ヴァレリア生まれ死者宮育ちのオウガさん (話がわかる男)
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Chapter 0 - Let Us Cling Together
001 - Game Over


タクティクスオウガの二次創作が全く見当たらないんですがそれは・・・


 ポツリ。

 

 頬に冷たい雫の感触を感じて、浮かび上がるように意識が覚醒していく。

 また雨漏りでもしたのか。サラリーマンになってから一人暮らしのために入居したボロアパートは、たびたび雨漏りを繰り返している。大家のおっちゃんに電話しないとな……。

 

 あれ?

 

 重いまぶたを持ち上げて目を開けると、そこは散らかった部屋ではなく見知らぬ薄暗い空間だった。

 かろうじて確保できる視界には、人工物だとわかる壁や床が写っている。肌に触れる空気はジメジメとしており、カビ臭い匂いが鼻をつく。

 

 どこだここ?

 

 慌てて身体を起こそうとした時、自分の身体が視界に入る。見覚えのない服を着ていた。黒いボロ布のようなダボダボとした服だ。もちろん、こんなものを着て寝床に入った覚えはない。

 ますます混乱しつつ立ち上がると、妙に身体が軽い事に気がついた。不思議に思って身体を触って確かめてみると、やけにスリムでメリハリの整った身体になっている。サラリーマンになってからの不規則で不摂生な生活でメタボ気味だった腹は、見事な段差で六つに割れているのだ。

 

「な、なんだこれは」

 

 思わず独り言が口に出るが、いつもの聞き慣れた自分のドブ声ではなく、やけに重低音のイケメンボイスで発声された。聞くだけで耳が妊娠してしまいそうだ。

 

「こ、これは……俺の声なのだろうか」

 

 間違いなく自分の声のようだった。だが、口に出たのは日本語ではないようだ。まるで自動翻訳のように、考えた事と口にでる言葉が一致していない。英語ですらろくに喋れない俺が、こんなペラペラと外国語を喋れるはずがないのに。

 しかも、どうやっても口調がやけに重いものになってしまうのだ。普段の俺の口調は、平和な日本人の一般男性に相応しく、もっと砕けたものだ。「だろうか」なんて朗読の時以外で口にした事はない。

 

「とにかく、ここから出なければ……」

 

 自分の状況はよくわからないが、今の俺は黒いボロ布をまとっているだけで、そのすぐ下ではナニがブラブラしている状態だ。こんな格好を誰かに見られたら、すぐに「お巡りさんこっちです」されてしまう。

 そもそも、ベッドサイドに置いてあるはずの財布やスマホも見当たらないため、ここから生きて出られるかも怪しい。出口が見つからなければ遭難して飢え死にしてしまいそうだ。

 

 俺は、出口を探して、暗い空間を手探りで壁伝いに歩き始めた。

 

--------------------

 

 結論から言えば、出口はすぐに見つかった。

 

 しかし出口である扉を抜けた先には、さらに別の大きな部屋が広がっているだけで、慣れ親しんだ太陽の光を拝むことはできなかった。

 どうやら今まで俺が寝ていた空間は小さな部屋だったらしく、ようやく暗さに慣れてきた目でよく見れば、岩を削りだした机や椅子、怪しげな薬品やボロボロの紙切れが積まれている。誰かが住んでいたのは間違いない。他に誰もいないので消去法で考えれば、俺になるわけだが。

 

 それよりも、大きな部屋の方だ。

 扉を開けたら何故か悪寒がしたのですぐに引き返してきてしまったのだが、ここから出るためにはあそこを抜けなければならない。

 なんとか自分を奮い立たせて、再び扉を開く。

 

「GYAO」

 

 扉を開けた途端、何者かと目が合った。暗闇の中、わずかな光を反射して瞳が金色に光っている。向こうもこっちに気づいたらしく、動きを止めてじっと見てくる。

 よくよく見れば、相手の姿が目に入ってくる。トカゲのような赤いウロコが艶々と輝き、大きく開かれた口からは荒い息とダラダラと粘液がこぼれている。その口の中にはサメのような鋭い牙が生えているのだ。

 

 きっと、こいつはこう考えている。

 ウマそうな、エサがいた。

 

「GYAOOOOOOON!」

 

 奴は、雄叫びをあげて跳びかかってきた。俺は慌てて扉を閉めるが、ドガッという音と衝撃で、奴が扉に体当たりした事がわかった。

 意外なことに、扉は奴の体当たりを受け止めてもビクともしていない。薄い石版のような扉だったのだが、この強度は嬉しい誤算だ。ドガッ、ドガッと衝突音が立て続けに繰り返されている。

 

 体当たりで扉が破られないかハラハラしながら、襲いかかってきた奴の姿を思い出す。ウロコの生えた大きな身体、鋭い牙、コウモリのような羽根と長い尻尾。

 

「やはり……ドラゴンなのだろうか?」

 

 ゲームではお馴染みの存在だが、実際に対峙してみると恐ろしいプレッシャーだった。あの大きな口で噛砕れれば、人間など一呑みに違いない。とてもではないが、正面から戦う気にはなれない。

 

「となると……つまりこれは……」

 

 見覚えのない場所に見覚えのない身体。

 さらに空想上の存在であるドラゴン。

 

 どうやら俺は、ファンタジーの世界に転生してしまったようだ。

 

--------------------

 

 何度か扉に体当たりを続けていたドラゴンは、やっと諦めてくれたらしい。

 ほっと安堵しつつも、あんな恐ろしいモンスターが徘徊する中を抜けなければいけないと考えると、ゾッとするしかない。一体、俺はどうやってこの部屋までやってきたんだ?

 とりあえず情報を集めるために、部屋の中に転がっている紙切れを読み漁っていく。書かれているのはやはり日本語ではなかったが、問題なく読む事ができた。

 

「ヴァレリア王国……? 覇王ドルガルア……?」

 

 聞き慣れない地名や人名ばかりだった。世界史が得意だったわけではないが、少なくとも地球ではない……と思う。さらに言えば、地球では1年を12ヶ月に分ける暦が一般的だが、書物の中では「白竜の月4日」やら「海竜の月12日」やら、訳のわからない日付が踊っている。

 本格的にファンタジーの世界じゃねーか。でも、俺の知ってるゲームや漫画の世界ではなさそうだ。ゲームはわずかな人気作をプレイするだけのライトゲーマーだったから、俺の知らない作品の世界だというのも否定できない。

 

 結局、紙切れは備忘録やなんかのメモばかりで、大して情報を得る事が出来なかった。書いてある事も暗号めいた専門用語やレシピのようなものが並んでおり、全く理解できない。

 しかし、その中で気になる記述があった。

 

『死者の指輪と血塗れの聖印の組み合わせによる転生実験に失敗』

『素体の魂の強度に問題がある?』

『召喚魔法との組み合わせで、魂強度の高い素体を召喚』

『転生実験に成功、続いて遺失魔法ボディスナッチの再現実験へと移る』

 

 転生やら召喚やら、『この部屋の持ち主』は色々な怪しい魔法の実験をしていたようだ。ラノベ的に考えるなら、その実験によって地球からホイホイと召喚されたり転生したりしたのが俺という事になるわけだが、今となってはもうわからない。

 とにかく、こうして部屋に篭っていても埒が明かないことだけはわかった。

 

「やはり、外に出るしかないか」

 

 他に何かないかと部屋を見回してみると、部屋の片隅に物置のようなスペースがあった。雑多な物が山のように積まれている。中には水や食料もあるようだ。

 食料は乾パンのようなものと干し肉のようなもので、食べやすく加工された食品に慣れた現代人には、食べづらい事この上なかった。しかし、贅沢は言っていられない。

 

 さらに山を漁ってみると、立派な緑色の槍を見つける事ができた。

 緑色の槍は自分の身長よりも長く、かなり重かったが、この身体のスペックのおかげか何とか振り回す事はできた。とはいえ槍の扱いなど全く覚えがないので、少し練習が必要だろう。

 

 残念ながら防具のようなものは見当たらない。際どいボロ布を身にまとったまま行動するしかないようだ。この世界にわいせつ物陳列罪の法律がない事を祈るしかない。

 

--------------------

 

 数日が経って槍の扱いにも慣れてきたので、いよいよ再び部屋から出てみる事にした。

 

 この身体で数日を過ごしてわかったのは、この身体が疲れ知らずだという事だった。起きてから寝るまで一日中ずっと槍を振るっていたが、まったく疲れを感じないのだ。日本にいた頃の俺なら、槍を十回も振ればバテていたに違いない。

 槍は落ちていた革紐で肩に掛けて、すぐに使えるように装備している。また、同じく転がっていた布袋に食料と水を詰めて反対側の肩に掛けている。総重量は大したものだが疲れ知らずなので問題はない。

 

 物音を立てないように、そろそろと扉を開く。扉の先に例のドラゴンが待ち伏せしているのでは、と心配だったが、そこには何もいなかった。

 少し安心しつつ扉をくぐり、以前はよく見られなかった大部屋を見回してみる。

 

 床や壁は小部屋と同じような意匠の造りになっていて、表面に不思議な幾何学模様が刻まれた石で出来ており、全体的に微かに発光している。太陽も明かりもないのに物が見えるのは、この光のおかげらしい。部屋全体を見通す事はできないが、足元や周囲の状況ぐらいは確認できる。

 床の上にはところどころにドロドロとした緑色の泥沼が見える。いかにも毒沼といった様相だ。空気も汚染されそうなものだが、不思議とカビ臭いだけで呼吸に問題はない。

 さらに、人骨と思われる白い骨がそこかしこに転がっている。この状況に感覚が麻痺しているのか、本物の人骨のようなのに、恐怖は感じなかった。

 

「ここは……もしかしてダンジョンという奴なのだろうか?」

 

 RPGなどによく登場するダンジョンだが、内部は迷路のような構造になっている事が多い。迷わないように、しっかりと来た道を記憶しておかなければ、あの小部屋にすら戻れなくなりそうだ。

 

 人骨や毒沼を踏まないように注意しつつ、足音を殺しながら部屋の中を進んでいく。壁に手をつきながらしばらく進んでいくと、カタリ、と物音が聞こえた気がした。

 

 足を止めて、息を潜めて様子を伺う。

 

 カタリ、カタカタ。

 

 今度ははっきりと耳にする事ができた。何の音かわからず首を傾げていると、すぐにその音の正体は明らかとなった。

 

 足元に転がっていた人骨が、動き始めたのだ。

 

「なっ!」

 

 慌てて槍を構えると、動き始めた人骨はパズルのように組みあがり、やがて人の形となって立ち上がった。頭蓋骨の目にあたる窪みには、ぼうっと青白い光が灯っている。

 

「ドラゴンの次は、スケルトンか……」

 

 立ち上がったスケルトンは、いつの間にか手にしていた大剣を振りかぶって襲いかかってくる。大剣が空気を切る轟音を聞いて、俺はバックステップでそれをかわす。この身体は動体視力も優れているようだ。

 大剣が地面に突き刺さり、隙だらけになったスケルトンの身体に、構えていた槍を振りかぶるように叩きつけた。練習の成果が存分に出せた一撃で、ガードしようとしたスケルトンの左腕を吹き飛ばす。身体から離れた左腕は放物線を描いて地面へと落ちた。

 スケルトンは負けじと右腕だけで大剣を振ろうとするが、俺はそれを槍で逸らす。

 

 思ったよりも戦えている。この分なら、ドラゴンさえ相手にしなければ、このダンジョンを早めに抜け出す事ができるかも――

 

 そう思った束の間、ドスッと不穏な音が背中から聴こえた。遅れてやってくる、熱い痛み。

 

「ガハッ」

 

 思わず片膝をつく。肩越しに自分の背中を見てみると、そこには金属製の『矢』が生えていた。どうやら、目の前の敵に集中しすぎて、背後から不意打ちを食らったらしい。

 カタカタという音と共に、大剣を持ったスケルトンとは別のスケルトン達が何体も現れ、俺を取り囲んでくる。中には、中世の戦争に出てくるような器械式の弓である『弩』を持った個体もいた。こいつが不意打ちをくれた奴だろう。

 さらに、スケルトンにまぎれて、フワフワと宙を浮いている者もいる。布をかぶっており、二頭身ほどしかない小さい存在だ。どうやらこちらは、スケルトンとは別種のモンスターらしい。幽霊のような見た目なので、ゴーストとか呼ばれるんだろうか。

 

 現実逃避はこのぐらいにして、今の状況をどう抜け出すか必死に頭を回転させる。漫画やラノベの主人公なら、このピンチを抜け出す事など軽くやってみせるはずだ。

 背中の痛みをこらえながら槍を振り回して牽制するも、モンスター達は次第に輪を狭めてくる。

 

「△○×$□×△#○――」

 

 ふと気がつけば、先ほどまで浮かんでいるだけだったゴーストが、杖らしき棒を掲げている。発声器官など無いはずなのに、どこからか怪しい声が聞こえてくる。

 発声と共にゴーストの頭上に紫色の光が集まり、形をなしていく。その光景は現実離れしており、それを知らない俺にも何が起きているのかすんなり理解できた。これが『魔法』というやつなのだろう。

 

「――○△%×□!」

 

 ゴーストの掛け声と共に、紫色の光の塊が勢いよく飛び出し、俺の元へと向かってくる。サイドステップで避けようとしたがそのスピードは予想以上に速く、見事に右半身に命中した。途端に、燃え上がるような痛みが身体の中を這い回る。

 

「がああああ!!」

 

 当然、そんな俺をスケルトン達が放っておくはずもなく、スケルトン達はそれぞれが手にした武器を振りかぶり、俺を攻撃してくる。

 痛みの中、なんとか避けようとするが、多勢に無勢だった。次第に被弾が増えていき、ついに膝をついた俺の目の前に、大剣を持ったスケルトンが立ちふさがる。

 

 最後に聴こえたのは、固い大剣の切っ先が、俺の頭を砕き割る音だった。

 





【死者の宮殿】(ししゃのきゅうでん)
タクティクスオウガ名物のおまけ要素。本編の進行とは関係のない、地下100階の難関ダンジョン。
SFC版では一切セーブ不可の鬼畜仕様だったが、PS版やPSP版では階層ごとにセーブ可能になったりショートカットできたりと、ゆとり仕様に。(本作はPSP版準拠)
強力なレアアイテムや魔法が手に入ったり、サイドシナリオ的なものがあったりする。


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002 - Dead End

「……はっ!」

 

 バッと身体を起こして一気に覚醒する。なんという悪夢だったのだろう。訳のわからないダンジョンに放り込まれて、ドラゴンやらスケルトンやらモンスターに襲われ、最後は無様に殺された。

 はあ、会社行かないと……。

 

 しかし、枕元にあるはずのスマホが見当たらない。いや、それどころか、ここはベッドの上ですらない。辺りを見回してみれば、夢だったはずの薄暗い空間。毒沼と人骨が転がる床の上に横たわっていた。

 どうやら、悪夢はまだまだ続くらしい。

 

「俺は、死んだはずだが……」

 

 特に身体に変わった様子はない。近くに転がっていた緑色の槍も、食料を入れた革袋もそのままだ。だが、よく見れば革袋はところどころ血で赤く染まっている。身につけていたボロ布はさらにズタボロになっており、元が黒くてわかりづらいが血に濡れている。

 横たわっていた地面にも赤い血だまりができあがっていた。その中に、見覚えのある金属製の『矢』が転がっている。どうやら、俺が死んだのは記憶違いではないらしい。だとすれば、今の俺は一体なんだというのだろう。

 殺された場面を思い出し、今になって身体が震え始めたが、ここに留まっていれば再び同じ目に遭うのは想像がつく。俺は慌てて荷物を抱えて来た道を戻り、スタート地点の小部屋に飛び込んだ。幸い、今度はドラゴンにもスケルトンにも遭遇しなかった。

 

 小部屋に戻って検証した結果、どうやら俺の身体はバケモノになっていたようだ。

 

 槍の切っ先で手の甲に傷をつけてみると、すぐに傷が塞がって治ってしまった。少し覚悟して、大きめの傷をつけてみたが、やはりすぐに治癒してしまう。スケルトン達によって確かに殺されたはずだったが、こうしてピンピンしているのは、死の淵から蘇ってきたとしか思えない。

 死んでも自動で蘇るなんて、ゲームや漫画にでてくる不死身の吸血鬼か何かみたいではないか。もしかして、血を吸いたくなってしまったりするのだろうか。

 

 だが逆に考えてみれば、この状況においては非常にありがたいアドバンテージだ。好んで死にたいとは思わないが、死んでもやり直しが効くというのは、ゲームのようにコンティニューできるという事だ。

 スケルトン一体を相手になら有利に進められたのだ。不意打ちに気をつけて、囲まれないように注意して動けば上手く立ち回れるかもしれない。ゴーストの魔法だって、事前に気がつけば避けられるはずだ。

 最悪また死んでしまっても、何度も繰り返しコンティニューしていれば、いつかはゴールにたどり着けるはずだ。

 

 そうして俺は、現実感を完全に欠いたまま、『ゲーム』の攻略に没頭していった。

 

--------------------

 

 大部屋を壁伝いに探したところ、階段を見つけた。しかも、二つもだ。一つは上階への昇り階段、もう一つは下階への降り階段。スタート地点の小部屋がダンジョンの終端だと勝手に思い込んでいた俺は、どちらに進むべきか頭を悩ませる事になった。

 このダンジョンの雰囲気からして地下にあるように思える。だとすれば、正解のルートは上階への昇り階段だ。だがもし、このダンジョンが塔のような高層の建造物だったら、地上へと降りる下階への降り階段が正解だろう。

 

 結局、最初の直感を信じて上へと昇っていく事にした。

 

 道中、スケルトンやゴーストと再戦したが、初戦のように不意打ちや魔法に注意しながら戦えば、何とか撃退する事ができた。しかし、何度かは一対多の状況に持ち込まれてゲームオーバー、つまり『死』を経験した。

 最初は死ぬ事に対していちいち恐怖を感じていたが、死ぬ度に段々と感覚が麻痺していき、途中からは何も感じなくなった。むしろ、多少の傷はすぐに治癒する事を利用して、自分の身体を盾にしたり、犠牲にして相手を仕留める、という戦法を編み出したりしていた。

 さらに、死ぬ度に復活するまでの時間が短くなっているのがわかった。今では、一度死んでも数秒間だけ意識を失う程度で復活し、戦い続けられるようになっている。完全に人間をやめているが、俺は自分の身体について考える事を放棄しつつあった。

 

 以前に遭った赤いドラゴンとも再び遭遇した。相変わらずの迫力だったが、すでに死の恐怖を覚える事はなくなっていた俺は、槍一本を持って果敢に立ち向かっていった。

 最初のうちは固いウロコにダメージが全く通らず、何度も殺されたり、生きたまま食われたりを繰り返していた。死体を食われてしまっても、しっかりと所持品込みで復活できるらしい。どうやって復活しているのかは死んでいるのでわからないが、あまり考えたくない。

 奴の攻撃方法は鋭い爪と牙、尻尾だけかと思い、ヒット・アンド・アウェイで距離を保ちつつ戦っていたら、いきなり炎のブレスを吐き出してきた。あえなく全身を焼かれた俺だったが、やはり数秒後には何事も無かったかのように復活する。どうやら、炎に焼かれても問題ないらしい。

 

 ドラゴンと何度か戦っているうちに、槍に体重をいっぱいに掛けた一撃であればウロコを貫通してダメージを与えられる事がわかった。いわゆる『クリティカル』のようなものだ。

 クリティカル攻撃を何度か繰り返すと、次第にドラゴンの動きが鈍っていった。殺しても殺しても向かってくる俺に脅威を感じたのか、ドラゴンは逃げるようになったが、俺は逃さないように徹底的に追いかける。どうやらモンスター達はフロアをまたぐ事はできないらしい。

 

 最後に全体重を掛けたクリティカル攻撃によって、ドラゴンの首筋に槍が突き刺さり、その巨体がズシンという音を立てて崩れ落ちた。

 

 これまで戦ってきた感謝を込めて、斃したドラゴンの血肉を喰らう事にした。限りある保存食を消費し続けるわけにはいかないし、他のモンスターは骨や幽霊ばかりで喰えそうにないという事情もある。

 

 ドラゴンの肉は非常に美味だった。俺は泣いた。

 俺の中で、ドラゴンに出会ったら食料になる事が決定した瞬間だった。

 

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 最後に小部屋を出てから、恐らく数ヶ月が経った。

 この世界の暦では一ヶ月が何日間なのか知らないが、寝て起きた回数は百から数えていない。

 

 階段を少しずつ見つけては昇っていくが、一向に出口へとたどり着かなかった。昇った階段の数はもはや五十以上だろう。一体、このダンジョンは何階まであるのだろうか。

 ちなみに、食べたドラゴンの数はすでに数えていない。フロアごとに何匹かいるらしく、赤色だけでなく青色だったり黄色だったり実にカラフルだ。毎日一匹は狩っているから、このダンジョンからドラゴンを絶滅させてしまうかもしれない。探索が遅々として進まなかった原因でもある。

 

 そして今日、ついに終点と思われる地点までたどり着いたのだ。

 

「……なん、だと……」

 

 思わず俺の口から漏れた絶望の言葉。

 何十もの階段を昇ってたどり着いた場所は、行き止まりだった。

 

 何度も壁伝いに探してみたが、上階へと向かうための階段は見当たらない。壁ではなく、部屋の中央にあるのかとも思ったが、部屋の中にも何も見つからなかった。どうやら、本当に行き止まりらしい。

 俺は絶望でガクリと膝をついた。

 

 完全に無駄足だったのだ。このダンジョンはきっと地下ではなく地上に建っており、出口は最下層にあるに違いない。それを知らない間抜けな俺はダンジョンの最奥までやってきてしまったのだ。直感なんかを信じた俺がバカだった。

 

 ムシャクシャした俺は、槍を振り回してそこらのスケルトンを腹いせにまとめて叩き壊していく。なんだか知らないが妙に力が強くなっており、以前は苦戦していたスケルトンも一撃で倒せるようになっていた。というか、ドラゴンですらクリティカルなしで槍をブスブスと刺せるし、下手すれば一撃で倒せる。

 

 これはあれか。きっと散々ドラゴンを倒してたからレベルアップしてしまったんだな、うん。

 

 おかげで、ドラゴン達は俺を見ると尻尾を丸めて一目散に逃げるようになってしまった。肉のために狩るのが大変だ。ダンジョン内の食物連鎖で、俺がトップに立ってしまったに違いない。

 捕まえると奴らは鋭い爪や牙で必死に抵抗してくるが、なぜだか俺の皮膚で止まるようになってしまった。ブレスを吐いてくる事もあるが、炎のブレスでも産毛が焼けるぐらいである。ムダ毛の処理に最適だ。死んでもコンティニューできるが、死ぬ事がほとんどなくなっている。

 

「はぁ……下に戻るか……」

 

 そこらに転がるスケルトンの残骸を踏み潰しながら、まっすぐに降り階段を目指す。最初は毒沼にも気をつけていたが、今では毒すら効かなくなったようなので、特に気にしていない。

 

 ここに来るまで、様々な敵と戦ってきた。

 スケルトンやゴーストだけではなく、大型のコウモリのような『グレムリン』、可憐な妖精のように見えるが凶暴な『フェアリー』、一つ目で巨体を持つ『サイクロプス』、鳥とライオンの間の子のような『グリフォン』、大蛇の下半身と女性の上半身を持つ『ラミア』、二足歩行のトカゲのような『リザードマン』などなど。

 中でも、人間の姿をした『ゾンビ』は、最初に出会った時は驚いたものだったが、話しかけても全く会話が通じず、むしろ襲いかかってくるだけだったので、何度目かの遭遇から問答無用で消し飛ばす事にした。

 

 昇ってきた階段を下っていくのはあっという間だった。何せ襲ってくるモンスターがいないから平和なものだ。どいつもこいつも、俺の姿を見ると一目散に逃げ始める。最初は襲いかかってきたくせに、一体どういうつもりなのだろうか。

 

 おっ、グリフォンだ。今日の飯はヤキトリだな。

 

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 スタート地点の小部屋を通り過ぎ、階段を下り方向に進んでいく。戻ってくる時に数えてみたが、最上層から小部屋のあるフロアまで、50もの階段を降りてきたようだ。なんという時間の無駄だったのだろう。

 

 溜息をつきつつ、相変わらず平和なダンジョン内を進んでいくと、いくつか階段を降りたところで明らかに他のフロアとは異なる雰囲気の場所に出た。おいおい、もしかして最初から階段を下りていれば、あっという間に出口だったんじゃないか。

 

 周囲にはグツグツと煮え立つ真っ赤な溶岩。今まで、わずかな発光による視界に目が慣れていたので、溶岩の放つ光量がまぶしく感じる。

 また、ムワリとした熱気を感じるが、レベルアップのおかげか、そこまで熱さは感じない。この分なら、溶岩に触れても大丈夫そうだと感じたが、いくら死ななくても溶岩に飛び込んだらどうなるかわからないので自重した。

 

「ここは……?」

 

 溶岩に四方を囲まれ、台のようになっている場所がある。何かあるかと期待して調べてみたが、何も見当たらない。まるで、フラグの立っていないイベントの場所に来てしまったかのようだ。

 そして、辺りを見回してみるが階段らしきものも見当たらない。つまり、ここは最下層の行き止まりだという事だ。もしかしたら、溶岩の中に階段が埋もれてしまっているのかもしれない。

 

「つまり……出られない、という事か」

 

 最上層も最下層も行き止まり。このダンジョンに出口はない。

 こんな最悪なオチだとは思わなかった。

 





【ドラゴンステーキ】
ボリュームたっぷりのステーキ。
食べると、わずかではあるが恒久的に STR (物理攻撃力) と VIT (物理防御力) がアップする。

【ヤキトリ】
カロリー控えめの健康食品。
食べると、わずかではあるが恒久的に DEX (器用さ) と AGI (素早さ) がアップする。


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003 - Encounter

 ダンジョンに閉じ込められて、およそ三年が経った。

 

 もはや庭のように知り尽くしたダンジョン内を散歩している。相変わらず、モンスター達は俺を見て見ぬふりだ。まるで柄の悪い不良かヤクザにでもなった気分だ。

 そんなモンスターの中でも、いくつかの種族とは和解している。グレムリンは犬のように従順だし、フェアリーは俺の前では可愛い妖精らしく振る舞う。ラミアさん達は色々な意味でお世話になっているし、リザードマン達は俺の事を親分か何かだと思っているらしい。

 しかし、ドラゴンやグリフォンは相変わらず食料にしか見えない。申し訳ないが、ダンジョン内は弱肉強食なのだ。絶滅を心配したが、今のところ問題はない。ダンジョンらしく自然発生しているのだろうか。

 

 あれからダンジョンの中をくまなく探し回ってみると、なんと話し相手を見つける事ができた。

 

 彼ら二人は、それぞれ別のフロアでショップを開いていたのだ。店の名前は『死者宮名物行き倒れ横町』というらしい。初めてショップを見つけた時は驚いたものだ。こんなところでお店を開いて、お客は来るのだろうか。

 一人は、何故か言葉を話せるスケルトンのスケさん。生前も商人をしていたらしく、陽気な関西弁(のように聞こえる口調)で話す。どこからどうやって声を出してるのかは不明だ。

 もう一人は、カボチャが頭になっているパンプキンヘッドのカボさん。時折、カボチャ頭を一回転させるのがチャーミングだ。語尾に「カボ」と付ける事でキャラ付けしようとしている。

 

 彼らの話によれば、このダンジョンは通称『死者の宮殿』と呼ばれているらしい。彼ら自身も、いつからこのダンジョンにいるのかはわからないが、暇つぶしに商品を集めて商売を始めたら楽しかったらしい。

 

「カボさん、景気はどうだ?」

「ボチボチカボ〜」

 

 俺以外に客などいないはずなのだが、彼らは一体、なんのために商売しているのだろうか。それとも、モンスター達がアイテムを買ったりしているのだろうか。

 

「そうそう、そういえばベルっち、あの噂は聞いてるカボ?」

「噂?」

 

 ベルっちというのは俺のアダ名だ。名前がないのも不便なので、小部屋に残されていた書類から、この身体のものだと思われる名前を拝借する事にしたのだ。フルネームはベルゼビュートという。日本人だった頃の名前を名乗っても良かったのだが、この顔には似つかわしくなかったので新しく決めた。

 以前、物置から鏡を見つけたので確認してみると、銀髪に赤い眼という厨二病まるだしの鋭い目つきをしたイケメンだったのだ。歳は二十代前半ぐらいだろうか。イケメンボイスも相まってさぞかしモテるだろうが、ダンジョンから出られないから意味はない。ラミアのお姉さん達からは大人気なのだが。

 一瞬、思考がピンク色に染まりかけたが、カボさんが口にした『噂』とやらが気になるので慌てて意識を戻す。

 

「この死者の宮殿に、誰か人間が入ってきたらしいカボ」

「……なんだと?」

 

 人間が、入ってきた? そんなバカな。

 

「そいつは、一体どうやって入って来たんだ。出口など、どこにも無いだろう」

「うーん、カボにもわからないカボ。でも、その人なら出口を知ってるかもしれないカボね」

「…………」

 

 信じがたいが、もし本当なら是が非でもそいつと会わなくては。ここ数年で、死者の宮殿での生活にすっかり慣れてしまったが、もちろん外に出たいという欲求は変わらない。なにせ、食事がドラゴンとグリフォンばかりでは飽きるというものだ。うまいけど。

 

「カボさん、俺はそいつに会いにいこうと思う。そいつの居場所を知らないか?」

「うーん、まだ上の方をウロウロしてるらしいカボ〜」

 

 という事は、やはり出口は上にあったという事か。行き止まりとばかり思っていたが、もしかしたら隠し通路でもあるのだろうか。

 

「すまない、カボさん。恩に着る」

「気にするなカボ〜。ベルっちはお得意様カボ」

 

 カボさんに感謝と別れを告げてショップを飛び出す。目指すは上階だ。

 もはや目をつむっても階段の位置がわかるダンジョン内を、俺は勢いよく駆け上がっていった。

 

--------------------

 

「ほほう、これはこれは。さすがは死者の宮殿ですねぇ。貴重な触媒がそこかしこに……」

 

 その聞き慣れない声が耳に入ったのは、カボさんのショップを出て階段を40ほど昇った頃だった。この数年でますます人間離れが加速した俺の身体は、聴覚も並外れているようだった。大部屋の端にいるモンスターの寝息を、反対側の端からでも聴く事ができる。

 同じく、暗闇でも昼間のように見通せる視界には、赤いターバンを頭に巻いた白髭の老人が写った。屈みこんで、そこらに転がっているゴミを漁っている。なかなかの変人のようだ。

 俺は音もなく近づいて、老人に声を掛ける。

 

「失礼、そこの御仁」

「はっ! ……あ、貴方は……?」

 

 老人は俺の声にビクリと反応する。

 

「急に声を掛けて、すまない。俺はベルゼビュートという者だ」

「これは、これは……このような場所に、まさか生きた人間がいるとは思いませンでした。私はニバス・オブデロードと申します」

 

 老人だと思ったが、よく見ればまだ若い。五十代ぐらいの男性だった。ニバス氏は年下に見えるはずの俺の自己紹介に、慇懃に応えてくれる。

 

「一つ、つかぬ事を伺いたいのだが、よろしいだろうか」

「ええ……私も貴方にお聞きしたい事があります。まずはそちらのご用件を伺いましょうか」

 

 いざ脱出方法を聞こうと思ったが、聞きづらい。出口がわからずにダンジョンに何年も閉じ込められてたなんて、間抜けにもほどがある。だが、ここで聞かなければ一生ダンジョンの中かもしれない。この身体に寿命があるのかもわからないが。

 

「……この死者の宮殿にはどのように入ってきたのだろうか?」

「ふむ。恐らく貴方と同じ入口からかと思いますが?」

「…………その、だな。実は俺には、ここに入ってきた時の記憶がないのだ」

「――ほう」

 

 仕方ないので、俺はニバス氏に自分の事情を説明する事にした。といっても、地球で生きていた頃の話までするとややこしくなりそうなので、「気がついたら、記憶を失くして小部屋で眠っていた」という設定だ。面倒なので、不死身になった話も割愛した。

 俺の拙い話を、ニバス氏は興味深そうに聞いていた。途中、何度か質問を挟んできたが、何度か答えると首を傾げたり納得したように頷いたりしていた。

 主にドラゴンとグリフォンを食料に、三年間ダンジョンで生きていた事を説明すると、ニバス氏は細い目をいっぱいに拡げて大げさに驚いている。

 

「なっ! ド、ドラゴンを食料に……?」

「ああ。他に食べる物がなかったからな……何か、問題でも?」

「ははは……。ドラゴンの肉など一年に二、三度、オークションに出回るかどうかの高級品ですよ」

「む……そうだったのか。しかし、この死者の宮殿にはドラゴンなど腐るほどいるぞ。実際、一部は腐ってゾンビになっているが」

「ふぅ……。野生のドラゴンなど、危険極まりない魔物ですよ。普通は、そう簡単に倒す事などできませんがねぇ。熟練の戦士や魔術師が、何人も集まって命懸けで倒すのが当たり前の相手です」

 

 ニバス氏は、なんだか疲れたような表情を浮かべている。

 

「ドラゴンの肉には、食べた者に力を与えるという伝承があります。私も一時期は研究した事がありますが、極わずかに力を増強する事は確かでした。しかし、ドラゴンの肉などという貴重品、普通はそう口にする事などできないので、力の増強などほとんど意味がないと思っていたンですが……」

「ドラゴンの肉など、毎日食べているが……」

「……その生活を三年間ですか……」

 

 今度は、ニバス氏は遠い目をしている。

 

「ゴホン。とにかく、事情はわかりました。えー、出口でしたね。恐らく、貴方は途中にある隠し扉に気がついていないのでしょうねぇ」

「か、隠し扉……だと?」

「ええ。私も入ってくる時に、隠し扉を探すのに苦労しましたが、一部の床がスイッチになっていて、床を踏むことで開くようになっているンですよ。恐らく内側から開く時も同様なのでしょう」

「ば、馬鹿な……」

 

 ガクリと膝をついて手を地面につく。この三年間で最も脱力した瞬間だった。

 

--------------------

 

 ニバス氏を連れて、隠し扉のあるフロアまで昇る事になった。

 

 ニバス氏からしてみれば、入り口に戻る事になるというのに、親切についてきてくれるらしい。全くニバス氏には感謝してもしきれない。

 道中、俺の姿を見たドラゴンが尻尾を巻いて逃げていく様子を見て、なぜか固い笑顔を浮かべていたが。

 

「ベルゼビュートさん、でしたね」

「ああ。親しい者は『ベルやん』だの『ベルっち』だのと呼ぶが」

「そ、そうですか。貴方は三年間この中で生きていたそうですが、この場所がどのような目的で作られたのか、ご存知でしょうか?」

「む? そういえば知らんな……」

「この場所は元々、暗黒神アスモデのために作られた神殿だったそうです。本来はアスモデ神の使徒のみが入れる禁断の聖地で、過去に侵入した者のほとんどは帰ってきていないとか……」

 

 なにそれ怖い。あれ、でも俺ってなんともなってなくね。侵入したわけじゃないから、ノーカンなのかな。それとも、この身体の持ち主がアスモデ神の使徒だったとか。

 

「伝承によれば、この神殿の奥深くにはアスモデ神へと祈願を捧げる祭壇が眠っているそうですが……」

「ふむ? 下まで潜ったが、それらしいものはなかったぞ。溶岩に囲まれた舞台のようなものがあるだけだ」

「そ、そうなンですか? では、その場所が祭壇なのでしょうか?」

「わからん。少なくとも俺が行った時は何もない場所だったな」

「は、はあ……」

 

 なんだか、ニバス氏はしょんぼりしているようだ。祭壇に期待するものでもあったのだろうか。

 

「まだ終わったわけではありません……。因果律を超越し、真の不老不死を実現するまで、私はあきらめるわけにはいかないのです……。そうです、神の力など借りなくとも……」

 

 なんだかブツブツと独り言までしゃべりだした。内容はよく聞こえなかったが、まさに鬼気迫るといった様子だ。ドン引きした俺は無言になってニバス氏の横を歩いている。

 

「おっと、スケルトンか」

 

 不意に背後から飛んできた『矢』に気づいて、ニバス氏の背中に手を出す。ニバス氏を狙って勢いよく飛んできた金属製の矢は、俺の手の平を貫く事もできずにカキンと弾かれた。

 

「まったく、懲りない奴らだ。スケさんを見習うがいい」

 

 足元から小さな石を拾いあげて、軽く投げる。俺の手元から放たれた石は、まるでピストルの銃弾のように空気の壁を突き破り、弩を持ったスケルトンに直撃した。もちろん、スケルトンは粉々に吹き飛んだ。

 

「…………いやはや。貴方を見ていると、死という言葉が馬鹿らしく感じますねぇ……」

 

 一連の作業を見ていたニバス氏は、なぜか冷や汗をかきながら呆れた顔になっている。

 

「む? しかし、俺だって幾度となく――」

 

 カチリ。

 

 俺の足元から微かな物音と、何かを押し込むような感触がした。すると、壁面の一部がゴゴゴという音と共に持ち上がっていく。どうやら、たまたま隠し扉のスイッチを踏んでしまったようだ。いつの間にか、目的のフロアに到着していたらしい。

 三年間探し求めた出口が、今、呆気無く俺の前に姿を現したのだ。

 

「おやおや。貴方は幸運なのだか、不運なのだか、わかりませんねぇ」

「……間違いなく、不運だと思うぞ」

 

 クスクスと笑うニバス氏を尻目に、壁に開いた出口に目を向ける。どうやら、すぐそこが地上というわけではないらしいが、地上につながっているのは間違いない。

 

「それでは、私はこの辺で……。貴方は地上へ出るとよろしいでしょう」

「ああ。世話になった。感謝する、ニバス殿」

「いえいえ、私は何もしていませンよ。貴方のお話の方が助かりましたからねぇ」

「そうか。俺の話が役立ったのなら何よりだ。……そうだ、俺の友人達が死者の宮殿の中でショップを開いている。もし良ければ立ち寄ってみるといい」

「ショップですか……?」

「ああ、気のいい奴らでな――ム?」

 

 俺がショップの位置を説明しようとした時、俺の聴覚に一つの足音が響いてきた。その足音は、たった今開いたばかりの隠し扉の奥から聞こえてくるようだ。

 

「誰かやってくるな……今日は本当に珍しい日だ」

「おやおや……」

 

 隠し扉を抜けて現れた足音の正体は、一人の青年だった。立派な鎧を身につけ、これまた立派な剣を帯びている。なかなか腕が立つようだが、その顔は童顔でまだ幼く見える。なんだか余裕のない、険しい顔をしている。

 彼は隠し扉を抜けて、辺りをキョロキョロと見回しているが、不意にこちらを見て表情を変える。

 

「こんなところに人が……? ……なっ! お、お前は! 屍術師ニバス!」

「これは、これは……。あなたは確か……う〜ん……。そうだ、デニムくんでしたね。再会できて本当に嬉しいですよ。それとも、ゴリアテの若き英雄とお呼びする方がよろしいですかねぇ?」

 

 どうやらニバス氏と、デニムと呼ばれた青年の間には何か因縁があるようだ。

 蚊帳の外に一人立たされた俺は、その様子をぼーっと見るのだった。

 




【暗黒神アスモデ】
神の一柱。暗黒属性を司る魔神で、見た目はまんま悪魔。
上司に従って他の神に戦いを挑んだら、返り討ちにあって力を封印されちゃった残念属性の持ち主。
噂によれば、錬金術士とのギャンブルに負けて、時々人間に力を貸してくれるらしい。ツンデレかな?


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004 - Bloody Lord

シリアス警報!


 僕、デニム・パウエルは、自責の念と後悔でドロドロとする心を抱えながら、半ば自暴自棄になって『死者の宮殿』と呼ばれるダンジョンに単身で潜り込もうとしていた。

 

 『ゴリアテの若き英雄』なんて呼ばれ、ウォルスタ解放軍のリーダーに担ぎあげられているが、僕は家族や親友を救う事もできない無力な英雄だと思い知ったからだ。

 親友だったヴァイスは、暗黒騎士オズの一撃から身を挺して僕をかばい、命を落とした。その直前に、家族であるはずのカチュア姉さんから殺されかけた僕は、ショックを受けて放心していたのだ。

 そのカチュア姉さんも、説得に失敗して僕の目の前で自ら命を絶った。最後まで、姉さんの気持ちが理解できなかった。確かに二人きりの姉弟だが、僕はこれまでにたくさんの人から意思を託されてきたのだ。大義のために、僕がこの手を汚して虐殺した同胞達は、きっと僕の一挙手一投足を見ているに違いない。僕には解放軍のリーダーとしての責任があり、もう、二人だけではいられない。

 

 だが、もっとうまいやり方があったのではないか。ヴァイスを、カチュア姉さんを救う事ができたのではないか。後悔は尽きず、フィダック城の執務室で僕はひたすら自分を責め続けた。

 その間にも、解放軍の人々は僕にリーダーとしての姿を求める。身内の死に嘆きながらも、前に進みつづける頼りになるリーダー像を、僕に求めるのだ。

 

 もう、うんざりだった。

 

 そんな時、ヴァレリア島の北西にあるエクシター島で起きた『謎の爆発』の噂と、その島にある『死者の宮殿』の噂を耳にしたのだ。死者や魔物が蠢き、強力な遺失魔法や武器、死人を蘇らせる事すらできる財宝が眠るというダンジョンの噂を――。

 死者の蘇生など、おとぎ話に過ぎないと思う。しかし、心の弱った今の僕には、あまりにも甘美な誘惑だった。もう一度、親友のヴァイスと話したかった。僕の弱音を聞いてほしかった。もう一度、カチュア姉さんと話したかった。本音をぶつけあい、わかりあいたかった。

 

 付き人や仲間達の制止をふりきり、僕はエクシター島へと向かったのだ。

 

--------------------

 

「こんなところに人が……? ……なっ! お、お前は! 屍術師ニバス!」

「これは、これは……。あなたは確か……う〜ん……。そうだ、デニムくんでしたね。再会できて本当に嬉しいですよ。それとも、ゴリアテの若き英雄とお呼びする方がよろしいですかねぇ?」

 

 まさか、こんなダンジョンで生きた人間に出会うとは思わなかった。ましてや、相手があの屍術師ニバスだとは。ニバスが口にする『ゴリアテの若き英雄』という呼称が、僕の弱った心を苛む。

 屍術師ニバスは、敵であるガルガスタン軍に所属していた魔術師だった。民族紛争や島の覇権の行方には全く興味はないニバスがわざわざ戦争に参加したのは、『不老不死の研究』のために新鮮な死体を確保するためだった。奴は、屍霊術と呼ばれる魔法を操り、死者を冒涜する邪悪な存在なのだ。

 解放軍の騎士レオナールさんがニバスの部下に捕われたところを、僕達が救出に向かった。その流れで、僕もニバスの討伐に加わったのだ。

 

 あの時は、不老不死を追い求める奴の言葉が、全く理解できなかった。しかし、多くの死を見て、大切な人達を喪った今の僕には、奴の気持ちが何となく理解できる。

 

「……知り合いか?」

「おや、そうでした。貴方は彼の事などご存知ないでしょうねぇ。地上では有名人なンですが」

 

 ニバスの傍らに立っていた男性が、ニバスに声を掛けている。改めて彼の姿を目にして、思わず息を呑んだ。銀色の髪は珍しいが、それ以上に宝石のような赤い瞳に目を惹かれる。

 彼がチラリとこちらを見ると、それだけで僕は動けなくなってしまった。間違いなく僕よりも格上だ。立っているだけで、圧倒的なプレッシャーと風格を感じさせる。聖騎士ランスロットさんに何度か訓練をつけてもらったが、もしかしたら彼はランスロットさん以上の実力者かもしれない。

 

「そうか。俺の名はベルゼビュート。好きに呼んでくれて構わない」

「あ……あ、あの、僕は、デニム・パウエルです」

 

 思わず声が上ずってしまった。情けない。こんなでは、解放軍のリーダーとしてやっていけない。

 ベルゼビュートさんは、僕の顔をジッと見て、それから僕の後ろを覗き込んでいる。

 

「あ、あの……?」

「ああ、すまない。一人で来たのか?」

「…………はい」

「そうか。このダンジョンは長く険しい。お前の実力を疑うわけではないが、その装備で一人で進むのは自殺行為だろう。……いや、それとも自殺しにきたのか?」

「っ!」

 

 図星を指されて思わずビクリと身をすくませる。死んでしまっても構わない、とどこか投げやりに考えていたのは間違いなかった。

 

「ふむ……。何か事情がありそうだな。俺で良ければ話を聞こう」

 

 ベルゼビュートさんは、どかりと床に腰を下ろす。すっかり話を聞くつもりのようだ。ニバスとの親しげな様子からニバスの仲間だと思われるが、彼の態度は僕への敵意を全く感じさせない。それどころか、超がつくほどのお人好しなのかもしれない。

 

「おやおや……これは、面白い事になりましたねぇ」

 

 彼の隣に立っていたニバスが、ニヤリと笑っている。

 

「ニバス殿。迷える若者を導くのは年長者の役割だと思わないか」

「ははは、ですが彼の抱える事情は、とても一人や二人で解決できるようなものとは思えませんねぇ」

「……そうか。だが解決できないとしても、誰かに話すだけで違うものだ。それに、一人や二人ではダメだとしても、それは常人の話だろう? 忘れたのか、俺は『ドラゴンを食らう男』だ」

「……ふふ、そうでしたねぇ。確かに貴方なら、彼の大きな助けになるかもしれません」

 

 ニバスは愉快そうにベルゼビュートさんと話している。『ドラゴンを食らう男』というのは、何かの比喩だろうか。彼はドラゴンを倒した事がある、ドラゴンバスターなのかもしれない。

 あくまでも僕を年下の若者扱いして心配してくれるベルゼビュートさんの優しさに、荒んでいた心が温かくなった。思えば、いつからか上に立つ事に慣れていたのだ。姉さんや親友を失い、弱音を吐く相手もおらず、僕は独りで立たなければならなかった。

 

 僕は、ゆっくりと、口を開いた。

 

「ベルゼビュートさん……貴方なら……貴方なら、どうしますか。大義のために、少数を切り捨てる事ができますか。身近な人を喪っても、それでも立ち続ける事ができますか――」

 

--------------------

 

★ (注) 以下は原作Lルートでの、大まかな舞台背景とストーリーの解説になります。すでに把握済みの方は次話まで読み飛ばしてくださっても構いません。

 

 

 このヴァレリア島では今、三つの陣営が島の覇権をかけて戦争を続けている。ウォルスタ人、ガルガスタン人、バクラム人という三つの民族による民族紛争だ。

 きっかけは、北部を治める旧貴族階級のバクラム陣営が、外部の大国であるローディス教国の暗黒騎士団ロスローリアンに援軍を要請したことだった。際どかったパワーバランスがあっという間に崩壊し、バクラム陣営は島の半分を支配下に治めて『バクラム・ヴァレリア国』の建国を宣言したのだ。

 それに刺激され、今度は数の優位を持つガルガスタン陣営が島西部のコリタニ地方を中心に『ガルガスタン王国』を建国。民族浄化の題目で、少数派であるウォルスタ人を虐殺、弾圧していく。結果として多くの罪のないウォルスタ人が命を奪われ、強制収容所に収容されて労働を強いられた。

 その流れに抵抗するウォルスタ人が集まり『ウォルスタ解放軍』を結成するも、半年に渡る戦いの中で指導者であるロンウェー公爵がガルガスタンによって捕縛され、活動を縮小せざるを得なくなっていた。

 

 バクラム陣営の暗黒騎士団によって僕の住んでいた港町ゴリアテも襲撃され、父さんは奴らに拉致された。それをきっかけにウォルスタ人である僕は、姉であるカチュア姉さん、親友のヴァイスとともに、解放軍の一員としてゲリラ活動に身を投じたのだ。

 

 そんな活動の日々の中で、暗黒騎士団の首領であるランスロット・タルタロスが、港町ゴリアテにやってくるという情報を手に入れた。

 起死回生の策として、奴の暗殺計画を実行しようとした僕達だったが、なんと暗殺しようとした相手は、全くの別人である事が判明した。同じランスロットという名前だが、こちらは暗黒騎士団の所属するローディス教国とは対立関係にある、新生ゼノビア王国の聖騎士だというのだ。いや、正確には放逐されたらしく、元聖騎士だったが。

 その後、ウォルスタ解放軍の傭兵となったランスロットさん達の力を借りて、占領されたアルモリカ城を襲撃し、幽閉されていたロンウェー公爵を見事に取り戻す事ができた。

 

 ロンウェー公爵の指示のもと、いくつかの任務をこなしていた僕だったが、日に日に情勢は悪化する一方だった。ガルガスタン軍の勢いは激しく、数の少ないウォルスタ陣営はどんどん追い込まれていく。それは、バクラム陣営と中立の協定を結んでも変わらなかった。

 

 そんな中、僕に一つの任務が下る。弾圧されたウォルスタ人達がいるバルマムッサ強制収容所に向かい、彼らを奮い立たせて武装蜂起させる、という内容だ。ガルガスタンに対抗するためには、立ち向かうウォルスタ陣営の数を増やさなければならないからだ。

 ニバスの部下から救出した騎士レオナールさんと共に、バルマムッサに向かう僕達だったが、そこで僕を待っていたのは冷めた現実だった。

 

「デニムくん……よく聞いてくれ。これから……町の住人を1人残らず殺すんだ」

「!!」

 

 自治区と名付けられた強制収容所にいたウォルスタ人達は、すっかり牙を抜かれてしまっていた。僕達の必死の説得にも応じず、抵抗すれば犠牲が増えるだけだと言ってはばからなかった。

 このままでは武装蜂起など無理だ、と考えた僕に対して、レオナールさんは町の住人達、つまり同胞であるウォルスタ人達の虐殺を命じてきたのだ。どうやら、ロンウェー公爵はこうなる事を予想して、あらかじめレオナールさんに命令を出していたらしい。

 

 ガルガスタンを装いバルマムッサの住人達を虐殺することで、他の自治区にいるウォルスタ人に武装蜂起を余儀なくさせ、否応なく戦いに駆り出すのだ。

 同時に、僕たちはガルガスタンに立ち向かうための大義名分を手にする事ができる。

 

「……従ってくれるな? こうしなければウォルスタに明日はない!」

「……わかっています。理想のために、この手を汚しましょう」

 

 こうして、僕はこの手を、同胞達の血で染める事になった……。

 

 

 それから紆余曲折があり、今の僕は解放軍のリーダーとして立っている。ロンウェー公爵は指導力不足が浮き彫りとなり、レオナールさんの手によって排除された。レオナールさんも僕に意思を託して、公爵暗殺の罪をかぶり命を落とした。

 僕を信じてついてきてくれた仲間達も、多くはガルガスタンや暗黒騎士団との戦いの中で命を落としていった。彼ら彼女らは、誰もが僕に意思を託し、平和な世界を願って死んでいった。

 

 僕の歩いてきた道は、多くの人の血で染まっている。

 





というわけで、原作的に言えば、このデニム君はLルートでネームドな仲間が死にまくってハードモードになっちゃってます。PSP版のゆとり仕様でも仲間は死ぬからね。仕方ないね(レ)

【バクラム】
金持ちが多く、暗黒騎士団を外部から呼び込んで戦争のきっかけを作った。
トップはフィラーハ教という宗教をバックに政治力でのし上がったブランタ司教。

【ガルガスタン】
数が多く、主人公陣営であるウォルスタ人を弱い者いじめしている。
トップは強硬派のバルバトス枢機卿。
なかなか有能だったが、陽動作戦で主人公の強襲を受けて敗北の末、自害。

【ウォルスタ】
主人公陣営。少数派で一番の弱小。他陣営に迫害されまくって、窮鼠猫を噛む状況に。
トップは主人公が救出したロンウェー公爵だったが、無能アンド無能につき排除された。
現在は主人公をトップに、バクラムを追い詰めつつある。


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005 - Outer World

評価・感想いただき、ありがとうございます!


 俺は、デニムと名乗った青年の独白を、黙って聴き続けていた。

 

 彼の歩いてきた道程は、信じられないほどに重く、多くの死者によって彩られていた。

 大義のため、勝利のために多くの同胞達の命を奪った。

 指導力に欠ける自軍の指導者を暗殺し、その実行犯も罪を被って自ら死を選んだ。

 親友は彼をかばって逝き、姉は最後まで弟である彼とわかりあえずに自殺した。

 彼を信じてついてきた者達も、戦いの中で次々に命を落としていく。

 

 もはや、彼を支えるものは誰もいない。弱音を吐く事も許されない。

 仲間達の死を無駄にしないためにも、彼は走り続けるしかないのだ。

 

 一緒に聴いていたニバス氏も、最初は不敵な笑みを浮かべていたが、バルマムッサにおける虐殺の段からは真面目な顔になっていた。

 

「僕の歩いてきた道は、多くの人の血で染まっているんです……」

 

 こんな、まだ成人もしていないような若者が、発していいような言葉ではなかった。

 

「……デニム。お前は、今まで歩いてきた道を後悔しているのか?」

「…………いえ。僕には、後悔する資格なんてないですから。この手で殺してしまった同胞達や、僕のために死んだ仲間達のためにも、後悔などしてはいけないんです」

「そうか」

 

 俺の目には、義務感に押し潰されそうになっているようにしか見えない。

 どう声を掛けるべきか考えていると、隣にいたニバス氏が口を開いた。

 

「……やれやれ。愚かなことですねぇ、デニムくん」

「な、なんだとッ!」

「愚かだと言ったのですよ。貴方は、自分のした事を後悔していないと言いつつ、頭の中では『ああしていれば』『こうしていれば』と考えてばかりいるでしょう?」

「ッ!!」

「義務感ですか? 責任感ですか? それとも、英雄願望ですかねぇ。悲劇の主人公を気取って、満足なのでしょうか。私には理解できませンねぇ」

「お前に何がわかるッ!!」

「だから、理解できないと言っているでしょう。私は自分の気持ちを押し殺して生きるなど耐えられませンから。ふふ……暗黒神も、欲望に忠実なれと謳っておられますし」

「押し殺してなんかッ! ……押し殺して、なんか……」

 

 ニバス氏の言葉に激昂したデニムだったが、否定の言葉は弱々しかった。

 

「やれやれ。私が考えるに、貴方は真面目すぎるようですね。他人の事ばかり考えて、自分の気持ちを無視している。もっと自分に素直になることですねぇ」

「うるさい……」

 

 どう見ても、子供が意地を張っているようにしか見えない。確かに、今のデニムは解放軍のリーダーなのかもしれないが、それ以前に彼はまだ子供だ。理想と現実に折り合いを付ける事ができず、周りからの重圧に苦しんでいる。

 その重圧から彼を解放するには――。

 

「……ふむ。要するに、戦争をさっさと終わらせればいいわけだな」

「……は?」

「よし、決めた。デニム、俺がお前を助けよう。ガルガスタン軍はすでに壊滅させたのであれば、あとはバクラムの暗黒騎士団とやらを潰せば万事解決だな」

「ちょ、ちょっと待ってください。暗黒騎士団を相手にするにはまだ戦力が……」

「心配するな。何とかなる」

「えぇ……?」

 

 デニムはまだ混乱しているようだが、そうと決まれば話は早い。せっかく地上に出られるのに、周りが戦争してたら存分に楽しめないからな。戦争なんて下らないモノはさっさと終わらせて、俺は地上で素敵なひとときを過ごさなければならないのだ。

 暗黒騎士団とやらの強さはわからないが、まあコンティニューすれば何とかなるだろう。それにしても、暗黒とか名前につけて恥ずかしくないのだろうか。厨二病の集団感染かもしれない。

 

「いやはや、面白くなって参りましたねぇ。ベルゼビュートさんが解放軍に参加ですか……。今この瞬間ほど、ガルガスタン軍を抜けておいて正解だと思った事はありませンねぇ……」

 

 ニバス氏はまたしても遠い目をしている。それにしても、この二人はもともと敵同士だったわけか。昨日の敵が味方になるって……素敵やん?

 

「ニバス殿。貴殿も年長者らしく、デニムを助けてはどうだ」

「ファッ! わ、私ですか? いえいえ、私は戦争などはどうも……」

「ベ、ベルゼビュートさん! ニバスを仲間にするなんて……!」

「……デニム、お前の目的は何だ?」

 

 慌てて否定しようとしたデニムに問いかける。

 

「目的、ですか……? それはもちろん、ウォルスタ人の……いえ、民族は関係ありません。権力者の横暴や人種差別をなくし、このヴァレリアに平和を取り戻すことです」

「ならば、ガルガスタン人だろうが、元々は敵だろうが、そんな事は関係ないだろう。それともお前は、差別を許さないと言ったその口で、ニバス殿を差別するつもりか?」

「ッ…… で、ですが……ニバスは死者を冒涜する邪悪な魔術師で……」

「デニムッ! お前は自分の手が汚れていないとでも言うつもりかッ! ニバス殿は邪悪で、自分は聖人だとでも言うつもりなのかッ!」

「そ、それ、は…………すみません、ベルゼビュートさん。僕が、間違っていました……」

「謝るのは俺にではない。そうだろう?」

「そう、ですね……。ニバス……いえ、ニバスさん。すみませんでした……」

「は、はぁ……えーと……」

 

 うんうん。やっぱりデニムは素直な青年だな。ニバス氏も多少は困惑しているようだが、この分なら和解できるだろう。良い事をした後は気持ちがいいな。

 

--------------------

 

 ついに死者の宮殿から脱出した。

 

 初めて浴びるこの世界の太陽の光は、地球のものと大差ないようだ。もし俺が吸血鬼だったとしたら、太陽の光に当たるとヤバいかもしれないという懸念もあったが、杞憂に終わった。

 それにしても、いざダンジョンを出たら少し寂しく感じてしまう。スケさんやカボさんもいるし、その内また遊びに帰ってくる事にしよう。ラミアさん達にも会いたいし。

 

「いかがですか、三年ぶりの地上は?」

 

 結局、俺とデニムについてくる事になったニバス氏が尋ねてくる。嫌がっている素振りをしていたが、最終的には助けてくれるなんて、彼はツンデレというやつに間違いないな。

 

「うむ。清々しい気分だ。やはり空気がうまいな」

「え? ベルさんは三年も地下にいたんですか?」

 

 デニムが不思議そうな顔をしている。『ベルゼビュートさん』だと他人行儀なので、まずはアダ名で呼んでもらう事にしたのだ。『ベルやん』や『ベルっち』に比べれば随分とまともだが。

 

「ああ。俺は三年ぐらい前に死者の宮殿の中で目が覚めてな。それまでの記憶も失っていた。それから今まで、外に出る事もできずにダンジョンの中で暮らしていたのだ」

「え、えぇ……? えーと……その、よく生きてこれましたね」

 

 何やらデニムがドン引きしているようだ。

 

「ハッハッハ。さすがに三年もいたら飽きてくるぞ。食べ物はドラゴンやグリフォンぐらいしか無いしな」

「ド、ドラゴンですか……? ああ、『ドラゴンを食らう男』ってそういう……」

 

 なぜかデニムまで、ニバス氏と同じ遠い目をしている。

 

「わかったでしょう、デニムくん。この方に常識を求めてはいけませンよ」

「ええ……ちょっと、意味がわからないですね……」

 

 ニバス氏とデニムが二人でこそこそと会話している。仲良くなったようで何よりだ。

 

 それよりも地上にでて気になっている事がある。

 それは、俺の格好だ。

 

 三年ほど前、小部屋で目覚めた時に黒いボロ布を身にまとっていたが、度重なる戦闘や狩りで、さすがに限界が来たのだ。いくら人がいなくても、全裸になるのは気が引けたので、早急に代わりになるものを見つける必要があった。

 そんな時、俺が目をつけたのは、いつも食べ終わった後に残るドラゴンの『皮』だった。これなら、ちょっとやそっとじゃ燃えたり破れたりしないし、丈夫な服ができるかもしれないと考えたのだ。

 ここ数年で、なぜか手先が妙に器用になったので、縫製もあっという間にマスターできた。なにせ暇だから時間はいくらでもあったのと、元々が凝り性な性格だったため、何着も作り上げてしまった。

 そんなわけで、今の俺は全身をドラゴンの皮で作った衣服に包まれている。着心地も良く、耐久性に優れ、なぜか汚れもほとんど付かないため重宝していたのだが、地上に出てみると想定外の問題が発覚した。

 

 派手すぎるのだ。

 

 現在、俺の上半身は白銀のドラゴンから作り出したシャツのような服に包まれている。ごくシンプルなカッターシャツのようなつもりで作ったのだが、日光の下で見るとキラキラと白く輝いて自己主張が激しい。

 さらに下半身は漆黒のドラゴンの皮を使った黒いロングパンツだが、こちらはこちらで艶々テカテカと、まるでサテン生地のタキシードのような質感に見える。

 

 はたして、こんな格好で表を歩いて大丈夫だろうか。笑われたりしないだろうか。指をさされて『おいおい、あいつはどこの夜会に出席するんだ、HAHAHA』とか言われたりしないだろうか。

 不安になった俺は、ついキョロキョロと周囲に目を配ってしまう。

 

「どうしたんですか、ベルさん」

「いや……これまで地下にいたから、な……」

「ああ、風景が珍しいんですね」

 

 純粋なデニムは俺の言葉を勘違いしているようだ。

 周囲は湿地や草原などが広がる平原になっている。確かに今まで代わり映えのしないダンジョンの中にいた俺からすれば、確かに珍しく素晴らしい風景だ。

 死者の宮殿の影響なのか、足元が毒沼だらけなのが風景を台無しにしているが。

 

「ッ! ……そうか……ベルさんはずっと独りぼっちだったんですね……。三年間も独りで……」

 

 何かを悟った様子のデニムの、俺を見る目が優しくなっている。それではまるで、俺がボッチの寂しい奴みたいではないか。俺にだって友達の一人や二人いた……人間じゃないけど。骨とカボチャだけど。

 

「……いや、俺は別に寂しくなどなかったが」

「そう、ですよね。ベルさんは強い人だから……。僕は……僕は、弱い人間です」

 

 なんか話が変な方向に行っている。おい、ニバス氏もニヤニヤ笑っていないで何とか言うんだよホラ。

 

「いや、だから――――ムッ」

 

 その時、俺の耳に複数人の息づかいが聞こえてきた。どうやら物陰に身を隠しているようだが、俺の聴覚からは逃れられない。二人に合図して止まってから、声を掛ける。

 

「出てこい。俺に不意打ちは通用せんぞ」

「……チィ、なぜバレやがった」

 

 ゾロゾロと物陰から現れたのは、武装した集団だった。装備がバラバラなので正規の軍団というわけではなさそうだが、それなりに統率が取れているようである。三人しかいない俺達に対して、奴らは十人以上の集団だ。

 

「ほら見ろお前ら! 情報通りだ! あの『ゴリアテの虐殺王』がいるぞッ!」

「ヒャッハー! やつの首を取れば賞金がたんまりもらえるぜ!」

「隣にいる奴は貴族か何かか? 金かかった派手な格好しやがって」

 

 どうやら『ゴリアテの虐殺王』とはデニムの事らしい。集団の首領らしき男が、デニムを指さしている。他のやつらの発言からすると、こいつらは賞金稼ぎか何かだろう。それと、やはり俺の格好は派手らしく、地味にショックだった。

 

「くっ……賞金稼ぎか。ベルさん、ニバスさん、ここは僕を置いて……」

「デニム。ここは俺に任せておけ」

「えっ」

 

 そう言って、デニムを後ろに下がらせてズイッと前に出る。ま、俺がぶつかるのが一番確実だろう。死なないし。年長者の大人として、デニムに怪我させるわけにはいかないからな。それに――

 

「……今まではモンスターばかり相手していたからな。これから暗黒騎士団を壊滅させるなら、人間を相手にする練習もしなくてはいかん」

「れ、練習……?」

「デニムくん、心配ないと思いますよ……ええ」

 

 俺達の会話を聞いて、角付きの兜をかぶった首領らしき男は、顔を真っ赤にしている。

 

「な、なめやがって! てめえら! 今なら、厄介な解放軍の護衛もいねぇんだ! ヤツの首は早いもん勝ちだぞ! 特にあの生意気な貴族のボンボンは痛めつけてやれ!」

「ヒャッハー!」

 

 首領の号令に合わせて、周囲にいた何人かがまとめて飛びかかってくる。

 だが。

 

「……え?」

 

 デニムの間抜けな声が聞こえてきた。

 力加減が良くわからなかったので、とりあえず右腕を軽く振るったところ、飛びかかってきた奴らはまとめて数十メートルほど逆方向に吹き飛んでいったのだ。遅れてドサドサと地面に落ちていく。

 うーん、これでもまだ強かったか。相変わらず、力加減の仕方が良くわからんね。

 

「……言ったでしょう。彼なら心配ないと……」

「え? いや、なんか今おかしかったですよね? あれ、僕の見間違えかな?」

 

 後に続こうとしていた賞金稼ぎ達は、たたらを踏んで立ち止まり、顔を青くしている。お腹でも壊したのかな?

 

「な、何をしやがった! チクショウッ! てめえら、近づかずに飛び道具で仕留めろ!」

 

 賞金稼ぎ達は慌てて弩や弓を構えて、一斉に矢を俺に向けて放つ。だが、ダンジョン内で散々スケルトン達に狙われてきた俺は、飛び道具の対処方など熟知しているのだ。

 

 すなわち――――別に当たっても()()()()()()()()()()

 

「…………ええ? あれ、おかしいな、目の調子が……。今、確かにベルさんに矢が当たってましたよね?」

「見間違いではないですよ、デニムくん。あの方を普通の人間だと思うから、そう感じるンです。……そこにドラゴンが立っていると思えば、別に不思議なことではありませんよ」

「…………」

 

 俺の皮膚を貫く事もできなかった矢は、ポロポロと地面に落ちていく。

 

「……な、なんなんだよ、お前は! ありえねえ!」

 

 首領が悲鳴のような声をあげながら、矢をつがえて放ち続ける。しかし、そのどれもが、俺に傷ひとつ付ける事もできずに弾かれて落ちていく。時折、後ろにいるデニム達を狙って矢が放たれれるが、それは手の平で遮って受け止めてやった。

 その間にも、一歩、また一歩と奴らに近づいていく。

 

「ヒエッ! く、来るな!」

「……人を狩ろうというものは、自らが狩られても文句は言えまい。それが自然の摂理というものだ」

 

 死者の宮殿では、俺を狩ろうとしたドラゴン達を、逆に俺が狩る事になった。弱肉強食の世界に生きてきた俺にとって、強者が弱者を搾取するのはごく当たり前の事だ。

 

「ま、待ってくれ! 金なら渡す! だから命だけは!」

 

 ついに地面にへたり込んでしまった首領は、片手を挙げて命乞いを始めた。考えてみると、ダンジョンでは命乞いなどされた事がなかったから、少し新鮮だ。あいつら、徹底的に反抗するか、最初から腹を見せて無条件降伏するかのどっちかだったしな。

 うーん、今まではモンスターばっかり相手にしてたけど、人間を相手にすると色々と面倒だな。なんだか、やる気を削がれてしまったので、後ろに立っているデニムに処遇を尋ねる。

 

「……デニム。どうする?」

「……残念ながら、見逃すわけにはいきません。ここで逃せば、僕の情報を聞いた賞金稼ぎがさらに集まってくるでしょうから……」

「そうか」

「ちょっ、まっ――」

 

 うーむ、素直で優しそうな青年だと思ったけど、なかなかシビアな考え方をするんだな。いや、こうならなければ、これまで生き残ってこれなかったんだろうな。

 

 俺は、血で汚れてしまった自分の右手を拭きながら、顔色一つ変えないデニムを憐れむのだった。

 




賞金稼ぎ達は犠牲になったのだ……。犠牲の犠牲にな。
なお、暗黒騎士団にとっては、難易度がいきなりエクストラハードになった模様。

【ドラゴンの皮】
原作内にはドラゴンの素材による鎧や盾などが登場。(衣服は本作独自設定)
作中に登場する装備の中では、かなり強い部類に入る。


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006 - Word of Pain

 その後、俺達は平原を越えて、寂れた村の跡地にたどり着いた。

 

 デニムによれば、ここはバスク村と呼ばれていたらしい。その名の通り、海の神バスクを崇めるバスク教の信徒が集まって細々と暮らす村だったらしいが、今では人の気配は全く感じられない。

 

「ふむ……誰もおらんな?」

「ガルガスタン軍がこの村を襲撃し、住人達を迫害したそうです。トップであるバルバトス枢機卿は、バスク教徒達を異教徒だとして、『民族浄化』という政策の元に断罪していましたから……」

「ほう……詳しいな」

「……僕と共に戦ってくれた、竜騎兵のジュヌーンさんに聞いた話です。彼は元々、バルバトス枢機卿の右腕として民族浄化に関わっていて、この村を襲撃したのも彼の部隊だったそうです」

 

 そんな恐ろしい男がどうして解放軍に入ってガルガスタン軍と戦ってるんですかねぇ。何やら複雑な事情がありそうだ。

 俺の疑問が顔に出ていたのか、デニムは首を横に振る。

 

「ジュヌーンさんは、同僚に騙され、この村がゲリラの基地だと教えられていたんです。彼は、そうとは知らずに無関係な人たちを虐殺していった……。自分で決断して虐殺を実行した僕とは違います」

 

 デニムは暗い顔になっている。あかん、もっと楽しい話題にしなければ。

 

「そうか。そのジュヌーンという男は、過去を悔いて解放軍に参加したのだな。なかなか粋な男ではないか。ぜひ会って話してみたいものだ」

「…………死にました」

「……む?」

「ジュヌーンさんは、死にました。バルバトス枢機卿を追い詰める時に、彼を騙した同僚であるグアチャロ将軍と相討ちになって……」

「…………そ、そうか」

 

 どうしよう、この空気。というか、本当に仲間が死にまくったんだなぁ。これじゃあデニムが自殺を考えるほど病んでしまうのも仕方ない。ま、俺は死なないから安心だな!

 話題転換に失敗した俺は、黙って壊滅したバスク村の様子を眺める。やはりここも毒沼に侵されており、焼き討ちでもされたのか、家屋はほとんどが原型を留めていない。雨風を凌ぐのも難しそうだし、ここに留まる意味はあまり無いな。

 そういえば、ニバス氏は何をしているんだろう。姿を探してみると、彼は何もない中空を見ながらニヤニヤと笑っていた。実に楽しそうな良い笑顔だ。

 

「フフフッ。この村は、いいですねぇ……。たくさんの怨念が感じられます」

 

 うわぁ。出会った時から変人だと思っていたが、今度はスピリチュアルめいた事を言い始めた。大丈夫かな、この人。そっち系だったのか?

 

「救われない魂たちが、救いを求めて彷徨っていますねぇ。やはり、死というものは辛く、苦しい――ファッ!?」

 

 ニバス氏が唐突に変な声をあげた。こちらをジッと凝視している。

 

「どうした、ニバス殿」

「え、ええ……その、貴方の周りにいる魂が……。えーと、ベルゼビュートさん、つかぬ事を伺いますが、クレリックの修行をされた事は……?」

「クレリック? なんだそれは」

「いえ、知らないのならば良いのです。…………どういう事なのでしょうか。彼の周りにサンクチュアリ……いえ、魂たちが昇天しているンですから、それ以上の『何か』としか……」

 

 自己完結したニバス氏はブツブツと何か独り言をつぶやいている。俺の鋭い聴覚なら独り言を全て拾う事も可能なのだが、プライバシーを尊重したい俺としては、あえて意識を向けないようにしている。

 それにしても、クレリックとは一体なんだろう。

 

「クレリックではないとすると……あ、ベルゼビュートさん。そういえば、貴方のご職業は?」

「…………無職、だが」

 

 いきなり何を聞いてくるのだろう。三年間もダンジョンの中にいて定職につけるわけないじゃないか。ああ、そうだよ。無職だよ。ニートだよ。おまけに住所不定だよ。無職で何が悪い!

 

「無職……? い、いえいえ、そうではなく、あなたの戦闘における職業を……」

「だから言っているだろう。無職だと」

 

 あんまり失礼な質問ばっかりしてると、しまいにはブチ切れますよ。イオナズン唱えますよ。いくら温厚な俺でも、我慢の限界ってものがあるんですからね。ちくしょう、俺だって街に出れば仕事の一つや二つ……。

 ニバス氏は俺の返答を聞いて怪訝な顔になっている。

 

「えぇ……? ああ、そうでしたね。記憶が無いのでしたら、ご自身の職業を忘れているンでしょう。いいですか、職業というものは戦う者なら誰しもが持っているものなのですよ」

「む? そうなのか?」

「ええ。私はネクロマンサーという職業に就いています。こう見えて屍霊術という魔法を嗜んでおりますのでね。フフフ……」

 

 えーと……。厨二病患者の方かな? 俺は深くツッコまない事にした。

 

「しかし、俺は自分の職業など知らんぞ」

「そうですねぇ。貴方はどう見ても後衛ではなく前衛タイプですから、ウォリアーや……バーサーカーですかねぇ。というか、振る舞いがバーサーカーにしか見えないですが……それにしては防御力が……」

「バーサーカーか……。響きからすると、理知的な俺には一番似合わない職業だろう」

「そ、そうですね」

 

 ニバス氏はなぜだか目を横にそらす。バーサーカーってあれやろ。狂化してて、自我のないまま『やっちゃえバーサーカー』しちゃうやつやろ。

 あれ? 元ネタ的には、俺の不死身っぷりはバーサーカーに似てるような……。ま、まあ、あっちは回数制限あるし、理知的で理性的な俺には、全く関係ないな。うん。

 

「ま、まあ、職業がわからなくとも特に大きな支障はありませんし……。それに、貴方の場合は職業がどうとかいうレベルを逸脱してしまっていますから……」

「む、そうか。残念だ。個人的には、魔法を使ってみたかったのだが……」

「職業次第では魔法を使えるかもしれませンねぇ。私が使えるのは暗黒魔法が主ですが、お教えしましょうか? 呪文書もいくつか持ちあわせがありますし……」

 

 あなたが神か。やったぜ。暗黒魔法とかちょっと響きが恥ずかしいけど、俺の中に封印されていた厨二病マインドが刺激されてまうやろ。俺は一も二もなくお願いした。

 

「……正直、貴方には魔法など必要ない気もしますが……」

 

--------------------

 

 その後の道中は、それなりに順調だった。

 

 デニムはトラブル気質らしく、行く先々で戦いに巻き込まれている。彼自身の実力も見せてもらったが、なんだか片手剣とか振るっててカッコ良かったです。こなみかん。

 俺も負けじと槍を振ったり、石を投げたりしていた。でも大体は素手で十分なんだよなぁ。ドラゴンやらグリフォンやら相手にしてたから、人間がモロ過ぎて手加減が難しい。下手に力を入れ過ぎると、あっという間にグロ画像が出来上がってしまう。スケルトンだとその辺りは心配無用だったのに。

 

 船で島を渡り、ヴァレリア本島へ。涼しい氷原を通り過ぎると、旧ガルガスタン軍の後背地であるブリガンテス城へと到着する。映画でしか見た事ないようなスケールのでかさに正直興奮した。

 城に入った途端、デニムだとわかった周りの反応はもの凄い事になっていた。どこぞのギャンブル漫画ばりにザワザワしている。どうやら、死者の宮殿に向かう時には城に入らなかったらしい。

 

「な、なんでデニム様がお一人でこんなところに!?」

「今はバクラム軍との決戦に向けた準備の最中では?」

「そ、そちらのお方は……?」

 

 ちなみに最後のは、可愛い女性兵が俺の方を見ながら言った。こっちをもの凄い目で凝視している。やっぱり、この俺の格好は派手すぎて目立つらしい。はぁ、せっかく久しぶりの人間の女の子だというのに台無しだよ……。あっ、ラミアさん達は別枠です。

 

「こちらの方はベルゼビュートさんだ。事情があって解放軍に参加してもらえる事になったのだ」

「ベ、ベルゼビュート様……ですか……」

「ああ。ベルゼビュートだ。よろしく頼む」

「や、やだ、声まで……」

 

 なんか周りにいる女性兵達の視線が怖い。変な目で見られてるよぉ。そりゃあ、俺みたいな得体の知れない奴が、いきなり味方として参戦するなんて言っても疑うよなぁ。悲しい。

 それにしても、デニムは普段の口調と違い、偉そうな口調になっている。いや、実際に偉いんだよな。なにせ、解放軍のリーダーなわけだし。人の上に立つって大変だよな。俺には無理だわ。

 

「すまないが、事情は聞かないでほしい。少しの間だけ休ませてもらいたい」

「は、はいっ! もちろん! 少しと言わずお好きなだけどうぞ!」

 

 この身体だと全く疲れないけど、デニム達はそうはいかない。俺としては、ここまでの道のりを半ば旅気分で楽しんでいたけど、この世界では自動車や鉄道なんか一切なく、あっても馬か馬車ぐらいのものだ。旅をするのも命懸けなのだ。

 なぜか妙に嬉しそうな兵士達に連れられて、俺たちはブリガンテス城に一泊することになった。

 

--------------------

 

「そう……そうです。魔力を循環させながら、暗黒神アスモデに祈りを捧げるのです」

 

 ブリガンテス城の中庭で、ニバス先生に魔法の使い方をご教授いただいている。デニムは与えられた客室で一眠りしているようだ。死者の宮殿まで一人で来たのだから、疲れているのだろう。

 監視のためか、俺の周りには常に女性兵が付きまとっていたのだが、今は訓練のために少し離れたところにいてもらっている。なぜか俺の個人情報を聞き出そうとしてくるし、やはり警戒されてるんだよなぁ。

 

 魔法の練習は順調とは言えなかった。先ほどから何度か魔法を発動させようとしているのだが、一向に使えるようになる気配がない。魔力を練って循環させるところまでは何とかできるのだが、そこから魔法を発動させるのがどうも難しいのだ。

 

「呪文は必ずしも唱える必要はありませんが、最初のうちは唱えた方が良いでしょう」

「む……やはり、唱えないといかんのか……」

 

 俺にとってハードルが高いのが、呪文の詠唱だ。魔法が使えると聞いてノリノリだったけど、いざ実際に呪文を詠唱しろと言われると結構はずかしい。黒歴史になって、あとから不意に思い出してジタバタしてしまいそうだ。呪文を覚える事はすぐにできたのだが。

 

「くっ……いくぞ……『我が血と肉の苦痛を与え、迷いし悪鬼を滅ぼさん…… ワードオブペイン!』」

 

 体内で循環していた魔力が、呪文の詠唱と共に手の中に集まっていく。しかし、あと少しというところで霧散してしまった。どうやら不発らしい。

 

「う〜ん。途中までは良いンですがねぇ。何か邪念が入っているようですねぇ」

「…………」

「ワードオブペインは暗黒魔法の中でも一番基本的な攻撃魔法なのですが……。他の魔法を試してみた方がいいかもしれませンねぇ。魔法というものは相性があるようですし」

「……そうか」

 

 邪念というのは間違いなく俺の羞恥心だろう。己の羞恥心を克服しなければいけないなんて、魔法というのはなんて難しいんだ。くそっ。

 ワードオブペインは、俺が初めてゴーストから受けた攻撃魔法で、思い出深い。魔法をぶつけると、呪詛の力で相手を苦しめる事ができるというものだ。

 あれから何度か食らってしまい、その度に身悶えしていたのだが、ダンジョンの中で一年を過ぎた辺りから食らっても特に痛みがしなくなった。あれだ、蚊に刺されてちょっとカユい、みたいな。

 

 結局、ワードオブペインを使うのは諦めて、他の呪文書をいくつか読ませてもらった。

 

 そのどれもが発動せず、やっぱり俺には魔法の才能がないのかと思い始めた頃、最後にダメ元で試してみた魔法が大当たりだった。暗黒魔法の中でもかなり上位に位置する魔法らしいが、その魔法だけは、なぜか呪文の詠唱をせずともいいぐらい簡単に使えるようになってしまったのだ。

 

 魔法を実演してみせると、ニバス氏は細めている目を大きく開いて驚いている。

 

「……いやはや。貴方は常識外れだと思っていましたが、魔法の方もそうみたいですねぇ。私でも発動に苦労するような上位魔法を、こうも呆気無く成功させるとは……」

「む、そうか? しかし、なぜかこの魔法だけは簡単だ。ほとんど集中せずとも使えるようだ」

「……というか、なんでさっきから連発できるンですか? 貴方の魔力は一体どうなってるのでしょうか……」

 

 調子に乗って魔法を連発してみせる俺に、ニバス氏はもはや何か諦めたように、首を振りながら溜息をついた。だが、テンションの上がっていた俺は見てみぬふりをする。

 

「そんな魔法を連発されたら、相手は溜まったものではないでしょうね。今からバクラム軍が可哀想になってきますねぇ……」

 

 暗黒騎士団とか自分で名乗っちゃう奴らだし、このぐらいじゃまだまだ通用しないだろ。なんだっけ、奴らの首領のタルタ……タルタ……タルタルソース? 名前からしてスゴそうだし。

 

 待ってろよタルタルソース! フライに付けて食ってやる!

 




職業の設定や魔法の描写は独自解釈です。
戦闘中の呪文詠唱って、めっちゃ早口で言ってそう。


【竜騎兵ジュヌーン】
カッコいい赤い鎧で通常の三倍速そうな人。
SFC版ではアゴが割れたイカついオッサンだったのに、PSP版ではパーマがかかった渋いオッサンに。
原作では、薄幸の美少女オクシオーヌちゃんとの濃厚な絡みを見せつける。

【クレリック】
いわゆる回復職。原作ではそれに加えて、殺しても死なないアンデッド達の浄化もできる。
PSP版では回復魔法よりアイテムの方がMP要らずで効果も高いため、不遇な職業になっている。

【バーサーカー】
前衛職だが、PSP版では防御よりも攻撃が得意な職業。
ちなみに、SFC版では逆だった。防御が得意なバーサーカーとか、これもうわかんねぇな?
なお、オリ主が言っている『元ネタ』は Fate のお話。(クロスネタすみません)

【ワードオブペイン】
暗黒魔法の一番基本的な攻撃魔法。
投射型、つまり術者から直線に対象まで飛んで行くが、途中に障害物があると当たらない。
この投射型の軌道が厄介で、味方に誤爆してしまうプレイヤーが後を絶たない。


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007 - Half-breed

シリアス警報!


「デニム……無事でいて……」

 

 一刻も早くデニムを追いかけるため、ウェオブリ山を抜ける危険なルートを選んだ私は、コリタニ城を通り過ぎてレイゼン街道に差し掛かっていた。さらに北へ行けばブリガンテス城は目前だ。

 デニムの失踪は早い内から緘口令が敷かれ、解放軍の幹部にしか知らされていない。そのため、私もほとんど人員を連れずにここまでやってきた。

 

「ラヴィニス様、今のところ進路に人影は見えません」

「……そう。苦労を掛けるけど、あまり目立つわけにはいかないわ。ただでさえ、情報が漏れている節があるのに、私達が動いていると知られれば間違いなく注目を集めてしまうもの」

「はい……。やはり、軍の内部に裏切り者がいるのでしょうか……?」

「わからない……。でも、彼を恨む人が多いのは事実よ」

 

 街道の石畳を見下ろしながら、沈んだ声を出してしまう。そういえば、バルマムッサで別れた彼と再会したのは、このレイゼン街道だったか。ふと、彼との出会いを思い出す。

 

 私、ラヴィニス・ロシリオンには、ウォルスタ人とガルガスタン人の両方の血が流れている。

 

 それでも、私は自分がウォルスタ人なのだと信じて生きてきた。アルモリカで生まれ育ち、愛する祖国のため、同胞であるウォルスタ人達のために、ロンウェー公爵の騎士として戦い抜く事こそ、私の生きる意味だと信じていたのだ。

 だが、バルマムッサの強制収容所で、ロンウェー公爵による同胞達の虐殺命令を聞いた時、その思いは揺らぐ事になった。同僚のレオナオール、そしてデニムの決断を聞いた時、信じられない気持ちで一杯になり、私は感情的にウォルスタ解放軍を飛び出した。

 

 出会ったばかりのデニムは、まだ頼りなく見える青年だった。いや、まだ少年と呼んでも良いぐらいの年齢だ。私達が別働隊としてガルガスタン軍を引きつけていたとはいえ、ロンウェー公爵を救出したのが彼らのような若者である事実に、我が身を不甲斐なく思ったものだ。

 だが同時に、彼の存在が希望をもたらすと考えた。皆の心を一つにするためには、英雄が必要だと考えていたからだ。そして私は、彼を英雄へと仕立てあげる公爵の策に、積極的に加担した。

 

 そう、彼は私達の都合によって、英雄になったのだ。

 

 同胞の虐殺など、誰だって好き好んでやるはずがない。だが責任感の強い彼は、英雄として自分の手を汚す事を選んだ。私が、彼をそうさせてしまったのだ。

 それなのに、私は彼のやる事から目を背け、背を向けて、逃げ出した。

 

 母方であるガルガスタンの伝手を頼って穏健派の貴族に匿ってもらった私は、結局ガルガスタン人として生きる事もできずに、国内の反体制派と協力する道を選んだ。ガルガスタンを内部から改革しようと考えたのだ。

 そんな、どっちつかずのコウモリのような生き方が長く続くはずもない。私は味方の裏切りにあって呆気無く捕らえられ、処刑を受けるために、ここレイゼン街道を護送されていた。そこへ、デニム達が偶然通りかかり、助けられたのだ。

 結局その場では決心がつかなかったが、その後に再び彼に助けられ、私は恥を忍んで、デニムがリーダーとなった解放軍へと戻る事を決めた。

 

「デニム……。あなたは、そこまで追い詰められていたの……?」

 

 思えば、最近デニムの様子はどこかおかしかった。親友であるヴァイスを亡くしてから、上の空になる事が多くなり、姉であるカチュアの救出に過剰に執着しているように見られた。

 

 彼の両親はすでにこの世を去っており、カチュアは彼にとって唯一の肉親だった。だが実のところ、デニムとカチュアに血の繋がりはない。カチュアの正体は、旧ヴァレリア王国の国王だった覇王ドルガルアと侍女の間に出来た落し胤だったのだから。

 この事実は重い。この民族紛争は、覇王ドルガルアの後継者争いという一面もあるからだ。覇王は唯一の長子を亡くしていたため、正当な後継者は存在しないものと考えられていた。

 そこに現れた、落胤とはいえ正当な血統をもつカチュア。彼女は暗黒騎士団によって拉致され、洗脳されて、王女ベルサリアとしてバクラム陣営に大義を与える事になった。

 

 義理の姉弟とはいえ、デニムはカチュアを本当の姉として慕い、カチュアもまたデニムを本当の弟として愛していた。しかし、洗脳されたカチュアは、デニムの目の前で自ら命を絶ったらしい。

 デニムの受けたショックは計り知れない。リーダーとして皆の前では取り繕っていたが、きっと無理をしていたのだろう。

 

 しかし、間抜けな私は、彼に限界がきている事に全く気づいていなかったのだ。彼なら、身内の死も乗り越えられるだろうと楽観視すらしていた。自分で自分を絞め殺したくなる。

 

 彼が失踪する直前に調べていた、『死者の宮殿』というダンジョン。

 聞けば、死者の怨念が蔓延り、ドラゴンが闊歩するという危険な場所だという。どんな達人だって、一人でそんな場所に行っては生き残れるはずもない。間違いなく死ににいくようなものだろう。

 

 私は、デニムの身を案じながら、街道を北へと急いだ。

 

--------------------

 

 日も落ちる頃、ブリガンテス城に到着した私を待っていたのは、デニム滞在の報だった。

 

 間に合った事への安堵とデニムへの心配で一杯になり、はやる気持ちを抑えながら、彼の滞在する客室へと早足で向かう。一緒に連れてきた部下達は強行軍で疲弊していたため、休息を命じてある。

 

 コツコツ、と扉にノックすると、しばらくして返事があった。扉を開くと、室内には見知らぬ男性と、ベッドに横たわり、上半身を起こしたデニムの姿が目に入った。

 

「デニム!」

「ラ、ラヴィニスさん?」

 

 私は思わず声を出して、彼の元へと駆け寄る。

 久しぶりに見た彼は、思ったよりも元気そうだ。少し痩せているものの、血色は悪くない。

 

「デニムッ! 心配したのよ……! どうして、どうして一人で……!」

「……すみません、ラヴィニスさん……」

 

 彼はひたすら私に謝ってみせる。私も私で、彼の異変に気づけなかった事を謝った。だが、彼の無事を何よりも喜んだ。

 今までどうしていたのか聞くと、彼はなんと一度『死者の宮殿』に挑んだと言うではないか。無茶な事をするな、と叱ってしまった。

 馬鹿な事をしたと謝る彼の様子を見て、やっと安心した私は、ふと室内にいた銀髪の男性のことを思い出した。彼は私達の様子を黙って見ていたのだ。少し趣味が悪いと思う。

 

「えっと、デニム……この方は……?」

「あ、ああ。その人はベルゼビュートさん。死者の宮殿で出会ったんです」

「お初にお目にかかる。俺はベルゼビュートだ。好きに呼んでくれ」

 

 ベルゼビュートと名乗った彼は、ニコリともせずに目礼する。無愛想な人かと思ったのだが、恐らく人付き合いが苦手で、寡黙なだけなのだろう。武人に多いタイプだ。彼の尋常ではない佇まいが、その考えを補強する。

 面と向かうと改めてわかる重圧。恐らく、私がここで剣を抜いても、彼には一手すら受けてもらえずに無力化されてしまうだろう。達人と呼ばれる域に入った人間は何度か見た事があるが、その中でも彼はとびっきりだった。勝てるイメージが全く湧かない。

 

 何より、その容姿が私の目を惹いた。私の髪も銀に近い色だが、彼のそれは神々しさを感じさせるほどに美しい。恐ろしいほどに整った顔、そして真紅の瞳で見つめられると、思わず頬が熱くなってしまう。

 騎士として生きる事を決めた私は、女としての人生は捨てたつもりだった。亡き母の言いつけで髪を伸ばし手入れをしているが、面倒だと感じるだけで、切ってしまおうかと考える事もしょっちゅうだ。だが、彼を前にすると忘れていた部分が顔を出してくる。失礼にも思わず目を逸らしてしまう。

 

「わ、私はラヴィニス・ロシリオンと申します。デニムを助けて頂き感謝します、ベルゼビュート殿」

「いや、俺は何もしていない」

「……ラヴィニスさん、ベルさんはこう言っていますが、彼はもう何度も僕の事を助けてくれています。死者の宮殿に入るのを思い留まったのは、彼のおかげなんです。それに、戦争を終らせるために、解放軍に参加してくれると仰ってくれました」

 

 ベルさん? 随分と親しいのだな。いや、デニムがベルゼビュート殿を慕っているのか。それも仕方ないのかもしれない。解放軍内にはデニムを慕う者は多いが、彼自身はあまり誰かに頼るという事をしない。

 それは、彼の英雄としての境遇がそうさせているし、彼の責任感の強い性格も一因だろう。本来なら身近な大人であり、英雄になる前の彼を知る私が、彼を支えるべきだったのだ。

 だが、私は彼に背を向けた。同僚のレオナールは、彼に意思を託して死んでいったという。私が再び合流した時にはすでに彼は英雄としての仮面をかぶり、自分の気持ちをひた隠すようになっていた。

 

 ベルゼビュート殿が命を助けてくれたというのなら、自然と慕うようになったのだろう。見るからに頼りがいのある殿方だった。私としても、彼ほどの実力者が軍に加わってくれるなら心強い。

 

「それに、ニバスさんも――」

「ニバス? ニバスというと……あの、屍術師ニバス?」

 

 私の問いに、デニムは忘れていたとハッとした表情になる。

 

「そ、そうです。そのニバスさんです。あの人も解放軍に参加してくれたんです」

「えっ? ……その、大丈夫なの? 死者を弄ぶ邪悪な魔術師だと聞いているけど……」

 

 私の言葉を聞いて、デニムはなぜか焦ったようにベルゼビュート殿をチラチラと見ている。ベルゼビュート殿は無言で成り行きを見守っているようだ。目が合いそうになり、慌てて逸らす。うう、どうも恥ずかしいな。

 

「だ、大丈夫です。あの人は確かに屍霊術を使いますが、危険な方ではありません。争いを好まず、話し合いの通じる理知的な人ですから……」

「そ、そうなの……」

 

 デニムの説明で完全に納得したわけではないが、彼が危険はないというなら信じるしかないだろう。ニバスといえば、元々はガルガスタン軍の魔術師だったはずだが、ガルガスタンを打ち破った今、そんな経歴の持ち主は解放軍に山ほどいる。私だって、一度は離反した身だ。

 

「とにかく、あなたが無事で良かったわ……」

「はい……ご心配をおかけしました。他の皆はどうしているのでしょうか?」

「皆、あなたを心配していたわ。バクラム軍との決戦は延期になっているけど、今のところ奴らも動く気配はないみたいね。やはり、内部でゴタゴタしているみたい」

 

 暗黒騎士団ロスローリアンは、あくまでも島外の大国であるローディス教国から派遣されてきた戦力だ。バクラム陣営として動いているが、彼らはバクラム人ではない。バクラム軍内部では反感もあるのだろう。戦況が徐々にウォルスタ解放軍に傾きつつある今、抑えられていた不満が噴出しているらしい。

 バクラムのトップであるブランタ司教は、どうやら彼らを御しきれていないようだ。暗黒騎士団には、ローディス教国としての思惑があるのだろう。不気味な存在だ。

 

「そうですか……。そうなると、バクラムとの決戦に暗黒騎士団が出てこない可能性もありますね」

「む、そうなのか。……それは面白くないな」

「ベルゼビュート殿は、暗黒騎士団と何か因縁があるのですか?」

 

 腕を組んだベルゼビュート殿が、口を少し曲げている。私が疑問を口に出すと、ベルゼビュート殿は曖昧に頷いた。

 

「うむ……。せめて、奴らの団長には会わなくては……フライが……」

「フライ?」

「いや、こちらの話だ」

 

 複雑な表情だった。きっと彼は、暗黒騎士団の団長であるランスロット・タルタロスに恨みでもあるのだろう。『フライ』とは、奴に殺された彼の身内の名前なのかもしれない。

 だが彼の様子からして、そのような暗い感情を完全に制御しているように見える。感情的になってウォルスタを飛び出した私とは大違いだった。素直に尊敬してしまう。

 

「ベルゼビュート殿は……お強いのですね」

「む? だが俺は、何度も死んでいる身だ。確かに今は力を得たが、昔の俺は無力だった」

 

 ベルゼビュート殿はそう言って、思いを馳せるように視線を遠くに向けた。何度も死んでいる、という言葉には深く納得させられる。現在の実力を得るためには、死ぬほどの目に何度も遭わなければならなかったのだろう。

 事実、彼の身につけているシンプルだが品の良い衣服をよく見れば、その下に鍛え抜かれた鋼のような肉体が隠されている事が見て取れる。

 

 彼はこう言っているのだ。今は弱くとも、強くなれば良い。

 何かを為すためには、死ぬ気で努力しなければならない、と。

 

 それは、生き方を見失っていた私にとって、救いにも思える言葉だった。

 




落ちたな(確信) というわけで、ヒロイン登場回でした。
皆様の応援のおかげで、日間ランキングに載せて頂きました。この場を借りてお礼を申し上げます。


【騎士ラヴィニス】
PSP版で追加された新キャラクター。
女騎士だし、格好も聖剣技使いのあの人にそっくり。同じディレクターだし、ま、多少はね?
混血という珍しい設定で、自分のアイデンティティに自信を持てずにいる。

【王女ベルサリア】
カチュア姉さんの正体。ネタバレ注意。彼女の母親である侍女と王妃の昼ドラばりの会話は必見。
なお『洗脳された』というのは、あくまで表向きの説明で、中身はヤンデレのブラコン(白目)


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008 - Return of Lord

 銀髪の女騎士ラヴィニスが、わざわざデニムの事を追いかけてきた。

 ていうか、女騎士なんて実在していたのか……。やっぱり「くっころ」しちゃうのだろうか。

 

 なんて考えていた俺の邪念が伝わってしまったのか、彼女は俺と目を合わせる事すらしてくれない。俺が近づくと露骨に距離をとって離れてしまう。もうやだぁ。

 デニムとのやりとりを見ていたが、まるで弟を心配する姉のようだった。デニムの姉であるカチュアが退場してしまったから、お姉ちゃんポジを狙っているのかもしれない。おいデニムちょっとそこ代われ。

 

 ラヴィニスとその部下数名を加えた俺達一行は、一泊したのちブリガンテス城を後にした。

 

 ちなみに、俺は一睡もしていない。俺の客室の前には女性兵が常駐していたのだが、彼女達から夜通し殺気を感じたからだ。死者の宮殿のモンスター達はこちらが寝ていようが問答無用で攻撃してくるので、殺気に敏感になった俺は全く寝つけなかった。

 彼女らが殺気を放っていた理由は不明だが、こちらを見る目は明らかに狩人のソレだ。油断すれば寝首をかかれるのは間違いなかった。狩人系女子おっかねぇ……。

 城を出る時、俺だけ残ってはどうかと提案までされた。やはり、不審人物がデニムの周囲にいるのは許容できないという事なのだろうか。ぶっちゃけ俺よりも、ニバス氏の方が不審人物だと思うんですけどぉ。デニムの取り成しのお陰で事なきを得たが、納得がいかない。

 

「いやはや……ベルゼビュートさんは人気者ですねぇ」

「…………むう」

 

 その様子を見ていたニバス氏がニヤけ顔で茶化してくる。ぐぬぬ、そんな皮肉を言わなくたって良いじゃないか。デニムは苦笑いしているし、ラヴィニスはなんだか無言でちょっと怖い。

 

「ベルさんは……その……派手な見た目ですからね」

 

 デニムがフォローしてくれるが、フォローになってないんですがそれは。むしろ、傷口に塩をすり込む行為なんですけど。どうせ俺の格好は派手だよ! くそっ、着替えようとも思ったけど、言い出すタイミングもないし、着替えもないし、この服は妙に着心地がいいし!

 

「わ、私は……それほど派手だとは……むしろ、好ましいと……」

 

 あっ、天使だった。ラヴィニスが小さい声で拙くフォローしてくれる。それがお世辞だとしても、服の事だとしても、好ましいと言われれば嬉しいものだ。相変わらず目は合わせてくれないけど。

 テンションの上がった俺は、道中で襲いかかってくるモンスターを片っ端から槍でなぎ倒しつつ、集団を先導していく。ラヴィニスは驚いているようだ。ドヤァ。

 

「初めてお会いした時から強いだろうと思っていたけど……これほどなんて……」

「ラヴィニスさん、まだまだこれからですよ。ベルさんは本当に強いですから。ええ……」

 

 さらに調子に乗った俺は、今度は素手と投石でモンスターを相手にしていく。それにしても、やけにモンスターが多いな。死者の宮殿にいるモンスターに比べれば、脆すぎて話にならないが。

 

「す、素手で……? それに、石を投げただけなのに、どうしてモンスターの頭が吹き飛んでいるの……?」

「あはは…… ベルさんだからとしか……」

 

 あ、なんか無双ゲーをやっている気分になってきた。槍をブンブンと頭上で回転させて、笑いながら突撃する。槍を一振りする度に、モンスターが吹き飛んでいく。

 おっしゃ、ついでにアレも見せてあげよう。無双ゲーといえば魅せ技だからな。

 

「『槍よ、雷雲を呼び、嵐を起こせ…… いかずち落ちろッ! ギガテンペスト!!』」

 

 頭上で回転させていた槍によって竜巻が巻き起こり、あっという間に雲が集められて雷雲になる。次の瞬間、物凄い閃光で視界が白く埋め尽くされ、地を切り裂くような激しい衝撃と音が、モンスター達に襲いかかった。落雷が発生したのだ。

 哀れ直撃を受けたモンスター達は、プスプスと煙をあげるだけの何かに変貌していた。

 

「…………」

「…………」

 

 以前、ダンジョンで槍を振り回していたある日、ピコーンと俺の脳内に豆電球が灯った。その閃きに誘われるまま脳裏に浮かんだ言葉を叫び、槍を振るってみたところ、なんか雷が落ちたのだ。ダンジョンの中だったのに、不思議だね?

 呪文の詠唱は抵抗があるけど、こっちの決め台詞は何だか自然に口から出てくる。最初は魔法かと思ったけど、槍を持っていないと使えないようだった。

 最後のがとどめになったのか、他に動く影も見当たらないので振り返る。三人は、ぽかんと大口を開けていた。俺がテクテクと近づいていくと、三人は我を取り戻したのかコソコソと会話している。

 

「……必殺技、でしょうか。それにしては規模が……」

「ええ……。というか、禁呪か何かにしか見えなかったわ……」

「やっぱり、彼に魔法は必要なさそうですねぇ……」

 

 あっ、そっかぁ。せっかく覚えたのに、魔法を忘れてた。やっぱり槍や素手で戦うのに慣れてしまっているんだな。魔法使うよりも手っ取り早いし。雷も落とせるし。でも、モンスターはもういないから、魔法を実戦で試すのは次の機会か。残念だ。

 

「なんだか、不満そうな顔をしていますね……」

「まだまだ自分の腕に満足していない、という事なのかしら……」

 

--------------------

 

 道を急ぐため、ウェオブリ山という活火山を通り抜ける事になった。グツグツと煮え立つ溶岩を見ると、死者の宮殿の最下層を思い出してしまう。三年の間に何度か行ってみたけど、本当に何も起こらなかった。裏ボスとかいたら良かったのになぁ。

 やはり溶岩の熱気は暑いものの、この程度なら高温多湿な日本の夏の方が暑いと感じる。住んでいたボロアパート、エアコン壊れて扇風機しかなかったし。デニムが俺の事をお化けか何かを見るような目で見てくるが、元日本人を舐めるなよ。

 

 山頂に近い場所で、嬉しい事に赤いウロコを持つドラゴンを見つけた。

 

「ドラゴンか……これはついているな」

「えっ……? ああ…… ベルさんはドラゴンを食べるんでしたね……」

 

 最近はドラゴン肉を食べていなかったから、口寂しく思っていたところだ。俺達の会話を聞いて、ラヴィニスは小首を傾げている。かわいい。

 ドラゴンに近づくと、グルグルと威嚇してくる。新鮮な反応だった。死者の宮殿のドラゴンは、俺の顔を見ると尻尾を巻いて逃げ出すし。まともに相手してもらえると、少し嬉しくなるな。

 奴は大口を開けて俺に噛みつこうとする。後ろでラヴィニスが何やら叫んでいたが、口から垂れてきたヨダレが身体に掛かるとドラゴン臭くなってしまうので、俺はそっと口を閉じさせる。

 

「GRRRR……」

 

 口を閉じたまま俺を睨みつけるドラゴン。そんなつぶらな瞳で見つめられると、やりづらいな。でも、残念ながら弱肉強食がこの世の摂理なのよね……。明日出荷される家畜に向けるような目でドラゴンを見る。

 

 さくり。

 

 もはや、ドラゴンマスターと名乗れるほどにドラゴンの身体構造を知り尽くしている俺は、あっという間にドラゴンの解体を済ませて、皆に肉を振る舞う。溶岩があると、肉を焼くのが楽でいいな。

 

「…………」

「…………」

「どうした? 食わないのか?」

「……いえ、僕は結構です……」

「そうか。旨いんだがな」

 

 デニム達は食欲がないみたいだ。もったいないな。ラヴィニスは目を丸くしている。かわいい。

 これこれ、この味。う〜ん。だけど、死者の宮殿にいるドラゴンに比べると、何か物足りない。スカスカというか、歯応えがないというか。味も、なんか刺激が足りないし……。あっちのドラゴンの肉は、もっとピリッとしてたんだけどなぁ。

 

 俺は内心不満を抱えながら、ドラゴンの骨付き肉を片手に山道を歩くのだった。

 うむ。次はヤキトリが食べたいな。

 

--------------------

 

「閣下、ご無事でしたか!」

「今までどちらに! まさかバクラム軍の奴らに……!」

「ご壮健で何よりです、閣下……!」

 

 数日の旅路を経て解放軍の本拠地であるフィダック城にやっとたどりついた俺達は、デニムの無事を喜ぶ側近連中に囲まれていた。どいつもこいつも嬉しそうな顔をしている。

 だが俺の聴覚は、人混みの中から聴こえた微かな舌打ちの音を聞き逃していない。残念ながら誰のものなのかは特定できなかったが、デニムの無事を喜ぶ奴ばかりではない事は理解できた。

 

「皆、心配をかけたが私はこの通り無事だ。皆の忠心を嬉しく思う」

 

 デニムが仰々しい言葉遣いで側近たちを労う。こうして見ると、確かに英雄と呼ばれるべきオーラを感じる。もしサラリーマンだった頃の俺にこんな上司がいたら、ほいほいと平伏してしまいそうだ。

 

 今回の帰還にあたって、俺はデニムに一つ提案をしていた。

 それは、俺の存在を伏せてほしい、というものだ。

 

 ここまでの道のりで、周囲から俺に向けられる疑念というものは大きかった。何せ俺は、自分が何者なのか説明できない。人種すらわからないのだ。バクラム、ガルガスタン、ウォルスタという三民族は、外見的な特徴があるわけではなく、文化や歴史によって形成された括りだからだ。

 解放軍の目的は、人種の壁をなくしてヴァレリア諸島の統一と平和を目指す事だ。誤解を恐れずに言うなら、白人と黒人の共同で一つの国を建国するようなものだ。建前上は、人種による差別など許されない。しかし、これまでの差別意識や精神的軋轢を払拭するのは難しく、昨日までの敵と仲良くすることなど簡単にはできない。自然と派閥のようなものが形成される。

 

 俺のような人種がはっきりしない輩は、どの派閥からも良く見られない。道中で、ラヴィニスが混血である事を打ち明けてくれたが、彼女もそれによって随分と苦労したらしい。

 そんな俺を近くに置いて重用していれば、デニム自身も悪く見られる可能性がある。これから一つにまとまっていかなければならない大事な時期に、そんな瑕疵をわざわざ作る事はない。

 

 俺の提案を聞いたデニムは、顔を赤くして否定した。

 曰く、人種による差別など絶対に許さない。もし俺が不当な扱いを受けたら責任を持って処断する。差別意識に凝り固まった派閥の連中を気にする必要はない。エトセトラエトセトラ。

 だが俺は首を横に振った。そもそも俺の目的は、戦争をさっさと終らせる事に過ぎない。そうして、心置きなく地上でのバカンスを楽しみたいのだ。別に地位や名誉は必要ないかんね。

 

 結局、ラヴィニスやニバス氏からの説得のおかげもあって、デニムは折れてくれた。ついでに、なぜかニバス氏の存在も伏せておく事になったらしい。ええ、なんでぇ?

 

 今の俺は、派手な服の上から、目立たない黒いローブを羽織ってフードをかぶっている。これなら派手な服で周囲の注目を集める事もないだろう。計画通り。ニヤリ。

 時折、デニムはこちらをチラチラと見て申し訳なさそうにしているが、約束通り俺やニバス氏の存在を側近たちに明かす事はしなかった。俺達はラヴィニスのごく個人的な友人という事になっている。

 

「彼も大変ですねぇ。あの様子では、英雄としての仮面を外す事などなかなか出来ないでしょう」

「ああ……。さっさと戦争を終わらせてやらないとな……」

 

 改めてデニムに掛かる期待と重圧というものが理解できる。彼はまだ、二十歳にも満たない青年だ。ゴリアテの英雄と呼ばれるようになったのは、十八の頃だという。ここ一年ほどで、彼の立場は大きく変化した。

 はぁ、大人たちは情けないとは思わないのかねぇ。

 

 とそこで、ふと俺の耳に、バサリと翼をはためかせる音が聴こえてきた。死者の宮殿では散々聞き慣れた音だ。今夜はヤキトリだやったぜ、と思ったら、音の正体は翼を生やした上半身ハダカのマッチョマンだった。あれぇ、俺のグリフォンはどこぉ?

