方が適任だろう」

 

「いや〜、セシリアとマリアさん、分かってるね〜」

 

谷本癒子がうんうんと頷きながら言う。

その他のクラスメイトも、折角男子がいるんだから持ち上げるべきだと笑顔で話す。

一方、一夏の隣に座っている箒は少し不機嫌な顔をしていた。

 

「人気者だな、一夏」

 

「そう思うか……?」

 

「ふん」

 

「なんでそんなに機嫌が悪いんだよ……」

 

一夏が大勢の女子からチヤホヤされることを、面白く思わない箒。そんな箒を見て、一夏も溜息を吐く。

 

一方、マリアは一人黙々とジュースやお菓子をつまんでいた。

 

(美味いな………)

 

マリアは殆どお菓子を食べたことがなかった。記憶にあるのは、ケーキがあったくらいだが、そのケーキも殆ど食べたことがない気がする。況してやジュースなども初めて目にしたため、マリアはこんなに美味しい物に出会えたことに密かに感動を覚えていた。

特に気に入ったのは、ビスケットにチョコレートが塗られたお菓子だ。

今度このお菓子を買って、夜にこっそり食べようと密かに決めたマリアの元に、二人の少女が現れた。

 

「ほほ〜〜。マリリンはチョコビスケットがお気に召したようですな〜〜」

 

のっぺりとしたその声の主は、袖が深々の制服を着た布仏本音だった。

 

「本音か」

 

「おお〜、マリリン!まだ話したこと無かったのに、私の名前を覚えてくれていたんだね〜〜」

 

「まぁな。それより、その『マリリン』とは私のことか?」

 

「そうだよ〜。マリアだからマリリン〜〜」

 

「ふふ、なんだそれは」

 

マリアは少し微笑む。

 

「マ、マリアさんが笑ってくれた……」

 

そう言ったのは、本音の隣にいたショートカットの少女。髪の両側にヘアピンを付けていた。

 

「君は、静寐か?」

 

「う、うん!鷹月静寐だよ!よろしくね!」

 

マリアにいつの間にか名前を覚えてくれていた静寐は、照れながら笑顔になる。

 

「しずねん、あ、もちろん私もだけど、ずっとマリリンと仲良くしたかったんだよ〜〜。でも、セッシーとの出来事を見てから、ちょっと話しかけづらかったんだ〜〜」

 

マリアはセシリアとの事を思い出す。

恐らく、セシリアに殺気を放ってしまった時の事を言っているのだろう。

 

「あの時は、皆に迷惑を掛けてしまったな。すまなかった」

 

「ううん、いいんだよ。マリアさんもセシリアと仲良くなれたみたいだし!」

 

静寐は全然気にしてないとマリアに言った。

マリアは二人に素直に感謝した。

 

「ね、ねぇマリアさん、もし良ければ私たちと一緒に写真撮らない?」

 

静寐はそう言って、ポケットの中から自分のスマートフォンを取り出す。

 

「ああ、いいぞ」

 

「本当⁉︎ありがとう!」

 

「おお〜しずねん、ナイスアイディア〜〜」

 

袖をフリフリと振る本音。

静寐と本音はマリアを挟むようにしてくっつき、静寐がスマートフォンを持つ手を少し上げて、自撮りの要領でカメラを構える。

 

「はい、チーズ」

 

マリアはこういう誰かとの写真を撮ったことはないため(入学前の書類に添付するための写真は千冬に撮られた気もするが)、どのような顔をすれば良いのか分からず、分からない内にシャッター音は切られていた。

 

「おお〜〜、綺麗に撮れたね〜〜」

 

本音が静寐の撮った写真を覗き込んでいる。

静寐も満足そうな表情をしていた。

 

「マリアさん、ありがとう!」

 

「ああ」

 

「いや〜〜、マリリンと一緒に写真を撮るという偉業をついに達成出来たんだね〜〜」

 

本音は何故か、しみじみとした表情で頷いている。

 

「大袈裟だな」

 

「知らないの?マリアさん、一年生の間で凄く人気なんだよ?」

 

「私が?人気なのは一夏だろう?」

 

想像もしなかったことを言われ、マリアは驚く。

 

「一夏くんも勿論だけど……マリアさんの評判って凄いんだよ。容姿端麗で、髪も綺麗で何処か神秘的で、でも戦う時は凄く強くて……」

 

マリアは、聞いてて恥ずかしくなる。

 

「そんなこと、考えたことも無いぞ」

 

「マリリンがそう思ってなくても、皆からはそう思われてるってことなのさ〜〜」

 

「……物好きだな」

 

女子ならば殆どが気にするであろう容姿の良し悪しなどを考えたことのないマリアは、二人の言うことを不思議そうに聞きながら、ジュースの入った紙コップを口につける。

 

そんなことを話していると、一夏達の方でカメラのフラッシュが焚かれた。

 

「はいはーい、新聞部でーす!今日は話題の新入生、織斑一夏くんにインタビューをしに来ましたー!」

 

一夏の写真を撮ったのは丸眼鏡を掛けた少女だった。

 

「あ、因みに私は黛薫子。二年生で、新聞部の副部長をやってるわ。あ、これ名刺ね」

 

「は、はぁ」

 

名刺を差し出された一夏は、戸惑いながらそれを受け取る。

すると薫子は一夏に向けて音声レコーダーを出してきた。

 

「はい、ではクラス代表に就任した今のお気持ちをどうぞ!」

 

「え?あー……まぁ……頑張ります」

 

「なんだ普通だねー。もっとこう、無いの?俺に触れるとヤケドするぜ?とか」

 

「むしろ寒くなりそうな気が……」

 

「あっはっは、そこんとこは気にしない気にしない!じゃあそこら辺は適当に書いとくね」

 

「ええ⁉︎」

 

いいのかそれで。

マリアは心の中で突っ込む。

暫くしてインタビューを終えた薫子は、カメラを取り出した。

 

「じゃあ、セシリアと織斑くんとで写真撮るから、二人とも並んでー」

 

「え⁉︎わ、私と一夏さんとでですか⁉︎」

 

驚いたセシリアは、顔を赤く染める。

 

「そうだよー、注目の二人だからね。マリアさんとも後で撮るから、さぁ二人とも立って立って」

 

カメラを構えだす薫子。

一夏とセシリアは立ち上がり、一緒に並ぶ。

 

「じゃあ、二人とも握手してくれるかな。あ、視線はこっちに向けてね」

 

一夏はおずおずとセシリアと握手する。

慣れてないのか、なんだか気まずそうだ。

手を握られたセシリアは、一夏の男らしさが感じられる大きな手にますます顔を赤くする。

お互い恥ずかしさから遠慮しているのか、少し距離が空いてしまっている二人に対し、薫子は溜息を吐く。

 

「もう……二人とも離れすぎ!ここはアップで撮りたいんだから、ほら、もっとくっついて!」

 

薫子が一夏の空いている手を取って、セシリアの背中に回させる。

先程よりもぐっとくっつき、セシリアは自分の心臓の音が一夏に聞こえてしまわないか気が気でなかった。

 

(ああ……一夏さんの手、大きくて温かいですわ……)

 

セシリアは、恥ずかしいから早く終わってほしい気持ちと、もっとくっついていたいという気持ちが混ざり合っていた。

何も喋らないセシリアを見て、自分と握手するのが嫌なのではないかと、一夏は心配になる。

 

「な、なぁオルコットさん……嫌なら無理しなくても……」

 

一夏がそう言うと、セシリアは一夏を見上げて目を合わせる。

 

「い、嫌なんかじゃありませんわ……一夏さんは、私とこうするのは嫌ですの……?」

 

「い、嫌ではないけど……少し恥ずかしいかな……」

 

「……ふふふ」

 

それを聞いて、セシリアは顔を綻ばせる。

セシリアの艶然とした笑みに、一夏は思わず顔を赤らめる。

 

「それと……私のことはセシリアと呼んでくださると嬉しいですわ」

 

「わ、分かったよ、セシリア」

 

「はい、一夏さん♪」

 

「あ………」

 

何だろう、この感情は。

今、セシリアに名前を呼ばれて、心臓の鼓動が速くなった。

セシリアの笑顔に見惚れてしまっている自分がいた。

彼女も自分を見つめている。

彼女の頰も赤くなっている。

自分も彼女と同じような顔をしているのだろうか。

 

 

パシャリ。

そんな二人の空気を両断するかのような音がした。

 

「おお〜〜……なんか二人ともいい感じだったから思わず撮っちゃった。じゃあ二人とも、改めてこっちに視線くれるかな?」

 

音の方向は薫子からで、写真を撮られたのだった。

一夏とセシリアは周りにクラスメイト達がいたことを思い出し、余計に恥ずかしくなった。

 

 

マリアは、少し離れた所で一夏とセシリアの様子を見ていた。

 

(なるほど、セシリアも一夏のことが……)

 

チョコビスケットを一口齧る。

 

(これは箒だけを応援するわけにはいかなくなったな)

 

見てみると、箒は一夏達の様子を見て、非常に面白くなさそうな顔をしていた。

意中の人物が他の女子と仲良くしていたら、当然面白くはないだろう。

 

(また話でも聞いてやるか……)

 

あくまで中立的な立場に立とうと決めたマリアであった。

 

「じゃあもう一度撮るよ〜。はい、3、2、…」

 

写真を撮る様子を眺めていると、突然腕を引っ張られた。引っ張ってきたのは静寐だった。

 

「私たちも一緒に写ろ♪」

 

「お、おい……」

 

「しずねん、ナイスアイディア〜〜」

 

本音も参加し、よく見ると他のクラスメイト全員が一夏とセシリア達に混ざろうとしていた。

そして箒もいつの間にか一夏とセシリアの間に立っている。

当の一夏達は一瞬のことで、気付いていない。

 

「1……はい、チーズ!」

 

パシャリ。

 

「……って、どうして皆さんが写ってますの⁉︎」

 

撮られた後になって、セシリアは他のクラスメイト達がいたことに気付く。

 

「まあまあ、セシリアだけ抜け駆けは駄目だよー」

 

「もっと撮ってくださーい!」

 

「あ、次は私が一夏くんの隣だからね!」

 

「マリアさんも一緒に並ぼー!」

 

「残念、私の方が一足早いよ〜」

 

「な、何をー!」

 

クラスメイト達は皆笑っている。

セシリアも、「全く、もう…」と言いながら小さく笑みを零していた。

ツーショットで撮るはずの写真に写ってしまったが、皆の楽しい雰囲気を見て、まぁいいかとマリアは思った。

 

 

 

 

 

 

パーティはお開きになり、時刻は23時。

部屋が一緒の一夏と箒は、寝る準備に入ろうとしていた。

 

「今日は楽しかっただろう。良かったな」

 

箒が不機嫌そうに一夏に言う。

 

「まぁ、皆と仲良くなれたかもしれないしな。そういう箒はどうなんだよ」

 

「そうだな。良かったかもしれない…な!」

 

箒は自分の枕を一夏の顔に目掛けて投げる。

一夏は顔にぶつかった枕を取る。

 

「何すんだよ!」

 

「今から着替える。向こうを向いてろ」

 

そう言うと、箒はベッドの間にある仕切りの壁をスライドさせる。

 

「はぁ……着替えくらい、俺が歯を磨いてる間に済ませろよな」

 

一夏は仕方なく壁を見つめる。

TVも電源をつけてないため、部屋の中は静かだ。静かなため、どうしても音に耳が集中してしまう。

箒が服を脱いでいるであろう、衣擦れの音などがやけに艶かしく聞こえて、一夏は変に意識してしまうが、気を紛らわせる。

 

暫くして、箒が「もういいぞ」と言ったので、振り返る。

 

「あれ……帯、変えたか?」

 

いつものように浴衣を着た箒の帯が変わっていることに気付く。

 

「よ、よく気付いたな……」

 

「まぁな。一応、毎日見てるんだし」

 

「そ、そうか。私を毎日見てる、か……。そうかそうか!よし、眠るとしよう!」

 

何が嬉しかったのかは分からないが、箒はどうやら機嫌を取り戻したらしい。

一夏はよく分からないまま、箒の言葉に従う。

 

電気を消して、ベッドに入る。

 

「い、一夏……」

 

「なんだよ?」

 

「その、なんだ……すまなかったな。苛々してしまって……」

 

「別にいいよ。気にしてない」

 

それを聞いて、箒は少しホッとする。

 

「あ、ありがとう……。では、な」

 

「ああ、おやすみ」

 

一夏も目を瞑る。

眠いような、眠くないような、どっちつかずの眠気が目にのしかかる。

一夏はパーティのことを思い出す。

どうしても頭に浮かぶのは、セシリアのことばかりだった。

最初に会った時の印象は最悪だったのに、自分やマリアとの試合を終えてから、その印象は大きく変わった。

セシリアに何があったのかは知らないが、間違いなく彼女は変わった。

そして今日のパーティでも、二人で並んだ時、彼女の笑顔に惹かれた自分がいた。

何だろう。

自分の奥底から、新たな感情が芽生えた気分だ。

セシリアの笑顔を思い出して、ベッドの中で顔が熱くなり、暫くの間寝付けなかった一夏だった。

 

 

 

 

 

 

同じ頃、セシリアは机の上を眺めていた。

目線の先は、先程撮った一夏との写真。

薫子から現像した写真を貰い、フォトケースに入れて飾ったのだ。

 

(一夏、さん……)

 

パーティでのことを思い出して、胸が熱くなる。

写真はいつまで眺めても飽きることは無く、セシリアがベッドに入るのはまだ暫く先になるのだった。

 

 

 

 

 

 

パーティが行われた数時間前。

夕方でまだ陽は落ちていない時間帯。

IS学園の正門前に一人の少女がいた。

少女は小柄で、その長い髪の毛をツインテールに結っていた。

 

「ここが……IS学園……」

 

やっと来ることが出来たと、少女の目は語っている。

抱えたボストンバッグを握りしめ、少女は学園に足を踏み出した。

 

 

 




鷹月静寐はベッドの中で、自分のスマートフォンの写真フォルダを見返していた。
フォルダの中には、IS学園に入ってから撮った写真が沢山ある。そして、先程まで行われていた彼のクラス代表就任パーティでの写真も。
静寐は写真を見ながら、パーティでの皆との交流を思い出し、つい笑顔になる。
画面を指で滑らせ、重い瞼を擦り、クラスメイト達の笑顔を心に刻み込む。









「あれ……?」










ふと、ある写真で指が止まった。


それは、本音と自分を含めた三人で撮った写真だった。
後一人、その人物は彼女である筈だった。
しかし、逆光なのか、レンズが曇っていたのか、それともカメラの不具合なのか、原因はよく分からないが、彼女の顔が隠れていた。
光なのか靄なのか、それらは彼女の顔に被さってしまい、ハッキリとしない。

疑問に思う静寐だったが、これからも沢山写真を撮ればいい話だと思い、眠気には逆らえず、電源を消した。



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第11話 旧友

次の回から、徐々にBloodborneの要素が強くなります。


2限目が終わり、休み時間。

教室内で一夏たちは談笑をしながら過ごしていた。

 

「皆、知ってる?二組のクラス代表の話」

 

話題を持ちかけてきたのは谷本癒子だった。

 

「なんでも、二組のクラス代表が新しい転入生に代わったらしいよ」

 

癒子に続き、同じクラスメイトの四十院神楽が説明した。

それを聞いたマリアは疑問に思い、尋ねる。

 

「転入生?こんな時期にか?」

 

そう、まだIS学園は新学期が始まって間もない。クラス代表決定戦などで時間は随分と経った気がするが、実際入学式はまだ数週間前に行われたばかりである。

 

「うん。中国からの転入生なんだって」

 

「その転入生、強いのかな?」

 

「今のところ専用機持ちは一組と四組だけだから、クラス対抗戦も余裕だよ!」

 

転入生についての話をしていると、教室の入り口からある少女の声が聞こえてきた。

 

「その情報、古いよ」

 

その言葉を一夏たちに言ったのは、小柄なツインテールの少女だった。

 

「二組もクラス代表が専用機持ちになったの。そう簡単に勝ちは譲らないから」

 

一夏はその少女を見て、咄嗟に立ち上がる。

 

「鈴……お前、鈴か?」

 

「そうよ。中国代表候補生・凰鈴音(ファン・リンイン)!今日は宣戦布告に来たってわけ」

 

教室中がザワザワとし始める。

一夏は呆けたような表情を浮かべた後、吹き出すように笑う。

 

「あっはっは!鈴、なにカッコつけてんだ?すげぇ似合わないぞ?」

 

鈴と呼ばれた少女は顔を真っ赤にする。

 

「な、なんてこと言うのよあんたはー!」

 

「おい」

 

その声と共に、鈴は後ろから頭を小突かれる。

鈴は小突かれた頭を抱える。突然の痛みに少し涙目だった。

 

「痛っ!……何すんのよ!……げっ」

 

鈴の後ろにいたのは千冬だった。

いつの間にか予鈴は鳴り、教師がクラスに戻ってくる時間であったらしい。

 

「ち、千冬さん……」

 

「学校では織斑先生だ。さっさと其処を退け、邪魔だ」

 

千冬は鈴に注意すると、教壇へと足を運んでいく。

 

「一夏!後でまた来るからね!逃げないでよ!」

 

鈴は一夏にそう言って、自分のクラスへと帰っていった。

一夏は久々に見る旧友の姿に、ついつい笑みが零れた。

 

 

 

 

 

 

昼休み、食堂。

一夏と鈴は、メニューの受け取りカウンターの列に並んでいる。その背後では、箒やセシリア達が二人の様子を探っていた。

 

「しかし久々だな!何年振りだ?」

 

「中学二年の時に中国に帰ったから、二年振りくらいね」

 

鈴は受け取り口からラーメンを受け取る。

 

「なぁ、お前……ひょっとして、まだ千冬姉のことが苦手なのか?」

 

一夏は、先程千冬に叱られた鈴の様子を思い出し、苦笑する。

 

「と、得意な人の方が少ないでしょ!」

 

「はは、かもなぁ」

 

一夏も頼んでいた定食を受け取り、鈴と共にテーブルへと向かっていった。

 

 

 

二人はテーブルに座ると、食事を始める。

 

「鈴、本当にラーメン好きだな」

 

「これを食べないと、なんかやる気出ないのよね」

 

鈴は美味しそうな表情で麺を啜る。どうやら鈴にとってラーメンはお気に入りの一品のようだ。

 

 

 

一方、隣のテーブルでは、箒やセシリア達が一夏たちの会話に耳を傾けていた。

セシリアが鈴を見て、小さい声で箒に聞く。

 

「あの方、一体誰なんですの⁉︎あんなに一夏さんと親しそうに……」

 

「私も知らん……一夏め、何故私に何も言わずに……!」

 

また、一夏と鈴を偵察する箒とセシリアの様子を眺めている者たちがいた。少し離れたテーブルに座る、マリアと神楽だった。

 

「必死だな」

 

「必死だね」

 

そうとしか言いようが無いので、神楽も相槌を打つ。

 

 

 

料理を食べ終わった一夏と鈴は、一息ついていた。

 

「そういや、いつ日本に帰ってきたんだよ?連絡してくれれば良かったのに」

 

「それだとサプライズにならないでしょー。あんたこそ、TV観てたらいきなり出てくるんだから、ビックリしたわよ。“世界初の男性IS操縦者”って。何があったのよ?」

 

「あー、あれか……」

 

一夏は自分がIS学園に入ることになった経緯を説明する。

一夏が受験する予定だった高校の試験会場は、偶然にも同日に行われていたIS学園の試験会場と同じ建物にあった。しかし、建物内の構造が複雑で、一夏は直ぐに迷子になってしまった。試験会場にいたスタッフたちに聞いてもよく理解できなかった一夏は適当に歩いていたが、最終的に行き着いた人気の居ない所で一つの部屋を見つける。

 

扉を開けると、そこにはISがあった。

 

冷たく暗い部屋の中にあったISは、一夏の目を釘付けにした。「何故ISが此処に在るのか」という驚きは不思議と湧き上がらなかった。一夏は徐にISに近づいていった。

 

「本当に何となく、そのISに触れてみたんだ。そしたらいつの間にか起動してたんだよ」

 

「ふーん。そうだったんだ」

 

「何というか……驚きって感情はあんまり無かったな。分かんねぇけど、“()()()()()()()()()”っていうか………───────あれ?」

 

 

 

一夏の脳内で、ある人物の姿がフラッシュバックする。

 

 

 

─────────

────────

───────

 

 

何があっても、()()()()()()()()()()。───────

 

 

 

以前にもこの人物を見たような気がする。

 

そうだ。

 

初めて白式に触った時だ。

 

女性だった気がする。でも思い出せない。

 

俺は、()()を忘れてるのか?───────

 

 

───────

────────

─────────

 

 

 

「…………一夏?」

 

虚空の一点を見つめるかのようにして何かを思いつめている一夏を、鈴は心配気な表情で見る。

 

 

 

 

 

バンッ!

 

テーブルの音で、一夏はハッとして我に返る。

テーブルに手をついていたのは、一夏と鈴の仲睦まじい様子を見て我慢ならなくなった箒とセシリアだった。

 

「一夏!そろそろ説明してほしいのだが」

 

「そうですわ!まさかこ、こ、此方の方とつ、付き合ってらっしゃるの⁉︎」

 

それを聞いた鈴は焦るような、しかし何処か満更でもなさそうな感じで否定する。

 

「つ、つつつ付き合うって、そんなんじゃないわよ!ね、ねぇ?一夏」

 

「そうだぞ。俺と鈴は幼馴染だ」

 

一夏が幼馴染と言った途端に、鈴の機嫌が悪くなった。

 

「なんだよ?」

 

「な、なんでもないわよ!ふんっ」

 

 

 

少し離れたテーブルに座るマリアと神楽も、その様子を眺めていた。マリアは、千冬が前に言っていた『弟は唐変木』という言葉を思い出す。

 

「鈍感だな」

 

「鈍感だね」

 

そうとしか言いようが無いので、神楽も相槌を打つ。

 

 

 

「そうだ、まだ箒には言ってなかったもんな」

 

一夏はそう言うと、まず鈴に説明を始める。

 

「ほら、前に話しただろ?篠ノ之箒。小学生の時の幼馴染で、当時の剣道仲間だ。んで、こっちは凰鈴音。丁度箒と入れ替わりで転校してきたから、箒はファースト幼馴染、鈴はセカンド幼馴染だな」

 

「ファ、ファースト……」

 

一夏から鈴の紹介を聞いた箒は、自分のことをファーストと呼んでくれたことに嬉しくなった。

 

「ふうん、そうなんだ」

 

鈴は箒の顔をじろじろと見る。

箒も負けじと鈴を見返す。ここで視線を逸らせば負けを認めるような気がしたので、箒は決して引かなかった。

 

「凰鈴音。よろしくね」

 

「篠ノ之箒だ。よろしくな」

 

二人の間に火花が散る。

一夏と箒と鈴が話しているのを横で待っていたセシリアが、痺れを切らす。

 

「コホンッ、私の存在を忘れてもらっては困りますわ!私はイギリス代表候補生のセシリア・オルコット。一夏さんとは先日、クラス代表をかけて戦った仲で───────」

 

セシリアが自己紹介を始めるが、鈴はそれを無視して、一夏に話しかける。

 

「一夏、あんたクラス代表になったんだって?」

 

「え?ああ、まぁ……」

 

「ねぇ一夏、何ならあたしがISの練習見てあげようか……?」

 

「……って、ちょっと!聞いていらっしゃいますの⁉︎」

 

またもや放って置かれたセシリアは怒りの表情を浮かべる。

 

「ごめん、あたし興味ないから」

 

「い、言ってくれますわね……」

 

「お、おい鈴……」

 

少しずつ怪しくなってくる空気におろおろし始める一夏。

すると今度は箒が鈴に歯向った。

 

「一夏にISを教えるのは私の役目だ!」

 

「貴女は二組でしょう?敵の施しは受けませんわ!」

 

「あたしは一夏に話してんの。関係無い人は引っ込んでてよ」

 

「関係無いとは何だ!」

 

「後から割り込んで来て何をおっしゃいますの⁉︎」

 

「後からじゃないけどね。あたしの方が付き合い長いし」

 

「そういうことを言っているんじゃありませんわ!」

 

三人の言い争いが更にヒートアップしそうなので、一夏は話題を変えようとする。

 

「ま、まぁISのことは置いといてさ。鈴、親父さんやおばさんは元気にしてるか?」

 

「え?」

 

幼少だった当時、千冬は家計を支えるため、アルバイトで夜遅くに帰ることも珍しくなかった。

まだ食事を一人で作ることが出来なかった一夏は、よく鈴の実家である中華料理屋に世話になっていたのだ。

 

「うん……元気だと思う」

 

そう答える鈴の顔は先程と比べ暗く、あまり親について語ろうとしない様子だった。

一夏が鈴を見て、何かあったのかと尋ねようとしたその時。

 

次の授業への予鈴が鳴った。

すると、鈴は食べ終わったラーメンのお盆を持って立ち上がる。

 

「一夏!練習が終わった頃にまた来るからね!」

 

そう言って、鈴は食器をカウンターに返し、そのまま食堂を出て行った。

 

「一夏、放課後は私と特訓だぞ」

 

「一夏さん、私との貴重な時間も大切であることをお忘れなく」

 

箒とセシリアも食堂を出て行く。

その後姿を見て、一体放課後はどうなってしまうのやらと思慮する一夏であった。

 

 

 

 

 

 

「はぁ……はぁ……」

 

放課後、アリーナのグラウンド。

ISスーツを身に纏った一夏は息を切らして仰向けに倒れていた。

そしてその様子を見下ろす箒とセシリア。

 

「一夏さん、大丈夫ですか?」

 

「これくらいでバテるなど、鍛えてない証拠だ」

 

「いや、二対一じゃこうなるって」

 

そう、元々は箒と一対一でISを使った練習をする予定だったのだが、箒に負けじとISを纏ったセシリアも来て、結局一夏が二人の相手をすることになったのだ。

結果は当然、一夏の完敗である。

 

空はもう陽が沈み、辺りは夜の顔を覗かせていた。

 

「一夏、私たちも帰るぞ」

 

しかし、一夏の身体は動かなかった。

 

「先に帰っててくれ……俺はまだ動けない」

 

「ふっ、仕方ないな。シャワーは先に使わせてもらうぞ」

 

そう言うと、箒はアリーナの更衣室へと向かい、その場を後にする。

暫く経って、セシリアが一夏の横にしゃがんで、声をかけた。

 

「一夏さん、そろそろ立てそうですか?」

 

「あ、ああ……いてて」

 

「無理に立とうとしなくてよろしいですわ。肩をお貸しします」

 

そう言って、セシリアは一夏の腕を自分の肩に回させる。

 

「わ、悪いな……ありがとう、セシリア」

 

「べ、べべ別に、大したことではありませんわ!」

 

グラウンドを照らす電灯は消され、辺りの視界は暗いが、それでもセシリアの顔は赤くなっているのが分かった。

一夏が一旦膝をついて、立ち上がろうと脚を伸ばした時、突然来た筋肉痛のせいかよろめいてしまう。

そしてその弾みで、ISスーツに包まれたセシリアの柔らかい胸が一夏に当たってしまった。

 

「きゃっ!」

 

「わ、悪い!わざとじゃないんだ!」

 

「い、いえ……気にしておりませんわ」

 

其処からは何とも言えない気まずさが二人を覆い、会話が途絶えてしまう。

一夏も変に意識してしまって、顔が熱くなっていた。

ふと横目でセシリアを見ると、彼女の顔も赤味を増している気がした。

申し訳ない気持ちになったが、ほんの少しだけ得をした気分になる一夏。そしてそれを感じてまた罪悪感に陥る。

思春期の男子ならば、当然の反応かもしれない。

 

 

 

 

 

 

更衣室の前に着いた二人は、気まずさからか、あまり目を合わすことが出来ずに別れた。

それでも一夏はしっかりとセシリアに礼を言い、今は更衣室の椅子に座っている。一夏は今日の練習を振り返っていた。

 

「この調子だと、クラス対抗戦も厳しいな……」

 

自分の弱さに落ち込んでいると、更衣室の扉が開く音が聞こえた。

 

「一夏、練習お疲れさま!はい、タオルと温めのスポーツドリンクね」

 

「おお、鈴か!サンキュ」

 

そういえば、練習が終わった頃に来るって言ってたっけ。

一夏は受け取ったタオルで汗を拭く。鈴は一夏の横に座り、何やら次の言葉を探しているように見えた。

 

「……やっと、二人きりだね」

 

「え?ああ、そうだな」

 

「一夏さ、やっぱあたしがいないと寂しかった?」

 

「まぁ、遊び相手がいなくなるのは大なり小なり寂しいだろ」

 

「もう、そうじゃなくてさー。久々に会った幼馴染なんだから、何か言うことあるでしょ?」

 

鈴の顔は何かを伝えようとしている感じで、しかし一夏に何かを言ってほしいようにも見えた。

一夏は、そういえばと切り出す。

 

「そうだ、大事なこと忘れてた!」

 

「えっ……」

 

鈴の顔が期待に満ちた表情になる。その顔はほんのりと赤い。

 

「中学の友達に連絡したか?お前が帰ってきたって知ったら、すげえ喜ぶぞ!」

 

それを聞いた鈴は期待外れといった落胆を見せる。

 

「もう!そうじゃなくて───────」

 

「あ、悪い。そろそろ身体冷えてきたから、部屋戻るわ。箒もシャワー使い終わった頃だし」

 

「……シャワー?」

 

鈴は立ち上がり、一夏に詰め寄る。

 

「箒って、あの黒髪の日本人の子よね?あんた、あの子とどういう関係なの⁉︎」

 

「どうって……幼馴染だけど」

 

「お、幼馴染とシャワーに一体何の関係があるのよ⁉︎」

 

「俺、今箒と同じ部屋なんだよ」

 

「はぁ⁉︎」

 

突拍子もない一夏の告白に唖然とする鈴。

 

「部屋を用意出来なかったんだと。だから───────」

 

「そ、それってあの子と寝食を共にするってこと⁉︎」

 

「まぁ、そうなるな。でも箒で良かったよ。これが見ず知らずの相手だったら、緊張で寝不足になってしまうからな」

 

それを聞いた鈴は俯いて黙り、一夏が「どうした?」と聞いた。

 

「……幼馴染だったらいいわけね」

 

「は?」

 

よく聞き取れなかったので、もう一度聞き返す。

 

「だから!幼馴染だったらいいわけね!」

 

その目は何やら、闘志のようなものに燃えていた。

 

 

 

 

 

 

マリアは寮の廊下を歩いていた。

丁度寮内にある大浴場から自分の部屋に向かっているところで、格好も軽い服装に着替えている。

曲がり角を曲がった所で、マリアは誰かとぶつかってしまった。

相手は走ってきたせいか、マリアとぶつかり派手にコケてしまう。

 

「いだっ⁉︎」

 

そう言って尻もちをついたのは、ツインテールの小柄な少女だった。この少女は確か……

 

「ぶつかってしまってすまない。大丈夫か?」

 

「……大丈夫、ごめんなさい」

 

少女の顔は暗く、その目には僅かに涙が浮かんいた。少女に何かあったのかと、マリアは気になってしまう。

 

「おい、どうした?」

 

「な、何でもないわ。あたし、行くから」

 

「待ってくれ」

 

マリアは少女の行こうとする手を掴み、尋ねる。

 

「君は、確か一夏の友人だろう?何かあったのか?」

 

「べ、別に、何もないわよ………」

 

少女は涙を見られたくないのか、マリアと目を合わせようとしない。

果たしてこのままでいいのかと心配になる。

しかし、マリアは其処からすぐ近くにランドリーと自販機と椅子が設置されているスペースがあることに気付く。

 

「そうだ、少し喉が渇いてな。少々付き合ってくれないか?飲み物は何がいい?」

 

そう言って、マリアは少女の手を優しく引く。

少女も抵抗することなく、マリアの後についていった。

 

 

 

 

 

 

ガコンッ。

自販機の中で、缶がぶつかりながら落ちる。

マリアは下に屈み、取り出し口の透明な蓋を開ける。

 

(我ながらよく手慣れたものだな……)

 

ついこの前までは自販機の存在すら知らなかったというのに、今では自由にそれを使用出来ている。

新しい環境に順応している証拠だった。

マリアは今買ったばかりのジュースを鈴に渡す。

 

「オレンジでいいか?」

 

「あ、ありがとう……」

 

鈴は渡されたジュースを、おずおずと受け取る。

マリアも鈴の横に座り、自分の缶の蓋を開けた。蓋を開ける音が、その場に響く。

マリアは何も言わず、自分のジュースを飲んでいた。

 

「………何も聞かないの?」

 

鈴がジュース缶を手の中で転がしながら、横目でマリアを見る。

マリアも缶から口を離し、

 

「まぁ……色々あったんだろう?」

 

と鈴に優しく答える。

鈴は曖昧に反応し、また押し黙ってしまう。

それを見たマリアは、私から何か話すべきかと考えた。

 

「君は……一夏の幼馴染、で合ってるのか?」

 

「へ⁉︎う、うん……そっか、あたしが一組に行ったとき、一夏の近くにいたもんね……」

 

「ああ」

 

もう彼女の名前は知っているが、取り敢えず改めて挨拶を交わすべきか。

 

「私はマリア。君は?」

 

「あ、あたしは凰鈴音。鈴でいいわ」

 

「そうか。私のこともそのまま呼んでくれればいい」

 

「そ、そう」

 

二人の周りには、ただランドリーの低い機械音と、その中でもみくちゃにされているであろう衣類の音が響き渡る。

数多く並んでいるランドリーの中で、マリアは目の前で回されている誰かの洗濯物を、何も考えずに眺めていた。

暫くして、横に座る鈴が小さな声で話し始める。

 

「一夏とね……その、喧嘩しちゃった………」

 

「………」

 

「昔ね、一夏と約束してたんだ。でも、一夏はそれを憶えてなくて……」

 

マリアは鈴の顔を見る。

その出来事を思い出したのか、鈴はまた泣きそうになっていた。

 

「大切な約束だったのか?」

 

「うん……。『料理が上達したら、毎日あたしの酢豚を食べてくれる?』って約束したの」

 

「そうか………」

 

つまり、鈴にとっては一夏に対する告白のつもりだったのだろう。毎日料理を食べるということは、生活を共にするということだ。

なるほど、しかし……

 

「一夏、意味を履き違えてて、『奢ってもらえる』ってことだと思ってたらしいの。ほんと、有り得ないと思わない⁉︎」

 

「しかし、鈴の言い方にも直すべきところはあったかもしれないぞ」

 

「え、ど、どうしてよ⁉︎」

 

「一夏だからだ」

 

鈴は要領を得ないといった顔をする。

つまりだな、とマリアは続ける。

 

「一夏の鈍感振りは私よりも鈴の方がよく分かっているだろう?一夏に遠回しな表現をしたところで、其れが伝わる保証は無いぞ」

 

「そ、それはそうだけど……そんなの直接言えるわけないじゃない………」

 

鈴は頭の中で想像して、顔を真っ赤にする。

そんな鈴を見て、マリアは優しく微笑む。

 

「まぁ、それでも、女との約束を履き違える一夏が悪いな。鈴はずっと想ってくれていたというのに。千冬の言っていた通り、確かに女心に疎い男だよ」

 

マリアは笑いながら言い、自分の缶をまた口につけ、一息つく。

 

「でも、あまり冷たくしてやらないでくれ。一夏もきっと、鈴と話せないと寂しがるだろうからな」

 

「………うん」

 

「ありがとう、鈴」

 

「な、なんであんたが礼を言うのよ………お礼をするのはあたしの方じゃない………」

 

「ふふふ」

 

微笑み、マリアは鈴の頭を撫でた。

礼を言う彼女の顔は本当に優しく温かな表情をしていて、鈴は思わず照れてしまい、視線を逸らしてしまう。なんだか、彼女に話したら少しスッキリした。

鈴は、話題を変えようとして、先程彼女の言っていたことを思い出す。

 

「そ、そういえばさっき、千冬さんのことを『千冬』って呼んでたけど、どういう仲なの?」

 

「ん?そうだな……彼女には暫く世話になってたんだ。丁度ここに入学する前に」

 

入学前の事を思い出しながら、マリアは話を続ける。

 

「帰る宛ても無くてな。短い間だが、家に厄介になっていたんだ」

 

「そうなんだ……………え⁉︎」

 

マリアの言った事に心底驚く鈴。

 

「それって、一夏とも一緒に過ごしたってことじゃない!」

 

「ははは、心配するな。怒ると怖い千冬も一緒だ」

 

それに、とマリアは続ける。

 

「私は一夏をそういう目で見ていない。いい男だとは思うがな」

 

鈴は「そ、そう……」と言って、先程までの調子を落ち着かせた。

マリアはまた微笑み、そしてゆっくりと立ち上がる。

 

「さ、もう遅い。鈴も部屋に帰ろう」

 

「う、うん」

 

鈴は暫く座ったままでいたが、一つ気になった事があったので、後姿のマリアに尋ねてみる。

 

「ね、ねぇ………マリアはさ、好きな人とかいるの………?」

 

そう聞かれたマリアは足を止め、振り返らないまま自分でもはっきりとしない所に視線を惑わせ、「そうだな………」と呟く。

 

 

 

()()、かもしれないな………」

 

 

 

そう呟く彼女の顔は、少し翳りが差していた。

()()()()()()()()()()()()()

しかしそう思うことに自信も根拠も無く、マリアはただ呆然とする。

いつの間にかランドリーは動きを止めており、二人の間には沈黙が流れる。

マリアの事情は分からないが、しかし彼女の表情を見て鈴は理由を聞くことも出来ず、只々時計の盤上で針が時間を刻む音だけが聞こえた。

 

 

 

 

 

 

クラス対抗戦当日。

一夏は試合が行われるアリーナのピット内で白式を纏い、待機していた。

側には箒とセシリアが来てくれている。

一夏の試合相手は、昨日少々喧嘩をしてしまった鈴だった。

 

「一回戦から鈴が相手か……」

 

一夏の前に、空間ディスプレイが投影された。その画面には鈴の機体の概要が載っている。それを見ながら、真耶が通信を通して説明をしてくれた。

 

『あちらのISは『甲龍(シェンロン)』。織斑君の白式と同じ、近接格闘型です』

 

鈴のIS『甲龍』は全体的に紫とピンクが混ざり合ったような色で、その中に黒と黄色のラインが入っている。

見るからにパワータイプの機体で、鈴の持つ大型の刀『双天牙月(そうてんがげつ)』はかなりの重量があるように見える。

すると、側にいたセシリアや箒も一夏に声をかける。

 

「私の時とは勝手が違いましてよ。油断は禁物ですわ」

 

「硬くなるな。練習の時と同じようにやれば勝てる」

 

一夏は、改めて画面の中の甲龍を見た。

 

「あれで殴られたら、すげぇ痛そうだなぁ……」

 

『それでは両者、規定の位置まで移動してください』

 

アナウンスが流れ、一夏は二人に行ってくると言い、ピットを飛び出た。

 

 

 

 

 

 

目の前にいる鈴が、一夏に話しかける。

 

「今謝れば、少し痛めつけるくらいで済ませてあげるわよ?」

 

「そんなのいらねぇよ。全力で来い」

 

「一応言っておくけど、絶対防御も完璧じゃないのよ。シールドを突破する攻撃力があれば、殺さない程度に甚振(いたぶ)る事は可能なの」

 

「分かってる」

 

鈴の譲歩を受け取らんとする一夏。

 

『それでは両者、試合を開始してください』

 

試合開始のブザーが鳴った。

鈴は双天牙月を、一夏は雪片弐型を展開する。

 

先手を打ったのは鈴だった。

片手に持った双天牙月を一夏目がけて一気に振り下ろす。

 

「ハァ!!」

 

「ぐっ……!」

 

一夏は鈴の重いパワーをなんとか防ぎ、双天牙月を弾き返す。

鈴は一旦、一夏から距離を取る。彼女の表情からは、『余裕』という二文字が読み取れた。

 

「ふうん……初撃を防ぐなんてやるじゃない。けど───────」

 

一刀だけと思われていた刀を、鈴はもう一つ展開する。『双天牙月』という名前は、この由来か。

鈴は二刀を持って一夏にぶつかり、内の一刀を一夏の頭に振り下ろす。

一夏は其れを雪片弐型で防ぐが、鈴のもう片方の刀で胴を打たれ、吹き飛ぶ。

 

(くっ……このままじゃ消耗戦になってしまう………ここは一度、距離を取って───────)

 

「甘い!」

 

鈴は二刀を繋ぎ、双天牙月を大きな一刀にする。

そして空かさず刀を回転させながら、一夏に向かう。

雪片弐型でなんとか鈴の攻撃を流そうとするが、隙を突かれ、鈴の刀が当たり、またもや吹き飛んでしまう。

一夏が姿勢を持ち直し鈴に再び向かおうとすると、鈴の肩の装甲が一気に光り出した。

そして次の瞬間、一夏は途轍もない衝撃に襲われる。

 

「ぐあっ!!」

 

一夏はグラウンドに叩きつけられ、辺りには粉塵が舞う。

 

「今のはジャブだからね」

 

上空にいる鈴は、余裕の表情で一夏に告げる。

 

───────衝撃砲。

 

甲龍の持つもう一つの武器『龍砲(りゅうほう)』は、空間自体に圧力をかけ砲身を作り、衝撃を砲弾として撃ち出す物だ。

目には見えないため、放たれた砲弾の弾道は把握することが出来ないというのがこの武器の強みである。

 

「くっ………」

 

一夏は立ち上がり、鈴の放つ砲弾から逃げる。

しかし目に見えない上に彼女の攻撃には死角が無く、どうすればよいのかが思い浮かばない。

そうこうして逃げている内に、また鈴の衝撃砲が放たれ、一夏に直撃した。

 

「ふん。さっきの威勢はどうしたの、一夏」

 

鈴が挑発する。

一夏はグラウンドに倒れ、口の中には砂が入ってしまった。

 

一夏は起き上がりながら、先日千冬に教えてもらったことを思い出す。

 

 

───────瞬時加速(イグニッション・ブースト)。ただし、通用するのは()()()()だ───────

 

 

(しっかりしろ。俺は千冬姉と同じ武器を使っているんだぞ)

 

一夏は立ち上がり、雪片弐型をしっかりと握る。

 

(バリア無効化攻撃………使えるか……?)

 

一夏はしっかりと鈴を見据える。

口の中に混ざってしまった砂を唾と共にグラウンドへ吐き出す。

 

「鈴」

 

「な、なによ?」

 

「………本気でいくからな」

 

「なによ⁉︎そんなの当たり前じゃない!とにかく、格の違いってのを見せてあげるわ!」

 

鈴は怒り、一夏のいるグラウンドに向かって猛突進する。

 

「───────どうかな」

 

一夏はニヤリと笑い、雪片弐型をグラウンドに突き刺す。

そして向かってくる鈴を無視し、雪片弐型を引きずりながらグラウンド上を移動する。

 

「ちょっと、ふざけてんの⁉︎」

 

「………」

 

「くっ……なんとか言いなさいよ!」

 

鈴は一夏を追いかけるが、ちょこまかと移動してなかなか追いつけない。

暫くして、一夏は動きを止めた。

 

「………これでやっと、有利に戦える」

 

「はぁ⁉︎何言ってんのよ⁉︎」

 

そう言いながら、鈴はあることに気付く。

まさか、一夏は──────。

 

「お前が素直に追いかけてきてくれたおかげで、お前が何処に衝撃砲を撃つのか、はっきりと見える。撃つためには、空間に歪みが出るからな。砂埃がそれを教えてくれるってわけさ」

 

鈴の周囲には、一夏が雪片弐型を引きずりながら走ったせいで発生した大量の砂の粉塵が舞っていた。しかも一夏は結構な距離を走り続けたため、粉塵が収まるのはまだ当分先のことだろう。粉塵は高い上空にまでどんどん上がっていく。

そう、鈴はまんまと一夏の策に嵌ったのだ。

 

「くっ……!こんなの、上に行けば済む話───────」

 

「させるか!」

 

途端に一夏が鈴を攻め始める。

鈴は一夏の攻防からなかなか抜け出せず、その表情からは焦りの感情が浮き上がっていた。

 

 

 

 

 

 

「ふっ……一夏、考えたな」

 

一方、マリアはアリーナの観客席で二人の試合を見ていた。両隣には本音と静寐が座っている。

 

「織斑くん、優勢だね!」

 

「リンリンの雲行きが怪しくなってきたよ〜」

 

静寐たちも一夏の攻防を見て盛り上がっている。

試合は順調に動いているように見えた。

 

 

 

しかし、なんだろう……。

何か、胸騒ぎがする………。

 

 

アリーナ自体に異変は見当たらない。

周囲を見渡しても、皆試合に釘付けだ。

おかしな部分は何も無いのだが………。

 

何かよくないことが、()()()()を感じているような気分だ。

 

 

 

一夏の攻防は最高潮に達し、焦る鈴に一瞬の隙が生じた。

それを見逃さず、一夏は瞬時加速(イグニッション・ブースト)をし、鈴に一気に詰め寄る。

 

 

マリアは上空からの異様な気配に気付き、直ぐ立ち上がり、上を見る。

直後、アリーナの天井の防御シールドを破り、何か黒い物体が目にも止まらぬ速さでグラウンドに墜落した。

 

物体は落ちた瞬間爆発を起こし、周囲に舞っていた粉塵を全て吹き飛ばす。

 

一夏や鈴、そして観客席にいる生徒達は、一体何が起こったのか理解が出来なかった。

 

 

 

 

 

マリアは爆発で舞い上がっている炎と煙の中に、一つの巨大な人型の物体を見た。

 

 

 

それは黒く、禍々しく、異形とも呼べる機体で、どの不穏な表現も当てはまるが、最も其れを表す言葉を使うとするならば───────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

───────其れはまるで、『獣』のようだと言えるだろう。

 

 



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第12話 人外

今回の戦闘場面は、この曲がイメージです。
もし良ければ、是非聴きながら読んでみて下さい。

Cleric Beast - Bloodborne OST

※今回の話と曲名は関係ありません。

前述した通り、徐々にBloodborneの要素が強くなっていきます。
今までの話もそうですが、今回の話も今後の物語に大きく関わってきます。ただ、それがハッキリと分かるのは結構先かもですが……笑
更新遅くて申し訳ないです。


何故、奴が此処にいるのか───────。

 

深い灰色。

其れは機械的で、ISという名の機体であるはずなのに、両腕の装甲は不均等な大きさである。

その手は異常に長く、爪先よりも下まで伸びている。ゆうに2mを越すその機体は全身装甲(フル・スキン)でありながらも、多くの部分に動物の毛や血肉のようなものがこびり付いていた。

その機体は何故か傷だらけで、至る箇所から血のような液体が流れている。

そして頭部には四つの穴が開いており、不気味な雰囲気を漂わせる。

その機体は、静寂となった空気に悲鳴のような金切り声をあげ、アリーナ中に響かせる。

 

 

これではまるで、『獣』じゃないか───────。

 

 

マリアは言葉に表せないような複雑な感情に陥る。

しかし、今はそれに思考を向けさせる時ではない。

 

『試合中止!織斑!凰!直ちに避難せよ!』

 

千冬がマイクで司令を入れた直後、アリーナ中の観客席の緊急時用シャッターと扉の自動ロックが作動し、生徒達は密室に閉じ込められてしまった。

 

「誰か!ここを開けて!」

 

「なんなのあれ⁉︎テロリスト⁉︎」

 

「このままだとこっちに向かってくるよ!」

 

「早く扉を開けて!殺されるわ!」

 

マリアの周りにいた生徒達は一斉に悲鳴を上げ恐怖に陥り、非常用出口の扉を叩く。

マリアは即座に千冬へと通信を開く。

 

「千冬!観客席の出口が開かない!何とか開けられないか⁉︎」

 

『此方も今試みているが、システムがハッキングされている!教師部隊も出動出来ない事態だ!』

 

「っ!………そうか……」

 

マリアは先程から、誰かに見られている気がしてならなかった。

この視線の感触を私は覚えている。

生前、幾度となく味わわされた感覚だ。

其れは、今グラウンドにいるであろう侵入者しか思い当たらなかった。

 

奴の狙いは私なのか?───────。

 

何れにせよ、ここでじたばたしていては奴は直に此方へ向かってくる。

マリアは非常用出口の方へと向かい、生徒達をかき分けた。

 

「皆退がれ!」

 

マリアは落葉を展開し、扉の前で立ち止まり、構える。

そして、素早く落葉を振り、扉を蹴った。

蹴られた扉はバラバラとなって宙を舞い、向こう側へと続く通路が見えた。

 

「早く此処から避難しろ!」

 

安全な場所へと行けると分かった生徒達は皆一斉に扉の向こう側へと走り出す。

人混みの中で、マリアへと懸命に近付こうとする二人の少女がいた。

 

「マリアさん!早く逃げよう!」

 

そう言って来たのは静寐だった。その後ろには本音がいる。二人の目からは恐れと不安が入り混じった感情が読み取れた。

マリアは首を横に振る。

 

「私は此処に残る。静寐も本音と一緒に行くんだ」

 

「な、何言ってるの⁉︎そんなことしたら危ないじゃ済まないよ⁉︎」

 

「私は大丈夫だ。約束する」

 

「で、でも………」

 

「本音、彼女を連れ出してくれ。早く!」

 

「う、うん、分かった!しずねん、行こう!」

 

本音が静寐の手を取り、出口へと走ろうとする。静寐は人混みに逆らうことも出来ず、しかし最後に必死にマリアの方を振り向いた。

 

「無事で帰って来てね!何があっても!」

 

その言葉を最後に、彼女達は通路の向こう側へと姿を消した。

生徒達が全員立ち去ったことを確認し、マリアはシャッターの前に立つ。

 

この先に、奴がいる───────。

 

マリアは狩装束を展開し、落葉を腰の位置に構え、シャッターに向け大きく一閃に斬撃を放った。

 

 

 

 

 

 

「なんなのよ、あれ………」

 

グラウンド上で燃え盛っているクレーターの中心にいる侵入者を見て、鈴は呟く。

今まで見たこともないような禍々しい機体の姿に、一夏と鈴は息を呑む。

 

「一夏!ここはあたしに任せて、あんたは退避しなさい!」

 

「何言ってんだよ!女を置いて自分だけ逃げるわけにはいかないだろ⁉︎」

 

「あたしよりもあんたの方が弱いんだから仕方ないじゃない!」

 

「うぐっ………」

 

鈴をこんな危ない状況に一人だけ置いていくなんて行動は許せないと思いつつも、確かに鈴の言うことは正しい。自分がいることで、かえって鈴の邪魔になってしまう可能性も否定出来なかった。

一夏の顔を見て、彼が葛藤しているのを察したのか、鈴も一夏を安心させるように言葉を選ぶ。

 

「別にあたしも最後までやり合うつもりはないわよ。こんな異常事態、学園の先生たちに任せれば──────」

 

「危ねえ!」

 

鈴の言葉を遮り、一夏は鈴を抱えてその場から離れる。

直後、機体から放たれたビームがそこを通った。

 

「危なかった……」

 

「ち、ちょっと!離しなさいよ!」

 

「あ、こら、暴れるなって」

 

鈴は一瞬何が起こったのか理解出来なかったが、一夏に助けられたことと今抱えられていることが分かると、途端に顔を赤くし一夏から離れようとした。

一夏は上空から機体の周りをぐるぐると回るように飛び続ける。

すると、一夏の目の前に白式からの警告表示が出された。

 

『──警告── 所属不明のIS。ロックされています』

 

「ロック……?あいつに俺が狙われてるっていうのか……?」

 

「ちょっと!離してったら!動けないじゃない!」

 

「お、おう、悪い」

 

一夏は鈴を抱えるのを止める。

すると、またビームが飛んで来たのでそれを避ける。

二人が侵入者からの攻撃を防いでいる時、真耶から通信が入った。

 

『織斑くん!凰さん!聞こえますか⁉︎今すぐ退避してください!』

 

一夏はビームを避けながら、真耶に返答する。

 

「でも、アリーナの生徒たちに被害がいったらどうするんですか!」

 

『そ、それはそうですが……しかし危険です!一刻も早く──────』

 

一夏は話してても埒があかないと思ったのか、真耶との通信を切ってしまう。

どの道自分たちも、応援が来るまで此処から逃げるわけにはいかないのだ。ならば今は被害を最小限に抑える事が自分たちの出来ることだ。

 

侵入者はまた金切り声を上げ、上空にいる一夏へ急発進する。

一夏は真っ向から向かって来る侵入者よりも低く下がり、雪片弍型で下から斬りつけようとするが、寸での所で剣先が当たらない。

続いて侵入者の背後から鈴が二刀の双天牙月で回転斬りをするが、侵入者はそれを避け、鈴にビームを放つ。

鈴はもろにビームを受けてしまうが、直ぐに体制を立て直す。

 

「鈴!」

 

「あたしの心配よりも、攻撃を当てる事に集中しなさい!」

 

鈴は負けじと侵入者に体当たりし、双天牙月で相手の動きを封じようとする。

その隙に一夏も雪片弍型で侵入者を斬りつけようと突進するが、それも避けられてしまう。

 

「今のもう一回やるわよ!あたしがあいつの動きを止めるから、あんたは雪片弍型で攻撃しなさい!」

 

「分かった!」

 

鈴は二刀の内の一刀を侵入者に投げるが、当然それは避けられてしまう。しかし鈴はそれを気にせず、今度は龍砲を撃ち、侵入者に当てる。

直に衝撃砲をぶつけられた侵入者に隙を与えんと、鈴は一刀の双天牙月で攻防を繰り広げる。

そして一夏が再び雪片弍型を持って侵入者に向かう。

それに気づいた侵入者は、鈴の振る刀を素早く掴む。

 

「なっ⁉︎」

 

驚いた鈴は咄嗟に反応することが出来ず、なすがままにされてしまう。

鈴は刀ごと投げ飛ばされ、突進してきた一夏も攻撃を裁かれ、弾かれる。

しかしその直後、鈴が先程投げたもう一刀の双天牙月が侵入者の背中に強く当たる。

 

「ビンゴ♪」

 

双天牙月は離れた所にあっても、鈴の意思で手元に戻す事が出来る武器であり、その戻って来る軌道上に侵入者を位置させた、というわけだ。

背後から刀をぶつけられ、よろめいた侵入者を見逃さず、鈴は衝撃砲を撃ち、侵入者をグラウンドへと叩きつける。

 

「鈴!無事か⁉︎」

 

「まぁね」

 

二人は合流し、地上にいる侵入者の様子を見ていた。

侵入者は暫くすると立ち上がり、二人はまた戦闘の用意をする。

しかし、侵入者はまるで何かに気付いたように、突然観客席の方へと向いた。そして腕をゆっくりとその方向へ伸ばし、エネルギーを溜める様子を見せる。

異変に気づいた一夏は、急いで侵入者の元へと飛ぶ。

 

「あいつ!観客席にビームを撃つつもりだ!」

 

「一夏!」

 

観客席には閉じ込められた生徒たちがいる。

鈴は衝撃砲を構えるが、恐らく僅差で侵入者の方が速く撃ってしまうだろう。

一夏も急降下するが、間に合うかが怪しい。

 

(くそっ……間に合うか………⁉︎)

 

後2秒程で剣先が奴に届くが、しかし奴は既にビームの光を砲身から出しかけていた。

 

「っ……くっそおおおおおおおお!!」

 

目の前にまで迫った時、一夏の眼前にいつの間にか砲身が構えられていた。侵入者の、もう片方の腕に付いたものだった。

あまりにも突然だったため、一夏はそこから放たれるビームを避けることが出来ず、遠く離れたアリーナの壁に吹き飛ばされる。

そしてそれと同時に、観客席にもビームが放たれた。

 

(ちくしょう………)

 

観客席に向かうビームを見て、一夏と鈴は青ざめた顔をする。

恐らく生徒たちに被害が出てしまうだろう。

 

 

 

しかし、観客席の遮断用シャッターが破られるかと思ったその時。

ビームが二手に裂かれ、地面へと跳ね返る。

まるでシャッターの内側から、誰かに斬られたように。

見ると、シャッターは真っ二つに大きく切断されており、そこに立ち込める粉塵の向こう側には、落葉を構えたマリアが立っていた。

 

「マリア!」

 

『遅くなってすまない。一夏、鈴、無事か?』

 

「あたしは大丈夫!」

 

「こっちも問題無い。マリア、IS壊れているんじゃなかったのか?」

 

『ああ、だが通信機能は使えるみたいだ』

 

マリアは一夏たちと話している間も、侵入者から目を離さない。

すると、侵入者がマリアに目がけて突進する。

 

『くるぞ……!』

 

マリアはグラウンドに着地し、侵入者の方へと走り出す。

侵入者はその長い右腕を上にあげ、マリアに殴りかかろうと大きく振りかぶる。

マリアは身を低くし、それを避けながら侵入者の右脇腹に入り、落葉で斬ろうとするが、今度は侵入者の左腕が迫ってきたため、一時退く。

そして鈴が侵入者に双天牙月を振るが、既にその場から姿を消しており、離れた一夏の所へと攻撃を仕掛けていた。

 

「な、なんて速さなのよ⁉︎」

 

一方、一夏は鍔迫り合いとなって侵入者と対峙するが、なかなか打撃を加えることが出来ない。

雪片弍型を一旦引き、空かさず侵入者に突きを放つが、腕に少し掠れた程度でダメージを与えることは出来なかった。

 

その後も、三人の攻防は続いた。

 

 

 

 

 

 

あれから数分が経ち、戦況は一時落ち着きを見せていた。

侵入者はグラウンド中央に、マリアはそこから離れた地上に、一夏と鈴は上空で合流していた。

 

「なんなのよ、あいつ……。さっきから動きが人間のそれじゃないわ」

 

そう、侵入者は先程から人間離れした攻撃をしていた。マリアたちに殴りかかる時も、通常考えられる関節の曲がり方を逸脱していたり、上半身と下半身の向きを逆さまにして攻撃をするなど、人間の内部に存在する「骨」という概念を無視するような動きを見せていたのだ。

 

「まるで、人間じゃないみたい………」

 

鈴は不安の表情を見せる。

鈴の言葉を聞いた一夏は、あることに気付く。

 

「─────なぁ、鈴」

 

「ん?何よ?」

 

「仮に、仮にだぞ。もし、あれが人間じゃないとしたら………」

 

一夏は下で立っている侵入者を見て、思ったことを言う。

 

「………“無人機”、とは考えられないか?」

 

「はぁ⁉︎何言ってんのよ⁉︎そもそも、人間が乗らないとISは動かないのよ⁉︎」

 

「でも、可能性はある。さっきから異常な動き方をしてるし、人間らしいとこがまるで見つからないんだ」

 

鈴は改めて、侵入者を見据える。

 

「確かに、さっきから相手の生体反応は不明で検知されないし、あいつの傷口から流れている血も、それっぽく造った偽物(フェイク)?………でも、本当に無人機なの……?」

 

「無人機なら、俺は容赦無く攻撃を出来る。多分、バリアを無効化する零落白夜はパワーが強すぎるんだ。だから、人間相手には使えない。でも、あいつになら………」

 

零落白夜を使えば、倒せるかもしれない。

一夏の頭には、その方法しか思いつかなかった。

鈴も、だんだんと一夏の言うことに納得し始める。

 

「なら、あいつを無人機とした上で倒すわよ!」

 

「ああ。俺も、せめてお前の背中くらいは守るよ」

 

一夏の突然の紳士的な台詞に、鈴は顔を赤くする。

しかし直ぐに、二人はそれぞれ装備を構えた。

 

 

 

 

 

 

(本当に、無人機なのか………?)

 

グラウンドで二人の会話を聞いていたマリアは、心の中で何処か腑に落ちない感情が渦巻いていた。

確かに、奴は人間離れした動きをしている。無人機と言われても納得せざるを得ない要因しか見つからないのは事実だ。

しかし、マリアの勘が、そうではないと訴える。

 

生前マリアが散々味わわされた獣の気配と、目の前にいる侵入者から滲み出る雰囲気は、まさしく同じものだった。そして、あの傷口から止めどなく流れる血の色も。

 

 

 

マリアがかつて生きていた都市、ヤーナム。

そこでは、原因不明の『獣の病』が蔓延っており、人々を恐怖に陥れていた。

その獣を狩るのが、マリアのような狩人たちだった。

 

しかし、『獣の病』という名前から分かるように、この現象は伝染病の一種として扱われていた。

つまり、獣は元々、人間だったのだ。

 

(無人機─────。確かに表現的にはそう言えるかもしれない……。だが、今は人間でなくても、かつては人間だったとすれば………)

 

嫌な予感がする。背中に冷や汗が流れる感触がする。

200年も先の未来に目覚めても尚、まだ獣になってしまった者を見ることになるなど考えたくなかった。

生きていた時も、獣を狩る自分が酷く醜かった。それは200年経った今でも変わらない。

 

だが、此処に現れてしまった以上、奴を葬らなければならない。学園の人々に被害が出る前に。

 

一夏は零落白夜を使おうとしている。それは、搭乗者を殺すには充分過ぎる力だ。

たとえ今は人外であろうと、かつては人間だった者を、一夏や鈴の手で血に染めたくはなかった。人間の命を奪い取るには、まだ彼らは幼過ぎる。そして、これからも知る必要の無いことであろう。

 

 

 

マリアはそう決断すると、直ぐに一夏たちに通信を入れる。

 

「一夏!鈴!お前たちは──────」

 

『一夏!!!』

 

マリアの言葉を遮るように、何処からか声が聞こえた。

そしてそれは箒の声であり、彼女は遠く離れたアリーナのピット上に立っていた。

 

『男なら………その程度の敵を倒せなくて何とする!』

 

アリーナ中に箒の声が響く。

侵入者が箒の方向を向く。

 

「不味い!箒、逃げるんだ!」

 

マリアは箒に大声でそう促すと同時に、落葉を侵入者に狙いを定めて一直線に投擲する。

そして侵入者の元へと走り、弾かれ宙を舞う落葉を掴み、斬撃を繰り返す。

 

 

 

一方、一夏は一か八かの賭けをする。

 

「鈴!俺に衝撃砲を撃て!」

 

「はぁ⁉︎何言ってんのよ⁉︎」

 

「いいから早く!」

 

「……ああもう、どうなっても知らないわよ!」

 

鈴は半ば自棄になって、衝撃砲のエネルギーを蓄積する。

 

 

 

左右から自分を掴もうとする不均等な両腕が来る。

マリアは落葉を二刀に分け、それを自分の両側に伸ばし、侵入者の掌を突き刺す。

突き刺した掌からは赤と灰色が混じったような血が噴き出し、マリアの顔を濡らしていく。

 

(やはり………)

 

やはりそれは、獣の血だった。最早人間の面影は消えかかっていた。

マリアは侵入者の掌から落葉を抜き、ジャンプする。

そしてとどめを刺すべく、頭部に落葉を突き刺そうとしたその時。

 

 

ギョロッ

 

「なっ……!」

 

マリアは、侵入者の顔にある四つの穴の内の一つから、奥で血に染まりきった目が開くのが見えた。

瞳孔は崩れ、蕩けている。

驚き、一瞬の隙が生まれてしまったマリアを見逃さず、侵入者は他の三つの穴から光線を出す。

直にそれを受けたマリアは吹き飛ばされてしまった。

 

 

 

「一夏!撃つわよ!」

 

「ああ!来い!」

 

鈴は高火力の衝撃砲を一夏の背中に放つ。

一夏はそれを受け、自分が壊れてしまわないよう必死に耐える。

すると、一夏のシールドエネルギーが徐々に回復し始める。雪片弐型も元の長さを取り戻す。

そして、零落白夜を発動し、瞬時加速(イグニッション・ブースト)で侵入者の方へと向かう。

 

 

 

 

倒れていたマリアは、膝をついて起き上がり、一夏を見る。

間も無く彼は瞬時加速(イグニッション・ブースト)で奴に向かおうとしていた。

マリアは急いで一夏を止めようと通信を開く。

 

「駄目だ一夏!奴に攻撃をするんじゃない!」

 

しかし先程の光線でやられたのか、マリアの通信機能が破損しており、マリアの声は一夏に届かなかった。

 

一夏は既に奴の目の前まで飛び出しており、もう零落白夜の剣先は奴の右腕に迫っていた。

 

「やめろおおおおおお!!!」

 

その叫びも虚しく、一夏は侵入者の右腕を切り裂く。

 

 

 

 

 

「よし!」

 

確かな手応えを一夏は感じる。

切り裂いた腕からは大量の血が噴き出すが、これも自分たちを慌てさせる為の偽物だろう。

この調子でいけば、倒せる。

半ば希望に満ちた感情になっていると、宙に飛んだ侵入者の右腕が、一夏の目の前に落ちた。

 

「え……──────」

 

視界に映るその右腕の断面には、機器などが見つからず、人肉のようなものしか存在しなかった。

IS機能による視界の高解像度のせいで、変色した肌、血肉、骨、血管、そこから溢れ出す血が鮮明に見える。

 

 

──────まさか、そんな。そんな筈は………。

 

 

直後、一夏は背後から衝撃をくらい、意識を失った。

 

 

 

 

 

 

「一夏!」

 

零落白夜で右腕を切り裂かれた侵入者は、弱まる気配も見せず一夏を背中から攻撃した。

まともにくらってしまった一夏はアリーナの壁まで吹き飛び、意識を失う。

鈴が呼びかけても一夏は反応せず、鈴はショックのあまり、強引に侵入者へと突進する。

しかし、冷静さを欠いて無茶をする鈴はもはや侵入者の敵ではなく、あっけなく鈴を吹き飛ばしてしまい、鈴も続いて気を失ってしまった。

 

(なんてことだ………)

 

まだ15歳という若い少年に、人の名残を残した者を斬らせてしまうなんて。

それに一夏が斬った後に見せた、あの表情。

もしかしたら彼は、自分の手を血に染めてしまったことを理解しかけていたのではないだろうか。

 

彼がまた目覚める時に、そのことを憶えていないことを切に願うマリア。

侵入者は先程よりもさらに大きい悲鳴のような金切り声を上げ、マリアに向かってくる。

右腕を失ったせいで自らの危機を感じ取ったのか、より力を出そうと左腕も地面につけて、走り出す。

その姿は(さなが)ら自我を失った獣のようで、穴から覗くその目には、此方を本気で殺そうという本能が感じ取れる。

 

マリアは迫ってきた左腕を落葉で受け止め、その最中に二刀に分ける。そして受け止めていた落葉とともに、侵入者の懐に入りながら、身体を捻り回転斬りをする。

続けて相手の両肩に落葉を突き、上半身を起き上がらせる。

無防備となった胴体に、斬撃や蹴りを繰り返す。緋の雫(レッド・ティアーズ)が起動出来ていれば、蹴りにも更に威力を加えられるのだが、今は充分だろう。

侵入者は攻撃をされるたびに耳をつんざくような悲鳴を上げ、それはマリアの心も苦しませた。

 

そして、ついに侵入者はよろめき、身動きが出来なくなった。

マリアは、自分がしていた予習と教室での授業を思い出していた。

 

 

──────ISの中心には、『コア』というものが存在する──────

 

 

──────『コア』はISの心臓として機能するものであり、此れを無くしてはISは動くことが出来ない──────

 

 

マリアは、自分が繰り出した斬撃で傷だらけとなった侵入者の胸部を見る。

毛と血肉がこびりつき、しかし他の装甲部分と比べて幾分破壊しやすくなっていた。

 

『コア』を取り出せば──────。

 

倒せるかもしれない。この獣を楽にしてやれるかもしれない。

 

マリアは強く足を前に踏み出し、侵入者のすぐ側まで近寄る。

そして重心を低くし、右腕を肩よりも後ろに引いて、力を込めて一気に腕を前に突き出す。

突き出したマリアの手は侵入者の胸部を貫き、大量の血飛沫がマリアの全身にかかる。

内臓を取られると感じたのか、侵入者が苦しそうな金切り声を上げる。

マリアは侵入者の中の肉体をまさぐり、その中で大きな球状の物体を見つける。

恐らくこれが『コア』だろうと判断し、マリアはその球体をしっかりと掴む。

 

そして、一気に引き抜いた。

 

血に塗れた『コア』は赤黒く光を反射し、コアに纏わりつくように、組織がボロボロになった血管らしきものが付いていた。

 

穴から覗く奴の目が、一瞬大きく開き、そしてゆっくりと暗闇になる。

 

『コア』を抜かれた侵入者は後ろに倒れ、そのまま立ち上がることはなかった。

 

 

 

 

辺りには再び静寂が生まれ、未だグラウンドで収まらない火と煙が立ち込めている。

遠くの方で数多くの機械音が聞こえた。ピットから出てきた教師部隊のISの音だった。どうやらハッキングは解除されたらしい。

教師達は複数のグループに分かれ、一夏や鈴を医務室に運び、そして自分の元へと向かって来る教師もいた。

自身の顔や身体を返り血で緋くしたマリアは、もう動くことのない獣を見て、只々立ちすくんでいた。

赤色と灰色が混ざったような血が、獣とマリアの身体を覆い尽くす。

 

 

 

 

 

 

─────────

───────

─────

 

 

真っ白な空間。

此方に背を向けて立つ女性がいた。

黒のタイトスカートに、肩や袖や裾に赤いラインが施された黒の正装。頭に被る黒帽子は、素材のしっかりとした、少し固そうな造形をしている。

長袖の先から露わになる手には、服の内側から流れてきたであろう血が一筋見え、それは指の先まで流れ、そして彼女の足元に滴り落ちる。

白い空間に、赤が混じる。

彼女の肩が、微かに震えているように見える。そして僅かに見せる彼女の横顔には、涙の糸が頰を伝っていた。

彼女の元へ近づこうと、足を踏み出す。

 

 

するとそこは暗闇で、彼女もいつの間にか姿を消していた。

よく見ると、暗闇の中では粗い壁が自分を取り囲んでいるのが分かった。

横を見ても、後ろに振り向いても壁が立ち、しかし自分は何もすることが出来ず、只々壁を見続ける。

 

 

背後で、ある筈もない鉄扉が強く閉まる音が響く。

俺は後ろを振り向く。

そこには先程まで自分を囲んでいた壁は無く、小さな部屋が広がっていた。

天井には壊れかけの蛍光灯が一つあり、点いたり消えたりしている。

その下には実験用の手術台のようなものがあり、そして鉄扉の前では先程の女性が見知らぬ二人の男に拘束されていた。

 

「離せ!!!」

 

女性が叫んで拘束から逃げようとする。

しかしどれだけ抵抗しても、彼女が離されることは無かった。

正面から見る彼女の左目には、眼帯が付けられていた。

やがて男たちは彼女を手術台へと乗せ、手足を拘束する。

男たちは器具のような物を取り出す。

一人はその右手に、黒い球体を持っていた。

 

 

今すぐ彼女を助けなければならない。

しかし自分の身体はまるで蝋で固められたかのように動かすことが出来ず、どれだけ喉に力を入れても声は出せなかった。

 

 

男たちが、いよいよ術を始めようと動く。

 

「嫌だ……………」

 

彼女は何もかもに絶望したかのように、しかしそれでも小さくその言葉を呟く。

 

「やめてくれ…………」

 

彼女の唇が恐怖で震え始める。

あまりの恐ろしさに、目は焦点が合っていない。

 

「嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!!!!!」

 

その身体を必死に暴れさせるが、手足の拘束は解けない。

そして男たちの持つ器具が彼女の身体に触れた。

 

「いやああああああああああああ!!!!」

 

悲痛な叫びと共に、俺の顔には彼女の血が飛び散る。

血飛沫が目に入りそうで、思わず瞬きをする。

 

 

すると、俺はまた最初の真っ白な空間にいた。

彼女も、男たちも消えていた。

自分の身体も動かせるようになったが、白い空間には何一つ触ることの出来る物は無い。

 

 

ピチャリ

 

 

音がした。

足元を見ると、後ろから大量の血が流れてきていた。

血で出来た道を辿り、暫くして顔を上げる。

そこには、全身に傷と血に塗れた女性がいた。彼女の身体から滴る血が、自分の足元にまで流れていたのだ。

彼女の足は蹌踉めき、立っているのもやっとな状態。

顔は下を向いており表情は分からないが、黒い服装を着ている。

間違いなく、彼女だった。

俺は彼女に一歩ずつ近づく。そして目の前にまで来た。

 

 

震えている彼女の肩に、手を伸ばす。

肩に触れそうになったその時、突然彼女が顔を上げて俺を押し倒す。

肌は変色し、傷口の状態は酷い。

左目の瞳孔は崩れ、蕩けている。

彼女は人間には出せないような悲鳴を上げ、その血塗れの爪で俺の腕を食い込ませ、歯を剥き出しにする。

歯は鋭い獣の牙となり、俺の首元を狙う。

 

 

何も出来ず、俺はただ、恐怖から逃れるように目を瞑った───────。

 

 

 

─────

───────

─────────

 

 

 

 

 

「うわっっ!!!」

 

「きゃっ!」

 

一夏は起き上がった。

心臓の鼓動は速く、荒い呼吸で辺りを見渡す。

横には自分を見て驚いた顔をする鈴。

薬品がたくさん入った棚と、自分がいるベッドを見る限り、ここは保健室だと分かる。

そして、さっきまで見ていた光景は夢だったということも。

 

「はぁ、はぁ………り、鈴か………」

 

「そ、そうよ。(うな)されてたみたいだけど、大丈夫……?」

 

「あ、ああ、まぁ………」

 

全身が汗に塗れて、気持ち悪い。

しかし、それ以上に、拭えない違和感が心に残っていた。

 

(無人機……だったのか………?)

 

一夏はアリーナでの出来事を、頭の中で思い出そうとする。

しかしまだ思考が混乱しているのか、ハッキリとした記憶が出てこない。

もうあの光景を思い出したくない一夏は、考えるのを止めた。

横にいる鈴を見て、一夏はあの事を思い出す。

 

「なぁ、鈴」

 

「な、何?」

 

「料理が上手くなったら、毎日ご馳走するって………」

 

「え⁉︎あ、あああああれね⁉︎うん、それがどうかしたの⁉︎」

 

鈴は明らかに動揺した素振りをする。

一夏は、鈴の目を見て、尋ねる。

 

「あれって、何か違う意味があるのか?」

 

「へ⁉︎な、な、無いわよ!ほんと、そのままの意味だから!」

 

「そうか……。俺はてっきり、毎日味噌汁をっていう意味だと思ったけど、やっぱ違うんだな」

 

(ああああ何してるのよあたし!今のチャンスだったじゃない!)

 

鈴は素直に返事出来なかった自分に激しく後悔する。

落ち込む鈴を他所に、一夏は、そういえば、と呟く。

 

「鈴の親父さん、元気か?あの店の料理、美味かったからな!また行きたいぜ」

 

「ああ………。その、ね……お店はもう、しないんだ」

 

「え?」

 

「離婚、したんだ……。だから、今どうしてるのかも分かんない。あたしが中国に帰ったのも、そのせいなの………」

 

一夏は鈴の暗い表情を見て、彼女の両親を思い出す。

 

あんなに仲が良かったのに───────。

 

自分の知らない間に、鈴がこんなにも悲しい思いをしていたのかと思うと、胸が痛くなる。

鈴が中国に帰る時、自分がそれを知っていたなら、鈴にもっと違う言葉をかけてやれたのに。

 

「ごめんね、なんか辛気臭い話して。はい、この話はお終い!」

 

鈴はそう言うと、明るい表情に戻す。

本当にこの幼馴染は強い子だと、一夏は思う。

 

「って、あんた汗だくじゃない⁉︎あたしがタオルで拭いてあげるわ!」

 

「え⁉︎いや、いいって──────」

 

「そんなこと言わずに〜♪ほら、脱いじゃえ脱いじゃえ!」

 

そう言って、鈴は一夏のシャツを掴む。

 

「いや、本当に大丈夫だって!」

 

「そのままだと気持ち悪いでしょ〜?だから──────」

 

「その必要はありませんわ!」

 

出入口の方から突然声がする。

そこにはセシリアがいた。

 

「鈴さん⁉︎一夏さんが起きるまで抜け駆けはしないと約束しましたわよね⁉︎」

 

「いや〜、あはは………」

 

「そういうセシリアも、こそこそと何を抜け駆けしているんだ」

 

今度は箒だった。

セシリアもギクリとした顔をする。

三人は一夏の横で揉め出す。

 

「そういえば、千冬姉は?」

 

一夏の言葉で、三人は静まる。

 

「そういえば、先程から見ていませんわね……」

 

「千冬さんたちも、まだ仕事が残っているんじゃないのか?」

 

「教師ってのも大変ねー」

 

そんな話をしていると、また扉が開く音がした。

 

「一夏、起きたのか?」

 

入ってきたのはマリアで、服装は戦っていたときの狩装束ではなく、元の制服に戻っていた。

 

「マリア!あの後どうなったんだ?俺、あんまり記憶無くて……」

 

「無事に終わったよ。一夏は後ろから攻撃を受けて気を失ったから、仕方ないさ」

 

「そ、そうか………」

 

一夏はそれから、深く考え込む表情になった。

そして暫くして、マリアに恐る恐る尋ねる。

 

「な、なぁ……マリア……」

 

「どうした?」

 

「………無人機、だったんだよな?」

 

マリアは一瞬黙り、口を開く。

 

「ああ……無人機だよ」

 

それを聞いて、一夏は胸を撫で下ろした。

一方マリアは何処か悲しい表情を僅かに見せ、しかしそれを直ぐに隠し、一夏に話しかける。

 

「一夏、汗だくだな。私が隅々まで拭いてやろう」

 

「な⁉︎マ、マリア!」

 

「ちょっと、マリアさん⁉︎」

 

「あんた何言い出すのよ⁉︎」

 

箒、セシリア、そして鈴は、まさかマリアがそんなことを言い出すなんてと驚く。

マリアはそんな三人の慌てぶりを見て、吹き出す。

 

「ふふふ、冗談だ。冗談」

 

「もう!心臓に悪いですわ!」

 

「面白い反応をするから、ついな。全く、可愛いな三人とも」

 

「う、うるさいわねあんた!」

 

一夏のことで揶揄われたことに三人は恥ずかしくなった。

窓からは夕陽が射し込み、保健室の五人を暖かく包む。

もう時刻は午後五時を過ぎており、徐々に空気は夜の音を帯びていった。

 

 

 

 

 

 

─────────

───────

─────

 

 

IS学園・地下特別区画。

まだ鈴と一夏が目を覚ましていない頃、マリアは地上からおよそ50m下にあるこの区画の『地下第1管制室』に連れてこられていた。

機能停止したISはすぐさまそこへ運び込まれ、解析が開始された。

 

「本来、この区画は相当の権限を持つ者しか入ることが許可されていない。だが、このISに一番近づいたお前には特別に来てもらった」

 

事情聴取が目的らしい。

千冬は何度もアリーナでの戦闘映像を繰り返し観ている。

室内は薄暗く、ディスプレイの光で照らされた千冬の顔は、酷く冷たいものだった。

 

「あのISの解析結果が出ました」

 

ディスプレイの前に座る真耶が言う。

 

「どうだ?」

 

「無人機──────という結果が出ています」

 

「………」

 

世界中で開発が進むISの、その未だ完成していない技術。

遠隔操作と独立稼働。

そのどちらか、あるいは両方の技術が謎のISに使われている。その事実は、直ぐさま学園関係者全員に箝口令が敷かれる程だった。

 

「どのような方法で動いていたのかは不明です。マリアさんが機能中枢を斬ってしまった為、修復も不可能かと」

 

「コアはどうだ?」

 

「………それが、登録されていないコアでした」

 

「そうか」

 

やはりな、と千冬は呟く。

どこか確信じみた発言をする千冬に、マリアは怪訝な表情をする。

 

「何か心当たりがあるのか?」

 

「いや、ない。今はまだ────な」

 

何かを知っていそうな千冬に、少しばかりの不信感を抱く。

しかしここで問い詰めて答えてくれるような人物でもないだろう。

 

マリアは目の前にあるISを見る。

深い灰色の機体にある無数の傷口からは、もう既に止まった赤と灰色が混ざった血が塗られている。

 

千冬はそのISを見て、疑問を口にする。

 

「本当に─────無人機なのか……?」

 

機体にこびりつく血肉と、多くの部分から生えていると動物のような毛。

解析結果が無人機と出たのは、本当に無人であるのか、それともここの技術では計り知れない故なのか。

 

「機体のフォルムは保っているが、コアに纏わり付いた血管や傷口を見ると、これではまるで『獣』だ」

 

千冬の言葉に、マリアは少し心が苦しくなる。

 

「何処か、腑に落ちない。私たちの想像を超えるような事が起こっている気がしてならない──────」

 

千冬の言葉に二人は反応することはなく、部屋に響いて消えていった。

 

 

 

 




『ゴーレムⅠ』

未登録のコアが使用されたIS。
この機体以外にも今後襲撃を受ける可能性がある────という織斑千冬の意向により『Ⅰ』と称される。

多くの部分に血肉と動物の体毛のようなものがこびり付いており、その姿はまさに『獣』を彷彿とさせる。
全体的に損傷が酷く、傷口からは血に染まった黒の生地と変色した肌が僅かに露わになっている。
其れは、この機体の嘗ての姿であった名残だろうか。


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余話 安堵

お久しぶりです。
更新が遅くなってしまい、申し訳ありません。
今回は本編というよりも、サイドストーリーとして書きました。
ああ……大掃除……。


保健室に一夏たちを残して、マリアは先に寮へと向かう。

時刻は午後7時。

夕闇が空を埋め尽くし、辺りはしんとした空気に包まれていた。

街灯の続く道なりをマリアは歩く。

謎の機体による襲撃事件の発生後、学園の全生徒達には自室での待機命令が出されていた。そのため、今外を歩いている人影はマリア以外見つからない。

 

 

 

 

 

──────無人機、だったんだよな………?

 

 

 

 

 

あの時の一夏は、酷く不安な表情を浮かべていた。

(うな)されていたのか、汗も多くかいており、その様子は見ていていたたまれなかった。

 

 

本当に、あの答えで良かったのだろうか。

 

真実を伝えてやるべきだったのだろうか。

 

たとえ獣の姿をしていても、お前は人であったものを斬ったのだと。

 

だからこの先、お前は人を斬った重みを背負って生きていかなければならない、と──────。

 

 

 

 

 

いや、きっと違う。

 

伝えて何になる。

それを知った一夏が地に足をつけて生きていける保障など何処にも無い。

今の一夏に、事実を伝えて立ち直ることなど想像出来ない。

落ち込むところまで落ち込んで、剣を握ることすら恐くなってしまうだろう。それは人間として当然の反応で、誰にも責める権利は無い。

 

だが、もし今日のような事件がまた一夏の元に降りかかってしまえば──────。

 

一夏は自分を守ることが出来ないだろう。

私にも、常に一夏を守ってやれる自信は無い。第一、守ってやれたのなら、今日のような出来事を起こさせてやらずに済んだのだから。

一夏には、自分を守る力が必要だ。

今、一夏が剣を握ることを恐れてしまえば、きっとその恐怖が一夏に制御をかけてしまう。

真実を隠すことも、時には必要なのだ。

私のしたことは、きっと間違いではない。

 

きっと──────。

 

 

 

 

 

 

考えている内に、目の先にはもう寮が見えていた。

部屋に帰ってシャワーを浴びて、疲れた身体でも癒そうと思い、マリアは寮の出入口へと向かう。

扉が開くと、そこにはベンチに座った本音と、本音の肩にもたれて目を閉じている静寐がいた。

 

「……!マリリン!無事だったんだね……よかったぁ………」

 

マリアに気付いた本音は此方を見て、ホッとしたような様子だった。

 

「あぁ、すまないな。迷惑をかけてしまって」

 

「ううん。マリリンの顔が見れただけで嬉しいよ〜。それよりも、しずねんに言ってあげて」

 

本音は優しく微笑んで、静寐を見やる。

静寐は小さく寝息を立てていた。

彼女の目は、泣き腫らしたように真っ赤になっていた。

本音は静かな声で、マリアに話す。

 

「しずねん、さっきまでずっと泣いてたんだ。マリリンのことが心配だって……」

 

「………」

 

「襲撃が起こった後、私たちには自室待機が言い渡されててね。部屋から一歩でも出たら先生に拘束させられるって言われてたんだ」

 

教師にとって何より優先すべきは、生徒の安全だということだろう。

 

「でも、廊下を歩く足音が聞こえて、扉を開けて見たらしずねんだったんだ。自分を見失ってるように見えるほど落ち着かない様子だったから、心配して声をかけたの。そしたら凄く泣き腫らして、『マリアさんに何かあったらどうしよう』って………」

 

それを聞いて、マリアは心に棘が刺さったような気持ちになる。

 

「外に出たら危険だから、マリリンを信じて部屋で待っていようって言ったんだけど、しずねんはそれでも戻ろうとはしなくて。だからせめて、寮の入口で待とうって一緒にいてあげたんだ」

 

「そうだったのか………」

 

マリアは屈み、静寐の顔を見る。

泣き疲れたであろうその顔は悲しみに満ちていて、自分のせいで彼女をこんな気持ちにさせてしまったことを罪深く思った。

 

「本当にすまない、本音。彼女と一緒にいてあげてくれてありがとう」

 

「うん。しずねんもきっと嬉しいと思うよ〜」

 

マリアは、静寐の頰に手を添える。

少し冷たい彼女の頰を、マリアの温かな手が優しく包む。

すると、静寐はゆっくりと目を開けた。

微笑むマリアの顔を見た静寐は目を大きく開き、直ぐにマリアへと抱きついた。

 

「………静寐、心配かけたな」

 

「マリアさん………良かった……生きてて………」

 

マリアの胸に顔を埋める彼女からは、小さく啜り泣く声が聞こえた。マリアも彼女の背中を優しく抱く。

 

「本当に………ひっく……心配、だったんだから………」

 

「………ああ、すまない」

 

静寐の涙が、マリアの制服を湿らせる。

静寐は、マリアの袖から少し覗かせる肌に巻かれた包帯に気付いた。

 

「マリアさん……!これ………」

 

静寐が手を見て言っていることに気付き、マリアは答える。

 

「ああ、少し怪我をしてな。軽い擦り傷だから心配ないよ」

 

静寐はゆっくりと、包帯で巻かれたマリアの手を包む。

そして静寐はマリアを見て、真剣な目で言った。

 

「もう、一人で無茶はしないで」

 

「だが、静寐………」

 

「皆を守ってくれるのは嬉しいよ……でも、一人で立ち向かったら、一体誰がマリアさんを守るの……?」

 

「それは………」

 

静寐の真剣な訴えに、マリアは何も言うことは出来なかった。

泣き腫らして、これ以上涙は出ないと訴える彼女の真っ赤になってしまった目からは、それでもまだたくさんの涙が溢れている。

 

「マリアさんが強いのは知ってるよ……。でも、それでも心配に思う人がいるの………」

 

「ああ………」

 

「だから、約束して。もうこんな無茶はしないって」

 

静寐はマリアの目を真っ直ぐに見て訴える。

この涙に、勝てる人間はいないだろう。

 

「分かったよ、静寐。すまなかった」

 

「ううん……本当に、良かった………」

 

静寐はまた、マリアに抱きつく。

その様子を見ていた本音も、涙で少し滲んだ目を擦っていた。

 

「さぁ、一緒に帰ろうか。静寐、本音」

 

「うん!」

 

「は〜い!」

 

満面の笑みで、二人は答える。

自分の為に、涙を流してくれる人がいる。

この温かな気持ちは、きっとこの先も忘れることはないだろう。

 

 



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余話 接触

いつの間にか、お気に入り100件超え……本当にありがとうございます!
今回の話なのですが、正直この作品でこの人を出すか迷っていました。そして今でも迷っています。
なので今回もサイドストーリーとしての扱いにしました。
物語の展開次第で、やはりこの人は出さない方向にするともし決めた時は、この話を消すかもしれません。
その時は、御了承のほど宜しくお願いします。

それでは、よいクリスマス&よいお年を。



謎の侵入者による襲撃から数日が経った。

あの事件以来、マリアは浮かない表情をよくするようになった。

 

ある日の夕方。

彼女は校舎の廊下を独り歩いていた。

曲がり角に差し掛かった所で、足を止める。

 

(誰かいるな………)

 

自分の背後の遠くで、誰かが自分を尾けていた。気配は消しているが、マリアには感じ取ることができた。

背中に感じる視線に敵意は含まれていないが、しかしそこには自分に対する疑いの目が読み取れる。

 

マリアは顔を少し横に向け、目で後ろを見る。

視線の主は見えない。恐らく壁に隠れているのだろう。

マリアは再び前を向き、角を曲がった。

 

 

 

 

 

 

マリアという名の彼女は、どうやら私に気付いたようだ。

気配を完全に消している筈なのにそれでも気付くとは、彼女はやはり只の生徒ではない。

 

暫くして、彼女は再び歩き始め、角を曲がった。

私もそれを確認し、静かに追いかけようとした、その時。

 

「私に用か?」

 

「⁉︎」

 

背後で突然声がし、反射的にその場から離れる。

全く気付かなかった。一体誰だと思って身構えつつ、声の主を見てみると──────。

 

その人物は自分が丁度追っていた、彼女だった。

少しの動揺も見せまいと私は息を落ち着かせ、彼女に話しかける。

 

「あなたがマリアさんね?」

 

「……そうだが」

 

「驚いたわ。まさか私の後ろを取るなんて」

 

「追われるのは好きではない」

 

彼女は落ち着いた感じで話す。

あれだけ距離が離れていたのに、呼吸も乱さず此処に来るなど普通の人間が出来ることではない。

 

「自己紹介が遅れたわね。私は更識楯無。このIS学園の生徒会長よ」

 

 

 

 

 

 

「生徒会長……?生徒会長が私にわざわざ用があるのか?」

 

生徒会長と名乗る彼女、更識楯無は肩まで伸びた水色の髪をしている。

楯無はマリアを見据え、微笑む。

 

「大アリよ」

 

楯無は持っていた扇子を開く。

そこには『質問』と書かれていた。

 

「色々聞きたいことがあるの。でも此処じゃなんだから、生徒会まで一緒に来てくれないかしら?」

 

特に断る理由も無いマリアは、楯無に同行することにした。

恐らく、目をつけられたのだろう。自分の素性について聞いてくるのかもしれない。

かといって、過去の記憶が断片的にしか残っていない私に答えられることなど、あって無いようなものだが。

 

 

 

 

 

 

扉を開けた楯無に促され、マリアは生徒会の部屋に入る。

 

「好きに掛けてくれていいわよ。お茶も淹れるから」

 

そう言って楯無はお湯を沸かし始める。

マリアもソファに座って待つことにした。

暫くして、楯無がテーブルにお茶を置く。

 

「いつもはね、後二人いるのよ。今日は早めに仕事が終わったから帰ってもらったけど」

 

「そうなのか」

 

楯無もマリアの向かいに座り、話を進める。

 

「さて、マリアさん。単刀直入に聞きたいのだけれど、─────あなたは何者なの?」

 

「………」

 

さてどう答えたものかとマリアは頭の中で考える。

 

「質問が悪かったわね。確かに私も急にこんな聞き方されたら、何て言ったらいいのか困るわ」

 

「いや………」

 

「話を変えましょうか。あなたが学園に入る前のこと──────つまり、どうやって此処に来たのか」

 

楯無は脚を組み、静かにマリアを見る。

マリアは以前、千冬から聞いたことをそのまま話す。

 

「この学園の森林地で私は倒れていたと聞いた」

 

「知ってるわ。その報告もずっと前に受けてる。私が聞きたいのは、それよりも前の事」

 

「………」

 

「あなたも知っての通り、IS学園は一つの島でその形を成していて、校門から沿岸付近の海域まで数多くの監視網が張られているわ。世界中から来る可能性のある反社会的勢力から、学園を保護する為にね」

 

楯無は湯呑みを口につけ、静かにテーブルに置く。

 

「でも、あなたは()()()()()()()()()()()()()この学園に入った。これがどういう意味か、分かる?」

 

「………私が監視の目を潜り抜け、此処に侵入した、ということか」

 

「少なくとも、その疑いはあるわ」

 

マリアは溜息を吐く。

しかし疑われるのも仕方のないことだと思う。

きっとその点に関しては当初、千冬や真耶も疑っていたのだろう。

 

「あなたは、一体何処から来たのかしら?」

 

自分がこの学園の保健室で目を覚ました時、千冬にも同じ質問を聞かれたことをマリアは思い出した。

自分は200年以上も前に死に、悪夢に囚われてしまった。

そして自分のいる時計塔に来た、()()()()()()()()()()()()()()に再び殺された(元々死んでいたのだから、『殺された』というのも変な話だが)。

そんなことを言われて、一体誰が信じるのか。

 

「………何も憶えていない」

 

「それだと説得力に欠けるのよ。アリーナでの戦闘の強さを見る限り、あなたは相当な実力者。何処かの組織で鍛えられたと思われてもおかしくはない」

 

「私が組織の下で動くような人間に見えるのか?」

 

「見えないわ。だからこそ、余計にあなたという人物が不可解なのよ」

 

それに、と楯無は付け加える。

 

「私が最も気になっているのは、あなたの個人情報が何一つ見つからないということ」

 

彼女が言うには、更識家は対暗部用暗部として古くから伝わる家系であり、当主は代々「楯無」という名前を継ぐらしい。

常に暗部対策の最前線として位置してきた更識家にとって、情報収集の技術はかなり優れたものなのだ。

 

「この世界の全ての人間には、必ず情報の痕跡─────生きた証が残るものなの。たとえそれを大いなる力で消そうとしても、ね。でも、あなたに関しては本当に何も見つからなかった。あなたの名前・写真でさえも……」

 

以前、学園の図書館で世界地図や数多くの歴史の文献に目を通したことがある。

しかし、それらの中で『ヤーナム』という文字を発見することはとうとう出来なかった。

本当にこの世界では実在しなかったのか、それとも自分が未だ知らないだけで、それに関する情報が記述された本は隠された何処かに存在しているのか。

頭の中で考え込んでいるマリアの様子を見て、楯無も首を竦める。

 

「まぁ、織斑先生の言うことだから半分信じていたけれど、記憶喪失というのは本当みたいね。嘘を吐いてるようにも見えないし」

 

楯無は扇子を開く。

開かれた扇子には『降参』と書かれていた。

さっきと文字が違うことにマリアは軽く驚く。

 

「便利な道具だな」

 

「オーダーメイドよ。凄いでしょ?」

 

「随分と器用な素早さだな。裏でわざわざ書き直してるのかと思ったぞ」

 

「あら、あなたも速かったじゃない」

 

きっと先程の廊下でのことを言っているのだろう。

 

「人より少し速く動けるだけだ。持ち上げる程のものでもない」

 

「あはは、あのレベルで謙遜されると私の立場が無いわよ。少なくともこの学園で私の背後を取ったのはあなたが初めてだわ」

 

楯無は笑いながらそう答え、扇子をパチンと閉じる。

 

「兎に角、生徒会長である私には、学園の生徒を保護する必要があるの」

 

彼女は真剣な眼差しでマリアを見る。

 

「忘れないでね。半分信じてるということは、まだ半分疑ってるということよ。あなたは悪い人ではなさそうだからこんな事を言うのは気が引けるけど、もし学園に害を及ぼすような事をしたら、その時は容赦しない」

 

「………分かった」

 

マリアも彼女の目を見て頷く。

楯無はマリアが応じるのを見ると、今度はまた笑顔になる。

 

「でも、そうでないことを信じてるわ。だから困ったことがあればいつでも生徒会に来てね。改めて、ようこそIS学園へ」

 

再び開かれた扇子には『歓迎』の二文字があった。

 

「それと、これは今日来てくれたお礼」

 

そういうと彼女は横にある箱から菓子袋を取り出し、マリアに渡した。

そのお菓子は、最近マリアの好物になったチョコビスケットだった。

 

「それ、好きでしょ?今日初めて会えた印に受け取って」

 

「何故私がこれを好きだと知っているんだ?」

 

「実は生徒会にはスパイがいるのよ」

 

楯無は自分の手で銃を構えるような素振りをし、子どもが悪企みをするような表情をする。

 

「はは、なんだそれは」

 

マリアは吹き出す。

楯無の無邪気な冗談がマリアに笑みを作らせる。

それを見た楯無も、優しく笑った。

 

「─────やっと笑ってくれたわね」

 

「………え?」

 

楯無の言葉にマリアは少し驚く。

どういう意味だろうか。

 

「この前の襲撃事件があってからか、顔が暗かったわよ?」

 

「………出ていたか」

 

「ええ、その綺麗な顔に」

 

楯無はトントンと自分の頰を指す。

マリアは自分の顔を触る。

心なしか、顔から緊張が解けたような気がした。

 

「生徒の代表として御礼を言うわ。学園と、そして可愛い生徒達を守ってくれて本当にありがとう」

 

楯無は綺麗な姿勢で深く頭を下げる。

生徒会長としての真摯な態度に、マリアもしっかりと応対した。

 

 

 

 

 

 

「菓子までもらってすまない。ありがとう」

 

「ううん、わざわざ放課後にありがとね。引き止めてしまってごめんなさい」

 

「とんでもないよ。きっとまた来る」

 

マリアはソファから立ち上がる。

楯無も扉まで見送る。

二人が扉の前に来たとき、楯無が「あ、そうそう」と切り出した。

 

「もう一つ伝える事があったんだわ」

 

「何だ?」

 

マリアは楯無の方を見る。

 

「今度ね、フランスから転校生が来るの」

 

「フランスから?」

 

確かフランスはイギリスの南の方に位置している国だと、マリアは図書館の世界地図を頭の中で想像する。

 

「何でまた私に言うんだ?」

 

「んー、マリアちゃんのクラスに編入するからっていうのもあるけど………マリアちゃん、今一人部屋よね?」

 

「ああ」

 

「部屋割りが確実に整うまでは、マリアちゃんの部屋に入れてあげようと思うの」

 

「ああ、分かった」

 

「ありがとう。ただ、一つ問題があって………」

 

「問題?」

 

マリアは首を傾げる。

楯無は一呼吸置いて、それを口にした。

 

「その子、()()()なのよ」

 

マリアは少しの間考えて、口を開く。

 

「………一夏だけじゃなかったのか?」

 

()()()()()()()()()I()S()()()()、といったところね」

 

「本当なのか?」

 

「どうかしらね。まぁ表向きではそう言われてるけど、実際のところは分からないわ」

 

恐らく、裏があるかもしれないということだろう。

何にせよ、心に留めておくだけでも重要だ。

話も終わり、楯無は扉を開けてくれた。

 

 

 

 

 

 

私は扉を開けて、彼女を見送る。

 

「また生徒会に遊びに来てね」

 

「ああ、ではな」

 

マリアちゃんは微笑んで、別れの挨拶をしてくれた。

彼女は背を向け、生徒会室を出る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「─────……一つ、聞いていいかしら」

 

彼女が数歩歩いたところで私は呼び止める。

マリアちゃんとの先程の会話を思い出す。

 

──────彼女は何処から来たのか?

 

そう聞いた時、彼女はほんの僅かに、()()()()()()()()()を見せた。私でも見逃してしまいそうなほど、それは微小なものだった。

確信があるわけではない。只の思い過ごしかもしれない。

 

でも、なんとなくだけれど──────。

 

もし私の直感がほんの少しでも当たっているのなら──────。

 

「マリアちゃん、何か隠してない?」

 

彼女はなかなか口を開かない。

 

「この前の襲撃事件の謎のIS、私も地下に行って見たわ。人型の機体だけれど、まるで人とは形容し難いものだった」

 

「………」

 

「なんとなく、あなたが何かを知っている気がしたの。どんなことでも構わない。何か憶えてない?」

 

背を向けている彼女は、暫くして顔を横に向ける。

その眼差しは何処か哀しそうで─────。

 

「──────人は、死んだら何処に行くと思う?」

 

彼女は静かに、そう言った。

突然何を言い出すのかと思ったが、でも何か意味があるのかと思い、私は暫く考えてから答える。

 

「………天国か地獄なんじゃないかしら?」

 

彼女は私の言葉に沈黙したままだ。

私もそれ以上何も言うことが出来なかった。

私たちの無音の中を静かに入ってくるように、彼女の言葉が続く。

 

「──────それなら私のいた場所は………地獄以上のものだったのかもしれない」

 

耳をよく澄まさないと聞こえないほどの声で、マリアちゃんはそう言った。

彼女はその言葉を最後に、再び歩き出す。

私もその背中を無言で見送った。

 

 

一体どういうことだろうか?

彼女が変な冗談を言っているとも思えない。

 

人間が死んだら………?

彼女は一度死んだというの……?

 

いや、そんなことは有り得るはずがない。

しかし、現に有り得ないことは起きてしまっている。

血肉や毛が装甲と同化したISを目の当たりにするなんて初めてだからだ。

まるで獣のように見えたあの機体は、表向きでは無人機となっているが、本当にそうなのだろうか。

それを考えると、彼女の背景にも何か私の想像を覆すような事実が隠されているのかもしれない。

 

「調べ直す必要がありそうね………」

 

ふと目に光が入り込み、眩しくなる。

廊下の窓の外からは夕陽が強く差しかかり、生徒会室の窓から空を見上げると、うっすらと白く光る月が姿を現していた。

 

今日は半月らしい。

 

 

 



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第13話 二人目

誰かの声が聞こえる。

 

それは懐かしい声で、彼女の声は私の心をひどく揺さぶる。

 

聞くと嬉しくなる声。しかしそれ以上に私を悲しませ、罪悪感を与える声。

 

彼女は何と言っているのだろうか。

 

暗闇の中で、彼女の姿が見えた気がした。

 

教会を彷彿とさせる、真っ白な礼装。

 

私は彼女を知っている。

 

決して忘れてはいけない人物であることを、私は知っている。

 

だが、何故いつも思い出せないのだろうか。

 

彼女の腰まで伸びた白い髪は、私に親しみを覚えさせる。

 

そうだ、彼女と私は同じような髪をしていて、それは仲良くなったきっかけの一つでもあった。

 

仲良くなった……?

 

そうだ、私と彼女は仲が良かったのだ。

 

それならば何故、私は彼女に対してこんなにも罪悪感を感じるのだろう。

喜びや親しみを一番に感じるのではなく、彼女に対する罪悪感が私の心を深く支配する。

 

罪……罪とは一体何だろうか。

 

私は彼女に何をしたのだろうか。

 

私は彼女の長い髪から、肌が雪のように白く整ったその顔へと焦点を移す。

 

暗闇の中での彼女の顔ははっきりと見えず、しかし目の辺りは包帯が巻かれているのが微かに分かる。

 

彼女の口元は微笑の形を作り、慈愛に満ちたその微笑みに、私は後ろめたさを感じる。

 

何処からか、微かに水が滴り落ちる音が聴こえた。

 

 

 

ピチャリ

 

 

 

ピチャリ

 

 

 

止まらない。止まらない。

 

湿った音が止まらない。

 

 

 

ちょろり

 

 

 

ちょろり

 

 

 

海の声が鳴り止まない。

 

もう聴きたくない。

 

誰かこの音を止めてくれ。

 

 

 

私は伏せていた目を開け、再び彼女の顔へと向ける。

 

いつの間にか彼女の顔は、ぶよぶよと膨れ上がった袋に包まれている。

 

頭部が巨大に肥大してしまった彼女の姿は、最早人間と呼べるものなのか。

 

しかし彼女の姿は変わらず慈愛に満ちていて────────。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お願い、私を見捨てないで……………私まだ、役に立てるのだから……………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

窓の外から、鳥のさえずりが聴こえる。

朝の報せだ。

私はゆっくりと、目を開ける。

いつもと変わらない部屋。

いつもと変わらない朝。

いつもと変わらない一日の始まり。

 

ここ数日、何故か同じ夢を見ていた。

夢に現れた彼女の姿と声は、朝の内は鮮明に覚えていて、夜になると曖昧になる。

そしてまた夢の中で彼女と出会い、同じ朝を迎える。

 

何気なく、使われていないもう一つのベッドを見る。

今私は一人部屋で、ベッドも当然だが一つしか使っていない。

だが今日は、新しく転入生が来るらしい。

そしてその転入生は、私のルームメイトとなるそうだ。

 

顔を洗おうと、私はゆっくりとベッドを降り、洗面所へと向かう。

 

いつもと同じ朝。

 

電気を点け、洗面所に立ち、蛇口を捻る。

 

いつもと同じ習慣。

 

ふと、鏡に映った自分の顔を見る。

自分の目からは涙が零れていた。

これもいつもと同じ出来事だった。

夢の中で彼女と出会った後の朝は、何故かいつも泣いている。

顔を洗って、蛇口を閉める。

 

 

「……なんだ…………?」

 

 

目を拭いたのに、また視界はぼやける。

何度拭いても、涙が止まらない。

 

「何故………私は…………?」

 

涙を拭く度に、理由の分からない悲しさがこみ上げる。

思わずそこに座り、壁にもたれる。

膝を抱え、顔を伏せて、私は泣く。

 

「うっ………ひっく……………」

 

ぐすぐすと子供のように泣く私の声は、壁に小さく反響して、行き場も無いまま消えてゆく。

 

いつもと同じ朝。

 

ただ、今日に限って、涙は止まらなかった。

 

 

 

 

 

 

今朝は結局何も食べず、私は教室へと向かった。

教室に入り、自分の席に座る。

半ば上の空といった表情で私は窓の外を眺めていた。

周りにはちらほらと、友人たちと席を囲んで談笑している様子が見受けられる。

最近のお気に入りの店。

テスト勉強の進度。

他クラスについての噂話。

彼女たちの話す会話もいつもとさして変わらないもので、それは「ああ、今日もか」と私に決まりきった感情を与える。

ただ今朝の涙は、私の中にずっと残っていた。

 

 

「席に着け。ホームルームの時間だ」

 

いつの間にか、始業時刻となったらしい。

千冬と真耶はいつものように教室に入り、教壇に立つ。クラスメイトたちも皆、彼女たちが入ってきたことで静かになった。

 

「今日は皆さんに、嬉しいお知らせがあります!」

 

真耶は言葉を続ける。

 

「新しく来てくれた、転入生を紹介します!」

 

彼女の言葉で、クラス中はざわめき始める。

そうだ、今日は私のルームメイトとなる人物が来る。

同じ部屋で過ごす私が、こんな上の空といった顔をしていては示しがつかない。

私は顔を引き締めて、入ってくるであろう転入生の姿を待った。

 

真耶が教室の外の方へ呼びかけ、扉が開く。

 

 

 

 

その転入生の姿を見て、私は目を見開いた。

 

 

 

 

「シャルル・デュノアです。フランスから来ました。皆さん、よろしくお願いします」

 

 

 

 

首の後ろで束ねた金髪に紫の瞳を持つ、中性的な顔立ちの転入生は、笑顔で挨拶をする。

その声を聴いて、直ぐに感じた。

 

 

 

()()()()

 

 

 

夢に出てきた彼女の声に、そっくりだった。

 

 

 

「お、男……?」

 

誰かが、そう呟いた。

転入生の制服は男性用だが、顔立ちの雰囲気は女性とも見てとれる。

確かに、その中性的な姿からは女性と間違えても無理はない。

すると、シャルルはその問いに答えた。

 

「はい。こちらに僕と同じ境遇の方がいると聞いて、本国より転入を───────」

 

「「「きゃああああああ!!」」」

 

シャルルが男性であると聞いた途端、クラス中は瞬く間に黄色い声援に包まれた。

それを見た千冬は呆れ、すぐに注意をする。

 

「騒ぐな、静かにしろ。今日は二組と合同で、IS実習を行う。各人は直ぐに着替えて、第2グラウンドに集合。いいな」

 

「「「はい!!」」」

 

「では、解散!」

 

ホームルームは終了し、各々授業の準備を始める。

騒がしくなったクラスの中、千冬は私を呼んだ。

 

「マリア、ちょっと来い」

 

そう言われ、私は千冬の元へ行った。

千冬の横には、転入生のシャルルがいる。

 

「部屋のことは知ってるか?」

 

「ああ」

 

「なら話が早い。これから面倒を見てやってくれ」

 

「……分かった」

 

私は彼を見た。

彼は真っ直ぐに私の方へ向き、挨拶をする。

 

「シャルル・デュノアです。シャルルって呼んでね。改めてよろしく、えっと……」

 

「……あ、ああ。私はマリアだ。好きに呼んでくれ」

 

「うん、分かったよマリア。よろしく」

 

私に明るく微笑みかける彼に、戸惑いを隠せない。そんな私の口からはやはり、続きの言葉は出なかった。

 

「………マリア?」

 

「………いや、なんでもない」

 

心配気な表情を浮かべる彼に、私は大丈夫だと伝える。

すると千冬は、近くにいた一夏にも声をかけた。

 

「織斑、同じ男子だ。更衣室まで連れて行ってやってくれ」

 

「はい」

 

「じゃあマリアさん、また後でね」

 

一夏はシャルルを連れて、教室の外へと出て行った。

教室を出るシャルルの背中を見ながら、私は暫くの間呆然としていた。

 

夢の中の彼女。

止まらなかった涙。

面影の残るそっくりな声。

 

赤の他人とは思えない。記憶の片隅に小屋を建て、以前からひっそり住みついていた「()()」のような気がする。

 

 

 

 

 

 

実習のためISスーツに着替えた一組と二組は第2グラウンドで整列していた。一夏とシャルルも列の隅に並んでいる。

 

「よし、全員集まったな」

 

白いジャージに着替えた千冬は全員の前に立ち、授業を始める。

 

「今日はお前たちにISの基本的な歩行操縦を学んでもらう。簡単に聞こえるかもしれないが、操縦を学ぶうえでは重要な技術だ。だがその前に、折角だから今日は戦闘実演をしてもらおう。凰、オルコット」

 

「「は、はい!」」

 

「専用機持ちなら直ぐに始められるだろう。前に出ろ」

 

名前を呼ばれた鈴とセシリアは、渋々といった顔で前に出る。

 

「なんであたしが……」

 

「なんか、こういうのは見世物のようで気がすすみませんわね……」

 

そんな二人に、千冬が近付いて耳打ちする。

 

「お前等少しはやる気を出せ。()()()に良い所を見せられるぞ」

 

そう言われた途端、二人の表情は変わる。

 

「やはりここはイギリス代表候補生、セシリア・オルコットの出番ですわね!」

 

「実力の違いを見せる良い機会よね!専用機持ちの!」

 

急にやる気を出した二人を見て、シャルルは前にいる一夏に小声で質問する。

 

「今先生なんて言ったの?」

 

しかし一夏も聞こえていなかったらしく、

 

「俺が知るかよ……」

 

と答えた。

セシリアと鈴は随分と堂々とした顔つきだったため、一体何を言われたのだろうかと一夏は思った。

 

「それで、お相手は?鈴さんとの勝負でも構いませんが」

 

「ふふん、こっちの台詞。返り討ちよ」

 

「慌てるな馬鹿共。対戦相手は───────」

 

「ど、どいてくださーーーい!!」

 

上空から声がする。

見上げると、空から訓練機を纏った真耶が急降下してきていた。どうやら制御出来ていないらしく、このままだと地面に衝突してしまう。

クラスメイトがその場から逃げる最中、マリアだけは上を見上げたままでいた。

そして助走をつけ、膝を曲げてその場から跳ぶ。

そして両手を伸ばして真耶を抱き、静かに地面に着地する。

 

「怪我は無いか?」

 

「マ、マリアさん⁉︎す、すすすすみません!先生なのにこんなミスを──────」

 

「怪我はあるのか、無いのか」

 

低い声で、真耶に聞く。

いつもの雰囲気と違うマリアに、少し怯えてしまう真耶。

 

「あ、ありません………」

 

「………そうか」

 

そう言うと、マリアは真耶を地面にゆっくりと下ろし、背中を向けて戻って行く。

 

(マリアさん………?)

 

彼女はいつものような優しい表情ではなく、何か考え込んでいるような顔をしていた。

何か悩みでもあるのだろうか、と真耶は思った。

 

 

クラスメイトが再び集まり、千冬が話を始める。

 

「こんなんだが、山田先生は元代表候補だ」

 

「む、昔の話ですよ。結局候補生止まりでしたし……」

 

真耶は謙遜して、千冬に言う。

千冬はセシリアと鈴を見た。

 

「さて小娘ども。さっさと始めるぞ」

 

「え、あの……二対一で?」

 

「いやぁ、さすがにそれは……」

 

「安心しろ。今のお前たちならすぐ負ける」

 

その言葉を聞いた二人は少しムッとした表情をする。

 

「では、始め!」

 

千冬の合図を皮切りに、セシリア、鈴、真耶は上空へと飛び立っていった。

 

 

 

 

 

 

マリアを含めたクラスメイトたちと千冬は、三人が上空で戦っているのを見上げていた。

 

「デュノア、山田先生が使っているISの解説をしてみせろ」

 

「は、はい!」

 

千冬に言われたシャルルは、皆に分かるように声を大きくして説明を始めた。

 

「山田先生のISは、デュノア社製ラファール・リヴァイヴです。第二世代開発最後期の機体ですが、そのスペックは初期第三世代にも劣らないものです」

 

シャルルの説明を聞いていたマリアは、一つ気になることがあった。

 

(『デュノア社』………授業でも習ったが、彼はその家系ということか………?)

 

アリーナ上空では、真耶はアサルトライフルを駆使して二人と戦っている。

 

「現在配備されている量産ISの中では、最後発でありながら、世界第3位のシェアを持ち、装備によって格闘・射撃・防御といった全タイプに切り替えが可能です」

 

世界第3位。

その言葉はデュノア社という存在を確立、周知させるには十分過ぎる意味を持っている。

それならば何故、世界中において名を馳せている企業出身の彼が、何のニュースにも騒がれることなく突然()()()()()()()()()I()S()()()()として転入できたのか。

恐らく楯無も、そこを怪しんでいたのだろう。

 

シャルルの解説も終わり、暫くすると上空で爆発が起こる。

煙の中から現れたのはセシリアと鈴で、二人はアリーナのグラウンドへと落ちていった。

戦闘で勝った真耶も、やがて皆の元へと戻ってきた。

 

「これで、諸君にも教員の実力が理解出来ただろう。以後、敬意を持って接するように」

 

千冬がそういった後、グループに分かれて実習を行うことになった。

各グループのリーダーは専用機持ちがやる。

勿論マリアもその内の一人だった。

千冬の号令で、クラスメイトはバラバラに散っていった。

 

 

 

 

 

 

グループリーダーはそれぞれ、一夏、セシリア、鈴、シャルル、そして私だった。

六人程のクラスメイトたちが私の方へ向かってくる。

その内の三人の私に向ける眼差しは、何処か快くないものだった。話したこともないはずなのに。

彼女たちは私の目を見て、自ずと話し始める。

 

「あの……私たち、ずっと()()()()に憧れていたんです!」

 

彼女たちの言葉を聞いて、私は固まってしまう。

 

 

 

()()()()

 

 

 

その呼び方は私の心を止め処なく荒らし始める。

 

 

「私たち、道場での篠ノ之さんとマリア様の打ち合いを見てたんです。マリア様の神々しい姿が目に焼き付いて……」

 

 

「この機会でマリア様と話せることになって、すごく嬉しいんです!」

 

 

何も答えることが出来ない。

なんとか喉を捻り、拒絶の意を示そうとする。

 

 

「すまないが……その呼び方は止めてくれないか………」

 

 

「いいえ!マリア様はマリア様です!美しいマリア様に敬称を付けない訳にはいきません!」

 

 

「その通りです!さぁ、マリア様。私たちにISについて教えてもらえませんか?」

 

 

「いきなりこんなに話しかけてしまって困惑してしまうかもしれませんが、これから仲良くしてくれると嬉しいです、マリア様!」

 

 

 

 

彼女たちにそう呼ばれる度に、私の心は深く蝕まれていく。そして頭の中で、途切れ途切れにはっきりとしない()()()()が浮かび上がる。

 

 

「マリア様………」

 

 

「マリア様………」

 

 

「マリア様………」

 

 

 

止めてくれ。

出来ることなら、もうこれ以上聞きたくない。

しかし、私の願いも虚しく、いくつもの声が頭の中で流れる。

 

 

『誰か………俺の目玉を知らないか………』

 

 

『……ああ、マリア様……』

 

 

『チュパ、チュパ、チュパ………』

 

 

『痛い……痛い………』

 

 

『ねぇ、マリア様?マリア様?』

 

 

『ちょろり、ちょろり、ちょろり』

 

 

彼らの声と、湿った音が鳴り響く。

 

 

夢で聴いた海の声。

 

 

『ねえ………ねえ………』

 

 

『聞こえる………水の音が………』

 

 

『お願いです………マリア様………』

 

 

『ウッウッウッウッ………』

 

 

『殺してくれ……殺してくれ……』

 

 

やめてくれ。

 

 

もう、眠ってくれ。

 

 

全て私が悪いのだから───────。

 

 

「マリア様?どうしたんですか?」

 

 

『こんなところは、もう嫌だ………』

 

 

「マリア様?体調が悪いんですか?」

 

 

『懺悔します……もうしません……もう二度と、しませんから………』

 

 

「マリア様?」

 

 

ねぇ、マリア様?マリア様?

 

 

恐ろしいのです……この湿った暗闇が……

 

 

お願いします……手を握っていてください……

 

 

ああ、マリア様………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

マリア様マリア様マリア様マリア様マリア様マリア様マリア様マリア様マリア様マリア様マリア様マリア様マリア様マリア様マリア様マリア様マリア様マリア様マリア様マリア様マリアさまマリアさまマリアさまマリアさまマリアさまマリアさまマリアさまマリアさまマリアさまマリアさまマリアさまマリアさまマリアさまマリアさまマリアさまマリアさまマリアさまマリアさまマリアさまマリアさまマリアさまマリアさまマリアさまマリアさまマリアさまマリアさまマリアさまマリアさまマリアさまマリアさまマリアさまマリアさまマリアさまマリアさまマリアさままりあさままりあさままりあさままりあさままりあさままりあさままりあさままりあさままりあさままりあさままりあさままりあさままりあさままりあさままりあさままりあさままりあさままりあさままりあさままりあさままりあさままりあさままりあさままりあさままりあさままりあさままりあさままりあさままりあさままりあさままりあさままりあさままりあさままりあさままりあさままりあさままりあさままりあさままりあさままりあさままりあさままりあさままりあさままりあさままりあさま

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「黙れ!!!!!」

 

自分の声で、我に帰る。

目の前の彼女たちは怯えた目で、気付けばクラスメイト全員が私を驚きの目で見ていた。

私は、何を聞いていたのだろう。

思えば、何もこんなに大声で怒鳴るようなことではないではないか。

彼女たちの私への呼び方を、ただ注意すればよかっただけじゃないか。

辺りは静寂となり、皆が私の方を見ている。

私もどうすればよいか分からず、ただ視線を彷徨わせていると───────。

 

「何を騒いでる、馬鹿共」

 

ポンッと、私の頭に出席簿が下りる。

こちらに来た千冬が、私の顔を見て、落ち着いた声で尋ねる。

 

「何があった?」

 

「……いや、何でもない………」

 

「……続けられるか?」

 

「……ああ、すまない」

 

「そうか……ならいい」

 

千冬は背を向け、元の場所へ戻っていき、クラスの皆に実習を再開させるよう号令をかける。辺りはまたざわつき始めていった。

 

「すまない……大声を出してしまって………」

 

私は目の前にいる彼女たちに謝罪をする。

 

「い、いえ……」

 

「私たちも、一方的に言っちゃったから……」

 

「ご、ごめんなさい……」

 

そう言う彼女たちの声には、何処かよそよそしく、怯えたような震えを感じた。

私もそれ以上何も言わず、グループとして実習を始める。

この日以来、私が『マリア様』と呼ばれることは無くなった。

 

 

 

 

 

 

時は経ち、授業終了のチャイムが鳴る。

生徒たちは皆、千冬の前に整列していた。

 

「今日の実習でやったことを何度も復習しておくように。いいな」

 

「「「はい!」」」

 

「よし。では、解散!」

 

解散の号令が出され、皆雑談しながらその場を離れていく。

先程のことを心配に思った一夏は、マリアの方へと近づく。彼女はまだ、その場に立ったままだった。

 

「マリア、大丈夫か?」

 

マリアはゆっくりと、一夏の方を見る。

 

「ああ……すまない」

 

「ならいいけど……らしくないぜ?体調悪いなら、保健室にでも………」

 

マリアは一夏から顔を逸らし、背を向ける。

 

「らしくない、か………」

 

小さな声でそう呟いた彼女は、そのまま歩き出した。

 

「あ、マリ────」

 

「一夏さん」

 

一夏を呼ぶ声とともに、肩に手を置かれた。一夏を呼んだ人物はセシリアだった。

セシリアは一夏の横に立ち、マリアを見る。その目はマリアを心から心配している目だった。

 

「マリアさんは……時々、遠い目をします。私たちと楽しく話していても、一人になると、時折暗い顔を見せるんです」

 

一夏は何も言わず、セシリアの言葉に耳を傾ける。

 

「私も、マリアさんに支えてもらったことがあります。だから、マリアさんが何かに悩んでいるのであれば、次は私たちが支えてあげましょう?」

 

「………そうだな」

 

一夏とセシリアは、遠くなっていくマリアを見ていた。

 

 

暫くすると、その場に残っていたのは一夏とセシリアの二人だけだった。

セシリアはわざとらしく咳払いをし、一夏の方を見る。

 

「と、時に一夏さん」

 

「ん?」

 

「今日のお昼は、空いていらっしゃいますか?」

 

「昼か?ああ、空いてるぜ」

 

「そ、それでしたら……」

 

セシリアは頰を赤く染めて、もじもじとする。

そして深く息を吸って、口を開いた。

 

「ら、ランチをご一緒しませんこと?」

 

「えっ……」

 

そう言われて、一夏の心臓の鼓動が速くなる。

よくよく考えてみれば、今この場には二人きり。

理由は分からないけれど、何故かセシリアといるとやたらと意識してしまう。

そんなセシリアに、昼食を一緒に食べるお誘いをされたのだ。

顔を真っ赤にして答えを待つセシリアを見て、一夏も自然と顔を赤くする。

 

「お、おう!いいぜ!」

 

一夏がそう答えると、セシリアはとびきりの笑顔になった。

 

「本当ですの⁉︎嬉しいですわ!」

 

セシリアは一夏の腕に抱きつく。

そして一夏の顔を見上げた。

 

「出口まで一緒に行きましょう、一夏さん♪」

 

腕を一緒に組みながら、一夏とセシリアは歩き始める。

物凄く恥ずかしいが、結構ラッキーだと思っている一夏の胸中には、甘い味が広がっていった。

 

 

 

 

 

 

昼休み。

何も昼食を持っていないマリアは、今日は食堂で食べる気にもならず、購買で軽食でも買おうかと決めた。

時間も経ち、気分的にも今は大分落ち着いていた。周りもよく見える。

会話が飛び交うクラスを見渡していると、シャルル一人はまだ席に座っていた。昼食を持っているようにも見えない。

マリアはシャルルの方へ向かう。

 

「シャルル」

 

「あ、マリアさん。体調は大丈夫?」

 

「ああ、心配かけてすまない。それより、昼食は?」

 

「えっと……その、無くて……」

 

まだ転入して来たばかりで、食堂や購買の場所なども分からないのだろう。

 

「ならちょうどいい。一緒に昼食でも買いに行こう。そのついでに校舎も案内するぞ」

 

「本当⁉︎ありがとう」

 

シャルルが席を立ち、マリアとともに教室を出ていった。

 

 

 

 

 

 

購買でパンを買った二人は、屋上へと向かっていった。一度屋上から学園を眺めてみたいというシャルルの希望だった。

階段を上がり、屋上へと続くドアを開ける。

雲一つない晴天に、屋上に広がる人口芝生。

全てとまではいかないが、校舎周辺を一望出来る屋上には、ちらほらと昼食を楽しむ先客が見える。

 

「ん?」

 

「あ、一夏とセシリアさんだ」

 

よく見ると、屋上で昼食を楽しんでる生徒たちの中に一夏とセシリアがいた。どうやら二人で良い雰囲気を出している。

すると、向こうもこちらに気付いたようだ。

 

「あ、おーい!マリアー!シャルルー!」

 

「お、お二人とも、ぐ、ぐぐ偶然ですわね」

 

遠くから見てもすぐ分かるくらいにセシリアの顔は真っ赤だった。

その感じを察したシャルルは、マリアに小声で話す。

 

「なんか……邪魔しちゃったかな?」

 

「……二人がいるとは、知らなかったな」

 

二人を残して帰るべきか迷っていると、また向こうから呼びかけられた。

 

「マリアさん、シャルルさん、一緒にランチをいただきましょう?」

 

「そうだぞー!早く来いよー!」

 

一夏は手を振ってこっちに呼びかける。

 

「まぁ、シャルルもこの学園に来たばかりだ。ここは皆で仲を深めよう」

 

「うん、そうだね。ありがとう……マリアって、優しいね」

 

シャルルは笑顔でマリアに礼を言う。

マリアたちは一夏とセシリアの元へと行き、腰を下ろした。

どうやら一夏は昼食を持っていないようだ。

 

「一夏、今日は食べないの?」

 

シャルルが一夏に尋ねる。

 

「いや、実はセシリアがランチを持ってきてくれたらしいんだ」

 

「「へぇ……」」

 

マリアとシャルルはニヤニヤとした顔でセシリアを見る。

それに気付いたセシリアは、また顔を赤くした。

 

「な、なんですのその顔は⁉︎」

 

「一夏のためにお弁当か〜。仲睦まじいね〜」

 

「ふっ……やるな、セシリア」

 

「な、ななな、何がですの⁉︎」

 

あたふたとするセシリアは、話題を変えようとして自分の持ってきたバスケットを開ける。

そこには、一口サイズに切り分けられたサンドイッチが綺麗に並んでいた。

一夏はその美味しそうなサンドイッチに釘付けになった。

 

「おお!サンドイッチか!」

 

「ええ。どうぞ召し上がれ♪」

 

「サンキュー!セシリア!」

 

「よければマリアさんとシャルルさんもどうぞ」

 

「そうか?すまないな」

 

「ありがとう、セシリアさん」

 

一夏と共に、マリアとシャルルもバスケットのサンドイッチを手に取る。美味しそうなうえに一口サイズのため、ついついたくさん食べてしまいそうだ。

 

「じゃ、いっただっきまーす!」

 

一夏がサンドイッチを頬張った。

セシリアも一夏の食べてる様子を見てニコニコとしている。

マリアとシャルルもサンドイッチを口に運んだ。

 

(………⁉︎)

 

マリアは自分の口の中の異変に気付く。

何故サンドイッチで舌がヒリヒリとするのか。そもそもサンドイッチとはこういう味だっただろうか。

セシリアの作ったサンドイッチは、マリアの知っている味とは随分かけ離れていた。

これがイギリスと日本の距離か。いや、多分違う。何を言ってるんだ私は。

マリアは表情を崩さないようにして、一夏の方を見る。

一夏の顔はいつの間にか青くなっており、冷や汗が見える。

一方シャルルを見ると、彼も青くなった顔で「こ、個性的な味だね〜……」と作り笑いをしていた。

 

「一夏さん、いかがですか?」

 

「あ、ああ……美味しいよ、セシリア………」

 

セシリアの手前、不味いなどとは言えない何とも可哀想な一夏であった。

恐らく、時々こうやってセシリアは一夏のために昼食を作ってくるだろう。

マリアの頭に、腹痛で午後の授業を受ける一夏の姿が浮かぶ。

 

「マリアさん、お味はいかがですか?」

 

マリアは、一夏に助け舟を出すことにした。

セシリアの隣に座り、小声で話す。

 

「セシリア、今度私と料理を勉強しよう」

 

「え?よろしいですが……どうしたんですの?」

 

「セシリアは、一夏を落としたくはないか?」

 

「え、ええ⁉︎」

 

マリアはニヤニヤした顔でセシリアに言う。

一夏とシャルルにはこっちの会話は聞こえていないため、二人ともマリアたちを見て首を傾げている。

 

「サンドイッチもよかったが……日本料理を学べば、きっと一夏も喜ぶと思うぞ」

 

「日本料理ですか……作ったことが無いので自信はありませんわ………」

 

「そうか、なら私が一夏の胃袋を掴もう」

 

「や、やりますわ!ええ、やりますとも!」

 

一夏を取られると思ったセシリアは途端に焦り出した。

それを見たマリアも微笑む。

 

「ふふっ、そうムキになるな。誰も一夏を取ったりしない」

 

「も、もう!マリアさんは意地悪ですわ!」

 

「なぁ、二人で何を話してるんだ?」

 

「ん?そうだな……とりあえず一夏には、今度デザートでもご馳走してもらうか」

 

「え、何でだよ?まぁいいけど……」

 

「ふふふ」

 

まぁ、助け舟を出した褒美としてデザートを貰うのも悪くはないだろう。

その後もマリアたちは、屋上での談笑の時間を楽しんだ。

 

 

 

 

 

 

夜。

マリアとシャルルは部屋で互いに休息の時間を過ごしていた。椅子に座り、紅茶を飲んでいる。

 

「でも、驚いたよ。まさか僕がマリアと同じ部屋になるなんて」

 

「ふふっ、私とは嫌か?」

 

「そ、そんなことないよ!寧ろ、マリアは嫌じゃないの?その……男だし」

 

「随分と可愛い男の子だからな。悪くない生活だよ」

 

マリアは冗談めかしてそう答える。

彼女にそう言われたシャルルが一瞬だけ暗い顔を見せたのを、彼女は見逃さなかった。

しかし、敢えてそれには触れないようにする。

 

「─────君を信じているからだよ。さぁ、もう寝よう」

 

マリアは空になった二人のティーカップを台所に持っていく。

 

「……そう、だね………」

 

と、シャルルも小さく返事した。

 

 

マリアが部屋の電気を消し、二人ともベッドに入る。

真っ暗な部屋で、時折シーツの擦れる音だけが壁に渡って、消える。

 

 

「ねぇ………マリア………起きてる………?」

 

 

少し時間が経って、シャルルが小さく問いかけた。

 

 

「………ああ、どうした?」

 

 

マリアもなかなか寝付けないでいた。

 

 

「……マリアは、どうしてこの学園に来たの?」

 

 

シャルルの口から出た疑問に、マリアは暫く考えてから答える。

 

 

「さぁな……自分でもよく分かっていない。ただ、………」

 

 

「………うん」

 

 

「──────この学園で過ごすのも悪くないなと、………そう感じたからかもな」

 

 

「………そう」

 

 

その後は、どちらから話しかけるということもなく、唯々時間が過ぎていった。

初めて会ったはずなのに、聞いたことのある声。

彼の声は、いつも夢で会う彼女のものにそっくりだった。

赤の他人かもしれない。しかし、どうしても赤の他人とは思えない。

 

 

お願い、私を見捨てないで……………私まだ、役に立てるのだから……………。

 

 

頭の中で、顔も分からない彼女の声が反芻する。

いつものように、夜になれば、もう彼女の姿も曖昧で。

せめて夢で会えば、また彼女を思い出すことは叶うだろうか。

カーテンの隙間からは、月明かりが暗闇を訪れている。

そういえば彼女も、嘗ては私にとって光のような存在だったかもしれない。

微睡(まどろ)んだ思考も暗闇に消え、いつしか私は眠っていた。

 

 

 




『脳液』

薄暗いアメーバ状の脳液。
頭部が肥大し、遂に頭ばかりとなった患者から採取したもの。

内なるものを自覚せず、失ってそれに気付く。
滑稽だが、それは啓蒙の本質でもある。
自らの血を舐め、その甘さに驚くように。


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第14話 黒

前回の話を読んでくださった方は既にお分かりかと思いますが、一つ言わせてください。

僕は、声の人が同じだからという理由でこんな話を書いたのではありません。たとえ声の人が同じであってもなくても、僕はこういう話を書くつもりでした。それは、それぞれの人物に、しっかりとした背景があるからです(それは作品内で後々明かされていきますが)。
いわゆる「メタ展開」という言葉がありますが、個人的にはあまり好きではありません。
なので、この作品上では声優さんが内容に影響を及ぼすことは一切ありません。

このような言い方をすると、気を悪くされる方も出てしまうことを覚悟の上で、以上のことを言わせていただきました。
皆さんに誤解だけはしていただきたくなかったので。

大変失礼しました。


音もなく、真っ白な空間。

目の前には、こちらに背を向けている女性がいる。

 

いつも夢で会う彼女。

 

そして私は、「ああ、またこの夢か」と、なんとなしに思う。

腰まで伸びた彼女の白い髪は、この真っ白な空間の中でも一際美しく映えている。

私よりも一回り小さい彼女。

その小さな背中を、今すぐにでも抱き締めてやりたかった。

 

彼女がこちらを見た気がした。

目の辺りははっきりと見えないが、こちらを見て少し微笑んだ。

私は彼女の名を呼ぶ。

 

「──────!!」

 

彼女の名前。

 

名前を呼んでいるはずなのに、何という名前かが分からない。自分の声が、聞こえない。

彼女が、音の無い私の声を聞いて微笑み、また背中を向ける。

向こうへと歩き出した彼女。

もう離すまいと、私は必死になって追いかける。しかし彼女と私の距離は離れてしまう一方だった。

 

「待ってくれ!!」

 

彼女に少しでも届くために、私は手を前に伸ばす。

すると私の指先から手のひらにかけて、緋い血が湖を作っていることに、今になって気付く。

緋に塗れた指先からポタポタと血が滴り落ち、白の空間を穢していく。

手のひらの緋い湖はいつの間にか足元も満たし、その場から白の純潔は消えてしまっていた。

顔を上げると、もう彼女は消えていた。

見るもの全てが緋で、私の全身も緋に染められている。身体と空間の境目は緋に塗れ、このまま自分も血に溺れてしまいそうなほどに。

 

不意に後ろから、誰かが私の肩を掴む。

気付けば、頭部がぶよぶよと肥大してしまった彼らが私の足を、腕を、肩を、首を締め付ける。

首を絞められ、呼吸が出来ない私は、しかし逃げることも出来ず、その気にもなれなかった。

肺から空気が押し出される。

そのせいで薄れていく意識と、徐々に目の前が暗くなっていく内に、私は血の湖から一人の女性が這い出てくるのを見た。

それはいつも見る、慈愛に満ちた彼女ではなかった。

黒のタイトスカートに、肩や袖や裾に赤いラインが施された黒の正装。頭に被る黒帽子は、素材のしっかりとした、少し固そうな造形をしている。彼女は右目に黒い眼帯を付けていた。

血の湖から這い出てきた彼女は、全身が血と傷に塗れ、誰かから切断されたのだろうか、彼女の右腕はそこに存在していなかった。

そして胸の辺りが、内臓を貫かれたようにぽっかりと穴が開いている。

変色した肌。酷い傷口。

左目の瞳孔は崩れ、蕩けている。

獣のような金切り声を上げ、蹌踉めいた足取りで私に近づく。

 

 

────……リア………。

 

 

ああ、どうして。

どうして今になって、君は私を呼ぶのだろうか。

私の前にいたときは、何も言ってくれやしなかったじゃないか。

目の前の獣は左腕で私の顔を掴み、飢えた口を大きく開く。

 

 

────……マリア………。

 

 

彼女の声が聞こえる。

このまま私は食い千切られるのだろう。

夢の中で死ねば、私も目覚めるのだろうか。

私は目を瞑る。

夢も時が経てば、やがては薄れ、曖昧になり、記憶から消える。

獣の歯が、私の顔に食らいつく。

 

 

 

ああ、これが目覚め、すべて忘れてしまうのか………。

 

 

 

 

 

 

「っっ⁉︎」

 

「マリア⁉︎大丈夫⁉︎」

 

飛び起きるように目を覚ました私は、激しく拍つ心臓の鼓動を暫く止めることが出来なかった。

私を心配気な目で見るシャルルがいた。

 

「マリア、大丈夫?(うな)されてたみたいだけど」

 

「はぁ……はぁ………ああ、大丈夫だ」

 

「悪い夢でも見たの……?」

 

「………そんなところだ」

 

時計を見ると、ちょうど食堂が開き始めるくらいの時刻だった。

シャルルはもう朝食に行ける準備が出来ているらしい。どうやら私を心配して、ずっと待ってくれていたようだ。

マリアはベッドを降りる。

 

「すまない、着替えるから、先に朝食を食べててくれ」

 

「僕、ここで待つよ?」

 

「……女の着替えを見たいのか?朝から盛んだな」

 

マリアが冗談めかしにそう言うと、彼は一度疑問の表情を浮かべ、途端に顔を赤くし、「しまった」という顔をした。

 

「ご、ごめん!そうだよね!あ、あははは!先に行ってるね!」

 

まるでその場から逃げ出すように彼は駆け足で部屋を出た。

マリアも気にせず、着替えを始める。

 

 

 

今朝の夢は、またいつもと違った。

頭部があのようになってしまった彼らを、私は知っている気がする。彼らを思い出すたびに、彼らが私を呼ぶ声と、私の中の罪の意識が幾度となく脳裏をよぎる。それは、いつも夢の中で会う彼女にも言えることだった。

 

こんなにも罪悪感を感じるということは、私は過去に何かを、罪を、犯したのかもしれない。

断片的にしか記憶が無い今の私にははっきりとは分からないが、しかしこれは、絶対に思い出さなければならないことだ。

 

そして、夢の最後で出てきた黒の眼帯の女性。

獣になってしまった彼女の瞳孔は崩れていて、そしてその目を私は以前に見た気がする。

 

何故、夢とはこんなにも人の記憶を曖昧とさせるのだろう。

 

夢を見るたびに思い出し、夢を見るたびに混乱する。

 

思い出さなければならない人物に何度も会わせ、目が覚めればそれを忘れさせる。

 

それが夢の正体ならば、夢とはなんと残酷なものなのだろうか。

 

 

 

 

 

 

朝のHR。

教壇に立つ真耶は、何処か微妙な表情をしている。生徒たちも、真耶が口を開くのを待っていた。

 

「えっと……き、今日も皆さんに、新しいお友達を紹介します」

 

クラス内が、静かにざわつき始める。

 

「また転入生?」

 

「この前来たばっかりだよ?」

 

「どういうこと?」

 

「皆さん!静かにしてください!まだ紹介が済んでませんよ!」

 

真耶が生徒たちにそう言うが、皆はそれでも疑問の表情をやめなかった。

真耶が扉の向こうにいるであろう転入生を呼ぶ。

すると扉が開き、一人の少女が入ってきた。

 

 

長い銀髪の少女だった。

かなりの小柄で、背は恐らくこのクラスで一番低い。

そして驚くべきことに、彼女の左目には黒い眼帯が付けられ、右目は赤色に染まっていた。

 

(!!目が緋色に……それに、あの眼帯は………)

 

マリアは銀髪の少女の目に釘付けになる。

夢の最後に出てきた女性は、獣と成り果ててしまったが為に、目が緋く染まってしまっていた。そして彼女もまた、黒の眼帯を付けていた。

今、目の前にいる銀髪の少女は、顔は違えど目と眼帯に関しては全て共通していた。

しかし、彼女から獣のような気配は感じられない。

 

「ラウラ、挨拶をしろ」

 

千冬が銀髪の少女に言った。

ということは、彼女の名前はラウラというらしい。

 

「はい、教官」

 

「ここでは私は教官ではない。織斑先生と呼べ」

 

「……はい」

 

銀髪の少女は氷のような鋭い目つきをして、クラスを見渡す。

 

「ラウラ・ボーデヴィッヒだ」

 

たった一言だけ、そう冷たく言い放った。

そして、前方の座席に座っている一夏を見つけ、彼の元へと近づく。

 

 

パァン!

