夏目友人帳 小噺集 (詩諳)
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八重桜の簪:1

夜勤明けできたてほやほやです。さらっと男同士が夫婦になってるとか書いてるから、嫌な予感したら逃げてくださいね。


 春の象徴とも呼べる桜も殆ど散り、初夏へと向かっていたある日のこと。その日はにゃんこ先生が八ツ原で夏目組・犬の会(つるつる、牛、ヒノエ達のこと)と朝っぱらから酒を飲みに行ってしまっていて、俺の傍にはいない日だった。

その日も学生として学校に行っていた俺は、家へ帰る道の途中、視界の隅に入ってきたものに足を止めた。

(あれは……)

道の端に長い銀糸の塊がいた。膝(?)をついているのか、和服と素足が見える。人ならざる雰囲気に、――妖だ……と直感した。

すぐに視界からその姿を外す。何もなかったように通り過ぎるのが一番いい。そう思って横を通り過ぎようとしたとき、微かに声が聞こえた。

『ない……ない……ここにも……ない……』

何かを探している様子の妖に思わず足を止めた。よく見ると着物も髪も随分汚れて、ボロボロだった。草をかき分ける手は土で汚れている。

――きっと、長い間探し物をしているのだろう。

「何を、探してるんだ?」

気づけばそう口にしていた。

妖はビクッとした後、恐る恐るといった風に俺のほうを向いた。

しまった―――と思ったが、時すでに遅し。完全に目が合ってしまっている(長髪に顔は隠されているがそう感じる)

『……お前、人の子なのに、僕のことが視えるのか?』

立ち上がって近づいてくる妖に一歩下がれば、慌てたように服をつかまれた。

『ま、待ってほしい。僕はお前にけがをさせようとか、いたずらしてやろうとか、そんなことはこれっぽっちも思ってないし、やるつもりもない! どうか、どうか手伝ってほしい!』

そう言って勢いよく頭を下げた妖に、話は聞くから服を離してほしい、と伝えた。

 

 

 

妖は春弥(はるや)と名乗った。北東のほうにある、悠紗山(はるさやま)に住んでいる妖で、なんと夫がいるという。春弥は男だろう?と尋ねると、妖にはあまり性差は関係ない、と返された。

春弥が探しているのは、その夫からもらったという玉桜の簪で、普段はそれで髪をまとめていて、それ以外の髪飾りで髪をまとめたくないという。

どのくらい昔かは忘れてしまったが、とてもとても風の強い日に、その風に乗ってやってきたいたずら好きの妖に奪われてしまったという。すぐに夫の妖が叩きのめしたが、最期の悪あがきと言わんばかりに遠くへ放られてしまった。夫は新しい物を用意すると言ってくれたが、春弥は思い出の品である簪をあきらめきれず、山を飛び出してきてしまったのだと。それから山には一度も帰らずにその簪を探しているのだとか。

『長い年月が経ってしまったと思う。でも、今更見つからなかったって言って戻るのが嫌なんだ』

視えない人間には見つからない代物であるというし、どうしてもその簪を取り戻したいのだと。

どうか手伝ってほしいと深く頭を下げる春弥

俺は分かった、と答えるのだった。

もちろんその夜、お酒の臭いを染みつかせたにゃんこ先生には説教された。

 

……だが、その翌日。

「おい夏目」

難しい顔をしたにゃんこ先生が口を開いた。

「悠紗山の夫婦の妖で、両方とも男体、玉桜の簪というと、一組しかおらん。夫が山の主で、万年桜の妖もの。嫁のほうは明治時代かそこらに、万年桜を気味悪く思った人間がささげたという白子ではなかったか。半世紀ほど前に突然嫁が消えてから、今もなお夫の妖は荒れ狂っているという話を聞いている。祓い屋が何度も退治に行っては返り討されているとか。気をつけろ、これはただの物探しでは終わらんぞ」

いつになく真剣な顔をする先生に、俺は思わず生唾を飲み込むのだった。




7/31、ちょっと修正しました


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八重桜の簪:2

休み明けたら書きますーとか言っておきながら書いていなかった猛省。
意外と手書きのほう書き溜めてあって驚きでしたー。
しかし問題はこれから先がまったくの真っ白だということです……。どうしようか。



 翌日が休日だったこともあり、俺は朝から簪を探していた。中級たちやヒノエにも事情を話して方々を探してもらっていたが、初日から見つかるはずもなく。

夕方、疲れて溜息をついた俺にカラカラと笑って春弥は言った。

 

「そう簡単に見つかったら僕の目が節穴だってことになっちゃうよ~」

 

それからも学校帰りに探したり、休日も日が暮れるまで外にいて、塔子さんは俺が毎日どこかしらにはっぱをつけて帰るので、「元気ねぇ」と微笑んでいた。

 

それからも色んな場所を探したり、妖たちに聞いて回ったが一向に見つからず、もうすぐゴールデンウィークに入る頃合いとなった。協力者を得て、見つかるかもと期待していた様子の春弥からもだんだん笑みが消えていった。

「もう、50年くらいずーっと探していたから、こんな短い間で見つかるわけがないって分かってたんだけどね……。なんだか少し、疲れてきちゃったなぁ……」

気落ちした様子で、わずかに口角を上げて笑う春弥に何も言うことができない。なまじ大勢で探したからか、見つかるのではと春弥の抱いた期待も大きいものだったのだろう。

初めて、春弥が「帰りたい」と俺たちに溢した。両手で顔を覆って涙を零す。どんな事情があったにせよ、万年桜の妖と春弥は夫婦として妖に知られるほどの、仲睦まじい(かは分からないが)夫婦だったのだろう。妖にとっては50年など瞬きの間に過ぎていく時なのかもしれない。けれど、かつては人間として生きていた春弥にとっては、50年という年月のなんて長いことか。簪を探すために住処を飛び出してはきた。今更見つからないまま帰るのも嫌だけれど……もう全てを諦めても夫に甘えたいと、そう思ってしまうのだという。

 

「意地になってたんだ。あの簪を諦めたくなかった。探しに出てきたら出てきたで、格好の悪い自分で帰りたくなかった」

 

あぁ、と彼は嘆息する。

 

――こんなことなら、初めから探しにこなければよかったかなぁー―

 

ぽつりぽつりと零れていく言葉が心に刺さる。

そうしてできた沈黙は、ヒノエの声で吹き飛ばされた。

 

「甘ったれたこと言ってんじゃないよ! アンタがどうしても簪を取り戻したいって言うから、夏目もアタシたちも駆けずり回って、泥んこに汚れても木々に腕や足を引っかけて傷つくっても、それでも探してきたんじゃないか! アンタが諦めたら、アンタがこれまで探してきた時間は、アタシたちが使った時間はどうなるんだい! 無駄になっちまうんだよ!!