 赤髪の有翼人は、そのままデニムの近くに降り立った。それに気づいた周囲が警戒する様子はないので、敵襲というわけではないらしい。むしろ、畏敬のこもった目で見られているから、かなりの古株なのかもしれないな。

 

「よぉ、デニム。お前、一人で飛び出したんだって?」

「あ、カノープスさん。ご心配かけて、すみませんでした……」

「無茶するよなぁ、お前も。まっ、男ならそういう時もあるよな」

 

 そう言ってカノープスと呼ばれた有翼人はカカッと豪快に笑う。

 

「……暗黒騎士団との決戦も、もうすぐですから……」

「……そうか。ま、ランスロットの奴は、ピンピンしてるだろうよ。ミルディンもギルダスも、この戦いで逝っちまったけどな……」

「……すみません。ランスロットさんは必ず助けますから……」

 

 デニムは俯いているため、その表情は見えない。ランスロットといえば、暗黒騎士団の団長がそんな名前だったかな。タルタルソースの方ばっかり頭に入ってたわ。

 あっ、そういえば、もう一人同じ名前の奴がいるんだっけ。この島に、わざわざ職を求めてやってきたんだよな。同じ無職だったから、親近感が湧いたんだよ。

 

「よしッ。そうと決まれば、善は急げだな。さっさと準備を済ませて出撃しようぜ。なぁに、オレが暗黒騎士団の奴らなんかぶっ飛ばしてやるぜ。……それに――」

 

 カノープスはこちらをチラリと見てニヤリと意味深に笑う。

 

「ヤレるヤツも増えたみたいだしな……!」

 

 えっ、なにそれは。男に興味はないんですけど……。

 俺はドン引きしながら、カノープスの視線から逃れるように背中を向けるのだった。

 




ボーイズラブ要素はありません。繰り返す、ボーイズラブ要素はありません。
原作ファンの方にも読んで頂けているようで、ありがたい限りです。緊張感がパネェ!


【必殺技】
武器スキルの習熟によって覚えられる強力な一撃。武器の種類ごとに何個かある。
SFC版ではロデリックおじさんが授けてくれたが、PSP版では誰でも覚えられる。
雑魚キャラも使ってくるので、不意な一撃を受けてのダウンが頻発。

【風使いカノープス】
新生ゼノビア王国からやってきた、聖騎士ランスロット御一行様の一人。
有翼人は通常の三倍の寿命を持ち、見た目は青年だけど中身は50歳近いオッサン渋い兄貴。
「カノぷ〜」の愛称でファンから親しまれる。「鳥」と呼ばれると激怒する。


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009 - Cornerstone

シリアス警報!

★前半部分の説明がやや複雑なので、後書きに三行まとめを置いてあります。


 王都ハイム。旧ヴァレリア王国の中心であり、バクラム陣営の本拠地でもあるこの王都では、戦火から逃れようとする住民達がひっきりなしに往来し、皮肉な事に旧王国時代に匹敵する活況を見せていた。

 その中心部にある三重の堀と城壁に囲まれた堅牢な王城は、ドルガルア王の威容を示すように王都を睥睨する。しかし、その重厚な外見とは裏腹に、城内もやはり浮足立った空気で満たされている。

 

 バクラム陣営のトップであり、バクラム・ヴァレリア国の摂政であるブランタ・モウンは、執務室の豪奢な椅子に腰掛けながらイラつきを隠せずにいた。全ては思い通りに動かない暗黒騎士団と、あの忌まわしいゴリアテの虐殺王のせいだった。

 ブランタはついに痺れを切らし、椅子から立ち上がって声を張り上げる。

 

「誰かある!」

「……はっ!」

 

 呼ばれて扉から入ってきたのは、ブランタが重用する騎士の一人。ドルガルア王の時代から王国に仕える名家、グランディエ家の嫡男であるラティマー・グランディエだ。ハイム城の第一護衛隊を率いている、忠誠心の高い男だった。

 

「まだデニムは見つからないのか!」

「はっ! カヴール卿の極秘探索隊からは、まだ連絡はありません!」

「くっ……、彼奴め、どこへ消えたというのだ……! 彼奴が『死者の宮殿』とやらを目指して単独で城を出たというのは、確かな情報なのだろうな!」

「はっ! 反乱軍内部の協力者からの情報ですので、確度は高いものかと……」

「……ぐうう! 絶好の好機だというのに!」

 

 ブランタがその情報を耳にしたのは、暗黒騎士団の首領であるランスロット・タルタロスと同席している最中だった。戦況が芳しくないにも関わらず一向に動こうとしない暗黒騎士団に、いい加減腹を据えかねて抗議していたのだ。

 『ウォルスタ解放軍』と名乗る反乱軍は、今や破竹の勢いで勢力を拡げている。気がつけば、ネオ・ウォルスタ解放同盟と合流し、ガルガスタン軍を打ち破って吸収し、一大勢力となっていた。ウォルスタなど所詮は弱小勢力にしか過ぎないと軽視していたブランタは、今や完全に追い詰められつつあった。

 反乱軍の指導者である『ゴリアテの虐殺王』、デニム・パウエルは、ブランタにとっては仇敵と言える存在にまで膨れ上がっている。まさしく、デニムの孤立は値千金の情報と言えた。

 

 この好機にタルタロスは暗黒騎士の派遣を提案してきたが、ブランタはそれを一蹴した。都合の良い時だけ動こうなど虫酸が走る。なにより、奴らの意図が透けて見えていたからだ。デニムの確保という功績による、後のヴァレリア統一王国への影響力の確保…… つまり、ローディス教国はヴァレリア内部への干渉を狙っているに違いない。

 そもそも、ローディスに助力を要請したのはブランタ自身だったが、今ではそれが完全に足枷になりつつあった。思うように動かない戦力など、役に立たないにもほどがある。

 さらにブランタの頭痛の種となっているのは、暗黒騎士団の存在によってバクラム軍内部に不満が広がりつつある状況だった。元々、旧貴族階級の多いバクラム人は選民意識が強く、ブランタ自身もそれを後押ししてきた経緯がある。外から来たローディス人など、不和の元にしかならないのだ。

 

 ブランタがこれまでしてきた事、全てが裏目となっていた。

 

「おのれ……! おのれぇ、デニムゥゥ! 裏切り者めぇぇぇ!」

 

 あの日、二十年前。

 

 当時は一神父に過ぎなかったブランタが、ドルガルア王と侍女マナフロアの間に生まれた赤子の存在を知ったのが全ての始まりだった。名をベルサリア。カチュアとして育てられる事になる落胤である。

 赤子を利用して王妃に取りいれば、司教、枢機卿、いや、大神官の地位も夢ではない――そう考えたブランタは、出産後に死去したマナフロアの元から赤子を引き取った。

 

 ブランタの実の弟であるプランシーとも共謀し、赤子を預ける事にした。プランシーは最近、実子であるカチュアを幼くして亡くしており、赤子をカチュアとして育てさせれば好都合だと考えた。

 

 そうして、ブランタは思惑通り権力を手にし、フィラーハ教トップだった大神官モルーバの排斥に成功した。さらに王妃の血縁にあたるエルテナハ家の嫡子を傀儡とし、一国の摂政の地位まで登りつめたのだ。

 あとは目障りなガルガスタンのバルバトス枢機卿を排除し、ドルガルア王の遺児であるカチュアを利用すれば、ヴァレリア王国の実質的なトップに立つのも間近だった。

 

 それなのに。

 デニムの存在によって、全ては水泡に帰そうとしている。

 

 弟プランシーはブランタとの関係を隠すため、妻の姓であるパウエルを名乗り、ウォルスタ人として港町ゴリアテに移り住んだ。そして、妻との間に一人の男児を授かる。

 男児はすくすくと育ち、血のつながりのない姉を慕う、立派な青年へと成長する。名を、デニム・パウエル。またの名をデニム・モウン。

 

 そう、デニムの父親はモウン姓を持つバクラム人であり、デニム自身にもまた、バクラムの血が流れているのだ。ブランタとデニムは、叔父と甥の関係にある。

 

「バクラムの血を穢し……あまつさえ同胞に刃を向けるなど……! なんたる不埒! なんたる傲慢! 許さぬ! 許さぬぞ、デニムゥゥゥ!!」

 

 ブランタは目を血走らせながら、机に拳を打ちつける。そばに控えたままの騎士グランディエは、その様子を見てバクラム・ヴァレリア国の未来を憂う。

 だが、高潔な騎士を理想とし、職務に忠実な彼は、何も言わぬまま佇むのだった。

 

--------------------

 

「明日、我らは出陣する! 目指すは王都ハイム! 外患を誘致し、王妃の血縁者を傀儡とし、権力をほしいままにしようとするブランタ枢機卿こそ諸悪の根源であり、この内戦を引き起こした張本人である!」

 

 デニムの演説が高らかに響き渡る。

 

「忘れるな! 我々の敵はバクラム人という民族ではない! 我々が打ち倒すべきは、既得権益に固執し、民を戦場に追いやる醜悪な権力者達なのだ! 決して無抵抗の者に危害を加えてはいけない! 決して略奪行為を行ってはならない! これは、我々が『ヴァレリア人』として一つになるための、正義の戦いなのだ!」

 

 彼の演説は堂に入っている。聴衆である兵士達は、誰もが顔を紅潮させて舞台上のデニムを見上げていた。やはり最後の決戦ともなれば、テンションは否が応でも高まるのだろう。

 俺はその様子を、少し離れた木陰から眺めていた。相変わらずフードをかぶったままなので、目立ってはいないはずだ。俺はあくまで影に徹するつもりなのだから。にんにん。

 

 それにしても、正義の戦いかぁ。そんな言葉がただの方便だって事は、デニム自身が一番わかってるだろうな。なにせ、無抵抗の同胞達を虐殺し、武力蜂起にまで追いやったのはアイツ自身なんだし……。

 でも、歴史は勝者が作るもの。地球の歴史を掘り返せば、似たような事なんて山ほど起きているんだろう。当事者でもない俺が、偉そうに上から目線で言える事など何もない。俺ができるのは、さっさと戦争を終わらせて、デニムを重圧から解放してやる事ぐらいだ。

 

「我々が確固たる信念をもって一つになれば、大国の干渉など容易に弾き返せるはずだ! ヴァレリアの未来のために、我々は一つにならなければならない! そのためには、この戦いに勝利し、ヴァレリアに平和をもたらすのだ! ヴァレリア万歳! ヴァレリアに栄光あれ!」

「ヴァレリア万歳!」

「覇王デニム万歳!」

 

 兵士達の熱狂は最高潮となった。彼らは口々にヴァレリアとデニムを讃え、万歳を繰り返している。中にはデニムを『覇王』と呼ぶ声もあった。彼らからしてみれば、このままデニムがヴァレリア王国を背負って立つ国王となることは既定路線なのだ。

 俺はそれを聞いて物凄く憂鬱になる。英雄の次は覇王か。一体、デニムはいつまで走り続ければいいのだろう。彼は己の人生を『大義の礎』とする事が運命づけられているのだろうか。

 

 わかってはいたさ。戦争を終わらせて『めでたしめでたし』とはいかない事ぐらい。ヴァレリア王国としてまとまるには、これから先も指導者が必要になる。影響力を閉めだされたローディス教国だって、黙って指を食わえて見ているわけがない。

 デニムは責任感の強い奴だ。民衆が望むなら、王として上に立つ事ぐらいやってのけるだろう。これまで大義や勝利のために犠牲にしてきた者たちのために、今度は自分自身の人生を犠牲にするだろう。

 

 でも、それでデニムは幸福なんだろうか。

 

「シケた面してんなぁ」

「……貴殿は……」

 

 ふと気づけば、すぐそばに先ほどの有翼人が立っていた。どうやら俺はよほどにショックを受けていたらしい。普段なら、気付かずにこんな距離まで近づかせる事はない。

 

「ああ、自己紹介がまだだったな。オレはカノープス。『風使い』と呼ばれている。あんたはデニムを連れ帰ってきた奴だろ?」

「……ああ。俺はベルゼビュートだ」

「よろしくな、ベルゼビュート。いや、面倒だな。ベルって呼んでいいかい?」

「好きに呼んでくれ」

 

 カノープスは屈託のない笑顔を浮かべている。ただの『ベル』とは、こやつできるな。俺に気づかせずに近づいてきただけでなく、俺の懐にまで入り込もうとしている。

 

「ベルはアイツの事が心配でついてきたんだろ?」

「……そうだ」

「わかるぜ。オレもよ、アイツの事は見てらんねぇ。けどよ、見てないと危なっかしくてなぁ」

「…………」

「大義のために自分を捨てて信念を貫く……か。まったく、どいつもこいつも馬鹿ばっかりだな。……ハハッ、でもそれを黙って見てるオレが、一番の大馬鹿者ってわけか……」

 

 少し俯いたカノープスは、どこか自嘲めいた笑みを浮かべている。第一印象ではノリの軽いアンちゃんという感じだったのだが、どうも見た目より思慮深くて人生経験は豊富そうだ。

 ここは一つ、俺の考えを話しておくか。

 

「……俺はデニムを馬鹿だとは思わない。ヤツは、ヤツなりに努力している。選んだ道が間違いなら、周りが正してやればいい。だが、何が正しいかなど、結局は歴史が決める事だ。デニムが最善に導こうとしている以上、俺はそれを助けるだけだ」

 

 俯いていたカノープスは、俺の言葉を聞いて徐ろに顔を上げる。その表情はなぜか驚いているように見えた。無口キャラっぽい俺がこんなに長文を喋ったからかな?

 

「……あんた、良い奴だな」

「む?」

 

 なんだかカノープスの俺を見る目がキラキラしている気がする。

 ちょっと待って、だから男には興味ないんだってヴァ!

 

--------------------

 

 カノープスの元から逃げ出した俺は、練兵場までやってきていた。まさか自分が逃げる立場になるとは思わなかったぜ……。こんなに危機感を覚えたのは、何年ぶりだろうか。不死身だからって、何でも大丈夫ってわけじゃないんだよ! ラミアさん助けて!

 

 出撃前に最後のトレーニングをしようと考えたのか、それともデニムの演説に触発されたのか、練兵場は兵士達で溢れている。かろうじて訓練するほどのスペースは確保できているが、みんな窮屈そうだ。

 それにしても、結構使っている武器がバラバラなんすねぇ。剣や槍はもちろん、短剣や斧、鉄の塊のようなハンマー、フェンスをよじ登ってダイビングボディプレスを仕掛けて来そうな『かぎ爪』など、バリエーション豊かだ。

 変わったところでは、ピシンパシンとムチを振るっている女性兵までいる。女王様かな? あっ、そういう趣味はないので結構です……。

 

 端っこに作りつけられた射撃場では、弓や弩を打っている兵士達がいた。止まっている標的を狙ってるけど、動いている相手にちゃんと当てられるのかな。もし必要なら、俺が動きまわる標的役をやってもいいんだけど。どうせ刺さらないしな。

 俺も槍を練習しようかと思ったけど、ちょっとスペースが足りないですね……。下手すれば、周りを吹き飛ばしたり、カミナリが落ちてくるからね。仕方ないね。

 

 あきらめて戻ろうと思った時、ここ数日で見慣れた銀髪を見つけた。

 

「やっ! はぁっ! せいっ!」

「…………精が出るな」

 

 俺が声を掛けると、舞うように剣を振るっていたラヴィニスはピタリを動きを止める。次に、油の切れたロボットのようにギギギとこちらを振り返った。

 

「……ベ、ベルゼビュート殿……!」

「すまない。邪魔をするつもりはなかったのだが……」

「いえっ! 大丈夫です!」

 

 ラヴィニスはなぜか慌てた様子で、髪の毛をいじくったり、服を整えたりしている。さすがは女の子、身だしなみは常に忘れないんだなぁ。

 

「な、何かご用ですか?」

「いや、特にない。ただ、貴殿を見かけたから声を掛けてみただけだ」

「ええっ!? そ、それは……こ、光栄です」

 

 ラヴィニスは目を逸らしながら答える。全く光栄そうに見えないんですが。やっぱり、俺みたいな不審者に声を掛けられたら警戒するよなぁ。くすん。

 

「あ、あの……ベルゼビュート殿、もしお時間がおありでしたら……一手、御指南頂けないでしょうか?」

「む? 俺なんかで練習相手になるだろうか?」

「私が遥かに格下なのは自覚しております。ですが、ベルゼビュート殿の武の極みに、一歩でも近づきたいのです。ヴァレリアの真の平和のために……」

「……そうか。俺で良ければ相手になろう」

 

 うーん、俺って正式な武術なんて知らないし、ぜんぶ独学なんだよなぁ。人に教えるなんて、出来そうもない。そもそも、身体のスペック頼りなところが大きいし。練習相手には向かない気がするけど。

 でも、ラヴィニスの頼みなら聞くしかないな! ラヴィニスに頼まれたら暗黒騎士団の一つや二つ、ぶっつぶしてやんよ! ばっちこいや!

 

「では――――」

 

 ラヴィニスは中段に構えた突剣を、突き出すように放ってきた。かなり洗練された動きだったが、動体視力で捉える事ができる。

 あー、突剣ってスケルトン達が時々使ってきたな。プスプス突かれて痛かったのを覚えてる。懐かしいなぁ。あの時は確か、こんな風に……。

 

「なっ!!」

 

 俺は腕を突剣とすれ違うように突き出して、そのまま突剣を巻き込むように回転させる。俺の腕に巻き取られた突剣は、そのままラヴィニスの手から離れて宙を舞った。

 そうそう、スケルトンの突剣はだいたいこんな風に対処してたっけ。やっぱ相手の武器を取り上げるのが、一番手っ取り早いんだよなぁ。

 宙を舞った突剣は数秒後に重力に導かれて自由落下し、俺の手に収まった。

 

「……素手で……」

「突剣を使うなら、もっと隙をなくした方がいいだろう。突きは重心を移さずに、急所を連続で突かれた方が避けづらい」

 

 そう言いながら、奪った突剣を使って連続で突いてみる。もちろん、スケルトン達の剣技を見よう見まねでやってみただけだ。俺が対処しづらかった攻撃をアドバイスしてみた。まあ、素人剣技だけど、スケルトン達は俺とやる度に武器の扱いが上達していったので、参考になるかもしれない。

 

「…………おみそれいたしました」

「む? そうか」

「槍だけでは無かった……この分だと他の武器も……。一体どれだけの努力をされたのかしら……。やはり何度も死にかけたというのは、誇張ではなかったのね……」

 

 ラヴィニスは頭を下げたまま、ブツブツとつぶやいている。ちょ、ちょっと怖いんですけど。

 

 ふと気が付くと、周囲がしんと静まり返っていた。

 

「……あのラヴィニス隊長が……?」

「俺見てたけどさ、何が起きたのかわからなかったよ。気づいたら、剣が奪われてたぜ」

「相手は一体何者だ……? 顔がよく見えないが……」

 

 ザワザワと騒ぎが大きくなりはじめた。あかん。目立つつもりはなかったんや!

 俺はフードで顔を隠しながら、慌てて踵を返して練兵場を後にした。

 

 あっ。突剣かえすの忘れてたぁ。

 




敵サイドと味方サイドでした。
作者の技量不足で、どうしても説明が冗長になってしまいますねぇ……。許してつかぁさい!


★三行まとめ
・バクラムのトップ、ブランタは王様の庶子カチュアの存在を利用して成り上がった。
・デニムの父親プランシーは、ブランタの実の弟。カチュアを王女と知りながら預かって育てた。
・プランシーの実子であるデニムは、ウォルスタ人ではなくバクラム人。


【摂政ブランタ】
バクラム・ヴァレリア国の摂政(実質的なトップ)であり、フィラーハ教の有力者。
己の力量で、作中屈指の成り上がりっぷりを見せる。ぐぅ有能。
しかしデニムの登場によって全てご破算に。デニムはブランタにひどいことしたよね。

【大義の礎(いしずえ)】
デニムの父、プランシーの遺言
「おのれを棄てろ……、大義の為のいしずれとなれ……。
 現実をきちんと見すえて、よりよい選択肢をえらぶのだ……。
 おまえは……次の世代のために道をつくるだけでよい…………それを……忘れるな……。」

(作中には出せなかったので、ここに書いてみました)



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010 - Departure

「また、逝った者達の事を考えているのか」

 

 地平の底へ沈んでいく夕日を眺めながら物思いに耽けていると、背後から声が掛かった。振り向くとそこには、白髭を豊かにたくわえた老人、大神官モルーバ様が立っている。フィラーハ教の有力な指導者で、とある縁があって僕達に協力してくれる事になった人だ。

 僕は目を伏せて、何も答えずに再び城下を見下ろした。白鳥城と呼ばれるほどに美しい白亜の城塞は赤く染まり、血と火の中に呑まれたバルマムッサの情景を思い起こさせる。

 

「……あまり思い詰めるものではない。お主が一人で城を飛び出したと聞いて、肝が冷えたぞ」

「……ご心配をおかけしました。もう大丈夫です」

「ふむ……。良き出会いがあったと見えるな」

 

 彼の存在を伏せておく、という約束は破られていない。完全に納得したわけではなかったが、彼自身が望まないのであれば強くは言えなかった。

 

「あの人は……強い人です。僕なんかよりも、ずっと……。どうして、ああも強くいられるのでしょうか。あの人が本気を出せば、きっと国の一つや二つ簡単に手に入るのに……。地位も名誉も金も、全てを断って僕なんかを助けてくれるなんて……」

「……そうか。無私の人間を見つけたか。大した理由もなく他者のために命すら投げ打てる人間というのは、いるものだ。そのような者を見てしまえば、お主が劣等感を催すのは理解できる」

 

 そう、彼はそういう人だ。死者の宮殿で、出会ったばかりの僕を助けると言ってくれた人。たった数分で、命を賭けた戦争に身を投げ打つ覚悟がもてる人。僕にはとても真似できない。

 今だって、さっきした演説を後悔してばかりいる。兵士達を鼓舞するために必要だったとはいえ、彼らを戦いへと追いやるのは間違いなく僕だ。他の利己的な権力者達と何が違うというのだろう。僕達が正義だなどと、誰が決めるのだろう。

 『英雄とは、誰よりも多く人を殺した者をいう』とは誰の言葉だったか。望む望まないに関わらず、僕は英雄と呼ばれ、ヴァレリアの覇権を手にしつつある。未だに覚悟が持てない愚か者だというのに。

 

「……僕のために、たくさんの人が死にました。ヴァイスも、アロセールさんも、ジュヌーンさんも、ミルディンさんやギルダスさんも……モルーバ様の娘さん達も……」

「わしの娘達が、それぞれ自分で選んだ道だ。あやつらが後悔せずに逝ったのなら、それも運命だったのだろう。お主が気に病む必要はない」

「あれが運命だなんて……。あんなのが運命だなんて! 僕は信じない! 全ては僕の力不足が招いた人災だッ! そして僕はまた新たな犠牲者を作ろうとしているッ!」

「落ち着くのだデニムよ。落ち着くのだ……」

 

 思わず声を荒げてしまう。

 フーッ、フーッと僕の息を吐く音だけが響き、それは呼吸を整えるまで続いた。

 

 ベルさんは、ベルゼビュートさんは確かに強い人だ。あの人ほど、一騎当千、万夫不当という言葉が似合う人もいないだろう。

 でも僕は、不安で不安で仕方なかった。

 僕はまた、一人の協力者を死地に追いやろうとしているのではないか。

 

 

 運命などという言葉は、人が創った幻想に過ぎないはずなのに。

 いつか僕たちは、この運命の輪から抜け出す事ができるのだろうか?

 

--------------------

 

 いよいよフィダック城を出陣した俺たちは、王都ハイムに向けて行軍を続けている。俺とニバス氏はラヴィニスの友人として軍に参加しているため、ラヴィニスの率いる部隊に遊撃隊員として配属された。

 

 同じ部隊の者達からはジロジロと胡乱げな視線を向けられているが、ラヴィニスのフォローもあって特に問題は起きていない。遊撃隊員ということで、いざ事が起こればラヴィニスの指示という名目で自由に動く手はずになっている。要するに好きにやれということだ。

 真面目なラヴィニスは、例え形式上でも俺の上に立つのを嫌がったが、俺には部隊を率いた経験などないという事で納得してもらった。平社員だった俺に、管理職なんてできるわけないしな。

 

「ふふ…… この私がまさか反乱軍……いえ、解放軍に従軍する事になるとは、思いもしませンでしたねぇ」

「ああ。ニバス殿には感謝している。巻き込んでしまい、すまなかったな」

「いえいえ。私は無駄な事が嫌いですが、デニムくんの生き方は実に興味深いですからねぇ。彼は矛盾を抱えながら懸命に生きようとしている。大義のために自分の手を汚すことも厭わない。実に好ましいですねぇ」

「……そうか」

 

 えっ、まさかニバス氏もソッチの人じゃないよね? やめてくれよぉ。ただでさえ昨日のやりとり以来、カノープスから変な目を向けられるのに。

 

「それに、従軍しながらでも研究は進められますから。この戦いで、良い『素材』もたくさん手に入れられるでしょうしねぇ。クッククク……」

 

 うーんこの。やっぱりニバス氏は変人なんだよなぁ。何の研究しているかは知らないが、素材が手に入るのなら良かったけど。そういえば、死者の宮殿で初めて会った時もゴミ漁りしてたっけ。俺も素材集めを手伝った方がいいかな、と思ったが、俺じゃ素材なんて見分けられないか。

 

「ニバス殿は研究が好きなのだな」

「ええ、私のライフワークですからねぇ。妻にもよく呆れられたものです」

 

 ファッ!?

 

「……ニバス殿は、既婚だったのか」

「おや、言っておりませンでしたか?」

 

 ニバス氏はとぼけた表情で首を傾げている。ば、馬鹿な……。こんな変人のオッサンが結婚しているだなんて……。俺も可愛い奥さんが欲しいです……。

 

「ちなみに、息子と娘もおりますよ」

「…………」

 

 なんだこの勝ち組リア充!? 駄目だ、戦闘力が違いすぎる。地球でも独身貴族を気取っていた負け組の俺では勝ち目がない。世の中、どうしてこうも理不尽なんだぁ。ちくしょう。嫌味の一つも言いたくなりますよ、これは。

 

「二児の父には見えんな……。俺の言えたことではないが、家族を放って従軍などしていていいのか?」

「ふふ……。よいのです。妻は私を置いて、息子と一緒に飛び出しました。私が研究のために、息子を実験の対象にしたのが許せなかったようですねぇ」

「…………それは、気の毒なことだ」

 

 あちゃー。奥さんに逃げられちゃったのかぁ。愛する息子を実験台にしたら、そりゃあ怒るよなぁ。なんの実験か知らんけど、ニバス氏のことだからロクな実験じゃなさそうだし。

 

「娘はどうしている?」

「……娘は私が殺したようなものです。妻を救うために、どちらかを選ばなければならなかった。そして私は、妻の魂を救う事を選んでしまったのですよ」

 

 えっ、なにそれは。すごいヘビーな話になって困惑するんですけど……。妻か子供のどちらかを選ぶっていうのは、要するに出産すれば母体がもたない、みたいな状況なんだろうなぁ。さすがに気まずくて、深く聞くつもりはないけど。

 そこまでして救った奥さんに逃げられるとか、ニバス氏もなかなか壮絶な人生を歩んでますね……。

 

 ニバス氏は、自虐的な笑みを浮かべて独白を続けている。

 

「私の研究が完成していれば、妻と娘を両方助ける事もできたでしょう。ですが、既に遅きに失した事です。『死』の克服というものは、非常に難しいのですよ。…………私は家族のためにも、『死』に苦しむ人類のためにも、この研究を完成させなければならないのです」

 

 そうか、ニバス氏は『死』を克服しようとしているのか。

 つまり、医者かなにかという事だな。

 

 この世界には回復魔法があるが、それで治せるのはあくまで外傷だけで、病気を治すことなどできないと聞いている。地球と違って医学が発達していないこの世界には、病に苦しむ人が大勢いるだろう。

 ニバス氏は、例え家族から愛想をつかされても、家族が病に倒れた時のために研究を続けているというわけだ。医学が十分に知られてないから、周囲の理解を得るのも難しいだろう。きっと息子には、新薬の治験でもしてもらったのだろうな。

 

 なんだ、ニバス氏はやっぱり聖人じゃないか! 変人っぽいけど、よく考えれば研究者なんて大体こんな感じだよな。俺が行ってた大学の研究室には、もっとヒドいヤツが山ほどいたし……。

 それにしても、ニバス氏からしてみれば、俺の身体なんてデタラメにもほどがあるだろうなぁ。病気の一つもかかったことはないし、そもそも死なないし。医者に喧嘩売ってんのかって感じだ。

 うーん、俺の身体のことは言わない方がいっか。

 

「おや、私とした事が、ずいぶんと熱くなってしまいましたねぇ。ホホホ……」

「いや、素晴らしい決意だ。ニバス殿の研究が周囲の理解を得るのはなかなか難しいだろうが、俺は世のためになる立派な研究だと思う」

「…………そう言って頂けますか。嬉しいですよ、私の理解者は随分と少ないのです」

「いつだって、先駆者というのは理解されないものだ。挫けずに頑張ってくれ」

「ふふ…… ありがとうございます」

 

 ニバス氏がなんだか少し照れた顔を浮かべている。

 オッサンの照れ顔を見せられても嬉しくないんですけどね……。

 

--------------------

 

 フィダック城から北へ伸びたヴァネッサ街道を通り過ぎ、途中で進路を東にとってヨルオムザ渓谷と呼ばれる場所に差し掛かった。

 底を流れるヨルオム川が何世紀もかけて作りあげた大渓谷は、まるでポッカリと開いたドラゴンの口のように峻厳で、俺達は二列縦隊を組んで渓谷の底の川辺を粛々と進んでいく。

 わざわざこんな所を通らなくてもと思ったが、王都ハイムへ行くには渓谷以外のルートだと砂漠越えをする必要があるらしい。大軍で砂漠を通るなど悪夢でしかない。

 

 一体、ドルガルア王は何を考えてそんな不便な場所に王都を作ったんだよ! もっと物流ってもんを考えろよな! やり場のない怒りを故人にぶつけつつ、俺は黙って歩き続けている。

 

 と、そこで、前方からピーッという笛の音が聴こえてきた。この合図は確か……。

 

「敵襲だッ!」

 

 誰かが叫び、敵襲と聞いて周囲が慌ただしくなり浮足立つ。そりゃあ、相手としたら絶好の迎撃ポイントだよな。戦略ゲームなんて全くやらない俺でも、この難所にトラップを仕掛けまくって迎え撃つなんて簡単に思いつく。例えば、崖の上に伏兵を置いて岩を落としたり。

 

「うわぁぁ! 岩だっ! 岩が落ちてくるぞっ!」

 

 フラグになってしまったのか、崖の上から複数の大岩が雪崩のように落ちてくる。孔明の罠かな?

 

 ニバス氏と咄嗟に視線を合わせて頷くと、俺は隊列から飛び出して大岩の一つへと駆け寄って行く。走りながら拳をギュッと握り、勢いそのままに気持ち強めに岩を殴ると、俺の身体の何倍もあろうかという大岩は重力の縛めから解き放たれて崖の上へと飛んでいく。

 そのまま他の岩に吶喊して続けざまに殴り飛ばしていく。大岩がまるで運動会の玉入れのようにポイポイと宙に舞うのはシュールな光景だろう。がんばれ赤組、がんばれ俺!

 

 だが、いくら俺の足でも、全ての岩を殴り飛ばすのは間に合いそうになかった。縦隊となった隊列は伸びきっており、かなりの長さとなっている。大岩は長い隊列の複数箇所に向けて転がっていた。

 

 あっ、この問題、ニバスゼミでやったやつだ!

 

 急ぎ体内の魔力を循環させて、俺が唯一使うことのできる『魔法』を発動する。もちろん口で詠唱はしないが、頭の中に呪文が浮かび上がってくる。

 

 ――――魔界の知恵を借り、時の戒めから解き放たん――――

 

 その瞬間、循環した魔力が発光し、俺の全身は紫色の光に包まれた。

 

--------------------

 

 私は白昼夢でも見ているのだろうか?

 

 崖の上から大岩が落とされようとしているのを見た時、私は己の失敗を悟った。こうなる事を予期して斥候を先行させていたのだが、みすみす見逃してしまったらしい。

 兵士達の力を合わせれば、あのような大岩でも対処は可能なはずだ。しかし、いかんせん数が多かった。細く伸びきった隊列では、命令を届けるのも時間が掛かる。とてもではないが間に合わない。刹那の内にそう判断した私は、せめて近くの隊員達だけでも助けようと避難命令を出そうとした。

 

 その瞬間、黒いローブをはためかせた人影が飛び出していったのだ。

 名目上とはいえ私の部隊へと配属された彼、ベルゼビュート殿に間違いなかった。

 

「ベル殿! 危険だっ!」

 

 思わず声を掛けてしまった私は、部隊長失格だろう。しかも咄嗟だったので、短い愛称で呼んでしまった。しかし幸か不幸か彼には届かなかったらしい。彼はあり得ないほどの速度で崖を駆け上っていき、転がりだした大岩の元へとあっという間にたどり着いた。

 このままでは潰されてしまう、と目を閉じかけた私だったが、次の瞬間、大岩はまるで翼が生えたように宙へと飛び上がる。信じられない光景だった。

 

 さらに黒い人影は止まる事なく次々と大岩を吹き飛ばしていく。もはや、言葉もなかった。一体、どのような研鑽を積めば、あのような事が可能になるというのか。練兵場で見せて頂いた武の精髄はまだ理解の範疇だったが、この光景は我が目を疑わざるをえない。

 

 だが、彼の孤軍奮闘にも関わらず、一つの大岩が隊列を蹂躙しようとしていた。

 あの位置ではさすがに間に合わない。仕方がない、被害は最小限になった、と諦めかけたところで、またしても我が目を疑う事になった。

 渓谷の反対側にいたはずの黒い人影が、一瞬の内に大岩の元へと移動していたのだ。しかも、間を置かずして大岩は吹き飛んでいく。それも、複数の岩が同時にだ。

 

 まるで今の瞬間だけ、本のページが抜けたように――。

 そこで、ハッと一つの可能性に思い当たった。

 

 それは、例え一生を魔導に生きる賢者ですらまともに唱える事が難しいとされる強力な魔法。信じられないほど膨大な魔力を必要とすることから、その使い手は確実に寿命を削ると言われている。

 それは、人の手が届かず、不変であり、誰にでも平等に与えられる『時』を独占しようとする、神をも恐れぬ所業。魔界の暗黒神が、天界の神を貶めるために人に与えたと伝えられる。

 

 その名は、パラダイムシフト。

 時を引き伸ばし、使うものを時の隙間へと誘う、究極の暗黒魔法。

 




深い渓谷の底、過熱したオリ主のチートは、遂に危険な領域へと突入する。
ニバス先生はリア充で勝ち組で、家族愛と使命感に溢れた聖人ですね(白目)


【大神官モルーバ】
ヴァレリア王国の国教であるフィラーハ教の偉い人。大神官はキリスト教でいう教皇。
ブランタとの権力闘争に負けてハイムを出たけど、妻が死ぬまで正統の大神官として活動してた。
内乱で妻が死んで引きこもってたが、デニムに説得されて脱引きこもりを果たす。
色違い四人姉妹の娘がいるけど、みんなバラバラに動きまわっていてプレイヤーを困惑させる。

【パラダイムシフト】
上位暗黒魔法。他の魔法が軒並み消費MP10〜40程度なのに対して、この魔法はMP100を消費。
しかも成功率は66%で固定という鬼畜仕様だが、その分、効果は非常に強力。
原作では各キャラがスピード順で行動するが、この魔法は対象者を即時行動可能にする。
賢者がうんぬんとか、寿命を削るとか、暗黒神がどうこうとかは独自設定です。


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011 - Three Victims

「こんなところか……」

 

 俺は拳についたホコリを払いながら、隊列の元いた位置へと戻っていく。落ちてきた岩は全て片付けられたはずだ。あとは伏兵を始末すれば問題ないだろう。ふぃー、一仕事したって感じだわ。

 覚えた魔法を使ってみたけど、なかなか便利だったなぁ。なんかこう、周りの人や物がスローモーションになるというか、俺だけ超速く動ける感じになる。まあ、俺の主観だといつも通りのスピードなんだけど。

 

 それにしても……兵士達からの視線が超痛いんですけど……。

 

 ローブ着てるよな、俺。フードもちゃんとかぶってるし。やっぱあれか、俺が一人でつっこんでいったから、なんだこいつって思われてるのかな……。なんだかザワザワしてるし、顔隠してて良かった。

 元いた位置に戻ろうとしたところ、部隊長であるラヴィニスが話しかけてきた。なんだか深刻そうな顔をしている。真剣な表情もかわいい。

 

「ベルど……ベルゼビュート殿。その……まずは、大岩を対処して頂き感謝いたします」

「ああ、この程度ならお安いご用だ」

「っ! ……先ほどの、ベルゼビュート殿の動き……私の勘違いでなければ、あれは、暗黒魔法のパラダイムシフトによるものでは……?」

「そうだ」

 

 大正解なので軽く頷いてみせると、ラヴィニスは言葉を失ったように目を見開いている。やっぱり、俺の見た目で魔法が使えるとは思わなかったんだろうなぁ。内心で浮かべたドヤ顔を押し隠す。

 

「……パラダイムシフトは、術者の命すら削ると言われている大魔法のはず。ベルゼビュート殿は、お身体の方は大丈夫なのでしょうか?」

「む? 特に問題はないが」

「う、嘘をつかないでくださいっ! そんな魔法を使って、問題がないわけないではありませんか! いくら私達を助けるためとはいえ、貴方が身を削って……そんな事……」

「…………」

 

 えぇ……? 嘘なんかついてないんですけど……。それに、そんな物騒な魔法だなんて聞いてないんですけど……。ま、俺は死なないから全く問題ないことにかわりないけど。

 ラヴィニスは声を荒げていたが、萎むように俯いてしまった。俺は彼女の華奢な肩にそっと手を置く。

 

「聞け、ラヴィニス。繰り返すが、俺に問題はない。それに、お前を助けるためにこの身を使えるのであれば、俺は喜んで盾になるだろう」

「……ベ、ベル……殿……」

 

 死者の宮殿では、自分の身体を囮にして敵を倒したりしてたからなぁ。ラヴィニスさんのことなら、おいちゃん喜んで守っちゃうと思うわ。

 なんだかラヴィニスは潤んだ目で俺を見上げてくる。やべっ、泣かしてしまった。周囲からの視線が物凄く痛い。きっとラヴィニスのファンが多いのだろう。かわいいし。

 セクハラ寸前のボディタッチがまずかったのか? 俺はラヴィニスの肩から慌てて手を離す。そのまま「すまない」と謝って、俺は背中を向けてラヴィニスから離れていった。やべぇよ、やべぇよ。

 

 元の位置に戻ると、ニバス氏がいつもの怪しい笑みを浮かべている。

 

「おやおや、貴方は女泣かせですねぇ」

「……悪いと思っている」

 

 ちゃ、ちゃうねん! 泣かせるつもりはなかったんや! 反省してるから許して!

 焦った俺は、慌てて話題を変えることにした。

 

「それにしても、ニバス殿。パラダイムシフトは、そのような物騒な魔法だったのか?」

「う〜ん、確かにあの魔法は魔力の少ない術者が使えば命の危険もありますが、貴方のような膨大な魔力の持ち主なら、まず危険はないでしょうねぇ。魔法は物理現象に過ぎませンから、きちんと法則を知れば問題はないンですよ」

「む、そうか」

 

 さすがニバス先生、頼りになるぜ。魔力がたくさんあると便利だなぁ。でも、もっと派手な攻撃魔法とか使いたかったわ……。これじゃあ魔力の持ち腐れだよ!

 

 落岩の計が失敗したことを悟った伏兵たちが、俺達の前に姿を現してくる。思った通り、バクラム軍の兵士達のようだ。俺の視力で崖の上に立っている兵士を見ると、奴らの所属を示す階級章が確認できた。

 その中で、バンダナを巻いて無精髭を生やした男が周りに指示を出しているようだ。えぇ、あれがリーダーなの……? バクラム軍って実は結構な面白軍団だったりするのか?

 

「ちっ……まさか失敗するとはな。一体、何が起きたというのだ……!」

 

 あれ? よく見れば、人間だけじゃなくてリザードマンが混ざってるな。懐かしい。死者の宮殿では俺の舎弟みたいになってたんだよ。あいつら手先が器用だから、家具を作ったり飯を作ったり、俺の生活レベル向上にずいぶんと貢献してくれたし。

 

「まあいい……この渓谷を渡らせなければいい事だ。……よし、貴様らッ! 高台から奴らを撃ち殺せ! 反乱軍のやつらを生きて帰すな! タコどもも、さっさと出てこいッ!」

 

 タコ? 疑問に思う間もなく、渓谷の底を流れる川からザバリと水音が聞こえてくる。そこには、人の身の丈を遥かに超えるような赤い大ダコが三匹、水の中から姿を現していた。タコ特有の八本の足をぐねぐねと動かしている。

 

 …………ジュルリ。

 

 口の中に溢れるヨダレを抑えられない。タコといえば、タコ飯にタコワサ、刺身も捨てがたい。だがなんといってもタコヤキだろう。俺はソースたっぷりのタコヤキが大好物なのだ。あんなデカいタコでタコヤキを作れば、一体何人分になるのだろうか。

 

「かかれッ!」

 

 バンダナ男が合図をすると、弓や弩を持った射手達が一斉に矢を射る。だが、すでに我を取り戻していたラヴィニスが、適切な指示でもって盾を構えさせている。俺が守る必要はなさそうだ。

 その間に、一匹のタコが川辺から上陸して兵士達に襲いかかろうとしている。兵士達は応戦しようとしているようだ。待てっ、それは俺の獲物だ! 食料的な意味で!

 

 俺はダッシュでタコへと飛びかかり、素手で殴りつける。殴られたタコは、巨体を浮かび上がらせて吹っ飛び、まるでボールのように地面に何度かバウンドして止まった。

 

「…………は?」

 

 応戦しようとしていた兵士達から、素っ頓狂な声が聞こえてくる。悪いな、横取りみたいな形になっちまったぜ。あとでタコヤキを分けてやるから許してほしい。

 まだ獲物は二体も残っているが、奴らは怖気づいたのか川から出てこようとしない。うーむ、着替えがないから、あんまり濡れたくないんだよなぁ。

 

 俺が手をこまねいていると、その内の一匹が水面から顔を出し、ひょっとこのような『おちょぼ口』を向けてくる。ほえー、タコに口なんかあったんすねぇ。

 ボーッとしながらその様子を眺めていると、タコの口から水の塊が吐き出された。人の頭ほどもある水の塊は、なかなかの速度で俺めがけて飛んでくる。濡れるのは嫌だったので手で弾くと、バシャリという音がして水の塊は割れてしまった。

 

「PGYYYY!!」

 

 それを見たタコは怒ったように吠えている。見ろよあいつ、顔真っ赤だぜ。

 さらにタコはそのまま岸へと上がり、こちらに突進してくる。もちろん、先ほどと同じ光景が繰り返されて、地面の上には二匹目のドジョウならぬ大ダコが転がることになった。やったぜ。

 気がつけば、他の兵士達は遠巻きに俺とタコ達の戦いを眺めている。俺にタコを譲ってくれるなんて良い奴らだなぁ。あとでタコヤキパーティしようぜ! 俺、食べる係な!

 

 最後に残されたタコは、なんだかプルプル震えながら下がろうとするが、そこにバンダナ男の怒号が浴びせられる。

 

「おいタコども! 何をやっている! さっさと奴らをすり潰せッ!」

 

 どうやらラヴィニスの方は、盾で相手の攻撃を防ぎながら、魔法や矢で上手く応戦しているらしい。バンダナ男は焦っているようで、タコの数が少ない事にも気づいていない。

 怒られたタコはビクリと身体を震わせ、逡巡したあとに、こちらに向けてまた口を向けてきた。また水鉄砲かと思ったが、どうやら違うらしい。照準は俺ではなく、やや上方に向けられている。

 プシャァァッ、という音とともにシャワーのように水が吐き出された。ただの水ではなく黄色く色付けされた水で、俺は嫌な予感がして咄嗟にバックステップでそれを避ける。どうやら正解だったようで、水が掛けられた地面や転がっていた石ころが、煙をあげて溶け出していた。

 ふぅ、あぶないあぶない。大事なローブが溶けるところだった。これ一着しかない一張羅なんだから、やめてくれよな〜。

 

「PGYY……」

 

 タコはなんだかションボリしたような鳴き声を出して、あきらめたようにスゴスゴと陸上へとやってくる。妙に感情豊かな水棲生物だなぁ。でも悲しいけどこれ、戦争なのよね。生存競争っていう名前の。

 

 こうして俺は、無事に三匹の新鮮なタコを手に入れる事ができた。

 

--------------------

 

 ラヴィニスと協力して、あっさりとバンダナ男達を片付けた。追い詰められていたバンダナ男は、俺がタコ足を味見している場面を見て、心が折れたようだ。この吸盤の吸い付きが癖になるな。

 

 タコヤキが食べたかったが、さすがに材料が揃わないので、ボイルしたり炒めたりして食べる事にした。さすがに俺一人では食べきれないし、横取りしてしまった罪悪感も多少あったので、他の兵士達にも振る舞ってみた。しかし、彼らは誰も口にしようとしない。

 うーん、地球でもデビルフィッシュなんて呼ばれて敬遠される地域もあったらしいし、この辺の食文化だと食べないのかなぁ。もったいないなぁ。

 

 どうするか考えていると、ニバス氏が笑みを浮かべて近づいてくる。

 

「オクトパスの身には人の知性をわずかに高める効果があるンですよ。まぁ、本当にわずかですがねぇ。なかなか手に入らない食材ですが、私も研究の時はよくかじっていましたよ」

「む、そうなのか。ニバス殿もいかがか」

「そうですねぇ、ご相伴に預かりましょうか」

 

 ニバス氏がオクトパスことタコの足を口にするのを見て、他の兵士達も次第に口にしはじめた。なんで俺が食べてるのに、誰も食べようとしなかったんですかねぇ?

 釈然としない思いを抱えつつタコ足をもぐもぐと消化していると、銀髪を翻しながらラヴィニスが近づいてくるのが見えた。こちらを見ながら、何かつぶやいているようだ。

 

「オクトパスが三体も……まともに相手していたら、どれほどの被害が出たことか……」

 

 ラヴィニスもタコを食べに来たのかと思ったけど、そうではないらしい。

 俺の元までやってきたラヴィニスは、俺に礼を告げてくる。

 

「またベル殿に助けられてしまいましたね……」

「気にするな。俺は自分のために動いたに過ぎん」

 

 なにせ、自分の食欲を満たすためだからね。ラヴィニスは俺の言葉を聞いて、瞳を揺らしている。

 

「貴方は…………いえ、何でもありません。……私もいつか貴方の……背中に追いつけるよう……貴方の横に立てるよう、精進いたします」

 

 ラヴィニスは俺の目をまっすぐ見て告げてきた。やっとまともに目を合わせてもらって、飛び上がるほど嬉しくなった俺は、ついつい意地悪な事を言いたくなってしまう。男の子は好きな女の子に意地悪したくなるんですよ!

 

「……そうか。では、待っているとしよう。だが、そう簡単には追いつけんぞ?」

「はいっ!」

 

 とびきりの笑顔を浮かべたラヴィニスは、やっぱり天使だった。

 

--------------------

 

 俺達は無事にヨルオムザ渓谷を抜ける事ができた。もうしばらく進めば、谷の狭間に作られたウェアラムの町にたどり着く。そこを抜ければ王都ハイムは目前らしい。

 

 ところで、デニム達が戦闘に出てこなかったのは理由がある。アイツは本隊を率いているが、ラヴィニスはその別働隊を率いているためだ。俺達のいる別働隊は、本隊から先行して王都ハイムを目指す事になっていた。

 

 どうして別働隊を先行させるかと言えば、ひとつはバクラム軍を油断させるためだ。戦力比は逆転し、こちらが圧倒的に有利とはいえ、まともにぶつかれば双方の被害が大きくなってしまう。

 最終的にヴァレリア全土の統一を目指す俺達は、大きい被害を受ける事も与える事も望まないのだ。なにせこの内戦が終われば、今度は外敵に備えなければならないのだから。

 それを防ぐために、本隊よりも戦力の少ない別働隊が先行する事で、相手に戦力を見誤らせる。油断した奴らは戦力を温存しようとするだろうから、そこを後詰めである本隊と合流して効果的に叩く。

 

 要するに俺達は、全力ではない敵を相手にすればよい。

 そのはずだったのだが。

 

「来たぞッ! 反乱軍の奴らだ! 全力で迎え撃てェッ! 出し惜しみするなよッ!」

 

 あれぇ? どうしてこうなった。

 首を傾げる俺に、ニバス氏が呆れたように説明してくれる。

 

「それはこうなるでしょう。あちらの仕掛けた罠があっけなく無効化され、オクトパス三体をも含む戦力がほとんど被害をもたらせずに一蹴されたのですから」

「む、つまり俺のせいか」

「ふふ…… まあ、彼らは貴方一人の仕業だとは思っていないでしょうねぇ。恐らく、この別働隊が少数精鋭だとでも思われてるのでは?」

「ぬ…………」

 

 困ったことになった。ラヴィニスも頭を抱えているようだ。俺のせいでラヴィニスを困らせてしまうなど、不本意で仕方ない。ちくしょう、要するに敵を片付ければいいんだろ!

 俺は愛用の槍を構えて、自分の責任を誤魔化す作業に入る事にした。

 

「ならば……押し通るまでだ」

 

 ちなみに別働隊のもうひとつの意味は、俺が暴れると周囲の被害が大きくなるかららしい。解せぬ。

 




第一のタコ「人間とか脆すぎワロタwww」→「ぶべらぁっ!」
第二のタコ「水鉄砲なら防ぎようがないやろ!」→「うわぁぁぁ!」
第三のタコ「なにこいつ……もうやだぁ……」→チーン


【バンダナ男】
ビーストテイマーの男。ちなみに名前は魔獣士スタノスカ。
SFC版のビーストテイマーといえば頭頂部の寂しい白髭のオッサンだったのに、PSP版では野性味溢れる渋いイケメンになっている。ズルい、ズルくない?

【タコヤキ】
海鮮料理の珍味として巷では大人気。
食べると、わずかではあるが恒久的に INT (魔法攻撃力) と MND (精神力) がアップする。


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012 - Phantom of Ogre

「またか……」

 

 本隊を率いながら王都ハイムを目指して行軍を続けている。これだけの大部隊を率いた経験はないので緊張したが、側近達に助けられながら何とか役割をこなしていた。

 街道を抜けて、ヨルオムザ渓谷に入ろうとしていた頃、前方から伝令兵がやってきた。ラヴィニスさんの率いている別働隊が、敵対勢力と衝突して勝利した事を知らせるものだった。

 その知らせを聞いて、「良かった」と感じたのは最初だけだ。

 

 異変はすぐにやってきた。

 慎重に歩を進めていた僕達は、その光景を目にすることになる。

 

 まるで巨人が踏み荒らしたように、地面のそこかしこに大穴が開いている。巨木が真っ二つになって転がっている。燃え尽きた杖や弓が炭となり、プスプスと煙をあげている。

 バクラム軍の兵士だと思われる者たちが倒れ伏し、散乱している。しかし、誰も血の一滴も流していない。確かめてみたが、みんな武器を失い、気絶しているだけのようだ。

 そのリーダーだと思われる男は縄で縛られ、ガクガクと震えながら這いつくばっている。その近くには、見張りだと思われるリザードマンが立っていた。

 

 ――――オウガが、きた。

 

 男はそう言って、気を失った。

 

 ここに来るまで、そんな事が何度もあったのだ。もはや別働隊に敵の全戦力が集中しており、本隊である僕達は一度も剣を抜いていない。油断を誘うという目論見は完全に破綻していた。しかし、お互いの被害を最小限にするという目的は、これ以上ないというほどに達せられている。

 

 そして、ウェアラムの町に入った僕達を出迎えたのは、やはり似たような光景だった。

 ヨーオムン谷の深部に作られたこの町は、常に吹き続ける強風を避けるために、急斜面に住宅が建てられている。高低差が大きい分、奥の方にある家屋まで見通す事ができた。その屋根の上、そこかしこに倒れるバクラム軍の兵士達らしき姿も。

 

「……あいつは一体、何者なんだ?」

 

 僕の隣に立つカノープスさんが、強張った顔で言う。有翼人である彼は、青年のような見た目とは裏腹に僕より二回り以上の年長者だ。戦闘の経験も豊富な彼からしても、この光景は異常としか言いようがないらしい。

 

「ベルさんは……味方です」

「そんな事はわかっている。確かにあいつは良い奴だ。だが、こりゃあ明らかに異常だぞ。こんな無理を続けたら、そいつはいつか壊れちまう。もし無理じゃねぇっていうなら、そんなのは……」

 

 カノープスさんはそれ以上に言葉を紡ぐ事はなかった。

 

「とにかく、急いで別働隊を追いかけましょう。これ以上、ベルさんやラヴィニスさん達だけに負担を掛けるわけにはいきません」

「ああ……」

 

 カノープスさんは暗い表情のまま頷いた。きっと僕も似たような顔をしているだろう。

 

 ベルさんの理不尽な強さはわかっていたつもりだった。だがこれでは、彼の強さに全てを押し付けているようなものではないのか。戦争を終わらせるという彼の決意に、ただ甘えているだけではないのか。彼一人に、手を汚させているのではないか。

 

 僕は一体、何をやっているんだろう。

 

--------------------

 

「なにっ!? ウェアラムを突破されただと!?」

 

 荘厳で絢爛なハイム城の大広間に、似つかわしくない大声が響き渡る。中央に置かれた玉座に腰掛ける摂政ブランタは、予想外の報告を受けて目を剥いていた。

 確かに、戦況が不利である事は自覚していたつもりだった。だが、こうも早く突破されるとは誰が予想できただろうか。ウェアラムを過ぎれば、ここハイムまでは半日もかからずにたどり着くだろう。

 

「くっ! なぜだ! こちらも相応の守備を敷いていたはずではないか!」

「ハッ……。報告によれば、少数の反乱軍の部隊によって、そのほとんどが無効化されたそうです。亜人などは寝返っているものもいるとか……」

「なんだとッ! これだから亜人など信用できんのだ!」

 

 ブランタは苛立たしげに拳を玉座の肘掛けに打ちつける。ガルガスタンの急進派だったバルバトス枢機卿に負けず劣らず、彼もまた苛烈な民族主義者であり、亜人は道具程度にしか思っていなかった。

 

「……少数となると、反乱軍の首魁、虐殺王が直接率いる精鋭部隊か……」

「ハッ、恐らくそうかと。デニム本人の姿は確認できておりませんが、ラヴィニスとかいう女騎士が見られたと報告されています」

「ふん。あの若造も色に惚けていると見える。だが、それならば多数で押し包めば勝てそうなものではないか。我が軍の現場指揮官はそこまで無能揃いなのか?」

「いえ、その…………」

 

 報告を続けていた兵士は、なぜか言葉を濁している。それは、ただでさえ苛ついているブランタに対して、火に油を注ぐ愚かな行為だった。

 

「何をためらっておる! 最後まで話さぬか!」

「ハ、ハッ! その、私も信じがたいのですが、伝令兵からおかしな報告がありまして……」

「ええい、前置きはよい!」

「は、はい。その、前線から逃亡してきた兵によれば、戦場に『オウガ』が現れた、と」

「…………オウガ、だと?」

 

 意表をつく言葉に、ブランタの勢いがそがれる。

 

 オウガといえば、このゼテギネアに伝わる神話『オウガバトル伝説』の中に登場する、魔界の悪魔たちが使役したと言われる悪鬼のことだ。

 冥界と魔界の王デムンザの策略によって始まった、大地の覇権をめぐる人間とオウガの戦いは、何千年にも及んだ。人間は天界に住まう神を、オウガは魔界を支配する悪魔をそれぞれ味方につけたが、人間達はオウガ達の圧倒的な戦力の前になす術なく、滅亡の寸前まで追い詰められたという。

 そんな中、太陽神フィラーハが遣わした三人の騎士と十二人の賢者が現れ、大地と魔界をつなぐ『カオスゲート』の封印に成功した。悪魔との繋がりを絶たれたオウガは力を失い、激しい戦いの末に人類との争いに敗れた。そうして、人類は大地を取り戻したのだ。

 

 子供でも知っているおとぎ話だ。ブランタ自身、もちろんフィラーハ教の聖職者として詳しく知っている。オウガなど、この世に存在するはずがないという事も。

 

「……ふざけているのかね?」

「い、いえっ! そのような事は!」

「……ふん、まあよい。おおかた、その逃亡兵が錯乱していたのだろう」

「ハハッ!」

 

 気が削がれたブランタは、正面にいる兵士から、そばに控えている暗黒騎士へと目を滑らせる。そこに立っているのは、暗黒騎士バルバスと暗黒騎士マルティム。見るからに粗暴な巨漢と、狡猾な狐を思わせる男だ。ブランタは、ニヤニヤと笑うマルティムのにやけ顔が気に入らない。

 

「……どうやら暗黒騎士の貴公らは、よほどハイムの城がお気に召されたようですな。この大事なハイム城を守るために、反乱軍どもと一戦交えてきてはいかがか?」

「これはこれは猊下、厳しいお言葉ですな。オウガが出たとなれば、神も黙ってはおられぬでしょう。聖職者らしく、神に祈りを捧げてはいかがか? なんでしたら、私もご一緒いたしますよ。おお、神よ――」

「黙らぬかッ!」

 

 マルティムの芝居がかった痛烈な皮肉に、ブランタの堪忍袋の緒はプツリと切れる。

 

「貴公らがもっと早くに動いていれば、こうまで事態は悪化しなかったのだ!」

「クククッ…… 猊下、私も所詮は使われる身。首領閣下の命令でもなければ、勝手に動く事は許されぬのですよ。ただでさえ、ライムの一件で睨まれているのです。そのような事を言われても困りますね」

「貴公らの首領は全く動こうとせぬではないか! しまいには空中庭園で散策まで始める始末! 一体、貴公らは何を考えているのだ! 我が国と貴国との密約を何だと思っている!」

 

 マルティムはそれを聞いて、クツクツと笑い始める。隣に黙って立つバルバスと目を合わせて、ブランタへと視線を戻した。

 

「我らが暗黒騎士団の首領、ランスロット・タルタロス閣下の真の目的、それは――――」

 

--------------------

 

 くぅ〜疲れました。

 

 ここまで何度か戦闘があったが、その全てを峰打ちで済ませてきた。別に倒すだけなら簡単なんだが、殺さずに無力化となると微妙な手加減をしなければいけなくて難しい。肉体的な疲れはないが。

 最初はラヴィニスに「無茶をしないで」とか「危険だ」とかいちいち止められたんだけど、俺が生身で剣や矢を受け止めているのを見て、何も言わなくなった。

 兵士達も、最初の内は敵襲の知らせを聞いて緊張しながら戦闘準備してたのに、最後の方は「あ〜、また敵襲か」とか「タコうまかったな」とか言って、すっかり弛緩しきっている。

 

 ウェアラムの町を抜けて、谷を抜ければ、ついに目的地である王都ハイムだ。

 

 どうやら住民達はすでに多くが避難しているらしく、人の気配は少ない。残っている者達も、みんな家に閉じこもって窓を閉め切っている。一般人を巻き込みたくない俺達としては好都合だ。

 敵襲があるかと思ったが、敵はハイム城に集中しているらしい。それにしても、デカい城だ。日本に建てられた城と、どっちが大きいのだろうか。

 

「それで、ここから先はどう動くンでしょうか?」

「ええ……。これまでの事を考えると、敵は恐らくハイム城に全戦力を集中して籠城するつもりでしょう。暗黒騎士団を通じてローディス教国に援軍を要請すれば、即座に逆転できますから」

「……ならば、突破するしかあるまい」

 

 一番手っ取り早い方法を提案してみるが、ラヴィニスは良い顔をしない。やっぱり、ちょっと調子に乗って暴れすぎたかな。誰も殺してないはずだけど、地形はボコボコに変えちゃったしな……。

 

「いくら何でも、それではベル殿への負担が大きすぎます。ここは本隊の到着を待って、じっくりと攻略すべきでしょう。幸い、ここまでで交戦してきた敵勢力はほとんど無力化したので、本隊はほぼ無傷のはずです」

 

 ラヴィニスの案は一理あるのだが、それだと俺一人が暗黒騎士団と戦うのは難しいかもしれない。これまでの犠牲者に苦しんでいるデニムのためにも、これ以上の死者を出したくなかった。

 どう反論すべきか考えていると、ニバス氏が横から口を挟んできた。

 

「おやおや、悠長なことですねぇ。それでは、ブランタ枢機卿に逃げられるかもしれませンよ? 私達の目標はあくまで彼のはずです。彼が逃げ出したら、バクラム軍を瓦解させる事は難しいでしょう。かといって、城を包囲するには少数すぎますからねぇ」

「し、しかし……この人数で城攻めというのも……」

「貴方ももうわかっているのではないですか? ベルゼビュートさんは単騎でも城の一つや二つ、落とす事など容易いのですよ。そんな最高の戦力を出し惜しみして、いたずらに被害を増やすおつもりですか?」

「…………」

 

 ニバス氏の言葉に、今度はラヴィニスが黙りこんだ。思わぬ援軍をしてくれたニバス氏に感謝して目礼しつつ、最後の一押しをすべく口を開いた。

 

「……ラヴィニス。俺はな、この戦いで誰一人として犠牲者を出したくないのだ。それには俺自身も含まれる。なぜなら、俺が死ねば悲しむ者がいるからだ。俺はその者を絶対に悲しませたくはない。幸せになってほしいからな」

「……ベル殿……」

 

 デニムには幸せになってほしい。この戦いで勝ったからと言って、彼は幸せになどなれないのかもしれない。でも、少なくとも、悲しませるような事はしたくなかった。

 ラヴィニスは、またしても瞳を潤ませている。透明の雫が一筋、彼女の大きな瞳からこぼれた。あれぇ、この子なんでまた泣いてるの。

 俺は、そっと彼女の目元を拭ってやる。

 

「泣くな、ラヴィニス。お前に泣き顔は、似合わない」

「……はい」

 

 お願いだから、泣き止んでください! 何でもしますから!

 涙を流しながらも笑顔を作ろうとするラヴィニスを前に、俺はオロオロとするしかなかった。

 




「勘違い」タグを増やしました(遅い)
そしてタイトル回収です。やりましたね。


【オウガバトル伝説】
文中で説明されている通り、この世界ゼテギネアに伝わる伝説。
ちなみに原作であるタクティクスオウガも、後世で発掘された古代叙情詩『オウガバトルサーガ』の一部という設定。
もし現実世界でこんな物語が見つかったら、「こんな古代からブラコンヤンデレの概念が!」とか大騒ぎになりそう。
松野さんは天才だって、はっきりわかんだね。

【暗黒騎士マルティム】
暗黒騎士団のコマンドの一人。「羊の皮を被った狼」と評される剣士。
勝つためには手段を選ばず、「手を汚さずに」をモットーに生きているらしい。
オールバックでニヤケ顔のアンちゃん。軽薄そうに見えるけど、かなりの実力者。

【暗黒騎士バルバス】
暗黒騎士団のコマンドの一人。七人のコマンド中でもっとも残忍で、血を好む巨漢。
上官を殴り殺して処刑されるところを、タルタロスに助命されたらしい。
オールバックで白目のシャクレアゴ。脳筋と見せかけて、知的な作業もこなせる。


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013 - Rebellion

 バクラムに仕える騎士ラティマー・グランディエは、一抹の不安を抱いていた。

 

 前線から伝令兵が命懸けで運んできたメッセージ、その内容が問題だった。『オウガ』という言葉が含まれるそれは、普段の彼ならば何かの間違いではないかと疑っただろう。

 だが、今この状況においては、決して無視できないものだった。前線から命からがら逃げてきたという兵士。その名前は彼のよく知るもので、彼から見ても好ましいと思える勇敢な戦士だったのだから。

 

「……流れが悪いな」

 

 それがグランディエの抱いた感想だった。

 

 彼は有能な指揮官として、数々の戦場を潜り抜けてきた。主に野盗や海賊が相手だったが、だからこそ非正規戦の経験を多く積み、戦場の空気というものを強く感じるようになっていたのだ。

 この内戦中はハイム城の第一護衛隊の任を請けたため前線に出る事はなかったが、ウェアラムの町が突破された今、ここハイム城が次の戦場となるのは間違いない。

 

 彼は、ドルガルア王の元で騎士を務めた名門貴族グランディエ家の嫡男であり、家名の誇りにかけてヴァレリア王国に忠誠を誓う身だ。

 幼い頃から騎士見習いとしてハイム城に出入りし、城仕えの人々と触れてきた彼は、自然と皆が理想とするような高潔な騎士を目指し体現してきた。今では彼を慕う部下や民衆は数多い。

 反乱軍の唱える『ヴァレリアの真の平和』という題目は、そんな彼にとっても理想とする思想であった。かつての主君であるドルガルア王も、『民族融和』政策を打ち出して名君と讃えられていたのだから。軍内部に根付く差別意識を苦々しく思った事は何度もある。

 

 真の平和とはなんと甘美な響きだろうか。

 だがしかし、彼は騎士なのだ。

 騎士として主君に背くなど、決してあり得ない行為だった。

 

 彼が自分の中の忠義心を確かめたその時、甲高い鐘の音が城内に鳴り響く。それは、敵襲を知らせるものに間違いなかった。ついに、反乱軍がやってきたのだ。

 不安を押し隠しながら、自分の担当する中庭へと向かうグランディエ。急ぎ歩きながら、頭の中で彼の信仰する太陽神フィラーハへと祈りを捧げる。

 

 大いなる父フィラーハよ、我に武運を与え給え。

 神話のごとく、我らを悪しきオウガより救い給え。

 

 彼の祈りは、届かない。

 

--------------------

 

 ラヴィニスから何とか許可をもらい、単独で城へと突撃する事になった。常識的に考えてみれば自殺行為だろうが、俺にしてみれば一番手っ取り早い方法だ。守る相手もいないので、背中を気にする必要もない。

 とはいえ、彼女はまず投降を呼びかけるべきだと主張した。相手が投降してくれれば、無駄な戦いも犠牲もでない。無血開城こそ真の理想と言える、と。反対する理由もないので、俺も同意した。

 

「バクラム軍の諸君に告げる! 投降せよ! 我々は無駄な戦いを望まない! 我々が倒すのは、バクラム人という民族にあらず! 権力を我が物とし、諸君らを戦場の道具へと追いやる権力者こそ、我々の真の敵なのだ! 我々は人種の壁を超え、共に手を取り合い、真の平和を目指そうではないか!」

 

 ラヴィニスの必死の呼びかけだったが、バクラム軍からの反応は悪い。理想は叶わないからこそ理想と呼ばれるのだ。城門を守る兵士達は、誰も彼もが決死の覚悟とも言える表情をしている。

 返答は、立派な全身鎧を身につけた騎士から返された。ツノ付きの兜が妙にカッコいい。ニバス氏に聞いたところ、テラーナイトという職業の特徴らしい。

 

「断る! 奸賊の甘言には乗らん! バクラム騎士としての誇りにかけて、貴様らにハイムの地は一歩たりとも踏ません!」

 

 やっぱりダメみたいですね。バクラム騎士団の忠誠心が高いのは、旧ヴァレリア王国の貴族階級や名家の出身が多い故らしい。名乗りを上げたラウアール氏の口上を聞けば、最後まで闘いぬこうとする覚悟がありありと見て取れた。見事だと思う。

 

「くっ…… やはり無駄か……」

 

 ラヴィニスは悔しそうに唇を噛んでいる。

 俺は彼女の肩にポンと手を置いて、後ろに下がらせる。彼女は一瞬だけ悲しそうな顔をしたが、すぐに凛々しい表情になり黙って頭を下げる。

 

 俺は一人、城門に向かって歩き出した。

 

「……? まさか、たった一人で向かってこようと言うのか! 我々も舐められたものだ!」

 

 騎士は憤慨しているようだ。彼らの忠義に敬意を払って、かっこよく名乗りたいところなのだが、俺はあくまでも影に……影に…… あれぇ? めっちゃ表に出てるじゃないか。ま、まあ、名前は隠しておいた方が良いよな。偽名だけど。

 

「故あって名乗りはできん! しかし貴公らを見くびるものではない事、我が力にて証明してみせよう!」

「……面白いッ! 名も無き戦士よ、天界で後悔するなよッ! バクラム騎士団第一防衛隊副隊長、騎士ラウアール! 推して参る!」

 

 そして、戦いが始まった。

 

--------------------

 

「報告いたします! ラウアール卿が敗れ、城門を突破されました!!」

「――おのれ、デニムめ!」

 

 バクラムのトップ、平民から一国の摂政まで上り詰めた男、ブランタの命運はもはや風前の灯火だった。しかし、彼には秘策があったのだ。この状況を全てひっくり返す事のできる、完全無欠の秘策だった。

 だがそのためには、暗黒騎士団と話を付ける必要がある。ブランタは横に立つカイゼル髭の暗黒騎士ヴォラックと黒人の暗黒騎士アンドラスをギロリと睨みつけた。

 

「ローディスの騎士よ、どうするつもりなのだね?」

 

 ブランタは、暗黒騎士団が動かない事への苛立ちを彼らへとぶつけようとする。そもそも、彼らが最初から動いていれば、こんな事にはならなかったのだ。

 

「猊下、お怒りをお鎮めください」

 

 しかしそこへ、元凶とも言える男がやってきた。暗黒騎士団の首領、ランスロット・タルタロスだ。付き従うように、暗黒騎士団のナンバー2であるバールゼフォン、そして先ほど会話を交わしたバルバスとマルティムも現れる。

 

「おお……これは久しぶりですな、タルタロス卿。ようやくその重い腰をあげる気になりましたかな?」

「苦戦されているご様子ですな、猊下」

 

 ブランタは、まるで他人事のようにいうタルタロスに怒りが抑えきれない。先ほど、暗黒騎士の二人からタルタロスの本当の目的を聞いていたため、なおさらだった。もし先ほどの話が本当であれば、タルタロスの次のセリフも予想がついていた。

 

「――猊下に別れの挨拶を述べにまいりました」

 

 やはりか。

 ブランタは予想通りの展開に、苦虫を噛み潰したような表情を作る。

 

「やはり、貴公らは我々を見捨てるのだな……! 孤立したデニムを確保しようとしたのも、我々を見捨てて奴らの陣営に乗り換えようとしたのだろう……! バーニシアで王女をみすみす奴らに渡したのも、全てはそのためか! 貴公らは与する陣営などどこでも良かったのであろう!」

「言葉には気をつけていただきたいものですな! デニムの確保はあくまで善意に基づいて提案したまで。それを断ったのは猊下ご自身だったはず! 王女の件にしてもそうです。猊下が担がれているエルテナハ家の傀儡を廃し、速やかに君主の座をゆずっておきさえすれば、民衆の不満を抑えることもできたはず! 全ては猊下ご自身の責任というものだ!」

 

 その言葉はブランタにとって我慢のならないものだった。デニムの姉として育てられた王女ベルサリア、あの女は最初から君主の座に座る気など毛頭なかったのだ。あの女にそのような態度を取らせたのは、目の前の男による懐柔の仕方が悪かったからに違いない。

 ブランタとしても、亡き王妃の親族などよりも、王の血統を持つ王女を傀儡とした方が都合が良いに決まっている。だがそれは不可能だったのだ。

 

「そ、それが貴公の言い分か!」

 

 激昂したブランタは玉座から立ち上がる。

 

「わからぬのか!! 猊下、貴方は敗北したのですよ……」

 

 タルタロスは怒鳴り返し、そしてついにはブランタに対して背を向けた。この瞬間、暗黒騎士団はブランタを完全に見捨てたのだ。

 だが、ブランタにとって、ここまでの流れは全て見えていた事だった。暗黒騎士の二人から真の目的を聞いた時から、タルタロスに、いや、その背後にいるローディス教国にバクラム陣営を救う気が毛頭無い事など先刻承知だったのである。

 だからこそ、マルティムらの提案を聞き、その手を取ったのだから。

 

「はっはっは。このワシが敗れただと? 愚かな! それは貴公の方だ!」

 

 タルタロスの背後に立っていたバルバス、マルティム、そして、ブランタの横に控えていたアンドラスが素早く動く。彼らはそれぞれ剣を抜き、上司であるはずのタルタロス、バールゼフォン、ヴォラックの喉元へとつきつけた。

 暗黒騎士団内のクーデターである。

 

「バルバス! 血迷ったか!」

「あんたの時代は終わったんだ!!」

 

 取り押さえられたタルタロスが吼え、巨漢のバルバスがそれに応える。

 バルバスにとってタルタロスは命の恩人だ。しかし、暗黒騎士団での己の扱いに我慢ならなかったのである。もともと血の気の多い彼にとって、前線で暴れる機会の少ない暗黒騎士団は適職とは言えなかった。

 

「連れていけ!」

 

 ブランタの号令によって、暗黒騎士団のナンバー1とナンバー2、そしてその忠実な腹心が運びだされていく。もはやタルタロス達は抵抗する素振りは見せなかった。

 これであのいけ好かない隻眼とも会わずにすむ。ブランタはニヤケ顔を抑えきれなかったが、これによって状況が改善したわけではない。むしろ、暗黒騎士団という戦力を見れば減少しているとも言える。

 

 あとは秘策……莫大な金貨と貴族の地位によってデニムを懐柔すればよい。腹立たしくはあるが、王の座をくれてやってもよいだろう。奴とてバクラム人の端くれ、バクラム人を悪いようにはすまい。

 

 そうして奴に仮初の君主の座を与えつつ、ブランタはローディス教皇と密かに渡りをつける事を考えていた。教皇直属の暗黒騎士団であれば、それも容易い。あの二人も協力を約束したのだ。

 ローディス教国による教化に協力し、ヴァレリアを教国の支配下とする。そうしてブランタは、ヴァレリアにおける監督官の地位を手に入れる。教国内でも存在感を示す事ができるだろう。

 そして、ゆくゆくは――――。

 

 ブランタの脳内には、バラ色の未来が映しだされていた。

 

--------------------

 

「グランディエ様!」

 

 若い伝令兵が中庭を駆けてくる。その顔は緊迫したものだった。

 そうか、ラウアールが逝ったか。

 

「ラウアールが敗れたのだろう。それで、相手の戦力はどのようなものだった?」

「は、はい。それが……黒いローブを身につけた、男か女かもわからぬ相手、一人だけだったのです」

「……なに? 一人……だと?」

「間違いありません。奴は単独で、城門を守る護衛隊をものの数分で無力化してしまったのです。それも、誰一人傷つける事もなく、気絶だけさせたようで……。ラウアール様も、奴の手によって捕縛されました」

「馬鹿な……」

 

 あり得ないと叫びたかった。しかし、私の本能が彼の報告に間違いない事を訴えかけている。この戦いが始まる前に届いた『オウガが現れた』という知らせ。二つの点が一本の線でつながった。

 

「オウガ、か……」

「はい、まさしく……。手を振るうだけで石畳がめくり上がり、足を動かせばその姿は誰にも捉えられず、まさしく悪鬼と呼ばれるにふさわしい戦いぶりだったかと……」

 

 どうやら我々は、伝説の戦いを再現するハメになってしまったらしい。

 

 オウガと対峙するなど悪夢のようだ。フィラーハ教の信徒としては神にすがりたくなる。だが、神話の人類は神の力を借りながらも、最後まで諦めることなく戦い抜いたのだ。私も簡単に諦めるわけにはいかない。

 オウガバトルで人間と共に戦ったと言われる、神の三騎士。私はその中でも、竜牙のフォーゲルと呼ばれる存在が好きだった。力を求めて暗黒道まで極め、自分の力を誇示するためにドラゴンと戦った結果、呪いによって竜人と化し、最後には罪を悔いて神の戦士となった世界最強の騎士。

 高潔な騎士に憧れながらも、どこかで強さというものに惹かれていた。優しく誠実で、どこまでも人間臭い彼の精神には好感を覚えた。なにより『世界最強の騎士』という称号に、憧れを抱いたのだ。

 

「グ、グランディエ様ッ! 来ました! 奴です!」

 

 その言葉で我に返る。三重の堀と迷路のように入り組んだ城壁に囲まれたこの中庭は、猊下がいらっしゃる大広間への最短ルートだ。ここを通せば、バクラムに未来はない。

 中庭へとつながる入り口から現れたのは、報告通り黒いローブを被った人物だった。フードで顔を確認することもできない。もしかしたら、あの布一枚を隔てた向こうには、醜い悪鬼の顔が隠されているのかもしれない。

 

「現れたか、オウガよ! これ以上、貴様の勝手にはさせん!」

 

 私の呼びかけに反応したオウガは足を止めて、フードの下からこちらを覗き見てくる。瞬間、私は足元が崩れるような錯覚を覚えた。奴の燃えるような赤い目で見据えられただけで、自分の身体が業火に包まれたかのように感じたのだ。

 

「……問おう。貴公ら、投降の意思はあるか?」

 

 奴の蠱惑的な低い声は、さほど大きいものでもないのに、静寂に支配された中庭に染み渡る。私は思わず頷きそうになったが、意志の力でそれを何とかねじ伏せる。

 

「笑止! 我々は誇りあるバクラム騎士団! 敵を前にして収める剣など、元より持ちあわせておらぬ! 国のため、猊下のために、ただ戦い抜くのみ!」

「……その覚悟、見事だ」

 

 オウガは、いつの間にか手にしていた碧色の見事な大槍を構える。我々も剣を抜き、弓をつがえ、戦いに備えた。一本の弦のように張り詰めた空気が、中庭を満たしている。

 

「バクラム騎士団第一防衛隊隊長、騎士グランディエ! 参る!」

「故あって名乗る名は持たず! 忠義の騎士達よ、お相手仕る!」

 




暗黒騎士団内部の反逆と、敵視点でのベルゼビュートさん(こわい)でした。
原作のタルタロスvsブランタは、バクラム陣営のドロドロした力関係が一気に噴出する好きなシーンです。


【騎士グランディエ】
バクラム軍の騎士。忠義心によって投降を拒否するのは原作通り。
戦場経験豊富とか、フィラーハ教信徒とか、フォーゲルが好きとか
結構オリジナル設定を生やしております。ま、多少はね?

【テラーナイト】
無数の亡霊や悪霊を引き連れた恐怖の騎士、という前衛職。
周囲の人間を恐怖させ、力を落とすスキルを持つ。つよい(確信)
SFC版だと常時発動だったが、PSP版だと状態異常を与えるスキルになっている。

【暗黒騎士バールゼフォン】
暗黒騎士団のコマンドの一人。ローディス教国きっての武門ラームズ家の次期当主。
タルタロスの信頼厚いナンバー2であり、二人で黒い共謀をしてる画がしょっちゅう。
もみあげと髭が合体しており、なかなかインパクトのある顔。

【暗黒騎士ヴォラック】
暗黒騎士団のコマンドの一人。忠誠心が高く、与えられた命令を確実にこなす職業軍人。
タルタロスもバールゼフォンに次ぐ腹心として信頼しているらしい。
見事なカイゼル髭で老け顔のおっちゃん(35)。作中ではコミカル要員として扱われている。

【暗黒騎士アンドラス】
暗黒騎士団のコマンドの一人。かつてはニルダム王国という国の王子様だった。
ニルダム王国はローディス教国によって攻めこまれ、支配を受け入れた植民地。
黒人で上半身が裸という、今の時代ではちょっと際どい見た目をしている。


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014 - Duel of Honor

 連続した金属音が、広大なハイム城の中庭に響き渡る。

 それはまさしく古の神話、人間とオウガの死闘、その再現であった。

 

 一人は、黒いローブを羽織った長身の男性。その表情を窺い知ることはできないが、緑碧の大槍を己が手足のように操り、見事な武技を振るっている。見るものの心胆を寒からしめる威圧感は、神話における悪鬼、オウガの存在を思わせた。

 一人は、白銀のフルプレートメイルを身にまとった騎士。身体を覆い隠すような盾によって、オウガの恐るべき武技をことごとくいなし続けている。決死の覚悟をもって、悪鬼に真っ向から立ち向かう勇壮なその姿は、叙情詩で描かれる人間の英雄を思わせた。

 

 すでに他の兵士達は力尽き、地に伏している。戦いは一騎打ちの様相を呈していた。

 オウガの猛攻が途切れた瞬間、騎士が盾を構えて叫ぶ。

 

「ファランクスッ!」

 

 それを聞いたオウガは、軽い舌打ちをする。先ほどから何度も同じ展開が繰り返されていた。

 騎士の使う奥義『ファランクス』は、防御に集中する代わりに受ける力のほとんどをいなす事ができる守りの技だ。全てを護ろうとする彼にとって、もっとも得意とする技だった。

 

「……見事なものだ」

「ふっ、とうとう諦めたか、オウガよ。私はまだ倒れてはおらんぞ」

 

 だが言葉とは裏腹に、騎士の限界は近い。吐く息は荒く、すでに全身を包む鎧は傷だらけであり、大きな傷がないとはいえ体力の減りは誤魔化せそうにない。しかし彼は、見事な精神力と忠義心によってそこに立ち続けていた。

 

「……なぜ、そこまで戦う? 貴公のような高潔な人間が、ブランタのような人間に忠誠を誓うことはあるまい。貴公とて、ブランタが王家に対して裏切りを働いていた事、とうに知り得ているのだろう」

 

 ブランタの裏切り、それはドルガルア王の遺児である王女ベルサリアの存在を知りながらも、己が権力のために隠し通していた事だ。ブランタの権威を落とすため、王女の真実は解放軍によって広く知らしめられていた。王都ハイムの住民が解放軍に対して反抗を見せないのは、この理由によるところが大きい。ブランタは民衆の支持を失いつつあるのだ。

 

「ふっ…… 哀れだな、オウガよ。主君を持たぬ男よ。貴様は本当の忠義というものを知らぬのだ。私はこの剣にかけて、猊下に騎士の忠誠を誓った身。例え猊下が魔界に堕ちようとも、共に魔界まで堕ちるのが騎士のあり方なのだッ!」

「……無粋であったな。すまなかった」

 

 オウガは槍を振るいながらも、騎士に対して目礼する。騎士はそれを受け流しながら応える。騎士はすでに、目の前の男が単なる悪鬼でない事に気づいていた。むしろその在り方は、彼が密かに好むフォーゲルの姿に重なりすらした。

 

「貴様こそ、何故反乱軍に与するッ! 真の平和を謳いながら、その裏で同胞を手に掛ける事も厭わない男の下につくのだッ!?」

「……デニムは、俺の友だ。それ以上の理由などない」

「友のためなら、単騎で城攻めをするというのかッ! 貴様を犠牲にし、奴は骸の上に旗を打ち立てるに決まっているではないかッ!」

「……構わん。俺はこの戦争を終わらせ、デニムを重圧から解放したい。ただその為に槍を振るうのだ。俺の命の一つや二つでデニムが救われるのであれば、喜んで身を差し出そう」

「………… ムッ!? いかん!」

 

 オウガの言葉を聞いて微かに動揺した騎士の手元が狂い、受け流しに失敗する。オウガの剛力によって振るわれた槍が鎧の腹部に直撃し、大きな衝撃とともに騎士の身体は宙へと放り出された。

 

 そのまま地面に激突するかと思われたが、次の瞬間、他ならぬオウガの手によって騎士の身体は静止する。いつの間にか、オウガは騎士の元へと接近していた。オウガの身体は紫色の奇妙な光に包まれている。

 だが、騎士はもはや、指一本たりとて動かせそうになかった。盾は遠く離れた地面に落ちており、剣が奴の身体に傷をつける事ができないのは理解していた。

 

「…………なぜ……助ける……」

「貴公の忠義と精神に敬意を。それに俺は、最初から殺すつもりなど毛頭ない」

「…………ふ……最初から……手加減されて…………」

「誓って言うが、貴公は強敵だった。剣を交えた事、誇りに思う」

「……そう……か…………私……は……」

 

 最後まで口にする事なく、騎士の手が力無く落ちる。オウガは騎士の息の存在を確かめると、騎士の身体を地面に優しく横たえて、立ち上がった。

 

「さて……思わぬ時間を食ってしまったが……」

 

 そしてオウガは歩き出す。向かう先は、ハイム城の中心である大広間。

 摂政ブランタと、暗黒騎士団との決着の刻が迫りつつあった。

 

--------------------

 

「ラヴィニスさん!」

「……デニム……」

 

 僕の率いる本隊は、ついにハイム城の前へとたどり着いた。そこで僕を待っていたのは、ラヴィニスさんの率いる別働隊だ。ラヴィニスさんの姿を見つけて話しかけると、彼女は浮かない表情で僕を見る。

 その表情は気になったが、思ったよりもラヴィニスさん達に被害は出ていなさそうだ。ホッとしつつも、その分だけ負担が集中したであろう彼の姿を目で探す。しかし、黒いローブは小柄なニバスさんのものだけで、目立つはずの長身は見当たらない。

 

「ベルさんは、大丈夫なんですか?」

「…………彼を止める事が、私にはできなかった」

「な、なんですって!?」

 

 驚愕しながら経緯を問いただす。なんと彼は、単騎での城攻めを提案してきたらしい。どうしてそんな無茶な案を了承したのだ、とカッとなったが、彼なら言いそうな事だというのも理解できた。

 ラヴィニスさんは、どこか上の空になりながらも僕に謝ってくる。だが、そもそもベルさんを別働隊に配置する事を決めたのは僕の采配だ。僕の近くに置けない彼が、自由裁量で動けるように考えた苦肉の策だったのだから。

 

「と、とにかく、城内へと急ぎましょう。いくらベルさんが強いとはいえ、暗黒騎士団を相手に無傷でいられるとは思いません。それに、ブランタを確保しなくては」

「……そう、ね……」

 

 しかし、ラヴィニスさんは何かを考えこんだまま動こうとしない。

 

「……ラヴィニスさん?」

「……いえ、ごめんなさい。少し、彼の事を考えていたの。ここに来るまでに、彼はほとんど一人で戦ってきたわ。それも、命を削るような大魔法まで使って、皆を護りながら……」

「え……?」

「彼は、自分を犠牲にはしないと言ってくれた。でもそれは、私を安心させるための優しい嘘ではないか……。彼は、誰かを護るためなら、自分を犠牲にできる……」

「…………」

 

 それは僕にとって、衝撃的な言葉だった。

 

 ベルさんがこうまで無茶を続けるのは、誰かを護るため?

 彼は自分の身を犠牲にしてまで、誰かを護ろうとしている?

 だとしたら、その誰かとは――――。

 

 ――――デニム、俺がお前を助けよう。

 

「ベルさんッ!」

 

 僕は衝動的に城門へと一人で駆けようとする。しかし、それを遮るように険しい顔をしたカノープスさんが進路を塞ぐ。

 

「カノープスさん! どいてくださいッ!」

「いいや、ダメだ。今のお前が行っても、アイツの足手まといになるだけだぞ」

「でも……でもッ! ベルさんは、僕のためにッ! 僕なんかのためにッ!!」

「落ち着け、デニムッ!」

 

 頬に衝撃を感じ、一歩、二歩とよろめく。次第に頬が熱をもってくる。

 

「アイツが一番護りたいお前が、無防備に前に出てどうする。それに、お前はもうこの解放軍の支柱なんだ。自分を卑下するような言葉を吐くな」

「…………」

「ふん……。自己犠牲が好きな奴ってのは、やっぱり好きにはなれねぇな……。それに、こんなのは俺の柄じゃねぇ。舎弟にでもやらせとけばいいんだ……くそっ」

 

 カノープスさんは悪態をつきながら、僕に背を向けた。

 僕は頬を押さえながら俯き、その場に立ち尽くすしかなかった。

 

--------------------

 

「これは、俺たちがもらっていくぜ」

 

 そう言った暗黒騎士マルティムの手には、光り輝く一本の剣が握られている。見る者全てを惹きつけるその刀身は、まるで生命の息吹をそのまま形にしたかのような神聖さを感じる。

 

「この裏切り者め……!」

 

 マルティムをそう罵るのは、後ろ手を縛られたバールゼフォン。暗黒騎士団において、ナンバー2の地位にいた男だった。白く立派な髭ともみあげを蓄えた顔を、醜く歪めている。

 そんなバールゼフォンに対し、マルティムは蹴りを一発お見舞いする。みぞおちに命中し、バールゼフォンは呻きながらもマルティムを睨む事はやめない。

 

「ローディスを裏切ってるのは、あんたたちだろ?」

「なんだと!」

 

 これに怒声をあげたのは、やはり同様に拘束されているヴォラック。忠誠心が厚く、見事なカイゼル髭を生やした男性である。裏切りという言葉が嫌いな彼は、マルティムの言葉に憤る。

 

「王女なんざいなくても、封印を解けるんじゃないのかい? このブリュンヒルドさえあればな!」

 

 マルティムはそう言って手に持った剣『神聖剣ブリュンヒルド』を掲げる。

 それを黙って見つめる隻眼の男、暗黒騎士団の総長ランスロット・タルタロス。

 

 『羊の皮を被った狐』と評されるマルティムにとって、この暗黒騎士団は居心地が良い場所だった。教皇直属のこの部隊は汚い裏仕事や暗殺などの不正規任務が多く、彼は持ち前の実力と狡猾さでそれらをことごとく成功におさめてきたのだ。

 だが一方、不満がないわけではない。それは、自分の上にいる男の存在。タルタロスは常に冷静沈着、用意周到であり、その力はマルティムも認めるところである。しかし、彼にとってタルタロスのやり方は生温く感じられて仕方なかったのだ。

 今回の内戦干渉に関してもそうだ。わざわざ王女の威光を借りずとも、バクラムとローディスの力があれば武力で民衆を統治する事は容易だっただろう。ヴァレリアを教国の支配下とし、それから、じっくりと『裏の任務』を果たせばよかったのだ。

 

 裏の任務――――つまり、ドルガルア王の遺産、その奪取である。

 

 覇王とまで呼ばれたドルガルア王は、愛する妻子を亡くして失意に溺れ、力を求めた。妻と子を死の世界から救うために知識を集め続け、ついに一つの結論へと達する。

 

 それは、魔界の力。古の悪魔達、その力を利用する事であった。

 

 ドルガルア王は、地上と魔界とをつなぐ扉『カオスゲート』を発掘し、そこから魔界へと旅立っていったのだ。ローディス教国は、その事実をとある経路より聞きつけ、調査のために暗黒騎士団ロスローリアンを派遣した。全ては魔界の力を手に入れるためだ。

 もし魔界の力を手にすれば、地上の覇権を得る事など容易いだろう。ドルガルア王はその後死去したとされているが、彼が遺した『遺産』は空中庭園の地下へと封印されているという。そして、その封印の鍵は、王の血族――すなわち、カチュアだった。

 暗黒騎士のコマンド達に命じられていたのは、王女ベルサリアであるカチュアの捜索、そして彼女へとつながる母親マナフロアと、養父であるプランシーの捜索だったのである。

 

「この神聖剣の力を使えば、どんな封印でも解けるんだろう? なのに、とっくの昔に死んだ女や、わがままな王女様を俺たちに捜させていたんだよ」

「本当なのですか、総長?」

 

 裏の事情を詳しく知らないヴォラックは、不安そうにタルタロスへと尋ねる。しかし、タルタロスは口を結んだまま何も喋らない。その隻眼の目は、まっすぐとマルティムへと向けられていた。

 マルティムはそんなタルタロスの視線に苛立ち、声を荒げる。

 

「ドルガルアの遺産を独り占めしようったって、そうはいかねぇぞ!」

 

 だがタルタロスは何も答えない。気圧されたマルティムは、ペッと唾を吐いて部屋を後にする。このまま奴らをここに放置しておけば、あの『虐殺王』が喜んで片付けてくれるだろう。なにしろ、親の仇なんだからな。マルティムは嗤いながら、その愉快な結末を想像した。

 

 マルティムは気づかない。タルタロス達が、自力で拘束を解いて逃げ出そうとしている事に。

 マルティムはわからない。武力だけでの統治では、人心の掌握などできるはずもない事が。

 マルティムは信じない。魔界の力が、到底人の手に負える代物ではないという事を。

 

「クククッ……。最後に勝つのは、このオレなんだよ……!」

 

 マルティムは知らない。このハイム城に現れた、オウガの存在を――――。

 

--------------------

 

 え〜っと。迷った。

 

 え、ここどこなん? 中庭から先に進んだら、一本道じゃないのかよ!

 

 俺はハイム城の中を迷いながらうろついていた。似たような扉がたくさんあるし。ここかなと思って開けたら厨房で、コックさん達に「なんだこいつ」って目で見られたし。

 ちゃんと案内板ぐらい立てておけよ! 「順路」とか書いておいてくれないとわからんっつーの!

 

「……むう」

 

 まったく、中庭ではヒドい泥仕合をしてしまったし。あのファランクスって技、面倒くさすぎる。そりゃあ、手加減なしなら受け流しなんて無視して吹っ飛ばせるだろうけど、俺は『相手を殺さない・傷つけない』な縛りプレイの最中だったしなぁ。やはり、独学の武技じゃ限界があるわ。

 まあ、でもあれは、相手のグランディエさんを褒めるべきだろう。盾一つでアレだけ粘られてしまったのは、明らかに俺の負けと言ってもいい内容だった。縛りプレイが過熱しすぎて、パラダイムシフトまで封印してたのは置いておいて。

 

 ハイム城の赤い絨毯が敷かれた廊下を歩きながら、先ほどの戦いを思い返していると、廊下の向こうから誰かがやってくるのが見えた。向こうも俺に気づいたらしく、訝しげな表情だ。

 黄色い鎧を身につけた、オールバックの男だった。その手には、何やら不思議な印象を受ける『剣』が抜き身で握られている。うわぁ……。キラキラ光ってて、えーと、カッコいいですね……?

 

 あと数歩ですれ違う、というタイミングでお互い同時に立ち止まり、向こうが声をかけてくる。

 

「……おいおい、誰だお前は。只者じゃねーな?」

「…………答える義理はない」

「あ? なんだと?」

 

 オールバックの男は、こめかみに血管を浮かび上がらせて片手に持った光る剣を構える。狐みたいな顔をしている癖にキレやすい奴だな。

 

「……貴公は、見たところバクラムの騎士ではないな?」

「ふん。俺を知らないって事は、お前こそバクラムのもんじゃなさそうだな」

「…………暗黒騎士団ロスローリアンか」

「ハッ! なんだ、知ってるじゃねーか。それで、お前は…………マジで誰だよ」

「故あって名乗る事はできん。だが、こう答えよう。俺は、ウォルスタ解放軍のリーダー、デニムの友人であり、名も無きオウガ。貴公ら暗黒騎士団の敵となるものだ」

 

 なんだか、ここに来てからオウガオウガって呼ばれまくってたから、自分で名乗る事にしてみた。これなら名前はバレないだろ。ドヤァ。

 暗黒騎士の男は、俺の名乗りを聞いて獰猛な笑いを浮かべる。

 

「オウガ……オウガ、ねぇ。オウガってのは、おとぎ話で人に退治された鬼ヤローだろ。鬼が人に味方するってのかよ。おもしれーな、オイ」

「人に、ではない。俺はデニムの味方だ」

「かはっ! じゃあ、そのデニムは鬼を使役する悪魔って事じゃねぇか。悪魔だから、味方殺しも喜んでやるんだろうなぁ! さすが虐殺王だぜ!」

 

 なんなのこいつ。

 

「…………取り消せ」

「くはは、怒ったのか? おいおい、勘弁してくれよ。オレはこれからやる事があるんだよ。鬼退治なんてやってるヒマはないんだぜ?」

 

 俺は黙って槍を構える。

 

「チッ。仕方ねぇな。ここは一つ、人間様の力ってもんを見せてやるか!」

「…………悪いな」

 

 ――――どうやら、手加減はできそうにない。

 




グランディエさんは騎士の中の騎士。きっとグラットンソードとか使える謙虚なナイト。
マルティムさんは個人的に好きなキャラですね。なのでオウガさんとの決闘をプレゼント(白目)


【ファランクス】
ナイトが使えるアクションスキル。
次のターンまで被ダメを90%軽減する。発動中はカウンターできない。
敵ナイトが使うと物凄くウザい。魔法も軽減するので効果切れを待つしかない。

【神聖剣ブリュンヒルド】
劇中で重要な意味を持つ神聖剣。
天界と下界を結ぶ『鍵』の役割を持っており、あらゆる封印を解く事ができるらしい。
武器としての性能も最強に近いが、SFC版ではラスボスにほとんど通用しないという罠がある。

【カオスゲート】
地上と魔界をつなぐゲート。神話の『オウガバトル伝説』では、神の使徒によって封印された。
このヴァレリアだけではなく、世界中の各地に点在している。


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015 - Confession

※シリアス警報!


 暗黒騎士マルティムには、持って生まれた天賦の剣才があった。

 

 幼い頃から、特に努力せずとも剣を振るうだけでライバル達を蹴り落とす事ができた。努力するしか能のない奴らは、マルティムに負けると決まって負け犬の目となり、それ以降は彼との戦いを避けるようになる。もはや同年代にマルティムの敵はなく、年上達ですら彼の前に膝を屈した。

 彼の持ち前のセンスは他の追随を許さず、それはローディスの騎士として剣を捧げた後も変わらなかった。マルティムは自分こそが最強の騎士だと自負し、ますます増長を続ける。

 

 しかし、そんな日々は、暗黒騎士団ロスローリアンへの配属によって終わる事になる。

 

 配属当日、他の騎士をすっかり舐めてかかっていたマルティムは、総長タルタロスに屈辱的な敗北を喫した。それも、タルタロスは終始手加減している様子を見せ、マルティムの長く伸びた鼻を徹底的にへし折ったのだ。

 それから彼は変わった。訓練を欠かさず、才能にあぐらをかくばかりだった剣技を磨きに磨いた。全てはタルタロスを見返すためだった。タルタロスへの劣等感が、マルティムを突き動かす原動力となったのだ。任務も精力的にこなし、マルティムは暗黒騎士としての地位を確固たるものとした。

 そして今日、ついにタルタロスを出し抜くことに成功した。せっかく磨いた剣技を使わずに、謀略によってタルタロスを陥れたのだ。マルティムは最後まで、自分がタルタロスを本能的に恐れている事に気づいていなかった。

 

「…………それで終わりか?」

 

 そしてまた、マルティムの前に新たな壁が現れる。それも巨大な、こちらを圧し潰すほど巨大な壁だった。マルティムの振るう剣は、ことごとくオウガの槍によっていなされ意味をなさない。

 

「な、何なんだよッ! 何なんだよ、おめぇは!!」

「……軽いものだ。俺の前に立ちはだかった騎士の足元にも及ばんな」

「オレの剣が……軽いだと……?」

 

 以前マルティムは、ゼノビアの白騎士と戦った事がある。髭を生やした筋骨隆々の男だった。

 奴はその類まれな力によって剣を振るい、マルティムを追い詰めた。マルティムの力では、到底太刀打ちできない相手であった。磨き上げた剣技も通用せず焦ったマルティムは、剣を棄てて命乞いをした。無様に土下座をし、白騎士の足元にすがりついた。

 正々堂々を誇りとする白騎士は剣を収め、降参したマルティムに背を向ける。そこでマルティムは、懐に忍ばせてあった『銃』によって、白騎士の背中を撃ち抜いたのだ。沈没船ラムゼン号より引き上げられた内の一丁だった。

 

 白騎士は死に、マルティムは生き残った。それが全てだ。

 しかしマルティムは、白騎士が吐き捨てるように発した言葉を忘れる事ができなかった。

 

 ――――軽い剣だな。まるでお前そのものだぜ。

 

「オレの……オレの剣は軽くなんかねェ!!」

 

 逆上したマルティムが叫びながらブリュンヒルドを振るうが、それこそオウガの思う壷だった。オウガは手にした槍をうねるように扱い、剣筋をあらぬ方向へと向け、巻き込むように槍を回転させる。

 すると、ブリュンヒルドはマルティムの手を離れて、回転しながら宙を飛んだ。神聖剣の放つ眩い光が、ミラーボールのように辺りを照らす。

 

 クルクルと回転したブリュンヒルドは、最後にオウガの手へと収まった。

 その様を、マルティムは呆然としながら見ているしかなかった。

 

「……これで決着か」

 

 オウガの言葉に、マルティムはビクリと身体を震わせて顔色を変える。このままでは命がない。そう直感したマルティムは、過去の自分に習う事にした。すなわち――

 

「…………す、す、すまなかったぁ! 許してくれぇ! オレが、オレが悪かったから! 命は、命だけは勘弁してくれェ! 何でもする! 何でもするから! 頼む! 見逃してくれッ!!」

 

 マルティムは地面へと這いつくばり、必死に命乞いを始める。命あっての物種というのが、マルティムの結論だった。彼にとって最後まで生き残った者こそが、本当の勝者だったからだ。

 オウガは、そんなマルティムを見下ろし、思案した顔になる。

 

「何でもする! 本当だ、信じてくれッ! なんなら、あんたをローディス教皇に紹介したって良い! あんたほどの腕なら、すぐに上に行けるはずだッ!」

「…………」

「じゃ、じゃあ! そうだッ! オレたち暗黒騎士団の、本当の目的だって話しても良い! このヴァレリアにわざわざやってきたのは――――」

 

 マルティムは頼まれてもいないのに、ペラペラと暗黒騎士団の『真の目的』を話し始める。ドルガルア王の遺産、カオスゲートの存在、カチュアを必要とした理由。

 

「へへへ……! どうだ、あんたが手にしてるブリュンヒルドを使えば、『ドルガルア王の遺産』だって手に入るはずさ……! なっ! オレは役に立っただろ! 頼む、見逃してくれッ!」

「…………」

 

 オウガは何も答えない。もうダメかと諦めかけたマルティムだったが、オウガは槍をくるりと回転させるとローブの中に収めて、マルティムに背を向ける。

 

「…………大広間は、こちらか?」

「あ、ああッ! そうだ! この廊下を行けば――――

 

 ――――お前の墓場だぜッ! 『フローヴェノム』!!」

 

 必殺技の名を叫びながら、マルティムは腰に差していた剣『ニフリートソード』を抜いて振るう。本来のマルティムの得物である汚れた水の力を封じたヒスイの剣は、切っ先から『猛毒の煙』を吐き出してオウガの無防備な背中へと襲いかかった。

 緑色に濁った煙は、あっという間にオウガの全身を包み込む。少しでも皮膚に触れれば、ドラゴンですら瞬時に気を失うほどの猛毒だ。マルティムは己の勝利を確信した。

 

「ヒャハッ! ヒャハハッ! 馬鹿め! 生き残れば勝ちなんだよぉッ!」

 

 ――――ゾクリ。

 

「…………そうか。ならばこの勝負、お前の負けだな」

 

 紅い眼光が二つ、煙の向こうからマルティムを睨みつけていた。

 

--------------------

 

 鈍い音を立てながら、ハイム城大広間の扉が開いていく。

 

「ブランタッ!! ここまでだッ!!」

 

 そこに立っていたのは、ゴリアテの若き英雄と呼ばれ、解放軍の指導者となったデニム・モウンその人であった。彼の背後には、まさに歴戦の戦士と呼ぶべきデニムの仲間達が控えている。

 

「チッ。マルティムは何をしている……!」

 

 玉座に腰掛けるブランタの前には、巨漢の暗黒騎士バルバスと、黒人の暗黒騎士アンドラスが立っている。バルバスは苛立ちを隠さずに、ここまでやってきたデニム達を睨みつけた。

 本来の予定では、タルタロス達からブリュンヒルドを手に入れたら、さっさとこのハイム城を後にする予定だったのだ。当然、ブランタとの約束など守る気は最初からなかった。ブランタは、どちらにせよ詰んでいたのだった。

 

「やはり、私も行くべきだったか……」

「フン。最期にタルタロスとサシで話したいと言ったのはヤツだ。まあいい、後からやってくるだろう」

 

 アンドラスは悔恨の表情を浮かべる。アンドラスはマルティムについていこうとしたのだが、マルティム自身が断ったために、この大広間に待機していた。

 

「き、貴様ら……何を暢気に話しておるのだッ!」

 

 ついに現れた解放軍を前にし、ブランタは怯えに怯えていた。とてもではないが話し合いなど通じそうもないほど殺気立ったデニム達に、当初考えていた『完全無欠の秘策』などどこかへと吹き飛んでしまう。

 

「確かに、あんたと教皇を会わせる約束はしたがな。それまで護ってやるなんて、一言も言った覚えはない。種をまいたのは、あんただ。自分の尻ぐらい自分で拭きな!」

「なッ!! 貴様ら、逃げる気かッ!!」

 

 バルバスは取り合わず、懐から転移石を取り出す。この瞬間移動の魔法が込められた貴重な魔石は、使い捨てではあるが使用者を安全な場所へと離脱させる。すでに解放軍に囲まれているハイム城からは、そう簡単に逃げ出す事などできないが、この転移石による移動だけは別だった。

 ブランタも転移石はもちろん所持している。しかし、それを使って一人でこの城から逃げたとして、それからどうすれば良いというのか。民衆から見放されつつあるブランタは、あっという間に通報されて捕縛されてしまうだろう。

 

「待てッ! バルバスッ!!」

 

 デニムが制止しようとするが、バルバス達は転移石を掲げて宙へと消えていく。

 大広間を静寂が覆いつくした。

 

--------------------

 

 僕達はついにハイム城内部へと侵攻し、ほとんど抵抗のないままブランタのいる大広間まで到達した。

 

 大きな抵抗のない理由はわかっている。すでに防衛隊のほとんどが無力化されていたからだ。ここに来るまでに、その原因であろうベルさんの姿を探したが、どこにも見当たらなかった。

 大広間に入っても彼の姿はない。一体どこへ消えてしまったのだろう。不安が頭をよぎりつつも、僕は解放軍のリーダーとしての役割に集中することにした。

 

 暗黒騎士のバルバスとアンドラスがその場にいたが、奴らは転移石を使って逃げ出した。

 僕にとって、暗黒騎士団とは不倶戴天の敵だ。平和に暮らしていた港町ゴリアテを襲い、父さんや姉さんを拉致し、僕から平穏と家族を奪い去った元凶なのだから。

 

 悔しさで頭が一杯になっていたところに、玉座に座るブランタがゆっくりと口を開いた。

 

「…………我が弟プランシーの息子、デニムよ。どうか怒りを抑え、剣を収めてくれ」

 

 この期に及んで何を言うのか。一瞬、大声で怒鳴りつけようと思ったが、ブランタの神妙な面持ちを見て少し冷静になる。

 

「すまなかった。もう抵抗するつもりはない。暗黒騎士団が去った今、このヴァレリアが一つにまとまるしかないだろう。デニムよ、お前が王となり、ヴァレリアを治めるのだ」

 

 ブランタの意外な言葉に、僕は開いた口が塞がらなくなった。この人は本当に、あのブランタなのか? 権力の亡者であり、バクラム・ヴァレリア国の独裁者まで上り詰めた男が、そう簡単に権力をあきらめられるものなのだろうか。

 

「……言い訳をさせてもらうのであれば、ワシは敢えてローディスの犬を演じていたのだ。ドルガルア王亡き後、このヴァレリアは大きく揺れ、あのままではローディス教国の干渉を排除する事が難しかった。あのとき戦っていたら、我々は皆、やつらに殺されていただろう」

「……ならば、何故、王女が生きていることを王に告げなかった? 何故、王子が亡くなられたときに、そのことを王に言わなかったんだ!! 貴様はおのれの私利私欲のために、王や父さん、そして姉さんまでをも利用したんだッ!!」

 

 そうだ、こいつが父さんや姉さんを利用したんだ。こいつのせいで、父さんと姉さんが死んだ。僕の中に、ドロリと昏い感情が湧いて出る。

 しかし、激昂した僕に対して、ブランタはあくまで落ち着き払った態度で返す。

 

「……だが。もし、ワシがそうしていたら、お前たち姉弟は離れ離れになったのだぞ?」

「えっ……?」

 

 ブランタの一言に、僕の心臓が大きく跳ねる。

 

「デニム、お前はプランシーの実子だが、カチュアはそうではない。ドルガルア王がカチュアの存在を知れば、必ず手元に呼び寄せたはずだ。そうなればお主らは、もはや姉弟ではいられなかったであろう」

「だ、だがッ! 姉さんだって、本当の父親の元で幸せに暮らすべきだったんだ!」

「本当にそう思っておるのか、デニムよ。本当にそれがカチュアの幸せだとでも? カチュアがお前をどれだけ愛していたのか、知らぬわけではあるまいッ!」

「…………」

「お前は今や一大勢力の指導者の身。それがどれだけの重責か、お前自身が一番理解しておるはずだ。お前は、そのような重責をカチュアに負わせるつもりだったのか? カチュアに全てを負わせ、自分はのうのうと生きるつもりだったのかッ!」

 

 言葉が出なかった。

 

 僕は姉さんの事を、家族として愛していたつもりだった。姉さんが亡き王の娘だとしった後も、僕の姉さんである事に変わりはないと思った。

 だけど、僕は本当に姉さんを心から愛していたのだろうか。どこかで、姉さんの事が理解できないと突き放していなかったか。姉さんからの愛情を、重く感じてはいなかっただろうか。

 

「……ワシはな、デニム。お主ら姉弟を引き離す事は、どうしても出来なかった。プランシーとも相談し、カチュアはカチュアのまま生きさせてやる事に決めたのだ――――暗黒騎士たちが、ゴリアテを襲うまではな」

「ッ!」

「奴らは、ワシの言う事などちっとも聞かなかった。しまいには、どこで聞きつけたのか王女の事を知り、プランシーがその行方を握る事を嗅ぎつけてゴリアテを襲撃したのだ」

 

 ブランタの告白を聞き、心が揺れている。

 この老人の言っている事は、どれもが僕の急所を狙いすましたように撃ち抜いてくる。もし、奴の言い分がすべて正しいのであれば、ブランタは国をまとめるため、あえてローディスに尻尾を振る道化を演じた事になる。

 もしそうなら、多くの死者が出たこの内戦は、道化の演目という事になってしまうではないか。

 

「どうして……どうして、それならもっと早く……」

「仕方なかったのだ……。暗黒騎士たちの目を欺くには、手を抜く事などできん……」

 

 ブランタの苦渋に満ちた言葉が、耳から離れなかった。仲間達も皆、割り切れない表情を浮かべている。特にカノープスさんは、誰か別の人を重ねるような目でブランタを見ていた。

 

 その時。

 

「……む? 遅かったか」

 

 一度聞けば忘れられない低い声が、僕の鼓膜を揺らした。

 




マルティムさんは良いやられ役。少しアンチ・ヘイト気味だったでしょうか?(不安)
そして、策士ブランタさんによる『告白』です。デニムくんはコロリといってしまいそうですね……


【白騎士】
ゼノビア王国における騎士の階級。
文中のヒゲもじゃマッチョヤロー(byカノープス)はギルダスの事。

【銃】
南方のバルバウダ大陸で作られているカラクリ兵器。ファンタジー世界にあるまじき武器。
扱うのには専門的な知識が必要とされ、装備できる職業はかなり限られる。
SFC版では射程が無限というイカれた性能だったが、PSP版では制限ありに弱体化(十分つよい)

【フローヴェノム】
マルティムの専用必殺技。相手にダメージと猛毒の状態異常を与える。
ドラゴンでも一瞬で気絶、というのは独自設定。

【転移石】
テレポートの魔法と同じ効果のある貴重な石……のはずなのだが
重要キャラは誰もがこれを持っていて、HPが0になるとこれで離脱する。
かと思えば逃げずに死んでしまったり、二次創作的には非常に扱いに困る代物。


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016 - Shadow of History

 名も知らない暗黒騎士を倒した。

 

 剣を奪って追い詰めたら、鼻水を垂らしながら土下座して命乞いし始めた。あまりの勢いにドン引きして見逃そうと思ったのだが、後ろを向いた途端に『臭い煙』で不意打ちしてきたのだ。

 さすがにキレちまったよ。デニムの悪口を言っただけなら、手加減なしのフルボッコで済ませようと思ったけど、卑怯な不意打ちは許せない。思いっきり煙を吸っちまっただろうが! 鼻がひん曲がるかと思ったんだぞ!