 

 

空気が割れるような音が、教室に響く。

突然、ラウラは一夏の頰を叩いたのだ。その目には、怒りと憎しみの感情が含まれていた。

一夏も、一体何が起こったのかを受け止めきれず、只々混乱しているようだった。

 

 

「………私は認めない」

 

 

彼女は、小さな、しかしはっきりと聞こえる声で言う。

 

 

「私は認めない……!貴様が教官の弟であるなどと、認めるものか!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ラウラ・ボーデヴィッヒ。

後に彼女と私は、互いにおぞましい悪夢を見ることとなる。

 

 




『肥大した頭部』

聖堂の患者、その肥大した頭部。
ぶよぶよとしており、その姿は最早人間とは言えず、異常である。

だが耳をすませば。
湿った音が聞こえる気がする。
しとり、しとり。
水の底からゆっくりと、滴るように。


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第15話 露台

遅くなってしまい申し訳ありません。
1月末はレポートの提出があって更新出来ませんでした。
そして今も添削をくらい再提出をしなければならないという。




「マリア、こうか?」

 

「そうだ。そのまま剣を振り下ろして……そう、良い感じだな」

 

その日の放課後。

廊下で偶然にも一夏と会ったマリアは、一夏に頼まれ一緒にアリーナのグラウンドに来ていた。剣の扱い方を見てほしいとのことだった。マリアも一夏の頼みを承諾し、今は一夏に太刀筋の練習をさせているところだった。

 

「マリアはいつもどんな感じで剣を振ってるんだ?」

 

「私の武器と一夏の武器は異なるタイプだからな。扱い方を教えてもあまり参考にはならないとは思うが……。ただ、どんな剣でも基本的なことは共通している」

 

一夏は剣を下ろし、マリアの方へ身体を向ける。

 

「大事なことは、型を失わないことだ。一夏は時々、剣に振り回される節がある」

 

「うーん……確かにそう言われればそうかもしれない……けど、なんかイメージがつかないんだよな……」

 

「一夏は攻撃をする時、体幹の軸が上半身と下半身とでブレてしまっているんだ。互いに不均等な動きをするから、バランスが崩れ、身体が剣に持っていかれる。ISは空を飛ぶものだから、宙に浮いた状態で軸を保つことは確かに容易なことではないが……そこを克服すれば今よりもかなり良い太刀筋を出せると思うぞ」

 

「なるほど!ちょっとイメージ湧いてきたぜ!」

 

一夏は再び剣を構えて、素振りを始める。

暫くすると、二人の所に見知った顔が近づいてきた。

 

「やぁ、二人とも。練習中かな?」

 

声の主はシャルルだった。

彼もまたISを身に纏っていた。

恐らく彼の専用機であるそのISは、全身オレンジ色の機体であった。

そのフォルムは、打鉄と同じように訓練機として扱われるラファール・リヴァイヴと似た造形をしていた。

 

「ああ、マリアに剣の振り方を教わってるんだ」

 

「シャルル、その専用機はラファール・リヴァイヴか?」

 

シャルルの専用機は、先日真耶がセシリアと鈴とで模擬戦闘をした際に使っていたものとよく似ていた。

 

「正確にはラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡだね。第ニ世代型のISで、原型である訓練機よりも武器装備の拡張領域(バス・スロット)が大幅に追加されたものなんだ」

 

真耶が訓練機のリヴァイヴを使っていたときは、武器はアサルトライフルのみであったが、シャルルは原型のものよりも様々な武器を使えるということだろう。

 

「ねぇ、一夏。よかったら相手してくれる?白式と戦ってみたいんだ」

 

「おお、いいぜ!」

 

「マリアも一緒にどうかな?」

 

「私はここで二人の戦い方を見ておくよ」

 

「分かった。じゃあ一夏、あっちで始めようか」

 

一夏とシャルルは、マリアの元を離れ、少し上空に移動する。

マリア自身も、シャルルがどういう戦い方をするのかに興味を持っていた。

地面に立って暫く上空を見上げていると、二人の戦いが始まった。

 

 

 

 

 

 

それから10分後。

一夏は先程まで言われていたマリアの教えをなんとか実践しようとしつつも、シャルルの巧妙な戦術に振り回され、シールドエネルギーが0になってしまった。

一夏とシャルルはグラウンドまで降り、一先ず一夏の戦い方を改めて振り返ってみる。

 

「つまりね、一夏が勝てないのは単純に射撃武器の特性を理解してないからだよ。マリアが一夏に教えてくれたことは、相手の武器を把握した上で生きてくるものだからね」

 

「うーん……一応分かってるつもりだったんだが……」

 

難しい顔をする一夏に、シャルルが白式について尋ねる。

 

「白式って後付装備(イコライザ)が無いんだよね?」

 

「ああ。拡張領域(バス・スロット)が空いてないらしい」

 

基本的に、どのISにも主武器と副武器があり、後付装備(イコライザ)は副武器にあたる。

拡張領域(バス・スロット)はその後付装備(イコライザ)を格納する土台のようなものであり、大きければ大きいほど所有出来る装備の種類も増えるというわけだ。

 

「多分だけれど、それってワンオフ・アビリティの方に容量を使っているからだよ」

 

「ワンオフ?」

 

「ISが操縦者と最高状態の相性になった時に、自然発生する能力。白式の場合は零落白夜がそれかな」

 

 

二人の会話を少し離れた場所で聞いていたマリア。

そんな彼女の肩を、トントンと誰かが触れる。

 

「ご機嫌よう、マリアさん」

 

「ああ、セシリアか。それに箒と鈴も」

 

マリアの肩に触れたのはセシリアだった。

セシリアの後ろには箒と鈴も一緒にいたが、箒と鈴は何故か訝しげな目で一夏とシャルルを見ている。

 

「一夏……何故私との特訓よりも彼を選ぶのだ……⁉︎」

 

「あたしの方が分かりやすく教えてあげる自信あるのに……!」

 

箒と鈴はボソボソと何か不満を言っているようだが、何を言っているかが分からない。

 

「………あの二人は何を言ってるんだ?」

 

マリアはセシリアに小声で尋ねる。

するとセシリアも、彼女たちを見ながら半ば呆れた顔をして小声で返した。

 

「気にする必要はありませんわ。きっと一夏さんを取られてやきもちを妬いているのでしょう」

 

セシリアの言ったことが聞こえたのか、箒と鈴は顔を赤くした。

 

「な、何を言うんだセシリア⁉︎」

 

「や、やきもちなんて妬いてないわよ!」

 

「お二人とも……デュノアさんも一夏さんと同じ男性ですのよ?別に咎めるような事はありませんわ」

 

「それはそうだが……」

 

箒と鈴はセシリアの言うことに納得はしつつも、シャルルを嫉妬の眼差しで見ていた。

少しでも自分と一緒にいてほしいと想い人に願うのは、きっと恋する乙女の特権だろう。

その光景を見て、マリアは少し微笑ましく思った。

 

 

暫く話した後、シャルルは一夏に自分のライフルを渡した。

 

「じゃあ、ちょっと射撃の練習でもしてみようか」

 

「他の奴の装備って使えないんじゃないのか?」

 

「普通はね。でも所有者が解除(アンロック)すれば、登録してある人全員が使えるんだよ」

 

一夏はシャルルに促され、50m程離れた的に向けてライフルを構える。

シャルルは後ろから一夏の構えをサポートした。

 

「えっと……構えはこうか?」

 

「そうだね、もうちょっと脇を締めて。あと左腕はこっち」

 

「よし、分かった」

 

 

後ろから見る一夏とシャルルの様子は、シャルルがまるで一夏に抱きついているようにも見え、箒と鈴はますます気が気でなかった。

 

「ちょっとあの二人、仲が良すぎるんじゃない⁉︎」

 

「鈴さん、少しは落ち着いてください」

 

不満を零す鈴を、セシリアが宥める。

一夏はシャルルにサポートされながら、次々と的の中心を撃っていった。

シャルルの適切な助力を見ると、非常に高い技術を持った操縦者であることが分かる。

きっと多くの訓練を積んできたのだろうと、マリアは思った。

やがて、二人は全ての的を撃ち終えた。

 

「どう?」

 

ライフルで一通り撃ち終わり、シャルルが一夏に聞いてみる。

一夏も初めての射撃経験とあってか、新鮮な気分を味わっていた。

 

「そうだな……何というか、とにかく速いって感想だ」

 

一夏はシャルルにライフルを返す。

すると突然、グラウンドにいる他の生徒たちから騒めきが聞こえた。

彼女たちは皆同じ方向に顔を向けており、マリアたちがその視線を追うと、ピットに一機の黒いISが現れていた。

操縦者はこちらに背を向けている。

 

「あれって、ドイツの第三世代じゃない⁉︎」

 

「まだ本国でのトライアル段階だって聞いてたけど……」

 

「ということは、あのISの操縦者は……」

 

鈴、シャルル、そしてマリアが向こうにいるISについて話していると、そのISの操縦者がこちらを向いた。

紛れもなく、それは今朝新たに転入してきた彼女だった。

 

「ラウラ・ボーデヴィッヒ……」

 

セシリアが、静かな敵意を持った目で彼女を見る。

 

「なに、あいつなの⁉︎一夏を引っ叩いたドイツの代表候補生って!」

 

鈴もセシリアや箒と同じように、ラウラを睨む。

マリアは何も言わず、ラウラを見る。

 

(黒………赤………)

 

彼女の黒いISには所々に赤いラインが施されており、マリアはその色合いに何処か既視感を感じた。

 

「織斑一夏」

 

静かに、しかし鋭い声でラウラは一夏の名を呼んだ。その視線は今朝と変わらず、敵意を持った目をしていた。

 

「なんだよ」

 

「貴様も専用機持ちだそうだな。ならば話が早い、私と戦え」

 

「嫌だ。理由が無い」

 

「貴様には無くとも、私にはある」

 

両者とも、自分の意見を譲らない。

一夏は溜息を吐き、言葉を続ける。

 

「今でなくてもいいだろ?もうすぐクラスリーグマッチなんだから、そのときで」

 

「………なら、──────」

 

次の瞬間、突然ラウラは自身のISの大型レールガンを放った。

シャルルが即座に一夏の前に出て盾を構えるが、放たれた電流の砲弾は一夏ではなく、マリアの方へと一直線に向かう。

ISを身に纏っていないマリアに当たれば、只の怪我では済まないだろう。

しかし、マリアはすぐに落葉を展開させ、砲弾を切り裂いた。

切り裂かれた砲弾は地面に衝突し、砂が舞い上がる。

マリアは静かにラウラを睨む。

 

「いきなり戦いを仕掛けるなんて、ドイツの人は随分と沸点が低いんだね!」

 

シャルルは二丁のライフルをラウラに向けて構える。

しかしラウラはあくまで冷静に、シャルルのISを見つめる。

 

「ふん……フランスの第二世代ごときで、私の前に立ち塞がるとはな」

 

「未だに量産化の目処が立たない、ドイツの第三世代よりかは動けるだろうからね」

 

シャルルの挑発に、ラウラは眉を顰めた。

二人は睨み合い、互いに火花を散らす。

誰も口を開かず、ただ静寂だけがその場を支配する。

暫くしてラウラは目を逸らし、再び一夏の方に顔を向けた。

 

「おい、織斑一夏」

 

「………」

 

「貴様は護られてばかりだな」

 

「……何が言いたい」

 

「私が撃ったのがそいつではなく、あそこにいるただの馬鹿な生徒なら、死んでいたぞ」

 

ラウラは一夏たちの遠い後方を顎でしゃくった。そこには一夏たちの場の雰囲気を見て怯えている数人の女生徒たちがいた。

ラウラは口角を上げ、一夏を挑発する。

 

「所詮、貴様の力などその程度のものだ」

 

「……なんだと?」

 

「一夏、やめておけ」

 

マリアが一夏にそう促すが、一夏の心は沸々と怒りがこみ上げていた。

一夏はますます眉を顰める。

 

「貴様に()()()の弟などという立場は務まらない。貴様に()()()を超えることなど、出来やしない」

 

「……黙れ」

 

「─────貴様は哀れなほどに、弱い」

 

「黙れって言ってんだよ!!」

 

一夏は抑えられなくなりラウラに歯向かおうとするが、マリアに止められる。

 

『そこの生徒!何をしている!私闘の一切は禁止だぞ!』

 

グラウンドに響いた声は、アリーナの管制室からのものだった。

ラウラはISを解除し、ピットに足を着ける。

 

「ふん、今日のところはここまでにしてやろう」

 

「待っ……──────」

 

「一夏、安い挑発に乗るな」

 

マリアが鋭い声で一夏に言う。

 

「わ、悪い……」

 

一夏もマリアに言われ、大人しく従った。

既にラウラの姿はそこにはなかった。

 

「おい一夏、一体どういうことだ⁉︎」

 

「あの人と一夏さんとの間に、一体何がありましたの……?」

 

箒とセシリアが一夏に問う。

一夏はただ沈黙し、ラウラのいた場所へ鋭い視線を向けていた。

 

 

 

 

 

 

その後、訓練は終了となり、今日は解散することとなった。

シャルルは部屋でシャワーを浴びると言って、一番に帰った。

マリアも部屋のシャワーを使いたかったが、すぐに帰ってもシャルルを部屋で待たなくてはならないため、寮までの道をゆっくり歩いて帰ることにした。

空には夕映えに染まった雲の切れ端が漂い、暖かな微風が頰を掠める。

人工で作られた川辺の道を歩くマリアは、水面に反射した緋焼けを見て、今日の出来事を思い出す。

 

(眼帯の黒………右目の緋……)

 

マリアは歩みを止める。

 

(機体の黒……赤のライン……)

 

ラウラの機体を頭の中で思い浮かべる。

 

(この色合いに対する既視感は、あの夢のせいか……?)

 

今朝の夢に出てきた最後の女性。

血の湖から這い出た彼女の服も、黒と赤のラインが施されていた。

黒。赤。血。目。

ラウラの眼帯と目を見るたびに、マリアは今朝の夢を思い出していた。

 

 

川を見ていると、少しずつこちらに近づいてくる足音が聞こえた。

音の間隔は狭く、足音の主は走ってきているのが分かる。

足音の方へ目を向けると、見えたのは彼女、ラウラ・ボーデヴィッヒの姿だった。

しかしその姿は、走っているというよりも、何かから逃避しているようにも見えた。まるで何かを認めたくないというように。

暗い顔をした彼女は、やがてマリアとは反対方向にすれ違い、その場を後にする。

マリアも追うことはせず、彼女が走ってきた方向を見た。

そこには、先程のマリアと同じように川を見つめる千冬の姿があった。

マリアは千冬の方へと歩き、彼女の背中に話しかける。

 

「いいのか?追いかけなくて」

 

「構わん。放っておけ」

 

風が吹き、地面の草が擦れ合う音が微かに聞こえる。

 

「彼女の言っていた()()()とは、千冬のことか?」

 

千冬は少しの間沈黙を作り、口を開く。

 

「そうだろうな」

 

「何かあったのか?」

 

「………」

 

千冬の背中から、溜息が小さく聞こえた気がした。

 

「……数年前、第二回モンド・グロッソが開かれた。決勝戦はドイツで行われることになった」

 

「………」

 

「一夏は自分もドイツに行って私を応援したいと言ってくれた。勿論、私も断る理由など無かった。私たちは一緒にドイツへと出国した」

 

千冬の表情が強張った。

 

「……そして決勝戦当日、一夏は何者かに誘拐された」

 

千冬の声音は、僅かに震えていた。

 

「……誘拐?」

 

「ああ。私は試合を放棄して、直ぐに一夏の監禁場所へと向かった」

 

「………」

 

「……恐かった。たった一人の家族が自分の前から消えてしまうのではないかと気が気でなかった」

 

「……そうだったのか」

 

夕陽の光が、眩く目に射す。

 

「私は試合を放棄して一夏の元へと向かった。一夏を見つけたとき、あいつは意識朦朧となっていた。幸い、身体に傷は見られなかった。ただ……」

 

「ただ?」

 

「一夏の側には身元不明の死体が二つ、転がっていた。恐らくその二人が誘拐犯だろうという結論が出たが、監禁場所は血で溢れ、その光景はまさに異常だった」

 

「血……」

 

マリアは千冬の言ったことを深く考えてみる。

何故誘拐犯はその場で死んでいたのだろうか。たとえ自分たちの身元が暴かれたとしても、そこから逃げればいいだけの話だ。何も死ぬことはない。

 

 

 

──────ということは。

 

恐らく一夏の誘拐を企んだのは、その二人だけではない。

何よりも、誘拐犯が一夏を殺さずに自殺するメリットは何処にもない。

 

恐らくは、他殺。

 

仲間割れを起こしたか、それとも─────。

 

 

 

「一夏の監禁場所についての情報を提供してくれたのはドイツ軍だった。私はその恩を返すために、一年間ドイツ軍のIS配備特殊部隊で隊員育成の指揮を取った」

 

「そこで出会ったのが─────」

 

「そう、あいつだ」

 

千冬の溜息が、川の水面へと消えてゆく。

 

「私が部隊にいた頃から何処か妄信してる節があってな。それは今でも続いているらしい。何かきっかけがあればいいが……」

 

「………」

 

千冬は横を向き、歩き始めようとする。

そして一度マリアを見やった。

 

「……悪いが、今話したことは全て内密にしてくれ」

 

「何故私に話した?」

 

「……さぁな。自分でもよく分からん。だが、もう全て過ぎたことだ」

 

千冬は校舎へと戻ろうとする。

マリアは、千冬にある事を尋ねた。

 

「───── 一つ、聞きたいことがある」

 

千冬は立ち止まり、マリアを見る。

 

「先日の襲撃事件だが………何を隠している?」

 

「………」

 

夕陽の逆光で、千冬の表情はよく見えない。

先日の地下室での千冬は、あの事件について何かを知っていそうな目をしていた。それ以来、マリアは彼女に少しばかりの不信感を拭えきれずにいた。

千冬は暫くマリアを見た後、視線を外し厳かな雰囲気になった。

 

「……篠ノ之束は知っているな?」

 

「ISの開発者、か。それで?」

 

「……恐らく、奴が関与している」

 

千冬の目は鋭く、しかし彼女自身も答えを探しているようだった。

川の音だけが、耳に入ってきた。

 

「……少し話し過ぎたな。今日はもう帰れ。ではな」

 

千冬はそう言うと、今度こそ校舎の方へと歩き出した。マリアも、それ以上問わなかった。

 

夕陽は既に地平線から姿を消し、夕闇が辺りを支配し始める。

その背中に夕闇の一部を背負いながら、マリアは寮へと帰っていった。

 

 

 

 

 

 

私は部屋の扉を開け、中に入る。

入ってから直ぐ水の音が聞こえたため、彼がまだシャワーを浴びていることが分かった。

私は荷物を置いてベッドに座り、今日の出来事を振り返る。

一日の終わりには、その日の出来事を振り返ることが最近の日課だった。

朝に見る夢は夜になると曖昧になり、深く考え込まないと思い出せないことも珍しくなかった。

 

上着を脱ぎ、クローゼットを開ける。

クローゼットの中には、予備のシャンプーが置いてあった。

 

(そういえば………)

 

そういえば、そろそろシャンプーの中身が切れる頃だった。

私はシャンプーを持って、浴室の扉の前に行く。

まだシャワーの音が聞こえるから入っても大丈夫だろう。彼の着替えの横にシャンプーを置いておくことを伝えれば、それで済むことだ。

 

私は扉を開ける。

 

そして彼の着替えを見つけ、そこにシャンプーを置こうとした。

 

 

 

 

 

 

私の手が止まる。

 

 

 

 

私は、そこにあった彼の所有物を見て絶句した。

 

 

 

 

 

 

何故なら、それは────────。

 

 

 

 

 

 

 

横で扉が開く音がした。

 

 

 

 

見ると、こちらを見て目を白黒させている彼がいた。

 

 

生まれたままの姿でいる彼の胸は豊かに膨らんでいて、下を見れば、男にある筈のものが、そこには無かった。

 

 

 

 

「きゃっ!」

 

 

 

 

彼─────いや、彼女は顔を真っ赤に染め、胸と股を必死に隠す。

 

 

 

 

 

だが、今の私には、それよりも彼女の所有物に目を奪われていた。

 

 

 

 

 

 

何故ならそれは、私がかつて()()に渡したものだったからだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

心臓の鼓動が、耳に響くほど速くなる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

シャルル───────。

 

 

 

何故、君が───────。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何故君が、その()を持っているんだ──────。

 

 

 




『露台の鍵』

実験棟一階、露台の扉の鍵。

時計塔のマリアが、患者アデラインに渡したもの。
せめて外気と花の香が、彼女の癒しとなるように。


だが彼女は、それを理解できなかった。


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第16話 欠片

時計盤の針が動く音が、部屋の空気を伝って、壁に消えてゆく。

規則的な機械音と、重い沈黙が二人の間に漂う。

シャルルの目は時折私に向けられ、そして行き場を失う。

私は彼女の首に下げられたいつかの鍵を、呆然と見つめる。

 

 

『お願い、私を見捨てないで……………私まだ、役に立てるのだから……………』

 

 

顔も思い出せない彼女の声が、頭の中で小さく反響する。

少し色褪せた銀の色は、その鍵がすでに長い年月を経てしまったことを私に伝えていた。

 

「……紅茶を入れよう。少し待っててくれ」

 

「あ……ありがとう」

 

気まずい顔をした彼をそのままに、私は台所へと向かい、ティーカップを出す。

出来上がった紅茶から生まれる微かな湯気は、私の視界を無造作に白くさせた。そしてそれは、夢の中の彼女の優しく、慈愛に満ちた美しい白の髪を思い出させた。

 

私は、シャルルに紅茶を静かに渡す。

 

「出来たぞ」

 

「あ、ありがとう」

 

おどおどしく、彼女は紅茶を受け取る。

その時、彼女の指が私の指に触れた。

 

「きゃっ!」

 

彼女は驚き、手を引っ込めてしまった。

その反動で、彼女の紅茶が私の指にかかる。

 

「っ!」

 

「ご、ごめん!」

 

「大丈夫だ、君の服にかかってないか?」

 

「僕は大丈夫だよ!それよりも、マリアの指が──────」

 

「冷やせば治るだろう」

 

私は再び台所へと戻り、水を出す。

吐き出される水の冷たさと勢いに、私の指は、少し沁みた。

 

「大丈夫⁉︎ほんとにごめんね!ちょっと見せて!」

 

「平気さ、気にするな」

 

「ううん、ダメだよ!あぁ、赤くなってる……ほんとにごめん!」

 

シャルルは私にぴったりとくっついてしまう。それ程心配されるようなことでもないのに。

 

心配そうに私の指を見つめる彼女の顔は、目と鼻の先にあった。

彼女の顔を見ていると、夢の中の彼女も自然と脳裏に浮かんでくる。

 

「……?ど、どうしたの?」

 

私の視線に気付いた彼女は、私の目を見て少し困惑した表情をした。

私はそれを気にせず、そこにいる彼女と、顔も思い出せない夢の中の彼女を目に映す。

 

「─────似ているな……」

 

気付けば、独りでに私はそう呟いていた。

 

「……え?ど、どうしたの?」

 

「……いや、何でもない。それよりも……」

 

私は水を止め、彼女のジャージへと指を伸ばす。

 

「胸元がはだけてる。風邪を引くぞ」

 

胸元で止まったチャックを静かに上げ、私は指を離す。

すると彼女は顔を赤らめ、腕で胸を隠すような身振りをした。

 

「……マ、マリアのえっち」

 

「………」

 

少し、無神経だったかもしれない。

 

 

 

 

 

 

「それで、どうして男のフリをしていたんだ?」

 

少し落ち着いた私たちは、互いのベッドで向かい合って座っている。シャルルの目は、相変わらず彷徨っていた。

 

「………実家からそうしろと言われて……」

 

「君の実家……確かデュノア社の」

 

「そう。僕の父がそこの社長。その人からの直接の命令でね」

 

「………」

 

彼女は目を瞑り、浅く息を吸って、吐いた。

そしてゆっくりと瞼を開ける。

 

「僕はね、マリア……。父の本妻の子じゃないんだ」

 

「……どういうことだ?」

 

彼女の目が、少しずつ哀しみの色を見せ始める。

 

「父とはずっと別々に暮らしていたんだけど、二年前に引き取られたんだ」

 

「……引き取られた?」

 

「そう……お母さんが亡くなったとき。デュノア家の人が迎えに来たんだ」

 

母を亡くしてまだ二年しか経っていない。

彼女の表情を見るに、きっとその傷は、まだ癒えていないのだろう。

 

「色々検査を受けていった過程で、IS適性が高いことが分かってね。非公式ではあったけど、テストパイロットの試験も受けたの。でも、父に会ったのは、たったの二回だけ。話した時間は一時間にも満たないかな」

 

「………」

 

自分の娘であるにも関わらず、ただ検査を受けさせ続け、話す時間も持たせてやれないとは、その人物を父親と呼ぶに値するのだろうか。

 

「─────それからだよ。経営危機に陥ったのは……」

 

「しかしデュノア社は、量産機のISシェアが世界第三位じゃなかったか?」

 

「そうだけど……結局リヴァイヴは第二世代型なんだよ。現在ISは、第三世代型の開発の着手が主流になってるんだ。セシリアさんやラウラさんが日本へ来たのも、そのためのデータ収集が理由だと思う」

 

「……私のことは知っていたのか?」

 

「ううん。イギリスやドイツは、何故だか分からないけれど情報がほとんど手に入らないんだ。だから、マリアのことは知らなかったし、マリアがイギリスの援助を受けてることも知らなかった」

 

「………」

 

「兎も角、このままだと、デュノア社のIS開発許可が剥奪されてしまうんだ」

 

シャルルの言葉を聞いて、何故彼女が男のフリをしたのかを大体察した。

つまり……

 

「それを阻止するために、男を装うことで再び注目を集める、といった訳か」

 

「……そう。広告塔になれってことだよ。それに、同じ男子なら日本にいる特異ケースと接触しやすい─────……一夏とね」

 

「そして、一夏の身体とISのデータを盗用できるかもしれない、か……」

 

「うん……でも、一つ問題が起きたの。同じ男子同士だから、僕と一夏も同じ部屋に割り振られると父は思い込んでた。部屋はターゲットの注意力が最も抜ける環境だから、データ盗用には最適だった。けど、実際は違う部屋に割り振られたから、あの人にとっては想定外だったみたい」

 

本来なら、男子同士を同じ部屋に割り振るだろう。

しかし、以前に会った生徒会長の楯無はシャルルのことを疑っていた。

恐らく、楯無が真耶や千冬を通して、私と一緒の部屋にさせた。

そして楯無が私に転入前のシャルルの情報を与えたのは、彼女が私にシャルルの疑惑を突き止めるよう仕向けた、ということだろう。

 

シャルルは深く息を吐き、少しだけ微笑みを見せた。

 

「なんだか、話したらスッキリしたよ。聞いてくれてありがとう。それと、今まで嘘を吐いて、ごめん」

 

しかしそれでも彼女の顔からは、哀しみの感情が抜けていなかった。

私は、彼女に質問を投げかける。

 

「これからどうする?」

 

「女だってことが知られたら、本国に強制送還されるだろうね……。良くて牢屋行きかな」

 

覇気のない笑いを、彼女は作る。

だが、彼女は私の質問にしっかりと答えていない。

 

「違う。それは君の周りがしようとすることだ」

 

「……え?」

 

「君が……()()()()()()が、どうしたいか、だ。君の意思はどうなんだ?」

 

「ぼ、僕は………」

 

彼女の目に、迷いが生じる。

私は立ち上がり、彼女の横に座って、目を合わせる。

 

「いつか、私に聞いたことがあったな。何故この学園に来たのか………」

 

「う、うん………」

 

「君はどうだ?君は国に帰って、明日も望めないような余生を過ごしたいか?」

 

「そ、それは………仕方ないよ」

 

シャルルは私の視線から逃れるように目を逸らす。

私は彼女の頰に手を添え、此方を向かせる。

まだ、彼女は自分の気持ちを隠している。

私は彼女の本音を引き出すため、棘のある質問をする。

 

「──────もう、自分の人生を諦めたのか?」

 

私がそう言うと、彼女は涙を浮かべて鋭い目を私を睨む。

震えた声で、彼女は声を張り上げた。

 

「そんなわけない!僕だって生きたいよ……僕は僕の人生を生きたい!!でも、でも………どうしようもないじゃないか!」

 

彼女は俯き、肩を震わせる。

彼女の涙は小さな粒となり、服の生地に湿った斑点を作った。

 

「……ここにいたいか?」

 

私は、もう一度彼女に問いかける。

彼女は、私の言葉に大きく頷いた。

 

「いたい!檻の中で過ごすなんて絶対に嫌だよ!僕は……僕は、一人の人間として生きたい……」

 

私の目をしっかりと見て、彼女は言った。

彼女の本当の意思を聞くことが出来、私は彼女の頭を撫で、微笑む。

 

「よく言った。それならここにいろ」

 

「………え?」

 

シャルルは目を見開く。

 

「私が黙っておけば済む話だ。それに、仮にその事実が暴かれたとしても、君の父や企業には手出しできない筈だ」

 

私は頭の中で、IS学園の特記事項を思い出す。

 

「この学園の生徒でいる限り、ありとあらゆる国家・組織・団体は君を拘束することは出来ない。それがこの学園のルールだ。少なくとも三年間は、身の安全が保障される」

 

シャルルの頰の緊張が、少し解れた。

 

「……IS学園特記事項………はは、よく覚えてたね……。特記事項って55個もあるのに……」

 

「ふふ、本を読むのは好きでな。この学園の図書館の蔵書も、大体読んだ」

 

「す、凄いねそれ……」

 

「それに──────」

 

 

 

私の脳裏に、微笑を浮かべた彼女の顔が浮かんだ。

 

 

 

「そんなものが無くとも、私が君を守ってみせる」

 

 

「──────!!」

 

 

 

私がそう言うと、シャルルは私に思い切り抱き着いた。

 

 

そして心の枷が外れたかのように、彼女は涙を流し続けた。

 

 

彼女が泣き止むまで、私も彼女の抱擁を受け止めていた。

 

 

ベッドの横の小さな光が、彼女を温かく包んだ。

 

 

母親を亡くし、未だ傷の深い少女を、現実というものは冷たい棘でその傷を更に深くしようとする。

 

 

夢の中の彼女が、頭の中で私に微笑みかける。

 

 

君は、私を恨んでいないか?私は一体、君に何をした?どうして思い出させてくれないんだ?

 

 

──────恨んでもいい。私をその棘で縛ってもいい。ただ………

 

 

ただ、この子だけは、見守ってやってくれないか。

 

 

もし君が、君の欠片が、まだその鍵に残っているのなら──────。

 

 

 

 

 

 

涙も収まり、再び時計盤の音が部屋を支配し始めた頃。

シャルルは私の身体からゆっくりと離れた。

 

「落ち着いたか?」

 

「う、うん……ごめんね」

 

不思議と、シャルルの顔が赤く染まっていた。泣き腫らした後だからだろうか。

シャルルは私に優しく微笑んだ。

その微笑みは、本当に彼女とそっくりだった。

 

「マリア……僕を庇ってくれて、ありがとう」

 

頰を赤く染めて、シャルルは言った。

その優しい顔が見れただけで、もう十分だった。

 

私は、何となく彼女の胸元にある色褪せた鍵を見つめる。

すると、私の視線に気付いた彼女も、その鍵を見た。

 

「この鍵が、気になる?」

 

「あ、いや……」

 

その鍵を見ていたことについ後ろめたさを感じ、目を逸らした。

シャルルはその鍵を手で優しく包む。

 

「小さい頃ね……お母さんが僕にくれたんだ。だからこの鍵を付けていると、いつでもお母さんが僕を見守ってくれている気がして、ね………」

 

「君の母が……」

 

「家に代々伝わる御守りなんだって……。お母さんも、すごく大切にしていたみたい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

()()…………?」

 

 

 

 

 

 

愕然とした。

その言葉は、私を混乱させるのに余りにも強すぎる重みを持っていた。

 

『代々伝わる』とは、シャルルの家系を辿れば、()()へと繋がるのか……?

 

それはつまり、シャルルが()()の子孫………?

 

まさか、()()と血の繋がった少女と会うことが出来るなんて──────!!

 

 

 

 

 

 

 

気付けば、私は涙を流していた。

 

 

 

 

 

「え、ど、どうしたのマリア⁉︎」

 

 

シャルルが私の突然の涙を見て、心配気な表情をした。

 

 

「だ、大丈夫だ……なんでもない。君がここに居てくれて、安心したんだ」

 

 

私は涙を拭き、シャルルに微笑みかける。

 

 

 

 

 

 

もう、二度と会えないと思っていた。

 

 

もう、二度と思い出すことは出来ないと思っていた。

 

 

まさか、()の欠片を持つ少女と会えるなんて。

 

 

─────私がこの世界で目覚めたのも、何か意味が在るのかもしれない─────

 

 

その憶測は、間違いではなかった。

 

 

ここは異世界などではなかった。

 

 

彼女の血は、確かに、ここに存在していた。

 

 

本当に、本当に……会えて良かった。

 

 

 

 

「本当にありがとう……シャルル」

 

 

私はシャルルをそっと抱き寄せる。

シャルルは少し驚いたようだが、また温かく優しい表情をしてくれた。

その顔は、本当に、本当に夢の中の彼女とそっくりだった。

 

 

「マリアこそ……僕を助けてくれてありがとう………」

 

 

これ以上ない優しい温もりが、私たちを包んだ。

 

 

心の中で、私は誓った。

 

 

私は、これから何があっても、この子を守り続ける──────。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その夜、夢を見た。

目の前には、彼女がいた。

今までは霞んで見えなかった彼女の目も、今では包帯が巻かれているのがハッキリと見えた。

彼女がどんな目をしているのか──────それは包帯が巻かれている限り分からない。

けれど、彼女が優しい目をしているのは、何故だか分かった。

 

手を伸ばせば届く距離に、彼女はいる。

彼女はゆっくりと、私に抱擁をした。

一回り小さい彼女の身体は、少しでも腕に力を入れれば壊れてしまいそうなほど華奢で、その美しい白の髪からは、私の知っている懐かしい匂いがした。

 

彼女は私の耳元で、優しく囁いた。

 

 

『ありがとう』

 

 

そして、彼女は私の抱擁を解き、引き寄せられるようにどんどんと離れていってしまう。

彼女が消えてしまう前に、私は彼女に叫ぶ。

 

 

「必ず!私が君にしてしまったことを、必ず思い出す!!」

 

 

「赦してくれなくてもいい!ただ、あの子だけは──────」

 

 

「シャルルだけは!!側に居てやってくれ!!!」

 

 

涙を流しながら、私は叫ぶ。

 

遠い彼方で、彼女がまた微笑んだ気がした。

 

 

 



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第17話 敵意

最近、この作品が面白いのかどうか、少し自信が無いです…。
書きたいことを書いてるつもりなのですが……。


「お引越しです!」

 

「「え?」」

 

一夏と箒の部屋に訪れた真耶は突然そんなことを言い出した。

 

「篠ノ之さんは新しいお部屋に移ることになりました」

 

真耶は笑顔でそう続けるが、一方の箒は困惑した表情を浮かべていた。

何せ一夏と離れてしまうことになるのだ。ただでさえ一夏に対しては素直になれないというのに、部屋まで離されてしまっては話す機会すら減ってしまう。

それはつまり、一夏に自分を意識させるチャンスも減ってしまうということだ。

 

「俺じゃなくて、箒が移動なんですか?」

 

椅子に座っている一夏が、真耶に尋ねる。

 

「ええ。篠ノ之さんの新しいルームメイトは鷹月さんです。織斑君はしばらくの間一人部屋、ということになりますね」

 

「ちょ、ちょっと待ってください!別に私はこのままでも………」

 

箒がそう答えると、真耶は少し困った顔をした。

 

「いえ、やっぱりこのままだと篠ノ之さんにも不便がありそうですし、それに男子と女子をいつまでも一緒の部屋に居させる訳には………」

 

「で、でもそんな急に」

 

反論しながらも自分が勝てるような主張は何処にも見つからず、おまけに一夏と一緒に居たいなどとは照れ臭くて言えるはずもない。

 

「じゃあ、俺はシャルルと一緒の部屋ということに?」

 

「ええ、その予定なのですが、割り振りの登録上、一度に複数の移動は皆さんが思っているよりも時間がかかる手続きがいるんです。加えて、ボーデヴィッヒさんの転入もありますので……。なので、デュノアさんは今度の学年別トーナメント後に織斑君の部屋に移動します」

 

一夏はなるほどと言い、一人頷く。

そして此方を見ている箒に気付き、一夏は笑顔で箒に答える。

 

「安心しろよ箒。箒がいなくてもちゃんと起きるし、歯も磨くぞ」

 

それを聞いた箒はムッとした顔になり、すぐに自分の荷物を纏めていった。

 

「山田先生!今すぐ部屋を移動します!ではな一夏!」

 

そして箒は大きな音を立てて扉を閉めて出ていってしまった。

一夏は首を傾げ、

 

「俺、何か怒らせるようなこと言ったか……?」

 

と、相変わらずの鈍感ぶりを発揮していた。

 

 

 

 

 

 

コンコンッ

 

 

箒が出て行って暫くした後、誰かが扉をノックした。

一夏が部屋の扉を開けると、そこには先ほど出て行った箒がいた。

 

「どうした箒?忘れ物か?」

 

「は、話がある」

 

「なんだよ、改まって」

 

あからさまにソワソワしているのが、見て分かった。

箒は深呼吸して、一夏の目を見る。

 

「今度の学年別トーナメントだが……」

 

「おう」

 

「もし、私が優勝したら………つ、付き合ってもらう!!」

 

「………はい?」

 

 

 

 

 

 

二人の様子を、陰から見ている三人の女子生徒がいた。たまたまそこに居合わせた、本音と癒子と神楽だった。

 

「ねぇ、聞いた?」

 

「聞いた聞いた!」

 

「これは……」

 

「「「大ニュースだ!!!」」」

 

 

 

 

 

 

翌朝。

一年一組はとある話題でもちきりだった。

 

「ねぇ、あの噂知ってる?」

 

癒子の周りにはセシリアや鈴、静寐、本音、神楽たちがその話に耳を傾けていた。

 

「なんの噂よ?」

 

鈴が癒子に尋ねた。

 

「今度の学年別トーナメント、優勝したら織斑君と付き合えるんだって!」

 

「そ、それは本当ですの⁉︎」

 

セシリアが真っ先に食いつく。

 

「それがね、本人もよく分かってないみたい」

 

「どういうことですの?」

 

「女子の中だけの取り決めらしいよ〜〜」

 

噂話に華を咲かせていたその時、教室の扉がガラッと開いた。

そこにいたのはシャルル、マリア、そして当事者の一夏だった。

 

「おっす!おはよう皆!何の話してるんだ?」

 

一夏が元気よく皆の元へ話しかける。

 

「僕も気になるな〜。ね?マリア」

 

「ん?ああ、そうだな」

 

シャルルとマリアも一夏と一緒にその輪の中へ入っていこうとした。

するとセシリア達は一斉にはぐらかした態度を取り、

 

「お、おほほほほ!な、なんでもありませんわ!」

 

「あ、あたし二組帰るね!」

 

「お、織斑くん!早く座らないと授業始まるよ⁉︎」

 

「え?お、おう……」

 

一夏も言われるがままに座った。

 

「モテる男も大変だね〜〜おりむ〜〜」

 

本音は相変わらずの気楽さで一夏に言った。

 

「はあ?なんの話だよ?」

 

「なんでも〜〜」

 

本音はそう言うと自分の席に帰っていった。

シャルルもマリアも、一体何のことやらと首を傾げていた。

やがてHRのチャイムが鳴り、千冬と真耶も教室に姿を見せた。

 

 

 

 

 

 

(何故だ……)

 

授業中、教壇に立つ先生の話を聞きながら、箒は先ほどまでクラスメイトたちが話していた噂を思い出す。

 

(元々あれは、私と一夏だけの約束の筈だ。それが何故……)

 

もしかして、あの時の半ば告白に近い宣言が誰かに聞かれていたのだろうか。

少し焦りを感じ始める箒だが、これは自分にとって好機でもある。

 

(まぁいい。要は勝てばいいのだ。勝ちさえすれば、一夏とつ、つ、付き合えるのだからな!!)

 

一人うんうんと頷く箒。

その表情は何処か浮かれていて、試合すら始まっていないのに、もうすでに半分勝った気でいるような箒であった。

 

 

 

 

 

 

放課後。

セシリアはトーナメントのための自主訓練をするためにアリーナへ来ていた。

辺りには誰も居ない。どうやら此処に来たのは自分が一番のようだ。

 

「さて、始めましょうか……」

 

と思ったのも束の間、後ろから足音がした。

振り向くと、そこには鈴が来ていた。

 

「あら、早いわね」

 

「ふふ、鈴さんこそ」

 

セシリアは不敵な笑みで鈴に言う。

余裕の窺えるその表情は、鈴に対する対抗意識だろうか。

 

「あたしはこれから学年別トーナメント優勝に向けて特訓するんだけど」

 

「私も全く同じですわ」

 

二人は睨み合う。

鈴も不敵な笑みで、セシリアを挑発する。

 

「この際どっちが上か、この場でハッキリさせとくのも悪くないわね」

 

「よろしくてよ?どちらがより強く優雅であるか、決着をつけて差し上げますわ」

 

「勿論、あたしが上なのは分かりきってることだけど」

 

「うふふ、弱い犬ほどよく吠えると言いますけど、本当のようですわね」

 

「どういう意味よ?」

 

「自分が上だって、態々(わざわざ)大きく見せようとしているところなんか、典型的ですもの」

 

セシリアの挑発に、鈴の怒りが沸々と湧き上がってくる。

 

「その言葉……そっくりそのまま返してあげる!!」

 

鈴は自分の専用機・甲龍(シェンロン)を展開し、装備・双天牙月(そうてんがげつ)を構える。

セシリアも蒼い雫(ブルー・ティアーズ)を展開し、ライフルであるスターライトmk.Ⅲを装備する。

 

二人がぶつかり合おうとした、その時───────。

 

突如二人の間を、高速の弾丸が通り過ぎた。

 

「「──────っ!!」」

 

二人は弾丸が来た方向を見る。

 

そこには、ピットに立った黒のISと、不敵な笑みを浮かべる彼女がいた。

鈴はディスプレイに反映された情報を見る。

 

「ドイツ第三世代機……『黒い雨(シュヴァルツェア・レーゲン)』……!」

 

「ラウラ・ボーデヴィッヒ……!」

 

セシリアもラウラを睨む。

彼女は転入した時から自分の想い人である一夏を敵視し、先日は自分たちに向かってあのレールガンを容赦無く撃ち放したのだ。

あろうことか、それを再びしてくるとは───────。

 

「どういうつもり⁉︎いきなり人にぶっ放すなんて、いい度胸してるじゃない!」

 

ラウラは鈴の怒号を無視し、鈴とセシリアの専用機の情報を見る。

 

「中国の甲龍に、イギリスのブルー・ティアーズか……。ふっ、データで見た時の方が、まだ強そうだったな」

 

「何?やるの?態々ドイツ軍隊からやって来てボコられたいなんて、大したマゾっぷりね!」

 

鈴が挑発するが、ラウラはその挑発に乗る様子は無い。

 

「あらあら、鈴さん。此方の方は共通言語を知らないようですから、あまり虐めるのは可哀想ですわよ」

 

「……貴様達のような者が、私と同じ第三世代の専用機持ちとはな」

 

ラウラは高圧的な目で、二人を見る。

 

「数くらいしかしか能の無い国と、古いだけが取り柄の国は、余程人材不足と見える」

 

鈴とセシリアの目の鋭さが、更に強くなっていく。

 

「この人、スクラップがお望みみたいよ!」

 

「そのようですわね。本当によく吠える犬ですわ」

 

「ハッ、二人掛かりで来たらどうだ?くだらん種馬を取り合うような雌に、この私が負けるものか」

 

その言葉に、二人の怒りが頂点に達した。

 

「今何て言った……?あたしの耳には、『どうぞ好きなだけ殴ってください』って聞こえたけど⁉︎」

 

「この場にいない人間の侮辱までするなんて、その軽口、二度と叩けぬようにして差し上げますわ!」

 

「ふっ……とっとと来い」

 

ラウラが二人を煽る。

 

「「上等!!」」

 

二人はその怒りと共に、全速でラウラの元へと飛んだ。

 

 

 

 

 

 

一方、校舎の廊下では一夏、シャルル、そしてマリアが歩いていた。三人もこれから訓練をしようとアリーナへ向かうところであった。

 

「ねぇ一夏、マリア。今日はどんな特訓にする?」

 

「俺は対射撃への戦い方をおさらいしたいかな。この前シャルルにも言われたし」

 

「そうだな。後は白式の使い方をより深く知ることか」

 

訓練の具体的な内容を話し合っていたところで、なにやら周囲の生徒が騒つき始める。

 

「第3アリーナで代表候補生三人が、模擬戦やってるって!」

 

「ほんと⁉︎見に行こう!」

 

そう言いながら、生徒たちは走り去っていく。

三人は顔を見合わせる。

 

「代表候補生……」

 

「それって、もしかして……」

 

「……行ってみるか」

 

「うん!」

 

そして三人も、他の生徒に混じってアリーナへと向かった。

 

 

 

 

 

 

一夏、シャルル、マリアがアリーナ席に入ると、セシリアと鈴、そしてラウラ・ボーデヴィッヒが互いに火花を散らしていた。しかしラウラに対して、セシリアたちは苦戦を強いられているように見える。

 

鈴が双天牙月を振りかざし、ラウラに突撃する。

ラウラは右腕のプラズマ手刀でそれを捌く。

鈴が双天牙月を二刀に分離させ、ラウラの横腹に叩き込もうとする。

しかし、ラウラは左腕にもプラズマ手刀を展開し、瞬時に鈴の腹部へと突く。

 

「がはっ!」

 

「鈴さん!」

 

セシリアが鈴の背後からライフルを撃つが、ラウラは鈴を蹴飛ばし、それを避けて上空へと飛んだ。

セシリアは4基のビットをラウラの元へと飛ばし、不規則にレーザーを放つ。

鈴も体勢を立て直し、ラウラを追いかける。

 

ラウラが機体から二つのワイヤーブレードを射出する。

それと同時にセシリアにレールガンを放った。

レールガンは牽制であったため、当然セシリアはそれを避けるが、死角からワイヤーブレードが脚部まで伸びてきており、セシリアの脚を締める。

危機を感じ取ったセシリアはライフルを連発しながらラウラに急接近し、近接攻撃をする。

するとラウラは手を前に出し、セシリアの動きを止めてしまった。

 

 

 

 

「セシリアの動きが止まった……⁉︎」

 

一夏がラウラの挙動を見て、驚く。

まるでセシリアを囲む時空が止まってしまったかのような光景だった。

驚く一夏を他所に、シャルルやマリアはラウラの機体の性能を冷静に分析していた。

 

「あれは、“A.I.C.” だね……」

 

「え、エーアイシー?」

 

聞き慣れない単語に、一夏が尋ね返す。

今度はマリアが答えた。

 

「“Active Inertia Canceller(アクティブ・イナーシャル・キャンセラー)”………“慣性停止能力” とも言われる。その名の通り、物体の慣性を止めることの出来る技だ」

 

 

 

 

ラウラの元へ鈴が突撃する。

セシリアのA.I.C.を解除したラウラは、鈴の双天牙月を躱す。

そしてセシリアの脚に繋げてあるワイヤーブレードを引っ張り、セシリアを振り回して鈴にぶつけた。

ぶつかった二人はその勢いのまま、地面に墜落してしまう。

 

砂塵が舞い上がる。

鈴は倒れながらも龍砲を構えた。

 

「甘いな。この状況で負担の大きい空間圧兵器を使うとは……」

 

見下した目をするラウラ。

そしてレールガンを起動させ、鈴に放つ。

しかしその横で、セシリアがミサイルをラウラに放った。

 

「──────っ!!」

 

驚きの表情を浮かべるのも束の間、ミサイルがラウラに直撃する。

セシリアと鈴は一時距離を取った。

 

「あの至近距離でミサイルだなんて……無茶するわね、あんた」

 

「苦情は後で。けど、これなら確実にダメージは与えたはずですわ」

 

爆発による黒々とした煙が晴れるのを待つ二人。

そして煙が晴れた頃、二人は目を見開いた。

そこには、全く傷を負っていないラウラが立っていたのだ。

 

「……終わりか?ならば、私の番だ」

 

二人はあまりの驚きに、一瞬の隙を見せてしまった。

ラウラはそれを見逃すことなく、ワイヤーブレードを高速で射出し、油断したセシリアと鈴の首を捉える。

そして二人を散々に引っ張り回し、プラズマ手刀による近接攻撃、そしてレールガンの連発を繰り返し、二人のシールドエネルギーを削っていく。

セシリアを地面に這わせ何度も蹴り飛ばし、鈴を一方的に締め上げ、殴る。その光景に戦いの敬意など存在せず、ただ相手を痛めつけ、嬲るだけの理不尽な暴力が支配していた。

セシリアと鈴のディスプレイに、ダメージを受け続けたことによる警告が表示される。そこには『生命維持警告域超過』と書かれていた。

 

 

 

 

「くそっ!ラウラ!止めろ!」

 

一夏が遠くにいるラウラに叫ぶ。

マリアはくもった表情をし、シャルルはラウラを非難する眼差しで見た。

 

「酷いよ!あれじゃ二人の命にまで関わる!」

 

しかし、ラウラは暴力を止めない。

寧ろ更にエスカレートしていく。

 

 

 

 

ラウラは、向こうで叫んでいる一夏を見る。

 

「ふっ……織斑一夏。やはり私の言った通りだな」

 

一夏を蔑み、馬鹿にする目で見る。

 

 

 

 

ラウラが此方を見ている。

馬鹿にしたような、不敵な笑みをこぼしている。

一夏はラウラを睨むが、ラウラは更に挑発した。

 

「─────貴様は哀れなほどに、弱い」

 

「……あいつ………!」

 

一夏が怒りを露わにする。

 

一方、マリアは異変を感じていた。

ラウラに蹴られ、殴られ続けていたセシリアの様子がおかしい。それも、以前に感じたことのある異変だった。

 

「くっ……このセシリア・オルコット………この屈辱を、貴方に味わわせてさしあげますわ!!」

 

傷だらけの彼女の蒼い機体の周りに、血のような赤い空気が漂い始める。

これは以前、自分が彼女と戦った時に彼女が覚醒した現象だったと思い出し、マリアは身を乗り出す。

 

「まずい!セシリア!─────」

 

「うおおおおおお!!」

 

マリアがラウラを止めようとしたその時、一夏が白式を展開して、アリーナ席のバリアを破る。

そして雪片弐型を展開し、セシリアたちを蹴り上げるラウラを追い払う。

 

「セシリア!鈴!大丈夫か⁉︎」

 

「い、一夏……あたしは大丈夫……けど、セシリアが……」

 

一夏はセシリアの側に寄り、身体を起こす。

しかし気を失っているのか、一夏に反応しない。

 

「セシリア!しっかりしろ!」

 

「ハッ、どいつもこいつも代表候補生と銘打っておきながら、所詮その程度のようだな」

 

ぐったりとしたセシリアの口端から、一筋の赤い色が流れる。

恐らく身体に耐え切れない程の虐げを浴びたのだろう。

彼女の血を見た一夏は、ラウラを鋭く睨む。

 

「てめぇ………!!」

 

「一夏!」

 

一夏の元へ、シャルルとマリアが駆けつける。

一夏はセシリアを抱え、マリアに話す。

 

「悪い、セシリアと鈴を頼めるか?」

 

「……一夏、お前まで暴れては、彼女のやっていることと一緒になるぞ」

 

「……ああ、分かってる。大丈夫だ」

 

一夏はセシリアをマリアに預け、飛び立つ。

シャルルもISを展開した。

 

「大丈夫、マリア。もしものことがあったら僕が一夏のストッパーになるから」

 

「ああ、分かった」

 

そう言うと、シャルルも一夏の後を追った。

マリアはセシリアと鈴を抱え、保健室へと向かった。

 

 

 

 

 

 

窓に夕陽が差し、茜色の光が目に染みる。

先程保健室に来たマリアたちは、セシリアと鈴の見舞いに来ていた。

あの後、セシリアと鈴が搬送された一方で、一夏たちの所へは千冬が止めに入ったそうだ。

ラウラも千冬の言うことには素直に従ったらしく、戦いの続きは学年別トーナメントでつけるという形に終着した。

未だ目覚めないセシリアをとても心配気に見る一夏と、それを見守るシャルルとマリア。

鈴はさっきまで目覚めていて一緒に話していたのだが、身体に疲労が溜まっているのか、再び眠りに落ちてしまった。

セシリアの手をずっと握っている一夏に、マリアは声をかける。

 

「一夏……大丈夫だ。ここの保健医も、命に別状は無いと言っていた」

 

一夏の肩に、そっと手を添える。

一夏は少しだけ笑いを作り、マリアに感謝する。

 

「……ああ、ありがとう。けど、やっぱり心配だぜ……」

 

「一夏……」

 

一夏の不安な様子を見て、シャルルも気に病む。

 

すると、セシリアの瞼がゆっくりと開き始めた。

それに気付いた一夏は、彼女に声をかける。

 

「セシリア?セシリア⁉︎」

 

マリアとシャルルも、セシリアの側へ近寄った。

セシリアの目はまだ焦点が合っていないのか、虚空を見つめているといった感じだったが、一夏は声をかけ続ける。

 

「セシリア、俺が分かるか?」

 

一夏の握る手に、力がこもる。

セシリアの白く細い指が、ゆっくりと一夏の手を握り返す。

 

「い……ち、か……さん……?」

 

だんだんと、セシリアの焦点がハッキリとし、直ぐ目の前に一夏の顔があることを認識し始める。

自分の名を呼ばれた一夏の顔に、先程までの鬱々とした面影はすっかりと姿を消していた。

 

「ああ、セシリア!良かった!本当に良かった……」

 

「い、一夏さん……!」

 

意中の人物の顔が目と鼻の先にあるため、思わず顔を赤らめるセシリア。

恥ずかしくなり少しだけ目を逸らすと、後ろにマリアとシャルル、そして横には鈴が居た。

 

「マ、マリアさんにシャルルさんも」

 

「セシリア、具合はどうだ?」

 

「え、ええ。大丈夫ですわ」

 

「良かったぁ……セシリアさん、頑張ったね……」

 

「シ、シャルルさんもありがとうございます」

 

セシリアは横で眠ってる鈴を見た。

 

「あの、鈴さんは……」

 

セシリアの問いに、一夏が答えた。

 

「ああ、鈴はさっきまで起きてたんだけど、喋ってる内に寝ちまったんだ。そっとしておいてやろうぜ」

 

「そ、そうですの……。皆さん、ご迷惑をおかけしてしまい、申し訳ありません」

 

「ううん、全然いいよ!ね、マリア」

 

「ああ。それに、一夏がセシリアのことを一番気にかけていたよ」

 

「い、一夏さんが⁉︎」

 

顔を赤らめながら一夏を見ると、一夏もまた照れ臭いような顔をしていた。

そしてセシリアは、自分の手が一夏にしっかりと握られていることを知る。

 

「あ、あの……一夏さん……手、握っていてくださったんですわね」

 

「あ、ああ!すまん!嫌だったか⁉︎」

 

赤い顔をした一夏は、セシリアから手を離そうとしたが、セシリアは指を絡め、離そうとしなかった。

 

「い、いえ……もう少し、このままで……」

 

「あ、ああ……」

 

二人の間に、甘い沈黙が流れる。

セシリアは高鳴る胸を抑え、深呼吸をし、今しかないとばかりに一夏に話しかける。

 

「あ、あの……一夏さん?」

 

「な、なんだ?」

 

「その……宜しければ、わ、私の身体が治ったら……一緒にお出かけしませんか……?」

 

頰を真っ赤に染めて、一夏に伝える。

すると一夏も心臓の音が速くなり、恥ずかしげに頷く。

 

「あ、ああ。いいぜ!」

 

マリアとシャルルもその光景を見て、微笑んだ。

 

(僕たち、ちょっとお邪魔虫みたいだね)

 

(ふふっ、そうだな)

 

一夏たちを置いて、保健室を後にしようとした、その時。

廊下の方からドドドドと地響きのような音が聞こえてきた。

 

「な、なにこの音?」

 

その音はだんだんと大きくなり、保健室の扉が開くと、そこから大勢の女子生徒たちが走ってきた。

そして皆一様に一夏やシャルル、そしてマリアの元へと詰め寄る。

 

「な、なんなんだ⁉︎」

 

「どうしたの?みんな」

 

「「「「「これ!!!」」」」」

 

三人に何かの書類が突き出される。

見てみると、それは学年別トーナメントについての書類だった。一夏が手に取り、読み上げる。

 

「えーっと………『今月開催する学年別トーナメントでは、より実践的な模擬戦闘を行う為、二人組での参加を必須とする。尚、ペアが出来なかった者は、抽選により選ばれた者同士で組むものとする。締切は────』」

 

「とにかく!私と組も♪織斑くん」

 

「私と組もう!デュノアくん!」

 

「マ、マリアさん!私と一緒に組まない……?」

 

「な、なんですのこの状況は……」

 

呆気に取られるセシリア。

一方、マリアはシャルルの顔をチラリと見た。

するとシャルルも困惑していたのか、マリアの方を見ていた。一体どうすれば良いのか、という目をしていた。

 

咄嗟に、マリアは嘘を吐く。

 

「あー……皆、すまない。実はもうここにいる私たちは互いにペアで組んでるんだ」

 

そうマリアが言うと、皆は素直に帰っていった。

 

「なんだ〜、じゃあ仕方ないね〜」

 

「男同士ってのも()になるしねぇ」

 

誰が誰とペアを組むとは何も言っていないのだが、どうやら彼女たちの中で納得してくれたらしい。

 

「あ、あの、一夏さんは誰と組むんですの……?」

 

セシリアが一夏に問いかけた。

そしてその問いにマリアが先に答える。

 

「私がシャルルと組んで、セシリアは一夏と組むと思っていたが?」

 

「「ええ⁉︎」」

 

「マリア……」

 

一夏とセシリアが驚き、シャルルもマリアの言ったことに驚く。

また顔を赤くしている一夏たちをマリアが揶揄う。

 

「なんだ、二人とも組まないのか?てっきり私は──────」

 

「く、組みますわ!組みますとも!ね!一夏さん」

 

「あ、ああ!」

 

二人のたどたどしさに、なんだか笑ってしまうマリア。

しかしそこへ、保健室に見舞いにやって来た真耶が登場した。

 

「ダメですよ、セシリアさん」

 

真耶がセシリアに指摘をする。

その表情は少し厳しいものだった。

 

「や、山田先生」

 

「セシリアさんのIS、ダメージレベルがCを超えています。トーナメントには参加出来ません」

 

「そんな、納得出来ませんわ!」

 

「ダメと言ったらダメです!当分は修復に専念しないと、後々重大な欠陥が生じますよ」

 

「そ、それは……」

 

真耶の厳しい正論に押し黙ってしまうセシリア。

そして真耶は、マリアにも指摘する。

 

「それにマリアさんも、ISがまだ修復出来ていないので出場出来ません」

 

「………そういえばそうだったな」

 

以前にセシリアと戦った時以来、自分のISが故障したままであったことを思い出す。

正直自分としては(ISスーツとしての役割も果たしている)狩装束があるので大丈夫なのだが、そこは学園の規則に従うべきだろう。

 

しかしシャルルのペアは一体どうなる?

 

マリアが考え込んでいると、シャルルが口を開いた。

 

「ねぇ、一夏。僕と組まない?」

 

「え、いいのか?」

 

「うん。よく一緒に特訓してたからお互いに特徴を把握してると思うし、それに同じ男子同士だからね」

 

シャルルは微笑んで一夏に言う。

一夏は少しだけセシリアの方を見て、シャルルに頷く。

 

「分かった!よろしく頼む!」

 

二人の様子を見て、セシリアは例の噂を思い出した。

 

(優勝すれば一夏さんと付き合える……けれど私は出られない。となれば………)

 

セシリアは決心したように、一夏に言った。

 

「一夏さん!シャルルさん!絶対に、何があっても優勝してください!」

 

「お、おう!任せとけ!」

 

「ありがとう。セシリアさんの気持ちに応えられるよう、頑張るよ」

 

セシリアの勢いに少し驚いた二人だったが、素直に好意を受け取った。

 

「美しい友情ですね♪」

 

真耶が笑顔で言った。

それに対し、マリアがまた揶揄う。

 

「友情の先の話かもしれないぞ」

 

「マ、マリアさん!余計なことは言わなくてよろしいですわ!」

 

「ふふふ」

 

「じゃあ、僕とマリアは帰るよ。一夏は?」

 

「あ、俺はもう少しだけ……」

 

「一夏さん……」

 

一夏が恥ずかしげにそう言うと、セシリアも嬉しそうな顔をした。しかし、真耶が申し訳なさそうな顔をしながら、一夏に言った。

 

「織斑くん……申し訳ないですが、セシリアさんの身体はまだ睡眠を取って安静にしておかなければなりません。保健医の方もそう仰ってますので……」

 

「ああー……そうですか、分かりました。悪いなセシリア、ゆっくり休んでくれ」

 

「一夏さん、ありがとうございます」

 

セシリアは優しく微笑み、一夏に礼を言った。

 

「では、帰りましょうか」

 

真耶がそう言い、一夏たちを連れて保健室を出て行こうとする。

扉を開け、外に出ようとした時、セシリアから声がかかった。

 

「あの、マリアさん」

 

「どうした?」

 

「その、少しお話が……」

 

どうやら、二人だけで話したい内容だそうだ。

 

「すまない、直ぐに行くから、先に帰っていてくれ」

 

マリアがシャルルたちに言うと、シャルルや一夏も了承し、先を行った。

マリアは扉を静かに閉め、セシリアの横に座った。

 

 

 

 

 

 

帰り道で合流した私とシャルル、そして一夏は共に寮に帰り、自室へと入った。

荷物を置いていると、シャルルが口を開いた。

 

「あ、あのね、マリア……」

 

「どうした?」

 

不思議と、シャルルの頬はほんのりと赤く染まっている。

 

「そ、その……さっきはありがとう」

 

「……?話が見えないが……」

 

「ほ、ほら!トーナメントのペアを一緒に組もうとしてくれたじゃない!僕、すっごく嬉しかったんだぁ……」

 

シャルルは照れた笑顔で答える。

 

「ああ、あれか。結果的には叶わなくなってしまったがな。すまない、無責任なことを言ってしまって」

 

「ううん!そんなことないよ!」

 

「君が女性だと知られてしまっては、色々大変だろうからな。まぁ……一夏は大丈夫だろう。着替えもここでしていけばいいだけの話だ」

 

「……優しいね、マリアは…………」

 

気のせいだろうか、シャルルの送る目線に、少し微熱が感じられる。その微熱は、セシリアたちが一夏に向けるものと、何処か同じ匂いを纏わせていた。

 

「大したことはしていない。さぁ、先にシャワーを浴びておいで」

 

私ははぐらかし、シャルルにそう促した。

私に礼を言った彼女は、浴室へと入っていき、扉を閉める。

 

(まさかな………)

 

その日、それ以上私は何も考えないようにした。

 

 

 

 

 

 

学年別トーナメント・当日。

一夏はシャルルと共に、アリーナの更衣室で待機している。二人はモニターの映像を観ていた。

映し出されたのはアリーナの上部観客席で、各国・各企業の高い地位にいるであろう人間が座っていた。

 

「へぇ……なんかすごいことになってるな」

 

「三年生にはスカウト、二年生には一年間の成果の確認。一年生は関係ないと思うけど、それでも上位入賞者にはチェックが入るんじゃないかな」

 

態々(わざわざ)ご苦労なことだな」

 

シャルルが一夏を見ると、一夏は浮かない顔をしていた。

 

「……一夏はボーデヴィッヒさんとの戦いが気になるみたいだね」

 

「……まぁな」

 

しばらく映像を観ていると、突然画面が切り替わった。

そこには『トーナメント表・Aブロック』と書かれていた。

 

「出たよ!」

 

「ああ、一回戦は………なにっ⁉︎」

 

「これは……」

 

トーナメント表の組み合わせに、暫くの間、二人は驚きの色を隠せなかった。

 

 

 

 

 

 

「これは……」

 

アリーナ・観客席。

マリアは静寐と一緒に座っており、たった今観客席のモニターにもトーナメント表が開示されたところだった。

 

「なんだか、すごい組み合わせだね……」

 

「……そうだな」

 

静寐も一体どうなるのかという顔をしていた。

トーナメント表によれば、一回戦から一夏とラウラは戦うことになっていた。

ラウラはA.I.C.という難解な技を使いこなす。

それが無くとも、彼女自身の戦闘能力は極めて高い。

 

(さぁ一夏、どう出る……?)

 

試合開始のその時が来るまで、マリアと静寐は静かに待ち続けた。

 

 

 

 

 

 

アリーナ・女子更衣室。

ISスーツに着替え終わった箒は、モニターに映し出されたトーナメント表を観て険しい顔をした。

 

(なんということだ……)

 

そこには、自分のペアに『ラウラ・ボーデヴィッヒ』という名前が記載されていた。

箒は、少し離れた所にいる当の本人を横目で見る。

 

以前、私も偶然セシリアたちと彼女が戦っているところに居合わせていた。

彼女の容赦無い暴力に、私は彼女への憤りと、自分の力の無さへの悔しさを噛み締めていた。

私が何も出来ないでいる一方で、一夏やシャルルがセシリアたちをラウラから守ったのだ。

 

 

私には、見ていることしか出来なかった。

 

 

私にも力が─────()()()があれば、自分もセシリアたちを守れたかもしれない……。

 

 

冷酷で、ただ力にしか重きを置いていない彼女を見ていると、私は()()()()()を見ているようで嫌だった。

 

 

だから、この組み合わせは私にとって──────。

 

 

最悪だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




「それで、話とは?」

「今度、学園に連休があるのは覚えておりまして?」

「ああ、確か一週間程の休みのことか。日本でいうG.W.(ゴールデン・ウィーク)がIS学園では休みでない代わりに、その後に連休が入れられるとかなんとか」

「はい。そこで、以前の私とマリアさんの戦いや、今回のことも含め考えたのですが……」

「ああ」

「私と一緒に、イギリスへ行きましょう」

「……イギリスへ?どういうことだ?」

「ええ、私たちの専用機のことです」

「専用機?」

「私の蒼い雫(ブルー・ティアーズ)とマリアさんの緋い雫(レッド・ティアーズ)、損傷のレベルが酷く、直ぐに修復する見込みはありません。それにマリアさんの専用機は、その謎めいた仕組みのため、学園の整備課でも手に負えないと聞きましたわ」

「それでイギリスに?」

「他にも理由はあります。私とマリアさんが戦った時、私の機体に異常があったでしょう?」

「……そうだな。君の機体の周りに血のような赤い大気が漂い出して、君の機体は人の血を吸収し、傷を修復した」

「……今思い出しても、恐ろしい能力ですわ。人間の血を取り入れるなんて」

「………」

「…………話が前後しますが、私、ボーデヴィッヒさんにダメージを与え続けられた後の記憶が定かじゃありませんの。貴女に聞きたいのですが、私はあの後どうなりましたか……?」

「………君はあの時のように、再び覚醒しようとしていた。そして、気を失った」

「………そうですか。やはり──────」

「………」

「その原因を解明してもらうためにも、イギリスへ行く必要があります。それに──────」

「……それに?」

「マリアさん、貴女は記憶喪失だとイギリスの研究所から以前伺いましたが、貴女には何処か()()()()()()()()が感じられます」

「………」

「もしかしたら貴女はイギリス人で、イギリスへ行けば、マリアさんも何か思い出すかもしれません」

「……何故そう思う?」

「────何故でしょうね。私の()が、そう訴えてますわ」



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第18話 衝突

ピット内でISを展開した一夏とシャルルは、目の前のゲートが開くその時を待っていた。

互いに引き締まった表情をし、シャルルは横に立つ一夏に声をかける。

 

「一夏……あまり感情的にならないでね。ラウラさんは恐らく、一年生の中では現時点でトップクラスの操縦者だと思う」

 

「ああ、分かってる」

 

間も無くして、スピーカーからアナウンスが流れた。

 

『織斑・デュノアペア、ゲートを開きます』

 

鈍い重厚音をピット全体に響かせ、ゲートはゆっくりと開いていく。

その先から外の光が差し込み、ピット内の滑走路上に等間隔に設置された電光が光る。

 

「いくか、シャルル!」

 

「うん!」

 

ゲートを飛び出し、二人はアリーナの上空へと向かった。

 

 

 

 

 

 

互いに睨み合う両者。

憎悪を含ませた目で一夏を見るラウラ、そしてその横にいる箒。箒の目は「この組み合わせは不本意だ」と言いたげのように見えた。

当然だろう、以前からラウラの言動は目に余るものだったのだから。

 

「待つ手間が省けたな。一回戦で貴様と戦うことになるとは」

 

「そりゃどうも」

 

一夏も適当に受け流す。

そろそろ試合が開始する頃だ。

少しの間、両チームに沈黙が流れ、観客席も固唾を飲む。

 

そして、試合開始の合図がアリーナ全体に響く。

 

「「叩きのめす!!」」

 

一夏はスラスターを全開し、ラウラの方へと飛ぶ。

一方シャルルは箒の相手をした。

 

「ごめんね!相手が一夏じゃなくて!」

 

「な!ば、馬鹿にするな!」

 

シャルルが射撃武装の一つであるアサルトカノンを撃ちながらじりじりと箒との距離を詰める。

箒はまだ中距離型射撃との戦いに慣れていないためか、シャルルから離れながら近接ブレードで防御をする。

 

 

 

 

 

一夏は雪片弐型を構え、ラウラに突進する。

そして一夏が振り下ろすと、ラウラは手を前に出し雪片弐型の動きを止めた。問題のアビリティ・A.I.C.(アクティブ・イナーシャル・キャンセラー)だ。

 

「開幕直後の先制攻撃か……分かりやすい奴だな」

 

「くっ……」

 

どれだけ力を込めても、まるで糊でくっつけられたように雪片弐型は動かない。

その隙にラウラはレールガンを一夏に向ける。

しかしその時、一夏の後ろからシャルルがアサルトカノンをラウラに撃った。

ラウラは直ぐさまA.I.C.を解除し、二人から距離を取るが、シャルルはそのままラウラを追いかける。

解放された一夏は、今度は迫り来る箒に身を構えながら、ラウラのA.I.C.について考える。

 

(どうすれば切り抜けられる……?何か弱点があるはずだ。でもどうやって──────)

 

箒が上から近接ブレードを斬り下ろす。

 

「くっ……!」

 

一夏はそれを防ぎ、振り払おうとするが、箒の力は強く、なかなか離すことができなかった。

 

「一夏!」

 

鍔迫り合いをしていると、横から弾丸が箒に飛んできた。撃ったのはシャルルで、箒は一旦距離を取った。

そして箒が再び一夏に迫ろうとすると、箒の打鉄にラウラのワイヤーブレードが絡まり、箒が遠くの方へと振り飛ばされた。

 

「ぐああっ!!」

 

「………」

 

ラウラは何事もなかったかのように戦闘を続けた。

一夏とシャルルは仲間を省みない彼女の行動に眉間を顰める。

 

(……箒さんを助けたわけじゃないんだね)

 

(チームメイトさえも邪魔、ってわけか……)

 

箒のシールドエネルギーは、開幕直後から受け続けてきたシャルルからの射撃ダメージや、ラウラからの予想外の行動のせいで、残り少ない状況となっていた。

それを察したシャルルは、今ラウラのレールガンを避け続けている一夏にプライベートチャネルを開く。

 

「一夏!先に箒を倒すよ!僕が箒に仕掛けるから、一夏はとどめを決めて!」

 

「分かった!」

 

プライベートチャネルを切り、向かってくる箒にアサルトカノンを構える。

 

「おおおおお!!」

 

箒は声を上げながら、銃弾を受けながらもシャルルに突進する。

目と鼻の先にまで来た箒は素早い剣戟をシャルルに浴びせた。

シャルルはなんとかそれを防ぎながら、タイミングを見計らう。

 

箒がブレードを下から上に斬り上げた。

シャルルは身体全体を最小限の範囲で逸らし、同時にアサルトカノンを横にして両端を持つ。

そして驚くべきことに、箒の近接ブレードの先端をアサルトカノンの引き金に引っ掛けた。

 

「何っ⁉︎」

 

シャルルの予想外の防御に、箒は自身の目を疑った。

一瞬の油断を見せた箒を見逃さず、シャルルはそのままアサルトカノンを思い切り下に引っ張った。

すると箒の近接ブレードは引っ張られた反動で箒の手を弾き、シャルルの後ろの宙を飛んだ。

 

「一夏!」

 

シャルルが一夏の名を呼ぶと同時に、シャルルの後ろからタイミング良く一夏が飛んでくる。ラウラと戦いながらも、しっかりとシャルルたちの様子も見ていたようだ。

一夏は宙を飛ぶ近接ブレードを手に取り、そのまま一直線に投げ返す。

シャルルは飛んできた近接ブレードを避け、そのまま一夏の元へ。シャルルが避けたため、近接ブレードは箒の機体にぶつかり、残り少ないシールドエネルギーは終に0になった。

 

「くっ……ここまでか」

 

もう戦えないことを悟った箒は、心底悔しそうに肩を落とした。

 

 

 

 

 

 

「流石だな、シャルル」

 

「一夏もね」

 

箒を倒し合流した二人。

残るはラウラ・ボーデヴィッヒという状況になった。

 

「それじゃあ俺は……これで決める!」

 

一夏は、白式の最大攻撃である零落白夜を展開する。

 

「シャルル!援護してくれ!」

 

「了解!」

 

シャルルはアサルトカノンを連射しながら、ラウラの元へ飛んでいく。

ラウラはその弾丸をA.I.C.で防ぎ、レールガンを構えた。

しかしレールガンをシャルルに放とうとした寸前、横から零落白夜を持った一夏が来たことに気付き、止む無く撤退する。

 

「くっ……邪魔を……!」

 

一方、A.I.C.を解除し撤退した彼女を見て、一夏はあることに勘付く。

 

(……もしかして………)

 

一夏はラウラを追いかけ、零落白夜を振る。

再びA.I.C.で止めたラウラはニヤリと笑う。

 

「甘いな!そんな攻撃では──────」

 

「─────忘れたのか?俺たちは二人で戦ってるんだぜ!」

 

「なっ…!」

 

一夏の背後からアサルトカノンを構えたシャルルが現れ、ラウラに銃弾を浴びせる。

ラウラはA.I.C.で止めることはせず、ただ銃弾から逃げるように身体を引いた。

 

「やっぱり、思った通りだ!」

 

一夏は全てが分かったという表情をした。

その目は勝機の希望に満ちていた。

 

 

 

 

 

 

「織斑くんたち、凄いコンビネーションだね!」

 

キラキラとした目で、静寐は言った。

 

「恐らく、A.I.C.の弱点に気付いたんだろう」

 

マリアは一夏たちの戦い振りを見て、そう答える。

「どういうこと?」と静寐は尋ねた。

 

「彼女のA.I.C.は、敵の物理攻撃の動きを静止できることが利点だ。しかしそれを持続させるためには、その部分に意識を集中しなければならない」

 

「つまり、別の方向から違う攻撃をされると、意識が分散して対処出来なくなるってこと?」

 

「そういうことだろうな」

 

なるほど、といった顔をして静寐は再び試合に目を向けた。

この調子なら、二人がラウラに勝てるのも十分成し遂げられることだろう。

マリアは静かに、試合の行く末を見続けた。

 

 

 

 

 

 

「うおおおお!!」

 

やがて一夏は最後の勝負に出た。

自分たちの連携に追いやられたラウラに迫り、零落白夜を振り下ろす。

しかしラウラの眼前にまで迫った瞬間、白式のシールドエネルギーは突然底を尽きた。

それを見て、ラウラは一転して勝ち誇った表情をする。

 

「シールドエネルギーを限界まで消耗してしまっては、もう戦えまい!」

 

「ぐああっ!!」

 

ラウラが焦る一夏を地面に吹き飛ばす。

そしてそのまま一夏を仕留めようと一直線に下降するが、シャルルが一夏の前に立ちはだかり、ラウラを100m程先まで弾き返した。

 

「くっ……貴様──────」

 

反撃をしようと立ち上がると、シャルルが銃弾を放ちながら途轍もない速さで飛んで来た。

 

瞬時加速(イグニッション・ブースト)⁉︎そんなデータは無かった筈だ!」

 

「今初めて使ったからね!」

 

「この戦いで覚えたというのか……!」

 

ラウラは苦しまぎれにA.I.C.を発動する。

シャルルの攻撃は防がれ、反撃をしようとしたその時、別方向から突然攻撃を受けた。

遠くから銃弾を放った一夏だった。一夏の手にはシャルルの射撃武器であるアサルトライフルが握られていた。

ラウラは屈辱の余り激昂する。

 

「貴様……!この死に損ないめ!!──────」

 

「どこを見てるの?」

 

「なっ!」

 

一夏に気を取られたあまり、シャルルに再び攻めの攻撃を許してしまう。

 

「この距離なら外さない!」

 

「っ!盾殺し(シールド・ピアース)⁉︎」

 

シャルルは左腕のシールドからパイルバンカー(通称:盾殺し(シールド・ピアース))を出し、ラウラをアリーナの壁にまで吹き飛ばした。

 

「がはっ!!」

 

「はあああああああ!!」

 

シャルルはシールド・ピアースを振りかざしながら高速でラウラに突進し、打撃を加えていく。

満身創痍のラウラは抵抗することも出来ず、ただシャルルからシールドエネルギーを削り取られていく一方だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ダメージを与えられ続けていく中、ラウラの視界はどんどんと輪郭のはっきりとしないものになっていった。

 

ISのハイパーセンサーがあるにも関わらず、自分を殴るシャルルの顔も、遠くにいる憎き一夏の姿も曖昧になってしまっている。

 

 

 

暗くなっていく世界と意識。

溺れまいと必死に手を伸ばして自我を保とうとするが、底の無い闇にラウラは逆らえなかった。

 

 

 

 

 

 

私は、─────負けられない。

 

 

 

─────負けるわけにはいかない!

 

 

 

 

 

私の意識は、とうとう闇の中に溺れてしまった。

 

 



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第19話 ラウラ・ボーデヴィッヒ

書くべき後書き、特に思いつかず。
思いつき次第追加します。


─────────

───────

─────

 

遺伝子強化試験体(Advanced)C-0037』

 

『Code Name:Laura Bodewig』

 

それが私に付けられた名前だった。

 

軍の研究所。薄暗い実験室。

暗闇の中で静かに青く光る試験管の中で、私は造られた。

子宮の温もりを知らない私は、母親に抱かれた赤子の産声を出すことも無く、ただ戦いの為に造られ、育てられ、鍛えられた。

 

私は優秀だった。

訓練兵の中でも常に最高レベルを維持し続けた。

軍全体からの期待も厚かった。

 

 

─────しかし、それもISが発表されるまでの話だった。

 

 

ある時、ドイツ軍でもIS配備特殊部隊である黒兎隊(シュヴァルツェ・ハーゼ)が編成されることになった。

表向きはアラスカ条約に誓っておきながら、裏では平然とISを軍事利用する。それは暗黙の了解となっており、何処の国でも同じことだった。

IS適合性向上のため、直ちに私にも肉眼への移植手術が行われた。

 

麻酔が私の身体を蝕み始める。

越界の瞳(ヴォーダン・オージェ)』と呼ばれたその治験を見物するため、軍の上層部の人間たちは手術室のガラスを隔て、私を観察していた。

 

瞼が重くなり視界が閉じていく最中、彼らの話し声が聞こえた気がした。

訳も分からない言葉だったが、心の何処かで私は記憶していた。

 

 

 

 

 

 

()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

 

私の移植手術は、失敗に終わった。

移植された左目は不適合の影響で金色に変色し、右目の瞳は血のように赤く染まった。

私は力を制御することが出来ず、以降の訓練では全ての能力値において最低の成績を出し続け、『()()()』としての烙印を押された。

 

そんな中、私はあの人に出会った。

 

ドイツ軍の教官として一年間在籍した彼女は、極めて有能な人物だった。

私は彼女の教えの下、着実に力を伸ばしていき、再び軍のトップへと返り咲いた。

そしていつしか私は、失敗作でありながらもシュヴァルツェ・ハーゼの隊長に任命された。

 

 

ある日、私は彼女に聞いた。

 

『どうしてそんなに強いのですか?』

 

『どうすれば、そこまで強くなれますか?』

 

私の言葉に、彼女は一言だけ答えた。

 

『私には、弟がいる』

 

 

 

何故。

 

何故貴女は、そのような優しい表情をされるのですか──────。

 

私の知っている貴女は、強く、凛々しく、優しさなど見せない人だ──────。

 

 

 

だから、憎かった。

 

彼女をそんな顔にさせる人物が。

 

彼女の強さの邪魔になる、その男が。

 

 

 

 

 

 

 

──────力が、欲しいか?

 

 

 

欲しい。

 

あの男は、彼女の側から消すべきだ。

 

 

 

──────哀れな黒。どこまでも堕ちる失敗作よ。

 

 

 

何とでも言え。

 

力が得られるのなら、こんな空っぽの私など、何から何までくれてやる。

 

力の為なら、人間としての矜持など捨てて、()にだって成り下がってやる。

 

 

 

だから、力を──────。

 

 

比類無き最強を、私に寄越せ!!

 

─────

───────

─────────

 

 



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第20話 獣化

イメージ曲
Blood-Starved Beast - Bloodborne OST


「ああああああああああああ!!!!」

 

突如、ラウラが悶え叫んだ。

彼女の機体からは赤い色をした稲妻が走り、周囲を赤く染め上げた。

一夏は驚き、彼女の身体から放たれる強い衝撃波に、反射的に腕で顔を隠す。

 

「……血………?」

 

あの赤い稲妻が一夏の方へ飛び散ったのだろうか、一夏の腕には赤と()()の濁った血がべっとりと付着していた。

 

「一夏!」

 

シャルルの声に、ハッとする。

ラウラを見ると、彼女の機体はまるで粘土のように形を変え、何かに成ろうとしていた。

その深い黒の粘土はラウラを飲み込んでいき、ぐにゃぐにゃと動く。

 

『全トーナメントを中止!状況をレベルDと認定!来賓、生徒は直ぐに避難すること!』

 

管制室からアリーナ中に指示が流れる。

観客席からは悲鳴が上がり、防御シャッターが閉まり出していった。

 

アリーナ中が混乱に包まれている中、一夏は変わり果てたラウラの機体に唖然としていた。

彼女の姿は、一夏のよく知る人物と同じ姿をしていたからだ。

 

 

 

 

 

 

周りの生徒たちが逃げ惑う中、私は一人冷静でいた。

そして、今ラウラに起きている事態がただ事ではないことも感じていた。

私は非常口とは別に、ピットへと繋がる道を目指す。

走り出そうとしたその時、手を掴まれた。

 

「マリアさん!そっちは違うよ!」

 

静寐だった。

私と共にこの場から逃げようとしてくれている。

私はこれから彼女の優しさを裏切ってしまうことに罪悪感を感じながらも、彼女に向き直る。

 

「静寐、他の皆と逃げてくれ」

 

「そ、そんな……!マリアさんも逃げようよ!」

 

「私は行かなければならない。直に此処も危なくなる」

 

「でも……一人で危険なことはしないって、約束したじゃない……」

 

「大丈夫だ。シャルルも一夏もいる。それにもうすぐ教師部隊も出動するはずだ」

 

静寐に心配気な表情をさせる自分が憎いが、今はそうも言っていられない。

私は静寐の手を握り返し、非常口へと急ぐ。

 

「非常口まで私もついていこう。さぁ、行くぞ」

 

静寐と共に走って行く最中、私は以前にも味わった感覚を受けていた。

 

 

()()()()()()

 

 

以前に謎のISが襲撃をしていたときも、そのISは私に殺気を向けていた。

 

そして今も、ラウラの機体からは同じ視線を向けられている。

 

何れにせよ、一刻も早く行かなければならない。

 

静寐を避難先へと連れて行った後、涙目の静寐をなんとか説得し、急いで一夏たちの元へと向かった。

 

 

 

 

 

 

「千冬姉……?」

 

自分にとって、ただ一人の姉を模倣したラウラの姿に、一夏は憤りを覚える。

 

「あいつ……千冬姉の真似しやがって!」

 

「っ⁉︎待って一夏!!」

 

シャルルの忠告を聞かずに、一夏は姉の姿をしたラウラに殴りかかった。

一夏が拳を振りかざすと、突然ラウラの機体は再び粘土のように溶け、一夏の拳を包んだ。

 

 

その瞬間、一夏に()()が起きた。

 

 

(……!?)

 

 

一夏は咄嗟に自分の口を手で覆う。

拳を包まれた瞬間、途轍もない吐き気が込み上げた。

血管の中を流れる血が騒ぎ、全身の毛が逆立ち、汗が噴き出す。

今までで一度も経験したことのないような気持ち悪さに、一夏は足をガクガクとさせた。

 

(う……動けねぇ………)

 

あまりの不快感に背中を丸めてしまった一夏に、黒の機体は斬りかかった。かつて千冬が使っていて、今は一夏が使っている武器、雪片弐型で。

 

「うああっっ!!」

 

「一夏!」

 

強力で重いその攻撃は一夏を遠くまで弾き飛ばし、白式は強制解除された。

一夏は斬られた腕を抑えていた。

傷口からは血が溢れている。

シャルルは一夏の元へと駆け寄り、黒の機体から一夏を隠すように立った。

 

「一夏、大丈夫⁉︎」

 

「ああ……傷はそんなに深くはねぇ……」

 

一夏は黒の機体を睨む。

そして立ち上がり、再び刃向かおうとしたその時。

後ろから一夏を呼ぶ声がした。

 

「待て、一夏!」

 

狩装束を纏ったマリアだった。

落葉を持った彼女は一夏たちの元へと駆け寄る。

マリアの後ろからは箒も駆けつけていた。

 

「マリア!どうして来たの⁉︎」

 

シャルルが驚いた顔をして尋ねる。

 

「二人を残しては心配だからな」

 

「何言ってるんだよ!マリアも皆と逃げないと──────」

 

「いいや、そうも言っていられない」

 

マリアは一夏の言葉を遮り、ラウラの方を向く。

 

「見ろ」

 

マリアに言われ、一同はラウラの方へと視線を戻す。

そして、一夏とシャルル、箒はラウラを見て目を見開いた。

 

先程まで千冬の姿をしていた黒の機体は、再び形を変え続けていた。

血飛沫を散らせながら変わっていくその姿。

手の先の爪は割れ、メキメキと伸びていく。

口は牙が剥き出しになり、そこから更に血がドクドクと流れる。

全身に荒々しく傷口が広がる。腕と足が異常に細長く伸び、地を這うような体勢になった。

 

「ラ、ラウラさんが……」

 

「一体……何が起こってるんだ……?」

 

彼女の変わり果てた姿に、シャルルと箒は(おのの)いた顔を見せる。

まるで《獣》の動きをする彼女に、マリアは眉を顰める。

 

「どうやら、私を狙っているようだな」

 

「な、何で⁉︎」

 

「直感だ。彼女から私へと殺気を感じる。原因は分からないが……私が仮にここから避難していたとしても、いずれは殺しに来ていたかもしれない」

 

事実、彼女の顔はマリアの方へと向いており、今にも襲いかかろうと牙を見せていた。

「彼女から」と言ったが、あれはラウラとしての殺気ではない。

あれは、獣としての本能が出している殺気だった。

 

しかし、彼女の姿を見た一夏は、益々怒りを露わにする。

 

「あの野郎!!」

 

「待て!一夏!」

 

箒が一夏を抑える。

 

「離せ!離せよ!」

 

「落ち着け!」

 

「あいつ、ふざけやがって!まるで千冬姉を化物みたいに……!ぶっ飛ばしてやる‼︎」

 

「いい加減にしろ!」

 

箒が一夏の頬を強く叩いた。

一夏は叩かれたことで、少し落ち着きを見せた。

 

「一体どうしたというのだ……?」

 

箒は心配気に一夏に問う。

一夏は獣の姿と同化してしまった雪片弐型を見て、呟く。

 

「あれは、千冬姉のものなんだ。千冬姉だけの………」

 

「その身体でどうするつもりだ!お前のISにはもうエネルギーが残っていないんだぞ!」

 

宥める箒に、意地でもラウラに刃向かおうとする一夏。

 

「─────シャルル……頼めるか?」

 

そんな一夏を見て、マリアはそう言った。

マリアの目を見て彼女が何を言おうとしているのかを察したシャルルは、機体からコードのようなものを引っ張り、白式の待機状態のガントレットに接続した。

 

「エネルギーが無いなら、他から持ってくればいいんだよ。僕のリヴァイヴなら、コア・バイパスで一夏にシールドエネルギーを分け与えることができる」

 

シャルルはそのままエネルギーを送り込む。

一夏の白式から、エネルギー補填の表示が出現した。

やがて補填し終わったシャルルは、白式からコードを抜き、一夏に微笑む。

 

「約束して。絶対に死なないって」

 

「ああ……約束する。ありがとう、シャルル」

 

「ううん、気にしないで」

 

シャルルはマリアの方を向く。

 

「……マリアも、無事でいてね」

 

「ああ。ありがとう」

 

マリアは一夏に手を差し伸べ、立たせた。

一夏は雪片弐型を部分展開させ、気合いを入れる。

 

「シャルル、箒を避難させてくれ。私は一夏と一緒に彼女を助ける」

 

「分かった!」

 

シャルルは箒を抱え、ピットへと向かった。

不安な顔を浮かべる箒に、一夏は大丈夫だと言って、箒たちを見送る。

 

「さて、一夏。見て分かると思うが、あまり時間が無い」

 

「……ああ」

 

「このまま時間が過ぎれば、彼女は本当に獣になってしまう。彼女が飲み込まれる前に終わらせるぞ」

 

「了解!」

 

獣の姿をした彼女はアリーナ中に咆哮を響かせ、血飛沫を散らせながら二人の元へと走り出した。

 

 

 

 

 

 

獣が爪を立て、マリアに急接近する。

背中に落葉を掛け、切りかかってくる爪を防いだマリアは、そのままくるりと身体ごと獣の腕の上で回り、横腹に打撃を与える。

本当は落葉で突き刺すべきかもしれないが、獣の中にはまだ彼女がいるため、下手に突くことは出来ない。

 

作戦はこうだ。

マリアが暴走した獣の気を引き、攻撃をして怯ませ、動きを止める。

怯ませた隙に、一夏の零落白夜で獣の皮を斬る。

恐らく皮を剥げば、ラウラが出てくるかもしれない。

しかし一夏の白式も、シャルルからエネルギーをもらったとはいえ、あまり残量は無い。

零落白夜が使えるのも一度だけだろう。

チャンスは一度。失敗は許されない。

 

獣が腕で薙ぎ払う。

マリアは屈み、ジャンプして獣の顔を蹴る。

しかし獣はビクともせず、口を開き、マリアの身体に牙を剥く。

マリアはその口を落葉で防ぎ、自分の元へと牙が来ないように必死に抑えつける。

 

(なんというパワーだ……!)

 

じりじりと、マリアの身体に牙が近づく。

一旦引こうとしたその時、獣の口から大量の血が吐き出された。

突然のことに、マリアは目を閉じてしまう。

マリアの隙を見逃さなかった獣は、彼女を地面に突き落とした。

 

「がはっ!!」

 

獣の血に塗れたマリアは、獣の足元に突き刺さっていた落葉を取ろうと起き上がる。

しかし獣は恐ろしい速さで手を振り、マリアの身体を掴んだ。

 

(くっ……しまった……)

 

獣は手を強く握り、マリアの身体はどんどん締めつけられていく。

マリアの肺から空気が抜け出し、呼吸が出来ず、身体に力が入らない。

獣は口を開き、血に塗れた牙を見せる。

 

 

もう、ここまでかもしれない。

 

 

しかし、マリアはまだ諦めていなかった。

 

 

獣がマリアに気を取られている。

 

 

これは、マリアにとっても望んでいたことだ。

 

 

マリアは肺に残された僅かな空気を吐き、叫んだ。

 

 

「一夏ぁぁあああああああ!!」

 

 

「うおおおおおおおおおお!!」

 

 

マリアが叫び始めたと同時に、一夏が獣の元に走り出す。

獣の懐まで近づいた一夏は、空かさず零落白夜を全力で振り下ろす。

 

そして斬られた獣はマリアを離し、後ろへと蹌踉めく。

獣の皮は縦に真っ二つに裂け、大量の赤と灰色が濁った血が噴き出した。

 

そして斬られた獣の中からは、全身を獣の血に染め上げたラウラが出てきた。

 

 

 

 

彼女が姿を見せた時、ほんの少しだけ目を開いた。

 

 

 

 

一夏は彼女を腕に抱き、彼女の顔を見る。

 

 

 

 

血の色で溢れた中で、彼女の金色の目は一際映えている──────と、一夏は思った。

 

 

 

 



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第21話 工作

いやー……グダリましたね、今回の話。
実は最近映画や海外ドラマばかり観てて、小説と少し離れてました。
おまけに就活も本格的に始まったので……。

それと、次回から少しオリジナル展開に入ります。
物語の重要なターニングポイントの一つになります。
では。


─────────

───────

─────

 

 

お前は……何故強くあろうとする?

どうして、お前は強い……?

 

 

強くねぇよ。俺は全く強くない。

もし俺が強いなら、それは強くなりたいから強いのさ。

それに、強くなったら、やってみたいことがあるんだよ。

 

 

やってみたいこと……?

 

 

誰かを守ってみたい。

自分の全てを使って、誰かのために戦いたい。

 

 

それはまるで、あの人のようだ……。

 

 

そうだな。だからお前も守ってやるよ。

ラウラ・ボーデヴィッヒ……。

 

 

─────

───────

─────────

 

 

 

 

 

 

「目が覚めたか?」

 

自分でも気付かない内に、私は目を開いていた。

空間を隔てる白いカーテン。

身体に掛けられた白いシーツ。

仄かに香る薬品の匂い。

 

そして、左腕に刺された注射針。

 

管の中を流れる真っ赤な液体。

 

真っ赤な液体で満たされた、小さな袋。

 

私は、夢を見ていたようだ。

 

「お前を救急に運んだ時に、身体の血液量に異常が見られた。なに、心配することはない」

 

私を安心させるような顔で、彼女は言った。

 

「輸血……ですか」

 

「ああ」

 

沈黙が生まれる。

私は気になったことを口にした。

 

「私は……どうなったんですか……?」

 

すると彼女は少しの間考え込み、口を開いた。

 

「一応重要案件である上に、機密事項なのだがな……。V()T()()()()()は知っているな?」

 

Valkyrie Trace System(ヴァルキリー・トレース・システム)……」

 

「そうだ。アラスカ条約でその研究はおろか、開発、使用……全てが禁止されている。それがお前のISに積まれていた」

 

私は口を閉ざし、彼女の言葉に耳を傾けた。

 

「精神状態、蓄積ダメージ、そして何より、操縦者の意志……いや、願望か。それらが揃うと発動するようになっていたらしい」

 

「─────私が、望んだからですね」

 

あの時、底の無い闇の中で、私は力を望んだ。

自分を脅かす存在を消すために。

自分が最強でいるために。

 

しかし、それで私は何を得た?

 

否、何も得なかった。

 

力を望んだ代償に、私は人間としての尊厳を捨てた。

 

たとえ獣に成り下がろうとも、私は最強を選んだ。

 

結果、私は堕ち、力に飲まれた。

 

 

私は何に成りたかったのだ─────?

 

私の欲しかった力とは、一体何だ─────?

 

人間であることも捨て、獣にも成れなかった今の私は、一体誰なんだ─────?

 

 

私は─────

 

 

「ラウラ・ボーデヴィッヒ!」

 

「は、はい!」

 

突然、彼女が私を呼んだ。

 

『私』──────?

 

「お前は誰だ?」

 

「わ、私は……」

 

私は……。

考えれば考えるほど、私は自分を見失った。

 

「……誰でもないなら丁度いい。お前は今から、『ラウラ・ボーデヴィッヒ』だ」

 

「え……」

 

彼女は立ち上がり、扉へと歩いていく。

 

「それから、お前は私になれないぞ」

 

夕陽に照らされた彼女の微笑みは、扉の向こうへと消えていった。

 

 

 

 

 

不意に、笑いが込み上げてきた。

 

どうしてこんな簡単なことに気付かなかったのだろう。

 

そうだ、私は私だ。

 

誰が何を言おうと、私はこの世に生を受けた一人の人間だ。

 

私は、ラウラ・ボーデヴィッヒ。

 

それは決して揺らぐことのない事実だ。

 

 

 

 

 

窓の外を見る。

 

両目で外の景色を見るのは随分と久しい。

 

いつも見ていたはずなのに、今日の夕陽は今までに見たことのないような感覚を私に覚えさせる。

 

世界とは、こんなにも美しいものだっただろうか──────。

 

 

眩しい夕陽に、私は目に心地良い刺激を覚える。

 

今日は、少し疲れた。

 

今はゆっくりと、眠りに落ちてもいいかもしれない。

 

私はゆっくりと瞼を閉じ、眠りの中へと潜っていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

意識が微睡んでいく中、ほんの少しだけ、獣に成り下がったときの闇を思い出した。

 

 

底の無い闇に溺れた感覚。

 

 

その闇の中で聴こえた響きが、眠りに入る直前まで、私の頭の中で蘇っていた。

 

 

 

湿()()()()()───────。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ごはん、美味しかったね」

 

「そうだな」

 

その日の夜。

シャルルとマリアは食堂で一夏と夕食を食べていた。

途中そこに箒がやってきて、一夏が何かを思い出したかのように箒の元へと行き、話しかけていた。

「付き合ってもいいぞ」という一夏の言葉に箒を含めシャルルとマリアはかなり驚いていたが、その後に「買い物のことだろ?」と一夏が言ったので、箒は一夏を蹴飛ばして帰っていった。

やはり一夏は鈍感だなとマリアは笑った。

 

シャルルとマリアは部屋へと帰り、扉を開ける。

マリアはベッドの上に座り、壁にもたれる。

その目は何処か疲れているようだった。

 

「……大丈夫?」

 

シャルルが心配気な顔で尋ねる。

マリアはシャルルに顔を向ける気力も無く、吐き出すように呟く。

 

「ああ……少し、疲れた………」

 

マリアは、今日ラウラに起こった事件を思い出していた。

()()は、間違いなく獣になろうとしていた。

その証拠に、彼女の機体からは灰色の混じった血が噴き出していたのだ。

あの血は、生前に嫌という程見てきた、獣から出てきた血だった。

以前の謎のISの襲撃事件もそうだった。謎のISは獣のような姿をし、獣の血を流していた。

他にも、セシリアの覚醒。シャルルの持つ鍵。

この学園で目覚めてからというもの、あまりにも自分が生きていた時の事柄と共通することが起きすぎている。

獣を見るたびに、マリアの心は痛み、疲弊していた。

目覚めても、まだ獣を狩らないといけないなんて──────。

 

「マリア」

 

「………」

 

「まーりあっ」

 

「あ、あぁ。すまない、なんだ?」

 

「シャワー、先に浴びて」

 

シャルルはマリアを気遣い、優しい顔で促す。

シャルルに名前を呼ばれても上の空とは、随分と考え事をしていたようだ。

マリアは大人しくシャルルの言うことを聞き、浴室へと入っていった。

 

 

 

 

 

 

私は服を脱ぎ、タオルの横に置く。

髪を解き、何気なしに目の前の鏡を見る。

 

裸の私。

髪は少しだけ、伸びたかもしれない。いつも頭の後ろで結っているので気付きにくいが。

私は目線を下に向ける。

胸の下から横腹にかけて、青い痣が出来ていた。

獣の姿をしたラウラの機体に掴まれた痕だ。

 

私はその傷をなるべく見ないようにし、浴室の扉を開ける。

シャワーを浴び、身体の汚れを洗い流す。

ノズルから噴き出す熱い水が、疲れた身体に沁みた。

 

暫くシャワーを浴びた後、私は浴槽へと身体を沈める。

まだお湯を入れたばかりなので、いい湯加減だ。

一息つき、私は水の音に耳を澄ませ、何も考えず目を閉じていた。

 

 

 

 

 

「──────マリア?」

 

「……?」

 

どれくらい経ったのだろうか。

ふと名前を呼ばれ、私は夢から覚ましたように目を開く。

すると、カチャッという音がした。

それは浴室の扉を開けた音で、そこには裸のシャルルがいた。

 

「シャルル……どうして……?」

 

「えへへ、何だか身体が冷えちゃって。……一緒に入ってもいいかな………?」

 

「そんなに私は長く浸かっていたのか……すまない、直ぐに出よう」

 

「ま、待って!」

 

浴槽から出ようとする私の肩を、シャルルが抑える。

湯気に火照ったせいだろうか、彼女の顔はほんのりと赤い。

 

「大事な話があるの……聞いてくれる?」

 

─────きっと、彼女の上目遣いに勝てる者などいないだろう。

私は再び浴槽へと座り、彼女のシャワーが終わるのを待った。

 

 

 

 

 

 

「その……前に言ってたことなんだけど……」

 

「ああ」

 

私の脚の間に座ったシャルルは、背中を向けたまま話し始めた。

 

「僕ね……ここにいようと思う。マリアがいるから、僕もここにいたいと思えるんだよ……?」

 

彼女はそう言って、静かに自分の手を私の手に添えた。

 

「そうか……嬉しいよ」

 

「それにね……もう一つ決めたんだ。僕の在り方を……」

 

彼女はくるりと此方を向いた。

そして彼女は私の方へと身体を近づけ、私の唇へと口付けをする。

 

何が起きたのか、一瞬理解出来なかった。

私は驚いて目を見開き、ただ時間が過ぎるのを待つ。

やがて彼女は私の唇から離れ、頰を赤く染めて私を見る。

 

「……シャルル……これは……」

 

「……僕のことはこれから、シャルロットって呼んでくれる……?」

 

「それが、本当の……?」

 

「そう、僕の名前。お母さんがくれた、僕の本当の名前……」

 

潤んだ目で、彼女は言った。

 

「……分かった、シャルロット」

 

私が彼女の本当の名前を呼ぶと、彼女も嬉しそうに微笑んだ。

と思うと、シャルロットは突然更に顔を真っ赤にし、あたふたとした。

 

「ご、ごめんね⁉︎急に、その……キス、しちゃって……」

 

「あ、いや……」

 

どことなく気まずくなり、私たちは互いに視線を逸らそうとする。

しかしシャルロットは私の身体に密着したままで、顔は目と鼻の先にあるため視線を逸らすに逸らせなかった。

 

「マリアって、結構大きいんだね……なんか悔しいな」

 

彼女は私の胸を見て、微笑みながらそう言った。

 

「な、何を言い出すんだ⁉︎」

 

恥ずかしくなり、私は俯く。

下を向くと、互いに密着しているためか、私たちの胸が形を歪めてそこにあった。

そして速くなった自分の心音が彼女に伝わっている気がして、更に恥ずかしくなった。

 

「ふふ……わかる?僕ね……今すごくドキドキしているんだよ……?」

 

「………」

 

「マリアが僕のことを守るって言ってくれた時ね……すごく嬉しかった」

 

「そ、そうか……」

 

「僕……マリアのことが好き」

 

シャルロットは、私の目を真っ直ぐに見て、そう言った。

そして、彼女は再び唇を近づけてくる。

 

甘い空気に満たされていた私の脳は、彼女の唇を受け入れるように促してくる。

しかし私は、その甘い導きに従いそうになる寸前のところで、彼女の肩を掴み、ゆっくりと離した。

 

「……すまない……」

 

シャルロットは少しだけ悲しそうな目をした後、直ぐに微笑みを作った。

 

「……ううん、僕の方こそごめんね。突然こんなことしちゃって……」

 

「嫌、というわけじゃないんだ……ただ……」

 

「……?」

 

シャルロットが唇を近づけてきたとき、私の頭の中に、()()の姿が浮かんだ。

何度も夢に出てきた、私と同じ、白い髪の優しい彼女。

私はまだ、彼女にしてしまった罪の記憶を取り戻していない。

それなのに、彼女の子孫であるシャルロットとこうしていることに、私は罪悪感を感じずにはいられなかった。

 

私が黙っていると、シャルロットは目を伏せ、静かに立ち上がった。

 

「先に上がるね。おやすみ、マリア」

 

「シャルロット……」

 

彼女は振り向かないまま、扉を閉めた。

 

冷めていく心音と、水の音だけが、私の中で響いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それから、お前は私になれないぞ」

 

私は彼女にそう言って、保健室を出た。

そして建物の外に出て、夕陽に染まった誰もいない道を一人歩く。

 

今日起こった、黒い雨(シュヴァルツェア・レーゲン)の暴走事件。

VTシステム、と表面上は報告されたが、きっと裏があるに違いない。

シュヴァルツェア・レーゲンの豹変した姿は、以前学園に襲撃してきたゴーレムの姿と似ていた。

これは、恐らく偶然などではない。

そんな一言で済まされないようなことが、私の知らないところで起きている気がする。

もしこの二つの事件が繋がっているなら、裏には必ず()()()がいるはずだ。

 

 

私は周囲に誰もいないことを確認し、携帯を取り出す。

そして、恐らく私しか知らないであろう番号を打っていった。

 

私は携帯電話を耳に当て、コール音を待つ。

 

しかし聞こえてきたのはコール音ではなく、「この番号は現在使われていない」というアナウンスだった。

 

少なくとも私と篠ノ之からの電話は必ず出るはずの彼女が、電話に出ない。

こんなことは初めてだった。

私は携帯電話を閉じ、繋がらなかった彼女に思いを馳せる。

 

 

「束……一体何を企んでいる……?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ラウラの暴走事件が起きた、その日の夜。

一夏は歯磨きを終え、そろそろ寝ようと、部屋の電気を消した。

ベッドに入り、一息つく。

一夏はなんとなく、今日の出来事を思い出していた。

 

今日のラウラの暴走した姿は、以前のゴーレムの姿に少し似ていた気がする。

 

一夏は暗い天井を見つめ、そしてゆっくりと目を閉じる。

 

 

 

 

 

風の音がした。

 

そういえば窓を少し開けたままだったことを思い出した一夏は、目を開けて起き上がる。

 

案の定、窓が少し開いており、カーテンが風に乗って少し揺れていた。

 

一夏は、なんとなくその様子を見つめる。

 

 

 

 

 

揺らめくカーテンの隙間から、月明かりが漏れる。

 

 

 

 

その瞬間、一夏に()()が起きた。

 

 

 

 

一夏は咄嗟に口を手で塞ぎ、洗面所へと駆け込む。

 

 

「うおえええ!!!」

 

 

あまりの気持ち悪さに、嘔吐する。

嘔吐する間は呼吸がままならず、目に涙が溢れてくる。

 

この感覚を、一夏は覚えていた。

 

豹変したラウラの機体に自分の拳を包まれたときに感じた気持ち悪さだった。

 

 

「はぁ……はぁ……」

 

 

血管の中を流れる血が騒ぎ、全身の毛が逆立ち、汗が噴き出す。

吐瀉物を流すために、一夏は震えた手で蛇口を捻った。

そして、水を流してる間に、もう一度吐いた。

 

 

目の前の鏡を見ると、とても()()()()顔をした自分が、そこにいた。

 

 

目には涙を溜め、息を切らしている。

 

 

一夏は洗面所を出る。

真っ暗な部屋で、一筋の月の光が窓から差していた。

一夏はその月の光を見て再び血が騒ぐ感覚がして、急いで窓とカーテンを閉めた。

 

 

そしてそこから逃げるように、ベッドの中へと潜る。

 

 

ベッドの中でも震えは止まらず、一夏は背中を丸くして、早く眠りが迎えに来てくれることを願った。

 

 

その日は、ちょうど満月の夜だった。

 

 

 

 





Valkyrie Trace System(ヴァルキリー・トレース・システム)

通称・VTシステム。
過去のモンド・グロッソの部門受賞者(ヴァルキリー)の動きを模倣するシステムで、アラスカ条約で現在どの国家・組織・企業においても開発・研究・使用全てが禁止されている。

シュヴァルツェア・レーゲン暴走事件に関して、名目上はドイツ軍によるVTシステムの工作とされているが、その実態は謎に包まれている。


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第22話 六月

イギリス編です。


六月。

 

ラウラの暴走事件から1ヶ月弱程経った頃。

IS学園では一週間の連休が始まった。

故郷に帰省する生徒、寮に留まって過ごす生徒、旅行に行って息抜きをする生徒など、連休の過ごし方は様々だ。

 

日本では梅雨の時期に入り、今日も朝から雨が降っている。

そんな中、傘を差して静かに立っている者たちがいた。

セシリアとマリアだった。

二人は今学園前で、オルコット家の迎えの車を待っているところだった。

 

「もうすぐ着くそうですわ」

 

セシリアが携帯を見て、マリアに言う。

久しぶりに祖国に帰れるからだろうか、セシリアの表情は明るい。

 

「そうか」

 

「帰ってくる頃には、晴れてるといいですわね」

 

「……そうだな」

 

灰色の曇天を見上げ、マリアは呟く。

マリアはシャルロットのことを思い出していた。

 

シャルロットと風呂に入って話した翌日、彼女は自ら自分が女であることを明かした。

そしてラウラもあの暴走事件で一夏に助けられたこともあってか、一夏に好意を抱くようになったようだ。

一夏を巡る競争は激しくなったが、何はともあれ、一組全体には明るい雰囲気が出来ていた。

 

しかし、マリアは未だにシャルロットとのことを引きずっていた。

シャルロットはマリアに明るく接してくれる。それはマリアだけではなく、他のクラスメイトに対しても同様だ。まるで、あの風呂での出来事が無かったかのように……。

そんなシャルロットを見るたびに、マリアは「あれは夢だったのではないか」と錯覚してしまう。そんな日が続いていた。

 

そして昨夜、マリアは今日の為の準備を終え、シャルロットに伝えた。

 

「しばらくセシリアとイギリスへ行ってくる」

 

するとシャルロットは一瞬驚いた表情を見せ、すぐに隠した。

そして、

 

「……すぐに、帰ってくるよね………?」

 

その目は何処か悲しそうに、マリアは見えた。

その後、彼女は先に寝て、今朝マリアが起きた時もシャルロットは寝ていたので、マリアは静かに寮を後にした。

 

 

 

 

「……マリアさん?」

 

セシリアが、マリアの顔を覗き込む。

 

「どうかしましたの?」

 

「いや、少し考え事をしていてな……」

 

これ以上考えても仕方がない、とマリアは頭を振り払った。

やがて向こうの方から車の音が聞こえ、車は二人の前で停車する。

黒で統一されたその車は、いかにも高級車といった雰囲気を醸し出していた。

 

セシリアは運転手であるオルコット家の使いの者に荷物を渡し、扉を開けてくれるのを待つ。

 

その時─────。

 

「おーい!!」

 

後ろから声がした。

二人が振り向くと、そこには此方へと走ってくる一夏の姿があった。

まだ朝早いというのに、連休でもしっかりと一夏は起きているようだ。

一夏の姿を見たセシリアは、花が咲いたように笑顔になる。

 

「まぁ!一夏さん!」

 

「はぁ…はぁ……たまたま早起きして窓の外を見たら、二人が歩いて行くのが見えたんだ。二人とも、こんな朝早くにそんな大荷物で、一体何処に行くんだ?」

 

「私たち、これからイギリスへ行くんですの」

 

「イ、イギリス⁉︎」

 

セシリアの言葉に驚く一夏。

 

「ああ、一ヶ月ほど前にセシリアが誘ってくれてな」

 

「そうだったのか……」

 

一夏は寂しそうな目をする。

 

「日本にはいつ帰るんだ?」

 

「今のところ、五日後あたりを予定していますわ。今日が土曜日なので、木曜日に」

 

「そ、そっか」

 

先程から何となくソワソワとしている一夏。

そして何かを意気込んだような顔をし、セシリアの方へと向く。

 

「そ、その……セシリア!」

 

「は、はい!」

 

突然のことに一緒につられてしまうセシリア。

一夏は顔を少し赤くし、

 

「そ、その……前にセシリアが怪我をして保健室にいたとき、約束をしたの覚えてるか?今度、一緒に出掛けようって話……」

 

「い、一夏さん……」

 

セシリアの心臓の鼓動が速くなる。

 

「木曜日に帰ってくるんだよな?連休は日曜日まであるから……その、セシリアが帰国後に疲れてさえなければ、一緒に出掛けたいと思うんだけど……」

 

「本当ですの⁉︎」

 

無意識に一夏の手を握るセシリア。

一夏はキラキラとしたセシリアの顔を目の前にし、更に照れてしまう。

そして、それを見たセシリアも、自分が手を握ってしまっていることに顔を赤くした。

 

「ぜ、是非行きましょう!楽しみにしていますわ!」

 

「そ、そうか!ありがとうな!」

 

二人の姿を見て、微笑むマリア。

やがて出発の時間も迫り、別れの時間がやってきた。

車に乗った二人を、最後まで見送る一夏。

 

「じゃあな、セシリアにマリア!楽しんでこいよ!」

 

「一夏さんも、お身体を壊さないようにしてくださいね!」

 

「またな、一夏。他の皆によろしく伝えておいてくれ」

 

そして、車は出発し、学園と本島をつなぐ橋へと走り出す。

セシリアは一夏の姿が見えなくなるまで窓から手を振っていた。

やがて車は橋の上に着き、雲の隙間から僅かに差し込む太陽の光を海の波がキラキラと反射させていた。

 

「─────参りましょう、イギリスへ!」

 

 

 

 

 

 

数時間後。

オルコット家の自家用ジェット機に搭乗したセシリアとマリアは、高度5万フィート上空を飛んでいた。

セシリアは紅茶を飲みながら、英字新聞を自身のタブレットで読んでいた。

一方、生まれて初めて見る雲海の光景に、マリアは目を奪われていた。

 

「学園の外に出るのは初めてですの?」

 

セシリアがマリアに尋ねる。

 

「いや、入学前に千冬の家で世話になっていた」

 

「そうですの………えっ⁉︎」

 

セシリアは驚嘆し、思わず飲んでいた紅茶が喉につまり、咳き込む。

 

「そ、そそそそそれは、い、一夏さんと一緒に過ごしたということですのー⁉︎」

 

真っ赤に顔を染め、マリアに詰め寄るセシリア。

そういえば前に鈴と同じやりとりをしたな、とマリアは心の中で思い、少しセシリアを揶揄ってやることにした。

 

「ああ。あいつはなかなか良い男だぞ。それに……あいつの()()はすごく美味しかった」

 

マリアはうっとりとした表情を作り、わざと舌をなめずる仕草をした。

 

「な、な、な、何がですの⁉︎」

 

その言葉にセシリアは益々顔を赤くし、マリアに詰め寄る。

 

「あの家で過ごさせてもらったときは、()()一夏に世話になったな」

 

「ま、毎晩……⁉︎」

 

ワナワナと震えるセシリア。既に半泣きの状態だった。

 

「マ、マリアさんは……い、一夏さんと……そういうご関係なんですの……?」

 

目を潤ませながらマリアを見るセシリア。

少し可哀想になったマリアは、そろそろネタばらしをしようと微笑んだ。

 

「ああ、そうだな。一夏が()()()()()作ってくれて、私は他の家事や掃除を手伝っていた関係だ」

 

「り、料理……?」

 

ぽかんとした顔のセシリア。

マリアは堪えきれず、口を抑えて笑う。

 

「あははは、セシリア、一体何を想像してたんだ?」

 

「そ、その……男女が夜な夜な行うという……」

 

真っ赤な顔でボソボソと呟き、タブレットの電源ボタンを連打するセシリア。カチカチカチカチというタブレットの音が機内に響き、マリアはセシリアの素直さを見て我慢出来ずに爆笑する。

 

「もう!料理なら料理と最初からそうおっしゃってくれればよろしいんですわ!」

 

「そう言ってるじゃないか。()()()()()()って」

 

「そ、そうですけど……もう!マリアさんなんか知りませんわ!」

 

「ふふふ、揶揄って悪かった、セシリア」

 

と謝っても、頰を膨らませそっぽを向いて座り、毛布を被ってしまうセシリア。

こんな素直な子に好かれる一夏も幸せ者だと、マリアは思う。

 

「そう怒らないでくれ。別に私は一夏をそういう目では見ていない」

 

そう言うと、毛布からゆっくりと顔を覗かせるセシリア。

まだ赤い顔をした彼女は、上目遣いのような疑っているような視線でマリアを見る。

 

「……ほんとですの?」

 

「ああ。だから安心してくれ」

 

うーっと唸るセシリア。

そんな可愛らしい姿を見たマリアは、素直に思ったことを言ってみた。

 

「……その可愛らしいセシリアを写真で見たら、一夏もオチるだろうな」

 

「こ、今度は何をおっしゃいますの⁉︎」

 

ガバッと起き上がるセシリア。

それを見てまた笑うマリア。

 

「いや、素直に思ったことを言っただけだよ。写真で撮ろうか?」

 

マリアは、先程自分の元に置き忘れたセシリアのタブレットを持ち、そう答える。タブレットにはカメラ機能も付いているのだ。

セシリアは再びうーっと唸った後に、

 

「か、勝手にしてくださいまし!」

 

と答え、毛布を肩まで被り、窓の外を見る。

マリアは優しく微笑み、セシリアにバレないようにタブレットを構えた。

タブレットのカメラ機能を開き、画面に毛布を被ったセシリアを捉える。

ほんのりと頰を赤く染めたセシリアの姿は本当に愛らしく、太陽の光と綺麗な金髪も相まって、写真映えがとても良かった。

 

 

パシャッ

 

 

シャッター音に驚いたセシリアが、こちらに振り向く。

 

「と、撮るならそう言ってくだされば……」

 

小さい声で拗ねるセシリア。

マリアもセシリアに微笑み、タブレットを返す。

すると、セシリアがマリアの手を掴んだ。

 

「せっかくの機会ですもの。私だけ撮っていただいても仕方がありませんわ。私の隣に寄ってください」

 

セシリアはタブレットのカメラを自撮り機能にして、画面を見る。

画面にはセシリアとマリアがすっぽりと収まった。

セシリアは画面の撮影ボタンをタッチする。

 

「これでおあいこですわね♪」

 

「ふふ、そうだな」

 

その後も、空の上でイギリスへの時間を楽しむ二人。

テーブルに置かれたタブレットには、仲の良い女子二人の笑顔が写っていた。

 

 

 

 

 

 

いつのまにか、寝てしまっていたらしい。

機内は消灯されているため暗く、寝ぼけ眼ではっきりと見えない。

セシリアは薄らと目を開け、首だけを静かに動かし、機内を見渡す。

 

マリアは、窓の外を眺めていた。

 

しかし、窓には太陽光を遮断する電子カーテンの機能が備わっているので、外は全く眩しくない。

電子カーテンのおかげで、まるで夜のように見える空の景色に、マリアの目は釘付けだった。

 

ふと、マリアが小さな声で呟いた。

 

「生きていた間は、こんな景色を見ることになるなんて思わなかった………」

 

()()()()()()──────?

 

一体、どういう意味なのだろう。

 

現に、彼女は今こうして私の目の前にいるというのに。

 

小さい声だったし、寝起きで意識もぼんやりとしているため、もしかしたら聞き間違いかもしれない。

 

それ以降、彼女は口を閉ざしたままだった。

 

セシリアも重い瞼に逆らえず、また眠りの世界へと沈んでいった。

 

 

 

 

 

 

更に数時間後。

 

今度はパッチリと目が覚める。

セシリアは毛布を取り、固まった身体を解す為、伸びをした。

ふと、マリアが目に入る。

いつのまにか寝てしまっていたのだろうか、彼女は窓の外を向いて静かに寝息を立てていた。

マリアが何も被らず寝ていたことに気付いたセシリアは、音を立てないように毛布を掛けてあげる。

 

(あ!良いことを思いつきましたわ♪)

 

セシリアは静かにタブレットを取り、カメラを消音モードにして、マリアと共に撮影する。

今日撮った写真は全部現像して、彼女にも後で渡そう、と微笑むセシリア。

 

セシリアはタブレットを置き、ずれた毛布を直してあげた。

 

 

 

マリアの顔立ちを見て、ふと、思った。

 

 

 

(なんだか、亡くなったお母様を思い出しますわ……)

 

 

 

気のせいだろうか。

亡くなったお母様とマリアは、少し似ている気がする。

強い意志を持つ内面的な部分もそうだが、なんというか、外見の雰囲気も……。

 

セシリアの脳裏に、かつてマリアが自分に言っていた言葉が思い浮かんだ。

 

 

 

『私と君は、()()()()()()()─────』

 

 

 




僕がお風呂でマリアに気持ちを伝えたあの時から、僕とマリアには見えない壁が出来ていた。
僕はなるべく何事もなかったかのように接していたし、マリアも優しく接してくれていた。でも、僕たちの間には変な空気が流れていたんだ。

そしてそのままズルズルと時間が経っていって、一ヶ月という時間が過ぎてしまった。

カレンダーは六月のページに入って、日本の梅雨が始まった。
日本の梅雨はジトジトとしていて、この雨のように僕の気持ちも晴れずにいた。

金曜日の夜。
学園で連休が明日から始まり、多くの皆が帰省する予定を立てていく中、僕は帰る場所もないし、寮で生活すると決めていた。

でも、マリアは何やら荷物を整えていた。
僕が「何か予定があるの?」と聞いてみると、マリアは、

「しばらくセシリアとイギリスへ行ってくる」

と答えた。
僕はそれを聞いて驚いたけど、それよりもその事を今まで隠されていた気がして悲しかった。
だって、急にマリアが明日からいなくなるなんて、寂しいよ。

「……すぐに、帰ってくるよね………?」

たまらず、僕はそう聞いてしまった。
聞いた直後に、マリアを心配させてしまう気がして、自分に罪悪感を感じた。

でも、マリアは優しい声で、「すぐ帰ってくるよ」と言ってくれた。

マリアの優しさは嬉しかったけど、僕は何処かで、マリアが危険な目に遭いそうな気がして怖くなった。

それ以上僕らは会話する事なく、僕は先に寝ることにした。



翌朝。
物音がして、目を覚ます。
僕はマリアのベッドに背を向けていたから分からなかったけれど、スーツケースの音が聞こえたから、もう出るところだったんだと思う。
僕はマリアに「またね」と言わないといけないのが怖くて、寝たふりをしていた。

マリアは僕が起きていたことに気付いてなかったのかな。
マリアは部屋を出る前に、スーツケースを置いて、僕の背中に優しく触れて、

「行ってくる」

って、小さな声で囁いたんだ。

その後、扉が閉まる音がして、僕は一人になった。

なんだか、すごく温かい気持ちになった。



二度寝してしまって、起きたらもうお昼前になっていた。
さっきよりも目覚めが良かったのは、マリアが背中に優しさを分けてくれたからかもしれないって、僕は思った。

窓を開けると、空は相変わらずの雨模様で。

でも、不思議と憂鬱な気持ちは晴れていた。

今頃、マリアとセシリアはあの雲の上にいるのかな。

どんな会話をしているんだろう。

二人で写真、撮ったりしているのかな。

ちょっと羨ましいな。


そんなことを考えながら、僕は着替えることにした。
そして、テーブルに小さな手紙のようなものが置かれてあったことに気付いた。

そこには、『Dear Charlotte』と書かれていた。

ゆっくりと手紙を開けると、そこには、

『帰ったら、二人でゆっくり話そう。すまないが、それまで待ってていてくれ。

───────Maria』

と、書かれていた。

嬉しかった。

僕は手紙を胸に抱いて、温かい気持ちになる。




よし!
せっかくだし、今日は学園内を散歩してみよう。
雨の散歩も、新しい発見があるかもしれないしね♪

僕は着替えを終え、寮から出て、傘を差し、鼻歌を歌いながら散歩した。

どこまで行ってみようかな。

海岸まで行ってみようか。

それとも、森林を探検してみる?

案外、織斑先生とバッタリ会っちゃったりして♪


僕は、雨の降る曇り空を見上げて、二人に気持ちを込める。



マリア、セシリア……気をつけて行ってきてね──────。



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第23話 変化

イギリスについての資料を色々探しましたが、イギリスに詳しい方…もし間違っている箇所があれば、申し訳ありません。
なお、後書きに関しては、物語上あえて自分で考えた設定を書いています。決して史実を忠実に参照したわけではありません。


目が覚める。

飛行機特有の、低い重厚音が耳に入ってくる。

マリアはゆっくりと瞼を開けた。体感で、長い間眠っていたのだなと分かる。

 

「よく眠れまして?」

 

セシリアは既に起きていたらしく、紅茶を嗜んでいた。

セシリアは使いの搭乗員に、マリアにも紅茶を淹れるよう言った。

 

「ああ……紅茶、ありがとう」

 

マリアはテーブルに置かれた紅茶を飲み、身体を温める。

 

「イギリスはちょうど、昼を過ぎたあたりですわね」

 

「そうか……日本ではとっくに夜だな」

 

日本とイギリスでは時差がおよそ9時間。日本の方が日付は早く進む。

 

マリアはゆっくりと伸びをし、身体を解した。

窓に目をやると、真っ暗な電子カーテンの外に、うっすらと地上が見えるのが分かる。

マリアは電子カーテンの明るさを調節し、外が見えるようにした。

 

マリアは、雲の下を覗く。

 

するとそこには、日本とは全く違う自然や建築物が広大に渡っていた。

その光景に、マリアは目を丸くする。

 

「綺麗でしょう?イギリスの街は」

 

セシリアが、こちらを見て微笑む。

 

「ああ……そうだな」

 

時間が経つにつれ、徐々にジェット機は高度を下げていく。

やがて、もう地上はすぐ目の前にまで迫り、セシリアとマリアは降りる準備を始める。

 

 

そして、ジェット機は滑走路に着陸。

扉が開き、外に出たセシリアはこちらを振り返り、笑顔で言った。

 

 

「ようこそ、イギリス・ロンドンへ─────」

 

 

 

 

 

 

London Heathrow Airport(ロンドン・ヒースロー空港).

イギリスの玄関口と呼ばれるこの国際線空港には、ターミナルが5つもあることから分かるように、世界的に見ても利用者の数はかなり多い。

セシリアとマリアはゲートを抜け、空港の出入口へと向かう。

するとそこには、オルコット家専用の黒い自家用車があり、その前には一人の女性が立っていた。セシリアはその女性を見つけるやいなや、すぐに駆け寄っていく。

 

「チェルシー!」

 

「あらあら、お嬢様。お元気なようでなによりです」

 

チェルシーと呼ばれたメイド服姿のその女性は、抱きしめてきたセシリアを温かい笑顔で迎える。

セシリアはチェルシーから腕を離し、マリアへと紹介する。

 

「マリアさん、こちらはチェルシー。私の専属のメイドですわ」

 

「初めまして、マリア様。チェルシー・ブランケットと申します。お嬢様からお話は伺っています」

 

「ああ、よろしくチェルシー。それと、私には『様』は付けないでくれないか……」

 

チェルシーはマリアの表情を見て、事情は分からないが何かを察した。

 

「申し訳ありません。以後、違う呼びお名前でお呼びいたします」

 

「すまない」

 

「さて、お二人ともお疲れでしょう。お荷物、お預かりいたしますね」

 

チェルシーはそう言うと、セシリアとマリアのスーツケースをトランクに入れ、二人のために車の扉を開く。

二人は中に入り、やがてチェルシーが運転を始めた。

 

「ところでお嬢様、例の織斑様とは進展しましたか?」

 

「い、いきなり何を言い出すの⁉︎」

 

セシリアは途端に顔を赤くする。

マリアもそれを聞いて、笑いを見せた。

 

「マリアさん、お嬢様と織斑様は上手く進んでいらっしゃいますか?」

 

「ああ、帰国したら二人で出掛けるらしい」

 

「まぁお嬢様!デートでございますね!」

 

「ち、ちょっとマリアさん⁉︎もう……恥ずかしいですわ……」

 

セシリアは恥ずかしさのあまり、手で顔を隠すようにする。

 

「実は心配だったのです。お嬢様はシェイクスピアをよく嗜みになるので」

 

「悲劇で終わってしまうな」

 

「好きなんだから仕方ありませんわ!」

 

シェイクスピアの名を、マリアは随分と久しぶりに聞いた。その作品の内容は、200年以上経った今でも覚えている。

 

マリアは、ふと思った。

 

『イギリスへ行けば、何か思い出せるかもしれない──────』

 

セシリアがかつて自分に言ってくれた言葉。

そして、自分でもそうあってほしいと心の何処かで願っている。

自分がかつて過ごしていたヤーナムは、本当にイギリスにあったのか。

もしかしたら、その名残が少なからず残っていないだろうか。

学園の図書館の全ての蔵書を読んでも見つからなかったことが、此処にはあるのではないだろうか。

マリアは、思い切って二人に尋ねる。

 

「セシリアの家は、どの辺りだ?」

 

「ノーフォークという小さな街ですわ。また少しお時間がかかってしまいますが」

 

「そうか……その、一つ頼みがあるのだが」

 

「?」

 

「その……街を少し見て回りたい」

 

マリアがそう言うと、セシリアの顔がパッと明るくなる。

実はセシリアは、マリアを無理矢理連れてきてしまったのではないかと内心不安でいた。

マリアが何か記憶を取り戻す手助けになればいいかと思いイギリスへ連れてきたが、もしかしたら違う過ごし方もしたかったのかもしれないとも思っていた。

しかし、マリアの言葉から察するに、彼女も少なからずイギリスに興味を持ってくれているということだろう。

 

「ええ、是非!チェルシー、少し観光をしましょう!」

 

「かしこまりました。では、ロンドンの中心街へ─────」

 

一向は、首都・ロンドンの中心街へと向かう。

 

 

 

 

 

 

「お待たせしました。どうぞ、お降りください」

 

チェルシーは二人のために扉を開く。

車から降りたマリアは、目の前に見えた光景に衝撃を受けた。

それは、まさしく自分が()()()()で囚われていた場所だったからだ。

 

「これは……」

 

マリアは呆然とする。

横にセシリアとチェルシーが立ち、彼女たちも同じ所に目を向ける。

 

「『Clock Tower(時計塔)』……」

 

「あら、ご存知ですの?今どきその正式名を言う方は、あまりいらっしゃらないですわ」

 

「そう呼ばれてないのか?」

 

「一般的には『Big Ben』と呼ばれています。あの時計塔には5つの鐘があり、元来『Big Ben』はその内の一番大きな鐘の愛称だったのです」

 

「よく知ってましたね、チェルシー」

 

「幼い頃、お嬢様が教えてくださったことですよ」

 

「あら、そうでしたかしら?」

 

マリアは、街の中に立った時計塔を見て、感じる。

 

やはりこの国には、記憶の手掛かりを掴める何かがある─────。

 

あの時計塔の中で、私は殺された。()()()()をした狩人に……。

 

しかし、街並みは自分の知っているものと随分変わってしまっている。

時代が変われば街も変わるのは当然かもしれないが、ヤーナムは少なくとも巨大な建造物がたくさんあった。

そして時計塔も、自分の記憶にあるものとは少し外見が違う。

街全体が、その姿を変えている。

これは、()()()()()()()()()()()ということか……?

