南洋海戦物語〜人類の勇戦譚〜 (イカ大王)
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序章
第一話 運命の日


ガチ戦争ストーリーです…。


序章

 

1

 

照りつける太陽光に反射し、蒼く輝くハワイ諸島南方の空域を、一機のPBYカタリナ飛行艇が飛んでいた。

 

同飛行艇は、胴体から離れた高翼式の双発飛行艇であり、1937年からアメリカ軍の各部隊に配備が開始されたものだ。

巨大な主翼の両端には格納式の小型フロートがぶら下がっており、バナナのような胴体も巨大なフロートの役割を有している。

全長20.1m、全幅31.7mというその巨大さ、空気抵抗を考えられた滑らかな流線形、機体の表裏に塗装された二種類の紺色。その姿は空飛ぶクジラにも例えられた。

最新式の機体とは言えないが、沿岸警戒や海難救助、消防機としてアメリカのみならず各国でも活躍している航空機である。

 

「そろそろ予定の海域だが、こんなところに味方駆逐艦なんかいるのか?」

 

カタリナ飛行艇の機長兼操縦士のジョン・ハモンド中尉は、操縦桿を握りながら、隣で双眼鏡を覗いている副操縦士のケニー・ウォーカー少尉にぼやいた。

 

「こんなだだっ広い海で遭難した船一隻見つけるのはかなり難しいでしょうね。」

 

全く同感だ、と言いたげにケニー少尉は返答した。

このカタリナ飛行艇に与えられた任務は、行方不明になった駆逐艦の捜索である。

 

今日の午前七時頃。オアフ島南方八十浬(カイリ)を航行中だったクレムソン級駆逐艦「パロット」が消息を断った。

クレムリン級駆逐艦は前大戦でアメリカが大量生産した平甲板型駆逐艦の一隻であり、現在は第一線から退いて様々な裏方部隊に配備されている。

そんな一隻である「パロット」の艦歴は二十一年にも及んでいるため、哨戒中、嵐に合って機関が故障したなどのトラブルが発生した可能性がある。

真珠湾の哨戒艦隊司令部はそう判断し、ジョンたちのカタリナ飛行艇を捜索に派遣する流れに至ったのだ。

だが、ヒッカム飛行場を発進してから早二時間。「パロット」が消息を絶った海域を重点的に捜索しているが、駆逐艦の姿は発見できていない。

 

「……少し、高度を落とすか。」

 

この高度だと航跡も見えないかな…と思ったジョンは、操縦桿を左に傾けながら奥に倒した。

カタリナ飛行艇が、緩やかな角度で降下していく。

高度が四千メートルから三千五百、三千、二千五百と下がっていき、海面の波濤がはっきりと見える高さまで降りていく。

高度二千メートルを切った時だった。

 

「機長、右前方の海面が!」

 

ケニーが狼狽した様子で叫んだ。

ジョンは咄嗟に首をひねり、右前方の海面に目を向ける。

 

「なんだ…あれは?」

 

ジョンは力の抜けた声で言った。

その海面はハワイの美しい海の青でなく、重油のように真っ黒だったのだ。

少しの面積なら「パロット」が事故によって垂らした重油だと思えるが、その黒い海はカタリナが飛行している海面から水平線にまで広がっているように見える。

海底火山?水質汚染?様々な憶測がジョンの頭を駆け巡るが、答えは見つからない。

そして、さらにカタリナのクルー達を驚かせることが起きる。

 

黒い海に巨大な水飛沫が起きた…と見えた瞬間、多数の艦艇が水面下から湧き出できたのだ。潜水艦ではない、駆逐艦のような艦もいれば巡洋艦、巨大なものでは戦艦のような奴もいる。どの艦艇も黒光りしており、一斉にカタリナの進行方向の反対、すなわちハワイ諸島の方向に向かっていく。

 

「こ、これは!」

 

「直ちに司令部へ打電!」

 

ケニーが言い、ジョンが叩きつけるように指示を出した。

この艦艇群の正体はわからない、だが一刻も早く現在の状況をオアフ島のアメリカ太平洋艦隊司令部に伝えなければ、という感情がジョンを突き動かしていた。

 

だが、奴らはそれを許さない。

 

「敵味方不明機、左正横。近い!」

 

カタリナ左側面の機銃座についているマーチン・スタットリー伍長の声が聞こえたのと同時に、ジョンは反射的に操縦桿を手荒く左に傾けた。

カタリナ飛行艇の巨体が左の翼を海面、右の翼を天空へ向け、左に大きく旋回する。

 

敵味方不明機が猛スピードで頭上を通過する。あまり良く見えなかったが、黒色で砲弾のような形をしているのだけ、辛うじてわかった。

敵味方不明機はすれ違いざまに発砲したらしい、首を振って左右の翼を見上げると三、四箇所に弾痕が見える。

ジョンの背中に、冷たいものがよぎった。

 

(撃ってきた…⁉︎)

 

「後方からも、新たな敵機!」

 

間髪入れずに新手の報告が入る。

砲弾のような形をした航空機は、カタリナ飛行艇に問答無用で発砲してきた。

機体に国籍を示すマークは見えない。が、「敵味方不明機」ではなく、完全な攻撃の意思を持った「敵機」だった。

後方から銃撃音が聞こえ始める、スタットリーが応戦しているのだろう。

ジョンは罵声を吐きながら操縦桿を右に、左にと動かし、機体を振る。

戦闘機に比べると、カタリナの機動は悲しくなるほど遅かった。

敵機も発砲したのだろう、重々しい発砲音が背後から轟き、敵弾が胴体や翼をかすめる。

時折鋭い打撃音が響き、機体が鳴動する。

そのたびにジョンは背筋が凍るような思いをするが、計器に異常はない。カタリナ飛行艇が火を噴くこともない。

 

敵機がカタリナを追い越す。すごい速力差だ、100キロは違うかもしれない。

敵機は先に攻撃してきたもう一機と共にターンし、カタリナ飛行艇の正面に向き合った。

この時、ジョンは初めて敵機をはっきりと見た。

とんがっている黒色の胴体の下には、人間の歯のようなものが付いており、さらにその下には機銃と思われる細長い棒が飛び出している。

翼のようなものは見当たらず、国籍を示すマークもついていない。

 

「化け物…!」

 

ジョンは小さく叫ぶと共に、自らの死を悟った。

二機の敵機との距離はほとんどない。

アメリカ陸軍の主力戦闘機P40“ウォーホーク”ならば回避できると思うが、あいにく今の乗機は空中戦を考慮していないカタリナである。

 

敵機の胴体下で、一斉に発砲炎が躍る。

 

だがジョンは諦めなかった。

操縦桿がねじれると思えるほどのパワーで奥に倒し、同時にスロットルを絞る。

カタリナの巨体がお辞儀をするように前のめり、同時に速度が大幅に遅くなる。

ジョンは機体を下にそらし、雨あられと降ってくる敵弾多数を避けようと考えたのだ。

だが、十分に減速する前に、無数の敵弾がカタリナに殺到した。

真上から降ってくる形となった敵弾群は、広いの面積の主翼、バナナのような胴体、尾翼を文字通り蜂の巣にし、エンジンを切り裂き、プロペラを吹き飛ばした。

けたたましい音と共にコクピットの窓ガラスが叩き割られ、眉間に衝撃を受けると同時に、ジョンの意識は暗転した。

 

パイロットを失ったカタリナ飛行艇は、悲鳴じみた音を立て、白煙を吐きながら、ハワイ諸島南方の大洋に落下していく。

海面では空中での出来事などなかったなのように謎の艦隊が、一路真珠湾に向け進撃していた。

 

 

2

 

数時間後。

 

真珠湾が位置しているオアフ島は、火焔の煉獄と化していた。

 

一箇所だけではない、ざっと見ただけでも八箇所から煙が発生しており、時折、爆発が起きて真っ赤な爆炎が沸き起こる。

約七十万キロリットルの重油が備蓄されていた燃料庫が攻撃されたのか、一帯は火の海と化していた。

ハズバンド・キンメル大将を始めとする太平洋艦隊司令部スタッフの消息も不明である。

真珠湾の艦艇や飛行場はあらかた破壊されており、健在なものは一つもない。

真珠湾軍港が基地能力を完全に失ったのは、もはや誰の目にも明らかだった。

 

同じような光景は、日本領トラック環礁、同じくマーシャル諸島、英国領シンガポール軍港、米国領フィリピンのマニラ軍港でも起こっている。

 

今日、1941年3月1日。

後に深海棲艦と呼ばれる敵との戦いが始まったのだ。

 

 

 

 




次回予告 反撃への道

連合艦隊の選択はいかに!


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第二話 反撃への道

さぁ、謎の敵から攻撃を受けた日米英軍はどう反撃に移っていくのか‼︎


 

 

1

 

日本帝国海軍。連合艦隊(GF)司令部の緊急会議は、3月3日に柱島泊地に停泊している旗艦「長門」の会議室で開かれた。

会議室内にはGF司令長官である山本五十六(やまもと いそろく)大将を始めとした幕僚らが集まっており、縦に長い白いテーブルクロスがかかった机に向かって着席している。

 

そんな中、数人の参謀が戸惑ったような表情を浮かべている。

3月1日から現在にかけて太平洋で起こっている異常事態は、いかなる状況でも冷静にGF長官を補佐する海軍のエリートでさえ、理解が及ばない事態なのだ。

 

「現在の状況を整理し、謎の敵艦隊の正体、及び対策について、活発な議論を諸君らに期待する」

 

山本長官は言い終わると、傍に座る若い参謀に目配せした。

それを見たGF首席参謀である風巻康夫(かざまきやすお)大佐は、手元にまとめられている紙を持ち、立ち上がって発言した。

 

「まずはじめに、トラック環礁の現在の状況について報告します」

 

当初は黒島亀人大佐が首席参謀だったが、黒島大佐は不慮の事故によって亡くなったため、風巻が新たな首席参謀になっている。

山本は黒島の死をかなり悔やんでいたが、風巻も十分優秀な男だった。

 

「トラックに展開していた内南洋方面艦隊とトラック航空隊はそれぞれ壊滅。七箇所の飛行場の内、竹島飛行場、夏島飛行場、秋島飛行場、楓島飛行場の四箇所が完全破壊、他の三つの飛行場は損傷していますが、離発着に問題なし。民間人は約二千人が死亡、または負傷です。今のところ敵勢力による上陸作戦は確認されていません。しかし、基地設備に大きな打撃を受けており、今すぐ部隊を展開して反撃、という訳にはいけないと思われます」

 

周りの参謀からは、「酷い」や「そんなに被害が…」と言った声が聞こえて来るが、風巻は報告を続ける。

 

「続いてマーシャル諸島の状況です。此方の被害はトラック以上に深刻です。昨日、午後一時ごろ、”我、正体不明ノ敵ノ攻撃ヲ受ク”の通信を埼玉の大和田通信隊が受信したのを最後に通信が途絶えました。通信隊は交信を試みていますが、すでにマーシャル諸島の電波塔が破壊されているか、守備隊が全滅したあとだと思われます」

 

「………米国の軍事拠点はどうなっている?」

 

少しの沈黙のあと、おもむろに山本が聞いた。

 

「それに関しては私から報告させていただきます」

 

軍令部第三部第五課から会議に参加している山口文次郎(やまぐち ぶんじろう)大佐が言った。

第三部は情報の収集と分析を担当する部署であり、世界各国の地域ごとに担当する課が分かれている。

第五課は北米、第六課は中国、第七課はソ連と東欧、第八課は英国を含む西欧だ。

今回の会議には、山本の少しでも情報が欲しいという要望によって、すべての課から代表が一人ずつ参加していた。

 

「米駐日大使館や駐在武官に問い合わせたところ、フィリピン、ハワイが攻撃を受けた模様です。ハワイは占領され、米艦隊も大打撃を受けましたが、フィリピンは米極東方面軍がルソン島北部を辛うじて確保しています。しかし、大量の避難民が北部に集まっているため、ルソン島どころかフィリピン全体の奪還も難しいでしょう」

 

「状況は、英国領でも同様です」

 

山口が着席すると、とって変わるように軍令部第八課長である倉本和樹(くらもと かずき)大佐が発言した。

 

「英領シンガポールも、フィリピンと同じく謎の敵の攻撃を受けました。東洋艦隊司令部は全滅。艦艇も大半が撃沈されたようです。マレーの日本総領事館付武官によりますと、残存艦隊はマラッカ海峡を抜けベンガル湾に脱出。セイロン島を最前線と定めた模様です」

 

情報が入るに連れて、作戦参謀の三和義勇(みわ よしたけ)中佐が、机上に広げられている太平洋全体が網羅された地図に「謎の敵」の存在を示す黒いピンと、攻撃を受けた場所を示す赤いピンを立ててゆく。

 

黒いピンは東から順にハワイ諸島、マーシャル諸島、フィリピン南部、シンガポールにそれぞれ立たされており、赤いピンはトラック諸島に唯一刺さっている。

 

「こうして見ると、外洋に位置しているある程度の規模を持った軍事拠点のみを攻撃しているように思えるな。本国ではなく、遠く離れた場所に」

 

参謀長の宇垣纏(うがき まとめ)少将が、地図を見下ろしながら呟いた。

ハワイにしろトラックにしろ、シンガポールにしろ、大規模な日米英の海軍施設がある場所だ。

ハワイは広大な中部太平洋に睨みを効かせる役割が大きく、米海軍の拠点として整備が進められていた。

同地には米太平洋艦隊の主力が停泊しており、司令部もオアフ島に位置している。

トラック環礁は連合艦隊数個分の艦隊を収容可能な巨大な礁湖を持ち、有事の際には帝国海軍の最重要拠点となると目されていた。

常時、内南洋艦隊が停泊しており、航空部隊も多数が展開している。他国海軍関係者では「太平洋のジブラルタル」との異名で知れ渡っていた。

シンガポールは、広大な植民領土を持つ大英帝国が極東に持つ唯一の大規模海軍基地だ。

内部のセレター軍港には大型艦を修理可能なドックも存在し、マレーやインドの入植者を守る拠点として存在していた。

 

それらの拠点が「謎の敵」によって攻撃されたのだ。

そこには、明確な意思が存在するように思えた。

 

