艦隊これくしょん 横須賀鎮守府の話 特別編短編集 (しゅーがく)
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特別編企画 第1回目 『結婚』
おめでとう! これで結婚ねっ! その1


※他の特別編企画とは関連はありません。


 エアコンをガンガンにつけた状態で、毛布に丸々ことってこれ以上ない至福だと俺は思うんだ。

そんな至福を味わっていた俺の毛布を剥ぎ取る輩が居た。

 

「おいっ! 急に剥がすなっ……って……?」

 

 起きた俺の目の前に居たのは、ある紙を握り締めた艦娘数人。

その紙があまりに特徴的だったので、目を凝らして見ると、それには『婚姻届』と書かれていた。

 そして俺の今置かれている状況が掴めない。

そんな俺を無視して、俺の目の前に居た艦娘数人のうちの1人。赤城が何かを話し始めた。

 

「『艦隊これくしょん 提督を探しに来た姉の話』特別編っ! おめでとうっ! これで結婚ねっ!」

 

「はい?」

 

 ドンドンパフパフ言わせている中、俺だけが状況を掴めていない。

 

「いやぁ~。そんなわけだからさ、紅提督ぅ?」

 

 そんな訳が分からない俺に、ずいずいとにじり寄ってくる艦娘。

その手には、かなり記入が済んでいる婚姻届がある。そして、何故か俺の名前まで入れられていた。夫の欄に。

あとは、俺が持っている印を押すだけみたいだ。

 ちなみににじり寄ってきている艦娘は全員で6人。

 

「早く」

 

「印を」

 

「寄越しなさいっ!」

 

「出さないのなら」

 

「力づくで、かも!」

 

 じわじわと前線が押し上げられている俺は、壁際まで迫られていた。

誰に迫られているかというと、赤城と金剛。鈴谷、秋津洲、夕立。ちなみに時雨の声もしているので、何処かに居るんだろう。

その何処かが、俺がもっと早くに気付いていれば良かったのだ。

 

「あったよ。紅提督の印鑑」

 

「何っ?!」

 

 俺の目と鼻の先までにじり寄ってきていた5人が光の如く消え、時雨がいるであろうところに群がる。

そして、俺がベッドから降りて確認するころには、時既に遅し。

ドヤ顔で皆が婚姻届を見せつけてくるのだ。

 

「え”っ?」

 

「え? じゃないですよ。さっき言ったじゃないですか」

 

 そう言って、赤城はプラ板で出来た看板を俺に見せてきた。

 

「『艦隊これくしょん 提督を探しに来た姉の話』特別編っ! おめでとうっ! これで結婚ねっ!」

 

「はい?」

 

「いや、ですから……」

 

 呆れたような素振りを見せて、赤城は言う。

 

「そういうことですよ、旦那様?」

 

「はいぃぃぃいいいいぃぃぃぃ?!」

 

 朝一番で俺の絶叫が鎮守府でこだました。

 

ーーーーー

 

ーーー

 

 

 俺はそのまま6人にひっつかれながら食堂に行くんだが、通る艦娘の目が痛いの何の。

というか何で皆、泣きそうな顔しているんだ?

 

「んふふ~。紅ぅ? 美少女6人に囲まれて幸せでしょ?」

 

「そうよね?」

 

「僕もそう思う」

 

 俺の両手を自分の身体に巻き付けて言う鈴谷に、背中から身体を密着させてくる夕立と時雨。

なんというか、動きづらい。ちなみに、赤城は右側の脇腹、金剛はその反対側だ。はたから見たら、もしかしたら合体ロボかなんかに見えているだろうな、とか現実逃避しながら食堂に入る。

 皆、俺を見る視線がなんとも言い難い。痛いんだけど。

 

「まぁまぁ、旦那様は何にしますか?」

 

 そう言いながら、脇腹から離れない赤城に今更だがツッコミを入れる。

 

「なぁ、今思ったんだけどさ」

 

「はい」

 

「何で俺? は? つか『艦隊これくしょん 提督を探しに来た姉の話』ってなんだよ」

 

「えーと……ですね…………前作『艦隊これくしょん 艦娘たちに呼ばれた提督の話』の続編で、旦那様のお姉様が旦那様を探しに来るという話ですけど?」

 

「いや、知らないし。というか、遠い記憶に『艦隊これくしょん 艦娘たちに呼び出された提督の話』っていう題名があるんだが」

 

「あぁ、それはお気に入り登録者1000人突破記念の時ですね。それ以来、どこぞの異世界のハーレム金剛さんが云々って話や年末年始、バレンタインデーとホワイトデーの話でしたからね」

 

「うん? 待った」

 

 俺はカウンターで注文を言って、そのまま席に座って赤城に止めを入れる。

 

「待ちませんよ。それと、今は私たちの旦那様なんですから」

 

「脈絡がおかしい上に、訳わからん」

 

 そう言いながら俺は、取り囲まれた席から辺りに助けを呼べそうな艦娘を探す。

そうすると大井が居た。なんだか誰かを探しているみたいだが、俺は構わず声を掛ける。助けてもらった後に、一緒に探せばいいからな。

 

「おーい、大井!」

 

 そう俺が呼ぶと、大井は慌てながら小走りで来てくれた。

なんだか俺の記憶にある大井って、もうちょっと落ち着きのある艦娘だと思ってたんだが。

 

「あー、ありがとう。大井。それでだな。ちょっと赤城たちを引き剥がして」

 

 言い切る前に、大井に遮られた。とんでもない言葉で。

 

「探しましたよ、紅さん! はいっ! サインと印鑑お願いしますっ! コレにサインと印鑑押してくださるのなら、私は全力で助けてあげますよ?」

 

 この全く状況の掴めないところで、俺は何も言わずに大井から紙を受け取って、赤城たちの妨害を受けながらもなんとかサインと印鑑を押すことに成功。

その紙を渡す間際に、俺は見ちゃいけないものを見てしまった。否。気付かない方が幸せだったのかもしれない。

 

「んふふ~! 来ましたわー!! コレでっ! 私はっ! “結婚”っ!!」

 

 状況を全く掴めず、置いていかれてばかりの俺の目の前、もう訳が分からなかった。

完全に思考を放棄した方が良いのかもしれないとさえ、思ってしまう程だった。

 刻々と目の前に起きる状況は、時が過ぎていく程に酷くなっていくことにも、今更ながら気付いた。

 

「ということで、さぁ! あなた、こっちに」

 

 手を差し出され、反射的に手を取ると、そのままその場から引っこ抜かれた。まるで人参の様に。

そして、そんな人参の目の前ではとんでもない事が起きていたのだ。

 

「私の旦那様になしているんですか?」

 

「あら、私のよ?」

 

 辺りが光に包まれて晴れたかと思うと、そこには艤装を身に纏った大井と赤城が居た。

そして、さっきまで俺の横に居た金剛、鈴谷、秋津洲、夕立、時雨も艤装を身に纏っている。場所は食堂。

もう滅茶苦茶だ。

 

「違いマース。”私”のダーリンデース」

 

「おい、金剛。いつぞやの金剛に戻ってるぞ」

 

 俺の声も聞こえてない、完全に目のハイライトが消えた金剛が大井を睨んでいた。

 

「いんや~、鈴谷のだよー?」

 

 ニヤニヤしながら鈴谷は言うが、どうしてニヤニヤ出来るのか俺には分からない。

 

「大艇ちゃんの桜花の攻撃、喰らいたいかも? 金剛さんと鈴谷さんは無理でも他なら、40mmでも余裕で貫通するもんね」

 

 多分、効果ないと思う。意味ないぞ、秋津洲。

 

「最近出てきただけの、クレイジーサ○コレ○が何言ってるの? それに、君たちじゃ、”僕”の夫は守れないからね。駆逐艦に守れないものはないからね」

 

 なんだか時雨がこれまでに見たことないオーラを発している。そして、いつの間に改二になったんだろうか。

 

「”私”のなんだけど……皆、何好き勝手言ってくれるのかしら? 遠方から単艦で帰ってこれるくらいに、屈強な艦娘じゃないとそれこそ、”私の”主人は守れないわ」

 

 夕立は怒髪天を衝いていたので、俺は目を逸らした。触れない方が良いと思う。

 

「そもそも、貴女たちでは旦那様をまn(自主規制)」

 

 放送禁止用語が大量に出てきたので、少し本文では消させてもらったが(※急なメタ発言)、ここからは皆さんに見せられない。あれ、俺何を言って……。

 

ーーーーー

 

ーーー

 

 

 その後、俺を中心に艦娘7人によるバトルが始まってしまった。

言っていて恥ずかしいが、何も気付かない俺のせいでこうなってしまったのだ。

今は少し距離を置いて傍観しているだけだが、これまでに聞いたこともないような怒号が飛び交い、ザ・女同士の喧嘩みたいになっている。

 指揮官の立場としては、あれの仲裁をしなければならないんだろうが、元凶は俺なのでそんなことは出来ない。俺に飛び火が来ることは確実だったからだ。

 そんな俺にどこから来たのか、加賀が話しかけてきた。

 

「提督」

 

「おはよう、加賀」

 

「おはようございます」

 

 隣の席に座った加賀は、俺と同じ方向を向いてバトルを傍観する。

てっきり加賀なら止めに入ると思ったんだが、どうやら止めないみたいだ。

 

「やってますね」

 

「あぁ。……俺は今、とてつもなく胃薬が欲しい」

 

「そうですか」

 

 淡々と話す加賀に、俺は少しばかり愚痴を溢した。

これくらいいいだろう、そう思ってのことだ。だが、この発言が火に油を注ぐことになるとは思わなかった。

 

「何故ですか?」

 

「状況が掴めてない上に、俺って……いいや、言っても仕方ない。それよりも、まだ練度は99に到達してないだろう?」

 

「してますよ? この前の出撃で全員の練度が99になりました。それと『番犬艦隊』と秋津洲さんはそもそも出撃出来ませんので、政府に掛けあって戸籍を作りました。勿論、私たちもですが」

 

 そう言って加賀はあるものを俺に見せてきた。

戸籍抄本と書かれたその紙に、加賀の顔写真が貼られている。姓名もあるみたいだが、加賀に隠されてしまった。だが、戸籍抄本によれば住民票は横須賀鎮守府に置いてあり、軍属ということになっている。年齢は20みたいだ。

 

「は?」

 

「だからケッコンではなく結婚なんですよ。まぁ、皆さんが戸籍を作ったのは全て、紅さんと結婚するためですし」

 

 今更気付いたが、加賀も俺のことを『提督』とは呼ばずに名前で呼んでいた。

 

「え? いや……いつの間に?」

 

「結構前から掛けあっていましたので、どこでとは言えませんね。ですけど、戸籍抄本が届いたのはつい昨日のことです。あとコレも」

 

 加賀が長い袖から出して俺に見せたものは、何というか始めてみたものだ。

俺はマジマジと見て、それの題名を読み上げる。

 

「雑誌か? ゼ○シィ? あー……」

 

 完全に寝耳に水だ。俺はすぐに加賀から離れ、立ち上がる。

 

「ちょっと悪い。急用思い出した! じゃあ!!」

 

 加賀の返事も聞かずにそのまま俺は走る。そんな俺をバトルしている7人を除いた艦娘たちが、待ってましたと言わんばかりに動き出した。

 動き出した艦娘を見て、俺は走る速度を上げて食堂を飛び出していく。

後ろからは追いかけてくる足音が何人とあった。だが、俺は立ち止まらない。何というか怖いのだ。

 

ーーーーー

 

ーーー

 

 

 本部棟を逃げ回り、外に出た俺はそのまま警備棟に走り込んだ。

勿論、匿って貰うためだ。すぐにロビーを通り過ぎて、門兵に挨拶をするとそのまま階段を駆け上がって、武下の居る部屋に飛び込んだ。

 

「急にすみません! 匿って下さい!」

 

「うおっ?! 急にどうしたんですか?」

 

 飛び込んできた俺に驚いた武下さんは、座っていた椅子から立ち上がって、俺の方に来る。

 

「なんだか艦娘がおかしくて……戸籍だとか結婚だとか言って……」

 

 そう言うと、武下さんは何かを察したみたいだった。

肩で息をする俺の肩に手を置いた武下さんは、俺にあることを教えてくれた。

 

「その騒ぎ、私たちも加担してます。すみません。こんな大事になるとは……」

 

「どういう、意味、ですか?」

 

 息が戻らない俺は、途切れ途切れに訊く。

 

「部下が艦娘から戸籍に関して相談されたらしいんです。それを聞いて私たちは、紅提督に知らせること無く動き出してしまい、このようなことに……」

 

 俺のことを『紅提督』と呼ぶのにも違和感がある。だが、そんなことよりも動いてしまったことと、結果を想像出来なかったことを申し訳なさそうに話す武下を見ていると、怒る気にもなれなかった。

 

「そうですか。……分かりました。ですが、匿ってもらいますよ?」

 

「はい」

 

 武下さんはそう言って、廊下に居た門兵を呼んであれやこれやと言って、部屋に戻ってきました。

 

「いつまで持つか分かりませんが、とりあえずは休んでいて下さい」

 

 そう笑った武下さんの背後にあったものに、俺は目が離れる訳がなかった。

何故ならそこにはゼ○シィの名前が大きく書かれていたダンボールがあったからだ。

 

(武下さんもグルかっ?!)

 

 俺は心の中で叫んだのであった。

 

 




 今回より始めました、短編集を書かせていただいています。しゅーがくと申します。あらすじ(という名の別物)を読んだ方はご理解していただけていると思いますが、作中に特別編を出すと大変読みにくいということで、こういう形を今回から取らせていただきました。

 しょっぱなから飛ばしてるなぁ、って思った方々。これは前々よりお知らせしていたので、仕方のないことです! 許してください!!

 ということで、今後ともよろしくお願いいたします。

 ご意見ご感想お待ちしています。


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おめでとう! これで結婚ねっ! その2

※他の特別編企画とは関連はありません。


 

 武下に匿って貰うことにはなったものの、やはり時間がものを云う。

警備棟の外は騒がしくなっていたのだ。

窓から少しだけ外を見下ろすと、入り口付近には艦娘が集まっており、なんだか門兵と口論をしているようだった。

 内容は聞き取れないが、門兵の表情は見て取れる。

非常に困っているのだ。

 

「あー、もう嗅ぎ付かれましたか。残念ですが提督、すぐに逃げた方がいいと思いますよ?」

 

 そう武下は俺に言った。

その通りかもしれないと、俺は立ち上がった膝を払う。

 

「そうかも知れませんね。匿って頂いてありがとうございます」

 

「いえいえ」

 

 そう言った武下は俺にあることを忠告してきた。

 

「ですが提督。注意して下さい。逃げきれるとは思わない方が良いです」

 

「え? どういう意味で……」

 

 言いかけた刹那、扉が開かれた。そちらに驚いて俺が目線を向けると、そこには見慣れた人物が居た。

 

「ヘーイ、提督ぅー。何で逃げるノ?」

 

 目から光が消えれている金剛が居たのだ。そして、その片手には『婚姻届』が握られていた。

 

「何でって……」

 

 俺は後ずさる。今気付いたが、開いている窓からエンジン音が聞こえるのだ。聞き慣れたエンジン音。艦載機だ。多分、彩雲だろう。

 

「わ、訳分からないだろうが! いきなり複数人に言い寄られて!」

 

 俺は少し凄んで言ってみる。

 

「しかも婚姻届に勝手に印をするし、複数人用意しているし! 第一、重婚したら捕まるんだが?! 俺が?!」

 

 そう言っては見るが、どうなんだろうか。

金剛に加わっていた鈴谷が答えた。

 

「そんなことさせないし。第一、法律なんかココじゃ意味ないじゃん?」

 

(そうだったー!! 横須賀鎮守府の敷地内は治外法権だった!!)

 

 だが、そう考えるとなんだか変な点が多いことに気付いた。

 

(よくよく考えてみれば、なんだか変だな。確か、金剛と鈴谷ってなんかあった時に口論してたような気が……)

 

 そんなことを考えるが、ただの思い過ごしだったかもしれないと自分に言い聞かせて、逃げることだけを考える。

そもそも、結婚する相手くらい俺に決めさせて欲しいものだ。

 

「で、どうするぅ? 観念して私たちと一緒に行かないと、ここに未記入の婚姻届を握り締めた艦娘が押し寄せてくるけど?」

 

 そう鈴谷は言う。それを聞いて俺は考えた。

どうするのが最善か。というか状況は最悪だが、これ以上酷くしない為にどうすればいいかを考えるのだ。

 

「それはちょっと勘弁……」

 

「あ、ひっどーい! こんなにも紅のことを想ってる艦娘がいるってのにさぁ?」

 

 鈴谷がプリプリと怒る。

 

「ねぇ提督ぅ? それよりサー」

 

 プリプリ怒る鈴谷の横で、金剛が俺に訊いてきた。

今の騒動関連だろうけども、金剛なら変なことは訊いてこない筈だ。

 

「私たちは勝手に書いたけど、大井のはダーリンが書いたネ。それってそういう意味ナノ?」

 

 金剛は不安そうに訊いてくる。

遠回しに直接的な言葉は使わなかったが、直接的な言葉を使うとすれば『私たちは勝手に婚姻届を書いたけど、大井の婚姻届にはダーリンが書いたネ。それって、ダーリンは大井と結婚したいってことナノ?』ってことだろう。

なんだか自分で考えていて、自分の頭がどれだけおめでたいかとか考えてしまうが、そういうことを訊いてきているのだ。

 

「いや……そういう意味じゃないけど……」

 

「デモ、ダーリンは自分で書いたネ」

 

 なんだか、どんどん追い込まれているような気がしなくもない。

そんな俺と金剛の会話を聞いていた武下が金剛に尋ねた。

 

「金剛さん。その婚姻届は、紅提督が書いたんじゃ……?」

 

「自分で書いたネー。なんか悪いことありマシタ?」

 

 俺はこれを聞いてなんとなく分かった。武下が何を聞きたかったのか。

 

「公文書は本人が書かないと無効になるんですよ。というか重罪になります」

 

 それを聞いた金剛と鈴谷の目が点になった。

そしてその目は自分が持っている婚姻届に向き、スッと後ろを向く。

 

「新しいの持って来マース!! ダーリン、そこ動いちゃダメデスカラ!!」

 

「鈴谷もっ!」

 

 過ぎ去る台風が如く、とてつもない速度で部屋を飛び出していった2人を見送ると、俺はその足で同じように部屋を出て行った。

ここにもう隠れて等いられないからだ。

出ていき際に、武下に礼を言うのはぬかりない。匿ってもらったからな。

 

ーーーーー

 

ーーー

 

 

 本部棟に帰ることはせず、そのまま鎮守府の中を逃げ回ることになった。

とりあえず道を歩かずに、道の脇にある茂みの中を歩いている訳だが、結構整備されている。茂みと表現したが、それは道のすぐ脇だけだ。その奥は綺麗になっている。芝生のようだ。

そんなところを中腰になりながら、あるところを目指していた。それは、門だ。

外出する訳ではない。もし外出しようものなら、艦載機が街中を飛び回ることになり、大騒ぎになりかねないからだ。

ならなぜ門に向かうのか。それは、鎮守府を囲んでいる塀の一部。門になっているところは、塀の一部が塔みたいになっているのだ。そこはいわゆる、詰所みたいになっているのだ。その日のその門の担当である門兵が数人、勤務時間外はそこで休憩している。そこに匿ってもらうのだ。もし、塔に登ってしまえば、艦載機に見つかってしまう。だから、詰所に入ることにしたのだ。

 茂みをいくつも乗り越え、何度も艦娘に見つかりそうになりながらも、俺はやっとの思いで門に辿り着いた。

軍の補給物資の運び入れに使う門だ。毎日開く門だが、補給部隊と門兵しかそこには寄り付かないのだ。

 

「すみません、少し匿って下さい」

 

 そう言って俺は詰所の引き戸を開くと、そこには見覚えのある顔があった。

 

「紅提督。いかがされましたか?」

 

 にこやかに笑っている飛龍がいたのだ。

なんだかんだいって、飛龍との絡みが少なかったような気がしなくもないが、それは置いておく。全艦娘に追われていることには変わりはない。

 

「間違えましたー。失礼しまーす」

 

 とだけ言って、引き戸を閉めて走りだす。

俺の背後では『何で逃げるのー?!』という飛龍の声が聞こえるが、そんなことはどうでもいい。

 少し離れて茂みに飛び込む。

 

「まさか居るとは思わなかった。というか、門兵さんたち何処行ったんだ? 中には飛龍以外居なかったような気が……」

 

 そんなことを独りで呟いて息を整える。

 今、自分が居る現在地を茂みの向こう側に見える建物で大体と検討を付ける。

多分だが、警備棟から離れて、酒保の近くだろう。多分だが。

 酒保に隠れてもいいが、何というか食料品売場以外には行きづらい。何故なら、他の売場の殆どはレディースモノの日用品や衣服しか置いてないからだ。家電製品や家具、洋菓子や和菓子を置いているところもあるが、一部だけだ。九割九部はレディースモノ。

メンズである俺にとって、1人で入るにはかなりの抵抗がある。

 そんな中、遠くではあるが隠れられる場所を検討する。先ずは工廠だ。あそこは色々とゴチャゴチャしていて、身体を隠すには丁度いいだろう。だが、妖精がどんな対応をするかによる。艦娘の味方をしていたとしたら、艦娘を呼ばれかねない。

次に地下牢だ。メリットもデメリットも半々の場所だ。長時間の潜伏にはあまり向かないだろう。さらに、倉庫だ。これは工廠と同じメリットどデメリットがあるため割愛。最後に艤装だ。埠頭に停泊しているであろう艤装に入り込み、どこかに隠れればいいだろう。これは工廠と倉庫と同じメリットどデメリットがあるが、数が多い分、当たりがあるかもしれない。

俺は一度工廠に行った後、埠頭にある艤装に隠れようと決め、動き出す。

だが、現実はそんなに甘くなかった。

 

「みぃ~つけたぁ~」

 

 物音を立てたことで、近くを通りかかった髪がボサボサになっている時雨に見つかってしまったのだ。

 ボサボサになったことで、とんでもなく怖い少女になってしまった時雨を見て、俺は心臓が飛び出る思いをして、すぐに逃げ出す。

だが、時既に遅し。

 

「逃がさないっぽい」

 

 久々に『ぽい』と言ってる夕立が既に、俺の脇腹に腕を回してホールドしているのだ。

もうこれで完全に動きを止められてしまった俺は、そのままドナドナされてしまったのであった。

 

ーーーーー

 

ーーー

 

 

 俺が夕立と時雨にドナドナされた先は食堂だった。

そこには全艦娘が集結しており、無理やり椅子に座らされた。

 

「ぜ、全員集まってるのか?」

 

「そうだね」

 

 時雨はそう言って俺の目の前に机を置いた。

どういう理由があって置いたか知らないが、とてつもなく嫌な予感しかしない。というか、アレ以外にこうなった理由はないだろう。

 それよりも気になることがある。

なぜだか俺の横で同じく座らされてる艦娘がいるのだ。両腕を縛られ、猿ぐつわされていた。布でされているが、なんだかこの光景を前に見た気がする。

 

「はい」

 

 そう言って夕立は俺にペンと印鑑を手渡してきた。印鑑は勿論俺のものだ。

 

「あ、あぁ。……何が始まるか分かるが、その前にひとつ訊いてもいいか?」

 

「構わんぞ」

 

 長門がそう言ったので、俺は訊いてみる。

 

「何故、大井も?」

 

「あぁ。……それはだな、自分だけ正式に書いてもらったからだな」

 

 さらっとそんなことを言う。つまり、俺が勢いで婚姻届を書いたからだそうだ。かなり端折ったが、そんな理由だ。

 というかこの状況を見ると、俺って全艦娘に言い寄られてるということになるのだろうか。

座っていて見えないが、座る前には全艦娘が居る様子だったし。

 

「さて、紅」

 

「私たちのも勿論書いてくれるわよね?」

 

 そういった長門と陸奥が俺の両脇に立ち、目の前に婚姻届を置いた。

それを見て俺は少し考える。

そもそもなぜこんな状況に陥ってしまったのか、見に覚えが全く無いのだ。

それに、こんな風に好意を寄せられるようなことをしてきただろうか。自分で言ってはなんだが、顔だって良いわけではない。身長は高いと自負しているが、体格は人様に見せれる程良いとも思ってない。性格も変に曲がっているだろう。

それを何故、付き合うとかをすっ飛ばして結婚なのだろうか。

 

「ちょっと待て。皆はそれで本当に良いのか?」

 

 俺が見える範囲でもかなりの艦娘が婚姻届を握り締めて待っていた。

そんな艦娘たちに俺はそう問いかけた。

 

「何が?」

 

 足柄が聞き返してきた。

 

「結婚相手が俺で」

 

 端的に短く訊くと、考える間もなく返答が返ってくる。

 

「貴方じゃないと嫌よ。私は」

 

 ニコッと笑う足柄に『なんじゃそりゃ』と内心思いつつ、少しドキッとしたことを隠しながら俺は答えた。

 

「他の皆もか?」

 

 そう訊くと、一斉に皆が頷く。

そんな光景に俺は焦りを感じ始め、どうにか止めさせれないかと考える。

 

「そ、そうだ。……大本営には」

 

「新瑞さんからGOサインは出ていますよ」

 

 翔鶴に言い切る前に防がれた。

 

「そもそも法律がだな」

 

「私たちは人間じゃないわよ。艦娘。それに、横須賀鎮守府は治外法権内でやりたい放題じゃない」

 

 今度は伊勢に防がれた。しかもこのことは警備棟の中で俺は考えていたことだった。

否、ただの時間稼ぎだ。そういうことにしておこう。

 

「第一だな、俺が良しと言うと」

 

「言わないんですかぁ……司令官さんっ……」

 

 半泣きの羽黒に防がれた。

 

「というかモラルがだな」

 

「事ある毎に艦載機が飛び交い、砲に砲弾が装填されているものを持ち歩いていても全然普通なんですが……」

 

 今度は神通に防がれた。

 この後も抵抗を続けるものの、ことごとく跳ね返されてしまった。

もう抵抗するだけの術も失い、俺は黙ってしまう。

 

「どうした? 紅。私と結婚するか?」

 

 どうしてそうなるんだと内心思いつつも、何も言わない。

そんな刹那、陸奥も口を開くが俺に対してじゃない。

 

「あら? 紅と結婚するのは私よ?」

 

 そう。陸奥が長門に突っかかったのだ。

 

「私とだ!」

 

 突っかかった陸奥に対抗してか、長門もそれに抗う。

そんな光景をほんの少しだけ見ていたら、食堂は大混乱に陥っていった。

一度、食堂を逃げ出した時の比ではない。全艦娘(大井を除く)が口論をしているのだ。勿論、誰が俺と結婚するかについて。どうやら、治外法権云々、俺が法律云々とは言うが、俺と結婚できるのは1人までらしい。

 その状況をしめたと思い、俺は椅子から静かに立ち上がる。そして背中側はがら空きだったのでそのまま立ち去ろうとすると、コチラを大井が見ていた。

猿ぐつわ唾液で濡れてきたのか、体積が小さくなって辛うじて声が出せるようになったみたいだ。

 

「助けて下さいっ!」

 

 モゴモゴ言いながらそんなことを俺に言ってくる。

だが、俺は迷っていた。普段なら2つ返事で助けるんだが、状況が状況だ。ここで助けてもし、長門たちにバレたらどうなるか分かったもんじゃない。といっても、結婚させられるだけだが。

 

「あなたっ!」

 

 普段は『提督』って呼んでいたと思うんだが、まぁ回りの感化を受けただけだろう。そう決めつける。

だが、本当に解放してしまっても良いのだろうかと考えてしまう。

 心の中であることを考えていた。

ここで大井を助けずに逃げたら、艦娘はまた俺を見失う。今度は朝とは違い、隠れる検討もちゃんとつけているので、段取り良く逃げ回れる自信があるのだ。

大井を助けたとして、逃げ出したらそれだけタイムロスになってしまう。より短い時間で、目星をつけた避難場所に入らなければならなくなってしまう。

だったら大井を置いて逃げた方がいい。そう考えたのだが、一方で俺の良心が働いたのだ。

こんな状況でなければ、俺は迷わず大井を助けていただろう。

 こんな風に足を止めている時点でタイムロスをしていることに気付き、俺はやけくそになって大井を解放することにした。というのは建前で、良心が勝ったのだ。

 大井の猿ぐつわを外し、縄を解いて足音を立てずに小走りで食堂から出て行く。

それには大井も付いてきていた。多分、また捕まってしまうからだろう。

食堂の入り口から中を見ると、まだ艦娘たちは口論をしていた。俺が椅子から立ったことに気がついていないみたいだ。

しめたと思い、そのまま俺は廊下を走って棟を移り、階段を駆け上がって執務室に飛び込んだ。

とりあえず、ここに逃げ込んだのだ。それにもし、接近してきたとしても隠し扉に入れば分からないだろうと踏んでいたのだ。

 肩で息をして、少し出ていた額の汗をハンカチで拭って姿勢を戻すと、さっきまで猿次ぐつわをしていた艦娘が俺の目の前に居た。

 

「はぁ……はぁ……」

 

 ちなみに、俺よりも体力の回復は遅い模様。

そんな艦娘、大井に俺は声をかける。

 

「え”っ?! 追いかけてきたのかっ?!」

 

「はぁ……もち、ろんですっ……」

 

 そんな風に答える大井に少しだけドキッとしたが、俺はすぐに視線を外した。

何というか、目に毒だったのだ。髪が汗で少し張り付いていたのと、姿勢が前のめりだったからだ。この先は言わない。

 そんな大井から視線を外して、俺はこれからどうしようかと考え始めたのだった。

 

 




 連日投稿ですが、明日はありません。何故ならストックが無いからですっ!!
続きは色々な作品と並行しながらですし、コレは優先順位が最下位ですのでかなり遅くなります。ご了承下さい。
 このシリーズはその4まで続ける予定ですので、それまでお付き合い下さい。

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おめでとう! これで結婚ねっ! その3

※他の特別編企画とは関連はありません。


 

 小休止を済ませた俺は、大井が回復したのを見計らって脱出か説得の算段を立てる。

と言っても、考えだして1分も経たないうちに頓挫してしまっているわけだ。今の俺にはあの艦娘たちを説得できるだけの力はない。

 俺が考えては考えなおすことを繰り返していると、大井が俺に話しかけてきた。

 

「ねぇ、あなた」

 

「ん? あなたって呼ばれるのには慣れんが、どうした?」

 

「逃げ回らなくてもいい方法がありますが、知りたいですか?」

 

 大井はニコニコしながら言う。なんだか嫌な予感がするんだが、どうしてだろう。とてつもなく良くないことを言い出すんじゃないか、と考えてしまう。

 だが、無下にも出来ないので聞いてみる。

 

「ど、どんな方法だ?」

 

「それはですねぇ……」

 

「はいストップ。嫌な予感がしたから、待った」

 

 俺は大井は話すのを無理やり止め、別の方法を考える。

この状況を打破する方法を考えるのだ。

 

「第一、 俺はこの状況を何一つとして理解していないんだぞ?」

 

 そう。俺はこの状況を理解していない。普通に寝ていて、普通に過ごしていたはずなのに、何が起きているのかさっぱり分からないのだ。

起きたときに説明されたし、訊いた話だが、ほぼ全員が練度99ということ。そして、武下と新瑞と共謀していること。何がしたいのかさっぱり分からない。

 

「なら私が説明してあげます」

 

 大井はそう言って、ホワイトボードを引っ張り出してきた。俺がよく使っているものだ。

 

「多分、起きたときに『『艦隊これくしょん 提督を探しに来た姉の話』特別編っ! おめでとうっ! これで結婚ねっ!』って言われたと思います」

 

「まぁ……そうだな。こんなことがあったって記憶はあるんだが」

 

「それは多分、『私たちが登場する『艦隊これくしょん 艦娘たちに呼ばれた提督の話』がお気に入り登録者が1000人突破したんですよ!』のことですね」

 

「確かに……それだ。それの記憶はあるんだが、どうにも『艦隊これくしょん 提督を探しに来た姉の話』の意味が分からん」

 

「それはですねぇ……」

 

 そう言って、大井は年表を書き始めた。

左から俺の着任、大きい事件を数個書いて最後に『艦娘たちに呼ばれた提督の話』と書いた。そして、そのあとから『提督を探しに来た姉の話』と書いて、それ以降は何も書かれていない。

一体、どういうことなのだろう。

 

「えっと……は?」

 

 つまり、俺はこの年表さえも理解できていない。どういうことなのだろう。

 

「適当に理解してくだされば問題ありません」

 

「あ、はい」

 

 適当でいいらしい。適当でいいならいいや。そう思って、考えるのを止めた。

 

「赤城さんが『『艦隊これくしょん 提督を探しに来た姉の話』特別編っ! おめでとうっ! これで結婚ねっ!』って言ったということは、この年表に合わせて言えば……今はここになります」

 

 大井はキャップを閉めたペンでホワイトボードを叩いた。ペン先が指しているのは、『提督を探しに来た姉の話』。

 

「はぁ……」

 

「まぁ……そういうことです。これが、現状。時間軸?」

 

 大井は首を傾げながら、ホワイトボードの字を消した。そして、違うことを書き始めた。

 

「それで、今ここで起きているのは、その『艦娘たちに呼ばれた提督の話』でも『提督を探しに来た姉の話』のどちらでもないこと。つまり、そういうことです」

 

 満足気にペンをホワイトボードに置いた大井は座った。

 

「いや、そのつまりが分からないんだが……」

 

 その先を知りたいんだ。今の説明で何となくだが、理解した。俺の記憶にある『お気に入り登録者1000人突破記念』的な何かが起きているんだろう。どうせ、どっかのタイミングで作者がどうのって言うに決まっている。

 

「あのときと同じってことですよ」

 

 何故か大井が胸を張っているが、まぁいい。考えるだけ無駄だろう。どうせすぐに終わるからな。

 俺は、ホワイトボードを元の位置に戻して立ち上がる。

多分、艦娘たちが嗅ぎつけてここに来るだろうから逃げなければならない。それに、大井を連れている以上、動きが制限されてしまう。早いところ逃げ場所を考えて、そこに向けて移動を始めなくてはいけないのだ。

 

「とりあえず、どこか逃げる場所をだな……」

 

 その刹那、扉が勢いよく開かれた。もう、このタイミングを考えると、アレしかないだろう。

 

「提督ぅー! 新しい婚姻届を持ってきたデースッ!!」

 

「さぁ、書いて! ねぇ! 書いてぇ~!!」

 

 そう。武下の部屋に飛び込んできた金剛と鈴谷だ。武下に論されて、俺に婚姻届を書かせるために、新しいモノを用意して書き込んできたんだろう。

 この鎮守府内は治外法権が適応されているが、婚姻届は国に提出する公正証書。偽りや偽装は許されないのだ。だからあのとき、飛び出して行って、夕立と時雨に捕まって食堂に連れて行かれた時も居なかったのだ。

 俺はこの時、あることを思いついた。

この危機的状況を回避する、艦娘、総勢百何人が一斉にこの動きを止める言葉を。

 

「なぁ、金剛」

 

「何デスカー? 書いてくれる気になりマシター?」

 

「あぁ、別に良いんだが……」

 

「はぁー!!! ホントニー?!」

 

「あぁ。それとその前に確認だが、これ、国に出すんだろ?」

 

「そうダヨ? そうしないと、私たちが夫婦って認められないデース! だからハイッ!書いて欲しいネー!!」

 

 満面の笑みで俺に婚姻届を手渡してきた金剛に、俺は渾身の一撃を食らわせた。

 

「国に出すと、多分認められないぞ。夫婦って」

 

「な、なんですトーーーーー!!!!」

 

 金剛はオーバーリアクションをした。それをしてくれたのなら、こうやって溜めた甲斐がある。

 

「まぁ、色々原因はあるんだが……そこの大井が出してしまった時点で、俺と大井は夫婦ってことになるし……」

 

「ちょ!」

 

 鈴谷が口を挟んできたが、俺は知らない。もうやけくそだった。

結婚がどうとかということに関しては、整理がついていた。日本皇国と日本国の政治体制が違うことは分かっていることだが、法律体制はどうだろう。日本皇国の前身が日本国であるならば、法律体制も天皇絡み以外は手付かずだと考えれば、国防関連が変わっているだけで変わっていない。つまり……。

 

「重婚制度もなければ、認められていないだろうな。むしろ刑事処罰だろう」

 

 その瞬間、金剛の目から光が消え失せた。そして、その目が捉えたのは大井と大井の手に握られている婚姻届だった。

 

「それを消してしまえば、私は提督と結婚……」

 

「破いちゃえば、鈴谷は提督と結婚……」

 

 ついでに、鈴谷も大井の婚姻届を狙っているらしい。そして、俺もここであることに気がついた。

そう。俺、この国に戸籍があるのだろうか。

 

「あー」

 

 俺は思い出したかのような振りをして、コチラに3人の意識を集中させた。

 

「俺って、戸籍あるのか?」

 

 そう言うと、突然扉が開かれた。そこに居たのは赤城だ。

 

「問題ありませんよ。旦那様の戸籍抄本ならここに」

 

「おい。個人情報……」

 

 俺はそう言いながら受け取り、内容を読んでみた。そうしたら、確かに赤城の言う通りで、俺の戸籍があったのだ。

いよいよ、俺の逃げ道が『重婚』だけになったわけだが、なんだか嫌な予感がする。

 

「とりあえず、大井さんの婚姻届は没収&焼却処分です」

 

 赤城がそう言って、大井の手から婚姻届を奪い取った。その姿というか、その光景が何というか見てられない。

 

「嫌ですっ! これは紅さんに書いてもらった婚姻届。役所に出しに行かなといけないんですからっ!」

 

「へっへっへっ~。甘いですよ、大井さん。ここでは多勢に無勢。抵抗するだけ無駄ってものです」

 

「さぁ、それをこっちに寄越すデース」

 

「痛い目みたくないでしょ~? 良い子だから」

 

「嫌ぁー!! 酷いっ!! 紅さんが”自分の意思”で書いて下さったのにー!! 酷いです! あんまりですっ!!」

 

「これがあると、私は旦那様と結婚出来ないですからね。ふふふっ」

 

「止めてっ!! 赤城さんっ!! 破かないでっ………」

 

 赤城がピラピラと目の前で大井と俺の婚姻届を振り両手で持った時、大井は座り込んでしまった。そして、俺の横にいるから見えるが、大井の目に大粒の涙が溜まっていた。

 

「これは没収です。旦那様と結婚するのは私です。大井さんは……そうですねぇ……着任も結構遅かったことですし、愛人80番くらいですかね? 私は許しませんけど」

 

 そう言って笑った赤城の顔を見て絶望した大井は、目に溜まっていた涙を流し、泣いてしまった。声をあげる訳でもなく、静かに。

 

「ぐすっ……」

 

 何というか、俺は客観的に見た、いつぞやの俺を見ているような気分になった。

とても気分が悪い。

 確かに、大井は汚い手というか、俺に直接何かを言って書かせた訳ではないが、俺の手で書かせた。あのときは、助けてやる代わりに書いて欲しいという条件だったが、俺もその紙を受け取って、何も見ずに書いてしまった。

大井の婚姻届は、いわゆる、書面上のやり取り。これで大井が提出して、俺が申し立てをしたところで、離婚届を書かない限り俺と大井は夫婦ということになる。

つまり何が言いたいかというと、大井の婚姻届は俺の意思が反映されていないとはいえ、俺が書いたものだから”責任”を持たなければならない、ということだ。

 

「旦那様のために尽力していた1人ということで、情状酌量で愛人20番くらいにしてあげますよ? 私は許しませんけど」

 

 なんだか赤城も、笑い方が悪い方向に向かっている。それを見て、更に俺は嫌な気分になっていた。

 

「ぐすっ……あんまりです……」

 

 大井の鼻が赤くなり始めた頃で、俺は少し顔に出ていたんだと思う。俺の様子を見ていたであろう、鈴谷が赤城に言った。

 

「色々言いたいことあるけど、紅は”私の”だけど……紅を見てよ」

 

「ん? あっ……」

 

 やっぱり、顔に出ていたんだろう。赤城と金剛、鈴谷の顔が青くなっていた。

つまりそういうことだ。我慢も限界だったので、俺は閉じていた口を開くことにした。

 

「黙って訊いてたけど、はたからみたらこれは良くないな」

 

「えっと……旦那様?」

 

 少し冷や汗を流しながら、困った顔をした赤城が訊いてきた。

 

「赤城」

 

「はいっ?!」

 

「それを寄越せ」

 

 俺は赤城に持っているものを渡せと言った。

俺から言われた通り、赤城は俺に持っていた婚姻届を渡してきた。赤城が書いた方を。ちなみに、赤城も新しい婚姻届を持ってきていたようで、俺の記入する欄と印は空白になっている。

 

「違う」

 

 俺はそれを受け取らずに、赤城がおずおずと出してきた大井の結婚届を受け取ると、そのまま大井に渡した。

見てられなかったからだ。

 

「中々酷いことをするじゃないか、赤城」

 

「えっとぉ……その……」

 

 完全に赤城は困った状態から、急転落してしまったようだ。

ちなみに察しのいい金剛は、もうすでにシュンとしている。言われることを分かっているようだ。

 

「ん? どうした赤城?」

 

 俺は訊く。赤城との距離を詰めながら。

一方で、大井は涙を拭きながらよろよろと立ち上がろうとしていた。

 

「何か言うことがあるんじゃないか?」

 

「ご、ごめんなさいっ……」

 

「俺に言ってどうする」

 

「大井さん。……ごめんなさい」

 

 なんだか、このやりとり懐かしいと思いつつ、俺はそれを見た。

赤城はちゃんと、大井に謝った。まぁ、これで良いだろう。そう俺は思ったが、現実はそんなに甘くない。

 

「で、どうするノ? そうは言うものの、ダーリンだって流れとはいえ、騙されたようなものデスシ……」

 

 金剛がそう言ってしまった。その通りだ。俺も騙されたようなものだ。だが、俺に責任がある。内容を確認せずにサインと印鑑を押してしまったからだ。それをしてしまった時点で契約は成立。後から何を言おうと、俺ではどうにもならないのだ。

 

「いや。大井のやつに関しては、俺が悪い。煮るなり焼くなり好きにしろ。俺も腹を括るさ。大井と結婚するかしないか」

 

 俺はそう言って、遠い所を見た。

もう考えているのも馬鹿らしくなったのだ。俺ではもう手に負えない。何をしてもどうにもならないのだ。そして、婚姻届を大井から奪い取って破り捨てることも出来ない。俺の良心が邪魔をするのだ。

だから、俺は遠いところを見て現実逃避を始めたのだった。

 




 何だか流れが怪しいですが、今回だけです。すみません。
あと、結構理不尽じゃないって言うのが、推敲後の感想です。後で理不尽にしますけども……。
 結婚ネタが終わった後のことを考えていますが、どうなるか分かりません。一応、2つほどネタ上げしているんですけどね。
多分、どこかで万策尽きたらアンケート取ります。その時はよろしくお願いします。


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おめでとう! これで結婚ねっ! その4

※他の特別編企画とは関連はありません。


 

 執務室で俺が大見得を切ったことで、大井は既にそのつもりでいる。

一方で俺は諦めている。抵抗も無駄だ。

 一旦冷静になると、色々と考えれるようになる。例えば、『何故、大井や他の艦娘たちは俺と結婚したがっているのか』だ。

色々と理由は出てくる。

1つ目。鎮守府自体、男があまりいない。しかも、その中で一番接触が多い。

2つ目。提督にそういう気持ちが向くように、何かしらの力が働いている。

どちらかだ。最も、『全員が俺に好意を持った』なんてことは無いだろう。容姿にも性格にも自信がないからだ。

容姿は自分で言っていて泣けてくるので言わないが、性格は人によると思う。

接触を避ける。物静か。偶に意地悪する。力仕事は率先して代わるとか。そんなものだ。至って普通だと思うし、特別何かしている訳でもない。

つまり、俺に惚れる要素なんてものは自分がみたら無いようなものなのだ。自分で言っていて悲しくなってきた。

 それは置いておいて、俺は一体どうすればいいんだろうか。逃げる場所も無ければ、武下さんでさえもあちら側に噛んでいる。鎮守府の外に出てもどうしようもないだろうし、大本営に逃げ込むなんて以ての外だ。

 

「どうしたんですか?」

 

 そんな風に考えを巡らせている俺を露知らず、大井は俺の横に座ってそんな風に話し掛けてくる。ちなみに、金剛たちは退室している。用事があるといって出て行ったのだ。

よくよく考えてみたら、ここまで艦娘に接近することもあまり無かった。

大体は俺が避けていたが、今は避けれそうにもない。

 

「いや、何も」

 

「そうですか?」

 

 俺は執務室のソファーに座っている。ただし、大井は俺と肩が当たるくらい近くに座っている。

身体が接触するくらいに近づいたことなんて、俺の記憶の中ではあまり無かったような気もする。というか、俺が避けていたから無かっただろう。

 

「あの、あなたは……本当は迷惑だとか思ってますか?」

 

「ん?」

 

 大井がそんなことを言い出した。

正直、今の問いかけに内心『思っている』なんて言っていたが、口からは発せられなかったから良いだろう。

 

「結婚のことです。前々から私たちの戸籍を作ることは決まっていましたし、準備もあなたに迷惑をかけないように自分たちだけでやってきました」

 

 そりゃそうだろう。知らなかったし。

 

「今、冷静になって考えてみたんです。私たちは戸籍が出来て舞い上がっていたんじゃないか、って」

 

 俺は黙って聞く。大井の顔を見ると、眉はハの字になっている。

声の調子もそこまで良いとは言えない。

 

「舞い上がった私たちは、そのっ……『好き』って感情がどういうものか分からないまま、あなたに求婚して、追いかけ回して……」

 

 モジモジと身体を動かしながら、大井は俺の顔を見た。

何というか、その表情に少し見惚れてしまったことは置いておく。

 

「あなたって私のこと、好き、ですか?」

 

 話の流れ的にも、そういうことを言ってくるんだろうなとは思っていた。だが、思っていただけだ。本当に訊いてくるとは思ってもいなかった。

 

「どういう意味だ?」

 

 あくまで、俺は平静を装って聞き返す。だが、内心は心臓がバクバクだ。

これまでの人生、こんな風に女の子(?)に求婚されたこともなかった。俺の住んでいる世界とは違うと思っていたからだ。

 

「そんなのもちろん、同僚とか部下とか、戦友とか、そういう意味ではなくて、女の子として……って意味です」

 

 俺の頭は正常に動いてなど居なかった。パニックを起こし、思考が停止している。

ここから出てくる言葉は全部、俺の無意識での発言になってしまうだろう。

 

「……どうだろうな」

 

「えっ?」

 

「俺が異性との接触を出来るだけ避けてるってことは知ってるよな?」

 

「はい」

 

「そういうことだよ」

 

 そういうことなのだ。俺は数秒間の思考停止から開放されて、頭が回るようになった。

今、俺が言った言葉が返事だ。

艦娘を異性だと認識しているからこそ、そういう行動をしていたのだ。多分、本能的にだと思う。

 

「だけど、『好き』かどうかは別だな」

 

「えっ……」

 

 大井はあからさまに表情を変えた。眉の八の字がもっと垂れ下がっている。

 

「なんて言えば良いんだろうな。そりゃ、年頃の男だから、大井たちに向ける目は時には変わってしまうこともあるさ」

 

「部下とか戦友とか以外ってことですか?」

 

「あぁ。……俺は男、艦娘は女(?)だ。というか(?)じゃなくて、女の子だな」

 

「そうですね……。私たちはご飯を食べもしますし、生理現象だって……あ、いや……」

 

「普通のことだろう? そういうことを鑑みれば、大井たち艦娘は女の子だ」

 

「……そうですね」

 

 俺はなんて回りくどいことを言っているんだろう。

ただ俺は『艦娘たちを女の子としても見ている』って言えばいいだけのことなのに。

というか、今までの言動を思い返せば既に言っていた。

 

「なんて言えば良いんだろうな……この場合」

 

「?」

 

 そう、なんて言えば良いのか分からないんだ。

 

「あー、面倒だ。……よくよく考えて見れば、大井ってさ」

 

「は、はい!」

 

「最初の頃は北上とかに単装砲向けられたり、雪風に機銃撃たれたりしてたけどさ……」

 

「言わないで下さい。忘れてたのに……」

 

「ごめん。……だけど、なんだかんだ言って慣れてきただろう?」

 

 俺は話を逸しにかかった。もう、どうしようもないのだ。誰が好きとか、誰と結婚するとか。あ、重婚は良くないと思う。

 

「そうですね。でも、あの時以来は皆さんに合わせる必要も無くなりましたけど」

 

「そうだな。……あの時からは足繁く執務室に来てるし、よくよく思い返したら、俺の私室に居座ってたりするよな」

 

 大井のこれまでの行動を話題に変えた。

俺が言っていることは本当で、大井は俺の私室によく居る。執務室から帰ってくると椅子に座っていたりするのだ。それもかなり頻繁に。

他の艦娘は滅多に俺の私室に入らないが、何故か大井は私室に居るのだ。

 

「あはは……」

 

 笑って誤魔化された気がする。

 

「そういう時って絶対、北上と一緒じゃないし……。というか、何で俺の私室に来てるんだ?」

 

「そうですねぇ……特に理由なんてありませんよ。昼間は最低1人は近くにいるので、独りで寂しいとかは感じないでしょうけど、夜は別ですからね」

 

「ん? どういう意味だ?」

 

「だってあなた。艦娘は姉妹艦が居なくても、絶対誰かと一緒の部屋になりますし、皆さん仲が良いですよね?」

 

「そうだな」

 

 どうやら上手く話を逸らせれたようだ。

 

「朝の6時過ぎから夜の7時くらいまで、秘書艦は執務室に居ますよね? それから秘書艦が自由時間になった後は、あなた独りじゃないですか」

 

「……そ、そうだな」

 

 ここで会話が止まってしまった。どうしてだろう。

 

「ん?」

 

「だからですよ」

 

「は?」

 

「夜。艦娘寮は消灯時間まで騒がしいんですよ? 色んな艦種が混じって遊んだり、話をしたりしてます」

 

「そうなのか?」

 

「はい」

 

 知らなかった。騒がしいというか、私室に戻ると絶対何かしているから聞こえなかっただけだろう。

 

「勝ち抜きの腕相撲とかやってますし……まぁそれは置いておいてですね、あなたは部屋で色々やってるじゃないですか。自分で洗濯物とかやってるんですよね?」

 

「確かにやってるが……それがどういう?」

 

「私たち艦娘の洗濯物は基本的に妖精さんがやってくれますので、そういう家事はほとんどやらないんです。だから遊んでいられる……。ですけど、あなたは自分でやるって言って自分でやってますよね?」

 

「そうだな」

 

 知られざる真実だ。妖精さんが洗濯物をやってくれるなんて知らなかった。まぁいいか。

 

「……あ、回りくどく言い過ぎましたね。コホン。そういう訳で、私があなたの私室にいるってことですよ」

 

「いや、ドヤ顔で言われてもな……」

 

 俺が私室に戻ると大井がいる。ただそれだけなのだ。

それが、何か関係あるのだろうか。

 

「私がいれば寂しくはないですよね?」

 

 そういう意味だったのか……。確かに、大井がいる時は話し相手がいるから暇にならない。夜も俺が寝る頃に帰っていくし。

 

「そう、だな……」

 

 なんだか綺麗に纏められた気がする。だが、俺は考える。

確かに、大井がよく来るようになって寂しくは無くなった。だけど、それと同時に他の艦娘も来ているような気がするのだ。

 

「だが、大井以外にも来ているからなぁ……」

 

「え”っ?!」

 

「金剛……」

 

「あー」

 

 納得したようだ。といっても、大井が俺の寝ている時に忍び込んで以来だけども。

1回だけ、寝に来たことがあった。別に変な意味ではない。言葉通りの意味だ。

 

「アメリカに行った時も、赤城に抱きまくらにされていたし……。というか、アメリカ行った時は大体誰かと一緒に居たな。夜は絶対赤城だったけど」

 

「そんなこともありましたね」

 

 感慨に浸っていると、執務室の扉が勢い良く開かれた。

入ってきたのは金剛だ。

 

「サテ、大井」

 

「はい」

 

「結局どうするネー。大井が『する』って言えば、結婚するって言ってたケド……」

 

 金剛が話していると、扉からぞろぞろと艦娘たちが入ってきた。

全員は入れないだろうから、廊下にも何十人と居るだろうけど。

 

「えっと……」

 

 大井は俺の顔と金剛の顔を見て考えているようだ。

金剛は難しい顔をしている。大井の回答を待っているのか、それとも別のことを考えているのか。

 

「あ、あなたは……」

 

「ん?」

 

 唐突に俺に話が振られて驚くが、更に驚くことがこの後起こる。

 

「みんなのこと、好きですか?」

 

 一斉に俺に視線が集まる。

俺に突き刺さるものは期待や不安が混じっている。だけど、どういう意味での期待なのか、不安なのか分からない。

 

「好き、だよ」

 

 みるみる顔が暑くなってくる。多分、俺の顔は真っ赤になっていることだろう。

そんな俺にお構いなしに、艦娘の大群から赤城が出てきて訊いてきた。

 

「部下としてですか? 戦友としてですか? 異性としてですか?」

 

 恥ずかしげもなく俺に訊いてきている訳でもない。赤城も顔を赤く染めていた。

 

「どう、だろうな……はははっ」

 

 俺は笑って誤魔化す。今言われるまで、そんなことも考えたことが無かった。

艦娘の認識は、この世界に来た時からはあまり変わっていない。提督という存在を大切にしているということくらいだ。

 そんなところに、いきなり異性として好きかなんて考えると変に考えてしまう。

確かに、見た目は美少女・美女揃い。性格だってその辺の女の子と比べものにならないくらいに良いだろう。

 皆、俺の返答を黙って待っている。

 

「1人を選ぶか、みんなを選ぶか……」

 

 大井が肩を跳ね上げた。

 俺はそう言って考え込んでしまうが、気付いたら執務室に武下の姿もあった。

いつの間に来たんだろう。

 

「提督のお好きに出来ますよ。ここは横須賀鎮守府。敷地内は治外法権です」

 

 武下は俺にそう言った。

その言葉で俺は心を決めたのだ。

 

「大井、ごめん」

 

「えっ? ……独り占めしたかったですけど、あなたが言うのなら」

 

 大井は分かってくれたようだ。

だが一方で、赤城たちは分かっていない様子。なので俺は宣言する。

 

「男の夢だな。ハーレムって」

 

 ここまで言って、大井と武下以外は誰も理解していない様子。

 

「全員、一列縦隊に整列っ!!!」

 

 ビクッと肩を跳ね上げ、赤城たちはすぐに一列縦隊に並んだ。

軍隊ではないが、いや、軍隊だが、こういう訓練を受けてないのに身体が動く辺り、軍艦の時の記憶があるってことだろう。

 

「みんな、書類は持ってるだろう? ムードも無いが、順番に書くよ」

 

 赤城が弾けんばかりの笑顔で俺に婚姻届を差し出したその刹那、扉の向こう側の空気が変わっていく。そして、その空気が変わった元凶が入ってきた。

 

「ただいまー! ん? 何ですか、この空気」

 

 俺の姉、ましろが帰ってきたのだ。

時計を確認すると、姉貴が帰ってくるいつもの時間だ。

どう空気が変わったのかというと、艦娘が畏怖している方向で変わったのだ。つまり、テンションが大暴落した。

 

「何しているんですか、紅くん?」

 

「見ての通り」

 

 姉貴が赤城が俺に渡そうとしていた婚姻届を取って見ると、俺に何か言うのかと思ったら違った。艦娘たちの方を見たのだ。

 

「婚姻届? どういうことですか?」

 

「あ、えぇと……」

 

 赤城が凄い慌てている。それもその筈。

艦娘たちは姉貴にも逆らえないのだ。理由は知らない。なぜだろうか。

 

「……ここには全艦娘が集まってるんですか?」

 

「そうなんじゃない?」

 

 ツカツカと執務室に収まっている艦娘の面々を見て回った姉貴は、廊下にまで伸びている列を少しだけ覗くと戻ってきた。

 

「皆さんコレを?」

 

「はい……」

 

 ピラピラと赤城の目の前で婚姻届を振る姉貴の様子がどうもおかしい。

なんだろうかと観察していると、よく見たら眉間にシワを寄せている。

 

「一体、何を考えているんですかっ! 私は許しませんっ!」

 

「「「「「そんなぁ~!」」」」」

 

 姉貴の背後に狼が見える気がしなくもないが、俺は間に入る。

 

「何で姉貴が怒ってるのか知らないが、抑えろ」

 

「もうっ! 紅くんには分からないからいいですっ! それに、貴女たちっ!」

 

 艦娘たちの肩が跳ね上がった。

 

「紅くんと結婚したいのなら、私を納得させてからにして下さいっ! 大体貴女たちは紅くんよりも~……」

 

 いつの間にか説教が始まってしまった。こうなってしまうと、姉貴が収まるまで待ってなきゃいけない。

俺は戦略的撤退を選択し、コソコソと私室に戻った。

 私室の中にいても聞こえる姉貴の説教は、俺は別に聞き慣れているが艦娘たちには堪えるだろう。俺もそこまで怒ることは無い。1名を除いて。

それ以外には怒ったことはないような気もする。

 

『大体、武下さんっ! 貴方まで何やってるんですかっ!! さっき報告に部屋に行ったらゼ○シィの箱が転がってましたよっ!! この娘たちに用意していたんですかっ!!』

 

『いえ……私らは付き合いも長いですし、皆さんを娘のように可愛がって……』

 

『紅くんはただでさえ心労が耐えないというのに、こんなことしてっ!! いや、執務は少ないですけどね……。それでも、馬鹿政府の対応とどアホ米海軍との交渉とゴ○ブリみたいに湧いてくる深海棲艦との戦争の作戦とか考えないといけないんですよ!?』

 

 姉貴も大概、口が悪い。口調は誰に対しても敬語なのに、ヒートアップすると口が悪くなる。だけど、敬語は抜けない。どうしてだろう。

 

『……』

 

「あ、武下さんが押し負けた」

 

 ここまで聞いていて思い出したが、まだ今日は執務をやっていない。

朝起こされて、そのまま朝食。逃避行の流れだったからだ。

私室からでは事務棟にいけないので、執務室に出なきゃいけない。だが、出れる空気なのだろうか。

 考えていても仕方ないので、俺は私室の扉を開いた。そうすると、執務室には隙間なしに艦娘が正座しており、辛うじて開いているスペースに姉貴が立っていた。

なので俺は扉をそっと閉じることにした。

ほとぼりが冷めるのを待って、それから執務をやっても遅くはないだろうと思って。

 結局、2時間くらい説教が続いた後、解散になったらしく、俺は書類を取りに行って執務を始めた。

と言っても、始めたのは午後1時くらいだ。ちなみに、姉貴がどうして怒ったのかは俺には分からない。

 




 これで、『おめでとう これで結婚ねっ!』は終わりです。
最後のオチ要員でましろを出しましたが、題名の通り、ましろが出てきてもおかしくはないんですよね。
 次の特別編短編集の投稿はいつになるか分かりませんが、ネタは用意してありますので、気が向いたら書いていこうと思います。


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特別編企画 第2回目 『洗脳』
艦娘、洗脳 その1


※他の特別編企画とは関連はありません。


 

 宵闇に紛れ、横須賀鎮守府艦隊司令部に諜報員が潜入する。

日本皇国内で皇居と同じくらいに警戒が強い横須賀鎮守府を、諜報員は容易く侵入することができたのだ。

 目的は横須賀鎮守府艦隊司令部司令官の天色 紅の暗殺ではない。

ある”モノ”を設置することが、潜入任務だった。

 鎮守府敷地内にある事務棟。そこの監視は比較的に人数が少ない。

元より天色 紅や艦娘があまり近寄らないからだ。

そこが狙い目だと感じた諜報員はアタッシュケースとサイレンサー付きの拳銃を持ち、事務棟に入り込む。

 1階から潜入し、監視カメラを避けながら移動。

行き着いた先は最上階の4階。書類などが保管されているところだ。所狭しと並ぶ棚の間をすり抜け、監視カメラに注意しながら一番目の付きにくそうな場所に辿り着く。

 

「はぁ……」

 

 諜報員はしていた手袋を取らずにアタッシュケースを開く。

そして中にある機械のスイッチを入れた。

 アタッシュケースを閉じ、そのまま目に付かなさそうな場所に隠す。

 これで諜報員の任務は完了だ。

来た道を戻り、諜報員は横須賀鎮守府を出て行く。

 

ーーーーー

 

ーーー

 

 

 いつもと変わらない朝が来た。

 俺は身体を起こし、準備を始める。

結構寒いが、それも季節柄だろう。そう思いつつ、身支度を整えた俺は執務室に入る。

 執務室に設置してある暖房の電源を入れ、自分の椅子に座った。

冷たい椅子に少し身体が驚くが、座っていれば温まるだろう。

 

「はぁ……」

 

 こんな寒い日はもう少し布団の中に入っていたい。そんなことを考えながら、今日の秘書艦を待つ。

 今日の秘書艦は赤城だ。執務に慣れているので、変に気を使わなくてもいいだろう。

俺はそう心の中で思いつつ、時計に目を向けた。

 午前6時20分。もう来てもいい時間だ。

だがどうしてか赤城は執務室に来ない。

 寝坊でもしたかと、ふと思ったが、赤城に限ってそんなことはないだろう。

茶目っ気はあるが、執務をすっぽかすとは思えない。

どうしたのやらと考え、俺は机に出しておいた本を手に取る。

 あれから何分待っただろう。一息吐き、ふと時計に目を向けたら午前7時半。

もう朝食の時間は終わっていた。

 読書に集中していたとはいえ、執務室に誰か入ってこようものなら流石に気付く。だが、この1時間と少しの間、誰も執務室に入って来なかったのだ。

どうしたのだろう。そんなことを考えつつ、俺は私室に戻る。

朝食を食べ損ねたから、自分で用意するのだ。

 

「さて、と」

 

 冷蔵庫の中を見て、何を食べるか決める。

食パンが入っているから、普通にトースターで焼いて食べようとそのままトースターに放り込む。そしてマーガリンと牛乳を出す。

これで朝食はいいだろう。

 食パンが焼けるまで、俺は執務室に戻った。

もしかしたら、遅れた赤城が入ってくるかもしれないからだ。

だが、食パンの焼きあがる音が聞こえるまで、赤城は入ってこない。

 食パンにマーガリンを塗り、もそもそと食べながら外を眺める。

特段変わった様子はない。もちろん、変わることなんてあり得ない。横須賀鎮守府が深海棲艦に攻められたのは、空襲を受けたあれっきりだったからだ。

 食べ終えた食器を洗い、執務室で数分待ってみる。

午前8時20分を超えた辺りで、俺は椅子から立ち上がった。

手元には書類がない。赤城が来ないということは、それも事務棟にあるままなのだ。

来ないのなら自分で取りに行くしかあるまい、そう思い席を立ったのだ。

 事務棟までは外を歩くことになる。

コートを羽織り、机の上に書き置きを残して執務室を出た。

 

ーーーーー

 

ーーー

 

 

 事務棟に辿り着き、書類を受け取った。

書類が事務棟にあるということは、まだ赤城はここに来てないということだろう。

一体、どうしたというのだろうか。

 体調を崩しているというのなら、他の艦娘に伝言を頼むだろうが、その艦娘も来ていない。

 それよりも気になることがある。

なんだか、変な気分だ。

言い方が悪い。艦娘の様子がおかしくて、変な気分になるのだ。

執務室と事務棟の往復の間、艦娘とすれ違ったが、どうも様子が変だったのだ。

俺の顔を見るなり、そっぽを向く。俺が気付かないだけで、何かをやらかしている可能性があるが、1人だけではないのだ。

すれ違った艦娘全員がそういう様子だったのだ。

声を掛けてみても、『忙しいので後にしてください』と言って離れていってしまう。

一体、どうしたというのか。

 執務室に帰ってきた俺は書類を出し、執務を始める。

赤城を探しに出ても良かったが、時間が掛かるだろう。鎮守府は広い。探すとなるとかなりの時間を使ってしまう。

そうしたら、少なくはあるが、執務に支障が出てしまうのだ。

 初めて1人で片付ける執務は、いつもの気分で片付けることが出来た。

ただし、秘書艦は居ないが。

1時間半で片付けた執務の書類を片手に、俺はまた執務室を出て行く。今度も置き手紙を置いて。

もしかしたら、何かあったのかもしれない。そう思いつつ、俺は事務棟に向かった。

 事務棟に着き、書類を渡して帰っている最中、赤城を見かけた。

工廠から出てきたようだったので、何か時間を忘れるようなことでもしていたのだろう。

 

「おーい、赤城」

 

 スタスタと歩いていってしまう赤城を引き止めようと、遠いところから声を掛ける。

俺の声に気付いた赤城は足を止め、こちらに振り返った。

そして、また前を向いてしまった。

俺の顔を確認して、また歩き出してしまったのだ。

 声が聞こえなかったのか、と思いつつ、俺は走って赤城の後を追う。

 すぐに追いつき、赤城に再び声を掛けた。

 

「赤城。聞こえていたのなら、足を止めてくれても良かったんじゃないか?」

 

 そう俺は言う。そうしたら、『あ、紅提督。すみません』と言うと思っていたのだが、俺の想像とは全く違う返答が帰ってきた。

 

「あ……。何ですか? 少し急いでいるんです」

 

「そうなのか? 今日は”特務”は何も任せていないと思ったんだが」

 

「は? 違いますよ」

 

 赤城は鼻で嘲笑ったのだ。そして歩き出す。

 

「用はありませんので、どうぞ戻って下さい」

 

「いやいや、俺は用があるから」

 

「私はありません」

 

 そう言って聞かない赤城の横を歩きながら、俺は秘書艦のことに付いて言う。

 

「今日、赤城が秘書艦だったよな? どうして来なかったんだ?」

 

「面倒ですからね」

 

「面倒?」

 

「はい」

 

 赤城の返答は淡々としていた。それに俺はあっけに取られながらも、考えを巡らせる。

よくよく考えてみれば、赤城の応答が変なのだ。

素っ気ないというか、どうしてもなんだか違和感がある。

 

「執務の書類なんて、貴方だけで事足りますよね?」

 

「まぁ、確かに」

 

 赤城は歩くスピードを上げて、行ってしまった。

その場に取り残された俺は、赤城の変調に考えを巡らせる。

一体、どうしたというのだろうか。

 そう考えながら、既に見えなくなった赤城の歩いていった方向を見て、執務室に戻るのであった。

 

ーーーーー

 

ーーー

 

 

 結局、赤城は夜まで来なかった。それどころか、誰1人として執務室に来なかったのだ。

俺はこの異変が、ただ事ではないと察知し、手を打ち始める。

 

(赤城がああなってしまったということは、他の艦娘にも異変があるのだろう)

 

 そう考え、俺は執務室を出て行く。

本部棟を歩いていれば、艦娘と絶対すれ違うのだ。それを狙い、すれ違った艦娘に声を掛けていく。

 結果は俺が思っていた通りだった。

他の艦娘も赤城同様に、異変が生じていた。なんだか、性格が変わってしまったのではないだろうか。そう俺は結論付ける。

 戻ってきた俺はそのまま執務室の電気を切り、私室に戻って家事をする。

そしてそれを終わらせた後、布団に潜り込んだ。

今日の異変、明日には戻っているだろう。そんなことを考えながら。

 

ーーーーー

 

ーーー

 

 

 結果を先に言ってしまえば、昨日よりも悪化していた。

今日の秘書艦は居ない。

 昨日の夕食の時に行われる、毎日秘書艦クジはなかったのだ。ということは、全員に了承を得た艦娘なんだろう。そう思っていたのだが、違っていたのだ。

今朝起きて待っては見るものの、誰も執務室に来なかったのだ。

待っていたことで朝食を食べ損ねた俺は、また私室で朝食を摂り、1人で執務を始める。

そして、夕方に調査に出たのだ。

艦娘の異変について、だ。

 本部棟を歩き、艦娘に声を掛ける。

最初にすれ違ったのは伊勢だった。

 

「伊勢」

 

「あっ……」

 

 声を掛けた俺の方を見た伊勢は、俺の顔を見るなり、表情を曇らせた。

 

「水上機運用を主眼に置いた戦術のことで……」

 

 声を掛けるにあたって、どんな内容で声を掛けるのか。俺は艦種毎に決めていた。それを口に出し、伊勢に意見を求めるようにして調査をするつもりでいたのだ。

だが、それは失敗する。

 

「……」

 

 質問を投げかけた俺の言葉を聞きはするものの、答えてくれなかったのだ。そして、伊勢はこんな捨て台詞をしたのだ。

 

「私に声をかけないで」

 

 変に思いつつも、俺は調査を続行したが謎は深まった。

昨日よりも明らかに、俺への当たりが強くなっているような気がするのだ。

酷い艦娘なんて舌打ちをしたくらいなのだ。

 今日は気分でも悪かったのだろう、そう思いつつも私室に戻る。

そうすると、どうやら夕食の時間になっていたようだ。

俺は再び私室を出て、食堂に向かう。

 

ーーーーー

 

ーーー

 

 

 私室を出て15分。俺は私室に戻ってきていた。

先ほどよりも更に、状況が悪くなっていたのだ。

 俺が食堂にはいると、途端に静かになったのだ。それで察したのだ。

艦娘たちから浴びせられている視線が変わっていたことに。

どう考えたって、あの目は嫌いな人を見る目だったのだ。俺はそう感じたのだ。

 

(何かしたか、俺?)

