今日だって茜色の空の下で生きている (オイリーギフト)
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フェンリル極東支部

当作品には山もなければ落ちもない場合が多々あると思われます。
ただ脳裏に過った、ありそうだと思った日常を文字に落としただけですので、過度な期待はなさらずにお読み下さい。


 1

 

 

 手にした大剣を掲げ―――

 

「おめでとう。今この瞬間から、君はフェンリル極東支部所属のゴッドイーターだ」

 

 ―――第二の人生が幕を開けた。

 

 

 

 エントランスホールに戻ると、備え付けのベンチには同年代の男―――まだ少年だが―――が退屈げに腰を下ろして天井を仰いでいた。

 

「……ん。よう、お前も適合試験に通過できたんだな」

「ああ。君はたしか……」

「雨宮だ。雨宮リンドウ。これから一つよろしく頼む」

 

 おもむろに差し出された手を握り返す。名乗られたなら、名乗り返すのがマナーだろう。

 

「鴻上ユキナリだ。こちらこそよろしく」

 

 リンドウの隣に座り、雑談をして時間を潰す。趣味や好物の話に始まり、馬が合ったのか初対面なのにかなり盛り上がってしまった。

 

「へぇ、じゃあ前から支部内で暮らしてるのか」

「姉上が神機使いになってからはな。でもこれからは一人部屋だ! 女二人に男一人ってのは気ぃ使うんだぜ、ホント……」

「幼馴染の女の子が一緒だってんだからなぁ……でもその環境、羨ましくもある」

「そうかぁ?」

「こちとら一人暮らし……じゃなかったけど、幼馴染の女の子なんて居なかったぞ! 毎朝その子に起こされるとか、漫画の中だけの話じゃあなかったのかよ……」

 

 リンドウが話し上手なのか聞き上手なのか、場は盛り上がりに盛り上がり、担当上官がいらっしゃるまで―――より正確には目の前で咳払いをされるまで上官を無視してしまったことについては、新兵ゆえのご愛嬌という事で一つ。

 

 うおっほん! とお手本の様な咳払いを披露したのは紫色のフェンリル制服姿の女性だった。ツインテール髪型のせいか童顔に見えるが、彼女が自分たちの待っていた上官であることはすぐに思い至った。僅かに引き攣っている頬に添えられた右手、脇には薄いファイルを挟んでいた。

 

「さっそく親交を深めているようで何よりだけど、ここは上官として言わせてもらおうか……立ちなさい」

「え?」

 

 リンドウが呆けたように聞き返した。それを横目に即座に立ち上がる。空気の変化を読み取ることにかけてはそれなりに自信がるのだ。

 

「立て! と言っているんだ。さっさと立ちなさい!」

「は、はいぃっ!」

「よし! 私があなた達の上官になる香月ヨシノよ! 訓練教官は別に居るから、正式に配属された後の話しだけだけどね。時間がないから一度しか言わないので、よく聴くように!」

 

 おほん、と一度咳をつく。

 

「今後の予定としては、あなた達にはメディカルチェックを受けてもらうわ。その後は自由時間よ。今日は適合試験の疲労もあるだろうし、しっかり休んで疲れを取るように。それと明日は〇九〇〇(まるきゅうまるまる)―――朝九時にここに集合ってことで、時間厳守だから! 何か質問はある?」

「は、はぁ」

 

 ……淀みなくつらつら述べられた説明に思わず呆気に取られてしまったが、それでも一つ訊いておきたいことがあった。

 今朝フェンリルに招集されたとき、俺と同じように招集されたのだろうメンバーは十人弱居たはずなのだ。けれど、今ここには自分とリンドウの二人しかいない。これの意味するところは……つまり、そう言うことなのだろうか?

 

「あの……俺たちで、全員なのでしょうか?」

 

 隣のリンドウがぎょっとした目でこちらを見た。

 

「……そうね。今回、新たに入隊したのは雨宮リンドウと鴻上ユキナリの二人、と聞いているわ」

「そうですか……分かりました。ありがとうございます」

「他にはある? ……無いようなら、そこのエレベーターからメディカルルームに行ってチェックを受けてきてね。ペイラー・榊って博士がいるから」

 

 ヨシノさんが指差す先にはシャッター扉の厳つい昇降機がある……らしい。今いる位置からすると短い階段を上った二階の奥、つまり対称点的な位置関係にあり、ここからは見えない。

 伝えるべき事を言い終えるとヨシノさんは足早に立ち去ってしまった。

 

「俺たちだけ、か」

「ま、分かっちゃいたけどな……そう言うことで、長い付き合いが出来るように、お互い頑張ろうや」

「……そうだな! 気合い入れていくか!」

「おおよ、その意気だっ! 今はさっさとやる事やっちまおう! メディカルルームだったよな」

 

 気を取り直して意気揚々と昇降機に乗りこんだ。大きな音を立て、重苦しいシャッターを開いたそれに飛び込むと、中には想像以上に広い空間が設けられていた。少し窮屈になるけど、十人くらいなら同時に乗りこめそうな広さだ。

 

 さすがフェンリルは格が違う……と、一人感服していると「な、なあ」とリンドウが声を上げる。顔を向けると、リンドウがボタンを押す途中のまま姿勢でゆっくりと振り向いた。

 

「メディカルルームって……何階にあるんだ?」

「……んなもん、俺が知るわけ無いじゃん」

 

 結局、(しらみ)潰しに階を移動して、辿り着いたのは半時間ほど後だった。

 

 

 メディカルルームは医務室と研究室を足して二で割ったような様相を呈していた。機械類の熱暴走対策のためか室内はやや肌寒いほど冷房が効いている。何に使うのか検討もつかない装置が駆動音を響かせ、空気には薬品の匂いが混ざっている。

 

 ここまでに要した労力とようやく辿り着けた安堵感で一息ついていた俺たちを迎えたのは、額に大きな赤いゴーグルをつけた人の良さそうな細身の男性と、首から二つ眼鏡を引っさげている和服とトレンチコートを組み合わせたような服装の和洋折衷な男性だった。

 ゴーグルの方は腰の大型ポーチに大量の工具を備えていて、その身なりから推察するに博士と言うより技術者のイメージだ。となるともう片方―――糸目ほどまで細められている目が印象的な男が「ペイラー・榊」だろうか。

 

「やあ、随分遅かったね。私の予想よりも……まあ、いいか。初めまして、と言っておこうか。ヨシノ君から聞いていると思うけど、私がペイラー・榊。フェンリル極東支部アラガミ技術開発統括責任者をしている。気軽に博士と呼んでくれたまえ。適合試験の時に会っているのだけど、私は観測室に居たから、実質これが初対面となるね」

「僕は楠木シゲル。神機整備室の第一班の班長……つまり整備班のリーダーをしている。これから顔を合わせる機会も多いと思う。よろしくお願いするよ」

 

「本日付でフェンリル極東支部に入隊しました。鴻上ユキナリです! よろしくお願いします!」

「同じく雨宮リンドウです! いつも姉がお世話になっているようで、これからは私も神機使いとしてお二人の力を借りることになります。よろしくお願いします」

 

 背筋を伸ばして敬礼する、が、これは適合試験通過後に一応、と云うことで仕込まれた付け焼き刃だ。一方、リンドウはやけに板についた敬礼姿だった。

 後に訊いて曰く、入隊までにお姉さんに死ぬほど叩き込まれたらしい。

 

「ほう……君がツバキ君の弟か。噂は聞いているよ」

「相当の跳ねっ返りなんだってね」

「い、いえ、そんなことは……姉上ぇ」

 

 ぼそりと恨み節を吐いたリンドウを横目でちらり。跳ねっ返りなのか。話した様子では感じなかったけれど、まだ猫を被っているのかも。

 

「それで君がユキナリ君か……外から来たそうだね」

「ええ、まあ」

 

 そんな何気ない言葉にリンドウが僅かに目を見開いた気がした。今時、珍しくもないだろうに。

 

「どうやら今期は二粒の砂金が加わるようだね」

 

 榊博士は小さく頷きながら資料を捲り目を通して、笑みを深めながら呟いた。しかし、不意に手を止めるとその糸目を薄く開く。

 出会ってからは常に浮かべられていた笑みを消し去り、真剣な様子で資料を読み込んでいる。

 

「ふむ、なるほど。……楠木君、早速メディカルチェックを始めようか」

「了解しました、榊博士」

「君たちはそこに横になってくれたまえ」

 

 そこ、とはこの金属台のことだろうか。全部で三台ある硬質なベッドはそれぞれ箱型の機械と隣接しており、そのうち二台の機械には、どこか生物的印象を懐かせる巨剣が鎮座していた。

 その巨剣の一方には見覚えがあった。光を反射しない錆色の巨鋸。確か名前は―――ノコギリ。安直すぎるネーミングである。適合試験では武器とは思えない巨大さに圧倒されたが、よくよく見てみると結構シンプルな形をしている。削り切ることは出来そうもない凹凸の大きな刃は、常人の腕程度なら隙間に挟み込めそうだ。

 

「これは、確かチェーンソーでしたっけ」

「そう、近接型神機の三種。ショートブレード、ロングブレード、バスターブレードのロングとバスターの基本形となるパーツだね。リンドウ君のがロングブレードのチェーンソー、ユキナリ君のがバスターブレードのノコギリだ」

 

 リンドウの疑問にシゲルさんが答えた。その手には黒い厚手の頑丈なグローブが嵌められている。

 

「目には目を歯には歯を、オラクル細胞の集合体であるアラガミには、オラクル細胞から作った武器、つまり神機で対抗するしかない。神機を振るう資質を備えた者たちが、君たち神機使い(ゴッドイーター)と言うわけだ」

「じゃあこれは武器の形をしたアラガミってことですか?」

 

 そう問いかけるとシゲルさんはこちらに振り向き苦笑する。

 

「間違ってはいないけど……忘れて欲しくないのは、これは決して傍若無人なアラガミではなく、人の手で制御可能な神機ってことだよ。彼ら―――神機は君たちが命を預ける剣であり盾だ。それに……ロマンチストだと笑ってくれていいが、僕は神機には神機の意思があると信じていてね。そんな仲間をアラガミ呼ばわりなんて、なんだか寂しいじゃないか」

「その通り! 意志があるかどうかはさて置き、戦場に出るのなら神機に対する悪感情はあまり持たない方が良い。その疑念から生じた一瞬が生死を分ける可能性が無きにしもあらず、だからね」

 

 二人のその言葉にこちらも苦笑を返して首を振った。

 神機に対する悪感情があるわけではないのだ。ただ、人造アラガミとも言うべき神機に思うところがあっただけで、どちらかと言えば、神機使いの象徴として憧れに近いものを持っている。

 

「ご心配なく。言ってみただけですから」

「そうかい? これは、早とちりしてしまったかな」

「……ふむ。それじゃあ、そろそろ横になってくれるかい?」

「あ、はい、すみません」

 

 軽く頭を下げて、いそいそと金属台に上がる。低い室温で冷やされた光沢のあるベッドはお世辞にも寝心地は良くない。検査用のものにそんなものを求めるのが間違っているのだが。

 寝転ぶとシゲルさんが何やら極太のコードを右腕に在る赤い腕輪に接続した。

 

 ―――腕輪。神機適合試験を通過した者の腕にはめ込まれる、一生外せない真っ赤な枷。そして、神機使い(ゴッドイーター)の証。

 

「神機も握ってくれ。チェックを始めたら徐々に眠たくなってくるだろうけど、その時は眠ってしまって構わないからね」

「はい」

 

 眠くなるとか薬剤でも打ち込まれるのだろうか……先に始めるらしいリンドウに目を向けると、既にうつらうつらした様子で目は半眼になっていた。

 壁際ではモニターを覗き込んだ榊博士が「おお!」だの「実に興味深い!」だの大きな独り言を言いながら興奮している。……本当に検査だけで済むのだろうか。急に不安になってきた。

 

「安心してくれ。体に害があるようなことはしないから」

 

 そんな心中を見透かしたようにシゲルさんが近寄ってきた。キャスター付きの事務椅子で、背もたれに両腕を乗せた格好ですぃーと滑り寄ってきて、工具ポーチが金属台にぶつかった。あんた何してんだ。

 

「……顔に出てました?」

「なんとなくね、初めてここに来る人は皆そうだから」

「そうなんですか」

 

 自分だけじゃなかった事実にちょっぴり安心感。緊張を紛らわそうとしてくれているのか、のんびり話しかけてくるシゲルさんとしばらく会話していると、唐突に榊博士が声を張った。

 

「楠木君! これを見てくれ! 意見を聞かせてほしい!」

「今行きます! ……それじゃ、肩の力を抜いて待っててくれ」

「はい、ありがとうございました。シゲルさん」

 

 ふう、と一度息を吐いて天井を見つめる。目をつむると少し体の力が抜けた気がした。

 

 数分ほど待つと、やたら興奮した様子の榊博士が俺のメディカルチェックを開始した。博士がコンソールを数回操ると、神機を握る右腕が一度大きく脈動し、入り込んできた“何か”が全身に行き渡る感覚に思わず体が震える。

 

 これ……適合試験の時も同じことがあったのだけど、もしかして神機を握る度にこの感覚を味わうことになるのだろうか。背筋に悪寒が奔るのにも似たこれが……そう思うと気が重くなってくる。

 それとも、そのうち慣れるのだろうか。人間は慣れる生き物だと言うし……うん、そうに違いない。

 

 そうこうしていると、次第に目蓋が重くなり意識が朦朧とし始めた。

 

「リンドウ君の程では無いが、彼も中々の適合率だね」

「ええ、これなら身体能力も―――」

 

 覚えているのはそこまで。

 次に目が覚めたのは、暗く狭い個室だった。併設されている仮眠室だったらしい。薄暗い室内に一人ぼっち。

 唯一の内装である時計の電光表示は「23:47」を示していた。メディカルルームに入ったのが昼過ぎだったから……流石に誰か起こしてくれよ。

 

