転生者についての考察 (すぷりんがるど)
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はじまり

■はいわゆる転生者、と呼ばれる人間だ。

 

この世界とは違う一つ前の世界の記憶を持って、この世界を生きている。

 

前の世界を旅だった原因は、良く二次創作で使われる転生トラックなるものによる。

 

子供を庇ってだとか、老人の身代わりになってだとか、そんな高尚な経験を経てではなく、単純に撥ねられて■はこの世界に生を受けた。

 

この世界に移る時、世界線と世界線の狭間で■は神と呼ばれる存在に出会った。

 

それは黄金比を体現するかのように整った容貌の男、あるいは女ではなく、また長い白髭を垂らした隠者のような老人でもなかった。

 

光だった。

 

荘厳さというか、神々しさというか、■の貧弱な語彙で表現するにはあまりにも難しいのだが、光は心の奥底から細胞の一つ一つまでに痺れるような感覚を与えるものだった。

 

信仰心などというものは持ち合わせておらず、慣習の通りに葬式を行い、そんなもんだとお盆を過ごし、一喜一憂しながらクリスマスを迎え、展望を胸に新年を迎える、どこにでもいる日本人の一人だ。

 

だがきっと、そんな人物に会ったことはないが、世界レベルの宗教の創始者は何かしら似たものを感じたのだろうかと思わせる光に、■は魅せられた。

 

光は意識の奥で―トラックに撥ねられて血に染まった視界の奥底から―感じ取れるすべての感覚を支配するように広がっていった。

 

そして光の意志が脳裏に意味を理解させた。

 

――これより転生の儀を行う

 

――魔法先生ネギまの世界に

 

――如何な力を望むか

 

光の意志に■は――



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考察その1~世界最強クラスの魔力~

僕は転生者だ。

 

僕は前の世界で死んでしまって、すごく神々しい光に出会った。

 

そこで僕は魔法先生ネギまの世界に転生するって事を聞いたのさ。

 

僕は嬉しかった。

 

魔法先生ネギまはすごくかわいい女の子が沢山いるし、何より大好きな漫画だったから。

 

魔法があって、冒険があって、エッチなハプニングがあって。

 

僕はだから光にどんな力を望むのかって聞かれて、誰よりも強い魔力を望んだんだ。

 

そうすれば僕にもきっと魔法が使えて、ネギくんたちと一緒に冒険が出来て、もしかしたら3―Aの女の子たちとも、きっと仲良くなれる。

 

僕は女の子とお話するのがすごく得意な訳じゃないけれど、友達と一緒になら大丈夫だった。

 

だからネギくんと友達になれば――。

 

だけどもうあいつらに会えないかって思うと、お父さんやお母さんに会えないかって思うと、とっても悲しい。

 

だから僕は生まれた時に、赤ちゃんとして見た事もない女の人から生まれたんだけど、わんわん泣いてしまった。

 

お乳を飲むか、寝ているか、それ以外はずっと僕は泣いてたんだ。

 

そんなある時、目が覚めたら僕はいつも寝ていた病院じゃない違う場所に居た。

 

目の前に居るのはすごく、僕が前の世界もあわせた中でも一番って言いきれる、美人の女の子がいた。

 

銀色の髪の、人形みたいに整った顔の女の子はまだ赤ちゃんの僕に話しかける。

 

「この子供が……取り込むために、逃れられないように、絡め取れば……」

 

その日から、僕はその女の子にお世話をされるようになった。

 

ご飯も、トイレも、勉強も、遊ぶのも。

 

ひと月が過ぎて、一年が過ぎて、五年が過ぎて、十年が過ぎて、僕は前いた世界と同じ12歳になっていた。

 

僕は起きたらすぐにとある部屋に行くことが日課になっている。

 

大きな機械から延びるチューブが僕に繋がれて、僕の身体から魔力が機械に移っていく。

 

きっと目の前で何かを書いている科学者みたいな人たちは、悪い人なんだろう。

 

大きな光の巨人が機械の近くにあるモニターに映ったこともある。

 

爆弾みたいなものの設計図も見たことがある。

 

それよりも、この世界で僕を産んでくれた人から誘拐して、僕をこの場所に連れてきているんだ。

 

きっと彼らは悪い人なんだろう。

 

だから僕は、ここから逃げなきゃいけないんだろう。

 

だけど――

 

「何か考えごと?」

 

そういって僕の隣の、すごく美人の女の子、セクストゥムは僕を見るんだ。

 

すごく白い、白くて細い指が僕の顎を撫でる。

 

ゆっくりとセクストゥムの身体が僕に近付いて、甘い甘い女の子の匂いに僕の頭はくらくらする。

 

目の前に整った顔がある。

 

僕の顔はとっても熱い、きっとトマトみたいに真っ赤になっている。

 

「ねぇ」

 

やわらかいセクストゥムが僕の肌に触れる。

 

「あなたはずっとここにいるの」

 

そう言って熱い息を吹きかけられて、膨らんだ股間に手を添えられたら、僕はもう何も出来ないんだ。

 

きっとここは悪の組織。

 

セクストゥムも悪い人なんだろう。

 

でも僕は、それでも僕は、多分どんなことがあっても、もう二度と――。



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考察その2~王の財宝~

荘厳な光に俺は出会い、その問答にギルガメッシュ王の財宝を望んだ。

 

元はエロゲーのFate、その第四次聖杯戦争の際に召喚されたアーチャーが使っていた宝具だ。

 

あらゆる宝具の原点が詰まった、二次創作御用達の能力。

 

生前からその辺りの創作物を読み漁っていた俺からすれば、その選択は間違いなかったと信じている。

 

きっとギルがやっていたみたいな弾幕を張れて、俺はこの世界で英雄になれる。

 

そんな事を思いつつ、今日も幼い身体を育てる。

 

母乳を飲むのは羞恥プレイだ、などとよく創作物では書かれていたが、なれれば大したことはない。

 

今は飲んで、食って、英雄に相応しい身体を作らねば。

 

そんな俺が王の財宝を使ってやろうと試みたのは、ある程度身体が育った小学一年生ときだった。

 

運よくというか、何かの意志が働いてか、俺は麻帆良に生まれた。

 

2003年に彼女たちが3―Aだという事から逆算して、どうやら同学年らしい。

 

と、いう事はあと8年ほどでしっかりとした英雄らしい実力を身につけておかねば恰好が付かないという訳で。

 

テンプレハーレム物は好きではない俺とすれば、女の子はたった一人で良いと考えている。

 

創作にありがちなナデポ、ニコポなんてものは存在しないと改めてこの世界に生まれて感じた。

 

この世界での俺の母親も父親も、まちがいなく一人の意志を持った人間。

 

都合の良いように動く存在ではないようだ。

 

主人公補正がかかるのは主人公であるネギなのがこの世の理なのだろう。

 

だったら俺は英雄補正をかけるだけだが。

 

とにかく、俺が俺の中にある気持ちをぶつけたいのは普通に普通の人生を歩んでいく存在ではなので、俺も彼女の隣に立てるほどの英雄らしさは持っていないとまずいという訳だ。

 

故に、その第一歩として、麻帆良学園都市に広がる森の中で、俺は念じて顕現させた。

 

俺の背後に黄金の波紋が生まれ、そこから出てきた一振りの剣。

 

それを見た瞬間、剣が発するどうしようもない存在感に俺の意識は塗り潰された。

 

――次に目を覚ました時、俺はまだ森の中で、目の前に髭をだれんと流した老人がいた。

 

学園長だ――本当に異形のような頭をしている。

 

ぐるり周りを見渡せば、数十人に及ぶ大人と子供。

 

それが汗を流しながら、必死に何かを振り絞っていた。

 

「その剣はお主が出した物なのかいの?」

 

学園長は目に見えるほどの膜のような何かで覆われた剣を指差して俺に問いかける。

 

こくりと俺が頷くと、ふむぅと髭を触って思案顔を作った。

 

「戻すことは出来るかの?」

 

多分と答えると、学園量は俺の身体をひょいと持ち上げる。

 

円の中心へと、膜で覆っている剣の傍へと、一歩一歩と歩みを進めた。

 

そっと俺が剣に触れると、剣はまた俺の背後に現れた黄金の波紋の中へと消えていった。

 

そして俺は――監視対象になった。

 

要するにギルガメッシュの王の財宝の中に収納されている宝具は選ばれた幻想の中の英雄だったり、宝具が発する圧倒的存在感を組み伏せる精神力や魔力を有している存在だけが扱える、という事だ。

 

王の財宝を光に望んだ俺であるが、それを扱えるだけの素質を持っていなかったという訳だ。

 

――考えてみれば当たり前のことだが、創作の読み過ぎで頭が腐っていたのか、俺なら出来るという根拠のない自信があったのか。

 

まぁ恐らくは現実味のない光の登場に舞い上がっていたのだろう。

 

だが俺の中では慢心だということにしておこう、英雄らしいしな。

 

監視対象になったからと言って、俺の何が変わったかという訳でもない。

 

ただ小学一年から中学二年生になった今の今までずっと担任が神多羅木――グラヒゲだということくらいだ。

 

あとこの世界の生家の隣にグラヒゲが引っ越してきたが。

 

英雄を目指す――好きな女の子の英雄で居たい俺は、そんな訳でグラヒゲに弟子入りした。

 

魔力は少なく身体能力もちょっと出来るくらいな俺だが、頑張ってみようと思う。

 

目標は大きく、乖離剣エアを使いこなし、英雄になるために。



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考察その3~直死の魔眼~

目の前に点と線がある。

 

赤ん坊の俺、まだぼんやりとしか目の見えない俺。

 

これがきっと俺の望んだ能力なんだろう。

 

世界が点と線で覆われている。

 

点と線とその後ろにぼんやりと形を見せる――らしきものが俺の世界。

 

触れてはいけない。

 

触れれば文字通り直ぐ死に繋がる。

 

だとしても、赤子の俺は抱えあげられる。

 

母親の慈愛を受けて、ようよう生まれた俺の下へ、父親が駆け寄る。

 

俺の小さな手を父親が握り、父親の点に俺の指が触れる。

 

叫び声を上げる母親が俺を抱きしめて、その線を思わずなぞってしまう。

 

看護師が俺を抱えあげ、ずったりと床に崩れ落ちる。

 

そして俺は、その根源が俺だという事に気付いた医者の、正義感と嫌悪感と倫理観と擁護心とをこねくり合わせた瞳の炎に貫かれ――



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考察その4~優秀な魔法使いとしての才能~

ひとつ、私が過去に戻ることが出来るなら、叶えたい願いがある。

 

それは――この世界に転生する際に貰った能力について。

 

変えたいなんて贅沢は言わない。

 

ただ、消し去りたい。

 

こんな能力、もういらない。

 

――目の前で同僚が剣を振る。

 

学園に侵入した、シンボルでもある世界樹が発する魔力を求める魔物を退治するために。

 

「ちょっと! なにやってるのよ!」

 

同僚の檄が飛ぶ。

 

魔物を浄化するための結界の準備をする同僚の時間を稼ぐのがとりあえずの目的だ。

 

だから私は闘わなければいけない。

 

麻帆良学園を護る魔法使いの一人として。

 

今日は警備の役目を負っているのだ――私は闘わなければいけない。

 

だけど、という接続詞が頭の中を走っている。

 

だから、私は闘わなければいけない。

 

恥じらいはある、何でこの歳になってまでとは思う。

 

だけど――私はこの警備で給与を貰っているのだ。

 

大人としての責任を果たさなければいけない。

 

私は大きく息を吸い、覚悟を決めた。

 

「りりかる まじかる ふれいかる 夜空に輝くお星さま 私に力を貸してっ」

 

魔力が渦のように胸元から溢れだす。

 

帯のような光が私のスーツをぺりりっと消し去り、三十路手前の身体が大事なところを隠しただけで周囲に晒される。

 

くるくるくるっと意味のない回転を空中でなんどか繰り返すと、魔力が武装となり私の頭に、腕に、胸元に、腰に、足に、ふりっふりと衣装となって現れた。

 

「魔法少女セーラースター 星の力でおしおきしてあげるっ」

 

星をモチーフにした杖を手にきらきらるり~んとポーズを決めた私には確かに、ぷっと笑いをこらえた同僚の顔が見えた。

 

――私には前世がある。

 

前世の私は同じように女性で、魔法少女なるものに憧れていた。

 

魔法の力を使い、きらっきらでふりっふりの衣装を着て、悪と戦う美少女戦士。

 

世間的の平均を下回る顔だった私は、周囲からの眼もあり頭の中で考えるだけだった。

 

それが普通なのだろう。

 

そんな私は一度死に、この世界に転生者として再び生を受けた。

 

その際に、私は光に、昔から考えていた魔法少女を望んだ。

 

結果、私は確かに魔法少女になった。

 

麻帆良という地で魔法少女として、長らく――10歳から数えてもう二十年ほど、私は闘っている。

 

望んだ力は魔法少女としての力。

 

だから、私は何時まで経っても魔法少女。

 

小学生の時は夢に溢れていた。

 

中学生の時はまだいけていた。

 

高校生の時はそろそろきつかった。

 

大学生の時は完全に痛い子だった。

 

社会人になってからは――。

 

止めようにも止めないのは給料が良く、投げだすという無責任な事を許さない褒められるべき心から。

 

何だかんだ言って憧れ続けた魔法少女。

 

それなりに整った、魔法少女の格好でも映える容姿も手に入れていた私からすれば、やはりどうしても――。

 

私は今日も星の力を借りて変身する。

 

魔法BBA無理すんな、なんていう都市伝説が麻帆良で広まりつつあっても。

 

私の力で何か出来ることがあるのならば、私はふりっふりの衣装で戦うのだ。

 

だけどこんな私でも、いつかそのままに受け入れてくれる男の人が現れないだろうか、と考えるのは夢を見過ぎなのだろうか?



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考察その5~答えを出す者~

――過ぎたる力に手を伸ばすべきではない。

 

俺がこの力を得て抱いた教訓がこれだ。

 

光から俺が貰った、答えを出す者、と呼ばれる能力は金色のガッシュベルという漫画で出た能力だ。

 

どんな状況や疑問や謎でも瞬時に最適な答えを出せる、狂ったように強力な力だと俺は感じる。

 

強大さにはじめて気づいたのは幼稚園生の頃。

 

それまでは特にこの力に疑問もなく、普通の家に生まれた俺は普通に学校に通っていた。

 

優秀だと親には言われるだけで、天才だともてはやされるのは気分が良かった。

 

――初めてこの強大さに気付いたのはほんの些細な事から。

 

かけっこというやつを行い、五人で競い、三着だった俺はふと考えた。

 

俺はこいつらに走りで勝てるのだろうか、と。

 

瞬間、俺の脳裏に答えが浮かんだ。

 

同質の訓練を行った場合100メートル走において1.3秒の差をもってして敗北する。

 

それが俺の疑問への答えだった。

 

俺は愕然とした。

 

その瞬間理解してしまった。

 

答えを出す者、という力は人間へも適用され、その人物の底を見る力なのだと。

 

何の職に付けば成功するか、誰と付き合えば人生が上手くいくか、身体を鍛えた結果どのような体型になるか。

 

くだらない疑問から一生を左右する疑問まで、俺は他人の底を見ることが出来た。

 

そして同時に俺は自分の人生に絶望した。

 

俺はすべてに対して努力をする価値を失ったのだ。

 

学習でも、人間関係でも、運動でも、俺はすべて自分がどのような形になるかの答えが出せる。

 

人は夢をみる生き物だ。

 

こうなるかもしれない、という願望を胸に努力を繰り返して生を過ごす。

 

夢を見て、明日への希望を持つからこそ、今日を積み重ねて生きていくのだ。

 

だが俺は明日が断たれた。

 

すべてが昨日で帰結している。

 

あらゆる答えが俺にひれ伏し、俺から夢を取り去るのだ。

 

俺は絶望した。

 

夢を持てない自分自身の不甲斐なさに絶望し、同時にその絶望を希望に変えて夢を見るためにはどのようにすべきかという答えが脳裏に浮かび、俺は気付けば叫んでいた。

 

その日から俺は昨日を過ごしてきた。

 

目を潰そうかと考えたことがあったが、それでも力はなくならないという答えに、俺はため息しか浮かばない。

 

――そんな俺も明日を見ることが出来るようになった。

 

それもまたほんの些細な出来事から。

 

今日が昨日になったその次の日の事だ。

 

俺は自棄になり、幼稚園で同級生に殴りかった。

 

そして――どこにどうパンチが飛んでくるかわかっていたにもかかわらず、俺は殴りとばされた。

 

形が見え、過程も見えたとして、形を作れるという訳ではないのだ。

 

俺は殴り合いの経験がなかった。

 

そして幼稚園児のパンチにも目をつぶってしまった。

 

俺は避け方も殴り方もわかっていたのに、俺は負けた。

 

答えを出せる事と答えを実行する事は同義ではないという訳だ。

 

――俺には全ての答えが見える。

 

どんなに難解な学術的問題も、どんなに複雑な人間的問題も、問題として提起した以上俺には答えが見える。

 

俺は俺の最善の人生が見える。

 

だが俺の人生の終着点が本当に今浮かんだ答えと同じだとは限らない。

 

だからとりあえず、中学を卒業した俺は高校進学を辞めた。

 

母親は激しく反対したが、父親からお前は何が起ころうとも大丈夫だと許可を出された。

 

俺の最善の人生のためには、この力を利用して教授か何かに収まるか、株で稼げば楽なのだろう。

 

だからとりあえずその選択は切り捨てた。

 

頭を使って人生を生きることを諦めてみた。

 

答えを出す者が出した答えに反抗してやろう。

 

――さて、ではこれから俺は人生をどうやって生きていこうか。

 

屋台でラーメンを食べながら俺はふと疑問を持ったのだ。



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考察その6~万華鏡写輪眼~

カーテンの締め切った薄暗い部屋。

 

これが私の世界。

 

出しゃばった私の罪。

 

心で少し考えただけ。

 

だからもう出たくない。

 

このまま一人、誰にも迷惑をかけず、ずっと部屋の中で。

 

思い出す度に胸がむかむかと熱くなる。

 

ふと感じた苛立ち。

 

女同士の他愛もない諍い。

 

軽い陰口。

 

私もして、私もされて。

 

たまたま現場を押さえてしまったのが私の原因。

 

――反省して。

 

そう思って発動した私の赤い、朱い瞳。

 

万華鏡は目の前の、クラスメイトを閉じ込めて――彼女を壊した。

 

とっさに浮かんだのはあの一幕。

 

百時間に渡り分身した彼がずっと刀であの人の身体を刺す場面。

 

きんきんつんざく叫び声が耳の奥に残っている。

 

涎を垂らし、鼻水を流し、失禁しながらのたうち回る姿が瞼の裏に残っている。

 

びくんびくんと肩を跳ねさせるクラスメイトが、私の肩に手を置いて、そのまま崩れ落ちる感覚が残っている。

 

私は壊した。

 

人間を一人。

 

私も壊れた。

 

もう外に出たくない。

 

誰とも目を合わせたくない。

 

でも目を潰す勇気もない。

 

もう嫌だ。

 

そう思って私はまた手首にカッターナイフを当てて、すっと引く。

 

だれだれ流れる血に、きっとまたママのせいで死ねないと、私は安心する。



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考察その7~地上最強の生物~

この世界に生まれた俺が成すべきことは感謝と孝行、これに尽きる。

 

訳のわからない光によって俺はこの世界に生を受けた。

 

その時に俺は望んだ、地上最強の生物としての肉体を。

 

そして俺は、この人生で、ただ感謝している。

 

母へ感謝、母へ感謝、ただただ母へ感謝。

 

俺が生まれた時、俺は既に地上最強の生物として完成していた。

 

母は俺を育てるために乳を与えてくれた。

 

俺の手が母の乳房に触れて、母の乳房から皮が軽く剥げた。

 

地上最強の生物である俺にとって、女の身である母の肉体は豆腐のように脆かった。

 

母は夜泣きもしない俺に対して、前世の母以上の愛情を注いでくれた。

 

不気味がる事もなく、私を困らせないって優しい子だと笑いながら、俺に触れるだけで傷を増すその指で、それでも俺の頭を撫でてくれた。

 

――望んだのは地上最強の生物としての肉体。

 

この地上の何よりも、強き身体。

 

だが彼のオーガとて、生まれた時から地上最強であった訳ではない。

 

他の赤子から比べると群を抜いた、母に授乳を強要する強き赤子であったとて、赤子の身は赤子の肉で出来ているはずなのだ。

 

RPG風に例えるならば、ちから、みのまもり、たいりょく、すばやさ、その数値は年相応であったに違いなく。

 

だが俺はそのステータスの全てがカンストした状態で生まれおちてしまった。

 

徐々に向上する肉体のレベルに、それを行使する感覚が付いていく暇もなく、俺は至上のそれを手に入れた。

 

故にこそ、俺は物の怪と蔑まれるべき存在だ。

 

炉端に捨て去ったとて、何の問題もないはずだ。

 

――だが母は棄てなかった。

 

父に棄てられ、母の両親に棄てられ、その肉親すべてから勘当されても、俺を棄てなかった。

 

お腹を痛めて産んだ、大切な愛しき息子だからと、俺を背に抱えて一人この麻帆良の地にやってきた。

 

故に、俺は母に感謝の念しか浮かばない。

 

故に、俺はここで泣きながら怯えられても構わぬと、生後ひと月で二足で立ち、言葉を発した。

 

――もう母に迷惑はかけられない、と。

 

たどたどしい言葉で、だがはっきりとした言葉で、告げた瞬間俺の頬を母がはたいた。

 

はたいたせいで痛めた腕を押さえつつ、母は泣きながら俺に告げる。

 

――子供のくせに気をつかってんじゃない、と。

 

俺は泣いた。

 

泣いて、泣いて、泣き声が暮らすアパートを揺らしても、泣いて泣いて泣き続けた。

 

その日から、俺はただ感謝と孝行を胸に、生きている。

 

この肉体を制御しようと、砂をつまみ、草をつまみ、卵をつまみ、壊し続けた。

 

それでも俺は制御せねばならない。

 

俺の身体が太く厚く重く大きく育つにつれ、母の身体は細く薄く軽く小さくなっていく。

 

俺は母を護らねばならぬ。

 

そして抱きしめてやりたい。

 

貴女のお蔭で大きくなれたと、力一杯にやさしく、母の与えてくれた慈しみを大きく育てて母に渡したい。

 

中卒で働くと言った俺に、毎日毎日働く母は怒った。

 

大学まできちんと卒業させてやると、片親だからと遠慮する必要はないと、他の多くの同年代のように遊ばせてやると。

 

故に俺はひたすらに勉強し、友を作り、母に沢山のことを話した。

 

疲れた母の顔を家に帰れば俺の力で少しでも癒してやろうと。

 

勉強し、友を作り、合間にバイトに励み、大学を卒業した俺は教師になった。

 

母に誇れる仕事に就こうと、貴女の教えで育った俺は貴女の教えを多くの子供に伝えたいと。

 

――近年の母は笑顔が増えた。

 

まだ40程度、良い人でも出来たのならば喜ばしい事だ。

 

俺はただ母の幸せのために、そして俺自身の幸せのために、そして教師として次代を担う子供たちのために、感謝と孝行を忘れず生きていきたいと思う。

 

俺もまた良い人でも探そうか。

 

だとしても――

 

「先生、先生は絶対強いアル! だから私と勝負するアルよ!」

 

教え子ではなく、社会人で誰か良い人はいないものか。



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考察その8~ぼくのかんがえたさいきょうにかっこいいしゅじんこう~

キターーー!!

 

転生ktkr!

 

そうだ予想だよ、ついに来たよ!

 

光? 神様じゃねーのかよ。

 

せっかく俺が考えた最強の掛け合いを……

 

俺「ん……ここはどこだ? 白い空間、知らない天井だ」

 

?「ふぉっふぉっふぉ」

 

俺「だっ、誰だ!?」

 

?「わしか? わしは神じゃ」

 

俺「……じーさん、精神科でも紹介してやろうか」

 

神?「お主、信じてないのか」

 

俺「あたりまえだ! そんなモノ信じれるか! てか例え神だったとして俺に何の用なんだよ?」

 

神(仮)「ふむぅ……それが、の」

 

俺「なんだ、言いづらそうじゃねぇか。ケヘヘ、さすが自称神のじーさんだな」

 

神(笑)「誰が自称神じゃ! ホンモノじゃホンモノ! とゆーよりさっきから?とか(仮)とか(笑)とかなんじゃこれはーーっ!!!」

 

俺「自称神なんてそれで十分なんだよ」

 

神(バカ)「ホンモノじゃというとるじゃろうがって馬鹿ってなんじゃーーー!!?」

 

俺「あーあー、わかった。悪かったって。ちょっとからかってみただけじゃねえか」

 

神「ぜー、ぜー、ふん、じゃったら最初っから真面目に話を聞かんかい」

 

俺「スマン。で、話ってなんだ?」

 

神「うむ、わしのミスで本来死ぬはずじゃなかったお主を殺しちゃった(てへぺろっ」

 

俺「……しっ」

 

神「いやーすまんかっ俺「死ねぇっっ!!!!」ギャーっ!」

 

~以下数十分神をボコボコにしています~

 

俺「で、謝罪は」

 

神(クズ)「すいませんでしたーーっ!」

 

俺「けっ。で、それだけなのかよ俺に用は」

 

神(クズ)「いえ、その、わしのミスですので代わりに転生させて差し上げようと」

 

俺「転生? 転生ってあの転生か」

 

神(クズ)「はい、そうです。実はお主 俺「ああん!?」すっ、すいません。貴方様の住んでいた世界とは違う世界が沢山ありまして、そこに転生させるという事で納得していただけないでしょうか?」

 

俺「……まぁ良いぜ。で、どの世界だ?」

 

神(クズ)「魔法先生ネギまの世界です」

 

俺「マジか!?」

 

神(クズ)「はっ、はい。それで能力も付けさせて頂きますので、一つですが」

 

俺「一つ? お前のミスで人を殺しといてか」

 

神(クズ)「すいません……願を増やすとかは出来ないですけど、それ以外だったならんでも」

 

俺「じゃあとりあえず……俺の家族がいるだろ。兄貴と両親、アイツらを幸せにしてやってくれ」

 

神(クズ)「あ、それくらいならサービスでしておきますので」

 

俺「う~ん、じゃあ……そうだ、昔考えたキャラがいるんだがよ、最高にカッコイイヤツ、それを俺にトレースって出来るか?」

 

神(クズ)「はい、じゃあ名前と特徴を教えてくれればそれにさせていただきます」

 

俺「名前は天津神零児(あまつかれいじ)、真っ白な凄い綺麗な髪が腰まで伸びてる。顔は絶世の美女みたいな顔なんだがそれを指摘されるとキレるんだわ、男だから当然だよな。右目が朱で左目が蒼で右目からは消える事ない黒い焔を、左目からは溶ける事ない白い氷を思ったところに出せるんだよ。性格はめんどくさがりで、努力も嫌いなんだが仲間のピンチにはスゲー力を出して全部をひっくり返しちまう熱い男で、まぁ主人公標準装備だけど鈍感だよな。魔力は、ネギまでいうとナギ並みで力はラカン並みだな。で、じつは天使とのハーフで覚醒すると背中から六枚の真っ白な羽が生えるんだよ。そしたら普段の倍以上の魔力と力をだせる。それと羽は弾丸みたいに撃ったりできる。んで、覚醒状態のスゲーところは周囲にある魔力を使って史上最強の剣を使えるんだ。天剣(デス)って名前で、元は聖天使ミカエルの力を宿した剣なんだが、立ちふさがる悪を断罪するために唯一死の名前を冠した剣で、もちろん強過ぎるから弱いヤツにはコントロール出来なんだが、俺はフィーリングが合って俺の身体に封印されてたから軽々使える」

 

神(クズ)「ではその能力をトレースするが構わんかの?」

 

俺「おう、あと大戦の頃に俺は落としてくれよ。英雄になっときたいし」

 

神(クズ)「了解じゃ、頑張ってくれよ」

 

俺「ああ……って、落とし穴かよーー! テメェ今度会ったら絶対殺すからな!」

 

って感じの最高にカッコイイ展開にしたかったんだが……まぁいいや。

 

生まれたしな。

 

あれ、てこれ……っち、また双子かよ。

 

前と同じじゃねぇか。

 

くそ、こんなの意味……まぁいい。

 

どーでもいいし、てか早く魔法界にいくしかねぇな。

 

まぁめんどくせーが、ナギたちだけにはまかしておけねーし、軽くひねっといてやるか。

 

待っとけよ、完全なる世界! あとテオドラ様prpr

 

 



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考察その9~主人公の標準装備~

俺は転生者だ。

 

あの日、俺の乗っていたバスにトラックが突っ込んで来たことで、俺は死んでしまった。

 

あの日のことは良く覚えている。

 

母親にせっつかれ、弟の手を引いて俺は近所のゲーム屋に行こうとしていたんだ。

 

何でも弟がやりたいゲームがあるらしく、ネット通販で買えば良いと思ったんだが外に出る機会だからという両親の意見により、俺が付き添いで着いていくことになった。

 

久々に外に出た弟の肌は運動部に在籍している訳でもない俺よりも、ずっとずっと白かった。

 

双子であるにもかかわらず、弟は俺よりずっと細く小さく見えた。

 

身長はあまり変わらないのに、猫のように曲げて落ち込んだ背中に俯いた顔が俺にそんな印象を与えたのだろうか。

 

弟がひきこもった理由はわからない。

 

いじめがあったのか、少し探ってみたがそんな風でもない。

 

だが何かのきっかけで、人が通る度に俺の後ろに隠れて、目深に被ったパーカーのフードを更に深くしてみせるのだろう。

 

おどおどとした目。

 

家の中で母親や俺、時には父親にすら怒鳴り散らす姿はまるで感じさせない。

 

――いつからこんな風になったのだろうか。

 

俺と比べて、特に違った何かを受けて育ったわけでもない。

 

兄弟仲が悪かった訳でも、家族仲が悪かった訳でも、ないと俺は思う。

 

むしろ兄である俺の方が劣等生で、それなりに弟はなんでもそつなくこなしていた。

 

弟に何が起きて、弟がひきこもる様な事になったのかはわからない。

 

だが俺が何をしなかったかはわかる。

 

俺は――俺は弟に向き合おうとしなかった。

 

口うるさく罵られても、時に手を上げようとしても、俺はそうだなと適当にあしらって来た。

 

子供の時のように、俺は真っ向から弟に対立する事もなく、俺は弟から逃げていた。

 

深く関わるのが怖かった。

 

自分の所為で弟が現状から更に下に落ち込んでしまうのが怖かった。

 

だから俺は弟の好きなようにさせて、俺のやらないを弟の為にという言葉に都合よく置き換えて、俺自身に言い訳をしていた。

 

ただ弟の苦しみを受け止める度胸がなかっただけだというのに。

 

俺は兄として失格だ。

 

だから俺は、光に出会った時、強く望んだ。

 

――目の前の問題から逃げずに、物事を向上させようと努力できる精神力――俺は心の強さが欲しかった。

 

光が消えて、次に俺の眼に映ったのはぼんやりした月の光だった。

 

女の人が、俺ともう一人赤子を抱えて夜を走っている。

 

そしてとある建物の前に俺ともう一人を置き、ごめんごめんと謝罪を繰り返して、女の人は走り去っていった。

 

目の前には赤子がいる。

 

朱い右目と蒼い左目の、白い髪の赤子が。

 

色の違う双眸には間違いなく理性の光が宿っている。

 

そこで俺は確信した。

 

目の前に居るのは弟だと。

 

あの時、一緒にバス事故にあった双子の弟だと。

 

弟がちらりと俺の方を向く。

 

とっさに俺はわんわん泣きだしてみた。

 

鬱陶しそうな光が眼に宿った。

 

――俺の声を聞いて、建物から老人が出てきた。

 

建物は孤児院らしく、老人は院長だった。

 

その小さな孤児院で、俺と弟は育った。

 

俺の黒目黒髪とは違う、異質な弟の容貌に弟は孤児院でいじめられた。

 

だがまるで気にした様子もなく、弟は鼻で笑うばかりだ。

 

めんどうだ、と斬り捨てるだけ。

 

この心の強さを前世でも持ってほしかったの願ってしまった俺は、やはり逃げていた昔の自分から変わっていないからなのだろうか。

 

そして俺と弟が5歳になった日、弟は煙のように消え去って、いつまで経っても帰ってこなかった。

 

弟はどこに居るのか。

 

幼い身ながらも、今度は逃げまいと、俺は麻帆良というこの地を必死にかけづり回った。

 

だが――結局弟は見つからなかった。

 

朝から食事もとらずに捜し歩いた俺は、なんともいえぬ自分の無力さにうなだれていた。

 

そこにぷんと良い香りが漂ってきた。

 

無力感は空腹感に変わり、俺の腹が大きくなった。

 

それに気付いてか、匂いの発信元である屋台から一人の男の人が出てきた。

 

大学生くらいだろうか。

 

20代の男は俺に気付くと、軽く手招きした。

 

ラーメン食ってくか、という言葉とともに。

 

「おいしい」

 

俺の口から素直に洩れた言葉だった。

 

その言葉に男は笑い、俺が食べるのを促す。

 

麺を食べ終えた頃だろうか。

 

男は唐突に、俺に問いかけた。

 

「弟さん、見つかったか?」

 

俺ははっとして顔を見上げると、そこには煙草に火をつけようとしている男の顔。

 

訳がわからなかった。

 

「なんで……そう、思うの」

 

子供らしく、だが抑えきれない疑問を口いっぱいに、俺は男に問いかけた。

 

「俺は何でもわかるんだよ」

 

「そんなわけないじゃないか」

 

「そーなんだよ。俺はありとあらゆる答えがわかるのさ」

 

けたけたと喉を鳴らして男は答える。

 

冗談――なのだろうか。

 

だとしても、俺の現状を男は良い当てた。

 

院長先生が警察に知らせて、それでテレビで流したのだろうか?

 

いや、そんな個人情報と不安を煽るような事はテレビで流したりはしないだろう。

 

占いか、メンタリズムか、だがどちらにせよ良い機会だとすれば――。

 

「ねぇ、僕は弟と会えるの?」

 

「んくっく、そうくるか。ああ、会えるとも」

 

「いつ?」

 

「大人になったら会えるんじゃないか」

 

「大人っていつ?」

 

「……大人だ」

 

「お兄さんは全部の答えがわかるんだよね? 僕はいつ弟に会えるの?」

 

男は俺の言葉に押し黙ると、くしゃくしゃっと俺の頭を撫でた。

 

「2003年1月14日、君の弟は麻帆良女子中等部2-Aの副担任になるだろう。それまでは多分会えないな」

 

今から考えて……大体二十年後。

 

本当に会えるんだろうか?

 

しかも副担任。

 

つまり教員免許を取って真っ当に大人になっているってこと。

 

だったら俺も真面目に勉強して働いて、恥ずかしくない俺として弟に会おう。

 

そして昔のことを、俺の自己満足かもしれないけれど謝ろう。

 

そう思った矢先、男は言葉をつづけた。

 

「だが君の弟はひどく強い力に酔っている。自分がこの世界の中心に居る人間だと信じている。常識では測りきれない力を使い、際限なく溢れだす欲望に身を染めている」

 

「どーゆーこと?」

 

「世の中には君の知らないことが沢山あるってことさ」

 

そう言って男はぴっと指をさす。

 

大きな、大きな木があった。

 

「あんな木、普通ないだろう。それにもう少ししたらピカピカ光るらしい」

 

「イルミネーション?」

 

「いや、あの木自体が光るらしいさ」

 

世界樹という名前の凄い木だと……そういえば弟が言っていた気がする。

 

発光がだの、22年周期だの。

 

「君は、弟にどうなって欲しいんだい」

 

男は俺に問いかけてくる。

 

正直、さっき男が言った言葉はまるでわからない。

 

弟が帰ってくるかもしれないという言葉も、信じられるものではない。

 

だけど――もう逃げないと、あの光の前で俺は誓った。

 

弟からも、どんな困難からも、逃げずに立ち向かう努力をすると、俺は誓ったんだ。

 

その結果どんなことが起きようとも受け入れる覚悟を俺はしたんだ。

 

「俺は、弟とまた遊びたい。昔みたいに、仲良かった頃みたいに、笑いあって遊びたいだけだよ」

 

俺の言葉にもう一度男は俺の頭を撫でる。

 

「そうか、だったら強くなると良い。精神的にも、物理的にも、兄として弟を受け止められるくらいに」

 

「うん」

 

「あとはそうだな……仲間を探せ」

 

「仲間?」

 

「剣持てぬ英雄、星の担い手、暗き万華鏡、慈愛の鬼神、RPGみたいだろ」

 

「……これは絶対に嘘でしょ」

 

「ホントだ。さっきも言ったが俺は全ての答えがわかるんさ。まぁこの四人を連れて来たら、世界で一番カッコイイ賢者である俺が仲間になっちゃうぜ」

 

そう言って男は笑う。

 

「ま、今度は逃げずにやってみな」

 

男の言葉に俺がぎょっとした視線を向けると、男はとっとと店じまいを始めて俺を追い出した。

 

屋台をがらがら引っ張っていく男の背中を見つめながら、俺は――。

 

男の言葉とは関係なく、弟と再び笑いあうために、強くなる覚悟を決めたのだ。

 

今度は絶対に、逃げることのないように。

 



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考察その10~凡人の器~

――ぴりりりり。

 

目覚ましの音とともに起床する俺。

 

さすがに英雄を目指す俺は他人とは気概が違う。

 

中学生になった俺はあの子をこの目で見た。

 

正直に言おう――超可愛かった。

 

漫画で見た彼女と――いや、この表現はこの世界の人間に対して失礼だな。

 

俺の両親も漫画の人物ではなく、俺の両親に過ぎないのだ。

 

それを漫画の中の人物で漫画の中の貴方に憧れましたから好きです――狂っているぞ。

 

まぁ漫画で憧れた俺も、その部類に入るのかもしれない。

 

がしかし、それでもしかし、美人だらけのこの世界で惚れるに値する整った容姿の相手は腐るほどいて、漫画で目を付けたなんて言う下種ひたこだわりなど捨てされるだけの美形の女の子だらけの世界で、それでもやっぱり俺はあの子が好きだという思いが心に残った。

 

この想いはきっと本物なのだ。

 

――漫画には大まかに分けて二種類あると俺は感じる。

 

ブスやブサイクを書く漫画と書かない漫画だ。

 

この世界は明らかに後者だ。

 

容姿レベルが尋常では無く高い――特に女の子はそれが見える。

 

だからこの想いは本物なのだ、俺だけのモノだ。

 

俺はあの子の英雄になりたいと本当に想う。

 

それは遠巻きで見たからとかなんだとかではなく、彼女の戦う理由を知っているからとかではなく、単純に惚れた。

 

話して、喋って、惚れた。

 

無論、彼女の戦う理由を俺は知っている。

 

だが、それでもだが、俺はきっと漫画で彼女に出会わなくとも、戦う理由を知らなくとも、俺は彼女に惚れていたのだと確信できる。

 

だから俺はあの女の子が好きだ、惚れた、嫁にしたい。

 

言いたい事はある、もっと貴女が好きだと告げたい想いがある。

 

故に、彼女が戦わねばいけない理由を知っている俺は、彼女の英雄となるのだ。

 

セコイ考え方なのかもしれない。

 

誰にも告げていないはずの彼女の気持ちを勝手に知り、それに沿うように動くのはズルイのかもしれない。

 

――だがそれがどうした。

 

先も言ったが俺は好きなのだ。

 

あの子が俺は好きなのだ。

 

そして好きなこの秘密を知っている。

 

それを悪用する訳でもなく、真正面から立ち向かうために努力をする。

 

その事の何が悪い、俺は何か間違っているのか?

 

間違っていない、俺は何一つ間違っていないはずだ。

 

だから俺は今日も俺を鍛える。

 

季節は夏。

 

朝だとはいえまだまだ熱い。

 

だが、今日も俺の基礎体力を高めるために走るのだ。

 

「拳を握って何をしているんだ?」

 

玄関の外で待っていたグラヒゲこと俺の監視役、神多羅木先生がグラサン越しに俺の顔を見る。

 

「なんでもないっす! 今日も今日とて走りましょう」

 

そう言ってニカッと笑う俺に、クールに笑うグラヒゲ。

 

黒いジャージにサングラスとは、相変わらず中々妖しいファッションだ。

 

まぁ英雄候補の俺はそんなこと気にしないんだがな。

 

――何事も体力が資本。

 

グラヒゲに弟子入りしてから毎朝走っているコースは決まっている。

 

男子寮から世界樹広場を回るコースだ。

 

中等部から全寮制の麻帆良学園。

 

監視対象である俺は一人部屋なのだが、なれればどうという事はない。

 

偶に母親のカレーが恋しくなるが、まぁそんなことではうろたえない俺なのだ。

 

朝のジョギングは心地いい。

 

「しかし、何がきっかけで二度目の弟子入りをしてきた」

 

グラヒゲの言葉にうっと息が詰まる。

 

――正直に言おう。

 

俺は彼女に会うまで、小学一年生から四年生の間グラヒゲに弟子入りしていた。

 

だが小学五年生から六年生の間まで、俺は稀に朝ジョギングはしていたが、グラヒゲの課した修行をほっぽり出して弟子を首になっていた。

 

つらかった。

 

彼女のために英雄になりたいと誓った俺であるが、毎日毎日来る日も来る日も努力を続けることが出来なかったのだ。

 

精神は肉体に引っ張られるとはよく言う話。

 

俺は二度目の小学生を満喫していた。

 

ガキっぽいが同年代の友人と遊ぶのは、童心に帰り遊ぶのは、ぜーぜー身体を酷使する修行などというものよりも、ずっと楽しかったのだ。

 

「色々あったんです」

 

「色々か」

 

「色々です」

 

ふっとニヒルにグラヒゲは笑い、俺を誘導するように走る。

 

――確かに俺は努力を怠った。

 

目先の欲望に目がくらみ、彼女のために英雄になるという目標を失った。

 

だがそれがどうした。

 

今再び俺は前に進んでいるのだ。

 

怠惰な俺もひっくるめて俺は俺らしくなれば良いのだ。

 

過去は振り返らない主義としておこう、英雄らしいぞ実に。

 

――ともかく、俺は走る。

 

漫画の中では見たが、やはり世界樹をこの目で見ると圧巻の迫力だ。

 

肺の奥底から段々と先端まで熱くなってくるが、俺は過去すら飲み込むために走る。

 

ふと前を見れば、麻帆良男子高等部のジャージを着た男の人が走ってきた。

 

20代中盤くらいか。

 

ジャージと雰囲気があっていないが、まぁ家庭の事情なのだろう。

 

英雄たる俺は懐が深いのだ。

 

――しかしよく見る男の人だ。

 

思い返せば俺がジョギングを始めた小学生の時から走っていた気がするな。

 

マラソン選手だろうか?

 

なんにせよ、走ることが習慣になっているのは良いことだろう。

 

 

――ジョギングが終わる頃には俺の朝の修行は終わっている。

 

何にせよ身体が資本だ。

 

最近は良く食べるようになった。

 

ご飯と納豆とみそ汁と卵焼き、軽く作れる朝食をがっつりと食べて、俺はシャワーを浴びる。

 

今日もあの子に会いに行く予定なのだ。

 

身だしなみはきちんとせねば。

 

鏡の前の俺の顔は、俺が光から貰った王の財宝の持ち主に似ている。

 

まぁ彼ほどきりりとしている訳ではないが、世間一般からみて優秀な容姿だとは思う。

 

金の髪をワックスでかき揚げ固め、眉をそりそりと剃刀で整える。

 

日々の身だしなみも大事だ。

 

あの子に不潔だとは思われたくない俺としては。

 

きりっと鏡の前で顔を作ってみる。

 

紅い眼が映える、中々のイケメンだ。

 

さて、今日の一時間目は――俺がこの世で一番似合わない職に付いていると感じる教師の授業からだ。

 

 

――黒板の前で白シャツの男が授業をしている。

 

だがその白シャツは男の身体には窮屈なようで、むっちりと押し上げるように張り付いている。

 

胸元のボタンははち切れんばかりで、まくり上げられた腕からは鋼鉄のような筋肉に覆われた太い腕が晒されている。

 

「さて、では時差に付いて考えてみよう。前の授業でも行ったが地球には緯度と経度があり――」

 

低い獣のような声で、それとは不釣り合いな確かめるような仕草を合わせて、男は開いた教科書を読む。

 

曰く「喋る筋肉」、「地上最強の教師」、「顔と性格の合わない男」。

 

麻帆良中等部では知らぬ人のいないほどに有名な社会科教師だ。

 

全身が筋肉の鎧で覆われていると表現するのが正しい、間違いなく土方仕事の似合い過ぎる雰囲気の先生。

 

なんでも去年教師になったばかりらしく、まだ二年目の新米らしい。

 

かりかりと黒板をたどるチョークはたどたどしい。

 

教科書と、それと別に持ってきたノートを見比べながら授業する様子は、確かに慣れた風ではない。

 

机に手をついて、くるくるシャーペンを回しながら俺は先生を見る。

 

だがこんな筋肉マンが教師になるとは、世の中わからないものだ。

 

本当に何の為に鍛えたのだろう。

 

趣味か? あるいはボディービルダー志望だったのか?

 

しかし――もし俺がこれだけマッチョなら宝具の一つでも使えるのだろうか。

 

――まぁ下らぬ問答だな、考えなかった事にしよう。

 

持っていないものを求めたとしても、俺に何のメリットもない。

 

それよりも今日朝のようにジョギングして体力をつけた方が生産的だ。

 

うむ、英雄らしく前向きだな。

 

――っと、そうこうしているうちに授業も終わったか。

 

さすがに中学生の授業くらいは対して聞かなくてもわかる。

 

休み時間を挟んで、次は数学か。

 

ちなみに俺のクラスを担当する数学教師、麻帆良七不思議のひとつで登場する「魔法BBA無理すんな」に似ているって言う噂なんだが……まぁ気のせいか。

 

スーツでパリッと決めている、いつも通りちょっと吊り目がちの先生が教室に入って来た。

 

喧騒がだんだんと収まってくる。

 

うん、相変わらずこの先生が入ってくると場の空気が引き締まる。

 

例えるならば――軍人だと言っても違和感がない感じだ。

 

「そこ、授業に集中しろ」

 

ほら、怒られた。

 

ハスキーな通る声で、凛とした雰囲気の先生が薄く笑ってしまった俺に指摘をする。

 

うむ、流石に高等部の葛葉刀子先生、初等部のシスターシャークティと合わせて「麻帆良三大踏まれたい女教師」のひとりに数えられるだけあってちょっぴり冷たい視線だ。

 

 

――放課後である。

 

待ちに待った放課後である。

 

逸る気持ちが先に立ち、ついつい足が早く回る。

 

うきうきとした気分。

 

俺にあるのは本当にそれだけだ。

 

視線の先で黒髪が揺れる。

 

結った小さな三つ編みとお団子頭が愛らしい。

 

爛漫な笑顔に見せて、少し胡散臭くもある笑顔。

 

だが俺にとっては愛らしい笑顔だ。

 

見つけたと同時に俺はずんずんと歩みを進める。

 

最短距離で、じっと彼女を視界に収めて。

 

俺に気付いて彼女の顔が少しひきつった気がするが、きっと気のせいだ。

 

「久しいな超」

 

「……久しいって昨日会ったばかりヨ」

 

「それでも一日も会えなかったのだ。俺にとってはひどく長い時間に感じ取れた」

 

たははといった感じの笑みで、愛しき彼女――超鈴音は頬をかく。

 

「今日も愛らしいぞ超」

 

いつも通りの告白に、超の視線が俺の視線から斜め上に逃れる。

 

「謝謝、そう言ってくれるのは嬉しいネ」

 

「事実だからな。可愛いぞ超」

 

「ハハ……じゃあワタシこれから用事あるヨ」

 

「着いていってやろうか」

 

「イヤイヤ、大丈夫ダ。ではまた会う機会があれバ」

 

そう言い棄てるとそそくさと超は走っていく。

 

振られたか? いや、きっと恥ずかしがっているだけだ。

 

――俺は彼女の英雄でありたいと考えている。

 

故に、俺は英雄らしい振舞いを彼女の前だけでは、張りぼてだとしても続けたい。

 

堂々と、真っ直ぐに、恥じらうことなく、自分の性根をぶつけることの出来る男でありたい。

 

そしていつか、彼女の力になるべき時には、その英雄の姿のままで彼女の心を和らげてやりたい。

 

だからこそ――俺は英雄となるべく邁進する。

 

さて、では荷物を自室においてまた体力作りから始めるとするか。

 

これでも陸上部にも長距離だけは接戦出来るほどなんだが――英雄にはまだまだ足りない。

 

超本人に会ってから、俺は努力をしているはずだ。

 

誰よりも、などと枕詞をつけることは出来ないが、人並み以上だとは信じている。

 

だとしても、相変わらず魔力の扱いは下手くそなままだ。

 

元々の才能が人並み程度しかない俺が、本来3歳ごろから身につけ始める魔力の扱いを6歳から始め、尚且つその間に空白の期間がある。

 

俺の目指す英雄像は遥か彼方、豆粒よりも小さく俺の眼には映らない。

 

チートと呼べる道具は持っている。

 

だがどうしても――器が小さ過ぎるのだ。

 

俺の監視の原因となった王の財宝に着いて考察してみるが、確実に凡人並の俺の魔力量ではギルガメッシュのように宝具を投擲する事など不可能だろう。

 

圧倒的魔力により幾本もの神魔剣を抑え込むことも、最古の王と称されるだけはある精神力で従えることも、俺には不可能だ。

 

使えたとして一振り、しかもごく短い時間だけ。

 

これが俺が想像する俺の限界。

 

だからこそ、その限界を伸ばすために俺は彼女の前では英雄らしくあろうと振舞うのだ。

 

――彼女の前なら英雄で居られるように、彼女のために英雄で居られるように。

 

グラヒゲが夜の修行終わりに連れて行ってくれる屋台のラーメンを楽しみに、超成分も補給した俺は今日も地味な体力作りに励むのだ。



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考察その11~本能と理性~

――母が結婚した。

 

それはひどく喜ばしい事だ。

 

18歳で俺を生み、今まで二十数年間と母は俺のために働いてくれた。

 

そんな母が良い人を見つけて結婚したのだ。

 

式場でのスピーチはつい震える声で、感情を抑えきれず参列者の耳を覆わせてしまったのは悪いことをした。

 

母の手を取り歩いたバージンロード。

 

参列者の中に母の親類はいないというのに、それでも良いと受け入れてくれた母の相手――父とその親類には感謝している。

 

母と父の出会いはもう二十年近く前になる。

 

二人は同じ職場だ。

 

俺がまだ小学校にも入らない時期から、俺も一緒に受け止めると母にアプローチをしていたらしい。

 

だが母は――自分の境遇を事細かに話し、もっと良い人がいるからと父のアプローチを袖にした。

 

人に頼るのではなく息子は自分の力で大人にしてやりたいと――母は、本当に母は――

 

親類縁者から勘当され、コブ付きになった女よりも、もっと良い女がいると母は伝えたかったそうだ。

 

だが父は、それでも諦めなかった。

 

以来二十年近く、同僚として母に接し、俺が大学を卒業すると同時にもう一度アプローチをした。

 

――変わらずに貴女が好きです、あのときよりもずっと綺麗になった貴女が。

 

その日仕事場から帰って来た母は、麻帆良中等部の女の子たちよりもずっと純情可憐に見えた。

 

母は美しいと思う。

 

飛び抜けた容姿をしている訳でもなく、張りのある若さを保っている訳でもない。

 

年相応に老けて、俺の生まれた頃よりも小さくなっている。

 

故に、母は美しい。

 

その全てが今日まで身を粉にしてきた証。

 

ウエディングドレスを着た母は、この世の何よりも美しかった。

 

――母が結婚した。

 

それに対して文句などというものは何もない。

 

俺の心には幸福観しかあり得ない。

 

ただ、やはり生まれてからずっと暮らしてきたアパートに帰っていくら待とうとも、母がただいまと扉を開くことがないことは、少し寂しいものがある。

 

嫁に行ったのだからと、母は父の家に行った。

 

一緒に暮らそうかと、母は言わなかった。

 

それで良かった、それが良かった。

 

――女子中等部での授業を終えて、俺は喫煙所にぼんやり立っていた。

 

季節は冬。

 

二年近くこの仕事を続けているとはいえ、まだ中々慣れない。

 

校舎の少し外に立てられた灰皿の前で、どんよりとした雲を見上げる。

 

そう言えば今日は雪が降るかもしれないらしい。

 

今年に入って初めての雪だ。

 

天気予報士がそう言っていただけあって、俺の頬を撫でる風は冷たい。

 

だがそれにまったく不快感も、凍えるような寒さも感じないのは、やはりこの肉体によるものか。

 

フィルターを口に咥え、ライターで火を付けて――

 

「あぁっ、何してるアルか!」

 

そこで元気な声が俺の背中へと掛けられた。

 

マフラーを首に巻き、学園指定のベージュのコートを着ているのは褐色肌の少女。

 

頭の上で二つ結った金髪が、憤りのためかふりふり揺れている。

 

「武術を志す者としてタバコは良くないアル!」

 

「……俺、将棋部顧問なんだが」

 

「煙草を吸てたら疲れるのが早くなるアル。そしたら勝負のときに不利になるネ」

 

どうやらぷりぷり頬を膨らませているこの少女は、俺の話を聞いていない。

 

――だが、気にする必要はないか。

 

そう思って煙を灰に取り込もうとした時、にゅっと煙草へと手が伸びて来た。

 

俺の意志とはまるで関係のない地上最強の生物としての反射が、その手を思わず掴みとった。

 

「――ほぉ、さすがでござる」

 

感心したような声を上げたのは、中学一年生だというに俺と大して変わらぬ身長の少女。

 

いつもにこにことしている糸目が、少し見開かれじっと俺の顔を見ている。

 

――掴んでも壊さなくなったのはこの肉体の制御方法を少しは理解したから。

 

そんな俺自身の成長に感心しながら手を離せば、少女の手首には痣のように白い肌を青く、しっかりと俺の手形が付いていた。

 

「スマン」

 

俺は深々と年下の少女に頭を下げる。

 

意識を集中してやれば卵でも握れるようになった俺であるが、反射はまだまだ自由にはならない。

 

背後から飛んできたバスケットボールに指で穴をあけてしまったこともある。

 

車のハンドルをガチガチになって両手で握っている状態なのだ。

 

悠々と余裕を持ち、片手で運転できる日はまだ遠い。

 

「いやいや、拙者の悪ふざけによるものでござる。先生が気に病む必要はないでござるよ」

 

「だが女の肌に傷を付けたのは事実だ。治療費だけで済むとは思ってねぇが、それだけでも俺にさせてくれ」

 

今度は壊れ物でも扱うように、細心の注意を払って少女の手を取る。

 

やはり青い痣が痛ましい。

 

――母にこの力の所為で迷惑をかけて、また違う人にも迷惑をかけるのか。

 

寿命以外で死ぬことのないであろうこの身体が今は憎い。

 

変わりに殴ってくれと、そう言ったとしても俺自身に痛みはほとんどないのだ。

 

「――むぅ」

 

「ムムっ」

 

二種類の呟きが聞こえたところで、

 

「中学生相手に厭らしい手つき……セクハラだね」

 

くくっと喉を鳴らして別の声が飛び込んで来た。

 

「龍宮、そこまで言う様な事か?」

 

「馬鹿を言うな。傍から構図を見てみろ、子供と野獣じゃないか」

 

「――いや、しかしだな」

 

「否定できなかったな。つまりはそう言う事だ」

 

褐色肌で俺と同じくらいの身長の少女に、サイドポニーの少女。

 

からかうような口調といさめるような口調を織り交ぜながら、こちらに歩いてくる。

 

――どうやら俺はこの四人に慕われているらしい。

 

理由を聞いたことがあるが、強いからだとか、なんとなくだとか、肌がピリピリする感覚が心地いいだとか、鋭さを見比べれるからだとか、俺には良くわからない理由ばかりだった。

 

教師としては喜ばしいことだが、そして今俺に過った思考は教師としてあるまじきことだが――俺は正直この四人が苦手だ。

 

息を吸い込み、そして吐き出す。

 

それだけで煙草は丸々一本灰になり、白い煙がもうもうと口から広がった。

 

四人の少女たちの眼が感心の色に染まった気がした。

 

「寒いうえに、煙草は身体に良くない。部活に行くなり遊ぶなりしたらどうだ?」

 

「オォ! だから老師を誘いに来たアル! 一緒に拳法しないアルか?」

 

「……そういえば古菲はいつも拳法の練習をしているな。努力できる姿はかっこいいぞ」

 

「エヘヘ、そうアルか」

 

上目遣いで身体をくねくねさせている拳法少女。

 

話を逸らすことには成功したらしい――が、他の三人からはじとっとした視線が注がれる。

 

「イヤ、でも麻帆良に来て知たアルが、ずっとずっと毎日拳法の修行している人がいたヨ。その人に比べたらまだまだアル」

 

「でござるがクー、お主も昔から毎日拳法の修行をしてたのではござらんか?」

 

「あいあい、楓の言うとーりアル。でもその人、ずっとずっと崩拳の練習以外してないて中国拳法研究会の卒業生さんから聞いたネ。尚雲祥を思い起こさせる人だテ」

 

――こんな地上最強の生物の肉体を望むだけあり、前世で俺は格闘技が好きだった。

 

空手、柔道、ボクシング、プロレス、無差別格闘技等々。

 

時間に余裕があれば俺は何時もテレビで観戦し、会場に足しげく通った。

 

自分の肉体を鍛え上げ、腕っ節一つでわがままを通そうという姿――男として、俺は純粋に憧れた。

 

俺自身も空手の道場に通い、日々研鑽を積み重ねていた。

 

――とはいえ人並みの才能しかなく、ただ同期や後輩が辞めていく中、好きで続けることしか出来なかった凡人なのだが。

 

そんな俺だからこそ、尚雲祥の名は良く知っている。

 

――半歩崩拳、あまねく天下を打つ――そう讃えられた、中国拳法の一つである形意拳の達人だ。

 

「刹那、わかって聞いているか?」

 

「もちろんだとも。うん、私も尊敬している武術家の一人だ、うん」

 

「……まぁ深くは聞かないでおこう」

 

腕を組み首を振るサイドポニーの少女に、長身褐色肌の少女は年不相応にニヒルな笑みを浮かべる。

 

――尚雲祥はただひたすら崩拳の型のみを日々研鑽し続つづけて功夫を得たという逸話を残す人物。

 

逸話なのか、本当の話なのか、それは俺にはわからない。

 

ただこの話はきっと――弱者が強者より身を護るために身につける武術、それは日々の練磨を重ねれば誰にでも実をその手で握ることが出来る――そんな努力の大切さを含んでいるのだろう。

 

「だから老師、一緒に武術を始めるアル!」

 

「……話しが繋がっていない気がするが」

 

「そんなことないヨ。老師は絶対強いアル、それに凄い才能もあるはずアル、だから武術を始めるべきネ」

 

「俺は強いんだろ? だったらそんなことする必要がないと思うがな」

 

「違うヨ。ダカラ、老師は強いから、武術を始めなきゃいけないネ」

 

そう言って拳を握ると型を作り――スパンと拳が虚空に打ちこまれる。

 

「強くて才能のある人はその才能を伸ばしてもっと強くなるべきネ。山のてっぺんが高くなれば高くなるほどみんな山に登りたくなるヨ」

 

「――中々と、含蓄のある言葉でござるな」

 

「師匠の受け売りアル!」

 

にかっと微笑んで見せる少女に、納得の三重奏が捧げられた。

 

――真っ直ぐとした眼、強い意志を宿した瞳。

 

嗚呼、やはりこの少女たちの事が俺は苦手だ。

 

むくむくと欲望が下半身に集っていくのがわかる。

 

地上最強の生物としての本能が――この四人を孕ませたいと俺に囁く。

 

目の前の少女たちは強い。

 

俺の眼は他の生徒たち――いや、母を含めたこれまでにあった様々な女よりも、目の前の少女たちが肉体的に優れていることを俺に知らせる。

 

強き身体と強き精神。

 

俺の子を生むに相応しい――狂った思考だ。

 

決して生徒に抱いて良い考えではない。

 

――強き生物は子を残そうという本能は小さくなるらしい。

 

存在が強靭であるが故に、多くの子を残す必要がないのだ。

 

もし幻想の生物であるドラゴンが居たとして、彼らはきっと数年に一度ほどしか繁殖期を迎えないだろう。

 

彼らは強い――故にだ。

 

もし幻想の生物であるドラゴンがこの世界に居たとしたならば――俺は彼らより強い生物なのだ。

 

だが同時に俺は人間という脆弱な容器に収納されている。

 

地上最強の生物としての肉体は、年中繁殖を望む肉体的には脆い人の器で、地上最強の生物として成り立っている。

 

俺には性欲が少ない。

 

普段の生活の中では自慰をしようなどとはめったに思わない。

 

だがその反動からか、この目の前の四人に加えて同じクラスの金髪の幼い少女とツインテールオッドアイの少女と接したとき、自分でも引くほど出る。

 

具体的に言えば、バケツ数杯分ほども。

 

彼女たち以外にも、胸の内に強い何かを持っている少女たちはいる。

 

学園長先生の孫などが良い例だ。

 

だが脆い身体の彼女たちに、目の前の四人ほどの強烈な劣情は覚えない。

 

――故に、俺は彼女たちが苦手だ。

 

俺の地上最強の生物としての本能を、俺の脆弱な理性で繋ぎとめておくのが酷くきつい。

 

だからまた刺すような視線を受けながらも煙草を吸って、一箱を見る見るうちに灰にしてみせる。

 

「俺は仕ご、とが残っている、からな。そろそ、ろ戻る事にする」

 

ひらひらっと手を振って、声をかける彼女たちの方を振り返ることなく俺はトイレへと向かう。

 

そして狭い個室の中できつく、きつく、自分の身体を抱きしめるのだ。

 

背中からスーツが千切れ、めりめりとシャツが布切れに変わり、股ぐらではズボンをを破り去った俺の欲望がいきり立っている。

 

俺は教師で彼女たちは生徒だ。

 

教師が生徒に、中学生の彼女たちに、劣情を催すなどあるまじき感情だ。

 

故に――そう最近思うようになった。

 

故に――教師という職は、母の教えを少しでも多くの人に知ってほしいと願い就いた教師という職は、俺にとって揚げてはならない選択肢だったのだろうか?



