デルトラクエスト ~Another One~ (紺南)
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プロローグ

世はまさに悪鬼羅刹の地獄絵図。

人は奴隷同然に扱われ、命の値段は一杯の水より安い。

畑で採れると噂の人間さん。

 

その様はまるでリアル中世のようで――――。

 

 

 

 

 

爛々と照り付ける日差しに、鳥の涼やかな音色が重なる。

そよぐ風は木々をしならせ落ちる葉は土を緑に塗る。

天気だけ見るならまさしく快晴。しかし作物に何の影響も与えてくれない心地よいその日。

そこに少年は居た。

 

「蠱毒って知ってる?」

 

「な、なんだよそれ……」

 

少年の問いかけに人工物は狼狽える。

知ってるのか知らないのか。微妙に判然としない。

 

構わず、説明する。

 

「毒虫を一つの容器にたくさん突っ込む。最後に生き残った虫の毒は、何にも増した毒になると言う」

 

正確には呪術の類なので、少年の言っていることは微妙に外れている。

しかし人工物は己の置かれている状況から、少年の言いたいことが嫌と言う程分かってしまった。

 

「落とし穴にひいふうみー……。4人。大漁だねえ。良い事だ」

 

見上げる人工物。見下す少年。

残念ながら、日は既に沈みかけている。

夜間外出は禁止されているので、少年はそろそろ家に帰らなきゃいけない。

 

「人は、極限状態だと共食いしてでも何をしてでも生き残ろうとする。あたりまえだ人間だもの」

 

みつを。

 

「さて、影の大王に作られた憲兵諸君。僕は以前から君たちに目を付けていたんだ。人工的に作られた物のくせしてやけに人間臭い。言動の一つ一つがまるで生き物のように理に適ってる。

 何から造られているのかは知らないし、どうやって作られているかなんて興味が尽きないけれど、でも僕これだけは知ってるよ。君たち使用期限あるよね?」

 

手慰みに手元のナイフをくるくると。

曲芸のように器用に扱うもんだと、憲兵は感心する余裕はない。

 

「今回の罠を仕掛けるにあたって、ターゲットは選ばせてもらった。生まれたばかりの若い憲兵。つまり君らだ」

 

人差し指を一本ピッと。

 

「憲兵は同期の仲間とつるむことが多い。特に、平和なデルの維持部隊は指揮系統なんかあってないようなもんだ。平和ボケって奴。これもまた人間らしい側面だね。おかげで今まで好き勝手やらせてもらってるよ。ありがとう。じゃあ頑張って」

 

ごそごそと少年が穴の淵から姿を消す。

ずずずっと何かを引き摺る音がして、穴は塞がれた。

 

光りは完全に遮られ、暗闇が穴を包んだ。

憲兵は叫んだ。命乞いをした。あるいは怒声を。あるいは悲鳴を。あるいは懇願を。

 

けれどそれはもう外には聞こえない。

憲兵は仲間の身体を踏みつけ、どかして穴を掘る。

 

どうにかして脱出しようと試みる。道具はない。

脱出さえできればどうにかなる。素手で横穴を掘る。

 

どれだけ経ったか。

憲兵の手はすぐにぼろぼろになった。

手に力が入らなくなり、痛みに動けない。

 

穴は一mも掘れていない。

背後で仲間の憲兵が一人起き上がった。

この憲兵以外は、落とし穴に落ちた際に気絶していた。

それは幸運とも言えるし不運ともいえる。

どちらの割合が多いかは、日ごろの行いしだいだ。

 

起きた憲兵は動揺する。

 

真っ暗なことを眼が見えないと勘違いしているのか、やたらめったら暴れるものだから、残りの二人も目を覚ました。

状況は悪くなる。穴は余りに狭い。

一人で何とか動けるぐらいだ。今までは半ば敷物にしていたからいいが、四人が己の意思で自由に動いては、不自由とかいう話ではない。

ストレスで一日たたずに殺し合いだ。

 

――――どうにかしなければ。

 

憲兵は、使い物にならない拳を握りしめた。

 

 

 

 

 

数日後。

 

「おやおや。くっさ」

 

少年は穴を見下ろして、鼻をつまんだ。

中から卵の腐った匂いがする。

 

「食べ物は大事にしないと罰が当たるよー」

 

小石を一つ放る。

カランと乾いた音が三回。ポスンと柔らかいものの上に落ちる音。

 

「ァァ……」

 

声は一つ。力なく穴の中に反響している。

 

「…………」

 

少年は穴を塞いで、聞かなかったことにした。

見たくなかった。なんか気分悪くなりそうだったから。

 

穴の中の光景は、まあ予想通りの気持ち悪さなのだろう。



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2話

デルのリーフ。

金髪の、15歳ぐらいの少年は人に自己紹介する時そう言わねばならなかった。

 

上記のあいさつで、デルトラ王国デル城近く生まれのリーフと言う事になるのだ。

名字も戸籍もねえのか糞がとは思ってはいけない。

 

リーフの生まれは城下町のこじんまりとした鍛冶屋だった。

平均的な民家一軒を仕事場として使っているに過ぎない鍛冶屋である。

 

しかし、いくら小さくても最低限一家で食べて行けるだけの稼ぎはあった。

両親はともに健在。父は足を悪くしているが、それ以外はまったく健康だった。

母は元気に内職に手を出している。夫を立て自分は三歩後ろに従う、古き良き大和撫子の様な女性だ。

でもリーフは母こそが我が家の意思決定機関だと知っている。父は母に頭が上がらない。

多分昔何かしたのだろう。それは確実にろくでも無いことのはずである。足一本不自由になるぐらいの。とんでもないことだ。

それがまさか王国滅亡一歩手前レベルのとんでもなさとは夢にも思わなかったリーフである。

 

幼い頃より父に鍛冶の何たるかを叩き込まれたリーフは、今や立派な鍛冶職人だ。

気が向けば適当に何か打っている。それはアクセサリーだったり武器だったりするが、資材に余裕はないのでそうポンポン打てるものではない。

 

デルトラには、鍛冶師が満足に遊べる量の金属類すら流通していない。

デルトラ王国は今や裕福な国ではないのだ。

かつての栄光は墓穴に先祖と共に埋葬された。

 

随分前から国力は弱まり、民はその日食べる物にすら苦労するのが当たり前となってしまった。

十数年前の影の大王降臨で、生かさず殺さずのデル民総奴隷化が成し遂げられてからは、民の暮らしはより厳しいものになってしまっている。

 

しかしそんなことリーフにしてみればどうだっていいことだ。

自分が生まれる前の自由とか富だとか。知らないことを良い事のように語る爺婆共はとっとといねやと内心思っている。

 

望むだけで行動を起こさない、その怠惰にリーフはぶちギレている。

お前らのせいで僕の生活水準ガタ落ちしてんだからお前らが命かけてでも元の水準に上げろやと。

 

酷い子供である。

何をどうなったらそんな性格に育つのか。

親の顔が見てみたいと思うが、彼の両親は比較的まともだった。

 

リーフは将来気の強い女の子と結婚させようとか考えてるぐらいにはまともである。

将来のことよりも現在の性格を何とかしろよ親ばかが、とかつての親友なら言っただろう。

 

 

 

 

夕暮れ。

嫌な物見たと顔を顰めながら帰ってきたリーフは、両親と食卓に着いていた。

カチャカチャと食器の音が響く静かな晩餐で、リーフは無言で味の薄いスープを啜っている。

 

「…………」

 

その眼は真っ直ぐ父親に向けられていた。

父はリーフの探るような目に気が付きながらも、あえて目を合わさない。

合わしたらなんか尋問されそうだったから。

 

リーフが数日前より感じている違和感。

それが今日は一層強くなっている。放置していたら嫌なことになりそうだから、リーフはその正体を探る決心をした。

 

その決心はダイヤより固く、父の隣でニコニコ笑顔の母さえいなければ、リーフは首根っこ掴んで聞き出していただろう。

 

ニコニコニコニコニコニコニコニコ。

 

表情とは裏腹の黒い何かが彼女の背景に浮かんでいる。

ニッコリ笑顔の母は、牽制するかのようにリーフから視線を外さない。

視線を合わせようものなら母の笑顔はより一層深くなり、得体のしれない瘴気はその気配を一際濃くする。

 

リーフは自然と母から目を逸らした。

スープに映る自分の顔は恐怖に包まれており、その瘴気は彼の決心を覆させるには十分な威力を持っていた。

 

……聞くのは明日でいいや。

 

ダイヤは案外脆い。

 

 

 

 

 

翌日、やることなく暇なリーフは何するでもなく家を出た。

相変わらずニコニコ笑顔の母と一緒に居たくなかったと言うわけではない。

「いまから隠しごとするからお前出てけ」と言われたからだ。

 

「ぼく妹が欲しいな」との息子の言葉に、「いいからとっとといけ」と父はぶっきら棒だ。

照れなくてもいいのにとリーフは含み笑いで家を後にした。

 

両親の隠しごとが公然の秘密の様な現状はリーフにとっての試練の日が近づいている証左なのだが、当の本人はそのことに全く気が付いていない。

頭がいいのか悪いのか、頭を捻る所ではあるが善性を母のお腹に――――否、母の暗黒面に上書きされたことによる躊躇の無さが彼の頭を良く見せているのかもしれなかった。

 

勉強自体は読み書き計算全般出来るし、デルトラの書とか言う意味の分からない物を暗記したりもしているが、所詮はその程度である。

 

その知識をどのように扱うか。それが重要なのだ。

そして残念なことにリーフは、その知識を己の興味があること、あるいは己の障害を徹底排除にしか使えない。

別にそれでいいじゃないかとも思えるが、これ裏を返せば危機的状況に陥らないと真価を発揮できないと言う事である。

 

リーフの生末を鑑みるに、彼には危機的状況に陥らせない努力が必要なのだが、何だかんだ修羅場を乗り越えてきてしまったリーフに、もはやそれは期待するだけ無駄と言うものである。

 

しょうがないから足りないものは他で補おうと両親は決めていた。

 

「やあ乞食元気かい」

 

「元気ですぜ坊ちゃん」

 

「今から憲兵に嫌がらせしに行くんだけど君もどう?」

 

「やめておきます。命が惜しいので」

 

それは残念だと意気揚々城へと向かうリーフ。

その背を目で追う乞食は、薄汚い外套の下で、深々とした溜息を吐いた。

 

 

 

 

 

リーフは結構有名人である。

あの親にしてどうしてこんなの出来たのかと近隣の間では専ら噂されている。

"母"と言う最大にして唯一の答えに近づいたものは黒々とした何かに怯え死んでも口を割らない。

男尊女卑根強いこのご時世で、三歩後ろに控える母よりも時に無償で道具の修理を請け負ってくれる父の方が目につきやすい。

 

故に、"あの親"の意味合いの約9割は"父親"と言う意味である。

父は昔のことはさて置き今は結構本気でいい人なので、近隣住人の疑問ももっともである。

 

リーフの行動は、外面だけ見れば外道のそれだが――――憲兵行方不明数20体突破など――――実の所それほど外道と言うわけでもない。

最たる例が、城に潜入して食料を強奪し飢えた子供に施していることであろう。

それゆえにこの辺りの子供たちはリーフを尊敬している。

自分のようになりたければ君達も精進しろと飴と鞭の使い方が上手いのだ。

 

まるで洗脳の様なそれで、リーフは餓鬼大将の地位を確立していた。

 

子供たちを馬のように使って作ったデルの詳細な地図。

大人の愚痴から憲兵の雑談まで、ありとあらゆる情報を集める人力情報網。

将来のための秘密修練場。使える物を開発するための子供実験室。

 

か弱い子供を使っての、それら鬼の所業については知ってる人間は数少ない。

外に漏れたらやばいから、リーフは連帯責任と言う大人の技法で出来る限り口に戸を立てているのだ。

もし上記が漏れたら多分子供たちは一斉保護され、リーフは一人寂しく食料片手に親の眼盗んで口説き落としにかかるのだ。

 

しかしやっぱり漏れるところからは漏れる。

 

「どこだァ!」

 

一見して廃墟。しかし内装は比較的無事だった建物。

本日そこに招かれざる客人が侵入してきた。

 

ガタンと扉が破壊され、憲兵数人が室内になだれ込んでくる。

彼らは一様に剣を片手に殺気を撒き散らしていた。

 

「……おいいねぇぞ! どうなってやがる!」

 

「知るか馬鹿が」

 

「んだとてめえ!」

 

緊張しているのか、一人口の悪い憲兵が仲間に突っかかっている。

チームプレイもなにもあったものではない。

今まで影も形もなく仲間が二十いなくなっているのだから、気持ちはわかるが、しかしそれは悪手である。

勝機見たり御岳山と、子供たちは天井裏でうなずき合った。

 

「……吐かせた子供によれば、確かにここのはずだが?」

 

「ああ、間違いねえよ。こ、こだア!」

 

家具がなぎ倒され埃が舞う。

なぎ倒されたのはリーフが一から作った収納用具であった。中にはナイフやウエストポーチなど小物が入っていた。

 

「人の匂いは確かにある。探せ」

 

二人、奥の部屋へと進む。

口の悪い奴と偉そうな奴がその場にとどまった。

 

「子供を殺したのは失敗だったな」

 

「だから言ったんだよ、口ぐらい残しとけってなァ!」

 

ドタンバタンと相変わらず部屋は荒らされている。

このままでは見た目通りの廃墟になってしまうだろう。

いや、そうでなくても場所が割られた以上使えないのだが、子どもたちにとっては思い出深い場所だ。

好き勝手されるのは気分の良い物ではない。

 

いよいよ短気で思慮の浅い子供たちが飛び出そうとした時、その声はどこからともなく聞こえてきた。

 

「ははははははは!!」

 

憲兵二人は殴られたように外へ飛び出す。

聞えた声は上からで、この場に居たら建物倒壊されそうだったから。

 

廃墟の上に、布で顔を隠した金髪少年ことリーフが立っていた。

 

「阿呆な憲兵よ。もう好き勝手させないよ! 地獄の業火で燃やし尽くしてやろう」

 

この男ノリノリである。

粗暴な憲兵はリーフを見て気炎を高らかに上げ、偉そうな方はいつまでも家から出てこない仲間二人を怪訝に思っていた。

 

「すでに中の二人はあの世で正座してる。次は君らの番だな」

 

人一人隠れてそうな箪笥を開けて木材に貫かれたのが一人。

囮に現れた子供に注意を割かれ、背後から喉一突きされたのが一人。

 

死にました。

 

「殺してやる……!」

 

憲兵は左腕を構えた。

その手にあるのは火ぶくれ弾と言う猛毒の爆弾である。

 

当たったら激痛が全身をさいなむ。

以前試しに触れて見たときの地獄ったらなかった。

 

リーフは背を向けて逃げ出した。

 

二人は追いかける。

家から家を器用に跳ぶリーフは、地の利を制していた。

空飛ぶ鷹に地を這うアリ風情が追いつける道理はない。

 

憲兵たちは、デルの端っこにあるスラム街あたりで完全にリーフを見失った。

見えるのはかつての家の残骸。

所々に居る浮浪者は、ほぼほぼ頭のおかしい人間の集まりで、リーフの足取りを聞こうとも碌に使えたもんじゃない。

 

「くそがァ!!!!!」

 

憲兵は激怒した。

八つ当たりに火ぶくれ弾の試し打ちである。

偶々側に居た浮浪者はご愁傷様である。

 

「アぁぁああああああ!!!!!!!!!!」

 

いつまでもやまぬ八つ当たり。

それを止めるでもなく、偉そうな方の憲兵は一人考え事をしていた。

 

 

一方、見事逃げ切ったリーフはやばいと焦りに焦っていた。

 

やばい。やばいやばい……!!