「現在、我々がとるべき行動は、敵の情報を収集することだと考えます。内南洋の軍事拠点が攻撃、占領されたということは、謎の敵は一定の軍事力を持つと思われますが、それがどこの国の部隊なのか、どのような勢力なのか、情報が乏しすぎます」

 

風巻首席参謀が、室内を見渡しながら口を開く。

それを聞いた幕僚達は一斉に頷いた。

誰もがそう思っていたに違いない。

 

「ドイツ、イタリア、乃至はソ連。と言った線はないでしょうか」

 

三和作戦参謀が「謎の敵」の正体だと思われる国を並べた。

 

「ふむ。まず、ソ連という線は消えます。彼の国は太平洋上の拠点を攻撃できるほどの海軍力を保有していません。さらに装備している大半の艦艇は黒海や北極海に展開しており、ウラジオには極小の部隊しか置いていませんから」

 

航空参謀の佐々木彰(ささき あきら)中佐が言った。

それに対して、戦務参謀である藤井茂(ふじい しげる)中佐が反論する。

 

「しかし、その三ヶ国の中では、もっとも攻撃の動機があるのはソ連です。我が国だけではなく、米国や英国に対しても然りです」

 

ーーーソビエト社会主義共和国連邦は、日本やアメリカ、イギリスなどの資本主義国家にとって相容れない存在である。

日本では1931年の満州事変のソ連介入によって、関東軍が勢力下に置こうとしていた満州の北半分をソ連に占領されている。

さらに1939年には北満州と南満州の国境付近で日ソの武力衝突が発生しており、戦車同士を中心とした大規模な紛争へと拡大した。

関東軍は真っ向から対決したが、軍備近代化の差や航空支援の有効活用がうまく行かず、結果は惨敗。

主力を務めた関東軍第二十六師団は、死体の山を築く事となってしまい、軍部、特に陸軍はソ連への危機感を募らせることとなっている。

この戦いーーー「南満州紛争」は日ソ政府によって政治的決着が付けられたが、日本という東洋の島国に、さらなる反共政策を強いることとなった。

国内では特別高等警察が暗躍して社会主義者への弾圧を強め、政府は他国との対ソ用の防共協定締結を急いだ。

その候補として上がったのが、当時 国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)が躍動し、ソビエトへの敵視を隠そうともしなかったナチス・ドイツと、ソ連の北満州進駐を批判し続け、貿易制裁へ踏み切ったアメリカ合衆国である。

国内は親独派と親米派に分かれ、激しい議論が行われるようになった。

ドイツ、アメリカともソ連を「いつかは打倒しなくてはならない敵」との認識を持っており、日本との認識が一致する。

親米独の政治家、軍人はいかに協定を結べば自国に有益かを熱心に語ったが、両派の議論は平行線を辿った。

そんな中、世界を震撼させる事件が起こる。

ナチス党首かつ、ドイツ第三帝国総統であるアドルフ・ヒトラーの死。

ユダヤ系人権団体過激派の暗殺によるものであり、ベルリン駅で胸に三発の銃弾を受けたのだ。

ドイツを不況から救い、皇帝(カイザー)の強国の復活を謳った為政者は、ベルリンで凶弾に倒れた。

親独派はヒトラーの狂気に犯されていたのかもしれない。ヒトラーの死を知るや、親米派に乗り換える者が続出し、日本は1939年に日米防共協定を、1940年には日英防共協定をそれぞれ締結したのだ。

 

 

会議室の議論は紛糾するが、「謎の敵」の正体に辿り着く幕僚はいない。

海軍大学校を好成績で卒業した参謀らでも、敵の正体がわからないのだ。

そのまま三十分、一時間と会議は続くが、得るものはない。

司令部内に無力感が芽生え始めた時、一人の参謀が挙手した。

 

「発言よろしいでしょうか?」

 

補給参謀の市吉聖美(せいみ まさよし)中佐である。

参謀達の訝しげな顔が、市吉に向けられた。

「補給参謀」は艦隊補給の管理や兵站について、司令に助言することを主な役目としている。

参謀長や首席参謀、作戦参謀と言った幕僚と違く、作戦上のことに対して意見を述べることはなきに等しいのだ。

 

「なんせこのような状態だ。役割でつべこべ言っている余裕はない。どうぞ、遠慮なく言ってくれ」

 

そんな参謀達の視線を制して、山本は市吉に言った。

市吉は山本に深々と一礼すると、参謀達に向き合った。

 

「フィリピンの大部分をたった二日で占領した敵勢力は、現在、日本にとって生命線というべき所に居座っています」

 

そう言うと、太平洋地図の極東要図に、日本とボルネオ島、スマトラ島を鉛筆で線を描いて結んだ。

この二つの島はそれぞれオランダ領だが、日本が石油の四分の三を頼っている精油所がある。

そしてその線の上に…フィリピンがあった。

 

「すなわち、敵の正体がなんであれ、長期に渡りフィリピン周辺の制海、制空権を握られていたら、日本は近代戦争に必要不可欠の石油を手に入れなくなり、戦わずして陸海軍は行動不能になってしまう可能性があります」

 

市吉が言い終わると、参謀の間でどよめきが広がった。

フィリピンが敵の手にあるうちは、日本軍は備蓄分の石油しか使えないかもしれないのだ。

いや、使えるだけでもいいかもしれない、もしも備蓄の石油が底をついたなら……と考えるだけで背筋が冷たくなる。

 

「米国に石油を融通して貰えばいいのではないか?」

 

宇垣が疑問を提起した。

1941年3月現在。米国と日本は険悪な関係ではない。

互いの勢力圏が太平洋で接触する大国同士だが、共通の敵(ソ連)があるため関係はいたって良好である。

 

「ハワイが敵の勢力下にあり、米太平洋艦隊も壊滅した現在、太平洋を安全にタンカー船団が通過できるとは限りません」

 

日本と米国の間に広がる広大な太平洋は、もはや平和な海ではない。

ハワイ、トラックの二大拠点を制圧され、制海権は完全に敵の手中にあるものだと思われた。

会議室内に重々しい空気が広がっている。

誰もが予想だにしなかった日本の窮地に、口を噤んでいる。

 

「他国による石油輸入が望み薄ならば…我々の方針は決まったも同然だな、首席参謀」

 

参謀達の議論を腕を組みながら聞いていた山本が風巻に言った。

 

この一言で連合艦隊の作戦方針は決まった。

当分、日本帝国海軍は南方航路上に居座るフィリピンの奪還を戦略の根幹に据えることとなる。

 

会議が終わり、参謀や軍令部員が各々の仕事に戻ろうとしていた時。

電話機の呼び出し音が、会議室内に響き渡った。

会議室の電話には、余程のことがなければ繋ぐな、と言ってある。

その電話機が鳴ったということは、「余程のこと」が起きた、という事である。

参謀が息を呑むなか、宇垣参謀長が歩み寄り受話器を取る。そして二、三語話す。

宇垣は電話の内容に驚いているのか、やや狼狽した様子だ。

やがて話し終えたのか手荒く受話器を戻すと、こう言った。

 

「駐米大使館より情報が届きました。米国の情報公開によって太平洋の軍事拠点を攻撃している『謎の敵』の正体が分かったそうです。山本長官はただちに海軍省に出頭せよ、だそうです」

 




次回予告 深海に棲む舟

敵の正体が予想外のもので、揺れる日本

米国は、今持っている敵の情報を全て提示するという条件で
日本政府にある要請をする。

それを呑んだ日本政府、ついに日本海軍が動き出す‼︎


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第一章 フィリピン攻防戦
世界設定・登場架空兵器設定【甲】(第一章〜)


遅くなってしまいましたが、一応、考えていた設定を書きました。

何か分からない事や、意見などがあれば遠慮なくどうぞ‼︎


〈主要登場人物〉

 

・風巻 康夫 (かざまき やすお)

 

役職は連合艦隊首席参謀〜統合太平洋艦隊首席参謀。海軍大佐。

前任の黒島が不慮の事故によって死亡したため、その代替として連合艦隊参謀を拝命。明晰な頭脳を駆使して作戦立案などに貢献しており、堪能な英語を買われて米英軍との調整でも活躍している。

後方では見えないものもある、として場合によっては最前線に立つ行動力も持っており、第二次ルソン島沖海戦では「金剛」に乗艦して第二艦隊司令部と行動を共にした。

1942年以降は人類統合軍に参加しており、日本軍人代表の一人として統合太平洋艦隊司令部の幕僚を務めている。

妻の風巻紗江子、娘の風巻涼がいる。

 

 

・寺崎 文雄 (てらさき ふみお)

 

役職は「足柄」砲術長〜「日向」砲術長。海軍中佐。

少尉候補生から砲術を専攻した根っからの「大砲屋」であり、「足柄」砲術長時代には日本海軍が深海棲艦と始めて戦った第一次ルソン島沖海戦を、「日向」砲術長を拝命してからは日深の主力戦艦部隊が激突した西部太平洋海戦を戦い抜いた。

夜間に初弾命中を成し遂げるなど優秀な砲術長であり、日夜「日向」砲術長として訓練に励んでいる。

第一次ルソン島沖海戦で右目に破片を受け、失明。黒い眼帯を装着している。

 

・高嶋 稔 (たかしま みのる)

 

役職は高雄航空隊飛行隊長〜第七五三航空隊飛行隊長。海軍少佐(のちに中佐)

日本海軍の陸上攻撃機部隊の現場指揮官。第一次ルソン島海戦、敵レーダー破壊作戦、フィリピン航空撃滅戦を生き残り、勝利に貢献した。その功績が認められて日本海軍初の「陣山」装備航空隊の飛行隊長となる。

中佐になってからも操縦桿を握り続けており、部下からの信頼は厚い。高知県出身。

 

 

 

 

 

 

 

ー世界設定(情勢)ー

 

1931年、関東軍が画策した満州事変は、ソ連の軍事介入により失敗した。

ソ連は「日本の満州侵略の阻止」を名目に満州、及び中国に侵攻。

ソ連軍は日本陸軍よりも近代化が進んでおり、関東軍は二週間ほどの戦闘で南満州に追い落とされてしまう。

大本営は日本陸軍の内部告発により、満州事変は関東軍の自作自演という事を掴んでおり、日本陸軍は国内、特に海軍から強烈な批判を浴びる事となった。

 

これにより陸軍の発言力が低下。

 

さらに満州事変後、ソ連は日米英仏の勧告を無視し、北満州、中国北東部に軍を置き続けた。これによりソ連の極東における支配地域が拡大していき、日本はソ連への警戒を強めていく。

 

 

日本は共にソ連を牽制できる同盟国が必要となる。

当時、ソ連と関係が悪化していた国はヒトラー率いるナチスドイツとアメリカ合衆国。

アメリカは英仏と足並みを揃え、ソ連の北満州及び中国北東部進駐を批判していた。

日本政府や軍内部では親ドイツ派と親アメリカ派に別れ、激しい議論が続けられる。

 

その最中、重大なニュースが日本を揺るがした。

 

 

ヒトラーの死。

 

 

ナチスドイツのアドルフ・ヒトラー総統がユダヤ人権団体の過激派に銃撃され、ベルリン駅で凶弾に倒れたのだ。

 

親ドイツ派の人達はヒトラーの狂気に犯されていたのかもしれない。

ヒトラー死亡のニュースが入るや、勢いが衰え、親アメリカ派に乗り移る人が続出した。

 

それにより、日本はソ連を牽制するため、1939年にアメリカと日米防共協定を締結。イギリスとも日英防共協定を結んだ。

 

一方、ドイツは総統にルドルフ・ヘスが就任し、ヒトラー政権と異なり、周辺各国に対して緩和政策を打ち出す事となる。

 

 

 

 

ー架空兵器ー

 

「一〇〇式中戦車 乙型」(日本製 III号戦車J型)

 

全長 6.4m

全幅 5.6m

兵装

50mm KwK 39 L/60×1

7.7mm機銃×2

最大装甲 57mm

最大速度 40km/h

乗員 5名

 

 

満州事変によって、ソ連の支配地域を増加させてしまった日本陸軍は政府内での発言力が大幅に低下した。それにより、陸軍の予算が議会を通りにくくなり、新型戦車の開発が事実上頓挫してしまう。

そんな中、1939年、ソ連領北満州と日本領南満州の国境付近で日ソの武力衝突が発生。

最初は歩兵同士の小競り合いだったが、双方が戦車を中心とする地上部隊を派遣した事から、紛争は急速に拡大した。

この紛争で、日本陸軍の主力戦車だった八九式中戦車はソビエト陸軍のBT7やT46などの戦車と対決したが、結果は惨敗。

南満州軍の第二十六師団は死体の山を築く事となってしまう。

この武力衝突は日ソ政府によって政治的決着が付けられたが、日本陸軍はこの事を重大視し、新型戦車開発の予算案を議会に提出する。

しかし、陸軍よりも海軍が優先され、予算が下りない。

これにより、日本陸軍は自国の主力戦車に他国戦車を使用する事を決定。それにより、当時、軍備拡張を実施していたドイツ陸軍のIII号戦車が日本陸軍関係者の目に止まった。

陸軍省は外務省を通じてドイツと交渉。III号戦車J型を一〇〇式中戦車として正式採用する事に成功する。

国産化に際し、乙型は日本でも整備し易い空冷ディーゼルに換装するなどと設計変更が行われており、日本陸軍主力戦車としての地位を確立した。

さらに、ルソン島のアメリカ極東軍への増援として派遣される。という情報もあり、深海棲艦地上軍相手の戦闘にも期待が寄せられている。

 

 

 

 

「翔鶴型正規空母」

 

全長 257.5m

全幅 26.0m

基準排水量 25,675トン

出力 160,000馬力

速力 34.2ノット

兵装

12.7cm40口径連装高角砲 8基16門

25mm3連装機銃 12基 同連装機銃 7基 50門

航空兵装 常用72機/補用12機

同型艦 「翔鶴」「瑞鶴」「蒼鶴」「海鶴」

乗組員 1,678名

 

「蒼鶴」「海鶴」は建造中。

 

(この二隻は若干の設計変更により、海外製の対空火器を搭載する可能性あり)

 