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考察その12~亡くした眼~

外に出たくない。

 

閉じこもって居たい。

 

ずっとずっと、部屋の中へ。

 

私の世界は暗いまま。

 

だったら部屋の中でも、外になんかでなくても、変わらないはずだから。

 

だから私は外に出たくない。

 

だけど――ママに外に出てみたら、って言われたら、私は出ない訳にはいかないんだ。

 

もしママの言葉に反抗して、もしママから嫌われたら――

 

そんな事になりたくない。

 

ママから嫌われたらママの事が嫌いになってしまいそうだから。

 

――ママは私を思って言ってくれている、ママは私が好きだから心配してくれてるの。

 

そう思って、思って、外は恐いけど、光を見るのが怖いけど、ママを嫌いになりたくないからママの言うことを聞く。

 

――外は恐い。

 

光が上から差し込んでくる。

 

私の眼を覆った包帯も、光の所為で透けてしまうような気がする。

 

周りから視線が集まっている気がする。

 

私を、引きこもりの私を、眼に包帯なんかしている変な私を、私を、みんなが見ている。

 

――お願いだから私を見ないで。

 

見つめられたら見つめ返してしまうかもしれないから。

 

私を見ないで――本当は誰も、誰一人だって、彼と彼の赤い眼に憧れた私だけど、私は誰も傷付けたかった訳じゃない。

 

ママの手をしっかり握って、外を歩いて、そこまで私の想いが進んだところで胃の奥が酷く熱くなった。

 

昼に作ってくれたママのご飯が食道までせり上がって来ている。

 

――吐いてしまう。

 

人前で、不格好に。

 

そうしたらきっとママに嫌われる。

 

私を変な人だってみんなが見る――それは、嫌だ。

 

だから私は私の手を握るママの手を振りほどいて、訳もわからず走った。

 

ママの声が聞こえる。

 

待って、どこに行くの、私を心配するママのやさしい声。

 

だけど――もう口からママのご飯がこぼれ始めている。

 

べちゃべちゃと服を汚して、道を汚して、女の子にはあるべきじゃない醜態を晒す私に周りから視線が集まる。

 

だから私は止まらずに、がむしゃらに、走って走って――

 

「おいっ、貴様何の恨みがあって私に――」

 

何かに躓いて、随分と走っていなかった私は受け身も取れずに、頭から地面に激突した。

 

――その日から、私は週に一度だけ、部屋から出るのが日課になっている。

 

 

季節は春。

 

ほんのりあたたかな風が気持ちいいぽかぽか陽気。

 

いつもと同じ曜日の、いつもと同じ時間、いつもと同じベンチに座った私はニット帽を鼻の辺りまでかぶって包帯を隠す。

 

並木道は桜通りと呼ばれているようで、ここまで連れて来てくれたママが満開でとっても綺麗なの、と教えてくれた。

 

ふわり、風が吹く。

 

膝の上に置いた手に、何かが乗った気がする。

 

手にとって、おっかなびっくりしながら触れる。

 

これはきっと――

 

「待たせたか」

 

「うんん、待ってないよ」

 

堂々とした声。

 

「そうか」

 

短く言うと私の隣にぽすんと誰かが座る気配。

 

それを確認して、私はそっと手を伸ばす。

 

うん、いつもと変わらない小さな手だよ。

 

「――貴様、何か妙な事を考えなかったか?」

 

「そんなことないよ。ただ――」

 

「ただ、なんだ。何かあるなら言ってみろ」

 

「うん、ただお話出来て、一緒に居れて嬉しいなって」

 

「なっ――」

 

そこに居るであろう彼女の方を向いて、私はきっと笑っている。

 

笑えるようになった。

 

ぎこちなくて、ぶきっちょで、変な笑顔かもしれないけど――笑顔だ。

 

ずっとママの前で泣いて、パパの前で泣いていた私の顔じゃなくて。

 

無表情でも、怯えた顔で、悲しい顔でも無くて――笑顔。

 

私は鏡で私の笑顔を見てないけど、ママがそう言って喜んでくれてたからきっとそうなんだ。

 

「……フ、フハハハ、私の懐の深さに感謝するんだな!」

 

「うん、ありがとう。私とお話してくれて」

 

「ム、あ……ぬぅ……フン、感謝しろ」

 

「うん、ありがとう」

 

私の手がぷいっと払いのけられる。

 

でももう一回おずおずと手を伸ばすと、私の手をほんのちょっぴり握ってくれる。

 

彼女はエヴァ。

 

あの日、吐きながらママから逃げていた私がぶつかってしまった女の子。

 

あの後ママと一緒に謝りに行って、ママが話し相手になってあげてくれないと頼んで、その時から私とエヴァは週に一度、お話をする仲になっている。

 

はじめは私は何を話していいのかがわからなくて、ただ怖くて、最後にまた来週と一言しか話せなかった。

 

小学五年生の時に引きこもって、中学に同級生が入ろうかという頃。

 

あの時、あの場に居た私と壊れてしまった彼女以外はみんなちゃんと中等部に上がり、変わらなきゃと思った頃。

 

そんな頃、私はエヴァに会った。

 

だから変わるきっかけに、この出会いだけは逃しちゃいけないって、怖くて、怖くて、怖かったけど――人と向かい合って、見られるということが怖かったけど、それでも勇気を出してみたんだ。

 

――はじめのひと月はほとんど話せなくて、半年経つ頃にはぽつぽつ会話になって、一年経つ頃には楽しくなって、エヴァが中等部を卒業した年からもっともっと仲良くなれた。

 

それからもう五年間も、こんな関係が続いている。

 

私はエヴァの姿を見たことはないが、大凡のイメージは頭の中に出来あがっている。

 

「魔法先生ネギま!」という漫画を読んだことはない。

 

前世で腐女子だった私は女の子だらけと聞いたこの漫画に手を出そうとしなかった。

 

だけれど、ネットに在る広告の部分でフィギュアになった彼女がぼんやりと記憶の片隅にある。

 

今触れている指はきっと白魚のように上品で、私の肩に微かにあたる髪の毛はウェーブのかかった金色なのだろう。

 

――盲目でもないのだが、私はこの世界の下になった漫画の原作キャラを――違った、うん、間違いだ。

 

盲目でもないのだが、私は私の友達の顔を見たことがない。

 

膝の隣で寝ている白杖にも慣れたものだ――情けないとホントに思う。

 

まだ――まだ、人に見られるのはつらい。

 

人に見られていると思うと、私の胸が熱くなる。

 

見返してしまいそうで――きっとそれだけでは万華鏡写輪眼は発動しないのだろう。

 

包帯越しに、閉じた眼で、私が誰を見返したって。

 

リスクのない万華鏡写輪眼を私は貰った。

 

彼が使っていた様々な術を、きっと私は使えるのだろう。

 

私が私の眼で私の意志の下に私が定めた対象を見ることで、万華鏡写輪眼は発動する。

 

私は不用意にその瞳術のひとつである「月読」を使ってしまった。

 

人を簡単に壊すそれを――私はただちょっとした悪戯心で。

 

――だからは私はいま包帯で眼を覆っているのだろう。

 

リスクなしの万華鏡写輪眼――そんな都合の良いものなんてどこにだってなかったんだ。

 

本来あの漫画では、万華鏡写輪眼は使えば使うほど視力を失ってしまう諸刃の剣。

 

だから私は――。

 

私はたぶんこれから死ぬまで万華鏡写輪眼を使おうとはしないだろう。

 

――でも、それでも、まだ見返すという行為が酷く怖い。

 

だけど――ここまで私は、母の隣に並んでだが、歩いて来れた。

 

一週間の内、この曜日だけは母と買い物に出掛け、エヴァと話し、外と接点を持って暮らしている。

 

家に居る時も、カーテンはまだ閉めていることが多いが、点字覚えて本を読んだり、日記をつけたりと、以前に比べれば生き生きとした生活を送っている。

 

――まだまだ私は、友人や両親の顔を見て話す事も出来ない、臆病者なのであるが。

 

「そういえばエヴァ、来年大学生だよね」

 

「なっ、ま……まぁそうだな」

 

「そっか。私とお話なんてしてて、受験とか大丈夫なの?」

 

「それは無論だ。中学生程度の――」

 

「中学生?」

 

「わー、うん、ゴホン! 高校程度の問題など私にかかればよゆーだからな」

 

「エヴァは頭良いもんね」

 

「あー、うむ、まぁな」

 

歯切れの悪い言葉。

 

やっぱり、大学受験となると大変なんだろうな。

 

決して高い身長ではない私よりも小さなエヴァだけど、彼女は私よりひとつ年上でウルスラ女子高等部の三年生だ。

 

「それよりも、だ!」

 

ぐぐぐっ、と私に顔を近づけてきた気がする。

 

声が近くなったから。

 

けほんと一つ咳払い、息を整えてエヴァは私に言う。

 

「今度友達を連れて来いと言っていたな。連れて来てやったぞ」

 

その声はふふんと自慢げで、私は私の顔がほころんだ気がした。

 

「貴様、私のことを友達が居ないと思っていただろう」

 

「そんなことないよ」

 

「いーや、嘘だな。思っていた。だがな、私にだって当たり前だが友達はいるんだよ!」

 

「そっか。どんな子なの?」

 

「……気になるか?」

 

きっと、今のエヴァは悪戯っぽく笑っているはずだ。

 

声がとっても楽しそうだから。

 

自慢するのが好きな彼女は、きっとプライドが高いから。

 

だから私は――

 

「うん、私に紹介して欲しいな」

 

素直に頷くんだ。

 

うん、今の私もきっと笑っている。

 

顔がほんのりあったかい気がするから。

 

「こいつが絡操茶々丸だ」

 

「はじめまして」

 

ぺこりと頭を下げられた気がした。

 

私ふらふらと私の前に手を開いて差し出してみる。

 

握ってくれた手は、やわらかさの中にちょっぴりかたさがある感じだった。

 

「茶々丸は私と同じクラスの――」

 

そこまで言ったところでつい、私はエヴァの言葉を遮ってしまった。

 

絡操茶々丸ちゃん、彼女のことは良く聞いたことがあるから。

 

「中等部の二年生なんだよね? 凄く親切な子がいるってママから聞いたことがあるよ」

 

「いえ、そんなことは。私はただ力になりたい人の力になっているだけですので」

 

うん、凄く良い子だ。

 

「……そう! クラスメイトの妹なのだ!」

 

「マスター、ですが私は――」

 

「そして姉がここにいるチャチャゼロだ!」

 

「ケケケ」

 

「はじめまして」

 

どうにもエヴァの口調が乱暴になった気がする。

 

でも仲良くしたい私は気にせずまた手を伸ばす。

 

十秒か、もう少し経った頃、握り返してくれた。

 

さすがに姉妹だけあって手の感触が良く似ていたよ。

 

 

――肌を撫でる風が少しずつ冷たくなって、瞼越しに私に降り注ぐ光がほんのり赤くなった頃、私はエヴァに手を振って白杖を持って歩き始めた。

 

少し歩くと声がかかる――ママだ。

 

「今日は楽しかったかしら?」

 

「うん、前にママが言ってた茶々丸ちゃんとお話もしたよ」

 

「あら、それは素敵ね。彼女、商店街の人気者なのよ」

 

ママと並んで、私は学園都市の住宅街の方へと歩みを進める。

 

遠くで部活に励む同年代の声が聞こえる。

 

だから私は不安になって、気付けばママに問いかけていた。

 

「ねぇママ」

 

「なあに」

 

ママの声はとってもやさしい。

 

「私、本当ならもう高等部だよね」

 

「そうね」

 

「でも私、何も出来てない、よね」

 

私の声はとっても沈んでいる。

 

でもママは何も言わずに、ふぅっと私の耳に息を吹きかけて、私をびっくりさせた。

 

きっと今のママの顔は、さっきのエヴァよりも悪戯っぽい顔なんだろう。

 

そんな顔に騙されて結婚したんだとパパが笑いながら言っていたから。

 

「道、綺麗よね」

 

「うん」

 

話題を変えられて、ついつい生返事で私はママに答えた。

 

「麻帆良学園って掃除業者の人が入って掃除してるの。学生だけで掃除するのには広すぎるものね」

 

それは知っていた。

 

私がまだ初等部で、童心に帰り友人たちと遊んでいた頃の記憶に残っている。

 

歴史ある西洋建築を色濃く残す麻帆良学園は、なんでも文化的に貴重なものみたいで観光地のようなものにもなっているから。

 

もちろん学生が多い所に外部の人は入れないんだけど、それ以外は一般開放しているみたい。

 

「桜通りから少し離れたここの道ね、多分麻帆良で一番綺麗なの」

 

「そうなの?」

 

「ええ。いつも同じお兄さんが綺麗に綺麗に掃除しているわ。そのお兄さんは他のお掃除の人とは眼が違うの。一生懸命、何か目的のために頑張っている眼」

 

眼――私にとっての忌むべきモノ。

 

でもそれなのに、知らないからかもしれないけれど、ママは――

 

「あなたは自分の眼が嫌いなのかもしれないけれど、きっとあなたの目もそのお兄さんといっしょの眼――ママはそう信じてるのよ」

 

立ち止まって、私は傷だらけの手首に触れて、私はママの胸に飛び込んだ。

 

だから、私はママが、こんなにもやさしいママのために、見守ってくれるパパのために、ちょっぴりいじっぱりな友達のために――私は前に進みたい。



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考察その13~理不尽と支える人~

魔法先生を集めた会議があった。

 

いつもの警備状況や魔物などの侵入頻度や分布から対策を練る定期会議ではなく、緊急に開かれた特別会議のようなものだった。

 

麻帆良大学のとある講義室。

 

ざわざわと喧騒の中、隣に座った同僚――葛葉刀子やシスターシャークティと内容を邪推しながら、段々とその話題が麻帆良に新しく出来た料理屋の話題に移行し始めた時、学園長が講義室に入って来た。

 

傍らには高畑先生もいる。

 

出張が多く――その多くが魔法関係のもの――担任を持っているのに担任らしくないふるまいに、だったら私を担任にしてて手当を多く寄越せよ、と二人に愚痴ったのは一度や二度では済まなかったりする。

 

――まぁ手当が増えなくても、私が担任になれと命じられれば二つ返事で了承するだろう。

 

担任が出張ばかりで中々居ないという状況は、生徒たちの教育上少しいかがなものかと感じられる。

 

彼が出張の場合、副担任の源しずな先生が駆り出されることが多い。

 

だったら彼女を担任にしろよ、といつも思うのだが。

 

大人の事情でもあるのだろうか?

 

私もいい大人だが、大人になりたくないと偶に思ってしまう――主に戦闘時のコスチュームより。

 

「今日は集まってくれて助かったわい。早速じゃが会議を始めようと思う」

 

学園長の声が講義室全体に行きわたると、最前列に座ったぽっちゃり系の弐集院先生がノートパソコンをいじり始めた。

 

照明が落ち、天井からスクリーンが垂れ下がってくる。

 

機械的な音を立てながらプロジェクターが起動すると、スクリーンには赤毛の少年が映っていた。

 

背中に大きな杖を背負った彼の歳の頃は10歳前後だろうか?

 

整った顔立ちに将来がかなり期待できそうだ。

 

「彼の名前はネギ・スプリングフィールド」

 

そこまで学園長が告げたところで、ざわざわと講義室のあちこちから声が上がる。

 

私の周りも同様に。

 

「有名人なのか?」

 

ぼそりと尋ねた私の言葉に、二人からため息がもれる。

 

「無知とは罪ですね」

 

「仕方ないんじゃないの。魔法少女は独学だもんね」

 

「――おい、捻るぞ貴様」

 

呆れ顔のシャークティはともかくと、笑いをこらえた顔の刀子はじろりと睨みつけておく。

 

――確かに、私の魔法の力は独学だ。

 

私は母親から生まれた時、手に星の形の石のようなものを握っていたらしい。

 

苗字に星を持つ我が家では、そんな私を縁起の良い子だと親戚中で大歓喜したらしい。

 

今では見合い写真を毎日のように送って来て、母親や祖母や親戚の叔母さん連中から連日のように良い人がいるぞ、と電話がかかるようになってしまったが。

 

その石のようなものが私が今も首にかけているペンダントであり、私が魔法の力を行使するための媒体となっているものでもある。

 

これに詠唱とともに魔力を込めることで――まぁ、ふりっふり衣装の魔法少女に変身できるという訳だ。

 

はじめて変身したのは何時だったか。

 

目の前のスクリーンに映る少年か、もう少し小さな頃だったか。

 

その頃に変身した形が今でも石に記憶されているのか、今でも私は魔法少女だ――三十路前の。

 

せめて、せめて年相応の落ち着いた格好になれないかと試行錯誤したこともあった。

 

結果は言わずもがな、だ。

 

だったら他の魔法使いが使っている、この世界に一般的な魔法形態を扱えないかと頑張ったこともあったが――マッチ以下の火力しか出なかった。

 

要するに、魔法のある場所に居る限り、私は一生魔法少女な訳だ。

 

四十になっても、五十になっても、六十になっても、あのふりふり衣装で――考えるだけで陰鬱だ。

 

――だけど手当が良いからなぁ。

 

魔法先生として働けば教師としての給料に大きくプラスされるし、夜間警備は出れば出るだけ手当が付くし。

 

割と良いマンションに住めてるし、年に二三回は泊りがけの旅行に行けるし、休みの日にはエステも行けるし、自分への御褒美で高いワインも買えるし、怪我をしたって治癒魔法の使い手がいるから病院いらずだし。

 

簡単に捨てられないわよね、この生活――ベッドは冷たいけど。

 

「知っている者も多いとは思うが、この少年は彼の英雄の一粒種じゃ」

 

ざわざわがザワザワに大きくなる。

 

やはり、などと納得している声が多いようだ。

 

「で、彼の英雄とはなんだ?」

 

「戦争の英雄よ。二十年前に最強の八人で構成された魔法使いグループ、あの少年の父親はそのグループのリーダーだったって訳。世界の破滅を企んでいた悪の組織をぶっ倒したらしいわ」

 

「こちらの世界ではなく向こうの世界での戦争ですが。彼らのファンクラブまであるそうです。戦争の英雄にファンが付くとは――嘆かわしい限りです」

 

聞きかじったかのような言い回しの刀子に、こめかみを押さえるシャークティ。

 

どうやら二人ともがひどく良い印象を持っているという訳ではないようだ。

 

まぁ刀子は古くから魔法使いと対立していたらしい日本の術者が出身で、聖職者であるシャークティはもろ手をあげて戦争の英雄をほめたたえる訳にはいかないんだろう。

 

「さて、ここからが本題じゃ。彼は飛び級を繰り返して優秀な成績で魔法学校を卒業した。そしてそこで与えられた最終課題が『日本で先生をすること』という内容じゃった」

 

――ああ、嫌な予感がしてきたぞ。

 

「そこで諸君らに提案したい。彼をこの学園で受け入れるか否かを。ちなみに受け入れられなかった場合は北海道のカムチャッカ学園で先生をして貰うことになっとる」

 

右を見て、左を見る。

 

予想通りのぽかん顔だな。

 

きっと私も二人と同じ顔をしているのだろうが。

 

「まずはこの学園が候補になった理由から、順々に説明していくぞぃ」

 

学園長の言葉に合わせてスクリーンの場面が変わる。

 

世界樹と麻帆良学園――学園のパンフレットにも使われている写真が映し出された。

 

「ひとつめはここ麻帆良の地が日本最大の魔法使いの拠点じゃということ。名の知れたところに入れた方が、後々のネームバリューとしても有能じゃからな。逆にある程度名が知れとる魔法使いたちの日本での拠点はここぐらいじゃから、もしここが無理じゃった場合他のどこでも同じじゃということで、彼の出身地でもあるウェールズに近い田園風景広がるカムチャッカ学園が候補にあがった」

 

また場面が変わる。

 

今度は世界樹のアップだ。

 

「ふたつめはここが世界有数の聖地じゃということ。世界樹という霊験あらたかなこの場で修行するということは、彼の将来にとってきっとプラスとなるじゃろう。聖地で修行したことは後々のステータスにもつながるしの」

 

またまた場面が変わった。

 

凄まじい赤毛のイケメンが映っていた。

 

心なしか先ほどの少年と似ている気がする。

 

「みっつめは彼の父親で、英雄でもあったナギ・スプリングフィールドがこの地で修行をしたことがあるということ。偉大なる父親の背中を感じることは、同じ地で学ぶということは、彼を大きく成長させるはずじゃ」

 

そして――学園長はスクリーンの前にふわりと浮きあがり、講義室に詰めている魔法先生たちの方を見る。

 

老齢ながらも苛烈な光を宿した視線が講義室の空気を従えて、学園長は強い口調で言い放った。

 

「よっつめは例えば彼に何かしら危害を及ぼさんという脅威が迫った時、お主たち麻帆良学園の魔法先生たちなれば対処できると信じておるからじゃ」

 

――あ、やばい、これは乗せられて懐柔されるパターンだ。

 

周りを見渡してみれば眼が爛々と輝いている人たちばかり――麻帆良の人間は単純なんだろうか?

 

――私が魔法少女に憧れたように、英雄に憧れる気持ちはよくわかる。

 

そして英雄の大事なものを託されて、目上の人間からお前たちなら出来る、と言われれば奮起する気持ちもわかる。

 

だが待ってくれ。

 

私たち魔法使いの事情と生徒は無関係だ。

 

ちらり、ちらりと二対の視線が向けられる。

 

気になってるならお前らで言え――そんな意味合いを込めてジェスチャーしてみるが、ここはお前の出番だからとジェスチャーで返された。

 

あとでケーキでも奢ってもらう事にしよう。

 

「あの、質問をよろしいでしょうか」

 

「ふむ、なんじゃ」

 

「先生になると言われていましたが、彼は担任などを持ったりしませんよね?」

 

帰ってきた答えは――沈黙だった。

 

成程、理解した。

 

要するに権力者さんの間で世間体だとか、私の想像もつかない何かしらが色々ある訳だ。

 

学園長自身は難しい顔をしているので、それが本心だと信じたい。

 

ただ先生になることが必要なら――この時点で色々間違っている気しかしないが、魔法学校の最終試験は伝統あるもので、そこで出た課題は絶対らしい。

 

そこから突っ込んでやりたいが、魔法使いには魔法使いの歴史がある訳で、私が突っ込んだところでどうとも成らないだろう。

 

よって無視する。

 

とにかく、ただ先生になることが必要なら講師でも構わない訳だ。

 

例えば月曜日限定の講師にしてやれば、彼の授業には必ず付き添いの先生が何人か付けば、何とかなるだろう。

 

しかし生徒に接する機会が圧倒的に多い担任教師なら話は別だ。

 

何年も学校教育を学び、現場での経験を経て、ようやく担任を持てるのが普通だ。

 

――よもや自分より年下の者を担任に持つことで人間的に成長できる、などと教育者にとってあるまじき意見は出さないだろうな?

 

そんな不確かな可能性に賭けるくらいなら、どう考えても普通の教師を担任に据えるべきだろう。

 

確かに自分と違う年代や国籍の人と接することで人間的に成長できるのは間違いない。

 

だから麻帆良学園は留学生が多い訳であるし。

 

「もちろん経験のある現場の人間を複数人と副担任に据え置くつもりじゃ。高畑先生はまた出張が多くなりそうじゃから難しいじゃろうが、生徒たちの教育に悪影響が及ばぬよう最大限の配慮はするつもりじゃぞぃ」

 

「それにネギくんは優秀で良い子だから大丈夫だよ、ハハハ」

 

ハハハじゃねーよ。

 

NGO団体で頑張っているのは知ってるけど、だったら教師辞めろよ。

 

そっち一本でやってろよ。

 

それと教育の現場に、社会人としての現場に、テメーの身勝手な主観を持ちこむなよ。

 

苦労すんのはこっちなんだよ。

 

でしゃばんじゃねーよカス。

 

「顔、ねぇ、顔」

 

ム、いかん、ヒートアップしてしまった。

 

クールになれ、クールになるんだ私。

 

ちょっとびっくりしただけだぞ私、大事なのはこれからだぞ私、上司の無茶に部下が付き合わされるのは社会の常識だぞ私。

 

「無限の未来がある生徒を潰すような真似はせぬ。それだけは約束し、善処しよう」

 

政治家かよバカ野郎。

 

 

――会議が終わり、大量にツケが回ってくるであろう未来を予想して、とりあえず今日は飲もうということになった。

 

魔法という常識ではありえない事柄と魔法を知らない人々の生活を同じ空間で両立させようとすれば、弊害が出るのはどうしようもないことだ。

 

だから理解は出来る。

 

あの少年が麻帆良の地で修行することで、結果的に魔法のある世界は円滑にまわり、普通の人々の生活に与える影響もソフトなものになるのだろう。

 

そう期待させるだけの才能があの少年にあったからこそ、才能だけではなく世界を回す先頭に立てるだけの家柄などもあったからこそ、子供に教師をさせるという事態も、この巨大な麻帆良学園都市で容認されたのだろう。

 

先程カムチャッカ学園に付いて調べてみたが、放牧を主にする農業学校で生徒先生合わせて10人未満だった。

 

――こんな考え方は良くないが、触れ合う人数が少ないカムチャッカ学園だったら生徒に与える影響は増えるが――数は減るだろう。

 

だがそれよりも、将来の少年の来歴が誇らしいものとするためにも、麻帆良が選ばれた。

 

――どのような事柄でもそうであるが、大きなでプロジェクトを行う時は必ずどこかにしわ寄せが来る物なのだ。

 

完璧な計画などあり得ない。

 

今回のしわ寄せは私たち教師に少しと――彼が担任になるクラスにたくさん、だ。

 

――ああ、考えれば考えるだけ未来がきてほしくないな。

 

理解はしているが納得は出来ていないのだ。

 

だがそれでも反抗することなく、あの場で喚くこともなかったのは私が大人になって――魔法使いだからなのだろうか?

 

うん、やはり今日はしっかり飲もう。

 

だがその前に、帰ってからのストレス発散の準備をせねば。

 

私はそう考えて、図書館島まで足を運んだ。

 

季節は秋。

 

とはいえ蒸し暑さはまだまだ残る時期だ。

 

クーラーの効いた図書館島の内部は心地よい涼しさだ。

 

ここには大量の蔵書がある。

 

数千などという種類ではきかない、一説には数十億の蔵書があるとも言われている。

 

そんな中から目当てのものを見つけるのにも一苦労だ。

 

作業着姿の男を一人かわして、また身の丈以上に大きな本棚に目を滑らす。

 

そこにひょんと、下から声がかけられた。

 

「おや先生、こんにちはです」

 

「部活中か」

 

「まぁそんなところです。今日は大学生の方もいましたので深いところまで潜れましたのです」

 

大量の蔵書は図書館島の、迷宮のように入り組んで置かれた本棚に並べられており、本棚は地下深くまで段々と階層を経て設置されている。

 

そんな数々の本棚迷宮を解き明かそうとする部活もあるくらいに、図書館島は広大だ。

 

「そういえば先生の好きそうなジャンルの本がありましたので、良ければどうぞ」

 

そう言って少女の手から差し出されたのは魔法少女物。

 

相変わらず私はこのジャンルが大好きだ。

 

「スマンな、気を使わせたようで」

 

「いえ、私も好きなジャンルですので気にしなくて良いのです。また機会があれば、魔法少女について語り合うのですよ」

 

そう言ってぺこりと少女は頭を下げると、とてて貸出カウンターの方へと向かっていく。

 

――さて、では私も帰るとするか。

 

まだ見ぬ胸の本が広げるファンタジーな世界に思いを馳せつつ――その前には今日は潰れるぐらいに飲んで愚地で海を作ってやろうと心に決めるのだ。



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考察その14~形なき違和感~

――昔会ったラーメン屋の兄さんの言葉を全面的に信じた訳じゃない。

 

ただ俺自身が俺自身の考えで弟から逃げないために努力しただけ。

 

肉体的にも、精神的にも強くなろうと足掻いてみただけの、どこにでもある話。

 

あの日から俺はずっと弟を探している。

 

だが二十年近く弟は見つからず――図らずともラーメン屋の兄さんの言っていた2003年にもうすぐ突入する。

 

――2003年1月14日に麻帆良女子中等部2―Aの副担任として弟は赴任してくる――そう言っていた。

 

その日付に付いて少し調べてみると、麻帆良学園の冬休みが空けて一週間経った頃だった。

 

つまりそのひと月ほど前から、弟はきっと引き継ぎや諸々の事情で麻帆良を訪れているはず。

 

そう考えた俺は12月頃から女子中等部の新任教師について探りを入れて来た。

 

幸い、高校を卒業してから長らく麻帆良の掃除をする業者に勤めている俺は、教師の方々との交流がある。

 

俺は時間を気にしながら、中等部から少し出たところに設置された灰皿の前で、出てくるであろう目当ての先生を今か今かと待ち続けていた。

 

「おお、君か。久しぶりだね」

 

日が落ちるのも随分と早く、街灯の下で照らされていた俺に向けて手を振ってくれる新田先生。

 

その隣にはスーツをぴちぴちにした筋肉質の大男がいる。

 

彼は俺の顔をみるとペコリと会釈して、新田先生のと一緒に灰皿の前へとやって来た。

 

懐から煙草を取り出して、火を付けて吸い込む。

 

――げふん、げほん。

 

妙な咳が出た。

 

「慣れないなら合わないのだろう。身体に良い物でもないし、無理に吸う必要はないだろう」

 

「あ、どうぞ」

 

「おお、すまない」

 

ライターを取り出して新田先生の煙草に火を付ける彼――確か範馬先生という名前だったか?

 

彼の姿を横目で見ながら、苦い顔の俺はまたせき込む。

 

俺は煙草を吸わない。

 

毎朝走り、体力をつけようと励む俺にとって煙草は無用の長物だからだ。

 

だが吸うのは――こうやって新田先生と話す機会を作るため。

 

コミュニケーションツールのひとつという訳だ。

 

しかしそろそろ――

 

「そう、ですね。俺はお茶の方が好きみたいです」

 

「ああ、それが良い。……まぁ喫煙者の私が言ったところで説得力のない話だがな」

 

ははっと笑う新田先生の口から洩れる白い靄は、煙草の煙か、それとも息か。

 

今日はふわふわと粉雪が降っている。

 

「仕事帰りかね?」

 

「はい。終わったのでこれから少し汗を流そうかと思っていたところです」

 

「そうか――範馬先生、彼の仕事ぶりを知っているか?」

 

「いえ、何分自分のことでいっぱいいっぱいですので、申し訳ないです」

 

「はっはっは。謝ることはない、君が頑張っているのは近くで見ている私が良く知っている。だが余裕を持って広く物事を見る事もまた、君には必要だと私は感じるよ――と、つい説教臭くなっていかんな」

 

ニヤッと眼鏡の奥の瞳が緩んだ。

 

新田先生の言葉に範馬先生はたはは、と苦笑い気味。

 

だが何かを考えるように目を閉じた範馬先生は――きっと良い先生なんだろう。

 

「まぁ機会があれば一度見てみると良い。私は彼ほど真摯に仕事に取り組んでいる男をなかなか知らんよ」

 

そう言って見つめられる度、どうにも照れてしまう俺がいる。

 

俺はただ、逃げずに目の前の仕事や問題に向き合っているだけだ。

 

当り前のことを当たり前のように行っているつもりだが――やはりそう言ってもらえるのはひどく嬉しい。

 

――と、本来の目的を忘れていた。

 

利用するようで少し心苦しいが、尋ねるべきことは尋ねなけれれば。

 

「そう言えばそろそろ新任の先生が引き継ぎに来られる時期なのではないですか?」

 

「まぁそうだが――それがどうかしたのかね?」

 

首を傾げるようにして新田先生は俺の方を向く。

 

ここは、正直に話しておこう。

 

下手に取り繕って悪い印象を与える必要などないだろう。

 

俺の気持ちを、俺の思うがままに。

 

「実は人づてに聞いた噂なんですが、自分の弟がここに新任教師として配属されるかもしれないと」

 

「そう言えば君の弟さんは――」

 

「はい、自分たちが五歳の時に失踪しました。――ですからあくまで聞いた噂ですし、人違いかもしれませんけど、自分たちは珍しい苗字で弟は目立つ容姿をしていますから、もしかしたらと思いまして」

 

俺の言葉に新田先生はふむ、と腕を組み、範馬先生は何か言葉でも探すように口をパクパクさせていた。

 

なるほど、やさしい人だ。

 

「範馬先生、気にしなくても良いですよ。もう二十年近くも昔のことですし、自分の胸の内で割り切っていますから。もちろん、弟に会いたいという気持ちも、探し出してやるという気持ちもありますが」

 

「……強い、ですね」

 

「いえ、ただ馬鹿なだけです」

 

鬼の目に涙、とはこんな状況を言うのだろうか。

 

強面の顔の、鋭い瞳を潤ませて、範馬先生はくるりと後ろを向いた。

 

肩は微かに震えていた。

 

「弟さんの名前はなんだったかな」

 

あたたかい視線が範馬先生から俺の方へと移されて、新田先生はそんな事をぽつりと言った。

 

「こう――いえ、天津神零児です。自分、天津神一人の双子の弟です」

 

「……成程。今のところそんな名前の男を私は知らないな。力になれなくてすまない」

 

ぺこと頭を下げた新田先生に、自分の身体が委縮するのを感じた。

 

俺の我が儘で尋ねたことだというのに、この人はなんて――

 

「ただ、この2月からとある者が教師として赴任してくるのだが――彼のサポートとして三人の教師が就くことが決まっている。その内の一人に私は範馬先生を推薦したのだが……なんでも学園長が直々に呼び寄せた外部の人間を入れるということで枠が埋まってしまったのだよ」

 

「外部の人間ですか?」

 

「ああ、信頼できる者だと学園長は言っておられたが――実際にサポートの地盤を固めるために1月の上旬から仕事を行って貰うというのに顔を見せるどころかまだ連絡の一つもない。そんな男が君の弟だとは思えないのだが――」

 

むぅと難しい顔で新田先生は、ほんのりうるんだ眼の範馬先生の肩に手を置く。

 

「やはり君に就いて欲しかったよ私は」

 

「まだまだ自分は若輩ですので」

 

「――そんな君だから、就いて欲しかったのだよ」

 

元々ズボラなところはあったが、この世界での弟は輪をかけてめんどくさがり屋だったのを覚えている。

 

社会人としてはどうかと思える態度だが、もしかしたらその枠を埋めた外部の人間は弟かもしれない。

 

俺のこの考察は、きっとそうだったら良いという俺の願望を多大に含んでいるのだろう。

 

だがこの考察が間違っているとは限らない。

 

だったら――確かめるために動いてみることが大事だ。

 

「あの、ちなみに2月なんて中途半端な時期にどんな方がこられるんですか?」

 

「ああ、なんでも10歳の少年が担任を持つ教師として赴任してくるらしい」

 

10歳の少年だとは――

 

「まぁそんなこともあるんですかね」

 

「そういうことだな」

 

「そんな訳なのでしょう」

 

 

 

 

――古い年に別れを告げて訪れた新しい年。

 

2003年に入って十日ほど経ったある夜のこと。

 

俺は麻帆良にある森の中を彷徨っていた。

 

月明かりが俺の姿を影として地面に張り付ける。

 

夜中にここに来るのは初めて――始めて――はじめてのはずだ。

 

森の中でひっそりと弟が暮らしている――などとは思わないが、なんというか胸の奥からわき上がる大きな意志のようなものに導かれて、俺は足元に注意しながら進んでいた。

 

双子だから感じ合えるものがあるのか、前の世ではそんな事はなかったが、本当に心が訴えかけてくるような感覚だ。

 

それだけ俺は今、弟のことを思っているからなのだろうか。

 

ぼこぼこと地面を盛り上げる木の根や蔓のように行く手を塞ぐ長い草をかき分けて、俺は誘われるように進む。

 

――と、そこで俺の身になにか劈く声のようなものが飛び込んで来た。

 

類似するものを上げるとすれば動物園で見たことのあるライオンか、トラか、その辺りの肉食動物のそれが該当するだろう。

 

俺は姿勢を低く木陰に身を潜め、ゆっくりゆっくり声の下へと身体を近付ける。

 

密集する木々の割合が減ってきている気がする。

 

この先には恐らく開けた場所があるのだろう。

 

先程以上に心を落ち着け歩みに乗せ、俺はまた踏み出す。

 

俺の視界に広がった光景は、俺の現実から遥かに逸脱したものだった。

 

目の前の舞台には四人の役者が立っていた。

 

一人は身の丈のほどもある日本刀を手にしたサイドテールの少女。

 

一人は月に照らされ黒光りする銃器を持った長身の少女。

 

一人は無骨な両刃の西洋剣を掲げた金髪の少年。

 

そして最後の一人は――いや、それは一人ではなく一匹だった。

 

一匹は黒い剛毛を逆立て、唸り声とともに三人を威嚇する狼。

 

体躯は牛か、あるいは熊ほどあるだろうか。

 

俺の知っている狼よりもずっと大きな重量感を俺に訴えかけている。

 

剥き出しになった歯は普段使う包丁よりも鋭利で、眼はこれまでに見たどんなものよりも敵意に満ちていた。

 

――ふと、俺は声を上げそうになる。

 

目の前の俺より幼い彼らに向けて――逃げろ、と。

 

そう俺は叫んだはずだ。

 

しかし、俺の声は俺の耳に届かなかった。

 

そこで自分の足が震えていることに気付いた。

 

非現実的過ぎる光景――映画の撮影なのかとあたりを見渡してみても、彼ら以外は気配すら感じさせなかった。

 

木の影からこっそりと顔を覗けたままに、俺はその異質な世界を見つめる。

 

――舞台は一気にクライマックスへと向かった。

 

地面の砂を四本の肢が掴み、跳ね上がるように飛び出そうとした瞬間、こぼれんばかりの敵意に満ちた眼は小さな筒から放たれた鉄の塊によって蓋された。

 

鼓膜を震わし、心の根っこを直接つかみ取られるような雄叫び。

 

ずざりと体勢を崩した狼に、東洋と西洋、二種類の刃が深々とめり込んだ。

 

やがて辺りに木霊していた声が消えるのと同時に狼の姿は空間に溶けるようにして瓦解した。

 

心臓が、俺のろっ骨を壊さんばかりにはねているのがわかる。

 

熱い息が口から洩れ、頭の中でめまぐるしく先程の光景が何度も何度も再生される。

 

アレはなんだったのだろうか?

 

俺の見たこともない、俺の知ったこともない、俺の考えたこともない、アレは――

 

――と、そこまで思考がゆっくりながら回転し始めたところで、これまで以上に大きく胸を打った。

 

「いやいや、なかなかの戦いっぷりだったぜ」

 

ぱちぱちと、見世物でも見た後かのような不抜けた拍手が言葉といっしょに流れてきた。

 

「だけどまだまだだな。めんどくせーけど指摘すんならお前らにはまだまだ覚悟が足りねーな」

 

大砲のような心臓の鼓動が俺の身体を芯まで揺らす。

 

頭は湯でも注ぎ込まれたかのように熱い。

 

俺はゆっくりと、ゆっくりと、木陰から異次元の舞台へと視線を進めた。

 

第二幕は上がっていた――俺の弟を中心に。

 

 

「何者だ貴様っ!」

 

弟に向けて日本刀を構えた少女の鋭い指摘が飛ぶ。

 

「近衛の姫様を攫いに来た者」

 

「なっ――」

 

「なーんて冗談だよ。マジになんじゃねーの、真面目なヤツだな。ま、そこがお前の美点だとは思うけどよ」

 

たははっと一瞬女性と見間違うような容姿をした弟はうすく微笑む。

 

そして今度は凛と顔を締まらせたかと思うと低い、威圧するような声を出した。

 

「だが俺がもし本当の誘拐犯だったとしたら、今頃仲間が女子寮に忍びこんで居るかもしれねー。お前は気を張り過ぎなように見えるから、もー少し余裕を持てや」

 

言いたいことは言い終えたのか、白い歯を見せてニカッと笑ったかと思うとゆっくり三人の方へと近付いていった。

 

「おっと、動かない方が身のためだよ」

 

銃口を突き付けた長身の少女が弟に言葉を向ける。

 

弟はそれに臆した様子もなく、おどけた口調で長身の少女に語りかける。

 

「敵じゃねーんだが。それにお前は俺のこと知ってるかと思ってたんだけどよー」

 

「頭の片隅に貴方かもしれない人物の情報は引っかかっているが、今私にとってそれは何の問題にもならないのさ。私は与えられた仕事をこなすだけだ」

 

「俺が誰かわかっていても、か?」

 

「プロだからね」

 

「くふふっ、やっぱかっこいーじゃねーか」

 

弟はまるで長身の少女のことを―だけでなくサイドテールの少女のことも―知っているような口調で彼女に言葉を投げかけた。

 

――現在の状況が、俺はまるで把握できていない。

 

弟が何故二人を知っているのか。

 

それだというのに何故その二人は訝しがるような視線を弟に向けているのか、俺にはまるでわからない。

 

だが一つだけ確かなことは、俺の目の前にずっと会いたかった弟がいるということ。

 

痛いほどに打つ心臓と熱くなった目頭が、これを現実だと俺に教えてくれる。

 

飛び出そうと、話をしようと、俺は木陰から身を乗り出そうとした。

 

しかし乾いた笑いが俺の足をとどまらせた。

 

「ハッ、おぉ、マジか……マジかよ」

 

「ギルっ、コイツは得体が知れない! 構えろっ!」

 

「――ギルだと! てかお前なんか知らねーぞ。モブじゃねーのかよ」

 

サイドポニーの少女の言葉に、弟はひどい目付きで金髪の少年を睨みつける。

 

朱と蒼の瞳が混じり合い注がれる。

 

金髪の少年はぐるり周囲を見渡すと、びしりと指差し声高らかに宣言した。

 

「そうだ! 俺の名前は田中ギルガメッシュ! 日本人とイラク人のハーフで歴史好きの親父から付けられたこの名前に何か文句あんのか!」

 

妙に説明臭い言い回しに弟は舌打ちを一つ落とした。

 

「モブかよ。邪魔すんなよ」

 

そしてぼそりと何かをつぶやくと、くいくいっと手招きした。

 

「まーとにかくだ、めんどくせーが遊んでやるよ。ありがたく思いな」

 

そう言った弟は拳を握る――拳を握る?

 

つまり弟はこの少年たちを殴るつもりなのか?

 

それは――兄として許可出来ない。

 

昔の俺なら後で謝りに行く準備をしていたのかもしれないが、俺はもう逃げないと誓ったのだ。

 

――踏み出した一歩は確かなもので。

 

――真っ直ぐ弟を見つめる視線はぶれることなく。

 

――俺は弟の前に躍り出た。

 

「やめろ。子供を殴るなんて真似、大人がするもんじゃない」

 

周囲から飛んでくる驚きの感情が俺の肌を叩くが、そんなもので今の俺が動くことはない。

 

薄い笑みが呆然とした顔に変わる弟をただ見つめながら、俺はやさしい口調で話しかけた。

 

「そんなことせずに――そうだ、俺の家にでも来てくれ。まぁボロいアパートだがお前が飲むって言うなら酒でも買おう。うん、それが良い。兄弟水入らず――昔みたいに、気兼ねなかった頃みたいに語り合おうじゃないか」

 

弟からの返事はない。

 

「なぁ、行こうぜ浩次――」

 

と、そこまで言ったところで俺の腹に貫くような衝撃が走る。

 

――視界が霞んでいく。

 

ふわりと白いなにかが俺の前を流れ、俺の意識は暗い闇の中へと沈んでいった。



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考察その15~忘れてイイ物ダメな物~

――徐々に明るくなっていく意識の中、覚醒した視界に最初に飛び込んで来たのは金髪紅眼の少年の顔だった。

 

「気が付いたか。ならいきなりで悪いが、声に出さずに答えてくれ。あんたはあの白い髪の男女の知り合いなのか? そうなら右目を閉じて欲しい」

 

夜空をバックに、有無を言わせぬ口調で少年は俺に問いかける。

 

しばし間をおいて、少年の意図に気付くと俺は右目を閉じる。

 

彼の後ろにはどうやら大人の男がいるらしい。

 

「ギル、終わったのか?」

 

「えぇっと……あと少しっす師匠」

 

「なら早くしろ。先程の男についてこれから学園長の説明があるらしいからな」

 

――先程の男。

 

その言葉に俺の頭には弟の顔が浮かぶ。

 

ずきりと腹が痛む――殴られたのか。

 

俺は思わず起き上がりそうになるが、胸元に持って来られた少年の手に制された。

 

「動かねぇでくれ。あんたのことがバレたら困るんだ」

 

つぶやく少年の声に、俺はひとまず従うことにした。

 

俺の様子を見て、また少年が問いかけてくる。

 

「覚えていたいよな、何が起きているか知りたいよな」

 

俺は強く右目を閉じた。

 

少年の口元がにやっと悪者めいた風体に持ち上がった。

 

「俺はこれからアンタに記憶を消す魔法を使わなきゃいけねぇ。そういう決まりだからだ。だけど他の記憶を消すことでさっきの記憶を残すことは出来るんだが――構わないか?」

 

右目は閉じたまま、左目でじっと俺は少年を見つめる。

 

そんな俺の態度に少年は両手を額の辺りに持ってくると、何か良くわからない文字列を音にして並べ始めた。

 

意識がじわじわと食いつぶされていく。

 

青虫に与えられた葉っぱのように、頭の中に穴があいていくような不気味な感覚だ。

 

「三日後の18時、喫茶イグドラシルで待っている」

 

少年のその言葉を最後に、俺の意識はまた闇の中に沈んだ。

 

 

 

――麻帆良学園の象徴でもある世界樹の前に、多数の人々が集められていた。

 

制服、私服、スーツ、民族衣装。

 

様々な歳の頃の彼らは、聖地麻帆良に在籍する魔法使いたちだ。

 

「さて、もうすぐ日が変わるというのに集まってくれた諸君らには感謝する。今この場に来られなかった者たちも電子精霊を通して見ておるかの?」

 

ひらひら手を振りながら、麻帆良学園最高権力者である学園長の近衛近右衛門は言葉を紡ぎ始めた。

 

円を描くように集まった魔法使いたちの中心で、学園長はこほんとひとつ咳ばらいをした。

 

「集まってもらった理由は他でもない。今日は皆に紹介したい者がおっての。彼は多忙な男での、当初来てくれると予定しておった時期からは大きくずれてしもうたが――とにかく、自己紹介を頼むぞい」

 

学園長の促しに、彼の隣に立っていたその人物は自分の姿を見せびらかすように胸を張った。

 

腰ほどまである色の抜けた純白の髪が風に揺れる姿は、人間のそれというより幻想の住人に近い印象を見る者たちに与えた。

 

「天津神零児だ。面倒だがよろしく頼むぜ」

 

零児の言葉に囲むように様子をうかがっている魔法使いたちの一部で黄色い声があがり、その一部でどよめきの声があがった。

 

――ぱんぱん。

 

二拍手し、学園長はまた言葉を紡ぐ。

 

「知っておるものも多いと思うが彼は『紅き翼』に在籍しておった世界有数の凄腕じゃ。じゃが同時に500万ドルの賞金首でもある」

 

「俺としてはもうちょっと高めでも良かったんだがな」

 

「げほんっ! げふんっ! ――まぁともかくじゃこれから彼をよろしく頼むぞい。さて零児くん、お主には麻帆良女子中等部2―Aの副担任をして貰いたいんじゃが頼めるかの」

 

わざとらしい咳払いの後、空気を巻き戻した学園長は零児に問いかける。

 

彼は腕を組み、なにかを考えるようなそぶりを見せると鋭い目つきで答えた。

 

「ネギが、あのバカの息子が来るんだな」

 

「やはり知っておったかの?」

 

「当り前だ。まぁあいつとは楽しくさせてもらったし、別にかまわねーぜ。ひっじょ~うにあのバカのガキの面倒をみるって事態は釈然としねーもんがあるけどよ」

 

深くその朱と蒼の双眸をめんどくささで染め上げて、零児は溜め息をつく。

 

「うむ。それで次じゃが零児くんと一緒に副担任を務めてもらう予定の者がおるからの、ついでに顔合わせさせておくぞい」

 

「なん……だと……!」

 

意味がわからない、といった様子の零児に学園長は至極冷静な口調で返答する。

 

「お主の知識の深さは知っておるが現場を経験しとらんじゃろ。そんな者たちだけに生徒を預けれる訳なかろうが。――まぁ安心せぃ、ひとりは普通の教師じゃがもう一人は教師としても優秀で、魔法使いとしての実力もこの学園で五指に入るほどじゃ」

 

学園長の手招きに寄せられたのは、びしりと黒のスーツを着こなした妙齢の女性。

 

黒い髪につりがちの目付きとが合わさってとげとげしい印象を与えるが、その容姿はなかなかに整っている。

 

まるで軍人か何かか、規律正しい歩みで二人の前まで出た女性は零児の前で手を差し出した。

 

「数学教員を務めさせてもらっている星野うさぎです。これからよろしく頼みます」

 

「おぅ、よろしく」

 

零児は微かに首を傾げた所作を伴ってうさぎに手を重ねた。

 

微かに顔を歪ませて――だが直ぐに元の薄い笑みに引き戻したうさぎに対して、零児は変わらず首を傾げていた。

 

「では最後になるが零児くん、何か言いたいことはあるかの?」

 

学園長の言葉に肯定の意を示すと、うさぎから手を離して零児はぐるりと辺りを見渡した。

 

そして堂々と、さも当然のように、恥じることなく、宣言した。

 

「――俺は正義の魔法使いが嫌いだ」

 

ざわめきが起こるが零児は止まらない。

 

声に震えは一切ない。

 

「立派な魔法使いなんてくだらねー偶像に縛られる馬鹿どもも嫌いだ。悪に走らざるを得なかった誇り高き魔法使いを貶すヤツも大嫌いだ。だけど――どんなに汚らわしいと他人に言われても一本芯の通ったヤツは好きだ――以上」

 

場はしーんと静まりかえっている。

 

「あぁ、あとそんな俺の嫌いなヤツらが多い麻帆良に来てやったのは学園長のジジィがどーしてもって頼んだからだ。すげーめんどくさかったけど、ジジィの頼みじゃことわれねーもんな」

 

言いきったらしい零児は非常にすがすがしい顔をして、何かを探すようにきょろきょろ視線を彷徨わせている。

 

ひゅるる、冷たい冬の風が吹いた。

 

「お主を呼んだのは麻帆良出身ということがバレてしもうたからなんじゃがのぅ」

 

学園長の呟きは誰にも聞かれることなく、暗い夜空へと吹き上がった。

 

 

 

――眼が覚めた時、妙な違和感を俺は感じた。

 

まず、腰が痛かった。

 

次に尻が痛かった。

 

その次は寒さを感じた。

 

そして現状を理解した。

 

どうやら公園のベンチに座って眠っていたらしい。

 

近くには空になったビールの缶がいくつか散らばり、まだ封の開けられていないそれが袋に入って俺の隣に座っていた。

 

酒に酔って眠ったのか――明日は仕事なのに?

 

ある程度は酒を嗜む俺であるが、次の日が休日の時くらいしか飲まないことにしている。

 

一人で晩酌する機会も少ないし、飲むとしても誰かと同僚か友人かとだ。

 

このありさまを見るとまるでヤケ酒でもしたかのような――

 

と、そこで俺の脳裏に映像が一つ飛び込んで来た。

 

飛び込んで来たというより、記憶の底から浮かんできたというべきだろう。

 

非現実的な舞台で踊る三人の少年少女と巨躯の狼。

 

そして幕が閉じると突如として現れたのが――俺の弟だ。

 

弟の浩次――この世界では零児か。

 

そうだ、俺は零児に会ったんだ。

 

二十年近く前に俺の前から消えた零児。

 

今度こそ向き合おうと決めて、前に出ることさえ許してくれなかった俺の弟。

 

確かあの時俺は零児と話そうと声をかけて――殴られて、意識を飛ばされたんだ。

 

これでも一応、鍛えていたはずなんだがな。

 

風がひゅるるると吹いてきた。

 

――寒い。

 

かじかむ手を擦り合わせ、ポケットにぐっと突っ込んでやる。

 

そこではもう冷たくなっていたはずの使い捨てカイロが、ぽかぽかと熱を発していた。

 

時計を確認すれば午前一時頃。

 

とりあえず帰ろう。

 

空き缶をゴミ箱に押し込み、中身の入ったビールはコンビニの袋の中に。

 

暗い夜道を俺はとぼとぼ家に向けて歩いた。

 

本当ならば弟と――零児と語り合いながら帰りたかった。

 

前の世の小学生の時みたいに、中学生の時みたいに。

 

弟は――変わってしまったのだろうか。

 

浩次が零児に変わったとき、浩次は零児にすり潰され消えてしまったのだろうか。

 

もしそうなら俺が逃げないで向き合いたいと願った俺の気持ちは、単なるエゴなんだろうか。

 

――いや、そんなはずはない。

 

浩次がたとえ零児の中に消え去ってしまったとしても、俺は零児の兄の一人だ。

 

俺があいつの兄であるということは、この世界でも真実だ。

 

なら俺が何も言わずにいなくなってしまった零児を心配する気持ちがあったって、もう一度向かい合って話したいという気持ちがあったって、何の問題もないはずだ。

 

今の零児と逃げないで向き合いたいという俺の願いは本物だ。

 

だったらそれだけで十分なはずだ。

 

弟に会えた、この世界では唯一の肉親である弟に。

 

とりあえずこれは大きな一歩だ。

 

残りはまた家に帰って、今日はぐっすり寝て、明日考えよう。

 

それで少しでも弟のことを知って――あの少年は三日後の18時に喫茶イグドラシルで会おうと持ちかけてくれた。

 

彼は何かを知っている風な口ぶりだったし、とにかくあの少年に会ってからからまた弟に会って、零児に会って話そう。

 

ちょうど明日明後日と仕事の方でもヘルプを要請されていたし、俺の気持ちを落ち着けるためにもちょうど良い。

 

しかし――ふと立ち止まった俺の脳裏に疑問が浮かんだ。

 

――しかし俺はなんで弟と今日会えるかもしれないと思ったんだ?

 

去年の暮ごろに新田先生と範馬先生と会って、もしかしたら零児かもしれない男が赴任してくるかもしれないということを聞いたから――だったのか?

 

違う、そうじゃなかったはずだ。

 

あの時俺は何らかの情報を基にした希望を持っていたはずだ。

 

そうかもしれないと思わせる何かがあって俺は――あの時あの場所に―――

 

駄目だ、全然思いだせない。

 

腹が減っているからか?