 

秘密基地の場所がばれた。追い詰められた手駒たちは、自分が囮になったことで今日の所は無事だ。

 

あの場所を知っているのはごく少数。

今日あそこに居なかった人間で、ここ最近顔を見なかった子供が一人だけいる。

おそらくその子が喋ってしまったのだろう。しかも、憲兵の話では既に死んでいるらしい。

まあそれはいい。それは別にどうだっていい。

 

問題はどこまで喋ったかである。

今までやってきたこと。名前。人数。面子。

 

場所を喋っているのだ。ほかのことも喋っているだろう。

今まで子供のしていることだと温情に見過ごされていたが、ついに本気を出させてしまったようだ。

やってきたことがすべて白日に曝け出された。

 

やっばい。本当にやばい。

 

身を隠さなければ。

リーフなんて名前この街じゃ僕以外に二人しかいない。

しかもその二人はまだ赤ん坊だ。もう少し成長していれば貴い犠牲にもなっただろうに。

 

ゲスイ思考はそのままに、リーフは頭をフル稼働だ。

 

何処に隠れるか。

いっそデルを出るのもありかもしれない。

 

近場で身を隠すのに最適なのは魔境だけど、魔境なんて言われるだけあって命の危険は無限大だ。

行きたくない。

 

となれば少し遠出してリスメアかあるいはトーラ。

この二つの町は規模も大きいし、僕一人分の食い扶持ぐらいは稼げるはず。

 

どちらに向かうにせよ旅費と旅道具は必要だ。

その辺りは両親に相談してみよう。

ダメならダメで、あてはある。

 

周囲を警戒しながら家まで帰ってきたリーフは、いつも通り扉を開いた。

直前、ドア前の定位置に乞食が居ないから少しおかしいなとは思った。

 

それは、扉の向こうに待ち構えていた母親の姿で掻き消された。

 

「おかえりなさいリーフ」

 

「…………」

 

ドアノブを握ったまま、リーフは動かない。

表情は焦りと安堵の入り混じったもので固定されている。

相変わらず笑顔の母は、その裏に強固すぎる決意を持ってそこに立っている。

多分、何を言おうと何をしようと、この後の自分の行動は決められているのだろう。

 

「…………」

 

「…………」

 

母の肩向こうに、杖片手に座っているの父の姿があった。

彼は険しい視線をリーフに向けていた。

すまないと眼で言っていた。

 

母に視線を戻すリーフ。

 

「ついにこの時がやってきてしまいました」

 

待ってくれ。

懇願は心の中だけで口には出さない。

 

「わたしたちは何度も話し合ったの。でも、これ以外に方法は思い浮かばなかった」

 

待って。

 

「リーフ。酷なことだとは思ってます。親失格だとも。でも分かってちょうだい。息子の命よりも、大切なものがわたしたちにはあるのよ」

 

自然と結構酷い事言われている。

息子の命より大切なことってなんだ。

 

その疑問は、いつの間にか父が持っていた銀のベルトを見て氷解する。

それを持ってきたであろう乞食はみすぼらしい変装を脱いで、清潔な容貌に変わっていた。

マントを着て、腰には剣を携えている。

まるで旅人の風貌だ。

 

何を言われるか、その答えはもう分かっている。

 

「リーフ、旅に出なさい。そしてデルトラ王国を救うのです。それが貴方の使命なのですよ」

 

――――わかりましたね?

 

予想通りのお言葉を頂いたリーフには選択の余地はない。

無言で頷くことが、彼に許された唯一の意思表示だった。

 

 

 

 

 

 

「これは?」

 

「デルトラのベルト。かつて壊されたものをわたしが打ち直した」

 

腰に付けられたベルトはやけに重い。

鋼鉄で作られているのだから当たり前だが、これは外したくもなるよなあとかつての王たちへ賛同の念を送る。

 

「これは?」

 

「わたしが打った内の最高傑作だ。持っていけ」

 

剣を一振り。

曲がりなりにも鍛冶屋のせがれのリーフには、その剣の良さが一目でわかった。

自分には決して打てないだろう良作であることも。

 

「これは?」

 

「マントよ。私がリーフのことを一心に思って織上げたわ。必ずあなたの役に立つはず」

 

纏ったマントはすばらしい手触りだ。良い糸使ってる。

しかし母の黒々とした情念が透けて見えて、あまり有難くは感じられない。

 

「君は?」

 

「乞食ですぜ坊ちゃん」

 

「ついてくるのかい」

 

「もちろん。お前ひとりに任せていられないからな。何もかも放り投げて逃げ出しそうだ」

 

「生意気だぞ乞食」

 

「バルダと呼べ、坊ちゃん」

 

そのまま家の中の隠し通路入口まで連れられる。

風の流れから外に繋がっているのが分かった。

これを通って外に出ろと言う事らしい。

 

「母さん……」

 

「お行きなさいリーフ。道中気をつけるのですよ」

 

「父さん……」

 

「すまないなリーフ。本来ならわたしがしなければならない役目をお前に押し付けて」

 

「ほんとだよ」

 

「別れの挨拶はすませたか? ならもう行くぞ。しっかりついて来い」

 

返答を待たず走り出すバルダ。

行きたくないが、後ろには母がいる。行くしかない。

 

――――もうどうにでもなれ!

 

走るリーフ。

その胸中は"自棄"一色であった。。



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3話

結果的に、デルトラを旅できるんだから良かったじゃないかと、出発直後のリーフは思っていた。

出発から一晩明け、旅立ち後初めての朝日を眺めながら、リーフは己のそんな浅はかさを呪っていた。

 

「乞食」

 

「なんだ、坊ちゃん」

 

「身体が動かないよ」

 

「俺もだ」

 

現状、乞食改めバルダとリーフは森の中に無防備に寝そべり起き上がることが出来ない。

身体は痺れ、指一つ動かすのがやっとの状態だ。

 

昨晩、森の中で赤く光るなにかに襲われた二人は、いつの間にやら眠っていて、気が付けばご覧の有様である。

「俺はお前の子守をしているんじゃない。自分の身ぐらい自分で守れ」とのたまり、意気揚々と沈黙の森に繰り出したバルダがいの一番に倒れ、リーフも気絶したバルダに気を取られての失態である。

 

デカい口叩いてその様かと、リーフは文句を垂れる。

当然バルダは謝る。リーフが謝罪一言で許すはずはなかった。

 

その恨みときたら動かない身体を無視してバルダに延々文句を垂れるぐらいである。

目が覚めてから日が頂点に達するまで、ずっとリーフの恨みつらみを聞かされていたバルダは、怪物に襲われる前に憔悴死してしまいそうな顔色だった。

 

「乞食よ」

 

「…………」

 

「昨日の大口もう一回言ってみてよ」

 

「…………」

 

「子守がなんだって? あれもう一回聞きたいなあ。死ぬ前にもう一回さあ!」

 

「…………」

 

「起きてんのか? バルダ。 寝かさないよ。死ぬその時まで寝かさないからね?」

 

ふと、そんな二人に物理的な影が差す。

鳥か何かが横ぎったのだろうとリーフは気にも止めなかった。

目尻に涙浮かべたバルダは気が付けなかった。

 

二人の真上を飛ぶ生き物。

それは鳥ではなく少女であった。

 

日焼けした肌に黒い長い髪。

着ている服は手作りなのかどこか粗雑だ。

 

木々を器用に跳びながら二人の側に着地したその少女は、冷酷な眼で二人を見ている。

バルダは助けがきたのかと喜びを露わにし、リーフは猿みたいなやつだと内心誹謗を連ねていた。

 

「ありがたい……!!」とバルダが言った瞬間、少女はリーフからマントをはぎ取った。

横に転がされるリーフ。

「あったかーい!」とマントに頬をすり寄せる少女を見ながら、リーフはふと思い出した。

 

――――あのマント母さんの情がたっぷり入ってるんじゃなかったっけ?

 

と。

 

「貴様何をする!?」

 

「うるさいわね。死体から何を取ろうと私の勝手でしょ」

 

すでに死体認定されている。

生きてる本人を目の前にして随分勝手な少女だと思うが、野生育ちならむしろ当たり前のことなのかもしれない。

魔境にのこのこ入ってきて、油断してやられるリーフたちが悪いのだ。

 

「くっ……。頼む助けてくれ! 俺たちにはやらねばいけないことがあるんだ!」

 

「…………ふん」

 

聞く耳持たぬ少女にバルダは必死に懇願するが、少女の心には何一つ響かない。

そうこうする間にバルダの剣を取られる。

 

バルダの体格に合わせて作られたそれは、少女の背格好には聊か以上に重く長い。

一度拾い上げてみて、これはいらないと判断したのかその場に放り投げた。

代わりにリーフの腰の剣を奪いに来る。

 

腰から鞘を抜き取ろうとごそごそする少女に、リーフは話しかけた。

 

「ねえ猿」

 

「は?」

 

初っ端無礼なリーフに、少女は喧嘩腰に応対する。

 

「そのマントは持ってかない方がいい。持っていったら大変なことになると思う」

 

「何言ってんの? あんた」

 

リーフの言う事など10割信じない。

会話の取っ掛かりが「猿」だったのが印象最悪。

初対面の印象は人付き合いにとっては何よりも大事なのだ。

猿なんて言ったら信じられなくて当たり前だ。

 

「断言しよう。それは持っていったらいけない。それを僕に返して、安全な場所に僕らを運ぶことをお勧めするよ」

 

「はっ。助かりたくてそんな嘘を言ってるんでしょうけどね。誰がそんなちんけな嘘にひっかるもんですか」

 

腰から剣を取り上げ、少女は軽やかな身のこなしで木に登る。

そのまま驚きの跳躍を見せる少女の姿は、あっという間に見えなくなった。

 

その場に取り残された男二人。

世知辛さと落胆の底でバルダは口を開く。

 

「……リーフ」

 

「なんだい」

 

「俺たちもうおしまいかな……」

 

「賭けようか」

 

何を賭けるのか。

そんな話題で盛り上がる二人は、案外余裕に満ち溢れていた。

 

 

 

 

 

 

 

太陽が半ばも傾いたころになり、茂みの奥から再度姿を現した少女は泥や砂に塗れていて汚かった。

カーカーと頭上のカラスが心配そうに鳴いていた。

 

「……どういうことよ」

 

絞り出すように尋ねる少女。

それに答えるリーフは寝起きで声が掠れていた。

 

「だから言っただろ」

 

「意味わからないわよ! これ呪いのアイテムか何か!?」

 

「僕の母さんの情で出来てる。不埒な真似すると天罰が下るよ」

 

「か……っ!!」

 

少女は苛立たしくリーフに近寄って――――その道中で地面に足を取られスッ転んだ。

頭から倒れた少女は顔を上げれば眦に涙を溜めており、鼻は赤く染まっている。

 

「……これ返すわよ」

 

四つん這いに移動してリーフの胸元にマントを返却。

これで無事呪いのアイテムはご主人様の手に返ったわけだが……。

 

「僕たちを助けないとその不幸は終わらないよ」

 

「ふん。言ってなさい」

 

少女は数刻前と同じように軽やかに跳躍。

低めの枝に跳びあがり――――また足を滑らせて転落した。

 

「…………つぅ」

 

「さあ早く助けてくれ」

 

少女は胸元から小瓶を取り出し、荒々しく中身の液体をリーフに飲ませる。

喉の焼けるような痛みに咽るリーフ。隣ではバルダも同じように飲ませられ、むせていた。

 

お前なにするんだよと怒る前に、身体の異変に気付く。

 

身体の痺れが嘘のように消えていく。

まだ少し倦怠感と動かす際に軽い違和感はあるが、それでも飲む前と比べれば雲泥の差である。

恐らく少女の持つそれは解毒薬だったのだろう。

 

リーフは手の平を閉じて開いて、立ってみる。

ふらつくこともなく、十分歩けた。

 

「これで文句はないわよね?」

 

文句などあるはずがない。リーフは頷いた。

そして次の要求である。

 

「お腹が減ったんだ。何か食べさせてくれないか?」

 

少女の葛藤。

断りたい。けれど断ったらどうなるか分からない。

何もないところで転ぶことが続くようではこの森で生きていけない。

そんなの即餌である。

事実上、少女の選択肢は一つしかなかった。

 

「……ついてきなさい」

 

苦々しく背を向ける少女の背後で「賭けは僕の勝ちだねバルダ」とリーフは嬉しそうに言っていた。

 

 

 

 

 

 

「お前さんはジャスミンと言うのか」

 

所替わり、二人はジャスミンと名乗った少女に連れられて木の上に隠れるように作られた家に訪れていた。

バルダはジャスミンに渡された果物を齧り、その美味しさに舌鼓を打つ。

隣で果物の渋みに閉口するリーフは、名乗りの後もジャスミンを猿呼ばわりした報いである。

 

「どうしてこんな所で一人で暮らしているんだ」

 

「別に最初から一人だったわけじゃないわよ。6歳の時に両親を憲兵団に連れていかれたの」

 

バルダは黙る。

聞けば16歳だという少女は、6歳で両親と引き離されて以来一人で暮らしてきたのだ。

彼女の側に居るカラスのクリーと毛むくじゃらの小動物フィリは、少女の寂しさを和らげるためのペットだろう。

なんともまあ可哀そうなことだ。

 

同情の眼でジャスミンを見るバルダ。

ジャスミンは渋みに耐えて果物を頬張るリーフをあきれ顔で眺めていた。

バルダの同情の視線に気が付き、眉根を吊り上げる。

 

「なによ?」

 

「いや、なんでもない」

 

掌を振りながら愛想笑いで誤魔化す。

それでなんとか誤魔化して、下を向いたバルダは拳を強く握った。

デルトラには、ジャスミンと同じように家族と理不尽にも引き離された子供が大勢いる。

このような悲劇を二度と起こさせないためにも、一刻も早く宝石を集め、影の大王の支配からデルトラを解放しなければならない。

そう正義に燃えるバルダ。

 

本来その役目を任されているリーフは目の前の悲劇をどうとも思っていなかった。

こんな場所にも憲兵は来るのかと自分の身の心配しかしていなかった。

 

「ジャスミン、聞きたいことがある」

 

「なに」

 

「この森で一番危険な場所は何処だ?」

 

「……そんなこと聞いてどうするの」

 

「知らなくてはならない。俺たちの探すものがそこにあるはずだ」

 

俺たちじゃなくて俺って言え。僕は探してない。

リーフはそう言いたくて、渋みに耐える口は思うように動いてくれない。

 

「…………この辺りで危ないのはウェンバーの巣だけど、くさいだけで何もないわ。行くだけ無駄ね」

 

「ウェンバー?」

 

「あなたたちを食べようとしていた怪物よ」

 

「あの赤い光の正体か」

 

「それはウェンね。ウェンは獲物を麻痺させてウェンバーに貢ぐの。

 ウェンバーが夜に活動を始めたら、すぐに食べれるようにね。

 あのままあの場所に居たらあなたち骨も残らなかったわ」

 

バルダは恐ろしさにごくりと唾をのむ。

改めて、自分は目の前の少女に命を救われたのだと実感が湧いてきた。

 

「改めて礼を言おう、ジャスミン。お前さんが助けてくれなければ俺たちは今頃食われて死んでいただろう」

 

「……べつに、助けたくて助けたわけじゃないわ。お礼ならマントを作った人に言うことね」

 

ジロッとリーフを睨むジャスミン。

リーフはフィリを手のひらに乗せまじまじ眺めている。

キラキラお目目を瞬かせて「ふぃー?」と鳴くフィリに、リーフは興味津々だった。

 

「今日はもう眠って、明日の朝森を出ていくことね。なんだったら出口まで送るわ」

 

懇切丁寧な申し出にバルダはそこまでしてもらうわけにはと断ろうとする。

それを遮り、リーフが口を開いた。

 

「乞食の話聞いてたのかい、ジャスミン?」

 

「乞食?」とジャスミンは訝しる。

バルダのことであるが、リーフは気にせず続けた。

 

「バルダにはやるべきことがある。それを果たすには、この森のどこかに隠されている何かが必要だ。ウェンバーの巣以外にこの森で危険な場所はないかい?」

 

あくまで自分は関係ないと目的達成の頭数にはいれていない。

腰のベルトがある限り、逃げることなど絶対に出来ないのだがどこまでも諦めの悪い奴である。

 

「…………ないわ」

 

「嘘だね」

 

「ないって言ってるでしょ」

 

「この森の奥には何がある?」

 

ジャスミンは口を閉ざした。

当たりだとリーフは口端を吊り上げる。

 

「ジャスミン、僕たちにはその情報が少しでも必要なんだ。手に入れるべきものを手に入れるため、命を落とす確率を少しでも落とすため、君の知っていることを話してほしい」

 

リーフの頼みに、しばらく口を閉ざしていたジャスミンはやがて大きな溜息を吐いた。

 

「……死ぬわよ」

 

「覚悟はしてる」

 

バルダが答えた。

リーフは何も言わなかった。だって死にたくないから。

 

「この森の一番奥に蔓で作られたドームがあるの。そこには恐ろしい怪物が住んでるらしいわ」

 

「伝聞か?」

 

「ええ。蔓のせいで外からじゃ中の様子は伺えないの。いくら私でも、怪物の寝床にのこのこ入るバカはしないわ」

 

「ごもっともだな」

 

バルダとリーフは顔を見合わせた。

リーフは首を横に振る。応じてバルダは縦に振る。

 

――――諦めて帰ろう。

 

――――分かってる。この子をこれ以上付き合わせる訳にはいかない。

 

意思の疎通は図れていなかった。

 

「貴重な情報をありがとう。俺たちはもうお暇することにしよう。リーフ」

 

「うん」

 

二人は立ち上がった。

このまま怪物の寝床に襲撃をかけようと闘志満々のバルダと、きちんと伝わったのか不安で考え込むリーフ。

ジャスミンは二人の様子に不安を覚えた。

 

「待ちなさい。この夜更けにどこに行くつもり?」

 

「決まっているだろう。すべきことを成しに行くんだ」

 

「言わなかった? ウェンバーは夜行性なのよ、地面に降りたらすぐに食べられちゃうわ!」

 