 

 怒ったので、奴が持ってた二本目の剣も奪い取って振ってみると、先ほどと同じように臭い煙が出てきて暗黒騎士を包み込んだ。どうだ、臭いだろうが! まるで何日も洗ってない靴下だろうが! 死者の宮殿で拾った猛烈に臭う防具みたいだろうが!

 と思ったら、なぜか暗黒騎士はピクピクと痙攣して動かなくなった。

 

 ……あれぇ?

 

 俺は見なかった事にして、廊下を歩き出した。

 

--------------------

 

「……む? 遅かったか」

 

 大広間に着くと、そこには見慣れたメンツが勢揃いしていた。後から来ていたはずのデニムの姿もある。どうやら、俺が迷っている間に追いつかれてしまったらしい。

 

「ベルさん! ご無事でしたか!」

「ああ……。心配を掛けたようだな」

 

 デニムが嬉しそうな表情で近づいてくる。ふと思ったけど、こいつって犬みたいだ。パタパタと振られる尻尾が幻視できる気がする。思わず頭をよしよしとなでる所だったが、グッとこらえる。

 

「ベル殿……よくぞご無事で……」

「ああ、ラヴィニスも無理を言ってすまなかったな」

「いえ……どうやら、怪我一つされていないようですね」

 

 ラヴィニスもホッとしたようだった。かわいい。俺の心配をしてくれるなんて、良い子すぎるだろ。俺の中のラヴィニス愛が暴走しそうになったが、ここはまだ敵地。油断はするべきでない。

 周りを見れば、皆で玉座にふんぞり返っているブランタらしき男を囲んでいる。だが、これから戦うという雰囲気でもなさそうだ。どうなっているのだろう。

 

「……それで、これはどういった状況だ? ブランタは投降したのか?」

「え、ええ……。ローディスからの侵攻を防ぐために、あえてローディスに尻尾を振り、道化を演じていたというのがブランタの言い分です。暗黒騎士の目を欺くために、戦争を続けていたと……」

 

 ほうほう。それは意外な展開だな。しかし、お約束でもある。悪だと思っていた相手が、実は様々な理由から悪を演じなければならなかったのだ。悪役は改心して、より大きな悪に主人公と協力して立ち向かう。うーん、よくあるよくある。

 

「ほう…………。それでデニムは、奴を許すのか?」

「ッ!」

 

 俺の問いに、デニムは顔を曇らせる。

 

「……やっぱり、ベルさんに隠し事はできませんね。僕は正直、ブランタの事を許せません……。ですが、大義のために手を汚してきた僕には、奴を責める資格はないと思っています」

「……そうか」

 

 デニムが自分の中で折り合いをつけられるのなら、それも良いだろう。

 俺も納得しかけたその時、大広間に聞き慣れた声が響いた。

 

「――――デニムくんも、まだまだ甘いですねぇ」

「え……?」

 

 デニムを取り囲んでいる人々の中から、黒いローブを着た小柄な男性がゆっくりと歩み出た。フードの下には、いつもの不敵な笑みを浮かべているのが見える。格好も相まって、実に胡散臭い。

 

「ニバスさん……?」

「あのような演技にすっかり騙されてしまうなど、デニムくんはまだまだ人というものを知らないようです。私からすれば、一目瞭然なのですがねぇ……」

「で、ですが、ブランタの言っている事は筋が通っていて――」

「ふ〜ん。筋が通っているから、何なンです? 筋が通っていれば正しいとでも? デニムくん、真実というものは、えてして筋が通っていないものなンですよ。……なぜなら、人間というのはそもそも不条理な存在なのですからねェ」

「…………」

 

 ニバス氏のあまりと言えばあまりな言葉に、絶句するデニム。だが、その言葉は真理をついている。人間というのは、筋の通らない事をするものだ。理屈より感情を優先するのが人間なのだ。

 俺だって、ドラゴンを食べたいがあまりにグリフォンを見逃した事がある。どちらでも腹は満たせるのにな。あれ、これはちょっと違うか?

 

「私から見れば、あそこに座っているブランタさんの魂は、ひどく淀んで見えますねぇ。欲望に染まりきった醜い魂ですよ。人間ですから、それが悪いとは言いませんが……フフフ」

 

 ニバス氏はまたスピリチュアルな事を言い始める。だが、なぜだか妙な説得力があった。これでは、純粋な人間であればコロリと信じてしまいそうだ。

 事実、それを聞いたデニムは何やら考えこんでいるようだった。

 

「おいおい、さっきから聞いてれば、何を言ってるんだオメーは。少なくとも、奴の言ってる事は間違っちゃいねえんだろ? 信じてやらない根拠なんて無いだろうが」

 

 驚いた事に、ここでカノープスがブランタを擁護しはじめた。どうやらカノープスは、ブランタにシンパシーを感じているらしい。まさか……一目惚れとかではないよな……?

 

「……いえ、待ってください、カノープスさん」

 

 あわや仲間割れというところで、デニムが顔を上げる。そして、相変わらず玉座に座っているブランタを真っ直ぐな眼差しで見つめる。その視線に、ブランタは居心地悪そうにたじろいだ。

 

「ブランタ……最後に一つだけ答えてほしい」

「……なんだね?」

 

 デニムは、絞りだすように問いかける。

 

「あなたは……あなたは、この戦争で亡くなっていった人たちを、どう思っている?」

 

 その問いを聞いたブランタは、目を伏せて苦渋に満ちた表情となる。ニバス氏の話を聞いた今では、どこか空々しくも思えるが、演技だとは言い切れない。

 ブランタはしばらく沈黙していたが、やがてゆっくりと口を開いた。

 

「…………すまないと思っている。だが、ヴァレリアの平和のために、必要な犠牲だったとも」

 

 デニムはそれを聞くと、目を閉じて黙りこんだ。フーッと一つ息を吐き、それからゆっくりと目を開く。その目はどこか悲哀に満ちていて、しかし、どこか決意を感じさせるものだった。

 

「――――あなたは、嘘つきだ」

 

 デニムの言葉に、ブランタはピクリと身体を揺らす。しかし、その表情に変化はない。

 

「あなたの言葉には、重みがない。犠牲になった人たちを悼む重みが。自分の決断によって多くの死者を生み出した事に対する重みが。そして何より――――必要な犠牲だった? そんな、そんな事、本当にそう思っていたなら、口が裂けても言えないはずだッ!!」

 

 デニムの魂を震わせるような叫びに、ブランタは狼狽して弁解しようとする。だが、ブランタが口を開く前に、デニムは言葉を続けた。その目は、自分の両手を見下ろしている。

 

「僕は……僕は、この手を血に染めてきた。それも、時には同胞を殺してまで、仲間の屍を踏み越えてまで、歩んできたんだ……。だからこそ、こう思ってる。本当に彼らは死ぬ必要があったのだろうか。もっと、よりよい道があったんじゃないか……」

 

 それは、本当にデニムが常日頃から思っている事なのだろう。彼はふとした瞬間、どこか遠くを見る仕草をする事がある。それはきっと、亡くなった人々の事を思い出しているのだと思った。

 ラヴィニスも、カノープスも、デニムの言葉に亡くなった仲間達の事を思い出したのだろう。二人とも真剣な表情でデニムの言葉を聞いていた。ニバス氏もまた同様だった。彼は救えるはずだった娘を亡くしているのだ。いつだって後悔し続けているに違いない。

 

 だが俺は。俺は、デニムの気持ちを理解してやれない。

 

「彼らは死なずに済んだかもしれない。でも、そう考えるのは彼らに対して失礼だ。大義のため、勝利のため、平和のために彼らは死んでいったのだから。無駄な死なんて一つもない。ここまで来るのに、どれもが必要な犠牲だったと信じるしかない…………」

 

 デニムは言葉を切って、ブランタを睨みつける。

 

「だけどッ! だけど、そんな事! 簡単に認められるはずがないんだ! 運命だったとか、必要だったとか、そんな言葉で片付けられるほど、簡単には割り切れるはずがないんだッ!!」

 

 それは、彼の青さ故の言葉なのかもしれない。だが間違いなく彼にしか、たくさんの骸の上を歩いてきた彼にしか口にできない言葉だった。先ほどのブランタからは全く感じられなかった、死んだ者達を悼む重みが、為政者としての重みが、その言葉には込められていた。

 

「あなたは、この戦争で亡くなった人達の事なんて、何とも思ってはいない。ましてや、ヴァレリアの平和のためだなんて嘘もいいところだ。自分以外のものなら、なんだって踏み台にできる。部下も、友人も、家族ですら。あなたは――――あなたは、そういう人間だッ!!」

 

 デニムの糾弾の前に、ブランタはただただ顔を青ざめさせるだけだった。

 

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 ゼテギネア歴253年。

 

 バクラム陣営の指導者であり、バクラム・ヴァレリア国の国主ブランタ・モウンは、ハイム城にて解放軍の手により投獄。のちに、獄中で自死しているのが発見された。

 これを受けて、各地のバクラム軍、及びバクラム・ヴァレリア国の内政官達は投降。ドルガルア王の死後から三年に渡って続いてきた内戦が終結し、ヴァレリア諸島は再びヴァレリア王国として統一され、平和を取り戻した。

 

 解放軍の若き英雄デニム・モウンは、民衆の声に推される形で、ヴァレリア王国の君主として王の座に就く事が発表される。後日、戴冠式が執り行われる事も同時に発表された。

 多くの民衆はそれを歓迎したが、一方で、本来は女王となるべき王女ベルサリアを、デニムが権力欲にかられて排除したのではないかという疑惑も根強く、彼の同胞虐殺の噂もそれを後押しした。

 

 内戦の原因の一つにもなった暗黒騎士団ロスローリアンは、解放軍の手によって半数以上が討ち取られた。ハイム城から逃亡したバルバス、アンドラスも、追討されたとされる。

 しかし、団長であるランスロット・タルタロス、及びナンバー2であるバールゼフォン、腹心のヴォラックの行方は杳として知れず、秘密裏に教国へと帰還を果たしたものと思われた。

 

 内戦の終結を受けて、新生ゼノビア王国のトリスタン王は祝辞を述べ、ヴァレリアへの復旧支援を行うとの声明を発表した。一方のローディス教国は特に声明を出さず、静観の構えを見せた。

 だが、ロスローリアンの壊滅や、密約を結んでいたバクラム・ヴァレリア国の崩壊を前に、いつまでも沈黙を守るとは考えづらく、何らかの動きがあると予想されている。

 

 

 ――――最後の決戦であるハイム城の攻略に関して、奇妙な噂があった。

 

 曰く、城攻めは全て一人の手によって行われた。

 曰く、神話における『オウガ』が現れた、などである。

 

 しかし、どれもが現実味に欠け、信憑性のない噂にすぎず、後世の歴史家達はこれを否定した。ある歴史家などは、デニムの快進撃を劇的に演出するために、解放軍が流した噂ではないかとの解釈を行った。

 

 かくして、デニムの影にいた不死身のオウガの存在は、歴史の闇へと葬られたのである。

 




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???「最終回じゃないぞよ もうちっとだけ続くんじゃ」

デニムくんの逆転裁判ばりの口撃によって、ブランタとの戦闘なしに終わりました。
やっぱりデニムくんがナンバーワン!

かくしてオリ主は歴史の闇へと葬られ、ゼテギネアの歴史がまた1ページ……
まだ物語は続きますので、お付き合い頂けましたら恐縮です(なお序章)


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017 - Ruined Prince

 俺は一人、空中庭園へと向かうためにボルダー砂漠を歩いていた。

 

 腰には、やたらと自己主張の激しい一振りの剣。確かあのオールバックの暗黒騎士はブリュンヒルドとか呼んでいたか。結局、あの暗黒騎士は死んでいたらしいが、一体なんで死んだのかなー。

 

 ブランタとの対峙から、事態は目まぐるしく進んでいった。デニムは精力的に働いて投降したバクラム陣営を吸収していき、俺も各地で盗賊となった残党を狩るなど動き回っていた。それも次第に落ち着き、あと数日でデニムの戴冠式が行われる。

 デニムは結局、王となる事を決めたのだ。俺はそれについて何も言えず、ただ頷くのみだった。アイツがそう決めたのであれば、仕方ないことだった。

 

 時折、空を飛んでいる鳥を石で撃ち落とす。本当はグリフォンのヤキトリが食べたかったが、この辺りには生息していないようだ。

 

 俺は約束通り、解放軍を抜ける事にした。戦争は終わったのだし、これからはいかにして平和を守るか、国を富ませるか考えるのが主な仕事となる。俺みたいな力しかない奴は、役に立たないだろう。

 デニムの側を離れる事にしたのは、それだけが理由ではない。最後の戦いでデニムのブランタに対する糾弾を聞いた時、死なないという事がいかに異常なのか、死んでいった者たちをどれだけ冒涜しているのか、気付かされたからだ。

 死を軽く考えている俺では、人々の死と向き合ってきたデニムの覚悟を、本当の意味で理解してやる事ができない。また、側にいるべきではない、と考えた。

 

 俺の意思を聞いたデニムは、悲しそうな顔を見せたが引き留めはしなかった。無駄だとわかっていたのだろう。今までありがとうございました、と頭を下げられた。

 デニムの元を離れるのはいささか寂しいが、別にもう二度と会えないというわけでもない。俺は当分は自由な地上での暮らしを満喫するつもりだ。ヴァレリアを離れない限りはいつでも会う事はできる。まあ、あっちは王様になるわけで、気軽に会う事はできないだろうけど。

 

 辛かったのは、ラヴィニスとの別れだ。俺が軍を抜けると聞いて、彼女はまた涙目になった。しまいには、俺についてくるとまで言い出したのだ。嬉しかったけど、さすがにこれには参った。彼女にはファンが多いだろうし、俺が連れ回したら大ヒンシュクを買いそうだからな。

 俺はラヴィニスを何とか説得し、デニムの事を助けてやってほしいとお願いした。そして、必ずまた会う事を約束してハイムを後にしたのだった。

 

 あっ、ちなみにニバス氏は死者の宮殿へ戻ったみたいです。いやー、付きあわせて悪かったなぁ。俺が謝ったら、なかなか良い経験だったと笑ってくれた。素材は手に入らなかったそうで、残念そうだったが。いつか研究を完成させてほしいものである。

 

 ふぅ、目的地はまだかなぁ。いくら疲れないといっても、同じ風景が続けば段々と飽きてくる。それに走り続けていたから、服が砂まみれだ。人目を避けるためにローブはもらってきたが、これ一着しかないのだから大事にしなくては。

 

 そういえば、カノープスは俺が腰に下げている剣を見て、何か言いたそうにしていたな。あいつ、鳥っぽいからキラキラしたものが好きなのかな。本人には言わなかったけど。

 結局、タルタルソースも、同じ名前の無職さんも見つからなかったしなぁ。無職さんはカノープスの仲間だったらしいから、あいつはこの島で仲間を全員失った事になる。辛いだろうなぁ。

 ヴァレリアを離れるって言ってたし、いつかまた会えるといいな。追いかけ回されるのは嫌だけど。

 

 おっ、あれが空中庭園か? 空中って名前についてるし、ラピュタみたく空に浮いてるのかと思ったけど、高い塔になってる庭園っていうだけみたいだ。せっかくのファンタジーなのになぁ。

 空中庭園はドルガルア王によって建設されたらしいけど、なんでこんな砂漠のど真ん中に作ったのかねぇ。王都ハイムも不便な場所にあるし、王様の考える事はわかりませんね。ほんと。

 

 じゃ、あの暗黒騎士の言ってた、地下とやらに行ってみるか。

 カオスゲートなんて物騒なもの、壊しておかないとな。

 

--------------------

 

「チッ。やはり封印はそう簡単には解けんな」

「仕方あるまい。まさかマルティムが解放軍に敗れるとは思わなかったからな。ブリュンヒルドは解放軍の手に渡ってしまったのだろう」

「ふん……」

 

 空中庭園の地下、封印された扉の前に二人の男が立っている。一人はいかにも血の気の多そうな巨漢の男。もう一人は上半身を晒した黒人の男。暗黒騎士バルバスとアンドラスだった。

 彼らはデニムの前から逃亡し、ハイムの町外れに潜伏した。その後、合流するはずだったマルティムが討たれた事を知ると、封印の解放に必要となるブリュンヒルドを持たないまま空中庭園まで赴いたのだ。

 暗黒騎士団でクーデターを起こした彼らだったが、このまま手ぶらで帰れば己の身が危うい事を理解していた。ましてや、ドルガルア王の遺した『奇跡』は、簡単にあきらめられるものではない。

 

「…………があ! もう面倒だ! 俺のサンシオンで丸ごと破壊してやるッ!」

「落ち着け、バルバス…………むっ、誰か来るな」

 

 気配を察知したアンドラスは、地下への入り口となる階段を凝視する。そこからは、確かにカツンカツンと響く足音が聞こえていた。足音は一つだけしか聞こえない。

 やがてその正体が露わになると、バルバスとアンドラスは警戒を強める。黒いローブを着ており相手の顔はよく見えないが、その威圧感から只者でない事は十分に理解できた。

 

「……止まれ。何者だ」

「…………俺の名はベルゼビュート。貴公らは、ここで何をしている?」

「ふん、関係ない奴に話す義理は――――ちょっと待て。お前の腰にある剣、それは何だ?」

 

 無関係の者を追い払おうとしたバルバスだったが、男の腰に差された剣は見逃す事ができなかった。見間違うはずもない。暗黒騎士団の総長だったタルタロスが、持ち歩いていた神聖剣。

 ベルゼビュートと名乗った男は、気負った様子もなく光り輝く剣を見せる。

 

「む? これか。聞いた話によれば、これはブリュンヒルドとかいうらしいな。何やら、ここにある封印を解く事ができると聞いたが」

「…………」

 

 バルバスとアンドラスは、その言葉を聞くとお互いに視線を交わし、頷く。次の瞬間、バルバスは人の頭ほどもある槌頭を持つハンマー『サンシオン』を取り出し、勢いよくベルゼビュートへと叩きつける。

 

「オラァッ!!」

 

 脳天に直撃して直視に耐えない光景が繰り広げられるかと思われたが、ベルゼビュートは降ってくるハンマーを一瞥すると、一歩下がって呆気無く避けてしまう。

 勢い余ったハンマーはそのまま地面に打ちつけられ、まるで爆発したかのような地響きと音を生み出し、二人の周りに土煙を巻き上げる。

 

「いきなり何をする……?」

「チッ! 避けるんじゃないッ!」

 

 続けてハンマーを振るおうとしたバルバスに、ベルゼビュートは舌打ちして応戦しようとするが、そこへ土煙の中から別の影が飛びかかってきた。

 

「受けてみろッ!」

 

 バルバスの攻撃に合わせて気配を消していたアンドラスは、ドラゴンのカギ爪のような格闘武器『トゥルエノ』によって、ベルゼビュートの脇に一撃を見舞う。

 ベルゼビュートは攻撃姿勢だったためアンドラスの攻撃を避けきれず、咄嗟に腕でガードする。アンドラスは腕の一本を奪った事を確信したが、その攻撃は妙な手応えを残しただけだった。

 

「――――そうか。貴様らは、俺を狩るつもりなのだな」

 

 そして、ベルゼビュートの気配が激変する。

 

--------------------

 

「――――ベルロウダ・オンヌ・バリンダ、フィザンラ・レンヌ・フィラーハ……」

 

 空中庭園の地下に、男の声が怪しく響く。

 

 さっき、俺にいきなり襲いかかってきたバルバスとかいう奴だ。見た目からすると明らかに脳筋なのに、扉に刻まれた古代の神聖文字を読めるらしい。父親代わりの神父に教えてもらったそうだ。

 

「……いにしえの争いより閉ざされし封印よ、主・フィラーハの許しを受け、その役目を終えよッ!!」

 

 バルバスが詠唱とともにブリュンヒルドを捧げ持つ。すると、扉に刻まれた文字が光り始め、それに呼応するようにブリュンヒルドも輝きを増していく。どうやら、扉の封印は無事に解けたらしい。

 

 発光がやむと、バルバスは仏頂面でこちらを振り返る。ただでさえゴリラのようだった顔は、ところどころが腫れ上がり、青くうっ血している。何を隠そう、俺の仕業なんだが。

 

 俺を狩ろうとしたのだから、俺に狩られても構わないはずだ。以前の俺なら、問答無用で命を奪っていただろう。しかし、デニムの言葉を聞いて、彼の死と向き合う態度を見て、少し考えを改めた。

 必要がなければ、むやみに命を奪うべきではない。それは地球において、当たり前の倫理観だったのに、死者の宮殿で過ごすに連れていつの間にか忘れていた事だ。敵を全力で殺さなければ、俺が痛い目にあったのだから。

 もちろん、ドラゴンとグリフォンは食料なので、例外である。

 

「…………解けたぞ」

「ああ。感謝しよう」

「フンッ! いいか、俺は確かに負けたが、いつか必ずお前を殺す。それを忘れるなッ」

「ああ。殺してみるがいい――――できるものなら」

 

 だって死んでも死なないんだもん……。

 

「バルバス、いい加減にしろ。こいつが本気になれば、俺達の命はないんだぞ」

「チッ!」

 

 バルバスは露骨に舌打ちをして、ズカズカと開いた扉の先へと進んでいく。

 残されたのは俺と、上半身を裸にしたファンキーなスタイルを持つアンドラスという黒人男性だ。彼はバルバスの背中を見送ると、俺に向かって頭を下げてくる。

 

「……すまない。奴も悪い男ではないんだが……」

「構わない。ああいう手合いには慣れている」

 

 いわゆるツンデレってやつだろ。ニバス氏も、デニムに対しては厳しい態度で接する事もあったけど、デニムの事はきちんと認めていた。バルバスは素直になれないタイプに違いない。

 俺とアンドラスも並んで封印の扉をくぐる。扉の先には、さらなる地下へと続く長い階段が存在していた。地下なので暗いと思ったのだが、壁や床がぼんやりと発光しているので問題ない。なんだか死者の宮殿の雰囲気にそっくりだなぁ。

 

 長い階段を、一歩ずつ下っていく。

 

 死者の宮殿といえば、スケさんとカボさん、元気かな。ニバス氏と仲良くやってくれればいいけど。俺もこれが終わったら、一度帰ろうかな。ラミアさんにも会いたいし。

 またしても思考がピンク色に染まりかけた瞬間、アンドラスが唐突に口を開いた。

 

「…………あんたは、解放軍に参加していたのか?」

「む? ああ……まあ、な」

 

 曖昧に答えてしまう。確かに思いっきり参加していたけど、俺はあくまで影に徹した……はずなので、あまり表沙汰にはしたくないのだ。にんにん。

 

「あんたがブリュンヒルドを持っていたという事は……マルティムはあんたに負けたのか」

「あの暗黒騎士か。ああ、そうだな。俺が倒した」

「フッ……やつの悪運もついに尽きたか…………ざまぁないな」

 

 アンドラスの最後の言葉は小声だったが、俺の耳にはしっかりと届いた。どうやら、アンドラスはマルティムに恨みでもあったらしい。

 しばらく沈黙が落ちたが、アンドラスはポツリとつぶやく。

 

「……解放軍の勝利で、ヴァレリア王国はローディス教国から敵とみなされるわけだ……。教国が本腰を入れれば、十万、二十万もの兵力でこの島に押し寄せてくるぞ?」

「二十万か。それは大きい数字だな」

「ハハハッ。あんたがいると、なんだかそれでも足りないように思えるな。…………だが、多くの島の住人が犠牲になるのは間違いないだろうぜ」

「…………」

 

 アンドラスの言葉は、教国の脅威を語って脅そうとしているような口ぶりだが、裏を返せば、どこかヴァレリアの未来を危惧しているようにも聞こえる。馬鹿な事はやめろと忠告しているようにも。

 

「……貴公は見たところ、純粋なローディス人というわけではないようだが」

「…………そうだ。私は元々、ガリシア大陸のライの海周辺にあるニルダム王国の生まれだ。民族で言うなら、ボルマウカ人にあたるな」

「それがなぜ、ローディス教国の暗黒騎士となっている?」

「…………」

 

 アンドラスは俺の前を進んでいるので、その表情をうかがい知る事はできない。だが、なぜかプルプルと身体を震わせている。それは、何かをこらえているように見えた。

 

「……ふん。民のことなど顧みることをしない、あんな腐敗した王家は滅びる運命だったのだ」

 

 絞りだすように吐き出された彼の言葉は、彼の本心を言い表しているとは思えなかった。

 

「我がニルダムの民はローディスの奴隷となるべく、そう運命づけられた民だった、それだけのことさ!」

 

 どうやら、彼の祖国であるニルダム王国は、ローディス教国によって侵略されて支配されたらしい。彼の言う通り、ニルダムの国民たちは奴隷階級として扱われているのだろう。地球の植民地支配と同じことだ。

 それはまさしく、このヴァレリアにも訪れる可能性のある未来だ。彼の立場からすれば、ローディスの支配に抵抗しようとしているヴァレリアには、複雑な思いを抱いているんだろうな。

 

「…………運命、か」

「…………」

「デニムはこう言っていた。運命などという言葉で片付けられるほど、簡単に割り切れるはずがない、と。…………貴公は、本当にそれが運命だったと思っているのか? それしか道がなかったと思えるのか?」

「ッ!!」

 

 俺の言葉に身体を震わせるアンドラス。

 

「デニムは必死に己の役割をこなそうとしている。己が望まなくとも、民の希望となるために王となる事を決めたのだ。それは、ヴァレリアを一つにして、ローディス教国の干渉を跳ね除けるためだ」

「…………」

「ヤツは、民を護るために全力を尽くそうとしている。運命という言葉を否定するために。…………貴公は、そう言えるほどに、全力を尽くしたのか? ――――運命だったと本当に言えるのか?」

 

 アンドラスは、最後まで俺の問いに言葉を返さなかった。

 




原作ではデニムくん達が行った空中庭園ですが、本作ではマルティム死亡のため歴史が変わっています。
そして、再登場のバルバスさんもツンデレ。なんやこの小説、男のツンデレばっかやんけ(白目)


【空中庭園】
ドルガルア王が建てた地上18層からなる庭園。
永久機関によって水が汲まれて流れ続けており、各層は豊かな緑で溢れている。
オーバーテクノロジーすぎて、エネルギー問題の解決不可避。
その地下には、ドルガルア王の『遺産』が眠っているとか、いないとか。

【ニルダム王国】
ローディス教国によって支配された、かつての大国。
教国支配の以前は、王家は私腹を肥やして腐敗し、民衆に不満が溜まっていたらしい。
教国が攻めこむと、王様は「すみません! 何でもしますから!」と言って国を明け渡した。
第13話の後書きにも書いた通り、アンドラスはこの王家の末子で、王子様だった。


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018 - Chaos Gate

 窓から差し込む月明かりが、ハイム城の執務室を淡く照らしていた。この城の主であり、いまやヴァレリア王国の君主となろうとしている若き英雄は、窓際に立って夜空に瞬く星々をただ見上げている。

 

「……良かったのか、あやつを行かせてしまって」

 

 その後ろ、テーブルの一席に腰掛けた老人、大神官モルーバが声を掛ける。

 

「……良いんです。あの人は、僕の下に納まるような人じゃない。もし彼が側にいてくれれば、それほど心強い事はないでしょう。ですが、僕はきっと頼りすぎてしまう」

「そうか」

「それに彼はこう言っていました。『俺にはお前の側にいる資格はない』と……。きっと、自分の出自が明確でない事を気にしているのでしょう。彼の存在を伏せるように言われたのも、それが理由でしたから」

「ヴァレリアが一つになった今、出自など気にする必要などないというのにな……」

 

 モルーバはフィラーハ教団のトップへと返り咲いた。もともとブランタと派閥を二分していたのだから、ブランタ亡き今それを再び一つにするのは容易い。

 フィラーハ教の教義は『父なる神フィラーハの前にすべての民は平等である』というものだ。熱心なフィラーハ教徒だったドルガルア王は、その教えに従って民族融和を唱えた。

 教団の表も裏も知り尽くしたモルーバからしてみれば、それが叶わない理想である事は理解している。だがそれでも、救われない者達に希望が与えられるなら、それこそが信仰の力だと信じていた。信仰によって、人々の力によって、いつかは民族の壁を超えてヴァレリアが一つになれると信じていた。

 

「……僕は、無力ですね。いくら皆が望んでいても、本当に僕に王など務まるのでしょうか……」

「お主しかおらん。おらんのだ、デニムよ。他の誰が玉座に座ろうと、民衆は納得すまい」

「ですが、僕に対しての反発も強まっています……」

「……むぅ……『バーナムの虎』か……」

 

 ヴァレリア中央のバーナム山脈を根城とする武装ゲリラ組織『バーナムの虎』は、解放軍にとって大きな頭痛の種となっている。彼らは『真のヴァレリア人の国家』を提唱し、王女ベルサリアを謀殺したとしてデニムを声高に批判していた。

 しかし、現在ではバクラムやガルガスタンの残党が合流し、もはや志と実態が乖離しつつある。ゲリラ活動は次第に過激化しており、彼らに暗殺された要人も数多い。非常に危険な組織だった。

 解放軍による討伐も何度か試みられたが、どうやら解放軍内部にも内通者がいるらしく、不意討ちは一度も成功していない。その度に頭領や幹部たちを取り逃している有様だ。

 

 ベルゼビュートが本腰を入れて討伐しようとすると、蜘蛛の子を散らすようにバーナム山脈から逃げ出していったという。さすがのベルゼビュートも、一人で全てを捕らえる事は難しい。それでも幹部の半数を捕らえてきたが、一時的に沈静化しただけで焼け石に水という状態だった。

 

「わかっているんです。僕は王に向いていない。皆の上に立てるような器はない。本当の王の器があれば、こうして悩む事もないでしょう。…………僕よりも強い、あの人なら――――」

「それ以上はいかんぞ、デニムよ。それは、お主を己が主君として戴こうとしている者達への裏切りだ。お主が口にすべき言葉ではない」

「…………はい」

 

 そして、英雄は再び頭上に広がる星原を仰ぐ。

 

 決して手の届かぬ星々は、英雄を遥か下に見下ろしている。

 まばゆい、煌めきを放ちながら。

 

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 空中庭園の地下、長い階段を下りると、そこは何やら広い空間となっていた。足場は台地になっており、周囲には深い暗闇が広がっている。肌を舐めるようなヌメリとした空気と、亡者が湧き出てきそうな雰囲気が、死者の宮殿での生活を思い出して、ほっこりするわぁ。

 空間の中心の広場には、まるで地球にあったストーンヘンジのように石が環状に並べられており、何かの怪しい儀式の跡のようにも見えた。世界の七不思議とかオカルトが大好きな俺としては、ワックワクしてくる光景だ。まさかドルガルア王は俺の同志だったのか?

 

「フン、ここがカオスゲートか……。チッ、粘っこい、嫌な感じがするな」

 

 えっ、ここがカオスゲートなの? では、俺の手でこの素敵なストーンヘンジを叩き壊さなくてはいけないの? そ、そんなぁ。古代のロマンを、大いなる謎を台無しにするなんて、俺にはできそうにないぞ。

 律儀に俺達が来るのを待っていたらしいバルバスは、独りごちると封印を解く作業に入ろうとする。

 

「……待て。封印を解けば、ここと魔界がつながるのではないか?」

「チッ。…………ああ、そうだ」

 

 バルバスは露骨に舌打ちしつつも、俺を無視するような真似はしない。やっぱりツンデレだなコイツ。

 

「何せドルガルア王の遺産ってのは、奴が愛する妻子を蘇らせるために求めた、悪魔の力の事だからな。このカオスゲートの封印を解けば、俺達も魔界へと旅立つ事ができる」

「魔界へ行ってどうする?」

「ふん、愚問だな。究極の力とやらを手に入れるに決まっている!」

 

 バルバスは胸を張ってドヤ顔をしているが、果たしてそんなうまい話があるのだろうか。魔界へ行ったって、悪魔たちの餌食にされてオウガの餌になるだけじゃないの? やっぱり見た目通りの脳筋だったのか?

 俺はさっきから黙ったままのアンドラスに視線を向ける。

 

「……貴公も、そのような力を欲しているのか?」

「…………」

 

 アンドラスは瞑目したまま答えない。俺には、彼の気持ちが何となく理解できた。祖国が蹂躙され、国民は奴隷の扱いを受けている。そのような現実から抜け出すには、奇跡にでもすがりたくなるだろう。

 

「仮に魔界へ行けたとして、力が得られるとは限るまい。結局、力を求めたというドルガルア王は死んだと聞いているが」

「ふん、奴は死んではいない。魔界へ旅立ったきり、帰ってきてないだけだ。敵の介入を防ぐため、奴はカオスゲートに『(かんぬき)』を入れて、帰還にあわせて閂を抜くという役目を信頼する部下に託した。だが、その部下は旅立った直後にブランタの手で殺されちまったのさ!」

「む? つまり……ドルガルア王は生きているというのか?」

「ああ、そうだ。ブランタの陰謀で死んだ事にされちまったわけだ。覇王とまで呼ばれた癖に、間抜けな野郎だな。ガッハッハ!」

 

 バルバスが豪快に笑うが、俺は笑う気にはなれない。妻子を思い、必死に力を求めて、最後には部下に裏切られる。覇王と呼ばれた男には、あまりにも悲劇的な結末だった。どうしてもそこに、同じ覇王と呼ばれるデニムを重ねてしまうのだ。

 

「さて、ここは譲れんぞ。俺は力を手に入れるために、こんなとこまでやってきたんだからな」

「…………止めはせん」

 

 俺がそう言うと、俺と戦ってでも封印を解こうとしていたバルバスは拍子抜けしたように眉を上げた。

 

「あぁ? なんだと?」

「貴公らを止めはせんと言ったのだ。魔界へ行きたいのなら行くがいい。だが俺は、お前達が旅立った後にカオスゲートを破壊させてもらうぞ」

「なッ! なんだとッ!?」

「ッ!」

 

 俺の言葉に、バルバスとアンドラスは驚愕を隠せなかったようだ。

 だって、魔界とのゲートなんて開けっ放しにしてたら、何が来るかわかったもんじゃないだろ。嫌だぞ俺は。せっかく地上を満喫できると思ったら、神話のオウガバトルが始まるみたいな展開は。

 

「ふざけるなッ! カオスゲートが壊されたら、戻ってこれないだろうがッ!」

「だが貴公らの目的は究極の力なのだろう? 魔界へ行ってそのような力を手に入れれば、戻ってくる事も容易いのではないか? ……貴公ほどの男なら可能だろう」

「…………お、おう。そうか?」

 

 バルバスはなぜか少し照れた様子で、何度も頷いている。目を合わせようとしないが、チラチラとこっちを見るのはやめてほしい。ラヴィニスの仕草に似ていて本当に辛い。こんなムサいオッサンやだぁ。うう、会いたいよラヴィニス。

 当然、アンドラスはこんな言葉に騙されるはずがない。しかし、彼は何か考えこんでいる様子だった。おおかた、不退転の決意でも決め込んでいるのだろう。もっと前を向いて生きてほしいが、俺が言うべき事ではないんだろうな。

 

「……ふ、ふん、ならば封印を解くぞ」

「ああ。好きにするがいい。だが、俺は魔界には行かんぞ」

 

 なんせ、俺は地上でバカンスするんだからな! 魔界でバカンスなんて…… この世界ってサキュバスとかいるのかな? い、いないよな。 ……よしいない! 俺にはラミアさん達がいるんだ! いや待てよ、もしかしたら魔界にもラミアさんが……。

 俺の重大な葛藤をよそに、バルバスは黙々と封印を解く作業に取り掛かり始めた。ストーンヘンジの真ん中に石碑が置かれており、その前に陣取って解読を始めている。古代の神聖文字を読む姿に、本当に同一人物なのかと疑いたくなる。

 

「……アンドラス、貴公も魔界へと旅立つつもりか?」

「……ああ。私には力が必要だ。何者にも負けない、本当の力がッ」

「そうか」

 

 拳をギュッと握ってみせるアンドラスに、何も言えなくなった。しかし彼は、俺の顔を見据えて頭を下げてくる。その姿はどこか、デニムを連想させた。

 

「礼を言おう。あんたのおかげで、俺は自分の目標を再び思い出す事ができた」

「……俺は何もしておらんが」

「フッ。もし機会があれば、ヴァレリアの王に、デニム王に伝えてほしい。我らニルダムは定められた運命に抗うと。もし教国の脅威がこの島を襲うなら、共に並び立ち向かおう、と」

「……わかった。覚えておこう」

 

 なんか、すごい伝言だなぁ。ひょっとしてコイツ、ニルダム王国の偉い人だったりするんだろうか。だとしたら俺、さっきから失礼な事を言いまくってる気がするぞ。『全力を尽くしたのか?』とか何様だよって感じだ。やべぇよやべぇよ。

 若干挙動不審になりながら、バルバスの作業を見守っていると、どうやら石碑の解読が終わったらしい。バルバスは立ち上がって、ブリュンヒルドを天に掲げる。

 

 そして、神聖文字をゆっくりと読み上げ始めた。

 

--------------------

 

「……我は聖天使より与えられし聖剣ブリュンヒルドを持つ者なり」

 

 バルバスの低い声が、カオスゲートの封じられた広場に響き渡る。

 

「神聖なる御名において、我は願う。呪われし魔神たちを封じし聖なる門よ、主の許しを受け、その扉を解放せよ……!」

 

 だが、その長い詠唱が終わっても、一向に変化は訪れなかった。密閉された広場には風も吹いていないのに、どこか隙間風が吹いたかのように三人の間に沈黙が落ちる。ベルゼビュートとアンドラスの胡乱げな視線に晒されたバルバスは、冷や汗を流した。

 

「……何も起こらないぞ?」

「……そうだな」

 

 アンドラスの問い掛けに、頷く事しかできないバルバス。その目は石碑の上を彷徨っており、どこに間違いがあったのかを探している事は一目瞭然だった。

 

「――――いや、まて」

 

 ベルゼビュートがそう口にすると、次第に地面が揺れ始める。地の底から何かが近づいてくるかのように、揺れは大きさを増していく。その間、バルバスは得意げな表情をしていた。

 次の瞬間、ストーンヘンジの中央に暗黒神アスモデの力が届けられ、地面に巨大な魔法陣のような複雑な紋様が刻まれていく。それらは火が灯ったように赤褐色の光を帯びていた。

 同時に、辺りには瘴気とも言うべき淀んだ空気が流れ始める。それはベルゼビュートにとっては馴染み深く、死者の宮殿でも感じられた不浄の気配。『魔』と呼ばれる、この世ならざるモノの片鱗。

 

 やがてベルゼビュートは、魔法陣の中央、その上空に何者かの気配を感じて視線を上げる。

 

「……鬼……か……」

 

 ポツリと漏らすベルゼビュートの目には、宙に浮かぶ人影が映されている。肌がひりつくような威圧感は、まさしくドラゴンと初めて対峙した時のことを想起させる。しかしそれ以上に濃厚な『魔』の気配が漂っており、ベルゼビュートの目が細められた。

 

「我ハ、ドルガルア…… ヴァレリアノ神ナリ……」

 

 そこに浮いていたのは、愛する妻子のために魔界へと旅立ったはずの男。

 

「大地デ足掻ク卑俗ナル者ドモヨ…… 神デアル我ニ、ヒザマズケ……」

 

 魔界で『魔』に侵され、もはや人の形を失い、人の心も失った覇王。

 

「我ノ帰還ヲ祝福セヨ……!」

 

 闇の住人となり、人を超越し、亜神と化した覇王ドルガルア。その帰還だった。

 




王の帰還でした。ブランタのせいで、王様は魔界に閉じ込められてしまったのです。
ブランタは王様にひどい事したよね。(なおデニムにダンガンロンパされた模様)


【『魔』】
ある者によれば、魔界には『魔』が満ちているとされる。
『魔』から身を守る術を知らなければ侵食され、異形と化す。
原作においても、詳しい説明はなされていない。


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019 - Against Myself

「な、なんだ……あのバケモノは」

「ふん、ドルガルアか……まさか本当に生きていやがったとはな」

 

 俺達の前にいきなり現れた人物はドルガルアと名乗った。だけど、額からはデカイ角が生えていたり、口には牙が生えていたり、見た目は完全に鬼か何かにしか見えない。魔界に閉じ込められたから、激おこプンプン丸なのかな。

 

「我ニ、ブリュンヒルドヲ与エヨ…… サレバ、我ハ大地ニ復活セン……」

 

 宙にフワフワと浮いているドルガルアの視線は、バルバスが持っているブリュンヒルドに固定されている。どうやら、奴はまだ完全に自由になったというわけではないらしい。

 

「……上等だッ! 奪えるものなら奪ってみろッ!」

 

 好戦的なバルバスはニヤリと笑って戦う気マンマンのようだ。それは別にいいんだけど、そのブリュンヒルドって俺のだよね? お前にあげたつもりはないんだけど……。

 アンドラスも構えているので、仕方なく俺も槍を取り出しておく。でもなぁ、ドルガルアって哀しい奴だし、デニムと重なるし、正直いってやる気がでない。

 

「我ガ足元ニ……ヒレ伏スノダ……! 我コソ……ヴァレリアノ……正当ノ王ナリ……!」

 

 突如として、ドルガルアの全身から魔力が放たれる。魔法陣が展開され、魔力が具体的な形を取り始めた。それらはちょうど三つに分かれ、それぞれが俺達に対面するように並んで形を変えていく。

 

「……なっ! こ、これは……!」

「……フン、まさか自分と戦えるとはな……!」

 

 バルバスとアンドラスの前にはそれぞれ、彼らと瓜二つの人物が現れた。まるで鏡の前に立っているかのように、姿形も、所持している装備でさえ完璧なコピーだ。違う点と言えば、コピーの方は何だか黒ずんでおり、まとっている魔力もドルガルアのものに似ている。

 こ、これは! 漫画やゲームでよくある、自分のコピーと戦う展開ではないか! いやっほぅ! 俺も自分のコピーと戦えるのか!? 相手が不死身だったら、千日手みたいになるんじゃね!?

 

 テンションの上がる俺の前にも徐々に人影が形作られていく。

 

 メリハリのきいた身体……この世のものとは思えないほど美しい顔……鋭い目……長い髪……。そこに現れたのは、俺とは似ても似つかないグラマラスな金髪の美女だった。……誰だお前!?

 

「…………ふぅ。やっと肉体が得られたわね」

「……何者だ? 俺の写し身……というわけではなさそうだが」

 

 美女は、その顔に見合った鈴を転がすような美声で独りごちる。俺は思わずツッコミを入れてしまった。ここは俺のコピーが出るとこじゃないのかよ!

 問いかけた俺を、面白そうな表情で見返してくる。ポッテリとした唇をニヤリと曲げて、不敵な笑みを浮かべている。やべっ、お姉さんキャラっぽくてちょっと好みかもしんない。

 

「そう……貴方の仕業だったのね。召喚者に逆らうなんて、ちょっと魂の強度が強すぎたかしら」

「……召喚者だと?」

「ええ。私が貴方を喚び出したのよ。高等竜人の遺物を使って、転生の実験をするために、ね」

 

 な、なんだってー! こんな美女が俺を!?

 

「……では、あの死者の宮殿の……小部屋の持ち主は貴殿か」

「そうよ。ふふ、住み心地はいかがだったかしら?」

 

 つまり、この人が本物のベルゼビュートさんってことか。俺の名前は、あそこにあった書類から持ってきたものだしな。

 あの小部屋、俺やリザードマン達が作った家具が置かれてたり、部屋そのものを改造しまくったから原型を留めてないぞ……。やべぇ、原状回復費用とかいって大金を請求されたらどうしよう。

 

「転生の実験は成功して、ほぼ完璧な肉体を作り出す事ができた……。あとは、その身体を頂くだけだったのに……上手くはいかないものね」

 

 フゥと溜息をつく美女。何をしても絵になるなぁ。

 

「それにしても、おかしいわね。ここは『魔』が溢れているけど、アスモデ様の神殿ではないようだし……。この身体も……生身の肉体というわけではなさそうね。……貴方、これは一体どういう事かしら。貴方は私の魂をどうしたというの?」

「……わからん。俺は気がついたら、あの小部屋で目覚めたのだ。この身体を持ってな」

「…………」

 

 胡乱げな目で俺を見てくるが、俺には本当に心当たりがない。絶世の美女に睨みつけられると、そんな趣味はないのに目覚めてしまいそうだ。

 それにしてもこの人、俺を召喚したわけだよな。有名なラノベとかだと、召喚された男が美女の召喚者をご主人様として敬ったり、そのままイチャラブな関係に発展したりするけど…… アリだな!

 

「……まあ、いいわ。貴方の肉体を頂いてしまえば、当初の予定通りだもの。この仮初の肉体も、それなりの力は出せそうだし…… ふふ、痛いのは少しだけよ……。私に全てを委ねなさいッ!」

 

 なんだかエロいセリフを言って、美女はいきなり魔法を放ってくる。俺に向かって飛んでくる魔力の塊は、ワードオブペインだろう。無詠唱なうえに、ほとんど溜めもなかったので避けきれずに被弾する。優れた動体視力と足腰があるとはいえ、魔法のスピードは尋常ではないのだ。

 被弾した箇所が呪詛に侵されるが、残念ながら少しカユいくらいで痛みはない。うーん、これなら死者の宮殿で俺にたびたび挑んできたゴーストの方が強いんじゃないか?

 

「……なッ!? き、効かない……!? ……そう。そうか、貴方はアンデッドになっているのね。魂の輝きが強すぎてよく見えなかったけど、不浄の肉体に暗黒魔法が通用しないのは当たり前ね」

 

 魔法が効かない事に動揺していたが、勝手に自分で納得している。俺ってアンデッドなのかなぁ。確かに不死身だからゾンビっぽいけど、そんなに実感がない。ハイム城を攻めた時に、相手の僧侶っぽいのが『悪魔退散ッ!』って言いながら回復魔法を撃ってきたけど、普通に回復したし。

 

「仕方ない……。ならば、他の魔法よッ!」

 

 そういって、彼女は次々と別の魔法を打ち出してくる。炎の塊や、氷の塊、落雷に石槍。さすがに当たり続けてやる義理もないので、俺は発動モーションを見切りながら、ヒョイヒョイと避ける。

 

「くッ……! このッ! 避けるんじゃないわよッ!」

「落ち着け……俺を召喚した者と敵対するつもりはない……」

「うるさいッ!」

 

 俺の説得も聞き入れず、ハァハァと息を荒げながら魔法を連発してくる。さすがに避けられずに被弾してしまうが、俺のローブが少し被害を受けるだけで、俺自身は少し熱かったり、ヒヤッとするぐらいで効き目が薄い。このローブ、一着だけなんだからやめてくれよ……。

 だが、その様子を見た彼女は魔法をピタリと止める。

 

「ふ……ふふ……どうやら、普通の精霊魔法じゃダメみたいね……。ならば……とっておきの……古代の竜人達が使った高等魔法で……」

 

 そう言って、懐――俺の目が確かならば、胸の谷間――から、紫色の石を取り出す彼女。チラリと見えた肌色に動揺する俺を尻目に、彼女はバチバチと紫電を弾けさせながら、取り出した三つの石に魔力を込めていく。彼女の周りに目もくらむような魔力が渦巻いていった。

 

「魔竜ディアブロよ…… 憤怒と憎悪の黒き炎で大地を焼け! 『イービルデッド』ォォォ!」

 

 瞬間、大地が爆発した。

 

--------------------

 

「オラ! 来い、ニセモノヤローめ!」

 

 サンシオンを構えて挑発すると、ニセモノヤローも同じくサンシオンを振りかぶりながら飛びかかってくる。さすがは、俺の偽物だけあって見事な動きだぜ。それに奴の顔ときたら、この俺の渋さや男らしさを見事に表した二枚目だ。やりにくくて仕方ないな。

 ハンマー同士を打ちつけあって距離を取る。くそっ、偽物の癖に俺と力まで同等だと?

 

 チラリと横目で確認すると、アンドラスの野郎もどうやら偽物相手に苦戦しているらしい。素早い手さばきで格闘戦をやりあっている。目にも留まらぬ攻防というやつだ。チッ、やるじゃねぇか。

 あの気に食わん……だが少しは話しのわかる野郎は、なぜかベッピンの女と対峙している。まさか、アレがヤツの素顔だっていうのか……!? フードをかぶってやがるし、声も低いから、てっきり男だと思っていたが……。変装かなにかか?

 ヤツと話している女の顔に目が釘付けになる。正直いえば、俺のタイプど真ん中だった。女といえば、俺が近づくとキャーキャー言って逃げまわる軟弱なヤツか、オズマみてぇなプライドの高いヤツばっかだった。だがアイツは俺に真っ向からぶつかってきて、俺の事を打ち負かした……。

 

 おっと、よそ見してる暇はなかったな。

 偽物野郎のハンマーが風を切って鼻の先をかすめる。

 

 こちらからもお返しとばかりにサンシオンを叩きつけるが、奴は巧みにそれを相殺してくる。同じハンマー使いとは何度かやり合った事はあるが、こいつはとびっきりだ。さすがは俺だぜ。

 

 それにしても楽しい。楽しいな。自分と同じ実力を持つヤツと戦うのは。

 こうしていると、ガキの頃を思い出す。

 

 ローディスの辺境ボウマスで生まれた俺は、物心ついた時から独りだった。親の顔なんか知らねぇが、恐らく俺は捨てられたんだろう。泥をすすり、ゴミを漁り、こそ泥や強盗の真似なんて日常茶飯事だった。

 俺にとって、周りのヤツらは敵にしか見えなかった。負けないため、奪われないためには力をつけるしかないと気づいてからは、必死に努力して死に物狂いで戦いの技を鍛えた。

 

 それは、慈善事業の一環とやらでローディス教の孤児院に入れられてからも変わらなかった。その時すでに浮浪児の中でリーダー格だった俺は、どうやら大人達に目をつけられたらしく、鍛錬も本格的になった。

 恐らく、最初から俺を騎士として取り立てる算段だったのだろう。力だけではダメだと言われ、教養も無理矢理に叩きこまれた。父親代わりの神父に神聖文字を教えられたのもこの時だ。覚えは悪かったがな。

 

 騎士になんか興味はなかったが、権力には興味があった。どんなに強いヤツでも、国の言う事には逆らえない。力を渇望する俺にとって、目に見えないにも関わらず人々を従わせる権力という力は、非常に魅力的に映った。だから俺は、言われなくとも騎士になる事を目指した。

 

 人一倍力の強い俺がハンマーを握れば無敵だった。大人達は俺の力にビビって、戦いを挑まなくなった。歯応えのない奴らめ、と内心で見下しながら、それでも俺は独りで鍛え続けた。

 しかしある日、同じ孤児院にやってきた男は違っていた。

 アマゼロトと名乗った奴は、俺のハンマーにも怯まずに真っ向から剣で打ち合ってくる。俺よりも二歳ほど年上だったが、すぐに二人で訓練する仲になった。無口で愛想のない奴だったが、どこか気があったのだ。思えば、奴もまた力を求める男だったからかもしれない。

 

 お互い実力は伯仲したまま孤児院を出る事になり、奴と俺は違う騎士団に配属される事になった。俺達はメキメキと頭角を現して、あっという間にテンプルコマンド級にまで昇進した。お互いに昇進した時は、朝まで飲み明かしたものだ。

 俺が気に入らない上官を殴り殺して処刑されそうになった時は、奴は俺のために嘆願書を提出するなど動いてくれた。結局、総長に助けられたのだが、奴はそれがキッカケで上層部に目をつけられたらしい。今回の任務のためにローディスを離れる少し前、奴はパラティヌスの僻地へと送られる事になったと聞いた。

 

 息巻いて上層部に抗議しにいこうとした俺を、奴は止めた。

 僻地だろうが鍛錬はできる、と笑ったのだ。

 さすがの俺でも、それが不器用な奴の優しさである事には気づいた。

 

 奴とは再会を約束してローディスを離れたが、果たして元気にしているだろうか。

 

「究極の力さえあれば、誰も俺には逆らえん……! そうすれば奴も……! 俺は――――こんなところで負けられねぇんだよッ!!」

 

 俺が渾身の力で振るったサンシオンは、偽物野郎の防御を弾き飛ばして奴の脇腹にめり込む。そのまま勢いよくスイングすると、奴は弾き飛ばされて地面を転がっていく。くそ、自分の顔をした奴をぶん殴るのは気分が悪いな。

 

「ハッ! どうしたニセモノヤローめ! もうへばっちまったか! 俺の偽物なら偽物らしく、もっと根性を見せる事だな!」

 

 俺がハンマーを構えながら再び挑発すると、奴はノロノロと起き上がろうとする。だがそれをかばうように、人影が現れた。

 それは先ほど俺達の前に現れたドルガルアの野郎だ。異形になった奴の目は、俺の腰元に差されたブリュンヒルドに注がれている。

 

「ヒレ伏セ……! ブリュンヒルドヲ献上セヨ……!」

「フン。悪いがあんたの言葉に従う義理はないな。ヴァレリアの王さんよ」

「オノレ……! オノレェ……!」

 

 俺とドルガルアの間に一触即発の空気が流れ、俺が飛び出そうとした瞬間。

 

 黒い炎の奔流が、俺の視界を埋め尽くした。

 全てを焼き付くすような炎の舌は、まるで狙いすましたかのように目の前にいたドルガルアを飲み込み、起き上がろうとしていた俺の偽物まで巻き込んだ。

 空中にブレスを吐く漆黒のドラゴンを幻視したが、黒い炎が収まるのと同時に消えていった。

 

「…………あん?」

 

 プスプスと煙をあげる地面の上には、膝をついたドルガルアが明滅を繰り返している。今にも消えそうなほど弱々しい。どういう事だ?

 悲鳴が聴こえたのでそちらを振り返って見れば、気に食わん奴と、そのベッピンの偽物がいる方向だった。偽物は何か意味のわからん悲鳴をあげている。

 

「ちょ、ちょっと……! 肉体が……崩れて……! くっ、どういう事なのこれはッ! 答えなさい、一体なにをしたというのッ!」

「……いや、何もしていないが……」

「嘘おっしゃい! ああッ……魂が離れていく……! う、うう、いいわ、『魔』がある限り、私は不滅なのだから。また肉体を得て、貴方を絶対に手に入れてみせるッ!」

「…………そうか」

 

 そして、偽物女の身体が薄れて消えていった。 ……あいつの偽物、本物と性格が違いすぎないか? それとも、本来の性格はああいった感じなのを隠しているのか?

 アンドラスの方を見れば、奴の偽物も消えていく途中だった。対峙しているアンドラスは、無表情で憮然とした表情をしている。

 

 カオスゲートには、俺達と、点滅を繰り返すドルガルアだけが残された。

 




出落ちのベルゼビュートさんとバルバスの過去(捏造)でした。
これにはドルガルアさんも困惑。


【ベルゼビュート(本物)】
オリ主を召喚した人物。目もくらむような美女だが、その中身は……。
死者の宮殿の小部屋に住んでいたらしい。スゴイ魔法を色々使える。
ドジっ子属性を付与された被害者。

【イービルデッド】
古代の竜人達が用いたとされる強力な『竜言語魔法』の一つ。
普通の精霊魔法よりも、より高位の精霊の力を使うらしい。
胸の谷間から取り出された石は、触媒となる竜玉石。きっとホカホカしてる。

【冥煌騎士アマゼロト・ルドン】
ローディス教国の冥煌騎士団に所属するテンプルコマンド。
己の力と技を磨く事に執着する剣士。知力にも優れるが、軍略に一切興味はないらしい。
オウガバトル64より出張。


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020 - Fight it out

 なんだか知らないけど、俺を召喚した美女ベルゼビュートさんは喚き散らしながら虚空へと消えていった。えぇ……? 俺、なにもしてないよね?

 ふと見れば、他の二人の相手も消えているようだ。残ったドルガルアはといえば、膝をついて弱々しく点滅している。もしかして、二人の内どちらかがドルガルアを攻撃したんだろうか。

 王様は弱っているみたいだし、今が説得のチャンスかもしれない。

 

「……ドルガルアよ……ヴァレリアの哀れなる王よ」

「グ……我ヲ……哀レト呼ブカ……不遜ナル者ヨ……」

「……残念だが、貴殿は既に人ではない。現し世に戻ろうとも、既に貴殿の在るべき場所は無いのだ」

「ソウダ……我ハ……人ヲ超エ神トナッタノダ……今コソ、全テヲ支配シ、取リ戻スノダ……」

 

 確かに力は得たのかもしれない。しかし、今の彼は妄執に囚われた哀れな存在に過ぎない。愛する妻子を救うために力を求めた男は、己の望みすら忘れつつあるようだった。

 

「……ヴァレリアの王の座は、我が友が継ごうとしている。民衆に望まれ、大義のために己を犠牲にしようとしているのだ。……友の覚悟を無駄にするような真似は許さんぞ、オウガよッ!」

「…………オウガ……ダト?」

 

 ドルガルアが俺の言葉に怯んだ様子を見せた時、辺りに不思議な声が響いた。

 

 ――――考エルナ…… ヤツラヲ倒スノダ…… ソヤツラハ…… タダノ敵ニスギヌ……

 

 だが声の持ち主は姿形もない。聞くものすべてを不安にさせるその悍ましい声は、地の底から響いてくるようだった。

 

 ――――今コソ…… 戦イヲ再ビ…… イニシエノ…… 『オウガバトル』ヲ……

 

「フン……まるでカオスゲートが喋ってるみたいじゃねぇか」

「オウガバトルだと……? まさか神話の悪魔だとでも言うのか……?」

 

 バルバスとアンドラスも、声の持ち主が気になるようだ。

 

「グ……グアア…………グオオオオオオッ!」

 

 ドルガルアが声に反応して震え始める。雄叫びをあげ、それに合わせて辺りの魔力が振動しはじめた。暴走したような魔力の嵐が吹き荒れ、地面が隆起していく。ストーンヘンジが吹き飛び、中心には奈落へとつながっている大穴が開き始めた。

 俺達は慌てて退避するが、もはや完全にカオスゲートが動き始めたらしい。開いた大穴から大量の魔力が流れ込み、その全てがドルガルアへと集約していく。

 

「ウオオオ……! 我ニ(チカラ)ヲ……! モット(チカラ)ヲッ!」

 

 かろうじて人型を保っていたドルガルアの身体がボコリボコリと膨れ上がっていく。

 

「あれが『究極の力』だとでも言うのか……? あんなものが……奇跡だと……?」

「チッ……力を求めた奴の末路って事か……」

 

 背中がメリメリと裂けて、コウモリのような翼が生えていく。臀部から太い尻尾が、手足には鋭い爪が生え、肥大化した肉体は見上げるほどの大きさまで膨れている。顔にはもはやドルガルアの面影がなく、大きな対の角を生やした容貌は完全に悪魔そのものだった。

 

 やがて変形が終わったらしいドルガルアは、バサリと翼をはためかせて俺達を見下ろす。

 

「我ハ、ドルガルア…… ヴァレリアノ王ニシテ……神ナリ……」

 

--------------------

 

 空中庭園より遠く離れたアルモリカ城の城下町、その一角にある住居でベッドに横たわる老人の姿があった。

 長い白髭を蓄えたその顔は、一見すれば厳格な老人に見える。しかしその実、彼は誰にでも柔和で紳士的な態度で接する人物だった。

 穏やかな空気で満たされた部屋に、軽快なノックの音が響く。コンコンコーンと、歌うようなノック。

 

「ハーイ、オジイチャマ♥ お元気〜?」

 

 扉を開けて現れたのは、まさしく魔女と聞いて想像する三角帽子をかぶった美女だった。艶やかなキャラメル色のロングヘアをなびかせて、胸の谷間が大きく露出した過激なボンテージのような黒いドレスを着ている。男が目に入れてしまえば、チャームの魔法にかかってしまうほどの魅力を放っていた。

 妖艶な外見だが二十代前半ほどだろうか。歳に見合わぬ落ち着かない態度で、ヒラヒラと手を振ってベッドの老人に挨拶をする。

 しかし、ベッドの老人は反応を返さない。すやすやと寝息を立てているだけだった。

 

「なぁんだ、眠っているのね。起きてよ、ウォーレン!」

 

 老人の枕元で呼びかけるが、やはり老人は目覚めない。魔女の女性は頬を膨らませて不機嫌をアピールする。だが、そんなぶりっ子のような仕草も、反応する相手がいなければ虚しいものだった。

 

「バカね。さっさとそんな身体棄てて転生すればいいのに……」

 

 女性はポツリとつぶやいた。

 しばらく顔を曇らせていたが、やがて何かを思いついたかのように顔を明るくする。

 

「早く良くなってね…… ちゅっ♥」

 

 女性が老人の頬に唇を落とした、その時。

 パチリと老人の目が開いた。

 

「…………貴女は一体、何をしているんですか」

「えっ! うっそぉ! キスでお目覚めなんて、まるでおとぎ話みたぁい♥」

 

 両手をあげてクルクルと回りながら驚いてみせる女性。その大げさな仕草を見て、老人は溜息をついた。

 

「はぁ……貴女は相変わらずのようですね」

「うふふっ。そうよぉ。みんなのデネブちゃんは、いっつもご機嫌なのよ!」

「……そんな事より、私は急用ができました」

 

 女性のハイテンションな言葉を軽くスルーした老人は、ベッドからノロノロと立ち上がろうとする。女性は慌ててそれをサポートする。振る舞いに似合わず、かいがいしい手つきだ。

 

「ちょっとちょっと! いきなり起き上がったら危ないわよッ」

「すみません。ですが急がなくては……どうやら、カオスゲートが開こうとしているようです」

「あら……」

 

 老人の言葉に、さしもの女性もテンションを落とした。その細い顎に指をあてて首を傾げる。

 

「ん〜、でもぉ、この辺にカオスゲートなんてあったかしら? 死者の宮殿じゃないわよねぇ?」

「違います…… というか、貴女も『魔』の気配は捉えられるのでは?」

「う〜ん、そうねぇ。なんとなく……ぼんやりと……やっぱり、わかんない♥」

「はぁ……もういいです。どうやらここから北東の方向ですね。ハイムの近くのようですが……」

「ふ〜ん……。オジイチャマひとりじゃ危なっかしいし、アタシもついていってあ・げ――」

「結構です」

 

 女性が言い終わる前に老人はスッパリと断る。今度こそ頬を膨らませて、ここぞとばかりに不機嫌アピールを忘れない。だが老人は、そんな彼女の仕草を一顧だにしなかった。

 

「もうっ。いいわよいいわよ。あ〜あ、カノぷ〜がいればちゃんと反応してくれるのに……」

「……そういえば、カノープスさん達は?」

「ん〜、あなたを置いてゼノビアに帰っちゃったみたいね。あなたの面倒を見るように手配して、ね。なんだかとっても急いでたみたいだったけど……」

「ふむ……ゼノビアで何かあったのでしょうか……。全員で先に帰るとは考えづらいですが、まあ良いでしょう。私はカオスゲートの封印に行ってまいります」

「はいは〜い。がんばってね〜♪」

 

 女性が手をひらひらと振ると、老人は呪文を唱えて光に包まれ、そのまま宙へと消えていった。

 

「…………もうっ。キスで目覚めたら、そのまま結ばれてハッピーエンドでしょッ!」

 

 一人だけが残された部屋に、ぼやき声が落ちた。

 

--------------------

 

「ふん……俺よりデカい図体しやがって……」

「なんて凶暴なプレッシャーだ。神様ってのもあながち嘘じゃなさそうだぜ……」

 

 変貌したドルガルアを前にして、バルバスとアンドラスは額に冷や汗を浮かべる。

 

「……俺がやろう……二人は下がっていろ」

 

 そんな二人の前に一歩踏み出る男の影。ベルゼビュートはすっかりお馴染みとなった緑色の槍を携えて、凶悪な威圧感と魔力を放ち続けるドルガルアの前に悠然と現れる。

 

「ふ、ふざけるなッ! お前に護られる筋合いはないッ!」

「その通りだ、ベルゼビュート。俺達は足手まといにはならない」

 

 バルバスとアンドラスも、それぞれ己の得物を構えてベルゼビュートの横に並ぶ。

 

「……死んでも知らんぞ」

「ハッ! ぬかせ! 仮に死んだとしても、そりゃあ俺が弱かっただけだッ!」

 

 ベルゼビュートの言葉に、バルバスはニヤリと笑う。強さにこだわる彼らしい言葉だった。

 

「俺は……ニルダムのためにも死ぬわけにはいかん。だが、ここで逃げてしまえば、このバケモノは地上に出て暴れまわるだろう。……それでは、民を見捨てた父と同じだッ! 俺はもう、絶対に逃げんッ!!」

 

 アンドラスもまた、ニルダムの王子として立ち向かう事を決めたようだ。国民を見捨ててローディス教国に尻尾を振った父親、それに逆らわずに従った自分が許せない彼は、この空中庭園で己の道を見つけた。

 

「オオオ……不敬ナリ……! 反逆者ドモヨ……ヒザマズケ……頭ヲ垂レヨ……!!」

 

 ドルガルアは翼を拡げて、三人の元へ飛び込んでくる。空気を切り裂きながら、鋭利な爪の生えた手を振り回す。前に出ていたベルゼビュートがそれを槍で上手くいなしていった。爪が槍に触れるたびに、ギャリギャリと火花が散る。

 触れてしまえばあっさりとバラバラにされそうな爪を、常人からすれば気の狂いそうなスピードで弾いていくベルゼビュート。それを見ていた二人も隙を見て攻撃を加えようとするが、その隙がなかなか見当たらない。あまりにも高度な攻撃の応酬に、手をこまねいている状態だった。

 

「…………仕方ないか」

 

 ポツリとつぶやいたベルゼビュート。次の瞬間、事態は急変する。瞬きをするほどの刹那、ベルゼビュートの動きが急加速して、ドルガルアの動きを上回った。

 それは時の傲慢。一時的に全ての『時』を独占する悪魔の行い。パラダイムシフトを行使したベルゼビュートの身体は、鮮やかな紫光に包まれている。

 

 数瞬の間に、ドルガルアの胴体に槍が何度も突きこまれる。しかもそれらはことごとく、人体の急所となっている箇所を狙い撃っていた。ラヴィニスに見せた突剣の技、それを応用したものだ。

 

「グアァァァッ!」

 

 突然の痛覚に悶えるドルガルアだったが、彼の不運はそれで終わらなかった。気がつけば、近くまで飛びかかっていた二つの影。

 

「オラァ! 喰らいやがれッ!」

「フンッ!!」

 

 魔界の将軍が愛用したとされる地脈を操る巨大なハンマー、サンシオンがドルガルアの脳天を揺さぶる。さらに、魔竜の爪から作られたカギ爪、トゥルエノが弾ける紫電を纏いながら胴体を大きく切り裂いた。

 人を超越したドルガルアといえ、その武器はどれもが魔界でも用いられ、神をも殺す事ができると言われる一級品。巨体を震わして悲鳴をあげるドルガルアは、瞬間移動で転移して三人の元から距離を取る。

 

「ウ……ガ……ガアアアアアアッ!」

 

 ドルガルアは両手を天高く掲げて魔力を励起させる。大気が揺れ、大地が揺れ、辺りに漂う『魔』が悦びに震えるようにドルガルアへと流れ込む。空間がきしみ、やがて巨大な魔法陣が展開される。

 

「チィッ! なんか大技がくるぞッ!」

「なんだあの巨大な魔力はッ!? 禁呪か何かでも使うつもりかッ!」

「…………」

 

 召喚魔法によって大地が割れ、地の底から城とも見紛うほどの巨大な影が地を揺らしながら現れる。石で作られたように見えるその巨体は、身じろぎするだけで一軍ですら滅ぼせそうなほどだ。

 その正体は、ラディウスと呼ばれた神の兵器。全身を発光させて、天界の聖なる気を集めていく。魔界の悪魔ですら一瞬で蒸発させるほどに集約されたそれは、もはや極光と呼べる域にまで達しつつある。

 

 ここに来て、初めてベルゼビュートの顔に苦悶が走る。不死身の彼にとって、どのような大技であろうと恐れはない。だが、せっかく親しくなった二人を失うのは辛い事だった。

 

「……逃げろ。後は俺が何とかしよう……」

「何度も言わせるなッ! 俺は逃げるつもりはねぇッ!」

「私とて同じ事だッ!」

 

 二人は歯を食いしばり、ベルゼビュートは溜息をひとつつく。

 そして、極光が地に落ちた。

 

--------------------

 

「…………なん、だ?」

「ここは……地上か……?」

 

 溢れだした極光に目を焼かれそうになり、固く目を閉じていた二人。軽い浮遊感がして、急に地鳴りの音が失われた事に気づいてゆっくりと目を開けると、そこは黄色い砂が一面に広がる光景、砂漠だった。先ほどまで自分達がいたはずの空中庭園の高い塔が、遠目に確認できる。

 バルバスとアンドラスは、呆けた表情で辺りを見回した。そこに、先ほどまで居たはずの黒いローブ姿は見当たらない。当然、敵であるオウガの姿も。

 

「……あ、あの野郎……! 俺達を……逃しやがったな……!!」

 

 状況を理解したバルバスが悔しげに地団駄を踏む。細かい砂が辺りに舞い散った。

 

「馬鹿な……。あんなバケモノに一人で挑むつもりか……!」

 

 アンドラスは歯を食いしばって身体を震わせる。

 

 そこからの、暗黒騎士団のテンプルコマンドにまで上り詰めた二人の行動は迅速だった。すぐに空中庭園の地下へと駆け出す。バルバスはその大きい図体を揺らし、アンドラスは恵まれた肉体から力を振り絞る。

 

 全てはあの得体の知れない、性別もわからない存在のためだった。

 

 

 ――――だが、空中庭園に向かった二人は呆然とする事になる。

 

 地下へと続く扉、それは既に固く閉ざされており、侵入者を拒んでいた。

 バルバスの腰に差してあったはずのブリュンヒルドは、どこかへと消えていた。

 

 二人は、封印された扉を前に、何も言わずに佇むしかなかった。

 結局、二人があきらめるまで、扉からは誰も出てこなかった。

 

 二人は失意のまま、ヴァレリアを後にする事になる。

 




本気を出したドルガルアさんと、デネブさんのお見舞いでした。
果たして残ったベルゼビュートがどうなったのか。それは次回のお楽しみです。


【占星術師ウォーレン】
ゼノビアからやってきた聖騎士御一行様の一人。白髭のおじいちゃん。
原作におけるマスコット的なキャラで、プレイヤーに様々なアドバイスをしてくれる。
捕虜にされて意識不明の重体となっていた。カノープスに置いてけぼりにされて可哀想。

【魔女デネブ】
オウガシリーズ皆勤賞のアイドルである魔女っ子おねえさん。年齢不詳。
仲間にするのがとっても面倒くさい事でお馴染み。でも愛があれば問題ない。
新生ゼノビア王国建国に一役買っており、ウォーレンとは旧知の仲。

【ラディウス】
ラスボスであるドルガルア王が使ってくるスペシャルスキル。
某巨神兵を思わせるフォルムの巨大なゴーレムが現れ、ビームを放ってくる。ロボ漫画かな?
鍛えていても物凄い痛いダメージを叩きだしてくるので、コレをいかに使わせないかが攻略の鍵となる。


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021 - Sun and Stars

 うおっ、まぶしっ。

 

 デカいロボ風ゴーレムが放ってきたビーム兵器に、俺は思わず目を閉じる。その時、一瞬だけ浮遊感を感じた気がしたが、ちょっと力んだらバチンと音がして収まった。なんだろう?

 すぐに光の奔流が俺に襲いかかってきたが、俺は腕で顔をかばいながら地面へと踏ん張る。全身が焼かれるような感覚だが、正直に言えば、一度だけ試しに入ってみた溶岩風呂に比べれば大した事はなかった。いや、好奇心に負けたんだよ。あれは痛かった。まさに骨まで染みるというか。

 

 しばらく耐えていたが、光と音が止んだのでゆっくりと目を開ける。空間を覆いつくすようなロボ風ゴーレムは、既に姿形もなくなっていた。なんだ夢か。

 

「…………まさか、転移魔法がレジストされるとは……。そこの方、ご無事ですか?」

 

 不意に聞き慣れない声がした。声の方向を見ると、白い髭を生やした老人が立っている。見覚えのない顔だった。ファンタジー小説に出てくる魔法使いのイメージそのまんまだなぁ。

 

「…………この程度は問題ない」

「……高位の悪魔でもタダでは済まない兵器のはずですが……」

 

 そうぼやいている老人をよく見れば、その手には光り輝く剣、ブリュンヒルドが握られている。それで気がついたが、バルバスとアンドラスの姿が見当たらなかった。

 

「……他の二人は?」

「地上に退避させました。貴方も退避させるつもりだったのですが……」

「そうか。感謝しよう」

 

 俺は耐えられたけど、あの二人は危なかったかもしれない。退避させてくれた事に、素直に感謝した。

 

「グオオオオオォォォッ!」

 

 すっかり存在を忘れ去られていたドルガルアが、自己主張するかのように叫ぶ。そういえば、まだ倒したわけじゃなかったわ。さすがに魔力を使い果たしたのか、奴は肉弾戦を挑んでくる。

 先ほどと同じように爪を振り回すだけだったので、槍で弾く。この『いなす技』は、あのハイム城で戦った騎士グランディエから見て学んだものだ。さすがにファランクスとまではいかないが、俺の馬鹿力なら強引に受け流す事ができる。

 

「…………まさに、人の極致ですね……。ふむ、それならば、私もお助けしましょう」

 

 髭の老人がそうつぶやいたのが聴こえたので、俺は手出し無用と伝えようとした。しかしその前に、老人は巧みな魔力捌きで複数の魔法を流れるように発動させていく。はえーすごい。

 無詠唱だったので魔法の効果はわからないが、ドルガルアの動きが目に見えて悪くなっている。時には、腕が麻痺したかのように動かずに攻撃が止む。その隙に俺は反撃を叩き込んでいく。

 

「……グウウ……!」

「させませんッ!」

 

 形勢の悪くなったドルガルアは呻き、またしても瞬間移動して離れようとする。しかし、そこへ老人の魔法が突き刺さった。今まで双翼で宙に浮かんでいたドルガルアは、急激な重力に導かれて地面へと叩きつけられる。もがいて動こうとしているが、その動きは非常に鈍い。

 俺は、隙だらけのドルガルアを前に、槍を回転させながら意識を集中する。

 

「――『槍よ、雷雲を呼び、嵐を起こせ…… いかずち落ちろッ! ギガテンペスト!!』」

 

 地下にも関わらず、どこからともなく雷雲が現れて、激しい稲妻が招来される。ドルガルアの頭に生えた角めがけて、いくつもの落雷が発生した。

 

「グアアアアアァァァッ!!」

 

 体中にほとばしる紫の電流。ドルガルアは悲鳴をあげて、のたうち回る。しかし、さしもの神の肉体も、度重なる攻撃と魔法の前に限界が訪れていたようだ。奴の身体はボロボロと崩れはじめている。

 

「ア……アア…… 我ハ、ドルガルア…… ヴァレリアノ王ニシテ……神ナリ……」

 

 それが奴の最期の言葉だった。

 

 広場の中央に開いた大穴が爆発したように拡がりはじめ、極彩色の光が溢れだす。ドルガルアは光に飲み込まれて、大穴へと引きずり込まれていく。足掻くようにもがきながら奈落へと落ちていくその姿は、救われない覇王の最期を象徴する光景だった。

 

 だが、ドルガルアを飲み込んだ大穴は、それに留まることなく拡がり続けようとしている。空間が鳴動を繰り返し、辺りに漂う死者の宮殿に似た気配はより強くなっていく。

 どうやらカオスゲートが開き、魔界とつながりつつあるようだ。このままでは、俺もドルガルアと同じように、魔界に引きずり込まれてしまうかもしれない。魔界でのバカンスか……。

 

「……いけません。このままではカオスゲートが開いてしまいます。……いえ、その前にここは崩れてしまうでしょう……。崩れてしまえばカオスゲートは発動しないはず……」

「翁よ。ここは私が何とかしよう」

「え? ……いえいえ、若い貴方が命を粗末にするべきではありません。ここは老い先短い私に――」

 

 老人が言い終わる前に、大穴へと近づいていく俺。やっぱ魔界より地上の方が楽しいよな。ドラゴンとかグリフォンもいるし。

 要するにこれを壊せばいいんだろ? どうせストーンヘンジは吹き飛んじゃったし、これなら躊躇なく壊せるな。愛用の槍を構えて、魔力を循環させてパラダイムシフトを発動する。

 

 じゃ、いっちょ、後片付けといきますか。

 

--------------------

 

 彼が槍を一振りするたびに、地が割れて、天井が落ちてくる。

 雷が落ち、風が吹き荒れ、カオスゲートは少しずつ削り取られていく。

 

 このような出会いは、星々の占いでも予言されていなかった。

 私はこの恐るべき光景を、生涯忘れる事はできないだろう。

 

 神に抗う人の力は、これまでにも度々目にしてきた。

 だが、果たしてこれは、本当に人のなせる業なのだろうか。

 

 尋常でない魔力を身に纏い、時を操る大魔法を度々繰り出すその姿は、人というよりも悪魔そのもののように思えた。もし力無い人々がこれを見れば、彼を畏れ、悪魔として迫害するか、絶対の王として崇め平伏するだろう。

 

 運命に導かれて私の前に現れた若者を思い出す。

 彼もまた、尋常ならざる力の持ち主だった。

 

 戦いが終わると私達に後を託して去っていった彼は、きっと自分が残り続ければ何が起こるか理解していたのだろう。両雄並び立たず、王位を継いだトリスタン王と国を二分する事になっていたかもしれない。

 それはさながら人々の頭上に輝き、見るものを惹きつける太陽。だが強すぎる力というものは、人々の目を焼いてしまう。夜空の星々を覆い隠し、人々の運命を一色に染め上げてしまうのだ。それは、何と恐ろしい事だろうか。

 

 竜人によって作られた遺跡は人の力によって崩れ、カオスゲートは断末魔をあげながら徐々に閉じられていく。もし私が自力で同じことをしようとすれば、己の身を犠牲にするしかなかっただろう。

 魔界へと閉じ込められれば、いかに『魔』に抗う術を用いても耐え続けられるはずがない。いずれ私は人の身を失い、『魔』に囚われた虜囚となっていただろう。

 

 彼は命の恩人なのだ。彼の言動を見ていれば、その性質は間違いなく善良。

 しかし私は、彼が人類に絶望し、その力が人類に向いた時を思い、一抹の不安を覚えた。

 

--------------------

 

 空中庭園の外、ボルダー砂漠の一角に突如として光が現出する。ほどなくして光の中から、二人の人影が現れた。辛くもカオスゲートの崩壊から逃れたベルゼビュートとウォーレンの二人だ。

 

「ふぅ……」

「運んでもらい感謝する」

 

 ベルゼビュートが頭を下げると、ウォーレンは穏やかな笑みを浮かべる。

 

「いえ……私の方こそ、お礼を申し上げるべきでしょう。貴方のおかげで、カオスゲートの開放を防ぐ事ができましたから」

「……俺にはこのぐらいしかできんからな」

 

 ポリポリと頭をかくベルゼビュートに、ウォーレンは笑みを深める。それから姿勢を正すと、胸に手をあてて慇懃に自己紹介をはじめた。

 

「申し遅れました。私はウォーレン・ムーン。占星術師でございます」

「俺はベルゼビュート。好きに呼んでくれ」

「では、ベルゼビュートさんと……ベルゼビュートさんは、なぜあの場にいらっしゃったのですか?」

 

 ウォーレンの問いに、ベルゼビュートは指を顎にあてて考える。砂漠に一陣の風が吹き抜けていった。同じくこの場所にいた二人組の足跡は、綺麗に消えてしまっている。

 

「…………友のため、だな。カオスゲートの事を聞き、放置すべきではないと考えた」

「……失礼ですが、カオスゲートの事はどなたから?」

「ああ、ローディスの暗黒騎士だったな。マルティムとか呼ばれていたか。御仁がいま手にしているブリュンヒルドも、その騎士が持っていたのを奪ったものだ」

 

 チラリとウォーレンの手中にある聖剣に目を向けるベルゼビュート。聖剣は太陽の下でも相変わらず光を放ち続けている。ウォーレンもまた、ブリュンヒルドに目を落とした。

 

「そうでしたか……。これは元々、ゼノビア王国の国宝とされている聖剣なのです。戦争の復興の隙をつかれ、暗黒騎士団によって奪われたのですが……」

「ああ。そういう事なら、持っていっても構わんぞ」

「……よろしいのですか?」

 

 ベルゼビュートのあっけらかんとした物言いに、さすがのウォーレンも目を丸くする。これほどの剣であれば、買い手には事欠かない。その価値を知るものからすれば、あり得ないことだった。

 

「二言はない。やはり槍が一番扱いやすいからな。それに、御仁がゼノビアからヴァレリアに来たのは、その聖剣のためなのだろう?」

「…………なぜ、それを」

 

 今度こそ絶句するウォーレン。自分の正体もさることながら、ブリュンヒルドの回収は聖王トリスタンから直々に命じられた密命である。その事実を知るものはほとんどいないはずだった。

 

「ウォーレン翁の事はデニムから聞いていたのを思い出してな……。カノープスも物欲しそうな目をしていた。それに貴殿らのような実力者を、国がそう簡単に手放すとは思えん。放逐されたというのは、偽装だろう?」

「……ご慧眼、おみそれいたしました。もしよろしければ、お時間のある時にゼノビアまでお越しください。この御恩に報いる事を、聖王の名代としてお約束いたします」

「心得た。だが俺は当分はヴァレリアを離れるつもりはないがな」

 

 話しながら砂漠を並んで歩き始める二人。魔法での転移は便利だが、ウォーレンほどの魔力の持ち主でも連発しすぎれば身がもたない。アルモリカから空中庭園への長距離を移動して、ドルガルア戦の補助までしたため限界が近かったのだ。あいにく、マジックリーフの持ちあわせもない。

 

「先ほど、デニムくんやカノープスさんの名前を出していましたが、貴方は解放軍に参加されていたのでしょうか?」

「む……まあ、な」

 

 珍しく言葉を濁したベルゼビュートに、察しのいいウォーレンはそれ以上を尋ねなかった。解放軍には脛に傷持つ者も多く参加している。この男が解放軍の側で参加したとするなら、戦争の結果は占うまでもなく見えているだろう。

 

「……それにしても偽装だったとすれば、ゼノビアは大打撃なのではないか?」

「……? なんのことでしょうか」

「カノープスと御仁を遺して、他の者達は命を落としたと聞くが……」

「…………な……」

 

 ベルゼビュートの言葉に、沈着冷静なウォーレンは驚愕を隠せずに口を開ける。長い間を意識不明で過ごしていたウォーレンは、仲間の訃報を知らずにいたのだ。彼にとって衝撃的な事実だった。

 

「それは……何かの間違いでは……?」

「俺が聞いた話では、白騎士の二人は戦いの中で命を落とし、聖騎士はいまだに行方が知れぬと聞く」

「なんと……ギルダスさんとミルディンさんが……」

 

 ウォーレンは見るからに肩を落としている。ベルゼビュートはその様子を見て、言葉をかけあぐねているようだった。ただでさえ小柄なウォーレンの背中が、さらに小さくなっている。

 

 二人は沈黙を保ったまま、砂漠を歩いていく。

 その背を、太陽はただ見守っていた。

 

--------------------

 

 空は青く晴れ渡り、このめでたい日を祝福しているようだった。

 

 高らかにファンファーレが響く中、もうすぐ正式に国王陛下となる彼がやってくる。あの無血での決着を見たハイム城の大広間で、私は騎士の一人として武官の列に立っている。

 

 結局、あの人はこなかった。

 

 再会を約束したが、あの人は軍を離れて旅立っていったのだ。一世一代の覚悟で、私もついていきたいと、あなたの隣に立ちたいと告白したが、彼は困ったように微笑を浮かべるだけだった。初恋は実らないと聞いた事はあったが、やはり私も例にもれないらしい。

 今日の戴冠式には出席するかもしれない、という淡い希望ももっていたが、それも叶わぬ夢だったようだ。あの人はきっと誰も知らない英雄として、陰から王国を見守るつもりなのだろう。彼らしいとも言えるが、どうしてそこまで自分を犠牲にできるのだろう。

 

「デニム・モウン様、御入場!!」

 

 戴冠式の進行を受け持つ宮廷神官が、声高に宣言する。その声に我を取り戻した私は、姿勢を改めて背筋を伸ばし、今日の主役を迎える。私は今日より、彼の一配下として正式に騎士として生きていくのだ。それが、あの人の願いでもあった。彼の事を支えてほしい、と言われたのだ。

 

 大広間の重厚な扉が開いていき、そこから静かに一人の青年が入場してくる。この一年と少しで、彼は見違えるような成長を見せた。もう、私が知っている子供ではない。それでもどこか、かつての面影を探してしまうのは、彼の成長を素直に喜べていない証左かもしれない。

 

 どうして彼が、とは思う。

 だが彼でなくては、他に玉座に座る人物がいないというのも理解していた。私の脳裏に一人の顔が浮かんだが、それは決して実現しない絵空事でしかない。本人も、周囲も望まないだろう。

 

 もはやすっかり覇王としての威厳を身につけた彼は、豪奢な刺繍の施されたマントをひるがえして、中央に敷かれた赤絨毯を威風堂々と歩いていく。

 私の位置から見える彼の顔は、どこか険しく、どこか凄みがあり、そしてどこか憂いを帯びていた。それは、彼がブランタに対して糾弾を決意した時と同じ表情だった。

 

 彼は目的地である玉座の前へとたどり着く。そこには、国教であるフィラーハ教の大神官モルーバ様が立っている。モルーバ様の顔もまた、厳かではあるが、どこかにやり切れない悲しみが見え隠れするのは、私の気のせいかもしれない。

 

 大広間に静寂が染み渡り、彼がモルーバ様の前に、ゆっくりとひざまずいた。

 モルーバ様は一つ頷くと、傍らの神官が捧げ持っている王冠を両手で受け取る。

 

「大いなる父・フィラーハの名の下に、汝、デニム・モウンをヴァレリアの王と認め、ここにヴァレリアの称号を与える……」

 

 そして、ヴァレリア王国に、一人の王が誕生した。

 




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ついに、デニムくんが王様になりました。
デニムくんのヴァレリア王国改造記 〜内政チートで目指せ千年王国〜 はじまります(嘘)

ウォーレンさんは予言になかった仲間の死に悲しみを背負います。
ベルゼビュートとウォーレンさんの諸国漫遊編、はじまります(嘘)

待て次回。


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022 - Twilight of the King

★シリアス警報!


 ふ〜、やっとハイムが見えてきたぞ。もう砂漠はこりごりだわ。

 

 ウォーレン氏と二人で砂漠を歩いてきた。いや、正確には俺がウォーレン氏をおぶって走ってきたんだけど。おかげで、まあまあ早く戻ってきたはずだ。戴冠式まではまだ日がある。

 戴冠式に出席するつもりは無いけど、やっぱりデニムの晴れ姿は見ておきたかったからな。俺は陰からこっそりと見守るつもりだ。陰キャって俺みたいなヤツのことを言うんだろう。

 

「はぁ……老体には堪えますね……」

「む……すまない。なるべく揺らさないように走ったつもりだったが……」

「いえ、確かに気持ち悪いほどに揺れはなかったのですが……スピードが……いえ、何でもございません。運んで頂き、ありがとうございました」

「そうか」

 

 ウォーレン氏がお辞儀してくる。本当にこの人、礼儀正しいなぁ。自然と背筋がピンとなるわ。ニバス氏にも似ているところがあるけど、あっちは何だか慇懃無礼って感じなんだよな。目が小馬鹿にしているというか。俺に対してはそうでもなかったけど。

 王都ハイムは周囲を壁に囲まれているので、俺達は門を目指す。別にこのぐらいの壁なら飛び越えられるけど、手続きというのは大事だからな。

 

 しかし、そこには不思議な光景が広がっていた。普段は緩い検閲で、ほとんど素通りの門だったが、今日に限っては長蛇の列ができている。多くの馬車や人々が門の前に並んでいるようだ。

 

「これは……?」

「戴冠式の前に、王都入りしておこうという人達ではないでしょうか。なにせ慶事ですから、王国中から人々が集まっているはずです。新王であるデニムくんを一目見ようという人も多いはずですよ」

「そうか」

 

 さすがウォーレン氏、慧眼ですわ。俺もさっきウォーレン氏にそう呼ばれたけど、ゼノビア一行が偽装で放逐されたなんて半分は冗談のつもりだったのに。無職仲間だと思っていたのに、偽装無職だったとは裏切られた気持ちだよ。

 それにしても困ったな。これでは、王都に入るまでに日が暮れてしまうぞ。というか、もう既に陽は赤くなっていて、空にはボチボチ星まで見え始めている。

 俺としては野宿でも別に構わないが、病み上がりだというウォーレン氏をそんな目に遭わせるわけにはいかない。手続きは大事だが、何事にも例外はあるのだ。うん。

 

「そうだな……よし、ウォーレン翁。俺の背中に乗ってくれ」

「ま、またですか……?」

「仕方ないから、この壁を乗り越えてしまおう。なに、後でデニムに詫びれば問題あるまい」

「は、はぁ…… その、私が転移魔法を……」

「ダメだ。ウォーレン翁は病み上がりなのだろう? 無茶をするな。俺に任せておけ」

「はぁ…………」

 

 なぜか一歩引いているウォーレン氏を説得し、背中に乗せて壁を飛び越える。もちろん、誰も見ていなさそうな目立たない一角に音もなく着地した。

 グッタリしているウォーレン氏を背中から下ろすと、辺りを確認した。人影も気配もない。遠くからは、普段よりも大きい雑踏の音や、物売りの声が聞こえてくる。確かに前夜祭状態のようだ。

 

「よし、ではハイム城に向かうとしよう」

「ええ……。なかなか、豪放なお方ですね……。見誤りました……」

 

 賑やかな表通りに向かって、俺達は歩き始めた。

 

--------------------

 

 新王の誕生に期待高まるヴァレリア諸島からオベロ海を挟んで東、ゼテギネア大陸の東部に新生ゼノビア王国は存在していた。

 

 二年前、旧ゼノビア王国の残党による解放軍が、当時のゼテギネア大陸の覇者であった神聖ゼテギネア帝国を打倒して建国した王国だった。その解放戦争の爪痕は、今もまだ各地に残されている。しかし国民達の表情は明るく希望に満ち溢れていた。

 

 その首都である王都ゼノビア、王城の一角で二人の男性が密談していた。

 

「なんだと、ローディス軍が動き出したというのか!!」

 

 そう驚きの声を発したのは、国王トリスタン・ゼノビア。人望厚く民に慕われる彼は、神々の祝福を受けた『聖王』と呼ばれ、名君として内外に名を馳せている。だが、聡明で智謀に優れた彼にとっても、ローディス教国のあまりにも早い動きは完全に予想外のものだった。

 

「たった今、早馬がまいりました」

 

 深刻そうな表情で報告するのは、配下である初老の男性。天空のギルバルドの二つ名で知られる彼は、新生ゼノビア王国において魔獣軍団長を務めるビーストマスターである。解放戦争においては領民を護るため帝国に従っていたが、親友であるカノープスの説得によって反旗を翻した経緯がある。

 

「兵の数はおよそ二十万。これでは、ひとたまりもありますまい」

「……なんということだ」

 

 ギルバルドの報告した戦力の大きさを嘆くトリスタン。その戦火がもたらすであろう被害に、優しい彼は憂いを覚えずにはいられなかった。そして、新たな友好国の命運も。

 

「やっと、落ちつきを取り戻したばかりだというのに……デニム王もついていない……」

 

 ギルバルドの報告は、ローディス教国がヴァレリア王国に対して二十万もの戦力を派遣した事を知らせるものだった。それは新たな戦争、いや蹂躙の始まりであり、内戦を終えたばかりのヴァレリアにとっては悪夢のような事態であろう。同じ国王として、トリスタンはデニムに対して同情を禁じ得ない。

 ヴァレリアにおける戴冠式へはトリスタン自身が赴くつもりであったが、まだ国内が安定しているとは言えず危険だというもっともな理由によって側近に止められた。本来なら名代としてウォーレン辺りが相応しいのだが、彼はまだ帰国していない。

 

「……仕方ありません。ニルダム王国でも反乱の動きが始まったとなれば、教国が焦るのも無理はないでしょう。ヴァレリアがニルダムに合流し、我が国も協力すれば、その流れは止めようもなくなります。その前に個別撃破を目論むのは、戦略としては当然でしょう」

「……カノープスの帰還を急いだのは良かったのか、それとも……」

「ヤツがいなければ、我々も戦備を整える事が遅れていました。ご英断かと……」

 

 慰めるようなギルバルドの言葉だったが、トリスタンの顔は晴れない。

 

「……まさか、あれほどの精鋭達が命を落とすとはな……。戦争とは本当にままならぬものだ」

 

 彼はすでに、自らの配下である聖騎士がヴァレリアにおいて行方不明となった事を聞いていた。もはや命がないであろう事も。そして同じく、志願した白騎士の二名が命を落とした事も。

 その悲報を聞いた時、彼は一日中自室にこもり、自らの決断を嘆き続けた。

 

「彼がいてくれれば――」

 

 そう言いかけて、トリスタンは口を閉じ、首を振る。それは、王になってから何度も思った事。だが、王となったトリスタンが決して口にしてはならぬ事。その言葉は、後を託して王国を去っていった彼の覚悟を、思いを、優しさを否定するに違いないのだから。

 

 何も言わぬギルバルドに感謝しつつ、トリスタンは窓から暮れかけた空を見上げる。

 勇者と呼ばれた彼の、後姿を思い出しながら――――。

 

--------------------

 

 荘厳かつ絢爛な大広間に、一つの声が響く。

 

「……戦いは終わった。しかし、問題は山積している」

 

 戴冠式を終えて、王となった一人の青年の言葉だった。その声には、これまで戦い抜いてきた者だけにわかる苦渋と、為政者としての苦悩に満ちていた。

 

「貧困にあえぐ者、戦禍によって家や家族を失った者、そして未だ恨みを抱く者……」

 

 王冠を戴き玉座に腰掛けた彼の姿は、まさしく一国の王に相応しい姿だった。覇王を継ぐものとして、民衆からの支持を確固たるものとする彼は、もはや権威たる威厳すらまとっており、大広間に居並ぶ騎士達から注がれる視線も熱い。

 窓から差し込む光が、逢魔が時の不気味な紫色に染まりつつあるのも、覇王として畏れられる彼の演説に対するこの上ない舞台効果として機能していた。

 

「願わくば、遺恨を残さないで欲しい。忌まわしき過去と決別して欲しい。我々の未来のため、子供たちのために、過去を悔い、改めなければならない――――我々にはそれができるはずだ!」

 

 それは彼の本心から来る言葉ではあった。しかし依然として民族差別問題は燻り続けており、ヴァレリアを一つにできない苛立ちが込められているようにも聞こえる言葉だった。

 王は、本心を押し隠すように、自分を納得させるように声をあげ、聴衆を奮い立たせながら演説の締めとなる言葉を口にする。

 

「新たな世界のために、このヴァレリアに暮らす同じ民として、平和な未来を築こうではないか!」

 

 

 ――――そして、その時は訪れた。

 

 

「デニム・モウンに制裁を! ウォルスタに栄光あれ!!」

 

 並び立つ騎士の一人が、列から飛び出す。

 その手には、懐から取り出したばかりの『銃』が握られていた。

 

 轟く一発の銃声。

 

 絢爛な大広間は、悲鳴と騒乱に包まれた。

 

--------------------

 

 俺達が表通りに出ると、辺りは喧騒と群衆で満たされていた。先ほど遠くから聞いた物売りの客寄せや、行き交う人々の楽しそうな声が気分を盛り上げてくれる。

 

「……おかしいですね……」

 

 ウォーレン氏は不思議そうな声を出した。疑問に思って目を向けると、彼の目は空へと向けられている。俺も釣られて夜空を見るが、特に異常は見られない。

 すでに太陽は地に隠れており、夜がやってきている。空にはいくつもの星が見えていた。地球の都会では見られなかった、素晴らしい星空だ。

 

「どうした?」

「……私の気のせいならば良いのですが……この星の並びは――――」

 

 彼が最後まで口にする前に、その声は表通りに響き渡った。

 

 

「簒奪者デニム・モウンは、我ら『バーナムの虎』が討ち取ったッ!! 王女を謀殺した悪逆な偽王に天罰が下ったのだッ!! 我らは真のヴァレリア人のための国家建設を目指すのだッ!!」

 

 

 は?

 

「…………遅かった、ようですね……」

「…………」

「……恐らくは戴冠式の席でのことでしょう……。星を見れば、空中庭園に向かった日から、すでに数日が経っている事がわかります」

「……ありえん。俺が空中庭園へ向かったのは、戴冠式の数日前だったはず……」

「カオスゲートによる影響、でしょうか……。魔界の時間の流れは、こちらとは異なるそうです。一時的に魔界とつながった結果、体感よりも早く時間が経過したものかと……」

 

 そんな、そんな馬鹿な。だって俺、戴冠式に。デニムを。見守るって。

 

「…………デニムが……死ん……だ……?」

「死神の凶兆……どうやら私はまた、間に合わなかったようですね……」

 

 信じない。俺は信じないぞ。

 デニムが死んだなんて、殺されたなんて真っ赤な嘘に決まってる。

 

 だって。

 

 だって、それじゃあ、あんまりじゃないか。

 

 

「ベルゼビュートさんッ!」

 

 ウォーレン氏の声が後ろから聴こえたが、俺は脇目もふらずに走りだした。

 景色があっという間に後方に流れていく。

 

 建物を次々と飛び越え、驚く人々の頭を飛び越え、高くそびえ立つ城壁を飛び越え、いくつもの堀を飛び越え、止めようとする兵士達を鎧袖一触し、立ちふさがった騎士を吹き飛ばし、あの日に通った道筋をそのままたどっていく。

 

 どけっ! どけよっ! 邪魔しないでくれっ! 頼むから道をあけてくれっ!

 

 手足を千切れそうなほどに振り、時にはパラダイムシフトを使って加速した。もどかしくて、もどかしくて、どうにかなってしまいそうだった。

 

 俺は信じていた。デニムは死んでなんかいない。あんなのは賊どもの大嘘だ。戴冠式の祝賀ムードに水を差してやろうという、ヤツらの企みに違いないのだ。

 だって、そうでなければ、あんまりじゃないか。デニムが報われなさすぎる。自分の手を汚して、仲間達の死を乗り越えて、ようやく勝ち取った平和なのに。望まない王になって、国のため、民のために生きようと決めたのに。全てはこれからだったのに。

 

 それなのにどうして。

 どうして、アイツばかりが、そんな目に遭うんだ。

 

 やっとたどり着いた大広間は、悲しみにくれる人々で埋め尽くされていた。地面に泣き崩れている人、力無く座り込んでいる人、怒号をあげている人、人目もはばからず泣き叫ぶ人。人、人、人……。

 

 俺は、その中心となっている人物の下へと、力無く進んでいく。

 銀髪の女性に、抱かれるようにして眠る、人物のもとへと。

 

「……ベ、ベル……殿……」

 

 銀髪の女性は、顔をクシャクシャにしながら俺を見上げる。いつもの凛とした雰囲気はなく、親とはぐれた迷子のような表情だった。彼女は嗚咽を漏らしながら、俺に謝ってくる。

 

「……すみま……せん…………すみ、ません……私は……」

 

 俺はそれに、何も応える事ができない。

 

「……ベル、殿の願いを……デニムを……支えろって……言われたのに……」

「…………」

「……うっ……うぅぅ、どうして…………どうして、こんな事に…………」

 

 ラヴィニスの胸に抱かれるように眠る青年。

 まだあどけなさが残るその顔は、もうピクリとも動かない。

 

 

 デニムだった。

 




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--
---
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…………。

やはり悲劇は悲劇のままが美しい(開き直り)
タクティクスオウガの世界を描くにあたって、やはりこのEDを描く事からは逃げられませんでした。
なお、作者はハッピーエンド主義です。

ちなみに、叙述トリックっぽいもの(バレバレ)をしていますが、魔界での時の流れが違うのは公式設定です。(PSP版DLCのウォーレンのセリフで確認できます)

★活動報告に今話について書きました。特に読まなくても支障はありません。


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023 - One Ogre

※シリアス警報!