 記念すべきフェンリル初日は、ほのかな寂しさに包まれた一日となったのだった。

 

 




お読み頂き有難うございました。


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子どもたちと初陣と

取り敢えず第二話までは連続投稿。
早速オリキャラが一人登場します。
ナナが年齢に対して発育が早いような気もしますが、GEチルドレン故ということで。


 2

 

 

 幸せ者、と言う言葉がある。幼い頃に辞書で“幸せ”について調べたときに初めてその言葉に出会った。

 その辞書での定義は「幸運な者」だった。

 幸運とは何だろうと疑問が生まれたのは仕方のないことだろう。

 

 「こんな世界でも生きていられるのだから、私たちは幸運だ」と父さんは言った。

 「こんな世界になってしまったのだから、人類みんな運が無い」と「でも、その中で私たちは幸運かもね」と母さんは言った。

 

 子供の自分は二人の言っていたことの意味がよく分かっていなかった。食べ物は自分たちで作るか缶詰が当然だと思っていたし、今では朧気にしか思い出せない自分たちの“家”に住んでいた頃の記憶は、ずっと夢だと思い込んで胸の奥に仕舞っていた。

 

 成長するにつれ、少しずつ理解していった。

 

 この“当たり前”はほんの十数年前は“当たり前”じゃなかったのに、どうしてこんな時代に生まれて来てしまったのだろうと。

 家族を喪ったとき、そう思った。

 

 

 

 

「おいーす」

「ういーす」

 

 朝、部屋を出ると向かい部屋から出て来たリンドウと鉢合わせした。俺がカーキ色のフェンリル制服を着ているのに対して、リンドウはコバルトブルーの制服姿だ。

 整えたが僅かに残ってしまったはね毛を撫でつけながらエレベーターの到着を待つ。隣では目元を擦りながらリンドウが大口を開けて欠伸をしていた。

 

「なんだ、夜ふかし?」

「ちょいとな。久しぶりにサクヤと話してたら深夜になってた」

「サクヤって言うと、幼馴染の子だっけ?」

「あぁ。まだ十一歳だからかねぇ……ちょっと会わなかっただけなのに、なかなか離してくれなくてな」

 

 へぇ、微笑ましいねえ……と適当に返事をしているとエレベーターが到着。やたらレトロな到着音を鳴らして扉が開く。

 既に一人先客が居たようで、その顔を見た瞬間に反射的に敬礼姿勢をとっていた。

 

「お、おはようございます! 百田教官!」

「おはようございまーす」

「ああ、おはよう。敬礼すんのは訓練のときだけでいいぜ、ユキナリ」

「あっと、すいません。癖で……」

「はは、訓練中のゲンさんはキッツいからな〜」

「なんだリンドウ? そう言うんなら今日は一層厳しくいくか」

「えぇっ!?」

 

 勝手に自爆しているリンドウが大袈裟な手振りで反応する。エレベーター内に三人の笑いが木霊した。

 

 いぶし銀という言葉が似合う彼は百田ゲンさん、通称は百田教官。紅色の外套を肩に羽織り、布で吊られている左腕は過去の負傷によるものらしい。ピストル型神機を使っていた元・最初期の神機使いであり、この負傷が原因で引退したのではないかと俺は勝手に想像している。

 今は俺たちのような新人の教官として格闘、戦術、神機操作おいて日々苛烈な指導者の役割を果たしてくれている。引退したとは言え体内の偏食因子は健在で、こちらが身の程を弁えない言動をした際には容赦のない鉄拳制裁が飛んでくるのだ。まさに鬼教官だが、それでも教練時外ではただの気の良いおじさんなのだけれど。

 

「今日はリンドウだけだったか?」

「そうですね。俺はシンヤさんと実地訓練です」

「そうか。今期は新人がお前らしか居ないから、もっとみっちり鍛えてやりたいんだが……もう実地訓練に入るのか。訓練とは言え、アラガミとの実戦だ。命が賭かってるってことを忘れんじゃねえぞ」

「分かりました」

 

 言い知れぬ迫力を醸し出す百田教官の忠告を受け取ると同時にエレベーターが食堂階へ到着した。

 用があると言って百田教官はエレベーターに残り、俺とリンドウは朝食を求めて外に出た。廊下とエレベーター内の照明が薄暗かったのに対して、食堂は太陽の下にあるかの様に煌々と電光に照らされている。眩しさに目を細めて歩いていると不意に誰かとぶつかった。

 

「あっ、ごめんなさい」

「いえ、こっちがよく見てなかったからですから……?」

 

 声は腰の辺りから聞こえてきた。見ると銀髪の女の子が尻もちをついてこちらを見上げている。お尻をさすりながら立ち上がる女の子に手を貸し……何だか、会ったことがあるような?

 

「大丈夫? 怪我してない?」

「はい! 大丈夫です! じゃっ、私はこれで!」

「あっ」

 

 ダダダー! とエレベーターの方に走り去ってしまった女の子の後ろ姿、多種多様な髪色の人が入り乱れるアナグラ―――極東支部の通称だ―――でも滅多に見ない程の綺麗な銀髪は一度見ていたら忘れないと思うのだが……。

 

「あの子、確かシゲルさんの娘さんだっけか?」

「あぁ。そうか、シゲルさんだ」

「えっと、名前は確か……」

 

 リンドウの言葉にようやく合点がいった。そうだ、あの銀髪はシゲルさんの白髪によく似ているのだ。白じゃなくて銀だけど、その程度は些細な違いだ。

 そうかそうか、シゲルさんの娘さんか。そう言えば確かに一人お子さんが居た筈だ。思い出せなかったピースがぴたりとはまった気分、なんだかちょっぴり達成感を感じる。俺の記憶が正しければ名前は―――……

 

「リッカちゃん」

「それだ、楠木リッカ!」

 

 子供なのに既に神機整備室に入り浸っていると噂の楠木リッカちゃんだ!

 

「神器の波長データから神器の調子を深いところまで読み取れるんだぜ。凄いよなぁ」

「本人は“気持ち”って言ってたな。ま、俺は半信半疑だけど。それに関しちゃシゲルさんも疑ってたし」

「そうか? 俺はかなり信じてるけどね。だってあの子のアドバイスに従ったら、実際に神器が言うこと聞いてくれたし」

「それ本当か?」

「ホントホント」

 

 具体的には盾の展開速度とかオラクルの伝導率が上昇した。感覚的には前より軽く神機が振れている気がする。眉唾話を聞いているかの様に(実際眉唾かもしれないが)疑わしげな目を向けるリンドウに再度「本当だからな」と念を押す。

 

「なんて言われたんだ?」

「えっと……『もっと神機と仲良くならなきゃダメだよ!』って言われた」

「……それ、アドバイスなのか?」

「いやいやいや。あれから神機とコミュニケーションを図ってるおかげなのか成果は出てるぞ。これには榊博士も首ひねってたけど」

「最近やたらと神器に話し掛けてるのにはそんな意味があったのか……てっきりユキナリがおかしくなったのかと……」

「失礼な奴だな!? 神機は友達! これこそ真実なんだよ!!」

 

 食堂のおばちゃんからプレートを受け取って空いている席に座る。今日の献立はジャイアントコーンとマッシュポテト、それといくらかの葉物野菜だった。デカいとうもろこし以外は普通の食べ物に見えるが、原材料のポテトも野菜も遺伝子組換えの極地と言えるほど弄られており、加えて工場生産である。

 

 以前暮らしていた所では食料は自給自足だったので、元農家の仲間から農業のいろはを教えてもらっていた。その経験があるから食べ物は土と水と日光から育てる”ものと知っているが、このご時世、子供には食べ物は工場で作るものだと勘違いしている子も多いのだ。

 程よい水気を含んだ野菜を口の中で噛みしめる。その途端に広がる苦味、苦味、苦味。思わず眉を寄せるが、栄養満点で大量生産できるコイツを食べないと一日体が保たないのだから我慢して食べるしかない。

 

「相変わらず不味いなあ……」

「食えるだけありがたいと思おうぜ」

「ほんと、そう思わないとやってられないよな」

「だな」

 

 せめてもの抵抗に備え付けのケチャップ―――当然遺伝子組換え―――で苦味を誤魔化しながら口に運ぶ。最後の一片を水で流しこんでおしまいだ。コーンとマッシュポテトは可もなく不可もなく、コーンの食べにくさに目を瞑れば好みの味なので問題はない。

 締めにもう一杯水を飲み干して、

 

「「ごちそうさまでした」」

 

 偶然、声が重なった。最近気が付いたことだけど、アナグラでは「いただきます」と「ごちそうさま」を言わない人は結構多い。もともと出身地にそういった習慣が無かった人も居れば、極東出身でマナーとして知ってはいるが、それでもやらない人も一定数いる。まぁ、それぞれ思うところがあってのことだと思うのだが……個人的には、ちょっと行儀が悪いなと思わないこともない。

 

「やっほー、おはよー若者諸君。今日も良い天気だね」

「おはようございます。天気って……今日って晴れなんですか?」

「いや、知らないけど」

 

 朝食も食べ終えことだし部屋に戻ろうとすると、丁度エレベーターからヨシノさんが降りてきた。その右手は先ほどのリッカちゃんよりも小さい女の子と繋がれている。ピンクのワンピースが可愛らしいヨシノさんの一人娘さんのナナちゃんだ。

 

「おはよう、ナナちゃん」

「おはよーっす。ナナ、元気かぁ?」

「おはよう! うん、ナナ元気だよ!」

「そーか元気かー。うりうり〜」

「わぷっ」

 

 猫耳のような特徴的な黒髪を揺らしながら駆け寄って来たナナちゃんの頬をリンドウが無遠慮にこねくり回す。ヨシノさんは苦笑いしながらそれを見ている。ナナちゃんが腕を叩くのにも構わず、リンドウは興が乗ったのか更にぐりぐりとナナちゃんをこね回し続けていた。穏やかに見守っていたヨシノさんの笑顔が徐々に硬質化して、細められていた目が薄く開かれていく。流石に見かねてリンドウの頭を引っ叩いた。

 

「いって! 何すんだ!」

「いや、手頃な位置にあったからつい」

「んな理由で叩くなよ! ったく……」

 

 ちらりとヨシノさんを見ると既にナナちゃんを確保しており、グッとサムズアップ(立てた親指)を向けていたのでサムズアップを返す。リンドウ……お前は俺に感謝しても良いんだぜ?

 未だにぎゃあぎゃあ喚いているリンドウをエレベーターに引きずり込む。

 

「おいこら、襟を引っ張るな!」

「じゃあ俺たちはここで!」

「あ、うん」

「またねー!」

「またねー! ナナちゃん」

 

 扉が閉まり、ようやく外と隔離された。まったく、朝から騒がしい一日になりそうだ。

 

 

 

 

「よぅーっし、新人! 今回の討伐目標はオウガテイル。アラガミの中では弱い部類に入るが、殺されるには十分な相手だ。絶対に油断するなよ!」

「り、了解」

 

 場所は変わって“鉄塔の森”―――とよく似た任務地域。かつては大規模なコンビナートとして稼働していたが、二〇五一年のアラガミ大量発生に伴って廃棄されたそうだ。内部には当時の物品がそのまま残されている。大半はアラガミに荒らされているが、そこはかとなく旧時代の名残を感じさせる空間だ。

 劣化や油汚れで薄黒く染まっている鉄塔郡。そんな中、イヤでも目立つ真白な頭髪の男はぐるぐると肩を回していた。

 

 シンヤ・ストイルスキー先輩。黒鉄のロングブレードを担ぐ背中にはベテランの風格がある。やや細身なその背中に魔狼"フェンリル"のエンブレムを背負っていないことは、黒革のジャケットがシンヤ先輩の私物であることを示している。

 

「周囲への警戒を怠るなよ」

「了解。後方の警戒は任せてください」

「上空も忘れるなよ。飛び降りてきたオウガテイルに頭から……なんて話も無い訳じゃないからな」

「うっす」

「ちなみに下から唐突にコークンメイデンに、なんて話もある」

「う、うっす。下もですね……」

「物陰から不意打ち気味になんてことも」

「俺はどうすりゃいいんですかぁ!?」

「さあなぁ? とにかく頑張れ!」

 

 三十分ほど歩き回っていると、僅かにだが鈍い響きの鳴き声が聞こえた。シンヤ先輩とアイコンタクトを取り、オウガテイルが居る場所から死角になる位置に場所取る。

 物陰から様子を伺ったシンヤ先輩が指を五本立てた。……五対二かぁ。初陣としては……どうなんだろう。これ位が普通なのだろうか?

 

 オウガテイルどもは何かを捕喰するのに夢中な様だ。数体こちらを向いているので、後ろ向きになると同時に突っ込む手筈となった。

 まだかまだかと気持ちが(はや)る一方で、気が付けば神機を握る手が震えている。どうやら、本物のアラガミを前にして今更になって実戦への恐れが表出してきたらしい……タイミング考えろよちくしょー……。

 

 右腕を左手で抑えながら「治まれー!」と念じていると、突如として額に衝撃が奔った。

 

「痛ッ」

 

 小石を投げてきたシンヤ先輩を睨みつけるが、当の本人はカラカラと静かに笑っていた。そして小さな声で告げる。

 

「焦んなよー。いざとなりゃ、逃げて俺の背中に隠れてろ。神機使いは一に自分の(たま)、二に仲間の命、三にアラガミの命だ。危なくなったら逃げて隠れて、体制を建て直しゃいいのさ」

 

 やばかったらコイツを使え、とシンヤ先輩からスタングレネードを一つ渡された。俺も既に持っているのだが……予備に持っておけという事だろう。取り敢えずお礼を伝えると同時に「おっ」と呟いてシンヤ先輩が神機を構えた。同じ様に神機を構える。震えは殆ど治まっていた。

 

「チャンスだ。行くぞ。……カウント五」

 

 カウントに合わせて徐々に脚に力を溜めていく。

 

「四、三」

 

 ふくらはぎがブーツの中で膨れ上がり、筋肉に熱が篭もる。

 

「二、一 ……ゴー!」

 

 筋肉の軋みを解放して、一気にオウガテイルに肉薄した。地面を削り飛ばした音を察知したオウガテイルが振り向くが、もう遅い!