「心配するな。どんな怪物も、俺がこの剣で叩き切ってやる」

 

剣を掲げて獰猛に笑うバルダ。恰幅の良さと相まって、まるで熊の様である。

その様は何も知らない人からすればどれほど頼もしく見えるだろうか。

ウェンバーの舎弟如きに絶体絶命に追いやられた人間とは思えない頼もしさだ。

 

「ウェンバーにそんなちっぽけな剣が役に立つはずないでしょ! あなたがどんな怪物を想像しているのか知らないけど、ここの怪物はあなたの想像の10倍危険よ!」

 

「…………っ!」

 

ジャスミンの剣幕にほんの少しだけバルダは気圧された。

 

旅に出るにあたって、無理に自分を奮い立たせていた虚勢。

それはウェンに呆気なくやられたことで剥がれ落ち、奇跡的に命を掬ってから今まで上塗りしていた分もジャスミンの言葉によって塗った側から剥がれ落ちている。

 

――――本音を言うなら怖い。

 

見もせぬ化け物に立ち向かわなければいけないことが、そこに辿り着くまでに簡単に命を落としてしまいそうなことが何より怖かった。

 

だがバルダはその本心を認める訳にはいかなかった。

かつてデル城で衛兵として仕えていたあの日。守る物を守れず、命からがら逃げたあの時。

10年以上経った今でも自分はあの時のまま弱いままなのだと、何一つ成長していないのだと認めることは出来なかった。

悔いて培ってきた今までを何の意味もなかったのだと否定することなど出来るはずがなかった。

 

ゆえにバルダは強い言葉でジャスミンを拒絶する。

かつての自分を彼女に重ねて。

 

「いいかジャスミン。救ってくれたことには感謝するが、それとこれとは関係ない。俺たちはやらなければいけないんだ。例え無謀で愚かなことでも、命を落とすと分かっていても! 使命を果たすことだけが、デルトラを救う唯一の道なんだ!」

 

「ほんっとうに愚かね! 使命だ何だ言って、結局は自殺しに行くだけじゃない! 耳障りの良い言葉で自分を慰めてるだけの愚か者だわ!」

 

バルダの頬が赤く染まる。

この旅の目的を完遂できるはずがない。

遅いか早いか、必ずどこかで力尽きる。

そう考えていた点を図星に突かれた。

 

反射的に上った血。拳を強く握りしめる。

ジャスミンもその動きに気づいていて、腰のナイフに手をかけた。

クリーが警戒に鋭く鳴き、フィリは怯えてジャスミンの胸元に退避する。

 

一触即発に張りつめる空気。

いつ張り裂けてもおかしくないそんな中で、空気を読まずリーフが問い尋ねた。

 

「で、結局ウェンバーってどんな怪物なの?」

 

ジャスミンが横目でリーフを見る。

しかしすぐに視線をバルダに戻した。

こんな空気の中で呑気にお喋りなんてしてられない。

 

リーフはジャスミンが暗にそう言ったのだと受け止めて、バルダを落ち着かせることにした。

 

「バルダ」

 

「…………」

 

「バルダ」

 

「……すまない」

 

拳を解き項垂れたバルダ。

その姿に先ほどまでの勇ましさはどこにもなく、ただ情けないだけの姿がそこにあった。

 

ジャスミンもその姿を見て警戒を解く。

バルダはもう一度「すまない」と小さく呟いて、情けなさそのままに外に出ようとした。

 

「……どこへ行くの?」

 

「外の空気にあたりたい」

 

ジャスミンの一応の問いかけへの返答は静かなものだった。

自身がどういう心理状態なのかはきちんと理解しているのだろう。

情けなさも葛藤も恐怖も隠すことなく現れている。

 

ジャスミンはそれ以上何も言わず、リーフも特に何か言うことなく外に出ていくバルダを見送った。



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4話

リーフは、ジャスミンからウェンバーの詳しい生態を聞いた後、外で一人たそがれていたバルダの横に座った。

バルダは何も言わず遠くを見ていた。木しか見えないが。

 

「ウェンバーって高さだけで10メートルあるらしいよ」

 

「そうか」

 

「全長は30メートルぐらい。剣を弾くぐらい硬い外皮で覆われてるんだとさ。勝てる?」

 

「……無理だな」

 

大きく息を吐く。

先ほど言ったことが、どれほど身の程知らずで大言壮語だったのか思い知らされる話だ。

 

「所詮、怪物退治は無謀だったと言う事か……」

 

「僕死にたくないよ」

 

「俺も死にたくはない」

 

男二人現実を知る。

ウェンバーの時点で無理筋なのに、宝石を守る番人はそれ以上の化け物だと言う話だ。

 

どうやって倒せと言うのだろう。

化け物退治は昔話の定番だけど、大概それ系の主人公は奇跡を積み重ねてようやく化け物を倒している。

 

リーフもバルダも、仮にここの化け物を退けても後6回同じことを繰り返さなければいけないのだ。

宝石全部を集めるのに、昔話7回分の奇跡を起こす必要がある。

しかも一度でも失敗したらその時点でゲームオーバー。

コンティニューもロードもない。なんだこのクソゲーは。

 

「……」

 

「……」

 

今度は二人で遠くを見る。

視線の先は相変わらず木しかない。

 

しばらく静寂が流れ、下の方で大きな地鳴りが響いた頃、不意にリーフが口を開く。

 

「……奇跡って言うけど、別に奇跡起こさずとも頑張ればできるんじゃないかな」

 

「なに……?」

 

「僕たちはまだ怪物の正体も知らないんだ。どんな姿で、どういう習性を持っていて、どういう行動をとるのか。それさえわかれば対策も立てれる」

 

リーフがバルダを見る。

バルダは戸惑ったようにリーフを見返した。

 

「僕は死にたくない。この旅も半ば強引に送り出された。やる気なんてこれっぽっちもない。

 ……けど、僕にだってこの国を憂慮する気持ちが少しぐらいあるんだ。

 デルで僕がどういう扱いされているのか知らないけど、十中八九指名手配されていそうだし、このまま一生お尋ね者で過ごすよりは、影の大王を追っ払って自由に暮らしたいじゃないか」

 

――――憲兵殺したのはまずかったよなあ。

 

そう呟いて、リーフはその場に寝転ぶ。

バルダはそんなリーフを信じられないと言いたげに見ていた。

 

旅立って二日。

まだほんの短い時間だが、彼の口からは使命を軽視する発言しか出てこなかった。

バルダがことを急いたのは彼のやる気の無さも関係している。

 

両親から16年前何があったのか、そのすべてを聞かされていながらまるで無関心に過ごしてきたリーフ。

デルを離れてからも口に出る言葉と言えば使命への責任感ではなく、「どうして僕がこんなこと……」といった文句ばかり。

腰にあるベルトがこの国を救うただ一つの方法だと分かっているのか分かっていないのか。

 

ただの一度も「頑張るぞ」の類を言わないリーフをバルダが見限るのもしょうがない。

この国を救えるのは自分しかいないのだと短気に走った彼を誰が罰せよう。

 

だが、今リーフは確かに言った。

それが嘘にしろ本当にしろ――――恐らく嘘だろうが――――確かに「国の生末を憂いている」と。

後半の台詞が十割自暴自棄のそれだろうが、バルダには関係ない。

 

――――その言葉が聞きたかった。

 

自分には仲間がいるのだと、一人ではないのだと。

志を同じくする友が居るのだと。そう思うだけで彼の胸はすっと軽くなる。

 

焦りも恐怖も無力感すら今の彼には感じない。

身体が軽い。今なら何でもできそう!

 

そんな気持ちにバルダはなった。

 

「リーフ。俺の役目はベルトを守ることだ」

 

「うん」

 

「俺はお前を死んでも守る」

 

「頼むよ」

 

ようやく、二人は分かりあえた――――わけもなく。

 

リーフはベルトのことはぶっちゃけどうでもよく、ただ自分が生き残れればいい。

バルダはかつての無念を晴らすべく今度こそベルトを守り抜く。

 

リーフのゴールは憲兵から逃げ切ること。

バルダのゴールは宝石を集めきること。

 

この齟齬が、後々大きく響いてくるのだが今の二人には知る由もない。

 

そんな感じに何となく通じ合った二人は、簡単に今後のことを話し合い、家へと戻る。

 

「カァー」

 

出迎えてくれたのは目を爛々に輝かせたクリーと、静かな寝息を立てるジャスミンとフィリだった。

 

「…………」

 

「…………」

 

色々と聞きたいことがあった二人は、そのあどけない寝顔を見て何となく押し黙る。

バルダの視線に肩をすくめるリーフ。

溜息を吐いて、壁際に座り込んだ。

 

「寝ようか」

 

「ああ」

 

男二人、警戒中のクリーを安心させるため、四隅の一角に身を寄せ合いイビキをかき始めた。

 

 

 

 

 

 

 

翌朝、ジャスミンが目を覚ましたのは、朝の始まりを知らせる鳴き声に刺激されてであった。

目を開けて日の光の眩しさに目を細めるジャスミンへ、木々が「おはよう」と挨拶してくる。

「おはよう」とジャスミンも返事をする。

 

どうやら、外は今日も快晴なようだ。

 

欠伸を一回。

大きく伸びを一度。

 

フィリが胸元で動き始めたのをこちょばしく思いながらふと部屋の一角に目を向ける。

部屋の隅っこ。四隅の一角。そこで男が二人身を寄せ合い眠っていた。

 

一瞬それが誰なのかは分からなかったが、次の瞬間には昨日のことを思い出した。

だんだんと覚醒する頭で二人の名前を思い出そうとする。

 

――――バルダと……あとなんて言ったかしら?

 

思い出せない。

そもそも名前を教えてもらってないかもしれない。

 

名前は知らずとも、その少年の顔は忘れてはいないから別に困らないが。

第一声に人を猿呼ばわりした少年だ。嫌でも記憶には残る。

 

報復に渋い果物をあげたら我慢して食べていたのは好印象だった。

それでもマイナスに吹っ切れた印象の穴埋めには程遠い。

 

ジャスミンは朝食に昨晩バルダにあげたのと同じ果物を食べる。

クリーとフィリも彼女のひざ元でそれぞれ果実を食べている。

しゃくっと瑞々しい音が彼女の口元でなった。

 

ジャスミンとバルダたちの距離は家の端から端まで離れており、咀嚼音で起きると言う事はまずないだろう。

まあ仮に起きるとしてもそれに遠慮するジャスミンではない。

しゃりしゃりと食べながら、少女は二人を眺める。

 

「……仲良いのね」

 

なんとなしに呟いた声音は、不気味なほどに無感情だ。

フィリとクリーが心配そうに見上げてくる。

ジャスミンは二匹を安心させるように頭を撫でた。

嬉しそうに二匹は鳴く。

 

6歳から一人だった彼女の友――――あるいは仲間――――はクリーとフィリの二匹だけだ。

人とはもう長い事話していないし、接触を持った人間は全て死体となってウェンバーの腹の中だ。

だから、彼女にとって昨晩の会話は久しぶりで且つ新鮮なものだった。

 

とくに、バルダとの喧嘩一つ手前の言い争いは、彼女が珍しく感情を表に出したことの表れとなる。

いつもなら何も思わず、何も言わず、「勝手にすれば」と突き放していただろう。

間違っても制止と警告なんてしない。

 

昨日に限ってそれをしてしまったのは、直前に大きく動揺していたからだろうか。

その原因であるマント。今はリーフが掛け布団がわりに使っている。

 

「あれなんなのよ……」

 

何もないところで転び、どうってことない場所で足を滑らせる。

最初はたまたま運が悪かったのだろうと思ったそれも、連続して何度も続いて、ひいては家に辿り着けないほど悪化した。

 

いったい誰が一歩進むたびに足を滑らせるだろうか。

極度のどじっこでもそこまではすまい。

ジャスミンにとって『沈黙の森』は庭であり、親切な木々もたくさんいる場所なのだ。

 

――――そんなところで、あんなに歩けないぐらい転ぶなんて。

 

あの時、森に響くくらいの木々の大笑いを思い出してジャスミンは渋面を作った。

思い返せば思い返すほどムカムカしてくる。

 

これも全てあのマント――――ひいては持ち主のせいである。

憂さ晴らしに、ジャスミンは果実の芯をリーフ目がけて投げた。

見事頭に命中したそれは跳ね返り、部屋の中央まで転がり戻る。

 

「う……ん……」

 

眠っている最中の頭への衝撃はリーフを夢の世界から帰還させるのに十分だった。

うっすらと目を開いたリーフは、部屋の反対側に座っているジャスミンを焦点の合わない眼で見つめる。

 

そのまま数秒見つめて、リーフはマントを頭まで引き上げ全身を覆ってしまった。

 

まだ眠るつもりなのかとジャスミンは呆れる――――暇なく驚愕に目を瞬いた。

 

直前までそこにいたはずのリーフは、全身をマントに包んだ瞬間姿が掻き消えた。

 

「え……!?」

 

きょろきょろと辺りを見わたす。

リーフの姿はどこにもない。

 

まさか外……。

考えて、しかしその考えは打ち消す。

一つしかない家の出口には布が吊り下げられており、あれを動かさずにあそこを潜ることは不可能だ。

布は今この瞬間も微動だにすることなく鎮としてそこにある。

 

――――まさか、魔法……?

 

リーフが誰かに追われてることぐらいは昨日の会話で察しがついていた。

追手がここまで迫り、リーフを捕らえるため魔法でも使ったのだとしたら……。

 

ジャスミンは思わず立ち上がり、おそるおそるリーフが居た場所に近づく。

まじまじとそこを凝視するも、異変は見受けられない。

試しに手を伸ばしてみて――――そこにある何かに指先が触れた。

 

「っ……!!」

 

とっさに手を引っ込める。

触れた指先を見て、何もおかしいところはなかった。

 

「…………」

 

緊張で、ジャスミンの鼓動は早鐘を打っている。

うるさいぐらい跳ねる心音を聞きながら、もう一度手を伸ばした。

 

さっきと同じようなところで"それ"に触れた。

今度は引っ込めることはせず、思い切って突いてみる。

弾性はほとんどない。押せば押すだけ指は進む。

 

感触は滑らか。まるで布の様な触感。……と言うか布?

何となく危険はないと分かったジャスミンは、それの大体の大きさを知ろうとした。

 

高さは丁度ジャスミンが座ったぐらい。

横幅もそれほどない。ジャスミンより二回り大きいぐらいか。

 

"それ"と接するようにバルダが眠っている。

 

――――これって……。

 

ジャスミンはそれが何なのか段々わかってきた。

輪郭をなぞったことで大体の形がイメージできる。

直前まで見ていたあれとそっくりな形だった。

 

思い切って、ジャスミンは"それ"を両手で掴む。

そして力の限り引っ張った。

 

ばさりと布のはためく音。

ジャスミンの手の中にはリーフのマントが握られており、

 

「…………むにゃ」

 

突然掻き消えたはずのリーフは、消える前と同じ位置同じ体勢で、安らかに眠っていた。

 

 

 

 

 

 

 

「ふぃー!!」

 

フィリは追いかけてくる何かから逃げ惑っていた。

目に見えないそれは「ぐふふふ」と邪悪な笑いをこぼし、四つん這いにフィリを追いかける。

頭の上にはクリーが居て、間断なくつつかれていた。

 

 

少し距離を置いて見守る苦笑いのバルダ。

外の様子を見に行っていたジャスミンは、帰ってくるなり飛び込んできた光景を見て、一切の躊躇なく見えないそれの腹を蹴り上げた。

 

「……ッ!!!!」

 

ぴたっと動きを止めたその隙を縫い、フィリはジャスミンの手の中に飛び込む。

 

「フィリを苛めないで!!」

 

悶絶する気配に向けて毅然と言い放つジャスミン。

フィリにとって、彼女は己のピンチに駆けつけた白馬の王子に等しかった。

熱く暑く頬ずりをする。

 

「リーフ。もう満足しただろう。いい加減落ち着いたらどうだ」

 

「ぐっ……。いたい……」

 

リーフの持つマントは透明マントだった。

それを寝起きすぐに聞かされたリーフは、かつてないテンションで遊びの道具に使っていた。

 

姿を隠しフィリを追いかける。

ただそれだけのことが、今のリーフには楽しくて仕方がない。

 

ジャスミンに蹴られるまでずっとそれだけをしていたリーフは、まるで年相応の子供の様で、バルダの諌める言葉には力がない。

彼のこんな姿を見るのは憲兵に嫌がらせする時か、子供に余計なこと吹き込んでる時か、あるいは子供相手に剣で無双している時である。

 

表面だけ見るならそれほどレアと言うことはないが、ここまで無垢な姿はかなりレアだ。

出来れば止めたくないと思ってしまうのは、長い間リーフを監視してしいたために抱いた父性と言うやつのせいだろうか。

年を取ったものだとバルダは思った。

 