 

 そんなことを考えつつ、私室で夕食を作って食べる。

今日はチャーハンだ。激辛ではなく、普通のチャーハン。

レンゲで掬い、口に運びながら考える。

 今日から何日かの、自分の行動や言動を思い返したのだ。

だが、どうしても自分では分からない。特段、何かしたという訳ではないつもりなのだ。そうは思うものの、自分では何もしていないつもりでも、あちらからしたら何か本当に嫌なことだったのかもしれない。

そうだったのなら、原因を見つけて謝ろう。俺はお茶を飲みながら、そう心に決めた。

 

(さて、と)

 

 椅子から立ち上がり、俺は後片付けを始める。

皿を洗って、洗濯物を始める。それを済ませた後、俺は椅子に座って本を読み始める。

 だが、本を呼んでいるとはいえ、内容が全く頭に入ってこない。文字を追っているだけで、頭の中は原因探求で一杯一杯だったのだ。

 俺が何かした。そう思い、原因探求に尽力を注ぐ。

そうはしてみるものの、全く分からない。どんな言動、行動が悪かったのか。全然分からないのだ。

 艦娘も人である以上、感情が備わっている。だから時には気に入らないことだってあるはずだ。それが今回は、俺の言動や行動だったということだ。

原因が分からない以上、ほとぼりが冷めるまで静観しているしかない。

他の艦娘に相談しても、全員がああいう状態ならば誰にも訊くことが出来ないのだ。

 俺は本を読み始める前のところに栞を挟み、毛布の中に潜った。

もう風呂にも入ったし、十分に髪も乾燥したことだろう。

頭から毛布を被り、考える。

俺は一体、何をしでかしたのだろうか、と。

 

 




 初回です。前回の結婚ネタから急転落しまして大変申し訳ないです。
こういった内容のを書いてみたかったんです(メソラシ)
 そういう訳ですから、4回分お付き合い下さいませ。

 ご意見ご感想お待ちしています。


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艦娘、洗脳 その2

※他の特別編企画とは関連はありません。


 

 状況を悪化を辿っていく。

艦娘の異変が始まってから4日が経過していた。今日はというと、俺を悪く言う言葉が耳に入るようになってきたのだ。

 ここまで怒ることなのだろうか。

俺は感じる。何かしてしまったのではないか、そう思って原因探求をしてきたが、一端も掴めていない現状、この状況を打開する術は俺には無い。

そして、初日よりも悪化したこの事態を、どう収拾させるのか。俺にはそれすらも考えられなかった。

 事務棟に取りに行く時間は、事務棟が開く午前6時過ぎ。3食全て自炊。

時たま、警備棟に向かう。

終始、この自体を武下に報告しているのだ。

だが、武下から帰ってくる答えは、俺の求めているものではない。

 

「昨日も門兵を数人使いましたが、至って普通でしたよ?」

 

「そうですか?」

 

「はい」

 

 武下は俺の言葉を疑うことも無く、力を貸してくれていた。

それでも、俺はこの状況を誰にも伝えれていなかった。武下らは、疑うことはしないが、信じてはないみたいなのだ。

信じさせるのなら、どうにかして自分らの目と耳で確認してもらう必要がある。それを試みるものの、ことごとく失敗している。

どうしたものだろうか。

 

「……現在の状況は?」

 

「悪口ですね。まぁ、大丈夫ですよ」

 

「そう、ですか。……そんなことを言うようには見えないんですけどねぇ」

 

 武下とて、艦娘をちゃんと知っている訳ではない。

俺が知らないのだとしたら、武下も知らないと考えた方がいいのだ。

 

「そもそも、私たちが動くとなるとそれこそ、暴動のようなものが起きた時になりますからね。それまでは静観しているしかありませんよ」

 

「そうですよね」

 

 武下から、俺にあることが伝えられたのだ。

艦娘の暴動を抑えることも、門兵の任としてされているのだ。

だが、それ以下のことは手出し出来ないようだ。

艦娘がもしそれを訴えたならば、武下たちは大本営から何か言われるらしい。俺にはそのあたり、詳しく教えてくれなかった。多分、任を解かれるとかだろう。俺は勝手にそう解釈している。

 それはそうと、俺が置かれている状況が一気に悪化した原因は、この4日間で何1つとして掴めていない現状だ。

どう打開したものか。

 

「ありがとうございます。では、戻りますね」

 

「はい。お疲れ様です」

 

 俺は警備棟を出て、執務室に戻った。

 扉を開き、執務室に入る。

 

「は?」

 

 一瞬、部屋を間違えたかと錯覚してしまった。だが、たしかにここは執務室だ。

 部屋が荒らされている。

それも、出撃記録などが納められている本棚は手付かず。

荒らされているのは、俺が普段使っている机だけ。

引き出しは開けられ、中身が散乱。紙は破られ、幾つか物がなくなっていた。

 間接的で一番大きな攻撃が始まってしまったのだ。

俺は散乱した紙切れを拾い、ゴミ箱に入れる。

机に入っていた紙といえば、俺が勉強に使っていたノートや、印刷したプリントくらいだろう。使ってあるものだから、破られてもいささか何も思わないが、やられたらそれは気分が悪くなる。

 床に膝を付き、残っている紙切れを拾いながら、俺は考えた。

 

(エスカレートしてきている)

 

 攻撃がエスカレートしてきているのだ。

 最後の紙切れをゴミ箱に入れ、俺は椅子に座る。

そして、ふぅと息を吐いた。

 心を落ち着かせる。

この状況、海軍として深海棲艦と戦うことすらかなわないだろう。

そう悟った。

戦闘行動なんて取れるはずない。俺はそう思い、窓の外を眺める。

 

「なっ?!」

 

 埠頭から艦隊が出港していた。

艦種は陸奥、利根、筑摩、阿武隈、由良、蒼龍。編成の癖が違う。俺が指示したものではないのだ。

 俺はすぐさま地下司令部に走りこみ、通信妖精に言い放った。

 

「出撃している艦隊の旗艦に繋いでくれ!!」

 

「はい」

 

 妖精が変調をきたしてないことは、初日で分かっていたことだ。

だから、ここには安心して入ってこれた。

 

『こちら第一艦隊。陸奥』

 

「おい! 出撃命令は出してないぞ!!」

 

『出ているわよ? それに貴方から出撃命令が出ていたとしても、私は聞かないわ』

 

「なにっ……!?」

 

『どうして貴方の命令を聞かなくちゃいけないの? 嘲笑わせないで』

 

「どこからの出撃命令だ」

 

『どうして貴方に教えなくちゃいけないの? うっとおしいから、どっか言ってちょうだい』

 

 そう言って陸奥は通信を一方的に切られてしまった。

 俺の顔を覗き込む妖精は、眉をハの字にしている。

 

「紅提督……」

 

「あぁ。すまなかった」

 

「いいえ。ですが」

 

「いい」

 

 俺は声をかけようとしてくれていた妖精を振り払い、地下司令部を出て行く。

 地下司令部から地上に出て、執務室に戻る途中、艦娘にすれ違う。

耳に入る話し声は、俺を蔑むようなことばかりだ。

そういう精神状態になっているとも考えられるが、自分だと分かるはずもない。誰かに見てもらわなければ分からない。

 俺はなるべく聞かないようにして、執務室へと戻った。

途中、面と向かって言われたことを思い出した。

 

『アンタ、なんでここにいるの?』

 

『は?』

 

『ウザったいわ。息しないでくれる?』

 

 誰が言ったかなんて覚えていない。

それを言われたこと自体が衝撃的だったのだ。

 

(どう、なっているんだ)

 

 そんなことを言われても、俺は未だに何も掴めていない。

日々悪化していく状況に頭を悩ませていた。

 完全に執務室と私室の往復しかしていないが、前ならもう少しは外に出ていたことだろう。

時計を見ながら、そんなことをふと思う。

 急激に変調した艦娘たちの態度。俺にはどうやってもとに戻せばいいのか、分からない。

原因も掴めない。状況も分からない。そんな分からないことだらけに置かれ、身動きが取れなくなってしまったのだ。

 

(恐怖政治をして……も良いだろうが、掛ける足が見つからないな)

 

 統率が取れなくなったのなら、強引に取り戻す手だってある。

何もかもが分からない現状だからこそ、そういう手を取ってしまってから、後々に戻していけばいいかとも考える。

だが、恐怖政治を敷く準備が出来ない。俺は現状をそう解釈していた。

 “あの時”は少数派が居た。それを伝に手を広げることが出来たのだ。

だが今回はそれすらもない。全員がそっち側だからだ。間接的に門兵を利用する、という手もある。

 門兵にはいつもような態度だったのだ。

それは確認済み。遊んでいる姿も、この4日間は何度も見ているのだ。

 門兵を利用して再統率するにしても、このまま行くと状況が更に悪化することが目に見えていた。

全権を握る前に手を打たれる可能性が十二分にある。

俺の勝算は0に等しい。

結局、手を打ったところで、それが無に還るのだ。

 

(ダメだ……。打開策が思いつかない)

 

 陽が落ち、暗くなりかけた執務室で、そんなことを考えた。

 打開策がない。もうどうしようもない状況なのだ。

諦める気は無いが、静観しているというのも手だろう。そう思い、俺は夕食を摂るべく、私室に戻った。

 

ーーーーー

 

ーーー

 

 

 艦娘が変調をきたして1週間が経った。

今日も俺は自分で書類を取りに行き、執務に励み、提出する。

終われば本を読み、勉強をしたり、戦術を考えたりなどして過ごした。

 ずっと1人。

慣れていない訳ではない。だが、ここに来てずっと、誰かが近くに居たから落ち着かない。

1時間置きに読書と勉強、戦術考案を繰り返している。集中出来ないのだ。

どうしても気になってしまって。

 

(手も足も出ない、か)

 

 そんなことを考えながら、俺は今、読書に浸っていた。

1週間も経てば、再統率することも考えなくなっていた。ハッキリ言って、取り付く島もない状況。一体、どうやって手を出していけばいいのか分からないのだ。

 今日から3日前。旗艦を陸奥に添えた艦隊が出撃して以来、色々な兆候が見られるようになった。

その1つが、そろそろ起ころうとしている。

 

「そろそろ、か」

 

 俺は本を閉じ、扉の方を見た。

そうすると扉が思いっきり開かれ、艦娘が数人入ってくる。

俺の机の前まで来ると、そのまま机に蹴りを入れたのだ。ドンと音を立て、机がガタガタと揺れる。

 

「いつまでここに居るの? さっさと出てってよ」

 

「何を言っている。ここに俺を呼び出したのは、紛れもなく時雨たちだろう?」

 

「何を言っているのか分からないね」

 

 時雨ら白露型駆逐艦が入ってきたのだ。全員が俺に対して敵意に近いモノを滲み出させている。

 

「いいかい? ここは執務室。君みたいなのが居ていい場所じゃないんだ。出て行って欲しい」

 

 反応は返さない。返答できる内容の時だけ、俺は言葉を返すようにしていた。

 

「村雨たち、アンタみたいなのをここに置くなんて言ってないわよ?」

 

 嘘。言っていた。

村雨たちは、俺がここに来る前から横須賀鎮守府に居た。ということは、俺が来ることを望んでいたはずだ。

 

「汚れちゃうよ。どいて。そこは提督の椅子」

 

 白露も冷めた目で俺のことを見ていた。

 

「そこは提督さんの椅子。貴方なんか便所に座ってた方がいいわ」

 

 いつものことだが、ぽいを言わない夕立もそんなことを言ってくる。

 この4人の中で1番当たりの悪いのは夕立だ。

何故なら、もう”あの”前触れが出ているからだ。

 

「うざいわ……」

 

 そう言って俺の横に来て、手を挙げる。

 

「ぐっ?!」

 

 握りこぶしの右ストレートが、俺の右胸に入ったのだ。

一瞬、息が止まり、鼓動が早くなる。

 

「けっ、後で洗わなくちゃ。行こ」

 

 一通り言いたいことを言って出ていく。これが3日間続いているのだ。

だが、手が出たのは今日が初めて。

それが始まってしまうと、今度は口だけではなく、手も出てくるようになるだろう。

 夕立の右ストレートは痛い。だが脂汗が滲むほどではなかった。

まだ手加減をしているのかもしれない。

そう思いながら椅子に持たれかかる。

 

「一体、どうしたんだ……」

 

 そんなことを空に呟き、俺は本を開いた。

 本を開くが、頭に全く物語は入ってこない。ただ目で文字を追って、意味を解釈しているだけの作業。本を読んでいるとはいえない状態だった。

 もし暴力が頻発するようになれば反撃に出てもいい。だがそれは俺の信条に反していた。

異性に無闇に触れない。暴力なんて論外だ。防ぐこと、躱すことは良い。だが、それが複数からの攻撃だったら? 不意打ちだったら? 急所を狙った攻撃など、かばうことも無く受けることになってしまう。

自分の信条は曲げる気はない。曲げるとそれは信条ではなくなってしまうのだ。

 俺は自分に言い聞かせた。そのうち良くなる、正気に戻るだろう、と。

だが現実は甘くなかった。

 俺は買い物に行くため、外を歩いていた。

冷蔵庫の中の食材を切らしてしまったからだ。

財布をポケットに入れ、厚手の上着を着ていた。

そうしていると、前から艦娘が歩いてくる。

 何か言われるんだろうと、身構える。

こっちに来ていたのは金剛だった。

 

「あ」

 

 そう小さい声で言った金剛は、俺の方にまっすぐ歩いてきたのだ。

 この1週間。金剛の姿を見ていない。もしかしたら、他の艦娘みたいにはなってないかもしれない。そう思っていた。

 

「お、金剛。後で執務s」

 

 身体が浮いていた。

靡く栗色の髪に、特徴的な結い方をしていることから、それが金剛だということは分かった。

そしてその髪は俺の目の前で靡いている。

 急に食堂を駆け上がる、酸を吐き出しそうになりながらも、俺は金剛の顔を見た。

 

「ちっ」

 

 殺気が滲み出ていたのだ。そして、腹部のあまりの痛さにその場で膝を付いてしまう。

 

「◯ねば良いのに……」

 

 そんな言葉が聞こえた気がする。

痛む腹部を押さえながら、俺は歩き去る金剛の姿を見ることしか出来なかった。

 痛みが引くまで道の脇にある低い木の裏で座り、ぼーっと空を見上げた。

土と草木の匂いが鼻に入る。

 

「何やってんだか」

 

 腹部の痛みもなくなり、そのまま鎮守府を出て行く。

酒保に入れば艦娘と鉢合う確率が高い。それならば、外に出て買いに行く方が安全だろう。

金剛から腹部に一発貰ったことで、保身に転じたのは仕方のないことだ。それならば、外の方が幾分かマシだろう。幸い、最近デモ隊が現れることもなくなってきた。

 上着は白くないので、パッと見は提督には見えない。そう確信があったから、外に出れるのだ。

1番近くにあるスーパーマーケットに行き、食材を買って鎮守府に戻る。

出ていく時に使った門から入り、そのまま私室に戻った。

 途中、艦娘を避けるために道を選んだから、行きよりも時間がかかってしまった。

 私室に着き、冷蔵庫に食材を入れてから、執務室の自分の椅子に腰掛ける。

ひんやりと冷たい椅子。少し考え事にふけった。

 

(どうにかしよう……)

 

 もう、具体的なことは考えられなかった。

ただただ、この状況を漠然的に打開することだけを考えた。

 

ーーーーー

 

ーーー

 

 

 金剛に腹部を殴られて以来、身体的な攻撃が始まった。

執務室にいれば1時間置きくらいで艦娘が複数人で入ってくる。

その度に俺は殴られ、蹴られた。

抵抗しないのか、と面白がった龍田が訊いてきたことがあった。

返答はした。だが、どう龍田が解釈しかなんて分からない。ただ嗤っていたんだ。

 

 

 




 どんどん状況は悪化していきます。
 完結済の方で、紅の過去とかが語られていますが、それを一度確認すると良いと思います。
……完全に、前作からの読者しか読んでない前提で申し訳ありません。

 ご意見ご感想お待ちしています。


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艦娘、洗脳 その3

※他の特別編企画とは関連はありません。


 

 紅提督の様子がおかしくなったことに気付いた。

警備棟に来ることもなくったが、別に気にすることではない。用事があれば紅提督は呼び出さずに、自分から顔を出しに来る。そういう人なのだ。

それに、こちらも用事はない。最近はめっきりデモ隊が現れなくなったからだ。

そんな時にどうして紅提督の様子がおかしくなったことに気付いたのか。それは、事務棟の人間が警備棟を訪れたのが始まりだった。

 

『書類が3日間程、止まっているんです』

 

 その言葉が始まりだった。

私は事務棟の人間に話を訊く。

 

『それまでは?』

 

『ご本人が受け取りにいらっしゃってましたよ。事務棟を開いてすぐに』

 

 心配そうに事務棟の人間は、私に封筒を3つ渡してきた。

それは紅提督が処理しているという書類。日付は昨日一昨日とその前の日のものだった。

 

『それに気になることが……』

 

 私はこの言葉を聴いた時、戦慄した。

 

『格闘技でもやっているんですかね? 痣が……。それに、最後にいらっしゃった時は腕を痛そうにしていましたが』

 

 思い出した。紅提督が訴えていたことに。

艦娘がおかしくなった、と。

 私は事務棟の人間に戻ってもらい、すぐに動き出した。

部屋に戻り、ある者を呼び出した。

 

「お呼びですか?」

 

「あぁ」

 

 目の前に立っているのは巡田。諜報員として抜群の能力を持っている。

自分ではどうしても確認は出来ないだろうと思い、頼むことにしたのだ。

 

「実はだな……」

 

 事の顛末を巡田に話す。伝えていく程、表情は険しくなっていく。

 

「何ですか……それ」

 

「そういうことだ。初動で私が動く訳にはいかない。巡田、頼めるか?」

 

「分かりました」

 

 即答。すぐさま、巡田は部屋を出ていく。

 1人になった部屋で、私は独り言を零した。

 

「一体、どうしたって言うんだ」

 

ーーーーー

 

ーーー

 

 

 鎮守府内、艦娘たちの統率が完全に失われてから10日が経過していた。

俺への物理攻撃が始まって4日が経つ。

 

「急いで!」

 

「伝令っ! 医務室への経路はっ?!」

 

「持ちこたえています! 今なら安全に医薬品を取りに行けます!」

 

 4日前とは完全に状況が変わっていた。

まさに戦場。横須賀鎮守府内で内戦と言っていいようなことが起きている。

 3日前。艦娘が妖精に対し、俺への接触をした場合の厳罰を敷いたのだ。それに反発する妖精とそうでない妖精とで対立が起きてしまったのだ。

横須賀鎮守府に張り巡らされた妖精用の道路を巡って攻防戦を繰り返している。ちなみに攻撃手段は殴り合い。白兵戦だ。

それに応じて俺も完全に私室から出れなくなっていた。辛うじて隠し通路が使えるが、金剛と鈴谷が巡回していて、外に出れたとしても見つかれば暴行を受ける羽目になるのだ。

 今、俺の私室は反発している妖精たちが身を寄せている。

反発勢力は少数派だ。ほとんどの妖精があちら側に付いてしまっている。食品などを手に入れるために俺が暴行を受けながら行き来していることを知った妖精たちは、私室に居座るようになってしまっていたのだ。

 

「紅提督……」

 

「どうした?」

 

 反発勢力の妖精で、俺の治療担当の妖精が声を掛けてきた。

 

「さっき運び込まれた妖精から、伝言があります」

 

 ちなみに俺は、1日1回。隠し通路を通って外に出ている。その度に見つかった艦娘に暴行を受けているので、日々生傷が絶えないのだ。

外に出る目的は食料調達。妖精たちでは確保出来ないからだ。俺が行くしか方法はない。

 ポロポロと涙を流す妖精が、声を絞り出した。

 

「地下司令部が陥落しました……」

 

 反発勢力がなんとか確保していた拠点、地下司令部が陥落。つまり、防衛していた妖精たちが全滅したということだった。

 

「どれだけやられたっ……」

 

「200人です」

 

 殺された訳ではない。殴り合いをして、動けなくなったのを縛られた後、連れて行かれたのだ。

 俺は室内に目を向ける。

広い俺の私室も妖精が沢山居た。負傷して手当を受けているところや、頻繁に防戦に出ているところ。束の間の休憩をしているところ。

ここには妖精が総勢3000人居るのだ。

ちなみに言うと、横須賀鎮守府に居る妖精の総数は約8万人。反発勢力は約6000人だ。

残りの約3000人はというと、横須賀鎮守府の各地で籠城しているらしい。

 ここに集まってきている妖精たちは、鎮守府の主要施設を押さえていた。だが現在ではことごとく陥落し、残っているのは医務室のみ。先ほど陥落した地下司令部を経由して向かうことが出来る地下工廠なども陥落は時間の問題だということだ。

 

「……皆さん、どうしてしまったんでしょうね」

 

 俺の青痣のところに湿布を貼りながら、妖精は呟いた。

 

「分からない。俺だって知りたいさ」

 

 そう言いながら、せわしなく妖精たちが動く私室を見た。

 

「今日は、誰に?」

 

「あぁ。隠し通路で鈴谷に見つかって数発。外で4回遭遇して13発」

 

 身体が悲鳴を上げる。暴行の痕が痛い。

駆逐艦の艦娘などは、力が弱いのでそこまで痛くない。だがそれ以上となると、一撃一撃がとてつも無く痛いのだ。

そして戦艦や空母の艦娘となると、何度か意識を失うようなこともあるくらいだ。

 

「戦艦と空母の艦娘には?」

 

「2回さ。日向と長門」

 

「運が悪いですね……」

 

 白い軍装も赤くなっている。腹部に食らい、意識が飛びそうになるのを口の中を噛んで耐えたのだ。もし、その場で気絶でもしようものなら何されるか分からないからだ。

口から垂れた血が軍装に付いてしまっている。

 

「容赦ないな……長門たち」

 

 じんわりと目頭が熱くなってくる。それを俺は必死に堪え、湿布を貼ってくれた妖精に礼を言った。

 

「ありがとう……」

 

「……いいえ」

 

 寂しそうに答えた妖精が、運び込まれてくる妖精たちの介抱に離れた時、ある場所が揺れた。

ドンドンと音を鳴らしているそこは扉だったところ。今は本棚を動かして封鎖している。

そこを艦娘が突破しようと叩いてきているのだ。

 

『ここ、開けろよッ!!』

 

『おい! 居るんだろっ!!!』

 

 声色からして摩耶だろう。多分、重巡の艦娘数人を連れてきているだろう。

 扉を殴る蹴る音に驚いた妖精たちが、皆で身を寄せ合っていた。俺のところにも10人くらいの妖精が震えながら身体を寄せている。

 

「耐えろ……」

 

 小声が出たかもしれない。

 鳴り続ける殴打音に怯えながら、耐え忍ぶ。

 

『んだよ! 出て来いっつってんだろッ!!』

 

『面白いおもちゃ持ってきたのによぉ!』

 

『ったく……』

 

 遂に泣き出す妖精も居るほどだ。

俺だって暴行されている時のことを思い返すと、その時の痛みと恐怖を思い出す。

 離れていく音が聞こえ、遂に出ていく音がすると安心する。

妖精たちはおっかなびっくりに動き出し、治療する者や防衛に動き出す者は妖精用の通路に出ていく。

 ちなみに隠し通路は、こちら側からじゃないと開かない。

昨日、金剛に入られた時は大変だった。

妖精たちに俺が逃げろと言うやいなや暴行が始まる。それを止める術のない妖精たちは、持てるだけのものを持って、妖精用の通路に逃げていくのだ。

気が済むまで殴った金剛は、隠し通路に戻っていく。

恐る恐る出てきた妖精たちが、俺の介抱をしてくれたらしい。その時には既に俺は気を失っていたらしく、身体を動かすことは出来ないからと言って、その場での治療になったとのこと。

 

「左腕、痛みますか?」

 

 偵察に出ていた妖精が、俺のそばまで来た。

 

「あぁ。痛いよ」

 

 眉をハの字にした妖精は俺の左腕に触る。

今、俺の左腕にはギブスが巻いてある。理由は簡単。医療妖精によると、骨にヒビが入っていたらしい。暴行の影響らしい。

 

「執念にここを狙ってくるからさ……外の状況は?」

 

「駄目ですね。警備棟に近寄れないです。艦娘たちが遊んでいるように見せかけて、警戒してますから」

 

 何故そんなことをしているのか。理由は簡単だ。

俺の手元に携帯電話がない。それに、妖精たちが逃げ込んできた時に取りに言ってもらおうかとしたが、既に執務室から無くなっていたみたいなのだ。

おかげで助けを呼ぶ手段が、妖精に伝言を頼むこと以外にないのだ。

 

「取り付く島もない状態か……」

 

「はい。ですから、事態を誰かが察知するのを待つのが先決かと」

 

 そう言って妖精は敬礼し、他の妖精へと報告に向かってしまった。

 俺の身体には湿布が貼られ、包帯が巻かれ、ギブスまでしてある。完全に怪我人だ。

風呂に入る時、鏡で見るが痛々しい風貌をしているのは自覚している。

口の中も今日、噛んでしまったから、食べれるモノも制限されてしまうだろう。

そもそも、食事は最近食べれてないから、そこまで気にすることではない。

腹部の痛み、顎の痛みで禄に食べれたものじゃないのだ。少し覚ましたスープを飲むのが精一杯。冷たい水やお茶も多分、今の様子だと飲めないだろう。

 執念な攻撃に晒されながらも、俺は虚空を見る。

 もう、どこか艦娘を怖がってしまっている俺がそこに居た。

たった10日でこうも変わってしまうのだ。

俺を殴る艦娘の目が、声色が何もかもが怖くなっていたのだ。

 俺の信条で、手を出さないと決めているが、もうそんな信条も要らないのではないかとも思っていた。

反抗も良いのではないか、反撃しても良いのではないか。そんなことを、頭の片隅で考えている。

味方の妖精たちも傷つき、どんどん数が減っていっている。疲労で顔色の悪い妖精だっている。傷付いて戻ってくる俺や妖精たちの介抱のために、医薬品を運んでいる妖精たちだって、ずっと往復を繰り返しているのだ。

 

ーーーーー

 

ーーー

 

 

13日目に入った。

夜中も忙しなく動き続けている妖精たちを労いながら、俺は冷蔵庫の中身を確認した。

やはり妖精約3000人を養うだけの食料は、一度に持ち込める食料で1日分を使ってしまっているのだ。

妖精たちは自分たちで食料を確保出来ない。俺が確保しに行くしかないのだ。

年不相応な掛け声を出して、俺は立ち上がる。

 

「じゃあ……」

 

 そう言って隠し扉に手を掛けた時、妖精が肩によじ登ってきた。

その妖精は赤城航空隊、戦闘機隊所属の妖精だ。妖精用通路の防衛で度々出ていっている。それが俺の肩に乗り、泣きそうな顔で訴えてきたのだ。

 

「もう止めて下さいっ!! これ以上、怪我をして帰ってくる紅提督は見たくないですよ!!」

 

 弱い力で俺の上着を揺らす。その妖精に反応してか、他の妖精たちも登ってきて訴えたのだ。

 

「もう、出ていかないで!」

 

「やですよ……」

 

「今、逃げ出せる経路を探していますから、だから、だからっ!!」

 

 介抱をしている妖精たちや偵察に出ている妖精たち、忙しなく伝令をしている妖精までもが俺の肩に登ってきて訴えた。

 

「俺が行かないと、ここに居る妖精たちのご飯が用意出来ない」

 

「そんなの1週間だって我慢しますよ……」

 

「食堂で盗ってきますから……」

 

 ボロボロと俺の肩の上で涙を流す。

そんなことをされたら、と思うと俺は、隠し扉から手を離していた。

 

「分かった」

 

「はい、はいっ」

 

 俺はそのまま椅子に腰を降ろした。

そして少し考える。

考えを巡らせ、巡らせること10分。あることを思いついたのだ。

 

「あ」

 

 俺は伝令妖精と防衛に出る班を1つ、呼び寄せた。

 

「少し、頼まれてくれないか?」

 

 俺はその場であるものを書き始める。

 

「これから事務棟に向かってもらう」

 

「理由は?」

 

 伝令妖精は、俺の顔を見上げて訊いてきた。

 

「事務棟に侵入して最上階を目指して欲しい。そこから鎮守府全体を見渡してくれないか?」

 

 俺が目を付けたのは、事務棟の高さだ。

事務棟はこの鎮守府の中で一番背の高い建物だ。それに、事務棟の周辺はスッキリとしていて、植えられている木も背が低い。

周りを見渡すのには十分な場所なのだ。

 

「艦娘の通りの少ないところ且つ門兵が良く歩くところを見つけて欲しいんだ。もしそれがここよりも近場だったら、ここから脱出して警備棟に走る」

 

「……もしそれが叶ったとして、私たちは?」

 

「事務棟に向かうと良い。医務室がこちらの支配下なら、そこを拠点に移して順次脱出していけばいい。もし、俺が警備棟にたどり着けたら門兵を向かわせる」

 

「分かりました。では、行ってきます。2時間で帰ってこれると思います」

 

「分かった」

 

 事務棟派遣隊を見送り、俺は他の妖精たちにそれを伝えた。

皆、賛同してくれたが、やはり皆、あることを心配していた。

 本部棟から警備棟まで、歩いて15分掛かる。つまり、約1km離れているのだ。

その間を、傷だらけの俺が艦娘に追われながら逃げ切れるか、ということだった。

幸い、最短ルートなどは考えてからの提案だったので、問題ないとは思うが、現状がどうなっているのか分からない。それだと、その言葉も信用できないというものだ。

 

ーーーーー

 

ーーー

 

 

 私たちは紅提督の命で、事務棟に向かっています。

 妖精用の通路というものは4人ほど並んで通れる広さがあり、かなり証明が明るい道です。

そんなところも、時より悲鳴が聞こえてきます。防戦をしている、私たち側の妖精の声でしょう。殴られて、蹴られて、痛いと叫んでいるんです。

私は伝令をしていますが、時よりこういうような声の元凶に行くことがあります。

喧嘩といえばそういう風に見えますが、私たちからすると防衛戦です。どうしてかおかしくなってしまった艦娘に操られている妖精たちが、紅提督の私室に入り込んでどうにかしようとしているのを防いでいるのですから。

 数の少ないこちら側も、7日間も耐えているのですから、頑張っているでしょう。

幸い、こちら側の妖精は手練だらけですからね。

 それはそうと、医務室に到着します。

ここには3交代制で200人の妖精が入れ替わって管理しています。ここに留まる妖精は、医薬品を棚から降ろしたりしています。

その妖精たちに声を掛け、私たちは紅提督の命令を伝えました。

 

「……ということだから、外に繋がる扉の状況が知りたいの」

 

「分かった、皆に伝えておくよ。えぇと、あっちの妖精たちは来ないよ。皆、廊下側から来てるから」

 

「ありがとう。じゃあ、頑張ってね」

 

 私たち、7人は扉を潜って外に出る。

 




 状況がどんどん悪化してきていますね。前回の後書きでも同じようなことを書いていたと思いますが、右肩下がりで悪化しているので仕方のないことですね。

 ご意見ご感想お待ちしています。


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艦娘、洗脳 その4

※他の特別編企画とは関連はありません。


 

 途中、何度か艦娘にすれ違ったけど、なんとかやり過ごして事務棟に到着したのは、出発してから40分後でした。

事務棟には妖精用の入り口がないから、ネズミとかが入るようなところから中に入り、あちこちを経由して建物に侵入します。

 非常階段を登り、最上階に入ることが出来ました。

外は寒かったですが、これも紅提督のためです。

 薄暗い部屋に入り、そこから屋根裏に入って屋上に出るつもりです。

自分の背の何十倍という高さの棚の間を歩きながら、入れそうな場所を探します。

ここに置いてあるものは、全部が書類です。ファイルに丁寧に閉じられたものが所狭しと並んでいる様子が、執務室を連想させますが、執務室よりも多くの棚とファイルがあるので圧倒されます。

 

「どこか上がれるところ、あるかな?」

 

 名目上、私の護衛となっている妖精がそんなことを呟きながら、ひたひたと歩いています。皆同じことを考えてあるいていることが分かり、少し安心した反面、そんなことを言っているということは、誰も入り口を見つけれていないんです。

 そんな時、変なものを見つけました。

ファイルが大量に並んでいるこの部屋で、異質なものが隠されるように棚の下に置かれていたのです。

人間ならば気づかないようなところにあります。私たち妖精ならば見つけられましたけどね。

それが何なのか、私はとても気になりました。

 

「重要書類ですかね?」

 

「さぁ。でも、こんな厳重な書類で紅提督のところに行ってないのなら、問題があるんじゃない?」

 

「それもそうですよね」

 

 アタッシュケースにいれられた書類なんて、トンデモなく重要な書類に違いありません。

私はこんな書類だらけの部屋に置かれているものですから、てっきり中身は書類だと思っていたんです。

ですが違いました。

 

「これ……機械ですね」

 

 側面に空冷ファンのようなものが大量に付けられているアタッシュケースを開くと、中には機械がぎっしりと入っていました。

 私は元は地下司令部の妖精です。機械には強いですから、それを少し弄ってみました。

護衛の妖精たちに止められましたが、なんだか気になって仕方がなかったのです。

大きいですが、キーボードを操作して画面を見ます。

 

『ChemSub Discharged. Do you Stop it? Yes/No』

 

 何かの排出を停止するか? と訊かれました。何かの略だということは分かりましたが、良くないものが出ているんでしょうかね。

 

「これ、何が書いてるんですか?」

 

 護衛の1人が私に訊いてきました。

 

「何かを出すのをやめるか? って訊いてきてます」

 

「ふーん。出すのを止めたらどうです?」

 

「そうですね。良くないものを出しているかもしれませんし」

 

 そう言って私は『Yes』のところを決定ました。

そうするとファンが止まったのです。

 まぁ、これ以上これにかまっていてもどうしようもありません。何かの排出も止めましたし、このまま最上階に上がります。

丁度、周りを見に行っていた妖精が戻ってきて、上に上がるところを見つけましたからね。

 

ーーーーー

 

ーーー

 

 

戻ってきた妖精から、俺は報告を聴いた。

どうやら、ここから近いところで条件に合う場所は見つからなかった、と言っていた。だが、その他にも報告があったのだ。

事務棟の最上階で奇妙なアタッシュケースを見つけたとのこと。そして、それが何かを出しているようだったので、それを停止させたこと。それを伝えられた。

 

「それが何を出しているのか、分からなかったんだよな?」

 

「はい。『ChemSub』というものを出していたんでしょうけど、それがなんだか……。空気で出していたことはわかったんですけどね」

 

「そうか……」

 

 そう言って、妖精は座り込んでしまった。

 

「……そういえば、何だか傷、増えてません?」

 

「あぁ。戻ってきてすぐ、報告しにきてくれたから見てないだろうが」

 

 そう言って俺はバリケードの方を見た。それにつられて、妖精もそちらを見る。そして顔が青くなったのだ。

 

「バリケードが……」

 

「つい1時間と40分前に破られた」

 

 から笑いをするが、身体が無茶苦茶痛む。

突破したのはアイオワなど、戦艦組と空母数人。力技で突破してきたのだ。

侵入してきた艦娘を見るなり、俺は妖精たちに避難を指示。俺は暴行を受けていたのだ。戦艦・空母に囲まれたのは、今回が初。大技の回し蹴りを食らい、壁まで吹き飛ばされた後はお察しだ。

 

「もうあのバリケードは役に立たない。頻繁に艦娘たちが入ってくるようになるだろうな」

 

「……申し訳ありません」

 

「何を言うんだ。お前は悪くないだろう?」

 

 そんな時、壊されたバリケードの向こう側で足音が聞こえてくる。

 気付いた妖精たちは俺の周りに集まってくる。

逃げるように俺も部屋の隅に座っていた。

 何度も暴行を受ければ、こうもなってしまうだろう。

された後は虚勢を張っていられるが、前触れがあるとなるとそうはいかない。

身体が震えるようになってしまっていた。

 刹那、扉が開かれる。

肩を跳ね上げ、妖精たちと寄り添う俺の前に現れたのは艦娘ではなかった。

 

「紅提督?」

 

 警戒してか、拳銃を片手に持っていた巡田だったのだ。

 巡田の顔を見た瞬間、俺は意識を手放す。

 

ーーーーー

 

ーーー

 

 

俺が目を覚ましたのは、妖精たちで溢れかえった私室ではなかった。

ぼんやりと視界が回復する。

 ここには4人、人間が居る。全員が同じ色をした服装をしている。

すぐに誰に囲まれているのか、頭が理解出来た。

 

「気付かれましたか」

 

「……武下さん」

 

 私室ではないことは理解出来た。だが、ここはどこだろう。

武下がいるということは、横須賀鎮守府の中であることに間違いはないはずだ。

 

「記憶はありますか?」

 

 漠然とそう言われ、身体を起こそうとする。

だが、身体は起き上がらなかった。身体が言う事を聞かない。

 

「紅提督は身体のあちこちを打傷、切傷しています。腕に至ってはヒビですよ」

 

 腕のヒビには記憶がある。

 俺は”思い出し”、室内を見渡した。

目的は分からない。

 

「心配されずとも、ここに危害を加えようとする者はいませんよ」

 

「えっと……」

 

 状況を飲み込み、今置かれている状況を理解した。

俺は脱出できたのだ。となるとここは警備棟になるのだろう。

 

「……武下さん」

 

「はい。全容は把握しています」

 

 俺が言おうとしたことが分かっていたみたいだ。

 

「こちらでも確認済みです。各所に設置されている防犯カメラの映像、多数の妖精たちの証言があります」

 

「はい。……ですが、報告は無しです」

 

 言葉足らずなのはいつものことだ。

その言葉を理解し、武下は黙って頷く。

 

「えぇ。紅提督ならばそう仰ると思いましたよ」

 

「はい。こんなこと報告でもしたら、日本皇国は終わりますからね」

 

 俺への暴行、俺から統率が離れることは反乱と同等と考えられる。それが実際に起きてしまっていたのだ。もしそれが外に漏れようものなら、戦争反対を掲げるデモに油を注ぐことになるのだ。

 

「それはそうと、どうして俺はここに?」

 

「それはですね、話を遡ると半日前になります。私が執務をしていると、事務棟の方が訪れたのです」

 

 どうやら俺は、半日も寝ていたらしい。

 

「私に向かって『紅提督がいらっしゃらないのです。それに最後に見た時は、身体を庇って歩いているように見えました』というようなことを報告したのです。それから私は巡田を招集。情報収集に当たらせました」

 

「その結果、俺が私室に立てこもっているのを発見した、と」

 

「はい。提出された報告書によりますと、執務室は机のみ荒らされ、私室へと繋がる扉が壊されていたと。中に入ると、大勢の妖精と身を寄せ合っていた紅提督が居た」

 

 報告書を片手に、武下は淡々と話す。

 

「身体中の傷を確認した後、本部棟を脱出。こちらの衛生班に治療をさせました」

 

 病院に連れて行かなかったのは、外にこのことが漏れることを警戒してのことだろう。

医務室に行けば、ある程度の治療は受けることが出来る。それさえ取り戻せば、どうにでもなるのだ。適当な理由を付けて、外の病院にかかればいい。

 武下は更に報告を続けるのだ。

俺はてっきり終わりかと思っていたが、まだあるのだ。

 

「紅提督を暴行していた艦娘たちは、ある時間を境に一瞬、気を失い。その後、気を取り戻したそうです」

 

 そう言って武下はある写真を見せてきた。

多分、巡田が撮ったものだろう。

そこに写っていたのは、拳が血塗れのアイオワが倒れているところだ。その血はもちろん、俺の血だろう。

 

「……それで様子は?」

 

「酷く混乱しています。それと、執務室及び私室への入室許可が、私に回ってきていますが?」

 

 何を今更。普段は勝手に入ってきていたというのに。

 

「そんなもの必要ないですよ。わざわざ入室許可書が必要になるような制度も作った覚えないですし」

 

「そういうんじゃないみたいです」

 

 そう言って、俺に入室許可書を見せてきた。

 内容はこうだ。『清掃・修復活動を行う』と書いてあるのだ。

俺の頭は混乱する。どうしてそんな内容なのだろうか。

 

「艦娘たちは正気に戻ったんですよ、紅提督。彼女たちは贖罪のために、普段なら妖精に任せることも、自分らでやろうと言っているのですよ」

 

 正気に戻ったとはいえ、さっきから武下が”艦娘”という度、身体が震えている。

恐怖が植わってしまっているようだ。

 客観的に自分の状態を言っているが、そういう状況に陥っていてもおかしくはない状況だったのだ。精神的・身体的暴行が2週間も続いていたのだ。それに、俺は一切も抵抗をしなかった。全てを抱え込み、耐えたのだ。結果的に、俺が拒絶反応を起こしていても仕方のないことなのかもしれない。

 

「ご自分でも分かっているようですが、紅提督。現在、貴方の精神は”彼女”たちを拒絶しています」

 

「分かってます」

 

 俺は深呼吸し、目線を流した。

室内に居るのは武下と西川、沖江、巡田だ。手練だ。

 そのままベッドに身を任せ、天井を見上げる。

 

「治るまで、どれくらいかかるか聞いてますか?」

 

「確か1日とかなんとか」

 

「速いですねぇ?!」

 

 妖精の治療を受けている。大体の治療はそれくらいで済んでも、特段違和感はない。

前にも似たようなことがあった。その時もすぐに傷は完治したから、今回はそれくらいが妥当だろう。

 

「……ありがとうございます」

 

 そう呟き、目を閉じる。

誰に言った訳でもない。そう言いたくなったのだ。

 

ーーーーー

 

ーーー

 

 

 傷も治り、俺は立ち上がれるようになった。

だが、腰はどうも駄目だったみたいだ。激しい運動をする機会もそうある訳ではないが、医務妖精曰く『激しい運動は腰を壊す原因になります』と注意を受けている。

 白い第二種軍装を身に纏い、倒れたときには腰になかった軍刀が今は刺さっている。

いつもなら、執務室に置いてあるものだが、どうしてか手元にあったのだ。そして、腰に刺すことに何の躊躇もすることなくしたのだった。

 

『応、非番の沖江を付けます。彼女に無線機を持たせていますので、何かあればそれを』

 

 そう言われ、先ほど警備棟を出たのだ。

 横を歩く沖江は、姉貴と良くしている門兵だ。

 

「今日帰ってくるらしいですよ」

 

「そうなんですか?」

 

「はい。手続きやらなんやらで大本営やら色々なところを回ったらしいですから」

 

 俺はその手続きやらを知らない。何の用事で出ていたのか知らないが、ここ3週間程、横須賀鎮守府に居なかったのだ。

 姉貴がいたなら、こんなことももっと早くに終わっていたかもしれない。

そんなことを少し考えつつ、俺は本部棟の前に到着した。

 

「正気に戻ったとはいえ、ちゃんとした確認はしていません。もし何かあれば……」

 

 沖江は腰にある黒い鉄の塊に手を掛けた。

そう言ったものを所持していることを、俺に暗に伝えたのだ。

そしてそれを向けるのは、俺ではない。艦娘に向けて、だ。

 昨日から精神面も良くなっていた。

身体の震えもなくなった。

 

「抜かないで欲しいものです」

 

「あははっ……そういう訳にはいきませんよ」

 

 苦笑いを浮かべる沖江に、身体の正面を向けた。

 

「そうなった時、貴女はそれを抜かなくても良いんです」

 

 柄に手を掛けた。

 

「私が抜きますから」

 

 本部棟の入り口に向かい、声をだす。

 

「行きましょうか」

 

ーーーーー

 

ーーー

 

 

昼間だというのに、本部棟の中には人っ子1人も居なかった。

誰ともすれ違わずに、執務室に到着する。否。誰ともは言いすぎた。妖精とはすれ違った。

 一際大きな扉の前に立ち、ノブに手を掛ける。

 

「私、初めて執務室に入りますよ」

 

「まぁ、門兵ならまず入らないところですよね」

 

 そんな他愛もない話をしながら、執務室に入る。

そうするとそこには、見慣れた顔が居た。

 

「紅提督……」

 

 赤城が居たのだ。

他には金剛も居る。

 反射で柄に手が掛かった。治したとばかり思っていたが、どうも治ってないらしい。

 赤城の陰に隠れている金剛が、柄に掛けた時に出た音に肩を飛び跳ねさせていた。

 

「何の用だ」

 

 2週間のスパン。久しぶりに交わす言葉は、俺の思っていた以上に冷たかった。

 

「私たちの変調を昨日から調べ上げました」

 

 冷たい言葉を掛けられたというのに、赤城は言葉を発する。

少し目尻が赤くなっているような気がするが、きっと我慢しているのだろう。

 赤城の背後から金剛が出てきて、俺の1m手前にアタッシュケースを置いて赤城の後ろに隠れたてしまった。

金剛の様子がおかしいが、今気にすることでもない。

 

「原因はその鞄にありました。私たちの変調が認められて13日目。私室に籠城していた紅提督が妖精に命じ、脱出経路の選定のため、事務棟に行った際に見つけたものだそうです」

 

 俺はアタッシュケースに歩み寄り、開けた。

中にはぎっしりと機械が詰め込まれている。そして、ケースの外装にファンがいくつも取り付けられていた。

 

「妖精たちが発見した時、それは稼動状態にあったそうです。その場の判断で停止させたみたいですが、それがどうやら私たちの変調の原因だったみたいです」

 

「そうか」

 

 またしても出てくる言葉は冷たい。

 

「化学物質を放出し、艦娘にのみ特異的に効果を促す作用のあるものだったようです。私たちはそれの影響で変調していたと思われます」

 

 開けたアタッシュケースを閉じ、流れで沖江に渡した俺は、そのまま椅子に向かった。

そして腰を降ろし、膝を立てる。

 机は綺麗になっていた。蹴られに蹴られ、凹みまくっていたところも綺麗に元通りになっていた。私室の扉も直されており、14日前に戻ったみたいだった。

 

「それで?」

 

 出て来る言葉は冷たい。

 

「っ……」

 

 赤城は言葉に詰まった。

 自分たちに意思でそういうことをしていなかったとしても、この様子だとこの2週間の記憶はあるみたいだ。

俺を目の前にし、それを思い出しているのかもしれない。

 

「沖江さん。それの処分をお願いします」

 

「はい。任務終了後に持っていきます」

 

 空気を読み、淡々とした返答をする沖江。

 

「……友人であり、家族」

 

「っ?!」

 

 そんなことをつぶやいてみる。

 

「そう言ったが、そんな友人や家族からの暴言・暴行。たとえ本意ではなかったとしても、その矛先を向けられていた俺はどうすればよかったんだ?」

 

 赤城は反撃と言いかけて、言葉を詰まらせた。

 

「……全艦娘に通達」

 

 命令とは言わない。強制させたくないからだ。

だが、これを言ったところで、言い方が違っていたとしても、強制の意味合いがつてしまうかもしれなかった。

 

「罰として2週間毎日グラウンド5周。今から行って来い!!」

 

「「はっ、はいっ!!」」

 

 赤城と金剛は走って執務室を飛び出ていってしまった。向かう先は艦娘寮の後、グラウンドに行くだろう。

と思っていたら、沖江までも廊下に出ていってしまっていた。

急いで立ち上がり、廊下に出て言う。

 

「沖江さん! 貴女は違いますよっ!」

 

 急反転して戻って来た沖江が、息も乱さずに言い訳をした。

 

「つい、行ってしまいました」

 

「はははっ、気にしない気にしない」

 

 そう言って俺は再び椅子に腰掛ける。

 グラウンドは騒がしくなり、外を俺は眺めた。

外ではもうかなりの人数の艦娘が走っている。

 

「……どうしてグランド5周なんですか?」

 

 そんな素朴な疑問を俺に訊いてきた。

特に深い意味はないが、多分、このままにしていたらそれはそれでわだかまりが出来ていただろう。なら、何かしらの罰を与えた方が良いのだ。

と、言おうと思ったが止めた。

 

「1周なら平気でしょうね。ですけど5周です。相当身体に負担がかかりますよ。それを2週間やり続けることになります。十分、苦しい思いはするでしょうよ」

 

 そう言うと、沖江は苦笑いした。

 

「それは苦しい思いはするでしょうね」

 

 俺もそうだが、グラウンド5周なんて走るのはとてもしんどい。

毎日やるとなると、かなりだ。

だが、この2週間の罰としては軽いのかもしれない。それを察した沖江は、俺に向かって1言。

 

「お優しいのですね」

 

 俺はそれに答えなかった。

 5周終わった艦娘たちはそのまま息を切らして執務室に並ぶ。俺に一言言うと言って聞かなかったのだ。

全部聞いたが、全てが謝罪の言葉だった。ある艦娘Hなんて『こんなことで償えるとは思ってません。ですから、何か、何かで贖罪していこうと思います』と言って出ていってしまったのだ。

 結局、この騒ぎは終末を向かえた。だが、大きな傷を沢山残していったのだ。

俺への精神・身体的な傷が主だったが。

 

 




 聖夜の前日にとんだ内容の二次小説を投稿するもんですね(ゲスガオ)
 ということで、今回で『艦娘、洗脳』は最終回です。
終わり方に無理があるようにも思う読者の方もいらっしゃると思いますが、あえてそういう終わらせ方にしました。理由を求められたら答えづらいですけどね。

 ご意見ご感想お待ちしています。


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特別編企画 第3回目 『艦娘とは違う絡みで暴走させてみた』
門兵女性隊員 暴走 その1


※他の特別編企画とは関連はありません。


 

 今日は珍しく、朝から執務室に3人も居た。

俺と秘書艦はいつも通りだが、もう1人は違う。

 

「紅くん、紅くん」

 

「なんだよ」

 

 俺の机の周りをウロチョロしているのがもう1人だ。

 

「最近デモ隊も現れなくなりましたよね?」

 

「そうだな」

 

 姉貴が朝から執務室に入り浸っているのだ。

どうやら今日は休みらしい。どうして休みなのかは巡田から連絡があった。

なんでも姉貴は兵士としての能力は、一般的な兵士の2/3程度しかないらしい。少ない筋力、持久力、射撃命中率。兵士とは言えず、訓練兵でなら中の中程度の実力らしい。

門兵としての働きはあまりできず、門兵としてデモ隊を押さえつけるのにも正直力不足ということだ。つまり、仕事が出来ない。警備棟に入り、事務作業なら出来るらしいがな。

そういう理由で、門兵でありながら事務仕事くらいしか出来ない姉貴は、休みが結構貰えるらしい。それが今日から1週間あるとのこと。

 ここに身を置く以上働く他ないが、門兵以外に働き口なんて無いと言っても良い。

姉貴の国家資格、看護師を使って医務室で働いても良いだろうが、横須賀鎮守府の医務室はダメだ。なにせ妖精がやっている。警備棟の医務室と事務棟の医務室はそれぞれ、派遣されている人間が入っているから必要無い。ということで、仕方なく門兵に籍を置いているのだ。

 

「出動もないですし」

 

 何か言いたげな姉貴を尻目に、俺は執務を片付けていく。

 

「ここ2週間くらい無いな。それで?」

 

「ですから、門兵で連勤続きの人に休みを出して欲しいんですよ」

 

 そんなことを言いながら、アニメのようにごまを擦り始めた姉貴の方を、俺はペンを置いて見た。

 

「武下さんに言えばいいじゃないか。それにどうして姉貴が進言するんだよ。上司って訳でもないんだろう? 一番下っ端なんだし」

 

「うぐっ! それを言われると辛いです……」

 

 姉貴は拗ねる。俺が痛いところを突いたからだろう。

 門兵の中での姉貴の立ち位置は下っ端なのだ。新入りで、しかも訓練兵課程を出ていない。横須賀鎮守府の中で最低限の訓練を受けただけの人間。

言うなれば言い方が悪いが、俺の私兵という扱いなのだ。

なんだよ、俺の私兵って。しかも家族だし、姉貴だし。

 

「武下さんにこの話を持ち出しても、どうせ紅くんに上がるんですよね? 口頭でしょうけど」

 

「まぁ、そうだな」

 

「なら武下さんをすっ飛ばして、紅くんに頼んだ方が楽かと思いまして……」

 

 手でごまをする動きを止めず、姉貴は頼んでくる。

どうしてそこまでして頼んでくるのだろうか。

 

「まぁ、分かったよ。武下さんと相談してみる。んで、どれだけなんだ?」

 

 そう言うと、『待ってました』と言わんばかりに、姉貴は俺の目の前に紙束を出した。

中を見てみるとどうやら休暇申請。軍で使われているものらしい。形式上こういうものを書かないといけないらしいが、俺としては別に要らないと思う。

 それはそうと俺はその紙束を手に取り、ペラペラとめくっていった。

厚さは大体文庫本1冊分。まぁそんなに居ないだろうと思い、数えていくと俺はどんどん焦る。結局、休暇申請は300人程出していた。どうやらそれを姉貴が集めて、こうやってタイミングを見計らったように俺に出してきたみたいだ。

それで、どうやらその300人。休みは1日ずつ、1日70人が交代で休暇にするらしい。

 

「さ、300人……」

 

「そうですよ」

 

 澄まし顔で言ってくるが、姉貴。門兵約半数に休暇を出すのは流石に武下さんも許してくれないだろう。

そんなことを考えるが、引き受けてしまった以上は交渉する他ない。俺は執務を終わらせて秘書艦のグラーフ・ツェッペリンを待った後、警備棟に向かった。

 

ーーーーー

 

ーーー

 

 

「えぇ、良いですよ。順番に1日休暇くらいならば。なんなら300人まるまる1週間休みにしてしまいましょうか」

 

 許可が出てしまった。とは言うものの、俺としては別に特段気にすることでもない。

門兵が半数休暇を1週間過ごす。その分、警備が薄くなるというのに……。

 頭が痛い。武下さんが大丈夫だと言ったが、俺としては不安だ。デモ隊以外にも横須賀鎮守府に攻撃的な勢力はいる。それがもし、このタイミングで来てしまったらと思うと……。

 

「はい。ましろさん。申請を出していた門兵にお渡し下さい」

 

「了解しました」

 

 ちなみに交渉にはましろも付いてきていた。付いてくるのなら俺に頼まなくてもいいだろうに、と思うがまぁいいだろう。

 横でグラーフ・ツェッペリン、フェルトが首を傾げた。

何か疑問に思ったことでもあったのだろうか。

 

「どうした、フェルト」

 

「うーむ。私個人としては、警備の人間を減らすことに反対なのだが」

 

「そういうと思った。俺もそのことは思ったさ。だけど、警備を任せている武下さんが良いと言ったんだ。なら大丈夫だろう」

 

 そう言って俺たちは執務室へと戻ることにした。

 フェルトは俺の後ろを黙って付いてくる。

良く俺のところに来る艦娘の1人。馬が合うとかそういうのは考えたことはないが、赤城と同じく、フェルトも艦載機のことは結構話せるみたいなのだ。たまに赤城を交えて色々話をする。

つまり、話が合う相手ではある。こういう相手も正直有り難い。

そんなことを考えながら、俺は自分の椅子に座った。

 

「で、姉貴」

 

「はい」

 

 この世界に来てこの方ずっとBDUを着ている姉貴だが、今日も変わらずBDUを着込んでいた。

飾り気のない軍人そのものの格好をしている。

 

「さっき武下さんのところに行って思ったんだが、どうして休暇申請のほとんどが女性隊員だったんだ?」

 

 そう。あの休暇申請の束、ほとんどが女性隊員だったのだ。

何かあるのではないか。そんな風に勘ぐってしまっていたのだ。

 

「良いじゃないですか。それより執務も終わったことですし、何しますか?」

 

 姉貴はそういいながらソファーに座るのだった。

 一方でフェルトは少し不機嫌そうな表情をしている。

理由は分からない。フェルトは表情豊かなはずだ。そう思っているのは俺だけらしく、他の艦娘はフェルトが仏頂面だと言って聞かない。どこが仏頂面だというのだろうか。

よく笑うしよくふてくされたりする。泣いた顔以外はみたことあるような気がする。

 

「どうした?」

 

「……」

 

 フェルトは何も答えてくれない。何が気に食わないのか、言ってくれなければ分からない。

 

「ふん」

 

 ついにそっぽ向いてしまった。俺、何かやったか? そんなことを考える。

 

ーーーーー

 

ーーー

 

 

 武下が休暇書類を処理したという報告が入った。休暇は今日からすぐにシフトを変更させ、該当者は任を解いたらしい。

この知らせが入ったのは午前10時前。それからすぐに休暇に入ったみたいだった。

 それに同調するかのように、姉貴は執務室を出ていってしまった。用事が出来たと言って、どっかに行ってしまったのだ。多分、仲の良い門兵と出かけたのだろう。

いくら軍人とはいえ、女性だ。お出かけとか買い物とかは好きだろう。思う存分楽しんで来て欲しいものだと、考えながら俺はフェルトの淹れたコーヒーを飲んでいた。

 この時にはフェルトの機嫌も元に戻っており、結局、不機嫌だった理由は分からず仕舞いだった。

 

「紅提督」

 

「何だ?」

 

「暇な時、良く門兵と話をしたりすることがあるんだが」

 

 そんな風に切り出してきた。

 

「あの者ら、なんだか変だぞ」

 

「どういう風に変なんだ?」

 

「どういう風に、と言われてもなぁ……」

 

 フェルトは首を傾げた。少し考えた後、再開した。

 

「私たちとは違うが、どうもましろみたいなのが混じっている気がするんだ」

 

「は? 姉貴は1人だけだろう?」

 

「まぁ、最後まで聞いて欲しい。……ましろみたいなのって言ったのは、それ以外に良い例えが見つからなかったんだ。なんというか、これは門兵全体に言えることなんだが」

 

 そう言ったフェルトから、色々と俺の知らないことが語られる。

 

「男性の門兵は、艦娘たちを娘や妹のように可愛がっているだろう?」

 

「あぁ、それは俺も見ていて思った」

 

「紅提督もかなり気にかけられているみたいだ。多分だが、上司として見られている一面、弟かなんかだろうか」

 

 つまり、俺は横須賀鎮守府の弟って訳か。よく分からないことになっているな。

 考えてみると余計に分からないことだ。図体は割りとデカイ。弟というとかなり苦しい容姿をしていると思うんだが。

 

「問題は女性の門兵だ。彼女たちは色々不味い」

 

「は?」

 

 不味いってどういう意味だろうか。危険とかそういう意味なのだろうか。

 

「門外での話をしてくれる門兵から聞いたことなんだが、どうやら深海棲艦との戦争が始まって以来、家族形態やら色々変わってしまったみたいなんだ」

 

「と、いうと?」

 

 その辺は俺も知らない。

 

「男性は高卒? 大卒? でも働き口に困らないみたいなんだ。だから給料の良い大卒? を目指して勉強に専念するということだ。それは女性も変わらない」

 

「一応、戦時下ではあるからな。その辺の認識は甘いみたいだが、社会全体がそうなっているとなると、自然にそういう風に捉えているのか」

 

「あぁ。それで、だ。近年、勉強やら何やらで男性という形態が数十年前に戻っているみたいなんだ。いわゆる『男は外に出て仕事。女は家を守る』だな」

 

 その時点では、俺はフェルトが何を言いたいのか分からなかった。

 

「なんというかだな、私が私たちの前の紅提督のことを話したらだな、何やらブツブツ言い始めて」

 

 刹那、俺の背中に悪寒を感じる。

 

「『攻略』だとか『籠絡』だとかよく分からないことを言い始めたんだ。『私はまだ若いから大丈夫』とか『フェルトさんからみて、私ってどう見える?』とか『町中で良くナンパされていたから多分大丈夫』とか……」

 

 フェルトが話している途中、俺はその話を遮った。嫌な予感しかしないのだ。

それもデジャヴ。かなりのデジャヴだ。

 

「いいかフェルト」

 

 俺はフェルトの両肩を掴み、目を見た。

 なんだかカーっとフェルトの顔が真っ赤になったみたいだが、今はそんなことどうでもいい。

 

「取り付けた休暇申請は今更棄却出来ない。だからこっちで手を打つ。いいか、今すぐに全艦娘に通達。非常事態宣言だ」

 

「はぇ? ど、どういうことだ?」

 

「身の危険を感じるッ!!」

 

「何っ?! 分かった、すぐに赤城に報告しよう」

 

 走って執務室を出ていったフェルトだったが、それと入れ替わるように執務室に姉貴が入ってきた。

どうやら帰ってきたみたいだった。

 

「紅くん、ただいま」

 

「おかえり。どこ行っていたんだ?」

 

 何も知らないような素振りをしつつ、話を聞き出そうとする。

それに気付かないみたいで、姉貴は話した。

 

「少し街の方に、ね。買い物ですよ」

 

 姉貴は俺の机の上を見て、ソファーに座った。

 

「今日の今後の予定は?」

 

「特に考えてないかなぁ」

 

 そんなことを言いながら、俺は机の上に置いていた本を手に取る。

 

「フェルトさんはどこへ?」

 

「少し仕事を頼んでいる。すぐ戻ってくると思う」

 

「そうなんですか……。フェルトさんが戻ってきたらで良いんですけど、付いてきてもらえませんか?」

 

 姉貴はそんな風に話す。

鎮守府の外なら自分で行けるだろうから、俺を連れてどこかに行きたいらしい。

ここの勝手も分かっているだろうから、鎮守府の外でないことは確かだ。

 嫌な予感がする。

俺の直感がそう知らせている。絶対、何かある。

そんな風に疑うが、断れない。何故なら、俺は執務が終われば暇なのだ。だから何かと理由を付けたところで、どうにかなるとは思えない。絶対、どこかで時間が作れてしまうのだ。

 

「いいけど……」

 

「はい。なら決まりです」

 

 まぁ、面倒事になる前にフェルトに伝えた非常事態宣言の意味を汲み取ってくれればいい話だ。

 

 




 皆さん、お久しぶりです。しゅーがくです。
 こちらではお久しぶり、って感じですね。
まぁ、それは置いておきましょう。

 今回の特別編短編集も全4話で毎日投稿でカタを付けます。内容は前回がアレでしたので、今回はソフトに行きます。
何事って思われるような題名ですけど、中身は、はい……。

 ご意見ご感想お待ちしています。


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門兵女性隊員 暴走 その2

※他の特別編企画とは関連はありません。


 

 フェルトに任せておけば大丈夫だと思っていた時期が俺にもありました。

 非常事態宣言を赤城に伝えに行ったフェルトから伝えられたことは、俺にとっては凶報だった。

『艦載機による哨戒機増強』『巡回に艦娘も参加』『番犬艦隊を急行』だった。至って普通の対応なんだが、最後のが問題だった。

どういった意図の非常事態宣言か、赤城には伝わらなかったのだ。なので、手の開いている『番犬艦隊』から数人派遣されることに。フェルトは秘書艦なのでそのまま合流。そういうことになっていたのだ。全員でなければ意味が無い。

 ということで、俺は現在姉貴に連れられて移動中。フェルトとオイゲンが同行だ。他の『番犬艦隊』は色々あって手が放せないらしい。その色々というのは、ビスマルクに日本語を教えているということだが、手が掛かるとオイゲンが愚痴を零していた。

 そんなことはどうでもいい。俺はずっと背筋がゾワゾワしているのだ。

今から向かう先で、何かとんでもないことが起きるのではないかと、俺の第六感がそう告げている。

 

「着きました。さ、紅くん。入って下さい」

 

「あ、あぁ」

 

 ダメだ。口数が減っている。

それにフェルトもオイゲンも俺が感じている悪寒は感じていないらしい。

 姉貴に案内されて入ったのは、警備棟の中にある普段使わない大会議堂。100人は収容出来る広さがある。

そんなところに何の用があるというのだろうか。

 中に入り、俺はすぐに後ろを振り返った。

 

「すまない。用事を思い出した。今すぐ取り掛かる必要のある案件だ。可及的速やかに案件を処理したいから、今すぐ執務室に戻る」

 

「はいはい。そんな案件ないですよね。現実を見てくださいよ」

 

「あー。俺には何も見えなかった」

 

 そう。見えなかったのである。大会議堂を埋め尽くした門兵女性隊員を。しかも何やら頭に犬耳のカチューシャを付け、尻尾をぶら下げている。全員が、だ。

 逃げようとする俺を、姉貴は首根っこを捕まえて逃さまいと引っ張る。

ちなみにフェルトとオイゲンは門兵たちの姿に行動不能に陥っていた。

 

「あー! 逃げるなんて酷いですよっ!!」

 

「逃げてません。今から案件を処理しに行くんです」

 

 俺は出入り口に向かって逃げようとするが、相変わらず姉貴の手からは離れられないでいた。

いつの間にこんな力持ちになったのだろうか、ウチの姉貴は。

 

「うぅ……これまで、横須賀鎮守府艦隊司令部と”紅提督”に尽くしてきたというのに……」

 

「うぐっ」

 

 言い方がアレだが、たしかにずっと横須賀鎮守府で警備をし、時には戦闘や救助活動にも駆り出されていた門兵。門兵たちからそんな言葉が出てしまっても、仕方のないことなのだ。

 

「ここに転勤になって早◯年……。是非にと志願して来た私たちではありますが、◯年ですよ! ◯年! 前線基地で色々な問題を抱えている勤務地で守るべき国民に敵意を向けられ、あまつさえ私も敵意を向けてしまった。しかも、『横須賀鎮守府の兵になるんだってねぇ! あたしゃ、娘がそんな昇進して鼻が高いよ』って喜んでいたお母さんが、この前手紙で『何時になったら結婚するんだい? もう少ししたら25だろう? 周りのお友達は結婚してるよ?』って!」

 

 後ろを振り返らない。何故ならその声、聞き覚えがあるからだ。

 基本的に門兵全員の顔は覚えている。もしも集まった門兵の中に部外者がいれば、見分けが付くくらいだ。声はあまり覚えていないが、良く世話になっている門兵の声は覚えていた。

 この後、延々とそういう類の内容を聞かされながら抵抗を続けたが、30分で俺は抵抗を止めた。

話が重いのと、疲れたのである。

 

「ましろさん、ありがとうございます」

 

 第一ボタンを外して座り込んでいると、沖江さんが姉貴に話しかけてきた。

 

「いえいえ。まぁ、話を聞いたら同情してしまって」

 

「ふふふ。あんな風に言いはしましたが、軍属になった時点でそういうことは投げたようなものですけどね」

 

 それを聞いて逃げようかと思ったが、どうせ止められる。俺はそのまま大人しくすることにした。

 

「職場結婚も良いんですけど、横須賀鎮守府勤務の人って夫妻持ち多いんですよね……。外に出て合コンしてみても、職業を答えたら引かれたり……」

 

 まぁ、腕っ節強い人はあまり好かれないだろうな、と内心思う。

 

「引かれなくても原隊聞いたりだとか、勤務先聞いたら同じく引かれますよ……」

 

 最後の、俺のせいか? 俺が悪いのか?