 

ぐるると鳴る腹は、きっとがらがら今俺の目の前を通っていくラーメン屋台のせいだろう。

 

明りは残念ながら消えている。

 

四十代半ばほどの、ラーメン屋の親父に似合わず変に理知的な顔のその男は、がらがらと進んでやがて見えなくなった。

 

うん、ラーメンを買って帰ろう。

 

俺の中の決定事項をしっかりと握りしめて、俺は自宅へと歩みを速める。

 

思い出せないという事は、きっとたいして信憑性のないことだったのだろう。

 

占いのような類いの胡散臭い話なはず。

 

零児に会えたのだ――深く追求する必要はないだろう。

 

俺は俺自身をそう納得させ、しお味噌とんこつ醤油と鼻孔にラーメンの香りを思い出させると、もう一度腹を鳴らした。



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考察その16~会合と暴露~

最初にその人に会って俺が抱いた印象は――変わった人だということ。

 

「え~、今日から同じ職場で働くことになった天津神零児くんだ」

 

新田先生からそう紹介された風貌は、男の名前に反してひどく女っぽいものだった。

 

朱の右目と蒼の左目の顔は美女と見間違わんばかりで、腰まである純白の髪がその認識を加速させる。

 

声も男にすれば高い部類で、知らされていなければ本当に女だと勘違いするほどだろう。

 

だが同時期に赴任してきた瀬流彦先生が綺麗な人だ、といった途端すごい顔で睨んできた――俺は男だと。

 

ならば髪を切ればいいように思うが――何かこだわりでもあるのだろう。

 

故に、そんな天津神先生のことを俺は変わった人だなと感じた。

 

――彼は俺と同じく社会科教師らしい。

 

職員室での紹介が終わった後、新田先生は俺の方へ彼を伴なってやって来た。

 

そして申し訳なさそうな顔で俺に言う。

 

「範馬先生、すまないが君の授業の際に彼と一緒に教鞭をとってもらえないだろうか」

 

不思議な内容の話に俺は首を傾げていたに違いない。

 

俺に限らず麻帆良中等部に詰める教員の多くが、彼は優秀で信頼に足る人材だと学園長から聞かされていた。

 

だというにそんな申し出――良く意味がわからない。

 

だが教師になってからだけではなく、俺が麻帆良学園に通う生徒だった頃からお世話になった新田先生に頼まれて嫌とはいえない。

 

むしろ俺を信頼して頼ってくれているようで嬉しいのだ。

 

ふたつ返事で頷くと、新田先生は胸をなでおろして俺の肩を叩いた。

 

「範馬です。まだまだ若輩者ですがよろしくお願いします、天津神先生」

 

ぺこりと頭を下げて天津神先生に挨拶する。

 

フランクな声が下げた俺の頭頂部に俺に投げかけられた。

 

「おぅ、よろしく。てかめんどーだし敬語とかいらねーぞ」

 

「はぁ、そうですか……いや、ですがケジメですので」

 

「ふ~ん――ちなみに何歳?」

 

「24歳になりますが」

 

「マジか、年下じゃん。ハハッ、ホント敬語とか気にしねーから、俺そんなくだらねーもんに囚われねーし。もっと仲良くいこうぜ」

 

「……はぁ、そうですか」

 

ぽかんとあいた口で不抜けた返事を返してしまったと思う。

 

頭の中に疑問符が浮かぶが、けたけたと楽しげに笑って俺の目を見る天津神先生は、きっと悪い人ではないはず。

 

何でも長い間外国で暮らしていたらしいし、外国人の人は敬語を使うのが苦手だと聞いたことがある。

 

彼の人種自体は日本人だが、天津神先生もその類いなのだろう。

 

「範馬先生、一限目はちょうど2-Aでの授業でしたよね? よろしければご一緒にお願いしたいのですが」

 

「はい、それはもちろん」

 

凛とした声が俺にかけられる。

 

スーツに着られている俺とは違い、黒いスーツを着こなした星野先生は俺の返答を確認すると、クラス名簿を持ってきびきびと歩いていく。

 

相変わらず仕事の出来る女、といった感じだ。

 

バリバリ働き生徒の相談も親身に受ける彼女の姿に――俺は個人的に憧れている。

 

故に孕ませたい――などという腐った結論に至る訳ではないのだが。

 

こんな教師になりたい、という目標のひとつであることは間違いない。

 

――出会って一時間と経っていないが、やはり天津神先生は変わった人、というイメージが俺の中で出来始めている。

 

2-Aの教室前に着くと星野先生は、なにか言いたげな天津神先生を廊下で待たせて後ろ側の扉から教室へと入った。

 

前側の扉に仕掛けられていた黒板消しなどによるイタズラは華麗にスルーし、突然の来訪者に呆気に取られている生徒たちの脇を抜け教壇に立つとまずギロリ、チャイム前で席に座っておらず、思い思いに話していた生徒たちを睨みつけた。

 

その視線ひとつで教室が動く。

 

まずイタズラを仕掛けた生徒たちがそそくさと撤去をはじめ、次に残りの生徒たちが席に着き星野先生に視線を集める。

 

星野先生がこのクラスの副担任に就任したのは冬休み明けから――つまり一週間ほど前から。

 

だというの既にこの状況――学年の中でも特にお祭り騒ぎが好きなこのクラスで――というのだからすさまじい手腕だ。

 

教室の後ろに立って見渡すようにしてみるが――やはり憧れる。

 

俺は生徒たちにどこか舐められているのか、プラスに考えれば慕われているからか、授業中でも急に話しかけられたりする。

 

だが最近はそんな彼女たちをなんとかあしらえるようになったのは、大きな教師としての前進だと感じている。

 

「星野先生、今日は少し早いようですが何かあったのですか? 範馬先生も来られているようですし、まだ授業開始までには時間があると思うのですが」

 

丁寧な言葉遣いでクラス委員長でもある雪広さんは星野先生に尋ねる。

 

彼女の問いかけにビシッとしていた表情を穏やかに緩ませると、イタズラを撤去し終えて入れるようになった教室前側の扉を開けた。

 

「先日言った通り、三人目の副担任がこのクラスに就くことは聞いているな。今日からその先生が来てくれることになったので、みんな良くやるように」

 

星野先生の言葉が終わると、教室に天津神先生が少し難しい顔をしながら入って来た。

 

――あの表情は恐らく緊張からだろう。

 

俺も初めての授業の時は非常に緊張した。

 

がちがちに凝り固まった俺の顔は、無理に笑おうとしていてもひきつっており、教室に入った瞬間ひぃと短い悲鳴を上げられたのは良く覚えている。

 

それほどまでに、はじめての会合というものは楽しみでもあるのだが、それ以上に恐いものだ。

 

「今日から副担任をさせてもらうことになった天津神零児だ。めんどくせーがよろしく頼むぜ」

 

瞬間、星野先生が両耳を押さえる仕草を取った。

 

黄色い声が教室中から噴き上がった。

 

その主だったものが――美人だとか、綺麗だとか、顔が小さいだとか、そんな類いのものだった。

 

そんな発言に天津神先生は憤慨したかのように吠えた。

 

「俺は男だっつーの! どいつもこいつも女扱いしやがって……お前ら少し、頭冷やそうか」

 

低い声で、威圧感たっぷりに教室全体を見つめる天津神先生に――生徒たちはまた黄色い声を上げた。

 

すごいな、ほんの少しのやり取りで生徒たちとの距離をぐっと縮めた。

 

このクラスがお祭り好きというのもあってこそかもしれないが――故にこそさっきのような対応をしたのか?

 

だとすれば、この人は本当に学園長の言った通りに優秀な人なのだろう。

 

星野先生は怪訝な視線を天津神先生に投げかけているが。

 

「天津神先生への質問は私が代表させて貰うよっ」

 

そう名乗りを上げたのは新聞部に所属する朝倉さん。

 

無秩序に質問がわさわさ教室が飛ぶ中、メモ帳を片手にぐぐいっと天津神先生に詰め寄った。

 

「朝倉、次は範馬先生の授業があるからな、押し込まんようにだけは気を付けろ。それと今日の朝の連絡はそれくらいだ」

 

ぴしっと伝える星野先生の言葉に、天津神先生は朝倉さんから彼女へと視線を移した。

 

「別に一時間くらい質問タイムでも良くねーか? このクラスの副担任になる訳だし、仲良くなるのにこしたことはねーだろ」

 

天津神先生の言葉に米神を押さえる星野先生。

 

「常識と今の時期を考慮してください」

 

疲れたような表情を浮かべて、星野先生は朝倉さんへと視線を投げつける。

 

すると朝倉さんがどんどんと天津神先生へと質問を始めた。

 

――質問の時間を長くとることは、特に悪いことだと俺は思わない。

 

このクラスが一年生の時から副担任を務めている源先生や、同じく一年生の時からずっとこのクラスの授業を受け持ち、源先生が忙しい時には駆り出されることが多かった星野先生と、今日来たばかりの天津神先生とでは生徒たちと触れ合った時間が違うのだ。

 

副担任になるならば深く彼女たちのことを理解しておく必要があるだろう。

 

ならば親交を深めるためにも、悪い選択肢では決してない。

 

だが星野先生がそれを是としなかったのは――俺のためだ。

 

三年目とはいえまだまだ俺は若輩者。

 

ようよう一年間の授業構成通りに運べるようになって来たが、それでもいっぱいいっぱいだ。

 

もし俺の担当する授業を一時間潰して質問の時間にあてたならば、きっと俺は学期末までにテスト範囲を終わらせることが出来なくなってしまうだろう。

 

無論、プリントなどで補完しようと努力はするだろうが、授業で教えるということは不可能だ。

 

そして結局新田先生か星野先生かに頼み込み、授業時間を分けてもらうことになる――これまでがそうだった。

 

新田先生と星野先生はあらかじめ俺のような若輩教師のそんな事態にも対応できるように授業日程を組んでいる。

 

だがいつまでも頼りきりというのは歯痒く、気分の良いものではない。

 

そんな俺の気持ちを、恐らく星野先生は知っている。

 

だから気を効かせて、自分を悪者にして星野先生はそんな事を言ってくれたのだ。

 

本当に頭が上がらない。

 

――そうこう考えているうちに天津神先生への質問はどんどん進む。

 

出身、年齢、好きな食べ物などなどと。

 

「じゃあ時間的に最後の質問ですけど、このクラスの中で誰が一番好みですか?」

 

時計を確認した朝倉さんは、これまで以上にぐぐいと天津神先生に詰め寄って尋ねる。

 

――このような異性関係の質問は必ず、ちょうど恋愛沙汰に興味深々なこの年代からは持って来られる質問だ。

 

故に、俺たち教師は様々な場面で教えられる。

 

教師は誰にでも平等で中立であらねばならない。

 

故に、誰か特定の生徒を特別視している、などとは口が裂けても言ってはいけない。

 

故に、適当に煙に巻いてごまかして流すのが普通なのだが――

 

「容姿だけの好みでよければエヴァと長谷川、それと君かな」

 

ニコッと擬音でも背後に付きそうな笑みを浮かべて天津神先生は指定した。

 

この瞬間、俺の中で天津神先生は変わった人、という大きなイメージが完全に固定化された。

 

 

 

――今から俺のやろうとしていることは、ひどく失礼なことだということはわかっている。

 

だが俺にはそれでもやらねばならない時がある。

 

さすが英雄候補の俺、越えるべき試練が目の前に現れる。

 

だからこの試練を越えた時、また一歩俺は彼女の英雄として大きく成長できるに違いない。

 

踏ん張れ俺、頑張れ俺。

 

妄想は頭の中で固まっている。

 

元々俺が王の財宝を望んだのだって、彼のあの姿に憧れたからだし。

 

傲慢不遜で、やりたい放題で、そんな我が儘を通すだけの力を持っている。

 

――俺はあの黄金の王に憧れた。

 

誰に対しても、どんな状況でも、自分の矜持を崩さず揺るがさず貫き通したあの背中が、俺には気高いものに見えた。

 

だから俺は今日、これから会う人に不快な思いを与えたとしても、他の誰にどう思われて、他の誰の前でどんなにかっこ悪くても――彼女の前では英雄で在るために、俺は俺のやるべきことを成す。

 

時間は17時45分、場所は喫茶イグドラシル。

 

冬の冷たい風が骨身にしみるが構わず座ったテラスの机で、俺はじっと彼を待つのだ。

 

――来た。

 

前見たときとは違う作業服姿だが、確かにあの時俺が記憶処理の呪文を施した男だ。

 

それによく見れば毎朝俺が英雄となるべく頑張ってるジョギングの時にすれ違う人じゃねぇか。

 

なんて言うか、妙な縁だよなぁ。

 

「すまない、仕事帰りに急いで来たから作業服姿なんだ。こんな恰好で本当に申し訳ない」

 

小さく頭を下げて、駆け寄るように作業着姿の男は近付いてきた。

 

――あ、ヤバい、スゲー良い人だ。

 

年下の俺に気まで使ってくれちゃって、ホントに悪かったと頭まで下げてくれてる。

 

こっ、心苦しいっ! これから俺がやろうとしていることを考えると――胃が痛くなるっ!

 

だが、だがだがだがしかし! 俺はやらねばならない。

 

それが何より俺のためでもあり、きっとこの人のためにもなる――はずだ。

 

息を大きく吸って、吐く、吸って、吐く。

 

心を静めて、出来るだけ傲慢不遜に身勝手に――俺は妄想を具現化する。

 

「ほぅ、我を待たせるとは何様のつもりだ?」

 

作業着の男は引いた椅子に座るのも忘れて、棒のように立ちつくしていた。

 

俺は構わず続ける。

 

「元来貴様のような下郎が我の前に立つということだけでも身に余る光栄だと咽び泣くべきだというのに――気に食わんな」

 

まだ反応も返答もない。

 

「王たる我の御前だというにその不遜な態度……良かろう、貴様は我が直々に裁いてくれるわっ」

 

ぬっと俺が立ちあがった時、作業着の男は再起動した。

 

戒めるような厳しい視線で俺を見つめ、やさしい口調ながらに苦言を呈した。

 

「初対面の俺がこんなことを言うのはなんだけど、目上の人の前でそんな言葉づかいと態度は止めた方が良い。きっと社会に出たら君自身が苦労することになるよ」

 

そんな彼の態度に、とりあえず俺は額を膝にぶつけんばかりの勢いで頭を下げた。

 

「すいませんでした!」

 

あれから何度となく頭を下げて、前世もあわせて間違いなく一番謝罪したというくらいに謝罪して、俺と作業着の男――天津神一人さんは向かい合うようにして椅子に座っている。

 

幸い天津神さんは凄く、という強調詞が重ねて付くほどに良い人で、俺のことも――まぁ本心はわからないが、最低でも向かい合って話をするまでには――許してくれた。

 

ここで嫌われたら何にもならないのだ。

 

もしかしたら俺は世界をひっくり返すような存在と出会ったのかもしれないのだから。

 

うむ、なんだかこの表現は非常に英雄らしいな。

 

俺の冒険譚だって書けるんじゃないか?

 

「それで田中くん、ちょっと君に聞きたいことがあるんだけど構わないかな?」

 

「もちろんです天津神さん。なんでも、もうなんでも聞いちゃってください!」

 

天津神さんの言葉に、俺は全力の笑顔で答える。

 

今なら擂鉢と擂粉木がなくても胡麻がすれるような気がするな。

 

天津神さんは口に手を当てて、考え込むように眉間に皺を寄せた。

 

そしてぽつぽつと慎重に選ぶようにして、文章を作り上げていった。

 

「この世界には俺の知らないことがたくさんあって、田中くんや俺の弟は俺の知らない世界でも生きているんだよね」

 

「そうですね、この世界ではまるでファンタジー小説みたいな出来事が起きていたりします。あの日、天津神さんが見た狼も現実のもので、もちろん俺が持っていた剣も、一緒に居た人たちが持っていた日本刀も銃も本物ですよ」

 

俺の返答に天津神さんは眉間の皺を更に濃くする。

 

まぁ信じられないよな。

 

俺だって前世で実は魔法があったんです! とか急に言われても本気で信じないし。

 

この世界は魔法があるものだ、と俺が確信しているからこそ、魔法があるだの魔法先生がいるだのということもすんなり理解した――というより確認できた訳だ。

 

実際にその目で見たとしても夢かな、と思って下手に追求しないのが普通だと俺は思う。

 

わざわざ怪我すること請け合いな事象を探りに行く人はきっと馬鹿だけだ。

 

「……つまり生まれた時から特別な力を持っている人が君のいる世界の住人な訳かな」

 

「いえ、先天的に決まるものもありますけど後天的に訓練してこっちの世界に入ってくる人もいますよ。俺の師匠は15歳で魔法を知ってこっちに入って来たらしいですし」

 

――なんというか変な質問だな。

 

いや、聞く内容がずれている訳じゃないが、このタイミングで聞くようなことなのか?

 

生まれつき、生まれたとき――カマかけてみるか。

 

「でも生まれる前に光から問いかけを受ける場合もあるらしいですよ」

 

俺がそう言った瞬間、天津神さんはぎょっとした顔で俺を見つめた。

 

理解した、この人転生者だわ。

 

もしかしたらそうかもしれないと思って我様っぽくふるまってみたんだが、よく考えればあの人を知らない人もいるわな。

 

それは俺のうっかり――もとい慢心だ。

 

俺の容姿と言動なら気付く人は絶対に気付くという俺の慢心だな――うん、英雄っぽいぞ。

 

ちなみに天津神さんが転生者かもしれないと思ったのは天津神零児とかいう名前の男女のせい。

 

あれに会ったとき、俺はあれが転生者だと確信した。

 

どう考えても、どう考えてもそうとしか取れない容姿に言動。

 

更に元紅き翼で賞金首と来ればこれは間違いないっしょ。

 

鉛筆の芯がバキッと折れるように当然のことだろ、天津神さんは浩次とか呼んでたし。

 

――それよりも問題なのはあれが恐らく神様転生、チートな俺tueee、身勝手ハーレム願望、正義の魔法使いアンチ、と四重苦なことだ。

 

確実に前世の俺ならプラウザバック対象だぞ――俺も神様転生のようなものでチートな道具は持ってるけどさ。

 

だが俺は頭ごなしに人格否定するような社会不適合者じゃないはず。

 

とにかく俺が危惧しているのは、あれがテンプレ主人公みたいに英雄という地位と、それに見合うだけの実力と、妙な思想を持ち合せているということ。

 

下手をするとこの世界の根幹からひっくり返されちまう。

 

――それは困る。

 

俺はこの世界で英雄となると決めたんだ。

 

あの子だけの、あの子のための英雄となると。

 

だが今の俺などあれにとっては風の前の塵に同じ。

 

故に、俺は打算の下に天津神さんと話し合いの機会を持とうとした。

 

もしあれが超の前に立ったとき、俺があれの前に立ち塞がれるように。

 

さて、食い入るようにして俺を見つめる天津神さんに、俺は何から話したものか。

 

とりあえずは――

 

「天津神さんって転生者ですよね」

 

軽くジャブからいこうか。




次から本編です。

その前にキャラが多いので簡易人物紹介を入れます。


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転生者紹介~原作開始前~

~世界最強クラスの魔力~

【名前】不明

【年齢】10~12歳前後

【所属】完全なる世界

【備考】

世界最強クラスの魔力を持って生まれたが故に赤ん坊の時に親に売られた悲しい子。

一日一回魔力を吸い取られ、その魔力を兵器の開発に扱われている。

本人はその事実を知っているが、その後長い時間をかけて行われるセクストゥムの房中術から離れられず、悪いことをしていると思いながらもその場に留まっている。

彼が本編に登場する日は来るのかっ!?

 

 

 

~王の財宝~

【名前】田中ギルガメッシュ

【年齢】14歳

【所属】麻帆良学園男子中等部、魔法生徒

【備考】

王の財宝を持って生まれたが、宝具の持つ圧倒的威圧感に組み伏せられたもやしな子。

王の財宝は小学一年生の時に一度解放しただけ。

解放した日は急に意識を失う人が麻帆良全体で現れてたりと大騒動になったらしい。

次の日からか強面のグラサン髭男の監視を受けることになり、その次の日から魔法生徒として修業を始める。

前世では二次創作をある程度読み漁っていたため、自分以外に他の転生者がいることにいち早く気付き、行動を始める。

とりあえずヤバそうな奴の兄貴と仲良くなった。

麻帆良学園女子中等部2-Aの超鈴音のことが好きで、毎日のようにアプローチを繰り返しているが、いつも適当にあしらわれている。

彼の恋が実る日は来るのかっ!?

 

 

 

~直死の魔眼~

【名前】不明

【年齢】享年0歳

【所属】どこかの病院

【備考】

直死の魔眼を持って生まれたが、1000文字以下ですべてが終わった空気な子。

世界に見える点を突き、戦をなぞるのに力はいらず、母親と父親と看護師をやっちまったぜ。

ちなみに担当の医者は今、確実に冤罪なのだが確定の有罪で刑務所に居る。

なにはともあれ医者がかわいそうであるっ!!

 

 

 

~優秀な魔法使いとしての才能~

【名前】星野うさぎ

【年齢】30歳

【所属】麻帆良学園中等部数学教員、麻帆良学園女子中等部2-A副担任、魔法先生

【備考】

優秀な魔法使いとしての才能を持って生まれたが、遂に三十路突入してもふりっふり衣装なイタい子。

星型の石のようなものを持って生まれたので、星野家史上一番縁起が良いと言われている。

その石、本人いわくスターストーンを媒介に魔力を注ぎ込むことで魔法少女セーラースターに変身できる――少女(笑)。

星を担って戦う姿はもはや伝説で、ちまたでは『魔法BBA無理すんな』と呼ばれて愛されている。

最近は仕事やりがいがある→そろそろ男も欲しい→でもしっかり暮らせるだけの基盤はあるしあせらなくても→魔法使いとしての仕事に不満ががが→でも遣り甲斐も感じる→でも偶にはストレス発散を→う~んやっぱり魔法少女って良いわ、とループしているが本人は気付いていない。

近頃はマンションを購入しようか、と画策し始めている。

彼女に運命の人は現れるのかっ!?

 

 

 

~答えを出す者~

【名前】不明

【年齢】四十代半ば

【所属】屋台のラーメン屋

【備考】

答えを出す者の力を持って生まれたが、全てに答えを出すその能力のために夢を失った虚しい子。

疑問さえ提起すてばあらゆる事象にたいして最善の答えを導き出すことが出来るこの力のために、努力し夢を見る意義を失う。

しかし同時に答えが解る=答えを実行できる、ではないことに気付き、自分の力に抗うように何かを探しながら生きている。

行っている屋台のラーメンは美味いのだが、稀に妙な味や形状のラーメンが出てくることがあり、常連はそれが良いと足繁く通っているらしい。

彼が夢を持つ日は来るのかっ!?

 

 

 

~万華鏡写輪眼~

【名前】不明

【年齢】17歳前後

【所属】特になし

【備考】

リスクのない万華鏡写輪眼を持って生まれたが、心にわいた小さな憎しみから目を開けなくなった悲しい子。

小学生高学年のとき、たまたま自分の悪口を言う同級生へと向けた感情により、人を一人壊してしまう。

その日から家に引きこもり、ぐるぐると視界を閉ざすために眼に包帯を巻いている。

五年ほど前から外に出るようになり、毎週決まった時間に場所でおしゃべりをする麻帆良学園聖ウルスラ女子高等学校三年生の、エヴァという名前の友人がいる。

彼女が友人と顔を見合って笑える日は来るのかっ!?。

 

 

 

~地上最強の生物~

【名前】苗字は範馬、名前は不明

【年齢】24歳

【所属】麻帆良学園中等部社会科教員

【備考】

地上最強の生物としての肉体を持って生まれたが、強過ぎる身体で人を傷つけることを恐れるやさしい子。

生まれてすぐ、その有り余る力により母の乳房の皮膚を抉り取ってしまい実の父や祖父母から物の怪扱いされる。

しかしそれでも愛おしいと抱きしめてくれた母と二人で生活してきた。

少し前に母が再婚し、二十数年間一緒に暮らしてきたアパートに帰ると一人っきりなのを感じてちょっぴりさびしいのが最近の悩み。

理想の女性は母――正しくマザコンである。

地上最強の生物としての肉体が人間の器にはまり込んでいるため、普段性欲は少ないのだが強い女性を孕ませたいという願望がひどく強い。

そのため麻帆良女子中等部2-Aの一部の生徒のことが苦手。

彼が生まれたとき、各国の首脳は核兵器を持つことを決意したとかしないとか。

彼がその有り余る力を振るう時は来るのかっ!?

 

 

 

~ぼくのかんがえたさいきょうにかっこいいしゅじんこう~

【名前】天津神零児(あまつかれいじ)

【年齢】二十代半ば

【所属】紅き翼→麻帆良学園中等部社会科教員、魔法先生

【備考】

ぼくのかんがえたさいきょうにかっこいいしゅじんこうの設定を持って生まれたが、魔法世界で長らく過ごし、自分の思った通りにこれまで人生が進んできていたため世間知らずな子。

双子の兄がおり、彼と一緒に孤児院の前に捨てられていた。

5歳の頃に無理矢理ゲートを開き魔法世界へ。

以来麻帆良に来るまで魔法世界で過ごしており、英雄として多大な評価を受けている。。

朱い右目に蒼い左目、純白の髪に美女のような容姿、めんどくさがりで努力が嫌いで情に熱くて鈍感らしい。

魔力とかスゲーらしい。

膂力とかスゲーらしい。

人気とかスゲーらしい。

賞金とかスゲーらしい。

麻帆良に来てから思い通りに行かないことが多いらしく、首をひねっていることが多々あるらしい。

彼が彼の望むハーレムを築ける日は来るのかっ!?

 

 

 

~主人公の標準装備~

【名前】天津神一人(あまつかかずと)

【年齢】二十代半ば

【所属】(株)麻帆良クリーン

【備考】

目の前の問題から逃げずに物事を向上させようと努力できる精神力を持って生まれたが、仲良くしようと思った弟と二十年近く会えなかった弟思いの子。

一応この作品の主人公。

前世で弟に向き合ってやれなかったことを悔やんで今度こそ、と意気込むが今のところヤル気が空回りしている。

五歳の頃、この世界で唯一の肉親である双子の弟が失踪した。

その時ラーメン屋のお兄さんに色々と情報を貰ったらしいが、現在本人はまったく覚えていない。

しかし何かしら情報を貰っていたらしく、二十年近く自身の研鑽に努めている――が、強いとは限らない。

つい先日に弟と感動の再会をするが、彼の返答は腹へのワンパンだった。

最近魔法の存在を知り、色々教えてくれる年下の友人が出来た。

あとその子に転生者だということがばれた。

彼が弟と笑い合える日は来るのかっ!?

 




やっと原作だっ!


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考察その17~正義の在り方~

「ふざけるな」

 

がん、と空になったビールの缶を机に叩きつける

 

アルコールの匂いが充満し、酒のつまみが散乱する自宅で私は刀子とシャークティを前に絡むような声で憤った。

 

「うさぎぃ、いきなりどーしたのよ」

 

頬を紅く上気させて刀子はスナック菓子を口に放り込む。

 

口の周りには食べかすがしっかりと付着していた。

 

「どうもこうもない。このひと月以上……私がどれだけ苦労をしたのか分かっているのかっ!」

 

傍らにあったビールのプルトップを開いて、私は一気に中身を喉へと流し込む。

 

苦味が舌を刺激し、食堂を洗い流し、頭の中を熱くする。

 

「あ~子供先生」

 

「ふふふっ、魔法少女さんは大変でちゅね」

 

納得した様子の刀子と、からかうようなシャークティ。

 

シャークティはまた空いたグラスに赤ワインを注ぎ込み、ぐびりと一気に飲み干した。

 

聖職者のくせに飲酒とは――こいつは神の血ですから、とかなんだとか言っていたが許されるのか?

 

――基本的に修道院で生活しているシャークティの普段の生活は質素そのものだ。

 

初等部で教員を行い、魔法先生としても働いているが、その給金のすべてが教会へのお布施となっているとは聞いたことがある。

 

一生を修道院で過ごすとも言われるシスターであるこいつと、こうやって集まれるのも数ヶ月に一度あるかないかくらいだ。

 

私はシャークティが信仰している宗教の戒律を知らんから何とも言えないのだが。

 

まぁシャークティが良いと言っているのだから良いのだろう。

 

それに――どうせ罰を受けるのはこいつだ。

 

私は楽しんでいて、シャークティも楽しんでいるようなのだから、あまり深く踏み込む必要はないだろう。

 

「で、何したのよ」

 

袋を手で持ち残っていたスナック菓子を一気にかきいれた刀子は、ボロボロと口からそれを零しながら私に詰め寄る。

 

貴様――掃除するのは私なんだぞ。

 

と、微かに思ってみるがそれより先に私の脳裏に立つものがある。

 

「子供は構わん。所詮頭が良かろうが、英雄の息子だろうが、才能があろうが、子供は子供だ。元々そのフォローが私の役目であった訳だからな」

 

「さすが三十路女、やっさしい」

 

「お前だってもう数ヶ月したら三十路だろうがっ!」

 

「まだ29歳だもんっ! ぴちぴちの二十代だもんっ!」

 

きゃるる~んなんて擬音でも背後に背負いたがるように、可愛くポーズを決めてみせる刀子。

 

――安心しろ、お前が背負っていてるのはどろろ~ん、だ。

 

「まぁまぁ、熟女談義は置いておきましょう」

 

こいつ……一人だけ二十代半ばだからって調子に乗っている。

 

だがお前だっていずれ老けるんだ。

 

シスターだから結婚だって出来ないんだからなっ!

 

素敵な旦那様とか見せびらかしてやるんだからなっ!

 

あったかい家庭とか築いてやるんだからなっ!

 

子供とか無理矢理抱かせてやるんだからなっ!

 

――言ってて虚しくなって来たんだからなっ!

 

「でぇも愚痴の発端は子供先生でしょ。彼、何したの?」

 

グラスに氷を入れて、焼酎をなみなみと注いで、きゅっと飲んだ刀子は酒臭い息を吹きかけながら私に尋ねる。

 

――子供先生とは昨年の会議で話題にあがった英雄の息子たるネギ・スプリングフィールドのこと。

 

ひと月と少しほど前から麻帆良に赴任してきた彼を様々な面からサポートするのが私の役目なのだが――あの少年、天性のトラブルメーカーだ。

 

赴任初日に魔法を一般人にバラし、武装解除の魔法でその少女の服を脱がし。

 

二日目には教室でその少女を下着姿にし。

 

そのまた数日後には惚れ薬騒動で女子中等部をかき乱し。

 

認識阻害魔法をかけてはいるが躊躇い無く杖に乗り空を飛ぶし。

 

明らかに不釣り合いで目立つ杖をいつも持っているし。

 

聖ウルスラ女子との諍いを何とか丸めたかと思えば最後の最後でまた下着姿に剥くし。

 

学園長の策略もあったとはいえ魔法の本を探しに生徒たちと図書館島の地下に潜るし――他にもまだまだ。

 

「なぜ私がこの歳で胃薬を買うかどうか悩まねばならんのだっ!」

 

残っていたビールを一滴残らず飲み干して、私はまた机にガンと空いた缶を叩きつける。

 

「どうどう、落ちつけ落ち着け」

 

「た~いへ~んで~すね」

 

ギヌロとでも音の付きそうなくらいにきっと今の私の目付きは悪い。

 

目の前の二人が悪い訳ではなく――寧ろフォローにまわってくれることも多々あり感謝しているのだが――思いだせば思い出すだけ腹が立つ。

 

あの少年に直接腹が立つ訳ではない。

 

何度も言うが少年は所詮どこまで行こうと少年。

 

元々彼を教師にすることは百歩譲ったとせよ、担任を持たせようということ自体が間違いなのだ。

 

どんな陰謀が巡らされているのかは知らんが――だったらこっちにもそれ相応の対処が出来るように配慮しろ。

 

「要するに全部あの奇形頭が悪いんだ」

 

刀子の焼酎を奪い取り、シャークティのワインを掻っ攫い、私はアルコールで胃を満たす。

 

「自主的な成長を促すためだか何だか知らんがなぁ――どうしてあの少年がこの魔法使いの拠点でもある麻帆良学園で自分以外の魔法関係者だと知っているのが、よりにもよって学園長と高畑の野郎だけだったということがそもそもおかしい」

 

「まぁ組織のトップでもある学園長においそれと頼りにはいけないわよね」

 

「高畑先生は出張が多いですからね~」

 

酔い覚ましのためだろう、気を効かせてトマトジュースを差し出してくれるが私は突っぱねる――酒だ、酒を持飲ませろ。

 

またまたビールをカシュッと空けて、ぐびぐびと喉を鳴らす。

 

喉の奥から口を通過し外へと、淑女が出してはいけない音が鳴った。

 

そんな音を気にも留めず、シャークティはいつもの厳格な表情を何処でゴミ箱に押し込んだのか、ぽわんとした笑顔で言葉を紡ぎ出した。

 

「初等部には親元を離れて生活している子供たちが何人もいますが、やはり頼れる相手を探しています。それは同じ寮の友達だったり、先生だったり――彼らは仔犬のように震え、あたたかく安らげる場所を探しているのです」

 

「おねショタの予感っ」

 

「神罰です」

 

河童なスナック菓子を刀子の鼻に押し込んだシャークティは、悶える彼女を尻目に更に続ける。

 

「彼もまたそうに違いないでしょう。教師としての面は貴女よりも遥かに母性溢れる源先生がいらっしゃいますから大丈夫かと」

 

棘のある言い方だ――まるで否定は出来んが。

 

「問題は魔法について。学園長に直談判しに行くか――魔法少女の姿で彼の前に現れてみては?」

 

「醜態を晒せと? いつも厳しい私がふりっふり衣装なところをみせろと?」

 

「年齢詐称薬を使えば良いではありませんか。彼と同年代くらいまで小さくなって会ってみるのはいかがです」

 

「――解って言っているだろ」

 

魔法使いたちは様々な魔法具を作成して用いている。

 

それは戦闘を補佐する道具であり、日常生活を快適化する道具であり、一般人の目を晦ますための道具である。

 

その中には年齢を詐称する――私が憧れた魔法少女御用達の道具もあった。

 

――赤いあめ玉・青いあめ玉年齢詐称薬。

 

赤いあめ玉をひとつ食べれば五つばかり歳を取り、青いあめ玉をひとつ食べれば五つばかり歳を若返らせるという魔法薬だ。

 

それはまさしく私が憧れた魔法少女の一人――と言えるかどうかはわからないが、魔法少女の原型に近い彼女が使っていたもので、年齢的にもそろそもきつくなって来た18歳の頃、私は魔法薬を服用した。

 

結果、私の身体は13歳程度まで幼くなり、言いようもない歓喜が私を襲った。

 

これで私は一生魔法少女として過ごしていける――確かにそう思っていた。

 

だが現実は甘くなかった。

 

実際に肉体の年齢を大きくしたり、小さくしたりして、時には生命の原点まで遡って他の生物に変身できる私が憧れた魔法薬とは違い、この世界のそれはあくまで幻術でそう見せているに過ぎなかった。

 

つまり――おおよそ8歳程まで幼くなった私は喜び勇んで夜の警備で星の力を担い――星の力は幻術を弾け飛ばして魔法少女セーラースター(18歳)が堂々と登場した。

 

あの時の私は幸福感で視界が狭かった。

 

本当に8歳の魔法少女になりきった私は舌足らずな口調で名乗りを上げて、その警備の日までにあれやこれやと考えていた台詞を口走り、私は全力で魔法少女していた。

 

やがて水面に映る自分の姿を確認した私は――

 

「思い出させるな、トラウマなんだ」

 

「良いではないですか。あれを見たおかげで私と貴女は友人になれたのですから」

 

「懺悔を聞きましょう――そう言って年下のシスターがやってくるとは思ってもみなかったがな」

 

まぁ十年来の友人が出来たことは良しとすべきなのだろうが。

 

シスターらしく清廉に微笑んでいるシャークティへ送る言葉は必要なかった。

 

「でもさ、ワザとらしくなくワザとバラすってのは悪い手段じゃないと思うんだけど」

 

むくりと起き上がった刀子がそんな言葉を投げかけてくる。

 

確かに近くで行動を把握しておいた方がフォローに走りやすくなる。

 

学園長に文句を言われたとしても偶々なんです、と強情に言い貫けば意図を理解してくれるはずだ。

 

というよりも、もし呼ばれて文句を言われたとて、それはブラフに近いものだろう。

 

問題を巻き起こして学園全体をかき乱すような真似は、愉快犯の気がある学園長だとはいえ全てを肯定できない。

 

あの人が厄介事を持ってくるときは、その流れをあの人自身が激しくするときは、必ず大まかなシナリオと対策が練られているときだ。

 

今回もきっとそう。

 

もしかしたらそんな役割も含めて私に副担任を依頼したのかもしれない。

 

のだが――私のミスで、私が鈍く、私の行動が遅かった。

 

「それも考えたがもうあの男が行動済みでな。その上、自分とあの少年の父親が懇意にしていたということもバラしている」

 

「だからさっき過去形に。……ちょっと待ってうさぎ、確かネギくんについての報告書で――」

 

「ああ、しっかり書かれていたよ――英雄であった父親に多大な尊敬と羨望の念を持っている、その情念は異常な執着とも呼べるほどに、と。彼はすっかりあの男、天津神に懐いていてな。私がなんと言おうと聞きいれてくれるかどうかは怪しいものだ」

 

溜め息が深く重く落ちる。

 

「ですが頼れる大人が出来ることは良いことではないですか。天津神先生に協力していただければすべて解決です」

 

「――貴様はそれを本気で言っているのか?」

 

「いえ、言ってみただけです」

 

そう告げたシャークティの口からもため息が落ちる。

 

天津神零児――あの男は本当に良くわからん。

 

あの男が麻帆良に来た日に宣言した通り、あの男は私たち魔法使いを――学園長と高畑を除いて――嫌っている。

 

勤務中でもあからさまに私を避けているのが解る。

 

授業に関して私が質問すれば、必ず範馬先生を介して私に伝えてくる。

 

クラスのことでも源先生を通じてか、時にはネギ少年を使って私に用件を伝えてくる。

 

社会人として、例え私のことが嫌いだったとしても、その態度はどうなんだと小一時間問い詰めたくなるほどだ。

 

第一、正義の魔法使いが嫌いだと言っていたが、正義を志す魔法使いの何が悪いのかが私にはまるで理解できない。

 

正義とは正しい倫理観や道徳観に基づき他人を思いやって行動する理念のことだ。

 

無論、世間的に蔑まれるべき理念を正義として振りかざすことも、真っ当な正義だとしても人に押し付けることも、双方ともに間違っていると私は思う。

 

正義とは心に秘めた熱い情熱のことだ。

 

人を助けたいと願う思いやりの心のことだ。

 

――私の憧れた魔法少女はそう誓って戦いの渦中に身を投じ、私はそんな彼女たちに正義を見た。

 

シスターという職に付くシャークティの前ではあるが――確かに過去、神の奇跡を用いて振るう教会は正義の名の下に様々なものを断罪した。

 

しかしそこで断罪されたのは異能者であり、魔法使いたちなのだ。

 

故に、魔法使いたちは正義を目指した。

 

故に、心の内よりわき上がるおもいやりの気持ちを胸に、陰ながら世を救い人を救う立派な魔法使いを目指したのだ。

 

現在ではそんな理念が称号へと変化し、魔法使いたちの世界の主席国家の元老院が捧げるステータスのひとつへと堕落しているらしいが。

 

本来は誰もが持っているやさしい気持ちで人を助ける魔法使いが立派な魔法使いだと、私は麻帆良で魔法少女として活動し始めたときに学園長から教わった。

 

私はそれが間違いだとは思えない。

 

「彼には愛が足りませんね」

 

「誘惑してあげれば、三十路の身体で」

 

「魔法少女に汚れ役は似合わないんでな。出戻りに頼むとするよ」

 

「うるちゃいっ! 好きで離婚したんじゃないんだもんっ」

 

年不相応にぷくぅっと頬を膨らませた刀子はひとまず放置し、私はこれからの展望を巡らせる。

 

ネギ少年にあの男が魔法使いであることをバラしらことで、私がフォローに奔走する機会は減少するどころか増加した。

 

ネギ少年が剥いた少女の半裸姿はしっかり目撃するし。

 

下着姿もしっかりと見ているし。

 

惚れ薬騒動のとき渦中の中心で追いかけられていたのはあの男だし。

 

認識阻害魔法をかけてはいるが躊躇い無く建物の上を飛び跳ねるし。

 

男らしくないみっともない長髪は一向に切る気配はないし。

 

聖ウルスラ女子との諍いで下着姿になった彼女らにどこから用意していたのか準備の良く毛布を持って来たかと思えば鼻の下をだらしなく伸ばしているし。

 

学園長からの通達に気付かず魔法の本を探しに生徒たちと図書館島の地下に潜るし――ほかにもまだまだ。

 

「遂にあの男のせいで私は胃薬を買ったんだぞっ!」

 

くしゃりと空になったビールの缶を握りつぶして、私はダンとテーブルを叩く。

 

――落ち着け私、クールになれ私。

 

あの男とて戸惑っているのだきっと。

 

教師という職に、戸惑っているからこそ――

 

そう大人になろうと努力する私だが、看破出来んこともある。

 

「天津神先生は今頃何をしてらっしゃるのでしょうかね」

 

ぐすぐすとベソをかく刀子の頭を撫でながら、シャークティはぽつりと呟いた。

 

きっと今の私の顔は不満たらたらだ――色んな意味で。

 

「どーせ中学生に色目を使ってるんだろうよ」

 

年下の女子生徒を、中学生を性的な目で見る二十代半ばの教師――考えられないな。

 

淫行で捕まって死んでしまえバカヤロー。



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考察その18~空虚な幻想~

――いつもと同じ曜日、いつもと同じ時間、いつもと同じ場所で。

 

「卒業おめでとう、エヴァ」

 

私は私の手の中の、小さな箱を隣に座ったエヴァに手渡した。

 

エヴァの小さな手を取って、箱の上に重ねて。

 

私の顔は今きっと笑っているんだ。

 

「うっ、うむ」

 

詰まったようなエヴァの言葉。

 

――嬉しくなかったのかな、喜んでくれてないのかな。

 

そんな感情が私の中で生まれる。

 

でも、だけど、そんな感情を私の感情で押し流すんだ。

 

――きっと喜んでくれてる、ちょっと恥ずかしがってるだけ。

 

エヴァは意地っ張りで恥ずかしがり屋だ。

 

だから素直にありがとうって言えないんだ。

 

それは私の手の下で、箱をしっかり握ってくれてるエヴァの手が私に教えてくれているから。

 

「ふっ……ふははははっ、まぁ大学程度私にかかればひと捻りだからな」

 

「うん、おめでとう」

 

高らかなエヴァの笑い声が私の耳に飛び込んでくる。

 

眼にぐるりと巻かれた包帯の向こうのエヴァの顔は、きっと自信に満ちた笑みが溢れているんだ。

 

――エヴァは無事大学受験を成功させた。

 

卒業式も終わった3月の今日の日、彼女は大学のための準備もあるんだろうけど私にいつものように時間をくれた。

 

思いだしてみたら、受験勉強で忙しい時も必ずエヴァは私に会いに来てくれた。

 

こんな外を恐がり外を拒絶する私に――まだ一度も顔を見合わせて笑っていない私に。

 

そう思えば思うほど、私の気持ちが沈んでいくのが解る。

 

胸の中で私が私に言っている――エヴァと普通に話したいって。

 

だけど胸の中で私が私に言っている――エヴァとは普通に話せないって。

 

「……どうかしたのか?」

 

心配そうなエヴァの声。

 

俯いた私の顔の下から、持ち上げてくれるみたいにやさしく問いかけてくる。

 

「なんでもないよ」

 

私はかぶりを振って、出来るだけ緩んだ顔でエヴァに答える。

 

「――そうか」

 

エヴァはそれだけ言うと、私の渡した箱を握る手に力が籠った気がした。

 

エヴァはきっと、もう深くは追求して来ない――これまでがそうだったから。

 

――エヴァは私が包帯で眼を塞ぐことになった理由を知らない。

 

万華鏡写輪眼のことを話した訳でも、私は私のせいでクラスメイトを一人壊してしまったことを話した訳でもない。

 

でも、エヴァは私なんかよりずっとずっと頭が良い人だ。

 

もしかしたらもう私が何をしてしまった人なのか、どんなひどいことをしてしまった人なのか、エヴァは知っているのかもしれない。

 

だけどエヴァは私が昔の――あの時のことを思い返して黙りこくってしまった時も、深くあの時に沈み込んでエヴァの前で吐いた時も、何も言わずに私の手を握ってくれていた。

 

エヴァはやさしい人だ。

 

だから私はエヴァの顔を見て、エヴァの眼を見て、私に何があったのかを何時か話したい。

 

大学生になったら私と会ってくれる時間はたぶん減るんだろう。

 

エヴァは意地っ張りだけどとってもかわいい女の子だ――彼氏だって出来るだろう。

 

だから私は――

 

「そう言えば話しは変わるんだがな、ゴールデンウィークにでもだな――」

 

エヴァはごほんと咳払いをすると、言い淀むみたいにちょっとずつ私に言葉を投げかけてきた。

 

「どうかしたの?」

 

「あ~、そら、なんと言うか、だな……私と一緒に旅行にでも行かないか」

 

私の頭の中のエヴァはそっぽを向いて、気恥かしそうな顔で私に言ってくれているはず。

 

私からの答えを気にしながら、だけど自信満々に、それでもちょっぴり不安を滲ませて。

 

――エヴァは私なんかよりもずっと、ママと同じくらいに、パパと同じくらいに、やさしくてあったかい人だ。

 

ゴールデンウィークなんて、大学生なって初めての長い休み。

 

その大事な友達と遊ぶための時間を、私にくれようとしている。

 

だから、だから私は――

 

「外に出れる算段が付いたというか、なんというかな。とにかく貴様さえ良ければ私が計画している旅行に招待してやっても構わんぞ」

 

「うん」

 

「私は貴様を連れていくのはどっちでも良かったんだがな、一緒に行く茶々丸とチャチャゼロがどーしてもというから仕方なく貴様を誘ってやっているんだからな、そこを勘違いするなよ」

 

「うん、うんっ」

 

だから私は――私の眼でエヴァの眼を見て話したい。

 

眼を見るのは恐いけど、眼を見られるのは恐いけど、それでも私は――

 

「おぅ、エヴァじゃねーか」

 

――そんな時だった。

 

私が一緒に旅行に行きたいって、エヴァに私の気持ちを伝えようとした時だった。

 

私とエヴァが座るベンチの後ろから、唐突に声がかかった。

 

「何の用だ」

 

鋭くて、触ったら痛い声だった。

 

私とエヴァが初めて会ったとき、エヴァが使っていた冷たい声だ。

 

「何の用ってエヴァと話そうと思ってな、めんどくせー仕事ほっぽり出して会いに来たぜ」

 

拒むようなエヴァの声とは違って、透き通るみたいなその人―少し低いからたぶん男の人―の声は親しげだった。

 

――まるでずっとずっと昔からエヴァを知っているみたいに。

 

「エヴァ、何度も言ってるが俺だけはお前の味方だ。めんどくせーがお前を貶める奴がいるならどんな奴でも俺が殴りとばしてやる、闇の中から光の中に引きずりあげてやる」

 

「それは凄い」

 

投げやりに聞こえたエヴァのそんな言葉に、男の人の声は加速して廻る。

 

まるで物語の中の英雄みたいな、私の生きる現実世界だったら使う機会のない台詞。

 

――もしかしてエヴァは告白されているのかな?

 

そうだったら私ってすごく部外者で、すごく邪魔者だよね。

 

この人私に気付いてるのかな?

 

「俺だけはお前を理解してやる――俺がお前の家族になってやるよ」

 

前言撤回、プロポーズだった。

 

家族になってやるって、理解してやるって――私が知らないだけで、私の友人は遠い世界に言ってたんだなぁ。

 

「てか……誰だ、お前?」

 

男の人の声はいつの間にか後ろじゃなく前に来ていて、私の方へと投げかけられていた。

 

疑いだけを込めて――私を声が、眼が見つめる。

 

カタリ、骨の奥から震えた気がした。

 

懐疑と奇異の視線が私にささるように、私の肌を刺す。

 

――朱い眼の、瞳の中の車輪が疼くように痛んだ。

 

「貴様っ、何をしてくれた!」

 

エヴァの怒声が耳に響いたとき、私の口は酸っぱさで溢れて、胃は熱さで覆われていた。

 

鼻につんと刺激的な臭いが伝わる。

 

――ゴメンねエヴァ。

 

私のせいで、せっかくプロポーズされたのに、一生の思い出を。

 

「なんだコイツ、めんどくせえ」

 

――ゴメンねエヴァの彼氏さん。

 

私のせいで、せっかくプロポーズしたのに、一生分の勇気を。

 

「貴様ッ、天津神っ!」

 

びりびりとエヴァから気迫みたいなのが伝わってきた。

 

それは私が前世で呼んでいた漫画の表現みたいに肌を震わせるものじゃなくて、冬の寒い日に外に閉め出されたような気分で。

 

段々と私の意識は胸のおさまらない熱さから溶けはじめていて。

 

「――――ッ」

 

何か声が、音が、私の感覚の外で飛び交っていて。

 

遂に沈んむほんの少し前に私の耳に残ったのは、エヴァにプロポーズした男の人に良く似た声。

 

男の人の声が空のように澄んでいるとするなら、最後の声は大地のように粗だらけで、ずっとあたたかなママやパパやエヴァを思わせるような声。

 

そんな声に安心して、私は意識を彼方へと飛ばした。

 

 

 

 

 

――その場に居合わせたのは、本当に偶然だった。

 

3月、桜が舞う季節。

 

いつものように自分の仕事区域での掃除をしていた俺は、班長からの指示で別の区域へと応援に出されていた。

 

そこは麻帆良学園でも有名な路地である桜通りにほど近く、この季節になるといつも風に舞った花びらが眼に映る景色を彩っているような、そんな場所。

 

掃除をすればこの美しい光景が消えてしまうのだが、掃除をしなければ花びらが石畳に張り付き厄介な事態になってしまう。

 

だからこそ今日も掃除をするのだが――そこで俺は弟を見かけた。

 

先日知り合いになった田中くんから弟のことを、零児のことを聞かされた。

 

田中くんは俺と、そして弟と同じ転生者らしい。

 

恐らく前世でそのことを聞かされたならば、俺は宗教か何かか、頭の少し変った人かと相手にもしなかっただろう。

 

だが今の俺は俺自身という前例があり、弟という確信に近い事例があり、すんなりとはいかないが彼の言い分を理解し納得することが出来た。

 

彼は彼なりに、何か考えがあってこそ俺に近付いたのだろう。

 

しかし田中くんが何を考えていようと、俺にとってはたいした問題にはならない。

 

俺にとって重要な事は、この世界できちんと弟と向き合うことで――昔のように笑い合うことなのだから。

 

あとはそれなりの生活が守ることが出来れば十分だ。

 

この世界で大きなことを成そうなどという野望じみた感情を持っている訳ではない。

 

――俺がその日、弟を見かけたとき、弟は二人の少女と向き合っているようだった。

 

金髪の少女は麻帆良女子中等部の制服を着ていた姿を見かけたことがある。

 

まるでフランス人形のように整った容貌は、俺の知る限り端正な顔が多いこの世界でも際立っていて、印象に残っている。

 

金髪の少女の隣に座っている包帯を巻いた少女もまた、俺は見掛けた覚えがある。

 

やさしげな風貌の母親らしき女性と歩いているところを、やはり得意ないでたちが印象に残ってか、ほんわかとした空気が彼女と母親を包んでいたためか。

 

とにかく二人の少女に俺は見覚えがあった。

 

そんな二人と弟は、遠巻きに映る俺の視界の中では楽しげだった。

 

――実を言うと、俺は弟が教師として赴任してきたという話を新田先生より聞いて、不安が胸をよぎっていた。

 

前世では自分の世界に生き、外と他者を頑なに拒絶していた弟だ――心配するなという方が無理だろう。

 

だからこそ、そんな様子を見た俺は、正直うれしかった。

 

俺の知らないところで過ごした二十年で、弟は社会に馴染んだ一人の大人として成長していたのだと。

 

生徒であろう二人と交流を深める弟を見て、俺は胸が熱くなった。

 

――田中くんは弟と接触を計る場合は一報をくれと言っていた。

 

彼が言うに、弟は強い力を持っているらしい。

 

なんでも魔法だとか、魔物だとか、そんなもののある世界で弟は畏怖と尊敬を以て接するべき相手だと認定されているそうだ。

 

もしかしたら俺に危害が及ぶかもしれないと、慎重に接触して下さいと俺に告げる田中くんの顔はあくまで俺を心配するもので、俺は素直にその言葉を受け止めて頷いた。

 

だから俺は田中くんの言葉に従い、のんびりと弟との交流を深めていくということにしていた。

 

弟が生きる世界のことを少しでも理解し、弟の話をやさしく受け止められるようになるために。

 

元々二十年近く離れて暮らしていたのだ。

 

弟は目の前に居る――焦る必要はない。

 

それに弟は大人として成長していたのだ。

 

教師にならんと弟がしたのも、世界の財産である子供たちを脅威から守るためなのかもしれない。

 

――弟は欲望ではなく、高潔な理念を心に秘めているのだ。

 

俺の考えを人に聞かせれば、幸せな奴だと笑われるのだろう。

 

それは美化し過ぎだと、苦笑いされてしまうだろう。

 

だとしても、今ただ俺の胸に在るのは――これからがきっと俺にとっても、弟にとっても良い未来が訪れるだろうという予感だけだった。

 

馬鹿にされたとしても、からかわれたとしても、俺はその予感を信じたかった。

 

――故に、気分を悪くしたのか包帯を巻いた少女が吐いてしまったとき、俺は迷わず弟の方へと駆け寄った。

 

ただ弟の手助けをしたいという一心で。

 

そして俺が三人に近付いたとき――

 

「なんだコイツ、めんどくせえ」

 

飛び込んできた弟の言葉に俺の予感は砂山のようにあっけなく崩れ去った。

 

弟の前で吐いている少女は恐らく弟の生徒か、そうではないとしても教師立教え導くべき子供。

 

だというのに、弟の口から出たのはそんな慈悲の欠片もない、人として疑うべき発言で。

 

――後から考えれば、そのとき弟の腕はベンチの上から地面に崩れ落ちそうな少女を支えようとでもするかのように、伸ばされていた。

 

腰も僅かにかがめられていたし、抱きかかえて保健室に運ぶつもりだったのかもしれない。

 

だとしても、俺は弟の口から放たれたその言葉がただ許せず。

 

それはあまりに少女たちへの気遣いのない言葉をかけたためか、あるいは俺の予感を粉々に砕いた腐った言葉の槌のためか、俺自身にも良くわからない。

 

「零児っ、お前は何を考えてるんだっ!」

 

ただ俺は罵声でも浴びせかけるように荒い口調を伴なって、三人の方へと走っていった。

 

俺の声に弟の、零児の手はピタリと止まり、真っ直ぐと立ち上がって俺の方を見つめた。

 

朱と蒼の眼は昔とまるで変わらない色をしていた。

 

「――んだよ」

 

薄く形の整った唇に乗せられた声も、昔と変わらなかった。

 

俺は三人の下へ駆け寄ると、胸から喉へと伝わる感情を抑えつけて、ベンチの脇へとしゃがみこむ。

 

そして吐瀉物で作業服が汚れることも気にせず、倒れていた包帯を巻いた少女を抱えあげた。

 

「君はこの子の友達かい?」

 

「あっ、あぁ。貴様は――」

 

「俺は天津神一人。零児の双子の兄だよ」

 

ギッと鋭い目つきで弟を睨んでいた少女に答えつつ、俺は少女の身体を腕で感じていた。

 

包帯を眼に巻いた少女は細く、とても軽かった。

 

拒食症か何かだろうか――そんな事を思いながら、俺は金髪の少女に尋ねる。

 

「保健室の場所はわかるかな」

 

「案内する」

 

「零児、お前も来い」

 

鼻息ひとつ、弟から視線を外した金髪の少女は難しげな表情に心配の瞳を乗せて、俺を誘うように一歩足を進めた。

 

だがその半面、弟からの返答は――

 

「良いわ、めんどうだし」

 

冷たく素っ気ないものだった。

 

「教師、じゃないのかお前は」

 

「とにかくエヴァ、さっき俺が言ったことは本気だからよ。あとコイツは俺のクラスの生徒じゃねーし、アンタがいるなら俺がいなくたって良いだろ?」

 

それだけ言い残すと、弟はひらひらと頭の上で手を振って、金髪の少女が向かおうとしている方向とは逆の方向へと歩き出した。

 

その朱と蒼の双眸は本当に昔と何一つ変わっておらず――

 

まるで俺と包帯を巻いた少女が見えていないかのように、画面の向こうの空虚な幻想を見つめるような眼で、金髪の少女だけを見つめていた。



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考察その19~人間の条件~

――最近、生徒たちの間で流行っている噂がある。

 

生徒たちの寮近くの桜並木、通称桜通りで満月になると吸血鬼が現れるそうだ。

 

はじめそれは学校の七不思議に似た、昔から学校ごとに在る与太話だと思われていた。

 

だがそれが通り魔的事件かもしれないと俺たち教師陣が感じ始めたのは、噂が麻帆良全体に大々的に広まる少し前のことだった。

 

部活帰りの生徒たちのように、日が沈んでから帰宅する生徒たちが道端で朝まで眠っていたという妙な事態が発生したのだ。

 

――女子中等部ではじめにそんな生徒が見つかったのは世界樹広場でのこと。

 

その日は冬に覆われ寒かったというのに、世界樹の下で眠っていた生徒は凍傷のひとつもなく、まるでぬくぬくとした毛布か何かに包まれていたかのように心地よさげだったという話だ。

 

そんな生徒たちの事例が何度か職員会議で報告されていた。

 

しかし眠っていた生徒たちは外傷のひとつもなく、単純に疲れから睡魔に襲われたためだと軽くみられていた。

 

だがはじめ見つかった生徒が眠っていたのは冬の寒さ降りしきる時期。

 

生徒たちの安全を考えた学園長は、先生がた各々から生徒たちに注意喚起を促すということで事態は収束したかに思われた。

 

――二度目は白昼堂々と。

 

その日、午前中は授業に参加していた生徒の一人が昼休み過ぎての授業に顔を出さなかったそうだ。

 

体調が悪くなったとの連絡もなく、不安に思った生徒の友人が先生に知らせると、先生は彼女の捜索するために職員室に居た先生がたに呼びかけた。

 

結果、その生徒は中庭の木陰に隠れて眠っているところを発見された。

 

そのときその生徒は夜更かしを咎められたのだが、何でもその生徒は日が変わる前には必ず布団の中で寝息を立てているような規則正しい生活を毎日行っており、生徒自身首を傾げていたらしい。

 

――そして三度目が、今日の話。

 

三度目というのは麻帆良女子中等部に限定した話で、他の初等部や男子中等部、高等部に果ては麻帆良大学まで。

 

何件か急に外で眠ってしまうという生徒たちが現れていた。

 

そんな事件と断ずれば事件な出来事が起きたために、生徒たちの間で様々な憶測が飛び交っているのだ。

 

桜通りの吸血鬼、世界樹広場の幽霊、麻帆良に潜む影、ウルスラの亡霊、他にも色々と。

 

何にせよ規模が広く七不思議どころではない様々な与太話を持っている麻帆良学園都市では、それのひとつとして新たに加わりつつ在るかもしれないという訳で。

 