それとも何だい? その格好悪くて自分勝手な自分のまま、旦那のところへ帰るのかい? それならそれで好きにおしよ! アタシゃ知らないね!」

 

とうとう手のひらから溢れだした涙がしとどに地を濡らす。しかし、静かに嗚咽を零しながらも涙を拭い顔を上げた春弥の目には諦観はなかった。

 

「絶対っ、諦めない。絶対見つけて、ちゃんとした自分であの人に会いたいんだ!」

 

強い決意を滲ませながら、そう言った。




読んでくださりありがとうございました。
本当に、お待たせいたしました。誤字脱字、意味が違う言葉がありましたら教えてください。

追記;自分で読み返して思ったけど、割と春弥くん身勝手というかなんというか……。でも今更直したところでモチベが更になくなるだけかなと。厳しいお言葉はおやめくださいませー(´・ω・`)でも感想は大歓迎ー。


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八重桜の簪:3

お久しぶりです。生きてます。
気が付けば社会人。仕事が終わったらご飯をたべてゲームをする日々。すっかり小説執筆からは遠のいておりました。
ふと自分の作品を開き、投稿した年月日を見て、ふいに涙が止まらなくなり再度PCを立ち上げました。しばらく書いていないので、見るに堪えない文章になっていると思います。まだ待っていてくれた方、ありがとうございます。初めましての人、どうぞよろしくお願いします。


ヒノエから一喝された春弥は気合を入れなおして簪探しに励んだ。けれどいくら探しても見つからない。犬の会は相当遠くまで足を運んでいるが、簪のかの字も見つからなかった。

俺はと言えば、簪を探していることから、様々な妖に声をかけられる。それは案の定というか、友人帳を狙う妖ばかり。稀に簪探しに手を貸そうとしてくれる妖もいるが、それでも全く手掛かりはなかった。

 

――……春弥があんなにも必死に探している簪。愛しい人からの贈り物。絶対に見つけて、春弥の手に戻ればいいのに。

 

そんなことを考えながら、その日も簪を探して野山に分け入っていると、妙に冷たい風が傍らを吹き抜ける。初夏に入ろうとしているこの頃にしては珍しいとさえ思う、そんな俺にふと声がかかった。

 

『ひとのこ』

 

仰ぎ見ると目の下を隈で真っ黒く染め、険しい顔をした男性がいた。目じりには紅が引いてあるが、それが険しい顔を更に厳しい表情に見せている気がする。着ている物は豪奢な着物。それも着崩れているから、なんというか、底知れぬ恐怖を感じさせられた。まごうことなき、妖である。

 

「……何か用か」

 

妖は俺をまじまじと見つめて、何度かスン、スンと鼻を鳴らす。そして俺の両肩をつかんで口を開いた。

 

『やはり、おまえだ。おまえから、においがする』

 

何のにおいだろうか。

 

『あのこはどこだ。おまえがうばったのか、ひとのこよ』

 

――……あの子?

 

『やはりひとなどおろかしきもの。ふみいれてはならぬせんをよういにこえる』

『あのこはわたしのゆいいつ。あのこさえ、あのこさえいればなにをすることもないのに』

 

周りの木々がざわめいて、音となって耳に入る。

 

カエセ

カエセ カエセ

いとしいこ カエセ

桜のあるじ いとしいこ 

さみしいこ カエセ  カエセ  カエセ

カエセ カエセ カエセ カエセ カエセ カエセ

 

どんどん不穏になっている雰囲気に、血の気が下がる。

 

「悪いけど俺には何のことが分からない。この手を放してくれないか」

 

妖は言う。

 

『わからないはずはないだろう。おまえからたしかににおうのだから』

 

肩をつかむ手の力が強くなって、痛みが生じる。

 

――話が通じる相手じゃない!

 

俺は妖を振り払って逃げ出した。山の木々が行く手を遮るかのように行く先が暗い。

 

『とまれ、ひとのこ。あのこをかえせ』

 

後ろを見れば、ゆったり動いているように見えるのに、まったく距離感の変わらない妖の姿がある。

 

捕まったらまずいことになる。

 

それだけは分かった。

そこまで深い山ではなかったはずなのに全く出口が見つけられない。行く先は暗く、草木が茂っていて走りにくいことこの上ない。この山の自然があの妖の力になるのだとすれば、状況は最悪に近いものがあった。そう、逃げられないという点で、である。

 

「にゃにをしておるか夏目ー!」

 

必死に走り続ける俺の横に、白い丸いものが並走し始めた。

 

「にゃんこ先生!」

 

乗れと言われるがままに本来の姿に戻った先生に乗る。

空を駆ける先生は後ろを見て、引いた顔をした。

 

「お前あの妖と何があった!? めちゃくちゃ怒って追いかけてくるではないか!」

「俺にもわからないんだよ先生! 急ににおいがどうとか、あの子を返せだとかで追いかけっ……!」

 

先生が急に止まる。俺の言葉も止まる。

目の前に、ずっと後ろから追いかけてきていたはずの妖がいた。

 

『おまえも ひとのこのなかまか』

 

ザワザワと髪と着物が騒めいている気がする。

 

『おまえも あのこをかえさないのか。さみしくてかなしくていとしいあのこ。こけたほほがふっくらとして、あかくなった。ひかりのない めが わたしをみとめてうつしだす。わたしのゆいいつ。わたしのさい』

 

あぁ、はるや

 

――……春弥!?