 

「……そういえば聞いたことありませんでしたが、沖江さんの原隊って?」

 

「日本皇国海軍第一憲兵師団ですよ……。憲兵です、憲兵」

 

 一番の古株だからそうだろうなと思っていたが、やはりそうだったか。

 

「腕っ節が強い上に、お小言が多いんじゃないかって……。もし法規に反したことをしたら、”お仲間”にしょっぴかれるんじゃないかって」

 

 これは俺も流石に不憫だと思う。

憲兵というだけで、かなりの偏見だ。だがこういう認識が憲兵に対してあるということは、それだけ軍が正常に機能しているということ。『憲兵は怖いんだぞ』というのがちゃんと浸透している証なのだ。

 

「そんなことを言うような野郎はきっと、やましいことでもしているか、したことがあるんですよ。そんなことも気にしない人がきっと居ますって」

 

 座りながら見上げるような態勢で、聞いていた俺は話に入っていく。たまにやってしまう悪い癖だが、フォローのつもりで言った。

 そんな俺の視界の端で、こめかみを抑えている姉貴がいた。

どうしてそんなリアクションをしているのか分からなかったが、すぐに分かる。

門兵たちがワラワラと俺の周りを囲み始めたのだ。そして下世話な質問をぶつけてくる。普段なら訊いてこないようなことだ。

 

「紅提督、紅提督」

 

「なんですか?」

 

「彼女とか居ないんですか?」

 

「ブッ?!」

 

 最初の質問なそんなものだった。ちなみに俺は答えていない。姉貴が答えた。

 

「こっちに来る前は『彼女居ない歴=年齢』でしたよ」

 

 集まっている門兵たちの何処かで、何か聞こえた。

 

「ねぇ、今、『ジュルリ』って言った人いましたよね?!」

 

「知らないです。ささ、続き」

 

 虚しくも抑え込まれ、次の質問が飛んできた。

 

「好きな娘とか居ないんですか?」

 

「あのですね……」

 

 少し溜息を吐いて口を開こうとするが、姉貴に塞がれる。

 

「居ないですよー。多分」

 

 俺の口を塞いだ姉貴の手をどかし、間髪入れずに飛んできた質問に答える。

 

「おすすめの娘がいるんですけど、どうですか?」

 

「えっと……」

 

「ほらほら」

 

 何だかもう、しっちゃかめっちゃかになっていた。

 俺は助けを乞うべく、視線をキョロキョロとする。そうすると、連れてきていたフェルトとオイゲンが目に入った。

口では言わないが、助けを求める。必死に目でフェルトとオイゲンに助けを求めた。

 

「ん? どうしたんですか?」

 

 姉貴がそんなことを俺に訊いてくるが、俺はそれどころではない。

俺の意図がフェルトかオイゲンに伝わるか伝わらないかだ。

 ちなみに2人とも、状況を上手く飲み込めていないのか、ずっと静観していたのだ。

 

「えっと、紅提督? どうしたのだ?」

 

 察しが悪すぎるフェルトに少し溜息が出たが、どうやらオイゲンは分かったみたいだった。

 

「紅提督ぅー。この後、『特務』があるって」

 

 この時程、俺は悪い顔をしたことがなかっただろう。

オイゲンが出した助け舟に飛び乗るかのように、俺は言葉をまくし立てる。

 

「ほら、だからあるって言っただろう? じゃ、そういうことで。赤城が待ってるからさ。ほら手を離してくれよ。離して。離して下さいお願いします」

 

 俺の腕首を握っていた姉貴の腕を振りながら、俺はズルズルと自分が出せる力の限りを出して、扉の方向へと歩いていく。

 

ーーーーー

 

ーーー

 

 

 結局、姉貴を引きずって執務室に戻った。そしてどうしてか分からないが、あの場所に居た門兵数人が付いてきていた。

ちなみにいつものBDUではなく、私服みたいだ。多分、持ってきておいてあったんだろう。

ということはつまり、色々と示し合わせていたということになる。

 フェルトは執務室に到着しても、状況は変わっていない。だがオイゲンは違っていた。

俺が何を考えているか分かっているみたいで、色々と助け舟を出してくれている。

 

「なぁ、姉貴」

 

「なんですか?」

 

「取り敢えず、訳は分かった」

 

 俺はそう言いながら、椅子に座る。

 

「そうですか。……では、決めるのは紅くんですからね」

 

「……そんなこと言われてもなぁ」

 

 そう言いつつ、背もたれにもたれかかる。

 その状況を見ていた、フェルトはようやく口を開いた。

 

「一体……どういうことなんだ?」

 

「俺が訊きたいところだが、まぁ、良いだろう。……軍人でしかも、憲兵やら特殊部隊やらの人間だからといって、結婚出来ないという女性隊員が……」

 

「が?」

 

「……なんて言えばいいんだろうな?」

 

 そう言って、俺は姉貴の顔を見る。

それに答えるかのように、姉貴はフェルトの質問に答えた。

 

「紅くんに求婚中なんです」

 

 そういうことらしい。この状況を見て、そして話を聞いてこれを察しないのは、鈍感な奴だけだろう。

 一方でフェルトは顔をしかめていた。どうしてしかめているのか分からないが、フェルトが顔をしかめると怖いからあまりして欲しくない。

そんなフェルトを知らずか、姉貴は俺にあることを教えた。俺のステータスだろう。

 

「紅くんは若くして日本皇国海軍中将。救国の英雄。そして日本皇国海軍横須賀鎮守府艦隊司令部の司令官で、大本営に太いパイプを持っている人物でもあります。さらにこれまでの実績が評価されており、大本営やはたまた天皇陛下から注目を浴びていますね。士官学校出ではありませんが、将官ですので給料は普通の会社で言えば上級階級程度は貰っています。高身長・高収入です。学歴は……まぁ仕方ないです。一応、国家公務員ですので安定していますが、軍人ですので戦死する可能性がありますね。作るご飯は美味しいですし、家事は万能。家のことならたいがい出来ますね。物静かな性格ですし、あまり怒らないです。だらけていても掃除はしてくれますし、いろいろやってくれますね」

 

 長い。姉貴の俺のステータスの語りが長い。

それに、付いてきていた女性隊員が俺と姉貴の顔を往復して見ていた。

 言いたいことはあるが、姉貴の言っていることは間違っていないし、訂正する気もない。真実だからだ。だが、間違いがある。それを言ったら最後、何が起こるか……。

刹那、オイゲンの悪い笑みが見えた気がした。

 

「あー、ましろさん? 訂正しますと、給料は多分それの数百倍は貰ってますよ、紅提督」

 

「あっ……」

 

 オイゲンが特大の爆弾を投下した。

それに関しては、俺は今まで隠してきていたことだ。艦娘でも数名は知っている程度のことだ。赤城や長門、吹雪、『番犬艦隊』とかしか知らないことを言ってしまったのだ。

 それを聴いた女性隊員たちは、オイゲンに詰め寄る。

具体的な額を聞き出そうとしているんだろう。

 

「どれくらいが、具体的に」

 

「えぇと、先月の明細をこの前みましたけど……たしか、桁が8こくらいあったような……」

 

「「「「えぇええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!」」」」

 

 よく言うだろう。高収入な男性と結婚する云々って。

俺は慌てて話を取り繕った。

 

「いやいや、所得税とか年金とかあるだろう。それで色々持って行かれるから、手元に残るのは少ないぞ」

 

 焦りを見せないように、俺は説明した。オイゲンたちが税やらを理解しているとは思えないし、俺の居た世界と法律はあまり変わらないみたいだから、この世界の住人である女性門兵たちもそれで納得してくれるだろう。

 俺が甘かった。姉貴があるものをポケットから出したのだ。それは俺の先月の給料明細。そこには税の差し引きやらが書かれている。それを見られると不味い。すごく不味い。

 

「じゃじゃーん。ここには先月の紅くんの給料明細があります。なになに……オイゲンさんが言っていたことは、どうやら間違っていないようですね。紅くん。嘘はいけないですよ」

 

 悪魔だ。俺はそう思った。

 それと同時に、女性隊員がゴクリと喉を鳴らしたのが聞こえた。

 

「高収入、厚い人望、家庭的……」

 

「現代日本に珍しい男性……」

 

「玉の輿……」

 

「年下っ……」

 

 おい最後2人。

 

「……えっと、ですねぇ」

 

 ジリジリとにじり寄ってくる女性隊員から逃げるように、俺は執務室を動き回っていた。そして徐々に俺の包囲網が出来ていく。

最後、俺は部屋の隅に追い詰められた。俺の目の前には女性隊員が並び、俺の顔をずーっと見ている。口は開かない。

 

「怖い、のですが……」

 

「怖いですか?」

 

 1人が口を開いた。その人は門兵の中でも色々と世話になっているといえば、なっている人。南風さん。諜報系に優れていて、巡田と共に鎮守府で起きた事件の裏方を任せていた人物。

 珍しい赤黒い髪色でロングストレートな南風さんの黒い瞳が俺の目を捉えた。

息がもう少しで当たるのではないだろうかという距離。他の3人も同様に、息が当たる距離に居た。

 

「そりゃ、ここまで近寄られれば怖いですよ。しかも、年上の女性ですし」

 

 墓穴掘ったのではないだろうか。

俺は直感的に、そう感じていた。

 

「……と、とにかく! 俺に求婚する理由が分かりませんが、あまり過激なのはよして下さい。心が持ちません」

 

 そう俺は宣言し、追いやられていたところから脱出すると、椅子に座った。

 一応、離れてくれたが、今後が心配だ。色んな意味で。

俺は後で胃薬を買いに行く決心をしたのであった。

 




 2回目になります。まぁ、ここからなんですけどね(捨て台詞)

 とりあえず、よろしくお願いしますね。

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門兵女性隊員 暴走 その3

※他の特別編企画とは関連はありません。


 

 相変わらず、執務室に南風さん以下数名の女性門兵が居るが、俺は少し気にしつつも本を読んでいた。

執務も終わっていたし、やることが無かったからな。

 そんなことをしていると、フェルトが俺の机のカップを置く。

いつも何も言わなくても、フェルトはコーヒーを淹れてくれる。もちろん、豆を挽いて淹れている。粉のコーヒーではないからな。

 

「あ、ありがとう」

 

「あぁ」

 

 俺はそのまま本に目を落としたまま、コーヒーカップに手を伸ばし口に運ぶ。

その時、フェルトが俺に話しかけてきた。

 

「アトミラール。その、少し良いか?」

 

「ん?」

 

 秘書艦の席から椅子を持って、俺の横に腰を下ろす。

なんだいきなり。

 

「さっき考えていて思ったのだが、門兵の女性隊員たちはアトミラールに求婚しているのか?」

 

「今更だなおい!」

 

 本当に今さらだ。オイゲンは早々に気付いて、助け舟を出したり出さなかったりしているというのに。

 俺は読んでいた本に栞を挟み、机の上に置く。

 

「どれだけ時間が掛かっているんだ。……まぁ、フェルトの言う通りだ。どういう訳かそういう状況になっている」

 

 そう言いつつ、俺はフェルトにしか聞こえない程度の声量で話を続けた。

 

「俺のどこが良いのか分からん。非モテ男子筆頭じゃないか」

 

「はあぁぁぁぁぁぁ……」

 

 なんだかフェルトに大きな溜息を吐かれたんだが、どういうことだろう。

 

「なんだよ。大きな溜息なんか吐いて」

 

「いいや。苦労するなぁ、って思っただけだ」

 

 俺のことを残念な奴を見るような目で見てくるフェルトに不満を保ちつつ、俺は机に肘を突いた。

 

「酷い奴だな。それより訊きたいことがある」

 

 そう言って、俺はあることをポッと思い出したので、それをフェルトに訊いてみることにした。

 

「なんだ?」

 

「あぁ。フェルトのスツーカあるだろう?」

 

「そうだな。アトミラールが魔改造を繰り返して、元の原型がほとんどないが」

 

 フェルトのスツーカを俺は工廠に言って改造しているのだ。

本人には一応、改造内容などの説明をした後に許可は取っているので問題ない。

 

「良いだろ。性能は向上している訳だし。……んでだ。今のスツーカはD-3型かD-5型。どっちだったっけ?」

 

「混同して運用している。が、対艦能力が高いのはD-3型だ。妖精の評判もD-3型の方が良い」

 

「そうか。……んまぁ、アレだ。フェルトの艦爆隊に補給で回されている爆弾ってどれくらいの大きさなんだ?」

 

「確か500kgで統一されていたと思う。あ、そうだアトミラール。爆弾も変えただろう! 炸薬量が多くなっていると言っていたぞ!」

 

 実は艦載機に関しては装備する本人に話をしているが、それ以外のものに関しては俺は勝手に工廠に口出ししている。

実は艦娘にもそういった類が変更になったという趣旨の話を、工廠の妖精たちが話をしているはずなんだがな。

 

「それはフェルトが覚えていなかっただけだ。……まぁ、500kgで統一ってのは分かった。まぁ、それが確認取れただけでも良い」

 

「……何をする気だ? いい加減にしないと赤城がスツーカを欲しがっていて困っているんだからな!」

 

「そんなもの知らん。彗星でも投げておけ」

 

 俺はフェルトにそう言いつつ、机から工廠への書類を取り出して書き込んだ。

そしてペンを置き、フェルトにそれを渡す。

 

「はい。工廠に」

 

「あぁ。……ん”?! 何だこれは!」

 

「1000kg爆弾の搭載が出来ることを今思い出した。てな訳で、艦爆隊にはその趣旨で通達を頼んだ。使い分けてくれ」

 

「はぁぁぁぁ……。赤城との演習が不安だ」

 

 フェルトは突き返すことはせず、渋々といった感じで立ち上がり、書類を片手に執務室を出て行った。早速提出してきてくれるみたいだ。ありがたい。

 フェルトを見送った姉貴が俺の前に来た。

どういう要件だろうか。俺は特に無いんだが。

 

「紅くんも結構やり手ですよね」

 

「何が?」

 

「赤城さんからよく聞きますけど、艦載機の改造、フェルトさんの艦載機をかなり弄くり回しているらしいですね。『一般配備の烈風とか彗星も改造して欲しいものです!』とか言っていましたよ」

 

 初耳だ。そんなこと、赤城が言っていたんだな。知らなかった。

 姉貴が言った赤城の言葉の中に『一般配備』という言葉がある。それは航空隊で艦載機が違うことを指しているのだ。特にフェルトとフェルト以外の航空隊。

フェルトの特性上、運用するのはドイツ製のモノが好ましい。日本製の艦載機を装備しても良いんだが、そうするとカタパルトが云々と言い出すのだ。だから、フェルトには艦戦隊と艦爆隊中心の航空隊を運用してもらっている。装備はFw-190やBf-109、スツーカだ。

 発展性があり、史実でも改造が繰り返されたそれらは、俺にとってもいじりやすい代物なのだ。だからフェルトの航空隊が改造の贔屓にされていると思われてしまったのかもしれない。

 まぁそんなことはどうでもいい。一般配備。つまり、日本機で構成された航空隊も良いところが多いのも事実だ。赤城航空隊は別だが。

 

「知らん」

 

「拗ねちゃいますよ、赤城さん」

 

「別に良い」

 

 俺はそう言って机の上に置いてある本に手を伸ばす。

手が本に触れようとした瞬間、本が持って行かれた。誰に持って行かれたのかというと、南風さんだ。

 

「紅提督?」

 

「は、はい。なんですか? というか、返して下さい」

 

 何だか笑っているんだが、怖い。どうしてだろうか。

俺はすぐに今まで空気だったオイゲンに顔を向ける。

 

「ぷいっ!」

 

 今、口で『ぷいっ!』って言ってそっぽ向いた。確信犯だろ今の。

 

「オイゲンさん! ちょーっと、紅提督借りますね」

 

「あ、どうぞどうぞ!」

 

 何勝手に決めているんだ。

 

「オイゲン?! ちょっと待って、南風さん!!」

 

「はいはい、知りませんよー」

 

「力強いな!! てぇ!! 締まってる締まってる!!」

 

 首根っこ掴まれて、そのまま俺は廊下に出されてしまった。そしてそのまま俺は、執務室に居た女性門兵たちに連れて行かれる。

どこに連れて行く気なんだろうか。あと、そろそろ気を失うから、そうやって引きずっていくのを止めて欲しい。

 

ーーーーー

 

ーーー

 

 

 連れて来られたのは、門兵用に建設された寮だ。

一応、外へ出ていく門が一番近いところに作られている。

 そんな門兵寮の女性棟に問答無用で引きずり込まれ、そのまま一室に入れられてしまった。

壁にネームプレートが掛かっていて、そこに『南風』の文字があったから、多分南風さんの部屋なんだろうな。

 中は整理が行き届いていて、ベッドの上のシーツやらがビシっと畳まれている。

そんな軍隊風の部屋ではあるが、やはり色々特殊なんだろう。壁にはコルク板が掛かっており、写真がピンで止められている。枕カバーもどうやら私物みたいだし、何より部屋の中心に机も置かれている。支給された机もあるけどな。

 

「えっと……どうしてココに? それに男子禁制だったんじゃ?」

「そんなもの、小銃で空にぶっ放せば良いんです」

 

 物騒なことを口走っているが、まぁ良いだろう。

それとこの部屋には俺と南風さん以外の、執務室に居た門兵の女性隊員はどうやら室内に入ってこないみたいだ。

 

「紅提督」

 

「は、はい?!」

 

 何も言ってはいけないような雰囲気に包まれたので、俺は何も言わないように心構える。

何か口走って、変なことになっても仕方ない。それにそんな事態は避けたい。ココに助けは来ないからな。

 

「日本皇国の法律では、男子の婚姻下限年齢が18歳なんですよ? 紅提督は既にそれを超えていますよね?」

 

 確かに。俺がこの世界に来て数ヶ月後に18になったから、既にそれ以上は行っていることになる。

 

「軍人は早くに結婚します。任地が移ってしまう場合もありますからね」

 

 そりゃそうだ。だがしかし、ここに所属している以上、そう異動は無いと思うんだが。

 

「私の原隊、知っていますか?」

 

 突然、話の内容が変わったな。

 

「知りませんが……?」

 

「日本皇国海軍海軍部直轄『諜報機関』所属です。表向きには日本皇国海軍海軍部直轄 特殊作戦統合部ってところなんですけどね」

 

 知らない上に知らない。聞いたことない。

そもそも俺は日本皇国軍内部の組織情報の詳細を知らないのだ。そんなことを言われても全然分からないのだ。

 

「それで原隊を言わずに自己紹介をすると、勤務地を聞かれるじゃないですか?」

 

 ですか? って言われても……。

 

「別に機密は無いですし、軍規に反しないので勤務地を『横須賀鎮守府艦隊司令部』って言うんですよ。嘘を言っても仕方ないですからね」

 

 そりゃ嘘は言わないだろうな。言ったところで仕方ない。

 

「戦闘員か非戦闘員かなんて、まず軍隊に居る時点で戦闘員認定されますよ。それで、勤務地を言ったら、『じゃああのデモ隊の壁を少人数で押さえ込んでいる? それとも、提督が抱えている『気に食わない人間絶対殺すマン&ウーマン』の集団?』って聞かれて、私はデモ隊の壁云々なんて知りませんからもう!!」

 

 つまり、『気に食わない人間絶対殺すマン&ウーマン』だと認定されるということだろう。

それは知らない。

それに『気に食わない人間絶対殺すマン&ウーマン』ってなんだよ。初耳なんだが。闇討ちとか暗殺とか、俺は命令した記憶が無いんだが。

世間で俺のイメージがどうなっているのか気になる。

 

「……つまり、何が言いたいんですか?」

 

 俺は恐る恐る、そう聞く。

ちなみにこの発言の後、すぐに地雷を踏み抜いたことに気付いた。

 それを聞いた俺の肩を南風さんは、ガシッと掴む。もちろん、それを振り払うことは出来ない。そしてそのまま、うなだれてしまう。

 

「グスッ……なんで私は特殊部隊の人間なんですかねぇ……」

 

 何か泣き出したよ! この人!

 

「……紅提督から見て、私はどうですか?」

 

 とんでもない質問が飛んできたが、真面目に答えないといけないだろうな。

 俺は自ら地雷原に足を入れる。

 

「えぇと……南風さんはですね……。……珍しい赤黒い髪色ですし、サラサラで綺麗ですね。……それと軍人って肌が焼けますけど、色白ですし……。それにび、美人だと思います、よ?」

 

 バッと南風さんの顔が上がる。

目尻に涙を溜めているが、どうしたものか。出来るならば、すぐに執務室に帰りたい。

 そんな俺の心情をお構いなしに、南風さんはまくし立てる。

 

「そうですかっ!! 結構、同僚からは筋肉ゴリラとか、馬鹿馬力とか、人間アメ車とか言われるんですよ!!」

 

 何その不名誉な渾名。女軍人で筋肉ゴリラとかなら分かるけど、馬鹿馬力って聞いたこと無い。馬鹿力の間違いなんじゃないか? それに、人間アメ車ってそれって馬鹿馬力に掛けた渾名だな。

 と、冷静な解釈をするが、俺がピンチなのには変わりない。

 俺の両肩を掴んでいる南風さんは、そのまま俺の身体を自分の身体に引き寄せてくる。

 

「ちょ」

 

 そしてそのまま俺は南風さんに包み込まれた。

身体はもちろん俺の方が大きいんだが、俺が座っている状態だったからだろう。身体に覆いかぶさるように、俺を抱き締めたのだ。

色々問題あるので離して欲しいんだが。

 

「どう思います? そんなに私、筋肉でガチガチじゃないと思うんですけど……」

 

「え、えぇ。柔らかいと、思い、ます……はい」

 

 良いから離して欲しい。素直に感想を言ったんだから。

だが、俺のそんな願いが届くははずもなく、そのまま包み込まれた体勢のままになる。

 

「ふふふっ、ありがとうございます」

 

「あの、離して貰っても良いですか? 恥ずかしいので」

 

「いいえ、離しません」

 

 なんで離してくれないだろう。

 そんなことを考えながら、俺は抵抗してみる。だがそこから脱出することはできなかった。

 

「どうですか? 私と結婚する気になりました?」

 

 そんな風に優しい声で囁いてきます。

さっきから包み込まれているせいで、良い匂いが鼻から入ってきて頭が……。それと、柔らかいのも相まって、本当に離して欲しい状態になっていた。

長い赤黒い髪が首筋に掛かって、こそばゆいのもある。それに、いつものBDU姿では無いのもある。なんで私服を着ているんですかね。

 ちなみに、大会議堂で見た獣耳と尻尾が視界に入っている。

 

「そ、そもそも、付き合うとかそういう段階を踏みましょうよ。……南風さんとは仕事でしか話をしたことがありませんし、普段はどういう人なのかも知りません」

 

 そんな事を言っているが、端から見たらそんな姿で言うものでもないだろうな。

 

「そういう段階を踏んでから、ちゃんと考えましょうよ。……そもそも、俺にどんな魅力があるのか謎ですけどね」

 

 そう言ったら、南風さんは離してくれました。

俺は座っていた体勢に戻し、南風さんもその場にぺたんと座り込みます。

 なんというか、こうやって改めて見ると普通の女性にしか見えないんですよね。

どこか筋肉ゴリラなんでしょうか。

 

「……分かりました。紅提督、これまでのご無礼、申し訳ありませんでした」

 

「……気にしませんよ」

 

 いきなりかしこまって驚いたが、多分考えを改めてくれたんだろう。

 

「皆にもこの事は伝えておきます。本日は、誠に申し訳ありませんでした」

 

「いいえ、気にしません。ですけど、首根っこを掴んで連れ出すのは勘弁して下さい」

 

「はい」

 

 こうして俺は南風さんの部屋から脱出し、執務室に戻ることが出来た。

執務室には誰も付いてこなかったので、多分南風さんがさっき言っていた『皆に伝える』というのをしているのだろう。何を伝えているのか、俺にはよく分からないがな。

 執務室に戻ると、フェルトが俺の机の前で腕を組んで待っていた。

 

「アトミラール。提出してきたぞ」

 

「あ、あぁ。ありがとう」

 

 そう言って俺は自分の椅子に腰を下ろす。

なんだか、横を通る時に『スンスン』と鼻を鳴らす音が聞こえたんだが、気の所為だろうか。

 

「アトミラール」

 

 何だか怖い顔をしているんだが、フェルトが。

 

「何だ?」

 

 あくまで俺は平静を装って返答をした。

 

「随分と良いことがあったみたいだな。良かったな」

 

「何言ってんだ。良いこと……だったかもしれないが」

 

「そら見ろ!! 良かったな!!」

 

「何怒ってんだ。俺からした訳でも無いのに……。それにフェルト、話の全容は知っているだろう? どうやったらそんな勘違いをするんだ」

 

 何やら勘違いをされているようだったので、俺はそう言った。

それにはフェルトも気付いたみたいで、少ししょんぼりとしてしまう。

すぐに口を開いた。だが、今までの強気な言い方では無い。

 

「……私だって」

 

「私だって、何?」

 

 よく話で出て来る主人公が、そういう言葉だけ聞こえない症候群みたいなものは俺にはない。というか普通聞こえるだろう。

 俺が聞き返すと、カーっとフェルトは顔を赤くした。

どうして赤くなるんだろうか。

 

「私だって紅提督のことg」

 

「ワー!!! ワー!!! 何を言っているんだ、オイゲンっ!!!」

 

「モゴモゴ」

 

 ずっと執務室で静かにしていたオイゲンが突然フェルトの隣に来て、フェルトの言いかけた言葉を代弁しようとした。

だがそれはフェルトに止められてしまう。

 俺だって察しが悪い訳じゃない。気づかない訳でも無いんだ。

遠い記憶にあることがある。

それは、鎮守府の全艦娘が婚姻届を持って俺を追いかけてくるというものだ。何故だか頭に残っている。

その追いかけてきている艦娘の中にはフェルトの姿もあったのを覚えているのだ。

つまりはそういうことだ。

 

「オイゲン。別に言わなくたって分かっている」

 

「モゴモゴ?」

 

「どうして俺なんか……」

 

 そう言おうとした瞬間、オイゲンと同じく執務室にいた姉貴が俺の言葉を遮った。

 

「それは駄目ですよ」

 

「ん? うーん。納得行かない」

 

「それでもです」

 

 何だか、本気の声で言われたような気がしたので、俺も話すのを止めた。

 こうしてこの日も夜になり、この後は普通にいつも通りに過ごした。

姉貴がずっと執務室に居る以外は。

 

 




 一気に予約投稿をしているので、投稿準備って結構疲れるんですよね(メタ発言)

 ということで、残すところあと1話になりました。
色々ぶっ飛んでいますが、こっちではいつも通りです。それと、何だか本編に触れるような内容を入れてしまっていると思われた方もいるかもしれませんが、一応、本編の方にも同じ記述をするので問題ありません。

 ご意見ご感想お待ちしています。


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門兵女性隊員 暴走 その4

※他の特別編企画とは関連はありません。


 

 南風さんに私室に連れ込まれた次の日。俺はいつも通りに起き、秘書艦と朝食に来ていた。

 今日の秘書艦は金剛だ。あまり秘書艦をしている姿を見ていないのは、俺の気の所為だろう。

そんな金剛が、俺の横を鼻歌混じりで歩いている。どうやら機嫌が良いみたいだな。

 

「金剛」

 

「なんデスカ?」

 

「今日の俺は、必要最低限しか執務室から出ないからな」

 

「何の宣言デスカ?!」

 

 前置き無しに、俺はそう宣言しておく。

 金剛は昨日の出来事を知っているのだろうか。

俺は少し気になった。

 

「昨日のことが関係しているのは分かりマース」

 

 何だか心を読まれたような気がしてならない。

 

「あんな風になっているとは、私も思いませんデシタ。それより、紅提督」

 

「ん?」

 

「昨日、フェルトから色々訊きマシタ。……今日は門兵は執務室に居ないんデスネ」

 

 そういえば、今日の執務室には門兵女性隊員が居ない。

いいや。居る方が変なんだが。

 

「そうだな」

 

「居る方が変デスケド……」

 

 考えることは同じみたいだ。流石の金剛でも、それくらいは分かるみたいだな。

 やがて食堂に着き、俺と金剛は中に入る。

中はいつも通りで、かなり賑やかだ。今日はいつも通りなので、遠征任務やレベリングが入っている。該当艦娘は早々に食べ終わっているみたいだ。

 

「間宮ー。俺は洋で」

 

「私も洋でお願いしマース」

 

 カウンターで注文をしてから、いつもの場所に腰を下ろし、テレビの電源を入れた。

時間が時間ということもあり、電源が点いたのに気付いた艦娘たちは俺のところに「おはようございます」と挨拶をしてテレビの前に並んでいくのであった。

 この光景はいつ見ても映画のワンシーンを連想させる。

まぁそれは置いておこう。

 

「結局、どうなったんデスカ? 昨日の騒ぎは」

 

「あぁ。南風さんに拉致られた後、色々話をして開放してもらった。昨日みたいな強引な手は使ってこないと思う」

 

 皆に触れ回ると言っていたから、多分問題ない。

 

「それは良かったデス。……まぁ、いつも通りに執務を終わらせマショウ」

 

「そうだな」

 

 今朝は本当に静かだった。いつも通りに過ごし、いつも通りに執務をこなした。

これが本来の俺の毎日の姿なのだ。

 

ーーーーー

 

ーーー

 

 

 そんな風に思っていた時期が、俺にもありました。

執務が終わり、金剛が書類の提出に行っている間に、執務室に姉貴が来たのだ。門兵女性隊員を複数人連れて。もちろん全員私服。

 

「えっと……姉貴?」

 

「紅くんがどんな風に執務をしているのか、気になっていたって行っていた人たちを連れてきたんですけど?」

 

「けど? って言われてもなぁ……。執務は今しがた終わって、金剛が提出に行っているんだが」

 

 残念ながら、一足遅かった。

 

「それで? 帰る?」

 

「なんでですか!?」

 

 姉貴が連れてきた門兵女性隊員の1人、沖江さんがツッコミを入れてきた。

 

「休みなんですから、身体を休めて下さいよ。一応、俺は上司に当たりますので、気も休まらないでしょうし」

 

 そう。一応、俺は上司に当たる。

普通の会社で言えば、俺は社長的な立ち位置だ。

 

「そんなことは無いです。それに紅提督は上司ですけど……」

 

 どうして吃るんだ。しかも『ですけど』って何? 嫌には思わないけど。

 

「どちらかと言うと、後輩みたいな?」

 

 何だそれ。『みたいな?』って言われても、さっぱりなんだが。

 沖江さんの発言には、他の門兵女性隊員も同意なようで、頷いている。

全く意味が分からない。

 

「……ま、まぁ、良いです」

 

 俺はそう言って、机の上に置いておいた本を手に取り、開く。

そんな俺の行動を見て、開いて読み始めた瞬間、俺の手から本が離れていった。どうやら沖江さんが持っていった様だ。

 

「無視しないで下さいよ。全く……」

 

「返して下さい。用があるのなら聞きますけど、さっきの話を聞いている限り、もう用は済んでいるみたいですし」

 

「それは良いんです!! まぁ、少し残念ではありますけど……。紅提督の執務が終わったということは、これからは暇ということですよね?」

 

「いいえ、暇はないです」

 

「巡回している時によく話す足柄さんが言っていましたよ!! 『紅提督は執務が終わったら何かしらしているけど、仕事でしている訳じゃないから』と!!」

 

 なぜココに来て出てくるんだ、足柄。

まぁ事実なんだが。大体は本読んでいるか勉強しているか、他にも色々あるんだが。

 

「……事実ですが、本は取り上げないで下さい」

 

 そう言いながら俺は沖江さんが持っている俺の本に手を伸ばす。だが、ひょいひょいと躱される。

届く距離にあるので、俺は取り返そうと何度も挑戦するが、一向に取れる気配はない。

 そんな俺が本を取り返そうとする動きを、どうやら沖江さんは面白がっているように見える。俺、一応上司なんだけど。自分でも言っていたよな。

 

「ちょ、返して」

 

「いーやーでーすー」

 

 何か遊ばれている気が……。

 

「はッ?! 沖江さんが私よりお姉さんしてます!!」

 

「何言ってんだ姉貴!! もう、良いです。違うの持ってきますから」

 

 そう言って俺は立ち上がり、私室に入る。そうするとどうしてか、俺の後ろからゾロゾロと沖江さんたちが入ってきた。

 別に見られて困るものもないし、本を取ったら戻れば良いかと考えつつ、俺は漫画を数冊抜き取った。

そして執務室に戻るんだが、俺が椅子に座っても執務室に沖江さんたちが戻ってくることは無かった。

俺はすぐに私室の扉から、私室を覗き込む。

 

「……本当に綺麗にされてる」

 

「ベットは何だか抜け殻みたいになって……」

 

「室内乾燥機が動いていますねー」

 

 そんな風に俺の私室を見ている門兵女性隊員たち。それと、姉貴が椅子に座っている。

なんだこの光景。

 

「戻って下さいよ! 見ても何も面白いところありませんよ」

 

 そう言いつつ、俺は執務室に戻るように催促する。

だが効果はいまひとつだ。1人執務室に追い出したと思ったら、前に追い出したのが戻っていたりする。姉貴は変わらず椅子に座っている。

 

「いやぁ、本当に本が多いですね。漫画もですけど」

 

「読みますからね」

 

「そりゃそうですよ」

 

 まぁ、良いや。別に見られて困るものも無いし。

 そんな風に思う存分俺の部屋を探索した沖江さんたちは、20分後くらいに執務室に戻ってきた。

その頃には俺も執務室で本を読んでいたりする。沖江さんが、俺の私室に入る前に机の上に置いてから来たみたいだったから取り返せた。

 まぁ、戻ってからは俺にちょっかいを掛けてくることもなく、ソファーでくつろいでいるみたいだった。

 それとは裏腹に、金剛が一向に帰ってこない。どうしたんだろうか。

そんな事を考えていると、執務室の扉が開かれる。

 

「ただいま戻りマシター」

 

「おかえり」

 

 金剛が戻ってきたのだ。

片手には荷物を持っているので、どうやら帰りに酒保に寄ってきたんだろう。

 

「……賑やかになってマスネー。皆さん、紅茶はいかがデスカ? って聞いても淹れてくるんデスケド」

 

 そう言った金剛は、給湯室の方に行ってしまった。

話でもするんだろうか。

 金剛は俺が執務室に居る時には紅茶かコーヒーを淹れてくれる。馬鹿みたいに紅茶ばかり出す訳じゃないみたいだ。

それと聞いた話だが、長話をする時は、相手がいるいらないに関係なく紅茶を淹れるみたいだ。ということは、長話でもする気なんだろう。

 

「お待たせしマシタ。ということで、沖江さん。こっちに座って下サイ」

 

「は、はい」

 

 どうやら門兵の中でも、金剛の話は有名だったようだ。

少し沖江さんが緊張しているように見える。

 

「ましろもデス」

 

「はい」

 

 なんだコレ。

一気に雰囲気が重くなったんだけど、どういうこと。

 

「単刀直入に言いマス。何をしているんデスカ」

 

「休暇で、少し」

 

「ハァ?」

 

 あーこれはヤバイ。俺はそう思ったので、そのまま俺は立ち上がる。

そして私室に向かった。

扉を閉める時、沖江さんと姉貴が見えた。何だか助けを求めている視線が送られていたんんだが……。

 

「何よそ見しているんデスカ!」

 

「ひいぃぃぃ!!」

 

 そっと俺は扉を閉じた。

 私室で椅子に座り、ゆったりと本を読んでいると、金剛の声が隣から聞こえてくる。

 

『休暇を取ったのは分かりマス。ですけど、執務室に来て何をしているんデスカ!!』

 

『ちょっと、紅提督のことを……』

 

『モゴモゴ言っても分かりマセン!! ハッキリ言って下サイ!! それでも憲兵デスカ!?』

 

 そう言えば沖江さん。原隊は憲兵って言っていたな。

 

『紅提督にお近づきになろうかと……』

 

『それでこの2日間、貴女たちは紅提督の周りで色々していたんデスカ!! 昨日は誰がいたんデスカ?』

 

『南風さんたち……です』

 

『ちょっとココに呼んできて下サイ』

 

『えっと、今ですか?』

 

『今、すぐに!!』

 

『はいぃぃぃ』

 

 なんだか変なことになってきたなぁ、と考える。そんな状況を俺は、静かに私室で本を読んで過ごす。

 執務室を飛び出して行ったと思われる音がしてすぐ、執務室の扉が開く音がする。

どうやら沖江さんが南風さんを連れてきたみたいだ。

 

『金剛さん、どういった要件で? そしてなぜ、執務室なんでしょうか?』

 

『それは今から分かります』

 

『あの……青筋が……』

 

『昨日、紅提督の首根っこを引っ張ってどっかに連れて行ったそうデスネ』

 

『あっ……』

 

 俺は音楽プレイヤーにイヤホンを刺して、音楽を聞きながら本を読むことにした。

 それ以降、金剛が何をしていたのかは知らない。

だが途中、私室の扉が開き、姉貴が顔を出したかと思うとすぐ、引っ込んでいったのは何かがあったんだろうな。

 

ーーーーー

 

ーーー

 

 

 本を読んで人満足した俺は、イヤホンを取って執務室に戻った。

その頃には、俺は執務室で金剛が怒っていることは忘れていた。

 そんなことを忘れていたものだから、惨劇を目の当たりにすることになる。

地面で正座をしている姉貴を含む門兵女性隊員たち数十名。その人数に色々と言っているのは、金剛。腕を組んでいる。

 

「大体デスネ、どうしてましろが手順をすっ飛ばして色々しているんデスカ」

 

「それはその……」

 

「然るべきところに出すのが普通デース」

 

 俺は思い出した。金剛が姉貴たちに説教をしていることを。

俺は静かに扉を閉め、いつもの椅子に腰を下ろす。あくまで何も知らないです感を出しながら、椅子に座って参考書を開く。今まで本を読んでいたから、今度は勉強をしようと思ったのだ。

 俺が参考書の問題を解いている間も、金剛の説教は続いた。

時間換算すると4時間くらいやっているんじゃないか。そろそろ昼に行かなくてはいけない時間なんだが。

 

「……金剛―」

 

「ハーイ」

 

「飯行くぞー」

 

「すぐ行くネー」

 

 なんていい笑顔で返事をするんだ、金剛は。

そしてすぐ、姉貴たちの方を見ると表情は一変。

 

「紅提督に次、迷惑掛けたら……ふふふっ」

 

 こっわ。むっちゃ怖いっす、金剛さん。

俺はそう考えつつ、門兵たちの間を縫って執務室を出てきた。それにはすぐ、金剛も出てきて、なんもなかったように振る舞う。

 

「な、なぁ。金剛」

 

「なんデスカ?」

 

「あんまり……その」

 

「あぁ。あと5時間くらいやりマス」

 

 ひぇえぇぇぇぇ。流石に居た堪れない。

 昼飯を食べた後、戻ってきたらまだ正座をしていたので、金剛が説教を始める前に解散を伝えた。昼飯を食べてくることと、金剛に言って説教は終わりだということを言って帰ってもらった。

 こうして、この門兵女性隊員が中心で起きた騒動は幕を下ろしたのであった。

 

ーーーーー

 

ーーー

 

 

 ちなみに後日談がある。

俺が用で警備棟に行くと、南風さんやら沖江さんやらに無茶苦茶絡まれるようになった。

なんでそんなだらしない顔をしているんですかね。俺、気になります。

 




 終わりに不満を持たれる方もいらっしゃるかもしれません。
ですが、これでいいんです。
前々回の特別編短編集では、ましろが説教をして収拾させました。今回は金剛に怒らせてみました。特に理由はありませんが、まぁ、設定上仕方ないとしか言えないです。

 今回をもちまして、特別編短編集 第3回目は終わりです。
次の特別編短編集まで、本編の方でお会いしましょう。

 ご意見ご感想お待ちしてます。


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特別編企画 第4回目 『超絶怒涛の空前絶後のキャラ崩壊をさせてみた』
鳳翔、頑張ります! その1


※他の企画との関連はありません。


 

 皆さん、どうもこんにちは。鳳翔です。

 最近、私には悩みがあります。

それは……。

行っても……。

 

「ヘーイ、紅提督ぅー! ティータイムしようヨー!」

 

「あぁ」

 

 行っても……。

 

「紅提督ぅ~、鈴谷と一緒にゲームしない?」

 

「いつの間にゲームなんて買ったんだよ……」

 

「門兵さんに頼んで即日配達!」

 

「おい。……ったく、後でお礼言いに行くぞ」

 

 行っても……。

 

「おい赤城」

 

「はい……」

 

「今度は何やらかした」

 

「そのぉ……ですね……」

 

 行ってもこんな感じです。

 私の悩みというのは、足繁く紅提督にお会いしに行っても誰かしら先約がいるということです。

 艦娘の皆さんから人気のある御方ですから、仕方ないと言えば仕方ないとは思うんですけどね。ちゃんと付き合う紅提督も紅提督ですけど……。

 

「今日も失敗ですね……。秘書艦のクジも当たりませんし」

 

 そんなことを呟きながら歩きます。

 この頃、そういう艦娘が集まって作戦会議なんかしたりしていますが、全然戦果は得られていません。これまでで一番戦果だったと言えるのは、加賀さんです。

赤城さんしかやっていない『特務』を任されるようになったとか。これも作戦会議に参加しつつ、方針を決めて、丹念に作戦を練った結果です。秘書艦を引けたのは運でしょう。

 

ーーーーー

 

ーーー

 

 

 私のこと、紅提督は覚えていらっしゃるのでしょうか。

とか誰かに言おうものなら、龍驤ちゃんにシバかれてしまいます。龍驤ちゃんも私同様、紅提督と話したくてもタイミングを掴めない艦娘の1人ですからね。

 私はあることを考えつきました。

これまで色々失敗してきています。ですが今回は自信があるんです。このことはまだ誰にも話していません。『お互い秘密は無しっこやで』と龍驤ちゃんに言われていますが、これは私にとっての加賀さんに次ぐ、作戦会議参加艦娘の中の成功者になってみせます!!

あぁ、でも、皆さんを騙すようなのは気が引けますね。

 私は思いつきはしたものの、確認を怠っていたことに気が付きました。ですので、資料室に来ています。

資料室に勉強に来ている皆さんが行く本棚は、戦術指南書が置かれているところばかりです。私もまだやっていないところがあるので、勉強しなければいけません。ですが、それは後回しです。

 戦術指南書の棚を通り過ぎ、物語等が置かれている文庫本コーナーや漫画コーナーも通り過ぎます。

 

「あった……」

 

 私が探していた本。それは、『私について書かれている本』です。

つまり『航空母艦 鳳翔』についてです。

これが、私の作戦に必要なんです。

 

「よしっ! 早速、コレを借りて行きましょう」

 

 それをその場で開き、目次を見ます。そして裏表紙の方にある索引を見て本を閉じました。

確認にはちゃんと中身を見ないと分かりません。

 私はそれを長い袖で隠しつつ、カウンターに向かいます。

ここで本を借りることが出来るんです。ですけど問題があります。

 

「あ、鳳翔ちゃん。本を借りますか?」

 

「はい」

 

 比叡さんです。今日のカウンターの当番は比叡さんと瑞鳳ちゃんなんのですが、正直当たりです。ですが、どうして自分のことを書かれた本を借りるのかを聞かれたら困ります。

ですがそれも可能性は低いですね。なにせ相手は比叡さんです。

 比叡さんは年上の方に失礼ではありますが、ちょっとおバカさんなのです。その分、身体はよく動くみたいです。いわゆる体育会系ってやつですね。テレビでこの前言っていました。

それに、紅提督にも結構気に入られていますね。『気の合う友だちみたいだー』とか言われていました。本人は不服そうでしたけど。

一方、瑞鳳ちゃんだと外れです。絶対、借りる本に違和感があると理由を聞いてきますからね。

実は一時流行った、『艦載機に関する知識があれば話せるんじゃないか』説が一気に広まったのは、この資料室で借りる時に明るみになってしまったことでした。

 そんな比叡さんに、私は本を渡します。

 

「はーい。ポンッと」

 

「あ、ありがとうございましゅ」

 

 あう……噛んでしまいました。思っていたよりも、かなり私は緊張してしまっていたようです。

もしかしたら比叡さんにバレてしまうんじゃないか、そんな風に考えたら緊張してしまいました。

 もし、比叡さんにバレたら、比叡さんは当番はちゃんとこなす人ですから、交代の時に呼び出されることになるでしょう。

その時に…………

 

『これ、どういうこと?』

 

『そのっ……』

 

『自分のことだから、知らないことは無いと思うんだけど?』

 

 私は壁際に追いやられます。

そして、私の背中が壁にひっつきます。刹那、比叡さんの腕が私の耳元を掠めて、音を立てます。

 

『ま さ か 、結構前に流行った『あの』再来かな? 私にも詳しく教えてくれないかな?』

 

『ひええぇぇぇぇぇ!!!』

 

 …………なんてことになり兼ねません!!

というか、私は何を比叡さんで想像しているんですかっ!!

 本を受け取って動かなくなった私を、比叡さんは不思議そうに見ていました。

私の目の前で手を振り、『おーい』と声を掛けています。

 

「おーい、大丈夫?」

 

「ひゃい!! 失礼します!!」

 

 私はそのまま資料室を飛び出しました。

多分、あそこに居た人たちに変な風に思われました。

それは良いです。一応、本を手に入れることが出来ました。

このまま寮まで持ち帰り、私物のところに隠しておけば持っていることはバレないはずです。

 

ーーーーー

 

ーーー

 

 

 寮の私室に到着しました。

扉の前で、私は祈ります。

 

(どうか中に龍驤ちゃんが居ませんように!!)

 

 そう、私は龍驤ちゃんと相部屋なのです。初代一航戦というのと、元から仲が良かったこともあり、進水からずっと一緒の部屋に住んでいます。

部屋の中は共同スペースと個室に分かれており、それぞれは独立した部屋になっています。

ですから、龍驤ちゃんが居たとしても個室にいれば問題ないです。

 私はノブに手を掛け、部屋へと入っていきます。

共同スペースまでの短い廊下を歩き、共同スペースに入ります。

 

「ただいま……ふぅ」

 

 どうやら共同スペースには居ないみたいですね。それに、個室にも『空き』という看板が立ててあります。

これはつまり、個室にも居ないということです。

 そそくさと私は自分の個室に入り、すぐに借りてきた本を隠します。机の上に置いておいても、龍驤ちゃんは入ってきても勝手に見ることはありませんが、それでも念のためです。他の娘が遊びに来たら分かりませんからね。

 私はそのままベッドに寝転がりました。

和室と洋室で選べましたが、洋室になってしまいました。本当ならば和室が良かったんですが、2人部屋の和室は埋まっていたんですよね。

 軽空母の艦娘がドロップ・進水で寮に入る際、幾つか部屋割りに規定があります。

まず、個室が選べない。そして4人部屋も選べない。つまり相部屋以外は選べないんです。そして、私が入ってきた時点では寮もそこまで大きくなかった上に、2人部屋の和室は埋まっていました。

それ以来、寮の増設工事はありましたが、お引っ越しする訳にもいかずに、ズルズルとこのまま……。

 そんな洋室でしたが、一応この個室には畳を敷いてあります。

紅提督の計らいで酒保が大きくなった時、暇な時に中を見て回っていたら畳のコーナーがあったのを発見。則、預金を確認して買いました。部屋の採寸を一度取った後、数日で畳が届きます。

何やら高級畳らしいですが、値段はそこまで高くなかったと思います。

そんな風に畳を敷いたので、畳部屋にベッドがあるという謎の光景が出来上がっています。ベッドも出してしまえば完璧なんですけど、それは出来ないみたいです。というか、誰もやったことないとか。酒保にもベッドは売っていませんし、あるものを使えということですね。

 

「……よしっ!! 作戦の詳細を考えなくちゃ」

 

 そんな風に気合を入れつつ、私は考えます。

私が考えた作戦、新たな一面を全面に押し出してギャップに惹く作戦です。その為の確認資料は、さっき資料室で借りてきましたからね。

 

「ふふふっ」

 

 考えただけで笑いが止まりません。

全てに於いて全艦娘をリードしているが何処か思惑と違う方向に進んでいる赤城さんや、『提督への執着』の影響で接触回数の多い金剛さんや鈴谷さん。前々から『提督への執着』が発現せず、紅提督から何かと心配してもらっていた大井さん。緊急時や大規模作戦の際には必ず紅提督の身辺警護をする『番犬艦隊』の皆さん。

その人たちを全員追い越し、私がその座を手に入れるんです。

 

「うふふふっ」

 

 紅提督のことは、正直に言ってしまえば一生付いていく所存です。

どんな形にせよ、私はそれを曲げるつもりは全くありません。できれば隣を歩きたいですが、後ろでも良いです。何番でも構いません。

 そう考えていた時期がありました。ですが、今では違います。

この作戦が成功した暁には、私は将を取ります。今まで歩であった私ですが、この作戦では私は何よりも強い駒。将を囲む駒を尽く排し、私がその将を討ち取るんです!!

 

「あははははっ!!」

 

 そう考えただけで笑いが止まりません。

 

ーーーーー

 

ーーー

 

 

 なんや帰ってきたら、隣がうるさいなぁと思った。

なんでやろうかと思ったけど、それはすぐに分かる。

 

『あははははっ!!』

 

あの笑い声は鳳翔や。間違いなく。

いつもなら『うふふっ』って笑うんに、今日はおかしいで。

どうしたんやろうか。悪いものでも食ったんかな?

 





 前回の企画からかなりスパンが短いですが、早々に特別編短編集を投稿しようと思います。
 今回の内容に関してですが、企画名からしてみれば分かると思います。
ある日、ふと思ったんですよ。はい。
そういった内容となっております。

 今回の企画は全5話で完結ですので、少し長くお楽しみ頂けるかと思います(作者も執筆をかなり楽しんでいた)。

 ご意見ご感想お待ちしています。


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鳳翔、頑張ります! その2

※他の企画との関連はありません。


 

 作戦の大筋は完成しました。後は準備をして、時を待つだけです。

気合を入れつつ、私は個室を出ます。

 

「よしっ!!」

 

「なんや鳳翔。気合入っとるなぁ」

 

 迂闊でした。気合を入れるために、普段ならやらない気合を入れるために声を出して出たのが良くなかったです。

共有スペースに龍驤ちゃんが居ました。結構ラフな格好していますね。いつものことですけど。

 

「え、あ、いや……」

 

「今日、秘書艦やったか?」

 

「ち、違いますよ?」

 

 私はそう言いつつ、廊下に行こうとします。ですが、そんな私の背中に龍驤ちゃんはあることを言い放ちました。

 

「もう朝食行くんか? ちょっと早すぎだと思うけど」

 

 そう言われ、私は壁掛け時計に目を向けます。

時刻は6時40分。もちろん朝です。

 

「そ、そうですね。もう少しゆっくりしていきます」

 

「そうやろ?」

 

 私はこの勢いで準備のために買い物に行こうかと思っていたんですが、よくよく考えてみればまだ酒保は開いていませんね。それと、”予約”している時間までまだ時間があります。

作戦を実行した後のことを考えすぎて、先走り過ぎました。うっかりです。

 朝食を食べてゆっくりしてから行けばいいと思い、私は龍驤ちゃんの隣に腰を下ろします。

 この共同スペースは、私の個室みたく畳は敷いてありません。フローリングですし、カーペットが敷いてあります。そしてその上には小さいローテーブルが1つと3人掛けのソファーが1つ。1人掛けが1つあります。それ以外には、ちょっとした棚があり、そこに電気ケトルやお茶っ葉、茶菓子などが置いてあります。

この部屋にあるものは、私と龍驤ちゃんの共用です。ソファーは割り勘で買いました。ケトルは龍驤ちゃんが買ってきたものですが、お茶は私が。茶菓子は2人でお互いに補充しあっています。たまに龍驤ちゃんと私が買ってきたものが被ることがありますけどね。

 私は龍驤ちゃんが座っている3人掛けのソファーの空いているところに腰を下ろしました。

特に深い意味はありません。

 

「で、鳳翔」

 

「なんです?」

 

「どうしてあんなに気合入れてたん?」

 

 いきなり、そんなことを訊いてきました。ピンチです! すっごくピンチです!

嘘を言っても龍驤ちゃんにはバレてしまいますし、本当のことを言ったら、計画が頓挫してしまいます。それだけは回避したいです!!

 私は何を答えるか、考えます。返答に時間を掛けていられません。

この約1秒間、私は候補をいくつも挙げました。ですが、どれもバレてしまいます。

どうしようどうしようと考え、考え付いた先の答え、私はそれを言います。

 

「紅提督のところに行ってこようと思うんです」

 

 ですがそれはフェイクっ!! 私は”あの作戦”のことを毛頭言うつもりはありませんっ!!

本当のことではありますけどね。今日行くとは行っていませんし。

 

「なんや鳳翔。そのために今日は資料室に缶詰ってことかいな」

 

「そういうことになりますね!!」

 

「鳳翔がネタにするようなことといえば……大戦前の艦載機についてか?」

 

「はい! 龍驤ちゃんもどうです?」

 

「いやぁ、今も勉強中なんやけど、全然やわ」

 

 ふっふっふっ……。頑張って下さい、龍驤ちゃん。今回は私が一人勝ちです!!!

 

「結構進んできて、理解も深まったので今日やってから頃合いを見て行ってこようかと思います」

 

「そうかー。先越されたかー。まぁ、仕方ないなぁ」

 

「戦果は報告します!」

 

「頼むわ!」

 

 そろそろ時間みたいですね。龍驤ちゃんが立ち上がりました。私も立ち上がり、一緒に食堂に向かいます。

もう紅提督は着いている頃でしょうが、近くには座れないでしょうね。

 

ーーーーー

 

ーーー

 

 

 食堂ではやはり紅提督の近くには座れず、私は資料室に来ていました。

龍驤ちゃんにああは言ったものの、一応、用事はあります。今日は本を読みに来ました。借りに来た訳ではありません。

 本来ならば、私について書かれている本も読んでいく予定ではありましたが、モノがモノだけに仕方ないです。

 今日の目的は、皆さんがよく見る棚では全くありません。物語でも漫画でもなく雑誌でもないです。

 

「数は……多いんでしょうか?」

 

 私が来たのは大型本のコーナーです。様々なジャンルの大型本が並んでいるここの棚は、基本的に外から好意で貰ったものが入れられています。

どういった好意なのかは分かりませんが、資料室にはある特定の本以外は置いているようです。紅提督も何の本を置いていないのかは、誰にも教えていないようですが……。

 私はそんな本棚をジーっと観察し、私の目当ての本を探します。

 色々な本がありますね。おもちゃの雑誌や写真集、ファッション誌、建物の本、美術の本……。そんな中に、私が探していた本がありました。

私はそれを数冊抜き取り、読書用スペースに行きます。

 読書用スペースは大きく2種類あります。

1つは長机が並べてあるだけのところ。もう1つは衝立があり、個室にようになっているところ。

私は個室になっているところの、空いている席に本を置き、腰を下ろします。

そして持参していたものを取り出し、本を開きます。

 持参しているものは筆記用具とメモ帳。本に書かれた内容を写し取るためです。時間は掛かりますが、それでも必要なことなんです。

 

ーーーーー

 

ーーー

 

 

 資料室の用も終わり、丁度良い時間になりましたので、私は酒保に向かいました。

 酒保を入り、衣類などが売っている街路を抜け、私はあるところで立ち止まります。

ここには何度も着たことがありますが、私が”こういう目的”を持って来たことがありません。私はメモを握り締め、そこへ入っていきます。

 愛想の良い店員さんに挨拶をしながら、棚の間を縫っていきます。

よく話をする店員さんに声を掛けられました。

 

「鳳翔さん、鳳翔さん」

 

「ん? 何ですか?」

 

「今日は直送で良いお菓子があるんです! 試食していきますか?」

 

 お菓子屋さんです。和菓子を売っているお店で、他の店舗もありますが、私はここのお店のお菓子が気に入っているんです。ですので、よく買いに来るものですから、店員さんにも覚えていただいたみたいですね。

 

「是非に」

 

「はい! こちらになります」

 

 そう言って差し出された小皿を受け取り、串で刺して食べます。

貰ったのはカステラです。いつものカステラとは違い、風味にコクがあります。そして、より良い匂いを漂わせています。

 

「おぉ!! これは美味しいです!!」

 

「ありがとうございます。本日は職人を招いておりまして、いつも販売させていただいているカステラとは違う製法で作らせていただきました」

 

「なるほど……。良いものですね、このカステラ」

 

 私はそう言って、自然にカバンの中に入っていたお財布に手が伸びてしまいました。

こうも美味しいと買いたくなりますよね。

 

ーーーーー

 

ーーー

 

 

 酒保での用事は終わっていませんが、思わぬ幸運です。

美味しいカステラ、しかも、いつもと違い更に美味しいものを買ってしまいました。私の気分は上々です。帰りましたら、龍驤ちゃんと食べようと思います。

 それはさておき、私の本来の目的を果たさなければなりません。

この左手に握られたメモに書かれているものを、私は全てを買い集め、あるところに向かわなければならないのです!!

 

「よしっ!」

 

 私はそう意気込み、店内へと入っていきます。

 

ーーーーー

 

ーーー

 

 

 “予約”していた時間です。前にも何度か来たことがありますが、今日は前回までとは違います。今日は予行演習の前、どうするのかの選定。

つまり!! 本番にどうするのかを決めるんです。

 

「一緒なのは……金剛さんと榛名さん、高雄さんですか」

 

 “予約”表を確認して、私は室内に入っていきます。

中は綺麗ではありますが、棚がたくさんあり、物も多いところです。既に高雄さんは到着しているみたいで、準備を始めていますね。

 私も荷物を割り振られたところに置き、”戦場”に経ちます。

そう、ここが私の戦場ッ!! 数多の味方を欺き、駆け抜けるッ!!

そう、作戦とは私の軍艦時代にあったことや出来事が今の私に反映されているかもしれない、という情報を大いに発揮するものです。

その名も『胃袋に一撃作戦』。軍艦時代の私に搭乗していた料理人が、艦隊随一の腕前だったというモノが反映されているのではないか、という予想から立てました。

基本的にこういう”スキル”みたいなものは、自分で調べて実際にやってみたりすることで判明することらしい(※戦術指南書に書かれている)です。ですから、私はこれを確かめてみます。

 今まで調理室で作っていたものは、基本的にお菓子です。

調べた結果、私に存在する可能性のある”スキル”は、食事に出されるようなもの。お菓子では無いんです。

ですから、今回は初の試みです。どうなるか、どういうものを私が作るのかが、今回の作戦の鍵になります。

 

「いざっ!」

 

 私は資料室にあった材料をメモした紙を頼りに、調理を開始します。

もちろん、エプロンも付けましたし、手もちゃんと洗いましたよ。

 

ーーーーー

 

ーーー

 

 

 私が想像していたのは、『初めてだから、まぁこんなものだろう』というモノでした。

料理に経験があるとはいえ、ジャンルが違うものを作れば、何処かは変なところが出来てしまうだろう、私はそう思っていたんです。

ですが、それはあっという間に吹き飛んでしまいました。

 私の手が、身体が、意識はありますが自然に動きます。

お野菜を切るのも、まるで昼間の食堂のテレビで見るような料理番組みたいに動き、フライパンを振るうのも……。

味付けも味見しながら確かめつつ、微調整していきます。皿を取り出し、盛り付けたら完成です。

 気付けば、少し汗ばんでいましたが、気にしません。

私が憂いていたこの作戦の鍵となる、”これ”は斜め上に行きました。

 皿の上に乗っているのは、割りと簡単と紹介されていた豚の生姜焼き。玉ねぎと豚肉をちょうどいい大きさに切り、レシピにあった調味料を調合。一気に焼いただけです。

レシピ通り作れば、何でも美味しく作れるらしいですが、それは焼き加減やらを加味していないのではないか、と私は思いました。ですから、レシピ通り作れば上手くいくなんて、全く考えていませんでした。

全て、私がタイミングやらも全て決めてやった結果なのです。

 

「ふぅ……」

 

 温かいうちに食べてしまうのが良いんでしょうけど、洗い物を片付けてから食べることにします。

 全てを洗い終え、私は目の前に置かれた自分で作った豚の生姜焼きを睨みつけます。

味付けと微調整の段階では良かったんです。ですがそれは、混ぜた調味料を少しだけ舐めた程度。全てを合わせたものを口にするのは、コレが初めてです。

 

「……いただきます」

 

 箸を取り、私は豚の生姜焼きを口に運びます。

果たしてどうなっているのか……。

 

「んっ!? こ、これはっ!!」

 

 私は思わず箸を置き、立ち上がってしまいました。

その音に驚いた、金剛さんたちや高雄さんが、こっちを見ます。

 急に大きな音を出してしまったのとは裏腹に、とてつもなく驚いています。

何故なら、これなら私は勝てる、そう思ったのです。

 

「すみません。お騒がせしました」

 

「大丈夫ですよ、鳳翔ちゃん」

 

 一番近かった高雄さんに謝り、私は取り敢えず口に運んでいきます。

まだまだやることはあるんです。リストアップしたメニューは全て試さなくては……。

これは今日のお昼ご飯、食べれなくなってしまいますね。

 

 





 前回に引き続き、お送りしています。

 ここまで来れば気付いた方も多いのではないでしょうか?(普通に気付く)
鳳翔の作戦は、鳳翔の得意分野で……。ということですけど、鳳翔は自分のそれに気付いて居ませんでした……という話です。

 企画名と話の内容がちゃんと被っているのか、ということを考えたりしていますが、どうでしょうか?
まぁ、かなり周囲からの認知も違いますし、新鮮だと感じていただければと思います。

 ご意見ご感想お待ちしています。


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鳳翔、頑張ります! その3

※他の企画との関連はありません。


 

 私が調理室を使えた時間は3時間です。

午前6時から9時。9時から正午。正午から午後3時。3時から6時。6時から12時までに5回の入れ替えがあり、調理室にはシンクが3つ。3人か3組みが入ることが出来ます。

私が入ったのは午後3時から6時まで。その間に何品も何品も作っては食べ、作っては食べを繰り返しました。

そして、分かったことがあるんです。

 

(これは、本当に私の一人勝ちも夢じゃないですッ!!!)

 

 そう。一人勝ちも夢じゃない状態なんです。私のスキルは本物。しかも、何品も作っていく毎に、考えることもなく自然に作れるようになりました。

つまり、スキルがあるとはいえ、身体が慣れてないと難しい料理は作れないんですが、私はスキルの補助のお陰で、自分自身で作っていることとに変わりない状態になった、ということです。

この3時間で、私は料理人歴何十年という経験を一気に積んだんです!!

 

「さて、帰りますか。龍驤ちゃんにお腹減ってないって言わないと……」

 

 そんな独り言を言いつつ、私が扉に手を掛けたその時、呼び止められました。

 

「鳳翔―!」

 

 金剛さんです。榛名さんもです。

少し、嫌な予感がします。

 

「な、何ですか?」

 

「うーん、鳳翔って今までお菓子を作っているところばかり見てきましたガ、今日はどうしてご飯系を作っていたデスカ?」

 

 不味いです。よりにもよって、そのことを聞かれてしまいました。

それに片付けを終えた高雄さんが、こっちに来ました。

 

「それは私も気になりますね」

 

「ひゃっ……」

 

 非常に不味いです。高雄さんはかなりの頻度で調理室を借りている艦娘。私も何回かご一緒したことがありますが、その何回も全て、お菓子を作っていました。

 3人に囲まれた私は、答えを迫られています。

どう答えたら良いんでしょうか。必死に考えます。

 

「よ、よく高雄さんが練習しているのを見ていますから、私も挑戦してみようかな……と思いまして」

 

 我ながらよく言えたと思います。

今回、初めて金剛さんと榛名さんを見ましたから、お2人に絡めた言い訳は出来ませんでした。紅提督のことを出しても、何か悟られると思いましてそれも無理ですね。

そうすると高雄さんを使うしか、方法は無かったんです。

 反応が帰ってくるのを待ちます。

金剛さんは納得し、榛名さんは何を作っていたのかを訊いてきました。

 

「そうだったんデスネー。出来栄えはどうデシタ?」

 

「ビギナーズラック、でしょうか。まだまだです」

 

 嘘です。スキルである可能性がほぼ100%です。確認の上でのこの行動ですから、完全にビギナーズラックであることはありません。

 

「鳳翔ちゃんは何を作っていたんですか? 榛名たちはスコーンとクッキー、パウンドケーキを作っていました!! よかったらどうぞ」

 

「ありがとうございます。……えぇと、豚の生姜焼きに肉じゃが、ハンバーグ、サーモンのマリネ、グラタン、チャーハン、回鍋肉……」

 

 我ながら結構作っていますね。どれも量は作ってないのと、お昼ご飯は抜いていたので、結構食べることが出来ました。

 そんな風に挙げていくと、榛名さんの眉がピクピクと痙攣し始めます。

 

「え……ちょっと、作り過ぎでは?」

 

「そうかもしれませんが、お昼も抜いていたので食べました。お陰でお腹いっぱいです。お夕飯ももう食べれないですよ」

 

 通じるでしょう。本当のことですし。

 

「そ、そうですね。……それにしても、見事にバラバラなチョイスですね」

 

「はい。私にもやれそうなのを選んで、やってみたんです。それでも、出来ないところは缶詰を使ったりしましたけどね」

 

 グラタンのホワイトソースは缶に入っているものを使いました。

今夜作ったものを思い出して精査し、次の予約で試してみます。その時はちゃんと作ります。

 

「なるほど……」

 

 どうやら榛名さんも納得したみたいです。

最後に残るのは高雄さん。さっきまで考えていたみたいですが、もうその表情はありません。

 怖いです。高雄さんが何を訊いてくるのかが。

 

「……初めて作った、って言っていましたね?」

 

「は、はい……」

 

 本当に怖いです。しかもそこを突かれました! 本当のことですけどね……。

 

「それにしては、とても上手に出来ていましたね。……私はハンバーグを作っていたんですが、どうも上手く焼けなくて」

 

 よしっ!! 乗り切りました!!

 

「回数を重ねれば出来ますよ! 多分」

 

「そうですよね……。私も今回初めてハンバーグを作りましたし、回数を重ねればどうにでもなりますよね!!」

 

 そう言った高雄さんが持っていた手提げに、ふと目線を落とします。

そこには透明なタッパーが入っており、黒い塊が見えます。あれは多分、ハンバーグでしょうか。

すぐに目線を戻し、話を続けます。

 

「私も今回は失敗してしまったことがありますし、そういうもの何じゃないでしょうか?」

 

 実は玉ねぎを剥くのに手間取りました。それと、どうやら剥くのが少なかったみたいで、一部硬いのが入っていたんです。

 

「ふふふっ。次、頑張ります」

 

 そう言って、高雄さんは先に出ていってしまいました。

どうやら私は乗り切れたみたいです。

 金剛さんたちと一緒に料理室を出ていき、そのまま帰路に付きます。

この時間帯(午後6時10分前)なら、龍驤ちゃんが部屋に居ます。おそらく、私を待っているでしょう。

 

ーーーーー

 

ーーー

 

 

 私室に戻ると、共用スペースに龍驤ちゃんが居ました。本を読んでいるみたいですね。

 

「おかえりー、鳳翔。どうやった?」

 

「いやぁ、失敗しました」

 

「残念やったなぁ……。次、あるから頑張ろ?」

 

「……そうですね!」

 

 龍驤ちゃんは本当に優しいです。たまーに乱暴な事を言いますけど、フォローしてくれますし、落ち込んでいたら自分のことのように話を訊いてくれます。

本当に良い娘です。

 

「……スンスン。……鳳翔、何か美味しそうな匂いがするで」

 

「そ、そうですか。……たまたま通り掛かった調理室で試食をしていました」

 

 嘘っぱちです。作っていたのは私です。

そして全部食べました!! お陰でお夕飯が食べれません!!