 

マリアは、何もかも不可解なことに対し、静かに唇を噛み締めた。

 

「中をご覧になりますか?」

 

時計塔を熱心に見つめるマリアに気付いたのか、セシリアが尋ねる。

マリアは少し考えた後、複雑な表情をして、

 

「……いや、いい………他へ行こう」

 

と答え、車に戻っていく。

セシリアはどうしたのだろうと首を傾げ、自分も車に戻った。

 

 

 

 

 

 

その後、様々な観光場所へと連れて行ってもらえたが、記憶に繋がるような光景には出会えず、一向はノーフォークの地へ。

 

ノーフォークに入り、小さな街を抜け、今は深い森林(樹海とも言うべきか)の中で、人が歩く姿は見えない。

マリアがセシリアに聞くと、実は既に領地内へと入っているのだとか。

 

「一体どこからどこまでがオルコット家の領地なんだ?」

 

マリアがセシリアに尋ねると、セシリアは顎に手を添え、考える。

 

「小さい頃、お母様が教えて下さった表現ですと……」

 

「ああ」

 

「窓から見える景色全部、らしいですわ」

 

「………」

 

ケロッと言うセシリア。

15歳の少女がこんな衝撃な教育を受けていたとは、驚きである。

 

「……なら一夏もいずれはここの領主となるわけか」

 

「だ、だから何をおっしゃいますの⁉︎」

 

やがて一向は森を抜け、オルコット家の屋敷へと着いた。

 

 

 




Big Ben(ビッグ・ベン)

正式名称、クロック・タワー。
英国を代表する時計塔で、国会議事堂の北側の端にそびえ立つ。
すぐそばにはテムズ河が流れ、船も多く行き来する。


なお、この時計塔は、大昔に大火災の影響で一度焼失し、今日の時計塔の姿は再建されたものである。
その大火災の原因は、歴史的にも未だに解明されておらず、謎に包まれている。


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第24話 絆

Bloodborneが発売されて2周年が経ちました。
ISも新巻が近々発売とのこと。
めでたい。


夜。

オルコット家の屋敷では夕食の時間となっていた。

セシリアは実家での久々の食事を楽しんでおり、一方マリアは見たこともないような豪勢な料理に目を丸くしていた。

チェルシーも話の輪に入り、楽しい時間が過ぎていった。

 

 

就寝前、マリアは与えられた個室の中で寝る準備を済ませ、開けた窓から何となく外を眺めていた。

ロンドンの街並みを飾っていた喧騒は無く、只々(ただただ)静かで、風が吹けば、時折森から葉の擦れる音が聞こえてくる。

また日本の夜景とは違い、周囲には街灯も少ないため、星空が美しい。そんな景色を、マリアは静かに眺めていた。

 

 

今日、あの場所で目の当たりにした時計塔の姿が、頭から離れない。

血のように赤い髪と目をした、月の香りの狩人。

あの場所で私を殺した彼女は、ずっと()()()()()()()()に目を向けていた。それは狩人としての正義感を漂わせるようでいて、しかし好奇の正体を知りたがる目だった。

 

そもそも、何故私はあの時計塔に囚われていたのだろう。

 

そうだ。確か私はあそこで、時計塔の向こう側へと繋がる道を阻んでいた。

 

それは、一体何の為に?

 

月の香りの狩人が知りたかったのは、時計塔の向こう側に隠された()()……?

 

私は、何を隠していたのだろうか─────。

 

思い出そうとしても、断片的な記憶はまるで水のように手から零れ落ちていくようで……。

 

 

コンコンコン

 

 

扉をノックする音がした。

 

「誰だ?」

 

「チェルシーでございます、マリアさん。入ってもよろしいですか?」

 

「……ああ」

 

マリアは自分の記憶についての思慮を止め、チェルシーを招き入れる。

チェルシーは扉をゆっくりと開け、中へと入る。そして、窓辺に座るマリアの元へと来た。

彼女の手には、数枚の写真があった。

 

「頼まれていたお嬢様とマリアさんの写真を届けに参りました」

 

朗らかな顔で、チェルシーはマリアに写真を差し出す。

そこには、機内で撮ったマリアとセシリアの姿があった。

屋敷に着いた時、セシリアがチェルシーに写真の現像を頼んでいたのを見たマリアは、セシリアが去った後に、セシリアが拗ねた時の写真を余分に現像してもらえるようチェルシーに頼んだのだ。

 

「ふふふ、可愛いですね、この写真のお嬢様は」

 

「ああ、私もそう思う」

 

「ですが、何故余分に現像を頼まれたのでしょうか?」

 

「一夏に渡そうと思ってな。彼女には内緒だぞ」

 

「なるほど。織斑様もさぞかしお喜びになるかと思います」

 

納得した顔で優しく笑うチェルシー。

テーブルに置かれた写真を眺めていると、マリアはある写真に気付いた。

 

「こんな写真も撮られていたのか」

 

「ふふふ、撮っている時のお嬢様の楽しそうな姿が目に浮かびます」

 

それはセシリアがマリアの寝顔と共に撮った写真だった。

寝ている間に撮られていたことを知らなかったマリアは、写真を見て笑った。

すると、写真を見ていたチェルシーが突然マリアに頭を下げた。

 

「マリアさん……お嬢様と仲良くしていただき、本当にありがとうございます」

 

何か礼を言われることだろうかと、マリアは驚いた。

 

「何も感謝されることじゃない。どうしたんだ?」

 

マリアは取り敢えず椅子に座るようチェルシーに促す。

チェルシーは礼をして、マリアの前にゆっくりと座った。深い呼吸をした後、彼女は話し始める。

 

「お嬢様は……数年前に、ご両親を亡くされました」

 

「……ああ」

 

「私も、ご主人様たちのことをよく覚えています。お嬢様だけでなく、私たち使用人に対しても、本当に親切に面倒を見てくださった方々でした」

 

「君を見てると、それがよく伝わってくるよ。主人が立派な人間だと、使用人も立派になるものだ」

 

「お褒めに預かり光栄です。……お嬢様はお母様を尊敬なさっていました。ただ、お父様とは仲がよろしくありませんでした。女尊男卑となってしまったこの世界で、お母様に常に頭を下げていたお父様に対し、尊敬の念を持っていなかったのでしょう」

 

「そうか……」

 

「そんな中、悲劇は起きてしまいました。イギリスを大きく騒がせた、越境鉄道の横転事故です」

 

チェルシーの顔に、陰りが差す。

 

「不幸にも、お嬢様のご両親とも、その列車に乗り合わせていました。死傷者がおよそ100人を超えた中、お父様とお母様は見つからず行方不明とされ、調査は敢え無く断念されました。ただ、警察の関係者によると、あの事故で生き残ることはほぼ不可能だと………」

 

「………」

 

「遺体も確認されないまま、葬儀は行われました。私はずっとお嬢様の側に寄り添っていましたが、お嬢様は誰にも涙を見せませんでした。幼馴染として育ってきた私にもです」

 

チェルシーの手に、力が込められる。

 

「……そして、お嬢様はご両親からの遺産を守るために、無我夢中で勉学に励みました。更にお嬢様にIS適性があることが分かり、お嬢様は血の滲むような努力を積み重ねていました。私もそれを影ながら応援していました、が─────」

 

チェルシーは悔しそうな顔を見せ、話を続ける。

 

「お嬢様の周囲に対する目つきは、深刻な程に冷たいものとなってしまったのです。女性に媚びる男性、そして女尊男卑の世界に胡座をかく女性………今の世の中、決して全ての人がそうではないと、マリアさんもご承知かと存じます。ただ、オルコット家の遺産を狙おうとする人々の存在は、そういった偏見をますますお嬢様の心に根付かせてしまうものとなってしまいました」

 

マリアは、初めてセシリアに会った時を思い出していた。

あの教室で、彼女は一夏に鋭い、軽蔑の眼差しを向けていた。そしてその碧眼から放たれる冷たい眼差しは、突然入学することになったマリア自身にも……。

 

「ご主人様たちが他界されたことで、お嬢様は周囲に冷たい目を向けてしまうようになってしまったのだと、私は気に病んでいました。ですが、違いました。あの時、私がもっとしっかりとお嬢様を支えていれば、お嬢様の心は冷たくならなかったのではないかと、今でも後悔しています……」

 

「────私が言えた立場ではないが……、君は精一杯セシリアを支えたと思う」

 

そう言うと、彼女は悲しそうな笑みを少しだけ見せた。

 

「お気遣いありがとうございます。……とうとうお嬢様は誰にも心を開かないまま、IS学園に行くために日本へと出国されました。空港でのお嬢様の悲しい背中は、今でも忘れられません」

 

「………辛かったな」

 

「─────ですが、お嬢様は貴女に出会うことが出来ました。そして、織斑様にも……」

 

チェルシーの表情が、すっと柔らかくなった。それに合わせて、月の光も明るくなった気がした。

 

「画面越しに話すお嬢様の声は、明るく優しいものへと変わっていました。そして、私に学園での出来事をたくさん話してくださいました。『強い意志を持った女性に出会った。魅力的な男性に出会った』と……」

 

「そうか……」

 

「マリアさんたちがお嬢様と真剣に向かい合っていただいたからこそ、今のお嬢様が在ると私は思います。本当に……ありがとうございます」

 

チェルシーは深々と頭を下げた。

マリアは暫く沈黙した後、口を開く。

 

「チェルシー」

 

チェルシーが顔を上げ、マリアを見る。

 

「セシリアの心が冷たくなってしまったのは、君のせいではないよ」

 

「ですが……」

 

「それは……きっと彼女の心が弱かったせいだ。彼女自身もそれは分かっていたと思う。君が自分を責めるのは違うんじゃないか?」

 

チェルシーは俯き、写真の上を滑るように視線を彷徨わせる。やはり自分を責めてしまっているようだ。

マリアは微笑を顔に浮かべ、チェルシーに優しく声をかける。

 

「ここにくるまで、セシリアは君のことをよく私に話してくれたよ」

 

「私の……ことですか……」

 

チェルシーは目を丸くした。

 

 

─────────

───────

─────

 

 

『私には、ずっと目標にしている人がいます』

 

『どんな人だ?』

 

『チェルシーという、私のメイドですわ。幼い頃から、ずっと仲良くしてくれている方です。彼女は、いつも私の側にいてくれました』

 

『良い人物に恵まれたな』

 

『ええ……ですが、私は彼女に謝らなければなりません』

 

『どうして?』

 

『─────両親を失った時、チェルシーは私の側で、ずっと支えてくれていました。ですが私は遺産を守ることに必死で、誰かに心を許すことをひどく恐れていたのです。少しでも隙を見せれば、つけ込まれるのではないかと……』

 

『……それで彼女にも心を開かなかった?』

 

『はい……。私の心を支えようとしてくださった彼女を避けていたことを、とても後悔しています……』

 

『それなら、彼女と会ったときに、しっかりと話をしないといけないな。応援するよ』

 

『ありがとうございます、マリアさん……』

 

 

─────

───────

─────────

 

 

「お嬢様が……そのようなことを……」

 

マリアの話を聞いていたチェルシーは、目に涙を浮かべていた。しかしそれは悲しい感情ではなく、嬉しさからくる涙であることをマリアも分かっていた。

 

「二人とも立派じゃないか。互いに向き合おうとしているのだから……。後は面と向かって話すことだけだろう?」

 

マリアは笑ってチェルシーを励ます。

チェルシーも笑って頷き、席を立った。

 

「申し訳ございません、マリアさん。これからしなければならない事ができましたので、今日は失礼します」

 

涙を拭ったチェルシーはマリアに礼をして、部屋を出ようとする。

 

「ああ、行っておいで」

 

マリアも扉を開け、セシリアの部屋へ向かう彼女を見送った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

扉を閉め、ベッドへと入る。

 

 

机上に散りばめられた、自分とセシリアの写真。

 

 

私は目を瞑り、眠りの世界へと入っていく。

 

 

毛布を被る直前、ほんの少しだけ、視界の端に写真が映った。

 

 

写真の中の私の顔が白くぼやけていたのは、月明かりのせいだろうか。



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第25話 研究所

いつの間にかお気に入り200件……!
本当にありがとうございます。

今回は、第8話で少しだけ登場したオリジナルの人物が出てきます。


翌日。

マリアとセシリアは屋敷の前で立っていた。チェルシーが車を持ってくるのを待っているところだった。

空はうっすらと雲がかかっているが、太陽の日差しは辺りの広い庭にかかり、花々が美しくその姿を咲かせていた。

何も考えず辺りの花々に目を向けていたマリアに、セシリアが声をかけた。

 

「マリアさん、その……昨晩はありがとうございます」

 

セシリアは微笑み、マリアに礼を言った。

 

「彼女とはしっかり話せたのか?」

 

「ええ、おかげさまで。マリアさんのおかげで、胸の(つっか)えが下りましたわ」

 

「私は話を聞いただけだよ。頑張ったのは君たちだ。それより……」

 

そう言い、マリアは優しい顔から真剣な表情に変わる。

 

「今日は()()()向かうのだろう?」

 

マリアの眼差しは、当てもない遠くの方へと向けられていた。

セシリアも、何となくその先を見つめる。

 

「ええ……」

 

車の音が聞こえてきた。

行く準備は出来たらしい。

 

「何か、解るといいな─────」

 

心から、そう願う。

そのためにここへ来たのだから。

 

太陽の日差しに明るさが増し、二人の耳に付けられた緋と蒼のイヤーカフスが静かに輝いていた。

 

 

 

 

 

 

出発して一時間程経った頃。

マリアとセシリアは車を降り、目の前の真っ白な建物を見る。

小さな平原にひっそりと佇んでおり、規模もさほど大きくはない。

 

そして、入り口の横には『British Research Institute of Infinite Stratos(イギリスIS研究機関)』と刻まれていた。

 

この名称を見るのは、恐らく入学以来だとマリアは感じる。

自分の機体を造り上げた研究所。

そしてドイツと同様、ISに関する情報が得られ難い機関でもある。

 

「実は私がイギリスの代表候補生になったことをきっかけに、オルコット家でこの機関を所有する権利を得ることにしましたの」

 

セシリアが、少し誇らしげに言った。

しかしマリアはそれを聞いて、疑問に思う。

 

「ここは政府が所有するものではないのか?」

 

「政府が求めるのはあくまで研究所で造られるISに関する情報と技術提供。その条件さえ満たしてさえいれば、研究所の管理権を持つことが許されます」

 

「しかし、何でまた?」

 

二人は、入口の前に来た。

大きな鉄の扉の横には、施錠を解除してもらうためのブザーが設置されている。

 

「私は学園を卒業した後も、オルコット家としてISに関わっていくつもりです。ですから研究所を所有すれば、蒼い雫(ブルー・ティアーズ)の整備に更に密接に力を入れることが出来ると思ったのですわ」

 

そう言い、セシリアはブザーを押した。

すぐ上に監視カメラがあり、こちらに透明な顔を向けている。直に中にいる誰かが迎えに来てくれるだろう。

 

 

暫くして、扉が開いた。

そして、一人の女性が中から出てきた。

ショートカットの茶髪で切れ長の目をしており、研究用であろう白衣を着ている。

セシリアよりも少し背が高くスラッとして、顔立ちも美形に入るだろう。

そんな彼女はセシリアを見るや否や、

 

「セシリア〜〜!久しぶり〜〜!」

 

「ち、ちょっと⁉︎」

 

いきなり抱きついてしまった。

セシリアは横にマリアがいるので恥ずかしながらも、これがいつもの事なのか、半ば諦めているような表情だ。

茶髪の彼女はセシリアを抱きしめながらマリアの方を向き、

 

「初めまして、マリア。あ、この挨拶は二回目になるのかしら」

 

と微笑んだ。

 

「すまないが、君は……」

 

マリアはそう言いながら、どこか聞き覚えのある声だなと感じていた。

茶髪の彼女がそのまま話を続けようとすると、

 

「ちょっとエマ!そろそろ離してくださいませんこと⁉︎」

 

「あら、いいじゃない♪というか、あなた前よりおっぱい大きくなってない?」

 

「ひゃあ⁉︎ちょ、何で急に揉み出すんですの!」

 

「どうやったらこんなになっちゃうのかしらねー。Bしかない私への当てつけかしら」

 

「その余計なことを言う口を閉じないと怒りますわよ……!」

 

「やだ怖い♪」

 

「エマ……エマと言ったか?」

 

セシリアの発した「エマ」という名前を聞いて、マリアは思い出した。

「エマ」という彼女は、あの日……初めて緋い雫(レッド・ティアーズ)に出会った日に、側にあったテープに録音されていた声の主のことだったのだ。

 

エマはセシリアを離し、マリアに改めて自己紹介をする。

 

「ようこそ、マリア。私はエマよ。あのテープはしっかり聞いてくれたかしら?」

 

明るく微笑む彼女に、マリアも笑みを見せた。

 

「ああ、ずっと君に直接礼を言いたかった。私にISを造ってくれてありがとう」

 

マリアは深く礼をした。

 

「いいのよ、私も造ってて楽しかったから♪さ、二人とも。中へ入って」

 

エマは二人を中へと招き、一向は建物の奥へと足を踏み入れていった。

 

 

 

 

 

 

「なるほど……結構な損傷ね、これは」

 

「修復できそうか?」

 

研究所の中は仕切りをほとんど設けておらず、ワンフロア全てが見渡せるようになっている。エマと同じように、白衣を着た研究員たちがそれぞれのエリアで武器や装甲の製造、試験に打ち込んでいる。

マリアたちがいるのはその一角のエリアで、目の前には緋い雫(レッド・ティアーズ)蒼い雫(ブルー・ティアーズ)が整備台に並んで設置されていた。白く太い機械のリングが、二つの機体を何度も往復している。

エマは椅子に座ってディスプレイを見ながら、レッド・ティアーズの損傷具合を確かめていた。

 

「まぁ、このくらいなら少し時間をかければ直せるわ。足首部分に装備してある刃が損傷してるだけで、通信システムや展開システムには異常が無いから」

 

「すまない」

 

「いいのよ、そのための私たちなんだから。セシリアの機体も、せっかくだし整備しとくわね」

 

「ありがとうございます……」

 

セシリアは礼を言いながらも、その目はブルー・ティアーズに注がれたままだ。その表情は真剣なもので、明るいものとは言えない。

 

「どうしたの?浮かない顔して」

 

キーボードを素早く打ちながら、エマがセシリアに声をかける。

 

「その……エマ……」

 

セシリアがエマの方を見て、複雑そうな顔をした。

 

 

 

「ブルー・ティアーズと『血』は、何か隠された関係があるのですか……?」

 

 

 

ピタリと、エマは指を止めた。

 

そして、難しい顔をし、ゆっくりと彼女へと向き直る。

 

 

「─────何故、そう思うの?」

 

 

エマはセシリアの目をじっと見る。セシリアは瞳の奥を突かれるような気分になった。

 

 

「マリアさんと試合をした時、ブルー・ティアーズに異変が起きました。マリアさんの血を糧に、機体が修復を……」

 

「マリア、あなたもそれを見たの?」

 

「……ああ。その時だけじゃない。彼女がドイツの代表候補生と争った時も、同じことが起こりかけた」

 

「………そう」

 

エマは視線を離し、しばらくの間考え込む。

その後、何かを決意したように立ち上がり、セシリアを見た。

 

「セシリア、あなたに話さなければならないわね。ついてきて」

 

エマは二人に背中を向け、研究室の外へと歩き出す。

 

「マリア。あなたにも関係のあることよ」

 

真剣な声の彼女に、二人は口を開くことはなく、ただ彼女の背中についていった。

 

 

 

 

 

 

張り詰めた靴音が、暗闇の廊下に響いては、消える。天井に規則的に設置された電灯も、まるで何かから隠れるように、息を殺してその身を灯す。

仄暗い闇の中で暫く歩を進めた後、エマは足を止めた。目の前は行き止まりだった。

 

「この先よ」

 

エマはそう言い、壁の端に右手を(かざ)す。

すると手を翳した壁の部分が小さく光を放ち、エマの手にいくつものレーザーを発射する。レーザーはエマの手の平を何重にも駆け巡る。暫くすると光は消え、壁から鍵を解除したような機械音が流れた。

壁は細工箱のようにあらゆる方向に分解し、やがて奥には地下へと続く階段が姿を見せた。

セシリアとマリアは、巧妙に隠された空間に目を丸くする。

 

「な……こ、こんな場所、私は知りませんわ!」

 

管理主のセシリアでさえも、この場所を知らなかったと言う。

 

「まだ出来上がってそれほど時間も経ってないのよ。ここには私とごく一部の研究員だけが入ることが出来る」

 

着いてきて、とエマは言い、地下へと続く階段を下る。

二人もその背中に着いていき、暗闇の階段を下る。

 

 

 

階段を下り終えると、再び厳重なセキュリティを備えた壁に辿り着いた。

エマの権限によりセキュリティが解除され、壁が開く。

 

 

「これは……!」

 

 

セシリアとマリアは、目の前の光景に驚愕した。

その空間には、実験用として規則的に設置された数え切れない程のISのアームやレッグの装甲部分。

 

 

そして、それらに繋がっている管をたどって見ると………

 

 

 

 

 

─────それらは、赤い液体の入った、丸く薄いガラス製の容器に繋がれていた。

 

 

 

紛れもなく、それは()()だった。

 

 

 

 

 

「一体、ここは何だ……⁉︎」

 

地下の空間の中に所狭しと並べられた研究台と血液の容器は、まるで何処かの診療所のような光景を彷彿とさせる。

マリアとセシリアは、目の前にあった血液の入った容器を見た。

容器には「B/RH+214」と記載されている。他の容器にも目を配らせてみると、「A」「Null」「Kidd」「Lewis」などの文字も見受けられる。そしてまたそれぞれの文字にも異なる番号が配られていた。

 

「血液の識別記号よ。血液にも色々性格があってね……他にも見せなければならない物があるわ」

 

そう言って奥へと案内するエマ。

肩にぶつかりそうな血液の管を避けながらも、未だ謎に包まれた血の森を抜けていく。

 

 

 

暫く歩き、血の森の先に出口が見えた。

 

三人がやっと開けた空間に出ると、目の前にはマリアたちを更に驚かせる事実が隠されていた。

 

 

 

「見覚えがあるでしょう?」

 

 

 

エマが告げる。

 

 

目の前にあったのは、記憶に新しい光景。

 

 

初めてISに触れたときに起こった、()()()()()()()()()()だった──────。

 

 

 

 

 

 

驚くほど形が禍々しく歪んだIS。

半分以上が剥がれ落ちた腕や肩の装甲。

所々に見られる機体の赤黒い変色。

不規則に棘のように鋭くなった脚部分。

内部の機器回路などが殆ど見えてしまっているカスタム・ウィング。

もはや飛ぶことすら不可能となってしまった哀れなその姿を、マリアはしっかりと覚えていた。

何故ならマリアもまた、以前にこのような哀れなISを生み出してしまった当人であるからだ。

 

「この打鉄は、セシリアが数年前、初めてISに触れたときの物よ。これが、ISと『血』に隠された関係の全て……」

 

「ど、どういうことですの……?」

 

得体の知れない事実に、驚きと恐ろしい感情を隠せないセシリア。それはマリアも同じようで、背中に冷や汗の流れる嫌な感触がする。

 

「セシリア、あなたには伝えてなかったけど、マリア自身もこの現象を起こしてしまったのよ」

 

歪んだ打鉄を見て、エマは言う。

セシリアは驚き、マリアの方を見た。

 

「マリアさん、本当なんですの……?」

 

「……ああ、そうだ。学園で打鉄を装備した直後、機体が大きく歪んでしまった。ダメージレベルはEと診断された」

 

「あの現象は、私だけだと思っていましたわ………」

 

「IS学園の織斑先生からマリアのことで連絡が来てね。セシリアのデータだけでは分からないことだらけだったから、マリアの専用機もウチで造らせてもらえないかって依頼したのよ」

 

エマは一息ついて、再び話し始める。

 

「私たち自身、未だに分からないことが多い。いえ、多すぎるのよ。血の研究を始めるようになったのは、ある出来事がきっかけよ」

 

エマは、打鉄の横にいくつかある血液の容器を手に取る。

 

「セシリア、あなたがこの打鉄を装備した当時、身体検査を行なったわよね?」

 

「ええ……」

 

「血液採取をしたことは覚えているかしら?」

 

「その時から血の研究を始めていたのですか⁉︎」

 

「いえ、そうではないわ。血液採取もあくまで検査の一環のつもりだった。他にもDNA検査などもして研究に励んだけど、原因を見つけることはできなかったの」

 

エマは研究台の上に置いてある、打鉄の一部の装甲を手に取る。それは歪んだISの物ではなく、新品の打鉄の装甲だった。

 

「けれどある日、決定的な出来事が起きた。いつものように研究をしていた時、私は側にあった試験管に腕をぶつけてしまったの。その試験管にはあなたの血液が入っていた」

 

「………」

 

「試験管から零れた血液は、すぐ横にあった打鉄の装甲にかかってしまった。すると、みるみる内に赤黒く変色して、装甲は歪み、剥がれ、損傷した。こんな風にね……─────」

 

エマは手に持っていた容器からスポイトで血液を吸い込み、新品の打鉄の装甲に数滴垂らす。

セシリアとマリアは目を見開いた。

血液に触れた装甲は驚くべき速さで変色し、歪んだ形になっていったのだ。

 

「恐らく『血』が関係していると踏んだ私は、地下に新たに研究室を設けた。今まで多くの種類の血を集めてきたけど、今のところ打鉄が損傷してしまうのはセシリア……そして、マリアの血だけ。私や他の人間の血では何も変わらなかった………」

 

「何故それを今まで隠していた?」

 

マリアがエマに問い詰める。セシリアも聞きたかったらしく、エマを見る。

 

「ごめんなさい……あなたたちにはいずれ話すつもりだったの。ただ、今の時代、通信を盗聴されるのは決して珍しいことではないわ。私たち自身、通信技術に関しても他国に負けないくらいの性能を開発してるけれど、念の為を考えて、ね………」

 

「……事情は分かりました。ですが、政府への対応はどう考えているんですの?」

 

隠されていたことに少し怒りの感情を声に含めるが、納得せざるを得ないといった顔をするセシリア。

 

「確かオルコット家には、政府へISに関する情報提供をしなければならない、という話だったな」

 

「現時点では黙秘を貫いているわ。血の研究に関しても、知っているのは私を含めてごく一部の数人の研究員たち。そしてこれからも、この空間は秘密にしておくつもりよ」

 

「理由は?」

 

()()を避けるためよ。『血』が何らかの事実に関係しているとはいえ、不確定な要素が多すぎる。研究自体はまだまだ発展途上の状態だし、情報を公開したところで悪用されたりしたらたまったもんじゃない」

 

「………」

 

「政府にはあくまで従来と同様、主にブルー・ティアーズや他のISの研究についての情報を開示しているわ。私たちがさっきまで居た、一階の研究室で行われている研究についての情報よ」

 

「地下の研究は秘匿し、表向きはあくまで通常機についての情報提供、か……」

 

複雑な顔をするマリア。

今も昔も、どうして人間は『血』に惹かれる運命にあるのだろうか。

背後にある夥しい量の血の森は、何処までもマリアに擦り寄ってくるように自己主張をする。心臓の音が、やけに胸の内を叩く。

 

「勝手なことをしてごめんなさい。私はセシリアの辛い過去を見てきたから、ISの開発は全力でサポートしたかったの。理由も分からず装備するだけでISが損傷してしまったあなたを見た時、私は本当に悔しかった。何とかして、あなたに空を舞ってほしかった……」

 

エマがセシリアに頭を下げる。

セシリアは複雑な心境になりながらも、溜息を吐き、口を開く。

 

「エマ、顔を上げてください」

 

セシリアがエマの肩に手を置いた。

 

「一つ、約束してください」

 

「ええ、何でも言って」

 

「もう今後、私に隠し事はしない、と」

 

セシリアは真っ直ぐな目でエマを見る。

 

「……ええ、分かったわ」

 

エマもしっかりと約束を交わした。

互いに和解が出来たのか、彼女たちの間の空気は、少しだけ柔らかくなった。

 

 

 

 

 

 

だが、彼女たちを他所に、マリアの表情は暗いままだった。

 

マリアは心の中で勘付いていた。

 

どれだけ隠していても、秘密というものはいつか必ず暴かれる。

 

いつの時代でも、人間は秘密を知ることに快感を覚える。

 

それが深いものであればあるほど、人間はそれに惹かれてしまう。

 

 

 

()()()()()()()()()()()()()─────。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

オルコット家の領地である森を、一台の車が駆け抜ける。

マリアたちは研究所を後にし、再びオルコット家の屋敷へと戻っていた。

二人の専用機は研究所で修復してもらっており、後日取りにいくこととなった。

しかし、マリアは落葉だけは離したくないと言ったため、落葉は今マリアの横に置かれている。

 

車の中で、会話が弾むことはなかった。

運転をしているチェルシーも、二人に何があったのか聞いてみたいが、最早車内はそのような空気ではなく、ただ屋敷への道のりを運転するしかなかった。

マリアは研究所でのことを思い出し、考え込んでいた。

窓を流れる木々は、研究所での血の森を彷彿とさせた。

 

「結局……」

 

「……?」

 

セシリアの声に、マリアは振り向く。

 

「何も分からずじまいでしたわね……」

 

恐らく、彼女はブルー・ティアーズが血で修復する理由のことを言っているのだろう。

エマが言うには、現時点では血の研究で出た結果を、ブルー・ティアーズとレッド・ティアーズの機体に実験的に搭載しているそうだ。

セシリアやマリアがISに乗って空を飛ぶことが出来るのは、血の研究によるデータに支えられている部分が大きい。

しかし、セシリアの覚醒はブルー・ティアーズに依るものなのかどうかは依然として不明だった。ブルー・ティアーズ自身に血で修復させる機能を、エマは作っていないからだ。

血が何らかの因果関係を持つとはいえ、結局のところ、具体的なことは何も解決していない。

 

「そうだな……」

 

マリアは再び、窓の外へと目を向ける。

 

視界を流れる木々に自分の思考も任せてしまおうとした、その時──────。

 

 

 

 

 

 

 

「止めてくれっ!!」

 

 

突然のマリアの声に、チェルシーは車を止める。

 

「ど、どうなされましたか?」

 

「マリアさん、どうしたんですの?」

 

チェルシーとセシリアがびっくりした表情をし、マリアを見た。

マリアはそれに答えることなく、無言で窓の外を見ている。

視線の先は森の奥深くのところだったが、そこには何も無い。

だが、マリアは確かに()()()()()()

 

マリアは扉を開け、外に出る。

 

「マリアさん⁉︎何処に行くんですの⁉︎」

 

セシリアもマリアに続き、外に出る。

 

「お二人とも、危険です!雲行きも怪しいですし、この森は一度迷えば出ることは容易ではありません!」

 

チェルシーの言う通り、先程から空は曇天に変わっており、今にも雨が降りそうな空気だった。ただでさえ迷いやすい森の中、雨が降れば更に帰ることは困難になるだろう。

 

マリアは振り向き、二人に告げる。

 

「チェルシーとセシリアは、先に屋敷へ帰ってくれ。大丈夫、直ぐに私も帰る」

 

「いけませんわ!チェルシーの言う通り、屋敷へ帰りましょう。それに、いきなりどうしたんですの⁉︎」

 

「………この奥に、()()()()()。私には分かる」

 

真剣な表情で言うマリア。

突然訳のわからないことを言うマリアだが、あまりに真剣な顔に、セシリアは何も言えなかった。彼女の言う通り、本当に何かがあるのだろうか。

 

「とにかく、私は行ってくる。一時間経っても帰って来なければ、警察でも何でも呼んでもらって構わない」

 

踵を返し、マリアは森の奥へと歩き始める。

セシリアはどうすればよいのか分からなかったが、暫くしてチェルシーに告げる。

 

「チェルシー、私もマリアさんを追います。あまりに心配ですわ」

 

「ですが、お嬢様……」

 

「チェルシーはここで待っていてください。直ぐに帰ってきます。何かあれば直ぐに携帯に繋ぎますわ」

 

「あっ、お嬢様!」

 

セシリアはチェルシーの言葉を待たないまま、マリアの後を追った。

ぽつんと一人残されたチェルシーは、半ば諦めたように溜息を吐く。

暫くの間待っていたが、二人は依然として戻ってこなかったので、エンジンを切り、ラジオをつけて車内で待つことにした。

 

 

 

 

 

 

暗くなりつつある道無き道を、マリアとセシリアは歩き続ける。

 

「一体何があると言うんですの……?」

 

セシリアがマリアの背中に尋ねる。

 

「分からない……だが何か、放ってはいけないような……そんな感触だ」

 

「……?」

 

的を得ないマリアの主張に困りながらも、歩を進める。

歩きながら、ずっと黙っているのも気が重いと感じたセシリアは、独りでに話し始める。

 

「そういえば幼い頃、私もこの森で迷ったことがあります」

 

「そうなのか?」

 

「ええ、それからもう10年近くは経ちますわ。あれ以来此処へ来るのは初めてです」

 

「一人で入ったのか?」

 

「チェルシーと一緒に追いかけっこをしていたんですの。二人で一緒に迷ってしまって……。やっとの思いで出られた時は、二人ともお母様にこっぴどく怒られましたわ」

 

「……そうか」

 

再び、二人の間に沈黙が漂う。

地面に落ちた朽ち木の枝を踏む音が、辺りに響く。

 

 

かれこれ10分以上は歩いただろうか。

マリアはずっと向こうにある木々の間に、何か朽ち果てた階段のようなものを見つける。

 

「何かあるぞ」

 

「えっ?あ、マリアさん!」

 

マリアは少し歩調を早め、その場所へと向かう。セシリアも急いでマリアの後を追った。

やがて、その場所にたどり着いたマリアは大きく目を見開く。

 

「ここは……!」

 

木々の先に見つけた場所は、森の中で不自然に開けた場所。

不自然に存在する石の階段には蔦や草が茂っていた。左の階段は放物線を描くような丸い形、目の前の階段は真っ直ぐに伸びている。

そして、階段の先には、木で作られた一つの家がそこにあった。

この場所を、マリアは記憶の何処かで覚えていた。

 

「何故……これが此処に……」

 

この光景を、マリアは見たことがある。

それどころか、かつて此処で暮らしていたのだから。

 

 

 

 

()が作った、この()()で─────。

 

 

 

 

何かを思い出せそうなマリアは、必死に自分の記憶の中を探る。

 

『彼』とは一体、誰のことだ?

 

何故、私はこの場所を知っている?

 

『工房』とは、一体何のことだ?

 

しかし、思い出そうとしても記憶の糸口は掴めなかった。

 

 

「な、何ですのここは⁉︎」

 

後からたどり着いたセシリアも、目の前の光景を見て驚く。彼女もこの場所のことを知らなかったようだ。

 

「これが……マリアさんの探していたものなのですか?」

 

「……分からない。だが、何処か懐かしい感じがする」

 

マリアはゆっくりと階段を上がり、今にも崩れ落ちそうな家の扉に手をかける。

そして、腐食した木が崩れないように、ゆっくりと扉を開いた。

扉の先には、机や棚、そして床に立つ一本の灯りがあった。

 

「この森にこんな家があったなんて……。でも、ここで今誰かが住んでいるような形跡は見当たりませんわ……。この灯りも随分古いようですし」

 

光を失った灯りを見ながら、セシリアは呟く。

マリアは棚や机の引き出しを探るが、手がかりになるような物は何もなかった。

 

部屋の奥を見ると、小さな祭壇のような物もあった。

どのような目的で作られたのか分からないが、祭壇には、こびり付き、時間が経って変色した血も見える。

 

しかしそれらを見てもマリアは一向に思い出せず、他に手がかりを探すしかなかった。

 

祭壇に付着した古い血を見たセシリアが、小さく呟いた。

 

「その……血の研究について思い出したことがあるのですが………」

 

「何だ?」

 

マリアは部屋を物色しながら、セシリアの話を聞く。

セシリアは暫く黙った後、独りでに話し始めた。

 

「こんな御伽話が、オルコット家では伝えられています」

 

祭壇を指でなぞるセシリア。

 

「イギリスは……とても長い歴史を積み重ねてきた国です」

 

指に、少しばかりの埃が付く。

 

「ですが、()()()()()()()()()()()()()がこの国には存在する─────オルコット家では、そう言い伝えられています」

 

「どんな内容だ?」

 

 

 

 

 

「『()()()()という都市が、嘗てこの国にはあった』」

 

 

 

 

 

マリアの手が、止まった。

 

 

マリアは耳を疑い、セシリアを見る。

 

 

彼女は背を向けたまま、続きを話す。

 

 

「イギリスの歴史において、そのような都市は存在しません。これが、御伽話と言われている所以でもあります。ですが、私たちオルコット家という血族は、その御伽話の中では、嘗てこう呼ばれていました──────」

 

 

心臓の鼓動が、速くなる。

 

 

胸を打つ音が、酷く頭の中で響いた。

 

 

()()()()()()()()()、と──────」

 

 

 

 

 





『廃城カインハースト』

カインハーストは、かつてヤーナムと交わった、古い貴族たちの城である。

彼らは古い血縁の先にあり、閉鎖的であり、また豪奢であったが、あるとき忽然と姿を消し、交わりも途絶えたという。


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第26話 血族

お待たせしました。
最近の状況を活動報告に記載したので、お時間のある方は読んでくださると嬉しいです。


─────()()()()()()()

 

 

それは私が最も()()()()()()血筋である、呪われた一族だった。

それが何故かはよく思い出せない。

今はただ、セシリアの家系を上ればその呪われた血族に辿り着くという事実に狼狽えることしか、私にはできなかった。

しかし、彼女は御伽話だと言った。それは一体どういうことだろうか。

 

「──────御伽話とは、どういうことだ?」

 

私は、汗に似たような唾を飲み込んだ。

 

「確かな証拠があるわけではありません。本来の史実とは異なった歴史ですし、この世界ではあり得ることのない存在も描かれているので……。ですが、この作り話の妙な所は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ということです」

 

セシリアは此方を振り向き、その御伽話を話し始める─────。

 

 

 

 

 

 

─────遥か太古の昔、宇宙には強大な支配者である『ゴース』という神がいました。宇宙を支配するゴース、またそれに従属する神々は皆『上位者』と呼ばれていました。

 

 

 

そして地球ではトゥメルと呼ばれた文明が繁栄していました。トゥメル文明の人間たちにとって、『月』は彼らの存在を支えるものとして考えられていました。後に、宇宙を支配するゴースの存在に気付いたトゥメル人たちは、ゴースを『月を司る指導者』として崇拝します。

 

 

 

徐々に親交を深めていった人間と上位者。ある時、トゥメルの女王・ヤーナムは、ゴースと交わり赤子をもうけます。カインハーストとは、その上位者と交わった穢れた血を引く一族のことである、と言われています。

 

 

 

宇宙の叡智と血の神秘を極めたトゥメル文明。しかし、ゴースによる宇宙の支配は悲惨な形で幕を閉じます。ゴースは、ある魔物に惨殺され、海へと打ち棄てられるのです。

 

 

 

月を司る神殺し────『()()()()』となったそれは、上位者たちに恐れられ、新たなる宇宙の支配者となりました。ゴースを失ったトゥメル文明は赤子の力を制御することが出来ず、やがて文明は崩壊し、赤子も埋没しました。しかしカインハースト一族は、その身体に流れる血の生命力もあり、何とか生き延びることが出来たのです。

 

 

 

……結末が此処までなら、この話は単なる御伽話に終わっていたでしょう。

 

 

 

─────続きがある、ということか。

 

 

 

ええ。

 

 

 

 

 

 

─────時は19世紀初期に移り変わります。此処、イギリス国内でも遥か東に、古都ヤーナムという街がありました。人里離れた山間にある忘れられたこの街は、呪われた街として知られ、奇妙な風土病『()()()』が蔓延っていました。

 

 

 

……()()()………。

 

 

 

ええ。一方で19世紀はイギリスの医療が発展した時代でもあります。『輸血』の技術を生み出したことによって、獣の病を治せるのではないかという試みがありました。何故なら獣となってしまった人間には、()()()()()()()()が流れるからです。

 

 

 

しかし、獣の病に冒される人は後を絶ちませんでした。獣となってしまった人間を葬る手段──────それが、『()()』の存在です。

 

 

 

……狩人に関する文献はあるのか?

 

 

 

─────こんな話があります。マリアさん、Jack the Ripper(切り裂きジャック)をご存知ですか?

 

 

 

………いや。

 

 

 

19世紀末にイギリスで連続発生した猟奇殺人事件の犯人のことですが、オルコット家に伝わる話の中では、ジャックは狩人の最後の生き残りだったそうです。

 

 

 

─────正直そんな話は信じていませんでしたが、ある日、私の中でその考えが揺らぎました。

 

 

 

オルコット家に伝わる御伽話……それが記されている書物、とは言ってもほとんど白紙ですが………その中でJack the Ripper(切り裂きジャック)に関する記述を読んだ時、私は被害者の情報が気になりました。

 

 

 

この世界の史実では、ジャックが殺害した人間は全て売春婦。犯行手段は被害者の身体を切り裂き、性器等の内臓を摘出するという極めて残酷なものでした。被害者の数は8人や20人以上といった説がありますが、確実にジャックによる犯行とされているのは5人です。

 

 

 

私は狩人とジャックの繋がりを調べるために、被害者5人の遺体写真を入手しました。ジャックが彼女たちを殺害した理由が少しでも解るのではないかと思ったからです。

 

 

 

………それで、進展はあったのか?

 

 

 

はい。遺体写真はモノクロームでしたが、ISを生み出すまで技術が発展した今、それをカラー調に再現することは容易でした。そして、カラー調に再現した遺体写真全てに─────灰色の混じった血が写し出されていたのです。

 

 

 

………被害者は全員()だった、ということか……?

 

 

 

もしそうであれば、書物に記されている『ジャックが狩人の最後の生き残り』という記述も頷けます。ですが、私はジャックが狩人としての正義を持っていたとはとても思えません。

 

 

 

………どうして、そう思う?

 

 

 

たとえ獣となってしまっても、彼女たちはれっきとした人間でした。彼女たちの身体を酷く切り裂くことがジャックにとっての葬いなら、あまりにも狂っているとは思いませんか………?

 

 

 

………。

 

 

 

 

 

 

いつの間に降っていたのだろうか、廃家の外から雨音が聞こえていた。雨音は次第に強くなっていき、天井からは時折雫が滴っていた。

セシリアは一息つき、マリアに目を向ける。

 

「カインハースト一族……獣の病……血の医療……。点と点で離れているようで、これらは全て『血』で繋がっています」

 

「………」

 

「皮肉ですわね……蒼い雫(ブルー・ティアーズ)が持つ、血による修復機能。秘密裏に行われていた研究所の地下実験。この御伽話が本当に真実であれば、オルコット家は何処までも呪われた一族なのかもしれません」

 

セシリアは冗談のような、真剣のような、区別のつかない笑みを顔に浮かべた。

セシリアの話を聞いて、マリアは学園での出来事を思い出していた。

クラス代表対抗戦の時に襲撃してきたゴーレム。そして学年別トーナメントで起きたラウラのISの暴走。

どちらの機体にも共通していたのは、灰色の混じった血が流れたということだ。

 

きっと、セシリアの家系に伝わる御伽話というものは、虚構などではない。

間違いなく、真実の歴史だ。

ヤーナムという街がこの世界に存在しないのは、歴史が改竄されたということか……?

しかし、現実にこの目で時計塔やこの廃家を見ている。

解らないのは、ヤーナムという名前が存在しないだけでなく、地形までもが変化してしまっていたことだ。

その点を考慮すれば、自分のいた世界が別世界だと言われても否定は出来ない。

何かがおかしい。

 

 

 

まるで、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()─────。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「マリアさん?」

 

 

セシリアに名を呼ばれ、ハッと顔を上げた。

どれくらい考え込んでいたのだろうか。セシリアが心配そうな表情で此方を見ていた。

 

 

「探し物は見つかりましたか?」

 

 

「………いや」

 

 

マリアは申し訳なさそうな顔で返事をする。

セシリアは優しく微笑み、マリアの横に来た。

 

 

「今日はもう帰りましょう。チェルシーも待ってくれていますわ」

 

 

セシリアが扉の方へと向かう。

 

そうだな、と口を開こうとしたその時。

 

 

後ろで、音がした─────。

 

 

マリアは振り向き、音の正体を確かめる。

が、何も起きていなかった。

 

「どうしました?」

 

セシリアが扉に手をかけていたところで、マリアに尋ねた。

 

「今、音がしなかったか?」

 

「……?いえ、何も聞こえませんでしたが………」

 

 

少し過敏になりすぎていたのか、音が聞こえたのも気のせいかもしれない。

 

そう思い踵を返そうとした、その瞬間──────。

 

 

「………⁉︎」

 

 

廃家の床に立つ灯りが、突然光り始めた。

それと同時に、灯りから深い闇が零れ出し、廃家の中を闇で満たし始める。

 

「な、何ですのこれは⁉︎」

 

「セシリア!私の側に寄るんだ!離れるな!」

 

マリアは持っていた落葉を構え、セシリアを庇うようにして立つ。

気付けば廃家の中は冷たい闇に包まれており、その中でただ一つの灯りが静かに光を放つ。

怯えたセシリアを背中で守りながら、辺りの様子を耳で探った。

 

 

 

 

 

鋭い音がする。

 

 

古く錆び付いた車輪が回転する音だ。

 

 

この音は車椅子だ。

 

 

灯りの向こう側から、その音は聞こえてきた。

 

 

目を凝らせば、かなり長い間使い古されたような車椅子が、闇の中から姿を現してきた。

 

 

誰かが座っている。

 

 

「誰だ!」

 

 

マリアの問いに、闇の中から密かに嗤う声が聞こえた。車椅子に座る人物の声だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「────()()()()()()

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

背筋が、凍りついた。

 

 

その声は女性のもので、マリアはその声を知っていた。

 

 

闇の中から、車椅子の女性が姿を現す。

 

 

顔は鼻の辺りまで服で隠されているが、マリアは直ぐに正体が分かった。

 

 

 

 

 

血のように赤い髪と、その瞳。

 

 

 

狩人の格好をした、()()()()のするその女性は、闇の中で、妖しく、嗤っていた──────。

 

 





Jack the Ripper(切り裂きジャック)

19世紀末にイギリスで発生した連続猟奇殺人事件の犯人の通称。未解決事件であり、犯人について様々な憶測が飛び交っているが、現在も犯人は不明。

被害者は売春婦であり、一般的には男性による犯行と見られているが、被害者の女性たちが警戒をすることなく犯人を迎え入れていた形跡があることから、()()()()()()()という説も浮上している。


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余話 梅雨

遅くなってしまい申し訳ありません。
僕は梅雨、結構好きだったりします。


「今日も雨、かぁ……」

 

マリアとセシリアがイギリスへ旅立ってから三日目の午前十時。

シャルロットは自室で本を読んでいた。

椅子の上で膝を抱えて、ペラペラとページをめくる。

窓から聴こえてくる雨音が、なんとなく心地良い。

空は薄暗い雲で覆われている。

シャルロットはキリのいいページで本を閉じ、窓の外を見た。

 

「マリアとセシリアは元気かな……」

 

日本は梅雨に入って曇り空の日ばかりが続くけど、イギリスはどうなのだろう。日本みたいにジメジメしていないだろうから、過ごしやすい気候かもしれない。

窓の外、学園の敷地には所々紫陽花が咲いていた。みずみずしい花の色が地面に滴るように、紫陽花に雨が降りしきる。花についた雨粒が、泡となっては、消えていく。

 

シャルロットは気分転換に、学園内を歩くことにした。

 

 

 

 

 

 

シャルロットが行き着いた先は食堂。

とは言っても、大体の生徒が帰省しているので、食堂に入っても物音が聞こえることは無かった。

いつもなら何人もいるキッチンのおばさんも、休みの間は二人程しかいない。

シャルロットは食堂の奥の丸型のソファ席へと足を運ぶ。

するとそこには見知った人物がいた。

 

「あれ、一夏?」

 

そこには、円形のテーブルにノートと本を開いて勉強をしている一夏がいた。

一夏もこちらに気付き、声をかけてくれた。

 

「よお、シャル!こんなとこで何してんだ?」

 

「ふふ、ちょっと久しぶりだね、一夏。僕は気分転換に歩きに来ただけだよ。一夏こそ何やってるの?」

 

「ああ、授業で出た宿題と予習だよ。とは言っても、もう皆が理解してるような基本的な内容ばかりだけどな」

 

「熱心だね、一夏は」

 

「俺は皆より遅れてるからな。シャルにも直ぐに追いついてみせるぜ」

 

「ふふ、僕も負けないよ」

 

ちなみに『シャル』とは、最近一夏が呼ぶようになったあだ名だ。

ラウラの暴走事件があった次の日、シャルロットは自身が女性であることをクラスの前で打ち明けた。クラスの中で驚く声はあったものの、元々中性的な顔立ちであったため、シャルロットも直ぐにクラスの和に馴染むことが出来た。

一夏は友人を自分が呼びやすいように呼びたい性格らしく、シャルロットの名を少し縮めて『シャル』と呼ぶようになった。

シャルロットも人からあだ名を付けられることは初めてだったので、シャルロット自身も嬉しかった。

シャルロットは一夏の隣に座り、引き続き一夏と話す。

 

「一夏、実家には帰らないの?皆帰ってるけど……」

 

「ああ、一度帰ったぜ。家の掃除だけして、二日間泊まって、また学園に戻ってきたって感じだ」

 

「実家でゆっくりはしなかったんだ?織斑先生は?」

 

「千冬姉はなんだかんだで忙しいしな。掃除した時に帰ってきて一緒に夕食を取ったけど、次の日の朝には学園に戻ったぜ」

 

「そうなんだ……」

 

「それに家にいるとつい勉強に身が入らなくなるからな。休みの間にしっかり勉強しておきたいから、今ここにいるってわけだ」

 

一夏はそう話しながら、教科書とノートにメモを残していく。しかし暫く見ていると、結構苦戦しているようだった。

シャルロットは折角だと思い、一夏に提案してみる。

 

「一夏、よかったら僕が勉強付き合おうか?」

 

「え、いいのか?」

 

「うん。僕もう自分の宿題は終わらせたし、特にすることないからね」

 

「助かるぜ!サンキュー!」

 

「ふふ、いいよ。じゃあまずはこの問題だけど……─────」

 

その後、シャルロットと一夏は一時間程勉強に熱を込めた。

 

 

 

 

 

 

「ふう………ありがとな、シャル!やっぱりシャルの説明は解りやすいな」

 

「ふふ、どういたしまして。ちょっと休憩しようか」

 

「そうだな。あ、なんか飲み物買ってくるよ。シャルは何がいい?」

 

「え、いいよそんな」

 

「勉強教えてもらったお礼だよ。何かご馳走させてくれ」

 

「そう?じゃあ……コーヒーがいいかな」

 

「分かった」

 

一夏はソファから腰を上げ、食堂のキッチン横にある自販機に行った。

暫くして、一夏が二人分のコーヒーを持って来た。

 

「ありがとう、一夏」

 

「ああ」

 

一夏もソファに座り、コーヒーをゆっくりと飲む。

シャルロットもコーヒーを飲み、カップを受け皿に置いたところで、あることを思い出す。

シャルロットはニンマリした顔で、一夏を見た。

 

「そういえばさ、一夏」

 

「ん?」

 

「セシリアとはどんな感じなの?」

 

「ぶっ」

 

危うくコーヒーを吹き出しそうになり、咽せる一夏。

その反応を見て、シャルロットも口を開けて笑う。

 

「な、何でセシリアなんだ⁉︎」

 

「あはは、バレバレだよ一夏」

 

驚いた顔でこちらを見る一夏。

 

「この前、一夏とセシリアが屋上で昼食を取ってたとき、僕とマリアが偶然二人に会っちゃったよね?あの時にもう感づいちゃったかな〜」

 

「ええ⁉︎」

 

「で、実際のところ、どうなの⁉︎」

 

ニヤついた顔で食い気味に尋ねてくるシャルロット。

一夏はセシリアのことを思い出し、顔を赤くさせてシャルロットから目を逸らす。

 

「いや、その、まぁ、何というか……」

 

「うんうん」

 

「お、俺とセシリアはただ仲の良い友人というか……」

 

「え〜〜鈍いな〜〜」

 

「な、何がだよ⁉︎」

 

一夏の顔に焦りと照れが同時に出てきており、もう大変なことになっている。

シャルロットは優しく微笑み、何となくカップを手で回し始める。

 

「一夏は、どう思ってるの?」

 

シャルロットがそう聞くと、一夏は少し深呼吸をして、落ち着いて口を開く。

 

「その……まあ、あれだな」

 

「うん」

 

「こ、好意的には思っている人物だな、うむ」

 

「なんで急に箒みたいな口調になるのさ」

 

思わず吹き出すシャルロット。

一夏も頰を赤く染めながら、コーヒーを口につける。

 

「良いカップルだと思うけどね、僕は」

 

「ええ⁉︎」

 

「本当だよ?羨ましいくらい、すごく良い組み合わせだと思う」

 

「で、でもそんなこと思ってたらセシリアに嫌に思われたりしないか?」

 

一夏が不安そうな表情でシャルロットに尋ねる。

シャルロットは優しい顔をして、一夏に返す。

 

「本当にそう思う?」

 

「えっ……」

 

「今までセシリアと一緒に時間を過ごしてきて、一夏が疎ましく思われるような反応ってあった?」

 

そう言うと、一夏はうーんと唸り、考え込んだ。

シャルロットはなんとなく、カップの中で広がるコーヒーの波紋を眺める。

 

「今までのセシリアを見てきて、僕はそう思ったことは一度もないよ、一夏」

 

「そ、そうなのか?」

 

「うん。一夏もちょっとは自信持って、セシリアの心を信じることも大事だよ」

 

「………」

 

一夏は今までのことを振り返った。

確かに、もし自分のことを好意的に思ってくれてないのなら、アリーナで肩を支えてくれたことも無かっただろうし、イギリスに行く前に、二人で出掛ける約束を交わしてくれなかっただろう。

つまり、少なからず自分も好かれていると思っていいのだろうか。

 

不安と期待が入り混じったような、そんな表情だ。

シャルロットは一夏の目を見て、優しく言った。

 

「応援してるよ、一夏」

 

「あ、ああ!頑張るよ!」

 

「あ、やっぱり好きなんだね」

 

「んなぁ⁉︎」

 

「あははは」

 

結局自分で白状してしまった一夏に、シャルロットも笑った。

そんな二人の元に、食堂の入口から誰かがやってきた。

 

「おはよう、二人とも」

 

挨拶をしてきたのはラウラだった。

学園に転入してきた時は冷酷な空気を纏わせていたが、あの暴走事件以来そのようなことは一切無くなり、今では小さい容姿もあり、クラスで可愛がられている存在だった。

そして事件以来、一夏にとって一つ困ったことが出来たのも事実だった。

 

「嫁よ、こんなところにいたのか。探したぞ」

 

「だから嫁じゃないって!」

 

一夏には全く心当たりが無いのだが、あの事件以来、ラウラはずっと一夏のことを『嫁』と呼んでいる。何故そう呼ぶのかと尋ねると、「部隊の副官から学んだ日本文化」なのだそうだ。なんとも傍迷惑な副官だ。

 

「ラウラは何してるの?」

 

「特に何もしていない。故に、暇を持て余していた」

 

「そうなんだ」

 

ラウラはそう言うと、何事も無いように一夏の膝の上に座る。

 

「いや、なんで俺の膝なんだよ⁉︎」

 

「私の嫁だからな」

 

「答えになってねえよ……とにかく、せめて俺の隣に座ってくれ」

 

一夏はラウラの両脇を掴み、持ち上げて膝から移動させる。

すると一夏は、自分のカップの中を見て驚愕した。

 

「あ、あれ⁉︎コーヒーが無いぞ⁉︎」

 

「ああ、美味かったぞ。礼を言う」

 

「いつの間に⁉︎いや、まぁいいけど……」

 

「ははは、一夏も大変だね」

 

一夏とラウラが話している傍、シャルロットは窓の外を見る。

今頃マリアたちは何をしてるんだろうか。

少しだけ空に想いを馳せた後、シャルロットは再び会話に戻った。

その日は昼食も夕食も三人で一緒に楽しみ、充実した休日となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





更識家・地下情報管理室。
更識家には、地下に隠された部屋がいくつかある。
その内の一つ、地下情報管理室で、楯無は大量の情報と向かい合っていた。

「………めぼしい情報はナシ、か」

楯無が調べているのは、無論マリアの素性についてだった。
ディスプレイにはイギリスの戸籍情報や、秘密裏に覗いた反社会的勢力の人員についての情報など、数多くの名前と顔写真が映し出されている。
しかしそのどれにも、彼女の情報に当てはまるものは見つからなかった。

「何故……?今の情報化社会で何の痕跡も残さないなんて、ほとんど不可能な筈なのに……」

ということは、やはり彼女は良からぬことを企んでいる人物なのだろうか。
しかし、以前彼女と話したときは、そんな雰囲気など一切感じさせなかった。

楯無はディスプレイを離れ、書棚にあるイギリスについての書物を何冊か取り出す。
とは言っても、取り出した本はイギリスの地図と写真が載せられた本だ。こんなところに彼女の情報が見つかるとは微塵も思ってないが、楯無自身、少し疲弊していた。
開けても無駄だと分かっているが、気分を変えるために、ペラペラとページをめくる。






ある写真を見て、ページをめくる楯無の指が止まった。

「ん……?」

そこに載せられていたのは、イギリス・ロンドンの観光スポット、Big Benと呼ばれる時計塔を中心とした景色の写真だった。
それを見て、楯無の心の何処かで、違和感が芽生えた。

(イギリスには何回か行ったけど、ここって、こんな地形だったかしら……?)

しかし、ずっと眺めれば、その景色が当たり前だったようにも感じる。
そうだ、これは世界中の人間がよく知る、有名な観光地じゃないか。
しかし、今感じた違和感は一体何だったのだろう。
何故自分はこの写真に写る景色に疑問を感じたのだろうか。
()()()()()()()()()()、そんな風にも感じた。

はっきりとしない感情に覆われたまま、楯無はその後もページをめくり続けた。




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第27話 邂逅

月食とは違う現象ですが、今日はストロベリームーンと呼ばれる月を見ることができます。
是非、夜空を見上げてみてください。

イメージ曲
The Witch of Hemwick - Bloodborne OST


私の頭の中に、あの時の光景が浮かび上がる。

 

悪夢に囚われていた自分。

 

時計塔の先にある秘密を誰の目にも触れさせないために、鐘の音が鳴り響く下で、私は死んでいたのだ。

 

やがて、ある狩人が時計塔の扉を開け、私は目覚めた。

 

月の香りが漂うその狩人は、悪夢に囚われた私を討ち破った。

 

その狩人が今、私の目の前にいる─────。

 

 

 

 

今にも壊れそうな木製の車椅子に座る、血のように赤い髪と瞳を持った女性。

灯りに照らされたその顔は、服のつくりで鼻の辺りまで隠されているが、此方を嘲笑っていることはよく分かる。

まるで新しい遊び相手を見つけたような、不快な笑みだ。

 

「ほう………まさか目覚めた先がこの()()とはな……。ふっ、私にとっては、新鮮味が無い」

 

月の香りの狩人は、闇に包まれた廃家の中を見渡しながら言った。

 

「貴様……なぜ……何故ここにいる⁉︎」

 

私は落葉を月の香りの狩人に突き付ける。

しかし、彼女は微動だにせず、余裕の表情を保っていた。

 

「ふっ……また私に刃を向けるか。一度敗れたその身で……実に浅ましいな」

 

「質問に答えろ!!」

 

落葉の先が、僅かに震えてしまう。

普通の人間ならば分からない震えだが、月の香りの狩人には丸分かりだろう。

私の心は、目の前の人物への疑問と恐怖で溢れていた。

分からない。理解が出来ない。

何故月の香りの狩人が、私の目の前にいるのだ─────。

 

「マ、マリアさん、この人は誰なんです⁉︎」

 

セシリアが震えながら、私の側で問う。

月の香りの狩人から漂う空気に酷く怯えているようだった。

無理もない。

彼女からは、(おぞま)しいほどの血の匂いがするからだ。

 

「下がるんだセシリア。君の手に負える相手ではない」

 

「ですが……!」

 

「君は今ISを持っていないだろう。私の後ろに隠れているんだ」

 

不運にも、私たちのISは研究所に預けたままだ。幸い、手元に落葉はあるが、私の今の服装も狩装束ではない。速さには自信があるが、一度でも攻撃をくらえば、かすり傷では済まないだろう。

 

「まぁ待て。何も私は争いにきた訳ではない」

 

「なんだと……?」

 

「一つ、君に聞きたいことがあってな」

 

月の香りの狩人が、私の目を見る。

瞳の奥を(まさぐ)られるような感覚に、私は酷い不快感を覚えた。

 

そして一息置き、月の香りの狩人が口を開く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「─────()()()()()()()()()?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「人形……?」

 

全く予想もしなかった意味の分からない話に、私の思考は一瞬停止した。

 

「此処に来ているはずだ。隠しているのか?」

 

「一体何の話だ?」

 

月の香りの狩人が、じっと私の瞳の奥を見る。負けじと睨み返すが、あまりの不快感に目を逸らしたくてたまらない。

暫くの間沈黙が続いた後、月の香りの狩人は目を逸らし、鼻でフンと嗤った。

 

「無駄足だったか……」

 

「だから、何のことだと聞いている!」

 

「愚かなことだな。その様子だと、自分の犯した()も忘れているらしい」

 

「貴様……!」

 

一方的になじる態度に腹が立った私は、落葉を月の香りの狩人の顔に目掛け突き刺す。

 

「なに……⁉︎」

 

しかし落葉は月の香りの狩人の鼻先で止まってしまった。彼女がその指で落葉の先端を掴んだからだ。どれだけ力を込めても、落葉はまるで石になったかのように動かない。

 

「ハッ、その目は何だ?何故私に刃を向ける?自分のやったことを突かれて腹が立ったか?私の口を裂き、過去に蓋を被せて目を背けるか?」

 

「くっ……」

 

「君の囚われていた悪夢では、実に面白いものを見させてもらったよ。実験棟の罹患者たち、そして時計塔の向こう側……。道理で隠したくなるわけだ」

 

冷や汗が、止まらなかった。

心臓はどんどん速く脈打ち、口はからからに乾いていく。

罪。悪夢。実験棟。

聞けば聞くほど、私は耳を塞ぎたくなる気持ちに駆られた。

 

「黙れ……」

 

「何を今更恐れている?いつの世も、秘密とは必ず暴かれる……それは君が一番よく分かっているはずだ。()()()()()()()()()()()()()()?」

 

「黙れ!!!」

 

「マリアさん!」

 

私は落葉を二刀に分けたと同時に、その内の一刀を持って素早く回転し、月の香りの狩人の喉元へと突き刺した。

しかし、突き刺したはずの彼女はそこには居らず、次の瞬間、気付いたときには既に私は首を絞められていた。

 

「がっ……!」

 

いつの間にか車椅子から立ち上がっていた月の香りの狩人は、右手で私の首を絞め、壁に押し付ける。

床に脚のつかない私は、もがけばもがくほど、呼吸が苦しくなっていく。落葉は暗闇の蔓延した床に落ちてしまい、対抗するのは困難だ。

 

「あ、あなた!マリアさんから離れなさい!」

 

セシリアが、私と月の香りの狩人との間に割って入った。腕を広げ、私を庇うように。

 

「セシリア!下がれ!」

 

「いいえ、下がりません!マリアさんだけ危険な目に晒すわけにはいきませんわ!」

 

「ん?君は……」

 

月の香りの狩人が、セシリアの方に目を向ける。そして彼女の瞳をじっと見た後、不敵な笑みを漏らした。

 

「これは面白い……。あの一族の最後の生き残りに出会えるとはな」

 

「なんですって……?」

 

「私も随分と長くこの世界を見てきていてね……。君の()()にあたる人物に、よく会っていたよ」

 

「あなた、何を訳の分からないことを──────」

 

()()()()()()

 

「「!?」」

 

私の頭の中で、衝撃が稲妻のように走った。

 

『アンナリーゼ』。

 

その人物の姿を、私は今になって思い出す。

それは確か、セシリアと闘った日の夜のこと。

私は眠りの中で、夢を見ていたのだ。

 

城の中。

床にはいくつもの蝋燭の火。

そして、誰のものかも分からない血が辺りに染みついていた。

謁見の間と呼ばれたその場所で、金色の髪をしたその人物は、静かに座っていたのだ。

 

不死の女王・アンナリーゼ─────。

 

顔はもう、思い出せない。思い出したくもない。

人を見下したような、あの不快な態度。

今思えば、セシリアと初めて会った時に感じた不快な感覚は、彼女のことを無意識に思い出していたのかもしれない。セシリアの髪と当時の態度は、まさしく彼女のようだったからだ。

 

私を庇うようにして立っているセシリアを見ると、恐怖からだろうか、肩が震えていた。

 

「何故……あなたがその名前を知っていますの………?」

 

セシリアの呼吸が速くなっていく。

 

「その名前は……オルコット家の人間しか知らないはずですわ!」

 

「オルコット家……そうか、カインハーストは今はオルコットという名になっていたのだったな……()()()()()()

 

「なっ……⁉︎」

 

『アンナリーゼ』、そして『カインハースト』という、オルコット家の人間しか知らないはずの御伽話を月の香りの狩人が知っていたことに、セシリアは驚きと恐怖を隠せない。

得体の知れない恐怖に身を強張らせるセシリアを見て、月の香りの狩人は何かを思いついたような顔をした。そして私を暗闇に投げつけ、セシリアに向き直る。

 

「かはっ……!」

 

月の香りの狩人が、徐々にセシリアと距離を詰める。セシリアは恐怖のあまり、後ずさることすら出来ずにいた。

 

「に、逃げるんだ……セシリア………」

 

強く投げつけられた衝撃で脳震盪を起こした私は、視界の焦点が定まらず、立ち上がれずにいた。

 

「ひっ……」

 

「君にいいものを見せてあげよう」

 

脳震盪のせいで分身にも見える月の香りの狩人が、ゆっくりと左手を上げた。そして人差し指を出し、セシリアの額に触れる。

月の香りの狩人が彼女の額に触れた途端、セシリアの目から光が消えた。

 

「セシリア!離れるんだ!」

 

私は大声を上げるが、セシリアは反応しない。それどころか、彼女の目は何処か宙を見ているように虚ろな様子だ。

 

「目を覚ませ!セシリア!」

 

私は揺れる頭を抑え、なんとか立ち上がろうとする。

そして、叫ぶようにセシリアの名前を呼んだ。

 

 

 

 

 

「セシリアアアアアアアアア!!!!」

 

 

 

 

 

闇の中で、私の声が木霊する。

 

すると、セシリアの目に光が戻った。正気に帰ったらしい。

 

私は、彼女が目を覚ましたことに安堵する。

 

しかし彼女が目を覚ました途端、彼女の顔はみるみる蒼白くなり、身体を震え上がらせた。

 

「あ………ああ………」

 

崩れ落ちるように床に膝をつき、セシリアは手で口を覆う。今にも嘔吐しそうな彼女を見て、私は月の香りの狩人を睨む。

 

「貴様ぁああああ!!」

 

月の香りの狩人の背中に飛びかかる。

しかし月の香りの狩人は私以上に速いスピードでそれを避け、再び私の首を掴んだ。

 

「ぐはっ!!」

 

「大人しくしていれば良いものを」

 

「彼女に……くっ……何を、した………?」

 

「大したことではない。私が嘗て見てきた光景を、ほんの少し見せてやっただけだ」

 

「光景だと……?」

 

「ちょうど良い。君にも見せてあげよう」

 

そう言うと、月の香りの狩人は左手を私の額の前に出し、力を込める。

 

「特別だ。彼女よりも()()にしてやる」

 

「は、離せ……」

 

私は腕や足に力を込め離れようともがくが、その抵抗も虚しく、月の香りの狩人は微動だにしない。

そして、まるで獣が肉を抉る時のように指を曲げると、次の瞬間、私の頭に指を突き刺した。

 

「あああああああああ!!!!」

 

あまりの衝撃に、私は我を忘れて悲鳴を上げる。

 

たちまち全身の血管に流れる血が、悍しいほどに震え、喚き始める。

 

脳を裂かれ、抉り取られるような痛みを感じながら、私は意識を手放す感覚に陥っていった──────。

 

 

 

 

 

 

─────────

───────

─────

 

 

 

ここは……?

 

目を開けば、私はいつの間にか木製の台の上で仰向けになっていた。

古びた部屋には誰も居らず、辺りには自分が寝ているのと同じ台がいくつかある。台の横には輸血器具が置かれていた。ここは何処かの診療所だろうか。

私は身体を起こす。起こした時、妙な違和感を感じた。

身体を見ると、服装が自分のものではないことに気付く。異邦の雰囲気を漂わせる、そんな外見だ。

床に足を付けると、木の軋んだ音が部屋に響いた。

私は部屋の外へ出ようと、すぐそこにある扉をゆっくりと開けた。

 

「うっ…!」

 

扉を開けた途端、目の前の視界が突然に変化し始めた。

診療所の壁や天井が水のように滲み、歪み、星のような速さで視界が流れるかと思いきや、次に私がいた場所は誰かの家の前だった。家の中からは男性の咳き込む声が聴こえてくる。病気に罹って弱っている様子だった。

 

『ううっ……ごほっ、ごほっ、ごほっ』

 

『なんで、私だけが……こんな……』

 

まるで明日にも世界が終わってしまうかのような悲壮感が、その声から伝わってくる。

 

「おい……」

 

大丈夫か、と言葉を続け、手を扉にかけようとしたその時。

 

「わっ!」

 

目の前の扉は消え、再び景色は流れ、私はつい(つまず)く。

地面に手を着くと、そこはさっきまでいた場所ではなく、湿った土の手触りがした。

妙な湿り気に、私は(てのひら)を見る。

湿り気の正体は、土に含まれた水気ではなく、灰色の混じった血だった。

顔を上げると、そこは辺り一面に墓石が埋められている場所だった。

墓場の周りは建物で囲まれており光が届かず、空気は既に夜のものだった。

 

ザシュッ、ゴキッ、グチャッ

 

墓場の奥から、肉と骨を切り裂くような音が聴こえてくる。

音の響いてくる方向へ目を向けると、そこには一人の男性がいた。

その男は、右手に持つ斧で既に絶命した獣を何度も何度も切り裂いていた。

幾度となく切り裂かれ、もはや原型をとどめていない獣の身体から流れる血が、辺りの墓石を血の色に染めていく。

息を上げ、やがて男は斧を振り下ろすことを止めた。

 

『どこもかしこも、獣ばかりだ……』

 

男は、ゆっくりと振り向く。

遠くからでも分かる。その姿は、憎しみのためか、獣を狩り過ぎる余り、自らも獣となってしまった哀れなものだった。

人間であることを棄てた人間。

 

『貴様も、どうせそうなるのだろう?』

 

獣の臭いがする息を吐き、男が恐ろしい速さで私に近づき、斧を振りかざす。

私は咄嗟に頭を庇うようにして腕を上げた。

 

キィン!

 

武器を弾いた音がした。

斧はいつまでたっても私の頭に振り下ろされることはなく、私は瞑っていた目を開ける。

すると自分のいた場所は先程の墓場ではなく、何処かの大聖堂の中だった。

灯りは一つも無く、縦長の窓から月光が流れてきている。

目の前には先程の男ではなく、(カラス)の羽を纏い、仮面を被った人物。

私が弾いたのは先程の男の斧ではなく、仮面の人物の武器だったようだ。歪んだ形をした双刀を持ち、素早く、華麗に、しかし狂ったように刃を振る。

その息遣いから、仮面の人物はどうやら女性のようだった。

 

『狩人は皆、狩りに酔う……』

 

『あんたも、何も変わりゃあしない……』

 

その姿は、まるで獲物を狩り、血肉を啄もうとする鴉のように。

狂った刃が月光に照らされ、殺気を際立たせる。

 

『獣はもはや止めどなく!』

 

『狩人はもう、用無しさ!』

 

『あまねく狩人に死を……悪夢の終わりを……』

 

いつの間にか私は窓際に追い詰められる。

足が竦んで動けない私に、鴉が容赦無く刃を私に突き刺す。

 

『お前たち狩人に死を!』

 

窓が割れ、私は外へと追放される。

宙に突き飛ばされた私は、遠く離れた地面へと一気に落とされていく。先程までいた大聖堂は、もう遠くの彼方へと小さくなっていった。

まるで永遠に落ち続けていくかのような感覚だった。

目の前が、どんどんと暗くなっていく。闇に包まれていく。

しかしそんな中でも、あの月は闇の中で何処までもついてきていた。

 

暫くして、私の視界に新しい景色が映り始めた。

先程の大聖堂よりももっと高く感じる建物の中を、私は落ちていた。

 

「がはっ!!」

 

やがて、建物の地面に背中から落ち、地面を転がり、うつ伏せの状態で止まった。

落ちた衝撃による痛みに耐えながら、私は右に顔を向ける。

そこには、やつしの装束を身に纏う一人の男がいた。両目に包帯を巻いたその男は、表情を変えるでもなく、静かに口を開く。

 

『……あんた、まともな狩人かね?もしかして、迷い込んだのかね?』

 

『ここは狩人の悪夢。血に酔った狩人が、最後に囚われる場所さ』

 

「悪夢……だと?」

 

私の声が聴こえてないのか、男はわたしを無視して淡々と言葉を続ける。

 

『あんたも見たろう?まるで獣のように、彷徨う狩人たちを』

 

『あんなものが行く末だなんて、憐れなものさ……』

 

気付くと、私のそばに一つの墓石があった。

墓石には一本の白い花が置かれていた。

私はその墓石に書かれている文字を見て、目を見開く。

 

「これは……⁉︎」

 

『あんた、分かるかい?何故狩人が、この悪夢に囚われるのか』

 

その墓石に刻まれていたのは、私の名前だった。

誰が作ったのかは分からない。だが、紛れもなくそれは、私の墓だった。

 

『この悪夢は、狩人の業に芽生えているのさ』

 

『……そして、その業を必死に隠す者もいる』

 

『憐れな、そして傲慢な話さ……』

 

私はゆっくりと立ち上がる。

気付くとそこには、はるか高い天井へと続く螺旋階段があり、辺りには「研究室」や「患者寝室」と示された部屋が何階にもわたって規則的に配置されていた。

よく見ると、私の周りには白い布の服を着た人間が何人もいた。皆、私に背を向けている。

私はその内の一人の肩を掴む。すると、その人物はゆっくりと振り返った。

 

「なっ……!」

 

何故気づかなかったのだろう。

その人物の頭部は布で覆われており、ぶよぶよと肥大している。

他の人間たちも同様だった。

 

『誰か………俺の目玉を知らないか………』

 

『聞こえる………水の音が………』

 

『お願いです………マリア様………』

 

血塗れになった人間たちが、私の元へと歩み寄ってくる。

私は恐怖を感じ、後退りをする。

 

「だ、誰か………」

 

『……マリア様?それとも、別のお方?』

 

「⁉︎」

 

懐かしい声が後ろから聞こえ、私は振り向く。

そこには、静かに椅子に座る女性がいた。その女性も、頭部は肥大してしまっていた。

 

「き、()()……!」

 

『ねえ、あなた、お願いを聞いてもらえないかしら?』

 

「な、なんだ?何でも言ってくれ!君の頼みなら何でも─────」

 

『脳液が欲しいの。暗く蕩けた脳液が……』

 

「え……」

 

すると、突然私の後ろで何かが潰れる音がした。

見ると、患者の一人の頭部が潰れ、倒れていた。

その頭部からはゆっくりと、薄暗いアメーバ状の液体が地面に滴り、そして彼女の元へと吸い込まれる。

 

『ああ……すごく、おいしい』

 

「やめろ……」

 

『ああ、あなた、聞こえますか?』

 

「やめてくれ……」

 

『不思議ですね。深い深い、海の底でも、水は滴るものでしょうか?』

 

『ウフフッ……』

 

その姿に私は耐えられなくなり、彼女から目を背ける。気付けば、私の周りいた患者たちは全員地面に倒れていた。

 

『……ああ、あんた。どうだい、酷いものだろう』

 

『血を恵み、獣を祓う医療教会の、これが実態というわけだ』

 

『……だが、こんなものは、秘密ではない』

 

男の姿はもうそこには無い。

だが、声だけが建物の中で響いていた。

すると、再び視界が歪み、また別の景色が映る。

目の前には、血のように赤い髪と目を持った、月の香りが漂う狩人。

そして、椅子に静かに座る私の死体があった。

気付けばそこは、時計塔の中だった。

 

『あんた悪夢に、悪夢の秘密に興味があるんだろう?』

 

月の香りの狩人が、ゆっくりと私の死体へ近づく。

 

『だったらひとつ、忠告だ』

 

そして、私の死体へと手を伸ばした。

 

『……時計塔のマリアを殺したまえ』

 

『その先にこそ、秘密が隠されている……』

 

突然、私の死体が動き、月の香りの狩人の腕を掴む。

そして、私の死体は静かに口を開いた。

 

『死体漁りとは、感心しないな……』

 

 

 

─────

───────

─────────

 

 

 

 

 

 

「かはっ……!」

 

唐突に、意識が戻る。

酷い頭痛がする。

気付けば私は、地面に倒れていた。

そうだ、私は月の香りの狩人に脳を裂かれ……。

しかし自分の頭を触ってみると、傷は何処にもなかった。痛みだけが、頭の中で這いずり回る。

向こうの方で、セシリアは未だ口を抑えて苦しそうにしている。

頭を上げると、目の前には月の香りの狩人がいた。

 

「思い出したか?」

 

「い、今のは一体────」

 

「まだ分からないか?私が嘗て見てきた、君たち古狩人が産み出した()()()()だ」

 

月の香りの狩人は、血のように赤い瞳で私を見て、嘲笑う。

 

「君たちがしてきた罪によって、後世のヤーナムの人間が大いに苦しめられたことがよく分かったはずだ」

 

「………」

 

「だが、そのお陰で、今の私が()()()()()を見れているのも事実だ」

 

「……なんだと?」

 

月の香りの狩人は、腰のポケットから小さな短刀を取り出す。

そして、私の身体を踏みにじった。

 

「ぐっ……!」

 

「その点については感謝しているが、気が変わった。争うつもりはなかったが、()()()()()()()()()()()()。此処で死ね」

 

「やめろ……!」

 

抵抗しようにも、頭の痛みで力が出ず、月の香りの狩人の足を退かせることが出来ない。

彼女の短刀が、私の首元へと近づいてくる。

闇の中でも、その短刀は妖しい光を反射させていた。それほど鋭さがあることが分かる。

 

(……最早、ここまでか………)

 

もう逃れられないと、諦めかけたその時─────。

 

「ハァアアアア!!!」

 

「⁉︎」

 

突然セシリアが走り出した。

彼女の右手には、私の落葉が握られていた。

そしてセシリアは目の前にあった、床に立つ灯りに一直線に振りかざす。

闇の中で光っていた灯りは真っ二つにされ、光を失う。

 

「……ほう。やるじゃないか」

 

月の香りの狩人はそう言うと、私の身体から足を離し、短刀をポケットの中に仕舞い込んだ。

セシリアは荒い呼吸で、額に汗を浮かばせながらも、落葉を月の香りの狩人に向けて構えている。

私は床に手をついて、ゆっくりと上半身を上げた。

月の香りの狩人は最早武器を持つ素振りは見せず、車椅子に再び座る。

そして、私の方を見た。

気付けば、月の香りの狩人の身体は、充満していた暗闇とともに消えつつあった。

 

「まぁ良い。一度ここに来ることが出来たから、次は容易に干渉出来るだろう」

 

ところで、と月の香りの狩人は付け加えた。

 

「『()()()()』という話を知ってるか?」

 

「……なんだと?」

 

全く予想もしなかった話に、私は問い返す。

 

「数十年前、ある哲学者によって提唱された、一つの仮説だ。私たちの見ている世界は、所詮幻覚に過ぎないといった考え方だ」

 

「………何が言いたい?」

 

月の香りの狩人の下半身は、既に消えていた。

 

「─────君にとっての()()()()は何だ?」

 

意味の分からない話に、私は言葉が見つからない。

月の香りの狩人の上半身は既に半分が消えていた。もう十秒もしない内に彼女はここから消え去っていくだろう。

 

「一ヶ月後、日本で()()が起こる」

 

月の香りの狩人の顔が、闇とともに消える。

 

「また、会えることを楽しみにしているよ─────」

 

フフフ、フフフフフフッ。

 

月の香りの狩人の声が、部屋に響いて、消える。

廃家の中に充満していた闇はすっかり晴れ、雨の音が聴こえてきた。先程よりも随分と強い雨になっている。雷もゴロゴロと鳴り響いていた。

 

「セシリア、大丈夫か?」

 

セシリアは暫く落葉を構えたままだったが、私の声に気づき、私を見る。

セシリアが私を見た途端、彼女の顔から一気に緊張が抜け、彼女は崩れ落ちるように倒れた。

 

「セシリア⁉︎しっかりしろ!」

 

倒れる寸前で、彼女の身体を支える。

気を失っているが、命に別状は無さそうだった。外傷も見当たらない。

 

「すまない……セシリア………」

 

私はセシリアを抱え、落葉を回収し、チェルシーの元へ向かう。

 

 

 

扉に手をかける時、一度だけ部屋を見渡した。

私の記憶に微かに残っている、この光景。

奴はこの場所を『工房』と言っていた。そして私がこの場所を見つけた時も、頭の中で『工房』という言葉がよぎっていたのだ。

 

『工房』とは、一体………。

 

しかし思い出せることはなく、私は背を向け、廃家を後にする。

 

 

 

『君にとっての水槽の脳は何だ?』

 

 

 

雨の森を駆けていく中、月の香りの狩人が言い放った言葉が、私の頭の中で何度も繰り返されていた。

 

 




『血の女王アンナリーゼ』

閉鎖的なカインハーストの城の中、不死の女王は静かに座し続けていた。
彼女の生命を永遠にしていたのは、その身に流れる穢れた血。
不死の女王の仮面の下を目にした者はごく僅かと言われている。

しかしある時、女王は忽然と姿を消す。
所詮不死など、瞞しに過ぎなかったのだ。


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第28話 自白

本当に遅くなってしまい、申し訳ありません。
また、僕の近況について、活動報告欄で少しご報告をさせていただいてます。
もしお時間のある方は、読んで下さると嬉しいです。


※今回の話、かなりブラボ要素強めです。これまでもこれからも、そのつもりですが…笑


「う、ん……」

 

「セシリア⁉︎」

 

「お嬢様!ああ、良かった……」

 

セシリアは自室のベッドで、目を覚ます。

目を開け、視界に入ったのは、心配と安堵が混じった表情をしているマリアとチェルシーだった。

微睡んだ聴覚がはっきりとしていく。

窓の外では強い雨が降っていて、雷鳴もゴロゴロと聴こえてくる。

 

「マリアさん……チェルシー……」

 

「セシリア、具合はどうだ?」

 

「ええ……なんともありませんわ」

 

「そうか、良かった……。チェルシー、彼女に何か温かい飲み物を」

 

「かしこまりました」

 

マリアはホッとしたように深く息を吐いた。

チェルシーは扉を開け、部屋を後にする。

 

「どうして私は……ここに……?」

 

ベッドに手をついて、上半身を起き上がらせるセシリア。

 

「セシリア、無理に起きなくていい」

 

「いえ、大丈夫ですわ。痛みもありませんし」

 

セシリアは枕元のヘッドボードに背中を預ける。

そしてセシリアは何かを思い出したように、ハッと顔を上げた。

 

「そうですわ!確か……私たちはあの森の中にいて、そして……」

 

「……ああ」

 

「マリアさん、あの人が追ってきますわ!」

 

「大丈夫だ。彼女はもういない」

 

マリアがセシリアを落ち着かせるように伝える。

セシリアもそれを聞き、ホッとした表情をする。

 

部屋の中に、雨の音が響き渡る。

暫くの沈黙が続いた後、セシリアが口を開いた。

 

「マリアさん……あの女性は誰なんですの?」

 

「………」

 

「あの人は、マリアさんを知っているかのような口振りでしたわ。そしてマリアさんも、あの人のことを知っているように見えました」

 

「それは……」

 

マリアは答えに困るような表情をした。

 

「マリアさん」

 

セシリアはマリアの目を真っ直ぐに見る。

マリアも彼女の真剣な眼差しに、目を逸らすことは出来なかった。

 

「────何か隠していませんか?」

 

「………いや」

 

「嘘を聞くつもりはありませんわ。本当のことを教えてください」

 

「………」

 

マリアとして、セシリアを厄介事に巻き込みたくないというのが本心だった。しかし、蒼い雫(ブルー・ティアーズ)の血の修復機能、研究所の地下実験、家系の血筋、そして月の香りの狩人との遭遇……。

最早隠し通すことができない所まで彼女は来てしまっていた。

マリアは顔を伏せ、静かに口を開く。

 

 

「私が……」

 

 

「……?」

 

 

「私が一度死んだ身だと言ったら、君は信じるか……?」

 

 

思い掛けない告白に、セシリアは不意を突かれた思いになる。

何を言うべきか、言葉が見つからなかった。

 

 

「どういうことですの……?」

 

 

遠くの雷鳴が空に轟く。

 

 

雨はまだまだ、止みそうにない。

 

 

 

 

 

 

私が学園に入ることになった時、君は研究所から何と聞いた?

 

 

『記憶喪失のIS操縦者』だと………私はそう伺っています。

 

 

千冬から研究所にそう伝えられたのだろう……。確かにそれは正しい。しかし、真の事実ではないんだ……。

 

 

先程の『一度死んだ身』が関係している、というのですか?

 

 

……ああ。

 

 

………続きを。

 

 

────信じられないかもしれないが、私はこの時代の人間ではない。200年程前に生まれた、一人の『狩人』だった。

 

 

()()………。

 

 

そうだ。君の家に伝わる話にもあった、獣を狩る人間のことだ。あの森の廃家で現れた彼女も、狩人の一人だ。

 

 

200年なんて……タイムスリップでもしたというんですの⁉︎そんな非現実的なことなんて……。

 

 

………。

 

 

……いえ、今はそれを考えるのはやめておきましょう。それで、マリアさんと彼女は一体どういう関係なのですか?彼女と会った時のマリアさんは、これまでにないくらいに殺気立っていましたわ……。

 

 

……私は、彼女と一度剣を交え、血を流し合い、そして敗れた。私はそこで、死んだはずだった。

 

 

彼女と闘わなければならない、何か理由があったのですか?

 

 

ああ。しかしそれを話すには、それよりも前のことを知ってもらわないといけない。

 

 

構いませんわ。

 

 

()()()()という都市が、嘗てこの国にはあった』─────オルコット家ではこう言い伝えられていると君は話していたな。

 

 

ええ。

 

 

その御伽噺を聞いた時、私は胸に重い石が落ちたように大きなショックを受けた。何故なら私が生まれたのも、()()()()と呼ばれた街だったからだ。

 

 

なんですって⁉︎

 

 

ヤーナムで生まれた私は、狩人として生き、そして()()()()によって死んだ。それが何かは思い出せない……が、それを思い出そうとすると、とても悲しい痛みが、私の心を覆うんだ……。

 

 

では、彼女に殺された、というのは……?

 

 

死後、私は『悪夢』に囚われた。何年も、何十年も……。そんな中、その悪夢を訪れたのが彼女・月の香りの狩人だった。私は彼女をそこで殺めるつもりだった。だが、最後に敗れたのは私だった。

 

 

………。

 

 

悪夢の中で月の香りの狩人と闘っていた時、少なくとも彼女の目はまだ穢れてなどいなかった……それは覚えている。だが、森で会った時の彼女の目は、最早穢れきってしまっていた。そうでなければ、あれほどの血の匂いを漂わせていなかったはずだ……。

 

 

………。

 

 

正確には、『二度死んだ』か……。彼女に殺された私は、目が覚めると、何故か学園の保健室で横たわっていたんだ。そこで初めて千冬と話し、聞かされた。お前は学園の敷地内で倒れていた、と……。そして、問い詰められた。『何故お前は此処にいる』とな。私が聞きたいくらいだった。この世界で目覚めてから、私の過去の記憶は断片的にしか残っていなかった。かつて捨てたはずのこの落葉も、何故か私の側にあった。

 

 

その『()()』とは、一体どのようなものなのですか……?

 

 

私もよく思い出せない……いや、思い出したくもないほどのものだった……。簡潔に言えば、地獄以上のようなものだ。私以外にも、多くの人間が囚われていた。

 

 

……その『悪夢』と、彼女の言っていた『罪』は、関係があるのですか?

 

 

それは……。

 

 

彼女は言っていました。『君の囚われていた悪夢で面白いものを見た』と。マリアさん、貴女は過去に、何をしたのです?

 

 

私は……。

 

 

………。

 

 

私は……多くの人を犠牲にしてしまった……。自分の最愛の親友でさえも……。

 

 

………。

 

 

だから私も、自分が狩人であったことに嫌悪した。今でも、夢に出てくるんだ。月の香りの狩人にも、私の罪の記憶の断片を見させられた。だが私は、自分が何をしたのか、思い出すことが未だに出来ていないんだ……。

 

 

………。

 

 

月の香りの狩人の言う通り、私は愚かだ。自分の犯した罪さえも忘れてしまうなど……本当に……。

 

 

……マリアさん。

 

 

………。

 

 

過去にマリアさんが何をしてしまったのか……それは私の計り知れるものではありません。

 

 

……ああ。

 

 

ですが、今のマリアさんはそれを省み、悔やんでいます。何か過ちを犯し、反省するという、人間が通すべき筋を、貴女はしっかりと行なっています。

 

 

………。

 

 

マリアさん自身が、その罪に押し潰される必要など何処にもありません。これから、その過ちを繰り返さなければいいのです。そのためなら、私は貴女への支えを厭わないつもりですわ。

 

 

………ありがとう、セシリア……。

 

 

 

 

 

 

「────セシリア、一つ質問がある」

 

「何ですの?」

 

あのことが気にかかっていた。

月の香りの狩人がセシリアに手を出した時。

恐らくセシリアは、私が彼女にされたときのように、何かを見た。

私の声でセシリアを目覚めさせることは出来たものの、その時セシリアの顔色は頗る悪くなったのだ。

セシリア自身に外傷はない。彼女自身も体調に問題はないと今は言っていたが……。

 

「君は、あの森の出来事で………何処まで覚えている?」

 

そう聞くと、セシリアは眉を顰めて考え込む。

 

「私は、確かマリアさんを庇った後………」

 

記憶をなんとか掴み出そうとするセシリア。

暫くして、彼女は口を開いた。

 

「そこから、記憶がありませんわ……」

 

「そうか………」

 

私はホッと胸を撫で下ろす。

セシリアのあれほど恐怖に怯えた表情は初めてだった。

そんな顔にさせる光景を、私は再びセシリアに思い出させたくなかった。

恐らくセシリアは恐怖の余り、ショックでその光景を見たという記憶を無意識に閉じてしまっているのかもしれない。

 

「それならそれでいい。無理に思い出す必要もない」

 

「でも、もしかすれば過去の記憶への手掛かりになるのでは─────」

 

「大丈夫だ。思い出したところで、きっとセシリアの心に負担が残るだけだろう」

 

「お嬢様、お待たせしました」

 

ちょうど良いタイミングで、チェルシーが戻ってきた。温かい紅茶を持ってきていた。

 

「すまないな、チェルシー」

 

「メイドの務めです。お嬢様、今紅茶をお入れいたします」

 

「ありがとうございます」

 

私は雨に濡れた窓の外を見る。

今のところ、あの森からは何も感じない。

当分の間、月の香りの狩人が現れることはないかもしれない。

しかし彼女は、あの時こう言っていた。

 

 

 

一ヶ月後………

 

 

また、会えることを楽しみにしているよ………

 

 

 

彼女は一ヶ月後に再び現れるということか……?

一体、何を企んでいる?

以前学園に襲撃してきた機体と彼女は、関係しているのか?

それとも、ただの杞憂に過ぎないのだろうか……。

しかし、あまりにもタイミングが合いすぎている。

 

『私がこの世界で目覚めたのも、何か意味が在るのかもしれない』

 

その憶測がこのことにも当てはまるなら、彼女は一体………────

 

 

「マリアさん?」

 

気付けば、セシリアとチェルシーがこちらを心配そうな表情で見つめていた。

 

「すまない、何だ?」

 

「いえ、難しい顔をしていらっしゃったので……」

 

「ああ……いや、すまない」

 

「マリアさんの紅茶もお入れいたしますね」

 

「いや、私は遠慮しておこう、チェルシー。すまないな。考え事があるから、少し部屋に戻っておくよ」

 

「そうですか……」

 

私は席を立ち、廊下に出る。

廊下に響く足音は雨音に解け、消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




『セシリアの見た彼女の記憶』





─────────
───────
─────



「ここは………何処ですの?」


「マリアさんがいませんわ………マリアさん!何処にいるのですか⁉︎」


「叫んでも返事が無い……人の気配もないですし、私一人だけ……?」


「それにこれは……随分と長い階段ですわね。豪奢な装飾もありますし、何処かのお城……?」


「外へ繋がる扉も見当たりませんし、上るしかないですわね……」


私は、長い階段を上っていく。

階段の横には、規則的に並び置かれた、馬に乗った騎士兵達の銅像。

銅像は城内の薄暗い灯りを微かに反射させていた。







あと少しで階段を上りきる所までせまった時、階段の向こう側から嗤い声が聴こえた。


その奇妙な嗤い声は、男性のものだった。


長い階段を上りきると、そこは広く開いた場所だった。


城の最上部であろうこの場所は、見る限り城の主の居る、謁見の間のように思える。


辺りには乱雑に置かれた西洋風を思わせる人々の石膏像。


床にはいくつもの蝋燭の火。


そして、誰のものかも分からない血が辺りに染みついていた。


「な、何ですの……この血は………」


顔を上げると、奥の方に一人の男性が立っていた。


金色の角錐のような被り物をしたその男は、肩で荒い息をしながら、興奮冷めやらぬ様子で嗤っている。


とても、不気味だった。


思わず、私は立ち竦む。


『────師よ、ご覧あれ!私はやりました、やりましたぞ!』


『この穢れた女を、潰して潰して潰して、ピンク色の肉塊に変えてやりましたぞ!!』


『どうだ、売女めが!!』


金色の被り物に大量に付着した返り血は、ギラギラと色褪せることなく、今も生きているかのように輝きを放っている。


本当に、本当に。


狂っている。


『如何にお前が()()だとて、このままずっと生きるのなら、何者も誑かせないだろう!』


『すべて内側、粘膜を曝け出したその姿こそが、いやらしい貴様には丁度よいわ!!』


『ヒャハ、ヒャハ……』


『ヒャハハハハハハハハハハ!!!!』


目の前の狂気に、私は無意識に、気付かれないように、ゆっくりと後ずさる。


しかし、背中で何かにぶつかってしまった。


石膏の人物像だった。


その音で、男がゆっくりとこちらに振り向いた。


被り物をしているのに、その男の狂ったようなニヤついた表情が容易に想像できた。


『……おお、あなたでしたか!』


「ひっ……」


『見てください!あなたのお陰で、遂に私はやりましたよ!』


気付くと、男の背後には二つの椅子があった。城の王達の座る椅子だろうか。


私は、あまりの悲惨な光景に吐き気がこみ上げた。


片方の椅子には、人間の肉塊や血管がこびり付いており、夥しいほどの血が溢れていた。


側には、鉄の仮面を被った人間の生首。
きっとその肉塊は、その人間のものだったのだろう。


ピンク色の肉塊は、グチャグチャになりながらも、未だ妖しく蠢いている。


『どうです!素晴らしいでしょう!これで師を列聖の殉教者として祀れます!』


『ヒャハ、ヒャハ……』


『私はやったんだあーーー!!!』


気味の悪い笑みをこぼしながら、男はこちらへと近付いてくる。


「だ、誰か……」


あまりの悍ましさに、腰が抜け、身動きが取れない。


何か身を守るものはないかと手探りしていると、すぐ側に小さなナイフがあった。


「そ、それ以上近付くと、ただじゃおかないですわよ……」


しかし男はまるで聞こえなかったかのように反応を見せない。


「こ、来ないでっ!!」


私の投げたナイフは、男の右肩に刺さった。


男は動きを止め、自分の右肩にナイフが刺さったことを悟ると、わなわなと震えだす。


『……どういうことですか?』


「ひっ………」


『何故、私に刃を向けるのです?』


『嫉妬!嫉妬なんですか⁉︎』


男は背中に掛けていた車輪の形をした武器を取り出した。
一体今までどれ程の人間を殺してきたのだろう、その車輪にも大量の血が付いている。
そして、あのピンク色の肉塊も。


男は車輪を振り回し、狂ったように暴れ出した。


『売女めが!』


『汚れた売女めが!!』


周囲の像たちが、車輪によって破壊されていく。


(そ、そうですわ、ブルー・ティアーズを……!)


しかし直後、私は機体を展開できないことに気付く。
そうだ。ブルー・ティアーズは、研究所に預けたままだった。
つまり今、私の手元にはもう身を守れる物がない。


もう、逃げるしかない。
でも、何処に?


『あなたも血にのまれましたか!』


男は車輪から血を飛び散らせながら、どんどんと迫ってくる。


なんとか逃げようと走り回っていると、城の何処からか、声が聴こえてきた。


────……リア!


(い、今の声は……⁉︎)


私は逃げ惑いながら、その声に耳を傾けてみる。


────……リア!目を覚ませ!!


「マ、マリアさん⁉︎」


それはマリアさんの声だった。


しかし声は聴こえるが、姿は見えない。


「マリアさん!!私はここに……きゃ⁉︎」


私は何かに躓き、床に倒れてしまう。


足元を見ると、そこには石膏像の手から落ちた槍があった。


私はその重い槍を手に取り、男に突き出す。


男はそれを避けるが、槍の先が男の頬を掠め、血が滴り始めた。


男は自分の頬から流れる血を見ると、更に狂ったように暴れ出し、こちらに向かってくる。


『血が!』


『血が出たじゃあないですか!』


私は像の森を走り、先ほど上ってきた階段を目指した。


しかしどれだけ走っても階段は見えてこず、寧ろ石膏像の森は深まるばかりで、いつの間にか私は像たちに囲まれている状態だった。


男も見失った。


しかし、前に進むしかない。


目の前の石膏像を腕で退かそうとした、その時─────。





狂った男が、目の前にいた。


そして男は、容赦無く車輪を私に振りかざした。


「ああっ!!」


車輪に吹き飛ばされ、私は後ろにある像にぶつかる。


そして、石膏像の持つ槍に腹部を貫かれてしまった。


意識が朦朧とする。


貫かれた腹部からも、殴られた頭からも、赤い血がどくどくと出ていた。


「マ……リア……さ………」


『………狩人の嫉妬は醜いですよ』


『あなたは、あなたの狩りに邁進なさい』


『私のようにね………』


「や、め…………て…………」


男が車輪を私の頭に振りかざす。


全ての動きがスローモーションのようになる。









こんな時に。


こんな時に何故このようなことを考えているのか解らないが、一つ気になることがあった。


私の身体から流れているこの血と、あの椅子にこびり付いていたピンク色の肉塊の血は、どうして同じ妖しさを放っているのだろうか。


()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()─────。


いや、もう考えても無駄かもしれない。


男の車輪は、もう私の頭を潰す寸前の所まで来ていた。


私は、目を閉じる。


目を完全に閉じる寸前、男によって殺された鉄の仮面の生首が視界に入った。


仮面の下がどのような顔なのかは、別に気にならない。


でも、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()
それだけが、気掛かりだった。





マリアさん、どうか貴女だけは無事で─────

























─────セシリアアアアアアアアア!!!!



─────
───────
─────────


『女王の肉片』

カインハーストの女王の、憐れななれの果て。

だがこのピンク色の肉片は、まだ呪われたように熱い。
素晴らしきかな不死、血の女王よ。


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第29話 帰国

翌日。

マリアとセシリアはエマに連絡し、研究所へと向かった。

幸い二人の機体はもう修復が終わっており、無事に二人の手元に戻った。

あの森であったことをエマに詳しく話すことはしなかったが、月の香りの狩人の襲撃の恐れを考慮し、研究所の地下実験について、これまで通り政府への黙秘を絶対に崩さないこと、そしてセキュリティの管理をより強固なものにさせることを約束させた。

もし月の香りの狩人に地下実験の存在が知られれば、きっと恐ろしいことになるだろう。

またセシリアは、オルコット家の領地であるあの森林地を全て閉鎖。

屋敷に住み込みで働くチェルシーも、身の安全を考え、セシリアは彼女を日本にあるオルコット家の別荘へ連れて行くことを決意した。

 

 

その次の日。

マリアとセシリア、そしてチェルシーは再びロンドン・ヒースロー空港に来ていた。

オルコット家の自家用ジェット機に搭乗していた三人は、ジェット機が離陸するのを待っていた。

セシリアが、チェルシーに少し申し訳なさそうな表情で話しかけた。

 

「ごめんなさい、チェルシー。いきなり連れて来てしまって……」

 

しかしチェルシーは落ち着いた様子で、優しく微笑み返した。

 

「とんでもございません。確かに、住み慣れた土地を離れる寂しさは否定出来ませんが、お嬢様たちと共に過ごせることが、何より嬉しいことだと感じております」

 

「ありがとう……チェルシー……」

 

「それに、一夏にも会えるしな」

 

「ああ!そうですね!」

 

「ち、ちょっとマリアさん⁉︎」

 

「安心なさってください、お嬢様。織斑様を奪う真似はしないので」

 

「チェルシーも悪ノリしないでくださいまし!」

 

「ふふふ」

 

およそ20分後、ジェット機は離陸。

ロンドンの街はどんどんと小さいものになっていく。

マリアは中心街に(そび)え立つ時計塔を、複雑な目で眺めていた。

やはり、自分の記憶にあるヤーナムの地形は、現在の状況と比べると違和感が拭えなかった。

 

 

次にあの時計塔を目にするのはいつになるだろうか。

 

本音を言えば、もう目にしたくなかった。

 

しかし、背を向けるわけにはいかない。

 

私は、未だ過去の罪を思い出せていないのだから。

 

 

 

水曜日。

イギリスを出国した一行は、長時間のフライトを経て、日本へ向かった。

 

 

 

 

 

 

木曜日、午後6時。

淡い夕陽が雲を橙色に染め、IS学園は一日の終わりを迎えようとしていた。

 

同刻、一台の黒の高級車が学園の正門前で停止した。

運転手であるチェルシーが先に降り、後部座席のドアを開けた。

車から降りたセシリアとマリアは、久々の学園を眺めていた。

 

「あまり日は経っていないのに……何だか久しぶりに来た感覚ですわ……」

 

「そうだな………」

 

二人の耳元にある緋と蒼のイヤーカフスが夕陽に照らされ、温かい光を放っていた。

暫くの間、無言で夕陽を眺めていた三人だったが、彼女たちのもとへ駆け寄ってくる人影がいた。

 

「おーーーい!!」

 

「ん?あれは……」

 

「い、一夏さん!」

 

走ってくる人物は一夏だった。三人を笑顔で迎えてくれている様子だ。

一夏に気付いたセシリアも、頬が少し赤くなっていた。もしその理由を聞けば、彼女はきっと照れながら、夕陽のせいだと答えるだろう。

一夏が三人の前に着くと、セシリアが一夏に尋ねた。

 

「ど、どうしてここにいらっしゃるんですの⁉︎」

 

赤い顔でセシリアが聞くと、一夏も笑って答えた。

 

「ほら、木曜日に帰ってくるって言ってただろ?さっきまで学園の中を散歩してて、もしかしたらそろそろ帰ってくる頃なんじゃないかって思ったんだ」

 

「まぁ……嬉しいですわ、一夏さん」

 

セシリアは一夏の優しさに、うっとりとした表情をする。

 

「一夏、久しぶりだな」

 

「マリアもお疲れ。楽しかったか?」

 

「ん……まぁ、な」

 

一夏に悟られないように、それらしい返事をしておく。

一瞬セシリアがこちらを見たような気がしたが、あえて目を合わせないようにした。

あまり気に病まないでほしいと願う。

 

一夏はセシリアの後ろにいるチェルシーに気付いた。

 

「なぁ、セシリア。この人は……」

 

するとチェルシーが笑顔で答えた。

 

「初めまして、織斑様。チェルシー・ブランケットと申します。お嬢様の専属メイドを勤めさせていただいております」

 

チェルシーは両手でスカートの裾を(つま)み、お辞儀をした。

 

「ど、どうも、織斑一夏です。へ〜〜メイドさんか……やっぱりセシリアの家は凄いな」

 

「ふふ……チェルシーは小さい頃から仲良くしていた、私の幼馴染でもあるんですの」

 

「はい。なので、織斑様のお話はよくお嬢様から伺っておりました」

 

「え、俺?」

 

「ええ。なんでも、『学園に強くて優しい素敵な男性が────」

 

「きゃあああ⁉︎ちょっとチェルシー⁉︎いきなり何をおっしゃいますの⁉︎」

 

顔から火が吹きそうになっているセシリア。

マリアはその光景を見て静かに笑い、そして自分の荷物を持った。

 

「じゃあ、私は先に帰るよ。セシリア、イギリスに連れて行ってくれてありがとう」

 

「そんな……とんでもないですわ。寧ろ、私がマリアさんを無理矢理連れて行ってしまった形だったので……」

 

「そんなことないさ。私が行きたいと決めたんだ。だから感謝している」

 

「そう、ですか………」

 

「チェルシー、世話になったな。また近いうちに会おう」

 

「ええ、是非とも」

 

「じゃあな」

 

マリアは正門をくぐり、真っ直ぐ歩く。

ちょうど夕陽と対面するような形で、少し眩しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ああ、そうだ、一夏」

 

暫く歩いたところで、マリアが振り向いた。

 

「ちょっと来てくれないか?」

 

「どうした?」

 

一夏がマリアの元へと駆け寄る。

 

「ああ、荷物か。確かに重そうだもんな。俺が持つよ」

 

「いや、そうじゃないんだ」

 

「え?」

 

「一夏にこれを渡そうと思ってな」

 

マリアがポケットの中から小さな白い紙のようなものを取り出した。

 

「何だこれ?」

 

手触りからして、それは一枚のフィルムだった。

 

「裏返せば分かる」

 

マリアの言う通りに裏返してみると、そこには機内でのセシリアの姿が写っていた。

肩にまで毛布を被り、ジェット機の窓の外を眺めている彼女は、少し拗ねているような表情で、頰を赤く染めている。

機内で何があったか一夏は予想出来ないが、セシリアのその表情はとても愛らしいものだった。

また、窓から差し込む太陽の光がセシリアの金色の髪をより際立たせ、本当に綺麗な姿になっていた。

一夏は写真を見て、思わず心臓が跳ね上がった。

 

「マ、マリア……これ……!」

 

「一夏なら喜ぶと思ってな」

 

「お、俺がセシリアのこと……っていうの、バレてたのか?シャルにも聞かれたんだけど」

 

一夏はセシリアに悟られないように小声で尋ねた。

マリアはその言葉を聞いて、優しく微笑んだ。

 

「シャルロットにも知られたのか。なら千冬も当然分かっているだろうな。というか、二人の様子を見たら誰だって勘付くぞ」

 

「ま、マジかよ……」

 

これ以上ないくらい恥ずかしそうな一夏。相変わらず鈍感である。

するとマリアは少し真剣な様子で、一夏に尋ねた。

 

「なぁ、一夏」

 

「ん?」

 

「………シャルロットは元気にしていたか?」

 

「ああ、元気だぜ。今も部屋にいるんじゃないかな。きっとマリアが帰ってきたら喜ぶぞ」

 

「そうか……ありがとう。ではな」

 

マリアは荷物を持って、再び寮へ向かった。

二人の様子を見ていたセシリアだったが、夕陽の逆光のせいでマリアが何を渡していたのか全く分からず、ずっとキョトンとした顔をしていた。

しかしチェルシーは、見えていないが分かったらしく、セシリアの後ろで優しい笑みを浮かべていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

セシリアは、マリアの遠い後ろ姿を見て、思った。

 

 

(マリアさん……正直、貴女のおっしゃっていた話は、未だ半信半疑です)

 

 

(でも、あの森であのような非現実的なことが起きれば……私は信じるべきなのでしょうか)

 

 

(それに、研究所の地下実験……打鉄が損傷反応を起こしたのは私と貴女の血液だけでした………)

 

 

(前々から、貴女と私は何処か似ている……それと同時に、私のお母様の雰囲気も微かに感じられる……そう思っていました)

 

 

(もしも………もしも貴女の話が全て事実で、私の今考えている憶測が本当にその通りなら、貴女は………)

 

 

しかしセシリアは、首を振った。

 

 

(いえ………まさか、ですわね………)

 

 

その後、チェルシーはオルコット家の別荘へと向かい、セシリアと一夏は一緒に寮へと向かった。

実家に帰省している学生がほとんどなので、寮への道は誰もおらず、二人は甘い時間を過ごしていた。

 

 

 

 

 

 

マリアは、自室の前にいた。

扉を開ける手が、なかなか出せない。

シャルロットにどう話しかけようか。

なかなか頭の中で言葉が出てこないマリアだったが、ここで考え込んでも仕方がない。

思い切って、マリアはドアノブを回した。

 

「シャルロット……?」

 

部屋を見ると、シャルロットがいなかった。

しかし浴室の方から、シャワーの音が聴こえてくる。

 

(シャワーを浴びているのか……)

 

マリアはとりあえず着替えることにした。

荷解きも終え、着替え終わり、椅子に座るマリア。

座ると同時に、気が張っていたのだろうか、身体から力が一気に抜け、疲れがどっと押し寄せた。

カーテンを流れてくるそよ風が気持ちいい。

なんだか、瞼が重い。

眠ってしまいそうな感覚だ。

もう寝てしまおうか……。

いつのまにかマリアは、眠りの中へ入ろうとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

パサッ

 

 

マリアは、何かが落ちた音に目を覚ます。

床を見ると、少し湿ったタオルが落ちていた。そしてその横には、肌白い脚が伸びていた。

マリアは、視線を上にあげる。

 

そこには、少し濡れた髪のシャルロットが立っていた。

 

何故だか、目から涙が出そうなシャルロットだが、ぐっと堪えた。

 

そして少ししゃがみ、マリアと同じ高さに目を合わせ、優しく微笑んだ。

 

「帰ってたんだね、マリア………」

 

「ああ、ついさっき、な」

 

「ふふっ、そっか」

 

どちらともなく、自然に笑みが零れた。

 

温かい空気だった。

 

「おかえり、マリア」

 

「ただいま………シャルロット」

 

 

 

 

 

 

「マリア、何か飲む?」

 

「そうだな……そうしよう」

 

「そのままでいいよ。疲れてるでしょ?紅茶入れてあげるね」

 

「すまない」

 

シャルロットは台所に行き、お湯を沸かし始めた。

マリアもシャルロットの言葉に甘え、おとなしく待つことにする。

 

 

暫くして、シャルロットが2人分の紅茶をテーブルに置いた。

 

「はい、どうぞ」

 

「ありがとう」

 

お互い、静かに紅茶を飲む。

紅茶の温かさが、じんわりと身体の隅々まで広がってゆく。

 

時計の針が盤上を規則的に動く音が、やけに聴こえてくる。

マリアは、カップをゆっくりと受け皿に置いた。

 

「その……シャルロット………」

 

「どうしたの?」

 

「すまなかったな……突然部屋を空けてしまって………」

 

少し責められるだろうか、と、マリアは感じた。

しかしシャルロットはそのような様子は一切見せず、優しい表情を浮かべた。

 

「ふふっ、いいよそんなの。それより、イギリスは楽しかった?」

 

なんと答えようか迷っていると、シャルロットがすぐに続きを話し始める。

 

「実はね……正直不安だったんだ。なんとなくだけど、マリアがイギリスで危ない目に合ってしまうんじゃないかって………」

 

「………そうか」

 

「うん……。ねぇ、マリア。あっちでは何も起こらなかった?」

 

心配気な表情で、シャルロットは尋ねる。

 

「ああ……大したことは無かったよ」

 

「本当に?」

 

シャルロットがマリアの目をじっと見つめた。シャルロットも勘がいい。それとも、私の嘘が下手になったのだろうかと、マリアは心の中で思う。

 

「……敵わないな、シャルロットには。大丈夫だ。少しセシリアのジェット機が不調だっただけだよ」

 

まさか自分とセシリアが森の中で殺されかけたなど、言えるはずもなかった。

マリアの顔を見て、シャルロットは小さく呟いた。

 

「………ほんと、嘘が下手だよね。マリアって………」

 

哀しく、切ない表情をして、シャルロットは俯く。

マリアも、何も言えなかった。

 

二人の沈黙を先に破ったのは、シャルロットだった。

よく耳を傾けないと聞こえないような呟きだった。

 

「ねぇ、マリア………」

 

「………」

 

「僕たち、やっぱり見えない壁があるんだね………」

 

「それは………」

 

「だって……マリアに話しかけても、まるで壁と喋ってるような気持ちになるんだよ……。せっかく久しぶりに会えたのに、これじゃあ前と変わらないよ………」

 

シャルロットの膝の上に一滴、涙が零れた。

 

それを見て、マリアはやりきれない気持ちになる。

一体、私はシャルロットをこんなに悲しませて、何がしたいのだろう。

しっかり彼女と向き合うことを置き手紙に綴ったのは私の方じゃないか。

私は今、その約束を裏切っている行動をしてしまっている。

シャルロットにこんな悲しい顔をさせている自分が情けない。憎い。

 

でも、彼女にどんな言葉をかけるべきか、分からない。

 

マリアは、何度も口を開いては、閉じたりを繰り返し、結局何も言えずに終わってしまった。

 

 

 

 

暫くして、シャルロットがマリアに尋ねた。

 

「ねぇ、マリア」

 

「な、なんだ?」

 

「明後日の土曜日、何か予定あるかな?」

 

「いや、何も無いが……」

 

涙で少し赤い目をしていたシャルロットは、ニッコリと、明るく振る舞った。

 

「それならさ、近くのショッピングモールでお買い物しようよ!マリアと一緒に服見たいな」

 

「あ、ああ!では行こうか」

 

マリアは、シャルロットが少しでも元気になるならと思い、承諾した。

 

「ふふっ、ありがと♪」

 

するとシャルロットは立ち上がり、飲んでいた紅茶を片付けた。

 

「じゃあ……先に寝るね」

 

「ああ、私はシャワーを浴びてから寝るよ」

 

「そっか。じゃあ……おやすみ、マリア」

 

「おやすみ……シャルロット」

 

シャルロットはベッドに横たわり、掛け布団を被った。

 

 

 

 

 

シャルロットがここまで無理をして明るく振る舞ってくれている。

自分も言い訳はできない。

土曜日、しっかりと彼女と話そうとマリアは決意した。

 



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第30話 人形

イメージ曲
Hunter's Dream - Bloodborne OST


 

─────────

───────

─────

 

 

夢を、見ていた。

 

真っ白な世界。

誰も、何もない世界だったが、優しい空気だけが広がっていた。

 

この心地よさに自分も目を閉じ、身体を委ねる。

 

耳を澄ませると、声が聴こえた。

 

『私を、見つけて』

 

女性の声。

優しい声だった。

 

『早く、私を、見つけて』

 

この声を、私は知っている。

いや、知っているなどという表現は当てはまるのだろうか。

 

『貴女を、ずっと────』

 

この声は、()()()だ。

しかし、私は口を開いていない。

 

私は目を開き、声の聴こえる方を向いた。

 

そこには、もう一人の私がいた。

 

もう一人の私は、人間味があるようで、しかし何処か造り物のようにも感じられた。

 

少し汚れてしまった帽子とスカートを身に付けてたもう一人の私が、優しい声で、しかし何処か焦ったような声で、私に言う。

 

『貴女を、ずっと、待っている』

 

『早く、私を、見つけて……────』

 

「待っ………」

 

手を伸ばすと、もう一人の私は白の世界に溶けて、消えてしまった。

 

夢も、もう終わりを迎える。

何故かそれだけが分かった。

 

 

 

─────

───────

─────────

 

 

 

 

 

金曜日・朝6時。

マリアは、じんわりと夢から覚める。

先ほどの白い世界がゆっくりと見慣れた部屋の天井の色に変わっていく、そんな感覚だった。

 

随分と、変な夢だった。

自分と全く同じ顔の人物が、まるで()()のような格好をしていたのだから。

しかしその格好に、何処か懐かしい雰囲気も感じていた。

 

マリアは、身体を起こす。

横を見ると、まだシャルロットは眠りの中だった。

休暇中の学園で、朝6時から目を覚ましているのも自分くらいだろうか、とマリアは思う。

 

なんとなく、行かなければならない、と思った。

しかし、何処へ?

 

マリアは取り敢えず、身支度を済ませ、外へと出ることにした。

 

 

 

 

 

 

寮を出ると、梅雨の影響だろうか、外は霧がかかっており、空も曇り空といった様子だった。

立ち込める霧は、数十メートル先が見えないほどの濃さで、辺りは白い世界へと包まれていた。

さっきまで見ていた夢とまるで似ていて、未だ夢から覚めていないのかもしれないという錯覚に陥ってしまいそうだった。

そんな時、またあの声が微かに聴こえた。

 

『早く、私を、見つけて………』

 

振り返るが、辺りには誰もいない。

声の主は何処かにいるのだろうか。

しかし、全くもって見当がつかない。

 

 

そんな時、ずっと向こうから、誰かが走ってくる様子が見えた。

目を凝らし、霧に紛れたその姿をよく見ると、その人物は千冬だった。

運動着を着ているから、おそらくランニングをしているのだろう。

千冬もマリアに気付いたのか、マリアの所まで近づいた。

 

「休みだというのに、早いじゃないか」

 

「毎朝走っているのか?」

 

「まぁな。引退をした身とはいえ、教師をやっている以上、体力は落とせない」

 

「そうか」

 

千冬は首にかけているタオルで汗を少し拭く。

 

「イギリスに行ったのだろう?研究所で何か進展はあったか?」

 

「………いや。修復をしてもらっただけだ」

 

「………そうか。オルコットのISの覚醒の原因も気になるが……まぁ、いずれ分かることだろう」

 

「イギリスに行っていたこと、一夏から聞いたのか?」

 

「まぁな。あいつはオルコットと上手くいっているか?」

 

さすが姉。弟のことなど何でもお見通しらしい。

 

「ああ、セシリアも────」

 

『貴女を、ずっと、待っている……』

 

「……⁉︎」

 

「……?どうした?」

 

また、あの声が聴こえた。

だが、どうやら聴こえたのはマリアだけらしく、千冬はマリアの様子を見て首を傾げている。

 

「いや……何でもない」

 

「?そうか。まぁ、早起きは良いことだ。残りの休暇を有意義に過ごせ。ではな」

 

そう言うと、千冬はマリアの元から離れていく。

頭の中で、あの声がずっと反響していた。

 

マリアは、無意識のうちに千冬に尋ねていた。

 

「待ってくれ」

 

「なんだ?」

 

千冬が振り返った。

マリアの口からは、自然に次の言葉が出ていた。

 

「私はどこで発見された?」

 

「………なに?」

 

「確か言っていたな……私は学園の森林地で発見された、と」

 

「………何故そんなことを聞く?」

 

何故。何故だろうか。

自分でも分からない。

だが、もしかしたら、そこに行けば何かが分かるかもしれないとマリアは本能で感じていた。

マリアは、それらしい理由を言うことにした。

 

「いや……もしかしたら、自分の私物が落ちているかもしれないと思ってな……」

 

「周辺は調べたが、何もそれらしいものは無かったぞ」

 

「自分の目で確かめたいんだ。本当に何もないなら、それで諦める」

 

千冬は暫く考え込んだ後、顔を上げた。

 

「………まぁ、良いだろう」

 

 

 

 

 

 

IS学園の土地は広い。

学園そのものが一つの島になっているため、学園というよりも街の感覚に似ている部分もある。

当然、自然保護区として広大な森林が管理されている。

 

マリアは、自分たちの校舎や寮からずっと離れた森の中を歩いていた。

霧の立ち込める森は、少し気を抜けば迷ってしまうくらいに方向感覚を掴むのが困難だ。

この辺りは、島の中でも端の方に位置する。

校舎が島の中心にあることを考えると、マリアは随分長い距離を歩いてきたようだ。

千冬の話によれば、当時マリアは海辺の森で発見されたらしい。

木の根が凹凸に張り巡らされた道無き道を、マリアはひたすら進んでいく。

 

暫く歩いていると、ささやかな波の音が聴こえてきた。霧で見ることはまだ出来ないが、どうやら海は近いようだ。

海の音が聴こえる方へと、マリアは進む。

 

やがて、霧に包まれた海が見えた。

 

「この辺りか……」

 

マリアは、海沿いの木々の側を歩いていく。

 

歩いていくうちに、声の主の方へと近づいていく感覚が、無意識にマリアのなかで感じられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、十分程歩いたところで、マリアは足を止める。

 

 

「これは………⁉︎」

 

 

そこには、一本の木にもたれかかった、()()()()

 

今朝の夢に出てきたものと、同じ姿をしていた。

自分と同じ白い髪。

自分と同じ顔。

 

まだ、私は夢から覚めていないのだろうか─────。

 

そう思うマリアだったが、すぐに頭の中で否定した。

 

これはれっきとした、現実だ。

 

だからこそ、理解が出来なかった。

 

 

マリアは、恐る恐るもう一人の自分へと近付く。

 

もう一人の自分は、木に背中を預け座り、海の方をずっと見ていた。

 

こちらに反応しない。

 

マリアは、もう一人の自分の側に寄り、身体を調べる。

 

()()………?」

 

指を見ると、関節ごとに繋ぎ目があり、手触りも人間の肌ではなく、人工的に造られた物質特有のものだった。

帽子も、手袋も、スカートも、全てこの人形のために造られたようにみえる。

これほど精巧なまでに造られた人形が、こんな学園の果ての地で、打ち捨てられていた。

 

 

何故、この人形はここにある?

 

 

何故、この人形は私にそっくりなんだ?

 

 

何故、私はここに来れた?

 

 

千冬は、マリアが発見された場所付近には何も無かったと言っていた。

元々侵入を疑われていた身だ。彼女や学園の者たちが怪しい手掛かりを見落とすなどということはまずあり得ないだろう。

つまりこの人形は、それ以降にここに来た……?

 

 

「お前が……私を呼んだのか………?」

 

 

海に目を向けたまま、マリアの言葉に反応しない。

当然だ。ただの人形なのだから。

 

マリアは、自分と同じ白と灰の少し混じった髪に、なんとなく惹かれた。

 

マリアは、人形の被っていた帽子を、ゆっくりと外す。

 

 

 

 

 

 

人形の頭には、()()()()()()が付けてあった。

 

 

 

それを見つけた途端、マリアの中で、懐かしい、温かい気持ちが蘇る。

 

 

 

無意識に、マリアはその髪飾りに手を伸ばした。

 

 

 

そして、マリアの指先が、人形の髪飾りに触れた途端────

 

 

 

「ぐあああああああ!!?」

 

 

マリアの中で、雷に打たれたような感覚に陥る。

 

頭の中に、次々と景色が入ってくる。

 

そしてその景色を、マリアは知っていた。

 

 

(これは、私の………記憶………?)