 

「っあなたが探しているのは、銀の髪の、万年桜の妖との夫婦ものの春弥か!? なら彼は今俺たちと一緒に探しものをしています! 探し物が見つかれば必ずあなたの前に姿を現すでしょう!」

 

目の前の妖が首を傾げる。

 

『……さがしもの。あのこのさがしもの? ……おろかなひとめ。あのこのたいせつなものでもうばって そのみをとらえたか』

 

――なんでそうなる!?

 

『あのこはさがしものなどできない。わたしのそばで とわのあんねいをともにすごす。そとはあのこにとっておそろしいせかい、あのこがながいあいだひとりでそとにでていくことはない』

 

眼下に見下ろす木々のざわめきが耳元で聞こえるようだった。

フッと冷たい風が傍らにとどまる。すぐ横に、妖がいる。

 

『あのこのくるしみは わたしのくるしみ。おまえもあじわうか』

 

にゃんこ先生の毛の柔らかさが離れたと思えば、俺は空中に投げ出されていた。

 

『いきながらに ちにあしつかぬおもいに みをすくませ くるしんだ』

『かたわらにあるはずのぬくもりがなくなるきょうふ』

 

――……あぁ

 

  ――……泣いている

 

【どうしてどこにもいないのだ、春弥。私の、愛しきもの】

【どこに、何をしている。春弥……春弥……】

 

悲しみと焦り、心配が流れ込んでくる。

 

【また人の子がきた。祓い屋……春弥、無事であれ……】

 

――さみしい。帰ってきてほしい。

  ――きみが私の光。温もり。彩り。

 

妖の気持ちが流れ込んできて、涙がこぼれて宙に残されていく。

 

 

 

 

 

 

 

ふと風を切る音が耳に届いた。

 

「夏目!!!」




ここで切ります。次話、春の小噺完結。
題名思いついたので変更しています。


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お狐様の物語:1

前作を消してその翌日に新しい夏目を書くとかどんだけ~って思ったんですけど、息抜きしないと苛々で体調不良が明日にも続きそうなので書きました。
-追記-
前書き一部消しました。


 ―むかぁしむかし、この村にはお狐様がいらっしゃった。

お狐様がたまーに田んぼの手伝いをしてくれて、その年は豊作で、村人はお狐様にとてもとっても感謝しておった。

お狐様の為に立派なお社を作って、村で作った反物やその年一番の稲に、珍しい陶器などをお供えして、大事に、大事に祀っておった。

お狐様はそれはそれはお喜びになり、村人達の願いを叶え始めたという。

しかし、ある年を境にお狐様は田んぼの手伝いをする事もなければ、村人のお願いを叶える事もなくなってしまった。

それに怒った村人達は、お狐様の社に火を放ち、半焼した社を遠ざけ、お参りする事もなくなり、お狐様は夜遅く、毎晩毎晩一粒の涙をこぼしたという……―

 

 「そして、そのお狐様のお社がある豊穣の社、通称狐殿(きつねでん)。狐殿に近づくとその人の周りでは水難が起こるらしいんだ」

 「え、水難? 食物に関する事じゃなくて?」

 「そう、そこなんだよ! もう研究家もずっと調べてるらしいんだけど、何故か水難が起こるって。水に関する言い伝えなんてないのに、どうしてそうなってるのかずっと気になっててさぁ!」

 「へ、へぇ。西村がそういう昔話を気にするのって珍しいな」

 「なにおぅ夏目、俺だって気になることあるんだぞっ……って言いたいけど、実際そうなんだよなぁ。俺のご先祖様がその村に住んでたらしくて、それでよく歴史研究家がうちに来てたんだって」

 「そうなんだ。因みに、その歴史研究家はなんて?」

 「それがさぁ、昔の貴重っぽい資料を渡した帰りに河にドボン。資料はダメになるし研究家は頭打って病院に搬送された後早々に東京に戻っちゃったから何も分からないって」

 「そ、そうなんだ」

 

 それなりに物騒な話に夏目は頬を引きつらせた。

 

 「なんだか危ない場所だな。本当に行くのか?」

 「おう! なんかご先祖様がお社から盗んできた装飾品があるみたいでさ、それ返しに行くのも今回の目的」

 「盗んだ装飾品!? よくそのお狐様っての怒らなかったな」

 「さぁ……本当は怒ったかも知れないし、怒らなかったのかも知れない。でも、それ聞いた兄貴が気味悪いってさ。それで俺に白羽の矢が立ったってわけ」

 

 ついでにプチ旅行してみたかったしな、と西村はニヤッと笑った。

 

 「因みにその村の名物はお狐煎餅! 沢山種類があって大人気のご当地品らしいぜ」

 「お、お狐煎餅……」

 「商魂たくましいな」

 

 ――『次は、狐殿(きつねでん)狐殿(きつねでん)

 

 「おっ、ここで降りるんだな」

 「そのまんまだ……」

 「予約した旅館は降りたらすぐ見えるって話だったが……」

 

 下車した北本が周辺を見回すと、遠くにポツンと大きめの日本家屋っぽいものが建っているのを見つけた。

 

 「え、まさかアレ……?」

 「はい、はい。……そうですか、ありがとうございます。……そうみたいだな。運転手に聞いた」

 「遠っ!」

 「諦めて歩くぞ」

 「ああ」

 

 そうして夏目、西村、北本の三人は歩き出した。

 

 ************************

 「はー、つっかれたぁ!」

 

 西村は旅館について部屋に案内されるなり床に寝転がった。

 北本も少し疲れたようで、僅かに息を弾ませている。

 夏目はと言うと……

 

 「……(ちーん)」

 

 床に突っ伏して完全に沈んでいた。

理由として挙げられるのは二つ。

夏目に体力がなかった事。

そして……

 

 「にゃー」

 

 夏目の飼い猫ニャンコ先生が夏目の鞄に隠れていた事だ。

重量に耐えきれずダウンした夏目の代わりに鞄を持った北本が、あまりの重さに疑問を持って、夏目に許可を取って中身を確認した所発見された。

それを見た夏目がニャンコ先生と喧嘩になったのも理由になるだろう。

まぁとにかく、夏目は疲弊していた。

 

 「しっかし遠かったなー。もうすぐ夜だぜ?」

 「ああ。来た時はまだ昼だったのにな」

 「……(ちーん)」

 「にゃー(軟弱者め)」

 

