Ainzardry (こりぶりん)
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Prologue:魔導王の試練場

 
 ちまちま書いてる間に何番煎じかもわからないくらいになっちゃって草も生えない。ダンジョン作成ネタとして大幅に出遅れたことはまだしも、ピンポイントで「魔導王の試練場」の先を越された時には変な声が出た。
 ま、まあ、同じなのは元ネタだけで、中身は差別化できているという自信はあるし。後から被せていくのは申し訳ないので、タイトルだけは変えておきますのでこれでご容赦ください。



 アインズ・ウール・ゴウンという国に世界征服を目指していると周囲に思われている王がいた。王の絶望的なまでに強大な広域殲滅魔法がもたらす災禍を目にした近隣諸国の人々は、彼をこう呼んだ……“魔導王”と。

 

 魔導王には二つの野望があった。一つは世界を覆う未知のベールを引き剥がし、己を脅かしうる可能性を含めた世界の全てを解き明かすこと。そして、もう一つは、その為の手段として……現状単なるモンスター退治屋でしかない冒険者を、本物の「冒険者」へと育成することであった。

 

 王は世界に散らばった逸材を発掘し国の冒険者として育成するため、ある招集を行った。

 

「魔導国は真に冒険をする者、未知を求め、世界を知りたいと願う者を求めている! 冒険者を志す若者が我が国に来れば、想像もつかぬような力でお前達を手助けするだろう! エ・ランテルの町外れに訓練用のダンジョンを作成した。我々の支援の下、この迷宮に挑み制覇することで、諸君らは冒険者として遙かな高みに到達し、本物の冒険者としての名誉と多額の賞金が贈られるであろう」

 

 この招集に、各地からあらゆる種族の冒険者たちがエ・ランテルへと集まった。金に困る者、己の腕を磨こうとする者たちが次々に名乗りをあげる。三国に轟く名誉と一攫千金を夢見て……。

 

 ――そうなる予定ではあるが、その前にやるべき事があった。

 訓練用自作ダンジョンの、βテストである。

 

 

 

 

 目の前を占有する小さな頭。きらきらと輝く黄金の髪にそっと手を伸ばし、優しく撫でる。

 

「よぉーしよしよしよしよし、よくやったぞマーレ」

 

「ふぁ……」

 

 マーレが気持ちよさそうな声を上げて身じろぎするのを、アインズは眼を細めて見守った。

 

「……このようなことでよいのか?」

 

「あ、は、はい。とても嬉しいです、アインズ様……あん」

 

 アインズが手櫛でさらさらの髪をそっと梳くと、マーレはくすぐったそうな声を上げた。その声音が妙に艶っぽく聞こえてきて、アインズは内心焦る。

 

(なんだか妙な気分になってきそうだが……これは頑張った子供を褒めてやってるだけだから! 撫でて欲しいです、って言ったのはマーレの方からだし!)

 

 誰に向かってかは不明だが、アインズは心の中で弁明した。おそらく制作者のぶくぶく茶釜に対してなのだろう。「モモンガさ~ん?」と、彼女の問い詰めるような声が脳裏をよぎる。職業柄、ぶくぶく茶釜はワンフレーズに様々な意味を込める術に長けていた。

 アインズとマーレは、現在同じ一つの椅子に腰掛けている。幼い子供を自分の膝の上に乗せてやるノリだが、残念ながらアインズには腿肉がついていないので、マーレの小さなお尻はモモンガの大腿骨の間にちょこんと納まる格好だ。

 自分の目の前に背を向けてちょこんと座ったマーレを抱きかかえるようにして、彼の希望に沿って頭を撫でてやると、マーレが幸せそうに体を預けてくる。さっきは一瞬妙な気分になりそうだったが、誰がなんと言おうともこれは微笑ましい光景だ。

 

 何故このようなことをしているのかには理由がある。別に理由が無くても、甘えてくる子供を抱きしめて撫でてやるくらい、アインズとしても吝かではないのだが。

 アインズがぶち上げた真なる冒険者の育成計画。その肝となるモンスターとの実戦形式で修業ができる訓練所――ナザリック謹製のダンジョン制作を任せていたマーレが、予想以上のスピードでガワを整えたとの報告をもたらしたのが今し方のことであった。一生懸命頑張りました――そう言って尻尾を振りながら褒めて褒めてとねだる子犬のようなマーレの笑顔に、アインズも破顔してその可愛らしいおねだりを気分良く叶えてやることにした。その結果がこの体勢であった。

 

「――さて、待たせたな諸君」

 

 そのように、アインズがマーレを愛でる様子を顔色一つ変えずに見守って跪いた、戦闘メイド(プレアデス)の六姉妹にアインズが声をかける。……顔色も変えず、というのは誇張があったかもしれない。全員の表情が大なり小なり、なんだかイケナイものを覗き見しているかのようなワクワクとドキドキといたたまれなさの綯い交ざった微妙なものとなっていた。さしずめ戦闘メイド(プレアデス)は見た、というところか。

 

「はい、アインズ様。本日は私達戦闘メイド(プレアデス)全員をお召しということでしたが」

 

 姉妹を代表して答えたのは当然長女のユリ・アルファである。忠誠を捧げた至高の御方がどのような痴態を見せようとも動ずることはなく、また至高の御方のどのような命令にも応えるべく、主の言葉を直立不動で待つ態勢に入った。

 

「うむ。実は……お前達に頼みたいことがあるのだ」

 

「頼みなどと迂遠なことを申さずとも、一言ご命令くだされば私達全員、この身を御方の為に捧げる覚悟が……」

 

 そのように答えたユリが横を向いて妹達を一瞥すると、心得たように残りの五人が胸に拳を当てて深々とお辞儀した。

 

「アッ、ハイ、そういう物騒な返答はいいです。……コホン、お前達も噂くらいは耳にしたことがあるのではないかと思うが。私がマーレにダンジョン作成を頼んでいたことは知っているな?」

 

 いちいち各守護者に与えた個別の任務内容について周知したりはしていないが、それでも知らないと言うことはないだろう。アインズの予想通り、戦闘メイド(プレアデス)の姉妹達は一瞬の間を置いてこくりと頷いた。

 

下等生物(ムシケラ)共の冒険者を育成する為の施設を作らせている、そのように伺っております」

 

 ナーベラルの返答に、アインズは一瞬躊躇ってから頷いた。

 

「そう、()()の冒険者達が強さを得るための実戦形式の訓練所。それを目指してエ・ランテル近郊に作ってもらっていたのが、マーレに頼んだダンジョンだ」

 

「えへへ……ふわぁ……」

 

 そこまで言って、思い出したかのようにマーレの頭を撫でてやると、マーレの顔がだらしなく緩んだ。その光景を目にしたソリュシャンが、羨ましそうな顔で口を開く。

 

「つまり、先程からなさっておられるその行為は、マーレ様の仕事が完了したことに対するご褒美ということでしょうか」

 

「うむ、その通りだ。マーレの頑張りによって、ダンジョンのガワは整った。お前達には、そのダンジョンの実地試験を頼みたい」

 

 アインズの言葉に、姉妹達はお互いの顔を見合わせた。

 

「……お前達戦闘メイド(プレアデス)の面々は、セバス抜きの姉妹六人でも一つのチームとなるようにデザインされている」

 

 ユグドラシル時代、百レベルでないNPCの存在などというものは、お遊び要素以外の何者でもありえなかった。ナザリック地下大墳墓の最終防衛ラインは第八階層の仕掛けであり、九階層に控えるセバス・チャンと戦闘メイド(プレアデス)は、良く言って十階層でプレイヤーが待ち構える態勢を整える為の時間稼ぎでしかなかった。

 だがお遊びはお遊びなりに……否、遊びだからこそ拘りを持って設定を練ったのだ。アインズと仲間達は胸を張ってそう断言する。セバス・チャン指揮下での編成、セバスの不在時にサブリーダーのユリ・アルファが指揮を執る場合での編成。NPCが不在となる状況ってなんだよ、と普通のプレイヤーなら一笑に付すような状況下でも、NPCが実在したらという想像を働かせて設定に拘った結果が彼女達だ。

 

 魔法火力役(アタッカー)はウォー・ウィザードのナーベラル・ガンマ。

 物理火力役(アタッカー)はガンナーのシズ・デルタ。

 防御役(タンク)はストライカーのユリ・アルファ。

 回復役(ヒーラー)はクレリックのルプスレギナ・ベータ。

 探索役(シーカー)はアサシンのソリュシャン・イプシロン。

 特殊役(ワイルド)は符呪師のエントマ・ヴァシリッサ・ゼータ。

 

 セバス指揮下においては彼が物理火力役(アタッカー)を務める為、彼が抜けた場合の編成にはやや強引な面があるが、それでも戦闘メイド(プレアデス)だけで十分に真っ当なユグドラシルでのチーム編成ができるように考えられている。

 

「お前達は、言うなれば私が育成を目指す冒険者チームの完成形だ。このダンジョンを攻略する中で、今まで奮う機会のなかったお前達のチームとしての力を、私に見せて貰いたい。その様子は私も観戦させて貰い、作成したダンジョンの問題点を洗いだすことにする」

 

 至高の御方が直々に観戦するとの言葉を受け、姉妹達の顔が一気に引き締まる。やる気に溢れる戦闘メイド(プレアデス)一同の顔を確認し、アインズはよしと頷いた。彼女達がチームとしてどこまでやれるのか。転移前に戦闘をした経験がない彼女達はチームとしてまともに機能しないのか、それとも姉妹の絆が経験の浅さを埋めるのか。そしてこのダンジョン攻略を通してチームとしての成長は叶うのか。本人達には言わないが、アインズはそれらの要素も確認したいと考えていた。

 

「わかりました、アインズ様。至高の御方を失望させることの無いよう、全力を尽くします」

 

 姉妹を代表してユリがそうまとめると、アインズは再び頷いて答えた。

 

「うむ、楽しみにしている。お前達の様子は<千里眼>(クレアボヤンス)<伝言>(メッセージ)等を併用して常にモニターさせて貰うことになるだろう。ああ、それと……私が検証するだけではなく、実際に迷宮に入るお前達視点からの問題点も確認して貰いたい。気がついたことはなんでも、遠慮無く報告してくれることを期待しているぞ」

 

「はっ!」

 

 アインズの言葉に、プレアデスは一斉に唱和して深々と頭を下げた。

 

 

 

 

 マーレが制作した地下迷宮の入り口は、エ・ランテルの近郊――というより、外壁からまさに目と鼻の先と言っても過言ではないレベルの近場に設置されている。エ・ランテルに集った冒険者が移動するだけで時間を取られるのは合理的ではないからだ、とはアインズの言である。

 現在は地下迷宮へと下りていく階段を覆う簡易的な囲いしかないが、いずれは迷宮に挑む以前の初心者(ニュービー)を登録して管理し、基礎的な鍛錬を施すための訓練所を設けるつもりである。街外れに佇む訓練場と地下迷宮への入り口――様式美であった。

 石造りの階段を下りていくと、僅かに湿り気を帯びるひんやりとした空気が周囲を満たすのを感じるだろう。洞窟内部は人の手が入っていることを窺わせる直線で構成されており、その床は切り出された石畳であり、壁は岩肌を切り取ったような岩盤だ。天井付近に生え広がる苔類が僅かに発光し、薄暗いながらもぼんやりとした視界を確保するのに一役買っているのは、迷宮の作成者の配慮による光景であろうか。もっとも、地上からの階段を下りたこの近辺だけは、階段上から差し込む太陽光によりもう少しまともな視界が開けている。

 階段を下りた所は通路の曲がり角とでも言うべき地形を構成しており、東と北に通路が延びている。迷宮の通路は、横には三人が並んで武器を奮うに十分な広さを持っており、この広さは迷宮全体に渡って確保されている規格だと作成者が保証していた。

 

 そんな地上への出口とも言える迷宮の片隅に、三人の人影が佇んでいた。このような薄暗い場所には似つかわしくないメイド服に身を包んだ、いずれも劣らぬ美女達である。

 三人の女性達の周囲を、床面にうっすらと浮かび上がる紋様が囲んでいる。アインズの手により貸与された、結界(キャンプ)と彼が呼んだ防御用の魔法陣を展開する魔道具の効果が発動しているのだ。その結界にはモンスターの侵入を阻む効果があり、暗く危険な地下迷宮の内部に一時的な安全地帯を作り出すことができるのだ。何度でも使用できるが、モンスターが範囲内に居る時に展開して追い払うことはできないし、一旦解除して収納しないと移動することもできないのが強いて言うなら欠点である。

 アインズが言うには、将来的には自分たちの創意工夫で周囲の警戒をし安全を確保できるようになって欲しいが、この訓練場ではその点はサービスしておこう、ということであるらしい。アインズの想定する冒険者PTが身を潜めることが出来るよう、結界の大きさには未だ余裕があり、現在の倍の人数――六人が中で過ごしても窮屈な思いをせずに済むのに十分な広さがある。

 

「……姉様達はまだかしら」

 

 そう言ってちらりと階段を見上げたのはナーベラルであった。

 

「そうね、ナーベラル。そろそろ来ると思うから落ち着いて」

 

 そわそわと落ち着かないナーベラルをソリュシャンが窘める。それを横目に、後頭部で手を組んだルプスレギナが不思議そうに呟いた。

 

「しっかし、なんでアインズ様はわざわざ二手に分かれてから迷宮入り口で合流するように、なんて仰ったんすかねえ?」

 

「至高の御方がなさることですもの、深いお考えがあってのことに違いないわ。……アライメント混成パーティは迷宮内で合流するものだ、と仰った言葉の意味は私にはちょっとよくわからなかったんだけど……」

 

 ナーベラルが首を傾げてあなた達はわかるかしら、と視線を投げると、ルプスレギナは肩を竦めてかぶりを振った。ソリュシャンが指を顎に当てて考え込む。

 

「そうねえ……分けられた面子から逆算すれば、カルマ値の上下で分けたように思えるわね」

 

 この場に入る三人は、カルマ値が極悪に近い連中である。ナザリック地下大墳墓のシモベは基本的に悪寄りであるため、中立に近いシズとエントマは善側のユリにつけられたのであろう。

 

「そうだとして。カルマ値が違っても、私達は仲良しっすよねえ?」

 

 三人で頭を付き合わせていると、こつこつと階段を下る足音が聞こえてきた。

 

「お待たせ、三人とも。待ったかしら?」

 

 そう言って片手を上げたユリに、ルプスレギナが唇を尖らせた。

 

「遅いっすよ、ユリ姉~。待ちくたびれたっす……ナーちゃんが」

 

「んなっ!?」

 

 そう言ってナーベラルの肩を掴んで前に押し出すと、押し出された方は目を白黒させて困惑の叫びを上げた。

 

「……遅くはない。アインズ様のご命令通り、十分の間を置いて入ってきた。誤差はプラスマイナスコンマ一秒以内」

 

 シズが無駄に正確な体内時計を披露すると、それを耳にしたソリュシャンが口元を歪める。

 

「あらあら、それは大変ね。アインズ様がお決めになった時間に文句を言うとか、不敬だわぁナーベラル」

 

「……ナーベラル、不敬なのぉ?」

 

「ちょ、おま」

 

 ソリュシャンはおろか、エントマにまで追撃され、顔を赤らめて口をパクパク虚しく開閉させるナーベラルを、ユリがハグしていった。

 

「はいはい、落ち着いてナーベラル。構っていたらきりがないわよ。あなた達も、これ以上からかうのは止しなさい」

 

「はぁーい」

 

 生返事をする妹達をジロっと睨め付けると、ユリはてきぱきと指示を出して装備の確認を行い、隊形を整えた。

 先頭は防御役(タンク)を務めるユリ。残り二人の前衛は、信仰系魔法詠唱者(マジック・キャスター)でありそれなりの防御力を備えるルプスレギナと、アサシンとしての物理攻撃力とスライムとしての耐久力を併せ持つソリュシャンが務める。後衛には遠距離攻撃が可能なガンナーのシズと、魔法の行使が可能なナーベラルとエントマが配置される。

 

「では、行くわよみんな。アインズ様が照覧なさっているのだから、恥ずかしくないところを見せなさい」

 

「はい、姉様」

 

 こうして、戦闘メイド(プレアデス)達は乗り込んだ――魔導王の試練場、エ・ランテルの地下深くに根を張った暗黒の地下迷宮に。

 

 

 

 




《Wizardry》
 ウルティマと肩を並べるCRPGの元祖。TRPGをコンピューターゲームに落とし込んだ先駆けの作品であり、後に続く全てのCRPGの礎となった。ウルティマから派生した俯瞰型RPGの代表作は勿論DQ・FFであり、Wizの系譜に連なる3DダンジョンRPGとしては女神転生が挙げられるだろう。近年にも世界樹の迷宮の登場を機に、色々Wizの流れを汲む作品が出ている。

《アライメント混成PT》
 冒険者には善・悪・中立の三種の性格が設定され、善と悪の人物が同じPTに加入することは建前上はできない。だったら全員中立にしておけばいいじゃないと思うのが人情だが、PTの肝となるヒーラー職(※1)には中立ではつけない為、善か悪のキャラを最低一名は用意する必要がある(※2)。なお、善と悪のキャラクターはお互い建前上相容れないため、酒場でPTを組むことが出来ない。ただし、地上では馬の合わない相手でも、怪物の彷徨く地下迷宮内では背中を預ける大事な仲間であり喧嘩は御法度である。あえて善と悪の性格を共存させる為に、一度迷宮に入って待機し合流するという手順をとることで混成PTが実現する。

※1:アイテム所持数限界は装備・戦利品込みで一人8個の為、ヒーラー縛りの回復薬がぶ飲みプレイは現実的なものとは言い難い難行。そもそもポーション自体ろくに手に入らない……
※2:そうはいいながらなんだかんだで中立は2~3名に留まるのが常である。ただし開発が性格にもう少し意味を持たせようと思ったらしいシナリオ#3:リルガミンの遺産では、アライメントによって入れるフロアが決まる。しかもどちらも行く必要があるので、中立5名と善悪の僧侶各1名をコンバートしながら進んでいくという、僧侶だけがサルバンの破砕日に生きているかのようなプレイを強制される。いや、もしかしたら世間的には善悪2PTフルの12名作る方が普通なのかもしれないのだが……

《キャンプ》
 モンスターの侵入を禁じる(※3)結界を、自分たちの待機場所に展開して一時的な安全地帯を作り出す便利な技。MPを回復するようなちゃんとした休憩をとることは出来ないが、一瞬たりとも気の抜けない危険なダンジョン内で一息入れることは十分に可能である。
 戦闘終了後に負傷者の治療や戦利品の鑑定をして装備を調える等、PTの立て直しを行うのが一般的な探索者の嗜み。ただし、落とし穴にはまった直後に展開して治療をするとエラい目にあうことになる。

※3:リアルタイム処理ではないので、実際にはこちらから動かない限りキャンプを張らずに突っ立っていてもエンカウントは発生しないが。



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B1F:あかり ほご しきべつ

 
 ハネケンは神。
 異論はニューロニストの前で聞こう。



 迷宮の壁は人の手からなることが明らかな、直線的に切り出された石造りである。天井付近に人為的に植え込まれたと思われるほんのり発光する苔により、ごく僅かな視界を確保することが、迷宮の支配者から挑戦者に贈られるささやかな配慮であるらしい。

 

「……暗いわね」

 

 ナーベラルが舌打ちと共にぼやいたように、日の光が届かぬ通路の奥では、光学的に見える距離は僅か十メートルにも届かない。

 

「ルプー、明かりをお願いできる?」

 

 前を歩くルプスレギナの背中に向けて声をかけると、彼女は肩越しに振り返るとあっけらかんとした表情でこう言った。

 

「えー? めんどうっすよナーちゃん。こんだけ明るければ十分じゃないかなあ。空気も思ったより清浄だし」

 

「……」

 

 人狼(ワーウルフ)のルプスレギナにとっては、視覚よりもむしろ嗅覚が正常に働くかどうかが重要な問題なのである。空気の流れが綺麗に保たれていることもあり、彼女自身にとっては特に不自由を感じていないのであった。

 

「ソーちゃんもそう思うっすよねえ?」

 

 足音を立てずに隣を歩くソリュシャンに話を振ると、彼女は顔の向きを変えないままで答えた。

 

粘体(スライム)の動体感知能力は人間の目のように光学的なものではないからね。私はこの状態どころか、完全な暗闇でも百メートル先まで見通すことができるわよ」

 

 普段は至高の御方に定められた人間の姿に擬態しているとはいえ、粘体(スライム)であるソリュシャンは人間のような視力を持たない。ナーベラルが無言で隣のシズを見ると、自動人形(オートマトン)の妹は無表情に彼女を見返した。

 

「……暗視装置(ナイトビジョン)起動中、低光量でも問題ない。必要に応じて熱源感知(サーマルセンサー)も併用する準備は出来ている」

 

 まあ分かってた。自動人形(オートマトン)狙撃手(ガンナー)のシズに、目標を捕捉するための機能が搭載されていない筈はないのである。

 

「えっとねぇ、私もぉ、人間とは可視光線の範囲が異なるしぃ……」

 

 そして詳細はよく分からないが、蜘蛛人(アラクノイド)であるエントマも問題ないらしい。それに不死者(アンデッド)である首無し騎士(デュラハン)のユリが、暗所を苦手としていると言うこともまさかないだろう。ナーベラルはこの薄明かりに難儀しているのが自分だけであるらしいことに疎外感を覚え、ため息をついた。

 その時、天から声が降ってきた。

 

『待て、待つのだお前達……』

 

「アインズ様!?」

 

 <伝言>(メッセージ)の魔法を多重起動してプレアデス全員に呼びかけてきた至高の御方の声に、一同は思わず跪く。

 

『私はただのシステムメッセージである。愚かな真似は止すのだ……安全の確保されていない地下迷宮内で跪くなど、冒険者の手本にあるまじき油断した行為であるぞ……』

 

 まあ、地下一階にお前達にダメージを通せるモンスターなんて存在しないんだけどな。などとぶつぶつと呟く声も聞こえてきたが、それには構わず、プレアデス達はとりあえず立ち上がって態勢を整える。

 

『とりあえずお前達を使って実戦形式のテストをしてはいるが、このダンジョンが想定している挑戦者は本来人間の冒険者だ。異形種のお前達が生得している類の特殊能力を彼らに求めるつもりはない……よってここは擬態することで人間に準じた肉体能力となっているナーベラルを基準とし、明かりをつけてやるがよい』

 

「かしこまりました、アインズ様」

 

 ユリが虚空に向かって一礼すると、ちらりと横を見る。ルプスレギナは一も二もなく頷くと、その背に背負った巨大な聖杖を掲げて呪文を唱えた。

 

<持続光>(ローミールーワー)

 

 すると、聖杖の先端に象られた聖印のど真ん中に、眩く輝く白色の光球が生まれ出た。ルプスレギナの手で聖杖が天井付近に掲げられると、白い明かりが杖から離れて空中に浮かび上がり、彼女の頭上周辺をふよふよと漂い始めた。通路の奥を明るく照らし出すその光球により、呪文を唱える前に比べ三倍にもなったであろう視界を確認すると、ルプスレギナは背後のナーベラルを顧みた。

 

「これで満足っすか、ナーちゃん?」

 

「ええ、ありがとう」

 

 ナーベラルがニコニコと上機嫌に答えるのを、ルプスレギナはちょっぴり面白くなさそうに、頬を膨らませて眺める。彼女が上機嫌なのは視界が広がったからではなく、至高の御方に味方して頂いたからなのは確定的に明らかであった。

 

「……それにしたって、明かりにモンスターが寄ってきたりはしないんすかねえ?」

 

『うむ、いい着眼点だルプスレギナよ』

 

 思いつくままに憎まれ口を叩くと、予想外にアインズの返答が飛んできてルプスレギナは文字通り飛び上がった。それに連動して光球が照らし出す視界が揺れる。

 

「うひゃ、アインズ様!?」

 

『……明かりをつけなければ見通しが悪い中、暗がりに潜むモンスターを見つけづらくなることもあるだろう。明かりをつければ、その光に引き寄せられるモンスターも居るだろう。明かりをつける、つけないの判断にも熟慮が求められるのが冒険者というものだ。このダンジョンではそうした判断力も身につけて貰いたいと思っていると知るがよい』

 

「なるほどぉ、流石はアインズ様。感服致しましたぁ」

 

 エントマが感嘆の声を上げると、一同がそれに倣って頷いた。至高の御方の深謀遠慮は、明かりひとつをとってすら冒険者への課題を含むのだ、流石は深遠なる叡智の御方よ……

 

「よし、じゃあ気を引き締めて行きましょうか。警戒は密に」

 

 ユリがぱんぱんと手を叩いて音頭を取ると、妹達は頷いてその手に得物を構え直した。するとルプスレギナが立ち止まって後ろを振り返った。

 

「おっけーっす、ユリ姉。そういうことなら、めんど……やり過ぎかと思って控えてた防御魔法をかけておくっすよ。<集団盾壁>(マポーフィック)

 

 ルプスレギナが魔法を唱えると、魔力のうねりが各員の周囲に集まってきて、盾の形を象った。不可視の障壁が体の半面を覆ったのを感じ取り、一同が口々にルプスレギナに謝意を示す。そして次に、ナーベラルが口を開いた。

 

「では、私の方で一度索敵しますねユリ姉様……<生命感知>(ディテクト・ライフ)

 

 無言で姉が頷くのを確認したナーベラルが唱えた呪文の効果により、範囲内の生命反応が走査される。走査が完了すると、彼女は首を振って言った。

 

「効果範囲内での生命反応、ありません姉様」

 

「オーライ。ボ……私の方は、前方曲がり角の先にアンデッドの反応を検知しました。ソリュシャン」

 

「私の方でも確認しましたわ、姉様。シズに伝えます」

 

 己の種族スキルで不死者(おなかま)の反応を察知したユリがソリュシャンを促すと、彼女は頷いて後方に三歩下がり、後ろに控えたシズの側に並ぶ。他の姉妹達が立ち止まって左右に分かれると、シズは片膝を立てて座り、膝の上に肘を乗せてライフルを構え、膝射の姿勢を取った。ソリュシャンがシズの耳元に顔を寄せ、自身の索敵スキルで獲得した標的の現在位置を囁きかけると、シズはライフルの照準を覗き込みながらそれに応えた。

 

「……うぃ、マイシスター。スキル<魔弾の射手>発動。有象無象の区別なし!」

 

 シズが一見無造作にトリガーを引くと、轟音と共にライフルから弾丸が発射される。高速で通路奥突き当たりの壁面にぶち当たると思われた弾丸は、その直前で直角に軌道をねじ曲げて曲がり角の奥へと消えた。直後に奥で響く破砕音。それも一度では収まらず、二度、そして三度。

 一行が角を曲がってその現場に辿り着くと、首から上が爆散した結果頭のない骨格標本と化したスケルトンの残骸が三体、虚しく通路に屍を晒しているのを確認した。完膚無きまでのヘッドショットである。

 

「……いえーい」

 

 得意そうに鼻を鳴らしたシズが、ソリュシャンとハイタッチを交わす。ナーベラルとエントマがぱちぱちと拍手するのをまんざらでもなく受け入れる。

 

「よし、首尾は上々ね。よくやったわシズ。……いかがでしょうか、アインズ様?」

 

『う……うーむ……見事な連携でありどこもおかしくはないと言ってやりたいが……』

 

 ユリの問いかけに対し、答えたアインズの声は歯切れが悪かった。その調子を訝しんだ一同の顔に不安が浮かび上がり、テンションが急激に下降していく。浮き沈みの一番大きかったルプスレギナが、緊張した面持ちで問いかける。

 

「……な、なんかやらかしちゃったんすか私達?」

 

『ああ、いや、そういうわけでもない。相手に気づかれるより先に敵を発見し、相手の攻撃が届かない位置から一方的に殲滅するというのは戦闘として一つの理想ではある……まあ、私の想定とは少々違うのだがな……少し縛るか』

 

 アインズの声は語った。この階層は最低ラインの雑魚しか湧かないので、何が出ようと元々戦闘メイド(プレアデス)のメンバーの相手にもならない。一方、本来の対象層である訓練生の相手としてみれば、今しがた倒したスケルトンですら脅威である。プレアデスと冒険者の卵達の間に横たわる実力差を多少なりとも摺り合わせるために、超長距離攻撃や範囲攻撃等、一部の魔法やスキルを暫く使用禁止にすると。

 

『ともあれこの階層に配置したモンスターでは、目を瞑って棒立ちになっていようともお前達にダメージを通せる可能性は全くない。悪いが私の検証に付き合ってくれ』

 

「それが御方の望みであれば喜んで」

 

 ユリが代表してアインズに頭を下げると、気を取り直してスケルトンの残骸が散らばった通路の奥を透かし見る。通路はそこで二股に分かれ、右手の奥は突き当たりに扉らしきものが見える。もう一方、更に直進した場合は途中で更に分かれ道らしき横穴が見え、その奥にはやはり扉めいた木の板が、ルプスレギナが掲げる眩い光によって切り裂かれた薄闇の奥で僅かに照らし出されているのが見える。

 

「だいぶ道が分かれてきたわね……どこに向かおうかしら?」

 

 ユリがそう呟くと、エントマが手を挙げた。

 

「はいはーい、ユリ姉さまぁ! こういう場合はぁ、左手を壁について歩き回るのがいいって聞いたことがありますぅ!」

 

「……左手法/右手法と呼ばれる、迷路の基本的な攻略法の一つね。単純な迷路には有効ではあるのだけれど……」

 

 エントマの声にソリュシャンが答える。だけど何? と言いたげな顔できょとんと姉を見つめるエントマに、彼女は無慈悲な宣告を下した。

 

「迷路が複雑に成る程、構造上有効な手段にはなり得ず、ループすることも多いわ。……仮にもアインズ様がお作りになった迷宮が、そのように単純なものに収まるかしら。おっと、実際に作ったのはマーレ様だなどという野暮なツッコミは不要よ」

 

「むぅ」

 

 どうでもいいツッコミ対策までついたソリュシャンの意見に、エントマは反論が思いつかず黙り込む。

 

「ちょっと待ってちょうだい。……アインズ様がこの迷宮をお作りになった目的は、この迷宮を攻略することで未知への探求を目的とする冒険者を育成することだったわね。つまり、ここで求められている王道的な対処法は、マッピングをして迷宮の地図を作成することではないかしら」

 

 ユリが考え込みながら己の意見を述べると、ナーベラルが反応した。

 

「あっ……そういえば姉様、アインズ様がモモンさ――んとして行動しておられるとき、地図の空白を埋めていくような仕事はとても意義深い。出来れば私もそのような冒険がしたいものだと仰せになられたことがあります」

 

「あらナーベ、貴重な情報ありがとう。……決まりかしらね、誰か書くもの持ってない?」

 

 ユリがそのように言いながら自分の懐をまさぐると、アインズのちょっと嬉しそうな声が降ってきた。

 

『フフフ……心配は無用、お前達の装備品の中に方眼紙と鉛筆をこっそり混ぜ――』

 

「やだなーユリ姉、そんなアナログな方法は不要っすよー。私達にはシズちゃんが居るじゃないっすか」

 

 ところがアインズの言葉を最後まで聞くこともなく、その声はルプスレギナによって遮られた。彼女がシズの肩をぽんぽんと叩いてウインクすると、シズは無言で頷いた。

 

「……問題ない。私には自分の移動距離と方角を正確に算出する能力が備わっており、ここまでの道筋もここからの道筋も自動で記録・参照可能。万事OK」

 

『……オ、オートマッピングかー。そっかー……ハハッ……』

 

 姉妹達がおおーっと感嘆の眼差しを、自慢げに反っくり返るシズに向ける中、アインズのコメントは少し寂しそうであったという。

 

 

 




恒光(ロミルワ)
 信仰系第四位階魔法(様式美)。
 PTが見通せる視界を数倍に伸ばせる便利な魔法だが、すぐにマップの方を暗記して唱えるのが面倒になる。同位階の治痺(ディアルコ)とリソースを食い合っている(※1)という実利的な理由から言っても、最終的には使わなくなる。
 なお、実際には唱えたからと言ってエンカウント率が上がったりはしない。

※1:詳しくは後述。

大盾(マポーフィック)
 信仰系第三位階魔法(様式美)。
 PT全体のAC(※2)を2下げる防御魔法。全員に効果がある上、一度唱えればダンジョンから帰還するまで永続的に効果が続くという圧倒的な使い勝手の良さにより、呪文を覚えた後は必ず使われ続ける僧侶系呪文の最高峰である。例え解毒(ラツモフィス)とリソースを食い合って、貴重な魔法の使用回数を消費すると言えども、こちらには必ず使うだけの価値がある。

※2:簡単に言うと回避率のことで、攻撃を躱しやすくなることで被ダメージを下げる防御力の指標。裸状態で10から始まり、下がるほど強い。言葉の意味は回避率でも、処理的には他のゲームで言う防御力の上昇と解釈して貰って問題は無い。

《MPの仕様》
 後のCRPGの主流にはならなかったため馴染みの薄い人も居るかと思われるが、WizにおけるMPの概念はD&Dに倣ったシステムを採用している。Ⅲだけだが、FFでも同様のシステムを採用したことがあるので、分かる人はそれを思い浮かべて貰うといいだろう。
 WizのMPは魔法レベルごとに独立した使用回数を持っている。
 つまり、魔術師系レベル1魔法の小炎(ハリト)硬化(モグレフ)仮睡(カティノ)座標(デュマピック)は同じリソース……魔術師系レベル1魔法の使用可能数を1消費して発動し、他レベルの使用可能数には影響を与えない。
 このことは、下位レベルの呪文の使用価値を増す効果がある。大炎(マハリト)を何回唱えようとも、爆炎(ティルトウェイト)の使用回数は全く減らないので、敵の強さを見切ってそれに必要十分な呪文を選択することで、魔術師の継戦能力が大きく向上する(※3)。逆に言うと、最強の魔法ばかりぶっぱしてると三戦程度で息切れするのがWizの魔術師である(※4)。

※3:魔法職のMPが切れそうになったら帰還するのが冒険者の嗜みである。「まだ行けるはもうやばい」はこの時代から有効な金言であると言えよう。如何にMPの消耗を抑えて一回辺りの稼ぎ効率を上げるか考え始めたら、あなたも廃人への道を一歩踏み出しているのである。
※4:レベル毎の最大MPは9であり、どんな呪文も一回の探索で九回を越えて使用することはできない。一方、前衛職の直接攻撃は使い減りしない為、極まった廃人は呪文をピンポイントに絞ってレベルを上げた物理で殴るのが基本戦法になっていくという。

《マッピング》
 諸君、迷宮に挑む準備は整ったかね?
 では、手元に20×20の方眼紙を用意したまえ。
 ……ウルティマに始まりDQ・FFへと続いていく俯瞰型RPGと異なり、3DダンジョンRPGでは迷路の構造も自分の現在位置も気を抜けばわからなくなる。そこで必要なのが、地図の作成――マッピングである。
 ダンジョンの奥深くには現在位置を混乱させる悪意に満ちた仕掛けの数々が冒険者達を待ち受けるため、位置の確認には慎重を期す必要がある。迷宮がやけにでかいなと思ったら転移罠でループしていた……などと言うことのないように。
 もっとも、現代においてユーザーにアナログで書き取らせるのはさすがに時代錯誤が過ぎるため、近年のゲームには踏破した道筋を自動で記録してくれるオートマッピング機能が実装されているのが主流である。まあ、ふっかつのじゅもんを書き間違える悲劇と同じく、あくまで思い出の中で語られる存在ということである。



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B2F:たからのはこだ! どうしますか

 
 ところで本来米国ではこのWizardryというゲーム、かなりのネタ作品らしい。
 日本では特にFC版移植された時、末弥絵とハネケン曲の荘厳さと、ブレードカシナート(※1)に代表されるジョークのニュアンスが翻訳されなかったせいで、非常に真面目なストーリーである硬派なゲームだと誤解された(あるいは移植チームがわざとそういう方向性に変更した)。
 そのおかげで日本のWizフリーク界隈では、本来アメリカンジョークがベースのギャグ描写を大真面目に考察しこじつける考察厨が隆盛を極め、派生作品の小説や漫画に数々の名作が生まれていくことになったのはありがたい話である。

※1:カシナートというのは米国商品のフードプロセッサーのことである。本来はミキサーの刃がぐいんぐいんと回転するネタ武器なのだが、性能は普通に強かったので日本語版では名匠カシナートが鍛えた名剣ということになった。



 バン!

 

 乱暴な音と共にユリ・アルファが丈夫な木材で作られた扉を蹴破る。彼女の膂力であれば樫の木の板を本当に文字通り粉砕することも苦も無くできてしまうが、今回はあくまで蹴り開けただけである。両手は武器と盾で塞がっているのが普通の冒険者であるから、ドアというものはキックするのが嗜みであるのだ。ただし、素手での格闘術が戦闘スタイルのユリにとってはその限りではないのだが……これもまた、アインズが想定する通常の冒険者の卵に合わせた形だ。

 ともかく、薄暗い洞窟内部に満ちた静寂を切り裂く轟音に、部屋の内部にいた生物は驚いた。口々に喚きながら手に手に粗末な鉄の剣めいた得物を取って立ち上がる。その剣は、剣と言うには大雑把すぎる造りで、刃などあってなきが如しの剣の形をした鉄の棍棒である。

 犬頭人(コボルト)が七匹。扉の向こうに広がる玄室の中に思い思いに座り込んでいたモンスターの群れである。メイド長(ペストーニャ)の親戚っすかね、そう呟いた駄犬(ルプー)がユリにどつかれて沈黙する。本人が聞いたらこんなものではすまないだろうから、むしろ感謝して貰いたいとユリは思う。

 

「数ばかり多い犬コロね……とりあえず一当てして蹴散らしましょうか」

 

 ソリュシャンが手の平にナイフを生やしながら好戦的な台詞を吐くと、犬頭人(コボルト)達はあぎゃあぎゃとざわめいた。

 

「ん……ちょっと待ちなさい、ソリュシャン。みんなも。様子がおかしいわ」

 

 ユリがそう言って妹達を制止する。

 絶望的なまでのレベル差から生じる威圧感に気圧されたからかどうか。犬頭人(コボルト)達は完全に萎縮していた。よく見れば丸まった尻尾を足に挟んでいるのが何とも痛ましい。一度は抜き放った剣を鞘に納め、両手を広げて敵意はありませんよと言いたげな様子である。いきなり押し入ってきた狼藉者に対するものとしては破格の態度だ。武器を捨てて平伏しないのが、せめてもの矜恃であると言えるだろうか。

 

「……向こうから仕掛けてくる気はなさそう。こういう場合、どうすれば?」

 

 シズが呟くと、それに答える声が天から降ってきた。

 

『先程は言いそびれたが、この迷宮に棲息するモンスター達は全部が全部冒険者達に敵対的というわけではない。今お前達の前にいる者達のように、敵対する意志がない……いわば友好的なモンスターというものも存在する』

 

 アインズはそこで間を置いた。次の台詞をためらったのか、自分の言葉をプレアデス達が十分に理解する間をとったのか。

 

『……そのような相手はお前達と戦うことは望まないだろう。それにどう対応するかは……その、お前達次第だ』

 

 友好的な関係を築いて交渉してもいいし、自分たちの方から喧嘩を売ってもいい。そのように述べたアインズがかなり言い辛そうであったことを内心訝しみつつも、ユリは状況をまとめにかかる。

 

「はいはい、ではアインズ様もこう仰っていることだし。せっかくだから友好的に接してみましょうか」

 

「ちょっとユリ姉、それはずるいっすー。アインズ様そんなこと仰ってませんよーだ」

 

「そうですよユリ姉様。アインズ様は私達の好きにしていいと仰いました。つまり、このワン公共を捻り潰しても構わないってことでしょう?」

 

 どさくさに紛れて自分の意見を誘導しようとしたユリの小細工も虚しく、カルマ値の低い連中、ルプスレギナとナーベラルが早速反発してきたのを耳にし、ユリはため息をついた。まだ口を開いては居ないが、カルマ値極悪であるソリュシャンも似たような意見であることは確認するまでもない。

 

「……分かったわ。では私達が彼らにどう接するか、決を採りましょう。戦いたい人は手を挙げ、仲良くしたい人はそのままで。……心は決まったかしら? では、どうぞ」

 

「……おや、これは……」

 

 びくつきながらこちらの様子を遠巻きに窺う犬頭人(コボルト)達を尻目に、ユリが多数決を促すと、手を挙げたのは三人だった。ルプスレギナ、ナーベラル、ソリュシャンである。

 

「……日和ったわね」

 

 ソリュシャンがつまらなさそうな顔で述べる。善悪で言えば中立よりのシズとエントマが揃って手を挙げなかったのは、空気を読んでユリに気を遣った結果であることは疑いなかった。ユリが感極まった様子で味方した二人の妹を抱き寄せる。

 

「シズ、エントマ……本当にいい子ねあなた達……」

 

 だがむしろ、そのせいで事態はややこしくなったと言わざるを得ない。多数決で結果が決まっていた方が、不本意な結果になった側も諦めがついたであろうに、同数で割れたばかりにこの先どうするかが宙に浮いたのである。アライメント混成パーティーの悲しき弱点がここにあった。

 手詰まりになったことを察したユリが顔を曇らせて次の行動を躊躇った一瞬。状況が動いた。

 

「ギャオンッ!?」

 

 ソリュシャンが腕を伸ばし、手近な犬頭人(コボルト)の胸に手にしたナイフを突き立てたのである。腕を伸ばしというのは単なる動作に留まらない。骨格も筋肉も無視して触手となったソリュシャンの腕が数メートルも伸び、高速の鞭となって十分な距離があるものと油断していた犬頭人(コボルト)を絶命せしめたのだ。

 

「ちょ、ちょっとソリュシャン!? まだ……」

 

「話は後で、姉様。彼らもやる気になったようよ?」

 

 焦って声を荒げたユリを遮り、ソリュシャンが謡うように言い放った通り。仲間を殺された犬頭人(コボルト)達は殺気だって剣を鞘から抜き放ち、一塊となって殺到してきた。

 

「もう!」

 

 後でお説教してやると胸中決意を固めながら、ユリは斬りかかってきた犬頭人(コボルト)の剣を左手のガントレットであっさりと受け止めた。そのまま腕を横に払って、剣を横に流された犬頭人(コボルト)がよろめいたところに鋭い呼気を吐きつつ右の正拳を叩き込むと、犬頭人(コボルト)は口から血を吐きながら体をくの字に折り曲げて悶絶し、痙攣してやがては動かなくなった。

 

 一匹の犬頭人(コボルト)がルプスレギナに飛びかかる。剣を装備しているのは何のためだと思わず問い詰めたくなるような、牙と爪で獲物を引き裂かんとする獣の跳躍である。

 だがルプスレギナの方に大人しく飛びかかられてやる義理はない。彼女が流麗な動作で巨大な聖杖を勢いよく振り回すと、聖杖の先端が遠心力を乗せて空を跳ぶ犬頭人(コボルト)を地に叩き落とした。聖杖がそのまま頭蓋骨にめり込んで眼球を体外に押し出し、哀れな犬頭人(コボルト)を絶命させる。

 

 ソリュシャンに突き進んだ犬頭人(コボルト)は、鉄の剣を腰だめに構えて真っ直ぐに彼女に対し突き入れた。おどりゃあ(タマ)とったるでえ、と当てレコしたくなる堂に入った動きである。だが、勝利を確信した犬頭人(コボルト)の手には、柔らかい肉を突き刺す感触も、固い鋼に弾かれる感触も返ってこなかった。訝しむ犬頭人(コボルト)が剣を引くより速く、人間には不可能なレベルの不可解な体位で突き出された剣を回避したソリュシャンの腕が彼の頭にそっと巻き付く。あっと思う間もなく、犬頭人(コボルト)は喉笛を掻き切られて己の血が噴水のように迸るのをそのまま暗くなっていく視界に映し出した。

 

 率先して向かっていった三匹が瞬く間に返り討ちにされ、驚き立ちすくんだ残り三匹の犬頭人(コボルト)が踵を返す間もなく、後衛メンバーの攻撃が襲いかかった。

 向かって左の犬頭人(コボルト)の額に穴が空くと、ぱっと赤い花が咲いた。

 真ん中の犬頭人(コボルト)を電撃が打ち抜くと、全身から煙を噴きつつもんどりうって倒れた。

 右の犬頭人(コボルト)の胸部に小さな虫が飛来した瞬間爆発し、向こうの景色が見える風穴が空いた。

 

 一呼吸で犬頭人(コボルト)達が全滅したのを確認すると。ユリはふうと息をついてから妹を睨み付けた。

 

「どういうつもり、ソリュシャン?」

 

「どうもこうも……同数引き分けならお互い勝手にやる、ということではだめかしら姉様?」

 

「……いいわけないでしょ!?」

 

 ぬけぬけと言ってのけたソリュシャンに対し、ユリが苛立ちをぶつける。

 停戦派と開戦派が「お互い勝手に」やれば、その結果がどうなるかは考えるまでもない。戦闘を停止するには全員がその意志を共有する必要があるが、火蓋を切るのは一人の独断専行で済む。先程起こった現象の通りである。

 

「でもユリ姉~。票が同数なのに戦闘しちゃダメって言うのも、停戦派に一方的に従わされるって感じで不公平じゃないっすか?」

 

「そういう面もないとは言わないけど、しょうがないでしょ? 一度戦端を開いたらもう取り返しはつかないのだから、結果が出るまで留保しておくにはそうするしか……」

 

 ルプスレギナがソリュシャンを擁護する意見を出すが、ユリはしかめっ面でそれを一蹴する。すると、今度はナーベラルが参戦してきた。

 

「でもユリ姉様、あの状況から実際どうやって結果が決まるというのです? 停戦するかもしれないからと言って、この後戦いになるかも知れない相手を放置して延々と話し合いを続けるというのも……そう、アインズ様が仰る冒険者の心構えとしてはどうなのでしょうか」

 

 チッ。

 賢しらめいた理屈を並べる妹の台詞にユリは思わず舌打ちをした。ここでアインズ様のご威光を引き合いに出す妹の小細工が癪に障ったのである。

 

「……そういう話を持ち出すなら、そもそも戦闘メイド(プレアデス)のサブリーダーはボクなのだから、セバス様が不在の時は全体の方針は私が決めるという主張をしてもいいのよ?」

 

 人称を直すのを忘れるほどに内心の苛立ちをぶつけると、ナーベラルが少し怯んだのか困ったような顔をした。内心しまったと悔やむユリの心情を他所に、雰囲気が険悪になりかける。

 

『ふむ……お前達が喧嘩を始めるところは見たくはないな。敵対するかもしれない勢力の前でまごつく羽目になったのは、お前達が対応方針を決めていなかったからであり、決まっていなかったのは私の説明が実際に遭遇してからという泥縄だったせいだ。つまりこの状況は私の落ち度だ、詫びさせて貰おう』

 

「そんな、アインズ様!?」

 

 先程迷宮内で跪く物では無いと言われたことも忘れ、戦闘メイド(プレアデス)一同は思わず跪いて恥じ入り顔を赤らめた。自分たちのつまらぬ諍い事で至高の御方が心を痛め、あまつさえ詫びさせるなど恥ずべき始末である。……これだからシモベ達に交渉事を任せるのは不安なんだよ、というアインズのぼやきは虚空に消えて彼女達の耳には届かなかった。

 

『よい、そう畏まるな。そんなことより、今後このようなことが起こらぬよう方針を決めておくがよい。……私見を言わせて貰えば、お前達の現在の指揮官がユリなのは先程本人が言った通りなのだが、それで全てを押し通せば妹達にストレスを溜めることになるかもしれんぞ?』

 

 至高の御方の言葉を受け、一同は立ち上がって顔を見合わせる。

 

「……すみませんでした、姉様」

 

「いえ、いいのよ。私も悪かったわ」

 

 どちらからともなく謝罪し、仲直りの印にハグしあう。簡単な相談の結果、同様の状況下においては対応決定者をローテーションさせることで話をつけた。シズとエントマが変わらずユリに迎合するなら、善悪交互の対応を取ることと同義になるだろう。

 

『話がまとまったようで結構なことだ。……さてお前達、玄室の隅にある箱には気づいたか?』

 

 たからのはこだ! どうしますか?