「外はもう安全よ。少なくともウェンはいないわ。……本当に行くの?」

 

「ああ。お前さんには世話になったな」

 

心配そうに言うジャスミンに、バルダは少し気まずく返答する。

昨晩のことがまだ尾を引いていた。

 

「昨日のことを蒸し返すわけじゃないけど――――」

 

「いや、大丈夫だジャスミン。そのことは。俺はもう自分の命を粗末に扱ったりはしないさ」

 

バルダは一瞬躊躇して続けた。

 

「……昨晩のことはすまなかった。お前さんの言った通り、俺たちは死にに行くようなもんなんだろう」

 

「だったら……」

 

「だが、やはり止めるわけにはいかん。死ぬ危険がどれだけ高くても、これだけは絶対に成し遂げなければいけないんだ」

 

ジャスミンは、昨日と変わらぬバルダの決意を聞いてそれ以上何を言っても無駄だと悟った。

自分がどれだけ危険を説こうと、この男はそれで立ち止まりはしない。

狼狽え揺らいでいた昨晩ならまだしも、静かな決意に燃ゆる今となっては説得は無意味なのだと。

 

「まあ安心しなよバルダ。僕は死にたくないから。死にそうだと思ったら何を捨ててでも逃げるよ」

 

悶絶から立ち直ったリーフは、頭の上にクリーを止まらせながらマントを着こんでいる。

この男も一緒にいくのだと、ジャスミンは何となく悲しくなった。

 

「死にたくないから死なないなんて、随分夢見がちなこと言うのね。子供みたいだわ」

 

「夢を見るのは子供の特権だよ、ジャスミン」

 

――――それよりも。

 

「お腹空いたんだけど、何か食べる物ない?」

 

「…………」

 

 

 

 

ジャスミンの渡した果物は、やっぱり渋かった。



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5話

ジャスミンと別れたバルダとリーフは、昼になり比較的安全となった『沈黙の森』を歩いていた。

目指すは最奥にあると言われる化け物の巣。

 

蔓で覆われたドームで、中がどうなっているのかは全くの不明。

今から乗り込むその場所のことを考えると、嫌にも不安が高まるのをバルダは感じていた。

だが、その緊張に水を差す輩が約一名。

 

「バルダ、水ちょうだい」

 

「またか」

 

リーフからの朝から三度目になる要求に、バルダは眉をひそめた。

 

「どうしてそんなに水が飲めるんだ」

 

「しょうがないだろ、渋いんだよ」

 

リーフの手には果物。

朝ジャスミンに要求したそれは、一時間経った今でも半分も食べれていない。

 

「昨日のより格段に渋い。もはや兵器だよこれ」

 

「全くお前は……」

 

ドームがわずかに見えるようになり、少しずつ近づいているというのにリーフは変わらずこれである。

それを注意すべきか感謝すべきか、バルダは悩みどころだった。

 

リーフが果物相手に四苦八苦している内に、二人は木々を抜け蔓で出来たドームに辿り着いた。

ドームを中心に平野のようになっているそこには、いくつか古い木の根が残っている。

切断面を見るに鋭利な刃物で切られているようだ。

 

「ここが……」

 

続く言葉は出てこない。

肌を指す嫌な空気。不安と緊張で汗をかく。

だがその空気はなにも嫌なことばかりではない。ここに宝石があると確信させてくれた。

 

「入口は何処だろうね?」

 

見る限りない。

幾重にも張り巡らされた蔓は人一人も通らせてはくれなさそうだ。

 

「ぐるりと回って探そう。……油断するんじゃないぞ」

 

怪物の巣は目の前だ。

もしかしたらすぐにでも怪物が現れ襲い掛かってくるかもしれない。

 

バルダとリーフは周囲を警戒しながら一周回ってみた。

 

「ないんだけど」

 

「ないな……」

 

一周回って、入り口は見つからなかった。

どういうことだろうと二人は考える。

 

「化け物は空を飛べて、もっと上の方にあるとか?」

 

「かもしれんな」

 

二人で外観を眺める。

目の届く範囲にはそれらしきものはない。

あるとしたら頂点付近だ。

 

「登ってみようか?」

 

「いや、あるかもわからんものを探す余裕はない。切った方が早かろう」

 

剣を抜いたバルダは蔓を斬りつけた。

あっさりと、蔓は両断される。

 

どうやら植物自体はそこらにある物と何ら変わらない種らしい。

これなら斬り進むことが出来る。

 

「あんまり音出したくないんだけどねえ」

 

言いながらリーフも蔓を切る。

余裕がないと言うのはその通りで、あまり時間を掛け過ぎて夜になったらまずいし、何より登っている最中に怪物が現れでもしたら逃げる場所がない。

 

こっちのほうがまだ安全かと考えた次第である。

 

黙々と切り進む二人。

蔓の壁は思ったより厚く、二人がかりでようやく人が一人通れる道を作ることができる。

今まで切り捨てた蔓の数を考えるに、巣の中は日の光すら届かない真っ暗闇でもおかしくはない。

 

もしそうだとすると、怪物はとっくのとうに二人の狼藉に気づいていて、道を切り開いたところで待ち伏せている可能性がある。

そこまで考えて、まあ結局のところは運だとリーフは楽観して考えることにした。

 

嫌な可能性ばかり追っても仕方がない。

なるようになる。そう考えないとやってられなかった。

 

「む……?」

 

蔓の間を先陣して斬りつけていたバルダが唸る。

少し離れた所で様子見していたリーフが尋ねた。

 

「どうかした?」

 

「いや、少し明るくなってきた……」

 

「へえ?」

 

見ると、淡く薄緑色の光が蔓の合間からこちらに届いている。

日の光ではないそれに、バルダはこれ以上進むのをためらっているようだ。

 

「どう思う?」

 

「なんだろうね……」

 

答えは出ない。

 

「一旦引返すか?」

 

「引き返したところで結局は同じさ。進まないと何も前進しないよ」

 

リーフの言葉に、バルダは進むことを決めたようだ。

威勢の良い掛け声とともに剣を振り下ろした。

 

「…………」

 

「…………」

 

自然無口になる二人。

段々と狭くなる穴に、やりにくそうにバルダが剣を振っている。

 

三振りも振ったところで、バルダが小さく声を上げた。

 

「見えたぞリーフ!」

 

蔓の隙間から空間が広がっているのを確認できる。

円状に丸いその空間は、薄い緑に染まっていた。

外縁すべて蔓で作られていて、やはり入口らしい穴は見当たらない。

 

「どうなってる?」

 

「地面から光が漏れている。それと……あっちに見えるのは、なんだ……?」

 

バルダの指す方向に、赤く輝く木の株がある。

そのすぐ側には人影も確認できた。座っている人影は見る限りピクリとも動かない。

 

――――あれが怪物なのか?

 

二人は顔を見合わせる。

 

「手筈道理に」

 

「ああ」

 

ゆっくりと、出来る限り音を立てない様に最後の蔓を切断した後、バルダは道を開けた。

リーフがマントを被り透明になって穴から外へ出た。

 

その際何か踏みつけたらしく乾いた音が小さく響く。

……人影は動かない。

 

ゆっくりと人影に近づく。

リーフは、近づくにつれ光の正体が株ではなく三輪の花であることに気が付いた。

赤く輝く花は、己の花びらの重さで頭を垂れている。

 

その美しさに息をのむリーフは、直後聞こえた声に戦慄した。

 

「……感じる」

 

リーフは動きを止める。

今まで物言わぬ骸の様であった影が突然言葉を放った。

 

「感じるぞ。近くに何かいる……。侵入者だ……」

 

低く物々しい雰囲気。

良く見れば、その影は鎧をまとっていた。

手には地に突き刺した剣。

リーフは確信した。

 

こいつが宝石を守る番人なのだと。

 

「この瞬間をどれだけ待ち望んでいたか……。邪魔する者は容赦せん。蔓の養分に変えてくれよう!!」

 

影は立ち上がり、剣を引き抜いた。

バルダ以上の長身。剣の大きさもそれにふさわしい物で、鎧は黄金色に輝いている。

 

「どこだ? どこにいる?」

 

幸いにも、番人はリーフの姿が見えていない。

リーフは動かずにじっと息をひそめる。

 

横目でバルダの潜む横穴に目を向けると、彼の姿はどこにもなかった。

番人が動き出したのを見て上手く身を隠したか、それとも逃げたか。

どちらにせよ無事であることに変わりはない。

 

番人は周囲を見渡しながらリーフの目の前を通過した。

鎧がこすれる金属音。踏み出すたびに揺れる地面。腕を伸ばせば届く距離にある剣。

リーフは、その剣の柄に大きな宝石がはめ込まれているのを見つけ、苦々しく顔を顰めた。

 

――――あれはトパーズ。よりにもよってそんなところに……。

 

あんなところにあっては番人を避けて宝石を取り戻すことは不可能だ。

番人との衝突はほぼ避けられない。

 

その現実をなんとか飲み込もうと、リーフは大きく息を吐いた。

瞬間、足下に踏んでいたなにかがリーフの体重に耐え切れず乾いた音を立てた。

 

「む……?」

 

番人が、リーフの方を振り向く。

リーフは剣に手を伸ばした。

 

足音を響かせながら近づいてくる番人。

リーフは十分ひきつけてから、マントを脱ぎ棄て斬りかかった。

 

「なに……っ!?」

 

番人は数太刀鎧に受けながら、即座に対応してくる。

鎧には傷一つない。

 

「驚いた。姿を隠すマントか……」

 

「驚きついでに剣置いてけ」

 

「それは出来ぬ相談だ!!」

 

番人の横薙ぎを受け止めて、そのあまりの重さに吹っ飛ぶリーフ。

地面を転がり急いで体勢を立て直すも、番人は既に目の前いる。

 

「ぐおっ……!!」

 

見た目の鈍重さに反し、やけに俊敏だ。

膝をついたまま何とか振り下ろされた剣を防ぐ。

 

火花を散らし、つばぜりあう二人。

上から体重を掛けられる番人が圧倒的に有利で、少しずつリーフの剣が押される。

 

「リーフ!!」

 

そこでようやくバルダが駆けつけた。

無防備な番人の横っ腹にタックルする

番人はたたらを踏んで数歩後ずさった。

 

「無事か、リーフ」

 

「やあ。逃げたかと思ったよ」

 

「守ると言っただろう」

 

「人の言葉ほど信じられないものはないよ」

 

今度は二人で番人に剣を構える。

バルダと言う頼もしい加勢があってなお、リーフは絶望的な状況は変わってないと分かっていた。

人一人増えた所で、あれを倒すことなど出来ないと心の底で理解していた。

 

勝てないのならば逃げるしかないが、番人がその隙を与えてくれるとは思えない。

何がしら引きつけないと背を向けることなど出来はしない。

 

「バルダ!」

 

「おう!」

 

バルダが向かって右からリーフは左から斬りかかった。

番人は主にバルダの剣を受け止め、リーフの剣は半ばされるがままにする。

非力なリーフに、鎧を壊すことは出来ないと踏んでいるのだ。

 

――――その油断は命取りだ。

 

鎧には、身体を動かすために隙間がある。

もっとも目立つところで腋と首筋だ。

鎧自体は壊せなくてもその隙間に剣を滑りこませられれば関係ない。

 

「ここ!」

 

「むう……」

 

見つけた隙。

掴んだ勝機。

 

番人は、向かってくる剣先へ向けておもむろに手をかざした。

途端、リーフの身体は硬直する。

 

リーフが状況を理解する前に、不可視の力で遠くに投げられた。

 

「リーフ!」

 

バルダの声が遠い。

背中から叩き落ちたリーフは、衝撃で呼吸が止まり、痛みに悶絶する。

 

――――念力か!? 冗談じゃないぞ。

 

内心でその反則技に狼狽えるリーフ。

あれを使われては、逃げることもままならない。

背を向けた途端、引っ張られることは想像に難くない。

 

生き残るには奴を倒すしかないと、ようやくリーフは腹をくくった。

地面に敷き詰められた骨を踏みしめ立ち上がった。

 

「うおおおおおおお!!!」

 

己を奮起させるバルダの声。

応じる番人は容易く剣戟を捌いている。

 

――――実力であれに勝つのは無理だ。隙を作らないと。

 

リーフは辺りを見わたす。

依然輝く赤い花が周囲を明るく照らしている。

使えそうなものは何もない。

 

しかし、自分たちが作った穴にほど近い場所に、番人と同じ鎧を2つ発見した。

それは蔓に絡まり朽ちている。

 

「番人よ!」

 

リーフは咄嗟に声を上げた。

番人は念力でバルダを吹き飛ばしたところだった。

 

「なんだ盗人よ」

 

「お前は人間か? それとも化け物か?」

 

「何を異なことを。見ればわかるだろう。私は人間だ」

 

「ならなぜこんな場所で一人居る! あの鎧はなんだ? あれはお前の仲間の物だろう!」

 

「…………」

 

番人は動きを止め、鎧をじっと見た。

その身体がカタカタと震え始める。

 

「おお、友よ……。我が兄弟たちよ……。もうすぐ、もうすぐ我らの悲願は果たされる。もうすぐだ……!」

 

「お前の悲願とは何だ! お前はなぜここにいる!?」

 

「知れたことを。我が悲願。我が望み。それは不老不死になること」

 

「なんだって……?」

 

リーフは己の耳を疑った。

すでに不老不死にほど近いだろう番人が、なぜそんなもの求めているのか。

 

「この花は命の百合。これの蜜を飲めば、私は永遠の命を手に入れられる。見よ、この輝きを。もうすぐだ。もう間もなく蜜を垂らす。丁度盃一杯の蜜を」

 

聞きながらリーフは静かに立ち上がる。右手には剣を。左手には長い骨を持っている。

番人の後ろで、バルダが音なく忍び寄っているのが見えた。

 

「……僕たちの目的は、その花ではない。君の剣についている宝石だ。それを渡してくれれば、僕らは君の邪魔はしないと約束しよう」

 

「嘘を吐くな。今まで何度お前のような輩が来たことか。そのたびに切り伏せ、蔓の養分にしてきたのだ」

 

「互いに望まない戦いは止めにしないか? 宝石を渡してくれれば――――」

 

「くどい!!」

 

番人の怒号。

それに重なる様にリーフは骨を投げつけ、己は剣片手に走り出した。

向かってくるリーフを切り捨てようと、番人は剣を高く掲げた。

 

その、腕を上げたことで見える鎧の隙間。

そこに背後からバルダが剣を突きいれる。

 

カランと空洞音が聞こえ、ビクンッと番人は震えた。

 

バルダはあまりの手応えの無さに違和感を覚え、リーフは血の一滴も付着していない剣先に絶望的な声を漏らした。

 

「逃げろ、バルダ!!」

 

言われるまでもなく、バルダは剣を捨て後ろに跳躍していた。

しかし番人の剣を避けきるには間に合わない。

 

右肩から左わきへと袈裟に切られたバルダは、鮮血を散らしながら着地することなく仰向けに倒れた。

 

「……まず一人」

 

倒れたバルダ。

傷口から血が染み出し、じわじわ流れ出している。

すぐに手当てしないと間に合わない。

 

リーフは冷静にそう判断して、冷酷に見捨てる決断を下した。

 

「……お前は――――」

 

会話をして動揺を誘う。

その切っ掛けの会話は、上から落ちてきた蔓に気を散らされる。

ぽたぽたと連続して落ちてくる蔓。

そのほとんどは番人の甲冑にあたり金属音を奏でた。

 

上を見ると、数時間前に別れたはずのジャスミンが蔓を切っていた。

怪訝げに見上げる番人。作業を一段落させたジャスミンは、怒りに燃える眼で番人を見下ろした。

 

「聞いたわよ。あなたは周囲の木を切り、ここに住んでいた鳥たちを殺して、その血肉でこの蔓を育てていたのね?」

 

「……なんだ小娘。それがどうしたと――――」

 

「ならもう話すことはないわ。報いを受けなさい!」

 

ジャスミンは手元の蔓を手首の動きだけで切断する。

そうして、蔓に絡まっていた木の幹が数本、重さに耐えきれず番人の頭上目がけて落下した。

 

「うおおおぉぉぉ――――!!!!????」

 

木霊する悲鳴。

すぐにそれ以上の爆音で掻き消される。

 

衝撃波と、土ぼこりのせいでリーフは何も見えなくなった。

ようやく土ぼこりが晴れた時、そこには木の下敷きとなった番人の姿がある。

 

唖然と上を見ると、幹が落ちてきた場所はぽっかり穴となって日の光が差し込んでいる。

それを後光としながら、ジャスミンは憎しみと怒りの瞳で番人を見つめていた。

 

 

 

――――番人との戦いは、意外な形で幕を下ろした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一先ず、リーフはバルダの元へ走った。

傷口からは相変わらず血が流れていて、手当てしようにも満足な道具がない。

苦しみに歪むバルダの顔を見て、楽にしてあげるのも優しさだとリーフは剣を構えた。

 