 少ししてから旅館の仲居さんが入ってきて、料理が先か風呂が先か尋ねてきたので、西村と北本が風呂優先、夏目は未だ沈んでいたので布団を掛けて二人は風呂へ行った。

二人の気配が遠ざかってからニャンコ先生はお茶請けのお狐煎餅をバリバリと食べながら夏目の上に乗った。

 

 「うっ……」

 「まったく、この軟弱者め。お前がそんな調子でどうする。この辺り一帯はお狐様とか言う妖上がりの神擬きがいるという話ではないか。友人帳を取られるかもしれんのだぞ。おい、聞いているのか、夏目」

 

 疲弊している相手に酷な事をするニャンコ先生であったが、夏目の意識は既に9割が沈んでいた為反応はなく、ニャンコ先生は諦めてお狐煎餅を消費する事に専念し始めた。

 

*************************

 (……誰かの泣き声が聞こえる)

 

 ぼんやりとした意識の中、夏目は小さい子供の泣き声を聞いていた。

 

 (……誰が、泣いているんだろう……)

 

 泣き声を気にしていると、泣き声は次第に収まっていった。

そして、誰かの慰める声が聞こえてきた。

 

 《……からなんだというのだ。お前はお前だ。大丈夫。私が側にいてやろう。何分、長い人生を歩む故な》

 

 最初の方がうまく聞き取れなかった。

でも、それはきっとこの地に縁深い妖の声……。

優しい、慈しみの声……。

 

 《……と違う……悪い事ではな……私とお前……だ……》

 

 もう、よく聞こえなかった。

*************************

 「おっ、夏目起きたか?」

 「……西村?」

 「もうすぐ食事を持って来てくれるそうだ」

 「北本……」

 

 夏目が目を覚ますと、浴衣を着て寛いでいた二人がいた。

なんだかうっすらと白檀の香りがする。

 

 「いやぁ、ここの風呂超気持ちよかった! 透明だったからただのお湯かと思ったらここまで歩きで来た疲れとか足の痛みとかスーって消えていってさ! 何時でも開いてるみたいだから、夏目も入ってきたらどうだ?」

 「へぇ、それは凄いな。後で入ってくる」

 

 因みに白檀の香りはボディソープの香りだそうだ。

浴衣も深みのある香りがして、何かの香が焚きしめられているようだ。

漸く夏目が上体を起こして座椅子に腰掛けられるようになった頃、仲居さんが食事を持って来た。

かつて豊壌の地と呼ばれた土地に相応しい量と味を誇っている旅館というレビューに相応しい料理だった。

**************************

 その後、食後の休憩を終えた夏目は一人、風呂へ向かっていた。

正直一歩も歩きたくない程疲れ切っていたが、風呂に入らなければ不潔だ。

そうして夏目が脱衣所に入ると、橙がかった金髪の青年が服を脱いでいる所だった。

 

 「あっ、すみません!」

 「あぁいやいいんだよ。この旅館の大風呂は誰でもいつでも入って良いからね」

 

 まぁ君みたいな子供が入るには遅めの時間だとは思うが、と青年は笑った。

 

 「実は今日来たばかりで、疲れ切っててずっと寝ていたんです」

 「なるほど。確かに徒歩では5~6時間はかかるだろうね。この旅館駐車場ないし、中々客がこないから」

 「え……? こんなに凄い旅館なのにですか?」

 「……ははっ、ありがとう。確かに他と比べると凄い旅館だろう。だがね、この土地ならではの昔話が人足を遠ざけるのさ」

 「昔話って、お狐様の……?」

 「おや、知ってるんだね。続きはお風呂で話そうか。折角だしゆっくりしていくといい」

 

 うっそりと笑った青年は空乃(そらの)と名乗った。

 

 白檀の香りのするボディソープに乳香のシャンプーなど、樹脂系やオリエンタルな香りの洗剤が備え付けられていた。

着物に焚きしめられているのはパチュリだと空乃が言う。

 

 「元々この旅館を始めた人がね、インド系の香りが好きな人だったんだ。それで、洗剤から部屋に焚く香、着物に焚きしめる香も殆ど全てインド系のお香なんだよ」

 「へぇ、詳しいんですね」

 「まぁね。何回も来てるから」

 

 しっかりと身体を洗ってお湯に浸かると力が抜けて、西村の言っていた通りスーッと疲れや痛みが引いていった。

 

 「……不思議なお風呂ですね」

 「この旅館の自慢の一つなんだ。狐殿の側に源泉があってね、そこからお湯を引いてる」

 「狐殿……」

 「……狐殿に祀られたお狐様はね、下手に信仰があったものだからそう簡単には消える事ができないし、人間もお狐様の噂を眉唾物として扱うから居心地が悪くてしようがないらしい」

 「信仰ですか……」

 「そう。夏目達が来た辺りで言うと、ツユカミ様とかじゃないかな」

 「!」

 「ツユカミ様も確か元々神様なんてものじゃなかったって聞くけどね。神様でもないのに自分勝手な人間に祀られた者共の末路は哀れの一言に尽きるよ。現地人だからこそ知ってるお狐様の言い伝え、聞いてみるかい?」

 「……お願いします」

 「じゃあ取り敢えず出ようか。あまり長湯をすると今度は具合が悪くなってしまう」

 

 空乃は一つ頷き、夏目も風呂から上がった。

**********************

 「……さて、夏目。お風呂上がりは牛乳と決まっているが、生憎この旅館は牛乳を扱っていない。青汁とお味噌汁と蜂蜜ジュース、どれがいい?」

 「……実に微妙なラインナップですね。蜂蜜ジュースでお願いします」

 「はいよ。ラインナップについては同意しよう」

 

 脱衣所の棚に入っていた札を蜂のマークが書かれた木棚に差し込むと、硝子瓶に入れられた蜂蜜ジュースが一本だけ出てきた。

 空乃は青汁のマークの木棚に札を差し込んだ。

 

 「えっと……」

 「凄いからくりだろう? お狐様がお仕事をしなくなってから、ここに住んでいた人達が考えた豊かになる為の知恵だよ。因みにちゃんと冷えてるから安心してくれ」

 「は、はぁ」

 

 瓶の蓋を開けて青汁を一気に飲み干す空乃に夏目は内心ちょっと引いた。

 