 無様に泣きじゃくる私の前にベルゼビュート殿が現れた時、ひたすら謝り続けた事を憶えている。その間、彼は黙ってデニムの顔を見つめていた。

 遅れてきた彼に対して、どうしてもっと早く、と思わなかったとは言えない。だが、それが完全に筋違いである事も理解していた。彼は私達を信頼して去っていったはずなのだから。

 

 彼はしばらくの間、無表情でデニムと私を眺めていたが、やがて何も言わずにフラリと立ち去っていった。私には、それを止める資格などないのだと思った。

 

 失望させた、そう思った。

 

 

 次に彼の名前を聞いたのは、同僚の騎士の口からだった。元々はブランタに忠誠を誓っていた騎士だったが、ブランタが没した後、デニムに説得されて王国のために忠義を曲げた男だ。あの決戦の時に、ベルゼビュート殿と一対一の決闘をして敗れたと聞いた事がある。

 

「ラヴィニス殿、聞いたか?」

「何をですか?」

「『バーナムの虎』が壊滅したらしい」

「…………まさか」

「ああ……あの男だ」

 

 それは始まりに過ぎなかった。

 

 それから度々、彼の事を耳にするようになる。あの人は次々と国内の不穏分子を排除していったのだ。そのおかげで、指導者を失い、まとまりに欠ける私達が空中分解せずに済んだと言える。しかし、その内情はボロボロだった。

 誰かが指導者にならねばならぬ、と貴族の一人が立とうとすると、それを他の者達が足を引っ張って妨害する。その繰り返しだった。いずれにしても権力欲にかられただけの彼らでは、国を一つにするなど到底不可能に近い。

 

 デニム一人がいなくなるだけで、こうまで違ってくるのだ。人々が『英雄の再来』を求めるようになるのは、自然な流れだった。それが、人知れず暗躍する『名もなき英雄』へ向けられる事も。

 

 だが、彼は孤高を貫いた。

 

 軍を出て彼についていこうとする者は後を立たない。だが彼はそれを全て断り、追われれば身を隠し、一人で動き続けた。

 まさに東奔西走という言葉通り、昨日は東の盗賊団が、今日は西の海賊が、という具合に報告が入ってくるのだ。それが全て一人の仕業によるものとは考えづらく、非公式な武装集団が暗躍しているのではないか、と考えた王国中枢部は警戒心を強める。

 

 そうして彼の身柄には、高額の賞金が懸けられた。

 

 彼を知る者は私も含めて反対したが、疑心暗鬼になった貴族達を止める事などできなかった。

 軍を退役する事も考えたが、彼の意思、デニムの遺志を考えると、それもためらわれた。

 

 そして、デニムの死から半月が経とうという頃、その凶報はゼノビア経由でもたらされた。

 

 ローディス教国、二十万の派兵。

 

--------------------

 

 ローディス教国の首都である神都ガリウスを発った二十万もの戦力を擁する『光焔十字軍』は、いくつもの海を越え、およそ一月の船旅を終えてヴァレリア諸島に殺到しようとしていた。

 その目的は、教国に歯向かいゼノビアに擦り寄ろうとするヴァレリア王国を支配下に収める事。ローディス教への改宗を強制し属国とするため、神の名のもとに教皇によって発動された『聖戦』だった。

 とはいえ、教国の領土面積からすれば十分の一にも満たない小さな島々だ。もはや戦争と呼ぶ事すらおこがましい蹂躙劇が繰り広げられるものと、誰もが予想していた。

 

「良いか! 糧食はなるべく節約せよ! 極力は現地調達で賄うのだッ!」

「指揮官殿! それはつまり、略奪を良しとするという事でしょうか?」

「うむ、そうだッ! 自由な略奪を認める! この地に住むのは、反乱分子どもとつながり、教国に楯突こうと目論む異教徒たちなのだッ! 徹底的に蹂躙し、我ら教国の力を思い知らせるのだッ!」

 

 王都ハイムから北、ヴァレリア本島の北東部に位置するルッファ海岸に着岸した一団は、船上で臨戦態勢を整え、上陸の準備を進めていた。彼らは本隊に先駆けて上陸侵攻を試みる先遣隊である。

 教国の方針は、もはやヴァレリアという国の存続すら認めないほどの徹底的な蹂躙。すでに降伏を伝える使者は送られているが、その受諾を待たずにヴァレリア島全土を攻め尽くすのだ。

 これは、早々の降伏を認めたニルダム王国で反乱の動きが見られる事が一因だった。その反省を活かし、教国の強大さを嫌というほど理解させて反抗心を削ぐ。それが教国の狙いだった。

 

 だが、彼らには一つ、計算違いがあった。

 

「ゆくぞッ! 全軍上陸し、内陸へと侵攻せよ!」

 

 部隊を指揮するコマンド級の騎士は、馬上で剣を抜いて高く掲げる。剣の刀身が太陽の光を反射して煌めいた。少しのタメのあと、剣を一気に振り下ろす。

 

「進――――」

 

 そして、彼の意識はそこで途絶える事になる。

 

 彼が号令をかけようとした瞬間、空から()()()()()が降ってきたのだ。

 

 見事な碧色のそれは、騎士の身体を真っ二つに引き裂き、それに留まらずに馬の背中を貫く。勢いそのままに槍が地面にまで達すると、爆発したかのように地面が吹き飛んだ。周囲にいた兵士達は巻き込まれ、生き残った者は皆無に等しい。

 

「…………え?」

 

 先に突出していた兵士達が、大音量の爆音と土煙に振り向く。そこには、まるで星の欠片が降ってきたかのように、大きなクレーターが形成されていた。

 だが、彼らがそれを理解した時にはもう手遅れだった。次の瞬間には、彼らへとほぼ同時に大きな衝撃が叩きこまれ、水平線の彼方へと粉微塵になって吹き飛ばされる。彼らが存在していたはずの場所には、怪しい紫色の光が軌跡として残されていた。

 

 姿の見えぬ攻撃に怯えた兵士達は、自然と背中を合わせて円陣を組む。だが、それをあざ笑うかのように、円陣はみるみるうちに削り取られていく。兵士達はすっかり怯えきって、歯をカチカチと鳴らした。

 

 残された数人が、ぼんやりとだけ、紫光を放つ人影を目撃する事になる。もはや正常な思考を保つこともできない彼らには、どうしてもそれが人間のものには見えなかった。

 最後に残った一人が、ポツリとつぶやく。

 

「……オウガ……」

 

 その後、先遣隊全滅の知らせが、斥候によって本隊に届けられた。

 

--------------------

 

 どうしてだ。どうして。

 

 俺は終わらない戦いを続けていた。もはや、殺した敵の数などいちいち数えていない。今の俺にとって、敵の顔はすべて同じように見えた。ジャガイモか何かだ。

 あれから、大好きだったはずのドラゴンやグリフォンも食べていない。すっかり喉を通らなくなっていた。食べなくても生きていける身体でなければ、とうの昔に野垂れ死んでいただろう。

 

 敵の上陸しそうな場所、敵が攻め込みそうな場所。見つけた端から全滅させていった。だが、それでも敵の勢いは止まらなかった。敵も、俺が一人で動いている事は薄々察しているらしく、戦力を分散させて攻め込んでくる。俺一人でできる事など、たかが知れていた。

 敵によって蹂躙された村や町を、いくつも後になってから発見した。それを見るたびに、デニムの思いが踏みにじられている気がして、俺はますます敵を殺す事に過熱した。

 

 いつしか、声が聴こえるようになっていた。

 俺を遠くから呼ぶ声だ。

 

 その声は誘うように、俺に呼びかけてくる。

 時には地の底から這うように、時には空の上から手招きするように。

 

 デニムの声も聴こえた気がした。

 

 俺は、少しずつ、少しずつ、その声に耳を傾けていった。

 そうすればするほど、身体の底から力がみなぎってくる気がした。

 槍がさらに軽く感じ、一振りするだけで大勢の敵を殺す事ができた。

 

 そしてある時、ふと思った。

 

 どうして俺は戦っているのだろう。

 デニムを、嫌がるアイツを王に仕立てあげた民衆。

 くだらない内輪揉めで、いつまでもまとまらない貴族達。

 

 そんなヤツらのために、どうして戦っているんだろう。

 

 全てが馬鹿らしくなりかけたその時、俺は見覚えのある女性に再会した。

 

--------------------

 

 教国の侵攻が始まってから数日が経つと、次第にその状況が明らかとなってきた。

 

 それは、例の『名もなき英雄』が孤軍奮闘し、教国の先遣隊をことごとく全滅させているという、にわかには信じられない情報だった。だが、多くの目撃証言がそれを裏付けていた。

 

 あの人にそこまでさせている自分が、この期に及んで一つにまとまる事のできない私達が情けなくて、私はすぐにでも彼の下へと飛んでいきたい気持ちになった。だが、そうしても足手まといになる事は明らかで、歯噛みしながら軍をまとめる事に注力しつづけた。

 

 教国からの使者の要求は簡単なものだった。無条件降伏。当然ながら、貴族達の間で喧々諤々の議論が交わされた。多くの貴族が降伏に賛同したが、一部の強硬な貴族達や軍内部では徹底抗戦の声も大きく、簡単には結論が出そうになかった。

 そうしている間にも教国の本隊は近づいており、日に日に上陸する戦力は増えていく。もはや、あの人一人の力でどうこうなるような状況ではなく、王国軍もそれを黙ってみているわけにはいかなかった。

 

 いつまでもまとまらない貴族達に業を煮やし、一部貴族と軍によるクーデターが発生。その陰には、一人で奮闘を続ける『名もなき英雄』の影響が大きかった。かの英雄へ傾倒する者も多く、彼一人に自国が守られている事への不甲斐なさを感じる者が多かったのだ。王国は徹底抗戦を選択する事になる。

 

 その日から、ヴァレリアの終わらない戦いが始まった。

 

 

 現在の私は、王都ハイムに近いバーニシア城の警護隊長を任され、その任にあたっている。この城を奪われれば、教国にみすみす橋頭堡を与える事になる。重大な任務だ。

 だが私はといえば、あれ以来ふ抜けている事を自覚していた。その原因は明らかだ。今だって、バーニシア城の城壁の上で、彼の事を考えている。

 

「…………ベル殿……」

 

 頬をなでる風が心地よいが、幼い頃から共にしてきた長い髪はもう風になびく事はない。デニムを亡くした際にバッサリと断ってしまったのだ。短くなった髪は、どこか寂しい。

 

 彼と旅をした数日間を思い出す。

 あの時にはまだデニムも生きていた。思い返せば、デニムが本心からの笑顔を見せたのは、あの旅が最後だったかもしれない。ベルゼビュート殿の豪胆で野放図な振る舞いや、ニバス殿の意地悪でどこか憎めない言動には散々振り回された気がするが、それも今では楽しい思い出だった。

 

 どうして、こうなってしまったのだろう。

 

 楽しい思い出と現状の落差に、私は膝を折りたくなる。だが、それが許されるような状況ではないのだ。デニムの遺志として、私はこの国を守らなくてはいけない。それがあの人の意思でもあるはずだ。

 

 思わず零れそうになった雫を拭いとっていると、敵襲を知らせる鐘が鳴り響いた。気持ちを切り替えて城壁の上から目を凝らしてみれば、遠方に教国軍と思われるいくつもの馬影と砂埃が見えた。

 警備隊長として命令を出していく。あらかじめ手順は指示しておいたが、私が着任してから初めての交戦であり、兵士達は浮き足立っている。私が浮ついていれば、彼らも不安になってしまう。懸命に平常心を保ちながら接敵に備えた。

 

 あと数十秒で弓の攻撃範囲に入る、という頃、敵の軍勢に異変が起こる。

 

 各所で爆発のような土煙が舞い起こり、兵士達が紙切れのように空高く吹き飛んでいる。それはまるで、見えない巨人が足踏みをしているかのような光景だった。

 次々と起こる爆発に、敵軍の士気は完全に崩壊しつつあった。一部はすでに戦意を失い、撤退の動きを見せている。追い討ちのチャンスではあるが、この城からでは弓は届かない。

 私は決断し、騎馬隊を率いて打って出る事にした。そこに、あの人がいるのではないか、という淡い期待がなかったと言えば嘘になる。

 

 だが、城から出た私達を待っていたのは、人の死が蔓延する魔界のような光景だった。

 

 もはや動く人影はほとんどなく、かすかに聞こえるのはうめき声。赤く染まった大地には、大勢の死が横たわっていた。それは、私が見たどの戦場とも違う、この世の終わりのような光景だった。

 率いてきた騎馬隊の新兵には、吐き出すものもいる。私も口元まで酸っぱいものが込み上げてきたが、必死でこらえた。一体どうすれば、このような光景が作り出せるのか。本当に人の所業なのか。頭に浮かんだ疑問を打ち消すのに必死だった。

 

 

 グシャリと、何かが潰れるような鈍い音が聞こえて、そちらを振り返る。

 そして私は、ついに再会する事になる。

 

 そこに立っていたのは、一人のオウガだった。

 

 私と同じ色だった美しい銀髪は、すっかり血に染まり赤くなっている。

 常に微笑をたたえていた口元は、鋭い牙が見え隠れしている。

 宝石のような透き通った紅い目は、血走って殺気がにじみ出ている。

 天上の衣のようだった衣服は、黒く染まりボロボロで意味をなしていない。

 額からは一本の黒い角が生え、皮膚は黒ずみ不浄の者を思わせる。

 

 だが、その顔を見間違えるはずもない。

 その人は、私が初めて愛した人だったから。

 

「……ベル……殿……?」

 

 私が声をかけると、彼はピクリと肩を震わせてゆっくりと視線を合わせる。その目はもはや焦点もあっておらず、ただただ敵を探して動いているように感じた。

 

「…………ラヴィニス……カ……」

 

 低く魅力にあふれていた声は、まるで地の底から響いてくるようなおぞましさがあった。だが、そんな事よりも、私の事をまだ忘れていなかった事に安堵をおぼえた。

 

「どうして……そのような姿に……」

「…………」

 

 私の問いには答えず、彼は再び敵を探す作業に戻ろうとする。彼が手に持っている槍はかつての美しい緑碧ではなく、黒と赤のマーブル模様になっていた。

 

「ベル殿ッ! もう……もう、相手は抵抗しておりません……これ以上は……」

「…………」

 

 だが、彼は動きを止めようとはしない。それどころか、まだ息のある敵兵を見つけると、その槍を大きく振りかぶってトドメを刺そうとする。

 私は慌てて彼に飛びついて止めようとしたが、彼の身体に触れそうになった瞬間、衝撃を受けて吹き飛ばされる。怪我をするほどの強さではなかったが、私は地面へと無様に転がり倒れる。周囲にいた騎馬隊の兵士達が慌てて近寄ろうとするが、手を出さないように合図をする。

 ノロノロと起き上がる私に向けて、彼は憎しみを込めた鋭い目を向けてくる。

 

「…………ラヴィニス…………オ前マデ……邪魔ヲスルノカ……」

「……ち、違います! 私はただ、無抵抗の相手をなにも殺す事はないと……」

「…………殺ス。奴ラハ……一人残サズ…………」

「ど、どうして……? どうしてそのような事を……? 確かにローディス軍は敵ですが、彼らはモンスターではないのです。降伏するなら、受け入れなくては……」

「…………」

「……何が貴方をそこまで変えてしまったのかは、わかりません……。ですが、ベル殿のおかげで多くの民が救われているのです。どうか……どうか、正気に戻ってください……」

「…………正気……ダト? 俺ハ……正気ダ……。オカシイノハ、コノ世ノ中ノ方ダ……。デニムガ死ネバ、次ノ英雄ヲ求メル、無責任ナ民衆……奴ラガ、デニムヲ殺シタノダ……」

 

 駄目だ、と思った。そっちへ進んではいけない、と。

 

「ベル殿ッ……! いけません、それは――――」

「デニムハ……何ノタメニ死ンダ……。俺ハ……何ノタメニ……戦ッテイル……?」

 

 彼がそう自問すると、次第に彼の身体に変化がおとずれはじめる。黒ずんでいた肌の色が濃くなっていき、紫色へと変化していく。彼の額に生えていた角も、ますます太さを増していく。手足からはメキメキと音を立てて、鋭い爪が生え始めている。

 

 彼は、もはや人に絶望し、人をやめようとしている。

 そう直感した私は、再び彼に飛びついていた。彼を引き留めたい、その気持だけが私を突き動かしていた。今度は弾かれず、彼の変わりゆく肉体を必死に押さえようとする。

 

「アア……! アアアァァ……!!」

「駄目……! 駄目ですベル殿ッ! 戻ってきてくださいッ!」

「ウ……ウウウ…………ドウシテ……! ドウシテ、アイツダケガ……!!」

 

 このままでは抑えきれない、と思ったその時、私達のすぐ側の中空から光の玉が現れる。それは、私の記憶に間違いがなければ、転移石などで見られる転移魔法の光だった。

 光の中から現れたのは、一人の老人。かつてアルモリカ城で出会った彼の名は占星術師ウォーレン。彼は状況を見てすぐに理解したのか、私に声をかけてくる。

 

「時間がありませんッ! 私が『魔』を抑えますので、ラヴィニスさんは彼に声をかけ続けてくださいッ! どうか彼が人としての正道に戻れるよう、希望を取り戻せるようにッ!」

 

 ウォーレン殿の言葉に、私は一も二もなく頷いた。

 




オウガさんはオウガさんになってしまったようです。
高まるヒロイン力。次回、ラヴィニスさん回。


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024 - Blurry Cloud

★ラブコメ警報!


 俺は、絶望の中にいた。

 

 どうしてデニムばかりが、あんな目に遭わなくてはいけなかった。どうして辛い役ばかりを、アイツに押し付けるんだ。どうして。どうして。

 

 いくら自問しても答えは見つからなかった。いや、本当はわかっていたんだ。俺が納得できるような答えなんか無いって事は。

 誰だって、運命の輪からは逃れられない。アイツが不幸な目に遭ったのは、ただ単についていなかったから。アイツが辛い役を押し付けられたのも、そういう運命だったから。

 だけど、そんなので納得できるはずがないだろ。デニムだって言ってたじゃないか。運命だったなんて、そんな簡単に割り切れるはずがない。

 

 どうやら俺は、ちっとばかり疲れてしまったらしい。思えば、死者の宮殿を出てから、戦争のことばっかり考えてる。あのダンジョンの中にいたほうが平和だったなんて、笑えない冗談だよな。

 

 目の前に、俺の名前を呼ぶ女の子がいる。

 

 なんだか頭までボケはじめていて、彼女の名前は思い出せない。でも、銀髪が綺麗な女の子だった。伸ばせば似合いそうなのに、ショートカットにしているのが少し残念だ。

 彼女がどうして俺の事を呼んでいるのかはわからない。でも、彼女に悲しい顔は似合わないと思う。泣き顔はかわいいけど、笑顔はもっとかわいいと思う。

 

 彼女の笑顔が見たいな。そう思った。

 

「……ベル殿……どうか戻ってきてください。もう一度、あなたの笑みを見せてください……」

 

 おう、奇遇だな。俺も今、そう思ってたところなんだ。

 

「貴方は優しすぎる……。そんな貴方だから、デニムの死を悲しむのはわかります。だけど、貴方がそのように彼の死を背負う事を、彼は望んでなどいません……。貴方が自由に生きる事を、彼は望んでいた……」

 

 デニムが……? んー、でもなぁ。自由にって言われても……。

 

「貴方と過ごしたのは数日間の旅でしたが、デニムは本当に楽しそうでした。私も楽しかった。あの時のドラゴンステーキ、食べておけばよかったと後悔しています」

 

 おっ、ドラゴンステーキかぁ。そういや最近は食べてない気がする。また食べたいなぁ。

 

「…………私は……」

 

 ん?

 

「私は……貴方の隣に立ちたかった。貴方と共に歩きたかった……。貴方を困らせるつもりはありません。でも、この気持ちは簡単にあきらめられるものではなかった……」

 

 え? え?

 

「お慕いしています……ベル殿……」

 

 えええええッ!?

 

「貴方に出会った時は、ただ外見に惹かれただけでした……。ですが、貴方と過ごし、時を重ねる内に、貴方の不器用な優しさに……ひたむきな剛毅さに……私は惹かれていたのです」

 

 ちょッ! ちょっと待って!

 

「貴方は私の事など、どうとも思っていないかもしれません……。ですが、叶うことなら……」

 

 うわー! 待ってくれ! どうとも思ってないわけないやろ! っていうか、現在進行形で惚れてまうやろ! なんだその上目遣いは! 頬を桜色に染めるな! あかーん!

 

「どうか……どうか戻ってきてください……。私を……一人にしないで……」

 

 おっしゃー! 俺、戻る! 絶対に戻るよー!

 

 待っててくれ、ラヴィニスちゃん!

 

--------------------

 

 ウォーレンの『魔』を抑える魔法によって、かろうじて均衡状態が保たれていた。だがそれは、ちょっとした事で崩れてしまう危うい均衡にすぎない。ウォーレンは額に汗を浮かべながら、目の前で行われているラヴィニスによる説得が成功する事を祈り続ける。

 もし失敗すれば、それはこの世界の破滅を意味するかもしれないのだ。あれほどの力を持つ人間が暗黒道に堕ちてしまえば、その力は絶大なものとなるだろう。かつて、大陸一の賢者が堕ちた時よりも大きな被害をもたらすかもしれない。

 

 彼に忍び寄る『魔』の気配を察知できたのは僥倖だった。ハイムでベルゼビュートが離れていってから一抹の不安を抑えきれなかったウォーレンは、ゼノビアへの帰還を延期してヴァレリアに滞在し続けていたのだ。

 カオスゲートがなくとも、魔界に行かなくとも、人は暗黒道に堕ちる事ができる。その事は、かつての戦いで理解していた。一度、完全に暗黒道に堕ちてしまえば、もはや助ける事はできない事も。

 

 ベルゼビュートという男に感じた危うい気配。それは、かつて運命の導きによって出会った勇者も発していたものだ。幾度の戦いを経るたびに、彼は少しずつ力に傾倒していく様子を見せた。それは暗黒道への入り口に他ならない。

 だが、後の聖王であるトリスタンや、帝国の四天王でありながら己の正義に殉じようとしたデボネアといった出会いに恵まれ、少しずつ正道へと舵を戻していったのだ。

 人と人とのつながりこそ、暗黒道に対抗する最大の手段なのである。

 

 すでに状況はかなり悪いと言えた。彼の外見はすでにオウガと遜色ないものにまでなりつつある。だが、まだ完全に堕ちたわけではない。親しかったラヴィニスの呼びかけならば、彼を救う事ができるかもしれないのだ。

 

「どうか……どうか戻ってきてください……。私を……一人にしないで……」

「……ウ……ウウ…………」

 

 ラヴィニスが目に涙を浮かべながら呼びかけを終えると、ベルゼビュートの目にかすかに理性の色が浮かんでいるように見えた。

 

「……もっと強く呼びかけるのですッ! 感情を! 彼の感情を揺さぶるのですッ!」

 

 うまくいきそうな気配に思わずウォーレンが口をはさむと、ラヴィニスは少し逡巡した様子を見せ、すぐに覚悟を決めた表情になった。

 

「…………ベル殿ッ! 失礼しますッ!」

 

 顔を赤くしながら、ラヴィニスはベルゼビュートの顎に手をかけ引き寄せると、彼の牙が見え隠れする口に己の唇を落とした。いわゆる接吻というやつだった。

 ウォーレンはその行動に少し眉をひそめたが、その効果はてきめんだった。

 

「…………う……うう……」

 

 少しずつ、ベルゼビュートの目に光が戻りはじめる。逆再生するかのように肌に赤みがさしはじめ、太く長かった角がシュルシュルと小さくなっていく。尖っていた爪も元に戻り、口元に見えていた牙は影もなく消えていく。

 

「…………俺……は……」

「ベル殿!」

 

 ラヴィニスが目を輝かせながら、ベルゼビュートの名を呼ぶ。その顔は、溢れんばかりの笑顔となっており、普段からのギャップも相まってラヴィニスの魅力を最大限に引き出していた。

 周囲にいた騎馬兵たちも、先ほどまでの恐怖を忘れてラヴィニスの笑顔に魅了されている。

 

「……ラヴィ……ニス……俺は、なんという事を……」

「良いのです……ベル殿がご無事であれば……。それが私にとっては一番……」

 

 完全に理性を取り戻した様子のベルゼビュートに、ウォーレンはそっと安堵する。しかし、まだまだ油断はできない。一歩間違えれば、彼は再び暗黒道に堕ちてしまうかもしれない。それを防ぐためには、人とのつながりという(くさび)が必要だ。

 感極まって目を拭うラヴィニスを、ベルゼビュートはしっかりと見据える。その目には、かつての彼にはなかった柔らかさが感じられる気がした。そんな優しい視線を受けて、ラヴィニスはわちゃわちゃと視線を泳がせている。どうやら、今頃になって自分の言動を思い出したらしい。

 

「…………ラヴィニスの声、何となく聞こえていた……」

「えっ! そ、そ、その、あの、あれはその……」

「ありがとう、ラヴィニス」

「えぇっ!?」

「……君がいたから、俺は助かった。そして、君の気持ちを聞いて、俺も自分の気持ちをはっきりと理解したつもりだ……」

「……ベ、ベル殿……」

「好きだ、ラヴィニス。俺は、君を愛している」

 

 ベルゼビュートの告白に、ラヴィニスは驚きの表情を浮かべ、やがて花が咲くように笑顔を浮かべた。もはや二人の間を隔てるものは何もなく、二人の顔が近づいていく。

 

 ウォーレンはその間何も言わず、見て見ぬふりをしていた。

 占星術師ウォーレンは、運勢だけではなく、空気も読める男だった。

 

--------------------

 

「すまない。心配をかけたようだ」

「ま、全くです。どうして一人で全てを片付けようとするのですか……」

 

 平謝りを続ける俺だったが、ラヴィニスはプンプンとふくれている。かわいい。

 

 どうやら俺は、彼女とウォーレン氏に助けられるまで、角を生やしたオウガのような外見で暴れまわっていたらしい。ウォーレン氏によれば『暗黒道』なるものに堕ちそうになっていたようだ。黒いヘルメットをかぶって、シューコーシューコーと呼吸しそうだな。

 幸い、今の俺にはもうその心配はないらしい。やっぱり名前からして、厨二病のようなものなのかも。一度はかかってしまうが、抜けだしてしまえば黒歴史になる、みたいな。まあ俺はサラリーマンになっても時々発症してた気がするけど……。

 

 それにしても……。

 

「……な、なんですか? 本当に反省されてるんですか?」

「ああ。すまないと思っている」

 

 なんだこの子。ちょっとかわいすぎない?

 

 ラヴィニスちゃんからの告白は、バッチリ記憶に残っている。それはもう一言一句、心のメモリーに保存している。勢い余って、俺からも告白しちゃったもん。危うくそのまま結婚してくれって言う所だった。

 本当はプロポーズまでしたかったけど、やっぱり男たるもの甲斐性がなければな。無職のままでプロポーズして、ヒモ男になるなんて真っ平ごめんだ。主夫でもいいけど、男は見栄を張る生き物なのだ。

 

「も、もうッ! さっきから、その目はなんなんですか!」

「……いや。ラヴィニスが余りに可愛くて、ついな」

「なっ!!」

 

 あれ? なんだか前よりも口が少し回るようになってるぞ。俺の本音がポロリと漏れてしまったではないか。ラヴィニスは顔を林檎のように真っ赤にしている。かわいい。

 

「……ごほん。ベルゼビュートさん、よろしいですか?」

「ああ。ウォーレン翁もすまなかった。どうやら手数をかけたようだ」

「いいえ。私はすべき事をしたまででございますから……」

 

 相変わらず紳士的で腰の低いウォーレン氏だった。そういえばハイムで置いてけぼりにしちゃった気がする。悪い事したなぁ。

 

「貴方の無事も確認できましたので、私はそろそろゼノビアへと戻ろうかと思います」

「む、そうか。もし良ければ、前のように背負って――――」

「い、いえ、それは結構ですよ。 ……前にもお伝えしましたが、貴方はゼノビアにとって恩人です。ぜひゼノビアにも一度、足をお運びください。教国との戦争はまだ続くでしょうが……」

「そうだな……」

 

 俺がいつの間にかバーニシア城への攻撃を防いだらしい。それどころか、これまでずっと一人で教国軍を相手にしまくっていたらしい。やるじゃん、俺。あんまり覚えてないけど。

 ローディス教国との落とし前をどう付けるかは頭の痛い問題だ。教国にとって俺の存在は完全に予想外のもので、想定を大幅に超えた被害を与えているらしい。彼らがこのまま黙って戦力をすり潰すとは思えない。何か手を打ってくるはずだ。

 

 転移魔法で消えていくウォーレンさんに手を振って別れ、俺とラヴィニスの間には再び沈黙が落ちた。気まずい沈黙ではないが、何から話すべきかを悩むような、むしろ何も話さなくても意思疎通できるような、不思議な沈黙だ。

 

「……申し訳ありませんでした」

「何の事だ?」

「……デニムの事です。私は、貴方に彼を支えてほしいと頼まれたのに……」

「ラヴィニス」

 

 俺が名前を呼ぶと、ラヴィニスは不安げな表情で俺を見上げる。

 そんな顔は見たくなかったので、彼女の柔らかい髪をクシャリとなでた。ショートカットになった彼女は、少しボーイッシュな雰囲気で魅力的だ。しばらく頭をなでてから、おもむろに聞いてみる。

 

「……デニムは、アイツはどんな顔をして逝った?」

「…………なんだか、納得しているようでした。そんなはずはないのに。でも、苦笑いを浮かべて……仕方ないな、とでも言いたげな表情で……」

「……そうか」

 

 アイツはきっと、割り切っちゃったんだな。自分の死に直面して、それが運命だって受け入れちゃったんだ。味方の死を受け入れられないアイツでも、それが自分の事なら簡単に納得してしまうんだ。残された奴らの事なんて気にもせず。まったく、バカな奴だ。

 

 大馬鹿ヤロウだよ。ちくしょう。

 

「…………ベル……殿?」

「……なんだ」

「その……いえ、何でもありません」

 

 ラヴィニスは俺の顔を見て驚き、何か言いたげな様子だったが、飲み込んでしまった。

 俺は深く気にせず、青く晴れた空を見上げる。鳥が数羽、横切っていった。

 

 ああ、雲がにじんでるな。

 




やっぱりラヴィニスちゃんが、ナンバーワン!
ちなみにハーレム要素はありませんので、ご留意ください。
恋愛分つよめでしたが、この先は控えめになります……


【暗黒道】
一説によれば、人には神によって無限の可能性が与えられているが、反逆を恐れた神が封印したとされている。
その封印が解かれると超越的な力を得るが、強い精神力がない限りは制御できず、冥い感情に囚われるようになる。その状態になる事を『暗黒道に堕ちた』と呼称する。暗黒道に堕ちた者は冥い精神波動を発するようになり、周囲の人間を暗黒道に堕とす事がある。
魔界の住人達は『魔』の影響によって軒並みこの状態にあり、覇王ドルガルアも同様だと思われる。

まぁ、要するにスターウォーズの暗黒面(ダークサイド)っすね(元ネタ)


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025 - Dark Strategy

 ローディス教国から派遣された遠征軍『光焔十字軍』、その中核を担っているのは『冥煌騎士団』と呼ばれる集団だった。

 教国には十六の騎士団が存在するが、その中でも冥煌騎士団はかつて筆頭の一つとして数えられていた。だが、数年前に教皇派による軍事クーデターが発生した事で、当時の騎士団長であったゴドフロイ・グレンデルが命を落とし、騎士団としての格を落とすという憂き目をみた。

 それとは対照的に、先日までヴァレリアに派遣されていた暗黒騎士団ロスローリアンは、クーデターの際に教皇派に助力してその権限を強化している。冥煌騎士団にとって暗黒騎士団は、同じ教国内の仲間でありながら不倶戴天の敵と言えた。

 

 犬猿の仲ともいうべき二つの騎士団。

 そのトップである二人が、同じ船、同じ部屋の中で机を挟んで向き合い、呉越同舟していた。

 

 一人は冥煌騎士団の団長であるリチャード・グレンデル。その武勇から『竜心王(ドラゴンハーティド)』の異名を持つ彼は、代々優秀な武官を輩出する名家グレンデル家の現当主である。金髪で獅子のように勇ましい容姿をもつ彼は、今ばかりは不機嫌そうに黙りこくっている。

 もう一人は暗黒騎士団の団長であるランスロット・タルタロス。ヴァレリアにおいて多くの被害を出し、マルティムらによるクーデターによって騎士団の存続も危ぶまれたが、彼が持ち帰ったカオスゲートと『究極の力』に関する報告は、教皇を十分に満足させるものだった。

 

 なぜ、よりにもよってこの二人が同席しているかと言えば、教皇の勅令によるものだった。

 

 冥煌騎士団は本来、属国の一つであるパラティヌス王国に常駐する騎士団だったが、今回の聖戦にあたって教皇から光焔十字軍を率いるように命じられた。

 だが、信頼を落とした彼らだけでは心許ないと考えた教皇が、タルタロスにアドバイザーとして同行するように命じたのだ。よって今回の再訪は、暗黒騎士団ではなくタルタロス個人での同行だった。

 

「……どうやら、奴らを甘く見すぎたようだな」

「黙れッ!」

 

 タルタロスの皮肉めいた言葉に、リチャードはカッと目を見開いて猛る。

 

「おめおめと逃げ帰ってきた貴様ら軟弱な暗黒騎士団と、我らを一緒にするなッ!」

「……すでに二割も損失を出している。撤退も視野に入れたほうが良いのではないか?」

「これは聖戦なのだ……! 撤退など、ありえん話だ」

「しかし、これ以上の損害は看過できん。ただでさえニルダムやゼノビアが蠕動を始めているのだ。これから戦力はいくらでも必要になる」

「知ったような口をきくなッ!」

 

 タルタロスの冷徹な言葉は、現状を正確に言い表している。本来の予定ならば、既にヴァレリア内に橋頭堡を築いて侵攻し、各地に兵を送り出しているはずだったのだ。

 それが、ある一つの計算違いによって狂いつつあった。上陸した先遣隊はことごとく叩き潰され、文字通り全滅させられているのだ。完全に予想外の損害が生じており、本隊の上陸も遅れていた。

 リチャードは、すまし顔をしているタルタロスをギロリと睨みつける。

 

「一体、何者だというのだ……あのようなバケモノがいるなど、聞いておらんぞ……。貴様、まさか隠していたわけではあるまいな?」

「あのような存在を知り得ていれば、真っ先に教国の脅威として報告している」

 

 リチャードの当て推量に、タルタロスはすまし顔のまま答える。

 事実、タルタロスは()()()()とは一度も邂逅していない。ハイムでの最終決戦時には、マルティムに捕らわれ放置されたタルタロス達だったが、人目に触れることなく抜けだしていた。

 解放軍によってバクラムが敗れた事は耳にしていたが、身を隠していたためにその詳細までは掴めなかったのだ。どのような任務でも卒なくこなすタルタロスにとって、珍しいミスだった。

 

「卿には奴を打ち破る算段はあるのか? このままでは、いたずらに犠牲を増やすだけではないか」

「黙れッ! 先ほどから弱音ばかり吐きおって! 貴様には騎士としての誇りはないのかッ!」

「……誇りなど、任務遂行の妨げにしかならん。卿は己の誇りとやらを優先して、自己満足のために教国に損害を与えるつもりか?」

「ふんッ! やはり、貴様とは話が通じぬ。誇りなき騎士など騎士にあらず。教皇猊下はなぜこのような男を騎士としてお認めになるのだ……」

 

 リチャードは溜息をつくが、それに対してタルタロスは何の反応も示さない。彼の隻眼は、机の上に拡げられたヴァレリア島の地図へと向けられていた。

 そこには、本隊や分隊の位置が駒として示されている。だがそれらとは別に、いくつかの印が日付入りで記入されていた。それは、謎の存在によって先遣隊が全滅させられた場所を示している。地図を見れば、その存在はおよそ一人ではあり得ぬスピードで移動を続けている事が察せられる。

 

「……バケモノを相手にすれば損害が増えるのであれば、いっそ相手にしなければ良い」

「貴様……何を戯けた事を言っている。それができれば始めから苦労はせん!」

「最後まで聞くが良い。いいか、奴の動きを見る限り――――」

 

 そして、タルタロスは己の策を話し始める。リチャードは終始気に食わぬという表情を崩さなかったが、実力主義を謳う彼は内心ではタルタロスの力を認めている。

 

 結局リチャードは、タルタロスの案をいくつかの修正をした上で受け入れた。

 それは、ローディス軍にとって反撃の狼煙とも言える作戦だった。

 

--------------------

 

 ラヴィニス達のおかげで正気に戻った俺だったが、ハイムに戻る気にはなれなかった。

 

 どうやら俺は『名もなき英雄』と呼ばれて、世間からもてはやされているらしい。未だまとめ役のいないハイムに俺が行けば、デニムと同じように担ぎだされる可能性が高い。

 俺にデニムの代わりが務まるとは思えないし、やりたいとも思わない。アイツだって、俺にそう望んでいたらしいし、気ままな旅ぐらしが性に合っているしな。

 

 ラヴィニスはバーニシア城の警備を任されているらしい。責任感の強い彼女は、その職務を放り出すような真似はしない。そこで俺は、しばらくバーニシア城に居候させてもらう事にした。だって、ラヴィニスと離れるのは嫌だったんだもん。

 俺がしばらく滞在する事を話すと、彼女は目を輝かせて賛成してくれた。どうやら、俺の事が心配だったみたいだ。申し訳ないと思う。

 

 兵士達の中には、俺の事を胡散臭い目で見てくる者もいる。オウガの姿で暴れまわってたんだから、それも仕方ないだろう。なんだかラヴィニスといる時は、特に視線が強くなる気がする。それでも、俺によって家族が救われたという兵士もいて、俺にお礼を言ってくる者もいた。ちょっと嬉しいな。

 

 正気に戻った俺には、とある深刻な問題が存在していた。

 

「…………ドラゴン」

「え? ドラゴンがどこかにいましたか?」

「…………グリフォン」

「ベ、ベル殿? 先ほどから一体なにを……?」

「……ラヴィニス。俺は少し野暮用ができた。夕方までには戻る」

「えぇっ! ベル殿!?」

 

 槍を持って、バーニシア城の城壁から飛び降りる。やっぱり我慢できなくなっちゃったぜ。抑えに抑えられていた食欲が俺を突き動かしている。待ってろよ、ステーキにヤキトリッ!

 そういえば緑色だったはずの槍は、いつの間にか黒と赤が混ざり合ったような色になっていた。俺の厨二心が刺激される仕上がりだ。銘をつけたくなったが、うっかり人前で口にしてしまえばダメージが大きそうなのでやめておく。

 槍だけじゃなく、着ている服もボロボロになっていた。バトル漫画ばりに急所は隠されているが、非常に危険な状態だ。いつボロリしてしまってもおかしくない。今は上からローブを着て誤魔化している。新しい服を作るためにも、ドラゴンが必要だった。

 

 バーニシア城の周囲には黒い油が湧き出している。たぶん石油だと思うんだけど、もしかしてこれを掘ればオイルマネーがガッポリなんじゃね? 無職からいきなり石油王とか、どんなサクセスストーリーだよ。でも内燃機関がない世界じゃ全く意味がないんだよなぁ。

 昔の日本にも石油が湧く場所があったらしいけど、当時は『臭水(くそうず)』とか呼ばれてたんだぜ。ちょっと扱いがひどすぎませんかね。

 

 くそう……石油を踏まないように気をつけながら、バーニシア城の西に広がる砂漠へと走りだした。遮蔽物がないから、獲物が探しやすそうだと思ったのだが、砂丘のせいで思っていたよりも見通しが悪い。こんな時に、カノープスみたいに空が飛べればいいんだが……あっ。

 足にググッと力を込めて、俺は弾丸のように空へと飛び出した。別に翼なんかなくても、人間やる気になれば空ぐらい飛べるんだよ。別にカノープスがうらやましいわけじゃないぞ。

 グングンと高度を上げて放物線の頂上にたどり着き、やっと重力が働きはじめた。上空から見渡してみると、砂と石油の広がる景色にポツリポツリと動く影を確認できる。その中には、都合のいい事に緑色のドラゴンも存在していた。俺の頭の中がステーキ一色になる。

 

 早速ドラゴンを狩りに行こうと思ったのだが、その前に見逃せないものを発見した。

 砂漠の彼方に砂煙が上がっていたのだ。

 

 ただの風によるものかとも思ったが、どうやら大勢の人が移動しているようだ。今のヴァレリア王国軍がこんな所を通るとは思えないので、あれは恐らくローディス教国の軍隊なのだろう。

 この砂漠を抜けて渓谷を抜ければウェアラムの町にでる。そうすれば、王都ハイムは目前だ。進軍しづらい砂漠をあえて通ることで、王都に奇襲をかけようとしているのかもしれない。

 

 俺はしばし逡巡したが、バーニシア城へと引き返すことにした。以前の俺なら単独で突っ込んでいっただろう。だが、それでは前の二の舞になってしまう。ラヴィニスを悲しませるわけにはいかないのだ。

 

 ドラゴンが食べれないのは残念だけどな。うう、肉が食べたい。

 

--------------------

 

「ローディス軍が?」

「ああ。ここから西の砂漠を横断しているようだった」

 

 バーニシア城に帰還するとすぐにラヴィニスに詰め寄られたが、目にした光景を話す事で詰問を回避した。食欲が抑えきれない男なんて、家計に優しくないからな。将来のプロポーズの妨げになるかもしれん。

 ラヴィニスは俺の言葉を聞いて、何やら考え込んでいる。

 

「……おかしいですね」

「む……そうか? ハイムへの奇襲に向かっているものと思ったが」

「確かにその可能性はあります。ベル殿がことごとく先遣隊を潰していたので、それを避けるために敢えて足場の悪いゾリューシ砂漠をルートとして選んだとも……」

「……違うのか?」

 

 俺の問いに、考え込んでいたラヴィニスは真剣な眼差しで見上げてくる。かわいい。

 てっきり奇襲だと思っていたけど、ラヴィニスの考えは違うようだ。

 

「私がこのバーニシア城に着任してから行なった事の一つとして、翼をもつホークマン達による『巡回部隊』の設立があります。もちろん、ゾリューシ砂漠も巡回ルートに含まれていますし、ベル殿の言う通りならば後の巡回で敵軍を恐らく発見できていたでしょう」

「……だが、敵がその巡回部隊を知らないならば、別に不自然な点はないと思うが」

「はい、知らなければ……。ですが、特に身を隠すように指示してはいませんし、相手だって斥候による偵察は行なっているはずです。奇襲を企むなら尚更でしょう。巡回部隊の存在を知らないとしたら、間抜けな話だとしか……」

 

 うーん、そうか。確かに奇襲しようとしてる奴が、事前に通るルートの事を調べないわけないよな。定期的に巡回してる部隊がいるなんて、すぐわかったはずだ。どこかの潜入蛇さんみたいに巡回部隊の目をやり過ごすのも、大勢を引き連れていたら難しい。

 ラヴィニスちゃんは賢いなぁ。俺だったら、何も考えずに突撃していたぞ。思わず頭をなでたくなったが、真面目な話の最中なのでグッとこらえる。

 

「彼らがそんな間抜けでないのなら……」

「最初から、見つかるつもりだった、見つかるのが前提だったという事だな」

「ええ。つまり、彼らの本当の目的は……」

「…………陽動、か」

 

 俺の出した答えに、ラヴィニスもこくりと頷いた。

 




タルタルソースさん再び。原作にはない展開ですが、正史ではないという事でご了承ください。
ラヴィニスさん「全部まるっとお見通しだ!」


【冥煌騎士団】
オウガバトル64で登場。教国の十六ある騎士団のひとつ。
正史ではパラティヌス王国で暗躍するが、本作ではヴァレリア送りに。
クーデターでポカをやって地位を落としたので、復権を狙っています。

【竜心王リチャード】
オウガバトル64で登場。冥煌騎士団の団長であり、グレンデル家当主。
クーデターで父親が死んだり、騎士団の地位が落ちたりと踏んだり蹴ったりな人。
ボルドウィンという弟がいるが、次期騎士団長に据えるためにあえて厳しく接している。
素直になれないツンデレブラコン。カチュア姉さんの親戚かな?


※オウガバトル64のキャラはあくまで友情出演的なもので、原作を知らなくても問題ありません。
 オウガシリーズは、途中で開発会社が変わった事で正史が微妙に変わったりしていますが
 本作ではPSP版をベースに、OBやOB64、外伝の設定で脚色しています。ご了承ください。


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026 - Sneaking Blind

 王都ハイムは、峻厳な渓谷と砂漠に囲まれた場所に作られている。

 ドルガルア王がそのような不便極まりない場所を王国の中心に選んだ理由、それは防衛のためであった。渓谷や砂漠は大規模な部隊の展開が難しく、守るに易しく攻めるに難い天然の要塞のような地形である。

 

 一方で、上流階級の多く住む王都には富が集中しており、国内でも有数の発展した都市としての側面も持っている。国内外から人や物が多く出入りするが、渓谷や砂漠といった難所はその物流を妨げてしまうデメリットがあった。

 ドルガルア王はその対策として王都ハイムを海沿いに作り、大規模な港を整備した。海運によってその流通のほとんどをカバーするようにしたのだ。海洋国家であるヴァレリアにとって、港とは欠かせないファクターなのである。

 

 当然ながらそのような大規模な港は、敵からしてみれば、そびえ立つ巨壁に開いている大穴に見えるだろう。船を使って海路で攻め込めば、わざわざ難所を通る必要がなくなるのだ。

 そこで港には堅牢な要塞のような警備詰め所が作られ、出入りする船を昼夜問わず監視している。もし敵の船がノコノコと現れれば、あっという間に火矢を射ちかけられ港に入る前に炎上するだろう。まさに難攻不落の体勢と言えた。

 

 そんなハイムの港に、一隻の中型船が入港しようとしていた。

 

 日が落ちて辺りが闇に包まれ始めた頃だったが、船が夜に到着する事はさほど珍しくもない。昼夜問わず焚かれる火によって照らしだされ、すぐに警備兵達の知るところとなった。

 だが、警備兵達はすぐに警戒を緩める。なぜならその船は、警備兵達にとって見慣れたヴァレリア船籍のものだったためだ。今は戦時中のため、物資が頻繁に王都へと運び込まれていた。

 港を出入りする船は原則として積み荷の臨検を受ける事になっている。数人の警備兵がいつも通り、港に接舷した船へと乗り込んでいく。そこには、戦争特需でボロ儲けを続ける顔なじみの商人が、胡散臭い笑みを浮かべて待ち受けていた。

 

「ご苦労。積み荷を改めるゆえ、積み荷の一覧を渡すがよい」

「へえ、こちらにございます」

 

 商人が差し出した積み荷の書類を確認するために、兵士が目を落とす。

 瞬間、兵士の口が何者かの手に覆われ、喉に一文字が走る。

 

「ガッ……ガフッ……」

 

 悲鳴をあげる事もできず、目を見開いて崩れ落ちる兵士。喉からは血しぶきが飛び、正面にいた商人の顔が真っ赤に染まる。神経の図太い商人も、これにはさすがに肝を冷やした。

 

「ヒッ……あ……」

 

 商人は悲鳴をあげて後ずさろうとしたが、そこへ剣による一閃が走る。見事な太刀筋で首を寸断された商人は、何が起きたのか理解できぬ表情のまま、床の上に転がり息絶えた。

 臨検にきた他の兵士達も同様に、音もなく崩れ落ちていく。彼らの背後には、目立たないローブに身を包んだ者達が立っていた。フードで特徴的な兜は隠れているが、その中身は教国でテンプルナイトと呼ばれる騎士達だ。

 

「……よし。このままハイム城に潜入するぞ」

 

 そう彼らに指示するのは隻眼の男、ランスロット・タルタロス。本来であればアドバイザーの立場に過ぎぬ彼ではあったが、今回の作戦実行にあたり、リチャードから実行部隊を率いる事を要請されていた。

 己の立案した作戦であるため嫌とはいえず、タルタロスは了承したのだ。ハイム城内の地理に明るいのも一因であったため、必ずしも私怨による要請とは言い切れなかった。

 

 彼らの狙いは、ハイム城への潜入による破壊工作と暗殺。ヴァレリア軍をまとめる強硬派貴族や軍の上役を排除し、彼らの内部崩壊を誘発するのが目的だった。

 

 タルタロス達は、商人を買収して乗り込んだ商船を後にし、夜陰に潜みながら街中へと潜入していく。非正規の任務を主とする暗黒騎士団では、このような潜入任務も多い。タルタロスは小声で指示を出しながら、テンプルナイト達を引き連れてハイム城へと向かう。

 

 そのタルタロスの脳裏には、先日リチャードと行われた会談の内容が思い出されていた。

 

--------------------

 

 先日、ローディス遠征軍本隊の船上で行われた、二つの騎士団のトップによる会談。得体の知れない存在を前にして手を打ちあぐねているリチャードに、己の策を提言する事にしたタルタロス。

 

「――――いいか、奴の動きを見る限り、恐らく奴は単独で動いている」

 

 タルタロスの言葉に、リチャードは眉をピクリと動かして反応する。

 

「王国軍と連携しているのなら、もう少し効率的に狩られていただろう」

「……だから何だというのだ」

「奴が王国軍の情報を知らんのならば、そこに付け入る隙がある。我々が王国の中枢を奇襲したとしても、奴にはそれを知る術がないということだ。わざわざバケモノを相手にする必要などない」

「き、貴様ッ! まさか、王都を直接叩くつもりか!」

「……私がヴァレリアに滞在していた時に感じたのはな、奴らには団結する事などできんという事だ。民族同士でいがみあい憎みあう、救えん奴らにはな……」

 

 タルタロスの視線が宙へと向けられる。

 

「……覇王の再来と呼ばれたデニムがいれば別だったかもしれん。だが、奴は戴冠式の席上で死んだ。もはやヴァレリアをまとめる者などおらん。ハイムを直接叩き小うるさいハエどもを一掃すれば、あっという間に内部から瓦解していくだろう」

 

 それを聞いたリチャードは、腕を組んで唸る。不機嫌な顔はそのままだが、内心ではこの手詰まりの状況を打開できるその策に心を動かされつつあった。

 

「……むう。しかし、王都は難所に囲まれた天然の要塞だ。攻めることは容易ならんぞ。周囲の城砦でも監視が強化されている今、敵に知られず奇襲するなど不可能に近い」

「ふん……。私からしてみれば、穴だらけもいい所だ。この程度なら潜入は容易い。少人数で一気にハイム城へと潜入し、要人を暗殺すれば済む話だろう」

 

 そう豪語するタルタロスを一瞥して、リチャードは鼻を鳴らす。そして、何事か思いついたように口元を緩めると、タルタロスへと放言した。

 

「…………そこまで言うなら、貴様がその潜入部隊を指揮するのだな」

「なに? 私は助言役としてここに――」

「貴様はハイム城に滞在していたのだろう。ハイム城の内部を知り、薄汚い任務ばかりの暗黒騎士団の貴様が適役ではないか。それとも、貴様は自分の策にも責任を持てぬ腰抜けかッ」

「…………よかろう。そこまで言うのなら引き受けよう。だが、薄汚い任務という言葉は取り消すがいい。全ては教皇猊下から下された聖務。卿ごときが口にして良い言葉ではない」

 

 タルタロスの隻眼が、リチャードの顔を正面から睨みつける。リチャードは顔を歪めながら目をそらした。教国の騎士にとって教皇は絶対の存在であり、崇拝の対象。タルタロスの言葉を否定する事はできない。

 

「……取り消そう」

「フッ」

「……それとだ、貴様の策だけでは不安が残る。貴様の部隊とは別に、大規模部隊を編成して別方面から進軍するぞ。陽動ではあるが、王国軍はこちらが本命だと思うはずだ。あのバケモノの目も引きつけられれば御の字だな」

「だが、それでは陽動部隊に犠牲が出るぞ」

「フン……ろくに命令もこなせぬ下っ端の無能どもだ。せいぜい役に立ってもらおうではないか……」

 

 ニヤリと笑うリチャードに、タルタロスはそれ以上は何も言わなかった。

 

--------------------

 

 俺は、グリフォンの背中に乗って空を飛んでいた。

 

 ごはんですか? ごはんじゃないですよ。食欲をこらえるのが非常に大変だが、このグリフォンは食べ物ではなく乗り物だ。調教されたグリフォンは人を乗せて飛ぶ事ができるのだ。

 俺の視線を受けたグリフォンは萎縮しまくって大変だったが、ジッと睨み続けたら最後にはゴロリと腹を見せて服従のポーズを見せた。なかなか従順なやつだ。

 

 自分の足でいいと言ったのだが、ラヴィニスが兵士をつけると言ってきかなかったのだ。俺の乗るグリフォンの後ろには数匹のグリフォンが連なるように飛んでいて、それぞれに兵士がまたがっている。どうやら、俺が自分の足で走ると他の兵士達がついてこれないらしい。

 

 ラヴィニスが出した結論は、陽動。だとすれば、なんのために陽動するのかという事になる。

 

 この泥沼のような戦況で考えられるのは、敵の本拠地を一気に攻め立てて攻略してしまう事。つまり、王都ハイムへの強襲に他ならないだろうというのが、ラヴィニスの考えだった。

 かといって目の前を通り過ぎていく敵軍を放置するわけにもいかない、嫌らしい策だった。結果としてバーニシア城に残ったラヴィニスが敵軍を叩き、俺が王都ハイムへ向かう事になった。

 

 俺が行く事についてラヴィニスは反対したが、ハイムへ行きたくないというのは俺のワガママに過ぎない。それに、これまで守り続けてきたのに、いざとなったら放り出すなんて無責任だと思ったのだ。担ぎあげられそうになったら、それこそ逃げてしまえばいい。

 

 そもそも、ローディスの奴らの好き勝手にされるのも癪に障るしな。

 結局、フライにつけてやろうと思ったタルタルソースは逃してしまったし。

 バルバスとアンドラスは気のいい奴らだったけど、この戦いに関わっているのだろうか。

 

 グリフォンの上で腕を組みながら悶々と考えていると、後ろにいるグリフォンから会話が漏れ聞こえてきた。相変わらず俺の聴覚は絶好調のようだな。

 

「……なあ、やっぱりさ、あの人だけでいいんじゃないか?」

「それを言うなよ……。ラヴィニス隊長に頼まれて、断れるはずないだろ」

「そりゃそうだけどよ……。隊長のあの人を見る目は、ありゃ明らかに……」

「そ、それを言うなよぉ……」

 

 うんうん。やっぱりラヴィニスは部下からの人望があるみたいだな。

 

「はぁ……」

「……そういえば聞いたか? あの人って変身できるらしいぜ」

「変身?」

「なんかよ、角生やしたり尻尾生やしたり、見るからにオウガみたいな格好なんだと」

「なんだよそれ、人間じゃないってことか?」

「うーん、でもなぁ。あの人が仮にオウガだったとして……どうするんだ?」

「どうするってお前…………どうしようもないな」

「だろ? だから気にするだけ無駄だよ。それより、俺も変身できればモテるのかな……」

「お前……」

 

 何だか知らない内に、俺の事も噂になっていたようだ。なぜか俺の姿が変わっていたのは変身という事になっていたらしい。その発想はなかったわ、ヒーローかなにかみたいじゃないか。いや、俺の場合は闇に紛れて人を助けるダークヒーローだな。やべー、かっちょいい!

 

 俺の中の厨二心がふつふつと湧き上がり、頭の中で変身ポーズや必殺技などを妄想していく。そうだな、やっぱり名前は仮面オウガー……いや、オウガーマン……。ダークオウガナイトもいいなぁ……。

 頭の中の妄想ストーリーで、敵に捕らわれたヒロイン役のラヴィニスちゃんを助け出し、名も言わずカッコよく去っていこうとする俺。それをラヴィニスちゃんが背中にすがりついて――――

 

「あのー」

「……何だ」

「ヒッ え、えーと、もうそろそろハイムの上空なんですが……」

「む、そうか。すまん、考え事をしていた」

 

 楽しい妄想が中断されたので、思わず不機嫌な声が出てしまった。声を掛けてきた兵士に謝りつつ下を見ると、いつの間にか渓谷を通り過ぎており、足元には王都ハイムの景色が広がっていた。

 バーニシア城を出た時はまだ日が高かったが、そろそろ日が隠れようとしている。見たところ、まだ物騒な気配は感じないが油断はできないだろう。

 

 くそっ、もう少しでラヴィニスちゃんと…… おのれ、ローディス軍め!

 必ずやローディス軍に復讐する事を誓い、俺はグリフォンの手綱を操って降下しはじめた。

 

--------------------

 

 夜の闇に紛れながらハイム城へと潜入しようとするタルタロスは、さながら敵の本拠地へと乗り込もうとするダークヒーローのようであった。

 

 ハイム城に滞在していた彼は、もちろん城内の構造を熟知している。その中には、分厚い城壁を迂回して城の中枢へと直接つながる隠し通路の存在も含まれていた。

 タルタロスが城の外壁にしつらえられたドラゴンの彫像をずらすと、その下に地下へと続く階段が現れる。背後に控えるテンプルナイト達に合図をしながら、タルタロスは階段へと潜り込んだ。テンプルナイト達もその後に続く。

 地下には湿ったカビ臭い空気が蔓延していたが、タルタロスは表情を一切変える事無く階段を降りていく。やがて直線の隠し通路へと接続し、その先を行けば城内の一室へとつながっている。

 

 彼にこの隠し通路の存在を教えたのは、ブランタの配下の一人だった。恐らく、恩を売ってローディスに取り入ろうと考えていたのだろう。己の事しか考えない売国行為にタルタロスは反吐の出る思いだったが、所詮は人間の本性などその程度のものだという冷め切った思いもある。

 暗黒騎士団の任務に携わる中で人の汚い部分ばかりを見続けていたタルタロスの中には、すでに人に対して期するものなど何もなかった。

 

 民とは、人とは本質的に弱者なのだ。彼らは常に強者に支配される事を求めている。常に救世主を求めながら、自分では立とうとはしない。与えられた自由という矛盾を何の疑問も持つことなく享受し、権利を主張しながら義務を果たそうとはしない。

 人々の求めに応じて立ち上がったデニム王の末路はどうだったか。支配される事を望みながら、一方で支配される事を嫌う。デニムはそうした矛盾する人の性質というものの犠牲になったのだ。

 彼は、やり方を誤った。民衆とは支配し管理するものでしかない。ヴァレリアを一つにまとめたいのなら、力を持ってそうすべきだったのだ。かつてのドルガルア王はそうしたからこそ、ヴァレリアを統一できた。

 

 かつて、タルタロスの考えを正面から否定した者がいた。

 彼と同じ名前を持つかの聖騎士は、人の善性を信じていた。民衆を力で支配する事を否定し、真の自由こそが人々にとって最良のものだと信じていた。

 馬鹿らしいと思った。だが同時に、聖騎士にある女性の姿が重なって見えたのだ。彼女もまた、人々から迫害されながらも、どこかで人を信じていた。人から愛される事を願っていた。

 結局タルタロスは、ゼノビアの聖騎士を手にかける事はできなかった。彼の片目を奪った相手にも関わらず、見逃したのだ。それはタルタロスにとって、不愉快な記憶だった。

 

 腰に差した神聖剣『アンビシオン』の柄をギリリと握りながら、タルタロスは暗闇の通路を進んでいく。

 

 救われたオウガと、救われなかった男。

 二人の邂逅の時が、近づいていた。

 




タルタルソースさんは悲哀に満ちたダークヒーローって感じですよね。
タクティクスオウガは敵も魅力的なキャラばかりだからスゴイ。や松神。

なお、グリフォンが人を乗せて飛ぶのは独自設定です。
作中にそういった描写はないですが、Lサイズユニットは足場にもなりますし……あのいかにも騎乗できそうなフォルム……絶対に乗れるゾ(むしろ乗りたい)


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027 - Ultimate Power

「止まれッ! 何者だッ!」

 

 グリフォンでハイム城の中庭に降り立った俺達の元に、兵士達が駆け寄ってくる。別に怪しい者じゃないんだけど、俺の格好ってすごい怪しいかも。ローブを着てフードもかぶってるし。

 

「我々はバーニシア城から、ラヴィニス・ロシリオン卿の使いとして来た。火急の用ゆえ、こちらの警備責任者にお目通りを願いたい」

「なに? ……確かに、このグリフォンはバーニシア城のものだが……何か証となるものはあるか?」

「ラヴィニス卿から書を預かっている」

 

 用を告げた俺に対して、あからさまに胡散臭そうな目を向けてくる兵士。仕方ないので、懐から預かっていた手紙を取り出した。手紙には彼女の印鑑によって封蝋がされているため、証明になるはずだ。

 手紙を受け取った兵士は、封蝋をしげしげと眺めたあと、ひとつ頷くと「その場で待機せよ」と告げてから去っていく。仕方ないけど面倒だなぁ。

 他の兵士達が数人、見張りのために残っている。彼らは俺の方をチラチラと見て、なんだか首を傾げている。おもむろに、一人の兵士が俺に声を掛けてきた。

 

「その……そこの……貴様、フードをおろして顔を見せてみよ」

「む、すまない」

 

 俺は言われた通りにフードを下ろす。すると、周囲から息を呑む音が複数聞こえてきた。

 

「貴様は……いや、貴方は――」

「――待たせたなッ! 用件を聞こうではない――――ム?」

 

 兵士が口を開きかけた時、城内へとつながる扉から一人の騎士が現れた。その顔には非常に見覚えがある。確か、俺がこのハイム城に単独突撃した時に相対した、騎士グランディエだ。攻撃を受け流すファランクスの使い手で、かなり苦戦させられた。

 

「貴公は……あの時のッ!」

 

 どうやら向こうもこちらを覚えていたらしい。あの時もフードをかぶっていたけど、戦っている間にいつの間にか外れてしまっていたのだ。俺の顔はバッチリ目撃されていたようだ。

 すわ復讐か、と思って一瞬身構えたが、グランディエは俺の元までやってくると、腰を九十度曲げて頭を下げてきた。見事なお辞儀である。

 

「礼を言わせてほしい。貴公のおかげで、多くの民が救われた。本来は我々が果たすべき義務を、貴公に押し付けてしまった事、慚愧に堪えぬ……」

「……頭を上げて欲しい、忠義の騎士よ。俺は自分がやりたいようにしたまで。デニムの遺志を無駄にはしたくなかった。ただ、それだけの事だ」

「…………そうか。貴公は……そうなのだな……」

 

 グランディエはそれ以上は何も言わず、黙りこんだ。そういえば、この男はブランタに忠誠を誓う騎士だったんだな。今ではブランタと敵対していた解放軍に属しているわけだが、葛藤があったんだろう。

 やがて、彼はゆっくりと頭を上げる。その表情は覚悟を決めた男のものだった。

 

「……それで、バーニシア城からの火急の知らせという事だったな」

「ああ。ラヴィニスから手紙を預かっている。確認してくれ」

 

 差し出した手紙を受け取ったグランディエは、封を開けて読み始めた。俺は中身を知らないが、敵の陽動について書かれているはずだ。王都が狙われている可能性も。

 手紙を読み終わったグランディエは頷くと、警備を強化する事を約束してくれた。俺が協力を申し出ると、礼を言われながら承諾された。

 

 あっ、そういえば。

 

「……失念していた」

「む? 何か他にもあったか?」

「あの時は名乗れなかった名を、いま名乗ろう。俺の名はベルゼビュート。好きに呼んでくれ」

「…………私は、ラティマー・グランディエ。今はただ、王国に忠義を尽くす騎士だ」

 

 俺の名乗りに対してグランディエは目を見開き、口元を引き締めると名乗りを返してくる。俺達はそのまま、固い握手をかわした。なんだか熱い友情が芽生えた気がして嬉しいぜ。

 

--------------------

 

 ハイム城に侵入したタルタロスが感じたのは、ある違和感だった。

 

 隠し通路を抜けて城内の一室へと出る。そこは戦いの際に使われる会議室の一室で、隠し通路への出入り口は王が腰掛ける一際豪奢な椅子の後ろに存在していた。

 会議室の内部には誰一人おらず、明かりもついてはいない。隠し通路の存在は、ごく一部の人間にしか知られていないのだ。だからこそ緊急時に役立てる事ができる。それだけに、タルタロスにこの通路の存在を漏らした男は愚かに過ぎると言えた。

 

 タルタロスは、後ろから続いてきたテンプルナイト達にハンドサインで指示を出しつつ、会議室の扉へと貼り付き耳をすませる。廊下を動く者の気配は感じられず、静寂がただそこにあった。

 夜間とはいえ、まだ夜更けというほどの時間帯ではない。この城につめている貴族や軍幹部たちも、まだ寝静まってはいないはずだった。タルタロスは違和感を覚え、撤退すべきか検討する。

 

「――――なるほど。貴公らが本命というわけか」

 

 しかし、その判断はいささか遅かった。背後から声を掛けられた事に驚愕し、タルタロスとテンプルナイト達は慌てて振り返る。そこには、先ほどまでは確かになかったはずの人影が存在していた。

 

 それは、奇妙な人物だった。彼らと同じように身を隠すローブをまとい、フードで顔は隠されている。だが、全身から圧倒的な存在感と威圧感を放っており、一度目に入れてしまえば、もう二度と目が離せないのではないかと思わせる。

 低音の声からして、恐らくは男。一般人の平均より頭一つ以上も高い長身。腕を組み、壁にもたれかかりながらタルタロス達を睥睨していた。

 彼の身体は不可思議な紫色の光に覆われており、暗闇でもぼんやりと発光してよく見える。部屋に入ってきたタルタロス達が見落としたとは、到底考えられなかった。

 

 タルタロスは、与えられたパズルのピースを組み上げ、瞬時に答えを弾き出す。

 

「……パラダイムシフトか」

「む、一目で見抜いたか。どうやら下っ端というわけではなさそうだが……」

「…………」

「だんまりか。まあいい、貴公らの企みは失敗した。さっさと逃げるがいい」

 

 男の意外な言葉に、タルタロスはピクリと反応する。

 

「……見逃すつもりか?」

「見たところ、貴公は暗黒騎士団の騎士だろう? 暗黒騎士には借りがあるからな。バルバスとアンドラスという男たちだが、貴公と共にいるのか?」

「ふん……奴らはクーデターを起こして失踪したまま、本国にも戻ってはおらん」

「そうか、それは残念だ。できるなら礼を言いたかったが……」

 

 フードのせいで男の口元しか見えないが、タルタロスの目には彼が本心からそう言っているように映った。バルバスとアンドラスという名前が出てきた事に驚いたものの、それは彼にとって僥倖と言えた。

 タルタロスは要人暗殺という任務の達成を早くもあきらめ、情報収集へと意識を切り替える。こうした土壇場での判断力、割り切りの早さは、経験によって培われてきたものだ。

 

「貴様は、我が軍の先触れを潰しまわった、あのバケモノか?」

「む? ああ、そうだな。しかし、バケモノか。あながち否定できんな……」

「……貴様は、なぜ我らと敵対する? 貴様ほどの力があれば、この国を取ることも容易いだろう」

「そうだな……。かつてはデニムのためだった。今はただ、この国の平穏のためだ。 ……俺は平和を愛しているからな」

「…………貴様ほどの力を持ちながら、平和を愛するだと? それは何かの冗談か?」

「この力は望んで得たものではない。ただ、この力が役立つのであれば、躊躇なく振るうつもりだ。――――例え、ローディス教国が相手でもな」

 

 最後の一言と共に、男が放つ強烈なプレッシャーはますます強くなり、歴戦の騎士であるタルタロスの額にも冷や汗が浮かぶ。それは、一般騎士百人に匹敵するとされる最高騎士爵『デステンプラー』の称号を得ている彼をして、戦いを避けるべきと直感するほどのものだった。

 だが、その心とは裏腹に、タルタロスの手が腰元の聖剣アンビシオンへと伸びる。それは、あまりにも大きい脅威を前にして、彼が反射的にとってしまった防衛反応にすぎない。その動きを目ざとく見つけて、目を細める男。

 

「……やはり、一戦を交えなければわかりあえんか。あの暗黒騎士達もそうだったな――――行くぞ」

「ッ!」

 

 タルタロスが反応できたのは、ほとんど偶然に過ぎない。咄嗟にアンビシオンを抜いた彼は、目前まで迫り来る黒槍をなんとか弾く。予想以上の力量に、タルタロスは焦りを深めた。

 

「タルタロス様!」

 

 男のプレッシャーの前に今まで固まっていたテンプルナイト達が動き出す。それぞれ己の得物を抜きながら、タルタロスを助けようと躍り出た。

 

「待てッ! 貴様らは――」

「遅い」

 

 タルタロスが彼らを止める間もなく、男の持つ不気味な黒槍が生き物のようにうねり動く。テンプルナイト達は、次々に意識を落として床へと崩れて落ちていった。

 彼らはテンプルコマンド級にこそ及ばないが、一人一人が他国において精鋭と呼ばれるほどの力を持っている。それが呆気無く無効化され、タルタロスは目を見開いた。

 

「……馬鹿な。貴様、本当に何者なのだ……!」

「む、またしても名乗りを忘れていたな……。俺の名はベルゼビュート。オウガと呼ばれる事もあるな」

「オウガだと? そういえば貴様、先ほど望んで得た力ではないと言ったな……」

 

 ベルゼビュートと名乗った男の言葉に、タルタロスは食いつかざるを得ない。彼の脳裏に様々な可能性が浮かび、そして一つの結論を出す。それは、教国にとって見逃す事のできない可能性だった。

 オウガと呼ばれるほどの異常な力。望んで得た力ではないという言葉。バケモノという呼称を否定しなかった事。民族紛争の時点では登場しなかった事。バルバスとアンドラスの二人と知己であったという事実。タルタロスの中で、全てが一本の線で繋がった。

 

「――――空中庭園の地下、貴様はそこに向かったのだなッ」

「む? ああ、確かに行ったな。カオスゲートとやらを破壊するためにな」

 

 ベルゼビュートの言葉にますます確信を深めるタルタロス。カオスゲートの事を知っているのであれば、間違いはないだろう。

 目の前の男は、カオスゲートを通り魔界へと赴いたのだ。そして、そこで『究極の力』を手に入れた。かつてドルガルア王が求めた力であり、ローディス教国が血眼で探し続けている力。神の祝福を受けて得られる、神すらも超越しうる力。

 伝説では、かつてバーサ神と契約して究極の力を得た開闢王は、その人知を超えた強大な力で敵対勢力を滅ぼし、パラティヌス王国を興したとされる。もしその力を手にすれば、ゼテギネアの覇権を得る事など容易い事だろう。ローディス教国にとって、是が非でも手に入れなければならない力だった。

 

「貴様……! その力、どのように得た! 神と契約でも結んだかッ」

「神と契約だと? そのような覚えはないな。俺は気づけば力を得ていたに過ぎん。いや、心当たりがないでもないが……人に話すようなものではないな」

「……話すつもりはないという事か。まあ、そうであろうな……」

 

 タルタロスは内心で嘆息する。これで、この男を見逃すわけにはいかなくなった。究極の力に傾倒している教皇は、何を置いても彼を捕らえるように命じるだろう。仮に秘密が聞き出せないとすれば、確実に排除しなければならない。教国にとって脅威となるのは間違いないのだ。

 

 タルタロスはアンビシオンの柄を握る手に力を込めて、ベルゼビュートへと向き直る。先程までは、積極的に相手をするつもりはなかった。だが、ここからは違う。

 かつて堕ちた神の使徒を相手にした頃よりも、数段力を伸ばした彼の本領が発揮されようとしていた。神の使徒から奪ったアンビシオンが、彼の戦意に同調するようにまばゆく光輝く。

 

「……神聖なるローディス教国が暗黒騎士団ロスローリアン団長、ランスロット・タルタロス――――参る」

 

 そして、両雄は再び激突した。

 

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 夜の星明かりの下、三匹のグリフォンが大翼を広げて暗闇を切り裂いていた。

 

 その一匹の背にまたがるのは、銀髪の女騎士ラヴィニス。バーニシア城での戦いを終えて、王都ハイムへと急行していた。

 結局、敵の陽動部隊は大した抵抗もなく、ある程度の被害が出たら撤退していった。それが囮の可能性もあったため深追いは危険だと考えたラヴィニスは、バーニシア城へと引き返し、後始末を終えた上で王都へと向かうことにしたのだ。

 彼女の視線は、いまだ見えぬ王都、そこにいるはずの一人の人物へと向けられている。

 

「……ベル殿、ご無事でいてください……」

「ラヴィニス隊長ッ! このスピードでは、グリフォン達が危険ですッ!」

「そ、そうね……。少し速度を緩めましょう」

 

 一緒に飛んでいる部下に言われて、手綱を緩めるラヴィニス。気が急いているのは自覚しているがそれも仕方ない。あの強く憧れた男性が、一匹の残忍なオウガとして振る舞う姿。その光景が、彼女の脳裏に焼き付いて離れなかった。

 ウォーレンによれば、その心配がないのは理解している。しかし、一度目撃しているのだから、心配をしてしまうのは当たり前のことだ。まして、相手が恋人となれば尚更だった。

 

 そう、恋人だ。

 

 ラヴィニスの頬がぐにゃりと緩む。ハッと気がついて引き締める。またぐにゃり。その繰り返しだった。ラヴィニスはいまや完全に恋に恋する女の子になっていた。

 一緒にいる部下達はそんな隊長の奇行に気がついているが、空気の読めない真似をするつもりはない。かくしてグリフォンの背の上には、緊迫しているのか弛緩しているのか、よくわからない空気が流れていた。

 

 まさか自分の思いが叶うとは、受け止めてもらえるとは思わなかった。一方で、弱みに付け込むようなタイミングでの告白に少し罪悪感を覚えているが、恋愛には駆け引きも重要だと聞いた事もある。

 ラヴィニスは、あの時の事を思い出す。もはや何度も脳内で再生した瞬間だった。彼の真摯な紅い瞳がラヴィニスを見つめて、徐々に近づいていくる――――。

 

 頬に手を当ててイヤイヤをするように顔を振るラヴィニス。もはや、隊長としての威厳は欠片も存在していない。しかし、部下達はそんな隊長の事も大好きだったので、何も問題がなかった。

 

 結局、ラヴィニスの奇行は王都へ到着するまで続き、部下達をひどく和ませる事になる。

 




タルタルソースさん、勘違いして本気を出すの巻。
……よし、恋愛要素は控えめだな!


【究極の力】
神が人に与えて封印したとされる『無限の可能性』。それを引き出して得られる力だと考えられている。ほとんどの者は引き出す事ができたとしても、その制御が出来ずに暗黒道に堕ちてしまう。
ローディス教国がヴァレリアに暗黒騎士団を派遣したのも、この力を調査するため。
開闢王と呼ばれるパラティヌス王国の開祖が用いたとされるが、神と契約してうんぬんというのは、あくまで伝説の話らしい。
神々のトライフォースかな?


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028 - Wheel of Fortune

★シリアス警報!


 眼帯をした渋いイケメンと戦う事になった。暗黒騎士だし、きっとあの眼帯の裏には邪眼が隠されているに違いない。そこはかとない厨二パワーを感じるぜ。

 

「……神聖なるローディス教国が暗黒騎士団ロスローリアン団長、ランスロット・タルタロス――――参る」

 

 えっ、お前がタルタル……タルタロスなの? なんで団長がこんなとこにいるねん。内心でツッコミを入れてしまい固まっていると、タルタロースがピカピカ光る剣を構えて向かってきた。あれ、タルタルスだっけ? まあいいや。

 隙のないコンパクトな剣筋で振るわれた剣を、槍の柄で受け止める。金属がぶつかり合い、ガチンという音とともに火花が散るような錯覚を覚える。

 相手は力比べを嫌ったのかすぐに剣を引いて、くるりと舞うような剣舞で次々に一閃を繰り出してくる。それらをひとつひとつ丁寧に槍で受け止めていると、舌打ちしてバックステップで離れた。

 

「……舐めているのか?」

「む、すまんな。俺の悪い癖だ。つい相手の力量を確認したくなる」

 

 地上に出てから全力を振るう機会が少なかったので、ついつい手加減してしまう。だが、一般の兵士相手ならともかく、騎士団の団長を相手に手加減というのは確かに失礼な話だった。

 何合か受けてみた限りでは、タルタソスは死者の宮殿にいた手強いスケルトン達と遜色ない実力だ。余裕を持って受けられるのは、俺が見に集中しているからにすぎない。被弾を覚悟しなければ倒しきれる相手ではないだろうという予感がした。

 

「……ここからは、俺も本気でいかせてもらおう」

 

 そう言って槍を構え気合を入れると、奴は顔を強張らせる。構わずに、俺は一歩で奴の懐まで飛び込んだ。奴は驚愕の表情を見せながら、俺を迎え撃とうとする。

 長柄を持つ槍という武器は、ミドルレンジであればそのリーチを活かせるが、クロスレンジまで近づくと不利になってしまう。常識的に考えてみれば、俺のとった行動は自殺行為に近い。だが、そんな事は百も承知だ。

 

「ゴハッ!」

 

 俺の拳が奴のみぞおちにめり込む。槍ばかりを警戒していたタルタルルは、俺が片手で槍を握っていた事に気づいていなかった。これぞ、俺が編み出した技『虚槍影手』だ。ドヤァ。まあ、単なるパンチだけど。

 タルタススは口の端から血を垂らしながら、苦悶の表情で片膝をつきそうになる。だが、そこから身体をひねりつつ、巻き込むように剣を振るう。俺の下半身を狙ったもので、かわしづらい軌道だった。

 仕方なく、そのまま足のスネで()()()()()

 

「ムッ」

 

 だが、受けた部分に思ったよりも痛みが走った。見れば、剣を受けた部分から血が吹き出している。

 矢を皮膚で弾く事ができるほど防御力の増した俺だが、これまでもダメージを受けた事は何度かあった。だが、これは地上に出てから一番大きいダメージだ。

 カウンターで槍を薙いで奴の首を狩ろうとしたが、タタルロスはそのまま重力によって地面へと倒れこみそれをかわす。その体勢から、まるでストリートダンスのようにギュルリと回転して起き上がり、中腰で再び剣を叩きつけてきた。

 今度は予想していたので、薙いだ槍を回転させて弾く。奴はそれに逆らわずに後転して受け流し、また俺達の間に距離が開いた。

 

「……器用な奴だな」

「フッ」

 

 俺の言葉に口元を曲げるタルタルソ。……いや、タルタロスだよな。わかってたけど、なんか今までタルタルソースだったから慣れないんだよ……。

 奴の戦い方は全く騎士らしくないものだった。そこには、どんなやり方であろうと目的を達するという信念が窺える。スケルトン達もそうだったから対応できているが、慣れていなければあっという間に首を取られていたかもしれない。

 それに、俺のスネに与えられたダメージも不可解だった。すでに治りかけているが、久しぶりのダメージだ。もしかしたら、あの光る剣が関係しているのかもしれない。

 

 俺のダメージが回復しつつある事に気づいたのか、タルタロスは目を細める。

 

「……バケモノめ」

「悪いが、こういう身体なのでな。いつもなら傷もつかんが、貴公の剣は特別のようだ」

「……神がある王に与えたとされる……聖剣だ……むしろ……その程度で済む貴様が……異常なのだ」

「む、そうか」

 

 よく見ればタルタロスの息は荒く、肩を上下させている。どうやら、最初のみぞおちへの一撃が後を引いているらしい。ほとんど加減なしの一撃だったから、腹に穴が開いたような痛みがあるはずだ。呼吸するのも辛いはずである。

 だが、ここで停戦を申し出ても彼は了承しないだろう。俺は最後の一合に備える。タルタロスも、次が最後だと悟ったのか、聖剣を中段に構えた。

 

「……貴様は、教国にとって脅威だ。ここで排除するッ」

「やってみろッ!」

 

 お互いに気炎を上げながら、踏み込もうとする。

 

 だが、そこで予想外の事態が起きた。

 会議室の扉がガチャリと開き、何者かが部屋へと飛び込んできたのだ。

 

 戦いを始める前、タルタロス達はこの部屋を出ようとしていた。そこへ、俺が背後から声を掛けた。その位置関係は大きく変化していないため、タルタロスの方がたった今開いた扉の近くに立っている。

 

「ベル殿ッ……!」

 

 あろうことか扉から入ってきたのは、見慣れた銀髪。

 俺の愛する人、ラヴィニスだった。

 

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 ハイム城についた私は、彼の姿を探して城内をさまよっていた。

 

 いまだ戦いの気配はなかったため、連れてきた兵士達は休ませている。同僚のグランディエ卿によれば、彼は城内で敵に備えて待機しているとのことだった。

 私は、どうしても彼に一目逢いたかった。彼の姿を見て安心したかった。

 

「ベル殿ッ……!」

 

 廊下を歩いている時に彼の声が聴こえた気がして、会議室の扉を開いて飛び込む。いつもならもっと冷静に行動できるのだが、この時の私は彼に会いたい気持ちに突き動かされていた。

 その軽挙が、どれほどの代償を必要とするかも知らずに。

 

「――――どうやら、運が回ってきたな」

 

 気がつけば、私の喉元には光り輝く剣がつきつけられている。耳元すぐそばで、誰のものかもわからない声が聞こえてきた。そして目の前には、私を見て険しい顔となっているベルゼビュート殿。

 やってしまった、と思った。私は、彼の戦いに水を差してしまったのだ。

 

「……貴様ッ!」

「動くな。動けばこの女の命はないものと思え」

 

 耳元の声は、氷のように冷徹に彼を脅す。彼は険しい表情のまま、唇を噛み締めて動かずにいる。私はなんと愚かな事をしてしまったのだろう。後悔の波が次々と押し寄せてくる。

 

「槍を捨てろ」

「ダメッ! ダメです! 私の事など――ムグッ」

「女、貴様は黙っているがいい」

 

 私の口はゴツゴツとした手で塞がれる。喋れなくなった私は、必死に目で訴えかける。どうか、私の事など気にしないでほしい。私ごと敵を討ってほしい。だが心の裏では、心優しい彼にそのような事ができるはずがない事も理解していた。

 当たってほしくはなかった予想通り、彼はいつも持ち歩いている槍を放り捨てる。美しかった緑碧は不気味な黒槍となってしまったが、それでも彼にとっては愛用する武器だったはずだ。

 

「……パラダイムシフトは使うなよ。貴様が魔力を動かした時点で、この女は死ぬ」

「……わかっている。そのような真似はせん」

 

 あの魔法なら、と思ったのだが、なぜかこの声の持ち主は、パラダイムシフトの事まで知り得ているらしい。ベル殿の方から話すとは思えないため、恐らくは戦いの中で使ったのだろう。それでも仕留められなかったのなら、尋常ではない相手であるのは間違いない。

 ベル殿は力を抜いて、ゆっくりと目を閉じた。もはや一切抵抗するつもりがないのは明らかだ。私などのために、彼は死を選ぼうとしている。それに気づいて、目の前が暗くなった。

 

 どうして私は、いつもこうなってしまうのだろう。

 こんな事になるなら、思いを伝えるべきではなかった。

 視界がぼやけていく。

 

「ラヴィニス、心配は無用だ」

「…………」

 

 いつもなら彼の言葉を聞けば安心できる。しかし今この時は、彼の言葉を聞きたくない。

 

「ふん、どうやら貴様らは恋仲のようだな」

「……そうだ。俺はラヴィニスを愛している」

 

 ダメだそんな事を言っては。私の事など知らないと、そう言ってくれればいいのに。そう思いながらも彼の言葉を嬉しいと思う気持ちが止められず、そんな自分に腹立たしくなった。

 

「……愛する者のために、身を捨てるか……」

 

 耳元の声がそうつぶやいた瞬間、私を抑える力が弱まった。

 

 チャンスだ。

 

 私は咄嗟に力を入れて、背後の人間から逃れようとする。押さえていた手を振りほどく事に成功し、そのまま愛する彼の元へと飛び込もうとした。

 

 

「…………あ……」

 

 ――胸元に走る痛み。

 

 力が入らなくなり、カクンと膝をつく。

 

 なんだろう。なにが。

 

 見下ろすと、私の胸から、赤く染まった剣が。

 私の血に濡れてなお、光り続ける聖剣が。

 

「あ……ああ……」

 

 私を抱き起こす、力強い影。

 頬に触れる温かい手。

 

 どんどん、冷たくなっていく。

 手足が鉛のように動かない。

 

「ベル……殿……。どう……か……」

 

 私の手が強く握りしめられる。

 水の中にいるように、周囲の音が遠い。

 

「どう、か……悲しま……ないで…………オウガに……堕ちない……で……」

 

 やがて、視界も闇に閉ざされる。

 意識が――――

 

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 そして彼女は、俺の腕の中で息を引き取った。

 眠るような死に顔だった。

 

 どうしてだ。どうして、こうなるんだ。

 

「……クッ……手元が狂うとはな……」

 

 奴が小声でそう独りごちた。

 

 元はといえば、こいつのせいだ。馬鹿げた戦争でデニムが死んだのも。ラヴィニスを人質にして殺したのも。全部、ゼンブコイツガ……。

 

 俺の中で、昏い感情がドロリと身を起こす。

 しかしラヴィニスの最後の言葉が、その暴走を抑え込んでいた。

 オウガに堕ちないで。彼女はそう言ったのだ。

 

 だが、暴れまわる後悔の念は抑えきれない。それに同調するように、俺の周囲に魔力が吹き荒れていく。俺の身体から無限のように湧き出る魔力が、広い会議室を満たして渦を巻き始める。

 

「なんだこの馬鹿げた魔力はッ!」

 

 タルタロスは憎いが、同時に冷静なままの自分がいる。不思議な感覚だった。ラヴィニスの顔が脳裏に浮かぶと、憎しみから一歩身を引いて見る事ができるのだ。

 奴だって、ラヴィニスを殺すつもりなどなかったはずだ。もしそうしたら、人質の意味がなくなってしまう。俺の身体の異常さを目の当たりにしたら、まともなやり方で勝てるとは思わないはずだ。それに対抗できる貴重な人質を、わざわざ手放すはずがない。

 

 つまり、ラヴィニスの死は事故にすぎないってわけだ。本来は死ぬ必要などなかったのに。

 ラヴィニスも、ここで死ぬ運命だったとでも言うのか。

 

 デニムも、ラヴィニスも、大事な奴はいつだって俺の手を離れていっちまう。どんなに力があっても、俺は大事な人を守る事もできない。どんなに足掻いても、運命は俺から容易に皆を奪っていく。

 

 ふざけるなよ。

 

 ふざけるな。

 

 俺の怒りに呼応して、魔力はますます圧力を増していく。魔力は紫色の光を放ちながら、バチバチと火花を散らしている。何かが軋むような音も聞こえ始める。

 

「ふざけるなよ……。何が運命だ。何が天命だ。そんなものに、人は縛られたりはしない……! そんなものに、屈する人ではないッ……!!」

「クッ……何を……」

「見ているか神よッ! 人を棄て、天界にこもる神よッ! 俺は、俺達は運命などという馬鹿げたものには屈しない! そのようなもの――――俺が、壊してみせるッ!!」

 

 そして、何かが割れ砕ける音と共に、俺は意識を失った。

 

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 ゼテギネア歴253年から254年。

 

 ローディス教国による唐突な開戦によって始まったヴァレリア諸島における国土防衛戦は、幕切れもまた唐突なものとなった。

 

 大方の予想を覆し、緒戦からヴァレリア王国軍は連戦連勝を続ける。ローディス教国から派遣された二十万もの戦力を抱える光焔十字軍は、連敗を喫して徐々に戦力をすり減らしていった。

 これは王国軍が地の利を活かしつつ、忠義の騎士グランディエや、混血の聖女ラヴィニスといった英傑たちが活躍する事で起こされた奇跡的な快進撃と考えられている。

 その陰には『名もなき英雄』として叙情詩にも歌われる英雄の活躍もあったとされるが、そのあまりにも荒唐無稽な活躍ぶりに、後年では創作であったとする見方が一般的となった。

 

 この連敗を知った教国上層部は憤慨し戦力を更に追加しようとしたが、無理な大戦力の遠征による国庫への負担が大きく、また、これ以上の本土の戦力減は看過できぬとして見送られた。結果として、遠征軍は劣勢のまま動きを止める。

 この間、混血の聖女ラヴィニスが謎の失踪を遂げるなど、水面下で激しい謀略戦が繰り広げられていたと考えられているが、その実態は不明となっている。

 

 膠着状態のまま年が明けて翌年、ローディス教国の属国の一つであるニルダム王国にて、大規模な反乱が発生する。

 その裏には新生ゼノビア王国から派遣された扇動者がいたとされるが、民衆の間には大規模遠征軍の劣勢が広く伝わっており、その事も教国与し易しという空気を助長した。

 さらに、ゼノビアもこれに連携しようとする動きを見せ、事態を重く見た教国上層部はヴァレリア諸島の攻略を断念。遠征軍への撤退命令が出され、ヴァレリア防衛戦は唐突な幕切れとなった。

 

 ヴァレリア王国は難を逃れたが、指導者不在による軍内部での権力争いや、民族同士の根深い対立などが尾を引き、再び群雄割拠の時代へと突入する。

 

 かくして、ヴァレリア島に再び、戦乱の日々が訪れたのである。

 

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 Chapter 0 - Let Us Cling Together

 

 

 

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 その瞬間も、運命の輪は回り続けていた。

 

 人々の思いなど関係なく、運命は無情に紡がれていく。

 全てはあらかじめ決められたこと。

 人の喜び、人の苦悩、人の幸福、人の絶望、人の生、人の死。

 ひたすら無機質に、運命の輪は回り続ける。

 

 ある時、ある一人の異物が、運命の外から迷い込む。

 その存在は、少しずつ運命を曲げようと試みはじめた。

 

 しかし運命の力はことのほか強く、人の力など微々たるものに過ぎない。

 その存在は、すぐに激流のような運命へと飲み込まれる。

 そのまま運命に翻弄され、なすすべなく流されていくはずだった。

 

 だがその異物は、徐々に力をつけていく。

 人を超え、神へと近づき、運命すら曲げられるほどに。

 

 回り続けていたはずの運命の輪に、徐々に異変をきたしていく。

 輪が軋みはじめ、紡いでいた糸が徐々に細くなっていく。

 

 そして、その瞬間はやってきた。

 

 異物はついに運命の輪に干渉する。

 その力を持って、運命の輪を強引に回し始めた。

 それも、本来とは逆の方向へと。

 

 紡がれていた糸が、巻き戻されていく。

 

 人々の喜びも、人々の苦悩も、全てを巻き取っていく。

 人々の幸福も、人々の絶望も、全てを巻き取っていく。

 

 人の生。

 

 そして、人の死すらも。

 

 もはや、運命の輪は回らない。

 この先の運命は、人々が、自分の手で紡ぐほかない。

 

 そして異物は――――

 

--------------------

 

 ポツリ。

 

 頬に冷たい雫の感触を感じて、浮かび上がるように意識が覚醒していく。

 また雨漏りでもしたのか。サラリーマンになってから一人暮らしのために入居したボロアパートは、たびたび雨漏りを繰り返している。大家のおっちゃんに電話しないとな……。

 

 あれ?

 

 なんだかこんな事、前にもあったような気がするぞ?

 

 重いまぶたを持ち上げて目を開けると、そこは散らかった部屋ではなく見知らぬ薄暗い空間だった。

 暗いにも関わらずハッキリと確保できる視界には、人工物だとわかる壁や床が写っている。肌に触れる空気はジメジメとしており、カビ臭い匂いが鼻をつく。

 

 んん?

 

 非常に見覚えがあるような、ないような……。

 

「…………ん……んん……」

 

 だが、この空間には似つかわしくない、艶めいた声が耳元で聞こえた。

 それは聞き覚えのある声。忘れようにも忘れるはずのない声。

 

 寝そべったままの姿勢で、恐る恐る視線を横へとズラしていく。

 

「…………ラヴィニス」

「……ふぁいっ! ……え、ええ、ベル殿ッ!? 私、どうしてベル殿と一緒に――」

「ラヴィニスッ!!」

 

 俺は抑えきれずに、彼女の身体を確かめる。

 確かに、彼女はそこにいた。彼女はそこで、息をしていた。

 

「ええッ!? あの! いえ、その! まだ心の準備がッ!」

「ラヴィニス……良かった……本当に……」

 

 俺は、ラヴィニスの身体を、何度も何度も確かめた。

 何度も……何度も……。

 

「……あの……」

 

 何度も……うへへ。

 

「ベル殿ッ! ちょ、ちょっと待って下さい!」

「ラヴィニス、愛している」

「うっ……で、でも……なにも、こんな場所で……」

 

 ラヴィニスは顔を真っ赤にしている。かわいい。

 

 ――――ゴホン。

 

 俺が追撃を始めようとした瞬間、部屋の中にわざとらしい咳が響いた。俺でも、ラヴィニスのものでもない。俺達は顔を見合わせて、部屋の中を見回す。

 

「……取り込み中のところ、すまんな」

 

 そこには、先ほどまで剣を交えていたはずの隻眼の男。

 ランスロット・タルタロスが立っていたのだった。

 

====================

 

 Chapter 0 - Let Us Cling Together

 

 END

 




-
--
---
----

というわけで、第0章はおしまいです(唐突)

風呂敷を広げまくった対ローディス戦でしたが、あっけない幕切れとなります。
ベルさんによる教国壊滅をご期待された方には、申し訳ないです。

PSP版の原作をプレイされていない方には、何が起きたのか戸惑う方もいらっしゃるでしょうが、次章にて明らかになっていきます。プレイ済みの方はニヤニヤして、どうぞ。

当初考えていたよりも Chapter 0 はだいぶ長くなってしまいました。
というのも、原作であるタクティクスオウガには魅力的なキャラが多く、彼ら彼女らにできるだけ活躍の場を与えてあげたいと思ってしまったためです。あれよあれよと登場キャラが増えていき、作者は困惑しています。
感想でお気に入りキャラを挙げて下さる方もいて、そのつど完全同意してしまうので、これからますます登場キャラは増えていくことでしょう(暴走)

それもひとえに、皆様に今も愛される素晴らしい原作があっての事です。
原作である「タクティクスオウガ」「伝説のオウガバトル」「オウガバトル64」の制作者および関係者の皆様に、この場を借りて厚くお礼を申し上げます。
素晴らしいゲーム、世界、物語を生み出し、この世に贈りだしてくださった事、本当に感謝しております。

正直このままのペースで完結できるのか心配ですが、原作愛を込めて走りたいと思っています。
もうしばらく、お付き合い頂けましたら幸いです。


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Chapter 1 - 俺にその手を汚せというのか
029 - Lost in Time


というわけで、新章です。よろしくおねがいします!



 デニム・パウエルは、朝目覚めた時から不思議な感覚を覚えていた。

 

 ヴァレリア諸島の南部にあるガルドギ島。そこにある、かつて『オベロンの真珠』と呼ばれるほどに美しい町並みを誇る港町ゴリアテ。彼はそこで育てられてきた。

 優しい父親プランシー、弟思いの姉カチュア、母親はいないが家族三人で仲睦まじく暮らし、親友のヴァイスや友人達にも恵まれて、間違いなく己が幸福であると確信している。

 それなのに。この不安は、この絶望は一体なんなのだろう。

 

「デニム、起きてるの? 朝ごはんよ」

「ね、姉さん……?」

 

 寝室の扉からのぞかせた顔を見て、動揺した様子を見せるデニム。その人は、確かに彼にとっての姉と言える人物だった。いつもと変わらない朝、そのはずだった。

 

「なぁに? 寝ぼけているの?」

「姉さん……姉さんッ!」

 

 デニムはベッドから飛び起きて、姉の胸元へと飛び込む。幼いころは身長差もあったが、今のデニムはすっかり青年へと成長しており、カチュアの身長を抜き去っている。そんな彼が、子供のように姉へと抱きつく光景はやや異常であったが、カチュアは何も言わずに微笑んでデニムを受け止め、頭を撫でる。

 

「あら……どうしたの、デニム。何か怖い夢でも見たのかしら」

「姉さんは……ここにいるんだよね?」

「ええ。私はここにいるわ。デニムを置いて、どこかに行ったりしないわよ」

 

 涙声で顔をうずめるデニムをなぐさめるように、カチュアは頭を撫で続ける。その姿は、仲の良い姉弟以外の何ものでもない。

 やがて、落ち着いたデニムがゆっくりと顔をあげる。その頬は少し赤くなっていた。

 

「ごめん……姉さん。でも、なぜか姉さんが……いなくなってしまったような、そんな気になっていたんだ」

「そう……。デニム、それはきっと悪い夢よ。あなたは悪い夢を見ていたの」

「うん……そうだよね……」

 

 なぜか浮かない表情のままのデニムだったが、カチュアはそんなデニムの手を優しく握り、食堂へと導いていく。パンの焼ける香りがふわりと漂い、デニムはやっと表情を和らげる。

 

「おはよう、デニム。ぐっすりと眠れたようだな」

「え……と、父さん?」

「なんだ、変な顔をして。まだ寝ぼけているのか?」

「父さんッ!!」

 

 先ほどと全く同じ光景が繰り返された。子供のように泣きじゃくるデニムを、仕方ないといった表情で優しく慰める父親。それを優しく見守る姉。

 

「デニムは怖い夢を見たようだわ。私達がいなくなってしまう夢だったみたい」

「はっはっは。そうか。大人になったと思ったが、まだまだ子供だな」

 

 温かい家族の団欒。それはデニムにとって当たり前だったはずのもの。だが、もはや二度とは取り戻せないと思っていたもの。二つの感情が入り混じりデニムは混乱しながらも、再び大好きだった父と姉に会えた事を素直に感謝した。

 

 港町ゴリアテに、朝の光が降り注ぐ。

 夜の訪れまで、あと少し。

 

--------------------

 

「ふむ……つまりここは、死者の宮殿の中だという事か?」

「ああ、恐らくな。だが、俺の住んでいた部屋とは少々異なっているが……」

「……このような場所に、本当に人が住めるのでしょうか……?」

 

 二人の男、そして一人の女の声が、一つの部屋の中に響いていた。

 

「俺が住んでいた部屋は、もっと家具などが置かれていたはずだ。自作のものだがな。この部屋はまるで、俺が住み始める前の状態そのままのように見える」

「……誰かが家具を撤去したのではないか?」

「む、その可能性はあるが……。モンスターは基本的にこの部屋には入ってこない。来るとすれば、俺の配下のように動いていたリザードマン達だが、奴らが俺の命令なしに部屋に入るとは思えん」

 

 男の一人、銀髪の男性が腕を組みながら言った。その深く紅い目は、見る物を虜にする宝石のような輝きを秘めている。その目に負けず劣らず眉目秀麗な顔立ちは、人形めいた造形美を感じさせた。

 

「……貴様の言う事を信じぬわけではないが、そもそも、どうして死者の宮殿などという場所に転移させられたのだ。この場所に関係の深い貴様の仕業ではないのか」

 

 もう一人の男、片目に黒い眼帯をした隻眼の男性が、感情を込めぬ口調で言う。やや青みがかった銀の長髪を持つ彼は、三十代後半ほどに見える。渋みと苦みを漂わせる険しい顔立ちだった。

 

「いい加減にしなさい。ベル殿は知らぬと言っているでしょう。そもそも、あなたがハイムにやってこなければ、こんな事にはならなかったというのに!」

 

 そう食ってかかったのは、最後の女性。やや茶を帯びた銀髪をショートカットにしていた。目鼻立ちのハッキリとした美人と言える。紅目の男性に寄り添うように腰掛けている。

 

「ふん。それを言うならば、貴様があの場に現れなければ、私はこの男に負けていただろうな。感謝するぞ、女よ」

「くっ……こ、この! 私はラヴィニス・ロシリオンよ! 変な呼び方をしないで! そもそも、あなたは一体何者だというの!」

「フッ。これは淑女に失礼をしたな。私はランスロット・タルタロス。ローディス教国の暗黒騎士団、その団長を務めている」

「なっ! あ、あなたがあの暗黒騎士団の……!?」

 

 慌てて立ち上がって構えようとするラヴィニスの肩を、抱くようにして押さえる隣の男性。

 

「ベル殿! どうして止めるんです!?」

「落ち着け、ラヴィニス。君の気持ちもわかるが……この男は丸腰だ」

「えっ?」

 

 ラヴィニスは驚きの表情でタルタロスを見やる。その腰にあるべき剣は存在しておらず、他に武器らしきものも見当たらない。確かにタルタロスは丸腰であった。騎士として生きてきたラヴィニスにとって、丸腰の相手を攻撃するのは恥ずべき事である。

 

「ふん……。どうやら、アンビシオンは一緒に転移されなかったようだな。私の手元を離れていたためか知らんが……」

 

 タルタロスは無表情で自分の空っぽの手を見下ろす。その表情や口調にこれといった感情は表れていないが、目をよく見れば複雑な色を覗かせていた。

 

「……まあよい。私はここから出なければならん。ベルゼビュートとか言ったな。貴様はこの死者の宮殿を出る道も知っているのだな」

「ああ、知っている」

「…………一時休戦といこう。貴様もここから出なければならぬだろう?」

「なっ! 何を偉そうに……!」

「貴様は黙っていろ、女」

「だから、私はラヴィニスよッ!!」

 

 タルタロスとラヴィニスの、犬猿の仲のような口争いに挟まれたベルゼビュートは、ひとつ溜息をついてから立ち上がると、ラヴィニスの頭をひと撫でする。

 

「……行くぞ。外に出てみなければ、ここが本当に俺の知る場所かもわからん」

 

 頭を撫でられたラヴィニスは、緩みそうになる頬をこらえながらベルゼビュートを追いかける。その際、タルタロスにひと睨みするのを忘れない。タルタロスはそれに何も言わず、寄りかかっていた壁から立ち上がって歩き始めた。

 

 不思議な組み合わせの三人組による、ダンジョン攻略が始まった。

 

--------------------

 

 やっほい、久しぶりの死者の宮殿だぜ。まさかラヴィニスちゃんと一緒に来れるなんて思わなかったなぁ。よくわかんないけど命も助かったっぽいし、よかったよかった。余計な奴がくっついてきたけど。

 

 相変わらず暗くてジメジメしているが、俺からしてみたら勝手知ったるという奴だ。だが、ラヴィニスからしてみればそうではないらしく、先ほどからビクビクして周りをキョロキョロとしながら歩いている。その手は、俺のローブの端をちょんと握っている。かわいい。

 これは、もしかしてお化け屋敷シチュエーションというやつではないのか。お化けに驚いた彼女が、彼氏に密着して……うへへ。でも、このダンジョンにお化けなんていないしなぁ。ゴーストとかは、単なるモンスターだし……。

 

「な、なんだか不気味なところですね……」

「そうか。慣れれば大した事はないんだがな」

「ベル殿は、このような場所でずっと過ごしていたのですね……。それも、ずっと一人で……」

 

 俺の身の上については、ラヴィニスにも説明してある。俺がダンジョンに三年間閉じ込められていて、それ以前の記憶がないことも彼女は知っている。実際には前世ともいうべき記憶があるけど、そっちもその内話さないとなぁ。やっぱり彼女に隠し事はよくないよな……えへへ。

 

「む……スケルトンか。久しぶりだな」

「えっ?」

 

 負の気配に気づいて立ち止まる。足元に転がっていた骸骨がカチャカチャと音を立てながら動き始めた。

 

「キャアッ!」

 

 ラヴィニスが俺の腕に抱きついて密着してくる。俺の腕は、至福の感触に包まれた。俺のテンションは一気にうなぎのぼりだ。今なら、なんだって相手にできる気がする。

 

「下がっていろ、ラヴィニス。こいつらはなかなか手強いからな」

「は、はい……すみません……」

 

 ラヴィニスは頬を赤くしながら、後ろに下がった。そういえば、タルタロスは何しているのかと見てみれば、奴は俺達から少し離れたところで腕を組んでいた。空気の読める奴だなぁ。

 組み立て終わったスケルトンが、相変わらず手品のように取り出した両手剣を持って襲いかかってくる。俺も愛用の槍を構えて迎え撃った。

 

 あれ?

 

 まずは様子見、と槍を払ったところ、スケルトンは避けることも防ぐこともできずに食らってしまう。まるで積み木が崩れるように骨がバラバラになって地面へと飛び散った。

 おかしいな、弱すぎるぞ。このフロアのスケルトンは、俺と戦いまくって歴戦の戦士みたいになってたはずなのに。偶然か、俺が強くなったのか。それとも、俺のいない間に怠けてたせいで弱くなったのかな。

 

「……まあ、いい。敵が弱いにこしたことはない」

「さすがはベル殿…………どうしたんですか?」

 

 こちらにキラキラとした目を向けてきたラヴィニスは、首を捻っている俺を見て訝しげに聞いてくる。俺は何でもないと首を振りつつ、先を急ぐことにした。

 

 俺の中で、なんとなく、何が起きているか予想がつき始めていた。

 

 俺達はそのまま、順調にいくつかのフロアを昇っていく。途中に出会ったモンスターは、容赦なく払い飛ばしていった。それというのも、俺と仲の良かったリザードマンやフェアリー、グレムリンなどが、俺を見るなり襲いかかってきたからだ。

 ますます確信を深めながら、それを確かめるために、とある場所へ立ち寄る事にした。

 

「ちょっと回り道になるが、寄りたい場所がある」

「え、どこへ寄っていくんですか?」

「…………死者宮名物行き倒れ横町」

「は?」

「俺の友人が営んでいる、ショップだ」

「こんなところに……ショップですか……?」

 

 ラヴィニスは首を傾げていたが、本当に存在するんだよ。嘘じゃないよ。俺だって最初見つけた時は驚いたんだもん。スケさんとカボさん、元気かなぁ。

 後ろで話を聞いていたタルタロスへも一応確認すると、特に異論はないらしく頷いている。まあ、誰だってこんなところにショップがあると聞いたら、行ってみたくなるよなぁ。

 

 出口への最短ルートを外れて、最寄りのカボさんのショップへの道を進んでいく。

 

--------------------

 

「いらっしゃいませカボ〜 『死者宮名物行き倒れ横町』へようこそカボ!」

「カボチャが……喋ってる……」

 

 ラヴィニスがぽかんと口を開けている。カボさんは、頭がカボチャになっている不思議な種族なのだ。パンプキンヘッドというらしい。

 俺ははやる気持ちを抑えながら、ゆっくりとカボさんに問いかける。

 

「カボさん……俺を覚えているか?」

「カボ? お客さん、初顔カボ〜。カボの名前、なんで知ってるカボ?」

「そうか……」

 

 落胆を隠せない。カボさんの記憶から、俺の事がすっぽりと抜けてしまっている。

 死者の宮殿を出てからしばらく経ってはいるが、常連となって毎日のように通い詰めた俺の事を忘れるとは思えない。『ベルっち』と呼ばれるほど仲が良かったのに、見知らぬ他人として接されるとかなり堪えるな……。

 

「……俺の名はベルゼビュート。好きに呼んでくれ」

「おおっ、カボはカボさんと呼んでほしいカボ〜。ベル……ベル……え〜と……ベルっち、よろしくカボ〜」

 

 ……やっぱり、単に記憶力が悪いだけかも……。

 

「あ、あのっ! 私はラヴィニス・ロシリオンと申します!」

「わ〜、ラミア以外の女の人は珍しいカボ。よろしくカボ! え〜と、ラヴィニスちゃん!」

「わ、私は『ラヴィっち』じゃないのですね……」

 

 ラヴィニスはなんだかしょげている。かわいい。

 

「このような場所でショップだと……? 一体、どのような客が来るというのだ……。そもそも、仕入れはどのようにして……」

 

 離れたところでショップに並ぶ商品を眺めているタルタロスが、ブツブツと独り言をつぶやいている。どうでもいいけど、俺には全て丸聞こえだからな。

 

「……カボさん。一つ聞きたいのだが、これまで他の人間がやってきた事はあるか?」

「カボ? う〜ん、あったような、なかったような……わからんカボ!」

「そうか。では、売れ筋の商品はなんだ?」

「そうカボね〜。やっぱりキュアリーフとかキュアシードなんかがよく売れるカボ。あとは、ゼナの果実酒とかイルミナの蜜酒とかを飲みにくる人も多いカボね」

「……オーブやドラゴンステーキは置いてないのか?」

「そんな貴重品、取り扱ってないカボよ〜! あんな凶暴なドラゴンを倒すなんて、無理に決まってるカボ!」

「……そうか」

 

 やっぱり、おかしい。俺がいた頃は、狩ったドラゴンをよく持ち込んでいたのだ。ドラゴンステーキは俺が食ってしまうから無いのは当然として、ドラゴンの胃から取り出せる魔石で、カボさんはよくオーブを作っていた。

 オーブを使うとなんだかスゴイ魔法が使えるので、かなりの売れ筋商品だったはずだ。悪戯好きのグレムリンが使ってきたので、かなりキツいお仕置きをした覚えがある。

 

「……何か、わかったのですか?」

 

 ラヴィニスが不安そうな表情で見上げてくる。タルタロスも聞き耳を立てているようだ。

 俺は頷き返すと、仮説を話してみる事にした。

 

「……俺達が目覚めたのは、俺の知っている小部屋に間違いない。そして、ここが死者の宮殿である事も間違いないだろう」

「しかし、そうなると……」

「ああ。だとしたら、なぜ俺が作った家具が存在しないかという事になる。それに俺はな、ここに住んでいた頃はこのショップの常連だったのだ。カボさんの記憶力が悪いのでなければ――」

「カボの記憶力は悪くないカボ!」

「――すまない。だとするなら、そもそもカボさんは俺に会った事がない、という事になるな。道中、モンスター達に襲われたが、以前は仲が良かったはずの奴らも俺の事を忘れたように襲いかかってきた」

「……え? え?」

 

 俺の説明に目を回しているラヴィニス。混乱しているようだ。

 その先を口にしようとしたところ、タルタロスが口を挟んできた。

 

「――なるほどな。つまり、我々は『時の迷子』というわけか」

「……ああ。かもしれん」

「ちょ、ちょっと、お二人だけで納得しないでください……」

 

 頬を膨らますラヴィニスちゃん、ほんと天使みたい。

 俺は微笑みながら、ラヴィニスにわかるよう噛み砕く。

 

「……つまり俺達は、過去に戻ったのかもしれない、ということだ」

 




やっと原作主人公が戻ってきました。夢か現か幻か……?
デコボコ三人組は、謎の一端にたどり着いたようですね。トリオ漫才かな?

いつも、感想や誤字報告をありがとうございます。
誤字報告機能の方は返信ができないためメッセージにてお礼させて頂いておりましたが、なんだか大げさで鬱陶しく思われるかと思い、この場でお礼を申し上げさせて頂く事にいたしました。
非常に助かっております。ありがとうございますッ!