月夜の叫び声、闇に浮くグラサン、空飛ぶロリっ子、魔法BBA無理すんな――麻帆良でそんな噂を欠くことはないのだ。

 

しかしながら誰か生徒に危害を加えるような人物であれば警戒しなければならないと、新田先生をはじめとした麻帆良広域指導員の先生がたは夜の見回り活動に力を入れている。

 

もしも噂の陰に隠れた犯罪者がいて、それを与太話と信じていたために生徒が襲われるような事件が発生すれば元も子もないのだから。

 

ちなみに俺自身も広域指導員の一人として登録されている。

 

なんでも若い男性教員は皆そうらしく、同期の瀬流彦先生も同じように夜の見回り活動に参加しているのだ。

 

――新田先生は君の筋肉なら暴漢は臆して逃げるだろうね、と笑っていた。

 

そうなって欲しいと、俺自身も感じている。

 

もし今噂になっている突発的睡眠に関する出来事が、誰かの意志によって起こされた事件だとすれば犯人がいるということになる。

 

犯人がいるならその男ないし女に会う可能性も、鉢会う可能性も、零ではなくなる。

 

そのとき俺は、敵意を持ってしてナイフ片手に向かって来られたら、俺は反撃しないという自信がない。

 

史上最強の生物としての敵対者に対する本能が暴れ出したとき、俺の理性という鎖は簡単に引きちぎれてしまうのかもしれない。

 

幸いと、この筋肉と強面な顔のお蔭で誰かから絡まれるような事態を引き起こしたことはない。

 

それは本当に運が良かったと感じている。

 

しかし話が変わるが――もしも、もしもこの世界に本当に吸血鬼などという空想上の生物が存在していたら――俺はどうなってしまうのだろう。

 

――俺はなんなのだろうか。

 

――人なのだろうか。

 

――あるいは人の皮を被った何か別の生物なのだろうか。

 

遺伝子上俺は間違いなく母の息子なのだが、そんな不確かな不安が時折俺に襲い来る。

 

なんと脆く壊しやすい――俺の奥底のなにかがそう判断する生物の社会で、俺は暮らしていても良いのだろうか。

 

「朝礼は以上だ。今日から新学期、みんな気合を入れて生徒たちに接して欲しい」

 

ぱんとひとつ手を打ち、新田先生は学期はじめの職員朝礼を終わらせた。

 

その音に俺ははっとし、ぺこりと小さく頭を下げる。

 

――気持ちを切り替えねば。

 

心でそう決め、俺は自分の机の方へと足を進める。

 

「それじゃーネギ、めんどくせーが行くか」

 

「零児さんっ、そんな風に言っちゃダメですよ」

 

「はっはっは」

 

「わわっ……えへへへっ」

 

隣では天津神先生が赴任してきた子供先生――ネギ先生の頭を撫でていた。

 

彼ら二人は仲が良い。

 

ネギ先生が言うに、天津神先生はネギ先生の父親と友人同士だったらしい。

 

オックスフォード大学を飛び級で卒業した天才児らしいが、ネギ先生自身はまだ数えで10歳の少年だ。

 

故に、そんな彼の心を癒しほぐす意味も含め、学園長先生は天津神先生を呼び寄せたのだろう。

 

本来ならネギ先生は初等部に通っているはずの年齢なのだ。

 

故にこそ、俺ではわずかな助けにならないのかもしれないが、力になりたいと強く思う。

 

――しかし、10歳で先生とは――まぁそう言うこともあるのだろう。

 

「ネギ先生は今日も元気ですね」

 

撫でられたためだろう、うきうきとした笑顔でネギ先生は職員朝礼で配られたプリントに眼を通していた。

 

「あっ、範馬先生ありがとうございます」

 

天津神先生とネギ先生にお茶を酌んで手渡す。

 

プリントから顔を起こし、少年独特の邪気のない笑顔で見つめられると、どうしても頬が緩んでしまう。

 

そんなネギ先生を見つめながら、天津神先生は相も変わらず綺麗な顔で微笑んだ。

 

「ガキだからな」

 

「とても良いことだと俺は思いますよ」

 

今日は新学期初日。

 

ネギ先生はプリントをじっと見つめているようで、俺の小さな呟きは耳に入っていなかったようだ。

 

学期初めの式の後は身体測定という手筈になっている――その手順を確認しているのだろう。

 

「まぁアイツのガキだし、いらねーもんがコイツに渡らねーよう俺が見といてやるさ。スゲーめんどくせーことだがな」

 

「ネギ先生の父親は良い人だったんですか?」

 

「アイツか……まぁただの馬鹿であんちょこ好きで様々な分野で俺には劣るが、悪いヤツじゃねーのは確かだな」

 

何かを思い返すようにして、天津神先生はネギ先生を見つめる。

 

失礼な話だが、天津神先生は変わった人だという印象は未だに残っている。

 

しかし同時に友達想いなのだろうかという感情も俺の中で沸き上がってきた。

 

先生がたの付き合いの飲み会などには参加しない天津神先生ではあるが、仲良くなった人とはとことん仲良くなるようなタイプなのだろう。

 

そう俺の中で納得し、俺はまた言葉を紡いだ。

 

「そういえば聞きましたか? 今日も睡眠事件が起きたみたいですよ」

 

「俺は立ったまま寝るのも余裕な男だぜ」

 

天津神先生の顔は自慢げだった。

 

「――あの、それは良くないかと思うんですけど」

 

「かてーこと気にすんなよ。で、ウチのクラスの佐々木まき絵だろ」

 

「知ってたんですか?」

 

「まぁな。だけどよ、深いことはお前は考えないで良いぜ。めんどうだが問題は俺が解決しといてやっから」

 

「それって――」

 

「こまけーことは気にするとは、ちっちゃぇなぁ」

 

俺の言葉を途中で切り捨て、天津神先生はけたけたと笑う。

 

その顔はまるですべてを把握しているかのように落ち着き自信に満ちたもので、俺は思わず首を傾げてしまった。

 

――解決する、と言ったのだ。

 

つまり天津神先生はどうして生徒たちが急に屋外で眠ってしまうのか、その理由を知っているということだ。

 

俺はすぐさま天津神先生に尋ねた――ただ生徒たちのことを考え、何が起きているのかと。

 

だが天津神先生は俺の言葉にただケタケタと軽い笑い声を返すだけだった。

 

――そんな天津神先生の態度に、俺は少しイラりとしてしまった。

 

俺とて感情のある人間のはずだ。

 

故に、生徒たちのために行動したいという感情は俺の自己満足なのかもしれないが、確かに俺の胸の内にある。

 

だというに、からかうような様子だけを俺に投げかける天津神先生に――つい皮肉めいた言葉を口にしてしまった。

 

「そういえば天津神先生って双子のお兄さんがいるんですよね。俺、少し知り合いなんですけど心配してましたよ、天津神先生のこと。ちゃんとやってるのかって」

 

言葉として外に出したところで、しまったと口を覆った俺は――身体中が熱くなるのを感じた。

 

表現できないような熱。

 

血管の一本一本が沸騰しているようで、骨の一本一本が軋むようで、筋肉の一つ一つが脈動しているようだった。

 

それはまるで巨大な獣か何かに対峙したかのようで、俺の肉体が歓喜の悲鳴を上げていた。

 

地上最強の生物を構成する細胞のすべてが、天津神先生の方向を向いているような錯覚に俺は陥った。

 

「アレのことはテメェには関係ねェだろうがメンドクセェ。何様なんですかァ、テメェはよゥ」

 

朱の瞳は灼熱のように燃え、蒼の瞳は氷雪のように冷え切っていた。

 

――俺の両の拳はいつの間にか握り込まれていた。

 

教科書を持つためにではなく、チョークを持つためでもなく、人を殴るためのように。

 

俺の意識の外で、俺の本能が、目の前の天津神先生に対して。

 

俺は目の前の天津神先生に対して、憎しみも何も抱いていないはずなのに、心の内にあるのはただ申し訳ないという気持ちのみであるなはずなのに。

 

俺の肉体はまるでゴングを鳴らすかのように、熱く熱くなっていた――俺の意思とは無関係に。

 

「おい、お前ら何をしているんだっ」

 

――凛とした声が殺伐とした、景色を歪ませるような錯覚を俺の脳に感じさせる空気を切り裂いた。

 

声をした方を振り向いてみれば、両腕を組んで仁王立ちをした星野先生が立っていた。

 

不穏な空気を感じ取ったのだろう――星野先生はツカツカとヒールを鳴らしてこちらへと歩いてきた。

 

そんな姿を見てか、天津神先生はネギ先生を伴なって教室の外へと向かって行った。

 

背後から突き刺さっているであろう星野先生の厳しい視線もなんのその、天津神先生は遂に職員室の外へと出てしまった。

 

「何かもめごとですか、範馬先生?」

 

「天、津神先生を不、快な気分にさ、せてしまっ、たようで――俺の、せいです」

 

「いえ、そういうことを聞いている訳ではなく――」

 

「すい、ません、天つ、神先生は悪くあ、りません。お、れが少、し軽率だ、ったんです。頭、冷、やし、て来ま、す」

 

何か俺の背中に星野先生からの言葉がかかった気がした。

 

だがそれを今気にしている訳にはいかない。

 

一刻も早く、ただ早く、俺はこの場所から離れたかった。

 

――ダンッ、と踏み出した俺の足に、校舎は脆かった。

 

一足飛びで上がった階段の踊り場には足型が深く刻まれ、意識もせずに開けた屋上への扉はウエハースのようにへし曲がりくの字に折れた。

 

そして俺は金属のように硬い拳を、躊躇い無く自分の額へと叩き込んだ。

 

衝撃が額を、腕を突きぬけた。

 

そして縮こまり、声にならないような叫びをあげる。

 

ばたばたと一斉に鳥が飛び立っても、窓ガラスがガチャガチャと悲鳴を上げても、生徒たちが地震だろうかと床に伏せるのが窓から見えても、俺の身体の熱さは止まらなかった。

 

やがて大きく息を吸い、ばたりと俺は身体を屋上に横たえたとき、俺は身体の熱さが徐々に引いているのをようやく感じた。

 

幾度か深呼吸を繰り返したとき、俺は自分の眼から熱いなにかが零れだしていることに気付いた。

 

それは天津神先生から底知れない強大な存在感を感じたからではなく、踏み込んではいけない家族の問題に踏み込んでしまった後悔からでもなく――

 

地上最強の生物としての本能が、俺の意識とは裏腹に目の前の存在を――まるで肉でも喰らうかのように肉体を叩きつけようと俺に囁いてきたその事実からで。

 

今いるこの場所に、俺は本当に居てはいけない気がして――思わず涙を零していた。

 

――俺は、母より生まれた俺は、母より生まれてはいけなかったのだろうか。



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考察その20~おれのおれだけのせかい~

「超、今日も変わらず可憐であるなっ!」

 

「ハハ、ありがとうネ」

 

本日の放課後開店するという噂を聞きつけて、俺は超が経営している移動型中華料理店である超包子の前で今か今かと開店を待っていた。

 

「ヌホホ、超は旦那様がいて羨ましいアル」

 

「だっ、誰が旦那カっ!」

 

「式は派手に行おうではないか! なぜなら俺はお前を愛しているからだっ!」

 

「そんなノリはいらないネ!」

 

とはいえ開店をそこらの有象無象のように指をくわえて待っている訳ではない。

 

気のきかせ方も英雄並みに優れている俺は、いつものように椅子や机の準備を手伝っている。

 

俺は超包子の店員な訳ではないが、そうすればきっと超の心象が良くなるだろう?

 

流石は俺だ。

 

――新学期が始まり幾日か。

 

俺は来たるべき日のため情報を集めていた。

 

来たるべき日とは無論、テンプレオリ主ならば誰もが通る道――そう、茶々丸に攻撃を仕掛けるネギへと説教をかます日だ。

 

俺の知っているテンプレオリ主の場合、ここで茶々丸へのフラグとエヴァへの布石を打つはず。

 

どこかのサイトで明確な日付まで言及されていた気がするのだが……生憎とそこまで詳しい日付を俺は把握していない。

 

だがつい先日から、この世界の主人公であるネギ・スプリングフィールドがエヴァを避けているとの情報を俺は仕入れていた。

 

――俺は天津神さんと接触し、自分が転生者であるということを打ち明けた。

 

それは未来への準備のため――テンプレオリ主であるとほぼ100パーセント確信している天津神零児への対抗策とするためだ。

 

俺はこの世界での大まかな流れを知っていることも、天津神さんに告白した。

 

だがそのままにそれを伝えたとして、それを鵜呑みにして信用する人はいないだろう。

 

もしいたならば、それは俺をどこかおかしいのだろうと疑っているのか、あるいは余程の馬鹿か世間知らずだ。

 

実例を示してこそ、信用は勝ち取れるはずだ。

 

――天津神零児にこの世界を無茶苦茶にして貰っては困る。

 

それは俺自身が胸に抱く熱い感情のため。

 

もし時間が超がメインを張って活躍する麻帆良祭まで進んだとき、天津神零児の好きなようにさせる訳にはいかないのだ。

 

多くの二次創作でのテンプレオリ主は麻帆良祭で大きく分けてみっつの行動パターンをとる。

 

ひとつは超に敵対してネギに付き、超の計画などを全てひっくり返すパターン。

 

もうひとつは超に味方だとすり寄り、ネギやこの学園の魔法関係者を相手取って無双するパターン。

 

最後のひとつは超に条件を提示し、傍観を決め込むパターン。

 

――しかしどの選択肢であろうとも、テンプレオリ主が超本人とのみ対峙して行動を決めた場合、俺はテンプレオリ主に事実上好きにされたことになるだろう。

 

多くのテンプレオリ主の場合、英雄となりうるだけの強大な力を有している。

 

そして不確定要素を出来る限り消し潰そうとするであろう超はきっとテンプレオリ主に交渉を持ちかけるだろう。

 

しかし超が一対一で対峙したとして、カシオペアという鬼札を切り対等に話し合おうと超が策謀を巡らせたとしたとして、テンプレオリ主は超を軽くあしらえれると容易に想像が出来るほどの力を持っているのだ。

 

その上、テンプレオリ主は超の鬼札を知っている。

 

時間停止時間逆行の秘密をメインの交渉材料として使おうとしているならば、超の立場はぐっと悪くなるだろう。

 

そもそも超が幾ら天才だろうと、如何に手段を弄しようと、それを丸ままひっくりかえせるのがテンプレオリ主だ。

 

かわされる交渉に超が有利な条件など一つもないだろう。

 

――そこで更に問題となってくるのが超鈴音という人間の在り方だと俺は考える。

 

未来から100年前へとたった一人で時間逆行し、2年半という月日のすべてを投げうち計画を進めているのが超鈴音という女だ。

 

もし脅威への対抗策が何一つなく、気分次第で積み上げてきた月日のすべてを破壊されるという事実に気付いたとき、肢体や自分の未来すら投げ打ち計画を実行せんとするのが――俺が惚れた超鈴音という女だ。

 

それほどの覚悟と、気概と、信念を、彼女は兼ね備えてしまっている。

 

故に超鈴音はこの世界の誰よりも美しく、可憐で、俺が愛おしいと感じるのだ。

 

故に超鈴音は危ういと俺は感じるのだ。

 

故に超鈴音の英雄になりたい俺は、テンプレオリ主との交渉の場に彼女を単身で向かわせたくないと感じるのだ。

 

――うむ、実に英雄らしい言い回しだな。

 

ともかくと、そのような事態を引き起こす訳にはいかない。

 

もし他の超のクラスの女子たちがテンプレオリ主の毒牙にかかろうとも、俺は超だけは守りたいのだ。

 

無責任だと俺の心情を知れば誰かが俺を指差すのかもしれない。

 

だが俺は俺がこれから取ろうとする行動に、今心の内で思う事柄に、恥じる事など一切ない。

 

俺は万人の英雄になりたいのではない――超鈴音の英雄になりたいのだ。

 

――故に俺は行動する。

 

対抗策を一つでも増やすために。

 

「そーいえばクー、最近子供先生の様子はどうだ?」

 

「――へぁ、ネギ坊主アルか?」

 

物思いに耽りながら、俺は隣で机といすを並べていた古菲に声をかける。

 

超と国籍が同じということになっているため、彼女と超は仲が良い。

 

俺自身も超へ毎日のように会いに来ているため、必然的に会う機会が増えたという訳だ。

 

しかし――どうとも普段の古菲に比べて元気がないように見える。

 

「最近元気なさそうヨ」

 

「元気がない、とな」

 

「ウム、ネギ坊主はネギ坊主なりに悩むことがあるアル」

 

「そりゃ心配だな。――それ以外に変わったこととかは何かねぇか?」

 

「ウ~ム……そーいえばなんか今日はペットを頭にのけてたアルな」

 

ペット――淫獣とか蔑まれてたカモか。

 

となれば――おいおい、茶々丸と相対するのは今日か明日じゃねぇか。

 

天津神さんに連絡入れとかねぇと拙いな。

 

「ちなみに私も最近元気がないアル」

 

「自分で言うのかよ」

 

「範馬老師、大丈夫アルかな?」

 

――そういえば確かに最近の喋る筋肉、元気なさそうだよな。

 

あからさまにテンション低い気がするし――何かあったのかね?

 

まぁ授業を天津神零児と一緒にやるようになったみてぇだし、テンプレオリ主の言動に疲れてるってとこだろ。

 

めんどくせーからビデオで教えるぜ、とか言ってDVD再生して漫画読みだしたときには、さすがに俺も呆れたもんだ。

 

あんなもんはグレートティーチャーで漫画の中だから許されるんだよ。

 

実際この世界も漫画の世界だが、だが現実の世界でそれをやるとは考えられねぇわ――まぁらしいといえばらしいんだがさ。

 

「老師に元気がないとつまんないアル。だから明日はもと拳法しようて誘てみるつもりネ。身体動かせば元気になるヨ」

 

声の調子を上げていきニカッと笑った古菲に先程までの沈んだ様子はまるで感じられなかった。

 

さすがバカポジティブ、俺を差し置いて英雄らしいとはなかなかだな。

 

――しかし、古菲がこれほど喋る筋肉こと範馬先生のことを慕っているとは知らなかった。

 

まぁ確かに遠巻きに見ても、近くで見たらもっと、すげー強そうに見えるもんな。

 

範馬先生本人は蚊も殺せないなんて噂が広まる感じの性格だがさ。

 

もしかしたら、あの人何か秘密を持ってたりしてな。

 

――例えば俺や天津神さんと同じようにあの光に出会ってあの肉体を貰った、とか。

 

天津神零児や天津神さんと出会って、この世界には俺以外にも転生者がいるかもしれないっていう推察は間違いなく俺の中にある。

 

その人たちが友好的で、テンプレオリ主を止めるために協力してもらえたらなんて考えてしまうこともある。

 

だが実際問題、確かめる術はひどく少ない。

 

知る限りの漫画やアニメで出てくる能力を使っているところを目撃するか、あるいは本人に直接聞くかくらいしか俺には思いつかない。

 

しかも天津神さんみたいに心の強さを望む人や、俺の知識がカバーする範囲を越えている人に出会ってしまえば意味がない訳だし。

 

英雄である俺の知識を越えるとはなかなかのものだけどよ。

 

極論を言えば、転生者ですか、なんて真顔で聞くしかない。

 

だけどもし違ったら、俺は頭のネジが外れた人間として次の日からやさしい視線を浴びることになるだろう。

 

メリットは大きいんだろうが、その分デメリットも半端無いわな。

 

これは課題として心に留めておく程度しか出来ないさ。

 

「クー、そろそろ開店ネ。ギル、助かたヨ」

 

鈴のような声――聞き間違えるはずもない、超だ。

 

「惚れた女のため、この程度訳はない」

 

「……いつもそんな風に言うが、恥ずかしくないのカ」

 

「恥ずかしい訳があるか。俺は俺の好きな女に気持ちを伝えているんだ――超に会えたという誇らしさと嬉しさしかないぞ」

 

「ひゅーひゅーアル」

 

「クー、茶化すナ」

 

少しトーンの下がった声に、古菲は笑いながらそそくさと超包子の屋台の裏へと引っ込んだ。

 

目の前に居る超はやはり相も変わらず可憐で、向き合うだけで俺の胸が高鳴っているのがわかる。

 

「ギル、いつもそうやってストレートに気持ちを伝えてくれるのは嬉しいヨ。私も女だからナ」

 

超の雰囲気はいつもと少し違っていた。

 

適当に眼を逸らし、そっぽを向き、話をはぐらかすいつもの超ではなく――超の眼は俺の眼をしっかりと捉えていた。

 

「私よりも女らしい女はいくらでもいル、私よりかわいい女もいくらでもいル、私よりも美人な女はいくらでもいル、私よりも性格の良い女はいくらでもいル、私よりも魅力にあふれた女はいくらでもいるのダ」

 

まっすぐな視線に思わず視線を外しそうになる。

 

「それは有り得ん」

 

「まぁ聞ケ。――私はいつも不思議に思うのダ、何故私なのかト。ギルは顔もそれなりデ、勉強も運動もそれなりデ、私のような変な女に袖にされてもずっと向って来るハートの強さもあル。だたら私よりも良い女をものに出来るだろうニ……何故私なんダ?」

 

はじめて向き合い、ぶつけられた超の俺への感情に、思わず仰け反りそうになる。

 

「正直私はギルに惚れられるようなことをした覚えがなイ……だがギルは私が好きだと言てくれル」

 

俺の中の弱気な感情が、俺の顔を強張らせ、俺の声を震えさせようとする。

 

「何故ダ、田中ギルガメッシュ。お前にはもと良い女がいるだろうニ」

 

――しかし、俺は俺を妄想で塗りつぶす。

 

英雄たる俺として、英雄らしい俺として、いつもと変わらぬ視線で、いつもと変わらぬ言動で、俺は超に向き合うのだ。

 

「それは俺が田中ギルガメッシュで、超が超鈴音だからだ――それ以外に理由などない」

 

身体のすべてが搾りカスになるほどに自信かき集め、俺は威風堂々と宣言する。

 

顔は不遜に声は傲慢に、俺は俺を英雄として振舞うのだ。

 

「問答はそれだけか、超」

 

そしてニカリと精一杯の余裕を込めて微笑んでみせる。

 

俺の笑みに超は答えることもなく、くるりと振り向きすたすたと超包子の方へと歩いていった。

 

――俺に出来ることはやりきった。

 

故に、今の俺は英雄らしかったと信じているのだ。

 

 

 

 

 

「ネギ……教え子に手を出すたァ何様のつもりですかァッ!」

 

怒声とともに放たれた光の弾丸は、巷で噂の子供先生のすぐ前方の石畳を砕き、破片を空へと舞いあげた。

 

弟から離れていてるこの場所でも感じるだけの怒気がぴりぴりと俺の肌を刺す。

 

これを一身に浴びているであろう子供先生と、中等部の生徒はどんな気持ちなのか。

 

そう思った俺は飛びだす自分の身体を止めることが出来ず、隣で制止を促す田中くんの言葉を振り切って弟たちの前に飛び出した。

 

――田中くんから連絡があり訪れた教会の裏手。

 

そこでは彼の言った通りの光景が、今まさに繰り広げられていた。

 

子供先生が女生徒の一人と共同で他の女生徒を魔法で遅い、それを防ぐような形で弟が介入してくる――そう彼は俺に教えてくれた。

 

自分のことを信用してもらうためだと田中くんは言った。

 

弟を止めるための手伝いをして欲しいと、田中くんは俺に言った。

 

弟が一体何をしでかす気なのか、田中くんが弟の何を知っているのか、その辺りの事象を俺はまだ知らない。

 

だが――今の弟が少し大人としてどうかと思える振舞いをしているのは事実だ。

 

二十年ぶりに会った弟のことを、俺にとっての唯一の肉親を、俺は出来る限り信じたかった。

 

しかし――俺は嘔吐してしまった女の子をめんどくさいの一言で叩き切り、教師としての、大人としての責任を投げ捨てた弟の姿を確認してしまった。

 

それまでは田中くんが言っていた弟は危険かもしれないという言葉も、にわかに信じがたいものだった。

 

しかし――俺は見てしまったのだ、弟の褒められるべきではない姿を。

 

弟のことは信じたいが――信じられない部分もある。

 

だから、俺は田中くんの言葉を信用することにした。

 

だから、俺はまた俺の目の前で忌避されるべき行動を取った弟へ向けて飛び出したのだ。

 

「零児、お前は何をやっているんだ」

 

「あァ?」

 

ドスの利いた声が俺へと向けられる。

 

抜き身の刃のように鋭く光る双眸が、俺を斬り伏せんと睨みつける。

 

だが――俺はもう逃げないと決めたのだ。

 

頭の中の第六感的何かが、弟のことを危険だと警鐘を鳴らしている気がする。

 

その警鐘が気のせいではないと、ほんのりあたたかいはずの気候の中で、俺の身体から滝のように汗が流れだし、べっしょりと着ている作業服を濡らしていた。

 

だとしても、ここから引く訳にはいかない。

 

俺の後ろでは子供先生の泣き声と、女生徒の子供先生を追いかける声が聞こえる。

 

だが――それは俺にとっての問題となりえないのだ。

 

俺は息を吸い込み、心を強く支え、弟へと言葉を投げかけた。

 

「どうしてお前は子供にあんなことをしたんだ」

 

「関係ねェだろうがアンタには。てかさ、なんでアンタが俺に突っかかって来る訳? 俺とアンタは何の関わりもねェだろうが」

 

冷たく言い放った弟に、思わず俺の口調も荒くなる。

 

「お前は俺の弟だろうがっ!」

 

「俺に兄なんざいねェんだよ、メンドクセェ野郎だ」

 

「そんな訳ない。俺とお前は……浩市と浩次は双子の兄弟だ。俺はお前が浩次だと――」

 

「浩次なんて人間はこの世に居ないんだよ、おわかり?」

 

気付けば弟の後ろに居た女生徒も教会の裏手からいなくなっていた。

 

弟はそれを確認すると俺の眼前に一瞬で現れて、俺の襟元を掴んで持ち上げた。

 

俺の足は地面から離れ、ふらりと宙を揺れている。

 

「俺は天津神零児だ、それ以外の何者でもねェ」

 

「だとしても、俺は天津神零児の兄である天津神一人だ」

 

「で、それが俺に何か関係あるのか?」

 

零児は俺を石畳に投げ捨てて、足元に転がる俺を見下ろした。

 

口の中が切れたのだろう――鉄の味が広がっていた。

 

「良いことを教えてやる。俺は英雄で、俺はこの世界の主人公なんだよ――こそこそ隠れているガキ含めただのモブキャラ風情が、俺の世界で出しゃばってんじゃねェよ」

 

そう言い残すと弟は、風よりも早くその場から消え去った。

 

呆然とその姿を見送った俺は、全身から力が抜けるのを感じた。

 

――弟は、この世界を自分の自由にできる舞台か何かと勘違いしている。

 

明確にそう感じ取れ、俺はただ愕然と膝を折ることしか出来なかった。

 

例え転生した先の世界だとしても、この世界に生きる人間がおり、その誰もが感情を持っている。

 

二十数年間この世界で暮らしてきた俺が出した結論だ。

 

触れ合った人々は誰一人として前世と変わらない、普通の人間だった。

 

それを弟は自由にできる背景か何かと信じている――兄として、それ以前に人として、許容できる発言ではなかった。

 

――嗚呼、そう言えば昔どこかで誰かに言われた気がする。

 

弟はひどく強い力に酔っていると、自分がこの世界の中心に居る人間だと信じていると、常識では測りきれない力を使い際限なく溢れだす欲望に身を染めていると。

 

今の弟を少しでも人として正しい道に引き戻すことこそが、俺が弟と再び笑いあうために必要な事なのだろう。

 

だったらば――もっと弟と会う機会を増やそう。

 

今日のように拒絶されても、それでも弟と少しでも話そう。

 

そして少しずつ知ろう、弟のことを。

 

――それこそが兄として弟に、俺自身がアイツと向き合うということなのだろう。

 

そのためには弟が起こすであろう行動を知っておかねば。

 

しかし忠告を振り切ったのは悪いことをしたと思う。

 

さて、田中くんには何と言って謝るべきか。

 

そんな事を思いながら振り返った先には――引き攣った顔の田中くんと威圧的な視線の女性が並んで立っていた。

 

はて、これは一体どんな状況なのだろう?



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考察その21~答えへの道程~

――小さなラーメン屋の屋台のカウンター。

 

日付が変わろうかという時間帯に客はただ一人――常連客だ。

 

ラーメン屋だというのにチャーシュやメンマなどのトッピング物ばかり頼む常連客は、日本酒の猪口を片手にほぅとアルコールに蒸れた熱い息を吐き出した。

 

「ネギくんとエヴァの一戦、予想以上の激戦となったがネギくんが勝ったようじゃ」

 

「はぁ、そりゃめでてぇ」

 

「本国は満足するじゃろうて――次世代の英雄のはなばなしいデビューじゃからのぅ」

 

くぃっと猪口を煽り、カウンターへ肘をついた常連客。

 

その顔は満足げと言うよりむしろ――不満の色が濃かった。

 

「されどここ五年ほどのエヴァを見ておると――胸が痛む。彼女は英雄の被害者じゃ。確かに麻帆良の地に彼女を呼び寄せたのはワシである。されどそれはあの者の言葉を信じたからで――信頼し過ぎたワシが馬鹿じゃったんじゃろうの」

 

「信頼し過ぎた、ですか」

 

「帰ってくると言っておった……光の中で生きようとすれば、彼女にかけた登校地獄の呪いを解いてやると。確かにエヴァは600万ドルの賞金首で、その生涯は人に褒められるべきことをしてきた訳ではない。されど最初の三年間で、彼女は無垢な生徒たちに触れ合い良い方向へと変わっておったのじゃ」

 

かん、と音を立てて猪口がカウンターへ置かれる。

 

俺はそんな常連客の様子を、器の濡れた部分を乾いた布で拭きながら聞いていた。

 

「時は経てどあの者は帰ってこんかった。彼女の手に入れた光へと続く道は泡沫のようにあっけなく消えた――呪いのせいで、エヴァは友となった誰からも忘れられたのじゃ」

 

「それは、それは」

 

「ワシは確かにこの学園が覆う結果と登校地獄をリンクさせた。しかし――いや、組織のためとはいえ、ワシよりいくら年上じゃろうて、生徒を利用したのは事実。これ以上言う資格がワシにはないわぃ」

 

器から器へ、俺は手を伸ばす。

 

常連客は何か思うところがあってか、しばらくの間黙りこみ――また徳利から猪口へと酒を注いだ。

 

「麻帆良に来て三年が経ち光の道は砂上の楼閣のように脆いことを知り、五年経ち約束の男の訃報を受け、十年経ち拒絶するように世界を彷徨っておった。じゃが今のエヴァは――」

 

猪口の中身を一気に煽ると、しわくちゃの顔を更に皺で染め上げ、常連客は嘆くように言葉を吐き出した。

 

「エヴァは変わったのじゃ。どこにでもおる生徒のように、友人との会話に花を咲かせるやさしき娘に……何故エヴァが友と呼ぶあの娘が登校地獄と結界が持つ認識阻害をかいくぐったかなど野暮な事は考えぬ。重要なのはあの娘はエヴァの救いで――エヴァがあの娘の救いとなっておることだけじゃぃ」

 

「良い事じゃねぇですか。助け助けられる間柄になれたってのは」

 

「左様、真もってその通りなのじゃ。ワシが知る昔の陰りのある闇の福音なぞ、悪の代名詞などおらぬ――麻帆良に居るのは友との関係に一喜一憂するただの娘。それはワシだけではなく、麻帆良におる多くの魔法先生たちが認めている純然たる事実じゃ。今の彼女に悪の要素はひとつもない――そう彼らは言ってくれておる」

 

「――お酌しましょう」

 

「……スマンのぅ」

 

器の処理を一通り終えて、俺は徳利を手に取り常連客の持つ猪口へと酒を注ぐ。

 

徳利をカウンターにまた置くと、今度は常連客がそれを持った――どうやら返杯してくれるようだ。

 

「ありがとうございます」

 

――どうせこの常連客が今日最後の客になるだろう。

 

そう思考を打ち切り、俺は引っ張り出してきた猪口で返杯を受けた。

 

「――ワシは彼女が不憫でならぬ。エヴァが望んでおったのは、ただあの娘――内田イタチというエヴァの友人と、旅行に行きたいという一心のみじゃった、もっと色々な場所で遊びたいという誰もが抱く希望だけじゃった。旅行代理店から毎日のようにパンフレットを貰ってくるエヴァの姿は魔法先生がたから報告を受けておる」

 

常連客の口調は段々と荒くなっていく。

 

「故にワシは悔しいのじゃ! 立場のせいで彼女の呪いを解いてやることもできぬ弱さが、老いたとはいえ女の悲しみをこの手で取り去ることのできぬ情けなさが……ワシはワシ自身に腹が立つ」

 

うな垂れるようにして顔を伏せる常連客はカウンターに腕を投げだした。

 

そしてゆっくりと老けた顔を持ち上げて――

 

「のぅ、店主。ワシはどうしたら良かったんじゃろうか」

 

俺にそんな問いを提示してきた。

 

しかし返す答えはいつも決まっている。

 

思わず頭の中に浮かんだ答えではなく、テンプレートとして用意していた答えを返すのだ。

 

「俺は魔法を知ってるだけのしがないラーメン屋ですから。そんな難しいことはわからないですよ」

 

「初代麻帆良最強頭脳が、良くそのような事を言ったもんじゃ」

 

「そんな大層な人間じゃないです。それに言われる通りの人間だったら、こんなところでラーメン屋なんてしてませんよ」

 

俺の返答に常連客は不満げな顔だ。

 

「ワシに答えはくれぬのかの?」

 

「お客さんに答えを渡すなんてとんでもねぇ。俺の器は聞いてる言葉にようよう相槌を打てるくらいの、そんなちっぽけなもんです」

 

またからになっていた猪口に酒を注ぐ。

 

透明ではない小さな井の中のそれは、安っぽい屋台の照明に照らされ揺れていた。

 

常連客はそれを一息で飲み干すと、ちらと横を向いた。

 

夜の帳が世界に広がり、涼しい風が吹き込んできていた。

 

「上の立場に就いたせいか――ワシはいつも山積みの問題とにらめっこしておる。エヴァのことも、ネギくんのことも、生徒たちのことも、先生がたのことも、そして零児くんのことも」

 

「確かお客さんが呼び寄せた先生のことですっけ?」

 

「うむ……零児くんを呼び寄せたのは戦争が終わっても表舞台から消えぬ戦場の英雄を煩わしく思った本国の指示あってこそじゃ。ここ、麻帆良に彼の戸籍があるということで、厄介払いを受けた訳じゃの」

 

ほぅ、と息を付いた常連客の眼は細められていた。

 

「時に少し話は変わるが――経験により人の性格や人間性は変わると思うかの?」

 

「俺なんかの考えはお客さんの参考にはならないですよ」

 

「一般論でも構わぬ……ただ店主がどう思うか聞かせてほしいのじゃ」

 

「でしたら――まぁ普通は変わるでしょうね。劇的に変わるか、僅かに変わるか、それは人それぞれだと思いますが、人は経験をして大きく成長するとも言いますし」

 

「――そう、人は変わるのじゃ。ワシもかつてと比べ変わった、エヴァもそうじゃ……店主もそうじゃろう」

 

心を覗き込んでくるような視線を苦笑でガードし、俺はペースをつかもうと口を開く。

 

「噂の子供先生もその意図があってこそでしたか。経験をして大きく育ってほしいと思うからこそ、普通ではありえない10歳児教師を麻帆良で認めさせた訳でしたっけ」

 

「その通り。普通は経験に伴い性格も人間性も変化するものじゃ――されどそれを一向に変えぬものがいたとしたら……その者は人と言えるのじゃろうか」

 

溜め息を落として、また常連客は続ける。

 

「戦争に参加し、多くの者を殺し、数え切れぬ仲間の死を経験し、されど彼は5歳まで育った孤児院の院長が話してくれた人となりとさして変わらぬ人格を形成して、先日麻帆良に現れた。無論、十年ほど前にワシが見たときともまるで変わっておらなんだよ」

 

「意志が強いんですよ、きっと」

 

「関係しておるじゃろうが、零児くんにとっては瑣末な問題じゃろうて。彼を見るに――まるでそうとしか生きられぬような、そんな印象をワシは受けるのじゃ」

 

零児くん――天津神零児。

 

こちらも巷で噂の先生。

 

腰まである純白の髪に朱の右目と蒼の左目を携えた超絶美形の女顔な男性教員。

 

ファンクラブがあるらしい、今ホットな先生の一人だ。

 

「――ところで彼に双子の兄がおったということを店主は知っておるじゃろう」

 

「ははっ、買いかぶり過ぎですよお客さん」

 

急に横から投げつけられた言葉。

 

相変わらずこの常連さんはいきなりな人だねぇ。

 

「そうかの?」

 

「まぁ真面目な掃除屋さんの話は聞いたことがありますけど、それをすぐに噂の美形先生と繋げれるほど大層な頭じゃありませんよ。二人とも見たことありますが、全然似てる風じゃありませんでしたしねぇ」

 

「ではそういうことにしておくかの」

 

「しておくもなにもそうなんですが……」

 

くつくつと喉を鳴らす常連客に心の中で汗をぬぐう。

 

――この人と話をするのは楽しいのだ。

 

「零児くんの兄、一人くんはつい最近魔法を知った」

 

「知られたらいけないものではありませんでしたっけ?」

 

「まぁそうなんじゃが――彼ならエエじゃろ。魔法をバラした犯人も現場を押さえて報告を受けておるしのぅ」

 

成程、踊らされている人がいるということか。

 

「のぅ店主、ワシは思うのじゃ。ワシの預かる麻帆良におるかぎり、出来るだけ多くの者たちに世間一般に真っ当な方法で、感情で、笑いあって欲しいと」

 

目尻の皺を濃く刻み、常連客はそう静かに告げる。

 

「件の零児くんの兄、一人くんには何か秘密がある様じゃ。そしてそれは彼に魔法をバラした犯人と、そして昔からワシがふぁんをしておる魔法少女と、共有できるものらしい」

 

垂れさがった瞼の下の瞳はあくまでもやさしげで、あくまでもやわらかで。

 

「彼らにこそ解決できぬ問題だとしたら、零児くんのことを解ってやれるのが彼らだけだとしたら――店主よ、ワシはどうしたら良いと思う?」

 

常連客は俺に質問を投げかけた。

 

故に俺は――

 

「どんな問題にせよ、お客さんがお客さんの立場で、大きな器と広い心で受け止めて、長く生きる者としてフォローをしてやればいいんじゃないですかねぇ」

 

俺が心で感じる答えを出すのだ。

 

――答えが出たとて問題が解決するかどうかはわからない。

 

問題を解決するための気力と体力が常連客に、そして――かつての少年にあるかどうかはわからない。

 

だが、そそり立つ巨大な問題に立ち向かう気概を見せて欲しい。

 

その問題はあまりにも高く、広く、重いものだ。

 

解決できない問題なのかもしれない。

 

そうだとしたら、そんなものがあるのだとしたら、そのとき俺は――夢を追うことが出来るのかもしれないのだから。

 

 



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考察その22~勇気のタイミング~

「すまない……私はお前との約束を守れそうにない」

 

細い声は上から下へと流れていく。

 

いつもの場所で、いつもの曜日の、いつもの時間にやって来た私がベンチに腰掛ける前に、エヴァからそうやって声がかけられた。

 

――エヴァと会うのは数週間ぶり。

 

あの時、エヴァの彼氏さんみたいな人の前で私がみっともない姿を見せて、私は外に出るのがまた怖くなってしまってたんだ。

 

私に注がれた視線は怪訝なもので――もちろん初めてあった私への視線だから、もしかしたら何もおかしくないものだったのかもしれないけれど。

 

私は怖くて、私はママやパパやエヴァ以外に見られるのが怖くなって、約束を何度か破ってしまったんだ。

 

だから、私はぺこりと頭を下げる。

 

先程告げられたエヴァの言葉は正直私の耳を脳裏に留まることなく右から左に流れていた。

 

乗せた想いはまるでわからないほどに、受け止めることすらまともに出来ないほどに――私はたったひとつの感情の海に沈み切っていたからだ。

 

「私もごめんね、エヴァ。私のせいでプロポーズを台無しにしちゃって……」

 

「――はぁ? おっ、おまっ――」

 

私は自分本位にそう並べ立てた。

 

――結婚はとても大きな出来事だ。

 

知らない人に見られることを嫌がる私でも、誰かを見ることを恐がる私でも、前世は腐女子な私でも、私はやっぱり女の子だから結婚には憧れるのだ。

 

ママとパパの馴れ初めを聞くと、どきどきとどうしても胸が高まる。

 

包帯で眼を覆っているから聞くだけになる恋愛ドラマでも、やっぱりふわっと胸があたたかくなる気持ちはあるんだ。

 

だからこそ、エヴァにあわせる顔がなかった。

 

大事で大切な、一生の思い出になる大好きな人から貰った想いを、私のせいで――

 

「私、未来の旦那さんには謝りに行くから、私のせいでごめんなさいって行くから、だから――」

 

朱い万華鏡を納める私の眼から、じわじわとしょっぱい水が流れ出す。

 

包帯はそこだけちょっぴり重くなって、抑えきれない申し訳なさが染み出した。

 

――ひっく、ひっく。

 

赤ん坊みたいに私の喉はしゃくりをあげる。

 

ずっと考えていた。

 

エヴァに会ったらこう言おうって、ずっとずっと頭の中で考えていた。

 

それは――また他人の前で吐いてしまったというみっともなさよりも、私に視線をくれる誰かを見返してしまうって言う怖さよりも。

 

――いつの間にか大きくて、ずっともっと大きくて、私が何ものにも代えがたいと思っていたことだったから。

 

だから私は今、目の前に居るエヴァに伝えなきゃいけないのに――私の眼からは涙が止まらなくて。

 

きっとペットボトルいっぱいになるくらいまで涙が溢れても、まだ止まらなくて。

 

おろおろとしたエヴァの慰めが、やさしく背中をさすってくれるあったかい手が、包み込んでくれるようなエヴァの眼差しが――私にくれるエヴァの気持ちが私の想いをどんどんと溢れさせていった。

 

「――落ち着いたか?」

 

「……うん、ゴメンね」

 

「謝るなイタチ。そのようなちっぽけな事を私は気にしないさ」

 

投げかけられた言葉はまるでおひさまのにおいでいっぱいになった布団のように心地良いもので、私の中の決意を崩して、さっき以上に固め上げた。

 

そんなエヴァだからこそ、こころやさしい私の友達だからこそ、私はきちんと謝らなければいけないんだ。

 

硬いベンチの上に置いたお尻を座りやすい様におき直して、私はエヴァの方へと向く。

 

いつもより包帯はきつく巻かれ、その上のニット帽は深くまでかぶっているような気がした。

 

私の両手を包み込むように握ってくれるエヴァの小さな手を感じながら、私は心が赴くがままに言葉を走らせた。

 

「でもね、ゴメンなんだよエヴァ。せっかくのプロポーズを私のせいで台無しにして――」

 

「ちょっと待て、待て」

 

だけどそんな私の感情はすぐさま訝しがるようなエヴァに止められて――

 

「プロポーズとは何のことだ?」

 

喉に詰まっていた棘だらけの感情が、一度に引っ込んだんだ。

 

――正直、エヴァの言葉に頭がついていかない。

 

だってあの時確かに、空みたいに済んだ声に男の人はエヴァにプロポーズしてた訳で。

 

「この前会ったとき、エヴァはプロポーズされてたよ」

 

「私がか?」

 

「その、家族になろうって、言われてて、それで――」

 

あ~と唸るように、エヴァの口から音が漏れる。

 

何かを思い出してるんだろうか――だけどプロポーズのことって忘れるようなことだとは思えないけれど。

 

ママとパパは未だに覚えているって、私も何度も聞かされたことがあるから、そう言っていたのに。

 

「――ずぇっ!」

 

そんな考えが私の頭の中でぐるぐる回っていたら、突然カエルがへしゃげたみたいな声がエヴァから出てきた。

 

包帯越しに、つんつん痛いような視線が突き刺さってくる。

 

「イタチ、お前もしかして天津神のことを言っているんじゃないだろうな……?」

 

「この前会った人がそうならその人のことだけ――」

 

「やめろ、さぶいぼが出る」

 

私の言葉が終わるまえに、ぴしゃりとエヴァは言い切った。

 

否定を許さないような、そんなはっきりした声だった風に私は思う。

 

でも、だとしたら――

 

「結婚するんじゃないの?」

 

「今ふと考えを巡らせた私の全身は毛のむしられたニワトリに様になっているが」

 

鳥肌――そこまで嫌ってこと?

 

だったら私は勘違いしてたってことになって、あのプロポーズはあの人がただエヴァのことを好きなだけで、想いは一方通行だった。

 

それでエヴァ本人は、あの人のことを好きな訳では無くて――

 

ぎしぎしと軋んでいた頭がそこまでゆっくりと回ったところで、私の瞳はまたボロボロと熱くなった。

 

「おっ、お前、本当に大丈夫なのか? 体調が悪いなら無理しなくても――ああ、イヤ、私がイタチに会いたくない訳じゃない訳じゃなくて、お前が私の前で吐かれると、だな」

 

矢継ぎに言葉を繋げていくエヴァに、瞳が更に熱くなる。

 

赤が朱として、まるで燃えてるみたいに。

 

「とにかく! 私の前で泣くな、私が困るんだっ!」

 

むにりと私の頬が潰れる。

 

小さな手が私に添えられて、きっと今私の目の前で真っ直ぐエヴァは私の顔を見つめてくれているんだ。

 

「ゴメンねっ、ゴメンねエヴァ」

 

ひっくひく、エヴァの手をほどいて俯いた私はさっきみたいにまたしゃくりあげる。

 

さっきとは違って胸にじんじん痛むものはもうなくて、だけど私は高ぶった感情をそのままに、さっき伝えたかったことを口にした。

 

「嫌われたって、エヴァが私のこと嫌いになったって、そう思ったの」

 

私は怖い、他人の視線が。

 

私は怖い、私が誰かを見てしまうことが。

 

だけどそれ以上に私は――ママと、パパと、エヴァに嫌われるのが怖いんだ。

 

――だから私はずっと外に出られなくて、エヴァにあわす顔がないって思って、でも嫌われたくなくって、私は今日勇気を出してここに来た。

 

プロポーズに聞こえた場面で私はエヴァの邪魔をしたって思ってた。

 

エヴァの一生で一番大切な瞬間を、私のせいで壊してしまったって思ってた。

 

だから私は、ただエヴァに嫌われたくなくって、こうやってエヴァと話す時間をなくしたくなくって――

 

ぬぐっても、ぬぐっても、涙がボロボロと溢れる。

 

けどその涙は少し前のしょっぱいだけのそれとは違って――甘い涙のようだと私は感じた。

 

「――ふんっ」

 

素っ気ない声と一緒に、私の頭は包み込まれた。

 

そこはママと違ってぺったんこで、ママと同じように安心できる、エヴァの胸の中で。

 

熱い身体を気遣う粉雪のような、冷たいけれどやさしい声が私の頭の上から降り注いだ。

 

「実に下らない話だ――そもそもの起こりで無理矢理私と会話しようとしたのはお前だろう。だったらお前はいつも無神経に私に話しかけていれば良いんだ」

 

「……うん」

 

「まぁ気が向いたら、私は寛容だからな、耳を傾けてやろう――フハハハハハハッ!」

 

高らかな声と、気づかうようにして回された腕に、私の想いはほぐされていく。

 

やっぱりエヴァは意地っ張りで、プライドが高くって、やさしいままで――だから私はエヴァに伝えたいひとつの感情が私の中で芽を出した。

 

ずっとずっとがちがちに固まっていた暗く乾いた土の中で眠っていて。

 

けれどいつもママがさくさくと耕してくれて、いつもパパがぽわぽわと照らしてくれて、いつもエヴァがさらさらと水をあげてくれて、私の心の芽は外に顔を出したと感じた。

 

――想いが強くなる。

 

何かをするときには、逃しちゃいけないタイミングがあるとはよく言う話で、私にとってそのタイミングはきっと今。

 

だから私は湿ってくしゃくしゃの口元を崩して笑みの形にして、私はうつむいていた顔を持ち上げてエヴァの顔を包帯越しに見つめた。

 

「ねぇエヴァ、私ね――見て欲しいものがあるんだ」

 

瞼を閉じて、瞳を開かず、世界を拒絶していた眼でエヴァの顔は見れない。

 

ニット帽を頭から外し、細いばかりの私の黒髪が久々に日光に触れる。

 

そしてゆっくりと包帯の結び目に私の手がかかる。

 

そんな仕草を何を言うでもなく、エヴァはじっと私の鼻の上――両目の辺りを見つめてくれていた。

 

思い返せば私が眼を逸らしてエヴァと話していた頃から――エヴァはずっとそうだった。

 

ひとつ解こうと指がかかり、私の細いかさかさの指は動いてくれない。

 

胃の辺りが熱くなり、呼吸が荒くなる。

 

骨が筋肉といっしょに震えている気もする。

 

でも――でも私は――

 

「私ね、エヴァに言ってないことがいっぱいあるんだ」

 

「――私もだ」

 

はらりと包帯がほどけ、はらはらと周囲からの視線が強くなったような錯覚を受けた。

 

脳を、胃を、身体全体を震わせるように視線が降り注いでいる気がする。

 

だけどそのすべて蹴散らすような強靭で、あたたかな視線が私の意識を前へと集中させた。

 

いつの間にかきつく結ばれていた口元が徐々に垂れ下がってくる。

 

はらはらと包帯がほどけ、はらはらりと瞼に思わず力を込めた。

 

まるで冬になったみたいに、芯から身体が小刻みに振動している。

 

だけど私の身体全体を包み込むようにして握られた小さな手が、震えを溶かしてしまった。

 

そしてはらはらりと包帯がほどけ、私の顔を覆うものが何ひとつ無くなった。

 

――重くなってしまっていた瞼から光が差し込んでくる。

 

数年ぶりに開けた視界は曖昧にぼんやりとしていて――だけどはっきりと目の前に居るエヴァを私に映し出した。

 

太陽の光の中で輝くエヴァの髪は一本一本が本当に細く紡がれた金みたいに格調高い美しさを私に感じさせて、ただ整っているとしか言い表せない容貌は妙な大人っぽさと、それ以上のあたたかさで彩られていた。

 

そんなエヴァの姿は私が想像していたようで、私が想像していた以上だった。

 

「――朱く綺麗な万華鏡だ」

 

そして飛び込んできたエヴァの言葉に、私はじっと彼女の眼を見つめた。

 

きっと今、私の顔は間違いなく、満点の笑みに染められているんだ。

 



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考察その23~歯痒い感情~

修学旅行――待ちに待った修学旅行である。

 

中学生活一番のイベントと言っても過言ではない。

 

それは多くの人が思うことのようで、この世界の基になっている漫画でも多くの出来事が組み込まれていた。

 

――関西呪術協会管轄への移動、魔法使いたちに恨みを持つ天ヶ崎千草の襲撃、狂剣月詠の胎動、そして完全なる世界の暗躍、原作主人公であるネギのライバルの出現。

 

何よりも――人気キャラであった桜咲刹那と近衛木乃香の融和。

 

とにかく重要な事柄が目白押しだ――原作キャラにとっても、テンプレオリ主にとっても。

 

それは修学旅行で明確な戦闘行為が行われるからであり、故にテンプレオリ主が介入しやすいからだ。

 

――生徒を守る、子供を守る、女の子を守る、クラスメイトを守る。

 

どんな立場で参加するかは別として、テンプレオリ主はそんな大義名分を味方につけて戦う機会が与えられる。

 

無論、俺とて俺は超の英雄になりたい訳で、そんな大義名分を味方につけて戦うこと自体が悪いとは思わない。

 

テンプレオリ主の多くは強い力を有しているのだから、それは当然だとも思える。

 

ましてや英雄と呼ばれる存在も多いのだから、英雄を目指す俺としては介入しないという行為は間違っていると断定できる。

 

何故なら英雄だから。

 

英雄だからこそ、護るべきものを護らなければ、英雄を名乗る資格はないと俺は思える。

 

――何故なら英雄だから。

 

そうではないとあまりにも英雄に憧れる人々が、英雄を志す人々が、虚しいじゃないか。

 

背負うと決めたなら背負い続けるのが英雄なのだ。

 

俺の憧れた黄金の英雄はそうだった。

 

この世の誰より傲慢不遜で天衣無縫で、この世のすべてを自分のモノだと公言して、この世のすべてを背負っていた。

 

どんな事情があるにせよ――まぁテンプレオリ主の場合は嫌だと言いながら進んで介入するパターンが多いけど――英雄と呼ばれたのなら英雄で通さなければいけないと俺は感じる。

 

そして英雄とは生き様だ。

 

すべての人生が英雄譚として語り継がれるほどの高く、深く、濃い人生の遍歴だ。

 

――まぁとにかくと、俺の知っている多くのテンプレオリ主の場合、この修学旅行が彼らの物語の中での大きなターニングポイント。

 

今現在、俺を含めた麻帆良学園の中等部三年生は修学旅行に旅立っている。

 

だからこそこのイベントを上手に渡っていかなければならないのだ。

 

ただ超のために、超に不利とならないために――

 

「ハワイきたーーっ!」

 

灼熱の太陽の下で水着だらけの同級生に囲まれた俺はどうしようもないんですけどね。

 

――しかたがない、これはしかたがない。

 

修学旅行先が京都があって、ハワイがあって、他に何かもあったかもしれないが。

 

だとしたってちょっと頑張れば行ける京都よりもハワイを選ぶのは当然だろう。

 

一応俺も提案したんだ、京都とかどーかなって。

 

でもクラスメイトのほとんどからはぁ? みたいな眼で見られたね。

 

うん、俺も当然だと思う。

 

俺も旅行自体は楽しみにしてたし、行くなら京都よりハワイが良いというのは本心だし、たぶん星野先生もいるから大丈夫だと信じている。

 

――俺は履いたサンダルの下から昇ってくる熱さを感じながら、星野先生の顔を思い浮かべた。

 

軍人みたいな雰囲気で、麻帆良踏まれたい女教師ランキングでも常に上位にいる星野うさぎ先生――彼女もまた転生者だった。

 

知ってから考えてみれば、確かに星野先生は転生者だと思えるところはある。

 

明らかに他の魔法使いとは異なる形態の――魔法BBA無理すんなと揶揄され称賛される技術。

 

TVアニメの魔法少女ばりの変身をし、ふりっふりの衣装にわざわざ身を包み、台詞とともに魔法と撃つ。

 

そんなものだと、何か特殊な一族の特別な形態の魔法だと思っていたが――確かに変だよなぁ。

 

「田中くん」

 

首を傾げた俺に、上から低い音が下りてくる。

 

ふと隣に視線をやれば視界を覆う分厚い胸板。

 

パーカーに身を包んでいるみたいだが――盛り上がった筋肉でムチムチだ。

 

「田中くんは泳がないのか?」

 

睨めば麻帆良の不良たちが思わず目を逸らすほどの強面とは真逆、丁寧な――というか俺を気遣うような――口調で範馬先生は俺に問いかけた。

 

「いや~、ちょっと考えごとをしてまして」

 

「なるほど」

 

タハハっと笑った俺の顔を、口元を持ち上げて範馬先生は相槌を打つ。

 

笑みは本来獣が牙を剥くという行為からくるものらしいが――失礼なことだが範馬先生を見ていると納得してしまうな。

 

ホント、本当に顔と体格と性格がすれ違ってるよ。

 

「しかしせっかくの修学旅行、楽しまなきゃ損だぞ」

 

「それは勿論っす!」

 

ぐっと拳を握れば、楽しみな気持ちがむくむくと起き上ってくる。

 

何と言っても俺は初海外。

 

前世も含めて初めての海外だ。

 

楽しみじゃないと言えばそれは嘘だし、楽しんでやろうと開き直っているのも事実だ。

 

今さら俺があの天津神零児のことを考えたって仕方無い。

 

俺は今この瞬間を精一杯生きるのだ――その方が英雄らしい人生になるはず。

 

「じゃあちょっくら泳いできまっす!」

 

そう告げて俺はサンダルを脱ぎ捨てて、視界の大半を埋め尽くした青に向けて突っ込んでいく。

 

細かな砂浜に足が僅かに埋まり、足跡だらけの砂浜にまた新しい足跡を残す。

 

上から降り注いできた熱によってほてった俺の身体は、下に現れたしょっぱいはずの水に触れた。

 

足が取られるような感覚。

 

だけど更に取られてしまいたいと思える、不思議な感覚。

 

そして俺は思いっきり顔面から水面にべしゃりと落ちたのだ。

 

――表面から冷たい膜に覆われていく。

 

ごぼごぼと水泡を吐き出す俺の三つの穴は、苦しいのだがとても気持ちが良かった。

 

ぱしゃりと水面から顔を出して、わかめのようにふらふらと浮いてみる。

 

遥か天高くに見える空は本当に綺麗で――できたら超と見たかったなぁ。

 

まぁ見れたとしても京都の空だったんだろうが、やっぱり修学旅行と言えば恋愛沙汰が進むからさ。

 

原作だってネギのことが好きだっていう宮崎がキスしちまうんだもんよ。

 

――俺が例えば京都に修学旅行に行けたとして、超と何かが出来るかと言われれば、それはどうかという話だ。

 

無論、超と話したり、一緒に京都の街を舞われたのかもしれないことは確かだが。

 

こと魔法関係に関しては何か出来るのかはわからない――俺は所詮凡人だ。

 

サボった期間はあるが、幼いころから体を鍛えてきたことは間違いない。

 

だが、長距離走だったら陸上部にも負けないという自信があるが、短距離走だったら陸上部においていかれる俺だ。

 

生まれ持った身体能力は、平均値より上かもしれないが、才能ある人間には敵わない。

 

それは偶に夜の警備に一緒に出る桜咲を見ていると、俺にその冷たい真実を否応なしに突き付けてくるのだ。

 

桜咲は――こんな言葉努力を重ねている桜咲に渡すのは安っぽいのかもしれないけれど――天才だ。

 

身体能力や反射神経を強化する気の量も、その運用も、戦闘センスも、獲物にする刀の扱いも、俺は桜咲に遥かに劣る。

 

稀に模擬戦を頼んだりするのだが、まともに打ち合えることなく地面にいつも転がされる。

 

どれだけ剣を振っても、どれだけ気の運用を効率化させようとしても、どれだけ経験を積もうと夜の警備に積極的に参加しても、どれだけ、どれだけ――

 

何度挑んでも、何度挑んでも、俺は一度も桜咲に勝てたことがない。

 

弱い気持ちが生まれたのは一度や二度じゃない。

 

所詮俺には無理なのではと、所詮俺では超の力になれないのではないのかと。

 

あれ以来一度も使おうとしていないが、結局俺には黄金の王の財宝はひとつも使えないままなのではないのかと。

 

――だが、だからといって、俺はもう引き下がれない。

 

振舞ったのだ、英雄らしく。

 

超の前で、英雄として。

 

だったら振舞い続ける以外の選択肢はもうあり得ないのだ。

 

もしここでみっともなく、凡人としてへタれてしまったら、それはあまりにも――カッコ悪いじゃないか。

 

だからこそ天津神零児が二次創作通りのテンプレオリ主だったら――俺はあの男が許せない。

 

あの男は、前世からこの世界に移るときに見た光から貰った力を使っていたとしても、評価された現代の英雄。

 

この世界全てをひっくりかえせるだけの力を持っているはずなのだ。

 

なのに――きっとあのテンプレオリ主は、原作通りに展開を進めようとするだろう。

 

――俺はいつも不思議に思っていた話なのだが、何故二次創作のテンプレオリ主は原作の展開を放っておく場合が多いのだろうか?