 ……この地下迷宮にある玄室は、そこに棲息するモンスター達の根城であり、玄室の主が所有する財産を保管しておく宝箱が設置されているのだ。玄室の主を退けた君達には、その財貨を奪い取る権利がある。

 という設定だ、アインズはノリノリでそう説明した。目的は冒険者の卵達が、訓練中の間生計を立てる手段を模索せずに済むよう、迷宮の攻略に応じて報酬を得られるようにすることが一つ。そして、彼らの攻略に対するモチベーションの向上を狙った、装備の支給である。

 

『口で言うより見るが易しだ、まずは開けてみるがいい』

 

「えっと、では失礼しまして……」

 

「待って、ナーベラル!」

 

 アインズの言葉に従って馬鹿正直に手を伸ばしかけたナーベラルを、ソリュシャンが鋭く制止した。不思議そうな顔で自分を見つめてくるナーベラルの額を人差し指でちょんと押すと、ソリュシャンはにっと笑って言った。

 

「宝箱というなら、錠と……罠がつきものでしょう。ここは私の出番ですわね」

 

『うん、うん……流石はソリュシャン。己の役割を心得ているな。……ナーベラルの方は少々不用心だぞ、以後気をつけるように』

 

「も、申し訳ございません……」

「光栄ですわ」

 

 叱られてしゅんとするナーベラルと、お褒めの言葉を頂いて頬を上気させたソリュシャンで明暗が分かれた。お手並み拝見、と言わんばかりにうきうきとした気分を感じさせるアインズの声であったが、彼の余裕はそこまでであった。

 ソリュシャンが宝箱の側に跪いて錠前に手を伸ばすと、そのまま()()()()()()()()()()のである。手品でも見ているかのように、液状化した粘体(スライム)の腕が手首まで鍵穴に飲み込まれていくのを、アインズは呆気にとられて見守った。

 

「まずは、構造の把握ね……あら、まあまあ……お可愛いこと……」

 

 ソリュシャンがクスリと笑う。箱の蓋を開閉することなく内部構造を把握してのけた粘体(スライム)の触手が、宝箱内部に仕掛けられた小型の(いしゆみ)をそっと撫でる。(いしゆみ)の矢――不用意に宝箱を開けた不届き者の正面にクロスボウの矢をお見舞いする、比較的単純な構造の罠である。

 すると、しゅうしゅうと鍵穴から煙が吹き出した。フックするとそれに連動した機構により(いしゆみ)の引き金を作動させる、鍵穴付近に張られた極細のワイヤーが罠のトリガーとなっているのだが、それを引っかけることもなく包み込んだ粘体(スライム)の体から分泌された強酸が瞬く間に溶解させたのである。起動機構を破壊された罠は完全に沈黙した。

 

「罠の解除完了。ついでに駄目押ししておこうかしら」

 

 ソリュシャンが笑みを崩さず独りごちる。鍵穴から突っ込んだ触手が、宝箱の蓋を開けることなく、(いしゆみ)にセットされた小型の矢を、弦から取り外したのだ。これで何かの拍子に(いしゆみ)が発射される可能性すらなくなった。

 

「そして鍵開け……溶かしてもいいけど、せっかくだから、ね」

 

 姉妹達が固唾を呑んで見守る中。シリンダー錠の鍵穴に染み込んだソリュシャンの一部がドライバーピンの隙間を探り当てると、隙間が一列に揃うように押し上げた後硬化してピンを固定する。そのまま錠前を回転させると、カチリと錠が外れる音がした。マネマネ銀も真っ青の、熟達した早業であった。

 

「ハイ、一丁上がりですわ」

 

 おー。ソリュシャンが宝箱の蓋をゆっくりと持ち上げていくと、後ろで見物していた姉妹達が拍手で迎える。

 

『う、うむ、見事な腕前だソリュシャン。……そーきたかー、そっかー……』

 

 アインズがどこか呆然とした声でその腕前を褒めると、ソリュシャンは立ち上がって一礼した。その周りに集まった一同が、露わになった箱の中身を覗き込む。

 

「……銀貨に、銅貨……あと、なんか剣っぽいもの」

 

 シズがそう言うと、エントマが宝箱の中からその剣を拾い上げて手に取った。首を傾げてじろじろと眺めてみるも、何も起こらない。

 

「ナーベラルぅ、鑑定できるぅ?」

 

 エントマがナーベラルに向けて剣を放ると、ナーベラルは眉根を寄せてそれを受け取った。

 

「……私は<道具鑑定>(アプレ―ザル)系統の呪文は習得していないわよ?」

 

「それはみんな知ってるっすよー。ユリ姉は武器を持たないし、私は杖持ちだし、刃物の目利きが多少でも出来そうなのはナーちゃんかソーちゃんしか居ないじゃないっすか」

 

 ルプスレギナの言葉を受けて、ナーベラルは頷くと剣を鞘から抜いてしげしげと眺めた。

 

「どうかしらナーベラル?」

 

 少し間を置いて、ユリが声を掛けると、ナーベラルは肩を竦めて剣を鞘に納めた。

 

「正直、大したものではありませんねユリ姉様。……ただ、私がモモン様のお供をしていたときに下等生物(ウジムシ)共の多くが振り回していたナマクラよりはいいものかと思います」

 

『……まあ、お前達が与えられている装備からすれば、その剣はゴミも同然ではあるな』

 

 アインズの補足説明が入る。その剣は、アインズがドワーフの国を訪問したときに工房と話をつけて格安で引き取ってきた、未来のドワーフの名工達の手に連なる代物である。平たく言うと、工匠の徒弟達が修業で作った習作の数打ち品だ。当然そんなものに工房の印をつけるわけにはいかないと渋る親方に、出所は明らかにしないしドワーフ製だと喧伝するようなこともしないと説得して譲って貰ったのである。

 だがそんな代物でも、冒険者を目指す若者がなけなしの金をはたいてやっと購入するであろう粗悪品よりは遙かに上等なのは明らかであった。金銭を渡しても散財するしか能がない刹那に生きる冒険者達に、現物を支給することで戦力の向上を促し、アインズの懐が余分に痛むのを抑える、一石二鳥の配置である。

 

『お前達には意味のない代物だから、まあ後で返しておいてくれ。貨幣の方は、小遣いにでもするがいい。端金で悪いがな』

 

 テストプレイで財貨を放出するのは断腸の思いであったが、装備品は回収が前提であるし、とにかくできるだけ実際の運用と同じ形にすべきだろうと思ってなけなしの個人資産から小銭を入れておいたアインズの声は震えた。……冒険者の育成は国家事業にする計画なのだから、個人資産から支出をする必要はないことに彼が気づくのはもう少し後の話である。

 

「かしこまりました、お気遣い感謝致しますアインズ様」

 

 ユリがそう答えて促すと、ソリュシャンが頷いて体内に戦利品を収納する。その様子を観察しながらアインズは思う。この収納の問題も、彼女達と人間の冒険者達では全く事情が異なるんだよなあと。ソリュシャンは体内に人間一人以上の体積を余裕で格納することが可能だし、そうでなくともNPCには収納(インベントリ)がそれぞれ与えられている。魔法の鞄すらもたないであろう人間の冒険者達とは積載負荷が異なって当然だ。

 アインズがそんな思いを巡らす間にも、戦闘メイド(プレアデス)姉妹達は隊列を整えて再び探索の途についた。彼女達の冒険はまだ始まったばかりである――

 

 

 




《友好的なモンスター》
 生まれながらの性格が変更される程の衝撃を自我に与える唯一の行動が、迷宮内で出会った友好的な他の冒険者モンスターに対する振る舞いである。
 善悪混成PTでは友好的なモンスターが出現してしまった時点でどんな選択肢をとろうとも結局誰かの性格が変わる危険が発生するが、ゲーム的には変わることにたいしたデメリットはない。よって本当は本人の意向を無視してさっさとユリ姉を悪堕ちさせた方が手っ取り早い。

《宝箱》
 迷宮に巣くうモンスター達が己の縄張りとしているのが、扉によって外界と区切られた玄室であり、その中には彼らのとっておきの財産を保管する金庫がある。
 それが宝の箱であり、持ち主以外の他者が不届きにも手を伸ばそうとすれば、仕掛けられた罠がたちまちのうちに火を噴くであろう。そこで満を持して登場するのが、仕掛けられた罠を熟練の技で解除する盗賊職の冒険者である。彼らは戦闘中は殆ど置物レベルで役に立たないが、戦闘後に戦利品を無事に入手するためには必要不可欠な存在なのだ。

《罠》
 Wizにおける罠の解除は、二段階の工程を経て実施される。
 最初が罠の識別。罠をうっかり作動させない範囲で宝箱を観察し、仕掛けられた罠を推定するフェーズである。ソリュシャンは反則的なレベルのショートカットをかましたが、本来ここが盗賊の腕が最も問われる部分である。
 罠の種類を特定したら、いよいよそれを踏まえた解除工程に入る。Wizにおいて罠の構造はその種類ごとに千差万別の精緻な仕掛けであり、万が一罠の種類を間違えていた場合はたちどころに正解を教えてくれる(※2)親切設計である。
 最初に罠の種類さえ正しく特定できていれば、解除の方は識別ほどの技量を要求されない。
 ……いつからカルフォ(※3)が絶対だと錯覚していた?

※2:勿論、実際に発動して見せることでな。
※3:当てにならないボンクラ盗賊の代わりに、神様が仕掛けられた罠の正解を教えてくれる信仰系魔法。正答率は95%。100じゃないところがミソ。

《鑑定》
 入手したアイテムは最初は「大雑把なくくりの不確定名がついたなんだかよくわからないもの」であり、正確な効果や性能ははっきりしない。鑑定というスキルを用いることでその正確な名前と性能を識別することができるが、失敗すると呪われる……こともある。一応、「どう転んでもただのロングソードよりは強いはずだろ」とか、「“ぶき”なら装備可能職種で特定できるやろ」みたいに不確定名のまま使う荒技も可能。
 PTメンバーが鑑定できない場合は故買屋の商人に目利きして貰うこともできるが、下取り価格と鑑定費用が同じであり、依頼した時点で儲けが一銭もなくなるという外道っぷりである。それを逆用して、見積もり額から鑑定結果を類推するのを常套手段とするくらいには冒険者も強かなのでお互い様ではある。
 オーバーロード世界において鑑定の役割は魔法が受け持っている上、NPCのプレアデス達にそのような呪文を習得する遊びがあるとは考えにくいため、SSに落とし込むのを断念した。

《所持数》
 Wizにおいて一人の冒険者が所持できるアイテムの数は8個である。これには、武器防具の装備や、各種キーアイテムも含む。つまり、前衛の戦士職の人間は剣・盾・鎧・兜・小手・装飾品で6枠が埋まり、他のアイテムを2個しか持てない。
 これはRPGの系統がどうというよりは、容量がカツカツだったCRPG黎明期のハード制約的な問題が大きい。FC時代のRPGには装備とキーアイテムをもったら回復薬数個分の余裕しかないなんて話はざらにあった。
 後衛職はそこまで装備部位が多くならないというのもあるが、どうせこの時代は直接攻撃に晒されることがないと割切って装備を減らす工夫も求められる。耐性を上げる装飾品と必須のキーアイテム、魔法効果があるマジックアイテムを持たせて後は裸という戦略は普通にアリなのだ。結果、フル装備で全身を固めた戦士が指輪を8個持った盗賊を見て真顔になるという現象が起きたかどうかは定かではない。



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B3F:まっくらやみだ!

 
 ストーリーラインの都合上マップが元ネタと異なる部分がありますが……
 出番を作ってあげたかっただけで他意はない。



 運が良いのか悪いのか。

 幾つかの玄室にお邪魔して遭遇したモンスター共を蹴散らしながら迷宮を彷徨っていると、程なく通路前方の床面にぱっくりと口を開ける四角い穴が見えてきた。

 近づくにつれて、下りていく階段がその中に見えてくる。地下二層に下りる下り階段を発見したプレアデス一行は、顔を見合わせて方針を相談した。

 

「どうする、みんな?」

 

 ここに辿り着くまでに入らなかった分岐は数あり、その先がどこまで広がっているかは分からない。この階層の探索を優先するか、先へ進んでみるかは考えどころである。

 

「……参考までに。途中の小部屋は覗いたけど、私達はほぼ一直線に階段までのコースを辿ってきた。先を目指すことを目的とするならば、全ての分岐で正解を引き当てている状態」

 

 地図担当(マッパー)としてシズが補足情報を述べると、一同は考え込んだ。

 

「迷宮の地図を作成することが目的ではないのだからぁ、下りてみるのもありだと思うなぁ」

 

「それはそうだけど、この階層の未踏破部分に何か重要なものがないとも限らないわよね。初めての階層なんだから、くまなく回って階層辺りの全体像に当たりをつけるというのも悪く無いと思うわよ?」

 

 エントマの意見を、ソリュシャンが論評する。ナーベラルが首を傾げて言った。

 

「どちらの言うこともそれなりに筋が通っているわね。……どちらを選ぶのがアインズ様の御心に叶うかしら」

 

「そりゃあナーちゃん、せっかく作ったダンジョンならくまなく見て貰いたいっていうのが人情じゃないっすかね?」

 

 ルプスレギナの発言に、一同は成る程一理ある、と頷いた。だがユリが頭を振る。

 

「……でも、アインズ様はご多忙な御方です。必要だからやっていることとは言え、このテストにばかり時間を取られては他の業務に差し障りがあるでしょう。ここは先に行って変化をお見せするのが御方の助けになるのではないかしら?」

 

 どちらの論理にも致命的な瑕疵はないということで、決を採ったところ四対二で下りてみようということになった。

 

『……私の立場に気を遣って貰う必要は無いとも。同じ状況下に置かれた将来の冒険者達がどのように判断するのか参考になればいいと思っているからな。とは言えせっかく決まったのだ、とりあえず進んでみるといいだろう』

 

「はっ」

 

 

 

 

 飾り気はないがしっかりした作りの石段を一段一段慎重に下りていく。下の方からひんやりとしたカビ臭い空気が吹き上がってきて、一行の鼻をむず痒くさせた。

 

「なんだかゲンシュクな雰囲気っすねえ」

 

 目に入ってきた二階層の光景を見て、ルプスレギナが呟いた。

 地下二階の空気は上層のそれに比べると一回り荘厳な雰囲気を称えているようだった。気分屋で印象派の彼女はざっくりと評したが、その根拠を細かく求めていくなら壁面の所々に刻み込まれた飾り紋様や、階段下から既に見える扉の作り込み具合によるものと言えるだろう。

 

「そうね……なんとなく、神殿のようにも感じるわ」

 

 ナーベラルが頷いて姉に同意を示した。そこに、ユリが険しい顔で鼻をひくつかせる。

 

「……アンデッド反応が多数感じられるわ。多すぎて感知が上手く働かないくらいにね」

 

 それを聞いたエントマが首を傾げて言った。

 

「宗教的な雰囲気とアンデッド……つまりぃ、墓地の類をイメージしているのかしらぁ?」

 

「そうかも知れないわね。ま、とにかく。アンデッドが大量ということなら神官の出番よね。期待してるわよ、ルプス」

 

 エントマの言葉に頷いたソリュシャンがそう声を掛けると、ルプスレギナが張り切って腕を振り回した。

 

「おーし、任せとくっすよ! なんちゃって僧侶(クレリック)のルプーちゃんの活躍にちょーご期待っす!!」

 

「……言っとくけど、なんちゃってってのは褒め言葉じゃないわよ……」

 

 ナーベラルの呆れたようなツッコミを背に受けながら、ルプスレギナはハッスルして歩き出す。ぞろぞろと姉妹達がその後に続いた。

 

<アンデッド退散>(ターンアンデッド)!」

 

 高らかな宣言と共に、ルプスレギナが指で印を組んだ手を突き出すと、出会い頭の骸骨戦士(スケルトン・ウォーリア―)三体が武器を構えようとした姿勢のままがくんと動きを止め、一瞬の間を置いて塵に還った。

 どこからともなく吹き抜ける風に巻き上げられ、塵となった死者達の残骸が周囲に霧散する。それを無言で見下ろすルプスレギナの顔はどこまでも無表情であり、ある種の神格めいた威厳を纏っているようだった。両手を空けるために背負い直した聖杖の動きを追随した結果、背後に漂う魔法の明かりが後頭部から前方を照らし出すその姿は文字通り後光を背負っているようであり、言うなれば「不確定名:まばゆいすがた」と言ったところである。

 

「……えへっ。ばっちり決まったっすよね?」

 

 まあ、それも口を開かぬ限りという注釈がつくのだが。相好を崩して背後を振り返ったルプスレギナの笑顔は、だがこちらの方が彼女の雰囲気には似合っているのかも知れない。

 

「はいはい、結構なお点前で」

 

 ソリュシャンが投げやりな返事をすると、ルプスレギナはちょっと不満げな表情でやる気が感じられないっすよと呟いたが、直ぐに気を取り直して前方へ向き直った。

 

「ターンアンデッド! ターンアンデッド! ターンアンデッド! ターンアンデッド……!」

 

 ルプスレギナが拍子をとりながら、歌い上げるように<アンデッド退散>(ターンアンデッド)を連発する。唱える度に複数の動死体(ゾンビ)が、骸骨(スケルトン)が、下位吸血鬼(レッサー・ヴァンパイア)が霧散していく。

 

「ルプー、そこでボケて!」

 

「かちょーふーげつっ!?」

 

 あまりにホイホイと気前よく連発していくので、思わずナーベラルが茶化すとルプスレギナががくっとずっこけた。たたらを踏んで数歩よろめくと、体を起こして向き直り頭を掻いた。

 

「もー、ナーちゃんはさっきからツッコミが厳しいっす」

 

「ごめんなさい、つい……」

 

 口だけは素直に謝るナーベラルをルプスレギナがジト目で睨んだところ、エントマが口を挟んできた。

 

「それにしてもぉ、多いわねアンデッド。……恐怖公の眷族並ぃ」

 

「そうね、ルプスレギナもいいかげん疲れてきただろうし、ちょっと目先を変えたいところだけど……ん、あの角の先は何かしら?」

 

 エントマに相槌を打ったユリが眼を細めて前方通路の角を透かし見る。

 そこには、黒々とした闇が口を開けていた。

 それは、単なる暗がりと言うには異様過ぎた。怪訝な顔をしたルプスレギナが、背中から聖杖を取り外して突き出すが、その後を追って眩い明かりが暗闇を切り裂くことはなく。それどころか、杖についてくる筈の光球が嫌がるかのようにその動きが鈍るのを、彼女は怪訝な顔で一瞥した。それでもそれなりに近づいた光球に照らし出された通路には、まるで黒い物体が詰まっているかのように漆黒の闇が広がっている。その手前の壁や天井が明るく照らし出されているのとは対照的に、どこまでも角の先は暗かった。

 

「……まるでコーヒーゼリーでも詰まってんじゃないかって感じっすね」

 

 ルプスレギナが鼻白みながらもそう軽口を叩くと、シズが無言で足下から小石を拾い上げ、闇の中に投げ込んだ。ひゅんっと空気を切り裂いて闇の中に投擲された石ころが、かつん、かつんと壁と床に跳ね返って転がっていく音が聞こえる。

 

「……ちゃんとこの先に空間はあるのに、光学的には検知できない。不思議」

 

 残念ながら音波探知(ソナー)機能は自分に搭載されていない。そう言って悔しがるシズの横に立ち、ソリュシャンが眉を顰めた。

 

「黒い霧が漂っている、と表現するのが近いのかしら? 私の知覚でもこの先を見通すことはできないわ」

 

 すると、その時アインズの声が口を挟んできた。

 

『ほうほう、成る程……ソリュシャンの知覚でも“ダークゾーン”の突破は不可能か。一応理論上は粘体(スライム)の感覚も防ぐということになっていたが、それが実地に裏付けられたわけだ。ご苦労諸君』

 

「アインズ様。“ダークゾーン”と仰いましたか?」

 

 ナーベラルが上げた疑問の声に、アインズの声が答える。

 

『いかにも、ナーベラル。冒険者達の視覚を無力化する領域を試験的に開発してみたのだ。目的は無論、五感の一部を奪われた冒険者達がどう判断し、どのような対策を立てるかを通じて成長を促すことにある。……こうしてぺらぺらと説明してしまうのは良くなかったな、お前達がどう対応するか見るべきだったのにな』

 

「ああ、それは申し訳ありませんでした。……どうします、ユリ姉様?」

 

 虚空に向けて頭を下げた後、ユリの方に向き直って発せられたナーベラルの質問を受け、全員の視線が彼女に集まる。ユリは妹達の顔を見回すと、腕を組んで頷いた。

 

「アインズ様がご覧になっているのに無様はできないわ。視覚情報が遮断されるだけなら手探りで進んでみることもできるでしょう。……先程、音は聞こえてきたわね。嗅覚と聴覚に優れるルプスレギナを先頭に、声を出しながら警戒して慎重に行きましょう。はぐれないように、手でも繋ごうかしら?」

 

「了解っすよユリ姉ー。でも、手が塞がるのは勘弁っす」

 

 その問題はエントマが解決した。彼女を中心に取り囲んだ一行は、エントマの背中から飛び出た()()()()の先端にきゅっと握られてはぐれない隊形を作る。後ろを振り返って頷いてみせると、ルプスレギナは恐る恐る聖杖の先端を暗闇の中に突っ込む。

 ずぶり、と音を立てたような錯覚と共に、黒い帳の向こうに聖杖が飲み込まれていく。それに追随する筈の光球は、なぜかいやいやをするように暗闇に反発する様子を見せたが、ついには諦めて入水するかのように飛び込んだ。最大の光源を失った周囲が急速に暗がりに飲み込まれていく中、ルプスレギナがうへぇ、と声を漏らしつつゆっくりと足の先を闇の中に差し出す。つま先が闇の中に消えていき、ふくらはぎから腿まで飲み込まれた時点で彼女が声を上げた。

 

「おっ、正直ちょっぴり不安だったけど、ちゃんと普通に床はあるっす」

 

 そのままぐいぐいと先に進もうとするので、エントマが苦情の声を上げた。

 

「ちょっとぉルプー、もう少しゆっくりお願いぃ」

 

 そしてルプスレギナを先頭に、ユリ、ソリュシャン、エントマ、シズの姿が闇に飲み込まれていく。ナーベラルも握手した蜘蛛の足がくいくいと引っ張ってくるのに従って恐る恐る固形化した闇の中に顔をつける。なんとなく水に顔をつけるようなイメージがあったが、とくにそのような感触はなく、ひんやりとした空気が顔の周りを満たしているのを感じる。誰かに手で目隠しをされたかのような、眼球に光が入ってこない違和感はあるが、それだけだ。

 

「みんな、大丈夫ね? 落ち着いて進みましょう」

 

 ユリが全員に声を掛けると、一同は口々に同意を示した。

 こん、こん。

 前方からルプスレギナが杖で床を叩く音が聞こえてくる。聖杖を十フィート棒の代わりにし、段差や穴、そもそも床が存在するかを確認しながら進んでいるのだろう。ナーベラルはエントマの足を握りしめながら、視界が利かないことに対する不安を押し殺して前に歩いていった。

 がつん。

 それまで響いていた音とは異なる調べの異音がして、ナーベラルが怪訝に思うと、ルプスレギナの声が聞こえてきた。

 

「おっと、ここに扉があるみたいっすね。突撃するっす」

 

 ばん。

 

「ふはっ」

 

 扉を蹴り開けて部屋の中に頭を突っ込むと、部屋の中は暗闇の領域外であり、うすぼんやりとした光苔が室内を照らし出していた。息苦しさから解放されたルプスレギナは――それは無論、緊張から生じる気のせいに過ぎなかったが――大きく息をつくと、己が灯した魔法の明かりが失われていることに気づいた。

 

「これってさっきの暗闇に消呪効果があったってことっすかねえ?」

 

 呟きながら己の肩に乗せられた蜘蛛の足を軽く引っ張ると、それにつられてエントマが部屋の中に入ってくる。最後にナーベラルが入ってきたのを確認すると、ルプスレギナは部屋の中を見渡した。

 部屋の中央には、頭がネコで、体が鶏の異様なケダモノの彫像が鎮座していた。

 眉根を寄せたルプスレギナがその前に近づくと、どうやら本体はブロンズで、台座はオニキスで作られているらしいことが見て取れる。飾り台の上には不自然な傷跡があった。ソリュシャンが側に来てその彫像を品定めする。指先で傷跡をかりかりと引っ掻くと、やおら彫像をひっつかんでぐいっと捻った。

 ずず、と低い音を立てて彫像が回転し、台座がそれに引っ張られて半分ほどずれる。その下にはちょっとした窪みが隠されており、上の彫像がずれたことで露出された形であった。その中に収められた小さな金色の鍵を、ソリュシャンの指がひょいとつまみ上げる。

 

「…………鍵」

 

 その様子を脇から覗き込んだシズが口にすると、ソリュシャンは頷いてその鍵を手の上で捏ねくり回した。無論、特に何も起こらなかったが。

 

「この鍵から推察される程度の構造の錠前なら、鍵なんて無くても開けてみせるけど」

 

 ソリュシャンがそう言うと、エントマが首を振って否定した。

 

「それは危険ねぇ、ソリュ。その鍵からは魔法の力を感じるわぁ。物理的な造形に意味はなくて、魔法の力で解錠する錠前なのかもしれない」

 

「あらそうなの。まあ元々捨てる理由もないし、しまっておきましょうか」

 

 ソリュシャンがそう答えると、その小さな金色の鍵は彼女の掌の中にずぶずぶと沈み込んで消えた。他にめぼしい物がないことを確認すると、その小部屋の唯一の出口である入ってきた扉から再びダークゾーンの中へと戻る。

 一行がこつ、こつと音を立てて壁と床を鳴らしながらダークゾーンの中を進んでいく。と、先頭のルプスレギナの足が止まった。

 

「また扉があるみたいっす。開けるのに反対の人は……居ないっすね、おけ」

 

 別に反対するつもりは一切無いのだが、頷くのが見えるわけでもないダークゾーンの中で返答を聞く前にルプスレギナが行動を始めたことにツッコもうかとナーベラルが迷った直後、音を立ててドアが蹴破られ、ルプスレギナがその中に転がり込む。

 

「……」

 

「……なにやってるんすか、シャルティア様?」

 

 この部屋からは、何か妖しげな明かりが発せられていた。ピンクのキャンドルが仄かに照らし出すその雰囲気は、妖しげというか、有り体に言っていかがわしかった。部屋の中はそれなりの調度品が設えられた居心地の良さそうなリビングルームであり、地下迷宮の一室と考えるとかなり場違いである。

 中央に設置された長椅子に腰掛けて、銀髪の吸血鬼の少女が己のシモベであると思われる吸血鬼の花嫁(ヴァンパイア・ブライド)の胸を揉んでいた。豊かな乳房にわっしと指を食い込ませて揉みしだいた少女は、長椅子にシモベを押し倒した体勢のまま、首だけを闖入者の方に向けて硬直していた。

 

『いや、本当になにしとるんだシャルティア……』

 

 アインズの呆れた声が降ってくると、硬直していたシャルティア・ブラッドフォールンはバネ仕掛けの玩具のように跳ね起きていそいそと衣服の裾を整えた。

 

「あ、アアアアアアインズ様!? これはなんでもないでありんす、そう、別にこんなところで待機してるのが思ったより暇だったとかそんなことは別になくて、いやその、手持ち無沙汰だから××(チョメチョメ)してやろうとかそんなつもりじゃ」

 

『もうよい、シャルティア。私もつまらぬ頼みをしたとは思っていたのだ。別に待機中は自由にして貰って構わんと言ったわけだし、特に注意するようなことはないとも。……見なかったことにするから、己の役目を果たしてくれ』

 

 錯乱して語るに落ちていくシャルティアを見ていられなかったのか、アインズの沈痛な声が降ってきて彼女の弁明を遮ると、銀髪の少女はぐっと言葉に詰まって沈黙した。気を取り直して衣服の埃を払い落とす真似をすると、ドレスの裾を摘んで侵入者達に挨拶する。

 

「ご機嫌よう、プレ……冒険者の卵さん達。“シャルティアのタクシー”へようこそでありんす」

 

 手元のカンペに目を落としながら、銀髪の吸血鬼はそう言った。

 

 

 




《ディスペル》
 オバロ世界ではアンデッド退散、D&Dでは死人払い(ターンアンデッド)と呼ばれる、信仰系魔法詠唱者が神に祈ることで不死者系統のモンスターを黄泉に送り返す神の奇跡。Wiz世界での設定的には、死体を動かしているアンデッドの呪いを解いて死者に戻すという理屈なので解呪(ディスペル)と言う。Wizの仕様だと回数無制限で、使用者の強さに応じて大抵のアンデッドをグループ単位で消滅させるそれだけを見れば優れたスキルだが、()()()()()()()()()余程の難敵とのギリギリの戦闘か、逆に糧とする価値もない雑魚散らしにしか使われない。

《ダークゾーン》
 魔法の明かりすら掻き消す真の暗闇。指を押す順番(ルート)を完全に暗記していて、鼻歌交じりで余所見しながら目的地を間違えることのない熟練の探索者達には何の意味も持たない。むしろ早くそうなるべきだという開発者からのメッセージである可能性。
 ちなみにダークゾーン内部でも普通にエンカウントは起こるし敵を識別もできるし何のペナルティもなく戦闘が行われるが、それを違和感なくSSに落とし込むのはちょっと無理があるので断念した。

《10フィート棒》
 いにしえのTRPGにおいて和マンチ熟練の冒険者が使用したという伝説の装備。その主な役割は、歩く先をつついて仕掛けられた罠を空撃ちさせることにある。
 業界が煮詰まってくると、罠の発動先を起動トリガーから10フィート離すというメタ対策なども行われるようになるが、その辺の塩梅は究極的にはGMとプレイヤーの信頼関係で決まると言っても良い。友情ブレイク、ダメ、絶対。

《鍵》
 最も基本的なお使いアイテム。
 ここを通るためには金の鍵が必要で、金の鍵を取るためには銅の鍵でしか開けられない扉を潜らねばならない……以下ループ。CRPG黎明期のフラグ管理なんてそんなものだが、見かけ上分かりづらくなっているだけで現代に置いても大差はない。



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B4F:くびをはねられた!

 
 ソリュシャンが斬撃・刺突に耐性を持つけど殴打は通るっていう設定を見て首を傾げた作者の脳裏をよぎったのは、龍の穴の格闘家の前に立ちふさがる帝国十字陣形殺し(ゼラチナスマター)であることは疑いようがない。



 “シャルティアの親切なタクシー、片道たったの銀貨千枚!”

 お付きの吸血鬼の花嫁(ヴァンパイア・ブライド)がいそいそと取り出した立て看板に書かれた文字を読むと、一同は「なんだこれ」と言いたげな表情で顔を見合わせた。

 

「ええと……シャルティア様、これは結局どういうことなのでしょう?」

 

 プレアデスの中ではおそらく一番シャルティアと仲がいいと自負する、ソリュシャンが交渉役を買って出る。姉妹の内明白にシャルティア派なのは彼女だけなので。

 

「そそそ、それはねえソリュシャン、書いてあるとおりでありんす。この部屋を訪問した訓練生達を、私が安全確実に地上まで送り届けてあげますんえ」

 

『……あー。本当はここに地上への転移門を設置する予定なのだが、現段階では実装が間に合っていなくてな。正直ちょっとした思いつきでシャルティアに送迎役を頼んだのだ、深い意味はない』

 

 まだ多少キョドっているシャルティアに、アインズのフォローが入る。

 

「思いつきとはまたご謙遜を……アインズ様の深遠なるお考えを私共が理解しようなどとはおこがましいですが、私達には思いもつかぬような狙いがあるのでしょう」

 

 殆ど反射的に発せられたユリの言葉にアインズがうっと返事に詰まったりもしたが、とにかく仕組みが説明される。要はここで代価を支払えば、地上に送り届けてくれるということだ。

 

『そうそう、銀貨千枚とは書いたが、適正な値段というものもまだ試行錯誤中でな。ここに来るまでに幾らくらい稼げて、幾らくらい支払う余裕があるのかさっぱりわからん。お前達、今幾ら貯まっている?』

 

 アインズの言葉に、姉妹の視線がソリュシャンに集中する。ソリュシャンが長椅子の前に置かれたテーブルの上に無言で手を差し出すと、その手の平からじゃらじゃらと硬貨が溢れだしてきた。このダンジョンで入手した金を一括で保管していたのであった。

 

「……銀貨が六百七十六枚と、銅貨が二百四十八枚ございますわアインズ様」

 

『む、そうか……えーと、ソリュシャンがまとめて持っているのだから、本来一人当たり銀貨百十二枚と銅貨四十一枚くらい、か……我ながら(しわ)すぎたかな……』

 

 アインズがぶつぶつと呟くと、目を丸くしたシャルティアが問いかける。

 

「おやまあ、所持金が銀貨千枚に届かないでありんすか!? それでは残念ながら、妾のたくしぃを利用することはできんせんでありんすなあ」

 

『いや、待つのだシャルティア。これはテストだからな、とにかくやってみないことには何事も始まらぬ。ゆくゆくは値段設定と財宝の配置も見直すとして、ここは全額受け取って依頼した、ということにしようではないか』

 

「わかりんした、我が君の仰せのままに」

 

 そう返事をしてシャルティアがちらりと見ると、もとよりプレアデス一同に異論のあるはずもない。机の上に積まれた硬貨がソリュシャンの手によってそっと押されると、吸血鬼の花嫁(ヴァンパイア・ブライド)が持った袋の中にじゃらじゃらと収められていく。

 

「では、地上まで送るでありんす……<転移門>(マピロ・マハマ・ディロマト)

 

 シャルティアの詠唱と共に、部屋の中央に黒い穴が現れ一同を飲み込んだ。

 一瞬の暗転の後、自分たちがアインズの執務室に居ることを確認すると、プレアデスの姉妹達は次々と至高の御方の前に跪いた。ここはダンジョン内じゃないからもう跪くなとは言わせない……まあ、そんなつもりはないのだろう。アインズが勝手に邪推しただけである。

 

「……とりあえず、ご苦労だったお前達。本来の想定では、訓練生達はここではなく迷宮入り口の地表に転送され、エ・ランテルに帰還して武具の手入れと戦利品の処分を行い、傷を癒し疲れを取って再び迷宮に挑む……という感じで考えている。お前達にはどれも不要だろうが……何か意見のある者は居るか?」

 

 アインズが問いかけると、姉妹達は顔を見合わせた後、一斉に首を振った。まあ、何かあるかと言われても分からないだろうな、アインズとしてもそう思う。

 

「それでは本日はここまでにしておこう。今から私は雑務を処理することにするから、各自休息を取って明日に備えておくように。では解散」

 

 アインズがそう言って机の脇に積まれた書類の山に視線をやり、非常に嫌そうにゆっくりと手を伸ばす。それを確認したユリが姿勢を正すと、妹達が倣って整列した。

 

「それでは、アインズ様。私達はこれで失礼致します」

 

「うむ、明日を楽しみにして居るぞ」

 

 ぞろぞろとアインズの執務室を出ると、ルプスレギナが大きく伸びをして口を開いた。

 

「はぁー、緊張したっす。それじゃユリ姉、みんな、また明日ぐぇっ」

 

「お待ちなさい」

 

 ユリがルプスレギナの襟首を掴んで勢いよく引くと、ダッシュで走り去ろうとしたルプスレギナが潰れた蛙のような声を上げてユリの胸元に引き寄せられた。

 

「な、なんすかねえユリ姉……」

 

「今から皆で反省会をするわよ。アインズ様のご期待を裏切ることの無いよう、万全を尽くすのは当然でしょう?」

 

 そういうことになった。

 

 

 

 

 翌日。

 地下迷宮の入り口で合流し、さっと装備と隊列を整えて出発する一行を見て、アインズの満足そうな声が降ってきた。

 

『うむ……出発までの手順には慣れたようだな。結構なことだ』

 

「光栄ですアインズ様。……シズ、階段まで案内して」

 

「……了解、ユリ姉様」

 

 アインズの激励に気炎を上げたユリがシズを促すと、一行はシズの指示に従ってさくさくと地下二階へと続く階段に辿り着いた。そのまま階段を下り、下層へと歩を進める。

 

「さて、昨日と同じ場所に行っても仕方がないから……」

 

「別方向に探索開始っすね、ユリ姉。先陣は任せるっす」

 

 ユリの視線を受けたルプスレギナが張り切って先頭に立つ。湧き出るアンデッド共を千切っては投げ、千切っては投げ……苦もなく蹴散らしながら進んでいくと、ナーベラルが声を上げた。

 

「姉様、<生命感知>(ディテクト・ライフ)に反応がありました。小型の生き物が多数、奥にいます」

 

 彼女の台詞に一同が警戒を高める。

 この辺りには彼女達の相手にもならぬ雑魚しか居ない――そのような推測に意味はない。御方に見せるべきは未知の存在を発見したときの心構えである。姉妹達は武器を構え隊列を確認して互いの位置を微調整し、何が起こっても即応できる態勢を維持しながらゆっくりと進んでいった。

 しかし――

 

「……ウサギ?」

 

 そいつは……凶悪なモンスターと言うにはあまりにも小さすぎた。小さく、可愛く、儚げで……そして愛らしすぎた。それはまさに、兎だった。

 先頭のルプスレギナが鼻をひくつかせて呻いた。彼女の目も、耳も、鼻も。目の前にいるのが見た目通りの小動物達であるとの情報を脳に送ってきている。こちらの足音を警戒したのか、長い耳をぴんと立て、ルプスレギナの呟きにぴこぴこと反応させている様子はまことに愛くるしい。

 

「…………白い。モフモフ。可愛い」

 

 そう呟くと共に、ゆらりと後方のシズが隊列を崩し、ユリがはっと振り向いた。

 

「いけない! ナーベラル、シズを止めて!」

 

「承知です、ユリ姉様」

 

 ユリの声に素早く反応し、ナーベラルはふらふらと兎たちに歩み寄ろうとしたシズの小柄な体をひょいと抱き上げた。シズがそのまま三歩虚空に歩み出そうとし、体が前に進まぬ事を疑問に思って漸く己の状況に気づくとじたばたと暴れ出す。

 

「……解放要求、解放要求! はーなーせー!」

 

「こら、落ち着きなさいシズ。見た目はあんなでも地下迷宮に棲息している生物よ、不用意に近寄るんじゃありません」

 

「……全く、お子様なんだからぁ」

 

 その言葉を聞いたシズが、暴れるのをやめてエントマを睨み付ける。後衛がわいわいと騒ぐのを他所に、ユリがコホンと咳払いをした。

 

「さて。不用意に刺激するのを避けるため、シズは止めさせたけど。……彼らも、私達にそれほど敵意を向けているようには見えないわ。今回は私の方針に従う番ということで良かったわね?」

 

 先日話し合った方針について確認を求めるように顔を向けると、ルプスレギナとソリュシャンは素直に頷いた。

 

「ええ、姉様。取り決めには従いますわ」

 

「邪魔はしないからお任せするっす」

 

「よろしい」

 

 ユリは満足げに頷くと、耳をピコピコさせながら怯えたように身を寄せ合う六匹の白い兎に向けて、敵意はないことを示すかのように両手を広げた。……特に彼女の場合、素手であるから敵意がないと言い切ることは出来ないのだが気にしてはいけない。

 

「よーし、よし……大丈夫。ほらね、怖くない……」

 

 ちちち、と舌を鳴らしながら、ユリがゆっくりと兎たちの前に手を差し出す。兎たちは赤い眼でその様子を大人しくじっと見つめている。ユリが兎の顎下を撫でてやろうと、そっとその白い指先を伸ばしていくのを、姉妹達はドキドキしながらそっと見守った。約一名、ずーるーいーと叫びながら暴れていたが。

 しゃきんっ。

 その瞬間、兎がかぱっと口を開くと、その前歯が俄に数メートルも剣歯虎(サーベルタイガー)の如く伸びた! 兎がひょいっと軽くジャンプしてその体を回転させると、伸びた前歯が剣閃の如く煌めき――

 ごとりと音を立てて、ユリの首が床に転がった。

 

「ユッ……ユリ姉様――――!?」

 

 妹達の絶叫が迷宮にこだました。

 そのままその場に崩れ落ちる首無しメイドにはもはや見向きもせず、兎たちは残る姉妹達の方に向き直り――否、向き直ろうとしてぎょっとしたように身を竦めた。

 首を失ったユリの体が、迷宮の床に膝をつくや真っ直ぐ床の上に転がる自分の頭に手を伸ばし、胸元に抱き上げたのだ。

 

「……あ、ああー、びっくりした。魔法のチョーカーで固定されたボクの頭を切り離すとは、どういう手品なのかしら?」

 

 そのままユリの唇から発される言葉を耳にし、兎共がざざっとユリを囲むように間合いを取る。読者諸兄には今更驚く話でもないであろうが、ユリが首無し騎士(デュラハン)であるから首を切られても平気であるという事実は、兎たちには新鮮な驚きをもたらした模様であった。

 

「姉様、援護しますわ」

 

 はっと気を取り直したソリュシャンがすすっと前に出て、ナイフを構えて兎たちを牽制する。ユリが礼を言いながら頭を首の上に戻し、妹達に合流すべく後退する。ソリュシャンの後ろにまで一旦下がり、彼女がそれに気を取られ目線を切った時にそれは起こった。

 しゃきんっ。

 

「ソッ……ソリュシャン――――!?」

 

 再び絶叫が迷宮内にこだました。

 ソリュシャンが目線を横に向けたその一瞬の隙に、一匹の兎が()()()()()()()()()()()()()不自然な動きで空中を斜めに滑り、彼女の頭の横を高速で駆け抜けたのである。その不自然な軌道は、隙を突かれたソリュシャンが呆気にとられるには十分な異様さであり、反応が遅れた彼女はすれ違いざまの一閃で首を上下に分断され、切り離された頭がべしゃりと床に転がった。

 だが、そのまま姉妹達に殺到しようとした兎たちは、再度驚きに動きを止めることとなった。

 床に転がったソリュシャンの頭がにゅるんと不定形のゼリー状に変質すると、首を失った彼女の体がよろめきもせずそのまま自分の頭を踏んづけたのだ。踏みつけられた元頭は自身の足に纏わり付くとそのまま服の隙間から胴体に溶け込んで、首の断面から新たな頭が生えてきた。それに遅れること数秒、黒いヘッドドレスが頭の中を経由して元の位置に押し出されてくると、軽く手を添えて位置を手直しする。

 

「……なんとまあ。けったいな生物ですこと」

 

 兎達にその言葉を理解することができれば、お前に言われたくねーよと返したに違いない。ソリュシャンが素早くユリの横まで後退すると、プレアデスと兎達は数メートルの距離を挟んで睨み合う形になった。

 

「ユリ姉に続いて、斬撃に耐性を持つはずのソーちゃんの首まで落とすとは……これはもしかしてそういう特殊能力なんすかねえ……?」

 

 戦慄におののいた表情でルプスレギナが呻くと、アインズのどことなく楽しそうな声が降ってきた。

 

『フフフ……見た目で判断すると痛い目を見る、という実例だな。そのウサギ、見た目は愛らしい小動物だが、問答無用で対象の首を刎ねるというレアな種族異能(タレント)持ちなのだ』

 

 ドワーフの王国奥地で発見したときには大喜びで、アウラと一緒に捕まえてまわったものだ。アインズが楽しげにそう語ると、ルプスレギナは震え上がった。

 

「そ、そんなあ! ユリ姉やソーちゃんと違って、私は首を切り飛ばされたら死んじゃうっすよ!? なにか弱点とかないんですか!」

 

 ちなみに状態異常耐性系の装備はテストプレイ開始時に全て取り上げられている。その言葉を聞き、シズが口を開いた。

 

「…………己の領域を守護する恐るべきウサギの伝説、聞いたことがある」

 

「し、知っているのかシズぅ――!!」

 

 エントマが叫ぶと、シズはちらりと視線をやって頷いた。

 

「……かつて偉大なる王が円卓の騎士達と聖杯を求める旅に出た際、人間に飛びかかって容易く首を刎ねる凶悪な殺人モンスターに遭遇したという。そのウサギは……聖なる手榴弾(ホーリーグレネード)によって退治されたと伝えられる」

 

聖なる手榴弾(ホーリーグレネード)ってなんすかシズちゃん!?」

 

 じりじりと近寄るそぶりを見せる兎に鳥肌を立てたルプスレギナが叫ぶが、シズは沈痛な表情で頭を振った。

 

「……そこまでは記録されていない。祝詞によって聖別された聖なる手榴弾(ホーリーグレネード)が投げ込まれると、轟音と爆炎が辺り一帯を埋め尽くしたとの証言が――」

 

「あー、もういい、わかったっす! とにかく聖属性が弱点なんすよね!? だったら――」

 

 そのように叫んだルプスレギナが巨大な聖杖を前面に振りかざすと、ナーベラルが弾かれたように顔を上げて反応した。

 

「ちょ、待ってルプーあなたまさか――」

 

<聖なる光線>(ホーリーレイ)ぃ!!」

 

 杖の先に取り付けられた聖印(ホーリーシンボル)が白く輝くと、聖属性の閃光が()()()()()()()()()()

 <聖なる光線>(ホーリーレイ)は、純粋な聖属性の属性ダメージのみによって構成される、対悪魔や()()()()()()を想定した攻撃魔法である。

 

「……あれ?」

 

 聖属性というものは、火や雷と違って、効かない敵にはとことん効かない。一瞬眩しそうに眼を細めたが、それだけで微動だにしない兎達の姿を怪訝そうに見つめるルプスレギナ。

 

「ちょっとシズちゃん、効果がないっす――よ――」

 

 後ろを振り向いて情報提供者に苦情を述べようとした、ルプスレギナの声がその途中で萎んで消えた。

 後ろに控える妹達の顔が強張っている。その視線を追った先には……

 迷宮モンスターより遙かに格上、同レベル帯の妹が放った攻撃の巻き添えを食った姉のユリが、全身から煙を噴いて床に転がっていた。

 

「ユッ……ユリ姉――――!?」

 

 

 




《ドワーフの王国》
 新刊発売前に完了させます宣言を逆用し、色々な設定を大体この国のせいにしていくスタイル。
 十一巻ではシャルティアがドワーフの国で八面六臂の大活躍をするでありんす。
 ううん、知らないけどきっとそう。

《マピロマハマディロマト》
 帰還の呪文。疾く遠くへ帰れ生命、みたいな意味があるとかないとか。
 本来は迷宮の奥から地上へと安全安心に送り届けてくれるド親切な爺様が使用する。Wizにおいて、迷宮外の地表に直接転移しても転落死や溺死せずに済むほぼ唯一の方法であり、生半可な冒険者にはできない精緻な転移呪文の制御能力の証左である。基本的に地上への便利なショートカットとしてしか認識していないが、冷静に考えると他人の集団を強制転移できるとか結構やばい存在。