翔鶴型空母はマル3計画で建造中、又は訓練中の攻撃型正規空母である。

当初の計画では、建造されるのは「翔鶴」「瑞鶴」の二隻のみだったが、陸軍の満州事変失敗による発言力の低下で、海軍予算が増額し、更に二隻が追加建造される事となった。

ロンドン海軍軍縮条約の期限後に設計されたため、「加賀」や「飛龍」の運用、建造実績を元にバランスの取れた空母となり、「日本海軍最良の空母」とまで言われている。

深海棲艦が空母を保有している情報は入ってきていないが、航空攻撃の機動力、打撃力は今後の飛行場姫制圧などでも役立つとされており、用兵側からは一刻も早い戦力化が望まれている。

 

 

 

「利根型軽巡洋艦」

 

全長 198.0m

全幅 19.4m

基準排水量 13,320トン

出力 152,000馬力

速力 35.0ノット

兵装

15.5cm60口径3連装砲 4基 12門

12.7cm40口径連装高角砲 4基 8門

25mm3連装機銃 10基 30門

61cm3連装魚雷発射管 4基 12門

同型艦「利根」「筑摩」「五ヶ瀬」「天塩」

乗組員 874名

 

 

 

利根型は機動部隊の索敵を補う目的で建造された大型軽巡洋艦である。6機の水上機を載せる事ができ、4基の15.5cm3連装砲は全て前部に搭載する、という特異な配置を採用している。

この巡洋艦も、翔鶴型空母と同じ理由で二隻追加建造されており、合計四隻が日本海軍に配備されている。

当初は軽巡として建造した後、20.3cm連装砲に換装し、重巡となるはずだったが、仮想敵であったアメリカが日米防共協定締結によって友好国になった事や、20.3cm連装砲より15.5cm3連装砲の方が発射弾数と速射力が勝っており、換装する必要はない。という意見が艦政本部に出たため、軽巡洋艦となっている。

 

 

 

 

「古鷹・青葉型防空巡洋艦」(現在改装中)

 

全長 185.2m

全幅 17.6m

基準排水量 8,620トン

出力 102,000馬力

速力 33.4ノット

兵装

10cm65口径連装高角砲(長10cm砲) 6基 12門

ボフォース40mm4連装機関砲 7基 28門

25mm3連装機銃 4基 12門

同型艦 「古鷹」「加古」・「青葉」「衣笠」

乗組員 686名

 

(現在改装中のため、兵装などで変更の可能性あり)

 

 

日米防共協定締結以来、米国との軍事交流は続いている。

そんな中、艦政本部はアトランタ級軽巡洋艦の設計思想に衝撃を受けた。同巡洋艦は12.7cm連装両用砲、対空機銃を所狭しに積んだ防空巡洋艦とも言える艦で、近年、性能の向上が著しい航空機から艦隊を守る役割を担っている。

艦政本部は「古鷹」「青葉」型重巡を防空巡洋艦に改装する事を決定するが、深海棲艦との大規模戦闘行動が始まっていまい、改装のタイミングを失ってしまう。

だが、ルソン島沖海戦で四隻は大破(五話参照)

ドックでの修理と並行して防空巡洋艦への改装が開始される。

艦首に一本づつ魚雷を喰らった「青葉」「衣笠」は、9月頃に修理と改装を終了できるが、多数の敵弾が命中し、上部構造物の殆どを破壊された「古鷹」「加古」は来年までかかる見通しである。

四隻とも、改装が終了したら空母機動部隊に配備される予定で、艦隊防空の要となる事を期待されている。

 

 

 

 

 

 




架空兵器は増える予定です。

随時説明します。


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人類統合軍・主要架空兵器設定【乙】(第四章〜)

統合軍の基本的な設定と、主要な登場架空兵器の設定を手短に記しておきました。
作中でも説明しますが、一応設定集ということで投稿させていただきます。

(注・これは第四章以降の設定です!)




 

 

 

〔人類統合軍 Mankind Joint Force〕

 

 

 

全世界による対深海棲艦軍事同盟…通称「人類統合同盟」の盟約に基づいて設立された統合指揮系統型多国籍軍。

 

各国から太平洋に派遣された大部隊の総称であり、統合軍の主力は日本軍、アメリカ軍、イギリス軍、ドイツ軍が担っている。他にもフランス、ソビエトなどから少数の部隊が参加しており、欧州、アジア諸国を始めとする同盟加盟各国も、経済面や基地の提供などで統合軍を支えている。

 

上記四ヶ国軍隊の大半が所属しているため、陸海空で深海棲艦に対抗可能な大戦力を保有している。「地球上で唯一深海棲艦に対抗可能な軍隊」とも言われており、人類に挑戦してきた深海棲艦に勝利を収めることが期待されていた。

 

 

 

 

・人類統合同盟最高幕僚会議

 

 

人類統合軍の最高意思決定機関である。通称は「最高会議」。参加各国から輩出された全権委任大使、海軍代表、陸軍代表、加えて空軍代表からなる代表団よって構成されており、議長、及び副議長はその中から定期的に選ばれる。

 

各国の要望に応えた対深海棲艦戦争の戦略的な決断を下すことを目的に設立されており、政治的かつ大局的見地から、統合軍の舵取りをする役割が求められていた。

なお、麗下に各国の軍人や科学者によって構成された統合兵器局や深海棲艦情報局なども有しており、情報分析や兵器面で実働部隊をバックアップすることも役割の一つである。

 

 

 

〈統合軍隷下の各隊〉

 

 

 

 

・統合軍太平洋方面艦隊 Joint Pacific Fleet

 

 

連合艦隊、米太平洋艦隊、英太平洋艦隊、独太平洋派遣艦隊にて構成される統合艦隊。太平洋に展開する戦艦、空母、重巡などの主力艦艇を全て指揮下に収めており、最高司令官は米太平洋艦隊の司令官も兼任するチェスター・ニミッツ大将である。

 

艦隊司令部は四ヶ国艦隊司令部から輩出された幕僚と各国連絡官から構成されており、本部はパラオ諸島コロール島に位置している。

深海棲艦は海上部隊が主な戦力なため、統合太平洋艦隊は対深海棲艦戦役において最も重要な部隊であるといえよう。

なお、太平洋艦隊指揮下に新たに南太平洋方面艦隊が新編されており、ラバウルへの展開が予定されている。

 

 

 

 

・統合航空軍 Joint Air Force

 

 

“KD”作戦序盤の日本陸海軍、米陸軍航空軍による合同で行われたルソン島航空攻撃は、別々の指揮系統を用いたため、少なからずの混乱が生じてしまった。

そして、統合航空軍はその問題点を解消すべく設立された「人類空軍」とも呼ぶべき存在であり、太平洋に展開する空母艦載機以外の全作戦機を指揮下に収めている。それらは全て第一から第四までの航空集団(AG)と戦略爆撃機兵団に配備されており、総機数は四千機とも五千機とも言われている。

 

なお、最高司令官と総司令部は存在せず、それぞれの戦域を担当する各航空集団司令部と爆撃機兵団司令部が、統合艦隊などと協力しつつ、最高会議の方針に従って個別に戦っていた。

 

 

 

 

 

・統合軍オーストリア軍団 Joint Force : Australia Army Corps

 

 

オーストラリア大陸に上陸した深海棲艦地上軍を撃退すべく編成された陸上軍団。統合太平洋艦隊、航空軍と比較すると「人類陸軍」とも呼べる組織であり、各国からオーストリア大陸に派遣された陸軍部隊の有機的一元管理を目的としている。

 

イギリス連邦陸軍、アメリカ陸軍を中核とし、日本陸軍、ドイツ陸軍、ソビエト極東陸軍などが部隊を派遣している。

オーストラリア大陸北部を担当する第一方面軍、同大陸東部を担当する第二方面軍に分かれており、二つの方面軍を合わせると総兵力は四十個師団相当に登る。

 

これらの部隊は、深海棲艦の豪州大陸からの駆逐を期待されていた。しかし、その大戦力も相まった慢性的なガソリン不足や、戦車の力不足など問題は多く、現在、豪州戦線では予断の許さない状況が続いていた。

 

 

 

 

〔登場架空兵器〕

 

 

 

・二式中戦車

 

 

全長 5.9m

全幅 2.8m

重量 21t

兵装

L43/75mm砲×1

7.7mm機銃×2

12.7mm機銃×1

搭乗員 5名

 

 

一〇〇式中戦車(三号戦車J型)に続いて日本帝国陸軍が採用したドイツ製戦車。長砲身43口径75mm砲を搭載した四号中戦車F2型に、ディーゼルエンジンへの換装や機銃口径の変更、照準器メモリ等の日本語化などを施した日本仕様戦車である。

 

従来の日本軍主力戦車である一〇〇式の50mm砲は、BDの初期型に対しては有効だと認められたが、BD最新型やDDの盾部分に対しては力不足と判断された。二式が搭載している43口径75mm砲は50mm砲よりも貫通力、破壊力共に上であり、激化が予想される対深海棲艦地上戦で力を発揮することが期待されている。

採用されてから日が浅く、配備されている戦車連隊も少数だが、順次豪州戦線に投入される予定だった。

 

 

 

 

・二式戦闘攻撃機「陣山(じんざん)

 

 

全長 13.6m

全幅 16.5m

重量

甲・乙型 8.1t 、丙型 5.9t

兵装

甲型 20mm機銃×4(機首)、搭載爆弾最大900kg

乙型 20mm機銃×4(機首)

丙型 機銃なし、爆弾搭載量最大2t・または魚雷一本

最大速力 670km/h

乗組員 甲型2名、乙型2名、丙型4名

 

 

イギリス空軍の木製高速爆撃機デハビランド・モスキートをライセンス生産し、日本海軍が採用した多用途重戦闘機。

日本本土には山地が多く、木材は大量に調達できる。木製で優秀で、かつ使い勝手が良い航空機を海軍中央が望んだため、統合兵器局の仲介で日本軍での採用が実現した。

 

戦闘爆撃機仕様の甲型、夜間戦闘機仕様の乙型、陸上攻撃機仕様の丙型の3タイプが存在しており、海軍航空隊の新たな機種として機種転換が進んでいる。

 

 

 

 

・栗駒型巡洋戦艦

 

 

全長 240m

全幅 27.7m

基準排水量 33,450t

出力 172,000馬力

速力 35,1ノット

兵装

31cm50口径三連装砲 3基9門

12,7cm40口径連装高角砲 6基12門

10cm65口径連装高角砲(長10cm砲) 2基4門

ボフォース40mm4連装機関砲 9基36門

エリコン20mm単装機銃 16基16門

同型艦 「栗駒」「生駒」「竹駒」「甲斐駒」

乗組員 1,523名

 

「竹駒」「甲斐駒」は建造中

 

 

 

第三次、第四次海軍軍備充実計画(マル3、マル4計画)にて計四隻が計画され、建造、または建造中の巡洋戦艦である。

 

当初の予定では、マル3計画艦である「栗駒」と「生駒」は1941年の5月頃に竣工する予定であったが、同年3月の深海棲艦侵攻、大和型・翔鶴型の建造優先、南方航路と北米航路断絶による資材不足などが祟り、10ヶ月遅れた1942年2月に竣工、同年7月に就役した。

 

速力は35ノットと「巡洋戦艦」に相応しい高速力を持っているが、その反面、主砲は巡戦としては小口径な31cmに抑えられている。

この武装には海軍中央で様々な議論が沸き起こり、「戦艦に対抗できないのではないか」という意見が大勢を占めたが、この栗駒型巡洋戦艦の主な任務は、艦隊戦における敵中小型艦の排除や、空母機動部隊の護衛などであり、敵戦艦との砲戦は想定されておらず、問題はないと判断されている。

 

本級は、駆逐艦に匹敵する高速性、31cm砲9門という大火力、ハリネズミの如く搭載した対空火器を生かし、艦隊戦や防空戦、対地支援や護衛任務など、さまざまな戦場での活躍が期待されていた。

 

 

 

 

 

 

 




なにか疑問や意見があったら、お気軽に指摘していただけると幸いです。


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第三話 深海に棲む舟

米国が日本に対してした要請とは⁉︎


 

1

 

日本で連合艦隊司令部が緊急会議を開く少し前。

 

アメリカ合衆国の首都。ワシントンD.C.にある米国務省に、一人の男性がやや早歩きで入っていった。

その男はスーツ姿で周りのアメリカ人職員よりも小柄な身体をしており、丸メガネをかけている。顔は東洋人で、どこかの大学で教鞭を振るっていそうな人物だ。

 

日本駐米大使の野村吉三郎(のむら きちさぶろう)である。

 

今日、3月2日。米国務省から連絡があり、長官室に呼び出されたのだ。野村は呼び出された理由を、昨日から続いている太平洋の「異変」に関する事だと睨んでいる。

在日大使館にも本国からの通信で知らされていたが、情報は断片的でありトラック環礁とマーシャル諸島が謎の敵からの攻撃を受けた事しか把握できていない。

本国は敵の正体を知るために必死になっているようだ。今回の会談で米国の持つ情報を聞き出して、少しでもいいから本国に送ろう、と野村は考えていた。

国務省のフロントで自分の役職と来た理由を言うと、すぐさま国務長官室に通される。

長官室に入ると、米国務長官コーデル・ハルともう一人の男が笑顔で出迎えた。

野村はハルと握手して、横のいる男とも握手をする。国務省の職員ではなさそうだが見知った顔だ。誰だったかな?と記憶を巡らせていると…。

 

「イギリス駐米大使のエドワード・ウッドです」

 

「日本駐米大使の野村吉三郎です」

 

英国の駐米大使だった。

お互いの自己紹介が終わり、野村とエドワードがハルの向かい側のソファに腰を掛けると、ハルが口を開いた。

 

「今日、ここに集まった我が国もふくめた三ヶ国は、同じく太平洋に利権を有する列強であり、強大な海軍力を持つ海軍国です。既に察していると思いますが、今回の会談は現在、太平洋で起こっている『異変』について、我が国から貴国らに伝えたい情報と要請があるので、集まっていただきました」

 

(そら来た…。)

 

野村は予想通りの内容で、本国に送る情報を聞くためにハルの次の言葉を待った。

 

「単刀直入に言いましょう。我が国は、太平洋の軍事基地を襲っている敵と1898年に一度、戦っています」

 

「なんですと⁉︎」

 

「…………!」

 

エドワードが頓狂な声をあげ、野村も声にならない叫びをあげた。1898年と言ったら日露戦争の前、ロシアと日本の緊張が徐々に高まっていた頃だ。

 

(そんな時に米国はあの敵と戦っていたのか)

 

野村がそんなことを考えていると、ハルはかけているメガネを外し、レンズを拭きながら話を続けた。

 

「戦艦メインの爆沈事件はご存知ですか?」

 

「え、ええ。確かキューバのハバナで沈んだ戦艦の事、ですよね?」

 

エドワードが確認をするように言った。

野村は頷くだけにとどめたが、勿論どのような事件か知っている。1898年、キューバ・ハバナに停泊中だった米海軍の戦艦USS ACR-1「メイン」が謎の爆沈をした事件だ。

爆発の原因は不明だが、この事件をスペインの仕業と米国の各新聞社が報道したことにより、世論を抑えれなくなった米政府が米西戦争を起こしてしまう、という事になっている。

しかし、その事件と一体なんの関係があるのだろうか?