 

「そうなんかー。たしかに、通りかかると5回に1回くらいは試食しろー、って言われるもんなぁ」

 

「他の人の意見も聴きたいんですよ、きっと」

 

 私はそんなこと出来ませんけどね。一発勝負です。

 

「んー、そろそろ時間やし、ご飯いこか?」

 

「ごめんなさい。試食で食べすぎてしまって、お腹減ってないんですよ」

 

「そうか? 残念やなぁ……。仕方ないで、他の娘と行ってくるわ!! 留守番頼んだでー」

 

 龍驤ちゃんは疑うことなく、私室を出ていきます。

 私は一息吐き、ソファーに腰掛けました。

これであと1回、調理室で練習して行きます。それと予定を急遽変更します。

次の予約で取れた時に、試食を頼みましょう。同じ回の艦娘の方でも良いですし、タッパーでも買ってきて門兵さんに頼んでも良いです。

 私は少し目を閉じて、考えます。

もし、作戦実行したら……どうなるのか。どういう結果が待っているのか……。

そんなことを考えていたら、どうやら寝てしまったようです。

お夕飯から帰ってきた龍驤ちゃんに起こされ、お風呂に入りました。

 その後、個室で何を作るのかを精査し、献立を書き留めます。

そしてそれを隠し、ベッドに潜り込みました。

 今日は私のことが分かったこともありますし、作戦の鍵が手に入りました。良いこと尽くしです。

 

ーーーーー

 

ーーー

 

 

 龍驤ちゃんが夕食から戻り、お風呂に一緒に入ってきました。

相変わらず龍驤ちゃんは胸のことを気にしているみたいですけど、気にしたところでどうしようもないと思うんですよね。私のもそこまで大きいとは思いませんが、何をしても成長することはありませんし……。

 私室への帰り道、龍驤ちゃんがあることを訊いてきました。

 

「なぁ、鳳翔」

 

「何ですか?」

 

「夕飯行った時にさ、高雄の近くの席に座ってん」

 

 龍驤ちゃんはそう言いながら、歩みを止めません。

 

「……高雄、しょぼくれていたから話を訊いたんよ」

 

 私は黙って聞きます。どうしてそんな風になっていたのか、心当たりが1つありましたからね。

 

「そしたらさ、『鳳翔ちゃんが一緒の時間に調理室に居たんだけど、見せつけられちゃった。龍驤ちゃん、あの娘お料理とても上手ね』って言ってたんやけど」

 

 だろうな、と思いました。

この作戦を本格的に動かし始めてから、こう心臓に悪いことが立て続けに起きますね。呪われているんでしょうか。

 それよりも、龍驤ちゃんになんて言えば良いのか……です。

誤魔化してもバレると思いますので、ここは真実を言いましょう。ですけど、私のスキルが云々って話は伏せてきます。

 

「お料理の練習をしていました」

 

「ふーん。その為に資料室で勉強がどうのって?」

 

「はい……」

 

 どうでしょうか。龍驤ちゃんはどういう返答をしてくるんでしょう。

 

「……まぁ、ええんちゃう? 皆やっているみたいやし」

 

「……はい」

 

 よしっ!! 乗り切りました。

 今の時間は午後9時過ぎ。もうそろそろ個室に戻る時間です。

資料室は消灯後でも居ることは出来ますけど、消灯の30分前には当番が出ていってしまうので、借りることは出来なくなるんですよね。

 私は時計を見て立ち上がります。

 

「龍驤ちゃん。私はそろそろ寝ますね」

 

「そうかい。おやすみ」

 

「おやすみなさい」

 

 個室へと入ります。

個室の電気を点け、机にカバンを置きます。そして私は机の前に座り、カバンから今日作ったメニューとレシピを取り出しました。

 今から精査です。紅提督に作るご飯の献立を考えます。

考えるだけでワクワクしてきました。次の調理室の予約は明日取りに行きますが、本番は紅提督の私室のキッチンを借りれば良いです。

貸してくれるはず……。

 

 

 





 一気に予約投稿をしていますので、もしかしたらどっかの発言とどっかの発言が噛み合わないことがあるかもしれません(作者側の話)

 ということで、折り返しを通過しました。
かなり時間が掛かっているように思いますが、それだけに色々と……はい。
あと、前々から言われていたことなんですけど、特別編で出た話題や事象を本編に直結するな~みたいな意見を頂いたことがあります。
今回、もしかしたら、それが発生するかもしれません。本編で発生してしまった場合は、後書きにその記述をしようと思います。
もしなければ作者の方にお知らせ下さい。

 ご意見ご感想お待ちしています。


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鳳翔、頑張ります! その4

※他の企画との関連はありません。


 

 紅提督に作るメニューは決まっていました。

和風ハンバーグと豆腐とわかめの味噌汁、付け合せにマッシュポテトとほうれん草のソテー。水菜とレタスのサラダ。

普通の料理ではあるかもしれません。ですけど、自信があるんです。

 次の調理室では、メニュー通りに用意をしてみます。

ハンバーグは紅提督はいっぱい食べるだろうと、牛ひき肉300g分のハンバーグです。

時短のために薄く作ろうかと思いましたが、分厚くしました。こっちのほうが良いです。

そして全てが出来上がった時、同じ回で調理室を使っていた人たちに声を掛けます。

大井さんと北上さんペア、フェルトさんもといグラーフ・ツェッペリンさん、高雄さんです。

 

「あ、あの!! よかったら、食べてみて下さい!!」

 

 全て出来上がった時、私は同じように自分で作ってみたものを味見していた皆さんに声を掛けます。

それに答えて、皆さんが私が使っているところに集まってきました。

 刹那、嫌な予感が私の脳裏を過ります。

高雄さんが居ます。何か感づかれる可能性があります。

 そんなことを心配している私をつゆ知らず、北上さんは和風ハンバーグを食べようとしていました。ちなみにソースは醤油ベースの大根おろしを使ったあっさりソースです。

 

「いっただきま~す」

 

 そんな気の抜けた挨拶をした北上さんは、味わって食べて飲み込んで感想を言います。

 

「お、美味しい……。え? 美味しい」

 

「北上さん……キャラが……」

 

 キャラがブレた北上さんにツッコミを入れつつ、大井さんも和風ハンバーグを食べます。

咀嚼し、飲み込んで感想を言ってくれます。

 

「美味しい……。ガツンとした味かと思っていたけど、すごくあっさりしていて……」

 

 今度はフェルトさんが食べました。和風ハンバーグを取り、口に入れます。

ちなみに北上さんは、既に違うメニューを食べています。無心で。

 

「……ふむふむ。……これは美味いな。ではこっちも」

 

 気付けば大井さんやフェルトさんも次々と食べていきます。

そして北上さんに至っては、何故かお茶碗に御飯を持ったものを片手に食べています。

 そして今まで静観していた高雄さんが和風ハンバーグを口に入れました。

そして咀嚼し、また口に運びます。

 

「…………美味しい。美味しいっ……!!」

 

 気付けば私が作ったものは全てなくなっていました。

そして皆さんから総評が伝えられます。

最初は北上さんからでした。

 

「こりゃ美味しいわ。……もう美味しいとしか言えないよ~。鳳翔って今までお菓子ばかり作ってなかったっけ?」

 

「はい」

 

「こりゃたまげたねー。北上さんもビックリ」

 

 そんな気の抜けたような、適当な感想をいただきました。本人は至って真面目なんでしょうけど、そう聞こえてしまうので仕方ないです。

次は大井さんです。

 

「私も北上さんと同じく、とても美味しいと思いました。付け合せのマッシュポテトもほうれん草も美味しいかったです。味も丁度良く、優しい味がしました。どうしてハンバーグに味噌汁? とも思いましたが、ハンバーグは和風でしたね。味噌汁も出汁がいい感じに効いていて良かったです。あと……」

 

 その後も続き、5分くらいで感想が終わりました。

次はフェルトさんです。

 

「私も作ろうかと思った。いつもはコーヒーに付け合わせるチョコレートばかり作っているからな。挑戦してみようと思う。それと美味しかった。ひょっとしたら間宮よりも美味しいんじゃないか?」

 

「えへへ。ありがとうございます」

 

 間宮さんよりも美味しいと褒められるのは嬉しいですし、照れくさいですね。

そして最後。高雄さんです。

自然と私の顔が固まるのが分かりました。

 

「……鳳翔ちゃん」

 

「は、はい」

 

 そう呟いた高雄さんの表情は見えませんでしたが、突然高雄さんが地面に膝を付いたんです。そして私の服を握ってこういうんです。

 

「美味しいっ!! 美味しいかった!! ですけどっ!!」

 

 ヤバイ。そう直感的に感じます。

 

「これはビギナーズラックじゃないです……。本物の味ですよ」

 

 そう言った高雄さんはスッと立ち上がりました。そして、高雄さんは自分のところからお皿を持ってきます。

その上には鮭のムニエルがあります。それは見れば分かりました。

 

「……食べてみて下さい」

 

 そう言われて、私は箸を取り『いただきます』と言ってから鮭のムニエルを口に運びました。

そして思ったのです。まだ少し生焼けだと。

 

「生焼けでしょう?」

 

「……はい」

 

「どうしても焼き加減が上手く出来ないんです」

 

 何やら恐れていたこととは全く違う方向に話が動いたみたいです。

この後、高雄さんと焼き加減について話をしました。そして、皆さんが作ったものも試食させていただきました。お菓子ばかりでしたので、さながらお茶会みたいになってしまいましたが。

 そして私たちは調理室を次の回の艦娘たちに明け渡します。

それぞれやることがあるということで、散り散りになって行きました。

 私もやることがあります。調理室の予約はもう良いです。今日作った献立で決定。

後は秘書艦を引いて、その時に勝負を仕掛けます。

 

ーーーーー

 

ーーー

 

 

 遂にこの時が来ましたっ!!

調理室で献立の決定を行った4日後。私は夕食後の食堂でガッツポーズをしています。

私の右手に握られているのは『アタリ』と書かれた棒。数多と入っているハズレくじの中から、私は遂にアタリを引きました。

 周りでは残念そうに声を挙げている娘たちがたくさんいます。いつも私はアチラ側でしたが、今回は違います!!

アタリを引きましたので、私は明日、秘書艦を勤めることになりましたッ!!

一応、秘書艦経験はありますので、執務は滞りなく行うことが出来ます。問題はその後。私は何時、お昼ご飯と称して、この『胃袋に一撃作戦』を発動させるのか……。

クジを箱に戻した後、私は椅子に腰を掛けて考えます。

 紅提督の食事パターンは変化し続けている、と前に大井さんが言っていました。

話によると、どうやら時たま自分で作って食べているだとか。というよりも、お昼の時間にテレビのリモコンを赤城さんに任せて、自分1人だけ居なくなっていることがあるそうです。鎮守府から出た形跡もありませんし、何がどうなっているのかも分からないんだとか。ただ、あることがあるらしい。

秘書艦をしていると、午前11時くらいになると秋津洲さんが突然執務室に現れるそうです。そしてカゴを置いていくのだとか。それを見たらショックを受けるとも。

ですが私はそんなことはどうでも良い、と感じています。私には『胃袋に一撃作戦』がありますからねっ!!

 

ーーーーー

 

ーーー

 

 

 午前5時半。いつもならまだ寝ている時間ですが、私は早々に身支度を始めていました。

あまり物音を立てると、龍驤ちゃんが起きてしまうので音を出さないように動きます。

 今日は私が秘書艦です。昨日の夕食後のくじ引きで引き当てました。

そして作戦決行日でもあります。

 全ての着替えを終わらせ、身支度を整え終わったのは午前6時丁度です。

寮の部屋から静かに出ていきます。龍驤ちゃんは私が昨日アタリを引いているのは知っているので、部屋に居なくても変には思わないはずです。

 まだ薄暗い寮の中を移動します。

廊下は寒いですから、呼吸をすると白い息が出てきます。息を手に当てて、スリスリとしながら本部棟に入ります。

寮内にいれば、誰かが居るような気配は感じますが、本部棟に入った途端に気配は消えます。それもそうでしょう。

本部棟で寝ているのは紅提督だけですからね。

 

「……はぁー、はぁー」

 

 手を温めながら、執務室に入っていきます。

 

「鳳翔、おはよう」

 

「お、おはようございます。紅提督」

 

 ほとんど私の方を見てくれない紅提督が、今日は私のことを見てくれていますっ!!

少しトリップしそうなのを抑え、私はあくまで平静を装って秘書艦の席に座ります。

そうすると、じんわりと足元が温かくなってきました。少し小耳に挟んだことがあります。紅提督は朝早くに来る秘書艦のために、暖房器具を設置して早めに電源をいれておいてくれている、と。まさにこれのことです。

 私は座るとすぐに仕掛けます。

昼食の件を話すのです。

 

「あの、紅提督?」

 

「何だ?」

 

「そのっ……お昼ご飯のことなんですが」

 

「まだ朝も食べてないのに、もう昼の話か?」

 

 少し固まります。話は最後まで聞いてからしてほしいものですよ!!

 

「んもう!! 違いますよ!! ……お昼は、わ」

 

「はははっ、ごめん。……それで?」

 

「わっ……」

 

「わ?」

 

 心臓が口から出てきそうです。こうやっているだけでもバクバクと音が聞こえてきます。

紅提督とは離れているから、聞こえてはいないと思いますけど、聞かれていたら嫌ですね……。なんだか……。

 

「わ、わ、私が、お作りしてもよろしいでしょうかっ!!」

 

 い、言えましたっ!! これを言うことが出来たのなら、この後は流れに身を任せて進んでいくだけです。

 紅提督の返答を待ちます。とは言っても、返答はすぐに帰って来ました。

ですが、その間がすごく長く感じたのです。

 

「じゃあ、お願いしようかな」

 

「はいっ!!」

 

 よしっ!! よしっ!! よしっ!! 私は心の中でガッツポーズをしています。柄にもなく飛び跳ねそうになるのを我慢しつつ、私は時計に目を向けます。

 執務室に私が入ってきたのは午前6時5分。今は15分前くらいでしょうか。

もう少しした朝食に向かう時間になりますね。

 私は今日の朝食が何かと考え始めていました。言うことは言いましたし、何を話そうにもどうにもこうにも思いつきません。

アレです。舞い上がってしまって……。落ち着きが戻るまではずっとこうしていようかと思っていましたが、それを紅提督がぶち壊しました。

 

「そろそろ朝食に行くぞ」

 

「はいっ!! ……まだ行くには早いのでは?」

 

「あぁ。今日は秋津洲のところで食べる」

 

「はい?」

 

 背中に刃物が刺さったような感覚に陥りました。今、紅提督はなんと言ったんでしょうか。確か『秋津洲のところで食べる』と言いませんでしたか?

どういうことですか……。

 

「知っているものだと思っていたんだが……。今日の朝食は秋津洲の艤装で摂る。そんな連絡はしていないが、他の日を担当した秘書艦とかから聞いてないのか?」

 

「え、いや……さっぱり」

 

「てっきり知っているかと思ったんだがなぁ……。まぁいいか、誘われているし。秘書艦の鳳翔の分も頼んであるから」

 

 由々しき事態ですっ!! 由々しき事態ですっ!! 重要だから2回言いました。

手料理というのは対象物が多いですけど、ご飯を紅提督にご馳走するのは私が初めてだと思っていましたのに、秋津洲さんが既にそれをしていたってことです!!

しかも、紅提督の言い方だと結構な回数食べているということになります。不味いです、不味いです。これは本当に緊急事態です。

 私は紅提督が立ち上がったので、それに呼応して立ち上がり、執務室から出ていきます。

廊下を紅提督の少し後ろを歩きますが、内心はかなり焦っています。

 秋津洲さんは伏兵でした。いいえ。これは対潜装備を積んでいない艦が雷撃を受けるのと同じほどの衝撃です。

いつも日に2回の定期哨戒をしているだけの艦娘だと思っていましたが、主力艦の赤城さんや長門さんよりも近づいていますよ!!

王手の一歩手前で防御を固められた気分です。

 

「そ、そうなんですか」

 

 私は黙って紅提督の後ろを付いてきます。

そして着いたのは艦娘寮でもなければ食堂でもない場所。埠頭に到着しました。

明け方ということもあり、かなり潮風が冷たいですが、その風を浴びつつ、私たちはある艤装に向かいます。

埠頭に浮く巨大な飛行艇を甲板に乗せている水上機母艦、秋津洲。秋津洲さんの艤装です。

 タラップの近くに付き、紅提督はそれを登っていきます。

私も後から追い、登りきるとそこには秋津洲さんが居ました。

 

「おはようかも!!」

 

「おはよう」

 

「鳳翔もおはようかも!!」

 

「おはようございます」

 

 ここまで来ると、さっきの潮風に混ざってご飯の匂いがしてきました。

 秋津洲さんと紅提督が歩き始めましたので、私はその後を追います。

そして到着したのは、秋津洲さんの艤装にある食堂です。私と紅提督が席に付くと、近くを妖精さんたちがぞろぞろと歩いていきます。多分妖精さんたちもご飯を食べに来たんでしょう。

 

「ここに来ている妖精たちは全員、秋津洲の艤装の搭乗員だ。他の艤装からもたまーに来ている者がいるらしい」

 

「そうなんですか……」

 

 そんな話をしていると、秋津洲さんがトレーを持って厨房から出てきました。

その刹那、紅提督が立ち上がり、秋津洲さんの持っていたトレーを受け取ったのです。

 

「持つ。呼べば良いのに」

 

「あはは……ごめんなさいかも」

 

「いっぺんに持つなって前に言っただろう?」

 

「はい……」

 

 何だか悔しいですっ!! 悔しいですっ!!

何ですか、この空気!! ぶち壊したいこの雰囲気っ!!

 

「いただきます」

 

「いただきますかも~」

 

「いただきます」

 

 トレーが机に置かれ、私の隣に秋津洲さんが座りました。そして食べ始めます。

 メニューは洋食。バターの香りが強いパンとサラダ、コーンスープ、スクランブルエッグ、ハムです。しかもハムは良いところのを買ったらしいですが、他は全て手作り。パンも焼いたそうです。

 

「あ、秋津洲」

 

「何かも?」

 

「牛乳あるか?」

 

「持ってくるかもー。鳳翔はいるかも?」

 

「あ、お願いします」

 

 何ですか、この……なんて言えば良いのか分かりませんが、この空気。

すぐに秋津洲さんが牛乳を持ってきて、コップに注がれます。

こんな風にして私たちは朝食を摂りました。

 朝食も終わり、艤装から降りていくと同時に、秋津洲さんは出港して行きます。

これから定期哨戒なんだそうです。

 紅提督は満足気な顔をしながら、本部棟へと足を向けました。

そして私は半ば、戦意を削られていたんです。

ちなみに、このように秋津洲さんが紅提督のご飯を度々作っているのは、一応他の艦娘の間では有名な話らしいです。秋津洲さんのところでご飯を食べる日にバッティングした秘書艦は、尽く魂が抜けた様子で帰ってくるだとか。

 

 





 ここに来て強敵現るッ!!

 ということで、本シリーズでステータスを女子力に全振りした秋津洲さんが登場しました(ゲスガオ)
長らく、本編にも搭乗してませんでしたので登場させることにしました。それと、話の内容が内容ですので、ここで出さねばどこで出す! 的なノリで出した節もあります。反省はしません。怒られてもしません。

 ご意見ご感想お待ちしています。


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鳳翔、頑張ります! その5

※他の企画との関連はありません。


 朝食も食べ終えた後、執務室に戻ってから執務を始めます。

私が事務棟に書類を取りに行き、帰ってきてから本格的に始めます。

 秘書艦経験があるということで、執務は円滑に進みました。

紅提督は最初から最後まで休憩を入れずに、一気にやり終えたみたいです。私はまだ慣れませんので、休み休みでしたけどね。

そして全てが終わり、事務棟に提出に行く時が来ました。

 

「紅提督。帰りが遅れます」

 

「あぁ。酒保だろう? 分かった」

 

「では行ってまいります」

 

 私はお財布と書類を持って、執務室を出ていきます。

 本部棟を出て、事務棟まで歩いていきます。

その途中には、色々なところを通り過ぎていきます。最初に通るのはグラウンドです。

今日はバトミントンをやっている集団があるみたいですね。艦娘の皆さんと門兵さんが入り混じって騒いでいます。今までも思ったことですけど、門兵さんって仕事無いんですかね? 毎日の様に、駆逐艦の娘たちと遊んでいる姿を見るんですけど……。

 グラウンドを通り過ぎ、酒保を通ります。まだ提出していませんので、中には入りません。この辺りまで来ると、袋を持って歩いている艦娘をよく見かけます。とは言っても、まだ開店していないので居ないんですけどね。

 そして警備棟の横を通ります。

警備棟の正面玄関にはいつも数人の門兵さんが立っています。鎮守府内ではありますけど、規則で立つことになっているみたいですね。私が横を通り過ぎると、門兵さんは笑って敬礼をしてくれます。私も答礼をしますけど、結構不格好らしいので最近はお辞儀をするだけにしているんですよね。

 事務棟に到着しました。受付に向かい、いつもの人に書類を渡します。

 

「お願いします」

 

「はい。お預かりしますね」

 

 受付の人は、中で何やら作業をしてから、私にあるものを渡してきます。

受け取ったことを確認するレシートみたいなものです。形式上は、コレを紅提督に見せる必要がありますけど、別に見せなくてもいいと言われています。まぁ、軍規で決まっていることですけど、ここはそういうのはほとんど通用しませんからね。

 

「では、お仕事頑張ってください!」

 

「えぇ! 鳳翔ちゃんも!

 

 受付の人は毎日固定で、本人曰くまだ20代だそうです。別の人は本年齢を40近くと言ってましたけど、まぁ、そこは……。

いつも笑顔で優しい人です。何だかお母さんみたいな感じです。

 私は事務棟を出ていき、酒保に向かいます。

お昼ご飯で使う材料を買い揃えます。

 

ーーーーー

 

ーーー

 

 

 酒保で開門を終わらせ、執務室に戻ってきました。

時刻にすると、午前10時半頃です。

執務室に帰ってくると、紅提督は本を読んでいらっしゃいました。私室にお邪魔しても良いかと訊きたいところですけど、話しかけるのも何だか気が引けます。

 そんな風にしていると、紅提督が顔を上げました。

 

「おかえり、鳳翔」

 

「……た、ただいま戻りました」

 

 紅提督はすぐに目線を本に落とすと思いましたが、落としません。私の方をまだ見ています。

ですので、私は訊きたいことを言いました。

 

「あの……私室に入ってもよろしいでしょうか?」

 

「ん? あぁ。ちょっと待って」

 

 そう言って紅提督は立ち上がり、私室の扉に手を掛けました。

そして、その扉が開かれます。

 私は紅提督の私室に入ったことがありません。

艦娘の中でも数人は入ったことがある、という噂を耳にしたことがあります。確実に入っているのは北上さんですね。朝食を食べ損ねた時、紅提督に朝食を作っていただいたという話です。

あと蒼龍さんと利根さん。こちらは間食にリゾットを作ってもらっただとか……。他の艦娘の方は噂でしかありませんが、赤城さんや金剛さん、大井さん、フェルトさんです。目的も意図も不明です。

 扉の向こうには、私の知らないことで溢れていました。

全ては噂で片付けられていたことが、目の前で真実に変わるんです。私室は生活出来るように作られており、入ればすぐに本棚が目に入ります。紅提督が読むために買っているという本や漫画が並べられており、資料室にあるようなものとは嗜好が違います。そして教材のようなものも見受けられます。

そしてベッドがあり、抜け殻のようになっています。他には頻繁に使っているというキッチン。その奥には洗面所があります。お風呂とお手洗いも完備。

生活感がある部屋ですが、噂でしか聞いたことのない部屋に入るとこが出来ました。

 

「ほら、用事があるのはあそこだろう?」

 

 そう言って、紅提督はキッチンの方を指差しました。

そこは艦娘寮にある調理室とは違い、結構広いです。それに綺麗です。艦娘寮の調理室も綺麗ではありますが、何か違うように感じます。材質は同じみたいですけどね。

それに、作業をすることが出来る広さが違います。こちらの方が断然広いです。

 

「いつから作り始める?」

 

「11時過ぎくらいから、と考えていますが……」

 

「……じゃあ、時間になったら勝手に入っていいぞ」

 

「はい」

 

 ここで作っていいかは聞いていませんが、勝手に入っていいというお許しを得ました。

 袋を置いて、要冷蔵のモノは冷蔵庫へと入れていきます。

冷蔵庫の中には、色々なモノが入っていました。調味料や水、コーラ、食品等など。コーラが結構な数が入っている気がしますが、紅提督はコーラがお好きなんでしょうか。

そして私は、あるものを見つけてしまったのです。

そう!! 紅提督が作ったと思われる軽食が!! ちなみにサンドイッチです。具は色々で卵とツナ、レタスやハム等がランダムに挟まっているモノがありました。ヤバイです。食べたいです。口の中で唾液が過剰分泌されてます。

 私はサンドイッチを気にしないように食材を冷蔵庫に収め、執務室に戻りました。

そこでは特にすることもありませんので、お茶でも淹れて飲みましょうか。

 

ーーーーー

 

ーーー

 

 

 11時前、執務室にある艦娘が訪ねてきました。

 

「失礼するかもー!!」

 

 朝に朝ごはんをいただきました、秋津洲さんです。

そして、何故かカゴを持っています。

 

「おぉ、秋津洲か」

 

「うん!! はい、今日の分」

 

「ありがとう」

 

 そして秋津洲さんは執務室を出ていきました。

私はてっきり話をしに来たんだと思っていましたが、違ったんです。秋津洲さんの目的はカゴを置いていくこと。

 紅提督は秋津洲さんが置いていったカゴから、何かを出しました。

 

「おっ。今日はスコーンか。忙しかったんだな」

 

 そう言って、紅提督はスコーンを食べます。そして、私が淹れたお茶を飲みました。

私の思考はこの光景を見て止まりました。

 

ーーーーー

 

ーーー

 

 

 11時も過ぎ、私はこっちに戻ってきます。

紅提督がスコーンを食べているのを尻目に、紅提督の私室に入ります。これまで、様々な障害(秋津洲さんが朝食を用意する、秋津洲さんがお菓子を持ってくる)がありましたが、もう気にしてなどいられません!! 何があったとしても、当たって砕けろ!! 爆ぜろ障害物っ!! 突撃が一番最強なんです!!!!

 

「……よしっ!!」

 

 手を丁寧に洗い、食材を準備して気合を入れます。

これより鳳翔は『胃袋に一撃作戦』を開始しますッ!!!

 

ーーーーー

 

ーーー

 

 時刻にして12時30分。

 紅提督の私室の机の上に並べられた、私渾身のお昼ご飯が並んでいます。それを一度見て、箸を取り、手を合わせました。

 

「いただきます」

 

「はい。召し上がれっ」

 

 きゃっ、言ってしまいましたっ!! これ、夢だったんですよね。

 それはともかくとして、お昼ご飯の出来栄えは最高です。

味付けの時点でも良かったですから、後は完成形が良ければ……。

 紅提督は食べ始めました。

 緊張で私はその光景を直視することが出来ません。

 

「……うん。美味しい、鳳翔」

 

 この時、私がどんな表情をしていたかは分かりません。

ですけど、心ではどんなことを考えていたかは分かります。作戦が成功したことと『幸せだなぁ』ってことです。

 どうやら和風ハンバーグのサイズを大きめに作ったことは良い選択だったみたいです。

途中からは見ていましたが、紅提督はガツガツと食べていました。

 

「美味いっ……美味いっ!」

 

 そんな事を言いながら、口に書き込んでいます。

 あぁ……嬉しいですね。この光景、紅提督の言葉……。

紅提督は結局、ご飯を2杯おかわりをしました。全部綺麗に食べてくれましたし、あまり笑わない紅提督が笑いました。

それに、サプライズがあったんです。

 冷蔵庫に入っていたサンドイッチを私に下さったんですっ!!

私が買い物に行っている間、作って置いたとのことでした。最高に幸せですっ!! 2人だけで食卓を囲むんおがこんなにも嬉しいことだったなんて……。作戦を立てて、実行して良かったです!!

そして、こんなことを言われました。

 

「また、迷惑でなければ作って欲しい」

 

 もちろん、OKしましたとも!! 断る人なんて居ませんよ!!

 

ーーーーー

 

ーーー

 

 

 執務室から私室に戻ると、龍驤ちゃんから質問攻めに遭いました。

これも恒例儀式ですよね。秘書艦になった艦娘を囲んで、紅提督の様子を訊くことなんて。私も龍驤ちゃんが秘書艦の時、根掘り葉掘り聞き出しましたからね。お互い様です。

 

「なぁ鳳翔ぉ~、何かなかったんかぁ~」

 

「ゆ、揺らさないで下さいよー!!」

 

 ちなみに私が帰るなり、私たちの私室には絶え間なく来客があります。近くの部屋を使っている軽空母の艦娘たちが来ているんです。

そして私を揺らしている龍驤ちゃんを中心に、瑞鳳ちゃん、祥鳳さん、飛鷹さんに囲まれています。隼鷹さんも来ていますが、私を囲んでいるところには居ません。近くでお酒を呷っているだけです。

 

「で、どうだったのよ。鳳翔ー」

 

「どうって訊かれても……そのっ」

 

 瑞鳳ちゃんが訊いてきます。

瑞鳳ちゃんは秘書艦経験が1回しかありませんから、気になることも仕方ないと思います。とは言ったものの、隼鷹さんは未経験ですし、他にも経験が無い艦娘も一杯居ます。

 

「もったいぶってないで教えてぇーな!!」

 

「いやいや!! だから揺らさないで下さいって!!」

 

「揺らしとらんわ!! 逃げんように捕まえとるだけやて!!」

 

「揺らしているんですよっ!! あー、頭がシェイクされ……ますっ」

 

 そこで私は気を失いました。龍驤ちゃんに揺らされすぎたことが原因です。

目を覚ますと龍驤ちゃんに平謝りされましたが、結局、根掘り葉掘り聞き出されることになりました。ですけどもちろん、作戦のことは誰にも言いません。

私だけの秘密です。

 




 これにて特別編企画 第4回目 『超絶怒涛の空前絶後のキャラ崩壊をさせてみた』を終わります。
どういうキャラ崩壊だったのか……。
それは、おかんであることを全面に出されている鳳翔ですが、こちらでは歳も紅よりも年下という設定(というか、本編ではちゃんと記述がある)で書きました。
となるとつまり、鳳翔はまだ歳を考えると10代中盤くらいということになります。
本作でだけですけど……。
こういう設定ですから、時々皆さんの認識とは違う艦娘が現れることもありますので、ご注意下さいね。

 最後のオチに関して(紅が食べているところ)ですが、少々描写不足かもしれません。これが限界でした(汗)
 最後まで鳳翔の前にそびえ立った秋津洲がどっか行った気がしますが、鳳翔が考えないようにしていた、ということで……。

 次の特別編企画が何時になるか分かりません。色々と計画しております(鉄板ネタから作者の個人的な内容まで)。どうぞお楽しみに!!

 ご意見ご感想お待ちしています。


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特別編企画 第5回目 『艦娘、洗脳の続編』
壊れた関係 その1


※『艦娘、洗脳』の続編です。


 人に植え付けられた恐怖というのは、本人が克服したと考えていたとしても、心の奥底にはかなり残っているものだ。

 俺はてっきり状況を鑑みて、警備棟にいるものだとばかり思っていたが、実は事務棟の医務室で治療を受けていたみたいだった。

 どうも警備棟の医務室。正確には処置室には外科的な処置を受けるだけの設備と人員が配置されているが、内科的なものはあまり得意としていないみたいなのだ。切傷などの出血を伴う傷の治療は処置室で行ったが、打身・打撲の症状の判断や治療は事務棟で行われることとなったみたいだ。だから、俺が目を覚ましたのは医務室のベッドだったのだ。

俺がこのことを知ったのは、俺が執務に復帰した次の日のことだった。

武下が俺のことを考え、俺のそばに付けていた非番の門兵、西川から直接聞いた。

 今日は俺が執務に復帰してから3日目。相変わらず俺には門兵が1人付いていた。

今日は佳名(かな)という女性門兵。下の名前ではない。苗字が佳名なのだ。

今も俺の隣に立つ佳名は、横須賀鎮守府の門兵の中ではかなり若い。姉貴と同い年くらいだろう。雰囲気は今の若者という感じで、茶髪のセミロング。それに化粧を薄くしている。

女性門兵全員に言えることだが、大人の女性としてそういう嗜みを普段からしなければならないらしい。一応、軍規にもなっているんだとか。

外見はそんな感じであるが、内面はとてもしっかりとしている。

軍に入るつもりはなかったらしいが、両親を深海棲艦との戦争で亡くしている。そのため、家族の生活を支えるために給料の良い安定している軍に入ったとのこと。

 第三方面軍 第一連隊から派遣されている彼女だが、すっかり門兵の姿も馴染んだようだ。門兵の仕事の1つである、デモ隊との押し合いでも彼女の姿はよく見る。シールドをもってバリケードを作り、押し問答をすることはないが、車両運転や大型装備の操作を行う技術系の人間だ。

 なぜそこまで佳名のことを知っているのか。

それはかなり前の話になるが、デモ隊の艦娘をアイドルか何かと勘違いしている集団を一掃したときのことだ。

その時の佳名は入口でその集団の検査をする機械の操作をしていたらしい。その最中、集団の1人から艦娘と勘違いされ、質問攻めや写真の催促をされたとのこと。

そういう話は基本的に俺のところまで上がってこないが、俺のところに報告がその時、ついでのように上がってきたのだ。そして丁度、俺と武下が話していた時に近くを通りかかったがために、武下に紹介されたのだ。『この兵が艦娘に間違えられた兵です』というように。

初見、BDUを着た大井かと俺は思った。なのでそれ以来、外を歩いている時に佳名を見かけると、間違えて『大井』と呼んでしまうのだ。

 話を戻そう。そんな大井に似ている佳名だが、今では完全に見分けが付く。理由は簡単だ。

俺の現在の状況で大井を見た時には暴行された時の記憶が蘇り、身体が震え、正常な判断が出来なくなるのだ。

一方佳名を見た場合には、そんな症状は一切出ない。深層心理というか、無意識に俺は佳名と大井の見分けが完全に付くようになっていたのだ。

 

「書類が来たみたい。取ってくる」

 

「頼みます」

 

 俺は年上に敬語を使われるのには今だに慣れていない。門兵の皆にも一応話してあるが、こうやって俺の頼みを聞いてくれている人はごく僅かだった。

その中に佳名も含まれている。まだ何人かいるが、中でも身長が200cmはあろうかという大男の門兵には『紅の坊主(あかのぼうず)』と呼ばれている始末。

まぁ、俺としてはそう呼ばれることは気に入っていたりするんだが、正確には『(こう)』と読むんだ。いつになったら気が付くのだろう。周りはちゃんと読めているというのに。

 佳名は俺に『敬語を使わないで欲しい』と言ってきたことがあった。

それは俺の無意識に出ているものだからどうしようもない、と言ったのだが、納得してもらえなかった。

現に、今しがた執務室と廊下をつなぐ扉の下から出てきた書類を取りに行った佳名は、少し頬を膨らませていたからだ。

 

「はい、書類。それとメモ」

 

「ありがとうございます」

 

 書類を佳名から受け取り、中身の書類を確認する。

中には本来、秘書艦が持ってくる書類が入っている。とは言っても、そんなに数はないが。それと一緒に付いてきたメモにはこう書かれていた。

 

『1時間と30分後。終わったものを回収しに参ります。終わりましたら、扉の下か廊下の窓に立てかけておいてください。回収後、提出に行きます。 鈴谷』

 

 つまりはこうだ。

『俺に合わせる顔がない。合わせる勇気もない』ということ。

一度は謝罪に来た艦娘たちも、それ以来一度も執務室に来てはいない。顔も見ていない。

自然に出ていた俺の態度が悪かったんだろう。

その時に、俺と一緒に居た沖江から、俺のその時の応答についてこう言った。

 

『あんな言い方してしまっては、皆はきっと自分を責め続けてしまいますよ』

 

 俺はどんな言い方をしたのだろうか。

至って普通に受け答えをしたつもりだったんだが、俺にはその違いが全く分からなかった。

 

「朝食はどうしたの?}

 

「もう済ませています。……佳名さんこそ、朝早くから執務室で待機していらしたみたいですが、朝食はどうされたんですか?」

 

「あー……寝坊寸前だったからおにぎりを食べながら来たんだよ」

 

「……一応聞きますけど、コンビニにでも行ってから来たんですか?」

 

 横須賀鎮守府にコンビニはない。となると、一度鎮守府から出て行かないとコンビニには行けない。

今更だが、門兵は横須賀鎮守府に住込みで働いている。かなり前に滑走路があったところに、滑走路が敷かれる前から立っている寮で寝起きしているのだ。

そんなところから一度鎮守府から出て戻ってくるだけでも時間は掛かる。それだったら『寝坊寸前だったから』なんて言わないだろう。

ならばどこでおにぎりを手に入れたのだろうか。

 

「違う違う。寮の食堂で、ね?」

 

「ね? って……」

 

 多分、朝食を作っていた門兵に言って、無理に作ってもらったか何かだろう。

それを聞いた俺は、そのまま執務を始めた。

 書類を広げて内容を確認し、必要事項を記入していく。それだけの単純作業なのかもしれない。時に本棚のファイルが必要になる時があり、それが必要になれば俺は立ち上がってファイルを取り出したりする。

"今まで"も"これから"もやっていることは変わりがない。

"最近"は戦闘も最低限にしか行っていないからか、戦闘記録を取る必要もない。呆気なく執務を済ませてしまった。終わらせるのに掛かった時間は40分程度。

 終わったことを確認し、記入漏れがないことも確認した書類を封筒に入れ、俺は佳名に渡した。

 

「はい。終わりました」

 

「じゃあ廊下に立てかけてくる」

 

 いつの間にか、鈴谷のメモにも目を通していたみたいだな。

 執務も早々に終わらせてしまったため、時間を余らせてしまう。今の時間は午前8時52分。まだ1日は始まったばかりだ。

 俺は何をしようかと考える。

そういえば冷蔵庫の中身が少なくなってきたことを思い出した。元々、中身は空の状態だった。執務を復活した日に沖江と買い物に行ったが、それ以来買い物に行っていない。一度に大量に買い込むことがないから、こうも執務室に籠っていると消費する速さが尋常じゃない。

そういえば、沖江は買い物に付いてきた。最初は1人で行くと言っていたのだが、『付いていく』と一点張りされてしまった。だからあの日は2人で買い物に行った。

どうして付いてくると言ったのか分からないが、多分佳名もそう言うだろうな。

 

「暇になりましたね。……冷蔵庫の中身が少なくなってきたので、10時になったら買い物に行きましょう」

 

「そう? なら私も」

 

 やはり佳名も付いてくるみたいだ。やはりそうなのだろうか。

武下も口ではああ言っていたが、やはり"護衛"と"監視"が必要なんだろうな、今の俺の状態は。

意味合い的にはそのままの意味だ。機械が発生させていたものが原因とはいえ、護衛が1人でもいれば、艦娘の行動も変わってくる。俺以外が相手だと、少し戸惑いはするがいつも通りになるのだ。

 そうならば何を"監視"するのか……。

それは、俺が艦娘と接近したことで何らかの異変が起きないか。起きた場合、対処できる人間を近くに置くことを意味している。

つまり『"護衛"は緊急時に俺の身体的・精神的に異常をきたした時、俺に対して何らかの処置をするための存在』ということだ。

 

ーーーーー

 

ーーー

 

 

 午前9時半。この時間帯になると、グラウンドが騒がしくなってくる。

理由は簡単だ。俺が艦娘たちに与えた罰則を実行している。

毎日グラウンドを5周走ることが罰則でそれを2週間。今日は3日目だ。

 艦娘たちは朝食を食べ終わり、いつでも行動を起こせるようになるのがこの時間だ。だからこの時間帯になると、皆がグラウンドに出てきて走り始める。

 俺はその光景を執務室の窓から見下ろしていた。

初日は皆、通達を聞いてすぐに飛び出し、走っていた。だが昨日から違う。

門兵から借りてきたのであろうバックパックとベスト、小銃、ヘルメットを被って走っているのだ。

昨日の護衛だった長政によると『あの装備だけで20~30kgはある。重巡の艦娘ならまだしも、駆逐艦の艦娘には重すぎるのではないだろうか。見た目も年齢も小学生や中学生の彼女たちには、それだけ重い荷物を持ち上げるだけでも辛いだろう。だが、それを持って走ると言っていた。いささか無理があるのではないだろうか』ということだ。

今までの俺だったなら、そんな姿を見てすぐに止めに入っていただろう。だが、俺の身体は昨日も今日も動かなかった。理由は分からない。

 

「……止めにいかないんだ」

 

「えぇ」

 

 今の自分の言動は分かった。相当冷たい声で返答していただろう。

窓から見下ろす。身体と同じくらいの荷物を背負って走っている駆逐艦の艦娘たち。体格や歳的には問題ないかもしれないが、それでも重いものをバラストに走っている大型艦の艦娘たち。

皆徐々に速度を落としたり、休憩を挟みながらも走っている。時には転ぶ者だっている。だが俺はそれを止めることはしない。

俺は『グラウンド2週間5周』とだけ言ったのだ。誰も『身体に負荷をかけて走れ』なんて言っていない。

そんな中、兵士の装備ではないもので負荷を掛けている艦娘もいたのだ。

 

『お姉さま!! いくらなんでもっ!!』

 

『う、うるさい、デース!!』

 

 金剛だ。

 

『いくらなんでも不眠不休で走りっぱなしなんてっ……!!』

 

『私は、やるん、デース……』

 

『お姉さまぁ~!! あ、転んだ……』

 

 そんな金剛の他にも、同じようなことをしている艦娘はいる。

 

『鈴谷!! やりすぎではありませんことっ!?』

 

『邪魔しないでっ!! 鈴谷はやるのっ!!』

 

 鈴谷だ。

 

『門兵さんから装備を借りて走っているのに、更にトラックを引っ張りながら走るなんてっ!! 止めてくださいな!! 初日以来毎日じゃないですの?!』

 

 ここからもよく見える。鈴谷がトラックを引いているのだ。昨日もそうだったが、あの状態で5周走るんだろう。

 いつもの俺なら止めていたんだろうな。だが、俺は止めることはしない。

窓から離れ、元の椅子に座ったのだ。

 

「紅、やっぱり……」

 

 佳名は下の名前で呼んでくる。流石に上官の前ではそんなことはしない。だが、俺に敬語を使わないのはいつものことだ。

上官も俺の言った言葉は分かっているので、佳名に注意することはしない。

 

「何がですか?」

 

「い、いいえ……」

 

「そろそろ着替えてきますね。行きましょうか」

 

 俺は私室へと戻った。

これから買い物に行くために、私服に着替えるのだ。

 

 




 久々の特別編短編集の投稿ですね。
今回は前書きにもある通り、『艦娘、洗脳』の後日談です。内容は相当なアレ(鬱?)です。ご注意ください(後書きに言うなよ)。
 どういうわけかネタのストックにあって、ちょくちょく書き進めていたものです。
こうやって順々に出していくつもりです。

 ご意見ご感想お待ちしています。


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壊れた関係 その2

※『艦娘、洗脳』の続編です。


 

 俺が着替えた後に、佳名も私服に着替えるために寮に向かう。

本来ならば俺が付いていく必要はないのだが、与えられた任務であるが故に俺は付いていく必要があった。

 執務室を出ると、廊下に立てかけられていた執務の書類に目が留まる。俺が少し前に済ませた書類だ。

まだここにあるということは、鈴谷はグラウンドから戻ってきていないのだろう。

 佳名を引き連れて歩く。

本部棟の1階まで来ると、艦娘とすれ違うようになる。どうやら5周を終わらせて戻ってきているみたいだな。

 

「あっ……紅、ていと……」

 

 何か聞こえた気がするが気のせいだろう。

俺はそのまま出入り口まで向かい、本部棟を出ていく。横を歩く佳名がそんな俺に話しかけてきた。

 

「良いの?」

 

「良いんです。気にしないでください」

 

 そう言いつつ、俺は門兵の寮がある方へと足を向けた。

途中、心配そうにしている門兵の集団とすれ違ったが、何を心配しているのだろうか。

 

ーーーーー

 

ーーー

 

 

 佳名が私服に着替えると、そのまま買い物に向かう。

買い物には佳名の運転で向かった。俺が運転しても良かったんだが、佳名は頑なにカギを渡してくれなかった。なので、今回は佳名に運転してもらうことにしたのだ。

 自動車自体は鎮守府にある鎮守府管理のモノを使う。私用で使いたい時は、事務所で手続きをすれば貸してくれる。限定されるが、酒保でも貸してくれる。冷凍車とかそういうものになるけどな。

 買い物にはそこまで時間が掛からなかった。食材を買うだけだったからな。

佳名も女性用日用品を買っていたみたいだ。ストックが足りなくなってきたんだと。

 

「そろそろ帰りますか」

 

「そうだね」

 

 そこまで遠出した訳ではないが、行きよりも時間を掛けて帰る。というよりも、少し道が混んでいたのだ。軍の輸送部隊で列を作っていたからだ。

行先は横須賀鎮守府なんだけどな。

 なので少し時間を潰す、ということで喫茶店に入ってもらうことにしたのだ。

俺も佳名も喉が渇いていたから丁度良いと思ったのだ。

 

「コロンビアで」

 

「私はモカ」

 

 ぽつぽつと空席のあるシックな雰囲気を漂わせている喫茶店に入った。若干暗いので寝てしまいそうだが、濃いコーヒーの匂いがそれを打ち消してくれる。

周りの客も静かにコーヒーを飲みながら打ち合わせや、読書をしている。

 

「かしこまりました」

 

 店員に注文をし、一息吐く。

通された席は窓際のテーブル席。4人掛けのところで、どちらもソファーになっているところだ。俺と佳名は向かい合って座る。

ポケットから携帯電話や財布を出して隣に置き、少し目を閉じた。

そうすると佳名が話しかけてきたのだ。

 

「……やっぱりまだ」

 

「怖いに決まっているじゃないですか」

 

 佳名は"あのこと"についてよく触れてくる。

心配しているのか、それとも女々しいから早く立ち直れと言いたいのか……。俺には分からないが、あまり触れられて欲しくない。

脳裏に浮かんでくるのだ。フラッシュバックしそうになるから止めてほしい。

薄暗い店内なのに目がチカチカし始め、突如、強烈な頭痛が頭を襲った。前兆だ。

 

『…………なんで!!』

 

 不味い。

佳名はまだ気づかない。この段階で気づいていたら、それはそれで凄いが。

だが、自分で伝えられない。口が開かない。

 

『どうしてここにいるの!? 早く死ねッ!!』

 

 蹴とばされ、地面に転がっているのだろうか。

目の前が真っ暗になったかと思ったら、その光景が見えてくる。

近くには薄気味悪い笑顔をしている艦娘が数人、俺を見下ろしているのだ。

 

『ほらっ!! ほらっ!! 痛い? ねぇ、痛い?』

 

『つまんないから踏んずけちゃえ!! あっはははは!!』

 

 痛い。

 

『ほら、止めてって言ってみなよ。痛いんでしょ? 抵抗してみなよ』

 

『血が出てきたわ。……汚らしい。とっとと死なないかしら』

 

 痛いっ……。

視界がぼやけ始める。だがはっきりと分かるのは、自分が何をされているのか。そしてそれをしているのが艦娘で、どんな表情をしているのか。

 

『最近鍛えているんだが、パンチがどれだけ強くなったか分からない』

 

『ならあそこのゴミで試してみない? ××の一撃、鍛える前でも強かったから、あばら何本折れるのか楽しみねぇ』

 

 やめて。

 

『おっ、サンドバッグ』

 

『おらぁ!! へっ、いい気味だぜ』

 

 やめてくれ……。

寒気がし始める。そこそこ着こんできたはずなのに、どうしてだろう。いろいろな艦娘の顔でその光景は移り変わっていく。そして……。

 

『骨までいったかなぁ?』

 

『折れてはないと思うよ。でもさっきの様子見てると、そうとう歩きづらいみたいだね。もうちょっとやろうか』

 

 やめてくれぇぇぇぇぇ!!!!

遂に目も見えなくなった。ただ、自分の叫びだけが耳にこだまする。

 

ーーーーー

 

ーーー

 

 

 気づいたら俺は車の中で寝ていたみたいだった。そういえば俺は佳名と買い物に来ていたんだったな。忘れていた。

それにしても車内は寒い。それに車内で寝そべっていたからか、身体が痛い。

 腰をさすりながら起き上がり、窓の外を覗いている。どうやら喫茶店の駐車場みたいだな。それに車内には誰もいない。

佳名はどこに言ったんだろうか。

 

「……くそっ」

 

 さっきのはきっとフラッシュバック。何がトリガーになってそうなったのかは知らないが、俺は治ってなどいないことがはっきりと今ので分かった。

考えていれば当然だ。暴行を受けてから救出まで1週間。その間に身体に植え付けられた痛みと恐怖はそう簡単に消える訳がないのだ。今でも寒気がしている。

 俺は頭を掻き、車内にいない佳名を探した。

窓から外を見て、キョロキョロとしてみる。そうすると佳名が帰ってきたのだ。

 

「あれ? 起きた?」

 

「……すみません」

 

「フラッシュバックしていたね。店内だったから近くのお客さんに手伝ってもらったよ」

 

 それは今の俺の現状を見ればすぐに分かる。

 

「ありがとうございます」

 

「うん。……じゃあ帰ろっか。迷惑かけちゃったし」

 

「はい」

 

 そういって、佳名さんは運転席に座る。俺はそのまま後部座席に座ったまま、帰路に就いたのだった。

 

ーーーーー

 

ーーー

 

 

 車内から荷物を下ろし、本部棟の俺の私室まで運び込んでいる時に鈴谷とすれ違った。

泥だらけになっていたが、別に気にも留める必要はないだろう。トラックを引いて転んだりしたのならそうもなる。

 私室に運び込み、食料品を冷蔵庫に仕舞うと執務室に戻る。

俺が私室で色々している時に離れていた佳名が戻ってきて、色々と俺に報告してきた。

 

「書類は提出したみたいね。さっき鈴谷さんから受け取り確認証を受け取った」

 

「そうですか」

 

「あと……」

 

「あと、何ですか?」

 

 てっきりそれだけだと思っていたが、どうやらまだあるらしい。

 

「本部棟から一度出て戻ってきたんだけど、どうも変」

 

 何が変なのだろうか。

 

「具体的に言うと、雰囲気。艦娘たちの雰囲気が変なの」

 

「……俺には関係ないですね」

 

 机に出していた本を手に取り、開いて読もうとしたが、佳名にそれを止められてしまった。

少しムッとした表情を向けるも、話を続けるのだ。

 

「何か独り言言ってるし、艦娘によっては誰もいないところに向かって話しているんだけど」

 

 何だそれ。確かに変だな。だが、俺には関係ない。

 

「変と言われても、俺にはどうすることもできません」

 

「でも……」

 

 俺にはどうすることもできないのだ。

だが佳名は食い下がってきた。

 

「分かっているだろう?」

 

 強い言い方になってしまったが、それが俺の今出来ることだった。

俺の精神状況的に、そういう対応はできないのだ。

 だがそれでも佳名は食い下がってきた。俺は直接見た訳ではないから判断出来ないが、見た本人でしか判断できないことがあったんだろう。

それを口頭で伝えられても、俺にはそれがどれほど重要なことなのかも分からないし、そもそも今の俺にはどうすることもできないのだ。本当に。

 

「……もう。私は言ったからね。確かに紅にはPTSDの症状はあるけど、それを無視してでも解決する必要があるからこうして言ったんだから」

 

 俺はこの時、屁にも思っていなかったが、この言葉をちゃんと聞いておくべきだったと後悔したのは数時間後のことだった。

 

 





 ……下手に何か書くとネタバレになりそうなので、控えておきますね(汗)

 ご意見ご感想お待ちしています。


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壊れた関係 その3

※『艦娘、洗脳』の続編です。


 

 昼食も夕食も俺の私室で作ったものを食べ、陽が落ちてから数時間が経った頃。

そろそろ佳名が戻る時間が近づいてきていた。一応、深夜番ということで、執務室の前の廊下に立っていることになっている門兵が居るのだが、それとの交代を見届けた俺は私室で寝る支度をしていた。

時刻は午後11時半過ぎ。

 いつものようにしなければならないことは全てこなし、もう寝るだけとなった時間。

俺は本を読んでいた。切りのいいところで終えて布団に入ろうと考え、キリのいいところを迎えたのが午後11時40分頃。俺は私室の照明を消して、自分の布団に入る。

そして目を閉じたのだ。

 私室は完全に元の姿になっているが、俺には"臭う"。ここにはあの時、ずっと臭っていた消毒液の独特の刺激臭。そして、自分から流れ出た血の臭いが。

少し布団を深く被り、臭いを誤魔化す。だがそれでも臭いはするのだ。

そうか。これは俺の鼻にこびりついた臭いだったのだ。そしてフラッシュバックまでとはいかないものの、ここでの光景が脳裏に浮かぶ。痛みに耐えながら戻ってきて、心配そうな表情をしている妖精たちに手当をしてもらう。そして、妖精たちの入口で焦燥しきった顔の妖精たちが頻繁に出入りしているのを。

時より侵入してくる隠し扉から入ってくる金剛と鈴谷の顔が、ふと頭の中を電流が如く駆け抜けた。その刹那、俺はその隠し扉に目を向けていた。

 

「っ!?」

 

 見てはいけなかったのかもしれない。俺はそのまま凍り付いてしまったのだ。理由は簡単だ。

その隠し扉は壁と同じ素材でできており、パッと見それが扉だということは分からないのだ。だがその扉が、妙に分かる。これだけ暗い中、扉がはっきり見えているのはおかしいことだ。

そして気づいてしまったのだ。

 

「……」

 

 その扉の向こう側に誰かが居るのだ。気配がする。俺の五感すべてがそれを訴えていた。もしかしたら第六感が働き、俺にそれを知らせているのかもしれない。

 怖い。あの隠し扉の向こう側がとても怖いのだ。

漠然とそう感じるようになった時には、もう俺の身体は震えだしていた。寒気が止まらなかった。

ガタガタと震えながら、俺は布団を頭まで被り目をギューっと閉じた。もう何も見たくない、何も聞こえない。そう言い聞かせながら。

だが、それも無駄だった。

 急に私室の中で物音がし始めたのだ。

本部棟内部での虫の目撃情報なんて蚊くらいだ。蚊なんて所詮『ぷーん』という羽音だけを鳴らしている小さい虫に過ぎない。だが、これだけの物音を立てるにはそれなりの大きなでなければ無理だ。

ならこの物音の正体は、最低でもネズミ程度の大きさでないと立てることができない。本部棟の中での人間と艦娘以外の目撃情報は蚊以外ないとなると、新しく何かが入ってきた以外には思いつかない。もしくは、俺が想像している中でも最上級に"いけない者"以外しか思いつかない。

後者であって欲しくない。俺はそう心の中で唱えた。だが、その願いは届られることはなかった。

 

「ふ、ふふ……」

 

 明らかに女の声がしたのだ。今までこの私室でこういった声を聴いたことは一度しかない。大井が勝手に入ってきた時くらいだ。

それ以外では幽霊とかそういうオカルトチックなことはなかったはずだ。そもそもそういうのが居るというのだったら、それ以前から俺も気づいていないとおかしいからな。だったら、今聞こえた笑い声は"生きている者"以外考えられない。

 別の方向で考えてみよう。オカルト的なものじゃなかったとしたら、今特別な事象としては廊下に門兵が居ることくらいだ。

その門兵は2人。どちらかが確認で入ってきたと考えるべきなのかもしれない。だが、そう考えてもおかしい。今いる門兵は2人いるが、どちらも男だ。そんな高い声が出せるとも思えない。『ふふふ』なんて笑うとも思えない。というか、そんな風に笑ってなどいなかった。

確認済み。ならば、考えられることはただ1つ。

 ここにいるのは艦娘の他でも誰でもないのだ。

そもそも隠し扉のことを知っている人数は少ない。俺と巡田くらいだ。艦娘で云えば金剛、鈴谷、大井、吹雪くらいだろう。他にも挙げたメンバーが教えていたら、不特定多数の人間や艦娘が隠し扉を使って本部棟内を移動することが出来る。

 

「許して……許して……許して……」

 

 何だ? 急に何がぶつぶつ言い始めた。

声の発生源からして、俺の寝ているベッドの右隣に立っているんだろうか。それだけは分かる。

だが、どうしても顔を出すのが怖い。声からして女性であることは分かっている。分かっているが、一体誰なのかまでは分からない。もしここで顔を出して、艦娘だったら俺は正気を保っていられない。外で待機している門兵が飛び込んでくること間違いないだろう。

 考えただけでも寒気がする。四肢が震え始める。怖い、怖い、怖い……。

どうして私室に来たんだ。どうして今の時間に来たんだ。

そんなことを心の中で叫びながら、過行く時をただじーっと待った。

 

ーーーーー

 

ーーー

 

 

 どれくらい経っただろう。

あれから10分くらい声は聞こえていたが、聞こえなくなっていた。だが、それと同時に物音も聞こえなくなっていたのだ。

 この部屋から出て行ったのなら、少なからず物音はさせているはずだ。ならば、まだこの室内にいるのだろうか。

居ないなんてことはあり得ない。私室と執務室の間の扉は、開く時に音が聞こえる。どれだけ静かに開けようとも、絶対に聞こえるのだ。それは隠し扉でも言えることだ。

それに物音がしないというのは、声が聞こえなくなっただけでそれ以外の音は全くしていないってことだ。つまり、ベッドの横に来てから移動していないことになる。

となると、声の主はずっと俺のベッドの横に立っているのだ。

 どうして黙って俺の近くにいるんだ。どっか行ってくれ。

そんなことを、心の中で訴える。だが身体は動かさない。極力寝息に聞こえるように呼吸を整え、胸を上下させる。横を向いている状態ではあるが、いま布団を捲ったら正面に立っているであろう人物を確認することが出来る。

だが俺にはその勇気がない。出来ない。怖い。

 

「……」

 

 自分の心拍だけが聞こえてくる状態がもうかなり続いている。そろそろ身体も限界に来ていた。極度の緊張と、体勢維持で体力を使っている。

身体が固まってきて、動かしたい衝動に駆られている。だが、今動いたら……。

俺はそう考えてしまっていた。

 だが、どうしても自分の身体の反応を抑えることはできなかった。

動いてしまったのだ。顔まで被っていた布団を払い、寝返りを打ったのだ。

そしてその刹那、視界に入ったものは……。

 

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」

 

「許して許して許して」

 

「嫌いにならないで嫌いにならないで嫌いにならないで」

 

「痛くしてごめんなさい痛くしてごめんなさい痛くしてごめんなさい」

 

「私も同じこと受けるから許して私も同じこと受けるから許して私も同じこと受けるから許して」

 

「なんでもやるから嫌いにならないでなんでもやるから嫌いにならないでなんでもやるから嫌いにならないで」

 

「「「「「「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」」」」」」

 

 ベッドの脇に立っている虚ろな目をした艦娘"たち"だった。

おかしい。ここに入ってきたのは1人だったはずだ。どうして、私室を埋め尽くすほどの艦娘がここにいるんだ。

 そういうことを考えられれば良かったが、俺には到底無理だった。

この光景を目にし、正気を保っていられる程に回復などしていない。視界がぼやけ始め、フラッシュバックが起きようとしていた。

頭を抱えて縮こまり、布団を被った。怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い……。

怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い……。

 

「あ、あぁ……」

 

 怖い怖い怖い怖い怖い怖い。

 

「あぁぁぁ」

 

 怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い。

 

「あ"あ"あ"あ"あ"あ"!!!!」

 

 心を食い潰してく恐怖に、俺は抗うことが出来なかったのだ。

そして徐々に遠のいていく意識の端に、廊下に立っていた門兵たちが音を立てて入ってくる物音が聞こえてくる。

 

『やばい!! 今のはやばいだろ!!』

 

『警備棟に連絡だ!! 俺は先に入るぞ!!』

 

『紅提督ッ?! しっかりしてください!! 紅提督ッ!!』

 

 聞こえはしたが、反応を返すことが出来なった。

 

 





 本当にPTSDがこうなるかまでは分かりませんが、自分なりに考えて書いています。
そういうツッコミが入ったならば、それなりには検討しますけども、改稿はしないと思いますはい。

 ご意見ご感想お待ちしています。


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壊れた関係 その4

※『艦娘、洗脳』の続編です。


 

 目を覚ましたのは私室だった。

窓から光が差し込んでいるので、もう朝になっていたんだろう。

 

「お目覚めですか」

 

「……お、おはようございます」

 

 ただ、室内の様子はいつもと違っていたのだ。廊下に立っていたはずの門兵が2人とも俺の私室に入ってきていたのだ。小銃を携え、完全武装状態で。

深く被ったヘルメットと門兵全員に着用が義務付けられているバラクラバで表情は見えないが、声色や背丈、BDU越しの体系でなんとなく性別くらいは分かる。

どちらも男性門兵だ。

 その門兵がどうして俺の私室の中に居るのだろうか。

確か廊下で立ち番をしている、ということになっていたはずなんだが……。

 

「昨夜、何があったんですか?」

 

「へ?」

 

 門兵は急にそんなことを訊いてきた。むしろ俺が聞きたいことがあるというのに……。『どうして俺の私室に入ってきているのか』ということを聞きたかったんだが。

 

「昨夜? ……あ、あったにはあったんですが、よく、覚えていないんですよね」

 

「ふむ……」

 

 とは言ったものの、今さっき少し思い出した。

恐怖で混乱し、発狂したのだ。それを思い出したのだ。

 

「い、いいえ……今思い出しました。……怖くて、怖くて、それで……そこからは今は思い出せません」

 

「そうですよね。そうでなければ、あのようなことにはなりませんから」

 

 門兵が妙に"あのようなこと"を強調した。

昨日の俺に一体何があったのだろうか。怖いものを見たことまでは覚えているのだが、その先はどうしても思い出せない。

 

「叫び始めたところで私たちは確認しに私室に入らせていただきましたが、紅提督が声にならない叫びをしているだけでして……。少々暴れておりましたから抑えていたんです。それからは落ち着いて、寝てらしたので……」

 

 PTSDの症状が出た、ということで良いんだろうな。今の門兵の口ぶりからすると。

と、なると……。

 

「そ、そうですか……」

 

「身体が震えているようですが、どうかされましたか?」

 

「い、いえ……大丈夫です」

 

 となると、昨夜の俺が何を見て発狂したのなんて理由は1つしかない。

艦娘だ。ただのフラッシュバックだったのなら、俺にも記憶が残っているはず。だとしたら、恐らく目の前に"居た"ということになるだろうな。

 すぐに視線を隠し扉の方に向けた。

廊下と執務室を繋げる入口は門兵2人が立ち番していたはずだ。だとしたら、俺の私室に入ってこられるルートは1つだけ。隠し通路を通って隠し扉から出てくるしかないのだ。

だが、変な点がある。

門兵は俺の発狂する声を聞いてすぐに入ってきたという。となると、発狂してからすぐにはおそらく俺の目の前に艦娘は"居た"ことになる。ならば門兵たちは艦娘の誰かと鉢合わせしていないとおかしい。

廊下から私室まで、急いで入ってくると2秒や3秒だ。それまでの間に隠し扉から隠し通路に出ていき、隠し扉を閉めることなんで出来ない。これは俺が昔実験しているのだ。

ということは、艦娘たちはその瞬きする間程度の時間で、どこかに隠れたことになる。

 

「……この部屋には俺以外は居なかったんですよね?」

 

「はい。……変なことおっしゃいますね。紅提督の声を聞いてすぐに来た私たちの目から隠れることなんて、ほぼ不可能ですよ」

 

 推測であったので、確認を取ってみたがやはりそうだ。門兵が俺の私室に駆け付けた時には、俺以外この部屋には誰も居なかったのだ。

 

「とりあえず、身支度を整えますので……」

 

「はい。退出しますね」

 

 俺は門兵に出て行ってもらい、考えるよりも先に行動することにした。

着替えた後、何かないか調べるのだ。

 

ーーーーー

 

ーーー

 

 

 朝のうちに『俺に何があったのか』分かることは何もなかった。ただ、俺が『何か』を見て発狂したことだけは分かったのだ。

俺が私室で何を『見て』、どうしてそうなったのかは推測が立てられる。だが、それをそのまま信じる訳にはいかなかった。

 状況から考えれば、俺は私室で艦娘を見たことになる。

そうしなければ、現状発狂する要因として考えられるものはない。

 

「……」

 

 朝食を作りながら俺は考える。

 

「……紅くん」

 

 今日の俺の"護衛"と"監視"に付いているのは姉貴だ。

所用でここ2週間以上も鎮守府を開けていたので、その間で起きた事件は口頭でしか聞いていない、ただ1人の人物でもあったりする。そもそも、横須賀鎮守府の人間が外でそんな長い間戻ってこないことなんてないから仕方ないのかもしれない。

帰ってきたのは昨日の夜で、そこから不在中に起きたことを門兵の人たちから色々聞いたらしい。どういう反応をしたのかは知らないが、今朝来た時の様子を見る限り心配したことに変わりはないみたいだ。

 

「何?」

 

「いいえ、なんでもありません」

 

 歯切れの悪い会話しかできていないが、それだけのことは伝わってきていた。

 それよりも俺としては、そっちに問題がある訳ではない。

昨夜の出来事は本当になんだったのだろうか。何があったのか、全く分からなかったのだ。

 

「今日は工廠に用事があるけど、付いてくる?」

 

「付いていきますよ。任務でなくても」

 

「そう」

 

 今日は艦載機のことで、工廠から呼び出しがあったのだ。

妖精がそのことを口頭で伝えに来たので、執務を終わらせた俺は工廠へと向かう。

 

 果てしなく大きな建物である工廠の入口を潜り、奥へと進んでいく。

工廠の中は薄暗く、鉄臭く、油臭い。それに大きな棚がいくつも並べられており、そこには部品やらがたくさん収納されている。

そして工廠の中を妖精たちが駆け回っているのだ。全員が仕事をしており、機械油でまみれている。

俺が通ると止まって敬礼をしていく中を奥まで進んでいき、艦載機を主に扱っているところに到着した。

 そこにはマーキングを見る限り瑞鶴航空隊の流星がバラされていた。オーバーホールでもするのだろうか。

そして俺を呼び出したであろう妖精が、俺の目の前に現れた。

 

「紅提督。御足労いただきまして、ありがとうございます」

 

「良い。早速本題に入ろうか」

 

「えぇ」

 

 一瞬、妖精の顔が凄く悲しそうな表情になったんだが、どうしたのだろう。

刹那、背後で物音がする。物が落ちたとか、そういうものではない。

後ろを振り返ると、そこには姉貴が気を失って倒れていた。一体何が起きたというのだろうか。すぐに俺は姉貴に駆け寄り、身体を起こす。

だが、俺もそれと同時に気を失ってしまった。気を失う時、少し聞こえた気がした。

 

『申し訳ありません、紅提督』

 

 俺を呼び出した妖精の声だ。

 

ーーーーー

 

ーーー

 

 

 目が覚めた時、どこにいるのか分からなかった。ただ、ここが工廠でないことは分かる。

工廠特有の臭いがしないのだ。だが、どこか匂ったことのある匂いではあった。

 

「……」

 

 状況を整理する。工廠で気を失って、気づいたらここにいた。恐らく、自分で移動した訳ではないだろう。自分で移動したのなら、どこにいるのか分かるはずだ。

夢遊病ということもないだろう。そもそも気を失った訳で、寝てなどいないからだ。

何らかの要因で気を失ったのなら、おそらく妖精か誰かが目を覚ました時に声を掛けてくれているはず。

ならばこの状況は一体なんだというのだろう。

 それに今更ではあるが、身体の自由が少しない気がする。足が重い。多分、何か足に付けられているんだと思う。それにこの部屋、暗くて全く何も見えないのだ。

状況がまるで分からない。あ、あと口が塞がれているな。今気づいた。

これじゃあまるで、誘拐されたみたいになっているじゃないか。

 俺が状況分析をしていると、隣の部屋に誰かが入ってきたみたいだ。

足音がする。そしてそれはどんどん近づいてきて、ついに俺の居る部屋にまで来たみたいだ。扉が開くのと同時に光が差し込み、遂に部屋がどこなのかが分かった。

 艦娘寮だ。となると、俺は……

 

「お目覚めですか?」

 

 艦娘に……

 

「やっと起きたデース」

 

 誘拐……

 

「ふふふっ」

 

 されたのか

 

「怯えてるわ」

 

「それは仕方ないです」

 

「仕方ないとはいえ、"アレ"は私たちの意思ではなかったわ」

 

 頭の中に声が木霊し、今ここにいる艦娘の表情が浮かんでくる。

だがどれも笑っていたりするものではない。あの顔だ。見下ろし、汚いものを見るかのような……そして、それを見て"嗤っている"顔。

 

「ん"ん"ん"んッ!!」

 

 塞がれている口で叫ぶが、たいして大きい声は出ない。

何とか逃げようと暴れてみるものの、足枷は全く取れないどころか、金剛に押さえつけられてしまった。

 艦娘たちの力というのは、性別・歳相応のものだと思っていたが、全然そんなことない。金剛に押さえつけられてしまってからは、身体が全く動かなくなってしまったのだ。

両手を封じられ、俺は徐々に近づいてくる赤城、加賀、鈴谷等々の艦娘たちから目を逸らすことしかできなかった。

必死に抵抗を続けても、びくとも動かない俺の身体。そしてもう息が当たるほどの距離にまで近づいてくる。

その刹那、息が止まったかのように思えた。

酷く歪んだ口角に、皆の目はなんとも形容しがたいがとても怖い目をしていた。あんな目で見られたら、もう……。

 そこでまた、俺の意識は飛んだの"かもしれいない"。

気が付くと、そこは工廠の中にある休憩所だったのだ。俺を呼び出した妖精がそこにいて、近くには姉貴も寝かされていた。

この状況は一体なんなのか。そして、俺がさっきまで見ていた"アレ"はなんだったのだろうか。俺には全く分からなかった。

 

ーーーーー

 

ーーー

 

 

 工廠での出来事以来、俺への護衛が増員された。昼間は4人、夜間は8人になった。

だがそれでも、俺は毎日1度は艦娘寮のどこかに居て、部屋に入りきらんばかりの艦娘たちの"あの顔"を見ていた。その度に門兵たちは気絶させられていたみたいだが、対策の講じようがない。

そして、そんなことが続くようになって、俺は"艦娘"というものが悪魔かそれに付随する"何か"のように思えて仕方なくなってしまったのだ。

 今日もきっとその時間はやってくる。

 

「……」

 

 あの"目"で俺を見てくる艦娘たち。俺をいつの間にか連れ去り、身体の自由を奪って、俺が気絶した後に"何か"をした後に何事もなかったかのように、連れ去ったところに戻していくあの時間が……。

 





 これにて『壊れた関係』は終わりです。

 特にコメントはありませぇん!! こういうネタがあるということは、こういうのが書きたかったってだけですからね!!