 

本当に3-Aの女の子たちのことを想うなら、新幹線の時点で天ヶ崎千草を捕まえれば良いんだ。

 

それから交流でも何でも深めていけば良い――超だったら嫌だが。

 

ともかく、わざわざ危険な目に彼女たちを合わせる理由が解らない。

 

俺のように出来ないのではなく、俺とは違って出来るのだから。

 

――いや、解らないと言ったのは嘘だな。

 

結局、テンプレオリ主は無駄に介入して原作を変えるのが嫌なんだよ。

 

無理にどうなるか解らない展開にするよりも、解っている原作を辿って要所要所でキリッっとカッコ付けた方が良いんだろうさ。

 

関わらないのなら関わらなければ良い。

 

なのに中途半端に関わろうとする姿を見ると、俺は――

 

「嫉妬、なのかねぇ」

 

ぽつりと零れたの俺の言葉は、降り注いで来る太陽の光によって四散していく。

 

洩れた感情が俺の本心なのだろう。

 

出来るのにしないその姿が、笑ってひっくりかえせるくせにこの世界に生きる人間を本質的な意味で助けようとしない彼らテンプレオリ主が――俺は嫌いなのだ。

 

漫画を読み憧れて、この世界で出会って本気で超に惚れた俺からすれば。

 

――もしかしたら俺の見る天津神は偏見に彩られて、そうなのだと決めつけているのかもしれない。

 

だがネギ先生が絡操を襲撃したあの場面から判断すれば、俺の偏見は大き過ぎるものではないと感じとれた。

 

「――チッ」

 

舌打ちを落として、俺は水面下に沈み込む。

 

瞳を気で覆い、透明な水中を見渡して、熱くなった頭を冷やしてやる。

 

みっともない――魅せられないな、超にこんな俺の姿は。

 

英雄らしくなさ過ぎるぞ。

 

溜め息を付いて水をかく。

 

目の前には男子中学生や女子中学生の生足が散乱して――そこで妙な足を見つけた。

 

アレは奥、深いところだ。

 

変に動いて泡を出している。

 

おいおい、まさかアレって――

 

「範馬先生ッ、誰か溺れてるっ!」

 

甲高いの叫び声が海から顔を出した俺の耳に飛び込んできた。

 

たしかに変な動きをしていた足の上で、もがくように暴れている人影が確認できた。

 

それと同時に俺の視界を大きな塊が飛ぶように過ぎ、高い水飛沫が上がった。

 

水飛沫はまるでアーチを描くようにして、溺れている誰かの下へと凄まじいスピードで進んでいく。

 

―あぁ、やっぱあの筋肉見せかけじゃなかった訳だ。

 

しかし――パーカーを脱ぎ捨ててバタフライで突進するその後ろ姿にとある鬼を思い起こさせたのは、俺の気のせいからなのだろうか?



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考察その24~舞台の裏方~

「相変わらず騒がしいクラスだな」

 

「それがウチのクラスの取り柄だと思い始めたのですよ」

 

超神水と描かれた紙パックジュースを飲みながら、私は頭一つ以上小さな少女を見つめる。

 

麻帆良女子中等部3-Aに所属する綾瀬はいつものようなじとっとした視線を廊下にやっていた。

 

修学旅行二日目。

 

旅行による有り余るテンションは時間を問わず、すっかり日の沈んだ今でも生徒の興奮はさめることなく続いている。

 

「新田先生の言っていた事はクラス全員知っているはずだな」

 

「……まぁ、そうです」

 

少し口ごもって、綾瀬は答えた。

 

「主導は朝倉か? 春日か? 鳴滝姉妹か? あるいは明石か椎名か――誰だろうと構わんが、わかっていてお前たちは騒いでる訳だ」

 

「はいです」

 

今度はすぐさま私の問いかけに綾瀬は答えた。

 

綾瀬は何かを気にするように周りの様子をうかがっている。

 

明確な目的を持って、何かを探しているように見えるが――視線の散らし方から想定するに監視カメラだな。

 

成程、主導は朝倉。

 

監視カメラを使ってこの宿全体をモニターしているのか。

 

相変わらず無駄にスペックの高い人間がそろっているクラスだ。

 

それと宿全体に張り巡らされている魔力――この波長から推察するに仮契約の魔法陣。

 

私自身は仮契約どころか――と、それはここでは問題ではない。

 

ともかく仮契約を行っているところを見たことがあるから、十中八九間違いないだろう。

 

そう考えるとネギ先生の相棒であるオコジョ妖精も一枚噛んでいるのか。

 

――ああ、胃が痛い。

 

このクラスの何人に魔法をバラす気なんだ?

 

既に神楽坂には魔法がバレているというのに、こんな大々的に魔法陣を行使していれば勘が良いヤツは異変に気付くぞ。

 

その上今は修学旅行中。

 

麻帆良学園全体を覆う認識阻害魔法の効力もない。

 

一緒に引率に来た魔法先生である瀬流彦先生がいちおうこの宿にも認識阻害魔法の陣を敷いているとはいえ、麻帆良よりも遥かに魔法がバレやすくなっているというのに。

 

学園長は何を考えているんだ?

 

もう寧ろこのクラスの人間に魔法をバラす魂胆なのか?

 

もしもそうなら看破出来かねることだが――

 

確かに慢性的な人員不足に麻帆良が悩まされているのは事実。

 

私や刀子やシャークティ、麻帆良の教師陣が体力的な問題も兼ねていつまでも前線に立つ訳にはいかないのも理解できる。

 

魔法使いを――裏世界でそれなりな実力を持つ優秀な人材を求めているのは理解できる。

 

世界有数の霊地のひとつである麻帆良には他所で見受けられる魔物よりも高位の魔物を惹きつけるから、半端者では扱いに困るのも理解できる。

 

だとしても――こんなやり方は強引過ぎやしないか?

 

「星野先生」

 

キリキリと痛みだす胃に薬が欲しくなってきた頃、隣から綾瀬の声がかけられる。

 

その顔は何時ものようなポーカーフェイスの面を被っているが――端から洩れ出す心配そうな雰囲気が隠し切れていないぞ。

 

「星野先生も学生時代ははしゃいだはずなのです。ですのでここはひとつ寛容な心で対処して頂けると嬉しいのですが……」

 

「暗にそれは正座を辞めさせてくれ、と言っているのか?」

 

「いえ、私ではなく今イベントに参加している人についてです」

 

ぴっちりと姿勢よく背筋を伸ばした綾瀬は、そう私に告げた。

 

「星野先生好みの魔法少女物、いくつか面白いのを見つけたのです」

 

取引を仕掛けてきたぞこの女。

 

――綾瀬の紹介してくれる魔法少女物の小説は私の心にグッとくるものが多い。

 

多くのそれを前世で読み見た私だが、この世界で設定やストーリーに似通ったものはあれ同じものを見たことがない。

 

だからこそ新鮮で、だからこそ今捧げられた提案は非常に魅力的なのだが――

 

「情報源はお前だけじゃないんだよ、綾瀬」

 

「この機会を逃せば読めなくなるかもしれないのですよ?」

 

「その時は全力で探すさ。小娘風情が大人を舐め過ぎるな」

 

なんたって倍は生きているからな。

 

あ、言ってて悲しくなってきた――酒が欲しい。

 

私の言葉に綾瀬はしゅんと口をつぐむ。

 

だがその目は私を止めることを諦めたようではなく、寧ろ何かまるめ込むための言葉を探しているようで。

 

授業の時もこんな集中力を発揮してくれたらと私は関係のないことを考えていた。

 

しかしまぁ、ここまで友達のことを――仮契約の魔法陣発動条件から推察するに宮崎だろう――想う綾瀬の姿を見ていると、あまり厳しく言い切れない気持ちもまた私の中にある。

 

「安心しろ、朝まで正座などとはいわん」

 

そう短く言い棄てた私は、監視カメラの方を向いていつものような教師としての表情を作る。

 

「朝倉、並び3-Aの生徒に告げる。今すぐ馬鹿騒ぎを辞めて部屋に戻れ、私はこれから十分少々花を摘みに行く。その時も続けていたのならば――覚悟しておけ」

 

わざと硬い表情のまま、無理矢理に口の端を持ち上げて、私は監視カメラへと宣言した。

 

くるりと踵を返すと、正座している綾瀬の肩にポンと手を置く。

 

「お前も部屋に戻れ」

 

「はいなのです。それまでに終わらせるのですよ」

 

コイツは――珍しく笑ってみせてこんな言葉とは――大物だな。

 

学園長がこのクラスの人間を魔法関係に引き込みたい理由が何となく解る気がするよ。

 

もちろん、教師という観点からすれば諸手を挙げて賛成する訳にはいかないが。

 

――さて、では宣言通り花でも摘みに行くか。

 

「ところで綾瀬、お前たちがやっているイベントに天津神先生は一枚噛んでいるのか?」

 

「いえ、シャレでは済まない気がしましたので却下されたのです」

 

そうか、それならば安心した。

 

変な男に引っかかるようなヤツらはいないようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――黒が世界に落ちていた。

 

視界も定かになりきらない、光の遠い闇の中で、私は天津神先生と対峙していた。

 

遠くで強い魔力が感じ取れる。

 

この波長はウチのクラスの近衛のものだろう。

 

「どこへ行く気だ?」

 

出来るだけ強い口調で私は問いかける。

 

全身からは力を抜いて、しかし感覚からは決して天津神先生を外さないように。

 

白い川が黒の中に浮いていた。

 

朱と蒼はいつものように強く輝き、闇の中では不気味さすら私に抱かせた。

 

「どこってもちろん生徒のとこですけど何か? ピンチの生徒を助けようとしてるんですよ――めんどうなアンタに構ってる暇とかはねーんだけど」

 

いつものようなダレた口調を天津神は私に投げつける。

 

その言葉はどう考えても、どう感じても、邪魔をするなと言っている風にしか捉えられなかった。

 

「ピンチの生徒とは?」

 

私の声は先程よりも硬くなっていた。

 

感覚も鋭敏になっている気がする。

 

そうさせるだけの鋭さを、ふにゃけているはずの音は持っていた。

 

「刹那に木乃香だよ」

 

「ほぉ……二人がピンチだと貴方は知っているのですか。実に不思議な話だ」

 

「――あァ?」

 

発せられる言葉もまた、剥き出しのナイフのような鋭さを持ち始めていた。

 

思わず胸元のペンダントへと魔力を込めそうになる。

 

だがその衝動を必死に耐え、木々が生い茂る森の中――関西呪術協会総本山で私は天津神の言葉を受け止めた。

 

――生徒たちの楽しみである修学旅行も折り返し地点を越えた。

 

三日目の夜、私は瀬流彦先生に口裏合わせを頼み、生徒たちが泊る宿から抜けて天津神を待ち伏せていた。

 

天津神は本日の昼頃から行方が知れなかった。

 

何でも旧友に会って来ると源先生に言い残して姿を消したそうだ。

 

曲がりなりにも副担任として、引率の大人として、その行為はどうなんだと半日かけて説教してやりたい。

 

だが今はそんな事はどうでも良い。

 

重要なのは目の前の天津神をどう引き止めるかという事と――魔法生徒である田中が言っていたことが真実だったという事。

 

成程、理解したぞ、納得もした。

 

――この男は誰しもが考えるであろう自分に都合の良い世界の自分の妄想なのだな。

 

「私に敵意を向けられても困るんだがな」

 

「腐った正義信奉者が俺に指図してんじゃねェ」

 

「なんて言おうとも構わん。だからとりあえず私の話を聞いてくれ」

 

針のむしろに立たされたような、断崖絶壁の窮地に立たされたような、そんな感覚が私の背筋を冷やす。

 

純粋な敵意が、拒絶心が、私の防衛本能を刺激する――が、駄目。

 

ここで私が拳を握ればすべてに意味がなくなる、私は邪魔をするための現れたと宣言することになる。

 

そうなっては駄目なのだ――足止めすることが私の大事な役割なのだから。

 

――私は転生者だ。

 

そしてこの世界には私以外の転生者がいるらしい。

 

目の前の天津神、この男の兄、それと神多羅木先生の弟子である田中。

 

解っているだけでは私を含めたこの四人が転生者だ。

 

らしいではない――そうなのだと確信した。

 

確信したのは今この瞬間のこと。

 

前世では麻帆良という地名がなかっただとか、死んだ際に光を見ただとか、そんなもしかしたら後付けできるような言葉にではなく。

 

実際に田中が予知した未来像によって、私は私以外にも転生者がいる事実を認めた。

 

――田中は当ててみせたのだ。

 

京都行きの新幹線の中に刺客が紛れ込んでいることを、一日目の昼に酒によるトラップが仕掛けられることを、その日の夜にネギ先生が刺客と戦うことを、二日目の夜に大々的に仮契約を結ぶためのイベントが起きることを。

 

そして今日、三日目の夜、復活する鬼神を天津神が粉砕するために関西呪術協会の総本山に現れることを。

 

私は腫れものを扱うよう慎重に、言葉を選別する。

 

目の前で爆発しそうな危うさを持っている男は――英雄と言う名のバケモノだ。

 

「まず問題の根幹を素直に告げよう――これは役者とシナリオが決まった出来上がった舞台だ」

 

「なん……だと……?」

 

よし、喰い付いた。

 

あとは上手く吊り上げるだけ。

 

ここは大丈夫なはず――この男は主演俳優であるネギ先生と懇意にしているからな。

 

「麻帆良学園が修学旅行という形で生徒を京都へと向かわせるようになったのは麻帆良学園都市が成立した年からのことだ。麻帆良という世界有数の霊地に明治時代、文明開化のためとはいえ日本は異国の技術を持つ異国の民の拠点を置いた」

 

とりあえず聞く耳は持っているようだ。

 

天津神は私の方をしっかりと見ている。

 

「だがそのことが旧くから日本に居る術者たちと異国の術者たちの間に不和を生むことは目に見えていた。故に事態を重く見た初代麻帆良学園の長は旧くからの日の本の術に尊敬の念を持っていることを示すため、生徒と若い魔法先生を京都に向かわせることにしたのだ。魔法生徒の一人に融和を目指すといった内容の親書を携えさせて、日の本の術者の長の前で頭を下げさせるのが百年ほどと習わしになっている」

 

「じゃあなんで仲良しさんたちが襲撃しあうんですかァ? メンドクセェ、意味がわからねェ」

 

「どこの組織にも過激派がいるということだ――この習わしは現代では組織の膿を取り去るための手段としても使われている。親書の配達役に出来るだけ有名な、あるいは有能な魔法生徒を選ぶことで餌とし、ワザとアクションを起こさせ一網打尽にする。無論、それまでの下調べも完璧にしての話だがな」

 

現に天ヶ崎千草が今回の親書配達において襲撃してくるだろう、ということは麻帆良での魔法先生たちによる会議で通達されていた。

 

まぁ当り前のように天津神は参加していなかったが。

 

今頃きっと予想以上にすんなりと進んだ作戦に、踊らされているということも知らず踊り狂っていることだ。

 

天ヶ崎千草自身は、彼女をバックアップしている己の利権の身を求める俗物に使われているだけの存在。

 

だとしても、幾ら復讐のためとはいえ、実行犯を無実放免と言う訳にはいかない。

 

組織管理のためとはいえ、実に虚しい話だ。

 

「だからピンチだが、本当にピンチではないんだ。高畑先生も京都を訪れているし、神鳴流の師範たちにも要請を頼んでいる。故に私たちはここで舞台が終わるのを待っていれば良いんだ――次世代の英雄がライバル見つけ、剣士と共闘し、姫を助け、師に出会うという舞台を」

 

私の言葉が終わると、天津神からの返答はしばらくなかった。

 

「麻帆良学園が定めた道はここまで、ここからはネギ先生自身の道だ。私も親書の運搬役に選ばれてこの地で戦った。将来を期待されている者へとチュートリアルだと考えれば――」

 

補足しようと私は言葉を続けたが、それは不意に爆発した天津神の威圧感により最後まで紡ぐことを許されなかった。

 

大気が歪むほどの魔力――それが天津神から立ち上っていた。

 

「そうやってテメェらは自分の都合の良い解釈をする――そして勝手にレールに乗せようとする」

 

「それは違うぞ天津神先生。私たちが行うのは教師という立場として教え導かねばならないところまで連れていくことだけだ」

 

そう反論するが天津神先生の色に違う双眸に私の想いは焼かれ凍え付かされる。

 

「いつもいつも人の話を聞かず、無意味な理想を押し付ける。だから正義の魔法使いどもは嫌いなんですよォ! ここは俺の世界だ、全部俺のもんだ、俺の邪魔をすんじゃねェよォォッ!」

 

とっさに胸の星型ペンダントに魔力を込め、私はふりっふりの魔法少女に変身する。

 

――と、ほぼ同じタイミングで天津神から噴き出した純粋な魔力が破壊の力として周囲に広がった。

 

土煙が天に反旗を翻し、星を覆い隠す。

 

やがて晴れた頃、その爆心地に天津神はおらず、私は強く魔法の杖を握りしめた。

 

――ぴるぴるっ。

 

腰のあたりで音がする――携帯電話だ。

 

『やぁ、今大丈夫かい』

 

無駄にダンディーな高畑の声だ。

 

『そちらの方、当初予定していたよりも召喚された魔物の数が多いみたいでね、出来れば処理をお願いできるかな』

 

「了解した」

 

短く告げて、乱暴に私は通話終了のボタンを押す。

 

好きでも何でもない、寧ろ嫌いに近い感情を抱く男との無意味な会話に私はイラついている。

 

二日目でもなかなかこうはならない。

 

という訳で少しストレス発散に付き合ってもらおう。

 

魔法少女がこんな発想を抱いてしまうとは世も末だなと、ふと私は感じながら。



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考察その25~持つ者と求める者たち~

「老師、演武を見て欲しいアル」

 

そんな古菲の言葉に誘われて、俺は今世界樹広場で彼女の姿を見つめている。

 

ひらひらと笑顔で古菲は俺に手を振ってくる。

 

その仕草に手を振り返し、俺はぐっと腕を組んで背中を壁に預けた。

 

麻帆良学園は中等部の修学旅行が終わり、学園全体がこれから行われる学園祭へと向けて動き始めている時期。

 

いつもなら適当な理由を付けて断る古菲の申し出を、俺は今日結局受けてここに居る。

 

珍しく、どんな理由を付けても引き下がらなかった彼女の熱意に押されてだ。

 

――なんでも古菲はネギ先生に弟子にしてくれと頼まれたらしい。

 

自分はまだ未熟だと古菲は俺に言った。

 

だが弟子を取れば自分も成長できるのではないか、という俺の提案に、彼女は得心したように相槌を打った。

 

そして、俺に自分の演武を見て欲しいと頼んできたのだ。

 

提案した手前、断る理由を思い付けなかった俺は今、この場で彼女の姿を見ている。

 

チャイナドレスを身に纏い、いつものほにゃんとした表情を捨て去り鋼のように顔を引き締めて、古菲はペコリと一礼した。

 

――彼女の演武が始まった。

 

ギャラリーは俺以外にも数十名ほど。

 

毎年学園祭の時期に行われる武道大会ウルティマホラを二度制し、女子中等部三年生という身ながら幼等部の生徒から大学生まで、更には社会人の人間も所属している麻帆良中国拳法研究会の部長である彼女の演武。

 

武道系の部活に入る人間からカルト的な人気を誇る古菲の凛々しい姿を一目見ようと、続々とその人数は増えていた。

 

一方と注目を浴びる古菲自身はそんなギャラリーを気にした様子でもなく、落ち着いたたたずまいをみせている。

 

――やがて彼女は中学生という衣も女という衣も脱ぎ捨て、研鑽と練磨の果てに昇華された一人の武人として動き始めた。

 

緩やかながら鋭いその姿は俺の本能を強く、強く、脈動させる。

 

踏み込むと同時に両の拳を斜め上に押し上げ、古菲は跳ねあげるように左脚を振り抜いた。

 

そして息を付く間も与えもせず両の手を爪に見立てたかのように開き、下へと空間を引き裂いた。

 

――俺は、普通にこの時代を生きている俺は、空想上の生物である龍など見たことがない。

 

見たとしてもそれは絵画の中で、本の中で、俺の視界に質量ある生物として見たことはない。

 

だが今確かに、俺は古菲の背後に雷雲を纏い飛翔する龍の姿を見たのだ。

 

そして次々と、かわるがわる、そこに存在しないはずの獣が俺の視界に移り込んできた。

 

叢に忍び飛びかかる虎を、変幻自在に飛び回る猿を、駿く力強い馬を――俺は見せつけられた。

 

中国拳法には象形拳と呼ばれる拳法がある。

 

龍や虎や熊などの強そうな動物から猿や鶴や燕などのいかにも弱そうな動物まで、彼らの動きの特徴を取り入れひとつの技術形態として昇華させたのだ。

 

人間はそもそもと、肉体的には脆弱な生物である。

 

故にこそ、野山を縦横無尽に駆ける彼ら動物に強さを見たのだろう。

 

未だ十四そこらの少女に過ぎないはずの古菲は、そんな先人たちの願望を体現してしまったのだろうか。

 

だからこそこんなにも明瞭に、ただの人間に過ぎないはずの古菲の背後に多くの――実に強靭で甘美な生物の姿が俺の眼には映るのだろうか。

 

――誰かが噂を流したのか、ギャラリーは次々と集まってくる。

 

その中に二つばかり、良く見知った顔があった。

 

二人は俺の姿を見つけると、迷うことなくこちらへと寄って来る。

 

――古菲と合わせて感じる俺の苦手な生徒たちだ。

 

「やぁ範馬先生、貴方も見学かい?」

 

フランクに手を掲げ、190を越える俺よりも僅かに小さいだけの少女は俺に声をかけてきた。

 

隣に居たサイドポニーの少女はあわせるようにぺこりと頭を下げた。

 

「……まぁな、龍宮、桜咲」

 

ふっと眼をつむり心を落ちつけ、俺は両の太腿で俺自身を強く挟んだ。

 

ぎりりという男特有の痛みが這いあがってくるが、それを気にしている余裕はない。

 

――俺の少し後方で、窺うように注がれる視線を感じるのだから。

 

例えばの話、この世界に何よりも強き龍がいたとしよう。

 

龍は恐らくどんな形状をした他の生物が敵意を己に向けたとて、有象無象と断じ棄てるだろう。

 

何故ならその龍は地上最強――何を媚びる必要も、何をへりくだる必要も、その龍にはないのだ。

 

どのような敵意も、どのような害意も、どのような悪意も、その龍は何の感慨も抱く必要がないのだ。

 

所詮向かってきたとして傷一つ付けることが出来ないという尊大な自負心があるのだから。

 

だが――俺は違う。

 

地上最強の生物という概念は、貧弱な人間の肉体に収容されている。

 

人間は弱い――いかに知能が高くとも、その肉体はひどく弱い。

 

人間は日本刀を持って初めて猫と対等というのはいき過ぎかもしれないが、素手の人間は一体どのような生物になら勝つことが出来るのだろうか?

 

とにかく人間は肉体的には脆弱な生物。

 

だからこそ、本来そのような生物には自身へと降り注がれる危機感を察知する能力を持っている――いわゆる第六感というヤツだ。

 

――故に、俺はまた強く太腿に力を込める。

 

起立しようとする俺の欲望を――生徒に欲情しようとする下種ひた欲望を、必死に抑え込むために。

 

そんな決意が下半身へと伝わったと同時に、俺の視界が細い指で覆われ、背中にやわらかな感触が添えられる。

 

「だ~れでござるか?」

 

「……とりあえずござる口調だと意味がないな」

 

俺は脳内で裸のおっさんが抱き合う姿を妄想していた。

 

「確かにそうでござるな」

 

納得したかのような声をあげて、長瀬は俺の隣へと移動してくる。

 

眼はいつものように、糸のように細められていた。

 

「しかし――相変わらず凄まじい功夫だね」

 

「で、ござるな」

 

龍宮の言葉に長瀬の視線が俺から古菲へと移行してゆく。

 

古菲は熊を背負ったまま脚を閉じて立ち、左の手の平で右手の拳を包み込むようにして、深く息を吐いた。

 

途端、一斉にギャラリーから歓声が噴き上がる――どうやら終わったようだ。

 

演武を披露していた古菲はギャラリーに囲まれてもみくちゃにされている。

 

俺はその姿を確認し、一歩踏み出した。

 

「どこへ行かれるんですか?」

 

抜き身の刀剣のように鋭い――だが最近やわらかくなったと感じる桜咲の声に、俺はぴっと指をさす。

 

突きだした指の先には喫煙所。

 

煙草でも吸って気を落ち着けねば、古菲の余りにも魅力的過ぎる演武に、傍に居た強い女の芳香に、俺はどうにかなりそうだった。

 

「先生、私は自販機のコーヒーで勘弁してあげよう」

 

「では拙者は炭酸でも飲むでござるかな」

 

「あの……私はお茶で……」

 

そんな事を言いつつ当り前のように着いてきた三人へポケットから取り出した安物の財布を投げつけて、俺は足を速めた。

 

脳裏では新田先生が淫らに俺を誘っている。

 

心の中で新田先生へ謝罪をしながら、俺はようやく喫煙所へと辿り着いた。

 

強張った表情が顔に張り付いているのがわかる――俺が近付くと同時にそこに居た何人かが蜘蛛の子を散らすように去っていったのだから。

 

五本ほどまとめてフィルターを咥え込み、ライターへと手を伸ばす。

 

焦っているせいか、それは卵の殻のようにぐしゃりと握り潰れた。

 

液化していたガスが無情にも四散していく。

 

俺はその惨状に天を仰ぎ、しばらく考え込んでからカパリと口を開いた。

 

そして口の中へと含んだ煙草をそのまま租借し飲み込んだ。

 

――本来煙草一本を水に溶かし、それを呑んでしまえば致死量のニコチンを摂取することも可能だが、その程度でこの肉体は壊れてくれない。

 

脆弱な器に強靭過ぎる概念を持つこの矛盾した肉体は、結局人間を越えて強靭過ぎるほどに強靭なのだ。

 

そうでなければ息を吸うように畳を踏み抜くことなど出来るはずがない。

 

母の給金の、俺の給金のどれだけがアパートの畳の修繕費に充てられたか――百から先はもう覚えていない。

 

「老師、見てたアルか?」

 

新しい煙草に懐から取り出したマッチで火を付けて、ようやくと煙を吸い込んだ頃、古菲はいつもの元気な声を伴なって現れた。

 

五分少々程度だった演武であるが、彼女の肌は玉のような汗で覆われていた。

 

それほどまでの緊張感を持って演じきったということなのだろう。

 

「ん、カッコ良かったぞ」

 

真っ直ぐと俺を向く純粋無垢な瞳を、俺は正面から受け止めることが出来ない。

 

すっと微かに視線を逸らして、俺は灰皿へ先程まで吸っていた煙草を押しつけると、またくわえて火を付けた。

 

「むぅ~……ホントにホントアルか?」

 

「あぁ、カッコ良かった。俺は武術のことは良くわからねぇけど、カッコ良かったのは間違いないぞ」

 

これは本当で嘘だ。

 

前世で空手を習っていて、畑違いの中国拳法は詳細まで解らないが、それでも今の古菲の演武に何が足りないのかは解ってしまうのだ。

 

器の所為か、概念の所為か、それははっきりしないが、俺は――

 

「すまない、少し良いかい」

 

ふてくされた古菲の視線に晒されて頭をかく俺の耳に、そんな言葉が聞こえてきた。

 

「急にこんな申し出をするのは失礼だとは解っている。だがどうしてもお願いしたい――お嬢さん、俺と手合わせをしてくれないだろうか?」

 

声は真っ直ぐと、視線も真っ直ぐと、強い意志を感じさせる天津神さんの問いかけは真っ直ぐと古菲に伝えられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「へぇ、あの人が天津神先生の双子のお兄さんか」

 

「しかし何と言うか……その……」

 

「似てないでござるなぁ」

 

首を傾げるような三人の言葉を隣で受けつつ、俺は対峙する天津神さんと古菲の姿を注視していた。

 

向かい合い、二人が礼をする。

 

拳を握り、相手を捉え、構えたその姿は奇しくも同様の構えであった。

 

左足を前へ、右足を後ろへ、身体を閉じるように足を地面に置き、つま先が相手を捉える。

 

左腕は肩に沿って上げられ、手の平は相手を掴むように開かれていた。

 

右腕は腰辺りに、力を抜いて添えられている。

 

「形意拳だな。これはさすがに知っているだろう、刹那?」

 

「……龍宮、お前は私を何だと思ってるんだ」

 

からかうような口調に、ぶすっとため息を漏らして返答する桜咲。

 

きりりと引き締められた眼は決して外すことなく向かい合う天津神さんと古菲に注がれたまま、桜咲は少しだけ上がるような調子で口を開いた。

 

「太極拳や八卦掌と同じで中国武術の代表格だろう。というよりも前もこんな話にならなかったか?」

 

「成程、刹那は前の話でようやく形意拳を知ったということか――勉強不足だぞ」

 

「お前は――龍宮は、私をからかいたいのか?」

 

「気付くのが遅いということは罪だよ刹那くん」

 

くつくつと喉を鳴らす龍宮に、じとっとした冷たい視線を投げかける桜咲。

 

だが件の龍宮本人は暖簾に腕押しぬかに釘、どこ吹く風といった様子できりりっと真面目そうな顔で対峙する二人を見つめていた。

 

「まぁまぁ刹那も抑えるでござる。それよりも――クーが仕掛けるようでござるよ」

 

いつもの糸目は切れ長に見開かれ、長瀬ののんびりおだやかな声はまるで円錐の底面から頂点へと進むように徐々に尖っていき、鋭い音で俺の注意を一層天津神さんと古菲へとひき付けた。

 

――先に動いたのは古菲だった。

 

最初の構えから微動だにしない天津神さんにしびれを切らしたのか、出す手を足を右へ左へ交互に変更しながら距離を詰めていく。

 

そして――突き出されている二人の手の平が触れ合おうとするところで、古菲の拳が奔った。

 

「破ッ!」

 

目標点は推察するに下腹部。

 

気合いの乗った踏み込みを伴なって放たれた中段突きは――素人では知覚することも出来ない速度のそれは――しっかりと合わされた天津神さんの左腕によって弾かれ。

 

お返しと言わんばかりに打たれた天津神さんの右拳は、吸いこまれるようにして古菲の腹へと突き進んでいった。

 

――だが次の瞬間、天津神さんの身体は無情にも宙を舞い、無慈悲に石畳の地面へと落下した。

 

ほぅと、誰からともなく溜め息が漏れた。

 

「靠、か」

 

思わず洩れた俺の言葉に、にゅにゅっと覗き込むような二対の視線が送られてくる。

 

にやついた顔の龍宮と、感心したような顔の長瀬だ。

 

桜咲はそんな二人の顔をちらちらと見やると、途端笑顔を作って俺の方を見てきた。

 

後悔先に立たず――はじめに吹っ掛けてきたのは龍宮だった。

 

「ああ靠だね靠だとも。しっかりと範馬先生の眼にも映っていたみたいだ。それに良く知っておられる」

 

「……そうだな」

 

楽しげな顔で、大きな玩具でも見つけたかのような顔で、龍宮は更に続ける。

 

「肩からだったな」

 

「あいあい。範馬先生もしっかり見ていたようでござるが、たしかに先のクーの靠は肩でござった」

 

「――だなっ!」

 

妙なタイミングで割って入った桜咲の言葉はひとまずと、俺は対峙していた二人へと纏わりついて来る好奇の視線を振り払って意識を捧げた。

 

靠とは要するに、肩から入り腕の組み方でその種を変える体当たりのことだ。

 

接近戦での体当たりを中国拳法では多く体系化し、利用している。

 

恐らく先程――合わされた天津神さんの右拳を身体を捩じることでかわし、脇へと背中を叩きつけたあれは日本でも有名な靠、八極拳の鉄山靠だろう。

 

しかし――尋常では無い動体視力と反応速度だな。

 

確実に天津神さんの拳が打ち込まれたと思ったんだが――これが、生まれ持った素質の差というものなのだろうか。

 

「謝謝、強的人」

 

天津神さんが立ちあがったのを確認して、古菲はそう強く宣言して頭を下げた。

 

古菲のその対応に、天津神さんもまた頭を下げて踵を返し、再び出来あがっていたギャラリーの中へと消えていった。

 

「ところで刹那、靠とは何かわかって話に参加してるんだろうな?」

 

「あっ、当り前だ。その……体当たり――」

 

「あいあい」

 

「そう、背中からの体当たりだ!」

 

やんやヤンヤと盛り上がる三人の声を意識の後ろに流し込み、ニヘヘッと興奮した様子で駆けよってくる古菲の姿と立ち去って行った天津神さんの後姿を想い浮かべながら、俺はふと思いを馳せる。

 

「老師、見たアルか! 勝ったアル! 凄く強い人だたネ!」

 

かつては武を志し、武に憧れ、今は己の力に脅える俺は――何の為にこの力を望んでしまったのだろうかと。

 

悔しさに溢れる背中と嬉しさに溢れる笑顔に抱く――この想いはきっと羨望なのだ。



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考察その26~拳の誓い~

構え、打ち、構え、打ち。

 

俺は一体どれだけの間、そんな事を繰り返してきたのだろうか。

 

春のうららかな日に構え、夏の暑い日に踏み込み、秋ののどかな日に打ち込み、冬の寒い日に残身する。

 

朝も、昼も、夜も、時間があればいつも繰り返してきた。

 

前世より不器用な俺は多彩な技に手を出さず、昔漫画か何かで読んだ一撃必倒の拳を愚直に俺の骨肉に刷り込もうと、浮気することなく行い続けた。

 

きっといつかこの拳が弟に届くと信じて――想いを届かせると誓って。

 

だが、俺の拳は届かなかった。

 

弟ではなく、俺よりも十は年下の少女にも。

 

彼女の噂は聞いていた。

 

幾度か試合を申し込んだ麻帆良の武術を志す人たちに。

 

だからこそ、踏み台という言い方は悪いのかもしれないが、それに準ずる意味を持たせようとするために、俺は彼女――古菲という少女に試合を挑んだ。

 

――雨が降る。

 

ぽつぽつと、いつの間にか火照っていた顔を降り注ぎ、勢いを増す雨が濡らしていく。

 

俺は左手を前に、右手を腰に添えて、かつて麻帆良中国拳法研究会に顧問としてやってきていたらしい老人から教わった技を打つ。

 

パシャリと水溜りから跳ねる音が立つ。

 

俺はただ、冷えていく身体を気にもせず、一つ一つ動作を確認しながら技を繰り返していく。

 

その日、就職して初めて俺は会社を休んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「つまり長年身体を鍛えてきた天津神さんだったら気を扱えるはずなんですよ」

 

人差し指を立てて俺に意見を差し出した田中くんは、そう言って腹に力をこめるように顔を強張らせた。

 

なんとも形容しがたい、妙な圧力のようなものが徐々に正面の彼から湧き出してくるのを、茫然とした視線で俺は見詰めていた。

 

大きく息を吐き出して、田中くんは俺に対して微笑みかける。

 

じゃっかんと膝を曲げ、地面をけり軽く飛び上がっただけに見えた彼の足の裏が俺の真上に見えた。

 

「と、まぁこれが気ですね」

 

じゃりと土に覆われた地面とで滑るような音を奏で、田中くんはおれのほうへと歩み寄ってきた。

 

――魔物という非現実的なものが存在するように、この世の中には魔力や気といった漫画の中にだけであるはずの空想的観念があるらしい。

 

そうでもなければ俺ほとんど力を込めずに飛び上がって見えた垂直跳びが、先ほどのような高さまで到達できるはずもないのだろう。

 

オリンピック選手も――まっさおな身体能力だ。

 

「気は自分自身の生命力に準ずるものだそうなんです。俺も人から――俺の師匠から聞いた話なんですけどね、消えかけている灯火がもう一度燃えあがろうとするその勢いが気だそうで。まぁ俺自身しっかり理解して使ってるわけじゃないんですけど」

 

たははっと頭をかいて、田中くんは続ける。

 

「何にせよ天津神さん、気を扱えるようにならなきゃ話にならないですよ」

 

話にならない――というのはおそらく弟に対してのことだ。

 

弟は稀有なほどの膨大な気と魔力を持っているらしく、それを武器に身体を強化して戦ったらしい。

 

――戦争に出て、人を殺して。

 

前世も変わらず平和な世に生まれた日本人の俺は、同じように育った弟がこの世界でそんな事をしていたとは夢にも思っていなかった。

 

その手で人を殺し、多大な戦果をあげて、弟は英雄と魔物の存在する世界では弟は称賛されているそうだ。

 

信じられなかった――というよりも信じたくなかった。

 

あの弟が、俺の弟が、人を殺して生計を立てていたなんて言う事実は。

 

俺は心底嘘であった欲しかった。

 

――だが、そうではないらしい。

 

マホネットと呼ばれる裏世界――俺の生きているところを表世界と考えるならその呼び方が妥当だろう――の情報サイトで、まざまざとそれが真実だということを痛感させられた。

 

アップされていた写真にはしっかりと、赤く全身を染め上げて立つ弟の姿が映っていたのだから。

 

「え~と、まずは気を感じるのが先決らしくて、とりあえず俺が天津神さんの身体に俺の気を流しますから感じ取ってください」

 

そう告げて、田中くんは俺の肩へと手を添えた。

 

そして俺はその手を――ぱっと振りほどいた。

 

「……天津神さん?」

 

怪訝そうな顔で田中くんが俺を見つめる。

 

そんな彼に対して背を向けて、俺は弟の居るであろう方向へと視線を送った。

 

西洋造りの、中世を思わせる建築。

 

麻帆良学園の校舎と、そのシンボルでもある世界樹を視界に収めてやる。

 

――不意に、目頭が熱くなった。

 

「田中くん、俺は遠慮しとくよ」

 

へっと、間の抜けた声が漏れる。

 

「でも天津神さんはアイツと――弟さんと向かい合うんでしょ? だったら気でも覚えとかなきゃ――」

 

「俺と零児は兄弟だから」

 

彼の声は、それに込められた気持ちは、純粋に心配からのものなのだろう。

 

田中くんは俺を利用しようとしている風だが、それは俺にも同じことが言える。

 

俺もまた、弟のために田中くんを利用しているのだ。

 

今の声はそんな損得勘定を抜きにした、親切心から出た言葉だということは十分に理解している。

 

だが――それでも俺は――

 

「俺が零児とやろうとしていることはどこまで行っても兄弟の話だ。そこにそんな――ただ相手を屈服させるための技術なんてものはいらないさ」

 

俺の言葉は心の内に確かにある僅かな逃げによって構成されているのかもしれない。

 

また先日のように、気などという神秘の力に手を出してまで負けたくないというちっぽけなプライドが喉のあたりを刺激して出てきた感情なのかもしれない。

 

あるいはこれまで一般人として生きてきて、積み重ねてきた俺の努力を、人生を、一笑に蹴散らすものに手を出したくないという妙な俺の矜持なのかもしれない。

 

しかし――それをそうだと俺は認めたくないのだ。

 

気を扱えるようになった方が良いのは理解できる。

 

気に手を出さないのは俺の誓いだ。

 

「俺がやるのはどこまで行っても兄弟喧嘩だからな」

 

泣かせるために拳を握ったのではない。

 

怒らせるために拳を握ったのではない。

 

笑いあうために拳を握ったんだ。

 

研鑽の日々を無駄にしたくない。

 

十は年下の少女に負けたとしても、これが俺の掴んだ力。

 

これこそが俺の誓いの結晶。

 

そう考えると胸の奥が熱くなった気がした。

 

敗北からも学ぶことが膨大な学問でもある中国拳法を更にひとつ上の次元に運ぶのだと、そう俺に拳の握り方を教えてくれた老人が言っていたことが思い起こされた。

 

向き合えると――変な確信が俺の中で芽生えた気がした。

 

「おぃおぃ、これって気? いや、一般人だった天津神さんが使えるとは思えねぇし、それになんか魔力の気配もするんだけど……」

 

戸惑うような視線が田中くんから注がれる。

 

そんな彼へとくしゃり潰れかけていた表情を笑顔に変えて、俺は彼の鮮やかな金髪に目を向ける。

 

「ま、俺も兄貴として気概を見せるさ」

 

敗北より生まれた陰鬱な塊は、吹き抜ける風がどこかに運んでいったようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

仕事帰りに麻帆良女子中等部の校舎近くを通るのは、もはや日課になっていた。

 

もしかしたら弟に会えるかもしれないという勝手な願望を胸に秘めて、多分あったら嫌な顔をされるんだろうなぁと考えつつ、歩く足取りは軽い。

 

会社の制服姿の俺にも頭を下げて、さよならのあいさつをくれる生徒たちになんとなくあたたかい気持ちを抱きながら、俺はまた前へと進む。

 

気がつけば結局弟の姿を見かけることもなく、女子中等部エリアの外へと出ていた。

 

一目でも良いから見たかったと勝手な感情をしまいこんで、俺は自宅の方向へとつま先を向けた。

 

「なぁなぁ、せんせはちゃんと見てくれるんよな? うちが学園祭で頑張るところ」

 

おっとりとした言葉が耳に飛び込んできた。

 

関西かどこかの方言だろう、標準語で話す人の多い麻帆良では気を引くしゃべり口調だ。

 

――そういば、そろそろと麻帆良は学園祭の季節だ。

 

つい一週間ほど前に部長より通達があった。

 

毎年学園祭の時期になると麻帆良にはたくさんの人が訪れるから、今年もしっかりと気合を入れるようにというありがたいお言葉をいただいてたのだ。

 

出し物がどこぞの一大イベント顔負けの規模で行われる学園祭は俺も毎年楽しみにしている。

 

昨年は確か麻帆良全体を使った鬼ごっこなんてものをやっていたが、今年はどんなイベントがあるのだろうか?

 

そんな華々しくなること確定な未来に思いを馳せつつ、俺はふと声の方へと視線を寄せてみた。

 

「喫茶店、絶対行くからよ」

 

「ふぇ? 喫茶店てまだきまっとらんよ」

 

「あ~……はは、早とちりだったか」

 

「なんやせんせ、喫茶店やってほしんか? ほなら今度の話し合いのときに提案してみるわぁ」

 

そこには艶やかな黒髪を腰のあたりまで流した少女と笑いあう弟の姿があった。

 

制服姿だということは生徒だろう。

 

仲のよさそうな掛け合いに無駄なほどの距離の近さを感じながら、俺はまたあたたかな気持ちが胸の中で芽生えていくのを感じていった。

 

声をかけようか――そう思うが、俺が出て行って弟の気分を損ねることもないだろう。

 

遠巻きに二人の姿を見つめ、さて帰るかと思い至ったところで弟と俺の視線がガチンとぶつかった。

 

とりあえずひらひらと手を振ってみた――踵を返された。

 

「せんせ、あの人知り合いさん?」

 

「あ、いや、べつにんな訳じゃ……」

 

「待ち合わせしとったらそうやてゆうてくれればええのに。ほなせんせ、また明日なぁ」

 

そう言うと黒髪の少女はぺこりと俺に向けてお辞儀をし、とてとてとさくら通りの方向へと歩いて行った。

 

少女がいなくなった途端と、睨むような視線が注がれた。

 

足がまるで鉛のように重くなるのを感じたが、俺は気にしたそぶりを見せないように弟の方へと歩いていった。

 

「仲良さそうだな、受け持ちの生徒さんか?」

 

弟は俺の言葉を無視して歩き始めた。

 

「いや、うまくやってるみたいで良かったよ。昔から頭良かったもんな? 俺には教師なんて勤まらないし、人に誇れる仕事についててうらやましいわ」

 

俺は前を行く弟の後を追いかける。

 

「仕事とか終わったか? もし終わったなら飯でもいかね? 俺がおごるし」

 

足を速め、弟の隣に並ぶ。

 

その双眸は俺には向けられていなかった。

 

「ああ、教師だもんな、文化祭の時期だし忙しいよな。だったらコーヒーでもどうよ、そこの自販機で買ってくるから」

 

「……ウゼェ」

 

「そんなこと言うなよ、寂しいじゃねぇの」

 

俺の言葉に弟の足がピタリと止まる。

 

そして指を突き付けながら、反論を許さぬ口調と視線で俺へと宣告した。

 

「俺とテメェの人生は重なり合ってねェンだよ。いつまで兄貴なつもりだ、あァ?」

 

「いつまでもだろ、そんなの。なにか悩みごとでもあんのか? 悩みがあると口調が荒くぽくなるもんな、お前は」

 

弟は壮絶な、形容しがたい圧力を伴った視線で俺を射抜く。

 

だが俺は引いてはいけない、視線をそむけてもいけない。

 

俺はただまっすぐに、俺の気持ちを伝えるのだ。

 

「悩みごとがあるなら俺がいつだって相談に乗ってやるぞ。なんたって俺は――」

 

ぶわりと突風が俺と弟の間を突き抜ける。

 

「いつだってお前の味方だからな」

 

伝えたかった想いは届かず、虚空に揺られて消えていった。



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考察その27~小市民の反逆~

「そういえば星野先生は魔法使いなのですよね」

 

唐突にそれまでの話の流れをぶったぎって、綾瀬はそんな事を私に問いかけてきた。

 

思わず眉がつり上がりそうになる。

 

しかしそんな仕草をしてみせれば聡い綾瀬のこと、自分の言葉が唯一無二の真実だと確定させるだろう。

 

故に出来る限り平静を装うためにふと手に取っている本に眼を走らせてやる。

 

魔の力を手に己が法を貫き通す気高き少女の物語――略して魔法少女物語。

 

綾瀬が進めてくれた、彼女がこれまで見た魔法少女系統の作品で一番の怪作らしい。

 

内容が想像も出来ないな、と自宅に帰ってからの楽しみに思いを少し寄せてから、私は綾瀬に向き直った。

 

今現在、図書館島に居る私はお勧めの作品が見つかったからという綾瀬に誘われてこの場所を訪れていた。

 

そしてこの小六法ほどの厚さのありそうな小説を渡されてホクホク顔だったんだが――

 

ネギ少年が神楽坂に続き朝倉、近衛、宮崎、綾瀬と魔法をばらしたのは知っている。

 

私が一番近くで監視して報告しているのだから当り前のことだが。

 

この出来事はすぐさま学園長に報告したが、やはり静観の意を示すようにと通達された。

 

自分の孫を父親が遠ざけていたらしい世界に入れてまで、組織の長として未来のための選択肢を取った学園長は一体どのような考えを抱いてか。

 

上に立つ人間というものは、中々に複雑らしいな。

 

私はこのままがヒラが良いよ、本当に。

 

「綾瀬、一体お前は何を言っているんだ?」

 

さて、現実逃避もこの辺りに、目の前の問題を解決しなくちゃならんか。

 

首を傾げて問いかけた私の言葉に、綾瀬は視線ひとつ逸らさず答え返す。

 

「物語の中だけだと思っていた世界は現実にも広がっていた――そんな単純な話なのですよ」

 

「常識的に考えろ綾瀬。私はお前が思っている以上にお前のことを賢い奴だと信じていたんだが……」

 

「そう評価してくれている私自身がそうだと結論付けたのです」

 

したり顔の綾瀬に思わず蟀谷を押さえた。

 

こう言ってしまうのはなんだが――面倒な女だよお前は。

 

「魔法があると、私の知らなかった世界があると、そう考えれば結論付けれる事柄が麻帆良には多くあるのです。ネギ先生があの年齢で先生として働けているのも、そう考えれば納得できますし」

 

「不思議だな、本当に」

 

「茶化して欲しい訳でも、はぐらかして欲しい訳でもないのですよ」

 

「では何が言いたいんだ?」

 

座っている椅子の背もたれに体重を預けて腕を組んでみる。

 

机を隔てて先にある綾瀬の顔はひどく楽しそうだ。

 

「言ってしまえば知らなかったことが知れて、そのことに興味が持てそうだという話なのです。前々から星野先生は私に熱中できるものを探せと言っていたのですよ」

 

「想像に生きるのは勝手だが、その道を選ぶなら早乙女のように文字媒体にでも顕せば良かろう。お前の書く小説には私も興味が沸くはずさ」

 

「はい。ですのでネギ先生から魔法を習うことにしたのです」

 

ひくんと、勝手に頬がつり上がった気がした。

 

「別に私は星野先生が白と黄色を基調にしたフリル服で星型の杖を手に空を舞っていた事に文句を付ける気はないのです」

 

誤魔化すための認識阻害魔法、あの修学旅行の夜関西呪術協会総本山には確かに掛けられていた。

 

しかしそれは外からの認識をずらすためのもので――あの時綾瀬は中に居たんだったか。

 

解っていたとはいえ、見られるのは覚悟していたとはいえ、なんとも――

 

「ただそれが星野先生だと認めて欲しいだけなのです」

 

「――仮にお前が言っているその人物が私だったとして、どうしてそれが私だと認めさせようとする?」

 

私の言葉に綾瀬は懐に手を突っ込むと、そこから小さな杖を取り出して机の上に置いた。

 

「魔法はしっかりとこの眼で見て、そしてその基礎と呼ばれる魔法も習いました。この杖はその際にネギ先生からいただいたものです。――私は星野先生のことを信頼の出来る先生だと思っているのですよ」

 

「それは嬉しい限りだ」

 

「だからこそ星野先生に認められることで、私は魔法という概念がしかと世界に根を張った現実だと本当の意味で納得できると思うのです」

 

綾瀬の眼は確信に満ちていた。

 

例えば私が嘘だと、勘違いだと、そう諭したとしても。

 

荒療治ではあるがいつものように行われている記憶改変を施したとしても。

 

綾瀬はきっとこの出来れば触れて欲しくない現実に辿り着くことだろう。

 

むしろ記憶改変程度は予測して対策を練って、綾瀬はこの場で私に向かい合っているはずだ。

 

そう確定的な思考が私に訪れるというのは、教師として綾瀬という生徒をしっかり見ているためなのか。

 

なんとも皮肉的であるものだな。

 

だとすれば、私が教師として行うべきは――

 

「お前の誇大的妄想が真実だとするなら、それはきっと幻想に満ちた優しい世界ばかりじゃないように思えるが?」

 

私は手に取った小説を見せつけるように持ち上げて、机の上に置いた。

 

綾瀬は流れるような口調で、しっかりとした意志をいれ込み応える。

 

「ですが、だからこそ身の入る世界です」

 

「綾瀬はもっと大人だと思っていたよ」

 

「いえ、私は中学生程度の子供なのです」

 

――魔法のある世界は現実と何ら変わりはない。

 

ただ手に持つのが鈍く黒光る鉄の塊ではなく、物理法則を無視した幻想であるというだけ。

 

だからこそ実感が沸き難く、だからこそ軽くなりやすい。

 

幼少の頃よりそれに触れていた者たちならともかく、後より魔法に触れて介入してきた者なら尚更だ。

 

私がそうだった。

 

軽い気持ちで振り下ろした拳に、後悔の念はどうしても残る。

 

魔物相手ならばともかくと、人間相手となれば――殴り慣れるのに時間はかかる。

 

私は出来るならば、組織の現状も理解しているが、私は生徒に人を殴り慣れて欲しくないのだ。

 

「だったら大人な私が言ってやろう――止めておけそんな世界。憧れは無残に消え去るぞ。届かないからこそ幻想なんだ」

 

「それは手にとって初めて、私がその場で判断する内容なのです」

 

揺るぎない感情が溢れんばかりに綾瀬から立ち上っているように見える。

 

子供の我が儘だと断じてしまえばそれまでなのだろうが――それでもこれまで自身に起きたすべての出来事を内包した綾瀬が綾瀬の意思で決めたのだろう。

 

その意志を無理矢理と曲げてしまうのも大人のすべきことなのだろうが――同時にきっとそれは大人の我が儘とも断ずることが出来るのだ。

 

私の感情と綾瀬の感情は触れ合うことはあったとしても、混じり合うことは決してない。

 

「――わかった、ならばもう何も言わん。生徒の進路に教師は過干渉すべきではないからな」

 

そう告げて私は席を立つ。

 

教師として綾瀬にはこんな世界に入って欲しくない。

 

しかし言葉に表し綾瀬を止めるということは、魔法がこの世界にあるということを認めることと同義になってしまう。

 

それも――私が取るべき選択ではない。

 

欲張りだと私は思う、我が儘だとも私は思う。

 

私が望んで踏み込んだ道に、お前は来るなと言い放っているのだから。

 

だが――いや、だからこそと言おうじゃないか。

 

「話は変わるがこの本はありがとう。また、機会があればよろしく頼むよ」

 

最後に一言、綾瀬に届くと信じて彼女に贈るのだ。

 

学園長が私にしてくれたように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今日の夜中、特別な喫茶店でお茶する予定ネ」

 

超にそう告げられて、その意味を理解するのに時間はかからなかった。

 

学園祭まであと少し――彼女はあの男と、天津神零児と会うつもりなのだ。

 

「どこでだ?」

 

「世界樹広場の前ヨ。今日はあそこにラーメン屋が出る日ネ」

 

硬くなった声、険しくなった表情。

 

半ば詰め寄る様な形で問いかける俺に、超は意外なほどすんなりとその場所を教えてくれた。

 

「テイクアウトも出来るカラ、食べながらでもお話しようかト。……しかしこれはお茶するとは言えないカナ?」

 

タハハと妙に馬鹿っぽさを演出するような軽い口調を超は使ってみせる。

 

しかも俺に真っ直ぐと向き合って、だ。

 

――こんなこと言うのは悲しくなるが、俺が俺の中の英雄像を前面に押し出して超と話をするとき、彼女はほぼ決まって目線をすぐに逸らす。

 

俺のカッコ良さに恥ずかしがっているのだと、自分の中で勝手な自己解釈しなければやってられない事態だが――まぁそれは一先ず置いておこう。

 

ともかくそんな超が、俺の紅い瞳に一片とゆらり揺れることない視線をくれている。

 

故に俺は勘違いするのだ――

 

「フハハッ、奇遇であるな。俺もちょうど今日の夜そのラーメン屋に行く予定だったのだ!」

 

「そういえばおでん屋だた気がするヨ」

 

「そう、そのおでん屋に行くのだ!」

 

「イヤ、やきとり屋だたカ?」

 

「うむ、やきとり屋だったな!」

 

「やはりラーメン屋だた気もするネ」

 

「――ええいっ! とにかく俺も行くからな、夜を楽しみにしておけ!」

 

可憐な笑顔を見せる彼女の想いが、俺はきっと理解できているのだと。

 

 

 

 

 

俺が世界樹広場を訪れたとき、既に屋台のラーメン屋――恐らくグラヒゲと偶に行くやつ――は居らず、代わりに学園祭の準備にいそしむ幾名かの学生が作業をしていた。

 

月はしっかり出ているとはいえ現在の時刻は午後八時――遅れる訳にはいけないと意気込んでみたが、時間的にはまだまだ早い時間だ。

 

不測の事態に備えて腰に下げてきた西洋剣にちらと眼を移したあと、俺は何を気にする風でもないように胸を張って世界樹広場を回るように歩き始めた。

 

常識の守備範囲が酷く広い麻帆良学園、その上今は学園祭シーズンだ。

 

挙動不審な態度でもしていない限り、つっこまれることはないだろう。

 

むしろ挙動不審でも突っ込まれそうにないのが麻帆良学園の持つ雰囲気ではあるんだけどさ。

 

俺は右へ、左へ、散歩途中の人を装って周囲を確認してみる。

 

遠くからでも目に付く白髪は俺の視界には入り込んで来ない。

 

――やはり早く着き過ぎたのだろうか?