《アブドゥルのタクシー》
 魔術師の赤(マジシャンズ・レッド)が副業を始めた……わけではなくて、↑のシナリオ#3版。
 ただし、代金を取る(冒険者視点から見れば)劣化版なので、わざわざ利用したいと思う状況に追い詰められることは滅多にない。
 迷宮の奥で進退窮まった冒険者達の足下を見る商売と言えば腹も立つが。本人だって危険を冒して迷宮に潜り込み、支払いを済ませた依頼者を安全確実に送り届けてくれると思えば、採算が取れるのか心配してやりたくなるほどの割に合わない商売だと思われる。……実際その後、ギルド職員に転職したという話もあるとかないとか。

《ボーパルバニー》
 可愛らしい見た目とは裏腹に凶悪な特殊能力を持つ殺人兎。多くの冒険者が初めて遭遇するであろうクリティカルヒット(※1)持ちのモンスターであり、見た目とのギャップから生じるインパクトとトラウマから、くびをはねられたというフレーズに対し職業スキルとして首刎ね能力を持つニンジャよりもこの兎の方を連想するプレイヤーは多いと思われる。
 元ネタはモンティパイソンというイギリスのコメディグループが作った動画に出演する、聖杯へと続く洞窟に巣くう殺人ウサギ。群がる騎士達を瞬く間に皆殺しにした凶悪な怪物であるが、聖なる手榴弾によって爆殺された。ちなみにこの聖なる手榴弾の聖なる部分は言ってみただけなので聖属性とは無関係。
 このSSで作者が想定する彼らの強さは特殊能力込みだと大体1匹当たり1ガゼフ。本当にこんな生物が群れをなして出没するなら、ドワーフ達は絶滅必至である。ナザリックのPOPモンスターにするという手もなくはなかったが、基本的にアンデッド中心の筈だし、プレアデス側に予備知識があると展開変わっちゃうから……シズのデータベースに半端に記録が残っていたことと合わせると、どこかのプレイヤーが持ち込んだNPCの子孫であるのかもしれないという設定。
 ちなみに()()()()()()ネードと()()()()()()イルで掛詞なのかと昔は思っていたが、正しくはホーリー()()()グレネードなのでたぶん気のせい。
 ……作者はWizardryをプレイするまで、モンティパイソンのモの字も知りませんでした。

※1:昨今のゲームでは会心の一撃扱いされる傾向にあるが、Wizでは致命的命中(クリティカルヒット)の字面通りに問答無用で対象の首を刎ねる、必ず殺すと書いて必殺技と読む系の特殊能力。まあ、発動率自体は割合なわけだが……本来のWizではスライムだろうとコインだろうとクラムボンだろうと平然と首を刎ねるし、アンデッドも絶命する。
 ……構想した瞬間から、首を刎ねられるのはユリ姉様の役目だと思ってました。

聖なる光線(ホーリーレイ)
 詳細は捏造。Wizardryに属性の概念はない。



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B5F:* おおっと *

 
Wizardryモンスター図鑑:
・ノーコーン
 制球の悪いピッチャーのことではない。
 処女厨が角一本(ユニ)、ビッチ萌えが角二本(バイ)なら角無しはノーコーンだろ? という何者かの発想により生まれたモンスターである。
 それって馬って言うんじゃないんですか、とツッコませるだけで話が作れるし、アルベドの騎獣としてバイコーンが出てきている絡みで出番を設けられるかと思ったのだが没った。



「うっ……うわあああぁぁぁ――っ!! ごめんなさい、ユリ姉――!!」

 

 兎達に対する警戒を放り出し、倒れ伏す姉の許に慌てて駆け寄り、半泣きでアンデッド用回復魔法の<大減>(バディアルマ)を唱えるルプスレギナ。おどろおどろしい暗黒のオーラがユリを包み、彼女の傷を癒していく。

 

「うう……酷い目にあったわ……」

 

 痛みに頭を押さえながら、ユリがゆっくりと身を起こす。涙目で縋り付こうとするルプスレギナの肩を掴んで、くるりと半回転させた。

 

「何故かまた様子見に入っているようだけど、いつ襲ってきてもおかしくないんだから気を抜くんじゃありません」

 

『ふむ……ユリには酷なことになってしまったが、なかなか興味深いものが見れた。ユリを巻き込んで聖属性攻撃を使用したということは、NPCにもフレンドリ・ファイアの無効化を前提とした行動が染みついているということか? まさかうっかり忘れたわけでもあるまいし……』

 

 アインズの問いかけるとも言えない独り言めいた台詞を耳にし、ルプスレギナがびくっと身を震わせた。

 

『ん、いや、責めているわけではないとも。戦闘中に邪魔して悪かったな』

 

「い、いえ、お気になさらず……」

 

 先程の注意も忘れ、ぺこぺこと頭を下げるルプスレギナに、ナーベラルが背後から声を掛ける。

 

「ルプー。別に弱点属性をつかなくとも、私達の攻撃魔法でごり押しすればいいんじゃないかしら」

 

 範囲攻撃は封印中だが、遠距離攻撃を順に浴びせていけば危険無く倒せるのでは。そう提案した妹の顔を見て、ルプスレギナは頭の上に電球が浮かんだような表情をした。

 

「いや、ちょっとナーちゃんに試して貰いたいことがあるっすよ」

 

「え?」

 

 ルプスレギナの台詞に、ナーベラルがきょとんと小首を傾げた。そんな妹の肩を、自分の両手でがっしりと抱え込むと、ルプスレギナは大真面目な表情で彼女の顔を覗き込んだ。

 

「……ナーちゃん」

 

「う、うん、いや、はいっ」

 

 普段は飄々とした態度の姉が見せたあまりにも真剣な眼差しに、ナーベラルの表情も釣られて引き締まり、返答にも力が入った。

 

<兎の耳>(ラビッツ・イヤー)唱えて」

 

「は、はい……<兎の耳>(ラビッツ・イヤー)

 

 ルプスレギナに言われるがまま、ナーベラルが呪文を詠唱すると、ナーベラルの頭からぴこんと可愛らしい兎の耳が生えてきた。すると、対峙した本物の兎達がぴくりと顔を上げた。それを横目でちらりと確認すると、ルプスレギナは頷いて更に言った。

 

「おけ、次は<兎の尻尾>(バニー・テール)唱えて」

 

「あ、はい……<兎の尻尾>(バニー・テール)

 

 姉の気迫に呑まれたまま、ナーベラルが次の呪文を詠唱する。すると、彼女のお尻からぴこんと兎の尻尾が生えてきた。いかなる手妻か、白いモフモフがメイド服のスカートを貫通して外に飛び出てきた有様だが、逆にそのおかげでスカートの生地に縫い付けた飾りのようにも見える。それを目にした本物の兎達が、ぴこぴこと耳を動かすのを一瞥すると、ルプスレギナは重々しく頷いた。

 

「よし、最後に<兎の足>(ラビッツ・フット)を唱えるっす」

 

「え、ええ……<兎の足>(ラビッツ・フット)……?」

 

 ここまで唯々諾々と姉の言葉に従ってきたナーベラルが、最後の呪文を唱えてはっとした。その瞬間、煙りめいたエフェクトと共にナーベラルの服装が変化する。体のラインを強調する漆黒のレオタード(兎の尻尾付き)、蝶ネクタイをあしらった付け襟、網タイツにハイヒール……どこから見ても立派なバニーガールであった。

 

「ル、ルプー、どういうつもりで……ひぃっ!?」

 

 兎さん魔法三種発動の特殊効果によりバニースーツを着せたかったらしいことにようやく合点がいき、姉の意図を問い詰めようとしたナーベラルが小さく悲鳴を上げた。彼女の許に凶悪な兎達が無防備に駆け寄ってくるのを目撃したからである。

 

「落ち着いてナーちゃん。大丈夫、心配ないっす!」

 

 余裕たっぷりのルプスレギナが、身を捩ろうとした妹を後ろから羽交い締めにした。血の気の引いた表情でナーベラルは突進してくる兎達を見つめ……違和感に気づいた。兎達の表情が妙だ。なんというかこう……ハートマークを振りまいている。

 

「きゃっ……?」

 

 殺到した兎達が次々にナーベラルへ飛びついた。だがその動作には、姉の首を刎ねた凶悪な雰囲気は微塵も感じられず、甘えるようにナーベラルの肢体にその身をすり寄せたのであった。

 

「……懐かれた……?」

 

 そして。六匹の凶悪な白兎達は、ナーベラルの体に大人しく体を預けていた。預けた方は割と至福の表情に見えなくもないが、預けられた方の顔は緊張で強張っている。気を抜いた瞬間頭が胴体と泣き別れするかも知れないと思えば無理もない。

 彼女の頬は、多くの緊張とわずかな羞恥で桜色に染まっている。大胆に切れ込みの入ったレオタードの胸元には、その(長姉程では無いとはいえ)豊満な谷間に顔を埋めてくつろぐ兎が居る。膝の上、肩の上、脇……集まってきた兎達に飛びつかれたナーベラルは、ぺたんと尻餅をついて冷たい床の上に腰を下ろしたまま、纏わり付く兎達をどうしたものか考え倦ねていた。

 

「……羨ましい。代わって、ナーベラル」

 

 シズがそう言って、ナーベラルの谷間に埋もれた兎の背中に頬ずりした。ナーベラルとシズにサンドされた形の兎は素っ気ない態度だが、無理に引き剥がそうとしない限りは、シズに構われて嫌がる様子もない。

 

「代われる物なら喜んで代わるから、代わる方法を考えてよ……」

 

 シズに兎越しに抱きつかれたナーベラルが情けない顔をした。その様子を見下ろすルプスレギナが得意げに胸を反らす。

 

「ふふーん、予想どんぴしゃっすね。ナーちゃんの魅力に兎達もメロメロっすよ」

 

 恨めしげに見上げてくる妹の視線に気づく様子もなく、鼻孔を膨らませたルプスレギナに、ユリが声を掛けた。

 

「まあ、おかげで兎達も友好的になったようだし。なんとか状況を収められそうね、でかしたわルプスレギナ」

 

「へへっ、もっと褒めていいっすよユリ姉~」

 

 そこに、不満そうな顔をしたソリュシャンが口を出してきた。

 

「……一方的に攻撃されたのに、矛を収めると言うのかしらユリ姉様」

 

「ボク、いや私は気にしないわよ?」

 

 ユリが首を傾げて言うと、ソリュシャンはジト目になって唇を尖らせた。

 

「私だって攻撃されたんですけどお?」

 

「んー、でもソリュ。ここから再度戦うのならぁ、一番危険なのはどう見てもナーベラルだよぉ。それはそれで、酷くないぃ?」

 

 エントマの指摘に、白い毛皮に埋まったナーベラルを見るソリュシャン。少しの逡巡の後、ため息を吐いて答えた。

 

「……まあ、その通りでしょうね。しょうがないか」

 

 

 

 

 名残惜しげに兎達に向かって手を振るシズの胴体を担ぎ上げると、ナーベラルは一同に早く出発するよう促した。

 

「やけに慌ててる、ナーベラル。何かあったのぉ?」

 

 エントマがくりっと首を傾げると、ナーベラルは眉を顰めて言った。

 

「……そろそろ効果時間が切れるのよ。そうなったらどうなるかわからないでしょう?」

 

 兎達がナーベラルのバニー姿に絆されたのは事実なので、それが解除されたら再び首を刎ねに来る可能性は十分にある。一同はぶるっと身を震わせると、ぐずるシズを抱え上げて兎達に別れを告げ、足早に立ち去った。

 その後、エフェクトと共にナーベラルの姿が普段のメイド服に戻ると、ルプスレギナが残念そうな声を上げた。

 

「あーあ、戻っちゃったか……可愛かったのに残念っす」

 

「気楽なこと言わないでよ。こっちは服が薄くなって心細かったんだから……というかルプー、まさかとは思うけどあなたが見たかっただけとか、そんなことはないでしょうね?」

 

 頬を紅潮させてナーベラルが文句を言うと、ルプスレギナは体の向きを前方に戻して下手な口笛を吹いた。後頭部に妹の胡乱な視線が突き刺さるが、気づかないふりをする。

 

「あら、あんな所に看板が?」

 

 それを遮るように、ユリが声を上げると、妹達の視線がユリの指さす先に集中した。

 前方に伸びる細い通路が曲がるその角の所に、立て看板が設置されている。興味を引かれて呑気に近寄ろうとするルプスレギナの前を、ソリュシャンの伸ばした腕が遮った。ルプスレギナが横を見ると、隣のソリュシャンがここは私に任せてとばかりに頷いて見せる。

 ソリュシャンが足音を立てずに看板に近づいていく。光苔が照らす薄明かりの中、看板に顔を寄せて表面に書かれた文字を見ると、「地下迷宮の暗闇は……→」と書いてあった。矢印の方向に顔を向けると、曲がり角の奥に延びる通路の先が更に曲がっており、その角の所に同じような立て看板があるのが見えた。ソリュシャンは顎に手を当てて少し考え込んだが、やがて周辺の安全を確認してから後方の姉妹達を手招きする。看板の文字を覗き込む姉妹達にここで待機するよう促すと、自分は一人で次の看板に忍び寄った。

 次の看板の下へと何事もなく辿り着き、新たな看板の文字を読む。そこには「明かりがないときには……←」と書かれていた。矢印が指すのは角を曲がった先、その奥にはやはり同じように曲がり角と看板がある。ソリュシャンは眉を顰めて少し考え込んだが、やがて同じように周辺の状況を確認してから姉妹達を手招きした。姉妹達が看板を見ている間に、自分は次の看板の下へと歩み寄る。

 新たな看板には「気をつけよ。さもなくば……→」と書かれていた。ソリュシャンが曲がり角の先へと目を向けると、今度はもう曲がり角も立て看板もなく、程なく通路は行き止まりになっていた。看板に書かれたメッセージはこれで最後のようだ。今度は少し躊躇ったものの、最終的にはこれまでと同様姉妹達を手招きし、彼女らが看板を見ている間に通路の奥へそろりそろりと足を伸ばす。通路の先が行き止まりになっているのを見て姉が心配そうな声を上げるのを手で押さえ、ソリュシャンは行き止まりの壁の前に慎重に立った。さて、ここに何かあるのだろうか。ソリュシャンは壁の中央に文字が刻まれているのに気づきそれを覗き込む。刻まれたメッセージの内容は……

 「* おおっと *」

 その瞬間、ソリュシャンの足下から床が消失した。

 落とし穴である。行き止まりの壁全体を一辺とした正方形の穴が、唐突に出現したのだ。高さは凡そ五メートル、重装備の戦士が自由落下すれば重傷を負うのに十分な高さだ。

 

「ソリュシャン!?」

 

 ユリが叫び、その声に弾かれたように姉妹達が落とし穴の縁に駆け寄る。

 

「……びっくりしましたわ」

 

 ソリュシャンは落とし穴の底まで落ちては居なかった。咄嗟に両手両足をそれぞれ数メートルもの長さにまで伸ばした彼女は、落とし穴の壁面に手足を突っ張って踏ん張っていたのである。仮に彼女が底まで落下したところでダメージを受けるのかについては疑問が残るが……

 

「上がるのを手伝って貰えるかしら、みんな?」

 

 流石の彼女も伸びきった触手で体を持ち上げるのは辛かったらしく、そんなことを頼んできた。一も二もなくユリが穴の縁に膝をついて手を伸ばすが、それで妹の手を掴むにはいささか彼女の体が深い位置にあった。

 

「ここは私に任せてぇ」

 

 さてどうするかと考える間もなく、エントマが名乗りを上げると、彼女の口から蜘蛛の糸がしゅるしゅると吐き出され、ソリュシャンの体に絡みつく。糸が何重にも巻き付いて、十分な強度が得られたと判断すると、エントマは下に向かって声を掛けた。

 

「んじゃ、行くよぉソリュ。よいしょっとぉ!」

 

 そのまま一息で、一本釣りの要領でソリュシャンを釣り上げる。引っ張られるのに合わせて力を抜いたソリュシャンの体はそれに逆らうことなく、迷宮の天井付近まで浮き上がった。落ちてきたソリュシャンをユリが抱き留めると、ソリュシャンは一息ついた。

 

「ふぅ、ありがとう二人とも。あとはこの糸を取って貰えるかしら……いや、溶かしていい?」

 

「いいよぉ」

 

 エントマが頷いたのを確認すると、ソリュシャンの体に巻き付いた糸が煙を噴いて溶け落ちる。彼女の肌から強酸がしみ出てきて、蜘蛛の糸を焼き尽くしたのだ。

 

「最後は落とし穴かあ……結局何だったんすかねえこれ?」

 

『ふむ、何かと問われれば……罠だと答えるしかないな』

 

「アインズ様!」

 

 ぷにっと萌え直伝の、人間心理を突く罠である。ボタンがあれば押したくなる、扉があれば開けたくなるのが人情というものだ。小出しにしたメッセージを最後まで読みたくなる心理を利用し、ただの行き止まりに設けられた落とし穴の上まで釣り出すのだ。

 罠の説明とぷにっと萌えの思い出を上機嫌に語るアインズに、一同は目を閉じてその声に聞き入った。ナザリックのシモベ達にとって、至高の四十一人の話はどんな些細なものでも千金の価値を持つのである。

 

『……そして、お前達も見事に引っかかってくれたな。この分なら、来るべき訓練生達もさぞかし手痛い教訓をここで得てくれることだろう』

 

 そう結んだアインズの声に、畏まって頭を下げる姉妹達。その中で一人、ソリュシャンだけは、あの落とし穴に落とされたら外の世界にいるような普通の人間達は死んでもおかしくないのではないかしらとちらりと思ったが、空気を読んで黙っていた。

 

 気を取り直して通路を引き返し、迷宮の奥へと歩みを進める。

 通路の奥に見えてきた扉を、先頭に立つユリがいつものように蹴り開けようとして。

 がんっ。

 

「痛っ!?」

 

 開こうとしない扉にキックを跳ね返され、ユリが予想外の痛みに顔を顰めた。

 

「……鍵がかかっている、ようね?」

 

 今度は手で扉のノブをがちゃがちゃと回しながらそう言うと、心得たようにソリュシャンが進み出てユリの肩に手を置いた。

 

「じゃあ私に任せて貰えるかしら、ユリ姉様」

 

 ソリュシャンがそう言って、宝箱を開ける時と同じように手を鍵穴に突っ込んだ。ずぶずぶと手首まで沈み込んでから硬化した触手が、錠前の中をまさぐるが……ソリュシャンの顔に困惑の表情が浮かぶ。思うように解錠ができないのだ。

 

「あら……? おかしいわね、なんだか様子が変だけど……」

 

 盗賊職としてのプライドを刺激されたのか、ムキになってがちゃがちゃと錠前を弄るソリュシャンの背後に、ナーベラルが近づいた。

 

「ねえソリュシャン……今調べてみたんだけど、その錠前からは魔法の力を検知したわ。物理的な錠前ではないのかも知れない」

 

 ソリュシャンが肩越しにナーベラルに振り向くと、ナーベラルは彼女に頷いて言った。

 

「この前手に入れた魔法の鍵があったでしょう? あれを使ってみたらどうかしら」

 

「……そうね、試してみましょうか」

 

 ソリュシャンが鍵穴から手を引っこ抜くと、その手の平に小さな金の鍵が内側からせり上がってきた。鍵を鍵穴に差し込んで捻ると、かちりという音と共に魔力の流れが変わる反応を、ナーベラルが観測した。

 

「開いたようね」

 

「……まあ、魔法は専門外ですものね、ええ」

 

 言い訳めいた台詞に悔しさを滲ませたソリュシャンの肩を叩いて慰めると、ナーベラルは背後の姉妹達に目で合図してから扉を開けた。

 

 部屋の中央には小さな台座がある。その上に嵌め込まれた銀色の円盤の上に取り付けられた、奇っ怪なというか……場違いなものを目にした一同が動きと思考を停止して立ち竦む。

 

「…………デミウルゴス、様?」

 

 シズが呆然と呟いたとおり。

 円盤の上に乗っかった全長二十センチ強のその人形は、三つ揃いのスーツを着込んだ尻尾付きのビジネスマンの格好をしていた。その格好が、ナザリックの階層守護者であるデミウルゴスの姿を模していることは疑いようがなかった。

 

 

 




大減(バディアルマ)
 信仰系第五位階魔法(様式美)。
 敵一体にダメージを与える攻撃呪文なのだが、回復呪文である《大治(ディアルマ)》とリソースを食い合う上に単体攻撃なので、全く使い道がなく実質敵専用。これを唱えるくらいなら回復に回して、直接殴った方が継戦能力的にもDPS的にも上なので使う奴はアホである。
 でも名前から推測されるとおり、回復の反転によるダメージを与える魔法なのでオーバーロード世界ではアンデッドの回復用に使えるだろうと作者は解釈した。

《落とし穴》
 通過するのに1D8のHPコストを要求されるマップオブジェクト。
 文字通りに解釈すれば仕掛けに引っかかると足下に穴が開いて落下ダメージを受ける罠の定番なのだが、なにぶん何度でも、分かっていても、見えていても引っかかり、宙歩(リトフェイト)の呪文(※1)が実装されていないバージョンでは回避する方法がない。
 Wizあるある……落とし穴に落ちる→ついついその上でキャンプを張って回復する→アッー!

※1:宙に浮くことで床面設置トラップを回避する呪文。平たく言うとレビテト。

《警告メッセージ》
 手前に意味ありげなメッセージを並べておいて、これはなんだと馬鹿正直に辿っていく愚かな冒険者を捕まえるタイプの罠はWizには何度も登場する。辿り着いた先が落とし穴なのはまだマシな方で、たちの悪い奴になるとそのまま全滅することもある。

《1/8スケールデミウルゴスフィギュア》
 全長二十二センチのサイズに、凝り性のアインズの拘りが凝縮されたナザリック地下大墳墓第七階層守護者の人形。細部まで施された丹念な仕事で再現された、制作者の執念を感じさせる作り込みの数々は、モデル本人が感涙の海で溺死しそうになる程であったらしい。細部を確認するために当人がポージングモデルを務めたという話もあるとかないとか。
 ……これが本当はなんなのかは待て次回。でもまあ知ってる人にはバレバレだろう。



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B6F:イェィ!……

 
 冒険者にとって戦闘能力は重要だ。
 だからといって、戦闘しかしない奴は脳筋だ。
 ……待つのだユリ。今のは褒め言葉じゃないからな?



 ある意味ではどうしようもなく場違いなそのフィギュアが出てきた理由を訝しむ姉妹達と、その疑問に含み笑いを返すだけで答えようとしないアインズ。彼女達の混乱を嘲笑うかのように、その後も階層守護者達のフィギュアが出るわ出るわ……

 別にソリュシャンの体内に全部収めることは余裕であったし、それを言うなら姉妹達の誰であろうと収納(インベントリ)の中に全て放り込むことも可能であったのだが。細部の作り込みは諸々の事情を抜きにしても素晴らしかったし、それについて言及するとアインズのテンションが露骨に上がったので聞くまでもなく制作者を察した一同は、全員がそのフィギュアを欲しがった。

 見つかったのがデミウルゴスのフィギュア一体であったら揉めたであろう。その挙げ句、最終的にはそれが見つかる前から荷物を一括管理することになっていたソリュシャンが持つ事に正当性を認めて落ち着く結果になったことは想像に難くない。だがまあ、全員に行き渡るほどの数があったのでそれぞれが一体ずつフィギュアを持つ事になった。

 ユリはアルベドを。ルプスレギナはセバスを。ナーベラルはコキュートスを。ソリュシャンはシャルティアを。シズはアウラ&マーレを。エントマはデミウルゴスを。以上の組み合わせで、発見された守護者達のフィギュアをそれぞれが管理することとなった。この組み合わせにそれほど大層な意味があるわけではないが、姉妹の中で比較的強い希望を真っ先に出したナーベラルは、かなり嬉しそうに全長三十センチを超える蟲王(ヴァーミンロード)のフィギュアをそっと撫でた。

 

「ナーちゃん嬉しそうっすね。コキュートス様と仲いいもんねえ」

 

 ルプスレギナが声を掛ける。彼女の担当はある意味余り物のセバスである。彼女らの直接の上司であるセバスが嫌われているというわけでは勿論無いが、それだけにセバスの存在は姉妹達の誰にとっても等しく価値を持つので、ナーベラルがコキュートスと仲がよいなどという個別の事情を考慮した後の残りとして扱われる側面を持つのだ。

 

「はいはい、とりあえずその辺にしておきなさいね」

 

 ユリがぱんぱんと手を叩く。ユリはアルベド派、ソリュシャンはシャルティア派としてそれぞれのフィギュアを引き受けた。シズはアウラのペットにしょっちゅうお世話になりに行く縁で、エントマはデミウルゴスに食事の件で便宜を図って貰っていることから希望を出した経緯がある。

 

「……ガルガンチュア様は不在?」

 

 シズがぽつりと呟く。そういや階層守護者が勢揃いしているというわけでもないな、存在しないのかまだ見つけてないだけなのか……そう頭を捻ったプレアデスの下に、これについてはアインズの声が解答を示してきた。

 

『まあ、ガルガンチュアは他の守護者と同じ規格で作ったら三メートルを突破してしまうからな。それは流石に扱いに困る。かといって一体だけ縮尺を変えるのもなあ……』

 

「……成る程、了解」

 

 

 

 

 気を取り直した一同が探索を続けていくと、やがてその施設に行き当たった。

 その小部屋は、一同が入ってきた扉とは反対側にもう一枚扉があり、奥に抜けることが可能になっているようだった。だが、真っ先に目を引くのは、その扉にはノブも鍵穴もついてない、これまでこの地下迷宮内で出てきたのとは明らかに一線を画するのっぺらぼうのようにつるつるな一枚板であることだ。ソリュシャンが無言でその扉を調べ始めるのを横に、残りの姉妹達は小部屋の中央に据え付けられた台座の周囲に集まった。

 腰の上くらいの高さの、大理石で出来た台座である。その天辺は金属で覆われており、その中央部にはお盆程度の大きさの丸い窪みがあった。

 

「……なんだかこの形、見覚えがあるような……?」

 

 ユリが呟くと、シズが頷いた。

 

「……同意。この形状は、守護者フィギュアの台座と同じ大きさであると推定」

 

「つまり、あのフィギュアのどれかをここに置けばいいってことぉ?」

 

 エントマが疑問を呈したところに、ソリュシャンが戻ってきて合流した。

 

「……ダメですわね。鍵穴はおろか、いかなる仕掛けも見つかりませんでしたわ。こちらの台座と連動した仕掛けになっていると推測するのが妥当かと」

 

「じゃあ片っ端から嵌め込んでみるっすか?」

 

 ルプスレギナがそう言うと、ナーベラルが首を振って答える。

 

「……やめておいた方がいいかも。あれだけ候補があるのなら、間違えたらペナルティがあるかもしれないわ。それに、アインズ様の目的を考えれば、総当たりで順番に試すなんて姿をお見せするのはスマートとは言えないもの。何かヒントはないかしら?」

 

 ナーベラルの言葉にそれももっともだと頷いた一同が、手がかりを求めて台座の周囲を調べ始める。程なく、台座の側面に文字が刻まれているのをシズが発見した。

 

「……発見。ここに……“蛙の置物”と書いてある」

 

 それを聞き、シズの周囲に集まってその指先が示すものを覗き込んだ一同は、怪訝そうな顔を見合わせる。長い沈黙の後、姉妹の視線がエントマに集まった。

 

「……うぇ?」

 

 エントマがデミウルゴスのフィギュアを取り出し、恐る恐る台座の上の窪みに設置する。予想通り円形の窪みにフィギュアの底板がぴったりとはまり込むと、一瞬の間を置いて回路が繋がったような感覚を魔法詠唱者(マジック・キャスター)のエントマとナーベラルは感知した。

 台座を伝って足下から魔力を吹き込まれたデミウルゴスのフィギュアがめりめりと変形し、背中から蝙蝠じみた黒い羽が生えてきた。頭部も人型から蛙のそれへと変わり、完全に半悪魔形態へと移行する。変形完了後、デミウルゴスのフィギュアは生命が宿ったかのように滑らかな動きで、ぴんと伸ばした前足を左右に振って踊り出した。あまりにも凝ったギミックに姉妹が目を奪われ、感嘆のため息を漏らすその間に、緑色の光が台座の下から床を這って走っていき、奥の扉の真ん中を真っ二つに断ち割る。ゴゴゴ、という鈍い音と共に扉が左右に割れていき、奥へと続く通路がその向こうに現れた。

 

「……正解だったようね」

 

 ナーベラルが呟くと、ソリュシャンが考え込みながら言った。

 

「デミウルゴス様が“蛙の置物”というのは……私達ナザリックのシモベなら簡単に連想することではあるけれど、外の人間共にそんな発想が出来るのかしら。これは所謂、内輪ネタというものではないのかしら?」

 

『……』

 

 その言葉に反論が思いつかなかったのか、一同の間に沈黙が落ちた。暫く口を挟んできていないアインズも、だんまりを決め込んだままだ。

 すると、ユリがぽんと手を打った。

 

「……そうか、分かったわアインズ様の狙いが!」

 

「……ユリ姉様、本当?」

 

 ユリは相槌を打ったシズに頷き掛けると、勢いこんで言葉を紡ぐ。

 

「ええ。アインズ様は私達に気づいたことがあったら何でも意見を述べて欲しいと仰っていたわ。つまりこれは……分かりやすいツッコミどころを用意することで取っ掛かりにし、皆が意見を述べやすくするという至高の御方の深遠な狙いがあるということでしょう」

 

『……えっ』

 

 ユリの言葉を聞いた一同は、納得して感じ入った。成る程、言われてみれば確かにその通りに違いない。流石はアインズ様、我々などには及びもつかぬ深謀遠慮の持ち主であられることよ……

 一通りアインズの知謀を褒め称えた後で、さあ出発しようと言うところでエントマがぐずった。

 

「……私の人形ぉ……」

 

 取り外すと扉が閉まってしまうので、デミウルゴスのフィギュアはここに置いて行かざるを得ない。たまたまその担当であったばかりに、自分の分を失ってしまったエントマが名残惜しげにフィギュアを撫で、いまだに振り回される小さな前足と握手していると、ユリが彼女の頭を撫でて言った。

 

「こら、エントマ。我が儘言わないの。もし同じような物が見つかれば次はあなたにあげるから」

 

「ホントぉ、ユリ姉様? ありがとぉ!」

 

 切り替えの早いエントマがけろっとした顔で隊列につく。……どうせ仮面蟲なので最初から表情は変わらないのだが。もーエンちゃん調子いいんだからー、などと和気藹々と開いた扉の奥へ進んでいく。

 だが、次に出てきたのは新たなフィギュアなどでは勿論なかった。

 

「……また、台座」

 

 全員の気持ちをシズが代弁した。

 暫く探索した後に辿り着いた部屋は、全員の心に既視感を覚えさせるほど先程通った小部屋に酷似していた。つるっとした表面の凹凸のない扉、中央に設置された台座とその天辺に開いた窪み。道を間違えて戻ってきてしまったかと勘違いしそうである。

 ソリュシャンが無造作な足取りで台座に近づき、跪いて先程確認した側面の文字を探す。と、彼女の体がびくんと震え、その動きが静止した。

 

「……? ソリュシャン、どうかしたの?」

 

 ナーベラルが不思議そうな声を掛けると、ちらりと後ろの姉妹達を一瞥したソリュシャンは、無言で一同を手招きした。怪訝な顔でぞろぞろと台座の周囲に集まったプレアデスの面々は、そこに刻まれた文字を見た。

 “ゴリラの置物”。この部屋の台座にはそう刻まれていたのである。

 再び部屋を沈黙が満たした。

 全員の額を嫌な汗が流れ落ちる。この台座が指定している像がなんなのか、分かる気がするのだが分かりたくない。

 ごくり。誰かが唾を飲み込む音がした。痛い程の静寂が場を満たし、おい誰かこの空気何とかしろよ、と言った視線を交わし合う。

 最初にしびれを切らしたのはルプスレギナであった。待つのは彼女の性に合わないのだ。

 

「ね、ねえ。このゴリラってさ……もしかしてア」

 

「不敬よルプーっ!?」

 

 ばちーん、と威勢のいい音を立てて、ナーベラルの平手がルプーの頬を引っぱたきながら両手で彼女の頬を挟み込みホールドした。

 

「……ひたひっすナーひゃん」

 

 挟まれた頬でくぐもった抗議の声を上げるルプーの顔を正面に引き寄せて、ナーベラルが姉の顔を覗き込む。

 

「いいかしらルプー。いくらあなたがお調子者でも、言っていいことと悪いことがあるわ。それをわきまえたらこの手は離してあげる。いいかしら、理解できたなら……」

 

 背後から肩をつつかれ、ナーベラルの声が途中で止まる。声を掛けたのはソリュシャンだ。口元に皮肉気な笑みを浮かべて、ナーベラルの後頭部に顔を寄せて囁いた。

 

「でもねナーベラル……ルプスが“ア”しか言ってないのに反応できた時点で、あなたも同じ名前を想像したってことじゃないかしら?」

 

「ぐっ……?」

 

 図星を突かれたナーベラルの顔が苦悶に歪んだ。まあ、その渾名は某階層守護者が事あるごとに口にしているので、今更と言えば今更である。

 

「それにねナーベラル。この語句を刻んだのはアインズ様のご指示によるものなのだから、それを不敬と罵るのはアインズ様を罵るのにも等しい行為だと思わないかしら。わかる? 不敬なのはルプスじゃなくて、あなたなのかも知れないわよ?」

 

「……」

 

 ソリュシャンの指摘に、ナーベラルははっとして顔色を変え、ぎりと奥歯を噛みしめた。確かに彼女の言うとおり、この仕掛けを用意したのが至高の御方なのであれば、その内容にケチをつけるのは自分の方が御方を侮辱する行為なのかもしれなかった。

 

『あー、うん……ほんのお茶目なジョークだから、そこまで気にせずとも……』

 

 困惑したようなアインズの声が降ってくるが、その内容も頭に入らず右から左へ素通りしていく。ルプスレギナの頬から手を離し、がくりとその場に膝をついてわなわなと震えだしたナーベラルの肩に、ユリがそっと手を添えた。

 

「ナーベラル……いいのよ、諦めましょう。あなたの忠義は私が見届けたわ。アルベド様には私がとりなしておくから」

 

「ユリ姉様……ありがとうございます」

 

 ぎゅっと抱き合う姉と妹を見て、ルプスレギナがぽつりと呟いた。

 

「いや……アルベド様には黙ってりゃばれないんじゃないすかね?」

 

「それを怒るのがアインズ様に対する不敬だという理屈は、アルベド様にも言えることですものねえ」

 

 ソリュシャンがそう言って同意すると、アインズの情けなさそうな声が聞こえてきた。

 

『いや、その……スイマセン、アルベドには内緒でお願いします……』

 

 勿論、プレアデスに異論があろう筈もない。

 それ以上そのことには触れずに、ユリがアルベドのフィギュアを取り出して台座に嵌め込むと、前回と同様に魔力の流れが動いて扉が左右に割れた。(めきめきと音を立てながら変形していくフィギュアからはなるべく目を逸らしながら)一行が扉を潜りその奥を覗き込むと、冷え冷えとした空気が下から流れ出してくる。奥に広がる細い通路の先には、床面に開いた黒々とした穴の中、更なる地下へと続く階段がその不吉な姿を露わにしているのであった。

 

 

 




《蛙の置物》
 小さい銀色にかがやく円盤には、赤と青のケープを羽織った蛙の彫像が載っている。
 その彫像は金属製だというのに、不思議にも生命を吹き込まれ、前足を左右に振り、
 “イェィ!!!・・・”と甲高い声を発しながら踊っている。

ゴリラ熊の置物》
 小さな台座の上に熊の彫像がある。
 その後ろの看板には、“オレは何百万も奴らをヤったぞ”

《置物》
 システム的な観点から言えば単なる鍵と、それに対応した扉の組み合わせと変わらない。
 内部的に言えば唯のフラグ処理だ。
 だが、そこを敢えて彫像にすることでプレイヤーに想像する余地が生まれる。
 あるいはひとたび手に取ると原住生物が大挙して取り返しに来る信仰シンボルになっていたり。あるいは皆が持ってきてその辺に捨てていった結果、新参にはキーアイテムに見えて更に探してくると言う悪循環を形成したただのガラクタだったり……
 なお、アインズ様は本当はハズレの置物を作る気はなかったんだけど、デミウルゴスの彫像を作ったらそれを見て羨ましがった階層守護者達が我も我もと直訴しに押し寄せたという経緯があるらしい……という設定。



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B7F:だれにでもまちがいはありますよ

 
 初めて20×20の方眼紙からマップがはみ出した時の困惑は、今にして思えば一生に一度しか味わえない貴重な体験であった。



 プレアデス一行が階段を下りると、その先は十字路のど真ん中であり、下りた先から四方に通路が延びていた。建築デザインとしてはどうなのだろうと思わなくもないが、ここは迷宮なのでどこもおかしくはない。

 四方に延びた通路の奥は、それぞれが延びた先で再び十字路になっていることが、天井を覆う光苔の微かな明かりを通してかろうじて窺えた。どうやらこの階層の大部分は、碁盤目状に延びた通路で構成されている模様である。

 

「ふーむ……どちらに向かうべきかしら?」

 

「そうねえ姉様。見たところ四方の通路に目立った特徴は無し、適当に歩きながら地図を埋めていくしかないのではないかしら」

 

 前後左右を見比べながら呟くユリの声に、ソリュシャンが答えた。彼女の見解に異論は出なかったので、そのまま適当に歩き出す。

 

「こう似たような構造だと迷いそうね……お願いね、シズ」

 

「……了解、任された」

 

 ナーベラルの発破に胸を叩いて答えるシズの頭をわしわしと撫でている間に、最初の十字路に差し掛かる……中央に踏み込むや否や、ソリュシャンの叫びが静寂を切り裂いた。

 

「! みんな下がって!」

 

 足下がぐっと沈み込むのを感じる間もなく、姉妹達はソリュシャンの触手に己の体が押され、あるいは引っ張られるのを感じた。

 十字路の交差領域全体に口を開けた落とし穴に、ソリュシャンによってその縁まで押し戻された一行は目を見開いた。間もなく、ずずずと音を立てながら落とし穴の口が閉じていき、再び何の変哲もない床に戻るのを黙って見守る。

 

「ひゅーっ、危ないところだったっすね。ナイス、ソーちゃん」

 

「戻っちゃったけど……どうやって通るのこれぇ? まあ、飛んでもいいけどぉ」

 

 思い思いの事を口にする姉妹を宥めると、ソリュシャンは落とし穴の縁に膝をついて床面すれすれに手をかざした。十分に観察した結果、結論が出たのか顔を上げて背後を振り向く。

 

「一応、通路の端を慎重に通れば起動させずに済みそうですわ。手本を見せるので、真似してついてきて貰えるかしら」

 

 ソリュシャンの先導について一行は十字路を抜けると、気を取り直して先へと進む。前の十字路から次の十字路へと、回廊を抜けるまで歩みを進めるも、その終わりは中々見えてこない。

 次から次へと現れる十字路には、時折落とし穴が仕掛けられているものがあり、たまに意味ありげだが実際意味はないと思われる矢印の落書きがあったり。かと思えば何も無い通路もある。緩急をつけて冒険者を惑わせようとする制作者の狙いがあるのだろうか。

 

「……妙ね。いくらなんでも広すぎる」

 

 先頭のユリがふと歩みを止めてそう呟くと、後ろの妹達はそれぞれの表情で頷いた。この回廊を歩き出してから小一時間、歩けど歩けど終わりは見えない。肉体的な疲労は無いが、精神的にはうんざりするものがあった。

 

「…………既にここまでの地図が、この第三階層は上二階層に比べて三倍の広さになっている」

 

 シズがそう言って姉の言葉に同意した。エントマが小首を傾げる。

 

「上の階層も隅まで見た訳じゃないからぁ、実は同じくらいの奥行きを持つ可能性もあるけどぉ」

 

「それにしても何の変化もないまま迷路を迷っているのは頂けないわ。一度戻ってみない?」

 

 ソリュシャンがそう提案すると、ナーベラルが後を続ける。

 

「そうね、私も賛成。このまま彷徨い続けるのはどうにもよろしくないかと、ユリ姉様」

 

「……わかったわ、一度階段まで戻ってみましょう」

 

 ユリがそう言うと、一同は踵を返して来た道を逆に辿っていこうとした。

 異変はその時に起こった。

 シズの案内に従い、十字路の曲がる方向を選択していく一行。シズが落とし穴がある通路だと注意を促した場所を慎重に抜け、何も無いから大丈夫と保証した通路をさっさと通り抜ける。

 

「……え?」

 

 何も無いはずの通路ががごっと音を立て、その床に落とし穴が開くのを、一行はどこか他人事のように呆然と眺める。ソリュシャンですら、シズが何も無いと保証した筈の通路に落とし穴があったという衝撃に硬直し何も出来ない。

 どさどさっと、折り重なるように落下するプレアデス達。たかが五メートルの自由落下でダメージを受けるほどヤワな体はしていないが、精神的なショックは計り知れなかった。

 

「嘘、何で!?」

 

 ユリが体を起こしながら小さく叫ぶと、思わず妹の方を凝視した。視線の先のシズは、我を失ったかのように茫然自失している。

 

「ど、どしたんすかシズちゃん? 悪戯……ってわけではなさそうだし……」

 

 ルプスレギナの問いかけも聞こえているのかいないのか。心ここに有らずと言った体で無表情に落とし穴の底から天井を見つめている。

 

「…………データ照合中……不正なデータを検出しました。セルフスキャン開始……再構築失敗、重大なエラーを検出しました。デッドロック回避のため作業は強制終了されます。エラーコード42-21284、AI実装者のヘロヘロ様までお問い合わせください……」

 

 そして、他の姉妹には意味不明な独り言を呟きながらカタカタと痙攣し始めたシズを見て、一同は慌てた。

 

「シッ、シズちゃーん!?」

 

「お、おおお落ち着きなさい皆、こんなときにぴったりなやまいこ様の教えががが」

 

 お前が落ち着け、と言いたくなるほど動揺してどもったユリの台詞を聞いて、一同は顔を輝かせた。

 

「まあ、やまいこ様の教えが!? 流石は至高の御方々、ご本人が居られずとも私達を導いてくださるのですね……!」

 

 うっとりと両手を組んで遠い目をしたナーベラルに軽く頷くと、ユリはシズを抱き起こして座らせ、自身は妹の背後に立って深呼吸をした。指をぴんと伸ばした右手を顔の前に持ってきて、拝むように目を閉じる。

 

『ん……? ……おい、まさかとは思うがもしかして』

 

 地下三階に下りてきて以来の沈黙を破ったアインズの何処か慌てたような声も何のその。脳裏の全てを創造主(やまいこ)の思い出で埋め尽くしたユリは、余計なことは一切考えずにくわと目を見開いた。

 

「……『家電が壊れたら右斜め四五°の入射角で叩けば直るよ』チョーップ!!」

 

 鋭い叫びと共に、背後からシズの延髄に右の手刀を全力で叩き込んだ。鈍い音を立ててシズの首が嫌な角度に曲がり、華奢な背中が反っくり返る。妹達があまりの惨劇にうひゃあと目を瞑る中、シズの体は反動で半回転して、車にひかれた蛙のような姿勢でびたんと床面に叩きつけられた。

 

「…………わーにん、わーにん。外部衝撃によりりり命令アドレスをロストトトト……致命的な/データ照g・不せせせるーち$しんたっくすえららららr……ガガ……ピーピー……」

 

「……あら?」

 

 ユリの額を冷や汗が一筋、つつと伝い落ちる。妹達が固唾を呑んで見守る中、シズは意味不明な独り言の内容を一層奇っ怪なものにしながら唸ったかと思うと、ガタガタと痙攣して口から煙を吹き始めた。

 

「シ……シズぅ――――!?」

 

「いけない、オーバーヒートしてる!」

 

「はやく強制終了して!?」

 

 

 

 

 シズがぱちりと目を開けると、頭部にひんやりとした感触を覚えた。頭というか、頭蓋の中まで染み込むような心地よい冷たさである。

 

「……おはよう、シズ」

 

「……ソリュシャン」

 

 シズは現在、ソリュシャンに膝枕されていた。ただし、普通の膝枕ではない。普通の人間が行うそれより頭半分ほど上に引き寄せられたシズの頭部は、ソリュシャンのおっぱいに文字通り埋まっていた。

 

「…………なにこれぇ」

 

「ふふ、アインズ様のご提案でシズの回路を冷却してたのよ。“人力水冷”だとかなんとか仰っていらしたわ」

 

「……アインズ様の。なら仕方ない」

 

「ええ、仕方ないわね」

 

 ソリュシャンの粘体(スライム)のボディが、シズの隙間を通って頭蓋の中身まで染み込んでいるその感触は、なんとも不思議な気分であった。気づいた瞬間はぎょっとしたが、単純に不快であるとも言えない妙な感覚である。シズが上体を起こすにつれ、中の粘体(スライム)がどろりとこぼれ落ちる感触がしてシズは身震いした。

 見覚えのある地下迷宮の通路である。体の下には布が一枚敷物になっていて、周囲には姉達が思い思いの姿勢で待機しており、その外側にはキャンプの境界を示す光の魔法陣が浮かび上がっているのが見えた。

 

「……ユリ姉様。その格好は」

 

 そして、正面で土下座の姿勢を取る長姉の姿を目にしたシズは、微動だにしない姉に向けて声を掛けた。シズの声を聞き、ユリの体がびくんと震える。

 

「……ゴメンナサイ」

 

「……?」

 

 シズがくりんと首を傾げる。ユリに謝罪される意味を理解できていないのだ。

 

「まーまー、ユリ姉も悪気があったわけじゃなし。……シズちゃん、どこまで覚えてるっす?」

 

 側に寄ってきたルプスレギナが声を上げると、シズの動作が停止した。

 

「…………行動ログに不正なデータを検出。ロールバック中……」

 

「……あ」

 

 再びカタカタ震え始めたシズを見て、ルプスレギナの額を冷や汗が伝った。ナーベラルがため息をついてその頭部に拳骨をこつんと落とす。

 

「お馬鹿、再現してどうするの。……シズ、落ち着いて。マップ不整合の原因はもう分かったわ」

 

 ナーベラルの言葉にシズが顔を上げる。説明を要求する妹に、一同は実施で説明するためキャンプを畳んで体勢を整えた。

 

「じゃあ、ソリュシャンお願い。シズ、彼女を見ててごらん」

 

 ナーベラルに頷きを返すと、ソリュシャンが一人で十字路へすたすたと歩いていく。彼女が丁度その中央に差し掛かったとき、ノーモーションでソリュシャンは右へと曲がった。

 

「ソリュシャン、そこでストップ」

 

「……?」

 

 シズの顔に疑問符が浮かび、その口が三角形を形作る。その肩をぽんと叩いて、ユリが言った。

 

「ソリュシャンには()()()()()()()()()()()。貴女も行ってご覧なさい」

 

 シズは姉の顔を見ると、頷いて歩き出した。十字路を真っ直ぐ進む。

 

「シズ、ストップ。振り返ってご覧」

 

「……!?」

 

 シズが姉の声に従い、後ろを振り向くと。十字路の反対側に腕を組んで立っているソリュシャンが視界に入ってきた。ぎょっとして周囲を見回すと、右手の方からこっちこっちと自分を呼ぶ姉の声がする。

 

「……向きを、変えられた?」

 

「そうよシズ。この十字路の中央には通りかかった者の向きを気づかぬうちにねじ曲げる、空間の歪みが仕掛けられているわ。これが、あなたのマップがバグった原因よ。地下三階の地図を全削除してここからマッピングをやりなおしましょう。できるわね?」

 

 姉の説明を聞くと、シズはこくりと頷いた。

 

『ふむ……まずは及第点と言ったところか。途中危険なシーンはあったが、“回転床”の仕掛けに自分たちで辿り着いたことは褒めて遣わす』

 

「アインズ様、勿体ないお言葉です」

 

 その時点で、見守っていたアインズから声がかかり、ユリは虚空に向けて頭を下げた。逆説的に言えば、仕掛けの全貌を明らかにしたからこそここで口を挟んできたともとれる。一行は現在位置を間違わぬよう慎重に回転床を通過しながらマッピングをやり直し、程なく地下への階段を発見した。

 

 

 

 

『さて、そろそろお前達にかけていた一部スキルの制限を解除しておこうか』

 

 地下四階に下りると、そのようなアインズの声が降ってきた。

 現在彼女達のスキルはアインズの命令により一部封印されたままである。ここまで殆ど戦闘には苦戦していないためつい延び延びになってしまっていたが、そろそろ解除してもいいかなとアインズは思った。これは、レベルアップによる成長を見込めない彼女達で擬似的にダンジョン内での成長を模倣するという意味合いも含んでいるのだ。

 

「かしこまりましたアインズ様」

 

「それでは、いっそうの警戒が必要ですわね。皆気を引き締めて」

 

 頭を下げたユリに続いてそのように述べたソリュシャンに、ナーベラルが不思議そうな顔を向けた。

 

「ん、ソリュシャンそれってどういう意味?」

 

「ハンディキャップを解放するということは、普通に考えれば敵が強くなるからでしょう?」

 

 成る程、と頷くナーベラル。あまりそういうメタ読みはして欲しくないなあ、どっちみち雑魚には違いないんだし……アインズは頭の片隅でそう考えるも、口に出すほどのことでもないかと思って黙っていた。過剰に萎縮されてもそれはそれで困る。

 階段を下りた一行が一本道の通路を進んでいくと、T字路が見えてきた。向かって右には「エレベーター」、左には「管理センター」などと書いてある。通路の先を覗くと、どちらの通路も奥に大きな扉が鎮座しているのを、ソリュシャンの鋭敏な知覚が感じ取った。

 

「ふむ……まあ、とりあえず昇降機(エレベーター)を確認しに行きましょうか?」

 

 ユリの提案に反対意見は出なかったので、一行は右に曲がって間もなく見えてきた大扉の前に立った。

 ソリュシャンが進み出て、扉の構造を調べようと手を伸ばすと、赤いランプが点灯して彼女を照らし出す。ぎょっとして身を竦めたソリュシャンだったが、それ以上の怪しい現象は発生せず、彼女の全身を一通り照らし出した赤ランプが消灯すると同時に、甲高い機械音と共に上方から声が降ってきた。

 

『あ、あの、そのぉ……ざ、残念ですけど、皆さんはエレベーターの使用許可をお持ちではありません。し、申請は管理センターの方へお願いします……』

 

「……マーレ様ぁ?」

 

 一行には聞き覚えのある闇妖精(ダークエルフ)の双子の、たどたどしい喋り声を聞いてエントマが首を傾げた。その台詞に応える声はなく、扉の前に沈黙が下りる。ぺたぺたとその表面をなで回していたソリュシャンが、ぐしゃぐしゃと乱暴に頭髪を掻き回した。

 

「……ダメね、この扉も魔法的な錠前がかかっているようですわ。マーレ様が仰った通り、許可を貰ってこいということでしょうね」

 

「……管理センター、さっきの分岐の反対側に書いてあった」

 

 シズが確認を取ると、姉妹達は頷いた。とりあえずこの扉は放っておいて、逆側に行ってみることで一致する。

 反対側の通路も、奥に延びた行き止まりに設置された似たような扉が一行を待ち受けていた。上部に据え付けられた看板に文字が刻まれている。

 

 *** 迷宮コントロールセンター ***

     この領域は進入禁止である。

 ***    入るべからず    ***

 

 その文字を読んだ一同は顔を見合わせる。

 

「……入っちゃ、ダメ?」

 

 シズがぽつりと呟くと、ルプスレギナが肩を竦めた。

 

「まっさかー。それじゃあ話が進まないっすよ?」

 

「でも、この文言がアインズ様のご指示だとすれば、それを破るわけには……」

 

 ナーベラルが生真面目な顔で杓子定規なことを言い出すと、それを否定する根拠を持たない姉妹達の顔が困惑に歪んだ。どうしたものか、という沈黙が場を満たしそうになったところ、慌てて虚空から声が降ってくる。

 

『ん、んー、オホン。その看板の文言はなんというかその……フレーバーテキストであって私の命令とは無関係だ。安心して先に進んでよいとも』

 

「これはアインズ様、わざわざありがとうございます。……お手数をおかけして申し訳ございません」

 

 例によってユリが代表してアインズに礼を述べると、妹達を促して扉に手をかける。アインズの許可を貰ったということで無造作に扉を押し開けると。

 う゛ぃーっ、う゛ぃーっ、う゛ぃーっ……

 突如として、大音響の侵入警報が鳴り響いた。思わず立ち竦んだユリが我に返るより早く、突然警報が鳴り止むと同時に静寂が訪れる。その沈黙は一瞬で破られ、奥の方からがちゃがちゃと、何者かが動き回るような音が反響して聞こえてくる。

 

「……面倒事かしら」

 

 気を取り直したユリはそう言って眉を顰めると、妹達に戦闘態勢を取るよう指示して、地下迷宮の奥を睨み付けた。

 

 

 




《回転床》
 踏んだ瞬間、PTの進行方向を90°単位で変更させられる罠。
 この仕掛け床の真の厄介さは俯瞰マップでは決して味わえない。手書きの地図に間違いをそっと差し込んでくる静かな悪意に満ちたこの罠の天敵はオートマッピングである。要するにユーザーフレンドリィな現代ゲーム業界では存在意議がない過去の遺物。
 演出の都合上、回されたことにさえ気づかない高性能な物にグレードアップ。

《迷宮コントロールセンター》
 入っちゃ駄目と言われて大人しく言うことを聞く冒険者など居ない。



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B8F:モンスターハウスだ!