 

「ドオラァァァッ!」

 

 慣性の勢いを乗せて脳天からノコギリを振り下ろして叩っ切る。血飛沫を撒き散らしながら頭の頂点から尾の先まで真っ二つに裂かれたオウガテイルは鳴き声一つ上げずに沈黙した。

 しかしノルマは二体! もう一体いる!

 

 崩れ落ちるオウガテイルの隙間から別の奴が尾から針の弾丸を放とうとするのが目に入る。大盾―――対氷タワーを展開して数瞬後、重い衝撃が連続して伝わってきた。対氷タワーの除き窓から様子を伺う。オウガテイルは刺々しい尻尾を揺らしながらこちらに接近中だ。

 

 正面切って突っ込んで来ると言うのなら好都合。さっきの奴と同じ様に片付けるまで。大盾を収納して一息のステップでノコギリの間合いまで詰め、勢いをつけて脳天から叩きつけ―――!

 

「馬鹿野郎! 敵をよく見ろ!!」

 

 オウガテイルを捉えたと思った次の瞬間、轟音を上げてノコギリは地面に深々と突き刺さっていた。―――(かわ)されたのだ! しかも勢い余って刀身の一部が地面に刺さり、抜けない!

 オウガテイルは罠に嵌まった間抜けを嘲笑うかの様な唸り声を上げ、全身を後に反らす。バーチャル訓練で散々やられたから、すぐに分かった。次の瞬間こいつは飛び掛かって来る! あの巨体で押し潰し、頭から俺を噛み殺すに違いない!

 

「離脱しろ!」

 

 無茶言わんでくれ。回避しようにも腕輪と接続された神機のせいで移動できないし、神機が抜けなければ盾を展開しても無駄だ。一体どうしたら―――ってコレがあった!

 

「先輩! 目ぇつむって!!」

 

 腰に引っさげていたスタングレネードを掴んでピンから引き抜く。警告とほぼ同時にそれをオウガテイルとの中間地点に放り投げた。カチリ、と軽い音と共に閃光の嵐が閉じた瞼を突き抜けた。視界が一瞬白飛びしたが、モロに光を浴びたオウガテイルは未だ苦し気に呻き続けている。

 ステップ一つでオウガテイルの斜め前方に移動する。音に反応したオウガテイルだったが、やはり僅かにズレた場所に意識を向けていた。

 

 見えずとも数撃ちゃ当たる戦法に出たのか見当外れの場所に針を撃ち続けるオウガテイルは、手応えを感じなかったのか今度はその場で尻尾を縦横無尽に振り回し始めた。射程に入った瞬間、尾の刺で全身穴だらけになるだろう。迂闊には近づけない。

 ……が、そんなことは関係ない。その隙に腰を落し、ノコギリを肩に担いでオラクルを集中させる。神機の中でも一際巨大な刀身に集められたオラクルが紫紺の刀身を形を作った。不安定に波打つオラクルの刀身は今にも暴発してしまいそうだが、その爆発力こそこの巨剣の真骨頂だ。

 

「ドウラァァッ!!」

 

 気合い一閃、近接武器としては破格の間合いから放たれたオラクルの激流がオウガテイルを襲った。先程以上に荒々しく、喰い千切られるかの如く体を分断されたオウガテイルは最期に一際甲高い悲鳴を上げて沈黙した。

 

 次は……と辺りを見回して、オウガテイルの屍を神機に喰わせているシンヤ先輩と目が合った。

 

「よお、中々やるじゃねえか。初陣にしちゃ、悪くなかったんじゃないか?」

「……そうですか。……ふぅ……お、終わった……」

 

 何事もなかった様にカラカラと笑うシンヤ先輩の姿に一気に緊張が解けた。脚から力が抜け、思わずその場に尻餅をついてしまった。

 

「あははは……やった。やってやりましたよ、俺は。ですよね、先輩?」

「ああ。危ないところもあったが、咄嗟の判断は正確だったしな。まぁ、及第点ギリギリってところか」

「えぇ……ギリギリなんですか」

「冷静さを保てない奴ほど早死にするんだ。アラガミを倒すのは良いが、始まる前に言ったことを忘れんじゃねえぞ。……ちなみに、戦場の真っ只中で座り込んでる点も含めたら落第点だからな」

 

 ははは……なんてこった。予想以上に低評価である。冷静さか……確かに、今回も直前にスタングレネードを渡されてなかったら咄嗟に行動を取れなかったかもしれない。今回は運良く生き残れたけど、こんなことを繰り返していたらいずれ殺されるだろう。「冷静さを失わない」……よし、肝に銘じておこう。

 

 立ち上がれない俺を横目にシンヤ先輩は五体のオウガテイルから捕喰を終わらせた。俺の分までやってくれたようだ。

 そして未だに地べたに座り込んでいる俺を見ると呆れ顔を浮かべながらも手を差し出してきた。その手を取ると力強く引き上げられ、腕輪のない左腕を肩に担がれる。

 

「今回だけにしてくれよ。ったく、男と密着する趣味はねぇっつーのに」

「あはは……すいません。ありがとうございます」

「おうよ。あーあ、どっかに銀髪のロシア美女でも居ねぇかなぁ、居ねぇよなぁ……」

 

 そんなぼやきを聞きながら、移動用のジープまでどうにかこうにか辿り着いた。

 前途多難と言うか何と言うか……何はともあれ、初陣を生きて終えたことが今回最大の成果だ。

 

 




読んで頂き有難うございました。

この先は常に二話分ストックを保持して投稿していこうと思います。遅筆ですので、のーんびりお待ちください。


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ある一幕と馴れ初め

アニメ版の影響を受けて書いた話があります。うわっ……と思っても生暖かい目で見逃してやってください。

今作のヒロインは彼女です。たぶんヒロインにしても一番論争が起きないキャラクター。


 3

 

 

 太陽が沈み始めていた。一時間もすれば壁の向こう側に隠れてしまうだろう。

 

 かつて神奈川県横須賀市と呼ばれていた地域に極東支部はある。

 

 直径三キロメートル、円周九・四キロメートル、厚さ二十五メートル、高さ百メートルのアラガミ装甲壁に囲まれ、周囲から隔絶された世界。その中心には巨大な極東支部中央施設が(そび)え立ち、周囲に群がるようにフェンリル関連企業のビルが並んでいる。中央施設から防壁へと繋がる七本のパイプラインは、防壁に不具合が起きた際に迅速な対応を可能とする一種の生命線(ライフライン)でもあった。そして、残る隙間は中央施設地下の内部居住区への入居が叶わなかった人々の暮らす外部居住区となっている。

 

 数少ない人類の生存圏を求めて世界中から集まった人々は、人種の坩堝(るつぼ)と言っても過言ではない世界を外部居住区に形成していた。

 最低限度の生活はフェンリルの配給制度で成り立っている外部居住区の暮らしだが、物資不足が恒常化しているこのご時世、配給は決して充分とは言えないのが現実で、外部居住区の一画では出所不明の商品が取引される“闇市”も開かれているらしい。

 

 しかし一方、フェンリル内部―――つまり神機使い(ゴッドイーター)や一部の上流階級には充分な量の配給が行き届いていた。前者は命を賭けている神機使いへの正当な報酬であり、後者は“企業”としてのフェンリルのスポンサーたちへの配当である。

 (いち)製薬会社から人間社会を牛耳る企業国家となったフェンリルと言えども、未だに金がなければ人類社会は回らないのだ。ドル、ユーロ、円……あらゆる通貨は「フェンリルクレジット(FC)」に取って代わられたが、貨幣経済をフェンリルが支配することはなかった。前時代と呼ばれている文明が崩壊した現代でも、財力は多大な力を持っているのだ。

 個人的に聞いたことがあるのは―――フォーゲルヴァイデ家やブルゴーニュ家だろうか。フェンリル本部のある北欧でも強い発言力を持つ貴族である。

 

 とまぁ、どうして突然こんなことを再確認しているかと言うと、少し……いやかなり気分が悪くなる、しかしどうしようもなく現実を直視させられる光景に遭遇してしまったからだ。

 

 ことの始まりは、シンヤ先輩との実地演習からの帰還途中のことだった。

 

 

 

「だーかーらーっ! 何よりも大切なのは“うなじ”だってのがお前に分かんねーのか!?」

「ニッチすぎますよ! 重視するべきは一に性格、二に雰囲気、三にむ……胸! こ、これが男子たる者の基本です!」

「テメーも大艦巨()主義に染まってやがるのか! どいつもこいつも……デカけりゃ良いって考え方が気に食わねぇ。首筋の曲線と襟首との境界線に生まれる妖艶さ、あの良さが何故分からねぇ……っ」

「何を勘違いしてるんですか? 俺は慎ましやかな方が好みです!」

「んなことはどうでもいいんだよ! あぁ! 俺の同士は何時になったら現れるのだろう……!」

 

 俺達は疾駆するジープの上で答えの出ない不毛な討論を繰り広げていた。あくまでチラリズムを至高と主張するシンヤ先輩と貧乳論を展開する俺。両者には緩やかな曲線という共通点があり、初めは互いに認め合えるかと期待したが、残念ながら思い違いだったようだ。

 

 論争が収束して無言で車を走らせていると、不意に遠くに人の声が聞こえてきた。進路を変更してエンジンを吹かせること少し、荒野のど真ん中で数人の男女を見つけた。

 男の子と両親の三人家族、壮年の男性、ひび割れた眼鏡の青年と彼に手を引かれた女の子。彼等は元々暮らしていた場所がアラガミに襲われ、極東支部へ向かって旅を続けていたらしい。

 

 正直この時点で既に嫌な予感はしていたのだ。

 

「運が良かった。神機使いの人たちに拾ってもらえるなんて」

「支部に着いたら入場口(ゲート)で職員に事情を話して下さい。俺たちが出来るのはそこまでですから」

「分かりました。……あぁ、やっと終わる」

 

 心から安心した様子で男性は男の子を膝に抱き、奥さんもそんな彼らを穏やかに眺めている。青年は少女を護るように両手を繋いで身じろぎしない。皆一様に安堵の表情を浮かべ、旅の疲れを癒している中で壮年の男性だけは無言で遠くを見つめていた。

 

 きっとこの人だけは、先の可能性を正しく認識していたのだと思う。

 

 支部に到着したら彼らを入場口で下ろし、俺たちは車両搬入口からアナグラに戻った。

 如才なく車両の返還手続きを済ませ、回収したアラガミ素材を特性のケースへ移し替えて中央へ戻る道中のことだった。狼狽するような、激怒しているような声が耳に入る。

 

「どうして俺たちが入れないんだ! ここは人類最後の砦なんじゃないのかよ!?」

 

 声の主は俺達が連れてきた三人家族の旦那さんだ。

 

「……支部のキャパシティは限界に達しています。偏喰因子との適合資格の無い方の新たな入居は認められていません」

「一人や二人変わらないだろう!? その子がよくて、何で俺たちが駄目だってんだ!」

「彼女はパッチテストを通過しています。ですが、あなた方は通過していない」

 

 男性は銃を抱えるフェンリル兵に掴みかかる。その後ろでは奥さんが呆然と地面にへたり込んでいた。憮然とした態度を崩さない兵士に、強硬手段に出ようとした男性が別の兵士が押し留められているのが見えた。

 

「死ねってかっ……」

「………」

 

 感情の激流に体を震わせながら男性が絞り出すように呟く。その双眸は憎しみと憤怒が混ざり合い、殺気さえ孕んでいるようだった。しかし暫くすると男性は目を瞑り、震える拳を地面に打ちつけるように膝をついた。

 

「……私は入れなくても良いです。……だから、この二人だけでも入れてやってください。お願いします。中に入れてくれるだけで良いんです。食べ物も服も、何も入りませんから……お願いします……!」

「……申し訳ありません」

「どうか、どうかお願いします……!」

 

 額を地面に擦りつける男性の姿に堪え切れなくなり、なんでも良い、どうにかしてやろうと足を踏み出そうとした瞬間、背後から肩を掴まれた。「あれは、どうにもならない」と小さく一言だけ告げたシンヤ先輩は、しかし万力の如き力で俺をその場に押し留める。口調は(いや)に静かだった。それがまるで他人事を話しているように聞こえて、一気に頭が熱くなった。

 

「どうしてですか……! 入れなかった人がどうなるか、分からない筈ないでしょう!?」

「兵士の言ってることは何も間違ってない。俺たちは実感が薄いが、外部居住区の食料状態はもう限界を超えかけてる。餓死者が出ないギリギリのラインに踏み留まってる、ってのが現状だ」

 

 懇願と否定の応酬が続いている入場口を見つめながら口を動かすシンヤ先輩は、ある種冷酷な印象を受けるほど冷静だった。僅かに細めらている瞳から言い知れぬプレッシャーを感じ、思わず身が(すく)む。

 

「で、でも! それなら、俺たちの飯を少しずつ減らすなりあるでしょう!」

「そうやって受け入れ続けて、一人ひとりの飯が足りなくなって、終いにはどうする。神機も碌に振れない状態で出撃する訳にいかねえだろう」

 

 反論は許さない、と言外に示す態度はいつもの言笑自若とした姿からは想像出来ないものだ。それでも何か反論しようと口を開けて、何も言えずに言葉が詰まる。

 言葉にしたいことは確かにあるのに、それを形に出来ないもどかしさ。唯一出来たことと言えば拳を握りしめて気を紛らわせることぐらいで、それもシンヤ先輩が俺の腕を掴んで掌を広げさせるまで気が付かなかった。

 

「ほんの僅かだろうと余力が無けりゃ、一度崩れたら再起なんて出来ねえところに俺たちは居るんだよ……お前もフェンリル(ここ)で生きるなら理解しろ。たとえ理解出来なくても、認めるんだ」

 