 「ふぅ。……さて、お狐様のお話だったね」

 「あ、はい」

 「お狐様……そう呼ばれているのは、元は1200年くらい生きていた狐の妖だったんだ」

 「1200年!?」

 「うん。まだお狐様が神様として祀られる前から計算するから、現代だと1500年くらいかな」

 「……」

 「力の強い妖はとても長生きするんだ。それこそ、悠久と言える時をね。さて、続きを話すよ」

 

 300年ほど前の初夏のある日、まだお狐様ではなかった妖狐はとある村に迷い込んだ。

妖狐は空腹に目を回し、人間に化けた所で気を失ってしまう。

次に妖狐が目覚めると、粗末な襤褸小屋に寝かされていて、側には大きな腹を抱えた幼い少女が座りながら寝ていたんだ。

妖狐が身を起こすと、少女はハッと目を覚まし、やたらと周囲を警戒した後妖狐に気づいて、笑みを浮かべてきた。

少女は齢にして16歳で、父も母もなく、元々余所者だった事もあって村の隅の隅に小さいその小屋を建てて一人で頑張って生きていた。

妖狐が少女の腹の事を聞くと、少女は困った顔をして声を潜めて言った。

まだ桜が咲いていた頃、妙な夢を見て、気がついたらどんどん腹が大きくなっていた。村人に気味悪がられて殴られる事もある、と。

妖狐は不思議な事もあるものだ、と少女に相づちを打って、少女に許可を求めてからその腹を触った。

そこには少女のものではない鼓動があり、妖狐は少女の腹に宿っているのは妖の種である事を知った。

少女は不安そうにしていて、妖狐は覚悟を決めて少女に告げた。

君に宿っているのは妖怪の子供だ。君は半妖の子を身籠もっている、と。

少女の目に浮かんだのは絶望だった。

それはそうだろう。

きっといつか、少女が心の底から愛せる人と出会い、その人の子を宿す為のその身に、人ならざるものの命を宿してしまったのだから。

しかし少女は妖狐の服の裾を掴んで、その目に涙を浮かべて言った。

私には誰もいません。私の赤ちゃんを取り上げてくれる人も、守ってくれる人もいません。どうか、助けて下さいませんか?

妖狐はそれはそれは驚いた。

人ならざるものの子なんて気味悪がって無理にでも堕ろすのが普通だ。

妖狐はそんな女を何人も見てきた。

しかし少女は違った。

宿った命に罪はない、と少女は怖がりながらも腹を撫でていた。

そんな少女を見ていた妖狐は、決意した。

少女を守ろう。力を削ってでも、少女を、その子を守り抜こう。

妖狐は、そう決意したんだ。

妖狐はまず村におりて、何も植わっていない田んぼに一株だけ稲を植えた。

すると、季節でもなく一年時が経ったわけでもない、たった一夜にしてその田んぼはたわわに実った稲穂で埋め尽くされた。

村人は奇妙な事もあるもんだ、と若干及び腰になりながらも稲を収穫して、その田んぼに期待を込めて稲を植えた。

妖狐は次に別の田んぼに稲を植えた。

今度は村人に見られるように植えた。

それから少女の元へ戻っていった。

村人は訝しんだものの、食べる事に困らないという事実が優先されたのか、少女は村長の家で出産の時まで世話になる事ができるようになった。

妖狐はそんな少女につきっきりになりつつも、たまに良く実る稲を植えて村人を喜ばせた。

やがて村人の一人が、豊壌の獣を人間に化けていた妖狐に当てはめて、お狐様と呼ぶようになった。

これが、お狐様の始まりである。

**********************

 「……」

 「やれ、長く語りすぎたね。お狐様は元々長生きして力も強い妖狐だったんだ。たった一人の少女に情を持ったが故にその先の悲劇を起こしたと言っても過言ではない。でも、妖狐は少女が幸せだったと言ってくれたから、たぶんそれでよかったんだ」

 「……よく、知ってるんですね」

 「何分、こういった話題には事欠かない家の者でね。お狐様自身が残したとされる手記の一部も我が家にあるくらいだ」

 

 夏目は未だ呆然としていたが、ハッとして「じ、じゃあ」と空乃に問うた。

 

 「今日俺と一緒に来た西村という友人の先祖が、お狐様のお社から装飾品を盗んだそうなのですが、それを怒ってるとかそういう記録ってありますか?」

 「……盗んだ? 装飾品を? ……いや、全然知らなかった。お社には元々村人の貢ぎ物が沢山あったから……一つ二つなくなったくらいで怒りはしないよ」

 「そう、ですか。良かった」

 

 そんな夏目を見た空乃はフッと表情を緩めてその頭を撫でた。

 

 「君は優しい子なんだね、夏目。どうかその心を大切に……」

 

 そして空乃は手を夏目の頭から下ろし、子供はもう寝るように、と言って自分の部屋に帰っていった。

夏目は暫く撫でられた頭に手を置いて放心していたが、ハッと我に返って急いで二人とニャンコ先生がいる部屋へと戻っていくのだった。




読んでくださってありがとうございました。
更新は未定です。駄作者でごめんなさい。


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お狐様の物語:2

久しぶりの更新で文章の雰囲気が変わっているどころかずっと読み専だったので文章力落ちています。
長いこと更新せずに申し訳ありませんでした。


 その翌日夏目達は狐殿へと向かった。

西村の先祖が狐殿から盗んだという装飾品は櫛と色褪せた元結だった。

 

 「なんで女性の装飾品と男性の装飾品の二つがあるんだ?」

 「お狐様って性別分からなかったっぽいよ。元々神様に性別あるか分かんないけど、そういうのって見た目で判断できる部分もあるじゃん? ほらこれ、お狐様の姿絵っぽい何か」

 「墨絵ってやつか」

 

 西村が見せた古い和紙には墨の濃淡だけで描かれた一人の立ち姿が描かれていた。

髪は腰まであり、それなりに背も高い様子で、尾が5本ある。

だが着ている物はどうやら男物の着物のようだ。

顔は墨と黄ばみで汚れてよく見えない。

 

 「髪が腰まであるのに男物の着物だな」

 「想像の産物だと思うけど、一応な。……お、見えてきた。あれが狐殿。お狐様のおわすお社だ」

 