 
 10巻でマーレにダンジョンを作成させると聞いて作者に届いた電波は二つある。
 一つは言うまでもなく「魔導王の試練場」であり、もう一つが「マーレのふしぎなダンジョン」であったが……詳細を詰める時点でふしぎなダンジョンはお蔵入りになった。



 *** モンスター配備(アロケーション)センター ***

 

「いかにもっ、て感じの部屋っすねえ」

 

 その扉の上部に据え付けられた看板に刻まれた文字を読んで、ルプスレギナが言った。ソリュシャンが聞き耳を立てるまでもなく、扉の向こうからはがちゃがちゃと何かが動き回るようなせわしない音と気配を感じる。

 

「でも、案内板だとこの向こうに管制室があるんだよねぇ?」

 

「……その通り」

 

 エントマがそう確認を取ると、シズが頷いた。二人の肩をユリが叩いて、ポキポキと指を鳴らしながら前に出る。

 

「まあ、行くしかないということね。やまいこ様曰く……『まずは殴ってから考える』よ」

 

「はい、ユリ姉様」

 

 至高の御方から下賜(くだ)されたありがたいお言葉を聞いて、妹達の顔が引き締まる。すると、どことなく呆れたようなアインズの呟きが聞こえてきた。

 

『ああ、うん、その……こういうことは言いたくはないんだが、やまいこさんの言葉はあまり参考にしない方が……あ、いえ、なんでもないですはい』

 

 ユリが扉を蹴り開けると、部屋の中の様子が目に入ってくる。

 その部屋はかなりの大きさを持つ広間であった。一行が足を踏み入れると、いつもの光苔に照らし出された薄明かりでは不足であると言わんばかりに、自動的に壁際の松明に火が灯った。赤々と揺らめく炎が奥の暗がりを覆う闇をほんのわずかに押しのけるも、暗い帳の底で蠢く何かの正体を映し出すには至らない。

 と、警戒しながら全員が部屋の中へと足を踏み入れたその直後。開け放した扉が音を立てて勢いよく閉じた。一同はぎょっとして振り返り、後列のシズが慌てて扉に手をかけ施錠を確認するも、愚かな侵入者を逃がすものかとでも言いたげに、固く閉ざされた扉が拒絶の意志を返してくるばかりであった。

 

「……開かない。閉じ込められた」

 

「……! 皆、奥に何かいますわ!」

 

 シズの言葉の意味を噛みしめる間もなく、部屋の隅からがちゃがちゃと音がして、暗闇の中に次々と赤い光点が浮かび上がる。それがある意味見慣れたものであることに一同が気づくのに時間はかからなかった。二つ一組で無数に浮かび上がるその赤い光は、スケルトン族の眼窩に灯る目の光と同じ類の物であり、つまりは部屋の奥に潜んだモンスター達の眼光の煌めきに他ならないのであった。

 

「これは……陣形……?」

 

 それを目にしたユリが思わず呻いたように。大広間の奥から湧いてきたモンスター達は、単なるモンスターの群れに留まらず、部隊としての体裁を持っていた。

 正面に展開するは、鎧兜に身を包み、盾を並べて壁を作った骸骨戦士(スケルトン・ウォリアー)の戦列。その壁の両端にそびえるは、天井に頭を擦りつけんとする巨躯を晒した集合する死体の巨人(ネクロスォーム・ジャイアント)。その後方には杖の先に魔力のオーラを纏わり付かせた骸骨魔法師(スケルトン・メイジ)達と、子鬼森司祭(ゴブリン・ドルイド)の集団。駄目押しに、天井にその体を張り付けてかさかさと動き回る複数の絞首刑蜘蛛(ハンギング・スパイダー)

 ここまでに遭遇したはぐれモンスター達と違い、侵入者を迎え撃つという意志の下に統率された動きをする言わばモンスター軍団が、明らかに冒険者達を殺しに来ていた。逃走の不可能な強制戦闘で、訓練された集団との戦闘。このダンジョンの作成者は、ここで一段上の難易度を設定したと見える。

 

「ルプスレギナは左、ソリュシャンは右を迎え撃って!」

 

 それだけでは飽きたらず。ご丁寧にもこちらの側面を突き、隊列を崩さんとして部屋の外周端を駆けてくる悪霊犬(バーゲスト)達を視認したユリが前衛に指示を出すと、即座にルプスレギナとソリュシャンが武器を構えて体を横にずらした。飛びかかってくる悪霊犬(バーゲスト)は妹達に完全に任せ、ユリは正面を睨みながら後ろに指示を出す。

 

「ナーベラル! 後ろから()()()()()!!」

 

「了解です、ユリ姉様。……エントマ、合わせて!」

 

「りょーかい、ナーベラルぅ」

 

 ナーベラルが呼びかけに応じて半歩進みながらエントマに声をかけると、同じくエントマも頷きながら前に出た。ナーベラルが打ち合わせた両手の中心から白く輝く光が溢れ出し、彼女が手を開くに従って放電しながら空中に弧を描く。

 

<二重最強化(ツイン・マキシマイズマジック)()連鎖する龍雷>(チェイン・ドラゴン・ライトニング)

 

 ナーベラルの両の掌から白く輝く光の竜が飛び出し、うねりながら空中を奔って集合する死体の巨人(ネクロスォーム・ジャイアント)に襲いかかる。身を捩る間もなくそのあぎとにくわえ込まれた集合する死体の巨人(ネクロスォーム・ジャイアント)は、一瞬の間を置いて粉々に爆散し、その体躯を構成していた死体もまた床に散らばる前に焼き尽くされて塵となった。

 その場に放電を撒き散らしながら、光の竜が次なる獲物を求めて跳ねる。後列の魔法詠唱者(マジック・キャスター)達を狙いとしたナーベラルの意に従い、主に骸骨魔法師(スケルトン・メイジ)子鬼森司祭(ゴブリン・ドルイド)を次々に飲み込んでいく。一匹咥える度に放電して減衰しながら次の獲物に襲いかかるその様は、まさに連鎖するという名に相応しい光景であった。やがてその勢力を発散しきり、虚空にかすれて消えたその後には、後列の殆どと前衛の半分を食い散らかした呪文の爪痕がくっきりと残ったのである。

 

「さぁて、私の番ねぇ。雷鳥乱舞符ぅ!」

 

 集団の過半数が壊滅したことに相手方が動揺する間もなく。ナーベラルの隣に進み出て懐から複数の符を掴み取ったエントマが、宣言と共にそれを前方にばらまく。ひらひらと空中に撒き散らされた符の一枚一枚が、青白い放電を放ちながら複数の鳥の形をした光へと姿を変える。合計で数十羽もの雷の鳥が、眩い輝きと共に前方へと飛翔する。瞬く間に前列の骸骨戦士(スケルトン・ウォリアー)の元へ到達し、ナーベラルの魔法がもたらした惨禍に後方を振り返った骸骨達のもとで炸裂した。着弾地点で球状に放電しながら炸裂し、骸骨兵達を飲み込んで青白い光の幕となった鳥たちがその姿を消した後には、粉々に吹き飛んで散らばった焼け残りの骨の欠片が僅かに残るのみであった。

 

「……」

 

 そして、特に指示を受けるまでもなく、己の役割を心得たシズが無言でライフルを構える。立射の姿勢からリズミカルにばん、ばん、ばんと三発の銃弾を発射した。三発の弾丸は狙い違わず、天井に張り付いて縮こまり惨禍を逃れた三匹の絞首刑蜘蛛(ハンギング・スパイダー)の頭部をそれぞれ撃砕する。ぼとぼとと頭を失った蜘蛛の胴体が床に落下してくると、モンスター達の最後の生き残りが息の根を止められた。

 

「おし、これで全滅っすかね?」

 

 前衛に飛びかかってきた悪霊犬(バーゲスト)達を返り討ちにしたルプスレギナが、聖杖についた血を振り払いながらそう口にすると、ガントレットの返り血を拭いながらユリが応じる。

 

「そうね……もう全部片付けたでしょう。ご苦労、みんな。ソリュシャン?」

 

 そう言いながらも索敵担当の妹に念押しして確認を取ると、奥の様子を窺ったソリュシャンは頷きながら進み出た。

 

「ええ、ユリ姉様。この部屋に動くモンスターは残っていませんわ。……奥に宝箱があります、開けてみましょう」

 

 そう言って彼女が宝箱に歩み寄ると、姉妹達がぞろぞろと後に続く。ソリュシャンの仕事を信頼しきった結果ある意味緊張感のない彼女達の様子を見咎めたかのように、ソリュシャンが宝箱に手を伸ばした瞬間アインズの声が降ってきた。

 

『待てソリュシャン。命令だ……その宝箱を()()()()()()()

 

 鍵穴に突っ込もうとしていたソリュシャンの指がぴたりと止まる。僅かな沈黙の後、ソリュシャンが怪訝な表情で虚空を見上げた。

 

「……アインズ様、それはこの宝箱の罠をわざと発動させよ、ということでしょうか?」

 

『その通りだソリュシャン。お前の解錠技術が優れているのはここまでに十分見せて貰った。お前ならばこの迷宮の宝箱を百個解錠して百回とも罠の解除に成功するであろう。だがこれはテストなのでな、宝箱に仕掛けられた罠が作動する様子も確認させて貰いたい。故にそのまま開けよ、ということだ』

 

 その言葉を聞いたソリュシャンは、アインズからの賛辞を十分に噛みしめて堪能した後、後ろの姉妹達に振り向いて言った。

 

「……そういうことなのでみんな。普通に開けるけど準備はいいかしら」

 

「準備って何をすればいいのかしら……そもそも、罠にかかるところを見たいと仰っておられるのに準備してもいいの?」

 

 ナーベラルがそう言って首を傾げると、ユリが考えをまとめながらそれに応える。

 

「そうね……実際の訓練生達になぞらえたテストなのだから、盗賊が罠の解除に失敗した場合に備えて身構えているという想定でいいんじゃないかしら。矢とか(つぶて)とかが飛んでくるかもしれないという想定で構えましょう」

 

「はーい、ユリ姉様」

 

 ユリの言葉に、妹達はそれぞれに構えて罠の発動に備える。それを確認すると、ソリュシャンは自身も何が起きてもいいように全身を程よく緊張させながら、無造作に宝箱の蓋を押し開けた。

 飛び出したのは矢でもガスでもなく、魔法の光であった。

 

「!?」

 

 宝箱の中から青い光が溢れ出すや、同心円状に中空に波紋を広げる。一瞬の出来事に、身を捩ったソリュシャン、両腕を顔の前で交差させ腰を落としたユリ、思わず目を瞑ったナーベラル、反応できず棒立ちのエントマ、咄嗟に伏せたシズ……姉妹達の反応は様々であった。

 

「……みんな、無事!?」

 

 数秒の硬直の後、自身に何も異常が起こらぬ事を訝しんだユリが周囲を見回すと、大体の妹達が頷きを返す無事な様子と、一人だけ無事でない様子の妹が視界に入ってきた。

 

「姉様、ルプーが……!」

 

 床に引っ繰り返って僅かにぴくぴくと痙攣するルプスレギナを抱き起こし、ナーベラルが不安そうな顔を向ける。慌てて近寄ったユリが脈を取ると、激しい動悸が感じられた。見開かれた目の瞳孔が大きく開き、半開きの口からは涎が零れている。己の口腔内で湿らせた指を妹の唇にそっと寄せると、僅かに空気の流れ――呼吸を感じた。

 

「ルプス、意識はある? ……そう。眼球以外に動かせるところは? ふむ……姉様、ルプスは麻痺させられたようですわ」

 

 同じく近づいて跪いたソリュシャンがルプスレギナの状態を診断して報告する。命に別状がなさそうであると聞いたユリは安堵の息を漏らした。

 

「そのようね……しかし、何故ルプスレギナだけが? 今の光はなんだったのかしら」

 

『……今し方発動したのは、“プリーストブラスター”だ。信仰系魔法詠唱者(マジック・キャスター)の魔力オーラに干渉し、本人の状態に異常を与える魔法の罠だが……どうやら正常に動作したようだな』

 

 すると若干得意そうなアインズの解説が入ってきて、一同は感心して頷いた。魔法詠唱者(マジック・キャスター)の魔力を識別した上で干渉するなど、これまで聞いたこともない高度な技術である。麻痺しているルプスレギナの悲哀も忘れ、流石はアインズ様であると感じ入ってしまったことにも無理はないと言えよう。詳細についてはフールーダの異能(タレント)を参考資料にドワーフ職人のマジックアイテム開発技術を取り入れて頑張りました。否、頑張らせました。

 

「ところでアインズ様ぁ……回復担当のルプーが麻痺しちゃったわけですがぁ、アイテムを使用してルプーを治療してもよろしいのでしょうかぁ?」

 

 その後、エントマが素朴な疑問の声を発する。このダンジョンでは、麻痺を治療できるようなアイテムはこれまでに入手していないが、元々与えられている手持ちの巻物(スクロール)ないし治癒薬(ポーション)を使用しても問題ないのだろうかという疑問に、一同ははっとした。

 

『うむ、うむむ……? 本来はここからルプスレギナが欠けた状態で地上まで如何に脱出するかというのもポイントなのだが、お前達では結果は見るまでもないな。ええと、巻物(スクロール)はちょっと勿体ないかな? たぶん治癒薬(ポーション)の方がまだ補充は利く筈……よかろう、手持ちの治癒薬(ポーション)を使うことを許可する』

 

「かしこまりましたぁ」

 

 エントマがとてとてとナーベラルの側に寄ってきて、懐から状態治療の治癒薬(ポーション)を取り出すと、瓶の口をナーベラルが抱きかかえたルプスレギナの口の中に無造作に押し込んだ。勿論、麻痺して顎も満足に動かせぬルプスレギナがまともに飲み干せるはずもなく、赤い液体の半分以上はその唇から零れ落ちて、喉から胸元を艶めかしく濡らした。それを見ていたナーベラルが眉を顰めたが、まあ別に飲み干さずとも、かけるだけでも効果はあるのである。

 

「……ふはっ! あー、あー……びっくりしたっす」

 

 治癒薬(ポーション)の効果が現れて、ルプスレギナの目に焦点が戻った。そのまま上体を起こし、口元を袖で拭いながらため息をつく。

 

「ルプスレギナ、身体に異常はない?」

 

「大丈夫っすよユリ姉、麻痺してただけなんでさっきの治癒薬(ポーション)で完治したっす。それよりソーちゃん、お宝は?」

 

 治るや否や、宝箱の中身を気にしだしたルプスレギナの様子に苦笑する。それだけ元気なら心配あるまいと宝箱の中を覗き込んだソリュシャンが中身を読み上げた。

 

「ええと、治癒薬(ポーション)と、(ロッド)に、指輪ね」

 

 そう言って治癒薬(ポーション)っぽい液体が入った瓶を取り上げると、開いた瓶の口をぱたぱたと扇いで匂いを嗅ぐ。危険な物ではなさそうだと判断し、手の平に数滴垂らして口に含む。

 

「ふむ……何の変哲もない解毒薬ですわね」

 

 そう言うと、ソリュシャンは口を大きく開けて治癒薬(ポーション)を瓶ごと飲み込んだ。……念のために言っておくと、体内に収納しただけである。それを横目に、ナーベラルが手を伸ばして(ロッド)を取り上げた。全体として作りはシンプルなその杖は、先端に赤い宝石が嵌め込まれている。

 

「……<魔法探知>(ディテクト・マジック)に反応があるわ。この杖、マジックアイテムみたいね」

 

「おお、マジックアイテムっすか。使い方は?」

 

 ルプスレギナがひゅうと口笛を吹き、当然の疑問を発した。だがナーベラルは眉尻を下げて首を振る。

 

「前も言ったけど、鑑定系の魔法は修得していないわ。使い方まではわからない」

 

「……あらら」

 

 ルプスレギナが残念そうに呻くと、そこに助け船が入ってきた。

 

『ふむ、成る程……せっかくマジックアイテムを支給しても、鑑定ができなければ使い方がわからんか。これは地上の方で鑑定系のサービスを用意せねばなるまい。参考になったぞ、お前達。でかした』

 

「アインズ様……不甲斐ない私達に、なんとも勿体ないお言葉です」

 

 そう言って恐縮するユリに、アインズは笑い声をあげる。

 

『ははは、やってみないと分からない類の不具合を洗いだしているのだからな。そうかしこまることはないとも。ここは私から説明しておこう。その(ロッド)は“炎の杖”と言って、魔法蓄積(マジックアキュムレイト)の付与効果により、<火球>(マハリト)の魔法を封じてある。持った物の意志に従って、封じられた魔法が解放される。もっとも、杖の方もその負荷に耐えきれずに壊れてしまうから使いどころはよく考えるようにな』

 

 例によって某国で入手した、マジックアイテム作成技術を活かした試作品である。出来が良くないので、マジックアイテムというよりは巻物(スクロール)に近い性能のようだ。ナーベラルは頷いて礼を述べると、ソリュシャンに(ロッド)を渡した。ソリュシャンが心得て体内に(ロッド)を収納すると、最後に残った指輪に手を伸ばす。

 

()ッ……!?」

 

 すると、ソリュシャンが悲鳴を上げて、つまみ上げた指輪を取り落とした。一同の視線が彼女に集中する。

 

「そ、ソーちゃんどうしたっすか?」

 

「……接触ダメージを受けたわ。感触からして、負属性の。ユリ姉様、お願い」

 

 ユリが無言で頷くと、ソリュシャンに代わってその指輪を手に取った。飾り気のないシンプルな金属の輪っかだが、禍々しいオーラを放っているようでもある。

 

「うん……ソリュシャンの言う通りね。負のエネルギーが流れ込んでくる。この場でアンデッドはボク、いや私だけだし、この指輪は私が貰っておくわね」

 

 その指輪は生物が等しくダメージを受ける負属性の呪いを常時発しているようだった。だがしかし、アンデッドの首なし騎士(デュラハン)であるユリ・アルファにとっては、その呪いは彼女の体を癒す祝福へと反転する。ユリは彼女にとっては継続ヒーリングアイテムとなるその指輪を、嬉々として己の指に装着した。他の者には害にしかならないので、妹達に異論があるはずもない。

 

「さてと……では管制室にお邪魔しましょうか」

 

 

 




《モンスターアロケーションセンター》
 迷宮のエレベーターは王様が設置した物で、でもモンスターは邪悪な魔導師の手下で……?
 誰が何のために設置したのか謎が謎を呼ぶモンスターハウスだ(※1)!
 →はいはい塵化(マカニト)塵化(マカニト)(※2)。

※1:まあ本来出てくるのは人型モンスターなので、王様の配下であると解釈することも可能なのだが……この迷宮は魔導師の方が作ったんじゃなかったのか?
※2:雑魚は死ぬ魔法。DQ風に言うと経験値の入るニフラム、FF風だとLV8未満デス。配備センターに押し込まれたモンスターの過半数を殲滅する効果がある。

《プリーストブラスター》
 初代Wizから存在するものの中では二番目に(※3)殺意の高い罠。僧侶系呪文を修得しうる三種の職業に反応して麻痺・石化の状態異常を与える厄介な代物。似たような罠に、魔術師系呪文に反応するメイジブラスターが存在するが、引っかかった後の治療のしやすさという点でこちらの方が数段凶悪である。治療可能者が居なくなってからそのまま帰還を余儀なくされて途中であえなく全滅までがコンボ。尚、発動描写は適当に書き散らした模様。ついでに言うと麻痺の描写も適当。
 オーバーロード世界で魔法詠唱者(マジック・キャスター)の種類を識別可能であることはフールーダとアルシェの異能(タレント)が証明しており、世界の何処かには信仰系の魔力が見える異能(タレント)持ちも居るのだろう。

※3:一番殺意が高いのはテレポーターである。

大炎(マハリト)
 魔力系第三位階魔法(様式美)。クでもタでもない、トだ。
 メイジが初めて覚える(※4)範囲攻撃呪文であり、この呪文の修得前後ではPTの強さが激変する。それまで眠らせながら前衛に物理で殴らせていたメイジが、マハリトで敵グループを一掃するようになったときの爽快感たるや。

※4:……メリト? 知らない子ですね。

《死の指輪》
 持っていると毎ターン5ものダメージを受けるが(※5)、無事持ち帰れば以後金欠とは無縁になるほど(※6)の高値で売れる呪いの指輪という名の換金アイテム。残りHP及び回復呪文の残量と相談しながら、おっかなびっくり持ち帰ることに挑戦するその様は、冒険者の判断力が問われるシーンであるだろう(※7)。
 でも名前から判断するとオバロ世界では負属性の継続ダメージになるだろうなと作者に解釈されたため、アンデッド用の継続回復アイテムという圧倒的便利存在にランクアップした。余談だが、回復呪文を節約するため、普通の継続ヒーリングアイテムを持ち回りにして迷宮の回廊を練り歩く光景はWizの風物詩である。

※5:Wiz基準では恐るべきダメージ。初めて入手する時点では前衛の最大HPが40くらいと言えば理解して貰えるだろうか。
※6:進行度が上がるにつれ、宿は馬小屋(ほとんどタダ)、装備は宝箱から入手、寺院に御布施(蘇生依頼)? ハハッご冗談を……という風に金の使い道が無くなるという事情もおおいに関係がある。
※7:死の指輪を一度に何個持ち帰ることが出来るか挑戦するのは、局地的に流行った廃人達の戯れである。後衛を裸にして24個、前衛の空き枠が一人2個としても30個程度は簡単に持つ事が可能。理論上限界値は48個だが……



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B9F:シュート!

 
 ここから加速。
 NPCの同士討ちを忌避する設定により戦闘回数を絞ったことと合わせるとすごく端折ってるように見えそうだけど、既定路線です。元ネタを知ってる読者には説明するまでもないし、知らない読者はそもそも全10階層だという知識がなかった筈だから気にしすぎかもなあ。



 プレアデスの一行が管制室と書かれた扉をくぐると、全員が部屋に足を踏み入れた瞬間、扉がバタンと閉まった。

 

「またぁ!?」

 

 後列のエントマが振り向いて小さく叫ぶが、それに委細構わず、閉まった扉が橙色にぼんやりと発光したかと思うと、次の瞬間姿を消した。驚きに目を剥いたエントマが――この場合、見開いたのは仮面蟲の擬態ではなくその下に隠された本物の複眼である――扉が消え去った場所に駆け寄ってぺたぺたとその箇所を確認するも、地下迷宮の分厚い石壁が、暗く冷たい感触を返してくるばかりであった。

 

「――閉じ込められた、というわけでもなさそうね」

 

 入ってきた扉は消え去ったが、右手の壁面に別の扉が見えているのを確認してユリが言う。

 

「……位置関係的に、既に通った通路に繋がると推測。通路を通ったときは扉を未確認の為、シークレットドアないしは先程起きたように通ると消える可能性も」

 

 地図情報を照合したシズがそう言うと、どこからともなく聞こえてきた声が部屋に響きわたる。

 

『……お、おめでとうございます、訓練生の皆さん。あなた方はここまで辿り着くことで、一定の実力を証明し、更なる危険が待ち受ける下層へと、未知の冒険に踏み出すための力を備えていると認定されました。

 つきましては、この階層にある昇降機(エレベーター)の利用許可証を発行します。皆さんが、地下迷宮最深部に控える“大魔導師アグノモン”の下まで辿り着くことを期待します……』

 

「マーレ様の声ね」

 

 ソリュシャンが呟くと、マーレの声が沈黙するのに合わせて正面の壁に穴が開いた。壁の真ん中に小さな箱が収まる程度の窪みが隠されており、その蓋が自動的に開いたのだ。ソリュシャンが歩み寄ってその小箱を無造作に開くと――さすがにこの前振りで小箱に罠が仕掛けてあったら陰険過ぎる――中に収められていたのは青いリボンであった。

 

「へぇ、このリボンが許可証なんすか?」

 

 横から覗き込んだルプスレギナがリボンを取り上げて指に絡める。くるくると巻き付けながら思案顔をしたかと思えば、後ろを振り向いて言った。

 

「ナーちゃん、つけてあげるっすよ」

 

「……なんで私? そんなにつけたいなら自分のお下げにつければいいじゃない」

 

 指名されたナーベラルが困惑の声を上げると、ルプスレギナはちっちっと指を振る。

 

「考えが甘いっす、ナーちゃん。私のお下げは二本なんだから、一本だけこれに変えるのはいくらなんでもバランスが悪いっすよ」

 

「まあ、それはそうだけど……」

 

 ナーベラルは周囲を見渡す。

 

「ユリ姉様は……その髪型にはちょっと似合いませんね」

 

 夜会巻きと呼ばれるユリの髪型にリボンは似合わないだろう。ナーベラルがソリュシャンに視線を移すと、ソリュシャンは無言で首を振った。ルプスレギナが彼女の気持ちを代弁する。

 

「ゴスロリ系まで行っちゃえばソーちゃんの縦ロールにも合わなくはないすけど、ソーちゃんのイメージには合わないっすね」

 

「私の髪は実際は虫の擬態だから、問題外だよねぇ」

 

 エントマが頭のお団子(シニヨン)を弄りながらそう言うと、それに応えるようにシニヨンに擬態した虫がわさわさと蠢いた。

 

「……不要」

 

 シズが端的に呟く。

 

「ま、シズちゃんのストレートヘアに余計な飾りは要らないっすよね。ほらほらナーちゃん、ポニテのリボンを交換するだけなんだから覚悟を決めるっす」

 

「もう……そもそも身につける必要はあるのかしら?」

 

 口を尖らせながらも、実際はそこまで忌避する理由があるわけでもないので大人しくルプスレギナに後頭部をされるがままにするナーベラル。ルプスレギナが楽しそうに妹のポニーテールを縛り直しながら口を開く。

 

「まあまあ。例えば状態異常に対する完全耐性が身につく魔法の装備だとか、そういうサプライズがあるかもしれないっすよ?」

 

 残念ながらゲームが違うのでそんなサプライズはない。

 

「ほい、完成っと。可愛いっすよ、ナーちゃん」

 

「そうね、よく似合ってるわ」

 

 ルプスレギナの気ままな行動にユリがフォローを入れると、ナーベラルは照れ笑いで口元を僅かに緩めた。別に粗末な布きれを押しつけられたというわけでもなく、きめ細やかで上等な生地に色合いもエレガントな淡い青である。ナーベラルの黒髪とのコントラストは実際悪くなかった。

 

「ありがとうございます、ユリ姉様。……それより、先程マーレ様の台詞の中に気になる内容があったと思うのですが」

 

「ナーベラルも気になった? このダンジョンの最深部に居るという大魔導師のことよね?」

 

 ソリュシャンが相槌を打つと、ナーベラルはこくりと頷いた。

 

「……大魔導師アグノモン……ボス?」

 

「普通に考えればそうでしょうねぇ。そこまで辿り着けば、この地下迷宮の攻略完了ということかなぁ」

 

 シズにエントマが意見を口にし、そのままてんでに姦しく騒ぎながら扉を開けて通路に出ると、先程追い払われた昇降機(エレベーター)の前へと移動する。赤ランプが一行を照らし出し、特にナーベラルを重点的に走査する。今度はマーレの声が聞こえることもなく、カチリと音がして扉の錠前が解除された。

 

「おー、内部は結構広いっすね。これが操作パネルかな?」

 

「4から9までの(ボタン)があるわね。昇降機(エレベーター)なのだから、当然これで階層を指定するのでしょうね」

 

 ルプスレギナが好奇心のままに乗り込んだその後に続き、ソリュシャンが操作盤を覗き込んだ。ルプスレギナが振り向いて一礼する。

 

「ご利用ありがとうございますお客様。何階をご希望っすか?」

 

「そうねえ。単純に考えれば次の階に降りるか、一番下まで行くかの二択かしら?」

 

 エレベーターガールの真似事をスルーしてナーベラルがそう言うと、ルプスレギナはちょっと切なげな顔をした。

 

「……突撃。下まで」

 

「でもぉ、先に進むのに中階層で手に入るキーアイテムが必要で、結局順番に攻略する必要がある可能性とかもあるけどぉ」

 

 シズとエントマが正反対の意見を述べる。そのまま姦しく騒ぎ始めるのを、ユリがぱんぱんと手を叩いて止めた。

 

「はいはい、そこまで。どうするかは決を採りましょう。判断できるだけの情報はないのだから、フィーリングでいいと思うわ」

 

 結果、下まで下りてみることになった。ルプスレギナが「ポチっとな」と言いながら9の文字が書かれた(ボタン)を押す。今の何? と聞く妹に様式美だなどと返しながら待つこと数秒。ふわりと足下が浮かび上がるような浮遊感と共に、部屋全体がゆっくりと下降し始めた。

 

「へえー……こんな風になるんだぁ」

 

「…………新鮮な感覚」

 

 ナザリック地下大墳墓が現実の建築物であればエレベーターの一基や二基、有ってもおかしくなかったが、ゲーム内の施設であるナザリックの階層間移動は階段でなければ転移であった。更に言えば、転移で移動するのは至高の御方々――ギルドメンバーの有する特権であり、NPCのプレアデスはそもそも階層間を移動することも希であった。初めて体験するエレベーターの感覚にはしゃぐ妹達の様子を横目に、ユリが扉の上部を見上げた。

 

「あのランプが現在階層かしら。7……8……もう着くわね」

 

 ランプが9を示すと共に、エレベーターが止まる。チーンというアラームと共に扉が音を立てて開くと、ひんやりとした地下迷宮の冷気が流れ込んできた。深層であるからなのか、温度は一回り下がっているようにも思われるが、地下深くという割に重苦しく澱んだ感じは受けない。換気系統には十分に気を遣っているのだろう。

 天井の光苔により薄明かりが確保されているのも変わらない。エレベーターの扉が自動的に閉まる音を背後に聞きながら、一同は降りた先で左右に扉が並んでいるのを確認した。

 

「……どちらにする?」

 

 指運に任せることが許されるのは、出来る限り情報を集めた後の話である。ソリュシャンが進み出て、まずは左の扉にぴとっと張り付いて聞き耳を立てた。その後、右の扉にも同じように聞き耳を立て、息を殺して見守る姉妹達の下に戻ってきた。ユリがキャンプを展開するのを横目に、円陣を組んだ一同の下に顔を寄せて囁きかける。

 

「……左の方には、中に何か居ますわね。右は何も聞こえません」

 

「そう、ありがとうソリュシャン。じゃあ、意見のある子はいるかしら?」

 

 ユリが話を振ると、エントマが手を挙げた。

 

「左にモンスターが居るなら、この階層の敵の強さを確認しましょぉ?」

 

 ここまでの傾向として、階段を下りることでモンスターの種類や強さが変動することが確認されている。階層が変われば配置されたモンスターも変わる以上、まずは敵の強さを調べるのは順当な判断だと言えるだろう。

 

「そうね、危険そうならエレベーターに逃げ込んで上に戻ってもいいし。……異論のある子はいるかしら?」

 

 ユリが妹達の顔を見回すと、全員がこくりと頷いたので、魔道具を回収してキャンプを畳む。全員が武器を構えて戦闘態勢を整えたのを確認すると、ユリは左の扉を蹴り開けて部屋の中に飛び込んだ。

 

「せいっ! ……?」

 

 部屋の中は広めの玄室であった。まず目を引くのは、奥の一角に口を開けた巨大な穴である。落とし穴と言うには床に偽装された蓋がついている訳でもなく、そもそも滑り台のように傾斜した斜面が地の底へと続いていく様子が見て取れる。放り込んだものがガイドに沿って滑り落ちていくであろうそれは、穴と言うよりは落とし樋(シュート)と表現するのが相応しく思われた。

 だが今注目すべきはそこではない。その穴の周囲に所在なげに佇んでいる幽鬼のような人影。人間と見るには圧倒的なその巨躯は二メートルを上回り、暗黒の全身鎧に身を包み巨大なタワーシールドにその半身を隠したそのモンスターは、一同がよく知るアンデッドの騎士――死の騎士(デス・ナイト)である。

 この世界では伝説級のモンスターが三体。明らかにここまで、地下四階までに配置されたモンスターとは文字通り桁が違った。とは言え、死の騎士(デス・ナイト)では戦闘メイド(プレアデス)には遠く及ばぬのもまた事実。彼女達にしてみれば一撃では殺しきれない相手、油断すればダメージを負う相手になった程度の話でしかない。

 しかし。

 

『……どうした。何故戦わぬ?』

 

 アインズの声は疑問の形を取っていたが、その声色にはやはりなという感情が多分に含まれているようにも思われた。

 死の騎士(デス・ナイト)を目にした戦闘メイド(プレアデス)の一行と、彼女達を目にした死の騎士(デス・ナイト)の三人は、直ちに戦闘行為に入るかと言えばそんなこともなく。不安そうな顔つきで互いの顔を見合わせるばかりであったのだ。

 

「お言葉ですがアインズ様……彼らは、その……アインズ様が直接お作りになったシモベではないでしょうか?」

 

『その通りだ。本来の冒険者達に死の騎士(デス・ナイト)レベルの敵の相手をさせる予定は流石にないが、それではお前達の強さを確認することはできないからな。この第九階層からは、お前達用に特別に準備したモンスターを配置してある。さあ、お前達の強さを私に示してくれ』

 

 ユリの問いに即座に肯定の意を返すアインズ。その言葉を聞いて、一同は目を伏せた。

 

「おそれながら……アインズ様のシモベと戦うことなど、私達にはできません。お許しください、アインズ様」

 

 そう言ってユリが深々と頭を下げ、妹達もそれに倣う。沈黙が場に落ちる。

 アインズが生み出したシモベに手をかける――至高の御方に害をなすことと同義であるその行為は、己がそれをすると考えただけで胃の腑が引っ繰り返るような不快感を彼女達にもたらした。いくら至高の御方ご自身の命令であると言えども、それを実行することなど考えられぬ。故に、彼女達にとってはやむを得ざる返答であったが……命令を真っ向から拒否したのだ。返答のないアインズの沈黙がひたすらに怖ろしかった。ぷつぷつと額にわき出してきた汗が顔を伝い、鼻の頭や顎の先まで辿り着いて空中にこぼれ落ちる。一部は目に入り痛みをもたらして不快感を訴えるが、彼女達は微動だにせずアインズの返答を待ち続けた。

 

『ふむ……私の命令を拒否する、ということになるが。それでいいのかお前達?』

 

「お……お許し下さい、アインズ様……」

 

 沈黙の後に発せられたアインズの返答は、その内容に比して怒りが籠もっているようには感じられなかったが、そのようなことが彼女達の慰めになることはなかった。ユリがその場に膝をつき、手の平と額を床に擦りつけて平伏すると、妹達が即座にそれに倣って土下座した。どこに敵がいるかもわからぬダンジョン内でする格好ではないが、かつてそのようにアインズに窘められたことすら今感じている罪悪感の前ではどうでもよかった。

 

『まあ落ち着けお前達。実のところ私はそれほど怒っているというわけでもない。……まずは立ちなさい』

 

 アインズが優しげな声でそう言うと、ユリは土下座したまま首を横に振った。

 

「いえ、アインズ様。ご命令を拒否するという無礼を働いた私達にそのような資格など……!」

 

『ふむ……無礼を働いたから、次の命令を無視するという新たな無礼を働くという訳か? それとも、伏せた顔の下で舌を出す様子を私に見られたくないということなのかな?』

 

 その台詞は効果覿面であった。顔を真っ青にしたプレアデス達ががばと上体を起こして素早く立ち上がるのを、アインズは黙って見守る。

 

『繰り返すが、私は特に怒っているというわけでもない。ただ、確認したいだけだ……お前達に何が出来て、何が出来ないのか。それは人間には腕が四本ないというレベルでそう作られているからなのか、あるいは忠誠心故の融通の利かなさなのか』

 

 アインズは青い顔で身を寄せ合う戦闘メイド(プレアデス)達を、魔法に映し出された映像を通して一瞥した。実のところ、彼女達がこう答えるというのは死の騎士(デス・ナイト)達を配置した時から予想の範疇である。いい機会なので、色々と確認したいことがあるのだ。

 

『そうだな……まずは報酬で釣ってみようか。お前達が目の前の死の騎士(デス・ナイト)達を倒せば、なんでも願いを叶えてやるというのはどうだ? 命令に従う気は起こらないか?』

 

 その言葉を聞き、プレアデス達は互いの顔を見合わせた。その不安そうな眼差しに変化はなく、妹達の意志が揺らいでもいないことを確認したユリが代表して答える。

 

「おそれながら、お許しくださいアインズ様……」

 

『ふむ。何でもと言われても想像がつかないか? そうだな、例えば……ユリよ、お前の装備しているガントレットはやまいこさんが使っていたものの模造品、否、試作品のお下がりなんだが。やまいこさんが使っていた本物をお前にやろうと言ったら心が動かないか? あるいはそうだな。お前達は私の仲間の思い出話を聞くのが大好きだが、とっておきの話をしてやるといえばどうだ? ヘロヘロさん、弐式炎雷さん、源次郎さん……これまでお前達に話したことがないようなエピソードが色々あるが、聞いてみたくはないか?』

 

 再びプレアデス達は互いの顔を見合わせる。彼女達は目に映る互いの顔に、先程よりは強い動揺が走っているのを確認した。しかし彼女達は最終的に、アインズの誘惑を振り切るかのように頭を振り、隣同士で握りしめた手にきゅっと力を入れて互いの意志を確かめ合う。

 

「……申し訳ございませんアインズ様。何卒お許しを……」

 

『うむ……』

 

 ユリが震える声を絞り出すと、アインズは相槌を一つ打ったきり再び沈黙する。プレアデス達が怯えるのに十分な逡巡の後、アインズは新たな指示を与えた。

 

『やはり報酬では駄目か。ええと、こいつらは私が直接創造してるからな……プレアデスよ、とりあえず部屋の隅のシュートから下に降りよ』

 

 彼女達には意味の分からぬ事を言いながら、アインズの意を受けて死の騎士(デス・ナイト)達が脇に退くのを、ユリ達は緊張の眼差しで見つめる。誰からともなくアインズの言葉に従って壁際に口を開けた床の穴に近寄った。

 アインズがシュートと呼んだその穴は、見た感じからすると滑り台とでも言うべきものだった。穴の縁から続く傾斜した滑り台の壁面は、見るからに摩擦係数の低そうなつるりとした材質でできており、手足をかける段や窪みの類もなく、更なる地の底へと向かって沈んでいく。その先は暗闇の底に沈んで見通すことは出来ないが、アインズの命令であれば向かう先が槍衾でも酸のプールでも否やはない。ユリは肩越しに背後の妹達を振り向いて言った。

 

「ではみんな、覚悟はいいかしら。いくわよ、1、2の、3!」

 

 プレアデス達は飛び込んだ――地の底へと落ちていく暗く深い穴に向かって。

 

 

 




《ブルーリボン》
 リアルではネタにするのも躊躇われるほど真面目な意味を持っていたりもするのだが、ここでは単なるエレベーターの使用許可証。B4F~B9F間を自由に移動できるようになる上、階段を使うルートからは決して最下層に辿り着くことは出来ないため手に入れないと先に進めない必須アイテム。
 本来のビジュアルイメージはおそらく胸章なのだと思われるが……せっかく女の子一杯居るんだからアクセサリでもいいじゃない。でも別にあらゆる状態異常に耐性がついたりはしないし、そもそも装備できない。

《大魔導師WERDNA》
 この手のネーミングで最も有名なのはなんといってもやはり「アルカード」だろう。
 大魔導師アグノモン……いったい何ンガなんだ……

《エレベーター》
 B5FからB8Fなんてなかったし、B9Fは全4ブロック。イイネ?
 ……狂王の試練場において、B5~B8は攻略上訪れる必要のないおまけマップである。嫌ならやめてもいいんじゃよとばかりに、行く必要があるマップとは一線を画した凶悪なデザインで、それでいて報酬に色がつくわけでもない。その存在が余計な物であったと認めるかのように、全10階層であったマップは次回作の#2、#3では全6階層へと変更された。

《シュート》
 なぜかB9FからB10Fへの階段の代わりを務める滑り台。
 平たく言うと一方通行の階段であり、一度下りたら上には戻れない。
 代わりに下りた先に出口があるので、ここではあまり意味がないのだが。



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B10F:ひのようなすがた

 
考察材料:
・命令してもデスナイトの処分は拒否した
・裏切ったと思われたシャルティアに対する階層守護者の戦意は旺盛だった
・コキュートスはアインズ様とガチバトルによる鍛錬をしたいらしい
 ……基本的にはシモベ同士で戦うことは嫌がりそうなんだけど絶対ではない。強烈に脅しつければやむなく従う形には持って行けそうと言うのが素直に解釈した感じですが、あんまりプレアデスを苛めるとここまでの雰囲気が台無しなんで、このSSではガチバトル鍛錬券の話を最大限に拡大解釈して採用しています。

 グレーターとアークなデーモンのレベルは、プレアデスの相手として幾つが相応しいかということから逆算して設定しています。



 傾斜のついた滑り台を十数メートルも加速すれば、体感的にも結構な速度に達する。勢いのついたプレアデス達の体を、シュートの端に設置された柔らかい床が優しく受け止めた。

 だが床に見えたそれは実際には弁であり、受け止めた者達の勢いを殺した後に飲み込んで下へと排出する。その先は地下十階の天井であり、弁の下には今度こそ本当に柔らかいクッションが吐き出された彼女達を受け止めるという親切設計である。尤も、そんなものは無くても十メートル程度の落下ごときでダメージを受けはしないのだが……