「ちょ……っ!? なにしてるのあなた!?」

 

「介錯だよ」

 

「バカじゃないの!? まだ生きてるわ!!」

 

「こんな所じゃ碌に治療も出来ない。死ぬのも時間の問題だ」

 

「可能性はあるわ!! ほら!!」

 

ジャスミンが指したのは命のユリの花。

今、まさに蜜が垂れているそれを見て、リーフはジャスミンが何を言いたいのか察した。

 

「なるほど。ジャスミンなにか容器ある?」

 

「……これ使いなさいよ」

 

差し出された小瓶を手に、リーフは急いで蜜を採りに向かう。

 

結構な勢いで滴る蜜は、あっという間に瓶を半分ほどまで満たしてくれた。

さあもうちょっとで満杯だと最後まで採る気満々のリーフの背に、ジャスミンが怒鳴る。

 

「まだ採る気なの!? バルダが死んじゃうわよ、早くしなさい!!」

 

「もう少しなのに……」そう不満を露わにするリーフ。

名残惜しく、命のユリの花を離れる。

 

「これで足りるかな?」

 

「飲ませないと分からないわ」

 

ジャスミンがリーフの差し出した小瓶をバルダの口へ流し込む。

少しずつ蜜を飲まされていたバルダは、半分も飲み込んだろところで突然咽込んだ。

 

「ごほっ、ごほ……!!」

 

「あ、生き返った」

 

「死んでないわよ失礼ね」

 

億劫そうに眼を開けたバルダは、ジャスミンの顔を見て驚きに目を見開く。

 

「なぜ、お前がここに……?」

 

「心配で後を追ってきたの。追ってきて正解だったわ。あなた死にかけてるし」

 

「……そうか、俺は……」

 

起き上がろうとするバルダは、傷が痛むのか苦しそうに呻く。

しかしもう血は止まっている。傷もじきに癒えるはずだ。

 

ジャスミンが手を貸す横で、リーフは小瓶片手に蜜を採集しに行った。

 

「やつはどうなった?」

 

「死んだわ。木の下敷きになってね」

 

数メートル離れた所に木が数本重なり合って落ちている。

隙間から黄金色の小手が見えた。その先に剣が投げられている。

 

「……宝石を探さなくては」

 

「宝石? あなたたちそんなもの探しにここまで来たの?」

 

呆れたように言うジャスミンに、バルダは苦笑する。

リーフが小瓶三分の一も満たして戻ってきた。

 

「結構採れたよ、傷薬。花はもう枯れたけどね」

 

先ほどまで赤く輝いていた花は萎れ、輝きは失せている。

リーフの言う通り、じきに枯れることだろう。

 

「リーフ、宝石を見つけなければ」

 

「ん、ああ。もう見つけてるよ。ほらそこの剣に――――」

 

リーフが指さした剣。その近くで、番人の手が動く。

 

「ぐおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!」

 

まさしく、全身全霊の大絶叫。

木を押しのけて立ち上がった番人は、リーフたちには眼もくれず、しぼんでしまった花へ手を伸ばす。

 

仲間を殺し、全てを捨ててまで守った命の百合。

こんなところでこんな結末に終わらせたくはないと、番人は諦め悪く数歩歩いて、負った傷に耐え切れず鎧が崩れ落ちた。

 

鎧が落ちた後、中に居るはずの人間はどこに居らず、直前までの叫びも今や聞こえない。

静寂が辺りを包む。

 

「なんだったんだ……」

 

茫然と呟いたバルダ。

ジャスミンは崩れ落ちた鎧を見つめ、リーフは憐れむように手の中の小瓶を見ていた。

 

 

 

 

 

 

「ほらこれ」

 

リーフが番人の剣からひっぺはがした宝石を見せる。

黄金に輝く宝石。大きさは5センチほど。

細長く、少し平べったいそれはリーフの手の中で光を反射しキラリと輝いた。

 

「ほう。これが」

 

「きれい……」

 

ジャスミンが目を輝かせてトパーズを眺める。

 

「これはどの宝石なんだ?」

 

「これはトパーズかな。誠実を司る宝石だ」

 

「ちょっと見せてよ」

 

ジャスミンがリーフの手からトパーズを強奪。

日にかざして、まじまじと眺める。

 

「しかし、これで念願の宝石一つ手に入れたわけだな」

 

「うん。あと6つ。あとこれを6回繰り返す……。はぁ……」

 

うんざりとリーフは溜息を吐いた。

あと6回。

今回でさえジャスミンの手がなければリーフたちは死んでいただろう。

まさしく奇跡と言っていい。最初の一つでこれなのだから、いよいよ宝石集めは難局を迎えそうだ。

 

「ジャスミン?」

 

リーフが悲しみに打ちひしがれる横で、バルダがジャスミンの異変に気が付いた。

トパーズをじっと見つめたまま動かないジャスミンは、バルダの呼び掛けにはっと我に返る。

 

「…………」

 

「ジャスミン、どうかしたのか?」

 

「……いえ、なんでもないわ」

 

リーフの手に返るトパーズ。

手の中で弄びながら、リーフはデルトラの書の一節を思い返していた。

 

『トパーズ。誠実の象徴。精神力を高め、真実を見抜く力を与える。満月の夜にはその輝きを増す。また、霊界への扉を開くという』

 

今日は満月だったかなとリーフは日の差しこむ穴を見上げた。

その横で、笑顔を取り繕ったジャスミンが話題を変えようと、変わらぬ調子で言った。

 

「ところであなたち、すこし手伝ってよね」

 

「手伝う? なにをだ?」

 

「この蔓を取り払うのをよ」

 

男二人顔を見合わせた。

 

「なぜ僕らがそんなことしないといけないんだ?」

 

「あら、命の恩人の言うことが聞けないのかしら」

 

「…………」

 

リーフ沈黙。

続投バルダ。

 

「しかしだな、なぜ蔓を取り払う必要がある?」

 

「約束したのよ、邪魔な蔓は取ってあげるって」

 

「誰に?」

 

「木に」

 

何言ってんだこいつ。二人の胸中は初めて一致した。

 

「今まで言わなかったけど、わたし木々の言葉が分かるの。クリーとフィリの言葉もね」

 

「そりゃあ、ペットの言葉は分かってもおかしくはないが……しかし木々の言葉は……」

 

何となく、言いにくそうに否定するバルダ。

ジャスミンは眦を吊り上げた。

 

「あんな頭上に都合よく木が落ちてくれるわけないでしょ。この辺りの蔓を切り払う代わりに、あそこに落としてってお願いしたのよ。だからあなたたち助かったんだから、文句言わずに働きなさいよね」

 

二人とも異句は発せない。

事情はどうあれ、たしかにジャスミンは二人の命の恩人なのだ。

 

「まずはあの辺りお願い」

 

ジャスミンがそう言って指し示した位置は頭上遥か上だった。

 

……登れと?

二人は再度顔を見合わせた。

 

「参ったな……命の恩人だから無下にはできないぞ」

 

「諦めるしかないね。……例え変人奇人の類だろうと」

 

とりあえず、まだ思うよう身体の動かないバルダを置いて、リーフは剣を抜いた。

「早くしなさいよー!」一人既に登り始めているジャスミンを追いかけ、リーフは蔓を登る。

 

するすると登るジャスミンに比べ、リーフは酷く危なっかしい動きだった。

内心で思う。

 

「やっぱあいつ猿だな」と。

 

 

 

 

 

 



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6話

沈黙の森で金色の怪物を倒してから三日。

その間、リーフとバルダはジャスミン指導のもと蔓のドームを除去する作業に従事していた。

 

高いところに登り、何度も落ちそうになりながら地道にナイフで切り落とす作業。

一日目を終えた時点で、リーフはおろかバルダすら嫌気がさしていた。

もういいだろと何度となく主張するも、「まだ木々は満足してないわ」とトチ狂ったことを述べるジャスミン。

 

命の恩人ゆえに三日も素直に作業をこなしていたが、いい加減がまんの限界に達している。

リーフの透明マントで姿ごと行方を眩まそうと画策し、いよいよ計画を実行に移そうかという三日目の晩。

唐突にジャスミンは言った。

 

「お疲れさま。もう満足みたいよ」

 

水浴びから帰ってきた彼女は、濡れた髪の毛を布で拭いていた。

リーフとバルダは部屋の隅で顔を突き合わせ作戦の詰めを話し合っていた。

 

「なに?」

 

「もう蔓を切る必要はないわ。だからお疲れさま」

 

二人は顔を見合わせる。

リーフが隠すことなく聞いた。

 

「僕たち解放されるってことかい?」

 

「その言い方は気に食わないけど……。まあ、明日から好きにしていいわ」

 

もう一度、男二人は顔を見合わせる。

そして突拍子もなく握手をした。満足げに互いの健闘をたたえ合う二人にジャスミンは「そんなに嫌だったの」と不快感で目を細める。

 

「明日は早いぞ!」

 

「もちろんだよ! 日が昇る前に発つつもりでいこう!」

 

若干テンションが上がりすぎている男ども。

その喜びに満ちた声に、クリーとフィリも同調するように鳴く。

 

ただ一人、木の声が分かる変人ことジャスミンは、共感も同調もせずに無言で乾燥させた果物を放りつけた。

 

 

 

 

家の真ん中で火を起こし、そこでスープを煮るジャスミン。

鍋から発する匂いは、そこらの野草を適当に煮詰めてると思えないとはリーフの言葉である。

 

長年沈黙の森で育ったジャスミンの主食は果物で、他には食べられる野草や極まれに魚が入る。

菜食主義と言って良い彼女の食生活に、最初リーフは当然のように文句を付けたのだが、「ならウェンでも食べてみる?」と強烈な一言にすぐさま白旗を振った。

 

考えてみれば沈黙の森でまともな動物が生き永らえるはずもない。

ジャスミンの菜食主義は、この環境に見事適応したがゆえの合理的な結果だったのだ。

だから全然成長してないんだと言う余計な一言は、何とか飲み込めた。

 

無言の食卓。

クリーとフィリが美味しそうに果実を貪っている。

ジャスミンはそれら二匹を微笑ましく見ながらスープを飲み、バルダは地図を睨みながら片手間にスープを片付けていた。

それをげんなりと横目に見るリーフ。

一難去ってまた一難というところである。

 

「それ何見ているの?」

 

「デルトラの地図だ」

 

ジャスミンの問いかけに、バルダは端的に答えた。

彼女は「へえ」と興味をそそられたようだ。

四つん這いにバルダの横に移動した。

 

「沈黙の森はどこなの?」

 

「それはここだな」

 

地図最南端のデルから北東の方角にある森。

そこが沈黙の森だ。

 

次の目的地、嘆きの湖はここから北西の方角にある。

そこに至るには山を越えるか、山を南北に迂回するか二つの道があり、バルダが悩んでいたのは近道と遠回りどちらにするのかと言う点だ。

 

「……山越えは嫌だよ」

 

「安心しろ。俺もそれをするつもりはない」

 

リーフの心底いやそうな呟きにバルダは同意する。

沈黙の森と嘆きの湖の間にそびえ立つ山は骸骨山と言われる山であり、既に字面から危なそうな雰囲気が出ている。

実際、その山にはグラナスと言う少々危ない小物が群れを成していて、登山には不向きだ。

だとすると北か南か山を迂回するルートになる訳だが。

 

「北だな……」

 

「はい?」

 

日程を考え、より短い方を選んだバルダ。

ジャスミンがその決定に信じられないと言う反応を示した。

とある方向を指さす。

 

「北って……こっち?」

 

「ああ、現実に行くとするとそっちだな」

 

実際に方角を指し示したジャスミン。

肯定の返事を聞いた途端、彼女は眉根が吊り上がった。

 

三日間、共に行動したバルダたちだから分かる。

この表情は怒りのそれだ。

 

「バカなの!?」

 

「……なぜだ?」

 

明確な臨戦態勢に移った二人と観戦ムードの一人と二匹。

リーフの胸元と肩に二匹は避難する。

 

「こっちは魔女テーガンが支配する土地よ! どうしてわざわざここを横断するのよ!?」

 

「こっちの方が近い。俺たちは悠長にしてられんのだ。一刻も早く宝石を――――」

 

「死んだら元も子もないでしょ!!」

 

食い気味のジャスミン。

趨勢はジャスミン有利かとリーフは思った。

しかし頑ななバルダは一歩も譲らない。

 

「こっち行きなさい!」

 

「ダメだ。北を行く」

 

「どうして!?」

 

「近いからだ。それ以外に理由はない」

 

バチバチと火花散らす二人。

傍らでリーフは欠伸を漏らした。

 

キッとジャスミンはリーフを睨む。

「あなたも何か言ったらどう!?」そんな感じの言葉を言おうとして、口に出る直前に飲み込んだ。

こいつに言っても何の意味もないと思いなおしたからである。

 

「迂回するべきよ」

 

「迂回は出来ない」

 

平行線の二人。

険しい顔で睨みあい、互いに自分の主張を押し通そうとする。

鬚面のバルダが10歩はリードしたと、リーフもこの時ばかりはバルダの勝利を確信する。

 

やがて、ついに根負けしたジャスミンは「ふんっ」とそっぽを向き部屋の隅で毛布をかぶった。

不貞寝か?とリーフは思った。

 

勝利を噛みしめ、溜息を吐きながら天井を仰ぐバルダ。

「おつかれ」と労いの言葉に「ああ……」と力なく答える。

 

「結局北から行くの?」

 

「そうだ」

 

「ふむ」とリーフは思案した。

バルダはそれを横目に見ながら残っていたスープを飲み干した。

 

「じゃあ僕から一つ提案。いっその事、デルに戻ってゆっくり疲れを――――」

 

「明日は日が昇ると同時に発つ。お前も早く寝ろ」

 

ぶっきら棒にバルダは言う。

虚無感あふれるリーフの胸に、クリーの鳴き声が棘の様に突き刺さった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「もう降りても平気よ。ウェンはいないわ」

 

全自動安全確認機の言葉に従って、男二人は地に降り立った。

「どっち?」

「あっちだ」と会話を交わした後にジャスミンへと向き直る。

 

枝の上に体育座りで二人を見下ろす彼女は、心ここに非ずに思料していた。

なんだこいつとリーフは胡乱気に思い、その横でバルダが改めて感謝の言葉を紡いでいた。

 

「ジャスミン。この数日、お前には本当に世話になった。怪物の巣でお前が助けに来てくれなければ、俺たちは夢半ばに倒れていただろう。改めて礼を言う。ありがとう」

 

ジャスミンはくすぐったそうに身をよじった。

 

「う、ん……。別に、そんな。お礼なんて……いいわよ」

 

言いながら、視線はリーフへと向けられている。

言わずもがな、お前からは何かないのかと言う視線だ。

応じてリーフは口を開く。

 

「ジャスミン、最初は何だかんだ文句も言ったけど、君の作ったご飯は結構おいしかったよ」

 

「……あ、そう」

 

求めていた言葉ではないのか、ジャスミンの反応は淡白だ。

 

そうして別れの挨拶を終え、リーフとバルダは顔を見合わせて踵を返す。

「じゃあね」「達者でな」口々に言って、北へ向けて歩き出した。

ジャスミンの両肩でクリーとフィリが別れを惜しむように鳴く。

それからほんの僅かの間を経て、ジャスミンは口を開いた。

 

「ええ、さようなら。――――またね」

 

語尾に付け加えられた言葉にリーフが振り向く。

風にそよぐ髪を抑えながら笑顔を浮かべているジャスミン。

一瞬二人は見つめ合い、まあいいやとリーフの方からは視線を外した。

 

わずかに前へ行くバルダに追いつこうと歩みは少々急ぎ足になる。

ようやく追いついたところで、やはり先ほどの言葉尻が気になったリーフはもう一度後ろを振り向く。その動きを横目に捉えたバルダも釣られて振り向いた。

 

しかし、振り返った先には既にジャスミンの姿はなく、青臭いそよ風だけが後に残されている。

 

その光景に言い知れない寂寥感を胸に覚えたバルダ。

何とかそれを飲み下した後、隣のリーフに問いかけた。

 

「どうかしたか?」

 

リーフは「なんでもないよ」と短く返した。

そして先行く道に視線を戻す。

 

「行こうか」

 

「ああ」

 

こうして、バルダとリーフは沈黙の森を後にした。

 

 

 

 

 

 

それから二人はしばらく歩き、太陽は既に頂点に昇ろうかとしている。

道中、これまでは敵らしい敵はおろか人っ子一人にすら出会わず平穏な道のりであった。

バルダ曰くすでにテーガンの縄張りに入っているらしいが、そうとは思えない程平和な旅路である。

二人の今までの軌跡をたどれば、これはほぼほぼ奇跡ではないかと錯覚してしまいそうになるが、眼前に佇む物体を見て、それもここまでであるとリーフは悟った。

 

「あれなに?」

 

「……さあな」

 