 

自然と尖らせていた唇に軽く指を添えて、俺は獲物を狙う肉食獣の気分で辺りを警戒してみた。

 

「つま……でいて――という訳ヨ」

 

鈴の音のような声は上から落ちてきた。

 

夜を照らす月光を誰より麻帆良で早く受ける世界樹の枝に、二つばかし人影が見えた。

 

途切れとぎれに聞こえた声は間違えるはずもなく超のもの。

 

となれば彼女の話相手は――

 

考えがまとめきる前に俺の足は動きだしていた。

 

グラヒゲにはまだまだ未熟だと叱咤される気を足へと伝わらせ、俺は世界樹へと登り始めた。

 

悠然と立つこの世界樹には登山ならぬ登木用の梯子だったり階段だったりロープが設置されている。

 

そこを三段飛ばしくらいの勢いを付けて、俺は上を目指す。

 

徐々に近付く二つの人影の一方に、たなびく白い糸たばを見つけたからだ。

 

――気が逸っている。

 

呼吸はいつもより荒く、気を廻らせ強化している身体も普段より重い気がする。

 

気や魔力は元々の量や素質に因るものだが、個々人の感情に多大な影響を受ける力だ。

 

もし感情に変な波があるならば、力を吐き出す蛇口のようなものが詰まったようになるのだとはグラヒゲの弁。

 

逆に怒りや強靭な目的意識なんかの強い感情があれば、力はそれだけ強くなるらしい。

 

まぁドーピングのようなもので、後からツケが来るとも言っていたが。

 

俺は今――いつものように身体が動いていない俺は今――きっとビビっているんだ。

 

天津神さんに偉そうに言ってみた。

 

星野先生にも自慢げに言ってみた。

 

超の前でカッコ付けてみた。

 

そんな俺は今、これから正面にきっと立つであろう天津神零児に対して、臆しているんだ。

 

普段の夜の警備で相手にする魔物や人間とはまるで別次元に座している天津神零児に。

 

だからどんどんと世界樹を登る速度が遅くなって、足が段々と鉛のようになり、棒のように固まりかけているんだ。

 

はじめて麻帆良をあの男が訪れたときのそれより、普段遠巻きに見るあの男よりも、今の天津神零児の存在はバットかなにかで打つように俺の肌を刺激している。

 

恐らくあの男の感情が高ぶっているからだろうが、近付いていくほどに解る強烈な天津神零児の存在感は俺の歩みを完全に停止させた。

 

――天津神零児が俺の想像する通りのテンプレオリ主なら、既存の概念を全て覆すだけの力を内包した存在なんだ。

 

天津神零児の存在感は何も知らない馬鹿な俺が引き出した、黄金の英雄王の財宝に似た圧力を俺に感じさせた。

 

言い訳をするならば、これはきっとトラウマだ。

 

過去、強烈な存在感により意識を飛ばした俺の肉体が本能的に今の天津神零児を拒絶しているのだろう。

 

傲慢な英雄たる天津神零児と矮小な小市民たる俺。

 

その馬鹿みたいな力の差は理解していて、それでも俺は動かずにいられなかったからこの場に居るのだ。

 

だから俺は――英雄になりたい俺は、彼女の英雄になりたい俺は、超を想い奮起するしかないのだ。

 

「何でテメェの提案なんざ受けなきゃなんねー。 めんどーだし、俺は俺のやりたいようにやらさてもらうぜ。……それに対等な立場で交渉してるつもりなのかもしれねーが、俺はお前の秘密を知っているんだがよ」

 

「何を言っているのか全然わからないヨ、先生」

 

「じゃあこの場で言ってやろうか? テメェは――」

 

「天津神零児ィッ!」

 

叫ぶ声で震え始めていた心と身体を押しつぶす。

 

先ほどの重くなっていた身体はどこに行ったのか、跳ね上がるようにして俺は世界樹を登っていった。

 

そして二人の間に滑り込むと、すらりと抜いた剣の切っ先を天津神零児へと突き付けた。

 

「それ以上は言わせねぇ! 超の野望はテメェ如きに邪魔するには役者が足りねぇんだよ!」

 

見下すような視線が叩きつけられる。

 

蛇に睨まれた蛙よろしくまた身体が硬直しかけるが、乱暴に吐き出す息でそれを振り払い俺は目の前の男を睨みつけた。

 

「誰だ、テメェ?」

 

紅と蒼の双眸から冷たい目線が俺へと突き付けられる。

 

それでも俺は、背後の少女にひるむ姿など見せられない俺は、グラヒゲから貰った剣を振りかざして天津神零児目掛けて突貫した。

 

軽率な行動だとは自分でも理解している。

 

それでもこんなことでもしないとまた弱い気持ちが芽生えてしまいそうで――俺は全身全霊を込めて首筋を狙って剣を振り下ろした。

 

「――なるほど、もしかしてお前は俺と同じか?」

 

訝るような視線を俺に向けて、無防備に立つ天津神零児の首筋に俺の剣は確かに振り下ろされた。

 

だが俺の刃は目の前の男の薄皮一枚切り裂くことが出来ず、その場に留まっていた。

 

「ちっちぇえな」

 

そんな言葉とともに西洋剣は根元からぽきりと折られて、軽い衝撃を首に受けた俺はあまりにもあっさりと意識を彼方に飛ばすことになった。

 

 

 

 

 

次に目を覚ましたとき、初めに感じたのは高等部へのやわらかい感触だった。

 

「気が付いたカ?」

 

いつもよりずっと近い位置にある超の可憐な顔は、うっすらとであるが間違いなく憂いを帯びている。

 

膝枕されている――思い至った事実に俺の心臓は壊れたようになり始めようとするが、その前に俺はやらなければならないことがあるのだ。

 

鼻孔をくすぐる超の匂いが非常に名残いおしいが、それでも俺は彼女から離れる。

 

「ギル、お前はハ――」

 

「心配するな。お前の野望は誰にも邪魔はさせん」

 

超の言葉を最後まで聞かず、彼女をを背後にするように――俺の表情が見えないように――立つと、俺は短くそう言い捨てた。

 

そしてゆっくりと上を見上げてやる。

 

「超鈴音、今宵の月はまこと美しいな」

 

それだけ言うと俺は返答を待たずに枝からとんと飛び降りた。

 

早くこの場から逃げ去ってしまいたいという俺の我が儘と、二度と逃げたりはしないという俺の我が儘とをない交ぜにして。

 

――俺は必ず英雄になるんだと、この月に誓うのだ。



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考察その28~友達とまわる学園祭~

思わず顔がにやけてしまう。

 

きっと今の私は鏡を見て恥ずかしがって、映った自分の顔にもう一度にやけてしまう。

 

今の私はそんな気分。

 

「なんだ?」

 

隣で小首をちょっぴり傾げたエヴァの顔が私の眼で見れることが、私はとっても嬉しいんだ。

 

今日は待ちに待った学園祭の日。

 

入場門近くにある受付で学園祭特製カードを貰いながら――なんでもどれだけの人が来たのか集計するために配っているみたいだ――私は絶対に楽しくなるこれからを思ってまた笑ってしまう。

 

「ねぇねぇ、まずはどこにいく?」

 

一緒に貰ったカードケースを首からかけて、私は隣でパンフレットを持ったエヴァに尋ねた。

 

私より頭一つくらい小さなエヴァは麻帆良学園女子中等部の制服に身を包んでいる。

 

ウルスラに通ってるって言ってたのに――なぁんて不満は言わない。

 

エヴァが中学生でも、エヴァが十五年も中学生でも、私には何の関係もないから。

 

「まずは茶道部の野点だ。美味い茶を御馳走してやろう」

 

得意げな顔で、エヴァは小さな胸を張る。

 

整った顔が、大人っぽいけど幼い顔が、くしゃりと嬉しそうに変わる様子に私は胸があったかくなる。

 

それだけで――それだけって言ったらママとパパにちょびっと悪いけれど、私は包帯を外せて本当に良かったと思えるんだ。

 

「その後も予定がぎっしり詰まっているからな。麻帆良学園祭歴十五年の私が最高のひとときを貴様に過ごさせてくれるわ!」

 

口元をニヤリと曲げて、エヴァの小さな手が私の手に重ねられて。

 

私は楽しげな喧騒広がるお祭りの光景を私の両眼で見ながら、踏み込んでいく。

 

めいっぱい、思いっきりこの三日間は二人で楽しむんだ。

 

 

 

 

 

「結構なお手前で……で、良かったのかな?」

 

なんだかよくわからないけどたぶん高いんだろうなぁ、と思える器を赤い敷物の上において、私はエヴァにそう問いかけてみた。

 

これまでずっと背中を曲げて、小さくなって歩いていたせいか私の姿勢はお世辞にも綺麗とはいえないと思う。

 

正座も足がしびれるから苦手だし、むずむずとした違和感が折り曲げた太腿から私にもう止めてって話しかけてくるし。

 

私の正面で深い緑色を基調にした和服に着替えて、まるで写真か何かの中みたいな雰囲気のエヴァと比べれば大違いだ。

 

ぴんと背筋は伸びていて、動作のひとつひとつがとっても洗礼されているような気がするし。

 

私とエヴァ、二人だけのお茶会を周りからみている人からほぅって感心するみたいなため息が聞こえてきている。

 

それくらいに、お茶の作法なんて全然知らない私が見ても凄いと思えるくらいに、エヴァは本当に綺麗だった。

 

「気にするな。極端な話、美味いか美味くないか、楽しいか楽しくないか、それだけでいいんだよ」

 

そう言ってエヴァは顎で私の後ろの方を指す。

 

つられて視線を送ってみれば、手ぬぐいを頭に巻いて年季の入ったエプロンを身に付けたまま胡坐をかいてお茶を飲むおじさんが見えた。

 

お茶を淹れているのはエヴァの従者さんらしい茶々丸さん。

 

静かに動作を行っているその姿を見て、私はまたエヴァに向き直った。

 

「うん、だったら大丈夫だよ。エヴァの淹れてくれたお茶はとっても美味しかったもん」

 

「ふふんっ」

 

私の方に向けられるエヴァの顔は、言ってしまえばドヤ顔で、それでも姿勢とか雰囲気が崩れないのは本当に凄いと思ったんだ。

 

――エヴァは十五年もこの麻帆良学園で生活していたみたいだ。

 

ずーっと中学生のままで、ずーっとずーっと。

 

その間で昔から興味のあった日本の文化に触れて、今では趣味のひとつとして楽しんでいるらしい。

 

呪いを解いて京都に行く、というのはエヴァの夢なんだって。

 

「お前も――まぁ流石私の見立てた着物、中々に似合っているぞ」

 

「えへへへ」

 

得意げなエヴァの視線に恥ずかしくてつい頭をかいてしまう。

 

私の着物は黒を基調に、赤い浮雲があしらわれているデザイン。

 

まんま私が憧れたあの人の、あの人が所属していた組織の衣装に良く似ていて、私のこの世界で貰った名前と相まって何だか妙な気分だ。

 

エヴァに私が憧れた人のことは話したから、気を効かせてくれたのかな?

 

そうだったら――うん、うれしいや。

 

私は目の前の白い紙の上に置かれている桜の花びらみたいなお菓子を一口、それでもう一度お茶を一口。

 

甘くて、苦くて、エヴァと同じあったかい味が口いっぱいに広がっていった。

 

 

 

 

 

「あぁっ! エヴァちゃんも手伝いに来てくれたの?」

 

猫耳をつけて体操服を着た女の子が、エヴァにそうやって問いかけてきた。

 

エヴァにせがんで連れてきてもらったエヴァのクラス。

 

たぶんこれはお化け屋敷、猫耳ってことは猫又か何かなんだろう。

 

それにしても――どの可愛い子ばっかりだなぁ。

 

お化け屋敷の前には行列が出来ていて、その八割くらいが男の人ばっかりだもん。

 

「エヴァンジェリンさん、出来れば貴女もお手伝いを頼むのですよ」

 

猫耳体操服娘の言葉にぞくぞくとお化け屋敷の中から人が出てくる。

 

それに伴ってエヴァの隣に居る私にも、視線がどんどんと集まってくる。

 

例えるならば好奇の視線。

 

珍しいなぁって、どんな人なんだろうって、雄弁に語りかけてくるような視線が私に注がれてくる。

 

エヴァはあんまり仲良しさんがいないみたいで、私もそうなんだけれど、それで不思議がるみたいな視線が私に投げかけられている。

 

――まだ私は周りの人から見られるのが恐い。

 

嫌な、暗い、黒い感情を持ったまま見返してしまいそうで。

 

ママとパパとエヴァのお蔭で包帯を外して、またこの朱い万華鏡で外の世界と繋がれるようになったけれど。

 

だからすぐさまどんな場所にも行くことが出来るなんて事はまったくなくて、寧ろ見えるだけ見返してしまうんじゃないかって不安が強くなってしまっていたんだ。

 

そんな訳で思わず俯いてしまって――けれどそんな仕草を見せた私を気遣うようにエヴァの手が私の手をギュッと握ってくれて。

 

それだけで私の心はほこほこ。

 

たったそれだけで私のかちかちに固まった緊張をほぐして広げてくれる――エヴァの手はまるで麺棒だ。

 

だからありがとうって私は精一杯の感謝をこめて、私はエヴァの手を握り返すんだ。

 

「そこ、集まって何をしている? お客が待っているんだ、行事に戻れ」

 

ぱんぱんと手を叩く音に合わせて凛とした声が視線を一気に奪い去る。

 

声の先には黒いスーツを着こなした、カッコいい感じの女の人。

 

かつかつヒールを鳴らして私とエヴァの前に来ると、彼女は私とエヴァを交互に見つめる。

 

厳しそうな視線、けれど全然辛くないやさしい視線。

 

「マクダウェルも参加するつもり?」

 

「冗談言え。ちょっと寄ってみただけだ」

 

「だとは思っていたよ」

 

気さくな、気兼ねない関係を表すような言葉の掛け合い。

 

先生みたいだけれどエヴァと親しいみたいだ。

 

「マクダウェルの友人か?」

 

「えっ、あ、はい」

 

突然矛先を変えた女の人の言葉に、しどろもどろになりながら返答する。

 

やっぱりコミュ障なのかな、私ってば。

 

「そうか――仲良くしてやってくれ」

 

それだけ短く告げると、女の人はカツカツまたヒールを鳴らして去っていく。

 

なんて言うか――本当にカッコイイ感じだなぁ。

 

 

 

 

 

麻帆良学園祭二日目。

 

結局昨日はあのまま家に帰っちゃって、エヴァにはちょっと心配かけちゃったかな?

 

晩御飯は一人で家で。

 

デートに行ってたママとパパが帰ってきたら家に居た私を気遣ってくれて、二人にも悪いことしたかも。

 

だけど、昨日は昨日で今日は今日。

 

「……あ~イタチ、怒ってるのか?」

 

複雑そうな表情で見てきたって、私は膨らませた頬をしぼませてあげないんだ。

 

――エヴァの誘いを受けてやって来た龍宮神社。

 

選手控室って書かれた部屋の中で、私はチャチャゼロちゃんを抱えながらぷいとそっぽを向いていた。

 

理由は簡単、何でもエヴァは武道大会に出るみたいだから。

 

「ケケケ、御主人たじたじダナ」

 

「チャチャゼロ、貴様――」

 

茶化すようなチャチャゼロちゃんの言葉へと睨むような目付きを送り返すエヴァ。

 

その視線を一層膨らませた頬の風船で打ち消して、私は少しだけ声を低く言ってやる。

 

「エヴァはね、とっても強い吸血鬼なんだよね?」

 

「まぁそうだな、真祖の吸血鬼だからな」

 

「その力で戦うんだよね?」

 

「……そうだ、が――だがなっ、イタチ」

 

動かれる前にむむぅと詰め寄って、エヴァが言いかけていた想いを喉の奥に押し込んでやる。

 

エヴァには魔法を教えている弟子がいて、その弟子の実力を確認するために出るって言ってるみたいだけど、何だかんだ理由を付けても私はエヴァが誰かを傷つけるための力を使おうとしている。

 

そのことが、これまでそうだったのかもしれないけれど、私は嫌なんだ。

 

「強い力を持ってる人はみだりにその力を使っちゃいけないんだよ」

 

「いや、だがな、師匠としてだな――」

 

「言い訳は要らないよエヴァ。相撲とか格闘技みたいにそれでご飯を食べてる訳でもなくて、誰か大切な人を守るために仕方ないって訳でもなくて、使う機会があるから使うなんてダメだよ」

 

私は憧れから手に入れてしまった強い力に振り回されて、私はずっと後悔している。

 

もちろん、両眼の万華鏡写輪眼がなければママとパパと本当の意味で家族にはなれなかったのかもしれないし、エヴァにだって会えなかったのかもしれない。

 

けどだからって、誰かを傷つけるために使うなんて絶対に間違っているんだ。

 

口を魚みたいにパクパクさせながら私の眼を見たり逸らしたりするエヴァ。

 

そっちに向けていた顔を遠巻きから心配そうに見つめるエヴァの弟子さんとその周りの人たちに向けてみる。

 

何度か会ったことがある、赤毛の少年がネギくんで黒髪の少年が小太郎くんという名前らしい――ネギくん強き攻め小太郎くんへタレ受けかな?

 

――って、話が逸れちゃった。

 

とにかく彼らの方を向いて、私はキッとちょっとだけ強い視線を送るんだ。

 

私の想いがしっかり届くようにって、私は深く深呼吸する。

 

「君たちはどうして強くなろうとするの? 精神的にじゃなくて肉体的に、強くなっていいことがあるの? そんなことするよりも誰を笑わせてあげるための努力をした方が良いと思うよ」

 

ゆっくりと、けれど一息で言い切って、私は選手控室の扉から外に出た。

 

チャチャゼロちゃんを抱えて私はとことこ会場を後にする。

 

そんな中でも私の気持ちとは関係なく、格闘技大会は進んでいく。

 

「さて、次の試合は――っと! ここで何とエヴァンジェリン選手、突然の棄権だぁっ! これは何があったのでしょうか?」

 

「オホン。え~大会運営からの連絡ネ。これで桜咲選手を繰り上がり不戦勝ということにしようと思たガ、それではせかく見に来てくれたお客様がたに申し訳ないヨ――と、いうことで運営側からの特別選手に登場してもらうことにしたカラ皆さん楽しんでいて欲しいネ」

 

「フハハハッ! 刹那、今日こそこの田中ギルガメッシュが貴様にかぁつ!」

 

長くて多い石段の前に着いて、そこに一歩足を踏み出してきたところ。

 

そんな時に背中の方へと声が投げ込まれる。

 

だけど私は振り向いてあげない――私は怒っているんだ。

 

 

 

 

 

喧嘩して、だけどまた仲良くなれるのが友達だって、私はそう思ってる。

 

昔私が弱いせいでひどいめに合わせてしまったあの子とも、いつか仲直りできたらなって思ってる。

 

彼女は私のせいで精神を病んでしまったことを知らない。

 

魔法使いでも、転生者でもない、ただの一般人だから、こんな力を人間が自由に出来るなんて夢にも思ってないはずだから。

 

だけど私はいつか必ず強い心を手に入れて、私はあの子と友達になりたいと思うんだ。

 

「エヴァってさ、結婚願望とかあるの?」

 

「お前は何を言っているんだ」

 

私の隣でベンチに座って、また同じように学園祭を回り始めたエヴァみたいに。

 

訝るような表情で、エヴァはぺろりと手に持ったソフトクリームを舐める。

 

だから私はエヴァの視線を誘うように、私は目の前の光景をなんだかほんわかした気持ちになりながら眺めていた。

 

少し老けた感じの、四十代くらいの夫婦が仲睦ましそうに歩いている。

 

女の人のお腹はポッこりと大きくなっていて、私に命のささやきを感じさせてくれた。

 

二人の前には強面の、だけど優しそうな雰囲気漂う筋肉質の男の人がいて、おっかなびっくりしながら女の人のお腹を撫でていたんだ。

 

「ママとパパも仲良しだし、あんなあったかい姿を見てると羨ましいなって思うよ」

 

「……ふんっ、私は興味無い」

 

「女の子の憧れだと思うけどなぁ」

 

「男など下らん。所詮自分勝手なことしか考えておらんのだからな」

 

ぶすけた顔でソフトクリームにかぶり付いたエヴァを、私は膝に乗せたチャチャゼロちゃんを撫でながら見ていた。

 

何でもエヴァを麻帆良に縛り付けられることになった呪いは好きだった人に掛けられたものみたいで、解きに来るって言ってもう十二年も遅刻しているみたいで。

 

私はエヴァみたいな経験がないからわからないけれど――そんなに放っておかれたら嫌になるのは何となく理解できる気がする。

 

約束を破られてずっと放置されるのは誰だって嫌だもんね。

 

「オッ、ナギジャネーカ」

 

「なにぃっ!」

 

突然つぶやいたチャチャゼロちゃんの言葉にビックリと、立ち上がったエヴァのほっぺたには白いものがベっちょりと付いていた。

 

「ホレ、アソコニ黒髪ノガキト一緒ニイルゼ」

 

「なっ、なっ、なぁッ――」

 

驚きに全身を染めて、思わず伸ばすように手を差し出して。

 

「ネギくんと小太郎くん、何でおっきくなってるのかな?」

 

それで飛び出そうと一歩踏み出したところで、スーパーボールみたいに跳ね返って私に詰め寄ってきた。

 

「どういうことだっ!」

 

「……エヴァ、怖いよ」

 

「――スマン、気が動転してだな、なんというか……スマン」

 

思わずびくり震わせた私の肩に、エヴァはそっと手を添えて頭を下げる。

 

強烈な感情のこもった視線で、その視線をくれたのがエヴァだとわかっていても、震え始めてしまった私を慰めるように。

 

小さく息を吸って大きく吐き出す、大きく息を吸って小さく吐き出す。

 

心に流れる波が緩やかになりだして、私はこくりと唾を飲む。

 

「さっきの二人、ネギくんと小太郎くんだったよ。私の眼にはそう見えたから」

 

私の眼――万華鏡写輪眼は手に入れてこそわかることだけれど、とても強い力を持っている。

 

あの漫画の世界だったら最高峰といえる幻術を扱えて、あの漫画の世界のどんな体術でも、忍術でも、幻術でも、仕組みを簡単に理解してしまえる。

 

そんな眼は強力であればどんな幻術を看破出来るみたいで、だからこそエヴァが十五年も中学生をしているというのを不思議がらせないための幻術も私には聞かなかった訳で。

 

もう人混みに消えてしまったけれどあの二人がネギくんと小太郎くんだということがわかった訳で。

 

――でも今、私に取ってそんな些細な事よりも気になることがある訳で。

 

「エヴァって、まだエヴァに呪いをかけた人のことが好きなんだね」

 

「………………」

 

私の問いかけに、エヴァは答えてくれない。

 

十五年の片想い――どんな気持ちなんだろうか?

 

今世では恋をしたことがまだなくて、前世では周りのみんなが好きな子に遠くから憧れることくらいしかなくて、そんな子が移り変わっていったくらいで。

 

私には、エヴァの気持ちが良く解らないんだ。

 

だから私は――

 

「でも駄目だよ、エヴァは私のお婿さんなんだからっ」

 

「――ぎにゃっ!」

 

肩に手を当ててくれたまま、私の正面に居るエヴァに出来るだけ色っぽく振舞ってしなだれかかる。

 

それでふぅっと首筋辺りに息を吹きかけてみると――カチンと石みたいに腕の中のエヴァは固まったんだ。

 

すりすりすり、良い匂いのするエヴァの髪に私は鼻を押し付ける。

 

だんだんと、だんだんと、エヴァの腕が私の背中の方に回されるのを感じながら。

 

「ケケケケケ、御主人ガれずダトハ知ラナカッタゼ」

 

私とエヴァの身体に挟まれちゃってるチャチャゼロちゃんからそんな声が聞こえた。

 

途端私の腕を振り払って、チャチャゼロちゃんの肩に手を置きガタガタとエヴァは揺らし始めた。

 

顔はまるでトマトみたいに真っ赤っかで――沈んでいたエヴァの気持ちを誤魔化すことが出来たのかなって、ちょっぴり私は苦い顔をしていたんだ。

 

力になれずに、力になってもらったばかりの私がやっぱり情けなくて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――麻帆良学園祭三日目。

 

その日、麻帆良学園祭は一大イベントに染まっていた。

 

イベントの名前は火星ロボ軍団VS学園防衛魔法騎士団。

 

なんでも火星から来た火星人がロボを率いて地球を侵略してくるらしく、魔法騎士団になってそれを退治するってイベントらしい。

 

エヴァと同じクラスの雪広さんって人がスポンサーになってるみたいで――雪広コンツェルンは世界に名だたる大企業だ――大々的に開始されている。

 

内容は本当にタイトルのまま変な光が出る杖とか鉄砲とかを使ってロボ軍団を倒していくというもの。

 

ロボ軍団は傷を負わせない脱げビーム――服を剥ぎ取るビームみたいだ――を使って拠点に向けて進攻して来てくるから、それを止めるってのがイベントの大まかな流れ。

 

その中でシューティングゲームみたいに点数を競ったりもするみたい。

 

だけどロボ軍団はとっても多くて強いらしくて。

 

そこでお助けキャラとして先生とかネギくんたちが登場、大活躍してるみたいなんだけど――エヴァが言うに魔法使いさんたちなんだってね。

 

エヴァからは魔法は秘匿するものだって聞いてたんだけど――良いのかなぁ?

 

私自身はイベントには参加していない。

 

動きまわったりするのは苦手だし、脱がされるのは恥ずかしいから。

 

エヴァと一緒に変わらず屋台とか、展示を続けている静かなところとかを回ってたりしてたんだ。

 

――日は段々と沈み始めてくる。

 

昼はとっくに過ぎて、少しずつ暗くなり始めてきた頃にそれは起きた。

 

その時私はトイレにいっていて、用を済ませて外に出てきたとき、待ってくれているはずのエヴァとチャチャゼロちゃんはそこにはいなかった。

 

そこは確かに麻帆良学園で、私が入っていたトイレは確かにさっき私が入ったトイレで、目の前に広がる光景は間違いなく麻帆良学園のものだった。

 

――だけどそこはおかしかった。

 

ぐるりと辺りを見渡しても人一人いなくて、まるで世界から隔離された場所みたいな感じだった。

 

不思議に思って、それ以上の不安に駆られて、私は胸元をを握りしめた。

 

そこにある図の学園祭特性カードはなく、くしゃりとエヴァと一緒に選んだ上着にしわが広がった。

 

私は両眼に力を込めて辺りをもう一度見渡す。

 

幻術の世界なんじゃないかと、それだったらこの朱い眼なら看破出来るって信じて。

 

――そこで私は妙な感覚を受けた。

 

もう辺りは暗くなり始めていたはずだった。

 

だけど私のいるこの場所は、まるで昼間みたいに明るかった。

 

違和感が私に囁きかける。

 

けどその違和感以上に、私は誰かに会いたかった。

 

違和感を確かめる前に、世界に一人だけかもしれないという現状から逃げ出したかった。

 

人に見られるのはまだまだ怖かったりするけど、そんな怖さが私は欲しかった。

 

「ママ……パパ……エヴァ」

 

大事な人の名前を呼んで、私は歩きだす。

 

大事な人ともうお別れなんて、私にはあまりにも嫌過ぎたから。

 

てかてか、てかてか、いつもより半分以上も早いペースで私は歩いていく。

 

ぐるぐる、ぐるぐる、誰かいないかと周りを注意して見回りながら。

 

 

 

――それは突然に視界に移り込んだ。

 

気付けば私は両眼を押さえてしゃがみこんでいた。

 

やけどしたみたいに私の朱い眼が熱くなって、まるで瞼の奥の万華鏡がすごいスピードで回転しているみたいな、そんな感覚に襲われた。

 

眼を開くのが私は億劫で、だから私は開くことをせずその場にへたり込んでいた。

 

すると今度は耳に、熱さが舞い込んできた。

 

熱さって言うよりも痛さ――きぃぃんって高い音の後に、どーんと何かが壊れるような音がやってきて――。

 

どれくらい経ってからか、ようやく熱さも引いて開くことが出来た私の両眼には―――何故か壊れ砕けた麻帆良の街並みが飛び込んできて。

 

その壊れた麻帆良の上で、暗い黒い眼をした白髪の男の人が私に世界を印象付けた。

 

ここはきっと、彼のために用意された彼が支配する彼だけの世界なんだと。



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考察その29~世界という名の箱庭~

プロローグ、人物紹介、エピローグを除いて30話で完結させる予定でした。
ですがどう頑張ってもその未来が見えないことに気付きました。
ということで五千文字以上一万文字未満程度の文字数で、分割して投稿していきます。
なお、今回より三人称で執筆しております。


 世界は無数の事柄が繋がり合うことで構成されている。

 過去、現在、未来――それらは事柄の繋がり合いで、一本の筋ではなく十本百本と大凡認識できるような数ではなく、無量大数という人間の表現できる数の限界を越えて、途切れることなく連綿と続くことでようやく出来上がるのだ。つまり世界とは人間が自分で考察できる容量の遥か上を行く存在で、だからこそその中のちっぽけな脈動するタンパク質の塊として人間は世界に存在できる。

 しかし、それを完全に認めて受け入れる人間はごく僅かだ。明確な意志を持ち、欲望を持ち、世界の事柄をひとつひとつ長い時間をかけて解き明かしてきた人間という生物にはそれを受け入れきることが難しい。まるで世界は自分たちが今存在するためにあると、どこかで驕り高ぶった思想を持っている人間には。

 

 ――その男は、どうしようもないまでに人間だった。

 世界は自分を中心に回っているという考えを自分自身に納得させるような事象を経験した男は、それ故にどうしようもないまでに人間だったのだ。

 

「ん~と……ごめんな、せんせ。うち、せんせのことは好きやけど、その好きとは違うんや」

 

 申し訳なさそうな表情は下へと動いて隠れ、艶やかな黒髪を生やした形の良い後頭部が男の眼に映った。

 告白した少女に振られた――何のことはない、きっと誰だって経験するような当たり前の事柄が男に訪れただけの、ただそれだけの話だ。上手くいくはずだと、きっと満面の笑みで迎え入れてくれると、そう信じて伝えた言葉は切って落とされた。

 

「……ハハッ、気にすんなや木乃香。そのかわりすげー良い男と付き合わなきゃいけねーぞ。なんたってこの俺を振ったんだからな」

 

 強がるように漏れ出した言葉は教員免許を持っているわけではないが、男が教師という立場で、少女が生徒という立場で、そんな彼女の前で泣きわめくなどというみっともない姿を見せたくないという男のプライドからだった。

 世界を否定する言葉に思わず呆けそうになった表情を引き攣った笑顔で取り繕い、男は目の前の少女の頭に手を置いた。絹のような手触りが男の皮膚を刺激する。ふわふわと浮き上がる疑問符と、どろどろと煮えたぎるように這い出て来る感情が男の脳裏で混じり合う。少女の頭を撫でる男の手はぎこちなく、油の切れたぜんまい人形のように動いている。

 不意に、このまま手のひらに力を込めてこの頭がい骨を握りつぶしてやろうかという想いが芽生える。あるいは幻想の力を使って思考を操作してやろうかと、あるいは暴力的に己の証を刻みこんでやろうかと。世界にほころびを入れた少女への想いは告白した時と比べて随分と濁り始めていた。――思い返せば少女に告白した時から、もしかしたらそれよりずっと前から、男の想いは濁っていたのかもしれない。男が少女に抱く想いはまっさらな中学生の甘酸っぱい恋慕とは程遠く、ショーケースの中の人形を愛でるそれに似ていたのかもしれない。例えそれが偽りだったとしても、確信を粉々に打ち砕かれたからこそ男は呆然自失だった。

 

「うん、ありがとなせんせ。ほなうちは手伝いに戻るわぁ」

 

 ひらひらと手を振りながら駆けていく少女の後ろ姿が人混みに消えたとき、男はもう歪む自分の顔を制御することが出来なかった。傍で事の顛末を見守っていた人々から小さな悲鳴が上がる。美女と見間違えるほどに整った男の容貌は、いつもの秀麗さをすべて捨て去り、ただえぐみで満ちていた。

 振られるはずがないと男は信じ切っていた。地球が自転をするように、当たり前の出来事として自分と少女は男女の仲になるものだと考えていた。故に学園祭の時期に合わせて発光し、ほぼ十割の確率で男女の告白を成功させる世界樹の魔力から自分と少女を守るように障壁を張って告白したのだが――その展望は無残にも砕け散った。頷くはずの箱庭の中の人形は、男の意思に逆らったのだ。

 

 

 

 ふらふらと男は夢遊病者のように足を進める。気づけば学園祭の喧騒で溢れていたはずの町並みには、人っ子一人見えない。西洋情緒を感じさせる麻帆良は不気味なほどに静かだった。しかし男はそれを気にするでもなく、ぼやけた風景を後ろに流していた。

 

「え~と……どこさここ? いや麻帆良だけど、麻帆良だけども、ほんと何が起きてんの?」

 

 と、そこに石畳を鳴らす男の靴音以外の音が飛び込んできた。どこかで聞いた覚えのある、まだ甲高さを残す少年の声だ。

 

「――ッ!」

 

 声の主は男が歩く通りの端に立つ建物の影から出てきた。きょろきょろ周囲を警戒するように忙しく首を運動させた少年は――制服から見るに麻帆良男子中等部の生徒だろう――男の姿を確認すると同時に猫のように後ろに飛び退いた。金色の髪はワックスかなにかで逆立てられており、彫りの深い端正な顔にのった紅い双眸はじっと睨むように男の方に向けられている。怯えと、それを塗りつぶすような敵意で覆われた視線を受けて、男はふと立ち止まった。

 

「天津神……零児」

 

 少年――田中ギルガメッシュは警戒するように身をかがめて男の名前を呼んだ。

 

「テメェはあの時の」

 

 対して男――天津神零児は視界の焦点をギルに合わせながら気だるそうにつぶやいた。先日受け持ちのクラスメイトに呼び出された場所に出て来た邪魔な人間――自分と同じ転生者であろう少年。

 

「……なぁ、何でテメェはここにいるんだ?」

 

 口は自然に開かれ、言葉が吐き出されていた。

 

「なんでってそんなもん俺だって――」

「おかしいよな。ちっちぇえもんだとはいえ何でテメェみたいなのが、アイツみたいなのが、ここにいるんだ?」

 

 ギルの返答を聞くこともせず、想いはどんどんと音になっていく。

 

「俺は力を手に入れたんだ。俺が好きに出来る、俺の世界を手に入れたんだ」

 

 音はだんだんと張りを帯びてくる。焦点はぎりりと軋むようにギルに合わされ、気づけば拳が痛いほどに握りしめられていた。

 

「お前……一体何を……」

「なのに何で俺の世界は周らねぇ? 麻帆良に来るまでは周ってたんだ。俺の世界が俺の世界として、ナギもラカンも詠春もガトウもタカミチもみんなみんな俺を信用して、信頼して――俺は英雄なはずなんだよ」

 

 今自分は変に笑顔を作っている――そう零児は感じた。目の前の、世界の異物が羽虫のような気を練り始めたことからも、零児はそれを認識できた。何故ならかつて零児が戦場に立っていた時、対する敵は必ず似たような表情をしていたのだから。金色の羽虫は緊張に強張った全身で歯を必死に噛みしめていた。逃げないという一大決心を胸に、恐怖による緊張を押しつぶそうと。

 ――零児にはその姿が酷く煩かった。

 

「ああ、そうか、麻帆良が悪いんだ」

 

 ふと思いつき呟いた言葉に、異常なほど零児は納得できた。零児の頭の中にぽっかりと空いた疑問という穴に、その答えは隙間なくはまりこんだ。そしてその考察は思考の放棄により重く蓋をされて――

 

「原作キャラは惜しいけどよ、めんどくせーことに労力使うのはめんどくせーもんな」

「おっ、おまっ、お前は何をっ!」

 

 石畳を蹴って、拳を握った異物は一直線に零児へと向かって来た。恐らく競技会に出れば二着を遥か後方に置き去りにしてゴールできるような、そんな速さ。だが零児にとって、異物は鈍亀よりも遅かった。

 振り抜かれた拳に合わせて自分の拳を置く。それだけで異物は頬から血を流し、地面に打ち伏せられた。一寸の虫にも五分の魂。だがその魂を気にする人間は極少数だ。多くが煩わしいと周りを飛び回る虫を叩いて潰す。零児もそんな大多数の一人だった。

 

「テオドラprprは出来たんだ。だったらここらで原作ブレイクも悪かねェよなァ」

 

 ――面倒だった。先ほど言葉に出した通り、もう何もかもが面倒だった。

 零児の発言に反応し、足首へと掴みかかってきたギルの手のひらを靴で踏みつけた。靴底と靴下を通じて足の裏に伝わってくる肉の感触になど些細な感慨も抱かず、零児は腹から己に秘める力を爆発させる。気と魔力、純粋な力の結晶は巨大なうねりとなって麻帆良の街並みに牙を突き立てた。

 

 

 

 

 

「遅いな」

 

 不安げな顔を作って金髪の少女――エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルは一人ごちた。

 彼女は現在開催されている麻帆良学園祭に友人とともに遊びに来ていた。とある理由で十五年という長期の間中学生として麻帆良で過ごしているエヴァではあるが、今回のように親しい誰かとこのイベントに参加するのは実は十年ぶりだったりする。それは彼女が強い力を持った存在としてこの地に封印されていたためで、彼女が多くの人間から忘れ去られるような虚ろに囚われた存在だからだ。――まぁ封印と仰々しくいっても何らかの媒体の中に閉じ込められている訳ではなく、力の大部分を削がれただけで、彼女自身はごく普通に麻帆良での生活を行っているのだが。

 

「見テクリャイイジャネーカ」

 

 彼女の座ったベンチの隣に鎮座していた人形がカタコトに口を開いた。二等身の身体を持つ人形は頭と同じくらいあるシルクハットのつばに触れながら、からかうような口調を示している。

 

「……貴様の言う通りか。チャチャゼロ、行くぞ」

 

 エヴァは自分がチャチャゼロと呼んだ人形の言葉を受けると、ベンチから腰を浮かせて行列の出来たトイレへと向かって歩き始めた。

 歩く速度はいつもより早かった。後ろからハエーゾとチャチャゼロから声がかけられるが、エヴァはその言葉に気を利かせるでもなく、小走りのような形となって進んでいく。並ぶ行列を追い越して、背中に注がれる怪訝な視線を気にも留めずエヴァは女子トイレの前まで来ていた。

 

「イタチ」

 

 口から思わず零れた友人の名前は震えるような響きを含んでいた。胸の中に疑いが生まれる――彼女の身に何か良くないことが起きたのではないだろうかと。それが杞憂であってくれと心の内で願いながら、エヴァはスッと目を閉じた。

 エヴァが友人を心配するにはとある理由があった。エヴァの友人――内田イタチはとある事情により長く心を閉ざしていた。それは自分自身に対する後悔と嫌悪を根源にする暗い感情がイタチの心を蝕む蛆のように広がっていったためで、ようやく眼を開いて笑顔で外に出られるようになった彼女にもその傷は生々しく残っている。エヴァが初めて出会ったときのイタチは周囲を拒絶し喚く、自分に怯える子供だった。両親の献身的な介護により、彼女は外の世界への一歩を最近ようやく踏み出し、それは自分のおかげでもあると言って笑うイタチの顔を見たとき、思わず涙してしまったことはエヴァの記憶に新しい。

 

「お嬢ちゃん、割り込みはいけないよ」

 

 だからこそ、そんな彼女が心配だった。行列の前の方から女性の声がかけられる。だがその言葉はもはやエヴァの耳に入っていなかった。トイレに近づくにつれて胸の奥にわき上がった疑いが、入口の前に立った時点で確信へと塗り替えられ始めていた。ざわざわと肋骨の辺りに纏わり付く痒さが気に食わない。エヴァの閉じた瞼に女性の声を起爆剤として力がこもる。

 

「みんな待ってるんだからね。本当に大丈夫じゃなかったらおばちゃんが頼んだげるから、ちゃんと後ろに並ぶんだよ。私も昔は……」

 

 カラカラと笑いながら掛けられる女性の声をシャットアウトしていく。知覚の照準を女子トイレに合わせて、エヴァは集中していった。

 世界には魔法がある――そう言ってどれだけの人間が鼻で笑うかは分からないが、世界に魔法はある。多くの人々が知らない世界の裏側で、想像の中の産物でしかなかった魔法は確かな文化体系を確立させているのだ。魔法があるということは同時に魔法を行使する者がいるということを明言している。エヴァはその魔法を行使する者――魔法使いの一人だ。

 

「ケケケ」

 

 かたかた、隣に立って嗤い顔を作るチャチャゼロはエヴァが遥か昔に作り上げた魔法の産物。無機物に疑似的な人格を与えることが出来るほどの稀有な力量を彼女は有している。封印されているためそんな力の大部分は普段使えないはずなのではあるが、今日は麻帆良学園祭。魔法使いたちによって造られた麻帆良という土地を守るために学園都市全体を覆っている結界は世界樹の発光に伴い弱まり、全盛期とは言えないが――エヴァを縛る封印は世界樹の魔力を利用して張られた結界の力で効力を水増ししているが、エヴァ自身に掛けられた本来の封印もあるため――ある程度の力を今の彼女は取り戻していた。

 そんなエヴァは今、大気に舞う魔力の糸を手繰り寄せていた。その糸は行列を作る女性たちから、女子トイレの中から、そして男子トイレに並ぶ男性たちから、それだけに留まらず麻帆良にいる多くの生物から延びていた。

 人間に限らず生物は、生まれつき魔力という神秘の力を内に秘めている。ただ多くがその力に気付くことがないだけで、その魔力を使って物理法則に反した現象を巻き起こすのが魔法使いという存在だ。魔法使いは、何も魔法使いの家系に生まれなければなれないという限定的なものではない。もちろん、長期にわたり多くの人々に気付かれず暮らしてきた彼らに教えを請う以外の方法で、魔法使いになることは非常に困難であることは確かだ。先人の教えを聞いて知って実行して、その技術を扱えるようになるのはどんな分野でも同じだろう。魔法使いの家系に生まれたほうが、魔法に触れる間口が広いことは間違いない――しかしそれは裏を返して言えば、魔法に触れさえして教えを請えば誰でも魔法を使えるということでもあるのだ。

 

 注意深く、何度も何度も糸を探ってみる。忘れたことのない、忘れるはずのない大切な友人の魔力をエヴァは探す。集中していたからか、つり上がっていた眉はだんだんと下がっていく。閉じていた瞼は押し上げられ、その中の瞳は戸惑いで濡れていた。

 

「イタチッ!」

 

 気づけば友人の名前を叫んで、エヴァは女子トイレの中に飛び込んでいた。そして並ぶ個室の中で唯一魔力を感じさせない個室を目視すると、彼女は躊躇いなくそこに自分の拳を叩きこんだ。幼い手による一撃は木製の扉を当然のように小さな破片へと姿を変換した。

 エヴァは一握りの力を持つ大魔法使いであると同時に夜の種族――吸血鬼でもあった。人外の膂力によって開かれた扉の向こう側に、エヴァの求めた友人の姿はなかった。代わりにあるのは蓋の開かれた便器と、タイルの床に落ちた学園祭特性カード。震える手でそのケースに入ったカードを持ち上げた彼女は次の瞬間、喉の奥から感情を爆発させた。

 

「あんのっクソジジィがぁッ!」

 

 

 

 

 

 エヴァがイタチの身を案じて女子トイレから飛び出した頃、イタチ本人は身を強張らせて目をきつく閉じていた。それは僅か前に急に爆砕した麻帆良の街並みがイタチに襲いかかろうと迫って来ていたからだった。

 性能の高すぎる眼――万華鏡写輪眼を持った彼女は飛び散ってくる欠片のひとつひとつを認識しながらも、非日常の光景に脳は身体を動かすための指令を出せずにいた。ぞっと、芯から思考を冷やすような感覚が彼女の全身を凍らせる。そして訪れるであろう痛みという名の未来を両親と友人の姿を思い浮かべながら待っていた。

 

「君、怪我はないか?」

 

 しかしいつまで経ってもその未来はイタチの身に降りかかることはなく、代わりに気遣うような声が彼女を包み込んだ。

 

「はひ……」

 

 周っているのかが定かではない舌で、イタチはその声に返事した。彼女はゆっくりと瞳を外界に晒していく。映り込んだのは自分の父親よりもふたまわり以上は大きな男の背中だった。大型量販店にでもありそうなジャケットは切れ込みを入れたかのように裂けており、その下にある白いシャツは盛り上がる筋肉により変に張っていた。

 

「そうか、それならよかった」

 

 固まっていた思考がだんだんと溶けていく。周囲には大小さまざまな砕け散った麻帆良の街並みが散乱していた。だがイタチの身には傷一つない。なぜだろうか――そう頭に浮かんだ疑問はすぐに氷解した。振り向いた男の正面にはボロ衣が垂れ下がっていた。

 

「そっ……それ、その……」

 

 自分でもびっくりするような大きな声は、だんだんと尻つぼみになりながら消えていく。強面だがやさしさに彩られた男の顔に合わされていた視界の中心はすぐに下がり、はち切れそうなくらいに膨らんだ胸元辺りをぐるぐるまわっている。

 

「え~と……服かな? あぁ、これは気にしないで良いぞ。こんな風になるのはしょっちゅうだからな」

 

 エフエフと変わった笑い声。だが精一杯きっと戸惑っているだろう自分の表情を和ませようとしてくれているのがイタチには感じ取れた。だからぱんぱんと軽く太ももにまとわりついた埃を払って頭を下げる。どうして血が流れていないんだろう――そんな疑問が新しく芽を出すが、それは摘み取ってやる。今はただ目の前の男への感謝の気持ちだけを込めて、イタチはその意を差し出した。

 

「えと――うん、ありがとうございます」

「はぇっ? いや、その……うん、気にするな」

 

 男からの返答は戸惑いに満ちていた。そのことをまた不思議に思いながら――だがそれ以上にイタチはとにかく言葉を外に出したかった。喉の奥に引っ掛かった小骨のような違和感が彼女に残る。その正体もハッキリとわかっている。それでもイタチは目の前の男に違和感を問い詰めて険悪な空気を作るよりも、身の無い話で構わないからほがらかな空気で雑談がしたかった。

 この異様な――ほとんど人のいる気配のない街並みが砕け散るという――光景が囁きかけてくることから逃げ出したかったのだ。

 

「あの、私、内田イタチといいます」

「あぁ、これはご丁寧に。範馬と言います」

 

 頭を上げて、もう一度頭を下げる。

 

「それで、その、これからどうされるんですか?」

 

 急な質問だな、と口に出して少し後悔した。範馬と名乗った男はそんなイタチの不安を考えた様子もなく、

 

「爆発の中心の方に行こうかと」

 

 そう静かな印象を抱かせる声で言うと、最初に爆発の起きた方へと向き直った。ドーム状のように積み上げられた瓦礫の上、最初の爆発の後すぐに眼にした白髪の男は空を見つめていた。その視線の延長線上には二つの人影。

 

「あっちの方に知り合いが何人かいるみたいなもので、とりあえず合流するつもりですね。あぁもちろん内田さんを安全なところに――」

「私も行きます」

 

 範馬の言葉をイタチの意思が遮った。

 

「あっ、いやっ、そのっ、すいません……」

「いやいや、謝られなくても」

 

 そして直ぐにわたわたとかぶりを振った。反射で出た発言に、言ってから後悔しているのだ。どうしてあんな言い方を――そう自己嫌悪に陥りだしたイタチだったが、

 

「――危ないかもしれませんよ?」

「……あの、はい……それでも、私も行かせてください」

 

 自分の言葉を撤回することはなかった。それはまたひとっこひとりいないこの空間でただ一人になるという状況に耐えられそうになかったためで、瓦礫の上に君臨する黒く暗い朱と蒼の瞳の男がかつてエヴァにプロポーズしたと勘違いしていた男だったからで。

 

 彼ならきっと何か知っているはず――そんな予感がイタチの中に芽生え始めていた。ここはきっと、彼のための世界なのだから。

 



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考察その30~魔法と人形~

 力の奔流に巻き込まれた――そう感じていたギルは自分の身を襲う浮遊感に閉じていた眼を開いた。視界の先には内にあるふくらみによって押し上げられた黒いスーツ。その向こう側にはいつものような凛とした表情を苦悶に歪めた星野うさぎの顔があった。

 背中と、膝の裏あたりにあるやわらかな棒のような感触。自分は男で、うさぎは女で、そんな彼女にお姫様だっこされているとギルが気付いたのはその時だった。

 この人の気配の少ない麻帆良に自分が移動していた時、夕方を過ぎ始めていた空は昼間に移り変わっていた。夏の訪れに伴って熱くなり始めていた六月の気候。だがこの場所は春のうららかな日のように過ごしやすく、今うさぎの額に浮いている大粒の汗をにじませるような気温ではなかった。

 

「冗談のような力だな」

 

汗は極度の緊張によるものだろう。声はいつも以上に厳しかった。

 

「田中、浮遊の術は使えるか?」

「そのっ、使えないっす」

「そうか」

 

 ぽつりと零し、ギルを抱えたうさぎは徐々に下降する。やがて彼女の足がとある建物の屋上に着くと、うさぎはギルをそこへ下ろした。

 視線はまっすぐと、空から見た際に輪のようになっていた瓦礫の山に注がれていた。ギルもつられて――というよりごく自然に――そちらへと顔を向ける。瞬間、荒縄のようなもので全身をがんじがらめにされたかの錯覚を受けた。視線の先、二対の目の先にあるのは――

 

「天津神先生、何をしてらっしゃるんですか?」

 

 首からかけた星型のペンダントを握りながら、うさぎはそう零児へと問いかけた。零児からの返答はなく、自分の身を縛り付ける朱と蒼が混じり合いおどろおどろしい紫となった眼差しが強くなる。ギルは耳に飛び込む不規則な呼吸音が自分のものだと気付いた。喉の奥に何か大きなものが詰まっているようだった。

 

「まぁ何にせよ、このような破壊活動は目に余るものです」

「………………」

「聞いているのかっ! 天津神ッ!」

 

 語気を荒め、叩きつけるように放たれた音にも、並行して走る睨みつけるような視線にも、始終零児は無反応だった。

 まるで抜け殻のようだ――そうギルは思った。目にするたびに振る舞う、ギルがいうところのテンプレオリ主のような生気溢れた面影は消え失せていた。

 

「田中、お前は逃げろ」

 

 隣からかけられた声にギルはハッとして首を向けた。噛みしめるような口は真一文字、胸のあたりを中心に自分よりはるか大きな魔力がうさぎから湧き上がり始めていた。ぴりぴりと肌を刺激する神秘の力がギルには痛かった。

 

「俺も戦います!」

「お前には無理だ――それがわからないほど馬鹿ではないだろう。それがわかるからこそあの男を知ったその日から、お前は自分と同じような転生者を探していたのだろう」

「――ッ」

 

 微笑みかけるうさぎの言葉にギルは反論することが出来なかった。

 ギルも、うさぎも、そして目の前にいるあの天津神零児という男も、前世を持つ転生者だ。その上自分と零児はこの世界の、恐らく原作であろう漫画を、加えてその二次創作を知っている。だからこそうさぎの言うように、二次創作ではポピュラーなジャンルであるチートオリ主を体現する天津神零児という男を知ったその日から、いつかこんな場面が来るのではないのかとギルは予測していたのだ。

 予測するということは難しい。相手の行動パターンを把握し、戦力を把握し、色眼鏡なしに等身大のその人物を見ることでようやく掛け値なしの予測ができる。ギルはこれまで読んだ二次創作と、文字媒体の中で暴れまわるテンプレオリ主の行動と、零児自身の行動を照らし合わせてそれを予測した――否、予測できてしまった。絶望的戦力差も、身に沁みて解かっているのだ。

 

「安心しろ、お前が惚れている超鈴音には被害が及ばないはずだ。ここは学園長が数年がかりで作ったダイオラマ魔法球の中。まぁ時間の流れは現実世界と同じだが、その分強度は折り紙つきだそうだ」

「学園長が? そんな、あんなぬらりひょんなのに……」

「ぬらりひょんか、良い表現だな。あの人は本当にのらりくらり、何を考えているのかわからない人だ――だがいつだって、私たち麻帆良の人間を守るという強い信念を内に秘めているのさ」

 

 今度は朗らかな笑みを見せてうさぎはまた厳しい表情を作った。うさぎの胸元から魔力があふれ出す。ギルの気など一笑に吹かすことのできるそれは、不定形な姿を帯のような形状へと変え、うさぎの身体を宙へと浮かび上がらせた。

 

「りりかる まじかる ふれいかる 夜空に輝くお星さま 私に力を貸してっ」

 

 普段の姿とはかけ離れた実にかわいらしい――三十路のうさぎが言っているならば間違いなくイタい――台詞とともに、彼女の黒いパンツスーツが剥がれ落ちていく。性格に似合わないフリルの付いたピンクの下着も同様に、出るとこはしっかり出た裸体がギルの前に晒された。そして間をおかず、次々と魔力の帯がうさぎの身体に纏わりついて――

 

「魔法少女セーラースター 星の力でお仕置きしてあげるっ!」

 

 きゃるる~んとうさぎはポーズを決めた。ふっりふりの、白と黄を基調にした服装のうさぎに、ぷっと吹き出すような声をギルは確かに聞いた。

 

「ハハハハハッ! ハはっ、ハハハハハハハハハッ!」

 

 ――というよりも爆笑だった。瓦礫の上で射殺すような視線だけ放っていた零児は腹を抱えていた。ギル自身、魔法関係の師匠である神多羅木から聞いてはいたがマジかと心の中で思ってたりはした。だが現状と、気恥ずかしさなど微塵も見せない真剣な顔のうさぎに、その想いを飲み込んだ。

 

「田中、お前も私が彼女たちの力を望んだように、あの男のように、何か大きな力を秘めているのだろう。だったらそれを手にしてから私と共に戦ってくれ」

 

 頭が熱くなった。じんじんと身体が余すとこなく震えだした。うさぎは先端に星の付いた杖を手に、ギルと零児の間に立った。

 

「これでも学園長には劣るが高畑先生とはいい勝負が出来ると思っている。それに、私は教師で――魔法少女だからな」

 

 首だけ回して不敵に浮かべた笑みは女性には似つかわしくなく、だがうさぎには妙に似合った男臭いものだった。

 

「行けっ、田中ギルガメッシュ!」

 

 怒鳴るような声とともに、うさぎは屋上を囲むように設置されていた鉄の柵を弾き飛ばし、零児に向けて矢のように突き進んだ。

 ギルは細胞のひとつひとつを飛び巡る入り混じった感情にもうわけがわからなかった。そしてそのうねりうねった穴の底から一本の腕が外へと這い出たとき、ギルは走り出していた。建物の屋上にあった扉を抜けて、階段を一つ飛ばしで駆け下りていく。やがて建物の外に出て、通路から二人がいるであろう方角を見たとき、星を思わせる煌めく光に眼を覆った。

 

「あぁっ……あぁあ……ああああああっ!」

 

 その光に背を向けて、むちゃくちゃに叫びながらギルは走った。零児のように力を持てず嘆いた日は、それでも彼女の英雄となるために強くなろうと決めた日は、彼女に出会ってその想いを一層強くした日は、強大な力を持つ転生者に絶望した日は、立ち向かい一蹴された日は、そして――もう逃げないのだと誓った日は。積み重ねてきた無駄ではないと信じた日々は、再びうち伏せられこの身に刻まれた恐怖によって破り去られようとしていた。

 

 だがそんな相手と――高畑程度では勝てないと解かっている相手と、うさぎは戦おうとしているのだ。

 すべてを無にする光に睨まれ、それでも気丈に振る舞ううさぎの隣で立ち尽くすことしかできない自分が情けなかった。簡単に枉げられてしまった自分の誓いが悔しかった。惚れた彼女のために、愛しい彼女のために、英雄になると願った自分が逃げているという事実が嫌でたまらなかった。

 

「くそっ……くそっ! クソッ!」

 

 それでも二人から遠ざかるように動く足は止まらなかった。泣き言だけがあたりに木霊する。

 うさぎがギルに見せた背中はまさしく彼の憧れた英雄のもので――彼女の憧れた魔法少女のものだったというのに。

 

 

 

 

 

「あーあー……久々に笑わせてもらったぜ」

 

 砕かれた麻帆良の建物で出来上がった瓦礫の山、その手前に降り立ったうさぎを山の上の零児は嘲るような表情で迎え入れた。

 

「で、アンタはなんでここにいる? 正義の魔法使い様がよォ」

「間違えるな、私は魔法少女だ」

「少女! 魔法少女! クハッ、ハハハはハハハッ!」

 

 再び嗤い始めた零児に、うさぎは至極真面目な顔で問いかける。自分の警戒レベルを極限までに引き上げて、一挙手一投足に気を配りながら。

 

「天津神先生、貴方はどういうおつもりですか?」

「なにが?」

 

 起伏のあった感情の波を平行線へと瞬時に切り替えた零児に、うさぎは気圧されそうになる。能面のような面持ちは端正な顔と相まって、底冷えするような不気味さを感じさせた。

 怖いな――純粋にうさぎはそう思った。『紅き翼の殲滅帝王』。そう称される英雄はこれまで彼女が事を構えたどんな魔物よりも、どんな妖怪よりも、バケモノに見えた。

 

「何がとはこの破壊活動と、生徒に対する暴行についてです。私がとっさに彼の身を貴方の足の下から引き抜かなければ――」

「ミンチになってただろうな。ま、どーでもいいけど」

「どうでも良い、だと……!」

 

 へらへらとした仕草に思わず唇を噛みしめた。それが当然だとでも、それの何が悪いんだとでも、如実に語る口調に脳みそが焼き切れそうだった。これが漫画の世界なら――ギルが言うに漫画の世界らしいが――ブチリという効果音が背後にでかでかと表れていたことだろう。

 

「そんな下らねーことよりよ、星野先生さんさ、俺はアンタに聞きたいことがあるんだわ」

 

 肩がプルプルと震えている。憤怒に満ち溢れたうさぎの様子。しかしその矛先を向けられている零児にとっては些細なことのようで、こちらの状況を気にした態度も示さない。上から下に、位置的な問題もあるのだろうがまるで王と平民のように、主人と奴隷のように、見下した声で零児は口を開いた。

 

「あのクソと知り合いってことはアンタも転生者なのか?」

「……それがなんだ」

「ならアンタらは踏み台転生者ってことだな。なるほど、ようやく納得したわ」

 

 得心したように縦に首を振る零児の言葉をうさぎは理解できなかった。踏み台――つまり手の届かない高さにあるものを取るときに使う台か、あるいは目的の際に足掛かりとして利用する事柄のことだ。転生者と言葉を繋げたということは――しかしギルがそうだと知られているとは驚きだった――後者の意味として使っている訳だ。

 

「まぁ踏み台なら踏み台とさせてもらうがよ……星野大先生様、アンタも思ったことがねーか?」

 

 間違った尊称で、変にへりくだったような――実のとこと馬鹿にしたような声音で零児は続ける。

 

「この世界は俺らに用意された舞台だってことをさ」

「用意された舞台とは随分上から目線だな」

「当たり前だろ、だって俺はオリ主だぜ? アンタらはわき役だろうが、とにかく舞台を好きに演じれる立場に俺はいるんだ。主役がわき役を――俺を引き立てるために、俺を目立たせるためにいる人形と付き合ってやってるんだ」

 

 至極当然だと零児の声のトーンは言葉を断定していた。

 

「そいえばライフメーカーも魔法世界のやつらを人形だと言ってたが……もしかしたらアイツも転生者だったりしてな。ま、めんどくせーしどーでも良いが俺は間違ってねーよ」

「ふざけるなっ!」

 

 零児の常識だと言わんばかりの口調にうさぎは食ってかかった。ギルの手前カッコつけ、大丈夫だと心配させないように言い渡してみたが、うさぎは重々と自分と零児との実力差を自覚していた。今日、この場所で、自分は事も無げに殺されるのかもしれない――明確なビジョンが浮かんでしまう自分の未来予想図に吐き気がしそうだった。

 だがそれでも、零児の発言がうさぎには許せなかった。まだまだやりたいことがある。気心知れた友人と行きたい居酒屋もあるし、着てみたい服もあるし、読んでみたい小説もあるし、男と付き合って結婚だってしたかった。

 しかしうさぎはこの世界を生きる人間で、教師で、魔法少女だったのだ。

 

「人形だと! 私の友が、生徒が、人形だと言うのか! 笑い泣き怒り哀しむ、前世だろうとこの世界だろうと変わらない感情を持った彼らを人形だと貴様は言うのかっ!」

 

 半ば泣きそうな顔になってうさぎは剥き出しの想いをぶちまけ投げつけるが、

 

「そうだろ。所詮、偽りの世界だ」

 

 と、零児は蠅でも払うように告げた。

 

「ふざっ……けるなあぁッ!」

 

 ハスキーボイスなうさぎには珍しく、金切り声をあげると同時に両足は地面を離れていた。杖の先に付いた金色に近い黄色の星へと尖ったような魔力が収束していく。いつものように、当然のように、うさぎは静かに声を紡いだ。

 

「立ち塞がる者に星の光を 集えよ星 眼前を貫く槍とならん」

 

 ――魔法と声は密接に関係している。この世界の魔法使いたちは声を媒体にすることによって魔力を魔法に変換して外界に放出するのだ。魔法使いの各々が持つ始動キーと呼ばれる音の並びで自身の魔力を活性化させ、詠唱によって本来定まった形状を持たない魔力をに方向性を持たせて固定化し、魔法名によって具現化――これが一連の魔法利用のためのステップである。

 しかしながら体系化され、一般化された魔法はそのセオリーを無視して放つ事も可能で、始動キーや詠唱、更には魔法名すら破棄して魔力を魔法へと具現化する魔法使いも多数存在している。それは魔法使いたちが教科書で習い、教師に教えられ、自分の身になじませるように使用し、完全にその魔法が頭の中でイメージできるようになったことにより声を必要としなくなる――無詠唱という技術のひとつだ。

 とは言っても詠唱を破棄したイメージだけの指針では、やはり固定化出来る魔力の量や質は詠唱込みの魔法に劣る上に、強力な魔法になればなるほど具現化に必要なイメージが膨大な量となり、始動キーや詠唱による指針なしに魔力を魔法に変換することは非常に難しかったりするのだが。

 

「スターライト・スピアッ!」

 

 光の奔流は槍のように瓦礫の山を穿った。

 うさぎの場合この世界の魔法使いたちと少し違って始動キーを使用せず、詠唱と魔法名だけで魔法を使うことが出来る。彼女だけが使うことのできる魔法の杖――スターロッド自身が始動キーの役割を果たしていた。その上うさぎが使う魔法は一部を除いてすべてオリジナルのもの――それを開発し、使いこなせるだけのスペックを転生したとき星野うさぎは手に入れたのだ。

 

 山の頂上の一部――先ほどまで零児が立っていたそこは半円状に抉り取られ、ガラガラと麻帆良の残骸が崩れ落ちていた。

 

(当てた……いや、逃げられたっ!)