 ご意見ご感想お待ちしています。


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壊れた関係 その5 艦娘視点

※『艦娘、洗脳』の続編、別視点になります。
著しいキャラ崩壊と、面倒な言い回しをしています。


 

 私たちは不本意ではありましたが、艦娘としても人としても最低なことをしました。

ある日、横須賀鎮守府に散布されたと言われている艦娘にしか効力がないガス。それによって私たちは紅提督に暴言を吐き捨て、暴力を振るいました。

その時の記憶は今も私の中に残っています。彼に向かって吐き捨てた誹謗中傷、下腹部に入れた拳の感触、痛むところを庇って怯える姿……。全て、全て、全て、私の脳裏に焼き付いています。

 皆が私のようになっていました。自分のしてしまったことへの反省や後悔、戻すことのできない時間、一気に失ったものが私たちには大きすぎました。

私たちを見た時の目ですぐに分かりました。私たちを怖がってしまっていることが。

 紅提督は私たちの全ての攻撃を受けるだけでした。反抗も反撃も復讐もしなかったんです。ただ罵声を浴びせられても、暴力を振るわれても、ただただじっと我慢していました。

私たちが満足するのを待ってから、痛むところを庇って自分の私室へと戻っていたんです。

 

「お、お姉さま……」

 

 それに私たちは妖精さんたちを強引に従えて、何も関係のない妖精さんたちの間でも争いを起こさせたんです。最初から私たちの異常に気付いて紅提督の方に言っていた妖精さんも少なからずいたみたいですが、圧倒的な人数の妖精さんに私たちは命令をしていたんです。『紅提督の肩を持つ妖精たちを襲撃し、逮捕して来い。医務室を抑えろ』とね。悪魔です。私は悪魔です。

 

「紅司令は『2週間毎日5周』とおっしゃったんですよ!! お姉さま。誰も『2週間走りっぱなし』だなんて言ってません!!」

 

 今、私が何をしているのかと言うと、グランドを走っています。ただただ走っています。

それだけのように思えますが、今霧島が言ったように、ずっと走っています。かれこれ3時間くらいは走っているんじゃないでしょうか。霧島の言うように、私は『2週間走りっぱなし』でいるつもりです。

 

「知ってマス」

 

「ならどうして……ッ?!」

 

「私は『その程度』の罰則を罰則とは考えマセン」

 

 呼吸を整えながら、私は話しました。

 

「"上官"の命令では確かに『2週間グラウンド5周』デス」

 

 私はこの耳でその命令を聞いていますからね。

 

「私たちは人間と同じで、体力は艤装を身に纏っている時以外は一般人女性とそう対して変わりマセン」

 

 コーナーに差し掛かり、インコースに入ります。

 

「そう考えると、私たちにとっての5周というのは少々キツいデスヨネ?」

 

「それは……そうですね」

 

「だから『その程度』なんデス」

 

 頭の良い霧島なら今ので分かったでしょう。全て言わなくても、霧島になら分かるはずです。

 

「……分かりましたけど、それならば10周でも良かったんじゃないですか?」

 

 分かったんですね。ですけど、私を止める気は変わらないみたいです。しかも代替案も出してきました。

それでも私はこの足を止めるつもりはありません。

 

「紅提督が味わった"苦しみ"はこの程度な訳がないデス」

 

「……」

 

「私は紅提督の身体が浮き上がるくらいのパンチをお腹にしマシタ。それ以外にも殴ったり蹴ったり色々……」

 

 今話していても思い出すんです。その時の感触を。その時の紅提督の表情を。

そしてその後、苦しそうにお腹を押さえてうずくまっている姿や、私の顔を見上げている時の紅提督の表情を。……それが脳裏にこびりついています。

 

「私たちがゼエハアいいながら走るよりも何倍何十倍何百倍も苦しい思いをしているんデス」

 

「……」

 

「忘れたデスカ? 私たちは『天色 紅』というこの世界に何の関係もないただの青年を、自分の身勝手な欲望を満たすために意思を無視して連れてきているんデス」

 

 走りながらでも、私の口はよく回ります。呼吸は上がっていますし、身体は熱いです。ですけど、私はこの足を止めるつもりはありません。

 

「あって当然のものを奪いマシタ。それに、私たちが戦争をさせていマス。人に恨まれるようなこともさせてマス。背負いきれない重荷を背負わせてマス。私たちは紅提督に殺されても文句が言えないようなことをシマシタ」

 

 コーナーから出てストレートに入りました。

 

「それなのに更に、私たちは自分の本意ではないとはいえ、"その"紅提督に暴行をしたデス」

 

 隣を走る霧島の顔をみました。

霧島は私を止めるために、少し休んで様子を見てからこうして並走をしています。

その霧島が表情を歪めていました。やはり紅提督の艦娘です。誰しもが持つ共通意識ですね。

 

「『2週間グラウンド5周』なんて罰則、軽すぎるにもほどがありマス。普通に考えれば私たちはあれだけのことをして罰則を受けるのなら軍籍剥奪、銃殺刑、禁固刑……人としての尊厳を失うようなことをさせられても文句は言えない立場に居マス」

 

「……ですが」

 

「鎮守府を追い出されて、陽の当たらないところで生きていかなければならない……なんてことになっても」

 

「……」

 

「私たちは"外見は良い"デスカラ、"水商売"をやらされるようなことになっても」

 

「……」

 

 下唇を嚙み締めました。妬ましい。自分の本当の意思ではないのに、あんなことをしてしまっていた私が妬ましい。

 

「"それだけ"のことをしてしまったのデス。"それだけ"のことをしているのデス」

 

「……」

 

 霧島から返事が返ってきません。

それもそうでしょうね。そこまで霧島は考えていなかったでしょうから。

 

「それでも私は……命令外の行動はもしもの時に」

 

 なるほど。霧島はそこを心配していたんですね。ですけどそれは余計なお世話ってやつです。自分のことは自分以上に分かる人なんていません。特に私なんてそうです。

艤装も身に纏ってない艦娘が鋼鉄のパイプを素手で折ったりなんてしません。

 

「気にしないでくだサイ」

 

「……はい。分かりました」

 

 やっと折れてくれました。

 霧島はそのままトラックから出ていき、外周で見ていた比叡、榛名と合流しました。

そのまま私を見張るかのように、比叡だけを残して本部棟に入っていったのです。

 

ーーーーー

 

ーーー

 

 

 走りながら考えます。私がしてしまったこと。そして紅提督へのダメージの状況。今朝の様子。

私のしてしまったことなんて、過去に戻れるのなら過去の自分をぶん殴ってでも止めたいところですけど、そんな現実的でないことなんてできっこないです。

紅提督へのダメージですが、門兵さんから聞いていた通りにかなり深刻でした。PTSDの発症が認められるのと、艦娘にかなり怯えているということ。"あれだけ"のことがあれば、誰だってそうなりますよね。更に紅提督は他の人とは違い、かなり特殊な立ち位置にいます。心への負担というのは、常人をはるかに上回っているでしょう。拠り所も、ましろくらいしか居ないと言っても過言ではないです。

そこに私たちが"裏切り"という形で攻撃側に移りました。孤独で味方のいない心境になっていたんでしょう。

 

「はっ……はっ……はっ……」

 

 誰もいないグラウンドをひたすら走ります。

昨日は5周走って切り上げようか迷って、そこからずっとこの調子です。食事は持ってきてもらって、走りながら食べます。生理現象は仕方ないので行きますけどね。その時以外はずっと前に進んでいます。グルグル回っているだけですけどね。

 紅提督が私に怯えることは、たまにありました。ですがそれは私が何かしていたとしても、紅提督にはその矛先が向かなかったからです。工作員然り特殊部隊然りデモ隊然り……。

ですから、紅提督はその私の様子を見て怖がっても、私がそれを止めてしまえばそれも治まっていました。

今回はその矛先が紅提督自身に向けられました。不本意ではありますけどね……。

 

「はっ……はっ……はっ……」

 

 私では到底分かりませんが、紅提督の心は相当乱れているでしょう。そしてもう、私たちのことは見てくれないんでしょうね。あんなことをしてしまっては。

 紅提督が戻ってきた時、私は赤城の背中に隠れていました。私がしたことで、紅提督がどんな風になっていたかなんて忘れるはずがありません。

ですから、もし目の前に現れたら何を言われるか……。怒られるだけでは済まないであろうと、その時から既に感じていました。ですが、違ったんです。

人の好きの反対は無関心と言います。まさにその通りでした。紅提督は私に対しても、話している赤城に対しても無関心だったんです。怒ることもしませんでした。でもそれは目の前に居る時だけです。そこから離れると、たちまち紅提督が恐怖に震えているのを感じます。今だって……。きっとフラッシュバックかそれに付随する何かで、私たちが"おかしくなっていた"時の光景が脳裏に映し出されていたんでしょう。

 私たちは"提督"を失ったと言ってもいいでしょう。

紅提督があのような状態になってしまったんです。指揮はしてもらえるでしょう。ですけど、それも今までのようにいかないのではないでしょうか。私たちを直視した艦隊運用、作戦行動は無理。となると、もう作戦書が印刷機から吐き出されていた"普通の鎮守府"と同じ状況になってしまいます。

 

「はぁ……はぁ……」

 

 気付いたら私は走るのを止めていました。考えていることが変わっていたんです。

何故だか紅提督が遠くへ行ってしまうような気がして、自分の意志で離れて行ってしまうのではないかと思って……。

 

ーーーーー

 

ーーー

 

 

 鎮守府の中は豪く静かで、寂しく、重い空気が漂っていました。私が走り辞めて、汗をタオルで拭いながら歩いていますが、廊下には誰も居ません。

着替えを取りに私室に入りますけど、共用スペースには誰も居ません。それぞれの個室に引きこもっているか、どこかに行ってしまったんだと思います。私は自分の個室に入り、着替えてから廊下に出ます。用事がありますからね。

 艦娘寮から出て、私はあるところを目指していました。事務棟です。ここに用があるんです。

その用というのが……。

 

「私が運転するから、紅は助手席に」

 

「分かりました」

 

 紅提督と、今日の"護衛"の佳名という門兵さん。紅提督が出掛けるのはなんとなくわかっていましたからね。大きな買い物をする時は、こうやって事務棟で自動車を借りていくことは知ってましたから、こうやって来ているんです。

 それにしても、何というか……。あの佳名という門兵、前は特に何も感じませんでしたが今は違いますね。

羨ましい。そんな風に思います。幾ら自分らの意思ではなかったにしても、もう紅提督には近づけないようになってしまいましたからね。ああも平然と隣を歩いて、話をしているところを見ると羨ましく思ってしまいます。

そしてそれと同時に、あそこに戻りたいと思いました。かつて私もそこに居たんですから。他の艦娘の皆も同じです。話す機会が少なかったとしても、そこに居る権利は艦娘誰しもが持っていたものですからね。

そんな光景を見ていると、私は胸がキューっと締め付けられるような気分になります。その権利、どっかの誰かさんのせいで無くなってしまったんですからね。

そればかりか、この手や脳裏に残る"記憶"は忘れることができません。

 私は自動車が走り去ったのを確認すると、そのまま事務棟を離れます。

次の目的地がありますからね。

 

ーーーーー

 

ーーー

 

 

 次に私が来ていたのはここ。本部棟執務室前です。現状、ここに来る艦娘はほとんど居ないでしょう。

皆それぞれが紅提督に何かをやっていますからね。顔向けできないのと、怖いんです。もし嫌われていたら、そう考えると足が執務室から遠のいていきます。目の前でそれを知るのは、とてつもなく苦痛ですからね。想像すればすぐに分かります。

 そんな執務室前ですが、1人だけ来る艦娘がいます。今日の秘書艦の鈴谷です。

ここに誰も人が来ないことと、鈴谷だけがここに来るのなら、密会にはうってつけの場所です。アポなしではありますが、立ち話のように話すことができそうです。タイムリミットはありますけどね。

 

「……」

 

 暗い表情をした鈴谷が廊下の角から現れるのが見えました。ようやくトラック引きも終わったみたいですね。

そんな鈴谷の前に、私は立ちはだかります。

 

「鈴谷」

 

「……何?」

 

 ぶっきらぼうに返答をします。普通じゃないのは分かっていましたから、それほど私も驚きはしませんでした。

 

「多分もう駄目デス」

 

「そのことを、わざわざ鈴谷に言いに来たの?」

 

「ハイ。鈴谷なら分かるだろう、そう思いマシテ」

 

 ジッと私のことを見た鈴谷が、ゆっくりと口を開いた。

 

「それは鈴谷としても看過できないかなぁ。時間が解決してくれるだろうとも思ったりしたけど、門兵さんとかから聞いてもヤバいみたいだし」

 

「ハイ。デスカラ……きっと良くなる、なんて思えないんデース」

 

 きっとそれは鈴谷も分っていることです。

 

「近いうちにじゃなくても、そう遠くない未来……」

 

 そう切り出して、私は鈴谷に言いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「紅提督はここから居なくなりマース」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 可能性なんていくらでもあります。紅提督の立ち位置というのは特殊で、大本営の方針で本来ならば異動できない紅提督を異動させることだってできるでしょう。

紅提督は本来ならば大本営の命令に従わなくても良いのに、形式上だけでなく従っていますからね。軍隊としての形を保って、あくまで横須賀鎮守府に派遣されている司令官であることも念頭に置いているはずです。それは今までの行動から、十分に証明できることでした。

 あくまで可能性の話ではありますが、今回の事件であり得ないことではありません。それに本人が私たち艦娘を怖がっているのなら、大本営にも連絡は行っていないみたいですが、そのうちその異変に気が付くはずです。もしかしたら、事務棟の誰かが報告書に書いていることだって考えられます。そうすれば、私たち艦娘の拘束具として機能している紅提督を、その機能の損なわれない最低限の距離まで置くことは3歩歩けば誰だって分かる話です。

 

「……ならどうするの? 鈴谷だってあんなことしたくなかったけど、それでも身体は覚えているんだから。この手の感触も、紅提督の痛みに苦しんだり恨めしそうに鈴谷のことを見る表情……。これでもここまで来るのに、そうとう勇気振り絞ったんだから」

 

「怯えられても私たちは逃げずに接して行けばいいんデス。デスケド、最初に謝る必要がありマス」

 

 戻ってきた時に、一応全員謝罪にはいきました。ですけど、それもあんな状況な紅提督がちゃんと聞いていたとは思えません。ならばやることは1つです。

 

「もう一度謝罪に行くとして、普段は門兵さんが付いていて近づけないと思うんだけど、その辺りはどうするの?」

 

「そんなの、夜に行くしかないデスネ」

 

「……隠し通路」

 

「ハイ」

 

 話は付きました。執務の書類を回収しに来た鈴谷は、そのまま窓に立てかけられていた書類を取り、事務棟に行ってしまいました。

多分この後、色々な艦娘に声を掛けることになると思いますし、私は鈴谷程重度ではないにしても『提督への執着』がある他の艦娘も数人がこれに気付いている可能性はかなりあります。

 私も行動を開始しました。まずは心配させてしまった姉妹たちに詫びを入れて、そのまま今回の件について報告します。霧島辺りに止められる可能性はかなりありますが、あの子も相当参っていますから、多分賛同してくれるでしょう。

 

ーーーーー

 

ーーー

 

 

 艦娘寮に帰る道中、本部棟1階ですすり泣く声が聞こえてきたので、その音源に行きました。

そこに居たのは私よりも長くこの鎮守府に居る白雪です。進水した時にも、担当艦として何も分からない私に色々と教えてくれた彼女ですが、一体どうしたというのでしょうか。近くでそんな白雪の背中を擦ったり、心配そうにしている吹雪型の皆さんも眉をハの字にして今にも泣きそうな雰囲気が漂っています。

 

「どうしたデース? 転んだデスカ?」

 

 白雪の背中を擦っていた叢雲が事の顛末を教えてくれました。丁度そこに居たのは白雪と叢雲だけだったらしいですからね。

端的に言ってしまえば、紅提督を引き留めようと声を掛けたが無視された、というものでした。紅提督は若干耳が遠いのかなって思うような場面も時たまありましたが、一度言っても聞こえなかったのなら、もう一度言えば絶対足を止めて話を聞いてくれます。そんな紅提督が、声を掛けた自分のことに気付きながらも、無視して行ってしまったということみたいです。

泣いてしまってどうしようもない状況のところを、近くを通りかかった深雪が同型を呼び寄せてここから私室に移動しようとしていたみたいです。

 この話を訊いて、私は心底怖くなりました。

さっき鈴谷に言ったこととは違い、本人からここまでされるとなると相当不味いということが分かったんです。

 

「ぐすっ……」

 

「白雪ちゃん。私室行こう? ここに居ても仕方ないから」

 

「……うんっ」

 

 普通ならば、この状況で励ます言葉の1つや2つ出てきてもおかしくはない場面です。ですが、この場に居る誰1人としてそんな言葉を発しません。

分かっているんです。この状況を作り出したのは、『海軍本部』の手の者によることであったとしても、自らが意思を持ってやっていたことへの仕打ちだっていうことは。

 悲しそうに歩いていく白雪に、その両脇を歩く深雪と叢雲。そんな3人の後を追わずに、その場に吹雪だけが残りました。

何か話でもあるんでしょうか。

 

「他の子がもし今の司令官に会ったら……」

 

「きっと同じことになりマスネ」

 

 私に訊いてきたんです。というか吹雪なら、私に訊かずとも分かると思います。

多分、確認のために訊いてきたんでしょうね。

 

「現状をどうにかしないと、私は悪化していくと考えてマース」

 

「っ?!」

 

「吹雪だって分かっているんデショ? 四の五の言って怯えてなんていられマセン」

 

 全部言っても仕方ないですし、ここまで言えば伝わるでしょう。吹雪の返答を待ちます。

 

「……分かりました。私も嫌ですから、司令官が居なくなるのは」

 

「なら決まりネ。同型艦や他の駆逐艦に触れ回ってくだサイ」

 

「はい」

 

 スッと困って今にも泣きそうな表情になっていた吹雪から、表情が消えていきました。

あぁ、きっと私もこうなっているのだろう……そう思いながら吹雪を見送ります。

 この後も、色々な艦娘とすれ違って話をしました。結局、私がやろうとしていることは、全艦娘に伝わります。ものの思い立って鈴谷に話してから1時間半後でした。

そして代表として、私のところに艦娘が数人来たのはその1時間後です。

さぁ……許しを請う時間です。

 

ーーーーー

 

ーーー

 

 

 集まった艦娘に隠し通路の位置を示したメモを渡し、時間を示し合わせます。時刻は午前0時。この時間なら紅提督は確実に独りになっていますから、この時間帯がチャンスなんです。

夕食前には姉妹たちにも話をして、皆行くと言いました。1つの入口から入っても混雑してしまうために、数か所の入口を示してあります。戦艦と空母は私が先導。他は鈴谷とイムヤが先導することになり、一度全員が隠し通路に入ったことを確認した後、紅提督の私室に繋がる道を進みました。

 途中、覗き穴から執務室前の廊下を確認すると、入口前に門兵さんが完全武装で立哨しているのが分かりました。

きっと夜中に紅提督が何かないように、と見張りで武下さんが立たせているんでしょう。

そしていざ、私たちは紅提督の私室へとなだれ込みました。

 

「すぅ……すぅ……すぅ……」

 

 予想外にも、紅提督は既に寝ていたんです。それに入る前に気付いていた私たちは、音を立てずに入っていきました。ですがここから問題が起きていきます。

 紅提督の姿を見た艦娘たちが我を忘れたように、錯乱を始めたんです。ですけどそれも静かです。ただただ、ぶつぶつと何かを言い始めただけです。

そしてそれが入ってきていた艦娘全員に伝播していきました。

これだけ人が集まっていても布の擦れ合う音は一切せずに、ただぶつぶつと何かを言っている声だけが聞こえるこの部屋は"異常"でした。私がやろうと言い出し、皆が賛同した今回のコレではありますが、流石にここまでになるとは思いもしなかったんです。

 

「み、皆さん落ち着いてくだサイ」

 

 小声でそう言って、割と理性を保っている他の艦娘に触れ回ってもらいます。そして、静かになったのと同時に、私はあることに気付きました。

紅提督。寝たふりをしているのかもしれないんです。さっきから様子がおかしいですし、明らかに寝ている人の寝返りではない動きをしました。

私はジーッと観察します。もし起きていたとしたら、起こして今にも土に埋めてくれと言わんばかりの土下座をするつもりでした。これから罰則期間はずっと走り続けるから、どうか嫌いにならないでって……。

許してもらえるか……そんなことを考えてしまいます。ですけど、許してもらわなくちゃいけません。何を命令されても、私はそれを『はい』と答えてするつもりです。自己解体申請書でも書きます。

そんなことを考えていくと、なんだか段々と心に蝕んでいる"何か"に気が付きました。それは他の艦娘も同じだったみたいで、急に目が点になり、冷や汗を額に浮かべています。

 私はすぐに気付いて、辞めるべきだったのかもしれません。ですけど、それは"止まることが許されません"でした。

これはきっと"私の本心"なんだ、と。そして、抗えないものに動かされているんだ、と。

 ここからは皆、ぶつぶつと言いはしますが、声量がかなり落ちました。

そして、ハッキリとしない意識の中、ある物音に引き戻されました。

 

「ッ!!」

 

 バッと布団を勢いよくはねのけてしまった紅提督の顔が見えました。

ですけど、私は……。

 

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」

 

 勝手に口が動いていました。声が出ていました。

それは他の皆も同じだったみたいです。

 

「許して許して許して」

 

 いつになく表情が死んでいる鈴谷。こんなになっている鈴谷、見たことないです。

「嫌いにならないで嫌いにならないで嫌いにならないで」

 

 健気に紅提督を想っていた山城。頑張って素直になれないのにポイント稼いでいたのは、私や他の皆も知っていることです。

 

「痛くしてごめんなさい痛くしてごめんなさい痛くしてごめんなさい」

 

 紅提督に直接手を焼いて育てられた陸奥。きっと肉体的暴行をかなりしていたことが、脳裏に焼き付いているんでしょう。

 

「私も同じこと受けるから許して私も同じこと受けるから許して私も同じこと受けるから許して」

 

 赤城のように頼られたくて、そして、遠目から見て、ずっと陰で努力していた加賀。確か腕のヒビは加賀がやったんだと思います。

 

「なんでもやるから嫌いにならないでなんでもやるから嫌いにならないでなんでもやるから嫌いにならないで」

 

 皆がポイント稼ぎをしていく中、独りチャンスを伺っては失敗を繰り返していた高雄。精神的・身体的攻撃は、"あの時"の私でも若干引くレベルのことをしていました。

 

「「「「「「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」」」」」」

 

 いつもが幸せだ、私たちは幸せだとは口に中々出さないが、楽しそうに笑うようになった皆。……もうその言葉しか発せれないようになっていました。

私も同じなんですけどね……。

 

「あ、あぁ……」

 

 そんな私たちを見た紅提督は取り乱し始めます。縮こまり、頭を抱えて今にも死んでしまいそうな表情をします。そして、声にならない声を出します。

……きっと錯乱状態はこういうことを言うんですね。なんて私は冷静に観察している反面、なぜそうなったのかが理解できませんでした。私たちは心を込めて謝りました。

意思も伝えています。何をされたって良い、何をしたって良い……そう言っているんです。なのに、なのに……。

 

「あ"あ"あ"あ"あ"あ"!!!!」

 

 そんな時、廊下から声と物音がし始めます。

 

『やばい!! 今のはやばいだろ!!』

 

 その声に気が付き、皆は一目散に隠し通路に行きます。私も。

 

『警備棟に連絡だ!! 俺は先に入るぞ!!』

 

 そして私が扉を閉めた時、丁度門兵さんが入ってきました。

よく見ると小銃の安全装置が解除されています。……多分あれはきっと、私たちを見て状況に応じて撃つつもりだったんですね。艤装を纏っていない私たちは、人間とそう変わりません。ですから撃たれれば血が出ますし、死ぬことだってあります。歳は取りませんけど。

2人がああなってしまった紅提督を見て大焦りしているのを見て、色々としているのを見た私たちはそのままそこを離れることにしました。

きっと今日はもう、紅提督のそばには行けませんから。

 

ーーーーー

 

ーーー

 

 

 次の日、私たちはあることを決行します。

『門兵さんが居るのなら、もう連れてきちゃえばいいじゃない』そう言った声が挙がり、行動にすぐに移すことにしたんです。

赤城の伝手で"特務"で一緒に色々している工廠の妖精さんに"お願い"して、工廠に紅提督を誘導することになったんです。そしてそこに来た紅提督を何らかの手で艦娘寮の空きの大部屋に連れていく、というものです。

 工廠で待っていると、紅提督は来ました。どうやら今日は護衛にましろを連れているみたいですが、彼女は事件のことを知らないはずです。なら好都合。

そう思い、私はゴーサインを出しました。近くに隠れていた艦娘数名で2人を"無力化"し、そのまま空き部屋へと連れていきます。もちろん、妖精さんにも釘は刺しておきます。バラしたら……って赤城が脅していましたが、それは本心なんでしょうか。普段はそういうことをするような人には見えないんですけどね。

そして私たちは紅提督に…………。

 それからというもの、毎日のように紅提督を連れてきては、私たちの"気持ち"を伝えています。

なんだかやつれていっている気もしなくもないですが、まぁ、大丈夫でしょう。ですから今日も紅提督は、私たちの目の前にいます。私たちのことを見てくれます。私たちから逃げていくことなんてしません。無視しません。

 

「紅提督ぅ……」

 

「ッ!!」

 

「ふふふっ」

 

「ッー!! っ……」

 

 紅提督に謝罪し、謝罪し、謝罪し、その返答を貰ってこうして毎日毎日毎日、順番に自らの罪を(あがな)っています。

いつまでも、いつまでも、いつまでも、私たちは紅提督の口から『もういいよ』と言ってもらえるまで続けていきます。そう……この身が朽ち果てても……。

 





 艦娘視点も欲しいという要望がありましたので、少し時間を掛けて書き上げました。11000字くらいありますが、まぁ……はい。

 ご意見ご感想お待ちしています。


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特別編企画 第6回目 『トゥルーエンドの先の話』
帰還


※『艦隊これくしょん 提督を探しに来た姉の話』トゥルーエンドの紅視点の話になります。描写が少ないですが、ご了承ください。


 

 平和だ。この世界は平和だ。

 長い時間を過ごしたように思えれる彼処から、俺が戻って来てどれくらい経っただろう。俺自身は自覚の無い、至って普通に過ごした時間の間、色々なことがあった。先ず、姉貴が居なくなっていたこと。突然帰ってきたこと。友人たちはとっくに大学に入学していて、学生生活をヒイヒイ言いながら満喫していたこと。そして、硝煙と耳を劈く警報音、周りに居た人たちの声がが全く聞こえなくなったこと。

 親父と母さんは『まるで魂が抜かれたようだ』と俺のことを比喩していた。その自覚はある。今までの生活が違い過ぎるからだ。やる気が起きない訳では無い。落ち着かないのだ。

戻ってきて最初に、どこかに赤城が隠れているのでは無いかと思った程だ。今でも考えることではあるが、これが何か夢か幻かはたまた別の何かに思えて仕方がなかったのだ。だから戸惑い、落ち着けない。

 そんなことが続き、姉貴がひょっこり戻って来た。母さんと一緒に部屋に入って来た時、姉貴を見た。なんだか顔つきが変わったみたいだが、何かあったのだろうか。

 そして聞いてしまった。姉貴は俺と同じところに居た、と。だが、俺が居なくなってから居たんだとか。そして、俺が居なくなった後の話を聞いた。それでやっと自覚が持てた。俺が元居た世界に戻って来ていることを。この世界で俺しか知り得ないことを知っていた姉貴の言葉で、俺はやっと認識出来たのだ。あの時、俺は死んだのかもしれない。そして今、この世界に生きて戻ってきている、と。

だが、それ以上に気がかりなことがあった。姉貴にあの後の状況を掻い摘んで説明してもらった最後、姉貴が戻って来る時季に皆死んだ、と。自ら死地に飛び込んだ、と。艦娘たちはまだ攻略していない海域へ『イレギュラー』を無視した特攻作戦を敢行。門兵たちは姉貴と共にクーデターだ。失敗したらしいけどな。そこで姉貴は殺されたらしい。それ以上も以下も聞かなかったが、雰囲気で分かる。何かあったんだと。

 それまでの間、俺に何があったのかは両親には黙ってきたが、姉貴の帰還と共に話をすることにした。俺が失踪している間、何があったのか。艦娘たちに呼ばれた俺が提督として生きていた話を。

誰しも聞けば妄言だと云うに違い無い内容を、俺は話した。現代日本、世界からは考えられない世界。戦争で荒廃した世界に居た俺の話を。そして、何の軍を率いて居たこと。

その後に姉貴も話し始めた。俺を探していたこと。探すつてで俺が居たところで傭兵をしていたこと。クーデターを起こして死んだこと。だが、姉貴は涙を流した。そうだ。やはり死んだ時、何かあったのだ。そんな姉貴に親父はハンカチを渡し、話を閉めたのだ。

 その次の日に俺と姉貴は出掛けていた。小遣いは前々から貰っていた。否、失踪した後もその分だけでも貯めていたようだ。その後のことは知らない。財布と俺が自由に使える通帳に入っていた。そんな物を片手に、姉貴が連れて行って欲しいという場所に付いて来ていた。

ミリタリーショップ。何を買うのかは聞いていなかったが、ここでどうやらモデルガンが欲しいらしい。日本皇国海軍が採用していた拳銃とホルスター。たまたま、この世界でも存在しているものだったので、モデルガンは売っていた。

ナイフも欲しかったらしく、適当に買っていた。理由は分からない。だが立ち居振る舞いで分かる。怖がっている。人を。厳密に言えば男性を。それが死んだ時のことを話している時に泣き出してしまった理由なのだろう。状況的に考えればPTSDであるのは確実だ。

 帰って来て姉貴が部屋に戻ると、母さんから病院に行くと言われて自動車に乗り込む。もうこの時には姉貴はモデルガンをショルダーホルスターに収めており、上着の内側に隠していた。ナイフもどうやら鞄の中に入れているようだ。そのことは母さんにも言わなかったし、理由も聞かなかった。

 連れて行かれた病院は心療内科。精神科だ。親父が姉貴の様子を見て連れていくように母さんに言っていたのだろう。ついでに俺のことを診てもらえということだろうか。そこで姉貴はやはりPTSDと診断され、医師からの診察の間の会話から、やはり姉貴が男性を怖がっていることが分かった。となると、考えられることは一つしかない。が、言わないでおこう。

その診断中に姉貴はモデルガンとナイフに付いて自己申告もした。そこで医師は目を丸くしていたが、今の日本では先ずあり得ないことだからな。

それと俺も診断されたが、診断結果はどうもよく分からない。普通で居るつもりなんだがなぁ。

 

ーーーーー

 

ーーー

 

 

 時は戻り、俺は講義室の椅子に座っていた。帰って来てからというもの、時間の感覚が少しおかしいように思える。それに再開した友人からは『人が変わった』などと口を揃えて言われ、成人式に出た時なんかは同窓生に『人が変わりすぎて分からない』や、自衛隊に入った同窓生に至っては『米軍でもこんな奴居なかったぞ』と言われる始末。どうも同窓生の間では、俺が海外で傭兵をしていたのでは無いか、と噂され始めた。俺の変化と言動、立ち居振る舞いでそう判断したんだろうが、あながち間違いでは無い。それに訂正するのも野暮で面倒なので、そのまま俺は放置することにした。

 勉学に関して、あっちの世界でも合間を縫ってやっていたので、浪人生として大学に入学することが出来た。志望していた大学よりもレベルが高いところへの進学になってしまったが、その件に関しては両親にも心底驚かれたのを覚えている。身体能力や戦闘技術も向上しており、その辺の一般人なら片手でもどうにでもなるレベルになっていた。それ以上のことは分からない。

 

「天色くん。次の講義いかない?」

 

「天色さーん、まーた考え事ですかぁ? 講義中も上の空でも、少しやれば出来るってよく分からんですよ~」

 

「あんちゃん、そろそろ次の講義室いかないとヤバイ」

 

 周りに集まるのは、今の友人。俺が浪人生であることを気にせずに友だちになってくれた人たちだ。年は下だが、別に年の差はそこまで気にしていないようだ。

そう言えば、いつの間にか講義が終わっていたな。机の横から鞄と出して荷物を入れると立ち上がる。

 

「そうだな。……次の講義は」

 

「選択でバラバラになってるね。私は知能科学」

 

「俺は環境」

 

「私とあんちゃんは日本現代史」

 

 この歳では珍しい、仲の良い奴ら皆同じ講義ということをしないタイプだ。自分がやりたい講義を優先していく。出来た人たちだ。

俺のことを『あんちゃん』と呼ぶ奴とは、たまたまやりたかったものが被っただけ。履修する時は知らなかったが、講義ガイダンスの時に一緒だということが判ってからは一緒に行くようになっている。

ちなみに俺のことを『あんちゃん』と呼ぶのには理由があるらしい。なんでも『天色だからあんちゃん』だそうだ。天から取っているのだろうか?

 

「じゃあ行くか」

 

「そうだね。じゃあ、皆!! また後でねぇ!!」

 

 二人と分かれて歩く俺ともう一人。会話は少ないが、あの三人の中でどうも俺のことをよく分かっている人でもある。口下手にはならないものの、俺が言う前から何かを想定していたかのように先回りをするのだ。金剛がそういうタイプだったような気がするが……この場には、この世界には居ないから考えても仕方ないことだ。それに……。

 

「あんちゃん。いつも考え事してるけど、何を考えてるの?」

 

「……さぁ。昼どうしようかな、と」

 

「あっはははっ!! まだ次の講義あるのに気が早いよ!!」

 

 適当な話に逸し、講義室までの道のりを頭の中で思い浮かべていると、横を歩く友人が視界に入ってきた。俺の目を覗き込むようにして見て、真面目な表情をして云うのだ。

 

「日本現代史。あんちゃんはどうして選んだの?」

 

 どうしてそのようなことを聞いてくるのだろうか。理由はガイダンスの時に言ったはずなんだが。

 

「それは、昭和初期からこれまでの時代の歴史は」

 

「そういうの良いから」

 

「……」

 

 その理由が嘘だと見抜いていたのか? 友人はパッと離れたかと思うと、廊下の真ん中で仁王立ちをする。肩幅に足を開き、腰に両手を当てる。その体勢に何の意味があるのか、俺には全く分からない。

本当の理由は、俺が居なかった二年間を記録という物で埋めようと思っていた。それ以前の記憶はあるが、見流し、聞き流していた。それらを補完するため。興味で選んだ訳ではなかったのだ。

 

「理由は言えない。ただ、興味で選んだ訳ではない」

 

「……知ってたよ」

 

「ん?」

 

 近づいてきた友人はドヤ顔をし、胸を張る。

 

「良く人を観察しているよな。俺のこともそれで?」

 

「そんな訳ないじゃん」

 

 自分の髪を触り、腕を組み、肩からずれ落ちそうになった鞄を上げる。

日本現代史の講義が行われる講義室の近くまで来ており、その途中には渡り廊下がある。綺麗に整備された木が立ち並び、よく掃除の行き届いた道がある。学内で美しいところであるこの廊下で、友人は突然ピンを取り出した。長い髪を自然のままにしていたと思うんだが、イメチェンをするのだろうか。

 

「どっちの方が良い?」

 

「は?」

 

「良いから答えて」

 

「細い方? 厚い方は違う気がする」

 

「判ってるじゃん」

 

 友人ピンで左の前髪の一部をとめる。

 

「ニヒヒっ。早く行かないと欠席切られるよ?」

 

「それは不味い」

 

 特に気にすることもなく、友人は女子だからと云って適当な回答をした。相手も気にしているようにも見えないし、俺も気にしない。あくまで自然体で答える。

 日本現代史。俺の通う大学に選択科目として存在している。講師は初老の男性教授。自己紹介の時、俺は筆記具を取り出したり、隣の席に座った友人と少し話しをしていて聞いてなかったので、どの学科の誰なのかは分からない。講義中の質問も皆『教授』と呼んでおり、名前は分からないのだ。それに、この講義を受講している学生、これが最大の謎だった。

この大学は男女比率が均衡している筈。それなのに、この講義には俺以外の男子学生が受講していない。理由は分からない。

 そんな不思議な講義での定位置に腰を下ろして、用意を出していると、後ろから話しかけられる。

 

「こんにちは。申し訳ないんですが、ルーズリーフを一枚いただけませんか? 忘れてしまって」

 

「こんにちは。いいぞ。……ほら」

 

「ありがとうございます」

 

「それにしても、よく忘れるよな。この前は前回の資料、その前はレポート、その前は」

 

「あぁぁぁ!! 止めてください!! 忘れっぽいんですよ!!」

 

「隣に座っている人、友人だよな? そいつから」

 

 後ろを定位置にしているこの人は忘れっぽい。俺が云ったように、モノをよく忘れては俺に借りる。後ろの人の隣に座っている人がその人の友人だと思うんだが、貸してくれないのだろうか?

 

「あまりに忘れるので貸してくれないんですよ……。試験の時は私に聞いてくる癖に」

 

「物忘れは激しいことを悪びれないから。それに、私よりも頭が良いから聞くだけよ」

 

「酷い!?」

 

「酷くないです。天色さんも毎回毎回貸さなくても良いんですからね?」

 

 この二人は仲が良い。後ろの人とその友人は子どもとその保護者みたいな風に見える。

 

「次あったら貸すのを止める」

 

「そんなぁ……」

 

 後ろの人もその隣の友人の人も名前は知らないが、どうやら俺の名前は知っているようだ。理由は不明。何処かで聞いたのか、はたまた俺の隣に座る友人と話している時のを聞いたのかは知らない。ただ、変に気持ち悪さは感じない。

 貸す貸さないの話をしていると、今度は俺の前を定位置にしている学生から話しかけられる。良く笑顔で話しかけてくるし、いつも楽しそうにしている。

今日も楽しそうに話し掛けてくるのだ。

 

「なーに言い争ってるの?」

 

「言い争っているというより、後ろのやつが忘れ物をしないことを覚えないから矯正しようかと」

 

「忘れ物は良くないですねー。赤井は前からそうですから、いつまで経っても治らないです。この講義を取るようになってから、赤井が教授にこってり絞られているところを見ないと思ったら、天色さんが手を貸していたんですか?」

 

「すまん。まぁ、次からは無いから大丈夫」

 

 『大丈夫じゃないです!!』とか後ろで言っているが、俺と前の人は話を続ける。というか後ろの人、赤井っていうのか。知らなかった。

 

「今日提出のレポートは出来ていますか? 私は昨日の夜、なんとか終わらせましたけど」

 

「あぁ、俺も昨日の夜に終わらせた」

 

「えぇー。あんちゃん、私終わってない!!」

 

「私は……その」

 

「赤井さんも終わってないです。ちなみに私は昨日の昼に終わらせました」

 

 終わってない者が二名。確か単位に響くとか教授が云っていた気がするんだが、二人は大丈夫だろうか。

 

「あのー、天色さん? もしよろしければお貸s「駄目です」どうして賀藤さんが答えるの?!」

 

「あんちゃん貸して?」

 

「どうせ、半分やってそのまま何だろ? 講義の合間を縫って書けるだろ」

 

 ぶーぶー云う友人に、後ろでもぶーぶーと赤井も云う。

 これが日本現代史の講義前に繰り広げられる。いつもの友人たちと話しているのも楽しいが、このメンバーで話しているのも楽しい。それに、なんだか懐かしい気持ちになれる。

講義が始まれば皆静かになり、他の講義ではあまり見られない様子に変わる。無音の講義室。教授の声とペン先が走る音だけが聞こえる。そんな講義を聞きながら、俺はスクリーンに目を向けていた。

 俺の知っている歴史、深くまでは知らなかったこと。それらが学となり、知識となっていく。どの首相が何をした、どのような事件が国内で起きた、この年にどの法案が施行された。そのような内容を学んでいく。どれも一般常識になる上に、今の日本のことをよく学べる。

そんな講義で補填していく。

 講義が終われば友人たちと集まり、食事を摂る。たまに日本現代史で一緒のメンバーも交えて食べることがあるが、今回は後者だ。

大所帯で食堂に入り、大人数用の机を陣取る。騒ぎながら食事を摂り、時には勉強を始めたりゲームをしたり、そんな時間が過ぎていく。楽しい。素直にそう思える。

そんな大学生活も過ぎていき、やがて就職し、昇進や結婚、出産、色々な人生を歩んでいく。俺がどのような人生を歩んでいくのかまだ分からない。ただ、今が楽しい。そう思えるだけでも良いと思った。

あの世界に居た時間も大切だ。皆と笑い、傷付き、何度でも立ち上がる。普通じゃ感じることの出来ないことを感じ取ることが出来た。綺麗なところ、汚いところも見た。そんな世界に居ることが出来て、本当に良かったのか。あの世界に残った本来の理由を忘れた訳では無いが、もう今の俺には出来ることが無い。

残った人たち、本来の住人たちがどうにかしたに違い無い。

 

「……?」

 

 室内なのに、空調の風も当たらない俺にそよ風が撫でる。それは暖かく、大きかったように思える。

……忘れる訳が無いだろう? 俺は帰って来たが、忘れれる訳が無い。忘れてたまるか。絶対に忘れない。皆は違うと言ったが、俺はそれを違うと言った。自分の意志だと。そんな皆、仲間たちとの時間を、忘れる訳が無い。

どうせ近くに居るのだろう?

 

『提督!!』

 

「ん?」

 

『見てくださいよ、これ!! さっき工廠で開発妖精さんが持っていたのを見たんですけど、どうして1000kgの航空爆弾を私の流星にも積まないんですか?!』

 

「……それは」

 

 なんだ?

 

『提督ぅー!!』

 

「……金、剛?」

 

『にへーっ。ティータイムに行くネー!! ほらほら!!』

 

 何が……。

 

『ちょっとー!! 鈴谷のこと、置いてかないでよー!!』

 

「鈴谷?」

 

『わわ!! 走らないでー!! お菓子持ってきたんだからさぁ!!』

 

 一体何が……。

 

「天色さん?」

 

「え?」

 

 あれ? 今のは……なんだったんだ? 今、たしかに鎮守府に居たような気がするんだが……。気付けば、昼食を摂っていた場所に戻ってきていた。

 

「どうしたんですかい? 上の空でしたけど??」

 

「い、いいや……なんでも無い」

 

「さいですか」

 

 あのそよ風、恐らく皆は隙間風か空調の風だと思っただろう。だが、俺には違うように思えた。

この世界に戻ってきた俺に、皆が付いてきたんじゃないか。赤城が悪知恵働かせて、鈴谷と金剛が開発妖精か誰かに頼んだのだろう。そうに違いない。

 

「おっと!! 午後の講義が」

 

 友人たちがスマホで時間を確認すると、もうその時間になっていたようだ。他のメンツもそれぞれ確認をする。

俺も確認したが、たしかにそろそろ移動しないと不味い時間だ。

 

「そろそろ移動しないと不味いです」

 

 皆立ち上がり、俺も荷物を持って立ち上がる。

 

「じゃあ、行こうか」

 

 それぞれ、自分らの受講している講義が開かれるところへと向かっていった。俺も自分が受ける講義を受けに移動をする。

移動にそよ風も付いてきているような気がするが、気の所為だろう。ただ、周りはいつもよりも暖かく感じた。誰かが居るような、楽しそうな、そんな空気を。

 





 こちらではお久しぶりです。本シリーズを読み、番外も読まれる人だけのための特別編です。ただ、今回は1話しかありませんが(汗)
今回はふと浮かんだものでして、2日で仕上げました。その影響か、推敲はしましたが雑ですのであしからず。
 トゥルーエンド後、銃殺された後の紅視点での話ですが、これまた色々と予測が飛び交いそうなそうでないような……そんな気がします。
本編とは直接関係のない内容でしたので、コチラに書くこととなりましたが、「これ本編じゃね?」と思われる方も居ると思います。
違います。これ、特別編です。本来は存在しなかった未来の話ですから……(あれ? それって特別編くくりで良いのか?)

 ご意見ご感想お待ちしています。 


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特別編企画 第7回目 『一つの可能性』
一つの可能性 その1


※あくまで可能性の話です。
※視点はとある人物の娘です。話の途中で正体が判明します。


 母曰く、私の父は殉職した。そんな母は父が何をしていたのか、どのような状況で殉職したのかを頑なに教えてくれなかった。

私が気付いた時には、父は仏壇に置かれた写真でしかなく、その姿しか知らなかった。私にとって当たり前のことであるが、何一つとして父のことを知らない。

 私は母、祖父母と共に築五十年程の戸建てに住んでいる。母は毎日働きに出ており、平日は日中いない。繁忙期だと夜遅くまで働いている。祖父母は年金生活を送っている。母の稼ぎで私たちは暮らしていた。

私には兄弟がおらず、一人っ子だ。その代わりに、これまで引っ越しをしてこなかったため、近所の同年代とはとても仲がいい。小さい頃から一緒に育ってきた。小中高と進学してもほとんどが一緒のところに通った程だ。

 友人たちと一緒に遊んでいると、皆が口を揃えて言うことがあった。両親についてだ。叱られた、褒められた、プレゼントを貰った、お祝いをした。私もやってもらっている。だが、違う点はあった。私には父がいない。

 小学生の頃、宿題で作文が出されたことがあった。お題は両親について。授業参観の日に音読するものだ。担任は例を挙げて私たちにわかりやすく説明をしてくれた。私も宿題を理解したため、家に帰ると早速書き始めた。母のこと、祖父母のこと。だが、どうしても引っかかる。私には父がいたはずだ。だが、私は何も知らない。どのように書けばいいのか分からなかったのだ。

仕事から帰ってきた母に相談すると「天国にいるのよ」と。いつも聞かされていることを言われるだけで、私は仕方なくそれを書いた。

授業参観日、母は有給を取って小学校に来てくれた。私は堂々と作文を読み上げるが、やはり私の胸に疑問は残ったままだった。作文にはそれは現れており、「お父さんは天国にいます。ですが私はどうして天国にいるのか分かりません」と言ってしまった。小学生ながら、教室の空気が変わったことに気が付いたが、何をする訳でもなかったし、できなかった。

 不自由なく私は成長したと思う。確かに父がいない理由は分からないままだったが、私は中学を経て高校生になった。

大学受験を考えており、母や祖父母にも「したいようにしなさい」と言われていた。なので私は国公立大学を目指して勉強を始める。

だが、大きな壁に当たった。したいことが漠然とすらない私は、その時々の感覚で学部を決めていた。文系であることを加味して、文学か国際か経済・政治・法学等、様々考えつつも勉強をしていたはいいものの、国公立大学の試験で落ちる可能性が浮上していったのだ。

私は悩んだ。母にこれ以上苦労はかけまいと考えていたからだ。レベルを下げるにしても、下げた場合、地方になる可能性が高かった。下宿費用を稼ぎながら大学生をするのも考えたが、母や祖父母は仕送りをしてくるに決まっている。ならば、ある程度年間で使う金額の少ないであろう地元私学にした方がいいのではないか、と考えた。それならば、地元で通学・アルバイトをしながら家にお金を入れつつも生活できると。

高校三年に上がる直前の春休み、私は母に相談をすることにした。

 

「お母さん」

 

「何?」

 

「大学進学の件なんだけど、国公立を第一志望にしてることは前にも話したよね?」

 

「そうね」

 

「第一志望ばかり考えてもアレだから、第二志望以降のことも考えたの。第一志望よりもハードルの低い国公立大学を精査したら、地方になっちゃうことが分かったんだ」

 

「そうなるわよね。いいと思うわよ? ただ、一人暮らしをしたいって言うならいいと思うし、反対もしないわ。心配ではあるけどね」

 

「そう言うと思ってた。だけど、私はこれ以上お母さんに負担も心配も掛けたくないの。だから地方国公立大学に進学した際の学費と生活費の予想と、地元私学だった場合の学費の差し引きを計算したら地元私学の方がいいって思った。だから、お金が掛かるかも知れないけど、滑り止めで私学受けてもいい?」

 

「えぇ、貴女の好きになさい。貴女の人生だもの、好きに生きて欲しいわ」

 

「……ありがとう。お母さん」

 

 以外とあっさりしていた。回答の予想はしていたし、予想通りではあった。だけど、やはり負担や心配事については私も心配している。

 私は進路を決めて固めた。もう深く考えることはせず、第一志望第二志望滑り止めが全て合格するように勉強するだけだ。

 

※※※

 

 厳しい受験戦争を生き抜いた私は、晴れて第一志望に合格することができた。まだまだ寒い二月の中旬に合格通知と共に入学に必要な書類が送付されてきた。

届くなり開封し合格の旨を母、祖父母、高校の担任、お世話になった人に報告していった。本当に嬉しかった。

だが、あるもので私は躓いたのだ。

 入学必要書類の中に、自身のプロフィールを書くものがあったのだ。住所氏名年齢電話番号、学生証に使う写真、家族構成や緊急連絡先等々。極自然なものではあるのだが、家族構成を記入していた時のことだった。祖父、祖母、母、私と書く。父は亡くなっているので書かない。分かっているのだが、改めて疑問に思ったのだ。私は父がどのような人でどうして亡くなったのかを。

 母に尋ねるのは小学生以来だ。小学生の頃に書いた作文以来、何故かそういうものだと思ってしまった私は、母やおろか祖父母にも父のことは聞かなかった。これまで知らないままだったのだ。三人が父について知らない訳がないので、私ももういい年齢になったと思い、再び聞いてみようと思ったのだ。

そのタイミングは丁度よく訪れる。土曜日の夕食の時間。平日だと時々母とは一緒に食べれないが、土日ならば一緒に食べれる。夕食ということもあり、食べ終わった後でも時間にかなり余裕がある。だからこそ、聞くにはいいタイミングだと思ったのだ。

夕食である金曜日の残りのカレーを食べ終わった頃、私は母たちに問いかけた。

 

「ねぇ、お母さん」

 

「何?」

 

「お父さんのこと知りたい」

 

「……」

 

 母は黙ってしまった。食器を片付け始めていた祖母や、お茶を飲んで一息吐いていた祖父も動きを止めている。このようなことになるのは小学生以来だろうか。おかしな空気が辺りを覆う。たまたま全員でドラマを見ていて、濡れ場シーンに突入してしまった時とは違う空気だ。

緊張し、左親指を握り込んでしまう。机の下で握りこぶしとそれを包む右手。震えはしないが、何処と無く感じ取った緊張感に少し汗ばんだ。

 

「そう……よね」

 

 そう言った母は、姿勢を正して私の目を見る。その目はいつも私に向ける目とは少し違い、感情が入り乱れているような気がした。形容し難い目に見えた。自然と私も背筋が伸び、結んでいた手を解いていた。

 

「貴女のお父さんはだいぶ昔に亡くなったことは分かっていると思うけど、葬式や通夜のことは覚えてる?」

 

「えっと……あんまり覚えてないかな。親戚やお父さんお母さんの知り合いが集まって家に来ていて、式だからって私は暇でぐずっていたような」

 

「そうね。貴女はずっと暇だって言っていたわ。年の近い親戚の子がいても、やっぱり小学生や中学生にもなると空気で分かるみたいだから、ずっと静かにしていたわね」

 

「うん。覚えているのはそれくらいかな。どういう式だった、とかは全く」

 

「無理も無いわ。まだ貴女は幼かったもの。小学生にもなっていない、まだ幼稚園の年中くらいだったかしら?」

 

「多分」

 

「なら、お父さんが生きていた頃の話からしましょう」

 

 母は急に立ち上がり、どこかへ行ってしまう。片付けをしていた祖母も、お茶を飲んでいた祖父も席に戻ってきて座っている。どこか家族会議を始めようか、という空気の中で、母は何かを持って戻ってきた。箱だ。段ボールで、家の中にならどこにでもあるような箱。箱を机の上に置き、中を開く。そうすると、服や小物が見えた。だが、見慣れたことのないもの。

 

「お父さんは軍人だった」

 

「へ?」

 

 それはそうなのかな、と漠然とは思っていたが本当にそうだとは考えもしなかった。仏壇に置かれている小さな写真に写った父は、確かに軍服のような格好をしていたからだ。

 

「お母さんは普通のOLだったけど、お父さんのような人と出会えたのは今でも信じられないくらい」

 

「それはどうして?」

 

「お父さんは軍でもエリートだったの。訓練校で優れた能力を発揮して、更に頭もよかった。だから、引き抜きで特殊部隊に配属されていたの。特殊部隊って言うと、危険な任務がつきものだって貴女は考えるだろうけど、当時は殆ど危険なんてなかった」

 

「当時? お父さんが死んだ頃って確か……」

 

「えぇ。国内が混乱していた時期で、一時的に治安もかなり悪くなっていたわ」

 

「確か……『暗黒の年』とか言われていたっけ? 深海棲艦が沿岸部を攻撃したりしていて、食糧の供給が不安定になったっていう」

 

 私が幼かった頃、日本皇国は戦争をしていた。今でこそ戦争は終結しているものの、未だ爪痕は癒えていない。『深海棲艦』と呼ばれる人類に敵対的な未確認艦船群による制海権奪取によって、世界中の人々は困窮した。資源、食糧、人、ありとあらゆるものの交易が完全に途絶え、滅びる国家は数知れず。そんな中、日本皇国は懸命に生き長らえていた。

横須賀鎮守府艦隊司令部。私の住んでいる家からほど近いところに立つ軍事施設。『艦娘』と呼ばれる特殊能力を有する少女たちの基地。その基地が深海棲艦との制海権の取り合いを行っていた。進退を繰り返しながら、一時期戦闘提示状態に陥ったものの、息を吹き返し怒涛の快進撃を始めた。深海棲艦出現直後に定められたルールによって、日本皇国が引き受けるべき領域を奪還し終えると、戦闘力を失っていた世界中の国家と接触するため地球全域の海を渡り歩いた。

これが私が小さかった頃の日本皇国。知り得る情報は多かったが、私自身興味がなかったこと。知っていることはあまりない。戦争末期に日本皇国軍の一部がクーデターを画策し、内乱状態に陥ったこと。艦娘が私たちの命令を聞かないということ。横須賀鎮守府の司令官の言うことしか聞かないこと。その司令官が撃たれたことによって『暗黒の年』が到来し、一時期国内は不安定になったこと。それくらいだ。

その『暗黒の年』に父は亡くなっている。それと密接に関係しているのだろうか。

 

「『暗黒の年』とはあまり関係ないの。それ以前のことよ。私たち日本皇国が艦娘に深海棲艦のことを任せっきりにしていた時は、軍人共々平和な世の中だったわ。今と同じくらいにね」

 

「知らなかった」

 

「無理もないわ。私だってその頃、日本皇国が戦争をしていたことなんて知らなかったくらいだもの」

 

「え?」

 

「まだ数年とか十数年の前の話だから、この辺りの勉強はしなかったよね。日本皇国海軍に艦娘は組み込まれていたけど、それは建前でそうなっていただけ。本当は日本皇国と艦娘は協力関係にあったの。例えるならば、条約を結んだ国家同士という感じね」

 

「……し、知らなかった」

 

「まぁ、前置きはそれくらいにして……。お父さんは戦時下で国内の治安を維持するために活躍していたらしいわ」

 

「らしいって?」

 

「当時、どのようなことをしていたのかは分からないの。ただ、特殊部隊にいたっていうことだけ分かってるの」

 

 知らなかった……。

 

「まぁ、お父さんは日本中で軍からの命令で活動していたみたい。色々なことに関わっていたみたいだけど、私も詳しいことは知らないの」

 

「そうだよね。多分、機密とかだろうし」

 

「えぇ。そんなお父さんに私は出会って、結婚したの。デートも滅多に出来なくて、任務だからっていつも連絡が取れなかったの」

 

 話の道筋が惚気話になりそうだ。

 

「まぁ、その辺りは省略するわ。そういう感じで付き合っていって、会える時にだけどれだけでも良いから会って話してを繰り返して、結婚したの」

 

「そうだろうね」

 

「お父さんは忙しいからって、親戚だけで式を挙げたの。そうしたらまたお父さんは任務だって出ていっちゃう」

 

「特殊部隊だもんね」

 

「そうね。お父さんは任務だってまた日本中を飛び回ってた。帰ってくる度に軍服脱がしてお風呂に入れて、軍服は得意じゃないのに私が直したりしてね。そんなことが二年くらい続いたある任務では何ヶ月も帰って来なかった。手紙とかは送ってくれていたけどね。いつ帰って来るんだろうって、思ってたら帰ってきたの」

 

 突然、母の表情が固くなった。

 

「ある人に見込まれたって言って帰ってきたの。いつもみたいにボロボロの格好で」

 

「見込まれた、って?」

 

「分からない。だけど、やっと帰ってきたと思ったらそれだったの。頬も痩けてたし、ボロボロだったけどね。そうしたら本当に転属したの」

 

 母は深く息を吐く。

 

「転属先は海軍横須賀鎮守府艦隊司令部」

 

「……は?」

 

「貴女も知っている人だとは思うけど、天色 紅海軍大将にヘッドハンティングされて転属したのよ」

 

「え、えぇぇぇぇぇ?!」

 

 今日イチの驚き。否。この話イチの驚きだ。そうだったなんて知りもしなかった。お父さんがあの、戦争を終結に導いた現世の英雄にヘッドハンティングされたなんて。

 

「何があったとかは聞けなかった。格好はいつもと同じボロボロの格好だったし、痩せこけてたもの。だけど、あの時の顔は覚えてるわ」

 

「そうなんだ」

 

「それからは、特殊部隊にいた頃よりも頻繁に帰って来るようになったの。ボロボロさ加減も落ち着いてきてたけどね。そうして一年位経つと『暗黒の年』に入ったわ」

 

「……」

 

「お父さんは天色海軍大将が撃たれた時、側にいて応急処置もしたとか。本当は機密だったみたいだけど教えてくれたの、どんな様子だったのか。お酒を浴びるほど飲んで泥酔して、泣きながら」

 

 その辺に酒瓶大量に転がしてね、と母は言う。

 

「当時、大将は十九だった。貴女と大して変わらない年齢なのに、殴られて撃たれてたって。何箇所も銃創があって大量に血を流していたのに気長に振る舞っていらっしゃったって。軍病院に運ばれた時には心肺停止していたとか。あれだけ出血していたら危険だし、もう助からないかもしれないって」

 

 祖父の様子が少しおかしくなった。うつむいて震えているのだ。どうしてなのかは分からないが、今は聞ける状況じゃない。

 

「それからすぐに『暗黒の年』は来た。大将の安否は機密になって、それは横須賀鎮守府にも伝えられなかった。状況をよく知っていたお父さんや、艦娘の方が生存は絶望的だと分かっていた。艦娘の皆さんは完全に戦意を喪失して、貴女もよく知る状況になったわ」

 

「深海棲艦の再侵攻で、海岸線は危険地帯になったっていう……」

 

「えぇ。なんとか立て直そうと軍部もお父さんも努力したみたいだけど、駄目だった。艦娘の皆さんには大将の声しか届かなかったから。丁度その時期だったかしら。軍の一部できな臭い動きが出てきたとかで、大本営がクーデターを察知したの。あちこちでクーデターが起きそうになっては、軍同士が衝突していたわ。一晩で基地がいくつも無くなったこともあった。そんな中、横須賀鎮守府にある人が現れたの」

 

「え?」

 

「貴女もよく知ってる人よ。毎年お盆に来る」

 

「あぁ、あの人。名前は知らないけど」

 

 お母さんの言った人。『暗黒の年』に現れて、毎年お盆に家に来ている人は同一人物なのだろう。よく知らないが、私が小さい頃は毎年お盆に誕生日やらお年玉、クリスマスとかまとめて置いていく人だった。若い女の人。

 

「あの人、大将の姉よ」

 

「で、でもあの人……小さい頃に見た時から変わってない……」

 

「その様子だと、他にも知らないことがあるみたいね」

 

「う、うん」

 

「大将、天色海軍大将はね、異世界人なの」

 

「え?」

 

「異世界人。SFとか映画とか小説であるでしょう? 異世界から来た人のこと。彼は異世界人。日本皇国の大罪の一つ。自国民を国のために使うことは普通のことだけど、大将は異世界から連れて来られた人。日本皇国のために働かされた人。分かるでしょ? 深海棲艦と戦ったのは艦娘の皆さん。艦娘の皆さんは大将の言うことしか聞かなかった。だから日本皇国は大将を軍役に従かせた。当時まだ18歳の頃。まだ高校は卒業してなかったらしいわ。元いた世界に帰ることもできない。こっちでは常に危険と隣り合わせ。命も狙われて、実際に撃たれてる人よ」

 

「……」

 

「意味分かるわね? 私たちは大将に生かされてたの。まだ成人もしていない青年によって。まぁ、それは追々知っていくことになると思うから、その時にでも知りなさい」

 

「うん……」

 

「話を戻すと、お父さんや横須賀鎮守府は大将の安否がどうしても知りたかった。そんなところに同じく異世界人のましろさんがやってきたの。彼女もまた、行方不明になった大将を探してこの世界に来てしまった人なんだけどね」

 

 話が飛躍しすぎて頭が少し追いつかない。だが、母は話を続けた。それに、あのお姉さんはましろさんっていうことを初めて知った。

 

「この世界に大将がいることを知ったましろさんは、安否不明であることを知り動き出したの。鎮守府の兵士たち、お父さんたちや艦娘の皆さんと話して、大本営に直談判したの。そうしたら、国内の安全を確保したらと言われ、協力を申し出たの」

 

「協力って? それはクーデターの鎮圧?」

 

「そうね。最初は関東近郊に残っていた基地。その後、クーデター軍の本拠地」

 

「倉敷島の戦い」

 

「えぇ。その戦いには横須賀鎮守府は大部隊を派遣したの。いくつもの艦隊、艦載機、所属する兵士たち。その中にお父さんもいたわ。経験を活かした特殊部隊の配置だったみたい」

 

「そうなんだ……」

 

 お父さんがあの戦いに参加していたなんて……話を聞き始めてから想像もしなかった。

 

「そして戦死したの」

 

「……」

 

「空挺降下後、破壊活動中に狙撃を頭に。即死だったって」

 

 そして、父の戦死は呆気なかった。狙撃を頭に受けて即死だなんて。

 

「それからは貴女も知ってることよ。葬儀と通夜が家で行われたわ」

 

「そうだったんだ……」

 

 少し間を置いた母は、話を切り替えた。

 

「ましろさんの見た目が変わらないって、さっき言ったわね?」

 

「うん。小学生の頃から毎年来てるし、去年も来たけど、変わってないよね?」

 

「ましろさんもだけど、大将も変わってないらしいわ。こっちの世界に来た18歳の時から。ましろさんは22歳だったかしら?」

 

「不老不死になったってこと?」

 

「分からない。詳しくは聞いてないから。だけど、見た目の年は取ってないみたい」

 

「そうなんだ……」

 

 私は少し頭の整理を行うことにした。少し黙り、集中する。父の話、天色海軍大将の話、ましろさんの話。全てを関連付けていき、整理をし終える。以外と簡単な気もするが、本当はもっと複雑なんだろう。

私を待っていた母は、机の上に薬莢を置いた。小さい薬莢を一つ。拳銃のものだろうか。

 

「これは?」

 

「拳銃の薬莢。天色海軍大将のものよ」

 

「それがどうして?」

 

「お父さんの通夜の時、彼は自分の足を撃ったの」

 

「な、なんで?!」

 

「私が莫迦だったから」

 

「それって……」

 

「私は知った気になっていたの。お父さんっていう人が身近にいたから、日本皇国という国について調べていたの。どういう状況にあって、どのような世論で、どのように政治が行われているか。だけど、それは上辺でしかなかった。深く知ろうとも、疑ろうともしなかった。私は愚かだったのよ」

 

「でもそれがどうして?」

 

「お父さんが死んだのを、彼の責任だと言及したのよ。身代わりになって死んだんだ、って」

 

「……」

 

 脂汗が滲み出る。天色海軍大将なんて人に、母はそんなことをやったのかと。

 

「そうしたら、責任を取ろうって言って庭に出るなり拳銃で自分の足を撃ったの。これで逃げられない。殺すのなら拳銃でも刀でも貸す。自分でやりたくないなら言えってね」

 

「そんな……」

 

「そこにお祖父ちゃんが出てきて私を叱ったの。私がどうしようもない莫迦で、お父さんのことを何も分かってないって」

 

 そんなことまで起きていたなんて、知りもしなかった。そして、そこまで私の家が時代の中心人物に関与していたことも。

脂汗がある程度引いた頃、母は笑った。

 

「あの頃の貴女、彼の膝に抱きついて「おじさん」なんて言ったのよ。彼は困り顔していたけど」

 

「そ、そうだったんだ」

 

 私もとんでもないことをしていたらしい。

 母も深く関わりがあることも、初めて知った。場合によっては母は逮捕されていたかもしれないというのに、こうして普通に暮らしていることにも少し驚いた。話の道筋から、過失はなかったってことにもなったのかもしれないが、相手が相手だ。その辺りはゆっくり理解していけばいいだろう。

 

「この話は終わり。今まで黙っていてごめんなさい」

 

「……別にいいよ。お父さんのこと、知れてよかった」

 

「そう……。じゃあお風呂入っちゃいなさい」

 

「え?」

 

「もういい時間よ」

 

 母にお風呂を進められたが、気が付けば話し始めてかなり時間が経っていた。私は席から立ち上がり、自分の部屋へと向かう。祖父も祖母も立ち上がって、片付けやらを始めた。そんな二人の姿がどこか、いつも違うように見えて、まだ座っている母の表情が見たこともないものになっていることを気にしつつも、私は部屋を出て行った。

 




 お久しぶりです。少々忙しかったのと、リハビリ、気分転換のために書きました。
本日より三連続連日午前7時半に投稿します。

 ご意見ご感想お待ちしています。


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一つの可能性 その2

※あくまで可能性の話です。
※視点はとある人物の娘です。話の途中で正体が判明します。


 

 母から聞かされた話、何も知らなければ眉唾物だったと思う。だが、風呂上がりに祖父が言っていたのだ。『お前のお父さんは英霊になった。お前の生きる未来のために戦ったんだ。さっきの話は少し信じられなかったかもしれない。だが、確かにお前のお父さんは壮絶な人生を遂げた。俺たちよりも先に逝きよってからに』と。

私が信じ切れていないことを見抜いていた祖父は、そう言ってお風呂に向かったのだ。

 自分の部屋に行き、早々に床に就いた私は天井を見上げて考える。亡くなった父のこと、母のこと、祖父母のこと、毎年来るお姉さんのこと。

私は何も知らなかった。本当に母の言っていたことが本当だったとして、私はそれを知ってどうすればいいのか。気付いたら私は眠りについていた。

 

※※※

 

 ある日、母に言われて正装に着替えていた。もうすぐ大学生にもなろうといい、手続きも済ませて日々を過ごしていた私は、もう着ることもないだろうと思っていた高校の制服に袖を通した。

母は有給休暇を取り、祖父母も正装に身を包んでリビングに集合する。前の土日に言われていたことだったが、どうしたと言うのだから。私は何も聞いていないので、ただただ制服を着てきただけだ。

 朝食を食べ終えて身支度を整える。全て終わってからも、家を出るとは一言も言わないために私はテレビの電源を入れた。

高校も卒業しており、大学入学まではアルバイトにも応募するつもりはなかったため、気ままに遅い時間に起きていた。早起きしたのなら、と最近見ていない朝のニュースを見ることにしたのだ。

 

『もう桜も満開になり、花見スポットは大きな賑わいを見せています。春の行楽シーズンに突入し、皆様旅行の予定を立てていることでしょう』

 

 アナウンサーがそんなことを言っている。

 

『さて、本日の話題ですが、一面はこちらです。アメリカ合衆国、日本皇国主導で設立が決定された新国際連合についてです。一昨日、アラスカで開かれた日米会談で、深海棲艦による秩序の崩壊と終戦による人類秩序の再構築に伴い……』

 

『国際連合とほぼ同じ条約を設けつつ、新国連安全保障理事会常任理事国にはアメリカ合衆国、日本皇国、イギリス、ドイツ、ソ連が……』

 

『先の戦争でソ連は一度崩壊し、ロシア連邦となっていました。ですが、十五年ほど前に当時の大統領であるウラジミール……』

 

『参加国は現在十数ヶ国あります。その内の一つであるイスラエルが死海文書に記された救世主を日本皇国……』

 

 難しいことを言っていてよく分からない。去年辺りから新国連という組織を作るというニュースは流れていたが、それが実現しようとしているみたいだ。それくらいしか分からない。前の国連がどういうものだったかは習っていて知ってはいるが、それとあまり変わらないのだろうか。

そうこうしていると、家を出る時間になったようだ。母は『もうそろそろ出るわよ』と言って戸締まりの確認を始めたので、私も家を出る準備を始めた。

 

※※※

 

 母が通勤で使っている白いセダンに揺られ、私は横須賀の街を眺める。小さい頃から建物が新しくなったり、ショッピングモールが出来たりと忙しなく成長を続けている。時々出てきて買い物を楽しむこともあるが、横須賀市街はいつでも面白い。横浜や東京方面に遠出をすることもあるが、やはり地元だと安心感が違うように思える。

 横須賀市街からそのまま出ていき、海の近くまでやってきた。中学生の頃に来た社会科見学で来たことがあったが、何をしに来たかまでは覚えていない。もしかしたら横須賀基地の見学だったかも知れない。

そんなことを考えていると、左側に高い壁がずっと続く道に出てくる。右側は普通の景色ではあるのだが、左側の高い壁に圧倒されて異様な光景を作り出していた。

そんな道を数分走っていると、左折していく。壁か窪んでいるところに入り、誘導灯を持っている人の指示に従って駐車をした。母も祖父母も降りていったので、私も助手席から降りるとそこには大きな門があった。

 

「……すごい」

 

 そんな言葉が自然とこぼれてしまうほどに大きな門だ。何がぶつかっても曲がることのなさそうな太い鉄製で蝶番も大きい。門の前には武装した兵士が立っており、重厚な警備だ。

兵士が立っているということは、ここは軍事施設なのだろうか。というか、どうして軍事施設に来たのだろうか。

 

「ほら、行くわよ」

 

「あ、待って」

 

 母は表情を強張らせて、門の前に立つ兵士に近づいていった。カバンから何かを取り出し、それを見せると兵士がどこかへ連絡をする。すぐに門が開き、私たちは中へと通された。

入る時に気付いたのだが、この軍事施設に『横須賀鎮守府』という看板が建てられている。いつか話した父のいた場所だ。

 中に入ると、塀から飛び出るような形で建てられている建物に通された。中には老若男女の兵士が休憩していたのか、小銃を机や椅子に立て掛けている。彼らは椅子に座ってお茶を飲みながらテレビを見たり、同僚たちと話をしていたみたいだ。私たちが入ってくるなり、小銃に手を伸ばすがすぐに引っ込める。

警戒されていることが手に取るように分かる。何故? 私たちは日本人だ。そう考えてしまうが、母や祖父母の様子を見ている限り、そうおかしい反応ではなかったみたいだ。

 

「お三方には身体検査を受けてもらいます。手荷物、X線、レントゲン、金属探知機を用いますがよろしいですか?」

 

「はい」

 

「ではこちらに」

 

 兵士が二人出てくる。若い兵士が四人。女性三人と男一人。私たちそれぞれに兵士が付くようで、身体検査が始まる。

 別室に通されると、そこでいきなり服を全て脱げと言われる。少し渋ったが母も祖母も脱いでいくので、私も脱いだ。その後、病院服のようなものを渡されてそれに着替えるとX線、レントゲン、金属探知機で検査をされる。手荷物は脱いできた服と一緒に目の間で検査された。どうやら通信機器、撮影機器、録音装置等の持ち込みが禁止されているらしい。民間人ならばまず持っていない小火器も同じらしく、ちらっと見えたチェックリストに項目があったようだ。

検査は数分で終わり、そのまま着て来た服を着ると建物から出るように言われる。その際、建物から出ると武装した兵士が十人付いてきた。案内兼監視? 護衛? そんなことを言っていたが、よく分からない。

 歩くこと数分、建物が密集しているところに到着した。途中、グラウンドのようなところや、草木が生い茂っている場所もあった。隣を歩く兵士で見えなかったが、かなりキレイに整備されているようだ。

建物には看板が立てかけられており、そこには『警備棟』と書かれている。警備棟に何故案内されたのか、もしかしたら何か検査がまたあるのかと勘ぐってもみるが、特に何があるという訳でもないみたいだ。中に入り、第一会議室と書かれた場所に通される。

第一会議室の中には人が集まっており、軍服や私たちのような格好をしている人たちも集まっていた。人数にして十数人や二十人程度といったところだろう。席はかなり空いている。

 私たちが最後だったようで、席に座るように言われて私たちは腰を下ろした。そうすると、私たちが入ってきたものとは違う扉から人が入ってきた。新聞やテレビで見る人だ。有名人。

彼はそのまま進んでいき、壇上で足を止める。私から見て右側によく知っているお姉さん、ましろさんが立っていた。

 

「今日はお集まり頂き、ありがとうございます。私は日本皇国海軍横須賀鎮守府艦隊司令部 艦隊司令長官、鎮守府司令の天色です」

 

 そう言い放った天色海軍大将は話を続ける。

 

「かなり前から参加出欠を行っていましたが、大事なかったでしょうか?」

 

 その問いかけには誰も答えない。特になかったようだ。

 

「ありがとうございます。では、本題に入らせていただきます」

 

 ホワイトスクリーンにプロジェクタが映像を映し出す。私はさっきまで目的も目的地も知らなかったが、他の人たちは知っているのだろうか。そんな疑問が浮上してきたが、それは映像で一気に解決した。

 

「日本皇国海軍が先の戦争にて、極秘として立案・実行した作戦に参加された方が多くいらっしゃいました。国内では軍の出撃・帰還の情報は出ていたかと思われますが、ここに機密解除とお集まり頂いた皆様の家族・親族を失った理由を深く存じ上げない方々への情報開示を行おうと思います」

 

 はい? どういうこと?