エドワードと野村が顔を見合わせる。

拭き終わったメガネをかけ直すと、ハルが言葉を続けた。

 

「『メイン』が沈んだのはハバナではありません…。沈んだ場所はフロリダ半島の先端とプエルトリコ、バミューダ諸島を結んだ三角形、俗に言うバミューダトライアングルの中心地点です。しかも爆沈や事故ではなく、戦闘行為により撃沈されたのです」

 

「我々はこの『メイン』を撃沈した敵を…深海棲艦(ディープ・シー・フリート)と呼称しています。その後、『メイン』を沈めた複数の深海棲艦はフロリダ半島東側のマイアミ、メルボルンと言った都市を艦砲射撃しつつ北上し、半島の根元付近にある町、サバンナを蹂躙したのを最後に東進して大西洋に消えました」

 

突拍子もない事を突然言われ、固まるエドワードと野村。

バミューダトライアングルは今までに、その海域を航行したり上空を飛行した船舶や飛行機が度々行方不明になってしまう謎の海域である。過去からブラックホール説や宇宙人説などの仮説が立てられてきたが、その原因は深海棲艦だったのだ。

 

「深海棲艦とは、一体なんなのです? アメリカ合衆国はその正体を掴んでいるのですか?」

 

少し混乱しながらも、野村はハルに疑問を問いかけた。名前や出現海域が判明しても何にもならない。一番知りたいのは敵の正体だ。

エドワードも、ハルの顔を真剣な眼差しで見ている、これからハルが話す言葉を一言一句聞き逃さないように…。

 

「深海棲艦の出現原因や目的は不明です。しかし、『彼らは人間ではない』『人類のに類似した海軍兵器を保有している』『出現する海域に海水汚染をもたらす』この三つは確かな情報です」

 

ハルが言い終わると、つぎはエドワードが非難がましい声で言った。

 

「なぜ、今までにそのような重大な事を世界に公表なさらなかったのですか⁉︎」

 

エドワードが怒るのも無理もない。もしも米国が事前に深海棲艦の事を公表していたら、なんならかの対策は練れたはずである。

それによって救われる女、子供の命もあったかも知れないのだ。

 

ハルは表情を変えずに、返答した。

 

「当時のアメリカ政府はスペインとの戦争を望んでいました。カリブ海や太平洋の植民地を、強く欲していたのです。そのため、深海棲艦の襲撃によりフロリダ半島の東半分が焦土と化してしまった事を全世界に公表する、ということは、自国の弱味を見せる事に繋がります」

 

「それで、情報公開をしなかったのですか、自国の領土拡張のために」

 

エドワードが言うが、ハルは淡々と返答した。

 

「そうです。………しかし、今は違います。現在、我が国が持つ深海棲艦の情報は全て提示する用意があります、明日にでも我が政府から全世界に向けて発表されるでしょう」

 

野村は安堵した。米国が情報公開を約束したからではない。敵の正体を突き止める事ができたからだ。これによって有効な戦術や作戦がうかぶかも知れない。敵は正体不明でもなんでもないのだ。

そこまで考えた時、野村はある事を思い出した。

 

(そういえば、我が国から要請がある、とか言っていたな…)

 

「先に、我が国から要請がある、と仰っていましたが、要請とはなんですか?」

 

野村はハルに聞いた。ハルは「それもお呼びした理由の一つです」と言って、米政府から日本、英国への要請の内容を話し始めた。

 

「我が国から貴国らに要請があります。現在、フィリピン方面の戦いでは、我が国の極東方面軍がルソン島北部で抗戦中です。しかしフィリピンには我が国民が多数居住していて、現在、大量の避難民として北ルソンで孤立している状態です。我が国は、太平洋艦隊もアジア艦隊も壊滅状態にあり、彼らはを救い出す事ができません」

 

ここでハルは一旦言葉を切り……深く頭を下げた。

 

「貴国らの海軍による救出作戦を、お願いできないでしょうか…!」

 

野村とエドワードはひどく驚いた。

コーデル・ハルはアメリカ合衆国の外交トップであるが、そのトップが窮地に陥っている自国民を救うため、プライドを殴り捨て、頭を下げたのだ。

エドワードが口を開いた。さっきの非難じみた態度は影を潜めている。ハルの行いに、矛を収めようと思ったのかもしれない。

だが…答えは、「否」だった。

 

「誠に遺憾ですが、我が国は救出作戦を展開できる状況にはありません。イギリス東洋艦隊はシンガポールで三分の二の戦力を失い、セイロン島のツリンコマリー軍港まで後退しました。加えて、シンガポールにつながるマラッカ海峡はその深海棲艦の部隊に封鎖されており、現在航行することができません。同海峡より南にあるロンボク海峡などは、今の所、封鎖はされていませんが、船団が通るには狭すぎる上、仮に通過できても大船団が敵に制海権を握られている海域を進むのは自殺行為です」

 

エドワードは申し訳なさそうな顔で言った。

 

「非常に残念です…」

 

ハルは野村の方を向いた。

 

「日本はどうなのですか?」

 

野村は大きく深呼吸すると、話し始めた。

 

「我が国はおそらく実施可能だと思います。貴国と違い、我が国は艦艇の損耗が少ないですから。それにトラック環礁の自国民も救出せねばなりません。その作戦の一環として行う事が可能です」

 

そう言い終わると、ハルの顔が明るくなった。

 

「貴国との友好関係を失うわけには行きませんからな」

 

野村は小さく呟いた。

 

2

 

1941年3月12日。深海棲艦による侵略が発生してから11日、米国政府からの要請を日本政府が呑んでから9日が経っている。

沖縄県の中城(なかぐすく)湾から出撃した日本帝国海軍第三艦隊は四十二隻の軍用、民間輸送船を輪形陣の中央に据えて護衛しつつ、避難民救出作戦のため一路、フィリピンへ向かっていた。

 

「かなり遅い出撃になってしまったな…」

 

第三艦隊司令長官の高橋伊望(たかはし いぼう)中将は重巡洋艦「足柄」の艦橋で、正面の海を見ながら呟いた。

 

当初、米国要請を呑んだ日本政府からの指令によって日本海軍救出艦隊は7日に出撃し、ルソン島、及びトラック環礁の避難民を救助する予定だった。

だが連絡将校を派遣しての米極東方面軍との打ち合わせや、避難民を収容する輸送船の確保に手間取り、予定より5日間も遅れてしまったのだ。

その間に戦況は更に悪くなった。

フィリピン南部を侵略していた深海棲艦の群れは、海を超え東南アジアの島々に進攻、シンガポールを制圧していた深海棲艦地上軍は陸伝いに英領マレー半島を北上している。

アーサー・パーシバル中将率いる英極東陸軍や、ダグラス・マッカーサー大将率いる米極東陸軍(USAFFE)は必死な抵抗を続けてるが、敵の占領地が増えるばかりであった。

太平洋方面では新たな敵の動きはないが、米太平洋艦隊の被害の詳細が判明している。

コロラド級戦艦の「メリーランド」ペンシルヴァニア級戦艦の「ペンシルヴァニア」「アリゾナ」、ネヴァダ級戦艦「ネヴァダ」「オクラホマ」の戦艦五隻全てが撃沈。その他にも、巡洋艦四隻、駆逐艦や補助艦艇、合計五十隻以上が沈んだ。

太平洋艦隊司令長官ハズバンド・キンメル大将を始めとする司令部スタッフも消息不明のままであり、米海軍は彼らの生存を絶望視している。

更に、ハワイやマーシャルに深海棲艦の基地が着々と建設されているのが発見されており、多数の戦艦のような大型艦を中心とした艦隊が停泊しているのも確認されている。

 

それだけに、日本海軍の救出作戦には期待がかけられていた。

この作戦はトラック環礁の民間人救出作戦と並行して行われている。第二目標たるルソン島は、司令部直属艦である重巡「足柄」、第六戦隊の重巡「青葉」「衣笠」「古鷹」「加古」、および5500トン級軽巡の「川内」率いる第三水雷戦隊、同じく「名取」率いる第五水雷戦隊で編成された第三艦隊が担当し、トラック環礁は第三戦隊の金剛型戦艦「金剛」「榛名」、第四戦隊の高雄型重巡洋艦「高雄」「愛宕」「摩耶」「鳥海」、および第二水雷戦隊を中心とする第二艦隊が担当する事となっていた。

 

「後方より、味方編隊接近!」

 

「足柄」の艦橋見張りが報告する。

やがて、爆撃機特有の重みのある爆音が聞こえて始めた。

爆音は第三艦隊の頭上を後ろから前に通過する。

周囲から、将兵らの歓声が湧き上がった。

敵地を爆撃に向かう攻撃隊に対してさまざまな声援が、見張り台や二十五ミリ機銃座、十二.七センチ高角砲台などからかけられる。

 

「台湾の高雄、台南基地から出撃した、第一次攻撃隊ですね」

 

高橋の隣で攻撃隊を見上げていた第三艦隊参謀長中村俊久(なかむらとしひさ)少将が言った。

ルソン島、クラークフィールド飛行場に深海棲艦の航空部隊が展開していることは、偵察機の報告によって判明している。

今、飛び去った攻撃隊はクラークフィールド飛行場の深海棲艦機の迎撃を吸収して第三艦隊が航空攻撃を受けないようにすることを目的としている。

もし、すべての深海棲艦機が攻撃隊に目もくれずに第三艦隊に襲いかかってきたら、大損害を受け、救出作戦が頓挫するかも知れない。

 

「頼むぞ、攻撃隊…!」

 

高橋は静かに言うのだった。

 




次回 ルソン島沖海戦

日米部隊による決死の航空攻撃隊!


輸送船が接岸し、避難民を収容中、多数の深海棲艦が出現。

第三艦隊が敵を迎撃する!







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第四話 ルソン島沖海戦

なんか海戦より航空戦がメインです。ハイ……。

第三艦隊編成図

旗艦「足柄」
第六戦隊「青葉」「衣笠」「古鷹」「加古」
第三水雷戦隊 「川内」以下駆逐艦十四隻
第五水雷戦隊 「名取」以下駆逐艦八隻



1

 

「”グリフォン・リーダー”より全機へ、目標まで二百三十(カイリ)。周辺警戒を厳とせよ」

 

第三艦隊と思われる艦艇群の上空を飛行してから二十分ほど経った頃。

日本帝国海軍高雄航空隊飛行隊長の高嶋稔(たかしま みのる)少佐操る九六式陸上攻撃機の米国製無線機に、攻撃隊の総指揮を執るクリス・ビルフォード中佐の声が響いた。

第一次攻撃隊は米陸軍航空隊のボーイングB17“フライング・フォートレス”と、日本帝国海軍航空隊の九六式陸上攻撃機、零式艦上戦闘機で構成された混成部隊である。

ルソン島偵察によって発見されたクラーク・フィールド飛行場姫への攻撃を担当する航空部隊であり、第一連合航空隊の九六式陸上攻撃機七十二機と、零式艦上戦闘機二一型四十五機、米陸軍航空隊のB17四十八機の合計百六十五機によって編成されている。

 

「まさかアメちゃんと攻撃隊を組むとはな…」

 

高嶋少佐は、日本梯団(ていだん)に並走する米梯団を見ながら、誰ともなしに呟いた。

当初の予定では、米軍重爆部隊の攻撃隊参加はなく、一連空のみによってクラークへの攻撃が実施される予定だった。

だが、合同演習のために台中基地に展開していた米陸軍戦略航空軍所属の第四十七爆撃飛行隊(47BS)が、攻撃隊の参加を申し出たのだ。

これから日本海軍が実施する作戦は、ルソン島北部に取り残された避難民の救出である。

ルソン島は米国領であり、47BSは日本軍の自国民救出を支援すべく、我こそはと声を上げたのだ。

加えて、47BSが所属していた極東航空軍は、司令部もろともクラークで壊滅している。友軍の仇を討つことも、47BS将兵の攻撃隊参加を熱望させた理由だったようだ。

これに対し、台南航空基地の一連空司令部は難色を示した。

47BSの所属機は最新鋭四発重爆であるB17が四十八機。戦力としては申し分ないが、言語の違う航空機同士が攻撃隊を編成できるのか?という疑問があったためだ。

合同演習が予定されていた両部隊だが、運悪く実施する前に深海棲艦の侵攻行動が始まってしまっているため、編隊を組んだことは一度もない。

だが、結局47BSの要請に押し切られる形となり、陸攻部隊指揮官も了承したため、日米の統合攻撃隊が実現したのだ。

 

台南基地を発進してから早三十分。

第三艦隊と輸送船団以外に、航行する艦艇は見当たらず、台湾とルソン島の間に位置しているバジー海峡の青々とした海面が、水平線まで広がっている。

蒼空にはいくつかの雲が散らばっており、見晴らしは良い。敵が近づいてくれば、容易に発見できるだろう。

目標たるルソン島は、未だに見えてこなかった。

 

「敵は…なんなんですかね」

 

その時、横の座席に座る副操縦士の山上直樹(やまがみ なおき)中尉が、声を震わせながら言った。

 

「分からん。出撃前に配られた資料じゃ、例の砲弾型戦闘機が襲ってくる可能性が高い」

 

高嶋は、肩をすくめながら返答する。

山上は緊張した表情をしている。単に、初の実戦だからではないようだ。

 

