黒森峰学園艦で躍りましょう (まなぶおじさん)
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ファンレターを送ってみましょう

 青木は中学生の頃から警察官を志望するような男で、いじめを見れば頭に血が上って助太刀まがいのことをするような、真面目な性格だった。
 両親も青木を高く評価していたからずっと真面目でいられたし、誰も青木の生き方に文句を言わなかったから、自らの生き方を頑なに信じられた。
 根っこから、黒森峰学園艦の人間だった。
 
 それ故に、きっかけがあれば恋に溺れる人間だった。


「ほー」

 文武両道の四文字が掟の、黒森峰学園の教室の一角で、ひと際気の抜けた声が青木の耳にすかっと入る。

 正面で突っ立っている友人の赤井は面白い動物を見るような顔をしているのに対し、自分の席に座ったままの青木はうつむいたままだ。

「そうかそうか、お前でも恋をするのか」

 うんうん、と赤井は分かってくれるように二度頷き、

「しかも、黒森峰女学園の姫君に」

 それを言うなと、心の底で呟く。

 こんなことがバレればB組どころか、恐らくは学園全体の飯の種(賞味期限半年)となるのは明らかであり、それ故に赤井に本心を白状するのはめちゃくちゃ恥ずかしかった。

「すげえなお前、真面目なのに凄い人を狙うんだな」

「しょうがないだろう、でもなあ」

「わかるわかる、恋愛って怪物だもんな」

 うんうん、と実に軽薄なツラで赤井は頷く。

「で、どうするんだよ。相手はあの若き戦車道の星、お近づきになるのも難しいと思うぜ」

「……そうなんだよなぁ」

 はあ、と青木はため息をつく。

 そう、

 青木は黒森峰女学園の姫君こと、西住まほに一目惚れをしてしまったのだ。この場所で、この艦で、よりにもよって、である。

 勿論まほには沢山のファンがいるし、家系も「あの」西住家であるから、下手に告白しようとすることすら出来ない。いきなり「好きです」なんて言おうものなら、光の速度で学園艦全体に情報が吹き溢れ、明日になれば青木など火だるまにされているはずである。

 それ故に、西住まほに対する告白者はゼロ、という安息が築かれているのだった。

「どうすれば、彼女の特別になれるのかなぁ」

「いやー、あいにくと俺は火消しだからなぁ」

 消防隊員志願の赤井が、うまいこと言ったぜ俺、な目つきで青木を見るが、あえて何も言ってやらない。

 共学だったらサラッと出会える可能性もあるし、なけなしの勇気をかき集めて一緒に遊ばないかい? とお誘いをかけることも出来る。しかしここは男子校、壁が高すぎる。

 こういう時、どうやって女性と交流出来るものか。勉学と堅実に偏った脳ミソをぐるんぐるんと回転させる。

「直接の出会いがなきゃなぁ」

「だなあ。出会い、出会い系……ん?」

 赤井が「あ」と声を出す。

「なあ」

「何」

「メール……もとい、ファンレターなんてどうだ?」

 

―――――――――

 

 黒森峰の星、西住みほが県立大洗女子学園へ転校した。

 その出来事は稲妻のように黒森峰の世界へと降り注ぎ、噂、憶測、陰謀、否定、それぞれが好き勝手に散っていった。

 特に逸見エリカという黒森峰戦車隊の副隊長は、大いに感情を露わにしていたという。

 そんな大事をよそに、青木は警察官になる為に男女合同グラウンドで走り込みをしていた。青木からすれば戦車道は「頑張って欲しいが直接には関係のないこと」であり、西住みほ転校に関しても「残念だ」と総括した。

 呼吸を整え、出来るだけ速度を落とさないよう、持久的に足をてきぱきと動かす。黒森峰学園艦の警察官になるという困難な夢を成し遂げる為、故郷の人間を一人でも守りたいという実直な想いを胸に、今日も警察官へと繋がる経験値を稼ぎながら、

 

 青木は、西住まほと出会った。

 

 正確に言えば「見た」だ。

 広い広いグラウンドを駆ければ、いつかは黒森峰女学園が所持する戦車の格納庫を横切る。

 いつもは「強そうな戦車だ」と脳内で感想を述べつつ格納庫を横切るのだが、今日の格納庫に戦車はあれど沢山の女子生徒はいない。いるのは西住まほ一人。

「あっ」

 声が出る。聞こえてはいないだろうか、聞こえてなどいない。

 距離はある程度保ってはいたし、男子の一人を見たところで何にもならないだろう。

 

 青木の目に映ったのは、誰かの戦車に手を当て、感情溢れた無表情のまま、うつむいている西住まほだった。

 

 人を悲しみから守る為に、日々努力していた青木は、哀しみ以外に他ならない横顔を晒していたまほに心奪われた。

 足が止まる、走り込みが二の次になる。風が吹き、もう何も聞こえない。あるのは「彼女をもっと見ていたい」という欲求だけ。

 ――そこでまほが、青木に気づいたのか、どうなのか、視線を向けてきた。

 瞬間、青木は逃げまとうようにグラウンドを駆ける。

 

 柔軟性のない青木でも、なぜまほがあんな表情をしていたのか、すぐにわかった。

 みほだ。絶対にそうだ、時期的にそうに決まってる。

 転校は、まほにひどく堪えたのだろう。戦車道においては連戦連勝の彼女でも、まだ高校生の女の子だ。

 ――自分が救いたい。

 警察官になるより、なんと難しいことか。

 

――――――――

 

『初めまして、このたびは突然のお手紙を差し出し、まことに申し訳ありません。

僕は黒森峰学園3-B組の青木といいます。

黒森峰の戦車隊を率い、勝利を得ていくその姿は、まさに黒森峰の英雄であり、憧れの象徴です。同い年だからこそ、尊敬しています。

西住流という誇り高き血を守ることは決して簡単ではないでしょう。だからこそ、適度に息抜きをしてください。

ご自分のことを最優先に考えることは、けして悪いことではありません。これからもどうか、ご自愛ください。遊んでください。

貴重なお時間をとらせていただき、本当にありがとうございました』

 

「……まっじめー」

 赤井が呆れたような、「らしいな」と言うたげな表情というか、そんな感じでファンレターを評価した。

 うるせえと毒づくが、赤井はあえて聞き逃しつつ、

「途中から随分と攻めたな。やっぱ、注目してもらいたいからか?」

「……まあね、正直初めて送るファンレターとしてはどうかと思う」

「まあまあ、ファンたるもの、感情的じゃないと」

 無責任な言葉を飛ばしつつ、赤井は何度も何度もファンレターを目で読んでいる。

 普通のファンレターなら、「これからも頑張ってください」程度で済ますべきなのに、何が「ご自分のことを最優先に」だ。「遊んでください」だ。お前はまほの理解者にでもなったつもりか。

 手段を問わずに攻め続けるのが恋の常道だが、西住まほは一般人ではない。黒森峰の学園艦で1、2を争う有名人なのだ。

 我ながら、距離のことを考えていない文章だと思う。けれど特別視されなければ、恋なんぞは始まらない。

 郵便ポストへぶち込む。

 それが結論だった。

 

 矮小な勇気を一気飲みし、消化しきる前にファンレターを郵便ポストへ入れてはや三日。青木は不安なような躍るような、両立しきれない気持ちと共存しつつ勉学に励み、グラウンドをなるだけ集中して走りこむ。

 返事が来なくてもしょうがない、相手はあの西住まほなのだ。手の届かない遠い星なのだ。その周囲には星を彩る星が閃き、地上人に過ぎない自分はそれを見守ることしか出来ない。

 このまま届かなければそれでよし、届けばそれも良し。戦車を保管する格納庫には誰もいないことを確認して、今日の日課は終了する。

 

 そうして男子寮へ足を運び、普段は両親からしか届かないポストを確認する。

 ポストの鍵をひねり、機械的にフタを開け、中に封筒が届いていることを確認しながら、今日の夕飯はなんだっけとポストの鍵を閉め、

 鍵ひねりに二、三度ほど失敗しながら、ポストのフタを乱暴に開ける。

 

 白い封筒

 青木様宛て

 差出人 西住まほ

 

「まじで?」

 間抜けヅラな声が、黒森峰男子寮の前に鳴る。

 最初は「やったぜーッ!!」と脳が絶叫したが、警察官志願者のカンが「これはイタズラなのでは?」と疑う。

 しかし流石は真面目人間。青木がまほのことを好きという事実は赤井しか知らなかったから、犯人は一人だとすぐに絞り込めたが、赤井は責任が伴うようなことをしでかす男ではない。

 

 意外にも、文字は男らしい――

 

 誰かにとられないように手紙をふん捕まえ、ポストの鍵をがきんと閉め、誰にも見つかりたくないの一心ですぐさま自室のドアへ駆け込み、ああもう鍵かかってやがる誰だ閉めたのは、該当する鍵をキーリングからやかましく乱暴に探し当て、一度鍵穴へブッ刺すのに失敗しつつも全力で開錠し、スキの無いドアの開閉を成し遂げながらゴール地点の玄関へ。

 

 勢いはそこまでだった。

 若干封筒を震わせながら、青木は爆弾を解体するような、丁寧な手つきで封を開ける。

 丁寧に折り畳まれた、裏側から文字が透けて見える便箋。

 残酷な現場を目の当たりにするような緊張感が水のように弾け飛び、情けない精神力を駆使して便箋を広げていく。

 ここまで来たら、もう拒絶されてもいい、書き慣れたような返事でもいい。

 手書きの文字が青木の両目に入るが、脳ミソが把握するのに数秒、現実を受け入れるのに0.何秒ほどかかり――

 

 

『はじめまして、この前は励ましのお手紙を送っていただき、本当にありがとうございます。

自慢になってしまうかもしれませんが、こうしたお手紙は何度も届くのですが、西住流を励ますお手紙がほとんどでした。

それは嫌ではなかったのですが、青木様が書いてくださった、西住流よりも私の身を考えてくださった文章に、私は感動を覚えました。

必ず返答しなければと何度もお返事を書いたのですが、何分未熟者で、納得がいく文になるまで時間がかかってしまいました。

あなたの言葉は、しっかりと覚えます。

差し支えなければ、また何かの機会があれば、お手紙を送ってくださると嬉しいです。

青木様も、どうかご自分の人生を、無理をしない程度で歩んでいってください。

本当にありがとうございました』

 




はじめまして、このたびはこのSSを読んでくださり、本当にありがとうございました。
自分は恋愛小説が好きなのですが、当サイトのガールズ&パンツァーに関する恋愛小説を読み、感銘を受け、ガールズ&パンツァーを見るきっかけになった西住まほの話を書きたいと思い、このSSを書かせていただきました。
ここまで読んでいただき、本当に感謝しています。
ご指摘、ご感想があれば、送信していただけると有り難いです。


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走ってみましょう

差出人青木 西住まほ様宛て

『こんにちは、ご返事をいただき本当にありがとうございました。

何分お手紙を書いたことはあまりなく、拙い文章でお見苦しかったとは思いますが、最後までお読みいただいたこと、本当に感謝しています。

普段から西住まほ様のご活躍をお目にさせていただいていますが、名高き黒森峰戦車隊の隊長を務め、期待と責任を一身に背負う西住まほ様のお姿に

同級生として尊敬しているのは本心です。それ故に、その分だけ

お体や精神も疲労することは察します。

黒森峰女学園、もとい黒森峰学園艦の名前を強く響き渡らせるお姿に多大な感謝をしています。

だからこそ、たまには戦車道のことを二の次にするのも賢明であると存じます。

二度目のお手紙となりましたが、改めて、ここまでお読みくださり、ありがとうございました』

 

差出人西住まほ 青木様宛て

『こんにちは。再びお手紙を送ってくださり、本当にありがとうございます。

拙い文章とお書きになられましたが、とんでもありません。青木様の文章からは間違いなく思いやりが溢れ、何度も読まさせていただいています。

西住流を受け継ぐ者として日夜、戦車道の鍛錬や勉学に励んでいるつもりですが、やはり時折、マイナスに考えてしまうこともあります。

幸いにも己が限界を察する能力は身についているので、疲れた際はすぐに休憩をはさんでいます。

たまには遊ぶのも良いとは思うのですが、何分石頭なもので、何をしていいのか

わからなかったりします。

青木様はどのようにして、休日をお過ごしでしょうか? 参考にさせていただきます。

ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました』

 

差出人青木 西住まほ様宛て

『こんにちは、こうして再びお手紙を送ってくださったこと、深く感謝しています。

失礼な文章になってしまいますが、西住まほ様が自分の限界を知り、休憩の大切さを知っていると知った時は、とても嬉しかったです。

自分は警察官を志望していまして、常日頃から鍛錬や勉強に励んでいるつもりです。だからこそ疲れた際は、街に出かけて散歩をしたり、おいしいものを食べたりして

気分転換をしています。

遊びというのも色々あって、野球観戦をしたり、新しい服を探したり、気になった映画を見たりと、これらもお手軽に楽しめる遊びではないでしょうか。

ご参考になられたでしょうか? そうでない場合は、大変申し訳ありません。

これからも、どうかご自分のことを大切にしながら、黒森峰を引っ張っていってください』

 

差出人西住まほ 青木様宛て

『今晩は、お手紙をしっかりとご拝見しました。

青木様は警察官を目指しているのですね。この広い黒森峰学園艦を守るということは、決して簡単ではないはずです。

同級生として、心の底から尊敬しています。警察官になれること、祈っています。

遊びの件ですが、とても参考になりました。こうして見てみると、休暇をとることが楽しみになってきました。何をしようか迷ってしまいますね。

そういえばおいしい食べ物といえば、自分はカレーが大好きで、いくら食べても次のカレーが

欲しいくらいです。

青木様はどのような食べ物がお好きでしょうか? 今度、それも

食べてみようかなと思っています。

何度もお手紙を送ってくださり、本当にありがとうございます。文章の体裁を気にせず、これからも送ってください』

 

差出人青木 西住まほ様宛て

『おはようございます。自分のお手紙が何らかのお力になれること、とても嬉しいと

感じています。

黒森峰学園艦の警察官になることは、決して簡単ではないという現実も知っているつもりです。

だからこそ、同じくして黒森峰女学園の戦車隊隊長という困難を背負い続ける西住まほ様の姿に、強い共感を覚えています。

お互い、夢を果たせるように頑張りましょう。応援しています。

好きな食べ物に関してですが、極端な味でないなら何でも食べる、こだわりのない

舌をしています。

カレーライスについてですが、それがおいしい店を知っています。時々、友人と一緒に食べることもありますね。

黒森峰学園艦は、本当に良い場所です。ここを守る資格が得られたらと、常日頃から

考えています。

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。同級生ですし、少し

軽い文章でも良いかもしれませんね』

 

差出人西住まほ 青木様宛て

『こんにちは、お元気していましたか?

日に日に続く戦車道の訓練は自分の為になりますが、とても疲れるので、時にはテレビを見て、時にはカレーを食べてさっと寝てしまう日々を過ごしています。

中々休暇がとれない身分ではありますが、青木様の危惧するような事態にはならないよう、配慮しているつもりです。

近々戦車道の練習試合が始まりますが、必ず勝つとここに宣言します。勝てばそれで良いですし、負けたらお風呂に入って寝る予定です。

なんだか寝てばかりですね。

ところで、おいしいカレー店を知っているのですか? とても興味深いです。

教えてください、是非』

 

――――――

 

 赤井にこれまでの経緯を報告する際には、青木は「口だけで」伝えてきた。

 本人の預かり知らぬところで、誰かに手紙を見せることはマナー違反であるし、思春期特有のみっともない健全な独占欲がそうはさせない。

 それでも赤井は、話を聞くだけで心底面白そうに感想を述べてくれるし、数日後には「で、どうよ?」と進展の報告を催促してくるのだった。

 すっかり日常の一部と化したこの報告会だが、今回は決定的な何かを嗅ぎ付けたらしく、悪そうな笑みで「ほう……」と漏らすのだ。

「西住さんがこうして本音を出してくれると、こう、もっと好きになっていくなあ」

「だよなー、俺でも好きになるもん」

 黒森峰の姫君にして、強豪戦車隊の隊長であるまほが、「実はカレーが好き」という事実を知った時は、青木も赤井もシンパシーが込められた頷きをかましたものだ。

 確かに高い高い星ではあるが、やはりまほは女の子だ。当たり前のことだが、手紙を読んでいくうちにますます実感する。

「恋愛は二の次……にはしたくないけど、これが娯楽になるなら、これからも書き続けていくよ」

「そうかそうか」

 白紙に墨で書かれた「文武両道」の額縁が教壇の上に飾られていようとも、休憩時間ともなれば黒森峰男子生徒は各々好き勝手に脱力する。

 あまり話したことの無い男子二人が、「夏休みどーする?」と気の早いことを話しているし、昨日見たドラマの話に花を咲かせるグループもいる。中には教科書にかじりついたまま、納得がいくまで勉強を続けている真面目な奴だっている。

 すべて見慣れた光景だ。

 目の前にいる赤井の顔なんて、おそらくは親の顔よりも見ていると思う。日課といっても差し支えの無い赤井は、

「で、いつデートすんの?」

 青木の日常を思い切り剥がす。

 何を言っているんだ、こいつは。

 そういえば、そうだよな。

 矛盾した二つの意見が、頭の中で手をつないでいる。

「あ……いや……その……」

「まじめだなぁ。俺だったらスキあらばデートに誘うわ」

 他人事を絵に書いたような顔をしながら、赤井は呆れたような、嘲笑っているような。

「す、スキって……あ、あるか?」

「あるよ」

 即答だった。

「西住さんはカレーが好きで、うまいカレー店を教えて欲しいんだろ?」

 言われるがままに、青木は小さく頷く。

 

「じゃあ、今度の休日、一緒にうまいカレー店行きゃいいじゃん」

 

――――――

 

 女の子とうまいカレーを食いに行くかどうか、考えただけで3日以上が経過していたので、夜中に走り込みをすることにした。

 

 手紙が届き、即座に返信するのを繰り返すには、3日ほどの間はどうしても開いてしまう。だから今の青木にとって、72時間以上何もしないというのは立派な異常事態である。

 だから、なんとかカレー店に誘う勇気を絞り出すために、夜中になってまでジャージを着て外出したわけだ。

 普段は放課後にジョギングを行うから、暗くなってから行動することは滅多にしない。衝動的にやりたくなったとか、明日は休日だからひとっ走りするかとか、そんなしょうもない思いつきがなければ、こんな時間で元気よく運動などはしないのだ。

 幸いにもジョギングコースとして有名な公園が近くにあるから、誰にも怪しまれずに好き勝手に駆けることは出来る。

 改めて黒森峰学園艦の環境に感謝しつつ、青木はどうすっかなぁどうすっかなぁと、雑念を抱きながら、青いジャージを上下に、青木と同じくジョギングをしている西住まほと

正面からすれ違う。

 西住さん、こんな時間まで頑張ってるのか。

 

 雑念がぶっ飛び、持ち前の理性を振り絞って「怪しまれない距離になってから180度にターンする」という快挙を成し遂げる。

 見間違えではないはずだ。

 今すぐにでもまほめがけ全速力で接近し、定まらない話の一つや二つでもしたかったが、真面目さと恥がそれをうまく堰き止めている。

 焦るな、ゆっくり近づけ。声をかけても、アホなことを言わなければ犯罪にはならない。

 そう、犯罪などではない。

 それを考えると、途端に勇気のカスが胸の中で生じた。青木はまほの背中を追い、横並びになるために少しずつ脚力を強くしていく。繊細な存在と触れ合うかのように、青木は下手な欲を出さないよう自制し、そして、

 

「あのっ、すいません。西住まほさん、ですか?」

 

 無視してくれてもいい声に、まほは足を止めて顔だけ振り向いた。

 はじめて、まほが自分を見てくれた。

 テンパっていたから、感動を覚えるヒマはなかったのだけれども。

「はい? そう、ですが……」

 好きな人の前だぞ、勇気くらい出せ。

 赤の他人じゃないんだろう、自己紹介の一つや二つ言え。

 聞き込みの一つや二つ出来なくて、何が警察官だ――

「あ、ああ、えっと、青木です、黒森峰3-B組の、青木。警察官志望の――身分を証明するものは……今は無いです、ごめんなさい」

 白く照る街灯のお陰で、夜にも関わらずまほの表情はよく見えた。

 初めて出会ったあの日よりも、はっきりと覗えた。

 まほの口はぽかんと開き、テレビや新聞でよく見る鋭い目は玉のように見開かれている。

 夏が近いのか、虫の音が聞こえる。街灯の電気的な雑音が耳に響く。車の走る音が遠くから降り注ぐ。自分の心臓が聞こえない。

「あ……」

 どっちの声だったか。青木だったと思うし、まほだったとも考えられるし、両方だったのかも

しれない。

「あ、あなたが……青木さん?」

「は、はい」

 ロクに思考が動いていない。聞かれたから自然と口が動いた、それだけだった。

「あなたが……」

 そして、

 

「やっと、会えましたね」

 

 そんな表情が出来るんだ、西住まほさん。

 声をかけて、本当に心の底から良かった。

 

―――――

 

「夜のジョギングが日課だったんですね、西住さん」

「はい。もしかしたら、前にもどこかですれ違ってたかもしれませんね」

 二人でベンチに座って雑談――ではなく、横並びでジョギング再開というのが、真面目アンド真面目の構図だった。

 それでも、先ほどのような戦闘状態はろくすっぽも存在しない。公園で同級生同士が雑談をする、きわめて健全な光景がそこにある。

「夜中は、たまにしか走らないんですよ。大抵はテレビを見るか本を読むかして

さっさと寝てます」

「あ、私もそういうことあります」

 似た者同士なのだと実感し、青木は傲慢なくらいの優越感を覚える。

「戦車を動かすのって、やっぱり疲れそうですしね。しかも隊長としての役目も果たさなければいけない――尊敬しています」

「ありがとうございます。前まではその、生真面目に鉄血を貫くことこそが至上だと思っていたんですが、最近は少し変わりまして」

「そうなんですか?」

「はい。青木さんが私のことを気遣ってくれたじゃないですか。それで、私も少し

腰を落ち着けようかなと」

 建前が消えそうになる。

 黒森峰のヒエラルキーの頂点に立つ西住まほの生き方を、一介の草の根でしかない青木の文章で変えた――変えてしまった事実に、責任感と「よっしゃああああッ!!」という本音が

体内で爆発する。

「そ、そうなんですか……いいんですよ? あんな考えなしに書いた文章なんて気にしなくても」

「いえ、考えなしに書けるものではありませんよ、あの手紙は」

 そうなのか。

 そうらしい。

「とても感謝しています。青木さんのお陰で、今度の休日はどう過ごそうか、未だに

迷っていますし」

「そうですか……どうしてもわからなかったら、僕に聞いてく、」

 そこで、青木はある事実に気づく。

 よりにもよって愛しくて仕方がないまほの手紙に対し、青木は返信の手紙を送っていない。

 青ざめる。自分で築き上げた日課のくせに、自分の都合で長期間も手紙を書くのを

サボっていたなんて。

 これでは罪人だ。警察官失格だ。青木は走ったまま、

「すいませんでしたッ!」

「えっ?」

 走ったまま、深々と頭を下げる。

「その、お手紙、返信していなくて……ちょっと事情がありまして……」

「あ、そんな、自分のペースでいいんですよ?」

「いえっ僕も西住さんのことは大切な文通仲間と思っていましたし、手紙はいつも楽しみにしていましたから、返信しないなんて失礼過ぎるというか」

 しかし、まほは責めもせず、優しい表情を星の下で見せるのだ。

「そうですか、楽しみにしてくれていたんですね」

「は、はい」

「嬉しいな」

 嘘くさい、甲高い「へっ?」が公園全体に響いた気がする。

「あ、いえ……私のことを、『仲間』として接することが楽しいと言って

くれることが、嬉しいんです」

 間。

「光栄です」

「いえ。――実は、その、心から信頼出来る『隊員』なら沢山いますが

弱音を吐ける仲間はいなかったんです」

 ――納得する。

「そう、なんですか……」

 納得したからこそ、青木は、

「じゃあ、改めて僕と仲間……友達になりましょう。お堅いの無しの、友達になりましょう」

 たぶん、まほの余裕が奪い去られたからだと思う。

 まほからぽかんとした表情が生じ、両足は本能のままで動いたまま。

 けれども、青木は頑なな気持ちを保ったままだった。嘘でも建前でもその場しのぎでもない、本心からの夢を言い放ったのだから。

「――青木さん」

「はい」

「ありがとうございます。これからも、よろしくお願いします」

「はい」

 深呼吸。

「西住さん」

「はい」

「今度の休暇、一緒においしいカレー店へ食べに行きませんか」

 まほと友達になれなければ、絶対に言えなかった。

 まほと友達になれた今なら、絶対に言える。

 ――そして、青木は信じていた。

「はい。その、よろしければ、『休日の遊び方』についても教えてください」

 青木の提案に、まほが断るはずがない、ということを。

 

―――――

 

 公園を一周し終え、青木とまほは別れ際に互いのメールアドレスと電話番号を交換した。提案したのはまほの方で、青木はあえて「いいんですか?」と言葉を投げかけたのだが、まほは「友達ですよね? なら、いいじゃないですか」と返した。

 喜びのあまり、拳を作るのは後だ。今は真面目な黒森峰男子生徒して接すればいい。

「青木さん」

「はい」

「警察官になれるように、心から応援しています。私は、あなたの文章が読めて本当に良かったです」

「あ、いえ、西住さんも僕の文章を読んでくれて……感謝しています」

 まほは小さく頭を下げる。

「今週末は必ず休暇を作っておきます。その……約束、守ってくださいね」

「は、はい!」

 でかい、近所迷惑にならないことを祈る。まほも驚いているじゃないか。

 すみませんと、ひと息。

「それでは、今週末、この公園で待ち合わせしましょう。遊びに関しては素人同然ですが、どうかよろしくお願いします」

「はい、お任せください」

 まほは「それでは」と手のひらで挨拶をして、恐らくは女子寮の方へ走っていった。

 後ろ姿が遠くなったことを確認し、青木は無言でガッツポーズをとり、虫のように何度も何度もジャンプする。

 健全だった。

 

―――――

 

 凱旋気分で脳内ラッパを吹きながら、青木は男子寮へ前進していく。

 そしてこれは本当に偶然であり気まぐれだったのだが、青木はポストに注目した。このところ青木は、手紙を送らない限りは決してポストのフタすら開けないような単細胞であったから、かれこれ数日ぶりのご対面となる。

 サイフからキーリングを取り出し、ポストのフタの鍵を開け、親からとか来てないだろうなと思いつつ、手紙が入っていることを確認してフタを閉める。

 フタを開ける。

 

 青木様宛て

 差出人 西住まほ

 

 そう書かれた白い封筒を発掘する。

 まほと出会った後だったからだろうか、どうなのか。青木は我慢も知らずにその場で封を開け、まるで爆発物かのように便箋を慎重に抽出し、それを広げた。

 

 差出人西住まほ 青木様宛て

『おはようございます、最近は夏の兆しが見え、暑くなってきました。ご体調は

大丈夫でしょうか。

このたび、青木様のお手紙が届く前に焦って送信してしまったのは、数日間、青木様からのお手紙が途絶えたことにあります。

青木様にも都合がありますし、こうして文通を重ねるのは義務ではありませんから、青木様は何も悪くはありません。

このお手紙を送らせていただいた真意は、『自分に何か落ち度があったのでは?』という疑問に

よるものです。

前に送ったお手紙は、すごく砕けた文章で書かせてしまいました。青木様は真面目な人柄ですから、こうした馴れ馴れしさに拒否感を覚えてしまったのではと、自分なりに考えてみました。

或いは、ほかに原因があるのかもしれません。それに関しては、どうしても思いつくことが出来ませんでした。

突然のお手紙を送らせていただき、まことに申し訳ありません。青木様のご都合で送れなかっただけであれば、自分は本心から謝罪致します。

この手紙に何らかの不快が生じた場合は、破棄し、忘れてくださっても構いません。

ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました』

 

 青木は、持てるだけの浅い人生経験を頭で総動員して、罪悪感を手からペンに通し、寒気を足に蓄え、目から「僕が悪いんです」を発しながら、深夜から朝まで手紙を書き続けた。

 その日は、入学して初めて居眠りした。

 

差出人青木 西住まほ様宛て

『おはようございます。ご体調を心配してくださり、ありがとうございます。暑さは戦車道の訓練に響くことは想像できます。体に気を付けてください。

このたび謝罪文を受け取らせていただきましたが、西住まほ様には何の落ち度もありません。恥じるべきは自分の方で、『休日、一緒に例のカレー店へ食べにいきませんか?』と書くべきかどうか、男らしくなく悩んでいたのが原因で、返信が滞ってしまっていました。

恐らく、あの夜での出会いがなければ、いよいよもってお手紙を送るペースが

鈍くなっていたでしょう。

悪いのはすべて自分です。この魂胆にあきれ果て、文通をおやめになられたところで、その事実を受け止めます。

本当に申し訳ありませんでした』

 

 数日後、西住まほからの初メールが届いた。

 

『お手紙のこと、気になさらないでください。勇気を出すのは簡単ではありませんから、時間がかかったのも納得です。

どうしても納得が出来ないのであれば、休日で無しにしましょう(^^)』

 

 だった。

 青木は成仏した。

 



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お母さんと話しましょう

地元の人間に「西住さん家ってどんな感じ?」と聞くと、十中八九「城」と答えるほど西住の名はデカいし、西住しほが地元を出歩くだけで一週間は話題になるほど、しほは

この地における有名人である。

 勝ち負けがギラつく戦車道有名人ランキングの中でもしほの名は必ず上がるし、戦車道委員会の男どもでも「あの人の目には敵わない」と評する程には強い。

 こうした団体には何らかの不正がつきものだが、待ってましたとばかりに該当者はしほの手でつるし上げにされる。その功績を称えられた際に「西住流に妥協無し」とコメントしたのは、関係者の間では有名な話である。

 しほ本人も名門黒森峰学園の卒業生であり、もしもの日が来たら戦車をバリバリ動かせる程の知識と熱意が蓄えられている。

 まさに戦車道を闊歩する為に誕生した女傑であり、是非味方にしたいと勧誘してくる大人の手は数多だった。そんな権謀術数の日々を乗り越えながら、今日もしほは家の座布団の上で麦茶を

飲むのだった。

 ――ここぐらいなものだ。心から落ち着ける場所は。

 しほとて無限の体力を持っているわけではない。だからこそ、休む場所はここだと決めている。

 使用人はいるが、あくまで使用人は使用人だ。一人で休憩をとり、孤独に仕事のことを考えるのもとうの昔に慣れた。数年後もきっと、このままなのだろう。

 

 そこで、テーブルの上に置いておいた携帯が震える。着信音は鳴らさないタイプだ。照らされた液晶画面を見ると、「西住まほ」の名前が表示されている。

 時刻は平日の昼――今頃は昼休みなのだろう。

 それにしたって、こんな時間から電話を掛けるとは珍しい。何かよくないことでも

起こったのだろうか。

 しほは携帯を手に取り、受信ボタンを押して「はい」と答える。

「はい、まほです」

「こんな時間に珍しい、どうしたのですか?」

「はい。今週末、街に遊びに行こうと思いまして」

 しほは「なんだ、そんなことか」と頭でぼやきつつ、

「それくらいなら、私に連絡など必要ありません。気分転換は私だって行います」

「はい。街へは、友達と遊びに行きます」

 しほがまばたきをする。

「友達、ですか。なるほど……まほの口から、友達とは。良かったではありませんか」

「はい」

 楽しそうな感情を口から漏らさず、あくまでまほはまほらしい声を出すだけだ。

「それで、お母様」

「なんでしょう」

 

「そ……その……」

 

 まず、まほは無駄口や躊躇いを一切呟かない。

 戦車道の試合結果をレポートのように報告し、道に迷えば躊躇もなく教えを乞い、西住みほの

転校を「みほの選んだ道です」の一言で済ますような、あの西住まほが「そ……その……」と口にしたのである。しかも、明らかに照れの曇りが生じていた。

 戦車道の女性としての経験ではなく、二児の母としてのカンが久々に稼働する。

 友人と街へ行くこと自体は問題は無い、まほはサラッと伝えていた。となると

壁はそこではなく、「その友人は何者だ?」という点に尽きる。

 まほは決して人見知りではない。インタビューには平然と答えるし、今日も明日も黒森峰戦車隊の面々に囲まれるはずである。恥ずかしがり屋が隊長など務まるはずがない。

 そこで母の脳ミソが否応なく答えを導き出す。

 黒森峰戦車隊は全員「女性」である、女性しかいない。女性と付き合うのには慣れている

はずであり、照れているということは女性と対なる存在と接しようとしているわけで、

 

「男性の方と、街へ出かけても、いいでしょうか」

 

 ほらきた。

 しほは感極まったように両目をつむり、仰ぐ。

 そうか、

 そういうふうに育ってきたのか。

「……どこで知り合いました?」

「手紙、ですね。私はテレビや雑誌での露出が多いものですから、そこから私のことが知れたの

でしょう。『戦車道も大事だが、自分の精神の方が大事』という文章を書いていただき、感激した

私は、その、文通をはじめまして」

「なるほど」

「その人は黒森峰学園出身で、警察官を目指し、日々鍛錬するような真面目な

性格をしています」

「ふむ……それは安心ですね」

 安堵するように、麦茶を一杯飲む。

 どうやら、まほもちゃんと異性を選ぶ目があるらしい。

「それで……まあ色々あってその殿方とデートをすることになったと」

「はい……」

 まほから、久々に女の子らしい声を聞いた気がする。

「異性と遊びに興じる、それは構いません。私も、若い頃はだいたいそんな感じでした」

 脳内で常夫との初デートをちらりと思い出しつつ、

「それでまほ、質問があるのですが」

「はい」

「イケてる服はありますか?」

「いいえ」

「ファッション雑誌は?」

「いいえ」

「アクセサリーの類は?」

「いいえ」

「純粋な遊びの趣味は?」

「いいえ」

「私の娘ですね」

「はい」

 わかっ「て」た。

 数年ぶりに、二児の母らしいことをしてやろう。しほは首をこきりと鳴らす。

「まほ」

「はい」

「放課後の予定を空けておきなさい」

「はい」

「ファッション雑誌代、デートスポットガイドブック代、服代、デート代、これらを

消費するであろう予想範囲内まで振り込んでおきます」

「いいです」

「まほ」

 ぴしゃりと、威圧感を込める。

「西住流に妥協無し。着飾ることが正しいこともありますし、その彩り方にも様々な道が

存在します。そして、殿方ばかりに負担を強いることは、西住家への風評被害にも繋がります」

 人差し指が、携帯の裏側にとん、と置かれる。

「自分を魅せようとした結果、お金がかかることはよくあることです。――まほ、デートを

楽しんできなさい」

 まほから「はー……」と声が漏れる。

「意外、ですね。お母様が、ここまでの寛容の態度を示すとは」

「母親ですから」

 みほとまほが生まれる数十年前に、同じようなやりとりをしたことがある。たぶん、どの生まれでもこの流れは変わらないだろう。

「それでは、お金を振り込んできます。放課後になったら、しっかりと装備を揃えるように」

「はい」

「……まほ」

「はい」

「良かったわね」

「はいっ」

 戦車道の気が、一切感じられない砕けた声。

 そうさせた男の顔というものを、一度見てみようかと思う。

「そろそろ授業が始まります。失礼しました」

 通話が切れる。

 ふう、と息をつく。

 もう一度麦茶をコップにつぎ込み、それをゆっくりと飲み干していく。

 あと少しで暑くなる。

 どうしても季節は変わる。しほの世界もまた、変化する。保守的に生きようとしても、抗えないものはしょうがない。

 麦茶の入った容器を冷蔵庫にしまい、コップを洗う。

 そのままサイフを持ち、家から出ようとして、気が抜けていたせいか半分コケかけた。

 

――――――

 

 銀行に軍資金を十万くらい振り込み、帰宅後といえば次の資料の流し読みをしつつ、まほのことを気にしてばかりだった。

 買うべき雑誌は把握しているのだろうか、服は相応のものを購入したのだろうか。

 服の選出は戦車の選択並に難しいと思う、自分の体形と顔とキャラに見合っていなければ

チグハグになってしまうからだ。

 ファッション雑誌は、そうした服のセレクトを手助けはしてくれるだろう。だが本人の感性と

キャラが一致するとは限らない、理想的な服を選んだつもりが一発白旗という可能性も

大いにありえる。

 じゃあ母がアドバイスを送ってみるか? という判断はいの一番に抹消しているのだった。

 

 気になろうが悩もうが笑おうが時間は過ぎ、暗くなるのが遅い夏でも星が見え隠れ

してきた頃に、

 メールの着信音が響いた。

 その反応の速さは新記録で、「西住まほからメールが届きました」の通知を人差し指で

真っ二つにする。

 

『ファッション雑誌をいくつか買い、自分に似合うような服をなんとか選出してみました。いかがでしょうか』

 

 添付された画像には、デニムと白いシャツ、黒いカジュアルジャケットでまとめ、鏡の前で視線をそらしながら携帯でカメラを撮っているまほが映っていた。

 

 ああ――

 可愛い子だなぁ。

 

――――――

 

 『凄くまほらしくて、似合っていますよ。デート、楽しんできてくださいね』

 そう返信して、しほはつかえたものをひと呼吸で追い払う。

 戦車道を極め、西住流の跡取りとして育って欲しいことは確かだ。だが、女性としての幸せを

望んでいるのも間違いはない。

 そこだけは、母として絶対に譲れない。

 さて。

 しほは携帯に手を取り、アドレス帳から「西住常夫」のデータを引っ張る。

 

「あ、もしもし、常夫さんですか? 聞いて、聞いてください。実はまほが、あのまほが、今週末にデートをするんですって! 驚きましたか? 私も驚いています。何だかどきどき

しちゃって……あ、あの子ったらデートに着ていく服装を買ってきて、画像まで送ってきたんですよ? 早速送りますね、まほったら私に似て――」



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黒森峰学園艦で躍りましょう(前編)

 

 朝の六時からジャージ上下で元気良く走ろうと思ったのは、何も健康に目覚めたとか、そう

いった前向きな理由ではない。

 単に体が緊張しすぎて、頭の中が興奮するあまり、手っ取り早く眠気が覚めてしまったからだ。勿論、こんなことは黒森峰学園入学以来、初めての出来事である。

 初デート当日。

 健全な高校三年生からすれば歴史的事件であり、憧れの祭りである。

 それが目前となると、本能としての睡眠欲など二の次になるし、ましてや片思いだから余計に

緊張する。プラス的なイメージと、マイナス的な妄想が頭の中で互角に戦っている。

 靴をはく、ドアを開ける。夏が近い朝六時は薄い青空を映し出している。

 遊びだからこそ、行動の過ちで拒絶されるかもしれない。自由が利くからこそ、見損なわれるかもしれない。制限が存在しないからこそ、黒森峰の星、西住まほに告白されるかもしれない。

 欲張るのも、恋に走る男の特権である。

 

 頬を自分の手で軽く叩きつつ、ジョギングコースである公園へ足を踏み入れる。

 走るか――寒くはない冷たい空気が肌に染み付く。目の前で横切っていったまほに軽く会釈しながら、ジョギングを開始する。

 いや待てよ、待て。

「あ、あの」

「あ……青木さん。お、おはようございます」

 前を向いたまま後退し、まほが少し気恥ずかしそうな表情で挨拶をする。

 青木も改めて「おはようございます」と頭を下げ、

「朝……早いんですね。いつもこの時間帯から?」

「あ、いえ。その、デートは初めてのものでして、それで朝早くから目が覚めてしまいまして」

 あ、同じだ。

 そして、簡単な事実に気づく。デート相手というのは何も格上でも格下でも異次元の

住民でもない。大抵は普通の男女であり、同じような価値観を持って今日を生きている人間で

あるはずなのだ。

 まほは確かに戦車道の達人であり、けして人前で挫けはしない強者だが、高校三年生――自分と同じだ。

 だから、初デート云々のせいで興奮と緊張を覚え、朝っぱらから目を覚ましては、何とかしようと体を解そうとしたのだ。行動パターンはまるきり同じだが、故に最も説得力のある推測だと