 

 

雷に打たれたような衝撃と、膨大な量の景色に頭が追いつかず、マリアは地面に倒れ臥す。

 

 

 

例えるなら、人間が死ぬ間際に見るという、走馬灯のように。

 

 

 

そして次々と、今まで思い出せなかった記憶の欠片が、割れたガラスが元に戻っていくように、復元されていく。

 

 

 

()()()()()()()………。

 

 

 

()()()()()()()………。

 

 

 

そして、()()()()()()()()()()………。

 

 

 

全ての時間がゆっくりと動くように感じて、マリアは倒れると同時に、意識を失った────。

 

 

 

 

 

 




『人形の服』

打ち捨てられた人形用の服。
着せ替え用のスペアであるようだ。

ごく丁寧に作られ、手入れされていたであろうそれは、
かつての持ち主の、人形への愛情を感じさせるものである。

それは偏執に似て、故にこれは、わずかに温かい。


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マリアの記憶

Bloodborneには正式な解釈は無く、あらゆる物語が考えられます。
私もこの小説を作る上で、色々な解釈をしています。
だからといって皆さんに、私の解釈を信じろと言うつもりはありません。
寧ろ、皆さん自身が持つ考えを大切にしてほしいと願います。
私と皆さんの間で、物語に関して当然違った考えもあると思います。
それを理解された上で、この小説を楽しんでいただければ、私にとってそれに勝る幸せはありません。


私は、貧しい家庭に生まれた。

決して、幸せとは呼べないような暮らしを強いられた。

酒浸りの父からは毎日のように暴力を振るわれ、私の身体は青い痣に蝕まれていった。

それでも母は、いつも父から私を守ろうとしてくれていた。そのせいで、母も私と同じように、父から毎日殴られ、蹴られ、血を流した。

ある日、父が出掛けている時、私は母に訴えた。

外に出たい、と。

同い年の少年少女たちは外で毎日楽しそうに遊んでいるのに、どうして私だけがこんな目に遭わなければならないのか。

子供に出来る、精一杯の反抗だった。

しかし母の口からは、もう何百回と聞き飽きた言葉しか出てこなかった。

 

『絶対に、外に出てはいけません』

 

物心ついた頃から、家の中だけでの生活を強制された。

理由を聞いても、母はいつもはぐらかし、愛情という便利な手段で私を誤魔化した。

だが、子供というものは純粋で、単純な生き物だ。

母の優しさ一つで、自分の主張など簡単に折れてしまうのだから。

 

『ごめんね………』

 

母は、痣のついた顔で、ぐっと歯を食いしばり、涙を堪えながらそう言った。

母は(ずる)い。

そんな顔をされれば、娘の私は何も言うことが出来なかった。

そうやって、ずるずると、外の景色を見れない私の生活は続いていった。

 

 

ある日。

母は夕べの食事の材料を買うため、一人で外に出掛けた。

これもいつもの日課だった。

父も、母も、家には居ない。いるのは私だけ。

何度も外に出たいと思ったが、扉に手を掛けようとすると、母のあの悲痛な顔が脳裏に浮かび、私は手を引っ込めた。

 

その日は珍しく、母の帰りが遅かった。

時間が経つにつれ、私の中でどんどんと恐れの感情が湧き上がっていた。

このままでは、父が先に帰ってきてしまう。

身震いがした。

私が父の暴力を耐えられたのは、優しい母がいつも側で守ってくれていたからだ。

母のいない私には、何も残されていないのだ。

しかし、とうとう現実は私に背を向けたままに終わった。

父が、先に帰ってきてしまったのだ。

その日の父は、外で何かあったのか、いつもよりもずっと苛立っていた。

家の扉を閉めるや否や、横にある小さな花瓶を蹴り飛ばしてしまう。

あれは、母が大切にしていた花瓶だ。

あの可愛らしい白い花を見て、私はいつも癒されていた。

それなのに、父はただ自分の憂さ晴らしのために、母と私にとって大切な花瓶を壊したのだ。

 

憎かった。

 

だが、反抗など、到底出来るわけなかった。

 

子供である私の憎しみなど、父を前にすれば、容易く恐怖の感情に変わる。

 

花瓶を壊した父は、息を荒くしながら、私を見た。

そして、私を見るやいなや、頭を殴り、殴り、蹴り飛ばした。

床に倒れ伏した私の上に、父が跨る。

鼻血の出た私の顔を、太い荒れた指で、ゆっくりとなぞる。

 

『あいつに似て、顔のつくりは悪くないな────』

 

母のことを言っているのだろう。

気色の悪い、ニヤニヤとした目つきで、私の顔を触る。

ねっとりとした、酒臭い父の息が、私の顔を舐め回すように吹きかかる。

すると父は更に息を荒くさせ、興奮しながら私の服を剥ごうとした。

 

『やめて!』

 

私は、必死に抵抗した。

だが、父は私の髪を捻じ上げ、壁に叩きつける。

 

身体中の筋肉が、痛いと叫ぶ。

暴力を受け過ぎた私の身体は、既に限界を迎えていたのかもしれない。

私はとうとう力を入れることも出来ず、抵抗も虚しく終わった。

 

服を剥がされ、私の胸や下半身が、父の前で露わになる。

もう何もかも諦めた私は、壊れた花瓶に目を移した。

水で濡れた白い花が、酒の空瓶に囲まれていた。

私と母の大切な花瓶が割れてるのに、何の役にも立たない酒瓶だけは悠々と床に転がっていることに、私は酷く憎しみを覚えた。

 

そして父が、自分のズボンに手を掛けたその時────

 

『マリア!!!』

 

母が、帰ってきた。

母は目の前の惨状を見ると、顔を真っ青にし、父を止めにかかる。

 

『あなた!やめてください!』

 

私を守ってくれようとした母も、私と同じように、父に殴られる。

殴られた衝撃で、母の買い物籠の中身が床に散らばった。

散らばった野菜や果物の中に、綺麗に光るものがあった。

それは、新品の小さな髪飾りだった。

 

『何だこれは』

 

父がその髪飾りを手に取り、母を見て言う。

 

『それは……マリアに買ってあげたものなの。だから────』

 

『こんな無駄なもの買う金があったら、酒を買ってこい!』

 

父はまた母を殴る。

母のその言葉を聞いた私の心に、温かいものが広がっていた。

母が、私のために買ってくれた髪飾り。

今すぐそれを、自分の髪に付けてみたかった。その姿を、母に見せたかった。

 

『ふん……こんなもの、酒よりも価値がねぇ』

 

現実は、どこまでも非情だった。

 

あろうことか、父はその髪飾りを床に叩きつけ、踏み(にじ)り、粉々にしたのだ。

そしてまた母を殴り、殴られる内に、母は気を失っていた。

私の中で、再び怒りの感情が湧き上がった。

その怒りは恐怖に変わることなく、私の身体に力を入れさせた。

 

憎い。

 

憎い。

 

この男が憎い。

 

私の中で、殺してやりたいという決意が芽生えた。

私は床に落ちている薄汚い酒瓶を取り出し、父の後頭部を目掛け、振りかざした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

気付けば父は血まみれになって倒れており、ピクリとも動かなかった。

私の手には、血塗れになって割れた酒瓶。

倒れた父の身体の周りには、同じ血塗れになって割れた酒瓶が何十本もあった。

もう、父は死んでいた。

いつの間にか、母は私を強く抱擁していた。

涙を流しながら、母は私の胸の中で言った。

 

『ごめんなさい………』

 

『ごめんなさい………!!』

 

そんな言葉を、聞きたくはなかった。

けれど、母は何度も私の胸の中で謝っていた。

 

『あなたを、守れなかった………!』

 

破れた私の服が、母の涙で湿る。

 

私の目は、乾いたままだった。

 

 

 

 

母は、私の身体の傷を手当てし、代わりの服を着させてくれた。

そして何かを決心したように荷作りをし始めた。

荷作りを終えた後、母は私に頭巾を被せ、家の灯りを消す。

私は、母に聞いた。

 

『どこへ行くの?』

 

『知り合いのところよ。あなたもついてきて』

 

思いがけない形で、私が外に出れる時がやってきた。

私はボロボロになった少し窮屈な靴を履き、扉の外へと出る。

 

 

月に照らされた夜のヤーナムは、誰も人がいなかった。

不思議と、外に出れた嬉しさは感じなかった。

この時私の心は、もう何も感じることが出来なかったのかもしれない。

母は家の鍵を閉めた後、私の手を繋ぎ、夜の道を歩き始めた。

お互い、家を振り返ることは無かった。

 

 

 

 

私と母は月に照らされながら、長い間歩き続けた。

やがて街を抜け、森を抜けたその先に、大きな廃城が見えた。

山と森に囲まれた閉鎖的な環境にあるその廃城からは、まるで人の気配が感じられなかった。

母は私の手を取り、その城へと歩を進める。

 

城に入り、幾つもの広間を抜け、階段を上る。

そして、最上部への階段を上ると、城の屋外へと出た。

荒れた吹雪の中、母は私を連れて前に進む。

 

そして暫く歩き、母は足を止めた。

母は、何処か虚空を見つめている。

しかし母の視線の先には何も無かった。

 

『お母さま、なにもないよ?』

 

『……そっか。あなたは初めて来たものね』

 

母は屈んで、私と目線を同じ高さにした。

そして目を閉じ、私の額に自分の額をくっつける。

 

『マリア、目を閉じて』

 

母は、何かまじないのようなものを唱えていた。

私も、言われた通りに目を閉じる。

 

母がいくつかのまじないを唱えた後、私に目を開けるように言った。

目を開けても景色は先程と変わっていなかった。

しかし、突然私たちの周りを吹雪が吹き荒れる。

私は少し怖くなり、母の手に抱きついた。

こんな吹雪の中でも、母の手は温かかった。

 

次第に、吹雪は落ち着いていく。

すると、さっきまで何も無かった虚空に、城のさらなる最上部が現れた。

人間の目を避け、今まで身を隠していたその部分に、私は驚きを隠せなかった。

 

母は、私の手を握り、その幻の最上部へと入っていった。

内部に入ると、長い階段が待ち受けていた。

階段の横には、規則的に並び置かれた、馬に乗った騎士兵達の銅像。

銅像は城内の薄暗い灯りを微かに反射させていた。

階段を上りきると、そこは広く開いた場所だった。

辺りには乱雑に置かれた西洋風を思わせる人々の石膏像。

床にはいくつもの蝋燭の火と、誰のものかも分からない血が染みついていた。

目の前には二つの椅子があり、女性が一人座っていた。

金色の髪をしたその女性は、何を言うわけでもなく、こちらの様子をじっと見ていた。

彼女はこの城にずっと居続けている()()()()()()という女王らしい。

彼女の視線に怯えた私は、母の背中に隠れた。

すると、母が口を開いた。

 

『この子を匿ってほしい』

 

アンナリーゼは母の背中に隠れた私を見て、冷たく嘲る。

 

『私にこの娘の身を保障しろと?』

 

『もうあの家には居られない。この子が()()()()()()()()は、もうここしか無いの』

 

『去れ。破落戸(ならずもの)(そそのか)され我ら一族を離れた者に、此処にいる権利など無い』

 

『世話を見てほしいなんて言わない……ただ、ここに居させてあげて………このままだと、この子まで危ない目に遭ってしまう………』

 

『………』

 

 

その後、私は母に連れられ、城の中の空いている部屋へと案内された。

さっきまで住んでいた家と比べ、綺麗すぎる内装だった。

母は私に、少しだけの別れを告げた。

私は嫌だと駄々をこね、母に抱きついた。

母が側にいない私など、何も残らないのだ。

こんな訳も分からない城に居たくなどなかった。

私は母を離さまいと、必死に母の背中に腕を回した。

しかし母は、何度も私に説得した。

これが最後じゃない。

暫くしたらここにまた返ってくる、と。

それでも私は、母から手を離すのが嫌だった。

そんな私に、母はとうとう涙を流して、訴えた。

 

『お願いだから……』

 

『お願いだから……私の言うことを聞いて、マリア………』

 

母は狡い。

娘の私にとって、母の涙には到底敵わない。

勝てるはずなど、なかった。

 

『すぐ、帰ってくるよね………?』

 

母が何と言ったかは、もう思い出せない。

 

 

 

 

数日後、母が殺された。

城の部屋で一人いた私に、アンナリーゼがそう告げた。

嘘だと思った。

私は母の元へ行こうと城を出ようとした。

だが、アンナリーゼが私の行く手を阻んだ。

私はアンナリーゼを押し退け外へ出ようとしたが、彼女は小さい身体の私を力ずくで連行し、部屋に監禁した。

私は泣き叫んだ。

今すぐにでもここを出て、母に会いに行きたかった。

アンナリーゼを殺してでも、母に会いたかった。

 

いつしか私は、母を殺したのはアンナリーゼだという考えに至った。

アンナリーゼのいる場所は、人間の目には見えない幻の場所だ。

自分の居場所を知っている母が、娘を置いて外に逃げた。

アンナリーゼは、母が誰かにその場所について口外するのではないかと危惧し、殺そうと考えたのだろう。

しかし彼女は女王だ。

女王が自分の手を汚すわけにはいかない。

きっと手下を使って、私の母を殺させたのだろう。

なんという、卑怯な人物だろうか。

私は監禁された部屋で独り涙を流し、アンナリーゼへの復讐を誓った。

外の世界から隔離された生活が、また始まった。

 

 

 

 

 

 

数年後のある日。

私は城の外へ出ることを決意した。

監禁は何年も前から解かれていたが、私は敢えて自分なりに鍛錬することで、脱出を図った。

そして、アンナリーゼをこの手で殺すことも。

しかし私は、この時脱出のことだけを考えていた。

何故なら以前に、私は彼女が不死の寿命を持つということを知ったからだ。

所詮城の中の鍛錬だけでは、彼女を殺めることなど出来ない。

ならば、外の世界で更に力をつけ、彼女を討取る。

それが私の考えだった。

 

私はアンナリーゼの目を潜り抜け、固く閉じられた扉を壊し、脱出を図る。

ここに初めて来た当時の小さい身体では無理だったことが、鍛錬した今では可能になっていた。

私はついに城の外へと繋がる扉を壊し、脱出した。

領地の正門に着いた時、一度だけ振り返った。

吹雪の空に浮かぶ幻の最上部の窓で、アンナリーゼがこちらを見ていた。

追ってくるでもなく、焦った様子もなく、ただただ私を眺めていた。

そして、何かを諦めたように、彼女は背を向け、城の中へと姿を消した。

荒い吹雪が吹いた。

腕で顔を隠し、再び目を開けると、そこにはただの虚空が広がっていた。

私は城に背を向け、森を駆け抜けた。

 

 

 

 

 

 

私が彼と出会ったのは、それからまた数年経った時のことだ。

外の世界へ出た頃から、私は少し大人になっていた。

ヤーナムの外れで、私は彼が剣の鍛錬をしている姿を見て、直ぐに懇願した。

 

私に剣を教えてほしい、と────。

 

私の目を見て、彼は私の願いを断った。

私の目に映る復讐の誓いが、彼を拒絶させたのだろう。

だが私は同時に、いや、それ以上に、自分自身の強さを手に入れたいと考えていた。

生きていく上で、私には彼の持つ強さが必要だった。

何度も頭を下げ、懇願する私に折れたのか、彼はついに承諾してくれた。

名前を聞くと、彼は()()()()()という剣士だった。

 

それから数年間、私はゲールマンの弟子となり、寝食を共にした。

私は、彼にありとあらゆる剣と銃の教えを受けた。

毎日、血を流すほどの鍛錬を積み重ねた。

崖から落ちそうになったりするなど、何度も死ぬ思いをした。

ゲールマンは常に厳しく当たり、しかし時に優しさを見せてくれた。

 

ある時、彼は私に贈り物を渡してくれた。

箱を開けると、中には小さな髪飾りがあった。

驚く私に、彼は優しい顔で私の髪にそれを付けてくれた。

 

『よく、似合っているよ』

 

母を思い出した私は、彼の優しさに涙が止まらなかった。

 

私は、いつしか彼を愛するようになっていた。

 

彼の、()()()()()()も知らぬままに───。

 

 

 

 

 

 

ゲールマンの教えを受け数年が経った頃、私は彼にある誘いを受けた。

 

()()()()()()()に入らないか、と。

 

ビルゲンワースは学長ウィレームを筆頭に考古学の研究に力を入れている学府らしく、最近、中心街の外れにある漁村で、貴重な資料を発見したとのことだった。

研究を進めるためには、志の強い人材が必要である、と。

ゲールマンは考古学が好きな人物で、寝食を共にしながら、私は彼の知見をよく聞いていた。

私自身、考古学に造詣が深いわけでは無かったが、新たな発見があるたび、彼が嬉しそうに話す様子が何より愛しいものだったのだ。

私は、愛する彼の笑顔が見れるならと、迷いなくビルゲンワースに入ることを決意した。

 

 

 

ビルゲンワースは漁村で入手した資料を元に、神の子を造ろうと励んでいた。

ウィレームによれば、この世界にはかつてトゥメルと呼ばれた文明があり、宇宙を支配する『ゴース』という強大な存在を崇拝していたというのだ。

『月を司る指導者』であるゴース、またそれらに従属する神々を、人々は『上位者』と呼んだ。

 

街の名前である『ヤーナム』とは元々トゥメルの女王のことであり、ある時ゴースと交わり赤子を授かった。

トゥメルの女王・ヤーナムを初めとした、上位者と交わった穢れた血を引く一族を、人々は『カインハースト』と呼んだ。

 

しかしある時、ゴースはある上位者の手によって惨殺される。

月を司る神殺し────『月の魔物』となったそれは、他の上位者たちに恐れられ、新たなる宇宙の支配者となった。

ゴースを失ったトゥメル文明は赤子の力を制御することが出来ず、やがて文明は崩壊し、赤子も埋没した。

しかしカインハースト一族は、その身体に流れる血の生命力もあり、何とか生き延びることが出来た。

今もカインハーストは人々の目から避け、何処かでひっそりと生き延びているという噂があるという。

 

ビルゲンワースが漁村で発見した資料とは、まさにその『ゴース』の遺体であり、神の子を再び創造するという試みは、カインハーストの血を引く者の存在がいて初めて成り立つものだったのだ。

 

私はそれまで、ビルゲンワースの教室棟にしか入ったことがなかった。

しかしその時、私は初めてビルゲンワースの実験施設へと足を踏み入れた。

そこには、恐ろしいほどの血液の資料が並べられていた。

血液の資料には、人の名前と、血液自体の区別の名称が記されていた。とても少量とは言えないものだった。

 

そこで私は学長から真相を聞いた。

ここにある血液の殆どは漁村の人間から採取したものである、と。

元々漁村の住民たちは、村の浜辺に打ち棄てられたゴースの遺体を豊漁の守り神として崇め、豊かな暮らしを送っていたのだ。

しかし漁村に、上位者に関する貴重な資料があると知ると、学長は直ぐに住民たちに、ゴースの遺体を研究に使いたいということを熱弁したのだ。

しかし守り神を引き渡すことを住民たちは頑なに拒絶し、それに怒りを覚えた学長は、ビルゲンワースを率いて漁村を無理矢理制圧したのだ。

 

当然、そこにはゲールマンも協力していた。

 

ここにある血液は、その住民たちの死体から採取したものだったのだ。

 

 

 

私はゲールマンに裏切られた悲しみと、ビルゲンワースへの恐怖と怒りを覚え、学長の目の前で側にある血液の入った資料を割った。

そのとき、割れたガラスの破片が私の頰を掠め、床に滴り落ちた。

 

学長の困惑の顔が、途端に狂喜の熱へと豹変した。

 

私の身体を流れる血はまるで生きているように蠢いており、それはカインハーストの血を引く何よりの証拠であるらしかった。

私はそこで、初めて自分がカインハーストの穢れた血を引く傍系の人間であると知った。

あの時、母があの城へ連れて行ったのも、私がカインハーストの人間であったからだと、今になって漸く分かったのだ。

 

学長は私に、上位者の赤子を造るために血液を採取させてくれと頼んだ。

当然、私は拒絶した。

しかし、学長は協力しなければ処刑隊に密告すると私を脅した。

カインハーストの穢れた血を厭い、今もなおその血を持つ者を探し、殺そうと考えている集団だ。

私は密告されても構わなかった。

だが、学長は更に卑怯な手を使った。

 

『協力しなければ、君の慕う()も、安全は保障できなくなるだろう────』

 

ゲールマンのことだ。

私の弱みにつけこみ、自分の欲望だけを求める学長に酷く憎悪を覚えたが、私は逆らうことが出来なかった。

私は、何故これほどまでに赤子へと執着するのか疑った。

それに対し、学長はこう言った。

 

『我々は、思考の次元が低すぎる』

 

『嘗てトゥメルの遺跡を発掘したとき、解ったのだ』

 

『────()()()()()()()、と』

 

宇宙に一歩でも近づくため、赤子を創造する。

私は学長の思惑通り、ビルゲンワースの計画の糧として利用された。

 

勿論ゲールマンは、このことを知らなかった。

 

私が隠したからだ。

 

 

 

 

 

 

私の血液が利用され数ヶ月が経った頃、ついにビルゲンワースは、人工の赤子を創造することに成功した。

 

しかし、事態は急変した。

人工赤子の持つ力はビルゲンワースが予想していた遥か上に及ぶものであり、その強大な力によって、月は赤くなり、人間たちの自我が欠落し始めたのだ。

人と獣の境界は曖昧となり、国中で『獣の病』が蔓延した。

しかし幸い、ヤーナムにはまだ到達していなかった。

 

ビルゲンワースに協力していた自分の愚行に酷く後悔したゲールマンは、私に頭を下げた。

私が裏で実験台として使われていたことも知った彼は、涙を流しながら謝罪した。

そして、共にビルゲンワースを出ようと言ってくれた。

簡単に赦すことなど出来なかったが、それでもやはり、私は彼と共に生きたかった。

彼への愛は、簡単に消せるものではなかったのだ。

 

 

 

ビルゲンワースを脱退した私とゲールマンは、獣となってしまった者たちを葬る存在、『狩人』として行動を始めた。

私たちはヤーナムの街の深部に『工房』を作り、そこで獣を狩るための狩武器を造った。

獣とはいえ、彼らは人間だった。

狩人として生きることに抵抗を覚えたが、それを選ぶより他は無かった。

同時に、ゲールマンの友人であり、ビルゲンワースを共に脱退した聖職者のローレンス、そして同じ剣士仲間であるルドウィークと共に、医療教会を設立した。

獣の病は、血液の感染によって発症する。

感染者を見分ける方法は、血液の色を見ることだった。

感染者の血は、純粋な真っ赤な色ではなく、()()()()()()()()が流れることだった。

医療教会はヤーナム中の全ての教会にいる、穢れなき高潔な存在と信じられている聖女たちに協力を募り、彼らの血液を採取し、ヤーナムの人々の身体から一度血液を抜き、新たな聖女たちの血を入れることで、獣の病への予防線を張ることを計画した。

そのためには、多大な実験が必要だった。

 

医療教会は街の中に実験棟を作り、血液の実験を行った。

その頃、私はとある教会の聖女と親しくなった。

彼女の名前は()()()()()

常に優しく、温かい心の持ち主である彼女と親しくなったきっかけは、私と同じ白く長い髪をしていたからだ。

私よりひと回りもふた回りも小さい彼女は本当に可愛らしく、私は彼女と常に楽しく話をしていた。

彼女は、自分が生きてきた中で一番と呼べる親友だった。

 

 

 

 

 

 

血の医療を始め、ヤーナムの人々に新たな血を輸血し、暫くの期間が経った頃。

私たち医療教会は、この行動の全てが過ちだと気付いた。

 

街中で、人々が獣になり始めていったのだ。

 

そして実験棟内部でも異変は起きていた。

聖女たちは皆瘦せおとろえ、次第に頭部が肥大化するという現象が起きたのだ。

中には我を失い、本能のままにこちらを攻撃してくる者もいた。

私たちはもはや危険となってしまった患者たちを実験棟に隔離させ、誰も入れないようにした。

 

私たちは原因を追及し、ついにそれが一人の女性の仕業であることが発覚した。

彼女を拘束し問い質すと、彼女はビルゲンワースの手下だった。医療教会の同志として潜み、私たちの目が届かない所で、聖女たちの身体に人工赤子の血を輸血していたのだ。

ビルゲンワースは上位者を創り、あるいは上位者に伍する者になりたいという執念を掲げていた。

血の聖女たちは、水面下でビルゲンワースの実験台として利用されていたのだ。

彼女は私たちを嘲りながら言った。

 

『元々聖女たちは感染していた。獣を作り出したのは医療教会(お前たち)だ。私たちは感染者を獣にするのではなく、()を得る存在にしただけだ』

 

『だがそれも、ただの失敗作に終わってしまった』

 

その後、彼女は私たちに武器を構え不意打ちし、私たちは彼女の医療教会からの脱出を無念にも許してしまった。

 

獣が狩人を作り出したのではない。

 

()()()()()()()、獣を作り出していたのだ。

 

実験棟は、頭部の肥大した患者たちで埋め尽くされた。

痛みを訴える彼女たちを少しでも救えないかと思い、私は彼女たちに鎮痛剤を与えた。

しかし鎮痛剤は日に日に増える一方で、やがて鎮痛剤は効果を示さなくなった。

ある患者はベッドの上で身動きの取れないよう縛られ、ある患者は彷徨うように歩き続け、ある患者は痛みを消すために壁に頭をぶつけ続ける。

 

『……ああ、マリア様………』

 

『チュパ、チュパ、チュパ………』

 

『痛い……痛い……』

 

『ねぇ、マリア様?マリア様?』

 

『お願いです………マリア様………』

 

彼女たちの脳には決まって湿った音が聞こえ続け、それを苦痛とする者もいれば、まるで天国にいるような気分になる者もいた。

 

『聞こえる……水の音が………』

 

『殺してくれ……殺してくれ……』

 

『ねぇ、マリア様………海の音は不思議ね………』

 

私は狩人としての生き方に厭悪し、自分の狩武器である『落葉』を捨てた。

 

 

 

 

 

 

アデラインも、例外ではなかった。

彼女の美しく長い髪は既に肥大化した頭部に埋もれ、彼女はある一室の中の椅子で、只々静かに座っていた。

私は何度も彼女の所へ行き、よく話をした。

そして、何度も涙を流し、謝罪をした。

彼女はそんな私を怒りもせず、ただ優しく笑いかけてくれた。

その優しい笑みは、私の心に強く罪悪感を残した。

 

ある日、私はアデラインに花を渡した。

彼女のように純粋で、優しい白い花だ。

それは実験棟にある庭から摘んできたもので、彼女はとても喜んでくれた。

私は、庭に出るための()()()()を彼女に渡した。

せめて外気と花の香が、彼女の癒しとなるように。

 

 

 

 

 

 

ビルゲンワースの悪行、そして人工赤子に終止符を打つため、私は再び武器を手に取り、ゲールマン、ローレンス、そしてルドウィークと共に人工赤子の抹殺に乗り出した。

ビルゲンワースと医療教会の大戦が始まった。

 

私は、自分のせいで人工赤子が創り出されたこともあり、無謀とも言えるほどの戦い方をしてしまっていた。

しかし、私たちの手は後一歩というところで届かなかった。

ローレンスは撃ち殺され、私も瀕死の状態に陥った。

全身から血を流し、もう助からないであろう私を、涙を流しながら介抱するゲールマン。

そして、そんな私たち二人を庇って、ルドウィークも戦死してしまった。

 

ゲールマンの涙が、私の頰に落ちた。

 

彼は泣き叫びながら、ずっと私の手を握ってくれていた。

 

温かかった。

 

それが、私の最期の記憶だった。

 

 

 

 

 

 

それからは、何も覚えていない。

当然だ。死んだのだから。

だが、何故か私は目が覚めると、時計塔にいたのだ。

私は時計塔から出ることが出来なかった。

何度も脱出を試みたが、それはとうとう叶わなかった。

何度自分の胸に刃を突き立てても、解放されることはなかった。

死んでは生き返り、死んでは生き返る。

地獄以上の悪夢だった。

脱出を夢見すぎた者は、いずれ夢の中へ脱出していくしかないのだ。

 

そして、何人もの狩人が時計塔を訪れた。

時計塔の先は、あの漁村。

もう二度とあのような冒涜的なことを繰り返してはならない────私は時計塔の中で座り続け、罪を秘匿した。

そして、訪れる狩人たちを全て退けてきた。

 

罪を秘匿しなければならない────そう思っていた一方で、やはりこの悪夢から解放されたい思いもあった。

私はまた胸に刃を突き立て、死のうとした。

しかし、死にきれなかった。

 

悪夢に囚われ続け、何十年も経ったある時。

 

時計塔に、月の香りを漂わせる狩人が訪れた。

 

私は罪を秘匿するため、彼女に刃を向けた。

しかし私は敗れ、血塗れになって倒れた。

 

秘密は、いつか暴かれる。

 

そう感じていた私はとうとう秘匿することを諦め、目を閉じた。

 

理由は分からないが、(ようや)く悪夢から解放される感覚がした。

 

脳裏には、優しく微笑む母と、アデラインの姿が浮かんでいた。




『古狩人』

だが彼らは、ある時を境に姿を消し
ヤーナム民は口々に囁いたという。

それは狩人の罪。
血に酔い、獣を追い、
そして皆悪夢に去っていったのだと。


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第31話 想起

静かな波の音が聴こえる。

波は、小さな浜辺に押し寄せては帰っていきを繰り返している。

波は朝陽に照らされ鮮やかに煌めき、無数の白い泡が砂に吸い込まれていく。

 

波の音が聴こえてきた次は、頰の感覚に意識が向いた。

砂と草が交わった、ザラザラとした感触が頰に残る。

マリアは、ゆっくりと目を開ける。

いつの間にか周囲の霧はすっかりと晴れており、空を見上げると雲ひとつ無い快晴だった。

自分はどうやら気を失っていたらしい。

そこにはもう、人形の姿は無かった。

 

「今の光景は………」

 

マリアは木にもたれ、額を押さえて立ち上がり、頰についた砂を払った。

マリアは、今まで欠けていた記憶を、全て取り戻していた。

 

あの人形に触れた途端、私の中で眠っていた光景が全て目を覚ました。

母を殺された私は城を捨て、ゲールマンと出会い、ビルゲンワースに利用され、狩人となり、罪を犯し、命を堕とした。そして悪夢に囚われ、月の香りの狩人に殺された。

 

マリアは取り戻した記憶と、この世界で起きた出来事を繋ぎ合わせる。

 

今まで何度も夢に出てきた彼女。

真っ白な礼装で、私と同じ白い髪の血の聖女。

ずっと思い出せなかった彼女の名は、アデラインだった。

ずっと不明瞭だった罪悪感……私がアデラインに、そして多くの人々を巻き込んでしまった、医療教会での血液実験……。

あの実験によって、私たち医療教会は多くの人間を犠牲にしてしまった。

死んでも償いきれない罪だ。

医療教会による血の医療………目的は違えど、現代でもイギリスのIS研究所で血液実験が行われているとは、これ以上の皮肉があるだろうか。

 

だが……────救いがあるとすれば、アデラインの子孫が今もこの世界に存在してくれていることだ。

シャルロット………彼女は本当にアデラインにそっくりだ。

あの露台の鍵も、代々伝わる御守りとして形を残していた。

アデラインの優しい心は、シャルロットがしっかりと受け継いでいた。

もう二度とあの優しい心を失わせないために、私はシャルロットを命を懸けて守ろう。

 

マリアは、自分の目の内に込み上げてきた涙を堪えた。

 

 

 

 

 

 

セシリア……そして彼女の家系代々に伝わる御伽噺……。また彼女自身、アンナリーゼの存在を知っていたこと……。

オルコット家はカインハースト一族とみて間違いないだろう。

そしてセシリアが自分やラウラとの闘いで見せてきた、血の覚醒。

200年以上経った今でもあれ程の力を秘めているということは、恐らく傍系の私とは違い、セシリアは一族の直系にあたる人物である可能性が高い。

まさかこんな身近に自分と血縁関係にあたる人間がいたとは────。

 

マリアはイギリスの研究所でのことを振り返る。

打鉄(うちがね)の損傷反応……エマによれば、現状で損傷反応がみられているのはセシリアと自分のみ。

あの地下施設でも、セシリアの血液を数滴垂らしたことによって、打鉄が損傷していく様を実際にこの目ではっきりと見た。

ということは、打鉄は私たちの身体に流れる血────『穢れた血』に反応している……ということか?

仮にそうだとして、打鉄がそのように作られた目的が分からない。

だが、もし打鉄を意図してそのように作ったのが事実だとしたら……

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()────。

 

 

マリアは入学して間もない頃に受けた授業を思い出していた。

その授業で、真耶は打鉄についてこう言っていた。

 

『全467機のうち量産型ISである打鉄は、現在は多くの企業ならびに国家、学園においても訓練機として一般的に使用されています』

 

『ISのコアは完全なブラックボックスとなっていて、()()()()()以外はその正体を未だ解析出来ていないというのが現状です』

 

 

 

篠ノ之束────。

 

 

常に行方を眩ましており、妹である箒でさえも何処に居るかが分からない人物だが、恐らく………

 

 

 

 

 

 

────恐らく彼女が、鍵を握っている。

 

 

 

 

 

 

木に背中を預け、暫く海を眺めていたマリアは、腰の辺りでカサカサという音に気付いた。

服と紙が触れ合ったような音で、マリアは木に振り返る。

するとそこには、幹に打ち付けられた一枚の紙があった。

 

「紙………?」

 

マリアは紙を手に取った。

すると、そこには誰かが書いたであろう()()()()があった。

 

 

『「()()()()()」を求めよ。狩りを全うするために』

 

 

青ざめた血……とは、何のことだ?

これは誰が書いたものだろうか。

 

青ざめた血……

 

青ざめた血……

 

しかしいくら考えても見当がつかないマリアは、仕方なく紙をポケットにしまう。

 

六月なのでまだ気温は涼しい方だが、太陽の日差しはじりじりと熱い。

気を失って、結構な時間が経ってしまった。

もしかしたら、シャルロットが部屋で心配しているかもしれない。

 

人形の行方や走り書きの謎が気がかりだったが、とりあえずは一旦部屋に帰ろうとした、その時。

 

小さな浜辺に、海に濡れた銃が横たわっていた。

マリアはそれを手に取り、観察する。

腕と同じくらいの長さの長銃で、独特な模様を刻まれたそれに、マリアは久しぶりな感覚を覚えた。

 

「何故、この銃がここに……?」

 

血を弾丸とするその銃は、マリアが生前よく使用していたものだった。

 

「お前が、持ってきてくれたのか……?」

 

マリアは空を見上げ、何処かに居なくなった人形に思いを馳せた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

マリアは海辺を後にし、学園の森を引き返す。

どこまでも深い森は、オルコット家の領地の森とよく似ていた。

あの場所で発見した廃家は、私とゲールマンたちが作った工房だったと、今になって漸く解る。

だが、あの工房とロンドンの時計塔は、本来同じ場所にあるべきだ。

やはり、イギリスで感じた『まるで誰かがこの世界の仕組みを無秩序に壊してしまったかのような感覚』は、間違いではないのだろうか。

全てが、謎に包まれていた。

部屋に帰って、分からないことをノートに整理しようとマリアは考えた。

 

 

 

マリアは深い森を歩き続けた。

深い森は、かつての医療教会の裏に潜む森を彷彿とさせた。

 





『エヴェリン』

カインハーストの騎士たちが用いた独特の銃。
カインハーストのそれは、より血質を重視する傾向がある。
 
女性名を冠されたこの銃は、意匠にも凝った逸品であり、騎士たちによく愛されたという。

─────────

『禁域の森』

街を追われた者たちが集う、ヤーナムのはずれにある深い森。
嘗てビルゲンワースに学んだ者たちによって、医療教会と血の救いが生まれた。
すなわちビルゲンワースは、ヤーナムを聖地たらしめた始まりの場所であるが、今はもう棄てられ、この深い森に埋もれてしまった。

今や医療教会の禁域に指定されており、近づく者は誰もいない。

─────────

『マリアの手記 2020年6月某日』

・ISの損傷反応、穢れた血
・襲撃者、獣化、黒い雨(シュヴァルツェア・レーゲン)
・地形変化
・月の香りの狩人
・人形




・『青ざめた血』
・篠ノ之束


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第32話 休日 Ⅰ

恋愛情景を書くのが心底苦手であることを思い知りました。


土曜日・午前10時。

学園の正門を出て直ぐの所にある、本島と学園の島を繋ぐモノレールの駅構内のベンチで、マリアは座っていた。

マリアは本島から来るモノレールを待っているところだ。

 

「学園から一緒に行けばいいのにな。そう思わないか?マリア」

 

隣に座っている一夏が言った。

 

「一夏とのデートだ。セシリアも服やら化粧やらで気合いを入れてるから、どうしても時間がかかってしまうんだろう」

 

「てことは、シャルもか?」

 

「かもな」

 

マリアが微笑みながらそう答える。

マリアは今日、シャルロットと近くのショッピングモールへと遊びに行く予定だ。

しかしマリアは朝、シャルロットに「ごめん!先に行ってて!」と言われ、ショッピングモールの前で待ち合わせることになったのだ。

一夏も今日、セシリアとデートに行く予定らしく(しかも同じショッピングモールらしい)、そして偶然にも、一夏もセシリアから先に行っててほしいと言われたそうだ。

駅前でバッタリ会ったマリアと一夏は、モノレールが来るまで時間を持て余していたのだ。

 

「ところで一夏」

 

「ん?」

 

「あの写真は気に入ったか?」

 

「ぶっ」

 

突然の質問に、顔を赤くして咽せる一夏。

 

「な、なんだよ急に」

 

「私にしては上手く撮れてただろう?あの顔もなかなか見れないぞ」

 

イギリスへ行ったときの機内でのセシリアの写真を、マリアは思い浮かべる。

 

「そ、そうだな……マジで感謝するぜ、マリア。サンキューな」

 

「いいさ。またデザートでもご馳走してくれ」

 

そうこうしているうちに、海の上を走る線路からモノレールがやってきた。

マリアと一夏は立ち上がり、モノレールに乗り向かい合って座る。

やがてモノレールは走り出す。

窓の外は終わりのない水平線が広がり、海は眩しい太陽を反射させている。

そんな景色を見ながら、マリアは少し前のことを思い出していた。

 

「そういえば………」

 

「なんだ?」

 

「いつか千冬とも、こうして一緒に乗ったことがあったな」

 

「そうなのか?」

 

「ああ。初めて一夏と会う、少し前のことだ」

 

「ハハハ。千冬姉と二人きりだなんて、緊張したんじゃないか?」

 

「そんなことないぞ?一夏の話を聞いていたんだ。ここでな」

 

「げっ………千冬姉、何か言ってたか?」

 

「ふふ………いいや、仲が良いと思ってな」

 

「?なんだよそれ」

 

「ふふふ」

 

ここで千冬といたとき、マリアはまだ家族のことを思い出せていなかった。

家族のことを話す千冬の優しげな表情を見て、その時のマリアは彼女のことを羨んでいた。

あの時と同じように、マリアと一夏は果てまで続く水平線に目を奪われている。

駅に着くまで、二人の間には静寂が漂っていた。

 

 

 

 

 

 

駅に着いた後、マリアは一夏と分かれた。一夏たちの待ち合わせ場所はどうやら別の所らしい。

マリアはシャルロットと約束した場所、ショッピングモール前の大きな噴水に座っていた。

梅雨の影響だろうか、今日はいつにも増して蒸し暑い。朝から照りつける太陽に、マリアは頰に一筋汗を流した。

周りでは若いカップルから子供連れの家族、老夫婦まで老若男女が休日の時間を満喫している。噴水の内側では子供たちがバシャバシャと水遊びをしており、微笑ましい光景がそこにあった。

 

目の前を、親子が通り過ぎた。

母親と七才くらいの少女。仲良く手を繋ぎ、二人はお揃いの麦わら帽子、少女の手には大きなアイスクリーム。

笑顔でアイスクリームを頬張る姿に、横の母親も微笑ましい表情をしていた。

そんな光景を見て、マリアは自分の母親のことを思い出した。

自分が母親と手を繋いで外に出たのは、あの夜、あの家から出たときだけだった。

あの親子のように、笑顔を浮かべた記憶はない。

そんなことを思いながら、なんとなく親子を目で追っていると─────

 

「マリア」

 

「………」

 

「まーりあっ」

 

「ん?ああ、シャルロット。来たか」

 

「どうしたの?」

 

「いや、別に………」

 

「………?」

 

振り返ると、先ほどの親子は、もう姿を消していた。胸の中で、少しだけ虚しい痛みが染み渡った。

マリアはシャルロットに暗い顔を見せないように、笑顔を作る。

 

「シャルロット、可愛らしい格好じゃないか。似合ってるぞ」

 

「えへへ、ありがとっ」

 

シャルロットは腕が肩の辺りまで露わになった襟付きのシャツ、そして下はショートパンツという軽快な服装をしていた。

首にはリヴァイヴの待機携帯であるオレンジ色の十字のネックレス・トップ。

そして彼女の家に伝わる、小さな御守り。

シャルロットの顔を見ると、やはりアデラインの面影が残っていると改めて思う。彼女に似て、優しい顔をしている。

 

「じゃ、行こっか」

 

自然に私の手を取り、シャルロットは笑う。

彼女の背中を見ながら、マリアは帰国した時に彼女が見せた悲しい表情を思い出した。

 

『僕たち、やっぱり見えない壁があるんだね………』

 

今日この時を楽しんでいるようで、それは彼女に無理をさせた笑顔なのかもしれない。

帰る前に、面と向き合って話し合わなければならない。

 

自分の、本心を─────。

 

 

 

 

 

 

駅前すぐの大型ショッピングモールには、ファッション、食料品、本などから、家具、旅行代理店、登山用具、ジュエリーのブランド店まで幅広く揃っており、学園の生徒はもちろん、県外からも足を運んでやってくるほどの人気がある。

更にショッピングモールのすぐ近くには水族館や遊園地があり、買い物だけでなく遊べることも考慮して作られた大型統合施設となっている。また、2020年ということもあり、来月日本ではオリンピックが開催されるため、その影響で周囲には外国人も数多くみられた。

 

「驚いたな……。千冬と外から建物を見たことはあったが………こんなにも広いとは………」

 

クーラーの効いた涼しいモール内で、マリアは独りでに呟いた。

 

「それで、シャルロット。何処か行きたい所はあるか?」

 

「うーん、そうだね……色々あるけど、まずはあそこかな」

 

シャルロットはマリアの手を引き、ウキウキとした様子で歩く。その姿を見て、マリアも微笑んだ。

 

3分程歩いたところで、シャルロットは足を止めた。

 

「入ろ、マリア」

 

「ここは………」

 

そこは女性用下着の店だった。

入り口には流行りの下着をつけた数体のマネキン。店内も広いため、あらゆる種類の女性用下着が揃っており、10人程の客があちこちで下着を比べていた。

 

「マリア、あんまり下着持ってなかったよね?」

 

「ああ。だが不便は特にないぞ?」

 

「だーめっ。だってマリア、いつもサラシでしょ?」

 

ある日マリアが部屋で着替えている時、シャルロットがその光景を見て驚いたということがあった。

なんとマリアはブラジャーを持っておらず、ずっと胸にサラシを巻いて生活していたのだ。

箒のように剣道をしているような人物で、そのためにサラシを巻いているというのならともかく(とは言っても箒もサラシではなくスポーツブラであるとシャルロットは思っているが)、普段の私生活で常にサラシ、という状態なのだ。

マリア曰く、入学時に一応千冬からいくつか下着を支給されたらしいが、マリアは着け方がよく分からず、タンスに入れたままであるらしい。

マリアにとっても生前はブラジャーなど無かったため、単なる布を巻くのが普通だったのだ。

 

「マリアも僕も年頃の女の子なんだから、もっと身体には気を遣わないと!」

 

「そうなのか」

 

「そうなの!」

 

シャルロットは自分の子に世話を焼く母親のような態度で、マリアに言う。

しかし下着にも随分と種類があるな、とマリアは思った。

似たようなデザインでも少しずつ違っていたり、大きさによってつくりや色使いが変わっているものもあり、選ぶのは時間がかかりそうだ。

 

「うーん、マリアはどんな色が似合うかな……。マリアは何か気になる色ってある?」

 

「そうだな……」

 

あまりこだわりはなく、どの下着でも良さそうな気がするが、それを言うとシャルロットが怒る気がするので、なんとか答えてみることにする。

 

「シャルロットが決めてくれないか?」

 

「え、僕が?いいの?」

 

「ああ。シャルロットが決めてくれたものなら喜んで着けよう」

 

そう答えると、シャルロットが少し照れた。

不意に嬉しいことを言われ、シャルロットとしても嬉しいような恥ずかしいような、そんな気持ちだった。

そしてシャルロットは照れながら「そ、そういうの禁止!」と言って、逃げるように下着探しに取り掛かり始めた。

何かいけないことでも言ったかとマリアは首を傾げたが、すぐにシャルロットの隣で下着を見始める。

 

「ねぇマリア。これなんかどう?」

 

暫くしてシャルロットが選んだのは、純白の生地のブラジャーだった。

花の刺繍が縫われたそれは、控え目なアピールではありつつも、マリアの白い肌と髪にぴったりと合いそうな存在感である。

 

「マリアの胸はちょっと大きめだから、こっちのサイズの方がいいかも」

 

そう言って、シャルロットは隣にある同じデザインで、少し大きめのサイズのものを取った。

 

「良さそうだな。ありがとう」

 

「取り敢えずカゴに入れておこうか。他にも色々あるから、探してみよう」

 

「ああ」

 

シャルロットとマリアは再び下着探しに取り掛かる。

とは言っても、マリアはどの下着を手に取っても、なかなか自分が着用しているイメージが湧いてこない。

だが、シャルロットとこういう風に、何か新しいものを探していくことに、新鮮な楽しさを覚えていた。きっと世の女性たちも自分たちの服装を探すときは、こういった楽しさを感じているのだろう。

マリアは新鮮な冒険心とともに、気になった下着を何着か選んだ。自分のセンスが良いかどうかは分からないが。

すると、マリアの取った下着を見て、シャルロットが言った。

 

「黒かぁ。攻めるね〜マリア」

 

まるで母親の目を盗んでこっそりとお菓子を頬張り、しかし見つかってしまった時のような、そんな気不味さと恥ずかしさをマリアは感じた。自分のセンスに自信が無い証拠だろう。

 

「やはり、似合わないだろうか……」

 

「え⁉︎そんなことないよ!むしろ、凄く似合うと思うよ⁉︎」

 

「そ、そうか」

 

「マリアはクラスの中でも……というか、同年代の女の子たちからしても大人な雰囲気だからね。大人っぽい黒はよく似合うんじゃないかな」

 

シャルロットの優しい笑みで、マリアもホッとする。シャルロットがそう言うのなら、きっとそうなのだろう。自分のセンスは取り敢えずは大丈夫なようだ。

 

 

 

 

 

 

数着の下着をカゴに入れたマリア。

 

「どう?大体決まった?」

 

「ああ、とりあえずこれらの下着にしようかと思う」

 

「そっか。じゃあ試着だね」

 

「試着?買うんじゃないのか?」

 

「買った後にサイズとか着け心地や見た目が合わなかったら嫌でしょ?下着でも普通の服屋さんでも、試着してから買うのが普通だよ」

 

「そんなことができるんだな」

 

まだまだこの世界で知らないことが多いマリアにとって、また一つ勉強になった。

マリアはシャルロットに連れられて、空いている試着室の前に来た。

開いたカーテンの先に、全身が映る姿見がある。

 

「さ、マリア。入って」

 

「ありがとう」

 

マリアは靴を脱ぎ、下着の入ったカゴと一緒に試着室に入る。「できたら呼んでね」と言って、シャルロットはカーテンを閉めた。

 

マリアは小さな空間の中で、服を脱ぎ始めた。胸部に巻いた白いサラシを解き、下に履いているものも脱ぐ。

そしてシャルロットが選んでくれた純白の下着を手に取った。

 

「いい生地だな……優しい手触りだ」

 

脚を上げ、ショーツの穴に足先を通し、上に持っていく。

ショーツを履き、次はブラジャーかというところで、マリアはあることを思い出した。

 

(着け方が分からないんだった………)

 

改めてブラジャーをじっくり見てみるが、やはりよく分からない。

溜息を吐き、シャルロットに聞いてみようと思ったマリアは、徐にカーテンを開ける。

 

「すまないシャルロット、これの付け方を────」

 

「え?わわわ、ち、ちょっと!マリア!みえてるみえてる!」

 

「見え?………きゃっ!」

 

マリアは自分でも驚くくらいの高い声を上げ、カーテンを閉めた。

店に入って下着を選ぶという初めてのことで、楽しさに気を取られていたのか、うっかりしてたらしい。

幸い店内で此方を見ている者はいなかったが、公共の場で自分の露出した胸を晒してしまうなど、女としてどうなのかとマリアは恥ずかしくなった。

マリアは自分のやってしまったことに対する恥ずかしさがどんどんと増幅し、熱い頰を両手で抑える。そしてそれはシャルロットも同じだったようで、彼女も不意打ちを食らったというように、顔を赤くしていた。

そして暫くして、マリアが真っ赤に顔を染めながら、カーテンを少しだけ開けた。

カーテンの端を摘み、身体を隠して顔だけを出している構図だが、斜めに持ち上げられたカーテンの下からはマリアの肌白い脚が露わになっている。

 

「す、すまないシャルロット………変なものを見せてしまって………」

 

「い、いやいや!大丈夫だよ!あはは、はは」

 

シャルロットは焦りと気不味さの入り混じったような作り笑いをした。

その様子を見て余計に恥ずかしくなったマリアだった。

 

「それで、さっき何か言いかけなかった?」

 

「そ、その………」

 

マリアは先ほどの恥ずかしさが相まって、赤くなった顔を俯かせもじもじとしていたが、顔を上げてシャルロットと目を合わせる。

 

「し、下着の着け方が分からないんだ……」

 

「あ、そ、そうだったね。まずストラップを肩にかけてブラの下側を持って、それで身体を……って口で言っても伝わりにくい?」

 

「あ、ああ……正直」

 

「そっか……じゃあ────」

 

シャルロットは周囲をキョロキョロと見た後、恥ずかしげに小声で言った。

 

「僕が着けてあげるから、ちょっと入るね」

 

 

 

 

 

 

流れるようにカーテンの内側に入ってきたシャルロットに、マリアは少しだけ驚いた。

 

「いいのか?シャルロットも入ってしまって」

 

「て、店員さんに見られたら怪しまれるかもね……あははは」

 

だ、大丈夫だよ!と、根拠のない自信をシャルロットは口にする。

恐らく一般的にこの状況はあまりよろしくないかもしれないが、とりあえずはシャルロットに任せることにした。

 

「じ、じゃあマリア。下着貸して?」

 

「あ、ああ」

 

マリアは、花の刺繍の入った純白のブラをシャルロットに手渡す。

試着室は一人だけ入るように作られているため、幅は1.5m程しかなく、小さい空間だ。

そんな狭い空間で、マリアとシャルロットは互いの息遣いが聞こえるくらいに近い。

その上マリアはショーツを履いてるのみで、ほぼ裸の状態なので、マリアにとっては少し恥ずかしい状況なのだ。

シャルロットはマリアの後ろに立ち、ブラをマリアの前に出す。

 

「じゃ、マリア。ここのストラップのところに肩を通して」

 

「こうか?」

 

「うん。それで、ちょっとだけ身体を前に倒してくれる?」

 

「わかった」

 

マリアはゆっくりと身体を前に倒す。

シャルロットは次の工程を頭に浮かべ、顔を真っ赤にさせていた。

 

「こ、この状態でバストをカップの中に入れるんだけど………」

 

「……?」

 

「えーっと……こんな感じでおっぱいを────」

 

「んっ……」

 

「あ、あわわわ、ごめんマリア!」

 

不意に口から出たマリアの甘い反応に、シャルロットは思わず手を離した。

だがマリアは少し頰を紅潮させながらも、優しく微笑み返す。

 

「いや、少しビックリしただけだ。続けてくれ。私は何をすればいい?」

 

「そ、そうだね……取り敢えずは、僕のやり方を見ててくれるかな?」

 

「わかった」

 

マリアは鏡に目を移し、シャルロットの手に焦点を当てる。

シャルロットは優しい手つきでマリアの胸を持ち上げる。

すべすべとしたマリアの胸をそっと持ち上げる動作を、実の本人から鏡越しで監視されるような状況を自分で作っておきながら、これ以上恥ずかしいことがあるだろうかとシャルロットは感じていた。

なるべく乳房の先の膨らみに自分の指が当たらないように、シャルロットはマリアの胸をカップに入れていく。

 

「今、バストがカップの中に入った状態だよ。ここで後ろのホックを留めるんだ。マリア、腕を後ろに回して、留めてみて」

 

「こうか?」

 

マリアは覚束ない動作で、なんとかホックを留めることに成功した。

カチッとした音は鏡と壁に吸い込まれ、響くことなく直ぐに消えた。

 

その後もシャルロットの手ほどきを受けながら、マリアはブラの着け方を学んでいった。

そして着け終わった時、マリアは改めて鏡に映った自分を見た。

 

「どう?マリア。初めて着けてみた感想は」

 

マリアは自分の姿を見て、ワクワクとした気持ちになっていた。

自分の身体がどこか変わったわけではない。

だがこの感覚は、自分の気に入っている装飾を身に付けたときのものととても似ていた。

自分の新しい一面を発見した、そんな気分だ。

服装と同じように、世の女性たちはきっと新しい下着を探すときも、自分と同じように楽しんでいるのではないだろうかとマリアは思った。

 

「いい、な………とても良いと思う」

 

「ほんと⁉︎良かったぁ……」

 

先ほどまで赤くなっていた顔は随分と落ち着き、安心した様子を見せるシャルロット。

 

「確かにこれ、質が良いよね。肌に優しい手触りだし、柄も可愛いし」

 

「いや、きっとシャルロットが選んでくれたからだな」

 

マリアはシャルロットの目を見て、そう言った。

するとシャルロットは、また照れた顔をした。

 

「や、やめてよ……」

 

はにかんだ後、シャルロットはほんの一瞬、寂しい顔を見せた。

マリアがその表情に気付いた途端、シャルロットは再び笑顔になって話を続けた。まるで何もなかったかのように。

 

「じゃ、他のものも合わせてみよっか!」

 

次は黒のブラを合わせようと試みるシャルロットとマリア。

マリアはシャルロットの横顔を見ながら、頭には彼女の寂しい表情が脳裏をよぎっていた。

 

 

 

 

 

 

「良い買い物が出来た。ありがとう、シャルロット」

 

「ううん、いいんだよ。良かったね♪」

 

店を出た二人。

マリアの手には、先ほど買った下着の入った紙袋が提げられていた。

マリアはシャルロットに選んでもらった純白の下着がとても気に入ったらしく、折角ならというシャルロットの提案で、そのまま着けて過ごすことにした。

やはり新しく着る物を買うのは楽しい、とマリアは久々に女としての楽しみ方を堪能していた。

 

「それで、次はどうしようか?」

 

「次は水着を見に行くよ!」

 

「水着?海に行く予定でもあるのか?」

 

「ほら、来月は臨海学校があるでしょ?でも臨海学校はテスト期間が終わって直ぐに始まるから、準備する時間もないだろうし、それなら今のうちに水着も買えたらいいなって」

 

「なるほど、臨海学校か」

 

そういえば連休前に、千冬がHR(ホームルーム)で臨海学校について軽く説明していたなと、マリアは思い出す。詳細は後日改めて話すとのことだったので、その時は日程ぐらいの情報しか聞かなかった。

 

「どんな水着にしようかな〜。そういえばマリア、水着買ったことある?」

 

「いや、初めてだ」

 

「だと思った。日本の夏は特に暑いからねー。油断してるとマリアの綺麗な白い肌もこんがり焼けちゃうよ?」

 

「ふふ、そうならないことを祈るしかないな」

 

暫く他愛もない会話をしていると、水着の店の近くまで来た。

すると、マリアの視界に、見知った人物がその水着の店に入っていくのが見えた。

 

「ん?あれは………」

 

「あ、一夏とセシリアだね」

 

「セシリアの水着選びに付き合ってやるのかもな」

 

「ラブラブだね」

 

一夏とセシリアは初々しくも笑顔で会話しており、見ているこちらも微笑ましい。

そして彼らの後ろを二人の少女が尾け………二人の少女?

 

「シャルロット、あれは」

 

「すごくバレバレな尾行だね……一夏はともかく、セシリアには絶対バレてるでしょ」

 

遠く離れた向こう側からコソコソとやって来たのは、栗色の髪の少女・鈴、そして銀髪の凜とした少女・ラウラであった。何やら店の近くの観葉植物の裏で話し合っている。

そして二人は、一夏たちの入っていった水着の店へ突入していった。

 

「ふっ、少しおどかしてやるか」

 

「いいね、それ♪」

 

そう言って、マリアとシャルロットもその水着の店へと入っていく。

中に入ると、鈴とラウラが辺りをキョロキョロと見渡していた。こちらにはまだ気付いていないらしい。

 

「あ、あの二人……どこ行ったのよ⁉︎」

 

「見失うとはな……全く、中国の代表候補生はこんなにもトロいのか?」

 

「なっ…⁉︎ていうか、あんたが何度も見つかりやすい所に出るから時間がかかったんじゃないのよ!」

 

鈴は目くじらを立てて怒るが、一方のラウラは飄々とした態度である。

シャルロットはゆっくりと、鈴の肩に手を置いた。

 

「やぁ、鈴」

 

「きゃっ!び、びっくりさせないでよ!………あれ、シャルロット?それにマリアも、あんたたち何してるのよ」

 

「んー、ちょっとデート中」

 

「ああ、一緒に遊んでるってわけね。あんたたち、会うのも久しぶりね」

 

「マリアにシャルロット、お前たちも水着を買いに来たのか?」

 

「ああ。臨海学校のためにな」

 

ところで、とマリアは少し意地悪な顔をして鈴に話しかけた。

 

「鈴、さっきから一体何をコソコソしているんだ?」

 

「なっ⁉︎」

 

途端に恥ずかしげな顔をする鈴。

 

「べ、別に誰も探してないわよ!」

 

「ほう、誰か探しているのか」

 

「あっ…!」

 

しまった、という表情を見せる鈴。

すると横からラウラが堂々とした表情になった。

 

「嫁を探しているのだ」

 

「ちょっと、なにバラしてるのよ⁉︎」

 

鈴がラウラに詰め寄るが、ラウラは腕を組んで得意げな顔をした。

 

「嫁?夫じゃないのか?というか嫁って何だ」

 

「ああ、マリア。ラウラはね、一夏のことを『嫁』って呼んでるんだよ。ラウラの軍隊の副隊長が日本のサブカルが好きなんだけど、知識がちょっとズレてて……」

 

「なるほど、それで『嫁』か」

 

なるほどと言いながら、実際はよく分かっていないマリアだった。

因みにここでのサブカルとは、アニメや漫画などといった一種の大衆文化のことを指す。日本のサブカル内では、気に入った、若しくは深く好意を抱いたキャラクターを『俺の嫁』と表現されることがしばしばあるが、マリアにとっては知る必要も無いだろう。マリアも特に追求することはなかった。

 

「べ、別にあたしは一夏のことなんて探してないから!」

 

「ならば帰れ。私一人で嫁を見つける」

 

「だ、だから何でそうなるのよ!」

 

鈴とラウラは相変わらず口争ったままだ。

すると、シャルロットが店内を見渡して二人に言った。

 

「でも一夏たち、どこに行ったんだろうね?」

 

シャルロットの言う通り、何組かの女性客たちが水着を選んでいる姿があるだけで、一夏とセシリアの姿は見当たらない。

この店は入口が一つしか無いから、気付かぬ間にすれ違うということは考えられないが……。

 

「店の奥にいる、というわけでもなさそうだな」

 

マリアは店の奥の辺りを暫く見て、そう答えた。

 

「まさか、あたしたちの尾行に気付いた⁉︎」

 

「バレバレだったぞ」

 

「う、うるさいわね!」

 

笑いながら指摘するマリアに、鈴はまた頰を膨らませる。

すると、店の入口で話をしているところに、とある人物が現れた。

 

「お前たち、ここで何をしている」

 

彼女たちのよく知る、学園の教師だった。

 

 

 

 

 

 

マリアたちが水着の店の入口で話し合っている光景を、セシリアはカーテン越しに片目だけで覗いていた。

そう、セシリアは今店の奥にある試着室の中におり、その背中には赤い顔で混乱している一夏がいた。

男女が試着室の中に一緒にいるという、あってはならない状況だった。

 

「セシリア⁉︎ど、どうしたんだよ無理やり……」

 

「いえ、その……選んだ水着が似合ってるかどうかを見ていただきたくて……」

 

「だ、だからって一緒に入るなんて……!」

 

「しーーっ。静かにしてください」

 

セシリアは鈴たちの様子を伺い、この状況からいかにして気付かれないようにやり過ごすかを頭の中で考えていた。

 

「でも一夏たち、どこに行ったんだろうね?」

 

シャルロットの声が聞こえた。奇跡的にも試着室には注目されてはいないようだ。

すると今度はマリアが店内の奥の方を眺め始めた。そしてなんと、マリアの目がセシリアと交わってしまった。

 

(み、見られましたわ!)

 

カーテンを直ぐに閉じればよいものの、不意に見つかってしまった衝撃で、セシリアは身体が硬直してしまっていた。

しかしマリアはセシリアの名を言うでもなく、少しだけ口角を上げた後、また鈴たちに向き直った。

 

「店の奥にいる、というわけでもなさそうだな」

 

「まさか、あたしたちの尾行に気付いた⁉︎」

 

「バレバレだったぞ」

 

「う、うるさいわね!」

 

セシリアはゆっくりとカーテンを閉じ、安堵の息を漏らす。

 

(た、助けられましたの……?)

 

見つかったのにも関わらず、こちらの状況を察してくれたマリアに、セシリアは感激と感謝をせずにはいられなかった。

 

(マリアさん……なんて優しいお方なのでしょう!)

 

だが、鈴たちが諦めてくれない限り、状況は良くはならない。考えたくはないが、最早見つかるのも時間の問題だろうか。

 

「な、なぁセシリア」

 

「は、はひっ!」

 

試着室という狭い場所のため、一夏の声が耳元で響き、思わず力が抜けそうになったセシリア。

 

「外に誰かいるのか?」

 

「へっ⁉︎い、いえ、誰もおおおおりませんわよ!とにかくここにいてくださいまし!直ぐに着替えますわ!」

 

「えええ⁉︎いや、ちょっと────」

 

セシリアは半ばヤケになっており、どうせいつかは見つかってしまうのかと考え、一刻も早く一夏に水着姿を見てもらおうと考えた。

そして上に着ていた服を脱ぎ、下着に隠れたセシリアの胸が見える。

咄嗟に一夏も背中を向けたが、間近で見たセシリアの胸が脳裏に焼き付いてしまっていた。

 

(勢いでやってみたはいいものの、ど、どうしましょう⁉︎)

 

頭の中がぐるぐると混乱するセシリア。

しかし時間はない。

 

(も、もういくしかないですわ!)

 

思い切って決意したセシリアは下着に手を掛け、素早く脱いでいく。

 

(え⁉︎ほ、ほんとに脱いでるのか⁉︎)

 

シュルシュルと、下着と肌の擦れる音が一夏の耳に響く。

自分の想い人が、すぐ後ろで裸になっている様子を想像してしまった一夏は、すでに顔から火が出そうになっていた。

 

 

 

 

 

 

「お前たち、ここで何をしている」

 

入口で集まっていたマリアたちにそう話しかけてきたのは、一組の担任である千冬であり、そしてその後ろには副担任の真耶がついていた。

 

「お、織斑先生⁉︎」

 

シャルロット含め、皆意外そうな顔をする。

 

「こんにちは。皆さん、もしかして臨海学校のための水着探しですか?」

 

真耶が千冬の背中からひょこっと出て挨拶をする。

 

「あ、はい………先生たちもいらしてたんですね」

 

「私たち教師も臨海学校前は学園につきっきりだからな。今日はやっと休みが下りて、山田先生と一緒に来たわけだ」

 

普段と変わらない千冬に比べ、後ろの真耶は何やらウキウキしている様子だ。水着探しを楽しみにしていたのか、それとも千冬と一緒の外出を楽しんでいるのかは分からない。

 

「お前たちも入口に立ってないで、さっさと中へ入れ。ここだと迷惑になるぞ」

 

千冬はそう言って、先に店の奥へと入っていった。真耶もその後に続く。

 

するとその時、試着室の方から聞き覚えのある声が聞こえた。一人は女性、そしてもう一人は男性の声だ。

 

「……この声は、もしや────」

 

千冬が声に気づき、試着室のカーテンに手をかける。

マリアはやれやれといったように肩を竦めた。

 

 

 

 

 

 

「変……ですか……?」

 

セシリアと一夏は試着室の中で向かい合っていた。

セシリアは水着姿になっており、蒼の水着を着た彼女の大人っぽい姿に、一夏の目は釘付けになっていた。下に履いてる蒼のパレオが、彼女の色気をより一層際立たせている。

 

「い、いや!そんなことないぞ!すごく良いと思う!」

 

一夏が本心でそう言うと、セシリアの表情がパッと明るいものへと変わった。

 

「ほんとですの⁉︎じ、じゃあこの水着に─────」

 

「お客様?」

 

「「いっ⁉︎」」

 

カーテンの外から店員の声がした。

セシリアと一夏の顔は真っ青に変わり、変な汗が流れている。

もしやこの状況を勘付かれたのだろうか。

セシリアが慌てて店員に大丈夫だと伝えようとした、その時。

無情にもカーテンを開く手が伸びる。

 

シャッ

 

「「あああ!!」」

 

「お、織斑君⁉︎オ、オルコットさん⁉︎」

 

「はぁ………何をしている」

 

開かれたカーテンの先には、わなわなと赤い顔をして震える真耶に、呆れ顔の千冬がいた。

見つかってしまったことへの羞恥と千冬への恐怖を感じているセシリアの目に、向こうで驚嘆の声を上げてこちらを見ている鈴たちの姿と、やれやれと溜息を吐くマリアの姿が映っていた。



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第33話 休日 Ⅱ

イメージ曲
二人の食卓 - Infinite Stratos OST


試着室に一緒にいるのを見つかってしまった一夏とセシリアは、その場で真耶に説教をくらっていた。何も言い逃れ出来ない二人は床に正座し、ただただ反省していた。

 

「いいですか⁉︎いくらクラスメイトでも、ケジメはつけなければいけません!試着室に男女が一緒に入るなど、言語道断です!」

 

「そ、そうよ!あんたたち何考えてんのよ!」

 

「嫁失格だな」

 

真耶に続き、鈴とラウラも説教に便乗する。

真耶の後ろでは、千冬が腕を組み、溜息を漏らしていた。

マリアとシャルロットも、その光景にただ苦笑いをするしかなかった。

 

 

その後マリアとシャルロットは、互いに似合いそうな水着を選び購入したが、会計を済ませた後もまだ真耶の説教は続いており、マリアは一夏たちを心の中で少しだけ励ました。

 

シャルロットが、千冬の背中に声をかける。

 

「先生、僕たちはこれで」

 

すると千冬も振り向き、

 

「ああ、引き止めて悪かったな。遊ぶのもいいが、こいつらのような馬鹿な真似はするなよ」

 

千冬がそう言うと、一夏とセシリアは更に項垂れてしまう。

鈴もまだお怒りの様子らしく、暫くここを離れそうにない。

一方のラウラは、店内を散策しながら誰かと電話をしていた。

 

「クラリッサ、例の臨海学校の件だが……」

 

電話の相手は彼女の部隊の副官だろうか。

どうやら彼女も水着探しに必死らしい。転入当時では想像出来なかった、ラウラの女の子らしい一面だ。

マリアとシャルロットはその様子を見て微笑み、店を後にした。

 

 

 

 

 

 

シャルロットの誘いで、次は水族館へと行くことになった。ショッピングモールから中庭へ一度出ると、水族館に行けるらしい。

中庭は、ショッピングモール・水族館・遊園地の三つに囲まれているエリアであり、中庭へ行けば自分の好きな所へすぐにアクセスできるようになっている。

 

「本当に色々な店があるな」

 

「今年は特に外国からの観光客が多いから、それに対応できるくらいの規模に作られたんだって」

 

中庭に向かいながら様々な店に寄り道をしていた二人は、ある店の前で足を止める。

 

「ねぇマリア。ここ、ちょっと入ってみない?」

 

シャルロットの指が向いていたのは、アクセサリーショップだった。少し高級なブランドとして知られるその店は、全国で多くの人気が寄せられていて、テレビのCMでもよく目にする。

 

「ああ、入ってみようか」

 

マリアは笑顔で答え、二人は店の扉を開ける。

店の中には、ガラスのショーケースに覆われたアクセサリーがたくさん並んでいた。

 

「マリア、僕奥の方見てくるね」

 

そう言って、シャルロットは店の奥へと進んでいった。

マリアはとりあえず、近くにあるものを見ていくことにする。

ネックレスや指輪、ピアスなど、どれも綺麗なつくりになっている。やはり大人の店ということもあり、価格も相応に張るものが多い。

 

 

 

 

マリアがショーケースの中をゆっくりと眺めていると、一つのアクセサリーに目がとまった。

 

 

 

それは、小さな髪飾りだった。

 

丸い宝石の周りに、点々と星が散らばった美しい装飾。

 

隅に置かれていても、それは一際輝きを放っていた。

 

(綺麗………)

 

記憶の中の、()にもらった髪飾りが脳裏に浮かぶ。

マリアは自ずと、手を伸ばした。

 

「お試しになりますか?」

 

咄嗟に、マリアは手を引っ込める。

声の方に振り向くと、店員がニコニコとした顔でこちらを見ていた。

 

「いや、その……」

 

「綺麗ですよね、その髪飾り。実はそれ、もうその一品しか無いんです」

 

「一つだけ……?」

 

「はい。その髪飾りも結構古いタイプのもので、今の人々の好みにはあまり合わないみたいなんです。私は好きなんですけどね……この子だけが売れ残ってしまって。もう今月いっぱいでショーケースに入れるのは止めるつもりなんです」

 

店員が、寂しげに微笑む。

マリアは店員から目を逸らし、再びガラスの中の髪飾りに目を向けた。

 

(こんなに綺麗なのに………)

 

マリアの中で、この髪飾りを付けてみたいという思いが芽生える。

だが、これを手にすると、なんだか悲しい感情も生まれてきそうで………。

 

心の中で葛藤していると、横からこちらへと向かう足音が聞こえた。

 

「マリア、どうしたの?」

 

シャルロットがマリアの顔を覗く。

 

「い、いや────」

 

「わぁ、この髪飾り、すごく綺麗だね!」

 

マリアの返答を待たない内に、シャルロットは直ぐに小さな髪飾りへと目が釘付けになった。

 

「星みたいにキラキラしてて可愛い〜。ね、マリアもそう思わない?」

 

シャルロットが笑顔で問いかける。

しかしマリアは言葉が見つからず、シャルロットとその髪飾りから目を逸らし、

 

「すまないシャルロット。私は先に外で待ってる」

 

「え?あ、うん……」

 

マリアは背を向け、店の外へと出ていってしまった。

 

そのすぐ後に、シャルロットが続けて外へと出てきた。

そして心配気な表情で、マリアの顔を見る。

 

「マリア、大丈夫?体調でも悪い?」

 

「いや、そういうわけではないんだ。さ、行こうか」

 

「う、うん」

 

マリアとシャルロットは再び中庭へと向かい始める。

しかし、どことなく心残りといった感情が、マリアの顔に表れていた。

 

 

 

 

 

 

「ねぇマリア、あの髪飾り、欲しかったの?」

 

 

「………どうしてそう思う?」

 

 

「なんとなく、ね。そんな気がしたんだ」

 

 

「……そうか」

 

 

「うん……」

 

 

「………」

 

 

「………ねぇ」

 

 

「ん?」

 

 

「綺麗だったね。とっても」

 

 

「………ああ」

 

 

「………」

 

 

「………」

 

 

「………ごめんマリア。ここで少し待っててくれる?」

 

 

「どうした?」

 

 

「ちょっとお手洗いに行きたくて」

 

 

「そうか、分かった」

 

 

「ありがと。すぐ戻ってくるから」

 

 

「急がなくていいぞ」

 

 

 

 

 

 

用を済ませ戻ってきたシャルロットと合流し、二人は水族館へと向かった。

水族館の客層は家族連れが多く、しばしばカップルも見られる。

マリアとシャルロットは受付で入場券を購入し、水族館の中へと入った。

 

「マリア、もしかして水族館は初めて?」

 

「ああ」

 

海に棲む生き物たちについては人並みに知ってはいるが、実際に見たことがあるのは魚や鮫くらいで、イルカやアザラシなどといった生物は見たことがない。

水族館の中は少し薄暗く、入ると目の前には巨大な水槽があった。

 

「すごい……」

 

目の前の大きな海の生き物たちに、マリアは感嘆の声をもらす。

そこでは何十種類といった生き物たちが共生しており、一方では同じ動きをする魚の群れ、一方ではあざやかな色をした生き物など、幻想的な世界が繰り広げられていた。

 

「綺麗だね、マリア」

 

「ああ、こんな景色が見れるとはな……」

 

シャルロットとマリアはゆっくりと歩きながら、海の世界を眺め続ける。

 

 

 

しばらく歩くと、今度は筒状の通路に入った。

そこは通路を取り囲む360度全てが水槽になった水中トンネルで、ガラスの外ではウミガメが泳いでいた。

 

「見てマリア!ウミガメだよ!」

 

「可愛いな」

 

「僕もウミガメを生で見るのは初めてかも」

 

水の中の世界は、上から差す光を優しく包み、ウミガメたちの甲羅を美しく反射させている。ゆっくりと泳ぐウミガメたちだが、その自由気ままな様は見ていて飽きない。

 

「ねぇマリア。ウミガメって、卵を産むときに涙を流すんだ。何故か知ってる?」

 

横でウミガメを見上げるシャルロットが、マリアにそう問いかけた。

 

「出産の痛みか?」

 

ウミガメについて深い知識を持っていないマリアは、なんとなくのありきたりな予想で答えた。

その答えを聞いて、シャルロットは微笑み、首を横に振る。

 

「ウミガメが海の中で水を飲むとき、身体の中に塩分がいっぱい入っちゃうでしょ?ウミガメの目には塩類腺っていう器官があって、そこから余分な塩分を排出するんだよ。それが涙に見えるんだって」

 

「そうなのか。よく知っているな」

 

「ほんとは、卵を産むとき以外にもちゃんと排出してるんだよ。海の中にいるから分かりにくいだけでね」

 

「確かに水の中じゃ分からないな」

 

「でもね」

 

一度口を(つぐ)んだ後、シャルロットは続きを話す。

 

「僕はあの子たちが涙を流すのは身体の仕組みのせいだけじゃないと思うよ」

 

「つまり?」

 

「マリアの言ったとおり、出産の痛みとかもちゃんとあると思う。母親なら誰でも辛いと思うから。後は、子どもを生む喜び……とか」

 

「……確かにな」

 

自分の母親も、私を生んだときは泣いたのだろうか。

 

「でも、仮にね。あの子たちの涙が全部、塩分を出すために使われているんだとしたら、あの子たちが本当に泣きたいときに、本当の涙は残っているのかな……?」

 

マリアはシャルロットを見る。

その横顔は、何処か儚げな色を含んでいた。

 

「僕、ね」

 

「ああ」

 

「お母さんが大好きだった」

 

「………」

 

「でも、お母さんが僕に涙を見せたことはなかったんだよ」

 

二年前に亡くなったという、シャルロットの母親。

 

「お母さんも、本妻の人に悪く言われて、辛かったと思う。『妾』っていう立場だったから、それは仕方のないことなんだけど……。でも、でもね。お母さんは()()()のことを誰よりも好きだったんだ」

 

『あの人』とは、シャルロットの父親のことだろう。

 

「僕も嫌がらせは受けたよ………でも辛くはなかった。お母さんがいたから」

 

シャルロットとマリアの横を、子供連れの家族が通り過ぎる。

シャルロットはその家族の背中を見つめていた。

 

「一番泣きたかったのは、きっとお母さん。なのに、僕はお母さんの涙を見たことがない」

 

「涙………」

 

「────それってさ、結構皮肉なことだよね」

 

シャルロットは力の抜けた含み笑いをする。

 

「つまり僕は………僕は、お母さんの心の拠り所に最後までなれなかったってことでしょ?」

 

「本当にそう思うのか?」

 

マリアは否定の意を込め、シャルロットに問う。今のシャルロットは、あまりにも悲観的だった。

 

「だって……お母さんはあの時、誰よりも泣きたかった。でも泣かなかった。いや、泣けなかったんだ。きっと、僕がいたから」

 

「………」

 

「僕はお母さんにもっと頼ってほしかった。涙でもなんでも、娘の僕に全部さらけ出してほしかった」

 

「………」

 

「でもそれは僕の気持ちにすぎなくて、お母さんにとっては逆だった。僕がいたから………僕に心配をかけないように……。お母さんにとっては、僕が足枷だったのかな………」

 

「いや、違う」

 

マリアの言葉に、シャルロットが振り向く。

その目は、少し潤んで見えた。

 

「シャルロットに涙を隠したんじゃない。シャルロットがいたから、彼女は救われたんだ」

 

「え……」

 

シャルロットの顔が、悲壮から違うものへと変わる。

 

「彼女にとって、自分の悲しみを癒してくれる存在こそが、娘のシャルロットだったんだ。決して重荷になんて思っていない」

 

「………そんなの、言いがかりだよ」

 

「本当に重荷に思っていたのなら、少なからず彼女はシャルロットに素っ気ない態度を取っていたかもしれない。そんなことはあったか?」

 

「それは……」

 

シャルロットは目の前の水の世界を眺め、視点をゆらゆらと流れに任せながら、母親を思い出す。

 

「………お母さんは、どんな時も僕に優しかった……」

 

「シャルロットに救われていたからだ」

 

「でも、そんなの本当は分かんないよ……」

 

「分かるさ」

 

マリアは自信を持って答えた。

先を辿れば、彼女はあの優しいアデラインの血を引いている。

その優しさを受け継いでいることは、今のシャルロットを見れば自明だった。

 

「こうして優しいシャルロットが今ここにいることが、何よりの証拠だ」

 

驚きの感情の次にシャルロットが感じたのは、長い間奥深くにあった心の枷が解けていくような感覚だった。

マリアはシャルロットの肩を抱き、優しく微笑む。

 

「彼女はシャルロットのお陰で、泣くことよりも笑うことを選んだ。それだけの話さ」

 

「マリア……」

 

シャルロットの目から、涙が一筋零れる。

 

「それに、シャルロットの前で彼女が泣いたことは無かったと言っていたが、そんなことはない」

 

「え……?」

 

シャルロットはマリアを見上げる。

 

「彼女もシャルロットを生んだとき、きっとシャルロットの横で大いに泣いたと思うぞ」

 

「僕を、生んだとき……」

 

「彼女も一人の母親だ。娘を生むときは涙だって流すさ」

 

母親は自らのお腹を痛めて我が子を生む。そして生まれたての待ちわびた子と一緒に並んだとき、我が子の泣き声を聞いて、母親も涙を流す。

ごく自然で、尊いことだ。

 

「お母さんでも、泣くんだね」

 

「ああ。人間もウミガメも、そこは変わらないさ」

 

「ふふ、お母さんが僕の隣で泣いてるところ、ちょっと見たかったな………」

 

ウミガメが、マリアとシャルロットの目の前を通り過ぎた。暫くの間、シャルロットはマリアに肩を抱かれたままでいた。

 

そしてシャルロットは、マリアの腕から離れ、マリアに向き直った。

 

「ごめんね、マリア。なんか、しんみりしちゃって」

 

「気にしなくていいさ」

 

「ふふ、ありがとう」

 

マリアに礼を言った後、シャルロットはおもむろにマリアと手を繋いだ。

少し驚くマリアだったが、シャルロットの満面の笑みを見て、マリアも微笑む。

 

「ね、マリア。そういえばこの水族館、イルカと触れ合えるところがあるんだって!行こっ!」

 

「ああ」

 

シャルロットはマリアの手を優しく引っ張り、先へ歩く。

 

マリアは引っ張られながら、一度だけ後ろを振り向いた。

 

さっきいたあのウミガメも、こちらを振り向いた気がした。

 

 

 

 

 

 

「マリアー!こっちこっち!」

 

「ふふ。そんなに急がなくても、イルカたちは逃げないぞ」

 

シャルロットとマリアは水族館の開けた屋外にいた。

最上階に位置するこの巨大プールは、普段はイルカショーを開いているエリアであり、毎回多くの客がここへ足を運ぶらしい。

今日はイルカショーが休みらしいのだが、その代わりに時間限定でイルカたちと触れ合えるといった日だった。

幸いあまり人は並んでおらず列も短かったため、シャルロットとマリアがイルカと触れ合える順番はすぐに回ってきた。

 

 

 

プール上の、少し出っ張った足場に行き、水族館の従業員から説明を聞く。

 

「では、イルカちゃんは今水中で泳いでいるので、お客様に呼んでいただきます!手を水の上に伸ばしてもらえますか?」

 

「は、はい!」

 

シャルロットが少し緊張した声で返事をする。

その横で、マリアは微笑みながら見守っていた。

 

シャルロットが、前に手を伸ばす。

 

「それでは、その手を勢いよく上に上げてください!」

 

「わ、分かりました」

 

「ふふ、緊張し過ぎだぞ、シャルロット」

 

「そ、そうだね」

 

シャルロットは深呼吸をし、下にいるであろうイルカたちに目を向ける。

 

「じゃあ、いくよ………えい!」

 

シャルロットが腕を勢いよく上げた。

すると同時に、一頭のイルカが水上で大きくジャンプをする。

 

「す、すごーい!」

 

「これは………驚いたな」

 

弧を描く濡れたイルカの背中は空の太陽を反射し、美しい景色を作る。そして水面に着地し、大きな水飛沫を立てた。

シャルロットはキャッキャと飛び跳ねるように喜び、マリアも初めて見るイルカのジャンプに感動していた。

 

「それでは、イルカちゃんにこちらに来てもらいましょう!さっきのように、手を前に出してください」

 

「は、はい!」

 

従業員に言われた通り、シャルロットは手を前に出す。すると先程のイルカがゆっくりと顔を出し、シャルロットの手の前にまでやって来た。

 

「では、イルカちゃんに飛んでくれたご褒美に、頭をなでなでしてあげてください!」

 

「え、いいんですか⁉︎」

 

「はい!どうぞ!」

 

イルカはシャルロットにさらに近づく。

シャルロットはゆっくりと、イルカの頭を撫でた。

 

「わぁ……ツルツルしてる!」

 

「お連れのお客さまも、撫でてあげてください!」

 

「いいのか?」

 

「はい!」

 

マリアもシャルロットに代わり、優しくイルカの頭に手を置いた。イルカも慣れているのか、大人しくじっとしている。

確かにシャルロットの言ったとおり、ツルツルとしていた。しかし今までに感じたことのない、不思議な手触りだった。

 

「ふふ………可愛いな」

 

イルカが笑っているように見えたマリアは、イルカがとても愛しく思えた。

 

「お客さま、この子と一緒に写真はいかがですか?」

 

「は、はい!是非!」

 

従業員の提案に、シャルロットは直ぐに返事をし、携帯を従業員に渡した。

シャルロットのはしゃぎっぷりに、マリアも微笑む。

 

「では、イルカちゃんを挟んで並ぶ感じで……はい、ありがとうございます!はい、チーズ!OKです!」

 

「ありがとうございます!」

 

「ありがとう。良かったな、シャルロット」

 

「うん!」

 

笑顔で画面の中の写真を見つめるシャルロットの頭を、マリアが撫でる。

 

「それではお客さま、そろそろお別れの時間です。一緒にイルカちゃんにバイバーイと手を振ってください」

 

「バイバーイ!ありがとね、イルカちゃん」

 

「ふふ、またな」

 

シャルロットとマリアが小さく手を振ると、イルカも身体をフリフリして、水の中に消えていった。

しかしその直後、合図をしていないのに、イルカが突然大ジャンプをした。

 

「わぁ!」

 

「何度見ても綺麗だな……」

 

空で円を描いたイルカの姿に二人が感動していると、従業員が少し驚いた反応をしていた。

 

「驚きましたね……まさか自分からジャンプするなんて……。普段はあんなことしないんですよ」

 

「そうなんですか?」

 

「はい。きっと、お客さまたちのことが気に入ったんだと思います!」

 

「ふふ、サービスだな」

 

シャルロットとマリアは顔を見合わせて笑い、従業員に礼を言って、その場を後にした。

 

 

 

 

 

 

「そろそろ帰ろっか」

 

「そうだな」

 

シャルロットがそう切り出したのは水族館を出てしばらくした後だった。

空は夕焼け色に染まり、周囲の人も疎らになっている。

 

マリアにとって、今日は何もかもが新鮮な一日だった。

自分の知らなかったこと、そして女としての楽しみ方など、色々なことをシャルロットに教えてもらった。

この楽しい一日がもうすぐ終わりを告げることを思うと、マリアは少し寂しくなる。

 

そしてそれはシャルロットも同じだったようで、彼女自身も名残惜しい表情を見せていた。

 

「ねぇ、マリア」

 

シャルロットが立ち止まる。

 

「少し、寄り道していかない?綺麗な景色が見える場所があるんだ」

 

寂しそうな表情を続けたまま、シャルロットはそう言った。

マリアも静かに頷く。

 

「……ああ」

 

シャルロットも少しだけ微笑み、また背中を向け、歩き始める。

シャルロットに導かれるようにして、マリアは後をついていった。

 

 

 

 

 

 

シャルロットが連れてきた場所は、小高い丘の上にある、寂れた小さな公園だった。

草は無造作に生い茂り、幼児用のブランコは風に吹かれただけで僅かな軋みと音を立てる。

当然人も居るはずも無く、まるで誰からも見捨てられたように、この公園は孤独だった。

シャルロットは公園の端のフェンスの側に立ち、金網の向こう側の世界を見る。

 

「ここからね……学園がよく見えるんだ」

 

マリアも近くまで行き、金網の向こう側を見る。

 

「綺麗だな……」

 

金網は崖の上に立てられており、その先は開けた景色。学園の島の全景、本島と学園を繋ぐモノレールの軌条。そして無限に続く海の水平線、オレンジ色に光る淡い夕陽。

美しい景色も、金網を越えて一歩踏み出せば地に落ちてしまう。

 

 

金網。

 

生と死を隔てるもの。

 

『大空を飛べる者』と『地を這う者』の境界線。

 

ISという翼が無ければ、私たちは所詮『地を這う者』に過ぎないのだろうか。

 

「今日は、楽しかったね」

 

「ああ」

 

生い茂る地の草と木の葉が、海からのそよ風に吹かれ、擦れた音を出す。

潮の匂いと一緒に、シャルロットは髪をかき分けた。

 

「あの夕陽が海に消えたら、今日は終わるんだね」

 

儚げな声で、シャルロットは言った。

 

「私も、こんなに一日が終わってほしくないと思えたのは久々だ」

 

「ほんと?ふふ、嬉しいな」

 

相変わらず、シャルロットは海を見続けている。マリアもそれに倣っていた。

 

 

「ねぇ、マリアは、さ」

 

シャルロットの右手が、静かに金網を掴んだ。

 

「あの噴水で親子を見たとき、やっぱり寂しかった?」

 

マリアは、ハッとした気持ちになった。

シャルロットとの待ち合わせ場所にいたとき、お揃いの麦わら帽子を被った親子が仲良く歩いていた。

娘はアイスクリームを頬張り、母親が微笑ましく見守る。

無意識に、私は彼女たちを目で追っていた。

それは好奇からくるものではなく、二割の羨望と、八割の寂寥だった。その時は自分でも自覚していなかったが、今になってそう思う。

 

「僕ね、その時分かったんだ。マリアも、〝僕と同じ〟なんだなって」

 

「同じ……?」

 

「間違ってたらごめんね。こんなこと言うのもホントはダメだと思うけど………マリアもお母さん、亡くしてるよね」

 

意外にも、そう言われたマリアの心に悲しみは感じられず、胸にストンと落ちるような感覚が生まれた。もちろん、記憶を取り戻した時から分かっていた事実だ。

 

 

 

だが、────ああ、やはり自分は母親を亡くしたんだなという確証を、マリアは改めて認識する。

 

 

「────随分前に、な」

 

「ご病気?」

 

「……いや」

 

「そう………」

 

シャルロットも、それ以上は聞かなかった。

 

「僕のお母さんはね、病気だったんだ。白血病。正確には、急性骨髄性白血病。いわば、〝血液の癌〟だね」

 

それを聞いて、マリアにはとてつもない自責の念が生まれた。シャルロットの母親が血液の病気になってしまったのは、自分の過去の過ちに因るものではないかと。

 

「日に日に弱っていくお母さんを見て、僕もとても辛かった。僕が代わってあげたかった。でも、側にいることしか出来なかった」

 

金網を握る手に、力がこもる。

 

「病状が酷くなってからはずっと寝たきりで、会話もほとんど出来なかった。最期は意識もなくなって、ずっと天井を見上げたままでね……静かな最期だった」

 

「っ………」

 

「僕もね……今日あの親子を見て、お母さんのことを思い出してたんだ。小さい頃、よくああやって手を繋いでたなぁって………」

 

「………」

 

「ウミガメの涙の話も、お母さんから教えてもらったことなんだ。ごめんね、あの時はしんみりしちゃって」

 

「そんなことない」

 

「ふふ、ウミガメの顔を見てお母さんの顔を思い出したなんて言ったら、お母さん拗ねちゃうかも」

 

「きっと笑ってくれるさ」

 

そうだといいね、とシャルロットは呟いた。

波の音が、微かに聴こえてくる。

 

シャルロットが、静かにこちらを向いた。

 

「僕ね、今日マリアの言葉に凄く支えられたんだ」

 

「私の……?」

 

「『優しいシャルロットが今ここにいることが何よりの証拠だ』って言ってくれたよね?僕、その言葉に救われてたの」

 

「私も……」

 

マリアはシャルロットの目を真っ直ぐ見て、答えた。

 

「私も、シャルロットに支えられていた」

 

シャルロットが女性であると打ち明けてくれたあの時、同時に彼女が、嘗ての最愛の友の子孫であるとも分かった。

過去に犯した自分の罪を直接彼女に償うことはもう叶わないが、彼女の子孫がこの世界に存在してくれていることは、マリアにとって何よりの救いだったのだ。

 

 

シャルロットの髪が靡き、哀愁の目で海を見る。

 

「僕ね………マリアのことが好き。友だちとかじゃなく、一人の女として」

 

「シャルロット………」

 

「やっぱり、同性を好きになるのって変だよね、おかしいよね。でもね、マリアのことを考えると、胸が高鳴るの。ドキドキするの。これって好きってことでしょ⁉︎」

 

「………」

 

泣きそうな潤んだ目で、シャルロットはマリアに訴えかける。

 

「でもね……それももう、叶わないのかなって……」

 

「………」

 

「僕がマリアに寄り添っても、マリアは何処か壁を感じてたみたいだったから……」

 

違う。

 

それは違う。

 

違う……と、思いたい。

 

私は、ただ寄り添い方が分からなかっただけなのだ。

 

しかし、それは本当だろうか?

 

そう自分に問えば、はっきりとした否定はできない。

 

最愛の友に対する罪悪感がどうしても拭えなくて、シャルロットとの距離が分からなかったのも事実だ。

 

だが、それは私の押し付けだったということか?

 

 

 

 

 

深く考え込むマリアを見て、しかしシャルロットは諦めたように、優しく笑った。

 

シャルロットは、首にかけられた胸元の小さな鍵を優しく握る。

 

「この鍵のこと、前にも話したよね?」

 

「……ああ」

 

私が、嘗ての最愛の友に渡した小さな鍵。それは私の知らないところで代々受け継がれていて、今はシャルロットの元にある。

 

「家に伝わる御守り。昔お母さんからもらったの。お母さんは亡くなったけど、この鍵を持ってると、お母さんが見守ってくれてる気がするんだ」

 

シャルロットの微笑みが、夕陽に照らされる。

 

「この鍵……僕の遠い遠い先祖さまが持ってた物なんだけど、元々はね、ある人から渡された物なんだって」

 

マリアはハッとしたように顔を上げた。

温かい表情で、シャルロットは鍵を胸に抱く。

 

 

「僕の先祖さま……()()()()()っていう名前らしいんだけど、鍵をくれた人のことをとても慕ってたって、お母さんから聞かせてもらったことがあるんだ」

 

 

アデライン────。

 

 

君の名前は、しっかりとシャルロットにまで伝わっていたんだな……。

 

 

私は君に酷いことをしたのに、それでも尚私を慕ってくれていたのか……?

 

 

「僕とお母さんは金髪だけど、先祖さまは白くて長い、綺麗な髪だったんだって。鍵をくれた人も同じ白い髪をしていて、それをきっかけに仲良くなったの………」

 

 

そうだ。

 

君と私は、よく互いの髪を整え合ったりしていたな。

 

 

「先祖さまが住んでいたところにね、露台があったらしいんだ。白い花が一面に咲いた、小さな中庭の露台。先祖さまは生きてる間に視力を失くしてしまったんだけど、せめて外気と花の香りが先祖さまの癒しになるように……だって」

 

「………」

 

「本当に優しい人だったんだね。ふふ、まるでマリアみたい」

 

「いや………」

 

露台の鍵。

 

あの時アデラインは、花の香りを楽しんでくれただろうか。

 

「そんなに優しい人だったなら、会ってみたかったな」

 

「どうして?」

 

マリアは複雑な心境で問いかける。

それに対し、シャルロットは純心な笑顔で答えた。

 

「それはね────先祖さまは若くして生涯を終えたんだけど、最期までその人の名前を口にしていたんだって」

 

「………!」

 

「本当に、お互いを想い合っていたんだと思う。その人が僕の先祖さまの側に居てくれたから、今の僕があるんだと思えるから……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その言葉で、マリアの中で何かが弾けた。

 

ずっと抱え込んでいた心の重荷が、すっと解放されるような感覚。

 

赦された感覚。

 

自分の罪が消えたわけではない。

 

だが、子孫であるシャルロットから、アデラインの本当の想いを聞けた気がして、何かが赦された気持ちになった。

 

 

 

 

 

 

「────マリア?」

 

シャルロットが不思議そうな顔で、私を見る。

深く考え込んでいた私は、ゆっくりと顔を上げた。

 

「シャルロット………もしも、」

 

「?」

 

「もしも私が変なことを言っても、君は信じてくれるか……?」

 

シャルロットは、じっと私の目を見る。

その後、彼女はその目を閉じ、優しく微笑んだ。

 

「信じるよ」

 

「本当に……?」

 

「マリアは、嘘なんてつかないよ」

 

「シャルロット……」

 

シャルロットの温かい言葉に、私の中でも話す気持ちが出来た。

潮風が吹き、私は口を開く。

 

「私は……」

 

「うん」

 

「私は………君の先祖であるアデラインに、許されないことをした………」

 

「え……?」

 

私は、全てを打ち明けた。

 

この時代の人間ではないこと。

 

獣を狩る狩人として手を汚していたこと。

 

そして……アデラインと仲良くなり、そして自分のせいで変わり果てた姿にさせてしまったこと。

 

結局は自分も死に、悪夢に囚われ、そしてまた死に、気付けばこの時代にいたこと。

 

シャルロットが知るべきことを、私は全て打ち明けた。

 

 

やがて話し終わると、暫くの沈黙が続き、今度はシャルロットが口を開いた。

 

「そっか……僕の先祖さまのお友達は、マリアのことだったんだね……」

 

「信じてくれるのか……?」

 

「言ったでしょ。マリアは嘘なんてつかないって」

 

驚きはしたけどね、とシャルロットは付け加える。

 

「だったら!君は私を恨むはずだ!」

 

「僕はそんなことは一つも思ってないよ」

 

「どうして⁉︎」

 

シャルロットは相変わらず優しく笑ったままで、私はそれが納得出来なかった。

 

「だってさ」

 

シャルロットは私の頬をゆっくりと手で包む。

 

「僕の先祖さまをこんなに想ってくれてる人が、悪い人なわけがないよ」

 

私は、唇を噛みしめる。

このなんともいえない複雑な感情は、なんだろうか。

 

「きっと、運命だったんだと思う。確かにマリアの教えてくれたことは、悲しいことだと思う。でも、先祖さまは精一杯生きた。先祖さまがマリアに出会えたおかげで、僕もマリアに出会えることができた」

 

「シャルロット………」

 

「マリアがこの世界に来たのも、きっと何か意味があるんだよ。今はそれを探しているんでしょ?」

 

シャルロットの温かい言葉に、私は何も言うことが出来なかった。

ただ、私の目からは、涙が込み上げてきていた。

 

「じゃあ……これも、マリアがこの世界に来た意味を探す手助けになればいいんだけれど」

 

そう言って、シャルロットはカバンの中から小さな箱を取り出した。

金色のリボンに包まれた青い箱。

それは、プレゼントと呼ばれるものだ。

シャルロットはその贈り物を、私の手に預ける。

 

「これは……?」

 

「マリアのために用意したんだ。開けてみて」

 

「私に……?」

 

私はシャルロットに言われた通りに、ゆっくりと、ゆっくりと、結ばれたリボンを解いていく。

そして、箱の蓋を開けると……

 

「これは……!」

 

箱の中には、いつか見た小さな髪飾り。

あの時、あの店で、ガラスに覆われた世界で隅に追いやられた、小さくて美しい姫。

 

「この髪飾りを見てるマリアの顔を見てね、僕、羨ましいなぁって思ってたんだ」

 

「え……?」

 

「この髪飾りを見てるマリア、すごくうっとりしてた。なんて言うのかな……恋に落ちた乙女のような表情だったの。心の中でね、僕もマリアにそう見られたいなぁって……」

 

「………」

 

「でもね、それはもう叶わない。だから、この髪飾りに僕の想いを託したの。これでケジメをつけようって。僕の代わりに、マリアにいっぱい可愛がってもらってねって……」

 

「シャルロット……」

 

「ふふ、まぁ僕の勝手なわがままだけどね、それも。でも、それを抜きにしても、僕はその髪飾りをマリアに着けてほしかったんだ。その髪飾りが一番似合うのは、きっとマリアだと思うから………」

 

シャルロットは小さな髪飾りを手に取り、

 

「せっかくだから、着けてあげるね」

 

シャルロットは少し背伸びをして、私の髪に手を添える。

そして、シャルロットが髪飾りを着けてくれると、カバンから手鏡を取り出し、こちらに向けた。

そして、彼女は満面の笑みで、

 

「ほら、やっぱり似合うね!マリア!」

 

私は、手鏡に映った、髪飾りを着けた自分を見て、とても懐かしく、嬉しい気持ちに襲われた。

 

 

そして、自分でも気付かない内に、私の目からは涙が溢れていた。

 

「ど、どうしたの⁉︎」

 

突然泣き出した私を見て、シャルロットは驚く。

だが、私は次々に湧き出す感情を塞きとめることはできなかった。

 

「も、もしかしてショックだった⁉︎」

 

目を白黒させて、シャルロットが慌てふためく。

 

「ち、ちがう……ひっぐ……ちがうんだ……!」

 

「マリア……?」

 

シャルロットが、そっと私の肩を抱いてくれる。

 

「これは……この気持ちは……なんだろうか……?」

 

「………」

 

色々な想いが蘇る。

母のこと、ゲールマンのこと、アデラインのこと。

そして……

 

「私、ひっぐ、私には、何もない。分からない。分からない、のに、温かいんだ……!」

 

「うん……」

 

「わ、私は……おかしいのだろうか……?」

 

「おかしくなんてないよ」

 

「うっ、ひっぐ……これは……やはり、喜びなのだろうか……!」

 

そして、私はシャルロットを抱きしめた。

力強く、この感情に任せて。

しかし、彼女の小さな身体が壊れないように。

 

「シャルロット……!好きだ!」

 

「え……」

 

「君が私の生きてる理由だ!私は君に会うためにここに来た!」

 

「マリア……!」

 

「アデラインの分まで、私は君を守り続ける!何があっても、君の側にいる!だから、私の側にいてくれ!私と……私と共に生きてくれ!」

 

私の声が、寂れた公園の中で木霊する。

シャルロットの肩は、私の涙で濡れてしまっていた。

私の泣き声が、肩の震えを伝わって、風に流れて消えていく。

 

 

 

暫くして、シャルロットが口を開いた。

 

「ありがとう、マリア」

 

少し鼻をすすりながら、シャルロットは笑顔で答えた。

 

「僕も、マリアが大好きだよ……!」

 

私たちは、さらに力を込めて抱き合った。

 

水平線上の夕陽が、私たち二人を見守っていた。

 

 

 

 

 

 

ポツ ポツ

 

 

抱き合っている私たちの元に、水滴が降ってきた。

 

「雨……」

 

私とシャルロットは、ゆっくりと身体を離し、海を眺めた。

 

気付けば淡く濡れた夕陽は海の中に沈みゆき、反対側の空には暗い雲が広がっていた。

遠い雲の向こうで、ゴロゴロと雷鳴が響いている。

 

この公園にも、空が雨をどんどんと落とし始めていた。

 

「ねぇマリア、知ってる?日本では昔から、『雷が鳴ると梅雨が明ける』って言われてるんだって」

 

「……まだまだ晴れない空は続くだろうな」

 

「そうだね。でも、僕の気持ちはとっても晴れたよ」

 

「……私もだ」

 

顔を見合わせて、私たちは笑った。

 

そして、笑い合う私たちのすぐ近くに、雷が落ち、雨が豪雨へと変貌する。

 

「うわっ、急に降ってきたね!マリア、帰ろう!」

 

「あ、ああ!」

 

目元の上を腕でカバーしながら、私たちは走って公園を駆け抜けた。

 

 

 

 

 

 

「うわぁ、びしょ濡れになっちゃった」

 

「早くシャワーを浴びよう」

 

学園の寮の自室に入ったシャルロットとマリアは、すぐに濡れた上着を脱ぎ始めた。

 

「シャルロット、お風呂を沸かしておくぞ」

 

「あ、お願い」

 

マリアは濡れた服を脱ぐのに手間取りながら、浴室に入っていった。

シャルロットは今の天気の情報を聴こうと、机の上のラジオの電源を入れる。

 

ザザッ

 

『……えー◯◯さん。来月、日本で珍しい〝皆既月食〟が起こるようですが、そもそも月食とはどのような現象なのでしょうか?』

 

『はい、今一度おさらいしてみましょう。月食という現象はですね、地球が太陽と月の間に入ることで………』

 

「うーん、これじゃないね。天気天気」

 

シャルロットはラジオの周波数を変える。

 

ザザッ

 

『……関東地方は今日の夕方から梅雨の影響で強い雨が振ります。この雨は夜遅くまで続くので、みなさま傘の準備をくれぐれも………』

 

ガチャ

 

「今お湯を入れ始めたぞ」

 

「ありがとっ。雨、夜まで続くんだって」

 

「そうか。まぁそうだろうな」

 

シャルロットはラジオの周波数を再び変えた。

今度は音楽番組だったようで、海外の曲が流れていた。

男性ボーカルが甘い声で歌う、少し洒落た、オトナの曲調だった。

 

(※ラジオのイメージ曲:Jeff Bernatの『Ms. Seductive』)

 

ラジオを流したまま、マリアとシャルロットは浴室へと入り、脱いだ服と下着を洗濯カゴの中に入れた。

浴室の中でも、微かにラジオの曲が響き渡る。

裸になった二人は、互いに少し照れた表情で、シャワーを一緒に浴びていった。

 

風呂が出来上がったのは、丁度シャワーで互いの身体を洗い終わった時だった。

 

 

 

 

 

 

裸になった二人は風呂に身体を沈める。

マリアの脚と脚の間で、シャルロットが挟まれるようにマリアにもたれる。

 

「なんか……照れちゃうね」

 

頰をほんのりと赤く染めた可愛らしい笑みで、シャルロットは呟いた。

 

「すまない、あんなに取り乱してしまって」

 

「ううん、嬉しかった」

 

マリアの腕に抱かれるシャルロット。

 

「アデラインのことがあって、君との距離の取り方が分からなかったんだ。それが君を傷つけることになってしまって、本当にすまなかった」

 

「気にしないで。僕もマリアの本心が聞けて嬉しかったから」

 

そうして暫くの沈黙が続いた後、シャルロットがマリアの方を振り向く。

 

「僕、ね」

 

「ああ」

 

「欲張り……なのかな。マリアの気持ちが聞けて嬉しかったんだけど、まだ実感がないんだ……。明日になれば、全部夢だったんじゃないかって………」

 

「シャルロット……」

 

「だから、ね…?」

 

シャルロットは、上気した顔で、マリアに顔を近づける。

 

「夢に、しないで………」

 

そういって、シャルロットはゆっくりと目を閉じ、潤んだ唇を差し出した。

 

マリアも微笑み、目を閉じて、唇を重ねる。

 

「んっ……はぁ……」

 

シャルロットの唇から甘い吐息が漏れる。

 

マリアとシャルロットの心は、幸せな感情で溢れていた。

 

世界で一番、甘いキス。

 

唇を重ねれば重ねるほど、その感情は無限に生まれていった。

 

「んっ……はぁ……シャルロット……」

 

マリアはシャルロットの耳元で囁く。

 

「君が欲しい────」

 

シャルロットの大切な、女性の部分が、切なく甘い感覚に襲われる。

 

あなたが欲しい。

 

あなたが欲しい。

 

シャルロットはもう一度マリアと唇を重ね、離す。

 

「ベッド、いこ……?」

 

 

 

 

 

 

気付けば、ラジオの曲は違うものに変わっていた。アーティストは、先ほどと同じ声だった。

(※ラジオのイメージ曲:Jeff Bernatの『Moonlight Chemistry』)

 

 

 

 

私とシャルロットは、ベッドの上で、何度も唇を重ねた。

 

 

何度も、互いの身体を愛し合った。

 

 

何度も、互いの甘い声を聴きあった。

 

 

何度も、甘い汗を流し、何度も、力が抜けるほど気持ちのよい感覚に襲われた。

 

 

何度も、何度も。

 

 

 

 

 

全てが終わり、生まれたままの姿で寄り添って眠りに落ちた頃には、雨は止んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

箒は、誰もいない学園のアリーナ内で、携帯電話である番号にかけた。

私しか知らない、彼女の番号。

使うつもりは一切無かったが、守る力を得るためには彼女に頼るしかない。

 

コール音も鳴らない内に、電話の主の声が聴こえた。

 

『もすもすひねもすー!ハーイ!みんなのアイドル、篠ノ之束さんだよー!』

 

「………」

 

早速苛立ってしまった箒は、無言で携帯の電源ボタンを押そうとする。

 

『あ、待って待って!切らないで箒ちゃん!』

 

しかし、姉の頼みに、なんとかその指は抑えることが出来た。

 

「姉さん……」

 

『やぁやぁ我が妹よー!久しぶりだねぇ。で、今日はどうしたのかな?』

 

「……その………」

 

箒は深呼吸をし、本題に入る。

 

「姉さん……私だけの専用機を、作ってくれませんか……?」

 

『────⁉︎』

 

数秒の沈黙が続いた。

 

「姉さん?」

 

『……え、あ、いや、なんでもないよ?』

 

「どうかしたのですか?」

 

『ううん、気にしないで!』

 

「………?」

 

珍しい姉の反応に、箒は首を傾げる。

 

耳を澄ませると、スピーカーの穴から僅かに姉の呟きが聴こえた。

 

『やっぱり………巻き込まなくちゃならないのかな………?』

 

「……姉さん?」

 

姉の暗い声音に、箒は心配になった。

 

しかし、すぐにまた明るい声が聴こえてくる。

 

『任せて箒ちゃん!実はすでに手をつけてあるんだよ!』

 

「そ、そうなのですか⁉︎」

 

『最高性能にして規格外!そして()と並び立つもの!その機体の名前は────』

 

箒は息を飲む。

 

『紅椿!!』

 

 





IS学園・小広場前


「クラリッサ。こちらラウラ・ボーデヴィッヒだ」

『おお、隊長!その後、水着は良いものを買えましたか⁉︎』

「ああ!お前のおかげだ!恩にきるぞ、クラリッサ」

『勿体無いお言葉です。隊長のためなら、これくらい』

「ふふ、そうか」

『………』

「………」

『……………』

「……どうした?」

『は!な、何がでしょうか』

「思い悩んでることでもあるのか?」

『とんでもない。隊長に隠すことなど────』

「嘘を吐くな」

『……⁉︎』

「私はシュヴァルツェ・ハーゼ(黒ウサギ隊)の隊長だぞ。隊員の気遣いは隊長の務めだ」

『隊長………』

「それで、何かあったのか?」

『……分かりました。話しましょう』

「ああ」

『上からは緘口令が敷かれているのですが………隊長、()()()と最近連絡を取りましたか?』

「いや、取っていないが……彼女がどうかしたのか?」

『そうですか……。実は少し前に、上から与えられた任務のために遠征をしたのですが………連絡がつかず、未だに帰ってきておりません』

「帰ってこない?」

『はい。ドイツ軍上層部も協力して彼女を捜索してくれてはいるのですが、未だに消息不明といった状態です』

「カリンが……?彼女は真面目で隊を慕っている人間だ。まさか亡命ではないだろう」

『ええ……考えたくはないですが、何らかの事件に巻き込まれている可能性が高いかと』

「しかし何故上層部は私へ伝えることを禁じている?私は隊長だぞ」

『〝ISのデータ向上に励むために日本に滞在しているボーデヴィッヒ隊長に、精神的ストレスをなるべくかけさせないため〟と伝えられました。が、私個人としては、どうにも腑に落ちません』

「ああ、私もだ。いくら他国にいるとはいえ、私には全てを知る義務がある」

『ありがとうございます。心強いです』

「何か対策は取っているか?」

『隊長には無断ですが、ニーナが自ら志願し、現在彼女にカリンの行方を調査させに出向させています』

「そうか……いや、構わん。彼女もカリンと仲が良かったからな。志願するのも頷ける」

『何か新しいことが判明すれば、すぐに報告いたします』

「頼むぞ」

『我らシュヴァルツェ・ハーゼは、常に隊長と共にあります。ご武運を』


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第34話 海浜

イメージ曲
STRAIGHT JET - 栗林みな実


七月。

イギリスでの出来事、そしてシャルロットとの和解から一ヶ月程が経った頃。

IS学園の一年生にとって待望の行事がついにやってきた。

 

そう、臨海学校である。

 

IS学園では毎年この夏の時期に一年生を臨海学校に連れて行く行事があり、そこでは広々としたプライベート・ビーチでISの実習が行われる。

また臨海学校の主旨は実習だけではなく、自由時間も実習と同じくらい重要視されている。

IS学園は様々な人種背景を持った生徒たちで構成されており、文化が違う分、常に会話に新鮮味がある反面、意見が食い違うなどの衝突も多い。

学園としても生徒たちにストレスはなるべく感じさせたくないため、臨海学校という機会を生徒たちの休養にも十分に活用させているのだ。

2泊3日の臨海学校に、生徒たちは皆期待に胸を膨らませていた。今は道中のバス内であり、一行を乗せたバスは深い木々の山道を上っていた。

マリアは最後列の左窓側に座っており、右隣にはシャルロット、またその右隣には布仏本音と鷹月静寐が座っていた。

マリアは先程まで起きていたのだが、今はすーすーと静かに寝息を立てている。

 

「マリリン、ぐっすりだねぇ〜」

 

のんびりとした声で本音が言った。

 

「なんかね、昨夜はあんまり寝れなかったみたいだよ」

 

シャルロットの返答に、横の静寐が少し驚いた顔をした。

 

「そうなの?体調でも悪かったのかな?」

 

「うーん、珍しくソワソワしてたみたいだからそのせいかも」

 

「マリアさんでも緊張したりするんだね。ふふ、ちょっと意外」

 

マリアにはいつも落ち着いているイメージがある静寐にとっては、少し新鮮な一面だった。三人は穏やかなマリアの寝顔に、優しく微笑んでいる。

一方、彼女たちの一つ前の列には、一夏とラウラが隣同士、セシリアと箒が隣同士に座っていた。

出発前、一夏の隣にラウラが何事もないように座り、セシリアと箒が大抗議をしたのだが、千冬に「どの席でもいいからさっさと座れ。さもないと海まで歩かせるぞ」と睨みを利かされ、渋々諦めたのだ。

自分が一夏の隣にいるのは当然だと言わんばかりの顔を見せるラウラ。今は一夏の隣でちゅーちゅーとジュースに挿さったジュースを飲んでいた。

そしてストローから口を離すと、

 

「嫁よ。ジュースはいるか?」

 

所謂『間接キス』というものを意味しており、一夏は戸惑いを隠せない。

 

「ちょっとラウラさん⁉︎」

 

「おい!何をしている⁉︎」

 

「見て分からないか?嫁との営みだ」

 

「い、営みですって⁉︎」

 

「は、ははは……」

 

箒とセシリアが騒ぎ立てる中、一夏は困惑した笑いを見せていた。ラウラは相変わらず涼しい顔をしている。

 

「ほれ、嫁よ。飲むといい」

 

「はは……俺は遠慮しとくよ。気持ちだけありがとな」

 

「む、そうか」

 

一夏は笑いながら、ラウラの頭を撫でる。まるで妹を優しく諭すかのように。ラウラもそれで満足そうな顔を見せた。

 

「もう!一夏さんはラウラさんに甘過ぎますわ!」

 

「そうだぞ一夏!」

 

「まぁまぁ二人とも。ラウラー、あんまり一気に飲み過ぎるとお手洗いが近くなるよー」

 

「うむ、了解だシャルロット」

 

「でゅっちー、なんだかラウラウのお母さんみたいだね〜」

 

「そ、そうかな?」

 

そんな会話をしている内に、バスはどんどんと山の奥地へと向かって行く。本当にこの先に海があるのかと思えるくらい、深い森だ。

暫くシャルロットたちが会話をしていると、不意に横から聴こえてくるはずの小さな寝息が止んだ。

 

「シャルロット」

 

「わ!マ、マリア。急に起きるからビックリしたよ」

 

「すまない。何故かぱっちりと目が覚めてな」

 

先程まで寝ていたとは思えないくらい目の覚めようだった。マリアは少しだけ伸びをする。

 

「私はどのくらい眠っていた?」

 

「うーん、30分くらいかな?」

 

マリアの問いに、静寐が答える。

 

「マリリンの寝顔は女神みたいだね〜」

 

「なんだそれは」

 

本音ののほほんとした例えに、マリアは笑って流した。

 

「おーマリア、起きたんだな」

 

マリアの斜め前に座る一夏が、マリアの方を向く。

 

「ああ」

 

「もうすぐで海が見えるらしいぜ」

 

「こんなに深い山なのにな」

 

「遠く離れた奥地にこそ、絶景があるっていうぜ」

 

「期待しておこう」

 

そうこうしているうちに、十分程が経った。

真っ暗なトンネルを走っており、等間隔にオレンジの灯りが窓の外を横切っていく。

バス内の天井に付いているスピーカーから、マイクの電源が入った雑音が流れた後、真耶の声が聴こえてきた。

 

『みなさーん!このトンネルを抜ければ海が見えますよー!』

 

真耶の呼びかけに、車内の雰囲気は一層明るいものとなった。

ワクワクと緊張が入り混じったような空気。今か今かと、海の景色を皆待ちわびている。

 

そして、バスの前方から太陽の光が一気に拡散していく。トンネルの終点だ。

眩しさに目を瞑り、次に視界に入ってきたのは、キラキラと輝いた波、どこまでも続く大海原だった。

 

「わぁ!」

 

「大きな海だよ〜〜」

 

静寐と本音が身を乗り出して大喜びする。

シャルロットも同じ気持ちだったらしく、とても感動しているようだ。

 

「すごい綺麗だね、マリア!」

 

「ああ。驚いたな」

 

国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった────。

 

マリアは、いつか学園の図書館で読んだ本の冒頭を思い出した。ある男性が温泉宿に向かう列車の中、窓ガラスに映った女性の片眼に惹きつけられ、回想に耽る………そんな始まりだったように思う。

雪とは無縁の、照りつける太陽。冬の夜の底が白いのなら、夏の海の底は何色だろうか。

窓ガラスに映るは、太陽に負けないくらいのキラキラと輝いた少女たちの目。

一行を乗せたバスは、浜辺の近くへと繋がる道のりを下っていく。

 

 

 

 

 

 

学園の一年生を乗せた4台のバスが停まり、目的地である旅館前に到着した一行は、旅館の前で整列をしていた。この旅館はプライベートビーチの景色を拝める絶好の立地にある宿泊施設であり、毎年IS学園の臨海学校でお世話になっているところでもある。臨海学校の間は旅館やビーチを含めた周辺の土地全てが貸切状態になっている。ISという機体を扱うための安全確保と、女子生徒だけであることを懸念しての考慮だ。

 

「よし、全員揃ったな」

 

整列した一年生たちの前で、千冬が言った。

 

「それでは、ここが今日から3日間お世話になる花月荘だ。全員、従業員の方々の仕事を増やさないように注意しろ」

 

「「「よろしくお願いしまーす」」」

 

千冬の言葉の後、全員で挨拶をする。すると、着物姿の若女将が丁寧にお辞儀をした。

 

「はい、こちらこそ。今年の一年生も元気があってよろしいですね」

 

歳は三十代くらいだろうか。しっかりとした大人の雰囲気を漂わせている。

 

「あら、こちらが噂の……?」

 

若女将が、前列に並んでいた一夏と目が合う。

 

「ええ、まぁ。今年は男子が一人いるせいで浴場分けが難しくなってしまって申し訳ありません」

 

「いえいえ、そんな。それに、いい男の子じゃありませんか。しっかりしてそうな感じを受けますよ」

 

「感じがするだけですよ。挨拶をしろ、馬鹿者」

 

「お、織斑一夏です。よろしくお願いします」

 

「うふふ、ご丁寧にどうも。清洲景子です」

 

気品のあるお辞儀の動作に、一夏は少し緊張しているようだった。

 

「不出来の弟でご迷惑をお掛けします」

 

「あらあら。織斑先生ったら、弟さんにはずいぶん厳しいようで」

 

「いつも手を焼かされていますので」

 

少し納得できないようでありながらも、否定はできないので黙っておくしかないといった表情で一夏は佇む。これも、弟という立場に生まれた者の宿命だ。

 

「それじゃあ皆さん、お部屋の方にどうぞ。海に行かれる方は別館の方で着替えられるようになっていますから、そちらをご利用なさってくださいな。場所が分からなければいつでも従業員に聞いてくださいまし」

 

女子一同は、はーいと返事をするとすぐさま別館の方へと向かう。取り敢えずは荷物を置いて、そこからなんだろう。

スケジュールとしては、初日は終日自由時間、明日がISの実習という予定だ。

 

 

 

 

 

 

「行こっか、マリア」

 

「ああ」

 

皆が別館に行く様子をなんとなく眺めていたが、シャルロットの呼びかけに、マリアも荷物を持って歩き始める。

先程の整列中に真耶から貰った紙を見る。貰ったのは部屋の振り分けであり、偶然にも二人は同じ部屋だった。ちなみにラウラも同じ部屋である。

 

「織斑、お前の部屋はこっちだ。ついてこい」

 

「は、はい!」

 

千冬に呼ばれた一夏は、せっせと荷物を持ってその後ろをついて行く。

 

「一夏、部屋どこなのかな?紙には書かれてなかったよね」

 

「唯一の男子だしな。個室なんじゃないか?まぁ、シャルロットの場合はまだ男の子のときでも私と一緒だったが」

 

「む、昔のことじゃん」

 

「ふふふ」

 

「シャルロット、マリア」

 

「あ、ラウラ!」

 

喋っている内に、人混みの中に紛れたラウラとも合流し、三人は部屋に向かう。

旅館の中はとても広く、綺麗につくられていた。一学年丸々収容出来る施設であるだけではなく、その内装は歴史を感じさせる装飾と最新設備が見事に融合したものとなっていた。適度に効いたエアコンのおかげで、暑い夏でも快適に過ごせる。

三人は部屋の前に辿り着いた。

中へ入ると、三人でもまだまだ使い余る程の間取りであり、外側の壁は一面窓になっている。そこから見える景色は海を眺められる素晴らしいもので、東向きの部屋のため、きっと日の出も拝めることだろう。

 

「すごーい!二人とも見て!絶景だよ!」

 

シャルロットははしゃいでマリアとラウラに感動を伝える。ラウラもトコトコとシャルロットの横に並び、窓から海の香りを楽しんでいた。海の景色を眺めると同時に、二人の後ろ姿を見てマリアも微笑む。

それ以外にも、お手洗いと浴室は別々で、洗面所も専用の個室になっていた。ゆったりとした浴槽は、背の高いマリアでも優に脚が伸ばせるほどの大きさだった。

 

「さてと、じゃあ水着に着替えて海に行こっか!」

 

シャルロットが笑顔で二人に言う。

 

「そうだな。ところでラウラは、あの時水着を買ったのか?」

 

マリアは一ヶ月ほど前の水着の店でラウラと会った時のことを思い出す。

 

「ま、まぁな」

 

「ねぇラウラ!どんな水着買ったの?」

 

「そ、その……」

 

「?」

 

なにか恥ずかしそうにしているラウラ。どうしたのだろうか。

 

「どうしたのだ?」

 

「もしかして、学園に置いてきちゃった?」

 

「そ、そうではないのだ。ただ、自信が無くてな……」

 

「ラウラなら何を着ても似合うだろう。私たちも一緒に着替えてやるから大丈夫だ」

 

「うんうん。手伝うよ」

 

「あ、ありがとう。感謝する」

 

ラウラは未だに恥ずかしそうにしながらも、バッグを開けて水着を取り出した。

 

「ラ、ラウラ……その水着……!」

 

「これは楽しみだな」

 

予想していた以上の可愛らしい水着に、二人はラウラの水着姿に期待を込めた。

 

 

 

 

 

 

太陽に照らされ熱を帯びた白砂が、足を踏み出す度に指の間をくぐり抜ける。

旅館と目と鼻の先、広大な砂浜には大勢の水着姿の生徒たちがはしゃいでいた。

 

「今十一時でーす!夕方までは自由行動、夕食に遅れないように旅館に戻ること!いいですねー⁉︎」

 

「「「はーい!!!」」」

 

水着に着替えた一夏は、砂浜で一人屈伸をしていた。海に入る前の準備運動は欠かせないものだ。

 

「ねぇねぇおりむ〜、私たちと一緒に遊ぼ〜」

 

そう言って近づいてきた何故か狐の着ぐるみを着た本音、そして横には谷本癒子がいた。本音のそれは果たして水着なのだろうか。

 

「ビーチバレーしようよ!」

 

「おお、いいぜ!どこで……うわ!」

 

「おお〜〜高い高い〜〜」

 

一夏の背中に後ろから飛びついたのは鈴だった。鈴はいつの間にか一夏の肩に座り、肩車の状態になっている。

 

「お、おい鈴!なんだよいきなり!」

 

「いや〜遠くまで見えるわ〜」

 

「おい下りろ!猫かお前は!」

 

二人の様子を見て、本音たちが羨望の声を上げる。

 

「わぁ〜〜私もしてほしい〜」

 

「織斑くん!次私ね!」

 

「いや、俺は展望台じゃないって!」

 

すると今度は、肩から下りようとしない鈴に手間取っている一夏のところに、見知った人物がやってきた。

 

「何をしていらっしゃいますの?」

 

水着を着た仏頂面なセシリアだった。その白い両腕にはビーチパラソルとシートが抱えられている。蒼のパレオが彼女をより優雅な雰囲気にさせており、一夏は彼女の水着姿を見て、一ヶ月ほど前の試着室での出来事を思い出し赤面する。

 

「い、いやセシリア、これは────」

 

「見れば分かるでしょ?移動監視塔ごっこ!」

 

鈴はしたり顔でセシリアを挑発し、一夏の顔に抱きつく。

 

「おい、離せって!前見えないから!」

 

あたふたしてる一夏と楽しそうに笑う鈴に、セシリアの仏頂面はさらに険しくなる。

 

「一夏さん?バスの中で(わたくし)と約束をしたのを忘れました、の゛っ⁉︎」

 

ドスッ!

力任せに砂に刺さるパラソル。

そしてセシリアは砂の上にシートを敷き、横にサンオイルを置いて、うつ伏せになる。

そしてパレオを脱ぎ、艶かしくブラのホックを外した。

セシリアの艶かしくすらっとした指先に、一夏の心臓は激しく高鳴る。

 

「さぁ一夏さん!お願いしますわ☆」

 

「なーにが『お願いしますわ☆』よ!あんたこそ一夏に何させる気よ!」

 

「見ての通り、サンオイルを塗っていただくのですわ!」

 

「サンオイルぅ⁉︎」

 

「レディとの約束を違えるなど、紳士の致すことじゃありませんわよ?さぁ、一夏さん!」

 

「お、おう!任せろ!」

 

「あんたも何で乗り気なのよ!」

 

鈴は一夏を後ろから蹴っ飛ばす。

そんなこんなで一夏はセシリアの側に座り、サンオイルの入った瓶を手に取る。全て英字で書かれたそれはいかにも高級そうなサンオイルで、さすがセシリアといったところだろうか。

一夏は瓶の蓋を開け、手の平に茶色のドロリとした液体を注ぐ。ヌルヌルとした未知の感触に、一夏の頰に一筋汗が流れた。

一夏はヌルヌルの手の平を、セシリアの腰につける。

 

「きゃ!」

 

「うお!」

 

「い、一夏さん。サンオイルは少し手で温めてから塗ってくださいな」

 

「わ、悪い……こういうことするのは初めてなんだ………」

 

『初めて』という言葉を聞いて、顔を綻ばせるセシリア。

 

「は、()()()なんですの………そ、それじゃあ仕方ありませんわね」

 

「あんた、何で嬉しそうなのよ」

 

セシリアのニヤケた顔をジト目で見る鈴。

一夏はしばらく手でオイルを温めた後、再びセシリアの背中に手を伸ばした。一夏は分からないながらも、満遍なく背中や腰で手を左右させる。

 

「あっ……ふぅ……」

 

一夏の施す手つきに、どんどんとトロけた表情に変わっていくセシリア。一夏の手が動くたびに、セシリアの身体から力が抜けていく。

 

「うわぁ……気持ち良さそう〜〜」

 

「セシリア!後で私にもサンオイル貸してよね!」

 

本音と癒子がドキドキした顔でセシリアに言う。

一方、一夏はセシリアの背中と腰を触っている内に危機を感じ始めていた。

セシリアの柔らかい身体に触れる度に漏れる彼女の吐息。僅かに揺れる、柔らかい豊満な胸。そして何より、セシリアのトロけきった顔。

そんな表情を自分の手で作り出してるのかと思うと、一夏の身体の内が熱くなっていく。

 

(いかん、このままでは……!)

 

一夏は、そろそろ止めておいたほうがいいと理性を働かせた。

 

「セ、セシリア。背中だけでいいんだよな……?」

 

しかしセシリアは、まるで理性を持っていないような表情で、

 

「い、いえ……せっかくですし、手の届かないところは全部お願いします……」

 

「ぜ、全部⁉︎」

 

「あ、脚と……その、お尻も……」

 

セシリアが上気した顔で一夏に懇願する。

ダメだ、このままでは。

 

しかしその時、一夏の横から鈴が割って入った。その手には一夏と同様、サンオイルが注がれていた。

 

「はいはーい!あたしがやってあげる!」

 

ニヤリとした顔で、鈴はすぐさまセシリアの全身にオイルを塗りたくり始めた。まるでくすぐる気しかない鈴の手つきに、セシリアは笑いが堪えきれなかった。

 

「あはははは!り、鈴さ、あは、はははは!や、やめてくだはははは!」

 

「隅から〜〜隅まで〜〜♪」

 

そして鈴はセシリアの水着を掴み、お尻の部分も弄り始める。

さすがのセシリアも、自分のお尻を悪戯されたことに怒り、跳ね上がった。

 

「り、鈴さん⁉︎もういい加減に────」

 

「セ、セシリア⁉︎」

 

「おお〜〜」

 

「あちゃー」

 

セシリアが周囲を見ると、赤面した顔でこちらを見る一夏、何故か感心している本音、そして「どんまい」といった顔の癒子。

セシリアは自分のブラが外れていることに気づき、

 

「キャアアアアアアアア!!!!」

 

部分展開したISで一夏を殴った。

 

 

 

 

 

 

「まったく……なーんで俺が殴られなきゃいけねーんだよ……」

 

一夏は一人、いじけた感じで砂の城を作っていた。作りながら、先程見えてしまったセシリアの裸が脳裏に(よぎ)る。

 

(でもま、セシリアの胸が見れたのは、が、眼福だったかも……)

 

ニヤけた顔で城を建て続ける一夏。

しかし突然大きめの波が砂浜に打ち寄せ、砂上の城は崩壊してしまった。

 

「ああ!俺の孤高の城が!」

 

「一夏、暇そうだな」

 

「え?あ、マリア……それにシャルロットと………あとその横の……誰だ?」

 

そこには純白の水着姿のマリアに、オレンジの水着を着たシャルロット、そして全身にバスタオルをぐるぐる巻いたミイラ姿の何かがいた。

 

「ほら、一夏に見せたら?大丈夫だよ!」

 

「だ、大丈夫かどうかは、私が決める……」

 

「その声……ラウラか?」

 

ミイラ姿の何かは、よくよく見れば左眼に黒の眼帯をしていた。

 

「ラウラ、せっかく水着に着替えたのだから、一夏に見てもらわないと損をするぞ?」

 

「ま、待てマリア!わ、私にも心の準備というものがあってだな……」

 

ミイラ姿のラウラはもじもじとした様子だ。

するとシャルロットが少し悪戯っ子のような笑みを見せる。

 

「ふーん。だったら僕とマリアで一夏と遊びに行っちゃうけど、いいのかなー?」

 

「そ、それはダメだ!………ええい!」

 

ミイラ姿のラウラは決心をしたように、全身のバスタオルを外した。

一夏が瞬きをすると、そこにはミイラではなく、髪をツインテールにし、黒のビキニを身に纏った可愛らしい少女がいた。

 

「わ、笑いたければ、笑うがいい……」

 

ラウラは恥ずかしげに、一夏に言った。

 

「ふふ、やはり似合ってるな」

 

「おかしいところなんて無いよね?一夏!」

 

「ああ。可愛いと思うぞ!」

 

「そ、そうか!可愛いか……!そのようなことを言われたのは、は、初めてだ……」

 

天使のような笑顔で、ラウラは一夏に答える。その様子に、マリアとシャルロットも優しく微笑む。

すると、遠くの方から本音と癒子が声をかけてきた。今度は静寐も一緒にいるようだ。

 

「おりむー!」

 

「さっきの約束!ビーチバレーしようよー!」

 

「マリアさんもシャルロットもラウラさんも一緒にどうー⁉︎」

 

「よし、やるか!」

 

一夏が力強く答えた。

一行は近くのビーチバレー用コートに移動し、チーム分けをする。

チームは一夏・ラウラ・シャルロット・癒子、そしてマリア・本音・静寐という風に分かれた。4対3という形になってしまったが、マリアとラウラの身長差を考えると、イーブンなのかもしれない。

 

どちらも点を取っては、今度は相手が取ったりと、試合はなかなかに白熱した。

 

「織斑くん頑張れー!」

 

「デュノアさんもしっかりー!」

 

周囲から声援が聞こえてくる。

 

「マリアさーん!かっこいいー!」

 

「静寐ー!あんたの裏の本性を出すのよー!」

 

「わ、私そんな裏なんてないから!」

 

「静寐、裏の顔があったのか?」

 

「マ、マリアさんも真に受けないで!」

 

「ふふふ」

 

サーブは一夏チーム・癒子だ。

 

「ふっふっふ……『七月のサマーデビル』と呼ばれたこの私の実力を見よ!」

 

バシッ!

 

癒子の痛烈なサーブが、マリアの元へと飛ぶ。

 

「本音!」

 

マリアはそのサーブを受け止め、本音に渡す。

 

「わっわっわ、え、えい!」

 

本音はワタワタとしただけだったが、突き出した手が運良く静寐の方に渡った。

静寐は高くはね飛び、一夏チームのコートへと弾き返す。

 

「シャル!」

 

「任せて!」

 

静寐のアタックを跳ね返したシャルロットは、一夏へとパスを流す。

そして今度は一夏がアタックをした。

 

「マ、マリアさん!」

 

「こい、静寐!」

 

静寐がマリアにパスをし、マリアは高く舞い上がり、アタックを決める。

弾かれたボールは一直線に、ラウラの方へと向かっていった。

 

「可愛い……わたしが………かわいい………」

 

「ラウラ!」

 

「へっ?きゃ!」

 

ボールは勢いよくラウラの顔面に直撃し、ラウラはそのまま後ろへと倒れてしまった。急いで一夏とシャルロットが駆けつける。

 

「ラウラ、大丈夫か⁉︎」

 

「ラウラ、どうしたの?」

 

「か、かわいい……わたしが………」

 

ラウラはニヤニヤとした顔で、独り言を呟き続けていた。

 

「ひ、ひょっとしてまだ照れてたの……?」

 

「ラウラ……?」

 

「あっ……」

 

心配気な表情で自分の顔を覗く一夏に、ラウラはどうしようもなく心臓が高鳴る。そしてその高ぶりが爆発し、ラウラは咄嗟に海へと駆け込んでいった。

 

「きゃあああああああ!!!」

 

「どうしたんだ?あいつ……」

 

「ふふ、放っておいたほうがいいと思うよ」

 

すると、コートに緑色の髪の女性がやってきた。水着姿の真耶だった。

 

「ビーチバレーですか〜!楽しそうですね!」

 

「先生も一緒にやりますか?」

 

シャルロットが笑顔で真耶を勧誘する。ラウラがいなくなってしまったことで、3対3という状況になってしまっていた。

 

「ええ!いかがですか?織斑先生」

 

「ああ、そうしよう」

 

真耶の後ろからやってきたのは、黒の水着を身に纏った千冬。大人の女を醸し出している雰囲気に、周りから感嘆の声が漏れる。

 

「山田先生は織斑のチームへ。私はマリアのチームに入るとしよう」

 

そう言って千冬はマリア側のコートへと入る。

 

「マリア。まさかお前とビーチバレーで共に戦う日がくるとは思ってなかったぞ」

 

「正直なところ、千冬と勝負をしたかったが、共闘もいいものだな」

 

「ふん、なかなか言うようになったじゃないか」

 

千冬とマリアは二人だけの女の笑みを浮かべる。その様子に、周囲の女子たちは釘付けだった。

 

「織斑先生……モデルみたい……!」

 

「マリアさんも負けないくらい美しいね……」

 

「白のマリアさんと黒の織斑先生……夢の共演だわ……!」

 

髪の白い、太陽に負けないくらい純白のマリアに、黒髪の美麗な千冬。マリアの本当のパートナーはシャルロットだが、これはこれで良いコンビなのかもしれない。シャルロットもそう思っているのか、嫉妬や羨望の眼差しよりも、見惚れているといった視線を向けていた。

 

「それでは、試合開始!」

 

審判の女子が鳴らしたホイッスルとともに、周囲からは大きな歓声が湧いた。



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第35話 女子会

なんだかんだで書き始めてから一年が経ちました。
読んで頂いてる方々に感謝です。


海での自由時間を終え、陽も落ちた夜七時頃。

一年生は旅館の大広間で夕食を食べ始めていた。用意された食事は、高級な旅館とあってその名に恥じない豪勢な和食だった。旅館周辺の山地で収穫された新鮮な山菜。目の前の海の沖で獲れた、身の引き締まった活魚の刺身。季節の食材が入った温かい鍋料理に、脂の乗った高級霜降り肉。普通の高校生が頂くには些か高級過ぎる気もするが、さすがは世界に誇るIS学園である。あらゆる人種背景を持った生徒たちの精神的健康も配慮しているのだろう。

一夏の左隣にセシリア、右隣にはシャルロットとマリアが座っている。風呂上がりということもあり、一年生たちは温泉宿ならではの浴衣を着ていた。

 

「うん、美味い!さすが本わさ!」

 

本わさびとともに刺身を食べた一夏は、その美味しさに顔が綻ぶ。

 

「「本わさ?」」

 

横のシャルロットとマリアが一夏の食べる様子を見て、自分たちの皿に乗った本わさびに目を移す。

そして二人は互いに疑問の表情で顔を見合わせ、同じ挙動で本わさびを箸で取り、口に運んだ。本わさびを丸々口に運んだシャルロットとマリアを見て、一夏はギョッとした顔をした。

 

「「ん゛ん゛ん゛ん゛!!?」」

 

シャルロットとマリアは鼻を押さえて咳き込み、目から涙が溢れてきた。

 

「お、おい……二人とも大丈夫か⁉︎」

 

「だ、大丈夫だ……」

 

「ふ、風味があって、おいひいよ……」

 

マリアはとても辛そうな顔で、お茶の入った自分の湯呑みをシャルロットに渡した。

 

「あ、あひがほう(ありがとう)まいあ(マリア)

 

「き、気にするな……」

 

「マ、マリア、俺のお茶やるから。無理すんなって」

 

「ふ、ふまない(すまない)いひは(一夏)……」

 

「ははは、まさか二人して同じようにわさびを一気に食べるなんてな。挙動が何から何まで一緒だったから、一瞬双子かと思ったぜ」

 

笑いながら一夏が話すが、シャルロットとマリアはようやく鼻の奥から辛味が引いていき、重い顔で深く息を吐いていた。

一方、一夏の左隣のセシリアは、違う苦しみを味わっていた。英国人の彼女にとって慣れない正座は苦痛らしく、あまり食事に手がつかず(つら)そうにしている。

 

「うっ……はぁ……」

 

「セシリア大丈夫か?正座が(つら)いならテーブル席に移動したらどうだ?」

 

「へ、平気ですわ!」

 

セシリアは精一杯の笑顔で取り繕う。

 

(この席を獲得するのにかかった労力に比べれば、このくらい……!」

 

「席?」

 

「い、いえ!なんでもありませんわ!」

 

いつの間にか声に出してしまっていたらしく、セシリアは慌てて誤魔化した。

 

「一夏」

 

シャルロットが横から入る。

 

「女の子には色々あるんだよ」

 

「そうなのか?」

 

「そうなの」

 

『色々』の意味があまりよく分かってないまま話が終わってしまった鈍感な一夏は、不意に何処からか向けられている視線に気付く。

視線の主は箒だった。

箒は不機嫌そうな顔で一夏の方を静かに見ていた。

 

(あ、箒………あいつ何不機嫌そうな顔をしてるんだ?)

 

「んっ、うぅ……あっ!」

 

すると、隣のセシリアが我慢出来ずに脚を崩した。別に脚を崩したところで行儀が悪いわけでは全くないのだが、貴族のセシリアにとってはプライドが許さないらしく、悔しそうな顔を見せる。

そんな様子を見て、一夏はセシリアに提案をした。

 

「セシリア、そんなに(つら)いなら、俺が食べさせてやろうか?」

 

「ほ、本当ですの⁉︎」

 

「ああ」

 

二人の様子を見て、シャルロットはマリアに耳打ちする。

 

(これ、皆嫉妬しそうだね)

 

(ふふ、まぁいいじゃないか)

 

シャルロットとマリアも大人しく目の前の和食を堪能し続ける。

 

「最初は何がいい?」

 

「で、ではお刺身からお願いしますわ!あ、わさびは少量で……」

 

「はいよ」

 

一夏は手際よく刺身を箸で取り、わさびを乗せて醤油につける。

 

「はい、あーん」

 

「あーん♡」

 

セシリアの口に刺身が運ばれた。

 

「どうだ?美味いだろ?」

 

「ええ!とっても美味しいですわ!」

 

「そっか!なら次は────」

 

一夏が今度はセシリアの肉料理に箸をのばすと、二人の様子を見ていた周囲の女子たちが一斉に異論を唱え始めた。

 

「あー!セシリアずるーい!」

 

「私もおりむ〜にあーんしてもらいたいな〜」

 

「織斑くん、次あたしにしてくれない⁉︎」

 

ガヤガヤと周囲が騒々しくなっていく。

 

(ほら、やっぱりね)

 

(学園唯一の男子ブランドはやはり高く売れるな)

 

シャルロットとマリアも、感心したような呆れたような目で笑った。

箒は一夏たちの様子を見て、ますます不機嫌になる。

 

(一夏め……明日が七月七日ということを完全に忘れているな……!)

 

一方で周囲はどんどんと騒々しくなっていき、一夏とセシリアは少し困った顔の様子。

すると突然一夏たちの後ろの襖が開いた。

 

「うるさいぞ!お前たちは静かに食事することができんのか!」

 

襖を開き怒声を浴びせたのは、浴衣姿の千冬だった。

 

「織斑、あんまり騒ぎの種を作るな。鎮めるのが面倒だ」

 

「す、すみません……」

 

「それとマリア。お前がストッパーにならないでどうする。この馬鹿が何かしでかす前に注意をしろ。いいな」

 

千冬はそう言って、ピシャリと襖を閉めた。

周囲の女子たちも千冬に怒られたくないため、静かに各々の座敷へと戻る。

 

(なぜ私が……?)

 

何故か自分も怒られたことに疑問の意を浮かべながら、マリアはお茶を啜る。

 

「わ、悪いセシリア。そういうことだから、後は自分で────」

 

「むー……」

 

セシリアはムスッとした顔で一夏を見る。

申し訳なさそうにしていた一夏だが、あることを思いついた。一夏はセシリアの耳元でゴニョゴニョと話す。

 

(お詫びといっちゃなんだけど、この後俺の部屋に来てくれよ)

 

「え⁉︎」

 

セシリアは驚いた顔をし、次第に顔を赤くする。

 

(そ、それってつまり……そういうことですのー⁉︎)

 

頭の中でよからぬ想像がどんどんと膨らむセシリア。その後の食事は緊張のあまり、味がよく分からなかったようだ。

 

 

 

 

 

 

一年生たちが食事を終え、各々の部屋へと帰って行った頃。マリアとシャルロットは自分たちの部屋でのんびりと過ごしていた。マリアは部屋の広縁で夜の海の景色を眺めており、シャルロットは自分の服を畳んでいる。

 

「美味しかったな」

 

「うん!実はお刺身初めてだったんだけど、想像以上に美味しかった!」

 

「わさびをあんなに食べたのも、な」

 

「それはマリアもでしょー」

 

「ふふふ」

 

涼しい風が、二人の間を静かに吹き抜ける。

マリアはなんとなく、部屋の隅に置かれたラウラの荷物を見た。

 

「そういえばラウラは?」

 

「喉乾いたからジュース買いに行くって言ってたけど、そういえば遅いね。迷ってなければいいけど……」

 

「よし、ならラウラを探しに行くか。ついでに私たちも何か飲み物を買おう」

 

「そうだね」

 

マリアは窓を閉め、シャルロットと共に部屋を出た。

 

 

 

 

 

 

「〜〜♪」

 

旅館の廊下を歩く、金髪の少女。

セシリアは意気揚々と一夏に言われた部屋へと向かっていた。先程の食事中に言われた、一夏からの秘密の誘いだ。

 

(ふふ……ついにこの時が来ましたのね……!大人の階段を上るときが……!)