 そのまま腕を引かれて、俺はその場を後にした。あの後……彼らが今、何をしているかは分からない。既に何処か別の場所へ向けて歩き始めているかもしれないし、もしかしたらもうこの世に居ないかもしれない。

 パッチテストを通過した女の子はどうしているのだろう。兄妹ではなさそうな眼鏡の青年はこれから先、彼女と再会することがあるのだろうか。終始無言だった男性は一体何を思っていたのか、俺には何一つ分からない。だってあの時、俺は入れたから。

 

 

 ―――みんな、どうしているのかな。

 

 

 

 

「ドォラァァッ!!」

 

 上空から照りつける太陽。荒れ果てた街の中心でノコギリを構える俺を囲むのは五体のオウガテルだ。激昂の一撃で斬り飛ばした二体が宙を舞い、残る三体の内の二体が後方へ跳躍して距離を取った。

 場に残った一体は威嚇のつもりなのか大きく吼えると、彼我の距離を全速力で詰めてきた。

 何の技もない愚直な突進だが、これに一杯食わされたことは忘れていない。俺はノコギリを振り上げずに槍を溜める様に構え、突き出すと同時に神機の柄を押し込んだ。

 

 途端にノコギリの巨大な刀身が縮小して、その付け根から生々しい音を立てながら黒い顎が這い出てきた。神機のオラクル細胞が捕喰の為に形成した顎は、節々から怪しい紫紺の光を放ちながら勢い良くオウガテイルに喰らいつき、その上半身を噛み千切って文字通り捕喰する。

 

 碌に咀嚼もせずに丸呑みにされた肉がどこにいくのかは知らないが、外部からオラクルの塊―――つまりはアラガミを捕喰した神機から多量の活性化オラクルが流入し、全身のオラクル細胞が活性化する。それに伴って神機に掛けられていた安全装置が一つ解除された。

 

 ―――神機開放(バースト)

 

 体の奥底から圧倒的な全能感と絶対感が湧き上がってくる。神機に埋め込まれている橙色のコアが明滅を繰り返し、神機全体が心無しか金色の光を放っていた。

 覚醒した身体能力に任せて間髪置かない連続ステップで二体のオウガテイルの中間に進入し、急激なブレーキから生まれた慣性の力を遠心力へ転換してノコギリで一気に薙ぎ払う。

 

 避ける暇も与えず両断されたオウガテイルが地に沈み、ただのオラクルへと姿を変えて空に四散した。

 

『―――うん、目標の沈黙を確認したよ。素晴らしい結果だ。動きにも以前ほど無駄が無かったし、所要時間も前回より大幅に縮まってる。たった数日でこれほど変わるなんて、なにか特別なことでもあったのかい?』

 

 何処からともなく男の声が響くと同時に、太陽に照らされていた廃墟が一瞬にして姿を変えた。現れたのは無機質な金属の床と壁に囲まれた空間だ。煌々と電光が振り注ぐ天井付近には壁に埋め込まれる様にガラス張りの観察室が設けられていて、訓練室(トレーニングルーム)の神機使いを自由に観察出来るようになっていた。

 

 シゲルさんにセッティングしてもらったバーチャル訓練を終えて、制服の袖で額に流れる汗を拭った。

 

「ふう……初陣が終わったから、ですかね?」

 

 あの本物のオウガテイル討伐から、既に一夜明けている。今日一日は疲労回復の為にと与えられた休日だったが、昨日から胸の内に(もや)がかかった様な状態が続いており、少しでも気を紛らわせようと臨時の訓練に臨んでいた次第である。思いっきり汗を流してストレスを発散したおかげか、始める前よりは気が軽くなった気がする。

 

『なるほど、実戦を通して何かを掴んだと言うわけか。えーっと、同行していたのは……シンヤ君か。まだ若いが彼は五年目のベテラン神機使いだからね。きっと学べる事も多いだろう。これからもこの調子で頑張ってくれ』

「はい。ありがとうごさまいました!」

「うん、お疲れ様。終了報告は僕がしておくから、ユキナリ君はゆっくりシャワーで汗を流すと良い」

 

 それならお言葉に甘えて。神機を保管庫へ返却し、一直線にシャワールームへ向かった。

 

「お」

「うげ」

 

 道中、今しがたシャワーを浴びて来た様子のリンドウと遭遇した。その左隣には見慣れない黒髪の女の子が並んでいる。中々気の強そうな目をした女の子だ。……ツバキ先輩には及ばないけれど。

 

 何はともあれ、まずはこの人の顔を見て露骨に嫌そうにした粗忽者を問い(ただ)すとしようか。

 

「リンドウ〜、その子は? まさか彼女さんか〜?」

「か、彼女!?」

「ちげーよ! つーか何だお前、そのキャラ!」

「はっ、俺にも色々あるんだよ、別に良いだろう……。で、この子誰?」

 

 リンドウはため息を吐きながら頭を掻くと、諦めたように口を開いた。女の子は密かにリンドウの背後に隠れて、影から顔だけ出すようにこちらを覗いている。

 

「あー……ほら、昨日も話したろ。幼馴染のサクヤだよ」

「あぁ! 君が噂のサクヤちゃんか!」

「う、うわさ……?」

「初めまして。俺は鴻上ユキナリ。リンドウと同期の神機使いだ」

 

 突然の流れに戸惑うサクヤちゃん。リンドウはその背中を軽く押した。たたらを踏みながら前に出たサクヤちゃんだったが、おずおずと言った様子で背筋を伸ばし、

 

「えっと、橘サクヤです。リンドウが何時もお世話になってます」

「お、おぉ……世話してます!」

「されてねーよ!」

 

 即座にリンドウの詰め寄ってきやがる。まだ湿っている髪に残っていた水滴が、その勢いで俺の顔にはねた。冷たい。

 

「もう、リンドウ! そんなこと言って失礼でしょう!」

「いや別に失礼じゃねえよ!」

 

 リンドウがごめんなさい……と丁寧に頭をさげるサクヤちゃん。齢十一にして、まるでリンドウの保護者の如き立ち振る舞い……会ったばかりだけど分かる。この子、絶対に良い子だ。そして恐らくだが、雨宮家(サクヤちゃんは橘だけど)のカーストではリンドウより上位にいるに違いない。トップはツバキ先輩で確定しているので、リンドウは最下位という事になる。

 

 ……最下位か。三人家族と言えど女所帯に男が一人、更に発言力まで弱いとなると、なんだかリンドウがちょっぴり哀れに思えてきた。

 

「なんだよ、その目は?」

「……いや、何でもない。リンドウ、俺はお前と対等で居てやるからな」

「そいつはどう言う意味だコラ! しかも偉そうなんだよっ!」

 

 怒り心頭の言葉が相応しい形相で掴み掛かってくるリンドウをひらりと(かわ)して、そのまま横を通り過ぎる。すまんな。これ以上、汗はかきたくないんだ。そもそも二人に出会ったのはシャワーを浴びに行く途中だったのだ。ここいらで話を抜けさせてもらうとしよう。

 

「まったね〜サクヤちゃん。ついでにリンドウも」

「さ、さようなら!」

「ホント何だったんだよお前!?」

 

 そんなリンドウの叫びを背中に聞きながら、シャワールームへ入り込んだ。

 

 服は雑に畳んでロッカーの籠に放り込み、ブースに入って水道のレバーを捻ると既に地熱利用で温められていたお湯が頭上に降り注ぐ。

 

 ああ……癒される。疲れ切った体、全身の汗を熱いお湯で洗い流すこの瞬間こそ一日で最高の時だと自信を持って言えるね。極東じゃ昔は風呂に入るのが普通だったらしいけど、今では贅沢すぎてとてもとても……。毎日熱々のシャワーを浴びられるだけ恵まれているのだから文句は言えない。

 

「あぁ……生き返るぅ……」

 

 かなり小さくなっている石鹸で垢すりに泡を起こして首、肩、腕と全身を擦って汚れを落とす。汚れやすい関節周りは特に重点的に。

 頭も含めて全身泡でもこもこ状態になったらシャワーで一気に洗い流す。纏わり付いていた不快感が一掃されて見違える様に気分爽快である。

 

 脱衣場で水滴を拭き取りながら、しかしふと頭に浮かんでくるのは昨日の出来事だ。シンヤ先輩はああ言っていたし自分もどうにか飲み込んだのだが、俺があの場で出来ることは本当に何も無かったのだろうか。

 

 「受け入れ続ければいつか破綻する」とシンヤ先輩は言った。それは転じれば、受け入れを続けないのならばまだ余裕はあるという意味だ。受け入れる者とそうでない者に()ければ……いや、それはもうやっているか。適合候補者か判断するパッチテストが二者の境界線になっているのは確かだが、それでも“外”で生きる人たちを中に住まわせるにはどうすれば……あぁっ、頭がこんがらがってくる!

 

 とにかく! 極東支部を頼る人たちが居れば受け入れたい、というのが俺の主張なんだ。そこに至るまでに何をすればいいのかは白紙のままだけど……。

 

 ……榊博士に頼んで、その辺りの資料を見せてもらおうか。

 

 

「―――という訳で来ました」

「来ました、と言われてもねぇ……」

 

 榊博士の研究室ことラボラトリ。複雑怪奇な機械群が部屋の中央に鎮座する一方で、壁際は刀剣、掛け軸、盆栽などなど所謂“ニッポン”的なアイテムで彩られている。ペイラー・榊という名前から服装、果てには部屋までとことん和洋折衷な人であるらしい。

 

 榊博士はその特徴的な狐目の眉尻を下げて頬を掻いた。

 

「我々が直面している問題に感心を持ってくれるのは嬉しいのだけど……生憎、全て一つに纏められた資料というものは無くてね。食糧生産や居住区拡大についてならターミナルのデータベースから閲覧可能だから、そちらを見てもらうしかないんだ」

「えー……」

「論文や参考文献もデータベースからアクセスできると思うけど、何分データは今なお増え続けているからね。基本的なことから学びたいのなら、書庫で本を探したほうが良いだろう」

「書庫、ですか? 分かりました」

 

 そんな場所があったのか。まったく気が付かなかった。と言うより、書庫に収めるほどの量の本があること自体驚きだ。いや、支部とは言え天下のフェンリルなのだからその位は当然なのだろうか……?

 

 入門書としてお勧めなのは―――と丁寧に本の名前のメモまでくれた榊博士には感謝である。こっちから尋ねておいて何だが、「フェンリル極東支部アラガミ技術開発統括責任者」ともあろう方が俺のような正式配属さえされていない木っ端兵にこれほど親切に対応してくれるとは思わなかった。

 

 そうして初めて書庫を訪れたのだが、これが予想を超えて広い広い。

 スペース節約の為に棚同士の隙間が狭かったり、梯子を使う必要のある高さの棚も少なくないが、この圧倒的な蔵書量から受けた衝撃は半端じゃなかった。しばらく入り口で呆然と立ち尽くしてしまった程だ。本は大量に集まると独特な匂いを放つという事実を今日、初めて知った。

 

 俺以外にもぽつりぽつり人は居るが、皆静かに目当ての本を探しているようだ。

 大まかに分野毎に分類されていたので、メモの本を見つけるのにさほど時間は掛からなかった。カウンターで本を読み(ふけ)っている司書さんに貸し出し記録を付けてもらい―――なんと腕輪認証が出来た―――それらを抱えてエントランスへ。

 なんとなく自室で読むのは躊躇われたのだ。個人的な我儘だが、自室は完全にリラックス出来る空間にしておきたいので、頭を悩ます関連物はあまり持ち込みたくない。

 

「へぇ、まだ居るもんだ……」

 

 時計の針はそろそろ頂点を指そうとしているが、エントランスではソファやベンチで雑談に花を咲かせたり、ターミナルと格闘している神機使いが少なくない。日中より静かではあるが一定の喧騒を保っていた。

 

 彼らが噂に聞く“夜勤組”という奴だろうか。夜間の急襲や緊急任務に備えて待機すると言うのは精神的にキツそうな印象を持っていたのだが、話し相手がいるのなら話は違ってくるのかもしれない。

 

 空いていたベンチの端に腰掛けて早速本を開く。前書きからするに、どうやら基礎的な知識の参考書のようだ。著者は───ガーランド・シックザール。うちの支部長と同じ苗字だ。親族だろうか。

 

 軽く序章を読んでみた。なるほど、これくらいが入門編としてはピッタリなのだろう。そう一人で納得しながら文に目を下ろす。

 

 

 ―――どれほど時間が経っただろう。黙々と読み進めていたら、不意にことり、と目の前のテーブルにマグカップが置かれた。並々と注がれた黒い水は薄く湯気を漂わせている。

 

「へ?」

「お勉強ですか? 遅くまでお疲れ様です。珈琲(コーヒー)、よかったらどうぞ」

「……あ、ありがとうございます」

 

 立っていたのはフェンリルの事務制服に身を包んだ年若い女性―――と言うか少女? いつも任務を受注してくれるオペレーターだった。

 肩口で切り揃えられた薄い栗色の髪はあちらこちらでカールしていてるが、髪質が傷んでいる様子もない。癖毛なのかセットなのかが日頃から気になっているのだが、未だ答えは見つかっていない。たしか名前は……

 

「えっと……加賀さん、でしたよね?」

「ご名答です。フルネームでは加賀ルミコ。鴻上さんより年下なので敬語を使わなくて良いですよ。あと、呼ばれ慣れてないので名前で呼んでくれると有り難いです」

「えぇ。じゃあ……ルミコさんで良い? それと俺も慣れてないから鴻上さんは勘弁してもらえると助かる」

「バッチリです。ユキナリさん」

 

 どうやらあちらの敬語は無くならないようだ。

 お盆を胸に抱えながら、大仰に頷き、得意げに笑うルミコさんは深夜のアナグラにあってまるで太陽の如き快活さを振りまいていた。

 

 ―――この何でもない光景が数年後にも思い出せると言うのだから、人生分からないものである。

 

 