思う。

「なるほど……いやあ、自分も西住さんと同じでして。やっぱり、デートというのは、色々大変ですね」

「……そうですね、本当に大変です」

 ふう、とまほが息をつく。

「ですが、嫌ではありません。これから始まるんだなって、楽しいんです、とても」

「僕も、ですよ」

 それを聞いて安心したのか、まほが力の無い苦笑を浮かばせる。

「朝十時からの出発ですが……あと四時間もありますね。まあ、その後は走った後で考え

ましょう」

「はい」

 

 

 その後は、特に大事な出来事とかは無かった。無言のまま横並びでジョギングしたり、そっちの授業内容はどうだそっちの校風はどうだのと話したり。

 気づけば、公園を一周していた。せいぜい十五分程度しか経過していない、初デートまで二時間以上の間がある。

「あの、」

 自販機でスポーツドリンクの注文ボタンを押す。ここぞとばかりに、まほの分も買う。

「あ、ありがとうございます。すみません、後で必ずお返しします」

「い、いえ、いいんですよ、いいんです」

 結果はどうでもいい。女性の前でカッコつけることが出来れば、男はそれで満足する。

「い、いえっ、後で必ず――あ、そうだ。その、私なりにデートコースを選んでみたのですが、い、いいでしょうか?」

 ごくりとスポーツドリンクを強く飲む、塊が喉に通ったような感覚。

「ほ、本当ですか? ぜひぜひ――あ、僕もコースを考えておきましたから、あまり気張らずに」

「あ、ありがとうございます。それでその、昼食は、例のおいしいカレー店に連れていって

貰えると、嬉しいかなって」

「当然ですよ、それが目的のようなものですし。いやあ、楽しみだなあ」

 そこで、困ったようにまほがあたふたと手のひらを動かす。

「い、いえっ、デート知識はまったく……戦車道しか知らないですから、もしかしたら

大外れかも、」

「いえいえ、デートはするだけで楽しいんです。僕は、西住さんと一緒に歩めるならどこでも

構いません」

 何か恥ずかしいことを言ったんじゃなかろうか。

 だが、これぐらい言えなければ、まほの特別になるなど百年先延ばしになるだろう。

「本当ですか? ……ありがとうございます、青木さん」

 頭を下げられる。青木も、嬉しくなって頭を下げ返す。

「――友達とこうして遊びに行くのって、憧れだったんです。何年ぶりかな、こういうの……」

 青木は、時折赤井と街へ出歩くことがある。それは熱心によるものではなく、単に

暇だったからとか、面白いこと探しとか、本当に軽い動機によるものだ。

 それすらも、まほにとっては遠い事柄であり、戦車道で敵を倒すことよりも叶え難い

夢だったのだろう。

 深く息を吐く。

 決めた。

 自分は、今日この日、まほを必ず楽しませよう。

 

―――――

 

 公園でまほと別れた後は、帰宅後に一旦風呂に入って身も心もすっきりさせた。キメキメではない私服に着替える。

 相変わらず眠気が息を引き取っていたので、適当にリモコンのボタンをいじくって

朝のニュースを流し見する。

「先日の夜、黒森峰学園艦の外周道路で車が衝突事故を起こしたものの、ドライバーは軽傷だったとのことです」

 またか、と小さくぼやく。黒森峰学園艦の外周道路は速度無制限コースとして有名であり、

ハンドルさばきに自信のある連中が東西南北から集ってくることも珍しくはない。

 そうして、誰かが華麗なドライビングテクニックを披露して対抗心をバラまく。それを見た奴が「俺ならもっと凄いことが出来る」とフカし、闘志とエンジンに火をつけ――今日の茶の間の話題にされることもよくある話だ。

 警察官になれば、外周道路へ赴くのも日課になるのかもしれない。そんなアテの無い憶測を立てながら、青木は冷蔵庫からヨーグルトを取り出す。

「次のニュースです。あのプロ戦車道選手と、今をときめく俳優が電撃結婚をしたとの

発表があり――」

 ふーん。

 ヨーグルトを味わいながらも、なんとなく「プロ戦車道選手」という単語に反応する。

 いつかは、まほもプロの戦車道選手になるのだろう。高い高い星として君臨するまほのお眼鏡に敵う男とは、どういう奴なのか。やっぱり、今をときめく俳優とかなのだろうか。

 少し不安に思ったが、有名人は有名人としか釣り合わないというワケでもなく、一般人とも婚約することがある。そもそも、身分の格差あっての恋愛なんて何度も聞いた。

 やっぱり、恋は怪物だ。最高だ。

 迷いは無い。自分は必ず、まほに認めてもらう。ときめかれる男になってみせる。

 その為に、今日はまほの心を満たす。頑張る人には報いを、それが世の常だ。

 

 ――九時半になる。長かった、ここまで来るのに多少の勉学に勤しむ程、長かった。

 人生で一番、時計の針を何度も確認したと思う。そのたびに数分程度の経過に脱力し、勉強に

するかテレビを見るか仮眠をとるかで、身寄りのない選択をしていたものだ。

 さて、そろそろ出るか。

 部屋にいては、何がしかのきっかけで眠ってしまうかもしれない。ならば公園の

ベンチに座って、男憧れの「いまきたところ」を実践すべきだ。

 靴をはき、部屋から出て、鍵をがちんと締める。最新装備を担いだ気分で公園へ進軍し、わずか三十分後の光景のことを好き勝手に想像する。

 多少急ぎ足で公園へ向かい、ベンチに座っていたまほに軽く会釈しながら隣に座り、

「あ」

「あ」

 

――――

 

 黒森峰学園艦は、一言で言ってしまえば「凄く生真面目」な土地である。

 だから日ごろの行いを正そうとするし、出来ることがあれば可能な限り実践する。それは仕事にしかり、部活にしかり、勉強にしかり。

 邪悪に堕ちることを恥と覚えるから、黒森峰学園艦の治安は良い。だからこそ監視の目というものは常に平等に、冷徹に行われなければいけないから、警察官という職業は人気コースであり、

狭き門でもある。

 じゃあ黒森峰学園艦に自由や娯楽は少ないのか、と言われればまるきり逆だ。良くも悪くも

妥協せず、「ウチの学園艦は他の学園艦より素晴らしい」」という熱意がある。

 一通りの娯楽施設は揃っているし、どいつもこいつも「これぐらいの品揃えはウチぐらいの

ものだ」とか「俺のカレーは学園艦一の評判なんだぞ」とか、とにかく互いに負けん気を

発揮しているから、娯楽関係も知らず知らずのうちに強化されている。

 その充実っぷりのお陰で、他校生が黒森峰学園艦へ遊びに来ることも珍しくはない。その分だけ金を落としてくれるし、国際的にも「治安が良い、スペシャルな学園艦だ」と評価されて

いるので、めきめきと学園艦の規模が大きくなっている。恐らく、日本が所持する学園艦の中ではトップの部類に入るだろう。

 生真面目ということは、つまり「よく疲れる」。それ故に、アミューズメント施設は今日も顧客に求められるがまま火を噴いているわけだ。

 

「……久々に来ました」

「僕は……あ、二週間前に来たか」

 前にも後ろにも高層ビルが立ち並び、定期的な距離に信号機が所狭しと並んでいる。

学園近くとは違い、両手を広げて走っても誰も文句を言わなさそうなくらい、都会は広い。

 まほがちらりと青木を見つめる。そこに無表情はない、これから楽しいことがあるんだろうなと微笑している。

「さて、この時間帯ですが……最初に行くところは決めています」

「あ、そうなんですか? 私もなんですよ」

 ほうほうそうなのかと、青木は二度頷く。

 勿論、優先権はまほ持ちだ。

「青木さんは、その、何処に?」

「ああ、僕は――」

 デート初心者の強い味方にして定番の、

「映画館へ行こうと思いまして。今やってる恋愛映画を見てみようかなと」

「あ、そうなんですか?」

 そこで、まほが照れているような、楽しそうな顔。

「実は、私もそこへ行こうと思っていました。見るのもたぶん同じです」

 気を遣ってくれているのか、或いは考えることは同じだったのか。

 とりあえず推測は谷底へ突き落とし、頭の中を共感と歓喜で大爆発させておく。

「ああ、良かった。行きましょう、ぜひ」

「はい。――なんだか嬉しいです、こういうのを気が合う、っていうんでしょうか?」

「はい」

 断言するように頷く。

「そうですか」

 信号機が青になり、車が一斉に動き出す。カップルであろう男女が「どこいくー?」とプランを練っている。風船を持った子供が、母と父に手を繋がれている。

「……良かった」

 まほが、安堵したように胸に手を置いた。

 この日は、けして忘れないと思う。

 

――――

 

 黒森峰学園艦の有名映画館は四つ程存在し、検索をかけてみると「古き良き映画館」「大衆

向け」「あらゆる映画ファン向け」「字幕のみマニアック映画充実」と、それぞれが

こう評されている。

 青木は映画事情には詳しくはないので、「今話題の映画」「デート」と分割ワードで検索を

かけた結果、「誰も傷つけない恋愛戦車映画」が引っかかった。

 もちろんこれを一発採用し、勿論大衆向けの映画館をセレクトする。まほは戦車道をたしなんでいるから、きっと馴染むはずだ――という、希望と憶測を胸に秘めて。

「映画館……久々に来たなぁ」

 その結果である。まほも同じ映画を選び、同じ映画館を選択した。幸先が良い。

 見るも珍しいのか、まほがきょろきょろと映画館を楽しそうに眺めている。

 映画館といったら程ほどのスペースかと思ったが、この映画館のホールは教室よりも数倍広い。高い天井に設置された、多少暗い照明が良い味をかもし出していて、販売されている食事もメニューが豊富だ。その中での人気商品はLLサイズノンアルコールビール。

 最近は販売機も設けたらしく、若い人は販売機のスクリーンにタッチして映画のチケットを購入している。

 休日ということで、人の出入りも賑やかだ。上映時間までに二十分ほどかかるが、あらかじめ並んでおかないと出遅れてしまうかもしれない。

 まずは映画のチケットを買おうということで、販売機コースに青木とまほは並ぶ。

「結構並んでいますね……」

「今見ようとしている映画が、人気らしいんですよ」

「戦車で恋愛――ですよね。何度かCMを見ましたが、だれも傷つかないというのがウリらしい

ですね」

 まほ向けだと思ったし、個人的に興味もある。

 そして男の子的に、でかいスクリーンで映画を見る、というワクワク感もあるといえばある。

「どんな映画になるんでしょうね、僕にはわかりません」

「どうなんでしょうね……」

 話が途切れる。

 これが赤井相手なら全く為にならない話で時間を潰すのだが、まほ相手にそれは絶対厳禁だ。

 何かないかと、狙撃手のような目つきで周囲を眺め、

「あ、」

 あった。

 ばかか自分は。

「西住さん」

「あ、なんですか?」

「あ、あの、その……私服、凄く可愛いです。ボーイッシュで、髪型とあっているっていうか」

 結構、踏み込んだ評価だと思う。

 まほの第一印象は「男らしい綺麗な女性」であるから、デニムにカジュアルジャケットはこれ以上無い程似合っている。しかも「私服」という相乗効果もあって、「すげえ可愛い」というのが

青木の総括だった。

「あ、ありがとうございますっ。えっと、急いで買ったばかりのもので、似合うかどうかは……」

 青木は聞き逃さない。急いで買ってきたということは、まほはこのデートを強く意識しているということになる。

「そ、そんな、似合ってます、似合ってますよ。流石西住さん、ファッションセンス抜群です」

「い、いえ、そんな。雑誌を読んだお陰でして……」

「何を選ぶかどうかは自分次第です。ですから、西住さんは自信を持って良いですよ」

「そ、そうですか。ありがとうございます」

 多少暗い映画館だったが、まほが照れているのがよく分かる。目先は斜め下。

 青木も恥ずかしくなって、顎に手を触れる。

「ということは……何だかすみません、お金を使わせてしまって」

「いえっ、いいんです。私も遊びに行きたいと思っていましたし、久々に私服を買うのは

楽しかったですから」

 あなたは悪くない。そう言うたげに、まほはにこりと笑っている。

「そうですか、それは良かった――あ、映画館の料金は僕が支払いますね」

「いえ、私の分は私が支払いますから」

「そんなそんな、こういうのは、」

「ダメです、気が済みません」

 まほが、むっとした表情になる。青木は「す、すみません」と弱弱しく頭を下げた。

「あ、ごめんなさい。怒ったつもりでは、」

「ああいえ、こちらこそ大袈裟なリアクションとっちゃって。え、ええと、その……」

 気まずい。女の子との会話なんててんでしたことがないものだから、どうしても空回り

してしまう。

 まほも必死になって言葉を探しているのか、どうしようと視線を逸らしている。

 何か無いかと、ここ一か月で二番目に(一番は謝罪の手紙を書いた時だ)脳ミソを絞り出そうとして、

「そ、そういえば、」

 先に言葉を投げかけたのは、まほだった。

「は、はい」

「え、えと……私の髪型と、服、合っているって言ってくれましたよね。そ、そうなんですか?」

 言った。

 そうなのだ。

「はい。西住さんの髪型って綺麗な短髪じゃないですか。だから綺麗めの服――も似合うと思いますけど、こういうカジュアル的な服装が一番だと思いまして」

 まるで虚を突かれたように、まほの口は丸に開いている。

「髪型と服が凄く合っていて、なんというのか、モデルのように綺麗って感じなんです。ごめんなさい、語彙が少なくて……」

 まほは、二度ほどまばたきをしたと思う。

 自分の言葉が、全て頭の中に入っていったと思う。

「……ありがとうございます」

 まほの口元が、緩んでいた。

 

「初めてなんです。髪型、褒められたのって」

 

 世界を愛しているかのような笑みが、青木の両目に映っている。まほの瞳が、青木の姿を照らしている。

 思う。

 言うべきことは、やはり口にすべきだと。

「……そうですか。じゃあ、これから先、もっと西住さんのいいところを見つけます」

「ありがとうございます。すごく、嬉しいです」

 今日のことは、絶対に忘れないだろう。

 叫びたくなる衝動を抑えながら、あくまで冷静にまほを見据えるのだ。

 

「あのー」

 

 後ろから声をかけられる。振り向いてみれば、カップルらしい男女が不満げな表情で青木と

まほを眺めている。

「販売機、空いていますけど」

 青木とまほが「すみませんすみません」と謝罪しながら、ダッシュで販売機に駆け寄る。

いつの間にか先頭に突っ立っていたらしい。

 恥をかいたせいか、青木もまほも「やっちゃった……」な感じで販売機の前に突っ立ち、

なるだけ急いで映画のチケットを買うようにする。勿論隣同士だ。

 色々あったが、実のところ何も始まってはいない。どうなってしまうのか不安で

しょうがなかったが、それがまた心地良い。

 

―――――

 

 映画が始まって数分が経過するが、流石話題作というだけあってとても恋愛している。

 普通のサラリーマンである男が主人公なのだが、ヒロインは身分の高い女性で、とてもでないが釣り合っていない人間関係だ。しかし恋とは押しかけ上手であり、否応なく二人を

結び付けようとする。

 厳格なヒロインの父は、当然のように主人公とヒロインの恋愛を許しはしない。しかし主人公とヒロインは愛し愛される運命にあり、夜中にこっそり二人きりで出会っては、お嬢様ヒロインの

知らなかった世界へ誘っていく。

 この映画を見ている間、青木は探るようにまほの横顔を眺めていた。時には熱心そうに前のめりになったり、ヒロインの父の妨害があるたびに心底イヤそうな顔をする。主人公とヒロインが

遊びに出かけるたびに、見守るように微笑する。

 よかったよかったと、青木は安心する。

 

 そうして一時間半ぐらいが経過した後、CMでもピックアップされていた、草原で

手を取り合うダンスシーンが映し出された。

 満月に照らされながら、主人公とヒロインは踊りたいように、しかし相手に合わせるように足を、手を、体を動かしていく。

 綺麗だ、と思った。

 自分もしてみたい、と羨んだ。

 気づかれないようにまほに視線を向ける。

 

 まほが、この場面を欲しがっているかのような、寂しそうな表情を浮かべていた。

 

 嬉しいようでそうではない、悲しいようで違う。ああなる人生を望んでいるような、お姫様に

なりたいと願っているような、普通の女の子の横顔が、青木から離れない。

 ――言うべきことは口にするものだ。やるべきことも、しなければならない。

 だから、青木は手すりに委ねられていたまほの手を、そっと握った。

 まほは、拒絶しなかった。

 

 そうして、映画はクライマックスを迎える。逢引がバレて、ヒロインの父の手により、ヒロインが旅客機で海外まで飛ばされそうになるという展開だ。

 普通に車を走らせたのでは、空港まで間に合わない。最短ルートは悪路だの岩だのが

邪魔をして、普通の交通手段は使えない。

 だから、悪路だの岩だのを踏み越えられる、普通じゃない交通手段を使う。

 戦車だ。

 戦車は、男が乗るには恥ずかしい乗り物だ。武は己が身で通すのが、この世界に浸透した

礼儀だ。

 だが、今に求められているのは武ではなく愛だ。諦めの愛ほど傷つくものはない。だから男は、女友達から戦車を借り受け――女友達はフクザツそうな顔をしていたが――悪路を突っ切って岩を主砲でぶっ飛ばす。しかし戦車にもダメージが通っていき、間に合わなさそう――いや、間に

合わせた。

 崖の上から戦車が飛び、空港のど真ん中にまで突っ切る。無理をしすぎて戦車から

煙が出た、後はお前次第だとばかりに。

 後は――男は好きだ大好きだと告白し、邪魔者がいれば戦車でぶっ飛ばしてやるとまで

宣言する。

 ヒロインも飛行機から降りて、主人公の元へ駆けつける。ヒロインの父から電話がかかって

くるが、主人公が「俺と勝負しろ!」と怒鳴れば「は、はい……」と電話越しから

退散するのだった。

 あとはその場で抱き合い、二人の幸せを予感させながらハッピーエンド。

 

 面白かった。

 まほの方を見てみる。いいものを見たと、まほは小さく、しかし心から微笑していた。

 放映が終了し、暗かった照明が明るくなる。魔法の時間は終わった。

 さて、出るか――青木が立ち上がろうとした時、何か違和感があるなと自分の左手に目をやり、

 

 さっきから、青木とまほの手が握りっぱなしであることに気づいた。

 

 瞬間的にまほが真っ赤になり、小さい声で「ごめんなさいごめんなさいっ」と謝罪する。青木も「ああいえ僕が悪いんですごめんなさいごめんなさい」と謝り返す。



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黒森峰学園艦で躍りましょう(後編)

 大スクリーンの迫力というものは否応なく視線を釘付けにさせるものだから、どうしても

エネルギーが消費される。

 先ほどまで手を握り合っていた高校生二人組は、数分は気まずそうに視線を逸らしていた

ものの、恥と空腹ではやはり後者が勝るらしく、まほの「おなか……空きましたね」の一言で変な

緊張感は瓦解した。

 青木も同意するように頷き、映画館を出て例のカレー店へ出向くことにする。

 その時のまほといったら、「楽しみです、すごく」と、デザートを目前にしたような子供の顔をしていた。

 可愛い。

 

「こんにちは」

「こんちはー、注文どうぞー」

 顔も覚えた店主のオヤジが、ラミネート印刷されたメニューボードを差し出す。まほは

「ほうほう」とメニューボードを横から覗う、カレー好きなのは筋金入りらしい。

 メニュー自体はシンプルで、お手頃の680円サイズ、デカ盛りの780円サイズ、

しかもカツのおまけつき。

 あとは追加するトッピング内容から、甘口から激辛まで。カレー以外で

勝負する気がないということは、逆を言えばここのカレーが最高だという決意表明でもある。

 実際美味いし、680円より100円ほど追加すれば目に見えて違う量を盛ってくれる。

「本当に好きなんですね、カレー」

「あ、はい。そうですね……大好きです」

 まほが素直に頷く。

 このカレー店はどちらかといえば大衆向けで、多少の狭さがかえって「らしさ」がある。

それほど宣伝された店ではないのだが、量を融通してくれることが多く、元気の有り余る青春男子生徒の間では高く評価されていた。

 もっと繁盛してくれると嬉しいと思う反面、このままでいてくれないかな、という思いがある。きっと、男子生徒の誰もが考えているだろう。

「ここのカレーは凄くうまくて……通っていれば、多く盛ってくれるんですよ?」

「本当ですか? いきます、今後も通います」

 それを聞いて店主が「可愛い子は大歓迎だよ」とからかう。あんた西住まほによくそんなことが言えるなと青木は思ったが、まほのことを知らないだけか、ここがカレー店だからか。

 これでいいのだと思う。まほも「ありがとうございます」と礼儀正しく頭を下げる。

「まったく……すみません、店主ってばあんな感じで」

「いえ、いいんです」

 まほは、優しげに首を左右に振るう。

 

「……密かな夢だったんですよ。友達と、こういう気楽な店でカレー食べたりするのって」

 

 まほは真面目だ。しかし真面目に生きるのと、真面目にならなければいけない、のとではまるで世界が違う。

 西住まほは強い、しかも西住流後継者で「強豪」黒森峰戦車隊の隊長ときた。周囲は「一緒に

食事なんて無理、立場が違う」と思うだろうし、まほも無理だと察しているはずである。

 食いたい時にカレー店に寄って、680円サイズにするか780円サイズかどうかで腹と相談

しつつ、カレーを味わいながら友達と適当に話をする――これが、まほの夢だった。

 自分は幸せに生きているんだなと実感する。

 ――やっぱり、誘ってよかったと実感する。

「……西住さん」

「は、はい」

 真剣な面持ちになる。

「ここのカレー、本当にうまいんです。780円サイズなんて注文しようものなら、三日間は

カレーはいいやってくらい食べられます。本当に良い店です」

 まほが小さく頷く。

「もし、一人でここに来ることが難しかったら、いつでも僕を呼んでください。僕なんていつも

ヒマなようなものですし、何より西住さんのお願いは喜んで聞き入れます……友達ですから」

 店主は黙っている、まほはまばたきをしている。

 女の子と目を合わせることに未だ慣れてはいないが、今だけは不思議と勇気が沸いてくる。友達を友達と言って何が悪い。

「……青木さん」

「はい」

「ありがとうございます。やっぱり、手紙をお返しして本当に良かった」

 精一杯の、浮かばせたいから浮かばせた笑顔。

 そこには、かつて格納庫で見せた無表情の横顔はない。

 救いたいから何とかした、心の支えになりたいから色々やった。善意というものは、がむしゃらでも何とかなるらしい。

 

 店主に「今日は三割引きにするよ」とか言われたものだから、青木は「甘口の

780円サイズで」と注文する。まほは「では、辛口の780円サイズをお願いします」と

頼み込む。

 水の入ったコップを手渡され、青木とまほは同時に受け取り、同時に飲む。

「……どれくらい大きいんですか?」

「けっこう」

 実際のところ、この一言が割かし正解だ。男どもでも苦戦することがあるというのに、女性で

あるまほの胃に入るかどうかは保障できない。

 しかもカツが追加されるので、完食しておいて「食い足りねえなあ」とか強がる奴は今のところ存在しないのだった。

「辛口を注文したようですが、好きなんですか?」

「カレーなら辛口でもいけます」

 すごい、戦士だ。

 心の中で敬礼しつつ、青木はまほに視線を傾けたまま。

 相手は友達なのだ。何を恥ずかしがって遠慮する必要がある。

「どれくらい出るんでしょうね……楽しみです」

 まほも、こちらに目を合わせてくる。

 実に挑戦的で、祭りが楽しみで楽しみでしょうがないように笑うまほが居た。

「あ、あー、もしかしたらそれほどでもないかも?」

「いえいえ。それに量は普通でもいいんです、こうして友達と一緒にカレーを食べられることが

嬉しい」

 まほがにこりと笑う。

「――そうですね、その通りだ。友達と一緒に食う昼食って、うまいですもんね」

「はいっ」

 今のまほに陰りは無く、隊長としての格差が感じられない。

 友達なのだ。遠慮せずに呼ぼう、

「これからも色々なものを食べていきましょう、まほさん」

 友達だから、呼ぼう。

 名前を呼ばれて、まほの短髪がびくりと震える。

 自分には想像もつかない思惑や困惑が、まほの頭の中で駆け巡っているはずだ。まほにとって

実に迷惑な話だと思う。

 まほが、「はあ」と小さく息をつく。そして、

 

「うん。これからもよろしくお願いします、青木君」

 

 流石西住流、反撃の心得を知っているとは。

 青木は水をバカスカ飲んで感情をごまかす、まほはくすりと笑っている。

「友達、ですよね?」

 少しぎこちないウインク。

 強い、西住流は強い。

「と、友達です、ね。え、えへへ……」

 しかしまほも相当キツかったのだろう。遅延性の恥が盛り上がってきたらしく、視線をそらして水をごくごく飲み干していく。

 

「はい、おまちどう。サービスしておいたからね」

 

 ごとん、と音がした。

 聞き逃すはずがない。いつもなら「ことん」という軽やかな音が、店内に響くはずだ。

 実際にカレーを見てみると、白米が山だわカレールーが海だわカツが装甲のように沢山

張り付いているわで、単純に多い、漫画みたいに山盛りされている。

「……すごい……!」

 強敵と遭遇したらしく、まほが西住流の顔になる。しかし口元は正直で、早く食べたい

食べさせろと三日月状に曲がっている。

 あの店長、「いいもん見せてもらったから五割くらいサービスしてやるよ」とか

したり顔になっているに違いない。若者の未来を祝福する為に、カレー店の店長は出来るだけの

誠意を一皿にぶち込んだのだろう。実に迷惑だ。

 青木とて退き際は知っている。食えないと思ったら「すみません、残します」と素直に宣言することだってある。

 しかし、この780円サイズカレーは絶対に残してはいけない。何故なら、このカレーには

友情成立の祈りが込められているのであり、残せばバチが当たるような気がしてならない。

 まじない的な要素はおいといても、このカレーは西住まほと出会い、初めて一緒に

食べる食事なのだ。

 それを残すことは、男としてどうよ青木。お前はまほが好きなんだろう、そうだろう。

 だから、宣言する。

「いただきます」

「いただきます」

 今日のカレーは、いつもよりうまかった。

 

―――――

 

 青木とまほが苦しみながらもカレーを完食し、代金を支払って店から出る際に「がんばれよー」と店主から励まされた。実に迷惑だ。

 その後のことはといえば、街中にあるベンチに座って休憩しつつ、カレーの感想を言い合ったりした。さしもののまほも、あの量には危機感を抱いたらしい。

 自分は絶対に辛口を完食なんてできないんだろうなあと思いながら、次は何処へ行く? と

質問する。

 

 ――その後のデートコースは、ごくごく普通のものだった。

 黒森峰学園艦名物、戦車博物館へ寄っては、青木は「ほー」と戦車を眺め、まほは「あ、私の

愛車ですね」とささやかに喜ぶ。戦車に関する知識は疎いが、この戦車こそがまほの人生を決め、そしてこれからも道を定めていくと考えると、思考が遠くなる。

 一通り見回った後は、デパートで買い物をする。なんだか新しい帽子が欲しくなってきたと

ぼやくと、まほは「私もです」と賛同した。そういうわけで、帽子屋であれがいいこれがいいと

右往左往する。

 その際に、まほが麦わら帽子を試着して「これ、どうですか?」と聞いてくるものだから、青木は本能的に「かわいい……」と反応するしかなかった。まほは真っ赤になり、「じゃ、じゃあ

買います!」と早足でカウンターへ向かっていった場面は、青木が所持する目には見えない

アルバムに一生保存されることだろう。

 

 そして、最後のデートスポットは黒森峰学園艦で一番(自称)の戦車道グッズ店だ。

 個人店らしいのだが、それ故に年代物や新しめの商品が所狭しと並んでいる。景気は良い

らしく、店のサイズは狭すぎず広すぎず。

「いろいろありますね……ミリタリーファッション、模型、アクセサリー……」

 戦車道にも疎い青木であるが、多種多様の商品を眺めていくうちに興味が沸いてくるのが、

男の子たる由縁である。

 身近に慣れ親しんだものだからこそ、まほは楽しそうに。見るもの全てが新鮮だからこそ、青木は興味深そうに。この機に、戦車道を学んでおこうかな、と思ったりする。

「お、これは……タクティカルペンっていうんだ。かっこいいなあ」

 手に取ってみて、指でくるりとペンを回す。

「あっ」

 それを見ていたのだろう、まほがぽかんと口を開けている。

「……すごい」

「え、何が?」

「青木君、ペン回し出来るんですか? すごい……かっこいいです」

 そうなんだろうか、と思う。

 うわあ照れるなあ、と思う。

「い、いえ、何かいつの間にか出来てまして」

 ちらりとタクティカルペンの値札が見えたが、これがまた良い値段だったので、落とさないで

良かったとつくづく実感する。

 青木は祭壇に剣を置くような慎重さで、ペンを元ある場所へ戻す。

「いえ、私は出来そうにないです。どうやるんですか? やってみたいです」

「ま、まあ一回転しかできないんですけどね。あ、あはは」

 建前は謙虚であるが、内心は男の自尊心が大炎上していることは言うまでもない。

 青木は簡単にコツを教え、まほは「なるほどなるほど」と熱心に聞き入っているのだった。

 

 

 ペン回しから数分が経過しただろうか。青木は「初心者にもわかる戦車道」という本を片手に、会計でも済ませようかなと、まほをちらりと眺め、

 

 そこには、首飾りらしきものをじいっと見つめているまほの姿があった。

 

 透明のケースに保管され、展示されているそれは、札によると「ドッグタグネックレス」という名前らしい。チェーンには二枚の金属プレートがくくりつけられていて、程よい光沢感を

引き出している。

「これは……なんでしたっけ。軍人が首に下げておくやつ、でしたっけ」

「あ、はい、そうですね。これはドイツ語で書かれていて、いいなって思いまして」

 ドッグダグには細かい英文が書かれているが、英語とドイツ語の違いが正直よくわからない。

まほには読めるんだなあと、青木は感心する。

 ――まほは未だ熱心に、子供のようなまなざしでドッグダグに注目したままだ。

 まほは戦車道の人間であるから、心の琴線に触れたのだろうか。これを買うのかなと青木が値札を眺めてみると、

 一万円。

 一瞬で全てを察し、とるべき行動がすぐ固まった。

「まほさん」

「あ! は、はい、なんですか?」

「あ、いえ、僕はそろそろ会計を済ませようかなと思うんですが、どうしますか?」

 ううん、とまほが唸る。

 やっぱり欲しいんだなと、青木は読む。まほは名残惜しそうにドッグダグネックレスにちらりと目を向け、「じゃあ、行きましょうか」と苦笑いする。いつもの強い我慢だ。

「あ、戦車道の……」

「ええ、興味が出てきまして」

 しかし、まほはにこりと。

「詳しく知らなくても良いんですよ。見て、自分なりに何かを感じ取ってくれれば」

「ありがとうございます。ですが、知っておきたいんですよ」

「そうなんですか」

「はい。……まほさんのこと、応援しやすくなると思うので」

 もちろん、クサいセリフだと思った。

 まほは「えっ」と慌て、

「そ、そんな、その……あ、ありがとうございます」

 視線を横に流し、しかし隠しきれない照れ顔を見て、「ああ、やっぱり戦車道は学ぶべきだ」と、青木の脳ミソに決意が刻まれるのだった。

 

 お会計を済ませ、青木とまほは戦車道グッズ店から出る。気付けば赤黒い夕暮れ、良い子は帰る時間だ。

 まほは「また来たいです」と感想を述べ、青木も表面上は「そうですね」と相槌を打つ。

 二人の足は、自然と帰路に向く。楽しい時間はあっさりと終わりを迎え、それにどこか安堵を

覚える。

 色々あった。

「今日は――本当に楽しかったです。ありがとう、青木君」

「いえいえ、そんな。僕も楽しかったですよ、まほさん」

 夕暮れに照らされるまほは、やはり普通の女の子だった。一目惚れしたことに、間違いなどなかった。

「色々ありましたね」

「そうだねえ……あ」

 青木がポケットをぽんぽんと叩く。「しまったー」とわざとらしく漏らし、

「ごめん、お会計の時にサイフ置いてきてしまって――すぐ回収してきます、すみませんが待っていてください」

「あ、青木君」

 まだ、色々やるべきことがある。

 青木は全速力で、黒森峰学園艦で一番(自称)の戦車道グッズ店めがけ突っ込んでいく。

 待っていてくれるかなという不安と、自分は凄いことをするぞという緊張感と、女の子にカッコつけられるという高揚感が、頭の中で騒がしくかき混ざる。

 自動ドアが開き、店主のオヤジめがけ真っ先に、

 

「すみません、このドッグダグネックレスください」

 

 あくまで冷静に、息をめっちゃ切らしながら注文する。見たばかりの顔だからだろう、青木を

覚えていた店主は「やるねえ」と言うたげに口元を曲げるのだった。

 

―――――

 

 さらりとまほの所まで戻るが、内心帰っていないか割かし不安だったりもした。

 しかし、まほは当然のように待ってくれていた。「おかえりなさい」と笑顔まで浮かばせて。

「どうでした?」

「あったあった、僕はドジだなー」

 最初から無くしてなどいない、右手に持ったサイフを見せる。背に隠した左手には、勿論まほのプレゼントが硬く握りしめられている。

「良かったですね。それじゃあ、帰りましょうか」

「そうしましょう」

 それからは、振り向くこともなく己が寮に歩んでいく。

 まほも流石に疲れたのか、「うーん」と背筋を伸ばす。

「ほんと、今日は楽しかったですね」

「はい。また、一緒に遊んでください」

 麦わら帽子が入った手提げ袋を揺らしながら、まほはゆっくりと見上げる。

 星は一つ、二つしか見えない。晴天の夕暮れはとてつもなく真っ赤で、夏特有の寂しさが冷たく肌に透き通る。

 明日は日曜日だが、きっと力が抜けきった一日を過ごすのだろう。それくらい遊んだ、食った。

「あ、そうだ」

「はい?」

 何の感慨もなく、青木は迷彩柄の包装紙にくるまれた、細長い箱をまほに差し出すのだ。

 これが今日最後の遊びだ。

 差し出されたものをまほは反射的に受け取る。

「まあ、開けてみてよ」

「は、はい……! あ、青木君、まさかこれって」

 流石は西住まほ、自分が考えた安っぽい戦術などはお見通しらしい。

 まほは無表情で、しかし焦りを隠せない手つきで包装紙をべりべり剥がしていく。

「あ……」

 予想通りだったのだと思う。

 けれど、まほは硬直した。当たり前のように我慢を強いたはずなのに、欲しかったものが

手のひらの上にあるのだから。

 まほは青木を見る。青木は――もどかしい笑みを浮かばせる。

 再び、まほの視線がドッグダグネックレスの入った箱へ落ちる。透明のアクリル製のフタを

開け、まるで宝石を扱うように、丁寧に金属プレートをつまむ。

「これ……」

「どうぞ」

 青木に促されるまま、まほはドッグダグネックレスを首にかけた。

 ――これで、今日の役目は全て果たされた。

 青木は、声にならないため息をつく。

「……青木君」

「はい」

「これ、高いんですよね?」

「まあ、一万くらいは」

 まほは義理堅く、真面目だ。だから怒るかもしれない、そうじゃないのかもしれない。

 それでも、青木はまほから目を逸らさない。

 まほが、首から飾られたドッグダグのプレートを指でいじっている。プレートが角度を

変えるたびに、磨かれた光沢が目に映る。

「青木君」

「はい」

 目が合う。

 

「――とても、嬉しいです。ありがとう、ありがとうっ」

 

 初めて愛を知ったように微笑み、恋人のようにドッグダグを両手で抱きしめる。

 跳ね上がる心臓が体に痛い、達成感が血液を熱している。不安ははるか遠くに消え、西住まほが愛おしくてたまらない。

 

―――――

 

 その後、帰路につきながら「安易に高いものを買ってはいけませんよ」と怒られはしたが、まほはドッグダグをつまんだままで決して手放さない。

 ――気に入って貰えるなら、高いも安いも関係ないよ。

 勿論、口にはしない。また怒られそうであるから。

「今日は、本当にお世話になりっぱなしですね。ドリンクも買っていただきましたし」

「いえいえ、男はカッコつけですし」

 全く理屈になっていないが、男どもからすれば十分事足りる理由だ。

「かっこつけるにも、限度があります。今度、こういうものを買う時はちゃんと話してください」

「分かりました」

 勿論、従うつもりはないのだった。心の中で謝罪する。

「……青木君」

「あ、はい」

「このドッグダグ、大切にします。授業中以外は、つけてますからね」

「えっ、恥ずかしいんですけど」

 まほが「何言ってるんだこいつ」と、眉がむっとなる。

「これは青木君がくれて、私が欲しかったものでもあります。なので、つけたがるのは

当然ですよ、ね?」

 語尾から無言の威圧感をぶつけられ、青木は観念するように「はい」と返事する。

「まったく」

 うんざりしたような、けれども不快に感じていない声色。

「……あなたと出会えて、よかったな」

 胸元に視線を向け、金属プレートを撫でる。夕日に彩られたまほの横顔に、泣いているような

笑みがこぼれ落ちる。

 好きであるはずなのに、青木は恋に落ちた。誰にも渡したくないと産まれて初めて思った。

 だから、青木はまほの手を握った。

 びくりとまほが震える、しかし振り払おうとはしない。映画館でも同じようなことがあったが、今違うのは、

 

 まほが、手を握り返した。

 

―――――

 

 学園近くに到着し、まほが「ありがとうございました」と頭を下げる。するりと手が

離れ離れになり、青木は「それでは、また」と手を振るう。

 まほの背中を見届け、ほっとしたように息をつく。

 そして、青木も自分が住まう部屋へ足を進ませる。今日の晩飯は何にしようかと考えながら。



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変わってみましょう

「ほー」

 文武両道の授業が終了すれば、生徒どもは建前など未来に託して好き勝手に行動し始める。

 週明けであるから、大抵の話題はといえば「休日に何した?」だ。

 特に接点の無い生徒は「新しいCDを買った」と言っているし、将来はランナーに

なりたいらしい生徒が「記録を更新した」と自慢している。

 そして、この学園艦で一番慣れ親しんだ赤井は、青木のノロケ話を「やるじゃん」な顔で聞いているわけだ。

「まあ、結構、いい感じだったんじゃないかな? 勇気を出せばいけるね、勇気があれば」

 まほの名誉の為に詳しいことは口にしないが、成功したという空気は察してくれているようで、赤井は「すげー」だの「このやろー」だのと小突いてくる。

 青木の机の前にある席は空いていたが、赤井は一度もそれに座ったことはない。何だかんだで

真面目だった。

「そうか、勇気かー……お前にそんなのがあったんだな」

「あったんだよ」

「いいねー。で、何処まで進んだの?」

 やっぱり聞いてきた。

 赤井は嫌らしくにたにたと笑っているが、デートした以上は避けられない質問であるし、予想もしていた。

 頭の中で話していいか秘密にすべきかの二択に唸ったが、結局は、

「秘密にしろよ」

「わかってるって」

「絶対だからな」

「俺がそんな軽薄な奴に見えるか?」

「見える」

 赤井が、まったくへたこたれた様子がない顔で「えー」と抗議する。

 元はと言えば赤井のアドバイスのお陰でここまで進めたのだ。土産話の一つや二つは

貢がなければなるまい。

「……手、」

「て?」

 赤井がにやりと笑う。赤井は軽いが決して愚かではない。お前の口から言えと目で促す。

「……まほさんと、手、繋いだ」

「ほっほー」

 やっぱりかと、赤井はうんうんうんと小さく頷き、

「まほさんッ!? おまっ、今、」

 赤井の声が裏返る。何だこいつと周囲の生徒から視線が降り注ぐ。

「でかい、声でかいって」

「あ、すまん」

 悪い悪いと、赤井が笑ってごまかす。生徒達の興味はすぐに失せたのか、それぞれ元通りの話題に戻っていく。

「……お前、名前で呼ぶようになったの?」

「まあ、ね」

「じゃあ、西住さんも?」

「うん、君付け」

 それを聞いて、赤井が自分のことのようにはしゃぐ。拳を作りながら、すげーすげーと

盛り上がってくれている。

 赤井がそうなるのも無理はない。西住まほは黒森峰女学園の有名人であり、黒森峰の星なのだ。そんな立場の人物から特別な呼び名を与えられれば、本人は勿論、知り合いだって当事者のように騒いでも仕方がない。