「相手がソビエトやアメちゃんじゃなくて深海棲艦とやらの化け物でも、俺たち陸攻乗りがやることは変わらん。敵の妨害を振り切り、敵地に投弾することだけだ」

 

「ですが…」

 

気持ちを察した高嶋の言葉に、山上は頷いたが、まだ納得できていないようだった。

山上の不安は頷ける。

我々は、敵を知らなすぎる。相手がソビエトや、以前まで仮想敵だった米国ならば、恐れはしない。対空砲を突いて、目標に爆弾を叩きつける自信がある。

だが、これから戦おうとしているのは「人外」だ。人類ですらない。

「これから戦う敵は未知数である」ということが山上を不安にさせているのだろう。

正直、高嶋も不安を拭いきれていない。

偵察に向かった東港航空隊の九七式大型飛行艇によると、米極東航空軍の司令部があったクラーク・フィールド飛行場には、多数の砲弾型敵戦闘機が展開し、深海棲艦の航空拠点と成り果てているらしい。

友好国アメリカの航空基地があったフィリピンは、わずか数日で未知数な力を秘めた、恐ろしい敵の巣窟となってしまったのだ。

一個航空隊の飛行隊長である以上、部下に弱気なところは見せられないが、高嶋にもどうしようもない不安感があるのだった。

 

第一次攻撃隊は、日米合計三百八十一基のエンジンによって高度四千メートルの高空を轟々と鳴動させながら、クラークフィールド飛行場姫に一撃を喰らわせるべく、進撃を続ける。

やがて、周囲を零戦に囲まれた爆撃機群はバジー海峡を越え、今や敵地となったフィリピンを視認できる位置まで到達した。

 

「正面、ルソン島!」

 

山上副操縦士が正面を指差しながら報告する。心なしか、声が上ずっていた。

それを聞いた高嶋は、正面をまじまじと見つめる。まだはっきりとは見えないが、水平線上に黒々とした島影が見える。

航法をしくじっていなければフィリピン群島北方に位置し、世界で一三番目に大きい島。ルソン島であろう。

 

「“グリフォン9(ナイン)”より全機へ、右上方、敵機(ボギー)!」

 

その時、無線電話機から英語の切迫した声が響いた。

高嶋は英語が堪能ではなかったが「右」や「敵機」という単語は聞き取れたため、反射的に右上方を向く。

高嶋の目に写ったのは、雲の中から湧き出る多数の砲弾型深海棲艦機と、それを迅速に迎え撃つ零戦隊だった。

零戦の内、五分の三に当たる三十六機が制空隊として敵編隊に突っ込み、残りの十八機は直掩隊として、爆撃隊の周辺にとどまる。

 

制空隊と敵編隊が重なった…と見えた瞬間、空中戦が始まった。

零戦は得意の小回りを生かして敵機の側面や背後に回り込み、搭載している二十ミリ、七.七ミリ機銃弾を敵機に叩き込む。

無数の七.七ミリ弾を喰らった敵機は白煙を引きずりながら空中をのたうち、二十ミリ弾を受けた敵機は、閃光と共に砕かれ、四散する。

異形の敵機は、零戦を狙うべく左や右に旋回し、背後を取ろうとするが、零戦はそれを容易に許さない。

敵機よりも決まって小さな周回半径を描きながら旋回を続け、敵機の背後にぴったりとくっつき、機首と主翼に発射炎を閃らめかせる。

反撃を試みた敵機は零戦の俊敏さと高火力に圧倒され、爆撃隊に取り付く前に一機、また一機と火を噴き、ルソン島北方の海洋に墜ちてゆく。

 

だが、高い技量を誇る零戦隊も、無傷では済まない。

不意に敵機の前面に飛び出した零戦がシャワーのような猛射を浴び、エンジンを引き裂かれ、右主翼を分断される。二十ミリ弾の弾倉が誘爆したのか、一際大きな火焔と共にばらばらに砕け散り、無数の破片を空中に撒き散らす。

一機の敵機に固執しすぎ、背後から数機の敵機に射撃される零戦もいる。

多数の敵弾が殺到した瞬間、背後の敵を察知した搭乗員は素早く回避を試みたが、高い機動力を誇る零戦も、間近に迫った銃弾には勝てなかった。

多数の機銃弾に機体をえぐられ、コクピットを撃ち抜かれる。

きらきらとしたガラス片と血飛沫を宙に撒き散らしながら、パイロットを失った零戦は甲高い音を発し、海面へとまっしぐらに墜ちていった。

だが、全体的に見れば零戦の優勢である。墜落していく航空機の数は、敵機の方が多い。

 

(このまま…防ぎきれるか?)

 

高嶋は空中戦を見守りながらそう思ったが、敵機の数はかなり多い。五、六十機はいると思われ、零戦との戦闘に忙殺されていない敵機もいる。

零戦隊は善戦しているが、練達の搭乗員が操る零戦でも全てをカバーすることはできないだろう。

数機の深海棲艦機が隙をつき、B17の梯団に殺到してくる。

編隊の外郭を務める第三梯団所属のB17が、機首、胴体側面、胴体上部のブローニング十二.七ミリ機銃を一斉に発射した。

無数の青白い火箭が吐き出され、先頭を切って突入してきた敵機に火力が集中される。

敵機は一瞬の内に多数の十二.七ミリ弾を喰らったのか、刹那に空中分解を起こし、続いて突っ込んできた二番機、三番機、四番機も、同じく機体の至るところに十二.七ミリ弾を受け、砕け散る。

 

だが、撃墜できたのはその四機だけだった。残りの敵機は猛スピードで第三梯団に肉薄。B17に機銃弾を叩き込み、高速で離脱する。

五機の敵機から立て続けに射弾を受けたB17が一、二番エンジンから火を噴き、編隊から落伍する。尾翼を破壊されたB17は、破片を後方に撒き散らしながら安定を失い、錐揉み状態に陥る。

他にも、補助翼や方向舵を吹っ飛ばされ、ふらつきながら高度を落とすB17や、コクピットに命中してパイロットを射殺され、真っ逆さまに落ちてゆくB17もいる。

戦果拡大を狙って後方の第四梯団に取り付こうとしていた新たな敵機を、直掩隊の零戦が追い払う。

敵機は零戦よりかは機動力が劣るようだが、四発重爆よりは何倍も身軽である。

第三梯団の周辺を素早く飛び交い、B17に機銃弾を撃ち込む。B17は防御力が高いため、容易には火を噴かない。さらには自機を守るため、僚機を援護するため、旋回機銃をがむしゃらに撃ちまくる。

 

こっちにも来るか…と高嶋は危惧するが、敵機はB17の編隊のみを攻撃しつづけており、こちらには来る様子がない。敵機はB17のみで手一杯であり、第一連合航空隊まで攻撃する余裕はないようだ。

 

高嶋はB17を攻撃している深海棲艦機をまじまじと見つめた。

米国からの情報公開で写真などを見ていはいたが、実物を見るとかなりの衝撃を受ける。その機体には翼と呼べるものがなく、人類のいかなる飛行機とも似てはいない。見れば見るほど航空機なのか?との疑問が生まれる。

だが、高嶋の思考は強制的に断ち切られた。

 

「左前方、敵機!」

 

誰かはわからないが、今度は日本語で無線機に声が響いた。高嶋は左前方を見。舌打ちをした。

右側から襲ってきた敵戦闘機隊と同規模の敵機が、雲から出現し、真っしぐらに陸攻隊に向かってきているのだ。

恐らく、敵の迎撃第二段だろう。

直掩隊の零戦二個中隊が立ち向かうが、零戦との空戦に巻き込まれる敵機は少なく、大半の敵機が陸攻隊を目指して突入してきた。

 

「高雄一番より全機。旋回機銃、射撃開始!」

 

高嶋は無線機に怒鳴りこんだ。

直後、敵機を射程内に収めている九六式陸攻の銃座が一斉に撃ち始める。

高嶋機も、搭載している二十ミリ、七.七ミリ旋回機銃を振りかざし、敵機に向けて射撃を開始する。

 

「撃て!撃て!撃てぇ!」

 

六機の敵機に機銃弾が命中した。

六機の内二機は何かに誘爆したのか派手に爆発し、木っ端微塵に吹き飛ぶ。

残りの四機は鞭のように振り回される火箭に絡め捕られ、薄く白煙を吐きながらら眼下へ消える。

味方機を立て続けに六機も失った後だが、深海棲艦機は恐怖することなく突っ込んでくる。深海棲艦に恐怖という感情があるかどうかわからないが、一切臆する仕草を見せなかった。

なおも陸攻は旋回機銃を駆使して弾幕を張り続けるが、それを抑え込むように、多数の敵機が一斉に発砲する。

 

高嶋機の右横を飛行していた九六式陸攻が被弾した。

コクピットから主翼の付け根にかけて敵の火箭が捉えた…と見えた瞬間、その九六式陸攻は左主翼から紅い火を噴き、黒い塵のようなものを吐き出しながら減速。編隊から落伍する。

 

「三小隊長機被弾!」

 

「四番機被弾!八番機被弾!」

 

山上が機銃の発射音に負けない大声で言い、やや遅れて上部旋回機銃座の航空兵が声を枯らしながら報告する。後方の死角のため、四番機と八番機の最期は見ることができなかった。

刹那、多数の敵機が機銃を撃ちっぱなしにしながら高嶋機の頭上や左右、眼下を左前方から右後方へとすれ違う。

第三小隊長機、四番機、八番機以外にも、二機の陸攻が火を噴き、墜落していく。

もともと九六式陸攻は防御力が貧弱な上、翼のほとんどの面積を燃料タンクが占めている。一連射を受けただけで火を噴きやすい機体なのだ。

陸攻隊の苦境を見たのか、数機の零戦が駆けつけてくるが、通過する過程で更に一機の陸攻が喰われる。

 

「敵機、反転してきます!」

 

尾部機銃を担当する兵が報告する。

 

「撃て、近寄させるな!」

 

高嶋はやや狼狽状態になって命令した。

深海棲艦機は九六式陸攻にとって、恐ろしく危険な存在だ。敵機の持つ機銃を喰らえば、ほとんどの確率で撃墜される。

零戦と同じ二十ミリクラスの大口径機関砲を搭載しているのかもしれない…。

九六式陸攻の各銃座が撃ちまくるが、敵機はその弾丸をして跳ね除ける勢いで急接近し、九六式陸攻を攻撃する。

 

「九番機被弾、七番機被弾‼︎」

 

山上が、半ば悲鳴染みた声で報告する。

反転した敵機が梯団後方にいた陸攻を撃墜したのだ。

その直後、突然高嶋機の左正横で凄まじい大爆発が起きた。左を飛行していた九六式陸攻の姿が消失し、変わって巨大な火焔と多数の塵が空中に湧き出した。

衝撃波によって高嶋の九六式陸攻が大きく振動し、機体の至るところが軋む。高嶋は衝撃で壁に顔をぶつけ、呻き声を発した。

 

「くそッ…!」

 

高嶋は何が起こったかわかっている。

下方から攻撃してきた敵機の射弾が、九六式陸攻の腹に抱いている五百キロ陸用爆弾(五十番)に命中し、誘爆したのだろう。

頑丈な建造物を全壊させ、滑走路に大穴を穿つ爆弾が至近距離で爆発したのだ。

その陸攻の搭乗員は骨すら残らなかっただろう。

 

「右前方より敵機二機!」

 

銃座の兵が叫ぶ。

咄嗟に見た高嶋の目に、こちらに向かって真一文字に近づいてくる敵機の姿が写った。

高嶋が命じるよりも早く、射界に収めている銃座が射撃を開始し、高嶋機の周辺の九六式陸攻も、隊長機を援護すべく撃ちまくる。

オレンジ色の曳光弾が敵機を包み込み、数発が真正面から命中した。

機首に喰らった敵機はとんがったそれを変形させ、黒煙を引きながら眼下に消える。二機目は左に旋回し、急降下で離脱する。

辛くも弾幕射撃によって二機を退けたのだ。

 

気がつくと、もうとっくに陸地の上空に入っているのがわかった。眼下の光景が、青い海から陸地の緑へと変わっている。 敵機に集中しすぎ、気づかなかったらしい。

敵機と交戦している間に、ルソン島上空に達していたのだ。

 

「”グリフォンリーダー”より全機へ。目標視認(ターゲットインサイト)!」

 

それを聞いた高嶋は双眼鏡を覗く。片方のレンズは割れていているが、もう片方のレンズで見ることができた。

 

「あれか!」

 

高嶋はしっかりと見た。鬱蒼とした森を切り開いて作られた巨大な飛行場を 。

深海棲艦侵攻以前は米国が持つ極東最大の航空基地だったが、今や不気味な航空機の巨大な巣となり果てている。

「クラーク・フィールド飛行場」だ。

深海棲艦占領後は、従来の飛行場と区別するために「姫」とつけるよう、取り決められていた。

 

「高雄一番より、高雄全機。全軍突撃せよ!」

 

高嶋は部下の九六式陸攻に叩きつけるように命じた。

攻撃目標の分担は出撃前に決められている。高嶋率いる高雄航空隊は、クラーク・フィールド飛行場姫の基地設備を攻撃し、47BSと鹿島航空隊は滑走路を攻撃するのだ。

「全軍突入せよ」の号令を受けた陸攻各機がフルスロットルを開き、巡航速度から最大速度へと加速する。高嶋機はそんな陸攻隊の先頭に立ち、高度を下げつつ、基地設備を目指して突進する。

 

「爆撃目標視認、針路修正……右三十度願います!」

 

基地設備を発見したのだろう、爆撃手の島本直彦(しまもと なおひこ)一等飛行兵曹が言った。それを聞いた高嶋は、右三十度機体をずらす。

九六式陸攻が飛行場姫の上空に突入すると、地上に発射炎が閃らめき始めた。高雄航空隊の周辺に、上空まで駆け上がった敵弾が炸裂し始める。

深海棲艦も人類に準じた対空火器を保有しているようだ。飛行場姫に設置された高射砲陣地が、最後の盾となって攻撃隊を迎え撃っているのだろう。

滑走路を爆撃しようとしたB17の至近距離で敵弾が炸裂し、そのB17は左主翼をバッサリと胴体から切断され、錐揉み状態で墜落し地面に激突する。

鹿島航空隊の近くでも炸裂し始める。一機の九六式陸攻の頭上で敵弾が炸裂するや、弾子が胴体や翼を切り刻み、その陸攻は瞬時にバラバラになって空中分解を起こす。

敵弾炸裂の中、高嶋の陸攻はひたすら爆撃目標を目指して突き進んだ。後方には部下の機体が続いているはずだが、確認の術はない。今は、敵基地に投弾することだけに集中すべきだった。