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030 - Conflict

「デニム、ちょっと買い物に行ってくるわね」

「うん……気をつけてね。姉さん」

「ふふっ。なぁに? 大丈夫よ、ゴリアテは治安もいいし、すぐ近所なんだから」

 

 目覚めてから幸せな日常を過ごしていたデニム。しかし、その心の底ではしこりのように得体の知れぬ不安が沈殿していた。それは既視感とも言えるもので、デニムの心のなかに警鐘を鳴らし続けている。

 

 彼の記憶の中に、知らない姉の姿がある。彼女はデニムに捨てられたと感じ、デニムの目の前で己の首にナイフを突き立てた。優しくて聡明な姉とは重ならないはずなのに、自分が姉を捨てるはずなどないのに、その姿はどこか現実味を帯びていて、デニムは不安を感じずにはいられない。

 他にも、知らない顔、知らない仲間の記憶が、いくつもいくつも存在していた。彼ら彼女らは、一様にデニムに後を託して逝ってしまう。悲しくて、辛くて、記憶の中の自分は何度も人知れず泣きはらした。

 

「……悪い夢、か……」

 

 デニムはポツリとつぶやくと、家の扉を開けて外へと出た。寒風が吹き込み、デニムの身体を冷やす。目に映るゴリアテの街並みはいつものように美しく、それもまたデニムの心を暗くする一因となっていた。

 

 ――――燃え盛る家。泣き叫ぶ子供。連れて行かれる父親。

 

 まるで記憶がフラッシュバックするかのように街並みへと重なる。一体、僕はどうしてしまったのだろう。姉さんの言う通り、悪い夢のはずだ。ただ、それだけのはずなのに――――。

 

「よぉ、デニムッ!」

 

 自分の名前が呼ばれて顔をあげるデニム。見れば、通りの向こうから一人の男が片手を振っている。黒髪をツンツンと立たせて街中を駆けてくる狼のような男は、デニムもよく知る相手である。

 

「ヴァイスッ!」

 

 デニムも片手を振って応える。ヴァイス・ボゼッグは、デニムにとって無二の親友である。彼もまた、母親を幼いみぎりに亡くしており、境遇の近いデニムとは幼い頃から何かと気があった。そこにカチュアも混ざって、よく三人で行動していたのである。

 

「おいおい、デニム。なんか冴えない顔してるな?」

「うん……大丈夫だよ。それより、ヴァイスはどうかしたの?」

「あ、ああ。えーとな、カチュアはいるか?」

「姉さん? 姉さんならさっき買い物に出かけたけど……」

 

 ヴァイスはなぜか少し赤くなりながら切り出すが、デニムの一言にがっくりと肩を落とす。その動作だけで、デニムはヴァイスの秘めたる想いに気がつく。

 人生経験の少ないはずのデニムでは、ありえない観察眼だった。

 

「そ、そうか……。ま、しょうがないか。ほら、そろそろ祭りの時期だろ?」

「ああ、そういえば……」

 

 港町ゴリアテでは一年に一回の冬の時期に、海の恵みに感謝しつつ来年の大漁を願う祭りが開催される。美しい街並みの観光名所として有名なゴリアテだが、王都や他の城下町などに比べると田舎町に過ぎない。祭りは住民にとって一大イベントであり、ヴァレリア本島などからも多く人が集まってくる時期でもある。

 デニムは、なぜか懐かしい気持ちになりながら、ヴァイスの話に当たりをつける。

 

「そうか、ヴァイスは祭りに姉さんを誘いにきたんだね」

「えっ……あ、ああ。そ、その……」

「大丈夫だよ。僕は他の皆と回るからさ。……ああ、でも姉さんが離してくれないか……」

 

 カチュアのデニムに対する接し方は、姉弟にしてはやや過剰である。デニムにとって嬉しい反面、それを気恥ずかしく思う事も多々あった。

 

 ――――姉さんは、僕が本当の弟じゃないと、知っているのかな。

 

 頭をよぎった記憶。それが事実かどうかを確かめる気にはなれない。しかし、記憶の中で父親プランシーは、その事をデニムに告げたのだ。彼の姉、カチュアの正体がドルガルア王の忘れ形見であるという事を。

 姉がその事に気がついているのかはわからない。気がついていたら、姉弟としての接し方も変わってくるはずなのに、姉は一切そんな素振りを見せない。それどころか、溺愛といっていいほどにデニムをかまってくれるのだ。

 

「……はぁ。お前ら、本当に姉弟なのかよ……」

「ははは。でもさ、ヴァイス。僕は君を応援するよ。姉さんには護ってくれる人が必要だと思う。それは、僕なんかじゃない……」

「お前…………」

 

 ヴァイスが口を開けた間抜けな顔でデニムをじっと見る。しかし、デニムはその視線には気づかずに、自分の手を黙って見下ろしていた。

 

 その手は、まっさらに白い。

 それなのになぜか、デニムの目には血に染まって見えた。

 

--------------------

 

「まさか、本当にドラゴンを食べるとはな……」

 

 タルタロスがぼやきながら、ドラゴンの骨付き肉を微妙な顔で見ている。要らないなら俺によこしてもいいんだぜ。というかくれ。

 

「うぅ……食べておけばよかったとは言いましたが……ふー」

 

 ラヴィニスは、まだ熱い肉の塊をふーふーと冷ましている。かわいい。ちょっとそのお肉、俺のと交換してくれませんかねぇ。

 

「うむ。やはり、これに限るな」

 

 一方の俺はといえば、念願だったドラゴンの肉をめいっぱい頬張っている。うまうま。やっぱり、死者の宮殿に帰ってきたからには、これがなくちゃな。あとでヤキトリも食べなきゃ。

 以前はドラゴン達が俺を見れば全速力で逃げ出すため狩るのも一苦労だったのだが、今なら入れ食い状態だ。向こうから勝手に寄ってきてくれるなんて素晴らしいぞ。

 

「まさかとは思うが……貴様の得体のしれない力の正体は……」

「む? ああ、恐らくドラゴンの肉を食べ過ぎたのが原因だろうな。以前一緒に旅をした屍術師ニバス殿もそう言っていた。あまり人に言えるような事ではないが」

「馬鹿な……『究極の力』と思っていたのが、こんなものだったとは……」

 

 なぜかタルタロスは肩を落としている。いつも感情を表に出さない奴にしては、珍しい光景だ。だが、すぐに調子を取り戻してブツブツと考察をし始める。

 

「……ならば、教国で大々的にドラゴンを……いやしかし、それでは被害が大きすぎる……少数精鋭で……いや、数が足りん……くっ、どう考えても割に合わん……」

 

 結局、結論は同じだったのか再び肩を落とすタルタロス。よくわからんが、肉が冷めるからさっさと食えといいたい。

 

「おいひい……」

 

 ラヴィニスは、肉を小さな口で頬張って相好を崩している。そうだろうそうだろう。ドラゴンの肉は、最高級和牛にも匹敵する旨さなんだよ。オークションで高値がつくのもわかるというものだ。

 

「シャシャーシャ! シャシャシャ?」

「ああ、もっと焼いてくれ」

「シャシャッ!」

 

 俺が答えると、リザードマン達は再び肉を焼く作業へと戻っていく。最初は襲いかかってきた彼らだったが、俺が無双を続けていたらすぐに土下座モードに突入した。今では以前と変わらない関係だ。

 

「……ベル殿は、彼らの言葉がわかるのですか?」

「ん? まあ、何となくだがな。他のモンスターの言葉も何となくわかるぞ」

「そ、そうですか……」

 

 あれぇ? ほめてもらえると思ったのに……。

 

--------------------

 

「陛下、それでは行ってまいります」

 

 膝をつきながら、一人の男性が声をかける。三十代後半ほどの、静観な顔立ちの男性だった。白く立派な金属鎧を身につけ、目の前の人物へと忠誠を捧げるその姿は、まさしく絵画に描かれる騎士そのものだ。

 

「……すまぬ。方便とはいえ、そなたたちを追放せねばならんとは」

 

 苦渋の表情でそう答えたのは、世に聖王の名で知られる人物。人格者であり智謀に優れた彼にとって、忠誠を捧げてくれた騎士達に汚名を着せる今回のやり方は、耐え難いの一言に尽きた。

 

「敵を欺くには、まず味方から、と申します。それに聖剣ブリュンヒルドを盗まれたのは、我が聖騎士団の警備が甘かったため。聖騎士団の名誉に懸けて、必ずや聖剣を取り戻してまいります」

 

 騎士はひざまずいたまま応える。その目にはいっぺんの曇りも見当たらない。

 それは、騎士の背後に控えている者達も同様であった。赤髪で背中に翼を生やした有翼人。そして、隠者のタロットカードに描かれていそうな佇まいの老人。彼らもまた聖王に忠誠を誓い、騎士とこれから任務を共にする者達である。

 

「ローディスがなんのために聖剣を盗んだかはわからぬが、あれはゼノビアの至宝だ。頼んだぞ、ランスロット」

「ハッ」

 

 ランスロットと呼ばれた騎士は、立ち上がると聖王に一礼し、その場を後にする。残された聖王トリスタンは、憂鬱そうな表情を崩さなかった。

 だが、ふと目をやれば、そこに一人の老人が残っている事に気がつく。

 

「……何かあるのか、ウォーレン」

 

 ウォーレンと呼ばれた老人は緩慢にうなずき、聖王へと懸念を伝える。その顔色はすぐれない。

 

「はい……。星が……星の並びが変わりましてございます」

「なに? それは一体どういう事だ?」

「これまでに見たことのない並びです……これより先、星によって未来を見る事は難しくなるかと……」

「そなたの占いが使えぬとは……此度の任務に問題はないのか? それこそ、凶兆ではないのか?」

「……それは何とも。ですが――――」

 

 ウォーレンは言いながら、窓の外を見上げる。まだ太陽は空高く、星々の光は隠されている。だが、ウォーレンには確かに見えていた。そこにある、赤く、紅く輝く一つの星が。

 

「――――どうやら我らの命運は、一つの星が握っているようです」

 

--------------------

 

「猊下、どうやらガルガスタンの連中も建国を目論んでいるようです」

「なに……?」

「バルバトス枢機卿です。どうやらオルランドゥ伯の末裔である幼子を担ぎあげるつもりのようで……」

「ふん、あのいけ好かない男か。我々がローディスと手を組んだのがよほど気に食わぬと見える」

 

 部下の報告を受けて、玉座の上でふんぞり返るのは初老の男性。

 ドルガルア王の忘れ形見を隠蔽し、王妃へと取り入る事で権力を手にし、ついには一国の摂政、実質的な国主の地位にまで上り詰めた男、ブランタ・モウンだった。

 バクラム・ヴァレリア国を建国し、バクラム人によるバクラム人のための国を作りあげた男は、新たな勢力の登場に苛立ちを隠さない。

 

「いかがいたしましょう?」

「……あの男を喚べ。我々だけで方針を決める訳にはいかぬ……」

「……ハッ」

 

 そう返したブランタだったが、彼の内心は煮えたくっている。ローディス教国の顔色を伺わなければ、方針一つも決める事ができない己の状況に対してのものだった。

 だが、そうでもしなければ、ドルガルア王の死後に混乱したヴァレリアをまとめる事など不可能だろう。そして、ローディス教国の干渉を跳ね返す事も。

 

 己の決断は正しかった。そのはずだ。

 ブランタはそう確信しながら、喚び出した相手を待つ。

 

 その男はローディス教国から派遣されてきた、騎士団の団長。

 ブランタにとっては、味方でありながら、潜在的な敵でもある相手。

 

「――――お待たせしましたかな、猊下」

 

 一人の男が、ブランタのいる大広間に現れる。

 その男の後ろには、二人の騎士が影のように付き従っている。

 

「これはこれは、わざわざ足を運んで頂き申し訳ないですな。ですが、火急の用件にて――」

「前置きはよいでしょう。その火急の用件とやらをお聞かせ願えますか?」

「ははは……これは手厳しい」

 

 ブランタは口では笑っていながらも、目では一切笑っていない。

 

「今入った情報によれば、ガルガスタン人達が建国の動きを見せているようで。首謀者はバルバトス枢機卿。多数派のガルガスタン人がまとまるとなれば、その規模は馬鹿にはできぬものでしょうな」

「……ほう。猊下のお力であればヴァレリアを一つにまとめられると、そう仰っておりましたが?」

「ふん……どうやら奴らは、我々が貴国とつながっているのが気に食わぬ様子ですな。そこで、ものは相談なのですが――――」

「我らの力を借りたい、と?」

「ええ。ローディス教国の精鋭であり、筆頭の騎士団である卿ら――――暗黒騎士団のお力をお借りしたいのですよ、タルタロス卿」

 

 ブランタの前に立つ男。片目を眼帯に覆われ、腰元には光り輝く聖剣ブリュンヒルドを持つ暗黒騎士団の団長。ランスロット・タルタロスは、確かにそこに存在していた。

 

 それは、時のいたずら。

 二人のタルタロスが、同時に存在するという矛盾。

 

 ――――彼らはまだ、お互いの存在を知らない。

 




さ ぁ、カ オ ス の 時 間 だ。
各陣営の状態がリセットされたりされなかったりして、作者の頭も大混乱必至です。
よっしゃ、二人いるなら、一人間引いても大丈夫だな!(錯乱)


【聖騎士ランスロット・ハミルトン】
新生ゼノビア王国からヴァレリアにやってきた(やってくる)聖騎士。
通称、白ランスロさん。タルタロスさんとは別人です。
※この小説には現在、ランスロットさんが三人存在しています。


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031 - Bewitching Charm

「確か、この辺りに……」

 

 ベルゼビュートが足元を確認しながら足踏みを何度かすると、微かな音と共に床が沈み込み、壁面の一部が音を立てながら開いていく。

 

「なるほど……。これでは、わからなくても仕方ないですね」

「うむ、そうだろう」

「だが、それで三年も閉じ込められるとは、間抜けな話だな」

「…………」

 

 タルタロスの嫌味な言葉に黙りこむベルゼビュート。事実であるため、言い返そうにも言い返せない。ラヴィニスがキッとタルタロスをにらみつけて、慌てたようにフォローする。

 

「そ、それでも、三年もこのような場所を生き延びるなんて、スゴイですね」

「……ああ。ありがとう、ラヴィニス。では、先へ急ごう」

 

 隠し扉の通路を歩き始めるベルゼビュート、その背中を追いかけるラヴィニス。タルタロスは、そんな二人の様子をじっと眺めながら、二人の後を追って歩き始めた。

 

 相変わらず湿ったカビ臭い空気が蔓延する暗い通路を、ベルゼビュートは迷う素振りもみせずに歩いていく。しばらく無言で歩く一行だったが、ラヴィニスが不意に口を開いた。

 

「……これから先、どうしましょうか」

「そうだな……。まずは地上に出て、本当に過去に戻ったのか、戻ったのなら今はいつ頃なのか、確認しなければなるまい」

「な、なんだかベル殿は、こういった状況に慣れているようなのですね」

「……そうか? ラヴィニスは、そういった時を逆行するような物語を見聞きした事はないのか?」

「時を……ですか? そうですね、時を操るのは暗黒神の仕業とされていますし、あまりそのような邪法……すみません。魔法を全面に出す物語は、あいにく……」

 

 ラヴィニスが考えこんでいると、後ろを歩いているタルタロスも会話に入ってきた。

 

「まるで貴様はそういった物語を知っている口ぶりだな。記憶喪失ではなかったのか?」

「む……そうだな。確かにそのはずだが、そういった物語の記憶があるようだ」

「ほう……。興味深いな。それで、その物語ではどのような事が起こる? 参考程度にはなるだろう」

「……時をさかのぼるといっても、色々なパターンがある。一つは――――」

 

 そう言って、地球において見聞きした時間逆行の小説や漫画の知識を元に説明をするベルゼビュート。それらは、ラヴィニスやタルタロスにとっては新鮮な内容だった。

 

 問題として、時間をさかのぼった彼らの立ち位置がどのようなものになるのか。もし、『過去の自分』というべき他人が存在していたら、同じ時間軸に同一人物が二人存在する事になる。物語によっては、この二人が出会う事をタブーとしているものもある。

 さらに、タイムパラドックスの問題。彼らにとっての過去である現在で、起こる事象に干渉すること。それによって歴史に大きな変化が起き、彼らの知る未来と異なるものとなった場合。また、結果として、この時間軸の同一人物である『過去の自分』が死んでしまったら、一体どうなるのか。

 

「なるほど……。過去を変える事によって起こる矛盾か……」

「ああ。だが、それについては深く考えぬ事だ。ここに俺達がいる時点で、大なり小なり未来は変わってしまう。それに――――」

 

 ベルゼビュートは語りながら、視線を隣にいるラヴィニスへと向ける。ラヴィニスは、彼の説明をまだ咀嚼しているのか、顎に手を当てて真剣な表情で考え込んでいる。

 

「――――俺の知る未来では、多くの死者が出る。俺の大切な者達が、その仲間達が。俺はできる限り、そいつらを救うつもりだ」

 

 その言葉にハッとしながら顔をあげるラヴィニス。彼女の脳裏にもまた、この戦争で亡くなっていった、いや、亡くなっていくはずの者達の顔が浮かんでいた。特に、彼女の胸の中で逝ってしまった一人の青年の姿が蘇る。

 

「……だがその行為は、我らにとっては不利益になるだろうな」

「む……止めるつもりか?」

 

 タルタロスの言葉に、ベルゼビュートは殺気混じりの言葉を返す。ベルゼビュートが救おうとしているのは、解放軍のメンバー。それはそのまま、敵陣営への不利益となるのは間違いない。

 

「……ふん。別に止めはせん。仮に貴様の言う通りに別人の私がいるとするなら、貴様を止めるのはそいつの仕事だろう。もしいないとしても、我々の『任務』はすでに達成している。すぐにこの島から手を引くだけだろうな」

「……『究極の力』か」

「貴様……ッ!」

 

 ベルゼビュートに『任務』の内容を言い当てられ、動揺するタルタロス。

 

「図星か? どうやら教国にとって『究極の力』というのはよほど魅力的らしいな。バクラムに与したのも、空中庭園の地下にあるカオスゲートを調べるためだろう?」

「……チッ……私としたことが……」

「やめておけ。魔界にあるという力、人に制御できるような代物ではないぞ」

「……貴様は何を知っている?」

 

 ベルゼビュートの思わせぶりな言葉に、訝しげな表情になるタルタロス。二人の間に緊迫した空気が流れるが、そこへ間の抜けた声が聞こえてきた。

 

「あらあら? こんなトコロで生きたヒトに会うなんて、ビックリだわぁ♪」

 

 その言葉にハッと我に返り振り向く二人。二人の板挟みとなっていたラヴィニスもまた、新たな声の登場に驚いて声の主の姿を探す。三人はいつの間にか隠し通路を抜け、出口に近いフロアへと出ていた。

 そこには、ヒラヒラと手を振る女性が立っていた。いわゆる魔女の三角帽子をかぶり、胸元を大きく露出した過激な黒のワンピースドレスを着ている。そのスカートの丈は短く、ロングブーツとの間にある絶対領域には肉感あふれる肌色が覗いていた。

 

「ん〜。まだ奥があったのねぇ。下り階段が見当たらないから、ここで終わりかと思っちゃったわ。アナタたちのお・か・げ・よ♥」

 

 女性はくねくねと身体を揺らしながら、パチリとウィンクする。タルタロスは全く動じていないが、ベルゼビュートはピクリと肩を揺らす。隣にいるラヴィニスが敏感に反応し、ベルゼビュートの腕をギュッと抱き寄せる。その姿はまるで、オモチャを取られないようにする子供のようだ。

 それを目にした女性は、微笑ましいモノを見たといった様子でクスリと笑う。ベルゼビュートは、ラヴィニスをチラリと一瞥してから、女性に話しかけた。

 

「俺の名はベルゼビュート。こっちはラヴィニス。この無愛想なのがタルタロスだ。失礼だが、貴殿の名を伺ってもよいだろうか」

「あら、見かけによらず紳士的なのね♥ よく見れば超イケメンだし……ふふふ、大丈夫よ、取ったりしないから」

 

 ラヴィニスの威嚇するような目つきに、微笑みかけるデネブ。その言葉にはからかうような響きが含まれていた。

 

「え〜っと、アタシの名前だったわね。よくぞ聞いてくれたわ。アタシは、魔女デネブ・ローブ。デネブちゃんって呼んでね♪」

 

 デネブの決めポーズと再びのウィンクに、三人は何の反応も見せなかった。

 

--------------------

 

「ふ〜ん。下には何もないの……」

「ああ。まあ、行くなら止めはせんがな。モンスターが多いから注意する事だ。若い女性一人では危険だと思うが……」

「あら、心配してくれるの? ありがとネ♥」

 

 俺の忠告に対して、デネブと名乗った女性はニコリと微笑む。うむ、見事なお姉さんキャラだ。だが、俺にはラヴィニスちゃんがいるからな。脇見は一切しないのだ。だから、その蠱惑的な胸の谷間と太ももを隠してもらえませんかねぇ……。

 さきほどから俺の腕にひっついて離れようとしないラヴィニスは、デネブさんにあからさまな敵意を向けている。唇を尖らせながら、文句とも質問とも取れる言葉をデネブさんに投げかける。

 

「あ、あ、貴女はこんな所に何の用があるというのですッ!」

「う〜ん、そうねぇ。用ってわけじゃないんだけどぉ。ちょっと『魔』の気配が……」

「何?」

 

 デネブさんが現れてから空気に徹していたタルタロスが口を開いた。

 

「貴様、魔界について何か知っているのか?」

「あら? という事は、アナタ達もなのかしら?」

 

 質問に質問を返すマイペースなデネブさん。どうやら彼女は、このダンジョンに漂う怪しい気配に誘われたようだ。空中庭園の地下でカオスゲートが開いた時も感じた気配だ。そういえばウォーレン氏も暗黒道の説明で『魔』がどうとか言ってたな。

 

「俺の知る限りでは、この下にカオスゲートはないぞ。この場所は暗黒神アスモデの神殿として作られたらしくてな。『魔』とやらが存在するなら、恐らくその影響だろう」

「まぁ……。博識なのね♥」

「友人からの受け売りだがな」

 

 ここが神殿だということは、ニバス殿に教えてもらった事だったな。さすがニバス殿だわ。さすニバ。

 

 そういえば、ニバス殿はどうしているのだろう。過去に戻ったのだとしたら、まだ死者の宮殿に来る前ってことだよな。確かその前は、ガルガスタン軍の魔術師として働いてたって言ってたな。ニバス殿と敵対するのも嫌だし、さっさとガルガスタン軍は片付けないとな。

 

 おっと、そういえば。

 

「そうだった。デネブ殿。今は一体、何年の何月何日か知らないか?」

「あら? え〜っと、ゼテギネア歴でぇ251年だったかしら? 神竜の月の……16日ね」

「251年……」

「まさか本当に……」

 

 やはり、俺達が過去へとさかのぼったのは間違いないようだ。

 

 確か、ハイム城を攻略してバグラム陣営を倒したのが253年。そこから戴冠式、ローディス教国との開戦もギリギリ年内だったから、俺達は二年、実質的には三年ほどさかのぼった事になる。俺は死者の宮殿で目覚めてから三年ぐらい閉じ込められてたから、計算は合うな。

 神竜の月は確か一年で一番最初の月だったはず。まだ251年になって間もない。

 

「ラヴィニス……例の虐殺がいつ頃だったか、覚えているか」

「…………252年に入ってからだったかと」

「そうか。では十分に間に合うな」

 

 デニムにとって、大きな転換となるであろうバルマムッサの虐殺。俺は何としてでもそれを止めるつもりだった。あれによって確かにウォルスタ陣営は戦力を手に入れたが、後々に禍根を残しすぎる。デニムの暗殺の原因となった一つであるのは間違いない。

 

「ベル殿……ですが……」

「なんだ?」

「その……彼の、デニムの故郷である港町ゴリアテが――」

「――暗黒騎士団によって襲撃されるのは251年、地竜の月1日だな」

「なに……?」

 

 タルタロスの言葉に思わず目を見開く。地竜の月といえば、神竜の月の次の月だったはずだ。一ヶ月は約24日だから、あと一週間ほどしかない。

 迂闊だった。デニムから聞いていたはずなのに。アイツが戦いに身を投じる事となったきっかけ。平和な港町が暗黒騎士団によって襲撃され、アイツの父親は連れ去られてしまうのだ。

 

「……急がねばならんな」

「ちょっとちょっとぉ。なぁに? 面白そうな話をしてるわねぇ♪」

 

 俺達の会話を黙って聞いていたデネブが、横から口を挟んでくる。確かにいきなり今日の日付を聞いて、思わせぶりな内容を喋っていたのだ。デネブからしてみれば気になる事この上ないだろう。

 記憶を掘り返すのに夢中で、彼女の存在をすっかり忘れていた。

 

「詳しく聞かせてちょ〜だい♥ ネッ!」

 

--------------------

 

「ふぅむ、やはりダメですか……」

 

 薄暗い部屋の中に、一人の男性の声が響く。

 卓上にはぼんやりと明かりを放つランプが置かれ、広げられた巻物には几帳面な性格を思わせる字が並んでいる。その内容はどれも、高度な魔法知識がなければ読み解く事は不可能なものである。

 

「肉体というものは、どうしてこう脆いンでしょうねぇ」

 

 ぼやくようなトーンでぶつぶつとつぶやき続けるその声の主は、白髪と白髭が特徴的な初老の男性だった。頭には赤いターバンを巻き、細い目が作業台の上に横たわるモノを見つめている。

 

 彼の名は、屍術師ニバス・オブデロード。人は、死せる魂をもてあそぶ彼を邪悪な魔術師と呼ぶ。だが一方で、死の克服を目指すその研究こそ人にとって最も有益な研究だというものもいる。

 かつての彼はベルゼビュートに半ば強引に誘われて解放軍に参加したが、それは単なる不確定の()()にしか過ぎない。現在の彼にその記憶はなく、ガルガスタン軍の魔術師として己の研究に埋没する日々を送っていた。

 

 そこへ、扉をノックする控えめな音が響く。

 

「父上、そろそろ休憩なされてはいかがですか?」

 

 扉から現れたのは、一人の女性。大人になりかけの、まだあどけなさを残す少女だった。彼女はニバスを父と呼び、ニバスもまた彼女の登場に顔をほころばせる。

 

「おや、そうですねぇ。そろそろ休憩にしましょうか」

「はい。母上と姉上もいらっしゃいますよ」

「フフフ……やはり家族揃っての団欒が一番です。そうは思いませンか、クレシダ?」

「はい……!」

 

 ニバスの問いかけに、クレシダと呼ばれた少女もニコリと微笑む。そんな二人の姿は、誰が見ても仲の良い親子そのものである。

 卓上の書類を片付け、作業台の上にあるモノに布をかぶせると、ニバスはランプの明かりを落とす。その様子を、クレシダは黙って顔色を変えずに眺めていた。

 

「では、行きましょうか」

「はい、父上……」

 

 二人は扉を開き、その中へと消えていく。

 

 あとに残されたのは、ほのかに残るランプの焦げ臭い匂い。そして、作業台の上に横たわり布をかぶせられたモノ――――成人男性の遺体であった。

 




前回はベルさん達に絡まなかったデネブさんの登場です。なお年齢不詳。
そして、待望のニバス先生も再び。おや……ニバス先生の家族の様子が……?


【ゼテギネア歴】
ヴァレリアなどを含むゼテギネア全土で用いられる一般的な暦法。
地球の太陽暦と対応していて、1年が15ヶ月で表現される。(1年の長さは365日で同じ)
作中ではその都度わかるように説明を書くつもりなので、特に覚えておく必要はありません。


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032 - Family

「デニム。やっぱりアナタ、最近おかしいわ。一体どうしたというの?」

「姉さん……」

「最近なんだか……私の事を避けているんじゃない?」

 

 悲しげなカチュアの問いにうつむくデニム。その顔は、カチュアの疑念が勘違いではない事を如実に表していた。彼らの父は神父としての勤めがあり、リビングには姉弟二人の姿しかない。

 

「私たちは姉弟なのよ……? どうして? 私の事が嫌いになったの?」

「ち、違うよ。ただ……」

「ただ?」

 

 デニムは言うべきか言うまいか、逡巡している様子を見せる。だが、一度目を閉じるとゆっくり息を吐きだし、目を開いた時には覚悟を決めた表情となった。

 

「……姉さんは、自分の父親が本当は誰なのか、知っているの?」

「え……?」

 

 その言葉はカチュアへと突き刺さり、彼女を絶句させる。それは、本来なら彼の知るはずのない知識。歴史が少しずつ、形を変えようとしていた。

 

「な、何を言っているの? 私達の父親は――」

「僕と姉さんは、本当の姉弟じゃない。姉さんは……姉さんの本当の名前は、ベルサリア・オヴェリス。亡き覇王ドルガルアの娘……」

「ッ……」

「僕だって、本当はデニム・パウエルじゃない。僕の本当の姓はモウン。父さんは、あのバクラムの指導者であるブランタ・モウンの弟なんだ……」

「う……嘘よ……」

「……そうでしょう、父さん?」

 

 デニムの呼びかけに反応し、ガタリという物音が聞こえた。やがて、外へとつながる扉がゆっくりと開く。そこには、彼らの父親であるプランシーの姿があった。彼は顔面蒼白となったまま立ち尽くしている。

 

「……なぜ……お前が知っているのだ……」

「そ、そんな……そんなのは嘘よッ! だって……だって、私とデニムは姉弟なのよッ! たった二人きりの家族なのよッ! 家族じゃないのは、あの人だけよッ!!」

「二人きり……? カチュア、お前も……」

「ッ! だって……私達は捨て子なんでしょう? モルーバ様とそう話していたじゃないッ!」

 

 カチュアは狼狽を隠さずに訴える。父親はカチュアの言葉を聞いて、むしろ納得がいったという表情でうなずく。

 

「そうか……聞かれていたか。しかし、お前の認識は正しくはない……。デニムの言った通り、お前は本来であれば王女と呼ばれるべき身分。かのドルガルア王と、侍女の間に生まれた庶子なのだ」

「イヤッ! イヤよッ! 私はデニムと一緒にいるのよッ!」

「落ち着くのだ、カチュアよッ! お前の正体がどうであれ、私はお前を娘として愛しているッ! お前がデニムの姉である事に変わりはない!」

 

 ブランタは説得するようにカチュアへと近づいて両肩をつかむが、カチュアは聞きたくないと言わんばかりに、涙を流しながら両耳を押さえて首を振っている。

 しばらく、カチュアの嗚咽だけが部屋を満たす。その間、デニムは沈んだ表情でただカチュアの様子をじっと見つめていた。だが、その瞳は何か決意を秘めたように輝いている。

 

「姉さん……」

「デニム……私達は姉弟よ……そうよね、デニム……?」

「うん。僕にとっての姉さんは、カチュア姉さんしかいない。僕は姉さんの弟だよ」

 

 すがりつくように聞いてくるカチュアに、しっかりとした頷きで応えるデニム。カチュアはそれを見て、少し落ち着きを取り戻した。

 デニムは安堵しつつ、カチュア、プランシーと続けて視線を合わせる。その目はどこまでも真摯で、普段の優しいデニムの雰囲気とは違い、万人を従わせるような覇気に満ち満ちている。

 それは、家族の知らない彼の一面。時を経て、覇王となる才気の片鱗。その発露だった。

 

「……姉さん。父さん。二人に聞いてほしい事があるんだ」

「デニム……。お前はなぜ、カチュアの出生の秘密を知っていたのだ。なぜ、私がブランタの弟だという事を知っている。お前は一体……」

「全部話すよ。僕が知っている事。僕が()()した事も……全部」

「……経験……?」

 

 デニムの言葉に首を傾げるカチュア達。これまでデニムは、彼女達と一緒に過ごしてきた。一体どのような経験をすれば、あのデニムがここまで変わるというのだろうか。二人は困惑した様子を見せる。

 

「……始まりは雪の夜。ここゴリアテが、襲われた日から始まる――――」

 

--------------------

 

「ふ〜ん。時の迷子かぁ…… あっ、じゃあ、未来のアタシとも会った事があるの?」

「いや、ないが……俺の話を疑わんのだな」

「え〜、だってぇ、嘘はついてなさそうだしネ。それに、本当だと思った方が面白そうじゃない?」

「そうか……」

 

 俺達が未来から来た事を簡単に説明すると、デネブさんは疑う様子を一切見せない。なんというか、やりにくい人だわ。隣にいるラヴィニスは呆れ顔になっている。

 話すべきか、話してよいのか迷ったが、別に未来から来たとバレてもどうという事はないと判断した。どうせこれから先回りして行動するのだから、いずれバレる事だろう。いちいち隠し事をする方が面倒だ。

 

「うふふ。心配しなくてもいいわよ? 別に言いふらしたりしないもの。それにね〜……アタシ、決めたわ! あなた達についていっちゃおっと♥」

「なっ! 何を言っているのです! 勝手な事を!」

 

 俺にくっついたままのラヴィニスが憤慨した様子でデネブさんに抗議する。しかしデネブさんは「もう決めたことだも〜ん」と言って取り合わない。本当についてくるつもりなのか……?

 

「別に拒みはせんが……急な話だな。一体なんのためだ」

「えっとね〜、面白そうだ・か・ら……ふふっ、冗談よ♪ 本当はね、あなた達が何をしようとしているのか気になるから、かな。アタシの知り合いにも、占いが得意なオジイサマがいるからかなぁ。な〜んか、ほっとけないのよね」

「占い……? それはもしかして、占星術師のウォーレン殿ではないか?」

 

 少しトーンダウンしたデネブさんに聞き返すと、彼女は手をパチンと鳴らしてクルクルと回り始めた。なかなかアップダウンの激しい人だなぁ。ヴァレリアで出会った事のないタイプだ。

 

「オジイサマを知ってるのね! すっご〜い偶然ネ♥ もしかして、あなた達もゼノビアから来たの?」

「いや、違う。未来で知り合っただけだ。ウォーレン殿はカノープスや……聖騎士と一緒に、このヴァレリアにやってきたようだな」

「あら、カノぷ〜も来るのねぇ。聖騎士っていえば、ランスロットちゃんかな? それは楽しみね♥」

 

 カノぷ〜って……。赤髪の有翼人の姿を思い出し、そのギャップに内心で吹き出してしまう。今度会ったら、俺もカノぷ〜と呼んでみようかな。いや、また狙われたらイヤだしなぁ……。

 彼らの秘密任務の内容も知ってるが、これはあまり口外しないほうがいいだろう。彼女と彼らがどういう関係なのかもよく知らないし。どうやらゼノビアの関係者のようだが。

 

 それから二、三やりとりがあったが、結局デネブさんは俺達についてくる事にしたようだ。どうやら、ウォーレン氏達と未来で出会う事が決め手となったらしい。

 ラヴィニスはなぜか強硬に反対していたが、タルタロスはどうでもいいといった態度だ。なんともまとまりがないパーティだなぁ。最終的にはラヴィニスがデネブさんに何かを吹き込まれて折れる形となった。もちろん、俺もフォローは忘れてないぞ。

 

 四人で死者の宮殿を出ると、そこはまさしく記憶通りの風景だった。なにしろ三年経って初めて拝んだ地上の景色なのだ。俺の中に強く記憶として刻まれている。あの時とメンバーは全然違うけどな。

 

「やっと地上か……」

 

 俺の後ろで髪をかきあげているタルタロス。こいつの渋いイケメンフェイスだと、何をやっても様になっていて何だか腹立たしい。くそう、眼帯も正直いってカッコいいし……。

 

「そういえば、タルタロスはこの先どうする? 別に俺達についてくる必要はないが」

「ふん……過去に戻ってきたのは貴様の仕業には違いないのだろう。だとすれば、いつ貴様が未来に戻らないとも限らん。その機会を逃すわけにはいかんからな。仕方がないから今のところは同行してやろう」

「あらあら、素直になれないお年頃なのね♥」

「…………」

 

 タルタロスの上からの物言いに一瞬ムッとしたが、デネブさんのからかいまじりの言葉を受けたタルタロスは黙り込んで顔を背けている。恐るべしデネブさん……。一体、彼女は何歳なのだろう。とても聞く事はできない。

 

「せっかくベル殿と二人きりだと思ったのに……」

 

 ラヴィニスが小声でぶつぶつとつぶやいている。なんだこの可愛い生き物。天使かな?

 

「それで? どこへ行くつもりなのぉ?」

「……港町ゴリアテへと急ぐつもりだ。地竜の月までに、な」

 

 そして、デニムに危機を知らせなければならない。恐らく今のデニムは、俺の事など忘れているだろう。その事は悲しいが、再び生きているアイツに会えるのなら、また一からやり直せばいい。

 

 待ってろよ、デニム。絶対に助けにいくからな。

 

--------------------

 

「そして、姉さんは……僕の目の前で、命を絶ったんだ」

「そんな……」

 

 僕の話を聞いて、姉さんは青い顔をしながら手で口を押さえる。父さんは、先ほどから顔を険しくさせたままだ。二人とも、僕の話を一切否定せずに信じてくれている。

 この話を姉さんや父さんに聞かせるのは、正直に言えばとても辛い。今のまま、何も知らない幸せな家族として過ごせるなら、そうしていたかった。

 

「それから僕は……あの人に出会ったんだ」

「……あの人?」

「うん。僕はね、姉さんの死に耐えられなかった。それなのに、解放軍の皆は僕にリーダーとしての役割を求めるんだ……。僕は……疲れてしまって……」

「まさか……! まさか、アナタはッ!」

「うん……ヤケになって、軍を一人で飛び出した。その時に耳にした死者の宮殿というダンジョンに、一人で挑もうとしたんだ。死者をも蘇らせる秘宝があると聞いて……。死んでもいいやって、思ってた」

「そんな……デニム……」

 

 僕の情けない告白を、姉さんは我が事のように悲しんでくれる。優しい姉さんを悲しませるのは辛い。だけど、だからこそ僕は全てを話すべきだと思った。これ以上、悲しませないためにも。

 

「その死者の宮殿で、ベルさん……ベルゼビュートさんに出会った。そうそう、ニバスさんも一緒にいたんだっけ。懐かしいな……」

「その……ベルゼビュートっていう人は、一体何者なの?」

「うん。一人で無謀な挑戦をしようとしている僕を止めてくれた。それでね、こんな僕を助けてくれるって、ベルさんはそう言ってくれたんだ……」

 

 そう、彼はその言葉通り、僕を助けてくれた。一人でハイム城へと突入し、誰を死なせる事もなく――暗黒騎士の一人が犠牲になっていたが――戦争を終わらせたんだ。僕がやった事なんて、最後の一押しに過ぎなかった。ほとんど、あの人のおかげだ。

 ベルゼビュートさんの姿を思い出す。彼の自信に満ち溢れた姿を。大義のためでもなく、正義のためでもなく、ただ純粋に、僕なんかのためにその身を犠牲にする事を厭わなかった人だ。僕にはとても真似する事ができそうにない。

 あの人のように強く振る舞えれば、みんなをまとめる事なんて簡単だっただろう。だけど、僕にはそんな素質はなかったのだ。

 

 なにせ僕は、戴冠式のその席で――――殺されたのだから。

 

「……デニム……お前は、そこまで追い詰められたのだな……」

 

 今まで黙り込んでいた父さんが、おもむろに口を開いた。僕はそっと目を伏せる。

 

「すまない……全ては私の責任だ……。大義のための(いしずえ)になれなど……私が言えた言葉ではない。私利私欲のためにカチュアの存在を隠し通し、王の死後に混乱する民衆を欺き続けた私に……そのような事を説く資格などありはしないというのに……」

「それは違う。違うよ、父さん。僕は父さんの言葉がなければ、もっと早く折れていたと思う。それに、父さんが姉さんの存在を隠し続けた理由だって、わかっているんだ」

 

 僕の言葉に、父さんは虚をつかれたような顔になる。

 

「ブランタが言っていたんだ……。もし姉さんの存在を公にすれば、きっと僕たち姉弟は離れ離れにされていただろうって……。姉さんは女王として担ぎ上げられて、一国を背負う立場に立たされていただろうって……」

「…………」

「ブランタに言われたよ。全てを姉に負わせて、お前はのうのうと生きるつもりだったのかって……父さんもそう考えたからこそ、愛している姉さんを守ろうとしたんでしょう? 大義のためであろうと、家族を犠牲になんかできない。僕だってきっと、同じ選択をしていたと思う」

「それは……」

 

 父さんは口を開きかけたが、結局は否定の言葉を出さなかった。姉さんは僕の話を聞いて、信じられないという驚きの表情を父さんに向けている。

 

「姉さん。確かに姉さんと僕達は血がつながっていないのかもしれない。だけど、僕達は家族なんだ。姉さんは僕の愛する姉さんで、父さんが愛する娘、カチュア・パウエルなんだよ」

「デニム……」

 

 姉さんは感極まったのか、瞳をうるませている。父さんは考え込んでいたが、やがて姉さんと、そして傍らにいた僕を両手で抱き寄せる。その大きな手に、安心感を覚える。

 

「すまない……カチュア。デニムの言った通り、私たちは家族なのだ。カチュア、お前は私の大事な娘であり、デニムの姉なのだ……。本当の家族ではないと、そうお前に言われるのを恐れ、真実を言い出せなかった私を許してくれ……」

「う……うう……私こそ、ごめん。ごめんなさい。父さんが……家族じゃないなんて、ひどい事を言って……。いつだって私達を見守ってくれたのは、父さんだったのに……。親として愛情をくれたのは、父さんだったのに……」

 

 僕達は、肩を寄せ合って泣き続けた。だけどそれは、ちっとも悲しい涙なんかではない。これから僕達は家族として、一からやり直すのだ。今までの過去も、これから起こる未来も、悲しい出来事を全てを洗い流すため、僕達は涙を流したのだ。それは、暖かく優しい涙だった。

 

 

 ベルさんの孤高を貫く強さ、それはとてもうらましいものだ。

 だけど、僕は僕のやり方で強くなろうと思った。

 

 僕一人だけでは、きっといつか失敗してしまう。

 だから僕は、家族との絆、仲間の力を信じようと思った。

 前よりももっと多くの仲間を作り、どんな困難でも皆で乗り越える。

 

 運命という言葉なんかに、逃げたりはしない。

 僕はできる限りの事を、自分の力でやると決めたのだ。

 




やっぱりデニムくんが主人公! これもうオリ主いらないんじゃね(白目)
デネブさんの参加でなかなか賑やかになってきました。賑やかすぎる気もしますが……


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033 - Ruining Village

 ヴァレリア本島の西部、コリタニ地方を中心として建国されたガルガスタン王国。ヴァレリアを占める最大多数派民族のガルガスタン人、その右派からの支持を背景に建国は驚くほどスムーズに行われた。

 その中心となったのは、フィラーハ教の枢機卿の一人であり、その中でも突出した存在感を持っていたレーウンダ・バルバトス。

 彼は、旧コリタニ領主であるオルランドゥ伯の末裔、いまだ幼いコリタニ公を国主の座に据え、自身が摂政職につくことで実質的に王国を差配している。

 

 膨大な権力を掌中に収める事に成功したバルバトスだったが、彼は現状に満足などしていなかった。

 

「フン……。未だバクラムは動く気配は無いか……」

「ハッ。国境付近にて警戒を続けておりますが、動きは見られません」

 

 まだ四十代前半のバルバトス枢機卿は、綺麗に髭が剃られた顎を撫でながら黙考する。その彼の前でじっとひざまずいているのは、対象的に無精髭が目立つ男性。バルバトスに対して騎士の礼をとる彼は、ガルガスタン騎士団の団長であるザエボス・ローゼンバッハ将軍である。

 ガルガスタン王国の中枢コリタニ城の一室にて、二人の男が今後の方針を模索していた。

 

「まあよい……。奴らが動かぬのならば、私の考えを推し進めるまで」

「……とおっしゃいますと……」

「ウォルスタだよ、ローゼンバッハ卿。我らガルガスタンを裏切り、早々にドルガルア王に腹を見せ服従した卑しい犬どもだ。そのような奴らには、相応しい教育が必要だとは思わんかね?」

「ハッ」

「バクラムもウォルスタも、我らガルガスタンに比べれば劣等民族に過ぎん。フィラーハ神の教えに従わぬ異教徒どもも同様だ。我々には、このヴァレリアを『浄化』せねばならん義務がある」

 

 バルバトスの目は完全に狂気に染まっているが、ひざまずいているザエボスはそれに気づかない。バルバトスは語調をますます強め、腕を振り上げながら狂った論理を展開する。

 

「そうだッ! 我らに必要なのは民族浄化なのだッ! ウォルスタという卑しい犬ども、バクラムという腐った豚どもの増長を許してはならんのだッ! 我らガルガスタン人こそ、このヴァレリアを支配するのにふさわしいッ!!」

「……ハッ。まさしく、猊下の仰る通りかと」

 

 ザエボスもバルバトスの考えに同調する。程度の差はあれ、ガルガスタン人はウォルスタ人に恨みを抱き、差別意識を持っている。ドルガルア王を生み出したバクラム人に劣等感を抱き、復讐心を持っている。

 

 それでも、バルバトスのこの考えが過激なものである事に間違いはない。ガルガスタン陣営にも良識派や穏健派は一定数存在しており、彼らはこのような過激な『民族浄化政策』に賛同しないだろう。

 結局これが後々のしこりとなり、ガルガスタン陣営は大きく割れて内部に反体制派を抱える事となるのだが、それはまだ来ぬ未来の話である。

 

「……まず手始めに、我が国の内部にある異分子を摘出せねばならん」

「……では、我が騎士団を各地に派遣いたしますか?」

「まあ待つがよい。いまだバクラムの動きは読めぬ。彼奴らが急に動き出さんとも限らんだろう。我が国の主戦力を分散させるのは得策ではない」

「ハッ。猊下のご慧眼、感服いたしました。それでしたら国内の摘発は誰に当たらせましょうか」

「……そうだな、竜騎兵団を使うとするか。まだ実験段階ではあるが、ちょうどよいだろう」

 

 ガルガスタン王国竜騎兵団は、ドラゴンを調教する事で兵力とする事を試みる実験的な部隊だった。強大なドラゴンの力を御する事ができれば、それは即ち強大な戦力を得る事につながる。

 問題は、ドラゴンの捕獲がそもそも至難の業である事。そして気性の荒いドラゴンを調教するのは、多くの年月を必要とする事。実際、この部隊の設立にあたって多くの被害が生まれている。

 建国の準備を着々と整えていたバルバトス枢機卿は、秘密裏にこの実験部隊の設立を推し進めていた。それが結実し、現在では十頭近くのドラゴンの調教に成功して曲りなりにも部隊としての体裁は整っていた。

 

 バルバトスの言葉を聞いたザエボスは、ひざまずきながら一つ頷く。

 

「竜騎兵団ですか……。よろしいかと存じますが、問題が一つ」

「む、なんだ? 申してみよ」

「団長のジュヌーン……奴はどちらかと言えば穏健派に属する者。猊下のご命令に逆らうとは思えませんが……任務の遂行にあたり、手を抜く恐れがございます」

「フン……ならば、団長の座を他の者に譲らせればよい」

「ハッ……しかしながら猊下。竜騎兵団でドラゴンに施された調教の多くは、奴の手によるもの。他の者をいきなりその席に着かせたとて、満足に任務をこなす事は難しいでしょう」

「ヌウ……ならばどうせよと言うのだッ!」

 

 激昂するバルバトスに対して、ザエボスは顔をおもむろに上げる。その顔には不敵な笑みが浮かんでいた。

 

「それならば猊下。私に一つ考えがございます――――」

 

--------------------

 

 死者の宮殿を出た俺達は、歩きづらい毒沼と湿地に辟易としながら徒歩で移動していた。

 このエクシター島を出てヴァレリア本島へ向かうには船が必要だが、本島とを往復する定期便に乗るには島の反対側まで行かなければならない。そういえばデニム達と一緒に移動した時も、船に乗った覚えがある。

 やろうと思えば、海を泳いで渡れると思うが……ラヴィニス達を置いていくわけにはいかないな。

 

 暗黒騎士団がゴリアテに攻め込むまで、あと一週間ほどしかない。陸路を通っていたら間に合わないので、どこかで船を調達して海路を進むしかないだろう。向かう先が港町なのが幸いだった。

 

「転移魔法でも使えればいいのだが……」

「ごめんね〜♥ アタシ、転移魔法はどうも苦手なのよねぇ。一人だけなら、こうやってホウキに乗って移動できちゃうしネ」

 

 湿地で足元がグチャグチャになっている俺達を尻目に、デネブさんはフワフワと宙に浮いて移動している。椅子に腰掛けるように、浮かんでいるホウキに腰掛けているのだ。優雅に足まで組んでいるが、見えそうで見えず目のやりどころに非常に困る。

 浮いている彼女をうらやましそうに見るラヴィニスだったが、文句一つ言わずに足を汚している。俺がおぶってやろうかと提案したが、ブンブンと首を振って断られた。あとで隙を見て、お姫様抱っこしようと思う。えへへ。

 

「では、どのような魔法が使える?」

「ん〜、そうねぇ。得意なのは暗黒魔法とぉ、情熱的な火の魔法かな♪ アタシに惚れると、ヤケドしちゃうわよ? な〜んちゃって♥」

「……暗黒魔法はお似合いだな」

「ん〜? タルちゃん、なんか言った?」

「……いや」

 

 先程から黙々と歩き続けるタルタロスがポツリと漏らした一言を、デネブさんの地獄耳は余さずキャッチする。下手すれば俺の聴覚よりも鋭いんじゃないか?

 タルちゃん呼ばわりされたタルタロスは、表情を変えずに目を逸らした。どうやらこの二人、相性はなかなか悪くないようだ。よきかなよきかな。

 

「あっ、そろそろ村が見えてきたわよぉ」

 

 ホウキの高度を上げたデネブさんが、手で双眼鏡を作りながら報告してくる。いちいち仕草がわざとらしいなこの人。それにしても、この辺に村なんかあったか? ……あっ、そういえば。

 

「バスク村か」

「そうそう。海の神様を信仰してる、ちょ〜っと変わった村よねぇ」

 

 デニム達と一緒に通った村だ。だが、あの時にはすでに人っ子一人おらず、廃村になっていたはずだ。確か、ガルガスタン軍に滅ぼされたんじゃなかったか。

 俺の目にも村の家々が遠目に見える。平らな屋根の家をいくつも確認できた。焼き討ちされているわけでもなく、村は平穏そのものに見える。

 

「どうやら、ガルガスタン軍はまだ来ていないようだな」

「バスク村……どこかで聞いた事があると思いましたが、ガルガスタンの民族浄化政策の一環で襲撃された村でしたね……。本当に、民族浄化など愚かとしか言いようがありません……」

 

 ラヴィニスも知っていたようだ。ウォルスタとガルガスタンの混血である彼女にとって、民族浄化などという政策を容認できるはずがない。

 

「……危険を知らせておくか」

「ですが……信じてもらえるでしょうか。私達が未来から来たなど……」

「別に未来から来たなどと言う必要はないだろう。それとなく、ガルガスタンがバスク村に狙いを付けているようだと噂を流せばいい。近々襲撃があるかもしれない、とな」

 

 これが未来知識の不便なところだ。自分達が行動する分にはいいのだが、他人に動いてもらうには理由を説明しなくてはならない。しかも、俺達の知る未来が絶対に正しいとも言い切れないのだ。何かのきっかけで全く別の未来になる可能性もある。

 

「ふん……そう上手くいくといいがな」

「なに?」

 

 タルタロスの嫌味ったらしい言葉に思わず反応してしまう。

 

「貴様は人間の本質を知らんようだな。人は利がなければ動かん。ましてや、こんな辺境に隠れ住む異教徒達ともなれば、な……」

「も〜、タルちゃんったら暗いのねぇ。そんな嫌味ばっかり言ってたらダ・メ・よ♥」

「…………」

 

 ベルゼビュートですが、パーティ内の空気が最悪です。主に二名の間の。

 

--------------------

 

「出てけッ」

「よそ者は出ていってちょうだいッ」

「我々に関わらんでくだされ……」

 

 バスク村に到着した俺達だったが、向けられる言葉はどれも辛辣で拒絶的なものだった。店に入ろうとすると入店を拒否され、酒場に入ると「よそ者に出す酒はない」と言われる。

 せめて村長に会って情報提供だけでも、と思ったのだが、通行人たちは俺達の姿を見るとそそくさと逃げ出してしまう。村長の家らしき大きめの家に突撃したが、ノックをしても梨の礫だった。

 

「こんなに排他的だとは……」

「情報を伝える事すらできんとは、誤算だったな」

 

 俺とラヴィニスは頭を抱えてしまう。タルタロスの言った通り、この村はバスク教という宗教を信仰する信徒たちの隠れ村みたいなものだ。

 ドルガルア王は熱心なフィラーハ教徒だったため、ヴァレリア王国の国教もフィラーハ教となっている。異教徒たちは迫害されており肩身は狭く、バスク教徒も総本山であるクリザローの町を追われたらしい。

 

 彼らのよそ者に対する猜疑心は非常に強く、見るからによそ者の俺達に対する風当たりは冷たい。

 

「だから言っただろう。人は利でしか動かん。己の信じたい事しか信じない弱者どもに、善意など通用せんのだ。疑心に支配された奴らにとって、無償の善意など悪意にしか見えんだろうな」

 

 タルタロスは呆れを隠さずに言う。その言葉は、人間に対する諦観と悲観が満ちているように聞こえた。いつも彼のネガティブな言葉に反応するデネブさんは、村の上空をホウキで飛んでいる。どうやら村人達の視線が嫌になったらしい。自由な人である。

 ラヴィニスは彼の言葉に噛み付くように反応する。

 

「くっ……。それなら、アナタはどうすべきだと言うんですか!」

「切り捨てればいい」

「なッ……」

「弱者など、切り捨てればいい。奴らは所詮、迫害され、生存競争に敗れた敗者にしか過ぎん。助言に耳を貸さずに死にゆくというのなら、そうさせてやればいい」

「あ、アナタは……」

 

 タルタロスの辛辣な言葉に、ラヴィニスはパクパクと口を開閉させる。言いたい事はあるが、言葉にならないようだ。その様子を見て、タルタロスは鼻で笑ってみせる。

 

「そ、そのような弱者を踏みにじるような真似が許されるはずがないッ! せっかく救えるかもしれないというのにッ!」

「フン……何を勘違いしている? 貴様は神にでもなったつもりか。未来の知識で人を救いたいのなら勝手にすればいい。だが、それで救われない者が出るのも自明の事だ。全てを救おうなど、人の傲慢にすぎんな」

 

 タルタロスの冷ややかな視線がラヴィニスを射抜く。言い方は冷徹で辛辣だが、彼の言葉が間違っているとは否定できない。全てを救う事などできるはずがない。そんな事、わかっていたはずだった。

 バッサリと否定されたラヴィニスは、顔を蒼白しながらタルタロスをにらみつける。

 

「やはり……やはり、アナタはローディスの人間なのだッ! 弱者を踏みにじり、強者の論理を振りかざす! それが、ローディスのやり方なのだろうッ!」

「ラヴィニスッ!!」

 

 彼女の肩をつかみながら、俺は彼女の名前を呼んだ。彼女はビクリと肩を震わせて、俺の方にゆっくりと振り返る。その顔には少しの怯えと、罪悪感がにじんでいた。

 

「ラヴィニス……俺が言いたい事はわかるな?」

「…………」

「ローディス人だから――――その言葉は、ラヴィニスが口にすべきではない。ウォルスタとガルガスタンの狭間で苦しんできたラヴィニスが、口にしてよい言葉ではないだろう?」

「……はい……」

 

 ラヴィニスは肩を落としてうつむきながら、か細い声で返事をする。俺は彼女の頭をゆっくりと撫でながら、染み込ませるように言い聞かせる。

 

「ラヴィニス……全てを救いたいという君の気持ちは、とても尊いと思う。俺だって、できればそうしたい。だが、それはあくまでも理想にすぎないだろう?」

「…………」

「これが戦争である以上、勝者がいれば敗者もいる。勝者となる者を増やせば、その分、敗者となる者も増える。それが道理だ」

「……ですがこの村の人達は、戦争の犠牲者でしかないのです。それを救いたいと思うのは、間違っているのでしょうか……?」

「間違いではないさ。できる限りの事はすべきだろう。だが、それでもし救えなかったとして、その事にラヴィニスが責任を感じるのは間違っている」

「…………」

「そうやって全ての死を背負い込んでしまえば、あっという間に潰れてしまうぞ。俺はラヴィニスのそんな姿を見たくない」

「はい……」

 

 理性では理解しているが、感情で納得できていないという様子のラヴィニス。彼女の真っ直ぐな気性は好ましいが、心配になってしまう。俺が支えになってやれればいいんだが……。

 タルタロスは言うべき事は言ったとばかりに腕を組んで目を閉じている。人の気も知らないで、勝手なやつだぜ。だが、奴の言葉がなければラヴィニスの不安定さに気づくのが遅くなったかもしれない。その点は感謝すべきだろう。

 

 しばらく沈んだ空気のまま沈黙していた俺達だったが、背後から足音が聞こえてきた。

 

「あの……旅の方ですか?」

 

 振り返るとそこには、一人の少女が立っていた。地球の中学生ぐらいの年齢だろうか。ドラゴンの角のような頭飾りが特徴的だ。彼女は恐る恐るという表情で、俺達に話しかけてくる。

 

「ああ。君はこの村の住人か?」

「はい。オクシオーヌといいます。その……お困りのようだったので……」

 

 どうやら俺達の話を聞いてくれそうな相手の登場だった。

 




実力者のくせに影が薄いことでお馴染みのバルバトス枢機卿も動き始めました。
原作を見ててもラヴィニスちゃんは結構無茶するタイプなんですよね。ベルさんに頑張って頂きたく。
そして、薄幸少女オクシオーヌちゃんの登場です。


【バルバトス枢機卿】
ガルガスタン王国の摂政であり、ガルガスタン陣営の指導者。
作中では屈指の実力者にも関わらず、登場シーンは数回というヒドい扱いを受けている。
民族浄化政策を唱え、主人公のウォルスタ陣営を追い詰めまくった元凶。
なお、前の世界線ではデニムくん達に追い詰められ自刃した模様。

【ザエボス将軍】
ガルガスタン騎士団の団長。バルバトス枢機卿の右腕として働く。
原作のルートによっては、非常に魅力的な敵役としての一面を見せる。
SFC版では普通の顔だったのに、PSP版では無精髭の太っちょフェイスに変更された。
リメイクによる最大の被害者の一人と言われているとかいないとか。


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034 - Sister and Brother

「そうですか……この村が……」

「ああ。恐らく年内、早ければすぐにでも襲撃があるかもしれん。といっても、証拠はないから村の者たちに信じてもらうのは難しいだろうが……」

 

 オクシオーヌと名乗った少女に案内され、俺達は村長の家と思われた大きな家屋の裏口に回った。どうやら彼女は、村長の娘であるらしい。

 見ず知らずの相手を家に入れるなど不用心ではないかと聞いたが、彼女は首を振って微笑んでみせた。どうやら、俺とラヴィニスの会話を聞いていたらしい。ラヴィニスがあまりにも真剣に村の事を心配しているようだったので、思わず声を掛けてしまったそうだ。

 

 俺達から詳しい内容を聞いたオクシオーヌは、顔を曇らせている。

 

「すみません。村の人達も悪い人ではないんです。でもみんな、長く住んでいた場所を追い出されて、やっとの思いでここまでたどり着いたから……」

「わかっている。そこを責めるつもりはない。ただ、何も伝えずに見捨てるのは不義理だと思ったからな」

「はい、ありがとうございます。私から父や皆に伝えてみたいと思います」

「頼んだ」

 

 とりあえず、オクシオーヌを信じて託してみるしかないだろう。俺達は先を急ぐ身であり、この村に滞在し続けるわけにはいかない。

 だが、それでもやはり懸念があった。彼女はまだ子供に見られる年齢であり、彼女一人がいくら主張したところで、それを大人達が信じるとは限らない。

 

「そうだな……。念のために一つ、伝えておこう」

「なんですか?」

 

 俺はデニムから聞かされた話を思い出していた。この村を襲撃した部隊の指揮官であり、後にそれを後悔しながら解放軍へと加わった男の話だ。

 

「もし、敵の部隊がドラゴンを率いていたなら。そして、その部隊の指揮官がジュヌーンという男だったなら――――」

 

--------------------

 

「失礼いたします。竜騎兵団団長ジュヌーン・アパタイザ、参上いたしました」

 

 一人の男が、バルバトス枢機卿の前にひざまずいた。ドラゴンを思わせる赤いフルプレートの鎧を身にまとい、同じく赤い兜を片手に抱えている。赤銅色の髪をもつ壮年の男性だった。

 

「うむ。よくきたな、アパタイザ卿。貴殿の竜騎兵団に新たな任務を授ける」

「ハッ、謹んで拝命いたします」

 

 バルバトスは玉座のような絢爛な椅子に腰掛け、生真面目な表情で頭を下げるジュヌーンに向かってしかつめらしい口調で話しかける。バルバトスの傍らには、ザエボス将軍やその部下数人が控えていた。

 

「貴殿も知っておろうが、建国から間もない我が国はまだ多くの不安要素を抱えている。特に、我が国をよく思わぬバクラム、そしてウォルスタによるものと思われる妨害活動が日に日に激化しておるのだ」

「なんと……」

 

 もっともらしい事を言っているバルバトスだったが、そのような事実は存在していない。バクラムはいまだに動きを見せず、少数派のウォルスタは南部へと追いやられたままだった。

 

「そこで、竜騎兵団には新たな任務として、国内の治安を正すために()()()()の摘発、および殲滅を命じる。任務の詳細については、ローゼンバッハ卿から聞くと良いであろう」

「ハッ! 王国のため、猊下のために、必ずや任務を果たしてご覧に入れます!」

「うむ。では、任せたぞ」

 

 そう言うと、バルバトスは椅子から立ち上がり、部屋を退出していく。ジュヌーンはひざまずいたままそれを見送り、あとには彼とザエボス将軍、その部下達が残された。

 

「……さて、ジュヌーンよ。猊下から聞いた通りだ。我々騎士団はバクラム国境とコリタニ城警備のために動けん。国内の安定は貴様の竜騎兵団にかかっている事になるぞ」

「ハッ、身に余る光栄にて」

 

 ザエボスの言葉に、ジュヌーンは恐縮した様子を見せる。竜騎兵団はあくまでも実験部隊であり、王国騎士団に比べるとその地位は低い。同じ団長同士でも、そこには明確な力関係が存在していた。

 

「だが、貴様の部隊は諜報活動には向いておらんだろう。そこで、我ら騎士団が、国内の不穏分子についての捜査を取り持つ事となった。――グアチャロ、前へ出ろ」

「は、ここに」

 

 ザエボスの呼び掛けに対して一歩前に出たのは、テラーナイトと呼ばれる特徴的な鎧兜を身に着けた男だった。その黄土色の金属鎧から、黄土のグアチャロという異名をとる実力者である。

 

「このグアチャロの部隊が諜報活動を行い、実行部隊を率いる貴様への情報提供を行う事となる。二人で話し合い、上手く連携できるよう務めろ」

「ハッ!」

「ハッ!」

 

 頭を下げてかしこまるジュヌーン。それをじっと見下ろすザエボスの口元には、わずかな笑みが浮かべられていた。それは、その横に控えているグアチャロも同様だった。

 竜騎兵ジュヌーンはついに与えられた正義の任務を前に武者震いをする。罪のない異民族の者たちに多くの血と涙を流させる事となる民族浄化。たった今、その尖兵となる任務を引き受けた事など、今のジュヌーンには知るよしもない事だった。

 

--------------------

 

「ねぇねぇ、デニム! 一緒に買い物に行きましょう!」

「う、うん、姉さん。今行くよ」

 

 あの日、僕が真実を打ち明けた時から、姉さんの僕に対する態度が若干変化していた。以前も、姉弟にしては仲が良いね、とよく言われるような間柄だったが、今ではそれがさらに顕著になった気がする。

 

「あっ、ほらほら、見てデニム。あの服、可愛いわね!」

「そうだね。姉さんによく似合うと思うよ」

「本当ッ? う〜ん、ちょっと試着させてもらおうかしら?」

 

 姉さんの雰囲気が柔らかくなったのは良い傾向だと思うのだが、今も姉さんは僕の腕にベッタリとくっついて離れない。もしかして僕は、開いてはいけない扉を開いてしまったのだろうか。

 こうして二人で街中を歩く事も増えている。傍から見れば、仲のいい姉弟というよりカップル以外の何物にも見えないだろう。姉さんからの誘いを断るのも難しいため、こうしてズルズルと出歩いている。

 

「ねぇ、聞いてる、デニム?」

「うん、聞いてるよ、姉さん」

「もう。さっきから上の空になってばかりよ。……それとも、やっぱり私と居ても楽しくない?」

「そ、そんな事ないよ。だけどね姉さん。話した通り、もうすぐこのゴリアテが襲われるかもしれないんだ。どうしても気になってしょうがないんだよ」

 

 姉さんの追及を逃れる口実にしたが、それもまた懸念となっているのは確かだった。暗黒騎士団による襲撃。確かアレは、大漁祈願の祭りが行われた翌日の事だったように思う。その地竜の月のはじめまで、あと一週間もないのだ。

 

「そうね……。デニムの話を信じないわけじゃないけど、本当にこんな小さな港町をわざわざ襲いにくるのかしら。確かに、バクラムがローディスの騎士団を招き入れたというのは噂になっているけど……」

「うん。きっと来るよ。奴らの目的は、他でもない父さんと……姉さんなんだ。奴らはドルガルア王の遺児を血眼で探しているんだよ」

「…………」

 

 僕の言葉を受けて、姉さんはそっと目を伏せる。姉さんはまだ、自分がドルガルア王の娘であるという事実をしっかりと受け止められていないのだ。

 神聖文字を学んでいる姉さんは、僕たち姉弟が幼い頃から身につけている、お揃いの首飾りに刻まれた文字を読む事ができる。姉さんの赤い首飾りに刻まれた文字は『ラボン・ベルサリア・ザン・フォン、デストニア・レラ・フィーナン』。その意味は――――

 

 ――――我が娘ベルサリアに永遠の愛を。

 

 この首飾りは、ドルガルア王が我が子の誕生を祝って贈るはずだったものなのだ。女子であれば赤い首飾り、男子であれば青い首飾りを贈るつもりだったらしい。ブランタ経由で父さんの手に渡ったのだ。

 いわば、姉さんが王の娘である事を証明する動かぬ証拠。だけど姉さんは、その事実から目を背け続けている。僕にはそんな姉さんを責めることはできなかった。

 

「ねぇ、デニム……」

「なに?」

「このヴァレリアから、家族三人で逃げましょう?」

「え……」

 

 姉さんからの思わぬ提案に、僕は思考停止して固まってしまう。

 

「このままヴァレリアにいたら、私達は幸せになれないのよ。どこにいたって、きっと王の呪縛が私を追いかけてくる……」

「姉さん……」

「ねっ、いいじゃない? そうしましょうよ。三人で一緒に、どこか遠くへ行きましょう。私達のことを誰も知らない場所へ。そして家族三人で仲良く暮らすのよ……」

 

 正直に言えば、これから先ヴァレリアで起こる事を知らなければ、姉さんの提案に乗っていたかもしれない。家族三人で幸せに暮らす事。それがどれだけ尊いものか理解している。どれだけ求めても、そう簡単には手に入らないという事も。

 だけど。

 

「それはできないよ。姉さん」

「ど、どうして? どうしてなの?」

「…………」

 

 僕はすぐには答えず、ゴリアテの街並みを眺める。

 

 夕飯時が近い今、通りを歩く人達は大きな買い物袋を抱えていたり、帰りを待つ家族のために家路を急いでいたり様々だ。並んでいる屋台からは美味しそうな匂いが漂っているし、幼い子供を連れた母親が今晩の食卓に並ぶ魚を吟味している。

 

 平和な光景だった。

 

「僕はね、姉さん。これからこのヴァレリアで何が起きるか、知っているんだ。多くの罪のない人達が苦しみ、殺される。恨みが恨みを呼んでお互いを憎み合い、戦火はどんどん拡がっていく……」

「…………」

「その流れはもう止められないかもしれない。だけど、僕が動く事で少しでも苦しむ人が、犠牲者が減らせるなら……僕はそうすべきなんだと思う」

「どうして……? どうしてデニムなの? あなたじゃなくてもいいじゃない。わざわざそんな危険な事、あなたがする必要なんて……」

 

 姉さんは納得がいかないと首を振っている。僕はそんな姉さんの頬をそっと撫でた。いつの間にか、姉さんの身長を追い越していたんだな。

 

「ねぇ、姉さん。僕がこうして先の事を知っているのは、なぜだと思う?」

「それは……」

「きっとね、これは神様がくれたチャンスなんだよ。もう一度、僕にやり直せって言ってるんだ。そのおかげで、僕はこうしてまた姉さんと話ができる。父さんと会う事もできた」

「…………」

「確かに危険かもしれない。姉さんに心配をかけちゃうかもしれない……。だけど僕は、逃げたくないんだ。僕の知っている人たちが辛い目に遭うのを、黙って見過ごすなんて耐えられない。ここで逃げ出したら、きっと一生後悔していく事になる……。それは嫌なんだ」

 

 姉さんは僕の言う事を消化するように、じっとうつむいている。その姿を見て、あの時の光景がフラッシュバックする。バーニシア城で、僕の目の前で自らの命を絶った姉さんの最期。

 どうして姉さんが命を絶ったのか、あの時の僕には理解できなかった。それどころか、姉さんの事を自分の事しか考えられないワガママな姉だとまで考えていた。僕は最低な弟だった。

 

 きっと姉さんは、僕の事を深く愛してくれていた。

 

 だが僕は、解放軍のリーダーとしての役割に固執する余り、身内である姉さんの愛情から目を背けていた。いつだって姉さんは僕の心配をしていたのに、それを鬱陶しいとさえ思っていた。

 きっと姉さんは、そんな僕の態度に気がつき絶望した。唯一の家族だと思っていた弟が自分から離れていく。その事に耐えられなかった姉さんは、せめて僕の記憶に残るようにと目の前で命を絶ったのだ。

 

 目の前にじっと考え込む姉さんがいる。

 

 もし、姉さんがそれでもヴァレリアを離れたいというのなら、僕は従うつもりだ。確かに未来で起こる惨劇を防ぎたいという気持ちはある。でも、そのために家族を犠牲にするなんて本末転倒だ。

 

「……本当に、デニムはいつも勝手なんだから……」

「ごめんね、姉さん」

 

 うつむいたままの姉さんはポツリとつぶやいた。僕が謝ると、姉さんはゆっくりと顔を上げる。そこには、弟の悪戯を見て仕方ないと困り顔で笑うような姉の表情があった。

 

「……いいわ。許してあげる。弟のワガママを許すのは姉の役目だからね。……その代わり、これだけは約束してちょうだい。絶対に、一人で先走るような真似はしないで。必ず私や父さん、みんなを頼るのよ」

「わかってる。約束するよ、姉さん」

「そう……」

 

 僕がしっかりと頷くと、姉さんはクスリと笑った。

 

「さて、いい加減に帰らないと暗くなっちゃうわね。きっと父さんがお腹をすかせて待ってるわ。早く帰りましょう、デニム?」

「うんッ! 姉さん!」

 

 笑いあった僕達は、日が落ちつつある家路を、幼い頃のように手をつないで帰った。

 

 ――――その僕達の後姿を、物陰から見つめる人影に気が付かぬまま。

 




ジュヌーンさんに何かのフラグが立ったようです。
デニムくんとカチュアさんは仲良しこよしで結構な事ですね(ゲス顔)


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035 - Unexpected Lightning

 祭りの日がやってきた。

 

 この一週間、何もしていなかったわけじゃない。父さんや姉さんと相談しながら、明日の夜にあるはずの襲撃をどう乗り切るべきか考えてきた。そのための準備もしてきたのだ。

 『未来』の僕と違って、頼れる仲間や自由になる戦力があるわけではない。真っ向から迎え撃つという選択肢は早々に消えた。そうなると、残る選択肢は限られている。

 

「どう? 似合うかしら、デニム」

「うん、よく似合ってるよ。姉さん」

「本当? フフッ、嬉しいわ」

 

 新しい服を着てクルクルと回ってみせる姉さんに、思わず笑みがこぼれる。あれからますます距離が近づいた気がするけど、それは姉弟としてであって、僕は姉さんに対して恋愛感情はない。

 

「そういえば、ヴァイスはまだかな」

「あら、ヴァイスも来るの? てっきり二人っきりで回ると思ったのに」

「ね、姉さん。前からの約束じゃないか。忘れちゃったの?」

「冗談よ。でも私は、デニムと二人の方が良かったなぁ、って思うけど?」

「姉さん……」

 

 僕に恋愛感情はない。ないのだが、姉さんはなぜか姉弟としての必要以上に距離を詰めようとしてくる。それを何とかやり過ごすというのがこの一週間だった。

 ヴァイスはきっと姉さんの事を想っている。傍から見れば丸わかりだというのに、『前』の僕は全く気がついていなかった。これは成長したと言えるのだろうか。

 僕としては、ヴァイスの方が姉さんに相応しいと思っている。親友であるヴァイスは、本当に尊敬できる相手だったからだ。

 

 バルマムッサの虐殺。ヴァイスは最後までそれに反対し、解放軍を離れる事を選んだ。最初は現実を見る事のできない彼に幻滅したが、今では彼の選択も間違いではなかったと素直に思っている。

 ヴァイスは理想を貫く事をあきらめず、追われながらも地道に活動し続けた。それがどんなに難しい事か、今の僕にはよくわかるつもりだ。本当にスゴイ男だと思う。

 

 待ち合わせの場所で白い息を吐きながら二人で待っていると、手を振りながらこっちへ駆けてくる人影が見えた。

 

「おーい、待たせたなッ!」

 

 待ち人であるヴァイスがやって来た。彼は駆けてくるなり立ち止まると、姉さんの姿を見てカチンコチンに固まってしまった。姉さんの姿はいつもと少し雰囲気が変わっていて、白い毛皮のコートと短めのスカートが女性としての魅力を引き立てている。

 姉さんに見惚れてしまったのであろうヴァイスは、頬を赤くしている。それは寒さのせいなどではないだろう。

 

「遅いわよ、ヴァイス。凍えてしまうじゃない」

「あ、ああ……悪い……」

「ま、いいわ。じゃ、行きましょうよ。ほらデニム、エスコートしてちょうだい」

「う、うん」

 

 相変わらずマイペースな姉さん、ぼーっと上の空のままのヴァイスを連れて、僕は歩き始めた。

 

 空は冬の澄んだ空気に満ちており、雲ひとつ見えない。

 まだ、雪は降りそうに見えなかった。

 

--------------------

 

 一隻の船が、港町ゴリアテの存在するガルドキ島の湾岸へと静かに着岸する。

 

 船員によって船から降りるためのタラップが架けられると、そこから一人の人影が島の陸地に降り立った。その者は全身を覆うローブとフードを身に着けていたが、潮風に煽られてフードがばさりとはだける。

 

 その正体は暗黒騎士団ロスローリアン団長、ランスロット・タルタロス。その腰元には光り輝く聖剣が提げられている。バクラムの本拠地であるハイム、彼はそこから遥々海を渡ってこの小さな島を訪れたのだった。

 続いて彼の後ろから、一頭の馬が口取りに手綱を牽かれながら陸地に降り立つ。ブルルッと一鳴きしたその馬は、おおよそ普通の馬とはかけ離れた立派な体躯を持ち、赤いたてがみと二本の角のような装具を身に着けている黒馬だった。

 

 やがて、タルタロスの元へ一人の男が足早に近づいてきた。全身黒ずくめの男は、タルタロスの前にひざまずくと報告を始める。

 

「準備の方は滞りなく進んでおります」

「そうか。例の神父の姿は確認できたのだな?」

「ハッ。伝えられていた通りの風貌です。まず間違いないかと」

「ふん、手間を掛けさせてくれる……。まあ良い、決行は明日の夜だ。そう周知しておけ」

「ハッ!」

 

 返事をした男は、一礼すると立ち上がって足早に立ち去っていった。あとに残されたタルタロスはしばし佇んでいたが、急かすような(いなな)きを耳にして馬へと振り返る。

 

「ふん……窮屈な船底に押し込められて不満か。ならば、思う存分に走らせてやろう」

 

 タロタロスは口取りから手綱を受け取ると、馬の立派なたてがみを一撫でする。気難しい気性を持つその馬は、ブルルッと鼻で笑うように鳴いてみせる。

 大人の身長ほどはある高さの馬の背に、一気に駆け上がりまたがったタルタロスは、手綱を操作して馬を走らせ始めた。黒馬はそれに応えて、大きな体躯を揺らしながら豪快に海岸を駆ける。

 

 蹄の音が、平和な港町へと近づきつつあった。

 

--------------------

 

「ほら、デニム。あ〜ん」

「ね、姉さん……恥ずかしいよ……」

 

 目の前に差し出されたスプーンを、僕は首を振って拒否する。しかし姉さんは、「あ〜ん」と言いながらグイグイと僕の口元へと押し付けてくる。仕方なく口を開くと、スプーンは僕の口に放り込まれた。屋台で売られているシロップ漬け果実の甘い味が口いっぱいに広がる。

 

「おいしい?」

「う、うん……」

「そう、良かった。ウフフ……」

「カ、カチュア……俺にも一口……」

「あら、あなたは自分のがあるじゃない」

「…………」

 

 姉さんにバッサリと断られたヴァイスは、がくりと肩を落とす。見てるこちらが辛くなってくる。『前』の僕は、どうしてこんな状況でのほほんとしていられたのだろう。

 

「あ、そ、そうだ。僕、ちょっと買い物に行ってくるよ」

「え? そう、じゃあ私もついていくわ」

「い、いやっ! 姉さんはここでヴァイスと待っててよ。すぐに戻ってくるから……!」

 

 姉さんの返事を待たずに、僕は走り始めた。背後から呼び止める姉さんの声が聞こえたが、足を止めなかった。ヴァイスと二人きりにしてあげれば、進展があるかもしれないと願いながら。

 

 一年に一度の祭りだけあって、島中の人がいるのではないかと思うほどごった返している。島の外からも人が集まっているのだから仕方ない。何度か危うくぶつかりそうになりながら、僕は人混みの中を駆け抜けた。

 メインストリートを抜けて、裏通りに飛び込むと人気は少なくなる。やっと落ち着いた僕は、息を整えながら人心地つける。どうしてこうなってしまうんだろう。僕はヴァイスを応援したいのに。

 

 溜息を吐きながら、裏通りの入り口からメインストリートを行き交う人々を眺める。

 家族連れ、カップル、親子、誰もが楽しそうな顔で話したり屋台を覗いたりしている。場所柄、ウォルスタ人がほとんどであろう。今この瞬間だけは、みんな嫌なことを忘れて祭りを楽しんでいる。

 もし暗黒騎士団がやってくれば、この平和な光景はあっという間に失われてしまうのだろう。それを防ぐために、僕がしっかりしなければならない。

 

 気合を入れ直していると、裏通りの奥の方から悲鳴が聴こえてきた。祭りとなると、はしゃぎすぎる不埒者が出てくるのもお決まり事だ。

 放っておくわけにもいかず、僕は悲鳴の聞こえた方向へと走り出した。まばらにいる人々も、悲鳴が聞こえたのか同じ方向を向いている。

 

「まっ! 待ってくれッ! 悪かった! 俺達が悪かったからッ!」

「謝るくらいなら、最初からするんじゃないッ!」

「ヒエェッ!!」

 

 何人かの野次馬に囲まれるようにして、地面に這いつくばっている数人の男と、その男の一人の胸ぐらを掴み上げる女性の姿があった。先ほど聞こえた悲鳴は、男のものだったようだ。

 僕はその女性の姿を見て、固まってしまう。

 

「アロセール、もうそのぐらいでいいじゃないか。謝ってるんだから」

「兄さんは黙っててちょうだいッ!」

 

 女性の隣に立つ気の弱そうな男性がそれを止めようとしているが、女性は全く言う事を聞こうとしない。二人は兄妹のようだが、力関係は明らかだ。僕たち姉弟といい、いつだって女性は強い。

 そうだ、彼女はアロセールさんだ。『未来』の僕の手による虐殺によって兄を失い、復讐者として僕の前に立ちふさがった彼女。後に和解して解放軍に加わってくれたが、戦いの中で命を落とした。最後まで、兄を手に掛けた僕の事を許してはくれなかった。

 

 一見すると華奢に見えるアロセールさんは、片手で軽々と男を掴み上げている。赤髪が特徴的な彼女は、確か僕と同じぐらいの歳だったはずだ。その隣に立っている兄も同じ赤髪で、こちらは長身で頼りがいがありそうに見えるが、気弱な態度がそれを台無しにしている。

 

 大体の経緯がつかめてきた。恐らく、地面に寝ている男たちが兄妹にちょっかいを出そうとして返り討ちにあったのだろう。数で勝っているからと舐めてかかったのかもしれない。

 とにかく、そろそろ止めに入らないと。

 

「あの、その辺にしておいてはいかがでしょうか?」

「なに? あなたもこいつらの仲間かしら?」

「え? いや、違いま――――うわっ!」

 

 否定しようとした僕に、アロセールさんは掴み上げていた男を投げ飛ばしてくる。慌ててそれを受け止めると、彼女は死角から僕の脇腹に一撃を入れようとしてきた。

 これでも、幾度もの戦いを潜り抜けてきたのだ。経験が僕を動かし、彼女の拳をとっさに腕でガードする。強烈な一撃ではあるが、今の彼女はまだ『雷神』と呼ばれる前の女性にすぎない。なんとか耐えられた。

 彼女は、そんな僕の動きに驚いた表情を見せた。

 

「あら……。見た目によらず、やるのね」

「ハハハ……こう見えてもギリギリでしたよ。その、争うつもりはないのですが」

「そうだよ、アロセール。いきなり殴りかかるなんて、女の子のする事じゃないぞ」

「う……。わ、わかったよ……」

 

 なぜか急にしおらしくなったアロセールさんにホッとしつつ、男の身体を地面に下ろす。男はいつの間にか気絶していたようだ。

 

「ごめんね。うちの妹が迷惑を掛けた。怪我はなかったかい?」

「え、ええ……。大丈夫です」

 

 アロセールさんの兄さんに謝られて、変な気分になりながら答える。本当なら、僕が謝らなくてはいけない相手なのに。いくら謝っても足りない相手なのに。

 

「ほら、アロセールも」

「う……そ、その……悪かったわ。いきなり殴ったりして」

「はは、しょうがないですよ。男に囲まれたら、誰だって気が立ってしまうと思いますし。かよわい女性となればなおさらでしょう」

「か、かよわい……」

 

 照れたアロセールさんは黙り込んでしまった。『前』の時は、いつも警戒心を隠さずに接されていたから新鮮な反応だ。こんな女性を、復讐者にしてしまった事を本当に申し訳なく思う。

 兄がそんなアロセールさんを見てクスリと笑い、僕に握手を求めてきたので応じる。

 

「僕はシドニー・ダーニャ。こっちは妹のアロセール。クリザローから来たんだ。よろしくね」

「あ、はい。僕はデニム・パウエルといいます。このゴリアテに住んでいます」

「なんだか堅いね。たぶん歳も近いし、敬語は要らないよ。ゴリアテの祭りは久しぶりに来たけど、やっぱり綺麗な町だよね。毎日見られるなんて、うらやましいな」

「いえ、さすがに見慣れま……見慣れるよ。それを除けば田舎町だしね」

 

 アロセールさんの兄、シドニーは親しみやすい人だった。罪悪感が胸を苛むが、なんとか平常心を保って応対できた。シドニーは、まだ黙り込んでいるアロセールさんを仕方なさそうに見る。

 

「まったく、アロセールももう良い歳なんだから、そろそろ落ち着いてくれないと」

「だ、だって、しょうがないじゃない。こいつらがナンパなんかしてくるから」

「かわいそうに……。アロセールの本性を知ってれば、声なんか掛けなかったろうに」

「に、兄さんッ!」

「ははは」

 

 二人はどこからどうみても仲がいい兄妹だった。

 

「デニムくん、世の中にはこんなアロセールの事を好きになってくれる奇特な男性がいるんだよ」

「ちょ、ちょっと! 彼の事はいいじゃない!」

「レオナールさんも、何を考えてアロセールを選んでくれたんだろうね」

 

 ドキリと胸が跳ねた。レオナール?

 

「そ、そのレオナールさんというのはもしかして、アルモリカ騎士団の?」

「おや、知ってるのかい? これは驚いたな。そうだよ、アルモリカ騎士団の団長のレオナール・レシ・リモンさんだ。アロセールとは偶然知り合ってね。それ以来、物好きな交際が続いてるというわけさ」

「もう……別にいいじゃない。彼は忙しいから、あまり会えないのよ。この祭りも一緒に来たかったのに……」

 

 そうだったのか。アロセールさんとレオナールさんが恋人関係だったなんて全く知らなかった。

 

 指導力不足が浮き彫りになったロンウェー公爵の暗殺を企図して、その罪をすべて被る事を選んだレオナールさん。僕にすべてを託した彼は、一体どのような気持ちで逝ったのだろう。アロセールさんという恋人を残していく事に、後悔や未練はなかったのだろうか。

 アロセールさんにとって僕は、兄と恋人を殺した憎い相手だったはずだ。『未来』の話とはいえ、罪悪感が重くのしかかってきた。

 

「ん? どうしたのかい? 顔色が悪いよ」

「いや……。そろそろ僕は戻らないと。連れを待たせてるんだ」

「おや、そうなのか。それは引き留めて悪かったね。じゃあ、お互いに祭りを楽しむとしようか」

「……うん。あ、そうだ。二人はいつまでゴリアテに滞在する予定なの?」

「残念ながら、僕達は明日の日中にはゴリアテを発つ予定なんだ。僕としてはもうちょっと楽しみたかったけど、アロセールが早くレオナールさんと会いたいみたいでね」

「もうッ! 兄さんッ!」

「ははは」

 

 良かった。明日の日中なら、襲撃の頃には居ないはずだ。二人が巻き込まれる心配はない。

 

 安堵しながら二人に別れを告げて、僕は表通りへと戻る。こんなところでアロセールさんと出会うなんて、『前』の僕の経験にはなかった事だ。

 

 僕の行動によって、僕の知る未来から少しずつズレはじめている。

 その事に希望と、そして若干の不安を覚えながら、姉さん達の元へと急いだ。

 




アロセール姐さんと、その兄シドニーでした。兄は原作未登場のため独自設定です。
デニムくんは色々と大変そうですね(ゲス顔)


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036 - Whirled Pirates

「もう……デニムったら……」

 

 雑踏に消えていったデニムの背中を見送りながら、その姉であるカチュアは溜息をついた。ちょっと調子に乗りすぎたかと反省する。

 

 彼女にとって、デニムは弟である。それは、自分が王の娘であり、デニムとは血のつながらない義姉弟である事を自覚しても変わらなかった。彼女のそれは恋愛感情というよりも、家族同士の親愛というべきものである。

 ただ、とある日から時折見せるようになった大人びた表情が、どこか自分の知らないデニムであるように感じられて、ついつい過剰なスキンシップをとって安心したくなってしまう。彼に『未来の記憶』がある事は理解したが、やはりどこか遠慮があるように見える。

 単純に、デニムの照れる様子が可愛いというのも、理由の一つではあったが。

 

「……お前らって、本当に仲が良いよな」

「そうよ、私達は姉弟なんだもの。仲が良くて当然でしょう?」

 

 ヴァイスのぼやきのような言葉に、カチュアはにっこりと笑って答える。その笑顔を見て、ヴァイスは慌てて顔を背けた。

 女であるカチュアは、ヴァイスが自分の事をどう想っているかなど、とうに知り得ている。デニムがそれを察して二人をくっつけようと画策している事もわかっていた。余計なお世話ではあるが、弟が自分の事を気遣っていると思うとそれも嬉しさに変わる。

 

「あのよ……デニムって、最近なんかおかしくねぇか?」

「……どういう意味?」

「いや、なんつーか、前よりもハッキリ物を言うようになった気がするしよ。それに時々、俺の事を変な目で見てくるし……あ、いや、妙な意味じゃなくてだぞ?」

「そんな事わかってるわよ。そうね……大人になった、って事かしら。あ、もちろん、妙な意味じゃなくてよ?」

 

 カチュアの切り返しに、顔を赤くするヴァイス。何を想像したのかは明らかだった。基本的に単純で、わかりやすい男である。悪い男ではないのだが、カチュアにしてみれば張り合いがない。

 

「……この前、デニムと二人で手をつないで歩いてただろ」

「あら、見てたの? やーね、コソコソしちゃって」

「わりぃな。だけどよ、そん時に二人の会話もハッキリとじゃねーけど聞こえたんだよ。……あいつ、逃げたくないって、知ってる奴が辛い目に遭うって、そう言ってなかったか?」

「…………」

「なんの話かはわかんねぇけどよ。俺、アイツのあんな顔は見たことなかった……。あんな、まるでこれから戦争に行くみたいな……」

 

 ヴァイスは沈んだ表情でそう言った。カチュアは内心では焦っていたが、表面には出さない。デニムが未来の知識を持つ事は家族の秘密になっている。広く知られれば、デニムを狙う者が現れるかもしれないからだ。

 

「……なぁ、アイツの言う『知ってる奴』ってのには、俺も含まれてるのかな?」

「…………そうね。含まれているはずよ」

「そうか……」

 

 結局、カチュアはヴァイスの言葉を否定はできなかった。それを聞き間違いとして誤魔化すのは容易い。だが、あの時のデニムの言葉を嘘にはしたくなかった。

 

「俺はさ、このまま大人になって、親父の跡をついで仕事しながら……け、結婚して、子供を作って。そうなったらいいな、そうなるんだろうな、って漠然と思ってたんだよ」

「……そう」

「そんな、他の奴がどうなるかなんて、考えてなかった。アイツがなんでそんな事を考えたのか知らねぇけどさ、やっぱ俺ってまだまだだなって……。あー、くそ。何を言いたいかわかんなくなった」

 

 ヴァイスは恥ずかしそうに頭をかきむしる。言葉足らずではあったが、カチュアにはヴァイスが何を言いたいのか何となく理解できた。

 恐らくヴァイスは、デニムの思わぬ一面を見て、自分が思っていたよりも子供ではないのか、自己中心的ではないのか、と考えたのだろう。よく知るはずの親友が大人に感じられて、焦ってしまったのだ。

 そう感じられる事こそ成長の証なのだが、カチュアはあえてその事には触れずに黙っていた。弟の親友である以上に、一人の男性として見守ってみようという気になっていたからだ。

 

「……いつかデニムが、あなたを頼る事もあると思うわ」

「え?」

「その時は、デニムに味方してあげて。それがきっと、あなたの為にもなる」

「…………」

 

 カチュアの言葉に、ヴァイスは何やら考え込んだ様子を見せたが、やがてしっかりと頷いた。

 

--------------------

 

「あ〜、良い天気ね〜♪」

「デネブ殿、そんなに身を乗り出しては危ないですよ」

 

 ラヴィニスがデネブを注意した。しかしデネブは「へーきへーき」と言いながら、船べりに腰掛けて足を外側に投げ出している。本当にマイペースな魔女っ子だなぁ。海風でスカートが……めくれない。

 ちなみにタルタロスは、出発した時から船室にこもりっぱなしで出てこない。あいつ船酔いでもしてるんじゃないだろうか。あとでお見舞いにいってやろう。

 

 なんとか船の足を調達した俺達は、ヴァレリア本島の西側を大回りして迂回しながら、南にある港町ゴリアテを目指している。最初は渋られたが、途中で狩ったドラゴンの皮や魔石を渡したら大喜びで船を動かしてくれた。肉は渡せないがな。

 地竜の月までは、今日を入れてあと三日。このまま順調に行けば十分に間に合うペースだ。

 

「まったくデネブ殿は……」

「そうカッカするな、ラヴィニス。ほら、座って少し落ち着くといい」

 

 そう言いながら空いている隣を指し示すと、口をとがらせていたラヴィニスは黙ってそこに腰を下ろす。潮風に混ざって、ふわりとラヴィニスの匂いが鼻をくすぐった。女の子って、どうしていい匂いがするんだろうな。

 ラヴィニスは体育座りのように折り曲げた足に顔をうずめて、こてり、と俺に寄り掛かる。かわいい。

 

「……ベル殿は、不安ではないのですか?」

「む?」

「これから先の事です。デニムを救えたとして、その先には再び、血で血を洗うような戦いが待っているはずです」

「……そうだな。不安でないといえば嘘になるが……。まあ、何とかなるだろう」

「どうしてですか?」

「ラヴィニスがいれば俺は何でもできるからな」

「…………」

 

 俺がそう答えると、ラヴィニスは顔をうずめたまま動かなくなった。ちょっと臭かっただろうか。いやいや、でも本当の事だしな。なんなら、もう一回ドルガルアをぶっ飛ばしてこよう。

 

「……ベル殿は――――」

「海賊だッ!!」

 

 ラヴィニスの声を打ち消すように、船員の一人が大声で叫んだ。そういえば、この島は海洋国家だけあって、海賊が結構いるんだよな。内戦が終わった後の治安回復のために、俺も結構な数を退治したのを覚えている。

 見れば、確かに二隻の船がこの船を挟み込むようにして近づいてくる。黒い帆を張っていて、一目で海賊船だとわかる。自己主張の激しい海賊どもだなぁ。

 

「海賊か。ずいぶんとわかりやすいが……」

「この辺りに、海賊どもが集まる港町があるんでさぁ。奴ら、我が物顔でこのオベロ海を荒らし回ってやがるんで、こっちも迷惑してるんですよ」

 

 船員の一人が事情を説明してくれる。そういえばそんな噂を耳にした事もあったなぁ。海賊が集まる町とか、ちょっと興味があるわ。やっぱり手足が伸びたりする奴がいるんだろうか。先を急いでなければ寄ってみるんだが。

 

 やがて近づいてきた二隻のうち片方の船から、フック付きのロープがいくつも投げられて固定される。海賊達がこの船へと乗り込もうとしてきているようだ。船べりに腰掛けていたデネブさんは、とっくにホウキに腰掛けて空中に退避していた。

 

「賊ならば、容赦はいらんな」

「ベル殿……?」

 

 立ち上がった俺は、肩に掛けていた愛槍を片手に掴み、そのまま槍投げの要領で海賊船に狙いを付けて投げ放つ。放たれた槍はパァンという音を遅れて鳴らしながら、海賊船の横腹に命中した。

 

「えぇッ!?」

 

 槍はそのまま船を貫通し、大きな水柱を作る。うむ、ストライクだな。

 大穴が開いた海賊船はそこから一気に海水が流れ込み、渦を作りながら海中へと沈んでいく。当然ながら、船に乗っていた海賊たちは海の藻屑となっていく。あっ、真っ二つに折れた。うーん、タイタニック。あとでラヴィニスと二人でタイタニックごっこしよっと。

 

 来い、と念じると、ぶん投げた槍は海面からザパァンと水しぶきを飛ばしながら顔を出し、一人でに俺の元へと回転しながら戻ってくる。黒くなったら、いつの間にか俺の言う事を聞くようになってたんだよな。ペットみたいで可愛い槍だぜ。

 

「な、なんで槍が勝手に……」

「わからんが、便利だから良いだろう」

「えぇ……」

 

 戻ってきた槍をキャッチして撫でてやりながら、反対側のまだ無事な方の海賊船を眺める。片割れが沈没したのを見て、船内は大騒ぎになっているようだ。

 さっさと片付けるか、と思いながら槍を構えると、投げる前に海賊船から白旗が揚げられた。この世界でも白旗が降参を表す事に変わりはない。構えていた槍を下ろした。

 

「海賊のくせに投降するとは意気地がない奴らだな」

「いえ……あんな光景を見たら、誰だって投降するのでは……」

 

 ラヴィニスがぽつりとつぶやいたが、俺は聞こえないフリをした。

 

--------------------

 

「俺は殺されてもいい。だが、こいつらは逃してやってくれ」

「そりゃねぇぜ親方ァ!」

「そうですぜ、ダッザの親方! 俺らは一心同体、死ぬ時は一緒だって言ったじゃねぇですか!」

 

 俺達を襲った海賊の頭領はダッザというらしい。子分達には随分と慕われているようだ。海賊たちは大人しく縄で縛られて裁きを待っている。

 

「賞金首なんだろうが……いちいち連れていくのは面倒だな」

「時間がないですからね……。いっその事、処分してしまっても良いのでは?」

 

 ラヴィニスの言葉は冷たいように聞こえるが、この世界の倫理観では別におかしいものではない。そもそも王国が分裂状態にあって、まともな司法機関など存在しないのだ。裁きを受けさせるといっても、海賊などは打ち首が基本である。

 

「ま、待ってくれ! 親方には帰りを待つ女がいるんだよッ! 妊娠してて子供もできるんだ!」

「頼むッ! 親方を助けてくれ! 俺達はどうなってもいい!」

 

 むぅ、女子供の話を聞かされると弱いな。嘘の可能性もあるが、どう判断すべきか。

 

「それならば、最初から海賊などしなければ良かったのだッ! 都合が悪くなったら命乞いなど、虫が良すぎる! 自業自得だろうがッ!」

 

 ラヴィニスが怒りの声をあげる。完全に正論である。生真面目な彼女は、賊の類を許せないのだろう。

 

「まあ待て、ラヴィニス。ここは一つ、見逃してやろう」

「えっ……? で、ですが、この者たちはどうせすぐに強奪を繰り返しますよ?」

「そうなったら、こいつらは俺が責任を持って追い込んでやろう。魔界だろうが天界だろうが、どこへ逃げようと追いかけてやる。この槍がいつ降ってくるか怯えながら暮らす事になるな」

「ヒェッ……」

「フィラーハ様ァ! 悪魔だ、悪魔がいるッ!」

 

 俺の殺気を込めた言葉に、海賊たちは顔を蒼白にして肩を寄せ合って震えている。頭領のダッザも顔を蒼くしながら二度三度と頷いている。

 

「わ、わかった。海賊稼業は廃業にする。荷運びでも何でもして地道にやる。男に二言はねぇ」

「親方ッ! 俺達も! 俺達もついていきますッ!」

「どうせ死ぬはずだった命だッ! 親方のために使いますッ!」

「おめぇら……馬鹿野郎どもめ……!」

 

 なんだか茶番劇を見せられてしまった。ちょっと脅しの効果がありすぎたか? 横に立っていたラヴィニスは、処置なしといった様子で溜息をついて首を振った。

 俺もこういう偽善行為はあんまり好きじゃないが、生まれてくる子供に罪はない。このご時世だと片親がいないなんて珍しくはないのだろうが、それでも両親がいたほうが良いに決まっている。

 

「ふぅ〜ん。ベルちゃんも優しいところがあるのねぇ」

「船一隻を沈めた相手に言う言葉ではないだろうが……」

「あら? 照れてるの? カワイイ♥」

 

 デネブさんがのからかいを受け流そうと思ったが、相手の方が一枚上手だった。ちょっとこの人、強キャラすぎませんかね……。

 

 解放した海賊たちは、俺に頭を下げながら船に戻っていく。頭領のダッザも、俺に深々と頭を下げた。

 

「あんたのおかげで助かった。あんたには返しきれねぇ恩ができちまったな。もし力が必要なら声を掛けてくれ。海賊は廃業するが船なら用意できる」

「ああ。お前も妻と子供を大事にするんだな。いつでも見ているから、覚えていろ」

「へへ……おっかねぇな。わかってるよ。あいつらを不幸にするつもりはねぇからな」

 

 そう言ってダッザは笑ってみせた。

 髭面のオッサンの笑顔なんて別に嬉しくないぞ。

 




おや、ヴァイスくんの様子が……?
原作だとダッザさんより奥さんのヴェルドレさんの方が印象深いキャラですね。


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037 - Dash into Darkness

 姉さん達のところへ戻ると、二人は妙な雰囲気になっていた。もしかしたら、僕が離れたのが功を奏したのかもしれない。ヴァイスは何度かこちらを妙な目でチラチラと見てきたけど。

 祭りは楽しく過ごすことができた。あれきりアロセールさん達とは会わなかったのは残念だったけど、またどこかで会う機会があるだろう。『前』のように命を狙われる事がなければ良いのだけれど。

 

 楽しい時間はあっという間に過ぎ、僕達は帰路についた。暗くなり始めた夜道を、幼い頃のように三人で喋りながら歩く。やがて別れ道がきて、ヴァイスとは別れる事になった。

 姉さんはドライに「じゃあね」とだけ言って、さっさと先行してしまう。うーん、やっぱり進展はなかったのかな。僕もヴァイスに手を振った。

 

「じゃあ……ヴァイス、またね」

「ああ……。あのよ、デニム……」

「ん? どうしたの?」

「……いや、なんでもねぇ。それより、お前はそろそろ姉離れしろよ。見てるこっちまで恥ずかしくなるんだよ」

「ははは、ごめん。でも、それを言うならヴァイスもさ……せっかくチャンスをあげたのに、ね?」

「なッ!」

「ははは、じゃあねッ! ヴァイス!」

「おい! こらまて! デニム!」

 

 笑いながら手を振って、僕は駆け始めた。やっぱり、彼を巻き込むわけにはいかない。

 姉さんの背中に追いついて、そのまま姉さんの手を握って走る。姉さんも驚き顔になったが、背後から聞こえる声にクスクスと笑っていた。そして、背後の声も。

 僕達は笑顔で別れたのだ。

 

 

 その夜が明けた翌日。

 地竜の月1日。ついにこの日がやってきた。

 

「父さん、姉さん……本当にいいんだね?」

「うむ。全ては私の不徳が招いたこと。それよりも、お前達を巻き込む事の方が心苦しいが……」

「いいんだよ。僕達は家族なんだから、一緒に乗り越えようよ」

「そうよ。それにそれを言うなら、私の出生が元凶なのよ?」

 

 僕達は、家のリビングで最後の話し合いをしていた。すでに準備は済ませてあり、あとは計画を実行するだけだ。

 父さんは覚悟を決めた表情を浮かべていたが、やはり僕達を巻き込む事にためらいがあるようだった。姉さんは冷めた様子だが、その内側には様々な苦悩がある事を知っている。

 

 この一週間、何度も家族で話し合った事だ。僕の決心に変わりはない。家族のため、このゴリアテのためなら、僕は前に踏み出す勇気が持てる。

 それは父さんと姉さんも同じ事だったのだろう。結局、最後の話し合いの結論も変わらなかった。

 

 僕達はうなずきあい、太陽が中天に昇る頃、計画を実行に移した。

 

--------------------

 

「聞けーッ! ローディスの間者よッ!」

 

 港町ゴリアテの大広場に、男性の大声が響いた。町中に響き渡りそうな大声に、広間で歓談していた者たちは一斉に口を止めて声の元を探す。

 

 大広場の中央、そこに声の主はいた。

 神父服を来たその初老の男性は、踏み台のようなものを広場に持ち込み、その上で大声を張り上げている。何度か繰り返しているその内容は、姿の見えぬ相手への呼び掛けであった。

 

「貴様らの狙いは全てわかっているッ! 貴様らの狙うブランタ・モウンの実弟、プランシー・モウンはここにいるぞッ!」

 

 一部の観衆が、その内容に興味を惹かれた。ブランタ・モウンといえば、かのバクラム・ヴァレリア国の独裁者として有名だ。その弟と名乗った彼は、一体何者だというのだろうか。

 一部の観衆が、その内容に驚愕した。彼らには台の上にいる男性に見覚えがあった。港町ゴリアテの小さな教会の神父、その人のはずであった。ウォルスタの生活に溶け込む彼が、実はバクラム人の大物の関係者だったというのだろうか。

 そして、さらにごく一部。ローディス教国、その筆頭である暗黒騎士団によって放たれた暗部。通称『影』と呼ばれる間者達は、監視対象であるプランシーの突然の奇行に驚きを隠せない。

 

「私はこれからゴリアテを出るッ! 貴様らがいくらゴリアテを攻めようとも、そこに私はおらんぞッ! 馬鹿を晒す前に、さっさと私を追いかけてくるがいいッ! ハハハッ!」

 

 そういってプランシーは大声で笑ってみせる。事情を知らない者には狂人の類にしか見えないだろう。しかし、その効果は絶大だった。ローディスの『影』たちは、今晩行われるはずだった襲撃計画が、よりにもよって標的に完全に露見している事を察して、歯を軋ませる。

 

 彼らのゴリアテ襲撃の目的は、あくまでも目の前の男性の捕縛。その彼が逃げ出すのであれば、ゴリアテの襲撃には何の意味もなくなってしまう。

 ここに来て、『影』たちは選択を迫られた。今ならまだ、目の前の標的を確保できるかもしれない。だが、このような衆人環視の状況で動けば目立ちすぎる。

 動くべきか動かざるべきか、その判断の間隙を縫うようにプランシーは懐から小さな物体を取り出した。

 

「さらばだッ! ローディスの愚か者たちよッ!」

 

 その言葉を最後に、取り出した物体が輝き始める。それを見て『影』たちは、己の失敗を悟る。光はプランシーの身体を覆い尽くし、次の瞬間には空へと浮かび上がった。

 

 物体の名は『転移石』。使った者を転移させる、貴重なアイテムである。

 光が空高く消えていき、広場の中央には誰もいない踏み台が残されただけだった。

 

--------------------

 

「なんだと……? もう一度、聞かせてみよ」

「ハッ……標的であるプランシー・モウンに逃げられました」

「馬鹿な……。なぜ今になって逃げだしたのだ。貴様らの監視が露見したのか?」

「それはわかりません。その場にいたものの報告によれば、プランシーは我らの襲撃計画を察知していたとの事。我々に対してゴリアテを離れると宣言したのち、転移石にて逃亡したとの事です」

 

 『影』の報告を聞いたランスロット・タルタロスは、顔を歪ませながら計画失敗の理由を考える。襲撃計画は暗黒騎士団の内部で完結していたはず。協力者であるブランタにすら知らせず、独断で計画していた事だ。それにも関わらず、その計画がなぜかプランシーに漏れていた。

 

「……内通者か……」

「ハッ、その可能性は考えられます……。我ら『影』の中にいる可能性も考え、互いの身辺やこれまでの行動を洗っております」

「フン……。だが、仮に内通者だとして、その目的は一体なんだというのだ。プランシーを救い出して、何の意味があるという……いや、考えるまでもないな」

 

 そもそもタルタロスの目的は、かのドルガルア王の血をひく遺児の捜索。プランシーはその遺児へとつながる情報を持っていると聞き、狙っているにすぎない。

 だとするなら、プランシーを助けた者の狙いも当然ながらその遺児であろう。指導者が乱立し、国内が乱れている今、正当な血統を持つ者を祭り上げれば民衆の支持を得る事は容易い。

 暗黒騎士団内に内通者を作る事ができるほど近しく、かつ、正当な血統という『権威』を喉から手が出るほどに必要としている者――――。

 

「……舐めた真似をしてくれる」

 

 タルタロスの脳裏には、一人の男が有力な容疑者として挙げられた。なるほどその者であれば、暗黒騎士団の襲撃計画を察知する事も可能かもしれない。仮に内通者がいなかったとしても、その襲撃の目的はすぐにわかった事だろう。なにせ奴は、プランシーの実の兄なのだから。

 

「……すぐに船を手配しろ。ハイムへと急ぎ戻らなければならん」

「ハッ。……今晩行うはずだった襲撃は、いかがいたしますか?」

「……すでに目標が逃亡しているのなら、何の意味もない。襲撃は中止だ。まだ奴は島内に潜んでいる可能性もある。総力を挙げて捜索せよ」

「ハッ!」

 

 もしこれが血の気の多いコマンド級であれば話は別だったかもしれないが、タルタロスは徹底的な合理主義者であり、私情にとらわれて憂さ晴らしにゴリアテを襲うような真似はしない。

 

 暗黒騎士団の団長の性格まで読んだ上で計画されたこの『逃亡』は、見事に目的を果たした。それが良かったのか悪かったのか、それがわかるのは天界に座する神々のみである。

 

--------------------

 

 地竜の月1日、なんとか俺達は港町ゴリアテのある島へとたどり着いた。まだ昼頃だから、夜に襲撃があるとするなら十分に間に合ったはずだ。

 

 俺達の船がゴリアテに到着しようとした時、一隻の船とすれ違った。それは何の変哲もない船だったが、かすかに違和感を覚える。その違和感の正体を確かめる前に、船は速度を上げてゴリアテを離れていった。一体なんなんだろうな?