「……はー、すっげえなあ。この数週間だけで、お前結構変わったんじゃね?」

「そうだなあ、変わったな」

 変わった、かなり変わった。

 女の子と仲良くなって、女の子と手を繋ぐという夢も叶え、財布も大分軽くなった。文通も未だに続けている。

「いいねー、嫉妬しちゃいますわ。俺もいつか、逸見さんと手ぇ繋ぎてえなー」

「そうか。まあ、応援するよ」

 流石の赤井も恋愛の難しさを受け止めているようで、面倒くさそうに鼻で息をつく。

「――ちょっと待て」

「え、何」

 しみじみとした空気に意識が持っていかれそうになったが、まだまだ健康体の脳ミソが赤井の

言葉を捕まえた。

「お前今、逸見さんって言わなかったか?」

「言ってねーよ」

 あ、やべ、と言うたげに目を逸らす。青木は「西住まほとデートしたことを、友人に話した」という大義名分のもと、赤井から視線を絶対に外さない。

「んだよ、言えよ」

「気のせいだって」

「警察官志願者は記憶力を鍛えるんだぞ」

 決まった。

「うわー、ずるいなー警察官目指してるなんて」

「うるせーよ、話せよー」

 観念したのか、いつかは話すつもりだったのか、赤井は「あー」と首を鳴らす。

「そだよ、逸見サンのこと好きなの、ボク」

「逸見さん……ええと、確か、黒森峰戦車隊の副隊長、だよな?」

「そうそう」

 最近は戦車道に興味を持ったから、せめて自分の学校の戦力については

大まかに把握はしているつもりだった。

 ということは年下か。次に重要なのは、

「どういうところが好きなの」

「顔と性格」

「どういう性格なの」

「結構気が強いみたい」

 みたい、ということは直接話した経験はないということか。

 どこで性格を知ったのだろう。

「まあ、きっかけは、顔が好みでさ、性格はあとで知った。でもってますます好きになった」

「ほー。で、どうしてそこまで逸見さんのこと知ってるの。会った?」

 いや。赤井は首を左右に振るう。

「お前と同じ手段をとって、そこから情報を得た」

 一瞬「なんだっけ?」と首を捻る。大真面目に分からなかったのだが、「あ」と何の脈絡も無く発想する。

「文通か」

「そう。といっても文章の書き方なんて知らんから、雑だけどな」

「僕もそうだけど、まほさんとは進展したよ」

「お前はまじめだからな、俺はどうなるかなー……」

 腕を組みながら、赤井がどうにもならんといった感じで苦笑する。

「実際、どうよ? プラス? マイナス?」

「いやあ、それがな」

 青木が小さく頷く。

 

「凄く喜ばれたよ。こんな風に気遣われたことはないって、はっきりと書いてあった」

 

――――

 

 昼休みになる。

 背筋を伸ばす、戦いは終わった。

 流石の名門黒森峰女学園でも、この時間帯になれば教室全体の力が瞬く間に抜ける。授業中の

治安が確立しているからこそ、その反動で生徒達は「あーやすみだー」とか口にするのだ。

 黒森峰に選ばれし生徒は邪悪を嫌い、確固たる将来を抱いている者も少なくはない。しかし

真面目故に疲れやすいので、休める時は徹底的に休むのも必然であった。

 

 さて。

 この教室には、同級生であり、黒森峰の星でもある西住まほが居る。戦車道を語る上で外せない人物であり、黒森峰戦車隊の一員として心から尊敬している。人をよく見ているのか、この前は「お前は履帯の破損をよく見てくれている」と、自分のことを評価してくれた。

 そんな聡明さがあるからだろう。周囲も、まほには気安く触れたり話しかけたりはしない。

 成績も優秀で、素行にも妥協が無い。これも西住流なのかなあと、自分には無理だなあと思っていたのだが、

 

 最近、西住まほはちらりと変わった。

 

 これは周囲も気づいているのだが、まほは、授業中以外はドッグダグネックレスをつけるようになった。ジャーマングレーの制服だから、金属色が相性良く光る。

 よほど大切なものらしく、授業が終わればすかさず首にかける。後はそのまま、読書をするか

予習をするかどこかへ出かけるか。

 様々な憶測が教室内に乱立したが、最も注目したのは「誰から貰った?」という点だ。

 もしかしたら家族からかもしれないし、妹である西住みほからプレゼントされたのかも

しれない。しかし年頃の学生の発想はといえば、「まさか男か?」だ。

 決してありえない話ではない。まほは容姿端麗であるし、中身も文武両道だ。女性からも憧れの的として見られるというのに、異性ともなればあの手この手でまほのことを意識させようと

するだろう。

 だからこそ、ネックレスをプレゼントした何者かは凄い奴だと思う。まほが自分で

買ったのでは? という可能性は面白くないので除外されていた。

「さてと」

 カレーパンを食べ終え、次に鞄から取り出したるは小説だ。カバーはかけていない。

 まほ以外のほとんどの生徒は、まほのアクションにさりげなく注視する。あくまで

雑談しながら、本を読みながら、机に座りながら。名門黒森峰女学園の生徒は、こういうところも優秀なのだった。

 この前まで、まほが教室で開く本はといえば、教科書やノート、戦車道に関する書物だった。

 遊びがないなあ、すごいなあ、と周囲から尊敬されていたのだが、

 

 今、まほが読んでいるのは有名な恋愛小説だった。

 

 活字ならまだいい。まほと活字の組み合わせは鉄板であると考えるし、「やっぱり」とも思う。

 しかし、よりにもよって恋愛小説である。

 一見すると戦車道とは何の関係も無いジャンルであり、思春期らしいセレクトだからこそ、周囲は「マジで?」と身構える。

 しかも恋愛小説は読み慣れていないらしく、無表情からも熱っぷりよく伝わる――時々、

羨ましそうな、何かを望んでいるような、寂しい表情を見せることもあった。

 いつ、興味を抱いたのだろう。それを知る術はないが、隊長も人並みの女の子なんだなあと

どこか安心する。

 

 チャイムが鳴る。まほはドッグダグネックレスを外し、カバーをかけていない恋愛小説を鞄にしまい、教科書とノート、筆記用具といった学生の武器を机の上に揃え、真正面から昼休み明けの

授業を受けようとするのだった。

 

―――――

 

 黒森峰女学園における戦車道は、とにかく実力主義な面が挙げられる。

 優秀であれば二年生でも副隊長へ昇格するチャンスが得られるし、ついていけないなら三年生が二年生に見下されることもある。

 だから、逸見エリカはいつも堂々と生きている。エリカは黒森峰特化の人材であり、黒森峰以外では生き辛いだろうと自分で認めてはいる。

 とにかく勝ち、とにかく負けず、特に戦車道を愛している――だから同級生からも恐れられ、

相談相手もいなかっ「た」。

「よし、十五分程度の休憩だ。各自、指摘されたことを直すように」

 実力の権化であるまほの言葉に、全員が「はい!」と返事をする。

 エリカが認めた数少ない人物であり、心から尊敬している。人間的にまほのことが好きで、

いつかは肩を並べることが夢だったりする。

「さて、」

 戦車を扱うには、多大な集中力と体力を要する。特にここ、黒森峰では。

 機体性能をこれでもかと見せつけ、規律正しい動きとともに、ああ攻められたらこう攻める。

これが黒森峰伝統の戦術であり、伝統だった。

 それも簡単ではない。性能があっても攻め方を違えれば白旗を食らわせられるから、やはり

「動き方」は基本中の基本にして、最重要視される点だった。

 少しの動きの乱れも、まほは見逃さない。だからみんな疲れるし、今日この日まで強豪として

生き延びてきた。やっぱり西住流は凄いなあと、エリカは尊敬するのだ。

「喉カラッカラ……」

 夏が近い、それ故に暑い。戦車という密閉空間ともなるとめちゃくちゃ熱い。

 精神力は鍛えているつもりだが、やはり原始的な苦しみには敵わない。腰にぶらさげておいた

水筒を手に取り、日光から逃げるように格納庫へ避難する。

「あ、たいちょ、」

 エリカの発声はそこまでだった。

 まず、まほはクリップボードを片手に文章を睨みつけている。副隊長程度では及びもつかない

思惑がフル回転しているのだろう。

 何度も見た光景であるし、リーダーは一番大変なんだなと痛感する。普通だったら、このまま

水をありがたがっているのだが、

 

 まほが、ペンを回そうと、めちゃくちゃ険しい目つきになっていた。

 

 エリカが心の中でまくし立てる。おいちょっと待て、うちの隊長はいつの間に新しい遊びを

覚えたのか。しかも回せておらず、明らかにストレスがかった表情でペン回しに挑戦し、失敗を

重ねている。

 そして、何度もペン回しにしくじれば、ペンを床に落とすことは当然だった。

「ッ、……あ」

「あ」

 目が合う。

 まずい、気まずいじゃなくてマズイ。見てはいけないものを目の当たりにした気がする。ペンを拾い上げる姿勢のまま、まほは硬直し、エリカは水筒を手に持ったままでぽかんだ。

 虫の鳴き声がよく響く。外で、女子達が戦車道に対する考察を練っている。十五分程度の休憩が何だか長い。

 どうしよう、と心の底から思った。まほは気恥ずかしそうにペンを回収し、何事も無かったかのようにクリップボードへペンを走らせている。

「あ、あの、隊長」

「……何だ」

「ペン回し、教えましょうか?」

 何を言ってるんだろう、と思った。

 だが、まほへの手助けはエリカの望みだった。

 たぶん、本能が口から出たのだと思う。

「……本当か?」

「あ、はい」

 ペンを貸してくださいとエリカが呟き、そのまま手の内でくるくると三回転を決める。その時のまほといったら、まるで新しい動物を見たかのように瞳が輝いていた。

「すごい」

「ど、どうも……これぐらいなら、教えられますから」

「頼む。最近、ペン回しに憧れていてな」

 隊長にもそういうことがあるんだなあと思いつつ、ペン回しという偉業に深く感謝した。

 まほと「こうした繋がり」が出来るなんて、まほが卒業した後でも出来るとは思って

いなかった。

「私も実践しますが、ネットで見たほうが早いかもしれません。大丈夫、隊長にもできます」

「わかった」

 最近のまほのお気に入りらしい、ドッグダグネックレスが格納庫で鋭く光る。

 まほも変わった、自分も何だか変化した。

 

 最近、自分のことを心配してくれる人が出来たのだ。自分は気が強いから、誰かが守ってくれるなんてことはなかったはずなのに。

 

―――――

 

差出人西住まほ 青木様宛て

『今晩は。この前はデートをしてくださり、本当にありがとうございました。

宣言通り、授業中以外はドッグダグをかけることにしています。誰も指摘していないので、これで良いのでしょう。

そろそろ戦車道の全国大会が開催されるので、二回目のデートはその後になるかもしれません。

勿論これは自分の勝手な前提ですので、あまり気にしないでください。

……去年は惜しくも準優勝でしたが、今年は必ず優勝します。気付けば私も高校三年、これが最後の大会となってしまいました。

どうか、応援してくだると嬉しいです。戦車道は、戦車を動かすことだけが全てでは

ありませんから。

長文、失礼いたしました。』

 

差出人青木 西住まほ様宛て

『今晩は。自分も、憧れの西住様とデート出来たこと、本当に嬉しく思っています。

現実では『まほ』と呼ぶのに、手紙だと様付けで書いてしまいますね。個人的には、これはこれでいいかなと思っています。

全国大会の件ですが、自分は心の底から応援させていただきます。

西住様は、黒森峰学園の星です。どうか輝きの栄光を見せてください。

二回目のデートですが、自分は大歓迎です。用事があっても、最優先にします。

それではどうか、お体にお気をつけて』

 

 

 この前から、青木はジョギングの時間帯を夜に変えた。

 そうなった理由は、勿論まほと一緒に走る為だ。偶然出会うこともあるし、ずっと一人で足を

動かしていることもある。もしかしたら、すれ違っているかもしれない。

 長年、この日課を続けて良かったと思う。ジョギングがきっかけで、まほに一目惚れすることになったのだから。なるほど、神様は存在するらしい。

「あ、こんばんは」

 ジョギングコースである公園にまで差し掛かると、まほが青木の前を横切りそうになった。

 今日から神様を信じることにする。

 そうして横並びで走るのだが、時々マラソン状態になって競争することもある。勿論

めちゃくちゃ疲れて、自販機でスポーツドリンクを買ってぐびぐび飲むのが一連の流れと

なっている。

「どうも、今晩は」

 そして、挨拶だけを交わして無言でジョギングに勤しむこともある。

 別に話題が無いからとか、不機嫌だとか、そういうワケではない。単にそういう日なだけだ。

 ――しばらく、足音だけが夜の公園に響く。街灯には虫が群がっていて、夏なんだなと

実感する。

「……そろそろ、全国大会ですよね」

「はい」

 そう。

 夏といえば、戦車道の全国大会が開催される。今までは「そうか、そんな時期か」程度で

済ませていたが、今年は最重要イベントとして青木は強く認識していた。

「……応援しますから」

「ありがとうございます」

 沈黙。

 何か話題は無いかとまほを横目で眺める。ドッグダグが首にかけられていて、金属色が暗がりでもよく目立つ。

「本当に、つけてくれているんですね」

「はい。これは大切なものですから」

 指先でドッグダグをつまみ、口元がさりげなく緩む。最近、色々な表情が見られて嬉しかった。

 それから無言。ものの見事に話題が暗黒に吸い込まれ、今日はここまでかなと青木が諦めかけたところ、

「あの」

 まほの足が止まる。

 横並びのまま、青木もその場に突っ立つ。

「あ、はい」

「その、えっと」

「はい」

 視線を合わせない。何か大事なことでも口にするつもりなのだろうか。

 夜中に、男女二人における躊躇いの一言。それは下手な思春期を過ごした青木にもすぐ察しが

ついて、すっと深呼吸する。

 まさか、いやまさか、いやでも。

 まほとはデートもした、何度も話した、ドッグダグを意識してくれている。

 そんな傲慢タラタラな思考を垂れ流しながら、あくまで何ともなさそうな顔で

まほの言葉を待つ。

「……最近、小説を読むのが好きになりまして」

「あ、そうなんですか」

 ほうほう、と二度頷く。活字は嫌いではないが、積極的に読む方でもない。

「それで、やっぱり同年代の男性と女性って、ため口で話すんですね」

 女性と交流した経験なんてほとんど無いが、同年代であれば何ら不思議でもない。ドラマや漫画でも、同年代といえばタメ口で接することが多い。

「えっと。その……私は、男性と会話したことはほとんどなくて、それでこう、自然と敬語に

なってしまうんです」

 わかる。

 自分も、まほという頂点のような人物を前にして、敬語が抜けない。

「けれど、その、笑わないでくださいね。――小説の影響で、気軽にため口で話すことに

憧れるようになりまして」

 わかる。

 敬語で話し合うことも構わないが、やはり同年代は砕けたように話すのが良いと思う。「こいつなら何でも話せる感」が強く出る。

「私は、まあ、黒森峰女学園では有名人です。だから本当の意味で、ためで話せる人といえば妹のみほ、だけでした」

 ああ――

 まほは、本当に強い人なのだ。皆が敬い、まほも尊敬されるように振る舞い、決して弱音や愚痴を吐くことは許されない。

 それが瓦解してしまうと、大袈裟でも何でもなく、黒森峰戦車隊の威厳は縮小してしまうに

違いない。こうした存在が、必要な場所もある。

「小説に出てくる人物は、好きなように話し、すがるように弱さを告白します。なんだか、それが凄く羨ましくなってしまいました」

 まほが、落ち込むようにうつむく。心強い隊員は居ても、仲間はいないとまほは言っていた。

 西住流の継承者といえども、まほは十七歳の女の子なのだ。真面目な言葉のみで生きて

いくには、辛すぎる。

「その、デートもする仲ですし、青木君でよければ、構いません」

 すべてを察する。

 叶えよう。

 女の子の願いを実現させるのは、男の名誉だ。

「まほさん」

 びくりと、まほの体が揺れる。

「いいよ。僕で良かったら、まほさんの『話し相手』になる」

 よく言えたと思う、二度と言えないと思う。

 けれど、青木は精神力だけでまほを見据える。ここで逃げては、一生、まほの支えには

なれない。

「まほさんとは同級生だし、もう赤の他人じゃない、友達だ。――見たいな、素のまほさんが」

 街灯の電気的な音しか聞こえない。

 まほは青木を無表情で見つめたまま、何も話さない、息もしていないのかもしれない。

 青木は決して姿勢を崩さない、伝えるべきことは全て口にした。デートもする仲なのだから、

気安さなんてこれっぽっちも感じていない。

 そして、まほの深呼吸がはっきりと聞こえた。

 

「ありがとう、青木君。こんなしゃべり方だが……これが一番落ち着くな。よければ、

これからも話しかけてくれると嬉しい」

 

 敬語とは違い、出したい感情を出しきったような声が、青木の両耳に入り込む。

 何も気遣ってなどいないから、まほの安堵した、活発な感情が全身全霊で伝わってくる。

 男性のような口調は、戦車道のニュース関連などを見て知ってはいた。決して緩みの無い

このしゃべり方は、黒森峰のイメージに大きく貢献してきたはずだ。

 だが、今は戦術の為に言葉をそのまま伝えたのではない。どうか対等であって欲しいと、友達であってくれと、年相応の願いが込められた一言だった。

「まほさん」

 だから、返そう。

 敬語のギャップに倒れそうになっても、ありのままに話してくれたことに血液が蒸発しそうに

なっても、その場で意味なく跳ねそうになっても。

「その言葉遣い……すごく良い。前より、まほさんのことがもっと好きになった」

 恥ずかしいことを言ったと思う。しかし、今は何でも口に出来る。

「ば、馬鹿なことを言っては……いや、言うなっ」

「ごめんなさい」

 たははと、気の抜けた笑い声を出す。

 建前など、今はここにはない。まほはあくまで真面目で、しかし同級生として接している

だけだ。敬語ではどうしても生じる壁など、今消えた。

「まったく。素で話すからといって、そういうことを軽々と口にするな」

「いやいや、本音だって」

「本音でも言うな、恥ずかしい」

「うーん、言っちゃ駄目だったか」

 

「……ダメじゃない」



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出会ってみましょう

 

『今夜八時くらいに、一緒にカレー屋で夕飯をとりませんか? 二十四時間開いているチェーン店があるみたいです』

 

 昼休みにこのメールを受け取った青木は、今晩のメシの予定などどこかへ放り投げた。すぐさま『行きます、公園で待ち合わせで』と、二、三回ほどタイプミスしながら返信する。

 その後のことはといえば、完全に上の空で授業を受けていた。

 今、頭の中で繰り返されているワードは、「まほ」と「カレー」だ。この前のデートで既に

経験済みだが、西住まほと一緒にカレーを食えるなら何百回だって飽きない。

 そもそも夜中に一緒にメシというシチュエーションも男子生徒的に盛り上がるし、ここ最近は

まほとの付き合い方も変わった。

 だから、もっとまほと話したい。更に沢山のことを知って、自然と好きになっていって、最終的には――

 まだ授業は続いている、勿論何も学んではいない。実に健全な男子だった。

 

 時間は有限なもので、青木はその事実に感謝しながら学校を後にし、寮に帰っては速攻で私服に着替えた。建前的な理由もあるが、私用でまほと出会う時は私服でありたい、という動機もある。

 いつの間にか夜七時くらいになり、居てもたってもいられずに寮から出た。早まった気持ちに

押されたというのもあるし、今度こそ「いいや、いまきたとこ」を実践する為だ。

 別に何らかの効果が保障されているわけでもないが、男として一度は口にしたいワードだった。だから青木は合流一時間前に公園へ到着し、ベンチに座っていたまほに軽く会釈をして隣に座る。

「あ」

「あ」

 

――――

 

 まほに案内されるがままに歩いてみれば、CMで何度か見たカレーチェーン店が確かに

そこにあった。

 まほは、自動ドアを軽く指さし、「入ろう」と促す。デートの時にお披露目した黒いカジュアルジャケットとデニムの組み合わせ、そしてドッグダグネックレス。

 それを見て何となく優越感を覚えながら、青木もチェーン店に入る。

「いらっしゃいませー、席へどうぞ」

 客の入りは少な目で、ピアノをメインとした音楽が店内に流れている。知り合い対策の為に

なるだけ端の席を確保して、何の躊躇いも無く向かい合う。

 店員がすぐさま駆け付け、「お決まりになられましたらボタンを押してください」と案内し、

奥へ消えていく。

 さて。

「今日はどうしたの? 何か特別な日だっけ?」

「いや、そういうわけではないんだが」

 そうして、ちらりとまほの視線が逸れる。まるで心当たりがない。

「明後日は、全国大会の為に遠出するんだ」

「知ってる。しばらくは大忙しになるだろうから、簡単には会えなくなるだろうね――でも

友人として、応援するから」

 もちろん、本心からの言葉である。まほは「そ、そうか」と返事をし、

 

「その……今のうちに、もっと君と話がしたいなって思って、誘った」

 

 そうかー。

 あっという間に浮かれた青木は、にたにたが止まらない。落ち着くために水を飲むが、

焼け石に水だ。

「笑うな」

「ごめん」

「まったく――だが、青木君と話をしたいというのは本当だし、こうして夜中で

一緒に食事というのも、少し憧れだった」

 夜といえば一人でメシを済ますことが多いが、時折赤井と夕飯を共にすることもある。

借りてきたDVDを見ながらだったり。

 そういう時は、表現出来ない気分転換になる。

「まあ、友達が出来てとても嬉しかったんだ。私は、従えてばかりだったから」

「それも凄いよ。能力がなかったら、誰も従ってはくれないだろうし」

 まほが注文のボタンを押す、青木も「これにするか」と甘口のカツカレーを指定する。

「そうだな。……まあ、そのせいで誰も対等に接してはくれなかった。これが

実力の答えだと思うと、人生とは難しいな」

「うん」

 青木は小さく頷く。

「でも、今のまほさんは一人じゃない。そこは忘れないで欲しい。困った時や、遊びたい時は、

いつでも乗るから」

「ありがとう。だが、無理はしなくてもいいからな。自分のことを大事にしろ」

「あ、僕も言われるようになったか」

 そこで、まほが「そういえば、これがきっかけだったな」と恥ずかしそうに笑う。

「私が言うなという話だな。だが、青木君もやりたいことがあるだろうし、その時は私のことを

二の次にしてもいいんだからな」

「僕の一番やりたいことは、まほさんを支えることだけどね」

 まほが、呆れたようにため息をつく。

「そういうことを言うと、軽く見られるぞ」

「好きな人を守る、それが僕の望みだよ」

 まほが「うっ」と顔を赤くする。水を飲んでやり過ごそうとするが、石に灸だった。

 

 店員に青木が「カレー甘口」、まほが「カレー辛口」と注文し、数分後に夕飯が届いた。

 青木は「うまそう」と口にし、まほは実にイイ表情で臨戦態勢に入っている。

「いつでも好きな時にカレーが食べられる、いいことだ」

「あの店主のことも忘れないで」

 青木が苦笑すれば、まほは「その通りだな」と頷く。

「いただきます」

 手を合わせ、ルーを白米にかける。透き通った湯気が鼻をくすぐり、食欲のまま

カレーを口にする。

「うまい」

「うまいな」

 青木もまほも、宝物を見つけたかのように口元を釣り上げている。全国展開は

伊達ではないらしい。

「近所にこんなうまいカレー店があったなんて……カレー食いたくなったら行こ」

 意識しなければ、近所に何があるかなど分からないものだ。ここで暮らして数年は経過するが、未だに登校ルート以外の開拓は捗っていない。

「私もそうしよう。その時は、ぜひ誘って欲しい」

「いいの?」

「もちろん。私たちは、友達だ」

 そう言えることが嬉しそうに、まほはにこりと笑う。

「ああ、そうだね、そうしよう。今度、赤井も誘おうかな」

「赤井……君の友達か?」

「まあね。あいつは軽薄だけど根は良いから、きっと良い友人になれるよ」

「そうか」

 まほは頷き、カレーを掬っていく。青木は水を飲み、何か話題はないかとカレー屋の天井を

目で眺め、

「あ、そうだ。こんな時になんだけど――戦車隊は、結構良い感じ?」

「ん? ああ、みんな心強い。指摘すればそこを直すし、意識して戦車を『良く』動かす」

「さすが」

「特に、副隊長のエリカが目覚ましい成長を遂げているな」

 エリカと聞いて、青木が「ん゛ッ!」と鼻に詰まったような唸り声を出す。

 まほは特に意識していないようで、

「エリカ、逸見エリカというんだが、知っているかな?」

「あ、うん、戦車道ニュースWEBは見てるから。二年生なのに副隊長を勤めている

才女なんだよね、すごい」

「ああ。それで、指揮能力もそうなんだが、エリカのあり方そのものが変わってきた」

 ほう。

 次を促すように、青木はちびちびとカレーを食う。

「エリカは自信家で、気が強い。だから、自分の失敗も努力で改善しようとするし、

他人の失敗にも怒りやすい」

 真面目な人なんだなと、青木は思う。

「だが、怒りが前面に押し出ているせいで、次期隊長としては不安なところがあったんだ。

嫌々従う、というのは能力に関わるからな」

 やはり、他人をよく見ていないと隊長は務まらないのだろう。そして、尊敬が無ければチームは成り立たないのだろう。

「……だが、最近は変わった。今も怒ったりはするが、『あなたはこうすれば伸びる』とか

『あなたの短所はここだから、こう補いなさい』とフォローすることが多くなったんだ」

「ほう」

 嬉しそうにまほが笑う。

「いや、隊員全員がびっくりしていたぞ。正直、私も結構驚いた」

 辛口のカレーをものともせず、まほは口にする。

「今では、誰もがエリカのことを次期隊長と認めている。怖いが良い人、という印象を抱いているようだな」

 水を飲む。

「私もそうだが、エリカも変わるんだな。何かいいことでもあったのかな」

 めっちゃ心当たりがあるものだから、青木は逆に言い出せず、笑い出しそうになる。いつかは

白状するつもりだが、赤井の許可が下りるまでは黙秘権を貫くつもりだ。

 でかした赤井。今度、お前にはノンアルコールを一本おごってやろう。

「あ、あったんじゃないかな――まあ、きっかけがあればどんな人も変わるよ。僕もまほさんと

出会って、もっと頼りになる男になるって決めたし」

「そうか、それは良かった。警察官になれるように、心から応援する」

「ありがとう」

 いつの間にか、まほのカレーは空になっていた。青木も、あと二、三度ほど味わえば今日の

夕飯はおしまいだ。

「あ、そうだ」

 何かを思い出したのか、まほは空席に置いていたショルダーバッグから何かを取り出す。

 ペンだった。

「色々あって、エリカに鍛えてもらってな、ほらっ」

 見事な一回転だった。青木は「おおっ」と感嘆の声を漏らす。

「凄いね、流石はまほさん」

「ふふ」

 明らかに、めっちゃ嬉しそうに口元が曲がっている。まだ一回転が限界らしいが、それでも

まほは心の底から楽しそうに、見て欲しいとばかりにペンを回し続ける。

「これは……いやあ、やるねやるね」

「ああ。――君がペン回しを見せてくれたお陰で、私はエリカとのコミュニケーションが増えた。感謝する」

 黒森峰で一番(自称)の戦車道グッズ店で、タクティカルペンを回した時のことだろう。青木はたははと苦笑し、

「いやいや、僕は何もしていないよ。まほさんの力だけで、逸見さんと心を通わせられたんだ」

「そうかな? そうかもな」

 ぱしっとペンを止める。ドッグダグが小さく揺れる。

「青木君」

「何?」

 慈愛そのものの、女性の笑みがそこにある。

「ありがとう」

 

 青木もまほもカレーを完食し、勘定を支払い、帰路についていく。

 空はもう暗い、星がちらりちらりと浮かんでいる。全国大会に対して多少の不安や

緊張を話し合いながらも、最終的には「勝ってくる」の一言で終わった。

 公園前に到着し、「また」と別れる。

 

 明日は、まほは全国大会関連の準備で忙殺されるだろう。何とか手伝えないものかと考えたが、素人が手を出したところで足手まといだ。

 ならば、黒森峰は必ず勝つと祈ろう。

 今度こそ、まほが輝ける星になれるよう願おう。

 

―――――

 

 黒森峰戦車隊は、抽選会の為に遠出していった。

 今、この学園艦にはまほもエリカもいない。戦車道に無知な青木と赤井がやれることはと

いえば、戦車道に関する様々なニュースを携帯ごしからかじるくらいだ。

 やっぱり黒森峰は期待されてるなあとか、プラウダ高校が二連覇するかもなとか、

聖グロリアーナ女学院がやばいらしいとか、青木と赤井はあてずっぽうな感想ばかり述べている。

 ――こうしてみると、はっきりとした強豪校というものがあるのだなと青木は実感する。同時に、負け続けでも参戦を諦めない学園艦も間違いなく存在する。

 いいなあ、と思う。何か部活に入っとけば良かったかな、と今更考える。

 

 参加する学園についてだが、黒森峰は比較的「普通」で、ある参加校は隊長が小学生のように見えたり――黒森峰を破った所か――ある学校は戦闘中でも紅茶を手放さなかったりと、実に

個性豊かだ。チームの構成については、すぐに覚えられそうな気がする。

 ただ、戦車に関しては「でかいな」とか「結構丸いな」とか、そういった簡素な評価しか

出来ない。ここは試合を見て、じっくりと判断してみることにする。

「やっぱり勝ち進んでいくのかね、黒森峰」

「だといいよね、油断はしないと思うけど」

 液晶画面に指を滑らせる。色々なサイトを見て回ったが、やはり戦車道ニュースWEBが最も情報量が多く、それでいて流れが早い。ファンや専門家の意見を積極的に取り入れたりと、

読み物としても楽しい。

 男が戦車に乗ることはないが、見ることは楽しいのだろう。やはり、鉄が動いて火を噴いて爆発というのは、どの年齢層も引っかかるに違いない。

 サイトをスライドさせていくと、青木が「あ」と声を出す。

「『大洗女子学園が二十年ぶりの出場、番狂わせの可能性ありか?』だって」

「へー」

 赤井も同じところを確認したのか、「あ、ほんとだ」と返す。

 そして、青木がまた「あ」と口に出す。

「そういえばさ」

「ああ」

「大洗女子学園って、確かまほさんの妹さんが転校していった学校だよな」

 

―――――

 

 抽選会が終わり、ひと段落がついたところで「うし」と姿勢を伸ばす。

 この近くには戦車道を嗜んでいる者の聖地、「戦車喫茶ルクレール」がでんと構えており、

逸見エリカは朝っぱらから「よし隊長と一緒に行くぞ」と決意していたわけである。

 我ながら勇気のある思い付きだなとは思うが、無謀ではない。まほからは「新しいペン回しの

技を教えてくれ」と頼まれるし、休憩時間になると他愛のない話もするようになった。

 前のような完全な上下関係ではなく、少しずつだが人間的に氷解していっている。心から

尊敬している人物に近づけることは、エリカにとっては喜び以外に他ならない。

 ――まあ、メル友になった赤井「先輩」の後押しもあったお陰だが。

 戦車の点検も終了し、自由時間になったことは確認した。エリカは自分の頬をばしんと叩き、

まほの背中に声をかける。

「あのっ」

「うん?」

 振り向く。無視されたら一人で戦車喫茶へ行こうとしたが、そんな逃げは許されないらしい。

「あ、えーっと、その……」

 まほが「?」とまばたきをしている。無駄な時間をまほに使わせるな、別に悪いことをするわけじゃない。

「こ、この近くに戦車喫茶ルクレールっていう、聖地みたいな店があるんですよ」

「ほう」

「それで、今は全国大会開催ってことで、ケーキが安くなっているとか」

「ふむ」

「それで、その、一緒に食べにいきませんっ? ケーキ」

 声が上ずってしまったが、まほは決して表情を変えない。そして、

「ああ、いいな。行こうじゃないか」

 やった。

 エリカが心の中でガッツポーズをとっていると、周囲の隊員から「やるじゃん」みたいな目で

見られた。ふふん、と瞳で笑う。

 

 携帯のアプリで戦車喫茶への道筋を辿りながら、まほとエリカは全国大会に向けての決意、改めての反省、そしてペン回しについて語り合っている。

 エリカはバッグからペンを取り出し、手の内でくるくると回した後にペンを指ではじく。ペンはくるくると真上へ飛んでいき、まほが「おおっ」と目でペンを追う。

 それを難なくキャッチし、まほの感心しきった顔に思わずくすりと笑ってしまう。

「これも、練習すればできますよ」

「すごいな、それで食べていけるんじゃないか」

「いえいえ、上には上がいますから」

「そうか、奥が深いな」

 エリカは「まあ」と前置きし、

「必ず、取得しますけどね」

 ペンを上下に揺らしながら、エリカはあえてまほから視線を外す

「そうか……そうだな、エリカは向上心に溢れているからな。新技が出来たら、見せて欲しい」

「はい、真っ先に見せますよ」

 とても気分がいい。日ごろの行いがそれなりに良かったのか、夏真っ盛りの空は雲をまばらに

絶賛晴天中だった。

 街中で虫の鳴き声が何処からともなく響き、主婦らしい女性の自転車とすれ違う。そして、

あちこちで様々な戦車服を着た女子を見る。

「聖グロの制服は目立ちますね」

「ああ、あそこは実に覚えやすい」

「継続学園は色鮮やかですよね」

「それは思う」

「私たちは……どうなんでしょうね?」

「さてな、普通なんじゃないのか」

 まほを見る。赤のラインに黒の戦車服、そしてドッグダグネックレス。

 こうして見てみると、意外と自己主張しているんだなあと、エリカは頭の中でぼやく。

「あ、この交差点を通った先に戦車喫茶があるみたいですよ」

「ほう」

 何があるのかな、何を食おうかな。何を話そうかな。

 エリカの心は鍋のように煮えている。交差点へ差し掛かろうとした時に、信号機が丁度

赤になる。

 足を止める。黒森峰のイメージは、こういったところでも厳守しなくてはならない。

 鼻で息をつきながら、すぐ近くにある戦車喫茶へ視線を向け、

 

 戦車喫茶の窓ごしから、西住みほを見た。

 

 エリカは小さく首を振るい、改めて戦車喫茶を見る。

 居た。

 戦況把握の為に鍛えたエリカの視力は、どうしてもみほの姿を見逃すことが出来ない。

 何故こんなところに――その答えは、「自分たちが何故ここに居るのか」を考えてみれば、

すぐにでも理解してしまう。

 ここは学園艦ではない、本土だ。この時期に何故ここにいる、ある全国大会に

参加しているからだ。何の全国大会だっけ、戦車道だ。

 そして、エリカは信じられないものを目にする。

 

 みほが、友達らしい連れと笑いあいながらケーキを食べていた。

 

 黒森峰女学園では決して見られなかった場面が、エリカに二つの目玉に強く焼き付く。

エリカどころか、まほにすら見せなかった笑顔を、交差点の向こう側で見せびらかしている。

 まほを見る。

 試合中でも決して表に出すことのない、完全に狼狽しきった表情。

 やはり気づいてしまっていた。エリカはまほから逃げるように視線を逸らし、今が楽しくて仕方がないであろうみほの姿を覗き見る。

 何かを話し、笑う。おいしそうにケーキを食べ、友人がみほに何か話題を提供している。それは普通の高校生らしい一場面でしかなく、黒森峰女学園時代では絶対に叶えられなかった夢の光景。

 戦車道から逃げたはずのみほは、「戦車」喫茶ルクレールで楽しそうに昼食をとっている。

 

 信号機が青になる。

 まほが、全くためらいの無い足取りで喫茶店へ歩んでいく。

 まほの背中にすがるように、エリカも交差点をふらりと。安全の為に左右を確認する。

 交差点を渡りきる、もう後戻りは出来ない。まほは喫茶店のドアを鈍く開け、呼び鈴が

軽快に鳴り響く。

 店員が「お好きな席へどうぞ」と元気よく接客し、まほは実に実に事務的な足取りのまま、

 みほと、その友人達が居座っている席の前に突っ立つ。

 友人達は「何だこの人」という顔になり、みほは、幽霊でも見たような表情のまま凍り付く。

「みほ、」

 か細い声だった。

「お前が、何故、ここにいる」

 

 

 みほは、躊躇いがちに「ぜ、全国大会に出るんだ……」と答える。確信を得たまほの目が、

ぎろりと変わったのをエリカは見逃さない。

 まほはあくまで「質問」という体でみほを責め、そのたびにみほの友人達が庇うように、言葉でみほを守った。この時点で、みほは黒森峰なんかよりもよっぽど良い暮らしをしているのだろうと察せる。

 そして、エリカの鍛えられた判断力は、余計なことまで嗅ぎ付ける。

 まほは「なぜ、また戦車道を始めた」としか聞かなかったが、本当は「友達が出来たから、戦車道をはじめたのか?」と聞きたかったことに。

 まほは「黒森峰よりも大洗が好きか」としか聞かなかったが、本当は「黒森峰じゃ駄目なのか。そういう事なのか?」と聞きたかったことに。

 まほは「友達と一緒に大会へ参加か」としか聞かなかったが、本当は「私と一緒よりも、友人のほうが大切なのか?」と聞きたかったことに。

 

 一つ一つの質問に対し、みほの友人達は臆することなく、みほを守る為に答える。

 正論から感情論、頷けるものから疑問に浮かぶような言葉が、まほとエリカ、みほと

友人達の間で電撃のように飛び交う。

 ただ一つ言えることは、どの言葉もみほを気遣ってのものだった。

 どれくらい経ったか。最後に、まほは「邪魔をしてすまなかった――戦う時は、手加減など

しない」と締める。

 黙って見ているしかなかったエリカは、「絶対に負けない」と宣言した。精一杯の

敵意を込めて。

 ――その後は、申し訳ありませんでしたと店員に頭を下げ、何も食うことなく

戦車喫茶から出ていく。

 最悪だった。

 

―――――

 

 食欲など失せ、黒森峰のメンバーが集う抽選会会場付近へ歩く、ただ歩く。

 沈黙は毒にしかならないと、エリカは「隊長」と声をかける。

「……エリカ」

「その、あの、」

「ひどい姿を、見せてしまったな」

 エリカは、そんなことはないと首を左右に振るう。

「正直、嬉しいとも思った。みほがあんなに幸せなら、姉としてはほっとする」

 エリカは、姉との関係はあまり良くはない。それ故に、素直にそう口に出来るまほに

強く共感する。

「戦車道から逃げてもいい、西住流についていけなくてもみほらしいと思う。みほは私よりも

優しいから、西住流は合わないだろうなと前々から思っていた」

 沈黙。

「だが、みほはまた戦車道を歩み始めた。私じゃダメなのかと、大洗の友達なら良いのかと、嫉妬している――まあ、そうなんだろうな。大洗は、いい場所なんだろう」

 まほは、ため息をつく。

「……なんで、責めてしまったんだろうな」

 見上げる。

「友達が出来て良かったなとか、また戦車道が出来て良かったなとか、何でそんなことが

言えないんだろうな」

 まほが、顔に手のひらを当てる。

「……つくづく、西住流に向いているな、私は」

 そうして、エリカは喉元から声が出る。

「確固たる信念を持っている以上、身内相手でも対立してしまうことは、仕方がないと思います」

 まほから目を逸らさない。見て話さなければ、きっと聞こえなくなってしまうだろうから。

「私も隊長と同じく、黒森峰の敵となり、大洗の味方をするみほさんに苛立ち、勢いのまま

捨て台詞を残してしまいました――ですが、みほさんが大洗につくのもわかるんです」

 そうして、まほがエリカに視線を向ける。

「今のみほさんには、みほさんを守ってくれる友達がいる。だから、戦車道も続けられる――

あの人は、そういう人ですよね。水没事故の時に、真っ先に動いたのはみほさんだった。

犠牲を肯定できないみほさんが、黒森峰についていけなくなるのも、今ならわかるんです。当初は不満たらたらでしたけどね」

 くすりと、エリカが笑う。素の感情だった。

「……エリカ」

「はい」

「変わったな」

「ええ、色々ありまして――この年になって、初めて知ったんですよ。誰かに守られることの

喜びを」

 まほは「そうか」と頷き、それ以上の事は聞かない。

「……エリカ」

「はい」

「私も最近、相談相手が出来たんだ」

 頷く。同時にあることを察する。

 そのドッグダグネックレス、その相談相手から貰ったのかと。

「だからだな、今のみほに共感出来るのは」

 ドッグダグを指でつまみ、じいっと見つめ、

「守られ、気遣われるって、こんなにも嬉しいんだな」

 エリカは、「はい」と返事をする。

「だからみほも、戦車道を続けられるんだな」

 エリカは、「そうですね」と返事をする。

「……このこと、相談相手に話してみる。みほに対してやるべきことは決めているが、やはり

後押しが欲しい」

「はい、私も聞いてみます。冷静な意見が必要ですから」

 そうだなと、まほは頷く。

 