ブルゴーニュ家=貴族、ルミコ先生の苗字は独自設定です。
極東支部の位置は設定資料集の地図と実際の地図を照らし合わせて調べたものです。

ルミコ:GOD EATER -the spiral fate- に登場する衛生兵(≠神器使い)。負傷した主人公の治療を行った。


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先輩とカレー、そして新世界へ―――

シリアスなんて、ないんだよ。


 4

 

 

 今が深夜だと感じさせない光の下で、暇だからと言って隣に座ったルミコさんと二人、他愛もない自分語りに興じていた。

 耳に入る「音」は誰かが設置したアナログ時計の針の回る音、どうして神機使いはフェンリルの制服を着なくなるのかという至極どうでもよいことを議論する二つの声、そして延々とカードで暇を潰す者たちのシャッフル音だけ。

 昼間は喧騒に満たされているエントランスとのギャップがノスタルジックでアンニュイなサムシングを掻き立てているから、平生なら余り口に出さないような少し深い話まで簡単に出来てしまうのかもしれない。

 

「元々はフェンリルに就職できただけで満足でした。でも、皆さんの仕事に関わっているうちに新しい夢が出来たんです」

「それがお医者さん」

「はい。今のところはお金を貯めて、夜間学校の学費を稼ぐのが目標です」

「学校か……フェンリルも手広くやってるんだな」

 

 とは言うが、このご時世だ。教育機関もフェンリルの傘下にあるのだから不思議なことでもない。

 ルミコさんがいつ頃目標金額を達成するかは定かではないが、彼女から治療を受ける日も来るのかもしれないな。もちろん、その日まで俺が生き延びていればの話だけど。

 そう冗談めかして言うとルミコさんは眉を僅かに釣り上げて、少々怒気を含んだ口調で言った。

 

「冗談でもそんな事言わないでくださいっ。……知り合った人と会えなくなるのは、悲しいし寂しいし、辛いことなんですから」

 

 突然の怒り声に思わず面食らう。けれど、どう考えても非はこちらにある。間違ってもこれから人命を救う仕事に就こうとしている人に言う台詞ではなかった。

 

「……そうですね。もう言いません、ごめんなさい」

「そうしてください! ……あ、いやっ、私こそごめんなさい、突然怒ったりしてしまって!? …………ええと、言い訳、というわけではないんですけど、一つお話をしても良いですか?」

「どうぞ」

 

 ふう、と目を閉じたまま息を吐き、落ち着きを取り戻したルミコさんは静かに話し始める。

 

「私はここで働き始めるまで、幸運にも知り合いでアラガミの被害に遭った人は居なかったんです」

「でもオペレーターの仕事を始めてからは、もう何人も会えなくなった人達がいます。無線越しに最期の言葉を託されたこともありました。……この仕事がこんなにも死に近いなんて、ここに来るまで全然知らなかったんです。

 私も一応神機使いの候補生ですけど、もう何年も経つのに全然適合する神機が見つからないんですよね……でもその時が来たら、前線でも治療を行える衛生兵になりたいんです」

「神機使いになってからは医療だけに専念もできませんからね、余裕のある今から医者としての腕を磨いておかなくては―――って、まだ卵にすらなってないんですけど」

 

 あははは……、とはにかむルミコさん。早口ではあったが、口調には熱がこもっていて中々胸に来るものがあった。

 

「ちょっと熱くなりすぎましたね。すみませんでした、勉強の邪魔をしてしまって」

「いえ、こちらこそ熱意を分けてもらった気分だよ。情熱、決意って言えばいいのかな、どう言ったらいいか……凄い格好良いと思った。うむ、ルミコさん格好良い!」

「か、格好良い、ですか? 初めて言われました」

「あんまり女性には縁がない表現だしね。ツバキ先輩なんかはよく言われてそうだけど」

 

 脳裏を過った眼光の鋭いアサルト使いの先輩の名前を出すと、途端にルミコさんは激しく首を上下させる。陰を抱えていた表情も一転して歳相応の少女らしいものに変わり、そしてまた先程とは異なる類の熱―――なんか()()やつを口から吐き出した。

 

「確かにツバキさんは格好良いです! あの毅然とした振る舞いと威厳のある態度は女性にとってある種の憧れですからね! しかも美人だしスタイルも良いし、まさに完璧って感じです! 一部では密かにお姉様って呼ぶ子もいるくらいなんですよ! ……わ、私は流石に呼んでませんけど」

「ほ、ほう……」

 

 お、お姉様……漫画の中以外でその呼び名を聞く日が来るとは思わなかった。リンドウの“姉上”でありながら“お姉様”とはツバキ先輩も大変である。

 自称、お姉様呼びには至っていないルミコさんもこの様子から察するにツバキ先輩のファンではあるのだろう。……ふむ、ここは一つ、多くの人が知らないであろうツバキ先輩の秘密を教えてあげようか。

 

 もったいぶるように伝えてみると、本当ですか!? と予想以上の好感触。これが前時代に聞く偶像(アイドル)崇拝という奴なのか。

 

「ツバキ先輩はね―――」

「……ごくり」

「―――料理が出来ない。それも壊滅的に」

「え、えぇー……予想外に地味な情報じゃないですかぁ」

 

 今までの目の輝きは何処にやったのか、と問いたくなる程にルミコさんのテンションが急下降する。一体どこに不満があると言うのか。

 

「ちなみにですけど、壊滅的ってどの程度なんですか?」

「それはもう、レーションを丸焦げにする程らしい」

 

 レーション。その言葉の意味を解した瞬間、ルミコさんの瞳に光が戻った。同時に目が見開かれる。

 

「レーション!? あの固形タンパクって調理できたんですか!?」

「出来るわけ無いじゃん」

 

 あの味覚をこれでもかと軽視した立方体(ブロック)にどんな手を加えようと、味が最低ラインを超えることはないだろう。味気ないどころか、何故か妙な生臭さを感じるレーションなんて誰が作ったのか。しかし、誰もがタンパク質補給のために嫌が応にもあの不味さを体験しているからこそルミコさんも驚いたのだろう。

 

 どうして、よりにもよって焼くのかと。焼いてしまっては要のタンパク質すら補給できない、単なる炭素の塊になるだけなのに。ツバキ先輩は料理以前に材料の選択から勉強するべきである。

 

「これはリンドウ情報だから確実だよ。ツバキ先輩は今でも月に一度の間隔で料理にチャレンジして、その度になんやかんやで黒い食卓を囲んでいるらしい」

「うわぁ……」

 

 皿に乗る炭塊とそれを囲む雨宮姉弟とサクヤちゃん……ツバキ先輩は沈黙するだろうし、リンドウも姉を恐れて何も言えないに違いない。サクヤちゃんはツバキ先輩に気を遣って「お、美味しそ〜」なんて言っていそうだ。……いかん、想像するだけで可哀想だ。主にサクヤちゃんが。

 

「……今度、本人に確かめてみましょうか。家事には自信あるんで、力になれるかも」

 

 ぽつりとルミコさんが呟いた。

 

「うん、俺からリンドウに話しておいてみる。だから、その時はよろしく頼みます」

「た、頼まれました!」

 

 そんなこんなで、当人たちの預かり知らない食事改善プロジェクトが始動した。そんな夜だった。

 

 

 

 神機使いにとっての日常とは、訓練を積み、壁の外へアラガミハンティングに赴くことである。

 特に極東支部周辺は他所よりもちょっとばかりアラガミが集まりやすい土地柄なのか、外部居住区の防衛に大型アラガミの討伐と第一から第六部隊まで毎日忙しく働いている。

 

 討伐部隊の第一部隊、防衛部隊の第二部隊、エイジス島防衛担当の第三部隊、遊撃担当の第四部隊……と分けられてはいるものの、部隊間での人員の貸し借りは日常茶飯事でそれほど厳密なものでもない。

 

 しかし、それでも所謂“花形”とされている第一部隊に所属したいと思うのは神機使いなら……いや、男子足るもの当然の思考だろう。例に漏れず、俺も第一部隊に配属されることを期待して今日この時を待っていたのだ。

 

 あの適合試験から早三ヶ月、リンドウと俺は支部長室に呼び出されていた。

 

「まずは、生きてこの日を迎えてくれたことに感謝しよう」

 

 両肘を机につき、胸の前で手を組みながら支部長―――ヨハネス・フォン・シックザールは、そうして口火を切った。

 

「諸君も知っての通り、十五年前……未だ食物連鎖の頂点に人類が座していた頃、オラクル細胞は発見された。そして単なる一細胞に過ぎなかったオラクル細胞は、僅か四年後には今現在“アラガミ”と呼ばれている段階へと至り、我々を絶対的頂点から引きずり降ろした」

 

 そこで言葉を切り、席を立つと俺達の眼前まで歩み出てくる。

 

「我々人類は絶滅の危機にあると言って過言ではない。諸君ら神機使い(ゴッドイーター)は人類の剣であり、盾である。これからの活躍に期待しているよ―――雨宮リンドウ二等兵」

「はっ!」

「本日を以って、極東支部第一部隊配属を命ずる」

「了解!」

 

 一本軸を通した様な直立姿勢でリンドウは短く返答した。

 にしても第一部隊か、訓練の感じからも予想はしていたが実際に告げられるとやはり驚きがある。さてはて、俺はどこに配属されるのか……。

 

「鴻上ユキナリ二等兵」

「はっ!」

「本日を以って、極東支部第二部隊配属を命ずる」

「了解!」

 

 第二部隊……なんだかんだ予想通りである。第一部隊の隊長はヨシノさんだったけど、第二部隊は誰だったかな? 誰であれ上手くやれると良いのだけど。

 

 そんなことを考えながら、俺達はそれぞれの部隊に合流するのだった。

 

 

 第二部隊はバーチャル訓練での連携訓練から始めるとのことで、訓練室に訪れた俺を出迎えたのは見慣れぬ三人組だった。とは言え一人は既に見知った白髪の頭、シンヤ・ストイルスキー先輩だ。第二部隊だったのか。残る二人は山吹色と艶のある桃色―――ストロベリーブロンドだろうか―――の髪色が特徴的な女性陣である。

 

「やあやあ! 第二部隊にようこそ新人君! 私が第二部隊の隊長を勤める富井ユウリ、気軽にユウ隊長と呼んでくれたまえ! トミー隊長でもいいよ!」

「よろしくお願いします、トミー隊長!」

「あっはっはっは……出来ればユウ隊長の方が良いかなー、なんて。トミーって男性名だし……」

「ふふ、了解です。ユウ隊長」

 

 群青色のスナイパーをぶんぶん振り回しながら大声を上げたのは山吹色のユウリ先輩だ。

 ネイビーブルーのミリタリーボトムスとトップス。開かれたジャケットの前面からは、爽やかな白のニットインナーが覗いている。女性には少々力強過ぎる印象の軍用ブーツやノーフィンガーグローブが印象的だが、何より目を惹きつけるのは、そのへそ出しスタイルだった。あれではお腹が冷えてしまうのではないだろうか?

 

「はじめまして、オリアナ・ウィンザーよ。一応、サブリーダーをやっているわ。よろしく」

 

 続くように、担いだ黄金色のショートブレードを肩に揺らしながら、ピンク色の髪の女性───オリアナ先輩が掌を差し出した。前述のユウ隊長が野戦的な服装をしていたのに対して、オリアナ先輩の格好はまるで対称的だ。

 遠くからは気付かなかったが、俗に言う『天使の輪』がくっきりと見える髪の毛は黄色のリボンでポニーテールに括られていた。黒地を金で縁取った襟高の服は首元まで隙なく詰められていて、襟には真紅の裏地が顔を覗かせる。下衣の気品あるホワイトパンツ&ブーツも相まって高貴さ(ノーブル)と凛々しさが全面に押し出され、スッと真っ直ぐに伸びた佇まいは、まるで氷の彫像の様だ。少々珍しい髪色も全体の雰囲気に押されて、見る者に幻想的な印象を与えていた。

 

「鴻上ユキナリです。ご指導ご鞭撻の方よろしくお願いします」

「あら丁寧。礼儀正しいのは良いことよ。ホント、うちの若白髪にも見習ってもらいたいものね」

 

 意外だったのは、きゅっと握り返す掌が日頃から神機を振り回しているとは思えないほど小さくて、傷や肉刺(まめ)も無かったことだ。女性でも神機使いらしい戦士の手をしているかと勝手に想像していたのだが、むしろとても女性らしい手をしていた。それともベテランと言うのはこういう物なのだろうか?