 

 思うが早いか、うさぎは杖を頭上へと掲げる。そして放った光の槍以上の魔力を込めて、再び言葉を紡ぎ出した。杖の先、その延長線上、遥か天上に浮かぶ零児がうさぎにははっきりと見えた。

 

「襲い来る者に隔たりを 集えよ星 我が身を守る盾とならん スターライト・シールドッ」

 

 杖の先から傘のように、魔力で出来た盾が姿を現した。その盾がうさぎの身を覆い隠すほどに大きくなった頃、うさぎの全身を衝撃が貫いた。金槌に打たれる釘になった気分だった。

 ずどん。ずどん。断続的に降り注ぐ見えない巨人の脚にうさぎの腕がしびれ始める。片手で持っていた腰ほどまでの長さのある杖には両手が添えられており、根を張るように広げた両足は石畳に罅を入れて沈み込んでいく。

 眉間に皺を寄せて、奥歯を砕かんばかりに噛みしめて、うさぎは魔力を放出する。割れようとする魔力の盾に追加の魔力を流し込み、砕け散るのを必死に繋ぎ止めているのだ。ぼたぼたと顎を伝い垂れ落ちた汗は足下に小さな水たまりを作っていた。それでもうさぎは魔力を放出するのを止めることはできなかった――零児は口笛を吹くように無造作に、両手を順番に突き出しているだけだというのに、悠々とうさぎの力を消し飛ばす魔力と気が混ぜ合わされていた。

 

「ぐっ……そっ!」

 

 苦悶の声が同調する表情を突き破り出てくる。気を抜けば一瞬で楽になれる――そんな甘美とも思える未来を惨痛の意志で討ち下し、うさぎは靴型に空いた穴から鉛のような足を取りだした。

 うさぎは零児が拳を引くタイミングに合わせて魔力の盾を霧散させると、海老のように後ろに飛び退いた。抑え込まれ、弄ばれるこの状況からどうにか脱却せねばならないのだ。半分近くに削り取られた自分の魔力に内心舌打ちしながら、残った力でどうにか一矢報いる方法を模索しながら、うさぎはもう一歩後ろに飛んで壁に背中を預けた。

 その壁は――妙にやわらかかった。

 

「しまっ――ッ!」

 

 気付いた時にはもう遅かった。防御の姿勢もとれないまま、内臓のヘしゃげたかのような激痛が背中に走り、うさぎは砲弾のように麻帆良の街並みへと吹き飛ばされていった。石造りの建物にカエルのように叩きつけられ、それでも勢いは止まらずふたつ、みっつと建物に穴を開けていく。

 ようやく動きが止まったとき、うさぎの身体は大小様々な残骸の海に埋もれていた。ふらつく意識と視界の糸をどうにか一本手繰り寄せ、立ちあがろうと足に力を込めるがそれは霧に手を押し込むようで、まるで思い通りにならない。まるで糸の切れたマリオネットだ。

 それでも何とか立ち上がろうと身体中を揺らす。目の前の男を殴りとばしてやらないと気が済まない。

 

「やっぱり踏み台は踏み台、人形のための踏み台に過ぎねー訳よ」

 

 だが、それはうさぎの理屈。風景と人物の境界も曖昧な世界で零児の顔辺りが歪む。そして確かにうさぎは彼の拳が振り上げられるのを確認し――鬼の貌のような幻を見た。

 

 それを見た途端に彼女は奇妙な安心感を覚え、こてりと首を横たえ意識を闇に沈めた。

 



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考察その31~黒い鎖~

更新が非常に遅くなってしまい、申し訳ありません。
あと数羽でこの物語も簡潔となりますが、そこまでお付き合いいただければ嬉しく思います。


 分厚い手の平を貫き、この世界に生を受けて初めて感じた『痛み』に範馬は顔を歪ませた。微かな息遣いを背中で感じながら、肉厚の瞼に押し込められた眼球は淀むことなく目の前の白髪を注視する。天津神零児――この男を見ると範馬はいつも、どうしようもなく胸の奥底から湧き上がる凶暴なうねりを感じさせられていた。しかし今はそのような感情に流されて良い状況ではない。チタン合金のような歯で噛みつぶしながら、冷静を装って口を開いた。

 

「天津神先生、何をされているんですか?」

「――退けよ」

 

 ぎしり。女のように細い彼の指と範馬の手の中で、きしむ音が奏でられたのを確かに聞いた。噛み合わせた歯に力がこもる。少しでも気を抜けば押し返されてしまいそうな力の均衡。この身体を持って生まれてしまったが故に二度と起きることはないと諦めていた現象に、範馬は――

 

「あぁ? なに笑ってやがんだ、テメェは」

「へっ? あ、いや……そんなつもりは」

 

 まとまり切らない、とっさの言葉で零児に対応する。だが突きつけられた眼差しは冷酷な現実を塗りつけるかのように、範馬にその事実をねじ込ませていた。この場に鏡があれば、きっといま歓喜にうち震えている自分の表情を見ることが出来るのだろう――そう、容易に想像させてしまうのだと。

 

 範馬は目の前の零児と同じく転生者だ。そしてこの身体でこの世界に生を受ける前は格闘技観戦か趣味で、自分自身も空手を嗜むただの一般人だった。才能があった訳ではない。今のような強靭すぎる肉体に恵まれていた訳でもない。空手というものが好きで、少しずつ強く、逞しくなっていく自分が嬉しいただの凡人だった。

 

 だが転生する際――自分に絶望しきってしまうほど思いつめてはいないが――地上最強の生物としての肉体を望んでしまったばかりに、強くなっていく嬉しさを無くしていた。同時に、持ってしまった力のぶつけ先も。

 範馬の転生する際に抱いた思考は決して間違ったものではないだろう。男なら誰しも一度は夢見る地上最強。強く在る――なんの小細工もなしに、純粋な肉体のみで、何よりも強く在る。そんなちっぽけな男の夢を望んだだけだ。

 

 故に、範馬は孤独だった。

 優しく愛おしい母親、自分を受け入れてくれた新しい父親、その間に生まれた大切にしたい幼い妹。転生する前と変わらず温厚で寛大な性格の彼には友人も多い。職場でも尊敬する上司にも恵まれた。

 

 ――それでも男は孤独だった。

 前世と変わらず格闘技観戦をする時、友人がスポーツに励んでいた時、生徒が部活動に青春を捧げていた時、範馬はいつもこの肉体を呪った。その場に立つことのできない悔しさと、望んでしまった浅はかな思考とに、身を焦がされるような想いだった。

あの時、あの瞬間、範馬は捨ててしまったのだ。強くなっていく喜びも、積み重ね輝く努力も、その果てにある勝利という名の王冠も。他の誰のせいでもなく自分の手で、範馬はそれらをごみ箱に投げ捨てた。

 だがもう範馬は子供ではない――諦めたのだ。渦巻く本能と感情に理性で蓋をして、このまま一生終えていくのだと思っていた――それで良いと。

 

 けれども今は違う。流れる白髪、宝石のような朱と蒼の双眸、絶世の美女の皮をかぶった目の前の男になら――自分と同じようなバケモノとならば、捨て去ったはずのモノが取り戻せるかもしれない。初めて零児を見た瞬間抱いた、それでも不用意に喧嘩を吹っ掛ける訳にはいかないと自制した想いが、湯水のように湧き上がってきていた。

後ろにいるうさぎはズタボロで気を失っている。今なら――そう、今ならば。

 

「……テメェ」

 

 零児の拳を包み込んだ右手に力がこもる。だらんと垂れ下がっていた左腕は徐々に持ち上がり、結びあわされた指により強固なハンマーが作り出されていく。

 

「ハハッ! イイぜ、雑魚ばかりで飽き飽きしてたんだ。英雄様の道を阻むには中ボスぐらいは必要だよなァッ!」

 

 目には見えない苛烈な気迫が零児の身体から噴き出すのを肌で感じる。ひしひしとした緊張感――前の世の空手の試合の折のような――それとは比べ物にならないほど大きな威圧感。本能が喚起し、肉体が狂喜乱舞する。

 零児の眼はこの場に駆け付けた時と変わらず、ツンドラのように冷たかった。されどその奥で地獄の釜のような強烈な熱気が渦巻いているのを範馬は感じ取った。眉がつり上がり、眉間にしわが寄り、薄い唇から言葉がこぼれた。

 

「くだらねぇ、人形世界の哀れな人形が、クソのような道化が……壊れろよ」

 

 黒く深い呪詛に満ち満ちた音を皮切りに、剛腕と豪腕が交差した。

 片や地上最強の生物という存在に裏打ちされ猛り、片や『千の刃』に匹敵する膂力を『千の呪文の男』を越えるやもしれない魔力によって強化され唸る拳は、双方防御など考えもせずかっぽりと空いた腹に着弾した。

 石畳が薄氷のように割れる。衝突によって生み出された衝撃が気絶したうさぎをごろごろ転がしてゆく。幾万という爆竹が破裂したかのような音が響き渡る。

 やがて砕けた瓦礫が地面に落ち、うさぎの身体が壁にぶつかり動きを止めた頃、かはっという呼気がどちらからともなく発せられた。

 

「天津神先生、あなたは星野先生を傷つけた」

 

 腹を沸騰させるような痛みとごうごうと燃える業火のような頭で、範馬はそう切り出した。

 

「女の人は傷つけてはだめだ。女の人は子供を産む……星野先生は嫁入り前の大事な身体で、いつか会う旦那さんのために大切にしなきゃならないんだ」

 

 零児の手は握ったまま、突き出した拳はまだ腹に触れたまま、矢次に言葉を紡ぐ。

 

「だから俺はあなたを謝らせる。星野先生に、謝罪の言葉を言わせるまで、俺は――」

「ハッ! 取り繕ッてんじゃねェよ」

 

 焦るように滑らせていた言葉を嘲笑う声。掴んでいた零児の拳が前へ前へと進もうとする。先ほどより更に濃く、更に強く、練られていく気と魔力。巨漢の範馬より下にある零児の顔は嘲るような表情に彩られ、見下すような視線とともに吐き捨てた。

 

「振いたかっただけだろうがッ! 誰にも咎められることもなくテメェがテメェ自身の暴力をッ!」

「おっ、俺はっ――」

「イイじゃねェか……イイじゃねェか! それの何が悪いッ! 流石は中ボス、イイ子ちゃんばかりの人形とは一味違うって訳だ」

 

 否定の言葉は霞の如く消え、巨大な疑問が燃えたぎっていた思考を冷やしていく。

 

「力を持った! 誰にも負けねェ、縛られることもねェ、俺の力だッ! 思うがままに生きて何が悪い! 所詮人形だろうがッ!」

 

 ――違う。そう言いたくて、そう言うことができない。この滾るような欲望をぶつけたい訳じゃないのならば――なぜ、傷だらけのうさぎを助けようとしなかったのかと。疑問が思考を奪い去っていく。

 

「ほォら、隙だらけだ」

 

 めりぃと拳が範馬の顔面に突き刺さる。握った手は力なく離れ、二転三転、地面を転がって行った。仰向けに倒れ伏し、広がる視界の彼方、無機質な太陽が昼の光を注いでいる。

 

「踏み台はしょせん踏み台か……めんどくせェ野郎だったが、まァ久々に全力で叩き込めるサンドバッグだったぜィ」

 

 ケタケタと嗤い、悠然と歩を進める零児に範馬は身体が動かなかった――否、動かすことができなかった。地上最強の生物としての肉体と本能は、いまだ少しも緩むことなく、むしろ加速するように範馬を駆り立てようとする。動かせないのは精神だ。黒い自己嫌悪の波にのまれていく。

 何だったんだ――自分は何だったんだ――絡め捕るような己の弱さは鎖のように範馬を地面に縫い付けた。誰にも明かしたことのない、誰に明かすこともできない自分の本心に、零児の声が楔の如く打ちこまれる。抗うことのできない自分の業。そんなどす黒い欲望に罅を入れたのは――

 

「範馬さんッ!」

 

 写輪の少女の声だった。

 

 

 

 

 

 

 消沈し、ぐたりと石畳に張り付いていた巨漢の男は、か細い少女の声が零児自身の耳にはいるかはいらないか、という絶妙なタイミングでがばりと身を起こした。野獣のようなその両眼から、鋭い視線が縛りつけるような意志とともに投げ込まれてくる。とっさに歩みを止めて、零児はにやりと口角を持ち上げた。

 

「中ボスはやっぱりこうでねェとなァ」

 

 茶化すように口笛を奏で、ゆっくりと立ち上がる男――範馬を零児は見つめていた。

がこっ。何かが砕け散る音がして、零児の視界から範馬の姿がかき消えた。筋肉に覆われた脚があった所には砕けた石畳。無残なその様子にまた少し口角を持ち上げて、零児はのんびりと視線を後方へと移していく。

 美しい街並みが無残に汚れた麻帆良の中、あたりより少しだけ背の高い建物の上。右腕にうさぎを、左腕に先ほど声をあげた黒髪の小さな――というより痩せた少女を抱えて範馬は立っていた。消沈しかけていた気迫は再び盛り返し、しかし先ほどのように暴力的な気配は顔を潜め、いつも麻帆良女子中等部の職員室で会う際の範馬の雰囲気を零児は感じ取った。

 

「内田さん、助かりました」

 

 いささか距離が離れているが、低く良く通る範馬の声が零児の耳に飛び込んでくる。どうやら抱えた腕から下ろした少女は内田という名前らしい。そして恐らく彼女も、この状況から顧みるに転生者だろう。

 

「範馬さん……」

「すいません、でももう大丈夫ですから」

 

 つり上がっていた口角は垂れ下がっていく。うさぎをそっとその場に寝かせ、範馬はまた体重を預けた足場を砕いて零児と水平な石畳の上へと降り立った。いつもと変わらぬ――見た目は鬼神、中身はチワワと麻帆良の人々に囁かれる範馬としての姿で。

 

 零児はちらり、離れた建物の上から怯えたような視線を送ってくる少女に視線をやった。そこにふと既視感を感じた。どこかで見たことのあるような、ムズかゆい感覚。だが距離を詰めてくる範馬の手前、気を抜きすぎることが出来ず、とりあえず回転させた脳裏から引き揚げられなかった少女の記憶はなかったモノとして断定し、切り捨てた。

 

「天津神先生、もう一度お聞きします。何故星野先生に対して暴力を振るったんですか?」

「人形だからだよ」

 

 こちらに歩み寄ってくる範馬に短く返し、零児は腹に力を込めた。

 胸に走った衝撃は十年来、零児が英雄と称させる戦争が終わってから感じたことのない強さを持っていた。目の前の男は先ほどの魔法使い――星野うさぎとは一味違う。例えるならば帝国の、龍樹以上の存在感を人側に内包した存在だ。初めて目にした時から解っていた。アレは普通にこの世に生を受けた者ではなく、自身と同じモノなのだと。だからこそ、揃えた右手に気と魔力をからみ合わせる。鋭利に、稀代の鍛冶師が生み出した名刀のように。

安穏としたこの地の空気を振り払い、血と硝煙と骸に彩られた戦場を纏う。

 

「人形は土に還すべきだ……腐った世界は壊されるべきなんだよ」

 

 鼓舞するようにそう言い聞かせ、姿勢を低く頭を下げた零児は奔った。最短距離を直線状に、弓のように身体を引き絞り、矢のように右腕を突き出した。

 ぬっぷり、温かな感触が爪から肘まで到達する。一拍遅れて頭の上から赤い雨が降ってきた。

 

「天津神先生……どうして……」

「俺こそが本物で、この世界は俺のために用意された舞台だからだ。人形は俺のために踊って、気に食わなくなったら俺が壊していいモノなんだよ」

「それでもこの世界にはっ」

「関係ねェよ。俺が自由にして良い、俺は自由にして良い世界なんだからよォ」

 

 かすれた声にそう返し、零児は体内から気と魔力を爆発させる。力の暴風は紙上の鬼の体現者を壊し、街並みを崩し、箱庭を砕け散らせた。

 気づけば耳元に雑踏の音がし、視界が闇と光を混ぜ合わせていた。どうやら目を閉じていたようで、ゆっくりと瞼を開けるとそこには学園祭一色の麻帆良学園の光景が広がっていた。

様々な表情を張り付けた人影の中、見知った人影が目に入った。その人影は零児を見つけると、頭の上でふりふりと手を振りながら小走りに駆け寄ってきた。艶やかな黒髪が美しい、将来きっと美人になることが予想される幼い大和撫子。

 

「せんせ、せんせ、あんな……」

 

 駆け寄ってきた少女――木乃香は零児の正面で立ち止まると、わずかに乱れた息遣いとともに顔を上げる。街灯の光に照らされてか、その他の要因によるものか、彼女の頬は薄紅色に染まっていた。もじもぞと視線が泳ぎ、小さな手が行き場をなくしたかのようにさまよっている。

そして決意したかのようにぎゅっと手を握りしめ、さながら倒れこむように零児へと飛びかかってきた。

 

「うち、やっぱせんせのことが好きやっ!」

 

 眼を閉じて、唇を突き出すように、端正な顔が迫ってくる。

 そう、きっとこれが本来あるべき世界なのだ。かつて読みふけった二次創作のように、自分で妄想し投影した数多の世界のように。やさしい世界、世界の誰もが誰よりも自分に優しくしてくれる世界。己が主人公で、みんなが己に寄り添ってくれて、世界が己にほほ笑んでくれる――そんな――都合の良いおとぎ話のような。

 

 だから解っていた。自分の唇に触れたのはマシュマロのような柔らかな少女の唇ではなく、鋼のように押し固められた拳だということが。

 人間の持つ痛覚を上回るような痛み。口中鉄臭い味が広がり、弾き飛ばされ、吹き飛ばされ、瓦礫の山へと叩きつけられた。

 空にはやはり、脈動を感じさせない無機質な太陽が居座っていた。

 

「あァ、どっかで見たことあると思っていたが」

 

 街の欠片から身を起こし、豆粒のような大きさになった少女を見る。相も変わらずかたかたと肩を震わせているが、その紅の双眸はしっかりと零児を見つめていた。震える唇が語っている――いつから幻術に掛かっていないと錯覚していた、と。

 

「写輪眼……となりゃここはとりあえず、なん……だと……、とでも言っとくか」

 

 こきりと首を鳴らし、零児は立ち上がる。徐々にぶ厚く、太くなっていく範馬の姿を確認し――先のような暴力的な風体を消し去った目の前のバケモノを見捨てるように、血の混じった唾を吐き捨てた。

 

「天津神先生、俺は貴方がどうしてそんな悲しい考えを抱くようになったのか、少しわかる気がします。だから俺は貴方が貴方自身のために闘うことを否定しません……きっと、良い気分なのでしょうから。だが俺には母がいます! 父がいます! 妹がいます! 大切にすべき友人と尊敬する上司と愛すべき生徒とこんな俺を受け入れてくれた麻帆良の地があります!」

「だからどうした踏み台がァッ! 俺は俺の意思で人形だらけの偽りの世界を壊すんだよォォッ!」

 

 誓うような範馬の言葉を自分の意思で握りつぶす。

 黒く、暗く変わってゆく。殲滅の権化と恐れられた戦争の時のように、零児は目の前の男を切り捨てようとする――ではなく、切り捨てた。

 

「ならば俺は愛のために闘おうッ! 母よりもらったこの名を誇りとしてッ!」

 

 巨漢の男――優しき鬼神が咆哮する。びりびりと振動する空気を肌で受け止めながら、零児はふと思った。

 

「俺の名は範馬ケンシロウ! 天津神先生、貴方を止めさせていただきますッ!」

 

 やはりこの世界は、こんな世界は、壊れるべきなのだと。

 



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考察その32~幼き獅子の咆哮~

今回は少し短め。
次は月末までに更新できるように頑張ってみます。


 落ち着かず、だからこそ男は走っていた。さっきからずっと、長らく鍛え続けていた自分の身体に感謝しながら。

 喧騒に満ちていた麻帆良から箱庭のように静かな麻帆良に移されてどれくらい経っただろうか。周囲では静寂と爆音が混ざり合うように広がっていた。恐らく以前年下の友人に見せてもらった気という概念を基にして上空へとはじけ飛んでいく建物。走る男の近くでは、地面の上に這う埃のように小さな砂粒が毬のように跳ねているだけで、彼自身が非現実的なその光景の中心にいるわけではなかった。

そんな目に入るのも恐ろしい、布団を頭までかぶって夢なのだと思いたくなるような状況の中、男は何を思ってかその中心のほうへと向けて走っていた。

 恐ろしい――のだが、そんなことはどうでもよいのだ――

 麻帆良学園都市の清掃を一手に引き受ける株式会社麻帆良クリーンの作業着に身を包んだ天津神一人は、はやるように足を進める。大事な商売道具であるモップなどを投げ捨てて、心配そうな様子でちらと鼓膜を揺らす音源を見ながら。

 雄雄雄と、この世の生き物とは一線を画したような何かの叫び声がまた響き渡った。そして続けざまに起こる爆音。まるでしゃぼん玉のように空に舞い上がる街並みの数々。

 

「零児」

 

 一人は小さく呟くと、回る足にまた力を込める。

 幻想的な――といってもほんわかやわらかではなくひどく無骨だが――光景に、足の向くその事柄の中に入り込んだとしても、自分には何か出来るのだと過信するほど一人はうぬぼれていなかった。長らく拳法を続けているが、女子中学生に負けるような力量だ。石造りの壁だって壊せないし、もちろん建物だって空には飛ばせない。

 それでも一人は落ち着かず、足は止まらなかった。

 

「零児ッ!」

 

 今度は力強く双子の弟の名前を言って、足に更なる力を送り込む。

 箱庭を揺らす騒ぎの中心地には弟がいる――そんな確信めいた想いを胸に一人は走っていた。この世界の、前世からたった一人だけの弟。向き合うことが出来ずに逃げてしまった弟。

 この人っ子一人見当たらない麻帆良のはりぼてに自分が居て、双子の直感のようなもので弟の存在を感じ取ってから、一人はチャンスだと感じていた。自分が居て、弟が居て、弟と戦う誰かが居て。なんともご都合主義な、作為的な印象を受けるこの舞台。

 誰とはわからないが、間違いなく誰かが用意してくれたのだろう。ならその舞台を大いに利用すべきだ。ここまでお膳立てされても逃げたなら――

 

 負の思考が憑りつこうとしてくるが、かぶりを振っておいてゆく。

 振り返る暇があるのならば、立ち止まる暇があるならば、今は向き合い前に進むべきなのだから。

 

 ペースを考えない全力疾走だというのに、不思議なくらい息が切れない。気や魔力といった常識の外にある力は使えないはずなのに、いつまででも走っていられるような錯覚さえ今の自分の身体は感じさせた。中世めいた街並みは後ろへと流れていく。そしてショートカットしようととある路地に身体を入れたところで、一人の足は緩やかになっていき、やがて止まった。

 日の当らない建物の陰に、見知った金色の髪の少年がうずくまっていた。

 

「田中くん?」

「天津神さん……すか」

 

 小さく頭をあげてそれだけ言うと、ギルはまた曲げた足と胸の間に顔を押しこんだ。ちらりと見えた紅眼にはいつものような強い意志を感じさせる光は宿っておらず、飲み込まれたかのように沈んでいた。

 重くのしかかるような沈黙。そしてもう一つ、先ほど聞こえた咆哮。世話になった目の前の少年には申し訳なく感じるが、落ち着かない気持ちが鼓動を加速させる。一言告げてその場を立ち去ろうと思った矢先、諦めたかのような声が聞こえてきた。

 

「すげーっすね、天津神さんの弟。いや、ホントすげーっすわ。俺なんか全然、ホント、全然」

「零児に会ったのかっ?」

「ええ、まぁ……ははっ、会いましたよ」

 

 のっぺり持ち上げたギルの顔は悲壮感に満ちていた。

 

「強かったです。ええ、もう、はんぱねーくらいに。あの星野先生だって絶対無理だ……だから俺なんて絶対、確実に、100パーセント」

「そうか……」

 

 道端に落ちている小石を蹴り飛ばすような適当さで、ギルは手を振ってジェスチャーする。薄い唇は震えていた。

 再びの轟音に、自然と一人の視線は横を向く。今度は瓦礫と一緒に人影が宙に舞い上がっていた。最初にいた場所よりもかなり近づいたせいだろう。浮き上がっている人影の顔が確認できた。弟ではないその男は、一人の見知った顔だった。

 足場のない空中で男は器用に体を回転させると、鬼のように鋭い眼光で下――零児のいるであろう場所を睨みつけていた。そして不意に、男の周りに黒い線のようなものが奔ったと思うと、体の芯を震わせるような焔が周囲を包みこんだ。

 一緒に舞い上がった石造りの建物が燃えていた。まるで幾重にもからみつく蜘蛛の糸のように、焔は瓦礫を焼きつくそうと蠢いていた。

 

「――ッ!」

 

 思わず唇を噛んで、その情景を一人は固唾を呑んで見ていた。そして――破砕音。舞い上がった瓦礫は細かく砕かれ、火山弾のように地面めがけて突っ込んでいった。

 

――雄雄雄雄。また先の声。聞こえていた咆哮の主は宙空の男だったらしい。彼は何もないはずの空中を蹴り、隕石のように蹴り飛ばした飛礫を追いかけて行った。

 

「どこ、行くんですか……なんて野暮っすよね」

 

 そう背中に投げかけられ、踏み出そうと掲げた足はゆっくりと下ろされていく。背後にいる年下の友人は投げ槍だった。

 

「やめときましょうって、絶対無理ですって。どーせ痛い思いするだけです……このダイオラマ球は学園長が作ったらしいですし、何かあってもきっとあの人が止めてくれますって。それに……ネギも……主人公も、いる」

 

 へらへらとした印象を受ける声はだんだんと尻つぼみになっていき、すがりつくような叫び声へと変化していった。

 

「絶対に無理ですって天津神さん! 俺だってあなたには負けない自信がある! 絶対に、間違いなく、俺にだって負けるあなたが行ったって無駄ですって!」

「かもしれないね」

「じゃあなんでっ!」

 

 今度は弟が空へと投げだされていた。追跡するように唸る大地の欠片。それが一瞬で凍りつき、弟の手に触れたかと思うと粉微塵に砕け散った。間を置かず、SF世界の巨大戦艦が放つような極太のレーザーが弟の拳から絶え間なく放たれていく。

 無慈悲に、無情に、地面を這う敵対者を打ちのめそうとする弟の顔は――酷く楽しげだった。

 

「田中くん……俺は弱いんだ」

 

 わずかに顔を緩ませて、一人は振り向いた。蹲っていたギルは血が出るように強く握りしめた拳を地面に押しつけて、決壊しそうな表情で一人の方を見つめていた。

 

「わかるでしょう! 見たら、嫌でも解らされてしまうあの光景が! 無理なんです、俺にも、あなたにも……逃げましょうよ、早くここから……」

「それも良いかもしれないね」

「ならっ!」

「でもならどうして田中くんは俺の弟が見える位置にいるんだい?」

「それ、は……」

 

 思い返してみれば可笑しなことだった。ギルは一人が居た場所よりもずっと破壊の中心に近いところにいたのだ。足が震えて逃げ出すことが出来ないから、逃げ出す気力も奪われてしまったから、だからこの場所にいたのかもしれない。

 だが――本当に叫んだギルの言葉のようにすべてを諦めきっていたのならば、魔法使いとして修羅場を経験しているらしい彼なら這ってでも逃げ出そうとするのではないだろうか。

 

「逃げるならもっと遠く逃げれば良い。さっき言ったように全部を人任せにするならもっと遠くに――でも君は逃げてないじゃないか」

 

 一人の言葉にギルは顔を伏せる。そんな幼い少年の姿を黙って見ていた一人は、否応なしに身体を引っ張る引力のようなものを背後から感じ取った。気も魔力もわからない自分でも解らせてしまう力の固まりが、弟を核として渦巻いていた。

 気づけばギルは一人の隣に立ち、引きつったような表情を浮かべていた。そんな所作も気づかなかったほどに、純粋すぎる力から目が離せない。さながらアレはかの国民的漫画の――多くの少年を絶望にたたき落とした宇宙の帝王ではないか。

 それほどまでの圧倒的力量、圧倒的存在感。だがそれを全くものともしないように空へと跳び上がった鬼は、両手を巨大なハンマーのように組み、力の塊ごと地面にたたきつけた。

 

 がちり、心臓が締め付けられる。

 間髪入れず、極太のレーザーが空へと昇る。

 一人は思わず胸を撫で下ろした。

 

 横を向くこともなく、一人は口を開いた。

 

「弱いんだよ田中くん、俺は弱いんだ。逃げてきた、ずっとずっと……前世の話だけど、俺はずっと逃げてきたんだ」

 

 隣の少年が一人の方へと向き直したのがなんとなくわかったが、彼は首を動かさなかった。

 

「だから俺は行くんだ。弱いから、どうしようもなく弱いから、あいつをきっと止めることなんて出来ないだろうけど、今の俺には逃げずに向き合うことしか出来ないから」

「……それって強いってことじゃないですか」

 

 間を置いて帰ってきた言葉に、同じほどの間を置いて返した。

 

「そうなの、かな?」

「そうですよ」

「そうか……それなら嬉しいよ」

 

 ぶっきらぼうに手を動かし髪を弄る。僅かにだが、一人は落ち着いた気がした。

 

「下手しなくても死にますよ?」

「まぁでもあいつは、零児は、浩次は、俺にとって大事な弟だからさ」

「……ずるいっすよ、ホント、どうしようもなく……だから、俺だってもう――」

「じゃあ俺はそろそろ行くから」

 

 ぽんと金髪の少年の肩を叩く。うつむくギルの方を向き、出来るだけ大人っぽく一人は微笑んだ。同じ転生者として、前世がどれだけの歳を食っていたのかはわからないが、今のギルは少年で、今の一人は大人で、向かう先には弟が居るからこそ。

 小さく息を吸い込んでから口を閉じる。眼も閉じ、頭の中でこよりを作るように散漫していた精神をより合わせて集中していく。弟目掛けてもう振り向かず走り抜けるために。

 

「フハハハハッ! 待て、天津神一人!」

 

 踏み出そうとした足は高慢ちきな笑い声によって掬われる。もう一度ゆっくり足を地面に下ろし、頭の上に手を運んだ。

 

「我こそは英雄、田中ギルガメッシュ! 貴様の行いに我も同行させるが良いわっ!」

 

 振り向いた先ではいつもとは違う雰囲気の、いつもと同じ強烈な光を紅眼に閉じ込めた少年が腕を組んで仁王立ちをしていた。小さく、幼く、されど大きく、強く。

 

「……着いてきてくれるのかい、剣持てぬ英雄?」

 

 不意にずっと閉じられていた頭の中の引き出しから飛び出た言葉は、妙に目の前の少年にしっくりきた。まるでずっとこの少年を待っていたかのようで、自分の中の掛けたピースが埋まるような感覚を一人は胸に抱いていた。

 一人の言葉にギルは応える。傲慢に、無法に、不遜に、無頼に。

その姿は裏世界の実力者に言わせれば、子猫がふぅと威嚇しているようにしか見えないのかもしれない。だが一人には金色の獅子が誇り高く吼えたように感じたのだ。

 

「然り! 勇気在るものよ、貴様のために、何より我のために、我が剣を抜こうっ!」

 

 そう強く言いきると、震える肩を飲み込むような悪役じみた笑みでギルは告げた。

 

「誇れよ我が友、この我を」

 

 ――崩壊を始めた麻帆良の街並み。そのとある路地裏を二つの足音が駆け抜けていく。蹲る者などはもう、誰一人としていないのだ。

 



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考察その33~転生者の友人~

 らーめんと暖簾の掲げられた屋台があった。

 字面だけ見てみれば何の変哲もない事柄である。数席の椅子と、ことこと湯気を上げる鍋が二つ、木造りの容器に均等に並べられた麺。長い顎鬚をたくわえた翁が難しそうな顔で鍋を見つめているが、それは御愛嬌。どこにでもある、何の変哲もない光景のはずである。

 

 ただ、その屋台がある場所が異様だった。

 夜の帳が世界を覆い、その下で巨大な飛行船が悠然とたたずんでいる空。屋台は足場ひとつない空に浮かんでいた。

 

 和装束を纏った翁がかっと目を見開く。すると鍋の中から麺の塊がふわふわと浮き出し、そのまま上下に二度三度、張り付いた水気を振り払うように運動した。満足した様子の翁の顔。それに合わせて麺はあらかじめ用意されていた中華風の器の中へと滑りこみ、乳白色の水面が微かに揺れた。はじめに焼き豚、続いてめんま、最後にネギをひとつまみの器に乗せると、翁はふうと息を吐く。

 

「クソジジィぃッ!」

 

 翁は皺だらけで糸のように細くなった瞼を少し開いた。声のする下方に目を向ければ、金色の髪を振り乱し、人形のように端正な顔立ちの幼女が牙をむいて突貫してきていた。少女は不思議現象満天の屋台には眼もくれず、屋台と同じように闇夜を舞い飛ぶ翁の首に小さな手を食いこませた。

 

「貴様ぁっ、イタチをどこにやったッ!」

「落ち着くんじゃエヴァ」

「これが落ち着いていられるかッ! 何処だッ! イタチはどこにいるッ!」

 

 歳の頃は十ほど。まごうことなく幼子に見える彼女の手に籠る力は万力の如く、翁の枯れ木のような首を締めあげる。その上エヴァと呼ばれた彼女の爪は剣のように鋭く、触れた翁の首から零れる赤い液体で真赤に化粧し始めていた。

 

「そっ、その前に……」

「あァッ?」

 

 がくがくと翁の頭が前後に振れる。エヴァの眼光は突き刺すようで、噴き出す威圧感は恐惶の闇を凝縮して押し込んだかのようで――それでも翁は極めて冷静な声で、飄々とした様子で、彼女へと二の句を告いだ。

 

「らーめんはいかかじゃ? ワシとここの店主の共同制作じゃぞ」

 

 言い終わった頃、翁の腹に幼子の拳が捩じり入れられていた。

 

 

 

 

 

「麻帆良祭挙げての一大イベント、お主ら本当に御苦労さまであった! 大いに遊び、大いに楽しんでくれたじゃろうか? もしそうであるなら学園長としてこれ以上の喜びはないっ!」

 

 眼の前に居るはずの、等身大の学園長。蓄えた立派な顎髭に手を添えながら、彼は麻帆良祭に参加した人々へと言葉を向けた。

 魔法という不可思議に支えられ、宙に浮いた椅子に腰を下ろしたエヴァは首を横へ向ける。麻帆良学園都市の象徴でもある巨大な世界中の傍ら、その大きさに負けない身丈を持った学園長が立っていた。

 正面に立つ学園長がまた口を開く。それに連動するように、世界中の隣にいる学園長も口を開いた。

 

「さて、そこでワシも皆に負けぬようひとつ出し物を作っておったのじゃ。ジャンルで言えばアクション映画になるんかの? もし良ければ皆の者、空へと目を向けてくれればうれしく思うわぃ」

 

 再び眼前の学園長へと視線をやる。その周りをふわふわと、六つの水晶が飛びまわっていた。

 関東魔法協会理事にして麻帆良学園の学園長でもある近衛近右衛門は、その名を世界に轟かせる稀代の魔法使い。恐らく光魔法を基盤に於いて水晶で姿を撮影し、世界樹の側に投影を行っているのだろう。そう推察したエヴァは、不機嫌そうな顔で目の前のドンブリへと箸を差し入れた。乳白色のスープは豚骨ベースで、口に入れたラーメンは自分の思っていたより美味しかった。

 

 ぱん、と学園長が手を叩く。煌々と光る世界樹から一陣の筋が伸びあがり、麻帆良上空を覆うような薄い膜となって広がっていた。音に合わせて出現した夜空のシアターには、瓦礫まみれの麻帆良学園が映し出された。

 

「なお、この空中投影放送は超包子の提供でお送りしておるぞ」

「……嫌味なジジィめ」

「これくらいは彼女も許してくれるじゃろうて」

 

 ふぉっふぉっふぉ、と老人臭さを感じさせる声にエヴァは鼻を鳴らす。ふと目線を下へと移すと数刻前まで空を漂い、炎と雷の競演を見守った飛行船が横たわっていた。その傍でじっと上空の銀幕を見上げる黒髪の少女。呆然とし、やがて総てを理解したかのように肩を落とした彼女の視線に誘われるように、エヴァは視界を移動させた。

 

「オー、血ガ滾ルゼ」

 

 けたけたと無表情の人形が嗤う。どんぶりの隣に腰を下ろした二等身の人形――チャチャゼロは、関節丸出しの小さな腕でシャドーした。

 

「随分と準備が良いじゃないか。貴様の手のひらの上という訳か?」

「ふぉっふぉっふぉ」

 

 人のよさそうな――エヴァには胡散臭く見える――笑みを深く、カウンター越しに置かれた椅子に学園長は座る。その所作に呼応するように、彼曰くアクション映画が動き出した。

 

 崩壊した麻帆良学園には二人の男が映っていた。一人は筋骨隆々の上半身を惜しげもなく晒し、申し訳程度に残った――大事なところはしっかり隠れる――ズボンを履いた鋭い眼光の男。もう一人は陽光に照らされ天使の翅のように広がる銀糸の髪を揺らし、虫が喰ったように少し破れた衣服を着た女性と見間違うほどに整った顔立ちの男。

 

「調子に……乗ってんじゃねェッ!」

 

 激昂し、端正な顔を歪ませ声を張り上げたのは銀髪の男。

 対して獰猛な笑みと共に両腕を掲げ、背中に鬼を背負ったのは筋骨隆々の男。

 

「悪いが調子こかせてもらうぜッ!」

 

 上空の舞台から、自分の目の前に置かれた小さな球体から響いたふたつの声は、人ならざる身を持つエヴァの胆に冷や水を浴びせかけるようだった。

 夜に生き、闇を支配する吸血鬼の真祖――それがエヴァンジェリン・A・K・マクダウェルとしての本来の姿である。『千の呪文の男』と讃えられた英雄によりこの麻帆良の地に封じられたエヴァは、力の大半を世界樹の力を借りることによって削り取られていた。しかしこの麻帆良学園祭の折、発光し魔力を放出する世界樹はその力を弱める。比例するように、彼女の身体を縛る封印の鎖も緩んでいた。

 その上煩わしい太陽は黒い衣に覆われている。エヴァは全盛期とまではいかずとも、弱肉強食のピラミッドにて人間の上に胡坐をかく吸血鬼としての力を取り戻していた。

 

 しかしそれでも――そうだとしても――

 

「それよりイタチは無事なんだろうな? なぁっ?」

 

 カウンター越しに手を伸ばし、エヴァは学園長の襟元を掴んで引き寄せた。ぎぬろ、危うく淀む眼で海千山千の老人を射抜いた。

 

「うむ、安心せぃ。イタチちゃんもこの中におるが、意識を取り戻した星野先生が傍らに居る。彼女が居れば怪我をすることは――」

「誰がイタチちゃんだ! この変態ジジィがッ!」

 

 がぁーと吠えるに併せて長い眉を垂らした翁の顔面に平手を叩きこむ。きりもみしながら吹き飛んだ学園長は思考から弾き出し、エヴァは目の前の魔法球を食い入るように覗き込んだ。

 

 天使と鬼の拳が真正面から、真っ向からぶつかり合う。

 闇夜の主は繰り広げられる光景によって、氷のように冷たく残しておいた脳裏の一領域が広がり、熱くなっていた思考を固まらせていく。

 頭を切り替え、目を皿のように、ダイオラマ球の中からエヴァは友人の姿を探し当てた。確かに学園長の言葉通り、彼女の手を引くようにして走る魔法教師が確認できた。麻帆良学園でも五指の入る実力者、儚く甘い幻想に足を取られないリアリスト、情に熱く己の犠牲を厭わぬ性格。はっきりと自分好みだと宣言でき、英雄でもあるタカミチより安心して物事を任せることが出来ると断言できる魔法使い――星野うさぎの存在に、彼女は胸をなで下ろした。アレが居れば死ぬことはないはずだ。

 

 だが、もしもの時は、仮にこの身が砕かれようとも――

 

「エヴァよ、お主は何故魔力や気などという超常的な力があると思う?」

 

 歯痒さから唇を噛みしめたエヴァに、学園長はまた彼女の正面へと座り尋ねかけた。

 不意に投げかけられた、何とも唐突な質問に、エヴァは真意を測りかねた。が故に、もっとも単純な答えを返した。

 

「そんなもの、在るから在るにきまっているだろうが」

 

 魔法球から顔を起こさないぶっきらぼうな口調。気にした様子を見せるでもなく、独白するかのように近右衛門は続けた。

 

「そうじゃ。極論かもしれぬが在るから在る、それに尽きる。魔力、気、そして霊力、巫力、晶力に神力、霊圧などというものも在るらしいが――そんな力は在るから在るのじゃ」

「ジジィ……お前は何を……?」

 

 ひくり、エヴァの耳が動く。怪訝な感情が筋肉を脈動させ表情を作り、声にも纏わせて外へと出てきた。魔力は知っている。気も然りだ。だがその他の――大凡幻想を体現するであろう――力など耳にしたこともなかった。

 

「ふぉっふぉっふぉ――ワシもじゃ」

「貴様、私をからかっているのかっ!」

「いや、からかってなどはおりはせんよ。ただそのような力もある、ということを聞いただけじゃ」

 

 不敵な笑みが近右衛門の表情を滾らせる。知らない、六百年の時を過ごした自分ですら知らない力。この世界の幻想を支えるのは気と魔力のはず。

 仮定の話をしよう。もしかしたらの話だ。仮定して、もしかしたら、そんな幻想に生きる者たちの常識を覆すモノが在るとすれば、おのずとその結論は見えてきた。

 

「まさか――他次元世界?」

「流石は闇の福音とまで呼ばれた大魔法使い。理解が早いのぉ」

 

 ――世界はひとつではない。これは旧くから魔法使いたちによって伝えられている。誰かがこのエヴァが存在することを許された次元と異なる――つまり異次元の存在を学術的に証明した訳ではない。

 ただ魔法使いたちは知っているのだ。他でもなくその壁を越えて現れた、この世界とは異なる要素を用いて生きる次元漂流者を。彼らは何の前触れもなく現れる。空間に空いた裂け目から、時には満身創痍で、時には家の扉を開けるように気軽に。数百年に一度という長いスパンの中で彼らは現れるのだ。そして時に英雄として、時に魔王として、時に名も無き者として、歴史の中に消えていく。

 

 確かにこの次元の法則と異なる法則を元にして存在する異次元のモノを前提に置くならば、先程近右衛門が言ったことも理解できる。元々の身体を構成する要素が違うのだ。気や魔力に代わる超常的力が使えたとしても何らおかしくないだろう。

 エヴァ自身は次元漂流者に会ったことがなく、紙上でしか彼らの存在を知らないが、成程その力を理解できない歴史家たちが特別な気や魔力として書き記したであろうことが推察できた。いつの世も、頭の良い者たちは自分たちの価値観が絶対だと信じている。彼女はその身に痛いほど経験してきたのだ。

 

「お主はイタチちゃんと呼んでエエかの? 彼女が転生者ということは知っておるんじゃろ」

「ああ……ということはこの中にいる奴らは――」

「左様、お主の思った通りじゃ」

 

 ――自分は転生者だ。

 泣きそうな顔でそう告げたのは、エヴァの大好きな万華鏡が光を映し始めて少し経ってからのことだった。

 

 ――優しいエヴァに甘えて、私は逃げてばかりだった。

 最初から知っていたと――登校地獄により何度も何度も中学生を繰り返していることも、吸血鬼であることも、それでも自分に合わせてくれていたことも。耐えきれず、涙ながらに語るイタチを抱きしめることしかできなかった悔しさは、今もエヴァの胸を疼かせている。

 

 事の詳細はまだ、彼女から聞いていない。ただイタチというエヴァの友人が今押し込まれた箱庭を確立させる気も魔法も無い世界からやってきたことは聞いた。

 その世界では、自分自身が架空の存在として描かれた漫画が在るということも。

 

「……クソジジィ、やはり貴様は殺す」

 

 気付き、溢れだし、止めることをしない魔力は形となり木製の屋台を凍りつかせていく。学園長の顔が固くなった。

 

「何が安全だ! 何が安心だ! このダイオラマ球にかかっている魔法はっ!」

 

 極寒の敵意を敏感に感じ取り、天を裂き地を割るバケモノの競演を見つめていた人形は、何処からか身の丈ほどある刃を携えていた。ぐるぐる、ぐるぐる、頭が廻る。ぴたり止めたとき首は百八十度後方を向いていた。感情の無い、まがい物の瞳は楽しげで、人と変わらぬようだった。

 

「世界樹の発光を利用したのかっ! 解け! 今すぐイタチをこの狂った箱庭から出せッ!」

 

 夜の力を身体に押し込め戦闘態勢になったからこそエヴァは解る。目の前の魔法球には彼女の第六感へと警鐘を鳴らさせる原因が有ると。

 稀代の人形遣いであるからこそエヴァは解る。力を注ぎ込むように世界樹からダイオラマ球に伸びる魔力の糸が在ると。

 闇の福音と称される大魔法使いであるからこそエヴァは解る。隠遁されるようにこの箱庭を覆う魔法陣はとある次元漂流者の記した魔道書に書かれた壁を越える術であると。

 そして何よりも――イタチを想う一番の友人だったからこそエヴァは解った。彼女を心配し、どうにかここから助けてやれないかと必死に考えていたからこそ、目の前の男が恐らく数年がかりで準備した策を、全身全霊を以て看破できたのだ。

 

「無理じゃよ、そういう仕様にしておる。この中におる零児くんの気を失わせんとこの魔法球は解除できん。ワシが死ねばお主が思っている通りじゃ。そうでもせんと零児くんを封じることが出来んかったじゃろうしのぉ」

 

 顔色を変えずに近右衛門は言葉を紡いだ。

 

 その瞬間、エヴァは理解した。先程まで自分をこの地に封じ込めた英雄の息子と、世界の法則を変えようと時を越えて現れた少女が行っていた戦いはまったくの茶番であったのだと。二十二年周期の大発光が一年早まったのは偶然などではなく、この男が世界樹に魔力を混ぜ合わせながら注ぎこんでいたためだ。だから一年早く世界中は飽和量を迎え、大発光現象を起こしたのだ。

 

 世界に魔法を認識させる――時を越えた少女の野望は所詮この狸ジジィの手のひらの上。だからこそ大がかりな準備が僅か二年という月日で誰に知られることも無く行えた訳で、いつでも握り潰せたからこそ少女の行為を英雄の息子の英雄への階梯へと変換出来たのだ。

 冷静に考えればいくら常々麻帆良を覆う認識阻害魔法が有るとはいえ光弾を放つ杖や銃を、隠すことなく空をかけ拳の一撃で建物を瓦礫に変換する魔法使いたちの所業を、可笑しくないと思うはずがないのだ。探ってみればいつもの二重、三重――未来の英雄の一手も読まれていた。

 

 総てはこのダイオラマ球の中にいるモノたちのため。

 世界をひっくり返すとまで囁かれた、戦争が生み出したバケモノを消し去るため。

 それに準ずるかも知れない可能性を摘み取るため。

 

 世界樹大発光の魔力を流用してダイオラマ球を異次元に捨て去るためにこの日は用意されたのだ。

 

「落チ着ケ御主人、会エナクナッチマウゼ」

「糞外道がっ」

「言い訳はせぬ……じゃが、きっと大丈夫じゃよ」

 

 殺したくて殺せないから殺すのだが殺す訳にもいかず殺すのを止めねばならない。

 矛盾を孕み感情だけが先行し、絶対零度となった視線に何を思ってか、近右衛門は表情を崩した。そして屋台を浮かせる魔法だけ残し、自身を守る魔力の鎧を脱ぎ去った。

 

「彼ら転生者はワシらの希望じゃからのぉ」

 

 威嚇するエヴァの魔力が近右衛門の肌を凍りつかせる。皮膚が避け、血が滴り、すぐに固体へと凝固する。それでもやさしげな表情を保ったまま、自慢の白ひげを固まらせた翁は口を開いた。

 

「お主は彼女以外の転生者にあったことがあるかの?」

「ないっ!」

「まぁそうは言わず思い返してみてくれぬか。きっとお主なら会っておるはずじゃよ」

 

 紅かった唇は紫色に染まり、それは徐々に別の場所にも範囲を広げていた。ガチガチと歯と歯がぶつかり音を立てている。

 

「御主人」

 

 傍らの従者の言葉。泣き叫ぶように荒れ狂った冷気が牙を潜めていく。

 

「転生者である彼らは実に不思議な存在じゃ。この世界にあるはずの無い技と術を用いる……使えるか使えないかは別問題としても、彼らの使う技術は恐らく他次元世界のモノ」

「イタチッ! イタチッ!」

「……変わったのぅ、お主は。昔とは比べ物にならぬほどに」

 

 魔法陣の発動キーとなる位置には近右衛門から伸びた魔力の糸――眼の前の男を殺すことも出来ない。尋常ならざる魔力を使うが割に合わない効果の為に前例がなく――故に不安定な魔法陣を壊すこと出来ない。ただ叫ぶことしか出来ないエヴァを焦燥した顔で、だが嬉しそうな笑顔で、翁は孫を見るような視線とともに微笑んだ。

 

「彼らはいかようにしてその力を身に付けたのじゃろうか? もし己が力で手に入れたならば彼らは身に余る技に振り回されることなどないはずであろ? それに彼ら転生者とはいったいなんなのであろうかのぅ」

 

 その言葉にエヴァの記憶の片隅で蠢いていた事柄が飛び出してきた。

 

 エヴァは会っていた。

 浅黒い肌の紅い弓兵に。奇抜な口調で服装の白髪の少年に。黒装束に刀を携えた死神に。

 全身から刀剣を噴き出しバラバラになった弓兵に。飛び交う弓矢に抵抗なく貫かれた少年に。誰にも気づかれることなく精神を病ませた死神に。

 

「魔法もない、魔術もない、科学が時代の流れから突出することもなく発展していたはずの世界から一度死に、彼らは来た――ワシらが紙上の者として描かれておる世界から、の。もし彼らの、彼の言っておったことが本当じゃとしたら――」

 

 そこで言葉を止めて、近右衛門は眼を閉じた。

 十秒か、一分か、その間くらいの時間が経って、言葉を続けた。

 

「始まりはどこなのじゃろう? 終わりはどこなのじゃろう? 那由他と並行する世界の壁を越えて、異次元の力を具えてこの世界に来た彼らは……一体何モノなのじゃろう? 如何にして彼らは超常のない世界から壁を越えてやってきたのじゃろう?」

 

 ふわりと翁は椅子の上から腰を上げる。

 身体に魔力を纏わせて、屋台から少しだけ離れた宙に立つ。

 上空の銀幕では背より三対六翼に広がる純白の翅を生やした男と、背に悲しくも優しい鬼の哭き貌を刻んだ男が対峙していた。

 

「人は望む――否、ヒトならざるものであろうとも意志ある存在は希望を願う」

 

 近右衛門の視線は下方へと注がれる。

 

 傷だらけながらも満ち足りた表情を見せる未来から来た少女へと。

 知らない世界に興奮を隠しきれない思慮深い少女へと。

 示される力の頂に感嘆する少女たちへと。

 絡め取られ利用されてしまうかもしれない力を秘めた少女へと。

 またひとつ英雄への道を歩んだ少年へと。

 

「もし共に歩むモノが在れば、もし導くモノが在れば、もし受け入れてくれるモノが在れば、もし賢きモノが在れば、もし強きモノが在れば、もし何物にも縛られぬモノが在れば、もし遍く受け止めてくれるモノが在ればといった具合での」

 

 そして近右衛門は胸に手を置くと、吸血鬼の方へと視線を移してきた。

 

「それがイタチだと……転生者だと言うのかっ!」

「さぁのぅ……ワシのこれは考察に過ぎぬ」

 

 エヴァの声に翁は微笑む。

 きっとそれが答えなのだと言わんばかりに。

 

「であるが先も言ったであろう――彼らはワシらの希望なのじゃ」

 



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考察その34~世界についての己についての世界~

 魔道によって形を成した空の果て、壁の果て、焦慮の視線を吸血鬼から送られる者がいた。細い黒髪と僅かに痩せた頬を乗せる並み以上に整った顔立ちのためか、青さを他者に抱かせる。殊更に、その色を今は深くしていた。

 視線を送られているイタチは友人のそれ気付いていなかった。ただただそれ以上の事柄に心を奪われ、世界樹に背中を預けていた。

 

眼前には見るも無残な更地が広がっている。そして、その更地を広げるもの――虚空を舞う銀髪の男と大地に根差した巨躯の男――がイタチの朱色の瞳に映りこんでいた。小刻みに身体は震えていた。

 

「夢物語の世界だな」

 

 聞こえたのは低い女の声だった。イタチの傍ら、青く染まった腹部を見せるように破けたコスプレじみた衣装を着る女の唇は、ぎりりと音でも立てるかのように強く結ばれていた。

 

「範馬さん、勝てますよね? 私たち、大丈夫なんですよね?」

 

 涙のにおいが隠すことなく付いていた。鼻を啜りながら、女性としてお世辞にも綺麗とはいえない様子で、イタチはそう呟いた。祈るように両手は胸の前で組まれている。先端に星を担う杖を付き、フリルだらけの―――鋭利な美貌のためにコスプレじみて見える――洋服を纏った女性はよろりと立ち上がり言った。

 

「あぁ、大丈夫だろう」

「本当ですかっ!」

 

 聞き返したイタチに麻帆良学園で教師という仕事に就いている星野うさぎは短く答えた。

 

「あの男が背中から妙なものを生やすまではな」

 

 イタチの目線はまた現実離れした世界へと注がれていく。

いや、この世界が現実とは異なる世界だということは知っていた。なぜなら自分は転生者で、隣にいるうさぎも、暴魔の饗宴を繰り広げている二人も転生者だからだ。三対六翼を生やした零児には聞いていないが、状況からみて恐らくそうだろう。自分たちは創作の世界に、ファンタジーの世界に、現実より入り込んでしまったのだから。

 

「じゃあっ!」

 

 出してすぐ、イタチは言葉を閉じ込めるように口を覆った。否定もせず黙ったうさぎにその先が想像できてしまうようで、その先が想像したくなくて、熱くなる目頭を伝うものを留めることが出来なかった。空を駆けてここまで自分を逃してくれたうさぎにも、抗い咆える鬼にも、この運命は止めることが出来ないのか。

 

 ぼろぼろと、雨のように落ちる涙を拭うこともせず、どれだけ茫然と立ちすくんでいただろう。

 

「――宿命は定められたもの。意思によって作られた道を人は運命という」

 

 からんころん。額に巻いた手拭いによって逆立った髪を撫でながら、下駄の音に合わせて声の主はイタチの前に現れ――

 

「ま、そんな難しいこと考える前にらーめんでも食うか?」

 

 両手に持ったどんぶりを二人の前に差し出した。

 

 

 

 

 

 空を埋め尽くし降りしきる翅は矢の如く、分厚い筋肉と図太い骨に支えられた巨漢へと降り注いでいた。とっさに前を走る男の上に覆いかぶさり、伏せりながらギルはガトリング銃でも一斉掃射したかの暴音を聞いた。音は消え、顔を上げた先には土煙が広がり、晴れた後には先の巨漢が寝転がっていた。皮膚は破れ、血糊が石畳を染め上げている。

 

「あァ、大したもんだ、アンタはスゲーぜ、俺が褒めてやる。なんたってこの俺にここまでやらせたんだからよォッ!」

 

 心はチワワ、身体は鬼神――そうギルの周りでは称される範馬へと、暴虐の主である零児が投げかけた。口元は緩み、けだるそうな常々の仮面を捨て、興奮し切った様子で零児は続けた。

 

「あァ、だから見せてやる。テメェは極上の人形だッ! だから見せて、俺の全てで――壊してやんよォ」

 

 純白の翅は飛礫のように奔り、プリンを掬うスプーンの如く地面を抉り取ってもその姿を変えず、零児を空へと立たせていた。

 零児の右拳がどんと自身の胸板を打つ。その瞬間、ギルの前身は竦みあがり、一人の上に覆いかぶさっていることも顧みずに失禁した。股下が熱く、尿が衣服を濡らして地面に垂れた。零児の右手には剣の柄のようなものが握られていた。

 

「駄目だァッ!」

 

 自分の身体が跳ねのけられたのを、濡れた地面に落ちてからギルは気付いた。一人は叫びながら立ち上がると、ドーム状に抉られた斜面を滑るように駆け降りていく。そして打ち伏せられた範馬の前に立つと、両手を広げて零児へと感情を投げ付けた。

 

「人を殺しては駄目だッ! 零児ッ、こんなことはもう止めろッ!」

 

 剥き出しの想いに、兄から弟への純粋な想いに、零児は唾を吐きかけた。その目は肉親に向けるものではなく、彼が有象無象に向けるものとなんら違いなくギルには見えた。

 

「黙れ……いつも、いつも、逃げてたテメェが、兄でもなんでもねェテメェが……兄貴面して説教垂れてんじゃねェッ!」

 