―――

 

 まほと会わなくなって数日が経過する。

 黒森峰女学園が戦車道に強いことは知っていたが、録画しておいた試合内容を見て、改めて

黒森峰の攻めっぷりに感嘆の声が漏れる。

 とにかく退かない、絶対に退かない。戦術の為に待機することもあるが、静かな時間はほぼ無いといっていい。撃つ時は必ず撃つ、装甲が持つと思えば真正面から攻撃を受ける。

 あと一発貰えば白旗認定だろうと、逃げずに相打ち覚悟で主砲をぶっ放すはずである――はず、というのは、一回戦目の相手にはパーフェクト勝ちしたからだ。

 すごいなーと、青木は思う。

 威厳を保つには、これぐらいのことはしないといけないのかと、まほのことが少し心配になる。

 いずれにせよ、黒森峰は勝った。

 次は継続高校が相手だ。勝利出来るかどうかは――正直、素人なのでよく分からない。これも祈るしかないだろう。

 

 ――そして、もう一つ問題がある。大洗女子学園についてだ。

 二十年ぶりの出場を果たした大洗だが、何と強豪サンダース大学付属高校を破ったのだ。WEBサイトに書かれていた「番狂わせの可能性ありか?」という予想はものの見事に当たった。

 戦力的に差があったにも関わらず、この快挙を成し遂げられた理由は――西住みほが

居たからだ。

 このニュースは赤井も食いつき、「おい、みほさんが出てるのか? しかも指揮官?」と

テンパっていたのをよく覚えている。実際、青木も「マジかよ」と驚愕した。

 大洗の試合は録画していなかったので、サイトの情報頼りになるが――とにかく、味方を

見捨てない立ち回りをしていたらしい。専門家によれば「多少動きにアラがあったが、攻める時に攻める度胸が感じられ、想像もつかないような策を用いる。正直、見ていてとても楽しい」

とのことだ。

 ため息をつく。

 そんな凄い人だったんだな、みほさん。流石、まほさんの妹だ。

 もし、大洗がこのまま勝ち進めば―― 

 

 今、まほは黒森峰学園艦へ戻っているはずだ。それでも戦車の整備や徹底的な特訓を

行っていたりして、めちゃくちゃ忙しいはずである。

 邪魔をしてはいけない、ここ最近は手紙も控えている。だから青木は部屋の電気を消し、

 

 携帯が震えた。

 こんな時間に誰だよ親からか? 青木は面倒くさそうに、充電器に差したままの

携帯を引っこ抜く。

 

 着信 西住まほ



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やり直しましょう

 

 青木は緊急出動する勢いで寝巻きから私服へ着替え、財布と携帯をポケットに突っ込んで

寮から出る。

 ジョギングコースである公園めがけ、息を切らさない程度で全速力で走る。

 

『今晩は、突然で申し訳ありません。――時間があれば、今、公園へ来てくれるだろうか。

相談したいことがある。ああ、後日でも構わない』

 

 青木は「すぐ行く」と了承し、星の無い空の下を駆ける。ジョギングをして正解だったと思う、このまま走り続けなければ西住まほは何処かへ消えてしまいそうな気がして――

 実家より見慣れた公園にたどり着き、教科書よりも意識したベンチが目に入る。

 私服姿のまほがいた。街灯に照らされながらも、ドッグダグネックレスが金属色を

主張している。

「ああ、来てくれたか。すまない、こんな時間に」

「大丈夫。それで、相談って何?」

 何の躊躇いも無く、青木はまほの隣に座る。

 黒森峰の星であることに違いは無いが、まほと青木は対等であり、友達なのだ。

 だから付き合い方も礼儀込みでフランクだし、相談にも乗る。青木からしてみれば

「話して欲しい」と表現した方が正しい。

「ありがとう。そう、相談というのは――西住みほが全国大会へ出場したこと、知っているか?」

「うん、ニュースサイトで見た。凄い活躍をしたんだってね。アンツィオ高校にも勝利すれば、

次はあのプラウダ高校か」

「そうだな」

 プラウダの名前を聞いた瞬間、まほの口がぴくりと動いた。

 あ、

 しまった。プラウダ高校は、前回、黒森峰女学園を破った陣営じゃないか。青木は

気まずくなって視線を逸らす。

「ああ、すまない。――負けは負けだ。そこは認めなければいけない」

 うん、と小さくまほが頷き、

「それで、そのみほについてなんだが――この前、みほと会った」

 

 それから、まほは全ての事情を話してくれた。

 本土にある戦車喫茶でみほの姿を見かけたこと、そしてみほが友達を作って幸せそうにしていた事実。そして、黒森峰ではなく大洗の戦車道を選んだ現実。

 これに対し、まほは戦車道履修者としての怒りと、姉としての嫉妬を覚えてしまい、わざわざ

みほに口論をふっかけて和気あいあいの雰囲気を粉々にしてしまったのだという。

 まほは自己嫌悪に包まれた表情のまま、しかし全てを口にする。

 ――そして、みほが黒森峰女学園から転校していった理由も話してくれた。

 前回の全国大会の際、味方の戦車が水没し、そこをみほが真っ先に助けたこと。それが原因で

優勝を逃したこと。

 これに対し、まほは怒りはしなかったが褒めもしなかった。母であり、西住流師範である

西住しほも、称賛するどころか西住流にとって大きな間違いを犯したと叱った。

 

 もともと黒森峰女学園では、みほは上手く人間関係を構成出来ていなかったようだから、みほが黒森峰という世界から逃げても仕方がないとまほは言った。

 真っ当な正しさを行使したのに対し、それを家族は否定した。

 これじゃあ、戦車道なんかやりたくなくなると思う。それはまほも考えていたし、しほも

否定自体はしなかった。

 

 だが、今のみほは戦車道を歩んでいる、戦車道の中で活きている。黒森峰学園艦ではなく、大洗女子学園の中で思う存分戦っている。

 まほは言う、「今のみほはとても幸せそうだ」と。

 まほは言う、「今のみほのままでいて欲しい」と。

 そして、まほはうつむいたままの横顔で、

「――私は、みほと仲直りがしたい。これまでの私だったら、西住流を捨てた妹としか思っていなかっただろう」

 しかし、まほはすがるようにドッグダグを手で包む。

「……だが、今ならわかる。守られているからこそ、失敗しても誰かが助けてくれると信じているからこそ、みほは戦車道を始めたのだと」

 そして、まほと目が合う。

「これもすべて、君のお陰だ。私を支えてくれたから、私は大事なことを思い出せた。

やるべきことも考えた」

 ふう、と小さく息をつく。

「青木君。私は――みほに何をすればいい」

「謝れば、いいと思います」

 即答。

 まほは、同意するようにうなずく。

「そうだな、やはりそうか。私も、心の底からみほに謝りたい、全てのことを」

 ドッグダグが揺れる。

「やっぱり、家族と仲が悪いなんて、嫌だからな……」

 自分は、警察官になるのが夢だ。それを父と母は「お前なら出来る」と支えてくれている。

 これで仲が悪かったり、警察官になることを拒まれたりでもしたら、所詮は普通の人間である

自分なぞ妥協した道を歩むことになるだろう。

 険悪とは、些細な喜びや多大な苦痛を吐くことが許されない関係である。それが家族とも

なれば、みほが抱いた痛みは大きすぎたはずだ。

「……なあ」

「うん」

「みほは、許してくれるだろうか。こんなダメな姉を」

「許してくれるよ」

 即答する。

「だって、まほさんは今、罪悪感を覚えているんだよね?」

 まほが、黙って頷く。

「なら、みほさんも受け入れてくれるよ。罪悪感って思った以上に共感されるから――僕も親や

赤井と、口論になったりケンカしたりするけれど、後になって段々とこう、罪悪感が

膨らんできてさ」

 苦笑する。

「それで、謝ろう、謝らなければいけないって気持ちになるんだ。そうしないと絶対に後悔するし、キツ過ぎて命が狭くなる感覚になるからさ。大袈裟だけどね」

 まほは「いや」と発し、

「それはわかる。私も、心がとても痛くて、ひどい自己嫌悪に陥っているんだ。その償いが

出来るなら、私は土下座だってする」

 青木は「そうか、そうだよね」と同意する。

「それでね、謝罪するとね、親は『いや、自分もカッとなりすぎた』って謝ってくれるんだ。

絶対に許さない、なんて一回も言われたことがない」

 大きく、鼻で息を吸う。

「赤井だってそうさ。赤井とケンカした後は、数分か数時間ほど経つと、僕からかあいつから声をかけてきてさ、それで『さっきは、ごめんな』って恥ずかしそうに言うの。

僕も同じ気持ちだから、絶対に許す。そして、赤井も許してくれる」

 青木は、軽いような笑みをこぼす。

「罪悪感と誠実さをもって謝ればさ、その人は許してくれるよ。まほさんなら特にそう、まほさんはこういうところで嘘はつかない。僕が保障する」

 保障する、のところは力強く言う。

 そこに世辞はない。対等になれば、そういう面はよく分かる。

「そうか」

 まほが両目をつぶり、うつむき、口元が緩んだ。

 伝わった。

 もう、まほは迷っていない。

「私は、必ずみほに謝る。何もしてやれなかったこと、責めたこと、全てに謝る。みほは私の大事な妹だ。昔のように仲良くしたい」

 ドッグダグが光った。

「そして、これからも」

 青木も、嬉しそうに頷く。

 支えられたことに、助けられたことに、未来へ繋げられたことに、青木は男として嬉しかった。

「謝るのは、全国大会が終わってからにする。今は、みほにとって『倒すべき相手』でありたい。無論、負けるつもりはないがな」

 そうか、そういうものか。

 謝罪したところでまほもみほも信念が揺らがない気がするが、もしかしたら動揺を誘ってしまうかもしれない。

 やるべき事を終えた後で、すべき事を成す。何ら間違っていないと思う。

「――ありがとう、青木君。私は、君に頼りっぱなしだな」

「いや、僕は後押ししかしてないよ」

 青木に出来ることは、浅い人生経験を前提に置いたアドバイスだけだ。

 後は、まほの成功を祈ることしか出来ない。赤の他人である青木が、家族の問題に手を出すことは許されない。

「その後押しなんだが、もう一つ手伝って欲しいことがある」

「何かな?」

「……お母様に、みほのことを許して貰うように進言する」

 お母様か。

 え、

「お母様って」

「そう。西住しほ――西住流の師範だ」

 マジかよ。

 どう手伝えばいいんだよ。

 まほのことは決して見捨てはしないが、正直かなり怖い。西住流がかなりデカいことも

知っているし、西住しほの「有能さ」もサイトなどで知った。

 まさか顔を合わせたりするんだろうか――そんなビビりっぷりが表情に出ていたのか、まほは「ああ、いや」と苦笑し、

「大丈夫、電話ごしから話すだけだ。君はただ、ここにいてくれればいい」

「あ、そうなの」

 間。

「え、今?」

「今かける」

「マジで?」

「マジだ」

「……なんというか、早急だね」

「ああ」

 そして、まほは茶化すように口元を曲げる。

「西住流は、突撃が基本だからな」

 

――――

 

 青木の金で自販機からノンアルコールビールを二つ買い、そのうち一つをまほに手渡すと、

まほが小銭を返してきた。

 ノンアルコールビール、二つ分だった。

「返す、と言っただろう?」

 真面目だなあ、と青木は笑った。

 二人は突っ立ったまま、同時にプルタブを開け、同じタイミングで飲み干していく。

 景気良く中身を空にした後は、缶をゴミ箱に捨て、まほと青木はベンチに座る。まほが

思い切って深呼吸して、携帯の液晶をスライド、画面には「西住しほ」の文字。

 ここで数秒ほどつまづいたが、まほと目が合い、決意したようにまほが小さく頷く。

 送信ボタンを押し、携帯に耳を当てる。今は夜中だが、決して深夜のど真ん中という

時間帯ではない。

 待機中、

 待機中、

 待、

『はい、西住です』

「今晩は、まほです――今日は話したいことがあり、夜遅くに電話をかけさせていただきました」

『何でしょうか。今は全国大会があって忙しいはず、あまり時間はとらないよう』

「はい。私が話したいのは、みほの件についてです」

 瞬間、電話越しからの空気が変わった気がした。

『……みほのことは知っています。あの子は、別の場所で戦車道を始め、西住流とはかけ離れた

戦い方をしている』

「存じています」

『なので時間が出来次第、みほに会い、勘当を言い渡すつもりです』

「お母様のお怒り、察します。ですが、それを承知で言います――お母様。みほのことを、許してはいただけないでしょうか」

『は?』

 ただの「は」ではない。疑問と怒気がぶち込まれた「は?」だった。

 元々無関係であるし、声を出す必要はないのだが、だからこそ青木の精神力が疲弊していく。

「お母様は既に確認しているでしょうが、みほは黒森峰に居た頃よりも『強い』戦い方を

しています。みほは私と違ってとても優しい――だからこそ、その優しさが許される環境こそが、みほにとっての一番の戦車道に繋がると思うのです」

『確かに、一理あります。ですが、みほは私の娘であり、西住流を継ぐ者でもあります。それに

従えないというのなら、師範として厳しい判断をしなければなりません』

「お母様の、立場の重さというものは理解しているつもりです。ですが、破門のみならず

勘当とは、いくらなんでも重すぎる罰ではないでしょうか」

 一言一言が矢のように鋭いしほの言葉に対し、まほは真っ向から抗っている。無表情を

貫いているが、内面はうかがい知れない。

 青木はまほを独りにしないように、まほの目から逃げない。

『私は西住流の師範であると同時に、みほの母でもあります。だからこそ、私の血を継ぐみほは、西住流を継がなければいけない。それに従えないのなら、残念ながら勘当するしかありません』

「伝統だからですか」

『その通りです。私も、そうやって生きてきました』

「……一つ聞きますが、こういったケースは無かったのですか。みほが例外なのですか」

『いいえ。みほのように、西住流に向いていない血縁者は居たようです』

 まほがまばたきをする。

『戦車道を行わないのならともかく、西住流とは違う戦車道を突き進むのなら、勘当を言い渡したそうです』

 そうなのかと、青木は小さく頷く。

 西住流は伝統だ。それ故に歴史も長く、いざこざもあったのだろう。

「なるほど。そういう伝統が今も続いているから、お母様は西住流を否定するみほを勘当すると」

『はい』

「あの強豪サンダース大学付属高校に対し、戦力差がありながらも、しかも二十年ぶりの出場で

勝利。これらは『西住』みほの手腕です、決して西住の名を汚してなどはいません」

『詭弁ですね』

「そうですね。そして何故、無名である大洗女子学園がここまで勝てたのか、お母様は

知っていますか」

『いいえ』

 まほが、肩を上下に動かしながら呼吸する。

「それは、みほには信頼出来る仲間がいるからです。みほは、黒森峰の世界では見つけることが

出来なかった、かけがえのない存在を手にしました」

『……なぜ、そんなことを知っているのですか』

「……抽選会の時、偶然にもみほを見かけました」

 恐らく、しほは険しい顔をしているのだろう。想像しただけで心臓が凍りそうだが、警察官

志望者はこれぐらいでへこたれてはいけない。

 歯を食いしばる。

「みほは、楽しそうに仲間と会話をしていました。私は姉として、みほをそのままに

してやりたい、このまま戦車道を続けさせたい。これまでのことを謝って、家族として迎え

入れたい――そう考えているのです」

『甘くなりましたね。あなたが、ここまで寛容な態度を示すとは』

「姉ですから」

 虫の鳴き声が夜に響き、何処か遠くで車が走る音がする。暑さを忘れ、呼吸をしていたか

どうかも分からない。

「お母様」

『はい』

「私は、みほと共に西住流を継ぎ、名に恥じない後継者となることが望みでした」

『そうですか』

「二人で西住流を継げば、決して軽くはない西住流を背負えるのではないかと。

そう考えていました」

 ぬるい風が、公園に植えられた木を揺らす。

「私は、西住流を一人で背負います」

 沈黙。

『……簡単に言わないで』

「重い方を持つのは、姉の役目です」

『愛情だけで、伝統を背負えはしません』

「――みほと同じように、私にも心の支えが出来ました」

 しほが『支え……?』と口にする。

 木が風で鳴き、街灯が青木とまほを劇場のように照らす。

 まほは、戦車道を歩んでいる時のような無表情のまま。しかし両目は濡れたように光っていて、そこには青木の顔が映っている。

 まほは耳に携帯を当てたまま、限りなく、静かに、力強く、はっきりと、

 

「私には、青木君がいます」

 

 まほは、青木の手を握った。決して手放したくないように強く。

 青木は、まほの手を握った。絶対に手放さないように力強く。

『あおき……青木って、もしかして、例のデート相手の、ですか?』

「そうです。青木君は私のことを気遣いながらも、礼儀正しく対等に接してくれました。沢山の

悩みも聞いてくれて、後押しをしてくれる――青木君は心の支えであり、私の力です」

 戸惑うように、しほが声にならない声を上げている。

 まほのドッグダグネックレスが、命を得たように光る。

「守ってくれる人がいることの強みは、お母様『だからこそ』分かるはずです。あなただって、

恋があったからこそ西住流を継げたはずです」

 反論はない。

「私一人が西住流の全てを継ぎ、これからも名誉を輝かせます。私は黒森峰女学園の

戦車隊隊長です、夢物語を語っているつもりはありません」

『……ですが……』

「私が西住流として戦車道を勝ち進んでいけば、みほの存在も世間的に認められていくはずです。『戦い方は違えても、やはり西住の名は強い』と」

『……私は師範です。師範は、平等に判断を下さなければならない』

「それは家族でも、ですか」

『はい』

「なら、」

 手が、ぎゅっと握られた。

「私が師範となって、みほを家族として認めたままにすれば、問題はないはずです」

 しほが『え』と口にする。

 青木が「え」と口にする。

「師範としてのお母様の判断がそうであれば、私が師範となって違う判断を下せばいい。

お母様には何の不名誉もありません」

『何を、言っているの……師範になるなんて、簡単に言わないで』

「――分かりました。失礼を承知で、言わせていただきます、お母さん」

 まほの両目が鋭くなる。言っても聞いてくれないのなら、どうしても認めてもらうには、

 

「私と、勝負しろ」

 

 今までのまほからは感じられなかった敵意が、手を通して伝わってくる。

 携帯越しで話をしているしほにも、まほの決意が通ったのだろう。しばらくは

何も言わないままだった。

 青木は黙ったまま、まほとしほの会話を見守っている。傍観者のつもりではなく、支えとして、心を守る者として。

『……分かりました。みほの件、考えておきます』

「ありがとうございます」

『……もう、こんな時間です。あまり遅くならないように』

「はい。お時間をとらせていただき、ありがとうございました」

 電話が切れる。

 緩慢な動作で、まほは携帯をデニムのポケットにしまいこむ。

 握り握られていた手はそっとほどけ、青木とまほは星無き空を無表情で見上げた。

 つかれた。

 青木が小さく呟くと、まほが「うん」と返す。

 何だか色々とめちゃくちゃなことがあった気がする。何時間も公園に居た気がするが、実際は

一時間程しか経過していない。

 西住流にとってとても重要なやり取りが行われたように思えるが、今日もジョギングコースは

静かなものだった。

「……他に、何か用件は?」

「……いや、もうない」

 じゃあ、もう寝るか。

 正直、めっちゃ疲れた。あれだけ苛烈で、あれだけ冷徹で、あれだけ大胆なやり取りをずっと

耳にしていれば、警察官でもヨロヨロになると思う。

 まほも緊張の糸が切れたようで、「はあ……」と深くため息をついていた。

「すまない、こんな時間まで付き合わせて」

「いや、僕はいいけど、まほさんは」

「私は心配いらない。むしろ、やることをやって、気分が良い」

 まほが、声を出しながら腕をぐるんと回す。それでも精神的に限界が近いらしく、先ほどまでの鋭さは何処にもない。

 つまり、やれることはやった。後は全国大会に専念し、その後でみほに謝罪すればいい。

 青木に残された役目は、全国大会を見守ることだけだ。

「ああ、そうだ」

 ゾンビのような足取りで帰路についていた時、まほが思い出したように、

「最近、君から手紙が来ていない――いいんだぞ、気を遣わなくても」

「え、いいの? 忙しいんでしょ?」

「君との文通は、戦車道と同じくらい大切だ」

 ロボットのようなスピードで、首をまほめがけ捻る。

「君とこうしてやりとりを重ねたからこそ、私は変われた。むしろ、人生まで変化したといっても過言じゃない。それほどまでに楽しいんだ、君との文通は」

 目だけ青木に向けて、口元はくすりと曲げて。

「言っておくが、君からもらった手紙は全て残してある」

「え、本当に? 捨ててよ恥ずかしい」

「ほう。じゃあ、君は私の手紙を捨てているのか?」

 ぐっ、と言葉が詰まる。どうやら、まほの手紙を死守していることは見抜かれている

らしかった。

「ほらな、君はそういう男だと信じていたよ。――時々見直したりして、心を落ち着かせることもある。どの手紙も、想いが込められているからな」

「……それは良かった」

「私は手紙は書き慣れていないから、心に伝わったかどうかはわからないが」

「いやいや、まほさんの善い感情が文字に出ているよ。うん、自分でも何言ってるんだろう」

 まほが、小さく声に出して笑う。

「そうか、それは良かった」

 立ち止まる。

「なあ」

「うん?」

 

「私のこと、どう思ってる?」

 

「……大切な人だって思ってる」

「そうか」

 意気地なしの返答だった。だから悪あがきとして、「友達」とは言わなかった。

 まほが嬉しそうな表情を見せているのは、そこを察してのことか、言葉通りの意味として

受け止めたからか。

 

 学園前に着く。「それじゃあ、また」と、まほが手を振って別れる。

 さて。

 告白するのは、全国大会が終わってからにしよう。

 

―――――

 

 疲れた。

 電話を切り、西住しほはだだっ広い屋敷の中で一人、座布団の上で腰を下ろしている。

 まさか、まほがあそこまで言うようになったなんて。

 やはり、子供は成長するものらしい。人は、出会いがあれば強くなるようだ。

 息を吸う。

 思い出す。みなぎる敵意が込められた「勝負しろ」の一言。

 あれほど反抗されたことは、初めてだった。西住流に忠実で、頑なだったまほが、

西住流師範であるしほに挑戦状を叩きつけてきた。

 理由は、みほと仲直りしたいから。

 これ以上無い動機だった。まほは姉だから、血が繋がっているから。

 由緒正しい伝統によって、今の家族関係は冷え切っているといってもいい。――仕方が

ないのだ。それを守る為には非情になることも必要だ。

 その場で、大の字で寝転がる。瞬間、フラッシュバックする。

 

「あ、雨です、ね。傘、ありますけど、どうです?」

「え、いいんですか? ……ありがとうございます。あ、あの、その、お名前は……」

 大雨になり、バス停で立ち往生していたところで常夫と出会った。

 きっかけとは凄いもので、それさえあれば戦車道一筋の人生に色がついていったものだった。

 そして、

 

「生まれた……生まれました……常夫さん、子供が……」

 人生で一番わんわん泣いて、喜びに満ちた瞬間だった。

 血の繋がりが感じられるように、家族であることを決して忘れない為に、しほからとってまほと名付けた。

 

「まほ。今日からお姉ちゃんになりますよ……」

 一番とは何も、一度だけじゃなくてもいい。

 妹のみほが生まれた時も、しほはぐずぐずに泣いた、人生って最高だと思った。

 

「ぱぱ!」

 まほが最初に言った言葉。なんだままじゃないのか悔しいなあ。

 しほは、めちゃくちゃ笑った。

 

「いけー!」

「とつげきー!」

 みほもまほも順調に育ってきたので、タンクデサントさせながら戦車をゆっくり走らせている。

 きゃあきゃあと騒ぐあの声は、今でも思い出せる。そして「あ、この子たちは戦車を

好きになるな」と嬉しく感じた。

 

「ごめんなさい、お母さん……」

「うう……」

 小学生となったまほとみほだが、みほの人見知りがたたってからかわれることも多かった。

 そのたびにまほがみほを庇い、ケンカすることも珍しくは無かったのだ。

 ――当然、放置出来ない問題として親に連絡が届く。そのたびにしほは、まほではなく

みほに対して「堂々としなさい」と叱るのだ。

 そして、

「怖かったよね、痛かったよね? もう大丈夫、とてもかっこいい……」

 

「動きに躊躇いがある! もう一度ッ!」 

 中学生の頃になると、まほとみほに西住流の名を改めて自覚させる。

 二人とも素質はあるが、まほが撃つべき時に撃つのに対し、みほは攻撃的な動作に若干のラグが生じている。

 心当たりは、ある。親だからこそ、一番よく知っている。

 みほは、とても優しい子だった。

 

「みほ、あなたは西住流としてなんという――」

 そして、まほとみほが高校生になれば、西住流の後継者として本格的に育成するようになった。

 この頃から、自分は戦車道の女として振る舞うようになる。高校時代とは転機の時期でも

あるから。

 ――だから、みほの救出行為に対しても称賛することは無く、西住流として

指摘するだけだった。

 やはりというか。優しすぎるみほは、犠牲を強いる西住流には向いていなかったのだ。

 だからまほが西住流を継ぎ、いつかは自分を追い越せば良い。それでいい、

 

「私と、勝負しろ」

 

 まほは、間違いなく西住流の後継者だ。自分も似たようなことを言った記憶がある。

 だが、戦車道にあるまじき「敵意」までは抱かなかった。あの時のまほからは、「勝つ」では

なく「倒す」という意志力すら感じた。

 みほのことを許さない限り、まほも自分のことを拒絶するだろう。

 

 人を切り離そうとすれば、いずれは誰かから見放される。それは認めなければいけない

因果であり、一種の罪悪感なのだと思う。

 ――あの時のまほは、どんな顔をしていたのだろう。もし電話越しでなければ、私は息を

していられたのだろうか。

 想像しようとすればするほど、胸がとても痛い。呼吸する音がよく聞こえる。耳鳴りがひどい。立ち上がれない。命が狭くなっていく。

 

 出会いを経験し、愛を知り、使命の為に家族すら切ったしほは、生まれて初めて拒絶される

恐怖を知った。

 

 か細い声が漏れる。

 なんとかして身を起き上がらせ、テーブルの上に置いた携帯へ手を伸ばす。

 

 常夫さん、

 助けて。

 



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撮りましょう

差出人青木 西住まほ様宛て

『今晩は、帰宅早々お手紙を送ってみました。先日は本当にお疲れ様です、西住様は言うべきことを全て言ったと思います。

後は、全国大会でみほ様と会い、謝罪すればすべてが解決すると思います。

お母様も、きっと分かってくださるはずです。もしものことがあれば、僕が全力で守ります――そんな機会が無い方が良いですけどね。

この手紙が届く頃は、継続高校と試合をしているのでしょうか。勝利出来るよう、心から応援します。録画もしておきますね。

これからも無理をしないように、自分が決めた正しい道を歩んでいってください』

 

差出人西住まほ 青木様宛て

『今晩は。久しぶりのお手紙、嬉しく思います。

この前の件ですが、青木様がいなければ何もかも実行出来なかったと思います。前まで一人で生きてきた気がしますが、今となっては無理ですね。

青木様はもちろん、最近は逸見エリカともうまくやっています。新しいペン回しの技、見せてあげたいです。

――全国大会ですが、継続高校はとても強く、練度の高さが伝わってきましたが、何とか勝利しました。

……試合、録画してくださったのですね。まだまだ未熟故に、恥ずかしいです。

次に戦うは聖グロリアーナ女学院ですが、指揮官であるダージリンは状況把握の達人です。無傷で勝てるとは思えません。

私たち黒森峰戦車隊も全力を出します。どうか、応援してくださると嬉しいです』

 

差出人青木 西住まほ様宛て

『今晩は。聖グロリアーナ女学院との戦いは、とても厳しいものになると思います。様々なサイトを見て回りましたが、聖グロリアーナ女学院は高く評価されているみたいです。

ですが、西住様なら必ず勝てると信じています。どうか頑張ってください。

……サイトといえば、大洗女子学園が条件付きで廃艦になってしまうとの情報を見聞きしました。

これを覆すには、全国大会で優勝する事。この現状を打破する為に、大洗は二十年ぶりに全国大会へ出場したのですね。

そして、大洗女子学園はアンツィオ高校に続き、強豪プラウダ高校を破りました。次に黒森峰女学園が勝利すれば、大洗女子学園、つまりはみほ様と戦うことになるのでしょう。

ですが、僕は誓って言います。本気で戦うことこそみほ様の為になると、そして西住様にとって納得がいくと、僕は強く信じます。

他人事だからこそ、こんなことが書けるのかもしれません。ですが西住様は真面目です、悪いズルはできないでしょう。

あなたの選択を、心から支えます。あなたは常に、正しく生きてきたことを知っています。

長文、失礼しました。

 

PS.最近は西住様の前進を見習い、トレーニングジムに通うことにしました』

 

差出人西住まほ 青木様宛て

『今晩は。全国大会に向けての練習、そして試合が終わるたびに、あなたの手紙を心待ちにしています。

やはり、支えてくれる人が居る、という事実は嬉しいものがありますね。文章からも、お気遣いが見てとれます。

大洗の件ですが、私は全力でみほと戦うつもりです。安らぎあれど妥協無し、それが戦車道における礼儀だと考えています。

もし大洗女子学園が廃艦となり、再び黒森峰の世界へみほが戻ってきてしまったら、私はみほを全力で支えます。

それが、私のやるべきことだと考えています。

明日は聖グロリアーナ女学院との試合です。この手紙が届く頃には、きっと試合は終了しているでしょう。

あなたが嬉しく手紙を書けるように、私たちは全力で戦います。

 

トレーニングジムへ通うことにしたのですね。今度青木様を見た時は、圧倒されてしまうかもしれません。

警察官になれるよう、心から応援します。どうか、この黒森峰学園艦を守ってください』

 

 

差出人青木 まほ様宛て

『今晩は。聖グロリアーナ女学院との試合に勝利したこと、心よりお祝い申し上げます。

試合当日は一日中緊張してしまったのですが、黒森峰女学園が勝利したと知った瞬間、僕と赤井は大袈裟に喜んでしまいました。

後になって録画した試合を見たのですが、聖グロリアーナ女学院はとても強く、臨機応変さに優れていたと思います。

しかし、黒森峰は本当に強い。勇気と決断力が、聖グロリアーナの聡明さに勝ったのだと思います。

知識不足なので、見たままの感想になってしまいますが……。

あとは、みほ様と戦うだけになりましたね。

後はもう何も言いません、勝ってください』

 

差出人西住まほ 青木様宛て

『今晩は。この手紙が届く頃には、明日で全てが終わっていると思います。

西住流にしても、家族のことにしても、何だか長かったようで、あっという間です。

改めて言わせていただきます。あなたがいなければ、私はやるべきことを思いつけなかったでしょう。お母様に、反抗することも不可能でした。

手紙を見直していますが、あなたは最初から、私を一人の人間として見つめてくれていました。

その事実が、その想いの強さが、私という人間を変えてくれたのです。あなたは私の全てを守ってくれたのです。

あなたには、感謝しきれません。なんとお礼を書いていいのか、見当もつきません。ですので、私なりの言葉でお礼を申し上げます。

あなたのことは、私の信じる西住流と同じくらいに、大切に思っています。

これからもどうか、こうしてお手紙を通じて交流していただきたいです。時々、一緒に町へ出かけましょう。

長文、失礼しました。感情のままに書いてしまったので、文章が成り立っていないかもしれません。

どうか、決勝戦で勝てるように、応援してください。

 

PS.次に会う時は、呼び捨てで呼び合いませんか? ご迷惑でなければ……』

 

――――

 

 大洗女子学園との選手宣誓が終了するが、半分は頭に入っていない。

 逸見エリカの目の前には、他でもない西住みほが居る。黒森峰女学園に負ければ、黒森峰の世界へ戻ってくるはずのみほが。

 謝りたい。

 それはあるのだが、エリカの人生と言えば謝罪されることばかりで、した事実はほぼない。練習中ではまほに謝罪する回数は多いが、決して罪悪感が沸いてのものではない。

 大真面目に後悔しているからこそ、エリカはみほを前にして歯を食いしばっている。既に嫌悪などしていないのに、むしろ自分が愚かだったと自覚しているのに。

 みほが戦車へ乗り込む為に、背を向ける。

 意気地なしだった、セミの鳴き声がはっきりと聞こえてくる。自己嫌悪した、両チームの真剣なやりとりが耳に入る。

 泣きそうになったが、持ち前の気の強さで何とかしてしまった。こんな時くらいは弱くてもいいのに、脆くなって謝りたくなればいいのに。

 

「西住さん!」

 

 その時、後ろから声が聞こえた。

 エリカを通り過ぎるは、同じチームメイトの赤星小梅だった。

 ――確か、水没事故の、

「西住さん……あの時は、助けてくれて本当にありがとう! あと……ごめんなさい! 西住さんが責められていたのに、わたし……」

 そして、エリカは目にする、耳にする。

 

「ありがとう、赤星さん! ……ううん、謝る必要なんかないよ。私も、赤星さんを守ってあげられなくて、ごめんなさい!」

 

 お互いに頭を下げ終えた後、みほが、赤星が、心の底から笑っていた。

 

 瞬間、エリカの本音をせき止めていた紐が、ぶっつりと切れた。

 世界がこんなにも優しいなんて、まるで知らなかった。強くあれとばかり考えていたから、勝手に厳しいと思い込んでいた。

 今なら断言出来る。過ちを犯してしまったのなら、謝れば良いのだと。泣きそうな気持ちのまま、謝罪するべきなのだと。

 それを教えてくれたのは赤星小梅であり、西住みほであり、「謝れば大丈夫」と電話で後押ししてくれた赤井だ。

 エリカはぐっと口元を引き締め、赤星の隣へ歩む。

「あ……逸見さん……?」

「みほさん」

 怯えた表情になるみほを見て、エリカは「こんな顔ばかり他人に向けていたのか」と後悔する。

 これじゃあ次期隊長失格だ。必要なのは恐怖ではなく、尊敬だというのに。

「すみません。少し、話を聞いてください」

「は、はい」

 だから、堂々と隊長と名乗れるように、

「戦車喫茶で、悪態をついてしまったこと」

 みんなから、尊敬される為に、

「あなたが赤星さんを助けた時、あなたを責めてしまったこと」

 心から謝る。

「――」

 力を貸してください、赤井先輩。

 

「ごめんなさいッ! 本当に、本当にすみませんでしたッ!」

 

 大声が会場に響く。大洗、そして黒森峰のチームメイトの耳に通り、すべての言葉が灰になる。

 エリカは大きく頭を下げ、軍帽がぽろっと地面へ落ちる。

 ひどくでかい声だったと思う。何でこんなに叫んじゃったんだろうと思う。自分が間違っていたと認められて、本当に良かったと思う。

「逸見、さん……」

 目頭が熱くなる、涙は流れない。

 もう拒絶されても受け入れられる、決して後悔はしない。食いしばりすぎて歯が嫌い、顔が震えている。

「……エリカさん」

 返事ができない。

「顔を、あげて」

 みほの言葉通りに動くのに、何秒かかっただろう。もしかしたら数分かもしれない、それほどまでにみほの顔を見るのが恐ろしかった。

 そして、

「こっちこそ、本当にごめんなさい。エリカさんとは良いチームメイトだったのに、私は大洗に転校してしまって」

 みほが、深く頭を下げる。エリカは、ぽかんとそれを眺めることしか出来ない。

「……こんなことを言うのは変かもしれないけれど……嬉しい、本当に嬉しい。ありがとう、エリカさんとまた仲直りしたい……」

 黒森峰では決して見せなかった笑顔が、エリカの為に向けられている。

 どうしていいのかわからなくて、何かしたくてたまらなくて、一緒に戦車道がしたくなって、

 

 エリカは、自分なりの笑みでみほに手を差し出した。

 みほは、みほらしい笑顔でエリカの手を握り返した。

 

 会場のあちこちから拍手が湧き出る。めちゃくちゃ恥ずかしいが、とてつもない喜びに満ちている。

 また会うために手を放し、お互いに小さく頭を下げる。決着をつける為に、軍帽をひょいと拾い上げ、赤星の肩を抱きながら愛車へ前進していく。

 黒森峰戦車隊のある隊員は半泣きだし、自分のことのようにはしゃいでいる奴もいれば、良かった良かったと頷いている者もいる。

 まほは、表情で「良かったな」と伝えるだけだ。

 エリカは小さく頷き、実家より見慣れた車体へ乗り込む。

「勝負よ、みほ副隊長」

 軍帽を被る。

 もう一度力を貸して、先輩。

 

――――

 

 赤井がノンアルコールビールを三本ほど持ち出し、青木の部屋へ乗り込んでくる。一緒に、黒森峰の決勝戦を見届ける為だ。

 勿論録画はしているが、今回ばかりは生で見届けなくてはいけない。何故なら、決勝戦だから。

 自分のことのように身構え、選手宣誓を見届けたところで――予想外が起こった。

 

 逸見エリカが、みほに大声で謝罪したのである。

 

 あまりにも目立つ場面だったから、思わず生放送に映りこんでしまったらしい。

 しかし赤井は、何も驚くことはなく「やったんだな……」と嬉しそうに笑っていた。

「赤井」

「何だ」

「やるじゃん」

「だろ」

 テレビの向こう側から、選手からの拍手喝采が滝のように流れる。現地で選手宣誓を眺めていた観客も、エリカの正しさを証明するように称賛を止めなかった。

 青木は景気づけにノンアルコールビールのプルタブを開け、飲む。

 後は――決着をつけるだけだ。

 

――――

 

 試合が経過して数分が経過するが、確かに黒森峰女学園は強い。その攻めっぷりは否応無く威圧感が伝わってくるし、ああ動かれたからああ動く、という基本動作を本能レベルで行う。

 操縦が難しいはずの戦車を手足のように動かし、隙あらば主砲をお見舞いする。

 これぞまさに黒森峰の世界であり、味方一両がやられても振り向きはしない。

 だが、黒森峰が「徹底的に強い」のであれば、大洗は「何でも試すから強い」傾向に青木は気づく。

 

 大洗の戦車は黒森峰の戦車と比べ、性能に差が開いているらしい。だからアリクイ(らしい)の戦車は、車体角度をなめるように調整することでダメージをコントロールし、絶対に生き延びようとする。

 アヒルの戦車は煙幕弾をばらまいて気を散らせ、主砲や機銃でクチバシのように敵戦車をつつき、徹底的に煽る。

 カモの戦車は目が複数ついているかのように、絶対に被弾しない。直撃しない。水面に浮いているかのように戦車が鮮やかに移動し、囮と化している。

 カバの戦車はとにかく獰猛に体当たりをぶちかまし、動揺した黒森峰の戦車が何かをする前に、他の戦車が叩く。これで黒森峰の戦車が二両ほど持っていかれた。

「また主砲が……!」

 赤井が嘆く。ウサギの戦車が、奇跡なのか偶然なのか必然なのかの腕前で、黒森峰自慢の主砲や機銃を次々と潰していく。武器の損失は極めて痛い。

 無茶はせず、ウサギの戦車は俊敏に消えていく。

 そして亀の戦車は、とにかく「戦車以外」のものを破壊する。粉砕された建造物や壁からは、当然ながら凄まじい粉塵がなだれ込み、視界を奪われたところで他の大洗の戦車が白旗を刺しにいく。

 また黒森峰の戦車が減り、赤井が舌打ちする。青木がノンアルコールビールを飲む。

 そして、ライオンの戦車は上り坂から猛スピードで「空を飛び」、黒森峰の戦車一両を踏み潰す。

 ――そして、これら個性的なチームに対し、適切に指示を下しているのが、アンコウの戦車、西住みほが搭乗するフラッグ車だ。

 やばい、

 強い、

 楽しい。

 黒森峰は強く、大洗は楽しい。これは対処法の基本を知っている黒森峰だからこそ、余計に相性が悪い。絶対に「物理的に可能だからやってみよう」の精神で動いているであろう大洗の戦法に、黒森峰は足をすくわれている。