 

自分は今日この時のために生きてきたのかもしれない。今まで密かにしたためていたこの想いが、ついに報われるのかもしれない。

旅館の天然風呂でも、持参の良い香りのする高級シャンプーを使った。下着も普段は履かない黒色の勝負下着だ。

一夏をオトす準備は、出来ている。

セシリアは、深呼吸をする。

足を踏み出す度に鳴る僅かな床の軋みが、心臓の鼓動と混じる。

一夏の部屋は、角を曲がったすぐそこだ。

さぁ、大人の階段へ────!

 

「あら?」

 

角を曲がると、何故か見知った人物たちが目の前にいた。箒・鈴・ラウラだった。誰かの部屋の前で耳をそば立たせている。

 

「皆さん、何をして────」

 

「しっ!」

 

箒が唇に人差し指を置いて閉口のジェスチャーをする。よく見ると、部屋の扉には『織斑千冬・織斑一夏』と書いてあった。なるほど、ここが一夏の部屋か。

しかし皆の意図がよく分からないので、とりあえずセシリアも部屋の前で聞き耳を立てることにした。

すると聴こえてきたのは、自分たちのよく知る男女の声。

 

『千冬姉、ちょっと緊張してる?』

 

『そんなわけあるか馬鹿者……っ、あっ……少しは加減をしろ……』

 

『はいはい。じゃあここは?』

 

『なっ……そ、そこは……あっ』

 

『すぐに良くなるって。だいぶ溜まってたみたいだしな』

 

「こ、こ、こ、これは一体、なんですの⁉︎」

 

何故姉弟の部屋から甘い吐息と声が聴こえてくるのか。セシリアたちは顔を真っ赤にして、更に扉に耳を押し付ける。

 

 

 

「ラウラ、どこだろうね」

 

「どこかですれ違ったか?」

 

シャルロットとマリアは喋りながら廊下を歩いていた。大体探し回ったのだが、未だにラウラが見つからない。

すでに部屋に帰ってしまったのだろうかと二人が思い始め、曲がり角に差し掛かると────

 

「あ、ラウラだ」

 

「箒と鈴もいるな。それにセシリアも。皆で何を───」

 

ガタッ

 

セシリアたちが耳を押し当てていた扉が突然外れ、部屋へと倒れてしまう。

 

「「「「きゃああ!」」」」

 

「うわっ」

 

「何をしてるんだ……」

 

シャルロットが目を塞ぎ、マリアが呆れている一方で、セシリアたちは真っ青な顔をしていた。

何故なら、彼女たちが顔を上げたその先には………

 

「……お前たち、何をしている」

 

鬼の形相をした千冬が立っていたからだ。

 

 

 

 

 

 

「全く……何をしているか、この馬鹿共が!」

 

「「「「す、すみません……」」」」

 

広縁の椅子に座り説教をする千冬。その横で、一夏も同じように座り静かにしていた。

セシリアたちは皆正座をさせられていた。因みにシャルロットとマリアは面白そうだったので同席させてもらっている。

 

「マッサージだったのですか……」

 

ホッとした表情でセシリアが言った。それに続きラウラが、

 

「しかし良かった。てっきり……」

 

「何やってると思ったんだよ?」

 

一夏がラウラに尋ねる。ラウラは冷静沈着といった表情で、

 

「それは勿論、男女の────」

 

瞬間、鈴と箒、セシリアがラウラの口に手を当てる。

 

「べ、べつに……」

 

「な、何というわけでは!」

 

「お、おほほほ」

 

「ん……?」

 

一夏が鈍感なおかげで難を逃れた少女たち。

すると、千冬は少し誇らしげな顔で少女たちに話し始める。

 

「こう見えて、こいつはマッサージが上手い。そうだ、順番にお前たちもやってもらえ」

 

予想だにしなかった千冬の提案に、セシリアたちは目をキラキラとさせる。

 

「よし、じゃあ最初はセシリアだ」

 

一夏が布団の横に座る。

 

「わ、私から⁉︎」

 

「そのつもりで呼んだんだ。ここに寝てくれ」

 

セシリアは嬉々とした様子で顔を赤らめる。

 

 

一夏はうつ伏せになって寝転んだセシリアの腰に、ゆっくりと指を押し当てた。

 

「い、いたっ…!」

 

「あ、悪い。優しくする」

 

一夏は指ではなく、手の平全体を使って揉むように動かす。

 

「どうだ?このくらいなら痛くないだろ?」

 

「気持ちいいですわ……気持ちよくて、何だか眠くなってきましたわ、私……」

 

ウトウトとし始めるセシリア。

すると、突然セシリアのお尻に魔の手が伸びる。

 

ガシッ

 

「きゃっ!」

 

次に千冬は有無を言わさずセシリアの下着を覗く。一夏は顔を赤くして驚き、目を逸らした。

 

「ほう、マセガキめ。年不相応な下着だな。その上、黒か」

 

「せ、先生!離して下さい!」

 

「やれやれ。教師の前で淫行を期待するなよ、15才」

 

「い、い、い……」

 

セシリアは沸騰寸前の真っ赤な顔で、ワナワナとする。

 

「おい一夏。ちょっと飲み物を買ってこい」

 

「え?あ、ああ」

 

千冬は一夏にお札を渡し、部屋から退場させる。千冬は一夏が扉を閉めるのを確認すると、少女たちと向き合った。

 

「さて、と」

 

 

 

 

 

 

「まぁ、飲み物はあるんだがな」

 

そう言って、千冬は横のワンボックスの冷蔵庫からジュースやラムネ、お茶などをポイポイと出し、その場にいる全員に放る。

ジュースを手に取るが、何となく次の一言が発せない少女たち。

 

「ん?どうしたお前ら。何を緊張している」

 

「い、いえ」

 

「織斑先生とこうして話すのは初めてですし……」

 

箒とセシリアが強張った表情で答えた。

 

「そうか?まぁいい、せっかく来たんだ。ジュースでも飲め」

 

千冬がそう言うので、各々は取り敢えずジュース缶の蓋を開け、一口飲む。

 

「飲んだな?」

 

千冬がニヤリと笑い、再び横の冷蔵庫から缶を取り出した。大人にとっての合法の毒だ。

 

プシュ

 

千冬はビールを喉に注ぎ込む。

 

「くぅ〜!仕事後の一杯は最高だな」

 

マリアは呆れたように笑う。

しかし他の女子たちは呆気に取られているようで。

 

「し、仕事中なのでは?」

 

箒が恐る恐る指摘する。

 

「まぁ固いことを言うな。口止め料はもう支払い済みだろう?」

 

「「「「「あっ」」」」」

 

皆は自分の手元にある、すでに開いてしまったジュースを見る。

マリアは最初からなんとなく千冬のしようとすることが分かっていたので、遠慮なくジュースを飲んでいた。

 

「さて、そろそろ肝心な話をするか」

 

千冬はもう一口飲んでから、箒たちに目を合わせる。

 

「お前ら、あいつのどこがいいんだ?」

 

ドキッとする箒たち。一方でシャルロットとマリアはニヤニヤとし始める。

 

「確かにあいつは役に立つ。料理に洗濯、掃除、おまけにマッサージもできるときた。どうだ、欲しいか?」

 

「「「「くれるんですか⁉︎」」」」

 

箒たちは目をキラキラとさせて千冬に詰め寄る。

だが千冬は嘲るように笑った。

 

「やるか馬鹿共」

 

途端にガッカリと項垂れる女子たち。

 

「女ならな、奪いにいくくらいの気持ちでいかないでどうする」

 

千冬は缶の中に残った最後のビールを喉に注ぎ込んだ。

 

「もっと自分を磨けよ、ガキ共」

 

 

 

 

 

 

夜も更け、女子たちは千冬の部屋を後にしようとした。ちなみに一夏は一度帰ってきたが、今は風呂に行っている。扉を開け、箒たちが廊下へと出ようとしたその時。

 

「あー、オルコット。それにデュノアとマリア。三人は少し残れ」

 

「「「?」」」

 

言われるがままに三人は千冬の部屋に残る。

シャルロットが扉を閉め、皆と一緒にちょこんと座ると、千冬がセシリアに問いかけた。

 

「オルコット。最近随分と一夏と仲が良さそうだが」

 

「は、はい!」

 

「緊張するな。別に怒ってなどいない」

 

セシリアはホッと一息吐く。いきなり一夏とのことを言われてかなり驚いたようだ。

 

「お前らの様子を見ていたら直ぐに分かるさ。お互い好意を持っているとな」

 

シャルロットとマリアは、やはり千冬も知っていたかと心の中で相槌を打つ。

 

「本気なのか?」

 

千冬が真剣な表情でセシリアに問い詰める。

 

「本気ですわ」

 

セシリアも、一人の女性として、真っ直ぐに答える。千冬はセシリアの目を見て、「そうか」と呟く。

 

「お前たちの行く末について、私はとやかくは言わん。付き合おうが喧嘩しようが、お前たちの自由だ」

 

ただな、と千冬は続ける。

 

「あいつを(たぶら)かすような真似だけはするな。約束できるか?」

 

「勿論ですわ」

 

凛とした目で、セシリアは答える。

 

「反対に、あいつがお前を誑かすような真似をしたときは、直ぐに私に言え。そのときはあいつの性根を叩き直す」

 

「一夏さんはそのようなことをなさるお人ではありませんわ」

 

「……そうか。少なからずあいつも認められてるようで、姉としては嬉しいよ」

 

千冬は背筋をピンと伸ばす。

 

「とやかく言わんとは言ったが、私としてもオルコットは良い女だと思っている。出来れば、あいつとこれからも仲良くしてやってくれ。姉としての、ささやかな願いだ」

 

千冬はセシリアに頭を下げた。まさか頭を下げられるなんてとセシリアは驚くが、真摯に応える。

 

「はい!勿論ですわ!」

 

 

 

 

 

 

「さて、話は変わるが」

 

千冬は、今度はシャルロットとマリアへと向きなおる。

 

「デュノアにマリア……お前ら、女同士にしてはやけに仲が良いが……まさか、できたのか?」

 

そう言われたシャルロットは途端に顔を真っ赤にして俯く。マリアもどう答えたものかと、少し紅潮させて頬を見せる。

セシリアは二人の様子を見て、「え?え?」とオロオロしていた。

千冬も察したようで、「やはりな」と笑った。

 

「そ、その……織斑先生。セシリアにも聞きたいんだけど……」

 

「なんだ?」

 

「は、はい」

 

「やっぱり………女同士って、変ですか……?」

 

シャルロットが不安気な表情で二人の顔を伺う。

だが千冬とセシリアは全く怪訝な顔は見せなかった。

 

「誰がそんなことを言った」

 

「私も少し驚きましたけど、おかしくなんてありませんわ。素敵だと思います」

 

シャルロットは驚いた顔で二人を見る。

 

「人間、誰を愛しようが自由だ。誰にでも、誰かを好きになる権利くらいある」

 

プシュッと、二缶目のビールの蓋が開いた。

 

「堂々としていればいいんだ。愛に真理は幾らでもある。それが無ければ作ればいい」

 

千冬の言葉に、マリアは心を打たれていた。

愛に真理が無いならば、自分たちで作ればいい。

その通りだ。いや、それこそが真理なのかもしれない。

 

「しかし、何故分かった?学校で私たちが過度に仲良くすることはしないようにしていたのだが」

 

シャルロットも気になっていたようで、頷きながら千冬を見る。

すると千冬は、マリアの髪を指差した。

 

「その髪飾り、あげたのはデュノアか?」

 

「は、はい」

 

「やはりな。休み明けからマリアが常にその髪飾りを着けているのを見て、思ったんだ。『恋人でも出来たか?』とな」

 

千冬はビールを一口飲む。

 

「だが、一夏ではないことは直ぐに分かった。なんとなくマリアたちの周りを見ていると、マリアが皆に向ける笑顔とほんの僅か違う笑顔を、デュノアに向けていた」

 

マリアは隠していたつもりだったが、千冬にはバレていたようで、恥ずかし気な顔をした。シャルロットも同じく顔を赤くする。

 

「き、気づきませんでしたわ……」

 

一夏を見つめることで頭が一杯になっていたセシリアは、マリアの学園での様子を思い出してみるが、彼女の笑顔の違いが全く分からなかった。

 

「ま、ほとんどの人間は分からないだろう。マリアも表情を隠すのが上手な方だからな」

 

いつの間にか、千冬のビールは空になっていた。

千冬はマリアの髪飾りを見て、ほんの少しだけ、うっとりとした目をした。

 

「夕食のときは悪かったな。お前に当たってしまって」

 

「気にしてないよ」

 

「そうか……。綺麗な髪飾りだな……大切にしろよ、マリア」

 

「ああ」

 

その目は酔ったせいなのか、髪飾りに見惚れているためかは分からない。だが、マリアは自分の気に入っているこの小さな髪飾りを綺麗だと言ってもらい、嬉しかった。

次第に話すことも無くなり、夜更けにひっそりと行われた女子会は、ここで幕を閉じた────。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




臨海学校一日目・6:00pm
海辺・崖端



「………」


「───こんな所にいたのか。何をしている」


「あ、ちふ………織斑先生」


「気もそぞろといった様子だな。何か心配事でもあるのか?」


「それは……」


「───束のことか?」


「っ……」


「………」


「………」


「……先日、連絡を取ってみた」


「……あの人は何か言いましたか?」


「いや、繋がらなかった。珍しいこともあるものだ」


「そう、ですか………」


「………」


「………」


「……あいつと何か話したのか?」


「いえ、それは……」


「………」


「………あの人は、少し様子が変でした」


「……何か気掛かりになることでも?」


「あの人は昔から……妹である私に、暗い表情を見せたことがありませんでした」


「………」


「ですが、一ヶ月ほど前に電話をしたとき………あの人の弱音のような声を、初めて聞きました」


「束は何と?」


「………“巻き込まなくちゃならないのかな……?”と……」


「“巻き込む”……?」


「はい……」


「他には?」


「……いえ」


「……そうか」


「………」


「………」


「………」


「………明日は七月七日だ。来るかもしれないな、あいつ」


「………はい」


「………私はそろそろ旅館に戻る。夕陽が沈む前に、お前も戻れ」


「はい」


「ではな」


「………」


「………」


「………」


「………」




















































「紅、椿────」


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余話 深夜2:00am

「うううっ………」

 

また、これだ。

いったい、いつからこんな身体になってしまったのだろう。

俺の身体に起きる異変は、決まって満月の夜にやってくる。

確かあの時も……ラウラの機体が暴走した日の夜も満月だった。

思えばあの日から、俺は満月の夜が怖くなった。

何が原因なんだ?

暴走したラウラの機体に自分の拳を包まれたときか?

確かにあの時も、今身体に起きている異変と同じようなことが起こった。

だがあれは、なんとなくだが、一過性のようなものが気がする。

じゃあ、本当の原因は?

そんなもの、解らない。

でも共通していることは、俺はどうにも月明かりに恐怖を感じるんだ。だからこうやって今も布団に(くる)まってるんだ。

俺の身体はどうしちまったんだ?

俺のアタマはどうしちまったんだ?

考えれば考えるほど、気分が悪くなってくる。ダメだ。何も考えないようにするんだ。

 

「……一夏?」

 

千冬姉だ。

俺のおかしな様子に眠りから覚めてしまったみたいだ。ごめん、千冬姉。でも、本当に辛いんだ。

 

「おい一夏、どうした?」

 

「な、なんでもないよ……」

 

「なんでもないはずがないだろう。気分でも悪いのか?」

 

「あ、ああ……」

 

千冬姉が布団越しに俺の背中をさすってくれる。でも俺の吐き気は全く(おさま)る気配が無かった。

 

「一夏、少し顔色を見せろ。熱も計る」

 

「い、いいって」

 

「ダメだ。顔色を見ないと治しようがないだろう。さ、一旦布団から顔を出せ」

 

違う、違うんだ。

 

お願いだ、やめてくれ千冬姉。

 

 

 

だが非情にも、千冬姉は俺の布団を取った。

 

俺の視界に、たっぷりと満ちた月が現れる。

 

その満月を見た瞬間、俺の身体中の血液が騒ぎ始める。

 

全身の毛が逆立ち、大量の汗が噴き出す。

 

そして一気に吐き気がこみ上げ、俺は布団の上に嘔吐した。

 

「うおえええ!!」

 

「おい一夏!しっかりしろ!」

 

「……だ、大丈夫だから……カ、カーテンを閉め……」

 

「カーテン……?」

 

千冬姉は訳が分からないといった表情をするが、カーテンをきっちりと閉めてくれた。そしてずっと背中をさすってくれた。

 

「大丈夫か?まだ吐き気はあるか?」

 

「いや……」

 

「そうか。そのままでいい。直ぐに水を入れよう」

 

そう言って、千冬姉は横の冷蔵庫の中から水の入ったペットボトルを出して、コップに注いでくれた。

 

「ほら、ゆっくりでいいから飲め」

 

「あ、ありがとう……」

 

カーテンを閉めた真っ暗な部屋で、自分の身体にヒンヤリとした水が行き渡るのが分かる。身体の震えが少しずつ(おさま)っていく。

 

「熱を計ろう。私の布団で横になれ」

 

千冬姉は俺の背中を支えながら、自分の布団に寝かせてくれた。

 

千冬姉は救急箱の中にある体温計を、俺の腋に挟んでくれた。

 

俺が熱を計ってる間に、千冬姉は横で俺の吐いたモノを掃除してくれている。

 

ごめん、千冬姉。

 

ごめん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

枕元に置いてあるコップが目に入った。

 

 

俺はそのガラスの中で、酷く()()()()顔をしていた。



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第36話 紅椿

臨海学校二日目。

今日は砂浜全域を使ってIS実習が行われる日だ。一年生たちは数カ所に置かれた訓練機・打鉄の周囲に散らばり、各教師の下、指導を受けている。

一方、専用機持ちたちは別の岩場に召集されていた。ここは他の一年生たちがいる砂浜とは崖を挟んで隔離された場所であり、規模もひっそりとした小さい岩場である。

 

「よし、専用機持ちは全員揃ったな」

 

皆の前に立った千冬が確認を取った。

しかし、本来ここにいるはずのないメンバーがいることに、鈴は疑問を唱えた。

 

「ちょっと待ってください。箒は専用機持ちじゃないはずですけど……」

 

そう、本来専用機持ちは一夏・セシリア・鈴・シャルロット・ラウラ・マリアの六人のはずなのだが、何故か箒が横にいたのだ。皆も疑問に思っていたようで、箒を見る。

 

「そ、それは……」

 

どう説明するべきかと困った声を上げる箒。

しかし、千冬が助け舟を出す。

 

「私から説明しよう。実はだな────いや、あいつに出てもらうか。そこにいるんだろう?出てこい」

 

千冬は何もない大きな岩へと声を掛ける。

するとその岩の陰から現れたのは、兎の耳を付けた人物。

 

「……やあ」

 

「姉さん⁉︎」

 

兎を見た箒は驚きの声を上げた。「姉さん」という箒の声を聞いて、他の専用機持ちたちも動揺し始める。

 

「ほ、箒のお姉さんって……」

 

「ISの開発者にして、天才科学者の……?」

 

「篠ノ之、束……?」

 

初めて目の当たりにする天才科学者。兎の耳を付けるなどと随分茶目っ気な感じもするが、兎の顔はそれを忘れさせるくらいに暗く、目の隈も隠しきれていない。

 

「会いたかったよ箒ちゃん。ちーちゃんも、久しぶり」

 

「ね、姉さん……?その顔……どうしたんですか……?」

 

「ふふ……お姉ちゃんは普通だよ?」

 

「ふ、普通って……」

 

姉と妹を包む異様な空気に、専用機持ちたちは唯々押し黙る。

 

「いっくんも、大きくなったね」

 

「お、お久しぶりです……」

 

「………束。自己紹介くらいしろ」

 

「ん……そだね」

 

千冬に言われ、束は改めて専用機持ちたちに向き直った。

 

「篠ノ之束だよ」

 

兎の顔は、疲れた笑みに満ちていた。

このただならぬ静寂の唯一の救いは、恐らく遠くで聴こえる波の音だろう。

皆が動揺している中、マリアは一人束をじっと見て、深く考え込む。マリア自身も、驚きを隠せないようだった。

 

(篠ノ之束……)

 

マリアは千冬と嘗て交わした会話を思い出す。一夏とラウラが危うく私闘を行いかけた後の、学園の川沿いでのことだ。マリアは一夏と鈴がクラス代表対抗戦で闘っていた時に起きた襲撃事件について、千冬に問い詰めていた。

 

『……篠ノ之束は知っているな?』

 

『ISの開発者、か。それで?』

 

『……恐らく、奴が関与している』

 

千冬はそれ以上何も語らなかったが、マリア自身もそう考えていた。

いや、仮にそうでなくても、篠ノ之束は何かを知っているはずなのだ。

ISの開発者……つまり打鉄の開発者でもある彼女は、セシリアとマリアが起こした打鉄の損傷反応について何か知っているかもしれない。

打鉄の損傷反応……分かっているのは、穢れた血に反応を起こすということだ。

もし本当に打鉄がそのように意図して作られたとするならば、篠ノ之束は穢れた血の存在を知っている────。

 

いきすぎた考えかもしれない。

だが、篠ノ之束が何かしらの鍵を握っていることは間違いないだろう。

 

 

 

すると、この静寂を破ったのはセシリアだった。

セシリアは笑顔で束の前に行き、礼をする。

 

「はじめまして、篠ノ之博士。私、イギリス代表候補生のセシリア・オルコットと申します。お会いできて光栄ですわ!」

 

そしてセシリアは、にこやかに手を差し出した。

その瞬間、箒と千冬、そしてマリアは束の異変に気付いた。

束の顔は真っ青に変わり、口と肩が僅かに震えていたのだ。まるで、何かを恐れているように。

 

「そっか……君が……」

 

束の呟きは耳を澄まさないと聞こえない程に小さく、波の音に掻き消されてしまう。

しかし箒と千冬とマリアには聞こえていたらしく、三人は不審に感じていた。

 

「君の機体……」

 

「は、はい!ブルー・ティアーズですわ!」

 

「『蒼い雫』、か………綺麗な名前だね……」

 

「あ、ありがとうございます!」

 

束は差し出されたセシリアの手をゆっくりと握り、笑みを浮かべる。セシリアは天才科学者に褒められたことで気分が上がっていて気付かなかった。束の声と手が、酷く震えていたことに。

箒と一夏、そして千冬は、セシリアと手を繋ぐ束を見て、信じられないといった目をしていた。

彼らの記憶の中では、束は誰とも親しくなろうとしない人物だったはずだ。他人に興味を全く示さない……それが束という人間だったはずだ。

しかし今、目の前にいる束は至って普通の人間の行動をしている。

一般的に考えればこれが普通なのだろう。しかし束を昔から知る三人にとっては異様な光景だった。

 

「姉さん……その、私の機体についてなのですが……」

 

箒が恐る恐る束に尋ねた。

束は少しハッとしたような表情をして、箒の方を見る。

 

「そうだったね。そのために来たんだもんね」

 

束は、少し皆と離れた所へ歩き、もう一度箒の方を見た。

 

「ねぇ、箒ちゃん」

 

「はい?」

 

「────本当に、専用機が欲しい?」

 

束の問いに、箒は首を傾げた。

束が自分のために専用機を作ってくれたというのに、何故改めて尋ねてくるのだろう。

しかし箒の答えは決まっていた。

 

「はい。勿論です」

 

「……………そっか」

 

箒の答えを聞いた束は、何かを諦めたような顔を僅かに見せ、目を閉じる。

そして深呼吸をした後、空高くに向けて指を差した。

 

「さぁ、大空をご覧あれ!」

 

束の言葉に、一同は空を見上げる。

すると空高くから、小さな点が現れた。

点はみるみるうちに大きくなり、それは高速で落下してくる鉄の塊だった。

双角錐の形をした純銀に輝く鉄の塊は、岩場に刺さった後、瞬時にISへと姿を変える。

 

目の前に現れたのは、紅の機体。

美しいラインを纏うその機体は、まるで椿のように、美しい。

 

「これが箒ちゃん専用のIS・紅椿(あかつばき)。全スペックが現行ISを上回る、束さんお手製だよ」

 

一同は紅椿と呼ばれた機体に、目を丸くする。

 

「なんたって、紅椿は束さんが作った第四世代型ISだからね」

 

「だ、第四世代……⁉︎」

 

「各国で、やっと第三世代型の試験機が出来上がった段階ですのに……⁉︎」

 

「なのに、もう……」

 

想像も出来ない事実に、専用機持ちたちは呆気に取られる。だが、天才科学者が手掛けた紅椿という機体が目の前にある以上、それを否定することはできないだろう。

 

「じゃあ箒ちゃん、フィッティングとパーソナライズを始めようか」

 

「さ、篠ノ之」

 

「は、はい」

 

束と千冬に促され、箒は紅椿の前に立つ。

自分よりも何倍も大きい紅の機体は、近くにいるだけで異様な存在感を放っていた。

 

 

 

 

 

 

紅椿を身に纏った箒の横で、束は自分の前に展開した幾つものディスプレイを操作していた。指だけでなく、足にもディスプレイを展開させて操作している。

 

「箒ちゃんのデータは予め入れてあるから。後は最新データに更新するだけだね」

 

人間が操作しているとはとても思えないくらいの速さで、束はデータを更新していく。そのあまりの速度に、他の皆も瞬きすることを忘れていた。

 

「はい、終了!後は飛ぶだけだね。試用も兼ねて、一度飛んでみようか。箒ちゃんのイメージ通りに動くはずだよ」

 

「はい、試してみます」

 

箒は一度深呼吸をし、そして空を見上げる。

すると紅椿はゆっくりと浮上し、次の瞬間、途轍もないスピードで上昇を開始した。

 

「す、すごい……!」

 

「これが第四世代の加速……ということ……⁉︎」

 

鈴とシャルロットが驚きの声を上げる。

紅椿が大空を自由に舞う姿に、皆は釘付けになっていた。

 

 

 

皆が紅椿に目を奪われている最中、束は静かにマリアの側へと行った。そして誰にも聞こえないような声で、マリアに話しかける。

 

「マリアちゃん……だよね?」

 

マリアは束の方を見る。

束は空に舞う妹の姿を、哀しい表情で見つめていた。

 

「……何故箒に機体を作った?」

 

「………」

 

「彼女は代表候補生でもない。なのに世代を飛び越えたISを渡すなんて、彼女の帰属を巡った国同士の争いの火種になりかねんぞ。一体何を考えて────」

 

「違うよ」

 

弱々しい目で、しかしハッキリとした否定を束はする。

 

「箒ちゃんに────託したんだよ」

 

「託した……?」

 

一体、何の話をしているのだろうか。束の言わんとしていることが読み取れない。

 

「マリアちゃんの機体……あの子が作ったんだよね」

 

あの子……エマのことだ。マリアの緋い雫(レッド・ティアーズ)を作り上げた張本人。

 

「……知ってるのか?」

 

「ううん、見たことあるだけ。話したことはないよ。色んな科学者を見てきたけど、あの子は私に次ぐ天才だと思う」

 

暫くの沈黙が流れる。

マリアは束の言葉を待ち続けた。

 

「これは、私からの忠告」

 

束はマリアに振り向く。

 

「───()()()()には気をつけて。そして、あの子(エマ)がしている地下実験のことは、絶対に誰にも言わないで」

 

「なんだと……⁉︎」

 

束の口から出た言葉に、マリアは驚愕した。

()()()()』────これが何を意味しているのかは、マリアは直ぐに理解できた。

篠ノ之束は、月の香りの狩人を知っている。

そして、研究所のごく一部の人間と、セシリアとマリアしか知らない地下実験についても。

冷や汗が、マリアの背筋を凍らせる。

 

「君は……君は何を知っている……⁉︎」

 

皆がこちらに気付かないように、マリアは束に詰め寄る。

 

「地下のことを知っているということは、『血』のことも知っているな⁉︎君は────」

 

「……ごめん。今の私に、全てを打ち明ける勇気はない」

 

「っ………」

 

「私は、罪を犯した。『償う』なんて言葉が浅はかなくらいの罪を………もう、取り返しがつかないの」

 

束が何を、そしてどこまで知っているのか問い詰めようとしたが、束の顔を見て、マリアは口を閉ざす。この顔は、例えどれだけ問い詰めようとも答えない顔だ。

束は踵を返し、マリアとの話を打ち切る。

 

「これだけは覚えておいて。敵は……そして脅威は、皆のすぐ近くで身を潜めている」

 

去り際に、束はマリアに小さな声でそう呟いた。そして、まるで何事もなかったかのように、束は箒に無線で話しかける。

 

『じゃ、箒ちゃん。刀使ってみようか!右のが雨月(あまづき)で、左のが空裂(からわれ)ね!武器特性のデータ送るよ〜』

 

再び束は指でディスプレイをタッチする。

 

箒は送られたデータを受信し、空中で動きを止めた。

そして、右手に雨月、左手に空裂を展開した。どちらも刀剣の形をした主力武装だ。

 

「いくぞ、雨月!」

 

箒は試しに、雨月で空を突く。

すると剣先からレーザーが直線上に放出され、巨大な雲を霧散させてしまった。

 

「す、すごい……」

 

『じゃあ、今度はこのミサイルを斬ってみて!』

 

束が指をパチンと鳴らすと、束の横に突然砲台が展開され、ミサイルを放った。ミサイルは箒のいる方向へと飛んでいく。

 

「空裂!」

 

箒は、左手に握った空裂を横に一閃する。

すると斬撃そのものがエネルギー刃として放出され、放たれたミサイルは瞬く間に散っていった。

 

「やるな」

 

「すげぇ……」

 

地上に立つラウラと一夏も、紅椿の機能に驚いている様子だった。

 

『うん。いい感じだね』

 

束の笑み……しかしどこか哀しい横顔を、千冬は怪訝な表情で見つめていた。

 

「やれる……この紅椿なら……!」

 

箒は自分の新たな力に喜びを噛み締めていた。

しかし、その場の空気を一変させる出来事が起きてしまった。

 

「織斑先生!」

 

遠くから走ってきたのは真耶だった。真耶は焦った表情でこちらへと向かってくる。

 

「織斑先生!これを!」

 

真耶は急いで携帯を千冬に渡す。千冬は渡された携帯の画面を見た。

 

「『特命任務レベルA、現時刻ヨリ対策ヲ始メラレタシ』か……」

 

千冬は携帯の画面を閉じ、顔を上げる。

 

「テスト稼働は中止だ!お前たちにやってもらいたいことがある」

 

その後、専用機持ちは千冬の命令で旅館の特別室へと移動。その他砂浜にいるIS学園一年生全員に、旅館の自室での待機命令が下された。

 

 



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第37話 侵入

真耶が束を見てビックリしてるシーンはもうすでに過ぎたテイでお願いします笑


専用機持ちが連れられたのは旅館の一室。

壁一面には大きなディスプレイに映った衛星写真、そして専用機持ちたちに囲まれるようにしてディスプレイが投影されている。真耶は他の職員とともにディスプレイの前に座って調査をしており、千冬は専用機持ちたちの前で状況の説明を行う。

 

「お前たちに確認したいのだが、アメリカ・イスラエル共同開発の第三世代型軍用IS『シルバリオ・ゴスペル』が数ヶ月前に突如行方不明となったという報告は、各々政府から受けているな?」

 

千冬は専用機持ちたちが既に各国からその報告を受けていることを知っていたが、それぞれの状況把握を促すために今一度確認を行う。

ちなみに箒とマリアは、現時点では専用機を持っているが、国に帰属している立場ではないため、この事実は初めて耳にする。

 

「はい」

 

「確認済みですわ」

 

シャルロットとセシリアが返事をする。千冬は頷き、話を続ける。

 

「原因不明の失踪事件とされていたシルバリオ・ゴスペル────通称『福音』だが、突如南シナ海とフィリピン海の境界線付近でセンサーを感知。機体は暴走、衛星によれば両海の監視空域を離脱したとの連絡があった」

 

「何ヶ月も行方不明だったのに、いきなり出現って……」

 

「どういうことだ……?」

 

鈴とラウラが疑問の表情を浮かべる。

 

「この問題に関してアメリカとイスラエルに問い質してみたが、両国とも全くの無実を訴えている。事実、両国は福音が失踪してからずっと捜索をしていたとのことだ。今回突然現れ、日本に危機が迫っていることは、アメリカ及びイスラエルにとっても予想を遥かに超えた出来事だと主張している」

 

つまり黒幕はアメリカでもイスラエルでもない、ということだ。

 

「情報によれば、無人のISということだ────」

 

「無人……」

 

マリアは以前学園に襲撃してきたゴーレムⅠを思い起こす。獣のような姿をした機体。無人機という結論になり、襲撃者の保管されたあの地下特別区画は閉鎖されたが、しかしあの機体は恐らく────。

 

「その後、衛星による追跡の結果、福音はここから2キロ先の空域を通過することが分かった。時間にして50分後。学園上層部から の通達により、我々がこの事態に対処することになった。教員は学園の訓練機を使用して空域及び海域の封鎖を行う。よって本作戦の要は、専用機持ちに担当してもらう」

 

「は、はい⁉︎」

 

一夏が驚きの声を上げる。

 

「つまり、暴走したISを我々が止めるということだ」

 

「ま、マジ⁉︎」

 

「いちいち驚かないの!」

 

鈴が一夏を落ち着かせる。鈴に怒られた一夏は、渋々その場に座る。

 

「それでは作戦会議を始める。意見がある者は挙手をするように」

 

「はい。目標ISの詳細なスペックデータを要求します」

 

セシリアが手を挙げて意見を述べる。

 

「うむ。だが決して口外するな。万が一情報が漏洩した場合、諸君らには査問委員会による裁判と、最低でも二年の監視がつけられる」

 

「了解しました」

 

「……よし、山田先生」

 

「はい」

 

真耶は福音のスペックデータをディスプレイに投影させる。

 

「広域殲滅を目的とした特殊射撃型……私のISと同じ、オールレンジ攻撃を行えるようですわね」

 

「攻撃と機動の両方に特化した機体ね……厄介だわ」

 

「この特殊武装が曲者って感じがするね……連続しての防御は難しい気がするよ」

 

「このデータでは格闘性能が未知数……偵察は行えないのですか?」

 

各々冷静な分析をし、そして千冬がラウラの質問に答える。

 

「……それは無理だな。この機体は現在も超音速飛行を続けている。 アプローチは……一回が限界だ」

 

千冬が深刻な顔で皆に伝える。

 

「一回きりのチャンス……ということはやっぱり、一撃必殺の攻撃力を持った機体で当たるしかありませんね」

 

横にいる真耶も、『一回』という言葉に賭けているようだ。

 

「一撃必殺……」

 

一夏は白式の必殺技を思い出す。

 

(俺に……全てがかかっているのか……?)

 

「一夏、あんたの零落白夜なら……」

 

鈴の言葉が一夏の耳に響く。一夏は拳に、力が籠る。

 

分かってる、分かってるんだ。俺の零落白夜なら福音を倒せるかもしれないってことくらい。でも……

 

一夏の脳裏に、過去の襲撃者の記憶が蘇る。

あの時───零落白夜を使ってゴーレムに攻撃した時………

斬り落とした右腕……機械であるはずの断面は、機器回路などは無く、人肉のようなものしか存在しなかった。IS機能による視界の高解像度のせいで、変色した肌、血肉、骨、血管、そこから溢れ出す血が鮮明に見えていた。

千冬姉は無人機だったと報告してくれた。その場にいた当事者であるマリアも、あれは無人機だったと保健室で言ってくれた。

 

そうだよ、あれは無人機だったんだ。それっぽく作った、見せかけの機械だ。そして今回も無人機なんだ。なに恐がってるんだよ、俺───。

 

しかし一夏はあの時のことを思い出し、恐怖で手が震えていた。それを感じ取った千冬は、一夏の背中に告げる。

 

「織斑……これは訓練ではない。実戦だ。もし覚悟がないなら、無理強いはしない」

 

一夏は自分が辞退した後のことを想像する。

もし……もし俺が行かなかったせいで作戦が失敗したら……。

一夏は自分の恐怖を打ち殺し、勇気を持って答える。

 

「……やります。俺が、俺がやってみせます」

 

一夏を見つめるセシリアの目に浮かぶ、不安と心配の色が、一層強くなった。

 

「……よし。だが問題は……」

 

「どうやって一夏をそこまで運ぶか。エネルギーは全部攻撃に使わないと難しいだろうから、移動をどうするか」

 

「目標に追いつける速度が出せるISでなければいけないな。超高感度ハイパーセンサーも必要だな」

 

シャルロットとラウラが千冬に続いて対処法を提案する。千冬も頷き、同意する。

 

「それでは、専用機持ちの中で最高速度の出せる機体は────」

 

バンッ!

 

「ちょっと待って、ちーちゃん」

 

天井裏をいきなり破って出てきたのは束だった。束は相変わらず(やつ)れた作り笑いをしながら静かに畳に降り立つ。

 

「出て行け束。今は───」

 

「聞いてよちーちゃん。ここはね、紅椿が最適の手段になると思うよ」

 

「何だと……?」

 

 

 

 

 

 

離れの森、その中にある滝の側で、一同は準備をしていた。

 

「いくぞ、紅椿!」

 

箒が紅椿を展開する。

 

「それじゃあ箒ちゃん、展開装甲をオープンしてみて」

 

「はい」

 

箒は紅椿の要・展開装甲を出現させる。両の腕肩脚部と背部に装備され、その一つ一つが自動支援プログラムによるエネルギーソード、エネルギーシールド、スラスターへの切り替えと独立した稼動が可能であり、背部の2機は切り離してビットとしての使用も可能となっている。

 

「展開装甲はね、第四世代型ISの装備で、一言で言うと……紅椿は、『雪片弐型』が進化したものなんだよ」

 

一同にざわめきが起きる。攻撃と防御の両性能を持った装甲………あまりにも進化し過ぎたISだった。

だが、今はそれに驚く暇もない。こうしている間にも、福音は着々と近づいてきている。

 

「それで束、紅椿の調整にはどのくらいかかる?」

 

「織斑先生!」

 

「なんだ?」

 

千冬を呼んだのはセシリアだった。

 

「私とブルー・ティアーズなら、必ずや成功してみせます」

 

セシリアは強く主張する。彼女がこれほどに自己推薦をする理由には、二つの理由があった。

 

「高機動パッケージ、ストライク・ガンナーが本国から送られてきています」

 

この装備なら、福音を倒せる可能性は大いにある。だが、これはあくまで理由の一つに過ぎない。

もう一つの本当の理由は、一夏をなるべく危険な目に合わせたくないからだ。

専用機持ちといえど、一夏はまだ実戦慣れをしていない。確かに零落白夜は強力だ。だがもし一夏が危険な目に合うと想像してしまうと、自分は居ても立っても居られなくなる。

想い人のために、少しでも自分が力になりたい。

 

だが、千冬はセシリアの期待した答えを口に出さなかった。

 

「ダメだ」

 

「何故ですの⁉︎」

 

「そのパッケージは量子変換させてあるのか?」

 

「そ、それはまだですが……」

 

セシリアは俯いてしまう。

千冬の言っていることは正しかった。装備の量子変換にはかなりの時間を要する。一度変換すれば、次からは瞬時に出来るようになるのだが、ストライク・ガンナーはまだ開封したばかりで手をつけていない。量子変換させていなければ、強力な武器も闘いに不利となるだろう。

悔しい気持ちで落ち込むセシリアに、束が優しく声をかける。

 

「大丈夫だよ」

 

「え……」

 

「紅椿なら白式と一緒に迎撃できる。それに、7分あれば紅椿の調整も出来ちゃうからね」

 

そう言って、束は箒の下へと向かった。

 

「よし。本作戦は、織斑・篠ノ之両名による目標の追跡及び撃墜を目的とする。作戦開始は30分後。各員、準備にかかれ!」

 

千冬が手を打ち鳴らし、準備開始の合図をした。

 

箒は向こうにいる一夏の真剣な横顔を見つめている。その横顔を見て、自分が一夏の力になれるのだと改めて認識し、口元がつい綻ぶ。

 

「ふふ、なんかいい感じだね」

 

いつのまにか、下から束が覗いていた。箒は姉に見られたくない顔を見られた気分になり、恥ずかしくなる。

 

「そ、そんなことはない!」

 

「そんなむすっとした顔しないで。笑って笑って!」

 

「この顔は生まれつきなので」

 

「ふふ、まーいいけど。箒ちゃんの笑顔、もう一回まっすぐ見てみたかったな……」

 

束はしんみりとした声で呟いた。束の弱気な声に、箒も変に気まずくなる。

 

「じゃあ、早いとこ紅椿の調整終わらしちゃおっか!」

 

 

 

 

 

 

ピッ、ピッ、ピッ、………

 

 

カチャ、カチャ、……

 

 

「紅椿の調整、もうちょっとで終わるからね〜」

 

 

「は、はい」

 

 

「緊張してる?」

 

 

「ええ、まぁ……」

 

 

「そっか。いきなりだもんね」

 

 

「………」

 

 

「………」

 

 

「………」

 

 

「……ねぇ、箒ちゃん」

 

 

「………?」

 

 

「お姉ちゃんが居なくて、寂しかった?」

 

 

「……いえ」

 

 

「お姉ちゃんはね、ずっと寂しかったよ」

 

 

「……それを選んだのは、姉さん自身です」

 

 

「っ………そうだよね。ごめんね……」

 

 

「謝らないでください。もう……慣れましたから」

 

 

「うん……」

 

 

「………」

 

 

「………」

 

 

「………」

 

 

「………」

 

 

「……姉さん」

 

 

「なあに?箒ちゃん」

 

 

「『雨月』と『空裂』………どうしてこの名前にしようと思ったんですか?」

 

 

「………」

 

 

「……姉さん?」

 

 

「……今は知る必要は無いよ。本当は、知らないで終わるのが一番、だけどね……」

 

 

「……?それはどういう───」

 

 

「さ、調整終わったよ!ちーちゃんに伝えてくるね!」

 

 

「あ、姉さ……ん……───」

 

 

タッタッタッタッ………



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第38話 虚空

最近よく感想欄で、文の最後に必ずミコラーシュの叫びを入れる皆さんの団結力がたまらなく好きです。ありがとうございます。笑
ちなみにミコラーシュとはBloodborneに出てくる人間のボスで、その独特なセリフと風貌が印象的なために、よくネットでイジられている人物でもあります。
感想欄でミコラーシュの叫びが出ると、僕はそれを最近流行りの熱盛ならぬ『ミコ盛』と呼んでいます。ミコ盛て。


作戦開始5分前。

メンバーは砂浜で最後の準備を行っていた。

箒と一夏はそれぞれISを展開し、待機している。

一夏が自分の装備や福音のスペックデータの最終確認をしていると、そこにマリアがやってきた。

 

「……一夏」

 

マリアは一夏の側に寄り、白式を纏った一夏を見上げる。

 

「どうしたんだ?」

 

「すまない……私が一夏の代わりに出撃できれば良かったのだが……」

 

「マリア……」

 

 

─────────

───────

─────

 

 

数十分前、マリアは千冬に、自分が一夏の代わりに戦いへ向かうことを志願していた。無人機……一夏は無人機といえど、過去のことがあるので少なからず恐怖を覚えているはずだ。マリアはそれを考え、千冬に交渉したのだ。しかし、千冬はそれを却下した。

 

『マリア、確かにお前は強い。だがお前の機体───緋い雫(レッド・ティアーズ)は通常のISと全く異なった性能をしている。正直、未知数だ』

 

『だが────』

 

『今回の作戦の要は、いかに即座に目標を無力化できるかどうかだ。お前の戦闘力は高いが、ここは一撃必殺の零落白夜を持ったあいつが適任だ』

 

『………』

 

『私がお前を行かせない理由はもう一つある』

 

『もう一つ……?』

 

『もし仮に……作戦が失敗すれば、ここも襲撃される可能性は大いにある。お前には、最後の砦になってもらいたい』

 

『………』

 

ここを襲撃されれば、自分たちだけでなく、静寐や本音や癒子……彼女たちだけじゃない。一年生全員が危機に晒されてしまう……マリアは頭の中で想像した。そして、口を閉ざしてしまう。

 

『……分かってくれ』

 

千冬は僅かに震えた声でそう言い、踵を返した。

一夏を一番行かせたくないのは、きっと彼女だ。教師と生徒の関係である前に、二人は姉弟だ。適任が一夏ということは千冬自身も理解しているが、危険な目には遭ってほしくない。しかし自分の弟だからといって作戦に公私を混同させるのはもってのほかだ。彼女自身も、複雑な葛藤と戦っているのだ。

 

千冬の覚悟、そして自分に課せられた役目を認識したマリアは、それ以上千冬に何も言うことが出来なかった。

 

 

─────

───────

─────────

 

 

「そんな顔すんなって、マリア」

 

「だが……」

 

「俺にしか出来ないことなんだろ?むしろ誇らしく思うぜ。ま、確かに緊張はしてるけどな」

 

「一夏……」

 

「マリアの気持ちはすげー嬉しいぜ?ありがとな」

 

一夏は笑顔でマリアに明るく振る舞う。マリアの心が、ズキリと傷んだ。

やり場のない感情に襲われたマリアは、最後に一夏に告げる。

 

「一夏」

 

「ん?」

 

「作戦前にこんなことを言うべきではないかもしれないが………───無茶はするな。退くことも賢い考えの一つだ」

 

真剣な面持ちでマリアは告げる。一夏もその忠告を、しっかりと胸に刻んだ。

 

「……ああ、分かったよ」

 

「い、一夏さん……」

 

二人のもとに、セシリアが心配気な顔をしてやってきた。

 

「セシリア……」

 

一夏も彼女に振り向く。

 

「一夏さん……無事に、箒さんと帰還してください……陰ながら祈ってますわ」

 

「ああ」

 

「この作戦は一夏さんが要ですが、それは貴方が一人だという意味ではありません。セシリア・オルコットは……そして私たちは、常に貴方と共にあります。それを、お忘れなきよう」

 

「……ありがとう、セシリア」

 

「時間だ」

 

千冬が時計を見て二人に伝える。そして一夏と箒にオープン・チャネルを繋げる。

 

「織斑、篠ノ之、聞こえるか」

 

『はい』

 

『聞こえています』

 

一夏と箒はしっかりと返事をする。

しかし一方で、マリアと千冬はあることに気付いていた。箒の返事が、ほんの少し上ずっているように聞こえたのだ。

 

「何度も確認したが、最後の確認だ。今回の作戦の要は一撃必殺だ。短時間での決着を心懸けろ」

 

『はい』

 

『織斑先生。私は状況に応じて一夏のサポートをすればよろしいですか?』

 

マリアと千冬の表情に、険しさが増した。

 

「そうだな……だが無理はするな。お前はその専用機を使い始めてからの実戦経験は皆無だ。突然何かしらの問題が出るとも限らない」

 

『分かりました。出来る範囲で対応します』

 

「ねぇ、何かあの子、声弾んでない?」

 

「ええ、そう聞こえましたわね」

 

「分からなくもないけど……」

 

「……作戦に影響しなければいいがな」

 

他の専用機持ちたちも勘付いたらしく、怪訝な表情を見せる。

 

「……千冬」

 

「ああ、分かってる」

 

マリアの呼びかけに、千冬も頷く。千冬はもう一度耳に手を当て、回線を繋いだ。

 

「……織斑」

 

『は、はい!』

 

「安心しろ、これはプライベート・チャネルだ。篠ノ之には聞かれない」

 

『は、はぁ……』

 

「………どうも篠ノ之は浮かれているな。新しい専用機を手に入れたと気が緩んだか……とにかく、あんな状態では何か仕損じるやもしれん。いざという時は、サポートしてやれ」

 

『……分かりました。意識しておきます』

 

「……頼むぞ」

 

千冬は回線を切り、オープン・チャネルに切り換える。

 

「では、作戦開始!」

 

千冬の号令が海の空気に響く。

箒は一夏を背中に乗せ、急発進した。

福音のいる海の彼方へと────。

 

 

 

 

 

 

「暫時衛生リンク確立。情報照合完了。目標の現在位置を確認。……福音がいたぞ」

 

「ああ」

 

作戦開始から約10分が経過しようとする時。

二人の遠く前方に、銀色に輝くIS・福音が視認出来た。福音はジッと動かないまま、海の彼方を見つめている。

 

「一夏、後12秒で目標に到達する」

 

「ああ」

 

「私が福音を引きつけて動きを止めるから、そのタイミングで零落白夜を当てるんだ」

 

「分かってる」

 

福音が、ゆっくりとこちらを振り返った。二人の手に、力が篭る。

 

「そろそろだ……3、2、1、ゼロ!」

 

箒の合図で一夏は箒の背中から離脱し、真上に跳んだ。箒はそのまま福音に突進し、雨月で刺突攻撃を放つ。

紅椿の高速で繰り出される刺突攻撃を、福音はヒラリと交わし、箒の背後に回る。雨月の突きから放たれたレーザーは虚空を貫き、彼方の雲に穴を開けた。

しかし箒もそれを見越していたのか、左手に空裂を即時展開させ、背後へ一閃する。背後にいた福音は箒と鍔迫り合いのような形になった。

 

「はああああああ!!」

 

上空に飛んでいた一夏が、一直線に福音へ下降する。零落白夜を発動し、これを福音へぶつければ、カタをつけられるかもしれない。

しかし福音は瞬時にそれを察知し、箒にレーザー弾を連発した。

 

「くっ……!」

 

箒は福音の連撃のために、やむなく福音を放してしまう。

 

「すまない一夏……」

 

「そう簡単には終わらせてもらえねぇってことだ。もう一回いくぞ!」

 

「ああ!」

 

今度は一夏が福音に突進する。一夏は上から牽制に雪片弐型を振り下ろした。福音は身を翻して下降すると、下降した先には急速で近づいてくる箒がいた。箒は刀を福音に押し当てるが、福音はガードをする。そして福音は再び箒にレーザー弾を連発するが、箒はシールドエネルギーを削られながらも耐える。福音は更にレーザーを増やし、そのレーザーは空だけでなく海にも落とされていった。

 

「一夏、今だ!」

 

「ああ!」

 

一夏は零落白夜を発動し、ぐんと福音へと距離を縮めた。

 

しかし、一夏は箒と福音の元を通り過ぎ、海の方向へと下降していった。

 

「⁉︎」

 

箒は目を疑った。箒の隙を見逃さなかった福音は箒を遠くへと蹴り飛ばし、一夏に向けてレーザーを放つ。

 

「一夏、何をしている⁉︎せっかくのチャンスを────」

 

「船がいるんだ!海上は先生たちが封鎖したはずなのに……」

 

「船だと……⁉︎」

 

箒はハイパーセンサーで波に揺られた一隻の船を視認する。船体には国籍は記されておらず、何かの番号だけ書かれていた。それは明らかに国籍不明の密漁船だった。

 

「密漁船……⁉︎クソッ!こんな非常事態に!」

 

箒は歯軋りをする。

一夏は福音と密漁船の間に立ち、福音からの攻撃を必死に防いでいる。

 

「放っておけ!奴等は犯罪者だぞ!庇うな!」

 

「見過ごすわけにはいかない!」

 

懸命に一夏は攻撃を防ごうとするが、あまりにもレーザー弾の数が多く、半分は海に被弾してしまう。

二度も零落白夜を失敗した上に福音からの被弾を受けた白式は、ついにエネルギーがゼロとなってしまった。作戦は絶望的局面を迎えてしまう。

そして福音が更にレーザー弾を一夏に放った。

 

(マズイ…!)

 

どうしようもなくなった一夏は、腕で顔を隠した。

 

ドォン!

 

大きな被弾音がしたが、一夏に攻撃は届かなかった。顔を上げると、煙から箒が現れる。

 

「一夏!何故奴等を庇う⁉︎犯罪者など、守る価値が────⁉︎」

 

箒は、ゾッとした。

 

一夏が、一夏の目が、箒を真っ直ぐに見つめていたのだ。

 

優しくも見え、しかし怒りを含ませた目にも見える。

 

「箒」

 

箒の身体が強張る。

 

「新しい力を手に入れて、弱い人間が見えなくなったのか?」

 

「ち、違う!わ、私は……」

 

「らしくない。らしくないぜ、箒」

 

「ち、違うんだ!私はただ────」

 

「────変わっちまったな、箒」

 

「わ、私は……」

 

箒は自分の顔を手で覆い、首を横に振り続ける。そしてショックのあまり、右手に握った雨月を海に落とした。雨月は光の粒子となって消滅する。

 

福音が機体全部を光らせ、エネルギーを貯めていた。そしてそれが最大限となり、背を向ける箒に放つ。

 

「箒!」

 

「え……」

 

一夏は急速で箒に接近し、箒を出来るだけ遠くに蹴飛ばした。それと同時に、一夏は箒の左手に握られていた空裂を掴み取り、福音へと迫る。

福音の強大なレーザー弾は一夏に全て被弾した。しかし一夏は最後の力を振り絞り、福音の頭部を空裂で一閃する。

しかし一夏の振りは僅かに弱く、頭部を完全に破壊するまでには至らなかった。

福音の虚空な顔面。その両目となるであろう部分を一直線に、刀で一閃した(ひび)が入る。

福音が動きを止め、じっとこちらを見ている。福音の顔面は恐ろしいほどの虚空で、少しでも気を許せば、その虚空に吸い込まれそうな感覚に一夏は襲われる。

 

静寂が、空を支配する。

 

一夏の汗が、頰から滴り落ち、海の一部となった。

 

「なっ……⁉︎」

 

一夏の身体中に、悪寒が走る。

福音の顔面の(ひび)から、ドクドクと()()()()()()()()が溢れ出したのだ。

 

(そ、そんな……無人機のはずじゃ……生体センサーだって……)

 

身体中が震え出す。あまりの恐怖に、一夏は手に握っていた空裂を海に落とした。その後を追うように、福音の血が海に滴る。

 

パキッ

 

福音の顔面の(ひび)が割れ、破片となり、海に落ちる。

内側に見えた福音の両目は刀で一閃され、一直線に眼球が切断されていた。

しかし、その目は傷を負いながらも、こちらをジロッと見続けていた。

 

虚空の中の瞳孔は崩れ、()()()()()

 

「ひっ……!」

 

一夏の脳内で、過去の襲撃者の記憶が再び蘇る。一夏はあまりのショックに口元を抑えた。

 

福音が、空に手を掲げた。

 

福音の手にはみるみるうちにエネルギーが蓄積されていき、そのエネルギーからは稲妻が走っている。

空もそれに呼応するように暗雲が福音の頭上に出来ていく。そして暗雲の中で稲妻が暴発し、福音の掲げた手に何度も稲妻が落ちる。

 

そして、福音は稲妻で溢れたエネルギーを、一夏の全身に落とした。

その力はあまりにも強大で、一夏は雷の何倍もの攻撃を直に受け、その衝撃で恐ろしい速さで海に落ちていった。

 

「い、一夏ぁぁあああああ!!!」

 

我に帰るのも遅かった箒。

箒は泣きそうになりながら、海の中に落ちた一夏を追いかけた。

その姿を、福音は血を滴らせながら見つめていた。

崩れた、蕩けた目で────。



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第39話 悲嘆

2020年7月7日 16:13

花月荘 第2臨時特別室

 

 

 

………

 

 

……ドタドタドタドタ

 

 

バンッ!

 

 

時間が無い!患者を中へ!

 

 

一夏さん!目を覚ましてください!

 

 

待てセシリア!部屋の外へ────

 

 

血圧、低下しています!

 

 

気管挿管、早く!

 

 

アレスト(心停止)心室細動(VF)だ!急げ!

 

 

ピーーーー

 

 

カチャ、カチャ、カチャ

 

 

一夏さん!(わたくし)の声が、分かりませんか⁉︎

 

 

おい!早くその子を出せ!危険だ!

 

 

セシリア!暴れるな!外へ出るんだ!

 

 

離してくださいマリアさん!私は一夏さんの側に────

 

 

いい加減にしろ!後は医師に任せるんだ!

 

 

うぅ……一夏さん……一夏さん………

 

 

バンッ!

 

 

準備完了です!

 

 

よし……3、2、1……クリア!

 

 

ドンッ!

 

 

ピーーーー

 

 

グッ、グッ、グッ、グッ………

 

 

ダメだ、もう一度!

 

 

3、2、1……クリア!

 

 

ドンッ!

 

 

ピッ、ピッ、ピッ、ピッ………

 

 

動いたか……

 

 

……心拍は回復しましたが、蘇生までの時間が長かったので………未だ昏睡状態です………

 

 

………クソッ…………

 

 

ピッ、ピッ、ピッ、ピッ………

 

 

 

 

 

 

2020年7月7日 17:25

花月荘 会議室前通路

 

 

コンコンコンッ

 

「失礼します」

 

『誰だ』

 

「デュノアです」

 

『待機と言ったはずだ!入室は許可できない!』

 

「っ……」

 

シャルロットは、ノックの手を下げた。

廊下では静かに泣いているセシリア、彼女の背中に手を回し励ます鈴、壁に背中を預けて静かに目を閉じているラウラがいた。

ラウラがシャルロットに声をかける。

 

「教官の言う通りにするべきだ」

 

「でも……先生だって一夏のことが心配なはずだよ!お姉さんなんだよ……?」

 

「ずっと目覚めてないのに……手当の指示を出してから、一度も様子を見に行ってないなんて……」

 

ラウラは、海岸で担架に乗せられた一夏を見て医師たちとやり取りを交わす様子を思い出していた。千冬は一切表情を変えず、箒にも声をかけずに会議室へと戻っていったのだ。

 

「……だからどうしろと?」

 

ラウラが低い声で言う。

 

「一夏を見舞えば……涙を流せば、福音を倒せるとでも言うのか?」

 

ラウラの指摘は冷たいようにも聞こえるが、彼女の言う通りだということはシャルロットたちも分かっていた。

 

「そうは言ってないけど……」

 

「……きっと教官も辛いはずだ。辛いからこそ、今は作戦と向き合うしかないんだ」

 

「………」

 

少女たちを、どんよりとした空気が支配する。時折滴るセシリアの涙は、夕陽の色を反射させた。

 

ガラッ

 

会議室の扉を開ける音がした。

中から出てきたのは、先程千冬に呼ばれていったマリアだった。

 

「マリア!先生になんて言われたの?」

 

シャルロットがマリアを見て言った。マリアは一息置いて、それに答える。

 

「一夏の部屋を見張るように言われた。誰も入れさせないためにな」

 

「そう……」

 

「箒は?」

 

箒の姿が見当たらないことに気付いたマリアが、シャルロットたちに尋ねる。

シャルロットたちは顔を見合わせたが、皆分からないようだった。

 

「さっきまで一夏の部屋の前にいたんだけど……」

 

「あの子、どこ行ったのかしら……」

 

「急にどこかへ走っていったな……」

 

「そうか……」

 

マリアもそれ以上は聞かなかった。

マリアも踵を返し、少し離れた一夏の部屋へと向かい始める。

 

「マリアさん」

 

マリアを呼んだのはセシリアだった。泣き腫らしたのだろう、赤い目をしたセシリアが立ち上がり、マリアを見ていた。

 

「その……先程は申し訳ありませんでした……取り乱してしまって………」

 

セシリアの悲しみに満ちた顔が、夕陽に照らされる。

 

「……誰も責めたりしないさ。今は……一夏が目を覚ますことを願うしかない………」

 

マリアは背中を向け、その場を後にした。

 

 

 

 

 

 

2020年7月7日 17:55

花月荘 第2臨時特別室前通路

 

 

やはり、何としてでも私が一夏の代わりに行くべきだった。

今更悔やんでも仕方がない。だが、悔やまずにはいられなかった。

作戦会議のとき、一夏は僅かに身体を震わせていた。

過去の襲撃者……無人機にショックを覚えている一夏は、福音も無人機と聞いて恐怖していた。だが一夏は皆に弱音を吐かず、作戦開始前は私に笑顔を見せたのだ。そんな余裕など、なかったはずなのに。

 

会議室でディスプレイ越しに一夏が福音の頭部を攻撃したのを見たとき、ディスプレイのカメラが不具合で接続不良になり、暫くの間画面が乱れていた。

しかし私だけは気付いていた。福音の頭部から、あの()()()()()()()()が流れていたことに……。

 

恐れていたことが、現実となってしまった。

一夏に一度だけでなく、二度も生身の者を斬らせてしまった。

生体センサーに反応は無かった。

あの血が流れていたということは、もう中は人間としての自我を持っていないのだろう。

だが、嘗ては人間だった。

それを一夏に再び斬らせてしまうとは、私は何をやっているのだろうか。

自分が酷く憎い。

 

すまない、一夏────。

 

お願いだ。目を、覚ましてくれ────。

 

 

 

 

 

 

2020年7月7日 21:09

花月荘 第2臨時特別室前通路

 

 

作戦失敗から約5時間が経過した。

辺りはすっかり夜の空気になっていた。

山から蝉の声が聴こえてくる。

部屋の中からは規則的に聴こえてくる心電図の音。

この音を後何回聴けば、一夏は目を覚ますだろうか。

 

私は部屋の襖に頭を預け、味気ない天井を見上げる。

目の前の中庭を挟んだ向こう側は、自室で待機している一年生たちがいるのだろう。

しかしどこの部屋も、中からは物音一つせず、まるで人の気配が無いようだった。

 

 

ふと、強い風が吹いた。

中庭に生える小さな木から、一枚の葉が風に揺られて踊り始める。

葉は暫くの間、中庭で風に揺られたままで、なかなか地に落ちない。

私はその葉の行く末を見届けていた。

 

中庭の向こう側の曲がり角と葉が一瞬重なった。

 

「なっ……!」

 

私はその葉の向こう側に、先程まで全く人の気配が無かったはずなのに、曲がり角を一人の人物が曲がり、姿を消したのを目撃した。

 

 

信じられなかった。

 

目を疑った。

 

その人物は、()だった。

 

月の香りを漂わせたその人物が曲がり角に消えたのを目撃した私は直ぐさま立ち上がる。

 

(何故……何故奴がここに⁉︎)

 

福音の事件の真っ最中に姿を現すなど、タイミングがあからさま過ぎる。

 

(とにかく追いかけなければ……!奴をみすみす逃すわけにはいかない!)

 

通路を走ろうとして、ふと足を止めた。

 

千冬にも禁じられていたが、私は部屋の襖を開ける。

 

そこには、呼吸器に繋がれ布団の中で昏睡状態にある一夏の姿があった。

 

布団から出ている包帯に巻かれた腕は、見ていて哀しくなり、痛々しい。

 

きっと全身が包帯だらけなのだろう。

 

(すまない……一夏……)

 

私は襖を閉めきるその時まで一夏の顔を見た。

 

そして襖を閉めた後、全速力で奴の行方を追った。



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第40話 再来

イメージ曲
Moonlit Melody - Bloodborne OST

自分で書いてるくせに手に負えないくらい難しい話です


山の深い森を駆ける。

僅かに残された足跡、不自然に折れた地面の枝葉たち、そして風と共に漂ってくる月の香り。

 

「ハァ……ハァ……どこへ……?」

 

額から流れる汗を拭い、私はとにかく走り続ける。ついには足跡も無くなり、手掛かりは僅かに香る月の香りだけとなった。

あまりにも深い森に、方向感覚が通用しない。セシリアの領地の森を思い出す。

 

暫く走っていると、月の香りが強くなりはじめた。そして同時に、(おびただ)しい血の匂いが鼻の奥を不快に刺激してくる。

木々の葉が風に揺れ、葉の擦れる音が聴こえてくると同時に、耳の中で数々の悲鳴が響く。

数多くの、恐怖に震えた女の叫び声。

月の香りの方向へ足を進めるにつれ、叫び声も血の匂いも強くなってくる。

私は理解していた。

この叫び声は自分の錯覚であるということを。

そして確信していた。

この叫び声を出させている犯人が、奴であるということを。

 

海の音がした。

この木々を抜けた先に、奴がいる。

私はその場所へ、ゆっくりと歩を進める。

月の香り、血の匂い、女の叫び……近づくにつれ全てが強烈なものとなり、頭が狂いそうになる。

木々の向こうに海が見えた。

私はついに、最後の木をどかす。

 

奴の姿が見えた途端、女の叫び声は消えてしまっていた。

崖の上で、月の香りの狩人は腐った倒木に座り、古びた本を開いていた。

ページを捲る音がやけに鮮明に聴こえる。

 

「───『死は我々を天使にし、翼を与えてくれる』……」

 

「………」

 

「……憐れじゃあないか。『生』に執着する一方で、人間は『死』に好奇を(そそ)る」

 

月の香りの狩人は古びた本をゆっくりと閉じ、雲が広がった暗い海へと目を向ける。

 

「海に浮かぶ銀の彼女は翼を得た………君は彼女が、天使になれたと思うか?」

 

私の後ろで、木々たちが風に揺られて葉を揺らす。

 

「福音の仕業は……貴様か……?」

 

「ふっ、私はただの傍観者だよ」

 

月の香りの狩人はゆっくりと立ち上がり、振り返った。暗闇の中でも、その髪と瞳は血のように真っ赤に映えていた。

 

「久しぶりだな」

 

 

 

 

 

 

「いくつか聞きたいことがある」

 

私は月の香りの狩人に言い放った。月の香りの狩人は腕を組み、僅かに見えた両目をこちらに向ける。

 

「……何を企んでいる?」

 

月の香りの狩人は黙っている。私は言葉を続ける。

 

「貴様が私を殺したのはおよそ200年前だ。嘗てのヤーナムも今はイギリスになり、狩人たちも悪夢も存在しない。狩人たちが何度も死を繰り返す時代は終わった。それなのに、何故貴様は生きてるんだ?」

 

月の香りの狩人は鼻を鳴らし、私に言い放った。

 

「夢は最早(もはや)存在しない……本当にそう思っているのか?」

 

「……何だと?」

 

「だが、君の顔を見る限り、どうやら記憶は取り戻したらしいな。それに……()()も君と一緒のようだ」

 

『人形』。

月の香りの狩人は、イギリスで現れた時、私に人形の居場所を聞いてきた。

その時私は何のことか分からなかったが、帰国後、学園の森の中で人形を見つけたのだ。

恐らくそれが、彼女の言う『人形』。しかし私はその人形がどこに消えたのかは知らない。

だが今彼女は人形が私と一緒にいると言った。この近くに、人形がいるということか。

 

「その人形……誰が作ったかは知っているか?」

 

月の香りの狩人が私に問う。私は黙り、彼女の言葉を待つ。

 

「君の嘗ての恋人だよ」

 

「なんだと⁉︎」

 

私の嘗ての恋人────ゲールマンだ。奴は何故ゲールマンのことを知っている?

 

「余程君のことを想っていたらしい。執愛も行き過ぎると、大したものだ」

 

「何故彼を知っている⁉︎」

 

「───()()が答えさ」

 

月の香りの狩人の行動に、私は背筋が凍った。

いつの間に持っていたのだろう。彼女は背中から人間よりも一回り大きな鎌を取り出したのだ。

その巨大な鋭い鎌を、私はよく知っていた。何故ならそれは、()が使っていた狩武器だったからだ。

 

「貴様ぁぁああああ!!」

 

私は落葉を展開し、月の香りの狩人に詰め寄り落葉の刃を彼女の首元で止めた。私の行動を予想していたのか、彼女が一歩も動かずただこちらを見ていたのがひどく腹立たしい。

息を荒くして、私は彼女を睨みつける。

 

「……殺したのか………⁉︎」

 

「彼がそれを望んでいた」

 

月の香りの狩人が、目に見えない速さで私を脚で蹴る。飛ばされた私は、後ろの木の幹に身体をぶつけた。

 

「がはっ……!」

 

「あの古狩人もまた、悪夢に囚われていた。秘匿された()()を探し続けるという悪夢にな」

 

「赤子、だと……?」

 

 

 

 

 

 

ビルゲンワース────大戦で人工赤子を失った彼らは、嘗て見つけた遺跡にある赤子の化石を復活させるという思想を持った。

君も人工赤子のことは覚えているだろう?それとは違う、本物の赤子だ。

赤子の化石……つまり元を辿れば、トゥメルの女王・ヤーナムの赤子だ。ヤーナムは月を司る指導者と崇められたゴースと交わり、赤子をもうけた。

しかし宇宙を支配していたゴースも、ある時神殺しに遭う。後に、月の魔物が新しい支配者となった。

 

ある日、ついにビルゲンワースは赤子の化石の復活を遂げた。赤子の及ぼす力の余波は恐ろしく強大なものとなり、君の隠していた漁村……そこに打ち棄てられたゴースの遺骸にも力が及んだのだよ。

赤子の力を受けたゴースの遺骸は長大な悪夢を創り出し、そこに君が囚われたというわけだ。

 

赤子の力の余波は宇宙にまで届き、嘗てゴースに従っていた上位者たちも赤子の復活を知ることとなった。そしてゴース派の上位者たちは、赤子を秘匿したのだ。月の魔物に反旗を翻すためにな。

月の魔物が赤子の復活を知り、赤子の力に危機を感じて地球に飛来したときには、もう既に遅かった。赤子は既に秘匿され、行方も分からなくなっていた。

 

このまま地球にいれば、いずれゴース派の上位者たちに殺される日も来てしまうかもしれないと、月の魔物は考えた。それほどまでにゴースに仕えていた上位者は多かった。一種のカリスマ的存在だよ。

そこで月の魔物が目をつけたのが(ゲールマン)だ。月の魔物が地球を離れる間に、彼を使って赤子を捜させる。赤子が見つかれば、月の魔物がまた地球に飛来し、赤子を殺す。

彼も赤子にはいい思い出が無いからな。何せ、恋人の君が殺されたんだ。彼も快く承諾しただろう。

 

君が悪夢に囚われている一方で、いつしか老いぼれとなった彼は狩人たちに赤子を捜させ、狩人を使っては殺し、使っては殺した。赤子はいつまで経っても見つからなかった。

だが、ついに私が赤子を見つけてしまった。

赤子を見つけた私を、彼は介錯しようとした。

私は拒否し、彼と刃を交えた。この鎌はその時の戦利品でね。

その後、私の前に月の魔物が現れた。月の魔物は私を新たな使者として仕えさせようとした。

しかし、私の中である好奇心が芽生えた。『この魔物を殺せばどうなるのだろう?』と。

 

答えは簡単だった。

宇宙を支配するほどの力を持った月の魔物……それを殺した私は、既に人間ではなかった。

この世ならざる存在こそが『神』と呼ばれたり『仏』と呼ばれたりする。『神』同士の争いに負けた者は、勝った神の世界の一部として取り込まれ、彼の神話を彩る『引き立て役』に成り下がる。基本的な話だ。とても基本的な話だ。

月の魔物も、所詮は引き立て役に過ぎなかった。

 

 

 

 

 

 

月の香りの狩人の話を受け、そしてセシリアから聞いた御伽噺を思い出し、私の頭の中でパズルのピースがはまっていく。

 

「巫山戯た話だ……笑わせてくれる……」

 

「………」

 

「つまり……こういうことか………貴様は上位者になったと……」

 

月の香りの狩人は答えない。だが、それは肯定の意だということを私は察する。

 

「では尚更……この世界で何を企んでいる⁉︎」

 

私は立ち上がり、再び落葉を月の香りの狩人に向ける。月の香りの狩人はそれに怯えることなく、刃よりも冷たい目でこちらを見る。

 

「上位者の力を得た私でも、全知全能になったわけではない。まだまだ出来ないことは山程ある」

 

「………」

 

「この星は見ていて飽きなくてな……。私の求める知識が数多く眠っている。試した結果が成功だろうと失敗だろうと、それらは私の知識として蓄えられる」

 

月の香りの狩人の言葉を聞いて、私の中で確信が出来た。セシリアから聞いた()()()の犯人は────

 

「試した……そうか、貴様が………」

 

「?」

 

「貴様はこの200年の間、多くの人間を犠牲にしてきた。更なる力と、知識を求めるが故に……」

 

「………」

 

「反吐が出そうだ……それに、貴様が漂わせていたこの血の匂い……いや、ただの血ではない……()()の血の匂いだ……」

 

「………」

 

「さっき聴こえていた女たちの悲鳴も……この血の匂いも……全て貴様が過去にやったことか……!」

 

「………」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「────Jack the Ripper(切り裂きジャック)とは、貴様だな……⁉︎」

 

 

 

 

 

 

「貴様が現れたあの日……19世紀末にイギリスで連続発生した猟奇殺人事件について調べてみた」

 

「ほう?」

 

「ジャックと呼ばれた犯人は、狩人の最後の生き残りだったそうだ」

 

「ふん……」

 

「この世界の史実では、ジャックが殺害した人間は全て売春婦。犯行手段は被害者の身体を切り裂き、性器等の内臓を摘出するという極めて残酷なものだった」

 

「物好きもいたものだ」

 

「とぼけるな!何故殺した⁉︎何をしようとしたんだ!」

 

刃先が震えてしまう。

私は怯えているのだろうか。この反吐が出そうな狂気に。

 

「───当時は私も赤子の成長に興味があってな……ふと疑問に思ったんだ。『赤子に上位者の血を入れたらどうなるか』と……」

 

月の香りの狩人の目が、妖しく光る。

 

「売春婦は若い人間がほとんどだ。若いほど人間の身体というものは活力がある。その中でも私は、既に身籠ってしまった売春婦に目をつけた。様々な赤子を見たよ……子宮で育って半年程経つであろう赤子もいれば、手のひらに収まるくらいの赤子もいた」

 

想像し、吐き気が込み上げる。しかし私はじっと堪える。

 

「だが赤子に血を入れても、どれも直ぐ死に至るものばかりだった。赤子に飽きた私は、イギリスの街から手を引いた」

 

セシリアが被害者たちの遺体写真をカラー調に再現したとき、遺体には灰色の混じった血が写し出されたと言っていた。

つまりこれの本当の理由は、被害者たちが獣だったからというわけではない。上位者になり損なった赤子は獣と化し、そして死に至る。写真に写された灰色の混じった血は、もはや人間ではなくなった赤子が身体から撒き散らしたものだったのだろう。

 

「その後、私は夢の中の工房で考え続けた。人間を上位者にし、自分に仕えさせるにはどうすればよいのか……」

 

「………」

 

「そしてついに、一つの答えを見出した。上位者を創り出すには、()()()が必要なのだと……」

 

「赤い月……?」

 

「なんてことはない。ビルゲンワースの言っていた答えに再び戻っただけの話だ。だがこの200年、赤い月は現れていない。いや、隠されていたのだ。意図的にな」

 

「意図的に、だと……?」

 

「私が人形を探していたのは、それが理由だよ」

 

月の香りの狩人は、私の耳のイヤーカフスに目を向ける。

 

「────人形は赤い月を隠したまま、突然夢の中の工房から姿を消した。そして世界との繋がりを全て破壊し、私を工房に閉じ込めた」

 

「なんだと……⁉︎」

 

「君もイギリスに来た時、感じただろう?見知った街並みの地形が大きく変化した違和感……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……。人形が世界との繋がりを無茶苦茶にしたせいで、それがこの世界の地形に影響を与えたのだ」

 

私はイギリスでのことを思い出す。

ロンドンにある時計塔……あの先にあるのは海だったはずなのに、そこには川しかない。

そして時計塔の周りの地形も変化し、ロンドンの深部に残っているはずの古工房は、セシリアの領地の森の奥深くにあった。

 

「時間をかけ、やっとのことで一つだけ世界との繋がりを回復させ、そこへ飛んでみた。すると驚いたことに、そこは私のいた夢の中と同じ古工房……そして君と、カインハーストの生き残りがいたわけだ」

 

「だが、あの時古工房に出現した灯りはセシリアが破壊したはずだ!それなのに何故────」

 

「忘れたのか?」

 

月の香りの狩人が突然鎌を構え、私に突進する。

私はレッド・ティアーズを展開し、鎌を左手の装甲で受け止め、エヴェリンを展開し月の香りの狩人の心臓を撃つ。

しかし、撃ったつもりの身体は消えており、私は背後に気配を感じて落葉と共に振り向いた。

 

しかし、もう遅かった。

 

「ぐっ……!」

 

月の香りの狩人の鎌は私の胸を貫き、私は血を吐いていた。熱い痛みが、胸からどんどん広がっていく。

 

そして月の香りの狩人は、私の胸から鎌を引き抜いた。

私の視界は大量の血液に溢れ、そして空中に散らばった私の血は、空をも赤く染め上げた。

 

私は地面に倒れ、赤く染まった空を見上げる。

 

「今日はあの日から一ヶ月……()()()()だ」

 

「うっ……はぁ……」

 

「月には二種類ある。一つは人間たちが普段見る月。もう一つは……常に赤く染まった月だ」

 

「き……さ…ま……」

 

「人形が隠しているのは、常に赤く染まった月。だが人形はその月を隠すことに力を全て使っている。普段人間たちが見ている月の方には手が出せないのだよ」

 

私は目を見開く。

水平線の上、空には先ほどまで立ち込めていた雲は全て姿を消し、赤く染まった月が現れていた。夜なのに、まるで夕方のように明るい。

 

「その普段の月が皆既月食となり、偶然私もここに来ることができた……」

 

月の香りの狩人の持つ鎌の先から、赤い血が滴る。

 

「赤い月……海に浮かぶ銀の彼女も、また新たな顔を見せるだろうな……」

 

地面が血に染まっていく。血を流しながら這いずり、月の香りの狩人から離れようとする私の視界の遠く彼方に、見知った人物たちが現れた。

 

それは、ISを身に纏った箒、セシリア、鈴、シャルロット、ラウラだった。彼女たちは皆海の上を飛んでいき、水平線へと消えていく。彼女たちの向かっている方向は、福音のいるであろう方角だった。

 

「だ……めだ……に……げ……」

 

「さて、せっかくの赤い月だ。私も今の内に会える人物に会っておこう」

 

「や……め………」

 

「ではな」

 

 

 

 

 

ザンッ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

月の香りの狩人は、マリアの心臓に突き刺した鎌をゆっくりと持ち上げる。地面は血に染まり、崖下へと滴り、海の一部となっていく。

息絶えた彼女を見て、月の香りの狩人はマリアの腕に鎌を添える。

 

「手間をかけさせてくれたものだ……ここ(機体)に隠れていたとはな」

 

マリアの遺体にまだ装着されている手足の装甲、レッド・ティアーズに刃先をつける。

 

 

 

 

 

 

 

しかし、月の香りの狩人は少し考えた後、鎌を引っ込める。

 

「ここでお前を殺すのも悪くはないが……」

 

月の香りの狩人は鎌を背中に背負い、マリアの遺体を見下す。

 

「まだ楽しめるかもしれんな」

 

月の香りの狩人は踵を返し、その場を後にする。心臓を貫かれたマリアが目覚めることはなく、彼女の穢れた血が、崖下の海を真っ赤に染め上げた。

 

 

 

 

 

 

「───さて、久しぶりに会いにいくか。なぁ、()()()

 

 

 

 

 

 




『葬送の刃』

最初の狩人、ゲールマンが用いた「仕掛け武器」。

すべての工房武器の原点となるマスターピースであり、その刃には星に由来する稀少な隕鉄が用いられている。

ゲールマンは狩りを、弔いになぞらえていたのだろう。せめて安らかに眠り、二度と辛い悪夢に目覚めぬように。

─────────

『赤い月が近づくとき、人の境は曖昧となり、偉大なる上位者が現れる』

───ビルゲンワース建物2F 本棚


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第41話 傷心

Twitterの方では更新のお知らせをする時、一緒にイメージ画像も添付してるので、ハーメルンの方でも画像を付けたいのですが、なんか容量が大きくて無理と言われます……どうすれば良いのか……(´ω`)


2020年7月7日 20:50

花月荘 臨時待機室

 

 

───箒さんを、探しに行きましょう。

 

 

セシリア……

 

 

ここで泣いていても仕方がありません。それに今、私たちには為さねばならないことがあります。

 

 

……そうね、よく言ったわ。

 

 

決まりだな。箒を迎えに行くぞ。

 

 

 

 

 

 

「ハァ……ハァ……」

 

夜の真っ暗な海岸沿いを、箒は息を切らして走っていた。暗くて砂に足が(もつ)れるが、無我夢中で走り続ける。

 

そして、ふと足を止めた。

 

(私は……何をしているのだろう……)

 

自分のせいで、一夏を危ない目に合わせてしまった。

一夏はいつ目覚めるかは分からない。

いや、もう一夏は目覚めないかもしれない。

それなのに、自分は……。

 

『新しい力を手に入れて、弱い人間が見えなくなったのか?』

 

一夏が放った言葉が、箒の頭の中で想起する。

 

『変わっちまったな、箒』

 

「わ、私は……」

 

そんなつもりじゃなかった。

だがあの時、私は確かに自分の力に溺れ、周囲が見えなくなっていた。

一夏を守りたい────ただそれだけのはずだった。

 

ISを開発した姉のせいで、篠ノ之家は政府に保護されることとなり、そのため学校を転々とすることを強いられた。

新しい環境ばかりに順応しなければならない生活に、私は心身ともに疲弊していた。

中学の時、剣道の全国大会での決勝戦………私は自分のストレスを竹刀にのせた。

酷いものだった。私はただ力任せに相手を痛めつけていたのだ。強い力を持ったが故に。

試合は私の勝ちとなり、優勝という結果になった。だが私は、その後試合相手が涙を流しているのを見たとき、自分の浅はかさを思い知った。

 

それなのに、私はまた同じ過ちを繰り返してしまった。最早私には、ISという力を持つ権利など何処にも無い。

 

箒の目の内に、熱いものが込み上げてくる。

すると、後ろから砂の足音がした。

 

「はぁ……分かりやすいわねぇ。アンタって」

 

鈴の声だった。彼女は呆れた顔で箒を見る。

 

「で?落ち込んでますってポーズ?」

 

「………」

 

「───ざっけんじゃないわよ!!やるべきことがあるでしょうが!!今戦わなくてどうすんのよ!!」

 

鈴は箒の胸ぐらを掴み、怒号を浴びせる。

しかし箒は鈴に目を向けられず、足元の砂に目を落とした。

 

「もうISは………使わない」

 

「っ……!」

 

パァン!

 

鈴が箒の頰を思いっきり叩いた。箒は力無く砂浜に倒れる。顔にかかった砂は湿っていて、それが海水なのか自分の涙なのかは箒自身もよく分からなかった。

 

「甘ったれてんじゃないわよ!!専用機持ちってのはね、そんなわがままが許される立場じゃないのよ!!」

 

「っ……」

 

「それともアンタは、戦うべき時に戦えない臆病者なわけ⁉︎」

 

箒は肩を震わせ、拳を握る。

 

「どうしろというのだ……もう敵の居場所も分からない……」

 

「………」

 

「私だって……戦えるなら戦う!」

 

箒の意志に、鈴は真剣な笑みを見せた。

 

「……やっとやる気になったわね」

 

「え……?」

 

暗くて気付かなかったが、いつの間にか近くには、セシリアやシャルロット、そしてラウラがいた。

 

「あーあ、めんどくさかった」

 

「み、皆……どうして……」

 

「みんな気持ちは一つってこと!」

 

「負けたまま終わっていいはずがないでしょう?」

 

シャルロットとセシリアが箒に応える。

仲間に励まされた箒は、再び意志を固めた。

 

もう、逃げない。

 

敵からも。そして何より、自分からも。

 

 

 

 

 

 

「ラウラ、福音は?」

 

「確認済みだ」

 

ラウラはシュヴァルツェア・レーゲンを右腕だけ部分展開し、皆の前でディスプレイを投影する。

 

「ここから約30km離れた沖合上空に福音を確認した。ステルスモードに入っていたが、どうも光学迷彩は持っていないようだ。衛星による目視で発見した」

 

「さすがドイツ軍特殊部隊♪やるわね」

 

「お前たちの方はどうなんだ?準備は出来ているのか?」

 

「当然!甲龍(シェンロン)の攻撃特化型パッケージはインストール済み♪」

 

「こちらも完了していますわ」

 

「僕も準備OKだよ。いつでもいける」

 

「ま、待ってくれ!行くというのか……?命令違反ではないのか……?」

 

箒の問いかけに、鈴がなんでもないような笑みを見せた。

 

「だから?アンタ今、戦うって言ったでしょ?」

 

「お前はどうする?」

 

ラウラが箒に問いかける。

箒は拳を強く握りしめた。

 

「私……私は……」

 

そして力強い目で、皆を見る。

 

「戦う!今度こそ勝ってみせる!」

 

「決まりね。今度こそ確実に落とすわ!」

 

一致団結した専用機持ちたちは、各自ISを展開し、海の上を飛び始める。

銀の福音を目指して────。

 

 

 

 

 

 

海を飛び始めた時、シャルロットが皆に尋ねた。

 

「マリアはどうするの?」

 

ラウラがその問いに応える。

 

「福音は私たちだけで倒そう。マリアには、旅館とその近辺を守る砦になってもらう」

 

「シャルロットさん、マリアさんが気になりますか?」

 

マリアとシャルロットの関係を知っているセシリアは、心配そうな顔でシャルロットに聞いた。

シャルロットは一度だけ旅館の方を見て、しかし首を振った。

 

「ううん、今は福音の殲滅が最優先だよ。行こう!」

 

「分かりましたわ!」

 

専用機持ちたちは飛行速度を更に加速し、彼方にいるであろう福音の方向へと向かう。

 

 

すると突然、水平線上の遠く彼方から強い衝撃波が来た。

 

「くっ…!」

 

「敵か⁉︎」

 

ISを身に纏ってさえも直に伝わってくる衝撃風に、専用機持ちたちは腕で顔を隠す。

そして風が収まり、一同が顔を上げると、目の前は信じられない景色に変わっていた。

 

「な、なんだ⁉︎」

 

「さっきまで曇っていた空が、一気に晴れましたわ……」

 

「それに……何なのよ……この赤い空と月は……」

 

「……不気味だな………本当に夜なのか………?」

 

ラウラは今の衝撃波の原因を探るために、再び投影型ディスプレイを出現させた。そして衛星写真などを見ていると、ラウラは驚きの表情を浮かべた。

 

「こ、これは……!」

 

「ラウラさん?どうされましたか?」

 

「皆これを見ろ!福音が……暴走を始めた!」

 

「な、何だと⁉︎」

 

一同はラウラから送られたデータを確認する。

 

「な、何ですのこれは……」

 

「この暴走の様子……さっきの比じゃないよ!」

 

「それに機体の姿も……」

 

「まるで……あの時みたい……。アタシと一夏がアリーナで襲撃された時の様子と似てるわ……!」

 

「とにかく急ぐぞ!」

 

ラウラの呼び掛けに、専用機持ちたちは真っ直ぐに福音のもとへと加速を始めた。

 

 

 

 

 

海を飛んでいる最中、シャルロットは遠く彼方にある、血に染まったように赤い月を見て、あの日のことを思い出していた。

一ヶ月前……シャルロットがマリアと一緒に出掛けて、寮に帰って来たときのこと。シャルロットが電源を入れたラジオからは、こんなニュースが聞こえていた。

 

『………来月、日本で珍しい〝皆既月食〟が起こるようですが───』

 

『………月食という現象は、地球が太陽と月の間に入ることで───』

 

『………地球の大気に入った光……それが屈折して、赤い色だけ月面に───』

 

そう、今日はあの日から一ヶ月。

 

皆既月食が起きる日だった。

 

「赤い、月……」

 



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第42話 Omen

イメージ曲
The Night Unfurls - Bloodborne OST

Bloodborneのメインテーマ曲です。


ゆっくりと、目が覚めた。

目の前には、遠く高い青空。気ままに流れる雲は、いつまでも見ていられるくらいに清々しい。

目は覚めているのに、夢を見ているような感覚。けれど、夢にしては鮮明だ。

ふと、身体に水の感触を覚えた。

俺は起き上がる。

すると辺りは永遠に続く湖で、湖は青空を映し、まるで鏡のようだった。

 

「俺……なんでこんな所に……?」

 

頭の中で出来事を整理してみる。

しかしあまり思考をすることが出来ない。何かを考えようとしても、すぐに霧のように消えてしまう。本当に、夢の中にいるみたいだ。

 

「そうだ……俺は箒と福音を倒しに行って……それで……」

 

それで……?

 

ああ、なんとなく分かった。

 

俺は死んだのかな。

だって福音を倒してたら、今頃皆と一緒にいるはずだもんな。こんな所にいるってことは、恐らく俺はもう死んだのかもしれない。

 

箒はどうなったんだろう。

俺は箒を守ることが出来なかったのか。情けないな……こんなんで専用機持ちだなんて、笑われるよ。

でも、もう笑う人もいないのか。天国ってのは全く、本や宗教で聞いてたよりも寂しい場所らしい。

 

鈴もせっかく中学振りに会えたのに、またお別れか……幼馴染と別れるのは、何度経験しても胸にぽっかり穴が空く感覚になる。

シャルロットも優しくて一緒に喋ってて楽しかったし、ラウラも妹みたいな感覚で新鮮だった。皆には、少しラウラに甘いんじゃないかって怒られたりしたけど。

 

マリア……同じ年のはずなのに、マリアはすごく大人なんだよな。頼れる親友っていうか、心強い姉みたいな感じというか……いや、姉は千冬姉なんだけど。

千冬姉も、最初はIS学園の教師だったことを知らなくてビックリしてたっけ。最近は学園での顔しか見てなかったから、あまり姉弟としての会話は交わしてなかったな。

千冬姉は俺がISに乗ることをどう思ってたんだろう。反対してたのかな、それとも応援してくれてたのかな。最後くらい、育ててくれてありがとうの一言くらい、言えば良かった。もう死んじまったから、それも叶わないのか。

 

そして、セシリア……。

最初の印象は正直良くなかったけど、お互いに和解して、話し合っていく内にすごく仲良くなって、良い子なんだなって思うようになった。

あの日……一緒に外へ出掛けた時、帰り道にセシリアから家の話を聞いて、本当に、頑張ってきたんだなって思った。

まだ中学生の内に親を亡くして、でも家を守るために必死に勉強して……。

俺はセシリアの、そういう真っ直ぐに頑張っている姿に心を奪われたんだと思う。もちろん、女性としてもすごく魅力的だし、なんたって可愛いからな。可愛いだけじゃなくて、時々見せる大人な女性の顔もすごく綺麗だし。

だからセシリアが自分のことを打ち明けてくれたのはすごく嬉しかった。

 

 

 

 

 

でも、もうセシリアに会うことは出来ない。

 

セシリアだけじゃない、俺の周りにいてくれた皆とも……。

 

なんで……どうして……

 

俺はこんなにも、力が無いんだ………

 

 

俺は湖に手をついて、涙を流す。

 

滴り落ちた涙は、映された青空に波紋を作った。

 

 

 

 

 

ピチャン

 

 

俺の前で、誰かの足音がした。

顔を上げると、真っ白なスカートと、そこからすらりと伸びる脚が目に入った。

視線を上げると、そこには純白のワンピースを着た小さな少女がいた。

つばの広いリボンハットを被っていて、顔は見えない。

 

「ねえ」

 

少女が、口を開いた。

 

「どうしてあの時、私に()れたの……?」

 

()()()────?」

 

この子は誰だ?なんでそんな悲しそうな顔をするんだ?

俺はこの子と会ったことがあるのか?

ただ、なんだろう……

俺はこの子を知ってるはずなんだ。

なんでそう思えるのかは分からないけど、この子はいつも俺と一緒にい、て………

 

パリンッ!

 

「うっ⁉︎」

 

痛い。

 

痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い。

 

頭が割れそうだ。

俺は頭を抱えて、湖の上で(うずくま)る。

 

「ねぇ、どうして?」

 

蹲って息を荒くしてる俺を冷たく見る少女。

少女の声は、やけに俺の耳の中で響いていた。

激しい痛みが、今度は眼球の裏から放射状に広がって、頭蓋骨の裏で反射し、(うなじ)のへんに焦点を合わせて、喉の奥を締め上げる。

 

「どうしてっっ!!!?」

 

少女の咆哮に、俺は身体ごと遠く後ろに吹き飛ばされた。

頭を抱え、湖に手をついて起き上がろうとする。

すると、さっきまで青空を映していた湖の水は、いつの間にか赤く変色していた。

ただの赤じゃない。これは……血だ。

顔を上げるとそこに清々しい青空はなく、血のように赤く染まった………例えるなら、まるで()()()()()()()のような………

 

ひっく、ひっく………

 

少女が目を擦って、涙を流していた。その涙は血の色をしていて、湖に赤味を増させている。

 

「おい」

 

聞き覚えのある声に、俺はハッとして横を見る。

何故かそこには、木にもたれかかったラウラがいた。

 

「貴様は護られてばかりだな」

 

氷のように冷たい目で、ラウラは俺に言う。痛みでまともに答えることのできない俺は、ラウラの言葉をただ聞くことしかできない。

 

「所詮、貴様の力などその程度のものだ」

 

いつか彼女に言われた言葉。

その言葉は、俺の中で負の感情を増幅させる。

 

「貴様にあの人の弟などという立場は務まらない。貴様にあの人を超えることなど、出来やしない」

 

黙れ……

 

何も知らないくせに……

 

いつだって俺は出来のいい千冬姉と比べられて、うんざりしてたんだ。

 

黙れ。

 

黙れよ。

 

黙れ黙れ黙れ。

 

黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ。

 

「────貴様は哀れなほどに、弱い」

 

「黙れって言ってんだよ!!」

 

俺はラウラの口を押さえようと、ラウラに飛びかかる。

しかしいつの間にかラウラの身体は消えていて、俺は湖に顔から倒れてしまった。

 

「くっそ……」

 

顔に飛んだ湖の血を拭い、俺は顔を上げた。するとそこにはラウラでも少女でもなく、一人の大人の女性が立っていた。

黒のタイトスカートに、肩や袖や裾に赤いラインが施された黒の正装。頭に被る黒帽子は、素材のしっかりとした、少し固そうな造形をしている。そして左目には眼帯が付けられていた。

 

既視感───。

 

俺はこの格好を、前にも見た気がする。

 

何処で……?

 

そうだ。鈴との試合の日、襲撃されて意識を失ったときの夢で見たんだ。

確かその夢の中にいた女性は、謎の男たちに実験用の手術台のようなものの上で手足を拘束されて……それで……俺の方に血が飛んできて………。

 

今目の前にいる女性は、その人とは別人のようだ。でも服装は全く同じ、黒。

いつのまにか目の前の女性は、全身に傷と血が溢れかえり、彼女の身体から滴る血が、湖に不穏な赤を塗りたくる。

彼女の足は蹌踉めき、立っているのもやっとな状態。

 

震えている目の前の女性の肩に、手を伸ばす。肩に触れそうになったその時、突然彼女が顔を上げて俺を押し倒す。

 

「は、離せ!」

 

肌は変色し、傷口の状態は酷い。

左目の瞳孔は崩れ、蕩けている。

彼女は人間には出せないような悲鳴を上げ、その血塗れの爪で俺の腕を食い込ませ、歯を剥き出しにする。

歯は鋭い獣の牙となり、俺の首元を狙う。

 

「クソ!離せよ!」

 

俺は精一杯抵抗する。少しでも気を抜くと、獣の血塗れの牙が俺に届いてしまう。

 

ふと横に視線が移ったとき、そこにはまたラウラがいた。腕を組んで、ただただこちらを見ていた。

さっきまで学園の白の制服を着ていたはずなのに、何故か今は黒の服装に変わっていた。

しかもその服は、目の前の獣と同じ黒の正装だった。ラウラはスカートではなく黒のズボン。そして頭に被っているのは黒の帽子。

 

「ラウラ!」

 

ラウラに助けを求めようとするが、ラウラは声をかけるでもなく、俺たちを背に去ってしまった。

 

くそ……

 

俺に力が無いから、お前は俺を見捨てるのかよ……

 

力があれば、こんな獣なんて……!

 

しかし俺の非力な抵抗も虚しく、獣の牙が首元に触れた、その時────。

 

はるか遠くの後ろで、衝撃波のような風が飛んできた。

獣はその風に煽られ姿を消し、俺は荒くなった息のまま身体を起こした。

 

 

そして後ろを振り返ると、さっきの純白のワンピースを着た少女がいた。しかしそのワンピースは血に染まっていて、少女は依然として血の涙を流していた。

 

少女が泣いていると、少女の肩に優しく手を置く女性が現れた。

あの女性……顔は殆ど布で隠されていて、目元しか見えない。肩まで伸びたその髪と彼女の瞳は、この湖と同じくらい赤い。俺はあの女性と何処かで会ったような……。

俺は月に行ったことは無い。

でも、()()()()とは多分、こういうものを言うんだと思う。

月の香りのする女性は、優しく少女の背中を抱く。しかし、少女はそれに肩を震わせて怯えているようだった。

 

「どうして……」

 

ひっく、ひっく………

 

少女は涙を流して、どうして、と繰り返す。

月の香りのする女性は、少女の目から零れ落ちる涙を指先で拭う。少女の顔は血に染まり、最早穢れなき純白の少女は幻となった。

 

月の香りのする女性が、ふとこちらを見た。

 

顔は見えないが、妖しい笑みをしていることは分かった。

 

俺は月の香りのする女性から目が離せなくなり、ずっと彼女の顔を見ている内に、そこは湖ではなく暗い部屋に変わっていた。

目の前には死にかけた一本の蛍光灯。

気付けば俺は、手術台のようなものに仰向けで寝ていて、俺の顔を彼女が覗き込んでいた。

 

『君は正しく、そして幸運だ』

 

月の香りのする女性の声が、俺の頭の中で響く。

 

『血に隠された秘密こそが、君を導くだろう』

 

彼女は俺に顔を近づける。

 

『だから君、先ずは私の………譁ュ怜血縺代ヱ繧ソ繝シ夢ウ……───』

 

女性の声が潰れ、なんと言ったのかが聞き取れない。

そして身体にチクリとした痛みが走り、女性は呟く。

 

『何があっても、また君に会いに行くよ』

 

女性が静かに笑っている。

 

女性の笑い声をぼんやりと聞いてるうちに、そこはまた血の湖に変わっていた。

怯え、血に濡れた少女の側にいた月の香りの女性は、こっちを見ていた。

 

「ようやく会えたな」

 

ひっく、ひっく……

 

「力が欲しいのだろう?」

 

俺は本能で頷く。もう俺の中には理性など無かった。

 

「ならば、もう目を覚ます時間だ────」

 

少女が、大声を上げて喚き泣く。

少女の喚きと共に、湖の血はどんどんと量を増し、足元が血に溺れていく。

 

そして足元から顔を上げると、空には血のように赤い月が上っていた。俺はその月を見た途端に吐き気が込み上げた。

 

「うおえええ!!」

 

胃の底から這い上がってきたのは胃液でもどろどろの吐瀉物でもなく、血だった。

全身の筋肉と血管がけたたましく(うごめ)く。まるで溶岩にでもなったかのように熱い。

 

怖い。

 

俺はどうなってしまうのだろうか。

 

怖い。

 

いや、そんなことはどうだっていい。

 

俺に力をくれ。

 

何ものにも得られない、俺唯一が得られる絶対的な力。

 

力を。

 

力を!

 

 

 

 

俺は赤い月を見上げ、叫びを上げる。

 

 

 

 

人間には到底出せないような、血の叫びを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2020年7月7日 21:50

花月荘 第2臨時特別室

 

 

襖が閉まる音がした。

 

 

月の香りがした。

 

 

行かないと。



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第43話 天使

イメージ曲
Darkbeast - Bloodborne OST

ブラボの中でもトップクラスに震える曲です。
よければ是非。


「いたぞ!福音だ!」

 

約10km前方に福音を確認したラウラが皆に知らせた。空が赤くなり、赤い月が現れてから、福音の姿は異形と化していた。全身の装甲は獣のような毛が生え、損傷は激しく、傷口からは灰色の混じった血が溢れている。背中についたスラスターの羽はズタズタに切り裂かれており、その姿は天国から追放された者を具現化していた。

福音の咆哮は海を駆け抜け、こちらにもビリビリと伝わってくる。

 

「『神の救済』か………フンッ、見る影もないわね」

 

異形の天使と化した福音を見て、鈴は皮肉めいた言葉を呟く。

 

「先程伝えた作戦通りだ。私が初弾を放った後、箒と鈴が近距離で攻撃。セシリアとシャルロットと私はそれを遠距離からサポート。鈴とシャルロットは状況を見て交互に役割を変わってもらう」

 

「「「「了解!」」」」

 

一同は前方に進みながら、徐々に別の方向へと分かれていき、上昇や下降をしていった。

 

そして福音までおよそ5kmというところまで来た。

海上にいたラウラが、レールガンのエネルギーを貯め、福音へと放つ。エネルギー弾は暴走している福音へと命中し、獣の咆哮を上げ、こちらを見た。

 

「初弾命中!」

 

そして箒が雨月で突進し、刺突攻撃を放つ。

 

「ハアアア!」

 

福音は後ろに飛んでそれを躱し、腕を前に出して箒に突風をくらわせた。

その福音の背中を、鈴が双天牙月で斬りつける。福音は避けようとしたが僅かに斧先が背中に当たっていたようで、傷口から血が飛び出た。

 

「おい!本当に無人機なのか⁉︎」

 

箒が福音に攻撃をしながら言った。

自身の紅椿は福音を計測し、生体反応が無いと示している。しかし、拭っても拭いきれない違和感が、あの獣の血のように溢れ出してくる。

 

「全員のISが生体反応無しって答えてるんだから、無人機よ!それに────」

 

鈴が福音と距離を置き、龍咆を構えた。

 

「人間だったとしても、もう助からない────!」

 

ありえない方向に身体を曲げ、人間では到底出せない咆哮を上げる天使。箒も鈴の答えを聞いて、腹を(くく)った。

 

今度はシャルロットがイグニッション・ブーストで急接近しながらアサルトカノンの銃撃を浴びせる。しかし福音もそれに対抗し、エネルギー弾を連射した。箒とシャルロットの攻防を恐ろしい速さで回避する福音に、一同は冷や汗を流す。

 

福音が身体に稲妻を爆発させ、箒にその稲妻をくらわせる。

 

「くっ…!」

 

箒は刀でその稲妻を防ごうとしたが、その衝撃の強さに身体が吹き飛ばされてしまった。

 

「箒!」

 

シャルロットが後ろから福音の背中をシールド・ピアースで刺突をするが、福音はぐるりと身体を捻り、シャルロットに打撃を与え、更に稲妻で攻撃する。

 

(なんて強い力……!)

 

シールドエネルギーを大幅に削られたシャルロットは顔色を青くした。

福音がシャルロットへ更に攻撃を仕掛けようとしたその時、福音の頭部をレーザー弾が命中した。

 

「シャルロットさん!一度退避を!」

 

「了解!」

 

命中したのはセシリアのライフルで、セシリアは4機のビットも飛躍させて福音に中距離攻撃を仕掛ける。

しかし福音はビットの動きを瞬時に把握し、非常に精度の高い銃撃を繰り出した。ビットの動きは複雑且つ高速であったのに、それらを瞬く間に破壊されたセシリアは面食らった顔をする。

福音がセシリアに急接近する。セシリアは距離を取りながらライフルを連発した。すると福音の後ろから斬撃が飛んできた。

 

「鈴!今だ!」

 

空裂の斬撃が福音に当たり、福音は稲妻を纏いながら蹌踉めく。

 

「撃つわよ!」

 

鈴がエネルギーを最大限に溜めていた龍咆を発射した。エネルギー弾は福音に真っ直ぐと当たる。

 

「ラウラ!とどめよ!」

 

「任せろ!」

 

そして直ぐに、海上のラウラがレールガンを放った。エネルギー弾は福音を貫き、夥しい出血を出す。

福音の咆哮が、真っ赤な空に行き渡った。

 

 

 

 

 

 

「織斑先生!これは……!」

 

「あいつら……」

 

福音の様子をディスプレイで観察していた真耶は驚きの声を上げ、千冬は険しい顔をした。

 

「命令違反です!今すぐ退避をさせましょう!」

 

「………」

 

「織斑先生!」

 

真耶は急いで通信を開き、専用機持ちたちに伝える。

 

「皆さん、危険です!今すぐ退避して下さい!」

 

しかし、返事は返ってこない。

 

「聞こえますか⁉︎危険です!今すぐ────」

 

「無駄だ。恐らく、連中の方で通信を切っている」

 

「そんな……!」

 

通信用のマイクを掴む手に、力がこもる。

 

すると突然、後ろの入口の襖が大きな音を立てて開いた。襖を開けたのは癒子、静寐、本音だった。皆焦った顔をしている様子だ。

 

「織斑先生!」

 

「入るな!!作戦中だぞ!」

 

「分かってます!けど……」

 

「お、おりむーとマリリンが……」

 

三人の言葉を聞いて、千冬は目を見開いた。

それは千冬の中で、起きてほしくない最大の出来事が起きてしまったことを意味していた。

 

 

 

 

 

 

「やったか⁉︎」

 

福音は痛みに激しく叫び、すでに死ぬ寸前のように見えた。しかしラウラは険しい顔をして、その答えを否定する。

 

「いや……まだだ」

 

福音が動きを止める。先程の攻防劇が夢であったかのように、海は不気味な静寂に包まれていた。

 

赤い空が、ゴロゴロと蠢き始める。シャルロットが不気味な空を見上げ、呟いた。

 

「くるよ……」

 

赤い空に浮かぶ雲が、恐ろしい音を立てて稲妻を増幅させていく。散り散りになっていた雲が、稲妻を帯びながら福音の上空へと集まっていき、一つの巨大な黒い雲を作る。

福音もその雲に共鳴するように身体に稲妻を爆発させていく。

 

「……まるで………悪魔、ですわね………」

 

上空の黒雲から、巨大な稲妻が福音に落ちた。福音の咆哮は海を渡り、専用機持ちたちの身体にビリビリと衝撃を伝える。

 

そして福音は稲妻の如く瞬時に移動し、専用機持ちたちを次々と攻撃していった。

 

「うあああ!」

 

「なんという力だ……!」

 

「皆!下がっ───ああああ!」

 

「シャルロット!───ぐわああ!」

 

最早専用機持ちたちのISはボロボロに損傷し、シールドエネルギーもゼロに等しい。

福音は更に猛攻をかけ、膨大なエネルギーを放出させた。福音のエネルギーは海を荒れさせ、空と海の間に風の渦巻きを作る。

 

稲妻が吹き荒れる、巨大な竜巻だった。

 

周囲を見ると、この巨大な竜巻を中心に、半径5km先まで海の各所で竜巻が発生していた。

海は巨大な波で大荒れとなり、血に染まった空は稲妻が飛び交っている。そしてそれを眺める、赤い月。

 

近くの無人島に吹き飛ばされていた鈴は、体力を振り絞り、地面に手をついて顔を上げる。

 

「なによ……これ………」

 

鈴の顔を、絶望が支配した。

目の前に広がる光景は、まるで世界の終末を表していた。

『黙示録』────世界に終末が訪れるとき、神に選ばれなかった全ての人々が死に堕ちる。

あの獣は神による救済でもなく、ラッパを与えられた小羊でもない。世界を滅亡へと導く、獣と化した悪魔だ。

 

 

 

 

 

 

鈴とは別の小さな無人島で気を失っていた箒が、ゆっくりと目を開いた。

身体はボロボロで、機体も思うように動かない。

空を見上げると、血に染まった空は先程よりも赤味を増し、獣は巨大な竜巻を背に血の叫びを上げていた。

 

「くっ……」

 

もう、声も出せない。

身体は悲鳴を上げていた。

無念を晴らすために、そして一夏のために奴を倒そうと皆で意気込んだのに……奴はそれを遥かに上回るほどの力を持っていた。

私たちは最早、ここまでなのか───。

 

(い、ち……か……)

 

箒の視界は暗くなり、意識が朦朧とする。

そして、意識を失いかける、その時───。

 

 

箒の身体を抱え、獣に見つからないように、岩場の陰へと誰かが運んでくれた。背中に、砂の感触が伝わった。抱えてくれた手が何処かへ行く。

箒は苦しくなりながらも目を開ける。

 

驚く事に、近くにいたのは白式を纏った一夏だった。

 

「い……ち……か……?」

 

箒の視界はぼやけ、一夏の目元が見えにくい。一夏はこちらを見るでもなく、ただ獣の方を見据えていた。その顔は、人間味がないほどに無表情だった。

一夏は無言で箒から離れ、そして飛び立った。

 

「だめだ……いち、か……」

 

箒が気を失う。

一夏は振り向くことなく、獣の方へと向かっていった。

 

 

 

 

 

 

稲妻の帯電する巨大な竜巻を背に、獣は専用機持ちたちを探していた。

その時、獣の横から超高速突進をする機体が現れた。白式だった。

右手に雪片弐型を握り、獣を斬りつけ、獣にしがみつき獣肉を斬り裂いていく。突進を避けられず、首元を斬りつけられた獣は大量の血を流した。

 

「あれは……!」

 

「い、一夏さん……!」

 

ラウラとセシリアが驚きの声を上げる。セシリアの声音は安堵と涙が混じった様子だった。

 

「一夏!そいつは危険よ!一人じゃ到底歯向かえないわ!」

 

鈴が焦った声で一夏に警告する。しかし一夏は鈴の声に何一つ反応を示さなかった。

獣が一夏を振り解こうと大量のエネルギー弾を連射する。しかし先程まで獣にしがみついていたはずの一夏は、そこから姿を消していた。

獣が周りを見るが、人影一つ見当たらない。

しかしその直後、今度は獣の下から上へと一夏が一閃する。

縦に一閃された獣は、皮や口を裂かれ、悲鳴を上げる。

 

(一夏の様子がおかしい……それに、マリアは……?)

 

いつもの様子と明らかに変わり果てた一夏を見て、シャルロットに不安の感情が芽生える。それは他の皆も同じだったらしく、本来一夏が目を覚まして喜べるはずだったが、一夏のどこか冷酷な様子に戸惑いを隠せなかった。

 

一夏を見張っていたのはマリアのはずだ。マリアが一夏の消失に気付くはずはないし、彼女自身それを許さないだろう。

 

(マリア……何があったのかな………)

 

マリアに無線を開こうと思い立ったシャルロットだが、無線のボタンを押そうとしたところで、その指を引っ込める。

今は無断で福音と闘っており、真耶たちからの無線を意図的に切断している。マリアに無線を繋げば、すぐさま真耶からの無線が繋がれてしまうだろう。

それに、今は無線に手間をかけている場合ではない。目の前の敵を倒さなければならないのだ。

しかし、どうやって────?

 

一夏が再びブレードで獣を刺す。しかし獣は一夏の身体を掴み、巨大な竜巻の中へと高速で投げ飛ばした。

 

「一夏さん!」

 

セシリアが急いで一夏を受け止めようと追いかけるが間に合わず、一夏は竜巻の中へと姿を消してしまった。

あの強大な竜巻の中へ入ることは、死を意味する。

本能でそう感じたセシリアは膝から崩れ落ち、呆然とした。

 

「そ、そんな………」

 

獣の叫びが響き渡り、獣はセシリアの方を向いた。

 

「セシリア!逃げて!」

 

遠方にいたシャルロットが急いでセシリアのもとへと向かうが、あまりに距離が長いため、間に合う可能性はかなり低い。

呆然としているセシリアに、ゆっくりと近づく獣。血に塗れた牙を剥き出しにして、セシリアを狙う。

 

獣がセシリアの身体に牙を向けた、その時。

 

バリバリバリ!!

 

後ろにあった巨大な竜巻が、(おびただ)しいほどの量の稲妻を暴発させる。

獣がそれに振り向き、身構えた。

するとその瞬間、竜巻が恐ろしい衝撃とともに散り散りとなり、無へと還る。

その巨大な竜巻だけではなく、海の各所にあった竜巻も消滅し、空の黒い雲も霧散し、空は晴れ渡った血と赤い月だけになった。

巨大な竜巻の中心だったはずの所には、一夏がいた。

 

一夏を見た専用機持ちたちは、背筋が凍り、その場から動けなくなった。

 

一夏の目が、あまりにも冷たい目をしていたからだ。

 

 

 

 

 

 

「お、織斑くん⁉︎」

 

真耶はディスプレイに映された目の前の光景に驚きを隠せなかった。そこに映っていたのは、昏睡状態であったはずの一夏だったのだ。

先程まで、突如海上に現れた竜巻によって、ディスプレイの画面は荒れており、何も見えていない状態だった。

しかし竜巻が晴れたかと思えば、そこには白式を纏っていた一夏がいたのだ。

 

「織斑先生!あれは……白式が……」

 

真耶がディスプレイに映った白式のデータを解析する。すると画面には、『雪羅(せつら)』と表示された。

 

「雪羅………白式の第二形態、か………」

 

データによれば、左手への多機能武装腕・雪羅の発現と大型化したウイングスラスターが4機備わっており、二段階加速が可能であるらしい。更に射撃用に大出力の荷電粒子砲、格闘用にブレードと零落白夜のエネルギー爪、防御用として零落白夜のバリアシールドを展開可能であるとのことだ。

 

しかし、千冬の関心は白式ではなく、一夏自身にあった。画面越しでも分かる、一夏の不穏な様子。自分の弟は、あれほど冷たい目をするような男ではなかったはずだ。

 

(一夏………お前………)

 

千冬の心臓が、不穏な鼓動を響かせていた。

 

 

 

 

 

 

ウイングスラスターを活用し、二段階加速をする一夏。その速さは凄まじく、瞬きを終える頃には一夏は獣の間合いに入っていた。そして左手の雪羅で獣の腕を斬りつけ、反対側の腕を掴み、獣を遠い海の彼方へと投げ飛ばす。

獣は姿勢を立て直し、稲妻を前へ飛ばした。

一夏はその稲妻を躱し、ただ無言で獣を切り裂いていく。

一夏はイグニッション・ブーストで獣の周囲を飛び回り、雪片弐型と雪羅の両方で獣の身体を切り刻んでいく。

 

痛みを訴える獣の叫びが、セシリアたちの耳に響く。敵とはいえ、満身創痍となった獣は見るに耐えないほど哀れだった。

 

暫くして、一夏の攻撃が突然静寂と共に終わりを告げた。

獣は周囲を見渡すが、一夏はどこにもいない。

 

しかし獣は、背後に人の気配を感じ、振り向く。

 

 

 

そこには、赤い月を背に立つ一夏がいた。

 

()()()()冷たい目でこちらを見る一夏に、獣は身体を震わせた。

 

そして一夏は雪片弐型と雪羅を交差させ、一つのブレードへと変形させる。

それは、零落白夜だった。

 

一夏は恐ろしい速さで獣のコアを貫き、その勢いのまま海へと突っ込んでいく。

 

獣は力を振り絞って抵抗するが、一夏の力がそれを更に上回り、どんどんと海が迫ってきていた。

 

そして獣は逃げられないまま、一夏とともに海へと追いやられてしまった。

 

 

 

 

 

 

「一夏!」

 

ラウラたちは、遥か遠方で大きな水飛沫が飛んだのを見て、急いでその場所へと向かう。

一夏は獣に零落白夜を刺したまま、海へと消えてしまった。このままでは、一夏も危険だ。

一同は僅かに残ったエネルギーを消費し、一夏のもとへと向かう。

 

「この辺りね……」

 

「一夏さん………」

 

「福音の機体反応が感知できない……ということは……」

 

「一夏……ヤツを、倒したのか………?」

 

一同は再び周囲を捜索し始める。

しかしその捜索は直ぐに終わった。

彼女たちが飛んでいた海の一点に、ぶくぶくと泡が立ったのだ。

彼女たちはそこに集まり、海の様子を伺う。

やがて泡は止まり、波の音だけになった。

 

そして、彼女たちの顔は、驚愕と恐怖の色に変わった。

 

彼女たちの見つめる海の底からは血が浮き上がり、辺りの海の全てが血に染まってしまったのだ。

 

灰色の混じった、真っ赤な血の色に────。

 

 

 

 

 

 

暗く深い海に沈んでいく中、血に染まった天使はやがて動きを止めた。

 

機体は剥がれ落ち、獣の欠片も海の底へと沈んでいく。

 

零落白夜の消滅と共に、頭の中の意識も、この深い海のように微睡み、瞼が重くなっていった。

 

目を閉じる寸前。

暗い視界の中で、機体の内側に、ある生き物を見出した。

 

 

 

 

血に染まった黒の生地。

 

 

そこに描かれた、()()()を────。

 

 

 

 

 

 

 

 

 





銀の福音(シルバリオ・ゴスペル)

アメリカ・イスラエル共同開発の第三世代型軍用IS。
数ヶ月前に原因不明の失踪を起こしたが、暴走状態で海上を飛行する姿が衛星によって突如確認された。
しかし依然として、機体に何が起こったのかは謎のままである。


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第44話 名もなき夜に

2020年7月8日 06:15

花月荘 正面入口前

 

 

まるで昨夜の禍々しい夜空は幻であったかのように、清々しい太陽が旅館を照らしていた。先程まで出ていた霧の名残が、植物たちの葉に雫を落とし、キラキラと輝かせている。

専用機持ち達は一列に並び、千冬と真耶の前に立っていた。そこには一夏とマリアも居た。

 

「作戦完了………と言いたいところだが、お前たちは重大な違反を犯した」

 

千冬が硬い声で告げる。

 

「帰ったら直ぐに反省文の提出。懲罰用のトレーニングも用意してあるから、そのつもりでいろ」

 

すると、千冬の横に立っていた真耶が、恐る恐る横から入る。

 

「お、織斑先生……もうそろそろ、このへんで……。みんな疲れているはずですし……」

 

「………」

 

千冬は小さな溜息を吐き、そして肩の力を抜いた。彼女の表情が、少しだけ柔らかくなったように見えた。

 

「しかしまぁ……よくやった」

 

まさか千冬からそう言われるとは思っていなかった一同は、少し驚く。

 

「全員……よく帰ってきたな。旅館も一泊延長させてもらっている。今日はゆっくり休め」

 

呆気にとられた一同をよそに、千冬は踵を返し、旅館の中へと入っていく。真耶もその背中についていった。

箒やセシリア、鈴、シャルロット、ラウラが顔を見合わせていると、一夏が何も言わずにフラフラと旅館の中へと入っていった。

 

「あ、一夏……さん……」

 

セシリアが手を伸ばすが、一夏はそれに振り向かず、旅館の中へ姿を消した。

 

「一夏……」

 

「心配だね……」

 

「あまり喋りたくないのかしら……?」

 

「命の危機に晒されながら、あそこまで闘ってくれたんだ。今日はそっとしておこう」

 

箒、シャルロット、鈴、ラウラが心配そうな表情で呟く。

何も言わずに帰った一夏を見て、セシリアは海での出来事を思い出していた。

 

 

 

 

 

 

気絶した一夏を海底からなんとか救出した後。

ボロボロの状態の専用機持ちたちは、僅かに残ったエネルギーの過剰消費を抑えるために、低速飛行で旅館を目指していた。そのため、最終的に旅館へ到着するにはかなりの時間を要したのだ。

セシリアが一夏を背中におんぶし、その前を鈴やシャルロット、ラウラが飛行する。途中、無人島で気を失っていた箒ともなんとか合流することができ、箒も前を飛んでいた。

 

十分程海上を飛んでいると、セシリアの肩にもたれていた一夏の頭が僅かに動いた。

 

「う……ん……」

 

「一夏さん⁉︎目を覚ましましたの⁉︎」

 

「セシ……リア……」

 

「ああ、良かったですわ……!」

 

セシリアが涙ぐんでいる一方で、一夏は未だボンヤリとした目をしていた。

 

「おれ……は……?みん……な、は……?」

 

「ご安心を。福音は撃墜し、今は皆さんと一緒に旅館へと帰還しているところですわ。ほら、皆さん前を飛んでいます」

 

一夏が前を向く。

箒たちが飛んでいるのが見えた。

まだ一夏が目覚めたことに気付いていないのだろう、皆こちらを見ず、前を向いていた。

 

一夏の身体には力が入らず、頭も回らない。

機体越しでも伝わるセシリアの温かい背中が、やけに心地よかった。

一夏はなんとなく、自分の手のひらを見た。

 

一夏の両手は、所々血が付着していた。

海水によって身体に付いた血はほとんど流されたようだが、それでもまだ残っていた。

一夏は手に付着した血を見て、福音を思い出す。

 

(そうか……俺は……)

 

福音を刺した時の僅かな記憶がフラッシュバックする。

 

(俺が……福音を………)

 

福音が死んだ今、無人機だったかどうかは最早確かめようがない。

しかし、無人機であろうとなかろうと、自分は福音を殺した。それだけは揺るがない事実だ。

福音はかなりの強敵だったはずだ。

しかし、自分はその強敵を倒した。

本意ではなかった。

自分にあれほどの力があるなど、知る由もなかった。

何故だ?

俺はこんな力を求めていたのか?

俺はどうしてこんな力を手に入れた?

記憶が曖昧で、今は思い出すのも煩わしい。

ただ、自分がこれほどのことをしでかしたということに、恐れを抱くしかなかった。

 

恐くて身体が震えてしまう。

 

一夏は無意識に、セシリアの背中に強く抱きついた。

 

「きゃっ!い、一夏さん?どうなさっ……」

 

いきなりの一夏の抱擁に、セシリアは顔を赤らめる。しかし一夏の表情を見て、セシリアの顔は心配気なものへと変わった。

 

「こわい………こわい………」

 

一夏が顔を俯かせ、震えた小声で呟いていた。

少しでも安心させようと思ったセシリアは、震えた一夏の手を優しく握りしめ、空を飛ぶしかなかった。

 

 

 

 

 

 

「私たちも休むとしよう」

 

ラウラの呼びかけに、セシリアはハッと顔を上げた。

 

「そうね……」

 

「そうだな……」

 

鈴と箒もラウラに続き、旅館へと入っていった。その場に残っているのは、セシリアとシャルロット、そしてマリア。

しかしマリアも疲れたような溜息を吐き、

 

「すまない。私も先に休む」

 

と残し、その場を後にした。

セシリアとシャルロットが心配そうな表情でマリアの背中を見送る。

やがてマリアの姿が消えたのを確認し、シャルロットがセシリアの方を向いた。

 

「ねぇ、セシリア」

 

「はい?」

 

「マリアに、一体何があったの?」

 

「………」

 

少し押し黙った後、セシリアがシャルロットに尋ね返した。

 

「シャルロットさんは………マリアさんの過去の話を聞いたことがありますか?」

 

「……少しね」

 

────『シャルロット……もしも、私が変なことを言っても、君は信じてくれるか……?』

 

あの見捨てられた小さな公園でマリアが自分に言ったことを、シャルロットは思い返す。

 

「……失礼を承知でお伺いいたしますが、シャルロットさんは疑ってはいないのですか?その……マリアさんの素性について……」

 

シャルロットは胸にある小さな鍵を握りしめた。

 

「マリアは、嘘なんてつかないからね」

 

「………」

 

「驚きはしたけど、納得はできるよ」

 

シャルロットの深い表情に、セシリアも問い詰めるようなことはしなかった。

そしてしばらくの沈黙の後、セシリアは語り始める。

 

「あの時、マリアさんは……────」

 

 

 

 

 

 

「…………さん……」

 

誰かに頭を支えられている、そんな感覚が最初に来た。

 

「……、アさん………」

 

知っている声。いつも聴く声。

 

「……リアさん……!」

 

どんどんと、はっきり聴こえてくる。

 

「マリアさん!」

 

ゆっくりと、マリアは目を開いた。

目の前には少し白みがかった夜空と、誰かの人影。その人影はすぐに、自分のよく知る人物であることが分かった。

 

「セシ……リア……?」

 

「マリアさん!ああ、よかった……!具合はいかがですか?」

 

「あ、ああ。大丈夫だ……」

 

ぼんやりとしたセシリアの輪郭が、徐々に鮮明になっていくのを感じた。マリアはセシリアに支えられながら頭だけを動かし、周囲を見渡す。

 

「私は……何を……」

 

「山田先生から私たちへ連絡が入ったのです。『マリアさんが行方不明だ』と……それで教師陣と私たち専用機持ちでマリアさんを捜索していたのですわ」

 

「私が……」

 

「一時間程探していましたが、ようやく見つかって良かったですわ……何はともあれ、一安心です」

 

セシリアがブルー・ティアーズを部分展開し、無線を開いた。

 

『こちらオルコット。捜索中のマリアさんを発見しました。繰り返します。マリアさんを発見。意識は良好、()()()()()()()()()()。会話も出来る状態です。現座標を送信します』

 

セシリアの無線から数々の応答が返ってきている。しかし無線から聴こえる声は何一つ頭に入ってこなかった。

マリアは自分が何故ここにいたのかをゆっくりと思い出してみる。ぼやけた脳を無理矢理働かせ、今までの出来事を振り返ってみた。

 

「そうだ……福音は⁉︎」

 

「ご安心を。一夏さんが撃墜してくださいましたわ」

 

「一夏が……?」

 

そうだ、私は昏睡状態に陥っていた一夏を見張っていたはずで、それで……私は何故ここに………

 

マリアはハッとした顔をした。

 

「そうだ!奴がここへ来たんだ!」

 

「ど、どうなさいましたの?」

 

驚くセシリアを余所に、マリアはガバッと起き上がる。そして自分の胸を見た。

 

「な……⁉︎」

 

心臓を貫かれたはずの胸は、傷一つ無く、制服にも傷が無い。自分の心臓は、確かに貫かれたはずだった。

 

「傷が……無い……?」

 

服の中を覗いても、肌に傷はない。

 

「マリアさん、何があったか話してもらえますか?」

 

セシリアが真剣な表情でマリアに問う。僅かに震えた呼吸を落ち着かせ、マリアは話し始めた。

 

「イギリスの、あの森の廃家で、奴が現れたのを覚えているか……?」

 

「……忘れもしませんわ」

 

「奴が……旅館へ現れたんだ」

 

「なんですって⁉︎」

 

セシリアの顔が、驚きと恐怖の色に染まる。

 

「私は奴を追ってここまで来た。そして私は再び……殺されたはずだった」

 

「はずだった……?」

 

「奴は私の心臓を貫いたんだ。はっきりと痛みを感じたのも覚えている。しかし今目覚めると、血はおろか、傷一つ無かったんだ……」

 

「何かマリアさんの身体に細工をして、死を免れさせたとか……」

 

「いいや、奴はそんなことはしない。もっと他に理由があるはずだ。何か理由が……」

 

もし自分が月の香りの狩人の存在を知らなければ、マリアの頭がおかしくなったと捉えていただろう。しかしセシリアも彼女の存在を知っている以上、現実に起こってしまったことだと判断せざるを得なかった。

 

「そもそも、何故あの狩人がここに?」

 

「……『赤い月が近づくとき、人の境は曖昧となり偉大なる上位者が現れる』」

 

マリアがポツリと呟く。

 

「それは……?」

 

「すまない、昔どこかで聞いた文章だ。奴は……赤い月が近づくときに現れる」

 

「福音を倒すまで、禍々しい空が広がっていました。あんなに赤い月も、見たことがありません」

 

「今日は月食だった。月が赤くなり、それが奴を引き寄せた。」

 

「でも一体、何のために……?」

 

マリアは頭を抑え、記憶を思い出す。

 

「奴が求めているのは……『知識』だ。この星にはまだまだ知り得ないことが沢山あると言っていた」

 

「知識……?」

 

「……セシリア、君の家に伝わる話の中で、Jack the Ripper(切り裂きジャック)の話があったな?」

 

「ええ」

 

「奴は知識を求めるあまり、罪のない女性たちを次々と殺した。強大なる存在を生むために」

 

「ま、まさかそんな……ジャックが彼女だと言うんですの⁉︎」

 

「奴自身が、それを肯定していた……」

 

「そんな……」

 

セシリアの脳裏で、月の香りの狩人から漂っていた血の匂いが甦る。あの血の匂いは、人を殺めた血の匂いだったということか。

 

「奴は気になることを言っていた。『人形も君と一緒のようだ』と……」

 

「人形………確か、あの森で彼女は人形の居場所を問い詰めてきていましたね………人形とは一体……?」

 

すると、すぐそばの木々が風に吹かれ、葉が擦れた音を出す。

そしてすぐ頭上に現れたのは、ISに乗ったシャルロットだった。

 

「マリア!」

 

 

 

 

 

 

「『月の香りの狩人』……?」

 

「はい。マリアさんと深く因縁のある人物のようです」

 

旅館の正門内にある小さな池に、項垂れた木の葉が水滴を落とす。

 

「そうなんだ……僕がマリアから聞いてたのは、マリアが過去に死んで、そこから悪夢に囚われて、そしてまた死んで、気付けば学園にいたってことくらいだから……」

 

「………」

 

「……それで、織斑先生には何て報告を?」

 

「………何故か、織斑先生はマリアさんに何も尋ねませんでした。しかし学園内での監視を強めるようです……勿論、私たちを含め、ですが」

 

セシリアは真耶と話した時のことを思い出す。千冬が何も喋らない代わりに、真耶が少しだけ本音の部分を話してくれたのだ。

 

『正直……私も織斑先生も、この一件でマリアさんのことをかなり疑ってしまっています。ただでさえ素性が分からないのに、このタイミングでこのようなことを起こすなんて……』

 

『……はい』

 

『ですが、福音と彼女の行方不明との繋がりも想像出来ません。マリアさんが旅館にいる生徒たちを危険に陥れようと行動していた場合も考えましたが、旅館や旅館付近、そしてマリアさんの倒れていた現場周辺には一切形跡は見当たりませんでした』

 

『………』

 

『私も織斑先生も、普段のマリアさんをしっかりと見ています。彼女は優しくて、皆さんに気を配れる大人な生徒です。だからこそ、疑いきれない………それが、私と織斑先生の本音です』

 

セシリアは横顔に受ける太陽に眩しさを感じながら、シャルロットに言った。

 

「私たちも、一度休みましょう。今の状態で考え続けても、何も進展しないと思いますわ」

 

「……そうだね………」

 

セシリアとシャルロットは、ゆっくりとした足取りで旅館へと入っていった。その足取りには、疲労の顔が滲み出ていた。

 

 

 

 

 

 

その日の夜。

IS学園一年生たちは夕食を堪能していた。

一夏は朝からずっと寝たきり、マリアも疲れが取れない上にあまり食欲が無いらしく、部屋で今も寝ている。

シャルロットとラウラ、そしてセシリアと鈴は一緒に夕食を食べていた。

するとそこに、相川清香や谷本癒子、そして本音と静寐が興味津々な顔で尋ねてきた。

 

「ねぇねぇ、結局あれはなんだったの?」

 

「私たちは無人機の襲来としか聞いてなくてさー、本当に誰も乗ってなかったの?」

 

「たたかってるとき、こわくなかった?」

 

「教えて!先生たち、何も話してくれないの」

 

するとシャルロットがお茶の椀を口から離した。

 

「だーめ。機密って言われてるんだから」

 

「大体、あたしたちだって詳しく聞いてないのに」

 

「それに、情報の詳細を知れば、お前たちにも行動の制限がかかるぞ。それでもいいのか?」

 

「そ、それは困るかなぁ〜……」

 

「見張りとかついたらイヤだもんね〜」

 

癒子たちは笑いながら自分たちの席へと帰っていった。呆れたような溜息を、セシリアがもらす。

 

 

 

pppp……

 

着信音がした。

するとラウラは直ぐに自分の浴衣に手を入れ、太ももに着けている脱着式の超小型ディスプレイを見た。

 

ガタッ!