 見えてきたのは殆ど半分焦げて燃え尽きている古い本殿と、短めの石畳。鳥居も苔が生えている。

柔らかく差す陽の光が神秘的な雰囲気を醸し出している。

 

 「朽ちかけって言葉が似合うけど、あの旅館が出来てからは少し手入れしているみたいだな」

 

 北本が本殿の境内を見てそう言った。

確かに他の部分と比べて境内だけは綺麗に掃除してあって、僅かに積もる塵が陽光に照らされて輝いているように見えた。

蜘蛛の巣も張っていない。

 

 「旅館にとっては一番の名物だろうからなぁ……。さて、さっさとこれ返して謝って旅館帰ろーぜ」

 

 西村が境内に風呂敷を敷いて、その上に櫛と元結を置く。

三人で手を合わせ、西村が、ご先祖様の代わりに返しに来ました。盗んでしまってすみませんでした、と謝って礼をした。

さわさわと吹く風が木々を揺らし、優しい音を立てる。

その風が段々強くなっている気がして夏目が顔を上げると、そこに昨日旅館の大風呂で出会った青年……空乃が立っていた。

 

 「!」

 「しぃ……」

 

 唇に人差し指を立てた空乃は風呂敷で櫛と元結を包むと持ち上げ、本殿の奥へと消えていった。

その瞬間強い風がゴォッと吹いて、木々がざわめいた。

 

 「な、なんだなんだっ」

 「……随分強い風だったな。夏目、大丈夫か?」

 「……あ、あぁ……」

 

 流石に西村と北本も顔を上げて辺りを見回した。

その時、西村があっ! と声を上げる。

 

 「装飾品がない!」

 「……本当だ……」

 

 さっきの風で飛ばされちゃったのかなぁ……と頭を掻く西村。

北本が探そうと言って、三人で周辺を探す事になった。

夏目が一人になり、本殿の裏に回った時だった。

 

 「やぁ夏目」

 「うわぁっ!」

 

 いきなり声をかけられて夏目が振り返ると、そこには空乃がいた。

風呂敷包みを持ったままだ。

 

 「あ、あの、空乃さん……」

 「ふふふ、驚いたかい? 昨日話したと思うけれど、お狐様は長く生きた力のある妖怪なんだ。あの程度は造作もない」

 「じゃあ、貴方が……」

 

 夏目が驚きのまま尋ねると、空乃は頷いた。

 

 「そう、私がお狐様。かつて妖怪の子を宿した少女を守り、この地に祀られた狐の妖怪さ」

 

 ザァァ……と風が吹いた。

**************************

 その後合流した夏目達は、結局装飾品は見つからず、風に持って行かれたからしょうがないだろう、と結論を出した。

とにかく西村の用事だった装飾品をお狐様に返す、という目的は達成できたので、後はゴールデンウィークを目一杯ここで過ごそう、という事になった。

とはいえ狐殿以外に観光名所があるか、と問われると特になにもない、と仲居さんは言う。

近くに川があるから、川釣りなんていかがでしょう? と勧められて、三人は借りた釣り竿とバケツを持って川へと向かった。

さらさらと流れる透明な水流に、何匹も魚がいるのを見つけた夏目達は、それぞれ別々の場所で釣りをしよう、と自分のベストスポットを探しに行った。

夏目も少し岩のせり出した場所で釣りをしようと竿を振った。

暫くその場でジッと待っていると、すぐ横に誰か立った気がして其方を向く。

 

 「静かな場所で一人釣りをするのも中々楽しいものらしいな? 夏目」

 「うわぁぁぁっ!!!」

 

 そこにいたのは空乃だった。

 

 「夏目-? どうしたー?」

 

 遠くから西村の心配する声が上がる。

 

 「すまん西村! ちょっと足を滑らせただけだ!」

 「気をつけろよー!」

 「ああ! ……で、なんでここにいるんですか、空乃さん」

 

 なんとか誤魔化すと、空乃は可笑しそうに笑った。

 

 「いやぁ、楽しそうな声が川の方からするから、つい足を運んでしまって。一緒に見ていても良いかな?」

 「……別に……構いませんけど」

 「ありがとう」

 

 それから暫く糸を垂らしていたものの、中々魚が釣れる気配はない。

遠くから西村の6匹目-! という声が上がる。

 

 「……場所悪いのかな……」

 

 一人ぼやいた夏目に、空乃が言う。

 

 「だと思うなぁ……。夏目、あそこに小さい社が見えるだろう?」

 「えっ」

 

 空乃が示した方向に、確かに小さな社があった。

赤子しか入れなさそうな大きさの社で、水に濡れて苔むしている。

全く手入れされていないような有様だった。

 

 「……あの社は?」

 「……あれは……まぁ、あんまりよろしくないものの為の社だよ。狐殿が焼かれる少し前に建ったもので、色々……あったのさ。そのせいか……あまり動くものはこのあたりに近づかないんだ」

 

 社を見つめる空乃の眉が僅かに下がる。

なんとなく悲しんでいる雰囲気を感じ取った夏目はそれ以上は触れず、釣りに集中した。

結局夏目は一匹も釣ることができず、西村に笑われ北本に慰められる、という形でその日を終えた。

**************************

 「……これか……」

 

 その後、深夜。

一人の男が川の近くの社の前に立った。

男は手に持った金槌で社の扉を割り、中にあった丸く薄い石の板を持ち去っていった。

 

 

 

 

 

 

 『……おかーさん……どこ……?』



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お狐様の物語:3

モチベーション上がったので投稿! 
読み返して夏目っぽくないと感じたら……修正すると思います……。
誤字脱字報告ありましたらよろしくお願いします。


 それから夜が明けて、その日は一日ひどい大雨が降っていた。

 

 「うわ、ひっでぇ雨。これじゃ遊びに行けないなぁ……」

 

 西村が窓の桟に頬杖をついて愚痴を言った。

 

 「昨日はあんなに晴れていたのにな。それに天気予報だってずっと晴れマークだったし……」

 

 荷物の整理をしていた北本が西村に同意する。

今日でゴールデンウィークも三日目。

明日にはチェックアウトして、家へ帰るのだ。

 