「やべえぞ青木、強いぞ大洗」

 赤井は、実に楽しそうな表情で大洗へくぎ付けとなっている。

 実際、ライオンの戦車が飛翔した際は、青木と赤井は「マジかよ!」と喜んだものだ。

 ただ、結構無茶な行動だったらしく、ライオンの戦車の動きが鈍くなり、すとんと停止してしまったが。

 

 それでも、黒森峰の戦力は物理的に多い。だから大洗はフラッグ車でフラッグ車を誘い、出入り口が一つしかない狭所へ誘い込む。

 ――あえて、乗ったのだと青木は察した。

 西住の血が騒いだ。それだけで理屈は事足りる。

 後追いするように、まほが出入り口へ突っ込む。フラッグ車を大破せんと、大洗の生き残りの戦車が雲霞のように押し寄せてくる。

 まずい。

 大洗の存続を背負った大洗の戦車達は、絶対に勝つと、何をされても食らいついてやると、履帯をフル稼働させている。

 これが戦車道、これが大洗女子学園、これが全国大会。

 青木は言葉を発することが出来ない。もうだめかと表情を歪ませ、

 

 エリカが搭乗している戦車が、別方向から唯一の出入り口めがけ突っ込んできた。

 

 赤井がのめり込む。

 決して小さくはないエリカの戦車は、戦車一両ほど通るのがギリギリの出入り口を、壁のように塞いだのだ。

 瞬間、機銃と主砲を容赦無くぶち込まれ、エリカの戦車が好き放題に爆発、穴だらけになる。

 さしものの黒森峰の戦車も一瞬で白旗が上がった――戦車を完全に移動させるには、時間がかかるのだが。

「エリカさん……」

 赤井が、心配するような、感嘆しているような声を漏らす。

 すごい、凄いわ戦車道って。

 

 まほの戦車が、みほの戦車の真正面へたどり着く。

 対峙。

 何を思っているのだろう、何を考えているのだろう。二人の間には、意志が成立しているに違いない。

 ――そして、両者とも動いた。相手の動きを読み、読まれることも読み、最善を尽くした動きでまほとみほは火力をぶつけあっている。

 怯まない。そして、勝つことしか考えていない。

 どういう意図で動作しているのかも分からないまま、青木はまほとみほの勝負を見守っている。強く手を合わせる、願望を吐き出す。

 頼む頼む頼む頼む頼む頼む頼む――――ッ

 

 いつの間にか、

 みほの戦車が、

 急旋回して、

 

「黒森峰女学園、フラッグ車、大破! 大洗女子学園の優勝ですッ!!」

 

 沈黙、

 

 静寂、

 

 間。

 

 テレビを壊さんとばかりの歓声が、全世界に広がった。

 大洗側の人間は手を上げたり、叫んだり、跳ねたりして喜びを表現し、黒森峰側の人間は、ただ黙って現実を受け止める。中には泣いている者もいた。

 まほとみほは、戦車に乗ったままで見つめあっている――誰もこの結果に異議など唱えてはいない。

 全て、終わった。

 全部、見届けた。

 青木と赤井は、まるで安堵したようにノンアルコールビールを飲み干し、黙ってテレビを見つめている。

「……なあ」

 先に口を開けたのは、青木だった。

「何だ」

「……逸見さん、凄く格好良かった」

 赤井は、同意するように「ああ」と言い、

「西住さん、最高だったよな」

 青木が「うん」と言う。

 ひどく単純な、しかしこれ以上ない本音。

 拍手が途絶えない全国大会の生中継をじいっと眺める。息を吐く。

 もう、見る必要は無い。あとは、まほが正しい行為を成せるよう、祈るだけだ。

「……青木」

「何」

「カレー、食いに行かね?」

 頷く。

「ああ、いいね」

 

―――――

 

「みほ」

 みほが振り向く。みほは勿論、大洗の生徒は浮かれに浮かれているが、撤収作業はキチンとこなしている。

 今、まほとエリカが突っ立っている場所は大洗の「陣地」であるから、皆が皆物珍しそうにまほを眺めていた。

「……凄かったな。まったく、昔みたいに後を追うみほはいなくなってしまったか」

「そ、そんな」

 みほが照れながらうつむく。感情豊かなものだから、裏読みしなくても良いのがみほの魅力だろう。

 エリカも感情が顔に出やすいタイプだが、みほのように思い切り笑ったり、苦しさを表に出すことは出来ない。何だかんだ、力押しな気性とはこれからも付き合っていくことになるだろう。

「みほ、優勝おめでとう。私の完敗だ」

「ううん、私も凄く苦戦した。お姉ちゃんは、やっぱり強いよ」

 夕暮れに相応しい称賛の応酬は、見ていてとても気持ちが良い。やるべきことをやったのなら尚更だ。

 全国大会も終わったのだし、今夜は青木と電話で長話しようと思う。今度、デートにでも誘ってみるか。

「そうか。今度は、必ず勝つ」

 くすりとまほが微笑み、みほが「負けないから」と笑顔で返す。

 ――そして、まほの口元が引き締まる。ここからが本題だと、言わなければ後悔すると、苦しそうな無表情になって。

 エリカは、一歩下がる。今だけはまほの力だけで、まほの誠意だけで乗り切らなければならない瞬間だ。

「……みほ」

「何? どうしたの? お姉ちゃん」

「……エリカも言っていたが、あの時、戦車喫茶でお前に会った時、私はひどく嫉妬していた。どうして私じゃないのかと、どうして友人達なのかと」

 みほの後ろにいた友人達が、動揺するようにまほを凝視している。

「けれど、気付いたんだ。お前は優しい子だから、黒森峰女学園での戦車道は向いていなかったんだなと。友達がいなければ、戦車道なんかできないと。――今更気づいたんだ。妹のことは全て知っていると思って……これじゃあ、いけないな」

 左右に、小さく首を振るう。

「あの時もそうだ。私は、西住流を尊重するがあまり、みほが赤星の命を救ったという勇敢な行為を見過ごしてしまった。――かっこ良かった、私の妹なんかにはもったいないと思った」

 みほは、小さく口を開けたままでそれきりだ。

 大洗の生徒がまほの言葉を見届け、友人達がまほとみほから目を離さない。

「黒森峰にいた頃は、お前はあまり笑わなかったよな。それなのに、私ときたら西住流こそがみほの為になると、栄光へ繋がると思って……」

 エリカは何も言わない。ただ聞くだけだ。まほが妹に対して、当たり前のことを成すまで眺めるのみだ。

「……でも、みほは『向いていなかった』。それを認めるのに、私とお母様も時間がかかってしまった」

 そして、

 

「ごめんなさい……ッ!!」

 

 今まで聞いたことのない、まほの擦り切れそうな声が夏の空に木霊する。

 誰も何も言うことが出来ない、気休めの言葉など吐き出せるはずがない。今のまほに言葉を投げかけられるのは、同じ血が繋がった人間だけだ。

 みほが何を言おうとも、決してそれは覆されない。それだけみほの孤独は長く、苦痛で、耐え難かった。

「……お姉ちゃん」

 頭を下げたまま、まほは決して動かない。軍帽が落ちているが、既にまほの世界にとってはどうでもいいものだった。

「お姉ちゃん、顔を上げて」

 黙ったままだった。

 まほは生真面目で、妥協などせず、強くあろうとする人物だ。だからこそ人一倍過ちを恥じるだろうし、罪悪感も進んで背負うだろう。

 ――ましてや、「愛する」西住みほを傷つけてしまったとなれば。

「お姉ちゃん」

 顔を上げない。

「お姉ちゃんッ!」

 はっと、まほがみほに視線を合わせる。

 みほが試合中に見せる、強い表情は――普通の女の子らしい、半泣きへ変わっていく。

「……許すよ……ぜんぶ許すから、そんな風におびえないで。いつもの、尊敬できるお姉ちゃんへ戻って」

「……みほ……」

「私も、黒森峰から逃げておいて、大洗の味方をして……本当にごめんなさい」

「――いや、お前は大洗のような、好きに出来る場所の方が強くなれる。試合で、それを学ばせてもらった」

 エリカが、一歩前に歩む。まほの横顔は、

「だから、みほは大洗で楽しく生き抜いて欲しい。なに、西住流は私に任せておけ」

「え、でも」

「いいんだ。私はもう一人じゃない、大切な人が支えてくれているからな」

 黒森峰では決して見られない、子供のような笑顔だった。

「……お姉ちゃん……」

「信じる道を歩め、自分を偽るな。くじけそうになったら、いつでも頼れ」

 みほの手を、大切そうにぎゅっと握りしめる。

 ――それで、すべてを実感したのだろう。みほは、「いつものように」笑って、

「うん! ありがとう! お姉ちゃん、大好きッ!」

 みほの言葉とともに、周囲にいた大洗の生徒達が好き勝手に歓喜する。中には、戦国時代のような旗を振るっている者までいた。

 エリカも、この勢いだらけの雰囲気に飲まれてしまい、大人ぶってうんうんと頷くのだった。

「……あ、あれ? 今、姉妹的に凄く重要なことを言ったような、」

 つい流されそうになったが、みほが首をかしげながら「ん?」な表情をする。エリカはとぼけるように目を逸らし、まほがいそいそと軍帽を拾う。

 友人達も「大切……な……?」とよろめくように口にし、

 

「いた――――ッ!!!」

 

 前振りもへったくれもない、暴風めいた絶叫が全部を吹っ飛ばした。

 敵襲かと皆が皆、視線を殺到させ、

 

 大洗の陣地めがけ、全速力でダッシュするスーツ姿の女性が居た。

 

「お、」

「お母様ッ!?」

 

―――――

 

 疲れた。

 もっと素直に言うと、めっちゃ疲れた。寝たい。

 昔は運動少女だった気もするが、偉くなってからは椅子に座ることが多くなった。思った以上に運動をする機会に恵まれず、改めて年を食ったと実感する。

 それでも、途中で大破せずにここまで来れたのは、人の親になれたからだろう。だから「自分は戦車だ。だから疲れなんか知らない」と思い込みながら、周囲の人間がガン見する間を潜り抜け、大洗女子学園が完全に撤収する前に、ここへ到着することが出来たのだ。

 ――本当は余裕をもってみほと会いたかったが、インタビューだの何だのが殺到して、随分と時間がかかってしまった。

 得るにしろ得たにしろ、名声とは面倒な生き物だと思う。

「はー、はー……まほ、ここに、いたのね……」

「お母様! しっかりしてください!」

「だ、大丈夫ですから。あ、はきそ」

 まほがめちゃくちゃ恥ずかしそうに顔を赤くし、みほが「大丈夫!? ねえッ!?」と大声で心配する。大洗の生徒達も、「あれ、西住流の師範さん?」「凄いアグレッシブねえ……」「西住流ってすごいね」と、実に耳に痛いコメントを残す。

「大丈夫、ですっ……お母さんは、戦車ですから」

「は?」

 まほが心底「何を言ってるんだろう」みたいな顔をする。

 先ほどまでの自分は戦車だったから、つい影響が残ってしまっていた。

「ごめんなさい、忘れてください――みほ、会えました、ね」

 みほは、警戒色をむき出しにしたまま「う、うん」と返事をする。かたや少女、かたやぜえはあと呼吸する大人の女性、血が繋がっていて良かったと思う。

「あ、う、うんっ! さ、さて」

 黒森峰戦車隊の次期隊長である逸見エリカが、「どうしよう……」な目つきでしほを眺めている。このままでは、まほにもダメージが入ってしまう。

 呼吸を無理やり整え、最低限話しかけられるまでに姿勢を整える。この状態で首の後ろを触られたら、間違いなく社会的に終わる。

「みほ……試合、見届けさせていただきました」

「あ、う、うん」

 「そんなヘロヘロのままでその話をするんだ」とばかりに、みほは眉をハの字にしながら母の話を聞いている。

「見事、でした。ですが、決して、西住流の戦い方ではありませんでした」

 西住流。

 この言葉を聞いて、脱力しかかっていたみほの表情が強張る。

「誰一人として欠けてはならないと、あえて退く者もいました。後ろに進みながら、戦っている者も見かけました」

 絶対的な沈黙が訪れる。

 呼吸困難で苦しんでいた時は随分と騒がしかったはずだが、師範から西住流の単語が浮かび上がった途端に、誰もが口を閉ざす。

 ――実感する。西住流とはやはり「そういうもの」らしい。一瞬にして、黒森峰戦車隊のような生真面目さが場を支配する。

「そして、戦車の差を覆すために、私の常識では考えられない戦い方をする者もいました」

 みほが、気まずそうに目をそらす。

 しほの両目が細くなる。

「……これらは、堂々、勇猛、直進ありきの、西住流のものではありません」

 すう、と息を置く。

「ですが、大洗の皆さんはやれるだけのことをやりました。戦車の差など恐れることなく、絶対に勝とうとする勢いを感じました。大洗は戦い方を変えられるだけの行動力があり、それが最善だと信じられる絆が、私には感じられました」

 大洗の生徒が、しほに注目している。みほが、見たことが無いものを直視しているような表情で、しほの言葉を受け止めている。

「これらはみほの指示と、大洗特有の力が重なった結果なのでしょう。……優勝、おめでとうございます」

 静かに、拍手をする。

 みほが、まほが、エリカが、生徒達が、どうしていいか分からず、静かに頷くだけ。

「みほ」

 そして、みほ「だけ」を見る。

 みほは、上官を相手取るように直立する。

 ――そんな風に見えるのか。自分は母親なのに、血が繋がっているのに。

 自分なんて所詮、困った時には常夫を頼って、どうしていいか泣きつくような母親なのに。

「……強く、なりましたね。それだけじゃない、もっと可愛くなってくれました」

 だから、笑おう。昔みたいに、自分の娘だからと人前で笑顔になろう。あの人が教えてくれたことだ。

 母親として当然の顔をしなければ、恐れられるのも当たり前だ。優しい娘に西住流という武を掲げては、距離を置かれるのは当然だ。

「黒森峰に居た時とは違って、大洗に居るあなたはとても自由に、そして心の底から勇敢に戦ってみせた。時には、他人を励ますために地元愛溢れる舞を披露した」

 それを聞き、周囲が「たはは」と苦笑する。みほも、「やめて……」とテレる。

「あんなに行動して、たくさん表情を変えるあなたを見て、私は、『大洗へ転校させて良かった』と実感しました――みほを支えてくださった皆様には、感謝しきれません」

 頭を下げる。大洗の生徒達が「いえいえそんな」と謙遜する。

「……みほ」

「はい」

 みほは無表情のままだ。

 これまでのしほの行動を考えてみれば、それも当たり前だ。

 だから、変わろう、変えよう。そうでなければ、絶対に生きてはいけない。

「あなたには、沢山の無理を言ってしまいましたね。誰かの命を救うという尊い行為すらも、西住流を建前に激怒してしまいました」

 今なら、前向きに認められる。

「私には、常夫さんという守ってくれる人がいます。だから西住流の師範として生きていけています――ですが、みほは孤独だった。親すらも恐怖の対象だった。想像するだけで、とてもつらいものだと、今の私には分かります」

 自分は、間違っていたと。

「気付くべき事実に気づけなかった自分が情けなくて、仕方がありません」

 常夫さん、力を貸して。

 

「……今まで、あなたに厳しいことばかり言ってしまって、本当に、本当にごめんなさい……」

 

 頭を下げる、そうしたくてたまらない。母親でありたいが為に、わが身可愛さでしほは頭を下げる。

 大の大人に頭を下げられて、みほは迷惑だと思っているだろう。近くに仲間がいるのに、何てことをするんだろう、と考えているだろう。

 ネガティブが頭から離れない。なまじ年を食ってしまったが為に、楽観的な妄想すらも思いつけない。しほにとってのリアリティとは厳しさであり、それが今、自分へ跳ね返ってきている。

 しかし、逃げない。言い訳もしない。まだ生きて十数年のみほに、伝統だの何だのを背負わせたのは自分なのだ。

 許して欲しい、けれど許さなくても良い。矛盾した甘えが生じる、しかし捨てきれない。

「……お母さん」

「……はい」

「さっきね、お姉ちゃんも謝ってくれたんだ。たくさんのことを」

 そうだったのか。

 しかし険悪そうには見えなかった。ということは、許したのか。なんて強い子なのだろう。

「それでね、今度はお母さんがこうして謝ってくれた。何だろう、今日ってそういう日なのかな」

 みほの顔は見えない。言葉からは、感情が読み取れない。

 それほどまでに、みほと離れ離れになっていたのだろう。

「やっぱり、戦車道って凄いと思う。こうして、心が通えるんだから」

 黙って聞く。

「お母さん、顔を上げて」

 恐る恐る、みほに視線を傾けていく。どんな顔をしているのだろう、許され、

 

「色々あって、本当にもう……どうしていいかわからないよ」

 

 みほが、笑顔のままで静かに涙を流していた。

 だから抱きしめた、それしか考えられなかった。

「みほ……今まで無理をさせてしまって、ごめんね」

「うん」

「相談に乗ってあげられなくて、ごめんね」

「うん」

「誰かの命を救うなんて、私にはできない。……すごい、かっこいい、みほはやっぱり凄い子ね」

「うん」

「そんな凄い子を、叱ってごめんね」

「うん」

「これからは、私もあなたの支えになれるように、頑張るからね」

「うん」

「西住流なんて、気にしなくていいからね。絶対にあなたを守るからね」

「うん」

「いつでも、戻ってきていいからね」

「うん」

「……ダメな母親で、ごめんね」

「ううん」

 みほが、しほを抱く。

 背中を撫でられ、しほは嗚咽した。

 

 これが、支えられる喜び――

 

――――

 

 しほが「お騒がせしました」と頭を下げ、大洗の生徒達は「いえ、本当に良かった……」と許してくれた。

 やはり、みほがいるべき場所はここだ。

「それでは、私はそろそろ帰ります。――まほ、みほ、元気でね」

「あ、うん……あ、待って!」

 しほが首を傾げる。みほが携帯を取り出し、

「記念撮影、したいな。今日のことは、絶対忘れたくないから」

 ああ、

 それは、いい提案だ。しほは笑顔で了承する。

「では、不肖、この秋山優花里が撮影役をやらさせていただきますッ!」

 あらかわいい。

 しほが頭を下げてお礼を言い、みほを中心にしほとまほが並び、

「エリカ、お前も来い」

「えっ? でも家族だけで……」

「お前も家族みたいなものだ」

 ぐいっと無理矢理引っ張られるが、エリカもまんざらではない表情で仲間入りする。

 それを機に周囲のテンションが上がったのだろう。大洗の生徒達が私も私もと集い、秋山という友人も「お、いいですねー!」と盛り上がっている。

「一枚目を撮影し終えたら、次は私が撮影します。秋山さんも仲間に入って」

「! 流石西住殿のお母様! 感謝感激です!」

 いえいえと、頭を横に振るう。

 これからもこの友情が続くように、愛情が止まらないように、ずっと願い続けよう。

 まほは厳しい道を辿るだろうが、青木君、という人物が支えてくれるはずだ。大丈夫、自分が出来たのだから自慢の娘に不可能なんてことはない。

 みほとまほの肩に、手を乗せる。ちらりとみほとまほが目を向け、くすりと笑った。

「みほ」

「はい」

 戦車道は、強制されるものではない。信じて行うものだから、戦車道は輝く。

「あなたの戦車道、私に見せてくださいね」

「……うん!」

 そして、秋山が携帯を構える。

「はい、ポーズッ!」

 

――――

 

 カレー屋で780円の30%増量サイズを食っていると、ポケットに入っていた携帯が振動する。

 メールか何かかと取り出してみれば、まほからだった。しかも画像が添付してある。赤井が横から「何だなんだ」と甘口を口にしながら、青木の携帯を横から眺めようとして、

「あ、すまね」

 横から、強い振動音が店内に響く。「おっ、エリカさんからだ」と興味津々にメールを覗き、

「……やったじゃん……まほ……」

 赤井も、「ああ……」と言葉を漏らす。

 

 みほの戦車を背景に、大洗の生徒達が、エリカが、まほとみほの肩に手を乗せたしほが、それぞれの笑顔で、一枚の世界で共存していた。



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流れ星

 西住まほは中学生の頃から西住流を信念に置く女性で、いじめを見れば頭に血が上って助太刀
まがいのことをするような、真面目な性格だった。
 両親もまほを高く評価していたからずっと真面目でいられたし、誰もまほの生き方に文句を
言わなかったから、自らの生き方を頑なに信じられた。
 根っこから、黒森峰学園艦の人間だった。

 だからこそ、幸せになるべき人だった。


差出人西住まほ 青木様宛て

『今晩は、元気にしていましたでしょうか。私は、すこぶる元気です。

全国大会ですが、惜しくも負けてしまいました。自分の未熟さを、心から痛感しています。

正直なところ、悔しい気持ちはあります。ですが、成すべきことを成したお陰で、

清々しいものです。

あなたの教えてくださったことを、私は全て実行したつもりです。その証拠が、あの

二枚の画像です。

とりあえずは、これでひと段落です。暇な時間もあるでしょう、というか作ります。

今度の週末、一緒に街へ出かけませんか? 何だか夏らしいことがしたくなったので、久しぶりに泳ぎに行こうかなと。

それと、これは流しても構わないのですが、今度の夏休み、私の実家へ行きませんか?

お母様が、あなたに会いたがっています。

沢山のお礼がしたいのはともかく、何か余計なことを言いそうで心配です。お母様は、ああ見えて異性関係には敏感ですので。

長文、失礼致しました。

あなたとこうして文通が出来て、本当に良かったです』

 

―――

 

 待ちに待った休日を緊張状態のままで迎え撃ち、青木は新しく買っておいた私服に着替える。

 早寝して体力を温存しておこうと前夜から考えていたのだが、全く眠気が訪れなかった上に

朝六時で目覚めてしまった。まだ六時間しか眠っていない。

 デートの時間は十時、いくらなんでも早過ぎる。何度も横になって目をつむったが、脳ミソの

鼓動を感じるくらいには興奮していたので、全くもって話にならない。

 しょうがないなあ。

 早朝の散歩も悪くはないだろうということで、公園へ出かけることにする。

 

 夏になった。

 何故だか遊びの範囲が広がるような季節であり、もう少しで史上最大の夏休みが

やってくる(予定)。

 この時間帯は本当に涼しい、それで長袖を選べばすぐに後悔する。背筋を伸ばし、あえて

大げさに両腕を広げ、緩慢な歩行で公園に向かう。

 夏になって、全国大会が終わった。

 まほは優勝を逃がし、間違いなく負けてしまった。それはもう取り戻せない。

 みほと仲直りし、母とも和解したのはとても良いことだと思う。家族団欒こそ、具体的な幸せの一つに違いない。

 傍観者に過ぎない自分ですら、少し悔しいかな、と今更になって実感しているのだ。あそこで

一生懸命に戦ったまほは、どう思っているのだろう。

 そして、同じくして公園で散歩をしていたまほを見かけ、軽く会釈する。

「あ」

「あ」

 間。

 何というのか、本当に真面目のまま生きていて良かったと思う。

「ど、どうも……」

「あ、久々だね……」

 何だか恥ずかしくなって、お互い目を逸らしてしまう。

 数日間程の間だったはずだが、まほの顔を見るのが数か月ぶりに思える。それほどまでにまほは身近で、それでいて会いたくて仕方がなかった。

「えーと、あの、まほ、さん」

 青木の最後のセリフで、まほは実に残念そうに表情を曇らせる。

 この時点で、呼び捨てにしろと言われているようなものだ。赤井とカレーを食っていた時は

「まほ」なんて言っていたクセに、本人を前にすると途端にこれか。

 気持ちがくすぐられる、本当のことを吐いてしまえと理性までもがアドバイスする。

まほの表情を元通りにするには、青木の言葉しかない。

「……まほ!」

 まほは驚いたように肩を動かし、

「……おはよう、青木。お前も、散歩か?」

 久しぶりに見る、まほの微笑。

 前から言っていたかのように、まほは青木の名前をそのまま呼んでみせた。

 青木は「まあね」と苦笑しながら、何事も無く公園を一周する。

 

―――

 

 やることをやっていれば、時間というものはあっという間に過ぎ去っていく。

 夏は今始まったとばかりに、気温が自己主張をし始める。毎年「今年生きられるのかな」と

ぼやくが、何だかんだいって生き残るのが恒例だった。

 朝の十時前になって、やっぱり待ちきれなくなって「いまきたとこ」作戦を実行しようと

すれば、やっぱりまほが待っている。青木は思わず、

「……待った?」

「ううん、今きたところだ」

 このやりとりをきっかけに、今日一日が始まる。

 

 

 水着は適当にラフそうな奴を選んだが、思うとデート向けの男性用水着って何だろうと、青木は屋外式の市民プールの更衣室で今更疑問に思う。

 まあ、これで良いのだろうと開き直る。周囲の男たちを眺めてみても、だいたい同じような

感じだ。

 ――自分のことはどうでもいい、問題はまほの水着だ。

 色気もへったくれもない青春を送ってきた青木だが、「水着姿の女の子とデートをする」というのは、男にとって大金でも買えないシチュエーションであり、報告をすれば英雄扱いされることも知っている。

 そして、好きな人の水着姿というのは、どんな浪漫にも勝る夢だ。その夢さえ見られれば、

もう文句無く青春を満喫したと言っても良い。大人になっても、過去の栄光としてすがりつくには十分すぎる。

 ビキニタイプか、スクール水着か、或いはスポーツマンっぽい水着か――どんな水着でも

即死する可能性はあるが、ここで命を落としてもスピード成仏する自信がある。

 警察官志願者失格の頭のまま、青木は首を振るう。まほ曰く、「今日の為に、一応水着を

買って……おいた」とのことだ。

 今日この日の為に、自分の為に。

 これは命日だなと考えながら、青木は更衣室から出る。

「や、やあ……」

 

 更衣室から出てすぐに、黒ビキニ姿の、見るなバカと言わんばかりの拗ねた表情の、

内股状態の、西住まほという、青木のゴールが降臨していた。

 

「お、おお……!」

「唸るな! 恥ずかしいだろう、まったく……」

 じゃあそんな水着を選ぶなよ、そんな水着を選んでくれてありがとう。

「いやあ、似合う、凄く似合ってる。いいなあ、いい」

「褒めるなッ、変質者としか思えん……」

「じゃ、じゃあ、褒めないでおく?」

 いじわるをけしかけてみる。

「……別にいいぞ」

 心の中でジャンピングガッツポーズをとりつつ、青木は、

「僕、まほに出会えてよかった……!」

「……嬉しいが、とてつもない邪念を感じる」

 ふん、と視線を逸らされる。

「そう怒らないで。じゃあ、体操して泳ごうよ」

 たははと笑いつつ、青木は全脳細胞を炎上させながら、まほの水着姿を頭の中で撮影する。

 よし。

「ああ――そうだな。そうしよう」

 今は、背負うものなどはない。

 すべてをやりきった者には、安息が与えられなければならない。

 

 まずは慣らしとばかりに適当に泳ぐ。青木は「まだ泳げたんだなあ」と呟きつつ、今度はまほに注目する。

 まほは元から水泳選手だったかのように、見事なクロールを披露している。まだ人が混むような時間帯でもないから、まほは人魚のように、好きなように泳いでいる。

 戦車道とはまるで関係がない、水の世界――本当に自由になったんだなと、青木は思う。

 なるべく砕けた会話を意識したつもりだったが、やはり根っこにあるのは戦車道であり、

西住流だった。まほの生真面目さが、忘れることを良しとしなかったのだろう。

 だが、今は自信を持って、確信をもって言える。まほは、遊んでいる。

「ふう……どうかな? 一応、水泳の授業があるからどうにかなっているが」

「いやいや、いいよ、凄くかっこいい。プロレベルじゃないかな」

「そうかな? それは嬉しい」

 ふふん、とまほは笑う。

「授業中は良くも悪くも制限があるから、こうして自由に泳ぐのは、気持ちがいいな」

「そうだねえ。僕も、市民プールなんて初めて来たよ」

 ざぶんと、背を水に預ける。

 何かに襲われたら、すぐに終わるだろう。

「青木」

「うん?」

「お前には、何もかもを与えられっぱなしだな」

「それを掴んだのは、まほだよ」

 いやいや、とまほは首を振るう。

「私は、道が無ければすぐに迷ってしまうような女だ。――だから、これからも、困った時は

導いてくれると嬉しい」

 青木は、「うん」と同意する。

「……本当、久々だな。何もかもを忘れて遊ぶなんて」

「じゃあ、もっと遊ぼう」

「そうだな」

 市民プールに流れる陽気な音楽とともに、青木とまほは端から端まで競争し、青木が完全に

スピード負けして「ちくしょー」と毒づく。まほは「凄いだろう」と自慢げに口元を曲げる。

 後はヤケクソになって水をかけあい、戦車道仕込みの怒声とともに青木は水鉄砲を、顔面から

食らう。

 試合の後は、何だかやりたくなったので、まほが青木めがけ飛び込み、青木が両こぶしでまほを打ち上げ、「やったッ! やったぞ!」とまほが大空で勝利宣言する。間もなく、爆発めいた

水しぶきとともに水没する。

 大丈夫かなあとあまり心配せずに振り向けば、思い切った速度でまほが水中から顔を出す。

 目が合えば、「楽しいな」「本当にね」

 

 市民プールで散々泳ぎ回ったり、意味も無く潜ったりもした。我慢大会に負けたことも記憶に

残っている。

 まほの濡れた髪が、青木の目から離れない。健康的なまほの肌が、青木の「好き」という感情を煽る。まほはそれに気づき、「何をじろじろ見ている」と、青木の頬をぺしっと叩く。

「しょ、しょうがないだろ、まほは、」

 カウンターとばかりに、

「まほが、可愛いから……」

 その言葉に、むっとまほの顔が赤くなる。

「褒めれば何でも許されると思うなよ」

「ごめんごめん」

 幸せだ。

 まほが幸福そうなことが。

「――ところで」

「うん」

「私は、お前の支えがあったお陰で、こうして楽しめている。私一人だったら、決断なんて

できなかった」

「うん」

「怖いことも沢山あったが、後押しがあったお陰で、今は何の悔いも曇りもない」

「それは良かった」

 青木は、二度頷く。

「突然だが、あの飛び込み台が見えるか?」

 見えるも何も、このプールへ入り込んだ瞬間から真っ先に気づいていた。

「興味はあるか?」

「ないです」

 先手を打つ。ぶっちゃけ怖いので、飛ぶ予定などはこれっぽっちも考えていない。

「私は勝負の中で生きている。だから、勝てると思えば挑戦したくて仕方がない性分だ」

「それは凄い」

「私は飛び込みたくて仕方がないが、一人で飛ぶのは怖い。気持ちを共有してくれるような人が

居れば、話は別なんだが」

「誰なんだろうね」

 青木の肩に、まほの手が乗る。

「行こう」

「やだよ」

 初めて、まほを拒絶した。

 罪悪感は全く無い。

「……そうか……」

 しゅん、と表情に陰りが生じる。

 どきりとする。あの時、グラウンドで走っている時に見た、みほを失った時のまほの横顔。

 文通も、戦車道に対する関心も、まほに恋したことも、全てはここから始まった。

 人は、きっかけがあれば強くなれたり、救われたり、愛したくなるものだ。

「――しょうがないなあ」

「え」

「一緒に飛び込もう。先にする? 後にする?」

「先に飛ぶ」

 過去の横顔は消え、今ここにあるのはまほの笑顔だ。

 

―――

 

 プールで散々動き回って、生まれて初めて高高度から落下したせいで、体力はごっそり

削り取られ、思い切り腹が減った。

 だからいつものカレー屋へ寄り、最近会ったばかりの店主の顔とご対面する。

「いらっしゃ――お、まほちゃんじゃないの! いやー、格好良かったよ! 今日は

サービスするね!」

「ありがとうございます」

 まほが礼儀正しく頭を下げる。このオヤジ、二度しか会っていないくせにちゃん付けとは随分とやってくれるじゃないか。

「780円甘口」

「私も780円サイズ、辛口でお願いします」

 席に着く。店主が「あいよ!」と、てきぱきとした動きでカレーを調理する。

 まほを見る。まだ水の名残があるまほの髪には、流れるような艶が店内で密かに光っている。

 カレーが待ち遠しいのか、キリッとした顔つきで店主の動きを眺めていた。

「あー、久々に空腹らしい空腹を覚えた気がする……」

「私もだ。よく遊んだ」

 体をぼんやりと動かす。

「今度は、みほとたくさん遊びたいな」

「それがいいよ」

 うん、と頷く。

「あ、みほといえば」

 まほが、青木に視線を向ける。

「その……手紙、読んでくれたか? 夏休みのこと」

 青木が水を飲む。

「読んだ……マジで?」

「ああ。お母様は、私をこんなに幸せにしてくれた男の顔が、見てみたいとのことだ」

「えー、大した顔してないよ僕は」

 困ったような、嬉しいように苦笑する。

「むしろ、迷惑をかけちゃった」

「そんなことはない」

 強く断言する。

「お前は、私を、西住家を救ってくれた。お前のお陰で私はみほに謝れたし、お母様もみほに

謝罪した――お前の善意が、ぜんぶ繋げてくれたんだ」

 エリカは、赤井が押してくれたのだろう。

 警察官を目指しているからこそ、善さを認められたことにたまらなく喜びを感じた。

「実家へ来た時は、是非とも歓迎する。大丈夫、堅苦しさはたぶん無いから」

「分かった」

 今年は、自分の実家へ帰れそうにもない。両親に事情は包み隠さず話すつもりだが、絶対に

驚愕とからかい交じりの質問責めが飛んでくるはずだ。

 やだなあ、と思う。こんなこともあるんだなあと、思う。

「楽しみだ」

 そして、店主からカレーが配られる。50%増量の準優勝おめでとうカレーだ。

 ありがとう店長、食えるかなこれ。まほはもう臨戦態勢だった。

 

―――

 

 その後は、時間的に丁度良かったので、例の恋愛戦車映画をもう一度見ることにした。序盤に

おけるお姫様ストーリーから一変、後半になってからの力押し物語は、青木やまほにとっても

痛快だったらしく、「いや、いい映画だ」とまほが総括する。

 今回はパンフレットを買おうかなと、青木が転売コーナーで関連商品を物色していると、

「……やっぱり、ああいうのは憧れるな」

「ああいうの?」

「ダンス」

 ああ、

 共感するように、青木が頷く。誰か一人の為に手をとり、自分の為だけに動いてくれる。

 それは、誰もが望む夢だ。

「きっと、」

 間を置く。

「きっと、見つかるよ。そんな相手が」

 意気地なしだった。

「そうか――そうだな」

 まほは、同意する。青木の顔を見つめながら。

 

―――

 

 空が夕暮れに染まっていく中、まほが「ちょっと寄っていこう」と、黒森峰学園艦で

一番(自称)の戦車道グッズ店へ入店する。

 入って早々、店主は「おっ」と声を出し、

「例のカップルじゃないの!」

 青木は「違います」と答え、まほは黙秘権を貫いた。

「……ありゃ、ひょっとして、あの西住まほさん?」

 まほが、「はい」と答える。戦車道の有名人に出会えたからか、店主が「おお、おお」と

声を張り上げ、

「いやあ、前は『まさかなー』って思ってたんだけど、そのまさかだった。気づかないなんて、

おじさん馬鹿だなあ」

 悔いもへったくれもなさそうな笑みとともに、

「よし、一品だけ三割引きしちゃうよ――準優勝、おめでとう!」

 まほが「ありがとうございます」と頭を下げる。青木は、困ったなあと笑うことしか出来ない。

 

 しばらくして、まほがグレーのミリタリージャケットを店主の元まで持っていき、一万円を

差し出す。店主が「じゃあ三割引きね」と嬉しそうにお金を受け取り、お釣りを差し出した。

 まほのものになったミリタリージャケットを手にしながら、まほは青木の所まで近づき、

「貰ってくれ」

 ドッグダグネックレスが光った。

「え……え? これ、僕に?」

「そうだ」

「お、おいくら?」

「一万ちょっと」

 青木が、「はあ?」と素っ頓狂に声を出す。

「そ、それは、高いよ」

 青木の言葉に抗議するように、片目をつむりながら「ん」とドッグダグネックレスを

指でつまむ。カッコつけて購入した手前、青木の言葉など押し込められる。

「借りは、必ず返す」

 そう言われてはどうしようもない。潔くミリタリージャケットを受け取り、試しに店内で

着替えてみる。

「ど、どう?」

 決して自己主張はせず、男としての存在感を引きだすミリタリージャケットは、青木の目から

見ても格好良いと思う。

 今は夏なので着られないが、秋になればシメたとばかりに愛用するだろう。だって、まほからのプレゼントなのだから。

「……青木」

 変な緊張感を覚える。今のまほは、テレビごしから見せてくれる真剣な表情そのものだ。

「――格好良いな。よかった、これでお揃いだ」

 今のまほは、憧れを手にしたような微笑を滲ませていた。

「ありがとう」

 青木が小さく頭を下げる。

「ありがとう、まほ。大切にする、一生」

「ああ。寒くなった時に、頼りにしてくれ」

 言いたいことを言い終えた後で、冷やかしと好奇心交じりの視線を察した。

 「あ」と振り返れば、店主が「やるねえ」と言わんばかりにニタニタしている。

青木とまほは、逃げた。

 

―――

 

 好き好んで過ごしていると、時間は早く過ぎ去っていく。

 これだけのことをしてきたんだなと、青木は薄暗い夕暮れを見上げながら思う。

 帰路につき、街の喧騒と別れてみると、土曜の終わりをしみじみと実感した。

 疲れたようで、そうでもない気がする。休日という力がそうさせるのか、或いはまほが

隣で歩いているからか――いずれにせよ、今日はもう遅い。

 生きてきて、一番遊んだように思う。心から楽しかった、なんてことは滅多に感じられる

ものではない。

「じゃあ、そろそろここで、」

「……待って」

 青木と、まほの足が止まる。

「公園のベンチに、座らないか?」

 青木は、黙って頷く。

 

 腰を下ろす。ノンアルコールビールも買わないまま、青木とまほは黙ったままでいる。

 何となく、青木はうつむく。自分の足しか見えない。

「……青木」

「うん」

「今日は、とても楽しかった。たぶん、生涯で一番楽しかったと思う」

「それは、良かった」

 うん、と青木は頷く。

「明日は、どうなるんだろうな」

「わからない」

 正直に言う。それが分かれば、まほもみほも母親も、傷を負わなかったはずだ。

「だな、私もそう思う――けれど、これから先は、前よりも楽しいことがたくさん

起こるような気がする」

 ちらりと、まほの横顔を見る。

 あくまで前を見つめながら、まほは緩く口元を曲げている。

「みほと仲直りをして、エリカからペン回しを教えられて、お母様も元の優しいお母様に戻った。これが、楽しくなくて何だというんだろうな」

「そうだね」

「……何より、お前と出会えたことが、心から嬉しくて、たまらない。正直に言うと、お前との

別れなんて、考えられない」

「僕も思う」

「私の弱さを見つけてくれて、受け入れてくれた。何度も言う、お前は西住流と同じくらい

大切な存在だ」

「ありがとう」

 青木は、心の底からまほに感謝する。

 そう言われただけでも、今日ここまで生きてきて良かったと思った。

「……それで、その、もう一つだけ、どうしようもない本音を言っても、いいか?」

「うん」

 まほの言葉を聞かせてくれる。

 それだけでも、青木は幸せだった。これが自分の生きる理由の一つだと、実感する。

「――戦車道を行う以上、誰しもは一回は考えると思う。自分こそ、一番の戦車乗りだって」

 同意するように頷く。自己肯定がなければ、道を歩めはしないだろう。

「私も正直、世界で一番の戦車乗りだと思っている。それだけ鍛錬を積んできたし、

実績も重ねてきた」

 その通りだと、青木は「うん」と返事をする。

「……だからな」

 まほの表情が変わる。

 ああ、そうか。

 やっぱり、まほは、

「みほに敗北した時、全国大会で優勝を逃した時、」

 まほは、誇り高き戦車道の猛者だから、

「正直、凄く悔しいって思った。何が悪いんだろうって、みほより何が

足りなかったんだろうって」

 まほは、西住流の為なら一人で強くなれる人だから、

「もう、黒森峰で優勝を狙えないんだなあって思うと、胸が張り裂けそうになって」

 まほは、みほの為なら自分のことを隠せるお姉ちゃんだから、

 

「何で、まけちゃったんだろう……」

 

 西住の名は、この瞬間から流れ星となって消えた。この地上で、まほという女の子が

涙を流していた。

 