 

「深海棲艦との戦争で失われた命は数知れず、その中でも極秘中の極秘であった横須賀鎮守府艦隊司令部が関与した戦闘にて戦死された方の状況報告と、回収可能であった遺品の引き渡しを行います。ありとあらゆる海上・陸上での作戦に参加し、軍事活動にて輝かしい武勲を挙げられた名も知れぬ英霊たち。彼らは祖国である日本皇国に帰って来たのだ、と報告させてください」

 

 シンと静まり返る会議室。一方、天色海軍大将が指示を出すと、次々と箱が運び込まれてきた。ヒノキに黒い漆が塗らた箱の上に、日本皇国の国旗が被せられている。八つだ。丁寧に並べられた箱を、天色海軍大将はゆっくりと見て私たちの方へと視線を移した。

 

「左から石川 太一伍長、三階級特進で准尉。高槻 誠憲兵上等兵、二階級特進で伍長。御鷹 くるみ主計少尉、三階級特進で少佐。安達……」

 

 一人ひとりの名前を読んでいく。手元で何か見ている訳でもなく、それぞれの名前を間違えることなく言っていった。

 

「巡田 孝一郎曹長、三階級特進で中尉」

 

 ドキリと心臓が跳ね上がる。父の名前が挙がった。私から見て一番右端の箱だ。今気付いたが、それぞれの箱には装飾はない。だが、国旗の下に何かが置かれているように見える。

 

「以上、八名。彼らは横須賀鎮守府艦隊司令部所属陸戦部隊として特殊任務に参加しました。では、資料を配布します」

 

 それから始まった説明は、私の耳には入ってこなかった。専門用語が多かったというのもあるが、話のスケールが大きかったことが何よりも大きかった。作戦立案から配属された部隊、作戦要項、参加した戦闘詳細。死因を事細かに説明されていく。その作戦は確かに名前を聞いただけでは分からなかった。だが、場所やどのような目標があったのかを聞くと驚きを隠せない。

号外になるほどの大事だったり、今の日本皇国を形作る上で必要不可欠なものばかりだ。天色海軍大将の言う通り、まさに私たちにとっての英霊だ。

そして私の父の番が回ってきた。母からは聞いていたが、父が参加した作戦についてはよく分からなかった。母もここまで詳細を聞くことはなかったらしい。私に話してくれたのは、どうも葬儀の際に聞いたことだったとか。当時、機密扱いされていた作戦だったために多くは語れなかったのだろう。

そして、全ての説明が終わる頃には、会議室に集まった人々はヘトヘトになっていた。四時間も続けざまに説明を受けたからだ。いくら座った状態で、飲み物をもらっていたとしても疲れるものは疲れる。休憩を言い渡されると、皆が兵士の誘導でお手洗いに行ったり等をする。戻ってくると、疲れで誰も話すこともできなかったようだ。精神的疲労もあるのだろう。

 十数分もすると、話は再開される。ずっと立ちっぱなしだった天色大将は表情を変えることなく、疲れた素振りも見せることはない。

そのまま話を再開したのだった。

 

「さて、私たちの戦友を家族の元に帰したいと思います。皆さん、それぞれの箱の前に集まって下さい」

 

 全員が立ち上がり、さっきの休憩中は兵士が周りを囲んでいて近づくことのできなかった箱へと近づく。

私には父の記憶はあまりない。だからだろう、実感はまるでない。だが、母も祖父母も箱へと近付いて行き、ゆっくりと中を開く。その光景を私は、三人の肩の間から見ていることしかできなかった。それは他もそのようで、全員箱へと意識を集中している。だが、私は違った。周囲に意識を飛ばすことができた。

そんな中、声が聞こえてきたのだ。

 

「本当によかったんですか? 遺品は焼却処分し、遺書のみだと規則で」

 

「いい。これでいい。誰になに言われようが俺は皆に帰って欲しかった。家族のいる場所に」

 

「怒鳴り散らして"連れて帰ってこい"って無線越しに怒られたって皆言いますからね。あの時だけは『提督が怖い』って。でも、皆分かっていたんですよ」

 

「そうだな。これは俺のわがままだ。幾千幾万と数えきれない程、深海棲艦に殺された。そんな中でこのような形で帰って来れる人なんていなかった。大概が遺書や戦死通知書だけだからな」

 

「生きた証を、ですか。私たちには無縁ですね」

 

「あぁ。そういえば前作った……無縁仏の共同墓地はどうなっている?」

 

「私が毎月行ってますが、だいぶ前から非番の兵が」

 

「ったく、非番は休むか家族サービスしろって言っとけ。聞かなかったら名前教えろ。頭叩きに行く」

 

「はいはい。あ、でもそんなことしたら彼らの部下、新入りが驚いちゃいます」

 

「確かになぁ……この前、驚きすぎて漏らした奴いたな。変なあだ名付けられてないか?」

 

「付けられてましたよ。『小便嬢ちゃん』だとか」

 

「新入りが可愛いのは分かるが、可愛がるのも大概にしろって言っとけ」

 

「了解了解」

 

 天色大将がそんな考えてこのようなことをしたなんて、思いもしなかった。そして、これは話の内容から察するに軍機違反なのだろう。あえてそれを犯すなんて……。私には考えもしないようなことをする人だ。そして、その話から、共同墓地の話になっていたがどういうことだろうか。

 箱の確認も終わり、受け取りを済ませた母たちが私に声を掛けてくる。

 

「どうしたの?」

 

「あ、いや……」

 

「そう。でも良かった。お父さんのことを知れて」

 

「そうだね……」

 

 少しすると兵士がやってきて、『箱は重いから帰る時に運ぶ』と言ってどこかへ行ってしまった。そろそろ帰る時間らしく、自分の席に戻って身支度を整えていると、再び兵士がやってきた。妙齢の女性兵士だ。

 

「巡田 明日香さん。ご同行願います」

 

「へ?」

 

 急に現れた兵士によって、私はどこかへ連れて行かれた。母には兵士が『帰る頃までにはお返しします』と言っていた。

 

※※※

 

 警備棟を出て、十分程度歩くと別の建物に到着した。警備棟よりも大きく、というか大きすぎる。学校の校舎並だ。否。それ以上に大きい。

看板には『本部棟』と書かれている。隣には『寮舎』とだけ書かれている。本部棟ってどういう意味だろうか、と考えている間にもすぐ中へと連れて行かれる。中に入ると、外ではほとんど見かけなかった人が、たくさん歩いていた。艦娘だ。テレビで赤城を何回か見たことがあるが、艦娘は須らく特徴的な格好をしているため、すぐみ見分けることが出来ると言っていた。確かにこれは見分けることが容易だ。容姿端麗で基本的に和服やセーラー服、ブレザーを改造したような服装をしているとのこと。その言葉通りだ。

 横を通り過ぎる艦娘たちはお辞儀をしていくが、聞いていた話と違っていて少し驚いている。もっと無関心だと聞いていたんだが、違っていたのだろうか。

 階段をいくつか上り、たどり着いたのは最上階だった。部屋の前で立ち止まり、妙齢の兵士は『ここに入ってください』と言ってきた。私は言われるがまま、ノックをして入っていく。

中は質素な作りというか、書斎のように思えた。壁は全て本棚で埋め尽くされており、所狭しと本やファイルが収められている。部屋の中央には二人用ソファーが一脚と一人用ソファーが二脚、背の低い机を挟んで置かれている。どちらも年季が入ってはいるものの、かなり手入れがされているみたいだ。その奥には窓があり、手前に一際大きな机と、その近くに小さな机が置かれている。大きな机の上には筆記用具や書類等が置かれており、さっきまで誰かがそこにいたかのような雰囲気を醸し出している。

 

「すまない。席を外していた」

 

「あ、いえ……」

 

 棚と棚の間にある扉の一つから、さっき壇上の上にいた人が出てきた。さっきよりかは表情は穏やかに思えるが、どこか圧倒される雰囲気を持っている。

 

「自己紹介は省略しよう。そこのソファーに掛けてくれ。少し話がしたい」

 

「はい」

 

「赤城、茶を淹れてくれ」

 

 いつの間にか部屋にいた赤い袴の女性、天色大将が『赤城』と呼んだ女性は別の扉へと消えていった。

 私は言われるがまま、二人用ソファーに腰を下ろした。どちらに座るか考えたが、近いほうがいいだろうと考えたからだ。

 

「君は巡田の娘、で間違いないな?」

 

「はい。巡田 明日香といいます」

 

「そうか」

 

 何だろうか、この雰囲気は。天色大将は正面の一人用ソファーに腰を下ろし、赤城はその後ろに黙って立っているだけだ。既に茶を淹れて、私たちの前に置いた後なのだ。

 

「四時間と少し、疲れただろう? 私としても、ちとやり過ぎたような気がする」

 

「あはは。確かに少し疲れました。ですが、父のことを知れてよかったと思っています。つい最近まで、何故父が亡くなっているのか知りませんでしたから」

 

「そうか」

 

 それ以上、何も言わない。だが、話を切り替えてきた。もしかしたら、これが本題なのかもしれない。

 

「先程、箱の確認の際、君だけがあの場で様子が違っていたんだが、何かあったか?」

 

「え……」

 

 何故そう思ったのだろう。あの時、確かに私は周囲の行動とは違っていたと思う。だが、話をしていた天色大将とお姉さんに気付くことが出来たのか。甚だ疑問だ。

 

「……たまたま聞こえてしまったんです。お二人の話している内容が」

 

「……」

 

「気になってしまって、少しそちらに意識を集中していました」

 

「そうか。素直でいいことだ」

 

 知っていた? 私が会話の内容を聞いていたことを。

 

「今のも要件の一つではあるのだが、本題はここからだ」

 

「はい」

 

 今のが要件じゃない? 他言無用や口止めとかそういうものだと思ったのだが、違うのだろうか。確認をしただけ?

 

「毎年お宅に伺っている者からの報告では、ぶっちゃけよく分からない点が多い。だからこうして直接様子を見ておこうと思ってな」

 

「ましろさん、でしたっけ?」

 

「あぁ。本来は俺が出向くつもりだったんだが、アレや赤城たちに止められてたからな。それに、巡田で以降も以前も所帯持ちの戦死者はいない。彼の遺族の様子くらいは確認して、報告くらいはさせて欲しいんだがな」

 

「あはは……」

 

「今でこそいいが、あのようなご時世では何があるか分からないからな。奥さんと一人娘遺した彼の代わりに、面倒を見ようとお節介を焼いていた。十四年振りくらいだが、立派に成長していて何よりだ」

 

「あ、ありがとうございます」

 

「苦労されたか? お母上は」

 

「どうでしょう。忙しなく働いておりますが、体調を崩すこともないようで」

 

「お祖父上お祖母上は?」

 

「同じく。祖父は定年退職しており、年金を受給しています。毎日平和に過ごしていて元気です」

 

「ならよかった」

 

 天色大将はそれを聞くためだけに、こうして私と呼び出したのだろう。彼の言葉から、これまであったことを思い出していると、確かに苦しい局面に何度か入ったことがあった。進学する時が特にそうだ。その度に母や祖父母に相談していたが、家の様子を見る限りお金がそうあるようにも見えない。なのにも関わらず、私に好きなようにするといいと言ってくれていた。高い学費でも、進学塾に通う時も快く許可とお金を出してくれていたのだ。よくよく考えてみれば、そのお金は恐らく天色大将の『お節介』なのかもしれない。

 

「……だが、行事では辛い思いをさせてしまったかもしれないな」

 

「い、いえ……」

 

「全く。ウチの頭でっかちや艦娘共と来たら、すぐに『止めろ』『立場を考えろ』『大事になるから勘弁してくれ』と揃って言いやがる」

 

「??」

 

「何でもない。ともかく、だ」

 

 姿勢を正した天色大将は私の目を真っ直ぐ見た。

 

「君もいい年だ。自分のことは自分で決めて行動していくことになる。そんな中、困って立ち止まることは多くあるだろう。そんな時はこれまで通り、お母上やお祖父上、お祖母上を頼れ。分かっていることだと思うがな」

 

「は、はい」

 

「それでもどうしようもない時は私を頼れ。電話でもいい、直接来て門を叩いてもいい。『巡田の娘だ』と言えば話しも聞くし門を通して面会もする。相談だって受ける。ここが長い奴らは全員名前を覚えているから、今日のような面倒な検査もあまりせずに来れるはずだ」

 

 確かにあればやりすぎな程面倒な検査だった。

 

「二年前、こんなことがあった。毎年お盆や命日にお邪魔している家で問題が起きていた。家主の娘が悪い輩に不当な金を要求されているとか。丁度取り立て屋が来ていたところで、話を聞いた訪問した者が報告を挙げた」

 

「……」

 

「すぐに調査が始まったが、その界隈では有名な組織がやっていたことらしい。訪問から三日後、私の無許可で非番の兵士たちが組織のアジトに乗り込んでボスを引っ捕らえて警察に突き出したそうだ。あのアホ共、現役の兵士だぞ?」

 

「あ、あは、あはは……」

 

 わ、笑えない。

 

「憲兵でもあるから、出来ないことはないんだがな。捜査権は警察にあったんだ。そうだな……確か、君をここに連れてきた兵士もそのアホ共の一人だな」

 

「あの人が……」

 

「アレも昇進したな。副官ポジに収まってるけど、上官は固っ苦しい新人少尉だから姉さん部下? 時々敬語で怒る声が聞こえてくる」

 

 話が逸れていっている気がする。そう思っても、特に不快とは思わない。天色大将に合わされて緊張したけど、普通な人だった。母から聞かされていた、父の葬儀の時に『おじさん』って膝に抱き着いた時、苦笑いしてたっていうから性格は何となく分かってはいたけど。

 

「さっきの例は極端なものだが、俺も兵士たちも極力手を貸せる。場合や規模によっては大問題に発展する可能性もあるが、その場合は私が止めるから」

 

「ありがとうございます」

 

「いい。皆が俺を上官とかそういうもの以外で見てくれるからな。それに応えているだけだし、居心地のいい環境を作ってくれているからな」

 

「そうなんですか? 確かに、先程の話を伺っていると、他の軍隊とは全く違うイメージを抱きましたが」

 

「そうだろうさ。ここ、私の執務室で機密書類とかゴロゴロ置いてあるところなんだが、ここに案内してもらったのも理由がある」

 

「え?」

 

「他の部屋だと、巡田の娘と聞いて無遠慮で入ってくるぞ。二トントラックと一緒に帰りたくないだろう?」

 

 無遠慮で入ってくるのと、二トントラックがどんな関係があるのだろうか。

 

「ここから無闇に入ってこない……こともないか。新入り以外は勝手に入ってくる」

 

「艦隊司令の執務室なのに、ですか?」

 

「あぁ。ノックなし、予告なし、要件なしの三なしで来る」

 

 思ってたのと違う。形容し難い気分になる。すると刹那、執務室の扉が勝手に開く。

 

「坊主!! 酒ダァーーー!!」

 

「うるせぇ、杉原軍曹。あと勝手に執務室に来るなって言ってるだろうが。暁たちにまた怒られるぞ」

 

「それは勘弁願う……。ん? そちらの嬢ちゃんは?」

 

「巡田の娘、明日香さんだ。今日の予定聞いてなかったのか?」

 

「聞いてたが基本、聞き流すのが主義でな。そもそも俺の配置は正門じゃない」

 

「把握しとけ飲んだくれのヴァイキングが」

 

 溜息を吐きながら、杉原軍曹(?)を追い出した天色大将はソファーに戻ると、冷めかけたお茶を取って飲んだ。

 

「赤城」

 

「はい」

 

「今何時だ?」

 

「もうそろそろ五時といったところでしょうか?」

 

「あー、分かった。すまないが外に居る沖江曹長にも言って、食堂の間宮と腕に自身のある奴集めて飯作ってくれ」

 

「了解しました。あ、そういえば警備棟に行かれた後に漁協から連絡がありまして、『魚貰ってくれや。一杯食うやつおるだろ?』とのこと。そろそろ埠頭に漁船が二艇到着します」

 

「それを先に何故言わない……」

 

「……美味しいんですもん、お魚」

 

「受け取れないって言ってるだろうが、加賀はいつも突き返すんだが」

 

「……駄目ですか?」

 

「……分かった。分かったから、下ろしの指示は間宮に。ほらさっさと行け」

 

「はいッ!!」

 

 赤城が出ていくと、天色大将が頭を抱える。『全く。いつまで経っても治らない』と呟きながら頭を掻き、顔を上げた。

 

「みっともないところを見せたな。済まない」

 

「いいえ。……もしかして、父のいた頃からこのような?」

 

「もう少しマシだった、と思いたい。外部から人が来きても、自重しようともしないからなアイツらは」

 

 ここまで話していて、なんだか横須賀鎮守府と天色大将、艦娘について考えが変わったように思える。軍事施設でありながら、何というか空気が温かい。すごく居心地がいいと感じてしまった。まだ数時間しかいないというのに。

 

「父は……天色大将と横須賀鎮守府に配属されてよかったと思っていると思います」

 

「……どうしてだ?」

 

「こんなに賑やかで楽しいって思える場所、国中を探してもないです。ましてやそれが軍事施設だなんて」

 

「……」

 

「よく覚えていない父のことも知ることが出来ました。母からも聞くことが出来ますが、このように天色大将とお話していると、きっとこんな感じだったんだろうなー、と思えるんです。父がここで何をしていて、何を成しすために生きたのか」

 

「そうか……」

 

 しばし静寂が辺りを包む。包んでいたのだが、今度はドタドタと走る音が聞こえてきたかと思うと、執務室の扉が勢いよく開かれた。

 

「提督ーぅ!!!! 今日はパーティーって本当デスカー?!?!」

 

「提督提督!! 鈴谷も、鈴谷も手伝い行っていい??」

 

「しれー!! 武下さんがグリル出すって言ってました!!」

 

「提督、お野菜が足りないと間宮さんが」

 

「門兵さんたちがグラウンドで何かしてるわ!! 何あれ!!」

 

「雷ちゃんっ、今日は外から人が来てるのですっ!! それ関係なのです!!」

 

「天色大将!! 買い出し行ってきます!! 事務棟から全車出払いますがいいですか??」

 

「昼寝していたのに叩き起こされた。不幸だわ……」

 

「しっかりしなさい、山城。……あ、提督。本日は宴なのですか?」

 

「榛名頑張ってきます!!」

 

「あ、何を頑張るのさ、榛名ー!! あ、司令!! 私もカレー、作ってきます!!」

 

「「「「「「それは止めて!!!!」」」」」」

 

「大将ーーぉ!! 新瑞長官と総督がいらっしゃってます!! あと、見覚えのない車両が……」

 

「はいはい邪魔邪魔。報告します。先程長官と総督、陛下、騒ぎを聞いた民間人までもがいらっしゃいました。どうするの?」

 

「早く来いって赤城さんが言ってたー。提督おっそーい!!」

 

 ワラワラと執務室に人が雪崩込んできて、口々に色々と言う。そこには艦娘も兵士も関係ない。皆が訴える中、天色大将が大声で言った。

 

「お前らうるせーーーーー!!!! 重要な内容から優先だ!! ほら出た出た!!!!」

 

 全員を一度追い出した天色大将は、一息吐いて呟く。

 

「巡田や皆はこんな未来を残すために戦ったんだ。ありがとう」

 

 そう呟くと、「まぁ、いい時間だし予定も無ければ夕飯食って行ってくれ」といい廊下へ私を連れ出す。そこには人人人、人の波がある。

 

「ほら退いた退いた。話は行きながら聞く。順番に頼む」

 

 後ろ姿を見せながら歩く天色大将の背中は、世界を救った人物よりも別の何かを感じ取った。世界を救うというよりも、背中を見せて守るというような雰囲気を。




 


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一つの可能性 その3

※あくまで可能性の話です。


 

 月日は流れる。第一志望だった大学に通い始めて二年、成人式を迎えた私は晴れ着姿でパラパラと雪が降る家の前に立っていた。小中学生の頃の友人たちに再開することは楽しみだし、事前に連絡を取った人もいる。だが、今日はそれ以上に心待ちにしていることがあった。

母や祖父母も正装に着替えて記念撮影を終えると、私はゆっくり会場へと向かった。

 成人式の会場は横須賀芸術劇場。大きいホールだ。そこに周辺の成人が集まることになっていた。会場に近づくに連れて、スーツや袴、晴れ着姿の成人が増えていき、ホール前にもなると大勢が集まっていた。その中で、連絡を取っていた友人たちと再開しつつ近況報告。そんなことをしていると、同じ中学出身の子たちも集まってきて、懐かしい気持ちになれた。大学でできた友人も好きだが、昔の友人もいい。

そんな成人の中に散見されるのが軍服。既に兵士となっている人や士官学校に通っている人たちの正装は軍服なので、この会場では少し浮いてしまう。こういう式でも軍服でなければならないらしい。友人の中にも数名、軍人になった人がいる。彼ら曰く『俺たちが平和を守る』『先を歩く英雄の背中を追いたい』と言っていた。

 やがて開場となり、案内が始まる。出欠を取りつつ、広いホールの中に並んで座っていった。もうここまで来ると、学区とかほとんど関係ない状態だ。近くに高校時代の友人もいる。開場が横須賀芸術劇場だったと聞いて、少し話していたのだ。

数十分話していると、時間になったようでアナウンスが流れる。旧友に再開して熱を帯びたままの成人たちが、静まることは難しい。私は早々に会話を切り上げていたので、舞台の方に目を向けていた。そうすると、どうだろう。幕の向こう側が騒がしい。準備の再確認だろうか。

 

「只今より、横須賀市成人式を執り行います」

 

 先程まで騒がしかった成人たちが静まり返り、幕の端にいる司会に注目した。見覚えのある人に見えるが、恐らく民間放送のアナウンサーだろうか。

 

「先ず、横須賀市市長からの挨拶」

 

 幕が開き、中央に壇上が設けられている。垂れ幕で「成人おめでとう」と書かれており、後ろには花壇が設けられていた。凄まじく豪勢で華やかな造りをしている。

 市長の挨拶は滞りなく進んでいった。長いということもなく、形式的な文章に独自のアレンジを加えたものを読んでいたのだ。時間にして三分いかないくらいだ。次に地域の代表者も登壇していき、市長と同じく当たり障りのない言葉を話していく。それが何人か繰り返されるが、途中で飽きてくる成人も出てくる。あくびをする声が聞こえてきたり、ヒソヒソと話し声が聞こえてくるのだ。

 教育委員会の人からの言葉が終わった時、会場の空気が一変したのだ。私はいち早く気付いており、というよりも事前に聞いていたというべきだろうか。

壇上の上を歩く、一人の男性。年齢は私たちとそう変わらないくらいか、むしろ少し下かもしれないという出で立ち。だが、滲み出るオーラはとてもじゃないが成人程度では出せるようなものではない。壇上に着くまで、成人になった軍人たちは次々に飛び上がって敬礼をしていく。陸海空関係なく。

そして壇上に付いた男性は声を出すが、スピーカからは聞こえてこない。

 

「あーあ、あれ? マイク入ってない??」

 

 どうやらマイクの電源を教育委員会の人が切っていったらしい。電源を入れ直し、再度確認すると話し始めた。

 

「あーあ、よし。成人おめでとう……壇上からもちらほら見えるが、先ずは突っ立ってる成人は腕を下ろして着席しなさい」

 

 会場全体を見渡すと、堂々と声を出した。

 

「市長からずっと紹介があったのに、私だけないみたいだが誰か知らないか? ほら、そこの白袴の成人、どうしてだと思う?」

 

「へぁ?! 俺ですか?! え、えぇと……予定になかった、とか?」

 

「正解。君は後で私のところに来なさい。私から成人祝をやろう」

 

「あ、ありがとうございます?」

 

「では、自己紹介。私は日本皇国海軍横須賀鎮守府艦隊司令部から皆を祝うために来た、天色だ」

 

「「「「「「「「「「ええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!!!!??」」」」」」」」」」

 

「あ、あはは……」

 

※※※

 

 天色大将の登場に会場は湧く。軍人たちが気付いて敬礼したのは、恐らく軍服での登壇だったから脊髄反射だったのだろう。私たち一般の成人も気付いていた人は大多数ではあるものの、実感を持てなかったのだ。それにアナウンスもなかったというのもある。

はははと朗らかに笑う天色大将は、『悪い、祝辞はないんだ』と言いながら壇上に立ったまま話し始める。

 

「どうだろう、少し皆に聞いてみたい。正直、こういった式典に出席するのは面倒、さっさと記念品寄越せって思ってる奴は手を挙げろ」

 

 パラパラと手が挙がっていく。中には中学校時代、お調子者だった奴もいる。

 

「素直で結構。私も同じだ。面倒くさいだろ? それでも、私は事前に言われていれば祝辞は用意したんだが、副官が今朝まで黙っていやがった。起き抜けで準備してこっちに来た訳だが、ぶっちゃけ成人式の祝辞の場にいることしか分かっていない。許さないぞ大尉、一ヶ月嫌いな食べ物の刑だ馬鹿野郎」

 

 あちこちで少し笑い声が聞こえてくる。

 

「私の肩書や名前で緊張する者もいるだろうが、楽にして欲しい。基本的にはこういう人間なんだ。数え年で言えば今年で三十も過ぎているのだが、気分は皆と同じ若者だ。さて、祝辞らしいことを言わなければ後で怒られるから話そうと思う」

 

 急に空気が引き締まった。

 

「皆は先の戦争が終戦したことは記憶に残っていると思う。あれだけメディアで騒ぎ立てていたら嫌でも耳に入っただろうからな。どうだろう、日本皇国が戦争をしていたという事実の実感はあるだろうか?」

 

 その問いかけには誰も答えない。

 

「ある者もいるだろうし、ない者もいるだろう。どちらかを強制はしないが、私個人の意見としては実感を持って欲しい。君たちの目の前で確かに戦争は起きていた。深海棲艦と呼ばれる未曾有の敵を相手に、世界は滅びに貧した。人類滅亡だなんて言葉が現実として迫りきていたことだったのだ。皆の両親は体感しただろう。目の前まで人類史の崩壊が迫り来ていたことに。特に横須賀に住む皆はそうだ」

 

 これまでに感じたことのない緊張感が辺りを包む。お調子者や素行不良だった人までもが黙り、天色大将の方を見ていた。

 

「だがその危機は脱した。日本皇国は絶望に陥っても尚、抗うことを諦めなかったからだ。世界の終わりに立ち向かい、何を失うことも恐れることなく戦場を駆け回った者たちがいた。非力な人類に力を貸した者たちがいた。未来を切り開くことを諦めなかった者たちがいたからだ」

 

 脳裏にビジョンが流れていく。横須賀鎮守府に行った際に出会った人たち、艦娘の皆、天色大将、父、町中で見かける憲兵、大本営、陛下……。

 

「諦めなかったから、私たちは未来を掴むことができた。これからは君たちの時代だ。いいか? 成人したばかりの皆に言うには重すぎる話だが、皆の双肩には幾億の日本皇国国民の想いが乗っている。平和を夢見て死に逝った者、家族が安心して暮らせる祖国を守った者、愛する人がこれ以上苦しまないために戦った者、隣に立つ友人がこれからも健やかに生きていくために立ち上がった者。戦乱の時代を駆けた輩の想いと未来を皆に託す。誰も悲しまず、誰も殺されず、誰も飢えず、誰も人を殺めず……皆が笑い、腹一杯食べ、仲良くし、話し合いで解決していく国を、世界を創っていくんだ」

 

 シンと会場が静まり返る。

 

「改めて、成人おめでとう。戦中の英雄は今には必要ない。これから、君たちが戦っていく番だ。そして、兵士諸君。君たちは戦う術を持たない国民や皆を守るんだ。いいな?」

 

「「「「「はッ!!」」」」」

 

「身を盾にして死のうとは考えるな。どれだけ無様でも生きて生きて生き抜いて、最後の最後まで諦めずに守れ。君たちが死んで悲しむ者は多くいると知れ。以上、しんみりさせてしまって済まなかったな」

 

 そう言い残して、壇上から去って行った。

 

※※※

 

 天色大将の後に祝辞はなく、司会者が顔をヒクつかせていたが、何か不味かったのだろうか。すぐに成人式は終わり、自由にしてもいいと連絡があった。隣の子と話そうと思った時、最初に天色大将に当てられていた成人が会場から飛び出して行き、すぐ慌てて戻ってきたかと思うと何か叫んでいた。

 

「お、おーい!! 天色提督の成人祝、全員分あるから取りに来いって!!」

 

 そんなことを叫んでいた。私としても会場に残っているのならば、少し話したいと考えていたからいい機会だろう。

 高校生の頃の旧友と話し、同窓会云々の話題が回ってくる。小中は合同で、高校は仲良かった人たちだけで集まるようだ。とりあえず全てに出席という返事をし、最後まで一緒に残っていた付き合いの長い友人と共に会場を後にしようと出口へ向かう。

劇場から出ると、扉の前には軍用トラックが何台も止まっており、兵士が何かを渡しているようだった。恐らく、天色大将が言っていた成人祝だろう。

 

「天色提督が仰ってたのってこれ?」

 

「そうみたい」

 

「なるほど、紅白饅頭は伝統みたいだけど紅白……お酒? あぁ……」

 

「何?」

 

「これ、毎年配られてるらしいんだけど、そっか、天色提督が……」

 

「そうなんだ」

 

「うん。お兄ちゃんの成人の時、持って帰ってきてたからなんだろうって思ったら『天色提督が『飲酒解禁だろ? これ飲んで、酒がどういうものか味わえ』って、日本中の成人式会場で配ってるらしい』って言ってたから」

 

「な、なるほど……」

 

 紙袋に入れられた酒瓶を配っているのは天色大将と、その他兵士な訳だ。これは、他の兵士や艦娘の皆さんから反対はなかったのだろうか。そんなことを考えながら、出遅れた私たちは終わりがけに列へと並んだ。

 着々と列が進んでいき、私の番になった。どうやら私に渡してくれるのは天色大将らしい。

 

「成人おめでとう」

 

「ありがとうございます」

 

「いつぞや振りだな。晴れ着姿、似合ってるぞ」

 

「あ、ありがとうございます。お久しぶりです」

 

「ははは、会場で諦め顔していたのが見えた。他のは驚愕というか呆然としていたのに、アレか? 二年前にウチに来た時のことでも思い出していたか?」

 

「はい。あの時ので天色大将のことも、兵士の皆さんのことも艦娘の皆さんのこともよく分かりましたから。それで、今回は反対されたなかったんですか?」

 

「特にない。毎年やってるから反対もクソもないだろ。それに、艦娘も護衛として付いてきている。そこらへんに金剛とか居るぞ」

 

「へ?」

 

 辺りを見渡しても成人ばかりだし、それ以外だとしても係の人や兵士しか見当たらない。

 

「あー、金剛は髪下ろしてるから分からないかもな。他にも鈴谷とかいるから、鈴谷なら分かるだろ? 今日くらいなら自分の髪色でも目立たないって言って、晴れ着姿で居るはずだが?」

 

「き、気付かなかったです」

 

「そりゃそうだろ。目立つ容姿しているが、長いこと変装していると慣れるらしい。そこの兵士、大井だしな」

 

「うっそ……」

 

 そんな話をしていると、天色大将に大井だと言われた兵士が近づいてきた。武装はしているが、小銃は肩から掛けているからそこまで怖くはない。町中で遭遇する憲兵と一緒だ。

 

「お久しぶりです、明日香さん。成人おめでとうございます」

 

「お久しぶりです、大井さん。ありがとうございます」

 

「はぁー……変装の件ですが、提督の仰っている通りです。外に出歩く際は私たちが基本的には護衛に付き、門兵の皆さんや派遣された特殊部隊が付くこともあります。ですが、基本的には私たちが変装するんですよ。場所によっては私たちでなければならないところもありますし、緊急を要するところへ行くこともありますから」

 

「そうなんですね」

 

「ったく、明日香さんの通っていた高校の卒業式、大学の入学式。他にも結婚式だ、創立何年記念式典だと事ある毎に出席したがりますから、私たちとしても止めるのが大変なんですよ。成人式は元々横須賀市長の正式な要請ですから断らないですが、他の式典は別です」

 

「……皆混乱するので」

 

「そうですよね? 鎮守府にいた兵士の遺族だからとかなんとかって」

 

「苦労されてますね」

 

「慣れてます。提督を振り回すのも、振り回されるのも。私たちは横須賀鎮守府艦隊司令部の艦娘ですから」

 

 そう言って「では、失礼します」と言って大井は離れていった。

 

「ああ言っていたが、今回の護衛に立候補した奴らが模擬戦したんだが、大井の奴、演習海域で大暴れしたんだぞ」

 

「立候補して模擬戦ということは、勝ち残った人が護衛に?」

 

「そうだ。番犬艦隊も解体したから毎回似たようなことをして争ってる。別に手空きの奴が来ればいいだろうに」

 

 この人は本気で言っているのだろうか。二年前、一日だけいたが横須賀鎮守府の人たちのことは十分分かった。皆、天色大将のことを大切に思っていて空回りしながら尽くしてくれているということを。

 

「……友人を待たせているみたいだな」

 

「あ、」

 

「また機会があれば、いつでも待ってるからな」

 

「はい」

 

 天色大将はそう言って、片付けに入った。周りを見ていると、並び始めたのが最後の方だったのだが、結構帰ってしまったようだ。残っているのは、私の顔馴染みばかり。何か言いたげな雰囲気で私の方を見ている。

再度天色大将に礼を言い、待たせている友人のところへと戻った。

 

「なになに、明日香ってば知り合いだったの?」

 

「う、うん」

 

「詳しく聞かせてよー。確かにこの場に来ていることは想定済みだったけど、これは想定外というか尋問が必要よ? そうよね、みんな!!」

 

「そうだな」「知りたい!」

 

 友人の声に皆が賛同する。だが、知り合ったキッカケなんてどう説明すればいいのやら。確かに機密解除されているとはいえ、あまり人に話す内容でもない。

誤魔化しながら私は成人式を後にする。

 

※※※

 

 私は再び岐路に立たされた。大学入学からこの時が来ることを直視し、準備を重ねてきた。周囲の友人たちはあまりそうでもなかったが、私はこれで良いんだと強い意志を持ちながら歩み続けた。大学生だ。遊びもしたが、やはり私は掲げた目標に向かって走ることを辞めなかった。

目標が出来たのは成人式の時だ。一年と少しは、そういう道もありかと考える程度だったが、それからは真剣に向き合ったのだ。走り抜けたのだ。だから私は目標を見失うことはなかった。

 そして、辿り着いた先にはまだまだ試練が待ち構えている。

 

「……」

 

 唾を飲み、門を見上げる。私は目指すのだ。

 

「何をもたもたしているッ!! 貴様らは郵送で送られた辞令を受け取った時点で人のため、家族のために生命を守ると誓った軍人だ!! 日本皇国のためだけだと考えるな!! 貴様らは命令が下れば何処へでも駆けつけなければならない!! それがたとえ日本皇国のためだけではなく、他国でも同じ!! 言葉が通じなくとも、日本民族でなくとも、我々が日本皇国軍、我々が日本皇国軍軍人であると示さなければならない!!」

 

 ドキリと心臓が跳ね上がり、カバンを背負い直すと走り始める。

 グラウンドを目指して走り続けても、道中怒声を挙げる人が絶えることはない。

 

「貴様らの背中を見て後ろに立つ者が安心することができる!! 背中丸めてると爆撃機の爆弾倉に吊り下げて太平洋に捨てるぞ新兵!! そんな背中だと後ろの者は安心できないぞ!!」

 

 息を切らしながらグラウンドに並ぶ。息を整える頃には集合が終わったようで、前後左右の感覚を確認しながら静かに待機する。

 

「総員、敬礼!!」

 

 不慣れな敬礼をし、号令が掛かると腕を下ろした。

 

「これより、第三期海軍士官学校入校式を執り行う」

 

 そう。私は成人式の時に決めたのだ。私は軍人になる、と。戦いはもうないことは分かっている。だが、誰かがやらなければならないことなのだ。父のような人が幾万と命を落としながら、やっと手に入れたこの平和を、私たちが守っていかなければならないと。

天色大将が教えてくれたことを胸に秘めながら、私は共に守っていこうと。人を、国を、世界を。

 

「では学校長、よろしくお願いします」

 

「あぁ」

 

 私にどんな適性があるか分からない。だが、何があったとしてもやっていけるように勉強もしてきた。必要な体力や筋力も付けてきた。母や祖父母にも気持ちを伝え、後腐れなく門出を迎えることができた。

周りには同じ考えを持っているとは限らない同志たちがいるが、そんなことはどうでもいい。私のしたいように、私がしなければならないと考えることをしていくのみ。結果は後から付いてくる。人は知らない。もし私だけならそれでもいい。ただ前を向いて突き進むだけだ。

 

「グラウンドに出てくるまでの道中、教官らから散々に罵声を浴びせられただろう。だが、教官らの言っていることは正しい。罵声ではあるが正論だ。心に留めて、これからの心身鍛錬に精を出し、一人前の士官として卒業してもらいたい」

 

 桜舞い散るこの季節。

 

「幾億と積み重ねた輩へ報いるため、我らは世界を守らねばならんのだ。貴様らに無様であろうと生き抜き、より多くの命を救わねばならんのだ。精根尽き果てようとも、立ち続けなければならない。貴様らにその覚悟はあるか。覚悟があるのならば行動で示せ!! 小銃、大砲、銃剣、スコップ、ペン、石ころ、木の棒、なんであろうとその手に持て!! 貴様らの一挙手一投足が背中に守る人を助ける!! 隣に立つ戦友を生き長らえさせる!! 各々が同じモノを守ると言うのなら、個々の力が集まり大きくなる!!」

 

 私は軍人になった。

 

「貴様らは軍人になったッ!! その躰、その生命尽きるまで背中に守る人々を守り抜いてみせよッ!! 我々がしなくてはならないことは人を殺すことではないッ!! 人を助け、人を守り、人を生かさねばならぬッ!! 荒廃したこの世界を蘇らすためにッ!! 未来のために散った幾億の犠牲のためにッ!! 総員、敬礼ッ!!!!」

 

※※※

 

 海軍士官学校を卒業した私は候補生研修にて海軍舞鶴基地へ出向。舞鶴即応部隊で内勤を経験後、横須賀基地に転属。横須賀基地所属超長距離特務偵察任務部隊に配属。遠方国家に対する情報偵察活動や政府により齎される残存深海棲艦目撃情報を精査し、各地に各海域に点在する日本皇国海軍部隊に対応命令を下す際に必要な情報収集を行う。その後、情報部隊経験者並びに軍務態度や検査・審査の結果、転属が大本営から直接下され、横須賀鎮守府へと出向することになった。

同僚や嘗ての同期たちは『大出世!! しかもエリートコース安牌!!』と散々言われた挙げ句、大学時代の友人にも知れ渡ってしまう。母や祖父母にも伝えると、呆然と私の顔を見つめた後、優しく私の手を握ってくれた。祖父は少し複雑そうな表情をしていたが、特に何か言うこともなく黙っているだけだった。

 横須賀鎮守府出向には何かある、と大本営に出頭した際に聞かされた。その『何』が分からないが、ともかく行かなくてはならないことに変わりはない。

着慣れた軍服と官給品、最低限の荷物を持って鎮守府の門を潜る。自由に出入りすることはできないのだが、門兵に書類を出して入るだけだから時間が掛かることもない。

 

「中尉は慣れてますね」

 

「何が?」

 

「いや、こちらにいらっしゃる軍人は皆、どの階級であっても正門前でウロウロしてから決心して入ってきますから。佐官でもそうなんです」

 

「よく分からないな。身構えることもないだろう」

 

「そうですよね。……はい、確認が取れました。巡田 明日香中尉、ようこそ横須賀鎮守府へ」

 

「ご苦労」

 

 私は二十七になっていた。それも当然だ。二十二で士官学校へ進み、二年在学後、候補生として舞鶴に一年出向。横須賀基地に転属し、二年間実務に着いていた。もうそろそろ二十八ということもあり、なんとなく同僚や後輩が結婚していくのを見ると「何だかなぁ」となる。

 私の年齢のことは置いておいて、横須賀鎮守府に来るのも久しぶりだった。最後に来たのは士官学校に進むことを決意した二十の時だが、それ以来来ていない。

中を見渡すと、特段変わった様子はない。門兵の雰囲気も景色も、あの時のままな気がする。所属する兵士も、戦時下に配属されていた半数以上が定年や転属になっているみたいだが、記憶に強く焼き付いている空気は何一つとして変わっていなかった。

 

「巡田中尉、入ります」

 

「入れ」

 

「失礼します」

 

 訪れたのは警備棟。普通は警務部隊と呼ばれる、基地内で発生した犯罪や規律違反を取り締まる部隊だが、ここでは『警備』と呼ばれている。

警備棟の警備部部長に着任の挨拶に来ているのだ。

 

「巡田 明日香中尉。辞令により本日0900より横須賀鎮守府艦隊司令部警備部に転属します」

 

「確認した。休んでいい」

 

「はッ」

 

「巡田中尉には始め、一般警備部隊を受け持ってもらう。三ヶ月程経験を積んだ後、情報工作班へ移ってもらう」

 

「はッ。三ヶ月一般警備部隊を受け持った後、情報工作班に移ります」

 

「よろしい」

 

 警備部部長は変わらず武下大佐が受け持っているようだ。以前来た時は中佐だったが、昇進されていたようだ。急に雰囲気が変わったが、どうやら軍務と関係のない話に切り替えるようだ。

 

「……元気にしているようで何より」

 

「はい。特に体調も崩すことなく」

 

「活躍は聞いている。昨年、北海で発生した深海棲艦残党による無差別攻撃、君が掴んで知らせてくれたそうだな」

 

「はい。端島鎮守府からワイト島に向かった艦隊に同乗しておりまして、ワイト島からリヴァプールへ行った際に街の噂で聞きました。裏を取るためにイギリス空軍に要請し、イギリス政府からドイツ政府、ドイツ空軍へと。偵察結果もドイツ空軍から直接受け取ったため、本国に緊急連絡を入れました」

 

「ワイト島に向かった艦隊は確か……水雷戦隊だったか?」

 

「長良、長月、菊月、若葉です。北海の深海棲艦は航空母艦も含まれていましたから、彼女たちには偵察だけ頼んでいました」

 

「なるほどな」

 

 一呼吸置いた武下大佐は『この後、君の部隊が一階ロビーに集合する。小規模部隊長の経験は士官学校時代に積んでいるのであろう?』と言い、まだ軍服(と言っても制服の方)にBDU用のワッペン等々を渡してきた。

 

「では、よろしく頼む」

 

「了解しました」

 

 部長室を出た私はそのまま一階ロビーへと向かう。既にBDUを着て武装した兵士が集まっており、総勢四十人程度。軽く挨拶を交わし、副官に着いた曹長とも数言交わす。軍人になって十六年、横須賀鎮守府配属になって十年のベテランだ。よくある話ではあるのだが、新米小隊長にはベテラン副官が着く。例外はほとんどなく、基本的に小隊長は副官に教わりながら成長していくものだ。

 挨拶も終え、早速軍務があると思ったのだが、どうやら今日は既に終わっているらしい。どうも深夜から早朝に掛けての番だったらしく、これから休みに入るという。ローテーションで回っているらしく、今度の軍務は明日の早朝から昼までらしい。それまでは自由時間ということなので、寮に荷物を置きに行く。少尉で女性ということもあり、二人部屋が用意されていた。それぞれの基地で階級や性別毎に部屋割りが決められているみたいだ。同室の者はいないらしく、また、この時期に異動してきた人は私しかいないようだ。しばらくは私の一人部屋になるだろう。

 

※※※

 

 部屋で仮眠を取った後、夕食兼歓迎会を開いてもらった。鎮守府内で使用していない詰所等の施設を改装した居酒屋に呼ばれた。他の基地にも居酒屋のような施設は基地内に存在していたが、こじんまりとしていることがほとんど。出てくる酒もノンアルコールのビールまたはビールだけだった。だが、ここはどうも違う。様々な酒が振る舞われており、しかも支払いは給料天引きという。つまみも料理ができる酒を飲んでいない兵が作るようだ。

 酒を程々に飲み、泥酔状態になる前に全員が切り上げて寮へとフラフラ戻っていると人に出くわす。時間帯的に消灯時間であり、出歩いているのは警備巡回の兵くらいだ。近付いてくる人影に少し警戒するものの、姿が分かると自然と警戒を解いていた。

 

「巡田中尉か」

 

「天色大将、お疲れ様です」

 

「お疲れ。なんだ、歓迎会の帰りか?」

 

「そうです。上官部下関係なく、あの席ではしこたま飲まされるんですね。ちゃんとセーブしていないとハメを外した部下の制御もできませんから」

 

 説明は受けていたが、やはり横須賀鎮守府は軍に所属していながらもおかしい点がいくつも存在している。須賀鎮守府艦隊司令部が日本皇国に対する治外法権を持っている

ことからも想像に容易い。横須賀鎮守府に出向する日本皇国軍人は基本的に軍内部の異動であるために転属扱いになるはずなのだが、ここに来る場合は出向という形になってしまう。組織外への異動ということになる。そのため、日本皇国軍である以前に『横須賀鎮守府艦隊司令部警備部』という組織の人員としてカウントされてしまう。給料も国から得ているが、形式的には横須賀鎮守府から支払われていることになっている。そのため、様々なことに融通が利く。前借りや金にまつわることは基本的に緩い。全て天色大将の承認で処理されるためである。歓迎会や送別会、部隊での行事等も申請すれば全額出るくらいだ。そんな軍事施設世界中探してもないと言われている。

横須賀鎮守府の特権等、できないことを数える方が早いとも言われている。全てが天色大将の裁量で判断されるため、宣言次第では国家としての独立も可能であるという。これ以上考えると、私の脳みそがショートしそうなために止めておこう。

 ともかく、自分たちへの金銭的負担が全く無いために、行事での席は基本的に皆泥酔する程飲み食いするのだ。普段なら尻を蹴り上げられて怒られるのだが、鎮守府ではそうもならない。怒るのが部隊長くらいのため、セーブが部隊長の仕事になってしまっているのだ。

 

「上手い具合に小隊を管理してくれよ。では、私は私室に戻る」

 

「はい。おやすみなさい」

 

 それだけの言葉を交わし、私は天色大将に敬礼をする。勤務時間外ではあるのだが、この辺りの礼儀はしっかりしておかなければならないから。

見送った後、私は与えられた寮室に戻って身支度を整えて眠りにつくのだった。明日から始まる新生活に希望と不安を抱えながら。

 



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一つの可能性 その4

※あくまで可能性の話です。


 

 年月は流れ、私もいい加減いい歳になった。長年警備部部長を務めた後に定年退職した武下大佐が老衰で亡くなり、戦時下を駆け抜けた兵士の殆どが武下大佐の後を追うように定年退職と老衰や病気によって亡くなっていった。そんな中、私は軍内部でも異例の大出世を果たしたらしい。

らしいというのも、私自身自覚がないからだ。元々、責任のある仕事を背負って生きてきた身としては、あまり変わることのない事柄だったのだ。横須賀鎮守府艦隊司令部警備部に配属された私は小隊長を経験した後、情報班に配属。数年の経験を積んだ。その後、武下大佐が退職されたので元の小隊に戻されるのかと思いきや中隊長に抜擢。大尉に昇進。この時28歳。

大尉になったかと思いきや、部長になった。少佐に昇進。警備部の規模で部長が少佐であることが問題視されて、一週間後に中佐になった。その後行われた観閲式で横須賀鎮守府艦隊司令部警備部として恥じない警備能力や練兵力が評価されて大佐になってしまった。そう、私は短期間の間に大佐になってしまったのだ。一般のエリート士官コースには居た気がするのだが、いつの間にやら私は佐官になってしまっていたのだ。これには同僚も唖然。母に至っては目が点になり、まだまだ元気な祖父母はフリーズしてしまった程。

 そんな出世街道を皆が徒歩で移動する中、戦車で爆走した私は警備部部長室で執務をしていた。

処理するべく書類そこそこあり、下から挙がって来る報告書、周辺住民の要請、大本営に提出する書類、本部棟に提出するものもある。普通に毎日熟していれば、そこまで苦痛になることのない仕事量だ。面倒な手続きがほとんどない書類ばかりしかない、スリムなやり取りしか行っていないからだろう。普通に軍事施設でこれくらいの階級になると、もう少し面倒な手続きがあるのかも知れないが、生憎そういった話をすることもなかったために知らない。

 

「執務はここまでにして、今日は何をしようかしら」

 

 そんな独り言を呟く。というのも、警備部部長執務室には私以外は誰もいない。基本的に私しか使わない部屋で、時々部下が出入りする程度だ。本部棟の執務室程物を揃えている訳でも、人が出入りすることもないためだ。専ら私の王国(キングダム)だ。私物を置いても良いことにはなっているので、あちこちに物を置いてしまっているが問題もないだろう。

 読みかけの本を手に取った瞬間、扉を叩く音がした。来客のようだ。

本を元に戻して返事をすると、見慣れた顔が執務室に入ってくる。

 

「今日の執務は終わったか?」

 

「はい。終わっています」

 

 天色提督が珍しく、私の執務室を訪れていた。用向きがあると、基本的に誰かを伝令に自身の執務室に呼び出す人なのだが、こうして私のところに出向いたとなると、わざわざそうせざるを得ない状況になってしまっているということだろうか。少し身構えていると、天色提督は気怠げに机まで近付いてきて書類を机上においた。

 

「これは……?」

 

「日本皇国政府を経由して、新国連総会への招致命令だ」

 

「……」

 

 面倒なものを持ってきたものだと考えてしまう。深海棲艦との戦争後、生き残った人類は機能しなくなった国際連合を再結成しようと動き出したのだ。発案はアメリカ合衆国、参加国はそれほど多くもない。基本的に参加国が一票を所持しており全会一致でなければ方針を決めることが出来ないのだが、戦中・戦後の影響から日本皇国の決定が主軸となってしまうことが多くある組織でもある。本部は松代。旧日本皇国軍第二司令部が置かれていた場所だ。戦後すぐに松代から広島へと移されたため、その場所を放棄したものを再利用しているだけなのだ。

 

「内容は……」

 

「仰らなくても分かります。地球上、最も戦力を有している日本皇国軍でも独立した指揮権等を保有しており、国内でも治外法権区域や国外に基地を保有する横須賀鎮守府艦隊司令部に対し、戦力分配若しくは艦娘分散・司令官の処遇再検討……ですよね?」

 

 黙って天色提督は頷いた。

 

「何年も議論している内容じゃないですか。それに日本皇国内の問題でもあり、土地を貸している国との外交になりますよ? 国連は何も関係ないじゃないですか。しかも、天色提督に関しては日本皇国国籍日本皇国海軍の軍人ですから、日本皇国以外の国から指図を受ける謂われはないはずです」

 

「それは新国連が設立した時、最初の国連総会の議題に挙がっている。この件に関しては、元々当事者である日本皇国が独自で解決することで決着が着いた案件だったんだがなぁ……」

 

「というと、今回それを蒸し返されたと?」

 

「その通りだ。終戦から十年も経つと、経済力のあった国は元々あった地盤を用いて復興を行っている。アメリカ合衆国がいい例だ。あの国は国内に豊富な資源を有し、人材も潤沢だ。全国民が総力を上げれば戦前以上に国力を持つことができるはずだ。現にそれは実現しようとしている。新ソ連も同じだな。次に欧州各国。人種や言語、思想で対立を繰り返してきたところではあるが、歴史がある。国の盛衰の経験値ならあの国に勝るところはないだろう。アジア圏は未知数だ。中国は指導者次第、東南アジアは先に復興を進めていた影響で力を付けている」

 

「その中から考えられる、と」

 

「断言はしないが、こういったことのツッコミを入れるということは、それほどまでに自国内に向けるべき目を外に向ける余裕があるということだ。ともなれば、復興が進んでいる国でしかない。新国連に加盟している国でも、おんぶにだっこ状態じゃない国ならば国外の情報を新国連から得ることも可能だからな。何も知らない状態からならば、国連総会事態が情報の宝庫と成り得る」

 

「……それで、この話を持ってきたということは」

 

「察しがよくて助かる。出席時の護衛を頼む。各国要人も護衛を連れているだろうが、問題ないだろう。今回の特別招致されているのは俺だけだから、日本皇国の護衛と区別されていることを知らしめる必要もあるからな」

 

「了解しました」

 

 それだけを伝えると「お疲れ様。日程は後ほど伝える。それまでの間に編成と必要な装備を纏めておいてくれ」とだけ言って執務室を出て行ってしまった。

私は急遽与えられた仕事を熟すため、再び真面目に机へと向かうのだった。

 

※※※

 

 日本皇国は松代。現在、最も安全な国として知られている日本皇国は長野県に位置する都市。新国連の本部が置かれたことにより、各国大使館も東京と共に分館として置かれることも最近は増えてきた。現在ではアメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、新ソ連、フィリピン、インドネシアが置いている状況だ。

ここでは本日から数日間の日程で新国連総会が開かれようとしていた。私は軍務で松代を訪れている。

 

「各員、装備のチェック。叩き込んだ会場の構造を思い出しながら聞け。各国要人の護衛に関しても名前まではいい、顔だけでも覚えろ。要人・護衛以外の不審人物を発見次第、速やかに憲兵に連絡する。通信兵は会場警備を担当している憲兵隊との連携を密に」

 

 私は普段の軍服を着ているものの、それ以外は全員BDUを着用している。装備も一般的な日本皇国軍の兵士がする装備ではない、特殊なものも持ち合わせている。

三十人この場にいるが、要人護衛としての数の平均がどれくらいか分からないが、これくらいなら安心できるという数を連れてきている。護衛対象は「そんな多くなくてもいいぞ。五人でも多いと思うことがあるくらいだ」と仰るような人だが、私はそうは思わない。重要性を鑑みれば陛下と同程度の護衛は必要だろう。

 総会に出席する政治家が私たちの方に変な目線を向けていたことを思い出す。日本皇国海軍横須賀鎮守府艦隊司令部警備部といえば、国内外問わず存在の認められいる部隊の中でも精強だと言われている。募集は陸海空三軍から受け付けているという特殊具合ではあるが、募集人員も多くまた勇猛な人材はほぼ全て警備部に志願すると言われている。国内でも"横須賀鎮守府"という存在はかなり扱いが難しいものでもあるが、そういった面が"兵士"としても出てきている。

 

「天色提督から連絡があり、現在、同行している外務省一平外務官と共に向かっているとのこと。会場入りは五分後です」

 

「分かった。全員注目。今回の護衛任務は単純だ。指定区域内を移動する護衛対象について回る。先鋒・本隊・殿に別れ、危険物・人物の確認、近接護衛、後続の監視を行う。これより薬室への弾丸装填を許可、安全装置を掛ける」

 

 全員が私の言ったことに従い、準備を始める。

 

「各員事前通達した班に別れて任務を開始する。本隊は私に着いてこい」

 

 程なくして聞き慣れた声が近付いてきた。どうやら同行人の一平と話しながら来ているようだ。

 

「最近沖でしか捕れない海産物が美味しくて美味しくて」

 

「漁協の活動も活発になりましたからね。数年前は海洋学の研究材料にされているものも多く、卸される数は少なかったです。安全と判断された食材の殆どは皇室や高級料亭に行っていたとか」

 

「はい。この頃は少し値は張りますが手に入りやすくなりましたよ」

 

「沢釣りは前々から嗜む人が多いと聞きますが、海釣りも流行りそうですね。岸壁付近でも美味しい魚は釣れるみたいですよ」

 

「それは今度釣り道具を買わねばなりませんな」

 

「買っても釣ってる暇あるんですかね?」

 

「ないですわ、ははは!!」

 

 天色提督と一平が見えると、私たちは敬礼をする。天色提督は答礼をして腕を下ろしたため、私たちも腕を下ろした。

 

「首尾は」

 

「総員準備完了」

 

「よし。では頼む」

 

「了解」

 

 私は指図して部隊を動かす。先鋒と殿にそれぞれの配置に着くように命令を下し、私を含む本隊は天色提督に合流をした。鎮守府から護衛として着いてきている艦娘の皆にも目配せをし、金剛さんに合図を送る。

金剛さんは擬装をしまっているが、いつでも出せる状態にあるらしい。問題ないということなので、そのまま私たちは天色提督の後を歩いて行った。

 程なくして目的地に到着する。一平と別れると、係に案内されるがままある部屋の前に到着した。そこは新国連総会の行われている会場だ。天色提督は最初から出席するのではなく、決められた時間に会議室に入っていくことになっているのだ。既に先に先鋒が入室しているようで、室内から少し声が漏れて出ていた。

それもそうだ。いきなり日本皇国軍が入ってきたら驚くというものだ。

 

「入るぞ」

 

 そう全員に言って、天色提督は気にすることなく扉を開いて入っていく。

中には国際色豊かに人々が集合しており、それぞれの人の前には自身の国の名前が入ったプレートと国旗を置いている。すぐに誰が何処の国の人間なのか分かる。人物名もその隣にあり、英語で書かれているので簡単に読むことが出来た。

 席の間にある通路を堂々と歩いて行き、先に展開している先鋒隊が囲んでいた壇上の前に立った天色提督を確認する。私は本隊に散開してもらい、殿には退路の確保を行ったのを確認した。

壇上の近くだからこそよく見える。集まっている各国要人の目が私たちに向いていることを。室内に自国の軍隊を連れ込んでいる国はないのだ。それにも関わらず、天色提督は連れ込んでいる。その事実に対して反応しているのだ。

 

「私は日本皇国海軍横須賀鎮守府艦隊司令部 司令 天色海軍大将。新国連総会の席に呼び寄せたのは何処の誰でしたかな?」(※ここからは英語で話されています)

 

「白々しい。私だ。新ソビエト社会主義共和国連邦 総書記 アレクサンドル・ミハエル・ドグワツキーだ。君が呼び出されたのは他でもない」

 

 恰幅のいいハゲ頭に白いあごひげを蓄えた男はそう答える。

 

「現在、世界のパワーバランスは大きく偏っている。率直に言おう。君が指揮する艦隊が地球上のありとあらゆる軍隊に秀でており、また、融通の効かない私兵と化している。その娘共は君の命令しか聞かないのだろう? それに、君の命令次第では世界を滅ぼすのも厭わないとか」

 

「……」

 

「そこで提案だ。日本皇国海軍自体も"艦娘"という戦力を保有しているものの、君程練度も戦闘経験もないひよっ子だ。彼女たちに今後を任せ、横須賀鎮守府艦隊司令部は解散したまえ」

 

 肌にビリビリと電撃が走ったように感じだ。その元は言わずもがな、金剛さんたちの方からだ。見るからに機嫌が悪くなっているのが分かる程だ。だが、それに気付いているのはごく少数にも思える。要人たちは全くなようで、護衛として来ている本隊の兵士も顔が強張っているくらいだ。

 

「原隊は日本皇国海軍横須賀鎮守府艦隊司令部になっているだろうが、現在は新国際連合統合特殊任務派遣軍団横須賀鎮守府艦隊司令部だ。この議題は日本皇国の国権に関わることなく、国際的に公平な決を取るべき案件だ」

 

 そう。横須賀鎮守府は終戦後、世界各地にその姿を現すであろう深海棲艦残党を殲滅するべく、新国際連合設立と同時に設置された新国連機関"統合特殊任務派遣軍(平和維持軍)"に組み込まれていた。その際、日本皇国軍の指揮下から外れた横須賀鎮守府は独自の判断で海を渡り歩いていたのだ。

その点を逆手に取られ、解散を迫られているのが今の現状だ。だが、総書記は大きな勘違いをしている。日本皇国の国情に疎いことは有り得ないが、軍内部や皇室や政府との取り決め、横須賀鎮守府という存在の特殊さを全く理解していないのだ。現に、その特殊さを理解している東南アジア各国やアメリカ合衆国大統領は苦虫を噛み潰したような表情で頭を抱えている。

 

「即刻隷下の部隊を解散し、必要とされる海域に分散したまえ。まだ北極周辺には深海棲艦残党もおるからなぁ」

 

 放漫だ。その一言に尽きる。何がしたいのかもおおよそ検討が付いた。

 新ソ連が戦後世界秩序を見据えて行動していることは、横須賀鎮守府に出向する以前に情報として掴んでいた。潜入した際にたまたま耳にしてしまったことだった。党幹部の会話で「深海棲艦が駆逐された世界、君臨するのは極東の島国などではなく我々だ」というようなことを聞いた。その幹部がかなり上位に位置し、現総書記の腹心であったことを加味して皇国に報告したのだ。

 私のもたらした情報は日本皇国の対新ソ戦略に基盤を形成することに多いに貢献したようで、アメリカと共に強硬姿勢を取ることが決められていた。このことを聞いた天色提督が「レイセンかよ」と呟いていたが、どのような意味だったのだろうか。時々その言葉を天色提督の口から発せられることが多く、それに対する対策を独自で行っていることも知っているのだが……私にはどういう意味だったのかは欠片も分からなかった。