二人の目前は断崖に掛けられた一本のつり橋。

風にあおられキイキイとしなるそれはひょっとしたら今にも崩れ落ちるのではないかと不安をあおる。

 

だがそれ以上に不安をあおるのは橋の前に鎮座した茶色い"何か"であった。

 

なんだあれとリーフは繰り返す。

何処をどう見ても茶色い何か。ひょっとしたら生き物かもしれない。

しかし微動だにしない所を見るとその推測に確信がもてない。

 

不用意に近づきたくもないが、しかしつり橋を渡らないことには嘆きの湖には辿り着けない。

覚悟を決めたバルダ。

「いってらっしゃい」と傍観決め込むリーフの襟首を引っ掴んで物体に近づく。

 

三メートルの距離まで近づいたところでそれは動き出した。

咄嗟に腰の剣を握りしめる。

 

「ふぅいぃー」

 

茶色い何かは、実は膝を抱えて蹲っていた異形の化け物だった。

鳥の嘴を彷彿とさせるひょっとこ口。目は猛禽類の様な特徴を帯びており、その体長は裕に2メートルを超えている。

どこからともなく取り出した馬鹿でかい剣を地面に突き刺し、化け物は低語した。

 

「旅人か?」

 

「そうだ」

 

低いしわがれ声。

リーフはその声を聞いて「こいつ直前まで泣いてたんじゃないだろうな」と胡乱気に思った。

 

「この橋を通りたくば俺の問う謎に答えよ」

 

「答えたら通してくれるのか?」

 

「正解すれば通してやろう。間違えれば斬り殺す」

 

「随分横暴じゃないか。誰の差し金だ」

 

「――――魔女テーガン」

 

その名はジャスミンが恐れた名にして嘆きの湖の番人の名。

本人ではなく手下とは言え、よもやこんなに早く対決することになろうとは。

「まさかトパーズが奪われたことを察知したんじゃあるまないな」心の中にその疑問が浮かび上がる。

 

「よかろう。その謎とやらを言ってみるがいい」

 

気が付けばバルダが勝手に謎かけを受けていた。

しかし悪い手ではない。謎に正解すれば争わずに通れるし、間違えても二対一だ。

最悪隙を見てぶっ殺そう。

 

「謎は一人につき一問出題される。考えるのも、答えるのも一人だけだ。そこのお前、少し下がれ」

 

「足が悪くて動けないんだ」

 

「離れなければ切る」

 

「頑張ってねバルダ」

 

リーフは少し離れた。

 

「では問おう。なぞなぞだ。『朝は四本足。昼は二本足。夜は三本足。この生き物なあんだ?』」

 

「……なんだと?」

 

思わずと言った感じでバルダは声を上げた。

化け物は聞き逃したと思ったか「『朝は四本足。昼は二本足。夜は三本足。この生き物なあんだ?』」ともう一度言い直した。

 

「そんな生き物いるわけなけないだろう」

 

「……つまり、回答は無と言う事か?」

 

「……いや、待て。少し考える」

 

「賢明だ」

 

バルダはその場にドカッと腰を下ろし腕を組んで考え込んだ。

見るからに脳筋なバルダにこういうなぞなぞは少々荷が重いかとリーフは不憫に思う。

 

「なあ化け物」

 

「……なんだ」

 

「君、テーガンの手下なんだろう? こんな所でつり橋の警備員をして満足かい?」

 

「違う。俺はテーガンの手下なんかじゃない」

 

「へえ、初耳だ。ちょっと事情話してよ」

 

「……よかろう」

 

化け物はバルダをチラリと見てからリーフへと向きおなる。

 

「俺は呪われたんだ。自由に飛び回る俺に嫉妬したテーガンが俺に呪いをかけこの場所に縛り付けた。真実が偽りとなり偽りが真実となるその時まで」

 

「え、君鳥か何かなの?」

 

「元はそうだ」

 

苦々しく言う化け物。

 

「じゃあ今は違うの?」

 

「見れば分かるだろう」

 

リーフは「へえ」と実に嫌な笑みを浮かべた。

何か企んでるのか。化け物にしてみれば人の不幸を蜜のように楽しんでいる様にしか見えない。

聊か以上に気分を害し、化け物はバルダに問うた。

 

「答えは出たか?」

 

「いや、待てもう少し……」

 

「もう待てん」

 

剣を握りしめ、剣先をバルダに突きつけた。

 

「10秒数える。それまでに答えなければ回答放棄とみなし斬り殺す。10……」

 

「くっ……!!」

 

「9……8……7……6……」

 

「くそっ、やむをえん。リーフ、剣を抜け! 戦うぞ!」

 

「5……4……」

 

化け物がカウントを刻むのを尻目にバルダは剣を抜き構える。

しかしリーフは余裕綽綽そうにほほ笑むだけだ。

 

「リーフ!」

 

「3……2……1……0。時間だ。斬り殺す」

 

化け物が剣を上段に構え、バルダを唐竹割りにしようと雄たけびを上げた。

慌ててバルダはその場を飛び退く。

地面に剣が叩きつけられ、円形のひび割れが発生した。

 

「リーフ!!」

 

「まあちょっと落ち着きなよ。まだ僕の謎かけが残ってる」

 

「お前、なにを――――」

 

「……この期に及んで貴様は何を言っている?」

 

バルダが言葉を失い、化け物はついと言った感じでリーフに問いかけた。

リーフは待ってましたと化け物に語り掛ける。

 

「君はさ、元の姿に戻りたいんだろ?」

 

「当然だ」

 

「なら僕たちと戦うのは得策じゃないと思うなあ。ほら、僕たち強いからさ。十中八九死んじゃうだろうね」

 

腰に差している剣の柄を握り、リーフは己の武力を誇示する。

それを見て化け物は思った。

 

確かに、大男の方は見るからに強そうだ。しかしこの子供は言うほど強いだろうか。

身長は低く、筋力もそれほどあるようには見えない。すばしっこくはありそうだが、所詮はその程度だ。

だが、世の中には見た目に寄らぬ化け物と言うのは確かに存在するのも事実。

例えば魔女テーガンがそうだ。あれも見た目こそ人の姿をしているが、その中身は残虐で非道な悪魔だ。

恐ろしい魔法を使い、自分をこの様な目に遭わせさえしている。

かつて仲間の鳥を救うために突撃し、成すすべなく魔法で撃ち落とされたことを思い出す。

 

ひょっとしてこの子供もそうなのではないか。

化け物の胸中に一抹の不安が浮かんだ。

 

「だからさ、もう一度僕と謎かけ勝負して、それで生殺与奪を決めよう。君が勝てば僕らは大人しく腹でも斬るよ」

 

「リーフ、お前何を言っているんだ!!?」

 

バルダの悲鳴に近い怒号もお構いなしにリーフの口は滑らかに動く。

 

「…………」

 

「乗った方がいいと思うよ。元の姿に戻りたいよね? 死にたくないよね? 万が一にでも死ぬ危険は犯したくないよね? 勝負に勝てば君には何の危険もない。負けても橋を通すだけだ。死ぬ可能性なんてどこにもない」

 

「…………」

 

化け物は悩んだ。

この子供の言う通り、元の姿に戻りたい。戻ってまた大空を自由に飛び回りたい。

しかし化け物は知っている。人と言うのは総じて嘘つきだ。

 

「負ければ素直に死ぬと? 信じられん」

 

「じゃあほら、剣渡しておくよ」

 

リーフは腰の剣を投げ捨てた。無抵抗の証と言う事だろうか。

化け物の足元で鞘に納められたままの剣が無造作に転がる。

 

「バルダも、ほら」

 

「リーフ……おまえ……」

 

顎で武器を捨てるように指示するリーフに、バルダは青ざめる。

信じて、と言うようにウインクするリーフ。その手は腰に隠されているナイフにあてられている。

 

もしもの時にはこれで戦うと、最低限の保身に走っているその姿はいつも通りのリーフだった。

 

「……仕方がない。信じるぞ、リーフ」

 

バルダは剣を鞘に納め化け物の足元に放り投げた。

化け物は眼を眇めてリーフたちを睨む。

 

「さあ、勝負する? しない? しないなら取りあえずバルダだけは殺していいよ」

 

「……よかろう。その話に乗ろう」

 

「はい、契約成立」

 

ぱんっと両手を胸の前で合わせたリーフ。

揉み手するように擦り合わせる動作は厭らしさすら覚えるものだった。

早速化け物が謎を問おうとする。

 

「では、問おう。なぞなぞだ」

 

「え、何言ってんの?」

 

リーフはきょとんと眼を瞬く。

「なに?」と化け物の言葉に「僕はどういう謎かけ勝負するかなんて一言も言ってないけど」

 

巨人は眼を見開いた。意味が分からない。

謎かけで勝負するとさっき……。まさかこいつ――――!!

 

「貴様……騙したなっ!!」

 

「いやいや、人聞き悪いなぁ。詳細な勝負内容確認しなかったのは君だよ?」

 

「殺す!」

 

「待って待って。今説明するよ。そんなに変わらないから。謎かけで勝負するのはいっしょ!」

 

リーフは言いながら数歩後ずさった。

今にも剣を振ろうとしていた化け物はリーフの言葉を理解できずにその場に固まる。

しょせんは鳥頭だとリーフは内心ほくそ笑む。

 

「では何でさっき止めた」

 

「出題者は君じゃなくて僕だからだよ」

 

冷や汗を拭いながら説明する。

 

「僕が君に謎を問う。君がそれに答える。正解すれば僕達の負け。間違ったら僕たちの勝ち。どう? 簡単でしょ?」

 

化け物は思いっきり顔を顰めた。

これだから人間はと吐き捨てる。

 

「その謎が絶対に答えられない謎だったらどうするんだ。貴様らの勝ちが決まっているだろう」

 

「いーや、僕が問う謎の答えを君は知ってるよ。というかどちらが正解かを君が決めるんだ」

 

「…………なにを――――」

 

やはり化け物は理解できなかった。

人の言葉を理解できるように、人の心の機微を理解できるように呪いで作り替えられたと言うのに、リーフの言葉が理解できない。

今や恐ろしさすら覚えそうなほど、化け物はリーフを理解することが出来ないでいた。

 

リーフはにっこりと笑顔を浮かべる。

 

「元に戻りたいんでしょ? 手伝ってあげるよ。だから――――」

 

人差し指を唇に立てる。

それは静かにとジェスチャーしているように見えた。

 

「真実を答えてね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

改めて勝負内容が説明された。

 

出題者はリーフ。回答者が化け物。

問う謎は一つだけ。

答えられない謎が出題されることはない。

正当は必ず一つだけ。

回答の時間制限あり。

正解した場合リーフとバルダの二人は自決する。

間違った場合リーフとバルダは安全につり橋を渡ることが出来る。

 

そこまで説明されて、ようやく化け物は剣を降ろした。

 

「これでいいかな?」

 

「気に食わんが……仕方がない」

 

一杯食わされたと悔し気な化け物はその場に座り込む。

化け物なりの回答スタイルと言う奴だ。

反対に出題者のリーフはその背後に佇むバルダと共に立ったまま。

普段は逆の立ち位置に居るはずの化け物は、この状況にどことなく居心地悪さを感じた。

 

「じゃあ問うよ。正解を答えてね」

 

いよいよ、リーフが謎を問う。

その後ろでバルダが息を呑んで見守る。

正直に言って、化け物はどんな謎かけであろうとも正答する自信があった。

それができるよう、テーガンに呪いをかけられていたからである。

今こうしている間も人間顔負けの速度で思考が回転している。

何よりも、化け物は長い間ずっと謎かけのことばかり考えていた。

その経験を元にすればどのような謎にも容易く答えることが出来る。

 

その自負は、リーフの謎かけを聞いた瞬間吹っ飛んだ。

 

「君は鳥か? それとも人か? いったい何なんだろう?」

 

「…………」

 

思考が停止する。

頭の中でリーフの言葉が何度も繰り返される。

鳥か、人か。そんなのは決まっている。俺は鳥だ。ずっと鳥だった。

 

「俺は――――」

 

鳥だと言おうとして、先ほどの会話が脳裏をよぎった。

リーフは訊ねた。「今はもう鳥じゃないのか」と。それに対して自分は何と答えたか。

「見れば分かるだろう」そう言ったのだ。

傍から見て、俺は何に見える? 人か? それとも鳥か? そんなの、考えるまでもない。

 

「さあ、君は鳥か? それとも人か?」

 

考える化け物を見て、リーフは愉快そうに笑っている。

その笑顔が、何とも純粋無垢な子供のように見えて、化け物は余計に心乱される。

とっとと言ってしまおう。そして殺そう。化け物の口は動く。

 

「俺は――――」

 

「ちなみに、僕は君ほど大きい人間を見たことがない」

 

リーフの言葉に、化け物は口をつぐむ。

 

「そもそも、君はどうやって生まれてきた? 人はすべからく母親の胎内から生まれてくるけど、君は卵から還ったんじゃないの?」

 

化け物の頭の中はぐるぐると巡っている。

リーフの言う通り、化け物は卵から還った。

人はそんなに大きくないと言うのも、言われてみればその通りだ。

 

どうする? どっちが正解だ?

 

「あと10秒。9、8、7」

 

「お、俺は――――」

 

リーフが秒読みを始めたことで、化け物は焦る。

焦った末に答えを述べていた。

 

「俺は……鳥だ」

 

「なるほど」

 

リーフは頷いた。

「君は自分のことを鳥だと思っている訳だ」

そう言うリーフの顔には変わらず笑顔で彩られている。

 

「でも残念。不正解」

 

「なに……?」

 

「僕にとって君はね。ただの化け物だよ」

 

化け物の動きがピタッと止まる。

考えすらしなかった答えに思考すら止まってしまう。

 

どういうことだ?

鳥か人かのどちらかを尋ねているのではなかったのか?

思い返す。『君は鳥か? それとも人か? いったい何なんだろう?』

 

一体何なんだろう?

謎かけの本質はそっちだ。鳥か人かは思考を狭めるための誘導に過ぎない。

今更ながらにそのことに気づき、化け物の顔は怒りに染まっていく。

掴んでいた剣を振り上げ、リーフに振り下ろそうとする。もはや問など関係ない。俺を引っかけたこの男を殺す。それしか考えられなくなる。

 

「リーフ!!」

 

警告に叫んだバルダの声。

 

しかし、結局のところ剣が振り下ろされることはなく、化け物はその動きを止めた。

プルプルと身体が痙攣しているように見える。唐突に化け物は絶叫した。

 

「おおおおおおおおおおおおお!!!????」

 

土塊のように、化け物の身体は崩れ落ちる。

崩れ落ちた土塊の中から、毛の生えた何かが甲高い鳴き声と共に飛び出す。

 

リーフは額の汗を拭って息をつく。

 

「びっくりした……こうなるのか」

 

どこか遠くへ姿を消した鳥を見送り、バルダはいつの間にか構えていた剣を下ろした。

 

「……まったく肝を冷やしたぞ」

 

「いや、ほんとにね」

 

対面する形で二人は言葉を交わした。

足元に転がっていた剣を腰に差しながら、リーフは快活に笑う。

 

「……しかし、どうして奴は元の姿に戻れたんだ?」

 

「決まってるさ。真実が偽りに、偽りが真実になったからだよ」

 

バルダは分からんと眉根を寄せた。

リーフはそんなバルダを見下すように鼻で笑う。

 

「真実も偽りも、結局は個人の主観だよ。魔法で姿を変えられてるだけで、鳥であることに間違いはなかったけど、僕にとっては化け物だったからね。鳥である真実を不正解(いつわり)だって突きつけられて魔法とけたんじゃない?」

 

リーフの説明を受けても、バルダは納得いかんと顔を顰めている。

 

「……そういうものか?」

 

「難しく考えすぎだよ、バルダは」

 

人生もっと楽に生きないと、と説くリーフ。

親子ほども年の離れた若造に人生を説かれるとは。

俺も老いたとバルダは頭を掻いた。

 

「奴が元に戻ると確証があってやったのか?」

 

「そんなのあるわけないじゃないか」

 

その言葉に目を丸くしたバルダ。

くすくすと上機嫌にリーフは笑った。

 

「もしもの時はバルダが殺せばそれで終わりだった。そのために注意を僕に惹きつけたんだから」

 

「そこまで持っていくのがえらく綱渡りだったじゃないか。謎かけにしても、もっと賢いのはなかったのか」

 

ほぼほぼ推測ばかりで、半分面白がっての謎かけだ。

あれでは下手をすれば二人とも死んでいた。

そうぼやくバルダに「まあ、結果良ければいいじゃないか」とリーフに取り付く島がない。

 

「行こう、バルダ。良い物が見れた。しばらく僕の機嫌はいいよ」

 

「俺の機嫌は最悪だ」

 

二人はつり橋を渡り始める。

ボロボロのつり橋は、幸いにも崩れる様子もなく比較的頑丈に作られていた。

 