 それでも、こんな時でも叫ぶことはなく、迷惑をかけないように声を押し殺して。

 ――青木は、まほの肩を抱いた。

 今は何も言わない。今は、まほの感情を思う存分溢れさせよう。

 まほの魂を、癒そう。

 

―――

 

 数年ぶりに、めちゃくちゃ泣いたと思う。

 みほには絶対に言えないようなことを言って、そのくせ、みほには聞こえていないだろうかと

心配になって。

 ――ここは、黒森峰学園艦だ。

 当たり前の事実に、未だ震える声でほっとする。

「――青木」

「うん」

「すまなかった。いきなり、泣いてしまって」

「いや、いいんだよ。むしろ、最後の後悔を吐き出してくれて、安心している」

 感謝するように、まほが「うん」と首を下げる。

 ――どれほどの時間が経ったのだろう。気付けば夕暮れは時に流され、満月がはっきりと浮かび上がっている。

「……周りは自然だらけの公園に、満月か……」

 青木が、意味深そうに呟き、

「あの映画みたいだね」

「ああ、」

 大草原の中、満月に見守られながら踊る、主人公とヒロインの場面を、今日見たばかりだ。

「……僕からも、本音、いいかな?」

「うん」

「僕は、これからもまほを見守りたいと思っている」

「うん」

「それで、まほからもっと大切に思われたいって、考えてる」

「うん」

 まほは、こくりと頷いた。

「僕も、まほのことをもっと好きになりたい。だから……」

 そこで、青木の言葉が詰まる。

「僕の言おうとしていること、わかる?」

「ああ」

「言わなきゃ、ダメ?」

「もちろん」

 笑えたと思う。

「……まほ」

 青木がベンチから立ち上がり、まほの前に立つ。

 すっと、優しく手を差し出し、

「僕は、君のことが好きです、世界一愛しています。――こんな僕でよければ、この手をとって、いただけませんか?」

 その言葉を、待っていた。

 だって、

「はい、こんな私でよければ。私は、あなたと――ううん。お前と、ずっと歩んでいきたい」

「ありがとう、まほ。僕は、これからも君を支えていく」

 言おう。

 青木にとって、最も望んだお礼を。

「私も、お前のことを支える。くじけそうになったら、私に頼ってほしい」

 まほは立ち上がり、右手と左手を、青木に預ける。

「青木――好きだ。大好きだ」

 足が左右に動く、そこに順序や脚本は存在しない。

 音楽が鳴らずとも、見渡す限りの草原でなくても、自分に身を合わせてくれる人が、

ここにいればそれでいい。

 

 これから先、たくさんの嬉しさや悲しさが待っていると思う。

 警察官になるのも難しいだろうし、プロの戦車道選手になるのだって、簡単なことではない。

 現実とは難しいことだらけだ。けれど、こうした優しさが世界に残されていることも、まほは

知っている。

 

 今はただ、好きな人と、

 今はただ、好きなように、

 

 黒森峰学園艦で、踊りましょう

 

 

 




ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。これで、この話は終わりです。
沢山の評価やご感想をいただき、心の底から嬉しく感じています。
自分は西住まほというキャラクターからガールズ&パンツァーの世界にはまり、惚れました。
自分は恋愛小説が好きで、いつかガルパンキャラで恋愛模様を描きたいと思っていました。
そこでハーメルン様というサイトを知り、先輩たちが書いてくださった話を見て、
投稿しようと決意しました。

ガルパンという作品で恋愛小説を書くのは、本当に難しかったです。どうやって共感を得るか、
試行錯誤しました。
ですがこうして、受け入れてくださったことに深く感謝しています。
そして、前々からやりたかった、西住家の仲直りが書けて、ほっとしています。

もし機会があれば、また別のキャラクターで恋愛を書いてみようかなと考えています。
読者の皆様、ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。
そして、
ガルパンはいいぞ。


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おまけ
プロローグ


 何事も準備万端で迎えるタイプの赤井からすれば、普段通りの私服で世界一好きな人と

デートってどうよ、と考えたが、赤井の脳ミソにはキメキメの服=タキシードという方程式しか

存在していなかった。

 そういうわけなので、結局は着慣れた服で待ち合わせ場所に集合、となった。

 公園へ向かう途中、ふと立ち止まり、携帯を操作する。何度も何度も見た「集合写真」の画像を開き、赤井は「良かったな……本当」と呟く。これが日課だった。

 

 そうして一区切りつけて公園へ到着すると、ベンチ前には行ったり来たり行ったり来たりを

繰り返し歩いている逸見エリカが居た。

 

 聡明なエリカはすぐさま赤井に気づき、「あ」と声を漏らす。赤井も「あ」と声が出る。

 エリカの私服は白ワンピースに茶の肩掛けバックという、シンプルにしてこの夏最強理論の

装備で固められていた。

 この時点で英雄となった赤井が、間抜けな声を出したところで、男どもは「しょうがないよな」と納得してくれるだろう。

 素っ頓狂な声を聞いたエリカが、口を尖らせながら恥ずかしがるのも無理はないだろう。

「お、おはようございます……」

「お、おはよう」

 間。

「あ、えっと……実際に会うのは、初めて、ですね」

「あ、そ、そだね」

 間。

「一応、確認しますけど」

「はい」

「……間違いを犯してしまった場合は、どうすれば良いですか?」

「謝ればいい」

 即答だった。

「はじめまして、先輩」

「はじめまして、エリカさん」

 固く握手する。一応素性は明らかにしていたつもりだが、よく考えてみれば顔写真などは

見せたことがなかった。

 失敗したなーと、小さく思う。

「ほうほう、先輩はこういう……」

 じろじろと眺められる。辛抱たまらない赤井は、引っ張られるように視線を逸らしてしまう。

「へえ……」

 何が「へえ」なのだろう。勉強よりも気になる一言。

「先輩らしい顔ですね、イメージぴったり」

 何が「らしい」のだろう。次の言葉が待ち遠しい、一生のことのように思える。

「……会えてよかったです、先輩」

 その笑顔は、間違いなく本心から咲いたもので、

 その言葉は、間違いなく本心からの挨拶だった。

「俺も、俺も、エリカさんと会えてよかったよ。――エリカさんと比べると頼りない

先輩だけどね」

「そんなことはありません」

 即答し、首を横に振るう。

「先輩は、私を支え、導いてくれました。私を自主的に善へ走らせてくれました」

 真剣な表情だった。

「先輩のことを、尊敬しています。――いつの間にか、その、先輩のことが、えっと」

 エリカの言葉が詰まる。

「……俺は、エリカさんのことが好きだよ」

 だから、導く。

「凄く短絡的なコトを言うけど、俺は結婚を前提にお付き合いしたいな!」

 最後の最後で締まらなかったのは、どうしようもなく恥ずかしかったからだ。エリカは

真っ赤な表情のまま、氷漬けとなっている。

 ――デートをしなければ許さないとばかりに、空は清々しく晴れている。夏だから遊べと

ばかりに、くそ暑い。

 セミの鳴き声がとてつもなく聞こえる。朝っぱらの公園に人気は無く、赤井はただただ

エリカの返答を待つだけだ。

「あ、」

 エリカの声が出かかる。

 赤井は、命を失ってでもエリカの言葉を待つ。

「あ、あの……」

 戦車道という武に生きる女性とは思えない――いや、それを信念に置いているからこそ、

エリカはどうしようもなく女の子らしい声を出して、

「……どうして、いつもそんな格好良いことばっかり言えるんですか……」

 力が抜けた赤井は、にへらと笑う。

「……私も、同じ考えですよー」

 瞬間、赤井はみっともなく飛び跳ねた。エリカは「やめてください」と力無く反応するが、

決して止めはしなかった。

 

―――

 

 水族館の入場料が夏限定でお得らしく、赤井とエリカは万場一致で「水族館へ行こう」と

前もって決めていた。

 「女の子と水族館へデート」という思い出は、男どもからすれば偉業に相応しい夢である。

赤井は心の中でクラスメートに対し、「勝ったぜ俺は!」と最低なことを抜かしていた。

 それもあるが、個人的な興味もあるにはあった。水族館なんて子供の頃以来であるし、どんな

魚がいるのかも興味深い。赤井は男の子だった。

 かくして黒森峰学園艦の水族館へ入場したわけだが、「絶滅寸前」と解説されている魚を沢山

展示していたり、過剰なまでのクラゲコンテンツが客を引き寄せていたり、サメが頭上を悠々と

泳いでいったりと、水族館も全くもって妥協していない。

 やっぱり黒森峰学園艦って凄いねーと思いながら、エリカは何を見ているのだろうと視線を

向けて、

「すごい……」

 タコだった。

「このカラーリング、間違いなく毒持ってる……かっこいい……」

 毒タコだった。

「うわあ、感動するなあ。ネットでしか見たことがなかったし……」

 あ、この人面白いぞ。

 赤井は断言した。

「先輩見てください。あれが、あれがキロネックスですよ。かっこいいですよね……」

 確かに。

 赤井は「うん」と頷くが、目をきらきらと光らせているエリカも凄く格好良かった。浪漫を

持っている女性は、良いと思う。

「先輩は、好きな魚とかいるんですか?」

「えっ!? う、うーん、そうだなあ、サメとかかなー」

 嘘は言っていない。エリカは「なるほど」と頷き、

「やっぱり、男の人はサメやクジラに憧れるものなんですね」

 納得したのか、うんうんと二度頷く。

「……あ」

 そこで、エリカが「やらかした」とばかりに口も目も開く。

「す、すみません、一人で盛り上がってしまって……」

 迷うことなく、赤井は「いやいやいや」と首を横に振り、

「いや、楽しそうで本当に良かったって思ってる。戦車道に対しては真面目だからこそ、こういう顔が見られて、すげえ嬉しいっていうか、なんていうか……」

 あえて臭いことを言う前提で、斜め上に視線を逃がしながら、

「俺だけに見せてくれる表情って考えると、その、可愛いっていうか……」

 エリカの顔はあえて見ていなかったが、沈黙しているあたり、たぶんタコのように顔真っ赤に

なっていると思う。

「……先輩」

「あ、はい」

「……くっさいことばっかり言うと、女の子に信用されなくなりますよ」

 まあねーと、自覚するように目をつぶる。

「なので、そういうくだらないことは、私だけに言うようにしてください」

 間。

 瞬間的な速度でエリカの顔を見る。

 やれやれ、といった感じで、エリカは笑っていた。

「……俺は、エリカさんしか愛してないし」

「くさいくさい」

 その後は、手をつなぎながらで水族館を隅から隅まで堪能した。外見スゲーとか、毒こえー

とか、そんなことを二人で言い合いながら。

 

―――

 

 その後はゲーセンに寄ってエアホッケーで争いあったり(赤井が負けた)、パンチングマシンを前にして、「おらぁッ!」の怒声とともに繰り出されたエリカパンチが、世にも恐ろしい威力を

叩き出して、「夫婦喧嘩なんて絶対したくねえ」と赤井がぼやいたりした。

 後は、思い付きで散々遊びまくった。

 カラオケで様々なジャンルを歌いあったり、私服のレパートリーを増やす為にデパートへ

寄っては、エリカのファッションショーを眺めて「真剣に評価してください」と怒られたりも

した。

 ――後は、なんとなく消防署の前に寄ってみた。

「……先輩は、どうして消防士になりたいと思ったんですか?」

 ああ、と赤井は軽く苦笑する。

「子供の頃にね――火の中という危険な場所へ突撃してって、その上で人の命を救う消防士の

姿をテレビで見てさ。その、一目惚れしちゃったんだ」

 それだけだよ、と赤井は言う。

 エリカは、「そうなんですか」と優しく微笑む。

「先輩、やっぱりかっこいい人なんですね」

「そでしょ?」

「かっこわる」

 赤井とエリカは、互いに声に出して笑った。

 ――瞬間、腹が鳴る。思えばもう夕暮れだった。昼飯も食わずに贅沢三昧をしていれば、

そりゃあ腹も減る。

「どこか寄る?」

「ファミレスで」

 即答だった。

 異論はなかった。

 

―――

 

「ハンバーグ定食」

 注文も即答だった。こういう店に来たら、まずは店員からメニューを手渡され、少し考えた後で店員を呼ぶ赤井からすれば、この出来事はショックだった。

 店員は、戸惑わず「かしこまりました」と立ち去っていく。内心はどう思っているのだろう、

まあいいか。

「好きなの? ハンバーグ」

「はい」

 向かい席で、エリカは水を飲み、ひと息つく。

「一週間に一度しか食べませんけどね。カロリー高いですし」

 凄く真面目に生きているなと、赤井は思う。

 そういえば真面目な奴が友達にいたが、食生活に関しては案外適当だ。真面目勝負はエリカの

勝ちだ。

「凄いねえ、エリカさんは。本当、戦車道を貫いているんだね」

 そう赤井に言われ、エリカは「うーん」と声を漏らし、

 

「そうですね。戦車道が無くなってしまえば、私はひっそりと消えるんじゃないでしょうか」

 

 冗談めかして笑うが、冗談とも思えない。

 カロリー制限をこなし、体を鍛え、そして弱音も愚痴も他人には吐かなかった逸見エリカに、

戦車道の為に活きているエリカに、戦車道を取り上げてしまったらどうなるのだろう。

 嫌な想像ばかりが思いつく。戦車道は不滅の文化だ、絶対だ。終わりかけになったら、自分が

なんとかして戦車道を再興させてみせる――馬鹿みたいな野望だった。

 けれども、エリカの為ならば心身を捧げる覚悟は出来ているつもりだった。

 だって――何気なく黒森峰戦車隊の公式ページを眺めていて、一生懸命に副隊長を務めている

エリカの顔を見て、一目惚れしたのが、すべてのきっかけだったから。

「……俺が、必ずエリカさんを助けるよ」

「先輩、」

「消えさせなんかしない。俺は、戦車道を一生懸命にこなすエリカさんが好きだから――だから、いざとなったら戦車道に関する活動とか、してみるよ」

 本心からの言葉を、言えたと思う。

 エリカは無表情のままで、次第に母のように微笑み、

「先輩」

「うん」

「大好きです」

 うん。

「――お客様、ご注文はお決まりでしょうか」

 ああ!? と視線を急がせれば、にやにやと笑っている女性の店員が近くで突っ立っていた。

聞かれたのだろうか、そうなのだろう。

「あ! ああ俺もハンバーグ定食で!」

「かしこまりました――応援してますね」

 赤井とエリカは、かーっと真っ赤になりながらうつむいてしまった。

 逃げたい。

 けど、ここで撤退したら、エリカが好きなハンバーグが食べられなくなってしまう。

 なるほど、自分も戦わなければいけない時が来たということか。

「せ、先輩……」

「な、なんすか……?」

「たすけて……」

「……がんばろう」

 もちろん、ハンバーグ定食は完食した。

 青春とは、恥ずかしいくらいが丁度良いんだろうなあと思いつつ。

 

―――

 

 ファミレスで激闘を繰り広げた後は、黒森峰学園艦で一番(自称)の戦車道グッズ店へ寄って

いこうとエリカが提案した。

 入店し、店主のオヤジが「いらっしゃい」と赤井とエリカを迎える――そこでエリカの顔を

見て、「あ、あんたは副隊長の逸見エリカさんかい?」と声をかけてきたものだから、エリカは「そ、そうです」と返答する。

 オヤジは「有名人と会えて光栄だ。準優勝、惜しかったね――じゃあ、一品だけ三割引きに

するよ」と気前の良いことを言ってくれたものだから、エリカは実に嬉しそうな顔になる。

「すみません。少し大事な買い物をしなければならないので、ここでは別々に行動しましょう」

 この一言で、赤井は戦車道グッズ店をぶらつくことになった。

 戦車道には疎い赤井でも、男の子的にくすぐられる商品がいくつかあって、あれ買いたいな

これ買いたいなと迷ってしまう。

 商品を物色している際、ちらりと「ドッグタグネックレスコーナー」と書かれたプレートを

発見するが、一万円モノは入荷未定となっていた。どんな金持ちが買っていったのだろう。

 まあいいや。

 財布と相談したが、結局は何も買わなかった。店の出入り口で大人しく待っていれば、携帯の

画面をじいっと目にしているエリカの姿が見受けられた。品物の評価でも見ているのだろうか。

 少し時間がかかったが、エリカは何かの商品を店主に手渡し、「二万円だね。じゃあ三割

引きで」と、店主から嬉しそうに言われるのだった。

 

 空はすっかり夕暮れ時で、良い子も悪い子も寝る時間だ。

 それでも夏はまだ終わらない。暑さが抜け切れていないぬるい風が吹き、エリカのワンピースが少しだけ揺れた。

「今日はお疲れ様です、先輩。とても、楽しかったです」

「こちらこそ。いやあ、エリカさんという恋人が出来てめでたいよ」

 あははと笑う赤井に対し、エリカが「かっる」と皮肉っぽく口を曲げる。

 ――帰路が、こんなにも心地よいものだとは思わなかった。

 赤井もエリカも、やるべきことをやって、言うべきことを言ったからだと思う。今のエリカに

やり残したことなんかない、だからこれからのエリカは幸せになっていくべきだ。

 その幸せを見届けることが赤井の役目であり、幸福以外に他ならない。だから、すごく

気分がいい。

「……先輩」

「何かな?」

「先輩は、意地を張ってばっかりだった私の生き方を、変えてくれました。お陰で、段々と仲間が出来てきました」

「……少し違う」

 エリカが、きょとんとした表情になる。

「エリカは、『この生き方が正しい』と自分で考え出したんだよ。俺は何もしていない、一個上の先輩ぶってアドバイスしただけ」

 嘘はついていない。

「人を避け、人が離れていく人生なんてもう嫌だとエリカが考えて、その上で自分の力で人と

ふれあっていったからこそ、今のエリカは幸せなんだよ」

 誠意をもって笑う。

「俺は、何もしてないよ」

 エリカは、赤井から目を離さずに、

 エリカは、赤井だけを目に入れて、

「そうですか」

 心からの笑顔を見せてくれた。

「ありがとうございます、先輩。じゃあ、私からのささやかなお礼を受け取ってください」

 包装紙にくるまれた、長方形の箱を差し出される。

 赤井の思考が一瞬だけ停止する、両足が止まる。

「え……あの……」

「どうぞ」

 開けてください、と目で促された。

 赤井の心臓がめちゃくちゃ動きながらも、包装紙を丁寧に解いていく。

 ――時計だった。大きすぎず、けれど決してヤワじゃない、秒針付きの。

「これ、消防士向けのプレゼントらしいんです。さっき、検索をかけたので間違いありません」

 エリカの視線が、真横に流れる。

 

「……消防士の彼氏、とか、夫、に対しての」

 

 ――誓う。

 俺は、この人を守ろう。この人に迫りくる悪意の炎なんて、消し飛ばしてやろう。

「……エリカ」

「はい」

「数年後、結婚しよう」

「はい」

 そして、エリカはおどけるようにくるりと一回転し、

「私も、同じことを考えていました」

 

―――

 

 数日後、黒森峰女学園のグラウンドが忙しくなっていた。エリカのメールによると、『大洗

学園艦が再び廃艦の危機に陥ったので、ちょっと『転入』してきます』とのことだ。

 なるほど、と赤井は頷く。戦車道ニュースWEBでも、それらしいことが書かれてあった。

 そんなことは、赤井だって許さない。黒森峰の敗北はタダでくれてやれるものではない。

 だから、黒森峰女学園は敗北を取り戻すために、大洗を救う為に、このだだっ広いグラウンドを縦横無尽に駆けているのだろう。数時間もすれば出撃だ。

 ――そこで、学園前で会いませんか? とエリカからメールで誘われる。

 当然、全力ダッシュで応える。その熱い想いが通じたのかは定かではないが、大洗女子学園の

制服を着たエリカが赤井を待ってくれていた。

「お待たせ! 可愛い!」

 感情が全くもって整理されていないセリフを吐かれ、エリカが斜め下に視線を逸らす。

「す、すげえ……似合ってる……」

「ど、どうも……」

 他校の制服というのは不思議なもので、男でも「なんか着ると恥ずかしい」という魔力がある。

 エリカも例外ではなく、あんまり見て欲しくないように赤井のことを目にしない。

「ど、どしたん? 今、忙しいんでしょ? 俺なんか気にしなくて、」

「先輩」

 言葉が押し返される。

「――次に待っている試合は、絶対に負けられません。私たちの経験を、敗北を無にしたくは

ありません」

 瞬間、エリカが戦車道履修者の顔になる。

「……みほさんの幸せを、壊させるわけにはいきません」

 エリカは、戦車道を歩んでいる。

 人の為に戦い、礼を持って武を振るう――エリカは、戦車道しか眼中にない。

「絶対に勝ってきます」

 赤井が、うん、と頷く。

「ですので、私に力を貸してください」

「分かった」

 そして、エリカが両目をつぶり、顔を前に突き出す。

 なるほどキスか。

「え!?」

「映画とかだと……こういう時にキスをして、力を貰うものでしょう!?」

 怒られた。

 全くもってこれっぽっちも嫌ではないが、軽薄な赤井すらしどろもどろになる。

「それとも、結婚前提というのは嘘だったんですか? 結婚すればキスの一つや二つは

するでしょう!?」

「そ、そうだけどね……」

 あそこまで誓い合った仲だ。今更後戻りはできないし、する気も無い。

 ひと呼吸つく。

 自分は、エリカを守る為にこれからを生きる。そして、エリカが愛したこの世界を

燃え上がらせない為に、赤井はこれからを生き抜く。

「エリカ」

「はい」

「――頑張っておいで」

「うん……赤井」

 

 短く、確かに唇が合う。それだけでもエリカの心の炎が伝わり、赤井も、どうしようもなく

感情の熱を込めた。

 名残惜しそうに顔と顔が離れ離れになり、エリカは「行くね」と軽く敬礼し、赤井の前から

走り去っていく。

 

 また、会う為に。



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ラストダンス

 朝から携帯を操作し、お気に入りから「黒森峰学園艦警察署」の公式サイトへ飛び、活動報告
ページを眺める。

 『○月×日、コンビニエンスストアで店員に対し、暴行を行った男性を逮捕しました』

 先日も、黒森峰学園艦の平和は守られたようだ。西住まほはほっとして、ドッグダグネックレスを首にかける。
 警察署のページを閉じ、ホーム画面へ戻れば、まほとみほとしほと、沢山の大洗の生徒達が笑顔で迎えてくれるのだ。
 明日は、結ばれた日の画像にしようかな――
 朝っぱらから上機嫌そうに笑うのは、ある人が「ここ」へ戻ってくるからだ。毎晩声を聞いてはいるが、やはり顔が見たい、愛を語り合いたい。
 ドッグダグを指でつまみ、金属板がまほの顔を映す。こんなに良い顔が出来たっけと、自分でも思う。
 昔はこんな感じじゃなかったのにな。
 昔は――


 夏休みへ入ったにも関わらず、青木は生まれて始めて帰省をすっぽかした。しかし親に事情を

話すと、非難どころか「やるじゃないか! ちゃんとやってこいよ!」と、この上なく感激された。実に面倒くさい。

 まあ、しょうがないよね、と思う。

 青木は今、まほの実家の前で呆然と突っ立っている。横に広く縦に高い屋敷が、平穏な

住宅地の中でしれっと建っているのが実に恐ろしい。普通なら、目を逸らして横切って

いくのだが、

「ここが、私の実家だ。そう緊張することはない」

 無理だと、青木は首を横に振るう。広い屋敷という要素だけでもプレッシャーが凄いのに、

中身は「西住流」という戦車道の集大成が詰め込まれているのだ。

 座るだけで即座に足が痺れそうだし、無礼を働こうものなら主砲が火を噴きそうな気がする。

しかも、この中には確実に「西住しほ」という「まほの母」が待っているのだ。

「大丈夫、お母様はお前を歓迎している。私を幸せにしてくれる男、と認めているんだぞ?」

 いやでもなあと青木は弱音をたらたら吐く。西住家の正門前で怖気づいて数分が経過するが、

未だに一歩踏み出す勇気が沸いて出てこない。

 まほが「困ったなあ」と表情を弱らせていると、

 正門が開いた。

 青木の覚悟とは裏腹に、しほがあっさりと視界に入った。

「声がすると思ったら……まあ、あなたが青木さん?」

 声を出せないまま、青木が頷く。

「そう、あなたが。初めまして、私は西住しほ、まほの母です」

 穏やかな笑みとともに、頭を深々と下げられる。

 ここでようやく青木が日本語を取り戻し、「あ、青木です! こちらこそお願いします!」と、体育会のノリで礼をする。

「ああ、そんな、緊張せずに……ささ、上がって上がって」

 導かれるがまま、青木は「お、お邪魔します」と玄関に上がる。まほは「ただいま」と

あっさり。

 ――広い。

 たぶん、実家を食わせても物足りないんじゃないかってくらいデカい。ここで一人暮らしを

しようものなら、間違いなく怖くなって引っ越すと思う。

 まさに「厳格な和風」を突き詰めて設計された西住家の屋敷は、西住流にふさわしい

総本山っぷりを青木に見せつけていた。

 今時あまり見ない襖を開けてみれば、これまた一人では寂しすぎる広間に着く。目につくのは、テーブルが一つ。

「どうぞ、お座りになって。今、麦茶を出しますね」

 ぱたぱたと、しほがキッチンへゆったり歩いていく。

 ――現状のところ、しほが普通のお母さんにしか見えない。

 前までは、完璧な西住流の師範だったのだろうか、とすら思う。

「お母様は、とても優しくなった」

 テーブル前に腰を下ろし、当たり前のようにまほが隣へ座る。

「全部、お前のお陰だ」

「いやいや」

 青木は照れ隠しに苦笑するが、まほは言葉を変えない。

「お前の言葉が、私に、お母様に優しさを思い出させてくれた。――お前と出会ったことで、私は幸せになれた」

「……そっか」

 嬉しそうに笑みを浮かばせるまほが愛おしくなって、青木はまほの髪をなでる。

 受け入れるように、まほは青木の手をとっている。

「……離れちゃ、だめだからな」

「うん。僕も、まほがいなきゃだめだ」

 今となっては、まほが自分の心を守ってくれている。

 だから、青木も自信を持ってまほを支えられる。

「あらあら、お邪魔でしたか?」

 麦茶が入ったケースと、コップが三つほど乗っているトレイを手にとりながら、しほが

「分かっていそうな」笑みをこぼしている。

 青木とまほは緊急離脱する。青木の顔はすっかり真っ赤だが、たぶんまほも同じだろう。

「ささ、おばさんに構わず愛を語って」

「うるさいッ! お母様なんて!」

 そう言われても、しほは「ごめんなさいね」と笑って流す。流石は大人だ。

「そんなこと言って、いずれは青木君と結ばれるのでしょう? 先に言うか後回しにするかの

違いだけよ」

 それもそうだと、青木は頷く。

 まほも、それはそうだけど、と黙る。

 ――間。

「ちょ、ちょっと待って……それって、けっこ、」

 まほが青木の言いたいことを言いかけた瞬間、チャイムが鳴った。

 まほが「しめた!」とばかりに玄関へひとっ走りする。緊迫しているような、高揚している

ような、この独特の空気に耐えられなかったのだろう。

 しほは微笑ましくまほを見送り、その視線は必然的に青木へ移行する。割と大きなテーブル一枚を挟んでいるはずだが、距離感が全くもって伝わらない。

 まほの親を前にして、うわあどうしようかなあと視線をちらちら逸らしていると、

 

「みほぉッ!?」

 

 いち早過ぎる速度で、しほが獣のように立ち上がっては玄関へ突撃していく。途中で滑って

コケそうになるが、体勢を無理矢理整えて来客を出迎えに行く。

 ――今更ながら、青木の脳ミソが事を把握する。

 みほ? 今、みほと言ったか?

 警察官志望者の記憶力をフル稼働させなくとも、自然とみほの素性が氷塊していく。なぜなら、まほから何度も聞かされた名前だからだ。

 

「つッ、常夫さんッ!?」

 

 命日となった。

 

―――

 

 今日も夏真っ盛りに相応しい晴れ空の下、住宅街からは子供のはしゃぐ声が聞こえてくる。

セミの止まらない鳴き声が、ここ一帯の平穏を伝えてくる。

 事故も無く車がどこかへ通りすがっていき、今日一日も、明日も、世界平和が訪れることを予感させる。

 そうやって物思いにふけっている青木の前には、西住しほ、西住みほ、西住常夫の仲睦まじい

三人組が、壁一枚も無いテーブルを間に挟んでご対面中だった。

 ――沈黙。

 しかし表情は正直なもので、隣に座る常夫に照れが隠せていないしほ、明らかに気まずそうな

みほ、そして青木とまほを微笑ましそうに眺めている常夫。

 隣へ視線を逃がしてみると、まほも狼狽しきった顔で、目を青木に泳がせている。

 

 ――何でみほと常夫が居るのかといえば、「サプライズ」で帰省したからだ。しかも被った

らしい。

 驚かせるつもりだったのだろうが、あまりにも効果てきめんだったことは言うまでもない。

 

 男として何か話題を提供しなければ、と思った。何を喋ればいいんだ、と迷った。

 セミが他人事全開で鳴きまくり、いいなあ虫になりたいなあと割かし本気で思う。ああでも

虫だとまほと出会えないぞどうしよう。

「……あ、あの」

 最初に先陣を切ったのは、みほだった。

「は、初めまして。私は西住みほ、です。お姉ちゃんの妹、をやらさせていただいています」

 青木は、間抜けな声で「あ、はい」と返事をし、

「あ、は、初めまして、青木といいます。黒森峰学園三年で、まほさんとはお付き合いをさせて、いただいています……」

 まほと話す以上に丁寧に、真剣に、まるでお見合いのような雰囲気で頭を下げる。

「お付き合いということは、彼氏さん、ですよね? ……知らなかった」

 ちらりと、みほの視線がまほに刺さる。まほは「ぐ」とダメージを受ける。

「まあまあ、みほ。この年頃になると、色々とデリケートなのよ?」

 ね? と常夫に同意を求める。常夫は――しほの夫か――その通りだとばかりに、にこやかに

頷く。

 どうも、あまり言葉では表現せず、顔や態度で事を示すタイプらしい。

「そうなんだ。私だけが特に彼氏無し、仲間はずれにされちゃったー」

 まほが「ぐぐぐ」とダメージをぶち込まれる。

「ま、まあまあ。西住さん、凄く可愛いから、彼氏はすぐ出来ると思う、よ?」

 当てずっぽうなフォローを、正座込みで言う。

「本当ですか? それならいいんですけれど、まず出会いが……」

 そこで、みほが「あ」と声を出す。

「そういえば、お姉ちゃんはどうやって青木さんと会ったの?」

 めちゃくちゃ関心を抱いているのか、みほの目がこれまで以上に光る。まほは「そ、それは

だな……」と、言葉を紡ぎだせない。

 こういうことは友人相手に話すよりも、肉親へ語る方が恥ずかしい。青木の両親は青木とまほの交際事情をよく知らないが、いずれは根掘り葉掘り聞きだしてくるだろう。将来は真っ暗闇だ。

「あ、うーんと、そう、文通、文通なんだよ西住さん」

「文通!」

 とてつもなく興味を持ったのか、みほが年相応の明るい顔になる。

「その、まほ……さんは、」

 そこでまほからの鋭い視線を食らう。

「……これは印象でしかなかったんだけどね。まほは、誰にも弱音を吐かず、遊ぶことも

あまりしないで、強く強く戦車道を歩んでいる感じがしたんだ」

 みほから、明るさが消える。

「でも、そんな姿に僕は魅せられた。だからこそ、まほを少しでも楽にしたい、軽く

したくなって、ファンレターを出したんだ」

 しほも常夫も、青木の話を黙って聞いている。

「……戦車道も良いけれど、たまには休んでくださいって。忙しいだろうし、返信は

難しいかなーと思っていたら……来たんだ」

 にこりと笑う。

「まほも、僕の手紙に同意してくれたんだ。そこから、色々あって、こうして交際することになったわけ」

 本当、色々なことがあったと思う。

 まほを励ましたかと思えば、まほと出会い、デートもして、そして妹と向き合うために親と

電話越しでケンカをして、全国大会で負けて、素直に泣いた。

 ここまで来るのに、数年はかかったと思う。

「だから、これからも僕はまほのことを好きになっていくよ」

 その言葉を聞いて、みほが「そうですか」と微笑む。

「……やはり、青木さんしかいませんね。まほの結婚相手は」

 しほがにこやかに言い、まほとみほと青木が「あ!?」と体を震わせる。

 しほは既婚者であるし、娘想いだからこそ、誠実に幸せを口に出来るのだろう。

「お、お母さん! け、結婚ってことは、つまり……」

「お、お義兄さんになるのかなあ?」

 青木がおどけるように言うが、まほが「バカ」と青木を小突いた。凄く痛い。

「そっか、そういうことになるのか……で、お姉ちゃん、式はいつ?」

 絶対意地悪く言ったと思う。まほが「バカを抜かすな」ときつく反論した。

「絶対に呼んでくださいね」

 常夫が、自分も頼むとばかりに親指を立てる。まずい、夢にまで見た現状であるはずなのに、

なんだか気まずい。

「まほ――最近のあなたは、とても幸せそうな声を出すようになりましたね。しかも、西住流と

してのまほも強くなった」

「――あの時は、頼れる仲間が多かったから勝てました。私が天才、島田愛里寿を倒せたのは、

その下積みあってのものです」

 ああ。

 大洗学園艦が再び廃艦危機に陥ったと知った時、まほは一時的に姿を消した。青木は、メールで『信じてる』と一言だけ。

 生放送を見ていたが、大学選抜チームというエリートに対し、大洗を救うという一つの

目的の為に、他校という他校が集結し出した時は最高に興奮した。

 もちろん他校も見事な奮闘を繰り広げていたのだが、その中でひと際強く戦っていたのが

黒森峰女学園の戦車隊だった。

 退かず、しかし負ける為に前進するようなことはしない。勝つために主砲を放ち、次々と大学選抜チームに白旗を刺していく姿は、黒森峰女学園の強豪さを実感した。

 ――青木の元へ帰ってきて、「凄かったよ」と青木が感想を述べれば、まほはただ「敗北を

返してもらっただけだ」と一言。

 なるほど。それは確かに、人を強くする。

「お姉ちゃん、凄くかっこ良かったよね」

「お前の力あってこそだ」

 みほはにこりと、まほはくすりと笑う。

 常夫は、満足そうに麦茶を飲む。

「……で、愛の力もあってあんなに強かったと」

 バン! とまほが机をぶっ叩く。

「なんでこういう時にそういうことを言う!」

「え、納得しただけだよ」

 まほ曰く、みほは人見知りをする傾向があるらしい。

 しかし血の力とは偉大なもので、人見知りだろうが気難しかろうが、肉親の前では饒舌に、

本音すら漏らせるパワーが存在する。

 ――前の西住家は、こうではなかったのだ。その頃の西住家とはどういう姿を映していたの

だろう、自分ごときが想像出来るはずがない。

「くそ……楽しんでいるな?」

「お姉ちゃんに彼氏だよ? 妹としては嬉しくて嬉しくてしょうがないよ」

 声にならない唸り声を上げながら、まほが逃げるように麦茶を飲む。終始にこやかにしていた

しほが、まほのコップに麦茶を注ぐ。

「で、これは純粋な疑問なんだけれど」

 まほが、ヤケクソ気味に「ああなんだ言ってみろ」と言い放つ。その時、みほの表情に赤らめが生じていたのを見逃さない。

「……キスとか、したの?」

 みーんみんみんみんみんみん。

 青木、まほ、みほ、しほ、常夫が、同時に麦茶を飲み、コップを静粛に置く。

「ま、まだ」

 まほの一言。

 常夫が、「何!?」と言わんばかりの形相で青木を凝視する。上ずった声とともに、青木は

たじろいでしまった。

「常夫さん、落ち着いてください。――そうですか、まだ、ですか」

 ふう、とひと呼吸つき、

「お母さんは、許しますよ」

 全てを許容する母の笑みが、青木とまほを追い詰めた。

 青木とまほが顔を合わせ、次に西住家を視界に置き、黙ったままでうつむいてしまった。

 

―――

 

「常夫さんかっこいいじゃないですかー!」

 常夫がたははと笑い、しほは「やだやだ」と頬に手を当てている。しほと常夫がいかにして

結ばれたか、青木はまほの愛情たっぷりのカレーを口にしながら大真面目に聞いていた。

「お代わりはまだあるからな」

「ありがとう」

 まほも自作のカレーを食しつつ、しほの惚気話をふんふんと耳にしている。みほも初めて

聞いたらしく、顔を赤くしつつも決して聞き流そうとはしない。

「そう、こうしてカレーを作るようになって……コゲちゃっても、常夫さんったらおいしいって

言ってくれて」

 未だに口にするのも恥ずかしいのか、しほがやんややんやと口元を曲げている。常夫は

「いやあ」と言うたげに笑い、青木も男として共感し、「かっこいい」と称える。

 

 ――昼間は何だかんだあったが、元はと言えば西住家からは歓迎されている身だ。だから自然と笑って済ませてしまい、そこからは雑談感覚で「まほとはこんなことがあったんですよ」と、

これまでのことを話した。勿論、まほとは目で許可をとって。

 しほもみほも常夫も、どこか安心したような顔で青木の話を聞いてくれた。まほも、

「この人以上の人とは、もう会えない」とまで宣言して。

 そうしてそれぞれの思い出話に花を咲かせていると、いつの間にやら夕暮れ。つまりは夕飯の

時間となったので、家族総動員(青木は仮)でスーパーへ出向き、カレーの食材を購入しては、

他愛のない話とともに帰宅していった。

 ――で、当然ながらまほもエプロン姿で張り切り、ここで青木が「かわいい……」とかほざいたものだから、まほに「じろじろ見るな!」と怒られた。みほも「かわいー」と煽り、まほは

「くっそ……!」と愚痴りつつキッチンへ。

 こうしてまほとしほの愛情カレーが誕生し、青木とみほと常夫は「いただきます」の流れから、「うまい!」と感謝した――後は話の流れで、しほと常夫の青春時代を拝聴することに

なったわけだ。

 

「やっぱり、西住家の人と恋をすると、色々あるんですね」

「はい。恋を認めてもらうために、私は母と決闘し、勝利しました」

 ということは、公園での決闘宣言は血の繋がりによる必然だったのかもしれない。

 やっぱり、家族とは切っても切り離せないものだと思う。

「……ということは、私もいずれはお母様と?」

「師範を継ぐのであれば、そうなるでしょう」

 多少緊迫した空気になるが、またしほは柔らかく笑い、

「ですが、今のあなたは強い。いつかは追い抜かれてしまうでしょうね」

 その時は、しほは普通の母として振る舞える。

 継承とは、その人を信じて全てを託す事だ。そこに悔いはない。

「……お姉ちゃん」

「うん?」

「その、本当にいいの? お姉ちゃんだけが、西住流を」

「だけ、じゃないさ」

 まほが、隣に座る青木を横目に見る。

「今の私には、青木という心の支えがいるからな」

 ドッグタグネックレスは、ここでも外さない。まほの表情のように、きらりと光る。

「そっかー。あーあ、私も彼氏欲しいなあ」

「出来るさ。私の妹なんだから」

「うー、余裕そうですねーおねーちゃん」

 してやったり感を全く隠すことなく、まほは勝ち気に笑う。

「私はお姉ちゃんより一個下ですー、お姉ちゃんより遅いってことはないんですー」

「そうかそうか」

 言うだけ言っていいぞと、まほが頷きながらカレーを食う。みほは頬を膨らませながらも、

まほとしほ作のカレーを味わっていた。

 ――しほは、そんな姉妹のやりとりを眺め、微笑んでいる。その雰囲気のままで、しほは青木に目を向けて、

「青木君」

「なんです?」

「こうしてまほとみほが仲良く会話してくれて、私は本当に幸せです。

――ありがとうございます」

 しほが、小さく頭を下げる。常夫も、敬意を払うように頷いた。

「そんな……何度も言っていますが、僕は何もしていません。まほが、西住さんと

仲直りすることを望んだんです」

「……まほは不器用ですから、一人ではどうしていいか分からなかったでしょう。そんなまほを、あなたは救ってくれました」

 しほが、麦茶を一口飲む。

「あなたこそまほに相応しい人です。――私は、私たちは、いつでもあなたを歓迎します」

 みほが、首を小さく縦に振る。

「私からもお願いします。お姉ちゃんを、これからも支えてあげてください」

「……はい!」

 まほは何も言わずに、青木のコップに麦茶を入れる。

「あ、あと、私のことはみほでいいですよ」

「分かった、みほさん」

「じゃあ、私は青木さんのことをおにいさんって呼びますね」

 まほが激しく咳込み、戦車道の目つきでみほを睨む。

 みほは、してやったり感を隠さずにカレーを食べていくのだった。

 

 夕飯を完食し、青木が「洗うの、手伝いますよ」と立ち上がろうとしたところ、まほとしほに

止められた。

 最初はこれで良いのかなと思ったが、二人並んで食器を洗っている後ろ姿を見て、青木はこれで良いんだと考えを改めた。

 後は、テレビをつけて大洗女子学園対大学選抜チームの対戦特集番組を眺め、みほが「私が

映ってるー!」と恥ずかしがった。常夫は親として熱心に視聴していたし、青木も「みんな

凄いなあ」と感想を一言。

 食器を洗い終えたまほとしほも広間に戻ってきて、凱旋気分で特集番組に注目する。

 まほが敵戦車を撃破するたびに、青木が「やった!」と叫び、まほに「こら」と控えめに

怒られる。

 みほが敵戦車に勝つたびに、しほが「流石ね、みほ」と称賛する。みほは、恥ずかしくも

嬉しそうに笑う。

 

 みんな、誰かの為に頑張れるのだと、誰かを支えられるのだと、青木は番組を通じて

改めて思う。

 自分は、決して特別な力を持っているわけではない。元々持っているだけの勇気を、まほに

捧げただけのことだ。

 その勇気は、テレビに映っている戦車道履修者の心に秘められていて、まほにもみほにも

しほにも常夫にもその強さがある。

 だから、テレビの前で西住家が好きに笑いあっている。それは普通のことだけれど、西住家に

とっては、もう手放したくはない宝そのものだった。

 ほっと、一息つく。

 良かった。

「……青木」

「うん?」

「……なんでもない」

「そっか」

 

―――

 

 特集番組が終わった後は、何となく警察官になる夢を話して、西住家から応援された。

 夢がかなった際は、西住家総動員で祝いに来るという。これはもう引き返せないなあと、青木は笑った。

「――もう、すっかり遅くなったな」

「そだね、何だか疲れちゃった」

 みほがあくびをして、まほもつられて声を出す。

 緊張して、笑って、恥ずかしがって、煽って、煽られて、今日一日で沢山の感情が

溢れたと思う。

 外を見てみると、星空が瞬く夜空が本土を照らしている。セミの鳴き声もいつの間にか

止んでいた。

 夜遅くだと感じると何だか眠くなってきた。背筋を伸ばす。

「じゃあ、僕は寝ようかな……お邪魔でしたら、別の部屋で寝ますから」

 しほと常夫が無表情になる。四つの目は青木に刺さっていて、何か失言でもしたのだろうかと

青木が戦慄する。

「……まほの部屋で、二人で眠るんじゃないんですか?」

 当たり前のように、しほが言った。

 当たり前のように、常夫が頷いた。

「あ、なるほど。あ?」

 失礼むき出しの声だった。

「お、お母様!? 何言ってるんですか!?」

「え、おかしいことは別に……交際しているのでしょう?」

 たぶん、しほは過去の体験を元に断言しているのだと思う。

 まほは顔を真っ赤に、口をあんぐりと開けたままだ。

「そ、そんな、いくらなんでも」

 青木があたふたと抗議するが、しほは「交際しているんですから問題はありませんよね? 