 

 ここまで乗せてくれた船乗り達に感謝しつつ別れ、俺達は港へと降り立った。

 

「はぁ〜、やっと着いたわねぇ。船旅はロマンがあっていいけどぉ、こう長いとツラいだけね〜」

「デネブ殿は途中からホウキで飛び回っていたではありませんか……」

 

 ラヴィニスのツッコミにも元気がない。やはり長い船旅で疲れているようだ。俺はといえば身体の疲れは一切感じていないし、ラヴィニスがいたので退屈も感じなかった。彼女が隣にいるだけで、最高にハイってやつだ。ウリィィ!

 

 ゴリアテの港は漁船と思われる船が多く係留しており、さすがは港町だと思わせる。この船旅の途中で寄った同じく港町のアシュトンよりも規模は一回り小さいが。

 港で働く人々は誰しもが忙しそうにしていた。その中にいる俺達四人組はいかにも浮いて目立っている。俺やタルタロスはローブを着込んでいるが、デネブさんの破廉恥な衣装は思いっきり周囲の目を集めているようだ。中には鼻の下を伸ばしている男もいる。

 

「……ここにいると目立ちすぎるな。さっさと移動するか」

「すでにローディスの『影』には気付かれているだろうがな」

 

 タルタロスが小声でそう言った。ローディスの影ってなんのこっちゃ? よくわからんが、どうせ暗黒騎士団の関係だろう。厨二病っぽいワードだし。

 

「別に気付かれていても構わん。今夜の襲撃が防げればそれで良い」

「ふん……。そう上手くいけばよいがな」

 

 こいつは本当にひねくれもんだなぁ。俺達に手を貸すわけでもなく、かといって『もう一人のタルタロス』のために動くつもりもないようだ。未来に戻るつもりだから、この時間軸の事はどうでも良いという事なのだろうが。

 

 港から移動して表通りを歩く。辺鄙なところにある港町にしては人通りが多い。街並みが綺麗だし、観光地のようになっているのだろうか。

 

「どうやら、昨日は祭りだったようですね」

 

 ラヴィニスの言う通りの内容が、通りを歩いている通行人たちや、屋台の商売人たちの会話から漏れ聞こえた。一年に一度の祭りを逃してしまうなんてタイミングが悪い。ラヴィニスの浴衣姿が見たかった……。浴衣なんて無いだろうけど。

 

「デニム達は教会に住んでいるはずだったな。行ってみるか」

「説明しても、また信じてもらえないかもしれないですね……」

 

 バスク村での出来事は、俺達の心に重くのしかかっている。オクシオーヌがいなければ、為す術もなかっただろう。未来の知識なんて、そう簡単に役立てる事ができるものではない。

 

「デニムなら大丈夫だろう」

「……そうですね。彼ならきっと、こちらが真摯に話せば真剣に受け取ってくれるでしょう」

 

 根拠のない信頼だったが、デニムの人となりを知っているからこそだ。あいつは、人の言葉を嘘だと決めつけて掛かるような真似はしないだろう。少なくとも、忠告を真剣に受け取って避難するぐらいはしてくれるはずだ。

 

 ――――しかし、満を持して教会へと向かった俺達を迎えたのは、誰もいない空っぽの教会と「しばらく留守にする」という張り紙だけだった。

 

--------------------

 

「ふぅ……これでしばらくは安全だね」

「そうだな……。だがデニムよ、本当に良かったのか? しばらくはゴリアテには戻れんだろう」

「いいんだよ。ヴァイスや友達のみんなもわかってくれるさ」

 

 僕達、家族三人は船に揺られながら海上を進んでいた。遥か後方に、港町ゴリアテが霞んで見える。どうやらローディスの追手もないようだった。

 ヴァイスに話すべきかは最後まで迷ったが、結局は話さなかった。教えれば、彼の事だから僕達についてくると言い出すかもしれない。平和な生活を送る彼を巻き込む決心は、どうしてもつかなかった。

 

「計画では、次はアルモリカ城だったわね……。ロンウェー公爵は、私達の話を信じてくれるかしら?」

「別に最初は信じてもらえなくてもいいさ。ガルガスタン軍による攻撃が激化する事に変わりはないからね。近いうちに解放軍が結成されるのは間違いないよ」

 

 のちにウォルスタ解放軍の指導者となるロンウェー公爵は、冷酷な一面もあるが理知的で利に聡い人物でもある。犠牲を払う方法だったとはいえ、彼がウォルスタの未来を真剣に考えていたのは間違いないのだ。そうでなければ、レオナールさんやラヴィニスさんといった騎士が忠誠を誓うはずもない。

 

 問題があるとすれば、僕達と手をつなぐ事で暗黒騎士団の不興を買う恐れがある事だろう。ただでさえガルガスタンの相手に手一杯なのに、バクラムまで相手にするのは不可能に近い。『前』の僕達がバクラムとの中立条約を結ぶために派遣されたのは、感情面を考えなければ正しい一手に違いなかった。

 

 だからこそ僕達は上手く立ち回る必要がある。

 非常に難しい事ではあるが、やるしかないのだ。

 

「戦争そのものを止める事は難しいのであろうな……」

 

 父さんが憂鬱そうに言った。ガルガスタンのトップであり、過激派であるバルバトス枢機卿をどうにかしない限り、戦争を止める事は難しい。かといって、この少人数では彼の暗殺を試みる事もできないだろう。やはりどうしても、できることは限られている。

 

 僕達は味方を作らなくてはならない。ウォルスタだけではなく、ガルガスタンやバクラムの内部にも。幸い、これまで多くの人と触れ合ってきた事で、味方になってもらえそうな人々の存在を知っている。

 

 僕達のこれからの行動は、先の見えない暗闇を歩むようなものになるのだろう。

 だが、暗闇の中で光を求めて足掻く事こそ、生きるという事なのだ。

 

 僕はそれを多くの人達から教わった。

 今度は、僕の生き方を皆に見せる番なのだと思う。

 




というわけで、すれ違いでした。ヴァイスくんとブランタさんは泣いてもいい。
ますますカオスになっていく……ちゃんと収拾がつけられるか不安ですね。


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038 - Ninja Must Die

『しばらく留守にします プランシー・パウエル』

 

 それだけ書かれた張り紙が、教会の扉に貼られて風に揺れていた。俺達はその前で無言で佇んでいる。

 

「……まさかデニム達がゴリアテにいないとはな」

「私達の知る『過去』とは異なる、という事でしょうか……?」

「わからん。だがこうなると、デニムがこの世にいないという事もありうるが……」

「そ、そんな……」

 

 俺の言葉にラヴィニスは顔を蒼くする。極端な例えではあるが、あり得ない事ではない。俺達のもつ未来知識は役に立たなくなったと考えておいた方が良いだろう。

 

「残念ねぇ〜。やっぱり未来なんか知ってても思い通りになんかいかないって事かしら?」

 

 デネブさんはちっとも残念そうに聞こえない口調でそう言った。髪を指でくるくると巻いている。適当に言っているようだが、その内容は真理をついていると思う。

 

「……ここにプランシーが居ない以上、ゴリアテを襲撃する意味もない。恐らく私であれば、そのままハイムに帰還していただろうな」

 

 タルタロスはどうやら『もうひとりの自分』が気になるようだ。厨二病を患っている自分を他人として客観視する事で、少しずつ恥ずかしさが出てきたのだろうか。がんばって卒業してほしいものだ。

 

 教会の前で途方に暮れていると、どこからか扉を叩く音が聞こえ始めた。何かと思い音の方へと向かってみると、教会の裏、居住スペースの玄関だと思われる扉の前に、一人の青年が立っていた。

 

「クソッ! おい、デニムッ! カチュアッ! 出てこいよッ!」

 

 何度か扉を拳で叩いているが、ただただ無音が返されるだけだ。俺の耳にも、内部からは物音ひとつ聞こえてこない。誰も居ないのは明らかだった。

 青年はしばらく声を上げながら扉を叩き続けていたが、やがて力無くうなだれた。

 

「なんでだよ……。どうして俺に何も言わなかったんだ……」

 

 どうやら彼はデニム達の知り合いらしい。少なくとも、ここゴリアテにデニム達が住んでいたのは間違いないようだ。だとすれば、どうしてパウエル一家はいなくなってしまったのだろう。

 

「あれは……ヴァイスではないか。デニムと一緒ではないのか……」

「ヴァイス? あの青年がか」

 

 俺の問いにラヴィニスはこくりと頷いた。ヴァイスといえばデニムの親友だ。デニムは親友にも何も告げずに逐電してしまったようだ。

 

「すまない、そこの青年」

「あ……? だ、誰だよアンタ」

「俺の名はベルゼビュート。君はここに住んでいたデニム・パウエルの親友、ヴァイスだな?」

「そ、そうだけど……あッ! もしかしてデニム達がどこに行ったか知ってんのかッ!?」

「いや……悪いが、俺達もデニムの行方を捜しているところだ」

 

 俺がそう言うと、ヴァイスは警戒した表情を浮かべる。

 

「アンタら……もしかして、ローディスの奴らか?」

「む? なぜそう思ったのか知らんが、違う。このゴリアテには先ほど到着したばかりだ」

「…………」

 

 ヴァイスは毛を逆立てた猫のように警戒しているが、俺は彼の目を真っ直ぐに見つめ返す。すると彼はひるんだように、そっと目をそらした。そのまま地面へと視線を落とす。

 

「……聞いたんだよ、俺。デニムの親父が広場の真ん中で、いきなり大声で叫んだんだ。ローディスの間者って言ってた……。狙いは知ってるって、プランシー・モウンはここにいるってそう言ってたんだ」

「なんだと……?」

「ゴリアテを出るから追いかけてこいって言って、そのまま転移石でどっかに行っちまった……。デニムもカチュアも連れていっちまったんだッ!」

 

 ヴァイスは怒りをぶつけるように、扉に拳を打ちつける。

 その言葉で大体の事情を察する事ができた。本来は隠していたはずのモウンの姓を名乗り、ローディスの間者……つまりスパイに対して挑発するような物言い。明らかに今晩行われるはずだったゴリアテの襲撃を防ぐための行動だ。

 だが、デニム達は一体どうやって襲撃の事を知ったのだろう。

 

「クソッ! 何が起きてやがる! どうしてローディスなんかがデニムの親父を狙うんだッ!」

「……ヴァイス。俺達は恐らく、その疑問に答える事ができる」

「ベル殿ッ!?」

 

 ラヴィニスが俺を止めようとするが、俺は目でそれを制する。

 

「マ、マジかッ!? なあッ! 教えてくれよッ! アイツらはなんで消えちまったんだ!? デニムは、カチュアはどこいっちまったんだッ!?」

 

 俺にすがりつきながら質問を重ねるヴァイス。

 それに答えようと口を開いたその時、わずかな殺気を察知した。

 

「ムッ!」

 

 ヴァイスと俺を狙うように放たれた物体を、動体視力を駆使して腕で弾く。弾ききれなかった分は、ヴァイスをかばうようにして背中で受けた。チクリとした刺激が、指圧マッサージを想起させて痛気持ちいい。

 物体は小さな金属片で、先端が鋭く尖らされた棒のような形状をしている。ほとんど音もなく飛翔するため、聴力が増した俺でも気づくのが遅れてしまった。これって、いわゆる棒手裏剣ってやつか? ニンジャナンデ!?

 俺はいくら食らっても問題なさそうだが、ラヴィニスは危険だろう。

 

「ラヴィニス、俺の影にヴァイスと入れッ」

「この程度なら……問題ありませんッ!」

 

 再び同じ棒手裏剣が投擲されたが、ラヴィニスは腰の突剣を抜いて器用に操り弾き飛ばす。不意打ちでなければ問題ないようだ。騎士の技は伊達ではないということか。

 デネブさんは、と思ったら、とっくにホウキで上空に避難している。あのまま魔法が撃てるんなら、爆撃機みたいなもんだよな。魔女っ子、恐ろしいぜ……。

 あ、タルタロスは特に心配してなかったけど、きちんと物陰に退避してた。さすがに丸腰だからラヴィニスみたいな真似はできないようだ。

 

 どうやら複数人が物陰に隠れながら投擲を繰り返しているらしい。いい加減、うっとうしいので反撃しようとタイミングを図っていたら、突如として奴らの動きが止まった。

 その隙に足元に落ちていた棒手裏剣をいくつか拾い、奴らのいる位置へと投げ放つ。空気を切り裂きながら飛んでいった金属片は、奴らが隠れていた壁や木箱を貫通。遅れて、俺の耳に男のうめき声が届いた。どうやら命中したようだ。

 

 奴らが動きを止める際に魔力の動きを感じたので上空を見ると、デネブさんがホウキの上でパチンとウィンクしているのが見えた。だが、スカートの中は見えない。一体どういう仕組みなんだ……。

 俺は悶々としながら、隠れている奴らを回収しに動いた。

 

--------------------

 

 俺達の前に、縄で縛られた男たちが数人横たわっている。

 もちろん、そういうプレイではない。

 

 男たちは一様に黒ずくめの格好をしている。闇に紛れるのにうってつけの衣装だ。というかこいつら、どっからどうみても忍びの者なんですが。まさかこの世界にも忍者がいたなんて……。現代日本で忍者に会った外国人の気分だよ。

 

「な、なんなんだよ……いきなり」

「それはこいつらに聞いてみればわかる事だろう」

 

 俺達を襲ったからには何か理由があるはずだ。だが男たちは、口を硬く閉じて開こうとしない。やはり忍者ともなれば、敵に捕まってもそう簡単には情報を吐き出さないのだろう。

 どうすんべか、と思案していると、今まで隠れていたタルタロスが前に出る。

 

「……『影』か」

「なッ! そ、その声は……!」

 

 たった一言だったが、男たちの反応は劇的だった。タルタロスがフードを下ろすと、やつの渋いイケメンフェイスが露わになる。なんなんだその眼帯は。伊達政宗でも意識してんのかコラ! ……っと危ない危ない、ヤツのツラを見ると無性に喧嘩が売りたくなるな。

 

「な、なぜ閣下がこちらに……!」

「ふん……貴様らには関係のない事だ。だが、なぜこいつらを狙った?」

「ハッ、知らぬ事とはいえ失礼いたしましたッ! 我々は閣下のご命令通り、プランシーの捜索に当たっておりました。ゴリアテにて情報収集していたところ、我らの事情を知ると思われる者がおりましたので、捕縛した上で尋問する予定でした」

 

 やはり、暗黒騎士団が動いていたのは間違いないようだ。そして、この時間軸のタルタロスが別にいる事も……ええい、ややこしいな。俺達と一緒にいる方をタルタロスで、別の方はベツタロスでいいやもう。

 ベツタロスは俺らの知る通りにゴリアテを襲撃しようとしたが、デニム達が逃げ出してしまったから当てが外れてしまったというわけだ。ザマァ!!

 

「……今晩の襲撃は中止、そうだな?」

「ハッ。ご命令通り、襲撃計画の中止は各所に通達済みです」

「ふん……。ならば、私がこの先どう動くかも聞いているな?」

「ハッ……王都ハイムに帰還なされると聞いておりましたが……」

 

 タルタロスはそれを聞いて、口元を微かに歪める。

 

「フッ……プランシーの確保に失敗か。我が事ながら、次の一手が気になるところだな」

「……黙って見ているつもりか?」

「ふん。滅多にできん体験だからな。自分がどう動くか高みの見物というのも面白い」

 

 こいつ……ベツタロスがどう動くかニヤニヤ笑いながら見てるつもりか。趣味悪すぎるんですけどぉ。

 

「あら〜、タルちゃん趣味わる〜い♥」

「…………」

 

 やっぱりデネブさんが最強説あるでこれ。

 

「あ、あの……閣下、こちらの方々は一体……?」

「む……」

 

 聞く事も聞いたし、もういっか。

 

 槍を軽く振って頭に一撃。もちろん手加減はしてるから気絶させただけだ。多分。

 ピクリともしなくなった忍者たちを路上で一か所にまとめておいた。きっと通行人は、特殊なプレイの一環とでも思ってくれるだろう。うんうん。

 

「あ、あのよ……俺って忘れられてないよな?」

 

 俺達のやりとりを呆然とした表情で見ていたヴァイスは、やっと我を取り戻したようだ。こいつもしかして、いじられキャラじゃね?

 

「…………ああ」

「なんなんだよ、その間はよぉッ! 絶対忘れてただろッ!」

「いや、忘れてないぞ」

「そ、そもそもアンタらは一体なにもんなんだよッ! なんであんな攻撃食らってピンピンしてんだよッ! どうして襲ってきた奴らがいきなり敬語で喋りだすんだよッ! わけわかんねぇよッ!」

 

 うむ、ナイスツッコミだ。

 

「落ち着け。ここで話してもいいが人目が多い。場所を移すぞ」

 

 俺がそう言うと、ヴァイスも渋々うなずく。

 適当な場所もなかったので、俺達はすぐ近くの空き教会の中へと場所を移した。

 

--------------------

 

「ジュヌーン、竜騎兵団の準備はどうだ?」

「グアチャロか……。そうだな、欲を言えばもう少し時間が欲しいが、国内の反乱分子を放置するわけにはいくまい。あとは実戦でどうにかするしかないだろう」

 

 赤い鎧を身に着けた竜騎兵団団長ジュヌーンは、グアチャロの問いにやや渋い表情で答えた。

 もともと実験部隊である竜騎兵団は、実戦を想定して作られた部隊ではない。バルバトス枢機卿の命令を受けて急遽として準備が進められたが、訓練などはそう簡単にできるものではない。

 

「そうか。早速だが情報が入った。北のエクシター島に、バスク村という小さな村落がある。一見すれば無害に見えるが、その実態は体制反覆を目論むゲリラ共のアジトのようだ。奴ら、女子供もゲリラの工作員として活動させているらしいな」

「……なんということだ。奴らには人の心というものが無いのか」

 

 いっぺんの疑いももたずに、グアチャロの言葉を信じるジュヌーン。それどころか、女子供まで工作員とするゲリラ達の汚いやり方に嫌悪感さえ抱いていた。

 グアチャロは、内心の大笑いを隠しながら言葉を続ける。

 

「……枢機卿猊下も大変お嘆きだ。だが、女子供であろうと罪は罪。血をもって贖いとするほかあるまい。一人でも逃せばゲリラの芽を摘む事はできん。猊下は村民の殲滅をお望みである」

「くっ……」

 

 村民の殲滅、つまり皆殺しである。その酷薄な任務内容に苦悩するジュヌーン。心優しい彼にとって、その任務は何よりも苦痛であった。だが、ゲリラは根絶やしにしなければ意味がない事も理解している。一人を見逃せば、その何十倍もの人死にが生まれるかもしれないのだ。

 

「やってくれるな、ジュヌーンよ」

「……仕方あるまい」

 

 それは奇しくも、かつてのバルマムッサでデニムが口にした言葉だった。

 

 ジュヌーンは、己の正義と、バルバトス枢機卿への忠誠と、ガルガスタンの平和のために、自らの手を汚す事を決断した。自らの手を汚す事で、世界がよりよいものになると信じていたのだ。

 

「……そうか、やってくれるか」

 

 グアチャロはニヤリと笑ってみせる。

 

 大義のために手を汚すジュヌーン。しかし彼は、その大義が一人の野望によって形作られている事を知らない。それは確かに、一部のガルガスタン人にとって素晴らしい未来なのかもしれないが、多くの血と涙を生む事になる呪われた未来だった。

 

「頼んだぞ、ジュヌーン」

「ああ、猊下のご期待に沿えるよう、精一杯努めよう」

 

 皮肉にもその言葉通り、彼の決断はバルバトス枢機卿を満足させるものだった。

 ジュヌーン率いる竜騎兵団は、バスク村を目指して出発する。

 




ヴァイスくんは見事にオリ主一行がキャッチ! 忍者死すべし、慈悲はない。
そしてジュヌーンさんは、殺すKAKUGO完了。オクシオーヌちゃんニゲテ!


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039 - Divergent History

 教会に移動した俺達は、ヴァイスに対してデニム達が逃げ出した理由を説明してやった。ヴァイスは説明を聞きながら顔を赤くしたり青くしたり放心したりと忙しそうだった。

 

「……そんな……カチュアが、王女……?」

「ああ。なにせドルガルア王の唯一の息子も王妃も死んでいるからな。カチュアが唯一正当な王家の血統を持っている事になる。権威主義のバクラムが付け狙う理由もわかるだろう?」

「……でも、じゃあデニムは……」

「アイツはプランシーの実子だ。プランシーは、バクラム・ヴァレリア国の摂政ブランタの弟だから、デニムも実はバクラム人という事だな」

「だって……それじゃあ、あいつらは本当の姉弟じゃないって事じゃないか。あいつらはそれを知ってたのか……? 知ってて、あんなに仲良さそうに……」

 

 ヴァイスはショックを受けたように放心して、ブツブツと独り言をつぶやいている。その目には仄かな闇が感じられた。よくない兆候だな。妻に逃げられた亭主みたいじゃないか。

 放ってはおけないと思った俺は、お節介をする事にした。

 

「……よし、わかった。ならば、お前もついてくるがいい」

「え……?」

「俺達はデニムを追っている。いずれは逢う事もできるだろう。そこまで気になるのなら、自分の目で確かめてみろ。デニムやカチュアが何を考えて父親についていったのかをな」

「だ、だけど……そもそもあんたらは一体何者なんだよ……?」

「む、そうだな……」

 

 何者かと聞かれると困ったものだ。俺達はどこにも属さないハグレ者。本来はいるべきではなかった異物にすぎないのだ。人に言えるような表向きの立場も持ち得ていない。

 

「俺達は……そうだな、『時の迷い人』とでも言っておこうか」

「時の……?」

 

 ヴァイスはポカンと口を開けている。ちょっとカッコつけすぎたか? ふふふ。

 ラヴィニスからはジト目で見られたけど、我々の業界ではご褒美ですね。

 

--------------------

 

 穏やかに水をたたえる湖の上を、白い鳥が優雅に滑っていく。水面下でどれほど激しく足を動かしていようとも、それを悟られぬ事こそ水鳥の在り方であり、旧王国時代から続く貴族の生き方でもあった。

 かつては一国の主として栄華を誇ったロンウェー一族。ドルガルア王の台頭と統一戦争によってその地位を失ってからも、ヴァレリア王国の公爵として水鳥のようにアルモリカ地方を治めてきた名門一族である。

 

 その現当主であるジュダ・ロンウェーもまた、一族の名を背負う者として誇りを持ちながら、貴族としての義務と責任を果たす事に腐心してきた。

 ドルガルア王が唱えた民族融和政策にも積極的に賛同し、愛する娘をバクラムの名門貴族に嫁がせた。孫娘も誕生し、全ては順風満帆のように思われた。

 

 風向きが変わったのは、ドルガルア王の死がきっかけだった。

 

 瞬く間に国内で内乱が発生し、王都ハイムも戦火に巻き込まれる。その内戦で、ハイムに住む愛する娘と孫の両方を一度に失ってしまったのだ。報せを受けた彼の嘆きは城外にまで響き渡り、一昼夜止む事はなかったという。

 それからというもの、彼は人が変わったように他民族を憎みはじめた。ハイムで醜い権力争いを始めたバクラム人、捲土重来の野心を隠そうともしないガルガスタン人。国が割れる原因を作り出し、内乱を招いた他民族を憎悪したのである。

 

 結果として、以前は良き領主として慕われていた彼は、少しずつ変調をきたしていく。ウォルスタ人を優遇し、他民族を露骨に差別するような政策を取り始めたのだ。

 これによって領内の民族同士に大きな亀裂が走り、ただでさえ仲が良いとはいえなかった関係が完全に破綻。領民の一割ほどを占めるガルガスタン人も迫害を受け、島外で影響の薄いゴリアテなどを除けば領内の治安は悪化の一途をたどりつつあった。

 そうしている内に、ガルガスタン王国が建国。事態は風雲急を告げるように動き始めた。

 

 

 湖畔に静かに佇むように存在するアルモリカ城。

 その一室である執務室にて、ロンウェー公爵は自慢の髭を撫でながら部下からの報告を受けていた。

 

「レオナール、ガルガスタンどもの動きはどうだ?」

「はい。今のところ、バクラムの出方を伺っている様子。ですが、大規模な戦備を整えているという情報も入っています。月内にも大きな動きがあるものかと……」

「ふん……数ばかり多いだけの野犬どもめ。大人しくしていればいいものを……」

 

 ロンウェーは憎々しげな口調でガルガスタンへの敵意を露わにする。対面しているのは、アルモリカ騎士団の団長レオナール・レシ・リモン。彼は公爵の言葉には反応せずに、黙って目を伏せている。

 

「まあよい。野犬など、踏み潰してやればよい事だ」

 

 そのロンウェーの言葉に抗議するように声をあげたのは、レオナールの後ろに控える一人の女性だった。銀色の長く美しい髪を編み上げ、端正な目鼻立ちを持つその女性は、一見するとこの場にそぐわないように思える。

 だが、彼女はアルモリカ騎士団において千人長の地位にあり、ロンウェー公爵に忠誠を捧げる騎士でもある。ラヴィニス・ロシリオン、彼女は確かにそこに存在していた。

 

「……閣下。率直に申し上げますが、我が軍の力のみではガルガスタン軍への対抗は不可能です。数が違いますから、消耗戦となれば勝ち目はありません」

「ふん。そんな事は百も承知しておる。傭兵を集めているが、それだけでは足りんだろうな……」

 

 ガルガスタン人は島内で圧倒的な多数派を占める。本気を出されれば、少数派であるウォルスタなどあっという間に蹂躙されてしまうだろう。ロンウェーは日夜この問題に頭を痛めていた。

 

「領民からの募兵も残念ながら、数はそう多くありません……」

「民衆は平和なアルモリカに慣れきっておる。戦争になると言われても実感が湧かんのだろう。何かきっかけでもあれば違うのであろうが……」

「きっかけ、ですか?」

 

 レオナールが目を瞬かせる。ロンウェーは髭をいじりながら宙に視線を向けた。

 

「そうだ。例えばガルガスタンの一軍が領内の村々を襲撃しはじめれば、民衆は火が点いたように慌て始めるであろうな」

「それは……」

 

 ロンウェーの、まるで襲撃が起きてほしいとでも言うような言葉に言葉を失うレオナール。領主として、領民の不幸を願うなどあってはならない事だ。

 娘と孫を失ってからというもの、人が変わったかのように時折こういった悲観的な内容を口にする事がある。すでに彼は、領主としての矜持を失いつつあった。

 

「バクラムあたりでも構わんぞ。ローディスの暗黒騎士団とやらが動けば、すわ大国の侵攻かと泡を食って踊り出すに違いない。……滑稽な事だな」

 

 それは、歴史の変化による影響だった。

 

 本来ならば起こるはずだった、港町ゴリアテへの襲撃。この事件をきっかけとしてアルモリカ軍、のちのウォルスタ解放軍への応募兵が急増するはずだった。増加した戦力を背景として、半年間に渡りガルガスタン軍に抵抗を続ける事ができたのだ。

 

 だが、もはや襲撃は起こらない。戦力増強の目処も立たぬまま、ウォルスタはガルガスタンとの戦争に突入しようとしている。

 それが一体どのような結果をもたらすのか。もう誰にも答えられない事だった。

 

--------------------

 

 明くる日、ゴリアテで宿をとった俺達は、すっかり雪景色へと変貌した街中を歩いていた。

 

 念のために一晩中警戒していたが、やはり暗黒騎士団の襲撃は起こらなかった。悲劇が一つ防がれたとはいえ、それは俺達が動いた成果ではない事は明らかだ。だが襲撃計画自体は存在していた以上、俺達の知る歴史と違うとも言い切れない。

 

「ねぇ、みてみて〜♪ カボチャのコロッケよ! 食べてみた〜い♥」

「はぁ。ご自分で買ってくればいいじゃないですか……」

 

 朝からハイテンションなデネブさんに、寝不足気味のラヴィニスがローテンションで答える。港町の表通りには、たくさんの屋台が並んでいた。おいしそうな匂いがあちこちから漂ってくる。

 

「アタシ、昨日がんばったのになぁ。魔法でエイッて……」

「……わかりました。おこづかいを差し上げます」

「やった〜♪」

 

 デネブさんの露骨なアピールに折れたラヴィニス。まるで母親みたいだな。つまり、父親は俺って事だな! ここは、父親である俺がおこづかいを……と思ったが、あいにくと俺の手持ちはほとんどない。そういえば俺、無職のヒモ亭主だったわ……。

 

 鬱になりかけていると、あっという間に買ってきたコロッケを頬張りながら、デネブさんが上機嫌で問いかけてきた。

 

「そういえば、これからはどうするの? もうあなた達が知ってる未来とは違っちゃったんでしょ?」

「まずはデニム達と合流しなければな。戦争が起こる流れ自体は変わらんはずだ。全ての知識が役に立たなくなったわけでもあるまいし、できる限りの事はするつもりだ」

「……ふ〜ん。ま、いいけど。お姉さんとしては、少しお金を稼ぎたいわねぇ」

 

 なに、金稼ぎだと? 聞き捨てならないデネブさんのセリフに、じろりと目を向ける。それは無職の俺にもできますか。自慢じゃないが、学歴も職歴もないぞ。体力だけが取り柄です。

 

「もう、そんな目で見なくたっていいじゃない? そもそもアタシは、魔法の研究のためのお金稼ぎのためにこの島に来たんだから。そりゃあ人助けも立派だけどぉ。お金って大事なんだからね!」

「いや、別に責めているわけではない。ただ、どのように金を稼ぐつもりか気になってな」

「あら、気になる? そうねぇ、そろそろ紹介しておこうかしら♪」

「ん……? 紹介だと……?」

 

 デネブさんは、パチリとウィンクをすると、先ほどコロッケを買った屋台へと歩いていく。なにをするのかと思えば、店主と何やら交渉しているようだ。最終的には鼻の下を伸ばした店主から、カボチャを一つ手に入れていた。店主ェ……。

 子供の頭ほどもある黄色いカボチャを抱えて戻ってきたデネブさん。一体なにをするつもりなのだろうか。

 

「じゃあ、いくわよー」

 

 そう言うと、デネブさんは魔力を循環させはじめて小声で呪文を唱え始めた。俺の耳なら聞き取れるが、めちゃくちゃ早口なのでサッパリ理解できない。そのまま目の前のカボチャへと魔力を込め始める。

 やがてカボチャは、ひとりでにふわりと浮き上がった。しかも紫色に怪しく輝いている。手品のような光景に、周囲にいた人々が何事かと目を向けはじめた。あの、デネブさん。あんまり目立ちたくないんですけど……。

 

「起きなさ〜い! あなたの名前は『カボちゃん』よ!」

 

 浮いていたカボチャの下部から、青い布がバサリと落ちる。それはすぐに長袖のシャツのような形となり、最終的にカボチャを頭にするようにして人の形となった。

 その姿には非常に見覚えがある。というか、こんな姿の知り合いは一人しかいない。

 

「なんと……カボさんではないか!」

「違うカボ! カボはカボちゃんカボ!」

 

 俺の言葉を否定する声は、目の前のカボチャから聞こえてきた。単なる野菜にすぎなかったカボチャが、喋ってツッコミを入れたのである。死者の迷宮でショップを営む俺の友人、カボさんはパンプキンヘッドという種族だと聞いていたが、どうやら目の前のカボチャ頭も同様らしい。

 しかし、喋り方といい、格好といい、カボさんそっくりである。というか、二人が並んでいても区別できる自信がない。なんてこった、俺は友人失格ではないか……。

 

「は〜い♥ カボちゃん、調子はど〜お?」

「うーん、ちょっと頭が重いカボ……」

「あら? 身がつまってたのかしら? よかったわね、カボちゃん。きっと頭が良くなるわよ♥」

「嬉しいような、悲しいような、複雑な気分カボ……」

 

 喋るカボチャという不思議な現象を目の当たりにした人々は、きっと手品か何かだと思ったのだろう。拍手をしはじめた。さらには、大道芸と勘違いされたのか、おひねりを投げる人まで現れる始末だ。

 

「なるほど……大道芸で金を稼ぐわけだな」

「う〜ん、違うんだけど……ま、いいわ。うふふ、皆さん、ありがと〜! チュッ♥」

 

 デネブさんの投げキッスに、男たちが歓声をあげる。

 港町ゴリアテは、今日も変わらず平和のようだ。

 




少しずつ歴史が変わり始めました。ウォルスタ陣営はハードモード突入へ。
カボちゃんとカボさんは別人(別カボチャ)です。念のため。


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040 - Fatal Suggestion

「見えたよ父さん、姉さん。アルモリカ城だ」

 

 僕の呼び掛けに、下を向いて歩いていた父さん達が視線をあげる。僕の中にある記憶通り、静かな湖畔にそびえるアルモリカ城は白く優雅な佇まいを見せている。

 

「うむ。何度か訪れた事もあるが、変わりないようだ」

「大きいわね……」

 

 感嘆の声をあげる姉さん。ゴリアテにはこんな大きな建物はない。これまでゴリアテから出る事のなかった僕達にとって、初めて見る巨大な建築物なのだ。だが、僕には既視感しかなかった。

 一度も訪れたはずのない場所なのに、僕の中にはこの城での様々な出会いや戦いの記憶がある。記憶の中のアルモリカ城は、二度もガルガスタン軍によって占拠される事となった。それは何とか防がなくてはならない。

 

「父さん、手はず通りでいいね?」

「ああ。やってみるしかないだろう。ロンウェー公爵がどう出られるか、不安ではあるがな」

「……ねぇ、デニム。本当にロンウェー公爵は信用できるの?」

「……うん。信用はできると思う。あの人は常にウォルスタの事を考えているから……ただ……」

「ただ?」

「あの人は娘と孫を内戦で失った。だからかな、時々ものすごく冷酷な手を打つ事があるんだ。ほら、話しただろ? バルマムッサの虐殺を……」

「……私なら、デニムだけに手を汚させたりしないわ」

 

 姉さんが暗い表情でつぶやいた。その言葉通り、姉さんは僕と一緒に手を汚す事を選んだのだ。姉さんにそうさせたのは、僕の責任なのだと思う。当時の僕は、その事の重みをよく理解していなかった。

 父さんは、僕が同胞達を虐殺した事について何も言わなかった。神父である父さんにしてみれば、それはショックな告白だっただろう。罪深い息子だと思ったはずだ。だがそれを口にする事はしない。

 

 僕達はしばらく無言のまま、アルモリカ城を眺める。

 

「……行こう」

 

 僕の呼び掛けに、二人は頷いて応えた。

 

--------------------

 

「閣下、不審な来訪者が閣下への取り次ぎを願っております」

「なに?」

 

 執務室で書類に署名を入れていたロンウェー公爵は、忙しなく手を動かしながら部下の報せに目線を上げる。開戦の近いこの忙しい時期にどこの馬鹿が来たというのか。

 

「何者だ?」

「それが、バクラムのブランタ(ゆかり)のものと名乗っていて……」

「なんだとッ!?」

 

 今度こそ驚いたロンウェーは、握っていたペンを取り落として立ち上がる。バクラムのブランタといえば、バクラム・ヴァレリア国の摂政。ウォルスタの指導者であるロンウェーにとっても無視する事のできない相手である。

 

「謁見の間に通せ。会おうではないか」

「ハッ。念の為、警護を増やします」

 

 開戦が近い今、身分を偽ったガルガスタンからの刺客という事もありうる。だが、ロンウェー自身はその可能性は低いと見ていた。もしそうならば、もっとマシな名乗りをするだろう。まだ直接的な戦闘はないとはいえ、バクラム陣営とウォルスタ陣営も敵対関係にあるのだ。

 だからこそ、ロンウェーには解せなかった。本物だとしたら、一体その目的はなんだというのか。バクラムからの使者として、宣戦布告でもしにきたのだろうか。それとも。

 

 ロンウェーが謁見の間に入ると、そこには三人の男女がひざまずいていた。

 先頭にいるのは初老の男性。フィラーハ教の神父服を身にまとっており、ひざまずく姿も堂に入っている。常日頃から祈りを欠かさない敬虔な神父なのだろう。

 その後ろに控える二人の男女。まだ若く成年前のようにも見える。歳の差から言って、前にいる男の子供たちであろうと推測した。なぜわざわざ親子でやってきたのか、興味を惹かれる。

 

「面を上げよ。直答を許す」

「はい」

 

 ロンウェーが声を掛けると、神父の男が顔をゆっくりと上げる。その顔には確かにブランタの面影が感じられた。何度か王都へと足を運んだ際に、司教であったブランタとは顔を合わせた事がある。

 

「バクラムのブランタ摂政に縁のある者と聞いたが?」

「はい。私は、ブランタ・モウンの実弟、プランシー・モウンと申します」

「なに……? 摂政殿に弟がいたとは初耳だな。それで、何用で参られた?」

「恐れながら……閣下に一つ、進言をしたく参りました」

「進言だと……?」

 

 プランシーからの思わぬ言葉に片眉を上げるロンウェー。仮にも敵対するバクラム人の進言など受けられるか、と考えたロンウェーだったが、まずはその内容を聞いてみなければ判断のしようもないと考え直す。

 

「……話してみよ」

「はい……。その前に一つ確認したい仕儀が。目下、ガルガスタン軍の蠕動は止まず、閣下の率いるアルモリカ軍との開戦も近いと愚考いたしますが、間違いないでしょうか?」

「……ふん。ウォルスタの民達には以前からそう話しておる。危機感の足りん民達にその実感は無いようだがな」

「なれば閣下。いかがでしょう――バクラムと和議を結んでは?」

「…………」

 

 やはりそう来たか。ロンウェーの脳裏にまず浮かんだのはその言葉だった。そして次に浮かんだのは、ふざけるなという罵倒。ロンウェーにとって、娘と孫を失う内乱を招いたバクラム人達は許しがたい存在である。

 しかし一方で、ロンウェーは計算高く理知的な男でもあった。今ウォルスタが直面している危機を思えば、とるべき手など限られている。敵の数が多いのであれば、味方を増やすというのは当たり前の手だ。

 出かかった罵倒を飲み込み、表面上は冷静を保ったままロンウェーは尋ねる。

 

「……つまり貴殿は、バクラムの使者としてここにいると考えて良いか?」

「いいえ。私はバクラムの使者ではございません。あくまで、ブランタの弟としてここにおります」

 

 なるほど、つまりは公式な使者ではなく、ブランタからの私的な打診というわけだ。ロンウェーはプランシーの言葉をそう解釈した。公式な使者となれば、ガルガスタンや貴族たちにあらぬ刺激を与える恐れがある。それを嫌ったのだろう。

 バクラムも、ウォルスタより数は多いとはいえ、ガルガスタンに比べれば少数派に過ぎない。ガルガスタンが王国を建国した今、一番危機を感じているのはブランタ自身だろう。せっかく手に入れた一国の主という地位を失うかもしれないのだ。

 しかしだとすれば、一つわからない点がある。

 

「ふむ……しかし解せんな。バクラムには、かの大国ローディスより派遣された戦力があると聞いているが。バクラムに我々と手を結ぶメリットがあるとは到底思えん」

「――その点については、一つ訂正を」

 

 ロンウェーの疑問に答えたのは、プランシーではなかった。その声の主は、プランシーの後ろに控えていた青年。まだ幼さの残る顔立ちではあるが、意思の強さを感じさせる瞳が印象的だ。

 

「貴殿は?」

「失礼いたしました。私はデニム・モウン。このプランシーの長男です」

 

 やはり親子だったようだ。ロンウェーは頷いて続きを促す。

 

「ローディスから派遣された戦力は、十六ある騎士団の筆頭として知られる暗黒騎士団ロスローリアンです。その団長は、教皇の信頼厚い右腕でもあるランスロット・タルタロス卿……」

「ほう。それは頼もしい事だ。戦力に乏しい我々としては羨ましい限りだな」

 

 ロンウェーの当てこすりにも怯まず、デニムは言葉を続ける。どうやら胆力も十分のようだ。

 

「バクラムの求めに応じて派遣された暗黒騎士団ですが、実のところ、ブランタ枢機卿の命令で動いているわけではありません。タルタロス卿の判断で動いているのです」

「ほう……」

 

 思いがけず知ったバクラムの内情に、興味深そうな声をあげるロンウェー。だとするなら、ブランタの焦りも理解できる。恐らく暗黒騎士団とやらは、参戦に積極的ではないのだろう。所詮は外部勢力であり、いざとなればさっさと逃げ出してしまう恐れすらある。

 

「なるほどな。摂政殿は思い通りに動かぬ暗黒騎士団に手を焼いているというわけか。そして、ガルガスタンの圧力に抵抗するために、我らウォルスタと手を結ぶ……か」

「はい……。いかがでしょうか?」

 

 ロンウェーは髭をこすりながら黙考する。確かにバクラムと同盟を結べれば恩恵は大きい。ガルガスタンも二つの陣営を同時に相手するのは躊躇するだろう。最終的には戦争は避けられないだろうが、ウォルスタにとって貴重な時間稼ぎにもなるかもしれない。

 ウォルスタ人の感情としては、バクラムよりもガルガスタンへ向ける敵意の方が強い。これまで直接的な戦闘もなく、同じ少数派でもあるため反バクラム感情は比較的薄いのだ。バクラムと同盟を結べば反発は必至だろうが、一定数以上の理解を得る事は可能だろう。

 

 つまり最後に問題となるのは、ロンウェー個人の感情。

 最愛の娘と孫娘を失う原因を作ったバクラム人を許せるか、否か。

 

 ここに来てロンウェーの中で、私怨とウォルスタの未来が天秤に掛けられつつあった。

 

「……重要な事ゆえ即答はできぬ。一晩待ってほしい」

「かしこまりました」

 

 頭を下げるプランシー達に見送られ、部下に部屋を用意してやるよう指示しながら、謁見の間を後にするロンウェー。優雅な外見とは裏腹にやや無骨な内装の廊下を歩きながら、彼の胸の内では葛藤が渦巻いている。

 

 ウォルスタの行く末は、彼の決断へと委ねられた。

 

--------------------

 

「……良い天気だな、ラヴィニス」

「現実を見てください、ベル殿」

 

 現実逃避して空を見上げる俺に、ラヴィニスからのキツい一言。

 

「……俺達はゴリアテを出て、クリザローへと向かうつもりだったな?」

「ええ、そうですね。しかし、我々がいるのはクリザローではありません」

 

 ゴリアテに滞在していても埒が明かないということで、すぐに出発する事に決めた。幸いな事にゴリアテまで乗せてくれた船がまだ残っていたので、交渉の結果クリザローの町まで乗せてもらえる事になったのだ。俺がいれば海賊が来ても安心だからと、快くオーケーしてくれた。

 

「……なんで俺はこの人達についてきちまったんだ……」

 

 ヴァイスが頭を抱えている。迷っていたようだが、最終的に俺達についてくる事に決めたのだ。やはり、どうしてもデニムとカチュアにもう一度会いたいらしい。青春だなぁ。

 父親は健在のようだが、可愛い子には旅をさせよの精神で気持ちよく送り出してくれたらしい。そろそろ戦争も始まりそうなのに、ちょっとのん気すぎるな。

 

「うふふ♥ 船に乗ってれば、こういう事もあるわよね。これがきっかけで、思わぬ出会いがあるかも知れないし。ね、タルちゃん?」

「……ふん」

 

 相変わらずデネブさんのマイペースさに、タルタロスはムッスリと口と目を閉じている。しかしデネブさんの言葉にピクリと目元が動いたのを見逃していないぜ。

 ちなみにカボちゃんは船室でぐっすり寝ているようだ。

 

「それで、ここは一体どこなんだ?」

「へぇ。それがあいにく、サッパリでさぁ」

 

 俺の問いに船長が申し訳なさそうに答えた。だが彼を責める事はできない。

 

 ゴリアテを出港した俺達は北西へと進んでいたが、その途中で大嵐に遭遇してしまったのだ。それも、船乗り達も経験のないほどの大波で、あっという間に俺達の乗る船は流されてしまった。上も下もないようなシケだったが、船が転覆しなかったのは僥倖だった。デネブさんが何かしたのかもしれない。

 船は波に流されるまま見当違いの方向へとどんどん進んでいき、やっと嵐が晴れる頃には大海原のど真ん中だったというわけだ。さすがの船乗りたちも、何の目印も見当たらない場所ではお手上げである。

 

「もぅ、しょうがないわね〜。あたしが見てきてあげるわ」

 

 いつものようにホウキに腰掛けたデネブさんは、空高く飛び上がった。相変わらず見えそうで見えない。ヴァイスもやはり健全な男子なのか、空へ飛んでいくデネブさんを凝視している。

 しばらく船の上をグルグルと回っていたデネブさんは、やがて船の甲板へと降り立った。

 

「あっちの方に陸地が見えたわよ。町みたいなものもあるみたいね♪」

「おおっ! ありがてぇ! おい野郎ども、帆を張れ!」

 

 船長が声を掛けると野太い声で返事が返ってくる。

 良かった良かった、これで遭難せずに済みそうだな。

 

 

 ――――そして数時間後、俺達は再び頭を抱える事になった。

 

「あんだこらぁッ!? 俺ら『青ひげ一家』を敵に回すつもりかッ!?」

「うるせぇ、この木っ端海賊が! そっちこそ『ビッグ・パパ海賊団』を舐めてんじゃねぇぞッ!」

 

 見るからに海賊だとわかる荒くれ者たちがガンを飛ばしあっている。この二人だけでなく、町にいる男達はみんな似たり寄ったりの格好だ。なんか全体的にくさそう。

 港に止められている船は、どれもこれも帆が黒く塗られていたり、ドクロマークが描かれていたり、どっからどうみても海賊船ばかりに見える。

 

「……この町はどうやら、前に聞いた『海賊達の集まる町』のようだな」

「ええ……。確か『港町オミシュ』と呼ばれていたはずです。ドルガルア王の支配にすら頑強に抵抗を続けた、由緒あるならず者達の町ですね……」

 

 俺のつぶやきに、ラヴィニスは力無く答える。俺もテンションは最低に近い。遭難寸前だったから贅沢は言えないが、どうしてよりによってこんな町に流れ着いたんだ。海賊の集まる町と聞いて期待してたのに、実物を見てしまうと急激に萎えてしまった。

 

「……なんで俺はこの人達についてきちまったんだ……」

 

 さっきと同じセリフを言って、ヴァイスはうなだれている。

 

 だがなヴァイス君。君がパーティに加わった途端、大嵐から海賊の町だ。どう考えても貧乏神は君ではないのかな……? 浮かんだ疑問は口にせず、そっとヴァイスの肩を叩いた。

 




デニムくん達が暗躍しております。嘘はついていませんね。
ベルさん一行は海賊の町に流れ着きました。貧乏神は多分ベルさんだと思う(名推理)


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041 - Hypocrisy

「こちらでお待ち下さい」

「恐れ入ります」

 

 客室を用意するのに少し時間がかかるという事で、その間は別室で待機する事になった。すぐに結論が出るとは思っていなかったが、ロンウェー公爵からの一晩待ってほしいという申し出は内心驚いている。

 案内役の兵士に連れられて、僕達三人は城内の一室へと落ち着いた。見張りと思われる兵士が僕達の一挙手一投足をじっと見つめている。

 

 ウォルスタとバクラムの同盟は、戦争が本格化する前の今だからこそ打てる一手だった。暗黒騎士団の襲撃も防いだため、現時点でウォルスタとバクラムの間に直接の利害関係はない。

 もちろん、僕としても葛藤はあった。『前』の僕にとって、最後の敵がバクラムでありブランタだったのだ。奴にはドルガルア王の娘である姉さんの存在を隠し、内戦を激化させたという罪がある。全ては己が権力を握るためで、そこに同情の余地はない。

 ブランタのような己の保身と既得権益の確保しか考えない貴族達の横暴には虫酸が走る。だが、バクラム人全体をそれら一部の権力者と同一視するのは間違っている。そう考えてみると、バクラムと手を結ぶという案も冷静に考えられた。

 

 一度は、ヴァレリア全体を統治する立場となっていたのだ。もう僕には、バクラム人やガルガスタン人を単純な敵として考える事はできなくなっていた。

 

「公爵閣下は冷静に話を聞いてくださったな」

「ええ。思っていたより、ずっと理知的な方だったわ」

 

 父さんと姉さんは満足そうな顔で話している。確かにロンウェー公爵は冷静だった。『前』の僕達が助け出した頃よりも余裕が感じられる。一度敵軍に敗れて捕虜にされた経験が、公爵に焦りを生み出したのかもしれない。それがなければ、クーデターも起きなかったのだろうか。

 

 兵士の見守る中、三人で当たり障りのない会話を続けていると、扉がノックされた。兵士が扉を開き、そこから現れた人物の姿を見て、僕は息を呑んだ。

 

「お初にお目にかかる。私はレオナール・レシ・リモン。アルモリカ騎士団の団長を務めています」

「レオナール、さん……」

「うん? どこかでお会いしたかな?」

 

 思わず彼の名を口走ってしまった僕に、レオナールさんは怪訝な顔を向ける。しまった。

 

「いえ……失礼しました。その、シドニーとアロセールさんから伺っていたので」

「なッ! ア、アロセールの……! ……ゴホン。失礼した」

 

 レオナールさんは突然出されたアロセールさんの名前に動揺して赤面している。何とか取り繕っているが、視線は右往左往している。姉さんがニマニマと笑みを浮かべているのが横目に見えた。

 

「あぁ、その。……あなた方に二、三伺いたい事があって参りました」

「はい、何でしょうか?」

 

 いまだに落ち着かない様子のレオナールさんだが、質問の内容によっては僕達が窮地に陥る可能性もある。かすかに緊張しながら、質問を待ち受ける。

 

「先日、ゴリアテの広場にて、ローディスの間者に対する呼び掛けがあったと聞いております。目撃者の話によれば、それを行なった人物はプランシー・モウンと名乗っていたと」

「…………」

「ローディス教国といえば、バクラムの後ろ盾となっているはず。その相手がどうしてブランタ摂政の弟である貴方を狙うのでしょうか? ……あなた方は一体、何を考えているのです?」

 

 レオナールさんの鋭い問いは、予想通り僕達を窮地に追いやった。やはりゴリアテでの騒動は知られていたらしい。ロンウェー公爵の様子だと知らないように見えたので、油断していた。

 

「……それをお話するには、そもそもローディスがなぜバクラムを支援しているのか、という点を説明しなければなりますまい」

 

 父さんの言葉に、レオナールさんは虚を突かれた表情となる。

 

「それは一体……? ローディスは、バクラムからの要請があって支援しているのでは?」

「それだけで筆頭騎士団を動かすと? 信頼厚い教皇の右腕を、わざわざこの小さな島国に派遣するでしょうか?」

「……確かに、それは不審な点ではありますが……」

「ローディスにはローディスの狙いがあり、この島に戦力を派遣したのです。だからこそ、暗黒騎士団は独断で行動している。私を狙うのはローディスの意思であって、バクラムの意思ではありません」

「…………」

 

 レオナールさんは言葉を咀嚼するように押し黙った。ローディスの狙いとは一体なんなのか、それを思案しているのだろう。だが、姉さんの正体を知らなければその答えにたどり着く事はない。

 

「申し訳ないが、ローディスが何を考えて私を狙っているのか、それをお話する事はできません。これは、兄とも約束した事です。ですが、私達の目的はあくまでヴァレリアの平和。ローディスからの干渉を受け続ける事は、ヴァレリアにとって良いとは思えません」

「……元はといえば、ローディスを引き込んだのはバクラムでは?」

「ドルガルア王の死後、国内の混乱に付け込んでローディスが干渉してくる恐れがありました。下手をすれば治安回復の名目で軍隊を派遣され、ローディスの植民地となっていたかもしれないのです。兄はそれを恐れ、ローディスからの干渉をコントロールするために敢えて泥をかぶりました」

 

 『前』の僕がブランタと対峙した時に、ブランタ自身が告白した事だ。奴の言葉がすべて真実だったとは今でも思っていないが、ローディスの戦力を招き入れた理由については真実だったのだと思う。そうでなければ、権力欲の強いブランタがわざわざ外部の大国の勢力を招き入れるはずがない。

 

「……あなた方は、ローディスの排除を狙っている。そう考えてよろしいか?」

「そう考えて頂いて構いません」

 

 レオナールさんと父さんが視線を交わしている。二人の間には緊張感が張り詰める。ずっとゴリアテで神父を続けてきた父さんではあるが、元はハイムで魑魅魍魎を相手に立ち回っていたらしい。レオナールさんの威圧を含んだ視線を受けても、毅然とした態度を崩さなかった。

 

 やがて根負けしたようにレオナールさんがふっと空気を緩めると、ため息を一つついて立ち上がった。

 

「私とて、ヴァレリアを思う気持ちは同じです。ですが、公爵閣下は……」

「閣下は賛同してくださらないでしょうか?」

「……私の口からは何とも。では、失礼いたしました」

 

 レオナールさんの後ろ姿を見送り、僕達は目を合わせて息を吐いた。

 やれやれ、心臓に悪いな。

 

--------------------

 

「閣下、こちらにおられましたか」

「レオナールか」

 

 アルモリカ城の城壁から城下町を眺めていたロンウェー公爵は、背後からの声に肩越しに振り返る。

 

「あの者たちに話を聞いて参りました。プランシー殿の話によれば――」

 

 レオナールはプランシーとの会話を一部始終説明する。話を聞いた公爵は一つ頷くと、ご苦労と言ってレオナールを労う。レオナールは頭を下げると、そのまま公爵の後ろに控えた。

 

「……ローディスの狙いか……」

 

 公爵の頭に様々な可能性が浮かんだが、どれも大国の狙いとしては小さすぎる。ありえるとすれば、このヴァレリア諸島の覇権を握る事だろう。ヴァレリア王国は、小さいながらも海洋国家として貿易で栄えてきた。その利益を独占できるのであれば、大国が動く動機になりうる。

 ウォルスタが生き残ったとしても、ローディスに支配されてしまえば奴隷同然だ。植民地として支配されたニルダム王国の凋落は、ロンウェーの耳にも入っている。

 

「……クララ」

 

 彼の口から思わずこぼれ落ちた名前。それは、彼の愛した孫娘の名前。娘に乞われて、三日三晩悩んだ末に考えた名前だった。生きていれば、今年で五歳になる。

 そのつぶやきを耳にしたレオナールは、苦い顔となって公爵の足元にひざまずく。

 

「閣下……どうか。どうか、ウォルスタの未来をお考えください。閣下が後ろを向き続ける事など、ご家族も望んではおらぬはず」

 

 レオナールの諫言に、ロンウェーは顔をしかめる。握りしめた拳に力がこもった。

 

「なぜ……なぜ、娘たちなのだ。なぜ犠牲にならねばならなかったッ……! 娘をハイムに嫁がせなければッ! 貴族として家を保つために、我が娘を犠牲にしたのだッ! ワシが……! ワシが、娘を……!」

「……どうか心をお鎮めください……」

 

 レオナールは、ロンウェーの嘆きに答える言葉を持ち合わせていなかった。

 

 デニム達がどれだけ暗躍しようとも、内乱の犠牲者はすでに発生している。遺された者たちは悼み、ひたすらに戦争を、その原因となった相手を憎悪する。

 憎しみの鎖は太く繋がり、簡単には断ち切る事などできない。

 

--------------------

 

 港町オミシュ。荒くれ者が集うこの町のルールはシンプルだ。

 

「……次は誰だ? まとめて掛かってきても構わんが」

「な、な、なんだコイツ! クソッ、化物め! おめぇら、一斉に行くぞ!」

 

 男の呼び掛けに複数の野太い声が返事する。それぞれが得物を構えてジリジリと輪を狭めてくる。さっきまでは余裕ぶってニヤニヤと笑みを浮かべていたが、すでにそんな余裕は微塵もなくなっている。

 

「オラァァァッ!」

「死ねェェェッ!」

 

 言葉通り一斉に四方八方から襲いかかってきた男たちを片っ端から槍で打ち落としていきながら、俺はため息をついた。なんでこんな面倒な事になってしまったんだ。

 

 オミシュの港に着いてどうしたものかと思案する俺達に、男の集団がニヤニヤ笑いながら話しかけてきたのだ。どうやらデネブさんとラヴィニスに釣られたようだった。

 当然ながら無視していると男たちは激昂して襲いかかってきたので、俺達も応戦。気がつけば街中の荒くれ者どもが集まっての大乱闘になっていた。スマッシュ兄弟かな?

 

「ああもうッ! キリがないッ!」

 

 ラヴィニスは突剣を素早く動かしながら、襲いかかる男たちを次々と穴だらけにしていく。倒された男のうち何人か嬉しそうな表情をしているのは多分気のせいだろうか。

 

「うおおッ! 俺は関係ねぇだろッ!」

 

 そう言いながら走り回っているヴァイスは、ゴツい男たちから逃げ回っている。あれぇ、デニムの親友だから、もっと戦えるのかと思ったのに。がんばれ、ヴァイス。

 

 なお、デネブさんはいつも通り上空で応援していた。楽しそうでいいですね……。

 

 

 最終的にはオミシュの広場にボロ雑巾のようになった男たちの山が築かれた。途中、親分っぽいのも登場したが一緒に片付けている。いちいち名乗りを上げてくれたが、ちっとも覚えていないな。

 荒くれ者の街だが女や子供も住んでいるらしく、建物の窓や陰からチラチラと顔を覗かせている。その中で俗にいうストリートチルドレンのような子供たちが、物陰から顔を輝かせながら俺を見ていた。

 

「つえー」

「すげー」

 

 単純な賛辞だったがその分単純に嬉しくなった俺は、肩に掛けていた袋からドラゴンの燻製肉を取り出す。船の上で暇だったので、せっかくの肉が痛まないようにと作ったものだ。子どもたちの視線は完全に燻製肉に釘付けになった。

 手招きしてやると、わっと一斉に子どもたちが集まってきた。燻製肉を切り分けながら子どもたちに与えてみると、子どもたちは口々にお礼を言ってきた。隣にいるラヴィニスは複雑そうな表情をしている。子どもたちは誰もがみすぼらしく、日々の糧にすら困っているのは明らかだ。

 子どもの中には、口が聞けないのか身振りでお礼を伝えてきた女の子もいた。頭を撫でてやると、最初はビクリと震えて緊張していたが、ニッコリと微笑んだ。

 

「――――偽善だな」

 

 背後から聞こえてきた小さな声に振り向く。そこには、昼間だと言うのに酒瓶を脇に抱えて、顔を赤くしながらグダリと地面に座っている爺さんがいた。

 赤いカウボーイハットのような帽子をかぶり、白い髭を生やしている。一見するとただのオシャレな爺さんだが、よく見ればタダ者ではなさそうだ。

 

「お前がそいつらに肉をやったところで、野垂れ死ぬのが少し延びるだけだ」

「…………」

「下手に希望を持たせるぐらいなら、見捨てた方がマシだな」

「な、なんですッ! さっきから聞いていれば!」

 

 ラヴィニスが我慢できないといった様子で噛みつく。だが、俺は片手でラヴィニスを制止して首を振る。この爺さんの言っている事は間違いではない。

 

「……彼の言う通りだろう。俺のやった事は自己満足にしか過ぎん」

「ですがッ……!」

「俺たちが本当にすべきなのは、さっさと戦争を終わらせる事なのだろう。そうすれば、少なくとも戦争で親をなくす子どもは出なくなる」

「…………」

 

 ラヴィニスは唇を噛んで、それ以上は何も言わなかった。彼女もそれが正しい事はわかっているのだろう。ま、俺はやらない善よりやる偽善なタイプだし、別にいいんだけどね。

 

「は〜、あなた達って本当に行く先々でトラブルばっかりね。ま、おかげで退屈しないけど」

 

 空から脳天気な声が降りてきた。暗い雰囲気を簡単に一掃してくれる彼女の存在は正直ありがたい。

 

「あら、イケメンなオジイちゃんね♥ どっかの誰かさんとは大違い。私と帽子が色違いね♪」

「……随分とまあ、賑やかだな。見るからに魔女って感じだが」

「そうよ。アタシは魔女のデネブちゃん。よろしくネ♥」

 

 デネブさんがくるりと回ってみせる。爺さんは呆れた表情になった。口のきけない女の子は、ホウキに乗って飛んできたデネブさんを見て口をポカンと開いている。

 

「はぁ……はぁ……なんで……こんな目に……遭うんだよ……」

 

 肩で息をするヴァイスがノロノロと戻ってきた。なんとか無傷で切り抜けたらしい。まだまだ鍛錬不足だな。あとでしっかりと絞ってやろう。

 

「それにしても海賊の住む町とは聞いていたが、随分と手荒な歓迎だったな。これで少しは大人しくなってくれれば良いのだが」

「あのなぁ……お前らはこの街の主だった連中を軒並み片しちまったんだ。お前らにケンカ売る度胸のある奴なんかもういねぇよ」

 

 赤ら顔の爺さんが、呆れた表情でツッコミを入れてくる。

 

「む、そうなのか。ではこの街に少し滞在しても安全そうだな。船を修理せねばならんと言うし」

 

 船乗り達によれば、嵐によって操船に必要な舵が壊れてしまったらしい。帆の向きである程度は操作できるが、修理しなければ長期の航海は難しい。幸い修理に必要な道具や材料は揃っているらしいので、数日あれば直せるだろうとの事だった。

 

「……お前らがいれば、当分はこの街も落ち着いてるだろうな」

「ところでご老体の名前は? 俺の名はベルゼビュート。好きに呼んでくれ」

「…………名前なんか、忘れちまったよ。俺はただの老いぼれだ」

 

 そう言って立ち上がった爺さんは、酒瓶片手にフラフラと立ち去っていく。

 その後ろ姿を、女の子はじっと見つめていた。

 




ロンウェーさんが内戦で娘と孫を亡くしたのは公式設定です。やっぱ単純なキャラなんていないんやなって……。
既定路線通り海賊の町で頂点に立ったベルさん一行。お爺ちゃんは誰なんでしょうね?(すっとぼけ)


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042 - Ruler's Obligation

 ランスロット・タルタロスは、鬱屈した感情を持て余しながら溜息を吐いた。

 

「ご気分が優れませんか?」

「いや……そうではない」

 

 船の甲板の上、潮風がタルタロスのゆるやかな長髪を揺らす。タルタロスは目を開くと、背後から声を掛けてきた人物に心情を吐露する。

 

「これまでも上手くいかぬ任務などいくらでもあった。しかし、今回の失敗についてはどうもきな臭いものを感じてな」

「……やはり、内通によるものでしょうか?」

「……わからぬ。だが、それだけではないようにも思える。事実、内通者は見つかってはおらん。我々の与り知らぬところで、何かが起きている。何かが……」

 

 タルタロスの言葉に、背後の人物、バールゼフォン・V・ラームズは眉をひそめる。暗黒騎士団のナンバー2であり、タルタロスの片腕として全幅の信頼を寄せられる彼にとっても、タルタロスの弱音ともとれる言葉は耳慣れないものだ。

 暗黒騎士団のトップである二人は、あらかじめ決めていた通りハイムの沖合にて合流していた。バールゼフォンも襲撃に同行したいところだったが、我の強い暗黒騎士達をまとめる役はどうしても必要だ。タルタロス自らが出向いたのは、それだけ今回の任務の重要度が高かった証拠でもある。

 だからこそ、神父確保の思わぬ失敗はタルタロス達に焦りを生んでいた。

 

「やはりブランタの仕業なのでは? 奴が襲撃の情報を漏らしたとしか思えません」

「私もそう考えている。我らローディスと表向きは手をつなぎ、裏では抜け駆けを考えている可能性もある。ブランタめ、小物だと思っていたがそれは擬態だったか……?」

「我ら暗黒騎士団もなめられたものです。この借りはきっちりと返さなければ」

 

 バールゼフォンは憤懣やる方ないという様子で復讐を誓う。タルタロスはそれを冷めた表情で黙って聞いていた。ブランタの仕業と考えつつ、まだどこか引っかかりを感じている。

 

「……ブランタが弟を逃したとすれば、己のためか、それとも実弟であるからか……」

「己のためでしょう。あやつは見るからに権力の亡者。家族さえ売ることを厭わないように見えます」

「私にもそう見える。だが、あれが擬態だとすれば……。いや、考えればキリがないな」

 

 タルタロスは首を振って推論を打ち切った。そして背後へと振り返る。

 

「そういえば貴公にも弟がいたな、バールゼフォン」

「……ハッ。不出来な愚弟でしたが」

「フッ。出来の良すぎる弟よりはマシというものではないか?」

「これは……一本取られましたな」

 

 そう言ってバールゼフォンは低い笑い声をあげる。彼の弟は暗黒騎士団の元テンプルコマンド。当然ながらタルタロスにとっても既知の相手だ。かつてロスローリアン随一の剣の腕と評されたほどの実力の持ち主で、兄にしてみれば『出来の良すぎる弟』と言って差し支えないだろう。

 

「……馬鹿な弟です……」

 

 バールゼフォンはうってかわって噛みしめるようにつぶやく。

 そのつぶやきはオベロ海の波間へと吸い込まれ、消えていった。

 

--------------------

 

 翌日、アルモリカ城の謁見の間に再び関係者一同が集められていた。プランシー達三人、ロンウェー公爵に加えて、今回はレオナールとラヴィニスの姿もある。ラヴィニスの姿を目にしたデニムはやはり動揺したものの、今度は心構えができていたので不審には思われなかった。

 

「お返事をお聞かせ願えますか?」

「うむ……」

 

 プランシーの問いに、ロンウェー公爵は煮え切らない返事をする。その様子を見れば、まだ結論が出ていないのは明らかだった。一晩経ってもなお、彼の心には娘と孫の姿が焼き付いて離れない。

 

「――閣下、よろしいでしょうか?」

 

 その様子を見て声を掛けたのは、プランシーではなくその背後にいた青年、デニムだった。ロンウェーは億劫そうな様子で、デニムの言葉に無言で投げやりな頷きを返す。

 

「ひとつ、予言をさせて頂きたいと思います。もし、何もしないままガルガスタンとの争いに突入したらどうなるのか。どのような事が起こるのか……」

「ほう……?」

「まず、ウォルスタとガルガスタンは古都ライムにて最初の本格的な激突を迎える事でしょう。ウェオブリ火山を越えて急襲してきたガルガスタン軍に、常駐していた部隊が応戦する事で戦いが始まります――」

 

 そして、デニムの口からは次々と『予言』が語られていく。説明される戦いの行く末はどれもが不思議な臨場感と説得力にあふれ、聞く者すべてに戦場の血の臭いを感じさせるほどのものだった。

 寡兵であるウォルスタ軍が、ガルガスタン軍の大戦力によって徐々に押し込められていく様子が克明に語られていき、それを聞いていたレオナールやラヴィニス、兵士達は顔を青ざめさせる。進めば進むほど徐々に戦況はウォルスタ軍の劣勢に傾いていき、ついには。

 

「――そして、ここアルモリカ城は陥落。公爵閣下は囚われの身へと堕ちます」

「馬鹿なッ!」

 

 デニムの言葉を否定するように叫んだのは、顔を蒼白にしたレオナールだった。アルモリカ城の陥落、それはつまりウォルスタ陣営の敗北を意味するに等しい。

 しかし、レオナールの叫びなど聞こえないかのように、デニムは言葉を続ける。

 

「ガルガスタンの指導者であるバルバトス枢機卿は各地にウォルスタ人の自治区を作り、多くのウォルスタ人がそこへ強制的に収容されます。自治区とは名ばかりの、強制収容所。そこでウォルスタ人は家畜のように扱われ、徐々に反抗心を削ぎ落とされていきます」

「…………」

「その過程で多くのウォルスタ人は命を失うでしょう……そして、これからも。その全ての責任は――公爵。あなたのものだ」

 

 いつの間にか、デニムはロンウェーの顔をじっと見つめていた。その目には侮蔑や憎悪といった悪感情は一切なく、ただただ澄んだ瞳がロンウェーを射すくめていた。

 さらに、デニムの全身から覇気とも呼べる威圧が発されていた。無条件で膝をつきたくなるような、年齢に見合わぬ恐ろしいまでの風格。覇王と呼ばれたドルガルアにも匹敵するほどの威厳。

 

 ロンウェーはその迫力に言葉を失う。いや、ロンウェーだけでなく、謁見の間にいた全ての人間がデニムの魔性に飲み込まれていた。

 

「……あなたには、為政者としての責任がある。ウォルスタ人の未来に対しての責任が、民衆に対しての責任がある。あなたの決断には、多くの人の命が懸かっている。大義のために己を投げうつ事、それは為政者にとって義務ともいえるものだ……!」

 

 まだ成年すらしていないはずの青年の言葉に、あるはずがない為政者としての重みが込められている。まるで一国の王のような言葉だが、もはや聴衆は違和感を覚える事すらなくなっていた。

 

「そうでなければ、これまであなたの為に尽くしてきた者達、命を尽くした者達への裏切りなのだから。あなたは、彼らの死を無駄にしないためにも前に進む義務がある。彼らの死を嘆いてもいい。でも、後ろを振り返って前に進む事をやめてはいけないんだ……!!」

 

 デニムの雷鳴のような叱責が、謁見の間を切り裂いた。

 

--------------------

 

「ひとつッ!」

『人の嫌がる事はしませんッ!』

「ふたつッ!」

『世のため人のため、率先して働きますッ!』

 

 野太い声の合唱がオミシュの街に轟いている。その内容は荒くれ者の集う町には似つかわしくないものだった。俺はその様子を眺めながら、笑みを浮かべて頷く。良い景色だなぁ。

 

「……あの、ベル殿。あれは一体……?」

「ああ、ラヴィニスか。いやな、せっかくだから海賊達をちょっと『教育』してみようかと思ってな」

「教育ですか……」

 

 ボロ雑巾の山になっていた海賊たちは、俺が号令を掛けると素直に従ってくれたのだ。最初は嫌がる者もいたが、何回か説得したら快く参加してくれた。

 

 ラヴィニスは複雑な表情でランニングを始めた男たちを見ている。まずは徹底的にシゴいて、その後はアメをあげるように褒めてやらなくては。やっぱり褒めて伸ばすのが一番だよな。

 ランニングの列から早速脱落しそうな男がいたので、俺は足元の石を拾い上げてギリギリ当たらないように投げる。いきなり足元の地面が弾け飛んだため、男は飛び上がって全速力で列へと追いついた。

 

「…………」

 

 今度は哀れみの視線を向けているラヴィニス。だが、男たちの中に見知った顔を見つけたのか、驚きの表情になった。その男は顔を蒼くさせながら、荒くれ者たちに混じってランニングしている。

 

「あ、あの。あれはヴァイスでは?」

「ああ。ついでにヴァイスも鍛えられて一石二鳥だろう」

「そ……そうですね……」

 

 我ながらナイスアイデアだったわ。これからきっと戦う事も増えるし、身体を鍛えてやらないとな。あとは、ドラゴンやグリフォンがその辺にいればよいのだが。

 

「まあ、船が直るまでの暇つぶしみたいなものだ。他にやる事もないしな」

「暇つぶしで……。かわいそうに……」

「ん? ラヴィニスも混じってみるか?」

「い、いえ。私は結構です。鍛錬なら間に合っています!」

 

 ブンブンと首を振るラヴィニス。かわいい。

 

「――相変わらず、無茶苦茶だな……」

 

 呆れた声色で話しかけてきたのは、あの爺さんだった。昨日と同じように酒瓶を片手に顔を赤くしている。その傍らには、見覚えのある女の子もついてきていた。

 

「なに、せっかくだから偽善を突き通してみようかと思ってな」

「はっ。ご立派な事だ」

「ところでご老体。この辺りに魔物の出る場所はないか?」

 

 俺の問いに老人は眉をひそめる。

 

「……魔物退治でもしようってか?」

「いや、食糧確保だ。できればドラゴンかグリフォンが良いが、食べられるのなら何でも良い。なにせ俺は偽善を貫くと決めた。腹をすかせた子どもたちが居るからな」

 

 あちらこちらから、俺たちの様子を伺っている視線を感じる。燻製肉の味が忘れられなかった子どもたちだ。だが、残念ながら手元の肉は使い切ってしまった。

 俺の言葉を聞いた爺さんは呆けた表情になり、やがて大口を開けて笑い始めた。

 

「カッハッハ! 魔物をガキどもに食わせるつもりか!」

「む、昨日食わせたのもドラゴンの燻製肉だぞ?」

「……お前、やっぱり馬鹿だな。そんな高級品をガキにやってどうすんだ」

 

 大笑いから一転、やはり呆れ顔になった爺さんは溜息をつく。足元にいた女の子はニコニコと笑っていた。喋れなくても気持ちは伝わるもんだ。

 

「……まあいい。この辺なら海辺にいけばオクトパスがいくらでもいるだろ。南西の離れ島の方が数は多いだろうが、あっちには『海賊の墓場』とか呼ばれてるダンジョンがあるからな。アンデッドどもがうじゃうじゃ湧いてて厄介だ」

「そうか、オクトパスか……」

 

 かつてハイム城へと向かう途中に遭った三匹のタコを思い出す。そういえば、あの時は材料不足でタコヤキを食べ損ねていたんだった。大好物だというのに、俺としたことが……。

 爺さんが何やら言っていたのは耳に入らず、俺の意識の中心にはふんわりと焼きあがった丸いタコヤキが鎮座していた。南西の島に行けば、オクトパスがたくさんいるわけだな。

 

「助言、感謝する」

「お、おう……」

 

 爺さんに感謝を告げ、ラヴィニスに後を任せて、俺はダッシュしながらオミシュを飛び出す。途中でランニングしている男たちを一睨みしていくと、男たちは震え上がってスピードを上げていた。

 

 タコヤキタコヤキタコヤキ……。

 

--------------------

 

「ねぇ、タルちゃん? ちょっとお姉さんとお話しましょう?」

「……話す事は無い」

 

 本来ならば昼間から荒くれ者がひしめいているオミシュの酒場は、今日に限っては人気が疎らだった。その原因である男たちの息の合った掛け声が、外から聞こえてくる。

 そんな喧騒など気にする事もなく一人で酒をあおっていたタルタロスは、横から聞こえてきた女性の声に目を閉じたまま応じる。

 

「もう、つれないわねぇ。そんな事じゃ、女の子にモテないわよ?」

「…………」

 

 ついに返事すらしなくなったタルタロス。にも関わらず、魔女デネブはその隣に腰を下ろす。無言でグラスを磨いていたマスターに「パンプキンジュースってあるかしら?」と尋ね、首を横に振られて頬を膨らませている。仕方なさそうに赤ワインを頼むと、テーブルに肘をついた。

 

「ずっと気になってたんだけど。タルちゃんって前にアタシと会った事なぁい?」

「……無いな」

「う〜ん、そうかしら。ま、いいわ。誰にだって忘れたい過去の一つや二つ、あるものよね♥」

「…………」

 

 デネブの思わせぶりなセリフに、タルタロスは沈黙したままグラスをあおる。同じく寡黙なマスターは、グラスに注いだ赤ワインをデネブの手元に差し出した。「ありがと♥」と受け取ったデネブは、それを一口飲むとグラスを揺らす。赤い液体が、ゆらゆらと波を立てた。

 

「過去かぁ……。過去に囚われるのと、未来に囚われるの、どっちの方が不幸なのかしら?」

「…………」

「アタシには、どっちも大して変わらないように思えるわね。後ろの方ばかり気にしていても、先の方ばかり気にしていても、足元の石につまずいちゃうもの」

「……だが、過去を知らなければ、石という危険に気づく事もできまい。未来を知っていれば、これから先にやってくる石を避ける事もできるだろう」

「あら、やっと相手にしてくれるのね♥」

「…………」

 

 デネブが明るい笑顔をタルタロスに向ける。タルタロスは再びムスリと沈黙し、グラスに口を付けた。デネブはそれを見てクスリと笑い、テーブルに置かれたグラスの縁を指でなぞる。

 

「そうねぇ。確かにタルちゃんの言う通りなんだけど。でも、足元を疎かにするのは危ないわ。だってほら、未来の石ばかりに気を取られていると、誰かの掘った落とし穴に落ちちゃうかもしれないし」

「…………」

「ま、あの子たちは落とし穴に落ちても、簡単に這い上がっちゃいそうだけどね。……でもアタシは、先の事を知ってるよりも、知らない方が楽しいと思うんだけどな〜」

「……ふん」

「あら? タルちゃんもそう思う?」

「知らん」

「もう、いけずねぇ。タルちゃんって、肝心なところで女の子に逃げられそうよね」

「…………」

 

 デネブの指摘にタルタロスはピクリと眉を動かす。だが、デネブはそれに気付かず、または気付かぬフリをしたまま、ワインを一口飲んだ。

 

 二人の酒宴は、外から男たちの声が聞こえなくなるまで続いた。

 




デニムくんはロンウェーさんにお説教。長台詞は主人公の特権です。
ヴァイスくんはベルさんのブートキャンプに強制参加。彼は泣いてもいい。


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043 - False Suspicion

「では、我々はこれにて失礼させて頂きます」

「うむ。兄君によろしく伝えてほしい」

「はい。承りました」

 

 父さんの別れの挨拶に、ロンウェー公爵は鷹揚に頷いた。その表情はどこか晴れ晴れとしたものを感じさせる。

 余計なお節介かと思いつつ行なった説得が功を奏したらしく、ロンウェー公爵はバクラムと和議を結ぶ事に同意してくれた。公爵自身が、ウォルスタの未来を考えて決断した事だ。僕の言葉が少しでも役立ったのなら嬉しい。

 

「……そこの、デニム、といったかな?」

「はい?」

 

 父さんの後ろにいた僕に、わざわざ公爵が声を掛けてきた。公爵はいつもとは違う穏やかな表情を浮かべている。好々爺とでも呼ばれそうな雰囲気だ。

 

「どうかね。もし君にその気があるなら、私に仕えんか? これから我々ウォルスタはバクラムと手を結ぶのだ。バクラム人の君であれば、その架け橋となる事も可能だろう」

「……お言葉はありがたいのですが、僕にはやるべき事があるのです」

 

 今の公爵なら、以前よりも気持ちよく仕える事ができるだろう。しかし、まだまだやるべき事がたくさんあり、行くべき場所はいくらでもある。残念ながら今ここで公爵の誘いに乗るわけにはいかなかった。

 公爵は僕に断られる事は承知で、しかし半ば本気で誘いを掛けたのだろう。僕の答えを聞いても残念そうに眉を下げるだけで、それ以上は食い下がらなかった。

 

「……うむ、そうか。しかし実に惜しい。その若さにしてあれほどまでの覇気を見せてくれたのだ。君が兵を率いれば、名将となるのは間違いないだろう」

「ありがとうございます」

「もしその気になったのなら、いつでもここへ来るがいい。歓迎しよう」

 

 公爵の言葉に感謝しつつ頭を下げる。もちろんウォルスタの戦いは手助けするつもりだ。だけど、僕一人が加わったところで、戦況はそう大きく変化しないだろう。これから僕達は、もっと多くの人達を味方につけなくてはいけない。

 

 レオナールさんとラヴィニスさんは、公爵の後ろに控えている。結局、余人を挟まずに話す機会は得られなかったが、あの様子だと『前』の事は知らないようだ。やはり、この世界で『前』の記憶を持っているのは僕だけなのだと確信した。

 

 なぜ僕だけがやり直す機会をもらえたのかはわからない。

 また失敗してしまうかもしれない。

 

 でも僕にできる事は、信じた道を前に進む事だけだ。それは恐らく、『前』よりも険しい道になるだろう。だから今度はもっと多くの人と一緒に進む。石につまずいてしまっても、落とし穴に落ちてしまっても、仲間がいれば助け合う事ができるから。

 

 まず一歩目。アルモリカ城を発ち、僕達は再び歩きだした。

 

--------------------

 

 王都ハイムの中心に、王の威容をもって周囲を睥睨するようにそびえる荘厳な城があった。かつての戦いで最後の決戦の地となった場所、ハイム城である。

 その中枢である大広間には、常のように玉座に腰掛ける摂政ブランタの姿があった。相変わらず不機嫌を隠さず眉間にしわを寄せながら、配下からの報告を受けている。

 

「――というわけでして、ガルガスタンに大きな動きは未だ見られません。今はまだ、国内の治安維持に力を注いでいるものと思われます」

「……そうか。しかし、あのバルバトスのことだ。いずれは我らバクラムにも歯向かってくるであろう。開戦に向けた準備は怠るではないぞ」

「ハッ」

 

 配下の返事に頷きつつ、ブランタは横に視線を滑らせる。そこにはブランタの動向を監視するように、二人の暗黒騎士が控えている。カイゼル髭を生やした暗黒騎士ヴォラック、そして元ニルダム王家の末子である黒人の暗黒騎士アンドラス。

 

「貴公らも戦備はよろしいか?」

「はい、問題ございませんな。フィダック城にもコマンドを配しており、警備は万全です」

 

 ブランタの問いにヴォラックは胸を張って答える。フィダック城は、バクラム・ヴァレリア国の支配圏であるバーニシア地方へと進軍するためには絶対に通らなければならない要衝。逆に言えば、ここさえ陥落しなければバクラム陣営は安泰と言える。

 他に考えられる進軍ルートは海路による迂回だが、もちろんその監視も怠ってはいない。さらに王都ハイムの厳しい立地に阻まれ、そう簡単に軍隊を展開する事もできないのだ。

 

「うむ……。ところで、先日から貴公らの首領殿の姿が見えぬようだが、一体どちらへお出かけかな? いかにもこの非常の時に、随分と余裕がお有りのようだ。頼もしいことですな」

 

 ブランタの当てこすりに、ヴォラックは鼻白んだ表情になる。任務についての説明は受けていたが、それを目の前の男に告げる事は禁じられている。なにせ、実の弟を拉致しようという計画なのだから。

 どう答えるべきかとヴォラックが思案しているところへ、大広間の扉が開いた。

 

「――それは、猊下がよくご存知なのでは?」

 

 現れたのは隻眼の男。話題の俎上(そじょう)にあげられていた暗黒騎士団の団長ランスロット・タルタロスその人だった。その後ろにはバールゼフォンも付き従っている。

 ブランタは突然のタルタロスの登場に、そして彼の放った言葉に眉をひそめる。

 

「これはこれは。噂をすれば、という事ですかな。しかしながら、貴公の崇高なお考えともなると拙僧にはとんと見当もつきません。どうか無知な私の蒙を啓いては頂けませんか? 一体どちらへご遊行なされていたのでしょうか」

「……私は南の小島にある港町、ゴリアテへと赴いていたのですよ」

 

 タルタロスの簡潔な答えに、それまで皮肉げな笑みを浮かべていたブランタの表情が固まる。だが、それを取り繕うように再びぎこちない笑みを浮かべながら応える。

 

「なるほどなるほど。ゴリアテといえば、ちょうど一年に一度の祭りの時期でしたな。外国から参られた貴公には興味をそそられる行事でしょうからな」

「いえ、私の目的は祭りなどではなく、とある人物を連れ出す事でした」

「……ほう。それはそれは。わざわざ貴公が赴かれるとなると、想い人でも見つかりましたかな? いやはや、首領殿も隅には置けぬものです」

「――大概にせよッ!」

 

 ブランタの白々しささえ感じさせる返答に、ついにバールゼフォンが一喝。その迫力ある大声に、さすがのブランタもビクリと身をすくませる。

 タルタロスがバールゼフォンに目配せをすると、頭を下げて「出過ぎた真似を」と謝った。

 

「……猊下。我々は既に猊下の弟君、プランシー殿について掴んでいるのです。彼が『覇王の落胤』へとつながる人物であるという事もです」

「な……何だと……?」

「我々はゴリアテの襲撃計画を立て、プランシー殿の身柄を確保するつもりでした。正当なる血統の持ち主がいるとなれば、我々にとって大きな追い風となるでしょう。違いますかな?」

「な、何を勝手な事をッ!」

 

 ブランタはタルタロスの言葉に激昂して立ち上がる。己の与り知らぬところで動いていた計画、そして隠していたはずの情報がローディスへと漏れていた事を知り、顔を蒼白にしている。

 

「おや、猊下は賛同してくださらないのですかな? ヴァレリア王国にとって、かの覇王の血は何にも代えがたいものと理解しておりましたが、私の勘違いだったでしょうか?」

「……くっ……」

 

 今度はタルタロスが白々しいセリフを吐く番だった。ドルガルア王の血統が尊いものとされるのは事実である。王の遺児が見つかったとなれば、本来であれば諸手を挙げて歓迎されるべきだろう。

 だが、それはブランタ当人に限っては己の権力を失う事と同義。せめてそれが幼児であれば、後見人なり摂政なりの座につくことで権勢を維持できたのだが、遺児であるカチュア、いや、王女ベルサリアはすでに成人に近い。ブランタの思い通りに動く保証はない。

 

「まあ良いでしょう。ですが襲撃は失敗して、弟君には逃げられてしまいましてね。不思議な事に、我々の襲撃計画は当人に漏れていたようなのですよ」

「……ふん。貴公らの中に内通者でもおるのでしょう。情報管理を見直すべきですな」

 

 プランシーの確保に失敗したと聞いて余裕を取り戻すブランタ。それはつまり、カチュアを取り逃した事を意味する。タルタロスの話しぶりでは、カチュアこそが王女本人である事に気づいていないように見えるのもブランタに余裕を持たせていた。

 しかし、そんなブランタに対して厳しい視線を向けるタルタロス。

 

「確かに内通者を疑うべきでしょう。ですが、それは我々暗黒騎士団に限った話ではないはず。なにせ弟君の存在については、ほとんどのコマンドにすら秘匿していましたからな」

「…………」

「我々以外にプランシー殿の存在を知る者。我々の動きを知る事ができる者。襲撃を予想して警告できる者。ああそうそう、赤の他人に警告されたからといって素直に信じるかどうか。どうやら下手人は、プランシー殿に親しい人物のようですな――おや、どうされましたかな、猊下。顔色が優れぬようですが」

 

 タルタロスの挙げた条件にことごとく当てはまるブランタは、蒼白にした顔をぶるぶると震わせる。

 

「……ち、違うぞ。私ではない。襲撃など知らぬ。警告などしておらん」

「ほう。では、なぜプランシー殿は襲撃を予期していたのでしょうな?」

「知らぬッ! 私ではないッ!」

 

 ブランタはそう訴えるが、誰がどう見てもブランタの仕業である事は明らかに見えた。

 バールゼフォンはブランタに対して蔑みの視線を送り、ヴォラックは顔を赤くさせてブランタを睨みつける。アンドラスだけはプランシーの存在を知らされていなかったため、事の成り行きを静かに見守っている。

 

「……どうやら猊下は、我々の力は必要とされておらぬご様子。我々としても非常に残念な事ですが、ローディスへ戻る事も考えねばなりませんな」

「ま、待てッ!」

「ほう……。それではお尋ねしましょう。プランシー殿の行方をご存知ですかな? もちろん、覇王の遺児の居場所でも構いませんが」

「そ、それは……」

 

 言葉に詰まるブランタ。当然、プランシーの居場所など知るはずもない。そして一緒にいるであろうカチュアの居場所も。カチュアについて説明すれば少しは疑いも晴らせるだろうが、万が一、王の遺児を秘匿した事が世間に漏れてしまえば、ブランタが糾弾を受ける事は想像に難くない。

 

「……ふん。仕方がありませんな。居場所について思い出したらお知らせください。それまで、暗黒騎士団は下げさせて頂きましょう。……フィダック城が落ちる前に、思い出されるとよろしいが」

「ぐ……」

 

 うめき声をあげるブランタを顧みる事もなく、タルタロスは踵を返して大広間を後にする。

 後に残されたブランタは、頭を抱えたまま力無く玉座に腰を落とした。

 

--------------------

 

 タコヤキを求めて南下し、泳いで離れ島に向かう事にした。もしかしたらいけるか、と思ったけど流石に水面を走ったりはできない。デネブさんのようにホウキで空を飛べればいいのになぁ。

 

 話に聞いていた通り、泳いでいる途中に数匹のオクトパスと遭遇したので槍を使って狩り始める。しかし奴らは水中だと思いのほか素早く、一匹狩るのも結構苦戦した。そういえば以前戦った時は陸上だったな。

 馬鹿な事に狩ったオクトパスをどうするか考えていなかったので、担いだままオミシュへと一旦引き返す事にした。タコヤキで頭が一杯になっていたようだ。要反省だな。

 

「な……なんだありゃ……」

「オクトパス……? しかも三匹も……?」

「なんつー馬鹿力だよ……」

 

 オミシュに入った途端、周囲の視線が俺に注がれヒソヒソ話も聞こえてくる。流石に三匹ともなると、ちょっと重いんだぞ。サイズも大きいから上手くバランスを取らないといけないし。

 

 広場にたどり着くと、ランニングをしていた野郎たちはみんな地面に這いつくばっていた。しかし俺の姿を目にした途端、起き上がってピシリと整列する。うん、少しずつ成果が出てきたな。

 

「貴様ら、今日の訓練ご苦労だった。褒美として、このオクトパスで飯を振る舞ってやろう」

 

 俺の言葉を聞いた男たちは、信じられないというような表情を浮かべてお互いに顔を見合わせている。

 

「ああ、ただし三匹では足りんだろうから、まだ追加で狩りに行く。狩るのは俺がやるから、お前達には運ぶのを手伝ってもらうぞ」

 

 ああやっぱり、と言わんばかりの顔で男たちが頷いた。なんでや。

 

「い、いえ、ベル殿。三匹で十分だと思うのですが……」

 

 近づいてきたラヴィニスが声を掛けてくる。えっ、そうなの? 俺だけでも一匹丸々ぐらいは余裕でいけるんだけど。こんな男たちが食べまくったら、全然足りないんじゃね。

 

「一匹だけでも成人男性三十人が楽に満腹になりますよ。一体、何人分を狩ってくるつもりなのですか……」

「む、そうか。言われてみれば、以前に兵士達に振る舞った時もほとんどは俺が食べたのだったな」

「……ベル殿の胃は、家計に優しくなさそうですね」

 

 ラヴィニスのジト目。俺はクリティカルダメージを受けた。つまり俺は、無職な上に家計を食費で圧迫するダメ男ではないか。いつになったらラヴィニスにプロポーズができるのか……。

 

「はぁ……。炊き出しをするんですよね? 私も手伝いますから、早くやってしまいましょう。ほら、待っている子がいっぱい居ますよ」

 

 ラヴィニスの言う通り、周囲の物陰からは期待に目を輝かせた子どもたちが見え隠れしている。俺の鋭い聴覚には、ぐぅぐぅという腹の音がさっきからうるさいほど聞こえている。

 

 男たちに命じて調理器具をあちこちから調達させると、広場があっという間に埋め尽くされる。俺がオクトパスを槍でさばき、ラヴィニス率いる男たちによって調理が始まると、オミシュの町はオクトパスの焼けるジューシーな音と香ばしい匂いに包まれていく。

 その音と匂いに、フラフラと子どもたちが集まり始めた。続けて、あちこちの建物から大人たちも顔を覗かせる。次第に集まる人数が増え始めていく。

 

 完全に宴会場と化した広場で、大人も子供も笑いながらタコの足をくわえている。シュールな光景だが、みんなが笑顔になっているから問題ないな。

 男たちに混ざって、ヴァイスも涙を浮かべながらタコ足を食べていた。「なんでオクトパスなんか食ってるんだ俺……」というつぶやきが聞こえたが、聞かなかった事にしておこう。

 

「やはり、足りなくなりそうだな」

「そうですね……」

 

 町中の人が集まったのではないかと思える広場の盛況を眺めながら、俺とラヴィニスは肩を並べる。言葉とは裏腹に、俺たちの顔にも笑みが浮かんでいた。

 




疑心暗鬼になったベツタロスさん。あらぬ疑いをかけられたブランタさんは涙目です。
海賊の町はなぜかタコパーティに突入。みんながタコを食べている光景を見たら、SAN値直葬しそう。いあいあ!


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044 - Standing Girl

「はぁ……」

 

 バスク村の少女オクシオーヌは、頬杖をついたまま溜息をもらす。その脳裏には、一週間ほど前に訪れた奇妙な一行の姿が思い浮かべられていた。

 旅人というには軽装すぎるチグハグな格好で、見るからに怪しい集団であった。しかし、ラヴィニスと名乗った女性の鬼気迫る様子に只事ではないと感じて、思わず声を掛けてしまったのだ。

 

 彼らの話を聞いてみたオクシオーヌは驚いた。このバスク村がガルガスタン軍によって襲撃されるというのだから。それが本当ならば、ちっぽけな村など簡単に蹂躙されてしまうだろう。確かにラヴィニスが焦るのも理解できた。

 外界との交流をほとんど絶っているこの村では、外の情報を得る事は難しい。ガルガスタン人達が一国を作ったという事実すら知らなかったほどだ。まさに寝耳に水のような情報だった。

 

 もちろんデマという可能性もある。だが、オクシオーヌは不思議と彼らを信じる気になっていた。ラヴィニスの親身な態度も嬉しかったし、何よりあのベルゼビュートと名乗った男性の紅い瞳を見ると、嘘をついているとは到底思えなかったからだ。

 

 そこで、村長の娘であるオクシオーヌは、自分の父親に相談してみる事にした。しかし、その反応は芳しくなかった。村人達に冷たくされた旅人が腹いせについた嘘だろうと一蹴されたのだ。

 他の村人達も同様だった。これまで迫害を受けていた彼らは一様に外部の人間を信用しない。村長の娘であるオクシオーヌの手前、あからさまに否定したりはしないが、信じていないのは明らかだった。

 

 そうして、オクシオーヌは途方に暮れることになった。

 今も自宅で一人、机に肘をついている。父親に見つかれば行儀が悪いと叱られるだろう。

 

 信じてもらえないかもしれないとは思っていた。だが、父親までもがオクシオーヌの言葉を疑うとは思わなかった。彼女にとっては優しい父親であるが、同時に村長でもあるのだ。証拠もない噂話で村人達を怖がらせるわけにはいかない、と諭された。

 それに、話を聞いてからもう一週間以上経っているというのに、一向に襲撃されることはない。オクシオーヌ自身も、やはりあれは間違いだったのでは、と疑う気持ちが大きくなりはじめていた。

 

「火事だーッ!」

 

 そこへ突然の叫び声がオクシオーヌの耳元へ届いた。ハッと意識を切り替えたオクシオーヌは、慌てて家の外へと出る。村の外れの家屋から、煙が上がっているのが見えた。

 

「あそこの辺りは物置になっていたはずなのに……」

 

 誰もいない場所で火の手が上がったのだろうか?