 思わず握った手をまじまじと見ていると突然、背後から襟首を引っ張られて、たたらを踏んで後退する。

 

「誰が若白髪か! これは銀髪だって言ってんだろ!」

「いや白髪でしょ、銀髪の煌めきなんて皆無じゃない。ユウもそう思うわよねぇ?」

「間違いなく白髪だね! 最近、更に白くなってない? ストレス?」

「生まれた時からこの頭だから! もし本当に白髪になってたら間違いなくお前らが原因だね!」

 

 唐突に始まった先輩らの軽快なやり取り―――と言う名のシンヤ先輩へのからかいを前に呆然としていると、一番騒いでいた男がビシッと俺に向かって指を突きつけてきた。なるほど、礼儀がなってない。

 

「俺も忘れんじゃねーぞ、ユキナリ! 正式配属されたんだ、初陣みたいに優しくとはいかねぇからな!」

「あぁ、シンヤ先輩。その節はお世話になりました。これからよろしくお願いします」

「おう! ビシバシいくから覚悟しておけ!」

 

 割り込む様に現れたシンヤ先輩の服装は―――別に描写する必要も無いだろう。黒い革ジャンバーと白髪のコントラストがモノクロってるお方だ。女性に目が行くのは男のサガ、どうか見逃してほしい。

 

「よーっし! これで自己紹介タイムは終了ってことで、早速訓練を始めよう! 仮想敵はコンゴウ! それじゃあ、お願いしまーす!」

 

 ユウ隊長が観察室に向かって大きく手を振ると、スピーカーから了承の返事が聞こえてくる。そして十数秒後、鋼鉄の床と壁に囲まれていた部屋が荒野へと姿を変え始めた。

 

 

 平坦な床には起伏が生まれ、電光の明かりは照りつける太陽となる。唐突な始まりにも関わらず、当然のように臨戦態勢に入る先輩たちに倣って、一歩遅れる形で自分も神機を構えた。

 

 無意識に全身に力が篭もる。

 

 とうとう、やっと、遂に始まるのだ。俺の神機使いとしての本当の第一戦が。確かにこれはバーチャル訓練に過ぎないが、この人たちと一緒に戦う……第二部隊隊員としての初陣には違いない。神機を握る手が震えないように少しだけ力を抜いて―――

 

「目標確認! 行くわよ!」

「了解」「よっしゃあ!」「了解!」

 

 ―――その第一歩を踏み出した。

 

 

 

「きっつ……」

 

 訓練終了後、神機保管庫にて壁に背中を預けて座り込むリンドウに遭遇した。コバルトブルーの制服は砂に汚れ、髪に混じる砂埃は汗で固まり酷い様相を呈している。ちなみに俺のカーキの制服はさほど汚れていない。バーチャルの砂は所詮幻影、汚れらしい汚れは汗ぐらいなものだ。

 

「何でそんなに疲れてんの?」

「んあ……? ユキナリか……いや何、初めてだってのにハードな仕事だったんだよ。具体的にはコンゴウ五匹。新兵を群れの掃討に駆り出すなって話だよなぁ……ヨシノさん、予想外にハードな人だぜ」

「へえ、俺は連携訓練だったよ。先輩たちとも上手くやっていけそうだ。そっちもツバキ先輩とヨシノさんだから心配無さそうだな」

「まあな、その辺りはな」

 

 手を掴んでリンドウを引っ張り上げる。第一部隊に配属されてかなり精神的に負担が掛かったのだろうか、とことん疲労困憊しているようで、どこか足下もおぼつかない。千鳥足とまでは言わないが足取りは不安定で、見ていられずに思わず腕を掴んで先導する。

 

 まるで初陣の時の自分を見ているような気分だ。腰が抜けて立ち上がることすら出来なかった俺よりはマシだが、常日頃から飄々としていて、どれだけ疲れていてもお首にも出さないこいつでもこんな状態になるのかと、少し新鮮である。

 

「サンキュ。取りあえず部屋まで頼む」

「ったく、今度なんか奢れよ?」

「かーっ! ケチくせえ奴! ……自販機の飲み(もん)で良いのか?」

「俺は優しいからな、十本でいい」

 

 間髪入れず答えたそれを聞いたリンドウは、何かを言おうと口を開いて、しかし何も言わずに閉じた。そして項垂れた首を小さく振り、諦めたように呟いた。

 

「……仕方ない、か」

「なに変な小芝居してんだよ。冗談だよ、一本でいい」

「ゼロには」

「なりま……せんっ!」

「けっ!」

 

 そんなこんなで新人区画までやって来た。

 扉のカードリーダーにリンドウのIDカードを挿入すると、リーダー上部の小さい赤ランプが緑へ点灯し、扉がスライドする。

 リンドウはもうヘロヘロの様だが、砂利まみれのままベッドに放り投げる訳にもいかない。とりあえず有無を言わさずシャワールームに押し込むと、しばらくして水音が聞こえ始めた。

 

 さて、どうしようか。急いでシャワーを浴びるほど汗をかいた訳でもなし、やらなければいけない仕事があるでもなし。夕飯までの時間をどう潰すかが目下の議題だが―――やることがない。

 

 何気に初めて入ったリンドウの部屋を観察してみると、ベッド上のブックスペースにファイル類と一緒に数冊の本が並んでいた。手に取ってみると、ハードカバーは所々擦り切れているが元は立派な装丁だったことが伺える。一冊二百(ページ)ほどだろうか、大きさも考えるとかなりの文量だ。

 軽く捲ってみるが内容は難解でほとんど理解できない。哲学書であることは分かったがそれだけだ。カルネアデスの板やらなんやら、著者の名前も聞いたことすら無い人ばかりだが、どうやら本の元になっている文書は紀元前―――二千年以上も昔に記されたものもあるようだ。

 遥か昔の文章が今なお受け継がれていることもだが、リンドウが哲学書を読んでいたことも驚きである。

 

 あいつは、あいつがこれを読めると言うのか……!

 

 しょうもない対抗心から文字とにらめっこしていると、ガチャリとシャワールームの扉が開く音が聞こえたので慌てて本を棚へ戻す。

 何にもしていない風を装ってソファへ座り直した直後、リンドウが半裸で戻ってきた。全身から薄く湯気を立ち昇らせ、頭にはタオルを乗せている。サクヤちゃんの趣味だろうか? カラフルでポップな星マークのデザインがむさい筋肉男に絶妙にマッチしていない。

 

「ん、お前まだ居たのか」

「あ、あぁ。いや、もう戻ろうかね」

「かね? ……あ、ちょっと待て」

 

 おもむろに冷蔵庫を漁ると、ほれ、と缶を投げ渡してきた。どうやら約束のジュースのようだ。見覚えのないラベルだが……。

 

「榊博士とシゲルさんの共同開発。未発表の新商品だぞ」

「なんでリンドウが持ってんだよ」

「この前偶然もらった」

「へぇ……で、うまいの?」

「飲んでないから知らん。でも、たぶんイケるはず」

 

 なんたって天才コンビの合作だからな、と憮然とした表情で言い放たれたリンドウの言葉が俺の不安を煽る。彼らは技術屋としては文句無しに優秀だが、時々突拍子もない方向にその技術力を発揮するのだ。でかでかと『冷やしカレードリンク』と印刷されている茶色カイジ、決断……!

2017/04/09 18:00 (改:2017/04/09 18:25)コイツがジュースですら無いって事実すら吹っ飛ぶインパクト!! 手痛いジャブを喰らった気分だ、これが本当のカレーパンチってか!? アッハッハッハッ!

 

 ……とまぁ心中で騒いでみたところで、改めて冷やしカレードリンクを観察する。商品名は「冷やしカレードリンク」、原材料名は『複数の香辛料からなる食物、その他』となっている。原材料の記載が少なすぎやしませんかねぇ、その他に一体どれだけのものが含まれているのか……飲食可能なものではあるのだろうが疑念は尽きない。

 それでも中身がラベルに忠実なら飲めない味ではないはずだ。子供はすべからくカレー好き。シゲルさんがリッカちゃんの好物であろうカレーを冒涜する様なことはしないと信じたい……。

 

「ささ、ぐいっと」

「うっ」

 

 飲むのを躊躇っていると、見かねたリンドウが缶を取り上げ、プルタブを開けて突き返してきた。

 

 匂いは……普通のカレーと変わらない。むしろ空腹の身としては食欲を掻き立てられる。

 恐る恐る口をつけると、濃厚なスパイスの風味が口全体に広がった。もっと水っぽいかと予想したが、思いの外とろりとなめらかな食感、これは材料をペースト状にして混ぜてあるのだろうか。カレー自体は甘口だが冷たい状態でもかなり甘みの強い甘口である。温めたら甘くなりすぎて最早カレーじゃなくなってしまいそうだが―――悪くない。「スイーツカレー」とでも言おうか、カレーの新たなる境地に辿り着いてしまったかもしれない。思い出の中のカレーは常に甘口なのだ。

 

 ごっごっごっ、と一気に喉に流し込み、空になった缶を叩きつけるように机に置くと空き缶特有の軽い音が部屋に響き渡った。

 

 大きく息を吸い込んで一息吐くとリンドウが味の感想を催促する。

 

「どうだ、美味いか?」

「この味を表現するなら―――そう、濃縮濃厚超甘口スパイシーカレーという他ない。未体験の味だが……ふふ、悪くない悪くないぞ……!」

「あ、ど、どうしたお前……?」

 

 冷やしカレードリンク……これは運命的な出逢いだ。俺はおもむろに立ち上がり、確かな足取りで颯爽と部屋を後にする。

 

「ありがとう、リンドウ。お前という友が居なければ、この出逢いはなかった。心から感謝する……それじゃあ、おやすみなさい」

「お、おぉ……おやすみ……」

 

 扉の閉まる音を背中に聞きながら、足を向ける先は神機整備室だ。きっと製作者の片割れがそこに居るはず。販売実施の催促と予備の試作品があれば譲ってもらえるか交渉してみるとしよう。

 

 カレー新境地へ、いざ―――討伐(とうばつ)開始(エンジョイ)

 

 到着を告げるいつもの安っぽいゴング音と同時に俺は昇降機へ飛び込んだ。

 

 




新たなオリキャラ二名が登場しました。
出来る限りオリジナル感を排除するために、“シンヤ”“ユウリ”“オリアナ”の外見設定は「GOD EATER 5th ANNIVERSARY Official material collection」に掲載されているイラストからほぼそのまま採用しています。

それと私は小林くるみ先生の書く絵が大好きです!


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極東支部は今日も平和なのか

今回はペルソナで言うコミュ回。親睦を深める回です。


 5

 

 

 雪、雪、雪。

 

 視界を覆い尽くす白銀の世界。局所的な異常気象が日常茶飯事な現代において、それは極東においても例外ではない。つい数日前まで大地が剥き出しとなり、照りつける陽射しに額を拭ったこの地域も、今はその面影を残してはいない。

 

 寒風が吹き抜ける。

 

 見上げれば北の空を鳥が飛んでいた。あのまま真っ直ぐ飛んだのなら、あの鳥は()()()に出会うのだろうか。会わなくとも、空から見下ろすことはあるのではないだろうか。

 

 僅か十数人の小さな世界、あの廃校が俺たちの家だった。

 

 保健室のベッド、運動マットと裁断した垂れ幕を布団代わりに眠った。

 放置されたままの教材と図書室の本が無ければ、こんな時代で学を修めるなんて不可能だったに違いない。別れたとき“先生”は体調を崩していたけれど、元気になっただろうか。

 

 もうずっと会っていない───みんな、まだ生きてるよね。

 

 

 

 

 そろそろ外では空が茜色に染まり始めたのではないかと言う頃、電灯に照らされた賑やかなエントランスで俺たち第二部隊の面々は机を囲んでいた。机上には一枚の指令書が広げられている。

 

「合同任務、ですか?」

「そう、部隊間の交流も兼ねて明日の任務は第一、第二部隊合同でやることになったの! ターゲットはシユウ二匹とグボロ・グボロ七匹、それと周辺に生息するコークンメイデンだよ」

「二チームに別れて任務に当たるけれど第一部隊は三人しかいないから、片方は三人一組(スリーマン・セル)になるわね。ユキナリは……ユウと一緒の方が良いかしら? 一応、隊長だし」

「ちょ、先輩。一応って」

 

 ちらり、とユウ隊長に目をやるが言われた本人は何も気にしていない様子。仕返しなのかオリアナ先輩の脇腹を突っついたりとちょっかいを出しているが、二人はそれを楽しんでいるようだ。

 

「え、じゃあ俺とお前が一緒ってことかよ?」

「そうなるわね。……なに、何か文句でもあるの?」

「いや、そうじゃなくて。たぶん第一部隊も新人と隊長で組ませるだろう? ツバキの弟の、リンドウだっけ? あいつとヨシノで」

「それがどうした……あ、なるほど」 

 

 シンヤ先輩はメンバー編成に思う所がある様だ。どこが問題なのか俺にはさっぱり分からないが、オリアナ先輩は察しがついたのだろうか。ポケットから小さなペンを取り出すと机上の白紙に走らせた。

 

 第一部隊、第二部隊と区切られたスペースの下に各部隊員の名前が列記され、その隣に「香月ヨシノ 近距離/バスター」といった風に神機の種別が書き加えられる。……それにしても、オリアナ先輩。凛々しい外見とは裏腹になかなか可愛らしい丸文字である。

 

「ユキナリとリンドウ君の新人は別チームにして負担の軽減を図るから、それぞれチームAにはユウとユキナリが、チームBにはヨシノさんとリンドウ君。後はチームAにツバキ、チームBに私達が入ることになる」

 

 ことり、とペンが置かれると同時に、俺も漸く気が付いた。なるほど、確かにこのメンバーの内訳だと───

 

「───遠距離型のツバキとユウが固まっちまう、と」

「あれまー、流石にBが近距離だけになるのは不味いよね」

「チームAの近接がユキナリ一人なのも心許ないわね。緊急事態や乱戦になった時に単独で耐えられるタフネスはまだないでしょう?」

「恥ずかしながら仰る通りで……」

 

 オリアナ先輩の容赦のない事実確認が胸に刺さる。第二部隊として戦場に出るようになってしばらく経つが、つい先日もコンゴウの乱戦に対応し切れず先輩方に助けられたばかりなのだ。

 

 コンゴウに跳ね飛ばされて地面に突っ伏したままの俺を、コンゴウの空気弾(エア・バースト)を盾で受け流しながら拾い上げるシンヤ先輩。その他アラガミの囮となって猛攻を躱し続け、時間を稼ぐオリアナ先輩。迅速確実なリンクエイド───神機使い間限定の体内オラクルを利用した即時的応急処置───で傷口を治療してくれたユウ隊長。その後、御三方のお陰で戦線に復帰こそ出来たものの、彼我の実力差をまざまざと見せつけられる結果となった。

 

「うーん……こればっかりは第一部隊とも相談しなくちゃだね。私ちょっと話してくるから、皆は待ってて。すぐ帰ってくるから!」

 

 そう言うや否や、ユウ隊長は昇降機(エレベーター)に乗り込んで去って行った。ヨシノさんの部屋にでも向かったのだろうか?