 「……あれ、外にいるの夏目のとこのブタ猫じゃないか?」

 「えっ」

 

 西村の言葉に慌てて夏目が窓の外を見ると、白い大福のようなものが跳ねている。

こころなしか泥水に濡れて汚く見える……。

 

 「なんでこんな雨の日に外なんか……。俺、連れ戻してくる!」

 「気をつけてな-!」

 

 夏目が旅館からビニール傘を借りて外へ駆け出す。

捕まえたら絶対拳骨落としてお説教してやる! と意気込みながら。

*****************

 「ニャンコせんせーい? どこだー?」

 

 探し始めてどのくらい経ったのか、未だに夏目はニャンコ先生を見つけられずにいた。

旅館と狐殿を挟んだ森には昨日釣りをした川があり、この大雨で近づくのはあまりよくない。

なるべく川に近づかないように森を歩き回っていると、視界の端に白いものが見えた気がして、夏目は慌ててそれを掴んだ。

 

 「うわぁっ!?」

 「捕まえたぞせんせ……い?」

 

 自分の(自称)用心棒のブタ猫を捕まえたと思った夏目だが、捕まえた白いものは妙に毛深く、そして悲鳴もニャンコ先生のものではなかった。

 

 「……なーつーめー!」

 

 はたして、夏目が捕まえたのはニャンコ先生ではなく、眉をつり上げた空乃の尻尾だった。

 

 「空乃さん!? ご、ごめんなさい!」

 「いきなり掴まれたから本当に驚いたよ。今回は許すけど、次はないからね?」

 

 眉をつり上げたままムスッとした表情で告げた空乃に、夏目はコクコクと頷いた。

 

 「……で、こんな大雨の日に夏目は一体何故外にいるんだい?」

 

 夏目が空乃に自称用心棒の飼い猫(妖怪)ニャンコ先生がいなくなった事を話すと、空乃は考え込んだ。

 

 「もしかしたら昨日ここに入ってきた気配を探りに行ったのかも知れないね。もしくはこの雨の原因を見に行ったか」

 「ここに入ってきた気配……ですか?」

 「そう。二人位の人間の気配で、妙に術の気配を漂わせていたから、たぶん祓い屋だろう」

 「祓い屋……」

 

 その時夏目の脳裏に過ぎったのは、胡散臭さ全開の友人、名取周一。

そして的場家当主の的場誠司とその秘書っぽい人の七瀬だった。

 

 「どうしてここに来たかは大体把握できてるんだ。きっと社の封印を解いた者と仲間なんだろう。大方あの子を自分の支配下に置こうと思っているんだろうね」

 「あの子?」

 

 空乃はあぁ、と言って川の方向を向いた。

 

 「昨日、川の社の話はしたね? あの社は水の力を自在に操る事ができる子が封印されていたんだ。人を心の底から怨み、憎み、呪ってしまうようになってしまった子だ。そうなる前はとても仲がよかったんだけれど……」

 

 当時の人間が、少しでもその心が安らぐように水辺に社を建てたのだという。

 

 「私から言わせてもらえば逆効果なんだけどね。この雨はその封印が解けた所為で降っているんだよ」

 「えっ、解けたんですか!?」

 

 空乃は頷くと、あくまで想像でしかないけど、と話し出した。

 

 「昨日の深夜にね、一人の人間が川の社の封印を解いてしまったんだ。あの子は自由の身になって、まず始めたのが雨を降らすことだった。恐らくその人間は後から入ってきた二人の人間の部下か何かだったんだろうね。雨が降り始めたことを確認した二人の上司は、あの子を従えようと森に入ってきた」

 

 人間は傲慢だよね、と空乃はいつになく怖い顔で笑った。

そのせいでこの大雨さ、と掌を椀のようにして雨粒を受け止める。

 

 「たぶんその子の気が済むまでこの雨は止まないから、夏目も友人と一緒に早く帰った方がいいよ。君の用心棒は私が探して森の出口まで送っていくから」

 

 人間には大学寮みたいなものがあって、今はちょっと長めのお休みなんだろうけど、もうすぐそれが始まるんだろう? と空乃は言った。

大学寮とは平安時代、貴族の子どもが通っていた学校のようなものである。

 

 「ちょっと待って下さい! この雨、止まないって……」

 「言葉の通りだよ。人間にとっては困るだろうけど、昔と違ってこの辺りは全部森だ。旅館の人達はこの辺りの出身で、言い伝えの大雨が降ったと判断したら避難してしまうしね」

 「言い伝え……」

 「お狐様の伝説の方が有名であんまり知られていないけど、この辺りは昔、人身御供の流行った地域なんだよ。その供物の中に、一人の特殊な子がいて、その子の苦しみと悲しみ、怨みと憎しみがいつか激しく止まない雨を降らせるだろう、とね」

 

 だから早くここから離れた方が良い、と空乃は言った。

 

 「そ、空乃さんは……?」

 

 夏目が空乃を案じて問うと、空乃は目を丸くして、それから夏目を安心させるように笑った。

 

 「私は大丈夫。それにね、私はどうあってもここから動くことは出来ないんだ」

 

 聞けば、お狐様として祀られた所為で、狐殿の周辺から離れられないのだという。

精々この森の中が限界だ、と空乃は笑った。

 

 「水は川になり、川は海へと流れる。あの子の気持ちが全て流されて満足したら、きっとこの雨も止むだろう。

幸い狐殿は川から少し離れているし、濁流に呑まれることもないだろう」

 「そんな……」

 

 不確かなことに夏目が動揺すると、空乃は夏目の頭を撫でて言った。

 

 「大丈夫だよ、夏目。そもそもこれはこの地の人間と、その人間を止められなかった私の問題だしね。夏目は今まで通り、人間と妖怪の狭間で穏やかに、健やかに育てばそれでいい」

 

 そう言って空乃は川の方へ去って行った。

封印から解放された、仲のよかった子の様子を見に行くのだろう。

夏目はただ、そこに佇むしかなかった。

そして、呆然としている夏目の背に白い大福がぶつかった。

 

 「うわぁっ!」

 「おい夏目、お前ここで何をしている!」

 

 夏目の探し人……もとい猫、ニャンコ先生だった。

まっしろいもちもちボディは泥に汚れてかなり汚い。

 