嘘偽りではありませんよね?」と優しい目で訴えてくる。

 青木は、完敗するように「はい」と返事をした。

「……まほがいいなら」

 まほは、人差し指で自分の額をとんとんと叩いている。みほは、実に興味深そうにまほの回答を待ち望んでいた。

「……寝るか、一緒に」

 不眠が決定した瞬間である。

 常夫は実に嬉しそうに微笑み、しほは「懐かしいわねえ、常夫さんと二人きりで眠った時は

どきどきして……」と惚気話をスタートさせていた。

 ――まほの決定をしかと聞き入れたみほは、

 ( ^ー^)b

 姉を誇らしく思うように、親指を立てていた。

 

―――

 

 まず、まほの部屋に案内された時点で緊張感が爆発したし、寝間着姿のまほの姿を見て眠気なんかすっ飛んだ。

 恋人の部屋だから――ということで一瞥してみたが、第一印象は「生真面目」だった。

 本は背の順番で並んでいるし、学習机にはでかい砲弾一発しか乗っていない。ポスターの一枚も貼っていなければ、CDらしいものも見当たらなかった。

 およそ娯楽品らしいものは、青木の目では視認出来ない。本も戦車に関するものばかりで

あって、改めて、まほは戦車道の申し子なのだということを痛感する。

「……何もないよな」

 感づかれたのか、青木は目を逸らしてしまう。それでもまほは笑ったままで、

「実家はこうだが、寮は最近、賑やかになったんだぞ」

 そうなの? と青木は目で質問する。

「おいしいカレーの作り方、という本を最近買った」

 青木の口が開く。

「ファッション雑誌もたまに購入するし、みほに影響されてくまのぬいぐるみも部屋に

入れてみた。可愛いものだな」

 何度も見せてくれた微笑を、青木に向ける。

「そして――これは、目に見えるところに置いている」

 ドッグタグネックレスのチェーンを掴み、それを机の上に置く。

「何も心配しなくていい。私は――楽しく生きているからな」

 青木の両肩が、すとんと落ちた。

「……ああ」

 まほの肩に手を乗せる。まほは、うん、と応えた。

 

 

 改めてまほに対して安心感を覚えた青木は、まほのベッドの中で眠れずの夜を過ごしていた。

 枕は二つ並べておいたが、元々一人用のベッドだ。全くもって距離などは稼げない。まほの背中が青木の背中とぶつかっている。

 すごく恥ずかしいし、とても嬉しいし、かなり興奮しているし、ぜったいに眠れそうにない。

こんなの、初デートの前夜以来だ。

「……起きてる?」

「起きてる」

 即答だった。

 まほは、強い乙女心の持ち主だ。こんな状況になれば、青木と同じく眠れなくなって当然だ。

「何だろうな。こうして、男の人と一緒に眠るなんて思いもしなかった」

「僕も、女の子と眠るなんてね。人生って分からないね」

 それも、単なる知り合いとかそういうのではない。互いを求め、想いあっている仲だ。

 だからこうして部屋に案内されたのだし、何の抵抗も無く一緒に横になっている。

 何か気の利いた一言でも思いつきたかったが、「好き」とか「愛してる」ぐらいしか

発想出来ない。それは何度も言った。

 時々、まほが思いついたように動く。そのたびに背中同士がこすれ合い、まほが近くに

いるのだということを思い知らされる。

 ――もう、まほとの関係は進むところまで進んだ。

 足りないものは言葉ではない、行動だ。

「……まほ」

 寝返りを打ち、まほの後ろ髪が目に入る。まほは恥ずかしいのか、そのままで「何だ」と言う。

「いい、家族だね」

「ああ」

 暖かさがこもった声だった。

「もっと、色んなことを話したい」

「いいんじゃないか」

「もっと、西住家の期待に応えたい」

「応援する」

 まほのショートヘアを、そっと撫でる。まほは抵抗しない、ただ「うん」と受け入れるだけ。

「まほ」

「うん」

「必ず、警察官になるから」

「ああ」

 しっかりした声。

「西住流にふさわしい男になるから」

「ああ」

 優しい声。

「だから、結婚しよう」

「うん」

 まほの声。

 まほはゆっくりと青木に体を向けて、物欲しそうな表情で青木を見つめている。

 星に照らされたまほの瞳が、泣きたそうに揺れている。不安げに、口が小さく開いている。

 まほの感情を受け止められるのは、自分しかいない。自分の溢れんばかりの想いを受け取って

くれるのは、まほしかいない。

 だから、青木とまほは顔を近づけて、唇と唇を決して離さない。好きという気持ちを絶対に

手放さない。西住まほは僕だけの女性だ。

 まほが青木の体を抱く。もう離れ離れにはさせてもらえない、それがひどくたまらない。

 

 その後は――眠った。

 

―――

 

 ――そんなこともあったっけ。

 まほは少し声に出して笑い、次に早朝らしい冷えた空気を吸い込む。

 よし。

 まほは西住家の屋敷から出て、だだっ広い中庭へ堂々と歩む。そこで待つは、朝八時から西住流の極意を掴もうとする多数の門下生と、山のような数の戦車だった。

「おはようございます!」

 門下生全員が同時に挨拶し、頭を下げる。

「おはようございます。今日も、私が西住流とは何たるかをあなた達に教え、導きます。宜しい

ですね?」

「はい! 師範!」

 

―――

 

 師範としての仕事が終われば、次に行うは夕飯の支度だ。普段は世話人にやらせるのだが、今日は自分でやると世話人を休ませた。

 最初は疑問に思っていた世話人だったが、察すると、「頑張ってくださいね」の一言で

帰っていった。 

 さて。

 今は、カレーをぐつぐつと煮込んでいる。味は甘口、最低でも六人分は確保してある。

 まほは、カレーをお代わりするタイプだ。

「お母さんが作るのって、いっつもカレーだな」

 後ろから茶化される。

「いいじゃないか。お前だって、好きだろう?」

「好きだが、もう少しレパートリーを増やしてほしい。飽きる」

「世話人にはいろいろと作ってもらっているだろう?」

「世話人は世話人、お母さんはお母さんだ」

 随分と大人っぽいことを言うものだ。誰に似たのやら。

「わかったわかった。今度は、ハンバーグを作ろう」

「やった」

 心底嬉しそうにガッツポーズをとる。

 やっぱり小学生だと、可愛い愛娘だと、笑みが零れ落ちる。

「ハンバーグか、エリカに電話してみるかな。あいつの得意料理だし」

 携帯を取り出し、赤井エリカに『時間がある時に、ハンバーグの作り方を教えてくれ』と

メールを送る。

 カレーが完成し、火を止める。後は、

 玄関の戸が開く音がした。

「おっ、帰ってきた!」

 娘が全力ダッシュする。

 それに負けてたまるかと、表情を明るくしながら「家族」を出迎える。

 

「ただいまー」

 グレーのミリタリージャケットを着た男が、まほが最も目にしたかった人が、今、帰ってきた。

 だから、

 

「お勤めごくろうさまです、あなた」

 

 軽く敬礼し、さあカレーだカレーだと手を引っ張る。娘が「おつとめごくろう!」と偉そうに

言い、男は「ありがとう」と微笑むのだ。

 

 

 ――文通は、もうしていない。

 

 




これで、黒森峰学園艦で躍りましょうは本当の意味で終了です。
本当は本編で終了だったのですが、沢山の後日談希望のご感想をいただき、こうして書かせていただきました。
皆様、本当にありがとうございます。

蛇足にならないよう、メタルを聴きながらああしてこうしてと書いて、エンディングを
確立させたつもりです。
ちなみにエリカの話とまほの話を同時に投稿したのは、
「この話は既に完結しているから、一気に終了させたかった」という理由と、
「ここまで見てくださった読者様へのサプライズ」という動機があります。

この話が蛇足にならないように、読者様が楽しめられるように、心から祈っています。
ご感想、ご意見などは、いつでもお待ちしています。

では、最後に、
ガルパンはいいぞ。
まほは最高だぞ。


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誕生日企画
7月1日に会いましょう


我慢出来ずに書きました。


 戦車道の世界選手となる為に、西住まほが女子大へ入学して半年が経つ。

 当初は慣れないこともあったが、今となっては「居場所」としてすっかり馴染んでしまった。元々黒森峰時代からの同僚が数多く入学していて、周囲からも「流石は西住さん」と期待されていた。何だかんだで、「ライバル」も出来たし。

 

 お陰で、余計なものは一切抱え込んでなどはいない。

 けれど、でも、一番の心の支えとなっているのは――

 

 

 今日も何事も無く大学で授業を受けて、本日もライバルと競い合って、隙あらば恋人のメールを確認して、そうして平々凡々に一日を過ごしていった。

 バスを降り、夕暮れ模様を見て「ふう」とひと息。見慣れた本土の住宅地を歩んでみれば、窓の空いた一軒家からカレーの香りが漂ってくる。西住まほは、微笑を浮かばせながら腹を空かす。

 今日の献立は何だったかな、カレーだといいな。

 うんと背筋を伸ばして、痛める背中を何とか紛らわす。戦車とは同僚の真柄だが、やはりどうしても痛いものは痛い。今日はダージリンに撃たれたせいで、余計に激痛が走っている気がする。週明けになったら、絶対に撃ち返してやろうと心の底から誓った。

 歩いて、横断歩道を渡って、ポケットの中の携帯が震えて、口元を緩ませながら携帯を取り出す――みほからのメールだった。

 

『お誕生日おめでとう、お姉ちゃん!』

 

 ああ――

 そういえば今日は、誕生日だったんだっけ。こうしていつの間にか思い出すのも、自分にとっての毎年恒例だ。

 

『元気にしていますか? 私の方は……お姉ちゃんが、またまたオトナになっていってちょっと寂しいですー』

 

 大人という単語を見て、まほは吹き出しそうになる。頑張れみほ、お前は可愛いから、すぐにでもいい人が見つかるさ。

 

『大学生活は、ダージリンさんからのメールでよくよく伝わっています。本当に楽しそうですね。今日は勝利報告のメールが届いてきました』

 

 露骨に舌打ちする。覚えてろよ。

 

『――一年前は、ほんとうに色々ありましたが、今はとても楽しいです。お姉ちゃんも、青木さんとこれからも仲良く生きていってくださいね。

長文、失礼しました』

 

 ――ありがとう。

 塀に寄りかかり、一年前のことを思い起こす。色々あったなあと、凄かったなあと、出会ったんだなあと、もうそんなに経過していたんだなあと、たくさんのことを想う。

 みほに、お礼の返信を送る。そうしてポケットに携帯をしまって、ほんの少しだけ夏の空気を吸った。

 さて、帰るか。

 

 今日はカレーだといいな。自然と早歩きになって、買い物袋を下げた主婦たちとすれ違って、「まほちゃんこんばんは」「こんばんは、椿さん」、曲がり角を通って、「実家」の戸を開ける。

 夕飯の匂いがした。

 カレーではなかった。

 まあいいか。

 まほは靴を脱いで、まずは家の広間に向かう。今日は油ものかなと、何となく予感して、

 

「おかえりなさい、まほ」

 

 まず目についたのは、テーブルいっぱいの料理だった。次に、ロウソクが乱立したチョコレートマウスケーキに目を奪われる。

 縋るように、両親に目を向、

 

 母が、西住しほが、快く迎えてくれた。

 父が、西住常夫が、無言で笑いかけた。

 

「おかえり、まほ。会いたかったよ」

 

 男が、青木が、当たり前のようにそこにいた。

 

「――え、え!?」

 

 でかい声がもれた。しほと常夫は「成功しましたね」とハイタッチを交わし、男――青木は、えへへと破顔した。

 なんで青木がここに――戦車道履修者としての思考力が、疑惑の念を貫いた。

 自分が誕生日だからと、秘密裏に実家へ潜り込んだに違いない。それも、両親共々の同意を得て。

 なんて男だ。青木の実家は、ここからだと若干遠いくせに。

 

「……まったく」

 

 鼻息をついてやる、青木が「まあまあ」と苦笑する。何となく足元を見てみたが、青木の隣には、当たり前のように座布団が敷かれてあった。

 

「お母様」

「はい?」

「お母様の隣に、座ってもいいですか?」

「あらあら、お母さんはそんな風に育てた覚えはありませんよ」

「悲しいなー」

 

 青木が、露骨にしょげる。自分を驚かせた罰だ。

 これで満足した。

 さて、

 

「皆さん」

 

 母が、父が、恋人が、自分の方を見た。

 

「私の為に――ありがとうございます」

 

 本心から、この言葉を口にした。

 しほが、常夫が、青木が、

 

「十九歳のお誕生日、おめでとうございます!」

 

 拍手と笑顔で、新たな年の門出を迎えてくれた。

 ――青木が、エスコートするように手を伸ばしてくれる。

 

 私は躊躇うことなく、青木の手をとって、隣に座った。

 

 ↓

 

 それからは、無礼講で祝い事が進行していった。チョコレートマウスケーキのロウソクをふっと消して、乾杯して、麦茶を飲んで、ケーキやチキンを好きに食べて、「青木さん、まほはいい子にしていますか?」「してますしてます」

 

 西住まほとは「ときどき」「二人きりで」出会ったりするが、こうして実家にお邪魔するのは一年ぶりだった。

 まほの誕生日前日、しほから電話がかかってきた時は「え、何? 僕ヤバいことしたかな?」と心底怯んだものだが、その用件とは、

 

 ――今日は、お時間はありますか? もしよければ青木さんと、まほの誕生日を祝い合いたいのですが

 一秒後、まずは「絶対に行く」と思考して、

 ――いいんですか? 部外者ですよ? 僕は

 改めて確認して、

 ――構いません。あなたは、家族になる人なのですから

 めちゃくちゃ恥ずかしかった。

 

 ――そういうことがあって、青木は堂々と西住本家で腰を下ろせている。戸の前で「本当にでかいなあ」とビビってしまったが、待ち構えていたらしいしほから「どうぞどうぞ」と快く手招きされた。

 最初こそ、道場たる雰囲気には慣れないものだった。けれどテーブルの上を見て、常夫と男の出会いを交わして、しほから「さあ、どうぞ」と座布団に促されて――気づけば、すっかり西住家の一員になっていた。

 学園艦の都合により、西住みほがいないのは残念だったが、

 

「これは……みほからか! ほう、可愛いなあこいつ」

 

 まほが、くまのぬいぐるみを――ボコというらしい――嬉しそうに掲げてみせる。いざとなったら抱き締められるぐらい、ボコは大きかった。

 

「私からは、これを」

 

 しほが、ひと箱をまほへ手渡す。まほが「はて」と首をかしげ、おそるおそる蓋を開けてみせて、

 

「こ、これっ」

「ファッションには疎い私ですが、あなたに似合いそうな靴を選んでみました」

 

 箱から靴を、黒いパンプスを取り出してみせる。光り輝く宝物を見るような目で、何もかもが抑えきれていない表情のまま、まほはずっとずっと、しほが選んでくれたパンプスをみつめている。

 

「これは……た、高かったでしょうっ?」

「気にするのは値段じゃなくて、青木さんでしょう?」

「……上手くないですからね」

「ざんねん」

 

 しほが青木を見て、くすりと微笑みかける。わかりました、今度デートします。

 ――次に常夫が、まほに本を手渡す。年季が入っているらしいのか、カバーが若干色あせているように見えた。

 まほが「ふむ」と本の表紙を見る。だいたい0.5秒は、そのままのまほでいて、

 

「こ、これはッ!!」

 

 0.5秒後、まほは戦車道履修者の顔つきになった。ページを力強くめくっていって、「これは」とか「すごいダメージだ」とか「貴重な一枚だな」とか、感嘆を以てして感想を口にしている。

 表紙を覗き見してみたが、青木は「ああ」と納得した。

 

「数十年前に発行された、パンターの写真集ですが……気に入っていただけましたか?」

「はい! もちろんです!」

 

 目をギラつかせながら、白黒の写真を、解説文から決して目を離さない。まるで男の子のような顔つきに、青木はくすりと微笑んでしまう。

 ほんとう、戦車道が好きなんだな――そんなまほのことが、青木は好きだった。

 

「青木さん」

 

 しほから声をかけられ、青木がびくりと体を震わせる。

 

「出番ですよ」

 

 出番、

 ああそうだそうだと、青木が鞄を漁り始め、

 

「まほ」

「ん? あ、ああ悪い。何だ?」

「これ、プレゼント」

 

 まほが「おっ」と目を丸くする。箱を手渡してみて、そっと蓋を開けて、

 

「これ――」

「うん、レザーグローブ。どうかな?」

 

 もちろん、「戦車道履修者愛用の」レザーグローブだ。買い先は、黒森峰学園艦の戦車道専用ショップ。

 誕生日の一週間前に注文していたのだが、いざ届いた時は「いい年季っぷりですなー」と手に持って喜んでいた。履修者でもないくせに。

 

「……なあ」

「はい?」

 

 まほが、顔をずいっと近づけてくる。鋭い眼光を目の当たりにされて、心臓が跳ね上がるかと思う。

 

「これ、いくらした」

「へ!? えー、千円くらい?」

「嘘をつくな。私にはな、ちゃんとわかっているんだからな」

 

 真面目だなあ、と思う。だからこそ、黒森峰戦車隊隊長を全う出来たのだと思う。

 

「えー、つまり?」

「……覚悟するように」

 

 まほの口元が、柔らかく曲がる。

 そうして、レザーグローブを目の前で履いてみせた。

 

「……青木」

「うん?」

「――ありがとう」

 

 祈るように、まほが両手を重ねた。瞳を、海のように揺らしながら。

 ドックタグが、光った気がした。

 

「いいわねえ」

 

 はっと、青木とまほがしほを見る。

 

「二人きりに、なります?」

「別にいいです! さ、さ、続きをしましょうッ!」

 

 テーブルの上には、まだまだ夕飯の大群が待ち構えられている。これらを食べ終えるまで、祝い事は終わらない。

 

 ↓

 

「聞いてくれ、青木」

 

 鶏肉の骨を、皿の上にからんと置きながら、

 

「大学生活は楽しいんだけどな、」

 

 だけどな。その一言で、青木は一秒もかからず察した。

 

「うん。ダージリンさんだっけ?」

 

 戦車道の強豪校、聖グロリアーナ女学院の戦車隊隊長、だった人だ。とにかく戦術眼に優れていて、まほも「ダージリンは強かった」と認めている。

 そのダージリンは、戦車道に力を注いでいる大学――まほと同じ女子大へ入学したらしいのだが、幸いなことに、まほとダージリンの相性は「良好」だった。

 そのためか、まほからはしょっちゅうダージリンとの「交流報告」を聞かされている。

 

「そうそう。今日も、戦車道の授業でダージリンに負けてしまってな……よりにもよって、今日という日に」

「でも、勝率は五分五分なんでしょ?」

 

 まほが「そうそう」と二度頷いて、

 

「だからこそ、余計にこう……むず痒いんだっ。あいつにだけは負けたくないのに」

「まあまあ、いいじゃない。ライバルがいていいなあ、青春してるね」

 

 しほも、笑いながら「いい学生生活を、送っているようですね」と呟く。常夫は見守るように、会話に耳を傾けていた。

 青木は箸を伸ばして、エビフライを齧り出す。

 

「何が青春だ。あいつとは、闘争しあう間柄でしかない」

 

 隙も油断もあったものではない、まほの眼光。

 しほと常夫の表情が曇るが、青木は「ええとですね」と苦笑する。

 

「料理、ダンス、ジャグリング、お茶当て、戦車シルエットクイズ、砲弾投げ……これだけ競い合っているはずなのに、なのに」

 

 へ。

 しほと常夫の口から、それだけが出た。

 

「五分五分の勝率、なんでしょ?」

「そう。認めたくないがな、ああ認めたくないがな、あいつとは変なところで息ぴったりなんだ。もちろん、認めるつもりはないがな」

 

 なーんだ。しほと常夫から、そう聞こえた気がした。

 ――ダージリンとは、つまりは「そういう関係」なのだ。ケンカはするが傷つけはしない、勝ちも負けもするが貶めたりはしない、追い越すのは私「だけしかいない」と認め合っているような、そんな仲。

 だから一度たりとも、まほのメールから、口から、「嫌い」という一言を聞いたことがない。

 

「まほ」

「ん」

「まほは強いから、きっといつか勝てるよ、ダージリンさんに」

「青木」

 

 いいことを言えたのだと思う。だからまほは、安堵に満ちた微笑を浮かばせて、

 

「……青木」

 

 次の瞬間、まほが無念そうに両目をつむった。うつむいてまで。

 一体どうしたのだろう。一同が、まほめがけ顔を覗かせる。

 

「あいつな」

「うん」

 

 そして、まほは長く長くため息をついて、

 

「最近、のろけ話をよくよく聞かせてくるんだ」

 

 間。

 

「のろけって、つまり?」

 

 まほが、「うん」と頷く。続けて、「まあ、モテてもおかしくなかったしな」と一言。

 

「――彼氏とは、そんなに距離は離れていないらしくて、暇さえあればちょくちょく出会っているらしい。かれこれ何度も何度もデート話を聞かされたが、不満げに語られたことは一度もない」

 

 まほが、かっ食らうように麦茶を飲む。

 コップの中身が、空になった。

 

「えーっと……ダージリンさんとは、『そういったところでも』五分五分と?」

「……五分五分というか」

 

 しほが嬉しそうな顔をしながら、コップに麦茶を注いでいく。

 

「なんだろうな。こう、とてつもなく寂しくなったんだ」

「え、なんで」

「それはお前の事が、」

 

 まほの勢いは、そこまでだった。

 青木が真顔で、疑問の念を発する。しほは「あらあら」と頬に手を当て、常夫は両腕を組んで沈黙を保っていた。

 

「そ、それは、その」

「うん」

 

 そこで、まほから上目遣いをされた。頬を赤く染めて、まるで怯えるように。

 青木の体全体が、強張る。

 

「……す、すき」

 

 青木の血液が沸騰して、

 

「いやっ、大好きだからに決まっているだろうっ」

 

 蒸発した。

 僕は死ぬ。

 

「……だから、あいつの幸せそうな顔を見るたびに、私は……羨んでしまう」

「まほ」

「あいつは、全く悪くはないんだがな」

 

 どうしようどうしようと周囲を見渡す。しほは笑顔で見守るだけ、常夫は親指まで立てている。

 強い信頼が痛い。まほとはいずれ「男女として結ばれる」のだから、こういったことも二人で解決してみせろ、ということなのだろう。

 しほと常夫相手だからこそ、無言の主張に抗えるはずがなかった。

 青木は観念し、何かないかと眼球を振り回す。一方まほは、「青木が近くにいたらな……」と、切なさそうに呟く。

 

 男として、まほを何とかしてあげたかった。

 だから青木は、

 

「まほ」

「うん?」

「はい、ケーキ」

 

 チョコレートマウスケーキの一部を、フォークで突き刺す。そのまま、まほの口元へ、

 

「甘いものを、まほの為のケーキを食べて、元気を出して」

「あ……う、うん」

 

 大人しくなったまほが、差し出されたマウスケーキを口の中に入れる。

 何度も何度も噛んでいって、そのうち小さく息をついて、麦茶を飲んで、にこりと笑って、

 

「すまない。……助かった」

「いや。……変な話になるけれど、僕の為にここまで感情的になってくれて、とても嬉しかった」

 

 まほが「当たり前だろ?」と前置きして、

 

「お前のお陰で、みんな元通りになったんだから」

「何度も言うけど、それは、」

 

 まほが、首を横に振るう。

 

「そう、思わせてくれ」

 

 そんなことを言われたら、頷くしかないじゃないか。

 

「心は鋼のつもりだが、恋となるとどうしても脆くなってしまう。恋とは怪物だな」

「わかる」

 

 青木は、そっと返事をした後で、

 

「ねえ、まほ」

「ん?」

 

 まほが、まばたきをする。じっと見つめられて、今更ながら近い距離感を意識してしまう。

 落ち着く為に、まずは麦茶を一口。

 

「確かに、ダージリンさんとその彼氏さんは……よく、直接的に出会えているかもしれない」

「うん」

「けど、さ」

 

 自然と、笑みがこぼれと思う。

 

「僕たちには、文通があるじゃない」

「――あ」

「文通は、現実世界に想いを残せる。だから僕たちは、文通を続けているじゃないか」

 

 一年前を、まほの横顔を、思い出す。

 

 みほが転校していった後、青木は「残念だ」と思いながらグラウンドを走り回っていた。警察官になる為に、黒森峰学園艦の人々を守りたいが為に。

 やっていたことはといえば、それだけだ。それだけなのに、青木は「見て」しまったのだ。

 

 格納庫の中で、うつむきながらで、みほの戦車に手を当てているまほの横顔を。

 

 あの時に見えた、感情溢れた無表情は決して忘れない。

 あの時に覚えた、救いたいという感情は絶対忘れない。

 あの時に奪われた、青木の恋心は決して絶対消えない。

 

 だから青木は、友人とともに必死こいて頭を働かせた。恋という不慣れな事態にあたふたしながらも、どうすれば救えるのかを思考して、辿り着いた答えが、

 

 メール……もとい、ファンレターなんてどうだ?

 

 友人の、この一言がなかったら、今頃はここにはいなかった。絶対に。

 ――だから青木は、早速とばかりに「ファンレター」を書いた。あなたは立派だからこそ、体を休めて、遊ぶべきだと。

 今考えてみれば、本当に思い切ったことを書いたと思う。けれど世の中は上手く回るもので、まほからは「ありがとうございます」と返事が返ってきたのだ。

 それ以降、まほとは文通をする仲になった。励まし合って、時にはデートをして、相談相手になって、親とケンカして、みんな元通りになって、正直に泣いてくれて、

 

 ほんとう、色々なことがあった。

 だから今も、文通をやめられずにいる。これが、僕とまほの絆の形だから。

 

「……そうだったな」

 

 まほが、青木の目だけを間違いなく見て、

 

「そうだったな」

 

 微笑んでくれた。

 十分、だった。

 

「――青木さん」

 

 しほから声をかけられて、「あ」と声が出た。

 嬉し恥ずかしい感情を孕んだまま、しほの嬉しそうな顔と目が合った。

 

「これからもどうか、まほのことを、よろしくお願いします」

 

 二度、三度、青木は小さく頷いて、そして、

 

「はい。僕が必ず、まほを幸せにします」

 

 まほが、青木のコップに麦茶を注ぐ。それを手に持って、青木に掲げて、

 

「もう、幸せだ」

 

 ありがとう。

 コップを受け取り、麦茶を遅く、遅く飲んだ。

 

 ↓

 

 誕生日に平和が訪れれば、後は飲めや食えやの大騒ぎをするしかない。

 皿の上には鳥の骨が散らばり、チョコレートマウスケーキもそろそろ陥落寸前。残り少ない枝豆をつまみながら、青木とまほは、しほと常夫のデート話に耳を傾けていた。

 青木は「流石ですねー」と称賛し、しほは「いえいえそんな」と赤面、常夫はピースサイン。一方のまほは、「相合傘か……いいなあ」と頷いていた。チャンスがあれば、今度やってみることにする。

 

 何となく、外を眺める。

 今日は夏らしく晴れていて、星空がよく覗える。虫の音はまだ聞こえてはこないが、そう経たないうちに風物詩となるだろう。祝い事の上機嫌にかられてか、若干の蒸し暑さすら心地良い。

 みんなよく食べるのか、テーブルの上には誕生日の痕跡が残るだけだった。心の中に寂しさが生じるが、

 

「まほ」

「ん?」

「……明日、デートしないかい?」

「ああ、いいぞ」

 

 まほとは、会おうと思えばいつだって会える。時間がなかったら、文通で想いを届ければ良い。

 しほも常夫も、快く笑ってくれた。まほも、待ちきれない感じで「明日、何処に行こうか?」と聞いてくる。さてどうしようかなと、携帯を取り出そうとして、

 

 突如として、携帯の震える音が反響した。

 

 まずは自分の携帯を確認するが、震えてもいない。しほも常夫も携帯を取り出すが、首をかしげるばかり。

 ――まほが「私か」と、携帯を引っ張り出す。画面を見て「みほだ」の一言。

 

「はい」

『あ、もしもし。みほです』

「おお」

 

 まほが、嬉しそうに口元を曲げる。

 音量を最大にしているのか、一同にまでみほの声が聞こえてくる。

 

『今、何してた?』

「誕生日パーティー」

『あー、やっぱりかー。いいなー、私も祝いたかったなー』

「大丈夫。お前の想いは、ボコを通じて伝わった」

『あ、届いたんだ。よかったよかった』

 

 青木が、しほが、常夫が、安堵するように頷いた。

 

『それで、今は誰がいるの?』

「青木と、お母様と、お父様だ」

「へえー」

 

 まほの眉が、ぴくりと動いた。みほの声色の違いを、嗅ぎ付けたらしい。

 

『お姉ちゃん』

「何だ」

『最初に、彼氏の名前を言うんだね。へえー』

「なんだ、悪いのか」

『いいえいいえ。うらやましいなーって思っただけ』

 

 青木が「でへへ」と笑うが、まほから睨まれたので真顔に戻るとする。

 

「だいたい、お前は可愛いんだから、そのうち出会いとかがあるんじゃないのか?」

『えー、そうかなー?』

「そうだとも。姉である私が言うんだ、間違いない」

 

 みほが『だといいなー』と無気力気味に呟く。

 

「お前も三年だ。……そういう時期、なんじゃないか?」

『うーん……そうなのかなぁ』

「そう、そうさ」

『勝者の余裕が、伝わってくるよ。お姉ちゃん』

「お前は、友情に恵まれているじゃないか」

 

 まーねー。みほが、そう返事をした後で、

 

『お姉ちゃん』

「ん?」

『青木さんとは、その、うまくやってる?』

「ああ」

『好き?』

「大好きだ」

『えーと……け、結婚、は?』

 

 まほが、こちらを見る。もちろん青木は、黙って頷いた。

 

「する」

『そっかぁ……』

 

 しほと常夫が、真剣な顔つきのままで、まほの携帯に耳を傾けている。何となく軍隊っぽい雰囲気が伝わってきて、「さすがは西住流」と青木は思った。

 ――その後で、沈黙が。厳密に言えば、みほからの「えと」「あの」「えっとね」「その」がか細く聞こえてくる。最初こそ待ちに入っていたまほだが、次第にじれったくなったのか、

 

「何だ。はっきり言ってみろ、家族だろう?」

 

 最強の許しを口にして、みほが『うーん、じゃあ』と決意表明して、

 

『去年も聞いたけど、青木さんとは、キス、したの?』

 

 どこか遠くで、車の走る音が聞こえてきた。

 まほと、青木と、しほと、常夫は、言葉を閉ざしたままで、同時に麦茶を飲む。飲みきった後は、長く長く息をついて、ほぼ同時期にコップをテーブルの上に置いた。

 

「キスか」

 

 まほが、いつもの無表情で応える。

 青木は、「ある、ここで」と心の中で返答した。

 

「キス、はな……」

『うん』

 

 まほが、青木の目を見て、

 

「あ、あ、あ、い、いや、その、いやー、キス、キスはな……」

 

 まほの顔が真っ赤になって、口に手を添えて、青木とは目も当てられなくなって、けれどやっぱり青木の方を見て、

 普通の、恋する女の子になっていた。

 

『あ、あるの?』

「え!? あ、いやー、その……」

 

 まほが困っているのならば、いつだって自分の番だ。

 だから青木は、まほの背中に手を添えた。縋るように見つめられて、「いいよ」と無言で頷いて、それがまほに伝わって、まほはドックタグネックレスを握りしめた。

 まほが、小さく咳を入れる。水泳中だった目つきが、履修者そのもの真っ直ぐさを取り戻す。

 

「ある」

 

 ――瞬間、視線が青木に殺到した。

 まほは、青木に対して小さく頷いた。しほは、慈悲深い表情で首を縦に振った。常夫は、音を立てずに大きく親指を立てた。

 とてつもなく恥ずかしかったが、すぐに青木は、事態を受け止められた。

 

 まほを抱きしめるのも、キスをするのも、黒森峰学園艦で踊り合うのも、青木とまほからすれば、必然の流れだ。

 だって、まほとは恋人同士なのだから。

 

『……そっか』

「うん」

 

 まほが、静かに肯定する。

 

『お姉ちゃん』

「ん?」

 

 学園艦から、みほの含み笑いが聞こえてきた。

 

『――幸せに、なってください』

 

 学園艦へ、まほの笑顔が届いたと思う。

 

「――うん」

 

 ↓

 

 後はほんの少しだけ、みほがしほと、常夫と雑談を交わしあった。しほは「まほが何やら慌てていましたが、何を話していたのです?」と上手く誤魔化していて、みほは「何でもないよー」とだけ。姉妹同士の会話とは、いつだって秘密であるべきなのだ。

 続いて常夫は、「ああ」とか「うん」としか言わなかったが、みほにとっては十分だったらしく、最後に『元気でね』と締めた。

 青木に関しては――特に、書くことはない。お姉ちゃんのことが好きですか? と聞かれて、「大好きだよ」と言っただけ。

 そうして、みほとの通話が切れた。

 

 ――さて。

 腕時計を見てみるが、すっかり夜遅くまでお邪魔してしまった。チョコレートマウスケーキも無事に陥落したし、まほにプレゼントも渡したし、そろそろ帰ろうかなと鞄を手に取る。

 

「今日は、本当に楽しかったです。まほの誕生会に混ぜていただき、心から感謝しています」

「いえ、そんな。あなたはまほにとって、居なくてはならない人ですから」

 

 青木が、ありがとうございますと一礼する。

 

「まほ。明日は……まあ、適当に歩こう」

「そうしよう」

 

 まほが頷いてくれた。

 これで、心おきなく、

 

「では、食器は私たちがしまっておきます。青木さんは、ゆっくりくつろいでいてくださいね」

 

 常夫が、食器を次から次へと回収していく。まほが、「私も手伝う」と立ち上がる。青木が数回ほどまばたきして、

 

「あの」

「はい?」

 

 しほが、疑問を顔に浮かべる。

 

「僕は、そろそろ帰宅させていただきます。これ以上、長居は出来ませんから」

「え? でも明日は、まほとデートをなさるんですよね?」

「え、ええまあ」

 

 しほが、純粋無垢な母親の笑顔を浮かばせて、

 

「お部屋なら、空いていますよ」

 

 意味なんて、数秒で解してしまったに決まっている。

 しほさん、あなたは「また」そういうことを言うんですか。嬉しいけれど、二度とやってはいけない禁じ手なんじゃないんですか。

 ――ちらりと、まほを見る。

 

「ま、まほが……その、困りますからっ」

 

 しほの首が、まほに向けられる。一方のまほはといえば、逃げるように食器へ視線を傾けていて、口元なんてへの字に曲がっている。

 ――その無言の反応を見て、青木は察することが出来た。だってまほとは、

 

「……青木」

「あ、はい」

「――今日は、どこにもいかないで、欲しい」

 

 まほとは、将来を誓い合った仲なのだから。

 だから、

 

「分かった。今日は、よろしくね」

「ああ」

「着替えは、常夫さんのもので大丈夫ですか?」

「はい。背も、それほど変わりませんし」

「よし、解決だな。後は私たちに、任せろ」

 

 人生が、再び動き出す。

 青木が食器を手にとって、「僕も手伝うよ」と提案する。するとまほから食器を奪われて、「花嫁修業だ」と力強く宣言されてしまった。常夫の方も、しほから「殿方は、ここでおくつろぎを」と手で制されている。

 どうしたものかねと、常夫と目が合う。最初こそ互いに無表情だったが、一種の気楽さが落っこちてきて、自然と苦笑いがこぼれ出てきた。

 常夫が、テーブルの上のリモコンを回収する。電源ボタンを押してみれば、ちょうど良く戦車道関連のニュースが目に入ってきた。今年は、知波単学園が異様な盛り上がりを見せているらしい。

 

 食器の回収の為に、まほが居間に戻ってきた。青木はすかさず、テーブルの上にある食器を回収、そのまままほに手渡す。

 

「ありがとう」

 

 常夫も負けてはいない。しほが居間に戻ってくれば、張り切った動作で食器を重ね、それをしほに手渡すのだ。

 

「ありがとうございます」

 

 しほが、まほが、キッチンへ戻っていく。ちらりと常夫の横顔を眺めて、青木は何となく思う。

 

 きっとこの先も、上手くやっていける。

 近くに居たら、その手を掴もう。離れ離れでも、文を通じて支え合おう。

 恋は、それだけで良いのだ。きっと。

 

「――ふう、終わった」

 

 まほが戻ってくる、世界一愛している人が僕の目の前にいる。

 まほの、鋭くも優しい目が好きだ。まほの、凛々しくも優しい声が心地良い。まほのショートヘアが、何よりの一番だった。まほからの手紙は、いつだって僕を熱くしてくれる。

 まほの胸元で揺れ動く、ドックタグのネックレスが目に映る。

 ――ずっとずっと、片時も想いを手離そうとしない。そんなまほの心に、僕はずっと惹かれていく。

 

「まほ」

「ん?」

 

 ゆっくり立ち上がり、軽く、そっと口づけをする。

 まほは、「あ」と小さく、不安そうに、けれどもやがては微笑んで受け入れてくれて、

 