 

 残されたメンバーでユウ隊長の帰りを待つ間、三人で雑談に花を咲かせていると、気を利かせたルミコさんが珈琲を持ってきてくれた。しかしどう言う訳か俺とオリアナ先輩は普通の黒茶色の珈琲なのに対し、シンヤ先輩のカップだけ琥珀色が波打っている。

 

「どうぞ、今回はミルクとお砂糖をたっぷり入れておきましたよ!」

「おお、これこれ! やっぱコーヒーはこうでなくちゃ!」

「……それ、最早カフェ・オ・レ。いや、コーヒー牛乳ね。そんな(いか)つい格好でコーヒー牛乳って、背伸びしたがりな思春期の中学生じゃないんだから……あんたって本当にアレよねぇ」

 

 頬に手を当ててため息を吐くオリアナ先輩を尻目に、シンヤ先輩は温かいマグカップを両手で口元に運んでいる。しかし、ここは俺もオリアナ先輩に同意せざるを得ない。

 白髪で上下革服に身を包み、シルバーアクセサリーを好む二十代中頃の男が薄桃色のクマさんマーク付きマグカップを両手で包み込む姿はこの上なくシュールである。これがナナちゃん、リッカちゃん、サクヤちゃんや、よしんばユウ隊長かオリアナ先輩なら絵になるのだが目の前の光景は……うむ、酷い絵面だ。

 

 しかし、だ。

 

「美味しいんですよねぇ。俺も好きですよコーヒー牛乳」

「その通り! 美味いもの食うのに服装なんか関係ないんだよ! あっ……それとも高貴な出の副隊長サマは、この様な手の込んでいない甘味はお嫌いでしたかな?」

「こいつ……はぁ。はいはい、私が悪うございましたー。ま、私がこっち(ブラック)一筋なのは変わらないけど」

「分かればよろしい。それにヨシノとかゲンさんとか、他にも好きなやつ多いんだからな〜? 俺への文句は皆への文句と同義と知るがいい」

 

「ヨシノさんも飲んでるの? ……ルミコちゃん、すぐ私にも同じのを持ってきて頂戴!」

「なんとも酷い手のひら返し。お前、仮にも俺が先輩だってこと覚えてる?」

 

 静かに絶叫するシンヤ先輩、しかしオリアナ先輩は素知らぬ顔だ。これでシンヤ先輩の方が二年先輩―――ヨシノさんとは同期らしい、つまり現行神機使い第一期メンバーの一人―――なのだから驚きである。どうしてこんなに後輩に舐められているのだろう。

 加えて問うなら、ヨシノさんが第一部隊の隊長を務める一方で何故シンヤ先輩は平隊員のままなのだろうか? 実力の差なのだったらそれまでだが、謎は深まるばかりだ。

 

 その後、争いも収まり最終的には三人揃ってコーヒー牛乳をすすっていた。摩訶不思議である。

 

「あーっ! 自分達だけでなんか飲んでる!」

「ミルクコーヒーですね。私達も頂きましょうか」

 

 甘々なコーヒーとマグカップの暖かさを堪能して、ほっこりした雰囲気を堪能していると突然、高い声が飛び込んできた。

 ピシィッと擬音が聞こえてきそうなほど力強くこちらに指を突きつけるユウ隊長の隣には、口元のほくろが仄かな色気を醸し出す美人さん───雨宮ツバキ先輩が微笑をたたえている。

 

 艶やかな黒髪が垂れる墨色(アイボリーブラック)のコートは二重襟とフードが特徴的なフェンリル謹製だ。唯一の白であるボトムスが目に眩しい彼女は、その名前の示す通り我が悪友こと雨宮リンドウの姉である。

 マイペースかつ公私の区別が曖昧な弟とは真逆で、仕事とプライベートをきっちり区別している優秀な仕事人と評判なのだが、料理の腕は壊滅的である……ちなみに、サクヤちゃん情報によるとチャームポイントは“うなじ”だそうだ。やったぜシンヤ先輩! ロシア人じゃないけど!

 

 ユウ隊長はソファに腰を下ろすと、断りを入れてオリアナ先輩のコーヒーを一口。口元がほわりと緩む。

 

「あ、ツバキ先輩もどうぞ。……ちょっとシンヤ先輩、もうちょい詰めてくださいよ」

「ん? ああ」

「では失礼して、ありがとうございます」

「うむ、いいってことよ」

「席詰めただけでなんでそんなに偉そうなんですか……」

 

 ツバキ先輩とシンヤ先輩の会話風景は初めて見るけど、シンヤ先輩が()()()敬語を使われていることに違和感を感じてしまった……。俺もたいして真面目に敬語を使ってはいないし、その他後輩陣(オリアナ先輩とユウ隊長)のタメ口を見慣れているからか、なおさら奇妙に映る。

 

 新たに二人の分のコーヒーをルミコさんから受け取って戻ってくると、チーム編成についての話には決着がついていた。いや、上で結論を出してから下に降りてきたのか。

 

 結論から言うと俺はヨシノさん、ツバキ先輩の第一部隊メンバーと組むことになった。丁度、第一・第二部隊で新人をトレードする形になる。理由は固定メンバーでの出撃経験しかない俺たちに慣れない仲間との連携を学ばせるため、らしい。

 実際は別メンバーで任務に当たったことがない訳ではないが、どれも居住区防衛などの突発的な場面ばかりで、連携よりも各自によるアラガミの各個撃破を重視するチームとは名ばかりの個人戦だった。それを今回の任務で僅かにでも補っておこう、ということなのだろう。

 

 と、そこで再度エントランスに昇降機のベル音が響き渡った。

 

「───だからさ〜サクヤちゃんとはどうなってるの〜? お姉さんにだけそろっと教えてみなさいな」

「いや、ですからアイツはまだ十一歳───っと、ついたついた!」

「あっ、逃げるな!」

「これは逃走ではなく勇気ある転進です!」

「あ、そう……っておんなじ意味でしょーが」

 

 聞き慣れた声に視線を向けると、ちょうど昇降機からリンドウとヨシノさんが降りてきていた。

 何を話していたのか、絡んでいるらしいヨシノさんから逃げる様に寄って来たリンドウが加わると、いよいよソファも手狭になってきた。さして大きくない机を六人で囲んでいるのだから、当然と言えば当然か。

 

 なんでも、改修工事をしてエントランスを拡大する計画があると風の噂で耳にしたけれど、たぶん実現される日は遠いだろう。計画はあっても資源(リソース)が圧倒的に足りない。それこそ現状で着工した日には、数日で極東支部(アナグラ)の機能がなにかしら停止して、日常生活に支障をきたすに違いない。

 

 話は変わって、外部居住区の食糧問題も改善が進んでいるが、こちらも牛歩の進みである。外部民の受け入れが可能になるのは何時になるのやら……。状況改善の為の研究には金が要るが、アラガミ共に装甲壁を突破される度に被害者への手当と壁の修繕費で資金は減る。研究材料の(コア)の回収も含めて、俺たち神機使いの肩に全てが懸かっていると言うのも、あながち間違いではないのだろう。

 

「頑張んなきゃなあ……」

「あん? 何を?」

「もっと強くならなきゃってことです」

「おぉ……自覚してたのか。お前まだまだ色々と足りてないからな。さっさと使い物になってくれないと、こっちが困るんだよなぁ」

「……普通は後輩を応援する場面じゃないんですかね?」

「知ったことか。お前も一兵士なんだ。誰かに何を言われなくとも上を目指さなきゃならねえ。そうじゃなきゃ……二番(仲間)どころか一番(自分)すら守れねえ」

 

 「分かってんだろう?」と不敵に笑いながら、心底面倒臭そうな顔で言ってのけるシンヤ先輩。確かにもっともだが、後輩への優しさは無いのか。いつもの事ながら辛口にひっそり心を痛めコーヒーで気を紛らわしていると、不意にポンと肩に手が置かれた。

 

「オリアナ先輩……」

「ユキナリ、知ってるでしょう。そいつはそういう奴なのよ。私が新人の頃から変わってない」

「そうだよユッキー。去年まではシンヤさんが隊長で隊員は私達だけだったから、今より傍若無人だったんだから……。自分で指定した時間になってもブリーフィングに現れない、私達の名前で勝手に配給申請して酒類を横領する、酔って未成年の後輩(私達)に飲酒を強要する……」

 

 エトセトラ、エトセトラ。つらつらと述べられるシンヤ先輩の悪行の数々。元々シンヤ先輩が隊長だったという新情報に驚きを隠せないが、隊長からの平隊員という失墜劇にも驚愕である。一体何をしたらそんな人事が……って、それだけ軍規違反してたら十分あり得るか。

 

 神機使いはフェンリル所属の「軍人」だ。如何に古参兵だろうと、やり過ぎれば処罰が下って当然。詰まるところシンヤ先輩の自業自得である。

 

 まだまだ止まらないユウ隊長の過去の愚痴、己の悪行を列挙されるのをおとなしく聞いていたシンヤ先輩だったが、次第に我慢の限界が近付いてきているようだ。勢いに乗ってしまったのだろうか、シンヤ先輩の米神がいよいよ痙攣し始めたというのにユウ隊長の舌は止まらない。そして、とうとうシンヤ先輩が腰を上げ───

 

「座ってなさいなミスター・ジョニー。身から出た錆ってやつなんだから」

 

───その肩をヨシノさんが押し戻した。

 

「ジョニー? ヨシノさん、そりゃあ何ですか?」

「ヨシノ、手前……!」

 

 面白そうな匂いにリンドウが即座に反応した。視線を交わし、暴れ出しそうなシンヤ先輩を二人して羽交い締めにする。まったく、ただでさえ狭いのだから大人しくしてほしいものである。何が面白いのか、それをニヤニヤと見つめるユウ隊長とオリアナ先輩、良い趣味してると思います。俺のガラスのハートを傷つけた代償は大きい。

 そして意外にもツバキ先輩は頭に疑問符を浮かべて首を傾げていた。

 

「あれ、ツバキちゃん知らないんだっけ?」

「ジョニー、ですか。聞いたことも無いです。ユウリさんは知っているようですね」

「そりゃあコレ、対シンヤさんの切り札みたいなものだからね。ヨシノさんが教えてくれなかったら、苦労はもっと長引いてたね。知りたい?」

是非(ぜひ)

 

 ツバキ先輩が神妙な顔で頷くのを認めたユウ隊長がチラリ、とヨシノさんを一瞥する。ヨシノさんはにんまりと笑った。

 

「んー……仕方ない、可愛い後輩の頼みだしね。特別に教えてあげるとしますか」

「やめろォ!」

「まぁ、聞く側からしたら大した話でもないんだけどね。実はこいつ、初陣の日に何をトチ狂ったのか仮装してきたのよ」

 

 へ? とツバキ先輩が声を漏らした。

 

「赤いテンガロンハットに裾がボロボロで襟がピーンッて立ってるこれまた真っ赤なマント羽織って、肩周りにゴテゴテの金属装飾まで着けちゃってさ〜。他はみんな制服だったから、それはもう見てるこっちが可哀想なくらい浮いちゃってねぇ……」

 

 デビュー戦で舞い上がっちゃったのかねぇ……集合した時には熱が冷めたのか顔真っ赤にしてたし。もう全身真っ赤っかよ。それからしばらくはアナグラでの渾名がレッドマンになったくらいだからねぇ……。と懐かしむ様に言葉を紡ぐヨシノさんは()()()()でシンヤ先輩を見つめる。

 

「あのアニメなんて言うやつだっけ? たしかバカバギーとか……」

「『バガラリー』だ! 間違えてんじゃねーよ、バカノ!」

「はあ……? それで呼ぶなって散々言ってんでしょうが! そっちがその気なら、あの時の写真ばら撒いてもいいのよ? ……実は今も一枚持ってたり」

 

 ちらり、とヨシノさんが懐から取り出した紙切れ───派手な赤色が見えた───を見せつけた瞬間、顔を真っ赤に染め上げて激しく暴れだしたシンヤ先輩は、驚くべき贅力で俺たちの拘束を振り解いてヨシノさんに飛び掛かった。

 

「おっと」

「避けんじゃあねぇ!」

「イヤよ。痛いじゃない」

 

 伸ばされた腕をひらりと躱すヨシノさんに、腰を落として前傾に構えるシンヤ先輩。数秒間の空白の後、体を前後に揺らして機を伺っていたシンヤ先輩が予備動作無しに倒れ込む様なタックルを仕掛けた。

 

 撃鉄に弾かれた弾丸の如き突撃を、しかしヨシノさんは予知していたかの様に屈んで脚を鋭く床に滑らせる。残像すら残す脚鎌がシンヤ先輩の膝裏を刈り取ろうとしたまさにその時、シンヤ先輩は跳んだ。ヨシノさんの頭上を飛び越え、床を捉えた腕をスプリングの代わりにして再び宙を舞う。僅かな滞空時間で体を捻るとヨシノさんに向き直り、着地と同時に放たれた追撃のタックルは、振り返りざまのヨシノさんの前髪を掠めた。

 

 僅か数秒間の攻防である。俺が体制を立て直したときには闘いは終わっていた。

 一体どれだけ無理なブレーキをかけたのだろうか、床にはタイヤ痕ならぬシンヤ先輩のブーツ痕がついている。僅かに漂うゴムの溶けた臭いに眉をひそめ、気がつくと横にソファに座っていた面々が隣に並んでいた。一連の騒動にも我らが第二部隊のユウ隊長はあっけらかんとしている。

 

「あーあ、何やってんだか」

「不味いぞ、ゲンさんが来る前に止めないと……」

「大丈夫です……ありゃあ、勝負ありみたいですよ。姉上」

 

 地を這う豹を彷彿とさせる体制で睨み合う二人の間には火花さえ幻視できそうだ。突然の出来事に静まり返ったエントランスでシンヤ先輩は顔を愉悦に歪め、おもむろに右手を掲げた。指先でひらめくのは一枚の紙切れだ。

 

 その意味するところを理解した瞬間、二人を除く第一・第二部隊の面々に続くように事態を把握した野次馬が沸いた。

 

 あの一瞬の交錯の中で、シンヤ先輩はヨシノさんから写真を掠め取ったのだ。喧しい歓声と喧騒がエントランスを満たす。

 精鋭中の精鋭を束ねる第一部隊隊長を、小さな諍いの中とは言え体術で凌駕したのだ。シンヤ先輩は得意気な表情を浮かべて、ヨシノさんに見せつける様に写真を揺らした。

 