 

ラウラが驚いた顔で突然立ち上がった。

 

「ど、どうしたの?」

 

横で座るシャルロットが心配そうに声をかける。

ラウラは平常心を装ったようで、しかし歯を食いしばりながら、

 

「すまない。少し一人にさせてくれ」

 

と一言だけ残し、その場を後にした。

理由は分からないが、彼女のこれ以上ないほどの悲しみを背負ったような背中が、シャルロットの目に焼き付いていた。

 

 

 

 

 

 

夜の月が海に映り、夜空には数え切れない程の星たちが散らばっている。

静寂が辺りを支配し、聴こえてくるのは細やかな波の音だけ。

一本の木が立った崖の端で、束は海を眺めていた。

 

「白式……まさか操縦者の生体再生まで可能だなんて、まるで────」

 

「まるで、『()()()』のようだな」

 

いつの間にそこにいたのだろう。そこには木にもたれかかった千冬がいた。

 

「コアナンバー001。お前が心血を注いだ一番目の機体にな」

 

「……やぁ、ちーちゃん」

 

束は疲れた笑みで、そう言った。

 

「妹がお前のことを随分と心配していたぞ」

 

「……箒ちゃんは優しいからね」

 

波に運ばれてきた潮風が、束の髪を靡かせた。

 

「VTシステムはお前の仕業か?」

 

千冬の質問に、束は首を振って否定する。その否定は、自信のないものに千冬は見えた。

 

「……例えばの話がしたい」

 

千冬は夜空を見上げながら、彼女の仮説を話し始めた。

 

「とある天才が、一人の男子を、高校受験の日にISのある場所へと誘導出来るとする。そこにあったISを、その時だけ動かせるようにしておく。すると、男が使えないはずのISが動いたように見える………」

 

束は感心したような疲れた含み笑いをした。

 

「それだと、その時しか動かないよね」

 

千冬は話を変えた。

 

「まぁいい。今度は別の話だ。とある天才が、大事な妹を晴れ舞台でデビューさせたいと考える」

 

「………」

 

「そこで用意するのが、専用機と、どこかのIS暴走事件だ」

 

「………」

 

「暴走事件に際して、妹の乗る新型の高性能機を作戦に加える。妹は華々しくデビューというわけだ」

 

「……すごい天才がいたものだね」

 

「ああ。すごい天才がいたものだ。嘗て、12カ国の軍事コンピューターをハッキングした天才がな」

 

「……それが本当なら、まだ救いはあったのかな」

 

「……なんだと?」

 

束は夜空に浮かぶ白い月を見上げる。

 

「ねぇ、ちーちゃん………今の世界は楽しい?」

 

「……そこそこにな」

 

「……そうなんだ」

 

沈黙が流れる。

そして束は、消え入るような声で呟いた。

 

「……少し、疲れちゃったな………」

 

束が一筋、涙を流した気がした。驚いた千冬が瞬きをすると、すでにそこには束の姿は無かった。

千冬は崖の端まで行くが、下を見渡しても束の姿はない。

千冬は振り返る。

すると、先程までもたれていた木の幹に、いつの間にか文字が刻まれていた。

千冬はすぐに、それが束のメッセージであると分かった。

千冬は木に近寄り、荒々しく刻まれた文字を見る。

 

『As flies to wanton boys are we to the gods. They kill us for their sport.』

 

その文字の荒々しさは、まるで悲痛に叫ぶかのように。文字を触ると、何処からか彼女の痛みが伝わってくるようだった。

千冬は頭の中で文を訳す。しかし、彼女が何を思ってこの文を書いたのかは、考えても分かることはなかった。

 

「……束………お前は一体…………」

 

夜空に浮かぶ月は、千冬の背中と木に刻まれた文字をただただ冷たく照らしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一年生たちが夕食を取っているその頃。

箒は一人、水着姿で夜空に照らされた海を眺めていた。

岩場に立ち、静かな夜の海を眺めながら、箒は昔のことを思い出していた。

 

あれは、姉がISを開発して間もない頃。

まだ彼女が自分たち家族と共に暮らしていた時のことだ。

 

白騎士事件が起きた次の日の夜。

姉さんは家の庭に立つ木に乗って、月を眺めていた。あの日は満月だった。

白騎士事件をきっかけに、世界中の国々がISに注目し始め、姉さんの行方を追っていた。

白騎士事件が起きた直後、姉さんは私たち家族に何も伝えず姿をくらました。政府の人間が家に来たが、姉さんの部屋はすでにもぬけの殻だった。

 

あの夜。

私が庭に出ると、何故かそこには姉さんがいたのだ。昨日まで一緒だったのに、随分と久しぶりな感覚だったのを覚えている。

私に気づいた姉さんは、月を眺めながら声をかけた。

 

「やぁ、箒ちゃん」

 

明るい声で、姉さんは私の名を呼んだ。

 

「……どうして何も言わずに出ていったのですか?」

 

「箒ちゃん、心配してくれてたの?」

 

「怒っているんです!」

 

「あはは、ごめんごめん」

 

姉さんは私の真剣な主張をひらりと躱す。そんな態度に、幼い私は腹が立っていた。

 

「大体、どうしてISなんて……あぶないじゃないですか」

 

姉さんは相変わらず月を眺めている。

 

「箒ちゃん。お姉ちゃんはね、()()に興味があるの」

 

「……だから何なんですか」

 

「だからね。お姉ちゃんはもっともーっと!宇宙についてお勉強したいんだ!ISは宇宙とみんなを繋げてくれる凄い機械なんだよ。箒ちゃんだって、宇宙に近づける日が来るかもしれない」

 

ワクワクとした姉さんの話を、当時の私は理解などしたくなかった。まだ小学生だった私にとって、今まで一緒に過ごしていた姉と離ればなれになるのはとても辛かったのだ。

 

「そんなの、私はいらないです」

 

私は強がってみせるが、感情を堪えきれなかった私の目からは涙が溢れていた。私は俯き、声をしゃくり上げながら、目を何度も拭う。

私は姉さんの温もりが欲しかった。

でも、姉さんは私の側に来ることなく、ずっと木の上に立ったままだった。

 

「泣かないで、箒ちゃん。顔を上げなよ。だって────」

 

私は顔を上げ、姉さんを見る。

そこには、木の上で立ち上がり、こちらを優しい笑みで見ている姉さんがいた。

 

「────()()()()()()()()()()?」

 

夜空に浮かぶ満月に照らされた姉の優しい笑みに、私の本能の何処かが恐れを抱いた。

 

あの名もなき夜に私が憶えているのは、そのくらいだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




As flies to wanton boys are we to the gods. They kill us for their sport.

神々の手にある人間は、腕白どもの手にある虫だ。
気まぐれ故に、殺されるのだ。


──── King Lear / Shakespeare

├─────────┤

July 8th, 2020

To: Major, Bodewig

We inform you that the following members were reported as missing.

Karin Adelheid(カリン・アーデルハイト)
Nina Claudia(ニーナ・クラウディア)

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Schwarzer Hase
Executive officer, Harfouch

├─────────┤

〜読者のみなさまへ〜

この話をもって、前編を終わらせていただきます。一先ず、ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。いつもいつも更新が遅くて本当に申し訳ありません。

ちなみに今回の『名もなき夜に』では、人物それぞれの夜を描いたつもりです。
シェイクスピアを引用したのは、ちょうど良い文があったと言う理由と、セシリアがシェイクスピアを好んでいる理由からです。セシリアのドラマCDでシェイクスピアについての言及があった覚えがあります。笑

あと、この小説の割と序盤の方で、結構漢字をわざと弄ってたりしました。

例えば『赤』について。
箒が『赤』と言うときは、彼女の機体は紅椿なので、わざと『紅』と変えてみたり。
マリアの場合は『緋』と書くなど…。
セシリアは『青』ではなく『蒼』と書いてみたり……。
文字を変えていたことに意味は無く、ただの遊び心です(笑)
途中からややこしい上に面倒くさくなったのでやめましたが…笑

後、話の中の区切りで『◇』や『*』を多用しましたが、『◇』はシンプルに人物の視点や場面のチェンジ。『*』は過去や夢に関する話の時に使用しています。何かのヒントとして捉えてみてもいいかもしれません。


前編では主に過去について焦点を当てました。後編では現在と未来について焦点を当てていければなぁと思っています(勿論、過去にも焦点を当てますよ!)。

前編では主人公はマリア。
後編でも主人公は変わらずマリアですが、恐らくラウラも同じくらい物語に関わってくる内容となります。
これ以上は言えません!笑

後編、さらなる展開が専用機持ちたちを巻き込んでいきます。今後も楽しみにしていただければ幸いです。


改めまして、ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。
今後とも、何卒よろしくお願いします!

影葉


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後編 悪夢
第45話 化身


お久しぶりです。
時間が空いて申し訳ありません。ブラボが楽しくて少しそっちに逃げてました。笑

後編です。


ああ……───。

 

また、この夢だ。

 

満月の夜は、決まってこの夢を見る。

 

俺は真っ暗な闇の中にいて。

 

その暗闇の中で、彼女がいつか言った言葉がずっと響いている。

 

『貴様は護られてばかりだな』

 

この暗闇の中でも尚、突き放そうとする冷たい言葉。

 

『所詮、貴様の力などその程度のものだ』

 

俺は自分なりに精一杯やっているつもりだ。

 

『貴様にあの人を超えることなど、出来やしない』

 

勝手に決めつけやがって。

 

『────貴様は哀れなほどに、弱い』

 

もうその言葉にはうんざりだ。

 

俺はどうして夢の中でも弱いと言われないといけないんだ。

 

夢の中でくらい、強くあってもいいだろう。

 

俺に向けられたその言葉は、満月の夜にきまって執拗に俺を追いかけ回す。

 

大抵の物語では、力に執着する者の成れの果ては『破滅』であると、相場が決まっている。

 

俺はそんな風にはなりたくない。

 

だけど、夢の中でも力に苛まれるなんて、俺は力に執着する者にも引けを取らないくらい、もうすでに虜になってしまっているのか?

 

 

 

 

 

 

まさか。

 

 

そんなこと、あるわけがない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「う、ん………」

 

ベッドの上で目が覚める。

時刻は夜の八時を過ぎた頃だった。

寝ている間に少し汗をかいたのだろう、シャツの首回りが湿っていて少し気持ちが悪い。

開いていた窓から入ってくるそよ風が心地よかった。

 

福音の事件から、およそ二ヶ月以上が経った。

季節は秋になりかけているといったところだろうか。あの夏とは違い、今の夜は少し肌寒い。

窓の外を見ると、白い満月が夜空の星と一緒に輝いていた。

 

福音の事件以来、満月を見ても吐き気がこみ上げてくることは無くなった。しかし気持ち悪くなることには変わりはなく、あまり満月は見ないようにしている。

 

福音の事件での記憶は、少し曖昧になりつつある。

皆は俺が福音を撃墜したと語っているが、その時俺が何を考えていたのか、どうなっていたのかはよく思い出せない。ただ、意識を失う寸前、()()()のようなものを見た気がする。

それに、あまりこの事について考えたくなかった。

 

「……少し歩くか」

 

この(もや)がかった気分を変えるため、上着を羽織り、部屋の扉を開ける。

この時間に外を歩く生徒もあまりいないだろう。

丁度いい。

今は一人で夜風に当たりたい気分だった。

 

 

 

 

 

 

規則的に並んだ電灯の立つ夜道を、一夏は歩いていた。

寝起きにかいていた汗はすっかり引き、夜風に冷えて少し寒い。その肌寒さは、一夏にとって丁度いい心地よさだった。

 

『貴様は護られてばかりだな』

 

夢で聞いた、ラウラの言葉が再び蘇る。

 

『貴様にあの人を超えることなど、出来やしない』

 

別にラウラのことを恨んでいる訳じゃない。寧ろ、ラウラの機体の暴走事件以降、ずっと仲良しになった。

ただ、彼女の言ったことは一夏の想像以上に心に深く傷を負わせていて、一夏は忘れることが出来なかった。

 

『────貴様は哀れなほどに、弱い』

 

力に執着する者の成れの果ては破滅……今更その認識を覆すつもりもない。

だが、いつも考えてしまうことがある。

 

 

自分にもっと力があれば……この夢からも解放されるのではないだろうか……。

 

 

少なくとも、姉以上に強くなれば誰も口を出さないのかもしれない。

 

けれど、一夏にその自信はなかった。

自分はいつだって優秀な姉と比べられ、劣等感を抱いていた。幼少期に出来上がってしまった引け目というやつはそう簡単に崩れることはなく、今だって自分の弱さに悔しさを……寧ろ嫌悪感を感じるばかりだった。

 

()()()()()()………。

 

「……うっ………!」

 

途端に頭痛がする。

満月の夜だというのに、少し歩きすぎただろうか。

兎に角、一夏は寮へと帰ることにした。

 

 

 

 

 

ガサッ

 

 

後ろの茂みの方で物音がした。

 

 

コツ、コツ、コツ………

 

 

単調な靴音が響く。

 

 

振り返ると、暗闇の中に人影が見えた。

 

 

「誰だ!!」

 

 

コツ、コツ、コツ……

 

 

その人影が、暗闇から電灯の下に現れる。

 

 

一夏は驚愕した。

 

 

その人物の顔が、そっくりそのまま()()()だったからだ。

 

 

黒いマントを羽織っており、背丈は姉よりも低い。だが、あれではまるで双子といってもおかしくない……それほどに、彼女はそっくりだった。

 

 

「ち、千冬姉……⁉︎」

 

 

彼女はニヤリと笑い、

 

 

「いいや、違うな」

 

 

声も姉にそっくりだ。

 

 

一夏の頭痛が酷くなっていく。立っているのも辛いくらいだ。

 

 

()()()()()、織斑一夏」

 

 

「っ……なんだと………⁉︎」

 

 

彼女は冷たい視線で一夏を見据える。

 

 

「ふん……随分と貧弱に見えるな」

 

 

「………」

 

 

一夏は鳴り止まない頭痛に頭を抑え、なんとか彼女を視界に捉える。

 

 

「答える気力もないか。まあいい」

 

 

暫くの沈黙が流れ、彼女が再び口を開く。

 

 

「────私の名前は、()()()()()

 

 

「……なに………?」

 

 

「私が私たるために、お前には死んでもらう────」

 

 

織斑マドカと名乗った彼女はポケットから瞬時に銃を出す。咄嗟のことに、一夏は意識と身体がついてこない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

パァン─────!

 

 

乾いた音が、冷たい夜の空気を行き渡った。



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第46話 濫觴

「───……ちか………」

 

………。

 

「───……いちか………」

 

誰だ……?

 

「───……いちか………!」

 

この声は……

 

一夏はゆっくりと目を開く。

途端に眩しい光が目を突き差す。その光はすぐに影に隠れ、やがてその人物は銀髪の彼女だと分かった。

 

「一夏!しっかりしろ!」

 

「ラ……ラウラ………?」

 

「…!目が覚めたか……良かった……!」

 

ラウラがホッとした表情をした。

一夏は痛みが疼く頭を抑え、上半身を起こす。夜空には相変わらず冷たい満月が浮かんでいた。

 

「おい一夏、一体何があったんだ?」

 

ラウラが一夏に心配気に尋ねる。

 

「俺は……確かこの辺りを歩いていて………」

 

一夏は頭の中の記憶を思い起こす。

 

冷たい月……電灯……足音……瓜二つの顔………

 

「そ、そうだ!ラウラ!大変なんだ!」

 

「ど、どうした?何を慌てている?」

 

「ここに侵入者が来たんだよ!顔も千冬姉にそっくりで、俺に銃を突きつけて……」

 

「何だと⁉︎」

 

ラウラは自身のISを部分展開し、ハイパーセンサーを使用し周囲を見渡す。視界がよりクリアになり、コンクリートや草木の葉の表面が鮮明に視認できる。

ラウラは自分と一夏以外に、この短時間で残された足跡が無いかどうかを探してみた。

 

しかし、どこをズームして調べてみても足跡は残っておらず、ラウラは首を傾げる。

 

「とにかく、教官に連絡をしよう」

 

そう言うと、ラウラはISの無線で千冬に繋げる。間も無い内に、千冬の声が聴こえた。

 

『ボーデヴィッヒか。許可無くアリーナ外でISを展開することは禁止しているはずだぞ!』

 

「申し訳ありません。しかし教官、一夏が何者かに襲撃を受けたようです」

 

『なんだと⁉︎』

 

「幸いにも一夏は無事のようですが、侵入者の痕跡も無し。恐らく、ステルス系の武装をしているかと」

 

『分かった。織斑とボーデヴィッヒはその場で待機。調査班を向かわせる。学園内にも警告を出しておこう』

 

「分かりました」

 

ラウラは無線を切り、一夏の隣に座る。やがて直ぐに、近くの学生寮から放送の音が冷たい空気を伝って響いてきた。自室から出ないように、といった注意勧告の内容だった。

 

「一夏、他に何かされた覚えは?」

 

「銃を突きつけられて……それで………」

 

「それで?」

 

「……そうだ!俺は撃たれたんだよ!」

 

「撃たれただと?」

 

ラウラは一夏の身体をじっくりと見るが、傷はどこにも見当たらなかった。

 

「傷は無いようだな……近くに弾痕があるかもしれない」

 

ラウラは改めてハイパーセンサーで周囲の木々を調べてみるが、不自然な傷跡は何も残っていなかった。ラウラの頭の中でますます謎が深まっていく。

 

「確かに撃たれたんだよ!あいつは……俺の頭を狙っていた……!」

 

「……おそらく、恐怖感による気の動転もあるかもしれない。故に気を失ってしまったのかも……」

 

「本当だって!信じてくれよ!」

 

「私はいつだって嫁を信じてるさ。だからこそ、あらゆる可能性を捨てないんだ」

 

キッパリと言うラウラに、一夏もそれ以上何も言わなかった。

やがて教師陣が2人のもとにやって来て、現場で調査が進められ、一夏とラウラはそのまま取調室へ連れて行かれた。

 

 

 

 

 

 

「結局何も分からずじまい、か……」

 

取調室を後にし、校舎を出たラウラは、月を見上げてため息を漏らす。

時刻はすでに夜の11時を過ぎていた。学園は闇の静寂に包まれ、冷たい空気に鼻の奥がつんと刺激される。

一夏はまだ事情聴取をされているらしく、今は一人で寮へと向かっている。

 

「しかし……いくらステルスとはいえ、侵入の痕跡がこれほどまで見つからないとは……」

 

確かにステルスを使用すれば他人の目を欺くことが出来る。しかしいくら透明になろうと、学園を1mmの隙間無く囲むセキュリティーバリアに侵入する際、必ずそこには電磁波の不自然な乱れが僅かながらにも生じるはずなのだ。高度なステルスとは、その乱れをいかに小さく出来るかどうかにかかっており、完全に消すことは今の技術では不可能なのだ。

しかし調査班によれば、今のところそのような痕跡は全く残っていないというのだ。まるで、()()()()()()()()()()()()()()かのように……。

 

pppp……

 

ラウラは着信音に気付き、太ももに着けている着脱式の超小型ディスプレイを手に取る。

そこには、『Clarissa Harfouch』という名前が映し出されていた。

ラウラは画面を押し、耳に当てる。

 

「クラリッサか」

 

『申し訳ありません、隊長。そちらはもう夜中ですね』

 

「構わん。それで?」

 

『はっ。二つ、報告することがあります』

 

「……カリンとニーナのことか」

 

『……はい。それが一つ目、そして依然として二人は行方不明です』

 

「……そうか」

 

ラウラは側にあった電灯に背を預け、肩を落とす。

 

「……それで、二つ目は?」

 

『はっ。隊長も軍上層部から以前に連絡を受けたと思われますが、我々シュヴァルツェ・ハーゼでの『越界の瞳(ヴォーダン・オージェ)』の試用実験が今日から始まります。念のため、その報告を』

 

「そうか……今日からだったな」

 

以前、ラウラは軍の上層部よりこの件について連絡を受けていた。

ドイツ軍内でIS配備特殊部隊・黒兎隊(シュヴァルツェ・ハーゼ)が編成されて以来、『越界の瞳』を移植されているのはラウラだけ、という状態だった。

ラウラがまだ隊員ではなく、遺伝子強化試験体(Advanced)という扱いだった当時────『越界の瞳』の開発・移植技術はまだ発展途上だった。そのため、開発過程での失敗も数多く発生し、その結果、身体能力の向上が見込まれるはずだったラウラは、力の制御が出来なくなり、全ての能力値において最低成績を出してしまったのだ。

自身が『失敗作』の烙印を押された過去もあり、ラウラは隊員たちの今後を考えると不安になった。

ラウラの気持ちを汲み取ったのだろうか、クラリッサは電話越しにラウラを励ます。

 

『……ご心配なさらず、隊長。移植を終えた隊員たちは皆、普段と変わらず元気に働いています』

 

クラリッサの励ましに、ラウラはホッとしたような笑みをこぼした。

 

「そうか……。ん……?『移植を終えた隊員たち』……クラリッサ、お前は移植手術を受けていないのか?」

 

クラリッサは、少しばかりの乾いた笑いを出した。その笑い声は、どこか悲しく聴こえた。

 

『私の身体能力が他の隊員と比べて著しく低いことは、隊長もご存知の筈です。私に移植手術を施したところで、大した向上は見られないと判断したのでしょう。それに、手術をした者とそうでない者の比較をするにも、私の存在は丁度いい』

 

「……クラリッサ、あまり自分を卑下するな。お前は頭が良い。我らシュヴァルツェ・ハーゼも、お前がいなければまともに機能しないだろう。私はお前を誇りに思っている」

 

『はっ!光栄です、隊長!』

 

クラリッサは凛々しく返事をするが、身体能力が低いために、自分だけ『越界の瞳』を移植されなかったことに、少なからずの哀しさと疎外感を感じているのかもしれない。ラウラには彼女の気持ちが、よく分かった。

 

「それで、実験はどのような過程で記録される?」

 

『はっ。今日から毎日、数名の隊員による実験報告が動画として記録されていきます。今も別室で、彼女たちがカメラに向かって報告をしているところです』

 

「そうか……。では、私はこれで失礼する。何かあれば、また報告を」

 

『はっ!』

 

通話を切り、ラウラは端末を太ももにしまう。夜空を見上げたラウラの口から、ほんの少しだけ、白い吐息が出た。

 

「……今日はよく冷えるな………」

 

この空気をさらに冷たくするように、月が白く輝いていた。

 

 

 

 





『調査報告書』

10月◯◯日20時30分頃

1年生・織斑一夏が何者かに襲撃を受ける。
調査班の報告によれば、現場には侵入者の痕跡は発見されず、学園包囲バリアにも電磁波の乱れは生じていない。
現場にいた織斑一夏、並びに1年生・ラウラ・ボーデヴィッヒに事情聴取をするも、侵入者についての情報は掴めず。
織斑一夏は侵入者から発砲を受けたと主張しているが、外的損傷並びに現場周辺にも弾痕は見つからず。
尚、監視カメラには映っていない場所で事件が起きたため、今後監視カメラの数を増やすことを検討されたし。

備考:引き続き、織斑一夏の事情聴取を行うべきかと思われる。


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第47話 学園の長

本当に、本当にお待たせしました。大変申し訳ありませんでした。
今年が終わるまでになんとか更新しなければと思い……ちまちまと書いておりました。
少し前にはなりますが、ISABも始まりましたね。皆さんはプレイしてどう思ったでしょうか。
今年はお世話になりました。
来年もよろしくお願いいたします。


10月中旬。

学園内アリーナの男子更衣室で、ディスプレイの映像を観ながら一夏は溜め息を吐いていた。先程鈴と実戦訓練をしていたときの映像が、目の前で何度も再生されている。

 

「はぁ……後少しで勝てたのになぁ………」

 

自分で言うのもなんだが、先程の実践訓練ではかなり優勢に攻めることが出来ていた。春の頃と比べれば、なかなか力も付いてきたのではないだろうか。

何も特別な訓練を受けてきた訳ではない。だが、一つだけ、自分の中に引っかかっていることがある。

それは、あの福音事件以来、自分の力が強くなった気がする、ということだ。

ハッキリとした確証があるわけでもない。ただ、自分の中の反射神経や戦略の読みなど、あの事件が起こる以前は身についていなかったのだ。

しかし、いくら強くなったかもしれないとはいえ、それで試合に勝てなければ結局何も変わらない。もっと実力を身に付けなければ…。

 

「やっぱり、燃費をなんとかしないと────」

 

「だーれだ?」

 

突然、視界が真っ暗になった。

同時に、目を覆う柔らかい手の感覚。女性の指に、女性の声。無論、学園に男子は自分一人しかいないので当然なのだが…。

 

「え、ええ…?だ、誰だ?」

 

「はい時間切れ」

 

目を覆う女性の指が離れる。一夏は後ろを振り向いた。

見上げると、肩まで伸びた水色の髪をした少女が立っていた。閉じた扇子を持ち、こちらを見て微笑んでいる。

 

「あ、あなたは……?」

 

見たことのない人物に、一夏はただ目を丸くさせることしかできなかった。数秒の沈黙が流れた後、彼女は扇子の先で一夏の頬を優しくつついた。

 

「君も急がないと、織斑先生に怒られるよ?」

 

そして彼女は微笑みながら踵を返し、更衣室を出ていく。

ポカンとした一夏は、彼女が更衣室を出たと同時にハッとし、時計を見る。

 

「あーー!!」

 

時刻は既に、一時間目が始まってしまっている頃だった。

 

 

 

 

 

 

「────ほう?遅刻の言い訳は以上か?」

 

一年一組の教室。

一夏は一時間目に遅れて入って来るやいなや、千冬の説教をくらっていた。自分の席で、マリアはその様子を見つめていた。

 

「いえ、だから更衣室で着替えてたらいきなり水色の髪の────」

 

「そうか。お前は初対面の女子との会話を優先して授業に遅れてきたというわけか」

 

「い、いや、だから────」

 

()()()()……?)

 

マリアは一夏の言葉を聞き、頭の中である人物の姿が思い浮かべた。

学園に入ってしばらくした頃、クラス代表対抗戦で襲撃者の侵入事件が起きた。水色の髪の彼女と出会ったのは、その事件が起きて数日が経った時だった。自分の素性に疑念を抱き、半ば敵意も見せていた……一夏の言うその水色の髪の少女は、彼女のことなのだろうか。もしそうであれば、恐らく扇子の一つや二つくらいは一夏も目にしているはずだろう。

 

説教もそこそこに終わり、一夏もこっぴどく千冬に怒られたせいで、げんなりと肩を落とし席に戻った。

授業もいつも通りに行われ、いつもと変わらない、いつも通りの一日。

しかし今日は、この後全校集会が行われるようだ。全校集会……恐らく生徒会も関わるかもしれない。久々に、彼女の姿を見ることになるのだろうか。

 

 

 

 

 

 

ホールに集められた一年生たちは、『全校集会』と映し出されたディスプレイのある講壇を前に整列していた。

 

『それでは、生徒会からのお話です』

 

スピーカーから響いた司会の声に、余所見をしていた者も、友人と喋っていた者も、一同は改めて講壇を見上げる。

すると講壇に姿を現したのは、水色の髪をした生徒だった。

 

(あの人はさっきの……⁉︎)

 

一夏が驚いた様子で彼女を見る。そしてその視線に気付いたのか、マイクの前に立った彼女は一夏を見てニコリと笑った。また少し驚く一夏をよそに、彼女は再び前に向き直る。

 

『初めまして、みなさん。今年はバタバタして、自己紹介がまだだったわね』

 

彼女はコホンと咳払いをする。

 

『私は更識楯無。IS学園の生徒会長よ』

 

(生徒会長……?)

 

それを聞いた一夏は目を丸くした。しかし今朝、何故生徒会長の彼女はわざわざ自分に会いに来たのだろうか?

 

さて、と楯無が言う。すると後ろのディスプレイの文字が変わり、そこには『議題:学園祭について』と映し出された。

 

『もうすぐ、IS学園では学園祭が開かれるわけだけど、各クラス、それぞれ出し物を企画すること。企画提出も今週中にお願いしたいから、皆でよく話し合って決めてね。生徒会長からは以上よ』

 

楯無は扇子を開いた。そこには『締切間近』と書かれていた。

 

 

 

 

 

 

全校集会が終わり、再び一年一組。

一夏はクラス代表ということで教壇に立ち、学園祭の出し物について話を進めていた、のだが……

 

「えーっと……」

 

一夏はしかめっ面をしているようだ。その原因は、一夏のすぐ背後にある企画案だった。

 

①織斑一夏のホストクラブ

②織斑一夏とツイスター

③織斑一夏とポッキー遊び

④織斑一夏と王様ゲーム

 

「全部却下!」

 

「「「えーー⁉︎」」」

 

「アホか!誰が嬉しいんだこんなもん!」

 

心底嫌そうな顔をして一夏が怒る。しかしそれに構わず他のクラスメイトたちはどんどん抗議する。

 

「私は嬉しいわね。断言する!」

 

「え⁉︎」

 

「そうだそうだ!女子を喜ばせる義務を全うせよ!」

 

「はぁ⁉︎」

 

「織斑一夏は共有財産である!」

 

そうだそうだと溢れんばかりの抗議に一夏は頭を抱える。

 

「と、とにかく……もっと普通な意見をだな────」

 

「メイド喫茶はどうだ?」

 

案を出したのはラウラだった。一夏も周りのクラスメイトたちも、まさかラウラの口からメイド喫茶などという言葉が出るとは思ってもいなかったため、目を丸くしている。

 

「客受けは良いだろう。それに、飲食店は経費の回収も行える」

 

それを聞いたシャルロットは少し考えた後、賛成の意を示した。

 

「良いんじゃないかな。一夏には、執事か厨房を担当してもらえばいいよね」

 

すると、クラス内がメイド喫茶の話題で徐々に盛り上がっていく。

 

「織斑くん……執事……イイ!」

 

「マリアさんのメイド姿……ふふふ」

 

「わ、私がか…?」

 

「メイド服どうする⁉︎」

 

「私縫えるよー!」

 

一夏があたふたしていると、静寐が立ち上がり、

 

「それでは、ご奉仕喫茶で決まりですね!」

 

「「「さんせーい!!」」」

 

あれやこれやと言う間に一年一組の出し物が決まってしまった。

 

(まぁ……ちょっと変わった衣装の喫茶店だと思えばいいか……)

 

半ば諦めた様子で一夏も納得する。

その一方でマリアは、

 

(私に使用人の服は似合わんだろう……)

 

と思いつつ、しかし学園祭という未知のイベントに、少しだけ心を躍らせていた。

 

 

 

 

 

 

その日の放課後。

クラスの企画案を提出し終え、職員室から出た一夏は、扉が閉まると同時に少しだけ溜め息を吐く。そして何気なく時計を見る。

 

「やべっ!もうこんな時間!」

 

すでに時刻は特訓の始まりを過ぎてしまっていた。いつも放課後は出来るだけ皆と特訓をする予定を立てており、今日はラウラが特訓を見てくれる日だった。

一夏が走りだそうとした、その時。

 

「やあ」

 

いつの間にいたのだろう、一夏に声をかけたのは、先程全校集会で生徒たちの前で話していた彼女だった。

 

「生徒会長……さん……?」

 

「みずくさいなぁ。楯無でいいよ」

 

朝から突然現れては消え、再び自分のもとへ現れたりと、まるで猫のような気紛れさを感じさせる楯無。

 

「何の用ですか?」

 

「当面、君のISのコーチをしてあげる」

 

「え、な、何ですか突然。コーチはいっぱいいるので間に合ってます」

 

「でも、君は未だに弱いままだよね」

 

楯無の言葉に、一夏はムッと顔を(しか)めた。

 

「っ……それなりには、弱くはないつもりですが」

 

「ううん、弱いよ。めちゃくちゃ弱い」

 

「っ…───!」

 

一夏が強く反論しようとすると、楯無が扇子を一夏の前に指した。

 

「だから、ちょっとでもマシになるように、私が鍛えてあげようというお話」

 

「……そこまで言いますか!じゃあ勝負です。俺が負けたら、何でも従います!」

 

「うん、いいよ♪」

 

二人は勝負をするべく、一夏は楯無に柔道場へと連れて行かれた。

 

 

 

 

 

 

IS学園・柔道場。

一夏と楯無は柔道着に着替え、互いに向かい合っていた。

 

「いい?一度でも君が私を床に倒すことが出来れば、君の勝ち」

 

「え……?」

 

「逆に、君が続行不能になったら私の勝ちね」

 

清々しいくらいの彼女の強気に、一夏は思わず呆れた笑いを零す。

 

「ふっ……随分と舐められたものですね」

 

「───私が勝つから大丈夫」

 

一夏は息を整え、真剣な眼差しをする。

 

「それじゃあ、本気でいきますよ」

 

「いつでも来なさい」

 

 

 

 

 

 

 

全く、随分舐められてるよな。自分だって、今まで色んな強敵と戦ってきた。それなりに力はついてきているはずだ。

 

『────貴様は哀れなほどに、弱い』

 

俺の頭の中で、いつかラウラが言った言葉が響く。

 

『ううん、弱いよ。めちゃくちゃ弱い』

 

俺の頭の中で、楯無さんの言った言葉が響く。

 

いや、あの時よりは強いはずだ。生徒会長だろうがなんだろうが、いきなり現れてこんなことを言う人なんかに、負けるわけにはいかない。

次第に彼女を睨む目が強くなった。

 

俺は楯無さんの所へ素早くダッシュし、襟を掴む。そして楯無さんの内股にすかさず脚を入れ、払い技を試みた。

しかし読まれていたのか、楯無さんは逆に俺よりも速いスピードで脚を払い、俺は床へと倒れそうになる。

 

「────⁉︎」

 

俺は身体を捻り、床には倒れず一歩引いて楯無さんから間を取ることに成功した。

身体を捻る最中、一瞬だけ楯無さんの驚いたような顔が視界に入った気がしたが、今はさっきと同じ顔をしていたので、気のせいだったようだ。

 

 

 

 

 

 

……驚いた。

まさか一夏くんが、あそこから体勢を立て直すなんて。

ほんの一瞬だけ、ビックリしたのが顔に出ちゃったかもしれないわね……まぁ、それは置いといて。

実力はまだまだ私には及ばないけど、一夏くん……思っていたよりもタフかもしれないわ。

福音事件……彼一人で福音を倒したと聞いたときから、疑問に思ってたのよね。アレは、余程の戦闘力を持つ人物でなければ倒せない。ましてや、まだISに触れて半年も経たない一学生が、福音のような強敵を倒せるなんて、普通に考えて有り得ないはず。

もし本当に彼が強いなら、今ここで私に苦戦を強いることだって出来るはずなのに、今の彼にはそれ程の力を感じられない。

一体どういうことなのかしら……?少なくとも、彼はしぶとい底力を持っていることは考えられる……。

 

 

 

 

 

 

よし、今度は体当たりだ。

俺は再び楯無さんに詰め寄り、姿勢を低くして体当たりをする。

しかし楯無さんは俺の頭を掴み、後ろに払う。軸を崩した俺は、勢い余って床に転んだ。

 

「もう一回だ!」

 

「どうぞ♪」

 

相変わらず余裕ぶった楯無さんの襟をもう一回掴み、今度は背負い投げをしようとした。

しかし彼女は微動だにせず、俺は力いっぱい襟を握る手に力を込める。

 

バッ

 

「あ」

 

「きゃ!」

 

力み過ぎたせいで、襟を掴む手が横に広がってしまい、楯無さんの胸元がはだける形になってしまった。俺は焦って離れる。

 

「ち、違うんです楯無さん!つい力み過ぎちゃって────」

 

「いーちーかーくーん……」

 

楯無さんの口元が笑っている。しかし、目は全く笑ってなどいなかった。得体の知れない恐怖で、背筋が凍る。

 

「私の下着姿は………高いわよ?」

 

「ひっ……!」

 

瞬きすらする間も無く、楯無さんの拳が俺の顔面に突撃した。

 

 

 

 

 

 

IS学園内・噴水広場

 

 

「全く、あいつは何処へ行ったんだ…」

 

そうブツブツと文句を言いながら、ラウラは学園内を歩き回っていた。今日の放課後は自分が一夏と特訓をする予定であったはずなのに、いつまで経っても待ち合わせ場所に一夏は現れない。

落ち着かないままウロウロしていると、噴水のそばに座ってる二人の女子生徒の話し声が聞こえてきた。

 

「あ、ちょっと!頭に寝癖ついてるよ」

 

「え!うそ⁉︎」

 

「ほらここ」

 

「あ、ホントだ!」

 

「もう……そんなんじゃ織斑くんに呆れられちゃうよ?」

 

「え〜それはヤダよ〜〜」

 

彼女たちの会話を聞いて、ラウラはハッとした。そしてすぐそばの建物のガラスで、自分の髪の毛を確認する。

すると、あろうことか、ラウラの後頭部の辺りにぴょんと飛び出した髪の毛があった。

 

「!!」

 

ラウラは急いでその寝癖を撫でて直す。しかししばらくすると、またぴょんと飛び出し、ラウラは慌ててひたすら頭を触る。

するとそこに、見知った声の人物がやってきた。

 

「ほう……お前もそんなことを気にするようになったか」

 

「き、教か────」

 

千冬は持っていた書類でラウラの頭を優しくポンとたたく。

 

「学校では織斑先生だ」

 

「お、織斑先生………」

 

そんなラウラを見て、千冬は優しく微笑んだ。

 

「ふっ……年頃だな」

 

「うぅ……」

 

顔を赤くして、ラウラは俯く。

 

「そういえば、さっき保健室で織斑が連れられていくのを見たぞ」

 

「ほ、保健室……?」

 

「ああ。なんだ、約束でもしていたのか?」

 

 

 

 

 

 

IS学園・保健室内

 

 

白いベッドの上で、私は彼の寝顔を見つめる。寝顔というか、気絶させてしまったのだけど、彼の顔色は悪くはなさそうだから、一先ずは安心ね。少し強く当たりすぎちゃったかしら。

一夏くんがあの柔道場で見せた、殺気。いえ、殺気と呼ぶにはまだまだ小さなものだったけれど、あの時見せた一瞬の睨みは、私の背筋に嫌な感触を走らせた。言葉には言い表しにくいけど、とても人間の放つようなものでない恐ろしい空気感を、彼は放った。私の攻撃を受けても瞬時に立ち直ったのは、それも関係している…?

でも、いくら潜在した力があったとして、彼はまだそれを磨けてすらいない。彼にはこれから、自分自身を守れるだけの力が必要だ。私がそれを支えなければ────。

 

「ん……」

 

「あら、お目覚め?」

 

「楯無……さん……?」

 

一夏はぼんやりとした目で楯無の顔を見る。数秒くらいして、一夏はハッとした。

 

「え⁉︎あ、な、なんで膝枕なんですか!」

 

「まーまー、お姉さんのお膝を味わっときなさいな♪」

 

「いや、ちょっと、離してください楯無さん!」

 

「うふふ♪」

 

楯無は微笑みながら暴れる一夏の頭を離さない。顔を赤くして焦っている一夏の様子を見て、楯無もついつい面白くなってしまう。

するとそこで、保健室の扉が強く開いた。

 

「嫁!無事……か………」

 

保健室に入ってきたのは、心配気な顔を浮かべたラウラだった。保健室に一夏が連れられて心配してやって来たというのに、自分の知らない女が、自分の嫁を膝枕しているのを見て、ラウラの中で怒りが沸き起こる。

 

「貴様、何をしている!」

 

ラウラはISを腕にだけ部分展開し、楯無のもとへ走り出す。

 

「お、おいラウラ!待てって!」

 

一夏がワタワタと慌てるが、一方で楯無は余裕そうな顔をしている。そしてラウラが怒り任せに楯無に拳を振りかざした。

 

ガキィン────!

 

「なっ……⁉︎」

 

なんと楯無は、ラウラの素早い攻撃をいとも簡単に扇子で弾き、そしてもう片方の手でラウラの首に指を添えていた。これ以上動くと容赦しない………楯無のその指からはそういった意思表示が読み取れた。勿論本気でラウラに危害を加えるつもりは楯無にも毛頭無かったが、恐ろしく感じたラウラはそのまま部分展開したISを解除する。

 

「うん、素直な子は好きよ♪」

 

楯無は立ち上がり、一夏を連れて行く。

 

「悪いけど、これからは私が彼の特訓を見るから、よろしくね♪」

 

そして二人は保健室を出ていった。一夏は複雑そうな、申し訳なさそうな顔で、扉が閉まるまでラウラを見ていた。

扉が閉まり、ラウラは悔しそうに歯をくいしばった。

 

 

 

 

 

 

IS学園・第一アリーナ内

 

 

一夏は楯無に連れられ、第一アリーナのグラウンドへと来た。グラウンドにはISスーツを着て準備体操をしているシャルロットとセシリアがいた。

 

「あれ、一夏?」

 

「い、一夏さん?今日は第四アリーナでラウラさんと特訓と聞いていましたけど……」

 

シャルロットとセシリアが体操を止める。楯無も立ち止まった。

 

「やあ。私がこれから一夏くんの専属コーチを務めるから、よろしくね」

 

シャルロットはキョトンとした顔をしていた。

 

「生徒会長が、一夏の専属コーチ……?」

 

一方でセシリアはムッとした顔をしていた。

 

「一夏さん、どういうことですの⁉︎」

 

「セ、セシリア……これはその、勝負の結果なんだ……」

 

一夏がセシリアをなんとか納得させようと言葉を探すが、セシリアは相変わらず頰を膨らませている。

 

「まあまあ、これも一夏くんのためだと思って♪」

 

すると楯無は、「あっ」と、なにか思い出したような声を出した。

 

「二人にも、協力してほしいことがあるの」

 

「協力……?」

 

楯無の言葉に不思議がるシャルロットたち。楯無は開いていた扇子をパチンと閉じる。

 

「時間もないし、早速始めてもらおうかしら。シャルロットちゃんにセシリアちゃん、『シューター・フロウ』で円状制御飛翔(サークル・ロンド)、やってみせて」

 

「射撃型の戦闘態勢(バトル・スタンス)が、近距離タイプの一夏さんの役に立ちますの……?」

 

「いいからいいから♪」

 

 

 

 

 

 

楯無と一夏は観客席に座り、ISを纏ったシャルロットたちの姿を見ていた。シャルロットとセシリアはお互いに合図をすると同時に、ゆっくりと円状に飛び始める。速度は徐々に増していき、そしてどんどん上空へと上がっていく。二人の間隔はブレることなく、一定のリズムのように円状に飛翔をしていく。

 

『いくよ、セシリア!』

 

『構わなくてよ!』

 

すると二人は互いに距離と速度を保ちながら、射撃を開始する。

一夏は二人の様子に目が釘付けだった。

 

「これは……」

 

一夏の声に、楯無が答える。

 

「射撃と高度のマニュアル機体制御を同時に行なっているんだよ。しかも、回避と照準の両方に意識を割きながら……」

 

すると楯無は、そっと一夏の耳元で、

 

「だからね……わ、か、る?」

 

「うわああ⁉︎い、いつの間に⁉︎」

 

フーッと耳元で息を吹かれた一夏は、顔を真っ赤にして楯無から離れる。いつの間に彼女は近づいていたのだろうか。

 

『い、一夏さん⁉︎何していますの⁉︎』

 

『あ、セ、セシリア!』

 

『へ?あ、きゃああああ!』

 

楯無のせいでセシリアが集中を止めてしまったため、セシリアはバランスと速度制御を保てなくなり、シャルロットにぶつかってしまう。

 

『うわあああああ!!』

 

ドォォオン!!

 

そして二人はもつれたまま、グラウンドへと落下してしまった。

 

「だ、大丈夫かー⁉︎」

 

一夏は観客席から身を乗り出して心配の声を掛ける。そして楯無はフフッと笑い、一夏を見た。

 

「次は、一夏くんの番よ」

 

 

 

 

 

『全くもう!』

 

『す、すまん、セシリア……』

 

プンスカと怒るセシリアに、白式を纏った一夏は素直に謝る。楯無とシャルロットは観客席で二人の様子を見守っていた。

 

「それじゃあ、始め!」

 

楯無の合図で、一夏とセシリアは互いに距離を保ちながら、円状に飛翔していく。やがて二人は高い上空へと上がっていた。

 

『一夏さん、いきますわよ!』

 

『お、おう!』

 

するとセシリアはスターライトmk.Ⅲで一夏に向けて射撃する。一夏もシャルロットに借りたライフル銃で対抗するが、慣れていないためか、一夏の体幹はグラグラとブレており、銃弾も思うような方向へ撃てない。セシリアは一夏を狙撃し、一夏もそれをもろに受けてしまう。

 

『ぐああああ!』

 

一夏はグラウンドへと落下していき、倒れる。

 

『一夏さん!』

 

セシリアも後を追うように、一夏のもとへ駆けつけた。

 

『一夏さん、大丈夫ですの……?』

 

一夏はゆっくりと身体を起こして、頷いた。

 

『ああ……大丈夫。セシリア、もう一回頼む』

 

セシリアは心配そうな顔をするが、一夏の強い目を見て、頷いた。

 

『あまり気は乗りませんが……一夏さんがそう仰るなら……』

 

「じゃあ、もう一回!」

 

楯無の掛け声で、二人はもう一度サークル・ロンドを始める。先ほどと同じく、二人は距離を保ちながら円状に飛翔していく。

 

「……これって、白式に遠距離攻撃能力が追加されたからですか?」

 

シャルロットが楯無に尋ねる。

福音事件────あの事件で、一夏の白式は第二形態『雪羅』へと進化を遂げた。その結果、射撃用の装備である大出力の荷電粒子砲も追加されたのだ。

 

「そうだね……でも、それだけじゃないんだなぁ」

 

「………」

 

「射撃能力で重要なのは、面制圧力だよね。けれど、連射が出来ない大出力荷電粒子砲は、どちらかといえばスナイパーライフルのスタイルに近い。つまり……一撃必殺の突破力───だけど、一夏くんの射撃能力の低さはご存知の通りだから、敢えて……」

 

「近距離で、叩き込む………」

 

シャルロットの返答に、楯無はニコッと笑った。

 

「そ。鋭いね♪」

 

開かれた扇子には、『見事』と書かれていた。

 

 

 

 

 

 

その日から、楯無による過酷な訓練の日々が幕を開けた。

グラウンドに球体の付いた柱を立て、それを中心に円状に飛翔していく。

重心の座標、スピード制御、射撃の方向、意識の割き方……さらには、円状に飛翔したままの瞬時加速(イグニッション・ブースト)………。

楯無の特訓はかなりのスパルタだった。一夏も何度も辛くなったが、弱音はぐっと堪え、何度も飛び、何度も失敗し、そして何度も立ち上がった。

そんな過酷な訓練の日々が、ずっと続いた。

一日が終わるたびに、一夏の身体は悲鳴を上げていたが、一夏はそれでも心を奮わせ、訓練を続けた。

 

 

 

 

 

そして時は過ぎ、ついにIS学園は、年に一度の学園祭を迎える。



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第48話 招客

学園祭当日。

IS学園は自分たちのクラスの出し物の宣伝や、他クラスや部活の出し物のところに遊びに行ったりする生徒たちや一般客などで、大きな賑わいをみせていた。

そんな中、ひときわ長い行列を作っている場所があった。一年一組の『ご奉仕喫茶』である。

 

「いらっしゃいませ、お嬢様。どうぞ中へお入りください」

 

教室入口に立って一人ずつ案内をする燕尾服を着た一夏を見て、行列の生徒たちはうっとりとした溜息を漏らしていた。

 

「うそ……ほんとに織斑君の接客が受けられるの⁉︎」

 

「しかも執事の燕尾服!」

 

「一緒に写真も撮ってくれるんだって!ツーショットよツーショット!」

 

「噂によると、あのマリアさんもお出迎えしてくれるんだって!」

 

「わ、私、マリアさんにお嬢様って言われたい……!」

 

生徒たちは皆うっとりとした目で各々の興奮を語り合っていた。

一夏が教室内の様子を見ていると、ある人物が声をかけてきた。

 

「ちょっとそこの執事?テーブルに案内しなさいよ」

 

「え?」

 

一夏が行列の方を見ると、そこにはチャイナドレスを着た鈴がいた。

 

「何してるんだ?お前」

 

「う、うるさい!に、二組は中華喫茶やってんのよ」

 

鈴はモジモジと顔を赤らめる。無理もない、チャイナドレスの作りのため、鈴の背中部分の服は大きく開き、足は太ももの付け根まで見えてしまっているという大胆な格好になっていたからだ。

なかなか見ない幼馴染の姿に、一夏は素直に感嘆する。

 

「へぇ、似合ってるじゃん。いつもと髪型も違うし。凄えな、鈴」

 

「へ⁉︎そ、そう……?」

 

「あ、ああ。そんなにビックリすることでもないだろ」

 

一夏の反応に、鈴は自分だけが照れているみたいで恥ずかしくなった。変な気まずさを紛らわそうと、少しだけヤケになった鈴は、一夏に強く言う。

 

「と、とにかく!早く案内しなさいよ!」

 

「へいへい。ではお嬢様、こちらへどうぞ」

 

「お、お嬢様……⁉︎」

 

「いちいちなんだよ……」

 

「う、うるさいわね!」

 

鈴は一夏に案内され、中へと入っていく。白のテーブルクロスが敷かれたいくつかのテーブルに、窓には高級そうなカーテン(実際は安価で手に入ったらしい)。そして紅茶やお菓子を運ぶメイドたち。もともと教室内も清潔に保たれているため、客はいつもとは違う非日常、貴族のような気分を味わえそうな雰囲気だった。

教室内は薄い仕切りで二つの部屋に分けられており、一つは客を迎えるための喫茶室、もう一つはメイドたちだけが入れる厨房室だ。

鈴がテーブルに着くまでの間、周囲をキョロキョロと見ながら歩いていると、厨房室の入口から誰かがヒョコッと顔を出した。その人物は鈴を見ると口を開いた。

 

「やぁ、鈴」

 

「マリアじゃん!あれ、メイド服じゃないの?」

 

「今はこっちの担当だよ」

 

マリアが厨房室の方を指でちょんちょんと指す。その格好はメイド服ではなく、コックがよく着用する白の料理服だった。

 

「あンたはご奉仕しないの?」

 

鈴が笑いながら言う。

 

「じきにするさ」

 

フンッとマリアも軽く笑った。

 

「その服、似合ってるじゃないか。いつにも増して大胆だな」

 

「そ、そう?ありがと。あンたもメイド服、楽しみにしてるわ」

 

「ふふ、どうやら私はメイドにはならないらしい」

 

「え、そうなの?」

 

「後のお楽しみだ」

 

じゃあなと手を振り、マリアは厨房室へと戻っていった。

 

「鈴、こっちだ」

 

一夏が奥のテーブルの椅子のそばに立っていた。鈴は少しだけ頰を膨らませる。

 

「ちょっと、お嬢様なんじゃないの?」

 

「へいへい……お嬢様、こちらへお座りください」

 

「ふふん♪」

 

上機嫌で座る鈴に、一夏はメニューを差し出した。鈴はどれを注文しようかと、一つ一つ内容を読んでいく。

 

「そうね……この『執事にご褒美セット』って何?」

 

鈴の質問に、一夏の顔が僅かに曇った。

 

「お嬢様、そちらのメニューよりも、当店のおすすめメニューはいかがでしょうか?」

 

一夏のあからさまにはぐらかす様子に、鈴はジトーッとした目で一夏を見る。

 

「おいこら、なんか誤魔化そうとしてるでしょ」

 

「……とんでも、ございません………」

 

「ふーん……」

 

暫く考えた後、鈴はメニューを閉じた。

 

「決めた。この『執事にご褒美セット』にするわ」

 

鈴の注文に一夏は嫌そうな顔をしたが、渋々厨房室へと帰っていった。暫くして、一夏が再び鈴のもとへ帰ってきた。一夏が運んできたのはアイスティーと、グラスに入ったチョコレート菓子だった。

 

「お待たせしました、お嬢様……」

 

「う、うん………」

 

一夏がそれをテーブルに置くと、静かに鈴の横に座る。

 

「………」

 

「………」

 

「……な、なんで一緒に座ってるのよ?」

 

「………」

 

「……い、いやまぁ、別に良いんだけど……」

 

なんだか久しぶりの一夏と二人きりの空間に、鈴の顔は自然と赤くなっていった。

 

「で、これはどういうセットなの?」

 

一夏の困り顔がますます深くなった。

 

「……た、食べさせられる………」

 

「……はい?」

 

「だーかーらー、執事に食べさせられるセットだよ……」

 

溜息を吐きながら一夏が説明した。

 

「な、なによそのセット⁉︎き、客が執事に食べさせるなんて……」

 

「だから嫌だったんだよ……別にやりたくなかったらいいんだぞ?」

 

一夏が頰をついてまた溜息を吐いた。一方で鈴は戸惑いつつも、思いがけない幸運に嬉しそうな顔をする。

 

「い、いや……まぁ、せっかくだし……ついでだし……ご、ご褒美あげようかしらね!」

 

そう言うと、鈴はグラスの中のチョコレートを手に取り、一夏へと向ける。

 

「は、はい!あーん、しなさいよ」

 

「あーん……」

 

恥じらいとやる気のない表情の混じった一夏の口に、チョコレートが入っていく。一夏はモグモグと静かにそれを食べていく。その様子を見て、鈴の心が高鳴った。

 

「ね、ねぇ……食べさせてあげたんだし、あたしも─────」

 

突然、鈴の目の前が遮られた。一夏と鈴を遮ったのはお盆だった。見上げると、メイド服を着た箒が不機嫌な顔で立っていた。

 

「お嬢様、当店ではそのようなサービスは行なっておりません」

 

箒はフンッと鼻を鳴らし、お盆を持って引き返していく。チェッと鈴は拗ね、一人でお菓子を齧った。

鈴がその小さな口でお菓子をモグモグと食べる様子に、一夏は少し微笑んだ。

 

「鈴」

 

「なによ」

 

「可愛らしいな、なんか」

 

「っ⁉︎ゲホッ、ゲホッ」

 

突然の一夏の褒め言葉に、鈴は咽せてしまう。

 

「お、おい……大丈夫か?」

 

鈴は目の前のアイスティーを一気に飲み干し、一夏を見た。

 

「な、な、なによいきなり⁉︎」

 

「いや、そうやって食べてるのがさ」

 

「か、可愛いってわけ⁉︎」

 

「ああ、リスみたいで────おわぁ⁉︎」

 

突然ビンタされる一夏。一夏の鈍感な言葉に、鈴は咄嗟に手が出てしまったようだ。

床に倒れる一夏を見た鈴は、一瞬なんとも言えないような顔をした後、

 

「フンッ!」

 

怒った様子で店を出ていった。

 

「……?なんなんだよ………」

 

机に手をついて起き上がる一夏。何故鈴が怒っていたのかは、鈍感な彼には分からないようだった。

咄嗟に起きた出来事に呆けていると、横から誰かが何かを差し出してきた。一夏が振り向くと、そこにはスーツ姿の女性がいた。髪はロングヘアーで、顔の造形は外国人のように見えるが、彼女の差し出してきた名刺には漢字の名前が記されていた。

 

『IS装備開発企業みつるぎ 渉外担当・巻紙礼子』

 

ロングヘアーの女性が微笑み、一夏に声をかける。

 

「少し、よろしいでしょうか?」

 

 

 

 

 

 

少しだけ……ほんの少しだけ嫌な予感がして、紅茶を淹れる手を止めた。

私は厨房室から少しだけ顔を出し、喫茶店内を見渡してみる。

すると、奥のテーブルで一夏が一人の女性と会話をしているのが見えた。笑顔で話し、気さく良く話している。

 

……なんだろう、この不快な気分は。

あの女から、何か嫌な予感がする。

胡散臭い者の放つ……いや、()()()()()()()()()()空気を、僅かに感じる気がする。

初対面の人間に対して信頼の問題など取り上げるべきでもないかもしれないが、あの女には信頼などといった感情など全く出てこない。

気のせいか?いや、だが……

 

「マリアさん、どうしたの?」

 

「静寐か……いや、なんでもない。すまないが、少しだけ厨房を代わってくれないか?他のクラスメイトの接客を見て勉強しようかと思ってな」

 

「うん、いいよ!マリアさん、そういえばこういうの初めてって言ってたもんね。休憩してきてもいいよ?」

 

「いや、ここからこっそりと覗くつもりだ。厨房室は出ないよ」

 

「あ、そうなんだ。うん、分かった!」

 

「すまない」

 

厨房室の壁にもたれ、腕を組み、一夏と女の様子を覗く。変なことが起きなければいいが………

 

 

 

 

 

 

一夏は女性と向かい合って座り、渡された名刺と彼女の顔を交互に見ていた。

 

「えーっと……巻紙礼子さん?」

 

名前を呼ばれた巻紙礼子はニコリと笑い、鞄から書類を取り出し机の上に広げる。

 

「はい。織斑さんに、是非我が社の装備を使っていただけたらなぁと思いまして……」

 

「ああ……えっと、こういうのはちょっと………」

 

一夏の困った反応に、巻紙礼子は一夏の手を握り、さらに主張を強めてくる。

 

「まぁそう言わずに♪こちらの追加装甲や補助スラスターなどいかがでしょう?さらに今ならもう一つ、脚部ブレードもついてきますよ」

 

「い、いや、その……」

 

一夏が上手く断れずにいると、後ろからカツカツと凜とした足音が近づいてきた。

 

 

 

 

「おい」

 

 

 

 

とても、冷たい声だった。

 

 

一夏が見上げると、自分のそばにはいつの間にか厨房室にいるはずのマリアが立っており、巻紙礼子を酷く冷たい目で見ていた。

 

「しつこいぞ」

 

「な、何ですかあなたは────」

 

「ここは喫茶店だ。企業の都合を押し付ける場所ではない。悪いが他のお嬢様たちも待っているんでな」

 

「っ………」

 

一夏はマリアの恐ろしいほどまでの睨みに、思わず息を飲んだ。巻紙礼子は悔しそうな顔をして、書類を片付け、席を立とうとする。巻紙礼子がマリアの横を通り過ぎるとき、マリアが小さな声で巻紙礼子に呟いた。

 

「忠告だ」

 

巻紙礼子が立ち止まった。

 

「────二度と一夏に近づくな」

 

近づけば、容赦しない。

まるでそう言っているかのようなマリアの口調に、一夏は恐怖を感じた。しかし、何故彼女はこれほどまでに怒っているのだろうか。正直、こういった他企業の押し売りはよくあることなのに……。

巻紙礼子が去り際に、マリアと一夏にだけ聞こえるように舌打ちをした気がした。巻紙礼子は颯爽と店内を出ていった。

 

「ね、ねぇ……大丈夫?どうしたの、マリアさん……?」

 

そう言ってマリアと一夏のもとに来たのは静寐だった。

 

「マ、マリア……なにもそこまで言わなくても……一体どうしたんだよ」

 

一夏も戸惑いながらマリアを見つめる。マリアは先ほどまでの冷たい顔を和らげ、彼女自身もホッとしたように、深く息を吐いた。

 

「すまない、一夏、静寐……雰囲気を壊してしまったな」

 

「ううん、他のお客さんはこっちのやり取りに気づいてなかったみたいだから大丈夫だよ」

 

「そうか……いや、それならいい。私のことも気にしないでくれ」

 

「そ、そう……」

 

すると、マリアが一夏の耳元で囁いた。

 

「一夏」

 

「あ、ああ」

 

「あの女は、二度と相手をするな。あちらが近づいてきても、無視をしろ。いいな」

 

「……恨みでもあるのか?」

 

「直感だよ」

 

マリアは一夏に背を向け、静寐に話しかける。

 

「すまないな、静寐。厨房室を任せてしまって。もう大丈夫だ、私が戻るよ」

 

「うん。また何かあったら言ってね」

 

マリアは静かに厨房室へと戻っていった。

 

「ありがとう、鷹月さん。最近、こういうISの装備の話をされるのがやたらと多くて……」

 

「ううん、いいのいいの。織斑くんも大変だね」

 

すると静寐が時計を見て、何か考え込んだ後、一夏を見た。

 

「織斑くん、次休憩入っていいよ。学園の中、色々見て回ってきたら?」

 

「え、いいの?」

 

「そうねぇ……30分くらいなら平気かな」

 

「じゃあちょっとお願いしようかな」

 

他の所も見て回りたかった一夏は、休憩を貰えることに喜びを見せた。すると突然、誰かが一夏の腕に抱きついた。

 

「では一夏さん!私と参りましょう♪」

 

抱きついてきたのは、満面の笑みを浮かべたメイド服のセシリアだった。

 

「セ、セシリア!」

 

途端に一夏の顔が赤くなった。強く抱きつかれているから、なんだか柔らかい感触を感じないわけでもない……という変なことを考え、余計に緊張していく。

 

「待て!そういうことなら私も!」

 

「よし、行くぞ!嫁!」

 

すかさず箒とラウラもそばに来て、一夏を引っ張って行く。すると後ろから静寐が引き止めた。

 

「こらこら!皆一緒に行っちゃうと、お店が困るでしょ!ジャンケンで決めたら?」

 

ジャンケンという言葉に、セシリアと箒とラウラの間で火花が飛び交う。すると厨房室の方からひょこっとマリアが顔を出した。

 

「私も混ざろうか?」

 

「マ、マリアさん⁉︎」

 

「ふふ、冗談だ」

 

笑いながらマリアは厨房室へと引っ込んでいった。セシリアがホッと息を吐く。

 

「では、いくぞ。ジャン、ケン────!」

 

箒の掛け声で、少女たちは拳を突き出す。勝負は一度で決まったようだった。



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第49話 灰被姫

頭の中ではスタイリッシュな戦闘を映像化出来てるのですが、それを文字に起こすのは至難の技です笑


『吹奏楽部展示』と表示された教壇のディスプレイの前で、一夏とセシリアは座っていた。此処では吹奏楽部の楽器を実際に体験できるということで、一夏はホルンを吹いており、その横で先ほどのジャンケンに勝ったセシリアが優しく見守っていた。

 

「おお!音が出た!」

 

「織斑くん、スジいいね〜。入部しない?」

 

吹奏楽部の先輩が一夏を軽く誘ってみる。

 

「いや、俺はちょっと……セシリアなんてどうですか?」

 

「わ、(わたくし)?管楽器はやったことありませんの……」

 

「そうなのか?フルートとか似合いそうだけどなぁ。なんか、深窓の令嬢って感じで」

 

「深窓の、令嬢……ふふ」

 

セシリアが嬉しそうに微笑んだ。

 

「他の楽器も持ってくるね」

 

「ありがとうございます」

 

吹奏楽部の先輩がその場を離れる。一夏もセシリアに微笑み、ホルンを手渡した。

 

「ほら、やってみ」

 

ホルンを渡されたセシリアの目が、一点に集中する。口を付ける部分……つまりマウスピースだが、このままセシリアが吹くと間接キスということになってしまう。一瞬でそれを悟ったセシリアは、顔が真っ赤になった。

 

「あ、あの……これ……」

 

「ん?どうしたんだよ」

 

「そ、その……間、接、キ、キス………」

 

「え?」

 

セシリアの消え入るような声に、一夏は聞き返そうとした。しかし、セシリアの視線の先にあるマウスピースに気付き、一夏自身も一気に顔が赤くなった。

 

「あ、す、すまんセシリア!無理して吹かなくても────」

 

ボォーーーン

 

一夏が止めようとするのを構わず、セシリアは赤い顔のまま勢いよく口をつけ、息を吹いた。ホルンは初心者の割には思いの外良い音が出たらしい。

セシリアが静かにマウスピースから口を離す。

 

「セ、セシリア……その………」

 

なんと言葉をかけて良いのか分からない一夏が、セシリアを見た。セシリアも考えていたことは同じだったらしく、こちらを見る。

 

「………ふふっ」

 

とても赤く、恥ずかしそうな笑顔で、セシリアは一夏に微笑む。そしてセシリアはほんの一瞬、その唇を舌で舐める仕草を見せた。その直後に、セシリアは無意識にそのような仕草をしてしまったことに恥じらいを感じ、手で口元を隠し、オホホホと焦りながら作り笑いをした。

貴族であるセシリアなら、そのような仕草は絶対にしないだろう。だからこそ、彼女の蠱惑的な一瞬の表情を、一夏は忘れることができなかった。心臓が高鳴る一夏の中で、彼女の仕草に対する恥ずかしさと、誰も知らない彼女の顔を見れたことに対する優越感とが入り混じっていた。

 

 

 

 

 

 

「よし!仕事に戻るとするか!」

 

セシリアと休憩時間を満喫した一夏は再び一組へと戻り、喫茶店の仕事を始めようとする。

 

「ん?」

 

いつのまにか自分の目の前に人がいたので見てみると、そこにはメイド服姿の彼女がいた。

 

「じゃじゃ〜ん」

 

「おわっ⁉︎た、楯無さん⁉︎」

 

『神出鬼没』と書かれた扇子を片手に、楯無はフフフと笑っている。

 

「ときに一夏くん……生徒会の出し物、観客参加型演劇に協力しなさい!」

 

「……はい?」

 

 

 

 

 

 

楯無に強引に引っ張られてやって来たのは第1アリーナの男子更衣室だった。

 

「じゃあこれに着替えたら、ステージに来てね」

 

そう言われて渡されたのは、王子様の衣装だった。事情も何も説明されてない一夏は、只々反応に困るしかなかった。

 

「それと大事なのは……はい、王冠♪」

 

楯無が一夏に小さな金色の王冠を渡す。

 

「あのー、脚本とか何も教えられてないんですけど……」

 

「大丈夫大丈夫!基本アドリブのお芝居だし、こっちからも指示を出すから♪それじゃあヨロシクね、一夏くん♪」

 

そう言って楯無は更衣室を出ていった。一夏は溜息を吐き、渋々渡された衣装に着替え始めた。

 

 

 

 

 

 

第1アリーナの天井が閉じられ、アリーナ内は静寂と暗闇が支配する。そして、マイク特有の金切り音が一瞬響いた後、楯無の力強い声が響き渡った。

 

『さぁ、幕開けよ!!』

 

楯無に連れられ、「ここで待ってて」と言われていた一夏は、一体何が起こるのだろうかと展開を待っていた。すると突然、一夏のもとへといくつものスポットライトが当たる。

 

「え?」

 

『昔々あるところに、シンデレラという少女がいました』

 

一夏の戸惑いを余所に、楯無のナレーションは続いていく。

 

『否、それはもはや名前ではない』

 

「……?」

 

『幾多の舞踏会を抜け、群がる敵兵を薙ぎ倒し、返り血を纏うことさえ厭わぬ、地上最強の兵士たち!』

 

「は?」

 

『彼女たちを呼ぶに相応しい称号……それがシンデレラ』

 

自分の知っているシンデレラとはかけ離れた物語に、一夏は呆気にとられる。

 

『王子の冠に隠された軍事機密を狙い……少女たちが舞い踊る!!』

 

デーンと巨大ディスプレイに映し出された『灰被り姫(シンデレラ)』。同時に観客席からは歓声が沸き起こる。そしてアリーナ全体の明かりが点いた。

先ほどまで真っ暗で分からなかったが、一夏がいつの間にかいたのは王宮の中の様子を模倣したような舞台で、王宮ならではの白い柱や、赤いカーペットが敷かれた階段などがセットされていた。

 

『今宵もまた、血に飢えたシンデレラたちの夜が始まる────』

 

上から気配がして、一夏が王宮の二階部分を見た。そこにはシンデレラ姿の鈴がいた。

 

「鈴!」

 

鈴は二階から軽やかに舞い降り、一夏の前に立つ。そしてあろうことか、突然ナイフを投げつけてきた。

 

「おわっ!」

 

一夏は驚き、咄嗟に避ける。

 

「何すんだよ!」

 

「さっさとその王冠を寄越しなさい!」

 

鈴はナイフを手に持ち、一夏に向かってブンブンと振り回し、詰め寄っていく。

 

「殺す気かよ!」

 

『ちなみに、武器は安全な素材で出来ているので心配は無用で〜す』

 

「ほんとかよ……」

 

鈴が一夏にナイフを投げる。一夏がそれを避けると、後ろの柱にナイフが突き刺さった。ナイフもゴムで出来ているので本来は柔らかい筈なのだが、その突き刺さった様子を見て、一夏は何一つ信じれるものが無くなった。

 

「待ちなさいよ!」

 

「そんなわけにいくか!」

 

一夏が階段を上って逃げると、今度は一夏のそばを銃弾が掠めた。

 

「うわっ!だ、誰だ⁉︎」

 

銃弾の飛んできた方向を見ると、遠くの方でセシリアがライフルを構えているのが見えた。

 

「セ、セシリア⁉︎」

 

「一夏さん、王冠を私に!」

 

「お、王冠……?これか?」

 

一夏が頭に乗った王冠を手に取ると、突然一夏の全身に強い電流が流れた。

 

「うあああ⁉︎」

 

『王子にとって、『国』とは全て!王子はその軍事機密を、死んでも守らなければならない………ということで、王冠を奪われるとビリビリ攻撃が来るから、一夏くんは死ぬ気で守ってね♪』

 

「楯無さん!」

 

一夏が何処かにいるであろう楯無に怒っていると、またしても少女たちの攻撃が一夏に襲いかかる。

 

「余所見してる場合じゃないわよ!」

 

「次はガトリングですわ!」

 

「くそっ……!」

 

一夏は二階部分から一階に降りる。しかし鈴がその後ろをすぐ追い、一夏が着地して振り返ると、鈴はナイフを構え頭上を飛んでいた。

 

「やべっ……!」

 

「もらったぁ!」

 

一夏が腕で顔を隠した。

 

ガキィン────!

 

一夏が目を開くと、目の前には燕尾服を着たシャルロットがいた。シャルロットはガラス製の盾で鈴のナイフを防いでいた。

 

「シャル⁉︎」

 

「やぁ、一夏」

 

シャルロットが盾で鈴を押し返す。鈴は軽やかに着地し、再びナイフを構えた。

 

「シ、シャルも王冠が目当てなのか⁉︎」

 

するとシャルロットは笑顔で首を振った。

 

「ううん、違うよ。僕の任務はね………()()()()()()()()()()()()()────」

 

『シンデレラの宿敵……それは、王子に仕える()()(しもべ)!側近である彼女たちは、その命をなげうってでも忠誠を誓わなければならないのだ!』

 

()()……?」

 

「ハァアアアア!!」

 

鈴が素早い動きで此方に詰め寄る。それと同時にセシリアからの銃撃が押し寄せる。

 

「一夏、逃げて!」

 

「お、おう!」

 

シャルロットが鈴の攻撃を防ぎ、一夏は壁の向こう側へと向かう。シャルロットはセシリアの方も見ながら鈴の攻撃を防いでいた。シャルロットがセシリアを見る、その一瞬の隙を鈴は逃さず、走っていく一夏の王冠目掛けてナイフを投げる。

一夏は自分のもとへ向かってくるナイフに反応できたが、身体が意識に追いつかず、避けられない。しかし、ナイフは王冠には届かず、一夏の目の前で止まった。

恐る恐る一夏が目を開けると、そこには燕尾服を着たマリアが立っていた。ナイフを止めたのは彼女で、その華奢な指先でナイフを挟んでいた。

 

「もう一人の(しもべ)は、私だ」

 

ニヤリと笑い、マリアはナイフを手で回転させ、素早く鈴に投げつける。ナイフは鈴のドレスの肩の部分の布に刺さり、鈴は後ろの柱に肩が磔にされる形になった。

マリアは階段のそばにあった、先端が二股に分かれた長い棒状の燭台を手にし、ジャンプして鈴に目掛けてそれを振り回す。

 

「キャ!」

 

鈴は肩の部分の布を強引に引きちぎり、なんとか避け切った。

 

「シャルロット!一夏を連れて逃げるんだ!」

 

「うん!」

 

シャルロットが盾をかざしながら、一夏とその場を離れていく。そしてマリアは燭台を自分の前で回し、セシリアの銃弾を弾いていく。血に飢えた姫たちと、王子を守る(しもべ)たちの闘いは、ますます熱いものとなっていった。

 

 

 

 

 

 

シャルロットと一夏は王宮の屋上の方まで上ってきた。

 

「はぁ……はぁ……ここなら大丈夫かな」

 

「助かったぜ、シャル……」

 

二人は汗を拭い、束の間の休憩を取ろうとした。しかし、その時。

 

「安心するのはまだ早いぞ」

 

月夜(もちろん月は作り物である)に光る、小さな人影。それはサバイバルナイフを持ったラウラだった。

 

「ラウラ!」

 

「私もいるぞ」

 

ラウラとは反対方向から、またしても新たな人物が姿を表した。そこには木刀を持った箒がいた。シャルロットと一夏は両者に挟まれる形となってしまった。

 

「箒もか……」

 

「一夏、その王冠を私に渡せ。そうすれば、手は出さないと約束しよう」

 

箒が真剣な声で一夏に告げる。しかし、シャルロットはそれに対し拒否をした。

 

「悪いけど、僕とマリアも一夏を守りきらないといけないんだ」

 

「ふんっ……ならば、話は終わりだ!」

 

ラウラと箒が同時に一夏たちに向かって走り出した。

 

……そもそも、何故彼女たちはこれ程までに王冠に固執するのだろうか。それは、つい一時間程前に起きた出来事が原因だった。

 

 

─────────

───────

─────

 

 

戦劇が開かれる一時間程前。

楯無は箒とセシリアと鈴とラウラにとんでもないことを告げていた。

 

『一夏くんの王冠を取った人には、彼と同居できる権利を与えるわ』

 

呆気に取られる彼女たちは、ハッとした後に楯無に質問をした。

 

『で、でも……そんなことが……』

 

『できるわ』

 

楯無が力強く答えた。

 

『生徒会長の権限で、なんとしても可能にしてあげる♪』

 

でも、と楯無は続ける。

 

『それだと、演劇は彼の負けですぐに終わっちゃうから面白くない。だからシャルロットちゃんとマリアちゃん、貴女たちには一夏くんを守る役目を与えるわ』

 

『え、ええ?』

 

シャルロットが目を丸くする。マリアはテーブルを片付けながら聞いていた。

 

『もし一夏くんを最後まで守り切れたら、貴女たち二人には、高級ホテルのディナー招待券をプレゼントしてあげる♪』

 

『ええ⁉︎ど、どうするマリア⁉︎』

 

ディナー招待券と聞いて、マリアと二人で行けるとわかり、顔を赤くしながらシャルロットはマリアに聞く。するとマリアは微笑み、こちらを向いて、

 

『いいだろう。面白くなりそうだな』

 

と答えた。

 

『じゃあ決まりね!皆、一時間後によろしくお願いね♪』

 

 

─────

───────

─────────

 

 

ラウラがナイフを振り下ろす。

シャルロットがそれを盾で受け止め、腰に携えたハンドガン(銃弾はゴム製)を左手に持ち、引金(トリガー)を指で引っ掛けクルクルと高速で回しながら、ラウラの顔へとぶつけようとする。ラウラは顎を上げてそれを後ろへ身体を反って避け、そのままナイフを持っていた手で地面をつき、バク転をする。そして回転をしながら、ラウラはその脚でシャルロットのハンドガンを蹴り上げる。

 

「くっ!」

 

「甘い!」

 

ハンドガンは天高く飛んで行き、シャルロットは盾でなんとかラウラの素早い攻撃を防いでいく。なんとかラウラの攻撃を捌いてはいるが、不利な状況には変わりなく、シャルロットの顔に曇りがさした。

 

 

一方、一夏は箒の剣戟を必死に避けていた。

 

「くっ……ちょこまかと!」

 

自分の攻撃がなかなか決まらない箒は、だんだんとイライラし始める。そんな箒を見て、一夏は冷静に箒の刀と目を見る。

 

(一瞬でいい……隙が出るはずだ……ほんの一瞬の隙が………)

 

すると、箒が力強く縦に刀を一閃した。一夏が横にズレて避けると、刀の先が地面に突き刺さる。一夏はその一瞬を見逃さなかった。

 

「そこだ!」

 

大きく脚を回し、箒の刀を蹴り飛ばす。

 

「しまった!」

 

「よし!」

 

焦る箒を余所に、刀はクルクルと回りながら空中を舞っていく。

 

「一夏!逃げて!」

 

シャルロットが一夏に言った。

なんとラウラはシャルロットの防衛を走り抜け、空中をジャンプし、一夏が蹴り飛ばした刀をキャッチしたのだ。

 

「マジかよ……!」

 

「終わりだ、嫁よ!」

 

壁を蹴り、刀とともに一夏に急接近するラウラ。一夏はもうダメかと思い、腕で顔を隠す。

しかし、その時────。

 

「一夏!伏せろ!」

 

彼女の声だ。

一夏はその声に意識が追いつくよりも早く身体が先に動き、咄嗟に身体を屈める。

すると屈んだ一夏の背中に彼女がジャンプし、背中を合わせる形で、彼女は横になる。

燭台を持った彼女はその姿勢のままラウラのナイフを防ぎ、空からその場に落ちてきたシャルロットのハンドガンをキャッチする。

 

「マリア!」

 

助かった、という顔をする一夏。

マリアは一夏の前に立ち、ハンドガンを華麗に連射する。ラウラと箒はその銃撃から距離を取った。

 

周囲に静寂が渡る。

気づけば鈴とセシリアもこの場に到着し、四方を囲まれてしまった。

一夏とシャルロットとマリアは背中を合わせ、身を構える。

 

「さて、どうしようか」

 

マリアが二人に言った。

 

「な、なあ……この状況マズくないか?」

 

一夏が不安そうに言った。

 

「ハハ、一夏が怖がってどうするのさ。僕はこういうピンチ、嫌いじゃないよ」

 

シャルロットは余裕そうだ。

 

「フッ……同感だ」

 

マリアが不敵な笑みを浮かべた。一夏も二人を見て、自分を奮い立たせる。

 

「……そうだよな。二人とも、俺を死ぬ気で守ってくれ」

 

シャルロットとマリアは笑って頷いた。

 

「それで、この状況……どうする?王子様」

 

シャルロットが尋ねる。一夏は数秒間考えた後、二人に作戦を伝えた。

 

「ほんの少しでいいから、あいつらが油断する隙を作りたい。マリア、その銃……あと何発残ってる?」

 

「そうだな……七発くらいじゃないか?」

 

「十分だ。俺が合図したら、マリアのお得意の素早さで、あいつらの足元か持っている武器を狙って撃ってくれ。それと同時に俺があそこまで走って、屋上から飛び降りる。シャルロットは鈴とセシリアを、マリアは箒とラウラの相手を頼む」

 

「王子様は逃げ切れる?」

 

「残り時間も少ない。大丈夫さ。俺だって逃げ足は速いんだぜ」

 

「ふふっ、なら良かった」

 

「よし。シャル、マリア……頼むぞ」

 

「「仰せのままに」」

 

一夏は深呼吸をする。周囲に緊張が走った。

 

「3、2、1……今だ!!」

 

シャルロットがしゃがみ、一夏が走り出す。

そしてマリアが瞬時に、目の前のラウラと箒の武器に銃撃を浴びせ、そしてくるりと回転し、後ろの鈴とセシリアの武器も狙って撃つ。

シンデレラたちは武器を弾かれ、地面へと落としてしまった。

マリアが撃ったと同時に全速力で走り出した一夏は、屋上の塀を越え、大ジャンプをした。そして向こう側の建物にワイヤーを引っ掛け、空中を飛ぶ。

 

『さあ!ここでフリーエントリー組の登場です!果たして王子は最後まで逃げられるのか⁉︎』

 

遠くの方で、観客席と舞台を繋ぐ橋が架かる。するとそこから大量の観客たちがドッと走ってきた。一夏との同居の権利を狙う、新たなシンデレラたちだ。

 

「はぁ⁉︎聞いてねえぞ!」

 

地面に着地した一夏は樹々の密集したところへと入る。逃げながら、次は何処へ行こうかと走りながら考えていると────

 

ガコンッ!

 

「うわっ!」

 

突然、地面から足を掴まれた。一夏はそのまま地面の隠し扉の中へと引き込まれる。

 

ドンッ

 

床に落ちた感触がした。

 

「いってて……」

 

目を開くと、そこは普段良く使う更衣室の中だった。明かりはついていなく、視界もハッキリとしない。

しかし、目の前に誰かがいた。

 

「ここなら、見つかりませんよ」

 

女の声。

しかし、つい最近何処かで聞いた覚えのあるような……。

 

「ど、どうも……」

 

荒い呼吸をしながら、一夏は返事をする。その直後、一夏は目を丸くした。

 

「あれ、どうして巻紙さんが⁉︎」

 

その女は、先ほど自分にIS装備の交渉を持ち込んできた巻紙礼子だった。巻紙礼子はゆっくりと振り向く。

 

「はい……この機会に、白式を頂こうかと思いまして」

 

「……は?」

 

暗闇の中で、巻紙礼子がニヤリと笑う。

 

「いいから……とっとと寄越しやがれよ!」

 

ドンッ!

 

「ぐあっ!!」

 

突然、一夏は巻紙礼子に蹴り飛ばされ、後ろのロッカーへと叩きつけられる。

 

「ゲホッ、ゲホッ……あ、あなたは……一体……?」

 

「私か?企業の人間に成りすました、謎の美女だよ!!」

 

高らかに笑いながら、巻紙礼子は自身の身体から何本もの機械の脚を出現させた。その姿はさながら蜘蛛のようで、その目は獲物を狙うものであった。

 

「くっ……白式!」

 

一夏は白式を展開させ、身に纏う。

 

「待ってたぜ……そいつ(白式)を使うのをよぉ!!」

 

不敵な笑みを見せる蜘蛛の姿に、一夏の頰に一筋の汗がつたった。



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第50話 錯乱

長い間お待たせしてしまい、本当に申し訳ありません。
ゆっくりペースになりますが、なんとか完結に持っていけるよう再開していきたいと思います。
何卒よろしくお願いいたします。


「くらえ!!」

 

巻紙礼子の蜘蛛の脚部の砲門が一夏を狙い定める。

 

「くっ!」

 

砲門から発射されるレーザー弾を、一夏は後ろに避けた。

 

「ほう?やるじゃねえか」 

 

「あの時、喫茶店に来た巻紙さん……なんで……!」

 

一夏は巻紙礼子をキッと睨むが、彼女は不敵な笑みを浮かべていた。

 

「ハッ、仕方なく『巻紙礼子』なんて名前を名乗ってたけどなぁ、これ見てビビんなガキが!!」

 

巻紙礼子は両手を横に広げ、光を放つ。一夏が光から顔を腕で隠した。光が消えると、そこには先ほどのスーツ姿の彼女は居なく、不気味な色を纏った巨大な蜘蛛がいた。

 

「IS……⁉︎」

 

「そうさ、『アラクネ』だよ……こいつの毒はキツイぜ?」

 

ニヤニヤとした気色の悪い声で、蜘蛛は脚を動かす。

 

「ほらよ!」

 

蜘蛛はその数多の脚で大量のレーザー弾を発射する。一夏はロッカーの陰に隠れ距離を取るが、レーザー弾は容赦なくロッカーを薙ぎ倒していく。

 

「なんなんだよ、あんた⁉︎」

 

「ああ?知らねえのかよ?」

 

一夏の剣戟をあっさりと避ける蜘蛛。蜘蛛は幾つもの目で一夏をニヤリと見る。

 

「悪の組織の一人というやつかもなぁ?」

 

「ふざけやがって!」

 

「ふざけてねぇつうんだよガキが!!」

 

蜘蛛はロッカーを荒々しく蹴飛ばした。

 

「秘密結社・亡国企業(ファントム・タスク)の一人、『オータム』様って言えば……分かるかぁ?」

 

亡国企業(ファントム・タスク)……?」

 

「知らないのかい?じゃあ冥土の土産に教えてやるよ……ファントム・タスクがどんなに恐ろしい組織かってことをな!!」

 

オータムは脚部から幾つものレーザー弾を発射する。一夏はそれを避け、オータムと激しい攻防を繰り広げる。

 

(手数が多い……装甲も硬い……!)

 

一夏の額に汗が流れる。

一夏はオータムの動きをよく観察する。

 

(よく見ろ……相手の動きを……)

 

オータムが一夏の頭部目がけて脚部を鋭く突き出した。

 

「そこだ!」

 

一夏は瞬時に蜘蛛の懐に入り込み、突き出された蜘蛛の脚を斬り落とした。

 

「なにっ⁉︎」

 

「よし!このまま────!」

 

一夏はそのままオータムの身体に雪片弐型を斬りつけようとする。しかしオータムはそれを避け、一夏を強く蹴り飛ばした。

 

「ぐああ!!」

 

壁に叩きつけられた一夏。オータムが近寄り、一夏の頭を荒々しく掴む。

 

「小賢しいマネしやがって……」

 

オータムは右手から巨大な銃を発現し、一夏に向ける。

 

ドンッ!

 

「ぐはっ!!」

 

ドンッ!ドンッ!ドンッ!………

 

オータムは容赦なく一夏を撃ち続ける。

 

(マズイ……このままじゃ……)

 

一夏は力を振り絞り、白式のスラスターを吹かせた。そしてオータムの拘束を解き、距離を取る。

 

「ほう?やるじゃねえか!」

 

「うるせえ!」

 

一夏は雪片弐型を蜘蛛に振り下ろす。

 

「おっと!危ねえ危ねえなぁっと!」

 

オータムは銃とレーザーを同時に駆使し、一夏を追い込む。一夏はロッカーの壁に隠れ、蜘蛛を睨んだ。

 

 

 

 

 

 

「第1アリーナ・ロッカールームに未確認のIS反応です!」

 

モニター照準を蜘蛛に合わせた真耶が千冬に伝える。

 

「やはり学園祭を狙ってきたか。しかし、単機とは……」

 

クラス対抗戦でアリーナに侵入者が現れたこともあり、学園行事の隙を狙った襲撃は少なからず想定はしていたが、嫌な予想が的中したなと眉をひそめる千冬。

 

(数週間前、織斑とボーデヴィッヒがその場に居合わせた襲撃事件……あれと関係しているのか?)

 

千冬は以前起きた、一夏が夜に学園内の遊歩道にて何者かに襲撃されたという調査報告書を思い出していた。しかし結局あの調査に関しては、犯人の痕跡が何一つ見つからず、監視カメラ範囲外の場所で起きたため、未だにはっきりとした進展はみられていない。

 

「山田先生。敵の増援に警戒、一般生徒には避難命令を」

 

「了解しました!」

 

今は深く考えても仕方がない。真耶に命令を下した千冬は、次に専用機持ちたちの出撃編成を頭の中で組み立てていく。

 

 

 

 

 

 

「ったく…!一夏はどこに行ったのよ!」

 

「逃げ足の速いやつだ」

 

鈴と箒がムスッとした顔で呟く。

 

「大体シャルロットさんにマリアさん!貴女たちが一夏さんを庇ったりするから……」

 

「そ、そんなこと言ったって……」

 

王子を狙うセシリア姫に、王子の(しもべ)であるシャルロットは苦笑いをする。

 

「……」

 

一方、マリアは舞台に残った僅かな足跡を見て、深く考え込んでいる様子だった。

 

「どうしたマリア?何か思いつめているようだが」

 

「ああ、いや……」

 

ラウラの問いかけに軽く反応を示すも、マリアは相変わらず考え事をしている。

 

(変な胸騒ぎがする……あの教室内で僅かに感じた居心地の悪さだ……)

 

マリアの脳裏に、先ほど教室の喫茶店に来ていた一人の客が思い浮かんだ。

 

『一夏』

 

『あ、ああ』

 

『あの女は、二度と相手をするな。あちらが近づいてきても、無視をしろ。いいな』

 

『……恨みでもあるのか?』

 

『直感だよ』

 

そう、直感だ。その悪い直感が今になってまた甦ってきていたのだ。

僅かに残った足跡を目で追っていくと、舞台に植えられた草むらの根でキラリと何かが光った気がした。だが、視界に捉えるにはあまりにも細すぎて、マリアはすぐに見失ってしまう。

 

(糸…?)

 

やがてすぐ、アリーナ内にサイレンが鳴り響いた。専用機持ちの表情に、一気に緊張感が走り出す。

 

『ロッカールームに未確認のIS出現。白式と交戦中』

 

アリーナ内に響き渡る真耶の言葉に、一同は身を構える。

 

『専用機持ちは直ちにISを展開。状況に備えてください!』

 

「「「了解!」」」

 

専用機持ちたちはすぐさまISを展開する。マリアも皆に倣ってレッド・ティアーズを展開させた。

そして間もなく、管制室から千冬の指令が伝達された。

 

『オルコットと凰は哨戒につけ!』

 

「「はい!」」

 

アリーナ上空へ、セシリアと鈴が飛び立っていく。

 

『ボーデヴィッヒは織斑の援護。篠ノ之・デュノアはアリーナ内に危険物があるか、状況を調査。報告次第、ボーデヴィッヒと合流。マリアは教師陣と共に一般生徒のアリーナ外への避難誘導及び警護を。各自、出動せよ!』

 

ラウラはロッカールームへの通路、箒とシャルロットはまた別の通路へと向かう。マリアも急いで避難通路へと向かった。

 

 

 

 

 

 

「どこに隠れやがった?」

 

銃撃を止めたオータムは周囲を見渡す。男子更衣室とはいえ、広さは女子更衣室と同じくらいあるので、ロッカーの数はかなり多い。有利にも不利にもなる環境だ。

 

(……)

 

息を潜める一夏。幸いにも、隠れているだけで相手の機体から逃れることが出来ている。やはり蜘蛛、視認性はこちらの方が有利らしい。

 

「テメェが出てこねぇなら…────」

 

だがオータムは躊躇いなく、すべての装甲脚からレーザー弾を周囲に発射した。隠れた一夏をあぶり出すという強硬手段だ。

 

「意地でも出てきたくなるようにしてやるよ!」

 

(あいつ……力で押し切る気か…!)

 

レーザー弾は強烈で、このままではロッカーが潰れるのも時間の問題だ。

一夏は思い切って、少し離れた隣のロッカーへと移動する。だがオータムはそれを見逃さなかった。

 

「そこか!」

 

全装甲脚をこちらに向け、ありとあらゆる角度で発射してくる。正面から、頭上から、横から反射して迫ってくるレーザー弾をすんでのところで交わし、一夏はロッカールームを、オータムを中心にするようにしてグルグルと飛行し始める。

 

「チッ!ちょこまかと……!」

 

ロッカーの壁を駆使しながらレーザー弾から逃れている最中、一夏の頭である光景がフラッシュバックした。

 

楯無に嫌という程叩き込まれた、過酷な訓練の日々。

グラウンドに球体の付いた柱を立て、それを中心に円状に飛翔していく…────

 

『『シューター・フロウ』で円状制御飛翔(サークル・ロンド)、やってみて』

 

『スピードが落ちてる!円軌道から直線軌道へシフト!』

 

重心、座標、スピード制御、射撃方向、意識の割き方……そうだ、これはまさにあの特訓と同じ状況じゃないか。

 

(間合いが掴める!これなら……!)

 

一夏は気を引き締め、徐々にスピードを上げていく。なかなか捕まらない一夏に対し、苛立ちを募らせたオータムは銃を取り出し、レーザー弾と共に攻撃をする。

 

「うざってぇ…!とっととくたばりやがれ!!」

 

ほんの少しずつではあるが、レーザー弾の軌道が荒くなってきている。相手の集中力が乱れている証拠だった。

一夏はあえてブレーカーの近くで一瞬止まり、銃撃をこちらに集中させる。銃弾は見事にブレーカーを破壊し、ロッカールームは深い闇に包まれた。

 

「くっ…!小賢しいマネを!」

 

自身のレーザー弾と銃口から放たれる連続的な光は、さらにオータムの視界を眩ませる結果となった。

 

(相手の動きが手に取るように分かる……!)

 

カチッ!カチッ!

 

「ああ?」

 

直後、オータムの銃が弾詰まり(ジャム)を起こした。円状に飛行していた一夏は、その隙を見逃さなかった。

 

「今だ!」

 

瞬時加速(イグニッション・ブースト)で間合いを詰め、一夏は雪片弐型を振り下ろす。しかしその瞬間、オータムが不敵な笑みを見せた。

 

「っ…!?」

 

一夏とオータムを挟む真下から突然白い網目状の壁が現れ、一夏の両腕が拘束される。一瞬にして視界に入ったその壁が蜘蛛の糸だということを悟った時には、すでに遅かった。待っていたと言わんばかりに、オータムは自身の手から糸を放出させ、一夏を吹き飛ばしながらその全身を拘束した。

床に倒れたまま、一夏は起き上がることができなかった。顔を動かすだけでも精一杯なほどに、蜘蛛の糸は強力な粘着性を持っていたのだ。

 

「ハッ!やっぱガキだなぁ!真正面から突っ込んできやがってよぉ?」

 

ニヤニヤと糸を手繰りながら、オータムはこちらに近づいてくる。そして高笑いをしながら、一夏を磔のようなかたちにした。

 

「相手の考えを読めてるとでも思ってたか?手のひらで踊らされてるのが自分だったなんて、専用機持ちが聞いて呆れるぜぇ?」

 

一夏はキッとオータムを睨むが、オータムはそれをさらに楽しむかのように飄々とした態度だ。

 

「それじゃあ、お楽しみタイムといこうか」

 

オータムが取り出したのは、六角形の小さな機械だった。と思えば、突然六本の触手のような回路が出現するという気色の悪い造形だった。

オータムは機械を一夏の胸元に装着させる。すると六本の触手が一夏の胴体を締め上げ、非常に高圧な電流を流し始めた。

 

「うぁああああああああ!!!」

 

熱い。熱い。

全身の血が沸騰しそうだ。

一夏は危うく意識を失いかけそうになるが、すんでのところで正気を保つ。しかし長引けばもたない。なんとか脱出する方法を…────

 

「ハッハッハッ!そうそう、ついでに教えてやるよ!第二回モンド・グロッソでお前を拉致したのは、我々亡国企業(ファントム・タスク)だ!感動のご対面だなぁ?」

 

オータムの高笑いが響き渡る。それを聞いた一夏は、朦朧とする意識の中で過去の光景が蘇っていた。

 

死にかけた一本の蛍光灯。

古く錆び付いた車輪の音。

月の香り。

血の匂い。

助けに来た姉の声。

 

途端に一夏の身体の奥底で、どす黒く渦巻いた何かが頭を支配する。不思議とそれは、()()()()()()()()()()()()

 

「てめぇ…!!」

 

歯を食いしばり、身体を縛る機械と糸から逃れようとする一夏。しかしもがけばもがくほど、電流は身体を蝕んでいく。

 

「ああああああ!!!」

 

叫べば叫ぶほど、一夏は頭がおかしくなりそうだった。しかし叫ばずにはいられなかった。

少しでも正気を零せば、もう二度と人間に戻れなくなる気がした。

 

「お前にはもう用がないからこのまま殺してやるよ!」

 

「────あら、それは困るわ」

 

「!?」

 

突然聞こえた、誰かの言葉。

熱で溶けそうな空間を一閃するかのような、鋭い冷気。

 

「一夏くん、私のお気に入りだから♪」

 

崩れたロッカーの瓦礫の上に立つ、水色の髪の少女。それはこの学園の長だった。

 

「た…楯無さん……」

 

「てめぇ、どこから入った!?今ここの全システムはロックしてんだぞ!」

 

「私はこの学園の生徒会長。故に、学園のことは何でも知っているのよ」

 

「はぁ?何言ってんだテメェ!」

 

笑っているようだが、鋭い目で見下している。楯無の余裕な表情に、オータムは苛立つ。

 

「死にやがれ!!」

 

オータムが蜘蛛の脚を楯無に向けて真っ直ぐに伸ばす。先端は鉄をも切り裂く鋭利な形状をしており、まともに食らえば命の保証はない。

しかし楯無はそれを避けようともせず、

 

「っ……!」

 

無情にも、蜘蛛の脚は楯無の身体を貫通した。

 

 

 

 

 

 

14:53

第1アリーナ 観客席東A付近非常通路

 

「皆こっちだ!焦らず、冷静に前の生徒についていくんだ」

 

打鉄を纏った数人の教師陣と共に、マリアは観客席から流れ込んでくる生徒たちを誘導する。非常事態ではあるが、無闇に走るのを促すのはかえって危険性が高ます。不安そうな生徒たちの顔を少しでも和らげるため、マリアは落ち着いた声音でアナウンスをかけていた。

 

『第1アリーナ・東Aエリアの教師陣の方々、マリアさん、聞こえますか?』

 

ISのオープン・チャネルを通して聞こえてきたのは真耶の声だった。マリア含め、教師陣は返答する。

 

『只今第1アリーナにおけるほぼ全てのシステムがロックされています。いくつかの扉のロックは解除できましたが、他エリアでのサーモグラフィー装置から36.6℃〜37.2℃の熱反応を大量感知。まだ大勢が通路内に隔離されている可能性があります。東Aエリアの生徒たちの避難が完了したら、今から伝えるエリアに、各員速やかに出動してください』

 

そして、真耶から各員へ出動場所を割り振られる。マリアは北エリアの担当になった。ほどなくして東Aエリアの全生徒の避難が完了し、教師陣とマリアはそれぞれの場所へと散開する。

マリアは北エリアへと繋がる通路に向かう途中、ラウラにプライベート・チャネルを繋げた。本来任務中に余計な連絡は控えるべきだが、マリアは今ここで言っておかなければならない気がしたのだ。

 

「ラウラ」

 

『どうした、マリア?』

 

「……一夏を頼むぞ」

 

『案ずるな。任せておけ』

 

ラウラの頼もしい言葉に、小さく感謝を伝える。マリアはプライベート・チャネルを閉じ、目的地へと向かった。

 

 

 

 

 

 

14:55

第1アリーナ 南エリア地下通路

 

マリアからのプライベート・チャネルを終え、ラウラはロッカールームへと急いでいた。しかし目的地に着くまで何重もの扉がほぼ全てハッキングのためロックされており、足止めをくらっている。真っ直ぐに一夏のもとへ向かいたいのが本心だが、扉の解錠や破壊は一筋縄ではいかず、さらには通路内に危険要素が無いかも確認しなければならないので、無闇に走り抜けることは自殺行為に等しい。

 

(……マリアにしては珍しく不安げな様子だったな)

 

周囲に異常がないことを確認し再び走り始めたラウラは、ふとそんなことを思った。

ラウラにとって、マリアは比較的感情の起伏が少ないイメージがある。仲間内で冗談を言ったりして笑顔をもらすこともあるにはあるが、不安や焦りの表情をラウラは然程見たことがない。もちろん先ほどの通話でも極端ではないが、彼女にしては珍しく感じたのだ。

 

『確かに撃たれたんだよ!あいつは……俺の頭を狙っていた……!』

 

『……おそらく、恐怖感による気の動転もあるかもしれない。故に気を失ってしまったのかも……』

 

『本当だって!信じてくれよ!』

 

学園内の夜道で、一夏が縋りついてきたときのことを思い出す。

しばらく時間が経っていたため最近は考える時間は少なくなっていたが、ラウラはあの夜の出来事に、ずっと小さな違和感を感じていた。小さな違和感────しかしそれは、一度考え始めると思考の海に溺れそうなほどの感覚に陥れられるものだった。

あの夜の一夏は、かなり切迫した表情だった。「異常」…という言葉で片付けるにはあまりに一夏に対して冷酷であるが、ラウラの脳裏にはそんな言葉が一瞬よぎってしまったのだ。

あの現場には本当に何の痕跡も見つけられなかった。現在も水面下で調査が続けられているようだが、成果も何も見つからない調査報告ばかりが続いては、調査自体も形骸化が進んでしまう。まるで「襲撃された」……()()()()()()()と訴えるような表情────。

しかしラウラは考えすぎだと首を振り、頭を冷やす。どのみち今考えても仕方のないことだ。

 

ラウラは次の扉を何とか解錠し、あと少しでロッカールームへ着くところまで来ていた。

 

 

 

 

 

 

14:58

第1アリーナ ロッカールーム

 

「た、楯無さん…?」

 

蜘蛛の脚に貫かれてぐったりとした楯無の姿を見て、一夏はあまりに突然な出来事に全身から力が抜け落ちていくのを感じた。対して当人のオータムは、楯無を貫いたまま何も言葉を発しない。静寂が空間を包んでいた。

 

「手応えがないだと……?」

 

不審に思うオータム。すると死んだはずの楯無の口が、静かに笑った。

 

「!?」

 

オータムの顔が驚きに染まると同時に、楯無の全身は途端に液体となり霧散した。一夏は目の前で起きた出来事に理解が追いつかなかった。

 

「こいつは……水か……?」

 

消えたはずの霧は再び集合し、粒となり、流体となり、螺旋となり周囲を舞う。まるで超常現象のような光景に、オータムの思考は止まっていた。

 

「ご名答。水で作ったニセモノよ」

 

背後で声がしたオータムは咄嗟に前へ飛びながら振り向くが、迫り来る尖鋭なものを僅かに交わせず、胸元の装甲に傷を負う。周囲を舞っていた液体たちは、一夏を護るように集合し、流体はやがてISを纏った楯無へと変化した。

 

「あら、浅かったわ。そのIS、なかなかの機動性を持ってるのね」

 

「何なんだよテメェはよぉ!」

 

楯無のISは、一言で例えるなら『深い霧』だった。

水色がメインカラーの彼女の機体は、他専用機と比べて操縦者の身体を守る装甲が少なく見られるが、それをカバーするように機体の左右一対に浮いているパーツ(アクア・クリスタル)から水のヴェールが展開され、機体をほんの数ミリ空けて流動的に漂い覆っている。そして彼女の持つランスの形をした武器(蒼流旋)にも絶えず水が纏っていた。神秘的ともいえる独特な彼女のISは、しかし形のない謎そのものを具現化しているようだった。

 

「更識楯無……そしてIS、霧纏の淑女(ミステリアス・レイディ)よ。覚えておいてね♪」

 

怒りに身を任せ、ギリッと歯を食いしばるオータム。そして楯無に向かって脚部からレーザー弾を連発した。

 

「今ここで殺してやる!!」

 

「あら、なんていう小物発言かしら」

 

楯無は蒼流旋の先端から放出する水によってレーザー弾をいとも容易く防ぐ。しびれを切らしたオータムは射撃戦闘をやめ、近接戦で乗り込もうと両手にブレードを出現させる。ブレードとレーザー弾の交互で攻撃を仕掛けるが、思慮の浅い力任せな戦法は楯無の前では無力に等しかった。

すると、乱れた弾道を走る一発のレーザー弾が一夏の左手を拘束していた糸に命中した。左手の自由が戻った一夏はなんとか他の拘束部分も解きたかったが、左手だけではどうにもならない。武器を出現させたいが、胸元に装着された触手回路によるものなのか白式が上手く機能せず、もがけば痛みが走るのだ。触手回路を外そうと試みるが、掴むたびに全身が痛みに襲われる。あと少しのところで楯無の背中を守れない自分に苛立ちが募った。

 

全く攻撃が通じない楯無に、オータムの頬に汗が流れる。楯無から距離をとったオータムは、改めて周囲を見渡した。

 

「そんな攻撃じゃ、この水は破れないわ」

 

「ただの水じゃない……何なんだ!?」

 

「あら、鋭い♪」

 

オータムは焦った表情をしながらも、しっかりと楯無を見据える。

 

「この水はISのエネルギーを伝達するナノマシンによって制御されてるのよ。すごいでしょ?」

 

「っ……」

 

「ところで知ってる?この学園の生徒会長というのは、『最強』の称号であるということを」

 

「……」

 

するとオータムは瞬時に楯無に体当たりし、楯無の手足を掴んだまま壁に押し付けた。

 

「最強だと?笑わせんなよ!」

 

オータムは手のひらからレーザー弾を何発も放出し、零距離射撃で楯無を攻撃していく。やがてレーザー弾の粒子エネルギーが最大限にぶつかり合い、楯無は爆発に包まれた。

 

「楯無さん!」

 

一夏の叫びがロッカールームの静寂に響き渡る。爆発の煙が晴れると、楯無は機体を解除された状態で横たわっていた。意識はあるようだが、オータムは容赦無く彼女を放出した蜘蛛の糸で拘束し、首を掴んだ。

 

「これで終わりだ」

 

オータムは手のひらを楯無の眼前にかざし、エネルギーを蓄積していく。生身の彼女にレーザー弾が当たれば間違いなく絶命してしまう。

しかし、当の楯無は頬に汗を一筋流しながらも、涼しげな表情をしていた。

 

「────ねぇ……この部屋、暑くない?」

 

「はぁ?」

 

「気温じゃなくて、人間の体感温度が」

 

「何言ってやがる?」

 

「『不快指数』っていうのは、湿度に依存するのよ。“湿度”────高くない?」

 

楯無はニヤリと笑い、勝ち誇ったような表情を見せる。

 

「────霧は隙間から、装甲の中まで入り込む」

 

「……!?」

 

オータムの身体の周囲をはじめ、ロッカールーム中の霧が濃くなっていく。オータムはこの後何が起こるのか、本能的に感じ取ったようだ。

 

「そう……その顔が見たかったのよ」

 

小さな冷たい笑いが、楯無から聞こえてくる。

 

「己の失脚を知った、その顔がね────」

 

パチンッ!

 

楯無が指を鳴らすと同時に、オータムの装甲が爆発を引き起こした────。

 

 

 

 

 

 

15:04

第1アリーナ 西エリア非常通路

 

「こちらBルート、異常なし。箒、そっちは?」

 

「Aルートも異常なしだ」

 

シャルロットは構えていたアサルトカノンの銃口を下ろし、箒も左手の空裂(からわれ)を構える力を緩める。近距離戦闘型の箒と、中距離戦闘型のシャルロット。思えば、今回の千冬からの出動割り振りは最善の選択内容だと言える。

まず、アリーナ及び学園上空の哨戒を任されたセシリアと鈴のペア。セシリアは完全遠距離型のスナイパーなため、学園に新たな敵の襲撃が来ようとしても、それを一番に察知できる能力を有している。しかし仮に接近戦になった場合、セシリアはほぼ必然的に不利な状況に立たされるが、それをカバーできるのが鈴の機体だ。

鈴の機体・甲龍(シェンロン)は、双天牙月を用いた近距離戦闘から龍咆を用いた遠距離戦闘まであらゆる戦闘状況に対応できる。敵を遠方に確認した時は二人で遠距離攻撃、学園内に侵入された場合は鈴が近距離で攻めながら、セシリアが遠距離からそれをカバーする。この二人はプライベートでは意見が食い違うこともままあるが、戦闘においては貴重なバディ同士と言えるかもしれない。

そして箒とシャルロット。主に近距離型の箒は紅椿という強力な専用機を有しているが、実戦経験は他専用機持ちと比べてまだまだ浅い。それをカバーするのが中距離タイプのシャルロットだ。仮にセシリアが箒とペアになったとしても、建物内で戦うには遠距離型の操縦士はあまりにも不利になる。

ラウラは生粋の軍人育ちであり、目標を排除するために取る行動を一番理解・実行できる人材だ。千冬も一年間ラウラを見てきただけあって、戦略面に関しても評価している部分がある。主にはレールガンを用いた遠距離型ではあるが、ワイヤーブレードやプラズマ手刀も持ち合わせているので近距離にも対応できる。

そしてマリアは、戦闘方法や潜在能力的にも彼女が最も強い可能性がある。だからこそ、彼女は生徒たちを守る盾の役割を果たさなければならない。どれだけこちらが攻撃を仕掛けても、砦が討ち破られればそれまでなのだ。

あの時咄嗟に判断した千冬を振り返り、シャルロットも「自分も瞬時の判断能力を鍛えなければ」と痛感した。

 

「危険物といっても、これといって手がかりがないな……」

 

箒が小さくため息を吐く。目の前に明確な敵がいるのとは違い、あるかどうかもまだ分からない障害物を見つけ出す任務は、なかなかに神経のすり減る作業だ。一度安全を確認したポイントでも、本当に大丈夫かどうか後から不安になってくる。それはある意味悪魔の証明に似通っており、ある程度実戦経験を積んでいる人間ならばまだ心持ちが違うかもしれないが、箒にとってはまだまだ難しいようである。

 

「どうする?一先ず状況を報告して、再度織斑先生の指示を仰ぐか?」

 

「そうだね……もう少し様子を見た方がいいと思うけれど……」

 

しかしシャルロット自身も、決して油断をしているわけではないが、本当に危険物が仕掛けられている可能性は極めて低いだろうと判断していた。これまで箒とともにアリーナ内の通路を警戒してきたが、何も見当たらなかったのだ。

ここで無闇に動き回るよりかは、箒の言う通り一度状況を報告した方が良いと思い、シャルロットは箒に管制室への連絡を頼んだ。箒も頷き、オープン・チャネルの画面を見ながら通路突き当りの方へ歩いて行った────。

 

「ん?」

 

「どうしたの?箒」

 

箒がこちらを振り返った。

 

「いや、今私の肩に触れなかったか?」

 

「え?ううん」

 

「そうか……ただの勘違いだったようだ」

 

箒は背中を向け、オープン・チャネルのボタンをプッシュする。箒が管制室の真耶・千冬と話している後ろで、反対側の通路を見ていた。

すると、シャルロットは視界の端で何かが反射したのを感じた。

 

(え…?)

 

目を向けても何も見つからず、気のせいかと落ち着く。しかしまた、視界の端で何かが光ったのを感じた。シャルロットは目を凝らし、じっと空間を見つめる。無意識に、シャルロットの頬から小さな汗が滴った。

 

その瞬間。

 

BEEP!!BEEP!!

 

けたたましく鳴る警告音とともに、シャルロットの視界内のHUDが一気に赤く染まっていった。その意味を本能的に理解したシャルロットは、すぐさま振り返る。

 

「箒!危ない!」

 

シャルロットは全力で箒に飛びかかり、箒を強く抱きしめた。



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第51話 蜘蛛

15:04

第1アリーナ 上空

 

「セシリア、何か確認できた?」

 

鈴は、学園より向こうの海上をスターライトmk.Ⅲで見張っているセシリアに声をかける。やがてセシリアも、スコープから目を離した。

 

「いいえ、何も……」

 

「そう……」

 

管制室にいる真耶たちから出動時のブリーフィングにて報告されたのは、「単機での侵入の可能性が高い。しかし陽動の可能性もあるので厳重に警戒せよ」との内容だった。もちろん警戒を怠るつもりはないが、出動してからというものの、こうも敵の気配がなくてはかえって居心地が悪い。

鈴はふと、気になることをセシリアに呟いた。

 

「────今回の戦陣だけど」

 

「はい?」

 

「セシリアはどう思う?」

 

鈴は何かを勘ぐっているような表情だ。うっすらと、セシリアは彼女が何を言いたいのか感じ取ったが、一先ず無難に返事をする。

 

「そうですわね……恐らく織斑先生の采配だと思いますが、考えられるバランスとしては最善の構成ではないでしょうか」

 

「そう…そうよね。でも、()()あると思わない?」

 

()()、とは?」

 

鈴はアリーナを見下ろして、呟く。

 

「一夏の援護にラウラが向かったのは、実戦経験のある人間として相応しいと思うわ。でも一方で、マリアもかなりの戦力を持っていると思うの」

 

「同意しますわ。しかし、だからこそマリアさんには生徒たちの盾となってほしいと考えたのではないでしょうか」

 

「それも考えた。私が言うのも情けないけど、正直一夏の援護を一番上手くできるのはマリアじゃないかって。でも先生たちは、マリアを第一線から外している」

 

「……」

 

()()()()()()、だとしたら?」

 

セシリアは黙る。鈴は言葉を続けた。

 

「臨海学校の件……マリアは私たちが福音と戦っている一方で、行方不明になっていた。その間の行動内容は不明だけど、きっと学園側も彼女を疑っているはず」

 

「……」

 

「一夏と同じところに送り込めば、監視の余裕はない。けど、生徒の避難援護……いや、教師陣のそばに送り込めば、監視カメラに加え、教師たちの目もつく。何か不可解な行動があれば、すぐに察知できる」

 

ま、その監視カメラが作動してるかは分かんないけど、と鈴は付け足した。

セシリアは、福音を倒して旅館へ帰ってきた時の真耶の言葉を思い出す。

 

『正直……私も織斑先生も、この一件でマリアさんのことをかなり疑ってしまっています。ただでさえ素性が分からないのに、このタイミングでこのようなことを起こすなんて……』

 

しかしマリアが普段から心優しい人物であることも、ましてや学園の侵入者の幇助をしたわけではないことも知っている。だからこそ、疑いきれないと。

 

「鈴さんは、マリアさんを疑っていますか?」

 

鈴は顎に手を添え、しばらく考え込む。

 

「分からない……でも、正直信じきれない気持ちもあるわ」

 

鈴は顔を上げ、セシリアの目を真っ直ぐに見る。

 

「セシリアはどうなの?」

 

「……」

 

「確か、イギリスにも一緒に行ったんでしょ?マリアを、信じられるの?」

 

「私は……────」

 

しかしその瞬間、二人の会話は中断された。

突如アリーナから聞こえた異常発生に、目を奪われたからである。

 

 

 

 

 

 

15:02

第1アリーナ ロッカールーム

 

楯無の清き熱情(クリア・パッション)による水蒸気爆発により、ロッカールーム内に煙が立ち込める。

「ミステリアス・レイディ────『霧纏の淑女』を意味するこの機体は、水を自在に操るのよ。エネルギーを伝達する、ナノマシンによってね」

 

徐々に晴れてきた煙の内から、装甲に損傷を負ったオータムが現れる。オータムは静かに楯無に声を放った。

 

「……まだだ」

 

「いいえ、もう終わりよ」

 

楯無は冷たく言い放ち、後ろに微笑みながら声をかけた。

 

「ね?一夏くん♪」

 

するとそこには拘束を解かれた一夏が立っており、オータムを真っ直ぐに見据えていた。

 

「雪片弐型、最大出力!」

 

一夏は両手で構えた雪片弐型を、オータムに高速で接近し上から振り下ろす。オータムはそれを両手で受け止めるが、一夏もジリジリと力を加えていく。

するとオータムが、眼前に迫る一夏に口元を歪ませる。そして一夏にしか聞こえないくらいの声で囁いた。

 

「へぇ……織斑一夏、お前も人生を狂わされたな」

 

先ほどまでの雰囲気と違うオータムに、一夏は警戒を強める。

 

「……何が言いたい?」

 

「お前も、もう引き返せまい。だが私はちがう。私はお前を殺すことで、()()()()()()()()()()()()からだ」

 

オータムの言葉の意味が分からない一夏。

 

「醜いな、織斑一夏」

 

「……なんだと?」

 

「この学園の者など、お前には何一つ守れやしない」

 

「……黙れ」

 

 

 

「────()()()()()()()()()()()

 

ギョロ

 

「!?」

 

その瞬間、オータムの頭部がパックリと割れて、大きな瞳が現れた。一夏はそれを見た途端、強烈な頭痛に襲われる。

 

「うぁあああああ!!」

 

頭を抑え、痛みを振り払おうとする一夏。だがオータムがその隙を許すはずもなく、一夏を吹き飛ばした。

 

「一夏くん!?」

 

突然の出来事に驚く楯無。楯無は蒼流旋を構え、オータムを睨む。しかしオータムを見ても何一つ姿は変わっておらず、楯無はオータムが一夏に何をしたのか見当がつかなかった。

脳の内側からけたたましく鈍い痛みが響く一夏は、苦しみながら蜘蛛を見る。しかし蜘蛛の頭部には何もなかった。

 

(気のせいか……いや、そんなはずは……!)

 

すると突然、オータムの背後で大きな物音とともに扉が破られた。扉を破ったのは援護に駆けつけたラウラで、レールカノンを構えていた。

 

「侵入者よ、そこまでだ!大人しく投降せよ!」

 

オータムは振り返りラウラを見ると、

 

「────ふん、()()()()()のおでましか」

 

「……なに?」

 

オータムの挑発に、ラウラは眉をピクリと動かす。しかしオータムは飄々とした佇まいで、ニヤリと笑った。

 

「まぁいいさ。お前もやがて()に堕ちる時がくる。すでにその片鱗は、お前に取り憑いている」

 

そしてオータムは苦しんでいる一夏を見た。

 

「邪魔が入ったな、織斑一夏。私はいずれまた戻ってくる。それまで白式は預けておくぜ」

 

「あら、このまま逃げられるとでも?」

 

楯無はオータムを睨む。しかしオータムは自身に向けられた蒼流旋に微塵も焦ることなく、見下すような目つきで楯無を見た。

 

「ああ、そうさ。()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

後ろでレールカノンを構えていたラウラが、視界に細く一閃とした光が走るのが見えた。ラウラは目を凝らしてよく見る。

 

(糸……?)

 

静寂が闇を包む。音もない世界で、オータムは静かに呟いた。

 

「お前が私の引き立て役となってくれたおかげで、私も安心してここを抜けられる」

 

「……何が言いたいの?」

 

「────『蜘蛛の糸は、物質科学の神秘だ』と言われているのを知ってるか?人間の毛髪の10分の1の細さであるにも関わらず、その強度は恐ろしく高い。もちろん、()にもな」

 

周囲に、深く濃い霧が充満し始める。

 

「私は蜘蛛(アラクネ)だ。自分の巣も作らずにわざわざ攻めてきたと思うか?」

 

楯無の頬に、一筋の汗が流れる。胸の内がざわめく感覚がする。

 

「巣に凝結した水分はある程度まで溜まると、表面張力に従い滑らかな接合部の表面を伝って、やがては大きな水滴になる……」

 

「……あなた……まさか……!」

 

「蜘蛛は糸に含ませた水を、そして熱を……自在に操ることができる」

 

すると、先ほどまで霧纏の淑女(ミステリアス・レイディ)から放出されていた霧が、突然無数の大きな水滴となって出現した。しかしそれはよく見ると浮遊しているものではなく、その水滴ひとつひとつの間に無数の糸が張り巡らされていると分かった時には、すでにオータムは勝ち誇った目をしていた。

 

「もう遅い。()()()()は、神をも凌駕する────」

 

 

 

 

 

 

15:01

第1アリーナ 観客席北A付近非常通路

 

マリアは北エリアに取り残されている生徒たちを救出すべく、全速力で走っていた。走り抜けながら、マリアは頬に汗を流す。

 

(やけに蒸し暑い……気のせいか?)

 

マリアはアリーナ内の気温が、先ほどよりもほんの少し高くなっているような気がしていた。全般的に、ISの基本システムには搭乗者の体温調節機能が多少備わっているが、もちろん過度な運動をすることで汗をかくこともある。しかしマリアにとっては今のところ過度な運動ではなく、自身に潜む不安の表れなのかもしれないと結論づけた。

まもなくマリアは北エリア・Aの扉の前に辿り着いた。マリアは扉の向こう側に声をかけてみる。

 

「中に誰かいるか!?聞こえたら返事をしてくれ!」

 

すると扉の奥からすぐに返事が聞こえた。

 

『マリアさん!?』

 

「その声……静寐か!?他の生徒たちは!?」

 

『皆ここに閉じ込められてるの!扉もロックされて開かなくて……』

 

「よし、分かった。扉から離れてくれ!」

 

マリアは落葉を展開し、扉を一閃する。そして左右真っ二つに割れた扉を蹴り飛ばした。観客席の中には静寐の他に、数十人ほどの生徒が残っていた。

 

「皆慌てず、落ち着いて外へ出るんだ。この先に非常通路がある。他の教師陣もそこで生徒たちの誘導をしているはずだ」

 

マリアの指示に従い、生徒たちはぞろぞろと非常通路へ避難し始める。すると静寐がマリアの方に近づき、ホッとした表情を見せた。

 

「ありがとうマリアさん……一体何が起こってるの?」

 

「ここから少し離れたところに侵入者が現れた。今は一夏とラウラが応戦している。他の専用機持ちたちも、アリーナの安全確保のために動いている最中だ」

 

「そうだったのね……」

 

「静寐も早く避難しろ。私は奥の観客席も見てくる」

 

「奥の観客席……?」

 

静寐と分かれ、マリアは奥の観客席・北Bの方へ足を運ぶ。観客席も一つのエリアだけで相当広く、マリアが北Bの扉の前に着いた時には、先ほどの生徒たちの足音も随分と遠くなっていた。

 

「ここか……」

 

マリアは落葉を構え、扉を一閃する。そして、扉を蹴り飛ばそうとしたその時。

 

「待ってマリアさん!」

 

なんと避難に向かわせたはずの静寐がこちらに走ってきていたのだ。長い距離を走り、静寐は肩で息をしていた。マリアは驚いた顔で声を上げる。

 

「何をしている!早く避難へ向かえ!」

 

「おかしいの!そっちのエリアには、誰も入っていないはずよ!」

 

「だがこの中から生徒たちの熱反応も感知されてると、管制室から指示されている!どのみち確認しておくに越したことはない」

 

「待って!そこは元々閉まっ────」

 

ダァン!

 

マリアは切った扉を蹴飛ばし、中へ入る。観客席は暗闇で、ジメッとしていた。

 

「誰かいるか!?今すぐ避難するんだ!」

 

マリアの声が反響する。マリアはそのまま奥へと進んだ。

すると暗闇の中で、誰かが動くのが見えた。怖がっているのだろうか、返事がない。しかしマリアは落ち着かせるように、生徒のもとへ近づき手を差し伸べる。

 

「安心しろ。敵は遠いところにいる。非常通路はしっかりと安全に────」

 

ピチャッ

 

マリアが生徒の手に触れると、人間とは思えないような手触りがした。人間の手にしてはやけに濡れて、粘着性のある……

 

 

 

 

ジリリリリリリリリリ!!!!

 

突然、サイレンとともに赤いランプが暗闇の中を放射状に照らした。暗闇の中を回転する赤い光に照らされたのは、観客席中に存在していた大量の人────人間の形をした“(ダミー)”だった。人間の形をした糸たちは、マリアの前で蠢いている。熱反応はここからだったのか…?

 

「まさか……」

 

ジメジメとした空気が、一段と濃くなる。

 

湿った空気が無数の水滴となって、暗闇の中に散りばめられた星のように光り輝く。

 

あらゆる時間と空間が、ゆっくりになる感覚。

 

マリアはすぐさま振り返り、入口の側で不安な顔をしていた静寐に向かって走る。

 

「静寐、危ない────!」

 

マリアの後ろで、急激に温度が高くなる。灼熱のような空気が迫る中、マリアは静寐に飛び込み彼女を守るように抱きしめる。

 

そして糸たちは急激に膨張し、破裂する。

 

大爆発の炎が、マリアを襲った────。

 

 

 

 

 

 

一瞬の内に、目の前にいた楯無さんが、逆さになった。

 

 

いや、逆さになったのは俺だった。大量にある周りのロッカーが宙に浮き、ガラスの破片が、光が、飛び交っている。

 

 

全ての光景が、あらゆる空間と時間がスローになり、縦横無尽に動いていた。

 

 

やがて楯無さんは煙に包まれ、爆風が俺の身体に迫る。

 

 

壁に打ちつけられ、鋭い耳鳴り音が空間を支配した。

 

 

吹き飛ばされ、倒れ臥した俺の目に映ったのは、額から溢れ出す血だった。

 

 

俺の血は、こんなに濁っていただろうか?

 

 

背中が激しく重くなる。天井が崩れ、俺は瓦礫の下敷きになったのだろう。

 

 

意識はゆっくりと焦点を失い、闇に誘われる────。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ふと目が覚める。

次第に聴こえてきたのは、鳴り響くサイレンの音と雨の降る音だった。次に戻ってきたのは嗅覚で、水滴に混じった煙の臭いが泥のように顔に(まみ)れる。

ほどなくして、瓦礫から顔に滴ってくる雨はスプリンクラーの水だということが分かった。ここから脱出しようと、瓦礫に手を伸ばす。

瓦礫から抜け出し何とか立ち上がると、天井に大きな穴が空いており、そこからアリーナの光が射し込んでいた。

 

(そうだ……アイツを追わないと……)

 

白式の視界映像HUDの時刻表示はほとんど時間が進んでいなかった。長い間気を失っていた感覚だったが、ほんの一瞬の間だったらしい。まだ(オータム)は逃げきれていないはずだ。

ひどい頭痛がする。全身が痛む。他にも腕や足を怪我しており、今は白式のおかげでやっと歩ける状態だ。

まだふらふらとする頭を抑え、一夏は力を振り絞って瓦礫とロッカーの山を上り、天井の穴へと手を伸ばす。そしてアリーナへ上がると、アリーナ中が深い霧とスプリンクラーの雨に覆われていた。少し遠くが見えないほどに、視界は悪い。

 

ピーーーー

 

『一夏くん!……答して……ザザッ…』

 

『前方に未確認の……リーナ中に…』

 

『こちらオルコッ……敵の位置が見つから……』

 

『大量の熱……管制室!スプリンクラーを止め…ザザッ』

 

『聞こえますか!?……管制室!…れか報告……』

 

通信が入り乱れては切れ、繋がっては消える。深い霧の漂うアリーナ内で、銃声と破壊音が反響している。周囲を見渡すと、いくつかのISの影が、何かと戦っている様子がうっすらと見えた。

 

(アリーナから出るなら、きっと奴は上に逃げるはずだ……上空に飛べば……)

 

「────よく眠ったようだな、()()()()

 

霧の中から声がする。囁いているようで心臓に深く到達してくるその声は、何処かで聞き覚えのある声だった。

ゆっくりと、ゆっくりと、前方から小さな足音がこちらに近づく。

やがて霧の中からうっすらと姿を現したのは、黒いマントを羽織った、自分の姉と瓜二つの顔をした()だった。

 

「お前は……!」

 

一夏は奥歯を強く噛みしめ、目の前の女を睨む。女は一夏の前で立ち止まり、飄々とした顔で静かに見据える。

 

「全く運の良い男だ。常人ならば死んでいる」

 

「何を言ってやがる!」

 

静かに鼻で嗤う女に、一夏は沸々と怒りを募らせる。つい先日自分に銃を向けた人間が、今まさに目の前にいるのだ。一夏も黙ってはいられなかった。

 

「なぜ俺を襲う?」

 

「“なぜ”?ハッ、可笑しなことを」

 

「何が目的だ?白式か?俺自身か?それとも学園か?」

 

「それはお前が一番よく分かっていることだろう」

 

そして、一夏はハッとする。

 

「そうか……お前もあいつ(オータム)の言う亡国企業(ファントム・タスク)の一員ということか……」

 

「……」

 

「第二回モンド・グロッソで俺を誘拐した……その主犯が────」

 

 

 

「────()()()?」

 

女の突然の言葉に、無意識に湧き上がる困惑と、ひどく脳を揺さぶられたかのような感覚に陥る。

 

「力もなく、弱い。誰よりも劣っていて、なんとも惨めな気分だろう」

 

「何を────」

 

「今すぐ私の首を絞め上げ、これ以上ないほどに痛めつけ、死を請うようにさせたい」

 

「だから、何を言ってるんだ!」

 

「お前の求める()は、誰かを守るためのものではない。目の前の人間を殺すための、ただ単純で、幼稚な道具に過ぎない」

 

「ふざけるな!そんなことがあってたまるか!」

 

しかしその言葉とは裏腹に、一夏の胸の底で、劣等とどす黒い欲が渦巻くのを感じる。一夏はそれを全力で否定しようと自己暗示するが、(マドカ)はそれを見逃さなかった。

 

「お前の気持ちは手に取るように分かるぞ。なぜなら()()()()()()()()、織斑一夏」

 

「黙れ……」

 

「『もっと力さえあれば、他の皆が傷つくこともなかった……だが今ここで目の前の女(ワタシ)を殺せば、まだ取り返しはつく』……さしずめそういったところか」

 

「黙れって言ってんだよ!!」

 

一夏は沸き上がる感情のままに雪片弐型を瞬時に展開し、女に詰め寄り振り下ろす。

 

「!?」

 

しかし斬りつけたはずの女はそこにはおらず、姿を消していた。

するとひっそりと、背後から女の声がした。

 

「────私への報復のつもりか?」

 

その声に振り返ると、目の前には黒色の()がいた。全身の装甲がまるで一匹のように佇むその蝶は、口元から上を隠している。しかしその隠された目は真っ直ぐに一夏を見ていた。

 

「いや、お前自身への報復……どちらでもいい。所詮何も変わらないのだから」

 

「お前……ISを……」

 

雪片弐型を握る手に汗が滲む。降りしきる雨(スプリンクラー)が、蝶の(はね)を伝って滴り落ちる。

 

「いいだろう。蜘蛛(オータム)が巣から消えるまでの時間稼ぎだ。少しだけお前の相手をしてやる」

 

「ふざけるな!これ以上好き勝手はさせねぇ!」

 

睨む一夏の目に、女の口元はニヤリと笑う。

 

「いずれお前も身をもって知るときがくる。弱者への愛には、いつだって殺意が込められているということをな────」

 

 

 

 

 

 

迂闊だった。

敵の策略にあと少し早く気づいていれば、ここまで重大な被害にならずに済んだのに。

楯無は焦りと悔しさでいっぱいになり、下唇を強く噛み締めた。

さっきまでいたロッカールームはほぼ全壊。アリーナ中に煙と霧が立ち込め、敵の位置さえも分からない。しかも恐らく、敵は爆発と同時に電波欺瞞紙(chaff)のようなものもばら撒いている。糸に僅かながらに含ませていたかは知る由もないが、おかげで先ほどから通信がほとんど断絶されており、まともに機能しない。

 

「一夏くん!応答して!一夏くん!!」

 

反応がない。この視界の悪さとレーダー感知機能が死んでいることで、一夏の居場所も、他の専用機持ちたちの状況も分からない。

楯無は、本来蒼流旋に纏わせる超高周波振動の水を解除し、ランスだけの状態で展開する。蒼流旋にはガトリングガンも装備されているから、攻撃としては使えるだろう。周囲で他の専用機持ちたちが戦っているのか、銃声が乱雑な反響となって耳に届いてくる。

楯無が周囲に耳を澄まし、敵の居場所を探っていると、どこからか何かが飛んでいる音が聞こえた。見上げると、霧の中を縦横無尽にジャンプしている巨大な影があり、そしてその影が突然目の前に飛んできて空中で動きを止めた。現れたのは、身体中から糸を何本も引っ掛けて、まるで巣の中心にいるような蜘蛛だった。

 

「残念だったなぁ?生徒会長さんよぉ」

 

オータムは装甲に傷を負っていながらも、ニヤニヤと余裕の表情を浮かべていた。

 

「よくも……!生きて帰られるなんて思わないことね……!」

 

「へぇ?舞台を仕上げてくれたのはあんたじゃねぇか。お前が私をすぐに殺さなかったおかげで、あんたの水は私の糸にしっかりと行き渡った。その間、私も馬鹿なふりをしているだけで事が上手く進み、楽だった。当然の結果だろ?」

 

「ふざけないで!決して許さないわ……報いを受けなさい!」

 

楯無は蒼流旋の先端をオータムに向け、一直線に間合いを詰めようとする。しかしその時、楯無は自分の足が全く動かないのを感じた。下を見ると、足首に白い糸が巻き付けられていることに気づく。

 

「何を……!?」

 

「悪いが今日のところは私も引き上げだ。後は残りの糸たちが相手するよ。じゃあな、虫にも劣る学園最強さん?」

 

「あなた……!」

 

「あぁそれと。スプリンクラーは止めた方がいいぜ?また同じ目に遭いたくなけりゃあな────」

 

楯無はハッとする。先ほどからアリーナ中にはスプリンクラーの雨が降りしきっていた。これでは蜘蛛の思うツボだ。

オータムは霧の中へと消えていき、しかしやがて、複数の人間の影が近づいてくるのが見えた。それはよく見ると、不気味なほどに真っ白い、糸で作られた人間たちだった。顔もなく、ただ枯骸(ミイラ)のようにのろのろと近づいてくる、声も出せぬ糸たちに、楯無は本能的に恐怖を覚える。しかし、足に纏わりつく糸がなかなか切り離せなかった。

 

「管制室!聞こえますか!?至急スプリンクラーを停止せよ!管制室!……クソッ!」

 

楯無の頬に雫が滴る。やがて糸たちがすぐ目の前に来た。楯無の心にほんの一瞬敗北の感情が生まれかけた、その時────。

 

ザシュッ!ザシュッ!

 

突然糸たちが真っ二つに切り裂かれた。人間の形をしたそれらはただの糸となって、地面に散らばり尽きる。切り裂いたのは、双天牙月を持った鈴だった。

 

「会長!大丈夫ですか!?」

 

「鈴ちゃん!」

 

「足を…!じっとしてください」

 

鈴は楯無の足に絡まった糸に気づき、彼女を解放する。

 

「ありがとう。他の子たちの状況は?」

 

「私とセシリアは爆発を聞きつけてアリーナ内に来ました。けど、この視界の悪さじゃ……」

 

二人が話していると、再び霧の中から人間の形をした糸たちの影が複数見えた。鈴と楯無は互いの背中を合わせ、武器を構える。

 

「会長、こいつらは!?」

 

「詳しく説明している時間はないわ。ただ、こいつらは水を吸収し、爆発する。厄介なものよ」

 

「一体何匹いるのよ…!」

 

「おそらくだけど、さっき鈴ちゃんが切ってくれたのを見る限り、こいつらの再生能力は低い……いや、ほとんど無いと思われるわ。そこで鈴ちゃん、あなたにはアリーナ天井のスプリンクラーを破壊してほしい。その後、この残された糸たちの殲滅を。途中他の子たちとも合流できたら、それを伝えて。この糸たち一人一人の水の含有量はそれほど高くはないはずだから、私の機体である程度爆発は防げると思う」

 

「けど、あの未確認のISは!?」

 

「敵は恐らく退いたわ。今は全員、学園の被害をこれ以上出さないことが最優先。さぁ、行って!」

 

鈴は頷き、上空へ飛んでいく。楯無は蒼流旋を構え、糸たちに立ち向かう────。

 

 

 

 

 

 

一夏は息を切らし、膝をつく。雪片弐型を地面に突き刺し、それを杖にして立ち上がろうとするが、力が入らない。傷は増え、すでに限界も近かった。

 

「────貴様も酷い姿だな」

 

雨が降りしきる中、女は呟く。

 

「まぁ、いずれ真相に辿りつくだろう。お前も、狩人(マリア)も、そしてあの女(黒兎)も」

 

朦朧とした視界の中で一夏が目にしたのは、蝶の翅に落ちた雨粒が黒く滴っている姿だった。翅がぽつりぽつりと、黒く染まっていく。

 

「血に隠された秘密こそが、お前を導く」

 

聞き覚えのある言葉だった。

その直後、はるか遠くの天井で破壊音が聞こえた。そして、次第に雨が止んでいく。女は上を見て、黒い雫を顔で受け止める。

 

「時間だ。蜘蛛は一度巣にかけた生物は、どんなに時間がかかっても喰らいにくる。お前も、あいつの巣に飲まれないようにな」

 

すると風が吹き、女は霧の中に包まれ、やがて消えていった。一夏は雪片弐型を持つ手に力を込め、なんとか立ち上がる。

 

「待てよ……!」

 

一夏はふらふらになりながら前に霧の中へ飛び込み、雪片弐型を振り下ろす。

 

キィン────!