「青木」

「うん」

 

 また、軽くキスをされた。

 

 7月1日。世界的には何でもなくて、西住家にとっては特別で、僕とまほが出会える、大切な日付だ。

 

 

 

差出人西住まほ 青木様宛て

『こんにちは。この前は、私の誕生日を祝ってくださり、本当にありがとうございました。

あなたは遠いところで、警察官になる為に頑張っていますから、正直無理かなあと思っていましたが……やはりあなたは、私の心の支えです。

あなたから貰ったレザーグローブのお陰で、戦車戦でダージリンに勝つことが出来ました。これで勝率はイーブンに逆戻りです。

 

大学選抜チームとなるには、私はまだまだといったところですが……絶対に諦めません。西住流は、これからも前進し続けます。

ですから青木様も、夢をかなえる為に歩み続けてください。西住流に相応しい男になることを、心からお待ちしています。

 

もしも、くじけそうになったら、どこかで会いましょう。

それが、私の望みです』

 

 

 




ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。

ご指摘、ご感想があれば、お気軽にお書きください。


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スタッフロール

我慢できずに書きました。


 

 差出人西住まほ 青木様宛て

『こんにちは。手紙を出したのはここ数日前ですが、やはり『ここ最近の調子はどうですか?』と書きたくなってしまいますね。

もう大学四年になりましたが、この文通は永遠に続いて欲しいものです。

 

――私は、それほど変わりはありません。ただ近々、大学戦車道全国大会がありますから、身を引き締めてはいますが。

自惚れは危険ではありますが、キーとなるのは私率いる『まほ軍』と、ダージリンはリーダーを務める『ダージリン派』とみなされています。

皆から期待はされていますが、私は決して怯みません。逃げません。ただ、堂々と戦うのみです。

最後の全国大会は、何としてでも勝ちます。去年は敗北してしまいましたが、今年こそはと、今年だからこそと、あなたからいただいたドックタグに誓います。

 

黒森峰学園艦を守る警察官になれるよう、私は心の底から祈ります。西住家はあなたを応援します』

 

差出人青木 西住まほ様宛て

『こんにちは。いつも自分の安否を気遣ってくださり、本当にありがとうございます。

僕のほうは大丈夫です。警官になるという夢も……妥協なく目指しているつもりです。

 

全国大会ですが、去年は本当に残念な結果で終わってしまいましたね。それでもまほ様は、決してめげることなく、むしろ敗北から何かを学んだのでしょう。

それはとても、素晴らしい姿勢だと自分は思います。

――大会の開催日には、赤井とともに観戦しに行くつもりです。自分の応援が、ドックタグが力になるのでしたら、自分は何度でもあなたを支えます。

プロになれますよう、自分も、心から祈ります。どうか西住流に繁栄を、そしてまほ様に幸せが訪れますように』

 

差出人西住まほ 青木様宛て

『こんにちは。お元気ですか? 私は元気です。

この手紙が届いているということは、あと数日で大会が始まることでしょう。戦う相手はどこも強豪ばかり、決勝戦までは遠いですが……遠いだけです。

私は必ず勝ちます。皆で、勝ってみせます。私には、私を支えてくれる仲間が、あなたがいてくれています。

私はもう独りではありません。大学では、共にカレーを食べ合うサークル仲間が沢山います。ダージリンも、しょっちゅうちょっかいをかけてきます。

この間は陶芸勝負をしましたが、惜しくもですが、惜しくもですが負けてしまいました。ですが正座我慢大会で勝利しましたので、結果的に勝敗はイーブンです。

――このように、毎日のように鍛錬を、そして楽しく暮らしています。私のことは何も心配しないでください。

大会も、この調子でがんばります。お母様も、あなたならできると応援してくれています』

 

差出人青木 まほ様宛て

『こんにちは。お元気でしょうか、自分は変わらず元気です。

大会もあと少しになりましたね。当日になりましたら、絶対に駆けつけます。赤井も、逸見さんの活躍を見ると張り切っていました。

手紙を拝見しましたが、ダージリン様とは変わらず仲が良いみたいですね。あなたからは『そんなことはない』と何度もご指摘を受けましたが……。

文面から察するに、あなたの笑顔がよく見えてくるようです。本当によかったと、自分は思っています。

心に余裕があり、実力があるあなたならば、今年こそは大会で優勝出来ると僕は考えています。

西住流の強さを、僕に見せつけてください』

 

差出人西住まほ 青木様宛て

『こんにちは。この手紙が届く頃は、もう明日か明後日には大会が始まっているでしょう。

あとは、戦うだけです。この時ばかりは、まほ軍もダージリン派も手を組み合い、戦うだけです。

大会当日ですが、青木様はもちろん、お母様やお父様、みほも観戦しに来てくれるようです。去年もそうでしたね。

こうして家族が見守ってくれる、そうさせてくれたのはあなたの支えがあってこそ。あなたには感謝してもしきれません。

青木様、どうか黒森峰学園艦の警察官になるという夢を叶えてください。私で良ければ、何度もお力になります。

 

――それでは、大会にいってきます』

 

――

 

「いよいよか」

 

 赤井の一言。

 あっという間に大会が訪れ、当然のように決勝戦まで突き進み、晴天の下で青木と赤井が、そして西住家が観客席にどっしり腰掛ける。どこか遠い会場を映し出している特設モニターは、敵を撃破したばかりのまほのティーガーIを、岩陰に潜んでいるダージリンのチャーチル(手紙で何度も書かれたので覚えた)を、残り一両の敵戦車を映し出していた。

 赤井が、まるで呼びかけるように呟く。青木は、無言でモニターを見つめているしかない。砲撃が激しい頃は観客席も賑やかだったものだが、今となっては沈黙だけが支配するだけ。あとは勝ち負けで今後が決まる。

 頼む――

 青木は、歯を食いしばる。手を握りしめる。爪が肌に食い込むが、もはや手を解く余裕すらもない。

 赤井も、両肩で呼吸するほど静まるしかない。逸見エリカのティーガーIIは既に白旗だが、それでも赤井は大学選抜チームを見守ってくれている。それが力になると思っていたし、心の底から嬉しかった。

 

 その時、チャーチルが動いた。

 その時、敵戦車の砲が動いた。

 

 まずい。

 素人でもわかる。チャーチルは焦れて、先に動いてしまったのだと思う。敵戦車がその隙を逃すはずもなく、的確に狙いを定めて、

 まほのティーガーIが、敵戦車前を全速力で通りがかった。

 主砲が、まほのティーガーIをぶち抜き吹き飛ばした。

 青木がまほの名を叫び、赤井が「あ!」と大声を出す。観客がどよめきを発し、一瞬にして粘ついた爆炎が風に払われたと思えば――チャーチルの主砲が、敵戦車の首根っこめがけ狙いを定めていて――

 

 

 ――これも全ては、支えてくれたみんなのお陰です。

 ――私達はこれからも仲間とともに、無限軌道を走らせていきますわ

 

 特設モニター越しから、まほとダージリンのヒーローインタビューをしばらく眺める。カメラのフラッシュが炊かれて、数々の質問を投げかけられ、青木がひと息つき、

 

「――おめでとうございます。まほは、立派にやり遂げましたね」

「はい。まほは、西住家の誇りです」

「お姉ちゃんは、日本一の戦車乗りだよ!」

「うん。僕もそう思う」

 

 赤井が、「うし」と背筋を伸ばし、

 

「……それじゃあ、そろそろ帰ろっか」

「そだな。逸見さんも、カッコ良かった」

 

 一同が、そっと席から立ち上がる。名残惜しいし、まほとも会いたいが、いまは戦車道履修者たちが喜びを分かち合う時間だ。

 それでいいと、青木は思う。

 赤井も、「エリカ」と嬉しそうに呟く。

 しほも、みほも、常夫も、どこか疲れたような、けれども明るい表情を露にしている。

 夕暮れ模様すらも、もはや心地よい。

 ――それじゃあ、またあとで。

 青木が、モニターから背を向けようとして、

 

 まほが、ドックタグを高らかに掲げていた。

 

 カメラのフラッシュが、またたく間に殺到する。ダージリンが、赤いスカーフをそっと撫で始める。

 かっこいいな、ほお、まほさーん、携帯出せ携帯――観客がそれぞれの反応を示す中で、青木は、そっと息をする。

 

 暑くなかったら、ミリタリーコートを着ていたのに。

 

 そう思う、ほんとうにそう想う。まほは誇らしく口を曲げていて、堂々とドックタグを見せて「くれていて」、僕は頷くことで応える。

 

「青木さん」

 

 しほから、そっと声をかけられる。

 

「わたしは、とても幸せです」

「僕もです」

 

 大会が終わる、今日という空が暗くなってくる。

 余韻を引きずったままで、青木と赤井、そしてしほとみほと常夫は、それぞれの帰路についた。

 

 

「――なんで?」

「何だ? その、迷惑、だったか?」

 

 もちろん、青木は首を横に振った。

 青木があっけに取られている理由はといえば、「全国大会の優勝者」である西住まほが、「日本一の戦車乗り」となった西住まほが、「この後いろいろ忙しいはずの」西住まほが、キャリーケース片手に、青木のお宅へと訪問してきたからである。

 それ故に、青木は間抜け面を晒していた。頭の中が真っ白になりかけた。ただなけなしの理性は残っていたらしく、迷惑ではない、という意思は伝えられた。

 

「それは、良かった」

「うんまあ良いんだけれど、その、いいの? ここに来ても。色々と忙しいんじゃないの? 祝勝会とか」

「まあ、それもあるにはあるんだが、」

 

 瞬間、まほが少しだけうつむく。頬を赤らめ、口元をへの字に歪ませて、

 

「――お前に、会いたかったから」

 

 上目遣いでそう言われては、青木なんて木っ端微塵に砕け散るしかなかった。

 

「……あ、そ、それは、その、ありがとう」

 

 後ろに控えている母は、いったいどんな顔をしているのだろう。

 チャイムが鳴り、「電話を取って、まほの声を聞いたであろう」母は。

 

「それに、な」

 

 ふう。まほが、ため息を付き、

 

「チームメイトが、彼氏に会いに行かないんですかって急かしてきてな」

 

 うわ。

 

「祝勝会に参加するつもりだったんだが、その、『ここは私達に任せて隊長は先に行ってください!』って言われて、な」

「なんか、そういうの良いね」

「ああ、だな」

 

 そうして、まほと目があった。

 星になったはずのまほが、青木の目の前にいる。このどうしようもない事実が、たまらなく嬉しい。

 

「青木」

「うん」

「――やったぞ」

「うん。本当に、本当にカッコ良かった。おめでとう、まほ」

 

 もう、たまらなくなって、

 青木は、まほのことをそっと抱きしめる。今この時だけは、まほの身は自分だけのものだ。

 ――まほが、青木の背中めがけそっと手を回す。吐息が、首にかかる。

 たとえ日本一になろうとも、まほは女の子だ。身長が一回りだけ控えめの、ひと一倍我慢強い女の子なのだ。

 だから青木は、男としてまほを癒そうと決めた。身も心も、肯定し続けると決意した。抱擁してまほを笑わせられるのなら、永遠に続けるつもりでいる。

 

「まほ」

「うん」

「……これからも、僕は君を応援する。プロになっても、ずっと」

「ありがとう」

 

 そのままでいたかったけれど、

 

「あ」

 

 青木から、腹の音が鳴った。

 めちゃくちゃ恥ずかしくなって、たははと苦笑してしまった。

 

「――夕飯、とらないとな」

「そうだね」

 

 そっと、まほから距離をとる。「離れる」ではない、あくまで「とる」だ。

 心の中で、青木はそう思う。

 

「まほちゃん」

「――はい、おばさま」

 

 振り向く。

 母は、ほんとうに上機嫌そうに微笑みながら、

 

「今日、泊まってく?」

 

 すごいことを口にした。

 まほが「え」と反応し、青木が「は」と吐く。

 

「はるばるここまで来てくださったんですもの、よかったらどう?」

「……いいんですか?」

「もちろん」

 

 母が、当然だとばかりに言う。

 父が「どうしたんだ」とリビングから首だけを覗かせてきて、「おお、まほちゃん」と喜色満面の笑みで近づいてきた。

 

「こんばんは、おじさま」

「こんばんは。いやあ、息子に会いに来てくれたのかい?」

「はい」

「そっかー。……この野郎、いい彼女に巡り会いやがってぇ」

 

 父から背中をばしばし叩かれ、青木はあえて「ってー」と悪態をつく。それを見てはまほがくすりと笑い、母は受話器を取って、

 

「あ、もしもし西住さんのお母さんですか? あ、いつもお世話になってますー」

 

 瞬間、青木とまほの視線が母に集中する。

 ――母の言う「いつもお世話になってます」というのは、挨拶でもあり事実だ。何度か、しほとは顔を合わせたことがある。

 何せ青木は、まほにプロポーズしたのだ。そうなれば親子同士の挨拶は必須であり、コミュニケーションも必然と発生する。戦車道のことをよく知らない母だからこそ、しほに対しては「善き普通の奥さん」として対話が出来たし、しほの方も「まほと青木君はですね」と共通の話題で繋がることが出来た。

 恋バナとなれば「私の若い頃は」が飛び出るのも理であり、それで盛り上がり合うのも大人の条件であって、父も常夫もお酒片手にやんややんやしたものである。残念ながらみほは不在だったが、いずれは紹介する機会があるだろう。

 そういった過程があって、母はしほに対し、楽勝に電話をかけられるのだ。

 

「はい、実はまほちゃんが家に来まして。……それで、よければ一緒に夕飯をとって、泊まってはいかがですかと提案したんです。……はい、ああ、良いんですか? ありがとうございます。ああいえ、いえ、こちらこそ息子がいつもお世話になっています。今日一日は、まほちゃんのことはお任せください。はい、そちらもお疲れ様です。はい、失礼しました」

 

 がちゃん。

 スムーズに母同士の会話が終了し、青木めがけ母が顔を向け、無言で親指を立ててきた。

 やめてほしい。

 

「じゃあ、今日はカレーにしないとね」

「いいんですか?」

「もちろん! 今日はまほちゃんが日本一になったんだから、たっぷり用意するわ!」

「お、いいねー母さん。俺も手伝うよ」

「お父さんはテレビでも見てて」

「へーい」

 

 そうして父が、青木の肩に手を乗せて、

 

「……よかったな」

「……まあね」

 

 苦笑いしてしまう。

 

「まほさん」

「はい」

「今日はお疲れでしょう。ここをあなたの家だと思って、ゆっくりしてください」

「ありがとうございます、おじさま」

 

 そうして父が、鈍足な動きで、リビングへと立ち去っていった。

 

「さーて、腕によりをかけなきゃね」

「手伝います」

「いいのよ別に、疲れているでしょうし」

 

 まほは、小さく首を横にふるって、

 

「花嫁修業が、したいんです」

 

 ぎこちなく破顔させながら、まほはきっぱりとそう言った。

 ――母の顔が、全くもって上機嫌そうに明るく染まる。

 

「わかったわ。じゃあ、お手伝いをお願いしちゃおうかな」

「はい、おばさま」

「――男の僕は、テレビでも見て待ってるよ。今日の大会のニュース、やってるかな」

「恥ずかしいな、インタビューが放送されるのかな」

「されるんじゃないかな。『あの』ポーズも放送されるだろうね」

「うわ、やめてくれ。見ないで欲しい」

「やだよ、まほの晴れ姿を見逃すなんて嫌だね。――とうさーん、今日のニュース録画してー」

「あいよー」

 

 まほが、「まったく」と鼻息をつき、そして笑う。

 ――この瞬間、青木は思った。ひとまず、終わったんだなって。

 

「まほ」

「うん?」

「僕も、警察官になれるように、頑張るよ」

 

 まほは、ひとつ、ふたつ瞬きを重ねて、

 

「ああ、応援する。お前の尊い夢は、私にとってもかけがえのないものだ」

「ありがとう」

「守ってほしい。私の愛した母校を」

 

 それを言われて、青木は「んー」と唸り、

 

「それなんだけどさ、実は、」「まほちゃん、エプロンつける?」

 

 被った。まほの視線がまたたく間に母へ向けられて、まほは「はい」と即答する。

 ――まあ、別の機会に話そう。まほにとって、マイナスなことを抱えているわけではないし。

 

「じゃ、待ってるよ」

「ああ。私のマウス級カレーを食わせてやろう」

「やった」

 

 そうして、まほと母が台所へ姿を消していく。

 背中を見届けた青木は、「さて」と気分を取り直し、リビングめがけ早歩きで進んでいく。今日のニュースは何としてでも見届けなくてはならない。

 

 ――その後はもちろん、青木の部屋にまほを招待して、今日の出来事を述べあい、気づけば抱きしめあっていた。

 そっとキスを交わし、青木とまほは共に眠りにつく。

 

 

差出人まほ 青木様宛て

『こんにちは。喜びのあまり、乱文になってしまっているかもしれませんが、今回だけはご了承していただけると幸いです。

私はやりました、大会で優勝しました。嬉しい、を越えた表現ってどう書けば良いのでしょうか。わかりません。

何だか実感が湧きませんが、ヒーローインタビューも受けましたし、ダージリンからは『まあ、あなたのお陰ですわね』とぶつくさ言われましたし、あなたと抱きしめ合いました。

ですから、間違いなく現実です。

ここまで来れたのも、すべては今の自分が居るからこそ、そしてみんなのお陰です。前の私のままでしたら、この目標を達成できたかどうかは……。

まったく想像できません。あなたとの出会いがない人生を考えるだけで、寂しい気持ちになります。それほどまで、あなたの存在は大きいのです。

ここまで付き合ってくださったこと、本当に感謝しています。これからも、共に歩んでいってください』

 

差出人青木 まほ様宛て

『こんにちは。この前の大会は、本当にお疲れ様でした。

西住流が、あなたが日本一の戦車乗りになれた時、自分は最高に喜びました。録画したニュースは、永久に保存するつもりです。

あなたをここまで支えられたこと、そしてあなたに恋することが出来て、自分はとても幸せです。だからこそ自分は、必ず警察官になってみせます。

――このことについてなのですが、大切な話があります。前は話しそびれてしまいましたので、次に直接出会える時に話したいと思います。

悩みなどではなく、単なる決意表明ですから、重く考えなくても大丈夫です。ただ、あなたと直接伝えたいだけです。

都合はあなたに任せます。ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました』

 

 

 女子大における昼食後はといえば、戦車道の授業と相場で決まっている。

 

 大学戦車道全国大会で優勝は果たした、しかしこれからも歩みは止まらない。慢心せぬよう、初心を忘れないよう、逸見エリカは今日も無限軌道を回していく。

 ――しかし、今日の試合結果は「負け」だ。試合相手はダージリン派、まほ曰く「これで勝率は五分五分になってしまった」とのこと。

 互いにありがとうございますと一礼を交わし合い、その後の反省会の為にうんと背筋を伸ばす。ダージリン派の雰囲気は上機嫌そうで、まほ軍は「次は勝つ」と不屈の炎を燃やしている。

 その一方で、エリカは顎に手を当てていた。

 

 ひょっとしたら、今回の敗北の原因は、自分にあるのではないかと。

 舞い上がってしまっていたのではないのかと。

 

 何も、優勝の余韻にノっていたわけではない。優勝もまた飲み込むべき結果であり、いつまでも縋ってはいけないものだ。戦車道は、西住流は前に進むべきものなのだから。

 じゃあ、何かといわれれば――

 

「エリカ」

「はい」

 

 あやうく舌が空回りするところだった。

 まほから声をかけられ、平然とした調子で視線を向ける。

 

「今日のお前は――」

「はい」

「なかなか、いい動きをしていた。重戦車ならではの勇猛果敢さを、粘り強さをよく体現しきっていた」

「あ、ありがとうございますッ!」

 

 頭を思い切り下げる、同時に「ああ」と思う。

 

「お前は最後まで生き残り、そして全力で負けることが出来た。今回のMVPは、間違いなくお前だ」

「感謝します」

「こちらこそ……しかし今日は、本当に凄かったな。何か秘密特訓を? それとも、本かなにかを?」

「あ、それは」

 

 たぶん、パンツァーハイになっていたからだろうな。

 言ってしまってもいいのかな。

 まほの目を見つめる。その瞳はエリカのことを射抜いていて、是非教えてほしいと問うていた。

 ――まあ、いいか。いずれ知れ渡ることだから。

 

「実は今日は、コンディションが最高だったんです」

「ほう? 何かいいことでも?」

「ありました」

 

 きっぱりと。

 

「私、じつは」

「ああ」

「私、そのー、実は……」

「うん」

 

 途端に、恥じらいの感情が全身から溢れ出てくる。頬なんて人差し指で掻いてしまっていたし、視線も斜めに逸れっぱなしだ。まほは「うん?」と唸るが、今だけは許してほしいとエリカは思う。

 

「実は」

「ああ」

 

 晴れ空の下、エリカは思いっきり息を吸い込み、

 

「大学を卒業して、プロになったら、赤井と結婚することに決めたんです」

 

 晴天のもと、エリカははっきりと告げた。

 

「――え」

「あ、あはは……まあ、そういうことになりまして」

「ほ、本当なのか? そうなのか?」

 

 どうやら、思った以上に声が響き渡っていたらしい。

 恋バナの空気にアテられた女子大生達が、こぞってエリカに近づいてくる。マジとか、本当とか、やーじゃんとか、おんめでとーとか、それぞれの反応が乱射されていく。

 肝心のまほはといえば、変わらずの真顔だ。しかし声は、震えに震えきってしまっている。

 無理もないな、と思う。

 「赤井の家で」プロポーズされた時、自分もそうだったから。

 

「……本当です。だからこそ、絶対に負けられないと張り切ってしまいました」

「なるほど」

「それで、手ごわかったわけですのね」

 

 ダージリンが、平然とした表情で乱入し始める。ダージリン派もきゃあきゃあ言っていて、恋とは垣根が無いんだなあと実感する。

 

「おめでとうございます、逸見さん。恋する乙女同士、喜んで祝福しますわ」

「ありがとうございます、ダージリン先輩」

 

 ダージリンも、れっきとした恋愛乙女である。時折「この前はあの人と食べに」なんて話も聞くし、交際は順調のようだった。

 目の前にいるまほだって、そうだ。

 

「そうですか、卒業したらご結婚を」

「プロになれば、ですが」

「確実でしょう、優勝を果たしたのですから」

「妥協はしませんよ」

「さすが」

 

 紅茶を片手に、くすりとダージリンが笑う。

 

「私も、負けてはいられませんわね。私も逸見さんと同様、プロになってからご結婚をする予定ですし」

「なるほど」

 

 エリカがうんうんと頷く。やはり戦車道履修者同士、考えることはほぼ同じらしい。

 ――まほが目に入り、

 

「――隊長も、プロになってから、その、ご結婚を?」

「私か」

 

 あれ。

 まほの真顔が、未だに解かれていない。何だかんだで、笑う時は笑える人なのに。

 

「私は残念ながら、少し遅れそうになる」

「そうなんですの?」

「……ああ」

 

 やっべ、地雷踏んだかもしれない。

 エリカは、心の奥底でそう思う。

 

「青木は、警察官を目指していてな」

「はい、知っています」

「だからこそ、大学を卒業した後は、数ヶ月ほど警察学校に入らなければいけないんだ」

「――なるほど」

「私はプロに、青木は警察官に。この二つの夢が叶ったあとで私達は、その……」

 

 瞬間、まほの顔が瞬間沸騰する。視線が、ちらちらと地面に寄せられる。内股になってしまっていた。

 

「け、結婚をする予定、でな? だからその、少し遅れてしまう」

 

 ダージリンがうなずき、紅茶をひと口。

 成る程と、エリカは思考する。結婚は、いわゆる「ゴール」というわけだ。

 

「あ、ああ、別に不満があるわけじゃないからな? こういうことは、最後にとっておいたほうがいいだろう?」

「はい、私もそう思います」

「同意しますわ。――こんな格言を知ってる?」

 

 聞き慣れた前振りに対して、まほが「なんだ」と口にする。

 

「寝床につく時に、翌朝起きることを楽しみにしている人は幸福である。スイスの法学者、カール・ヒスティの言葉ですの」

「ほう」

「あなたは、人生を長く楽しむことが出来るのね」

「……そうか、そういう捉え方もあるか」

 

 ダージリンが、にこりと微笑む。

 その言葉を聞けて満足出来たらしいのか、まほも首から下げたドックタグを軽く握りしめていた。

 

「やっぱりお前は、私の生涯のライバルだ」

「褒め言葉をどうも」

 

 どうやら、気まずい空気はお流れになったらしい。

 恋バナに明け暮れる女子大生たちも、ダージリンのことを、まほのことも、そして自分に対しても「式には呼んでくださいねー」と笑ってくれていた。

 もちろんだとも。エリカは、ほっと肩をなでおろし、

 

「隊長」

「うん?」

「――一緒に、プロになりましょうね」

「ああ」

 

 まほは、にこりと返してくれた。

 ――頑張れ、青木さん

 

 戦車の回収も終わり、あと少しで反省会が行われる。

 私はこれからも戦車道を通じて人生を学び、そして必ず幸せになってみせる。

 

――

 

 気づけば、もう週末だった。

 つまるところがまほと出会える日で、青木が無駄に早起きする時間帯でもある。何度もデートしているはずなのに、ちっとも慣れやしない。

 まあ、いいのかなと思った。それだけ、まほのことが好きという証明に繋がるのだから。

 

 上半身のみ起こして、役目を果たせなかった目覚ましを片手にとってみる。時刻は朝の六時半。

 目覚ましの機能をオフにして、下半身をベッドに預けたままで鼻息をつく。これだけ早くに起きれたのも、浮かれているからか、今日伝えるべき事に緊張してしまっているからか。

 まほと会うのは、昼頃だ。あと六時間もの猶予があるが、脳ミソはギンギラに覚醒してしまっている。二度寝なんて出来そうにもない。

 ――仕方がない。

 身も心もほぐすために、少し走ってみるとしよう。この習慣は、黒森峰学園に通っていた頃とまるで変わっていない。

 

 □

 

 ジョギングし終えて、朝のニュースを見ながら朝食をとり、母と父からは「頑張ってこいよ」と軍資金を手渡される。毎度「いいからそういうの」と断っているのだが、父はカッコつけて奢れとやかましいし、母に至っては「相手はお嫁さんになるんだから、全力で交流しなさい」だ。母だけに、その言葉が重い。

 そうして、今日も今日とて軍資金を受け取る。11時になれば家から出て、父と母から見送られる。

 

 まほは、少し遠くから電車で来てくれる。集合場所は地元の町中で、食うにも買うにも遊ぶにも不自由はない。

 駅にたどり着き、腕時計を眺めては「11時半か」と呟く。既に調子は出来上がっていたし、気温も暖かい。天候にも恵まれている。

 ――あとは、男気を見せるだけだ。

 自分はまほに対して、とあることを伝えなければならない。夢のちょっとした変更を、どう考えても正しい自分の決意を。

 

「青木」

 

 親の次に聞き慣れた声が、青木の耳に届く。

 改札口の向こう側から、まほが手で挨拶を返してくれていた。

 

 □

 

 十二時になって、早速とばかりに行きつけのカレー店へ寄る。数年前に見つけた個人経営のカレー店で、名前を「電光堂」という。

 初めて口にした時は、青木もまほも「うまい」と絶賛した。それには店主のおじさんも喜んでくれて、それ以降は行きつけのカレースポットとして活躍中である。

 入店し、店主のおじさんから「いらっしゃい、また来てくれたんだね」と微笑まれる。青木は「どうも」と返して、いつもの相席へ腰掛けた。

 店主が近づいて、お冷を二人分置く。続けて注文を問われ、数秒だけメニューを覗いた後に「チーズカレーで」「それでは、私も」。

 店主が「かしこまりました」と調理し始める。そうしてまほとは見つめ合う形になって、

 

「聞いてくれ」

「何?」

「逸見のやつ、卒業したら赤井さんと結婚するらしい」

 

 青木が、上機嫌に笑ってしまう。

 

「赤井の奴から聞いた。まったく、幸せ者だなあいつは」

「ああ。……ダージリンも、卒業後は結婚するつもりらしい」

「へえ、ダージリンさんも」

「ああ。だから、一番遅く結婚するのは、私達ということになるな」

 

 青木は、申し訳なく、重く鼻息をつく。

 

「ごめん。警察学校を卒業するまでは……」

「いや、いいんだ。お前には、黒森峰学園艦の警官になるという崇高な夢があるんだから」

「まほ」

「私は、そんなお前を尊敬している。だから気にするな、私とお前は文通で繋がれるんだからな」

「――そのことなんだけどね」

 

 え。

 微笑んでいたはずのまほが、あっという間に無表情と化す。

 

「そのことで、ひとつ伝えなければならないことがあるんだ」

「それは?」

 

 別に悩みでもないのに、まほを傷つけるわけでもないのに、血液ごと身体が熱くなっていく。意識が緊張で強張る。

 ――恥ずかしいんだろうな。

 けれど、話さなければならない。まほの為にも、そして自分のためにも、何としてでも告げなければならない。

 

「――それは」

 

 夢の、変更を、

 

「伝えにくいのか? 焦らず、ゆっくり、水でも飲んでみろ」

「うん」

 

 本当の夢を、

 

「ふう、少しすっきりした、かな」

「それは良かった。……それで、何だ? 何か問題でも?」

「問題ってわけじゃないんだけれどね。その、決意表明というのか……」

「なるほど」

 

 叶えたい夢を、

 

「聞かせて欲しい。今度は、私がお前を支える番だ」

 

 口にすべき決意を、

 

「まほ」

「ああ」

「僕は、黒森峰学園艦の警官になるのをやめる」

「――え」

 

 まほに、伝えたいから。

 

「黒森峰学園艦のことは好きだ。あそこには沢山の思い出があって、君というかけがえのない人と出会えた。だからこそ、あそこを守りたいという気持ちが、あった」

「あった……?」

「うん。僕は、夢をほんのすこしだけ変える」

 

 まほが、か細い声で「すこし?」と返す。自分は、心の底から笑ってみせて、

 

「本土の警察官に、なる」

「――どうして?」

「それはね」

 

 まほに、じっと目を合わせる。

 まほの瞳は、まるで水面のように揺れている。動揺しているのか、顔は無そのものだ。

 仕方がないと思う。だって自分は、前から散々、ハードルが高き黒森峰学園艦の警察官になりたいと告げてきたから。

 

「それは、」

 

 けれど、考えたのだ。

 学園艦は、遠い遠い世界だから。そこに居る限り、まほとは離れ離れになってしまうから。

 ――だから、

 

「警察としての仕事を終えたあとは、君のもとへ帰りたいから」

 

 青木は、叶えたい夢を叶えることにした。

 伝えるべき事柄はこれだけだ。青木にとってはとても重要なことで、必ず伝えなければならない意思だった。

 

 そして、これだけのことを聞いて、まほは小さく口を開けた。

 カレーの匂いが、透き通るように伝わってくる。店主の視線を、強く感じる。その中で、まほはいつまでもいつまでも無表情でいて、音もなくうつむいて、

 

「いいのか?」

「君がいてこその、僕だ」

「……そうか」

 

 しばらくはそのまま、

 

「そうか」

 

 まほが、そっと顔を上げて、

 

「――ありがとう」

 

 西住まほという僕の星が、この地上で涙を流してくれた。

 笑いながら、迷惑をかけないよう静かに。

 ――まほは、ドックタグを抱く。

 まほの感情を、思う存分溢れさせよう。

 これからも自分は、まほと共にいる。

 

 このあとは、店主が半額でチーズカレー大盛りを提供してくれた。おめでとう、そう告げて。

 

――

 

「――これからも西住まほさんは、青木さんとともに、道を歩んでいきますか?」

「はい」

 

 広々とした式場の中で、牧師役の赤井エリカが満足げに笑う。

 

 私が日本戦車道のプロリーガー選手となって数ヶ月、青木が本土の警察官に就任して数日が経つ。互いに、夢が叶ったのだ。

 それからは、もうあっという間だった。

 青木から指輪を手渡された瞬間、私はいてもたってもいられずに結婚式の予定を組んだと思う。まさに電撃だ。

 

 やっぱり自分は、西住の血が流れ込んでいるらしい。

 それが、今となっては迷いなく誇らしく思える。

 

「これからもずっと、青木さんを愛し続けると誓いますか?」

「――誓います」

 

 西住まほとして生まれたからこそ、私はここにいられるのだから。

 

「青木さん」

「はい」

「――青木さんは、これからもずっと、西住まほさんを支えていきますか?」

「支えます」

 

 西住まほだからこそ、この人と出会えたのだから。

 

「……これからも、西住まほさんを愛し続けると誓いますか?」

「誓います」

 

 青木と目が合う、笑ってくれる。

 本当に、ほんとうに長い人生を歩んできたと思う。あっという間だったと、実感した。

 

「それでは、誓いのキスを」

 

 向き合う。

 ――感じる。たくさんの視線が、私に降り注いでいるのを。

 

 私の自慢の妹であるみほが、

 私の尊敬するお母様が、

 私の背を押してくれたお父様が、

 私の言葉に頷いてくれるおじさまが、

 私の事を受け入れてくれたおばさまが、

 私の生涯のライバル、ダージリンが、

 私の大切な仲間たちが、

 私の友人、赤井さんが、

 私の親友、エリカが、

 

 私の愛するひとが、わたしのことを見守ってくれている。

 

 私はきっと、もう独りでは生きられないだろう。

 それが、心の底からたまらなく嬉しい。

 

「青木」

「まほ」

 

 見つけたぞ、私の戦車道を

 

――

 

 

 みほが大洗女子学園へ転校して、数日が経った。

 私は西住流を継ぐ女として、みほの救助活動を称賛したりはしなかった。けれど一方で、非難したりもしなかった。

 それは、私がみほの姉だから。みほは人として、立派な役目を果たしたから。だからこそ私は、沈黙というごまかしの立場をとることしか出来なかった。

 

 ――そこまでして私は、西住の女を貫き通したいのか。姉という唯一無二の立場で、妹を褒めることすらできなかったのか。

 

 みほが転校して以来、私はずっとずっと自問自答してばかりいる。時折、誰かに相談したりもしたかった。

 けれど私は黒森峰戦車隊隊長で、西住流の後継者だ。みほの行いを肯定し、それを口にしようものなら、黒森峰戦車隊に迷いが生じてしまう。

 だから私は、これからも一人で、この疑問を抱え続けるのだろう。だめなお姉ちゃんにはぴったりな罰じゃないか。

 

 けれど、

 

「みほ」

 

 放課後の格納庫で、私はみほの戦車に手を触れていた。

 こうする理由は、間違いなく未練だ。私の元から離れていってしまったみほに対しての、どうしようもない謝罪行為だ。

 この行動も、ずっとずっと繰り返していくのだろう。私は、ほんとうは妹想いの姉だから、みほのことが愛しているから、

 何を今更、か。

 みほの戦車に接したまま、私はうつむく。そうして、同じことばかりを思考していく。

 

 その時、外から音が聞こえた。

 

 なんだろうと、私はグラウンド方面に目を向けてみれば――ジャージ姿の男子と、目が合った、気がした。

 男がいても、別に不思議ではない。黒森峰学園のグラウンドは広く、男女共有の名目でよくよく利用されるケースも多い。体育の授業は決して被らず、おいそれと男女で接触したりはしないが。

 ――走り込みをしているのか。偉いな。

 少しばかりそう思う。そして、私のようになるんじゃないぞと、自虐的に思考する。

 

 さて、そろそろ帰ろう。

 

 □

 

 戦車道を歩み終え、私はひとり、帰路についていた。

 

 紫がかった夕暮れの下で、なるだけ今後の戦車道について考えようとするのだが――そのたびに、みほの顔がちらついて離れない。

 仕方がない必然だと思う。みほも戦車道履修者であり、かけがえのない仲間であって、私の妹なのだから。

 これもきっと、受けるべき罰なのだろう。血が繋がっているからこそ、納得できる。

 すまない。

 そうして戦車道の思案をしていれば、もう寮の前だ。一区切りついた気がして、肩から呼吸する。

 まずは寮に入る前に、郵便ポストを確認する。鍵を使って私のポストを開けて、三つの白い封筒が目に入り、「ふう」と息をつく。

 

 また、か。

 

 三つの手紙を回収し、ポストの鍵を閉じる。あとはそのまま寮へ入り、自分の部屋へ入室し、三つの手紙と学生鞄を学習机の上に置く。

 さて。

 椅子に座り、一つ目の手紙――菊池智子の手紙を読む。

 

『こんにちは。私は戦車道履修者の、2-B所属の菊池智子です。

私は昔から戦車道に憧れていて、こうして今も歩み続けています。だからこそ、西住様のご活躍にはいつも感銘を受けてばかりです。

私は二軍ですが、いつかは一軍に昇格して、西住様の戦車道を支えたいと考えています。

去年は惜しくも優勝を逃してしまいましたが、今年は絶対に優勝できるよう、応援します。

西住様、頑張ってください!』

 

 やっぱり、か。

 私の元には、よくファンレターが届く。大抵は西住流を称えるものだったり、私個人を評価するものだったり、時には男子からもメッセージが届くことがある。よく見ているものだ。

 返信はする、するが、大抵は同じようなお礼の文章を書くことが多い。最初こそどうしていいか悩んだものだが、今となってはすっかり慣れてしまった。

 返信をし終えた後は、もう一度だけお礼の手紙が届いてくるか、或いはそのまま終了、というケースが多い。黒森峰学園艦には生真面目な人間が多いから、あまり馴れ馴れしくしないように配慮してくれているのだろう。

 今は、それがありがたいと思う。

 今は、私の中は一杯一杯だから。

 

 二つ目の手紙――桜坂舞香の手紙を開く。

 

『こんにちは。私は黒森峰女学園3-A、茶道を歩んでいる桜坂舞香といいます。

私は戦車道履修者ではないのですが、あなたのご活躍はいつも拝見させていただいています。

力強く、決して妥協しない、真の大和撫子を体現するそのお姿は、まさに私の憧れそのものです。手本にさせていただいています。

道は違えど、私はあなたのファンです。これからもどうか、西住流の名を広めていってください。

応援しています』

 

 ――ありがとう。

 小さく、そう呟く。そして、「でも、私のようにはなるな」と口にする。桜坂には、流派よりも肉親を選ぶような、そんな情が深い人になって欲しい。

 

 西住流は、私の全てだ。

 これからも、繁栄を築いていくつもりでいる。

 だからこそ、妹を見捨てることが出来てしまった。

 

 ため息をつく。

 そして、三枚目の手紙――名前からして、男からだろうか。

 まあ、今となっては珍しいものでもなくなった。男女の隔てなく、西住の名が有名になる事は、実に喜ばしい。

 ……喜ばしい。

 

 そして私は、手紙を開いた。

 

『初めまして、このたびは突然のお手紙を差し出し、まことに申し訳ありません。

僕は黒森峰学園3-B組の青木といいます。

黒森峰女学園の戦車隊を率い、勝利を得ていくその姿は、まさに黒森峰学園艦の英雄であり、憧れの象徴です。尊敬しています。

西住流という誇り高き血を守ることは決して簡単ではないでしょう。だからこそ、適度に息抜きをしてください。

ご自分のことを最優先に考えることは、けして悪いことではありません。これからもどうか、ご自愛ください。遊んでください。

貴重なお時間をとらせていただき、本当にありがとうございました』

 

 わたしの目が、またたく間に釘付けになった。

 これは確かに、ファンレターではある。西住流のことも、称賛している。

 ――けれど、

 この手紙は、西住流「よりも」私の安息を求めている。遊んでくださいと、はっきり書けてしまっている。自分のことを最優先に考えてもいいと、そう教えてくれている。

 こんな、こんなファンレターは「はじめて見た」。

 何度も一から、読み直してしまった。

 

 己のことよりも西住流を、黒森峰戦車隊隊長という義務を抱えていたからこそ、私は甘えに縋ることができなかった。してはいけないと、自分に言い聞かせていた。

 だから私は、妹に対して沈黙を貫くことしかできなかったんだ。

 

 けれど、でも、

 

 第三者からこう言われるだけで、こんなにも安堵を覚えるなんて。保証されるだけで、自分の中の本心が溢れ出そうになるなんて。

 

 青木――

 

 わたしは慌てるように、シャープペンを手にとった。急いで返信しないと、そう思えてしまえたから。

 

 わたしの心が、躍り始めた気がした。

 

 

 

 

 




これで、まほのメタルな誕生日企画はおしまいです。
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。


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