 そう考えるオクシオーヌの目に、信じがたい光景が映る。火のついた矢が、三本、四本と、別の家屋に向けて放たれたのだ。放物線を描いた矢は家屋に着弾し、同じように火を着けていく。バスク村の建造物はほとんどが木製であるため、その効果は絶大だ。

 

「まさか……」

 

 やがて村外れから砂煙があがり、たくさんの足音と喊声が聞こえてくる。

 それはバスク村にとって、死神の訪れを知らせる音だった。

 

--------------------

 

「突撃ーッ!」

 

 ガルガスタン王国竜騎兵団の団長ジュヌーン・アパタイザは、片手に持った剣を振り下ろした。それを合図に竜騎兵団の兵士達とドラゴンがバスク村へと真正面から突撃していく。

 相手は武装ゲリラ勢力であり、手心を加えれば手痛い反撃を受けるのは間違いない。例え女子供であろうと、命乞いをしていようとも、手を緩める事は許さないと厳命していた。

 

 火矢が次々と投射され、木製の家屋に火がかけられていく。今のところ村人たちは逃走しているが、この村はすでに包囲されているため逃げ場はない。直に追い詰められて反撃にでるだろう。

 この世の終わりのような光景に心を痛めるジュヌーンだったが、表面上は冷静な表情を崩さない。指揮官として毅然に振る舞わなければ、部下達が動揺してしまうためだ。

 だが、部隊を村の中心部へと進めようとした時、その表情が崩れる事になる。

 

「やめてーッ! やめなさいッ! ジュヌーン・アパタイザ!」

 

 女性の声が自分の名前を呼ぶのを聞いて、驚くジュヌーン。誰かと思って探してみると、少し離れた家屋の上に人影がある。遠目にも、まだ成人前の少女のように見えた。

 ジュヌーンの名前を知るということは、もしかしたら味方の可能性もある。弓で少女を狙う部下たちを慌てて制止して、ジュヌーンは誰何する。

 

「私の名を知る貴様は何者かッ! 一体なぜ私の名を知っている! 答えよッ!」

「聞きなさい! 貴方はグアチャロに騙されている! この村はゲリラの基地などではないの!」

「何だと……?」

 

 少女の口から出てきた内容に驚愕するジュヌーン。竜騎兵団の団長である彼の名前は敵にも知られている可能性がある。しかし、少女が話している内容は、軍の内実を知る者にしかわからないものだ。

 

「グアチャロは、異民族や異教徒の存在を許さない過激派の一人よ! バルバトスの意向を受けて、貴方を利用しているの! 貴方は騙されているのよッ!!」

「……馬鹿な……」

「もしここでこの村を壊滅させれば、貴方は一生を後悔して生きる事になるのよッ!」

 

 本来であれば、敵の言葉に惑わされる事などあり得ない。しかし、ジュヌーンは心のどこかでこの任務に対しての違和感を抱いていた。

 実験部隊であったはずの竜騎兵団に対して割り当てられた任務。グアチャロの部隊が捜査のみを行うという変わった連携方式。ゲリラの根城にも関わらず何の防衛設備も見当たらない村。

 違和感は少しずつ積み重なっていたが、彼女の言葉で一つの形をとった。もし本当ならば、ジュヌーンは罪のない人々を手にかけつつある事になる。異民族や異教徒というだけで無抵抗の者たちを殺める事など、ジュヌーンの倫理観からすればあり得ないことだ。

 

 だが、その言葉を無条件で信じるわけにもいかない。もし相手がグアチャロのいう卑劣なゲリラなのだとすれば、何かの罠である可能性は十分にありえるのだ。

 

「……敵の言葉を素直に信じる馬鹿がどこにいる! その言葉が嘘でないという根拠がどこにあるというのだ!」

 

 ジュヌーンのある意味では当たり前の言葉に、思案する様子を見せる少女。

 やがて顔をあげると、決然とした態度で言い放つ。

 

「根拠ならここにある! 私が命を懸ける! 嘘であるなら、この首を刎ねるがいいわッ!」

 

 そう言って、少女は自らの細い首に手を当てた。

 年端も行かない少女の驚くべき啖呵に、ジュヌーンは唖然とするしかなかった。

 

--------------------

 

 荒くれ者たちの町オミシュに、空前のオクトパスブームが訪れていた。広場のあちこちでオクトパスの切り身が尽きることなく焼かれ、大人も子供もひたすらにオクトパスを頬張っている。

 普段は食べるものがなくひもじい思いをしている浮浪児たちも、今ばかりはいっぱいになった腹をさすりながら、満足げな表情で寝転んでいる。

 

 そんな光景を見て、酒瓶をあおりながら呆れた表情を浮かべるのは赤い羽根付き帽子をかぶる老人。だが、その彼の手にもちゃっかりとオクトパスの串焼きが握られている。傍らに座っている、口のきけない少女から渡されたものだった。

 

「……偽善も偽善だが、ここまでやりゃあ大したもんだな」

 

 そうつぶやいて、串焼きをひとかじりする老人。隣の少女もニコニコと笑いながら串焼きをかじっている。

 

「はん。オクトパスなんざ、久しぶりに食うな。……だが悪くない」

 

 老人の名は、ディエゴ・G・アゼルスタン。その別名は『伝説の海賊』。数十年前は、オベロ海でその名を知らぬ者はいないとまでいわれた大海賊であった。

 

 海賊としての手口は極めて冷酷かつ残忍なもので、襲われた船は積み荷も船員の命すらも残らず奪われる事で有名だった。彼が襲撃した後は海が血で赤く染まるといわれ、『オウガの生まれ変わり』などと呼ばれて恐れられたほどである。

 だが絶頂の中、突如として彼は海賊を廃業して消息を絶った。引退の直前に『海賊の墓場』へと赴いていた事から、亡霊の呪いを受けたのではないか、利き腕を負傷したのではないか、など様々な憶測がたてられたがその理由は知れず、また、彼の行方を知るものも誰もいない。

 

 そんな有名人の老人は、人知れずオミシュの町で無気力に過ごしていた。

 

「ベル殿! そんな大きな鉄板をどうしようというのです!」

「止めてくれるな、ラヴィニスよ。俺にはやらなくてはならぬ使命があるのだ」

 

 広場の真ん中で、身の丈ほどもある鉄板を抱えた男と、銀髪の女が戯れている。アゼルスタンはそれを遠目に見ながら、再び酒瓶を傾ける。

 不思議な男であった。真面目なように見えて、その行動は支離滅裂でふざけているとしか思えない。一体、どこの誰が腹をすかせる浮浪児たちにオクトパスを食わせるというのだろう。かつては人々から恐れられたアゼルスタンだったが、そんな彼からしても男の行動は常識外れのものばかりだ。

 隣に座る少女も、男女の漫才を見て声を立てずにクスクスと笑っている。

 

 その少女の笑顔に、アゼルスタンは自分の娘の笑顔を重ねてしまう。戯れに作った子供だったが、自分を父親と呼んでちょこまかと追いかけてくる娘を見ると悪い気はしなかった。人々に恐れられる海賊の知られざる一面であった。

 

 だが、数十年前に起きた他の海賊との抗争の折、娘は幼い命を散らした。

 それを機にアゼルスタンは船を降りる事を決めたのだ。

 

 今でも一年に一度の命日には、彼女が命を落としたクァドリガ砦に花が供えられる。それはアゼルスタンの何十年と続けてきた娘への弔いであり、償いであった。

 

「偽善、か……」

 

 娘への償いと言いながら、数十年もの間なにもしてこなかったアゼルスタン。

 そんな彼の目には、ベルゼビュートと名乗った男の生き方は眩しく映った。

 

--------------------

 

「姉さん、総長からのお達しだ。フィダック城の警備を即刻中止してハイムへと集結せよ、だってさ」

「あら、本当? 一体、何があったのかしら」

 

 ガルガスタン、ウォルスタの支配圏とバクラムの支配圏を隔てる要衝に建てられた白亜の城塞、フィダック城。『白鳥城』と呼ばれる美麗な見た目とは裏腹に、二重の城壁に囲まれ堅牢さを誇る。

 その城壁の上に二人の暗黒騎士の姿があった。

 

 一人はオズマ・モー・グラシャス。オレンジブロンドの美麗な長髪をもち、鋭い目鼻立ちがクールな印象を与える美女である。

 もう一人はオズ・モー・グラシャス。同じくオレンジブロンドの短髪であるが、オズマよりも若干柔らかい印象を与える優男風の男性であった。

 二人は二卵性双生児の姉弟であり、どちらも暗黒騎士団のテンプルコマンドの一角を占めている。グラシャス家は、魔導の最先端のガリウス魔導院を支える一族として知られ、二人も例に漏れず優秀な魔法戦士として名高い。

 

「あの摂政が裏切り行為を働いたんだとさ。報復として、俺たちの活動は一旦停止みたいだ」

「そう……。救いようのない馬鹿ね」

 

 ローディスという大国を背景にもつ暗黒騎士団に楯突くなど、あり得ないことだ。愚かな選択をした摂政に、オズマは簡潔で容赦のない一言を漏らした。それを聞いたオズはサディスティックな笑みを浮かべる。

 

「いっその事、この国ごと滅ぼしてやればいいのにな」

「オズ、くだらない想像はよしなさい。任務を忘れたわけではないでしょう?」

「わかってるよ、姉さん。神父だったっけ?」

「そうよ。教国にとって重要な任務なのよ。早く見つけ出さないとね」

 

 総長であるタルタロスから、ドルガルア王の遺産を手に入れるためには王族の血が必要だと聞いている。そこへつながる情報を持っている神父についても。二人はタルタロスがわざわざ小さな港町へ赴いた理由を知らずにいた。

 

「ま、早くハイムに戻ろうぜ。総長も待ってるんだからさ。それに、義兄さんも」

「……そうね」

「……まだ引きずってるのか? いい加減、死んだ男の事なんて――」

「よして、オズ」

 

 ピシャリとムチを打つようなオズマの言葉に、オズは口を閉じる。

 

 オズマの現在の許嫁(いいなずけ)は、暗黒騎士団のナンバー2であるバールゼフォン。このヴァレリア島の任務が終われば、二人はローディスにて式を挙げる事になっている。

 だがオズマの胸中には今もなお、別の男性が居座り続けている。親が決めた政略結婚の婚約者であったが、オズマ自身も初めて憎からず想った相手である。それはバールゼフォンの弟であり、かつては暗黒騎士団のテンプルコマンドの一人でもあった男。

 彼はとある罪によって死刑判決を受け、オズマの与り知らぬ所で処刑された。それ以来オズマは心を閉ざしてしまい、かつて抱いていた理想まで失ってしまった。

 

 オズマは何も言わずに、ふらりと立ち去っていく。

 その背中を、オズは心配そうにただ見つめていた。

 




ジュヌーンさんはオクシオーヌちゃんの啖呵にタジタジ。
そしてついに大人気の姉弟の登場です。
オズマ姉さん、アズ爺さん、ロンウェー公爵と、人の死を引きずってるキャラが多いですね。


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045 - Invisible Diva

「ベルゼビュートだと……? 知らぬ名前だな……」

「でもそう名乗っていたのよ。あと、ラヴィニスっていう女の騎士の人もいたけど」

「ラヴィニス? それは、ラヴィニス・ロシリオンの事か?」

「え? うーん、確かそんな家名だったかな。よく覚えてないわ」

「もしそうならば、確かアルモリカの騎士だったはずだ。その母親と、知人の貴族が知り合いだと言っていた。だが、なぜその彼女が私の事を……」

 

 二人の男女がバスク村の外れで向き合っていた。バスク村の住民である少女オクシオーヌと、そのバスク村を襲撃する部隊を率いるジュヌーン。本来ならば敵同士である二人が、なぜか親しげに情報を交換している。

 

 オクシオーヌによる啖呵は、ジュヌーンの中にあった疑念を確かなものとさせた。もちろん、この任務を言い渡したグアチャロ、そしてその上司のザエボス将軍とバルバトス枢機卿に対しての疑念である。少女の命懸けの訴えは、見事にジュヌーンの心を動かしたのだ。

 ジュヌーンは突撃しかけていた部隊を一旦下げて、一部のみを引き連れて村の中を調査する事にした。もし彼女の訴えが真っ赤な嘘であれば、村の中にはゲリラ基地に相応しい設備や武器などが存在しているはずだ。もちろん、己の首を懸けると宣言したオクシオーヌもそれに同行した。

 

 いくつかの家屋が火に包まれたバスク村だが、幸いな事にそれらは物置であり住民はいなかった。逃がさない事を優先して包囲殲滅の方針を取っていた事もあり、村人たちの被害も軽微な負傷者がでる程度で済んでいる。あと少しでもオクシオーヌの制止が遅ければ間に合わなかっただろう。不思議な幸運だった。

 

 調査の結果として、村の中にはそれらしい物は一切見つからなかった。しいて言うならばフィラーハ神とは異なるバスク神を信仰しているのみで、それはジュヌーンにとって虐殺の理由にはならない。少女の言う通り、彼はグアチャロによって嵌められた事を悟る。

 

 調査の際には村長や村人たちにも事情を説明した。最初はひたすらにジュヌーン達を恐れていた彼らだったが、事情を説明されると憤慨してみせた。当然、ジュヌーンに対しても多くの罵倒が浴びせられる。

 だがジュヌーンは弁明する事もなくただ頭を下げ続け、彼らに詫び続けた。そんな彼を見かねて、オクシオーヌが間に立ってかばってみせたのだ。村人たちは彼女の警告を聞かなかったという負い目もあって、後ろめたそうな表情で三々五々に散っていった。

 彼女の父親である村長はオクシオーヌに礼を言って、それからジュヌーンをちらりと一瞥すると去っていった。そうして、二人の奇妙な情報交換が始まったのだ。

 

「……そういえば、その者たちがやって来たのはいつ頃の話だ?」

「えーっと、もう一週間以上前になるかなぁ」

「なに……?」

 

 ジュヌーンがこのバスク村の事をグアチャロから聞かされたのは、たかだか数日前の出来事である。それから必死に部隊の準備を整えてコリタニ城を出たのだ。一週間前といえば、バルバトス枢機卿から国内の治安維持を命じられた頃だ。

 

「……妙だな。辻褄が合わん。間違いでは……ないのだろうな」

「なによ。疑うつもりなの?」

「いや、そうではない。だが、その者たちが一体どのようにして情報を得たのか……。私が国内の治安維持を受け持つ事は何らかの方法で知れたとしても、この村を襲撃するなど……」

 

 論理的に考えるなら、あらかじめグアチャロ達がこの村に目をつけており、それを察知していたという事も考えられる。だが、ジュヌーンの直感はそうではないと言っていた。しかし、いくら考えようとも、真相がわかるはずもない。時の遡行者など、埒外に過ぎるのだから。

 ジュヌーンは彼らの正体についての思索を打ち切り、今後とるべき行動を考える事にした。

 

「過激派か……。まさかここまで悪辣な手を使うとは。異民族や異教徒だからという理由のみで、無抵抗の民間人を虐殺するなど許されるべきではないというのに……」

「…………」

「猊下も今回の一件は承知していらっしゃるのだろうな……」

「…………」

「私は……一体どうすべきなのだ……」

「もう、いい加減にしてッ!」

 

 オクシオーヌの突然の叫びに驚くジュヌーン。

 

「いつまでそうやってグチグチとしているつもりなの!? あなたは嵌められたんでしょう!? そんな横暴が許されるはずないんでしょう!? だったら、徹底的に戦えばいいじゃない! 抗いなさいよ!」

「な……」

「味方同士で戦うのが怖いの? 上司に逆らうのが怖いの? でも抗わなければ、言いなりになったまま今回と同じように利用されるだけよッ! そいつらの言うままに動くなら、あなたもそいつらの同類よッ!!」

「……そう、だな」

 

 オクシオーヌからの叱責に、うなずきで応えるジュヌーン。

 彼女の言う通りジュヌーンが踏み切れずにいるのは、それが裏切り行為になるのではないかという懸念からだった。しかし、このまま過激派の横暴を許せば多くの無辜の血が流れるだろう。それを放置する事こそ、民への裏切り行為なのではないか。

 ジュヌーンが王国に仕えているのは、民を守りたいという思いからだった。それを今、はっきりと思い出したのだ。

 

「わかった。私のできる限り抗ってみせよう。君の言った通りに、な……」

「わ、わかればいいのよ……」

「ありがとう、オクシオーヌ。君のお陰で私は勇気を持つ事ができた」

「…………」

 

 ジュヌーンからの真っ直ぐな視線に、オクシオーヌは顔を背ける。

 その頬が赤く染まっている事に、ジュヌーンは最後まで気づく事がなかった。

 

--------------------

 

「お前達、準備はいいか?」

『はいッ!』

 

 俺の呼び掛けに、たくさんの野太い声が息の合った返事を返す。なかなか仕上がってきたようだな。

 

 今日は南西の離れ島へと遠征する事になっている。こいつらにもオクトパス狩りを覚えさせるためだ。最終的には、俺たちが居なくともオミシュのタコパーティを継続できるようにするのが目的である。

 さすがに泳いで渡れというのは酷なので、海賊船を使って海を渡る事になっている。号令をかけると、男たちは一斉に動き出して、船に乗りはじめた。テキパキとした手つきで帆を張り、係留の縄を解いて、次々と船が港を出発していく。

 いくつもの黒い帆やドクロマークの船が一斉に出港していくのは壮観な眺めだ。

 

「――今度は一体、何をおっ始めるんだ?」

 

 聞き覚えのある声が話しかけてきた。振り返ると、やはり赤い帽子の爺さんが呆れ顔で立っている。いつもの女の子は珍しく一緒ではないようだ。

 

「南西の島で演習だ。奴らにオクトパス狩りを覚えさせるためのな」

「……またメチャクチャだな。お前らのおかげで、オミシュの奴らは毎日オクトパスを食ってるんだぞ。あのタコヤキとかいう料理が好きなのはわかるがな……」

 

 ふふふ、俺が作りあげた渾身のタコヤキプレートのおかげで、オミシュには着々とタコヤキが定着しつつある。あのプレートなら一気に二千個のタコヤキが焼き上げられるからな。俺一人で焼こうとすると、パラダイムシフトまで駆使する事になったが。

 そのせいで俺の焼く様子を楽しみにした住民たちが集まってくるし、焼きあがったタコヤキがそいつらの手に渡ってしまうせいで、俺の口にほとんど入ってこないのは誤算だった。なぜこうなるんだ……。

 

「しかし、南西の島か……。もしかして『海賊の墓場』にも行くつもりか?」

「む? なんだそれは?」

「……お前、人の話を聞いてないだろ。アンデッドどもがうじゃうじゃと湧いてくる洞窟があるって教えてやったじゃねぇか」

「そうか。すまんな、恐らく耳に入っていなかった。だが、アンデッドは煮ても焼いても食えんからな。わざわざそんな所に出向く必要はあるまい」

「……そうか。ま、行かねぇんならいいさ」

 

 爺さんは片手に持った酒瓶をグビッとあおる。子どもの教育に悪いぞ。

 

「そういえば、いつもの女の子はどうした?」

「……さぁな。朝から姿を見てねえよ。その辺をうろついてんじゃねぇか?」

「ふむ。いつも付いて回っているのに珍しいな。詮索するつもりはないが、孫か何かか?」

「……そんなんじゃねえ。ただ妙に懐かれちまっただけだよ」

 

 何やら複雑な表情を見せる爺さん。懐かれたのならもっと嬉しそうにすればいいのになぁ。俺は決してロリコンではないが、女の子に懐かれたら嬉しいぞ。

 俺から向けられる視線に気がついたのか、爺さんはプイッと背中を向ける。

 

「じゃあな。オクトパスが全滅しないように、ほどほどにしろよ」

 

 そう言って手をヒラヒラとさせながら、千鳥足でどこかへ消えていった。

 

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 オミシュの外に出て数分歩いたところに、小さな砂浜がある。

 

 ちょっとした岩窟に囲まれたその場所は一見した程度では気づく事ができず、彼女にとっては自分だけの秘密の庭のような場所だった。

 言葉が話せず、同じく親のいない子ども達からも仲間外れにされる彼女は、悲しい事があった時によくここに隠れて一人で泣きはらしていた。声も出さずに泣いているところを見られれば、余計に仲間外れにされるのがわかっていた。

 

 だが今の彼女は、その頃に比べれば随分と楽しい気持ちでいられる事が多くなっている。それはひとえに、あの赤い帽子のおじいちゃんのおかげである。

 昔は海賊だったおじいちゃんは、二人だけでいると昔話をしてくれる事がある。色々な場所へ船で行った話を聞いていると、自分まで一緒に冒険した気分になれてとても楽しい。魔物に襲われた話を聞けばハラハラしたし、王様の軍隊に追われた話を聞けばドキドキした。

 両親も友達もいない彼女にとって、おじいちゃんは本当のおじいちゃんのように思えたのだ。

 

 でも、そんな今の彼女にも一つだけ悲しい事があった。

 それは、自分が言葉を喋れないという事。

 

 優しいおじいちゃんに、一度で良いからお礼が言いたかった。そして、自分の名前を伝えたかった。

 いつまでも『お前』では寂しい。おじいちゃんに自分の名前を教えて呼んでほしい。彼女はそう考えたが、口がきけず文字も書けない彼女に自分の名前を伝える手段はない。

 

 あの不思議で面白いお兄ちゃん達が来てから、毎日おいしい食べ物を食べられるようになった。しかし、おじいちゃんはお兄ちゃん達を見て、何かを考え込んでいる。

 昨日、お酒を飲んで眠ってしまったおじいちゃんがポツリと漏らした名前。それは彼女の知らない女の子の名前だった。一度も話してくれた事はないのに、彼女にはなぜかそう理解できた。

 

 秘密の砂浜に座って海を眺める女の子。

 

「――こんなところで、何をやってるんだい? お嬢ちゃん」

 

 ふいに聞こえた声に驚き、辺りを見回す女の子。すると、岩陰から一人の男性がのそりと姿を現していた。誰も知らないはずの秘密の砂浜なのに、まさか大人の人がいるなんて。

 男はニヤニヤと笑いながら、ゆっくりと近づいてくる。恐らく海賊の一人なのだろうが、服はボロボロで無精髭がだらしなく伸びた顔が、女の子には恐ろしく思えた。

 

「ダメじゃないか、こんな所に一人で来たら。オミシュから来たんだろう?」

 

 オミシュの町でも、時々こういった大人と遭遇する事がある。同じく家のない子どもの一人が『変態』と呼んでいた。大声で助けを呼ぶ事のできない彼女は、町にいる時は一人にならないように気をつけたり、物陰に隠れたりする事で難を逃れていた。

 だが、この場所には他に誰もいない。隠れる場所もなく、助けを呼ぶ事もできない。

 

「あの化物はまだオミシュにいるのかな? くそ……なんであんな奴が……」

 

 男はブツブツと独り言をつぶやいている。その目は焦点があっておらず、視線は宙を彷徨っている。だが、フラフラと彷徨っていた視線はやがて女の子へと定められる。

 

「…………ふひ……ひひひ……」

 

 おぼつかない足取りで近づいてくる男を見て、女の子は逃げ出そうとする。しかし、足がもつれてその場に倒れ込んでしまった。その間にも男はどんどんと近づいてくる。

 

 助けて、誰か。おじいちゃん。

 

 ――――♪

 

 その時、また別の声が聞こえてきた。それは女性の歌声。まるでハープを奏でるような歌声で、今までに聞いたことのないほどの美声だった。

 近づいてきていた男も立ち止まり、首をしきりに動かして辺りを見回している。だが、その声の持ち主はどこにも見当たらない。姿のみえない歌声が、秘密の砂浜に響き渡る。

 

「……ガッ!? ガフッ……!」

 

 突然、男が泡を吹いてその場に倒れた。しばらくもがき苦しんでいたが、やがてピクリとも動かなくなる。女の子はその様子を呆然としながら眺めていた。

 

 やがて歌が終わり、砂浜には波の音だけが残される。

 我に返った女の子は、助けてくれた人を探そうとキョロキョロと見回すが、やはり誰も見当たらない。

 

『うふふ、探しても見つからないわよ』

 

 鈴のなるような声が、女の子の耳元に届いた。その声は間違いなく先ほど歌を歌っていた声だ。女の子はお礼を伝えるために、相手の姿が見えずともパクパクと口を動かしながら頭を下げた。

 

『あら、あなた、声が出せないのね……。かわいそう……』

 

 その言葉にズキリと胸が痛む。こんな綺麗な声の持ち主に同情された事が悲しかった。

 同時に、もし自分もこんな声が持てたら、と思ってしまう。

 

『……ねぇ、もし私に協力してくれるなら、あなたに声をあげましょうか。とっても綺麗な、あなただけの声よ。さっきみたいに、歌だって歌えるわ』

 

 謎の声の申し出に、女の子は首をかしげる。もちろん、声がもらえるのなら欲しいに決まっている。おじいちゃんに歌を歌ってあげれば、きっと喜んでくれるだろう。それに、自分の名前だって伝えられる。

 そもそも助けてくれた相手なのだから協力するのにやぶさかではない。どんな協力をすれば良いのかわからなかったが、女の子は考えた末にハッキリとうなずいた。

 

『ありがとう。私の名前はジレーヌ。これからよろしくね――』

 

 そして、女の子の意識はゆっくりと闇に閉ざされていった。

 




ジュヌーンさん(30)はオクシオーヌちゃん(15)にお尻を叩かれて決意。
ノータッチの掟を破ろうとしたロリコンは見えない歌姫によって断罪されました。


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046 - Lady Fire

 ヴァイス・ボゼッグは、気がつけば海賊達に混じって海賊船に乗せられていた。いや、乗せられたのではなく、自分の意思で乗船したのだ。甲板で潮風を浴びながら、ヴァイスは物思いにふける。

 一緒に汗を流した男たちは気がいい奴らばかりで、ヴァイスはいつの間にか違和感なく海賊たちに混じってトレーニングに励んでいる。腹が減ったあとの飯はうまいし、訓練は厳しいが達成感がある。オミシュの町での日々は楽しい。このまま、ずっとこうしていれば……。

 

「って、そうじゃねーだろッ! デニムとカチュアに会いに行くんだよ! 俺はッ!」

 

 すっかり染まりつつあった自分に気づき、我に返ったヴァイス。危うく本来の目的を忘れるところだった。自分に何も言わずに消えた馬鹿野郎と、そのブラコンの姉を問い詰めにいかなくてはならないのだ。

 どうしてこうなったんだ、とヴァイスは頭を抱える。思えば、アイツについていこうと決めたのが最大の誤りだったのだ。あの無茶苦茶で常識外れな男は、常にヴァイスを振り回し続けている。だいたい、乗った船がいきなり遭難とはどういう事なのか。全てはアイツのせいに違いない。

 

「どうしたんだ、ヴァイス。そんな大声出して」

「い、いや。なんでもねぇよ……」

 

 海賊の仲間がヴァイスに声を掛けてくる。この数日間ですっかり打ち解けてしまった一人だ。見た目は荒っぽい海の男だが、根は人情深い良い奴なんだこいつは。

 

「まあ、いいけどよ。海に落っこちたりしないように気をつけろよ?」

「あ、ああ。わりぃ」

「さっきからぼーっとした顔してるから、『海の魔女』に魂でも食われちまったのかと思ったぜ」

「海の魔女?」

 

 聞けば、船乗りの間では有名なおとぎ話らしい。海の魔女は死者の魂を食らう妖魔だと言われており、その()()()()()で生ける者に死を与え、死せる者に安らぎを与えるとされている。

 今までに多くの船乗りや海賊が彼女の美声によって命を落とし、多くの死者が鎮魂歌を聞いて魂を慰められた。大きな戦乱が起きると、彼女はどこからともなく現れると言われている。

 

 不気味な話を聞いて、ヴァイスはブルリと身を震わせる。

 その時。

 

 ――――♪

 

 どこからともなく聞こえてきた歌声に、今度こそヴァイスは全身の毛を逆立たせた。

 

 それは確かに美しい声ではあるが、どこかで聞いた覚えのあるような不思議な声だった。調子外れとも思える不思議なメロディーで、聞くものを魅了するような魔性を感じさせる。周囲を見回してみても、歌声の持ち主は見当たらない。

 

 ヴァイスは恐ろしさのあまり、耳を塞ごうとした。

 

「る〜♪ ら〜♪ デネブちゃ〜んは今日もごきげ〜ん♪」

 

 思わず膝から崩れ落ちるヴァイス。恐る恐る上を見ると、そこには足をパタパタと動かしながらホウキで空を飛ぶ魔女の姿があった。どうやら先ほどから歌っていたのはデネブだったようだ。確かに、海の魔女といえば海の魔女なのだが。

 

「紛らわしすぎるだろッ!」

「る〜♪ ……あら? どうしたの、ヴァ〜ちゃん」

「だから、ヴァ〜ちゃんはやめろって言ってるだろッ! 俺は婆ちゃんじゃねぇッ!」

 

 前々からデネブに『ヴァ〜ちゃん』という不名誉なあだ名で呼ばれているヴァイスは、勘違いした恥ずかしさもあって大声で怒鳴る。デネブはそんなヴァイスの様子を見てクスクスと笑う。

 

「あらあら、そんなに怒ってると、おデコが広くなっちゃうわよ〜?」

「な、な、何言ってやがる! クソッ! この年増――――」

 

 最近ストレスからか、少し後退の気配を見せている額の事を指摘され、カッとなったヴァイスは言ってはいけない一言を口にしようとした。

 その瞬間、先ほどとは比べ物にならないほどの悪寒がヴァイスを襲う。

 

「……なにか、言ったかしら?」

「…………い、いや。なんでも……ありません」

 

 頭上で荒ぶっている魔力を感じて冷や汗を流しながら、ヴァイスはかろうじて答えた。この恐怖に比べれば、本物の海の魔女など比べ物にもならないだろう。

 

「い〜い? 女の子には秘密がたくさんあるんだから、ね?」

「はひ……」

 

 力無いヴァイスの返事に、デネブは満足そうに頷いた。

 

--------------------

 

 オミシュから南西の島には、確かにたくさんのオクトパスが生息していた。右を見ても左を見てもオクトパスがいるような状態だ。絶滅させるなよ、という爺ちゃんの言葉はきっと皮肉かなにかだろう。

 

「いいか。オクトパスは陸上におびき寄せて戦え。水中にいるオクトパスを倒そうと思うな」

『ハイッ!』

 

 俺の教えに対して素直に返事を返す男たち。まずは俺がデモンストレーションしてみせる事にした。槍を持って、陸上にいるオクトパスに近づいていく。

 相手もこちらに気がついたのか、足をニョロニョロと動かして威嚇してくる。構わずに距離を詰めていくと、向こうから足をムチのようにしならせて攻撃してきた。

 

「このように、最初は近距離攻撃を仕掛けてくる事が多い。だが……」

 

 槍で足をいなしながら軽く一撃をいれると、オクトパスは体制を崩して砂浜を転がる。手加減したので、まだ気絶も絶命もしていない。

 転がったオクトパスはすぐに起き上がり、ブモォォという唸り声と共にこちらへと顔を向ける。

 

「時折こうして、水を飛ばしてくる事があるので注意しろ」

 

 オクトパスの口から水鉄砲のように勢い良く水が吐き出される。紙一重でかわして再び距離を詰めると、今度は本気の一撃をお見舞いする。タコはグニャリと身体を折り曲げて地面に倒れ込んだ。男たちが「おー」と歓声をあげる。

 

「よし。では、各班に分かれてやってみろ」

『ハイッ!』

 

 元々は海賊だった男たちは、規律正しく班に分かれて散らばっていく。うむ、素晴らしい統率だ。これならきっと、正規軍の一つや二つにも引けを取らないだろう。

 

 各班がタコを相手に奮闘する様子を眺めながら、俺は倒したタコの足を切り取って口にくわえる。鮮度抜群で、塩味のきいた珍味が口の中いっぱいに広がる。おいしいです。

 するとそこで、上空からホウキに乗ったデネブさんが降りてきた。ニコニコとした笑みを浮かべて機嫌がよさそうだ。相変わらず神出鬼没というか、フリーダムというか。

 

「ねぇ、ベルちゃん。アタシ、海賊の墓場ってところに興味があるんだけどぉ。一緒にいかない?」

「む、しかしアンデッドだらけだと聞いたぞ」

 

 年寄りの言う事は聞いておいた方が良いと思うのだが、デネブさんは口をとがらせている。

 

「え〜。別にいいじゃない。死者の宮殿にいたんだから、アンデッドなんて怖くないでしょ?」

「まぁそれはそうだが。しかし俺には奴らを監督する仕事がだな……」

「大丈夫よぉ。ほら、なんならカボちゃんを置いていってあげる♥ ね、カボちゃん?」

 

 デネブの背中から、カボチャ頭がひょっこり顔をだす。

 

「見てるだけなら別にいいカボ。でも助けるなら対価を要求するカボ」

「あんた、見かけによらずガメついわね……ま、まあ、大丈夫よね。うん」

「……本当に大丈夫か?」

 

 俺の問いに、デネブさんは誤魔化すように微笑んだ。

 まあ、男たちもきちんと連携しながら善戦しているし、この分なら問題ないだろう。アドバイス通りちゃんと陸上で戦ってるし、遠距離攻撃にも気をつけているようだ。

 カボちゃんもこうは言っているが、死者の宮殿でショップを営んでいたカボさんも良い人……良いカボチャだったし、ま、大丈夫だろ。多分。

 

「仕方ない。そんなに時間は取れないが、それで良いのなら同行しよう」

「やった〜♪」

 

 両手を上げてクルクルと回るデネブさん。それに合わせるように、カボちゃんも頭をクルクルと回している。うーん、ペットは飼い主に似るというが、カボちゃんがガメついのって……。

 

 なぜか背筋に悪寒が走ったので、それ以上は考えるのをやめた。

 

--------------------

 

 アルモリカ城を後にしたデニム達は、バクラム・ヴァレリア国の首都である王都ハイムに向けて北上を続けていた。暗黒騎士団に発見される危険を冒してでも、ブランタに接触する必要があったためだ。

 

 城の北部に広がるゴルボルザ平原を通り抜けて、まずは古都ライムを目指す。広大な草原地帯を横断しながら、デニム達は今後の予定について話し合っている。

 

「――ブランタに接触する必要はわかるわ。ウォルスタとの和議を成立させるなら、避けては通れないもの。だけど、わざわざ私達がそれをやらなくてもいいんじゃない?」

「でも、他の人には多分ブランタを説得できないと思うよ。内心ではウォルスタ人を見下している相手だからね。交渉のテーブルにさえついてもらえないかもしれない」

「私達なら父さんがいるから話ができるというのね。でも、暗黒騎士団は私達を血眼で捜しているはずよ。ブランタに接触しようとすれば、間違いなく見つかってしまうわ」

「うん。それには考えがあって――」

 

 歩きながら議論を交わす姉弟と、それを黙って見守る父プランシー。ロンウェー公爵との交渉はプランシーが矢面に立って行なったが、実際の提案内容については姉弟の話し合いで決められていた。

 プランシーは時々助言をする程度で、議論に積極的には参加しないと決めていた。これから先の事は、老い先短い自分ではなく子ども達に決めさせるべき。二人が決断した事を全力で支援する事こそ親としての役目だと、プランシーはそう考えていた。

 

「だから、それは――――姉さん、ちょっと待って」

「え?」

 

 不意に立ち止まるデニム。カチュアも首を傾げながら立ち止まった。なだらかな平原ではあるが、多少の起伏は存在している。デニムは丘の向こうから現れた複数の人影に気がついたのだ。

 

「……? 誰かしら?」

 

 相手もこちらに気づいたのだろう。警戒した様子で立ち止まった。複数人いる内の先頭に立っているのは、遠目にも女性だという事がわかる。目立つ赤い服を身に着けた、黒髪の女性だった。

 彼女たちは顔を見合わせて何やら話していたが、やがて再び歩きだしてこちらへと近づいてくる。

 

「どうするの、デニム?」

「話してみよう。多分、敵ではないと思う」

 

 無表情で近づいてきた女性だったが、お互いの顔がはっきりと視認できる距離まで近づくと、ふいにその表情を驚きに染める。

 

「プランシー神父! プランシー神父ではないか!」

 

 そのまま走り出した女性。まさか、プランシー達を追いかける暗黒騎士団の追手だったのだろうか。緊張しながら剣の柄を握ったデニムを見て、女性は慌てて立ち止まった。

 

「私は大神官モルーバの娘、長女のセリエ・フォリナーだ!」

「なんと、モルーバ様の? ……言われてみれば、確かに面影がある」

 

 セリエと名乗った女性の口上に驚くプランシー。王都ハイムに居住していた頃、大神官モルーバとプランシーは家族ぐるみで親しくしていた。当然モルーバの娘である四姉妹とも面識がある。しかし当時はまだ幼い子ども達だったため、女性らしく成長したセリエに気づかなかったのだ。

 

「プランシー殿がいるという事は……そちらは、デニムか! ああ、なんということだ。随分と成長したのだな……見違えたぞ」

「あら、デニムの事を知っているの?」

「ああ。デニムがまだハイムにいた頃、よく私達と遊んでいたのだ。……まだ幼い頃だったから、覚えていないだろうがな」

 

 寂しそうな笑みを浮かべて微笑むセリエ。確かに子ども達は一緒になってよく遊んでいたと、プランシーは当時を懐かしく思い出した。ハイムを離れる時、涙を流しながら別れを交わす子ども達を見て申し訳なく思ったものだ。

 

「その、セリエさんの事を覚えていなくてすみません。ですが、一緒に遊んだ事は何となく覚えています」

「そうか……。しかし驚いたな、まさかこんな所で再会するとは。ハイムからどこへ向かったのかは聞かされていなかったが、アルモリカに来ていたのだな」

「それを言うなら、セリエさんの方はどうしてこんな所に?」

 

 デニムの何気ない質問に、顔を引き締めるセリエ。後ろには、仲間だと思われる男たちも追いついている。

 

「私は今、ヴァレリア解放戦線という組織を率いている。民族、思想に関わらず、平等で平和な世界を実現するため、我々は活動しているのだ」

「ヴァレリア解放戦線……そうか、確かシスティーナさんも……」

「そうだ。システィーナも我々の一員だ。面識があったのか?」

「いえ、風の噂で……」

 

 システィーナも同じくモルーバの娘で三女にあたる。デニムが言葉を濁したのは、恐らく『前』の経験の中で出会ったのだろうとプランシーは推測した。

 

 息子の中にまだ訪れていないはずの未来の知識や経験があると聞いた時、これもフィラーハ神のご意思なのだろうかと考えたプランシー。息子が為した恐るべき行為、そして誇るべき偉業を聞いて、父親としてのプランシーは何よりも息子の境遇を嘆いた。

 自分の手を汚し、大義のための礎となったデニム。未来の己が遺したという言葉に従い、民のために玉座に就いたという。確かに多くの人を救うためならば、その言葉は正しいものだっただろう。しかし、親が愛する子に向けるべき言葉ではない。

 

 目の前のセリエもまた、大義のために己を犠牲にしようとしているのだろう。バクラム人にも関わらず、理想を実現するために活動を続けているのだ。彼女の父親はどのように考えているのだろうか。

 

「……モルーバ様は、壮健かな?」

 

 プランシーの問いに、セリエは顔を暗くする。

 

「内乱で……母が亡くなったのです。父はそれ以来、俗世を離れて隠遁してしまい……」

「なんと……」

 

 言葉を失うプランシー。モルーバの妻である女性とは何度も顔を合わせた事がある。まさか自分の知らぬ間に命を落としていたとは。プランシーは心の中で冥福を祈った。

 そしてモルーバの現状に心を痛める。二人は仲睦まじい夫婦だった。きっとその悲しみは大きなものだっただろう。自分の妻を亡くした時を思い出し、プランシーは同情を深めた。

 

 しばらく沈黙が落ちる。やがて顔を伏せていたセリエは、おもむろに顔を上げた。

 

「プランシー殿。どうか、我々にご同行して頂きたい」

「それは……どういう事かな?」

「……我々が手に入れた情報によれば、あなたはバクラムによって狙われているのだ。奴らは『マナフロア』というものを手に入れるために、あなたの身柄を狙っている」

「…………」

 

 マナフロア。それはカチュアの生みの親である侍女の名前だった。

 

「ここであなたに会えたのは僥倖だった。どうか……」

 

 頭を下げるセリエを前に、プランシーは何も応えずに立ち尽くした。

 




やっとフォリナー四姉妹の一人が登場です。話のわかるオズ様に注意。
ベルさんはデネブさんに引っ張られて海賊の墓場へ。放置された海賊たちの運命は……?


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047 - Logic over Morality

 ここのところ賑やかな港町オミシュの広場は、今日に限っては閑散としていた。町の大部分を占める海賊の荒くれ者たちが一斉に遠征へと出かけたためだ。オクトパスの焼ける音も、ランニングをする男たちの掛け声もない広場は、寂寥を感じさせる。

 

 そこへ、ふらりと一人の女の子が現れた。

 

 くたびれた衣服とボサボサの頭を見れば、彼女がオミシュに住み着く浮浪児の類である事は一目で理解できた。親もなく家もない子どもたちは、このオミシュに多く存在している。

 静かな広場に点在する人々も、いつもの光景であるとして気にも留めなかった。いちいち同情していても、キリがない事などわかっていたからだ。

 

 女の子は広場の真ん中に進み出ると、やがてゆっくりと口を開いた。

 

 ――――♪

 

 彼女の口から、静かな旋律が紡がれはじめる。少女に目もくれていなかった人々は、一人また一人と徐々に少女へと視線を向けていく。そんな周囲の反応など気にする様子もなく、少女は歌声を披露し続ける。

 透き通った、ハープのような声だった。天上の神が遣わした天使。そんな印象を与える、聞くものに安らぎを与える歌声だった。

 

 やがて、その歌声に誘われるように、聴衆の一人がふらりと前へ出る。一人、また一人と続けざまに少女の元へと歩き出し、ついには少女を囲むように聴衆の輪ができていく。

 彼らは一様に陶酔の表情を浮かべて、少女の歌声に聞き入っていた。

 

「何の騒ぎだ、こりゃあ」

 

 そこへ現れたのは、赤い羽根帽子をかぶった老人、アゼルスタン。いつも通り酒瓶を片手に広場へやってきた彼は、見慣れない光景を前に目を丸くする。

 

「……またアイツの仕業か? それにしちゃあ随分と静かだが……歌か」

 

 世間の爪弾き者が集まるオミシュでも特に常識外れな男を思い浮かべたアゼルスタンだったが、それにしては静かすぎる広場に違和感を覚える。先ほどから聞こえてくる歌のせいなのだろうが、アゼルスタンの耳には、なぜかその歌が不気味な旋律に聴こえて仕方がなかった。

 そんな歌に聴き惚れている聴衆たちに胡乱な視線を送るアゼルスタンだったが、その中心にいる人物を見た彼は驚愕のあまり目を見開く。

 なぜならそこにいたのは、彼がよく知る口のきけない()()の少女だったからだ。

 

 彼の目には、彼女が見た目にそぐわない美声で高らかに歌を歌っているのが映る。彼の頭の中は疑問符で埋め尽くされた。あの娘は間違いなく言葉を話せなかったはずだ。アゼルスタンが気まぐれに昔話をしてやると、お礼を言いたげな様子の少女が口をパクパクとさせながら頭を下げるのを何度も見てきた。

 

 一体なぜ。

 

 アゼルスタンの足は、自然と少女の元へと引き寄せられていく。聴衆達に割って入り、ぽっかりと開いた中心のスペースに到達したが、やはり少女は歌い続けている。間違いなく歌声は少女のものだった。

 黙ってそれを聞いていたアゼルスタンだったが、不意に違和感を覚えて周囲を見回す。

 

「な、なんだこりゃあ……」

 

 聴衆たちは誰もが口を半開きにしている。中には口の端からヨダレをこぼしているものさえいた。さらにその目はぼんやりと宙を見つめており、白目をむいているものもいる。まるで麻酔患者のような姿に、アゼルスタンの背筋が凍る。

 思わず近くにいた者の肩を掴んで揺さぶってみるが、何の反応も返さない。危険だ、と直感したアゼルスタンは、その原因だと思われる少女へと向き直る。

 

「おいッ! 歌うのをやめろ! 周りを見てみろ!」

 

 目を瞑って歌を続けていた少女は、その声を聞いて目を開く。そして歌がピタリと止まった。

 

「あっ、おじいちゃん」

「お前……喋れたのか……?」

 

 アゼルスタンの姿を見つけた少女はニッコリと笑って、可憐な声で話しかけてくる。だがその声は少女の姿にそぐわないように感じられた。かつてどこかで見かけた、腹話術の芸のような違和感。

 

「うんっ! あのね、わたし、おしゃべりできるようになったんだよっ!」

「そ、そうか……そりゃよかったな……。だが、一体これはどういう事だ? お前の歌を聴いてた奴らが、この通りおかしくなっちまってるぞ?」

 

 歌が終わったにも関わらず、聴衆たちは同じ表情のまま動かない。不気味な光景だったが、それを見渡した少女は表情ひとつ変えなかった。

 

「ふふっ……こんなにいっぱい聴いてくれて、嬉しいなぁ……」

「お前……」

 

 それどころか、少女は白目をむいた人々を見て笑みを浮かべている。その笑みはアゼルスタンにとって見慣れたもののはずだったが、どこか薄気味が悪く感じられ、彼の額に冷や汗が流れる。

 

「……お前は、一体なにもんだ」

「えっ? やだなぁ、おじいちゃんったら。いつも一緒に居たのに忘れちゃったの?」

「いいや、お前は俺の知ってるアイツじゃねぇ。答えろ、アイツをどこにやったんだ」

「…………」

 

 真剣な表情を浮かべるアゼルスタンの問いに、笑みを浮かべたままの少女。

 二人の間に、緊張感が張りつめていく。

 

 だがその時、別の声が割って入った。

 

「これは一体、何が起きているの!」

 

 その声に視線をずらすアゼルスタン。その先には広場の状況に驚く銀髪の女性、ラヴィニスの姿があった。どうやらベルゼビュートたちの遠征には同行しなかったようだ。

 

「バイバイ、おじいちゃん」

 

 ハッと気がついて振り向くが、そこにあったはずの少女の姿は消えていた。

 どこからともなく聞こえてきた声だけが、アゼルスタンの耳に残った。

 

--------------------

 

「いい雰囲気ねぇ。こんなところで二人っきりなんて……きゃっ♥」

 

 俺とデネブさんの二人で、海賊の墓場と呼ばれる洞窟へと潜り込んでいる。さすがそう呼ばれる事だけあって、洞窟内は湿った空気と潮の香り、そしてアンデッドで一杯だ。どの辺がいい雰囲気なのか、さっぱり理解できない。

 次々と襲いかかってくるアンデッドたちを槍でなぎ払いながら、洞窟の中を奥へと進んでいる。デネブさんは何もせずに俺の後ろを歩いているだけだ。楽をしているようだが、これが一番効率的だし安全だろう。

 

 デネブさんの言葉に何も返さずにいると、へそを曲げた声が聞こえてくる。

 

「も〜、ちょっとは反応してもいいんじゃない? せっかく、こんな美女と一緒なんだ・か・ら」

「悪いが、俺にはラヴィニスがいるからな。彼女に不義理をするわけにはいくまい」

「あら、熱いのね〜。お姉さん、うらやましくなっちゃうわ♥」

 

 俺とラヴィニスの関係を知ったデネブさんは、なぜか俺の事をよくこうしてからかってくる。本気ではないのだろうが、その度にラヴィニスの機嫌が悪くなるのでやめてほしい。それを必死にフォローするこっちの身にもなってほしいものだ。

 剣を振りかぶって襲いかかってきたスケルトンを槍で横殴りにしながら、反撃のために俺も訊いてみる事にした。

 

「……そういうデネブ殿は良い人はいないのか?」

「あたし? そうねぇ、いっぱいいる……って言いたいところだけど、別にいないのよねぇ」

「そうか。だがその美貌なら、他の男達は放っておくまい」

「まあ嬉しい♥ でも外面だけ見てくる男の人はごめんなさいなのよねぇ。やっぱり、アタシの事をちゃんと理解してくれる人じゃないと」

 

 その外見なら男なんて選り取りみどりだろうに、意外と身持ちが堅いようだ。しかし、デネブさんを理解できる男なんているのだろうか。えーと、魔女っ子で、魔法の研究が好きで、カボチャが好きで……。あ、一人いたな。デネブさんを理解できそうな人。

 

「ふむ、ニバス殿なら気が合うかもしれんな」

「あら? だぁれ、その人」

「俺の知り合いの魔術師だ。あの御仁も魔法の研究がライフワークだと言っていたな。世のため人のため家族のために魔法を研究する、素晴らしい人格者だ。暗黒魔法の使い手で、デネブ殿とも話が合うかもしれん」

「ふ〜ん。どんな研究をしてるのか気になるわねぇ」

「確か、死を克服するための研究だと言っていたか。きっと不治の病を治す研究でもしているのだろう」

「……病を治すなら、神聖魔法か水の精霊魔法な気もするけど……。ま、いいわ。面白そうだから、今度会ったら紹介してネ♥」

 

 ニバス殿とデネブ殿か……。変わり者同士、きっと気が合うだろう。だけどなぜだか二人を会わせてはいけない気がする。なんというかこう……混ぜたら危険、みたいな。

 

「む、まあ会えたらな……。ああ、言い忘れていたが、ニバス殿は既婚の子持ちだ」

「あら、そうなの。略奪愛っていうのも燃えるわね♥」

「…………」

 

 なんか、色々とまずいフラグを立てた気がする。ニバス氏、修羅場になったらすまん。

 

--------------------

 

 結局、僕達はセリエさんに同行する事にした。まさかこんな所で彼女に会えるとは思わなかったが、ヴァレリア解放戦線は接触を考えていた組織の一つでかえって好都合だった。

 

 ヴァレリア解放戦線とは、亡きドルガルア王を信奉し、彼が唱えた『民族融和』を実現しようとするフィラーハ教原理主義者の過激派組織である。彼らはブランタの権威を否定し、現政権に対してゲリラ活動を繰り返している。

 リーダーであるセリエさんはそれらが仕組まれた冤罪だと声明を出していたが、一度玉座に就いた僕はそれが嘘である事を知っている。彼らのテロによって一般人も犠牲になっていたのだ。手段を選ばない危険な組織だと言える。

 

 彼女たちの活動が激しくなるのは内戦が本格化してからだ。戦争によって国内が混乱すればするほど、隙も大きくなるという事だろう。また、戦争の拡大を防ごうという焦りもあったのかもしれない。現時点ではまだ、破壊工作よりも草の根活動を行っているようだ。

 ただ破壊をするだけではなく、『前』の時には拉致された父さんを助け出したらしいが、暗黒騎士団の襲撃を受けて壊滅したと聞いている。残念ながら僕達とはほとんど縁がなかったため、介入する事もできなかった。

 

 民族の融和と、平等による平和。それは確かに僕が理想とするものでもある。つまり彼女たちとは手を取り合う余地があるということだ。彼らのやり方に賛同はできないが。

 

「デニム、ここにいたか」

 

 ゴルボルザ平原から東、セリエさん達が乗ってきた船に同乗させてもらい海を渡っている。東にあるボード砦が彼女たちの本拠地らしい。甲板で潮風に当たっていた僕に、セリエさんが声を掛けてきた。

 

「すまないな。プランシー殿を守るためとはいえ、お前たち姉弟も巻き込んでしまった」

「いえ、僕もヴァレリア解放戦線に興味がありましたから、ちょうど良かったです」

「ほう。我々の存在を知っていたか。まだまだ知名度は低いと思っていたが、活動の成果は出てきているようだな……」

 

 セリエさんが嬉しそうに顔をほころばせる。

 

「民族の融和と平等……実現できれば素晴らしい事ですね」

「我々の理想も理解してくれているか。……どうだデニム。お前も我々と一緒にヴァレリアの平和を目指さないか?」

「…………」

 

 セリエさんの提案に答えず、僕は広がる海に視線を向ける。風はあるが水面は穏やかだ。

 

「……あなたは、大きな目的のためならば小さな犠牲は(いと)わない人だ。違いますか?」

「……ああ、そうだ。理想の実現のためならば、必要な犠牲もあるだろう」

「大義のためならば、何をしても許されると思いますか?」

「許されるとは思わん。だが、必要なら手を汚す事もためらわない覚悟は持っているつもりだ。それが正しいかどうかは、歴史が決める事だろう」

 

 彼女の言葉はまるで、僕の写し鏡のようだった。

 視線を戻すと、彼女は怪訝な表情を浮かべている。

 

「デニム、何が言いたい? 私の考えが間違っていると言いたいのか?」

「……いえ、そうではありません。少なくとも、僕にはあなたの考えが間違っているとは断言できない。……する資格も、ないでしょう」

「…………」

 

 ますます怪訝な表情になるセリエさんだったが、僕はまっすぐに視線を向けたまま言葉を続ける。

 

「ですが、あなた達のやっている事は、僕には非効率なように見えます。ゲリラ活動による抵抗は、確かに少数がとる方法としては最適かもしれません。しかしブランタは態度を強硬にするだけでしょうし、彼の独裁体制を崩せるほどの効果はない」

「……驚いたな。まさかそのような批判を受けるとは思わなかった」

 

 セリエさんは今度は愉快そうな表情になる。

 彼女たちの活動を倫理をもって批判する事はいくらでもできる。だが、彼女はそのような批判は耳にタコができるほど受けているだろう。成果を重視する彼女にとって、『倫理』よりも『論理』での説得の方が通じると考えた。

 

「だが、我々がとれる行動はそれぐらいしか無いのも事実なのだ。最初はフィラーハ教の布教による思想の流布という手段をとった。しかし、宗教には限界がある。……人間は死後の救済より今日のパンを求める生き物なのだからな」

 

 自嘲めいた笑みを浮かべながら、彼女はそう言った。大神官モルーバ様の娘にしては、宗教に対して冷めた考えを持っている。きっと何度かの挫折を味わって、武力による解決という方法に行き着いたのだろう。

 

「ならば、人々にパンを与えればいい。害を与えて脅すより、利をもって説得する事こそ常道でしょう」

「……どういう意味だ?」

「僕の考えを聞いていただけませんか――――」

 

 そして、僕はセリエさんに考えを話し始める。

 世界が、少しでも良くなると信じて。

 




アイドルと化した女の子に、たくさんのファンができました。これにはアゼ爺さんもビックリ。
そして既婚者を修羅場へと陥れるオリ主。まったく、ひどい奴ですね(棒読み)


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048 - Pumpkin Pie

「気をつけろッ! また毒の雨がくるぞッ!」

 

 声を掛け合いながらオクトパスを取り囲む男たち。一人が攻撃しオクトパスの注意を惹きつけ、別の男がその背後から攻撃を加える。そんな波状攻撃を受けるオクトパスはたまったものではなく、状況打破のために切り札の毒水を吐き出す。

 しかしその前兆をしっかりと教えられていた男たちは、毒水の範囲を見切ってギリギリで避ける。そうしてまた攻撃を繰り返し、徐々に体力を削られたオクトパスはついに――

 

「オラァッ!!」

 

 ヴァイスの剣撃を受けて断末魔をあげながらクタリと倒れ込んだ。その様子を見た男たちは歓声を上げてヴァイスに駆け寄り、笑顔でお互いの肩を叩きあった。

 

「やったな! ついに怪我人もなしに倒したぜ!」

「まさかオクトパスをこんな簡単に狩れるなんてなぁ!」

 

 男たちは口々に自分たちの成果を誇る。今日はこれで三匹目であるが、やはりオクトパスの攻撃を避けきれない事もあり負傷者は数人でている。班の中に腕の良いクレリックが存在していたため大事には至っていないが、負傷者を一人も出さずにオクトパスを倒したのは快挙だった。

 

「ふふ、別に怪我しても構いませんよ。ここのところ、回復魔法の調子も良いですし」

「おう、頼もしいじゃねぇか。だが、もしかしたら、お前の出番はもう無いかもしれないぜ? はは、よっしゃ、少し休憩して次の獲物に行くぞ!」

『応ッ!』

 

 班のリーダーとなった男の掛け声に、班員達が応じる。最初はまとまりなど欠片もなかった男たちだったが、いつの間にか仲間意識が芽生えてチームワークが生まれている。若干一名、チームの一員として染まりつつある自分に頭を抱えている者もいるが。

 

 休憩のために腰を下ろす男たち。それぞれの武器も地面に置いて、思い思いにくつろいでいる。

 同じく腰を下ろしたヴァイス。そこへフラリと近寄る一つの影があった。

 

「こっちの班は順調みたいカボね〜」

「おわっ……な、なんだ、デネブのカボチャかよ。驚かせるなよ」

「カボチャじゃなくて、カボちゃんカボ。次に間違えたらパンプキンストライクをお見舞いするカボ」

「な、何だよそれ……おっかねぇなぁ」

 

 唐突に現れたのは一人のカボチャ頭、カボちゃんだった。ヴァイスにとってはまだ慣れない相手であり、しかも彼が苦手とするあの魔女デネブの使い魔なのだ。大体カボチャが喋って歩くって意味わかんねぇよ、と言いたい気持ちをグッとこらえるヴァイス。

 

「ま、カボの助けが必要ならいつでも言うといいカボ。料金を払ってくれるなら助けるカボ」

「金とんのかよ……」

「当たり前カボ! 労働には対価が必要カボ! タダ働きなんて真っ平ごめんカボ!」

 

 エッヘンと言いたげな様子で胸を張るカボちゃん。ヴァイスは内心で、カボチャが金もらってどうすんだよ、と思ったがやはり口にはしなかった。パンプキンストライクとやらを食らいたくはないのだ。

 

 話を続ける二人の元へ、また別の影が近づいてきた。海中からそろそろと音も立てずに近づくそれは、会話で気を抜いて油断しているヴァイスの背後へ、突如としてその身を露わにする。

 

「ッ! 危ないカボッ!」

「え?」

 

 ヴァイスが振り向く間もなく、背後から触手がムチのように振るわれる。カボちゃんの警告も虚しく、無防備な背中にモロに食らってしまい、ヴァイスの身体は宙を舞った。

 海中から現れたのは、黄色のオクトパスのような魔獣。形はオクトパスそのものだが、普通の赤い個体に比べるとそのサイズは一回り以上大きい。さらに死角から不意打ちを行うなど、今までのオクトパスにはなかった狡猾さだ。

 

「ク、クラーケンだぁッ!」

 

 魔獣の登場に気がついた男の一人が叫ぶ。オクトパスの上位個体であるクラーケンは、『海のドラゴン』と呼ばれるほど強力な海魔として恐れられている。船乗りの間では、船上で出会ったら死を覚悟しなければならないと言われていた。

 休憩中だった男たちは即座に立ち上がって臨戦態勢をとるが、噂の影響かクラーケンに対峙する彼らはどこか腰が引けている。オクトパスを相手にして調子に乗っていた彼らは、魔獣の本当の恐ろしさというものを思い出していたのだ。

 クラーケンはそんな男たちを睥睨するように、自慢のタコ足をグネグネと動かしている。

 

「しっかりするカボッ!」

「ぐ……うぅ……」

 

 背中に一撃を受けて吹き飛ばされたヴァイスは、地面を転がって砂まみれになりながらうめいている。どうやらかなりの重傷のようだ。回復役のクレリックが近寄ろうにも、あいにく彼らのいる位置はクラーケンを挟んで反対側だった。

 

「……もうッ! 仕方ないカボね!」

 

 カボちゃんはググッと魔力を集めると、それを己のカボチャ頭に循環させる。オレンジ色のカボチャが淡く光りはじめ、身体にまとっている青いローブが風もないのにはためいている。

 クラーケンがそれに気がついて妨害しようとするが、弩を持った男が矢を放って注意を惹きつける。矢はクラーケンの皮膚に刺さったものの、明らかにダメージは小さい。しかし、それでもイラついた様子を見せて男たちへと向き直った。

 そうしている間に、ついにカボちゃんによる『とっておき』が完成する。

 

「『パンプキンパイ』ッ!」

 

 その言葉と共に何もない中空から、一切れの『パイ』がポンッと音を立てて現れた。パイはひとりでにヴァイスの口元へと運ばれて、まるで溶けるようにグニャリと口の中へと入り込む。

 

「ぐぅ……う……? ……お?」

 

 うめき続けていたヴァイスは、二度、三度とまばたきをして、背中の痛みが引いている事に気が付く。身を起こして触手に攻撃された背中を確かめるが、そこには何の傷痕も見当たらない。

 

「……ふぅ……よかった……カボ……」

「お、おい……?」

 

 そこで、傍らにいたカボちゃんの異変に気がつくヴァイス。見れば、カボちゃんのカボチャ頭が普段よりも一回り小さく縮んでいるように感じられる。ふらりと力無く倒れるカボちゃんを、ヴァイスは慌てて受け止めた。

 

「……タダ働き……しちゃったカボ……」

「お、おいッ! カボチャ野郎! しっかりしろよ!」

「カボは……カボチャ……じゃ…………」

「く、くそッ……!」

 

 気を失ったように反応がなくなったカボちゃんをそっと地面に下ろして、ヴァイスは猛威を振るうクラーケンをにらみつける。他の男たちが戦っているが、オクトパスとは段違いに強力な触手攻撃の前に防戦一方のようだ。

 

「うおおおおぉぉぉ!」

 

 ヴァイスは自分の得物である片手剣を握りしめ、雄叫びをあげながらクラーケンへと吶喊する。

 

 クラーケンは触手を右に左に振り回して迎撃するが、それを屈み、ジャンプして避けていく。身体能力を振り絞るような動きに、全身の骨と筋肉が軋みをあげている。

 数秒の内に距離を詰めてクラーケンの懐に飛び込むと、握りしめていた剣を力一杯に突き刺す。クラーケンは鋭い痛みに悲鳴のような鳴き声をあげるが、必死の抵抗として目の前の男に触手を叩きつけようとする。

 剣を突き刺したままのヴァイスに、それを防ぐ術はないかと思われた。だが、実のところ彼の攻撃はまだ終わっていなかったのである。ヴァイスは、反対の手に握りしめていた()()()()()()()()を勢いそのままにクラーケンの身体へと叩き込んだ。

 

「くたばれぇぇぇ!!」

 

 ダブルアタックと呼ばれる攻撃だった。両手に片手剣を持っての連撃は高度なセンスが必要となる技術であり、ヴァイス自身も切り札として練習していたものの実戦で使うのはこれが初めてだ。

 防御を捨てて攻撃へ全力を傾けるような危険な技ではあるが、それだけに破壊力は抜群だった。

 予期せぬ二撃目を受け、あまりのダメージに悲鳴をあげてのけぞるクラーケン。そこへ、チームの仲間たちによる集中砲火が浴びせられる。これまでに培ったチームワークで、攻撃のタイミングを合わせる事が可能になっていた。

 

 やがて、クラーケンの巨体はグラリと傾き、沈み込んでいく。

 

 今度は歓声をあげる事もできず、男たちは緊張と疲労でその場にへたり込んだ。

 ヴァイスもまた、その場に尻もちをついて「へへ……」と笑いながら気を失った。

 

--------------------

 

「なに!? ジュヌーン、貴様、王国を裏切るつもりかッ!」

「そうではない、ディダーロよ。私の話を聞いてほしい」

 

 ガルガスタン王国竜騎兵団の団長を務めるジュヌーンは、バスク村で出会った少女オクシオーヌの説得によって己の信じる正道を進む決心をした。それは、ガルガスタン王国内部の過激派、ひいてはバルバトス枢機卿との決別を意味する。

 だが、それはガルガスタン王国に忠誠を捧げる人間にとっては裏切りといえる行為。ジュヌーンの話を聞いた騎士ヘクター・ディダーロは、親友の言葉に驚きの表情を見せる。

 

 バスク村より帰還する道程で、ジュヌーンはコリタニの後背地であるブリガンテス城へと立ち寄った。一年中雪に閉ざされたこの城で守備の任についている親友ディダーロに相談を持ちかけるためだ。

 ディダーロはザエボス将軍の配下で、代々コリタニ公に仕えてきた名門ディダーロ家の嫡男である。王国に対する忠誠心は非常に高く、親友として長年付き合ってきたジュヌーンにとって一目も二目も置いている存在だった。

 

「何を話そうとも……猊下に弓引くような行い、見過ごすわけにはいかんぞ」

「わかっている。だが、私はどうしても猊下の考え方に賛同する事ができんのだ……あの方のなさろうとしている事は、王国のためにはなるまい」

 

 ジュヌーンが暗い表情でそう言うと、ディダーロは口を引き締めて「話してみろ」と説明を求める。話を聞いてくれる親友に感謝しながら、ジュヌーンは口を開いた。

 

 異教徒の村で起こされそうになった惨劇。

 穏健派であるジュヌーンを騙す意図が明らかな任務。

 不自然な同僚と上司たち。

 民族浄化という題目に隠された悍ましい思想。

 

 ジュヌーンの口からそれらが語られていく内に、ディダーロは眉をひそめ、顔をしかめ、最後には目を瞑って苦渋の表情を見せる。彼にとっても、それらは許容できる内容ではなかったのだろう。

 

「……何かの間違いではないのか? グアチャロ殿も偽情報を掴まされただけでは……」

「なんの防衛設備もない村だぞ。少しでも捜査をすればゲリラの基地でない事などすぐにわかるはずだ。それに今考えてみれば、明らかにグアチャロの態度は不自然だった」

「……猊下が……それに関わっているとは言い切れん……」

「しかし、実験部隊である我々を駆り出し、騎士団との連携を命じたのも、村民の殲滅を命じたのも猊下なのだ。とてもではないが、承知されていないとは思えん。それに、猊下はたびたび異民族に対して差別的な言動を繰り返しておられる」

「…………」

 

 苦虫を噛み潰したような表情を浮かべるディダーロ。

 

「私は……猊下の考えが正しいとは到底思えん。異民族だから、異教徒だからといって罪のない人々を迫害し、虐殺するなど……。あってはならん事だと思っている」

「それを……私に聞かせてどうしろと言うのだ」

「ディダーロ。どうか私に協力してはもらえないか? なにも戦わずとも良い。過激派に反対の立場をとってくれるだけでも良いのだ。穏健派の力が大きくなれば、猊下も無視はできまい」

「……それはできん」

 

 ディダーロは絞り出すように答える。親友の彼であれば理解して賛同してくれると考えていたジュヌーンは、その意外な答えに愕然とする。

 

「……なぜだ、ディダーロ?」

「私は……我が家はコリタニ公に恩義のある立場なのだ。猊下が閣下の後見人という立場を取る限り、我々は決して反対に回る事などできん」

「馬鹿な……。猊下は幼いコリタニ公を利用しているだけではないか!」

「口を慎めジュヌーン! それは閣下に対する侮辱だぞ!」

 

 あくまでも己の忠誠心に従う姿勢を崩さないディダーロに歯噛みするジュヌーン。幼いとはいえ、コリタニ公は彼にとって主君なのである。主君が自身の後見人に選んだバルバトスを否定する事はできないという事なのだろう。

 

「……友の(よしみ)だ。この話は、聞かなかった事にする」

「……そうか。時間を取らせてすまなかった……」

 

 無力感に苛まれながら、ジュヌーンはブリガンテス城を後にする事になった。

 その親友の背中を、ディダーロは決意を秘めた瞳で見つめ続けた。

 




カボちゃんの自己犠牲精神に、これまでヘタレていたヴァイスの様子が…!?
ディダーロさんはPSP版でかなり設定が掘り下げられたサブキャラです。忠誠心すごE。


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049 - The Proposal

「そんな……あの女の子が?」

「いや、確かにアイツの姿をしていたが、中身は別物だった」

 

 広場で呆けている人々を前に、アゼルスタンとラヴィニスは深刻な表情で話し合いを続けていた。

 先ほどまで広場にいた少女の真贋はともかく、朝から姿の見えない少女に何かがあった事は間違いない。アゼルスタンは落ち着かない様子で舌打ちをする。

 

「すまねぇが、あの男にも伝えてくれ。アイツを見つけたら助けてやってくれ。頼む……」

「わかっています。ですがベル殿は離島に遠征に行っているので、帰ってくるのは夕方頃かと……」

 

 アゼルスタンはいつもの態度とはうって変わった神妙な表情で、ラヴィニスに頭を下げる。彼にとって誰かに頭を下げるなど久しぶりの事だった。いつの間にかあの少女は、アゼルスタンにとって大事な存在になっていたのだ。

 あの男、ベルゼビュートに頼めば海賊たちの人手も借りる事ができるだろう。今や海の荒くれ者たちはすっかりあの男の統治下にある。姿を消した少女は人海戦術で見つけ出すしかないため重要な事だった。しかし肝心の本人は遠征中であり、今はまだ午前中だ。

 

「……わかった。俺が船を出そう」

「え? 船を動かせるのですか?」

「ふん。俺を誰だと思ってやがる。いいから、黙ってついてこい」

 

 アゼルスタンはラヴィニスを連れ立って、オミシュの港へと向かう。いつもは多くの海賊船が係留されているが、今日は遠征のためにガラガラだった。残っている数隻の内、小型の船へと向かうアゼルスタン。

 船を動かすなど、本来は数人がかりの仕事なのだ。だが、アゼルスタンはあっという間に船を留めていた縄をほどくと、船へと飛び乗る。さらに、テキパキとした手つきで帆を広げていく。普段のだらけた様子とは一線を画す手つきに、ラヴィニスは驚きの余り目を見開いた。

 

「おい、さっさと乗れ。もう船が出るぞ」

「あ、は、はい……」

 

 あまりの迅速なアゼルスタンの動きに呆けていたラヴィニスだったが、声を掛けられて慌てて乗船する。それを見届けたアゼルスタンは帆を完全に広げ切ると、すぐに舵を切って船を動かし始めた。やはり見事な舵さばきで、あっという間にオミシュの港を出港してしまう。

 

「……あなたは一体……」

「昔とった杵柄ってヤツだ。意外と覚えてるもんだな……」

 

 アゼルスタンは複雑な表情を浮かべたまま操船を続ける。普段の飲んだくれた老人のイメージとのギャップに、ラヴィニスは終始驚きつづけていた。

 

--------------------

 

「ふむ……どうやらここで行き止まりのようだな」

「なぁんだ。宝物でもあるのかと思ったのに、つまんないわ」

 

 海賊の墓場に入ってから一時間ほど経ったが、行き止まりらしき場所にたどり着いてしまった。死者の宮殿のように隠しスイッチがどこかにあるのかもしれないが、どこからどう見ても天然の洞窟なのであり得ないだろう。

 デネブさんはつまらなそうに口を尖らせている。宝物があったとしても、とっくに別の人が持っていっているだろう。この洞窟は有名なようだしな。

 

「仕方ない、引き返すとするか」

「う〜ん、そうねぇ……。カボちゃんの様子も気になるし、しょうがないわね」

 

 なんだかんだ言って、やはりカボちゃんに愛着はあるらしい。海賊の男たちの事を一切心配する様子を見せないのがデネブさんらしいなぁ。あのカボちゃんの事だから料金を支払わない限り本当に見てるだけだろうし、そんな心配は要らないと思うけど。

 

 長居しても意味はなさそうなので、あっさりと引き返す。結局アンデッドだらけの洞窟ってだけか。まぁ、奥にカオスゲートがあったりするよりは万倍もマシなんだが。

 来る時に薙ぎ払ったアンデッドが復活しているので、それらを吹き飛ばしながら出口へと向かう。その途中、俺の耳に不思議な音が聴こえてきた。

 

「む、デネブ殿。ちょっと待て。何か聴こえる……」

「あら? ……私には何も聞こえないけど……ベルちゃん、耳が良いのねぇ」

「うむ……これは……歌、か?」

 

 洞窟内に反響しているのでわかりづらいが、それは確かに歌声のように聞こえた。なんだか聞いているとムズムズとする声だ。例えるなら、耳元に息を吹きかけられているような。

 

「……ふ〜ん。確かに聴こえてきたわ。でも、ちょっとアブない歌みたいね」

 

 デネブさんにも聴こえるようになったらしく、耳を傾けている。アブない歌ってどういう意味なのだろう。反体制のロックンロールか、それともカルトな宗教ソングか? もしかしたら電波ソングというやつかもしれない。

 

 やがて声の主が向こうからやってくるのが見えた。どうやら歩きながら歌っているようだ。思っていたよりも小さな人影で、俺はその姿に見覚えがあった。

 

「あれは……あの老人によくついて回っていた女の子か」

「ああ、あのオシャレなオジイサマね。女の子なんて居たかしら?」

「口がきけないと聞いていたが、見事な歌声だな……」

 

 俺にはくすぐったく感じるが、それは一般的には美声と呼ばれる歌声だろう。それにしても、なぜあの女の子がこんな所にいるのだろうか。爺ちゃんは一緒ではないみたいだ。

 あちらも俺たちに気づいたらしく、ニコリと笑みを浮かべる。

 

「あっ、お兄ちゃんだ〜」

「……こんな所で何をしている? ここは子どもだけでは危険だぞ」

「え〜? 大丈夫だよ。みんな、私のお歌を聴いてくれる『お友達』だもん」

「お友達だと?」

 

 アンデッドがお友達とか……。かわいそうにもほどがあるぞ。いや、もしかしたら、いわゆる『大きなお友だち』というヤツなのかもしれない。つまりこの子は腐男子や腐女子に大人気のアイドルだった? 物理的に腐ってるんだけど。

 

「お兄ちゃん達にも聴かせてあげるねっ!」

 

 そう言うと、女の子は大きく息を吸い込んで歌を歌い始めた。

 

 ――――♪

 

 うーん、やっぱりムズムズするわ。アイドルの生歌なんてありがたいはずだけど、残念ながら俺は『お友達』になれそうにはない。陰ながら応援するだけにしておこう。

 隣にいるデネブさんに目を向けると、何が気に入らないのか不機嫌になっている。やはり若くて歌の上手い女の子に嫉妬を……。ギロリとデネブさんに睨まれたので、俺は慌てて思考をカットする。

 

「もうやめておきなさい。残念だけど、あなたの下手な歌じゃ私達の心は捕まえられないわよ」

 

 いつもとは違う雰囲気のデネブさんが口を開いた。デネブさんには珍しく厳しい言葉だ。でも下手な歌って言いすぎじゃね。

 

「な、なんで……? なんでお友達になってくれないの?」

「はぁ……。まったく、そんなのが魔女に通じるわけないでしょう? 人の心を捕まえるのは、魔女の得意分野なのよ? どうせなら、もっと上手くやってちょうだい」

 

 女の子が歌うのをやめて動揺した様子を見せる。デネブさんはそんな女の子に追い打ちをかけた。

 

「デネブ殿。こんな小さい子どもに言いすぎではないか?」

「あら? 気がついてなかったの? これ、ただの女の子じゃないわよ?」

「なに……?」

 

 俺が視線を向けると、女の子は青い顔をして後ろに一歩下がる。どっからどう見てもただの女の子に見えるが、やはりアイドルともなると普通の女の子じゃいられないという事だろうか。

 

「い、いや……! こないで……! みんなきてーッ!」

 

 涙目の彼女が叫ぶと、突如として彼女の周囲に何体ものアンデッドが湧き出てきた。スケルトンやゴーストといった魔物が、彼女を囲うようにどこからともなく現れたのである。

 

 突然の登場に一瞬驚いたが、このままでは女の子が危険だ。瞬時に魔力を循環させてパラダイムシフトを発動させる。女の子にキズをつけないように丁寧に槍を叩き込んでいくと、時間の流れが元に戻った瞬間アンデッド達はバラバラになりながら周囲に飛び散っていった。

 

「え……?」

 

 女の子はポカンと口を開けている。うむ、一瞬だったから恐怖を感じる暇もなかっただろう。全くロリコンアンデッドどもめ、こんな幼女に一斉に襲いかかるなど許さんぞ。

 

「うわぁ……。えげつないわねぇ……」

 

 デネブさんはなぜかドン引きしている。

 

「もう大丈夫だ。さぁ、一緒にオミシュへ帰ろう」

「ッ!」

 

 俺が一歩近づくと、女の子は怯えた表情で一歩下がる。くっ、これではまるで、俺が幼女を誘拐しようとしているみたいではないか。ラヴィニスがこの場にいなくて本当に良かった。

 

「やだーッ!!」

 

 背中を見せて逃げ出そうとした女の子。俺は跳躍して一気に距離を詰めると、彼女の身体をそっと抱き上げた。腕の中でもがき続けるが、しっかりと捕まえているから逃げられない。

 

「こら、あんまり暴れると落ちてしまうぞ」

「いやーッ! 離してーッ!」

「うふふ、なんだか犯罪臭のする光景ね♥」

 

 デネブさんの一言は俺に痛恨のダメージを与える。やめろ、その一言は俺に効く。

 

--------------------

 

 セリエさんの案内によって、アルモリカ東部の小さな島であるリトルフェスタ島へとやってきた。この島に遺された古代の城砦、ボード砦がヴァレリア解放戦線のアジトになっている。

 砦に入ると、数人が僕達を出迎えてくれた。その一人、黄色いワンピースのような服に身を包んだ女性は、初対面にも関わらず僕にも見覚えがあった。

 

「姉さん、お帰りなさい。随分と早かったのね?」

「ああ。予定外の人物に出会って、急遽戻ってきたのだ」

「あら……。はじめまして、システィーナ・フォリナーです」

 

 セリエさんを姉さんと呼ぶその女性は、大神官モルーバ様の四姉妹の三女であるシスティーナさん。かつて僕は彼女と古都ライムで出会い、ガルガスタン軍から救出した記憶がある。残念ながらその時は思想の違いから道を分かつ事になった。

 僕達も自己紹介するが、やはりシスティーナさんは僕達の事を覚えていないようだった。家族ぐるみの付き合いだったとはいえ、幼い頃の話なので仕方ない。

 

「そちらはフォルカス、そしてバイアンだ。彼らはブランタによる体制や政策に反対し、王都を追放された。我々の同士として一緒に闘ってくれている」

 

 さらに紹介されたのは騎士鎧を身に着けた壮年の男性フォルカスさんと、魔術師の老人バイアンさん。こちらは『前』に会った覚えがない。恐らく暗黒騎士団によって討伐されてしまったのだろう。新たな出会いに、運命が変化しつつある手応えを感じる。

 

「皆を会議室に集めてほしい。今後の活動について重要な話がある」

「姉さん? 一体どういう事?」

「詳しくは皆が集まってから話そう。だが、ここにいるデニムから提案を受けた話だ。皆のリーダーとして、一考の価値は十分にある話だと判断した」

 

 どうやらセリエさんは、僕の話をきちんと検討してくれるようだ。『前』に会った事もなかったため彼女の性格を詳しくは知らなかったが、理を持って話せばきちんと受け止めてくれる人物で幸いだった。

 

 システィーナさんの訝しげな視線を受け流しながら、僕達は砦の内部に足を踏み入れた。

 

 会議室にはヴァレリア解放戦線の主要メンバーが集められた。先ほど紹介された人々を除けばほとんどは知らない顔だったが、一人だけ見覚えのある人物が端に座っている事に気づく。

 白髪で、白髭を生やした男性は、誰とも雑談せずにじっと動かず目を閉じている。一見すると老けているように見えるが、白みがかった銀髪は地毛であり、実際はまだ三十前後だったはずだ。

 彼の名はハボリム。『前』の僕と一緒に戦ってくれた仲間であり、道半ばで命を落とした一人である。暗黒騎士団と何やら因縁があるようだったが、結局その詳細はわからずじまいだった。

 

「……よく集まってくれた。今日は皆と、今後の活動方針について話し合いたい」

 

 セリエさんがおもむろに切り出した内容に、集まった人々は怪訝な表情を隠さない。

 

「皆の困惑もわかる。以前に話し合ったばかりの内容だからな。しかし、その方針ではうまくいかぬとノーを突きつけられてしまってな……。紹介しよう。そこに座っているのは、ブランタの実弟であるプランシー・モウン殿。そしてその子であるデニムとカチュアだ」

 

 セリエさんの言葉にザワリと会議室が揺れる。先ほどのフォルカスさんやバイアンさんといい、ここにいるのはブランタに対して反感を持っている人も多いのだろう。その弟であると紹介された父さんに、様々な感情のこもった視線が集中する。

 

「言っておくが、プランシー殿はブランタの独裁に反対の立場をとっている。肉親だからといって、同一視はせぬことだ。そして、この会議はプランシー殿ではなく、その息子であるデニムの発案によるものだ」

 

 今度は周囲の視線が僕へと集まる。居心地が悪いが、この程度の注目なら何度も浴びた経験がある。僕は表面上は平然とした態度を崩さずに、笑みを浮かべて頭を下げた。

 

「ご紹介に預かったデニムです。ハイムの生まれですが、幼い頃から港町ゴリアテで育ちました。血統としてはバクラム人ですが、僕自身はウォルスタ人だという思いが強いです。だからこそ、皆さんの唱える民族融和の理念には、強く共感しています」

 

 そう話すと、好意的な視線が交じるようになった。もう一押しかな?

 

「平等による平和という考え方も素晴らしいと思います。一つの民族を優遇すれば、必ずどこかに歪みが出る。そうなれば、憎み合いは止まらず戦いは繰り返されるでしょう。僕達がヴァレリア人として一つにまとまらなければ、ローディスやゼノビアといった大国の外圧に対抗する事は難しい」

 

 僕の言葉に頷く人々も多い。だが、中には苦い顔をしている人もいた。もしかしたら、ヴァレリア解放戦線も一枚岩というわけではないのかもしれない。ブランタへの反感だけで加わった人もいるのだろう。

 

「その実現のため、ブランタの体制を攻撃する。独裁を崩し、内戦を終わらせて新秩序の構築を目指す。なるほど方針としては正しいように思えます。ですが、ガルガスタン王国が建国された今、ブランタを倒したところで本当に内戦が終わるのでしょうか?」

「……ブランタさえいなければ、元のヴァレリア王国を取り戻す事もできるだろう。そうすれば、ガルガスタン人たちも再び王国の一部となる事に異論はあるまい」

「果たしてそうでしょうか。ヴァレリアの統一はドルガルア王の権威があったからこそなし得ていたのでは? ドルガルア王も正当な後継者もいない今、ガルガスタン人が素直に従うでしょうか?」

「むぅ……」

 

 僕の言葉にうなり声をあげる人々。きっと彼らも薄々は気がついていたに違いない。だが、ヴァレリア解放戦線の大部分はバクラム人であり、彼らはガルガスタン人の鬱屈を理解できていない。旧王国において支配階層だったバクラム人は、人々が王国の権威に無条件で従うと楽観的に考えがちなのだ。

 

 かつての統一戦争で、ガルガスタン人はドルガルア王率いる軍勢に敗れ、多数派でありながら被支配階層へと落ちぶれる事になった。彼らがウォルスタ人を恨み差別意識を持っているのは、ウォルスタ人が早くからドルガルア王の陣営へと下ったためだ。

 そんな彼らにとって、王のいないバクラムによる支配体制など受け入れられるはずがないのだ。彼らの独立国が建国された今、旧ヴァレリア王国の権威は否定されたに等しい。

 

「ガルガスタン王国建国の中心となったバルバトス枢機卿。彼は過激な民族差別主義者でもあります。彼がいる限り、ガルガスタン陣営は他民族と敵対し続けるでしょう。つまり内戦を終わらせるには、最低でもブランタとバルバトスの二人を排除しなければならないのです」

「簡単に言ってくれるが……暗殺でもしろというのかね?」

 

 もちろんそれも手ではある。『前』の時には少数精鋭でコリタニ城に乗り込み、バルバトスを討ち取った。僕はその問いにあえて答えずに、話を続ける。

 

「……ガルガスタン陣営は一枚岩ではありません。バルバトスの民族浄化政策に反対する、穏健派と呼ばれる層も一定数存在するんです。今はその声は小さいですが、将来的にはガルガスタンは二分され、バルバトスの影響力は大きく削られる事になるでしょう」

「なぜそう言い切れる?」

「僕の知り合いがガルガスタンに多くいます。その彼らからの情報です」

 

 知り合いは知り合いでも『前』の知り合いだが、それを説明する必要はないだろう。穏健派の彼らは、バルバトス打倒後にガルガスタンを吸収する際、非常に協力的だった。

 僕は笑みを浮かべながら、次の言葉を切り出す。

 

「バクラムとウォルスタと、そしてガルガスタンの穏健派……どうです、数は十分に足りると思いませんか?」

「ま、待て! それはつまり――」

「はい。バクラムとウォルスタを同盟させ、そこにガルガスタンの穏健派を加えることで、民族の垣根を超えた勢力を作り出す。――――それが、僕の『提案』です」

 

 そして、会議室は静寂に包まれた。

 




デニムくんの提案は果たして上手くいくんでしょうか。
そして泣き叫ぶ幼女を誘拐する前代未聞のオリ主。良い子も悪い子も絶対に真似しないでください。

すみません、ここのところ私事が忙しくなってきたため投稿ペースが落ちそうです。 orz
なるべく週三ぐらいはいけるように頑張ります。


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050 - Criminal Punishment

 バクラムの指導者であるブランタは、突然タルタロスによって突きつけられた身に覚えのない背信の疑惑に、ただただ途方に暮れていた。執務室の椅子に腰掛け、背もたれに身を預けながら、どうすべきかと焦りながら思案している。

 

 確かにローディスに対して実弟の存在、そして王女の存在を隠していた事は事実だ。もし王女の存在が知られれば、奴らはブランタを玉座から廃して王女を担ぎ上げようとするのは容易に想像がつく。できることならずっと隠蔽しておきたかった事だった。

 だがもはや事は露見してしまった。となれば、ブランタに残された道は王女を担ぎ上げ、その後見人に収まるしかない。すでに成人に近い年齢だが、所詮は世間を知らぬ女に過ぎないだろう。口八丁で上手く乗せてやれば、簡単に操る事もできるかもしれない。

 

 しかし、肝心の王女の居場所がわからない。

 

 タルタロスによれば、弟プランシーと共に逃げ出してしまったという。ブランタが警告したわけではないが、確かに状況から見れば自分が疑われるのも当然だと考える。

 

 かくなる上は――――。

 

「誰か、誰かある!」

 

 ブランタの呼び掛けに遅れて、執務室の扉の向こうから声が返る。ガチャリと扉を開いて現れたのは、騎士姿の男性。彼の名はヴェルマドワ。グランディエと同じく忠義に厚い騎士として知られている。

 

「ハッ、ここに」

「至急、各方面の警備を増強せよ。暗黒騎士団が警備から外れる事となった」

「そ、それは……ハッ、承知いたしました。私から全部隊に通告いたします」

 

 それはあまりにも衝撃的な言葉だったが、職務に忠実なヴェルマドワは動揺した様子を見せつつも頭を下げる。暗黒騎士団が警備から外れるとなれば防衛力の低下は深刻だ。ガルガスタンとの開戦も近いと思われる時期に正面戦力を減らすなど、自殺行為に近い。

 

「それと……手すきの者を集め、部隊をいくつか編成せよ。急ぎの任務を与える」

「ハッ……お言葉ですが、警備の増強も必要となりますと、手すきの者はそう多くはありません。二十人程度の小隊二つほどが限界かと……」

「むぅ……。まあよい。ある民間人数名の捜索任務であるゆえ、戦力はそう多くは必要ないであろう」

「ハッ。それでは至急手配いたします。失礼いたします」

 

 命令を受けたヴェルマドワが執務室を出ていくと、ブランタは再び背もたれに身を預けて嘆息する。

 

 これでいい。暗黒騎士団が頼りにならぬとなれば、今ある戦力でどうにかするしかあるまい。そして、一刻も早く己の疑いを晴らす事こそ肝要だ。そのためには、弟か王女の居場所を探す必要がある。

 ブランタはそう考えつつも、心の奥底から湧き出てくる不安を拭う事はできなかった。それは、魑魅魍魎が巣食う王都を渡り歩いてきた彼の第六感とも呼べる感覚。最善手を打ち続けてきたつもりが、いつの間にか盤面は徐々に劣勢へと傾いてきている。

 

 プランシーの不可解な動き、暗黒騎士団首領の苛立ちとブランタに対する疑念。誰かが盤面に干渉している。ブランタの知らない指し手が対面に座り、ブランタの次の手を待ち構えている。

 

 ひとり執務室の椅子に腰掛けながら、ブランタは見えない盤面を睨み続けた。

 対戦相手の、次の一手を読み取るために。

 

--------------------

 

 一面の白い雪原に囲まれたブリガンテス城。

 ジュヌーンの後ろ姿を見送った騎士ヘクター・ディダーロは、とある人物の元へ足を運んでいた。扉の前に立ち、控えめにノックする。

 

「……父上、よろしいでしょうか」

「ヘクターか。うむ、入るがよい」

 

 小さな居室は、暖炉の煌々とした柔らかい明かりに照らされている。その暖炉の前に腰掛けていた白髪の老人ブライアム・ディダーロは、ヘクターの実の父である。父は何も聞かぬまま息子を迎え入れ、椅子へと座らせる。

 

「一体どうしたのだ。そのように暗い顔をして」

「はい……。実は――」

 

 ヘクターはジュヌーンから聞いた内容を一部始終ブライアムへと話す。聞かなかった事にするとジュヌーンには告げたが、何もしないで傍観するのはどうしてもためらわれた。そのため、こうしてすでに隠居した父に相談を持ちかける事にしたのだ。

 すでにディダーロ家の当主となっているヘクターにとって、親友からの頼みと家名の重みは甲乙つけがたいものだった。代々コリタニ公に仕えてきたディダーロ家の当主が背信行為を働けば、一家断絶もありうる。家人や配下に責任を持つヘクターにとって、簡単に決断できる事ではない。

 

「なんと……。猊下はそこまで苛烈なお方であったか……」

「はい……。ですが私には、ジュヌーンの頼みに応えることができませんでした」

「そうか……」

 

 ブライアムはヘクターの苦悩に理解を示す。かつては当主だったブライアムも、その重圧はもちろん経験している。

 

「そのような政策は反対する者も多かろう。恐らくジュヌーンは、そういった者たちをまとめ上げて枢機卿猊下に退陣を迫るつもりであろうな。それが無理でも、反対の声が大きければ過激な手は打ちづらくなるであろう」

「……私もそれに乗るべきなのでしょうか……」

「ヘクターよ。そちはディダーロ家の当主なのだ。辛い事を言うようだが、決断は己がしなければならぬ。己の決断に責任を持ち、どのような結果が出ようと甘受せねばならん。それこそが当主としての義務であり責任なのだ」

 

 厳しい言葉に聞こえるが、それが父の優しさである事にヘクターは気づいていた。言い換えれば、当主であるヘクターに覚悟がある限り、どのような決断をしようとも従うと言っているのだ。

 父の言葉に背中を押され、ヘクターは自分の心に正直になる決意をした。

 

「……私が考える忠誠とは、盲目的な臣従にあらず。誤りを犯そうとしている君主を正す事もまた、臣下としての務めだと考えます」

「ほう」

「コリタニ公はまだ幼いお方。その閣下を利用し権力をほしいままにする枢機卿は佞臣の類なのでしょう。我々は閣下に仕える者として、そのような不逞の輩を見過ごす事はできませぬ」

「……そうか。そちが当主だ。好きなようにするがよい」

「はいッ!」

 

 ヘクターは父の言葉にしっかりと頷いた。だが、その決意は次の一言で再び揺らぐ事になる。

 

「……ふむ、ではモルドバ殿との婚約は解消した方が良いかもしれんの」

「ち、父上ッ!」

 

 ヘクターには幼い頃からの幼馴染で、ついには婚約者となった女性がいる。その相手との婚約が解消されると聞いて、彼は激しく動揺した。

 

「冗談だ。……だが、そちの動き次第では彼女も巻き込む事となる。ゆめゆめ忘れるでないぞ」

「は、はい。わかっております」

 

 大事な親友からの頼みであったが、婚約者の顔がよぎった瞬間あっという間に親友の顔がどこかへと吹き飛んでしまう。

 ジュヌーンに申し訳なく思いつつも、一度したはずの覚悟に再び苦悩し始めるヘクターだった。

 

--------------------

 

 幼女を片腕にホールドしながら海賊の墓場を出た。途中までは暴れて逃げ出そうとしていたが、こんなところを一人で歩き回ったら変質者に捕まってしまうではないか。ダメだと言い続けていたら、最後にはあきらめてグッタリとしてしまった。

 そのうえ、デネブさんからは妙な視線を向けられるし。俺は犯罪者ではない。迷子の幼女を保護した紳士なんだぞ。確かにちょっと強引だったかもしれないが、危険なのだから仕方ないだろう。そう弁解したいのはやまやまだったが、なんだか言い訳がましくなりそうなので自重した。

 

 精神的ダメージを受けまくっていた俺だったが、洞窟を出て海岸に戻ってくると、そこにはそんな事を忘れさせるカオスな光景が広がっていた。

 

「やっぱりタダ働きは嫌カボ! 助けたんだからお金はいただくカボ!」

「頼むッ! お前達もアイツを見つけ出すのに協力してくれ!」

「ええい、ベル殿はどこへ行ったのだッ! 答えろ、ヴァイスッ!」

「誰か助けてくれぇ……」

 

 疲れ果てた様子のヴァイスを、カボチャと爺さんと美女が取り囲んでいる。海賊の男たちはそれを遠巻きにして関わらないように目を逸らしていた。

 はて、ラヴィニスは気分が優れないから遠征はやめておくと言っていたが、どうしてここにいるんだろうか。しかも、あの爺さんまで一緒だとは。

 

「騒がしいな」

「……ベル殿ッ!」

 

 声を掛けると、三人とカボちゃんが一斉に振り返った。ラヴィニスが俺の顔を見て表情を明るくしている。かわいい。

 

「なッ! その腕に抱えてるのは……!」

 

 なぜかここにいる赤い帽子の爺さんが、俺の腕に抱えられている幼女を指差して大口を開いている。ああそうか、この子が心配で探しにきたわけだな。興味がないようなフリしてしっかりと可愛がってるんじゃないか、このツンデレジジイめ。

 

「ああ、この子なら海賊の墓場に迷い込んでいたので保護したのだ」

「なにッ!? そ、それで、無事なのか!?」

「怪我はないのだが、なぜかオミシュに帰りたくないと暴れてな。ずっと俺の腕の中から逃げ出そうとしていたから、疲れて眠ってしまったのだろう」

「そ、そうか……」

 

 ホッと安堵の表情を見せる爺さん。だが、すぐに表情を引き締める。

 

「そいつ……変な歌を歌っていなかったか?」

「む? 確かに、なんだか気味の悪い歌を歌っていたが」

「くそっ……やっぱりか……」

 

 苦虫を噛み潰したような顔になる爺さん。アイドルデビューに反対しているのだろうか。ラヴィニスも真剣な表情で女の子を見つめている。そうこうしていると、腕の中の幼女がもぞもぞと動き始めた。

 

「おじいちゃん、たすけて!」

「む、起きたか」

 

 開口一番、女の子は目の前の爺さんに助けを求めた。出会って間もない俺なんかよりも、いつも一緒にいる爺ちゃんを頼るのはわかるのだが、その叫び声は微妙に傷つくんだけど……。

 下に降ろして解放しようとした俺だったが、そこへデネブさんから待ったがかかった。

 

「ちょっと待って、ベルちゃん。悪いことした子にはおしおきが必要よね〜?」

 

 ニヤリと笑うデネブさん。うーん、魔女の笑みだなぁ。でも言っていることには一理ある。

 

「む……。確かにそうだな……」

「じゃあ、お尻ぺんぺんしちゃいましょ♥」

「……いいだろう」

 

 デネブさんがそういうなら仕方ないな。決して俺がやりたいわけじゃないぞ。そもそも俺はロリコンではないし、俺にはラヴィニスがいるのだからな。そう、これは将来の子育ての練習なのだ。

 抱きかかえた女の子を持ち替えて、膝の上に横たえる。女の子は「おじいちゃーん! 誰かー! たすけてー!」と叫びながらジタバタともがいているが、聞く耳を持たない。

 

「お、おい……本気かよ……?」

「ご老体。あんな危険な場所に一人で来たのだ。この子には反省してもらわなくてはならん」

 

 爺さんがなんだか引いている。元はと言えば、あんたのしつけが悪いのが原因なんだぞ。まあ、孫にはどうしても甘くなってしまうのだろうけど。

 

「ベル殿……その……どうか、お手柔らかに……」

「ああ、わかっている」

 

 ラヴィニスはやっぱりしつけの大事さが良くわかっているな。将来は良い母親になるだろう。そして俺は、良い父親になるのだ。ふふふ……。

 

「あんな女の子にまで……容赦ねぇな……」

「ああ……だがそれでこそ教官だぜ……」

「俺と代わってくんねぇかなぁ……」

 

 周囲のガヤがうるさい。俺が一睨みすると、男たちは慌てて目を逸らした。ヴァイスまで一緒になって目を逸らしている。

 

「やーめーてー! はーなーしーてー!」

「いい加減にしないか。どれだけあのお爺さんに心配をかけたと思っている。反省しなさい」

 

 暴れる幼女を押さえつけ、俺は手加減に手加減を重ねながら手を素早く振り下ろした。

 

「ひぐっ!」

 

 小気味いい音と共に、幼女の身体がビクリと跳ねる。

 続けて二回、三回と繰り返していくと、次第に幼女の力が抜けていく。十回叩きおわると、幼女はグッタリと俺の膝の上に横たわり、腕がぷらんと垂れ落ちる。

 

 やべっ。もしかして、やりすぎたか?

 

「反省したな?」

「…………」

 

 内心で焦りながらも幼女に問いかけるが、返事は返ってこない。

 

 いよいよまずいと思って幼女の顔を確認すると、彼女は目からポロポロと涙をこぼしているではないか。口をパクパクとさせているが声は出ていない。あれ、そういえばさっきからこの子ペラペラと喋ってたけど、どうして喋れるようになってたんだろう。

 身体を持ち上げて地面に下ろすと、ペタンと尻もちをついてワンワンと泣き始めた。しかし声はないため、サイレント映画を見ているようだ。

 

「ベル殿……」

「うふふ、ベルちゃんすごいわね〜。まさか本当にお尻ぺんぺんするなんて♥」

 

 ええっ!? デネブさんに思いっきり梯子を外されてしまった。ぐぬぬ、なんという魔女なのだ。ラヴィニスのジト目がグサグサと突き刺さる。

 

「ま、これで悪さもしなくなるんじゃないかしらね?」

 

 デネブさんの無責任な発言に振り回された俺は、周囲からの視線で針のむしろだった。

 俺も泣いていいですか?

 




幼女を泣かせるなんて、けしからんオリ主ですよ。
完全にデネブさんの手の平でコロコロされてますね……。


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051 - Waves on the Story

「――起きたか」

 

 ゆっくりと目を開けた途端、聞き覚えのある声が耳元で聞こえて女の子はビクリと身を震わせた。いつの間にかベッドに眠らされていたようだ。恐る恐る顔を向けると、いつもの優しいお爺ちゃんがそこにいた。

 

「何があったか、覚えているか?」

「…………」

 

 女の子はアゼルスタンの問いにコクリと頷く。あの秘密の海岸で助けてくれた、見えない『誰か』のお願いを聞いたら喋れるようになったのだ。歌だって綺麗な声で歌う事ができた。

 でも、女の子はそれを中から見ているだけ。実際に喋って身体を動かしていたのは、ジレーヌと名乗ったお化けだった。女の子はジレーヌに身体を奪われてしまったのだ。

 

「……もう喋れないのか?」

「…………」

 

 再びコクリ。試しに声を出そうとしてみるが、やはりパクパクと口が動くだけだった。

 

 喋って歌って。まるで夢のようなひとときだったが、それはもう終わってしまった。結局、お爺ちゃんに自分の名前を伝える事もできなかった。声をくれたジレーヌは、もうどこかへ行ってしまったのだから。それが悲しくて、ついつい皆の前で大泣きしてしまった。

 

 身体が動かないと気づいた時、最初はヒドいと思った。でも、ジレーヌの気持ちが伝わってくると怒る気がなくなってしまう。ジレーヌは誰かに身体を借りなければ陸に上がる事ができないのだ。ずっと海の上で一人ぼっちだったなんて可哀想だと思う。

 それに、オミシュの皆の前で歌を歌うのは気持ち良かった。ジレーヌも本当に楽しそうにしていて、女の子もつられて楽しくなってくる。でも、聴いていた人たちがおかしくなってしまって驚いてしまった。

 

「あの妙な歌の事も覚えてんのか?」

「…………」

「そうか。聴いてたヤツらは元に戻ったみたいだから、心配すんな」

「…………」

 

 ジレーヌは人の命を食べないと生きていけないお化けだった。歌を聴かせて、生きている人から命を吸い取ってしまうのだ。怖くて残酷な事だと思うけど、人だって動物や魔物の命をとって食べ物にしているから似たようなものかもしれない。

 

「それにしても……なぁ。まさか尻叩きで治っちまうたぁ……」

「…………」

 

 赤面する女の子。もちろん、最後に受けた『おしおき』もしっかりと覚えている。

 心なしか、まだお尻がヒリヒリしている気がする。

 

「まったく、最後までメチャクチャな奴らだったな」

「……?」

「ああ……。あいつらはもうオミシュを出ていったんだ。お前は丸一日寝てたからな」

「……!」

 

 アゼルスタンから告げられた衝撃の事実に口を開けて驚く。

 

「やれやれ。野郎どもにわざわざオクトパス狩りまで仕込んでいきやがって。おかげでオミシュにタコヤキの匂いが染み付いちまいそうだぜ」

「…………」

 

 そうぼやきをこぼしながらも、アゼルスタンが密かにタコヤキを好んで食べている事を知っている。女の子はそんなアゼルスタンの様子が面白くて、ついつい吹き出して笑ってしまう。

 

「ふん。まあ……お前がそうやって笑うようになっただけ、偽善は偽善でもマシな偽善だったな」

 

 ぶっきらぼうな言葉と裏腹に、アゼルスタンの顔には柔和な笑みが浮かべられている。それは、これまで人嫌いのアゼルスタンが見せた事のないような優しい表情だった。

 

 ――お兄ちゃん、お姉ちゃん、みんな、ありがとう。

 

 去ってしまった賑やかな人々の顔を思い浮かべ、女の子はそっとお礼を言った。例え声がでなくたって、きっとどこかにいる皆に届くはずだと思いながら。

 

--------------------

 

 やっと船が直り、その日の内にオミシュを出発した。

 

 訓練した海賊たちを連れていこうかとも思ったが、大所帯になってしまうのでやめておいた。それに、オミシュにオクトパスを供給する大事な役目を与えておいたからな。きちんと班ごとにローテーションを組んで回すように指示しておいたし、そのうちヴァレリア全土にタコヤキの一大ブームがやってくるだろう。

 

「やだもう、ヴァ〜ちゃんったら、いつまで泣いてるのよ〜」

「う、うるせぇ! ほっといてくれよ!」

「そんなに別れたくなかったんなら、オミシュに残ればよかったじゃない?」

「そ、それは……ダメだ! 俺はデニムとカチュアに会いにいくんだからな! ……グスッ」

 

 さっきから甲板の端で、ヴァイスがグズグズと泣きながら膝に顔を埋めている。どうやら、海賊たちと訓練を共にしてすっかり情が移ってしまったらしい。デネブさんにからかわれていじけている。

 

「残るなんて絶対にダメカボ。ヴァイスにはお助け料金をきっちり耳を揃えて払ってもらうカボ。食い逃げなんて許さないカボよ!」

「だから、食い逃げって一体なんの事なんだよ!」

「ヒ、ヒドいカボ……。カボの事を食べたくせにッ! あれは遊びだったカボ!?」

「あら〜。ダメよ、ヴァ〜ちゃん。男の子なら、きちんと責任はとらないとね♥」

「ひ、人聞きの悪い言い方はやめろォッ!」

 

 カボちゃんまで加わって主従でヴァイスをからかっている。いや、からかっているように見えて、励ましているのだろう、多分。しかし、ヴァイスにそんな趣味があったとは意外だったな……。

 

 三人の漫才を眺めていると、船室から出てきたラヴィニスがこちらへと近づいてくる。ショートカットの銀髪がさらさらと潮風に流されている。ロングも好きだったけど、ショートもやっぱりかわいい。

 

「ベル殿、この後は予定通りクリザローへ向かうのでしょうか?」

「そうだな。船の行き先を変えてもらうわけにもいくまい」

 

 もともとクリザローへ向かう予定だったのに嵐に巻き込まれたのだ。ラヴィニスはひとつ頷くと、上目遣いで問いを重ねてくる。

 

「……その先の予定は……?」

「なにせデニム達の居場所がわからないからな……。恐らくアルモリカ周辺にいるとは思うが、姿を隠しているだろうから会うのは難しいだろう」

「やはり、そうですよね……。どうしてデニム達は襲撃を知る事ができたのでしょうか……」

「わからん。仮説を立てるとするなら、俺たちの存在によって歴史に変化が生じてしまったという事なのだろうが……。そもそも、この世界が俺たちの知るものと全く同じ歴史を辿っているという保証もないしな」

「……厄介ですね。知っているからこそ、かえって足元をすくわれそうです」

 

 暗い表情を浮かべるラヴィニスから視線を外し、波の穏やかな海に目を向ける。日の光が海面に乱反射して少しまぶしい。

 しばらく、二人の間に沈黙が落ちた。

 

「……ベル殿、この先の予定について提案があるのですが」

「ほう。聞こう」

 

 再びラヴィニスへ視線を戻すと、彼女は決意を感じさせる表情で俺を見据えている。

 

「私がデニムに勧誘されて解放軍へと出戻るまでに行なった事なのですが……」

「というと?」

「バルバトス枢機卿の元からコリタニ公を救い出すのはいかがでしょうか。それによって、枢機卿の大義名分を奪ってしまうのです」

 

 バルバトスが中心となって建国したガルガスタン王国ではあるが、実のところその国王の座には彼自身ではなく幼いコリタニ公が就いている。バルバトスはそれを補佐するという名目で摂政となり、国を実質的に動かしているのだ。

 どうしてそんなややこしい事をしているのかといえば、やはり民衆の支持を得るためなのだろう。コリタニ公はもともとコリタニ地方の領主だったオルランドゥ伯の末裔で、知名度も権威も十分というわけだ。

 

 逆に言えば、コリタニ公がいなければバルバトスの支持率は大幅に下がってしまうだろう。民主主義ではないからといってその影響を無視する事はできない。なにせ、ヤツの手足となる兵士達も民衆の一部なのだから。

 

「私が救出した時にはすでにガルガスタンと解放軍との戦争が佳境に入っていたため、戦争の行方に影響はありませんでした。それでも、コリタニ城陥落後にガルガスタン軍の多くが抵抗せず降伏したのは、コリタニ公救出の影響が少なくないと思っています」

「ふむ……。今この時期にコリタニ公を救出してしまえば……」

「間違いなく、バルバトス枢機卿は本格的な開戦を躊躇するかと。戦争後期のように、ガルガスタン国内が大きく二分する可能性もあります」

 

 確かに、足元が覚束ない状態で戦争なんてやってられないだろう。

 

「なるほど。悪くはない……が……」

 

 俺は少し言葉を濁しながら、ラヴィニスをじっと見つめる。

 

「……それをすれば、俺たちの知る歴史からは確実に乖離する事になるだろうな」

「……はい」

 

 しっかりと頷くラヴィニス。どうやら彼女に躊躇はないらしい。

 

 俺はどうなのだろう。これから何が起こるのか、知っていれば悲劇を防ぐ事もできる。でもそれは逆に、新たな悲劇を生み出す可能性もあるだろう。もはやデニムのたどる道筋が不明瞭である以上、デニムの身にイレギュラーが起こらないとも限らないのだ。

 それならば、いっそ……か。

 

 船が作る波の軌跡を眺めながら、俺は無言で頷いた。変化を恐れていたら、何もできなくなってしまう。こうして俺たちが何かするたびに、物語にもどんどんと波が立っていくのだから。

 

--------------------

 

 結論から言えば、僕の『提案』は熱気を持って受け入れられた。

 

 ただ、もちろん満場一致というわけではない。ヴァレリア解放戦線の内部には様々な派閥があり、別の思惑を持って参加している人たちもいるのだ。中にはブランタとの政争に敗れてハイムを追放された人がいたり、外部勢力であるローディスに対する危機感から参加する人もいたりと多種多様だ。

 

「とりあえず、うまくいって良かったね」

「デニムったら。もし受け入れられなかったら、どうするつもりだったの?」

「最悪、賛同してくれる人たちだけに協力をお願いするつもりだったよ。なにもヴァレリア解放戦線の全員の協力が必要というわけじゃないんだから」

「……なんだか最近デニムが悪い子になってしまったみたいで、姉さんは悲しいわ」

「あはは……。色々あったからね。こういう事も覚えなきゃいけなかったんだ……」

 

 兵士達を鼓舞するための演説は何度も経験している。そして新生ヴァレリア王国の玉座に就いた時、貴族達や有力者達との折衝も必要だった。王様だからって何でも好き勝手にできるわけではない。おかげで、すっかり腹芸のような事も覚えてしまった。

 

「すまないな、デニム。本来は私の役目なのだろうが……」

「いいんだ、父さん。僕の提案なんだから、きちんと僕が説明しないとね」

 

 長年ゴリアテで神父をしていた父さんがやると、演説というよりも説教になってしまうかも。それはもちろん冗談だけど、あまり父さんを矢面に立たせたくないという気持ちがあるのは確かだ。それは恐らく、父さんの死を見てしまっているからだと思う。

 

 少し空気が重くなったところで、僕達に与えられた居室のドアがノックされる。僕達は顔を見合わせて、返事を返した。木製のドアがギシリと音を立てて開かれると、そこには白髪の人物が立っている。

 

「……あなたは……」

「家族で団欒(だんらん)中のところ申し訳ないが……少し話をさせて頂いてもよろしいだろうか?」

「ええ、どうぞ」

 

 白髪の人物、ハボリムさんはドアを閉じて中に入る。盲目にも関わらず、まるで見えているような振る舞いだった。椅子を勧めると、彼は礼を言って綺麗な所作で腰掛ける。

 

「私はハボリムと申す者。故あって名乗るべき家名はないが、許してほしい」

「ええ……。その、失礼ですけれど、その目は……?」

 

 姉さんが控えめに尋ねると、ハボリムさんはゆっくりと頷く。

 

「ああ。お察しの通り、両目とも盲目だ。不便ではあるが、もうすっかり慣れてしまった」

「そうですか……。それで、ご用件の方は?」

「……デニムくん、といったかな。君の提案は実に興味深いものだった。だが、あの提案の実現にあたって気になる点がいくつかある。それを聞かせてもらいたくてね」

「ええ。何でもお聞きください」

 

 大体の見当はつくが、ここにいる僕はまだハボリムさんの事を詳しくは知らない。

 

 ハボリムさんはこちらに顔を向けてくる。見えていないはずなのに、まるで射抜かれているようなプレッシャーを感じる。この人は一見すると華奢な男性だが、東方のジパングから伝わる刀という武器を扱う達人なのだ。うっかりすれば、一刀でバサリと切られそうな鋭さがあった。

 

「暗黒騎士団……君はその存在を知っているはずだね? だが、君の提案の中にはかの騎士団に対する処遇については触れていなかった。君は奴らをどうするつもりなのかな?」

「僕達の最終的な目的は、民族融和によるヴァレリアの平和的な統一。それはつまり、ローディス教国からの干渉を跳ね除けるためでもあります。当然、彼らは僕達の動きを妨害してくるでしょうね」

「……つまり、暗黒騎士団とは対立すると?」

「はい。ですが、場合によっては一時的に手を結ぶ事もありえるでしょう。ガルガスタンの強大な力に対抗するために、戦力は多い方がいいのですから」

 

 僕の言葉に、ハボリムさんは渋い表情となる。彼は暗黒騎士団となにがしかの因縁がある。当然、そんな相手と一時的にでも手を結ぶなど面白くないのだろう。

 

「……奴らはそんな生易しい相手ではないぞ、デニムくん。利用価値がなくなれば相手を切り捨てる事もためらわない、冷酷で非道な奴らなのだからな」

「……それは十分に承知しています。なにせ本来であれば、僕達の故郷は暗黒騎士団によって襲撃されるはずだったんですから」

「なに……!?」

 

 ハボリムさんの表情が大きく動いた。話すつもりはなかったが、僕にとって彼もまた大事な仲間の一人だったのだ。付き合いはそう長くはなかったが、信頼できる相手である事もわかっている。

 

「長い話になりますが……よろしいですか?」

「……ああ。ぜひ聞かせてくれ。私の直感が聞くべきだと言っている」

 

 彼らしい言い回しにクスリと笑いながら、僕達は顔を見合わせて頷きあった。

 どうやら、今日は夜更かしする事になりそうだ。

 




予定よりもだいぶ長くなってしまいましたが、オミシュ編は終わりです。
最後が少し足早になってしまいましたが……ペース配分について反省しきりであります。

デニムくんたちはハボリムさんとナイショのお話……。
ベルさん達も何やら企んでいるようですね。各陣営の思惑が入り乱れてまさにカオスルート。
なおアゼルスタン爺さんは残留。今後の活躍にご期待ください。


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052 - Sinful Prayer

 ガルガスタン王国竜騎兵団を率いるジュヌーン・アパタイザは、数日をかけて本拠地であるコリタニ城へと帰還した。

 ブリガンテス城で親友のヘクターに協力を断られて打ちひしがれたジュヌーンであったが、すでに気持ちを切り替えて独自に動く事を決意している。

 バルバトス枢機卿が今回の虐殺命令を承知していなかったとは思わない。だが、それでも一縷の望みを掛けて枢機卿を説得するのだ。彼が翻意してくれれば、全ては丸く収まるのだから。逆を言えば、そのぐらいしかジュヌーンに取れる手段はないとも言える。

 

 行軍で消耗している竜騎兵団に休息と待機を命じて、ジュヌーンは足早にバルバトスの元へと向かう。

 だがその道中、城の廊下にて見たくもない顔と出会ってしまった。

 

「おお、ジュヌーンか。任務ご苦労だったな」

「……グアチャロ」

 

 その人物は彼に偽りの情報を与えた騎士グアチャロだった。ジュヌーンは苦虫を噛み潰した表情になりながら、グアチャロと相対する。恐らくは彼も上の命令で動いていたのだろうが、嵌められかけた身としては心穏やかにはいられない。

 

「む、どうしたのだジュヌーンよ。まさか、任務を失敗したとは言わんだろうな?」

「…………」

 

 グアチャロの問いに黙り込むジュヌーン。失敗といえば失敗であろう。だが、その任務そのものの正当性が疑わしいのだから仕方ない。そこでジュヌーンは、視点を変えてグアチャロを責め立てる事にした。

 

「あの村がゲリラの基地というのは誤情報だったぞ、グアチャロ。貴公の不手際で、私は危うく無辜の民を手に掛けるところであったのだ」

「なに……?」

 

 ジュヌーンの言葉にピクリと反応するグアチャロ。ジュヌーンの目には、一瞬顔色を変えかけたがそれを慌てて自制したように映った。だがそれは、かえって不自然さを際立たせている。

 

「……そんなはずはない。あの村は確かにゲリラの基地であったのだぞ。貴様、よもや住民達に(ほだ)されたのではあるまいな?」

「ほう。では何を根拠に彼らをゲリラと呼ぶのだ。彼らは武装もしておらず、村には何の防衛設備も存在しておらん。……彼らがゲリラなのであれば、この国の国民は全てゲリラという事になるのだぞッ!」

「ば、馬鹿な事をッ! 奴らは我が国に巣食うネズミどもなのだぞ! あのような異教徒どもと崇高なガルガスタン人を一緒にするなど愚かな事だ!」

「……それが貴公の本音か」

 

 売り言葉に買い言葉で思わず本音を吐露したグアチャロに、ジュヌーンは顔をしかめる。グアチャロはつい口にしてしまった言葉に慌てて口を閉じるが、すでに後の祭りだった。

 

「やはり貴公は知っていたのだな。あの村が異教徒達の隠れ住む村であるという事を知っていて、私に彼らの虐殺を使嗾(しそう)したのだなッ!」

「……フン! 貴様のような綺麗事を抜かしてばかりの甘い腰抜けは、そうでもせんと手を汚す事も選べんだろう! せっかく与えてやった機会を無為にしおって!」

「貴様……!」

 

 ジュヌーンの糾弾に対して完全に開き直ってみせるグアチャロ。二人はにらみ合いを続け、一触即発の険悪な空気が漂う。二人の手が、お互いの腰に提げられた得物へと伸びる。

 

 そこへ、能天気ともとれる調子の声が掛けられた。

 

「おやおや。これは、これは。穏やかではありませンねぇ」

 

 ひょっこりと現れたその人物は、頭に赤いターバンを巻いて白ヒゲを生やした初老の男性。ガルガスタンにおいては死霊術という特殊な魔法を操る屍術師として有名な人物だが、ジュヌーンにとっては親友であるヘクターの婚約者、モルドバの父親という印象が強い。

 

「ニバス殿……」

 

 屍術師ニバス・オブデロードは、いつも通り不敵な笑みを浮かべながら二人に近づいてくる。さすがににらみ合いを続ける気にもなれず、ジュヌーンは気まずい表情を浮かべる。

 

「フフフ、どうしたンですか、お二人とも。私の事は気にせず、続けて頂いてもよろしいンですよ?」

「いえ、それは……」

「……失礼するッ!」

 

 グアチャロは堪えきれないといった様子で、踵を返して離れていった。どうも、グアチャロはニバスと相性が悪いようだ。異教徒や異民族を敵視するグアチャロにとって、異端の魔術を研究するニバスはガルガスタン人とはいえ我慢ならない相手なのかもしれなかった。

 後に残されたジュヌーンは、ニバスへと向き直って頭を下げる。

 

「助かりました、ニバス殿。あのままいけば、刃傷沙汰になっていたかもしれません」

「なんの事ですかねぇ」

 

 白を切るニバスだったが、グアチャロもジュヌーンも周囲をはばかる余裕もなく大声を上げていた。恐らく廊下の先にいたニバスの耳にも届いていただろう。

 

「……恐らく、グアチャロは猊下の元へ報告へ向かうつもりでしょう。私は命令に背いた反逆者として処分されるかもしれません」

「おやおや。それはまた物騒な話ですねぇ。まあ私も後ろ指を指される事が多いですし、バルバトスさんも成果を出せとうるさいですから、逆らいたくなる気持ちがわからないでもないですけど。……それで、貴方はどうするおつもりなンですか?」

「……どうする、というと? 猊下の前で己の潔白を訴え、猊下を説得してみるつもりですが……」

 

 神妙な顔つきで答えるジュヌーンだったが、彼自身それが上手くいくとは到底思ってはいない。恐らくジュヌーンは死罪を賜る事だろう。しかし元より他に手段がないのだから、これに懸けてみるしかないのだ。

 

 だがそれを聞いたニバスは、思わずといった様子で失笑してみせる。

 

「フフ……いえ、失礼しました。貴方があまりにも滑稽だったもので……」

「な……ど、どういう意味でしょうか」

「貴方が命令に逆らったのは、ご自身の信念のためなンでしょう? そして今も信念のために死を選ぼうとしている。これが可笑(おか)しくなければ、何が可笑しいというンでしょうね?」

「…………」

「私に言わせれば、死を選んだ時点でその人は死んでいるのですよ。信念がどうとか理由を付けてますが、貴方はただ諦めただけでしょう? 生きるために全力を尽くさないのであれば死んだ方がマシでしょうから、止めはしませんけどねぇ」

「それは……」

 

 正鵠を射た物言いに言葉を失うジュヌーン。ニバスは溜息をついてそんなジュヌーンから視線を外す。

 

「……やれやれ、余計な事を言ってしまいましたね。歳を取ると説教っぽくなっていけません。……さて、私は研究の続きがあるので、これにて失礼いたしますね」

 

 立ち尽くすジュヌーンを放置したまま、ニバスは振り返る事もなく廊下を歩いて去っていった。

 閑散とした廊下に一人残されたジュヌーンだったが、やがて顔を上げて拳を握りしめた。

 

--------------------

 

 数日の船旅を経て、俺たちは無事にクリザローの町にたどり着いた。もし再び嵐に遭っていたら、不幸の元になっていそうなヴァイスを放置していく事も考えなければならなかった。危なかったな。

 

 クリザローの町はアルモリカ地方の辺境に位置しており、町を二分するように大きな川が流れているのが特徴的だ。

 話しによれば、あのオクシオーヌのいたバスク村に住んでいた人々の元をたどると、多くはこの町の住民だったらしい。ここクリザローは、彼らが信仰する海神バスクを崇めるバスク教の総本山でもあったのだ。

 熱心なフィラーハ教徒であったドルガルア王による統治が始まり、彼らは迫害を受けて棲家を追われる事となった。民族融和を唱えておいて異教徒は許さないなんて、王様にしては器が小さいと思うぞ。

 

 さすがに長時間の船旅に疲れたラヴィニス達もいるので、ここで一泊する事にした。ゴリアテの祭りの影響かこの辺鄙な町には珍しく宿泊客が多いため、俺たちは大部屋一つを確保して腰を落ち着ける。

 

「ふぅ。やっぱり船って疲れちゃうわねぇ。ね、ヴァ〜ちゃん、マッサージしてくれない?」

「な、なんで俺がそんな事しなくちゃなんねーんだ!」

「あら、遠慮しなくてもいいのに♥ ほら、乙女の柔肌に触るチャンスなのよ?」

「う、う、うるせーッ!」

 

 寝そべったデネブが、スカートをするするとめくりあげてヴァイスを誘惑している。むむ、見えそうで……やっぱり見えない。成人に近いはずのヴァイスだったが、そういった事に免疫がないのか顔を真っ赤にして部屋を飛び出していってしまった。

 