「まさかこの私が遅れを取るとはね……」

「ちょいと本気を出せばこんなもんよ。こいつは預からせてもらうぜ」

「……仕方無い、その写真はあげるわ。でも大切に、それはもう家宝として扱いなさい。むしろ引き伸ばして額縁に入れて部屋に飾りなさい」

「誰がんな恥ずかしい真似するかっ! 即刻処分するに───……ちょっと待って」

 

 シンヤ先輩がおもむろ立ち上がった。顔には打って変わって、何とも形容し難い表情を浮かべている。

 

 擬音で表すと、むにょり、みたいな。

 

「これさ、お前の娘の……ナナちゃんの写真じゃん。俺のじゃあねぇのかよ!?」

 

 写真を突きつけながらシンヤ先輩が叫ぶ。目を凝らしてよく見ると、あれは確かに赤いワンピース姿のナナちゃんの写真だ。

 スカートの裾を持ってくるりと一回転した瞬間を捉えたのだろう、ふわりと浮かぶスカートが絵本に出て来るお姫様のようで様になっていた。その見事な一枚はプロ顔負けの出来栄えである。ヨシノさんは写真撮影が得意なようだ。それとも、母の愛の成せる技か。

 

「普通に考えて誰がアンタなんかの写真を持ち歩くのよ。馬鹿なんじゃないの? ほら、早く返しなさい」

「くっ……」

 

 苦虫を噛み潰したような顔で写真を睨むシンヤ先輩を他所に、ヨシノさんはナナちゃんの写真を取り返すと服の内ポケットに仕舞い込み、意気揚々と勝利の雄叫びを上げた。

 

「ふわっはっはっは! 逆・転・大・勝・利っ!」

 

 いやあ。極東支部は今日も平和だ。

 

 

 

 

 冷たい風が頬を撫ぜる。

 

 古参二人による一幕で湧いた一夜が明けて、昼過ぎに出撃した第一・第二合同部隊によるアラガミ討伐作戦は滞りなく遂行された。

 偵察部隊の報告から状況に変化があったのか、グボロ・グボロが数匹ばかり増えていたが、そこは二等兵と言えども流石に慣れたもの。対処に手こずることは無かった。割り当てられたノルマ以上の仕事も果たし、お二人の足を引っ張ることもなく一安心である。

 

「こちらチームα。任務完了、合流ポイントに向かいます」

『チームβ、了解。ここで(きぃ)抜いてやられんなよ』

「ご忠告どうも。お前も気を付けろよ」

 

 無線機を軽く叩くと同時に、ノイズ混じりのリンドウの笑い声はぶつりと途切れた。

 

 さて、シユウの追撃でかなりの距離を動いたので、合流地点までは相当かかるだろう。警戒込みの徒歩となると一時間強といったところか、日が傾き始めているので少し急いだ方が良いかもしれない。

 お二方にその旨を伝え、ツバキ先輩を先頭に左右後方をバスターブレードの二人で固めて走り始めた。

 

「ねえ、ちょっと気になったんだけどさ。極東支部(ここ)に来る前はユキナリは何処で暮らしていたの?」

 

 無言で走ること十数分が過ぎた頃だろうか、不意にヨシノさんに尋ねられた。

 

「私はさ、元々はこの(へん)の山の集落で暮らしてたのよ。フェンリルに徴用されてからはずっと極東支部だけど、十八まではそこに居た」

 

「畑を耕して、物資を探して、皆で遣り繰りしながらどうにかこうにか生活してたわけよ」

 

 その口ぶりに暗さはなく、ただ思い出を懐かしんでいるようだった。ヨシノさんの視線を追った先には無数の山々が連なっている。もしかして、あのどこかがヨシノさんの故郷なのだろうか。

 

 当然と言えば当然のことだったのだろう。その話を聞いた途端、心の何処かに埋没しかていた俺の“郷愁の念”と云う奴が唐突に掘り起こされたのだ。

 中と外を隔てるあの壁を通り抜けてから、かれこれ半年以上過ぎている。神機使いになってからの日々があまりにも濃密だった所為か、地図と方位磁石(コンパス)だけを頼りに極東支部を目指した長い、本当に長かった日々が遥か昔の事のように思えた。

 数秒の間、意識が記憶の中の懐かしい景色に飛んだ。しかし、すぐに我に返ると、たった今の無言を紛らわすように慌てて口を開いた。

 

「───俺が居たのはここからずっと北の方です。少し歩けば海が見えるくらい海が近い場所でした」

 

「たまに海の側に一週間くらい住み着いて“塩”を作るのが、あの頃の俺の仕事……だったんですかね、多分。延々と海水を鍋で煮るだけなんで、出来た塩はぜんっぜん美味しくなかったですけど、そのお陰で塩不足で悩むことだけはありませんでしたよ」

 

 それを聞いてヨシノさんは「へぇ」と驚いたような感心したような声を上げた。

 

「私のとこはそれが最大の問題だったなぁ。偶に見つける塩は結構な貴重品でさ、近くに物が残ってる店が殆ど無くて、食べ物が欲しい時は片っ端から民家を漁ったもんよ」

「あぁ、そこは俺も一緒です。地下収納とか見つけ辛い所には結構残ってますよね」

「そうそう! そのせいか家捜しばっかり上手くなっちゃって、人の部屋で秘中の一品を見つけるなら、アナグラで私の右に出る者は居ないわよ!」

 

 そう言ってケラケラ笑うヨシノさんはいつものままで、それに釣られてこちらも頬が緩み、俺達の話に耳を傾けていたツバキ先輩からもくすりと笑う声が聞こえた。

 

「俺のところは元は学校だった所なんで、本とか教材がわんさかありましてね。それに教師やってた仲間も居たんで子供はみんな、その先生に勉強を教えてもらってました。

 “お箸の持ち方”から“道徳とは何たるか”まで教えてもらいましたよ。信じられます? こんなご時世に“宿題”まであったんですよ」

 

「うっそ、ホントに!? あっはっは! 宿題なんて私昔っからやったことないわ! ツバキはあった?」

 

「私はありますよ。もっとも、教師から色々教えてもらう様になったのは極東支部に移住してからで、幼い頃に教えてもらっていたのは仏教についてや、もの捉え方や考え方―――哲学的なことばかりだったので、小さい私は意味がよく分かっていませんでしたけどね」

 

「そっか、そう言えば昔は廃寺(はいでら)に住んでたんだっけ」

 

「ええ。リンドウとサクヤと、祖母と一緒に。今思うと生活は苦しかったけど、あの頃が一番楽しかった気がしますね」

 

「そうねぇ……その気持ち、何となく分かるかも。確かに不安は多かったけど、一日一日を本当に大切にしてた気がするわ。でもね、ツバキ。"あの頃が"じゃなくて"あの頃も"、よ。

 何言ってんだって思うかもしれないけど、その方がなんだか……優しいし、嬉しいって感じがしない? まぁかく言う私もなんの責任もなかった昔の方が……あっ! 当然、今だって大切にしてるからね! 愛娘との生活を!」

 

「いや、誰もそんなこと疑ってませんって! でも、なんとなく言いたいことは分かります。昔は昔、今は今を生きる、それが幸せになる第一歩ってことですよね。……そうだ、ナナちゃんと言えば、あと少ししたら誕生日じゃなかったでしたっけ?」

 

 何かプレゼントしようと思うんですけど、ナナちゃん───と言うかあの年頃の女の子って何が好きなんですかね? と尋ねてみると、途端にヨシノさんが絶望的な表情を浮かべた。まるでこの世の終わりに遭遇してしまったような顔だ。

 

「───やばい。私としたことが完全に忘れてた。そろそろ材料確保し始めないと、ご馳走が作れないじゃない……! 気付かせてくれてありがとね……今訊かれなかったら当日まで忘れたままだったかも」

 

「いや流石にそれは無いですって、ナナちゃんから何かしらアピールあったりするでしょう? 小さい子にとっちゃ誕生日は一大イベントですからねぇ」

 

 かく言う俺自身も、誕生日は父さんと母さんに盛大に祝ってもらったものだ。盛大と言っても当時の環境で可能な範囲での話だけども、特別な何かは無くたって、誰かが自分が生まれてきた事を喜んでくれるってだけで子供は最高に嬉しいものだ。

 

「それはそうなんだけど……う〜ん、うちのナナはね、とっても物分かりがいい良い子なのよ。

 同じ頃の私と比べたら信じられない位に落ち着いていて、優しくて、思い遣りがあって、約束事はきちんと守れるし、何より可愛くて、私が帰ってきたら一番の笑顔で出迎えてくれるし、好き嫌いも言わずよく食べよく寝る、まさに天使と言っても過言ではない、むしろ足りないくらいの良い子だわ」

「あ、あぁ。はい。そうですね」

「でもねぇ、私がこんな仕事してる所為で基本的に昼間は一人で過ごしてるのよ。それならそれで昼間一緒に遊んでくれる友達が居れば良いんだけど、支部の外は治安が良いとは言い難いでしょう?」

 

 その言葉に頷きを返す。確かに、流石に殺人といったレベルの話は滅多に聞かないが、窃盗や喧嘩くらいの事はさして珍しい話では無い。更にはどこから商品を仕入れているのか“闇市”が開かれている怪しい区画も存在するくらいだ。近くに知り合いや保護者が居るならまだしも、幼い子供一人で出歩かせたい場所ではないのは間違いない。

 

「中に住んでる子供で歳の近い子は私の知る限りでは居ないし、信用できる大人が居てくれれば支部の外にも出してあげられるんだけど、外部居住区には知り合いも居なくてね……。

 それでいて、帰ってきた母親(わたし)は時間的にも目一杯構ってやれないことが多い……その所為だと思うんだけどね、ナナはあんまり自分を主張しないことが多いのよ」

 

 どうしたものかしら……とヨシノさんは物憂げに呟いた。

 流石に何を言ってよいのか咄嗟には思いつかず、取り敢えず思い当たる歳の近い子を挙げてみる。

 

「えっと、シゲルさんの娘のリッカちゃんとかは、結構年齢近くないですか? シゲルさんならナナちゃんも知ってるだろうし……」

「リッカちゃんは昼間は学校に行ってるから無理だったのよ。それに戻ってきたら整備室に籠もっちゃうらしいし、流石にナナをあの危険物の巣窟には置いておけないわ」

「あー……それならサクヤちゃんはどうでしょう?」

「ばかねぇ、サクヤちゃんも学校よ」

「それにヨシノさんが居ない時は、必然的に私もリンドウも居ないからな。サクヤも夕方からならともかく、ずっとナナと一緒というのは難しいんだ」

「そゆこと」

 

 はぁ、とため息を吐いてヨシノさんは空を見上げる。

 外部居住区には俺も知り合いなんて居ない。誰かしら子供の面倒を任せられる知人が居れば良かったのだが、それは無いものねだりと云う奴だろう。どうしたものかと無い頭を捻ってみるが、無から有を生み出すのは至難の業だ。なかなか良い案というのは浮かんで来ない。

 

「ま、そんなに悩まなくていいわよ。何か思いついたら教えて頂戴な」

「はあ……微力ながら、全力を尽くします」

「もう。ほら、気合があるのかないのか中途半端な返事をしない! もうそろそろ合流地点(ポイント)よ。家に戻るまでが任務なんだから、しゃんとしなさいな!」

 

 背中をバシンッと叩かれる。いつの間に、と思い辺りをよく見ると、気が付かない内にかなりの時間が経っていたようだ。

 目を細めれば遠くにこの雪原ではとても目立つ黒服が激しく動き回っているのが見えた。オリアナ先輩たちだろう。あの人たちはまた何か騒いでいるのか……。

 無線を飛ばすと、こちらに気が付いたユウ隊長が神機ごと手をぶんぶんと振り回し始めた。その後ろではオリアナ先輩と興奮した様子のシンヤ先輩の間に挟まれ、疲れ切った様子で肩を落としているリンドウ居る。向こうのチームで一体何があったのかと、悪い意味でアクの強い第二部隊に放り込まれたリンドウに些かに同情してしまう。

 

 その時、並走していたヨシノさんが急に「いいこと思い付いた」と言わんばかりの笑みを浮かべると、スピードを上げて前を行くツバキ先輩に並んだ。

 彼我の距離は約三メートルほど開いている。同時に、にわかに強まり始めた風が五月蝿(うるさ)いことこの上ない。

 

「ねえ、ラスト一直線、誰が一番速いか競争といかない? 一番遅かった人が二人に何か奢るってことで」

 

 ヨシノさんがツバキ先輩に何か伝えているようだ。……が、イマイチ聞き取れなかった。話を聞いたツバキ先輩の目が鋭く細められた。

 

「むっ! ……いいでしょう。最近甘味に飢えていたところです。───お前も聞こえていたな! そう言う事だから、本気でいかせてもらうぞ!」

「え、なに、何ですか!? 本気ってなに!?」

「よーっし、それじゃあ位置についてぇ……よーい、ドーン!!」

「どんっ!? え、競争!?」

 

 僅か三メートル。されど三メートル。

 

 走り出しが遅れたこともあって結局、俺は無理やりお二方に甘味を献上させられるはめになった。しかし、ついでだからとナナちゃんとサクヤちゃんの分まで全部で四人分も奢らされるなんて予想外だろう。

 

 それにしてもパフェがあれほどまで値が張るとは、懐が寒空のように冷え切ってしまった。これはいつの日かリベンジを果たさねばなるまい。そう心に誓い、俺は軽くなった財布を涙で濡らしたのだった。

 

 




ヨシノの経歴やサクヤ、リッカの通う学校設定は妄想です。リッカは高校に通っていたらしいので、普通に考えて極東支部にも小・中学校に準ずるものはあるだろうと言うことで。

ちなみにこの話は2061年11月下旬頃を想定しています。ナナの誕生日は2月22日だよ! 覚えやすいね!


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