無事つり橋を渡り切った頃、思い出したようにバルダが言った。

 

「そう言えば、俺への謎かけの答えはなんだったんだ……」

 

「分かるか?」とリーフに尋ねる 

リーフは「ああ、あれ?」と答えを知っているようだった。

 

「あれはね……内緒かな」

 

「おいおい……」

 

期待させてそれかと閉口した。

 

「バルダは答えることも出来なかったからね。自分で考えてみてよ。思いついたら答え合わせしよう」

 

「まったく……」

 

言いながら、バルダは道すがら考えることにした。

何せ時間だけはたっぷりある。

ゆっくりと考えてみよう。

 

 



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7話

「追え! 捕まえろ!」

 

背後から聞こえる怒声と、ずっと近くから轟く足音。

時おり何か爆発音がし、続いて液体がばら撒かれる音が森の中に響いた。

 

バルダもリーフも、それが何かは十分わかっており振り向くことすらしない。

ただひた走る姿からは焦燥感が漂っていた。

 

「身を隠せる場所無いよ、ここら辺!」

 

「分かってる! とにかく走れ!」

 

走るだけでは解決しないが、しかし走らないことには詰んでしまう。

どうしてこんな場所で憲兵に出くわすんだとリーフは内心で己の運命を呪った。

 

辺りは森。あるのは木々と背の低い茂みのみ。

これでは木々の間をすり抜けて憲兵を攪乱するぐらいしか出来ない。

しかし奴らは犬のように鼻が効く。一度捕捉されてしまっては、何らかの誤魔化しをしないと逃げきれない。

 

この辺には浮浪者もいないし、どうしたものか。

走りながら必死で考える。

 

「川でもないかな、匂いを誤魔化せる」

 

「泳いでいる所を奴らに狙い撃ちされるだけだ!」

 

「じゃあもう死体でも生ゴミでもいいから匂いのきついもの持ってこいよ!!」

 

「無茶言うな!!」

 

言い争いながら足を動かす。しかし背後の音は確実に近づいていた。

このままでは追いつかれる。

戦うか。いや、多勢に無勢だ。奴らには飛び道具まである。敵いっこない。

いっそのことバルダを転がして――――。

 

その時ふと、鼻腔をくすぐる匂いに気が付いた。

それは道を外れた先から漂ってくる。甘ったるい、腹の虫を刺激する匂いだ。

 

「バルダ、こっちだ!」

 

「よし!」

 

考える間もなく、二人は匂いの方向、藪の中を駆け進む。

先ほどまでの、土が踏み固められた正規の道ではなく、長らく人はおろか獣すら入っていないと思われる道なき道だ。

ほんの少し進んだ先は下り坂になっていて、二人は枝を折り小石につまずきながら転がるように駆け下り、終いには地面に身体を叩きつけられた。

 

一足早く落ちたリーフの隣でドスンと一際豪快な音が響く。

痛みに呻く暇もなく、頭上から憲兵たちの声が聞こえてきた。

「どこへ行った?」「道を逸れたぞ!」そんな声だ。

 

憲兵たちはリーフたちを見失っている。

隠れるなら今しかない。

 

「バルダ、入って!」

 

リーフは背中の透明マントを広げ、己とバルダを包み込んだ。

背中の痛さに呻いていたバルダはその意図を察し、慌てて口を塞ぐ。

 

二人、息をひそめてじっと石のように動かなくなった。

いよいよ鮮明に憲兵たちの声が聞こえてきた。

 

「こっちか? ……落ちたのか」

 

「匂いが辿れん。すももの臭いだ。この辺りは……あぁ、そうか」

 

憲兵の声音が変化した。

直前までの獲物を追う獰猛さは剥がれ落ち、今や憐れむ様な、それでいて堪えきれない愉悦が満ち満ちている。

 

「追う必要はない。ここは魔女テーガンの領地だ。――――どうせ死ぬ」

 

そう言ったのを皮切りに、憲兵たちは元来た道を引き返していく。

笑い合い、語り合いながらリーフたちの最後が見れないのを口々に惜しんでいた。

 

リーフは寝転んだ体勢のまま憲兵たちが過ぎ去るのをじっと待つ。

やがて気配が消え音も聞こえなくなった頃、ようやく二人は起き上がった。

 

「運が良かった……のか……?」

 

「…………」

 

バルダが安堵の息をこぼす横で、リーフはあまり身の無事を喜んでいなかった。

いや-な予感がしてならない。なんとなく、腰のベルトを手でまさぐった。

宝石はしっかりついている。

 

「……念のため、もうしばらくはここにいよう。ここなら臭いを誤魔化せるし、視界は藪で遮られている。戻って来ても見つかることはまずない」

 

「もう夜だよ」

 

「……野宿だな」

 

バルダはやおら起き上がった。

今まで寝っ転がってたおかげでその身体には泥がこびりついている。

 

見れば、リーフ自身も土ぼこりで汚れていた。

水浴びでもして綺麗になりたい気分だった。

 

「川はないかな」

 

「ないだろう。ここに来るまでもなかった。水音も聞こえん。近くにはないな」

 

リーフは思いっきり溜息を吐く。

憲兵に遭遇した時に分かっていたことだが、本当に運がない。

今日はこのまま夜を越すことになりそうだ。

 

「燃えそうな枝集めてくるよ」

 

「なら俺はこのモモが食べられるかどうか見ておこう」

 

「自分の口にねじこんで毒味かい?」

 

「動物が食った跡がないか見るだけだ」

 

それは残念。

リーフはそう言って茂みの中に入っていった。

 

バルダは暫しその後ろ姿を見送って近くの木を見る。

丁度、虫がモモを這っている。

少し様子を眺めていると虫は一口モモを齧った。

虫に変化はなく、何事もないまま食べ進んでいる。

 

食べられるモモだ。

 

これを食べればリーフも機嫌を直すだろう。

そう思って、いくつか小奇麗な物を摘む。

 

片手に持ちきれない程も摘んだころ、バルダの耳に微かに聞こえてきた。

消え入りそうな音量で「バルダー」と呼ぶ声が聞こえた。

紛れもなくリーフの声だ。何かあったのか。

バルダはモモを放り投げ、草木を掻き分けながら呼ぶ声の元へ走った。

ほんのわずか進んだところで、バルダはリーフの姿を見つける。

リーフは茂みに身を隠すようにしゃがみ込み、何かの様子をうかがっていた。

 

「リーフ……?」

 

「しー」

 

静かにと人差し指を立て、茂みの向こうを指さした。

目を凝らすとうっすら明かりが見える。信じられないことに家が一軒建っていた。

 

「こんな場所に家……?」

 

「怪しすぎると思うんだよね」

 

「ああ。しかし、隠れるには絶好の場所であることは確かだ」

 

「……行くの?」

 

「様子を見に、な」

 

「もう君一人で行きなよ」

 

「運が良ければ暖かい飯にありつける。風呂だって浴びれるぞ」

 

それを言われては弱い。

丁度今さっきまで望んで止まないものだった。

 

欲望にリーフは勝てない。

今までずっと運悪く来たのだから偶には幸運が舞い降りてくれてもいいじゃないかと、そう思った。

 

ゆっくりとバルダは歩を進める。

リーフも周囲を警戒しながら続いた。

音を立てないように慎重に歩く二人。

その足が、わずかに色の違う草を踏んだ――――はずだった。

 

「なに――――!?」

 

何かに足をとられた。

ずぶずぶと埋もれる感触。足元を見ればそこに固い地面はなく、まるで獲物を咥えて放さんと言わんばかりに沈み込んでいる。

色の違う草に見えたそれは、底なし沼だった。

 

やばいと二人は思った。

何たる不幸か、ほぼ同時に二人とも呑まれていた。

 

先を行っていたバルダはもちろん、周囲を警戒していたリーフも、よもや足元に罠が仕掛けられているとは思わず、何の警戒もなしに踏み抜いていた。

 

「しまった、底なし沼か!?」

 

「暴れたら余計沈むって? だったらもう手遅れだね!!」

 

既に二人とも腰まで呑まれ、何故か陸地は手が届かない距離にある。

この時点で行動の如何にかかわらず、二人の死はほぼ約束されたようなものだった。

 

それでも何とか生き残ろうと懸命に足掻くバルダ。だがやはりもがけばもがくほど沈んでしまう。

その横で万策尽きたことを承知したリーフは自棄になっていた。

 

――――このベルトが重いのか! ていうか全部これのせいだろう!

 

こんなことになった元凶、全ての原因であるデルトラのベルト。それを高々と掲げて振り回す。

これがあるからこんな目に遭っているのだと、最後の力を振り絞ってどっかあっちの方へぶん投げるつもりだった。

 

傍から見て、高々とベルトを掲げるその姿は「せめてベルトだけでも……!!」と抵抗しているようにも見える。

少なくともバルダはそう勘違いした。

「リーフ……!!」と感極まった声を漏らす。その時だった。

 

「るてっかかっひがかば!」

 

「ぞるつでみあ! みあだみあ!」

 

そんなことを言いながら、家から二人の老夫婦が大急ぎでやってきた。

うち一人が縄をもってリーフたちの方へ放り投げる。

目の前に落ちたそれにバルダが掴まり、「おい、置いてくなよ」とリーフはバルダのマントに掴まった。

 

老夫婦により、ゆっくりと家に向かって引き上げられる二人は、まるで釣り上げられた魚の様で酷く滑稽な姿であった。

沼を横断し岸に打ち上げられた二人は肩で息をしながらうずくまる。

バルダが荒い呼吸を整えながら礼を述べた。

 

「すまない。助かった。感謝する」

 

こいつこればかり言ってるなぁとリーフが横でぼんやり思い、言われた老夫婦はニコニコと無垢に笑いながら、口々に意味不明な単語を羅列する。

 

「だことおおおなうそまう。なだうそまうにかるはりよびちのちっそ」

 

「いいてっくがれおついこ?」

 

「なういかば! だんぶうとに。けといまもでにけたははびちのちっそ!」

 

「……言葉が分からんな」

 

「いや、でもなんか侮辱されてる気がする」

 

自分への悪口に敏感な辺りはさすがリーフと言う所である。

しかし、この時はあんなチンケな沼に嵌ったことで馬鹿にされているとしか思わなかった。

改めて見てみれば、毒々しい色の底なし沼。

普段なら絶対に近づきはしないだろうこれを、どうして見落としてしまったのか不思議でならない。

リーフは頭を捻った。

 

その間にも老夫婦は二人を家に案内しようとする。

相変わらず言葉は通じず、その表情は笑顔で塗りたくられているが、その笑顔に疑いの目を向けるのがリーフだ。

詐欺師は笑顔で近寄ってくると、経験から知っているからである。

 

「うおまちっくてせらむね、あさあさ」

 

「だんさんばたっまにちま、あやあや」

 

「うょりくょしのいかで」

 

「うょりひはびち」

 

「だうそちごのりぶしさひ」

 

まるで歌の様にそれぞれ言葉を発し家へと招く。

歩く動作一つとっても上機嫌その物で一定のリズムを刻んでいた。

 

その貼りつけられた笑顔の裏には、やはり何か邪悪な思惑がある様な気がしてならない。

あとやっぱり侮辱してる気がする。

 

「これは……歓迎されてるのか?」

 

「いやーな感じがするなあ……」

 

言いながら、満身創痍な二人は招かれるまま家へと足を踏み入れた。

清潔感溢れる室内。壁のどこを見ても染み一つなく、鍋やフライパンなどは照明が反射するほどピカピカに輝いている。

丁度夕食を作っている所だったのか、美味そうな匂いが腹の虫を刺激した。

 

「おおぉ……!!」

 

バルダは感激の声を漏らした。

対するリーフは――――。

 

「おおぉ……?」

 

染み一つない壁を見て、これはありえないだろと目を擦った。

瞬間、かすかに化けの皮が剥がれる。

 

――――あれ?

 

口にするのも憚れる汚部屋が見えた気がする。

腹を刺激する匂いも、その時ばかりは嗅ぎ慣れた死臭に変わっていた。

 

もう一回、目を擦る。

やはりほんの一瞬だけ汚部屋が見えた。

 

――――なんだこれ。

 

今度は逆の手で目を擦ってみた。

しかし何事も起こらない。

右手で擦った時だけ汚部屋が見える。

 

これは一体どうしたことだろうか。

ついに呪いでもかけられたのだろうか。リーフは頭を悩ませる。

 

そうしている間に、バルダは愛想よく老夫婦からスープの盛られた器を頂いていた。

老夫婦は頭を捻るリーフの眼前にもスープを置いていく。

何か言っていたようだが、やはり理解できない言葉に、リーフは反射的に微笑んでいた。

それは詐欺師顔負けの上手な笑顔だった。

 

老夫婦はその笑顔を見て、何か思う所があったのかすごすごと隣部屋に消えて行った。

 

スープからは食欲のそそる匂いが漂っている。

だがどうしてだろう。一向に手を付ける気にはなれない。

取りあえず、リーフは右手で目を擦ってみた。

 

一瞬だけ見えた真実の世界。

器に盛られたスープは、ギトギトしい色の植物と見たことの無い虫を煮込んだものだった。

リーフの食欲はナイアガラのごとく垂直落下する。

 

どうしてこんなものが見えるのか。

こんなことは初めてで、ということは原因は最近に限られるわけだが。

 

腕を組んで悩む。

最近……変化……旅……。

 

もうそこまで考えれば答えは一つだけだった。

デルトラのベルト、トパーズ。

十中八九これが原因で、リーフはデルトラの書の一節を思い出した。

 

『精神力を高め、真実を見抜く力を与える』

 

――――これだ!

 

気付いたリーフは自画自賛に手を叩いた。

「わかったぞバルダ!」とバルダを見る。

 

「リ……ィフ……」

 

だが時すでに遅く。

とっくにスープを口に含んでいたバルダは顔を真っ青にし、苦しそうな様子でリーフに助けを求めていた。

 

とりあえず、リーフはバルダの手を掴んで腰のトパーズに触らせる。

途端、真実を見たバルダ。直前に自分が飲んだスープを見て、胃の中身をその辺にぶちまけた。

 

倣ってリーフもトパーズに触れる。

瞬く間に幻想は掻き消え、曇り無き眼には真実が映された。

 

真実とは先ほどから一瞬だけ見えていた汚部屋。

老夫婦が消えた部屋からは刃物を研ぐ音が聞こえてきている。

 

「まだかな、まだかな? もう食べようよ。ねえ?」

 

「急ぐな、急ぐな。もう少し。あのチビは警戒していた。もう少し様子を見よう」

 

なるほど、そんなことを言っていたのか。

チビにチビと言われて、道理でイラッとしたわけだ。

 

「身体動くかい?」

 

「……動かん。情けない」

 

「いや、ほんとにね」

 

思えば、気づいて然るべきだった。

憲兵の言葉。不自然に引っ掛かった底なし沼。綺麗すぎる家。親切な老夫婦。

 

こんなのどこをどう見ても罠である。

気付かなかったのは、それも魔法のせいだろうか。

 

「さて、僕一人だけ無事なわけだから、とっとと逃げてもいいんだけど」

 

「……そうしろ。家の周りは沼が広がっている。どういう方法で渡るにしても、俺を担いでは渡れんだろう」

 

リーフは意外そうにバルダを見た。

バルダはてっきり、見捨てずに助けろとでも言うかと思ったのだが。

 

「……こんな見え透いた罠にあっさり引っ掛かるような奴は、例え助かってもこの先足手まといだ。ここらで死んだ方がまだましかもしれん」

 

バルダは言う。それを聞いたリーフは安心した。

いやに悟ってるなと思ったら、なんだ、またいつもの諦観か。

 

しかしそんなことを言われてしまっては、リーフとしても見捨てる選択を取らざるを得ない。

さよならバルダ。地獄でも達者で。

 

リーフは腰を浮かしかけた。

デルトラの未来は任せてくれ。

 

冥土の土産に、そんな心にもないことを言おうと口を開きかけていた。

 

――――コンコン

 

その全てを遮るように、窓を叩く音が聞こえる。

反射的にリーフは振り向いた。

 

黒い羽毛。鋭利な嘴。小さな体。

 

「カアー」

 

窓の外に、見覚えのある黒いカラスが一羽止まっていた。

 

「え……?」

 

呆けた声がリーフの口からこぼれた。

あれ……クリー? なんで君ここにいるの?