 

「それは承服しかねますね。確かに私は新国際連合統合特殊任務派遣軍団 通称、平和維持軍になりました。ですが、日本皇国海軍から出向しているということと、我々の軍備・物資・人員の全てが日本皇国内から供与されていることをお忘れなきよう」

 

「出向とはいえ、軍籍からは一時的に消され、国境に縛られない地位にいる。新国際連合の一組織としてな。ならば聞くしかあるまい」

 

「だとしても聞くことは出来ませんね。我々は独立した指揮系統を有しています。たとえ新国際連合の組織であったとしても、我々の意向は我々が決め、我々が良し悪しを判断し、我々にのみ我々の善悪を判断します。新ソ連一国の意向等聞くに及ばず、その他にも賛同する国家があったとして、貴方方に彼女たちを制御できるのか甚だ疑問でしかありませんね」

 

「なに……」

 

「では、試しに総書記。ここに護衛として連れてきている艦娘がおります。彼女は金剛と申します。彼女に命令を下してみてもらえますか? 彼女に『現時刻を以て任務を終了とする。これより日本皇国海軍横須賀鎮守府艦隊司令部から一時的に除籍となる。以降、金剛自身が判断し行動すること。私の命令も金剛が判断しなさい』と伝えます」

 

 そう言った天色提督は金剛さんに日本語で同じことを伝える。だが、金剛さんは心底嫌そうな表情をした。

 

「コンゴウ、艤装を装備せよ」

 

「……チッ」

 

「くっ……?! 何故だ?!」

 

「ウォッカと葉巻、キビヤック臭くてかなわないですね。アザラシの皮を代用したそのクソ袋に海鳥でも蓄えて葉巻フレーバーのウォッカにでも漬けてるんですか? 趣味が悪いです」

 

「なにッ?!」

 

 ドグワツキーが顔を歪める。だが、すぐに表情を戻して、無理矢理平静を装って続けた。

 

「ならば横須賀鎮守府から新ソ連海軍 ペトロパブロフスク・カムチャツキー基地へ出向し、アラスカ・北極周辺の深海棲艦残党撃滅の任を受けたまえ」

 

「断ります」

 

「……理由は」

 

「新ソ連海軍 ペトロパブロフスク・カムチャツキー基地は設備が不十分です。私を運用できるだけの規模ではありません。それに私自身への衣食住の提供があったとしても、艤装を運用するための燃料・弾薬・資材その他物資がありません。自国で生産されている砲弾や燃料、物資で事足りると考えているでしょうが、それは無理な話です。ガソリンエンジンにディーゼルやハイオク燃料を入れているのと同じことです。それに、もし仮に私が出向して深海棲艦残党撃滅作戦を実行したとして、戦力が私単艦ではできることに限度があります。ならば新ソ連海軍でカバーしようとすると、新ソ連海軍が保有する全作戦参加艦隊を投入したところで、せいぜい四分の一が帰還できればいいところでしょう。本来、他の艦娘と艦隊を組んで連携を取っているところを、通常艦艇が埋めるのですから、それ相応の被害は覚悟して欲しいです。偵察・艦隊戦・航空戦では通常兵器が全く歯が立たないことは、数十年も昔に身を以て体験しているはずです。何せ、深海棲艦から解放された貴方方の国で運用されていた戦闘機が大戦期のものでしたからね」

 

 捲し立てるように金剛は口撃を繰り出す。攻撃ではあるのだが、その内容は事実を並べているだけのこと。事前に調査していれば分かることでもあり、この場にいる新国連参加国の要人たちも分かっていることだった。

 一方でドグワツキーは負けじと反論を繰り出した。

 

「ならば日本皇国から今まで通り供与を受けるがいい。我々から原料となる物資を輸送すればいい。基地設備が不十分であるというのなら、早急に手を打とう。本格的な軍港化を進める。それに我々新ソ連軍は世界秩序のためならば皆、喜んで命を差し出そう。艦艇でも航空機でもある限り使ってみせる」

 

「だとしてもお断りします。新ソ連軍に私たちを運用するノウハウはまるでない」

 

 バッサリと金剛に切り捨てられたドグワツキーは、黙り込んでしまった。金剛はアイコンタクトで「もう反論はないデース」と言ってきた(と思う)ので、俺はドグワツキーに話しかける。

 

「彼女は軍・横須賀鎮守府をなしにしたとしても、新ソ連軍に出向することを選ばなかったですね」

 

「煩い」

 

「解散命令を下したとしても、彼女たちは他の鎮守府・基地・泊地へ転属することはないです。何故なら彼女たちは」

 

「煩いと言っているッ!!」

 

 ドグワツキーが額に青筋を立てて机を叩いた。会議室は静まり返り、ビリビリとした空気が辺りを支配する。

 

「深海棲艦の出現から終戦に至る間に、世界のバランスは崩れた。極東の小国だった日本皇国が、欧州の列強各国や祖国よりも力を持つ等笑止。未開の劣等民族共が深海棲艦と戦い抜いて、挙げ句、"艦娘"という協力者を得て戦勝の立役者となったからと図に乗るな……ッ!! 所詮、力を借りていただけではないか。我々の元に現れたのなら、世界は我々の物だった筈だ!!」

 

「それこそ笑止」

 

「このヤポーシキが……ッ?!」

 

「なんとでも仰ってもらって結構。ご存知かと思いますが、横須賀鎮守府は基本的には日本皇国海軍・大本営・陛下からの命令または私の独断、平和維持軍の活動として行動します。ただし、命令が下されたとしても、私が受理しなければ履行されませんし、命令がなかったとしても私は独断で行動を起こします。所属する艦娘への勅令であったとしても、彼女たちは動きません。私の命令でのみ行動します。何故なら彼女たちは日本皇国海軍に所属していますが、その実、協力関係にあるだけです。指揮系統は完全に軍から独立しているんですよ。ですから、日本皇国が保有する戦力というのは間違いであり、正しくは、日本皇国軍の友軍に該当します。国籍は暫定的に日本皇国籍ではありますが、彼女たちは国籍を持ちません」

 

「知っている」

 

「ならば、この話は以前決めた通りで。平和維持軍として、今後発見されるであろう深海棲艦残党の撃滅を行います。拠点は日本皇国横須賀鎮守府その他、日本皇国海軍が保有する基地・泊地。他国の軍事施設の場合、物資の強奪や作戦活動の邪魔になる諜報活動が行われることがありますからね。他国領域内では、日本皇国租借地となりますから、定められた領域は日本皇国となります」

 

「……クソッ」

 

 どうやらドグワツキーの攻撃はこれで終わりようだ。どっかりと椅子に座り込んだドグワツキーは、俯いて下唇を噛み締めていた。分かってはいたことだが、今後このような問題が生じないとも限らない。それは大本営や陛下も危惧されていたことでもある。

 

「この場をお借りして、私は改めて説明させていただきます」

 

 会場を見渡した天色提督は表情を変えることなく、飄々と宣言を始める。

 

「深海棲艦によって世界経済・人口・文明・技術は停滞若しくは衰退しました。艦娘の力を借りて得ることの出来た平和な世界を、今度は人間同士の争いで乱す訳にはいきません。新国際連合は満身創痍である各国が手を取り合い、共に極限状態を脱し、より良い生活を共に送るために設立されたものです。戦後世界の覇権がどうとか、己の正義が大義の正義であると信じて力を振るうことがどうとか、そのような小事は考えるべきではありません」

 

 話の内容を聞いたからか、護衛で付いてきた艦娘の皆さんが艤装を待機状態にする。砲門を床に向けて構えた姿勢から楽な姿勢へと変える。

 

「ドグワツキー総書記の仰ることも全て間違っているという訳でもありません。ですが正しいということもない。これから議題に挙がるであろう諸問題も双方に正しいと思うことがあり、間違いもあるということをお忘れなきよう。双方が譲歩して解決ヘと導くんです」

 

 突然、会場が暗転。プロジェクタに映し出されいたものが切り替わった。世界地図だ。青色になっているところが新国連参加国であるのは分かるのだが、赤色になっている地域は一体なんだろう。

 

「現在、世界各国で発生している紛争があります。その殆どが問題の根幹に食糧や水、資源があります。少なければそれを分け合うのではなく、独り占めしたくなるのも理解出来ます。多く持っているところから援助を求めることも。ですが、それが諍いへと発展し戦争へ変化することは間違いです。自国内で解決しよう等考えなくてもいいんです」

 

「……だが、他国へ協力を要請すれば相応の見返りを」

 

 何処かの国の代表がそう呟くと、それに天色提督は反応した。

 

「求めて来ることは間違いではありません。無償で提供等、余程余力がある国でなければ出来ませんからね」

 

 映像が切り替わり、紛争地帯での惨状が画像や映像として映し出されていった。そこには無残に殺された人々や、飢えに喘ぎ今にも折れそうな躰で痩せた土地を彷徨う人々が映し出される。そして、痩せた兵士が武器を持って戦いに赴く姿や、時には略奪しているものまでも。

目を覆いたくなる光景がいくつも流れていった。だが、私はその光景を何度も観たことがあったから観ていることが出来た。

 

「そのような深海棲艦による危機が去った今でも、人類存亡は危ぶまれています。世界総人口は十数億人。内、生命に関わる問題を抱えている人口は全体の九十パーセント以上。絶妙なバランスの上に成り立っているんですよ、この世界は」

 

「っ……」

 

「……話を切り替えます。我々は日本皇国海軍横須賀鎮守府艦隊司令部。日本皇国の軍隊であり、日本皇国のために力を振るう兵士です。旧国際連合が定めた当時日本国が達成するべき深海棲艦の領域を奪回した我々は、世界各国の惨状を目の当たりにしました。ここにお集まりの皆さんの領域内で、我々の姿を見ていないという方はいらっしゃいますでしょうか? いらっしゃらないですよね? 定められた領域内の掃討を果たした我々が見たのは、自分の領域を取り返すことはおろか、自国内で紛争をしている国々でした。記録では確かに共に手を取り合って深海棲艦に対抗していた時期があることは確認しています。ですが、力を失ったから殻に引き籠もっていた貴方方は味方同士で物資の取り合いをしていました。諌めるべき政府もまともに機能せず、取り合いに参加する始末。嘆かわしい」

 

 確かに天色提督の言っていることは事実だ。横須賀鎮守府内や軍、政府にそのことは知らされていた。言った先々では何かしら問題を抱えており、深海棲艦の撃滅と共に各国の情勢を見て場合によっては介入させられていたことを。火種になったこともあったのだ。

 

「混乱する国内を治め、力を蓄え来るべき反撃の時までその刃を研ぎ澄ませていた国なんてどれほどあったでしょうか」

 

 ほとんどなかった。アメリカ合衆国は日本皇国の接触までは内政に注力し、国民を治めていた。そして、日本皇国との接触があるや否や、すぐさま行動を開始していたのだ。どれだけ通用するか分からない、下手したら全く歯が立たないかもしれない兵器たちを投入し、コツコツと溜めていた力を全力で使ってきたのだ。その他にも、微力ながら抵抗を見せていた国はいくつかあったという。だが、殆どが内戦が起こっていたり紛争状態であった国ばかりだったのだ。

 

「我々の元に平和維持軍としての任務依頼が届きます。地元漁師が発見した深海棲艦の調査、発見された艦隊の排除が任務である我々に『隣国が我々に食糧を供出するようにと、兵力を以て圧力を掛けてくる。なんとかしてくれ』や『突如侵攻してきた隣国が、我々の重要な水源を占領しせき止めてしまった。なんとかしてくれ』、『奪われた備蓄食料の奪還に力を貸してくれ』等、任務外である事までも任務依頼として届くことの方が多いです。我々は各国の低下した兵力を補填するためのレンタルアーミーではありません。民間軍事会社に契約を取るような形で任務依頼を出されたところで、我々には独自で判断し行動する権利があります」

 

 会場のほとんどの人間が表情を歪めた。

 

「また、各国は武力行使ではなく、先ず交渉をすることを学んで下さい。確かに今までの相手は言語が通じるのか、そもそもコミュニケーションが可能なのか分からないようなモノが相手でしたが、今貴方方が相手にしているのは同じ人間です。そこをお忘れなきよう」

 

 プロジェクタが切り替わり、映像や画像ばかりだった画が変わり、文字だけに切り替わった。

 

「私は極力日本皇国、ひいては人類のために力を使うことを厭わないです。ですが、これ以上は限界です。艦娘の皆は。一々各国の諍いに首を突っ込むのは嫌で、本来は深海棲艦によって滅びに瀕している我々に手を差し伸べただけで、仲間同士での争いにわざわざ力を貸すつもりはないとのこと。また、私自身も戦後からこれまで、各国の諜報機関に狙われることが多く、重大な事件に巻き込まれることも少なくありませんでした。そのようなことならば私はこれ以上、世界のために行動しません。そもそも私は日本皇国の人間ですからね」

 

 天色提督は持っていたのであろう、ある物を机の上に置いた。それは新国際連合統合特殊任務派遣軍団に組織することを証明する物の数々だった。

 

「我々"日本皇国"は無償で食糧を渡したり、無縁である危険な戦場に大事な日本皇国民を送り込む事等しません。したくありません。それは陛下の御意志であり、国民の総意でもあります。自分の親息子兄弟友人愛する人が、汗水流して働いて作った食糧や死ぬかもしれない無縁な戦場で戦うことに賛成しておりません。食糧は本当に困っている人々に救援物資として渡すものであり、不当に巻き込まれる無辜の民を戦場から遠ざけて保護するために軍隊を派遣します」

 

 これまで話していた口調から力が入り、強い口調で天色提督は宣言した。

 

「貴様ら俗物共に与えてやる物資も戦力もないッ!! 私が力を振るうのは、私の背中の後ろにいる何の力もない人たちのためであり、日本皇国のためだけだ!! 私たちにしか出来ない深海棲艦との戦闘をし、深海棲艦によって苦しめられた人々に手を差し伸べるだけッ!! これ以上、我々を、日本皇国を、私たちを巻き込まないでくれッ!!」

 

 バンッ!! と大きな音が鳴るほどに机を叩いた天色提督は「ふんっ!!」と鼻を鳴らした。

 

「以上だ。新国際連合統合特殊任務派遣軍団を降りるが、"深海棲艦"に脅かされているのならば駆けつける。食糧支援も人道支援、軍事介入、政治介入、支援金供出は然るべき組織・団体を通してから交渉しろ。為政者の風上にも置けんな、愚鈍者たちは」(※ここまで英語で話しています)

 

 天色提督は合図を出し、私は場内にいた護衛に合図を出す。これから部屋を出る。先立って先鋒隊が部屋を出ていき、廊下で待っている殿隊に動くことを伝える。私たち本隊は天色提督を囲んでそのまま部屋を出ていった。

出ていくまで、私も場内にいる各国要人の視線を浴びた。なんとも形容し難い視線だ。恨めしくみられているのか、はたまた、殺意に似たものなのか分からない。

 

※※※

 

 会場を後にし、もう用はないと天色提督が仰ったので鎮守府に戻るべく自動車の方へと向かう。道中、各国要人の護衛が巡回しているのに出くわす場面が何回もあったが、彼らは集団が接近するなり携帯していた銃から手を離し、通路の脇に寄っていった。通りがかりに横目で見るが、何か行動を起こそうとしているようには見えない。ただ、脇に避けたようにも見える。

 人ともすれ違わなくなり、新国連の職員もいないような区画まで来ると、天色提督はおもむろに口を開いた。

 

「想像通りだったな」

 

「……えぇ」

 

「そもそも一応、ちゃんとした国家の一軍隊に、何をそんな突っかかってくるんだって話なんだがなぁ」

 

「平和維持軍への出向も命令されなければしなかったでしょうに」

 

「当たり前だ。何故そんな面倒なことを。平和維持軍に出向した後に起こることなんて想像に容易かった上、想像通りのことが起きたからな。他国間の下らん戦争への介入・調停、資源・食糧・その他物資の支援及び運搬と配給ばかり。平和維持軍が力を貸すのは当然のことかもしれないが、必要以上に便利屋と思われていたようだ。前者に至っては牽制だ。領内に俺たちがいるだけで攻撃を受けず、相手は戦意を喪失すると思っている奴らばかりだった。正当性を主張し、力を貸せと脅すのも当たり前。それが通用しないとなると物で釣り、ありとあらゆる考える事のできる手段を否応なく使ってきたからな」

 

「あったそうですね」

 

 そんな話をしながら歩いていると、近くを歩いていた護衛として付いてきていた白露が話しに入ってくる。

 

「何処だったかな? 東欧に行った時、ハニートラップを仕掛けた若い将校がいたよねー。『私は国内でも絶世の美女だー』って、提督のところに忍び込もうとしてあっさり捕まったのが」

 

「居たな、そんな奴」

 

「最初は侵入に成功して提督までありついたけど、あっさり追い返されて二度目を敢行したって言っていたらしいじゃん?」

 

「雪が降ってるのに寒そうな格好で来たからな。それが昼間に会談した将校だと分かった時には心配したな。毛布とコーヒー渡したら『何で手を出さないんだ』って言ってきたなぁ」

 

「なんて返したの?」

 

「手を出した」

 

 こうやって、と続けて天色提督が両手を前に突き出した。それから白露は何も言わず、呆れた表情で私の方を見た。白露が何を言いたいのか分かったので、そのままスルーすることにした。

 

「そんなんで自分の思い通りに動くって思ってたみたいでね、たまたま提督の部屋を通りかかった赤城さんに捕まっても色々言ってたみたいだね。私は途中からしか聞いてないけど、引き取りにくるあっちの兵士が来るまでワーワー言ってた」

 

「そうらしいな」

 

「別に東欧だけじゃないらしいね。他のところでも時々あったって聞くよ?」

 

「まぁ、確かにあったな」

 

「全部振ってたみたいだけど?」

 

「全部振った」

 

「後で写真見せてもらったりしてるけど、皆美人だったよ?」

 

「そうだな」

 

「……ホモ?」

 

「何でホモ?」

 

「だって女の人に反応しないなんて、ねぇ? 巡田さん」

 

 急に私に振られた。

 

「あ、うん。そうね」

 

 聞いてはいたけど、急に振らないで欲しい。それにどうして私の名指しだったんだろう。

そんなことを考える私を無視し、白露が天色提督と話を続ける。

 

「ノーマルだ、俺は」

 

「なら何で……」

 

「知ってて聞いてるのか? 白露」

 

「う、うん。ゴメンね」

 

 それ以降、話が続くことはなかった。すぐに自動車に着いたので、そのまま分乗して横須賀鎮守府へと戻ったのだ。私は装甲車の中で今日のことを考えながら、周囲を警戒しながら帰ったのだった。

 天色提督は新国連総会で強気な発言をしていた。恐らく、日本皇国政府から何を言ってもいいとは言われていただろうが、場合によっては日本皇国の国際的な立ち位置が危ぶまれるようなことでもあったのだ。だが、その場にいた日本皇国政府は無反応を決め込んでいた上、退出する時も他の要人たちとは全く違う態度を取っていたのだ。となると、台本通りの筋書きだったのかもしれない。

新ソ連のキナ臭い動きから、思わぬお釣りが来たのかもしれない。今回の新ソ連総書記と掛け合っている最中の各国要人の反応や、退出の際の様子をつぶさに確認をしていた。その結果、割と日本皇国や横須賀鎮守府艦隊司令部、天色提督についてよく思っていない国家は意外と多いように思えた。初期から関わりのある国々はそのようなことはなかったが、欧州方面の反応はよくなさ気に見えた。ドイツはそうでもなかったかもしれないが、未だに第二次世界大戦での出来事を引きずっているようにも見える。

ともかく、今回の新国連総会は日本皇国の思惑通りに事を運べたのかは、一介の護衛である私には判断しかねることだった。

 



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一つの可能性 その5

※あくまで可能性の話です。


 

 新国連総会での騒動は日本皇国内のみならず、世界規模で話題になった。総会に一国の将校が招致されることが異例であり、それは旧国連総会でも同じことであった。

各国メディアが取り上げて脚色しながら広がりゆく情報は、尾鰭が付いて暴走していく。行けるところまで脚色された話題はそれぞれの国民を大いに刺激していったようだ。日本皇国の強大さは言うまでもなかったのだが、その中心に存在する海軍横須賀鎮守府艦隊司令部は恐れるべき存在であり、甘く見積もっていた自国政府を糾弾するには十分すぎる要素でもあったようだ。

結局のところ、日本皇国海軍横須賀鎮守府艦隊司令部がどういう組織であるのか、という疑問が各所で浮かんできたという。その説明は日本皇国は散々してきたものでもあるのだが、やはり荒唐無稽であることは間違いなく、関係者が眉唾物であると謂わしめるものであった。

 新国連参加各国は結局大きく三つに分裂するに至った。先ず新ソ連を代表とした脅威派。日本皇国の保有する戦力は強大であり、一国で世界を統べるだけの力があると信じている者たち。軍事力と確認出来ているだけの皇室の歴史、数千年は地球上に存在する最も古い王朝であり神話を背景に持っている世界最古の国家である事を脅威として見ている。

次にアメリカ合衆国を代表とした恭順派。日本皇国が世界を脅威に晒していた深海棲艦撃滅の立役者であり、それなしでは叶うことのなかった平和な世界であると考えている者たち。軍事力は確かに脅威かもしれないが、横須賀鎮守府の扱いさえ間違えなければどうにか穏便に済ませることができると理解している。

最後に傍観派。少数ではあるが、深海棲艦からの脅威に日本皇国によって解放された事実を理解しつつも、あくまで対等に接するべきであるという姿勢を見せている者たち。横須賀鎮守府の扱いも、形式に倣って真摯な態度で接すれば問題など起こるはずもないと考えている。

この三大勢力で参加国が分裂してしまった。奇しくもその形は天色提督を大いに刺激する様相を魅せている。

 

「さて、と」

 

「今日は私を呼び出されて、どうかなさいましたか?」

 

 起き抜けに本部棟執務室に呼び出された私は、用意を済ませるなり朝一で天色提督の執務室を訪れていた。あくびをしながら私室から出てきた天色提督が、そのまま給湯室でお茶を挿れて下さり、先程ソファーに腰を下ろしたところだ。私と天色提督は正面を向き合って座っている様子だ。

 

「今後の方針を考えようと思ってな。一応、この場では巡田中佐の立ち位置は日本皇国軍ということになるがいいか?」

 

「はぁ、それは構いませんが……天色提督も日本皇国軍人ですよね?」

 

「そうではあるのだが、今からは日本皇国軍人 天色海軍大将ではなく天色 紅でいこうと思う」

 

「了解しました。では、どのようなお話で?」

 

 いつも被っていない帽子を脱いで机の上に置いた天色提督は、私の目の前に書類を置いた。私はそれを手に取り、内容を確認していく。

内容は至って簡単だった。新国連での派閥に関してだった。国際的な話題として、割とポピュラーなものだと思う。これがどうしたのだろうか。

 

「確認したな? それは現在、世界を取り巻く状況だ」

 

「はい。ですが……この問題は特段何が起きているという訳でもないと伺っていますが」

 

「"今は"だ」

 

「……というと?」

 

 溜息を吐き、天色提督は説明を始める。

 

「これはある歴史の流れにそっくりなんだ」

 

「ある歴史の流れ……。それは天色提督にしか知り得ないこと、でしょうか?」

 

「そうだ。現在、世界では深海棲艦との戦争の傷跡を早々に癒やし、力を蓄えつつも、超大国としての片鱗を見せつつある国がある」

 

「アメリカと新ソ連……」

 

「あぁそうだ。かの二ヶ国は、元々日本皇国を中心とした意見の衝突によってそれぞれの道を進み始めた。それと同時に立て直した国力を使い、あることを始める。それも二ヶ国同時に、だ。何だと思う?」

 

「……軍拡でしょうか?」

 

「端的に言えばそうだ。詳細に言えば、先進技術開発と材料・航空・電子・工作・通信・情報、ありとあらゆる分野に力を入れている。一纏めに言ってしまうが、技術が驚異的な進歩を遂げる要因として戦争がある。より効率的に敵を圧倒し勝利を勝ち取る手段として、開発されたばかりのものを軍事転用したりそれ専用に国庫や技術者を使う。結果的に最新の兵器を開発することが先走りになっているんだ」

 

 天色提督は例を挙げて説明する。学校に通っていた頃に習ったことのある、第一次世界大戦時の兵器についてや、普段私たちが使っている日用品が元々兵器であったことについて事細かに。

 

「何処の国でも余力があれば力を入れる分野ではあるのだが、進み具合が比べ物にならない。それはまさしく戦時下であるように、だ」

 

「ですが、それがどのように?」

 

「技術開発だけではないのだが、互いに牽制し合っているのは日本皇国軍からも報告がある。ベーリング海やアラスカ、カムチャツキー半島は今や火薬庫だ。両国軍が集結しつつあり、核兵器も秘密裏に運ばれているという」

 

「か、核兵器……」

 

 嫌な単語だ。第二次世界大戦・太平洋戦争末期に広島と長崎に投下された物が核兵器、原子爆弾だったのだ。その名を聞いて気分を悪くする日本人は多いだろう。

 

「日々尋常じゃない速度で開発される新兵器の数々。そして、両国間の緊張状態。これを俺はレイセンだと考える」

 

「レイセン? それは艦載機の」

 

「いいや違う。冷たい戦争と書いて"冷戦"だ。丁度主義主張も新ソ連の社会主義とアメリカの資本主義で別れていることだしな。両国間で日本皇国に対する姿勢が違うことがあり、双方強い影響力を持っているからこそ分裂していった結果がこれだ」

 

 天色提督の仰っている言葉の意味があまり分からないが、ともかく新ソ連とアメリカが対立しているということだけは分かった。

 

「その冷戦状態? に入っていることが天色提督にどのような意味があるんですか?」

 

「俺の知っている冷戦は何度か大規模な代理戦争が発生している。世界各地で紛争の耐えない現状、いつ大きな人類同士の戦いが起こってもおかしくないんだ。その原因の元を辿っていくと俺になるんだよ」

 

「それは新国連総会での出来事と関係があるのですか?」

 

「いいや。それよりも前からだ」

 

「というと、終戦?」

 

「戦時下から、この状況が起きることを予測していた」

 

 戦時下。つまり十数年前の私がまだ小さい頃から予測していたということなのだろうか。なんというか……天色提督がどんな人物なのか分かった気でいたが、見直す必要があるようだ。

 

「艦娘たちは皆、分かっていると思うからこうして巡田に話しているんだが……ここからが本題だ」

 

「……っ」

 

 私は息を飲む。これまでの話から、恐らく天色提督は大きな決断を下すのだろう。それは、私が部下ではない立場で話を聞かなければならないようなことであるということだったから、自分を『天色 紅として』と切り出して話しだしたのだろう。

 

「俺は横須賀鎮守府から、日本皇国から出ていこうと思う」

 

「っ?!」

 

「艦娘たちが数年前から任務以外で鎮守府から出撃している様子を見ていると思うが、それはこのための準備だ」

 

「な、何故急に」

 

「さっき言っただろう? 俺という存在が、深海棲艦を退けたこの世界で戦禍の火種になりかけている」

 

「なりかけているからといって、何故日本皇国から出ていく必要があるんですか?!」

 

「日本皇国にいるからだ。俺が日本皇国にいなければ、日本皇国を中心に据えた米ソ対立は根幹が消え去る。それぞれの国がそれぞれの国同士で力を合わせ、時には喧嘩をしながら繁栄していかなければならない。今、対立していては駄目なんだ。何処も結局は深海棲艦による傷跡は癒えていない。そんな国々が自分たちの力で解決していかなければならない問題を、俺たちを頼って自分たちでは何も解決しようとしない姿勢が不味い。それが米ソ対立を生み出し、今後起きるであろう人類同士の戦争を誘う」

 

「ならば仲介しては」

 

「駄目だ。そうしたならば、世界がそれぞれの国家である意味がなくなる。それぞれの国家は自分の意志で巨大な共同体を作るのなら作るべきであり、他の大きな力が作用して形成される強制的共同体である必要はない。それはきっと将来大きな禍根を遺すことになる」

 

「ですが……っ」

 

 気付いたら私の頭はどんどん下へと下がっていってしまった。今見えるのは膝の上で握り込まれている拳と震える足。そして、拳の上で震える水滴。顔を見ることも出来ない私に、天色提督は話し続ける。

 

「だから俺は日本皇国を出ていく。何処の国家にも所属しない、別の地へと移る」

 

「……っ」

 

「米ソ対立を解消し、将来訪れるであろう最悪な情景を回避することができるかもしれない。ならば、俺はよろこんでその選択肢を選ぶ」

 

「……」

 

「俺は滅びに貧した人類のために戦う艦娘たちに呼ばれたからな」

 

 刹那、私は顔をあげていた。霞む視界には、いつもの天色提督があるのだが、その微笑みは何処か儚げに見えた。止めなくては、そう思った時には既に遅い。遅いことに気づきながらも、私は止める。

 

「何故、何故そこまでして貴方は!! 貴方は決断できるのですかッ!!」

 

「俺が"提督"だからだろうな」

 

「いつも私たちの前を歩いていて、いつも私たちの前で艦娘の皆さんと壁になって、いつも私たちの心配を他所に矢面に立って、いつも、いつもいつもいつも……」

 

「すまないな」

 

「……だから私の父は貴方のために戦ったんですかッ!!!」

 

「そうかもしれない」

 

「いつも皆を助けてきた貴方が今度は本当の意味で独りになることを選ぶというのですか……ッ!!!!!」

 

「皆と一緒だ。独りじゃない」

 

「そうやっていつもいつも」

 

「俺は独りじゃない……ッ!!!」

 

 力と威圧を言葉に乗せて天色提督が放つ。この頃には私の顔は涙でぐちゃぐちゃになっていた。

 

「皆がいてくれたから独りじゃない」

 

「……っ」

 

 そう呟き、天色提督は一呼吸を置いた。そして、あることを伝える。

 

「今日0900、旅立つ。本日0900付けで俺は日本皇国海軍を退役して、横須賀鎮守府も日本皇国に返還する。艦娘の皆は未明までに物資を積んで出れる者から先に出て行ってもらっている。後は俺を乗せて出る赤城たちだけだ」

 

 そういえば、今朝は全く艦娘の皆の姿を見ていない。

 

「行き先は聞くな。ただ言えることは、俺たちの向かう場所は誰のものでもない土地だ。そこでひっそりと暮らす」

 

 言い出せない。私も付いていく、と。口が重く開かない。

 

「知っているだろう? 巡田。巡田がここに来た時から、いいや、巡田中尉の葬儀の時から、言ってしまえばこの世界に来た時から俺は変わっていないんだ」

 

「ぐすっ……」

 

「なんて言うんだろうな。どうも不老不死になってしまったらしい、俺は。精神年齢で言えば、いいところのおっさんなんだけどな。もう、家庭を持って子どもが居てもいいくらいの」

 

 次々の脳裏で思い出したことが反芻されていく。天色提督との会話や、その端々で垣間見える性格や考え方が。時より見せた思いつめるような仕草や、"何か"をぼーっと見ている姿を。

 

「だからさ」

 

 天色提督はおもむろに手を伸ばし、私の前にあるものを置いた。それは天色提督が所有していた軍刀だった。手を引っ込めた天色提督は置いていた帽子を被って立ち上がり、私に言い放った。

 

「これからの世界を頼んだ。もう俺はこの世界には必要ない」

 

「そんなこと……ない、です。まだ、必要……です」

 

「そう、なるかもしれないな。そういう時は願え。間に合うか分からないが、何か変えてくれるかもしれない」

 

「いや……です……っ」

 

「聞かないからな。もう散々止められてきたんだ。陛下や皇太子夫妻、親王にまで止められて泣かれた。この前退役されて病床に臥せった総督も、輸液スタンド引いて病院服で来た。新瑞長官にも止められたし娘さんにも泣かれた。全部振り払ってきたんだ」

 

「まだ、私たち……天色、提督に……なにも、なにも返せて、ない、ですよ……っ!!」

 

「そうだな。だけど俺はそんなもの求めてなんかいない」

 

「なら……っ!!」

 

「皆に、なんて説明すれば……いいん、ですか……!! 皆、慕って、るんです……天色、提督……のこと……!!」

 

「普通に頼む」

 

「いやっ!!」

 

「命令だ」

 

「私は……嫌……ッ!!」

 

 既に準備していたのか、いつも外出する時に使うカバンを手にとった天色提督は、そのまま執務室の扉へと向かう。

 

「さよならだ、巡田」

 

「待って……」

 

「これからの日本皇国の未来、貴官らに託す」

 

「待って!!」

 

「俺が居た頃よりも、いい世界にしてくれよ」

 

「行かないでッ!!」

 

「じゃあな」

 

 扉を開けて出て行った天色提督が見切れる瞬間、私は……

 

「いやぁぁぁぁぁ!!!!!」

 

 現実が受け入れられなくなっていた。

 

※※※

 

 私の中で知らぬ内に天色提督の存在は大きくなっていたみたいだった。軍人だとか上司部下とかそういうのは関係なしに、私は天色提督のことを慕っていた。父の上司だった天色提督は私の上司にもなり、普通の軍人では見せない姿を私に見せていた。その背中を私は追い続けていた。憧れだったのかもしれない。ついていけばきっと凄いことができるかもしれない。そんなことを考えていた頃もあった。だが、いつしか別の存在へと変わっていたようだった。

 彼のような男はいない。同じ振る舞いをする人なら多くいるだろう。だが、それが何処か嘘のように見えた。いつも私は背中を見てきたが、その背中は広く大きかった。だが、時より見せる別の面での背中は小さく傷だらけ。そんな背中を見ていたからかもしれない。

艦娘の皆が時々話していたことをふと思い出す。天色提督は危うい、と。それはよく見なければ分からないことだが、何年も付き合っていれば見えてくることもあるらしい。私にもそれが分かっていたのかもしれない。

 あの日、私は呼び出された執務室から一向に戻ってこないことを不審に思った部下が、本部棟に入って確認をした。そうすると、朝から感じ取っていた違和感に気付いたそうだ。艦娘が誰一人としていないことに。本部棟ならば誰かしら居て、入ってこれば必ず話しかけられるのだ。なのに、執務室に近付いているというのに誰も話しかけてこない。それどころがその影もなかったという。そうして執務室に付き、ノックしても誰の返事もなく仕方なく執務室の扉を開くと私が居たらしい。呆然と涙を流して座っており、目の前には天色提督の軍刀が置かれていたという。

それから私は運び出されて、気付いた時には警備棟の医務室に居た。何があったのかと尋ねられ、私は説明をした。天色提督が日本皇国軍を退役し、出て行ってしまったことを。何処か別の場所へと行ってしまったことを。皆、呆然としたが、ある者が「そうか……坊主は……」と呟いたことから、すぐに動き出した。各所への連絡と今日は通常通り任務を行うことを。

程なくして事務棟から連絡が入り、数日以内に警備部・事務部・酒保に派遣・出向している兵士は大本営に出頭することを命じられた。

 大本営に出頭すると、私たちは原隊に復帰してもその実力を遺憾なく発揮することは難しいと判断され、新設される部隊に丸々転属することになった。その部隊の名は

 

――――――横須賀鎮守府艦隊司令部

 

という。

 

※※※

 

 あれから十年の月日が経った。天色提督の退役は瞬く間に世界中へと発信され、どういう経緯での退役だったのかを説明する報道が何度も流れた。国内に動揺が走り、一次的にショックで経済が停滞した程だった。だがすぐさま持ち直していった。そして米ソ対立は崩壊し、元の軌道へと戻っていった。その最中、天色提督が危惧されていたような戦争が起こりそうなことが何度かあったが、その度に所属不明の部隊が戦場に乱入していたらしい。彼らは一世紀も昔の航空戦力を有し、歩兵は一切居ない武力介入をしたという。

私は横須賀鎮守府艦隊司令部に配属され、警備部部長であったことや、その職務柄、天色提督の指揮を間近で見ていたことから艦隊司令を任された。階級も天色提督の次に高かったというのもある。配属と同時に少将に昇進し、そのまま海軍が運営する純日本皇国海軍の鎮守府として再稼働することとなった。艦娘を主に運用し、併設する横須賀基地と共同での作戦行動を基準とする部隊として私たちは動き出したのだった。

 天色提督が使用した頃の施設は丸々残っており、滑走路も有効活用されている。羽田基地に駐屯していた航空教導団は横須賀鎮守府に異動し、本隊を置くこととなった。更に、歴史資料館としても運用されることとなり、事務棟をそのまま資料館として改装して運用している。その他酒保も一般にも使用できるようにされ、グラウンドは相変わらず訓練や艦娘たちの遊び場として使用されている。

 

「提督」

 

「何?」

 

「先日より未確認艦隊が確認されており、本日のを含めて五件目です」

 

「状況は以前と変わらない?」

 

「はい。深海棲艦残党の目撃情報があった海域に向かっている最中、何処の国籍でもない艦隊群を発見。無線によって停船と国籍、航行目的を開示するよう呼びかけましたが応答はなかったとのこと」

 

「それで、残党への攻撃は?」

 

「ありません。当方の艦隊が到着した際には、既にどこかの戦闘後だったようで確認されていた深海棲艦全てが撃破されていました。残骸でも確認出来ています」

 

「そう。記録を取っておいて」

 

「了解しました」

 

 秘書艦である加賀が少し不審げに報告を終わらせる。だが、自分の席へと戻ろうとはしなかった。

 

「何故提督はこの不明艦隊群の調査や攻撃を命じられないのですか?」

 

 そんな疑問を私にぶつけてきた。

 

「そうね……」

 

 私は少し考えて答えを出した。

 

「調査をしても、恐らく何もわからないわ」

 

「ならば攻撃を」

 

「貴女たちでは絶対に歯が立たないわ」

 

「……」

 

「納得できない、という顔ね」

 

「はい……」

 

 私は書いていた書類を中断して立ち上がり、壁の棚からファイルを適当に抜き出した。適当なページを開き、そこを加賀に見せる。それは戦闘報告書だ。

 

「これは……戦術指南書外伝。私たち艦娘が目指すべき境地」

 

「その外伝にある戦闘記録を持った艦隊で互角に戦えるか……若しくは負けると思う」

 

「そんなことを何故、提督が知っているのですか。正体不明の艦隊という情報だけで」

 

「理由は教えれない。だけど、本当のこと」

 

 そう本当のことだろう。あの日、彼は旅立ってしまった。何処に行ったのかは全く分からないが、恐らくここだろうという当たりは付けている。そしてもし彼が静かに暮らしているとすれば、平穏な世界を取り戻すために力を使ったのかもしれない。

 

「……ここが深海棲艦との戦争を終結に導いた英雄の鎮守府だったことは知っています。提督は英雄が居た頃から軍にいらっしゃったようですが、何か知っているのですか?」

 

「知ってるもなにも、私は彼の部下だったけど?」

 

「それは初耳です」

 

「ならば行き先とかは?」

 

「知らない。教えてもらえなかったもの。ただ、知っていることはあるわ」

 

「それは?」

 

「私たちの誰のものでもないところ」

 

「……? わからないわ」

 

「私にも分からない。でも確かにあの時、彼はそう言った」

 

 私がそう言うと、加賀は思考の海へと入っていってしまった。私はそんな加賀が見なくなった戦術指南書外伝、戦闘記録を閉じて棚に戻す。この本も元は書類の束だったのに、今では全国の鎮守府にコピーが置かれるようになってしまった。題名も『戦術指南書外伝』だなんて名前を付けられて。

 自分の席に座り直し、天井を見上げる。私のいる場所は本部棟執務室。天色提督が座っていた場所だ。そんな場所で物思いに耽る。

 世界は順調に平和の道を歩んでいる。各国共同で宇宙開発まで始まったくらいだ。深海棲艦の脅威もなくなり、艦娘ももしもの時のために規模を縮小された。もう国内の鎮守府のみとなっている。

人々が安全に海を渡り、異文化に触れることができるような世の中になっているのだ。日本皇国は独自に発展した文化が、海外で人気を呼んでいるらしい。年々観光客は増加しつつあり、観光でも日本皇国は発展をし続けている。

新国連も参加国はないと言っていいほど、しっかりとした組織となった。人道支援が活発に行われており、先日発生した災害支援のために各国が食糧と救助隊をすぐさま現地に派遣された。まだまだ人類は発展の余地があり、精力的に各国は技術開発競争を行っている。また深海棲艦のような未知の敵に備え、国連軍が発足されるかされないかというのもあるほどだ。

 

「提督……貴方が私たちに託した未来、思い描くようなものになったでしょうか?」

 

 窓から望む空は青く澄み渡っており、水平線が遥か遠くまで望むことができる。

 

「私たちは少しでも貴方に返すことが出来たでしょうか?」

 

 海にはポツポツと黒い影が浮かんでおり、それは巨大なタンカーや貨物船。世界各国との貿易のため、日本や各国を行ったり来たりしている。勿論、軍による護衛はいない。深海棲艦に怯えるようなことはないからだ。

 

「天色提督……私は貴方のことが……」

 

 締め切っているはずの室内に潮の匂いを乗せた風が吹く。

 

「提督?」

 

「ん? 何?」

 

「そろそろ時間です。昼食に行きましょう」

 

「そうね」

 

 私は匂いを気にすることなく立ち上がった。そして扉を開け放ち、皆が待つ食堂へと向かう。

 

『"日本皇国の為、その身その力を全て使い戦った英雄。世界に蔓延した深海棲艦による災厄を跳ねのけ、ただ一人、立ち向かった。味方少なく、共に戦うのは百数十の艦娘と、彼を慕う千余りの兵士達"』

 

『"何度背中から攻撃されようが、背中に守る人の為、決して倒れることはない。深海棲艦に攻撃される敵でさえ、その身を盾に庇い戦う"』

 

『"最後に世を憂い、自らを消すことによって世界を平和へと導いた"』

 

『"我々は日本皇国軍。人を護る者也。英雄の様で在れ"』

 

『"唯、英雄は日本皇国民に非ず。人の為、この世界に降り立った異邦人也"』

 

 何処からか聞こえてくる言葉。

 

『士官学校に入った時、これを一番最初に習ったよなぁ』

 

『私も同じ。誰の言葉なんだろう?』

 

『さぁ? だけど俺、この言葉を聞いて士官学校に進むことを決めたんだ』

 

『そうなんだ? あ、そろそろ戻らないと曹長にどやされるな』

 

『曹長にどやされる少尉ってどんななのよ』

 

『そういうお前もだろうが!!』

 

 その言葉は誰の耳にも届くことはない。だが……。

 

――――――今日も異常なし

 

――――――テートクゥー!! 今日は何するネー!!

 

――――――お茶会がいい

 

――――――オッケーネー!! すぐ準備するから待っててネー!!

 

――――――三十四番格納庫の作業終了しました

 

――――――じゃあ五十六番格納庫の建設に取り掛かってくれ

 

――――――はい

 

――――――そういえば研究局で新型艦載機の開発が行われてるとか

 

――――――おい赤城、逃げるな

 

――――――わ、私は今回無関係です!!

 

――――――じゃあツェッペリンか?

 

――――――わ、私もだぞ、アトミラール

 

――――――そんな挙動不審にしても意味ないぞ!! あぁもう!! お前らいつまで経っても変わらないのな!!!!

 

 何処かでそんな会話を潮風が運んできたのだった。それは酷く冷たい風が一万五千キロという距離を、流れに身を任せて。

 




 息抜きに書かせていただきました。今回のテーマは『一つの可能性』です。行き着く先、どのような結末が待っているのか、ということを別視点で書かせていだきました。
人によってどのように判断するかは違ってくると思いましたので。
 さて、プロット段階では『未来』というテーマになっておりましたが、ぶっちゃけ相対して変わらないんですよね。ということで、これまでお読みになれた方は分かると思います。
これは正史ですが、別視点での物語となっていますので、お間違いなきように。
 では、また何処かでお会いしましょう。

 ご意見ご乾燥お待ちしております。


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特別編企画 第8回目 『貞操観念逆転』
貞操観念逆転 その1


 

 鎮守府では度々おかしなことが起きる。今回も例外ではない。否。今回は例外だ。大体はいつも白衣妖精が何かを作り出し散布か服用させ、艦娘か俺を変なことに巻き込むことが多い。だが、今回は違っていた。何故なら、世界そのものか変わってしまっていたのだから。

 お盆が間近に迫った7月の終わり頃、午前6時前に目を覚ました俺は早々に身支度を整えて執務室に出てくる。そうしたならば、今日の秘書艦である吹雪が既に来ていたのだ。決められた時間よりも早く来る艦娘は時々居るのだが、今回はそれだけではなかった。

今日は朝から暑い。海の目の前だから、少しは潮風で気持ちいいのだが、そうは言っても夏なだけあって暑い。私室でも冷房を朝まで点けたままだったが、執務室に来るとムワッとした空気が体に纏わりつく。窓は開けてあるものの、吹雪は扇風機の前を陣取って風を一身に浴びていたのだ。それだけならいい。だが有ろう事か吹雪は、自分のスカートの裾を上げて風を浴びていたのだ。俺が入ってきても「おはようございます」と普通の調子で挨拶をするが、スカートの裾から手を離すことはない。それに俺の場所からだと、スカートの中身が丸見えなのだ。膝上くらいまでのスカートの更に上、股関節の付け根までの太ももから、その先の白い三角形まで丸見え。おっぴろげである。

 俺はすぐさま平静を装い、自分の席に座って冷房を付ける。流石に目に毒だからだ。いつもよりも設定温度を下げて風量を上げる。そうしたならば、早く部屋も冷えることだろう。数分もしない内に吹雪は扇風機から離れて秘書艦の席に腰を下ろした。

色々な意味で落ち着いたところで時計を確認する。時刻は6時18分を指していた。そろそろ食堂に向かった方がいいだろうと立ち上がると、吹雪が不思議そうな表情で俺のことを見ていた。

 

「どうした? 朝飯に行かないのか?」

 

「え? いや、食堂で食べるのは怖いって仰ってませんでしたっけ?」

 

「食堂が怖い? 俺、そんなこと言っていたのか?」

 

「はい。こちらにいらしてからは、最初の数回で行くのを止められましたよ。朝食は大体、交代で執務室に届けてもらい、それ以外はご自分で作られているじゃないですか」

 

「あ、あぁ、そうだったな。どうも、最近の暑さで頭がぼーっとしててな」

 

「確かに今日も暑いみたいですね。体調が優れないのでしたら、どうぞ私室でお休みになって下さい。執務は私がやっておきますから」

 

「いいや、いい。冷房室で水分補給をこまめにしながら執務をすればいいだろ」

 

 吹雪の話に合わせたが、先程の吹雪の振る舞いといい何かがおかしい。それを調べるとなると、食堂に行くのが手っ取り早いのかもしれない。

 

「飯食ったらちょっと間宮に話があるから食堂に行く」

 

「了解しました。そうこうしていると、朝食を届けてくれたみたいですよ」

 

 食堂に行く口実を吹雪に言うと、どうやら朝食が届いたようだ。吹雪が執務室の扉を開けると、そこにはワゴンが置かれていた。足元にはわらわらと妖精たちが集まっている。

 

「ご苦労」

 

「今日は私たちの当番ですから」

 

「ほれ、ご褒美」

 

「ありがとうございます!!」

 

 丁度机に置いていたお菓子を妖精たちにご褒美だと言って渡す。後でワゴン毎取りに来るとのことなので、妖精たちを送り出して俺と吹雪は朝食を摂り始めた。

 

※※※

 

 朝食を食べ終わると、食べ終わっていた吹雪を連れて食堂へ向かう。今回も吹雪に対して違和感を持った。いつもなら、俺の方が早く食べ終わるのに、今回は吹雪の方が早かった。何というか、ガツガツという感じだ。男子中高生がご飯を食べる時のような様子。こんな感じだったかと首を傾げるが、俺の持った違和感の全てを食堂へ入ることで証明されることとなった。

 食堂には艦娘が座って食事をしていた。それはいつもの光景ではあるのだ。あるのだが、俺が入ってきた時に向けられた視線はいつもと違っていた。

ギラギラとした目つき。戦闘前後の興奮状態とはまた違う雰囲気で俺のことを見るのだ。そして何というか、『見られている』と感じる視線。普通の『見る』とは違うのだ。

ヒソヒソと話し声が聞こえてくる中、気にせず間宮のところへと向かう。俺が食堂に向かうことを、吹雪が疑問に思わないために言ったことだった。

 

「あら提督、どうされたんですか?」

 

「ちょっとな」

 

「ここで言うのも何ですが、あんまり外に出ない方がいいですよ?」

 

「確かにそうかもしれないが、出ない訳にもいかないだろ。やらなきゃいけないことだってあるし」

 

「ですが、このご時世です。何があるか分かりませんよ。今も続く戦争の影響で、男性の数が極端に減っているんです。女性は酒の生存本能で男性を求めて飢えてますから、最悪襲われることもあるんですから」

 

「わ、分かった。ただ、間宮に用があっただけなんだ。すまない」

 

「えっ?! あ、そ、そうなんですね……。失礼しました」

 

 予想はしていたが、やはりそうだったが。恐らく、男性が極端に減ってしまったことによる貞操観念逆転が起きているのだろう。間宮の説明からそのように聞き取れたのだが、吹雪の振る舞いを見てもそうとしか言えない。それに、食堂に入った時の皆のリアクションも。

艦娘は生まれる際に、基本的な道徳観と読み書きが出来る。前者に関しては、恐らく生まれた時の情勢を考慮している割合が多いのだろう。そう考えれば、艦娘の振る舞いがその時々の女性と同じ道徳観であったり振る舞いを模すのは当然であるといえる。

 

「ま、なんだ。食事についてだ。毎回妖精たちに運搬を頼むのも悪い気がするし、時間をずらして食堂で食べようと思うんだが、どうだろう」

 

「は、はい。今日の昼からはそのように致します。通常の時間から30分から60分後くらいにいらっしゃってください」

 

「分かった。要件は以上だ」

 

「はい」

 

「あと、忠告ありがとう。注意する」

 

 食堂から戻り、通常通り執務を終わらせる。対して時間も掛かることなく、手早く終わらせることが出来た。秘書艦である吹雪はどうやら、俺の知っている方と一緒で終業時間まで残っていくみたいだ。勉強道具と本を持ち込んでいるみたいだからだ。

俺も吹雪を気にすること無く、自分のしたいことを始める。とりあえず、溜めていた本を消化していくために、一度私室に戻って本を取って出てくる。

 程よく涼しく、給湯室には色々な飲み物が置かれているため快適に過ごしていると、扉をノックする音が聞こえてくる。返事を返すと、現れたのは見覚えのない士官だった。

妙齢の女性。ロングストレートのシルバーヘアー。切れ目で灰色の瞳。色白。どこか響を大人にしたような雰囲気の女性だ。腰に帯刀し、拳銃も装備しているみたいだが、海軍憲兵の軍服を着ていることから、士官クラスの門兵だと思う。士官クラスは人数が少ないためにある程度把握しているが、このような容姿の士官に覚えはない。

誰だか分からないが、妙齢の女性は俺に向かって敬礼をして名乗った。

 

「警備部部長 武下中佐、入ります」

 

「入れ」

 

「失礼します」

 

 武下ぁぁぁぁぁぁ!?!?!

 

「昨日逮捕された不審者のリストを提出に参りました」

 

「ご苦労様」

 

「はッ!!」

 

 誰この人、というのが俺の内心の感情だった。確かに威厳と風格を感じるが、性別変わってるし名前言われなきゃ分からない。というか、毎日報告するようなことなんてなかった。これも、この世界独自のものなのだろうか。

 

「取締を強化しているのですが、相変わらず逮捕者の数が減りません。本当に申し訳なく」

 

「いや、いい。気にするな」

 

「はい。しかしながら、このようなご時世の中であるからこそ、提督を求めてしまうのかもしれません。前世代の男性でもありますから、提督は」

 

 前世代? 言葉から察するに、俺は何か特徴を持っているのだろうか。

 そう言いながらリストを渡してくる武下の手は白く細い。もっとゴツゴツして固かったような気がするんだが、性別も変われば変わってくるものなのかもしれない。

受け取って内容を確認していきながら、武下の言葉に耳を傾ける。

 

「横須賀鎮守府に集まる門兵も、基本的には心技体全てに於いて優れた精兵ばかりではあります。しかし、優れているからこそ、異性と接触した際に憚られるのです」

 

「ふむ」

 

 リストに目を通し終わり、一緒に渡された書類を見る。

処分をリスト通りに進めていいか確認を取るものだ。俺のサインと印鑑が必要な様子なので、サインをして印鑑を捺した。

 

「……本日の提督は何処か雰囲気が違うように思われますが、何かありましたか?」

 

「うん? 特にないと思うが」

 

「そうですか?」

 

 今朝起きたらこの状態だったから、確かに身の振り方は違うかもしれない。少し注意していかなくてはならないな、と頭の中で考えつつ捺印した書類を返した。

書類を受け取った武下はそのまま執務室から出て行き、再び俺と吹雪だけの執務室へと戻る。

 朝起きたらこのような状況になってしまっていたが、俺はこれからどうしていけばいいんだろうかと、本を開きながら考えを巡らせるのであった。

 

※※※

 

 しっかりとした対策が練られないまま時間だけが過ぎていく。体感的には今の状況は並行世界に入ったかのような気分だが、元からここにいた俺と入れ替わる形で存在していることは確かだ。俺の身体に俺が憑依したのか、身体そのものが入れ替わったのかは分からない。ただ、吹雪や間宮、武下の口振りから察するに、俺はこの世界に順応しているみたいだ。食堂が怖いと言って寄り付かなかったり、滅多に執務室から出ないような事を吹雪から言われたからな。

前も割と出ない方ではあったが、時々運動しに行ったり買い物に出掛けたり等していた。それ以上に出ていないと考えるべきなのだろうか。起き抜けでは気付かなかったが、確かに私室に置いてある私物は少ない気がした。本棚に収めている本の数も1/6程度になっていたような気がしなくもない。そもそも、この世界の俺自身が俺がいた世界から来た俺である可能性があるために、一概に俺と同じ思考パターンや信条、嗜好を持っているとも限らない。

それはともかくとして、本の趣味に関しては変わらないようだ。小説ばかりしかないが、選ぶ作品も作者も俺と同じ。というか、置いてある本全て、並行世界の私室に置いてあるのだ。

 時刻が正午になろうという頃、そろそろ昼食の時間ではあるのだが、間宮に言って時間をずらして貰っている。俺は午後1時に行くつもりだ。吹雪はその時間に合わせるのだろうか。

 

「お昼ご飯は司令と合わせますよ」

 

「お、おう」

 

 吹雪の方を見ると、たまたま吹雪が俺の事を見ていたらしく、聞いてもない質問への返事をくれた。質問内容は間違ってないが、なんというか怖い。多分、時間を確認していた俺を見て推理したんだろう。そう考えれば怖くない、か。

読みかけていた本を手に取り、再び文章に視線を落としたが、吹雪の視線が気になる。気になった俺は、吹雪に何か用があるのかと聞くことにした。

 

「吹雪、何かあったか?」

 

「えっ?! い、いえ!! 大したことではないんですが」

 

「気にせず言ってくれて構わない」

 

 おずおずと吹雪が口を開く。

 

「何だか今日の司令は……その……」

 

 ゴクリと吹雪が喉を鳴らす。

 

「開放的と言いますか、自由と言いますか、その……」

 

「??」

 

「あれだけのことがあってトラウマになっていると伺っていましたので、存外普通に接して下さってるのが何だか」

 

 よく分からない。吹雪の言い方だと、前に何かあったというのだろう。残念ながら俺には分からない。

 

「それに口酸っぱく女性には警戒するように大本営や多方面から注意をされており、それを従順に守っていた司令が急に忠告を無視するような行動をしたりだとか、一体どうされたんですあ?」

 

「警戒? 注意? あ、あぁ……アレね」

 

 全く以て分からない。誰か教えてくれ。

 

「別に気にしないでもいいと思っただけだ。確かに注意は必要だろうが、そんな無闇矢鱈警戒心振りまいても良くないだろう?」

 

 それとなくそれっぽいことを言って誤魔化し、俺の今の行動が不思議に思われないように仕向ける。

 もし、秘書艦の仕事に変わりがないのなら、終業後辺りに秘書艦を囲んで話しているだろう。そこで吹雪が皆に報告するはずだ。それで、今後の俺の行動が不審に思われないように布石をしておこう。

 

「そ、そうですか」

 

「うん? まぁ、気にするなってことだ。それで、俺は開放的になったつもりはないんだが」

 

「そ、そ、そそそうなんですか?」

 

 何故そこまで吃ってしまうのだろう。そんな言い辛いことでもしていたのか? もしかして、社会の窓でも開いていたか?

 

「その、えぇと……」

 

「??」

 

「その、ですね……いつもシャツのボタンは一番上まで締めておられるのに、今日は何故二つ空いているのかな、と」

 

「ん? 暑いからだが?」

 

「じ、じゃあ、上着を脱いでいるのは?」

 

「暑いから」

 

 何かおかしいのだろうか。基本的に俺の軍装は、第二種軍装と呼ばれる白い学ランだ。靴は黒を履いているが、スラックスから上着まで全て白。上着の中に着るシャツも白だ。外に出る場合、冬は第一種軍装になるが、色やデザインが多少違うだけでただ重くなっただけである。

夏は第二種軍装の夏仕様。昔は半袖だったらしいが、長いこと夏場も軍装は長袖らしい。その代りに生地は通気性がいいものになっているのだとか。

その第二種軍装は、基本的に全て着用しなければならない。だが、俺は夏場は上着を脱いで過ごすことが普通になっており、それを注意されたこともない。来客がある時は基本的にちゃんとした格好をしているからな。

ともかく、俺の格好はスラックスにシャツ姿というだけ。長袖の中に着るシャツのため、こちらも長袖のシャツな訳だけどな。勿論、暑いから袖を捲っている。それに関して、何かおかしいことでもあるのだろうか。

 

「うぅぅぅ……」

 

「吹雪?」

 

「な、なんでもない、です……」

 

 結局、何がおかしいのかも全く分からないまま、吹雪は下を向いてしまった。一体、何だというのだろうか。

ともかく、男女の貞操観念が逆転している以上、何かあったのかもしれない。客観的に見れば、俺の視点で言うところの男社会に女性が入ってきたようなものなのだろう。もし、俺が女性になったんだとして、艦娘や皆が男性だったのならと考えて行動した方がいいのかもしれない。

 遅れて昼食を摂り、午後は別件でやることがあったため、夕食まで一度も執務室から出ることなく執務をすることになった。執務の具合や報告書を見ている限り、事鎮守府の運営に関する事は、俺が昨日寝る前と全く同じ状況だったことは幸いだった。午後始まるなり確認を初めてよかったと思う。

 



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貞操観念逆転 その2

※最初は吹雪の視点、その後鈴谷の視点に切り替わります


 滅多に当たることのない秘書艦くじ引き。私は珍しく当たりを引くことができました。嬉しいに決まっています。何故なら、秘書をするのは司令官ですからね。

前略、私たちの司令官は男性です。私たちの住まう世界とは少し違うところからやってきたとのことで、男女比率が崩れていることに驚いていました。そのため、最優先で世間での常識棟を教えられています。なので、司令官自身が知っている女性とは態度を変えて接する必要があると決めて、そのように行動されていました。最も、私たちのためでもあり、自分のためでもあると仰っていましたが。

 そんなこんなで今日まで紆余曲折あり、深海棲艦との戦争が続いている今日この頃。もうお盆が近付いてきており、早朝からでも暑い時期です。起きてすぐに身支度を整えて、いち早く執務室に到着していました。べ、別に変な意味はありませんよ? 扉一枚隔たれた向こう側で、無防備に寝ている司令官がいらっしゃると考えると少しアレですが……け、決していやらしい意味ではないです。ただ、出てくるまで時間があると思い、一人扇風機を占領していました。執務室には冷暖房が完備されていますが、操作は司令官がしています。操作するためのコントローラも司令官が持ってますから、司令官が起きてこなければ執務室の冷房は点きません。

扇風機の風をスカートの中に入れて、股関節や股に当たるとひんやりして気持ちいいんです。それをしていたんですが、最初の頃は司令官も顔を背けていたそうですが、ここ最近は全く気にする素振りもしないとかなんとか。なので、気にせずやっていたんですが、聞いていた話と違っていました。司令官が私室から出てくるなり、顔をそっぽ向けたんです。原因は私の行為以外ありません。

 司令官は冷房を点けて、急ぎ執務室の中を冷やしてくれます。その間は暑いままですから、司令官も扇風機の風を当たっていたんですが、そもそも格好がおかしいんです。

私室から出てきた時、司令官のリアクションを見ていて格好までは見ていなかったので気づきませんでしたが、かなり薄着で出てきたんです。いつも第二種軍装を身に纏って、ちゃんとした格好で出てくるというのに、今日はスラックスにシャツ。しかもボタンを2つも開けて、長袖を捲っているんです。これはアレですか? 誘っているんですか?

シャツが透けて下着が見えていますし、少し汗ばんでしっとりしている首筋がチラチラと見えます。捲っている腕は、あまり外に出ないために白く、頻繁には運動をしない方なので細いですが、男性らしく筋張っていて血管も浮いています。

何といえばいいのか分かりませんが、とにかく司令官が挑発的な格好をしていることに変わりはありません。これから終業まで、私は私を保っていられるでしょうか。

 

※※※

 

 ということがあり、私はなんとか終業を迎えることができました。秘書艦になれることは嬉しいことですが、それ以上に私にとって有り難いことでした。これは自慢出来るし……ぐへへ。午後はラッキーなこともありましたし、不意にボディータッチもありましたからね。

終業して早速寮に帰ると、やはりと言ってもいいのか皆集まっていました。毎日あることではありますが、今日は司令官の異変に気付いていた人も多かったようです。門兵の方もちらほらいるみたいですね。

 吹雪型の寮室は大部屋です。一応仕切りがあるものの、かなりの大人数が入ることの出来る部屋になっています。頑張れば100人位なら入りそうです。そんな部屋に、人がギュウギュウに入っているのなら、100人はいるんでしょうね。

中心に誘導された私は、司会役をしている叢雲に様々な質問をぶつけられていく。こうして秘書艦をした人が、司令官の情報を共有していくんです。そして最後の質問が終わる頃には、会場は異様な空気に包まれていました。

 

「い、今まではガードが硬かった提督が」

 

「緩くなった上に」

 

「無自覚でエロいことをしてくれるって?」

 

「キマシタワー!!」

 

 何というか、これが女子校ノリというか、青春を謳歌する同年代のノリなんでしょう。そう門兵さんが言っていました。吹雪型の寮は大賑わい。盛大に鼻の下が伸びている艦娘や門兵さんばかりです。私もその1人なのかもしれない。多分、話している時も、実際に執務室に居た時もそんな感じだったのだと思います。司令官には少し不審がられていましたが、私よりも別のところに意識が向いていたようなのでノーカンです。

 あれやこれやと私のことを質問責めにし、情報を搾り取った皆は妄想に耽る人やモジモジしながら退散する人が多数。ある程度人数が減り、時間が立って落ち着いてきたところで、近くで聞いていた鈴谷さんが私に話しかけてきました。

 

「ね、ねえ吹雪」

 

「なんですか、鈴谷さん」

 

「その、提督がさ、エロくなったって、どこで分かったの? 確かに、今朝食堂で見た時は薄着で下着見えてるなーって思ったけども、それだけじゃないんでしょ?」

 

「はい。あれだけ色々あると、流石に……」

 

「へ、へぇ~」

 

 鈴谷さんがモジモジしながら横に座る。どうやらまだ横にいるつもりみたいだが、一体どうしてなのだろうか。

 

「あ、明日の秘書艦、鈴谷なんだよね」

 

 その言葉で全てを察してしまった私は、取り敢えず適当な話をして帰って貰うことにした。私にとっては恥ずかしいこともあったので、そういうのはなしにして教えていきます。取り敢えず、鈴谷さんが満足するまでは話に付き合いましょう。

 

※※※

 

 今日の秘書艦は鈴谷だよ。昨日、提督の様子がおかしかったってことは耳に入っているけど、どうもおかしい部類がちょっと違っていたような気がしなくもない。艦隊運営に関わるようなことは、基本的にビシバシキリキリと動く提督。それ以外でのプレイベートな時間だったり、デスクワークでの姿は至って普通になるという。鈴谷もその姿は秘書艦経験から何度か見たことがある。だけど、今回の話に関しては、それとは全然違うこと。

 吹雪曰く、ガードが硬い提督がオープンになった、みたいな?

健全な艦娘である鈴谷からすると『超ラッキー』だよね。ラッキーすぎるでしょ。いつまで続くのか分からないけど、世界一優良物件でありガードが固く、前世代のタイプであるならばアプローチしない手はないよね。だからあれだけ吹雪型の寮室は人が集まっていたし、皆鼻息荒くしていた。鈴谷もその一人ではあるんだけどね。

 ともかく、今日の秘書艦を勝ち取った鈴谷は勝負を掛けるべきだと思うんですよ。という訳で、午前6時前には執務室に身支度を整えて向かう。

すれ違う艦娘も少なく、早朝まで任務があったか私用で何処かに行っていた艦娘たちは少ないみたい。門兵さんも巡回をしているみたいで、窓から外を見ると、分隊規模の警備が歩いているのが見えた。

 執務室は、まだ提督の姿はない。吹雪も言ってたけど、この時間帯の執務室は暑い。冷房も点いてないし、何処で操作するのかも分からないから扇風機に当たっている。スカートの中に風を送ると気持ちいよね。スースーして。

そんなこんなしていると、隣の私室で物音が聞こえてくる。

 考えてみれば、隣の私室ではあられもない姿の提督が無防備に寝ているんだよね。想像するだけで……ぐへへっ。それに、割と皆し知らないことだけど、私室と執務室と繋げる扉は、基本的に鍵を締めてないみたい。緊急時のために開けてある、と以前提督が言っていた。そうすると、何かしら理由を付けて、今私室に飛び込んでも少し怒られるだけで済むかもしれない。ならばやらねば。

 

「すー、はー」

 

 深呼吸をして私室の扉の前に立つ。まだ出てくる時間じゃない。何かラッキーなことがあってもいい筈。

思い切って扉に手を掛けて押し入るとそこは……。

 

「ご、ごめーん提督!! トイレ借りぶはぁぁ!!」

 

「す、鈴谷?!」

 

※※※

 

 楽園(エデン)が見えた。金剛さんじゃないけど天国(ヴァルハラ)とでも言える。トイレを理由に私室に突入した鈴谷は、どうやら鼻血を出して倒れたらしい。気付いた時には、私室のベッドで寝かされていた。否、この状態でも十分ウハウハなんだけども。

 

「気付いたか?」

 

「うぇ?!」

 

「上?」

 

「ふと!! ここ、提督のベッド?!」

 

「ふと? あ、あぁ。俺のベッドだが、倒れた鈴谷をそのまま床に転がしとくのも悪いと思ってな」

 

 顔から火が出そう。恥ずかしいという意味ではなく、興奮して(鼻血)が出そうなのだ。

 確かに鈴谷はラッキースケベを狙って私室に突入した。そしたら、思惑通りラッキースケベになったよ? だって着替えてる途中だったもん。既にスラックスは履いてたけど、上は下着のままだったからね。ガッツリの胸元が開いてるVネックのシャツ。胸筋の盛り上がりとか、谷間の凹みとか見た瞬間オチてた。

そして目が覚めたら提督のベッドに寝かされている。ということは、何かしらの方法で床に倒れた鈴谷を運んで寝かせてくれたってことでしょ? さっきまで提督が寝ていたベッドに。意識しないと、鼻孔が無茶苦茶反応してしまう。凄くいい匂いだし、まだ温かい。温かい。枕も提督のだとすれば、つまりこれはあれだ。提督を全身で感じているという……。

 

「どうして顔が赤くなるのか分からないが、大丈夫か? 急に鼻血を出して倒れて」

 

「だ、大丈夫大丈夫」

 

「体調が悪いなら寝てろよ。書類は俺が取りに行くから」

 

「それは悪いよ!! というか出ちゃ駄目!!」

 

「何故?」

 

「なんでも!! 鈴谷が行くから!!」

 

 鈴谷の体調を気遣ってくれるのは有り難いけど、提督を外に出す訳にはいかない。しかも事務棟に行くというのだ。あそこは危険地帯なのだ。

 事務棟は横須賀鎮守府の中でも鎮守府外からやってきた人間が一番多くいる部署だ。内外のやり取りを行っているところであり、鎮守府へ書類を運ぶ人や手続きに来る人も多く入ってくる。そのため塀のところに建てられており、事務棟の中を通って外に出ることも出来るのだ。

機能や利用方法以外でも、事務棟に入る人が多くいる。主に外からだけど。理由は提督にある。一目提督を見ようと、民間の企業や団体が必要以上に手続きを長引かせていることがあるのだ。時々、提督は自分で事務棟に行くことがあるからだ。何処からその情報が漏れたか知らないけど、もし遭遇しようものなら面倒なことになること間違いなし。過去に実際、面倒なことになったから。

 名残惜しいけど、提督のベッドから出て自分で取りに行くしかない。

ベッドから出て、すぐに靴を履く。そのまま提督に「行ってくる!!」と言って、そのまま執務室を飛び出した。両鼻にティッシュを詰めたまま。

 

※※※

 

 急いで戻ってくると、執務室が丁度よく冷えていた。飛び出して事務棟までは全力疾走していたため、結構身体が熱くなっている。汗もかいてしまったため、長い髪が首筋に張り付いたりしてて気持ちが悪い。帰りは歩いて帰ってきたが、時間が時間だったため、そこそこ早歩きをして戻ってきた。

 

「た、ただいま」

 

「おかえり」

 

「はい、今日の書類」

 

「ありがとう」

 

 一息吐いて時間を確認する。まだ午前6時15分。時間に余裕がある。昨日の夕食後、連絡事項として提督が時間をズラして食事をすることを伝えられていた。朝食は午前7時半までに行くことになっているが、空き始めるのは午前7時だ。提督はどうするのだろうか。

ハンカチで汗を拭きながら、提督の方を確認する。

 

「今日は7時半からにしようか。鈴谷」

 

「うん? 提督がその時間がいいなら、鈴谷は合わせるよ?」

 

「そう? さっき走って飛び出していったから分かっていたが、鈴谷、朝っぱらから汗まみれだと嫌だろ?」

 

「そ、そうだね」

 

 汗臭い女って思われたら鈴谷、多分ショックで寮から出てこれなくなると思う。というか今が臭いのか?!