 プレアデス達が落ち着いて体を起こすと、地下十階の威容が一行の前に姿を現した。岩盤をくりぬいたと思われる岩壁も、形だけは整えた地肌が剥き出しの床も、そこまでに目にしてきた地下迷宮とは一風変わった荒々しい自然の息吹を残している。底冷えのする空気の中、岩盤の奥から流れてくるのはこの先に潜む何者かの禍々しい気配であるかのようだった。

 シュートを滑り落ちてくれば嫌でも目に入る位置に、額に飾られたメッセージと思しき落書きが立てかけられていた。

 

 * 大魔導師アグノモンの領地を侵す哀れな侵入者に施しをくれてやろう *

        “コントラ―デクストラ―アベニュー”

 

「……どういう意味っすか、これ?」

 

 ルプスレギナの疑問に答えられる者は居なかった。何よりも現在の彼女達はまどろっこしい謎かけに付き合うような精神状態ではない。

 彼女達が下りてきたのは二股に分かれた道の角であったが、右手の先は即座に行き止まりになる壁が見えており、そこに設置された物は彼女達にも馴染みのあるものである。

 

「転移門……よねあれ」

 

 ユリが呟くと、一同は同意の頷きを返す。ナザリック地下大墳墓の階層間移動に使われるのと同じものが、通路の行き止まりに設置されている。十階に下りてきて早々、転移してどうぞでもないだろう。

 

『あれは地上に帰還するための転移門だ。左の通路を奥に進め』

 

 プレアデスに右往左往させるつもりはないとばかりに、アインズの指示が降ってくる。一同はそれに従って奥に進むと、古めかしくも頑丈そうな樫の扉に突き当たり、指示に従って扉を開け中の部屋に入り込んだ。

 部屋の中は大広間であった。縦は巨人でも(ドラゴン)でも天井につっかえることがないであろう程に高く、横は数十名の人間が武器を振り回すだけの余地がありそうな程広い。

 しかし、今その広大な空間に存在するのは唯の一体。爬虫類をベースにしたと思しき鱗に覆われた肉体に鋭い爪を生やした豪腕を持ち、蛇の尻尾と燃え上がる翼を持つ異形の悪魔である。

 

憤怒の魔将(イビルロード・ラース)……様」

 

 そう呟いたユリの声に反応し、憤怒の魔将(イビルロード・ラース)がぺこりと一礼するのを、アインズは興味深げに見守っていた。デミウルゴスの親衛隊を務める八十レベル台の大悪魔である憤怒の魔将(イビルロード・ラース)は、単騎でプレアデス全員を蹴散らせる程度の強さを持つ。ユリが敬称をつけて呼んだのも、階層守護者の直轄である立場とその強さに配慮したものであると言えよう。

 だが、ナザリック地下大墳墓のシモベにとって、自身の価値を示す指標は決して強さだけには留まらない。至高の御方々が直接創造し、設定と名を与えた。その事実は彼らにとって何より重い。極端に言えば、固有名を賜っていない憤怒の魔将(イビルロード・ラース)よりも、名前と設定を与えられた戦闘メイド(プレアデス)達――もっと言えば、戦闘能力を持たぬ一レベルの一般メイド達の方が、高い立場にあると見なされるのである。

 アインズではなくデミウルゴスの直轄であり、ギルドメンバーの創造に依らず、ユグドラシルのモンスターを配置した存在である憤怒の魔将(イビルロード・ラース)。その存在は、彼女達にとって決して刃を向けられないものであるだろうか。そのように思いつつアインズは口を開く。

 

『さて、お前達……次の質問だが、そこの憤怒の魔将(イビルロード・ラース)と戦えと言われた場合は、それに従えるか?』

 

 顔を見合わせたプレアデス達が、アインズの命令を拒否し続けることに後ろめたさを感じながらも頭を振るその様子を見て、アインズはふむと納得する。アインズが生み出した死の騎士(デス・ナイト)を害することはできないのだ。直轄ではないと言えども、コストをかけてナザリック地下大墳墓に配置したモンスターである憤怒の魔将(イビルロード・ラース)も同じ事であるらしい。第一、憤怒の魔将(イビルロード・ラース)の方がプレアデスに刃を向けるなどとんでもない、といった様子である。

 だがまあ、それも予想の範疇ではある。どのみち、憤怒の魔将(イビルロード・ラース)ではプレアデスの相手としては強すぎだ。アインズは、憤怒の魔将(イビルロード・ラース)に予め伝えておいた命令を実行するよう呼びかけると、大悪魔は心得たように頷いて、自身の眷族を召喚する。

 憤怒の魔将(イビルロード・ラース)の周囲に五つの魔法陣が現れ、空間を歪めて異界から姿を現す悪魔達。そのうち四体は蒼を基調とした人型のシルエットに、邪悪な角と怖ろしい牙、蝙蝠の翼と長い尻尾を生やしたまさに悪魔らしい悪魔である。蒼鬼獣魔(グレーターデーモン)の名を冠するその悪魔は、五十レベル台の召喚モンスターであった。最後の一体は、どちらかと言えば人間に近い姿をしており、妖艶で耽美な雰囲気を湛えた美丈夫である。だが頭に生えた巻き角と口元から覗く牙、赤い血が流れるとはとても思えぬ青白い肌によぎる邪悪な眼光が人間ではないことを主張していた。守護者統括のアルベドに近い出で立ちである。もっとも、彼の方には羽はなく、緑を基調とした高貴な服装に、右手に持った炎の鞭の赤色がアクセントとなっている。悪魔王(アークデーモン)の名を冠するこの大悪魔は、しかし、レベル六十台の召喚モンスターであり、適正レベル帯では凶悪な強さを持っていた彼も、レベルキャップが解放された後では名前負けしていると言われてしまう程度の存在だ。

 

『さて……こちらが本命だ。この召喚モンスター達を相手にお前達の実力を見せて貰いたい。言わば演習だが……できるか?』

 

 ここに来るまでにナザリックで自動湧きするPOPモンスターを配置していたが、それとは問題なく戦闘し撃破している。自動湧きだからナザリック地下大墳墓に対する害にはならないというのであれば、スキルで召喚する眷族も似たような物であり、召喚主がアインズ自身でなければアインズお手製のシモベという遠慮も働かないのではないか。そして駄目押しに差し込んだ演習という言葉。かつて、コキュートスがアインズに対し「ガチバトルによる鍛錬」を希望したことが脳裏をよぎる。すなわち、訓練という名目があれば、アインズと直接矛を交えることさえも平気なのだ。果たして、プレアデス達は少しの間頭を付き合わせて逡巡した後、向き直って頷いた。

 

「かしこまりました、アインズ様。ご期待に添えるよう微力を尽くします」

 

 各種の葛藤に対して決着(ケリ)をつけたのか、スッキリとした顔でユリが宣言すると、アインズは頷いて答えを返した。

 

『うむ、期待しているぞ。では、憤怒の魔将(イビルロード・ラース)、お前は戻ってこい。奴が退出したら、それが開始の合図だ』

 

 憤怒の魔将(イビルロード・ラース)は主のそのまた主の言葉に頷くと、喚びだした悪魔達に手振りで指示を与え、最後にプレアデスの方を向いて無言で一礼した。部屋の奥にのしのしと歩いていく先には、二つの転移門が口を開けている。どこに繋がっているのかここからは窺い知れないが、戦闘中に活性化することはないようになっていることだけは疑いない。憤怒の魔将(イビルロード・ラース)が転移門の一つに近づくと門が光を発して活性化したことを示し、黒い靄が門の中央にその口を開いた。

 憤怒の魔将(イビルロード・ラース)が転移門に飛び込んで姿を消し、靄が掻き消え門が光を失うと、どちらからともなく戦闘態勢に入る。

 

<魔法二重化/抵抗難度強化(ツイン・ペネトレートマジック)()連鎖する龍雷>(チェイン・ドラゴン・ライトニング)!!」

 

 互いの距離が離れている以上、初手は遠距離からの魔法戦となる。口火を切ったのはナーベラルであった。得意とする雷系統の攻撃魔法、両の手から生み出された二頭の竜が中空を切り裂いて蒼鬼獣魔(グレーターデーモン)達に殺到する。

 二体の蒼鬼獣魔(グレーターデーモン)に食いつこうとした竜の動きが一瞬止まる。悪魔の眼前に現れた魔法障壁が雷の竜の突進を防いだのだ。蒼鬼獣魔(グレーターデーモン)には高い確率で攻撃魔法を無力化する魔法障壁が備わっており、何も考えずに攻撃魔法をしかけるのは悪手である。

 だが、勿論ナーベラルが何も考えていなかったわけではない。抵抗難度強化(ペネトレート・マジック)により魔法防御への突破力を強化された雷の竜は、彼女の目論見通りに蒼鬼獣魔(グレーターデーモン)の魔法障壁を食い破って蒼い悪魔に襲いかかった。己の高い魔法抵抗力に過信を抱いていた蒼鬼獣魔(グレーターデーモン)が焦りの叫びを、その一瞬後には苦悶の叫び声を上げた。集中を乱され、蒼鬼獣魔(グレーターデーモン)の手に生み出された魔力の光が霧散する。雷の竜が矛先をそれぞれ隣の蒼鬼獣魔(グレーターデーモン)に変えて食いつくが、障壁の突破と一体目への攻撃により減衰を続ける雷の威力では、二体目の集中を吹き飛ばすには至らない。雷の竜が霧散した後も蒼鬼獣魔(グレーターデーモン)達の手の中に膨れあがる冷気の魔力を見てとると、妹に向かってユリが叫んだ。

 

「ルプスレギナ、冷気防御! エントマ優先!」

 

了解(りょう)! <魔法二重化(ツインマジック)()冷気属性無効化>(エネルギーイミュニティ・フロスト)!」

 

 ルプスレギナが素早く応答し、冷気属性への防御魔法を展開する。ユリがエントマを優先するよう指示したのは、蜘蛛人(アラクノイド)であるエントマが一番冷気への耐性が低いためである。

 

<大凍>(マダルト)

 

 ルプスレギナが魔法を発動した直後、蒼鬼獣魔(グレーターデーモン)の嗄れた奇怪な声が呪文を詠唱し、氷の礫が銃弾となってプレアデス達に襲いかかる。

 ゲームであればプレアデス全員にまんべんなく、しかし乱数による不均一なダメージを与える攻撃魔法の処理は、現実となった世界では多少その働き方が異なっていた。すなわち、先頭に立って背後を庇い、氷の嵐の正面から直撃を引き受けたユリがその威力の大部分を引き受け、後方の妹達へのダメージを最低限に逸らしたのである。そして、アンデッドであるユリ・アルファは冷気属性に対する高い耐性を持ち、冷気に弱いエントマには防御魔法をかけて属性ダメージを無効化した。結果、蒼鬼獣魔(グレーターデーモン)の攻撃魔法はその威力の殆どを殺され、ナーベラルとシズがそれぞれ僅かなダメージを負うに留まった。

 その間、集団から飛び出したソリュシャンが、攻撃呪文を放った蒼鬼獣魔(グレーターデーモン)の硬直を狙って飛びかかり、細身の小剣を眼窩に突き込んだ。蒼鬼獣魔(グレーターデーモン)が痛みに仰け反るのも構わず小剣に捻りを入れて頭蓋の中身を抉ると、蒼い悪魔はどうと地面に倒れ伏す。それと同時に、シズが膝射の姿勢から放った銃弾が、もう一体の蒼鬼獣魔(グレーターデーモン)の口蓋に飛び込んだ。その後も物理的には不自然なレベルで暴れ回った銃弾が体内を蹂躙してその生命を奪い、棒立ちになって痙攣した蒼鬼獣魔(グレーターデーモン)の体が燃え上がって消滅する。

 蒼鬼獣魔(グレーターデーモン)は残り二体。その時未だ動きを見せていなかった悪魔王(アークデーモン)が魔法の詠唱を始めたのを見て、エントマも動いた。倍ほどにも膨れあがった左手の指を悪魔王(アークデーモン)に突きつけると、その腕から百匹を超す数の鋼弾蟲が高速で飛び立った。

 しかし、ガトリングガンを思わせる轟音を発して殺到した鋼弾蟲は、悪魔王(アークデーモン)へと至る射線上に立ちふさがった蒼鬼獣魔(グレーターデーモン)に受け止められる。蒼い悪魔の体を文字通り削り取ってその生命を奪い、見る影もなくなった異形の巨躯が燃え上がる。が、悪魔王(アークデーモン)を庇うという目的は果たされ、エントマの攻撃は完全に防がれた。

 残る一体、詠唱を中断させられた蒼鬼獣魔(グレーターデーモン)が体勢を立て直し、その腕の鉤爪を振りかざして襲いかかってくるのを、先頭に立つユリが受け止める。彼女が悪魔王(アークデーモン)への対抗措置を指示する間もなく、緑の悪魔の呪文が完成した。

 

<窒息>(ラカニト)

 

 甲高くひび割れた不快な声が死の呪文を紡ぐと、部屋の中央に魔法の力場が展開され、周囲の酸素を奪って消失した。直接攻撃を仕掛けた蒼鬼獣魔(グレーターデーモン)ごと巻き込む冷酷さで、集団から離れているソリュシャン以外を効果範囲に収め、中の生物を酸欠で窒息させんと牙をむく。

 

「……!? 皆!」

 

 ところでアンデッドのユリは、呼吸が不要なのでこの呪文の影響を一切受けない。眼前の蒼鬼獣魔(グレーターデーモン)が元々蒼い顔色を紫に変色させて悶え苦しむのを見たユリが驚いて振り返ると、同じく呼吸不要の自動人形(オートマトン)であるシズ以外の三人、ルプスレギナとナーベラル、エントマが顔色を青くして膝をついていた。背後の蒼鬼獣魔(グレーターデーモン)が絶命して燃え上がるのにも構わず、ユリとシズが苦悶の表情を浮かべる三人に駆け寄って抱き起こそうとすると、ナーベラルが震える手を上げた。

 

<魔法無詠唱化(サイレントマジック)()竜巻>(トルネード)

 

 空中に発生した竜巻が部屋の中の空気を強引に攪拌し、魔法範囲外から酸素を持ってくると、三人の顔に赤みが差した。ホッとしかけるユリに、咳き込んだナーベラルの叱咤が飛んだ。

 

「姉様、前を!」

 

 ハッとしたユリが拳を構えて向き直ると、炎の鞭を構えて近寄ってくる悪魔王(アークデーモン)の姿が視界に入る。間合いが詰まる前にルプスレギナとエントマが支援魔法を唱える。そして強化(バフ)をかけられたユリが、<挑発>(タウント)のスキルを放ち、魔法詠唱者(マジック・キャスター)に向きかけた悪魔王(アークデーモン)の注意を強引に引き戻した。その間に、ソリュシャンとシズが<潜伏>のスキルにより姿を消す。逃げ出したわけではなく、敵の死角に潜み不意を突いて効果的な一撃を与える為の下準備である。

 

「……ッ!」

 

 悪魔王(アークデーモン)が鋭く腕を振り下ろすと、その手に握られた炎の鞭の先端が、数倍のスピードとなってユリに叩きつけられる。ガントレットをクロスさせて衝撃に耐えるユリが、歯を食いしばって顔を苦悶に歪めた。冷気には強いユリだが、その分火には弱く、悪魔王(アークデーモン)の武器とは相性が悪い。

 

『とりあえず、雑魚は片付けてボスのタゲは取れたか……悪魔王(アークデーモン)の方がレベルが高い以上、気を抜けば(タンク)が抜かれるぞ。お手並み拝見というところか』

 

 防御の上からでもがっつりと削られるユリの体力は、注意して管理しないと容易くゼロになるであろう。ルプスレギナが様子を見ながら回復魔法を飛ばす。ナーベラルとエントマが、バフを維持しつつ、悪魔王(アークデーモン)のヘイト状況を見て攻撃魔法を放つ。悪魔王(アークデーモン)の注意が逸れたところを、ユリが再び<挑発>(タウント)のスキルを放って自身に注意を引きつける。

 シズが不可視状態から不意を突いて狙撃する。その攻撃で、悪魔王(アークデーモン)は再びシズの存在を意識に乗せるが、最初の一撃は不意打ち扱いとなりその効果が高まる。体勢が崩れたところにソリュシャンが同じく奇襲をかける。不意打ちによって向上されたダメージはなかなか馬鹿にはならない。逆に言うと、その手の小細工抜きではタンク向けのステータスである粘体(スライム)族がダメージソースとなることは難しいのだが。

 ともあれ、基本的な戦闘の形は完成した。戦闘メイド(プレアデス)側にとってはこれが理想型だ。敵の攻撃を盾役(タンク)が受け、回復役(ヒーラー)がタンクの戦闘能力を維持する。攻撃役(アタッカー)が敵のHPを削り、特殊役(ワイルド)が手の足りない部分を補助し、突発事態にも対応する。モンスターのヘイトという概念が実装されたMMOの流れを汲むRPGでは一般的な戦闘の形である。探索役(シーカー)は牽制したりアイテムを使用したり小技的な役割に留まるが、本来戦闘以外の部分がメインの役どころなのでこれは仕方がないところである。むしろソリュシャンは暗殺者(アサシン)系技能を活かして頑張っている方だ。

 

『しかし、ヘイトという奴もこれでなかなか不思議なものだな。理性的に考えれば、がむしゃらにタンクを攻撃するのではなくヒーラーを集中攻撃して潰すべきだというのはAIでない人間には誰にだって分かる理屈なのに、そこはゲーム同様にスキルによってタゲ取りをされてしまう……私も死の騎士(デス・ナイト)のタゲ取り能力には世話になったものだ……ゲーム時代も、転移してからも』

 

 アインズは伝える気のない独り言を呟きつつ、冷静に戦闘の様子を観察する。戦闘メイド姉妹(プレアデス)の面々は、全員が一つの生物になったかのように、有機的な連携を構築している。転移前はゲームの中ですら実戦に投入された経験がないことはアインズの懸念材料であったが、彼女達の動きに澱みはなく、連携に齟齬もない。

 

『ふむ、十分にやるではないか。腐っても姉妹ということか? いや腐ってもは言葉の綾だけど。ザイトル……なんだっけか、あのオバケトレント戦で守護者達が見せたのは、要するに順番に攻撃してるだけですとでも言うしかない連携と言うには拙いものであったが……結局は、個々でも圧倒できるだけの実力差があったのがいかんのかなやはり』

 

 戦闘メイド姉妹(プレアデス)の面々も、相手がワンパンで死ぬ雑魚では、そもそも今のような連携が可能なのかどうか見定めることはできなかったであろう。そして、転移後世界における現地産のモンスターでは、今のところは彼女達が苦戦できるほどの強敵は確保できていないのだ。無論、現地での実力者も居るには居るが、将来の仮想敵候補に練習相手になってくださいと頼むわけにも行かない。アインズが苦心して、プレアデスの本気を見定める機会を設けた意味がそこにあった。

 

『とりあえずは満足するに足るものを見せて貰ったが……せっかくの機会だ、アクシデントへの対応も見るとしよう。憤怒の魔将(イビルロード・ラース)よ……悪魔王(アークデーモン)に全力でユリを攻撃し、戦線から脱落させるよう命じよ』

 

 憤怒の魔将(イビルロード・ラース)が了承の意を込めて頷き、なにやら念じると、悪魔王(アークデーモン)の体から黒いオーラが吹き上がったように思えた。

 

「む、みんな気をつけ……!?」

 

<爆炎>(ティルトウェイト)

 

 右手の鞭でユリと打ち合いながら、左手に魔力を蓄積させた悪魔王(アークデーモン)の様子にユリが注意を喚起するも、妹達がそれに反応するよりも早く悪魔の呪文が完成する。

 瞬間、悪魔王(アークデーモン)とユリの間、互いの眼前で大爆発が起きた。

 

「ユリ姉様!?」

 

 悪魔王(アークデーモン)が行使しうる最大の攻撃魔法の直撃を受け、ユリがたまらず吹き飛ぶ。荒れ狂う爆風に殆ど水平に吹っ飛んだユリは、部屋の端、迷宮の岩壁に叩きつけられ肺から空気と悲鳴を吐き出した。自爆覚悟で攻撃魔法を眼前に展開したかと思われた悪魔王(アークデーモン)は、しかし自身の前方に魔法障壁を展開して爆発の影響を極めて軽微なものにとどめている。自身の魔法耐性を十全に生かした大胆な戦法である。

 

「く、この……爆散符ぅ!!」

 

 時間を稼ぐべく、エントマが投げつけた符が悪魔王(アークデーモン)の眼前で激しい爆発を引き起こす。だが、エントマが不穏な台詞を(やったかと)口にする間もなく、その爆発をあえて無視した悪魔王(アークデーモン)が右手を上に掲げると、間髪入れずに振り下ろす。その手に持った炎の鞭が唸りを上げ、鎌首をもたげた蛇が獲物に飛びかかるかのように、ひびの入った壁からよろめきながら身を起こしたユリに襲いかかる。ユリが構える間もなく、炎の鞭は彼女の胴体に巻き付いてその自由を奪い、ここぞとばかりに燃え上がって彼女の体を灼いた。

 

「か……は……!」

 

「ユリ姉様!?」

 

 ユリの口から苦悶が零れる。それを耳にした妹達から悲鳴が上がった。

 

『さて、これで均衡が崩れたわけだが……事故でタンクが落ちることはよくあること、このまま崩れるようではいただけないな』

 

 戦況を眺めるアインズが呟く。悪魔王(アークデーモン)はその意に従い、ヘイトの解放されたユリから目線を切って、残りのメンバーを切り崩しにかかる。

 

「いけない……ルプス、ユリ姉様を!」

 

 ソリュシャンが両手に短刀を閃かせて悪魔王(アークデーモン)に躍りかかる。悪魔王(アークデーモン)は落ち着いて腰の剣を抜き放ちそれを迎え撃つが、その間にルプスレギナが壁際に転がったユリの下へ走る。隅に潜んで機を窺っていたシズも、隠形を放棄し彼女を手伝うために駆け寄った。

 

『ルプスレギナは当然ユリの回復にまわるから、残る前衛はソリュシャンだけだ。暗殺者(アサシン)ビルドの彼女一人ではユリの代わりは務まらない……む、ほうほう、そうくるか』

 

 粘体(スライム)はタンク向きのステータスを持つ種族なので多少はマシだが、探索役(シーカー)のソリュシャンに盾役(タンク)が務まるはずもない。一人では容易く悪魔王(アークデーモン)に蹴散らされるであろう。だがそうなる前に、後衛のナーベラルが防御魔法をかけつつ進み出るのを見てアインズは感心したような声を上げた。

 

<鎧強化>(ソピック)! ……加勢するわ、ソリュ!」

 

「助かるわ、ナーベ! 挟み込んで時間稼ぎお願い!」

 

 一人では務まらないが、二人でなら話は別だ。ソリュシャンとナーベラルは悪魔王(アークデーモン)を挟み撃ちにし正面に相対する方が防御、背を向けられた方が攻撃するという戦法をとった。攻撃する側もあくまで牽制であり、目的は時間稼ぎである。

 悪魔王(アークデーモン)が苛立ったように長剣を振り回すが、粘体(スライム)のソリュシャンは軽装甲だが斬撃に高い耐性をもつ。切り裂かれた肉体が瞬間的にぱくりと口を開くも、血の一滴すら流すことなく再び閉じる。埒があかぬと見た悪魔王(アークデーモン)は振り返ってナーベラルに斬りかかるも、ウォー・ウィザードであるナーベラルは魔力系魔法詠唱者(マジック・キャスター)らしからぬ重装甲を纏った上に、それを魔法で強化している。メイド服の上を覆う金属の装甲の表面を剣が撫で、甲高い音を立てた。怒濤の連撃に頬、肩、二の腕などから血飛沫が舞うが、厚い装甲に保護されていずれも浅手である。エントマが強化(バフ)とアイテムによる治療でフォローし、決定打には至らない。

 

「ソーちゃん、ナーちゃん、お待たせっす!」

「ナーベラルご苦労、下がって!」

 

「姉様! よかった……!」

 

 そして決定打を与えられぬままに、全身の火傷を治療されたユリがルプスレギナと戦線に復帰した。悪魔王(アークデーモン)は舌打ちするも、それを見ていたアインズは満足げに頷いた。再びユリが挑発(タウント)でヘイトを集め、元通りの陣形を取り戻すのを見て呟く。

 

『ふむ。突発事故(アクシデント)からのリカバリも成功か。まずは上々の結果と言ってもよかろう。……憤怒の魔将(イビルロード・ラース)、よくやった。悪魔王(アークデーモン)は主命を十全に果たしたのだ。私はお前を誇りに思うぞ』

 

 アインズの言葉を受けた憤怒の魔将(イビルロード・ラース)の感激が、召喚主との繋がりを通して悪魔王(アークデーモン)にまで伝わったであろうか。プレアデスの陣形を再度崩すこと叶わず、ナーベラルの魔法によって止めを刺され、体を崩しながら虚空に燃え尽きる悪魔王(アークデーモン)の顔には、笑みが浮かんでいた。

 

『さてと。本来十階層には“大魔導師アグノモン”の親衛隊として、六つのチームを六つの玄室に配置する予定だったが……今回は止めにしておこう。試したかったことは今の戦闘で確認できたし、繰り返すだけプレアデスの精神を無駄にすり減らすことになりそうだ』

 

 別に私はプレアデスを苛めたいわけじゃないからな。悪魔王(アークデーモン)の撃破後、キャンプを張って姉妹の治療をするルプスレギナを見下ろしながらアインズはそう呟いた。プレアデス達が円陣を組んで気合いを入れ、出発するのを見守る。

 

 続く玄室が無人であることを訝しみつつも、おっかなびっくりプレアデス達が最後の扉に辿り着く。扉の上部には額縁にこんな言葉が書かれていた。

 

 *** 邪悪な魔導師アグノモンの事務所 ***

 *** 営業時間09:00~15:00 ***

 

「……シズ、今何時か分かる?」

 

 胡散臭そうな目つきで看板の文字を読み取ったユリが、目を外さずにシズに尋ねると、自動人形(オートマトン)の少女は無表情に返答した。

 

「…………現在十六時二十七分。部屋の主は不在と推定」

 

 その声を聞いて、ルプスレギナが不審そうにノブに下がった札をつまみ上げる。形状としてはホテルの“Don'tDisturb”カードである。

 

「……でも、この札は“在室中”になってるっすよ? 裏が“不在”なんだから居るってことじゃないっすか?」

 

「まあ、とにかく……主が居ようが居まいが、入ってみるしかないでしょうね」

 

 ソリュシャンがまとめると、一同は頷いた。

 なんとなく蹴り開けるのは躊躇われたが、さりとてノックするのも何か違う。中途半端な気分で恐る恐るノブを回し、扉を押し開ける。

 部屋の中は事務所という感じはしない。一言で言うと、謁見の間というのが相応しく思えるその広間は、扉をくぐった正面から奥まで、石造りの広間を縦断する絨毯が延びている。その奥の際には二段の段差による高低差がつけられており、三十センチ高いその上座には大理石の玉座が据え付けられていた。広間の左右端には下級吸血鬼(レッサー・ヴァンパイア)が儀仗兵の如く直立不動で整列しており、部屋の主は玉座に腰掛けて、この部屋に辿り着いた一同を見下ろして居るのであった。

 

「――我が地下迷宮の最深部へようこそ、冒険者諸君。私がこのダンジョンの主、“大魔導師アグノモン”である」

 

 泣いているとも笑っているとも窺い知れぬ不気味な仮面で素顔を隠し、漆黒のローブに身を包む魔法詠唱者(マジック・キャスター)。その手には魔法使いには似合わぬ無骨な小手(ガントレット)が被さっており、その小手が拗くれた木の(スタッフ)を弄んでいる。

 大魔導師アグノモンと名乗ったその人影は、全体的に、その昔どこかの開拓村に現れた謎の魔法詠唱者(マジック・キャスター)そっくりだった。

 

 

 




《コントラ―デクストラ―アベニュー》
 迷宮の主から投げかけられた、地下10階を攻略するためのヒント(※1)。
 結論から言ってしまえば、「左が正解」という程度の意味であり、各玄室に必ず二つある(※2)ワープゾーンの先に進む方を教えてくれるアドバイスである。
 より詳細に解説するなら、(CONTRA)非・付属物(DEXTRA)(AVENUE)となり、付属物ではない方の逆を辿れ、と読み解くことが出来る。一応謎かけなのでわざとややこしく表現されているが、付属物とは一般的に身につけている装備品のことを指すと解釈される。ここまで来た冒険者達は両手に剣と盾を装備しており、右手に剣を、左手には(付属品)を装備しているだろう(※3)。右手に持った剣(付属物ではない方)の逆、すなわち左手が正解の道ということである。

※1:謎かけを解くよりマッピングする方が遙かに早い。というか当時作者は唐突に出てきた横文字の意味が分からず、フレーバーテキストの類と見なして完全に無視したという逸話がある。まさかあれがリドルの類だったなんて思わなかったよ……
※2:もう1個は最初に戻るだけなので、ゲーム的に言えば多少の手間がかかるだけであり、マッピングした方が(ry)
※3:敢えて右手に盾を持つ、某世界でモンスターを狩るハンター達は謎解きを真に受けると永遠に奥に辿り着けないことになるが……あの連中ならこんな文言は無視してめくらめっぽうに奥まで突撃するだろうから逆に問題はないのかもしれない。

蒼鬼獣魔(グレーターデーモン)
【建前】
 初期Wizの顔と言っても過言ではないWizardryを代表する凶悪モンスター。
 名前の通り、上位(グレーター)悪魔(デーモン)の名に相応しい数々の強力な能力を持つ。通常攻撃から引き起こされる毒と麻痺の状態異常。第五位階までの魔術師魔法を使いこなし、特に大凍(マダルト)の連射によるPT全体へのラッシュは体力の低い後衛を容易く屠る。一方で冒険者の魔法を95%の確率で無効化する高い魔法抵抗力。異界から仲間を呼び増殖する極めて厄介な習性。一人前(マスターレベル)に到達した程度の冒険者でも、複数居たら逃げるが上策のまさに猛者。
【本音】
 一方で、頭のおかしい廃人達にとっては全く別の意味でWizを代表するモンスターである。
 クリティカルヒットやエナジードレインなどの、致命的な効果を持たない通常攻撃。静寂(モンティノ)が5%も通る可能性がある()()()魔法抵抗力(※4)。頻繁に仲間を呼ぶ一方で、逃走はしない思考ルーチン。比較的高めの経験値。
 ここで重要になるのは、呪文の封印効果は敵グループ間で共有されるというシステムである。つまり、呪文を封じられたグレーターデーモンが呼ぶ仲間は、出てきた瞬間から呪文が封じられているのである。ここまで言えばお分かりだろうか。このモンスター、「養殖」と呼ばれる経験値稼ぎに最適であるとして、廃人級冒険者により積極的な狩りの対象に選ばれる絶滅危惧種(レッドデータアニマル)なのである。変異(ハマン)静寂(モンティノ)で魔法を封じると、彼らに出来ることは仲間を呼ぶこと、発動しない呪文を唱えること、通常攻撃で毒麻痺を与えることがせいぜいである。呪文を封じたグレーターデーモンをダルマにしてブタのような悲鳴を上げさせ、たまらず仲間が救出に来たところを虐殺する……もはやどちらがモンスターか知れたものではないが、こうして積み上げられたグレーターデーモンの屍の数が通算四桁に達することは珍しくもない(※5)。

※4:四匹で現れた蒼鬼獣魔(グレーターデーモン)を前衛が一人一殺する間に戯れに唱えた静寂(モンティノ)が効いちゃったから今日は予定を変更して養殖しよう、という話はまれによくある。
※5:撃破数で上回る可能性があるのは、Aボタンを物理固定して放置するという後のBOTの走りみたいな稼ぎ方ができるマーフィーズゴースト先生くらいである。

悪魔王(アークデーモン)
 ……初見がLOLだったプレイヤーなら、なんか弱っちくて影薄いんだよなあという作者の素直なイメージに共感して貰えると思います。
 蒼鬼獣魔(グレーターデーモン)より上位の魔力系魔法と、おまけに信仰系魔法までつかいこなす高位の魔法詠唱者(マジック・キャスター)なのだが、呪文無効化率は低いのでLOLではお休みの蒼鬼獣魔(グレーターデーモン)の代わりに養殖相手として選ばれることもある。

大凍(マダルト)
 魔力系第五位階魔法(様式美)。
 位階が上がる毎に順調に強くなってきた攻撃魔法であり、次の位階では普通の攻撃魔法が存在しないことも合わせて、最大の攻撃魔法である爆炎(ティルトウェイト)を覚えるまでの主力となる魔法。爆炎(ティルトウェイト)を覚えてからも、貴重な第七位階の魔法使用回数を節約する為の代替手段として出番は多い。設定上は凍てつく冷気の嵐を起こす魔法であるが、Wizでは属性の概念が薄いため、相手の属性防御力によって使い分けるという意味はない。

窒息(ラカニト)
 魔力系第六位階魔法(ry)。
 効果範囲中の酸素を消滅させ範囲内の敵を窒息させる即死魔法であり、通常のダメージを与える攻撃魔法とは処理が異なる。酸素を奪うという説と空気を奪うという説があるが、真空状態の処理が入ると考えるのが面倒なので酸素説を採用。
 言ってしまえばザラキなのだが、ザラキよりはあてになるのでそんな言い方は失礼か。この呪文の大きな特徴として、この呪文を覚える頃にはそれを持ったモンスターがぽこじゃか沸いてくる、呪文無効化能力を無視できるという特性がある。要するに通常の攻撃呪文を無効化する敵にも即死判定が入る。ただ、即死系呪文というのは敵が使うと厄介極まりないが、味方が撃っても無傷で残る数体が必ず出るために、決定力に欠ける印象があって不憫である。

爆炎(ティルトウェイト)
 魔力系第七位階魔法(ry)。
 Wizardry作中最強の攻撃力を誇る全体攻撃呪文。
 敵の中心で核融合爆発を引き起こして全体に大ダメージを与えるという物騒な設定があったりするが、放射線による二次災害などが起こったりする心配はない。爆発なのだから火属性かと思いきゃ、立派な無属性攻撃である。前述したようにWizに属性の概念は薄いので意味はないが……このSSではルプーがユリに当然の如くかけていた、火属性無効化(エネルギーイミュニティ・ファイヤー)を貫通するという点でおおいに意味があった。
 ともあれ、呪文による攻撃の威力は作中最強のこの魔法を覚えた時点で打ち止めである。以降はレベルを上げて物理で殴る前衛職にぐいぐいと追いつかれ追い抜かれ引き離されていく運命にあるが、前衛職の攻撃はあくまで単体対象なのでまあそこまで悲嘆に暮れる必要はないだろう。

透明(ソピック)
 魔力系第二位階魔法(ry)。
 使用者の体を透明にすることでACを4下げる防御呪文。
 ただし、他人にかけられない為、後衛の魔法使いが自分のACを下げることに意味はなく、戦士でもある侍が前衛で唱えたところで、元々防具で十分なACを稼いでいるのにわざわざ行動を消費するほどの価値があるかというと……

《ワードナの事務所》
 AM9:00~PM3:00という一見ホワイトな労働環境に見えて、その実態は二十四時間態勢でワンオペ在室中であるという、ブラック極まりない引き籠もりの巣。
 実際には時間ではなく「ワードナを倒した証」(魔除けor階級章)の所持を判定しているだけであり、二度は謁見できないシナリオボス感を演出している。



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最下層:大魔導師アグノモン

 
 ワードナだと思った? 残念、ダイアモンドドレイクでしたー!!

 ……なに、最下層は地下十階じゃないのかだって?
 ワードナの玄室の下には世界の真実に迫る秘密を隠した地下十一階が存在するのだ。



「……えーと、アイン――」

 

「お待ちなさいルプーッ!?」

 

 ばちーん。

 考え無しの台詞を吐こうとしたルプスレギナの頬をナーベラルが引っぱたいてそのまま挟み込んだ。何処かで見たような光景である。涙目になって無言の抗議をするルプスレギナを無視して、ナーベラルが代わりに口を開いた。

 

「ええと、アグノモンさ――ん。この地下迷宮はここでゴールということでしょうか」

 

 大魔導師アグノモン――改め、魔導王アインズ・ウール・ゴウンは仮面の下で苦笑した。

 

「ああ、いや……私の気配が見えるお前達につまらぬ猿芝居を強要して済まないな。詮無き遊び心は終わりにしておこう、アインズでいいぞ」

 

 そう言って変な仮面をあっさりと外したアインズの言葉を聞き、これでは完全に殴られ損だとルプスレギナがジト目で睨んでくるのを、ナーベラルは目を逸らして誤魔化した。

 

「最下層の親衛隊(ガード)達を始め、予定より端折った部分は多いが……この迷宮のテストプレイとしてはまさしくこれでお終いだ。ご苦労だった――と言いたいところだが」

 

 労いの言葉を受けて一礼しかけた一同が、その台詞に怪訝そうな顔を向ける。アインズはコホンと咳払いをしていった。

 

「ここに控えるのは本来ダンジョンのラスボスだ。そこで私も、お前達にひとつ最後の試練を出そうと思う。私と戦闘(ゲーム)をしようではないか」

 

「ゲーム、でございますか?」

 

 ソリュシャンの相槌に、アインズは頷いた。

 

「実戦ではない、戦闘訓練だと思って貰いたい。私とお前達の模擬戦だ」

 

 勿論、レベルがアインズの半分しかないプレアデス達が、一対六だろうとまともにぶつかってアインズに勝てる道理はない。そもそも、シモベですらあれほど戦うのを嫌がったプレアデス達が、徒にアインズに刃を向けることを肯んじる筈もなかった。

 尤も、()()ということであれば話は別だ。先程も確認したように、シモベ達が持つアインズに対する敵対行為への拒否反応には抜け道が存在する。そのための模擬戦である。

 

「ルールは簡単。ひとつ、私にダメージを通せば、その時点でお前達の勝ちだ。どうせお前達の攻撃の九分九厘は私に届かぬ、遠慮せずにかかってきて良いぞ」

 

 アインズが常時展開する下位レベルの攻撃を無効化するバリア――「上位物理無効化Ⅲ」と「上位魔法無効化Ⅲ」を突破できるレベルの攻撃は、プレアデス達のレベル帯では殆ど存在しない。ほぼ唯一に近い例外が、ナーベラルないしはルプスレギナの操る高位階の攻撃魔法であり、それをどうにかして私に当ててみせろ、アインズはそう言っているのである。

 

「ふたつ、お前達が全員行動不能になればそこでお前達の敗北だ。無論それなりに加減はするし、ハンデとして殺すのではなくあくまでも行動不能にする。逆に、万が一お前達をうっかり殺してしまった場合は私の敗北――お前達の勝利と見なすことにしよう」

 

 そもそも可愛いお前達を殺すとか、考えたくもないからな。そう言って腕を組むアインズに、プレアデス達は感激して頭を下げた。

 

「勿体ないお言葉です、アインズ様。……つまりは私達に、最後に稽古をつけてくださるということでしょうか」

 

 ユリが両手を胸の前で握りしめてそう言うと、アインズはうむと頷いた。アインズの狙い通り、模擬戦ということならばアインズに害を与えることに対する拒否反応は働かない模様である。

 

「そう理解して貰って結構だ。そして、お前達の頑張り具合に期待させて貰うための朗報だ。万一勝利条件を満たしたときは勿論、全滅まで何秒耐えられたかによって褒美を出そうではないか。内容はお楽しみだ……でもまあ、先程お前達を釣ろうとした思い出話とかもいいかもしれないな」

 

 先程の話とは、至高の御方々の思い出話をしてやろうかと言ったことに他ならぬ。その言葉を聞いて表情が引き締まったプレアデス達の顔を見て、アインズは満足そうに頷いた。

 

「――やる気が出たようで何よりだ。では、準備ができたら教えてくれ」

 

「はっ、少々お待ちください」

 

 プレアデス達は視線を交わして頷き合った。この期に及んで言葉は要らぬ。そのまま思いつく限りの強化魔法(バフ)をかけていく彼女らの様子を、椅子に腰掛けたアインズは黙って見守る。

 

「お待たせ致しました、アインズ様。準備が整いましてございます」

 

 ピーカブースタイルの構えを取ったユリがそう宣言すると、アインズはゆっくりと玉座から立ち上がる。その一挙手一投足を六対の眼差しが凝視するのを感じながら、口を開いた。

 

「うむ……では――」

 

 アインズが杖を構えると、ナーベラルがその姿に魔法を行使しようと自身の杖を向け――

 

 <魔法無詠唱化(サイレントマジック)()時間停止>(タイムストップ)

 

 次の瞬間、背後に現れた至高の御方の気配に息を呑んだ。

 

「始めるとしようか――<石化>(ペトリフィケーション)

 

 その呪文を聞いた瞬間、ナーベラルは背中に当てられた主の手から伝わり、己の心臓を止めて全身に広がっていく冷気の感触に身を震わせ――石像となって完全に沈黙した。

 アインズが自身で提示した条件を考えると、まず危険なのは当然ながらナーベラルであり、次いでルプスレギナとなる。この二人はそれぞれ、<上位魔法無効化Ⅲ>を突破しうる高位階の魔力系・信仰系の攻撃魔法を習得している。両方同時に動かれるとかなり面倒なことになるので、開幕直後の時間停止からナーベラルを封じさせて貰った。勿論、ルプスレギナの方を封殺すればそのままゲームオーバー半歩手前まで持ち込むことが可能だが、別に彼女達を問答無用で蹂躙することが目的ではないので初手はこのくらいが妥当なところだろうとアインズは考える。

 

<不死者の接触>(タッチ・オブ・アンデス)

 

 アインズが呪文を唱えると、黒い靄が骨の手を覆った。毒や麻痺等の状態異常をもたらすこの魔法を準備しておくことで、接近戦に来るプレアデス達を牽制することができるだろうと考えてのことである。

 

(さて、ここからどうする?)

 

 セオリーから言えば、ルプスレギナがナーベラルを治療することになるだろう。その間の時間稼ぎとして他の姉妹がアインズには通用しない攻撃を放ってくるだろうか? それとも、どのみち地力が違いすぎるのだ、一か八かの短期決戦を狙ってルプスレギナが仕掛けてくることも警戒しておかねばならない。

 

<吹き上がる炎>(リトカン)

 

(ほう……?)

 

 だが、アインズの予想は外れ、ルプスレギナがアインズの防御を突破できぬ攻撃魔法を放った。アインズの足下から炎が吹き上がり、火柱となってそそり立つ。対応すべき攻撃へ対処する余力を残しておきたいアインズとしては、スキルで無効化できる攻撃魔法に対応する必要は無いものと考えてそれを無視する。

 アインズがルプスレギナに接近戦を仕掛けるため踏み出そうとしたその瞬間、銃声が響く。空気を切り裂いて飛来した銃弾が、アインズの足下、足ではなくそれが踏むべき床をえぐり取り、空を踏みしめたアインズは思わずたたらを踏んだ。

 

(む……!)