 

一夏の攻撃を受け止めたのは、突然霧の中から現れたラウラだった。

 

「待て一夏!私だ!落ち着くんだ!」

 

一夏はハッとして、雪片弐型を離す。ラウラは深く息を吐き、胸を撫で下ろした。

 

「酷い怪我だ……!このまま歩けるか?」

 

「あ、ああ……」

 

「敵は退いたが、まだ奴の残した糸たちが残っている。殲滅にかかるぞ」

 

そう一夏に告げ、飛翔しようとするラウラ。

 

「ま、待ってくれ!」

 

「どうした?」

 

一夏は呼び止めたものの、上手く言葉が出なかった。

 

「……いや、なんでもない。他の皆は?」

 

「セシリアと鈴、そして会長はこのアリーナ内で残りの敵を殲滅。それ以外とは連絡がつかん。無事だといいが……」

 

そう言って、ラウラは先へ急ぐ。一夏も深く呼吸をし、一瞬倒れそうになりながらも、その後を追った。

 

気づけば雨は止み、あれだけ濃かった霧も晴れていった。

アリーナに光が差し込み、霧が晴れたその内部は、(ほつ)れた無数の糸が散らばっていた。そして地面に残る水たまりは、うっすらと灰色に濁っていたという。

 

やがて、通信状況も回復し、敵を殲滅した一行は、マリア以外の他の専用機持ちたちとも合流。

楯無、ラウラ、一夏は軽度の火傷。一夏に関しては全身に浅い切創も見られた。

 

 

その後、管制室から入ってきたのは、一般生徒には被害が及ばなかったことと、マリアが意識不明となったという情報だった────。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




『黒い蝶』

「死と再生」
「守護」
「変化と受容」
「転機」


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第52話 傷痕

お待たせしました!
そしてだいぶ前のお話で誤爆をしていたことに気づき大爆笑しておりました(編集済み・本編には支障ありません)。


22:15

IS学園・医療病棟エリア

A・C病棟間渡り廊下

 

IS学園は教室のある校舎だけではなく、医療病棟なるものも兼ね備えている。IS学園に属する生徒や教師のほか、学園島にいるあらゆる関係者への医療サービスを実施している。診療室はもちろん手術室もあり、他の大学病院にも負けない、最先端の機器も備えたこの医療病棟は、さすが世界に誇るIS学園なだけあって、その土地も広大だ。ISを扱う以上、学園としても予期せぬ事故や怪我人の発生に対し、万全に対応・治療できる体制を整えなければならない。また、世界中の様々な国から入学してくるということで、感染症リスクへの対策も考えなければいけないというのも、病棟が建てられた大きな理由の一つだった。

学園病棟に在籍している医療従事者たちは、生徒たちのケアをする時間以外は、研究室での研究に没頭しているようだ。臨海学校で一夏が現地で懸命な治療を受けられたのも、同行していた5,6人の彼ら医師によるおかげだった。

 

A棟とC棟の間のガラス張りの渡り廊下でラウラは立ち止まり、夜に染まった学園を見渡す。アリーナ襲撃を受けた際、ロッカールームにいた者の中で幸いほとんど怪我がなかったのがラウラだった。大爆発が起きた瞬間、吹き飛んだロッカーなどが幸運にもラウラの前を覆い壁の役割をし、機体の防御力も相まって怪我を防げたようだ。楯無は軽度の火傷と全身に強い打撲、一夏は軽度の火傷と全身に浅い切創が見られていた。その二人は、しばらくの期間はそれぞれ個室の療養部屋での就寝を言い渡されているが、ラウラは額に小さな火傷を負っただけなので、額に包帯を巻いて、もう自室での生活が許可されたのだ。

 

無音で夜風に揺れる木々の葉を見下ろし、ラウラは先ほどの千冬との会話を思い出した。

 

 

 

 

 

 

─────────

───────

─────

 

 

ラウラが療養部屋のベッドで窓の外を眺めていた時、外からカツカツと足音がした。それはラウラのよく知る足音だった。

 

プシュッ

 

スライドして開いたドアの向こうには、千冬が立っていた。

 

「教官」

 

「学校では織斑先生だ」

 

ため息をつき、千冬は部屋に入る。

 

「────具合はどうだ?」

 

「ええ、変わりなく」

 

「痛みは?辛くはないか?」

 

「問題はありません」

 

「そうか……ならいい。お前は昔から無理をしがちだからな」

 

「そうでしょうか」

 

「ああ、そうだ」

 

およそ普通の人間ならば分からないほどの差だが、千冬の表情と声に安堵の色がついたのをラウラは感じた。少なからず自分のことを心配してくれていたのだろうと、ラウラは嬉しくなる。ただそれを悟られるのもなんだか恥ずかしく、ラウラは平然を装っていた。

千冬は静かにベッド横の椅子に座り、ラウラの額を見る。

 

「医者はどのくらいで治ると?」

 

「1週間も経てば、皮膚も元通りになるらしいです」

 

「そうか……痣にならなくてよかった」

 

千冬はラウラの額に巻かれた包帯に、そっと手を添える。

 

「すまない……私の思慮の無さで、皆を危険な目に合わせてしまった……」

 

千冬の目に、悲しみの透けた影が落ちた。

 

「何を言いますか!」

 

否定しようとするラウラだが、千冬は首を振る。

 

「もっと策を講じるべきだった……指示を出すだけ出して、生徒一人も守れないなど……こんな情けない話はない」

 

「……」

 

「他にも安全かつ最適な対抗策があったかもしれない……思いついていれば、皆が被害を負うこともなかっただろう。それに、マリアも……」

 

千冬はグッと唇を噛み、膝の上で拳を握りしめた。それを見たラウラは、その千冬の手を優しく包む。

 

「────戦場は、銃を持った兵士(ソルジャー)だけでは戦えません。それらを束ねる頭脳を持った指揮官(コマンダー)がいて初めて戦うことが出来るのです。あの時教官は私たちのために……出来る全てのことを為されたのだと思います」

 

千冬の手は温かい。不謹慎にも、改めてこの人も一人の人間なんだと感じさせられる。しかしラウラはあえて、静かに強い叱咤を俯く千冬に向けた。

 

「しっかりしてください、教官。戦場で、もっと酷い惨状を目にしたこともあります。いえ、本来比較をすべきではないことも分かっていますが……。怪我を負ったのは私たち専用機持ちたちだけで、他の一般生徒は負傷者ゼロだったと聞いています。今は……最小限に被害を抑えられたと捉えて、前を向くしかありません」

 

ラウラの言葉に、千冬はゆっくりと顔を上げた。ほんの少し、目の重みが軽くなった気がした。

 

「そうだな……。強くなったな、ボーディヴィッヒ……」

 

「いえ、私など……まだまだ教官の足元にも」

 

「だが忘れるな。お前たちは、決して兵士などではない。私の大切な……可愛い生徒だ。これまでも、そしてこれからもな」

 

千冬はラウラの頭を優しく撫で、静かに立ち上がった。

 

()()()も、早く目を覚ましてくれれば気が休まるのだがな……」

 

背を向けた千冬が、小さく呟いた。

 

「……意識不明(coma)だと聞きました。目を覚ます兆しは?」

 

「……何とも言えん。外見に目立った損傷はそれほど見られないが、あの大爆発を一番強烈に受けたのがマリアだった。他の専用機たちも目の前で爆発を受けたが、威力的にはマリアのものが圧倒的だったらしい。本当はすぐにでも調べたいところだが、頭部の損傷具合が未だ不明瞭なのもあり、MRIにも踏み出せない状況だ」

 

「……そうですか」

 

枕元の液晶から小さなアラームが鳴った。夜の10時を知らせる合図だった。

 

「目覚めるのがいつになるか……何一つ分からんが、今はあいつを信じるほかない。昏睡状態に陥った全ての患者が外界の刺激に無反応なまま、とは限らないようだ。親しい人間が声をかけ続けるのも一つの光明となりうる。今日はもう遅いから無理にとは言わんが、よかったらあいつに声をかけてやってくれ」

 

そう言って千冬は部屋を後にする。しばらくしてラウラも上着を羽織り、部屋の電気を消した。

 

 

─────

───────

─────────

 

 

 

 

 

 

思えば、私を見舞う彼女とああして話をしたのは二回目だ。

一度目は学年別トーナメント。あの日私は力に溺れ、獣に成り下がった。あの時の感覚は、今でも鮮明に覚えている。全身に無数の黒い手が伸びて、私を底の無い闇の中へ誘い込む……小さな、湿()()()()とともに。

保健室で目が覚めた私に、彼女は私が一人の人間であると教えてくれた。道を失った私にとって、それは救いだった。そして私も誰かを守ることのできるような人間になりたいと、密かに誓ったのだ。だから今回の件で目の前を見失いそうになっていた彼女を、なんとしても立ち上がらせたかった。

 

夜空に浮かぶ月が、小さく漂う雲に隠れる。夜の景色を後にし、私はA棟へと足を進める。

A棟にはICU(集中治療室)CCU(循環器疾患集中治療室)がある。私はそのICUエリアへと向かった。ICUエリアの自動ドアが開き、小さな空間に入る。天井から消毒の霧が散布され、私の全身を包む。やがて廊下へのドアが開き、私は教えられたA-301へと向かった。

部屋のドアを開け、またそのさらに奥のドアの前に立つ。耳をすませると、中から誰かが泣いている声が聞こえた。小さくノックをしてドアを開けると、そこにはシャルロット、セシリア、小さく泣いている静寐と彼女を静かに慰める本音……そして彼女たちに見守られながら眠っているマリアがいた。

 

「あ、ラウラさん……」

 

私に気づいたセシリアが顔を上げる。するとシャルロットも振り返り、挨拶を交わした。シャルロットは私の額に巻かれた包帯を見る。

 

「ラウラ……大変だったね。その傷はもう大丈夫なの?」

 

「ああ、幸いにも軽く済んだ。シャルロットこそ大丈夫だったのか?」

 

「僕と箒も、なんとか無事だったよ。僕たちのそばで起きた爆発自体は弱いものだったから……」

 

「そうか……」

 

規則的な心電図の音が、静寂な部屋に響き渡っては溶けていく。人工呼吸器をつけた彼女は、まるで今にも起きそうなほどに綺麗に眠っていた。腕や肩、脚に包帯は巻かれているが、大量出血などの目立った外傷は大して見受けられない。昏睡状態なのがいまだに信じられないと思ってしまう。

すると静寐が皆に、そしてマリアに涙を流し謝った。

 

「ごめんなさい……!私のせいでマリアさんが……私があの時無理にでも止めていたらこんなことには……!」

 

肩を震わせ泣く静寐の肩を、本音が優しく撫でる。

数時間前────全ての敵を排除した後、専用機持ちたちは大体の彼女の状況を伝えられていた。一般生徒の避難誘導を任されていたマリアは、アリーナ観客席に閉じ込められていた生徒たちを解放……そして他観客席エリアにまだ生徒たちが取り残されていると思っていた彼女は、そのまま生徒たちの救出に向かう。「大勢の熱反応が出ている」と管制室からも通信があったが、しかし実際には蜘蛛(アラクネ)による偽装誘導(ダミー)。その場にいた静寐を匿うようにマリアは大爆発に巻き込まれた……。マリアに守られた静寐は、マリアの機体(狩装束)の防御力の高さ、そしてマリアという肉体の壁のおかげで幸い負傷することはなかったが、大爆発の衝撃と炎の乗った爆風を直に浴びたマリアは耐えきれなかったようだ。

シャルロットは優しい声で静寐を慰める。

 

「謝ることなんて何もないよ。幸い、負傷者が出たのは僕たちだけに留まった……むしろ、謝らないといけないのは僕たち専用機持ちの方。一般生徒たちに被害を出さなかったとはいえ、もっと早くに動けていればより安全な避難誘導が出来たかもしれない」

 

「でも……!」

 

「むしろ鷹月さんがあの時いなければ、マリアはもっと奥に進んでいたと思う。そうすれば、きっと蘇生処置すら望めない状況だった……。マリアも鷹月さんに謝ってほしいとは思っていないはずだよ」

 

静寐はそれでも、涙を流すしかなかった。横にいた本音も、静寐の状態を見て心配そうにしていた。

 

「しずねん、今日はこのくらいにして帰ろう?しずねんの身体も、きっと限界だよ……」

 

「そうですわ……一度睡眠をしないと、休まるものも休まりませんもの。ここまでマリアさんを心配してくださって、ありがとうございます」

 

「そうだな……今日はもう深く考え込まない方がいい。すまないが、彼女を見送ってやってくれ」

 

「うん……寮まで一緒に帰るよ。皆もあまり気を張らないでね……」

 

セシリアと私も静寐を励まし、本音に後を頼んだ。静寐ももう何も言わず、本音とともに小さく別れの挨拶を告げ、部屋を後にした。再び、規則的な心電図の音が響き渡っていく。

 

「────ラウラさん。一夏さんを守ってくださり、ありがとうございました」

 

セシリアは私に礼を告げる。

 

「……いや、一夏の無事に大きく貢献したのは会長だ。私は……目の前にいながら、何もできなかった……」

 

「そんなことありませんわ。会長も、そしてラウラさんも……どちらか一人でも欠けていれば、一夏さんも命の保証はありませんでした。ラウラさんがどう思われようと、私は深く感謝しています」

 

「セシリア……」

 

セシリアはマリアの手に自分の手を重ね、口を閉ざす。マリアを心配そうに見つめ、やがて深く息を吐き、席を立った。

 

「私も、今日は失礼いたしますわ。ラウラさんは?」

 

「私は……もう少しだけ」

 

「そうですか……。シャルロットさん、無責任な言葉になるかもしれませんが、貴女もあまり思いつめないよう……」

 

「うん……ありがと」

 

そしてセシリアは病室の扉を閉める。扉の外で足音が聴こえなくなった頃合いに、私は言葉を紡いだ。

 

「────マリアは」

 

脳裏に、あの時の彼女の声が過ぎる。

 

「あの時、教官が私たちに指示をして散開したその後のことだ。彼女はプライベート・チャネルで私に『一夏を頼む』と」

 

「……」

 

「彼女にしては不安げな様子だった。まるで、自分の身に何かが起こるのを予期していたかのような……」

 

「そうだったんだ……」

 

そう言って、私は自分の言葉にひどく後悔した。誰も彼女がこのようなことになるなど望んではいないのだ。

 

「すまない……無神経だった。元はといえば、私がもっと早く一夏のもとへ着いて敵を無力化していれば────」

 

「ラウラ」

 

私の声を遮るシャルロット。その目は静かに、眠っているマリアを見ている。

 

「誰も悪くなんてない。悪いのは、皆を酷い目に合わせた敵なんだから……」

 

「シャルロット……」

 

「僕は……マリアを信じてるよ。いつか、必ず目を覚ますって……」

 

「……」

 

「マリアはこの学校で、皆のためにずっと頑張ってくれてた。僕たちは皆違うかたちで、時には共に過ごした中で、マリアに守られていた。今度は、僕たちがマリアを守らないと……何があっても」

 

「……そうだな」

 

ふと一瞬、あのアリーナの霧で見た一夏が脳裏に過った。雪片弐型を振り下ろした一夏の目は、深く澱んだ色に溢れており、まるで()()()()()()に塗れたように……。

私はマリアのそばに近寄り、彼女の手をゆっくりと握る。

 

 

私が人間でなくなったあの時、お前と一夏は私を救い出してくれたな。

 

もう随分前のことのように感じるが、私は今でも鮮明に憶えている。

 

普通に考えれば、あのような状態の私を救うなど、到底想像できなかっただろう。

 

だが、それでもお前たちは私を救ってくれた。

 

今度は私が、お前たちを守る番だ。

 

一夏のことは私に任せろ。

 

今はしばし、ゆっくり休め。

 

 

彼女から手を離し、私は席を立つ。

 

「私もそろそろ戻る。シャルロットも、しっかり休むんだぞ」

 

「うん……ありがとう」

 

シャルロットの横顔に後ろ髪を引かれる思いになったが、素直に病室を出ることにした。

 

 

 

 

 

 

窓の向こうで夜風に揺れる木々の葉に、半透明な自分の指が重なった。夜の空気を作る物質の海に、白い包帯で巻かれた腕が溶けていくようだった。

時刻は夜の22時45分────学園の明かりも、そろそろ眠りにつく頃である。一夏も今日は大人しく寝ようかと思い、ベッド横の台にある電気のスイッチを取ろうとする。

伸ばした手の影がスイッチを覆ったその時、頭の中で黒いマントが浮かぶ。そして、先ほど見舞いに来た姉との会話も。

 

 

 

─────────

───────

─────

 

 

 

『私もそろそろ仕事に戻る。お前も今日は大人しく寝ておけ』

 

 

『仕事?もう夜の10時だぜ?』

 

 

『こんな事件が起きた後だ、教師は最後まで後処理が残っているからな』

 

 

『……』

 

 

『……ふっ、お前は相変わらずの心配性だな。案ずるな、私もむやみに遅くまでやるつもりはない。自分の身を管理できない教師に生徒を指導する資格はないからな』

 

 

『……だといいけど』

 

 

『あぁそれと、お前たち専用機持ちたちにもまだやってもらうことはあるぞ。明日以降、定期的に事情聴取を行わせてもらう』

 

 

『……』

 

 

『もちろんお前たちの身体の調子も鑑みて、だがな。しかし人間の記憶には私たちが思っているよりも早く(もや)がかかっていく。なるべく記憶が新鮮なうちに話を聞かせてもらう、というわけだ』

 

 

『……』

 

 

『見たもの、聴いたこと、感じたこと、なんでも構わん。今回の事件に関して思い当たることを……おい、聞いているのか?』

 

 

『……あ、ああ』

 

 

『……いや、すまない。仕事に戻るといったのは私の方だったな。長話をして悪かった。ではな』

 

 

『あの、千冬姉』

 

 

『?』

 

 

『その……家族のことなんだけど』

 

 

『……』

 

 

『俺たち以外に、家族っているのかな……?』

 

 

『っ……』

 

 

『……その、妹とか』

 

 

『……』

 

 

『……』

 

 

『……』

 

 

『……な、なぁ、何か言っ────』

 

 

『────私の家族は、お前だけだ』

 

 

 

─────

───────

─────────

 

 

 

コンコンッ

 

誰かが病室の扉をノックした。

 

『あの、一夏さん……まだ起きていらっしゃいますか?』

 

「セシリア!?起きてるけど……」

 

『お邪魔してもよろしくて?』

 

「あ、ああ」

 

開かれた扉の先にはセシリアが立っており、一夏の顔を見ると、表情に少し明るさが戻ったように思えた。

 

「申し訳ありません、こんな夜更けに来てしまって……。一夏さんの部屋の明かりがまだ見えてましたので、もしかしたら起きていらっしゃるかなと……」

 

「いやいや、嬉しいよ!ほら、椅子もあるし座ってくれ」

 

一夏がベッド横の椅子を勧めると、セシリアも姿勢正しくそこに腰を下ろした。

 

「見舞い、来てくれてありがとう」

 

一夏が優しく微笑みかけると、セシリアの頬がほんのりと紅く染まる。

 

「あの、その……い、一夏さんの顔を見ないと落ち着かない気分でしたので……」

 

「!そ、そっか……」

 

不意なセシリアの可愛い一言を見事に食らう一夏。セシリアは自身の照れを隠すように、話を続けた。

 

「一夏さん、お身体の具合はいかがですか?」

 

「ああ。軽い火傷に浅い切り傷がまんべんなく……って感じか。怪我については先生たちから聞いてたとは思うけど、生活に支障はないぜ。『しばらくは安静に』って言われてるけどな」

 

「生活に支障はない、って……本当ですの?」

 

「まぁ、歩いたりシャワー浴びる時とかは少し痛むけど」

 

「もう!そういうのを『支障がある』って言うんですわ!」

 

「ははは。でも心配ないって」

 

「一夏さんはよく我慢される方ですから、心配したくもなりますわ!もう……」

 

あまりセシリアに心配をかけたくない一夏だったが、全て見透かされていたようだ。しかし拗ねたように頬を膨らます可愛らしい顔を見れて、「心配されるのも悪くない」と呑気に思っていた一夏であった。

しばらく談笑する二人だったが、やがて二人の間で沈黙が流れた。話を切り出したのは一夏の方だった。

 

「その……マリアの容態は?」

 

セシリアの目に影が差す。一夏は病室で安静にするよう言われているため、事件以降まだマリアの姿を見ていない。最後に話したのは学園祭の最中だった。

本当は千冬からすでに聞いてはいたのだが、同じ専用機持ちからの言葉を聞きたかったのだ。セシリアは一夏から視線を外し、小さく答える。

 

「マリアさんは……静かに眠っていました……。まるで今にも目を覚ましそうなほどに……昏睡状態なのが信じられないですわ……」

 

「そうか……」

 

時計の針の音が、やけに耳に響く。

 

「俺があいつ(オータム)を倒してさえいれば……俺がヘマなどしてなかったら、マリアもあんな目に────」

 

「──── 一夏さん」

 

一夏の言葉をセシリアが遮る。

 

「今回の被害は、一夏さんのせいではありません……ましてや、誰のせいでもありません。全ての元凶は、学園を襲った敵ですわ」

 

「セシリア……」

 

「少なくとも一般生徒に物理的被害は生じませんでした。被害は私たち専用機持ちたちだけに留まっています。ですが私たちは、彼女たちの心までは守りきることができませんでした……そして、私たち自身の心も。敵は外にいますが、皆内なる自分の心を責めています。現に、マリアさんが爆発に襲われる姿を目の前で目撃した鷹月さんは、ひどく心に傷を負われているようでしたわ……。彼女のような生徒も生んでしまったという事実も、私たちが受け止めるべきことだと思います」

 

「……」

 

「人間誰しも、悲しい出来事に直面すれば目の前が暗くなり、唯一目に見える自分自身を責めるものです。ですが、こういう時こそ、力を合わせなければ……」

 

「……そうだな。俺たちも、今はマリアを信じよう」

 

一夏の頷きに、セシリアも優しく微笑む。しばらくの沈黙の後、セシリアはまだ暗い顔をしている一夏に、元気づけようとある提案をした。

 

「ときに一夏さん」

 

「ん?」

 

「一夏さんのお怪我が完治しましたら、一緒にどこかへ出かけませんか?」

 

「え、え?」

 

突然の誘いにビックリする一夏。胸の中で、心臓の音が少し速くなった。

 

「もちろん、無理にとは言いませんが……少し突然過ぎたでしょうか?」

 

「いや、そんなことないぞ!ちょっとビックリしただけだ!」

 

「それでは……?」

 

「もちろんいいぜ!むしろ、嬉しいよ」

 

「まぁ!ありがとうございます♪」

 

セシリアの花が咲いたような満面の笑みに、一夏は自分の顔がほんのり熱くなるのを感じた。

 

「晴れた週末の日に出かけて、美味しい日本料理を頂きたいですわ」

 

「そうだな。何がいい?」

 

「『ソバ』という食べ物が気になってまして……日本にあるオルコット家の別荘の近くにもお店があるらしいのですが、行ったこと自体はありませんの」

 

「蕎麦か……俺も蕎麦は好きだぜ。蕎麦好きならではの、()な食べ方ってのもあるんだ。セシリアにも味わってほしいな」

 

「『ツウ』?」

 

「その料理をもっと楽しめて、ちょっとだけ風情も優越感も味わえるって意味だよ」

 

「なるほど。乙なものですわね」

 

「なんだ、知ってるじゃんか」

 

「ふふふ♪」

 

会話もやがて終わり、ふとセシリアが腰を上げ、一夏に顔を近づける。そしてゆっくりと、一夏の頬に口づけをした。あまりに衝撃的な出来事に、一夏は思考が停止する。セシリアは一夏の頬から唇を離し、赤く染まった顔で一夏の目をまっすぐに見た。

 

「景気づけですわ。一夏さんのお身体が、早く良くなりますように」

 

「あ、その……」

 

「一夏さん、私は待ってますわ。次は、貴方から……────」

 

セシリアはそこから先の言葉は言わず、静かに席を立った。そして半ば放心状態の一夏を背に、部屋の扉に手をかける。そして扉を少し開けてまた一夏の方へ振り向き、視線を下の方に彷徨わせる。

 

「……私、自分からしたのは初めてですの。もちろん、殿方としたことも……」

 

頬を赤く染め、恥ずかしげに袖口で小さな唇を隠すセシリアが愛しくてたまらなかった。

 

「また様子を見にまいりますわ。おやすみなさい、一夏さん」

 

「あ、ああ……おやすみ……」

 

セシリアが部屋を出てからしばらくして、一夏は大きく息を吐いた。

 

(夢…?夢なのか……?)

 

あまりに嬉しい出来事に、一夏は未だに信じられないといった様子だった。あの可愛くて綺麗なセシリアが、以前から心のどこかで気になっていた彼女が、自分にキスを────

 

(〜〜〜〜〜!!)

 

一夏がようやく寝れたのは、電気を消しておよそ一時間後のことであった。

 

 

 

 

 

 

22:55

IS学園・学園棟エリア

とある歩道

 

医療病棟エリアを出たラウラは、寮への帰路についていた。規則的に並ぶ電灯とその(そば)で漂う目に見えない黒の空気が、彼女の顔を二色に塗り替えていく。この時期の夜はすっかり冷える世界となっていて、それは一夏が倒れていたあの日の夜を思い出させた。そういえば一夏が見つかったのも、確かここの近くだったか…。

学園祭を狙った襲撃、専用機持ちたちへの被害、一般生徒たちへの精神的ダメージ、千冬への叱咤、そして意識不明となってしまったマリア……あらゆる面でのショックな出来事が重なり、ラウラは正直なところ自身の身体に積もっていく疲労感を隠せないでいた。きっと誰しも無理をしているが、互いの前ではそれを出さない。一人になれるこの時間が、唯一の気休めだった。

小さく吐いた息が、闇の中でわずかに白く染まって空へと上がる。ラウラはその息を追うように夜空を見上げた。皮肉なことに、自分たちの病んだ心とは正反対の満点な星空が広がっていた。

星空を目にしたラウラの中で、ある光景が思い起こされていた。あのロッカールームで、蜘蛛(アラクネ)が仕掛けた大爆発……その直前に目にした、部屋中に張り巡らされた糸に満ちた、大量の水滴……。それはまるで、私たちの頭上に広がる煌々たる星のように……。

 

寮の自室に帰りベッドに横たわっても、窓から覗く星はラウラの目から離れなかった。暗い部屋の中で、ただ月と星たちだけが、私の瞳を支配する。

 

 

『────私、()()()()に興味があったんです。軍部に入って隊長に会うまでは……いえ、本当は今も……』

 

 

それは数年前、部下に言われた言葉だった。その部下は、今は行方不明という報告を受けている。依然として情報は見つからず、そして彼女を探しに向かったもう一人の部下も……。

 

眠りに入ったその時まで、ラウラの中でその言葉が反芻された────。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ドイツ軍上層部
特殊部隊司令部・最高総司令官室


pppp…


「私だ。私が連絡を寄越したということは、何を言いたいかが分かるか?」


「君も聞いたとは思うが……君の部下が学園を襲撃したそうだ。しかも、単独で」


「……やはり蜘蛛は、一匹での狩りを楽しむことでしか生きられないようだ。まぁ、君も寄生を好む方ではないだろうがな」


「……ふっ、心配することはない。君と私はあくまでビジネスの関係にある。私が蜘蛛を狩ることはない……君の部下だからな」


「君には感謝しているよ。最初に彼女(月の香りの狩人)の存在を聞いた時は耳を疑ったが……」


「……傾倒深い?ふん、面白い冗談だ。君にそれを言われる日が来るとはな」


「……ああ。例の実験が、もうすぐ完成する。成功すれば、世界は自由になる」


「報告義務はなかったがな。だが取引相手に一言も寄越さないのは、君も腑に落ちないだろう?それに、君とはこれが最後になるかもしれないからな」


「……ふっ、そうか?まぁいい。思えばKSK(特殊戦団)よりも手間も金もかかる部隊だったが……ようやく役に立つ時が来た」


「ああ、それと。蜘蛛はどれだけ時間がかかろうと、知らぬ間に巣を張り巡らせる生き物だ。(スコール)も、その糸で足元を(すく)われないようにな」


p…


「蜘蛛は自身の糸を吐いたが最後、それを戻すことはできない……その糸を利用し、巣の主を手にかける生物も現れる」


「……()()()()()()


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Operation. Lepus

ラウラの過去編です。
次話からまた学園編に戻りますので、ご安心を。
今回は実際の地図と照らし合わせながら読んで頂くとよりイメージが浮かび上がるかもです(ちなみに私は現地に行ったことはありません。それゆえ現実と異なる部分も出るかと思いますが、創作ということでご容赦ください)。

※一部、グロテスクな表現が含まれています。


────三年前

 

 

 

 

 

 

「隊長、聞こえていますか?」

 

「……!?あ、ああ。すまない」

 

「何か考え事でも?」

 

そう声を掛けてきたのは私の直属の部下・クラリッサだった。気づけば私は軍用ヘリの中に座っており、隣の窓からは、太陽に照らされた深く底の見えない鮮やかな青の海と、自然豊かな島々が広がっている。

 

(私はこの景色を憶えている……これは三年前の……)

 

そう思いながら機内へと目を向けると、私は驚きのあまり心臓が止まりそうになった。

私の目の前にいるクラリッサ、その横には行方不明になったはずの部下のカリンが、そして私の隣には同じく行方不明だったはずのニーナが座っていた。

 

「……隊長?」

 

驚いた私を変に思ったのか、怪訝な表情で見つめるカリン。

 

(これは……夢か?そういえば、さっきまで私は学園の自室で夜空を見ていたような……)

 

肩の上でくるりと整った、容姿や顔立ちにあどけなさが残る金の短髪が特徴のカリン。クラリッサのように凛と大人びた雰囲気を纏わせ、腰のあたりまで伸びた黒髪が特徴のニーナ。操縦士を除き、機内には私を含めて四人だけが向かい合わせで座っていた。

 

「……いや、なんでもない」

 

私は三人から視線をそらす。皆、軍の特殊戦闘服を着ており自身のそばに銃火器を備えている。かつての黒兎隊(シュヴァルツェ・ハーゼ)にとってはありふれた光景で、私にとっては懐かしい感覚でもあった。

 

「隊長、ブリーフィング(作戦会議)を始めても?」

 

「ああ……すまないな。始めよう」

 

クラリッサの問いに答えると、彼女は真剣な声で話を始めた。

 

「二日前、エーゲ海南部に位置するレロス島にて連続爆破テロが発生。爆破の時刻、ならびに犯行場所も不規則になっており、ギリシャ政府当局はレロス島全域に非常事態宣言を発令しました」

 

「レロス島……トルコのすぐそばに位置する島ですね。幼い頃、父親と一度だけ行ったことがあります」

 

「そうか、父君は確か日系トルコ人だったな」

 

ニーナの言葉にクラリッサは相槌を打つ。トルコ共和国出身のニーナは友好国である日本の血を引いており、その黒髪や凛とした日本風な顔立ちもそれが影響していた。

 

「副官、被害状況は?」

 

クラリッサの横にいるカリンが尋ねる。

 

「事件発生から約45時間……爆破による死亡者は10名、負傷者は40人程と報告されている」

 

「“犯行場所は不規則”だと言ったな。実際の場所はどのように点在している?」

 

「ええ、そこでこちらを見ていただきたく」

 

ラウラの質問に答えたクラリッサはいくらか機械操作をして、機内の床にあるセンサーから空間投影型ディスプレイを自分たちの前に出現させた。ディスプレイにはレロス島全域地図が表示されており、赤い点がいくつか点在している。

 

「この点々とした赤い円が実際の犯行場所です。現在5ヶ所ですでに爆発、市街地もあれば、人気の全くない山間部など……犯人の手段要素・目的も不明瞭と現地から報告を受けています」

 

「犯人の国籍は?何かしら政治的な目的が絡んでるとは思うが」

 

「それも現時点では判明しておらず……犯人たちは爆発各地に数人ずつ散らばっているようですが、当然顔は全て隠し、言葉も発していないため訛りの特定も不可能。使用武器も全て未登録のものを使用している疑いがあるそうです」

 

闇市場(ブラックマーケット)か……()()()()()以降、需要はかなり拡大していると聞いている」

 

窓の外に目を向けると、ちょうどレロス島の北に位置するリプシ島上空を通り過ぎたあたりだった。その高度はかなりの高さだ。

 

「────本作戦ですが」

 

クラリッサは一息置き、さらに真剣な声で話を続ける。

 

「実行するのは我々四人のみ。それも極秘裏に行われなければなりません」

 

「極秘裏……何か理由が?」

 

ニーナが尋ねる。

 

「我々、IS配備特殊部隊である黒兎隊(シュヴァルツェ・ハーゼ)は現在非正規部隊……正規になるかどうかは今回の結果次第です。つまり……我々の存在意義をかけた任務(ミッション)となります」

 

クラリッサは話を続ける。

 

「レロス島には軍事基地がありますが、その軍事力・人員はおよそ小さなものです。現地軍勢力だけではこのテロを無力化することは困難とみたギリシャ側が救援要請を出したところ、ドイツ軍上層部が()()()()で応援を派遣すると交渉しました」

 

「条件?」

 

カリンが首を傾げる。

 

「先ほども言ったように、非正規部隊である我々の存在は(おおやけ)になっていません。公にされていない隊長のIS(シュヴァルツェア・レーゲン)がギリシャ国内にいることが知られれば国際問題に繋がります。ギリシャ政府には『現地の軍部人員は全て爆発各地に包囲網を張り、警戒強化・負傷者の救護に当たるように』とドイツ側は伝えています。また、我々も表向きはKSK(特殊戦団)の一員ということになっている」

 

「このそれぞれ赤い円の周りにある緑の線は、現地軍の包囲網か」

 

ラウラがそう聞くと、クラリッサも頷いた。

 

「本作戦の目的はテロの無力化ですが、その要はIS配備特殊部隊(シュヴァルツェ・ハーゼ)の力を試す意味合いがあります。これが成功すれば、我々は正式に部隊として編成される……」

 

「ふむ……。それで、我々はどこに向かえば?」

 

ニーナが凛とした目つきで尋ねると、クラリッサはディスプレイ上の赤い円を指でなぞっていった。

 

「──── ニーナ、君はこの爆発場所に何か規則性を導き出せるんじゃないか?」

 

クラリッサが部下を試すように質問をすると、ニーナは少しの間考えて回答した。

 

「もしや……()()ですか?」

 

クラリッサは深く頷く。

 

「そう……この形は、うさぎ座(Lepus)とほぼ一致している。そして、その最輝星である“α星”の位置は────」

 

クラリッサの指がすっと流れていき、ある場所で静止した。

 

「レロス島空港の近く、アルテミス神殿(The Temple of Artemis)跡地です」

 

ラウラが顎に指を当てる。

 

「つまり、ここが奴らの拠点だということか」

 

「ええ、我々はそう見当をつけています」

 

()()……なるほど、敵の拠点も極秘裏ということですね」

 

カリンの考えにクラリッサも頷く。

 

「すでに空港のスタッフは避難済み。空港の警護に割く軍部人員も最低限に抑えてもらっています」

 

「近くだから、隊長のIS(シュヴァルツェア・レーゲン)が目撃される危険性もありますもんね」

 

「ああ、だがその点に関してはそこまで心配はない。衛星写真から敵の拠点と思われる人工物は確認されていない……恐らく地下に潜っているのだろう。どこかにその入口があるはずだ」

 

「つまり私がISを展開できるのは地下に潜ってから、か」

 

「はい、それまでは隊長も我々と同じように動いていただきます」

 

「クラリッサ、降下方法についてもう一度確認しておきたい」

 

クラリッサは頷き、ディスプレイを指でスライドさせる。するとレロス島の地図が3D化され、その上に小さなヘリコプターが投影されていた。現在自分たちが乗っているものだ。

 

「まず私たちが乗っているこのヘリは、現在高度約2万1,300ft(フィート)を飛行中。通常なら低酸素症になるリスクが高い環境下ですが、私たちの体内にあるナノマシンがそれへの適応を可能にしています。レロス島上空に着き次第、私たちはここからアルテミス神殿跡地まで一気に降下します」

 

ディスプレイ上に投影されたヘリから、四人の人間が飛び立った。

 

「本作戦の主眼はあくまで隠密作戦……HALO降下(高高度降下低高度開傘)のように大掛かりなパラシュートの使用も軍上層部から禁じられています。そこで我々が使用するのは、IS配備特殊部隊のため特別に作られたこの靴……」

 

ディスプレイ上に投影された降下中の四人の人間が、地面に着く寸前でスピードが緩まり、無事着地した。

 

「我々が今履いている靴は、簡単に言えばジェット噴射のような機能が備わっています。上空300mに達した辺りで身体を直立させ、靴から空気を噴射させる。それで降下時の衝撃を防ぐという理屈です」

 

VR(バーチャル)訓練では何度か行いましたが、実戦では初めてですね。まったく上層部も無茶な要求を……」

 

カリンが少しばかりのため息を吐くと、クラリッサも同意したようにフッと笑った。

 

「そうだな。しかし、我々黒兎隊(シュヴァルツェ・ハーゼ)は今後全ての人員に対しISが配備されるという保証はない。逆に言えば、これぐらいの降下方法が成し遂げられないようではいつまでも隊長の足を引っ張ってしまうということだ」

 

「IS搭乗者との連携に引けを取らない降下を会得しろ……そういうことですか」

 

顎に手を添え、ニーナがディスプレイ上の四人をじっと見ている。

 

「着地後は四人でそのまま地下へ潜入。場合によっては二人ずつバディを編成することも頭に入れておいてください。その際のメンバーは、隊長と私、そしてカリンとニーナの二組に分かれて行動します」

 

「「了解」」

 

カリンとニーナが声を揃えて返事をした。

 

 

ズキッ……

 

「っ……」

 

ラウラは唐突に左目に小さな鈍い痛みを感じた。それを紛らわせるために、黒い眼帯の中で左目を瞬きさせる。しかしラウラの副官はそれを見逃さなかった。

 

「隊長、大丈夫ですか?」

 

「あ、ああ……」

 

クラリッサはラウラを心配気な表情で見つめる。ラウラはしばらく考え、その場の全員に向き直った。

 

「皆、すまないが聞いてもらいたいことがある」

 

三人がラウラの方を見る。

 

「────実は、今回黒兎隊(シュヴァルツェ・ハーゼ)の命運が掛かっているのは、元は私のせいなのだ」

 

「隊長!」

 

心配気な顔で否定しようとするクラリッサを、ラウラは手を上げて制止する。クラリッサも、渋々だがそれ以上何も言わなかった。カリンとニーナは事情を把握できていないようだった。

 

「二週間前、私がこの左目に移植手術を受けたのは報告を受けているな?」

 

カリンとニーナが頷く。

 

「……それ以来、私は以前よりも力を発揮できずにいる。いや、もっと正確に言えば『制御できずにいる』か……。ここ最近、私は訓練でも最低な成績を出し続けているんだ。その報告を受けた軍上層部の一部は、私たちを戦力外と見ている者も……」

 

「「……」」

 

ラウラは自身の左目についた眼帯を外す。その目はドイツ人特有の青い目をしていた。外見だけ見れば、以前と何も変わっていないように思える。

 

「本作戦について先ほどクラリッサは、『我々黒兎隊(シュヴァルツェ・ハーゼ)の力を試す意味合いがある』と言ってくれたが、本当は『私が作ってしまった汚名払拭のため』なんだ。皆に迷惑をかけてしまい、本当にすまない……」

 

ラウラは頭を下げる。わずかに沈黙が流れた後、その沈黙を切ったのは部下たちだった。

 

「────隊長、謝らないでください!こうして隊長と同じ初任務に選ばれたことは、とても光栄です!」

 

誇らしげな顔で答えるカリンに、ニーナも微笑みそれに続く。

 

「私たちはこの部隊に配属された時から、隊長を心から尊敬しています。それは普段の私たちに対する隊長のありがたい心遣いに感銘を受けているからです。私もなかなか成績を出せない時がありましたが、隊長は親身に支えてくださいました。ならば部下である我々も、隊長を支えるべき……我々黒兎隊(シュヴァルツェ・ハーゼ)には良い関係性です」

 

クラリッサもそれに続き、ラウラを励ます。

 

「今の私たちがあるのは、何よりも隊長のおかげです。我ら黒兎隊(シュヴァルツェ・ハーゼ)の心は、常に隊長と共にあります」

 

部下たちの言葉に、ラウラはもう一度深く頭を下げた。

 

「お前たち……ありがとう……」

 

雲の狭間から新しい島が見えた。それは今回の舞台となるレロス島だった。窓からその光景を見下ろしたクラリッサがぽつりと呟く。

 

「────レロス島には野うさぎの逸話があるようです。増えすぎた野うさぎによって大打撃を受けた人間たちは、やがて野うさぎたちを撲滅した、と」

 

ニーナとカリンも、ニヤリと笑った。

 

「紛れ込んだ野うさぎ(テロリスト)の始末は、我々()()がつける」

 

「初任務にはちょうどいい肩慣らしですね♪」

 

「お前たち……油断するなよ?あくまで実戦だ」

 

ため息を吐きながらも、わずかに笑みを見せるクラリッサ。副官として力をいよいよ発揮できる初任務に、冷静になりながらもどこかで胸を膨らませているようだった。

ラウラも外していた黒の眼帯を再び左目に着け、気を引き締める。

 

「よし……皆この作戦、必ず成功させるぞ」

 

「「「了解!」」」

 

ラウラの言葉に答える部下たち。すでにヘリはレロス島上空の端にまで来ていた。全員、マスクを装着する。

 

 

降下まで、後数分────

 

 

 

 

 

 

「降下2分前、起立せよ(スタンドアップ)

 

クラリッサの指示に、ラウラたちも一斉に立ち上がる。ヘリの後部ハッチがゆっくりと音を立てて開いていく。高く上った太陽光が燦々と降り注ぎ、下界に広がる青い海がその光をキラキラと反射させている。

 

「各員、後部へ移動。降下中は風速冷却に注意せよ」

 

二人二列。前列はカリンとニーナ、後列はクラリッサとラウラが並んでいる。

 

「全て正常、オールグリーン。カウント開始、10、9、……」

 

クラリッサのカウントに、ラウラたちも一切の隙を見せないよう気を引き締める。

 

「3、2、1……幸運を祈ります」

 

カウントがゼロになる。

カリンとニーナが空へ羽ばたき、それに続きクラリッサとラウラも空へと身を投げ出した。四匹の黒い兎は、太陽の下で降り注ぐ星のように一直線に降下していく。薄いブラウンの島の地面が、どんどんと視界の中で面積を拡大していく。

 

 

アルテミス神殿跡地着地まで、後25秒────

 

 

 

 

 

 

四人はそれぞれ10mほど間隔を空けて着地した。ラウラは地面に手をつき、目と鼻の先は砂が支配している。手のひら、特殊スーツ越しに伝わってくる砂の熱がじんわりと指と指の狭間から全体へと広がっていく。

ラウラが顔を上げると、前方にはレロス島空港が広がっていた。カラッとした空気だが、太陽から背中に受ける光はそこそこに熱い。砂の地面が広がっているせいか、空港はゆらゆらと陽炎(かげろう)によってほのかに歪んでいる。空港内には確かに隅に追いやられた航空機の他に2機ほどの軍用機しかなく、小さく見える軍人たちもこちらに気づいている様子はない。

 

「全員無事か?」

 

ラウラが無線で聞くと、クラリッサたちも大丈夫だと返事をした。

 

「怪我はありません。が……」

 

ニーナが考える様子を見せた。

 

「着地時の衝撃については、より改善の余地がありそうです。恐らく、全員が無傷というわけにはいかないかと」

 

「ふむ……報告しておこう」

 

ニーナの主張に、クラリッサも頷く。

 

「では隊長、シュヴァルツェア・レーゲンでの調査を……」

 

「ああ、分かった」

 

ラウラは自身のISを腕にだけ部分展開し、ハイパーセンサーを起動させる。ラウラの視界は一気にクリアになり、草の表面から砂の一粒まで鮮明に見える。周囲を見渡していると、ある地点から警告音が鳴った。それはこの坂の上から反応を示していた。

 

「あの坂の上に何かありそうだ。金属反応が不自然に集中している」

 

「ふむ……ではそこへ向かいましょう。隊長、指示を」

 

「ああ。全員、一緒に行動する。全方向に注意せよ」

 

ラウラを筆頭に、クラリッサたちは隊列を組む。ラウラは鋭い目つきで合図をした。

 

「────これより、『Operation. Lepus』を開始する」

 

 

 

 

 

 

「これが、神殿跡地……」

 

「跡地であり、教会とも言えますね……」

 

カリンとニーナが目の前の石積みの中にある十字架を見て首を傾げる。道無き道を上ってきた一同は、草木の中で石が積んである場所に到着していた。目の前には小さな十字架と、ガラスの置物の中で揺れている小さなロウソクの炎があった。

 

「この地下に拠点があるようだが……まるでそうとは思えないような雰囲気だな」

 

「隊長、どこかに入口へと繋がる手がかりなどは見つけられませんか?」

 

「そうだな……少し待て」

 

ラウラはハイパーセンサーの情報量をさらに拡充させる。すると、地下から一本の熱反応が一直線に上ってきており、それを辿ってみるとカリンの横にある石積みの一つに繋がっていた。

 

「カリン、そこから離れろ」

 

「は、はい!」

 

ラウラがブロックに手を当ててみるが、反応はない。今度は少し力を入れて押してみると、なんとブロックが奥へとずれた。

 

ガコッ

 

「!?」

 

十字架の置かれた石積みがゴゴゴと唸り声をあげ、奥へとずれていく。一同は銃を構え、その様子を睨んでいる。

やがて現れたのは、地下へと続く階段だった。その階段は長く、底は暗くてここからでは見えない。

 

「こんなところに地下空間が……いったいいつから……?」

 

「ああ、わざわざご苦労なことだ。全員、油断するな」

 

ラウラを筆頭に一列となって、四人は地下へと繋がる階段を下りていく。深い闇からは冷たい空気が流れ込み、それは妙に気味の悪い心地だった。

数分後、階段がついに終わる。そこは蛍光灯も数本しかないような薄暗い空間で、細長い道の先はやがて二手に分かれていた。ラウラは分かれ道の前で一度立ち止まる。

 

「よし、ここからは二手に分かれる。私とクラリッサは右、カリンとニーナには左を任せる。バディ同士は絶対に離れないこと。何かあれば、すぐに無線を飛ばすように」

 

「「了解」」

 

カリンとニーナは返事をしたのち、左側の道を進んでいく。

 

「よしクラリッサ。私が先導する。ここではISの展開は最小限に留める……狭いゆえに機動性は期待できなさそうだ。背中は任せるぞ」

 

「はっ」

 

ラウラとクラリッサは銃を構え、ゆっくりと前へと進んでいった。

 

 

 

 

 

 

左右に分かれ、およそ3分が経過した。

暗く冷たい鉄の空間でほのかに吹く風が、ラウラとクラリッサの頬をかすめる。またしばらく進んでみると、一本道の空間は相変わらず続くが、その途中途中でいくつか扉が見受けられた。

 

「隊長、中を探りますか?」

 

クラリッサが無線越しに尋ねる。ラウラも一息思考を巡らせ、返事をしようとしたその時。

 

「────待て。誰か来るぞ」

 

目の前、右側にある扉の中から数人の足音がした。その足音は慌ただしく乱暴で、音は次第に大きくなってくる。

 

バンッ!

 

突然扉から現れた一人の男。全身装備で顔も隠しており、その手には銃を持っている。ラウラとクラリッサはすかさず銃を構えた。

 

「動くな!」

 

ラウラが声を張る。しかし男はこちらを見向きもせず、何やら扉の方を見て酷く怯えている様子だった。

 

「銃を捨てろ」

 

「あ、あ……」

 

「聞こえないのか!銃を捨てろ!」

 

ラウラの怒号に男は反応を示さず、ひたすらに怯えながらその胸に銃を抱きかかえている。腰を抜かし、何かから逃げるように。しかし男の背中は壁にぶつかり、男はさらに怯えた。

 

「うわああああああ!!!」

 

「!?クラリッサ、私の背後に隠れろ!」

 

男の異変を感じ取ったラウラはすぐさまISを展開し、AIC(慣性停止能力)を自身の前に発動させる。

男は銃を扉の奥へ乱射するが、焦りと恐怖からかその照準はひどくブレており、壁に当たった跳弾がAICの前で慣性を止める。暗い空間の中で、まるで雷のように何度も瞬時に銃弾の閃光が広がっては消えてゆく。

 

銃弾が止まった。おそらく弾切れを起こしたのだろう、男は何度も引き金を引くが、銃はピクリとも反応を示さない。

すると突然、扉の中から何かが飛び出してきた。よく見るとそれは、男と同じ格好をした遺体だった。遺体だとすぐに分かったのは、その頭部が無残に引き裂かれ、脳の中身が見えたからだ。

 

(むご)い……仲間割れか?」

 

クラリッサが呟く。

 

「いや……何かいる」

 

ラウラの頬に一筋の汗が滴る。脳から流れた血が男の足元に流れつく。その血はよく見ると人間の血のようで、人間の血ではなかった。鮮血の色と()()が混じり合った、濁った液体が蠢いている。

 

「ッ…アアアアアアアア!!!!」

 

得体の知れない()()()()が扉の中から響き渡る。すると扉から出てきたのは一人の人間だった。男と同じ格好をしているため仲間だと思われるが、明らかに様子が変だった。その人間はふらふらと緩慢な歩みで男に近寄っていく。

 

「来るな……」

 

不気味さを漂わせた亡霊のようでもあり、死人(ゾンビ)のようでもある。その異様な光景に、ラウラとクラリッサも息をのむ。

 

「……くるなぁあああああ!!!!」

 

男がこれ以上ないほどの叫び声を上げる。しかし死人は立ち止まることもなく、喚き叫ぶ男の肩を両手で掴み、男の首元に口を近づけた。

 

ゴキッ

 

勢いよく血が噴き出す。死人に首を食われた男はやがて声にならない声で叫び、ビクビクと痙攣した後、やがて動かなくなった。死人が男を食べる音が、冷たい空間の中で湿ったく響き渡る。

 

「動くな!手を上げろ!」

 

ラウラとクラリッサが銃を向ける。すると死人は男を食べる動きを止め、ゆっくりとこちらに振り向いた。

 

(異常だ……あまりにも異常すぎる……)

 

嫌な予感がした。

ラウラの銃に装着されたフラッシュライトが、死人の顔をゆらゆらと動く。

ダメだ、恐れるな。

 

しかし、予感は的中した。

死人は突然素早い動きでラウラの前へと走ってきた。

 

「隊長!」

 

クラリッサの声をよそに、ラウラは死人の両肩を掴もうと腕を伸ばす。ISを展開しているのだ、こちらの方が有利に決まっていると、ラウラは自分に言い聞かせる。

しかしその両肩を掴んだ瞬間、ラウラは突然左目に鋭く激しい痛みを感じた。

 

「くっ……!」

 

死人はもはや人間と思えないような力でラウラを食いにかかる。いくらISを展開しているからといって、あの牙で装甲以外の露出した肌を噛まれたりしたらひとたまりもない。しかしラウラの左目はどんどん痛みを増していき、無情にも死人の牙がラウラの首元に届きそうになった、その時。

 

パァン────!

 

死人がぐったりとラウラの前で倒れる。男の頭部を撃ち抜いたのはクラリッサだった。クラリッサの銃口から上がる白煙を見てラウラは正気に戻るとともに、途端に呼吸が荒くなっていった。

 

「隊長!大丈夫ですか!?」

 

「あ、ああ……すまなかった」

 

「隊長、どこか痛むところが?」

 

クラリッサが顔を覗き込むが、ラウラは心配をかけまいと首を振る。クラリッサの気遣いをそらすように、ラウラは足元に転がった死人を見下ろした。

 

「しかしこいつは……人間なのか?」

 

「人間……だったもの、かもしれません」

 

「……非科学的だな」

 

「ええ、全くです。背格好も我々人間と同じ。しかし……」

 

クラリッサはライトを死人の口元に向ける。

 

「人の肉を喰らう……そんなもの、映画の世界だけだと思っていました」

 

死人の牙はまるで獣のように尖り、その歯には先ほどの男の肉と皮膚がこびりついている。あまりにも惨い光景に、クラリッサもライトを当てるのをやめた。

ラウラも無線を開く。無線を繋いだ先は、もう一つのグループであるカリンとニーナだった。

 

「こちらラウラ。テロリストによる襲撃を受けた。身元は不明、一部人間とは思えない行動を起こした。そちらの状況を報告せよ」

 

『こちらカリン。我々も襲撃を受けました。目の前で仲間を食べたのには驚きましたが……』

 

「了解。こうなった以上、犯人たちを無理に拘束するのは危険だ。上層部からも敵勢力抹殺の許可は下りている。自身の安全を最優先に行動しろ」

 

『……ニーナ!?くそっ!』

 

「おい、どうした!?」

 

『ニーナが敵勢力に取り囲まれました!っくそ!離れろ!!』

 

「おい!?応答せよ!────」

 

ザザッ

 

無線が突然途切れる。歯を食いしばるラウラだったが、クラリッサが声を張り上げた。

 

「隊長!前方より何か来ます!さっきよりも多い……!」

 

何人もの足音が、暗闇の奥から響き渡ってくる。それらは二人の聴覚を完全に支配していき、やがて現れたのは何人もの死人だった。

 

「……くそっ!クラリッサ、私の後につづけ!」

 

「了解!」

 

ラウラは機体からワイヤーブレードを射出し死人を次々と貫いていくが、死人たちはそれでも蠢くのをやめない。それどころか、左目の痛みがどんどん増していく。

 

「隊長!頭部を破壊してください!そうでなければ奴等はいつまでも動き続けます!」

 

クラリッサの声にラウラも銃を放ち続けるが、殺しても殺しても奥から死人が湧き出てきてキリがない。

ラウラとクラリッサはただひたすらに銃弾を放ち続けた。

 

 

 

 

 

 

「はぁ……はぁ……」

 

夥しい数の死体の上で、ラウラとクラリッサは立ち尽くす。肩で呼吸をするラウラの吐息が、冷たい空間の中で溶けていく。すでに身体は灰色と赤で塗れていた。

 

「っ……」

 

「隊長、大丈夫ですか?」

 

ラウラと違い、クラリッサの呼吸は落ち着いていた。それがクラリッサにとっては不安に感じ、ラウラの元へ駆け寄る。

 

「ああ……大丈夫だ」

 

「……ここに来てからというもの、隊長の呼吸がひどく乱れています。失礼ですが、どこか痛むのでは?」

 

「……大丈夫だと言っている」

 

しかし誰よりもラウラをそばで見てきた副官として、ラウラの異変を見過ごすわけにはいかなかった。

 

「隊長、私の肩に腕を回してください。少しは楽に────」

 

「────私に構うな!」

 

ラウラが乱暴にクラリッサの手を払う。それと同時に、ラウラの左目の眼帯が宙を舞った。解けた眼帯が、冷たい鉄の闇に落ちる。

 

「……すまない。冷静さを失っていたようだ」

 

ラウラが小さく謝る。しかしクラリッサはそれに反応を示さず、驚いた顔でラウラの左目を見ていた。

 

「隊長……その目……」

 

クラリッサが口を開けたまま黙る。なんだと思い、ラウラも自身の腕の装甲を鏡代わりにして自分の顔の前に上げた。

 

そこに映っていたのは、金色の目だった。

少なくとも作戦開始時は青い目をしていたはずだった。

 

「……!?」

 

ラウラも驚きのあまりまじまじと反射した左目を見るが、何度見てもそれは金色の目だった。

 

「……隊長?」

 

クラリッサが心配気な顔をする。しかしラウラはなんとか落ち着きを払い、隊長としての威厳を見せた。

 

「……問題ない。手術後まだ間もないからな。多少内出血でも起こしているのだろう。作戦終了時までは余裕で耐えられる。先へ進むぞ」

 

眼帯を再び装着し、ラウラは銃を持ち上げる。ラウラとクラリッサは、暗闇に広がる死体の川を歩き続けた────。

 

 

 

 

 

 

やがて一本道は終わりを迎えた。

ついに突き当たりへと到着し、そこには大きな扉と、その横に座る今にも死にかけな男。誰かに撃たれたのか、両足腹部を損傷しているようだった。

ラウラは男に銃を突きつける。

 

「貴様もテロリストか?他に仲間は?」

 

息も絶えそうな男は、ゆっくりとラウラたちを見上げる。マスクの隙間からは青い目が見えた。

 

「その目……ドイツ人か?言葉は分かるな?質問に答えろ」

 

しかしラウラの質問に答えることなく、男は小さな声で呟く。

 

「……ここへ入るな……入れば、後悔することになる……」

 

男の言葉を聞いたクラリッサが、扉の横に何かがあるのを見つけ、近寄る。それは小さな円状の機械で、何かを読み取るような仕組みのようだった。

 

生体(バイオメトリクス)認証……まさかその男が?」

 

クラリッサが男の方を見る。男の左手はよく見ると人差し指が無くなっており、その指は男の足の上に置かれてあった。

 

「誰かに撃たれたか?まだ撃たれたばかりのようだな……」

 

ラウラが男の指の断面を見る。ハイパーセンサー上では、その指はまだ人間と同じ温度を保っていた。

 

「おい!この先に何があるんだ!」

 

ラウラが男の額に銃口を突きつける。しかし男はすでに絶命しており、その目は虚ろなものになっていた。

 

「……くそ」

 

ラウラは銃を下ろす。男もぐったりと顔が落ち、地面に倒れた。しばらくの沈黙が流れた後、クラリッサが口を開く。

 

「隊長、どうしますか?」

 

ラウラも深く息を吐き、男の前にしゃがみこむ。手にしたのは、男の足に置かれた人差し指だった。

 

「……ここで止まるわけにはいかん。これで先へ進もう」

 

ラウラはクラリッサに指を渡す。クラリッサがその指でセンサーに照合させると、扉が内部で何重ものロックを解除していく音が聴こえた。

やがて連続していく解除の音が止まり、扉がゆっくりと自動で開いていく。ラウラとクラリッサも銃を構え、その扉の先へ目を凝らす。

 

扉の先に広がっていたのは決して広くはない小さな部屋で、壁沿いには大きなモニターが設置されていた。

モニターの中は世界地図が投影されており、その上に夥しい量の数式が広がっている。数式は絶えず流動し、やがて世界地図の中心に集合していく。数式はやがてゼロになり、後に残ったのは世界地図だけどなった。

 

「今のは……?」

 

その様子を後ろで見ていたクラリッサが呟く。

 

「……分からん。だがここで爆発が起きる兆しもなさそうだ。ひとまず任務終了後に軍部へ報告しよう」

 

バンッ!

 

突然左から何者かが扉を開く音が響く。

 

「誰だ!」

 

ラウラとクラリッサが警戒すると、銃を構えていた相手が驚いた顔をしていた。

 

「隊長!?それに副官も!」

 

扉を開けたのはカリンとニーナだった。お互いに銃を下ろし、四人は集まる。

 

「無事だったか!?」

 

「ええ、なんとか……」

 

灰色に濁った血に染まったニーナが、ラウラたちの身体を見る。

 

「やはり隊長たちも、同じ敵に?」

 

「ああ。だがなんとか凌いだ……並の人間とは比べものにならないほどの力だった」

 

カリンがモニターの方にゆっくりと近寄っていく。ニーナから敵を全て無力化した報告を受けたクラリッサも、ラウラに話しかけた。

 

「隊長、ひとまず私は上層部に報告をします」

 

「ああ、頼む」

 

クラリッサの無線がしばらく続いた後、彼女は全員に向き直った。

 

「上層部から帰還命令が出ました。ここから100mほど離れた場所にヘリを着陸させる、と」

 

「ふむ……分かった。全員、帰還するぞ」

 

「「了解!」」

 

クラリッサとニーナが扉の外へと先に出る。私も出ようとするが、振り返った。

 

「おい、カリン」

 

「……」

 

「カリン・アーデルハイト!」

 

「は、はい!」

 

「何をしている。早く帰るぞ」

 

しかしカリンは相変わらずモニターに目を奪われていた。私も彼女が何をそんなに気になるのかが不思議だった。

 

「何か気になるものでもあるのか?」

 

カリンはずっとモニターを見続け、私はそんな彼女の背中を眺めている。いつものあどけないような彼女とは全く違う、見たこともない一面だった。

 

「────隊長は、満天の星空を見たことがありますか?」

 

彼女の問いに、私は首を傾げる。

 

「……あまり縁がない」

 

そうですか、と彼女は小さく笑う。

 

「幼い頃……夜になると、よく雲の流れを観察していました。風が吹くのを待って、夜の底が少し明るくなってから、空を見上げるんです。そこには、たくさんの綺麗な星が……」

 

「……」

 

世界地図のモニターは絶えず流動し、今度は小さな無数の光がバラバラに小さく輝き始める。

 

「私、宇宙工学に興味があったんです。大学を出て、軍部に入って隊長に会うまでは……いえ、本当は今も……」

 

「……隊を抜けるか?君の進む道だ、私は止めはしない」

 

カリンはまた小さく微笑み、首を振る。

 

「いえ、隊を抜けるつもりはありません。私は黒兎隊(ここ)で、何度も救われましたから」

 

目の前に広がる満天の星空を、カリンは幼子のように見上げる。

 

 

 

「ですが今は、もう少しだけ……────」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

彼女から星の話を聞いたのは、それが最初で最後だった。

 

 

当時の私には、何かを見上げることなど出来はしなかったのだ。

 

 

 

 

 




『Operation. Lepus』出動隊員一覧

Laura Bodewig(ラウラ・ボーデヴィッヒ)
IS配備特殊部隊・黒兎隊(シュヴァルツェ・ハーゼ)隊長。階級・少佐。
2017年秋、左目に移植手術を受ける。現在はドイツ代表候補生となり、IS学園に転入中。

Clarissa Harfouch(クラリッサ・ハルフォーフ)
IS配備特殊部隊・黒兎隊副官。階級・大尉。
現在は、日本にいるラウラの代理として黒兎隊を牽引している。
大西洋に繋がる北海の海中にある地下施設にて、黒兎隊の活動に努めている。

Karin Adelheid(カリン・アーデルハイト)
IS配備特殊部隊・黒兎隊隊員。
ドイツ出身。ベルリン工科大学航空宇宙工学専攻後、黒兎隊に入隊。
2020年現在、行方不明。

Nina Claudia(ニーナ・クラウディア)
IS配備特殊部隊・黒兎隊隊員。
トルコ共和国出身。日本人の血を引いており、ラウラとクラリッサ以外に唯一日本語対話が可能な人物。
銃は狙撃手としての戦闘が主な専門だが、日本の剣術も学んでいたため剣の扱いにはかなり長けている。
2020年現在、行方不明。


├─────────┤

2017年秋、世界各地で謎の大停電が発生。
各国の住民・インフラ・交通網に甚大な被害を与え、1977年に起きたニューヨーク大停電の再来とも伝えられた。
三年経った今でも、その原因は突き止められていない。


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第53話 夜深の青

イメージ曲
get back - 中村佳穂


ゆっくりと瞼を開く。

目覚める瞬間、人は普通本能で目を開くものだが、ラウラは目が覚めるとあらかじめ分かっていたかのように、ごく冷静に瞼を開いた。それでもやはり、身体は覚醒直後特有の甘ったるい倦怠感をわずかに感じていた。

 

暗い部屋の中で、うつ伏せで寝ていたラウラの頬に薄暗い光が差し込んでいた。窓を開けたまま眠りについてしまっていたのか、目の前ではカーテンがゆらゆらと揺れている。時折小さな風が吹き込み、肌寒さを感じる。もう窓を開けて眠りにつく季節はとうに過ぎた。

窓の外の夜空には、小さくも主張を囁く星たちが闇に浮いている。それを見てようやく、今はまだ夜なのだと自覚する。

 

「────変な時間に起きたな……」

 

どうやら病棟から帰ってきてまだ数時間しか経っていないようだった。枕元の液晶に表示された時計は午前3時になりかけようとしていた。

ひどく鮮明な夢だった。先ほどまで夢で過ごした自身の記憶は、確かに過去に現実で起きた出来事であり、ラウラの中であまり思い出したくない記憶でもあった。窓の外の星空を見ていると、あの時の部下の言葉が蘇ってくるのを感じて、ラウラはカーテンを閉めた。

汗はかいていないが、喉が渇いた。夢での追体験に疲れたのか、身体の隅々が無性に水分を欲している。

ラウラはベッドからゆっくりと起き上がり、トコトコと部屋の冷蔵庫へと歩いていく。冷蔵庫の扉を開くと、低い電気音とともに、ささやかな冷気が首元を撫でた。

 

「……」

 

飲料水はペットボトルの残り半分もなく、明日の朝を迎えるまでを考えると心許ない量だった。

 

(……買いに行くか)

 

ラウラは深くため息を吐いた後、一旦ベッドまで戻り、フード付きの黒パーカーを着る。ポリエステルと綿、レーヨンでつくられた生地……内側は暖かく、肌寒さを感じることはなくなった。

携帯をポケットに入れ、ラウラは静かに部屋を出た。

 

 

 

 

 

 

学生寮内廊下、ラウラは自室と同じフロアにある自販機に着いた。

自販機は小さな共同スペースの中で3台ほど横に並んでおり、ラウラはその一番奥の自販機の前で立ち尽くしていた。

 

(……スポーツドリンクにするか)

 

特に汗をかいたわけでもない。スポーツドリンクを飲むタイミングとしてはあまり良くはないかもしれないが、清涼な甘さが欲しくなったラウラは己の欲求に素直に従うことにした。

ショーウィンドウのボタンを押す。自販機に携帯をかざすと、ガコンとペットボトルが落ちた。少し屈んでそれを手に取り、ラウラは自販機前の木のベンチに座ってドリンクを飲む。

3秒ほど飲み続け、勢いよく口を離した。そう思う根拠は何もないはずなのに、しばらくぶりに人間に生き返った気がした。手足にまで水分が行き届くような心地の良さに、ひっそりと浸る。わずかに乱れた呼吸を、ゆっくりと整える。

天井の明かりもあえて点けず暗い空間の中、ショーウィンドウから生まれる淡い青の光がラウラの顔を照らす。

 

青い光を見ると落ち着く────それはラウラがこの世に生を受けてから無意識に感じていたことだった。そしてラウラはそれを自身の本能的な一面だと自覚していた。最初はどうして落ち着くのか、理由が分からなかった。

しかしVTシステムの一件が起きた時、意識が闇の中に落ちていく中で、自身が『遺伝子強化試験体(Advanced)C-0037』として生まれた記憶が蘇ったのだ。軍の研究所にある、薄暗い実験室……静かに青く光る試験管の中で、自分は造られた。青い光は、母体の子宮を知らない自分が唯一帰ることのできる温もりだった。

ラウラがこうして、夜中に自販機の前で一人居座るといったこの行為は、実は初めてのことではない。時折ラウラは夜中に目が覚めて、ここで飲み物を買って自販機を眺めるという時間を過ごす。偶然ではあるが、これまで誰かと鉢合わせたことはなかった。しかし自身もわざと目を覚ますつもりはなく、毎回自然と夜中に起きてしまうので、それもまた青い光を求める自身の本能なのだと結論付けていた。

 

自販機から響いてくる浅い機械音が、壁に当たっては消えていく。

 

『幼い頃……夜になると、よく雲の流れを観察していました。風が吹くのを待って、夜の底が少し明るくなってから、空を見上げるんです。そこには、たくさんの綺麗な星が……』

 

頭の中で、あの時の部下の言葉が過ぎる。

今思えば、彼女のことをどこかで羨ましがっていたのかもしれない。私の知らない外の世界を、彼女は幼い時から眺めていたのだから。

あれから時も経ち、色んな人間と出会ってきた。黒兎隊以外にも学園で仲間と呼べるような繋がりもできた。だがそれでも今は、目の前にどこか影が差している。

自販機から溢れてくる機械音の波に揺られながら、しばらく青い光を眺めていると、誰かの声がした。

 

「……ラウラ?」

 

入口の方に目をやると、そこにはジャージ姿のシャルロットが立っていた。こんな時間に人がいると思わなかったのだろう、少し驚いた顔をしている。

 

「……眠れないのか?」

 

ラウラが小さく尋ねると、シャルロットも小さく微笑んだ。

 

「ううん、眠れたよ。……ちょっとだけ、ね」

 

「……そうか」

 

目に力のないシャルロットを見て、ラウラも心細さが胸の底から湧いた。ラウラは隣をポンポンと叩き、シャルロットをベンチに誘う。シャルロットも素直にラウラの隣に座った。

 

「何がいい?」

 

ラウラは静かに立って、自販機に携帯をかざした。シャルロットの分を買うつもりのようだ。

 

「え、いいよいいよ。そんな気を遣わなくたって」

 

「構わん。たまにはこういうこともさせてくれ」

 

ラウラの言葉に、シャルロットも小さく礼をした。

 

「ありがとう……じゃあ、温かい飲み物でも」

 

「ふむ。そうだな……」

 

ラウラは数秒ほど考え、自販機の下の段のボタンを押した。選んだのはハーブティーの小さなペットボトル。ガコンと中から落ちてきたそれを手に取り、シャルロットに渡す。

 

「よく眠れない夜にはハーブティーがいいぞ。気持ちを落ち着かせる効果がある。飲み過ぎには注意だがな」

 

「ありがとう……僕も紅茶好きなんだ。こっちに転入してきてからは、よく飲んでた」

 

ペットボトルのフタを開けて、シャルロットは一口飲んだ。口を離した彼女の吐息は、さっきよりも少し落ち着いた色になっていた。

 

「日本は便利だよね。どこに行っても自販機があるから」

 

「全くだ。それに購入する者たちの欲しがるものをよく分かっている。まぁ、たまに意味のわからない飲み物もあるが」

 

「セシリアは自販機の紅茶、飲むと思う?」

 

「英国人のあいつのことだ。きっと紅茶の代表候補生と自称しそうなくらい、紅茶にはうるさいと思うぞ?」

 

「ふふっ。『淹れたての紅茶以外、紅茶とは呼べませんわ!』とかね」

 

「ふっ、言いそうだ」

 

少し笑いあった後、二人の間に沈黙が流れた。しばらくして、先に口を開いたのはラウラだった。

 

「あの後、まだ残って彼女(マリア)を見舞っていたのか?」

 

ハーブティーをまた一口飲んだ後、シャルロットは小さく呟いた。

 

「うん……でも消灯もあるから、そんなに長くはいなかったよ。三十分くらい」

 

「そうか……」

 

手のひらの中でペットボトルをコロコロと揺らすシャルロット。またしばらく青い光を眺めながら、ラウラはふと呟いた。

 

「シャルロット」

 

「?」

 

シャルロットがラウラを見る。

 

「しばらくは私と一緒に食事を取ろう」

 

「え?」

 

ラウラの突然の提案に、目を丸くするシャルロット。

 

「あえて正直に言うが、人間は何か精神的にショックな出来事に直面した時、食欲不振に陥ることが多い。頭では空腹など感じる余裕はないため食事をとる必要はないと錯覚しやすいが、身体はエネルギーを欲しがる」

 

「……」

 

「今回の件は確かに我々の心に深く傷を残した。だがシャルロット……心にストレスを負いすぎると、お前まで倒れてしまうぞ。私としても、それはなんとしても避けたい」

 

「ラウラ……」

 

「無理にとは言わない。一人にしてほしい、構ってほしくない時もあるだろう。だが抱えきれなくなったらいつでも話せ。部屋でマリアのことを思い出すのが辛くなったら、いつでも私のもとへ来ればいい。話したくない時は、ただそばにいてやることも出来る。私でなくても、専用機持ちは皆周りにいる。シャルロット、お前は一人じゃない。私たちは皆、支え合っていかなければ……」

 

しばらく俯いた後、シャルロットは小さく呟いた。

 

「ありがとう……」

 

自販機の機械音が少しだけ音程を変えて、青く淡い闇にじんわりと溶けていく。ラウラもシャルロットも、その青い光を見つめていた。自販機には大手ISスーツメーカーの広告のイラストと文字が載せられていて、ただただ目線はその文字の上を滑っていく。

しばらくして再び機械音の音程が戻った頃、シャルロットがラウラに尋ねた。

 

「……夜、ここにいることが多いの?」

 

ペットボトルの中のスポーツドリンクが、小さな波を立てる。

 

「……時々な」

 

「時々、眠れなくなることが?」

 

「……いや、そうではない。多分、身体がそうさせてるんだ」

 

「?」

 

シャルロットが首を傾げる。

 

「私に母親はいない。研究所の試験管の中で生を授かった。その時初めて見たのが、青い光だ。私自身は覚えていないが、私の身体が覚えている」

 

「……」

 

「今日は……少し昔のことを思い出してな」

 

小さく、深い息が漏れる。

 

「そういえば、ラウラの過去ってあんまり聞いたことないな……」

 

「ここの学園生のように華やかなものでもないぞ」

 

「……ねぇ、よかったら僕に話してくれない?」

 

シャルロットがラウラを見る。少しの間目が合った後、ラウラは小さく俯いた。

 

「機密事項が多いのだがな……ここだけの話にしてくれるか?」

 

「うん、約束する」

 

しばらくの沈黙が流れ、ラウラが口を開く。

 

「そうだな……」

 

青い光を見つめながら、ラウラは話し始めた。

 

 

 

 

 

 

──── 三年前、私はある軍事作戦に参加していた。今日は、その時の夢を見ていてな……。

 

 

ラウラの軍……黒兎隊のこと?

 

 

ああ、そうだ。教官と出会うよりもずっと前のことだ。

我々黒兎隊(シュヴァルツェ・ハーゼ)の初の任務だった。隊長である私と副官(クラリッサ)、そして二人の部下の四人編制で作戦は行われた。舞台はエーゲ海だった。

 

 

エーゲ海か……もうずいぶん行ってないね。それに三年前は大変な年だったよね……フランスでも大停電が起きてさ。もうそんなに経つんだ……

 

 

ああ……。

 

 

でも、初めての任務か……黒兎隊にとっても晴れ舞台だったわけだ?

 

 

いや……色々あって、私にとってはそう呼べるものではなかった。作戦は成功、というかたちで上層部からも認められたがな。

 

 

そうなんだ……。

 

 

その作戦に参加していた私の部下二人だが……実はしばらく前から連絡が取れていない……。

 

 

え……

 

 

行方不明と報告されたのは、今年の夏頃だった。血の繋がった人間がいない私にとって、黒兎隊の隊員たちは家族のようなものだ。彼女たちが行方不明と言われた時は、私は身体の一部を無くした気持ちになった……。

 

 

……もしかして、臨海学校の最後の夜、ラウラが突然出て行ったのって……

 

 

……ああ、よく覚えているな。その通りだ。

 

 

 

 

 

 

──── ラウラが静かに自身の眼帯を外す。隠された左目は金色に染まっており、こんな暗い空間でも映える彼女の目を、シャルロットは無意識に美しいと感じていた。

 

「作戦が終わった時、私の目はすでに金色に変色していた……作戦前に行われた移植手術は、最終的に失敗に終わったのだ」

 

「……」

 

「右目も赤い色をしているだろう?これもその影響だ。私はもともと青い目をしていたんだ……信じられないと思うだろうがな」

 

「そうなんだ……」

 

「行方不明となった部下たちの手がかりは未だに見つかっていない……だがこの左目を鏡で見ると、当時の作戦を思い出すんだ。今となってはこの左目こそが、彼女たちとの唯一の繋がりだ」

 

放物線を描く私の記憶が、たとえどれだけ過去に流れていってしまったとしても、その接点は決して揺らぐことはない。ラウラにとってその事実は、この上なく価値のあるものだった。

またしばらくの沈黙が続いた後、今度はシャルロットが話し始める。

 

「……僕も、この学園に来てから色んな繋がりを持てた」

 

手の中のハーブティーが、少しずつ温度を失っていく。

 

「繋がりはたくさんの線になって、僕の身体を作っていった……でも今回の事件で……」

 

「……」

 

「もちろん……失われたわけじゃない、それは分かってるつもり……。でも、目を覚まさないマリアを見て……僕は、僕が分からなくなった」

 

「っ……」

 

シャルロットの呼吸が僅かに荒くなっていく。

 

「眠りについた中でも、あの“糸”が、僕の身体を這うんだ……見えない“糸”に縛られて……それでね、僕はなんだか、呼吸の仕方さえも────」

 

「シャルロット」

 

名前を呼ばれたシャルロットはハッとする。

気づけば、ラウラが自分を優しく抱きしめていた。ラウラの身体は柔らかくて温かく、そのおかげでいつの間にか荒くなっていた呼吸もどんどんと落ち着きを取り戻していった。

 

「……今日はもう眠れ。私がここにいてやる。ずっと……」

 

ラウラの囁きに、やがてシャルロットは彼女の肩に顔をうずめた。

 

「はは……おかしなことを言うね、ラウラは……」

 

「……そうだな」

 

シャルロットもラウラの背中に手を回す。

 

 

 

「こんなところでなんて……眠れないよ……」

 

 

ラウラがシャルロットの背中を、ゆっくり優しく撫でる。疲弊しきったシャルロットにとって、それはとても温かく、安らげる時間だった。

薄暗い空間の中にいる二人を、青い光が淡く照らし続ける……────

 

 

 

 

 

 

あれからどれくらいの時間が経っただろう。

気づけばシャルロットは私の肩の中で眠りに落ちていた。安心しきったような、静かな寝息だった。

 

私はシャルロットが起きてしまわないように、彼女の身体を支え、そのまま抱き上げる。身長は私の方が低いが、鍛えている自分にとって彼女の身体は羽のように軽く思えた。

 

彼女のハーブティーを一旦自分のポケットに入れ、そのまま暗い廊下を歩いていく。

シャルロットの部屋番号は覚えている。以前、シャルロットとマリアのもとへ遊びに行ったことがあった。

 

部屋の前に着くと、扉に鍵がかかっていなかったことに気づく。疲れたまま出てきて、鍵をかけるのも忘れてしまったのだろう。彼女を起こす必要も無くなったと安心し、私は音を立てないよう部屋の扉を開けた。

 

部屋の中は暗かったが、奥でカーテンが揺らめいてるのが見えた。窓を少し開けていたのだろう、その隙間からは月光が差し込んでいる。

ベッドを見ると、一つは毛布がめくれていて、もう一つのベッドはまるで誰も使っていないかのように綺麗な状態を保っていた。恐らくここが、マリアのベッドなのだろう。

 

私は毛布のめくれていた方のベッドに彼女を下ろし、ゆっくりと毛布をかける。風邪を引かないよう、窓も閉めておく。カーテンは夜空が見られるように、そのままにしておいた。

 

ベッドで眠る彼女の目元は隈ができていたが、その顔はとても安らかなものだった。私も静かに微笑み、彼女のもとを立ち去る。

 

明日は休みだ。ゆっくり眠るのがいいだろう。

ポケットからハーブティーのペットボトルを取り出し、台所に置いた後、私は静かに彼女の部屋を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




とある日の夕刻
IS学園・医療病棟エリア
A病棟ICUエリア・A-301


p……p……p……


────……織斑先生。


……デュノアか。


……今日は、いつもの職員会議には出ないんですか?


先に用を済ませてきた。後は私がいなくても会議は滞りなく進むだろう。


……。


……毎日ここへ?


……はい。顔を見せないと、きっと寂しがるでしょうし……


そうか……。


そういえば、会長は……?この前、お見舞いに行っても見当たらなくて……


ああ、更識ならもう問題ないと言い張っている。本当はまだ大人しくしておくべきなんだがな。あいつは元々じっとしていられるタイプではないらしい。


そうですか……。


織斑の傷も大方治りかけている。じきに包帯を付ける必要もなくなるだろう。


…… 一夏は人気者ですからね。授業に復帰した時は、クラスの皆も喜んでました。


そうか……。


……。


……。


……マリアのこと、病棟の先生たちから何か聞いていますか?


……これまで数回脳波検査(EEG)を行っているが、小康状態のまま変化はないらしい。


……。


定期的に、全身の筋肉には負荷と運動をかけているそうだ。しかし、見た目ではあまり分からないが……やはり少しずつ衰えている……


はい……。


目覚めた時にすぐにでも動けるよう、可能な限りサポートをしてくれているが……この長さだからな……


……あの事件から、明日で三週間ですね。


……アリーナの修復も、もうじき終わる。学園の風景も、元に戻りつつある。あとは、マリアが目覚めてくれれば……


……。


……デュノア、気負いすぎるな。お前は一人ではない。私も、生徒たちも、皆そばにいる。


はい……。


最善は尽くすつもりだ。いつでもいい。何かあれば、声をかけてくれ。


……ありがとうございます。


……。


……。


……。


……少し、二人にしてくれませんか。


……ああ。


コツ、コツ、コツ……


































──── マリア、聞こえる?僕だよ。


ここ、いい場所だよね。夕陽も綺麗で、IS学園の広い森によく似合ってる。
羨ましいな、特等席だよね。


気づいてた?みんな、いつもマリアのところに話しに来てるんだよ?


僕とは入れ違いだったみたいだけど、昨日は箒が様子を見に来てたんだって。


箒、最近すごいんだよ?朝早くと放課後は遅くまで、ずっと竹刀を振ってるんだって。
剣道部の中でも、先輩たちを超える勢いだって風の噂で聞いたんだ。


一夏もそれに触発されたのか、過度な運動はできないけど、いつも見えないところでトレーニングして鍛えてるみたい。
まぁ、それでこの前織斑先生に怒られてたんだけどね。


そういえば、セシリアと一夏は今度秘密のデートするみたいだよ?一夏の傷が治ったらって、約束したんだって。
ふふ、仲睦まじいよね、あの二人。


……今日はね、見せたいものがあって来たんだ。


ほら、この画面……この前、休みの日に写真撮って来たんだ。


覚えてる?僕たちが、初めてデートした場所……


誰もいない、ひとりぼっちの小さな公園。夕陽がよく見えて、金網の向こうには学園の島とモノレール、どこまでも続く水平線がとても印象的で……


……それで、マリアに僕のお母さんのことを話したんだっけ。こうして病室で誰かを見舞うのも、お母さんの時以来かな。


マリアは僕のご先祖様(アデライン)の話を聞いてくれて、それでマリアも、過去の話を教えてくれて……。


マリアの話……驚きはしたけど、自分の中では腑に落ちたんだ。
マリアは自分のことを卑下していたけど、僕のご先祖さまをこんなに想ってくれていた人が、悪い人なわけがないって……あの時も、今でもそう思ってるよ。


……この御守りの鍵のことも、マリアに話せてよかったと思う……。


……。


……あの時、僕はね。


──── マリアに黙っていたことがあるんだ。


……マリアが僕のご先祖様に渡したこの鍵……。ご先祖様が住んでいたところには小さな中庭の露台があって、その庭一面には白い花が咲いていた。


ご先祖さまは生きてる間に視力を失くしてしまった。だけど、せめて外気と花の香りがご先祖さまの癒しになるように……マリアはこの鍵を、ご先祖様に渡した。


その時のご先祖様の感情を、マリアは知ってた?


……公園ではそれを言わなかったけど、その時僕のご先祖様は、その花の香りを理解できなかったんだ。


それを言ってしまえば、マリアが傷ついてしまうんじゃないかって、ご先祖様はそう思ったんだと思う。


でも同時に、もはやマリアとの記憶も曖昧になるほど、病気は進行していた。花の香りも分からぬまま、花も、鍵も、そしてマリアとの思い出も忘れてしまって……


でも、最期までマリアの名前を口にしていたのは本当だよ?デュノア家では、確かにそう伝わってきた……。


……もう、僕の家族はいないけれど………。








──── ねぇ、マリア。


……僕はね、君のことを忘れたりはしないよ。


……僕に生きる理由を与えてくれたのは、マリアだから………。


……


……だから、ね?


……早く、うっ……ひっく……起きてくれないと……


……ぐすっ、ぼく、さみしいよ……


……マリア………















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更識楯無への任務:『監視』

そういえば今更ですがPS5でもブラボ出来るみたいですね!!


とある日の夕刻

IS学園・医療病棟エリア

A病棟ICUエリア・A-301前

 

 

「……更識か」

 

「はい。……デュノアさんは?」

 

「二人にしてほしい、とな。少し気がかりだが」

 

「……もう少し遅く来た方が良かったでしょうか?」

 

「いや、いい。お前には話があって呼んだ。少し場所を変えるぞ」

 

 

 

 

 

 

とある日の夕刻

IS学園・学園棟エリア

川沿い付近

 

 

「それで、怪我の具合は?」

 

「完治とまではまだいきませんが、支障はありません」

 

「そうか」

 

「……一夏君を護りきれず、申し訳────」

 

「謝罪は受けん。今回の件の責任は私にある。お前が非を背負う必要はない」

 

「ですが……」

 

「最も気に食わないことの一つは、私の非であるにも関わらず、お前までもが目をつけられてしまったことだ。……ふん、連中には処分する対象が必要らしい」

 

「……一族の名に泥を塗りました。これまでの当主に、顔向けが出来ません……」

 

「ああ。お互い裏のヒーローにはなりそこねたということだな」

 

「……学園内部も、大幅に入れ替えを?」

 

「いや、私たちの幕引き(フィナーレ)はまだ早い。今日お前を呼んだのは……その泥を振り落とすためだ」

 

「……というと?」

 

「状況が変わった。我々にも、まだやるべきことが残っている」

 

「……」

 

「これを見ろ」

 

「……走り書き……これは?」

 

「マリアの服の中にあった。襲撃後、顔を見に行くついでにあいつの制服も持って行こうとした時だ」

 

「『「()()()()()」を求めよ。狩りを全うするために』──── 意味が伺えませんが……」

 

「ああ、私もだ。だが、手がかりを掴むことはできた」

 

「……」

 

「────『電脳ダイブ』の話を聞いたことは?」

 

「……理論上可能であることくらいですが」

 

「うむ……ISコアネットワーク(基幹通信網)を通じた電脳ダイブ。IS操縦者保護神経バイパスから電脳世界へと仮想可視化しての侵入……というものだ。電脳世界は必ずしも一致するとは限らない。操縦者によって、その景色は様々だという話だ。故に、『分離解体の世界たち(ワールド・パージ)』という名でも呼ばれている」

 

「……それで?」

 

「この電脳世界は操縦者自身の意思・解釈・願望・記憶に大きく左右される……つまり理論上であれば、()()()()()()にダイブできるというわけだ」

 

「過去へ……?」

 

「もちろん介入はできない。歴史を改竄できる空想上のタイムマシンとはわけが違う。あくまで体験する、という話だ」

 

「もしかして……」

 

「……ああ。一週間後、マリアにこのプロジェクトを施す」

 

「ですが、昏睡状態の患者を?」

 

「すでに医師からの許可は得られている。まだ小康状態だが、脳自体の安定はしている。あとは適度な刺激が、あいつの目覚める一つの方法だと……。ここで希望を持つか、何もせず何年も目覚めを待つか……その二択だ」

 

「……それで、私がするべきことは?」

 

「ああ。マリアだけを電脳世界に行かせてもこのプロジェクトは成功しない。あいつを舞台に再び戻らせる人物(キャラクター)が必要だ。外界から侵入してきた者たちによる刺激……専用機持ちたちには、その役目を担ってもらう」

 

「殻に閉じこもった彼女を救い出す……ということですか」

 

「ああ。しかし専用機持ちたちはその間無防備状態となる。お前には、あいつらを守る役目を担ってもらいたい」

 

「……それだけですか?」

 

「ああ。マリアの情報を突きとめろ」

 

「……そして監視、ですね」

 

「……思えばあいつの強さは一生徒としては異常だ。今回襲撃による大ダメージを受けたとはいえ、お前もあいつの強さは肌で感じたことはあるだろう」

 

「……ええ」

 

「『狩りを全うするために』か……これがあいつの書いたものかは私たちに知る由も無いが……ふん、確かに狩人と言われれば、少しは納得もできる」

 

「……」

 

「場合によっては、だが……。あいつが今回の襲撃を手引きしたなどという容疑(憶測)も、一部で囁かれているようだ。ゆくゆくは、最悪の状況も想定しておけ」

 

「……本当にそう思っているのですか?」

 

「……」

 

「学園の危機を何度も救ってくれた、あの子が敵だと!?」

 

「……私だって信じたくはない。だが状況が変わったんだ」

 

「ですが────」

 

「何度も言わせるな…!いいか、これは学園の生徒たちを守るためでもあるんだ」

 

「っ……」

 

「結果としてあいつが何者でもなかったのなら、それはそれでいい。その時は私にとって本当の幕引き(フィナーレ)となるだけに過ぎん」

 

「……学園の生徒たちは、みな織斑先生を慕っています」

 

「それはこの閉じこもった殻の中だけの話だ。上はそんな思い出話に興味はない」

 

「……本当はもう一つ、あるのでは?」

 

「……」

 

「一夏君の監視……それも引き続き行うべき任務。間違いないですね?」

 

「……ああ」

 

「今回の襲撃事件、そして以前発生した彼自身への銃撃事件……いずれも調査報告書では、彼の不可解な矛盾が読み取れます」

 

「……異論はない。すまんが、頼らせてもらう」

 

「はい……────」



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第54話 乖離

IS学園・地下特別区画

電脳仮想空間伝送室

 

「地下にこんな場所があったなんて……」

 

目の前の光景を目にした箒がぽつりと呟いた。それは周りにいた専用機持ちたちも同じだったようで、全員息を呑み、自身らがいる空間を見渡す。

専用機持ちたちが現在いる空間は、地上からおよそ30m下にある地下特別区画『電脳仮想空間伝送室』。その天井は高く、まるで研究室のような白い空間に所々液晶の光源が配置されている。目の前には壁と筒が一体となったような、一人分が入れるほどの半カプセル型の機械空間が七つあった。

この空間は本来一般生徒が入れるような場所ではなく、相当な権限を持つ人物、もしくは極めて機密性の高い作戦・実験・研究が行われる場合にしか入室を許可されない。

とある週末の休日に千冬から突然プライベート・チャネルで呼び出された専用機持ちたちは、転送された地図を頼りにここまで来たのであった。故に専用機持ちたちは、一体これから何が起こるのかをまだ何も知らない。

 

『────では、状況を説明する』

 

スピーカーから響き渡った千冬の声。全員が振り返り上を見ると、そこにはガラス張りの向こうに立っている千冬と、その横で空間投影型ディスプレイを操作している真耶の姿があった。彼女たちがいるのは『電脳仮想空間管制室』であり、『電脳仮想空間伝送室』の心臓部の役割を担っている。

 

『学園祭襲撃事件から四週間が経った。諸君らも知っての通り、重度の被害を受けたマリアは未だ昏睡状態が続いている』

 

その重い事実に、各々が顔を暗くさせる。シャルロットが静かに拳を握りしめる様子を、そばにいたセシリアは見逃さなかった。

 

『一週間前……つまり襲撃から三週間後のことだ。その時彼女はまだ小康状態だったが、脳自体は少しずつ安定してきていた。そして現在は、より安定の様子・回復の兆しを見せているらしい』

 

「少しずつ回復してきてるんだな……よかった……」

 

ほんの少し、一夏は胸を撫で下ろした。しかし次に千冬から告げられたのは、あまり喜ばしくない事実だった。

 

『だが医師たちによれば、ここが峠の分かれ道であるとのことだ。いずれは彼女も目を覚ますということは分かっている……しかしそれがいつになるかは分からない。数ヶ月後、あるいは数年後になるかもしれん』

 

「っ……やりきれないわね」

 

鈴が小さく嘆いた。

 

『────だが同時に、彼女を目覚めさせるきっかけを与えうる可能性もある』

 

「……教官、それはどういうことですか?」

 

ラウラが尋ねると、千冬は一息置いて改めて専用機持ちたちを真っ直ぐに見た。

 

『今回諸君らを呼んだのは、彼女を目覚めさせるプロジェクトを行うためだ。……しかしこれは強制ではない。このプロジェクトの指揮を取るのは私だが、それは諸君らの同意を得られたうえでの話だ』

 

専用機持ちたちに沈黙が広がる。その表情は、なんと反応して良いのかまだ分からないといった様子だった。

するとしばらくして、セシリアが声を上げた。

 

「……織斑先生、まずはその内容をお聞かせ願えますか?」

 

すると千冬も頷き、そのプロジェクトの内容を話し始める。

 

『────諸君らがいるその空間は『電脳仮想空間伝送室』と呼ばれている。ISコアネットワーク(基幹通信網)を通じた()()()()()を行う場所だ』

 

「で、電脳ダイブ……」

 

「それって、もしかして……」

 

セシリアと鈴が不安な表情を見せた。一夏は聞き慣れない単語に首を傾げたが、その単語の響きでなんとなくのイメージをする。

 

「IS操縦者保護神経バイパスから電脳世界へと仮想可視化しての侵入……か。理論上可能であることくらいは耳にしたことがあるな」

 

ラウラが顎に手を添え考え込む。

 

『そうだ……。しかし飛び込んだ先の各々の電脳世界は、必ずしも一致するとは限らない。操縦者によってその景色は様々だという説がある。分かっているのは、この電脳世界は操縦者自身の意思・解釈・願望・記憶に大きく左右される、ということだ』

 

「記憶……」

 

シャルロットが小さく呟いた。

 

『つまり理論上、ある者の脳を基盤とした電脳世界を作り上げた場合、()()()()()()()飛び込むことができる。もちろん過去を改竄(かいざん)し、未来を変えるといったようなタイムパラドックス(時間の逆説)は今のところ空想上の話だ。電脳ダイブの本質を分かりやすくいえば、『過去に介入はできないが、侵入はできる』……といったところか』

 

その言葉で、専用機持ちたちは千冬が何を言いたいのかが分かってきた。千冬もその表情を読み取ったのか、静かに深く頷く。

 

『……ああ、そうだ。このプロジェクトは、マリアの脳を基盤とした電脳世界に諸君らが侵入……そして彼女を昏睡状態から連れ戻すといった内容だ。彼女だけを電脳世界に飛び込ませても、それによる脳への刺激は少ないだろう。人間の脳に刻み込まれた記憶にはある程度の“位相”が存在し、ここでいう刺激とは、その周期を乱すことによる反発を誘うことだ。つまり……より成功の可能性を上げるためには、諸君らのように外界から侵入してきた者たちからの刺激が必要になってくる』

 

『電脳ダイブ理論』は、まだ完全なる道筋が解明されていないというのが実情だ。理論で語られる結果というものは、必ずしも実践の結果とイコールで結びつくとは限らない。ISが発達した今の世界でも、まだ『電脳ダイブ』の研究例は数えるほどしか存在しておらず(本当は解明されているが世間に明かされていないという説もある)、またこの理論は抽象的な概念を多く含むテーマでもあるので、それを精査出来る者もほとんどいないのだ。

 

『無論、彼女の状態も考慮した上での今回の話だ。これによる彼女へのダメージは限りなく少ないと、医師からも許可は下りている。しかし我々はあくまで教師であり、出来る限り生徒たちの自由意思を尊重するのが義務だ。このプロジェクトに関しても、諸君らの意思を尊重したい。──── 改めて問う、このプロジェクトを希望するか?』

 

専用機持ちたちに緊張と沈黙の空気が張りつめる。お互いに困惑しながら目を合わせるが、そう簡単に言葉は紡がれなかった。

しかしそんな中ただ一人、俯いていたシャルロットが凛とした声で千冬に発言する。

 

「────織斑先生」

 

シャルロットの声に、専用機持ちたちも彼女を見る。

 

『なんだ』

 

「僕は……このプロジェクトの実行を希望します」

 

「!?」

 

横にいたセシリアが驚いて彼女を見る。シャルロットの眼差しは真剣だった。

『電脳ダイブ』という、そのほとんどが不明瞭である謎に包まれた一理論。普通に考えればそれに未来を託すことは出来ないだろう。しかし医師の言葉のように、タイミングがあるとするならば今しかない。この理論は脳活動に回復の兆しを見せている今だからこそ通用するかもしれないということであり、やがて時間が経ってその回復が落ち着いてしまうと、つまりそれは一定以上の回復を見込めない、活性化の衰えを意味するのだ。ここで未来を掴むか、何年も夢を見るか……その二択にはあらゆる不安が想像されるが、その恐さを必死に抑え、シャルロットなりに勇気を出したのだろう。

その真剣な表情を見て、セシリアも覚悟を決めた。

 

「────(わたくし)も参加しますわ」

 

他の専用機持ちたちも色々と思慮を巡らせた結果、覚悟を決めたようだった。

 

「俺も……俺も参加します!マリアは俺たちを……学園を守ってきてくれたんだ。今度は俺が、俺たちが助けないと……」

 

「教官、私も希望します。私の数少ない友人のひとりだ……戻ってきてもらわねば困りますので」

 

「あたしも……辛い時、マリアに支えてもらったことがあった。今度はあたしがここで助けなきゃ、友達として顔向けができない」

 

「織斑先生、私も参加します。私も、クラスの皆もマリアに早く戻ってきてほしい……そして静寐もあれからかなり元気をなくしています……ここで希望が持てるなら、私も全力を尽くします」

 

覚悟を決めた一同の眼差しに、千冬も深く頷いた。

 

『ありがとう。諸君らの覚悟、しかと受け取った』

 

「────織斑先生」

 

手を挙げたのはシャルロットだった。

 

『どうした』

 

「このプロジェクトを実行するにあたって、ひとつ約束していただきたいことが」

 

『聞かせてくれ』

 

シャルロットは一息置き、真っ直ぐな目で千冬を見た。

 

「もし実行中、マリアや他の専用機持ち……一人でも危険な兆候が見られたら、すぐにプロジェクトを中止してください。たとえそれが、もうすぐマリアを呼び起こせるような状況であっても」

 

「シャルロットさん……」

 

セシリアがシャルロットを見る。するとその言葉を聞いた一夏が声をかけた。

 

「シャル、俺に関しては心配するな。マリアを呼び起せられるかもしれないのは、またとないチャンスだ。俺としては……俺のせいで、そのチャンスを逃したくはない。俺よりも、マリアの覚醒の方が大事だ」

 

するとシャルロットは一夏を見て微笑む。力のない、悲しげな微笑みだった。

 

「ありがとう、一夏。僕、一夏のそういうところ好きだな。でもね、一夏がそう言うなら、僕はこのプロジェクトの参加を取り消すよ」

 

「な、どうして!?」

 

「一夏……僕はね、マリアに目覚めてほしいよ。でもね、僕にとってはマリアと同じくらい、一夏のことも大切なんだ」

 

シャルロットは一夏だけでなく、他の皆も見渡す。

 

「一夏だけじゃない……ここにいるみんなのことも、僕にとっては大切な存在なんだ。学園に入った時は色々あったけど、みんな温かく迎えてくれたし、僕が挫けそうになった時もみんな声をかけてくれた。そんなみんなのことを、僕は大好きなんだ。これ以上……誰かを傷つけたくない。きっとマリアも、自分のせいで他の誰かが目覚めなくなってしまうことは望んでいないと思う」

 

専用機持ちたちにとって、その言葉はこのうえなく響いた。シャルロットの強い覚悟に、一夏もゆっくりと頷いた。

 

「分かった……ありがとう、シャル」

 

シャルロットも優しく微笑んだ。

 

『デュノア、約束しよう。諸君らの安全を最優先に行う。山田先生、彼らの身体状態から目を離さないようお願いします』

 

『了解です!』

 

ガラス越しに、真耶が小さく皆に手を振る。その表情はいつもの幼げなものとはちがい、頼れる心強い大人の顔だった。

話もまとまり、千冬がパンッと手を鳴らした。

 

『各人、スタンバイ!プロジェクトを開始する!』

 

それと同時に、伝送室の扉から数人の医師が移動式担架(ストレッチャー)とともに入ってきた。その担架に乗せられていたのは、呼吸器やその他腕などに管を繋がれたマリアだった。

驚いた専用機持ちたちだったが、声をかけたい気持ちを必死に抑え、今はプロジェクトの準備を最優先させる。

専用機持ちたちはそれぞれ決められた半カプセル型の機械空間に身体を預けていく。千冬から見て左から順に、箒/セシリア/鈴/ラウラ/一夏/シャルロット……そして一番右端が今回基盤の電脳世界を形成するマリアだった。

身体を預けて仰向けになったシャルロットは、しばらく真っ白のカプセルの内側を眺めていた後、シャルロットの方を向いた。マリアも同じく仰向けに寝かせられており、医師たちが慌ただしく呼吸器や管の接続整備などを行っている。昏睡状態が続いているのもあり、やはりその腕は当初よりも痩せ細っていた。

 

(マリア……もう少しだけ頑張っててね。みんなと、必ず助けに行くから……)

 

やがてマリアへの作業が終わったのか、医師たちは静かに素早く退散した。そしてゆっくりと、専用機持ちたちのの寝ている機械がカプセルの内側へと入っていく。

目の前にはHUDが表示され、やがて読み込み作業が終わったのかパーセンテージが100になった。

 

『────それでは、マリアさんの電脳世界へと接続します。焦らず、深呼吸を続けてください』

 

機械の中で、真耶の声が響く。カウントダウンが始まり、専用機持ちたちはそれぞれの空間の中で呼吸を落ち着かせた。

そしてついに、カウントがゼロになる。同時に、専用機持ちたちの意識は仮想世界へと飛び込んでいった────。

 

 

 

 

 

 

IS学園・地下特別区画

電脳仮想空間管制室

 

「────さて、お前には別の任務を与える」

 

「……なんなりと」

 

千冬の後ろに静かに立っていた楯無が返事をした。

 

「知っての通り、先ほど学園地下のある一部分がなんらかの勢力によってハッキングを受けた。すでにそのハッキングは解除したが、恐らく侵入をしてくるだろう」

 

「……排除、ですね?」

 

「そうだ。今のあいつらは戦えない。悪いが頼らせてもらう」

 

「はい……────」

 

すると千冬はもう一つ、あることを話した。

 

「それともう一つ……これは憶測の話だが」

 

「ええ」

 

「数日前、あいつ(マリア)の脳内に微小な異物が発見された。何度も検査をしてようやく発見できた、ごく小さなものだったらしい。あいつ自身への直接的害は確認されなかったが、あの襲撃事件の爆発時に仕組まれた、一種の生物兵器かもしれん。今回の侵入者も、関係がないとは言えない。心してかかれ」

 

「はっ!」

 

楯無は音もなく、千冬のそばから姿を消す。残されたのは、真耶のタイピング音だけだった。

千冬はただ静かに、カプセルの中で眠る専用機持ちたちを見つめていた。

 

 

 

 




電脳ダイブ実行の5日前
『経過報告書』

患者氏名:Maria
事実経過:

脳内にヒモ状のような微小な生物を発見。寄生虫のような見た目にも思えるが、宿主となる同患者への影響は見られなかった。恐らく襲撃の爆発時に同患者の体内に入り込んだと考えられる。潜伏期間は23日間。
同患者の外傷性脳損傷(TBI)に向けた近赤外線レーザー治療により、同生物も消滅。消滅による有害物質などは今のところ確認されていない。


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追憶 -Ⅰ.篠ノ之箒:『その瞳は夜空よりも深く』

しばらく各人物の過去編に入ります。


電脳仮想空間

浅海

 

 

身体がふわりと浮いた感覚を覚え、ISスーツを纏った専用機持ちたちが再び目を開くと、目の前には六つの白い扉が並んでいた。

周囲は星のような光や小さな幾何学模様が永遠に広がっており、まるで宇宙空間を彷彿とさせるような場所だった。

 

「これは一体……?」

 

目の前に並んだ機械的な扉たちを見て、一夏が首を傾げる。

 

「入れってこと?」

 

鈴が呟くと、専用機持ちたちのもとに通信が届く。

 

『多分そうです!』

 

聞こえてきたのは、管制室にいる真耶の声だった。

 

『皆さんが今いる場所は、電脳仮想空間の浅層部。電脳世界はその不明瞭な実態ゆえに様々な考察がされていますが、ある学説では電脳世界を“一つの海”と捉える考え方もあり、そこは『浅海』とも呼ばれています』

 

「確かに……不思議と海の中を漂っているような感覚もあるな」

 

「きっと人間の深層心理とリンクしているから、無意識に心も落ち着くようにできているんだね……」

 

「織斑先生の仰っていた通り、これだと外界の刺激がほとんどありませんわね……。マリアさんだけではなく、私たちも電脳世界に行かないとあまり意味がないというのがよく分かりますわ」

 

ラウラ、シャルロット、セシリアも自分なりに考察を深めていた。

 

『その先は通信が安定しません。各自の判断で中枢へお願いします』

 

「了解しました」

 

箒が返事をすると、続けて真耶から忠告が届く。

 

『それともう一つ。皆さんにはこれからマリアさんの過去にダイブしてもらいますが、先ほども伝えたように、電脳世界は“操縦者自身の意思・解釈・願望・記憶に大きく左右される”ということを忘れないでください。つまりマリアさんだけでなく、皆さん自身の過去も想起される可能性があるということです』

 

専用機持ちたちが頷く。

そしてそれぞれ、目の前にある白い扉の前へと向かった。扉の前に立つと、扉と一体となって収納されていたドアノブが回転し、ゆっくりと扉が開いた。

扉の先に広がる光の世界の中へ、少年少女が足を踏み入れていく────。

 

 

 

 

 

 

約200年前

古都ヤーナム・禁域の森

 

 

「ここは……?」

 

扉の中に入って目の前が光に覆われた後。

箒が再び目を開くと、そこは深い夜の森の中だった。木々や地面の小さな植物には活気がなく、生命力を感じない薄気味悪い森が続いている。輪郭のない月明かりの粒子が、木々の間から漏れてきていた。

 

「一夏!シャルロット!」

 

……返事がない。

どうやら千冬たちが言っていた『飛び込んだ先の各々の電脳世界は、必ずしも一致するとは限らない』という話は本当のようだった。

左手首にある金と銀の鈴がついた赤い紐は反応がなく、当然ISも展開できない。

 

(仮想空間だから当然か……しかし何かしら武器が欲しいところだ)

 

箒が幼少期から教わってきた「篠ノ之流」は元々古武術だったこともあり、徒手(としゅ)での戦い方も身につけてはいる。武器の存在に甘んじることは自身の性格上したくないが、しかしこうも未知の世界ではやはり少なからずの不安があった。

 

(しかしここは一体何処なんだ?少なくとも日本ではないだろうが、まるで現代とは思えない雰囲気だ……)

 

道が舗装されていないのはともかく、看板などが何も見当たらない。何かしら人工物の痕跡もあっていいとは思うが、どれだけ辺りを見回してもそのようなものはなかった。

すると、箒の前に黒い何かがふわりと舞った。

 

「……蝶?」

 

それは一匹の黒い蝶だった。

薄い(はね)にきらきらとした光沢を煌めかせて、箒の後ろに飛んでいく。

それを追うように後ろを振り返ると、目の前はなだらかな下り坂となっており、枯れ木に括り付けられたランタンが規則的に並んでいる。黒い蝶はゆっくりと、暗闇に覆われたその坂を下っていった。

 

「……行ってみるか」

 

箒は黒い蝶の後を追うように、深淵へと足を進めていく────。

 

 

 

 

 

 

「────!!!」

 

狭い草木の中をくぐり抜けると、一人の人間が倒れていた。

死んでいた。

その身体は全身切り傷に覆われており、地面は大量の血で湿っていた。

あまりの凄惨な光景に、身体中の重力がひたすらに歪み、背筋が凍りつき、目眩を覚える。生まれて初めて目にする、殺しの光景だった。

気がつくと、自身の後ろに何者かが立っているのが気づいた。箒が恐る恐る顔を向けると、そこには松明を持ちボロボロの服を着た男と、大きな犬が醜い息を吐いてこちらを見ていた。黒いシルクハットを被った男の顔は信じられないほど腐敗しており、やつれた髭が伸びきったその様は、まるで死にきれない死人だった。

そして横にいる犬は体格がかなり大きく、目と口からは血が溢れ出しており、気色の悪い涎を垂らしている。どちらもまるで、“獣”という一言では収まらないような風貌だった。

箒はあまりの恐ろしさに、不意に尻餅をついてしまう。全身から力が抜け、立ち上がれない。

すると犬が、醜い涎を垂らしながらゆっくりとこちらに近づいてきた。

 

「く、くるな……」

 

しかし箒の声が聞こえていないのか、犬はどんどん近づいてくる。

そして突然、犬が足を曲げて箒のもとに飛んできた。

 

(────!!)

 

無意識に箒も自分の顔の前に腕を出す。しかし犬は箒を気にも留めず、箒の後ろに倒れている死体に一目散に飛びつき、その死肉を貪り始めた。それに続き、男も死体のもとへ歩いていき、ひたすらに蹂躙を繰り返す。男が通り過ぎる際、箒は自分の身体が透けていることに気づいた。

 

(そうか……ここはあくまで仮想空間で、私の存在は実体化していない……)

 

恐らく彼らに箒の存在は見えていないのだろう。故に攻撃される可能性はないとわかったが、死体を蹂躙するそのあまりにも酷い光景に、箒は今すぐにでも離れたくなった。

すると黒い蝶が箒の前を飛び、違う方向へとひらひらと舞っていく。箒は震えながら立ち上がり、逃げるようにその場を後にした。

 

 

 

 

 

 

少し開けた場所に出た。

 

(民家か……?)

 

辿り着いたのは今にも崩れ落ちそうな木造の民家。民家と呼んでいいものなのか分からないほどの半壊した姿であり、木の板で乱雑に建てられたその家は、小さなランタンを一つだけ吊るしている。

 

(人のいる気配もない……しかしあまりにも古すぎないか?水道や電気も通ってなさそうだ)

 

箒がその家を細かく見ていると、突然中から小さく声がした。

 

『……ああ、君、獣を狩っているんだろう?』

 

「!?」

 

箒は咄嗟に身構える。

ここの民家の住人だろうか。くぐもった男の声に箒は警戒する。

 

「……私が分かるのか?」

 

しかし返事がない。やはり見えていないのか……箒が困惑していると、男がまた話し始めた。

 

『ありがとう。君たちのお蔭で、私たちは助かってるんだ』

 

『……だが、残念かな』

 

『夜は長く、獣ばかりが増え、狩りは終わらない』

 

『やがて君も死に腐り、あるいは血に溺れるだろう』

 

『おそろしく、そして悲しいことだ』

 

そして男は気味の悪い(わら)い声を上げて、やがて息をしなくなった。死んだのか、それともただずっとここに囚われているのか。

 

(獣を狩る……?それに、血に溺れるとは一体……)

 

ふと、箒の中で過去の出来事が想起される。

学園で初めて手合わせをした時に、まるで“狩人”のような雰囲気を纏わせていたこと。クラス対抗戦で現れた、まるで獣のような無人機を倒したこと。

どちらもその当事者はマリアであり、そして私たちがあまり向かい合ってこなかった事実だった。入学以降は衝撃的な出来事があまりにも多く、その敵だけについ意識が向いていたのだ。

 

不思議な感覚だ。

この森を歩いていると、どこか学園に広がる森を思い出す。

 

黒い蝶が、またさらに濃い闇へとつながる坂を下っていく。

今一度、知る必要があるのかもしれない。

彼女が一体、何者なのかを。

 

 

 

 

 

 

古都ヤーナム・ビルゲンワース

 

 

森を抜けると、月明かりに照らされた古い建物があった。屋敷とも学校とも呼べそうなその荘厳な雰囲気は、しかしどこか黒く濁ったもの恐ろしさを孕んでいるようにも感じられた。

 

(随分立派な……廃墟か?しかし僅かに明かりも滲んでいるな……)

 

すると黒い蝶がひらひらと高いところまで飛んでいき、目の前の建物の窓の中に入っていった。気が進まないが、箒は目の前の建物を目指すことにする。

小道を進んでいき、鉄の門を開ける。左に曲がって建物をぐるりと回ろうと角に差し掛かった時、目の前に大きな湖が見えた。

 

(不思議な湖だ……まるで全てがここにあるような……)

 

先ほどまでの森とは違い、西洋風な街灯もある。ここの明かりがついているのを見ると、やはり誰かがいるのは間違いなさそうだ。

少しその景色を眺めた後、箒が階段を上がると、視界の端で何かが動くのが見えた。

気になってその方向を見た途端、箒は全身がすくむのを感じ、すぐさま階段の陰に隠れた。自分の声が聞こえてしまわないように、箒は力強く口をおさえる。

 

(な、なんだ今の化け物は……!?)

 

身体は痩せぎすであるものの、腕と拳は獣のように強靭。そして何より衝撃的だったのが、頭部が肥大化して虫のような造形をしていたのだ。頭部には瞳がいくつも点在していて、頭部の後ろから背中にかけて虫の(はね)が生えている。

箒は小学校の時に習った理科の授業を思い出す。トンボの目は複眼と呼ばれ、その大きさは昆虫の中でも最大と言われており、目の数も数万個単位にのぼるのだそうだ。そんな話が可愛いく思えるくらいに、すぐそこにいる虫頭の人間は恐ろしい容貌をしていた。ひどいことだ。頭の震えがとまらない。気を一瞬でも抜くと狂ってしまうほどに。

 

箒は自分が奴に見えていないということを何度も胸の中で言い聞かせ、呼吸を整える。そして震える膝をなんとか抑えながら、ゆっくりと立ち上がった。

すぐそこには建物の扉がある。箒は虫頭の人間を絶対に視界に入れないように、すぐさま建物へと入った。

 

扉をすぐに閉めて、まだ荒い呼吸を鎮める。振り返ると、目の前には二階へと繋がる階段があった。

 

(……一体なんなんだ……この容器に入ってるのは)

 

今いる一階には数多くの容器が置かれており、その全てに蓋がされている。容器の中に入っているのは目玉であったり何かの臓器であったり……。他にも無数の薬瓶が地面に散らばっていたり、地球儀のようなものもある。

物恐ろしく冷たい空気感に息を詰まらせていると、突然背後から声がした。箒は咄嗟に階段の方へ身を隠す。

耳をすませて聞いてみると、二人の人間の話し声が聞こえた。こちらが見えないように覗いてみると、一人の青年と、揺り椅子に座っている老人がいた。

 

『────ウィレーム先生、別れの挨拶をしにきました』

 

(……学徒か?)

 

やはりここは、何かの学校なのだろうか。

 

『ああ、知っている。君も、裏切るのだろう?』

 

『……変わらず、頑なですね。でも、警句は忘れません』

 

『……我ら血によって生まれ、人となり、また人を失う』

 

『知らぬ者よ』

 

『『()()()()()()()()()()』』

 

そして青年は背を翻し、扉に手をかける。

 

『……お世話になりました』

 

扉が閉まり、無音が支配する。

やがて老人は、揺り椅子に揺られながら、静かに嘆いた。

 

『────恐れたまえよ、ローレンス』

 

 

 

 

 

 

二階に上がって扉を開くと、目の前は外につながっていた。

橋のようでもあるが、湖の手前で途切れている。橋の最後は、少し段差のある場所になっていた。

白い月を真正面から眺められるこの場所に、箒は自然と無言になった。

 

静かな波の音に耳を傾けていると、ふと空気が無音になった。

湖の手前で、誰かが背中を向けて立っていた。

 

姉だった。

 

はっとしてもう一度よく見ると、そこには誰もいなかった。

箒は静かに湖の手前まで歩き、あと一歩踏み出せば落ちてしまうところで立ち止まる。

 

(────あの時、姉さんは……)

 

湖はどこまでも広がっていて、自分の存在がいかに小さなものかを思い知らされる。

きっと宇宙というものは、私の遥かに想像し得ないように広大で……

 

(……そうだ、あの日の夜……私は……)

 

ふと、白い月を見上げる。

途端に、強烈な頭痛が箒を襲った。

 

「────っ!?」

 

頭が割れそうになる感覚。全身から汗が吹き出し、目眩で立っていられなくなった箒は、思わず足を滑らせてしまう。

 

「しまっ……!」

 

足を踏み外した私は、そのまま一気に下へと落ちてしまう。

黒い蝶が、私を見下ろして羽ばたいていた。

 

白く濁った月前の湖に、私は真っ逆さまに落ちていく────。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




六年前
篠ノ之神社
白騎士事件発生の翌夜


「────()()()()()()()()()()?」

満月の夜空。
実家の庭にある木の上に立った姉さんは私を見下ろして、そう言った。
私は姉さんの温もりが欲しかった。
でも、姉さんは私の側に来ることなく、ずっと木の上に立ったままだった。夜空への好奇を抱くその目は、小さな私が恐れるに十分な存在感を放っていた。

「箒ちゃん……お姉ちゃんね、ずっと誰かに認めてほしかったんだ」

「ぐすっ……ひっく……」

姉さんに抱きしめてほしい。また手を繋いで一緒に遊んでほしい。
そんな簡単な願いさえ聞いてくれない姉さんに、私はひどい悲しみを覚える。

「ISを発表した時も、誰も振り向いてくれなかった。生きていれば誰もが一度は宇宙に関心を持ったことがあるはずなのに、大人になれば、目の前の争いごとしか興味がなくなるの」

姉さんの胸中を聞いたことは、ほとんどない。

「────ある日の夜ね、窓から夜空を見上げてたんだ。その日は数年振りの皆既月食で、赤い月が浮かんでいたの。そしたらね、突然()()()が私の前に舞い降りてきたんだ。箒ちゃんには伝わらないだろうけど、すごくいい香りを纏わせてね。きっと()()()()って、ああいうのを言うんだろうね」

姉さんが誰かと仲良くするなんて、一夏と千冬さんくらいだと思っていたのに。

「その人が、とっても素敵なものを見せてくれたんだ。手のひらに乗った、まんまるいお星様。箒ちゃんにもよく、お星様の絵本を読んであげたよね。そのお星様は黒くて柔らかいものだったんだけど、よく見るとその中に夜空がいっぱい広がっていたんだ。お星様の中に、お星様がたくさん飛んでいた。気がつくとお姉ちゃんはそれを夢中に食べていて、口の周りをたくさん黒くして、夜空を頬張った。宇宙と一つになれる気がしたんだ……」

ご飯の時はいつも私のために大好物を分けてくれた姉さん。
私は姉さんを大好きで、姉さんに夢中だったのに、今の姉さんは私に見向きもせず、ただ宇宙だけに心を奪われている。
姉さんをそんな風に変えてしまった人物を、私は心の底から憎んだ。生まれて初めて感じる、“憎悪”という感情だった。そしてその感情はやがて、私がよく知るあの人に向けられた。

「────わたしは、みんなとばらばらになりたくない……おねえさんやおかあさん、おとうさん……いちかとも」

「……ごめんね。でもね、箒ちゃ────」

「きのうのじけんの“しろきし”は、ちふゆさんですか?」

「……!?」

姉さんが一瞬、目を見開く。すぐにそれを悟られまいと姉さんはさっきと同じ表情に戻ったが、長く共に過ごした妹の私にとっては十分な答えだった。
零れる涙を袖で拭き、姉さんに背中を向ける。

「……おとうさんとおかあさんがさみしがっています。さいごくらい、さよならのあいさつをしてきてください」

「あ、箒ちゃん……────!」

一目散にその場を離れる。姉さんの声が後ろで聞こえるが、決して振り向きはしない。
私は家族に悟られないように実家の和室へと入る。普段は父親の許可が無いと絶対に入れない領域であり、ばれてしまうと怒号どころでは済まない。しかし今の私は、たとえ姉さんでさえも止めることはできない。
明かりを点けないまま、和室の床の間にある父の真剣を手に取る。篠ノ之家に代々伝わる、由緒ある刀だ。
幼い私にとってその真剣の重さはかなりのものだった。これからする行いについて、少しの間、先祖代々、そして父に心の中でお詫びをし、実家を後にする。

あの人がいる場所は直感で分かる。一夏も昨日は一人で過ごしたと学校で言っていた。
あの人はまだ家には帰っていない。それ以外に来るとしたら……。

篠ノ之神社の敷地は広大だ。今向かっている目的の地は、実家と離れた場所にある。
だがずっと走り回ってきたこの森で、私が迷子になることはない。

誰も、私を止められない。










やがて森を抜けると、目的の場所に着いた。
思った通りだった。学校の制服を着た千冬さんは、剣道場の近くで立っており、いきなり森から出てきた私を見て目を見開いている。

「────箒か?こんな時間になぜ……!?」

千冬さんが私の手に持っていたものを見て、鋭い目を私に向ける。

「……それは柳韻(りゅういん)さんの真剣だな?何故それをお前が持ち歩いている?」

私の父から居合の教えを受けている千冬さんにとっても、この真剣は大切に思われていると耳にしたことがある。
だが、今の私にとってはそんなことはどうでもよかった。
私と家族を離れ離れにさせる張本人を、この手で成敗しないと気が済まなかった。

私は鍔に指を置き、ゆっくりと鞘から刀身を抜く。その重さについ身体がふらつきそうになるが、千冬さんに見せないように必死に耐える。

「……なんのつもりだ?」

「……」

「なんのつもりだと言っている!箒!」

千冬の冷たい怒号に、心の中の私が怯える。彼女の纏う空気が途端に鋭くなり、近づくだけで怪我をしそうに思えた。

「……ちふゆさんが、ねえさんをたぶらかすからです」

「……誑かすだと?」

「とぼけるな!“しろきし”があなたであることはわかっている!」

「っ……」

ああ、ここが一夏の家ではなくて本当に良かった。
今の私の顔を、一夏には決して見られたくはなかった。
ましてやその姉に向けて刀を突き立てているのだ。これが一夏に知られれば、きっと絶交では済まされないだろう。

「あなたがいなければ……そそのかさなければ……わたしたちはバラバラにならずにすんだのに」

「……やめておけ」

「これは、けじめです。わたしがあなたへ、くださなければいけない、罰……」

「そんなものはけじめとは言わん。いいか、お遊びはここまでだ。今すぐそれを収めれば、私も黙っ────」

「はぁあああああああ!!!」

全身をバネのように、地面を蹴り、一直線に千冬さんのもとへと走り出す。重い刀身を、千冬さんに目掛けて上から振り下ろす。
しかし千冬さんはいつのまに移動したのか、私の背中側に回り込み、強く私の身体を地面へと叩き込んだ。

「目を覚ませ!篠ノ之家代々の名に泥を塗るつもりか!」

強い衝撃で、頭がクラクラする。参道の砂が口に入り、顔の内側で砂の不快な音が響く。だが私は歯を食いしばり、全力で千冬さんの方を向いた。
彼女も私がまだ動けると思っていなかったのか、私を驚いた目で見下ろしている。
その一瞬の油断を突き、私は手に持っていた真剣を上へと切り上げた。
千冬さんは咄嗟に後ろへと飛んだが、躱しきれなかったのか、彼女の左腕の制服が細く切れ、そこから血が滴り落ちるのが目に入った。その血を見た途端、私の中で感情の熱が下がっていくのを感じ、後悔と自責の念が少しずつ渦巻いていくのが分かった。

「くっ……!」

「はぁ、はぁ……」

互いの荒い呼吸が、私の憎い夜空へと吸い込まれていく。
頬に一筋の汗を垂らした千冬が、私をギロリと睨みつける。触れるだけで切れそうなその鋭い瞳に、私の背筋が凍りつく。
そして千冬は荒い呼吸を整えた後、左腕を抑えながらゆっくりと立ち上がった。

「……気が済んだか?」

「っ……」

「刀というものは、己を映す鏡だ。刀は人を殺めるために作られたものだが、己の感情を見極めることができない人間にそれを握る資格はない。力に溺れたもののことを修羅と呼ぶと、お前も教わっただろう。……いいか、つまらん殺戮に手を染めるのは、これで最後にしろ」

私の手が徐々に震えていく。
斬れ。もう十分だ。だが彼女は私たちをバラバラにした人間なんだぞ。しかしここで彼女を斬れば、私は元に戻れないのではないか?何を言っている、そんなこと、斬った後に解決すればいい話だ。馬鹿なことを言うな、今だって、私は勘当されても文句は言えない立場なのだぞ。だが、姉さんがこれで救われるならいいじゃないか。姉さんが喜ぶと思うのか?だが一夏は喜ぶと思うぞ?巫山戯たことを!いいや、巫山戯てなどいないさ、私のことは私が一番分かっている。「……おい、聞こえているのか?その刀を放せ」ああ、やはり千冬さんが憎い。いや、冷静になれ。もうどのみち同じだ、一夏だって分かってくれる。そんな……そんなはずは……。そうだ、だからその剣を────

トンッ

「っ!?」

誰かが私の首を後ろから静かに突く。
疲労を襲っていた私にとってそれはとどめとなり、手から真剣が落ち、暗くなっていく視界の中で千冬さんが静かに歪んでいった。



ああ、千冬さんは今でもこのことを憶えているのだろうか。

私が二度と思い出したくなかった、数少ない記憶の一つを……────。












├─────────┤

『夜空の瞳』

精霊に祝福された軟らかな瞳。
かつてビルゲンワースが見えた神秘の名残だが、終に何物も映すことはなかった。
その瞳孔の奥には、暗い夜空が果てしなく広がり、
絶え間なく、隕石の嵐が吹き荒れている。


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追憶 -Ⅱ.凰鈴音:『家族/無限』

一部、心無い表現と思われる描写がありますが、あくまで創作の話として捉えていただければ幸いです。


『聖堂街の上層は、古い教会の指導者たちの住まいです。あなたが血の救いを求め、そして許されるのであれば、訪れるのもよいと思いますよ────』

 

 

 

 

 

 

約150年前

古都ヤーナム・聖堂街上層

 

 

「だれ……?」

 

誰かが今、囁いたような……。

鈴が目を開けると、そこはある階段の前だった。周囲には古びた棺桶が朽ち捨てられ、それを見下ろすように背中を丸めた気味の悪い人間の石像が不規則に並んでいる。見上げると、階段の先には大きな建物があった。

 

(何かの聖堂……?こんな立派な建物、見たことないけど……)

 

代表候補生はISの知識を深める以前に、他国の情勢や文化など、あらゆる背景を頭に入れておかなければならない。しかし鈴は今まで他国についての勉強をしてきた中で、このような大聖堂を持つ国があることを知らなかった。ある意味で現代離れしたその景観の様子に、鈴は首を傾げる。

 

(マリアの過去に侵入するとは聞いたけど、本人の気配はしない……。本当にマリアの記憶の中?それとも、それに関係した()()()()()に飛ばされた可能性も……)

 

周囲を見渡すが、他の専用機持ちの姿はない。恐らく、ここにいるのは自分一人のようだ。

空は禍々しい青紫の雲に覆われており、それが鈴の膝をわずかに震わせる。

 

「……とにかく、先へ進まないと」

 

階段をゆっくりと上っていくうちに、自分のいる場所が随分と標高の高い場所だということがわかる。

街はかなり下のほうにあり、その光景は鈴に大きな違和感を覚えさせた。

 

(車も人も何もない……街の交通網も存在しているようには見えないわね……まるで昔の世界みたい)

 

階段を上りきると、閉じられた大きな鉄の門が立ちはだかった。

 

「ひっ!?」

 

鈴の背筋がたちまち凍りつく。

階段を上った先に出くわしたのは、なんとも気味の悪い、目のような渦を頭部に四つほど持った、足のない小さな怪物たちだった。その小ささは、まるで何かの幼子を彷彿とさせる。幼子たちは、鈴の姿に気づいていない様子だった。

 

(なんなのよこれ!?動物とも思えない……こんな生き物が存在しているなんて聞いたことない!)

 

幼子たちはゆっくりと地面を這い、どこか別の方向へと進んでいるようだった。鈴はひとまず幼子たちを後にし、正面の門のそばへと近寄る。

門の内側には円形の広場があり、その奥には閉じられた建物の扉があった。

 

(あれは……)

 

見たこともない国のはずなのに、鈴はなぜか、その建物の意味を本能で理解した。

これは、()()()だ。

自分を生んだ者に捨てられ、何者にもなれない赤子たちが寄り添える、最後の居場所。

門の鉄柵を握っていた鈴の手が、次第に強くなっていく。脳裏に、あの日の夜が過ぎ去っていく。

 

『大丈夫だよ、鈴。寂しくなるけど、俺も頑張るからさ。鈴もきっと大丈夫だ……────』

 

(────!)

 

はっとして、目の焦点を合わせる。鉄柵の先に、()はいなかった。

今度こそはこの直線の向こうへ行けると思ったのに。

肩を落とし、ため息をつく。すると、視界に一匹の黒い蝶が現れた。

黒い蝶はその(はね)をきらきらと煌めかせて、後ろの方へと飛んでいく。

鈴がその後ろをついていくと、先ほどの幼子たちが集まっている場所に来た。

幼子たちは何かを見上げており、鈴もその方向を見てみると、青紫の雲の空にどっぷりと浸かった赤い月が上っていた。

 

(確か臨海学校の福音の時も、こんな赤い月が……────)

 

月を見上げる幼子たち。人間と外見がまるで違うためその表情は伺えないが、月を見上げるその視線は熱烈なものにも見え、悲嘆のようにもみえた。

 

黒い蝶が、さらに光沢を瞬かせる。

 

ああ、そうだ。

 

私もかつては、この子たちのように見捨てられていた日があった。

 

いや、本当はそうではなかったかもしれない。でも、当時の私にはそう捉えることしかできなかった。それでも私は、家族を愛していた。

 

何者にもなれなかった私は、ただこの子たちのように、空を見上げるしかなかった。

 

夜空に浮かぶ月だけが、私を温かく抱擁してくれる……────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




二年前
鈴・実家
転校十日前の夜


『────!!』

向こうの部屋から、机を大きく叩く物音が響き渡る。
暗い部屋の中で勉強机に向かってる私は、一向に今日の宿題が捗らなかった。数学の参考書に書いてある方程式が、まるでボールが隣の放物線から転がり落ちるように、私の目から滑り落ちていく。

『中国に帰国する』。
一ヶ月前、そう伝えてきた両親の顔は、ひどく怒り、疲れているものに見えた。
あまりにも突然だった。
理由は両親の離婚のためと言い渡されたが、それ以上深く聞くことはできなかった。

『どうして先のことを何も考えてないの!?光熱費とガス代も満足に返せる余裕がないのに……いい加減現実を見てよ!』

ほんの半年前までは、和気藹々とした家庭だった。
実家は中華食堂を営んでいて、部活が終わり、学校から帰れば夕食を食べにくる顔なじみのお客さんたちがいつもにこやかに挨拶をしてくれる。
「鈴ちゃん」と皆から元気に話しかけてくれるのが楽しみで、私の日課になっていた。厨房で忙しい父や注文を聞くためにせっせと歩く母も、そんな光景を見て笑ってくれていた。

『女が男の事情に口を出すな!大体お前がいつも発注していた食材が高すぎたんだろう!』

半年前、中国で新型ウイルスの感染症が突如発現し、それがどんどんと規模を広げた。
日本に関しても例外ではなく、新型ウイルスの蔓延はとどまることなく、やがて世界的大流行(パンデミック)となった。
国と国、街と街、そして人と人は分断され、互いに孤立した日常を送る。世界のあり方は一変し、その魔の手は実家の中華食堂にも及んだ。

『よく言うわね!世間の状況を無視して高い調理設備を買ったのは誰よ!?私は今買うときじゃないってあれほど言ったのに……それに訳のわからない宗教なんかにまで手を出して……!』

客足は一気に途絶え、店を続けることも困難になり、ついに店を閉めることを余儀なくされた。
お金の問題もあるが、新型ウイルスが発現したのが中国というのもあり、私たち中国人は近所からかなり冷たい視線を向けられた。幸い学校のクラスではいじめなどは起きなかったが、それでも他クラスからの一部差別的な視線は少なからずあったように思う。

『観音大士を馬鹿にするな!このお布施も、店を続けるためにやってたんだぞ!それに、鈴音のためを思ってだ!』

『そんなことであの子が治るわけないじゃない!』

『黙れ!高い治療薬を毎月買うよりも余程良いに決まってる!』

呼吸が上ずってくる感覚。
だめだ、動悸が収まらない。ああ、眩暈もしてきた。
こういう時は深呼吸だと、先生に教わった。
視界を漂ういくつもの放物線が揺らめくなかで、先生がお母さんに小声で話していたことを思い出す。

『────ええ、娘さんは恐らく……そうですね。精神面に少し問題が……』

『症状とお話を聞くに……パニック障害の一種かと……』

『学校は……ええ、様子を見てください……基本的に自宅療養を勧めますが……そうですね……外出を制限することも必要になってくる病気ですので……』

銀紙から安定剤を取り出し、コップに入った水で身体に流し込む。そして机に突っ伏し、向こうから聞こえる怒号をなるべく聞かず、机の上にある時計の音に耳を澄ませるようにした。

カチッ、カチッ、カチッ……

『金は俺がなんとかする。何度も言うが、男の事情に口を出すな』

カチッ、カチッ、カチッ……

『男……なにが男よ?あなたのどこが男らしい?』

『店を閉めた途端家に(こも)りきりで、転校の手続きも帰国するためにやらないといけないことも、全部私に任せっきりで……私は少しでもお金を稼ぐために短期間の派遣も────』

バンッ!!