 「先生! 今までどこにいたんだ!」

 

 夏目がそう問うと、ニャンコ先生はフン、と鼻を鳴らして言った。

 

 「妙に馴染みのある気配がすると思って見に行ったら、名取の小僧と的場の当主が二人してこの森に来ていたのでな。様子見をしつつこの気持ち悪い雨がどうにかならんものかと雨宿りをしていたんだ」

 「名取さんと、的場さんが一緒に……」

 「ああ。なんでも的場一門の何某とかいうのが一門から離反して禁術を行おうとしていたらしくてな。それを止めに来たんだが、肝心の術者は術の反動で動けなくなっていたらしい」

 

 今はその術者の後始末の為に情報を集めているのだという。

 

 「じゃあ、名取さん達は……」

 「少なくともあの空乃とかいう狐の妖上がりの神擬きが言っていたように、封印されていた半妖が目当てではなかった、ということだ」

 「そっか、良かった……。……半妖?」

 

 ニャンコ先生の言葉に安心したが、最後の言葉に疑問が湧いた。

 

 「そうだ。あの川の社に封印されていたのは、人間と妖の子ども、つまり半妖の子どもだ」

 

 それを聞いた夏目の記憶が、旅館で温泉から上がった時に聞いた、この地にのみ伝わるお狐様の伝説にあった、お狐様が守った少女と、その子どもの事を思い浮かばせた。

 

 宿った命に罪はない、と少女は怖がりながらも腹を撫でていた。

そんな少女を見ていた妖狐は、決意した。

少女を守ろう。力を削ってでも、少女を、その子を守り抜こう。

妖狐は、そう決意したんだ。




色が変えられることに驚きました……。あとタグが簡単で嬉しかったです……。


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お狐様の物語:4

前回の投稿から随分時間が経ってしまい、もはや私も何を書いていたかを覚えていない始末。まずいぞこれはと一応覚えている結を目標に一番書くのが苦手な転を書いていきたいと思います。っていう矢先に聞こえる夏目友人帳のBGMにゃんこらせっwww


それからまずは(的場には会いたくないが)名取に会うため、夏目はにゃんこ先生の案内で走っていた。

 

「昔あの川の神として穏やかに水を治めていた水神が、時の流れと共に力を失い、妖となった。もともと神として存在していたそ奴は、妖に堕ちたことを認められず、しばらく川を荒らしたのだ」

 

そうしても信仰を、人々の祈りの力を取り戻せなかったその元神は空気に流されるような存在になってしまった。

存在が消えるのを待つだけとなってしまったのだという。

 

「ここから先は私の想像でしかないが、どのような存在も母となるものを求める。それは死が、消滅が近づくほど顕著になる。まして自然に発生するような神は自らの内に湧き出る漠然とした侘しさに焦りも覚えるだろう」

 

そこで偶然にも自分と力の波長の合う娘とあってしまった。抗いきれぬほど惹かれてしまい、存在ごと娘の胎に入った。

 

「あまり神や妖と人との間に子は生まれないものだ。生まれてもだいたいは生き物としての姿を、命を保っていられない。例外として、存在そのものが人の胎に宿り、“うまれなおす”のならば正常な姿を保ち生きていけるだろうがな」

 

息を切らしながらにゃんこ先生の話を聞く夏目の目に四方に飛んでいく黒いナニカ……的場の式が映った。

 

「的場さんの式……」

「私の想像があっているかはわからん。だが夏目、お前が空乃と名乗る狐の妖から聞いた話を考えるに、そういう事情で半妖の子は生まれたのではないかと私は思う」

 

(だが、不思議なのは一つ。普通生まれなおした神は以前の記憶、感情、力をすべて持ち直して出で来る。ならばやはりまた信仰心を集めようと川を、水を荒らすだろう。しかし実際この地で水害が起こったのはそれから10年も後のことだった。力を失うことの恐怖、焦りを覚えているはずの神にしては行動を起こすのが遅すぎるのだが……)

 

「そして的場が探しているであろうものはおそらく二つ。封印の要であったナニカ。そして今でもわずかながらに信仰を失っていない狐殿の主」

 

それはまさしく、空乃のことだった。

走る二人の前に、人影が二つ。

 

土砂降りの雨の中傘もささずにいる名取と、普段浮かべている不敵な笑みを消し去り、真顔で呪符を付けた弓を構えている的場。

 

「名取さん! ……と的場さんも!」

 

夏目の声に振り返る二人。彼らの前にいたのは、薄汚れた襤褸切れをまとった濃い青緑の髪をした小さな子どもだった。

 

「夏目……!? なんでここに!?」

 

「……にゃんこ先生から話は聞きました。的場一門の人が何かして、この大雨になってるって……」

 

『……ナツメ……?』

 

ふ、と耳元で響くようなくぐもった含み声が聞こえた。

見れば子どもがジッと夏目を見ている。

 

「……君は……?」

 

視線が合う、のを阻むように名取が夏目の前に出た。

 

「名取さん?」

 

「下がりなさい、夏目。この妖は大雨の原因。川の社に封じられていた悪い妖だ」

 

―――川の社

空乃が向かったはずの、そこにいた妖。半妖。

夏目の視界の隅で的場が再び弓に矢をつがえるのが見える。

キリキリと引き絞られる音と、雨音だけが響く。

的場が、半妖を、射ようとしている。

 

「的場さん、待っ!」

 

シュッ

 

夏目が声を上げた瞬間、矢が放たれる音がした。

ドシュッと鈍い音を立てて半妖に突き刺さった矢から仄明るい緑色の炎が湧き、その体を嘗める。

 

『アツイ……アツイ……』

 

身体を抱えて苦しむ彼へそそぐように雨が激しく降った。

その時だった。

 

「何をしているっ!?」

 

大きな声に三人が振り返ればそこにいたのは、髪から水を滴らせ、7本の白い尾をぐっしょりと濡らした狐の妖……空乃だった。




だーいぶ終わりへ向かって頭の中で形にはなってきたと思いつつ後半書いている間にだんだん文章が浮かばなくなっていく(´・ω・`)
ある日見た夢を書き起こすのはだいぶ辛いときがありますね。もうほとんど覚えてないや


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