 

「ちょい右、ちょい右、ヨーソロ…」

 

「いや、ちょい左……よし、そのまま直進です!」

 

島本が機体を爆撃針路に乗せるよう、指示を出す。高嶋は正面を見やった。

どうやら格納庫のような低い四角形の建物を爆撃しようとしているようだ。

しかし、それを黙って見ている深海棲艦ではない。

 

「敵機だ!」

 

山上が絶叫した。

正面上方から一機の敵機が向かってくる。味方の対空砲に撃墜される危険があるため、全機が退避したと思っていたが、味方撃ちを恐れず、陸攻隊に肉薄した敵機がいたのだ。

距離はもうほとんどない。機体の細部までがはっきりと見え、胴体下にズラリと並べられている歯のようなものが、不気味に光った。

高嶋は瞬時に死を覚悟した。

次の瞬間には多数の銃弾に撃ち抜かれるのか…。俺の死に場所はルソンか…。などの言葉が、瞬間のうちに脳裏を駆け巡る。

目を閉じようとしたが、何かに取り憑かれかのように高嶋はその敵機を見続けた。

だが突如、高嶋機の頭上を太い火箭と細い火箭各二条ずつが伸び、敵機に吸い込まれた。

被弾した敵機は飛行能力に支障をきたしたのか、発砲することなく黒煙を出しながら陸攻とすれ違い、地面に叩きつけられた。

たった今、敵機を撃墜した零戦が頭上を通過し、新たな敵機に挑んでいく。

 

(感謝する)

 

高嶋は心の中で感謝の気持ちを述べた。

 

「てっ!」

 

島本の号令一下、九六式陸攻が遥々運んできた五十番が切り離される。五百キロの重荷を切り離した反動で機体が軽くなり、約八トンの機体が跳ね上がった。

 

「命中!」

 

島本が報告し、眼下に巨大な爆炎が躍った。後続機も続々と五十番を投下し、建造物やその周辺に着発性の陸用爆弾を叩きつける。

 

「爆撃を終了した機は低空飛行で退避せよ!」

 

高嶋は素早く無線機に怒鳴り込んだ。

爆撃を終えてもここは敵地だ。敵の戦闘機も依然舞っている。

爆撃を終了した以上、クラーク上空に留まるのはよろしくない。

「長いは無用だ」と高嶋は小さく呟いた。

 

2

 

フィリピン・ルソン島北岸では約一万人の在比米国人、マレーシア人、中国人、日本人などの避難民が夜の暗闇の中、港で日本が派遣してくれた救出艦隊を待っていた。

老若男女問わず、避難民は皆恐怖、怯え、不安と言った表情を浮かべている。

今はダグラス・マッカーサー将軍率いる極東方面軍が南に四十キロ離れた戦線で、時間を稼ぐため必死に戦っているが。いつ深海棲艦の化け物が防衛線を突破し、避難民の群衆になだれ込んで来るかわからないのだ。

避難民の中には深海棲艦の生物か兵器かもわからない奴らに、家族や知人が喰われた経験がある人が少なからずいる。

そう。奴らは人間を捕食する。

卵を前後に引き伸ばしたような漆黒の胴体に、エメラルドグリーンに光る二つの目。ギラリとした灰色の歯。それがズラリと並べられ、どのような強靭なものでも噛みきれそうな巨大な口。

そんな「化け物(モンスター)」が深海棲艦地上軍の主力なのだ。陸軍の兵士たちはそれを「黒い破壊者(ブラックデストロイヤー)」と読んでいた。

 

「俺たちはみんな奴らに食い殺されるんだ!」

 

一人の男性が突然叫んだ。顔は恐怖で歪んでおり、涙でぐしゃぐしゃになっている。

 

「日本艦隊なんて来やしない!昼間の飛行機も見ただろ!」

 

昼間の飛行機とは、日の丸と星マークの大編隊が上空を南へ飛行したことである。

行く時は百五十機はいたが、帰還する時は半分以下になっていたのだ。男性は、「航空機が大きな被害に遭ったから、避難民収容を諦め日本艦隊は撤退してしまった」と思っているのだ。

 

「おい、やめろよ…」

 

隣にいた知人が言うが、語尾は弱々しく消える。事実、予定時刻より一時間以上も遅れているのだ。

その場を絶望が支配する。悪魔のようなブラックデストロイヤーから命からがら逃げ出し、ルソン島脱出という希望が見え始めた矢先、それを否定されたような気持ちになったのだ。

 

「こんなところで死にたくない…」

 

「助けて…!神様…」

 

避難民が皆一様に頭を抱え、そう言う。

 

その時だった…。

汽笛の音が港に響き渡る。

 

避難民が音がした方向を見ると、暗闇の中に多数の輸送船が見えた。さらに沖には、巨大な軍艦が五隻見える。掲げられている旗は白い下地に赤い丸。 第三艦隊である。

 

「日本…艦隊だ…」

 

「来てくれたぞ!」

 

「助かった!助かったんだ!」

 

その情報は瞬く間に避難民全体に広がり、港に歓声が爆発した。さっき突然叫びだした男性も知人と肩を組み、泣いている。今度は嬉し涙だった。

 

 

 




次回予告 夜闇の砲声

第三艦隊VS深海棲艦 アジア艦隊


勝敗の行方は⁉︎


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第五話 夜闇の砲声

学校始まっちゃって、更新遅れちゃいました〜

これからも遅くなるかもです!


BGM「夜戦!」で


1

 

第三艦隊が遅れた理由は、予定に入っていない迂回航路を選択したからだった。

高橋伊望第三艦隊司令長官は船団が極力敵に発見されないようにするために、やや東に予定航路をずらしたのである。

それが功を奏し、第三艦隊も四十隻以上の輸送船も敵機の空襲を受けずに、ルソン島北岸の港に到着することができていた。

だが、

日没間際に単機の敵機に接触してしまっている。その敵機は謎の電波を発して離脱しているため、偵察機だと思われる。

その敵機が、奴らの親方に第三艦隊のことを通報したのは確実であろう。

第三艦隊は敵艦隊の襲撃は十中八、九あると考え、迎撃準備を進めていた。

 

「避難民の収容作業は…どの程度かかるかな?」

 

高橋は中村参謀長に聞いた。

 

「六時間はかかるでしょう、少し手間取ったら八時間ほどかかります」

 

中村は淀みなく答えた。

高橋は腕をまくり、夜光塗料で鈍い光を発している腕時計を見。少し表情を強張らせる。

現在時刻は21時18分。(日本時間。現地時間は20時18分)

上手くいけば午前三時、悪くいけば午前五時。その時間まで、船団を守り続けなければならないようだ。

 

この時、第三艦隊は船団の護衛を第五水雷戦隊に任せ、ルソン島北西部の沖十五浬の海域で三列の単縦陣を組み、マニラから北上してくるであろう深海棲艦極東艦隊を待ち構えている。

第三艦隊旗艦の「足柄」が先頭に立ち、その後方に第六戦隊の「青葉」「衣笠」「古鷹」「加古」が続く。

これら五隻の左側には三水戦の軽巡一、駆逐艦六隻が、右側には同じく三水戦の駆逐艦八隻が展開していた。

 

「もしも戦艦が来たら…」

 

その時、砲術参謀の富士義幸(ふじ よしゆき)中佐が声を震わせて言った。

深海棲艦は、「ル級戦艦」なる戦艦を保有している。未だに多くの謎に包まれている艦だが、米海軍のテネシー級戦艦やニュー・メキシコ級戦艦と同じく、三六センチ砲十二門を三連装四基に収めて搭載しているらしい。

もし、そんな伊勢型、扶桑型にも匹敵する大火力を備えた艦が襲来した場合、巡洋艦、駆逐艦のみで構成された第三艦隊は戦えるだろうか、と富士は思っているようだ。

 

「夜戦ならば、勝機はある」

 

高橋は自信ありげに言った。

高橋は砲術専攻のいわゆる「大砲屋」だが、夜間戦闘における水雷戦の重要性も理解している。

もし敵艦隊に戦艦がいれば、重巡五隻によって火力を吸収し、その隙に暗闇に紛れさせて三水戦を突入させよう。と、中小型艦特有の高速性に、砲雷撃を組み合わせた戦術を考えていた。

 

そのような状態で遊弋を開始してから、はや二時間が経過した頃。

 

「左100度、艦影見ゆ。距離二〇〇(フタマルマル)(二万メートル)。中型艦六、小型艦多数!」

 

「足柄」見張員の報告が、唐突に艦橋に飛び込んだ。

 

「来たな」

 

高橋は不敵に笑い、呟いた。

敵艦隊はやはり来た…。人類の船団を一網打尽にすべく、その姿を現したのだ。

中型艦というのは巡洋艦のことだろう。敵艦隊に戦艦はいなかったが、こちらよりも巡洋艦が一隻多い。

楽に勝てる相手ではなさそうだ。

 

「極力、敵の頭を押さえましょう。T字を描き、一隻ずつ仕留めるべきです」

 

「それで行こう」

 

中村参謀長の意見を瞬時に採用した高橋は、力強い口調で二つの命令を発した。

 

「砲雷撃戦用意。各艦、夜戦に備え!」

 

「艦隊針路290度。最大戦速!」

 

命令文は素早く各艦に打電され、計十九隻の台三艦隊所属艦は次々と290度へと変針する。

「足柄」もその中の一隻である。艦長の中澤佑(なかざわ ゆう)大佐が航海長に「取舵一杯。針路290度。最大戦速」を命じ、「とぉーりかぁーじいっぱぁーい!」の号令が艦橋内にこだまする。

 

先頭に立っていた「川内」が一足早く増速し、それに後続している第十一駆逐隊、第十二駆逐隊の吹雪型六隻も増速し、隊列右側の駆逐艦八隻ーーー第十九駆逐隊、第二十駆逐隊も遅れじと加速する。

最大速度に達したころで290度に転舵し、軽巡一隻と駆逐艦六隻の単縦陣と、駆逐艦ハ隻の単縦陣が別個に左へと艦体を振る。

 

足元から伝わる機関の唸りが高まり、「足柄」周辺の海面が喧騒を増し始める。

「足柄」も三水戦を追って加速し、古鷹型に合わせた三十四ノットに到達した。

三十四ノットに達した直後、鋭い艦首が左に振られる。

変針によって左前方に移動した三水戦の各艦が、「足柄」の取舵により再び正面に移動してくる。

 

「六戦隊各艦、『青葉』より取舵。針路290度に乗ります!」

 

後部見張員から、第六戦隊の状況報告が届く。

後方の旧式重巡四隻も「足柄」を追って290度に変針したようだ。

 

「敵艦隊、針路0度。速力十八ノット。距離一九〇(ヒトキュウマル)

 

射撃指揮所から「足柄」砲術長である寺崎文雄(てらさき ふみお)中佐の報告が届く。

艦橋上部に搭載している主砲測距儀で敵を測的し、正確な針路と速度を弾き出したようだ。

高橋は首にぶら下げた双眼鏡を、敵艦隊がいるであろう方向へと向ける。

今日は満月だが、二つの視界内には月光に照らされている海面しか見えず、どんなに目を凝らしても、敵の艦影を見ることはできない。

日本帝国海軍は夜戦に力を入れており、特殊訓練によってフクロウ並の視力を持つ見張員を多数の育成し、戦艦、重巡洋艦などの主力艦に配備している。

訓練を施していない常人の高橋に、夜間一万九千メートルもの先の物を見る事は不可能だった。

 

「敵に動きは?」

 

自らの目で見ることを諦めた高橋は、見張員に聞いた。

 

「変化なし!」

 

見張員は即答する。

深海棲艦に夜間二万メートル先の艦隊を探知する能力はないのかもしれない。

第三艦隊は敵に発見されることなく、敵隊列の右前方から高速で近づいているのだ。

 

「いいぞ…」

 

高橋はぼそりと呟いた。

現在、針路は290度。敵艦隊の針路は0度。第三艦隊は頭を押さえる形でT字を描きにかかっている。日露戦争・日本海海戦以来の必勝戦法である。

それに敵に第三艦隊は発見されていない。奇襲攻撃で一気に片をつけようと、高橋は考えていた。

 

「魚雷発射用意」

 

高橋は凛とした声で命じた。

第三艦隊が搭載している魚雷は、帝国海軍が世界に先駆けている開発した九三式酸素魚雷である。純粋酸素を使用しているため航跡をほとんど残さず、さらには雷速も、搭載している炸薬量も、列強の魚雷とは比べ物にならないほどの高性能を誇っている。

何より特徴的なのは異常とも言える射程距離で、米英の魚雷が五千メートル前後の性能しか持たないのに対し、九三式は最低でも二万メートル。雷速を落とせば三万メートルにすら達する性能を持っている。

高橋はこの「水中の長槍」とも言える兵器で暗闇からの強烈な打撃を喰らわせ、敵の出鼻を挫こうを考えたのだ。

 

「この距離からの発射ですか?」

 

守谷孝作(もりや こうさく)水雷参謀がかぶりを振りながら異議を唱えた。

 

「砲撃も雷撃も距離がある程、命中率は下がります。せめて一〇〇(ヒトマルマル)(一万メートル)ほどまで距離を詰めてはいかがですか?」

 

顔が、暗闇でもわかるほどに紅潮している。どうか御再考ください…むざむざと切り札を海に捨てるだけです。と言いたげだった。

 

「そこまで距離を詰めたら我々が敵に探知される可能性が高い。それに敵の手の内がわからない以上、接近するのは危険だ」

 

「しかし…」

 

川口はいくら意見具申しても、艦隊司令官が考えを変えなければ意味がないと思ったのか、これ以上の異議は唱えなかった。

この間にも、第三艦隊の各艦で発射準備が整えられてゆく。敵艦の速度、距離を測定し、その未来位置に魚雷が進むように正確な数値を弾き出す。

 

「魚雷発射準備完了しました!」

 