 

「ほら、雨の中を傘なしで歩いたような感じになってるぞ。タオルと着替えを用意してやるから風呂入ってこい。その間に洗濯と乾燥してやるから」

 

「え、う、うん……」

 

 うん? お風呂の話になったのはいいんだけど、文脈的に何かおかしい気がする。

 

「私室の風呂場は分かるよな? 使っていいから入ってこい。あと、洗濯物は洗濯機に放り込んでいいから、ネットに入れるモノは入れといてくれ。後はやっとくから」

 

「わ、分かった」

 

 提督に促されるまま、私は私室に入って風呂場へと向かう。確かに場所は知っているが、こうして使うことになるとは思わなかった。

扉を一度閉めて服を脱ぐ。夏仕様だから上着は着ていないから、シャツとスカート、ソックス、下着くらいだ。下着、スカート、シャツは洗濯機に掛けてあったネットに分けて入れる。そのままお風呂の中へと入っていく。

 何というか落ち着かない。シャワーを浴びてると、脱衣所に誰かが入ってきた。

 

『鈴谷。洗面台の前にタオルと着替えを置いとくから、取り敢えずそれを着てくれ』

 

「わ、分かったー」

 

 提督はそのまま洗濯機を触り始めたみたいで、機械音が聞こえてくる。

 

『何かいるものがあれば言ってくれ。あれば出すから』

 

「特にないよー」

 

『そうか。じゃあ俺は出るから』

 

「はーい」

 

 ヤバい。何がヤバいって、よく考えたらここで提督が毎日お風呂に入ってるんでしょ? さっき何も考えずに脱衣所に居たけど、あそこよく思い出したら提督の私物とか結構置いてあったじゃん。

考え出したら止まらなさそうだから、手早く済ませてしまおう。一通り洗ってお風呂から出ると、洗面台のところにタオルとジャージが置いてあった。その上にはメモもある。内容は『女性の下着はないんだ。すまない』とあった。確かに提督が女性の下着を持っている理由はないよね。一人暮らしだけど、ここは軍の施設内でもある。外ならカモフラージュで女性物と一緒に干す男の人がいるって聞いたけど、ウチではする必要がないもんね。

 身体と髪を拭いてジャージを着るが、ここでもあることに気付く。

このジャージ、サイズが大きい。まぁ、当たり前だけど提督のジャージだよね。裸のまま男の人のジャージを着るって、何だか変態みたい。というか変態でしょ?! ヤバいって!! こんなこと誰かに知られたらなんて言われるか分かったもんじゃない。でも、何というかこの背徳感がたまらない。ちょっと堪能しとこうかな。

 

「ドライヤーあるから」

 

「……ありがと」

 

「あと飲み物。お茶でいいか?」

 

「うん」

 

 至れり尽くせりじゃん。提督はお茶を出したら、鈴谷残して執務室に行っちゃうし。チャンスだから見回して見ようかな。

 提督の私室に入ったことのある艦娘はいない。初めて私が入ったということで、少し詳しく見てみようと思う。

提督が読書家だということは知っているが、それは私室内を見ても見て取れる。壁際に大きな本棚があり、そこには文庫本やハード本がたくさん収められている。漫画とかはないみたい。あと、室内はよく整頓されて綺麗にしてある。慌てて掃除したようには見えないから、普段から掃除をしているんだろう。ダイニングには調理器具がたくさんある。料理をするなんて知らなかった。それに奥の方に見えるのは洗濯物だ。あまり見えないが、そういう部屋なのだろう。扉を隔てて廊下があり、その奥に部屋があるみたいだ。ハンガーが見えるから、多分洗濯物だろう。

もしかして提督って、自活能力が高い人なのかも。家事全般が出来るんだろう。

 私室観察をしていると、脱衣所の方から機械音が聞こえてくる。洗濯機でも停まったんだろうか。鈴谷がお風呂から出た時には動いていたし、時間も経っている。ただ、提督も聞こえていたはずなのに来ないってことは、乾燥も一緒にしているんだろう。脱衣所の方で洗濯機が停まっていないようなので、多分乾燥が始まっているんだと思う。

 お茶を飲み終わり、私はジャージのまま執務室に向かう。私の秘書艦としてやらなければならないことがある。それに、まだ朝食に行くと言っていた時間までかなり余裕がある。

秘書艦の席に座り、私はやらねばならないことを始める。そうこうしていると、再び私室の方で機械音が聞こえてきた。それを聞くなり、提督が立ち上がって私室に行ってしまう。洗濯機から出してくれるんだろうと思いつつ、私は自分のことをし続ける。

 

「……あれ?」

 

 区切りがいいところで意識を戻すと、どうも提督は執務室に戻ってきていない様子。気になって私室に入ってみると、私が放置してしまったコップは片付けられており、提督はというとアイロンがけをしていた。勿論、私のシャツとスカートだ。

 

「おう鈴谷、下着は乾いてるから履いてもいいぞ。こっちももうアイロン終わるから、これ着たら飯行こう」

 

「う、うん……」

 

 ヤバい。ヤバいね。いろんな意味で。うん。語彙力? そんなモノは知らない。

 だって提督が鈴谷のシャツとスカートをアイロンがけしてくれてるんだよ? いつも洗濯物は艦種毎に纏めてやってるし、担当がいるから鈴谷がやることはあまりない。それでも、何だかグッと来るよね。前世代の男性だっていうのは分かってるんだけど、前世代で家事万能ってヤバくない? これで本当にご飯作れるとかなら鈴谷、今まで以上に本気出すんだけど。今まで壁作られてたから、提督がオープンになっている今がチャンスだよね。

 洗濯も終わり、提督が手早くアイロンがけをした服に着替えると、かなり遅れて食堂に向かった。

 



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貞操観念逆転 その3

※鈴谷の視点で書かれています


 

 朝食から戻ってきてから、普通に執務を終わらせてグダグダ過ごした。今日は室外に出る予定もなかったみたいで、本読んだり勉強をしている提督を見習って、鈴谷は棚に並んでいる戦闘報告を見ることにした。

 戦闘報告は演習から遠征も含めた艦隊行動に対する、編成艦や艦隊旗艦に課せられる提督への経過報告や戦闘詳細を纏めたもの。基本的に手書きをして、それを秘書艦や提督がパソコンに打ち込んで読みやすく変換、印刷して纏めているもの。パソコンの中にもデータが残っていて、提督がバックアップをいくつも取っている。基本的に棚に並んでいる報告には赤城さんがやってる"特務"に関するモノや、工廠が開発している新兵器等々の情報も含まれているみたい。提督から近いところに置かれている棚に関しては、ほとんどの艦娘や兵士の閲覧を禁止しているもので、どうも触れていいのは許可を貰った人だったりするみたい。内容は知らないけど、アルファベットと数字が並んだ背表紙で、それだけ見たら内容は分からない。

 鈴谷は直近の戦闘報告を確認することにした。最近は大規模な戦闘はなく、基本的に北方・西方の偵察任務が主で、それ以外には護衛や輸送も含まれている。鈴谷が主に編成される任務は小大問わず戦闘、護衛だ。しかもローテーション。週一でないくらいの頻度だ。

そんなこんなしていると昼食の時間になり、特に何かある訳でもなく提督と遅れて食堂に行って食べた。

 午後も何もなく過ぎ去っていく。昼食を食べ終わって1時間程経過しているが、特にやることはない。提督は昼食前に上がってきた報告書に目を通して打ち込みをしているが、私もしなければならない程多い訳でもなく、緊急でしなければならないこともない。

持参しているものもないため、提督にどうしようか言おうと思った時、提督から鈴谷に話しかけてきた。

 

「鈴谷」

 

「な~に」

 

「暇してるなら、酒保とか行ってもいいんだぞ?」

 

「う~、確かにそうだけど、あんまり席を外すのはよくないかなーって思う」

 

 パソコンの画面越しに、提督が鈴谷の顔を見ながら言う。提督の言うことは最もだけど、秘書艦が離れる訳にはいかないじゃん。というか、普段好きな時間に行けるから別にいいもんね~。今こうしている時間の方が貴重なんだもん。

 

「そうか。じゃあ、俺の部屋にある本、適当に読んでもいいぞ」

 

「ほんと?」

 

「鍵も締まってないから、勝手にどうぞ」

 

 お言葉に甘えて、鈴谷は提督の部屋に行くことにした。といっても、朝結構見ることができたからいいんだけど。私室に入り、取り敢えずは本棚のところに行く。もう一回観察するのは、後でも出来るからね。

 本棚には色々な本が収められている。朝は気付かなかったけど、文庫本とハード本だけではなく、新書もあるみたい。国語、漢字、英和、和英辞典もあり、広辞苑も何故か置いてある。何で? ジャンルは様々だけど、どうも自己啓発系はないみたい。思想の本もあったりするから、ぶっちゃけ提督の趣味は読書と言っても多岐に渡るみたいだね。我が闘争、資本論、職業としての学問、宗教社会学論集……最初の二つ目は分からないでもないけど、ちょっと鈴谷には読めないかな。他にも経済学系の本とか、歴史学系の本とかも少しあるみたい。

鈴谷はそういった学問系は苦手なので、大人しく小説を取ることにする。児童・官能モノ以外はあるみたい。恋愛小説はちょっと読み飽きてるし、別のモノにする。アーサー王物語にでもしておこう。ポピュラーな気がするし、読んだこともない。資料室には置いてあったか覚えてないけど、あんまりなかったような気がする。

 本を選んだので、提督の私室の観察を始める。やっぱり、掃除と整理が行き届いている。それに今気付いたけど、冷蔵庫にメモが貼り付けてある。内容は買い物リストだろう。色々と書いてあるみたいだ。それに生物も書いてあるから、これは確定だろう。提督は料理をするのだ。

後見てないところは、洗濯物が干してある部屋くらいだろうか。確かに本部棟にはベランダがないから、必然的に部屋干しになってしまうんだろう。確か提督の私室は2LDK。かなり広めに作られていて、本部棟の半分が提督の私室だったと思う。執務室からすぐの部屋はおそらくリビング・ダイニング・キッチン。扉の向こうの廊下から奥に部屋がある。廊下の途中に脱衣所とお風呂、トイレがあった。それに、ダイニングから見える引き扉の向こう側も部屋だろう。廊下の向こう側で部屋干しをしているということは、こっちは寝室ということみたいだ。

何というか、やらしい。

 一通り観察を終えて、鈴谷は執務室に戻る。勿論、手には本を持っている。

鈴谷が出てきたことを確認した提督が、本を見て呟く。

 

「アーサー王伝説にしたのか」

 

「うん。結構選んだけど、ちょっと鈴谷には早そうなものが多くてね」

 

「確かに、経済書とか歴史書読んでる鈴谷は想像付かない」

 

「ぶー!! そんなことないし!! 鈴谷だって読むし!!」

 

「はいはい。だが、今回は読まないんだな」

 

「そうだね~。そんな気分じゃないし」

 

 そう言いながら秘書艦の席に座り、鈴谷は本を読み始める。本当なら何か提督としたいところだけど、いくらオープンになったとはいえ、いきなり積極的な事をすると変に思われるからしないでおくことにする。何より嫌われたくないからね。

 本を読み始めると早いもので、気付いた時には外は暗くなり始めていた。そろそろ夕食の時間。アーサー王伝説も結構読み進んでいて、ほぼほぼ終わりがけに突入していた。終業には読み終わりそうで、これから夕食を食べて数時間残ったら終わりだ。

 

「さて、そろそろいい時間だし、夕飯食いに行こうか」

 

「うん」

 

 これまで本に集中していたけど、よくよく考えたらラッキースケベは全然遭遇できなかった。朝のアレくらいだけど、吹雪の話はもっとあってもよかったと思うんだけどなぁ。

 遅めの夕食を食べて執務室に戻る。決められた時間に終業はないが、基本的に秘書艦は眠くなるまでだったり、提督が私室に戻ってしまう時間までいる。私もアーサー王伝説を読み終えるまで残るつもり。それ以降はどうしようかと考えていると、席に戻って提督が唸り始めた。何かあったのだろうか。

 

「どうしたの?」

 

「うん? いいや、ちょっとな」

 

「??」

 

「夕飯が足りなかった」

 

「そうなん?」

 

 どうやら夕食が足りなかったらしい。ここで「鈴谷が作ったげる!」とか言えればいいんだけど、生憎鈴谷は料理ができない。やったことがないのだ。レトルトとかカップ麺なら出来るんだけどねぇ。

と考えていると、提督が立ち上がっておもむろに私室に戻ってしまう。気になって後を付けていくと、冷蔵庫の中を漁っているようだ。

 昼に冷蔵庫の中までは見なかったが、結構整理されているみたいだ。お菓子とかジュースも入っているが、基本的に食品と調味料ばかり。レトルトのものは一つもない。

中からあれこれと出している提督が鈴谷の事を確認する。

 

「鈴谷も何か食べるか?」

 

「え? いいの?」

 

「いいも何も、一人で食えんだろうが。気不味い」

 

「ま、まぁ、鈴谷も足りなかったから」

 

「じゃあ決まり」

 

 思いもしないことが起こった。鈴谷もご相伴に預かることが出来るみたい。これは単純にラッキー。

 執務室はもう使わないつもりらしく、戸締まりをした提督は調理に入った。鈴谷は何もできないので、ただ待つだけ。ダイニングに腰を下ろして、残りのアーサー王物語を読むだけ。

丁度読み終わった頃に完成したらしく、目の前には味噌汁とご飯、角煮が置かれた。角煮……。何故?

 

「作ったやつが余ってたんだよ。味噌汁はわかめ。生のネギを後からかけた。どれくらい食えるか分からなかったから、角煮は同じ器からつつくことになるが、気にするか?」

 

「大丈夫」

 

 大丈夫じゃないでーす!! 味噌汁は匂いで分かる。ちゃんと出汁取ってるよね? 多分昆布と鰹だと思う。匂いで分かる。角煮も一度鍋に出して温め直したよね。湯気がもうもうと上がってて、角煮も箸で摘むだけでほろほろと崩れるけど、グチャってならずに摘める。

ここからは鈴谷、一心不乱に食べました。美味しかったです。

 

※※※

 

 ご飯もおかわりしてしまった上に、角煮もさらえてしまった。提督も結構食べていたが、あれだけあった角煮もなくなったのだ。どうやら角煮は前に作った奴を冷蔵庫で保管していたみたいだ。ご飯は昨日、小腹が空いた時に炊いた分の余り。味噌汁は角煮を温めながら作ったみたい。

洗い物は鈴谷がやると言ったのに、提督は『別にいい。あんないい食いっぷりみたらいい気分になったからな』と、シンクの前に立って洗い物をしている。何という……何という……。鈴谷の語彙力ではこれ以上表現は不可能。

 お腹も落ち着いて、本棚にアーサー王伝説を戻した頃には午後10時を既に過ぎており、11時になろうとしていた。そろそろ寮の一部が消灯になる時間だ。駆逐艦の艦娘たちが寝るの早かったりする。それが理由だ。基本的に消灯時間は決まっているものの、守っている艦娘は余り多くない。共有スペースだけ消灯し、自分の個室は消灯していないことばかりだ。個室で更に集まって話していることもあるので、消灯時間はあってないようなもの。鈴谷も熊野のところに行ったりするからね。

秘書艦の終業時間もこの辺りなので、名残惜しいけど戻ろうとすると、提督が鈴谷を呼び止めた。

 

「鈴谷」

 

「な~に?」

 

「言うの忘れていたんだが、今日の夜は食堂から寮に抜ける廊下は封鎖される」

 

「何かあったっけ?」

 

「点検で床引っ剥がしたり、水回りを見るらしい。妖精が既に行ってる」

 

「となると……一度外に出てからじゃないと寮には戻れないかな」

 

「あー、それもなんだが、寮の玄関は施錠されてるぞ」

 

「え?」

 

「時々夜更けに出歩く艦娘がいるからって、今日から施錠することになったと赤城から聞いてるんだが」

 

「おうふ」

 

 変な声が出たが、これはもしかしてもしかすると。

 

「鈴谷、もしかして寮に帰れない?」

 

「……」

 

 提督が黙って頷いた。これは何というか、ここまで狙い澄ました感じだと、逆に何かに嵌められているような気がしてならないが、ラッキーなことも重なり過ぎている気がする。

 

「あ、あははー。どうしようかなー」

 

「本部棟に寝る場所なんかないぞ」

 

 そう。本部棟には寝る場所がない。基本的にどこの室内も物が置かれている。会議室はあるものの、それ以外は戦闘報告のバックナンバーが収められているところや、新兵器開発の際にヒントを得るために提督が見る本の数々が置かれているところ、資料室という名の図書館、緊急避難用具置き、リネン室、食堂の冷蔵庫や厨房、使用されていない書庫や開かずの武器庫等々。基本的に座るところもなかったりする。椅子がある図書館も管理は基本的に提督が私たちに一任しているから、消灯時間に戸締まりがちゃんとしてあれば入ることはできない。となると、寝れる場所は一つしかないのだ。

 

「着替えとかないが、明日の朝に寮へ戻って着替えればいい。寝間着はまた、朝の奴を貸す」

 

「あ、あのその……ほんとにいいの?」

 

「ん? 別に俺はいいが」

 

 これはあれか? 据え膳食わぬはって奴。昔は男の人が使った言葉らしいけど、今じゃ女の人が使う。え、え? こんなシチュエーション、想定を軽く飛び越えていったんだけど?! 流石に鈴谷もこれはラッキー通り過ぎてる気がするよ!?

一度落ち着いたところで、鈴谷は提督に問いかけた。

 

「す、鈴谷は執務室で寝ればいいのかな?」

 

「俺のベッドを使え。嫌ならブランケットでも布団でも出すが、その代り敷布団はないぞ」

 

「い、いいいいいれす!! 寝させていただきます!!」

 

「?? そうか? じゃあ、その辺で寛いでいていいぞ。それと、テレビも観ていいからな」

 

 そう言うと、廊下の奥へ行ってしまう。着替えでも取りに行ったのだろうか。すぐに戻ってきた提督は、手にタオルと着替えを持っていた。そのまま鈴谷が座っているダイニングまでやってきて、提督も椅子に座る。

 

「風呂先入っていいぞ。朝は急だったから溜めてなかったが、さっき溜めたから浸かれるぞ」

 

「え、い、いいよ別に。後でも」

 

「あー、これから俺、やることあるから先入ってくれ」

 

「そ、そういうことなら、お先に」

 

「鈴谷の着替えとタオルは、朝と同じところに置いてあるから。あと、さっき妖精に頼んで、鈴谷の私室から下着だけくすねてくるように言ったから、もう持ってきてると思うぞ」

 

「うん、ありがとう。でも何で下着だけ? 着替えはまだしも、寝間着くらいは」

 

「そう頼んだんだけど、流石に他の最上型にバレずに行くなら下着が限界らしい」

 

「そうなんだ」

 

 ダイニングから出て、風呂場に行くと妖精さんが本当にいた。2人が待っていて、近くには私の下着が置かれている。

 

「提督の命令で持ってきました」

 

「ありがとう」

 

「いえ、では私たちも戻ります」

 

「お疲れ様~」

 

「はーい、おやすみなさーい」

 

「おやすみぃ」

 

 そう言うと、妖精さんは洗面台から降りて何処かへ行ってしまった。というか、妖精さんは自由に提督の私室を出入りすることが出来るなんて知らなかった。どうも妖精さん用の出入り口が用意されているみたい。

 お風呂に入って出てくると、提督は洗濯物を積み上げていた。どうやら、やることとは洗濯物だったみたい。それに、近くに箒が置かれているから、掃除もしたのかもしれない。

 

「お風呂、ありがと」

 

「おう」

 

 こっちを見ることなく、洗濯物を畳んでいる提督の後ろ姿は何というか……うん。グッとくるね。

 リビングのソファーに腰掛けて、テレビの電源を入れる。観てもいいって言ってたし、この時間帯ってどんなテレビがやってるのかも気になる。テレビを観始めると、いつも見るようなやつよりも面白くて見入ってしまったが、提督は洗濯物を片付けて箒も仕舞ったようだ。リビング・ダイニングにもいないし、どうやらお風呂に行ったみたい。

 何だかここまでフリーダムにされると、凄くむず痒い。気にし始めるとよくなさそうだから、テレビに集中しよう。

 

※※※

 

 そんなこんなで日付が変わる頃に寝ることになった。鈴谷も髪乾かしたし、することもしたからね。提督は私にベッドを使えって言って、自分はリビングにブランケット被って寝転がっている。一応、寝室とリビングを繋ぐ引き戸は締まっているが、どうも寝付きが悪い。

寝よう寝ようとしても、布団から匂ってくる提督の匂いが鼻孔をくすぐる。目を閉じても駄目だった。枕元にはどうも、提督が寝る時に読んでいると思われる本が置いてある。結構簡単な内容のやつみたい。読書灯を点けてそれを広げることにした。栞も挟んでいるみたいじゃないし。

そんなこんな本を読んでいると、眠気が襲ってきた。いい加減寝れると思ったので、本を戻して読書灯を消す。そして目を閉じた。

 気付いたのは物音だった。基本的に鈴谷は静かな部屋で寝ている。最上型と相部屋とはいえ、プライベートスペースはある。六畳くらいだけど。ベッドは備え付けで、それ以外の家具は自分で買って揃えていく。窓は付いてるし、扉で仕切られている。隣との壁もそこそこ分厚いのだ。だから、普段は物音のほとんどしない、波の打ち寄せる音だけを聞いて寝ている。だからこそ、物音には敏感だったのだ。

引き戸を隔てて向こう側で物音がしたため、恐らく提督がトイレに行ったんだと思う。しばらくすると、遠いところで水の流れる音が聞こえて来たので、その予想が当たってたことが分かる。

だが、ここからが問題だった。

引き戸が開いたのだ。びっくりして目を開いてしまい、そっちを見る。暗いが目が慣れているので、よく観察出来る。提督はほぼ目を開いていない状態だ。しかも、足元がおぼつかない。見れば分かる、完全に寝惚けている。

その提督はフラフラとベッドに近づき、そのまま。

 

「ぐぅ……」

 

「ひぇ?!」

 

 ベッドにするりと入って寝てしまった。鈴谷が入っていることに気付いているのか気付いてないのか分からないが、すぐ隣でスヤスヤと寝息を立てて寝ている。

 こ、これは……いよいよ本格的に据え膳食わぬはって奴では、と考えてしまう。だけど無理。緊張して手が出せない。

悶々とうずくまっていると、提督がまたアクションを起こす。寝返りをうった提督の腕が、鈴谷の身体に触れた。そこまではいい。そこから、提督は鈴谷に擦り寄ってきてホールドしたのだ。腕が首と頭に回されて、鈴谷の顔は胸板に押し当てられている。脚は絡められていて、ぶっちゃけ身動きがあまり取れない。硬い、温かい、いい匂い……。もう……思い残すことはない……。

キャパシティを超えた出来事に、鈴谷の脳みそはついて行けなくなった。そのため、強制終了されてしまったのだ。いわゆる、落ちたって奴。鈴谷自身が疲れていたことに気付いてなかったみたいで、限界を超えたみたい。

かなーり惜しいことをしたけど、ま、まぁ、鈴谷にかかればこんなの……うん。無理だったよ……。

 



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貞操観念逆転 その4

※提督の視点で書かれています


 

 何だかんだ色々考えていたが、別に気にする必要がなさそうに思えた。結局、執務室に籠もっている訳だし、基本的に接触する艦娘は少ない。積極的に関わろうとしなければ、ほとんど秘書艦や訪れた艦娘の応対をするだけなのだ。

それに、昨日は色々あって鈴谷が一日中居たけど、少しおどおどというかキョドキョドしていたくらいで、俺の知っている鈴谷だったような気がしなくもない。というか、少し落ち着きのない、俺の知っている鈴谷の特徴のままになっていた。

 起きたらまだ鈴谷は寝ていた。というか、いつの間に俺はベッドに入っていたんだ? しかも鈴谷と寝てるし……。リビングで雑魚寝していた気がするんだが、トイレに行った時に寝惚けてベッドに入ったんだろう。

鈴谷を起こさないようにベッドから出て、身支度を整える。そんなに時間が掛かるものでもないので、さっさと済ませてリビングで待機していた。6時前には準備を始めて、そのまま執務室に出ていく。勿論、置き手紙はしておく。俺と今日の秘書艦がいる間は、騒ぎになるために出てこないこと。朝食に出て行った時間帯を見計らって出て行き、最上型の艦娘に適当な戻らなかった言い訳をしておくこと。困ったことになったら、俺のところに来ること。

 6時過ぎに執務室に出てくると、既に今日の秘書艦は到着していた。

 

「おっはよー、提督」

 

「おはよう」

 

「今日は白露が秘書艦務めるからねー?」

 

「頼む」

 

「にっしっしー」

 

 今日の秘書艦は白露だ。夕食に行った時、報告のために白露が食堂に残っていたのだ。その時に、今日の秘書艦を務めることになったと聞いている。何というか、鈴谷の時は吹雪を通して聞いていたが、こうして律儀に待って報告していると、普段の振る舞いからはあまり想像できない。結構真面目な性格なのかもしれない。一番に拘ってるけど。

 

「朝ご飯は7時半に食堂に行くんだっけ?」

 

「そうだぞ。毎回持ってきてもらうのも悪いからな」

 

「運ぶの楽しみにしている妖精さんもいたんだけどねー。提督の方針には従うけど、拗ねちゃってる子いるから」

 

「なんでさ……」

 

 そんな話をしていると、私室の方で物音が聞こえてくる。どうやら鈴谷が起きたみたいだ。置き手紙を見て行動していることだろう。申し訳ないが、朝食は食いそびれるだろうけど、作っている暇がなかったから我慢して欲しい。

 白露は秘書艦の席に腰掛けて、程よく冷えてきた冷房に涼みながら、ふと口を開いた。

 

「そういえばさ」

 

「ん?」

 

「昨日の夜、皆が鈴谷さんを探していたんだけど見つからなかったんだー」

 

「んー??」

 

 想像はしていたが、まさか鈴谷が戻っていない事を皆知っているとは思いもしなかった。考えてみれば、秘書艦になった艦娘は、その日の夜はあれこれ他の艦娘に詰め寄られて色々話したりすると聞いている。もしかして、そのことなのだろうか。

ともかく、変な話にならないように俺が誘導しなければ。

 

「鈴谷は泊まり込みで仕事していたぞ」

 

「そうなの? てっきりいいことがあって、独り占めしたいからって隠れたんだと思ってたんだけどなー」

 

「そんなことはなかったと思うぞ。戦闘報告の整理と、使っていない本部棟の部屋の調査、備蓄資源の記録におかしな点があったからそれも確認してもらったりな」

 

「あらら。忙しかったんだー。それで、鈴谷さんは??」

 

「日が登る頃に終わったから、帰ったと思うぞ。もしかしたら、どっかで寝てるかもしれないが」

 

「そんな大変だったんだ……。ちょっと羨ましいって思ったけど、それだけ忙しかったのならラッキーかな」

 

 何を口走っているんだ、この駆逐艦は。と思いつつ、鈴谷がいなかった理由に、他の人が全く関与しない仕事にこじつけた。鈴谷も後で合わせるだろうし、もし困ったら俺のところに来るはずだ。ともかく、鈴谷を俺の私室から出すことが先決だろう。

いい具合の時間になったので、俺は白露と共に食堂へ向かった。

 朝食を終えて、白露が執務室に戻る時に『いっちばーん効率的にやるなら、今から書類を取りに行くほうがいい!!』と、事務棟に向かった。俺は独り執務室に戻って、私室を確認すると、やはり中には誰もいなかった。置き手紙の裏には、鈴谷が残したメッセージがあった。

 

『早く起きて出るつもりだったけど、起きれなかった!! 色々とありがとね、鈴谷はもう戻りまーす!! お疲れぃ!! 鈴谷』

 

 ただ、少し様子が変だ。ベッドメイキングし、モノの場所も変わっていない。ないものがあるのだ。貸した着替えがないのだ。

洗濯機に放り込んであるかと思ったが、それもない。どこかに畳んで置いてあるかとも思ったが、それもない。何処にもないのだ。鈴谷は一体どこにやったんだろうか。今探しても仕方ないので、執務室に戻ることにした。丁度白露が戻ってきたので、執務を取り敢えず片付ける。

 

※※※

 

 艤装改装・改造命令の書類を出したことは覚えているが、こうしてまじまじと見るのは初めてかもしれない。白露を含む改白露型まで、主に白露・時雨・村雨・夕立の四人に関して、改二が全員実装されている。白露の改二の命令を出し、報告を受けた事は覚えている。

こうして改二になった白露が秘書艦になったのは初めてだろう。

 白露型の改二は、何というか成長しているのだ。小学生くらいだった見た目が、中学生か高校生くらいまで成長したような雰囲気。利発なイメージの白露も、何というか落ち着きを持っているように見えるのだ。身長も伸びているみたいだしな。

 

「執務終わったよー」

 

「こっちも終わってる」

 

「じゃあ、提出に行ってくるね」

 

「頼んだ」

 

 白露が出て行き、今後の事を考える。幾ら、貞操観念が逆転しているとはいえ、完全に逆転している訳ではないのだ。これまで見られなかったことが、顕著に出てきているというだけ。ジェンダー・ハラスメントは両性にあることが隠されることなく報道されている。ただ、一般的には男性の減少傾向からか、割と男性を優遇するような形にシフトしつつあるみたいだ。男性減少による弊害は各面で出てきていると見ても過言ではない。それは、艦娘の行動を見ていても同じ。倫理観がこの世界に調整されているのなら、誰かがそうであるというような特殊である形ではなく、普遍的であると言っているもの。身体的接触を男性の方が嫌がり、女性は異性に対する接触を喜ぶ。恋愛観も恐らく同じ。その他も同じく時代に合わせて変化していると見て間違いない。

以下を踏まえて、昨日までの二日間の行動を振り返る。吹雪と鈴谷が秘書艦だった時のことだ。

 

「……ク○ビ○チじゃね? い、いや、異性慣れしている紳士とでも言い換えよう。うん」

 

 それが俺の解だった。いやだってそうだろ?! よく考えてみればそうだろ? 吹雪の時も、涼しい顔して色々していた気がする。気がするぞ、俺は!! 俺の倫理観で考えれば、完全にそうだろ?! 薄着だったり、吹雪にお茶ぶっ掛けられて下着姿(上着とシャツを脱いで、上は肌着だけ)になったり、うたた寝していた吹雪を運んで寝かせた時に俺も寝てしまってよく分からない状態になったり、鈴谷に俺の着替えを貸したり、鈴谷を部屋に泊めた時に寝惚けて俺が同じ布団に入ったり……。

よく分からないが、多分そうだと思う。完全に俺が悪い面もあるが、基本的には俺の感覚で動いていたことが裏目に出ている。世界が違う事を念頭に置いて行動をしなかったからだ。

ともかく、いきなり下着姿になるのは不味かった。吹雪の時には気付かなかったが、鈴谷の時に気付いていた。上着を脱いで、普段の格好をしていた時に、妙に視線を感じだのだ。鈴谷が首元と腕をしきりに見ていたのを覚えている。多分、普通は袖は捲くらずに、シャツのボタンも一番上までするのだろう。この世界の男性は、暑くてもボタンは開けないし腕も捲くらないということなんだろうな。

 今後、どのように身を振るべきかを考える。ともかく、これ以上変な振る舞いをする訳にはいかないだろう。何だか今日は嫌な予感がするというのに……。この世界に合わせて行くべきだ。恐らく、初日の時点で怪しまれているに違いない。

 

「ただいまー」

 

「おかえり」

 

「書類提出完了!! 追加の書類があったから持ってきたよー」

 

「ありがとう」

 

 考え事をしている間に、白露が戻ってきた。追加の書類があったというので、俺はそれを受け取って中身を確認する。

 一纏めにされているようで、封筒を紙紐で絡げてある。解いて送り名の確認をする。大本営、大本営、警備部、横須賀青年会、横須賀基地。何故警備部が紛れているのか分からないが、取り敢えず大本営から確認するべきだろう。急ぎの用件ならば、早急に折り返す必要があるし、なんなら電話をするべきだ。

 一つ目の封筒を開封し、中身を確認する。担当者はどうやら大本営の人事担当者らしい。特に何があるという訳でもなく、書類が2枚入っているだけだった。一枚は説明、もう一枚は記入して送り返すもの。

最初の一枚曰く、『リクルート事業部が提督を用いたリクルートキャンペーンを企画したよ~。忙しいと思うけど、力貸してくれない? ね、いいでしょ? ね? だってほら、幾ら現行兵器が深海棲艦に通用しないからって言っても、後方支援とかその他諸々は私たちがやってる訳だしぃ~。そ・れ・に、提督を使ったら、優秀な人材が集まるかもしれないし~? いつも以上に作戦行動が楽になるかもよ? これってWin-Winってやつー? ちょーいいじゃん♪ だけどぉ~、ホントは出すの嫌がってるってのは知ってるよ? 危ない目には何度も遭ってるもんね? そりゃ私たちが悪い面もあるけどさぁ? いいじゃん、ここで一度忘れよ? あとー、普段助けて貰ってるけどぉ~、たまには私たちにも貸して~。ね? お願ぁ~い。あ、でも、貸してくれないんだったら、そっちが進行中の任務、遅れちゃうかもよ? いいの? 私たちが手伝わないと全然進まないんでしょ? じゃ、いい返事待ってるからね~』ということらしい。

何これ。いや、書き方はもう少しマシなんだ。だが、そう捉えてもいいような内容なのだ。これ、どうみても艦娘の皆宛てだよな? 俺が見るべきなんだろうけど、どう読んでも俺以外の皆宛てだよな? そうだよな?? 何で皆に俺のスケジュールを聞いてるんだ??

 気を取り直して次の封筒を開封する。こちらも大本営からだ。書いたのは新瑞のようだが、さっきの程酷い内容ではないと思う。中身は同じく2枚。説明の書類と、折り返す書類だ。

 

「ふむ……」

 

 内容は至ってシンプル。こっちじゃない世界でもあったが、定期的に届くもの。適度に休め、という奴だ。軍務から一度離れ、リフレッシュしてもバチは当たらないだろうというもの。私的な内容も含まれているが、直属の上司でもある新瑞の気遣いだ。まぁ、今までほとんど断ってきたものだけどな。

半日でもいいから、一度プライベートで話をしてもいいんじゃないか、ということも書かれていた。それは確かにいいかもしれない。そう思った俺は、返信書類にその旨を書き込み、引き出しから封筒を取り出して書類を放り込んだ。

 次の書類に移る。次は警備部からだ。直接言いに来ればいいのに、こうして書類にしているという事は、余程重要な内容なのだろうか。

確認するが、別に話しに来てもいいような内容だった。というか、遠慮なく来るのにどうして来ないんだろうか。それこそ、本当に遠慮なく来る下士官とかに言いつけておけばいいものを。

書類を書いたのは武下、あの妙齢銀髪淑女だ。俺の記憶だと厳つい銀髪ゴリラだったんだが……。内容は『門兵の再編成と配置転換について』だ。完全に軍務。しかも、書類でやり取りすることじゃない。仕方がないのでこの後、警備棟に出向くことにする。あの武下には慣れないが、そうも言ってられないだろう。

 次は横須賀青年会だ。こっちじゃない世界でも、時々届いていたものだ。内容は催事やスポーツ行事への招待みたいなもの。いつも断っているものだが、今回も断らせてもらう。

 最後に横須賀基地だ。青年会と同じく、時々届いていた。内容は基地と鎮守府合同でイベントを企画しないか、というものだ。気になって調べると、どうやらこっちの世界では時々、横須賀基地のイベントに鎮守府も参加していたようだ。出展や警備貸出、公演等々。以外と外との接触が多い。

時々出ているのなら参加するべきだろう。返信には参加すると書き込んで封筒に入れる。

 

「白露」

 

「はーい」

 

「返信が3つ。事務棟に頼めるか?」

 

「了解」

 

「後、これから警備棟に行くが」

 

「白露も行くー」

 

「返信はどうする?」

 

「警備棟の帰りでいい?」

 

「いいぞ」

 

 白露も付いてくるようなので、俺はそのまま執務室を出て、警備棟を目指した。

 

※※※

 

 道中、艦娘たちの普段とは違う視線を感じながら歩く。俺が視線に反応していることに気付いたのか、黙って歩いていた白露が話し始めた。

 

「提督さー」

 

「ん?」

 

「皆の視線が気になるの?」

 

「まぁ……」

 

「仕方ないと思うよ? 提督の噂がねー」

 

「俺の噂?」

 

 白露は俺の前を歩きながら、封筒を入れているフォルダを脇に挟みながら腰の後ろで手を結ぶ。風が拭き、はらりとスカートが捲れ上がって三角形が見えるが隠そうとしない。

 

「昨日から様子がおかしいって皆言ってるよ? 私は半信半疑だったけど、秘書艦で執務室行って確信したね」

 

「おかしいって……」

 

「皆忘れてないと思うけど、提督が着任してすぐのことだよ」

 

「……」

 

 多分、俺の知らない事だろう。

 

「誘拐未遂事件があったじゃん。最初は不審人物ってことでマークされていたけど、すぐに提督が門兵さんと私たちに厳戒態勢を敷いたの。結果として侵入は許してしまうんだけど、最後は既の所で逮捕できた」

 

「あぁ」

 

「猿轡されて手足縛られた状態でひん剥かれる直前だったんだよ? 時雨が見つけなかったらと思うとゾッとするよ」

 

 ひん剥かれる? なるほど。俺が経験しているものと少し違うみたいだな。俺の時は暗殺だったからな。

 

「今は仲間になってるけど、あの年の女の人は男性って聞くだけで見境ないんだから」

 

「分かった」

 

 巡田のことだろうな。というか、今の話を聞く限りだと、巡田も女性になっているんだが?? 警備棟に向かっていることだし、確認してみよう。

 白露に気をつけるように言い聞かされながら、数分も歩いていると警備棟に到着した。ロビーには立哨がいる。どちらも女性だ。ここまでかと思いつつ、警備部部長の部屋へと向かう。途中、見覚えのある特徴の兵士とすれ違う。顔が見えない、ずっとバラクラバをしている兵士。長政だ。こっちでも同じだが、後ろに青黒い艶のある髪がポニーテールにされている事を鑑みると、長政は女性みたいだな。女性的な体型であるのはBDUの上からでも確認できる。

 部長の執務室に入ると、丁度休憩をしていたのだろう、武下がコーヒーを飲んでいた。勿論、俺の知っている武下とは程遠い武下だが。

 

「む……提督ですか。どうされたんですか? 警備棟に顔を出されるとは珍しい」

 

「先程警備部の配置転換と再編の件だ。直接話した方がいいと思ってな。執務はあるか?」

 

「いえ、先程終わりました。では、そこで話しましょうか。何か飲まれますか?」

 

「コーヒーを貰おう。ホットで」

 

「ご用意します。白露は?」

 

「私は何でもいいよー」

 

「ではオレンジジュースを出しましょう」

 

 ソファーに座るように言われ、俺たちは配置転換と再編成の話を始める。特に詰める事はないのだが、新しい部署を作るつもりらしい。現在、警備部として一個大隊が所属している。それぞれ三個中隊に別れ、担当警備区域を巡回・立哨しているとのこと。諜報班も存在し、少人数ではあるが行動を行っているとのこと。

今回の話は、大本営が三軍から移籍と転属願いが出ているという事から選考を行ったという。そこから、一個大隊が選考を突破したので、近い内に転属してくるという。そのためのものだということだ。

それで、配置転換と再編成についての武下の考えは、これまで少人数だった諜報班を中隊規模まで拡大することだった。独自の諜報部隊を作り、防諜を主な活動とするという。諜報・潜入工作等は巡田にチームを作らせるとのことだ。それに関する相談と許可が、今回の書類に関する話である。

俺は断る必要はないとして、武下にゴーサインを出す。但し、巡田へ丸投げする諜報チームについては本人からの説明を要求した。

 武下は巡田を呼び出す。程なくして執務室に入ってきたのは女性。変装をしているらしい。ブロンドのロングヘアー、スタイルのいい美人だ。何処かのアニメで見たことがあるな。女スパイとか言われていた気がする。

巡田から簡単な説明を受け、諜報中隊を情報中隊としてまとめることと、中に4人1グループで2グループ編成の諜報グループと潜入工作グループを作るという説明を受ける。基本的な運用は防諜で、鎮守府近辺で活動する工作員の発見の逮捕又は殺害。侵入した工作員もまた殺害。電子攻撃等は、そもそも鎮守府内でそのような機器による攻撃ができないためにする必要がないということを聞く。プロフェッショナルである巡田に任せる事を伝え、その場は解散となった。

 



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貞操観念逆転 その5

※提督の視点で書かれています


 

 警備棟から戻ると、執務室には鈴谷が来ていた。白露から白い目で見られているが、理由は恐らく昨日今日のことである事は間違いない。取り敢えず話を聞くことにし、白露に何か飲み物を持ってくるように頼んだ俺は、鈴谷に話を聞くことにした。

 

「どした」

 

「ゴメン。さっき、最上型の部屋で寝ていたら叩き起こされて、皆に『何で昨日は帰って来なかったんだー』って問い詰められてさ」

 

「あぁ」

 

「どう答えていいか分からなくて逃げたら、皆鬼みたいな顔して追いかけて来て」

 

「おう」

 

「気付いたら門兵さんとか加わってて」

 

「……お、おう」

 

「安全な場所がなかったのと、どうすればいいかと思ってここに逃げ込んで」

 

「……」

 

「ごめん!!」

 

 なるほどな。それで、警備棟から戻ってくる間に、皆走り回っていた訳だ。俺はてっきりマラソン大会でも始めたのかと思ったんだが、違っていたみたいだ。

 鈴谷の話を聞きいて少し考えていると、冷えたお茶を3つ持ってきた白露が、机に起きながら鈴谷に言った。

 

「朝聞いたよ。鈴谷さん、色々と提督に仕事頼まれて明け方まで執務室にいたって」

 

「そ、そうなんだよ~。でも、皆にどう説明していいか分からなくてさ」

 

「普通に言えばよかったんじゃないの?」

 

「普通って言っても、凄まれたら言いたいことも言えないじゃん……」

 

 それで鈴谷は逃げ回ったのか。何というか、選ぶ選択肢が全て悪い方向に向いている。これは鈴谷の運が低いとかそういう奴なのか?

 

「白露には聞かれたから伝えたが、鈴谷もそう言えばよかったじゃないか」

 

「そ、そうだよね~。いやぁ、ゴメンね」

 

「気にしてない。それよりも、ホレ」

 

「ん?」

 

 俺はあることに気づき、扉を開く。そうすると、廊下には艦娘と門兵の大群がいた。

 

「鈴谷ぁ~、説明してくださいな?」

 

「榛名、気になります。とっても」

 

「良くないよー鈴谷さん」

 

 何処を見ても艦娘と門兵。

 

「ホレ、鈴谷さんお縄につく?」

 

「警備棟の営倉に艦娘が入るのは前代未聞」

 

「高原ぁー!! 手錠あるかー!?」

 

 何か門兵が鈴谷を逮捕する気まんまんなんだが……。ともかく、白露にも説明した事を伝える必要がある。そもそも、鈴谷が対処できなかったときのために執務室に来るよう置き手紙をしたんだからな。

 

「静かに」

 

 一瞬で静かになるところ、何処に行っても変わらないな。俺は声を張り上げて説明を始める。

 

「今回の騒動は、昨日の執務で鈴谷に色々頼んでいたからだ。報告の整理、本部棟の使っていない部屋の調査、備蓄資源の数量確認等々。明け方まで掛かったから、鈴谷は帰らなかった。それに寮と本部棟を繋ぐ廊下は工事中で、寮の出入り口は消灯時間に締め切ると赤城から聞いていた。結局、消灯以降まで執務をしていたから帰るに帰れなかったんだ」

 

 俺の説明を聞き、集まっていた皆は少しづつ帰り始めていた。安心したのか、鈴谷は溜息を吐いて壁にもたれ掛かる。

そんな鈴谷の近くにいた白露が何かに気付いたらしい。

 

「あれ? それって」

 

「あ」

 

 白露の声に釣られ、俺も鈴谷の姿を見る。いつもの姿ではあるのだが、シャツの下に何か見える。あまりジロジロ見る気はないが、白露が気付いて口に出した。

 

「それ、提督の服じゃない?」

 

 その言葉を聞いた全員が黙った。確かによく見ると、俺が着替えで貸した白Tシャツだ。言われなければ分からなかったが、全体的に白く透けて見えている。それに肩には『11』と数字の入ったエンブレムがある。なるほど、俺の部屋になかったのは、鈴谷が着たままだったからか。

 そんな事を考えている俺とは打って変わって、周囲の雰囲気はすぐさま変わっていた。何故か鈴谷がシャツの下に俺のTシャツを着ているからだろうか。というか、何故それが俺のTシャツだと気付いた。

気付いた理由を聞こうとした時には、既に事は大きく動き出していた。鈴谷は逃げ場を失った状態で、皆に押しかけられていた。明け方まで執務をしていた鈴谷が、何故俺の私物を身に着けているのか。というか、昨日の鈴谷の反応を見る限り、この世界では俺の私室に皆入ってなかったみたいなのだ。物珍しげに観察しているのが分かったからな。

俺が状況を分析している間にも、鈴谷はどんどん圧力を掛けられていた。

 

「あれあれ鈴谷? どういうことかしら? 説明してもらえるわよね?」

 

「なるほど。提督が執務で残って貰っていたという理由を話そうとせずに逃げ出したのはそういう理由ですか」

 

「……有罪」

 

 鈴谷は囲まれて逃げられない状態に陥っている。助け舟を出そうにも、俺ではどうすることもできない。白露が苦笑いしながら『ゴメンなさい、鈴谷さん』と呟いている。

鈴谷はジリジリと追い詰められながら、なんとか退路を確保する。

 

「あ、あはは~。鈴谷、別に悪いことしてないもん。ただ、提督の部屋入っただけだし~」

 

「「「「「な?!」」」」」

 

「ご飯貰ったり、き、昨日は一緒に寝たもん!!」

 

 顔を真赤にさせるくらいなら、別に自分から暴露しなくていいのに、と考える。ただ、このスキに鈴谷は逃げるようだ。

 

「まるで恋人みたいな? じゃあ鈴谷は行くところあるから!!」

 

「「「「「あ、こら!!」」」」」

 

 退路から鈴谷は一気に突き抜け、全力疾走をする。それに追従するかのように、全員が鈴谷を追いかけて行ってしまう。この場に残ったのは秘書艦の白露と、また見覚えのない将校だった。

 取り敢えず、来客なのだろう。誰かが連れてきたのか、それとも来慣れている人なのだろう。あちらから近付いてきて、そのまま俺に挨拶をしてきた。

 

「君の鎮守府はいつも騒がしいな」

 

「いつものことです」

 

「返信が来たからこうして出向かせて貰った。たまたま暇していてね」

 

「は、はぁ……」

 

 何だろうか。この人は。もう慣れ始めているからか、なんとなく分かる。この人は、俺の知っている人だろう。

緑かかった黒髪。武下と同年代くらいの女性。だが、身に纏っているのは海軍将校用の軍装。立ち振舞や話し方から想像しやすい。

 

「案内の者はどうしたんですか? 新瑞さん」

 

「さっきの騒ぎで鈴谷を追いかけて行ってしまったようだ」

 

 新瑞で当たってたよ……。

 

「さて、本来ならば休みの話でもしようかと思っていたんだが、それよりも先に聞きたいことができた」

 

「いいですよ。中でお茶でも飲みながら」

 

※※※

 

 新瑞が聞きたい事は単純明快だった。どうやら鎮守府の内情をよく知っているからこそ、今回の騒ぎに疑問が浮かんだらしい。俺が教えられている事を徹底して実践し、事務的接触以外はあまりしてこなかったみたいだ。だが、それがどうしてか、忘れ去ったかのように振る舞っている。何故か。かなり怖い体験をしている筈なのに。ということだった。

それに対する回答は白露の前でもしていいのかと考える。だが、このタイミングで話すのが一番いいだろう。

 

「白露」

 

「はーい」

 

「鈴谷たちが追いかけっこをまだしているようなら、皆に任務等に戻るよう伝えてくれないか?」

 

「りょうかーい」

 

 白露を理由を付けて追い出す。この場には俺と新瑞だけだ。

 

「彼女を追い出したのには理由があるのか?」

 

「ありますよ」

 

「ふむ……聞こう。今回の騒ぎについて、彼女に聞かれるのが不味いのか?」

 

「えぇ。……簡単に言ってしまえば、2日前のことです。目が覚めたら、私のよく知る世界と似た世界に来ていました」

 

「それは例の」

 

「いいえ、違います。私も異世界人ですが、主観では異世界を渡ったのは2度目です。違いとしては『深海棲艦の居ない世界』を出発点とし、『深海棲艦のいる世界』から『深海棲艦のいる世界』という具合に。前者と後者の違いは簡単ですよ」

 

「ふむ」

 

「貞操観念が逆転しているんです。私が元々、ここの世界とは貞操観念が逆転している世界から来ている事はご存知かと思います」

 

「あぁ、知っているとも」

 

「私は新瑞さんが分かりやすいように言うところの『深海棲艦のいる、この世界とは貞操観念が逆転している世界』から来ました。それが2日前のことです」

 

 新瑞は表情をピクリとも動かさず、険しい表情で俺の目を見る。

何というか、髪をツーサイドアップにしたら、成長した瑞鶴になりそうな容姿の新瑞は、組んでいた脚を組み直して続きを促してきた。

 

「私はこの2日間の間に、2日前に起きたその時から気付いていた世界の違いについて、分かる範囲で調べていたんです。まぁ、苦労する事なく分かったことだったんですけどね。主観的に、艦娘たちの振る舞いがおかしい点、私のよく知る人物が男性だったのに女性になっている点、私が経験している事件の内容までも違っている点。全てを加味して得ることのできた結論が『貞操観念が逆転している世界に来ている』ということでした」

 

「なるほど……。では、私の目の前にいる提督は、私のよく知っている提督ではあるが、違うということか」

 

「はい。記憶に違いがありますが、現在横須賀鎮守府が歩んだ系譜と照らし合わせるとそうなります。時差はなく、2日前から違う人物であるということですね」

 

「分かった。だが、私の知っている提督とは違うように思えるな」

 

 そう言った新瑞が立ち上がり、俺に近付いてくる。そのまま俺の横に腰を下ろし、目を閉じた。

数秒経つを、新瑞は立ち上がって俺の前に立った。

 

「数年という付き合いではあるが、誘拐未遂事件以来、君が上手く生活出来るように取り計らった。この世界での振る舞い方がその最も。だが、君はそれをなかったようにしている。私の知っている、ただの青年だった君が、籠に囚われた鷹(横須賀鎮守府艦隊司令部の長)となった。一方で、目の前にいる君は同じように青年だったが、一軍の指揮官(横須賀鎮守府艦隊司令部の長)になっている。同じ人間だとしても性質が違う」

 

「……」

 

「服の上からでも分かる。私のよく知る君はほとんど外出はしなかった。だが君は違う。外出もしていただろうし、運動もしていただろう。雰囲気で分かるよ」

 

「そういうものですかね?」

 

「あぁ。一応、士官としての教育も受けているみたいだ。まだまだだが、軍人を名乗れるだけの能力もあるように見える」

 

 ふふんと笑い、新瑞は向かい側のソファーに再び座って脚を組む。

 

「……何処の世界でも君には苦労を掛けるな」

 

「いいえ、私は」

 

「何がともあれ、この世界にいた君も上手くやっていることだろう」

 

 新瑞のその言葉の直後、白露が執務室に戻ってくる。少しげんなりした表情だ。

 

「騒ぎを収めてきたよ。……皆、暑いのに走り回ってるから時間掛かっちゃった」

 

「お疲れ様。給湯室の冷めた飲み物は好きに飲んでいいぞ」

 

「ありがと~」

 

 白露はフラフラと給湯室に向かう。白露が居ては話もままならないので、そろそろ新瑞の来た本題に話を移すとしようか。

それは新瑞も考えていたみたいで、話を切り替えてきた。

 

「さて、提督。私個人としても、大本営としても、君には休息を取ってもらいたいところ。程よく息抜きは出来ているのか?」

 

「それなりには。流石に全休とまではいかないものの、半休を設けてもよいかと考えていたところです。最も、どうにも気付いた時には何かしら軍務に関わる事をしていますが」

 

「休息になってないではないか……」

 

「ご尤もです」

 

「ただ……」

 

 冷蔵庫に入れていた500mlの缶コーラを煽りながら現れた白露を見ながら、新瑞は呟いた。

 

「この状況が、君の休息になっているのかもしれないな」

 



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貞操観念逆転 その6

※提督の視点で書かれています


 

 用事があればまた来る、とだけ言い残して新瑞は大本営に帰ってしまった。

 今更ながら、新瑞も女性になっていた事実を認識しつつも考えていなかったが、新瑞と巡田って妻子がいなかったか? その件はどうなっているのだろうか、と少し気になった。調べるのも野暮だし、積極的に動かなくとも知ることができそうなので置いておくことにした。

 一先ず、鈴谷の追いかけっこは終息したと白露が報告した。白露が見つけた時には、ほぼほぼ鈴谷は追い詰められた状況だったらしい。追いかけっこの先頭に辿り着くことに苦労したようで、やっとのことで先頭に至った時には、鈴谷はもうほぼほぼ捕まりかけていたとか。待ったを掛けて、俺が止めるように言っている事を伝えると、皆ぶつくさ言いながら解散したんだとか。その後、鈴谷はTシャツを返しに来る事を白露に伝言を頼むと寮に戻って行ったという。

 

「で?」

 

 そんな追いかけっこが終わったのはいいのだが、今度は俺への言及が始まったのだ。執務室に押しかけて来たのは、ほぼ全ての艦娘と手隙の門兵。何で門兵が混じっているのかは分からないが、この世界の事を鑑みると当然なのかもしれない。全く理解出来ないが。

 そんな彼女らの代表が執務室の中に入り、ソファーに腰を下ろしている。他にも立ち聞きということで入ってきているのもいるが、扉は締められている状態だ。

 

「説明を求めるデース」

 

「……?」

 

 金剛は分かる。態度に出ているからな。だが、金剛の隣に座っている翔鶴が状況を理解していない。首傾げてるぞ。そして門兵からも代表者が2名出されていた。

 

「おう、坊主。儂は代表みたいなものだ。そう変に緊張せずともよい」

 

「提督?」

 

 何でよりにもよってこの2人なのか分からない。俺の事を『坊主』と呼んだのは杉原軍曹だ。分かってはいたが、俺の知っている杉原は『ヴァイキング』というあだ名が付く程、筋肉隆々の大男だった。だが、こっちに来たらどうだ。どう見てもアマゾネスの女王。筋肉隆々なのに間違いはないが、ゴリゴリという訳でもない。色黒のマッチョウーマンだ。

一方で、もう1人。こっちは恐らく西川二等兵。こういう場に何故この2人を選んだのか分からないが、西川も例外なく女体化している。ただ、青年の方の西川も細い奴だったので、こっちの西川もそんな感じだ。

そしてその他多数。それなりの人数が執務室に集まっていた。

 

「鈴谷には執務を頼んでいた。順番の前後しているファイルがあったから、一度バラして整理し直して貰っていた。その後に、使用していない本部棟の調査を頼んだ。鍵を紛失している部屋も、中に入れる手段を探して貰っていたりしたんだ。使用していない部屋のピックアップとかも頼んでいた。最後に、備蓄資材の計算が違っていた事に気付いたから、合計の計算と倉庫の確認を頼んだ。そんな事をしていたら明け方になったんだ」

 

「で、どーして鈴谷が提督のTシャツを着てるデスカ?」

 

 一先ず、何故鈴谷が帰らなかったのかを説明し、本題に入る。鈴谷が俺のTシャツを着ている事は予想外だったが、適当な言い訳はいくらでも考えれる。

 

「室外に出ることが多かったからな。いつもの格好だと、幾ら夜とはいえ暑かった。汗も多く出て、着ている服がビタビタになったんだ。だから着替えを貸した」

 

「なら、何故鈴谷さんは下に着ていたんですか?」

 

「終わって帰る時に、眠気で意識が朦朧としていたんだろう。Tシャツの上から自分の服を着てしまったんだと思う」

 

 あれ? 翔鶴、分かってない様で分かっていらっしゃる……。

 

「何故、昨日中にそれだけ時間の掛かるものばかりやらせたんだ?」

 

 杉原の質問に対する回答は少し苦しい。

 

「やれる時にやった方がいいだろう」

 

 これを言えば、何か返って来ることもないだろう。最後は西川だ。

 

「何故鈴谷さんは逃げたんですか?」

 

「そりゃ、あれだけの大人数で追いかけられたら逃げたくもなるだろう」

 

 納得しているようなしていないような、そんな表情を皆している。だが、俺がそうだと言い張るのなら、少なくともそうであると思ったのだろう。皆、パラパラと立ち上がり始める。そんな様子を見ていた鈴谷はホッとしたみたいだ。

 俺への尋問(?)は終わった。ゾロゾロと部屋の外に出ていく皆を送り出し、俺はやっと一息吐けることが出来た。時間ももう11時になっている。いつの間にやらこんなにも時間が経っていたとは、思いもしなかった。

 秘書艦席に座っている白露を見ると、何やら秘書艦日誌を見ている様子。この後は、今の所予定はないので自由にする。

勉強をしようと思い立ち、俺は勉強を始める。昼食の時間になれば、白露が声を掛けてくれるだろう。

 

※※※

 

 勉強をしていたら白露に声を掛けられ、遅れながらに食堂で昼食を摂った。午後も特にすることがないのだが、俺は勉強を引き続き続けるつもりだ。一方で白露も勉強をするつもりらしく、一度寮に戻って勉強道具を持ってきた。

 静かな執務室に、ペンの走る音が2つ。時々休憩を挟みながら、白露の質問に答えつつ過ごしていく。

中学生理科を聞かれたが、以外と覚えているもので答えられた。説明も要求されたが、別の物で例えると白露はすぐに理解したようだった。秘書艦の席に戻って続きを始めるので、俺もやっていた勉強を再開する。

有意義な勉強時間を過ごし、夕食も程々に食べて終業を迎える頃、白露が秘書艦日誌を付けながら俺に話しかけてきた。

 

「ねー、提督」

 

「何だ?」

 

「今日の鈴谷さんの件なんだけどさ」

 

「おう」

 

 政治学の参考書を読みながら、俺は白露の言葉に返事をする。

 

「ホントは明け方まで執務してないよね?」

 

「……っ」

 

 へ? 何故だ?

 そう思って顔をあげると、秘書艦の席から白露がこちらを見つめている。その目は何だか淀んでいるというか、ドス黒くなっている。

 

「食べたりなかったから、提督の私室で夜食を食べた」

 

「……」

 

「寮に帰れなくなったから、昨日の夜は鈴谷さん、提督の私室に泊まっていったんだよね?」

 

「……」

 

「そうしたら、提督のTシャツを貸してもらったってことで、鈴谷さんが提督の私物を持っている理由になるよ」

 

「し、白露……」

 

「でも、そうだね。朝方、全力疾走している鈴谷さんを時雨が見ているんだよ。書類を持ってね。それは別に変なことじゃないけど」

 

 スーッと俺に近寄ってきた白露は、改装を重ねたことによって伸びた栗色の髪を揺らし、ゆらゆらと俺の目の前に経つ。

 

「泊まるのも本当ならば抵抗するはずなのにしなかった。ということは」

 

 ダンッ!! 俺の机を白露が両手で叩く。

 

「既に私室に入ったことがあった。断るべきだもん、本当は」

 

「……白露?」

 

「じゃ、お疲れさまでしたー!! 私がいっちばーん、執務出来たと思うよ!! おやすみなさーい!!」

 

 パッと顔を上げた白露の表情は笑顔で、先程までの白露とは全然違っていた。どすの利いた声でもなければ、おかした雰囲気も多々酔わせていない普通の白露だ。

さっきの白露は一体何だったんだろうか。俺は何故か気になった秘書艦日誌を手に取り、中を確認する。そこには……。

 

「鈴谷ぁぁぁぁぁぁ?!?!?!」

 

※※※

 

 翌日、秘書艦の陸奥は早々に秘書艦の席に座っていた。どうやら、昨日の夜に白露が暴露したらしい。その結果、寮内は大騒ぎ。消灯後だったこともあり、更に食堂の廊下はまだ封鎖中。逃げ場のない鈴谷が皆の折檻から逃げるため、寮を大暴れ。事の真相をよく聞いてなかった陸奥は確認をしていたという。

 

「あらあら」

 

「あらあらって……それで昨日はどうなった?」

 

「すぐに鈴谷が捕まって尋問されてたわね。もう金剛とか怒り心頭で、顔真っ赤にして怒ってたわよ」

 

「金剛……」

 

「あと、赤城の笑顔が怖かったわ」

 

「赤城……」

 

「ま、私は状況をよく分かってなかった側だったし、翔鶴と扶桑と一緒に傍観よ。長門が大暴れする皆を止めに入ったんだけど、私は断って見てたわ」

 

「一緒に止めてやれよ」

 

「ふふふっ、まぁいいじゃない」

 

 秘書艦日誌を置いた陸奥は立ち上がり、おもむろに私室の扉に手を掛けて中に入っていく。あまりに自然な流れだったが、別に止めることもないだろうと放置しておくことにした。

中で陸奥が何をしているか分からないが、時間になるまでは放置しておく。

 読みかけの本を読んでいると時間になっていたため、陸奥を呼びに私室に行く。俺が読書している間にも、陸奥は戻って来なかったからだ。そんな探検するところもないだろうし、何処か漁っても面白いモノはないと思うんだが。

私室に入ってもリビングには陸奥の姿はなかったため、取り敢えず廊下に出て突き当りの部屋にいく。そこにもいない。脱衣所、風呂、トイレ、何処にもいない。最後見ていないのは寝室だけだ。

寝室に入るとそこには……。

 

「何してる」

 

「……あら?」

 

「あら? じゃねぇ……」

 

「陸奥、飯行くぞ」

 

「……ヤダ」

 

「おい、りむつたこ(こたつむり)。飯だ」

 

「嫌よ。私、"りむつたこ"だなんて名前じゃないわ」

 

「……長門呼ぶぞ」

 

「ごめんなさい」

 

 俺のベッドに入り、頭だけ出した状態でいた。別に嫌じゃないからいいが、あんまりポンポン入らないで欲しい。そんなことは、言わなければ伝わらない訳だが、陸奥の場合は言っても聞かない気がする。

ノロノロと出てきた陸奥を連れて、俺は食堂へと向かう。いつまで続くか分からないが、俺もそろそろ慣れてきた。自然体でいるのが楽だし、まぁ、よっぽどの事はないだろう。そんな事を考えながら。

 

※※※

 

 食堂で2人、朝食を食べながら話す。話題は色々あるだろうが、陸奥が主に話題を出している。今は鈴谷の一件についてだ。

 

「さっき間宮から聞いたけど、朝食には普通に鈴谷は顔を出していたみたいね。ゲッソリしていたというか、疲れていたみたいだけど」

 

「そうなんだ。鈴谷も災難だったな」

 

「でも美味しいところを一番楽しんだんじゃないの? 鈴谷は」

 

 まだ少し人が残っている食堂の隅で、洋朝食をつつきながら陸奥の話を聞いていた。昨日の秘書艦である白露が暴露した後の話は、俺も深くは知らないのだ。

 

「結構長いことイジられると思うとかわいそうに思えてくるわ。でも自業自得でもあれば、提督の責任でもあるわよね」

 

「何故?」

 

「貴方が思わせぶりな態度をするからじゃないの?」

 

「そんなことをした覚えはないんだが?」

 

 食べ終えたトレーを端に寄せて、まだ食べている陸奥を待つ。話しながら食べているので、陸奥の方が遅くなるのは仕方のないことだ。

 残りのパンを口に入れた陸奥は、手を払いながら咀嚼し、飲み込むと話を続ける。

 

「それよりも質が悪いのは吹雪よ」

 

「吹雪?」

 

「あの子だっていい思いをしている訳だけど、誰からも折檻されることはなかったんだから。それに貴方も」

 

「俺も?」

 

 陸奥が言う『吹雪も』というのはよく分からないが、それよりも俺が何だというのだろうか。

 

「鈴谷が言い訳で言ったのよ。『提督も私たちが喜ぶようなこと、飄々と悪びれもなくするんだもん!! 皆、されてみれば分かるよ!!』ってね」

 

「??」

 

 意味が分からない。俺は何かしたのだろうか。確かに、俺の倫理観とは違うということは分かっているが、行動には影響ないと思ってしていることだった。それに、合わせて振る舞うのは肩が凝るし疲れる。言ってやるのも貸すのも私室に入れるのも嫌じゃなかったからしただけで、それがどう鈴谷の言動に繋がっていくのか分からない。

というか陸奥、しれっと尋問聞いてるんだな。傍観決め込んでるって言っていた癖に。

 

「はぁーーーーっ」

 

「……なんだよ」

 

「ガードが硬かったし、怖い思いをさせたくないって皆思っての行動だったけど、貴方は何かの拍子に変わってしまったのね」

 

「……っ」

 

「とんだシゴロだわ」

 

「失礼な」

 

 そんな話をしながら、食べ終わったトレーを返却しに行き、執務室に戻って今日も執務を始めるのだった。

 

「きゃ……」

 

「おぉっと、危ないな」

 

 食堂を出る時に躓いて転びかけた陸奥を受け止めたのだが、それ以降ブツブツと言われるんだが、これは俺が悪いのだろうか。何時も通り執務を熟して陸奥を帰すと、艦娘寮が騒がしくなる。この点だけは何処に行っても変わらない。

貞操観念が逆転していたとしても、変わったところに対して順応するのは難しくなかった。顔と名前が一致しないことも多々あるが、記憶の訂正をするのは難しいことではない。強いて言えば、やはり陸奥の言っていた通りなところをどうにかしなくてはならないのかもしれない。俺が質が悪いとはどういうことなのだろうか。さっぱり分からない。

 




 前回とのスパンが短すぎると思いました? 現実逃避で書いているので勘弁してください(土下座)
 第五回から前回までから雰囲気を戻して、割とはっちゃけた外伝らしい外伝を書きました。サブタイトルから出来るイメージと少し違うかもしれませんがご了承ください。
次も書くんだとしたら、スパンは短いかもしれません。それでは。

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