「デネブ殿……そういった事はあまり感心しませんよ」

「ごめんね〜。だってヴァ〜ちゃんったら面白いんだもの。カノぷ〜を思い出すわね」

 

 旧知の仲だというカノープスも、デネブさんには散々な目に遭わされているのだろう。同情するが、こんな美女にからかわれるなんて一種のご褒美かもしれない。

 

「それに、ラヴィニスちゃんにはベルちゃんがいるから良いじゃない。あ〜あ、私も恋してみようかしら。でも良い相手がいないのよねぇ……」

 

 そう言ってデネブさんは部屋を見渡し、端に座って存在感を消していたタルタロスに目をつける。影は薄いが、奴はしっかりとオミシュから俺たちに同行していた。

 

「ね〜タルちゃん♥ ほら、お姉さんと一緒にデートでも行きましょ♥」

「……知らん。勝手に行ってろ」

「あら、レディに向かってそれは無いんじゃないかしら。う〜ん、でも仕方ないか。そうよね、タルちゃんにはきっと昔から思い人が――」

「行くぞ」

 

 前言をあっさりと撤回したタルタロスは、つかつかと足早に部屋を出ていく。デネブさんは「待って〜♪」と言いながらタルタロスの背中を追いかけていった。なんと恐ろしい操縦力。

 大部屋に二人残された俺とラヴィニスは顔を見合わせる。なんだか、デネブさんが妙な話をするから変な雰囲気になってしまった。それを察してラヴィニスも顔をほんのり赤らめている。

 

「……俺たちも外に出てみるか」

「は、はい。……お供します」

 

 こうなったら俺たちもデートするしかないな。のん気な事ではあるが、ずっと張りつめていたらどこかで切れてしまう。たまにはこういった息抜きも必要なのだ、と自己弁護しつつ俺はラヴィニスの手をとる。

 

「あっ……」

 

 小さく声を漏らしたラヴィニスの真っ赤な顔がかわいかった。

 

--------------------

 

 クリザローの町の中心部に位置する一軒の教会。外見は古く年季が入っているそれは、身寄りのない孤児たちを預かる孤児院としての側面があり、大きめの住居が併設されている。

 その一室、小じんまりとした書斎の椅子に腰掛けた神父は、手元の書類を見て小さな溜息をついた。その書類には細かい金額が羅列されており、その内訳を見ればこの教会の収支計算書である事は一目瞭然だ。

 

 彼の名はドナルト・プレザンス。敬虔なフィラーハ教の神父である彼は、食い詰めている孤児たちの状況に心を痛めて自身の教会で預かり育てる事を決めた。幸いな事にその志に賛同してくれる信徒たちも多く、その援助や寄付によって今まで子ども達を育て上げてきた。

 だが、その援助もここのところ途切れがちになっている。原因はもちろん、ドルガルア王の死から始まる不安定な国内情勢によるものだ。まだ本格的な開戦には至っていないが、すでに戦争は避けられない状況にきている。その影響で諸々の物価も上昇の一途を辿っているのだ。

 

 もちろんプレザンスも援助だけで生活が成り立つとは思っていなかったため、自身や孤児たちの手で畑を耕すなど努力はしている。この孤児院を巣立っていった子ども達からの援助もある。だが、そうはいっても苦しい家計状況が続いていた。

 そんなプレザンスをさらに憂鬱にさせるのは、戦争によって戦災孤児が多く生まれるであろう事だ。どうしてかように人々は争いあうのか。子ども達に罪はないというのに。プレザンスは人類の罪深さと己の無力さを嘆いた。

 

「……おっと、いかんな。そろそろ教会へと戻らなければ」

 

 子ども達だけでなく、神父として迷える信者たちを救うのも大切な仕事だ。プレザンスは身支度を整えて、教会の聖堂へと慌てて戻る。昼休みのつもりだったが、うっかり考え込んでしまっていた。

 

 すれ違う子ども達と挨拶を交わしながら聖堂へと戻ると、数人の老人がベンチに腰掛けて静かに祈りを捧げていた。そんな信徒たちを見て、心を穏やかにするプレザンス。自身も同じように祈りを捧げようとしたところ、聖堂の後方に開かれた玄関に二人の人影が見えた。

 

「ほら、ここは教会ですよ、ベル殿」

「む、そうだったか。大きな家屋だったから、何かあるのではないかと思ったが」

 

 どうやら二人は教会と知らずにやってきたらしい。しかしそんな事よりも、プレザンスは二人の出で立ちに興味をひかれる。まさしく美男美女というべき組み合わせで、珍しい銀髪の二人組だったからだ。兄妹だろうかと思いつつ、プレザンスは二人へと近づいた。

 

「旅のお方ですかな? もしよろしければ、神に祈りを捧げていってはいかがでしょう」

 

 そう声を掛けると、女性の方がプレザンスの顔を見て驚いた表情になる。しかし、プレザンスには彼女の顔に見覚えはない。

 

「おや、どちらかでお会いしていたでしょうか?」

「いえ……。その、私が一方的に神父様をお見かけした事があるだけで……」

 

 そういって女性は口を濁したので、プレザンスも深く問う気にはならなかった。

 

「申し遅れました。私はこの教会の神父を務めるドナルト・プレザンスと申します」

「プレザンス……? ああ、なるほど」

 

 男性の方も、何か得心がいったかのように頷く。そして女性と目を合わせて何やら意思疎通をしたようだった。何のことかわからず、プレザンスは困惑する。

 

「失礼した。俺はベルゼビュート。こちらはラヴィニスだ。ご賢察の通り旅の途中でな。……神父殿の勧めでもあるし、旅の安全も含めて神への祈願とするか、ラヴィニス。もう嵐は懲りごりだからな」

「ふふ、そうですね。私もフィラーハ教徒ですし……。神父様にはお恥ずかしながら、ここのところ祈りを怠っておりましたが……」

 

 恥ずかしそうに言うラヴィニスに、プレザンスは鷹揚に頷いた。

 

「それも仕方ないでしょう。このところ、不穏な世相が続いておりますからな。この教会を訪れる者も少なくなっております」

「そうか……。不安定な世だからこそ、神にすがりたくなる者も増えそうなものだが」

「確かにそういった人々もおります。ですが、神はあくまで我々を見守ってくださるに過ぎませんからな。いくら祈りを捧げたところで腹が膨れるわけでもありません。余裕がなければ、教会に来て祈りを捧げる事も難しいのでしょう」

「そ、それは……」

 

 神父らしからぬプレザンスの言葉に、目を白黒させるラヴィニス。

 

「祈りというのは、神にただ救いを求めるだけのものではありません。自らの目標や決意を神へと誓い、それを見守ってもらえるよう願う。そうして自らが行動して初めて祈りが叶うのですよ」

「なるほど……」

 

 プレザンスの言葉を聞いたラヴィニスは神妙な顔付きで頷いた。

 そして三人は、それぞれに聖堂のベンチに腰掛けて神に祈りを捧げ始める。

 

 一方的な救いを求めても、神は応えてはくれない。だからこそ、プレザンスは自分から孤児たちを引き取って育て始めたのだ。

 人が神に代わって人を裁けると考えるのが傲慢であるように、人が神に代わって人を救う事もまた傲慢な行いなのではないかと悩んだ事がある。神の意思に反した行いなのではないかと疑った事もある。人がいくら足掻こうとも、全ては神の御心によって定まった()()なのではないか、とも。

 だが、それでもプレザンスは孤児を引き取る事をやめなかった。子ども達の笑顔を見てしまえば、彼自身も救われた気がしたからだ。

 

 人が人の運命を変える事。それはやはり罪深い事なのだろう。

 だが、そうして生きながら罪を犯す生物こそ人なのだ。

 

 もしかしたら、いつか罰がくだる事があるかもしれない。

 せめて子ども達に咎が及ばなければいい。

 

 日々、神に赦しを請い続けるプレザンスの祈りは、物言わぬ神へと捧げられた。

 




プレザンス神父の登場です。
果たして彼の祈りは神に届いたのでしょうか。(なお原作では届かない模様)
ジュヌーンさんはニバス先生の口車に乗せられてしまいましたね。さすがは先生だぜ。


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053 - Trembling Guardians

「神父様はいらっしゃるかッ!?」

 

 祈りを捧げる人々と静寂で満たされた聖堂に、突如として大声が響き渡った。何事かと顔を上げる人々と、ベンチから立ち上がって入り口を振り返るプレザンス。そこには、彼のよく知る女性が立っていた。

 

「そのように慌てて、どうしたというのだアロセールよ」

「カールが……! 兄さんとカールが、魔物に襲われて怪我をッ!」

「なに……!? いかん、すぐにカール達の元へ案内してくれ!」

 

 カールとは彼の預かっている孤児の一人で、今いる子ども達の中では一番の年長者だった。狩りの腕が良く、クリザローの郊外に出かけては獲物を仕留めてくる。孤児院の厳しい家計状況を知って、少しでも助けになろうとしているのだ。

 そんな彼に弓の扱いや狩りを教えているのは近所に住む目の前の女性、アロセールだった。彼女もまた弓の名手であり、成人男性でも太刀打ちできないほどの狩りの達人でもある。彼女に師事することでカールはメキメキと狩りの腕を上達させていった。

 

 クリザロー近郊に危険な魔物はほとんど出現しないとはいえ、昨今の不安定な情勢を考えると野盗が現れないとも限らない。それを心配して狩りを控えるように言ったプレザンスだったが、カールは一向に狩りをやめなかった。家計の助けになっているのは事実だったのでプレザンス自身も強く咎める事はできず、それが強い後悔として彼の胸に去来する。

 

 アロセールに案内されながら慌てて教会を出ると、その後ろから二人組がついてきている事に気がついた。先ほど聖堂で話したばかりの男女だ。

 

「魔物に襲われたと言ったな。念のため俺達も同行しよう」

「微力ながら、私も回復魔法が使えます」

 

 二人は先ほど知り合ったばかりのプレザンスに力を貸してくれるようだ。プレザンスが駆けながら感謝を述べると、一緒に走っているアロセールも二人に視線を向ける。

 

「……魔物はグリフォンとリザードマンの群れよ。なんとか撃退したけど、いつ戻ってくるかわからないわ」

「む、ドラゴンではないのか。しかし、グリフォンとは好都合だな。そろそろオクトパスにも飽きてきたところだ」

 

 ベルゼビュートと名乗った男の発言に耳を疑うプレザンスだったが、冗談で言っているわけではなさそうだ。アロセールもそう感じたのか、目を細めている。もしもドラゴンがこんな所に現れたら、クリザローは未曾有の危機に陥る事になるだろう。それこそ、アルモリカ軍に救援を頼まなければならないような事態だ。

 もう一人のラヴィニスと呼ばれた女性が、溜息をついて頭を軽く下げる。

 

「すみません。この方は少々……人とは違う物差しをお持ちでして。とてもお強いのは間違いないので、深く気になさらないでください」

「ラヴィニス、それではまるで俺が常識の無い奴みたいではないか?」

「そう言っているつもりなんですが……」

 

 二人の気安いやり取りに、思わず気が抜けそうになるプレザンス。アロセールも同様だったのか、珍妙な目つきになっている。その後も二人の会話が続くが、二人が気の置けない仲である事は十分に理解できた。

 

 妙な空気のまま走り続けて、やっと現場であるタインマウスの丘へとたどり着く一行。一面を草原で覆われたなだらかな丘陵地帯で、ところどころに牙のような白い石灰岩が覗かせている。

 カールはその岩の陰に隠れるように寝かされていた。その側には、アロセールの兄であるシドニーの姿も見える。どうやらシドニーは気を失っているようだった。そのため、唯一無事だったアロセールが助けを求めに来たのだろう。

 

「カール! シドニー!」

「し、神父様! こんなところまでわざわざ……」

「馬鹿を言うな、カール。可愛い我が子を助けに行かぬ親などおらんのだぞ」

「神父様……すみません……」

 

 涙ぐむカールの容態を見ると、肩から背中にかけてグリフォンのカギ爪でつけられたらしい傷あとが残されている。アロセールの手によって応急処置はなされているが、出血が多く危険な状態だった。プレザンスはすぐに決断して、神の力を借りる事にする。

 

「『我が祈り、清らかなる神の灯火となりて汝の傷を癒さん……ヒール!』」

 

 プレザンスが祈りを捧げながら魔力を循環させると、回復魔法【ヒール】が発動してカールの傷が見る見る間に塞がっていく。血色の悪かった顔も少しずつ赤みがさしていった。

 クリザローに神父として赴任する前には、クレリックとして修行を積んでいたプレザンス。悪霊退治なども課される厳しい修行だったが、その経験によって一人の息子を助けられた事に深く感謝した。

 

 とりあえず一安心と今度はシドニーの容態を見ようとしたところ、そちらはすでに同行していたラヴィニスの回復魔法によって完璧な癒やしが施されていた。ラヴィニスの見事な手腕にプレザンスは感嘆を漏らす。

 

「……見事ですな」

「騎士として戦場で磨いたものです。誇れるほどのものでは……」

 

 そう言って謙遜してみせるラヴィニス。これほどの回復魔法の腕となると、掻い潜った戦場の数は生半可なものではないとプレザンスは推測した。見た目はまだ若く見えるため、近年起きた大規模な戦争となるとゼノビアだろうかとも当たりをつけたが、深く問うつもりはなかった。

 

「騎士様、兄を助けて頂き、ありがとうございます」

 

 アロセールも同じ女性として尊敬の念を抱いたのだろう。ラヴィニスに対して素直に頭を下げていた。そんなアロセールにラヴィニスは微笑みで応えた。

 

「う……うぅ……ここは……」

「兄さん、気がついたのね……!」

 

 うめき声を漏らしたシドニーの手を握るアロセール。プレザンスの目から見ても二人は仲の良い兄妹だった。だが面倒見のいいシドニーやアロセールは、カールや孤児院の子ども達を義弟や義妹として可愛がってくれている。その事に何度感謝したかわからない。

 

「そうか……ごめん、アロセール。心配を掛けたみたいだね。それに……神父様にもわざわざお越しいただいて……」

「兄さん、ほら、この騎士様も兄さんの傷を癒やしてくださったのよ……えーと……」

「私はラヴィニスです。以前は騎士でしたが今は主君を持たない旅の身。どうか、そう気を遣わないでください」

「ラ、ラヴィニスさん、ですか……。ありがとうございます」

 

 ラヴィニスの浮かべる柔らかい笑みに、頬を赤らめながら頭を下げるシドニー。おや、と思ったプレザンスだったが、先ほどのベルゼビュートとラヴィニスの気安いやり取りを思い出して気の毒に思った。残念ながら、彼にできる事は神父として話を聞いてやる事ぐらいだろう。

 

 ああ神よ、どうか迷える若者を導きたまえ。

 

--------------------

 

 ラヴィニスとデートのつもりだったが、辺境の町であるクリザローには特に見所のある場所はない。しいていうならば町の中央を流れる河だろうが、観光スポットと呼ぶには貧弱すぎる。

 そこで町中を見て回っていたところ、教会に迷い込んでしまった。別に信心深くもない俺だが、ラヴィニスは時々フィラーハ神に祈りを捧げているのを知っている。この世界では教会が大きな力を持っており、完全に無宗教な人間などそう多くはないのだ。

 

 プレザンス神父の事はデニムから聞いていた。神職でありながら解放軍に参加していた珍しい存在で、デニムの騎士団に参加していたらしい。ラヴィニスもきっと彼の事は知っているのだろう。詳しい経緯は聞いていないが、やはり戦いの中で戦死したと聞いている。戦死者多すぎるだろう……。

 

 彼の勧めで祈りを捧げてみたものの、俺みたいな不信心者が祈ったらかえって罰が当たりそうだ。とりあえず「転生ありがとうございます?」と頭のなかにクエッションマークを浮かべながらお礼を言ってみる。そもそも転生なのかもよくわからんしなぁ。

 あとは「ラヴィニスとうまくいきますように」というお祈りも忘れていない。賽銭箱でもあれば財布を丸ごと投げ入れるレベルなのだが。あ、でも俺、未だに無職だったわ……。「職につけますように」というお祈りもしておこう。

 

 教会にいきなり飛び込んできた女性、後から聞いた名前はアロセールというらしい。魔物に襲われたと聞いて、俺とラヴィニスは目を合わせて頷きあった。これぞツーカーの仲というやつだな。

 道中イチャつきながら現場にたどり着くと、そこには二人の男が倒れていた。プレザンス神父とラヴィニスの回復魔法で一命はとりとめたようだ。見る見る間に怪我が治っていく様子は、何度見ても飽きない。俺も回復魔法使えたらいいのになぁ。まあ俺は怪我しても勝手に治っちゃうけど……。

 

「ラ、ラヴィニスさん、ですか……。ありがとうございます」

 

 アロセールの兄であるシドニーは、ラヴィニスの介抱を受けて満更でもなさそうに頬を赤くしている。べ、別に俺はどうとも思わないぞ。俺だってラヴィニスみたいな美人看護師さんに介護されたら一発でオチてしまう気がするし。でも色目をつかったらせっかくの回復魔法が無駄になるから気をつけろ。

 

「兄さん。ラヴィニスさんにはお相手がいるから、やめておきなさい」

「なッ! ぼ、僕は別に……!」

 

 アロセールからチクリと釘を刺されて挙動不審になるシドニー。どうやら妹にはお見通しだったようだ。

 

「はいはい。いいから、さっさと町へ戻りましょう。またあの魔物が戻ってくるかもしれないわ」

「――いや。残念ながら、もう遅いようだな」

 

 俺のつぶやきに、訝しげな表情になるアロセール。だが、すぐに表情を変えると慌てた様子で周囲を窺う。俺の知覚では、すでに周囲が魔物に囲まれつつある状況を察知している。どうやらアロセールも気がついたらしく、苦虫を噛み潰したような表情になる。

 

「……なんてこと。囲まれているじゃない」

「そんな……」

 

 シドニーはせっかく良くなった顔色を青くさせる。それはプレザンス神父に介抱されていたカールという男も同様だった。いくら回復魔法で回復したからといって、そんなすぐには動き回れない。現実の世界はゲームとは違うのだ。

 

「この動き……魔物の群れにしては統率が取れすぎているわね……」

 

 ラヴィニスもまた眉をひそめている。彼女は騎士として魔物を幾度となく相手にした経験がある。そんな彼女は魔物たちに対する違和感を敏感に感じ取ったのだろう。そしてその直感は正しい。

 

「ラヴィニスの言う通りだな。魔物に紛れて人の気配がある。恐らくこいつらは、人によって調教された魔物たちだろう」

「そんなッ! だって私達が襲われた時には……」

「恐らく、単なる魔物の群れに見せかけて油断を誘う策なのでしょうね……。こうなると、あなた達を逃したのも応援を呼ばせるためかしら。獲物の数は多い方がいい……まるで獣のやり方ね」

「そんな……」

 

 ラヴィニスの推測に顔を青ざめさせるアロセール。もしそれが事実だとすれば、アロセールはまんまと神父を巻き込んでしまった事になる。

 

「勘違いしないで。獣は所詮、獣なのよ。こちらには()()()()がいる――」

 

 そういってラヴィニスは俺に目配せをした。ん、ドラゴンって俺の事か? それじゃあ俺は共食いしてる事になってしまうんだが……。まあいいか。

 

「隠れている臆病者たちに告げる。そちらが出てこないつもりならば、こちらから向かうぞッ!」

 

 俺が大声と共に殺気を放つと、隠れていた魔物たちが一斉に怯えたように身を震わせる気配を感じた。同時に、それを慌てて抑えようとする人の声が聞こえてくる。

 

「おいッ! お前たち、落ち着け!」

 

 何とか魔物たちをなだめたようだが、岩陰に隠れていた人影は丸見えになっている。うおっ、すげえイカツい顔だ。もっさりと生えた髭と、ツルリと禿げ上がった頭、顔を斜めに走る痛々しい傷痕。その姿はまるで野生の獣のようだった。

 

「貴様は……ガンプ! ガルガスタンの者がなぜここにいるッ!」

「ク、クソッ! 知られたからには生かして帰さんぞ!」

 

 どうやらラヴィニスはあの男を知っているらしい。確かに、一度見れば忘れられないインパクトのある顔だ。

 

「あの男を知っているのか、ラヴィニス」

「ええ……。ガルガスタン軍に所属するビーストテイマーです。確かに、二匹のグリフォンを従えていたはずですね……」

 

 ガルガスタン軍がなぜこんなところに、と考えたが、目撃者を消そうとしているところからして恐らく戦力確認の斥候か何かなのだろう。こんな目立つ男に斥候が務まるとは思えないが、グリフォンを従えているのであれば話は違う。

 アロセール達を逃したのも、戦力確認のためだったとすれば合点がいく。魔物の群れであれば、軍が対処するのは当然だ。だが残念ながら、クリザローにアルモリカ軍は常駐していない。

 

「ベルダ! オブダ! 野郎ども、奴らを仕留めろ!」

「GRRR!」

「BRRR!」

 

 ガンプが合図を出すと、二匹のグリフォンとリザードマン達が姿を見せた。グリフォンはガンプの側に、リザードマン達は俺達を取り囲むように配置されている。

 俺の目は自然と、もう何日も口にしていないグリフォンへと吸い寄せられた。ヤキトリか……。

 

「GRR!?」

「BRR!?」

 

 二匹のグリフォンは俺の視線を受けると、翼を畳んで身を小さくしてしまう。明らかに怯えているように見えた。野生のグリフォンならそれでも血気盛んに襲いかかってくるのだが、こいつらは少し臆病なグリフォンなのかもしれない。

 

「ど、どうしたんだお前たち!」

 

 ガンプも急に縮こまってしまったグリフォン達に困惑しているようだ。

 

 さらに周りを見回すと、俺達を取り囲んでいたリザードマン達も尻尾を股の間に入れて縮こまっていた。奴らは一様に俺と目線を合わせないよう不自然に空や地面を見ている。まるでチンピラに絡まれないようにする通行人ではないか。

 

「……どうやら、俺の相手は貴様だけのようだな」

「チィッ! ベルダとオブダに何をしやがった!」

 

 ガンプは腰にさげていたムチを片手に持って構えるが、明らかに腰が引けている。だが戦うつもりなのは間違いないため、俺は構わずに槍を持って奴に近づいていく。まあ、ガルガスタン軍ならフルボッコにしても問題ないだろう。

 

 しかし、そこへ割って入る二つの影があった。

 

「ベルダ、オブダ……お前たち……」

「GRR……」

「BRR……」

 

 二匹のグリフォンは身体を震わせながらガンプの前に立っている。そんな健気なグリフォンの姿に、ガンプはイカツい顔を歪ませた。俺も俺で、そんな姿を見せられては矛先が鈍るというものだ。溜息をついて、持っていた槍を収める。

 

「……消えるがいい。そのグリフォン達に免じて見逃してやろう」

「く……くそ……覚えてろよッ!」

 

 ガンプは捨て台詞を吐いて、グリフォンにまたがった。そのままもう一匹のグリフォンと一目散に逃げていく。それを見て、周囲にいたリザードマンも三々五々に散っていった。

 

 あーあ。ヤキトリ、食べ損ねたな……。

 




ガンプさん、登場そして退場。逃げっぷりは原作準拠です(にっこり)
そしてクリザロー在住のアロセール姐さんが再び登場です。カールという孤児は原作に名前だけ登場します。こういうキャラの設定を捏造するのも二次創作の醍醐味ですねぇ。


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054 - Nightmare

「――なに? それは真か?」

「ハッ。竜騎兵団は任務を果たさずに帰還したようです。団長のアパタイザ卿は、かの村に住む異教徒達は何ら罪を犯してはいないと開き直りを見せておりました」

 

 執務室にいたバルバトスの元へ騎士グアチャロが現れて報告する。本来であれば上官である将軍ザエボスを経由すべきだが、ザエボスは現在とある任務を受けてコリタニ城を不在にしていた。

 お荷物の実験部隊に異教徒達を始末させるという思惑が大きく外れ、歯噛みするバルバトス。ドラゴンを調教するという発想は良かったが、ドラゴン捕獲の際の損害も大きく戦力としても不安定で、とてもではないが採算が取れない。せめて民族浄化の尖兵として役立たせようとしたにも関わらず、その団長自身もこちらに手綱を握らせない暴れドラゴンだったとは。

 

「……即刻、竜騎兵団の団長を連行して参れ。そやつには抗命罪の疑いがある」

「ハッ、承知いたしました!」

 

 バルバトスの命令を受けたグアチャロの声は明るい。同期でありながら実験部隊の団長として抜擢されたジュヌーンは、グアチャロにとって面白くない相手なのだろう。それを大義名分をもって排除できると知って、グアチャロは張り切った様子を見せる。早速、城を守る警備の者たちにも連絡をとり、城内の大捜索が開始された。

 

 だが、そんなグアチャロの張り切りも虚しく空振りに終わる。城内をいくら探しても、ジュヌーンの姿は影も形も見当たらなかったためだ。

 さらには竜騎兵団に所属していたジュヌーンの配下達や、ドラゴン達までもが同様に姿を消していた。状況から見てジュヌーン達が逃亡したのは明らかだ。竜騎兵団の団員達は団長であるジュヌーンに信奉を寄せており、その結束は非常に固い。

 門番の証言によれば、ジュヌーン達は「任務がある」といって堂々と城を後にしたらしい。その時点ではまだ捜索の命令が行き渡っておらず、その間隙を見事に突かれた形となってしまった。

 

「何だと!?」

「も、申し訳ございません……。城内のどこにも奴の姿がなく……」

「馬鹿な……! あの竜騎兵団を作り上げるのに、どれだけの金と時間を要したのかわかっているのか……!! ええい、城周辺も捜索せよ!」

「ハッ!」

 

 弱りきった様子のグアチャロに憤りながら追加命令を与えるバルバトス。そんな彼の不幸は、それだけに留まらなかった。グアチャロが返事した次の瞬間、執務室の扉が勢い良くノックされる。

 

「し、失礼いたしますッ!」

「何事だッ! 奴が見つかったのか!?」

 

 慌てた様子で駆け込んできた兵士の緊迫した表情を見れば、そうでない事は明らかだった。兵士が次に口にした内容に、さしものバルバトスも思考を停止して固まってしまう。

 

「そ、それが……コリタニ公が……コリタニ公閣下がいらっしゃいません! 閣下の居室を守っていた警備の者が昏倒しているのを発見されました!」

 

 その報せは、バルバトスにとって悪夢の始まりを告げるものだった。

 

--------------------

 

 ヤキトリを食べ損なって気落ちする俺は、ラヴィニスに慰められながらクリザローの町へと戻ってきた。何とか歩ける程度まで回復した男たちと、プレザンス神父とアロセールも一緒だ。道中なんだか変な目を向けられたが、俺にはそれを気にする余裕がなかった。

 

「その……ベルゼビュート様、で良かったでしょうか?」

「ああ、そうだ。様付けされるような大層な身分ではないがな」

 

 教会にたどり着いた時、アロセールがためらいがちに話しかけてくる。その隣には兄のシドニーも一緒だ。見た目からすると男勝りな印象を受けるので、なかなかのギャップ萌えな感じである。

 

「あの、ありがとうございました。お陰で私たちは命拾いしました」

「気にするな。俺が勝手にやった事だ」

「僕からもお礼を言わせてください、助けて頂きありがとうございました」

 

 兄妹揃って頭を下げられると照れくさくなってしまう。とてもではないが、食欲を満たすために同行したなどとは言い出せない雰囲気だ。内心で冷や汗をかきながら、俺は話題をそらすことにした。

 

「あの魔獣使いの男はガルガスタン軍に所属する者だったはずだ。間を置かずに再び現れる事はないと思うが、狩りを続けるつもりなら気をつける事だな」

「ガルガスタンの? ですが、一体なぜこのような町に……?」

 

 首を傾げるアロセールの疑問に答えたのはラヴィニスだった。彼女と話していたプレザンス神父とカールも会話に加わる。

 

「ドルガルア王の死をきっかけに、国内が分裂しているのは知っているでしょう? ガルガスタン人達は自分たちの王国を作り、このヴァレリアの覇権を握るつもりなのよ。その手始めに、ウォルスタ人の集まるアルモリカが狙われているの」

「この町は辺境とはいえ、コリタニ地方との境界に位置しますからな……。戦争が始まれば、真っ先に戦火に晒される事になりますか……」

「そ、そんな。戦争なんて……」

 

 プレザンス神父は暗い表情で頷き、カールは蒼白になっている。これまではどこか遠くの話だと考えていたのだろうが、今回のような危険に晒されれば嫌でも実感が湧く。

 

「で、ですが、アルモリカの公爵様がきっと軍を遣わしてくださるはずです!」

 

 アロセールが必死な表情でそう訴えるが、ラヴィニスは黙って首を横に振った。

 

「残念だけど、それは期待できないわ。ガルガスタン軍に数で圧されれば、少数のアルモリカ軍は手も足も出ないもの。数に対抗するためには、地の利を活かして守る場所を限定するしかない。この町は……」

 

 ラヴィニスは最後まで言葉を紡がなかった。だがその先は言わずともわかる。クリザローの地形は守るのには向かず、アルモリカ軍はこの地での防衛を諦めるだろう。それはつまり、この町の住民達は見捨てられるという事と同義だ。

 

「……今の内にでも、避難を考えるべきだと思うわ」

「それは無理です! クリザローを出て行くだなんて……!」

「あいつら……孤児院のみんなだっているんだ。この町を出てどこへ行くっていうんだ……」

「でも、避難しなければその子達も戦争に巻き込まれてしまうのよ? 残念だけど、いくらフィラーハ教の教会だからといって略奪の対象にならないとは限らない。もしそうなれば……」

「…………」

 

 悲惨な未来を想像してしまったのか、アロセール達は顔面蒼白となって黙り込んでしまった。

 

 付き合いを深めた俺の目から見れば、ラヴィニスがどうにかして説得しようと必死になっているのがわかる。きっと『未来』では彼女の言う通りクリザローは襲われ、教会も略奪の対象となったのだろう。そうなったとすれば、孤児院の子ども達の境遇も想像がつくというものだ。

 アルモリカの騎士だった彼女が、それを悔やまないはずがない。責任感の強いラヴィニスにとって、この町を守れなかった事は痛恨の極みなのだろう。だからこそ、バルマムッサにおいて同胞たちを犠牲にするやり方に耐えられなかったのかもしれない。

 

「……わかりました」

「神父様!?」

 

 重い沈黙の中、口を開いたのはプレザンス神父だった。彼の言葉にカールが驚きの声をあげる。

 

「カール。ラヴィニス殿の言う事はもっともだろう。私はどこか事態を甘くみていたのかもしれん。だが、確かに戦争の足音はそこまで来ているのだ。子ども達のためにも、ここで判断を誤るわけにはいかん」

「で、ですが……避難といってもどこへ……」

「アルモリカ城下町の郊外に、私の古い知り合いが修道院長を務める教会がある。大人数で迷惑になるだろうが背に腹は代えられん。相談してみる事としよう」

 

 プレザンス神父はどうやら決断を下したようだ。ラヴィニスが安堵した表情を見せる。

 

「この町の住民たちにも周知して避難を呼び掛けなくてはならんな。どれほどの人が真剣に受け取ってくれるかわからんが……」

「私もお手伝いします、神父様!」

「僕も、お手伝いいたします」

 

 戦争が始まるから避難しろなどといきなり言われても、これまでの日常を捨てられる人はそう多くないだろう。それでもプレザンス神父が訴えかければ、その人徳をもって説得できるかもしれない。

 

「乗りかかった船と言いたいところだが、俺達は急ぎやらねばならぬ事がある故に協力できん。すまんな」

「ええ、大丈夫です。後は我々だけで何とかしてみましょう」

 

 コリタニ公の救出に成功すればバルバトスは大義名分を失い、まとまりに欠けるガルガスタン軍は大規模な軍事行動を起こせなくなるかもしれない。戦争を防ぐ事ができるとは思えないが、遅らせる事はできるだろう。彼らが避難する時間を稼ぐためにも、俺達は俺達で行動しなければならない。

 

 決意を見せる神父とそれを助けようとする兄妹を眺めながら、俺とラヴィニスは目を合わせて頷きあった。また一つ未来を変えてしまったが、もはやそんな事は気にしていられない。これから俺達は、積極的に未来を変えていくと決めたのだから。

 

--------------------

 

「そのような話が……。しかし、私の事も確かに知っているようだ……」

 

 僕達の長い話を聞いたハボリムさんは半信半疑の様子だったが、最終的には受け入れてくれたようだ。閉じたままの目に力がこもり、眉間にシワが寄っている。

 

「はい。僕の知るハボリムさんは、暗黒騎士団と因縁があるようでした。貴方から光を奪ったのは奴らだと……。それに確か、オズマという女性の暗黒騎士とも知り合いのようでしたね」

「……オズマ、か……。ああ、確かに知り合いではある、な」

 

 彼がオズマという名を呼ぶ声には、何とも言えない複雑な感情が込められている。その様子から、浅からぬ関係である事は容易に察せられた。『前』に話した時も、話せるときがくるまで深くは聞かないでほしいと言われたのを思い出す。

 

「そうだな……。君達の秘密を聞かせてもらったんだ。今度は私の番だろう」

 

 そう言ってハボリムさんが切り出したのは、信じがたい内容だった。彼の正体は、かつて暗黒騎士団ロスローリアンに所属したテンプルコマンドの一人であり、ナンバーツーであるバールゼフォンの実の弟だというのだから。

 だが彼はその兄によってはめられ、無実の罪を被せられてローディスを追われる事になる。その際に、兄の手によって彼の両目は奪われた。本来では死罪であるところを、密かに国外追放とされたのだ。兄の温情ではあるが、それは彼にとって屈辱でしかなかった。

 

「奴は……バールゼフォンは、父と母をその手に掛けた」

 

 それを口にした時の彼の顔には苦しさと険しさが同居していた。

 

「元々、私たち兄弟は団長であるランスロット・タルタロスを監視するため、父の命令で暗黒騎士団に潜り込んだのだ。タルタロスが元老院の排斥を目論んでいるという噂の真偽を確かめるためにね」

「ローディス教国で起きた、教皇派によるクーデターね?」

 

 姉さんの問いに、頷きをもって応えるハボリムさん。

 

 かつてのローディスでは元老院が大きな力を持っており、君主である教皇は軽んじられる傾向にあった。そうした中で元老院内の政治腐敗が進んでいくと、正統な統治者である教皇へ権力を取り戻そうとする動きが出始める。結果としてそれら教皇派がクーデターを起こし、多くの貴族や元老院議員が粛清された。

 その中心となったのは教皇派だった暗黒騎士団ロスローリアン、その団長のランスロット・タルタロスだった。クーデターでの活躍により、タルタロスは教皇の腹心としての信頼を確固なものにし、暗黒騎士団は名実ともに筆頭騎士団となった。

 

「父ヴォグラスは元老院とのつながりも深く、ロスローリアンの増大を危惧していた。だからこそ我々が監視を命じられたのだが、バールゼフォンはあろう事か監視対象であるタルタロスの思想に感化されてしまったんだ。そして父を裏切り暴走を始めた……」

 

 苦々しい口調でハボリムさんは話し続ける。ゾンビ狩りがゾンビになる、ということわざがあるが、まさにその状況そのものだ。

 

「……最後には、それを諌めた父を背後から斬りつけ……。その場にいた私は兄と反目して、まんまとその罪を負わされたというわけさ……。母も後を追うようにして亡くなった。事故死だと発表されたが、教皇派に協力的ではなかったために毒を盛られたらしい……」

「ひどいわ……」

 

 ハボリムさんの口調は穏やかだったが、握りしめた拳が震えている。後悔なのか、憤慨なのか、恐らくは両方なのだろう。姉さんは口元を手で押さえながら、ぽつりと感想を漏らした。

 己の信念のために身内すら利用し犠牲にする。バールゼフォンのやり方に嫌悪感を覚えるが、僕だって人の事を強く言えるわけではない。多くの同胞や仲間を犠牲にして、玉座に就いたのだから……。

 

「オズマは私の婚約者だった女性だ。父が決めた政略結婚の相手だったが……」

「……あら。それがいつの間にか意中の相手に変わっていたのね?」

 

 先ほどまでのが何だったのかという変わり身の早さで、姉さんは身を乗り出すように聞いてみせる。そんな姉さんに、父さんは呆れ顔を向けていた。

 

「まあ……そのようなものだ。だが、私はすでに死罪を受けた身だからね。彼女には申し訳ないが、私の事など忘れてもらうしか――」

「ダメよ、そんなの!」

 

 ハボリムさんの自嘲めいたセリフを打ち切るように、姉さんが強い口調で割り込む。ハボリムさんはそんな姉さんの様子に目を点にしている。

 

「死んだと思っていた恋人が生きていたなんて、嬉しくないわけないじゃないの! あなたは責任をもって彼女の気持ちに応えるべきよ!」

「し、しかし――」

「しかしもお菓子もないわよ。ボヤボヤしてたら、そのバカな兄あたりが強引に横から掻っ攫っていくんだから。あなたはそれでも良いの? そんなの許せるはずがないでしょう?」

「ぐ……」

 

 その後も姉さんによる攻勢が続き、ハボリムさんはしどろもどろになっていた。僕にこの姉さんを止められるはずがない。ここで止めたらこっちにまで飛び火しそうだ。

 

「私はカチュアの育て方を間違えただろうか……」

 

 僕にできる事といえば、頭を抱えている父さんを慰める事だけだった。

 ああ、僕はなんて無力なのだろう。

 




カチュア姉さん暴走するの巻。焚き付けられたハボリムさんは一体どうなるのでしょうか。
そしてジュヌーンさん、まさかのトンズラ。バルバトスさんにとっては受難の始まりです。


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055 - Naked King

「これ、そこのもの。はらがへった。何か馳走を用意せよ」

「は、はぁ……」

 

 馬車の上でふんぞり返り偉そうな口調で命令するのは、まだ十にも満たない小太りの男の子だった。命令された兵士は困惑の表情を見せながら生返事をする。

 彼らが進んでいるのは、古代に設置された地下水道の名残りであるリィ・ブム水道と呼ばれる場所で、目立つ街道を避けて西進するにはうってつけの道でもある。水位は低くなっているため敷設された石畳が露出しており、かろうじて馬車でも進む事ができる。

 

「余はコリタニ公であるぞ! 余の言うことが聞けんのか!」

 

 兵士に唾を飛ばしながら激昂する男の子。だが、その姿はどう見ても母親に駄々をこねる子どもそのものだった。とてもではないが、本人が言うような身分には見えない。

 しかし、確かにこの子どもは旧コリタニ領主であるオルランドゥ伯の末裔であり、ガルガスタン王国の国王の座に就いているコリタニ公その人だった。とはいえ実際の所は幼さを理由に摂政バルバトスが国を動かしているため、単なる飾りの王に過ぎない。

 

「陛下、ご辛抱ください。このような場所で、馳走など用意できません」

 

 そんな彼を窘めたのは、このガルガスタン竜騎兵団の隊長ジュヌーン。彼は見事な手際で部隊ごとコリタニ城を抜け出し、ついでに国主であるコリタニ公を連れ出した。ベッドでいびきをかいていた彼を、有無を言わさず馬車に乗せてきたのだ。

 

「ええい、ならば城に戻れば良いであろう!」

「何度もご説明申し上げた通り、城へは戻りません。バルバトス枢機卿は陛下を利用して権勢を振るっています。このままではかの者の思惑通り異民族との衝突は避けられず、多くの民草の血が流れる事でしょう」

「な、何を言っているのだ! バルバトスがそのような事をするはずがない!」

 

 子どもが相手であるにも関わらず、真摯な態度を崩さないジュヌーン。だがコリタニ公は、余計な事をしないようバルバトスにわがまま放題で甘やかされながら生活していた。そのせいで彼はバルバトスの見せる甘い顔を信じ切っている。

 

「陛下……。バルバトス枢機卿はそのような甘い人物ではありません。逆らう者には血の粛清も躊躇わぬ男です。陛下も我々についてきたのですから、きっと粛清の対象になるでしょう」

「そなたらが勝手に連れ出したのではないか!」

「そのような事は、あの男には関係ありません。陛下が不審な動きを見せれば、たちまち牢獄に監禁してでも押さえつけようとするでしょう」

「ろ、牢獄……」

 

 ジュヌーンの言葉にゴクリと唾を飲むコリタニ公。脅すような台詞ではあったが、もしコリタニ公が邪魔になればバルバトスは手荒い手段も躊躇わないだろう。

 これまでコリタニ公が無事だったのは、野心を全く見せずに子どもとして振る舞っていたからにすぎない。反乱分子であるジュヌーン達とつながりが出来たと見られれば危険だとみなされるかもしれず、ジュヌーンの説明は全くの詭弁だとは言い切れなかった。

 

「陛下は外の世界の事をもっとお知りになるべきです。他の国、他の民族、そしてもちろん、ご自身が君主を務めておられる国や民の事も」

「だ、だが……危なくはないのか? 外は危険だとバルバトスは言っておったぞ」

「それは陛下を外に出さないようにするための方便です。陛下が外の事を知るのは、バルバトス枢機卿にとって不都合な事なのでしょう」

 

 不安そうな顔を覗かせるコリタニ公だったが、ジュヌーンは真剣な眼差しを向けたまま言上する。彼の態度に何か感じるものがあったのか、コリタニ公は黙り込んで考え込む。やがておずおずと口を開いた。

 

「……余は、奴に騙されていたのか?」

「……それは陛下ご自身が己が目と耳で確かめた上で、お決めになる事です」

「…………」

 

 ジュヌーンのにべもない答えに、コリタニ公はひるんだ表情を見せる。だが、最後にはコクリと一つ頷いて再び黙り込んで考えはじめた。

 そんな彼にジュヌーンは一言も掛ける事はなく、竜騎兵団は粛々と地下水道を進んでいった。

 

--------------------

 

 クリザローの町の一角に、変わった風体の男女がいた。一人は三角帽子をかぶった露出の多い美女、もう一人は片目に眼帯をした壮年の美男。辺境の田舎町の風景にそぐわない美男美女であるデネブとタルタロスは周囲から見事に浮いていたが、二人は一切気にする様子も見せず堂々と振る舞っている。

 

「う〜ん、なんにもないわねぇ。おいしいスイーツのお店でもないかしら」

「…………」

 

 彼女の言うような洒落た店などあるはずもないが、しかめっ面とも不機嫌とも取れる表情を崩さないタルタロスは一切の言葉を発さずに黙って聞き流している。

 

「タルちゃんはどこか行きたいところはなぁい?」

「……ないな」

「もう、つまんないわねぇ……。あっ、そうだ!」

 

 張り合いのない事を言うタルタロスに唇を尖らせるデネブ。だが、何かを思いついたのか声をあげて手を叩いてみせる。大げさなジェスチャーであるが、彼女にとっては平常運転だった。

 

「タルちゃんって剣を失くしたんじゃなかった? 私が見立ててあげるから、ショップに行きましょうよ」

「……いいだろう」

 

 タルタロスはデネブの提案を珍しく素直に肯定してみせた。彼の持っていた聖剣ブリュンヒルドもアンビシオンも失われており、今は完全な丸腰である。

 ここまでの道中で何度か戦闘もあったが、タルタロス自身は積極的に参加せずに物陰に隠れるなどしてやり過ごしていた。彼が何かをする前に、同行している化物(オウガ)がどうにかしてしまうという事情もあったのだが。

 

 

「なぁ、店主よぉ。頼むぜ、あと43ゴートだけだからよぉ!」

「そう言われましてもねぇ。こっちも生活が掛かってるんですよ」

 

 目についたショップに入ると、そこでは先客と思われる男が店主と会話していた。見るからに荒々しい格好をした男で、戦いを生業としているのが容易に想像できる。どうやら値切りをしているようだが、店主はにべもなく首を横に振るばかりのようだった。

 

「そんじゃあ、42ゴートならどうだ!?」

「いや、1ゴート減らそうがダメなもんはダメですよ。というかお客さん、さっきからなんで1ゴート単位なんですか……」

 

 店主は疲れた表情をして冷静なツッコミを入れる。そのやりとりに、デネブは思わず吹き出してクスクスと笑ってみせた。

 値切り交渉をしていた男はデネブに胡乱げな視線を向けるが、その声の正体がグラマーな美女だと知るや奇声をあげて驚いてみせる。

 

「うひょおッ! 良い女だな!」

「あら、ありがと♥」

 

 デネブがパチリとウィンクをして自身の大きな胸を強調するポーズをとると、ますます鼻息を荒くする男。しかしその直後、背後に立っているタルタロスを見つけて眉をひそめる。

 

「なんだぁ、男連れかよ……。それにしても、どっかで見たような……」

「うふふ。タルちゃんったら有名人なのねぇ」

「…………」

 

 否定も肯定もしないタルタロス。彼の所属するロスローリアンは色々な意味で有名な存在ではある。どちらかといえば悪名に近いものであったが、その首領である彼自身もまた有名人である事に変わりはない。とはいえ、主に教国の裏仕事を担当する彼の顔を知る者はそう多くないのも事実である。

 しばらくタルタロスの仏頂面をジロジロと不躾に眺めていた男だったが、思い出す事をあきらめたのか鼻を鳴らして店主へと向き直る。その際、チラリとデネブの胸元に視線を送った。

 

「ま、どっかの戦場で会ったんだろ……。おい、店主。仕方ねぇから、満額支払ってやるよ。良いもんも見れたしな」

「はぁ、毎度どうも……」

 

 懐から財布を取り出しジャラジャラと銅貨を支払うと、店主から商品のキュアシードを受け取る。店を出て行く際にデネブの胸元へと再び視線を送り、男は大きな溜息をついた。

 

「はぁ……。後で娼館にでも行くか……? いや、金がもったいねぇしなぁ……」

 

 ブツブツと独り言を漏らしながら、トボトボと店外へ歩いていく男。哀愁の漂う男の背中に、デネブはヒラヒラと手を振ってみせるが、男に気がつく様子はなかった。

 

「う〜ん、アタシも人の事は言えないけど、あそこまでケチな人っているのねぇ。……その点、タルちゃんはケチケチしないから素敵よ♥」

「…………」

 

 そう言うデネブの視線は、店内に並べられた暗黒魔法の呪文書へと向けられている。当初の目的であるはずの剣も置かれているが、そちらには一瞥もくれない。

 オミシュの酒場で相席した際にもしっかりとデネブの分まで奢らされたタルタロスは何も言わず、軽くなりつつある財布の中身を確かめた。

 

--------------------

 

 興奮する姉さんをなんとかなだめ、一晩明けて僕達は再びセリエさんと対面した。今回はハボリムさんにも同席してもらっている。姉さんとは距離を離して座っているが。

 

 ヴァレリア解放戦線の協力が得られたので、一気に計画実現の可能性が高まった。だが、まだまだ安心できる状況ではない。ガルガスタンが本格的に動き始める前に同盟勢力をまとめあげなければ、数の暴力の前にウォルスタが潰されてしまう。

 そのためには、一刻も早くブランタに接触しなければならない。暗黒騎士団も僕達の事を捜しているだろうが、その目を潜り抜けて接触するのはかなりの難題だ。

 

「なに? ハイムへと潜入したい?」

「ええ。僕達が直接行かなければ、ブランタの説得は難しいと思っています。ヴァレリア解放戦線はハイム出身の方も多いですし、その伝手で何とかならないでしょうか?」

 

 当初は自力での潜入を考えていた。ハイムで玉座に座った経験から、防衛網の穴になりやすい箇所も把握している。だが、それでも確実に上手くいくとは言い難い。もしヴァレリア解放戦線の力を借りられるなら、成功の可能性も高くなるだろう。

 

「……ハイム行きの商船にでも潜り込めばできなくもないが、やはり相応の危険が伴うぞ。お前たちは追われる立場なのだろう?」

「そうとも限りません。追っている相手が、まさか自分たちの足元にわざわざ飛び込んでくるとは思っていないはずです。巨人は小石につまずくと言うでしょう?」

「随分と大胆なのだな……」

 

 僕の言葉にセリエさんは呆れ顔を見せる。確かにギャンブルではあるが、十分に勝算があると思っている。それに仮に捕まったとしても、こちらは暗黒騎士団の目的を知っているのだ。姉さんの協力を天秤にかければ、十分に交渉する余地はあるだろう。姉さんもそれは了承している。

 

 懸念点としては、奴らの目的である『ドルガルア王の遺産』の正体がわからない事だ。遺産を得るために王族が必要である事はわかっているが、その場所や中身はわからない。それを知っていたはずのブランタは何も語らずに獄中で自死してしまった。

 単純な財宝であれば、わざわざ筆頭騎士団を派遣したりしないだろう。恐らくローディス教国は、遺産の内容に見当がついていたに違いない。

 

「仮にハイムに潜入できたとして、それからどうするつもりだ? 城の警備は堅い。お前たちがノコノコと姿を現せば、簡単に捕まってしまうだろう」

「……それについては考えがあります」

 

 あえてその考えの中身については説明しなかった。セリエさんは訝しげな視線を送ってくるが、僕はじっと目をそらさずに受け止める。

 やがて、セリエさんは根負けしたように溜息をついた。

 

「……わかった。船については手配しておこう」

「ありがとうございます!」

 

 お礼を告げると、セリエさんは呆れ顔で笑みを浮かべる。

 

「フッ……。笑顔だけは、あの小さかったデニムそのままなのだがな」

「あら、デニムはいつだって小さい頃のままよ。最近はちょっと大人っぽくなったけど、危なっかしいったらないんだから」

「ね、姉さん……」

 

 すかさず反応してみせる姉さんに頭を抱える。姉さんにかかれば、僕はいつまで経っても子どものままのようだ。これでも少しは成長したつもりなんだけど……。

 

「なるほど、姉弟とはやはり姉が強くなるものなのだな。私の妹達はみな負けん気が強い者ばかりだったが、弟というのも良いものだ」

「ダメよ。デニムはあげないわよ」

 

 そう言って姉さんは僕を両手で胸元に抱き寄せる。弟を取られまいとするポーズなのだろうが、柔らかい感触を頬に感じて僕の脳内はグルグルと混乱してしまった。姉弟といえその頭には義理がつくのだから、あまり過激なスキンシップは控えてほしい。

 その後なんとか離してもらったが、きっと僕の顔は真っ赤になっているだろう。

 

「……なるほど。デニム君も苦労しているようだね」

 

 ハボリムさんのボソリとしたつぶやきに、僕は心から頷くしかなかった。

 




おや、コリタニ公の様子が……?
デネブさんもカチュア姉さんも平常運転。TOって女性陣が強すぎませんかねぇ……


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056 - Possibility

★激甘注意報!


 一晩明けて、俺達はクリザローの町を発つ事にした。ちなみにデネブさんの目撃証言によれば、ヴァイスは一日中ひとりで河を眺めながら悶々としていたらしい。お前……。

 

 見送りに、わざわざプレザンス神父やアロセールたち兄妹がやってきてくれた。兄のシドニーがデネブさんの露出の多い服装に目を奪われ、アロセールに足を思い切り踏まれている。あれは痛い。

 

「ベルゼビュート殿、ラヴィニス殿、今回はありがとうございました」

「ああ。避難するならば急いだ方が良い。ガルガスタン軍の襲撃は近いはずだ」

「ええ、昨日から町長にも掛け合っておりますからな」

 

 神父は柔和な笑みを浮かべて答える。どうやらすでに動き始めていたらしい。昨日も息を切らしながらも現場までダッシュしていたし、見かけによらず俊敏なオッサンである。

 

「あら、ベルちゃんったらまた人助け? 行く先々で人助けなんて、まるで物語の勇者様みたいねぇ」

 

 デネブさんが妙な例えを出してからかってくる。ところで、その手に持っている呪文書はどこで手に入れたんですかねぇ。昨晩からやけにホクホク顔で読んでいたから、あえて尋ねなかったけど。

 

「……勇者と呼ぶのならデニムの方だろう。ゴリアテの英雄とまで呼ばれる事になるのだからな。俺は勝手気ままにやっているだけだ」

「いえ、私もベル殿は勇者のようだと……」

 

 消え入りそうな声でラヴィニスがボソボソとつぶやく。視線を向けると、赤い顔をして俯いていた。思わずギュッと抱きしめたくなったが、人目があるので我慢する。

 

「ゴリアテのデニム? あら、それってもしかして、あの子の事かしら」

「ふぅ、イテテ……。ああ、アロセールが殴り飛ばそうとした彼の事か」

「に、兄さん!」

 

 足を踏まれて悶絶していたシドニーは、アロセールに怒鳴られて再び身をすくませる。なんというか、学習しない奴だな。いや、よく見ればシドニーは口元に笑みを浮かべているし、これがこの兄妹のコミュニケーションなのかもしれない。

 

「デニムを知っているのか?」

「ええ。といっても、先日のゴリアテのお祭りでたまたま知り合っただけですけどね。アロセールを無理にナンパしようとした男たちから守ろうとしてくれて」

「あいつらしいな……」

 

 俺の知っているデニムと変わらない行動に、思わず笑みがこぼれる。時間が戻っても、デニムはデニムだという安心感が少しだけ得られた。

 

「まあ、結局はアロセールが自分でボコボコにしてたっていう笑い話なんですけどね」

「もうッ! その話はもういいでしょ!」

 

 顔を赤くしたアロセールが慌ててシドニーの話を遮る。男複数人を返り討ちとは恐ろしい武勇伝である。ラヴィニスだって怒ったら突剣でプスプスしそうだし、この世界の女性ってみんな強すぎませんか……?

 

「祭りの時って事は、消えちまう前日じゃねぇか! デニムは、あいつはどこかへ行くって言ってなかったか!?」

 

 そこへ今まで悶々としていたヴァイスが急に割り込んでくる。デニムの事になると、まるで水を得た魚のようだ。

 その剣幕に、アロセールとシドニーは顔を合わせて二人同時に首を横に振る。性格が正反対な兄妹だが、こんな時の仕草は息があっていた。

 

「消えたって……デニムは居なくなってしまったのかい?」

「ああ、そうだ……。あの野郎、俺に何も言わずに家族ごと消えちまったんだ……」

「そうなのか……。残念だけど、僕達は少し話しただけだから……」

 

 申し訳なさそうに話すシドニー。しかし、不意に何かを思い出したのか、ポンと手を叩く。

 

「あ、でも、滞在の予定を聞かれたかな。僕達は祭りの翌日にすぐにトンボ返りだったんだけど、その予定を話したらデニムは何だか安心した様子だったよ」

「安心……?」

 

 それが本当なら、デニムは前日から襲撃の事を知っていたという事になる。やはり何らかの理由で襲撃を予期していて、当日の日中に暗黒騎士団の間者に呼びかける真似をしたのだろう。しかし、デニムは一体どうやって襲撃の事実を掴んだのだろうか。

 

「それと、アロセールの恋人の事も知っていたみたいで驚いてたな」

「に、兄さん? それを話す必要はあるの?」

「こういう事は何がきっかけになるかわからないんだよ。デニムの行方を考える協力をしようよ」

「も、もう……」

 

 シドニーはしかつめらしい真面目な顔をしてアロセールを諭した。しかし、俺の視力ではピクピクと痙攣するシドニーの口元を見逃していない。

 

「それで、恋人とは?」

「アルモリカ騎士団団長のレオナール・レシ・リモンさんです」

「えっ!? レオナールが恋人!?」

 

 大声を出したのはラヴィニスだ。彼女にしてみればレオナールは元同僚だったわけで、その驚きはひとしおなのだろう。かくいう、レオナールと直接の面識はない俺でさえ驚いている。

 

 レオナールといえば、ウォルスタ解放軍における指導者であったロンウェー公爵を見限り、クーデターを起こした首謀者だと聞いている。公爵を暗殺して汚名を被り、最後はデニムに意思を託して討たれたとも。

 そんな男に恋人がいたとは初耳だ。というか、目の前のアロセールはどう見てもまだ未成年。対してレオナールはアラサーのオッサンだったはずだ。まだ会った事もないのに、一気にレオナールのイメージが上書きされてしまった。公爵もロリコンに暗殺されるなんて浮かばれまい……。

 

「そんな……レオナールに恋人がいたなんて……」

「あの……? ラヴィニス様は、彼とどのような関係なんでしょうか?」

 

 ふと気がつけば、笑顔のアロセールから妙なプレッシャーが放たれている。背後にスタンドが立っていそうな雰囲気だ。側にいたシドニーは冷や汗を流しながらスススと退避していく。ラヴィニスは彼女の勘違いに気づいたのか、慌てて否定する。

 

「ち、違うわ! 別にレオナールとはそんな関係じゃ――」

「その割には、彼の事を名前で呼んで随分と親しそうですね……?」

「そ、それは……」

 

 ラヴィニスがレオナールを名前で呼ぶのは同僚時代からの癖なのだろう。しかし、それを話してしまえばラヴィニスがアルモリカ騎士団の騎士である事が露見してしまう。別に話してしまっても構わない気もするが、これからアルモリカに避難しようとしている人々に話せばロンウェー公爵にまで伝わる恐れもある。

 この時間軸のラヴィニスが存在しているのか確かめてはいないが、存在していてもいなくても、ろくな事にならないのは間違いないだろう。騎士の名や身分を騙る偽物として追われる可能性もある。

 

 進退窮まったラヴィニスは、目を回しながら思いがけない行動にでる。

 

「わ、私の恋人はベル殿だけですッ!」

 

 俺の腕を抱き寄せながら大声で放った宣言は、クリザローの町中に響き渡った。

 

--------------------

 

「ええい、まだ見つからんのか!」

「ハッ、申し訳ございません」

 

 血管を浮かび上がらせ苛立ちを隠さないその姿は、普段の冷徹な指導者のイメージからかけ離れている。だが彼が焦るのも無理はない。彼の権力の根拠としていた存在が消えてしまったのだから。

 レーウンダ・バルバトス枢機卿はコリタニ公の失踪を受けて、手すきの全戦力をその捜索に当たらせていた。そのため準備を進めていた対ウォルスタの開戦はどんどんと遅延しており、国内の治安維持という名目で行なっていた異民族弾圧も滞っている。

 それどころか本当の治安維持に掛ける戦力すらも最低限にまで削っているため、反バルバトス派によるゲリラ活動や賊の類が跳梁をはじめ、国内の治安は急速に悪化していた。

 

 しかし、そんなバルバトスの()()を嘲笑うかのように、ジュヌーン率いる竜騎兵団たちの足取りは全く掴めていない。城下町はもちろん周辺の町でも目撃情報を集めているが、成果は得られていない。彼らはまるで煙のように消えてしまったのだ。

 先ほどからバルバトスの叱責を甘んじて受けている将軍ザエボスは、あまりにも堂々と脱走してみせたジュヌーンの鮮やかな手際に拍手の一つも送りたい気分だった。だがそれを追う立場になれば、そうも言っていられない。

 

「このままでは……」

 

 すでにコリタニ公の不在を受けて、一部はバルバトスへの対立姿勢を顕わにしはじめている。その中心となっているのは、かのドルガルア王に追従を見せた貴族達。

 ウォルスタ人達と違い、降伏が遅れたために外様扱いされたガルガスタン人達だったが、それでも王国への忠誠心が高い名家の者達は領土を安堵され、貴族として家を保つ事ができた。それに感謝して亡き王に忠誠を誓った貴族は多く、彼らは民族融和を唱えた王の遺志を継ごうと考えている。

 

 これまでのバルバトスは表立って対立しようとした相手は武力をもって威嚇し、場合によっては犯罪者として摘発してきた。それらは政治犯として北方のブリガンテス城の監獄に収められている。

 だがここに来て、そういった強権の発動は難しくなりつつあった。コリタニ公の失踪はすでに(おおやけ)の事実となっており、軍の一部にもバルバトスの支配に反発する動きが見えはじめている。今の所はザエボス自身がなんとか締め付けているが、もし無理に弾圧を進めればクーデターが起きる恐れすらあった。

 

「大体、あの実験部隊にはドラゴンがいるはずではないか! そのような目立つ部隊が見つからないはずがあるまい!」

「ハッ……恐らく人目に触れない場所を選んで移動しているものかと……。あの部隊は普段からそのように移動していたようです。なにぶん、ドラゴンが民の目に触れれば大騒ぎになりますから……」

「くっ……」

 

 竜騎兵団はあくまで実験部隊なので知名度は高くない。そのため、ドラゴンが街道や町の近くで目撃されれば大混乱が起きるのは必至だった。団長のジュヌーンはそのような事態を避けるため、普段から周囲の地形を調べ上げていたのだろう。あのマメな男らしいとザエボスは考えた。

 

「あのような部隊など作らなければ……!」

「猊下……」

 

 バルバトスの嘆きに、ザエボスはどのような声を掛けるべきかわからなかった。せめて自分がコリタニ城に居れば早期に手を打つことができたのだが、バクラムの一部部隊に動きが見られるという間者からの報告を受けて急遽前線に赴いていた。結局それは少数の動きに留まったのだが、紛らわしい事この上ない。

 

 コリタニ公の不在によって、元々まとまりに欠けていたガルガスタン軍は急速に結束が失われつつある。建国したばかりにも関わらず訪れた苦境に、ザエボスは王国の未来を憂うばかりだった。

 

--------------------

 

 先ほどから「穴があったら埋まりたい」とうわ言を繰り返しているラヴィニスをなだめつつ、俺達はクリザローを後にした。恥ずかしがるラヴィニスは非常に可愛かったのだが、デネブさんがそれを見てケラケラと笑っているのが心臓に悪い。

 恋人をバラされたアロセールには悪いが、結局デニム達の行方はわからないままだった。だが、彼女達の話から一つだけ気になった点がある。

 

 それは、デニムがレオナールの事を知っていたという事実。

 

 その後なんとか復調したラヴィニスから聞き出したのだが、『前』のデニムとラヴィニスが初めて出会ったのは『ゴリアテの英雄』と呼ばれる事になったロンウェー公爵救出の後だった。その同僚であるレオナールも同様だろう。

 それまで田舎町のゴリアテからほとんど出た事のないデニムが、騎士団長であるレオナールと知り合うきっかけなどほぼ無いだろうから当然と言えば当然である。逆に言えば自領の騎士団長の名前ぐらいは知っていてもおかしくはないのだが、それにしてはデニムの反応が不自然だ。

 

 偶然かもしれない。俺達の存在によるバタフライエフェクトかもしれない。

 

 だが、俺は一つの可能性を考えずにはいられなかった。それは、デニム自身もまた『未来』からやってきたのではないか、という可能性だ。

 暗黒騎士団による襲撃の事といい、重要人物であるカチュアを含む家族ごと失踪してしまった事といい、明らかにデニムの動きには『先』を知る者の作為を感じさせる。それがデニム自身であるとは限らないが、直感的にデニムの仕業だと感じたのは確かだった。

 

「ベル殿、やはりデニムは……」

「まだわからん。だが、そう考えれば辻褄が合うのも確かだ」

 

 ラヴィニスには先ほど話を聞いた流れで考えを説明してある。俺の言葉にラヴィニスは暗い表情で頷いてみせた。その表情の理由は明らかだ。

 

「ですが、デニムはあの戴冠式の後に……」

 

 彼女は最後まで言葉を紡ぐ事ができなかった。そう、ラヴィニスは確かにあの時、デニムの最期を目の前で目撃したのだから。俺もまた、彼女の腕の中で眠るデニムを目撃している。

 

「……それは君にも言える事だろう」

「……そう、でしたね……」

 

 彼女もまた、俺の目の前で凶刃に倒れ伏したはずだった。だが、今もこうして息をして、俺の前に立ってくれている。それがデニムに起きないという道理はない。

 

「思えば、俺にとって本当に大切だと思える存在は、君とデニムしかいなかった」

 

 死者の宮殿で目覚め、前世の記憶があってもこの世界での記憶はない。話し相手といえば、人としての常識が通用しない人外の存在ばかり。俺は自分でも知らない間に、随分と人に餓えていたのだろう。デニムの辛い境遇を聞いて、すっかり共感してしまったのだ。

 ニバス氏やカノープスなど多くの人々と知り合ったが、後にも先にも俺の琴線に触れたのはデニムとラヴィニスの二人だけだった。

 

「もしデニムも戻っているのだとしたら、それは俺のせいかもしれないな……」

「…………」

「偉業を達成し、安らかに眠るべきあいつを喚び起こしてしまった。そして、この戦乱の時代の苦しみを再び味わわせようとしている。俺にあいつの友人を名乗る資格など――」

「ベル殿」

 

 俺の自嘲めいたセリフを遮ったラヴィニス。困惑する俺を、潤んだ瞳が見上げる。

 

「……私は、感謝しております。こうしてまた、貴方とお話できる事を……」

「ラヴィニス……」

「デニムはわかりませんが、私はあのような最期など到底納得できません。最後に見たのが、愛する人の泣き顔だったなんて……」

「…………」

 

 ラヴィニスはそっと目を伏せてそう言った。あの時の事は頭が一杯でよく覚えていないが、ラヴィニスがそういうのなら俺は泣いていたのだろう。

 

「きっとデニムだって、家族や親友を亡くしていなければ同じ気持ちになったと思います。だからこそ再びチャンスを得て、家族を救おうと必死に行動しているのでしょう」

 

 デニムと同じ立場である彼女の言葉には説得力があった。その言葉に少し救われた気がして、その後に彼女の事が急激に愛おしくなって、彼女の鍛えていても華奢な身体を強く抱きしめる。

 腕の中に確かに存在する温もりを感じ、俺はそっと息を吐いた。

 

 もし、この『やり直し』が俺の身勝手によって引き起こされた事だとすれば、俺は何度でもデニムに謝るだろう。でもその後で、デニムの無事を素直に喜びたいと思う。きっとデニムなら、笑って許してくれるのだろうな。

 

 

 ちなみに、抱き合った場面をしっかりとデネブさんに目撃されており、しばらくネタにされた。

 




さすがのメインヒロインは格が違った。このオッサンばかりの物語に一粒の清涼!
バルバトスさんはもうダメみたいですね……。


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057 - A Man with An Eyepatch

 クリザローを発った俺達は、ガルガスタンの本拠地であるコリタニ城を目指して北進する事にした。ヴァレリア島の中央を分断するバーナム山脈を避けるため、西のスウォンジーの森を経由するルートをたどる事になるだろう。

 

 シドニー達を救出したタインマウスの丘は何事もなく通り抜ける事ができた。さすがにガルガスタンによる二度目の襲撃もなかったようだ。もし来たら、今度は容赦なくヤキトリにしてやろうと思ったのになぁ。

 丘陵地帯を抜けると、ボルドュー湖と呼ばれる大きめの湖へと差し掛かった。湖畔と聞けばカップルがいちゃついていそうな風光明媚なイメージが浮かぶが、ここは一面に湿地が広がっていてそんな雰囲気ではない。そろそろ日も落ちてきたので、今晩はここで野営になりそうだ。

 

「はぁ〜つかれたぁ。やっぱり旅って大変ねぇ」

「アンタはずっとホウキで飛んでただろうが!」

 

 ツッコミどころ満載のデネブさんの発言に、思わずヴァイスが釣られてしまったようだ。獲物を見つけたように微笑むデネブさんの笑顔に、背筋が震えてきやがるぜ。

 

「ホウキに乗っててもつかれるものはつかれるのよ。ヴァ〜ちゃんに今度こそマッサージしてもらおうかしら♥」

「だ、だから、嫌だっつってるだろ! 大体、アンタにはあのカボチャ野郎がいるじゃねぇか! マッサージなら使い魔にさせればいいだろ!」

「カボちゃんね〜、今ちょっとストライキ中なのよ。正当な賃金を要求するカボって……」

 

 そう言ってデネブさんは溜息をついた。使い魔が賃金を要求するって、もはやそれは使い魔ではないのではないだろうか。ヴァイスも頭を抱えている。

 

「ね? だから、お・ね・が・い♥」

「お、俺だって正当な対価が――」

「あら、そうねぇ……。じゃあ、お姉さんがご褒美あげちゃおうかしら♥」

「…………」

 

 ご褒美という言葉に何を想像したのか、ヴァイスは顔を真っ赤にしている。そんな悩める青少年を惑わすデネブさんは間違いなく魔女。でも、お金を払ってでも今のヴァイスと立場を代わりたい連中は山ほどいるだろうし、間違いなく役得なんだよなぁ。

 

「……ラヴィニス、お前も疲れはないか?」

「え? 私は行軍で鍛えていますから特には……」

 

 俺の下心満載の質問に、ラヴィニスは首を傾げながら答えた。くそっ、ラヴィニスちゃんは天然かわいいなぁ。内心で打ちひしがれながらも、隣に腰掛けるラヴィニスをそっと愛でる。

 

「あら? そういえば、タルちゃんはどこかしら?」

「知らねぇよ。どっかで用でも足してるんだろ」

「もう、ヴァ〜ちゃんったらデリカシーが足りないわよ?」

 

 言われてみれば、タルタロスの姿が見当たらない。いつも影みたいに目立たずついてきていたから、完全に意識の外においてたわ。あいつ、存在感があるんだか影が薄いんだか、よくわからん奴だな。

 

 噂をすれば、というやつなのか、茂みから足音が聞こえてタルタロスが姿を現した。相変わらず不景気な面構えをしている。ヴァイスの言う通り、腹の調子でも悪いのだろうか。

 

「おかえりなさい、タルちゃん♥」

「……ああ」

 

 無愛想な内容だが、返事をしているだけマシとも言える。ちょくちょく二人で出かけてるみたいだし、少し二人の仲を勘ぐってしまうな。デネブさんがちょっかいを掛けてからかっているだけにも見えるけど。

 

「……何だ?」

 

 ジロジロと二人を見比べていると、視線に気づいたタルタロスがこちらに顔を向ける。

 

「いや……。一人で何をしていたのかと思ってな」

「……本来は貴様に話す義理などないが、妙な勘ぐりをしているようだから答えてやろう。手に入れた剣の具合を確認していただけだ」

 

 そういって、タルタロスは腰に提げている剣を示してみせる。そういえば、クリザローの町で剣を手に入れたようだったな。といっても、前に奴が使っていた得物に比べれば安物にもほどがある数打ちだが。

 タルタロスは皮肉げに口元を曲げると、ラヴィニスに視線を向けて手を広げてみせる。

 

「女……そういえば、貴様は私が丸腰だからと剣を抜かなかったのだったな。今なら私は丸腰ではない。斬りかかってきても構わんのだぞ?」

「……今の貴方は暗黒騎士団の団長でも、ローディスに仕える騎士でもありません。斬る理由がないでしょう」

 

 タルタロスの挑発に対して、ラヴィニスは毅然とした態度で応える。確かに今のタルタロスがのこのこと暗黒騎士団やローディス教国に戻っても、もう一人のタルタロスから偽物として扱われるだけだろう。唯一、奴が本物である事を証明できそうな聖剣も持ち合わせていない。

 

「ふん……私がロスローリアン首領であり、ローディスの騎士である事に変わりはない。帰還するために同行しているが、貴様らと馴れ合うつもりも毛頭ない。勘違いしてくれるなよ」

 

 ピリピリと険悪なムードが漂いかけたが、そこへいつもの能天気な声が割り込んでくる。

 

「タルちゃんったら。わざわざそんな言い方して、人を遠ざけようとしなくてもいいじゃない。貴方って本当に不器用な人ねぇ」

「……私は人を遠ざけようなど――」

「してるわよ。敵と味方をはっきりわけないと気が済まないタイプなのよね、タルちゃんは。どうしてそうなっちゃったのか知らないけど、今の貴方をあの子が見たら――」

「黙れッ!!」

 

 突然の怒声がデネブさんの言葉を遮った。珍しく大声を出して感情を露わにしたタルタロスだったが、次の瞬間にはすぐに長い息を吐いて抑制してみせる。

 どうやらデネブさんの言葉が琴線に触れたらしいが、その意味はわからなかった。彼女は俺達よりもタルタロスの事を知っているらしい。

 

「……私は先に休む。夜番の順番は適当に決めろ」

 

 それだけ言ってタルタロスは背を向け、少し離れた木の根本に腰を下ろすと目を閉じた。それを見たデネブさんは「仕方ない子ね」とつぶやいて、フゥと溜息をついた。

 

 やがて俺達の視線に気がついたのか、デネブさんはくるりと回ってポーズをとってみせる。

 

「あら、皆して私に釘付けかしら? うふふ、魔女に見惚れたら魔法を掛けられちゃうわよ♥」

「デネブ殿、やはり貴女はあの男の過去をご存知だったのですね」

「う〜ん、ま、昔ちょっとねぇ。彼が言いたくなさそうだし、私も話すのはやめておこうかしら。良い魔女っていうのは、秘密を守るものなのよ♥」

 

 デネブさんは魔女の微笑を浮かべ、口元に人差し指を立ててみせる。それを見た俺達は顔を見合わせ、それ以上問いただす事はあきらめた。タルタロスの過去とやらに興味はあるが、彼女が話さないと決めたなら変心させるのは誰にも不可能だろう。

 

「昔ちょっとって……アンタ、一体何歳なんだよ……」

 

 ぼそりと地雷を踏んだヴァイスが、デネブさんから熱い『おしおき』を受けたのは言うまでもない。

 

--------------------

 

 王都ハイムの街並みは記憶にあるものよりも賑やかに見えた。僕が知っている景色は解放軍が攻め入った時のものが主なので、印象が違うのは当たり前なのだろう。

 ブランタが玉座に収まった事で多少は落ち着きを取り戻したが、ドルガルア王の死から始まった内乱の傷痕はまだあちこちに残されており今もまだ復興の途中だ。そのため王都中に絶え間なく槌音が響き、人々が行き交っている。

 遠目にはハイム城の威容が見えていて、様々な記憶が胸の内に去来した。僕の中にある記憶は確かに間違っていなかったのだと感慨深くなる。あそこは、確かに僕が死んだ場所なのだ。

 

 僕達家族三人はセリエさん達ヴァレリア解放戦線の伝手を借りて、ハイムの港に入る商船に潜り込ませてもらった。ハイムは峻厳な渓谷や砂漠に囲まれた難所に位置しているため、陸運よりも海運による通商が発達している。

 港は常に監視されているため、ここから船を使って大軍で攻め入る事は難しい。しかし、少数であればこうして潜り込む事もそう難しい事ではない。そもそも人の出入りなど管理しきれるものではないのだから。僕が王になった時にも、この警備体制の改善にはまだ着手していなかった。

 

「デニム、何しているの? 早く行きましょうよ」

 

 感慨に耽っていると、姉さんから声が掛かった。今は全身を包むローブによって身を隠しているが、フードからは僕と同じライトブラウンの髪がこぼれている。ハイムではそう珍しい姿ではないため見つかる心配はないと思うが、不自然に思われるのはまずい。

 

「ごめん、ちょっと色々と思い出してね……」

「……そう。あなたの中にあるという記憶、疑っていたわけではないけど……」

 

 そうこぼして、姉さんは複雑そうな表情を覗かせる。どうやら姉さんは、僕の中に姉さんの知らない自分がいる事が嫌なようだった。口には出さないが、長年一緒に暮らしていたのだから仕草や表情でわかる。

 

 姉さんは、弟の目の前で自分が命を絶ったという事実と向き合えずにいるのだ。

 

 姉さんの事だから、そこへ至るまでの感情の道筋については想像できているのだろう。でも、それをどうしても自分の事として受け止める事ができないように見える。『僕の知る姉さん』の話をすると、途端に不機嫌になってしまうのだ。

 秘密を打ち明ける事で家族としてわかりあえたと思うが、果たして本当に話してよかったのかどうか、今になって不安が胸をよぎった。

 

「とりあえず、酒場かどこかでブランタの様子を探ってみようか」

「あら、デニムったら。ダメよ、こんなレディを昼間から酒場になんか誘ったら」

 

 気分を変えようとわざと明るい声を出したら、姉さんもそれに乗って混ぜ返してくる。姉弟の他愛ないやりとりが懐かしく感じて、思わず口元が緩んだ。

 そこへ、今まで黙っていた父さんが珍しく口を開いた。

 

「ふむ……。ならば、私の行きつけだった店に行ってみるか?」

「父さんの?」

「ああ。私の昔馴染が経営している酒場だ。若い頃はよく修道院を抜け出して通ったのだがな……」

「まあ」

 

 姉さんが目を丸くしている。これまで身分を隠して生きてきた父さんは、ハイム時代の事を僕達に話す事ができなかった。だから父さんの若い頃の話というのは珍しい。それに、厳格な神父である今の父さんのイメージとはかけ離れていて面白い。

 

「あれから長い時が経った。果たして今もまだ店が続いているのかはわからんが……」

 

 当時を懐かしむような父さんの目を見れば、とてもではないが反対する気にはなれない。きっとその昔馴染とも久々に話したいのだろう。僕と姉さんは目を合わせて頷きあった。

 

--------------------

 

 その店は、貴族達の住む上流区域と平民達の住む一般区域のちょうど真ん中あたりに位置していた。ひっそりとした佇まいで、重厚な木製の扉に掛かった開店中を示す札がなければ酒場である事すら気づけないかもしれない。

 父さんは「変わっていないな」と目を細めて懐かしがっている。きっとハイムで過ごした日々を思い出しているのだろう。その中には、母さんの事も含まれているのかもしれない。

 

 扉を開くと、チリンチリンと軽やかな鈴の音が響いた。

 

「いらっしゃいませ」

 

 すぐにマスターと思われる三十代ぐらいの男性が声を掛けてきた。その手元を見れば、カウンターに立ってグラスを磨いていたのがわかる。

 

 店内はカウンター席とテーブル席がいくつかずつあるだけの小規模なものだった。外見と同様に落ち着いた雰囲気で、平民が入り浸るような大衆酒場とは趣が異なっている。

 どうやら僕達以外の客はいないようだ。この店の客層を考えると、昼を過ぎたばかりの今よりも夜のほうがメインなのだろう。

 

「失礼、貴方が……ここのマスターかな?」

「ええ、そうですが……?」

 

 僕達の先頭に立っていた父さんは、どうやらマスターの男性と顔見知りではないようだ。突然の質問に、優しそうなマスターは少し怪訝そうにしつつも親切に答えてくれる。

 

「私は昔、この店の常連だった者なのだが……」

「ああ……そうでしたか。申し訳ありませんが、この店のマスターだった父は三年前に他界いたしまして……」

「なんと……!」

 

 驚きの声をあげる父さん。父さんがハイムを離れてから十年以上経っている。残念ながら父の昔馴染だった店主はすでにこの世を去っていた。

 

「失礼ですが、お客様のお名前を伺っても?」

「あ、ああ……。私はプランシー・パウエ……いや、プランシー・モウンという者だ。父君にはよくお世話になっていた。訃報を知らず不義理をしてしまい申し訳ない……」

「ああ、貴方がプランシー様でしたか。父から話は伺っております。この店の常連になってくれていた友人がいると。当時、立ち上げたばかりの店のために出資までして頂いたとか……。父は何度も感謝しておりました。不義理などとんでもございません」

「そうか……そのような事もあったな」

 

 今でこそブランタが隆盛をみせているが、当時のモウン家は決して裕福な家ではなかったはずだ。まさか出資までしているとは思わなかったが、友人のために身銭を切っているのは父さんらしいとも思った。

 

 マスターが「よろしければ、一杯召し上がっていってください」とカウンター席を勧めるので、僕達は三人並んでそこへ腰掛けた。

 年齢的に飲酒も問題ないが、ここは敵地でもあるので避けておく。姉さんも同様だった。だが、父さんはマスターに勧められて一杯だけワインを頼む事にしたようだ。きっと亡くなった昔馴染のためだろう。

 

「ところでマスター。最近のハイムはどんな様子かな? 物騒な話も多いようだが」

「一時期に比べればだいぶ落ち着いています。ですが、近い内に大きな戦いがあるようですね……」

「ほう、それはなぜだね?」

「傭兵も大々的に募集しているようですし、各地から物資を買い集めています。この店にも、傭兵や商人の方がよくお見えになっています」

「そうか……」

 

 マスターの推測は正しいだろう。ガルガスタンが不穏な動きを見せている今、ブランタが戦いに備えているのは間違いない。『先』を知っていれば、ガルガスタンの最初の狙いがウォルスタにあるのがわかるのだが、ブランタにそれがわかるはずもない。

 

「それと、外国の方もよくお見えになりますね。あのローディス教国の、ええと――」

 

 そこで、チリンチリンという軽やかな鈴の音が店内に響いた。

 何気なく開いた扉に目を向け、僕は思わず固まってしまう。

 

「――そうそう、ロスローリアンの……おっと、噂をすればという奴でしょうか」

 

 そこに立っていたのは、黒い眼帯の男。

 暗黒騎士団ロスローリアン首領、ランスロット・タルタロスだった。

 




ベツタロスさんがログインしました。デニムくんピンチ!
タルタロスさんは黒歴史を抱えていますが、現在進行中で新たな黒歴史を製造している気もします。

更新が遅れ気味で申し訳ないです…… orz


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058 - Tightrope Walking

間があいてしまい申し訳ありません!


「いらっしゃいませ」

 

 先ほど僕達にしたのと同じようにマスターが声を掛ける。現れた客は僕にとって因縁浅からぬ相手、暗黒騎士団の首領ランスロット・タルタロス。黒い眼帯も、青みがかった銀髪も、僕の記憶の中にある通りの容姿だった。

 その顔を見て危うく声を漏らす所だったが、なんとか堪えた。なぜ奴がこの場所に、もしかして僕達の入国を知られていたのか、と脳内で思考がめまぐるしく入り乱れるが、それを表に出さないよう心がけながらティーカップに口をつける。

 

「……マスター、テーブルを借りるぞ」

「はい、かしこまりました」

 

 横目で確認していたが、タルタロスは僕達の姿を一瞥しただけで特に言及することもなかった。どうやら気付かれていたわけではないらしい。相手は僕達の人相を詳しく知らないようだし、今の僕達がローブ姿なのも幸いしたのだろう。ハイムに多くいる宗教関係者だとでも思ってくれていれば良いのだが。

 驚いたことに、奴は一人ではなかった。後に続くように扉から現れたのは白髭の男性、確かバールゼフォンだったか。タルタロスの代理を務めるほどの側近だったはずだ。そしてもう一人は跳ね上がったもみあげが特徴的な男、ヴォラック。こちらとは直接剣を交えた事もある。

 

「む、この時間に先客とは珍しいですな」

 

 店内に入ってきたヴォラックがカウンターに座る僕達に注目する。やはり正体が気付かれている様子はないが、何かの拍子で露見しないとも限らない。何の反応を返さないのも不自然なので、ティーカップを置いて目礼だけ返した。

 

「ヴォラック、余計な事を口にせぬよう気をつける事だ」

「ハッ。気をつけます」

 

 バールゼフォンの忠告に対して、ヴォラックは律儀に頭を下げる。そのまま三人は背後のテーブル席へと腰掛けたのがわかった。カウンターに座る僕達はちょうど奴らに対して背中を向ける形になっている。狭い店内なので手を伸ばせば届く距離だ。

 マスターがカウンターを出て注文を取りに行くのを見届けて、僕達は密かに目を合わせた。

 

 恐らく姉さん達は、マスターの言葉から奴らが暗黒騎士団の一員である事は察しているはずだ。顔を知らないはずなので団長やテンプルコマンド級である事はわからないだろうが、僕達の正体がバレるような事を口にする心配はないだろう。

 一つ気がかりなのは、父さんがマスターに対してプランシー・モウンという本名を名乗っている事だ。仕方なかったとはいえ、まかり間違ってマスターに「プランシー様」などと呼び掛けられたら、僕達は一気に窮地へと追いやられる事になる。

 すぐに店を出ようかとも思ったが、まだ出されたものを飲み終わっていないうえ、暗黒騎士たちが来た途端に席を立つというのも不自然な気がしてならない。結局、僕は視線をカップに落として、次に出口へと動かし、姉さん達に「飲み終わったら店を出よう」と目線だけで伝えた。

 

「いやはや、この店とも随分と顔なじみになってしまいましたなぁ」

「いつもありがとうございます」

 

 奴らはこの店の常連になっているらしい。ゴリアテの襲撃が空振りに終わって暗黒騎士団の動きがどうなるか警戒していたが、トップが酒場にいるところを見れば活発に動いているというわけではないようだ。

 

「他の酒場は騒がしすぎるからな。それに、この店の料理はどれも絶品だ。まさかこのヴァレリアで、故郷の味を味わえるとは思えなかったが」

「ありがとうございます。……と言いましても、父が世界各地の料理を熱心に研究しておりましたので、私はそれを継いだだけなのです」

「ふっ。例え父親から継いだものだとしても、それを料理するのはマスターの腕前あってのものだろう。……それに、父親とはいつかは超えるべき相手に過ぎん」

 

 バールゼフォンは随分とこの店の料理が気に入っているらしい。確かに、壁に提げられているメニューには見慣れない名前も多い。

 注文を取り終わったマスターがカウンター内に戻ってくる。父さんの持つワイングラスはまだ空になっていない。逸る気持ちを抑えながら僕もティーカップを傾けていると、マスターは気を利かせて僕達に声を掛けてくる。

 

「お客様、もしよろしければ料理の方も何かお作りしましょうか? ……父の味をご存知のお客様にご満足いただけるか、いささか緊張いたしますね」

「む……そう、だな……」

 

 マスターの提案に父さんは目を泳がせて返答に困っている。本音を言えば長居は避けたいのに、ここで一皿頼んだら店を出るのが更に遅れてしまうだろう。

 

「――ほう。見かけぬ顔だが、この店の常連か」

 

 ぎくり、と心が波立った。その低い声は、今まで黙り込んでいたタルタロスの口から発されたものだ。僕達の事情など何も知らないマスターは、僕達の肩越しに嬉しそうな顔で頷いて説明する。

 

「ええ。私の父の代だった頃、この店に通っていただいていた恩人の方なのです」

「ほう……。ところで、父君が亡くなったのはいつ頃の話だったかな?」

「もうかれこれ三年前になりますねぇ」

「…………」

 

 のん気なマスターの声とは裏腹に、僕の緊張感は高まる一方だった。もしかして気付かれたのだろうか。背中を向けたまま緊張する僕達だったが、そこへマスターと同じく能天気な声が割って入る。

 

「残念ですなぁ。私もマスターの父君にお会いしたかったものです。私の故郷料理もぜひ作って頂きたかったですなぁ。こちらの料理は味が薄すぎていけません」

「ははは、確かに他の国の料理に比べると薄味かもしれませんね。ヴァレリアは海洋国家で、香辛料や調味料の類は輸入に頼って高額だったのが原因と言われています。慣れれば、素材の味を活かす調理法というのも悪くないものですよ」

「ほほう。なるほどなるほど。国が変われば文化も変わる。道理ですなぁ」

 

 ヴォラックは感心したような声を出している。空気がやや弛緩したところで、父さんはワイングラスを飲み干すと席から立ち上がった。財布から銀貨を数枚、カウンターテーブルの上に置く。

 

「マスター、すまないが我々はこれから諸用があるため、今日のところは遠慮しておこう。また時間ができた時にでも、ゆっくりと味わわせて頂きたい。父君の料理も絶品であったからな」

「おや、そうでしたか。無理にお引き止めしたようで申し訳ありません。本日は、父のためにわざわざ足をお運び頂きありがとうございました」

「いやいや。こちらこそ不義理をして重ね重ね申し訳なかった。だが、このように立派な後継ぎがいて、父君も安心しながら逝っただろうな」

 

 父さんの言葉に、マスターの男性は少しはにかみながら頭を下げる。

 

 僕達が店外にでると、わざわざマスターが見送りに出てきてくれた。今なら店内の暗黒騎士達の耳を避ける事ができる。僕はすかさずマスターに小声で話しかけた。

 

「マスター、あのロスローリアンの方々に僕達の事を話すのは避けて頂けますか? できれば名前を出すのも控えて頂きたいのです」

「はぁ、構いませんが……」

「無理はしなくても良いのですが、僕達がブランタ枢機卿の身内だと知られれば厄介な事になるかも知れませんので……」

「……なるほど、モウンという姓には聞き覚えがありましたが……。かしこまりました、お客様達のお話はいたしません。気が付かずにご迷惑をお掛けするところでしたね」

 

 そう言って謝るマスターをなだめながら、そっと安堵する。これで僕達の事が伝わるのはかろうじて避けられるはずだ。ここまで接近したのに滞在を続けるのは危険な綱渡りだが、ブランタと会う前にハイムを出る訳にはいかないのだから。

 

 酒場を出た僕達は一目散にその場を後にし、追手もついていない事を確認してようやく一息つくことができた。味もわからないままお茶を飲むのは、これで最後にしたいものだ。

 

--------------------

 

「……どう思った?」

「……斥候の類にしては、いささか素人臭すぎますな」

 

 デニム達が立ち去った酒場、そのテーブル席の一つに座る男たちは小声で密談を交わす。その話題となっているのは、先ほど出ていったばかりの三人組の事だった。

 タルタロスの問いかけに対して、バールゼフォンは難しい表情で答える。裏仕事に精通する彼らからしてみれば、デニム達の拙い演技など完全にお見通しだった。タルタロス達の来店に過敏に反応し、さらに背中からは緊張感がにじみ出ていた。明らかにタルタロス達の事を見知っている反応だ。

 

「考えすぎではないでしょうか? マスターとも顔見知りのようでしたし」

 

 そう楽観的な意見を述べるのはヴォラック。ヴァレリア料理が口に合わない彼にしてみれば、この店は非常にありがたい存在なのだ。ついついマスターを庇いたくなる気持ちがでてしまう。

 そのマスターはカウンター内で注文された料理を作っている。テーブルの上にはすでに注文した酒類が並べられ、タルタロスの手元にも琥珀色の液体が注がれたグラスが置かれていた。しかし彼らはまだ一口も口をつけていない。

 

「今でもこの店に通っているなら、ああいった言い方はせん。三年前に他界したというマスターの父親のみと顔見知りだったと考えるべきであろう。それが何らかの理由で、しばらく店に通う事ができなくなったと見るべきだな」

「……ハイムを出ていた、という事でしょうか。その場合、戦争の近い今頃になって戻ってきたというのが気になりますが」

「バクラム人であれば怪しまれずに済むと考えて、他国が送り出した可能性もあるが……。やはり素人臭さが鼻につく。あれでは疑ってくれと言っているようなものだ。いや、それが狙いか……?」

 

 考察を続けるタルタロスとバールゼフォンの応酬を、ヴォラックは目を白黒させながら聞いていた。裏表のない実直な気質をもつヴォラックは、その分だけやや察しが悪いところがある。定型的な事務作業は得意だが、こういった謀議のようなものは不得意な分野だ。

 

「……我々の出入りする店に現れたのは出来すぎている。間違いなく我々を待ち受けていたのであろうが……」

「やはり目的がわかりませんな。接触してくる事もなく、情報収集にしては大して成果も無い内に席を立っています。何か事を起こす前の偵察でしょうか?」

 

 実際のところ、デニム達との邂逅は単なる偶然にしか過ぎないが、用心深いタルタロス達はそう考える事ができなかった。隠された思惑を読み取ろうと考察を続ける。

 

「お待たせいたしました」

 

 そこへ香ばしい匂いと共にマスターが現れ、テーブルの上に皿を並べていく。香辛料がふんだんに用いられたそれらは、いずれもローディス教国ではよく食べられている料理だが、この国ではなかなか見かける事ができない品々だ。ヴォラックは「おぉ、待ちかねたぞ」と言って、早速フォークを手に取った。

 

 ふと思いついたバールゼフォンが、何気ない調子でマスターに尋ねた。

 

「マスター。つかぬ事を聞くが、先ほどの三人組は何者か知っているか?」

「いえ、父の頃の常連だったお客様だとしか……あの方達がどうかいたしましたか?」

「いや……。見知った顔の気がしただけだ。忘れてくれ」

 

 マスターは歳に見合わぬポーカーフェイスで、急所を突くような質問にしれっと答えてみせた。さすがのタルタロス達もそれを見破る事はできない。

 

「……まあよい。念の為、人を遣わせて正体を洗わせる程度で良いだろう」

「始末しなくてもよろしいのですか?」

「ふん……我々の仕事はネズミ駆除ではない。そうであろう?」

 

 タルタロスの皮肉めいた言葉に、バールゼフォンは黙って頷いた。

 話が一段落したのを見計らって、先ほどから料理に手を付けていたヴォラックが口を開く。

 

「それにしても、このまま動かずにいて本当によろしいのですかな? 我々の標的も――」

「ヴォラック。余計な事を言うなと忠告したはずだぞ」

「は、はっ。失礼いたしました」

 

 慌ててフォークを置いて平謝りするヴォラックを横目に、タルタロスとバールゼフォンは溜息を一つついてグラスを傾けた。

 

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 人目を避けながらリィ・ブム水道を抜けた竜騎兵団は、途中で部隊を二手に分けていた。一つは西方の港町アシュトンへと進路を取り、もう一つは南方へと向かっている。

 港町の方は間違いなく監視の目が多いため、ごく少数による編成となっている。そこまでしてアシュトンへ向かう目的は、海路をたどるための船を確保するためだ。南方に向かう本隊と後々合流する予定となっている。

 コリタニ公やジュヌーンは当然ながら本隊と共に行動している。水道を抜けて南下すると、そこにはゾード湿原と呼ばれる湿地帯が広がっていた。人目につく通商路など通れるはずもない彼らは、やむを得ず人の手の入っていない道なき道を進む事になる。

 

 ジュヌーンによる説教を受けてから、コリタニ公は幼いながらも己の立場について深く考え込むようになった。まともな道を通る事ができない厳しい行軍だったため、さすがに弱音の一つ二つは出てくるが、コリタニ城に帰せとは口にしなくなっている。

 そんなコリタニ公に対して、部隊の者たちの目は優しい。例え単なる名目上だったとしても自分たちの君主にあたる相手なのだが、残念ながら年齢的にも日頃の言動からいってもそうとは思えない。もちろん不敬にならない程度の敬意は払っているが、一人の子どもとして見てしまうのは仕方のない事だった。

 

「なぁ、ジュヌーンよ。バルバトスは皆のために国を興すと言っていたのに、あれは嘘だったのか? 皆は国ができても嬉しくなかったのか?」

 

 コリタニ公は、自分がよくない事に加担していたのではないかと不安な表情を見せる。バルバトスに言葉巧みに乗せられていたとはいえ、彼が飾りの王となったのは皆のためになると聞かされていたからだった。

 ジュヌーンはそんな彼の気持ちを察しつつ、穏やかな声で染み込ませるように言い聞かせる。

 

「そんな事はございません。多くのガルガスタン人にとって、自分達の国を持つというのは悲願にも等しい事だったのです」

「で、では、どうしてバルバトスは異民族を虐げるのだ? どうして異民族と戦う必要がある? 自分達の国が持てたのだから、それで十分ではないのか?」

「……ガルガスタン人はこれまで力ある立場に立つ事はできませんでした。その事に反発を覚える人々がいる事は否定しません。ですが、バルバトス枢機卿はそういった人々の気持ちすら利用し、異民族の排斥を目論んでいます。奴にとってはガルガスタン人が至上であり、他の民族は全て劣等という事なのでしょう」

「むぅ……。だが、余の叔母上はバクラム人だったぞ? 見た目もガルガスタン人と変わらないし、余に優しくしてくれたのだ。バルバトスは、あの叔母上も劣等だというのか?」

 

 単に異民族と一括りする前に、身近な人物に置き換えて考えてみるコリタニ公。これまで彼は甘やかされて育ってきたが、その性質は決して愚鈍ではなかった。そんな彼に、ジュヌーンの口元は自然と緩む。

 

 こうした会話を繰り返して、徐々にコリタニ公はこれまでの偏見をなくしていった。バルバトスの行いは客観的に見てみれば残虐極まりなく、根は善良なコリタニ公にとって受け入れられるものではない。

 ジュヌーンはあくまで臣下としての立場を崩さず、コリタニ公の質問に答える形でしか意見を述べる事はなかった。バルバトスを批判しているが、あくまでも批判の対象は民族浄化という政策においてのみ。

 これまで周りに流されるばかりだったコリタニ公にとって、そんなジュヌーンの態度は信頼に足るべきものに見えた。

 

 悪路極まりない湿原を黙々と進む彼らだったが、さすがに日が落ちた中を進むのは危険が大きすぎる。日が完全に暮れる前に何とかスペースを見つけ、野営の準備を進めていた竜騎兵団。

 だがそんな中、その部隊に所属するドラゴンの一匹が不意に唸り声を上げた。それは間違いなく敵襲を知らせるもので、部隊の面々に緊張が走る。

 

「オオオオォォォ……」

 

 聞く者を身震いさせるような悍ましい声が、夜闇に包まれた辺り一帯に響く。さすがにその程度で怖気づく兵はいないが、唯一の例外であるコリタニ公はすっかり顔を青ざめさせていた。

 

「陛下。我々がお守りいたしますので、ご心配召されず」

「う、うむ……」

 

 すぐにコリタニ公を中心として防衛陣が整えられる。そのまま警戒を解かずにいると、やがて闇の中から声の主が姿を現した。湿地をグチャリグチャリと音を立てながら歩くその姿は、一見すれば単なる人間のように見える。だがよく見ればその顔には生気がなく、全身からは不浄の気配を放っているのがわかった。

 

「ゾンビか……厄介な……」

「だ、大丈夫なのか?」

「ええ。手強い相手ではありません。ただ、あいにく我々の中に浄霊の魔法を扱う者がいないのです」

 

 アンデッドと呼ばれる魔物が厄介なのは、ただ倒すだけでは対処が終わらないという一点に尽きる。例え倒したとしても、時間と共に再び動き始めるのだ。それを防ぐためには、修行を積んだクレリックが使える浄霊の魔法『イクソシズム』が必要だった。

 気がつけば、一体だけではなく二体、三体と周囲にぽつぽつと現れて数を増やしていくゾンビ達。さらにはスケルトンやゴーストといった、人の形すらも保っていない不浄の存在までもが姿を現した。コリタニ公を護りながらこの数を相手にするのは、さすがの竜騎兵団でも荷が勝ちすぎる。

 

「やむを得んな……。ここでの野営はあきらめ、一点突破で包囲を抜けよう」

「この闇の中での行軍ですか……。厳しいですが、仕方ありませんね」

 

 苦渋の決断をするジュヌーンに、側近の一人も同意する。これまでの悪路で兵士達の体力も限界に近いのだが、敵に囲まれている以上は泣き言も言ってられない。

 

「……包囲を抜けた後は予定通り、南西のバルマムッサに向かう。皆には苦労を掛けるな」

「ハッ、苦労人の隊長についていくって決めた時から覚悟の上ですよ」

「そうそう。さっさと切り抜けて、バルマムッサで一杯やりましょうや」

 

 軽口を叩きながら、それぞれの得物でアンデッドたちを牽制する兵士達。彼らの信奉厚いジュヌーンは小声で感謝を述べ、剣の柄を握りながらコリタニ公を護るように立つ。

 

 そんな彼らの様子を、幼いコリタニ公は黙って見つめていた。

 

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 ボルドュー湖畔で一夜を過ごした俺達は、太陽が地平から顔を出した明け方には動き始めていた。

 

 湿地を抜ければ少しは歩くのも楽になるかと思ったのだが、この先の大森林もお世辞にも足場が良いとはいえない地形だろう。こことは別のルートだとゾード湿原と呼ばれる広大な湿地地帯を通り抜ける必要があるらしく、どっちもどっちなのだが。

 

「ところで、『前』のラヴィニスはどのようにコリタニ公を城から連れ出したんだ?」

「私の母方の伝手を頼って、反体制派の貴族の協力を得たのです。そこからコリタニ公の側仕えと密かに連絡をとり、解放軍の攻撃によって生じた隙をついて救出に成功しました」

「ふむ……。だが今回はその手は使えそうにないな。反体制派の貴族と協力するのは可能かもしれんが、そもそも解放軍がまだ結成されていない以上、隙をつくとなると難しいか」

 

 俺達の話題は、コリタニ公救出にあたっての作戦だった。最悪、ハイム城でやったように俺が一人でコリタニ城に突っ込むつもりだが、コリタニ公が人質に取られたりしたら面倒だ。

 

「そういえば、コリタニ公はどのような人物だ? 救出には素直に応じてくれたのか?」

「それは……」

 

 俺の問いかけに顔を曇らせて言葉を濁すラヴィニス。

 

「……正直に申し上げれば、名目上の国主とはいえ、バルバトスの甘言に乗せられた子どもにしか過ぎません。十にも満たない年齢なので仕方がないのですが、ご自身の立場を理解しているとは到底言えませんでした。私達が城から連れ出した時も、周囲に当たり散らして城に戻せと……」

 

 彼女にしては、なかなかに辛辣な評価だ。恐らくワガママ放題に育てられた子どものような状況なのだろう。周囲に流されるしかない子どもとはいえ、責任ある立場にいる以上、無知は罪としか言いようがない。

 

「そうか。自覚がないのは厄介な事だな。いざとなれば俺がしつけを――」

「い、いえ、それには及びません」

 

 ラヴィニスが慌てて俺の発言をさえぎる。あれぇ? こう見えても俺は子どもの扱いが得意なのに。オミシュの時だって、不良幼女をしっかりと叱ってやったら更生したしな。それに今時は、夫だって子育てに参加すべきだろう。将来のためにも、今のうちから協力していかなくてはな。うんうん。

 

「あの、ベル殿……?」

「心配するな、ラヴィニス。俺は決してお前に家事や育児を任せきりにしたりはしない」

「は、はぁ……? そ、その……ありがとうございます」

 

 なぜか怪訝な表情を浮かべるラヴィニスだったが、徐々にその意味を理解したのか顔を赤らめていく。しまった、先走りすぎたか。まあ、結果オーライだろう。

 

 そのまましばらく黙って歩いていた俺達だったが、遠目に大森林の木々が見えてきた頃、その入口となっている道に複数の人影が立っている事に気づく。

 

「む……?」

 

 まだ距離があるため俺の視力でもぼんやりとしか確認できないが、人影は鎧を身に着けた兵士か何かのように見える。さらによく見れば、その近くには野営用のテントらしきものも設置されていた。

 

「どうかされましたか、ベル殿」

「森の入口に兵士達がいるようでな。恐らくガルガスタン軍の兵だと思うが……」

「このようなところに……?」

 

 スウォンジーの森はコリタニとアルモリカを隔てているため、アルモリカ軍を警戒しているとすれば理解できなくもない。だが、こちらはアルモリカ側の入り口なのだから、このままでは要らぬ刺激を与えてしまうだろう。いくら開戦が近いとはいえ、余計な警戒を招く可能性もある。

 その場に立ち止まって確認していた俺達。だが、どうやら向こうも俺達の存在に気づいたらしく急にバタバタと慌ただしくなり始めた。まだ距離があるのになぜ気付かれたのか疑問だったが、上空をふわふわと飛んでいるデネブさんを見て思わず遠い目をしてしまった。

 

 見つかってしまったものは仕方ないので、おとなしく兵士達に近づく事にした。どちらにせよ、ここを通らなければコリタニ城へとたどり着けないのだ。恐らく別ルートも似たような状況だろう。

 

「止まれッ!」

 

 テントから出てきた、他の兵士とは身なりの異なる男性が制止を掛けてくる。羽根飾りのついた兜や軽鎧などが特徴的なその格好は、確かルーンフェンサーと呼ばれる職業が好むものだったはずだ。

 言われた通り素直に立ち止まると、そのルーンフェンサーの男が部下の兵士数名を引き連れて近づいてくる。思っていたよりも若く、三十代前半ぐらいだろうか。

 さすがに空気を読んだのか、上空を飛んでいたデネブさんも何食わぬ顔で地面に降り立った。ここからでも、男が目を白黒させているのがわかる。

 

「なんだこいつら、怪しいやつらだな……」

「アニキ、あの飛んでた女、よく見ればすげぇ上玉ですよ!」

「何度も言ってるだろ! アニキって呼ぶんじゃねぇ! 隊長って呼べ!」

「へぇ! すみません、隊長!」

 

 近づきながらコソコソとしている彼らの会話はまる聞こえだったが、聞こえないフリをしておく。なんだか思っていたよりも随分と軽いノリだな。

 すぐ側までやってきた彼らは、しげしげと俺達を眺めていく。といっても、部下の兵士達の視線はデネブさんに釘付けだった。一様に鼻の下を伸ばしている部下達を尻目に、隊長と呼ばれた男は胡散臭そうな表情で問いかけてきた。

 

「お前ら、一体何もんだ? 大道芸人か何かか?」

「我々は傭兵です。傭兵募集の噂を耳にし、コリタニへと向かう途中でした」

 

 俺達の中で一番人当たりの良いラヴィニスが代表で答える。傭兵という身分については、あらかじめ打ち合わせておいたものだ。さすがに何の目的もなく旅をしているというのは通らない。

 

「ふ〜ん。傭兵にしちゃあ随分と礼儀正しいな。まあ例外もいるみたいだけどよ」

 

 長年騎士として勤めていたラヴィニスの物腰に、隊長の男は少し表情を緩めた。ちなみに、『例外』という発言と共に目線が向けられたのは、先ほどから兵士を誘惑するようにポーズをとるデネブさんだ。というか、ちょっとフリーダムすぎるんですけど。

 

「確かに傭兵は募集しているけどよ、それはあくまでガルガスタン人に限った話だぜ。南から来たって事は、お前らはウォルスタ人じゃね〜の?」

「私はガルガスタン人の娘です。私の母は先代のディーン子爵の庶子だと聞いております」

「ふ〜ん……」

 

 正確にはウォルスタ人とガルガスタン人の混血だが、ラヴィニスがガルガスタン人の娘である事に間違いはない。だが堂々とハッタリを告げるあたり、柔軟になったと褒めるべきか、不良になったと嘆くべきか。

 恐らく子爵の名に心当たりがあったのであろう男は、目を瞬かせたのちにラヴィニスの顔をしげしげと眺めて何度か頷いた。

 

「なるほどな。確かにその髪の色はディーン子爵と同じもんだ。先代は知らねえけど、今代の子爵は何回か見かけた事があるしな」

「お貴族様と顔見知りなんて、さすがアニキッスね!」

「だから隊長って呼べって言ってるだろうが! それに俺は十人長ヴァンス様だぞ! 貴族の知り合いぐらいいるわ!」

 

 まるで漫才のようなやり取りに、緊張していたラヴィニスも気の抜けた表情になっている。どうやら隊長の男はヴァンスというらしい。十人長って大した事ない地位な気がするんだが……。

 

「チッ。それにしても、庶子とはいえ貴族の孫娘を邪険にするわけにはいかねえか……」

「それでは……」

「まあ待てよ。傭兵の募集はまだ当分続いているはずだぜ。先を急ぐわけでもないだろうし、今日はここで休んでいけよ。スウォンジーの森は広いから、今から森に入ると森の中で日が暮れちまうぞ」

 

 明け方に出発した俺達だったが、すでに太陽は天頂を通り過ぎている。湿地に足を取られて、ここに来るまでに結構な時間を取られてしまったのだ。

 思いがけないヴァンスからの提案に、ラヴィニスは困惑しながら俺に視線を向ける。断るべきだが、目的を告げてしまった以上は急ぐ理由を作る事もできない。下手に断れば怪しまれるだけだろう。仕方がないので頷いてみせた。

 

「では……お言葉に甘えさせて頂きます」

「おっ、そうか。まあ心配しなくても、飯ぐらいは出してやるよ」

 

 ラヴィニスの返答に相好を崩す十人長ヴァンス。何気に面倒見の良さそうな奴である。部下達に慕われているのもわかるというものだ。

 そんな部下達は、一晩を共に過ごせると聞いてデネブさんの方を見ながら喜んでいた。

 

 厄介な事になってしまったが、一晩ぐらいならどうとでもなるだろう。

 もちろん、そんな俺の考えは完全にフラグとなってしまうのだった。

 




デニムくん、なんとか危機を回避したと思ったらバレバレだった模様。
十人長ヴァンス兄貴は1ステージで退場するのがもったいないほどの良キャラなので、ねっとり登用させて頂きました。ヴァイスくんと名前が似ているのが困りもの。

更新が遅れており、ご迷惑ご心配をお掛けしております。申し訳ございません。
もう少しで忙しさも落ち着きそうなので、長い目で見て頂けましたら幸いです。
あぁ〜もっと小説書きたいんじゃぁ〜。


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