水雷指揮所から報告が届き、「発射準備完了」の報告が三水戦、六戦隊よりも届く。それを聞いた高橋は、力を込めて下令した。

 

「全艦。魚雷…攻撃始め!」

 

「艦橋より水雷指揮所。魚雷発射!」

 

中澤が指揮所へと繋がる伝声管に怒鳴り込む。

命令を受理すると同時に「足柄」の左舷に圧搾空気の音が響き、計八本の九三式六十一センチ魚雷が海中へと射出させる。

 

「六戦隊より入電。“我、魚雷発射完了”」

 

「三水戦より入電。“十九駆逐隊以外、魚雷発射完了”」

 

通信長が報告を重ねる。

十九駆、二十駆は「川内」、一一駆、一二駆の右側に展開している。おそらく射線に味方艦が入ってしまい、発射できなかった艦がいたのだろう。

それでも「足柄」より八本、六戦隊より十六本、三水戦より九十本、合計百四十本もの魚雷が、深海棲艦の下腹に大穴を穿つべく海に放たれたのだ。

 

「命中まで約九分!」

 

水雷指揮所から敵艦隊までの到達時間が知らされる。

十分後には敵艦隊に多数の魚雷が殺到する。

 

「見張員、敵の動きはどうだ?」

 

「針路、速度とも変化なし」

 

見張員の返答を聞き、高橋は満足げに頷いた。

各艦の魚雷は敵艦隊が直進する前提で発射されており、敵が針路や速度を変えられてしまえは ば命中しなくなってしまう。

第三艦隊が主砲を撃ち始めると、敵艦隊がそれによって変針してしまう可能性があるため、第三艦隊は魚雷が到達するまで砲撃をすることができないのだ。

 

「一分経過」

 

「三分経過」

 

艦橋でストップウォッチを見ている水兵が、定期的に報告する。感情を感じられない、淡々とした声だった。

 

「敵艦隊との距離、一六〇」

 

見張員が報告する。双方、接近する針路を取っているため、距離が詰まっていく。

敵艦隊は動かない。まだ第三艦隊は発見されていないようだ。

 

「距離、一四〇」

 

「五分経過」

 

高橋は再び敵艦隊に双眼鏡を向ける。今度は月の光に照らされて、薄っすらと六つの影が見えた。

見張員の報告にあった、六隻の巡洋艦だろう。

米国の情報によれば、深海棲艦の巡洋艦は人類と同じように重巡洋艦と軽巡洋艦に相当する艦種があり、重巡が一種類、軽巡が三種類だという。名称は重巡がリ級、軽巡がホ、へ、ト級と命名されている。

これらには、すべてペンサコーラ級重巡のようにマストが付いているらしい。目をこらしてみると、マストの様なものをぼんやりと確認することができた。

 

「七分経過……!」

 

あと二、三分で到達する、という思いがあるのだろう。

水兵の声が、やや力んだものへと変化した。

 

(妙だな…)

 

ここで高橋は疑問を感じた。

上空には満月が照り輝いており、距離も近くなっている。特別な訓練を受けていない高橋自身も敵艦隊を視認できているのに、敵は第三艦隊を発見しない。発見しているのかもしれないが、一切の攻撃を仕掛けてこない。

深海棲艦は夜に極端に弱いのか、それとも何か別の理由があるのか。

 

「じかーんッ!」

 

ストップウォッチを持つ水兵が、溜めに溜めた物を吐き出すように叫ぶ。それを聞いた艦橋内の人間は、雷撃の成果をこの目に収めようと、一斉に敵艦隊に顔を向けた。

高橋も敵艦隊を見続ける。妙だと思った少しの疑問など、この時はすっかり忘れてしまっていた。

すぐには何も起こらない。 何事も無いように敵艦隊はそのまま直進を続け、十秒、二十秒と沈黙の時間が過ぎる。三十秒が過ぎても、変化はない。

 

(まさか…失敗か?)

 

高橋は失敗を悟った。

やはり守谷水雷参謀の意見具申を受け、一万前後で発射したほうが良かったのか?自分のの判断は、百本以上もの酸素魚雷を海に捨ててしまったのだろうか?

そのような焦りが脳内を駆け巡った次の瞬間。

 

敵の影が大きく揺らいだ…と見えた瞬間。敵艦隊の戦列に稲光のような閃光が走った。

巡洋艦の一隻に巨大な水柱が高々と奔騰し、瞬時に火柱に変わる。火柱が三脚マストと高さを競い合い、艦の輪郭をくっきりと海上に浮かび上がらせた。

 

「やったか!」

 

高橋は身を乗り出した。

敵艦隊を見ることができた将兵は全員が歓声を上げ、艦橋、水雷指揮所、魚雷発射管、高角砲台など、至るところで喜びの歓声が爆発する。

 

この時、高橋は知る由もなかったが、被雷したのは深海棲艦唯一の重巡洋艦であるリ級で、第二砲塔の直下とスクリューに時間差で二本の酸素魚雷を食らっていた。

スクリューに命中した九三式酸素魚雷は瞬時にスクリューシャフトをへし折り、艦底部に大穴を穿つ。大穴から海水内部に流れ込み、リ級は艦体を大きく戦慄かせながら減速する。

この一本のみだったら、このリ級重巡は生き延びれたかもしれなかったが、二本目がこの重巡の未来を運命付けた。

第二砲塔の直下に五十二ノットの速力で突っ込んできた九三式酸素魚雷は、命中した瞬間…弾頭の炸薬が炸裂し、第二砲塔の弾薬庫に誘爆を引き起こしたのだ。

搭載されていた大量の二十センチ砲弾がいちどきに爆発し、凄まじい閃光が辺りを照らし出す。

リ級重巡は第二砲塔直下を境に真っ二つに切断された。耳をつんざく大音響が海上に轟き、二つに分裂した艦体が水蒸気を出しながら海中に沈んでいく。

 

二隻目の被雷艦は、リ級の後方を追走していたホ級軽巡だった。

そのホ級はリ級の惨状を目の当たりにし、魚雷を回避しようとした矢先に艦首に魚雷を受けた。

艦首がけたたましい音とともに引き裂かれ、小さいとは言えない巨体を凄まじい衝撃が貫いた。大きく仰け反り、次いで振り戻すようにして艦首を海面に叩きつけた。

 

他にも駆逐艦と思われる小型艦三隻が酸素魚雷を受ける。駆逐艦三隻のうち二隻が瞬時に撃沈され、巡洋艦、駆逐艦各一隻が停止して海の松明と化す。

それ以降は被雷する敵艦はいない。命中した本数は六本のみだが、敵艦隊の三分の一の戦力をもぎ取ったのだ。

 

だが、高橋は気づかなかった。

第三艦隊にも、ひしひしと魔の手が迫っていたことに。

 

高橋が敵艦隊との砲戦を挑むべく新たな命令を出そうとした時。「足柄」の右前方で何かが光った。

やや間を開けて、炸裂音が響き渡る。

咄嗟に振り向くと、「川内」の艦首付近に高々と伸びる水柱が高橋の目を射た。

 

「な………!」

 

高橋や参謀らは声にならない叫びを上げる。

「川内」がやや前のめりの状態で黒煙を吐きながら停止した時、二隻目が被雷した。

位置的に、第三水雷戦隊の四番艦「初雪」のようだった。左舷艦中央に魚雷が命中し、凄まじい大きさの爆炎が天高く躍る。

穿たれた巨大な穴から海水が轟々と流れ込み、恐怖の面持ちの水兵たちを容赦なく飲み込んでいく。

瞬く間に艦が横転し、赤い腹を覗かす。

 

「か、艦隊針路200度。魚雷が来る!」

 

「と、取り舵一杯!」

 

高橋は怒号のように叫び、それを聞いた中澤艦長が声を枯らして命令した。

先行していた三水戦に魚雷が到達したということは、重巡部隊のもうすぐそこまで魚雷が迫っているということになる。ここで回避しなければ、深海棲艦巡洋艦部隊と同様の煉獄が「足柄」と六戦隊をも襲うこととなるのだ。

 

「一体どこから⁉︎」

 

中村参謀長が落ち着きを失った状態で叫んだ。雷撃の戦果に対する喜びなど、どこかに吹き飛んでしまっていた。

高橋は魚雷がどこから来たのか目星が付いている。魚雷が来たのは左舷側、敵艦隊がいる方向である。

敵も第三艦隊と同じく、距離二万前後から魚雷を放っていたのだ!

肉眼でお互いが見えるようになっても砲戦が始まらなかったのは、敵艦隊も高橋と同じように考え、変針によって魚雷の狙いを外されたくなかったからであろう。

沈黙の九分の間は、こちらにも敵魚雷の群れが向かってきていたのだ。

 

「足柄」の舵は、依然効かない。

「足柄」はここにいる日本海軍の艦艇で一番重く、かつ一番長い。その為、舵の効きがもっとも悪いのだ。三水戦の駆逐艦群はもちろん、第六戦隊の重巡四隻も魚雷をかわすため、とっくに針路を200度に取っている。

 

(舵よ、早く効いてくれ…!)

 

高橋は目をつぶり、祈った。意味ないことはわかっていたが、祈らずにはいられなかった。

四十秒ほどたった時、「足柄」の艦首が左に振られ始め、針路200度で直進に戻る。

魚雷の向かって来る方向に艦首を向け、被雷面積を最小にするのだ。

運が良ければ艦首の水圧により、魚雷を弾き飛ばすことも可能である。

 

「『青葉』被雷!」

 

「『衣笠』被雷!」

 

悲報が艦橋に飛び込む。

一足先に変針し、「足柄」の左舷前方を前進していた「青葉」「衣笠」が被雷したのだ。両艦とも艦首の喫水線下を食い破られており、全力航行も祟って大量の海水が侵入していた。

青葉型重巡二隻は艦体を激しく震わせながら減速し、前のめりになって停止する。

 

「おのれ…!」

 

「青葉」と「衣笠」の惨状を見た高橋は深海棲艦に対して呪詛の言葉を吐く。しかし、それで接近して来る魚雷を止めることなどできない。

「足柄」の正面から多数の雷跡が迫って来る。深海棲艦の魚雷射程は酸素魚雷に匹敵するようだが、酸素魚雷と違い、雷跡はくっきりと見える。

 

「魚雷接近、距離六百メートル!」

 

見張員が叫ぶ。

魚雷に艦首を向けた以上、やれることはない。今はただ魚雷が当たらない様に願うだけだ。

 

「三百!」

 

高橋はただ艦橋に仁王立ちになり、腕を組んで正面を見る。

 

「百!近い‼︎」

 

「!」

 

刹那。

 

「回避成功!」

 

「雷跡、後方に抜けます!」

 

その声が聞こえると、高橋は大きく息を吐き、ハンカチで汗を拭う。

「足柄」はギリギリのところで魚雷の回避に成功したのだ。

 

「見張。敵の動きは?」

 

中澤艦長が見張員に聞く。

 

「多少の混乱は見られますが、先と変わらず、針路0度で北上しています。被雷艦は放置しているようです」

 

敵艦隊は酸素魚雷によって巡洋艦二隻、駆逐艦三隻を戦列外に失ったが、まだ力を残しており、船団を攻撃できるだけの意思と能力を有している。

敵艦隊を完全に無力化しなければ、避難民の安全は確保できない。

開幕雷撃戦で双方が被害を受ける、という奇妙な状態から始まった海戦だが、まだ決着はついていないのだ。

 

「…三水戦は敵駆逐艦を攻撃せよ」

 

「本艦、六戦隊、針路0度。目標敵巡洋艦」

 

高橋は凛とした声で言った。

三水戦に駆逐艦を牽制させ、敵巡洋艦四隻を生き残った「足柄」「古鷹」「加古」で叩くのだ。

雷撃回避によってT字を崩されてしまったため、針路を0度にとり、北上する敵艦隊と同航戦の形をとる。

被雷した「青葉」「衣笠」「川内」「初雪」の乗組員には申し訳ないが、消火協力や人命救助は後回しだった。

三隻の重巡が巨体を震わせながら針路を0度に変針し、三水戦も隊列を整える。

変針後、左正横に敵巡洋艦四隻の影がぼんやりとが見えている。

距離は八千メートル。必中の距離である。

 

「本艦目標敵一番艦、『古鷹』目標敵三番艦、『加古』目標敵四番艦。準備完了次第砲撃始め!」

 

高橋は力強く命令した。

「古鷹」と「加古」は「青葉」と「衣笠」が戦列を離れたため「足柄」との距離が開いてしまっている。

よって、同じく隊列の後方に位置している敵三、四番艦を割り振ったのだ。

 

「決着を付けてやる、深海棲艦…」

 

高橋は軍帽を深くかぶり直し、敵艦隊を睨みながら言うのだった。

 

 

 

 




次回予告 「 餓狼、奮戦ス」


バリバリ砲戦

まだ決着つかないかなぁ〜〜


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第六話 餓狼、奮戦ス

データが一回パァになって遅れました(棒)


データが消し飛んだ瞬間の絶望と言ったらもうね…。


今回は「足柄」が頑張ります‼︎




一浬=1852m


 

1

「艦長より砲術。同航戦で行く、射撃目標は敵巡洋艦一番艦。準備完了次第砲撃開始」

 

「砲戦は同航戦。射撃目標は敵巡洋艦一番艦。準備完了次第砲撃開始します!」

 

中澤艦長の命令を、「足柄」砲術長寺崎文雄中佐は間髪入れずに復唱した。

場所は「足柄」艦橋のてっぺんに位置する射撃指揮所である。測的手や方位盤手に囲まれた砲術長席に、自らの身体を沈めていた。

 

「目標、左同航の敵巡洋艦一番艦。交互撃ち方。測的始め!」

 

寺崎は力強い声で、指揮所内の砲術科員らに下令した。

寺崎の命令によって測的長の坂本譲(さかもとゆずる)大尉を始めとする砲術科員達が、敵一番艦に対して測的を開始する。

 

「主砲旋回、左八十二(ハチジュウフタ)度。距離八千、仰角二十(ふたじゅう)度!」

 