 

 アインズにダメージを与える手段を持っていないとしても、それがこの場に於いて何も出来ないことを意味するわけではない。ユグドラシルであれば破壊不能オブジェクトであった床面も、現実化したこの異世界においては容易く変えられる地形である。足場を破壊してアインズの体勢を崩そうとする試みにまんまと引っかかりながらも、アインズの顔には思わず笑みが浮かんでいた。

 

(その調子だ、なかなか考えているではないか)

 

 ユグドラシルではありえない戦法を取ること、それ自体が彼女達が今まさに知恵を絞っているその証である。アインズにはそれが嬉しく誇らしい。自身を未だ包む火柱も、攻撃することが目的なのではなく、視界を塞ぐことが目的なのだろう。単純に強い魔法で攻撃しても防がれるだけだと理解していて、手順を踏もうとしているのだ。

 アインズが姿勢を直す間に、アンデッドが走り寄ってくるのを視覚に依らない己のスキルで検知する。当然、プレアデスの中で唯一のアンデッドであるユリだろう。

 

(タンクであるという以前に、アンデッドであるユリならば、私の<不死者の接触>(タッチ・オブ・アンデス)によってもたらす状態異常に耐性があるからな。ユリが来るのは正しい判断だ。しかし間違ってもいる。私はスキルによりアンデッドの居場所を探知することができるから、視界を塞がれていても不意を突くことは出来ないぞ)

 

 とはいえ、<不死者の接触>(タッチ・オブ・アンデス)ではユリを止めることは出来ないため、別の手段を用いる必要がある。アンデッドであるユリにも通じる状態異常と言えば、やはり石化だろうか。先程ナーベラルに使用したのと同じ魔法を準備し、迫ってくるアンデッド反応に対して突きつける。

 

<石化>(ペトリフィケーション)

 

 魔法が放たれるとほぼ同時、吹き上げる火柱の効果時間が終了して火勢が弱まり、アインズの視界が回復する。最初に目に映ったのは、真正面まで迫ったアンデッドの石像であるのは予想通りだった――その姿が、ユリ・アルファとは似ても似つかぬ下級動死体(ゾンビ)のものであることを除けば。

 

「――はぁ!?」

 

 アインズの口から驚きの叫びが漏れる。正面に抱きかかえていた石像を放り出し、その背後から飛び出してきたユリの姿を目にしてようやくアインズにも合点がいった――ルプスレギナの<不死者創造>(クリエイト・アンデッド)動死体(ゾンビ)を呼び出し、盾としたのだ。視界を塞いだのも、アインズがスキルでユリを探知するのを見越した上で、重なったアンデッド反応を誤認させるためだったのだ。<吹き上がる炎>(リトカン)を放った後は、さすがにルプスレギナはナーベラルの治療に向かうだろうとアインズが思い込んでいたことも、結果から見れば良い目くらましになっていたと言える。勝利条件上の二本柱の一つであるナーベラルを捨てて攻撃に走るとは、大胆すぎてアインズには未だに信じられないのだが。

 

「ご無礼します、アインズ様!!」

 

 そんな思考がアインズの脳裏を千々に乱した刹那、低い姿勢からタックルを仕掛けたユリが、アインズの腰に抱きついた。正面から組み付いたと思ったその瞬間、切り返し(スイッチバック)でアインズの背後に回った鮮やかな体捌きは、一瞬状況を忘れて見惚れてしまう程であったが、当然彼女はそこでは止まらない。

 

「どっせーいっ!」

 

 ユリが背後からアインズの腰に腕を回して両手をクラッチすると、そのままブリッジの要領で反っくり返った。これは、ジャーマンスープレックス・ホールド――! 半回転する自分の視界を眺めながら、アインズはまるで他人事のような感慨を抱いた。それなりに衝撃を受けた感触と共に視界が激しく揺れたのだが、無論アインズに一切ダメージは入っていない。有効な殴打属性の範疇に含まれる攻撃ではあるが、アインズのスキルを突破するほどのレベルが無いのだ。

 とはいえ彼女もそれは重々承知、ここまでの一連の流れは全て、アインズを拘束することが目的である。さてここからどう反撃するか――そのような思案を巡らす逆さになったアインズの目に、さらに予想外の光景が飛び込んでくる。

 

「ナーベラル……!」

 

 ソリュシャンに抱きすくめられたナーベラルが、石化を治療されたところであった。ソリュシャンが所持する<大治癒>(マディ)巻物(スクロール)を発動させたことは想像に難くない。光景から逆算すればそのことは明らかであったが、実際に目にするまでは、アインズにとってその可能性は意識の外にあった。ソリュシャンが持つ回復の巻物(スクロール)は、パーティーの回復役(ヒーラー)であるルプスレギナに変事があった時用のとっておきだという思い込みがあったからである。彼女達も、そんなことは言われずとも分かっている。あえて、アインズの意表を突くために役割をずらしたのだ。その行為にどれほどの価値があったのかは、こうして結果が示している――虚を突かれたアインズが天地を引っ繰り返っているそのざまが。

 目の焦点が合ってきたナーベラルの耳元でソリュシャンが一言囁くと、ナーベラルはアインズの方を視認して素早く頷いた。離れた所で杖を構えるルプスレギナと二人、魔力が集まっていくのを感じる。これはいかんと、アインズは自分が使用すべき魔法を考えながら身を起こそうとする。

 

「へぶっ」

 

 ばたばたばた。

 その時、風を切って飛来した大量の札が、アインズの顔に張り付いた。思わず変な声を上げたアインズの視界に広がるのは、エントマがばらまいた<禁呪符>。沈黙の状態異常を与え詠唱を妨害する効果をもつサポート札だが、レベル的にも耐性的にも、アインズに効果を発揮するかどうかは心許ない物がある。

 

(無論、ここで俺の詠唱さえ封じてしまえばあの二人の魔法で決着がつくわけだが――そうなれば御の字だが、ならずとも構うまい。これは囮だ)

 

 アインズは冷静に視界の隅に映る蜘蛛の糸を見つめた――某覆面蜘蛛男の如く、エントマの手首から発射されてユリの背中に張り付いた釣り糸を。二人の攻撃魔法の範囲からユリを釣り上げて救い出し、アインズを挟み込む算段だろうが、そうはいかない。

 

(むしろ、本気でやるなら死なない程度にユリごと巻き込むべきだったな――その加減は見極めが難しいし、姉ごと攻撃するのを躊躇するのもまあ分かるが)

 

 その判断ミスには大きな代償を支払わねばならないな。アインズはそう胸中で呟くと、素早くユリの足に己の足を絡めて引き寄せると、彼女の体をがっちりと抱きしめた。エントマによって釣り上げられようとしていたユリの体が、想定外の負荷に引っ張られて床面を滑る。

 

「あ、ああああアインズ様ッ!?」

 

「ユ、ユリ姉!」

「姉様!?」

 

 予想外の事態に仰天し、素っ頓狂な叫びを上げるユリの声を聞き、ナーベラルとルプスレギナが動揺する気配がした。アインズを姉ごと吹き飛ばすだけの決断が咄嗟につかないのだ。特に、風属性の魔法を使うつもりのナーベラルはまだしも、聖属性の攻撃魔法を使う腹づもりだった筈のルプスレギナは、まかり間違えばユリに致命的な痛打を与えかねない。

 

「ルプー、ナーベ! 構わず撃って!!」

 

 焦ったユリが自分ごと撃てと叫ぶも、既に手遅れだ。<中位アンデッド創造>のスキルにより呼び出された死の騎士(デス・ナイト)がアインズの側、虚空に現れる。着地と同時にアインズと距離を取りながら身の毛もよだつ咆吼を上げた。

 すると、それに遅れること数瞬、ルプスレギナとナーベラルが唱えた攻撃魔法が死の騎士(デス・ナイト)に引きつけられる。二人の顔に、しまったという悔恨の表情が浮かんだ。

 

魔法最強化(マキシマイズマジック)()上位魔法盾(グレーター・マジックシールド)

 

 天から――地下迷宮なので天井からだが――落ちてきた光の柱が死の騎士(デス・ナイト)を呑み込み、静謐な青い光が周囲を照らし出す。その全身をボロボロに崩し、白煙を上げながらも一撃では決して死なない特殊能力により踏ん張って耐えた死の騎士(デス・ナイト)に、ナーベラルの生み出した竜巻の刃が襲いかかり、今度は間違いなく彼の息の根を止めた。それらの攻撃の余波は、ある程度距離を取ったアインズと彼が抱きしめたユリのもとまでは殆ど届かないが、それでも念のために立てた魔法の壁により、そよ風程度の僅かな干渉さえ遮断された。

 

「さて――それではそろそろ反撃と行こうか」

 

 アインズは、足を絡め合ったユリの顔を覗き込んでそう宣言する。ユリの頭に手を添えて、ローブをはだけて中身を露出した胸元に強く押しつけた。

 

「ああああアインズ様ッ!?」

 

 たちまちユリの顔がアンデッドらしからぬレベルで紅潮するが、それには構わずユリの首の後ろに手を回し、彼女の首を固定するチョーカーの留め金を外した。ぽん、という擬音と共に彼女の首を胴体からもぎ取ると、状況について来れていないユリの頭部を――

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「!?」

 

 プレアデス一同が、目の前で展開される光景に硬直する。アインズが首を失ったユリの胴体から腕を放して立ち上がるのを愕然として見守る中、はだけたローブの前を合わせて闇に覆われたアインズの体の中からくぐもった悲鳴とも嬌声ともつかぬ声が漏れ出てきた。

 

「あわ、あわわわわ、アインズ様、骨が、ボクのおでこに、ほっぺに食い込んで、うなじに当たってるのは背骨!? これは肋骨、それとも鎖骨!? 不遜、いや不敬、でも素敵な肌触りがすべすべでさらさらでうぁぁぁぁぁぁああああああああああああああああ」

 

「ユリ姉様ッ!? なんてうらやま――ではない、これは……!」

 

 思わず本音が出かけたソリュシャンが息を呑んだ。首元の断面を真っ赤に染めてくるくると回り出したユリの胴体を見るまでもなく、今の状況が示す事実を痛感したからだ。すなわち、ユリの五感はアインズの奇策により完全に遮断されたし、ルプスレギナがどんな治癒魔法を行使しようとも状態異常ではないそれを治すことは叶わないと。

 

(これでユリ姉様は完全に脱落――流石はアインズ様、どうにかして隙を作らなければ――)

 

 ソリュシャンは素早く頭の中で戦術を再構築する。ルプスレギナかナーベラルの攻撃魔法を当てる。その為にはアインズを拘束する必要がある。残存戦力、特に自分ができることで真っ先に思いつくのは、至高の御方を己の体内に格納してしまうことである。ナーベラルが竜巻を設置した後にそこ目がけて排出してもいいし、聖属性は粘体(スライム)の自分にはそれほど有効ではないので、いっそそのまま撃ち込んで貰っても構わない。

 問題は、攻撃魔法を当てるために拘束するにしても、拘束するためにもまた別の隙が必要となるということである。しかもアインズ側のアクションを引き受ける役のユリが欠けた状態で、それをカバーする為の方策を打ち合わせる時間もない。

 

(とりあえず、私が近づけばアインズ様はその狙いを看破して間合いを取ろうとなさる筈。そこに妹達(エントマかシズ)によるなんらかのフォローを期待……)

 

 そこまで考えて、ソリュシャンははっとした。アインズをどうにか拘束したところで、中のユリを取り出さねば攻撃することもままならないではないか。無論、アインズが示した条件に従えば、ユリが死んだ場合はアインズの敗北になるので、彼がユリを盾にするようなことはないだろうが……だからといって自分たちが姉を巻き込んで攻撃できるかと言うのは別の話だ。

 思い悩めばそれだけアインズ側の行動を許すことになる。考えがまとまらぬまま、ソリュシャンは自分がアインズのリアクションを制限すべく行動を開始した。滑るような足取りで両手を広げアインズに躙り寄る。アインズは両手を大きく広げて捕まえる姿勢を見せたソリュシャンを見ると、それだけで彼女の狙いを看破し、その手から逃れるために後退――はしなかった。

 

「――あ、アインズ様!?」

 

 逆にソリュシャンを迎えるかのように自分も手を広げて彼女の接近を待ち受ける体勢をとったアインズを見て、ソリュシャンは動揺した。未だその手を覆う黒い靄――<不死者の接触>(タッチ・オブ・アンデス)によって自身を仕留める気か。そう判断するも、ならばアインズが自分に触れる前に体内に収納してみせよう――瞬間的にその様に決断して、ソリュシャンはアインズを己の体内に取り込むべく抱きつこうとした。

 

<氷の棺>(アイス・コフィン)

 

 突き出された手を躱して、ソリュシャンがアインズを包み込もうとした瞬間、アインズの魔法が発動する。その手から爆発的に冷気が広がり、ソリュシャンは為す術もなく自身が凍り付いていく様を見守った。あっという間にそびえ立つ氷の柱が出来上がり、ソリュシャンはその中に閉じ込められ動きを完全に封じられた。

 

「ソーちゃん!」

 

 ルプスレギナが叫ぶ間にも、素早くアインズが彼女の方に向き直り、姿勢を低くして突進する。えっという表情になったルプスレギナが引きつった顔で聖杖を構えるも、その先をどうすればいいのか本人にも判然としない。たとえそのごてごてとした鈍器をフルスイングでアインズの頭に叩きつけたところで、ダメージが抜けることはないのである。それでもとりあえず、アインズが伸ばしてくる状態異常付きの手を払おうとするが――

 

<睡眠>(カティノ)

 

「へ?」

 

 突進してきたアインズが真横に突きだした左手から横方向に魔法を放つのを眼前にし、ルプスレギナの口があんぐりと開いた。思わずアインズが伸ばした手の方向を見ると、可愛らしくこてんと引っ繰り返って寝息を立て始めるエントマの姿が目に飛び込んでくる。自分に向かってきたのはフェイクである、そう理解したルプスレギナが我を取り戻したときには、アインズの右手が自身の首まで迫っていた。

 

「アイ――ぐぇっ」

 

「お前もここまでだな、ルプスレギナ。――麻痺」

 

 喉輪の要領で首を圧迫され、呻き声を上げるルプスレギナに対し、アインズの無慈悲な宣告が下される。<不死者の接触>(タッチ・オブ・アンデス)の魔法効果により、ルプスレギナは麻痺してその四肢から力が抜けた。その場に崩れ落ちようとする彼女の体に両手を差し込んで素早く抱き起こすと、アインズは荷物でも運ぶようにルプスレギナの体を持ち上げて肩の上に乗せた。

 

「ルプー……!!」

 

 叫びながらも、ナーベラルは必死で思案を巡らせる。アインズが麻痺させたルプスレギナを担ぎ上げたのは、彼女を自分の攻撃に対する盾とするつもりであろう。彼女を抱えられたままでは、アインズにダメージを通せる程の強力な攻撃魔法を使うことはさすがに躊躇われる。瞬く間に姉妹達を戦闘不能にされ、ここから逆転するほどの手が簡単に思いつくはずもなかった。とりあえず、眠らされたエントマを起こすべきか――

 ナーベラルが惑乱する間にも、アインズは待ってはくれなかった。担ぎ上げたルプスレギナの襟首をひょいと片手で掴み上げると、その場で軽く勢いをつけ、野球のボールでも投げるかのようにナーベラルに向けて投げつけた。彼女を盾にすると思っていたナーベラルは虚を突かれて一瞬硬直し、我に返ると慌てて両手を広げて腰を落とし、ルプスレギナを抱き留めようと待ち構える。

 

<上位転移>(グレーター・テレポーテーション)……姉に優しいのは見ていて微笑ましいが、それも場合によりけりだ」

 

「ア、アインズさ――」

 

 飛んでくる姉の体を全身で受け止めた瞬間、転移魔法で背後に回ったアインズがナーベラルに声をかける。彼女の驚愕を示すかのように、ポニーテールがぴんと跳ね上がった。そんなナーベラルの体を背後から抱きしめると、再び彼女の肉体の自由を奪うべく宣告する。

 

「麻痺」

 

 ナーベラルの瞳から光が失せ、口が半開きになってポニーテールがしおしおと垂れ下がる。姉に続いてその体から力が抜けていくのを、アインズは両手を使ってそれぞれルプスレギナとナーベラルが勢いよく倒れ込まないように支えてやると、二人の体をそっと床に横たえた。

 

「さて……シズよ」

 

 いつの間にか潜伏して姿の見えないシズに呼びかける。不可視化の魔法が込められたマフラーと潜伏技能を併用してその位置はアインズには窺い知れないが、部屋の何処かでシズが息を呑む気配がした、ように思われた。

 

「残るはお前だけだが――どうする? ……正直に言うと、私は今お前の現在位置を把握できていない。それはお前のアドバンテージだ」

 

 居場所が分からないので、適当に周囲を見回しながらアインズは喋り続ける。

 

「だが、アドバンテージはそれだけだ。私が知る限り、私にダメージを通すという勝利条件を満たせる手段の持ち合わせはお前には無い筈だ。……私の監視をかいくぐってルプスレギナかナーベラルの麻痺を治療する手段およびその方策について持ち合わせがないのならば、手詰まりというやつだ。逆に言うと、ここで投降しないのならば、私にすら秘匿されていた隠し球の切り札を見せてくれるものと期待させて貰うぞ?」

 

 沈黙が場を満たす。アインズは言いたいことを言い終えると、黙ってシズの結論を待った。その間も彼女の不意打ちを警戒し、決して油断はしない。程なく、シズが透明化の魔法を解除し、マフラーを弄りながらとぼとぼとアインズの眼前に歩み出てきた。

 

「…………お手上げ。投降、しますアインズ様」

 

「……そうか。ご苦労だったな、シズ。そしてお前達」

 

 アインズは頷くと、シズの頭に手を乗せて優しく撫で回した。シズが目を閉じてその感触に身を委ねる。かくて、ここに戦闘は終結した。

 

 

 




《ダイアモンドドレイク》
 糞開発(ボク)の考えた最強の敵キャラ。プレイヤーは死ぬ。13レベルで一人前(マスターレベル)と呼ばれるゲームで推奨レベルが2000オーバーの時点で間違いなく頭がおかしい。
 ル・ケブレスの様にシステム上の無敵を付与されているのは甘え。あくまで理論上は撃破可能な隠しボスの実力をもってプレイヤーをねじ伏せるのがRPG界王者の誇りであり嗜み。
 類義語:真・緋蜂改、人界に潜む闇の魔物etc。

石化(ペトリフィケーション)
 Wizardryにおいて、プレイヤーが敵に石化の状態異常を与える方法は初期三部作には存在しない。その手段は、#5において追加された新呪文、敵にランダムな状態異常を与える攻撃魔法:虹色光線(バスカイアー)混乱の場(マウジウツ)の登場を待つ必要があった。

塔炎(リトカン)
 信仰系第五位階魔法(ry)。
 複数の敵(1グループ)の足下に火柱を発生させてダメージを与える、僧侶系には貴重な攻撃呪文。
 ただし例によって信仰系魔法は回復魔法とリソースを競合する。第五位階では特に大治(ディアルマ)と被るのが痛い。第五位階には他にも一応復活(ディ)という蘇生呪文があるが、こちらは存在自体がゴミなので気にする必要は無い。

快癒(マディ)
 信仰系第六位階魔法(ry)。
 Wizにおける究極の回復魔法。死亡未満の状態異常を全て治癒し、HPを全快する。
 まず、石化の状態異常を回復できるのはこの魔法だけであり、それ以外は帰還して寺院に行く(寺院の坊主に代わりに快癒(マディ)を唱えて貰う)しかない。
 そして、HPの全回復である。一段下の大治(ディアルマ)が8d3の回復量であるのに対し、快癒(マディ)は全快。これは、仮に最大HPが四桁を越えたキャラの瀕死状態に使うなら大治(ディアルマ)の百倍を越える性能を持つと言っても過言ではない。
 快癒(マディ)が切れたら帰還。むしろ切れる前に帰れるよう慎重に。それが冒険者のセオリーである。覚える前? せいぜい慎重に頑張ってね。

氷の棺(アイス・コフィン)
 ググるとテイルズばっかり出てくるけど、元ネタはSWに出てきた精霊魔法。
 対象を氷の柱に閉じ込めて拘束し、強制的に冷凍睡眠(コールドスリープ)させる強力な魔法である。ポケモン的に言えばこおり状態。スライムって麻痺するのかなあと不安になったのが導入の主要因。石化でいいだろとか言うのは禁句。

仮睡(カティノ)
 魔力系第一位階魔法(ry)。
 敵集団を眠らせ、行動不能にする支援魔法。
 所詮単体攻撃でしかない、同位階の小火(ハリト)より余程使い出がある魔法。敵集団との遭遇時に前衛がタコ殴りにされるのを防ぐことができるので、特にPTが弱いうちは重宝する。便利すぎて遺失呪文扱いされていた異世界があるとかないとか。



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Epilogue:Proving Grounds of the Overlord

 
 実際の所、オーバーロードとの相性が最も良いWizardryと言うのはシナリオ#4「ワードナの逆襲」ではないかと思う。
 「狂王の試練場」で打ち倒された邪悪な大魔術師ワードナが時を越えて復活し、迷宮の最深部からかつての力を取り戻しつつシモベを増やしながら地上を目指して侵攻するというストーリー。概要を見るだけで凄くしっくり来そうだぞ……まずアインズ様を倒して封印できる存在さえ見つかればな。
 あと最終話でこんな事を言い出したからって、フリじゃないですよ。



 床に転がされたナーベラルが、自力で動くことも叶わず天井を無言で見上げていると、何者かが近づいてきて頭がそっと抱き起こされるのを感じた。

 

(……エントマ)

 

「えへへ、大丈夫ナーベラル? 今ソリュがルプーを治してるから、ちょっと待ってねぇ」

 

 ナーベラルを抱き起こして彼女の頭を自身の膝に乗せ、上から顔を覗き込んだエントマがそう言うのを、まあ妥当な順序だろうと納得して噛みしめる。エントマは寝ていただけなので小突いて起こされたのだろう。本来の回復役(ヒーラー)はルプスレギナだが、彼女もまた麻痺させられているため、治癒系の巻物(スクロール)を使用できるソリュシャンの氷を溶かして先に目覚めさせ、ルプスレギナだけは回復アイテムで治療してから残ったナーベラルに回復魔法を使うという順序だ、特におかしな点はない。……エントマの手持ちアイテムは在庫切れだ。

 程なく、ぱたぱたと自分たちに駆け寄ってくる軽快な足音が聞こえてくると、ナーベラルは眼球を僅かに動かした。姉の燃えるような赤毛がちらりと視界の隅を掠める。

 

「ほいほーい、お待たせっすナーちゃん。元気でしたかー」

 

 エントマの側で立ち止まったルプスレギナが、ナーベラルの顔を覗き込みながらその頬を両手で挟み込むと、大治癒(マディ)の魔法を唱えた。自身が負った僅かな傷と共に、体の自由を奪っていた麻痺毒が抜けていくのを感じる。ナーベラルは体が動くようになるのを確認すると、ゆっくりとルプスレギナの手を掴んで立ち上がった。

 

「……ふぅ、ありがとうルプー、あとエントマも。シズもソリュも元気そうね……ユリ姉様は……どうかしたのかしら?」

 

 姉妹全員の姿を確認しながらナーベラルがそう言うと、エントマとルプスレギナは顔を見合わせた。戦闘メイド(プレアデス)まとめ役(サブリーダー)である長姉のユリは、やや離れた所に棒立ちで突っ立っていた。特に外傷があるようには見えなかったが、理知的できびきびとした普段の姉らしからぬ茫洋とした様子に不審を抱き、ナーベラルが小走りに駆け寄ると、肩を竦めたルプスレギナとエントマがそれに続く。

 

「ユリ姉様……どうなされたのです?」

 

 側に近寄ってもまるで反応を示さないユリの様子に、心配そうにナーベラルが問いかける。ひらひらと目の前で手を振ってみてもそれに気づいた様子もない。明らかに異常な様子に不安になったナーベラルが姉の顔を覗き込むと、アンデッドらしからぬレベルで茹で蛸の如く真っ赤に染まった顔は目の焦点が合っていない。桜色の唇からぶつぶつと小さな呟きが漏れているのを聞き取ったナーベラルが耳をそばだてると、妙な独り言が聞こえてきた。

 

「すべすべ……えへへ……さらさら……骨……うふふふふふふ」

 

 ナーベラルの顔が心配から困惑に変わる。控えめに言っても姉の様子は異常だが、ただそれは不調と言うよりは――

 

「……ナーベ、ユリ姉様のことはもう暫く放っておいてあげなさい」

 

 いつの間にか背後に近寄ってきたソリュシャンに肩を叩かれ、ナーベラルは振り返ってその内容を吟味した。

 

「ソリュシャン……姉様に何が起こったのか知ってるの?」

 

「知ってるも何も……あなたも見てた筈よ。覚えているでしょう、さっきの試合でユリ姉様の頭がどうなっていたか」

 

 肩を竦めてそう言ったソリュシャンの台詞を反芻し、ナーベラルの顔にもようやく理解の表情が浮かんだ。

 

「…………あっ、ああー。そういう事……」

 

 スケルトンと首無し騎士(デュラハン)の組み合わせでなければ決して体験できぬであろう濃密な一時を過ごしたユリは、その記憶を反芻しながら幸せに浸っているのであった。まあ、粘体(スライム)のソリュシャンでも似たようなことはできそうではあるのだが、それは置いておく。側に来たルプスレギナに促され、ナーベラルは姉妹達と共に玉座に腰掛けて待つアインズの下に整列した。

 

「……お待たせ致しました、アインズ様。姉のことは、できればもう少しだけそっとしておいてくださるようお願い申し上げます」

 

 ルプスレギナが普段のおちゃらけた口調を引っ込め、人事不省の姉の代わりに畏まった挨拶を述べると、アインズは鷹揚に頷いた。

 

「うむ、私は気にしないとも。咄嗟の思いつきで、ユリには苦しい思いをさせてしまったようだからな。存分に心身を休めておくといい。フォローは頼むぞ、ルプスレギナよ」

 

「……はっ、仰せの通りに。アインズ様」

 

 アインズの言い回しにちらりと引っかかる物を感じながらも、ルプスレギナは黙って一礼した。姉の代理を務めることになり、これでも緊張しているのだ。余計なことに気を回す余裕はない。

 

「さて……ご苦労だったな、戦闘メイド(プレアデス)の諸君。これで、この地下迷宮の実施試験を行うという今回のプログラムは今度こそ一通り完了した。やってみなければわからぬ問題点の洗い出しや、お前達の実力を確認することができ、私はおおいに満足しているとまずは伝えておこう」

 

「勿体ないお言葉、ありがとうございます」

 

 ルプスレギナの音頭に合わせ、妹達が一斉にお辞儀をした。未だ惚けている長姉は除く。アインズはその様子に一つ頷くと、続く台詞を一同に投げかける。

 

「……そしてだ、私が最初に頼んだことを覚えているかお前達? 実際に迷宮を探索するお前達視点からの問題点など、気がついたことはなんでも報告して貰いたいという話だ。こうして任務を終えて、気づいたことでも感想でも、なんでも思ったことを述べてくれ」

 

 その言葉を聞いて、一同は顔を見合わせた。互いを指さし、首を振ったり傾げたり。無言の攻防が始まるのを、アインズは内心でため息をついて見守る。

 

(まあ、そうだよなあ……急に意見を言えと言われても困るよなあ)

 

 厳密に言えば、予め頼んであるのだから急な話ではないのだが。アインズの脳裏を掠めるのは、かつての鈴木悟の記憶――定例ミーティングと称する会議めいた何かで、隅の方で目立たないように体を小さくして祈っていたら上司に意見を求められて、へどもどしながら特にありませんと口にしたら怒鳴られて――この話は止めよう、沈静化しそうなくらい心が痛い。とにかく、アインズは部下を苛める上司にはなりたくないのだ。もう少しだけ戦闘メイド(プレアデス)の様子を見て駄目そうなら――その時、シズが手を挙げて一歩前に出た。

 

「おおシズ、何か言いたいことがあるのか?」

 

 シズはこくりと頷いた。その様子を見て、姉達が握り拳で小さく声援を送る。アインズが続きを促すと、シズは言った。

 

「……アインズ様、あのウサギ可愛かったです。できれば一匹ください」

 

「ちょ」

 

 その台詞を聞いたナーベラルが顎を落とした。ソリュシャンが顔に手をやって天を仰ぎ、エントマが肩を竦めてあちゃーと呟く。

 

「……何を言い出すかと思えば。駄目じゃないすか、シズちゃん」

 

 ルプスレギナが姉の代わりにシズを窘める。不服そうなシズの額を人差し指でめっと押すと、続けていった。

 

「ウサギは一匹じゃなくて一羽って数えるんすよ?」

 

「……そこじゃないでしょ……」

 

 ソリュシャンが呆れ声でツッコミを入れるも、アインズは鷹揚に頷いて言った。

 

「まあまあ、よいではないかソリュシャン。別に単なる感想でも私は一向に構わん。褒賞として欲しいものをリクエストしてくれるのはむしろ有り難いくらいだとも。ウサギか……あいつはあれでなかなか危険な生物だしな、確約はできないが、注意点を検討した上で考えるとしよう。それで良いかなシズ?」

 

 シズが無表情ながらも心持ち目を期待に輝かせた、ような気がした。こくこくと頷いてそわそわしだしたシズを横目に、ナーベラルがエヘンと咳払いをする。

 

「それにしてもアインズ様、シズのおねだりはともかくとして。アインズ様の深慮遠謀は既に完璧すぎて、私達などが口を差し挟むべき部分などとても見あたらないかと思われますが……」

 

「そ、そうかな? 完成度高いと思うかこのダンジョン?」

 

 ともすれば中身のない追従に聞こえそうな台詞だったが、ナーベラルがしみじみと頷きながら言ったその言葉にはもう少し具体的な根拠がありそうだったので、アインズは少し表情を明るくし、姉妹達の注目が集まった。

 

「……ナーちゃん、その心は?」

 

「……私が今まで外で、モモンさ――んと見聞してきた内容から考えると、下等生物(ゲジゲジ)共の九割は地下二階を突破できずに全滅するでしょう」

 

 代表して疑問を呈したルプスレギナに答え、ナーベラルが物騒なことを言い出した。

 

「勿論、私ごときに分かることがアインズ様にわからない筈がありません。それを踏まえて考えると、このダンジョンが冒険者の育成施設であるという説明自体が、下等生物(ミジンコ)共をおびき寄せるための撒き餌だということです。甘い言葉に釣られて寄ってきた下等生物(ブヨ)共をその強さによって仕分けし、素体強度ごとに別個のアンデッド素材として貯蔵するアンデッド生産工場――それが、アインズ様がお考えになっているこの迷宮の正体に他なりません」

 

「おおーっ……そうなんすか、さすがアインズ様っす」

 

 自信満々で「アインズの考え」を開陳するナーベラルの姿に、ルプスレギナが感嘆のため息をつき、シズとエントマがぱちぱちと拍手する。ドヤ顔で胸を反らしたナーベラルの肩を、ソリュシャンがちょんちょんとつついて言った。

 

「ナーベラル……なんというか、違うみたいよ?」

 

「え?」

 

 ソリュシャンが示した指の先をナーベラルが見ると、アインズが両手で顔を覆ってしゃがみ込んでいた。

 

「ア……アインズ様?」

 

「そうじゃない、そうじゃないんだナーベラル。私は本当に、集めた訓練生を一人前の冒険者にしてやって世界の果てまで送り出したいのであって、裏の意味とか隠された真の狙いとか、そういうのはないんだ……デミウルゴスの真似とかしなくていいんだ……」

 

 どんよりとした空気を背負って譫言(うわごと)をぶつぶつと垂れ流し始めたアインズの姿に焦るナーベラルに対し、ソリュシャンが大仰に首を振って言った。

 

「まあ、その、ナーベラル……アインズ様の大いなる知恵は私達などの及ぶべくもない遙かな高みにあるという考え方は間違ってないけれど。何事にも例外というものはあるわ。メートル単位の物差しでミリ単位の差は測れないように、私達がアインズ様の足元にも及ばない弱さだからこそ、人間達の強さについてはより正確に測ることができるということね」

 

 某階層守護者(シャルティア)の受け売りでそう語ったソリュシャンの言葉に、アインズが顔を上げて興味を示した。

 

「そうなのか? ……ならばお前達に聞いてみたいのだが、人間がこのダンジョンに挑戦したらどこまで行けると思う?」

 

「そうですねぇアインズ様……大体はナーベラルの言うとおりになるとしてぇ、地下四階のエレベーターまで辿り着けそうなのは、あの仮面女(イビルアイ)のチームくらいじゃないでしょうかぁ」

 

 エントマがきちきちと威嚇音を鳴らしながら、個人的な恨みを持つ怨敵の名を挙げた。ルプスレギナがそっすねー、あいつらなら結構行けそうなどと相槌を打つと、ソリュシャンが続けて口を開く。

 

「それにアインズ様。私達は各自の種族特性と維持する指輪(サステナンス・リング)の効能により飲食・睡眠不要で疲労もありませんが……人間であれば、数時間も警戒状態で探索を続ければ疲労困憊になるものかと思われます。疲労、空腹、眠気などのバッドコンディションに対応するために食事、睡眠、排泄などの休憩を適宜とりながら地下十階まで潜るというのはかなりの難事なのではないでしょうか?」

 

 それらの意見に耳を傾けると、アインズは暫し沈黙する。

 

「……成る程、大変参考になったぞお前達、貴重な意見に感謝する。通常の業務態勢に戻り、不在の間にたまった仕事のある者はとりかかるように。沙汰は追って下す」

 

「かしこまりました、アインズ様」

 

 やがて告げられた任務終了の宣告に、一同は揃って礼をしたのであった。

 

 

 

 

 その後――

 アインズ・ウール・ゴウン魔導国の首都エ・ランテルに、魔導王アインズ・ウール・ゴウンが予告した通りの冒険者の訓練場となる施設群がオープンした。

 冒険者を志す若者は、その意志一つを街外れの訓練場にて申告すればその場で冒険者訓練生として無料で登録され、冒険者となるのに必要な基礎訓練を受けることができる。訓練場の隣に口を開けた実戦形式の演習場――魔導王の試練場と呼ばれるダンジョンの()()()()()くまなく制覇することで、かつての冒険者組合でも上位に相当する実力を認定してもらうことができる。この訓練を通して、未知のダンジョンを探索するノウハウ、街で装備を調え身体を休め、必要に応じて神殿で治療を行う冒険者としての基本的な心構えを学ぶのだ。

 初心者は地下一階の完全な地図を提出することで、金級の実力を認定され、正式に魔導国の冒険者と認められ国外へ派遣される資格を得る。

 同時に、金級の冒険者は地下二階層への挑戦権を獲得し、これを制覇することで白金(プラチナ)級の実力を認定される。勿論、外の任務をこなすことで従来通りの試験による昇級を目指すことも可能だ。

 同様に、白金(プラチナ)級の冒険者は地下三階を制覇することでミスリル級の認定を、ミスリル級は地下四階を制覇することでオリハルコン級の認定を受けられる。実際に下層を制覇してその実力を認定された例はまだないが、それが魔導王が公表した訓練場の全容であった。

 ……ここまでの説明を受けて、ならばオリハルコン級以上の冒険者が挑戦権を得ることが出来るアダマンタイト級へ至るためのさらなる下階層が存在するのではないかという疑問に、魔導王はノーコメントを貫いた。アダマンタイト級冒険者が人目のないところで申し込めば自己責任で地獄の底へと下りていく冒険に挑戦することが出来る、隣国の某アダマンタイト級冒険者チームがお忍びで訪れてこっそり挑戦し、散々な目に遭って逃げ帰った……まことしやかな噂が冒険者達の口々を飛び交ったりもしたが、あくまで噂は噂に過ぎず、公的な証拠、証言、証人の類は一切存在しないのである。

 

 

 

 

 ――かちゃかちゃと、食器がぶつかる音が聞こえてくる。

 こぢんまりとした部屋の中央、白いレースのテーブルクロスがかかったテーブルの上に、ユリがお茶菓子を並べていき、ソリュシャンがティーポットから紅茶を注いでいく。並んだお茶請けは、ユリお手製のクッキー・ケーキ類と、人間の指だの耳だのやたらスプラッターな食材の二種に大別されるが、いつものことなので誰も気にはしない。

 席について配膳を大人しく待つのはルプスレギナ、シズ、エントマの三名。大人しくとは言いつつも、どこかそわそわとした様子で落ち着かない。

 

「……姉様、まだ……?」

 

 シズが専用ドリンクをなみなみと注いだコップの縁を指でいじくりながらそう言うと、ユリは腰に手を当てて妹に向き直った。

 

「はいはい、もう準備が済むところだから大人しくしてなさい。あまりはしたない真似は淑女として相応しくないわよ。……そろそろナーベラルも戻ると思うから、そうしたら始めましょう」

 

「うー、待ちくたびれたっす。ナーちゃん、早くするっす」

 

 ルプスレギナががたがたと貧乏揺すりを始めたので、ユリがそのおでこにデコピンをかました。それを横目に、エントマが天を仰いだ。

 

<伝言>(メッセージ)ぃ。……もしもし、ナーベラル? いまどこぉ?」

 

「あ、こらエントマ……」

 

 ユリの叱責も意に介することなく、エントマが虚空に向かって喋り続ける。うん、うんと彼女にしか聞こえぬ台詞に相槌を返すと、エントマは姉達の方を見て言った。

 

「今ここの扉が見えたとこだってぇ~。楽しみだなぁ~」

 

「……全く、勝手な真似をしないの。席は()()()あるわね。みんな座って、今度こそ大人しくしてなさい」

 

 ユリがため息をついてそう言った時、部屋の扉がノックと共に開いてナーベラルが顔を出した。

 

「お待たせみんな。お連れしたわ」

 

「ご苦労様ナーベラル。そしていらっしゃいませアインズ様。このような日を迎えられたことを、プレアデス一同感激の極みに思います」

 

 ユリがそう言うと、全員が席を立ってお辞儀をした。ナーベラルの後ろについて入室したアインズが、ひらひらと手を振ってそれに応える。

 

「よい、私もこのような場に招いて貰ったことを光栄に思う」

 

「それでは、空いた席におつきくださいませ」

 

 その言葉に合わせ、ナーベラルが椅子を引くと、アインズは鷹揚に頷いてそれに腰掛ける。続いてナーベラルが隣の席についたのを確認すると、ユリは全員を見渡して宣言した。

 

「さて、それでは……プレアデス月例報告会・兼お茶会を始めます。久しぶりに全員が顔を揃えることができ、私も嬉しく思います。そして、本日は特別ゲストとして、アインズ様をお招きすることが叶いました。拍手でお迎えください」

 

 その言葉に、一同が割れんばかりの拍手を打ち鳴らす。ほうっておくと鳴り止みそうにないその拍手を、アインズは手で押し止める。

 

「歓迎の気持ち、感謝する。さて……何から話そうか。そうだな、まずは源次郎さんの話をしようか――」

 

 

 

【了】

 

 

 




 ……AinzardryⅡ:AOGの遺産に続かない!
 ここまでお読み頂きありがとうございました。



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外伝:蒼薔薇の受難
1F:来訪


 
 綺麗に終わらせたのに蛇足をつけていくスタイル!
 そろそろ新刊発売カウントダウンも始まる頃かと思いますが、11巻発売までをネタの寿命と定めたこの作品に滑り込みでオマケ的な何かを追加します。全5話です。本編で提示した設定の枠内で後日談を考えた体裁なので、本編ほどWizネタに対する拘りはないかと思います。
 あと外伝なので主人公が違う結果プレアデスはほぼ出ません。



 かつて王国の国境防衛の要であった城塞都市エ・ランテル。今は魔導国アインズ・ウール・ゴウンの首都であるその巨大都市を囲む三重の防壁。その外側に、巨大な平屋の建物と、隣接する広大な平地を囲む柵が存在した。

 敷地内では大勢の人間がせわしなく動いている。巻き藁相手に剣を振る者、覚束ない手つきで弓を引き絞り射撃訓練に勤しむ者、基礎体力を鍛えるために柵に沿って外周を走り込む者……外周を取り囲む柵の外側には、百メートル毎に一体の死の騎士(デス・ナイト)が直立不動の歩哨を二十四時間体制で務め上げており、街外れの城壁外だからと言って何らかの脅威を心配する必要は欠片もなかった。

 

「おーおー、こいつはなんというか……盛況だねえ」

 

 冒険者候補生達が訓練に励む様子を見ながらそう言ったのは男と見紛う出で立ちの女戦士。王国のアダマンタイト級冒険者チーム“蒼の薔薇”のガガーランであった。

 エ・ランテルの門に並ぶ入場待ちの列の中、数台の馬車を取り囲んで護衛する“蒼の薔薇”の一行は、王国からはるばるエ・ランテルまで商いに訪れた隊商の護衛として魔導国への入国を待っていた。

 

「……魔導国では軍事力の過半をアンデッドと異形種が務めるという噂は、まんざら嘘でもないみたいね。それであぶれた人間の若者達が、魔導国が新しく提唱した『冒険者』に夢を見て集まっている、ということかしら」

 

 そう言って訓練場の様子を遠目に窺うラキュースに、馬車の中から顔を出した壮年の男が声をかけた。

 

「まあ、ここまで来れば万に一つの危険もないでしょうし。どうもありがとうございました、アインドラさん。無事に入場できたらその場で一旦解散という形で結構ですよ」

 

「どういたしまして。……ご協力、感謝します」

 

 隊商の護衛など、凡そアダマンタイト級冒険者に相応しいような仕事ではないが、無論それには理由がある。壮年の商人は、相好を崩して声を潜めた。

 

「いえいえ、こちらとしてはアダマンタイト級冒険者を安価で護衛に雇えて、損のない話でしたから。王女様にもよしなにどうぞ」

 

「お伝えしますわ。私達はエ・ランテルでは『黄金の輝き亭』に滞在する予定ですので、帰りの際には使いを寄越してくださいませ」

 

「……承知致しました、幸運を祈っております」

 

 段々と近づいてくる門と、自分たちの順番に、ラキュースは唾を飲み込んで緊張を紛らわせる。自分たちへの本当の依頼内容が、脳裏をよぎった。

 

 

 

 

「……アインズ・ウール・ゴウン魔導国の、偵察をしてきて欲しいですって?」

 

 斜陽の王国、リ・エスティーゼ。人も領土も財産も何もかもを致命的に失って凋落する王都リ・エスティーゼにて、国内の冒険者組合を統括する冒険者組合長から、王国の双璧と呼ばれるアダマンタイト級冒険者チーム“蒼の薔薇”に対して出された指名依頼の内容を聞いて、リーダーのラキュース・アルベイン・デイル・アインドラは目を瞬いた。何かの聞き違いかと思って眼前に座る組合長の顔を見返すが、どこまでも真面目に自分を見つめてくる組合長の真剣な眼差しに鼻白む。組合長は両肘を机について、手を顔の前で組み合わせると、重々しく頷いた。

 

「そうです、アインドラさん。より正確には、アインズ・ウール・ゴウン魔導国が先日立ち上げ、国内外に喧伝し始めた新たなる形の『冒険者組合』がいかなるものなのか、彼の王が冒険者を志す若者達にどのような支援を用意しているのか。それを調べてきて頂きたいのです」

 

 組合長は語った。既存の冒険者組合のどこが冒険者なのだと盛大にこき下ろし、真なる冒険者を育成すると語るのまではまだいい。既存組織に喧嘩を売った形ではあるが、それが国内で完結しているのであれば組合としては魔導国には不干渉を貫くだけである。だが、帝国及び王国の若年層に声をかけ檄を飛ばしたとなれば話は別である。魔導国冒険者組合は、もはや王国では貴重な人的資源(リソース)を奪いにかかる仮想敵であると言わざるを得ない。

 

「相手の手の内を調べるのは戦の定石です。まずは魔導国が、冒険者を志望する若者にどのような待遇を用意しているのか調べねば、それに対抗する方策を考えることも出来ません」

 

 もっとも、日の出の勢いで勢力を押し広げる魔導国に対して、将来の覚束ない我が王国組合が対抗できるほどの待遇を用意してあげられるかはなんとも言えませんが。そのように自嘲する組合長に、ラキュースは何とも言えない表情に顔を歪めた。地位と責任を持つ立場の人間がそのような悲観論を振りまくのは如何なものかという思いと、そもそも王国を崖っぷちに追い込んでいるのは魔導国であるという腹の底が煮立つような思いが渦巻いているのである。

 

「まあ、仰ることはわかりました。確かにそれは、王国の敵国にスパイ活動に行くというよりは、冒険者組合が同業者の動向を調べに行くという性質のものであると思われます。アダマンタイト級の私達に依頼するというのも、それだけ組合がこの件を重要視しているものとお見受けしますわ」

 

「そうですね、それもありますが。魔導国側が、他国の冒険者を快く受け容れてくれるか不分明な部分もありますので……これはまずそうだと思ったら速やかに逃げてこられるだけの方々にお願いしたいというのもあります。なんと言っても、伝説のアンデッドを数百体も戦場に並べるような化け物相手ですからね。向こうがその気になれば、その辺の冒険者など容易く捻り潰されてしまうでしょう。頼んでおいてなんですが、くれぐれもお気を付けて」

 

 このような頼み事をするのは申し訳ないのだが、そう言って頭を下げる組合長に、ラキュースは微笑んで答えた。

 

「かしこまりました、組合長。魔導王は理性的な人物であると聞きます。旅行者として立ち入り、行きずりの人間が見聞できる範囲で調べ物をするのであれば、そう無茶なことにもならないでしょう」

 

 私共の力を当てにしての指名依頼ですし、微力を尽くしましょう。そのように締めて退室するラキュースを見送ると、組合長は重いため息をついた。彼女がラキュースに語った依頼の目的は嘘ではないが、語ったことが全てというわけでもない。

 このような立場に居れば嫌でも目に入ってくることがある。あの悪夢の歴史的敗戦以来、急速に傾き続ける王国の財政。低空飛行から回復の兆しも見せぬ農作物の収穫量。あらゆる業界から引き抜かれたまま刈り取られて二度と戻らぬ働き手。王都に暮らす人々の顔には不安の影が根ざし、物価は上昇の一途を辿っている。このまま手をこまねいていれば、景気の悪化と物価の高騰が王国民を直撃し、来年には貧困層から万に達しかねない数の餓死者を出してもおかしくはない。そこまで考えて組合長は身震いした。第一王子、王国戦士長、名だたる大貴族の面々。それらを戦場であっさりと失った挙げ句、幸運にも生き残った大貴族も自領に逃げ帰って引きこもったと言う。もはや彼女には、王国の統治者が来たるべき不作に依らない飢饉について適切な手を打てるようには見えなかった。それを彼女が代わりに何とかするというのは越権であり手に余る難事でもあるが……できることをやらずに後悔はしたくない。

 魔導国の新たなる冒険者組合は、志望者を老若男女問わず受け容れ、衣食住の面倒を見てくれるらしい――そのような噂を聞き及ぶに至り、組合長の脳裏に閃いた奇策。それは、あたら多くの民を餓死させるくらいならば、訓練修了まで至らぬのを承知で貧困層の市民達を魔導国訓練所に食わせて貰うことはできないだろうかという巫山戯た思いつきであった。見込み無しとして退学(クビ)になるまでの期間や、その後の待遇によっては、飢えを凌げる場所として魔導国冒険者組合を紹介する。そのような手段も有りなのではないかというのが、彼女の胸中に燻るアイデアである。

 無論、実際にそのような手段を取るだけの決心はつかないかもしれない。王国の貴族連中にしてみれば、国民など一山幾らの捨て駒に過ぎぬ、隣国の国力増強に使われるぐらいなら飢えて死ねというのが本音だろう。利敵行為として告発され処罰を受ける可能性すらある。だが、かといって王都で多数の餓死者が出るような状況から目を逸らすのはいかにも心苦しい。冒険者組合としての責務にかこつけて、あられもない思いつきが実現可能な方策かどうか調べておくくらいはいいだろうというのが、彼女の本音であった。

 ところでそのような誰にも漏らさぬ彼女の胸中を、面識すらなく見透かしている存在も居るわけだが……神ならぬ身の組合長がそのようなことを知る由もなかった。

 

 一方ラキュースは依頼案件を仲間達の許に持ち帰り、実際の作戦を協議する。その結果が、実際に魔導国首都エ・ランテルまで商売をしに行く隊商の護衛として雇って貰い、あくまでも護衛として入国するという作戦である。関所破りをして密入国するとか、ワーカーの振りをして身元を隠すなどの案も出たが、国内外に名の売れた有名人である“蒼の薔薇”がそうと分からないほどの変装をするとなると、慣れ親しんだ装備の大部分を隠さねばならぬ。それではいざというときの対応に不安が残るし、何よりそこまでしてしまえば、悪意を持って破壊工作に訪れたと魔導国側に断じられても言い訳が利かない状況となってしまう。ここは本来の目的についてはとぼけつつ、あくまで仕事で来ただけですよという顔をしておくのがいいだろう、そのようにまとめたチームの知恵袋たるイビルアイの言葉に反論はなかったのであった。

 

 

 

 

 何事もなく都市の門を潜り、一旦商人と別れる。彼自身は本当に商売のためにエ・ランテルを訪れたのであり、持ち込んだ工芸品を売り払った後はその代金で、現在王国に慢性的に不足している食糧の買い付けを行う予定だ。一応その帰りに同道する計画なので、調査期間はその間ということになる。

 一同が大通りを見回すと、そこそこの賑わいを見せる大通りの各所に、行き交う人々を遙かに上回る巨躯のアンデッドが突っ立って歩哨を務めている様子が目についた。

 

「……アンデッドが警備する都市、か。意外と馴染んでいるようね」

 

 ラキュースが呟く。勿論、周囲の常人が小人に見える巨体をもつ死の騎士(デス・ナイト)は雑踏を突き抜けて存在感を主張しているし、その周囲には人々が近寄らない空間ができてはいるが……その距離は、一般人がアンデッドに怯えて取りそうな長さとしては些か短いように彼女には思われた。死の騎士(デス・ナイト)の周囲を通過するときには高まる様子の人々の緊張も、襲いかかってくる危険に息を呑むというよりは、警官の前を通過するときは因縁を付けられないかなんとはなしにドキドキしてしまう、その程度の話に思える。

 

「……む、ここは武具屋か。たいした盛況ぶりだな」

 

 そんなことを考えながら歩を進めると、イビルアイが街の入り口から遠くないところに居を構える巨大な建物を見て言った。冒険者やその訓練生と思しき出で立ちの武装した人々が大勢出入りするその店は、入り口に剣とハンマーをあしらった看板を掲げており、武器防具を扱う店であると示している。

 

「魔導国冒険者の装備事情を調べるのも仕事のうち。入ってみよう、ボス」

 

 双子の忍者が連れだって入店すると、ぞろぞろと一行がその後に続いた。

 店内は外観から推測される以上の広さで、所狭しと商品が陳列されている。内部は大きく四つのセクションに分かれており、武器防具のサンプルが展示された売買所、研ぎや手入れ、あるいはサイズ調整まで行っていると案内が書かれた整備依頼所、ローブの魔法詠唱者(マジック・キャスター)が常駐してアイテムの鑑定を行っていると思しき鑑定所、それに隣接して冒険者が装備を下取りに出す買い取り所となっている。

 展示品を端から眺めていき、剣や槍、斧に弓。鎧兜に盾から具足まで、考えられる限りの武器防具が並べられている様に瞠目する。在庫の確認、別サイズをお求めのお客様は店員までお気軽にどうぞ――そのような張り紙を見てラキュースが唸っていると、奥の方にある商品棚を見たイビルアイが呟いた。

 

治癒薬(ポーション)巻物(スクロール)、マジックアイテムの類まで取り扱っているのか……何でもありという感じだな」

 

「この一軒で欲しい装備が何でも揃う感じ。利用者には便利」

 

 ティナがしかつめらしく相槌を打つと、ガガーランが興奮を押し殺した声で囁いた。

 

「種類もだが、質の方が驚きだぜ……見ろよコレ、ルーン文字が刻まれた魔法剣だ」

 