『うるさいな!もういいよ!』

『目を覚ましてよ!こんな大変な時にお布施だなんて……いっそ食費に全部充てればいいじゃない!』

カチッカチッカチッカチッ……

『何を言っている!観音大士のご加護無くして、鈴音の病気が治ると思うか!?黙ってろ!』

カチカチカチカチカチカチ

『分かったわ!じゃあ観音様にお金を全部あげて!国に帰ってもあの子と私は貧乏に暮らせば良いのよね!』

問い四放物線mと直線nが点Aと点Bで交わっているAが(-4,-2)切片(0,-6)のときBの

『私が生活費のためにお母さんからいくら貰ってきたか知ってる!?それがどれだけ情けないことか分かる!?』

点Aと点Bが交わらない。点Aと点Bは交わらない。

『情けないだと?鈴音が()()()()()()()のもお前の教育が行き届いてなかったせいじゃないのか!?自分の情けなさを棚に上げてよくそんな大口が叩けるな!近所に知れ渡らないように俺がどれだけ苦労したかも知らないくせに!』

『苦労ですって!?何もしていないあなたに險?繧上l縺溘¥縺ェ縺?o?√≠縺ェ縺溘′豬ェ雋サ縺励◆縺帙>縺ァ縺ゅ?蟄舌′讌ス縺励∩縺ォ縺励※縺?◆譛?蠕後?譌?。後b蜈ィ驛ィ縺ェ縺上↑縺」縺溘▲縺ヲ縺?≧縺ョ縺ォ?』

『縺?縺」縺溘i縺昴?豢セ驕」縺ィ繧?i縺ァ遞シ縺?□驥代〒莠御ココ縺ァ陦後▲縺ヲ縺上l縺ー……』

カチッ……────


















両親に気づかれないように、家を出た。
もうすぐで春になろうとする今の時期も、夜はまだ寒い。
転校までまだ十日あるが、先生から外には出ず自宅で安静にするよう言われているので、もう学校に行くことはない。
一夏とももう一度くらい会いたかったが、放課後での会話が最後となってしまった。もう彼と会える日は大人になるまで願うことはできないだろう。

雨上がりに取り残された水溜りが、私の足を中心に波紋を広げる。
水面に映った月が不規則に歪む。
ふと、以前図書館で何気なく目に入った「無限集合論」の本の内容が頭に浮かんだ。
要素の個数が無限である集合……線上のすべての点の集合……平面上のすべての点の集合……。水溜りという有限な世界の中で、無限の夜空が広がっている。
図書館の隅でその本を読んでいた私が漠然と抱いたのは、「死」への恐怖だった。生は有限であるのに対し、死は限りなく続く、という恐怖。

父のお布施には、もう一つ捧げるものがあった。
観音様の手のひらに、自身の血を捧げる。おかげで父の手の傷は日に日に増していった。料理では全く怪我をしていなかった父の手は、見ているだけで痛々しいほどに変わっていた。「血の救いだ」と、夜中暗い部屋の中で父が呟いていたように思う。母はそんな父を、ひどく気味悪がっていた。




歩いていると、公園に着いた。
一夏とも家はそれほど遠くなく、小学生の頃はここで二人でよく放課後に遊んでいた。今日限りで、もうここへ来ることもないだろう。そう考えると寂しくなってくるが、今の私は私のことをどこか冷静に見ていた。

ブランコに腰掛ける。微弱な揺れとともに、寂しい金属音の擦る音が小さく響き渡る。

『鈴音……その、よく聞いてね。中国に帰ったら、鈴はお母さんと暮らすの。もうお父さんには会えないわ』

そうなんだ。びっくりしたけど、お父さんとお母さんがそう決めたなら。

『突然ですが、凰さんが転校することになりました。今すぐ転校するというわけではないのですが、色々事情があり、学校に来られるのはあと数日間だけです。それでは凰さん、何か皆に一言を』

みんな、ごめんね。

『ねぇ、聞いた?○×組のあの子、転校するんだって』

『そうなの?でもあのウイルスって中国からよね。いなくなってくれて安心だわ』

そうだよね。私はいらない子だもん。

『この大変な時に病気だと?お前は一体何をやってたんだ!』

『私だって大変だったのよ!毎日派遣から帰って夜中に鈴音のお弁当も作ってたのに、あなたは何も……!』

ごめんね。私のせいで、お父さんもお母さんも大変な思いをしてたんだよね。

私なんて、いない方が幸せだよね。

















気づけば、涙が止めどなく溢れていた。
胸の内の感情が抑えられない。涙とともに、震える声が口から漏れていく。
ただ誰かに、そばにいてほしかった。ずっとこのまま孤独になっていくのが怖くて仕方がなかった。
明日を夢見ることもできないこんな日々は、私にとってあまりに重く、抱えきることができなかった。

ブランコで一人小さく泣いていると、目の前にすっとハンカチが差し出された。

「鈴」

顔を上げると、そこには一夏が立っていた。

「一夏……」

涙で彼が歪む。
彼を見た途端、またさらに涙が溢れてきた。その様子を見ていた一夏が驚いた顔で私の前に屈む。

「お、おい、大丈夫か?ほら、拭いてやるから顔上げて」

「うん……」

一夏がハンカチで私の涙を優しく拭いてくれる。彼の手は、どこまでも温かかった。

「あ、そうだ。これ」

一夏が持っていたビニール袋から、温かいお茶を私に渡す。

「さっきコンビニで買ってきたんだ。本当は千冬姉の分だったけど、それはまた後で買えばいいし」

「ありがと……」

一夏が隣のブランコに座り、同じお茶のペットボトルの蓋を開ける。私も蓋を開けて飲み、胸の中にじんわりと温もりが広がるのを感じた。

「────ごめんな、こういうことしかできなくて」

一夏は照れ臭そうに、しかし暗い顔で呟く。

「ううん、嬉しい」

本心だった。もう彼とは会えないと思っていたから。

「びっくりしたよ、鈴が転校するって聞いた時は。突然だもんな」

「そうよね……ごめんね」

「謝るなって。寂しいけど、こればっかりは家の問題でもあるからさ。俺にできることは、鈴とこうやってゆっくり話すことくらいだし」

二つの影が、砂の地面をゆっくりと揺れる。

「その……色々あって、家からはもう出られないんだ。だから、千冬さんにもよろしく伝えておいて」

「……ああ、分かった。千冬姉も鈴の家の中華、美味しいってよく言ってたよ」

「そうなんだ……嬉しいな」

再び、沈黙が私たちの影を行き来する。
すると一夏がブランコから降りて、少し離れたジャングルジムへと歩いて行った。私も後を追うように、ジャングルジムへと向かう。

「そういえば鈴と初めて遊んだ放課後も、確かこの公園だっけ」

一夏がジャングルジムを上りながら言う。

「そうね……あの時はまだ私も日本語が全然出来なくて……」

「でもよ、今思うとあんまり関係なかったのかもな。俺、鈴が言いたそうなこと、あの時の俺なりになんとなく分かってたつもりだったし」

「そう……なのかな」

一夏は、今の私の気持ちがわかる?

「一夏は……」

「?」

「……その、怒らないで聞いてほしいんだけど」

「ああ」

私もジャングルジムの中に入りながら、その先の言葉を紡ぐ。

「一夏は、お父さんとお母さんがいなくて寂しくないの?ずっと千冬さんと二人きりなんでしょ?」

うーん、と一夏がしばらく考え込む。

「寂しいって感覚はないかな。俺にとってはそれが当たり前だったから。別に両親が今もいたとして、会いたいって気持ちはないよ」

「そう……」

「鈴に会えなくなる方が、俺はよほど寂しく感じるな」

一夏の言葉が私の胸を締めつける。
私が言葉に詰まっていると、一夏はジャングルジムから飛び降り、目の前の大きな滑り台のてっぺんへと上っていった。ジャングルジムの背丈を越える、児童公園としては珍しい遊具だ。

私はいつまでも動くことができず、ただ檻の中に留まっていた。

「────大丈夫だよ」

「え……?」

月の逆光で、見上げた先の一夏の顔が、闇に染まる。一夏がどんな表情をしているのか、どんなことを思っているのか分からない。
よく見ると一夏は私を見ていなくて、夜空を眺めていた。

「大丈夫だよ、鈴。寂しくなるけど、俺も頑張るからさ。()()()()()()()()()

ちがう、ちがうの一夏。
それは私にとって、一番聞きたくなかった言葉。
その言葉は、私の孤独を確たるものにする。

ねぇ、一夏。

3つ数えるから、振り向いて。

ひとつ、ふたつ、みっつ……

7つ数えるから、振り向いて。

ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ、いつつ、むっつ、ななつ……


じゃあ、()()数えるから、それまでに振り向いて。

ねぇ、一夏……────




























最後まで一夏は振り向かなかった。
直線の檻に囚われた私と、放物線の船に乗る彼は、永遠に交わることはない。

夜空に浮かぶ月だけが、小さな私を見下ろしていた。



├─────────┤

『孤児院の鍵』

「聖歌隊」の生所、孤児院の扉の鍵。
大聖堂の膝元にあった孤児院は、かつて学習と実験の舞台となり、
幼い孤児たちは、やがて医療教会の密かな頭脳となった。

教会を二分する上位会派、「聖歌隊」の誕生である。


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追憶 -Ⅲ.セシリア・オルコット:『Black box』

また期間が空いてしまいました…申し訳ありません。
一ヶ月遅れたけどセシリア誕生日おめでとう。


貴公、我ら一族の呪いに列し、また異端として教会の仇となる。

敢えてそれを望むのであれば、

穢れた我が血を啜るがよい……────

 

 

 

 

 

 

約200年前

古都ヤーナム・市街地

 

 

目を開くと、そこは先ほどまでいた電脳仮想空間の浅海部ではなく、夜に染まった街だった。

夜空には白い月が上がり、街の地面をうっすらと白く濡らしている。セシリアは街の高台のような場所にいた。

街の光景はゴシック風な建物で埋め尽くされており、少し離れたところに大聖堂が見える。街のもっと遠くには山々が並んでおり、ここが山間部であることが伺える。それは、幼い頃スコットランドのエディンバラに観光旅行に行った時の光景を彷彿とさせた。

 

人気の全くない街。

しかし高台から街を見下ろし、よく目を凝らしてみると、数人の人間と大きな犬がのろのろと歩いているのが見えた。

 

「……!?」

 

セシリアは息を呑む。

彼ら人間たちの姿は恐ろしく腐敗し、またその犬も血だらけになりながら狂ったように吠えていたのだ。

その姿はまさに()だった。

 

ふと、パズルのピースが組み合わさったような感覚が起きた。

それはオルコット家に伝わる、()()()

イギリスIS研究所からの帰り、オルコット家の領地内に広がる深い森の中で見つけた廃家……そこでマリアに話した、ある昔話。

 

『イギリス国内でも遥か東に、古都ヤーナムという街がありました。人里離れた山間にある忘れられたこの街は、呪われた街として知られ、奇妙な風土病『()()()』が蔓延っていました……────』

 

(まさか、ここは……)

 

つまり、ここは19世紀のイギリスということ────?

セシリアの心に、困惑の感情が広がる。

オルコット家に伝わる昔話が「御伽話」と言われる由縁は、その内容が本来の史実とは異なった歴史を描いているからだった。そしてさらにセシリアが長い間引っかかっていたのは、「()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()」という奇妙な点だった。

 

『信じられないかもしれないが、私はこの時代の人間ではない。2()0()0()()()()に生まれた、一人の『狩人』だった……』

 

()()()()で生まれた私は、狩人として生き、そしてある事件によって死んだ。それが何かは思い出せない……が、それを思い出そうとすると、とても悲しい痛みが、私の心を覆うんだ……』

 

イギリスで月の香りの狩人に襲われた日の夜、マリアが打ち明けた言葉を思い出す。

マリアが嘘をつくような人物ではないと分かってはいたものの、今まで半信半疑だった。月の香りの狩人という非現実的な存在を目にしてまでも、彼女のことを信じきれずにいた。

しかしこの電脳世界が本当にマリアの過去を描いているというのならば、オルコット家に伝わる御伽話は全て真実と言えるのかもしれない。そう考えれば、今自分を取り巻く街の建造物たちが、19世紀のヴィクトリア朝を代表する建築様式だということにも納得できる。確かにイギリスにはこのような建築様式をもたらした歴史があったのだから。

 

 

ギィ……

 

後ろから木の軋むような音が聴こえ、セシリアは振り返る。

振り返った先には古びた民家があり、そこから全身を暗い色のコートで身を包んだ二人の人物が静かに去って行った。フードも被っており顔は伺えなかったが、コートから覗く指先の長く白い手と、小さな幼い手が繋がっている。母親と子……恐らくその関係であろう二人は、しかし民家を振り返ることはなかった。

不意に気になったセシリアは、目の前の古びた民家の扉をゆっくりと開ける。

 

「っ!?」

 

家の中は見るも無惨に荒れ果てており、目の前には男の死体が転がっていた。頭部が血塗れになり、ひどく損傷している。その男を囲むように大量の酒瓶が転がっており、ヒビの入った酒瓶には男のものと思われる血も付着していた。恐らくこの酒瓶で殺されたのだろう。いくら電脳世界とはいえ、背筋が凍る感覚に襲われる。

散らばった酒瓶の他に、ボロボロの籠から転がり落ちた野菜や果物、割れた小さな花瓶、水びたしになりぐったりとした白い花……。

 

(これは……)

 

セシリアは床に落ちた白い花の横にある、綺麗に光る何かを発見した。

手に取りよく見ると、それは小さな髪飾りだった。しかしその髪飾りは手の中で突然バラバラに崩れてしまい、星の欠片となって床に散らばり落ちていく。指と指の隙間から、砂のように星の欠片は消え去っていった。

 

(今の髪飾りは……)

 

思い当たる節があったセシリアは、民家を後にする。外に出て横を見ると、幸いにもまだ遠くの方で先ほどの親子を見つけることができた。

 

(あれは……あの子は、マリアさんなのでしょうか……?)

 

セシリアの直感からくる推測は、次第に大きく心の中で渦巻いていく。

先ほど家から二人が出てきた時も、家の前にいた自分の姿に気づく様子はなかった。恐らく彼女たちには自分の姿が見えていないのだろう。

セシリアは二人を見失わないように、闇夜に染まった街を駆け抜けていく────。

 

 

 

 

 

 

(凄い……一体何なんですの、この立派なお城は……?)

 

セシリアが親子の後を追いかけ、長い時間が経った。

白い月に照らされた街を抜けた後、今度は深い森に入っていったのだ。その深い森は、まるでオルコット家領地内にある森を彷彿とさせた。

とても人が通る道とは思えないような道を、母親と思われる人物はとても慣れた動きで、しかし子どもがしっかりとついていけるような足どりで進んでいったのだ。普通の人間ならばすぐに迷ってしまうほどの荒れ果てた道なりだった。

やがて森を抜け、今に至る。目の前には、雪が降りしきる山に囲まれた、大きな廃城があったのだ。

 

(ここはもしかして……)

 

オルコット家に伝わる御伽話……その中で、オルコット家はかつて『カインハースト一族』と呼ばれていた。

遥か太古の昔、宇宙には強大な支配者である『ゴース』という神がおり、宇宙を支配するゴース、またそれに従属する神々は皆『上位者』と呼ばれていた。『カインハースト一族』とは、その上位者と交わった穢れた血を引く一族のことであった。彼らは古い血縁の先にあり、閉鎖的であり、また豪奢であったが、あるとき忽然と姿を消し、交わりも途絶えたという。

古い貴族たちの城であったカインハーストとは、まさに目の前にあるこの廃城のことなのではないだろうか?セシリアは頭の中で推理する。ともすれば、ここはオルコット家の先祖たちが暮らしていた場所……。

 

城の中に入り、幾つもの広間を抜ける。カインハーストは今のオルコット家の領地とは比べものにならないほど立派な城であったが、一方で今まで見てきたどの貴族のものよりも冷たい世界に感じられた。

 

さらに多くの広間や蔵書だらけの部屋、階段を上り、やがて最上部へと到達した。

城の屋外は荒れた吹雪で視界は悪い。電脳世界のためセシリアは寒さを感じることはなかったが、あまりの雪に思わず腕で顔を隠してしまう。

すると、親子が静かに歩みを止めた。母親は何処か虚空を見つめている。

しかし母親の視線の先には何も無かった。

 

『お母さま、なにもないよ?』

 

娘が横に立つ母親を見上げる。

 

『……そっか。あなたは初めて来たものね』

 

母親は屈んで、娘と目線を同じ高さにした。母親はフードを脱ぎ、そして娘のフードも取り顔をあらわにする。

そして目を閉じ、娘の額に自分の額をくっつけた。

 

『マリア、目を閉じて』

 

母親は、何かまじないのようなものを唱えていた。セシリアもその様子をずっと見守る。

 

(やはりあの子はマリアさん……そしてあの方が、マリアさんのお母様……)

 

 

ふと、セシリアの母親の記憶が(よぎ)った。

()()()()()()()()()()()────。

かつてマリアが言っていた言葉とともに。

 

 

母親がいくつかのまじないを唱えたあと、マリアに目を開けるよう呟く。

すると突然、彼女たちとセシリアの周りを吹雪が吹き荒れた。

マリアは怖がっているのか、その小さな手で必死に母親の手に抱きついている。

 

次第に吹雪が落ち着くと、先ほどまで何も無かった虚空に、城のさらなる最上部が現れた。

人間の目に触れることを避けるその姿は、カインハーストの「閉鎖的」という性格をまさに象徴していた。

 

(城の隠匿を解いた……ということは、やはりあの方は一族の……)

 

母親はマリアの手を握り、幻の最上部へと入っていく。

セシリアもそれについていくと、内部に長い階段が待ち受けていた。

階段の横には、規則的に並び置かれた、馬に乗った騎士兵達の銅像。銅像は城内の薄暗い灯りを微かに反射させていた。

 

(この場所は……)

 

セシリアはどうしてか、以前もこの場所に来たような感覚を憶える。

しかしどれだけ過去を掘り起こしても、そのような記憶は思い浮かばなかった。セシリアの心に、ただはっきりとしない違和感だけが残る。

 

階段を上りきると、そこは広く開いた場所だった。

辺りには乱雑に置かれた西洋風を思わせる人々の石膏像。

床にはいくつもの蝋燭の火と、誰のものかも分からない血が染みついていた。

目の前には二つの椅子があり、女性がただ一人座っていた。女性は鉄の仮面を被っており、その顔を完全に隠していた。

 

(まさか、あの方は……)

 

「不死の女王・アンナリーゼ」──── 頭の中で、その名が思い浮かばれる。

かつてカインハーストの城の中でひっそりと座していた、不死の女王。女王は常に仮面を被っており、その顔を見た者はほとんどいなかったという。しかし女王の金髪は、妖しいほどに美しく保たれていたのだ。金色の髪は、カインハースト一族直系に位置する者たちの象徴でもあった。

 

(あの方が、(わたくし)のご先祖様……?)

 

オルコット家領地内のあの森で、マリアの因縁の相手である月の香りの狩人に出会った時。

月の香りの狩人は、不死の女王に会ったことがあると言っていた。

どういう理由で彼女がアンナリーゼに会えたのかは推測できないが、「狩人」にとっても深い関わりがある場所であることは想像できる。

 

マリアの母親と仮面を被った女性の会話に耳を澄ましていると、やはり彼女はアンナリーゼで間違いないようだった。女王の隣にはもう一つ椅子があったが、一人で座っているのを見る限り、不死という運命は第三者から見ても残酷なものに思われた。しかしある時、女王は忽然と姿を消したという。所詮不死など(まやか)しに過ぎなかったのだ……それが、オルコット家の御伽話で伝えられていた内容である。

 

不意に、女王がこちらを見た気がした。

セシリアがその視線に一瞬肩を震わせるが、気づけば女王はマリアたちに目を向けていた。

 

『この子を匿ってほしい』

 

マリアの母親が女王に伝える。マリアは怯えているのか、母親の背中に隠れていた。

女王はそんなマリアを見て、冷たく嘲る。

 

『私にこの娘の身を保障しろと?』

 

『もうあの家には居られない。この子が()()()()()()()()は、もうここしか無いの』

 

『去れ。破落戸(ならずもの)(そそのか)され我ら一族を離れた者に、此処にいる権利など無い』

 

『世話を見てほしいなんて言わない……ただ、ここに居させてあげて………このままだと、この子まで危ない目に遭ってしまう………』

 

『………』

 

電脳世界の景色が、高速で歪む。

移り変わったその場所は、城内のどこかの部屋。そこにはマリアと、マリアの前で屈む母親の姿。

母親はマリアに、少しだけの別れを告げていた。

マリアは嫌だと駄々をこね、母親に抱きつく。

マリアは母親を離さまいと、必死にその背中に腕を回した。

しかし母親は、何度もマリアに説得した。

これが最後じゃない。

暫くしたらここにまた帰ってくる、と。

それでもマリアは、母親から手を離すのが嫌だと首を振った。

そんなマリアに、母親はとうとう涙を流して、訴えた。

 

『お願いだから……』

 

『お願いだから……私の言うことを聞いて、マリア………』

 

母親の涙を見て、力なく顔を落とすマリア。

 

『すぐ、帰ってくるよね………?』

 

母親が口を開く。

その言葉が聞ける寸前で、電脳世界が再び歪んでいった。

 

 

景色が移り変わった先は、また先ほどと同じ部屋だった。

それが先ほどから数日経っているということは、なぜかすぐに分かった。

部屋で一人足を抱えてベッドの上で座るマリアの元に、扉が開かれる。

部屋の扉を開いたのはアンナリーゼだった。セシリアも彼女の方を見ると、その仮面の中から恐ろしい言葉が放たれた。

 

『──── 母親が殺されたようだ』

 

『!?』

 

マリアが顔を上げる。嘘だと信じたいその表情に、しかし女王はその視線を変えることなく。

 

『それを伝えに来た。ではな』

 

あっさりと、アンナリーゼは部屋を出ようとする。するとマリアは飛び上がり、その小さな身体から出るとは思えぬ声量で、アンナリーゼに刃向かった。

 

『嘘だ!!!』

 

痩せ細ったその手で、アンナリーゼに殴りかかるマリア。

しかしその瞬間、アンナリーゼはマリアに振り返り、その腕を前に突き出す。するとマリアは見えない何かに吹き飛ばされたように、壁に打ちつけられた。

 

『母親から、貴公が出ていこうとした時は止めるよう言伝を預かっていてな……悪いがそうさせてもらうぞ』

 

『出せ!!ここから今すぐ!!!』

 

『……ふん、せいぜい(わめ)くがいい。何度首を振ろうと、事実は変わらぬ』

 

そう言うと、アンナリーゼは部屋を再び閉める。

監禁されたマリアは泣き叫び、その悲痛な姿はセシリアの心を酷く痛めた。

 

さらに電脳世界の時間は経つ。マリアはやがて、自身の母親を殺したのはあの女王ではないかという考えに至ったようだ。

その姿を見ている一方で、セシリアのある記憶が甦った。

それはクラス代表決定戦……初めてセシリアとマリアが対峙した、その後のことだった。

 

『オルコット……私も君に謝りたいことがあるんだ』

 

『私にはかつて、あまり好ましく思わない人物がいた……いや』

 

『あの時……初めてオルコットと話した時、私は無意識に君をその人物と重ねてしまっていた……同時に、()()()()()()()()()()()とも感じていた』

 

『変なことを言ってしまってすまない。とにかく、私は君のことを何も知らずに、オルコットという人物を決めつけてしまっていた。すまなかった』

 

そしてさらに数年の時間が経つ。

監禁はずっと前から解かれていたようだが、マリアは部屋の中でひたすら鍛錬に励んでいた。それは、ただ復讐のためだけに。憎き人物を殺すための力を欲するためだけに。

しかしマリアは今、城からの脱出を図ることのみを考えていたようだ。城の中だけの鍛錬ではたかが知れている。外の世界で力をつけたその先に、女王を殺すことができるはずだと。そんなマリアの背中を見て、セシリアは複雑な気持ちになった。いつも見ていた優しい彼女の姿とは真逆のものだったからだ。

 

電脳世界の景色が歪む。

ついにマリアは部屋の扉を開いた。

幼い頃の彼女とは比べものにならないほどに、どんどん走り抜けていく。セシリアも、彼女の姿を追うことはしなかった。

 

セシリアが女王の間に移動すると、アンナリーゼは窓の外を眺めていた。

セシリアも少し離れた窓から、彼女と同じ方向に目をやる。城のずっと先の地面、城の正門の前で、マリアが一度だけこちらを振り返っていた。

しかししばらくすると、マリアも背中を向け、深い森へと駆け抜けていく。

その背中を隠すように、吹雪が吹き荒れた。

 

 

 

 

 

 

『──── 追わぬのか?』

 

セシリアが驚いた顔で、アンナリーゼを見る。アンナリーゼは、窓の外を見つめていたままだった。

 

(わたくし)が、見えるんですの?」

 

電脳世界に、ほんの一瞬、ノイズが走る。

女王の白い手が、窓に濡れた雪化粧をなぞった。

 

『ああ……僅かに、な。貴公の声もはっきりと聞こえるわけではない。だが、分かる』

 

「……」

 

『貴公も、一族の者なのだろう?』

 

窓についた雪化粧が、女王の指にならって、生き物のように動いていく。

 

『我ら一族の呪いは、時を超えても続く……か』

 

煌びやかな金色の髪がなびく。すると女王の指先の結晶が、魔法のように金色に輝いた。

 

「マリアさんは……彼女も、一族に列した方なのですか?」

 

セシリアは固唾をのむ。しかし女王の口から出てきたのは意外な結果だった。

 

『……あくまで傍系の者だ。血の繋がりであれば、貴公の方が強いだろう』

 

セシリアの中でずっと気がかりだった疑問が、少し晴れた気がした。

マリアと自分が似ている……その推測は、概ね正しかったと言える。つまりマリアと自分は身近ではないが、同じ血を引いた者同士だったということだろう。

ここが電脳世界ゆえなのか、いまいち現実感がわいてこないセシリアだったが、ひとまずこの事実を受け止めることとする。

 

『貴公、名は?』

 

相変わらず窓の外を見つめているアンナリーゼ。

 

「セシリア……セシリア・オルコットですわ」

 

『良い名だ。我らカインハーストは、オルコット家として生き続けているか。現当主は貴公の母親か?』

 

「……いえ、私ですわ」

 

『ほう?』

 

セシリアは少し深い息を吐き、言葉を続ける。

 

「両親は、他界しました。……三年前に」

 

『……そうか』

 

吹雪が強く吹き荒れる。

 

『“不死”とは身勝手なものでな。死と縁が無いような響きだが、我らを取り巻くのは常に“死”だった』

 

「……」

 

『誰もが、やがて老いて死ぬ。どれだけ強くても、賢明であろうとも、……愛した者でさえも』

 

冷たい声音の中に、ほんの少し感じられる温もり。

 

『故に我らカインハースト一族は、死を迎える最期の時まで気高く、誇り高くあることを心している。その生命の残り香は、世界で一番美しいのだ』

 

かつて母から聞いたことがある。

オルコット家の祖先は、常に誇り高く生きることを大切にしていた、と。

その家訓は、その心は、これまでもこれからも、受け継がられていかなければならないのだと。

 

『我ら一族の血を根絶やしにしようと目論む者も多くてな。時を経ると同じく、我もゆっくりと姿を幾度か変えている。そうしてこれまでの時代を生き抜いてきた……だがこの気高き心だけは、決して揺らぐことはない』

 

その声は、いつの間にか自身のよく知るものへと変わっていた。

懐かしい声。親しみのある声。

 

()()()からずっと、求めていた声。

 

女王がその白く細い指先を、自身の鉄の仮面に添える。

指を離した瞬間。

女王の仮面が雪の結晶となって消えていった。

 

消えた仮面からのぞいたその顔を見て、セシリアは目を見開く。

 

『我らがこうして会えたのも、きっと何か意味があるのだろう』

 

女王はこちらを見て、僅かに微笑む。その微笑み方は、あの人が時折見せたものとそっくりだった。

電脳世界に、ほんの一瞬、再びノイズが走る。

 

『我ら一族を守る言葉を授ける』

 

いやだ、別れたくない。

もっと、もっとこの場所で……

 

『貴公に、()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

セシリアは咄嗟に、女王に手を延ばす。

 

 

「おか────」

 

パリィン!

 

電脳世界の景色が突然激しく揺れ動く。

稲妻のようなノイズが周囲で幾度となく走り出し、強い吹雪がセシリアを取り囲む。

さらに吹雪にいくつもの小さな羽が飛んでいるのが見えた。

よく目を凝らすと、薄い(はね)にきらきらとした光沢を煌めかせた黒い蝶たちだった。それは瞬きをすれば、()()()()のようにも見えた。

 

BEEP!!BEEP!!

 

対消滅(annihilation)ノ危険性アリ。“Project World Purge”ヲ強制更新シマス』

 

「待って!待ってください!」

 

セシリアの叫びは吹雪に閉じ込められ、女王に届くことはない。

こちらを見ていた女王(システム)は、すでに崩壊(再構築)しかけていた。もはやその姿は吹雪(電子)の中へ溶け込もうとしている。

 

吹雪の向こう側から、大きな黒い影が迫ってきた。

僅かに光るその影は、激しい警笛とフラット音を鳴らしながら、息をする間もなく女王のもとへと迫る。

 

「待っ────!」

 

吹雪から現れたのは大きな列車であり、列車は女王の身体へと激突する。

その瞬間、爆風がセシリアを襲った。

 

セシリアの意識が、白い世界へと包まれる。

 

その真っ白な雪に、黒い翅を溶かしながら……────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




三年前
オルコット家・邸内


絶対にいい音など存在しない。
この世に「絶対」などという言葉はない。


窓から薄暮が差し込む、夕刻。
右手の小指が黒鍵(こっけん)をゆっくりと離れた後、(わたくし)は演奏を続けられなくなった。
まだ序奏だけだというのに、指も心もひどく疲れ切ってしまったように感じる。Coda(終結部)まで演奏していた日々が、遠い昔のように思えた。

コンコンッ

「失礼いたします」

私はその声に返事をすることもなく、ただ最後に触れた♯ソが寂しそうにこちらを待っているのを見て見ぬふりをした。

「お嬢様……」

「入室の許可はしておりませんわ」

心配気な顔でこちらを伺うチェルシーの手には、トレイに乗ったティーポットとカップ、小さなスコーンがあった。アフタヌーンティーのつもりだろうが、そんな頼みをした覚えはない。

「頼んだ覚えはなくてよ?」

「ですが、お嬢様……もう随分長い間ピアノの前に座っておられます。根を詰めすぎては、演奏会に影響が……」

「心配なさらなくて結構。私は疲れてなどおりませんので」

嘘だ。
本当は今すぐ鍵盤を叩きつけたいくらいに、私は苛々し、疲弊していた。
幼い頃から自分を見ている彼女のことだ、恐らく彼女も今の私が嘘を吐いていることなど、一目瞭然だろう。
だが(いち)メイドに胸の内を察されることは、今の私にとって何より腹立たしく感じる。

「業務に戻りなさい。まだ庭園の花の手入れの途中なのでは?」

「ええ、ですがお嬢様のお身体を(いたわ)るのも、我々メイドの務めでございます」

沸々と苛立たしさが募ってくる。気を紛らわすためにピアノの上にあったメトロノームの振り子を動かした。
一定の間隔で刻まれる音は、しかしまだ私の熱を下げることはできないでいた。

「それがあなたの務めならば、放っておいてください」

「……勝手ながら、今のお嬢様のご様子は心配でなりません。無理のしすぎが重なれば、()()()()────」

「無礼者!!」

チェルシーの肩がビクッと震える。ティーポットの中の紅茶が揺れて、トレーに(こぼ)れた。

「再三申したはずです、この部屋から出て行きなさいと!使用人が貴族の娘に、ましてや楽器も持たない者が音楽をしている人間に盾突くなど甚だ烏滸(おこ)がましいですわ」

「た、大変申し訳ございません!お嬢様!」

慌てて頭を深く下げるチェルシーだが、私は声を荒げて睨みつける。

「出て行きなさい!今すぐ!」

「し、失礼いたします!」

慌てて彼女は扉の向こうへ姿を隠した。扉の閉まった音が、鈍く重苦しい余韻を空気に伝わらせる。
鍵盤蓋を閉じ、その黒い地面の上で手のひらを握りしめた。


『しばらくの間、家を空ける』────。
二日前の夕食のことだった。お母様がそう告げてきたのは。
しかも両親が家を空ける期間はおよそ三週間ほどとのことだった。
それを聞いた私は、「何故今なのか」という悲しみが溢れ、何度も予定をずらせないかと尋ねた。
一週間後は生まれて初めてのピアノの演奏会が控えていたのだ。私にとって記念すべき、初の舞台だ。
お母様も私をいつも励ましてくださり、私はその期待に全力で応えられるよう必死に練習を重ねてきた。

『本当にごめんなさい。でも、どうしてもお母さんとお父様で行かなければいけないの。分かってちょうだい』

私は咄嗟に、父を睨みつけた。
肩を(ちぢ)こませ、申し訳なさそうな顔をする、覇気のない父。何故こんな父親にお母様の時間が奪われなければいけないのだ。それに同行するお母様もお母様だ。

『お母様だけでも残ってくださることはできないのですか!?』

『大事な用事なの。たくさんの人が関わっているから、予定を崩すことはできないわ』

『すまない、Cecile(セシル)……』

『お父様には話しておりませんわ!今私はお母様と────』

『っ……』

バンッ!

まだ残っている夕飯を後に、私は晩餐室を出ていった。
自室に入り、鍵を閉め、ベッドに潜り込む。誰の顔も見たくなかった。
ISの登場以降、開発が進んでいく中で、世界は女尊男卑の風潮が強まりつつあった。
私は決して女尊男卑の世界が好ましいとは思えない。だが世界がそんな方向にずるずると引っ張られていくにつれ、父親の態度はより卑屈で臆病なものへと変わっていった。もともと婿入りだったこともあってか、本人もそれを気にしているらしく、家でも外でも堂々とした姿を見られたのは随分昔のことだ。いつしか女尊男卑という言い訳を盾に過ごす父親が嫌いになった。
お母様もそんな父親に痺れを切らしたのか、もう両親が一緒に行動していることは全くなかった。言葉を交わすことさえも。

それなのに、何故このタイミングで。
わざわざ両親二人で行かなければならない用事?三週間も?
確かにお母様はいくつも会社を経営している成功人だ。普段から忙しいというのは見ていて理解しているつもりだ。
しかしどうしても許せない。外から見れば、ただの娘の我儘だと笑われるかもしれない。だが私にとって、これはそんな幼稚な言葉で収められるようなことではないのだ。
毛布を強く握りしめると、不意に目から小さな涙が零れた。それを認めたくなくて、私は顔を枕に押し付ける。

それ以来、両親とは会話を交わしていない。


気づけば夕陽は森の中に隠れ、うっすらと夜の気配が屋敷を蝕み始めていた。
響板から覗く細長い弦たちが、その暗闇に身を染め始めてる。
いつも学校に行っている間に済まされるので会ったことはないが、このピアノには専門の調律師がいるらしい。どの楽器店の何という名前の方か知らされていないのだが、その人の調律の腕は素晴らしく、私がピアノを安心して弾けるのもその方のおかげだと言ってもいいだろう。今の私を見れば、「ピアノの前に座る資格がない」と怒るだろうか。

気が進まないが、もう夕食の時間だ。
明日の朝に両親は出てしまうため、今日がひとまず家族で過ごす最後の夕食になる。

部屋を出る前、チェルシーが置いていった紅茶とスコーンが目に入った。
少しの間その前で立ち止まり、しかし手を伸ばすことなく、部屋を後にする。







結局誰一人として会話を交わすことはなく、黙々と夕食を食べ終わり、早々に部屋に戻った。
時刻は23時。窓から覗く満月も、随分と高い位置にある。この屋敷の消灯はとっくに過ぎており、きっと自分以外の人間は深い眠りについていることだろう。
私はなんだか眠れなくて、ベッドの上でヘッドボードにもたれたまま、ただ夜が過ぎるのを待っていた。
お母様の謝罪が、何度も頭の中で響いては消えていく。チェルシーの申し訳なさそうな顔が反芻される。思い出すものは、どれも私を疲れさせるものばかりだ。
何度か枕に顔を埋めたりするが、一向に瞼は重くならない。毛布の中に潜ったところで、身体が無駄に運動を求めようと訴えかける。
夜中特有の疼きが鬱陶しくなった私は、水を飲んで落ち着こうと部屋を出た。


小さなランタンの中に蝋燭を灯し、部屋を出て、使用人達がよく使う一階の調理場に向かう。
グラスにいっぱいの水を入れて、それを一気に飲み干した。
知らないうちに喉が渇いていたのだろう、身体の隅々に水分が行き届くのが気持ちよく、しばらく目を瞑りその感覚に浸る。この落ち着きのままベッドに潜れば、きっと眠れるだろう。

調理場を離れ、自室に向かう。
自室は二階廊下の一番奥にあり、なるべく足音を立てないよう階段を上がる。
階段を上がり終えると、目の前の部屋の扉の隙間から明かりが漏れていることに気づいた。先ほど来た時はなかったのに……。
その部屋は父の部屋だった。母とは別の部屋で過ごしており、母は中央ホールを挟んで反対側の二階で過ごしているため、こちら側は私と父だけということになる。

普段なら絶対に立ち止まることなく、見過ごしていくはずなのに。
だがその日の夜は無性に気になってしまい、父に気づかれないよう扉の近くまで行く。
耳をすませてみると、父は誰かと電話をしているようだった。夜中で声を小さくしているのか、断片的にしか聴こえない。

『……ああ、そうだ。なんとなくの予感だが……』

『……これが最後の会話になるかもしれない……ふっ、君には少し過ぎた冗談かな?』

『……そう受け取ってもらえるとありがたい……』

『……昔のよしみだ。すまないが、面倒を見てやってくれ……』

『……ありがとう』

ガチャッ

父は受話器を置き、深いため息をついて、こちらに歩いてきた。
私は咄嗟にその場を離れ、自室の方へと向かう。
しかしあと少しのところで父が先に出てきてしまい、私は自室のそばにある窓で外を眺めている振りをとった。
父も当然こちらに気づき、小さく声をかけてくる。

Cecile(セシル)、どうしたんだい?こんな夜更けに……」

「……お父様こそ」

私は変わらず窓の外に広がる深い森を眺める。父はどんな顔をしているのだろう。

「父さんは案外夜型でね……ここの消灯時間は、私にとっては早いんだ」

気まずそうなのか、照れ臭そうなのか、そんな声。

「君は?」

「……私も、その……眠れませんの」

深い森が小さく揺らめく。静かな夜風が吹いたようだ。
しばらくの沈黙が流れると、再び父が小さな声で謝りだした。

「すまない、Cecile(セシル)……急に家を空けることになってしまって……」

「……もう気にしておりませんわ。仕方のないことですもの」

「……すまない」

弱々しい父の声。
この名前のない時間はいつ終わりを迎えるのだろうか。私が何度か淡白な応答をすれば大体父は引き下がるのだが、今夜に限って父はまだそこにいる。
すると突然、父が思いもよらぬ言葉を発した。

Cecile(セシル)、その……」

「……」

「父さんに、演奏(ピアノ)を聴かせてもらえないだろうか……?」

「……え?」

父の頼みに、私は振り向く。

「ずっと前から必死に練習してきた君を裏切るようなことになってしまった。親として、到底許されるとは思っていない……今更虫がいいと言われるのも当然だ。だが、それを承知の上で……君の演奏を聴きたい」

父が頭を下げる。
まさかそんな頼みをされるとは思ってもいなかったので、私は沈黙と困惑を噛み締める。
普段なら話も取り合わないだろう。しかしなぜかこの夜は、誰かに演奏を聴いてもらえるということに無性に喜びを感じていた。時間が経って、幾分か冷静になっていたのだろうか。
しばらく考えた後、私は口を開く。

「……分かりましたわ」


部屋に入り父に椅子を勧めると、「ありがとう」と言って静かに座った。
鍵盤蓋を開く。自室の大きな窓からは月光が差し込み、ちょうど譜面台と鍵盤を照らしてくれていた。きっと『月光・第一楽章』はこんな夜に作られたのかもしれないと頭を過ぎったが、私が演奏会で弾くのはベートーヴェンではない。

譜面台に楽譜を開き、座る位置を整える。
もう夜も更けているため、ソフトペダルを踏み込もうとしたが、父がそれを制した。

「気にしなくていい。君のありのままの演奏を聴かせてくれ」

そう言われて、私もペダルを踏み込むのをやめた。
深く息を吐き、小さく呟く。

「────『Chopin(ショパン) - Nocturne No.20 in C sharp minor, Op. posth(夜想曲第20番 嬰ハ短調 遺作)』です」

黒と白の鍵盤にゆっくりと両手を乗せ、弾き始めた。
序奏は“p(ピアノ)”から始まり、ゆるやかに、夜を纏う湖にゆっくりと足先を入れるように。その後の“pp(ピアニッシモ)”で奏でられる音が、全身を包んでいく。
三部構成で描かれるこの夜想曲(ノクターン)は、悲しさを思わせるメロディから始まる。
分散和音による左手の伴奏、右手で奏でる旋律。この曲で特徴的な“trill(トリル)”も、滑らかに奏でることができている。弾き始めた当時は、この厄介な記号に随分と悩まされてきた。
中間部では少し明るさを纏わせたメロディに変わる。冒頭とは違う顔を見せる一面も、私がこの曲を好む理由だ。
後半は前半と同じメロディかと思いきや、その旋律は一気に緊張を高め、やがて頂点に達する。

父は何故、あれほどまでに何度も、私の演奏を聴きたいと願ったのだろう。
あの時、父は電話越しに誰と話していたのだろうか?
()()()()()』……いや、所詮私の勝手な妄想だ。誰しも頭の中でならどんな人物でも殺めることができる。学校の友人も、幼い頃からのメイドも、……愛すべき母でさえも。
父が私のピアノをこうしてそばで聴くことなど一度もなかった。それは娘に対する気不味さから始まったものだったかもしれないが、時が経つにつれ、もう父は私のことなど興味も持っていないのではないかと考えるようになった。
父は私を避けていた……いや、避けていたのは私の方ではないか?
幼い頃、自分で始めたいと両親に願ったピアノは大人になるにつれ、楽しみから父を避けるための言い訳になっていたかもしれない。
ピアノは楽しい……それは偽りもない事実だ。だがそれ以上に最近は苦しみを感じ、ピアノはいつしか私を縛りつけ、黒と白の鍵盤の上で囚われた私を殺めていた。
それなのに、苦しいはずなのに。
父に演奏を聴いてもらえている今の私は、恐ろしいほどに楽しく演奏している。
まるで嘘のように、だがしっかりとした実感を指先で味わいながら、鍵盤の上で心が踊っている。

気づけば私は、笑みを隠せないでいた。


演奏が終わり、私は最後まで音の余韻に浸りながら、ゆっくりと鍵盤から指先を離した。
ゆっくりと、父の方へ顔を向ける。
すると父は、今の私を包み込むような温かい微笑みを向けていた。幼い頃、よく父が見せていた笑顔だった。

「──── 素晴らしい演奏だったよ、Cecile(セシル)。私の人生の中で最も美しい音色だった」

「そんな……大げさですわ」

「嘘じゃない、本当にそう感じだんだ。『Lento con gran espressione(ゆっくりととても表情豊かに)』……君はこの音楽を見事に体現し、演奏しきった。とても誇らしいよ」

「……ありがとうございます。このピアノには専門の調律師の方がおられるのでしょう?いつも私の学校の間にお越しになるようですから会えていませんが、いつかお目にかかりたいですわ。私が満足して演奏できるのも、きっとその方のお陰ですから」

「……そうか」

父はどうしてか、ほんの少し、顔を俯かせた。
その時の父の感情は、今でも分からないままだ。







翌朝。
朝食を終わらせるやいなや、両親は慌ただしい様子でそれぞれ部屋で荷物を整理していた。
自室にいた私も、少し離れた父の部屋から物音が聴こえてくる。
慌ただしい物音をよそに、窓を開けると外は快晴だった。しばらく外を眺めていると遠くの方から迎えの車が来た。車は門の前で止まり、その様子を見下ろしていると、チェルシーが迎えの者と世間話を始める。私も中央ホールに向かうことにした。
中央ホールにはすでに複数人の召使いたちが両親の荷物を持って待機しており、まもなくして両親も部屋から出てきた。
召使いたちは迎えの車のトランクに次々と荷物を運んでいく。迎えの者と話を終えたチェルシーも私の横に来た。
両親が私とチェルシーに向き直る。

「では、そろそろ行ってきます。ごめんなさいね、セシリア。帰ってきたら真っ先にあなたの演奏を聴かせてちょうだい」

「ええ……お待ちしておりますわ。お気をつけて」

「チェルシー、娘のことはしばらく貴女に任せるわ。何かあったらいつでも連絡なさい」

「かしこまりました、奥様。お気をつけて行ってらっしゃいませ」

私は笑顔を浮かべることもなく、淡々とお母様にしばしの別れを告げる。私よりも背の高いお母様は、私の額に優しくキスをする。そして小さな声で、幼い頃から聞いていたお守りの言葉を囁いた。

「──── ()()()()()()()()()()()()()()()()()

お母様は先に車へと向かう。
残された父と対面する私。私が何を言うべきか言葉を探しあぐねていると、先に父が口を開いた。

「……Cecile(セシル)、昨日の演奏は素晴らしかったよ。ありがとう」

「いえ、そんな……」

すると父は一息置いて、ふと私に尋ねた。

「────Cecile(セシル)、君は『()()』という言葉をどう思う?」

「才能……ですか」

私はしばらく考えた末、結局上手い答えが出ず、逆に聞き返してしまった。

「どうしてそのようなことを?」

父は顎をさすり、口を開く。

「君はそう遠くない未来、その言葉にぶつかる日が来る。その時、君は深く頭を抱えることになるだろう」

「……」

「君に覚えていてほしいのは、()()()()()()など存在しないということだ。この世に『絶対』などという言葉はない。あるのは相対的な音だけだ」

「相対的な音…?」

「ああ。その音を見つけるにはきっと何年も何十年も……いや、見つけられずにこの世を去る人間もいる。それがピアノという世界だ。そして誰しもが思う、『自分には才能がないのではないか』と」

「……では、一体どうすれば?」

反射的に私は聞き返してしまう。すると父は何故か誇らしげに笑った。

「それは次に会う時のお楽しみだ」

「な!ずるいですわ……」

優しく笑う父に、私は問いかける。

「お父様は、見つけたのですか?」

父はこれまでの人生で楽器に触れたことがあるのだろうか?
父が口を開いたその瞬間、車から聞こえた声によって遮られた。

「貴方、そろそろ時間です。あまり長話は……」

「ああ、分かった」

お母様の言葉に、父はすぐ行くと返す。結局答えは聞けなかった。

「ピアノを弾く人間ならみんな分かってるとは思うが、彼らはひとりなんだ。弾き始めたら、結局はひとりなんだ」

「ひとり……」

「だからこそ、そのひとりを全力で支える人間もいる。君の周りにも。そして君自身も、ひとりになった誰かを支える日が来るだろう。いつか君にそんな人ができた日は、私たちに紹介してくれ」

父はハットを被り、別れの挨拶をした。

「それでは、Cecile(セシル)。元気で過ごしなさい」

そのまま背を翻し、車へと乗り込む。
二人を乗せた車は出発し、私はその姿が見えなくなるまで見送っていた。
小さくなった車から目を離さないまま、私は横にいるチェルシーに声をかけた。

「チェルシー、昨日は申し訳ありませんでした」

すると彼女は驚いた顔をしてこちらを見た。

「いえ、謝罪をいただくなんて……。お嬢様がお気になさることは全くございません」

「それでも、ですわ」

お父様の言葉が、私の頭の中でずっと繰り返されていた。







両親が出て一時間が経った頃。
快晴だった空は急に曇り始め、なんとイギリス南部でその年初めての雪を観測した。
ロンドンで雪が降ることは珍しく、しかもまだ秋だということで、テレビでは異常気象だと報道された。
私は自室で楽譜を見ながらピアノを弾いており、そんな私にチェルシーが温かい紅茶を淹れてくれた。
やはりチェルシーの淹れた紅茶はとても美味しく、指先まで温まる気がした。







両親が出ておよそ三時間後。
突然屋敷中の電気が落ちた。どうやら停電らしく、部屋に入ってきたチェルシーからも復旧作業中だと伝えられた。この屋敷で停電になるのは生まれて数回ほどだったので非常に珍しい出来事だった。
何気なく部屋のラジオをつけると、どうやらイギリス中の多くの場所で一時的に大停電が起きているようだった。住宅だけではなく、街中の交通網にも大きく影響が出ているらしい。
ラジオのキャスターが、決して慌てることのないようスピーカーを通して話していた。
まだ原因は確認されておらず、復旧の目処は立っていないということだった。
だが私は特に慌てることなく、窓から差し込む曇り空の光でピアノを弾き続ける。







両親が出て四時間後。
再び淹れた紅茶を飲んでいると、血相を変えたチェルシーがノックも忘れて部屋に入ってきた。

「お嬢様!!」

驚く私と対照的に、肩で息をするチェルシー。その顔は蒼白で、私も思わず心配をする。

「ど、どうしたんですの?そんなに慌て────」

「旦那様と奥様の乗った列車が……!」


その先の言葉を聞いた私の指から、紅茶のカップが落ちた。







一週間後。
私とチェルシーは両親の墓石の前に立っていた。
雨の降る空の下、チェルシーは私の横で傘を差して立つ。トークハットに、少しの雨粒がついた。
私たちの周りでは、あまり顔を合わせたことのない親族たちが泣いていた。
墓石に置かれたユリとカーネーションの花束。
両親はこの花々に囲まれることも叶わなかった。娘と対面することさえも。

イギリスと大陸ヨーロッパを繋ぐ国際列車ユーロスターに乗っていたらしい両親は、あっさりと帰らぬ人となった。
両親の乗っていた列車は、アシュフォードを過ぎたあたりの森林地で脱線したとニュースが流れた。
脱線の原因は、その日発生した大停電によるものだった。イギリス国内のみならず、世界各地で謎の大停電が発生。幸いにも数日で電力は復旧したが、各国でインフラや交通網に甚大な被害を与えたという。
大停電による列車の制御不能。さらには大雪によるホワイトアウトで、目の前の線路も見えない状況だったという説も出ている。
死傷者が100人を超える、歴史的鉄道事故。
多くの人間が黒焦げとなって発見されたなか、両親の遺体はどこを探しても見つからなかった。
私とチェルシーもすぐに現地へ向かったが、警察や救助隊の協力もむなしく終わった。
「行方不明」という線は、ないと言うに等しい。
考えたくもないことだが、もう元の姿を留めていないだろう。

「うっ……」

私の横に立つチェルシーが小さくすすり泣いている。
涙も込み上げない私は、ただ真っ直ぐに、両親の名が刻まれた墓石を見ていた。
出席者たち全員が花束を置き終わり、祈りの言葉が捧げられる。
その場でのしきたりがひとまず終わり、出席者たちが場所を移動する中、私は最後までその場に留まっていた。
人生というものは、流されることを受け入れる連続だ。あらゆる人間に、出来事に、環境に、感情に、世界の赴くままに流されていかなければならない。
私は、このまま流されていくべきなのだろうか。それともここに留まるべきなのだろうか。
チェルシーの傘を抜け、私は暮石のそばまで近寄る。そこにはいないはずの両親を見下ろす。
雨に濡れた私の髪は、母親から受け継いだ形見だ。

「──── チェルシー」

涙を浮かべる彼女が、顔を上げてこちらを見る。私は暮石に視線を移し、彼女に告げた。

「私は、この家を……オルコット家の名を守ります。貴女のことも。何があっても──── 」

「お嬢様……」


雨はずっと、冷たいままだった。







両親が亡くなってから、あっという間に時間が過ぎた。
手元には、両親の遺した莫大な遺産だけが残った。
私の思っていた通り、両親が亡くなってから親族たちは皆人間が変わったように私に接しはじめた。
皮肉にもオルコット家の遺産がいかに莫大なものか、一人になってからようやく気づかされた。
現当主の私を見る親族たちの目は皆、欲に塗れた獣のような目をしていた。
あらゆる隙を見つけようとする親族や周囲の権力者からオルコット家を守るために、私は寝る間も惜しんで勉強をした。オルコット家を守るためにはなんでもしてきた。
チェルシーは毎日のように私に休むよう伝えてきたが、紅茶を飲む時間すら私は惜しくなっていた。
崖の端にようやく立てている極限状態の中、勉強の途中で気絶に陥ることもあった。

この時の私は、今思えば病んでいた。

だが、それが現当主として背負うべき重責だと感じていた。



遺産を守る一環で受けたIS適性テストで、A+の判定が出た。
政府から国籍保持のために様々な好条件が出された。
両親の遺産を守るため、即断した。

ある日、テスト操縦を行うためにイギリスIS研究機関へと初めて赴いた。
私を迎えたのは、ショートカットの茶髪で切れ長の目をした、白衣を身に纏う女性だった。
名前はエマというらしい。私よりも少し背の高い、気さくな女性だった。
彼女は私に会うやいなや、私をそっと優しく抱きしめた。

「ご挨拶が遅れてごめんなさい。あなたのご両親のこと、とても残念に思っているわ……」

背中に感じる彼女の指先に、なぜか父の記憶を思い起こした。

「学生時代、あなたのお父様にはお世話になったの」

「私のお父様に……?」

「お父様の過去を聞いたことは?」

「いえ、その……そういった話をしたことはありませんでしたわ」

「そう…」とエマは呟き、私からそっと腕を話す。
優しい瞳で、彼女は話し始めた。

「今はこうして科学者をしているけど、私、昔は()()()()調()()()を目指していたの」

「それが、父と何の関係が?」

「────当時、私はあなたのお父様の弟子だった」

私は驚きで目を見開く。
弟子?父は音楽の道を辿っていたのか?
父がそんな話をしたことなど一度もなかった。
そんな私の表情を見て、エマは彼女なりに察したようだ。

「そう……お父様、あなたにピアノをしていたこと、伝えていなかったのね。彼は非常に優秀な調律師だったわ。何人もの一流ピアニストから声がかけられるほどに」

「父が……」

「あの人の調律したピアノの音を聴いてね、私の腕を上げるためには彼しかいないと思ったの。それを伝えて頭を下げるとね、優しく笑って私を戒めたの。『私はそんな浅ましい人を弟子にしたくはありません』ってね。きっと彼は私に、彼以外のいろんな人の腕を見て聴いて、感じてほしかったんだと思う。もっと色んな世界を見てほしかったんだと思う」

「……」

「そこから二年ほど、私は色んな国に行ってあらゆる音楽に触れた。そしてそれを経験した上で、もう一度彼へ弟子入りしたいとお願いしたの。彼の織りなす音が一番だと思っていた二年前とは違って、私は音に優劣なんてないと学んだ。それでも私は彼の技術を、信念を学びたいとお願いしたら、意外にあっさり頷いてくれてね」

エマは過去を思い出し、優しく笑う。

「でも彼のそばで勉強をしていく中で、私にはもう一つ目標ができた。当時私は大学で宇宙工学を専攻していたんだけど、篠ノ之束博士が発表した『IS』に携わりたいと思い始めてね。音楽と宇宙技術……どちらの道で生きていくかを長い間考えて、私は後者を選んだ。あなたのお父様に必死に謝ってそれを伝えると、彼は喜んでくれたの。『君の行きたい道を行きなさい』とね。私の身勝手なわがままを、彼は怒るどころか応援してくれた」

「……」

「彼から学んできた音楽に対する姿勢は、私のISへの研究に大きく繋がったわ。だから彼は私の人生の恩師なの。ある時突然、彼は『調律師をやめる』と連絡してきてね……その理由は最後まで分からなかったわ」

いつも私のピアノを調律していたのは、父だったのだろうか?
今となっては、もうそれを確認することもできない。

「────あなたのお父様から電話を受けていたの。あなたが私のもとに来た時は、()()()()()()()()()()、とね……」




事前に受けたIS適正テストでA+の判定が出ていたにも関わらず、私はその後大きな壁に当たることになる。

装備時の、原因不明のIS損傷────。

何度ISを装備しても、たちまち機体が変形・損傷を起こすのだ。
身体検査を何度も繰り返したが、原因が分かることはなかった。
考えられるあらゆる対抗策を、私はなんでも実践した。だが、ある時不意に足が立ち止まった。

「自分には才能がないのではないか?」

ふと思いついたその疑念は、たちまち大きな渦となり、私の心を蝕み始めた。
何をやっても報われない。
周囲の期待に応えられない私に価値はあるのだろうか?

そんなある日、私は自室のピアノに久々に触れた。
そこで甦ったのは、あの夜の父との記憶。

そうだ。才能がなければ、それを別の何かに置き換えればいい。
経験や、訓練や、努力や、知恵、機転、根気……私にはまだそれらをする義務がある。弱音を言っていられる暇はない。才能があるから生きていくんじゃない。そんなもの、あったって、なくたって、生きていくしかないのだ。あるのかないのかわからない、そんなものに振り回されるのはごめんだ。もっと確かなものを、この手で探り当てていくしかない。


絶対にいい音など存在しない。
この世に「絶対」などという言葉はない。


ISのコアの仕組みは篠ノ之束博士しか分からないブラックボックスであり、世界はたった一つのコアに翻弄されていた。
父の考えていたことも、娘の私には今も分からない。


さらに訓練を積んでいたある日、エマの作り上げた蒼い雫(ブルー・ティアーズ)は損傷を何一つ起こすことなく私に最適化された。
エマは涙を流し「おめでとう」と言ってくれたが、私にとっては全てエマのお陰だった。
その甲斐あって、まもなく私は第三世代装備ブルー・ティアーズの第一次運用試験者として選抜された。
政府から、稼働データと戦闘経験値を得るために日本のIS学園に入学するよう進言された。
イギリスの代表候補生として選ばれた途端、あれほど私を憎んでいた親族たちは、手のひらを返したように媚びへつらうようになった。
女に媚びへつらう男。
女尊男卑社会に胡座をかき、力もないのに強くなった気でいる女。
そんな愚かな人間たちに、私は絶望した。
そんな人間たちの姿は、見直しかけていた父の記憶をあっさりと塗り替えてしまい、母の顔色ばかり伺う父の姿を想起させた。
私の中の父の記憶は、再び複雑なものへと変わった。

ある日、エマから信じられない一言が告げられた。
『あなたともう一人、機体の製作を請け負うことになった』と。
聞いてみれば、その人物は学園内で気絶状態で発見された女性だという。
その女性のIS適正は『S』────それはブリュンヒルデの織斑千冬や他のヴァルキリーのレベルだ。
しかしISについて何も知らないらしく、それは少し前に発見された世界初の男性IS操縦者である織斑一夏を想起させた。
私は彼を憎んでいた。努力も何もしてこなかった者が、なんの障壁もなしに力を手にすることの傲慢さが許せなかった。それは()()()と呼ばれた女性に対しても同じだった。
自分がしてきたことが無駄だったと言われたような気がして、身がすくむような思いをした。
それを聞かされた私は、その日エマと会話をすることなく研究所を後にした。
イギリスを出るまで、エマと直接会う気分にはなれなかった。


出発日、チェルシーが私を空港まで送り届けてくれた。
車を降り、私は荷物を持つ。

「お嬢様……」

彼女は心配そうな顔で私を見つめる。
学園で待っている憎い人物たちのことを考えるたびに、私の心は荒んでいった。この先起こるであろう学園での日常に、私は辟易としていた。

「チェルシー、家のことは任せますわ」

「は、はい。その、お嬢様……」

「なんですの?」

私の声に、彼女は少し怯えたようにも見えた。

「いえ、その……学園で良き日々を送れますよう、陰ながら応援しています」

「……」

私は答える言葉も見つけられず、小さく彼女に手を振って、搭乗口へと向かった。

窓越しに映った彼女の顔は、今でも忘れられない。



├─────────┤

『血の穢れ』

カインハーストの血族、血の狩人たちが
人の死血の中に見出すという、おぞましいもの。

血の遺志の中毒者、すなわち狩人こそが、宿す確率が高いという。

故に彼らは狩人を狩り、女王アンナリーゼは捧げられた「穢れ」を啜るだろう。
血族の悲願、血の赤子をその手に抱くために。


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追憶 -Ⅳ.シャルロット・デュノア:『継承』

またまた期間が空いてしまい大変申し訳ありません…。
毎日少しずつ書き続けていましたが、単純に物語構成がなかなか思いつかず、時間が経ってしまいました…。
その代わりといってはなんですが、今回は史上最長の内容です!汗

また、いつのまにかお気に入り400件超え、本当にありがとうございます!!
拙い小説ではありますが、一度でも気に入っていただけた方がこんなにいらっしゃるということで、本当に感謝しかありません。
ありがとうございます!


ああ、あなた、聞こえますか?

湿った音が耳鳴ります。

ちょろり、ちょろり、ちょろり、ちょろり

不思議ですね。深い深い、海の底でも、水は滴るものでしょうか?

 

ああ、それが、()なのですね。

導きよ、あなたの声が見えました。はっきりと歪んで、濡れています。

これが私、私だけの啓示……私だけの……

ウフフフフッ……

 

あんなに小さかった……私でも……

 

 

 

 

約150年前

狩人の悪夢・実験棟1F

 

水が滴るような音が輪郭を帯び始めると、シャルロットは目を覚ました。

電脳仮想空間の浅海で、専用機の皆とそれぞれ扉に入った後、シャルロットは深い海の中に潜り込んでいくように意識をなくしていった。

恐らく一瞬の出来事だろう。だけど、まるで眠りに落ちていくかのように優しく包み込んでくれるような、長い感覚を憶えた。

同時にシャルロットは、それを思い出して身震いがした。

温かく包み込んでくれる世界の殻の外は、手を伸ばすととても冷たい海の底だったからだ。

暗く、蕩けた、まるで産湯のような……

 

「ここは……?」

 

自分が倒れていたことに気づき、シャルロットは身体を起こす。

見上げると、どこまでも高く続く螺旋階段のようなものが中央にあった。しかし目を凝らすと、全ての階層に繋がっているわけではないらしい。奇妙な仕掛け階段……まさか回転でもするのだろうか?

地面はところどころ剥がれており、建物自体の老朽化が伺える。

大階段を支える大きな柱、その根本に目を下ろした。

 

「……!?」

 

信じられない光景だった。

そこは大きな水溜りになっており、その側で頭部の肥大した人間たちが蠢いていたからだ。

彼らの顔は見えない。頭を布で覆われており、その中で膨らんでいるのだろう。一瞬その中身を想像してしまい、シャルロットは込み上げる気味の悪さを必死に無視し、考えないようにする。

皆同じ服を身にまとっているが、ここは何かの病院なのだろうか?

 

『誰か……』

 

弱りきった様子で、目の前にいる人間が声を発する。

シャルロットはゆっくりと近づく。

男と思われるその人間は、水溜りの中で何かを探しているようだった。

 

『誰か……俺の目玉を知らないか……』

 

男は水溜りの中に手を突っ込み、静かに波を立たせている。

 

(この臭い……まさか……)

 

シャルロットは思わず鼻をつまみ、呼吸をなるべく抑えるようにした。

まるで塩酸のような刺激臭を感じたシャルロットは、思わず男から距離を取ろうとする。

 

(!?)

 

水溜りから現れた男の両手は真っ赤に(ただ)れており、溶け出している。とても人間が耐えられるような痛みではないはずなのに、男は何も感じないのか、再びその両手で波を立たせていた。

 

(酷すぎる……これがマリアの記憶なの……?)

 

マリアがかつて自分に教えてくれた、彼女自身の素性。

それは人が聞けば、誰しもが嘘だと言っても仕方のないような、現実味のない真実。

彼女が、この時代の人間ではないこと。

彼女が、獣を狩る狩人として手を汚していたこと。

彼女は死に、やがて悪夢に囚われていたこと。

 

これが、彼女の言っていた()()なのだろうか?

 

 

タッタッタ……

 

上から、誰かが走る音が聴こえた。

大階段の先、二階に視線を移す。するとそこには見知った人物が走っていた。

 

「────ラウラ!?」

 

二階にいたラウラは、何かから逃げるように走り去っていく。

 

「ラウラ!待って!僕だよ!」

 

しかしラウラはこちらを見向きもせず、そのまま走り続ける。

 

(声が届いていない……?)

 

だめだ、このままでは彼女を見失ってしまう。

シャルロットが大階段を上ろうとしたその時、突然大きな地響きが起きた。地響きと同時に、大階段が回転しながら上がっていく。あっという間に、一階から繋がる階段がなくなってしまった。

電脳世界では皆とバラバラになるかと思ったが、ラウラと同じ場所に来たのなら好都合だ。一人よりも二人の方が、安全を期待できる。

 

(ラウラと合流しないと……でも、どうやって?)

 

周囲を見渡していると、左右に扉を見つけた。シャルロットは迷った末に、右の扉へと足を運ぶ。

扉の前に着き、そばに書かれている小さな看板を見る。そこには『実験棟1階 研究室』と刻まれていた。

耳をすませてみると、部屋の中からかすかに湿った音が聴こえたような気がした。

 

(この音……)

 

水が滴るようなその音は、先ほど無意識の中で耳にしたものと同じような輪郭を帯びていた。

シャルロットは扉に手をかけ、ゆっくりと押してみる。

 

(鍵はかかっていない……)

 

木の軋む音が響き渡る。

シャルロットが中を覗き込むと、そこには恐ろしい光景が広がっていた。

部屋中に散らばった薬品や書籍、血の跡。

その中央には、古びた木製の手術台のようなものに手足を拘束された、頭部の肥大した人間。

彼らは何かの罹患者なのか……?先ほど目にした『実験棟』という言葉が脳裏から離れない。

手術台に拘束されているその罹患者は全身を痛々しい器具で刺されており、すでに絶命しているようだった。

シャルロットの全身に、嫌な汗が吹き出してくる。その光景は、これまでの人生で目にしてきたどの景色よりも最悪なものだった。

 

『……マリア様?それとも、別のお方?』

 

暗い部屋の奥から、誰かの声がした。その声を聞いた途端、シャルロットの直感が何かを訴えた。

奥から聞こえた女性の声は、シャルロットの声にそっくりだったのだ。

奥の方に目を凝らすと、小さな蝋燭の火に照らされた、一人の罹患者が椅子に座っているのが見えた。

側には点滴用スタンドのようなものがあり、そこに備えられた輸血瓶から管が下り、彼女の腕へと繋がっている。

彼女もまた他の罹患者たちと同じく、頭部が肥大していた。

 

そして彼女はマリアの名を口にした。もしかしたら彼女は……

シャルロットは息を呑み、声を掛ける。

 

「あの……もしかして、あなたは……」

 

すると、椅子に座る彼女の頭部が蠢いた。直感だが、それが彼女なりの喜びであることを、シャルロットも感じ取った。

 

『貴女はまさか……こっちに来て。もっと声を聴かせて』

 

シャルロットはゆっくりと彼女に近づく。

痛々しい注射針の刺さった彼女の手は、とても綺麗だった。

 

「……僕のことが分かるんですか?」

 

すると、再び彼女の頭部がゆらめく。中から、湿った音が聴こえたような気がした。

 

『ええ、もちろんよ。貴女は私の、遠い家族なのね。きっとそうだわ。もう目は見えないけれど、心で分かるの』

 

ああ、なんて嬉しいことかしら。

彼女はそう言って、小さく手を開いたり閉じたりした。それが彼女なりの喜び方だった。

彼女もまた全身を椅子に縛りつけられており、シャルロットに触れることは叶わなかった。

 

『ふふ……驚いたかしら?こんな姿で、怖いでしょう?』

 

シャルロットはほんの少し俯き、また彼女を見る。

 

「……ううん。怖くない、よ」

 

シャルロットの言葉に、彼女も小さく喜んだ。

 

『いい子ね……私、嬉しいわ。もうここには、誰も来てくれないと思っていたから』

 

どこからか小さな隙間風が吹く。小さく揺れた蝋燭の火が、彼女の影を柔らかくする。

 

『貴女、名前は?』

 

シャルロットは一息置いて、答えた。

 

「シャルロット。シャルロット・デュノア」

 

『シャルロット……そう、美しい名前ね』

 

「あなたは……アデラインさん、だよね?」

 

シャルロットが聞くと、彼女も嬉しそうに動いた。

 

『そうよ。嬉しいわ……家族の貴女から、私の名前を呼んでもらえるなんて』

 

「僕の、ご先祖様……」

 

シャルロットは唇を噛み締める。

 

「昔、お母さんから……あなたは白くて長い、綺麗な髪だったって……そう聞いた」

 

『……』

 

「そんな綺麗なあなたを、自分のせいで変わり果てた姿にさせてしまったことを、後悔している人がいた」

 

『……そう』

 

複雑な心境だった。

かつてマリアはシャルロットに、アデラインに許されないことをしてしまったと打ち明けた。

シャルロットはそれについて、マリアを恨むようなことはしなかった。

それがアデラインの運命であり、アデラインが精一杯生きてくれたおかげで、シャルロット自身もマリアに出会うことができたと心の中で信じているからだ。

しかしシャルロットは、アデラインを取り巻くこの壮絶な状況に対して何もできないことにただ悔しさを感じた。

自分の先祖が若くして亡くなった運命を、今更変えることはできない。織斑先生も言っていたように、過去に介入はできないのだ。

だが、目の前の人間を救えないということは、こんなにも歯がゆいことなのか。

 

 

(シャルロット……あなたのそばには、いつもお母さんがいるから……────)

 

 

ふと、母親の言葉が脳裏に過った。

 

()()、大切に持っていてくれたのね』

 

アデラインの声に、シャルロットはハッと顔を上げる。

 

『お守り。マリア様から頂いた、大切なもの……』

 

シャルロットは自分の胸元にある鍵を見る。そして、それをゆっくりと手のひらに包む。

 

『────先祖さまが住んでいたところにね、露台があったらしいんだ。白い花が一面に咲いた、小さな中庭の露台。先祖さまは生きてる間に視力を失くしてしまったんだけど、せめて外気と花の香りが先祖さまの癒しになるように……だって』

 

かつてシャルロットがマリアに言った言葉が思い起こされた。

この露台の鍵は、マリアがアデラインに渡したもの。しかし彼女が花の香りを理解できなかったことは、マリアは知らない。

 

『……ああ、マリア様はお嫌いでも、私、「血の聖女」でよかった……そうでなければ、()()()()()()貴女とは出会えなかった気がするの』

 

「……ねぇ」

 

シャルロットは露台の鍵を握りしめ、アデラインに尋ねる。

 

「マリアを……恨んでる?」

 

しばらくの沈黙が流れた後、アデラインは囁くように答えた。

 

『────そんなことないわ……マリア様は、私をいつも見守ってくれていたから』

 

表情はわからないが、彼女はきっと微笑んでいるだろうということは、シャルロットも感じ取った。

 

「マリアは、近くにいるの?」

 

『ええ、きっと』

 

「どこにいるの?」

 

『どこかにいるわ……そう遠くない、どこかで……しばらくは、マリア様もここに来ていないから……』

 

「しばらくって、どのくらい?」

 

『数日、数ヶ月……いえ、数年かもしれない』

 

「それって……」

 

シャルロットは息を呑む。シャルロットの想像を分かっているかのように、アデラインは続きを口にした。

 

『……そう、あの人もまた、囚われているの。この狩人の悪夢に……いえ、もしかしたら、彼女自身がこの悪夢を作り出しているのかもしれない』

 

「……」

 

『私がここにいるということは、きっとマリア様もどこかにいる。そうでなければ、私は……』

 

アデラインのスラリとした細い指が、少し震えた気がした。

 

『シャルロット』

 

「……うん」

 

『お願い、あの人を解放してあげて……私もまた、ここに囚われるしかできないから……。貴女に、託したいの』

 

シャルロットは彼女をまっすぐに見て答える。

 

「マリアは……ずっと自分のことは二の次で、いつも僕たちのことを気にかけてくれてた」

 

『……』

 

「……マリアは、僕たちの世界に来た意味を探している。僕も、それを手伝いたい」

 

すると、アデラインも優しく微笑んだ。

 

『……ありがとう』

 

木の軋む音がした。

振り返ると、部屋の扉がゆっくりと開いていた。

 

『ここに来る前、もう一つ扉があったでしょう?そこが露台なの。その鍵で、きっとそこを開けられるわ』

 

「この、御守りで……」

 

アデラインはゆっくりと頷く。

 

『さぁ、行って……私もその鍵と一緒に、貴女のそばにいるわ────』

 

 

小さな蝋燭の火のそばには、枯れた白い花が横たわっていた。

その茎には、古びた可愛らしいリボンが巻かれていた。

僕はそれを最後に、部屋を後にした。

その時、一匹の黒い蝶が(はね)をきらきらと煌めかせて、遠い空へと飛んでいった。

 

 

 

もう一つの扉をゆっくりと開ける。

扉を開けた先は、雲の隙間から陽の光がうっすらと降り注いでいて。

手すりの一部が崩れ、瓦礫が落ちている小さな露台があった。

露台の端に立った僕の目には、白い花が一面に広がる中庭が映った。

陽の光が降り注ぎ、それを受けた草花が生き生きとしている。

星の輪のような雰囲気を纏わせた草花を、罹患者たちが静かに楽しんでいるように見えた。

彼らには、あの花の香りがわかるのだろうか?

 

お母さんはあの時、あの花の香りを分かってくれていたのだろうか?

 

 

 

 

星輪草のそばにいる罹患者の頭部は、うっすらと透けていた。

そこには暗い夜空が果てしなく広がっていて、絶え間なく隕石の嵐が吹き荒れていた。

 

誰からも見捨てられた、どこまでも孤独な場所。

無限に続く、夜空の水平線。

()()の小さな手すり。

生と死を隔てるもの。

『大空を飛べる者』と『地を這う者』の境界線。

手すりの先の世界に解放されることは、僕のお母さんにとって“死”を意味していた。

ISという翼を得た僕には、地を這うお母さんの姿さえ残っていなかった。

 

 

彷徨う罹患者たちを見て、もしかしたら「宇宙」とは、

白く美しい花々で覆われてる場所のことをいうのかもしれないと、僕はふと思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

├─────────┤

 

三年前

ブルターニュ地方 ブレスト

 

窓の外は大きな雨粒が降り注いでいる。

夕方の空は曇天が覆っていて、灰色の窓に映る私の顔は、降りしきる雨粒に埋もれていく。

灰色に映る世界の中で、私のお母さんも静かに眠っていた。

お母さんの腕に繋がった管を満たす抗がん剤も、雨粒が洗い流してくれたらいいのに。そうすれば、お母さんは苦しい気分にならなくて済むのに。

母親の治療薬をこんな風に思うなんて、ひどい娘だろうか。

 

 

お母さんが倒れたのは一週間前のことだった。

生まれた時からお母さんと一緒だった私は、ブレストの街の近く、ラナンゲ辺りでひっそりと暮らしていた。学校は歩いて30分ほどの場所にある、ブレストの街の端。

お父さんの話は聞いたこともないし、聞こうとしたこともない。学校に通っていくにつれて、自然とクラスの子と自分とは少し違うことを察したけれど、私はお母さんがいてくれるだけで幸せだった。

 

お母さんを無事に病院へ運ぶことができたのは、不幸中の幸いだった。

一週間前、フランスでは全体的に大雨が降っていた。その時聴いていたラジオでは、イギリス南部でもその年初めての雪が観測されたと言っていて、まだ秋の始まりの頃だということで、異常気象であると報道されていたのを覚えている。

あの日、二階の自室でラジオを聴きながら勉強をしていた最中、突然部屋の電気が消えた。

私はたまに起こる停電かと思い、扉を開けて一階にいるであろうお母さんに大きめの声で伝えた。

 

「ごめんお母さん、ブレーカー見れる?」

 

数秒経っても返事が返ってこない。

窓と屋根を打ちつける雨の音はいよいよ強烈になっていき、雷も鳴り響いていた。まだ日中だというのに家の中はかなり暗い。

ひとまず一階に下りようと階段に向かう。お母さんはテレビを観ているだろうと思っていたが、リビングに姿はなかった。

 

「お母さん?どこにいるの?」

 

それでも返事がないのでシャワーでも浴びてるのだろうかと思い、シャワールームに向かうが、扉を開けても誰もいない。

とりあえず廊下の隅にあるブレーカーの戸を開けスイッチを切り替えるが何の反応も示さない。

 

「停電用の簡易スイッチもダメか……直るまで大人しくするしかないね」

 

こういう時のために、家のそばには一応小さな自家発電の設備があるのだが、それも機能しなかった。

 

「お母さん、大丈夫?今どこにいるの?」

 

いつまで経ってもお母さんの返事がない。

私は直感で、なんとなく不安な気分になった。そしてふと、足先に冷たいものが触れたのを感じた。目を凝らしてよく見ると、それは床に大きくこぼれたミルクだった。

それは壁を曲がったところの台所から流れてきていて、私はすぐに台所へと向かった。

キッチンの上はミルクとカップが倒れていて、アイランドキッチンの陰に、お母さんの足が横たわっていた。

 

「お母さん!?」

 

私はすぐにお母さんのもとに駆けつけると、意識はあったが、ひどく苦しそうにしていた。

 

「お母さん、どうしたの!?大丈夫!?」

 

「シャルロット……」

 

声に力がない。汗をひどく掻いてるけど、ただの風邪とは思えなかった。お母さんはそこまで身体が強くない人というのも、子供ながらに知っていたのだ。

私はリビングにあったクッションを持ってきて、お母さんの頭の下に敷く。

 

「救急車呼んでくる!ここでじっとしてて!」

 

私は急いで受話器のところへいくが、電話は何一つ反応を示さなかった。停電だから電話がつけられないのは当然だというのに、その時の私は焦って頭の処理が追いついていなかった。

 

「そうだ、近所の人、確か車があるはず」

 

私は毛布を取ってお母さんの身体にそっとかける。

 

「お母さん、近所の人に頼んでくるね!ごめんね、もう少しだけ我慢してね」

 

お母さんは苦しそうにしていて、とても返事のできる様子ではなさそうだった。一刻も早く急がなければ。

私はレインコートを羽織って、扉を開ける。雨は先ほどよりも勢いを増しており、前も満足に見えないくらいだった。

近所までは走って3分くらいの距離。私は全速力で駆け抜け、近所の家を目指した。

 

 

その後、事情を聞いてくれた近所の人が急いで車を出してくれて、私の家まで戻り、お母さんを近くの総合病院まで一緒に送ってくれた。

車内で流れていたラジオでは、停電はフランスのみならず世界各地で起きていたらしく、信号も消えてしまったため交通網にもかなり影響が出てしまっているとのことだった。

幸い総合病院には10分足らずで到着し、停電による病院の混乱もまだそれほど大きなものではなかったため、素早く救急搬送された。

 

そしてその日の夜、担当医の先生から、お母さんは急性骨髄性白血病だと伝えられた。

いわゆる、血液のがんだった。

 

 

ppp、ザザッ……

 

『……一週間前に世界各地で発生した大停電ですが、現在もその原因は不明です。ヨーロッパ各国でもその影響は大きく、特に英国では、国際列車ユーロスターの脱線という非常に痛ましい事故も起きました。死傷者は100人以上、行方不明者も少なくないとのことです。この場をお借りして、哀悼の意を表します……────』

 

病室に持ってきた私のラジオからは、毎日大停電の話ばかりが報道されていた。

三年前、篠ノ之束博士が突然発表したIS(インフィニット・ストラトス)は、世界のあり方を瞬く間に一変させた。

発表したのは三年前だが、博士自身、ISの構想と開発を始めたのは実際には七年前とのことらしい。そのため、記事や本によって三年前と七年前に表記が分かれている。

 

ISには、あらゆる面でこれまでの科学を覆すような技術が搭載されていたが、ISを最も特徴づける要素の一つが「女性にしか扱えない」というものだった。

“女性にしか扱えない特別な新技術”……その事実は世界中の女性の心を鼓舞するものであり、やがて“人間的にも優れている”というイメージを作り上げた。

その代表的な産物が女性権利団体であり、組織の発言力は世界的にも無視できないほどの規模となりつつある。

ニュースを聴いていると、今回の脱線事故の調査を厄介にさせているのは女性権利団体のでっち上げた勝手な陰謀論のようだ。彼女たちを批判する人たちも多いが、彼女たちに賛同する人たちも多いようで、私はまだ画面越しでしか見たことのないISを好まなかった。

陰謀論など全く信じる気はないが、ISがなければ世界は混乱していなかったんじゃないかと、心のどこかで思いたくなる自分がいたのだ。

そしてそんな自分を、私は嫌いだった。

 

私はラジオの放送局を変えて、適当な音楽番組にした。世間の流行には、そこまで敏感ではなかった。

 

「……ん」

 

お母さんが小さく息を漏らし、ゆっくりと目を開けた。

 

「おはよう、お母さん」

 

お母さんのそばに近寄って、小さく声をかける。

 

「シャルロット……」

 

お母さんはぼんやりとした目で、僕を見て微笑んだ。僕の大好きな、お母さんの笑顔だ。

 

「外、また雨なのね。今は何時かしら?」

 

「もうすぐ18時だよ」

 

「そう……変な時間に寝てしまったのね」

 

お母さんはゆっくりと身体を起こし、ヘッドボードにもたれる。

 

「お母さん、食欲ある?」

 

「あまりないわね……お薬のせいかしら。今日は大人しくしておくわ」

 

「そう……」

 

窓に降る雨の音をしばらく聴いていると、ラジオから聴き馴染みのある歌が流れてきた。それは私が幼い頃から好きな、古い歌だった。

 

「お母さん、よくこの曲歌ってくれてたよね。料理作るときも、よく鼻歌で歌ってたし」

 

「ふふっ、そうね」

 

まだ大戦中の時に歌われた、古い曲。少しざらつきながらも品のある女性の歌声が、病室内に響き渡った。

 

 

「また聴かせてよ。私とお母さんが大好きな、あのお花畑に行ってさ」

 

 

 

 

 

 

「今から言うことは非常に辛いことだけど、家族である君は知っておかなければならない。君のお母様だが……」

 

お母さんが入院して数日経った頃、私はお母さんの余命を知らされた。

もって半年。

恐らく、春は迎えられないだろうと伝えられた。

 

「……寛解も見込めないのですか?」

 

図書館の本で見かけたことのある言葉。大きな病気を経験したことのない私にとっては、実感のない言葉だった。

 

「……いや、決してそうではないよ。確かに白血病は難病だが、医療も着々と進歩している。しっかりとした治療を行っていけば、あとはお母様の頑張り次第だ」

 

「そう、ですか」

 

今まで画面越しでしか聞いたことのなかった病気の存在は、突然私たちの前に現れて、私の重力を奪っていった気がした。

頭がふらつきそうになるのを、先生との会話でなんとか紛らわせた。

 

「抗がん剤での治療を始めていくけど、お母様にとって一番の薬は君の存在だと思う。話せる時は、できるだけそばにいてあげてほしい」

 

先生の言葉にきちんと返事をできたか、私の記憶は曖昧だった。

 

 

 

 

 

 

入院して三週間が経った頃。

お母さんの髪は次第に抜け始めていった。

お母さんの着替えを手伝う時も、ベッドの上に髪の毛が落ちてしまうのを、私は見ないふりをしていた。

今思えば、この時の私はまだ、お母さんの病気を認めたくなかったのかもしれない。

そんな私を見て、お母さんはしばらく何かを考えこむ様子を見せた。

 

次の日。

病室に入ると、お母さんが私に手招きをした。

 

「どうしたの?」

 

そばに近寄ると、お母さんは優しい笑顔で何かを渡した。

私の手に置かれたそれを見下ろす。

渡されたのは、小さなバリカンだった。

 

「シャルロット……お母さんの髪、剃ってくれないかしら?」

 

思わぬ言葉に、私はたじろぐ。

 

「で、でも……」

 

お母さんは優しく笑い、私の手を温かく包む。

 

「お母さんだってあなたと同じで、一人の女なの。せめて綺麗な状態のまま髪とお別れしたい。それに、娘であるあなたにやってほしいから」

 

「でも……こんなに綺麗なんだよ!?確かに抜けているかもしれないけど、自分から切ることなんて「シャルロット」────」

 

お母さんの目が、真っ直ぐに私を捉える。

 

「お願い」

 

お母さんの言葉に、私は唇を噛み締める。

しばらくして、私は小さく呟いた。

 

「──── わかった」

 

俯いたままの私の言葉を聞いて、お母さんは優しく微笑む。そして私をそっと抱き寄せた。

 

「ありがとう。愛してるわ、シャルロット」

 

 

 

お母さんのいる病室は個室で、中には大きな化粧台があった。

その前でお母さんは散髪用のケープを纏い、椅子に座る。

 

「じゃあ、お願いね♪」

 

「う、うん……」

 

お母さんに促され、私はバリカンの電源を入れる。

安っぽい機械音に私は内心怯えるが、決してそれを顔に出さないようにした。

お母さんの頭に傷をつけないよう、ゆっくりと当てていく。

私にとっても自慢だったお母さんの綺麗な髪が、はらはらと落ちていく。

 

幼い頃からお母さんのことばかり見上げていた私にとって、こうして見下ろすことは初めてだった。

お母さんは髪が落ちていく間、ずっとニコニコとしていた。私を落ち込ませないように。

 

そんなお母さんの背中は、昔よりも小さく感じた。

 

 

 

 

 

 

入院から三ヶ月が経った。

一年も終わりに差し掛かる季節、世間ではクリスマスムード一色で、病院内も所々にクリスマスツリーが飾られていた。

学校も少し前から冬休みに入り、私は病室でお母さんと一緒に過ごしたり、宿題を済ませたりといった生活を送っていた。

ある日の午後、お母さんの病室に入ると、お母さんが私に微笑みながら手招きをした。

 

「シャルロット、こっちに来て」

 

買ってきた果物の袋をテーブルに置く。

 

「どうしたの?」

 

「あなたに渡したいものがあるの」

 

お母さんはベッドの中に隠していた小さなプレゼントボックスを取り出す。

 

「クリスマスプレゼントよ」

 

「本当!?ありがとう……いつのまに用意してくれてたんだ。開けていい?」

 

「もちろん」

 

私は椅子に座って、プレゼントボックスに巻かれた白いリボンをゆっくりと解く。

箱を開けて出てきたのは、小さな鍵だった。

見たことのない鍵に、私は首を傾げる。

 

「これって……鍵?」

 

お母さんは頷く。

 

「この家に代々伝わる鍵なの。遠い昔のご先祖様が友人から貰ったもので、とても大事にしていたんですって。この家ではお守りみたいな存在よ」

 

「お守り……」

 

「その昔、ご先祖様が住んでいたところに、露台があったというわ。白い花が一面に咲いた、小さな中庭の露台。ご先祖さまは生きてる間に視力を失くしてしまったんだけど、せめて外気と花の香りがご先祖さまの癒しになるように、ご先祖様の友人が贈ってくれたの」

 

「……」

 

お母さんはネックレスのチェーンに繋がれた露台の鍵を手に取る。

 

「シャルロット、こっちに寄って」

 

お母さんは私の首元の後ろで、チェーンをつけてくれた。

胸元には、露台の鍵がある。

 

「ごめんなさいね……本当は可愛らしい洋服とか買ってあげたかったんだけれど……」

 

「ううん、すごく嬉しいよ!ありがとう、大事にするね」

 

少し落ち込んでいたお母さんの顔が、パッと明るくなる。

 

「ありがとう、シャルロット。愛してるわ」

 

お母さんは温かい手で、私を抱き寄せてくれる。

 

「ご先祖様もお母さんも、その鍵と一緒に、いつでもあなたのそばにいるわ────」

 

 

 

 

 

 

年が明け、春になる直前。入院から五ヶ月ほど。

時々体力面で辛い日はあるものの、当初の先生の予測を上回るように、お母さんは元気に過ごしていた。半年と言われていた余命は着々と延びつつあり、先生も喜んでくれていた。

ある休日の昼頃、お母さんの病室に訪れると、お母さんは珍しくテレビを見ていた。

テレビは生中継のようで、画面の中ではISの世界大会の様子が届けられていた。

 

「おはよう、お母さん」

 

「おはよう、今日もいい天気ね。いつもありがとう」

 

「いいよ、好きでやってるから」

 

病室の扉を閉めて、テーブルに着替えや果物の袋を置いて整理する。ISに苦手意識のある私と違い、お母さんはテレビに夢中だった。

 

「ISの大会?すごく盛り上がってるね」

 

古い着替えを洗濯用のカバンに入れながら、お母さんに話す。テレビのスピーカーからは実況アナウンサーの興奮気味な声が聞こえてくる。

 

『────年に一度のIS世界大会。本日、待ちに待った第二回モンド・グロッソの決勝戦が開催されます!世界中の注目が集まる最終決戦に、現地アリーナでは早くも満席の状態です』

 

チラリと画面を横目で見ると、大勢の人たちで埋め尽くされた観客席の様子が映し出されていた。

 

「本当に多いんだね。クラスでも抽選チケットが当たらなくて落ち込んでる子がいたよ」

 

そう呟く私をよそに、お母さんは画面を食い入るように見つめていた。

お母さんはそんなにISが好きだっただろうかと思いながら、果物を袋から取り出す。

 

私は、以前見かけたニュース番組での説明をふと思い出した。

 

ISが登場し間もなくして、世界の軍事バランスが崩壊するのを阻止する為、「アラスカ条約」というISの軍事利用の禁止などを定めた条約が国家間で締結された。

「モンド・グロッソ」とは、その条約に参加している国を中心に行われるIS同士での世界大会。格闘・射撃・近接・飛行など、部門ごとにさまざまな競技に分かれ、各国の代表が競い合う。

各部門の優勝者は「Valkyrie(ヴァルキリー)」と呼ばれ、全てを勝ち抜いた総合優勝者は「Brynhildr(ブリュンヒルデ)」の称号が与えられる……といった概要だ。

 

『さぁ、そして現在映しているのは、両ピット内に待機してます本日の決勝戦出場の二人です!右の画面には日本代表、第一回モンド・グロッソ総合優勝者、“ブリュンヒルデ”の称号を持つ織斑千冬選手。左の画面にはイタリア代表、アリーシャ・ジョセスターフ選手です。その実力は他国代表者たちを大いに圧倒!現在世界ナンバー2と評されており、織斑選手の地位を覆すかといった期待が高まっています』

 

「凄いわね……空を飛ぶのって、どんな気持ちなのかしら」

 

お母さんが呟く。

私はリンゴの皮を剥きながら尋ねてみた。

 

「お母さん、ISに乗ってみたいの?」

 

「そうね……シャルロットも考えたことない?鳥のように、もし自由に空を羽ばたけたら……なんて」

 

「そうだね……でもISが出てから、なんか色々変わっちゃった気がするから」

 

「ISは悪くないわ。それをどう乗りこなすか、よ」

 

『映像を切り替えてみましょう。まずは日本代表・織斑千冬選手サイドの整備ピット内の様子です』

 

切り分けたリンゴを小皿に盛りつけ終わり、私はベッド横のテーブルに置く。お母さんにフォークを渡し、自分も横に腰掛けテレビを観る。

 

『整備ピット内では、試合に先行して機体の最終整備が着々と進められています。織斑選手の専用機は『暮桜(くれざくら)』。日本には古来、歌を詠むといった趣深い伝統があり、『桜』や『暮れの春』といった、春の季節を表す“季語”があるといいます。桜は咲いてから散るまでの期間が非常に短く、花びら散りゆく姿は儚い……それは人々に晩春を知らせる姿。一瞬で勝負を決め、鮮やかに試合を終わらせるスタイルの織斑選手にまさにピッタリの機体と言えるでしょう────』

 

リンゴを食べるお母さんの手が、ふと止まった。その目は『暮桜(くれざくら)』と呼ばれたISに釘付けだった。

 

「────お母さんね、まだ桜を見たことがないの」

 

リンゴの甘みが口の中で広がるのを感じる。

 

「日本に行ったことは?」

 

「いいえ。お母さん、あまり外の世界を知らないの。パリですら、私には十分すぎるほど広くて怖かったから」

 

画面の向こうでは、いつの間にかイタリアの選手が機体のそばで準備を始めていた。日本の方はまだ姿が見えていないらしい。

もうすぐ、試合が始まろうとしている。

 

『決勝戦の時間が迫ってきていますが、依然として離着陸ゲートに織斑選手が現れてきません。一体どうしたのでしょうか……────』

 

「────じゃあさ」

 

私は思いついたように提案した。

 

「病気が治ったら、桜見に行こうよ」

 

それを聞いたお母さんは、優しく微笑む。

 

「ふふ、そうね。でもその前に、お母さんとシャルロットがよく行ってた、あそこのお花畑に行きたいわ」

 

「うん、楽しみにしてるね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その後、画面の向こうではイタリア代表選手の不戦勝が決まった。

日本代表の選手はいつまで経ってもゲートに現れず、観客席では大ブーイングが起こっていた。

テレビでは「逃げた」とか「ISが整備不良だった」とか「大会主催側に金を握らせていたんじゃないか」とか勝手な憶測が飛び交っているなかで、わずかに映し出されたイタリア代表選手の苦い表情が、その日なぜか頭から離れなかった。

せめて画面の中でだけでも桜が空に舞う姿をお母さんに見せてほしかったと、私も心のどこかで日本代表の選手に勝手な嫌味を言いたくなった。

 

リンゴの甘さは、いつしか苦味に変わっていた。

 

 

 

 

 

 

春の暮れ。

病院にはフェンスで隔てられた関係者以外立入禁止のエリアがあり、フェンスの向こう側には小さな花畑が存在する。

ある日の夕方、私はお母さんを車椅子に乗せて花畑の前に遊びにきていた。

春とはいえ、海からの風が来やすい地方なのでまだまだ寒く、私はニット帽を被ったお母さんを見下ろして話しかける。

 

「お母さん、寒くない?毛布、もっと持ってこようか?」

 

「大丈夫よ、ありがとう。もう十分暖かいから」

 

「そっか」

 

病院は少し高台になった場所に位置していて、花畑の向こう側には少し先の街並みが見える。

私は、以前看護師さんから耳にした話を口にした。

 

「ここのお花畑、そう遠くないうちに埋め立てられる予定なんだって。新しい病棟を作るみたい。ほら、去年大停電が起きたでしょ?あれでフランス中で交通事故が多発して、どこも病床が逼迫(ひっぱく)したから……新しい電力設備に伴って、病棟も新設するらしいの」

 

「そう、なのね……」

 

「やるせないよね、なんか。すごく綺麗な場所なのに」

 

小さな風が吹き、私は右手をポケットにしまい込んだ。

少しばかりの沈黙が続き、ふとお母さんが話し始める。

 

「────あのね、シャルロット」

 

「どうしたの?」

 

「少し前に、あなたにお守りを渡したでしょう?小さな露台の鍵」

 

私は首にかけられた鍵を見る。

 

「外気と花の香りがご先祖さまの癒しになるように、ご先祖様の友人が贈ってくれた鍵……これには、まだほんの少しだけ続きがあるの」

 

「続き?」

 

「────ご先祖様は、その花の香りを理解できなかった」

 

風がやみ、静寂な空気が張りつめる。

 

「もはやご友人との思い出も曖昧になっていくほど、病気は進行していた」

 

「……」

 

「ご先祖様を満たすのは、深い深い、湿った海の音だった。彼女は最期まで、何かになれることを望んでいた……」

 

「お母さん」

 

私は静かに、グリップを握る。

 

「…私も、いつか……」

 

お母さんが小さく呟いた。その目は街並みの遥か向こうを見つめていた。見えない、何かを。

空が曇り、細雨が降り始める。

 

「────もう、帰ろう」

 

何も言わないお母さんの車椅子を押し、病院へと引き返す。

振り返り際、ふと視界の端に映った金網のフェンスが、私の心で(くさび)のように引っ掛かった。

足元をすくうかのようにふと現れた、死の存在。

お母さんが金網を超えて、自由に花畑を歩ける日は来るのだろうか。

生と死を隔てる金網は、たとえISという翼を得たとしても、きっと……

 

 

 

私はそれ以上考えるのをやめ、お母さんと一緒に病室へと帰っていった。

 

その日から、お母さんは元気をなくしていった。

 

 

 

 

 

 

「呼び出された理由は分かってるわね?」

 

「……」

 

ある夏の日、私は学校の職員室にいた。

放課後、担任の先生に呼ばれたのだ。先生の机に広がっていたのは、少し前に受けた定期テストの、私の答案用紙だった。

点数は平均点以下で、クラス内でも下から数える方が早い。

 

「ここ最近のテストの点数のことよ。定期テストもそうだけど、小テストの結果も芳しくないわ。年が明けてから、どんどん学力が下がってきてるの」

 

「……はい」

 

「本来、あなたは優秀な生徒だったはずよ。苦手科目もなかったはずなのに……普段から勉強はできているの?」

 

「……」

 

黙ってしまった私を見て、先生は深くため息を吐く。

そして私の目を真っ直ぐに見た。

 

「シャルロットさん、あなたのお家の事情は分かっているつもり。お母様のことから自分の生活のことまで、何から何まで一人でやっていることも……その年でそれだけやっているなんで、本当に立派だと思うわ」

 

立派だと思うなら放っておいてほしいと、私は心の中で悪態をついた。

 

「そんな大変な状況だから、先生も気持ちとしてはあまり口を出したくはないのだけれど……勉強は、あなたの将来の道を作るのに必要なことなの。だから、毎週5分ずつくらいでも構わないから、勉強に時間を割いてみて。悩みがあるならいつでも相談に乗るし、希望するなら補習もしてあげるから」

 

先生の目線に、私は俯いてしまう。

同情の混じったその目を、私は避けるようにして生きてきた。

私は去年の冬頃から、誰にも知られないよう秘密で新聞配達のアルバイトをしていた。

お金を貯めて、()()()を買いたかったからだ。

それは高額で、私の貯めていたお小遣いではとても手の届くようなものではなく、少し前から私は焦っていた。

当然睡眠時間は短くなり、授業の予習・復習もままならないまま毎日を繰り返していたのだ。

自分の状況を、誰にも言いたくなかった。

私は先生から答案用紙を受け取る。

 

「……ありがとうございます」

 

小さく礼を言い、私は職員室を後にする。

 

夕暮れは以前よりも長くなり、夕陽が傾いていく中、私は病院へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

「どうしたの?」

 

病室に入るやいなや、いきなりお母さんにそう言われた。

 

「……何もないよ」

 

「何かあったのね……あなたのことだもの。すぐ分かるわ」

 

「……」

 

お母さんは真っ直ぐに私見ていて、私はそれに気づかないように荷物を置いた。

 

「シャルロット」

 

「なに?」

 

「あなた、最近勉強はどうなの?」

 

「っ……」

 

お母さんの新しい着替えを机に置きながら、私は答える。

 

「どうって、べつに、普通だよ」

 

「ウソね。本当のことを言って」

 

「……」

 

お母さんの古い着替えを袋に詰める。

 

「この時期、定期テストがあるでしょう?もう結果、返ってきてるはずよね?見せて」

 

「……まだだよ」

 

「シャルロット」

 

滅多に聞かない語気の強目なお母さんの言葉に、私はビクッと震える。

お母さんはじっと私を見ていた。

私は渋々、鞄から先生から渡された答案用紙をお母さんに渡す。

お母さんは一通り目を通した後、私を見た。

 

「────普段、勉強はどのくらいしてるの?」

 

私は俯いて、小さく答える。

 

「……ちゃんとしてるよ」

 

「前のあなたはよく頑張ってたじゃない。テストもクラスでいつも上の方だったわ」

 

「……だから、ちゃんとしてるってば」

 

「シャルロット、正直に────」

 

「うるさいな!!」

 

私は乱暴に鞄を叩く。

 

「私が頑張ってないっていうの!?」

 

「いいえ、そうじゃないわシャルロット、ちがうの────」

 

「何が違うの!?お母さんが言いたいのはそういうことでしょ!私だって大変な思いをしてるのに、周りの人は皆、私のことを分かってなんかいない!」

 

お母さんの目が静かに震える。

それに気づかないふりをして、私は声を荒げた。

 

「昔言ってくれたよね?『あなたより大切なものなんてない』って……あの言葉は嘘だったの!?大切に思ってくれるのなら、なんで今の私を責めるの!?」

 

お母さんが焦ったように声をかけてくる。

 

「あなたのことは何よりも大切よ、シャルロット。だから────」

 

「だったら何も言わないでよ!!私のことを分かってくれないお母さんなんて、大っ嫌い!!」

 

「っ……!」

 

私は鞄を持って、乱暴に病室の扉を閉め、その場を後にした。

外にも聞こえていたのか、廊下を歩いていた数人の患者たちが私を見ていたが、誰もかれもが同じような哀れみの視線を向けてきているような気がして、私はそのまま立ち去った。

 

それからしばらくの間、私は病院に足を運ぶのをやめた。

 

最後に見たお母さんの顔が脳裏に焼き付いて、それを消し去りたくて仕方がなかった。

 

 

 

 

 

 

病院に行かなかくなってから二週間ほどが経った、ある休日の朝。

家のカーテンも閉めたままベッドに閉じこもっていると、突然一階から電話が鳴り出した。

居留守しようとしばらく無視し続けていたが、コール音が中断されても、何度もかかってくる。

しつこいコール音に苛立ち、乱暴に毛布を取っ払って一階に降り、受話器を取る。

 

「……はい」

 

「その声、もしかして娘さんのシャルロットさんですか!?○○総合病院の血液内科受付の者です!」

 

「そうですけど……」

 

「あなたのお母さんの容態が今朝から悪化しています!今すぐ病院に来てください!」

 

「っ……!」

 

私は受話器を戻し、急いで外に出る仕度を済ませ、勢いまかせに家を飛び出した。

そして全速力で駆け抜け、20分ほどで病院へと到着した。

 

病室の扉はすでに開いていて、中には担当医の先生と、2人の看護師さんが点滴などで忙しそうにしていた。

 

「お母さん!」

 

お母さんのもとに駆け寄ると、お母さんは静かに目を開け、私を見た。幸いにも意識はあるらしい。

 

「シャル、ロット……」

 

「お母さん……」

 

かなり弱々しくなったお母さんの声に、私は唇を噛み締める。お母さんは眠るように、再び目を閉じた。

すると後ろから、担当医の先生が静かに説明してくれた。

 

「早朝の時より少しだけ容態は回復したが、君のお母様は依然として油断はできない状態だ。ここからさらにひどくなると、いわゆる“危篤状態”となる……君も言葉くらいは聞いたことがあるだろう。ここは……お母様の気力次第だ」

 

「っ……」

 

「正直、近いうちに()()()がくる可能性は高い。今はただ、お母様のそばにいてあげなさい」

 

状況も落ち着き、先生たちは病室を後にし、私とお母さんの二人きりになった。

少し高くなった太陽の光が、窓から差し込みお母さんの顔を照らす。

心電図の音が規則的に響くなか、お母さんの透明な呼吸器に私の顔が映っていた。

お母さんの手はわずかに温かく、力は込もっていなかった。

 

(何やってるんだろう、私……)

 

今まで考えないようにしていたお母さんの死が、ふと私の背中を震わせた。

入院当時から痩せ細った手。力のない呼吸。

もうあまり長くはないということも、うっすらと感じていた。

 

『お母さんね、まだ桜を見たことがないの』

 

『鳥のように、もし自由に空を羽ばたけたら……』

 

『ご先祖様は、その花の香りを理解できなかった』

 

『…私も、いつか……────』

 

 

 

 

 

 

 

 

私は、お母さんの手を強く握り、耳元で囁く。

 

「お母さん、もう少しだけ頑張ってね。すぐに戻るから」

 

私は病室を出て、病院を後にし、全速力で駆け抜けた。

 

 

 

 

 

 

「貯金箱は……あった。あとは雨具と、水筒と……」

 

自宅に戻ってきた私は、急いでリュックに必要なものを詰め込む。

水筒に水を入れ、リュックを背負い、家を出た。

 

(ご近所さんは旅行に出かけてるみたいだった。全部自分でやるしかない)

 

もともと誰かに頼ることなんて、しようと思ってなかった。だから別に、かまわない。

この時のために、私は新聞配達のアルバイトを続けていたのだ。

 

一台の()()()()()()を買うために。

 

ブレストの街には、個人で経営されている小さな電気屋さんがある。

何度かそこを通ったことがあり、外から見えるショーウィンドウの中には新品から中古品まで様々なカメラが並んでいるのだ。

新品は高くて買えないが、中古品なら今の貯金額でもなんとか届くかもしれない。

小さな希望を胸に抱えながら、私はブレストの街まで駆け抜けた。

 

 

 

 

 

 

目的の店に着き、ショーウィンドウを見る。

 

「そ、そんな……」

 

しかし私を待ち受けていたのは、非情な現実だった。

一番安い中古品のビデオカメラでも、私の貯金額ではまだまだ足りなかった。少し前まで見かけていたもっと安い型のものは、すでに売り切れていたようだった。

だからといって私は引き返すわけにもいかず、意を決して店の扉を開いた。扉を開くとすぐ目の前に、中を掃除していた店主が立っていた。

 

「いらっしゃい」

 

「あ、あの!あそこにあるビデオカメラなのですが……」

 

「うん?ああ、あれか」

 

「あの……大変身勝手なことを言うのは承知です。どうか買わせていただけませんか!?」

 

私の言ったことがすんなり理解できなかったのか、首をかしげる店主。私はリュックから貯金箱を出した。

 

「その……ちょっと足りないんです。必ず後日、足りない分はお支払いします!」

 

「“ちょっと”って言うけれど、どのくらい足りないんだ?」

 

「えっと……」

 

私の貯金額を伝えると、店主は少し不機嫌な顔を見せた。

 

「ダメだダメだ、話にならん。すまないが、他を当たってくれ」

 

店主は私を店の外に連れ出し、扉を閉めようとする。

 

「ま、待ってください!必ず後日払いますから!」

 

「あのね、こっちも商売でやってるんだ。第一、君がちゃんと返しに来る保証なんてどこにもないじゃないか」

 

「お願いします!その……お母さんに少しだけでも花畑を見せてあげたいんです!お願いします!」

 

「いい加減にしてくれ。これ以上しつこいと警察を────」

 

 

Is there any problem?(何かあったのですか?)

 

 

私と店主が押し問答をしている横から、突然誰かが声を掛けてきた。

純白のワンピースに、ピンクのカーディガンを着た女性だった。

同い年くらいだろうか。しかしその顔はよく見えなかった。

青いリボンが巻かれた、つばの広い白のハット帽を少し深く被っていたからだ。

目を丸くした店主は、ため息を吐きながら、愚痴をこぼすように返事をした。

 

「イギリスの人かい?すまないが、英語は分からないんだ。個人的にも、あの国は好きじゃなくてね。まぁ、俺の言ってることも分かんないだろうが」

 

しっしと嫌味たらしく手を払う店主。

するとワンピースの女性は何か考えたような仕草を見せたあと、再び話しかけてきた。

 

「────何かあったのですか?」

 

驚くべきことに、ワンピースの女性は流暢なフランス語でもう一度話しかけてきたのだ。

 

「な、なんだい……あんた、フランス語話せるのか」

 

バツの悪そうな顔をする店主。

店主は機嫌悪そうに、私を指差した。

 

「この子がね、しつこいんですよ。お金が足りないくせにウチの大事な商品をくれって。こっちも商売でやってるから、困ったものでしてね」

 

大人から責め立てられる恐怖と不安で、私の心はもうボロボロになっていた。

もうこの店はダメだと思い、逃げるようにその場を去ろうとしたその時だった。

 

「────いくらですか?」

 

ワンピースの女性から、予想だにしない言葉が出たのだ。

それは店主も一緒だったらしく、もう一度聞き返す。

 

「い、今なんと?」

 

「ですから、その商品はいくらですか?(わたくし)がその方の代わりにお支払いします」

 

「!?」

 

「え、ええ。ちょっと待ってください」

 

店主が値段を確認しワンピースの女性に伝える。

それを聞いた女性は、いつのまにか女性の後ろに立っていた付き添いの人に支払いをするよう言いつけた。

お金を受け取った店主は、私に中古のビデオカメラを渡し、そそくさと店の中へと姿を消した。

私はすぐさま、彼女に頭を下げた。

 

「あ、あの!本当にありがとうございました!!私のためにお金を出させてしまって、本当にごめんなさい……」

 

「お気になさらず」

 

ワンピースの女性は淡々とした口調で返事をする。

私は急いで紙を取り出し、ペンで書き綴った。

 

「あの、これ……私の名前と住所と、電話番号です。あと、この貯金箱もお渡しします。買っていただいたにも関わらずとても失礼だとは分かってるんですが、実は今とても急いでいて……。後日、この電話番号に連絡をください!足りない分は絶対にお返ししますので!」

 

私はワンピースの女性に諸々渡し、もう一度頭を下げ、背を向けた。

走り出そうとした、その時。

 

「お待ちなさい」

 

女性が私を呼び止める。

 

「どこへ向かうのです?」

 

私は振り返り、弱々しく返事をする。

 

「ロ、ロスカンヴェルの方に……」

 

「……ロスカンヴェル?聞いたことありませんわね。()()()()()、距離は?」

 

そう呼ばれたメイド服の女性は、華麗な手つきでタブレット端末を指で数回叩く。

 

「はい、お嬢様。ここから車でおよそ一時間ほど。ちょうどここから見える、海の向こう側にある半島がその場所でございます」

 

ブレストの街は海に隣接していて、そこから向こう岸にあるのがロスカンヴェル半島だ。

ワンピースの女性は海の向こうをしばらく見た後、私の方を見る。

 

貴女(あなた)、その軽装であそこまで行こうと考えているのですか?それも歩きで」

 

突かれたくなかった部分を言われた私は、自信なく答える。

 

「は、はい……」

 

「信じられませんわね。いくらなんでも、歩きでは12時間はかかるのではなくて?」

 

「っ……」

 

冷たくキッパリと言ってくる女性の言葉に、私は俯くしかなかった。

しかし静かに、私は自分の意思を伝える。

 

「……行かなければいけないんです。どうしても……」

 

震える拳を握りしめる。

しばらくの沈黙が流れた後、ワンピースの女性が口を開いた。

 

「────チェルシー」

 

「ですが、お嬢様……」

 

「構いません。会合の時間も、余裕を見積もって設定してあるはずです。それに、貴女の腕ならいくらでも早く着くことができるでしょう?」

 

「まぁ、お戯れを。かしこまりました。それでは、向かいましょう」

 

するとメイドの女性は、近くに停まっていた黒い高級車に入っていった。

どういうことか分からなかった私に、ワンピースの女性が振り返る。

 

「何を呆けているのです?早くなさってください」

 

「え、え?どういうことですか?」

 

何をいまさらといった表情で、女性は答えた。

 

 

「────()()()()と言っているのです。貴女も時間がないのでしょう?」

 

 

 

 

 

 

車に乗せてもらい、今は海の上のイロワーズ橋を走っていた。

車はメイドの女性が運転し、後部座席には私とワンピースの女性が座っていた。

ワンピースの女性は車に乗ってから、ずっと難しそうな本を読んでいる。

乗ってからというもの、まだ一つも会話を交わしていない。ワンピースの女性も話す素振りを全く見せず、私は思い切って言葉を発した。

 

「あ、あの……」

 

「……」

 

女性はこちらを見向きもしない。

 

「お、お名前を伺ってませんでした……改めて、私はシャルロットです。その……お名前を教えてもらえませんか?」

女性はページをめくる手を止め、私を見る。

 

「私を知らないのですか?」

 

思わぬ女性の言葉に、私は焦ってしまった。

 

「ご、ごめんなさい!もしかして、有名人の方とかでしょうか……?その、あまり世間のことは知らなくて……」

 

女性はしばらく私をじっと見た後、再び本の中身に視線を落とした。

 

「……いえ、知らないのであれば別に構いません。その方が好都合です。今は私も、誰かに外を歩く姿を見られたいわけではないので」

 

「そう、ですか……」

 

女性の表情がほんの一瞬暗く感じたのは、気のせいだろうか。

そしてまた、しばらくの沈黙が流れ始める。橋も渡り終え、車はいつしかダウラの街まで来ていた。

すると、ふと運転席にいるメイドの女性からルームミラー越しに声をかけられた。

 

「シャルロット様はどうしてロスカンヴェルの方へ?」

 

その質問に、一息置いて私は答える。

 

「あそこには……大きなお花畑があるんです。一面に白い花たちが咲いたところで……私とお母さんのお気に入りの場所なんです。もう、ずいぶん前から行ってませんけど……」

 

「……」

 

ワンピースの女性は無言で本を読んでいる。出会ってから彼女はずっと何を考えているか分からない顔をしていた。

 

「お母さんは今病院にいて……多分、あまり長くはないんです。今朝から容態も悪化して、さっきも意識を落としたように眠ってしまって……。だから、お母さんがよく連れていってくれたそのお花畑をカメラに収めて、お母さんに見せてあげたいんです」

 

「そうだったのですね……」

 

メイドの女性が落ち込んだ声で答える。

 

「でも私……実はお母さんと少し前に言い合いになって、お母さんに大嫌いって言ってしまったんです。それでしばらく病院にも顔を出さなくて……今朝、家に電話が来て、お母さんの容態がよくないと……」

 

高速道路ですれちがう車の音が、やけに大きく聴こえた。

 

「言い合いは些細なことでした。今思えば、本当に些細な……。昔、お母さんの大事な手鏡を割ってしまったことがあったんです。その時にお母さんが、『あなたより大切なものなんてない』って言ってくれて。でも最近の学校生活でのことを聞かれて、カッとなってしまった私は、『あの言葉は嘘だったのか』って言ってしまったんです」

 

「……」

 

「今でも分からないんです……お母さんの容態が安定していないのに、自分は外へ行ってる場合なのかって。本当は今も、ずっとお母さんのそばにいてあげるべきなんじゃないかって……私は、一体どうすれば……」

 

私は声を震えるのを抑えるために、俯いた。溢れそうになる何かを、必死に出ないようにする。

少しの沈黙が流れた後、口を開いたのはワンピースの女性だった。

 

「────そんなこと、誰も知りませんわ」

 

女性は冷たい声でハッキリと言う。

私は女性を見上げると、彼女は本を閉じていた。

 

(わたくし)は説教者ではないので、『今すぐ母親に会いに行け』なんて言うつもりもありませんし、そのような資格もありません。会ったばかりの貴女を『可哀想だ』と想う気持ちも、今の私に抱く暇はありません」

 

「っ……」

 

誰にも頼らないと思っていた手前、こう思ってしまうのは身勝手だが、冷たい人だと思った。

しかし女性は、「ですが」と言葉を続けた。

 

「何が正しいか、何が悪いのか、答えなんてないんです。たとえ世間が決める答えがあって、それが自分の意に反するものだったとして、貴女はそれに従いますか?そんなもの、あったってなくたって、生きていくしかないんです。目の前の出来事に流されるか、立ち止まるか……そんなの、誰だって分かりません」

 

「……」

 

「自分が今最大限にできることが正しいと思うのであれば、周囲のものはなんだって利用すればいい。私たちのことだって、貴女が時間を急ぐためなら、足にでも何でも利用すればいいだけの話です」

 

淡々と、ワンピースの女性は話し続ける。私は彼女の瞳が、ほんの少しだけ揺らいだように見えた。

 

「親を亡くした者からのアドバイスがあるとすれば、そのくらいです。この世界に、『()()』などという言葉は存在しない……」

 

彼女の言葉に私は驚く。

女性は腕を組み、

 

「────少し話しすぎました。あまり眠れてないのです、少しだけお休みをいただきます」

 

それっきり、彼女は何も話さなくなってしまった。よく見ると、化粧で隠してはいるが、彼女の目にはうっすらと隈ができていた。

 

私も黙ることにし、外の景色を眺める。

彼女に言われた言葉が、ずっと頭から離れなかった。

 

 

 

 

 

 

ロスカンヴェル半島

ポワント デ エスパーニョール付近

 

「こ、この辺りです。ありがとうございます」

 

私がそう言うと、車は草むらが囲む荒道の上で停まった。周囲に人影は全く見えなかった。

するとメイドの女性がこちらに振り向く。

 

「シャルロット様、帰りもお送りいたします」

 

「え、いいんですか!?」

 

「いずれにせよ、我々も帰り道は同じです。この長い道のりを、シャルロット様お一人では危険ですし、ここで置いていっては我々も無礼に値します」

 

「そ、そんな……行きしだけでも本当にありがたいですよ」

 

メイドの女性はにっこりと静かに笑う。

 

「しばらくここでお待ちしていますので、シャルロット様はご用件をお済ませください。お嬢様も出られますか?」

 

すると小さな声で、ワンピースの女性が呟いた。

 

「いえ……私は、ここで休みます」

 

「そうですか。ですがせっかく海沿いまで来ましたので、窓は開けさせていただきますね」

 

「……ええ」

 

ワンピースの女性が眠たげに答える。

 

「ほ、本当にありがとうございます!じゃあ、少しだけ行ってきます」

 

「ごゆっくり」

 

メイドの女性が微笑む。

私は車を出て、目的の場所へと走っていった。

 

 

 

 

 

半年以上ぶりに来た花畑は、全く何も変わっていなかった。

なだらかな坂になった花畑の向こうには海があり、その向こうにはさっきまでいたブレストの街がある。

 

誰からも見捨てられた、どこまでも孤独な場所。無限に続く水平線。

白く美しい花々で覆われたこの場所を、幼い頃から私は、空に一番近い場所だと思うようになっていた。

この白い花々と一緒なら、空も、遠い世界も、宇宙だって飛べるのだ。

誰も見向きもしないような場所でも、私とお母さんはここに魅入られていた。

 

 

私は中古品のビデオカメラを構え、花畑と海を画面におさめる。

 

そして、すぅっと息を吸った────。

 

 

 

 

 

 

ブルターニュ地方 ブレスト

総合病院付近

 

近くに病院が見える坂道の入口で、私は車を停めてもらった。

 

「あの、本当にありがとうございました!!あなたたちは……私の恩人です」

 

車内で何度も頭を下げる。

窓にはポツポツと水滴が落ちてきていた。

 

「雨……海沿いは天気が変わりやすいんですね。シャルロット様、お身体を壊さないよう」

 

メイドの女性が笑って挨拶をしてくれる。ワンピースの女性は何も言わなかったが、ここまで気遣ってくれたことを私はとても嬉しく感じていたため、再び彼女にお礼を言って車を出た。

車を出て病院へ向かおうとした、その時。

 

「お待ちなさい」

 

ワンピースの女性から呼び止められた。

何だろうと思い振り返ると、彼女は窓越しから何かを手渡してきた。

 

「これ……」

 

それは私が先ほど渡した貯金箱だった。

 

「そ、そんな……十分ではないですが、これはビデオカメラのお金です。せめて受け取ってもらえませんか?」

 

しかしワンピースの女性は力強く私に貯金箱を突きつけ、私は慌てて受け止めた。

 

「────それは貴女が持っているべきです」

 

女性は静かに、しかし力強く私に言った。

 

「今はご自身と、ご自身の身の回りのことだけを考えなさい。それでも貴女の気が収まらず、私にお礼をしたいと言うのであれば、私を見つけて会いにいらっしゃい。その時は、受け取るかどうかまた考えて差し上げますわ」

 

ワンピースの女性は再びハット帽を深く被り、顔を隠した。どこまでも謎めいた人だった。

 

「シャルロット様、どうかご武運を」

 

メイドの女性がそう言うと、車はゆっくりと病院とは反対の方向へと走り去っていった。私は車が見えなくなるまで、彼女たちに頭を下げた。

 

やがて雨もだんだんと強まっていき、私は急いで病院へと駆け抜けた。

 

 

 

 

 

 

受付でプロジェクターを貸し出してもらった私は、小走りで病室へと向かう。

病室に入ると、お母さんは寝込んだまま、窓の外を見ていた。

私はお母さんのそばに行く。

 

「お母さん、私だよ」

 

「シャルロット……」

 

呼吸器でくぐもった小さな声。

弱り切ったお母さんに、私は元気になってもらえるよう明るく話しかける。

 

「あのね、お母さんに見てほしいものがあるんだ。用意するから、少しだけ待ってて」

 

私は少しばかり濡れてしまったリュックを置き、ビデオカメラを取り出す。

机を動かしてプロジェクターを置き、ビデオカメラとケーブルで繋いで、部屋の電気を暗くした。

 

「お母さん、目の前の壁見られる?」

 

私がお母さんに囁くと、お母さんはゆっくりと視線を移した。

それを確認すると、私はプロジェクターの電源を着けて、壁に映像を投影した。

壁に映し出されたのは、私とお母さんのお気に入りの白い花畑だった。お母さんはそれを見て、目を丸くした。

 

「さっきね、撮ってきたんだ。お母さんにどうしても見せたかったから」

 

しばらくすると、映像とともに歌声が流れてきた。

お母さんが幼い頃からよく歌ってくれた曲を、私がビデオカメラを持ちながら歌っていたのだ。

私はちょっぴり恥ずかしく思いつつも、お母さんをチラリと見やる。

 

お母さんの目から、一筋の涙が静かに流れていた。

 

「ありがとう、シャルロット……」

 

私は、こみ上げてくる涙を必死におさえ、笑う。

お母さんは、静かに呟いた。

 

「綺麗ね……」

 

お母さんの見つめる花畑を、私も眺め続ける。

 

病室のなかで歌声が響くなか、私の横で、ちいさなしゃっくりのような声が聞こえた。

 

振り返ると、お母さんはじっと花畑を見つめたままだった。

 

「……お母さん?」

 

反応がない。瞳も全く動いていなかった。

 

「お母さん、お母さん!?」

 

私は慌ててナースコールボタンを押す。30秒ほどで、看護師さんたちが慌てて入ってきて、お母さんに声をかけ続け、処置を施していった。

 

 

 

 

 

 

間もなくして、お母さんは息を引き取った。

 

心電図の波が線に変わっていく中で、私はその様子を見ていることしかできなかった。

 

 

 

 

 

 

一人になってしまった私に、一人で全てをできるほどの力はなかった。

かつてお母さんを病院まで送ってくれたご近所さんに事情を話し、葬儀は私とご近所さんだけの簡単なものにした。何もわからなかった私に、ご近所さんは色々手を差し伸べて協力してくれた。

アルバイトでこれから返済しようと思いながら、受付でこれまでかかった入院費のことを聞こうとすると、

 

「これまでの治療費・入院費は全てお支払いいただいています」

 

と答えられた。

 

「え……?そんな、長期でしたし、正直お母さん一人だけでは支払えないような金額だったと思います!いったい誰が……?」

 

私がそう聞くと、受付の人は困ったような顔をして答えた。

 

「それは、()()()()から口止めされておりますので……」

 

そう言ったきり、お金に関する質問は受け付けてもらえなかった。

病院の人たちにもお礼を言い、私は病院を後にした。

 

 

お母さんが亡くなって一週間が経った頃。

私は埃の溜まっていたリビングなどを掃除していた。

そして、そういえば最近郵便ポストの中を全く見ていなかったことに気づき、私は外に出た。

ポストの蓋を開けると、いくつかの広告や新聞が入っているなか、一通の手紙が出てきた。

手紙を手に取ると、それは「シャルロットへ」と書かれた封筒だった。お母さんの文字だと、ひと目で分かった。

急いで家の中に入り、封を開ける。

 

====================

親愛なるシャルロット

 

驚いたかしら。

この手紙を貴女が読んだとき、お母さんが生きているかどうかは分からないけれど……。

貴女に謝りたいことがあって、この手紙を綴っています。

お母さんはきっともう、長くは生きられないから。

 

昨日、お母さんが貴女に学校のことを聞いて怒らせてしまった時。

あの後、ひどく自分を責めたわ。どうして私はあの子の話をしっかり聞いてあげなかったんだろうって。

本当にごめんなさい。

貴女には貴女の伝えたいことがあるはずなのに、お母さんはそれを聞いてあげられなかった。

貴女は学校で忙しいなか、毎日お母さんの様子を見にきてくれて、着替えや果物も持ってきてくれて、自分の生活も一人で頑張っていたのに。

娘のことを何も見てあげられなくて、ひどい母親で、本当にごめんなさい。

 

でも、どうしても伝えたいことがあるの。

生まれた時から、貴女のことを何よりも大切に想っているのは本心よ。

貴女を胸に抱きかかえた時、なんて可愛い娘なんだろうって思った。命をかけて、貴女を守ると誓ったわ。

それなのに、不甲斐ない私の身体のせいで、お母さんはもうすぐ人生が終わってしまう……。

 

でも、忘れないでほしい。

貴女に渡したお守りに、お母さんの心は宿っている。お母さんだけじゃない、貴女のご先祖様たちの心も……。

お母さんは、いつでも貴女のそばにいるから。

 

愛してるわ、シャルロット。

 

お母さんより

====================

 

「ごめんね……お母さん……大嫌いなんて言って、本当にごめん……!」

 

涙が止まらなかった。私は手紙を胸に抱え、その場でうずくまる。

溢れ出す涙の粒が、リビングの床に落ちていく。

 

「お母さんのこと、大好き……!うっ……ひっく……!」

 

誰もいない家の中で、私は声を上げて泣いた。

 

 

 

 

 

 

数日後。

お母さんの手紙の入った封筒の中に、もう一枚の小さな紙が入っていることに今更気づく。

 

====================

p.s.

今まで黙っていたけれど、貴女には父親がいます。

お母さんから連絡して、貴女が何不自由なく暮らせるよう約束させました。

お母さんがこの世を去った時、きっと迎えがくるはずです。

 

黙っていてごめんなさい。

強く生きてね、シャルロット。

====================

 

「おとう、さん……?」

 

学校では聞いていた、言葉だけの遠い存在。

お母さんの文章に疑問を感じていると、突然インターホンが鳴った。

玄関を開けて出てきたのは、スーツ姿の男性だった。

 

「シャルロットさんでございますか?」

 

静かい言う男性の声に、ゆっくりと頷く。

 

「そう、ですけど……」

 

「私、デュノア社に勤めている者です。この度のお母様のこと、お悔やみ申し上げます」

 

男性は頭を下げた後、再び話し始めた。

 

「お母様からお話は伺っておりますか?」

 

「もしかして……迎えがくるとか」

 

「左様でございます。貴女の父上様よりお迎えに上がるよう任じられております」

 

知らないところで話の進んでいる状況のなか、私は戸惑いを隠せなかった。

 

「急、ですね……」

 

しかし男性は急かすことなく、頭を下げた。

 

「申し訳ございません。こちらとて、今すぐお連れするような無礼な真似はいたしません。三時間後、またここへ参ります。それまで、準備など諸々お済ませいただくようお願いいたします」

 

男性は車に戻り、またどこかへと行ってしまった。

「デュノア」とは、フランスでは誰もが知るような名前だった。

 

 

 

 

 

 

まるで他の人間から隠されるように高層ビルの最上階に連れてこられた私は、そこである人物と出会った。

その人物はアルベール・デュノアと名乗った。私の実父らしい。その後ろでは妻と名乗る女性が冷たい目をして立っていた。

聞けば、私のお母さんは彼にとって愛人だったらしく、後ろで立っている女性が正妻だという話らしい。

そんな彼に、私は心の底で沸々と怒りがこみ上げていた。私のお母さんが苦しんでいる間、一度も顔を見にこなかった人間が父親を名乗る?そんな馬鹿な話があってたまるものか。

私が彼に怒鳴ると、彼はなぜか悔しそうに肩を震わせ、黙っていた。しかしそれを聞いた後ろの女性が突然私を引っ叩き、「泥棒猫」と言い放った。

彼と話した時間はものの十分ほどであり、それ以降、私は彼の姿を見かけることはほとんどなくなった。

たまに遠くで見かけても会話はしない。正妻と名乗る女性には冷たい視線を向けられる。

 

シャルロット・デュノアとなってから、私は孤独な生活を送っていた。

 

 

 

 

それからしばらくして、様々な検査を受けていく過程で、私はIS適性が高いことが判明した。

非公式ではあったが、テストパイロットの試験も受けた。父に会ったのはそれが二回目で、結局出会ってから話した時間は一時間にも満たなかった。

 

やがて、デュノア社は経営危機に陥った。

量産機のISシェアが世界第三位とはいえ、結局リヴァイヴは第二世代型だった。

第三世代型の開発の着手が主流になり始めているなかで、デュノア社は完全に他国から遅れをとっていた。

このまま進歩が見られない状況が続けば、デュノア社のIS開発許可が剥奪される……政府からそんな警告が届くさなか、世界中を震撼させるニュースが届いた。

 

()()()()()()I()S()()()()が見つかった』

 

それは日本で見つかったといい、私と同い年の男の子だった。

男の子は、あのブリュンヒルデ・織斑千冬の弟であることも報じられた。かつてあの病室の画面の中で姿を消した女性の弟。

 

その報道に目をつけた父親は、突拍子もないような計画を秘密裏に動かせた。

()()()()()()()()()I()S()()()()を仕立て上げる』。

普通に考えれば、まともな計画ではないことが誰でも分かった。

それでも父親は計画を強行し、私に広告塔になるよう命じた。

ここで会社的に幸いとなったのは、私のテストパイロットは非公式で行われていたということだ。

フランス政府にも女性としての私の存在は通達されておらず、私はすぐさま男性の仕草・知識・格好を学ばさせられた。社内の人間が言うには、私の顔立ちは中性的で都合が良いらしい。お母さんからもらった大事な顔を傷つけられた気がして、私は社員たちを憎んだ。

 

同じ男性なら、世界初の男性IS操縦者に接触しやすい。

そして、その男性データを盗用してこいと。

私はスパイとしての任務を負わされた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして数週間後。

何度も読み返したお母さんの手紙を、出国前にもう一度読んでいた時、社員の人間からそろそろ出発するよう言い渡された。

手紙をポケットにしまい、首にかかったお守りを握りしめる。

 

『お母さんは、いつでも貴女のそばにいるから────』

 

生前、お母さんが言ってくれた言葉を胸に抱え、()は空港へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 




約200年前
実験棟

固く閉ざされた数々の病室から響いてくる呻き声の中、私はいつも行く奥の部屋へと足を運ぶ。薬品の棚を五つ通り過ぎ、そこから床の傷を三つ跨げば、彼女のいる部屋へと辿り着く。
彼女はあの部屋にいるだろうか。
此処へ来る時は、そんなことをいつも考えてしまう。ある日突然、この部屋から姿を消してしまうんじゃないかと、いつも不安になる。『彼女が外へ出れるはずもないというのに』──── 一瞬でもそんな言葉が頭に浮かんでしまった自分に、ひどく嫌悪感を覚えた。

目的の病室の前に辿り着いた私は、扉をノックしようと手を伸ばしたところで、動きを止めてしまった。
もし、本当に彼女がいなかったら……?
この閉鎖された暗い棟の中で、私に光を照らしてくれるのは、もう彼女だけなのだ。
彼女が私の前から姿を消した時、私はどうすればいい?こんなことを言うこと自体烏滸がましいことであるとは分かっているが、しかし私には……。

深く息を吐き、私はいつもする、彼女とのお決まりの合図をした。
ノックを長くニ回……短く三回……。
私は耳を澄まし、反応を待つ。

しかし、返ってきたのは静寂だけで、私の心は不穏にざわつき始める。
やはり彼女はいないのだろうか?いや、今此処で考え込んでしまったところで、何も変わらない。
私は取っ手を握り、ゆっくりと扉を開ける。軋んだ音が、建物の中で響き渡る。

扉を開けて、私は目の前の光景にホッと胸を撫で下ろした。彼女は、いつものように椅子に座っていた。しかし、此方に気づいた様子はない。
何となく不安になった私は声をかけてみる。

「やあ」

すると、彼女が此方を見た。

「マリアさま?」

「夢でも見ていたのか?」

「ふふ、そうみたい」

私は部屋に余った椅子を引き寄せ、彼女の前で座る。

「身体の具合は?」

「ええ、変わりなく。マリアさまがいつもお話してくださるおかげかしら」

「そうか……」

彼女の微笑みに、私はホッとした。彼女の存在が私にとってどれだけ大きなものなのか……そういうことを、私は彼女とこうして同じ空間を共有する時にいつも思う。

「マリアさま、今日はどんなお話をしてくれるのですか?」

彼女の問いかけで思い出した私は、今日の本題に入る。

「そうだな……君は、花が好きか?」

「ええ。綺麗な色をした、小さくて可愛らしい……よく覚えています」

「たくさんの花を眺められる、とっておきの場所があるんだ。これを君にあげよう」

私は胸にしまっていた小さな鍵を取り出し、彼女の手を取って、それを優しく握らせる。

「まぁ、素敵。これはどこの鍵なのですか?」

「此処からすぐ近くの所だ。君が此処から出れるくらい身体が良くなれば、一緒に行こう」

私が微笑むと、彼女も微笑んだ。そんな小さなことに、私は溢れんばかりの幸せを感じた。彼女が微笑み、返事をする。

「それならその時には、この降り続ける雨も止むといいですわね」

「雨?雨なんて降っていないさ」

「あら、ではこの雨漏りも、きっと気のせいなのね。ふふ、私ったら、まだ夢の中にいるみたい」

『身体の具合は変わりない』──── 彼女はそう言ったが、言い換えればそれは、『良くもなっていない』ということだ。私から見ても、彼女の身体は見るからに日に日に痩せ細っている。
彼女はこうして明るく話してくれるが、その一方で苦しんでいる時間もあるのだろうと考えると、私は心を痛めずにはいられなかった。

愛する彼女を失いたくない。彼女をこんな目に合わせてしまったのは私のせいなのに、そんな我儘をいつも思ってしまう。
目の前の彼女に償うためには、私はどうすれば良いのだろうか────。

あることを思いついた私は、椅子から立ち上がる。
そして彼女の前で片膝をつき、手のひらを差し出した。

「────私と踊らないか?」

すると彼女は、不思議な笑みを見せた。

「まぁ、いきなりどうされたの?」

「ずっと座っていては、治るものも治らない。どうだ?私と一曲、踊ってみないか」

「ですが、此処には楽器なんて無いですわ。それに私、目が見えませんもの」

「大丈夫だ。私が手を取ってリードする。私も、君がゆっくり合わせられるよう歌おう」

「まぁ、マリアさまのお歌が聴けるの?ふふ、素敵ね」

彼女の優しい微笑みが、暗い病室に広がる。一本の蝋燭に火をつけ、机に置いた私は、改めて彼女に笑顔で問いかけた。

「私と一曲、踊ってもらえないか。ミ・レディ」

私の手のひらに、彼女が優しくその手を重ねる。

「喜んで」







彼女の肩に手を回し、もう片方の手を握って、私と彼女はゆっくりと踊る。私と彼女の足音が、病室の中で反響する。

「そう……1、2、……ふふ、上手いじゃないか」

「私、上手く踊れてるかしら?」

「ああ。君がパートナーで良かった」

「マリアさま……知らない間に、また少し背が伸びたのかしら。マリアさまの手も、大きくて温かいわ」

「私はいつもと変わらないよ」

「ふふふ」

彼女が上機嫌になったところで、私も合わせて歌を口ずさんでみる。

......You'll never know......just how much I miss you......

1、2、1、2。

リズムに合わせて、私たちはゆっくりと回る。

......You'll never know......just how much I care......

1、2、1、2。

私の歌声に、彼女も微笑んでくれる。彼女も慣れてきたのか、足での音の取り方も上手くなってきた。

......You went away......

「ふふ、私、まだ夢の中なのかしら。マリアさまと、こうして踊っているなんて」

......and my heart went with you......

「夢でも構わないさ」

......I speak your name......

 1、2、1、2。

......in my every prayer......

「夢でなら、必ず君と逢えるのだから」

気づけば、蝋燭の長さも短くなっていた。あと少しで、この時間もやがて闇を迎える。しかし、私と彼女のこの幸せに、そんなことは関係などなかった。

「私、幸せよ。マリアさま」

彼女が、私の胸の中でそう囁いた。

「ああ」

溢れ出るこの感情を、私は歌声にし続ける。

「私もだ」

蝋燭の灯りが、暗闇の中の私たちを温かく照らしていた。









































『……ュ縺ソ霎シ繧薙□蝣エ蜷医逋コ逕溘縺セ縺吶……』


ああ。


願うならば。


私の願いが、叶うならば。


最後に、マリアさまの歌声を聴きたかった……。





├─────────┤

二年前
ロスカンヴェル半島 車内


眠っていた(わたくし)の耳に、窓の外……どこからか歌声が聴こえてきた。


うっすらと目を開くと、チェルシーが遠くの方を見つめて、静かに呟いた。


「綺麗な歌声……」


その歌声に感動しているのか、チェルシーは感嘆の吐息を洩らしていた。


私も、心地よいその歌声に、久々にゆっくりと眠れる気がした。


本当に、美しい歌声……────


├─────────┤

『露台の鍵』

実験棟一階、露台の扉の鍵。

時計塔のマリアが、患者アデラインに渡したもの。
せめて外気と花の香が、彼女の癒しとなるように。


だが彼女は、それを理解できなかった。

├─────────┤
Reference:
Warren, H. (1943). You’ll Never Know [Recorded by V. Lynn].
On Golden Voices (Remastered) [CD]. Stockholm, Sweden:
X5 Music Group. (2010)


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