 ぎちり、零児の身体から白く光る剣の刀身が顔を出した。その神々しさすら感じさせるそれを目にした時、ギルは悟った。

 

 アレは神代に伝えられる神聖魔妖の力を秘めた武具に匹敵する、天津神零児の宝具なのだと。そして剣が余さず姿を顕現させ、一人と範馬に向かって切りつけられた時、彼らの抵抗など何の問題にもならずに消え去ってしまうのだと。ギルは心で、微塵の疑う余地もなく確信した。

 

 身体はまだ硬直していた。心はまだ恐怖という名の鎖に縛られていた。だがギルは、身体中余すとこなく傷つけて、造られた斜面を転がり落ちた。皮膚が破れ、腫れた頬を血が化粧する。鼻先数メートルに一人と範馬の二人がいる。それがどうしようもなく遠かった。

 

「大丈夫だ、田中君、俺が……立つから、もう、立つから」

 

 身体を持ち上げ、支えにしていた腕が滑りまた巨体を横たえた範馬がそう声をかける。それでもギルは止まらなかった。腕を前へ、一歩前へ、文字通り這ってギルは進む。

 

「芋虫がッ!」

 

 侮蔑の念を込めた零児の言葉を今のギルは体現している。のっぴきなしに、少し前に一人へと宣言した悠然たる姿をかなぐり捨てて、ギルは進んでいく。

 

 ギルは兄弟の間へと辿り着き、震える両足でゆっくり立ち上がった。

 零児は手に右剣を持っていた。飾りげのない両刃剣の様相を持ち、ロングソードと呼ばれる剣に酷似していた。ギルはあれがなんであるか知らないし、見たこともない。だがギルにはそれがなんであるか理解できた。

 

「俺、最強の力で、仲良く砕けろ」

 

 告げると同時に眼前に現れた零児は剣を振りかぶり、ギルを庇おうとする一人よりも速く振り下ろした。

 合わせてギルの世界が突如、緩慢になった。武芸の達人同士の立会で『剣が止まって見える』という現象が引き起こされることがあるというのを聞いたことがあるだろうか。極限まで鋭敏化された感覚は時間延長現象すら身体に引き起こすのだ。ギルは武道の達人ではなく、裏世界に生きる者としては並みの実力がいいところだ。だだ、確実に訪れるであろう死という顎が彼を包み込んだことにより、ギルの肉体は細胞の一欠けらも余すことなく絶叫していた。

 同時に走馬灯がギルの頭を流れていく。この世界の両親のこと、厳しかった修行のこと、中学生として友人と馬鹿をやったこと。そして何よりも大きく、誰よりも大きく思い返されるのは――お団子頭の少女の顔。

 

 彼女の英雄となるために、彼女の英雄として、彼女を好きな一人の男として、ギルは死んでやれなかった。

 

 ――空間に黄金の波紋が浮いた。

 

「嘘……だろ……」

 

 落ちた声は乾いていた。

死をもたらす剣は手に持った剣によって止められていた。

 零児は驚嘆の表情のまま、この日初めて後方へと引いた。

 

 ギルが手に持った剣は珍妙な形をしていた。全長は凡そ三十センチ。一見すればその姿は鉱山で使われるつるはしのようだった。湾曲した柄は黄金で、鞘もまた黄金で、刃は鏡のように曇りなかった。

 ギルは呆けた頭でこの知らない剣を見つめていた。零児の宝具たる剣を受け止めたこれを、ギルは知らないが理解した。王の財宝より出でて、酷く自分の手に馴染むこの剣は――隕鉄によって造られた世界最古の鉄剣。青銅の武器が主流だった時代に作製された、折れず、曲がらず、何より切れる王の権威の象徴だ。

 

「……成程、我にぴったりではないか」

 

 民衆を纏め上げるために、いつはりぼてかもわからない権威を守るために、不倒の誓いを以って生み出した剣。ギルは古き王の姿に自分を重ねた。傲慢かもしれないが、少しだけ彼の気持ちが解かった気がした。

 

「なんで……なんでだァッ!」

 

 最強と己で謳った力があっさりと、以前虫けらのように踏みつぶしたギルに止められて、零児は激高した。遮二無二に剣を振り回す。吹き荒ぶ斬撃の嵐は街を斬り、空を斬り、空間すら斬ってみせた。それでも――一人と範馬に背中を支えられて立つ――ギルの小さな剣は斬ることができなかった。

 

「このッ、俺の剣はッ――」

「天剣デス、聖天使ミカエルの力を宿した剣……であっておるかな、雑種」

 

 はっとした様相でギルの顔を見た零児を、にやり不遜な笑顔で受け止めた。

 何故ギルが零児の持つ剣のことを知っているか――それは一重に彼の持つ宝具によるものだった。まだ世界が一つであった頃、古今東西あらゆる財宝をその手におさめた黄金の英雄王がいた。その宝物庫を身体に宿したギルは、自分自身と財宝の格の違いにより遍くそれを扱うことが出来なかった。だが、あらゆる宝物の原典を納めた財宝庫を宿した彼の身体は、徐々に王の財宝へと順応していったのだ。

 ギルはまだ、世界最古の鉄剣以外の財宝を扱うことが出来ないだろう。しかし彼は宝具に関してのみ、一見でその性質を看破する審美眼を手に入れていたのだ。

 

「なんで……そんな鉄クズが切れねェんだァッ!」

 

 瞬時に接近し、吹き荒れる斬撃という暴風。黄金の剣で零児の剣を受け止めることはできたとしても、ギルはその速さに対応することが出来ない。しかし――この場には鬼がいた。

 

「田中君、俺がサポートしよう」

 

ギルの腕を卵でも扱うように優しく握り、範馬はその切っ先を誘導する。

 

「人形風情がッ!」

「直接触れるのは危ないってこの身体が教えてくれるからね。ちょっとみっともないけど……許してくれるかな?」

「フハハハッ! 良きに計らえぃ」

 

 一人を下がらせ、背面から抱え上げるようにして範馬はギルの剣を握った手を動かす。ふとこの人に零児の剣を受け止められる宝具を出してやればいいんじゃないか、という思いがわき出てくるが、ギルはそれを切り捨てた。切っ先でもこの世界に出てきた瞬間、気絶してしまう自分の未来が容易に想像できたからだ。結局出せなかったではお話にもならない。

 それに――高速で動く零児に合わせて移動する範馬の挙動に意識を持っていかれないように我慢するので精いっぱいだった。ギルは絶叫マシーンにでも乗っている気分だった。

 

「人形のくせになんでッ!」

「それは頭を動かして考えよう、人間だもの」

 

 そろそろ胃に入れた超包子の中華料理が食道を駆けあがり、口に出てこようかという頃、声はまがい物の麻帆良学園全体に響き渡るように聞こえてきた。

 

「片や折れず曲がらずよく斬れるという概念を宿した剣、片や史上最強という妄想を宿した剣。どっちが勝つなんて明白だと思うんだけどねぇ」

「何処だ! 人形が語ってんじゃねェッ!」

 

 周囲をぐるり見渡しながら零児は叫ぶ。そんな彼の様子を気にした風でもなく、声は続ける。

 

「でも、まぁ、この土壇場で立ち上がれるとは思ってなかったけどさ」

 

 今度のそれは自分に向けられている。この箱庭のどこかで、声の主が嬉しそうに笑っているのがギルには感じ取れた。

 

 

 

 

 

 手にはカラオケ店などでよく見る普通のマイク。目の前には突如として現れた大きなモニター。ダイオラマ球全体に聞こえるように話す手拭いを巻いた壮年の男に、うさぎは残ったわずかな魔力を腹で練りながら杖を向けた。肩にはここまで逃したイタチの手が襟元を掴むようにして置かれている。

 

 ――この男は何者だ。

 差し出されたとんぶりを叩き落とし、イタチを庇うようにして男から距離を置いたうさぎの頭の中ではずっとその疑問が浮かびあがっていた。

 

「俺が何者か不安かい? だけど貴女はもう解っているんじゃないですかねぇ、星野うさぎ先生」

 

 問いかけに黙してうさぎは答えない。気も、魔力も、ほとんど感じられない、一般人風の男。だが心の見透かすような言葉を吐いたこの男に、信用の感情は抱けなかった。

 

「まぁ良いや、それは些細なことだからね。それよりもお客さんを待たせちゃ駄目だ」

 

 そう言ってまたマイクを口元に寄せると、モニターの中にいる零児たちを見つめながら男は口を開いた。口調は宛ら、絵本を読み聞かせるような印象を抱かせた。

 

「人間ってさ、素晴らしいと思わないかい?」

 

 出だし、男はそう口火を切った。

 

「壁を壊すんだ。本当なら絶対に壊せないような壁を、決められたはずの天井を、想いの力で人間は壊してしまう……素晴らしいことだと俺は思うね」

 

 清々しいほどの喜色を隠すことなく貼り付けて、男の視線はモニターの中のギルに釘づけられていた。

 絶対に敵わないと思っていた相手に肉迫したギル。その姿をみると、教師として、一人の大人として、誇らしいような気持が吹きあがってくるのは悪いことではないだろう。今の自分の職業を、うさぎは改めて選んでよかったと感じていた。

 

「俺たちは創作の世界に入り込んだ。他の創作や、自分の妄想の力を取り込んで。勿論扱いきれなくて苦労する人たちはたくさんいるみたいだけれども、なんとも不思議なことだよね」

 

 そうふと――零児や目の前の男のような得体のしれない人物の前では有るまじき行為だが――昔に追憶を重ねていたところ、男は話を転換させた。

 

「でもいったいどうやって来たのか、考えたことはあるかい?」

 

 うさぎは転生者だ。前世を生き、この世界で二度目の生を受けた。何故自分がこの世界に来たのだろうかと思い悩んだことは一度や二度ではない。だが至るのはいつも変わらずあの現象。

 神々しさを感じさせる光に導かれて自分はこの世界に来た。そう考えるしか、うさぎには結論が出せなかった。

 

「死んで、変な光に導かれて? そんな訳ないだろう――死んだら生きている人に思い出は残るけど、死んだ人は焼かれて埋められて骨になって腐って無くなる……そんな世界から俺たちは来たはずなんだから」

 

 だがその結論は壮年の男の言葉で真っ向から切り捨てられた。

 確かに――単純に自分が知らなかっただけなのかもしれないが――魔法や気などは所詮創作の中だからこそ存在しえる世界からうさぎはこの世界に来ていた。科学技術が次元の壁を突破できた訳でも、輪廻転生を司った訳でもない。

 だったらどうして――あんな現象が起きたのだろう。

 

 肩を握るイタチの力が強くなり、安心させてやろうとそこに手を添える。そんなうさぎたちの様子を男は気にする様子もなく続ける。

 

「だけど俺たちは今、この世界で、ちゃんとした肉体を持って生きている。不思議だよねぇ」

 

 そこで言葉を止めると、男はうさぎたちの方へと向き直って口を開いた。

 

「ちょっと一歩下がってくれるかな」

「……何故だ」

「良いからさ、ほら一歩下がって」

 

 眉を潜め、睨み付けるかのような視線に臆する風でもなく男は行動を促す。そこで仕方なく、下がった瞬間に一陣の風が吹き抜けた。先程まで立っていた場所には鋭利な亀裂が刻まれており、はらりとうさぎの黒髪が数本地面に落ちた。零児だ。

 男はその様子を満足そうに見送ると、またマイクを口元に当てて話し出した。うさぎはイタチを伴い、そこからもう数歩後退した。

 

「うん、それで良い。で、どこまで話したか……そう、どうしてこの世界に俺たちが来たか、ってところか」

 

 精神を集中させる。目の前の男は自分と同じく転生者なのだ。何かしら危うい力を有していても不思議ではない。自分たちを助けたような行動からして敵ではないのかもしれないが、警戒するに値するものなのは間違いなかった。

 学園長の作りだした魔法球。その様子を監視できるモニターと声を響かせるマイク。関係者だと予想はできたが、やはり信用も信頼も置けなかった。

 

「そこで俺は君たちに問いたい。もしかして君たちは自分が生まれた世界を起点にすべてを考えてはいないだろうか。そうだとしたら……それは大きな間違いだ」

 

 だがその警戒は虚しく、不意の言葉で緩まされる。

 目の前の男は今なにを言っていた――

 

「もと居た前世をAとして、この世界をBとしよう。AによってBが生み出されてAで死んだ俺たちがBの世界に来たんだろうか? そんなはずないよね。神様も仏様もいないAの世界からどうやってもBの世界に来られるわけがないんだから」

 

 光に導かれて転生した。その事実はうさぎの眼を曇らせていた。

転生。一度死んで生まれ変わること。先も言ったが自分たちの前世にそんなオカルトじみた事柄を可能にする超常現象も、科学技術も、なかったはずなのだ。

 

「ふと思い返してみて欲しい。君たちは前世を生きたんだよね、今の身体の前に違う体で生きていたんだよね。だったらどうして精神年齢は年相応なんだい? 身体に精神が引っ張られているのかもしれないけれど、余りに適応しすぎちゃいないかい?」

 

 前世で何をしていたか。思い返すのが普通だろうが、思い返したことがうさぎにはなかった。考え思い出せるのはただ魔法少女に憧れていたという事実のみ。これは、どういうことだろうか。

 

「考えてみれば実に単純だ。俺たちは知っているけれど経験しちゃいない……だから昔はちょっとしっかりしていたのかもしれないけど、今は普通に年相応なのさ」

 

 幼かった頃、眠っていることが多かった。

どうして、なぜ、といった自問自答に苦しむことはなかった。

 異常なくらいにすんなりと、うさぎは転生したという事実を受け入れることが出来ていた。

 

「考え出せば疑問はどんどん浮かぶ。前世の名前を覚えているかい? どんな親から生まれて、どんな友達と遊んで、どんな服を着て、どんな人間だったか」

 

 前世を思い返して悲しんだことがあっただろうか。ふと思い返して泣いたことがあっただろうか。

 ――ないはずだ。そうでなければ赤子の時、自分でまともに動くこともできなかった転生したての時、すぐに気を狂わせていたはずだ。孤独と悲しみに身をすり減らしていたはずだ。

 

「思い出せないはずだ。だけど明確に覚えているものがある――自分の身に宿した力がどんなものだったかと、自分がどうしてその力を宿そうと思ったかと、世界を記した漫画やアニメやゲームや小説や二次創作の内容だけ。明確すぎるくらいに、それは覚えているだろう」

 

 男の言葉通りだった。明確に、異常なくらい明確に、色褪せることなく魔法少女たちの活躍は脳裏に刻まれている。この世界での昔のことは誇りを被ったものもあるというのに、もう三十年以上前に目にしたはずの彼女たちの姿は磨き上げられた刀剣の如く力強い存在感を放っている。

 

「まぁ一部には大切な誰かの存在だけ覚えている人もいるみたいだけどね。ほとんどのやつらがすぐに忘れてしまう、前世への感傷なんてものはさ」

 

 そう言って男はちらりモニターの中の、弟とは似ても似つかないと評判の兄へと視線を送った。

 そしてまた、楽しげに微笑んでから言葉を紡いでいった。

 

「俺たちはいつ生まれたんだろう? 前世で両親の股下から這い出てきたとき?」

「……黙れ」

 

 声は小さかった。だが縋りつくような、泣き叫ぶような声で、うさぎの耳はそれを拾い上げた。

 

「少し話を戻すけれど、Aの世界がBの世界を生んだんじゃない。超常現象を世界の要素に組み込んだBの世界が、CDEF数えきれないくらいにある世界が、Aの世界を生んだんだ」

「黙れェッ!」

 

 うさぎは零児に出会ってはじめて同じ意向を感じた。

 出てくる言葉が想像できてしまった。男が示そうとしている未来が予想出来てしまった。単純に、その未来が恐ろしかった。

 

 人間は他者を憐れむことのできる生き物だ。同情し、可哀想に思い、手を差し伸べる。だがそれは憐れみの対象が自分ではないからこそ出来る事柄であり、もし自分がそうだったらなどという言葉は使ったとしても、性根からそれを考えている者は少ない。

 

「知ってる人もいたみたいだね。だったら簡潔明瞭に結論を言おう――俺たち転生者は数多の世界の数多の人間が望んだ、もしこうだったらという願望が寄り集まってできたモノ。要するに偶像を具現化させて容器に押し込んだモノ」

 

 己の存在を根底から破壊する男の言葉に――

 

「俺たちは希望の光を見たときに生まれた、希望に世の光によって大事に大切に創られた人形なのさ」

 

 うさぎは握った杖をからりと地面に落した。

 



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考察その35~とある兄弟への考察~

少し駆け足気味だった気がしますが最終話。

長い間、更新停止してしまい申し訳ありません。

この作品を読んで下さった読者様方、貴重な時間を本当にありがとうございました。


 転生したと自覚した時、少年は歓喜していた。これで陰鬱とした記憶から抜け出せると。どうしてひきこもったか、なぜひきこもったか、そんな理由は考えたこともなかったが。

 

 魔法世界に辿り着いた時、少年はまた歓喜した。英雄になれると、誰からも称賛され持て囃される英雄になれると。年の頃も五つほどの少年は純粋に信じていた。

 

 戦争に参加した時、少年は己の迂闊さを呪った。初めて人を殺した。有象無象と凡人をなぎ払える力を行使して、柘榴のように頭蓋が弾け飛んだ。

 

 初めて人を殺した時、少年は毎夜毎夜と悪夢に魘された。前世がどうかは知らないが、今世はごく普通の一般人として孤児院に引き取られた少年だ。食うに困った訳でも、生きるために仕方なくでもなく、ただの英雄への憧れで人を殺した少年の精神は悲鳴を上げていた。

 

 紅き翼に入った時、少年は救われたと思った。英雄――間違いなく英雄の集団に入れて、きっと彼らは相手を無力化するだけで殺すことはないと、これで毎夜の悪夢に魘されることもないと。世界はそんな砂糖菓子のようには甘くなかった。

 

 殺した数がわからなくなった時、少年は心の殺し方を覚えた。羽虫を殺すのに心を痛める人間は少ない。羽虫を潰すように、ただ煩わしいと理由をつけて。英雄と呼ばれるのも、そうけたたましく羽音を立てる羽虫どもも、少年にはただ煩わしかった。

 

 少年がもうこんなことをやめようと思った時、少年の性格がそれを許さなかった。めんどくさがりで、めんどくさがり屋の、面倒事が嫌いな天津神零児という人格がそれを許さなかった。這い出す努力が面倒だった。

 

 少年が世界の敵と相対した時、少年は世界の理を知った。造物者に傘下に入れと誘われて、しかし誘いに乗れば人形であることを認めてしまい、少年はただ暴れることしかできなかった。泣きじゃくる子供のように、無様な姿で。

 

 少年が青年になった時、天津神零児は天津神零児として完成していた。めんどくさがりで、努力も嫌いで、鈍感で、仲間のピンチにはスゲー力を出して全部をひっくり返しちまう熱い男として。

 

 青年が麻帆良学園を訪れた時、青年はオリ主だった。それしかもう、青年の進む道は残されていなかった。テンプレで、最低系で、非難の嵐を受ける存在として、思うがままに生きるしかなかった。

 

 青年が兄と再会した時、青年は――

 

 

 

 

 

「何故我にそのようなことを言った!」

 

 モニターの向こう、空を仰いで威風堂々とギルは宣言した。だが金色の髪が揺れ、紅色の瞳が揺らぎ、声が震えているのを男は見逃さなかった。己の矜持を二度と折らないために溢れ出す感情を抑え込んでいるのが手に取るように解る。

 

「さぁ、なんでだろうね」

 

 だから壮年の男は額に巻いた手拭いに触れながら、おどけた口調で返した。

 暴虐を振るっていた天使はその影を潜めるように膨れ上がった威圧感を萎ませ、それと相対していた鬼は悩み耽ったかの様子で自分の手のひらを見つめていた。

 

「どっちでも良いよ」

 

 そんな中、肩に乗った枯れ葉でも払うかのように、軽い口調で返したのは一人。淀むでもなく、揺らぐでもなく、躓くでも押し返されるでも立ち止まるでもなく、ただ零児を見つめながらそう言い放った。

 

「転生者とか、人形だとか、俺にはどっちでも良い」

 

 壮年の男は口元が緩むのを如実に感じ取った。一人が口を開くたびに、頬はどうしようもないほどにだらしなくなっていく。

 一人は腕を突き出し、開いた手のひらを強く握って拳を作る。まずは右拳、次いで左拳。踏み出す足は力強く、一歩一歩と零児の方へと近づいていった。

 

「ただ逃げることなく、弟を受け止めてやる。俺のやることはそれだけだ」

 

 迷いひとつ無い曇りなき表情で、一人はずいずいと歩を進める。その背中は決意の強さを雄弁に語り、後へと続く者たちの道標となった。

 

「我が友の言うとおりだ! 我が名は田中ギルガメッシュ! 鈴の音響く一輪花の英雄であるぞッ!」

「俺も、変わらないさ」

 

 震えの止まった腕を組み、高らかに笑いあげるギル。開いた手のひらに想いを乗せて、やさしく握りしめた範馬。二人もまた踏み出して、一人の後を追っていた。

 その光景がただ愛おしくて、柔和な笑顔が男の顔に浮かんだ。

 

「強くなったねぇ、あのちっぽけな少年が」

 

 思い返すのは二十年ほど前のこと。守ると誓った意志は強く太く育て上げられ、曲がることなく一人をまっすぐ立たせていた。

 

 男はマイクを握り締めて、ゆっくりと口を開く。

 

「それとさっきの質問に答えるよ英雄くん。俺は君たちみたいな人間が、俺の出した答えを越える人間が――大好きだからさ」

 

 ぱちりとマイクの電源を落とし、男は踵を返した。地面には星型オブジェの付いた杖。それを拾い上げ、埃を払って落とすとうさぎに向けて差し出した。

 

「さて、君たちはどうする?」

 

 受け取るうさぎの手はしかと、柄を離さず捕まえていた。気や魔力を自分ではほとんど持っていない男ではあるが、杖を伝ってくる力がそれだと認識できた。静かに、だが力強く、男の肌を刺激した。

 

「教師は生徒を成長させ、生徒は教師を成長させる、か。私もまだまだだな」

 

 自嘲気味に薄く、しかし清々しい笑みが男には見て取れた。

 

「君はどうする、暗き万華鏡」

「わたし、は……私にも、大事な人が……居るから」

 

 訊ねてみれば必要もないほどに、イタチの眼には小さいけれども炎が宿っていた。

 剣持てぬ英雄、星の担い手、暗き万華鏡、優しき鬼神。かつて男が少年だった一人に提示した四人は、時を越えてこの場に集結している。勿論、このダイオラマ球の中に招待しようとして学園長に働きかけたのは自分である。

 それでも、いつどの瞬間でも、一人を含めた五人が道半ばに足を折り、二度と立ち上がることが出来なくなっていても可笑しくなかった。それだけの業を背負い生まれた五人なのだ。扱えない自分に、変われない自分に、背負ってしまった自分に、犯してしまうかもしれない自分に、届かない自分に、絶望しても可笑しくなかった。

 

 だが折れなかった、立ち向かい続けた五人だ。

 誰も残さずこの場で死ぬ――と自分が出した答えに、風穴を開けた五人だ。

 偽りかもしれない世界で生まれ、それでもこの世界で生き抜くと決めた五人だ。

 

 男にはその姿が酷く美しく見えた。あらゆる財宝も、どんな美女も比類ないほどに、足掻く彼らは美しかった。故に男は考えた――約束を守り、世界で一番カッコイイ賢者が仲間になるべきなのだろうと。

 

「だったら大切なモノを護るために、俺に力を預けてみないかい?」

 

 そうすれば自分自身への答えも、いつか超えてしまえるような気がしたから。

 

 

 

 

 

「零児ィッ!」

 

拳を握り、左足を前へ、右足を後ろへ、身体を閉じるように足を地面に置いてつま先が相手を捉える。肩に沿って上げられた左の手の平は相手を掴むように開かれ、右腕は腰辺りに、力を抜いて添えられていた。呼気を整え、気合を練り合わせて深く大きく吸い込んで吐き出す。何千何万と反芻させ、身体に沁み込ませた形意拳の型。その日放たれた中段突きは、これまで一人が放ったどんな拳よりも滑らかに突き進み、目標の腹を貫いた。

 呆けた零児の意識を覚醒させたのは、気も魔力も通っていない一人の一撃によるものだった。

 

「絶望したのか、そんな下らないことでッ! だったら好きなだけ暴れろッ! 発散しろッ!」

「テメェ……だから調子に乗ってんじゃ――」

 

 腹を射抜いた拳。だがまるで零児は堪えていないようで、反撃の拳が迫りくる。速く、性格に顔面に狙いを定めた零児の一撃。だがそれよりも疾く、一人の後方より放たれた範馬の巨拳が零児の顔面を撃ち抜いた。

 

「思いっきりぶちまけて、空っぽになるまで中身ひねり出して、菓子折り持って謝りに回ろう」

 

 そう告げるや否や、背筋を凍らせるような冷気が二人の間を駆け抜けていく。ぱきりという音を耳にして、氷が空間を貪り始めた。締め付ける蛇のように一人と範馬を覆い、鼻先に氷が触れる。だがそこから先、氷は浸食を続けることが出来なかった。一人の眼前で灯る黒い小さな鬼火。それは氷に張り付き、一息に冷気を飲み込んだ。

 

「俺は人殺しだッ! 数え切れねェほどに、引き返せねェほどに殺しまくったんだよォッ!」

 

 気と魔力を混ぜ合わせた純粋な暴力が、巨大な弾丸となって真上から堕ちて来た。世界樹の幹ほどあるのではないかという極太のレーザーは、抵抗しようと剥がされた大地を尽く塵へと還元し、勢いますます盛んに突貫してきた。

 

「だが俺は人形だ。世界の勝手な願望で造られ弄ばれた可哀想なお人形……逆襲したって、反逆したって、なにも可笑しくねェだろうがァッ!」

 

 範馬に抱えられ、跳び逃げようとするが僅かに遅く。飲み込まれるという確信が瞼に重くのしかかる。それでも意地で見開いた一人の眼は、星光が奔るのをしっかりと目撃していた。的確に星型の盾は範馬の足元に現れ、新たなる足場となって太い脚の筋肉を脈動させた。

 

「一人殺したなら十人救えば良い、十人殺したなら百人救えば良い」

 

 悲痛な零児の泣き声に、一人は答えを返す。幼子へと送るようにやさしげに、目上へと送るように尊敬の念を込めて、弟に送るための言葉は親愛に満ち満ちていた。

 

「過去は変えられない……変えられるのは今この瞬間、この先の未来だけだ。ひき返さずに、逃げ出さずに、背負って歩き出せば良い」

 

 人口の太陽を背負い、天より迫りくるは零児。剣の柄を両手に持って、振りかざし急降下してきた。迎え撃とうとするのは黄金の剣を持ったギル。その腕を、身体を背後から範馬に支えられてジッと零児を睨みつけている。

 交差する視線はぶつかり合うばかりで、双方いずれも譲ろうとはしなかった。

 

 だからこそ、一人は何ら躊躇いもなく火花散らす二つの剣の間に躍り出た。

 そしてやんわりと口を開いく。

 

「俺が半分背負ってやるからさ」

 

 迫る剣は勢いを止めず、頭皮から頭蓋、頭蓋から脳症、脳症から首骨、首骨から背骨、背骨から胃、胃から小腸、小腸より肛門を抜け、唐竹に一人を二つに割った。

 

 斬り裂かれた、と確信が持てた。右眼が左半身を、左眼が右半身を、割られているはずなのに変に冷静な気分で二人の自分を一人は見つめていた。

 そしてその理由は、すぐに解った。他でもなく、自身に起こった異変によって。

 

「とある組織にとらわれて、自分の意識を乗っ取られ、剣は兄へと降りかかる」

 

 舌も咽も綺麗に二分割。だったらどこから声を出しているのか非常に不思議だったが、一人には声が出せた。引き攣るような音が、どこかで聞こえたのは嘘ではないだろう。今の一人は非常にスプラッターだった。

 

「斬り裂かれ、倒れ伏し、心臓が止まった時に奇跡が起きる」

 

 それでも声は止まらなかった。止まらないというより、一人は止めたくなかった。聞かせてやりたかった相手が目の前に居たのだ。

 

 声に合わせて奇怪な現象が一人を襲っていた。例えるならば黒い闇を球状にしたようなもの。腹の中から現れたそれは、天津神一人だった総てのパーツを、ギルや範馬の服に沁みついた血すら余さず飲み込んで膨れ上がった。

そして大凡一分にも満たない時間――だが妙に長く、妙に懐かしく、間違いなく嬉しい時間が過ぎた頃、闇から漆黒が這い出した。

 

「弟と同じ三対六翼の翅、弟とは対照的な漆黒の翼」

 

 髪色はいつもよりずっと深いところにある黒とすり替わり、背からは口にした言葉通りの――鴉に酷似した――翅が生えていた。

 

「ルシフェルが担った死剣ライヴ。すべてを許し受け止める懺悔の剣」

 

 右手には全く零児が持つ剣と全く同じ形で、全く異なり切っ先から柄まですべて黒い剣が握られていた。

 唖然とした零児の容貌。その彼へと向けて、薄く微笑みながら一人は告げた。

 

「偽りの記憶かも知れなくても、たとえ人形かも知れなくても、俺は覚えているさ。なんたって俺たち兄弟の大事な思い出だもんな」

 

 鼻を掻き、溜め息をひとつ。一人は零児目掛けて剣を振った。腹で受ける心積もりか、身体と剣との間に零児は自身の剣を滑り込ませた。

 しかしそれは何の意味もなさず、宛ら刀身をすり抜けるように奔った一人の一撃は、袈裟掛けに零児の身体を斬り裂いた。

 

 

 

 刹那、ぱんとかしわ手のような音が響き渡り、零児の魔力が弾けた。白い翅は夢幻のように消え、剣も何もかも消え去っていた。

 

「……なんだよ、それ。結局兄より優れた弟はいねェとでも言いたい訳か?」

 

 太股を打ちすえ、自棄したように吐き捨てた零児に一人はかぶりを振った。

 真っ直ぐに、逃げることなく弟を見つめながら、兄は照れ臭そうに口を開いた。

 

「兄は見栄っ張りなものだからな、弟の前じゃカッコつけたいのさ。弟が居るから、兄はカッコつけられるんだ」

 

 漆黒の翼も剣も消して、生身の一人は生身の零児と向き合った。

 

「絶望したならまず俺を壊してからいけ。総てを壊したい、ってのは総てを受け止めてもらいたいって事だろう?」

「人形が……兄貴面しやがってよォ」

 

 踵を返し、背中を向けた零児の顔は一人には見えない。

 だが今はこれで良い――そう一人は感じていた。

 

 青年が兄と再会した時、青年は弟になった。

 双子の兄と弟は、兄弟となり、世界で唯一の家族となったのだ。

 

「とりあえず謝って、謝って、頭下げたら俺のアパートで酒でも一緒に飲むか?」

「……カルアミルクならな」

 




ちなみにエピローグを一話この後に書くので、もうちょっとだけ続きます。


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それから

エピローグです


 ぴっちりと身体にフィットするようなスーツ。

 その肩口が破れて、胸元も見えていて、今の超は異常なくらいに刺激的だ。

 俺の剣が反応しているのがわかる。

 

 だけど、今はそれよりも優先することがある。

 手には懐中時計――カシオペア。

 麻帆良祭が盛大に終わった夜の下。

 俺の記憶は偽りだったのかもしれないけれど、俺の記憶通りに超は未来に帰ろうとしている。

 

「……往くのか」

 

 動揺が俺の中から湧き上がる。

 喚き散らして、我儘言って、超を引き留めたいという感情に襲われる。

 

 だが――そんなみっともない姿を見せることはできない。

 英雄らしく不遜に、動揺なんてまるでないんだと振舞って、偉そうに腕を組んで俺は告げる。

 

「あア、私は私の戦場へと変えることにするヨ」

 

 いつものようなかわいい笑顔で、いつもよりも満足そうな笑顔で、超はそう俺に言う。

 彼女の人生を捧げた計画は失敗したのだろう。

 でも今の顔を見るだけで、俺にはもう何の言葉もない。

 

 きっと彼女はやりきったのだ。

 

「そうか、ならば凛と立ち往け」

「あア」

「貴様の戦場でも貴様は存分に戦いぬけるだろう」

「……あア」

 

 故に俺は俺を演じる。

 彼女がまた歩き出せるように。

 俺が惚れて惚れて惚れぬいた彼女のままに。

 

「だが何かあれば我を呼べ。必ず超の力になってやる」

「フフッ、そうカ」

「なぜなら我は英雄田中ギルガメッシュであるからな!」

 

 俺は笑う――消えてしまう彼女を心配させないように。

 俺は高らかに笑う――身体を爆発させてしまうんじゃないかという悲しみを振り払うために。

 俺は誇らしく笑う――俺は超鈴音の英雄であるために。

 

「……縁があればまた巡り合えるだろう――ではさらばだ」

 

 それだけ告げて俺は踵を返す。

 走りたい気持ちを抑えて悠然と、威風堂々を心がけて俺は歩く。

 

「ギル」

 

 声がして、それは聞こえないのだと嘘とついて無視をする。

 反応すればもう耐えきれない気がしたから。

 

「ギル」

 

 もう一度声がした。

 気づけば肩に手が添えられて、振り向かされていて。

 

 鼻先をすり合わせるところに超がいた。

 マシュマロよりも柔らかい彼女の唇が、俺の唇と触れ合っていた。

 

 とんと超が離れていく。

 ぼんやりとした頭で、ただただ俺は彼女を見ていた。

 

「ありがとウ、好きになってくれテ。ありがとウ、私を見続けていてくれテ。ギルのおかげで私ハ……まっすぐ生きれタ」

 

 その時の彼女の笑顔は俺が見たどんな笑顔よりも魅力的で、花が咲くように満点だった。

 

「再見、私のヒーロー」

 

 光の粒に飲み込まれ、超の姿は消え去っていく。

 彼女がいたはずの場所にはもう誰もいなかった。

 

 その日、俺は人目もはばからず、声が擦り切れるまで泣き果てた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「行くのか?」

 

 昨夜の喧騒は嘘のように、静寂に染まった麻帆良の街並み。

 街灯が消え、うす明りが世界を照らし出した頃、不意に後ろから声がかかった。

 

「関係ねぇだろ、めんどくせー野郎だな」

 

 こぼれた憎まれ口に苦笑が重ねられた。

 振り向かなくてもわかる――やさしい顔をきっとあいつはしているんだ。

 

「そうか……」

 

 それだけ言うと、あいつは押し黙る。

 いつもそうだ、昔もそうだ――仲が良かった昔はいつもそうだった。

 俺の言葉を待っている。

 

「この世界は人形だらけだ。俺が人形なんじゃなくて、世界がドールハウスなんだよ」

「あぁ」

「物語はこの世界、幻想はこの世界のほうさ」

「そうか」

「そうなんだよ。だからモブ風情が俺に偉そうな口を叩くな、めんどくせー」

「ハハ、悪いな」

 

 反論するでもなく、咎めるでもなく、あいつはそう言う。

 

「だが俺はな、人形はガラスケースに入れて飾って、きちんと掃除するタイプなのさ」

 

 だから俺は言いたいことだけを言う。

 意見なんて聞かねぇ、誰にだって文句はいわせねぇ。

 

「俺は自由にやる」

 

 それだけ言って俺は歩きだす。

 振りむかねぇ、戻らねぇ。

 行く先は帝国、思い浮かべるのはテオドラの顔。

 

「いつでも帰って来い、ここはお前の家がある街だからな」

 

 そんな声に少しだけ立ち止り、俺は吐き捨てる。

 

「人形がえらそうに説教垂れてんじゃねぇ、俺はオリ主だぜィ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ごめんねエヴァ、いろいろと迷惑ばっかりで」

 

 私がぺこりと頭を下げると、ちょっぴりぶすっとしたエヴァはフンと顔を背ける。

 そんないつものエヴァの姿がうれしくて、私の顔はふんにゃり緩む。

 いつもと同じ公園で、いつもと同じベンチに座って、いつものように私は言う。

 

「……わたしね、大学を受けようと思うんだ」

 

 私の言葉にひくり、エヴァの耳が動く。

 きっと聞き耳を立ててる、でもこっちを向かない。

 私は言葉を続ける。

 

「大検受けて、保育士になろうと思うんだ」

「そうか」

「ねぇねぇ、エヴァはどう思う?」

 

 そっぽを向いたままにエヴァは答える。

 ちょっぴり不機嫌そうだと思うのは、きっと私の勘違いじゃないんだ。

 

「ええぃ、そんなものいちいち私に言うな! 勝手にしたらいいだろうが!」

「うん、勝手にする」

 

 びくっ、って、肩がはねたのを私の眼は見逃さない。

 そんな姿がうれしくて、私は胸にあるあったかいものを差し出していく。

 

「さっきも言ったけど、いろいろ迷惑かけるかもしれないよ」

 

 大事に、大切に、一言ずつ紡いでいく。

 

「たくさん大変なことがきっと起きるんだ」

 

 渡すのは何って言ったって――

 

「だけどそれでも、ずっとずっと、私の友達でいてくれますか?」

 

 私の大切な人だから。

 

 差し出した手をちらちら見るエヴァ。

 伸ばそうとして、引っ込めて。

 傍に立っているチャチャゼロさんと茶々丸さんも笑顔だ。

 私も絶対、笑顔になっているんだ。

 

 そして少し経って、ばばーんとエヴァはベンチの上に仁王立ちして私に言った。

 

「……フハ、フハハハハ! イタチよッ! このエヴァンジェリン・A・K・マクダウェルの友人でいられることを噛みしめてありがたがれぃ!」

 

 耳まで真っ赤にして、それを見せないように上を向いて宣言するエヴァへと私は。

 

「うんっ」

 

 手を伸ばして思いっきり抱きしめたんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「えぇえっ! 好きな人ができた!?」

「いや、まだ気になる、という程度なんだが……」

「これも神のお導きによるものでしょう」

 

 血走った目で私を見る友人と、手を合わせて祈る友人に、少し早まった気がしないでもない。

 喫茶店のテーブルを囲み、私はそんな友人たちの姿にため息を一つ落とした。

 

「年上? 年下?」

「年下だが……」

「お仕事は何をされている方ですか?」

「私と同じ教師だ」

 

 次々と覆いかぶさっていく質問に辟易する。

 だが今はこの日常を素直に喜んでおこう。

 この世界こそが、私の生きる世界だと改めて実感させてくれるから。

 

「いやー、やっぱり麻帆良祭万々歳ね。私もー、彼氏出来ちゃったしー」

「気になる程度といっても胸に生まれた思いを自覚しているならそれは愛です。大切に、育んでいくべきでしょう」

「ちょっと、聞きなさいよ私の話もっ!」

 

 さすが聖職者、といった風でシャークティはやさしい笑顔。

 ふてくされた様子の刀子はずずずと音を立てて紅茶を飲んだ――行儀が悪いぞ。

 

 それよりも――この二人は魔法関係者だ。

 あの日、空に映っていたらしい映像が、その中で話された事柄が、全くのフィクションではないと分かっているだろう。

 普段通りに接する二人がありがたいが、なんとなく怖かった。

 

 そんな様子を察してなのだろう。

 ぴんと刀子の指が私の額をはじく。

 

「世間じゃ男の友情男の友情って言うけどさ、女の友情のほうが無敵だと思うのよね」

「刀子、お前……」

「うさぎはうさぎ。ちょっと厳しくて固物で、でもやさしくて素敵なうさぎはうさぎよ」

「友情に資格など必要ありません。ただ想うことができるのならば、それだけで良いのです――立場などは考える要素にもならないことなのですよ」

 

 にやついた顔でテーブルに肘をつきながら、十字を切って祈りながら、そう言いきる彼女たちが私は誇らしかった。

 

「それよりも初デートよ! 一発目のデートが肝心なんだからね!」

「それはよく言われていますね。どこに行くのがよいのでしょうか?」

「ん~夜の海岸線を車で走った後に高級ホテルの最上階でディナーとか」

「……古くありませんか?」

「古くないもんっ!」

 

 思わず顔に笑みが浮かぶ。

 やはりここが私の居場所――私がなんであるかではなく、大切なのはどうあろうとするかだ。

 

「星野先生」

 

 そう改めて感じ入っていたところに、声がかかる。

 手に分厚い本をもって、ぺこりと頭を下げたのは綾瀬だ。

 

「これ、依然頼まれていたものです」

「ああ、すまないな」

「それと先ほどから何やら盛り上がっているようですが、どうやってデートを取り付けるのですか?」

 

 ふと投げかけられた言葉に私の思考がかっちり止まる。

 

「……アドレスってどうやって聞けばいいんだ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「え~、老師は学校辞めちゃうアルか?」

「それは何とも寂しくなるでござるなぁ」

 

 すんすんと興奮気味に鼻を鳴らす古菲に、俺は手に持った煙草を吸いながら答えた。

 

「まぁちょっとやりたいことが出来てな」

「そうなんですか……」

「魔法に関係することかい?」

 

 龍宮の言葉に俺は首を振る。

 魔法がこの世界にある――と知ったのは麻帆良祭の最終日のこと。

 成程、どおりで俺の肉体が人の範疇を遥かに超えているのだと納得した。

 ライオンやトラやホッキョクグマより強い程度ではなく、幻想の世界だけの存在だと思っていたドラゴンなんかより強いからこそ、俺は異常で異常過ぎたのだ。

 

 この世人に欲情していたのも、彼女たちが単純に武道四天王などいう肩書を持っているからではない。

 魔法のある世界でも強く生きる存在だからこそ俺は――

 

「知っているだろうが俺は強い」

 

 俺の言葉に誰一人として否定しない。

 ただそうなのだと、そうあるべきなのだと、訴えかけているような気がした。

 

「だからこの力を俺は誰かのために使いたい。俺の力で誰かの涙を止めてやれるような人間でありたいんだ」

「ではどうするんでござるか?」

「戦争や内紛が起こっている地域に行こうと思っている。そこで子供たちに勉強を教えながら、彼らの生活を守ってやりたいんだ」

 

 まだ火の残る煙草を握りつぶしながら、俺は誓うように言葉を出す。

 塵のようにバラバラになったそれは、風に乗せられ飛んで行った。

 

 ひゅぅ、と、口笛が聞こえた。

 

「やっぱり老師は強いアル」

「そう、なのかな」

「ワタシの師父が言ってたヨ。誰よりも強き者は誰よりも優しき者だテ」

 

 にっこにこの笑顔で告げる古菲にちょっと頭がかゆくなった。

 そして少女はこぶしを握り、俺へと向けて構えを取る。

 

「だからその前にワタシと勝負アル!」

 

 そんな言葉に苦笑で返し、俺は脚に力を込める。

 だんと踏み込み俺は空へと跳び上がった。

 

「逃げたのか?」

「逃げたね」

「逃げたでござるな」

「追っかけっこなら負けないアルよぉっ!」

 

 眼前に広がる空はひどく澄んでいて、何よりも広かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 機械だらけの部屋。

 そこにある椅子に座って、いつものように僕は魔力を吸われる。

 

「……ねぇ」

「なんですか」

「君は僕といて楽しい?」

 

 隣に立ったすごい美人の女の子、セクストゥムに僕は問いかける。

 僕の言葉に少しだけこっちを向いて、唇に手を当てながら、彼女は言った。

 

「……あなたは不思議です。いえ、私がこの場所以外知らないからかもしれませんが」

「ここから出たいとは思わないの?」

「私はあなたの世話をする、主のための人形ですので」

 

 それだけ言ってまたそっぽを向く。

 そんな姿がすごくさみしい。

 

 ここはきっと悪の組織。

 完全なる世界っていう名前はネギまを読んだから見たことがある。

 セクストゥム自体は知らないけれど、彼女とよく似たフェイトは知っている。

 同じシリーズだから――そうセクストゥムは言ってたっけ。

 

 完全なる世界は悪い組織。

 だけどここの一番偉い、いつもマントをかぶっている人はすごく僕に優しくしてくれる。

 だから僕には彼がすごい悪い人にはどうしても見えなくて、ここが本当に悪い組織にはどうしても思えないんだ。

 

 だけどここはフェイトのいる組織。

 コーヒーを飲ませてくれた彼もすごく悪い人には思えないけれど、ここはネギくんと対決する組織なんだ。

 

 きっといつか必ずネギくんがやって来て――その時僕はどうなるんだろう?

 いつも優しくしてくれるマントの人は、フェイトは――セクストゥムは。

 

 だから僕はずっと思っていたことを口に出す。

 

「ねぇ、僕魔法を習いたいんだけど……駄目かな?」

「どうしてです?」

「それは……その、いつもお世話になっているセクストゥムにお礼がしたいから」

 

 僕の言葉に彼女は意外そうな顔を見せる。

 昔と比べて表情が柔らかくなって、優しい顔をするようになったセクストゥムだけど驚いた顔はほとんど初めてだ。

 

 セクストゥムはぱちんと指を鳴らす。

 彼女の指先には小さな水の玉が出来ていた。

 

「先ほどの質問について、楽しいかどうかは分かりませんが退屈はしませんよ」

 

 そこにいるのはいつものセクストゥム。

 だけどその顔が僕には笑っているように見えたんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 俺には記憶がない。

 俺にあるのは数年前以降の記憶だけで、俺の人生はそれからの数年だけ。

 

 そんな俺に解るのは、魔法の使えない俺がなぜがアドリアネー魔法学校にいること。

 それと俺の右手はどんな魔法も消し去ってしまう幻想殺しが付いていて。

 ここの校長から絶対に右手から手袋をはずさないようにって言われていることだけだ。

 

「ちょっと、ここも汚れていましてよ」

 

 まぁ魔法学校にいるっていっても魔法の使えない俺は掃除屋なんですけどね。

 

「はいはい、わかってますよ」

「ちょっとなんですの、その態度は!」

 

 褐色肌に角を付けた、金髪の女の子は苛立たしげに俺に言う。

 ったくさ、俺が何したんだろうねー。

 

 しかし年下の女の子に顎で使われる俺……ああ、不幸だ。

 

「早くしない!」

「わかってますよー。……ってかそこで何してる訳?」

「あなたがサボらないように監視してますの」

 

 ふんすとふんぞり返り、偉そうな感じ。

 お給料もらってるしちゃんと働くって。

 

「そっ、それよりもあなた今度の休みの日は――」

 

 なにかいってるみたいだけど、まぁ俺には関係ないだろ。

 それよりも掃除、掃除だ。

 

「いいぜ、そこが汚れているっていうんなら……まずはそのふざけた幻想をぶち殺す!」

 

 そう言いながら俺はモップを手に走っていく。

 ちょいと臭いセリフだが、なんとなく馴染むんだよなぁ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そこは普通の並木道。

 桜通りと呼ばれる場所で、屋台を引きながら一人の男が歩いていた。

 暖簾にはらーめんと書かれている。

 

「越えたねぇ、答えを。まぁこれからたくさんの試練が訪れて、そのたびに答えが出るんだろうけど、その答えはいつだって俺の答えを越えているんだろうねぇ」

 

 くすくすと笑う壮年の男。

 額には手拭いを巻き、無精髭を少し生やしているが、理知的な印象を見る者に与える男だった。

 

「答えを越えるのはいつだって人の想い」

 

 呟くように口を開く。

 だがその答えは実に確信めいていた。

 

「感情があって、考察が出来て、歩き出せるなら、人形も人間も変わりはない……か」

 

 表情は歓喜一色だった。

 嬉しそうに、楽しそうに、歩く男の足取りは軽かった。

 

「うん、やっぱりヒトは素晴らしいね」

 

 男は歩く。

 何もない並木道を。

 

「さて、そんなヒトを見に行くとしようかな」

 

 風が吹き、青葉の付いた桜の木を揺らす。

 そこにはもう誰一人としていなかった。

 



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転生者紹介~その後~

これは作者がこうかもな、と思った一つの未来です。
なんとなくイメージ壊れるわ―、という人は閲覧注意です。


~世界最強クラスの魔力~

【名前】不明

【所属】セラス帝国

【象徴する希望というモノ】誰にも負けないくらいの魔力

【その後の人生】

いっつも世話をしてくれる女の子のために魔法でも覚えよ、と思い至った少年。

しかし才能はあまりなかったらしく、難しい魔法はなかなか覚えられなかった。

だが基礎スペックが尋常じゃないので基礎魔法が殲滅魔法クラス。

魔法の練習中に完全なる世界の施設を壊してしまったので、借金を背負うハメに。

なんやかんやあってネギたちと戦い、セクストゥム連れて白き翼に入る。

借金は完全なる世界が潰れたときにうやむやになった、ラッキーだ。

その後は遠巻きで魔獣を狩りながら普通に結婚して、子供は出来なかったが普通に幸せな生活を続けた。

完全なる世界崩壊後、何らかの組織に囚われることはなかったという。

 

 

 

~王の財宝~

【名前】田中ギルガメッシュ

【所属】中華料理『超包子』料理人

【象徴する希望というモノ】私だけのヒーロー

【その後の人生】

王の財宝を持って生まれ、ちょっぴりだけ財宝を使えるようになった少年。

普段は英雄(笑)な並の実力者、だけどあの子の前だけでは英雄。

何時か会いに行くという約束を現実にするため頑張っていたら、ファンクラブが出来るほどに鍛え上げられた美麗の青年へと成長する。

英雄は色を好むのだー、と意気込んでいた時期もあったが、肝心なところではへたれ続き。

大学を卒業して少し経った頃、急に姿を消す。

その一年後に一歳になるという子供を抱えてひょっこり帰ってきた。

相手の女の子は15歳らしい――彼の両親はとりあえず顔面がへしゃげるまで殴っといた。

 

 

 

~直死の魔眼~

【名前】不明

【年齢】享年0歳

【所属】どこかの病院

【象徴する希望というモノ】自分にとって不要な人間を殺したいという後ろ暗い感情

【その後の人生】

書くことない……

 

 

 

~優秀な魔法使いとしての才能~

【名前】星野うさぎ

【年齢】30歳

【所属】麻帆良学園中等部数学教員、魔法先生、関東魔法協会役員

【象徴する希望というモノ】正しい導き手

【その後の人生】

三十路にして初めて、神鳴りに打たれるような恋に落ちる。

友人二人にからかわれながら、泣かれながら、足掛け十年ちょっとでゴールイン。

内訳はアドレスを聞くまでに一年、普通にメールが出来るようになるまで三年、電話になるのに四年、初デートに誘うのに三年。

初デートの夜に調子に乗って飲み過ぎて泥酔、次の日に孕まされて帰って来た――責任取ってくれる相手で良かったね。

以後、閉経するまで常にお腹は膨らんでいて、10人近い子供を産んだ。

仕事に関しては生涯現役で数千人の生徒を見送った。

魔法関連についても生涯現役。

ふっきれたらしく、魔法BBA無理すんな→魔法熟女→魔法妊婦→魔法婦人→魔法老婦人→もう止めて魔法婆!みんなのライフはゼロよっ!、という経歴を辿った。

皺だらけのバァさんがふりっふり衣装なのは、もう色んな意味で圧巻だったらしい。

 

 

 

~答えを出す者~

【名前】不明

【所属】屋台のラーメン屋

【象徴する希望というモノ】理の答え

【その後の人生】

一切不明。

2003年度麻帆良祭最終日の夜、学園長と酒を酌み交わしているのを最後に姿を消した。

 

 

 

~万華鏡写輪眼~

【名前】内田イタチ

【所属】特になし

【象徴する希望というモノ】色眼鏡のない視線

【その後の人生】

大検に合格し、20の時に麻帆良大学に入学して保育士となる。

大学の時にできた彼氏と五年の交際を経て結婚。

出産してからは家事と育児に専念し、両親のような幸せな家庭を築いた。

エヴァとの友人関係は彼女が死ぬまで続き、彼女の葬式の日には溶けない氷でできた花束が供えられていたそうだ。

ちなみに御棺に入った彼女には片目がなかったらしい。

彼女の死後、右目に朱い万華鏡を宿した吸血鬼がたくさんの違うことに悩むモノたちを助けたという伝説がまことしやかに語られているが、彼女との関係性は不明である。

 

 

 

~地上最強の生物~

【名前】範馬ケンシロウ

【所属】NGO団体『鬼の貌』代表

【象徴する希望というモノ】比類なき強さ

【その後の人生】

背負ったバックにたくさんの教科書を詰め込んで単身海外へ。

戦場も国境も気にせず身一つで渡り歩き、多くの子供や力ない人たちを救った。

日本人初の世界的な平和賞を受賞したが、授賞式の日も彼は戦場で教鞭を振るっていた。

私生活の面では三十を過ぎて麻帆良学園を訪れた際に結婚を決意、多くの子供にも恵まれた。

どれだけの称賛を受けも、どれだけの賛辞を受けても、彼は若い頃と変わらないままだったそうだ。

定かではないが三世紀に渡ってほど生きたらしい。

 

 

 

~ぼくのかんがえたさいきょうにかっこいいしゅじんこう~

【名前】天津神零児(あまつかれいじ)

【所属】セラス帝国

【象徴する希望というモノ】絶望の先ですべてを壊してしまいたいと願った黒い想い

【その後の人生】

セラス帝国にその人在り、と謳われる将軍に。

口は悪いが国民から絶対的信頼を置かれる守護神としてその名を轟かせた。

一方他国には『殲滅天使』という血も涙もない殺戮マシーンとしての悪名が蔓延していたそうだ。

第三王女であるテオドラ王女と結婚するも、利権はすべて放棄したそうだ。

ちなみに涙を流すテオドラへと彼が手向けた死に際の言葉は『さすがオリ主な俺様、愛されてるぜ』。

死後は慰霊碑を建てられ、護国守護の英霊となったらしい。

 

 

 

~主人公の標準装備~

【名前】天津神一人(あまつかかずと)

【所属】(株)麻帆良クリーン

【象徴する希望というモノ】絶望の先ですべてを受け止め歩き出そうと願った白い想い

【その後の人生】

会社では勤務態度を評価されて部長まで上り詰める。

だがそれ以上は無理だった。

なんでも重役候補だったらしいが、急にいなくなって次の日にひょっこり帰ってくる、という不可解な行動をとることがあったためご破算となった。

まじめな人柄を知る周りの人間からは、非常に不思議な視線を送られていたそうだ。

私生活ではとある女性と結婚。

毎年決まった時期になると妻をつれだって旅行に行っていたらしい。

葬式は教会で行われた。

 

 

 

~それから~

【名前】不明

【所属】アドリアーネ魔法学院

【象徴する希望というモノ】打破する力

【その後の人生】

右手に幻想殺しを持つ少年。

なんやかんやあって白き翼に入る。

なんやかんやあって悪の組織と戦う。

なんやかんやあってそこで友達を作る。

なんやかんやあって英雄になった。

女の子からはモテモテだったらしい。

そげぶ。

 



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あとがき

『転生者についての考察』を読んでくださった読者様、すぷりんがるどです。

私の拙い作品に貴重な時間を割いていただき本当にありがとうございます。

 

この作品はこれでおしまいですので、ちょろっとだけ反省を含めた後書きを残したいと思います。

 

 

 

■題材に『魔法先生ネギま!』を選んだ理由

 

ひとつに戦争と日常とバトルとギャグとラブコメとシリアスが同居した、多少歪でも許される世界観だったということ。

自分なりの皮肉を効かせた短編集を落としても、まぁ何となしに世界の片隅では受け入れられるかな? と思い舞台をネギまに選びました。短編集を繋げて長編にしようと思った時も、彼らの設定が激しく世界から隔離されることはないだろうと考え、踏み切りました。

 

ふたつに初期から様々な状況で、様々な願望を持ったヒロイン候補のキャラが多いということ。

いっそのこと前提をひっくり返した物語にしよう、と思い至ったところ、転生者一人一人にある程度対応できるキャラがネギまにいたことも大きいです。ネギまを読んだ人なら解って頂けるかと思いますが、初期からキャラが多いのに、みんなある程度キャラが立っている。これは自分が考えている以上に凄いことだと思っています。後は転生者を対応させるキャラに合わせて行けば、物語のコンセプトに沿った絡みが何となくできるかな? という感じです。

 

 

みっつにクロスや転生先として選ばれることが多い作品だったということ。

題材として使われ易く、舞台として使われ易い作品だったということ。今はどうなのかはわかりませんが、自分が二次創作を読み漁っていた時代にはネギまを舞台とした作品が本当に多かった。だから何か書こうと思ったときネギまを選び、生み出された幻想の世界から来たという物語の代表例として選んでも大丈夫だと思いました。

 

 

よっつに公式設定として旧世界、魔法世界と異なる二つの舞台となる世界があり、尚且つ『リリカルなのはシリーズ』のようにその他世界の数が少なかったということ。

そもそもに原作の中で他の世界が大量に出てきていたら、この物語のコンセプトが成り立ちません。ですが

 

いつつに結局ネギまが好きなんです!

超が好きです、エヴァが好きです、古菲が好きです、学園長が好きです、タカミチも好きだったりします。魅力的なキャラクターをたくさん描いてくださった赤松先生、本当にありがとうございます。

 

 

 

■反省点

 

そもそもネギまでやる必要がなかった?

原作キャラとの絡みが薄かったですね。世界観も上手に流用できなかったですし、ここは非常に反省すべき点だと思います。これだったらオリジナルでもよかった気がしますね。

 

『転生者こそが人形』というコンセプトのための伏線が薄かった?

これは作者の力量不足です。

うさぎ先生の『自分の知っている世界にある物語と全く同じ魔法少女ものの本がなかった』発言。

弟くんの『造物主も転生者なのかもしれないな』発言。

全体を通して描いたつもりの『前世に対する望郷の念が薄かった』点。

正直これくらいしかなかった気が……ここは大いに反省すべき点ですね。

 

物語序盤のみょうちくりんな文章

もうちょっと地の文や状況描写を増やすべきでした。短編集だからなー、という自分の適当さが間違っていたと反省しております。あれだったら序盤で作品を読むのをやめられる方がおられても仕方がないですね。

 

長い更新停止

これは本当に申し訳ないです。私の怠惰な性格が災いしました。報告だけでも入れとくべきですね。

 

 

 

■この物語にもしメッセージ性なるものがあるとすれば

 

魔法や気なんてものは私たちの世界にはないはずです。

希望の光が具現化して自分たちを助けてくれる転生者もいないはずです。

だから結局現状を変えるのは自分自身の想いひとつです。

大事なもの一つ胸において、ちょっと気合い入れて生きてみましょう――って感じですかね。

まぁなかなか出来ていない私が言うのも偉そうな言葉ですが。

 

 

 

最後になりましたがこの作品を読んでくださった皆様にあらためてお礼申し上げます。

本当にこの拙い作品につき合ってくださってありがとうございました。

 

 

2013年1月31日完結

【作品名】『転生者についての考察』

【作者】すぷりんがるど

【通算UA】101899

【評価合計】1829

【投票者数】258

【感想数】129

 



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