 そう言って手に取った細身の剣の刀身には、なるほど彼女の言うとおり、数文字のルーンが刻まれており、魔法文字によってその切れ味を増した白い刀身から鋭いオーラを立ちのぼらせている。この店でも目玉商品に位置するであろうその剣の銘は『切り裂きの剣』であり、代金は――

 

「金貨百枚!? ……たった!?」

 

 桁を見間違えたのではないかと思ったラキュースが目を擦って確認し、値札に掠れて消えた跡が残っていないか睨み付ける。ドワーフのルーン職人が作成したと思しき魔法剣が、競売にかけられるでもなくこのような店で安価に売られているなど、彼女の常識からは考えられぬ暴挙である。

 

「ボス、ボス。剣に限らず、この店大業物がとんでもない値段で売られてる」

 

「これは是非買っていくべき」

 

 忍者姉妹が投擲にも使えそうな短剣をためつすがめつしながら興奮の声を上げた。ラキュースとて彼女らの言葉に異存はない、使えそうな装備を見繕って直ぐにでも新調したいところだが――

 

「お楽しみのところ悪いが、嬢ちゃん達。お前さん達、国外の冒険者だろ?」

 

 カウンターに座っていた店番のドワーフから声をかけられ、びくりとその身を震わせた。

 

「何故、私達が国外の冒険者だと?」

 

「そりゃまあ、今更この店の品揃えにそんな反応を示すのは、来るのが初めての連中しかおらんからな」

 

「成る程、それもそうか」

 

 疑問の声を上げたイビルアイは、その回答に納得して頷いた。確かに、お上りさん丸出しの反応をしているのは彼女達だけであり、この光景を当然のものとして動いている他の客とは全く振るまいが異なっているようだった。

 

「国外の冒険者だからってどうこう言う気は個人的にはないんだが。この店を制限無く利用できるのは魔導国所属の冒険者だけって決まりでね、国外の冒険者さんは許可証が要るし、その値札の値段では売買できないことになってるんだよ」

 

 ドワーフの言葉に、意気消沈して商品を戻す忍者姉妹を見ながら、ガガーランはぼやいた。

 

「そいつはくえねえ話だな。なんでまた……ってこともないか、当然だろうなある意味」

 

「この店は魔導国が募集した冒険者を支援するための公的機関として、国の補助を受けて設立されてるんでね。他所の商人が転売目的で買い占めに現れてちょっとした騒ぎになったことがあって、それ以来そういう面倒な決まり事もできたのよ。まあ、今日のところは諦めて、許可証が欲しければ組合の方で聞いてみな」

 

 その言葉に押し出されるように、後ろ髪を引かれる思いでとぼとぼと商店を出た蒼の薔薇の一行は、通りの端で肩を伸ばして気を取り直した。

 

「まあ、別に買い物に来た訳じゃないものね私達は。あんな装備が安価で買えるというだけでも、魔導国冒険者の待遇の一端が窺えるわ」

 

 ラキュースがそう言って腕を組むと、ティアが袖の端をちょいちょいとつついて言った。

 

「ボス、通りの向かいに怪我人が列を作ってる」

 

「神殿っぽい」

 

 ティナがそう推測したように、大通りを挟んだ反対側にあるそのこぢんまりとした建物は何かの神殿のように思えた。ラキュース達が知る既存のどの神とも異なる建築様式のため、断言は出来なかったが、手足に包帯を巻いた怪我人がテンポ良く吸い込まれていくその様は、有償で治療を行う神殿と推測するのが妥当であると思われた。

 

「これはなんとも、また……」

 

 通りを渡って神殿の入り口に歩み寄ったラキュースが眉を顰める。神殿の入り口脇には、立て看板が目立つ位置に据え付けられており、解毒幾ら、麻痺幾ら、石化幾らと料金らしき数字が書いてあった。食堂のランチメニューを紹介するがごとき気安さで無造作に値段を提示するその有様は、奥歯に物が挟まったがごとき態度で御布施を暗に要求してくる、既存の神殿施設に対する彼女の常識を覆す状況であった。明朗会計なのは結構なことかも知れないが、神殿勢力がそう露骨に商売っ気を出してみせるのはどうなのだろうか。

 

「ほう、蘇生もメニューにあるな。代金は時価、担当神官のスケジュール調整のため要予約ね……他の治療の相場を考えれば、吹っ掛けるために時価にしているわけでもあるまい。そもそも蘇生手段を提供というだけでも大したものなのだしな」

 

 いずれにせよ、価格破壊もいいところだ。既存の神殿勢力が黙っているとも思えないが……そのように首を捻るイビルアイを横目に、怪我を抱えた冒険者達がさくさく内部に飲み込まれていき、出てくるのは五体満足になった健康体と思しき冒険者達である。流れ作業で治療を行っているのかと思いたくもなるスピードである。無論、利用者側にしてみればスムーズに進む方がありがたいのは言うまでもない。

 

「街の外の訓練所と、入り口側の商店と神殿。これにその辺の安宿を加えれば、冒険者の訓練を受けている連中が回る施設が一通り揃うってわけだな。リーダー、俺らもとりあえず宿を押さえに行こうぜ」

 

 ガガーランがそう言って荷物に視線をくれると、ラキュースは同意して頷いた。

 

「そうね、入り口に色々あったからつい後回しにしてしまったけど。まずは宿をとって荷物を置いてきましょうか」

 

 エ・ランテルでも最高級の宿屋と名高い『黄金の輝き亭』は、当然都市の中心部、高級な店が軒を並べる富裕層向けの区画に居を構えている。“蒼の薔薇”の一行が大部屋を取って馬を預け、荷物を置いて一息入れていると、部屋の扉を遠慮がちにノックする音が聞こえてきた。

 

「はい、どうぞ?」

 

「失礼します」

 

 そう言って入室してきたメイドが手ぶらであることに疑問を抱いた一同が視線で問うと、メイドは恐縮したように深々と頭を下げた。

 

「実は、“蒼の薔薇”の皆様方に面会したいというお客様がロビーにいらしております」

 

「私達に?」

 

 一同は思わず顔を見合わせる。エ・ランテルには本日つきたてのほやほやで、予め来訪を知らせておいた知人の類も居ない。商売が終わるまでは特に用はないはずだが、同行してきた商人になんらかの用事ができたのであろうか。そのような疑問を胸に、相手の素性を問いかけると、メイドは畏まってこう返答した。

 

「はい。いらっしゃったのは、エ・ランテルのアダマンタイト級冒険者チーム“漆黒”の一員である、“美姫”ナーベ様です」

 

 メイドが告げた、意外すぎる訪問者の正体に。一同は再び顔を見合わせて互いの表情に浮かんだ困惑を読み取ったのであった。

 

 

 




《ボルタック商店》
 外人が考えた名前の癖に、単純なアナグラムで日本語表記をボルタックからボッタクルに置き換えられるという奇跡の名前を持つ武器屋。当然のように日本ではボッタクル商店が通称になっている。実は開発者はロバート&アンドリューじゃなくてブラッドレー&フィリップだったりしないだろうな……?
 冒険者の持ち込んだ装備品を買い取ったその手で、倍額の値札をつけて陳列したり、未鑑定のアイテムを識別するのに、下取り価格と同じ値段を請求するその様は名前負けしないまごうかたなきボッタクル商店と言えよう。利用者に仕入れ値を開示しているという意味では親切と言えないこともない気がするが。

《カント寺院》
 実はボッタクル商店より強欲でがめつい坊主共の巣窟。
 完全先払い制、蘇生に失敗して死体が灰になったり、失われても(※1)当方は一切関知しませんという殿様商売。代金の返金はもとより、謝罪すら致しませんというその態度は、冒険者達の間で蛇蝎の如く嫌われている坊主丸儲けである。
 そんな拝金主義者共でも、熟練の僧職冒険者より蘇生呪文の成功率は高いというのだから始末に負えない(※2)。カント寺院が信仰するカドルト神は金儲けの神様なのだろう。シェアの独占を放置するとろくなことにならないという社会風刺の例である。

※1:Wizでキャラクターが死ぬと、当然死体になるのだが、その先は一風独特のシステムを持っている。まず死体の蘇生に失敗すると朝日を浴びた吸血鬼のごとく灰になるが、ここまではまだ取り返しがつく。灰からの蘇生にはより上位の蘇生呪文を必要とし、それにも失敗するとキャラクターは消失(ロスト)する。そういう名前の状態ではなく、文字通りのキャラクターデータの削除であり、Wizでの死亡が怖れられる最大の理由である。
※2:ザオラルなら成功するまで唱え続ければいいのだが、上述のロストシステムによりWizの蘇生呪文は失敗できない。故に少しでも成功率の高い方法を選択するため、寺院の強欲坊主に泣く泣く金を支払い、失敗されて本当に泣くという選択肢をやむなく選ぶ冒険者は後を絶たない。なお、廃人はマハマンマロール(※3)で復活させる。
※3:1レベルを支払って奇跡を起こす大変異(マハマン)という呪文、オバロでいう星に願いを(Wish upon a star)と元ネタが同じ呪文があるのだが、その中の選択肢に味方を復活させるというものがある。経験値を支払うだけあって、この効果による蘇生は100%成功する、Wizにおける最終手段である。当然問題となるのは1レベル下がることを受容できるかどうかなのだが、経験値の減算処理が戦闘終了後であることを利用して、戦闘中に転移(マロール)で逃走すると見かけ上レベルは下がるが経験値は減らないという裏技がある。つまり、この裏技を利用すればノーリスクで安心して復活可能というわけだ。



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2F:謁見

 
 当然要るだろう部分の描写を積んでいくだけで
 仕込み部分が長くなーるー。



「……お久しぶりです、“蒼の薔薇”の皆様」

 

 口調だけは丁寧に。硬質な態度と無機質な表情で、二つ名に相応しい完璧な美貌の持ち主である少女は、部屋に招き入れられた後そのように挨拶をした。記憶にあるのと寸分違わぬ彼女の無愛想ぶりを、一同は苦笑で迎えた。

 

「あなた達が王都を去って以来の再会になりますね、ナーベさん。それで、こちらにはどのようなご用件で?」

 

 ラキュースが当然の疑問を問いかけると、ナーベラルは無表情にその顔を見返して言った。

 

「それはこちらが伺いたいことですが……エ・ランテルにはどのようなご用件でいらしたのでしょうか、“蒼の薔薇”の皆様。いえ、今答えて頂く必要はありません。その辺りの話をするために、モモンさ――んが皆様との対話を希望しておられます。可能であれば今すぐにでも共においでいただきたいのですが、いかがでしょうか?」

 

「モモンさ――いや、モモン殿が私に会いたいと!?」

 

 がばと身を乗り出した仮面の魔法詠唱者(マジック・キャスター)を、呆れたようにガガーランが引き戻す。

 

「お前じゃなくて、俺たちとな。……どうする、リーダー?」

 

「どうするって……こういう場合……」

 

 到着早々の反応の早さはなんなのか、問いただしたい気持ちは有ったが。結局のところ、目の前の女性はメッセンジャーに過ぎないのだから、彼女の言うとおりモモンと会った方が早いのだろうか。その様に逡巡するラキュースの様を見て、ナーベラルが言葉を付け足した。

 

「急に言われても都合が悪いということであれば、改めて出直しますが……いつなら対応可能か、教えて頂けると助かります、リキュール――さん」

 

「……は?」

 

 台詞の最後の部分でなんだか妙な単語が聞こえた気がして、ラキュースは聞き間違いかと眉根を寄せた。そんな彼女の反応を見てどう思ったか、ナーベラルがコホンと咳払いをする。

 

「失礼、ええと……ラリュースさん?」

 

 改めて口に出された謎の固有名詞に、唖然とする本人よりもむしろ周囲の方が反応した。

 

「って、誰だよおい」

 

「もしかして……ボスの名前覚えてない?」「これはひどい」

 

 口々に囃し立てる蒼の薔薇の面々の台詞を、表面上は丁重に無視したナーベラルであったが、その耳が僅かに赤く染まっているのを目聡く見つけたガガーランがにやにやと笑って言った。

 

「ん、なんだお前さん。もしかして人名覚えるの苦手なのか? 俺っちの名前言えるかい?」

 

 その言葉を受け、ナーベラルはガガーランを睨む。僅かな逡巡の後に、口を開いた。

 

「……ガ……ガガーリン?」

 

「んー、惜しいっ!」

 

 名前を間違えられても気を悪くした様子もなく、ガガーランが豪快に笑い飛ばす。忍者姉妹が便乗してじゃあ私は私はと纏わり付くのを心底鬱陶しそうに睨むと、ナーベラルは頭を押さえて考え込んだ。

 

「……ティファと、ティノ?」

 

「めておすとらいくー」「ばりすたー?」

 

 唸った挙げ句間違った名前を絞り出すナーベラルを、ラキュースは呆然として眺めた。少なくとも、僅かな時間で初対面の人物の名前と家柄と力関係を大量に詰め込むことに慣れ親しんだ彼女にしてみれば、ナーベラルの態度は目を疑うものがある。彼女には亡国の姫君ではないかという噂もあったが、今の醜態を目にした後では少なくとも貴族階級の人間であるとは信じられなかった。

 そのようなラキュースの思いは他所に、最後にイビルアイがやや躊躇いがちに自分の名前を問いかける。ナーベラルは長い沈黙の後、目を逸らしてこう呟いた。

 

「か……仮面の人影……」

 

「何故そこで不確定名ッ!?」

 

 イビルアイが逆上し、椅子を蹴立てて立ち上がる。肩を並べて戦った仲の私の名前を一番覚えてないとか、ちょっと酷くないか!? そのように騒ぎ立てるイビルアイを、ガガーランが押さえつけてどうどうと窘めた。ナーベラルは我関せずとばかりにツンとしており、その態度がイビルアイを益々いきり立たせるという悪循環である。

 

「はいはい、イビルアイも落ち着いてちょうだい。えーとみんな、特に不都合がある人は居ないわよね? せっかくモモンさんにお呼び頂いてるのですから、直ぐにでも話を伺いに行こうと思うのだけれど」

 

「私は賛成だ。モモンさ――んが意味もなく我々を呼びつけるようなことをするとは思えない、何か重大な用事があるのだろうからな」

 

 さま付けしそうになるのを訂正するイビルアイの台詞はまるでナーベそっくりであった。個人的な動機によりバイアスがかかっているであろう彼女の見解に内心苦笑しつつも、残る三人が特に異論もなく頷くのを確認すると、ラキュースはナーベラルに呼びかけた。

 

「ということですので、早速お伺いしようかと思います。案内をお願いできますか」

 

「――大変結構な心がけです。それでは行きましょうか」

 

 先程のやりとりは努めて無視することにしたラキュースの呼びかけに神妙に応じると、ナーベラルは一同を案内すべく踵を返したのであった。

 

 

 

 

 魔導王が居を構え執務を執り行っている屋敷の別宅に、エ・ランテルの人間としての執政官たるモモンの居宅が割り当てられているという。その別館の応接間に蒼の薔薇の一行を案内したナーベラルは、部屋の扉をノックして客人の来訪を告げると、中からの応答を確認して扉を開いた。彼女に促されて部屋の中に入った一同の視線は、応接間の椅子から立ち上がって出迎えた漆黒の全身鎧(フルプレート)に身を包んだ英雄モモン――ではなく、隣の椅子に座ったままの見目怖ろしい骸骨に吸い込まれた。

 

「ま、魔導王アインズ・ウール・ゴウン……! なぜここに……!?」

 

 その禍々しい姿を目にした瞬間我知らず身構えたイビルアイが呻く。戦慄に身を震わせた蒼の薔薇の一同に、モモンが後頭部に手をやって頭を掻きながら話しかける。

 

「あー、ええと。騙すような真似をして申し訳ない、皆さん。代わりと言っては何だが、皆さんがここにいる間の安全は私が自身の全てを掛けても保証させて頂きますので……どうか魔導王陛下のお話をお聞き下さいますか」

 

 漆黒の英雄の困ったような、だが頼もしい台詞を聞き、一同の緊張がやや緩んだ。忘れていた呼吸を取り戻し、文字通り一息ついたラキュースが問いかける。

 

「ともあれお久しぶりです、モモンさん。ということは、私達と話をしたいというのはあなたではなく、そちらの魔導王……陛下の方なのでしょうか」

 

「お久しぶりです、ラキュースさん。その通り、魔導王陛下があなた方と話をしてみたいと仰ったので。陛下が直接招聘しても警戒されて来てくれないのではないかと気を回した私が、仲介の労を取らせて頂いた次第です」

 

 モモンがそう言って顔を向けると、アインズ・ウール・ゴウン魔導王が重々しく頷いた。

 

「――お初にお目にかかる、“蒼の薔薇”の諸君。私がアインズ・ウール・ゴウン魔導王である。君達のことはそこのモモンから多少なりとも聞き及んでいる。国内外のアダマンタイト級冒険者の動向には注目しているのだよ……我が国に足を踏み入れれば即座に報告が挙がるくらいにはね」

 

 成る程、それでこれだけ反応が速いのか……ラキュースは納得すると共に、下手な変装をせずに来て正解であったと内心胸をなで下ろした。

 

「これはご丁寧に、魔導王陛下。それにお耳汚しをしたようで恐縮ですわ。この国には仕事の絡みで立ち寄ることになっただけでして、そっとしておいて下さればよろしかったでしょうに」

 

 そんなことはおくびにも出さず、社交用の笑顔を表情に張り付けたラキュースの挨拶を耳にすると、アインズはふっと笑って言った。

 

「ほう、仕事で。それはどのような仕事なのか、聞いても良いかな?」

 

「守秘義務などかけようもない、見れば分かることに過ぎませんのでいくらでも。私共は、王国から魔導国へはるばる交易をしに参りました隊商の護衛を務めております。……商談がまとまるまでの間、手空きの時間に観光などさせて頂ければと考えておりますが」

 

「……ふふ、アダマンタイト級冒険者の護衛とは豪毅な話だ。我がエ・ランテルまでの街道には(ドラゴン)でも出没するのかな?」

 

 (ドラゴン)が出るとは聞いていないが、伝説級のアンデッドを雲霞の如く従えている存在なら目の前にいますけどね……アインズの探りをかけるような台詞につい皮肉を返そうとしたラキュースは、危ういところで思いとどまった。喉元まで出かかった台詞を無理矢理飲み込んで目を白黒させる彼女の様子をどう見たか、アインズは眼窩の奥に灯る炎を揺らめかせた。

 

「まあ、腹の探り合いはこの辺にしておきたいものだ。これは提案なのだが……君達さえ良ければ、私がエ・ランテル郊外に用意した件の地下迷宮『魔導王の試練場』と周辺の訓練施設を見学していかないかね?」

 

 アインズの発言に虚を突かれた一同が、身じろぎして顔を強張らせる。露骨に動揺を表情に出したラキュースとガガーランの様子を一瞥し、ティアとティナがあちゃーと口中で小さく呟いた。

 

「これはまた唐突な申し出だが……陛下は何か誤解しておいででは?」

 

 仮面の内部に動揺を封じ込めたイビルアイが立て直しを試みるも、アインズは芝居っ気たっぷりに頭を振った。

 

「勘違いしないで貰いたいが、君達が我が魔導国の冒険者組合がどのようなものであるか探りに来たことに対して私が不快感を覚えているなどという事実はない。私が近隣諸国にまで志望者の募集を行った時点で、他国の冒険者組合が危機感を覚えるのは当然のことだからな。私達と君達は言うなれば競合他社……っと、この表現は上手く伝わるのかな? とにかく、ライバル関係とも言うべき間柄だ。相手の手の内を探ろうとするのは自然の成り行きだろう」

 

「参ったね……みんなお見通しってわけかい。知謀の王として鮮血帝に唸られたという噂は伊達じゃないってわけですかね」

 

 ガガーランが大きく感嘆のため息をついた。敬語表現がかなり微妙だが、アインズは気に留めた様子もなく、聞きとがめるような忠誠心に溢れた臣下もこの場にはいな……いことになっている。“美姫”ナーベが身じろぎしたその足先を無造作に踏みつけた全身鎧(フルプレート)の具足は、対面に座る蒼の薔薇の一同からは死角になっていた。

 

「だから、君達に便宜を図ろうというのは、君達の為というよりは私の為でもある。他国の冒険者組合とせめて消極的中立程度の関係を保つために、こちらの情報を開示する必要があるだろうことがひとつ。そして、無論十分にテストを重ねてきたとは言え、新たな実力者が挑戦したデータを確認することで訓練所としての内容を更に改良できるであろう事がふたつだ」

 

「成る程……そういう風に仰って頂ければ、妙な裏があるのではないかという不安も軽減されますわね。どう思う、皆?」

 

 ラキュースの問いかけに、蒼の薔薇の一同は頷いた。

 

「いいんじゃねえの、リーダー。むこうさんが案内してくれるっていうなら乗っとけば」

 

「……隠しておきたい事柄があるとしても、まずは相手方が広報したい情報を整理することは重要だしな。私も賛成だ」

 

「おけ」「お任せ」

 

 その様子を確認すると、アインズは満足げに頷いた。

 

「よろしい。私の方で話は通しておくから、早速明日にでも試練場の方を見学に来てくれ給え。私はこれで失礼させて貰おう、驚かせて済まなかった。モモン……後のことは宜しく頼む」

 

「了解です、魔導王陛下」

 

 モモンの返答を確認して手を振ると、アインズが立ち上がって退室する。彼の全身から撒き散らされていた超越者のオーラがその残滓を宙に溶かすと、緊張から解放された一同は大きく息をついた。

 

「……お疲れ様でした、皆さん。騙し討ちのような真似をして重ね重ね申し訳ありません」

 

 そう言って頭を下げて見せるモモンの行動に、ラキュースは慌てて手を振ってみせる。

 

「ああ、いえ。確かにびっくりしましたけど、何事もなく話は済んだわけですし、気にしてはおりませんわ」

 

「……それにしてもモモン殿。話に聞くよりは随分と魔導王に親しげな様子だな? 魔導王の暴虐を監視し、いざというときは民を守るために今の地位についたと聞いていたが」

 

 イビルアイの探りを受け、モモンは首を振る。

 

「そうですねイビルアイさん。魔導王陛下の治世を監視し、彼が民に牙を剥けばこの身を以てその前に立ちはだかる、その誓いは今も変わりありません。冒険者稼業を休業しても変わらぬこの出で立ちが、私の決意の証明のつもりです」

 

 そう言って成る程、統治者には凡そ邪魔にしかならぬ全身鎧(フルプレート)姿を示してみせたモモンに対して一同は感じ入ったように頷いた。

 勿論、実際には全身鎧(フルプレート)を脱ぐわけにはいかないからな訳であるが。後付けで考えられた言い訳だが、他人を納得させるだけの説得力は十分あった。さすがはももんさまとかなんとか呟きが聞こえた気がするが、たぶん空耳だろう。

 

「成る程、いついかなる時でもお前の暴虐を見逃しはしないぞという圧力を魔導王に示しているわけか。まさに英雄の振る舞い、感心するぜ」

 

「お褒め頂きありがとうございますガガーランさん。……ただ、幸いにしてと言うべきか。これまでの治世において、私がそのような決断を迫られそうになったことは全くありません。陛下が生者に呪詛を撒くアンデッドとして振る舞うのでなければ、私が陛下に剣を向ける理由はないですね。むしろ、もし仮にあなた方が陛下を暗殺しに潜入してきたのであれば、この剣を以て皆さんの前に立ちふさがることとなるでしょう」

 

 脅しをかけるとも言えるその台詞に、蒼の薔薇の一同がぎょっとして首を竦めた。

 

「安心して欲しい、冒険者は政治的に中立」

「そんな無謀じゃないし、そもそも依頼もないー」

 

 ティアとティナが揃って首を振るのを見て、モモンはならば結構と頷いた。そんな様子を見て、イビルアイが仮面の下で眼を細めた。

 

「ふむ……すると少なくとも現時点では、モモンさんは魔導王陛下に忠義を誓っておられるというわけですか」

 

「ええ、そうですねイビルアイさん。魔導王陛下のこれまでの統治は、誰に対しても公正であり、平等を目指しておられるように見受けられます。アンデッドは生者を憎むものである――そのような言説は偏見であるのではないか、私などは半ばそう思っていますね。亜人種、異形種、はてはアンデッドとも共存するのが魔導国の国是だそうですが、その夢物語を共有するのも悪くないかもしれないとさえ思います」

 

「そ、そうですか。アンデッドとも分け隔て無く。ほうほう……」

 

 いやに嬉しそうな様子のイビルアイを不審そうに一瞥すると、モモンは気を取り直して言葉を続けた。

 

「いずれにせよ、陛下もああ仰ったことですし。今日は宿の方で旅の疲れを癒して頂いて、明日は魔導国の冒険者組合の仕組みを見学していって下さい。まだ実際の挑戦者が出るところまで進んでいない、訓練所の地下四階あたりにも挑戦して頂けると助かります。……なに、等級的にはオリハルコン級の認定試験ですからね。皆さんであれば簡単すぎて物足りないことでしょう」

 

 やや挑発的なその台詞を耳にし、一同は顔を見合わせる。やがて不敵な笑みを浮かべたラキュースが言った。

 

「ふふ、それは楽しみですね。では、明日はよろしくお願いしますね、モモンさん。今日のところはこれにて失礼させて頂きます」

 

 そういうことになった。

 

 

 




《不確定名》
 薄暗い迷宮の中で突然襲いかかってきた小さな人影。君が今までに遭遇したモンスターの知識に照らし合わせると一見オークっぽいが、そいつは本当にオークなのだろうか……?
 ――ダンジョン内で出会ったモンスターが何者か即座に分かるなんてそんなの絶対おかしいよというリアリティ追求主義(※1)により、冒険者達が相手の正体を特定するまでの仮の呼称として振られるのが不確定名である。小さな人影、まばゆい姿、悪魔など、ぱっと見でわかる大体のカテゴリは区分けされつつ、実際には何者だこいつと推測を巡らせるのがプレイヤーの醍醐味である。たぶん○○だろうと思って決め撃ちすると足下を掬われる……かもしれない(※2)。

※1:というか言ってしまえば、TRPGにおいてモンスターと接敵すると、まず知識ロールによる識別判定をさせられることを再現しているだけだと思われる。その知識ロール自体は、上述のようなリアリティ主義から発想されたシステムなので間違いではないが。
※2:ゲーム性を追求するなら、同じグループの不確定名に性質の異なるモンスターを複数割り当てることによるn拓を迫るのが定石である。呪文無効化率95%の巨人族だと思って殴りかかったらギリメカラでしたとなればプレイヤーのトラウマになることは確実だ。でもWizardryではそこまで性悪な罠は存在せず、出現階層と数から大体は当たりをつけられるようになっている。



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3F:受難

 
 冷静に見直してみると設定的に不分明な点がありますが……
 アルシェが淋しがるからノリと勢いで流してやってください。



「おっしゃぁああああああああああ!!」

 

 ガガーランの怒号と共に振るわれる刺突戦鎚(ウォーピック)が、彼女の前に立ちふさがる骸骨戦士(スケルトン・ウォリアー)達を次から次へと叩き潰していく。その殆どは一撃で頭蓋から体幹中央付近を撃砕され、たまに盾を構えて一撃は耐える個体も、大きくよろめいたところを返す刀で粉砕される。

 そのようにして骸骨戦士(スケルトン・ウォリアー)の戦列が崩れた隙間に、ガガーランの背後から追随するラキュースがその体をねじ込んで叫びを上げた。

 

「超技! 暗黒刃超弩級衝撃波(ダークブレードメガインパクト)ォオ!!」

 

 漆黒の魔剣に浮かぶ星々の輝きが唸りを上げて爆発し、後列で呪文(スペル)を詠唱していた魔法詠唱者(マジック・キャスター)達に襲いかかる。鳳龍核撃斬で言えば猛炎(ラハリト)級に達するであろう無属性の衝撃波が、骸骨魔法師(スケルトン・メイジ)子鬼森司祭(ゴブリン・ドルイド)の詠唱をその生命ごと吹き飛ばした。

 

<結晶散弾>(シャード・バックショット)

 

 イビルアイの唱えた攻撃魔法が、十五連続にも及ぶ無呼吸連撃で骸骨戦士(スケルトン・ウォリアー)達をなぎ倒したガガーランの硬直に手を伸ばそうとした集合する死体の巨人(ネクロスォーム・ジャイアント)の体中に風穴を開ける。本体からぼろぼろと死体をこぼしながら、集合する死体の巨人(ネクロスォーム・ジャイアント)は大きく仰け反って唸り声を上げた。

 その間にも左右に分かれた忍者姉妹が、それぞれに駆け寄ってきた悪霊犬(バーゲスト)を返り討ちにするのを確認すると、ラキュースは声を張り上げて一同を鼓舞する。

 

「オッケー、皆! 残りはデカブツ二体と天井をかさかさしてる蜘蛛だけよ! ティアとティナで蜘蛛をお願い、他はデカブツを順に片付けましょう!」

 

「あい、ボス」

「了解ー」

 

 既に大勢は決した。ティアとティナがクナイと忍術を駆使して天井に張り付いた絞首刑蜘蛛(ハンギング・スパイダー)を狙撃する傍らで、ガガーランを先頭に突っ込んだ三人が瞬く間に集合する死体の巨人(ネクロスォーム・ジャイアント)を解体していく。

 集合する死体の巨人(ネクロスォーム・ジャイアント)を死体の山に分解し終えると、残った死体に聖水をかけて焼き払いながらラキュースは深い手傷を負った仲間が居ないことを確認して安堵の吐息を吐き出した。

 

「ふう……どうにか片がついたわね。ガガーラン、治療するからこっちに来て」

 

「ああ、よろしくリーダー。一応キャンプ張ろうぜ、実際便利だからなこの魔道具」

 

 先頭に立って攻撃を引き受けたガガーランは無傷とは行かないが、その傷は浅手である。大した被害もなく激戦を制したのは、流石はアダマンタイト級冒険者の面目躍如と言ったところである。

 

「ま、オリハルコン級の認定試験相当という話だからな……我々が手こずるようでは名が廃るというものだ。それにしても、オリハルコン認定前……ミスリルの冒険者チームには辛くないかこのモンスターの群れは?」

 

「……同感、ギリオリハルコンだとちとキツイかも」

「管理者の設定ミスー?」

 

 イビルアイが今し方撃破したモンスターの死体を見渡してそう呟くと、忍者姉妹が同意の声を上げた。実際に挑戦して踏破した冒険者はまだ居ないという話だから、そういうこともあるでしょうねとラキュースが相槌を打つ。

 

 ただいまアダマンタイト級冒険者チーム“蒼の薔薇”は、冒険者訓練場の見学を堪能した後、魔導王アインズ・ウール・ゴウンの誘いに乗って『魔導王の試練場』の攻略を体験中である。アダマンタイト級の実力を持つ君達には物足りないかも知れないが、そう言いながら上層をすっ飛ばして地下四階まで案内された魔導王の態度に、よろしいならば我々の実力を見せつけてやろうと一同は奮起したものである。ずんずんとダンジョンの奥まで踏み込んで、危なげなく「モンスター配備センター」を突破してみせた実力は、なるほどアダマンタイト級の名に恥じない戦果であった。

 奥の部屋に踏み込んで無事にブルーリボンを手に取り、女性用装飾品にしか見えないそれを目にしてなんだこりゃと首を捻る一同に、どこからともなく魔導王の声が降ってきた。

 

『ふふ、お見事。流石は王国にその名を轟かすアダマンタイト級冒険者チーム“蒼の薔薇”。その素晴らしい実力を堪能させて貰ったよ』

 

「それはどうも、光栄ですわ魔導王陛下。……地下四階の攻略はこれで終わりなのでしょうか?」

 

『そうだな。そのブルーリボンを取った時点で、()()()()でやるべき事は完了だ』

 

 アインズの返答に、一同は安堵の笑みを浮かべる。なんだ、「魔導王の試練場」とやらも蓋を開けてみればたいしたことはなかったな……公開された情報では、魔導王の試練場は全四層である。一同が気を抜くのも無理はなく、アインズの言い方の微妙なニュアンスにも気づかない。

 

『それでだな諸君。君達の様子を見る限り、まだまだ余裕がありそうだし、さぞかし物足りなかったことだろう。……実は、このダンジョンにはアダマンタイト級の実力を持つ冒険者を想定した更なる地下が存在するんだが。……ちょっと覗いてみないかね?』

 

 猫撫で声と言ってよい優しげなアインズの誘いに、一同は驚きの顔を見合わせる。そのまま顔をつきあわせて相談するも、結論は半ば決まっている。挑戦で手にした戦利品は持ち帰って良いと魔導王直々に保証されており、実際手にしたのは他所では滅多にお目にかかれぬ魔道具の数々だ。ちょっと覗いてみるくらいなら……ここまで苦もなく宝を手にしてきたラキュース達の目の奥に、欲望の炎が灯ったのも無理からぬところであった。

 

 しかし――

 勿論、それが蒼の薔薇ご一行様の受難の始まりだったのである。

 

 

 

 

 がきんっ。

 硬質な音を立てて、ガガーランの振り抜いた刺突戦鎚(ウォーピック)が天然の装甲に阻まれる。

 

「くそ、こいつ硬えぞ!? なんとかしてくれ、イビルアイ!」

 

 いまいちダメージが通っていない手応えの悪さに、顔を顰めたガガーランが叫ぶ。

 ここは地下五階の一角。数ブロックをぶちぬく大広間に侵入した瞬間、部屋の中央からわさわさと押し寄せてきた巨大な甲虫型モンスターと戦闘に入り、“蒼の薔薇”の切り込み隊長であるガガーランは想像以上の手強さに苦慮していた。

 

「……虫には嫌な思い出がある」

「トラウマー?」

 

 無表情に身を震わせるティアの様子を尻目に、自身も前衛の一角を受け持つラキュースが焦りの叫びを上げた。

 

「部屋の奥から敵増援! イビルアイ、お願い!!」

 

「ふむ……任せておけ。昆虫種族だったのがお前達の運の尽きだ。私の魔法の威力、その身で味わうがいい」

 

 部屋の天井を支える巨大な柱の向こうから更に湧き出る甲虫たちの群れを一瞥すると、イビルアイは不敵な笑みを仮面の下に隠して一歩、敵増援の前に踏み出した。何も考えずに殺到してくるモンスターを所詮はムシケラ風情だなと冷笑すると、その手を前方に突き出して虫に対し絶大な効果を持つ殺虫剤の霧を生み出そうとし――

 

「くらえ、<蟲殺し>(ヴァーミンベイン)――?」

 

 手に集まった魔力が虚しく霧散するのを感じて愕然と己が手を眺めることになった。

 

「な――!?」

 

 仮面の下でイビルアイの口が半開きになる。魔法を発動しようとした瞬間、脳味噌の中身を引っかき回すような不快感と共に練り上げた魔力が掻き乱され散らされるのを感じた。

 何らかの妨害を受けた、しかし誰がどうやって――その様に惑乱するイビルアイは、ラキュースの警告を認識するのが遅れる。範囲魔法で薙ぎ払うつもりだったイビルアイ目がけて、殺到した甲虫たちが一斉に飛びかかった。

 

「ぬわ――――――――ッ!?」

 

 甲虫の群れがイビルアイを中心に押し固めて群がり、球状の密集隊形を作り上げたその様子は、蜂球と呼ばれる現象を彷彿とさせる。

 

 

 

 ――そんな様子を映し出す<水晶の画面>(クリスタル・モニター)の映像に、はしゃぎ声を上げて熱狂するお団子頭のメイドが居た。

 

「キャハ、キャハハ……いい気味ぃ! 行け、ボーリングビートル! 頑張れ、頑張れ」

 

「エントマ……はしゃぐのは結構だけど、万が一ボーリングビートルが優勢になるようであれば、彼女達を助けに行くことになってるのよ?」

 

 そう言って手を突き上げる妹を窘めたのは、姿勢を正してエントマの様子を見守る姉のナーベラルである。彼女の出で立ちは本来のメイド服ではなく、“美姫”ナーベの役割(ロール)を果たすときに用いる簡素な冒険者服になっていた。

 当然、その傍らには漆黒の全身鎧(フルプレート)に身を包んだアインズが椅子に腰掛けており、ナーベラルの肩に手を置いて笑いかけた。

 

「まあよいではないか。エントマをここに呼んだのは、翻弄される彼女達の様子を見物することで多少なりとも気が晴れればよいと思ってのことだからな」

 

 その言葉に黙って頭を下げるナーベラルを横目に、アインズはエントマに声をかけた。

 

「済まないなエントマ。このまま連中を試練場の藻屑にすることは実際容易いが、そうするわけにも行かない事情があるのだ。自己責任で挑んだ深層とは言え、仮にもアダマンタイト級冒険者チームが挑戦して未帰還という事態になれば、ようやく軌道に乗り始めた志望者を訓練して卒業させ送り出す一連の流れに水を差しかねん。だから、今回は彼女達には何が何でも無事に帰還して貰う。お前にした約束が果たされるのは別の機会になってしまうが……」

 

「いいえぇ、アインズ様ぁ。そのお気持ちだけで感激の極みですぅ。今はアイツらの醜態を眺めるだけで、溜飲を下げることにしておきますわぁ」

 

 自分に気を遣ってくれただけで感涙物である、そのように述べたエントマに済まないと再度頭を下げると、アインズは<水晶の画面>(クリスタル・モニター)の様子に視線を戻してほうと呟きを発した。

 

「……おいおい、群がったボーリングビートルを素手で押しのけたぞ。イビルアイの奴、魔法詠唱者(マジック・キャスター)の癖に近接戦闘能力も随分高そうじゃないか?」

 

 お前が言うか、と言われる類の台詞であったが……消呪領域で呪文を封じられたイビルアイがあわや虫の餌になるかと思えば、無理矢理にボーリングビートルを蹴散らして脱出した様子を目にしてアインズが唸る。そのまま体勢を立て直し、這々の体で「魔封じの大広間」から逃げ出す蒼の薔薇の一行の様子を観察する。

 

「ふむ、まあこの程度の罠は切り抜けて貰わねばアダマンタイトの名が泣くな……」

 

 広間の外で、魔法が問題なく行使できることを確認するイビルアイ。なんらかの妨害機構が働いていることを仲間に説明し、広間を避けて探索を再開した。

 

 

 

 

 “蒼の薔薇”は腐ってもアダマンタイト級冒険者チームであったし、ダンジョンに配置されたモンスターの難度上昇曲線も今では最初期の設定と比較して大部控えめに下方修正されている。それほど危なげなく探索は進んでいき、安堵と共に徐々に自信を取り戻す一行であったが。

 次の事件は、地下七階の下り階段に辿り着いた時に起こった。

 半ばまで下りた所で、階段から()が消えたのだ。下からの支えによって水平を保っていた板の支えが外れ、段が崩れて45°の勾配へと変貌を遂げる。

 

「ひゃ!?」

 

 階段には手すりもなければ壁面に取っ掛かりもない。たまらず自重に引っ張られてスロープと化した元階段を滑り落ちていく一同。どうにか姿勢の上下を維持しているのは、流石は歴戦の冒険者と言ったところである。

 落ちた先に槍衾が待っている……などと言うこともなく、一行が排出された先は一辺が数十メートルにも及ぶ大広間の端であった。壁面を飾るきらびやかな装飾と、天井からつり下がるシャンデリアによって仰々しく飾り立てられた様子は、地下迷宮の中とは思えぬ場違いな豪奢さを誇っていたが、いっそ何かの皮肉めいたものを感じさせる。

 滑り落ちてくることでついた勢いに逆らわず、ホールの中に突っ込んでから減速して止まろう。彼女達がそう考えたのは無理もないと言えたが、そうは問屋が卸さない。

 

「うぉ……!?」

 

 勢いを付けて広間に突っ込んだガガーランの足が床を踏んだ瞬間、彼女の体全体が不自然に回転した。慣性ごと向きを変更されたガガーランの進行方向が真横に変わりそのまま一歩進むと、そこで再度回転をかけられる。よろめいた体を無理矢理引きずり起こされて振り回され、別方向に放たれる。勿論、ガガーランだけではなく五人全員が。それはさながら、バーテンが激しく振り回すシェイカーの中に放り込まれたかのような有様で、やがて勢いが止まって転がるように倒れ込み、床を舐めるまで存分に三半規管をシェイクされたのだった。

 

「おぇっぷ……み、みんな生きてる……?」

 

「そりゃまあ、死にはしないが……うえぇ……」

 

 “ダンスホール”と皮肉を込めて呼ばれるその大広間には、床一面に回転床のトラップが敷き詰められていた。上層では空間をねじ曲げ回されたことすら気づかぬ静かな罠であったそれが、このフロアでは回転させられたことを自覚できるような別物に調整されているのは、設置者の有情などでは勿論ない。一歩進む毎に進行方向を回転させられ踊り狂う侵入者の様子をダンスに見立てる、三半規管に対する陰湿な攻撃である。

 忍者としての特殊な訓練により耐性の高い姉妹を除き、残りの三人は息も絶え絶えによろめきながら立ち上がる。船酔いに悩まされる半病人の如き青ざめた顔で覚束なげに周囲を見回した。

 

「と、とにかく部屋の端を目指しましょう……うひっ」

 

 そう言って壁際を目指して歩き出そうとしたラキュースが、無慈悲な罠に旋回させられ、中央に向けてよろめいた。再び奇っ怪なダンスを不本意に踊った後、無様に床に這いつくばって痙攣する羽目に陥る。

 

「お、おいリーダー、大丈夫か……ぐぇっ」

 

 心配のあまり、考えなしに彼女の許に駆け寄ろうとしたガガーランが、その浅はかさの報いを受ける。一歩駆け寄ろうとする毎に向きを逸らされた彼女がぐねぐねと不思議な踊りを描く様を、残りの仲間が手をこまねいて見守る。結局ラキュースの許へも壁の端へも辿り着けずに存分に踊り狂ったガガーランであったが、残りの仲間達にとってもその醜態は他人事ではないのだ。

 

「……そうだ、イビルアイ。<飛行>(フライ)

 

「そ、そうか、そうだな。その手があったか」

 

 ティアの指摘にポンと手を打つと、イビルアイが<飛行>(フライ)を唱えて宙に浮かび上がる。ティアが背嚢の中から取りだしたロープの端を受け取ると、壁際まで飛んでいく。壁の端に降り立った彼女が保持するロープを、ティアとティナが手で手繰りながら近づいていく。流石にどれだけ回転させられようとも、イビルアイががっちりと保持したロープを物理的に手繰っていく動作の前では進むべき方向を変えることはない。視界は激しく回転を繰り返すが、やがて忍者娘の二人はイビルアイと合流した。

 

「おい、ガガーラン。立てるか?」

 

 ロープの保持をティアとティナに委ねたイビルアイが、宙を飛んで部屋の中央に転がるガガーランに近づいた。どうにかいらえを返して立ち上がったガガーランがティア達の真似をして覚束なげにロープを手繰るのを尻目に、這いつくばって痙攣するラキュースの許へ向かう。

 

「ラキュースは……こりゃダメそうだな」

 

 イビルアイは、白目を剥いて涎を垂らす淑女らしからぬ痴態を晒すラキュースを抱き起こすと、その腰にロープをくくりつけた。壁際に辿り着いてロープを保持するガガーラン達に引っ張ってくれるよう頼むと、ちょ、とか待っ、とか言いかける彼女の様子を無視してその背を押した。回転しながら引きずられるラキュースの悲鳴がホールに響き渡る。最後には立っていることも出来なくなり、床に這いつくばった体勢で引きずられながら回転する彼女の様子はいっそ哀れではあったが、必要なことでありやむを得ざる仕儀であるのだ。その様に内心詫びながらイビルアイが仲間の許に飛んで戻ると、ガガーランがラキュースの様子を窺っていった。

 

「よし、辿り着いたなリーダー。……大丈夫か?」

 

「……」

 

 無理矢理抱き起こされたラキュースは顔面蒼白の無表情である。ある種の鬼気迫る様子に不安をかきたてられた一同がその顔を覗き込むと、ラキュースはその口を開いた。

 

 えろえろえろえろ――

 

「ぎゃぁああああああ!?」

 

 

 

「キャハ、キャハハ……お、お腹痛いぃ……!!」

 

 限界を突破したラキュースのリバースにより、自分もいいかげん目が回っているのを気力で耐えていたガガーランも釣られリバースする。忍者娘が顔を歪めて飛び下がる中、出遅れて二人の嘔吐物に挟まれたイビルアイは――咄嗟に仮面を外せたのが奇跡である。その幼げな少女の顔立ちを露わにし、鼻を刺す胃液の匂いにたまらず吐いた。貰いゲロという奴である。

 その様子を愉しげに見物していたエントマが爆笑のあまり床に引っ繰り返ってお腹を抱える。その様子を窘めようと手を伸ばしたナーベラルも、彼女達の様子を見て一言、「――無様ね」と呟いた。アインズもまた、別に笑う理由はなかったが、彼女達の様子を興味深く観察する。

 

「ほう、イビルアイの奴、こんな顔をしていたのか。……まだ子供じゃないか、顔を隠すのは侮られないようにかな?」

 

 割と重要な情報が白日に晒されたような気がするが、それに対するアインズのコメントはのほほんとしたものである。そのとぼけたコメントを咎めるような意志はこの場に居る二人のメイドにある筈もなく、そのまま流されていくのであった。

 

「む、ここでギブアップか……? いかんな、予定を早めなくては」

 

 げっそりとやつれた顔で壁に沿いながら“ダンスホール”をどうにか脱出し、もう限界だ脱出しようと相談を始める蒼の薔薇の様子を見て、アインズが呟いた。魔導王が見物していることは彼女達も重々承知、あるいはそのままギブアップの意志を伝えてくるかと思われたが、とりあえずはまだ自力で脱出路を探す程度の矜恃は残っているらしい。再び大広間に飛び込むのを諦めると、別のルートを探すべく移動し始めた。まあ、実はどのみち階段から上に戻ることはできないので、必然の判断である。

 

 

 

 

 如何に脱出を決心したと言えども、あるいは決心したからこそ。玄室のモンスターを退けた後の宝箱は、貴重な財貨を得るための残り僅かなチャンスである。喜び勇んで宝箱の罠を調べにかかったティアが――このチームでは罠の解錠はティアとティナの代わりばんこである――無言で固まるのを一同は不審そうに見守った。

 難しい顔をして悩むティアが、ティナを手招きして呼びつける。無言で視線を交わしあった後、今度はティナが宝箱の様子を調べに入った。数分後、顔を上げたティナと顔を見合わせたティアが同時に口を開いた。

 

「――ガス爆弾」

「――アラーム」

 

 たっぷり三十秒、互いの顔を睨み付ける姉妹は、後方で様子を窺うラキュース達の方へと同時に振り向いて言った。

 

「へい、鬼ボス」「どっちを信用する?」

 

「いっ、私に決めろと!?」

 

 突然話を振られて驚愕したラキュースが飛び上がる。気を取り直して考え込むと、しばらくうんうん唸った後に口を開いた。

 

「どちらを信用すると言うよりは……リスク管理で考えましょう。ガス爆弾なら、仮に()()全員が毒になっても私が治療できるから、ここはアラームでお願い」

 

「……OK、ボス」「了解ー」

 

 二人は特に反駁するでもなく頷くと、早速ティナがアラームの解除に取りかかる。

 

「あっ」

 

 否、取りかかろうとして針金状の解錠道具を鍵穴に突っ込んだその瞬間、宝箱を中心に黒い靄が発生して部屋中を包み込んだ。

 靄が収束し収まった後には、もはや蒼の薔薇の面子の姿は誰一人、その場に残されては居なかったのであった。

 

 

 