 

それから間を空けず、扉が開く。

室内に風が入り込んできて、髪がなびく。

リーフは眼を見開いた。

 

扉の向こう。

そこには少し前に別れ、もう二度と会うことはないだろうと思っていた女の子が立っていた。

 

「……え、なんでいるの?」

 

「…………」

 

彼女は無言のままリーフを見て、バルダを見て、最後に溜息を吐いた。

 

「……助けに来たわよ」

 

仏頂面で、不満そうに不服そうに、命の恩人ことジャスミンはただそれだけを言った。

 

 

 



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8話

胡乱気に見てくるリーフを無視して、ジャスミンはバルダに駆け寄った。

弱弱しくはあるものの、息のあることを確認したジャスミンはほっと息を漏らし「動ける?」と尋ねる。

無気力にバルダは首を振った。

 

外は一面沼で囲まれている。一人どうやってかここまで来れたジャスミンにしても、役立たず一人抱えて逃げることは難しい。リーフと協力したとしても、やはり難しい。

 

ジャスミンは周囲を見回した。

この状況を打破しうる、何か使えそうな道具はないか。

しかし、血や錆に覆われた料理道具や壊れた拘束具こそあるものの、それは今役に立ちそうにはない。

 

臍を噛む思いで、ジャスミンはリーフを振り向いた。

その表情には、はっきり非難の色が浮かんでいる。

 

「バルダを置いていくつもり?」

 

それは率直すぎる言葉だった。

嫌悪感すら浮かんでいる瞳には紛れもない怒りが見て取れる。

おそらく直前までのリーフたちの会話を聞いていて、リーフがあっさりバルダを見殺しにしようとしたことを責めている。

少なからず知っている仲であるからこそ、ジャスミンはここまで怒っているのだ。

もしこれが初めて会ったころの彼女だったなら、責めることは無く、どころか助けようとすらしなかっただろう。

 

リーフは答えず顎に手を当て考え込んだ。

扉から吹き込む寒々しい風が二人の間を巡る。

ガタガタと窓枠の揺れる音にふと不安を覚えた。

耳をすませば相変わらず刃物の研ぐ音が聞こえてきた。

この分ではもう少しの間は平気そうだ。

 

考えるリーフの目前で、床に倒れたままのバルダが絞り出すような声音で呻いた。

 

「ジャスミン……なぜお前がここに居るのかは聞かん。だが俺を助けようなどと思ってくれるな。俺のことなど置いて逃げろ」

 

「いやよ」

 

ジャスミンははっきりと、拒絶した。その肩で同感とばかりにフィリが鳴く。

その思いもよらぬ即答に、バルダの表情は「なぜ?」と分かりやすく尋ねている。

ジャスミンの答えはこれまた明快だった。

 

「だって、二度も貴方たちを助けたのに、ここで見殺しにしたら結局なんの意味もないじゃない」

 

「……」

 

バルダは唖然として何も言わない。

ジャスミンはその沈黙をどう解釈したのか、そっぽを向いて「目覚めも悪いわ」と付け足した。

 

しばらくその横顔を眺めていたバルダは、突然無性に笑いたくなった。

こんな状況だというのに腹の底から湧いてくる昂ぶり。

自身は既に諦めているというのに、自分より一回り以上も幼い少女に、目覚め悪いからという理由で助けられようとしている。

これが愉快でなくて何だというのか。

実際、バルダの顔は泣き笑いに近い表情に破顔し、「……くっくっ」と堪えきれなかった声が漏れている。

決まり悪く、ジャスミンが横目でバルダを睨んでいた。

 

やがて、ようやく笑いの治まったバルダはほんの僅かな沈黙の後、リーフに尋ねた。

 

「リーフ。……何とかならんか」

 

「……」

 

リーフは何も言わずバルダを見る。

その顔からは既に諦観は消えていた。代わりに生にすがる貪欲な光が宿っていた。

 

リーフにとってそれは嫌と言うほど見てきた光だ。

その光の儚さも尊さも十分知っている。

この光は時に強い力をもたらすし、あるいは筆舌に尽くしがたい暴挙をもたらす。

今回はどちらだろうか。

 

そこまで考えてリーフは頭を振った。

今はそんなことはどうでもよかった。

 

「分かったよ、じゃあこうしよう」

 

二人に語り掛ける。

二人は真剣にリーフの言葉に耳を傾けた。

 

身体の動かないバルダを抱えて逃げることは難しい。

逃げてる所を追いつかれるかもしれないし、何より底なし沼を越える方法がない。

どういう方法でか、ここまで来たジャスミンが、リーフに助けを求めているのがその証左だ。

バルダを抱えて越えられるならとっくにそうしているだろう。

 

越えられないなら、逃げられないなら、この場で奴らと戦うしかない。

最低限のリスクで最上の結果をもたらす案は既に思い浮かんでいる。

 

「丁度良く囮に使えそうな物があるから、それを使って僕とジャスミンが奴らを不意打ちしよう」

 

「囮……」

 

ジャスミンは周囲を見渡す。家の中に道具は無数にある。

この中の何を囮に使うというのだろう。

 

囮と言うからには音や見た目で奴らの気を惹きつけられるものじゃないと駄目だ。

パッと見る限り、それらしき物は見当たらない。

まさか今から作るのか? そんな時間は――――。

 

そこでハッとジャスミンは気づき、足元に転がっていたバルダに視線を下ろした。

 

当のバルダは虚ろ気に天井を見つめ堅く口を閉ざしていた。口を引き締め、どうか違いますようにと心の中で祈っている。

そんな彼に、リーフは愉悦に口を歪めて言った。

 

「じゃあバルダ、囮役頼むね」

 

 

 

 

 

 

 

 

リーフは思い返していた。

 

二人の老夫婦は、ぱっと聞いたところ意味不明な言語を使っていた。

異国の言葉か、それとも魔女テーガンにそう言う魔法を掛けられたのか。

正確には分からないが、この二つを並べた時、後者の可能性が高い。

何せ鳥を人型の化け物に変えるぐらいだ。それぐらいやってもおかしくはない。

 

だが、それは老夫婦が味方であるという前提で成り立っている。

そこに老夫婦が実は魔女テーガンの手先である事実を加えたとき、仮説は全て引っくり返った。

 

老夫婦の言葉が、きちんと意味のある言語で、獲物を油断させるための暗号である可能性。

そこまで考えてようやく、奴らの話す言葉が逆さ言葉であることにリーフは気づいた。

 

奴らにとってメインディッシュはバルダであり、リーフはいいところ保存食程度の扱いだった。

それは言葉を翻訳すると自ずとわかる。

 

『久しぶりのご馳走』と言うのは奴らの腹の空き具合を、『夕食バルダ。リーフ肥料』と言うのは扱いの差を如実に表している

つまり、他の何を失っても、絶対にバルダの身柄だけは押さえに来るはずだ。

 

例えば、バルダが逃げようと床を這い、今にも家から脱出しようといている所を見たら、奴らはどうなるだろうか。

リーフの存在などあの小さな脳みそからすっぱり消えるだろうとリーフは考えた。

加えて、ジャスミンと言う老夫婦が知りえない助っ人までいる。

よほどのミスを犯さない限り不意打ちが失敗するようなことはありえない。

だからこそ、リーフはこの作戦を実行しようとしたのである。

 

透明マントを被ったジャスミンが家の隅っこで息をひそめ、家の外、ドアの影にリーフが隠れる。

バルダは丁度半身ほど外に身を乗り出させて這いつくばらせる。

それで準備は完了だ。後は大きな音でも出してこちらの様子を窺わせればいい。

バルダに気をとられた老夫婦をリーフとジャスミンで挟み撃ち。

文字にするなら簡単だ。実際にやっても、驚くほど容易だろう。

 

嫌がるジャスミンに透明マントを押し付けた後、自身は家の外で大きく伸びをする。

自由になれた。空気が美味い。

保身と言うか自衛と言うか、もうこのまま逃げてしまおうかな。

 

頭をよぎる考え。

それは眼前に広がる底なし沼を見て、即座に否定される。

こうして老夫婦が生活している以上、渡るための何らかの仕掛けがあるはずだが、それが何なのか調べるには少々時間が足りない。

 

時間に追われながら考えたとしても、いいアイデアが思い浮かぶとは思えない。

やはり一番はジャスミンにどうやってここまで来たのか聞くことである。

そのためにバルダには生きてもらう必要がありそうだ。僕のために、生きてくれバルダ。

ここ出れたら後は勝手にしてくれて構わないから。

 

まあ、万が一この奇襲が失敗しても、一人家の外で待機してる分逃げやすい。

家の中で透明マントを羽織るよりも幾分かましだろう。

 

リーフは足元の石を拾った。

さあ、大きな音を立てようか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それから紆余曲折を経て、リーフたちを罠にかけた老夫婦あらため二匹のゴブリンもどきは、無事に底なし沼の底に沈んで行った。

悪どい笑顔でその一部始終を見ていたリーフに、ともすれば高笑いでも上げるんじゃないかとジャスミンは気が気ではなかった。

出来る限り静かに事を運びたいジャスミンは一言忠告する。

 

「変なことはしないでよね」

 

「君がここに居ることがすでに変なことだと思うんだけど」

 

ジャスミンは顔を顰めた。

それから「こっち」と端的に述べて木々の向こうへ消えていく。

 

剣を杖に、なんとか立ち上がることの出来たバルダがリーフの肩に手を置いてか細い声で言った。

 

「また助けられてしまったな……礼を言わなくては」

 

「そうだね」

 

素直に頷くリーフ。

理由がどうあれ、目的が何であれ、それが何者であれ、命を救われたことに違いはない。

礼を言うことはやぶさかではない。

だが、リーフは少しの間考えて、隣のバルダに投げかけた。

 

「君、この晩二度目の『助けてくれてありがとう』を言おうとしてるけど、僕らこの先この調子でずっとやってくのかい?」

 

「……」

 

加えて、ことジャスミンに対しては通算三度目の『助けてくれてありがとう』である。

その事実をぐさりと突きさされ、さすがのバルダも何とも言えなくなった。

 

もし仮に最後まで宝石を集めきれたとしても、何がしかで100回ぐらいは助けてくれてありがとうを言いそうだし、ジャスミンに対しては30回ぐらい言いそうな気がしてきたリーフたちであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

バルダに肩を貸し、クリーの案内に従って、リーフはようやくジャスミンに追いついた。

そこは一本の大木の根元。

その根の上で膝を立て座っていたジャスミンは、不機嫌そうに二人がやってくるのを待っていた。

 

先んじて、いち早く辿り着いたクリーを腕に止まらせ、ジャスミンは二人に言い放つ。

 

「遅いわよ」

 

「ごめんよ、これ重くてさ」

 

バルダを根っこにほっぽり投げるリーフ。

まだ身体の自由の利かないバルダは「ぐふっ」と間の抜けた声を漏らした。

リーフが尋ねる。

 

「で、なんで君ここに居るの?」

 

ジャスミンはすぐには答えず、代わりに鼻を鳴らした。

周囲の木々に視線を巡らせた後、あざ笑うかのように言う。

 

「そんなこと、どうでもいいでしょ。それより貴方たち、憲兵に追いかけられて、逃げ切れたと思ったらテーガンの手下に狙われて……。今日は随分災難ね」

 

「……」

 

疑問を呈したら皮肉をぶつけられた。

すごく不機嫌だ。曲がりなりにも蔓を切り払った仲だというのに。

 

彼女の言葉を聞くに、随分前から後をつけられていたらしい。

だとすると、不機嫌の理由はリーフのここまでの言動にあるのかもしれない。

 

しかしそうなると、憲兵に追いかけられている時は黙って見守り、ゴブリンの罠に掛かった時にようやく助ける気になったということか。

絶体絶命度で言えば大差ないように思えるが、前者は見捨てて後者で助けたのはどういう風の吹き回しだろうか。

 

その内心を読み取ったかの如く、ジャスミンは言葉を続けた。

 

「聞きたいことがあるのよ」

 

「なんだろう?」

 

おもむろに、ジャスミンは背後に向けて「出てきていいわよ」と声をかけた。

すると根の隙間から小さな小人のような少年が這い出して来る。

 

「うおっ」驚いたリーフが一歩退いた。

「む……」とバルダが上体を起こそうとする。しかし相変わらず身体の自由が利かない。

 

「この子、貴方たちが追いかけられた憲兵に捕まってたの。丁度貴方たちのおかげで見張りが手薄になったから助けられたわ」

 

淡々と述べられる言葉をリーフは右から左に聞き流していた。

少年の見た目は明らかにデル族ではない。

青灰色の肌に、赤い髪が一房ニワトリのようにピンと立っている。

 

噂にしか聞いたことの無い他部族のどれかだろうか。

抱いた疑問の答えはバルダがもっていた。

 

「ララド族か」

 

「ララド族?」

 

「ああ」

 

バルダの言葉にララド族の少年は頷く。

ララド族とは大昔、デル城を建築した部族である。

大工の種族らしい。リーフが知っているのはそれだけだ。

 

「彼、言葉が話せないの。文字は書けるんだけど、生憎私文字はさっぱり。だから貴方たちを助けたってわけ」

 

要は通訳として役に立ちそうだったから助けられたのである。

 

リーフは真顔で「それはどうもありがとう」とジャスミンに礼を述べた。

ジャスミンは満面の笑みで「どういたしまして」と返答する。

 

そんな二人を横目に見ながら、ララド族の少年は根を乗り越え、バルダの目前でしゃがみこむ。

見ると彼は地面に文字を書き始めた。

 

それは見たことの無い文字で、ジャスミンはもちろんリーフも読めない。

二人が首を捻る横でバルダが言った。

 

「『助けてくれてありがとう』」

 

「ん、なに? 今度は君がジャスミンにお礼かい? べつに言う必要ないんじゃないかなあ」

 

ジャスミンも同意して「そうよ」と頷いている。

今はそんなことよりも少年の文字を翻訳するのが急務であると。

だが当のバルダは首を横に振った。

 

「彼の言葉だ」

 

「……読めるの?」

 

「ああ、なんとかな」

 

それを聞いた少年は次々に文字を書いていった。

もともとは先ほどのゴブリンの所で奴隷として扱われていたこと。命からがら逃げだしたところで憲兵に捕まったこと。そこをジャスミンに救われたたこと。リーフたちのピンチを知り、助けに行こうとしたジャスミンに何とか沼の秘密を教えたこと。

 

そこまで通訳したバルダは、何となくジャスミンを見た。釣られてリーフもジャスミンを見る。

ジャスミンは地面の文字を凝視し、意地でも視線を二人に向けようとはしなかった。

少年は微笑みながら続きを書く。

 

「『名はマナス』」

 

「そう。マナスって言うのね。……怪我は大丈夫?」

 

マナスは奴隷として扱われていたからか、ガリガリにやせ細っていて、所々紫に変色した痣がある。

首にはまだ首輪が嵌っているし、足首には鎖の切れた足枷が付いている。

奴隷と聞いた途端、ジャスミンの視線が彼の境遇を労わり、同情に満ちたものになったのは気のせいではないだろう。

 

マナスは頷いた。

 

「『あなたたちは――――』……なんだ?」

 

「ん?」

 

見るとWをひっくり返したような文字が分からないらしい。

当然リーフにもわからない。

 

マナスはその文字を指で消すと、一人一人指で差しながら名前を書いていく。

 

「『ジャスミン、バルダ、リーフ。命の恩人。助けてくれてありがとう』」

 

ジャスミンはともかく、リーフとバルダはマナスの存在など知りもしなかった。

リーフたちが憲兵を引きつけたおかげで助けることが出来たらしいが、それはリーフたちの与り知らぬ所で結果的にそうなっただけで、感謝されるいわれは微塵もない。

だというのになぜ命の恩人認定されているのか。

 

二人は顔を見合わせて、それからマナスに向き直った。

 

「いや、俺たちは――――」

 

「どういたしまして」

 

バルダが否定しようとする横で一足早く言い切るリーフ。

 

恩が売れるなら勘違いだろうと何だろうと売っておけと思ったリーフ。

勘違いは正すべきだと思ったバルダ。

二人の意思疎通は、まだまだ険しい道のりの真っ只中だ。

 

ジャスミンがまた周囲を見回した。

 

「大体分かったわ。……そろそろ出発した方が良さそうね」

 

「じゃあ僕らは焚き木でも焼こうか」

 

立ち上がったジャスミンと棒切れ一本拾うリーフ。

マナスが慌てて書きなぐった。

 

「……リーフ、さっきお前が丁寧に土葬した怪物はどうやらテーガンの子供らしい」

 

「へえ」

 

構わずリーフは二本目の木の棒を拾う。

 

「いつテーガンが子供の死を察知するか分からんから、早くこの場を離れた方がいいと」

 

「……感謝されるならともかく、恨まれる覚えはないよ」

 

不意打ちで首切り落とした奴の言葉である。

 

だが今は悠長に冗談など言っている場合ではない。

バルダは立ち上がる。

ようやく身体の自由が利くようになってきた。

歩くだけなら足手まといにはならないだろう。

 

魔女テーガンは二つ目の宝石の番人。

出来るだけ関わり合いたくない存在だ。

そんな奴に目を付けられるなど、御免こうむりたい。

その思いは図らずとも両者共通の考えだった。

 

「いくぞリーフ」

 

「……分かったよ」

 

今日は夜通し歩くことになるだろう。

リーフはその未来を予見して大きく溜息を吐き、手に持っていた木の棒を放り捨てた。

 




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