《ボーリングビートル》
 硬くてしぶといタフガイなコガネムシ。
 出現階層に登場する中では抜群に耐久力の高いタンク型のモンスターで、状態異常などの厄介な特性こそもたないが、仕留めきれないままこちらのHPをじわじわと削り取ってくれる地味な活躍が嫌らしい甲虫だ。
 <塵化>(マカニト)が効くので、習得さえしていれば怖れる必要は無い。

《消呪領域》
 敵味方を問わず、あらゆる存在の行使する魔法の発動を封じる結界領域。ひとたび足を踏み入れた生物には、容赦なく()()()()()()()沈黙の状態異常が付与される。呪文が封じられたことに気づかぬままだと、範囲攻撃呪文で敵を一掃しようと颯爽と呪文を唱えて……あっ(察し)
 また、当然ながら戦闘後の治療行為も出来なくなるし、転移(マロール)で逃げ帰ることも出来なくなるため、極めて危険なトラップである。呪文の封印効果はフロアリセットまで続く。フロアリセットというのは文字通り、他の階層に移動することであるため、階段ないしエレベーターに辿り着くまでが勝負となる(※1)。消呪領域を出てしまうと、それ以降に遭遇する敵は普通に呪文を唱えることができるため、味方だけが回復不能・範囲攻撃不能の恐るべきハンディキャップマッチを強いられることになる。
 ただし、そもそもフロアリセットという概念が極めてゲーム的であり、SSに落とし込みづらいので。この作品では魔封じの大広間には呪文の発動を阻害する結界が張られているという設定に変更した。

※1:ゲームシステム的には中断セーブからのリスタートでもリセットされるため、呪文を封じられたことにさえ気がつけば実は対処は容易である。

《ガス爆弾》
 毒針が解錠を試みた本人に毒を与えるのに対し、毒ガスを部屋全体に撒き散らすことでパーティーメンバー全員に毒判定を強いる罠。<解毒>(ラツモフィス)が使えないか未習得の状態で、ダンジョンの出口まで何歩かかるか計算すると、死亡が確定することもままある(※2)、冒険序盤で猛威を奮う厄介な代物。

※2:一応、回復呪文を使えるサブパーティーで迎えに行くという選択肢もある。<解毒>(ラツモフィス)が使えずとも、HPの回復ができれば踏破可能距離を伸ばすことは可能だ。

《アラーム》
 大音声の警報を鳴り響かせることで新たなモンスターを呼び寄せる罠。エンカウントが再度起こり、戦闘に勝利するまで解放されない(※3)。
 出現階層により罠の危険度が変わる典型。

※3:逃走は可能だが即座に再エンカウントが発生する。

《テレポーター》
 パーティー全員を別の座標に強制転移させる移動性の罠。
 この罠の真骨頂は、転移先の階層に石壁のブロックがあるかどうかによって決まる(※4)。

※4:* いしのなかにいる *



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4F:英雄

 
 いつもの行きまーす。



 一瞬の暗転の後、視界が切り替わった先は細長い通路の途中であった。軽い酩酊感に頭を押さえながら蒼の薔薇の一行は、露骨に雰囲気が変わった岩壁の通路をきょろきょろと見回す。

 

「嘘ー、テレポーター?」

「聞いてなーい」

 

 忍者姉妹が心外そうに顔を見合わせ首を振る。せめて責任を感じてる振りくらい出来ないのとラキュースが漫才を始めるのを横目に、イビルアイがため息をついた。

 

「しかし本当に集団を強制転移するとはな……アインズ・ウール・ゴウン魔導王の魔法の力は底知れん」

 

「おいイビルアイ、それよりここはどこか分かるか? 露骨に今までと雰囲気が違うし、階層が変わってるんじゃねえの?」

 

「そうだな……少し待て、見てみよう」

 

 ガガーランの問いかけに頷くと、イビルアイは懐から懐中時計のような魔道具(マジックアイテム)を取り出した。現在位置を表示する<座標>(デュマピック)の魔法が永続化されたアイテムで、キャンプを展開する魔道具と一緒に、魔導王に貸与された代物である。

 

「げぇっ……地下十階だと!?」

 

 表示されたデータを見て思わず唸ったイビルアイの声を聞きつけ、漫才を中断したラキュース達が彼女の周囲に集まる。背後から時計を覗き込んで一様に顔を顰めた。

 

「地下八階から十階まで転移ですって? ……そんなの聞いてないわよ!」

 

 ラキュースが唇を噛んで天を仰いだ。まあ、言ってないのだから当然だ。先程発動したテレポーターは、一行をこれから始まる茶番劇(マッチポンプ)の特等席に招待するためにアインズが特別に準備した罠である。あくまで同じ階層で実体化するように設計された通常のテレポーターとは異なる特別仕様であった。

 

「ま、まあ愚痴ってもなかったことにはならねえだろ。とにかく出口に辿り着けるか、この先を見てみようぜ」

 

 いち早く切り替えたガガーランの正論に頷くと、一同は探索を開始した。曲がりくねる細い通路の一方を選んでその先を辿っていくと、袋小路の行き止まりに辿り着いた。ティアとティナが進み出て、正面及び左右の壁から床に天井までぺたぺたと調べ回る。

 

「……隠し扉の類、なし」

「……罠の類、右に同じ」

 

 それを聞いたラキュースが頷いた。

 

「そう、ありがとう。……こっちが行き止まりなら、反対側を確認してみましょうか」

 

 反転して引き返し、ぞろぞろと反対側の先に向かうと、やがて通路の奥に見えてきたのは厳めしい門構えの頑丈そうな扉である。経験上、この先が玄室であればモンスターが配置されている可能性が高い。自然と沈黙の内に足音を殺した一同がゆっくりと扉の正面に近寄ると、てんでに武器を構えて呼吸を整える。

 ラキュースが一同の様子を見回して頷くと、ガガーランにアイコンタクトした。ガガーランが頷いて、両手に刺突戦鎚(ウォーピック)を構えたまま扉を勢いよく蹴り開ける。

 

「ドラァッ……!?」

 

 ともあれ、先手必勝である。突然の乱入に内部の者が驚くのであればもっけの幸い。そのまま吶喊して殲滅すべし。そのような目論見を頭の隅に描きつつも、計算と言うよりは本能に任せて雄叫びを上げながら突っ込んだ、否、突っ込もうとしたガガーランの動きが止まる。脇から左右に散ろうとした忍者姉妹の動きも以下同文。

 部屋の奥には、一行と同数の生物が――否、生きてないから正確にはアンデッドが――居た。人間離れした巨躯を刺々しい漆黒の鎧に押し込め、その身長に負けぬ巨大な盾に半身を隠した死人の騎士が三体。そして、その隣に立つのは獣型のスケルトン……大型肉食獣の骨格標本めいた体の周囲を不気味に明滅する靄で鎧った骨の獣が二体。

 目にした瞬間、筋肉が硬直し呼吸が止まり全身が総毛立つのを感じる。その身を委ねようとしていた獰猛な戦意がたちまち萎え、大型犬を察知した子犬のように尻尾を丸めて精神の奥に隠れていった。二の腕を鳥肌が覆うのを、ガガーランは他人事のようにぼんやりと眺めていたが。

 

「い、いかん、逃げろおおおぉぉぉ!!」

 

 イビルアイの絶叫にはっと我に返ると、五体のアンデッドがゆらりと体を傾けるのを背に、入ったドアから飛び出してばたんと閉めた。とりあえずはこれで安全である。玄室に配置されたモンスターが扉の外まで冒険者を追いかけてくることはない旨、魔導王直々の説明で保証されていた。

 

「あ、あれ……何……?」

 

「……動死体(ゾンビ)の方は死の騎士(デス・ナイト)骸骨(スケルトン)の方は魂喰らい(ソウルイーター)だな。どちらも地上で見かけただろう?」

 

 冷や汗で全身を濡らしたラキュースがようやっとそれだけの台詞を絞り出すと、仮面の中に戦慄を覆い隠したイビルアイがそれに応えた。

 

「あれが、地上で見かけたのと同じだと……? 戦う気があるかどうかで、ああも違いがあるもんかね」

 

 ガガーランが鎧の下で総毛だった鳥肌をさすりながらぼやく。市街に配置されたアンデッドは、アインズの強力な統制下において人間に威圧感を与えることの無いよう、立ち居振る舞いを徹底している。何よりも、戦闘を解禁されている魂喰らい(ソウルイーター)が撒き散らしている<絶望のオーラⅠ>は、抵抗(レジスト)に成功してさえも背筋の凍り付くような怖気を呼び起こしているのであった。

 

「どちらも魔導王が現れるまでは伝説の中でのみ語られるようなアンデッドだった。相手が一体だけ、つまり五対一ならば、我々の実力なら勝算もなくはないが……」

 

「現実は五対五」

「タイマン×五と考えても、イビルアイ以外全滅?」

 

 そういう訓練を受けているからか、動揺をあまり表に出さないたちの忍者姉妹が言葉少なに現状を確認すると、イビルアイが頷いた。

 

「そうだな……まともにぶつかれば、あっという間にガガーランとラキュースが潰されて押し込まれ、複数にかかられては私も危ういな。狭い屋内のこと、<飛行>(フライ)で高度を取ることもできんしな……とにかく、中に入って連中と戦うなど悪夢でしかない」

 

「とは言っても、反対側は行き止まりだぜ?」

 

 ガガーランの指摘に、ティアとティナが肩を竦めた。

 

「手詰まり」

「これはもう、恥も外聞も捨てるべき?」

 

 ティナが言った台詞は、降参して救援を要請しようという意味だ。アダマンタイト級冒険者チームとしては些かならず情けない話だが、玄室に突っ込んで玉砕するよりは遙かにマシだろう。眉根を寄せて一瞬躊躇ったラキュースは、すぐに切り替えて賛意を示すと虚空に向けて呼びかけた。

 

「……アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下! ご覧になっておられるのでしょう!? ギブアップです! 降参しますのでどうか救援を願います!!」

 

 …………返事がない。まるで壁に向かって空想上の友達(イマジナリーフレンド)と会話する痛い人のようだ。ラキュースが若干顔を赤らめながらも再度大声で叫ぶが、その声は迷宮の通路に反響して吸い込まれ、虚しく沈黙を返すのみであった。

 

「見てる筈……よね?」

 

 ラキュースが不安そうに周囲を見回すと、イビルアイが同意した。

 

「その筈だが……嫌な予感がするな」

 

 待っていても埒があくまい。そう言ってイビルアイは転移呪文を唱えるが、何も起こらない。半ば予想していたかのように、肩を竦めて言った。

 

「この階層には<次元封鎖>(ディメンジョナル・ロック)がかかっているようだな……これでは転移で脱出することもできん」

 

「一人で逃げ出す気だったのか」

「ずるい」

 

「助けを呼びに行くためでしょ。こんな状況で茶化すのはよしなさい」

 

 とぼけた声でからかうティアとティナを、ラキュースが黙らせる。それを無言で眺めていたガガーランが、やがて躊躇いながらも口を開いた。

 

「……このまま魔導王さんのアクションがなければ、俺たちに出来るのは突撃して死ぬか、ここで飢え死にするかの二択ってわけだ」

 

「……認めたくはないけど、そのようね」

 

「……まんまと乗せられちまったけどさ。王様が実は俺たちをここで人知れず謀殺するつもりだとか、そういう可能性ってあると思うか?」

 

「……そんな、まっさかー……」

 

 ホホホ、と高笑いを上げてガガーランの懸念を笑い飛ばすラキュース。

 場に沈黙が落ちた。

 

「ど、どどどどうしよう!? 私、この鎧が着られなくなる前に死ぬのは嫌よ!?」

 

「おいおい、おちつけリーダー……まだそうと決まった訳じゃ」

 

 急に狂乱しだしたラキュースを、あれで恋人を作るつもりがあったらしいことに内心驚きつつガガーランが窘める。手伝って貰おうと仲間の方を振り返れば、跪いて祈りを捧げるイビルアイの姿が。

 

「……たすけて、ももんさま……」

 

 うへぇ、こいつはもうダメかもわからんね。神頼みならぬ英雄頼みを始めたイビルアイを見てガガーランの胸中に黒雲が湧き起こる。ここで地の底の藻屑になるとしても、みっともない姿は晒すまい……そのように考えていると、通路の奥、行き止まりしかない筈の向こう側から足音がした。かっ、かっと、床の石を踏みしめる音、およびガチャガチャと金属鎧の慣らす音が連続的に聞こえてきて、一同は思わず顔を見合わせた。

 人間の足音に聞こえるが、人型だからと言って友好的とは限らない。示し合わせたように立ち上がり、武器を構えて通路の奥に目を懲らす一同。

 

「――ああ、居た居た。探しましたよ皆さん」

 

「モ……」

 

 だが、奥から姿を現した人影を見て、一同の顔に歓喜が溢れ出す。

 

「モモンさま!」

「それにナーベさん、ハムスケも……!」

 

「どうやらご無事のようで、何よりです」

 

 どこまでも頼もしい漆黒の英雄とその相棒、僕の魔獣……チーム“漆黒”の姿を見た一同は、安堵の吐息をついたのだった。

 

 

 

 

「なるほど……状況は大体理解しました。死の騎士(デス・ナイト)魂喰らい(ソウルイーター)ですか」

 

 簡単な状況説明を受けたモモンはひとつ頷くと、彼らの経緯についても説明を返す。魔導王の使いに呼び出され、火急の用事が入ったので後のことを宜しく頼むと突然言われて目を白黒させているところ、とりあえず現在位置を調べてみれば地下十階に居るらしい。蒼の薔薇の実力は確かなものがあるとはいえ、最下層の難易度は少々辛いのではと思って取る物もとりあえず駆けつけてみれば案の定……ということらしかった。

 

「申し訳ありませんね、皆さん。どうか魔導王陛下のことをあまり悪く思わないで頂ければ幸いです。何分、アダマンタイト級冒険者というものを“漆黒”(われわれ)基準でお考えになっている節がありまして……」

 

 そう言って頭を掻いたモモンの台詞を聞き、一同は苦笑する。聞きようによっては、いやどう聞いてもかなり“蒼の薔薇”に対して侮辱的な内容だが、目の前の英雄の隔絶した実力を目の当たりにすれば怒る気も起きないというものだ。

 

「この階層は、玄室の守護者を撃破した後、先の通路に転移するか地上に戻る道を選ぶようになっています。では皆さん、ちゃちゃっと片付けて帰りましょうか」

 

 とは言っても、まるで食後の散歩に行きませんかとでも言うかのような調子で伝説のアンデッドを片付けると言われればやはり驚きは禁じ得ない。かなり焦ったラキュースが、魔導王陛下に連絡してモンスターを下げて貰わないのかと問うと、モモンは首を傾げて言う。

 

「そうは言われましても。魔導王陛下の用事が片付くまで何時間かかるか分かりませんし、その間こんな所で待ちぼうけというのも気が滅入るでしょう? さっさと片付けてしまった方が早いですよ」

 

 絶句する一同の様子に構うそぶりもなく、モモンは一つお願いがあるのですがと続ける。

 

「中は死の騎士(デス・ナイト)三体と魂喰らい(ソウルイーター)二体ということですので……私とナーベが死の騎士(デス・ナイト)を片付ける間、そうですね、三十秒ばかり魂喰らい(ソウルイーター)一体を押さえておいて頂けますか? もう一体はハムスケにやらせますので」

 

 ナーベが無言で頭を下げ、ハムスケがお任せ下され殿! と胸を叩くのを尻目に、蒼の薔薇の一同が目を剥いた。聞き違いでなければ、目の前の御仁は死の騎士(デス・ナイト)を三十秒で片付けると言ったように聞こえるのだが。

 

「……モモンさ――ん、彼女達は自信がないようですので、私達だけでやった方が早くないでしょうか?」

 

 呆気にとられる蒼の薔薇一同の様子をどう見たか、焦れたようにナーベが口を開いて言った。

 

「む、そうかナーベ? まあ、そうですね……何でしたら、皆さんには扉の外でお待ち頂くということでも結構ですが……」

 

 本当は結構ではないのだが。その言葉には流石に反骨心を刺激された一同、倒せと言うのならともかくたかが一体相手に三十秒時間を稼ぐだけならなんとでも。ガガーランが俺の全力攻撃で十五秒稼ぐから、その隙をイビルアイにフォローして貰う形で大体なんとかなるだろうと言い、イビルアイはそれに同意した。

 ここまでの流れがモモンの手の上である。ナーベにはわざと挑発的な台詞を言うよう予め仕込み済みである。どうせ仕込まなくても似たようなことを言いかねないのだ、いくら彼女が大根でも演技と看破される可能性は無いに等しい。ついて来てくれなければ困るのだ、英雄モモンの伝説を積み上げようにも目撃者が居なければ虚しいだけの自作自演なのだから。無論、ここでことさらモモンの偉業を積み増す必要は特にないのだが……殺すわけには行かないのだからせめて有効利用しようという、アインズの貧乏性が発露した企みであった。

 

 

 

 

 再びけたたましい音を立てて蹴り開けられた扉に反応し、先程のピンポンダッシュによって半警戒態勢を維持していた死の騎士(デス・ナイト)魂喰らい(ソウルイーター)が素早く身構える。彼らの目に飛び込んできたのは、黒い暴風であった。

 モモンの右手に握られた大剣が弧を描いて振り抜かれ、彼の長身と刃の長さが作る高さが死の騎士(デス・ナイト)の巨体を凌駕して真上から剣閃が襲いかかる。死の騎士(デス・ナイト)は左手に構えたタワーシールドを持ち上げてそれを受け止めるが、落ちかかった大剣が轟音を上げてシールドと衝突すると、黒い刃が盾にめり込んで表面を変形させ、死の騎士(デス・ナイト)の足はみしみしと音を立てて床に軋みを上げさせた。間髪入れず左の大剣が下から掬い上げるように振り上げられると、右の一撃を受け止めて固まった死の騎士(デス・ナイト)の腰から胸をバターのように切り裂いて、構えた盾に激突して吹き飛ばした。

 それ以上その死の騎士(デス・ナイト)には構わず、モモンはその脇をすり抜けて二体目に躍りかかる。今度は左の大剣が真横から竜巻のごときつむじを描いて打ちかかった。死の騎士(デス・ナイト)が右手に持った波状剣(フランベルジュ)で受け止めるが、閃光のごとき一撃が甲高い金属音を立てながら刀身に半ば食い込む。そのままモモンは一旦左手から大剣の柄を離すと、その場でくるりと一回転して右手の大剣を左から死の騎士(デス・ナイト)に叩き込んだ。手放した大剣の上を滑るように打ち込まれた剣閃が、半ば折れかかった波状剣(フランベルジュ)

上下に分断して上半分を切り飛ばし、そのままの勢いで死の騎士(デス・ナイト)の首を九割方切り飛ばす。同時に空いた左手が再び大剣の柄を握り直すのも忘れない。

 首が千切れかけた死の騎士(デス・ナイト)を捨て置き、モモンが三体目、最後の死の騎士(デス・ナイト)に視線を据える。稲妻のごとき勢いで繰り出された右の突きは正面に構えたタワーシールドに受け止められるが、斜めに逸らされながらも盾の表面に食い込んで強引に死の騎士(デス・ナイト)の前面をこじ開ける。右手を突き出すのに合わせて引き絞った左手の大剣をしかと握り直すと、左足の踏み込みと共に左の剣を思い切り突き出した。前面をこじ開けられた死の騎士(デス・ナイト)が申し訳程度に剣筋にわりこませた波状剣(フランベルジュ)をあっさりと弾くと、そのまま大剣は死の騎士(デス・ナイト)の胸元に吸い込まれ、肋骨と背骨を破壊しながら背面まで突き抜けた。

 

<二重魔法最強化(ツイン・マキシマイズマジック)()電撃>(ライトニング)

 

 人間であれば、生物であれば間違いなく致命傷である。それどころか動死体(ゾンビ)であってもお陀仏間違いなしと思われた致命の一撃をその身に受けて、なお死の騎士(デス・ナイト)がその身を動かす。危ないももんさま、そうイビルアイが叫ぶ暇もなく、モモンの背後に追随したナーベの両手から電撃が生み出され、一直線に走った二条の雷光が三体の死の騎士(デス・ナイト)を灼いた。その体から煙を上げて、三体の死の騎士(デス・ナイト)がどうと倒れ伏す。あっという間の出来事であった。予告された三十秒すら経っていない。

 

 その間、魂喰らい(ソウルイーター)と対峙する“蒼の薔薇”が時間を稼ごうと試みていた。ガガーランが一切後先を考えずに、複数の武技を重ねた怒濤の連続攻撃を放つ。その辺の骸骨(スケルトン)は当然、骨の竜(スケリトル・ドラゴン)でさえも一撃毎に分解しながら解体しうる自身の切り札が、眼前の獣の華奢な骨にはヒビも入れられない絶望も。不気味な明滅を繰り返す骨の周りを覆う靄が引き起こす生理的な嫌悪感も。対峙するだけで体に纏わり付いてくる暗黒のオーラがもたらす、生存本能が発する警告も。今は感じず考えず、ひたすらに全身全霊の一撃を振り続ける。容易く受け止められ、殆どダメージは通っていないと思われるが、それでも防がれている間は相手の動きを止められる。一秒一秒が黄金にも匹敵する貴重な時間だ。

 ――そして、いよいよ全力の無酸素運動に限界が訪れ、致命打どころかろくに相手にダメージを通せなかったガガーランは、それでも満足そうに全身を貫く倦怠感に身を委ね、最後の一撃を振り抜いたまま硬直して息を継いだ。自分のやるべき事はやった、後は任せたイビルアイ――

 

「――って、おいぃぃいいいいい!?」

 

 ところが。自分の硬直に割り込む形で交代(スイッチ)し、高位階の攻撃魔法でラッシュをかける手筈だったイビルアイの魔法が来ない。なんのアクシデントか伏兵か、その様な焦りを込めて視線を動かすと、棒立ちで突っ立ったまま()()()()()姿()()()()()()()()イビルアイのアホ面――仮面だが――が視界に飛び込んできた。いくらなんでもそりゃねえだろと絶叫したガガーランの体を、横薙ぎに振り回された骨の尻尾が弾き飛ばした。

 骨にヒビくらいは入ったかも知れないが大丈夫、傷は浅いと自分を慰めたガガーランは、地面に転がりながらようやく我に返ったらしいイビルアイが眼前に迫る魂喰らい(ソウルイーター)の姿に呑まれて立ち竦むのを為す術もなく見守った。あわやその命が風前の灯火か――元々死んでるけど――と思われたとき、黒い旋風が対峙するイビルアイと魂喰らい(ソウルイーター)の間に飛び込んできた。

 回転しながら飛んできた黒い大剣が、床の石畳に食い込みながら魂喰らい(ソウルイーター)を遮るように、イビルアイを守るように突き立った。どれほどの膂力で投げれば投擲した剣が石畳をかち割り食い込むのか、そのような思いを巡らす間もなく、死の騎士(デス・ナイト)を片付けた位置から得物の片方を先行させた漆黒の英雄が突進してくる。投げつけられた剣が旋風なら、本人は竜巻だった。手元に残ったもう一方の大剣を両手で握り――元々大剣としてはその方が正当な使い方ではある。英雄級には一歩届かないとはいえ歴戦の戦士であるガガーランですら目で捉えられるかどうかという怒濤の連撃は、まるで先程彼女が放った超弩級連続攻撃の焼き直しであったが、圧倒的にその質が、量が上回っていた。一撃一撃が着実に魂喰らい(ソウルイーター)の骨を砕き靄を消し飛ばし、みるみるうちに解体していく。バラバラに分解され、最後に脳天からの唐竹割りでその頭骨を真っ二つに両断された魂喰らい(ソウルイーター)が無言の悲鳴を上げながらそのおぞましい呪われた偽りの生命を霧散させるその様を、ガガーランは食い入るように凝視しながら感嘆を漏らした。ここまで圧倒的だと、嫉妬する気も起こらない。まさしく英雄の中の英雄のみが立てる遙かな高みの領域を、眩しい思いで見上げるだけである。さすがはももんさま、とかなんとか呟いている役立たずの色ボケ仮面は後でシメる。

 

 残る一体、もう片方の魂喰らい(ソウルイーター)とは、ハムスケが対決している。推定難度百~百五十に達するとも言われる伝説のアンデッドは、難度にしておおよそ百前後である森の賢王、ハムスケとは同格から格上のモンスターということになる。勿論ガガーランよりは遙かに互角に近い戦闘能力を有するため、時間稼ぎに徹すればそれほど危険はないと思われた。

 しかし。

 実際の戦闘は、そのようなモモンの予想を覆す形で推移した。爪と爪が打ち合い、尻尾と尻尾がぶつかり合う。激しくも原始的な攻撃の応酬が互いの間で繰り広げられるも、その内実はやや格下と見られたハムスケが魂喰らい(ソウルイーター)を押していた。

 

「むっ、ここで<要塞>でござる! そして反撃の<斬撃>でござる! それ、そうれ!」

 

 武技である。ハムスケがたゆまぬ修業――合間合間に食っちゃ寝していたような気はするが気にしてはいけない――の賜物により習得した、<斬撃>及び<要塞>のそれぞれ攻防における基礎の基礎と言ってもいい初歩の武技。それが、ハムスケの攻撃力を魂喰らい(ソウルイーター)の防御を上回るまでに引き上げ、ハムスケの防御力を魂喰らい(ソウルイーター)の攻撃を余裕を持って防ぎうる程に高めているのだ。基本的に大体互角、のラインは動かないが、客観的に見てハムスケが優位であると言い切れるほどに戦況はハムスケ主導になっていた。かといって調子に乗ることもなく、あくまで基本的には時間稼ぎであることを忘れずに、ハムスケは相手の攻撃を要所要所で<要塞>を使用して受け止めながら、ここぞというところで<斬撃>を使用してダメージを与えていく。

 

「ハムスケ、援護するから注意して! <二重魔法最強化(ツイン・マキシマイズマジック)()電撃>(ライトニング)

 

「了解でござるナーベ殿……っととぉ!!」

 

 死の騎士(デス・ナイト)を片付けたモモンがガガーラン達の救援に向かった一方で、ナーベの方がハムスケの援護に駆けつけた。素早く飛び下がるハムスケの鼻先を掠めるように二条の雷光が魂喰らい(ソウルイーター)に命中し、その体を灼く。魂喰らい(ソウルイーター)が怒りの咆吼を上げるのを睨みながら、ナーベが手早く支援魔法をハムスケにかけた。<鎧強化>(リーンフォース・アーマー)<負属性防御>(プロテクションエナジー・ネガティブ)で防御を益々盤石の物にしたハムスケが喜び勇んで前に出る。

 

「――ご苦労、ハムスケ! 後は私がやる、下がれ!」

 

「合点承知でござる、殿!!」

 

 危なげなく更に数合、魂喰らい(ソウルイーター)と打ち合ったところで、もう一体を片付けたモモンが飛び込んできた。心得たハムスケが素早く飛び下がったところに入れ替わって突進してきたモモンが、一太刀で魂喰らい(ソウルイーター)を両断してほう、と内心驚きの呟きを漏らす。思ったより早く止めになった辺り、予想以上にハムスケが押していたらしい。流石に細かいところを観察する暇はなかったので、後で聞き取る必要があるな……

 大剣を鋭く振って、剣に付着したゴミを吹き飛ばし佇むモモン。その背後に歩み寄ったナーベが心得た表情で大剣を受け取り、漆黒の戦士の背につけ直す。その姿を、“蒼の薔薇”は圧倒された面持ちで見つめた。

 

「凄い……殆ど一人で片付けてしまった……」

 

「あれについていくハム公にナーベも、ただ者じゃあねえな」

 

「さすがはももんさま」

 

 口々に称賛の声がかかり、モモンは頭を掻いて振り返る。

 

「さて皆さん。中に設置された二つの転移門のうち、右の方から帰れますので行きましょうか」

 

 久しぶりにこの姿で暴れられ、いいストレス解消になったな。内心そのような他愛ないことを考えながらも、モモンは感嘆の眼差しで自分を見つめてくる“蒼の薔薇”の一同にそう声をかけたのだった。

 

 

 




座標(デュマピック)
 魔力系第一位階魔法。
 使用者の現在位置を、迷宮入り口を基点とした相対距離で表示する。用途はマッピングの補助、回転床通過後の位置確認、ランダム転移後の位置確認など。
 なお、オートマッピング導入作ではゴミとなるかと思われたが……記録されたマップを表示するための魔法として華麗に転生した(自由にマップを見ることができないとも言う)。



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5F:帰還

 暗転した視界が開けると、降り注いできた日の光がダンジョン内の薄闇に慣れた目に刺さり、一同は眩しそうに眼を細めた。

 ここは地上、エ・ランテル街外れに設置された『魔導王の試練場』の入り口である。太陽は西に傾いて赤く染まり、時刻は夕方近くになっていた。

 

「ああ、地上だ……疑っていたわけではありませんが、無事に帰れてほっとしました。地下十階の構造にお詳しいのですね、モモンさん」

 

 ホッとして安堵の息をついたラキュースがそう言うと、モモンはこともなげに頷いて言った。

 

「ええ、まあ。我々“漆黒”は魔導王陛下のご依頼で地下十階を制覇済みですからね」

 

 その言葉に息を呑んだ一行は、流石は漆黒の英雄モモンであるとの認識を新たにし、感嘆の眼差しで眼前の戦士を見つめた。心なしか、側に控えるナーベとハムスケも鼻が高そうに見える。

 

「ここでは人目につきますし……とりあえず屋敷に戻りましょうか。後、下層のことに関しては内緒でお願いしますね」

 

 各所に脱出用の転移門が設置された試練場の入り口側に冒険者が転移してくることはもはや珍しくはない。だがしかし、その中に漆黒の全身鎧(フルプレート)に身を固めた伝説の英雄及び、その相棒として知られた絶世の美女と使役する白銀の大魔獣が居るとなれば嫌でも耳目を集めることになる。モモンは周囲に聞こえぬよう声を潜めて場所を移そうと囁いた。

 

 魔導王アインズ・ウール・ゴウンは執務室に戻っていた。

 

「すまんな諸君。統治者としては、どうしても即座に対応せねばならない火急の用件が発生することが時としてあるものだ……対応が遅れたことを詫びよう」

 

 そう言って頭を下げる魔導王を見て、ぎょっとしたようにラキュースが前面に突き出した手と首を激しく振った。

 

「そ、そのような格好はおやめ下さい魔導王陛下。こうしてモモンさんに助けて頂きましたし、為政者の苦労は多少ながらも存じております。気にしてはおりませんわ」

 

「そう言って貰えると助かる。……さて、多少のトラブルはともかく、試練場の見学も済んだことであるし。これで一通りの案内は済んだかと思うが、何か聞きたいことは残っているかね?」

 

 そのように問いかけた魔導王の言葉に、ラキュースは首を傾げて考えこんだ。

 

「いえ、陛下。……どこも素晴らしい訓練施設でしたわ。既存の冒険者組合がとにかく寄ってきた者を登録して、後は強い奴が勝手に生き残るし弱い奴は淘汰されるだろうと言わんばかりの現状に対し、冒険者を育成しようという陛下の意志が強く窺えます」

 

 多少の追従を含んだラキュースの言葉に、アインズはうむと頷いた。

 

「人は国家の貴重な財産であり、城になり壁になり堀になる……と言うのは古い友人に教えて貰った言葉だ。人道的見地を抜きにしても、訓練を積んだ専門技能者は経済的にも多大な利益を生み出す元になる一方で、0から育てるには途方もないコストがかかる……民を毟っても勝手に生えてくる雑草のような扱いをする統治者には、明るい未来は待っていないだろうというのが持論でね」

 

 中々耳に痛いことを言う。とても生者を憎み滅せんとするアンデッドの台詞とは思えない。成る程、英雄モモンが認めるのも納得である。爪の垢を煎じて飲ませてやりたい貴族の顔が幾らでも思い浮かぶ、ラキュースはそう思った。と言っても、目の前の骸骨陛下に爪なんて代物は生えていないが……

 

「ま、それはともかく……魔導国の冒険者育成体制を存分に見学して貰えたのであれば結構だ。帰った際には依頼主に宜しく伝えてくれ給え。ああ、そうそう」

 

 魔導王が思いだしたかのように手を打つと、何事かと“蒼の薔薇”一同の視線が集中する。視線が集まるのを芝居っ気たっぷりに待ってから、魔導王は言葉を続けた。

 

「我が魔導国冒険者訓練施設は、冒険者になりたいという若者の意志一つで、種族性別を問わず広く門戸を開いているが……卒業後は冒険者として活躍して貰いたいという目的から言えば、年齢という面ではどうしてもある程度制限をかけざるを得ない。既に引退するような高齢の老人や、大人に混じって戦闘に励むのは問題がある幼子は流石にちょっと困るな。それでも、下限の方は多少多目に見てもよいが、上は譲歩できかねるところだ」

 

「……陛下、それは一体……」

 

 突如そのようなことを言い出した魔導王の真意を測りかねたラキュースが首を傾げると、イビルアイがその肩に手を置いて黙らせた。

 

「……成る程、そういうことか……流石は知謀の王と名高い魔導王陛下、全てお見通しというわけなのだな」

 

「始めから移民募集に応じてくれれば話は早いのだが、立場はお察しする。一年かけた結果、見込みのない、あるいは挫けて意志を喪失した訓練生については退学ということになり、そこまで保証した衣食住の代金については返済の義務を負うことになるが……心配は無用、ちゃんと生活を保障した上で無理なく返済可能な仕事口を、魔導国が責任を持って紹介しよう」

 

 その結果、返済完了後には魔導国民が増えていることになるかもしれないがね。そう言って笑う魔導王に対し、まだよく分かってない様子のラキュースに何事か囁くと、イビルアイは一同を促して辞去の挨拶を述べた。

 

「……さて、ご苦労だったなパンドラズ・アクター。魔導王の役割をそつなくこなすお前の演技、見事であった」

 

 蒼の薔薇が完全に退出したのを確認すると、モモンがそう言って魔導王に声をかける。魔導王はそれに敬意を込めて深々とお辞儀した。

 

「いえ、全てはち――アインズ様のシナリオ通りで、私はそれに沿って演技したに過ぎません」

 

 パンドラズ・アクター扮する魔導王アインズがそう言って謙遜すると、首を傾げたナーベラルが口を挟んだ。

 

「あの、すみませんアインズ様……最後のやりとりは、どのような意味があったのでしょう? 愚かな私にもその意図をお教え下されば幸いですが」

 

「ん、ああ……簡単なことだ。我が魔導国の冒険者訓練施設は、訓練生が自力で生計を立てられるようになるまでの訓練期間中は、衣食住の面倒を見ることになっているのだが。王国の冒険者組合長は、困窮で餓死しかねない王国の貧民層を口だけは冒険者を志望していると言うように言いくるめて、ウチのシステムに面倒を見させられないかなあ、なんて思っているわけだ」

 

 アインズの説明を噛み砕いて考えていたナーベラルであったが、十分に理解するにつれてその顔が怒りに紅潮していくのを、アインズは面白そうに眺める。

 

「なんと、それは、無礼千万な……! アインズ様の崇高な目的を下等生物(ハリガネムシ)の世話で食い荒らそうとは、許し難い増長です! 誅滅しましょうそのような輩は!」

 

 怒りで頭から湯気をあげんばかりのナーベラルを、まあ落ち着けとアインズは宥めて言った。

 

「そういきり立つな……この展開は、私にとっても好都合なのだ」

 

 その声に、きょとんとして首を傾げたナーベラルに、アインズは笑いかける。

 

「面倒を見てやった結果借金を背負った人間であれば、斡旋された仕事に贅沢な取捨選択はできんということだ。アンデッド達の監督仕事は、普通の人間が自由意志で選択するにはどうしても二の足を踏むのが現状なのでな。とりあえずは借金返済の為に仕方なくという形で仕事につかせ、危険がないことが周知されればいずれ自主的な希望者も増えてくるだろう」

 

 農場にせよ工事にせよ、無限の労働力を持つアンデッドの欠点は、自己判断力を有する知性体が側で細かく指示を出してやらないと融通が利かない点に集約される。スレイン法国の工作隊によって焼き滅ぼされた開拓村の再建に、エ・ランテル貧民街の乞食をスカウトするなど色々動いてはいるが、まだまだ人間の方が人手不足だ。アンデッドの方は人員過剰で溢れんばかりなのに……

 ともかく、アインズの方はアンデッド労働力の推進が捗ってご満悦。労働者の方は、最初はおっかなびっくりとはいえいずれ危険がないことが分かれば、アンデッド労働者の監督として管理者収入を得て借金を返し、その後の生計まで立つという大変お得な状況だ。

 

「こういうのを何というのだったかな……エアギター?」

 

 うぃんうぃんと呟きながら首を傾げるアインズの姿を、感動に打ち震えたナーベラルが尊敬の眼差しで見つめる。

 

「成る程、そこまでお考えとは……感服致しました」

 

「流石はち、アインズ様です。相手方がアクションを起こす前、他国に募集の手を広げた時点で今日この日を予測して手を打っておられたとは……まさに至高の御方と言わざるを得ません」

 

 ナーベラルに追随してパンドラもアインズの卓越した知見に称賛の念を送るのを、アインズは複雑な心境で笑って誤魔化した。無論、ここまでの絵図をアインズが一人で描ける道理はない。内通者(ラナー)による密告(タレコミ)というカンニングの結果、慌てて昼夜頭を絞って考えた作戦である。素直に称賛を受けるには微妙な気分であった。

 

 

 

 

「組合長の依頼にそんな裏の目論見がねえ……正直複雑な気分だけど、人道的な面から言えば非難もし辛いわね」

 

 宿の部屋に戻ったラキュースは、ナーベラルがアインズから受けたのと同様の説明をイビルアイから聞いて腕を組んだ。王国の支配層に属する貴族の端くれとしては、その言が事実であればいささか難しい顔にならざるを得ない。

 

「ま、実現性はわからんがな……案外、魔導王が深読みし過ぎただけで、組合長もそこまで考えてなかったなんて可能性もある」

 

「んなことよりよぉ、イビルアイ。さっきのありゃあ、なんてザマだよおい」

 

 部屋について一息入れたところで、ガガーランが凄んでみせるのを、イビルアイは内心冷や汗を流しながら顔を逸らした。さっきのアレとは、無論地下十階での戦闘でイビルアイがガガーランの援護を忘れて棒立ちになっていた体たらくのことである。

 

(しょ、しょうがないじゃないか! ももんさまがあんなにも格好良すぎたから……!)

 

 味方の活躍に見惚れて我を忘れるなど、どこの乙女だ、冒険者失格だ。そう言われても返す言葉もない。だがイビルアイがその時の様子を反芻するだけでぽややんと向こうの世界に行くのを、ガガーランは呆れかえった面持ちで凝視した。

 

「まあ、あの人が格好良かったのは認めるがよ……俺でも節を曲げて抱かれてもいいかなとさえ思ったくらいだしな」

 

「そうねえ、ヤルダバオトの時で十分に分かっていたことだけど。改めて見ても、神話の英雄と言うしかない惚れ惚れする戦いっぷりだったわね」

 

 ガガーランの言葉にラキュースが相槌を打つと、イビルアイははっと我に返ってこちらの世界に戻ってくると、二人をまじまじと凝視した。

 

「ま、まさかお前達、私の恋敵(ライバル)に……!?」

 

 返答次第では戦いも辞さぬと言わんばかりに身構えたイビルアイに対し、ラキュースは苦笑を返した。

 

「いや、そんな野暮はしないわよ今更。あなたが既にベタ惚れでなければ私もどうなったかわからないけどね」

 

「俺もまあ……ちょっとつまみ食いしてみたいだけかな、うん」

 

 ラキュースの返答にホッと安心し、一方でガガーランの台詞に顔を顰めたイビルアイは、その言葉を反芻して首を傾げた。

 

「お前らなあ……ん、待てよ。()()()()()? ……ガガーラン、もしかして、モモン様はその、なんというか、違うのか?」

 

「んー……まあ、なあ?」

 

 どことなく歯切れの悪いガガーランの返答は、奥歯に物が挟まったような煮え切らないものであったが、それには気付かずイビルアイは露骨にショックを受けた表情をした。まあ、あれほどの方が未経験とか、そんなことあるわけないもんななどと呟きが漏れてくる。

 説明せねばなるまい。ガガーランの趣味に基づいた童貞検知能力は、生まれながらの異能(タレント)などでは勿論無い。彼女の歴戦の経験に裏打ちされた確かな審美眼が、相対した男性の生理反応を無意識下の内に観察、収集し、各種要素を総合的に診断して精度の高い判断を繰り出すという、言うなれば心眼(真)とでも表現されるものである。

 ところで全身お骨様であるアインズからは、当然ながら一切の生理反応が検出されない。そんなことは知る由もないガガーランの心眼が、()()()()()()()()()()()()()()()()()を感知できなかったから、という理由でやや違和感を抱きながらも、アインズを暫定的に童貞ではないと判断したと言うのが真相であった。無論、真実は知っての通りである。

 まあ、ガガーランがそう判断した理由は場の一同には関係のない話だ。彼女の診断が異能扱いできるほど確度の高い物であることを経験的に知っている一同は、ともかく彼女が言うならモモンは童貞ではないのだろう、そのように判断することとなる。

 

「も、もしや、相手はやはりナーベ殿で、最近彼女が滅多に表に姿を見せないというのも、屋敷に引きこもって毎晩ベッドで組んずほぐれつしてあまりの激しさに起きてこられないとかそういう」

 

「……おーい、戻ってこーい」

 

 脳内ピンクの世界で妄想に入り込んだイビルアイの顔を、呆れたティナがぺちぺちとはたく。イビルアイが我に返るのを眺めながら、ティアが首を傾げる。

 

「……ガガーランほど信憑性はないけど。私の見立てでは、ナーベ嬢って処女(おとめ)じゃないか?」

 

「マジでッ!?」

 

 その言葉に食いついたイビルアイがぐっと身を乗り出す。そこまで自信はないけど、一応、たぶん。そのようなティアの返答も右から左、イビルアイはぐっと拳を握って叫んだ。

 

「ま、まあ、ガチレズ変態ド畜生のお前が言うならそうなのかな、うん!」

 

「……喧嘩売ってんなら買うぞこのエターナル合法ロリ耳年増が」

 

 半眼になって睨み合いを始めた二人を横目に、ティナが感慨深げに言った。

 

「……その気になれば群がる女性達を気の向くままにつまみ食いして捨てられる立場と、そうだとしてもなお寝室の前に行列ができるだろう人気の持ち主だけど。同時にありえないくらいの紳士だと、もっぱらの噂」

 

「大英雄の名に恥じない品行方正っぷりね。まあ、モモンさんがどう思っているかは分からないけど、ナーベさんの方はあれだけ敬愛してるんですもの。ベッドに誘われれば拒むことは無いでしょうに、それでも彼女が乙女だと言うのなら、余程の品性の持ち主という事よね」

 

 ラキュースがそう応じると、ガガーランも相槌を打った。

 

「敬愛と言うよりは、崇拝というか信仰だよなあれはもはや」

 

「その辺はともかくとしてだ。“愛の巣”なんてものまであるのに実際はナーベ殿とは何も無いというのなら、モモン様の女性経験は失われた故国でのことということかな! あるいは件の吸血鬼というのが恋人の仇なんて展開もありえるか……であれば、出会う前の女性遍歴など、私は気にしないぞ、うん」

 

 ヒートアップして熱弁するイビルアイを、冷めた目で眺めたティアが呟いた。

 

「……それ以前に、モモンさんが真性ロリコンであることを神に祈れば?」

 

「よしいいだろう、表に出ろこのクソレズが」

 

 そのまま取っ組み合いを始めた二人を見てガガーランが肩を竦めた。

 

「どうあれ、あれだけの美女を望めば好きに出来る状態なら、その辺の有象無象なんぞ誘惑の内にも入らんってことかね。品行方正というかその辺のイモ女なんて、カボチャの類にしか映ってないって線もあるな」

 

「……というか、これはもしかしてなんだけど……」

 

 そこで深刻な顔をしたティナの呟きは、声量に反して室内に響き渡った。キャットファイトしていた二人も思わず手を止めてティナを見つめる。全員の注目が集まったことを確認すると、彼女は恐る恐ると言った体で言葉を続けた。

 

「モモンさんって、同性愛者(ホモ)なんじゃあ……? それで全部説明がつくような」

 

「……」

 

 沈黙が場に落ちる。

 

「……まっさかー!?」

 

 そうして、宿屋の一室にわざとらしい笑い声が響き渡った。

 

 

 

 

「……ファッ!?」

 

 一方、笑い話で済まなかったのは魔導国国王の執務室である。安全なところから覗き見をしていた筈のアインズは、思いも寄らないところからマナー違反に対する手痛いしっぺ返しを食らい、泡を食って側に居る二人と一匹を顧みた。

 

「ね、念のために言っておくが! 私は異性愛者(ノーマル)だからな!?」

 

 ぽかんと口を開けて立ち尽くすパンドラ。埴輪顔の時は元々そんな顔立ちの気もするが。そして顔を真っ赤に染め握り拳を口元に当て、目を見開いてアインズの方を凝視するナーベラルが今の意見に衝撃を受けていることは確実だった。よく分かってなさそうにひまわりの種を囓っているハムスケは今はどうでもいいか。

 

「間違ってもセバスやデミウルゴスに妙なことを吹き込むんじゃあないぞ!? 無論、アルベドやシャルティアにもだ! ともかく、今見聞きしたことはたとえお前の姉妹であろうと他言禁止だ、いいな!?」

 

 ムキになると余計怪しく見える――そんなことはアインズにだって分かっているが、それでも動揺のあまり叫んでしまったアインズに、畏まりましたと言って二人が深々とお辞儀をする。ナーベラルのポニーテールの下から覗くうなじは真っ赤に染まっており、彼女の動揺もいまだ収まらぬ様子だった。

 

「そ、それにしてもハムスケ、先程の戦いは見事だったぞ。褒めて遣わす」

 

「……! 光栄でござる、殿! このハムスケ、いっそう殿の御為に励むでござるよ!」

 

 露骨な話題そらしだが、ハムスケは文字通り飛び上がって歓喜した。見た限り、下級の武技でもレベルにして数レベル分くらいの補助効果がありそうな案配だったのは非常に重要な情報であり、アインズはハムスケの働きをお世辞抜きで極めて高く評価していた。これが上級武技を駆使するとなれば、およそ十レベルにも相当する効果が得られるのではないだろうか。やはり自分にも欲しいな……<星に願いを>(ウィッシュ・アボン・ア・スター)を使えばハムスケの覚えた武技を引っぺがして自分の物に出来ないかな、消費経験値に見合う価値はあると思うが……たった今自分を褒めたその裏でアインズがそんな悪魔の囁きに耳を傾けているとも知らず、無邪気に喜ぶハムスケであった。

 

 人の口に戸は立てられないが、NPCであれば主の命令は絶対に守る。パンドラやナーベラルの口から妙な噂が広まって守護者達がまたしても暴走するなんてことは御免だが、こうして入念に口止めしておけばまあ大丈夫だろう……そのように思い込むアインズであったが、この時彼は未だ思い至っていなかった。ナザリックの三賢人とも言われる二人の知恵者に対し、()()()()()()()()()ナーベラル・ガンマが隠し事をできるのかどうかを……だがまあ、それが引き起こす悲喜こもごもの騒動は、また別の話である。

 

 

 

【了】

 

 

 




 ここまでお読み頂きありがとうございました。
 新刊発売間際の暇つぶしになったのであれば幸いです。
 では新刊楽しみましょう(・∀・)ノシ



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