敵一番艦の速度、距離などのデータを射撃計算によって弾き出し、導き出された旋回角、仰角を射撃諸元として各砲台に伝達する。

「足柄」の前部甲板では、送られてきた射撃諸元に従って第一、第二、第三主砲塔が機械的な音響を発しながらその巨体を左に旋回させ、砲身に仰角をかけるさまが見えた。

視界外だが、後部の第四、第五主砲塔も左側に旋回し、敵一番艦に狙いを定めていることだろう。

 

「測的よし!」

 

「方位盤よし!」

 

「主砲、発射準備よし!」

 

発射準備が整ったことを示すように、各部署からの報告が射撃指揮所に飛び込む。

 

「撃ち方始め!」

 

力を込めて寺崎は言った。

直後、「足柄」の左側海面が発射炎で赤く染まり、直径二十センチの砲門から紅蓮の炎が噴き出た。

同時に五発の二十センチ砲弾が秒速八百七十メートルの初速で叩き出され、雷鳴さながらの砲声が轟き、基準排水量一万三千トンの艦体を震わせた。

「古鷹」や「加古」も「足柄」に遅れじと、搭載している二十センチ砲を発射し、後方から遠雷のような砲声が聞こえて来る。

 

「『古鷹』撃ち方始めました!続いて『加古』撃ち方始めました!」

 

「三水戦、敵駆逐艦との交戦に入った模様!」

 

見張員から矢継ぎ早に報告が上げられる。

重巡の重々しい発射音に続いて、駆逐艦の鋭い砲声が立て続けに響き始める。

旗艦「川内」と駆逐艦「初雪」を敵の魚雷で失った三水戦だが、そのような不安は感じさせない勢いで、敵駆逐艦の隊列に斬り込んでゆく。

やがて…だんちゃーく!の報告が飛び込み、寺崎は三水戦への思考を打ち切った。

砲撃目標の敵一番艦を見るため、直径十二センチの指揮官用大双眼鏡を覗く。

 

「今!」

 

丸いレンズの向こう側で、敵一番艦の手前に水柱が上がったのが見えた。

 

艦上に爆炎は躍らない。

交互撃ち方第一射として放った五発は、敵に命中せす、海面を叩いただけで終わったようだ。砲術家の理想は初弾命中だが、夜間八千メートル先の目標に初弾を当てるのは難しかったらしい。

水柱が引いた頃、「古鷹」「加古」の射弾も落下するが、「足柄」同様命中はない。

 

その時、敵一番艦の艦上に閃光が走った…と見えた刹那、発射音がやや遅れて届いた。

遅れずに後方の二、三、四番艦の艦上にも火焔がほとばしり、砲声が海上に響く。

敵艦隊が砲撃を開始したのだ。

主砲が放たれるたびに瞬間的に敵艦のシルエットが浮かび上がり、一番艦と二番艦が、主砲を前部に二基、後部に一基背負い式に乗せている事。

三、四番艦が、「足柄」と同じような配置で前部に三基、後部に二基主砲を装備していること。

四隻とも巨大な三脚マストを屹立させている事がはっきりとわかる。

 

「敵巡洋艦発砲!」

 

「砲術より艦橋。敵一、二番艦はリ級。三、四番艦はホ級と認む」

 

発射炎で照らされた艦影を見て敵巡洋艦の艦種を見抜いた寺崎は、艦橋を呼び出して中澤艦長に報告した。

発射された敵弾が空中にある間に、「足柄」は第二射を放つ。

各主砲の二番砲身が火を噴き、再びの轟音と衝撃が艦上を駆け抜けた。

主砲発射の残響が収まる頃、それにとって変わるかのように、敵弾の飛翔音が響き始める。

それが途切れた、と感じた瞬間…「足柄」の左舷前方に三本の水柱が突き上がり、やや間を開けて、もう三発が右側の海面に着弾する。

こちらは少し近かったようで、「足柄」の艦体をかすかに揺らした。

 

「ぼやぼやできんな」

 

寺崎は唇を舐めた。

「足柄」は敵よりも早く砲撃を開始したとは言え、リ級二隻に砲撃されている。

三、四番艦の射弾は来ない。おそらく「古鷹」「加古」を砲撃しているのだろう。

 

「敵さんも交互射撃を採用しているようですな」

 

そそり立った水柱に目をやりがら、坂本が驚きの表情で言った。

飛んできた砲弾は各三発、米国の情報によるとリ級重巡洋艦の主砲は三連装三基九門である。という事は、深海棲艦も人類海軍と同じ様に交互撃ち方の方法を採っていることになる。

これではますます人類の軍艦と大差ないな、と寺崎は思っていた。

 

続けて「足柄」は第三射を撃つ。

三回目となる轟音と衝撃が巻き起こり、砲門から五発の砲弾を叩き出す。

「足柄」第三射弾が落下する直前、敵一番艦が二回目の砲撃を実施する。三脚マストを挟んで前部二ヶ所、後部一ヶ所に真っ赤な発射炎をほとばしらせ、二十センチ砲弾三発を発射する。

「足柄」の第三射弾はリ級が第二射を放った直後、押し込むように落下した。

敵一番艦の右舷に五本の水柱が突き上がり、三脚マストと競い合うように奔騰する。

位置的には第一射、第二射よりも近い。リ級の巨体を海中から震わせ、頭上からは大量の海水が降り注いでいるだろうが、「足柄」艦上から確認するすべはない。

 

「当たらんか…」

 

寺崎は敵一番艦を凝視して、軽く溜息を吐いた。

いくら見ても、艦上に命中弾炸裂の火焔は認められない。

本来、航行しながら航行している目標に砲弾を命中させるのはかなり難しい。演習などでも一、二十回外す事は珍しくない。

 

だが、今「足柄」は二隻の重巡に砲撃されており、二対一の不利な状況にある。早く敵一番艦を片付けて二番艦を叩かなければ、敵艦が斉射に移り「足柄」は集中砲火を浴びてしまうかもしれない。

早く直撃弾を得なければ、「足柄」大破という状況に転がりかねないのだ。

大気を震わせながら、敵一番艦、二番艦の第二射弾が時間差で落下して来る。

一番艦の三発は右前方の離れた場所に着弾し、二番艦は同じく左前方に着弾する。着弾箇所に計六本の水柱がそそり立ち、「足柄」はその水柱の間を三十四ノットの猛速で突破する。

その時、敵艦隊の頭上に青白い光が現れた。光源はぼんやりと輝き、上空で揺らめく。

マグネシウムを焚いたような弱々しい光だ。

ゆっくりと高度を落とし、リ級一番艦の姿を暗闇に浮かび上がらせる。

 

吊光弾(ちょうこうだん)か…!」

 

寺崎は光源の正体を呟いた。

零式水上偵察機が、敵艦の姿を少しでも鮮明に見せるため、吊光弾を投下してくれたのだ。

「足柄」や第六戦隊が搭載している水上機は、全機が避難民収容中の船団の周辺警戒に当たっており、この空域にはいない。だが、第三艦隊が苦境に立たされていると判断し、駆けつけて来てくれた機体がいたようだ。

 

(今の状態じゃ、ありがたいな)

 

「測的をやり直します!」

 

吊光弾のおかげで正確に測的できると思ったのか、坂本が嬉しそうに言った。

諸元修正のため、「足柄」の主砲がやや沈黙する。

沈黙の間、敵一、二番艦が第三射を放ち、三発ずつの射弾が続けざまに飛来する。

一番艦の砲弾は左正横に着弾し、リ級の姿を遮る。二番艦の砲弾は正面に落下し、「足柄」の進行方向を塞ぐ。

まだ至近弾とは言えないが、着実に近づいてきている。命中するのは、時間の問題と思われた。

 

「主砲、発射準備よし!」

 

水柱が引いた頃、射撃準備完了の報告が飛び込んだ。

 

「砲撃再開!」

 

寺崎は力強い声で下令する。

「足柄」は寺崎に応えるように、轟然と第四射を放った。

五発の主砲弾は八千メートルを一っ飛びし、敵一番艦の至近に落下する。

 

第四射は命中しなかったが、「足柄」は第五射、六射、七射と続々と射弾を撃ち出す。

敵の姿を視認できるからだろう。今までの倍する勢いで、各砲塔の一番砲身、二番砲身が交互に咆哮し、敵重巡の装甲をぶち抜くべく、高温で真っ赤に染まった徹甲弾を叩き出す。

発射するたびに鼓膜を震わせる轟音が響き、艦体を振動させ、「足柄」の艦影ーーー力強い連装主砲、両側の舷側まで飛び出した重厚感溢れる艦橋、その艦橋の背後に屹立するマスト、二本に別けられた煙突、四基の高射砲台、天を睨む機銃、射出機などを暗闇に一閃させる。

対して敵重巡二隻も、「足柄」に劣らぬ勢いで主砲を撃つ。一番艦と二番艦から交互に放たれる敵弾は、十秒前後と言った短い間隔で空気を鳴動させながら飛来する。

「足柄」の艦体を抉る敵弾はないが、一度ならず至近距離に着弾し、寺崎を冷や冷やさせ、艦底から水中爆発の衝撃を突き上げさせる。

 

「砲術。何をやっとるか⁉︎」

 

第十射が外れた時、苛立ちを抑えられなくなったのか、中澤艦長の怒号が響いた。

 

「次は…当てます」

 

寺崎は静かに、だが力強く言った。

十回の交互射撃によって、現在までに着弾修正はほぼ済んでいる。

次の射撃で命中させる確固たる自信が、寺崎にはあった。

敵一番艦の十一回目となる射弾が、轟々たる音を立てながら落下してくる。音は今までの十回よりも大きく、そして甲高い。

 

(今度も、外れるかな…?)

 

寺崎が思った時、「足柄」を衝撃が襲った。後方から何かが壊れる音が響き、次いで炸裂音が響いた。

 

「喰らったか!」

 

寺崎は罵声を発した。敵一番艦が「足柄」よりも先に命中弾を得たのだ。

「足柄」が先に射撃を開始し、吊光弾の光源がある状態で先手を取られたとあっては、完全に「足柄」砲術科の敗北だ。

 

「斉射が来るのか…!」

 

坂本が声を震わせた。

もしも深海棲艦が交互撃ち方と斉射を併用する射撃方法をとっているのなら、次からは命中率の高い九発の斉射が飛来してくる事になる。

リ級重巡の主砲の散布界は不明だが、「足柄」は敵一番艦の斉射弾が飛来するたびに、数発の敵弾を喰らい続けることになるのだ。

 

「足柄」が被弾した直後、敵二番艦の射弾も来る。

「足柄」の正面に二発、右前方に一発が落下して、高々とした水柱を突き上げる。

「足柄」の鋭い艦首が、高速で水柱の只中に突入し、前部甲板に夕立の様な海水の雨を降らせた。

二番艦の砲弾も、近々命中しそうだ。

 

被弾に立ちろぐことなく、「足柄」が第十一射を放つ。十一度目の衝撃が艦を揺さぶり、五発の砲弾がリ級重巡洋艦に向かって飛翔する。

 

(頼む、当たってくれ…!)

 

寺崎は願った。

 

「だんちゃーく……」

 

傍に佇む水兵が言う。

寺崎は、敵一番艦を凝視し続ける。

 

「今!」

 

今度は、リ級重巡洋艦の後部に爆炎が躍った。真っ赤な火焔が湧き出し、黒い塵や長細いものが中を舞う。

 

「命中‼︎」

 

寺崎は指揮所の隅々まで聞こえる大声で言った。直後、指揮所内に歓声が湧く。

敵に先手を取られた「足柄」であったが、その借りをすぐにリ級に返すことができたのだ。

指揮所内のみならず、艦橋からも喜びの声が聞こえる。ここからではわからないが、各砲台内部でも砲員が歓声を上げていることだろう。

誰もが、命中を喜んでいた。

「足柄」の第十一射は敵の第三砲塔の周辺に命中した。

砲身の様なものが吹き飛んでいたため、第三砲塔を破壊したのかもしれない。

 

「砲術より艦長。敵艦の第三砲塔を破壊した模様!」

 

「よし、よくやった!」

 

寺崎が報告すると、中澤艦長は嬉しそうに返答した。

 

直後、敵一番艦が最初の斉射を放つ。

敵一番艦の前部からは、さっき以上の強烈な発射炎が閃らめいたが、後部に発射炎は光らない。やはり…「足柄」は初の命中弾で、敵一番艦の第三砲塔を完全破壊していたようだ。

敵弾の飛翔音が聞こえ始める。

今までの三発ではなく、斉射に切り替えているからだろう。飛翔音が厚みを持ったように大きい。

 

(来る…!)

 

それが途切れると同時に、「足柄」の左右に三本ずつの水柱が上がった。

艦底部から至近弾の凄まじい衝撃が突き上がり、「足柄」の艦体は大きく上下に振動する。

崩れた水柱をもろに被り、数秒間視界が悪くなる。

敵一番艦はやはり、斉射に切り換えていた。交互撃ち方で着弾修正を終わらせ、斉射に移行していたのだ。

 

間髪入れずに、敵二番艦の射弾が飛来する。

軽い飛翔音が響き始め、それが途絶えた刹那…後方から濁流のような音が届いた。視界内に水柱は見えない。

敵二番艦の射弾は「足柄」の後方に落下したようだ。後ろから蹴とばさられた様な衝撃が襲い、やや「足柄」が前のめる。

 

「斉射、撃ちます!」

 

坂本が大声で言い、「足柄」は第一斉射を撃つ。

今までの倍以上の閃光と衝撃、轟音が響き渡り、十発の二十センチの砲弾が、敵重巡に向かって放たれた。

寺崎は大双眼鏡で敵一番艦を睨んだ。

やや間を置いて、敵一番艦の中央部と後部に爆炎が躍る。無数の黒い塵のようなものが四方に飛び散り、リ級の艦体が遠目でもわかるほどにわなないた。

二発が命中したようだ。中央部には火災が発生しており、自ら発する光によって、リ級は洋上に姿をさらけ出している

火災の光は吊光弾の光よりも大きく、先よりもはっきりとリ級の姿を浮かび上がらせている。

 

(もう参ったか?…リ級重巡)

 

寺崎は心の中で呼びかけた。

見たところ、敵一番艦の火災はかなり大きい。敵二番艦も照らし出しているほどであり、消火される様子もない。

深海棲艦の耐久力は不明だが、戦闘不能にしたのか?と思ったのだ。

 

だが、寺崎はそれが楽観的な考えだったことを、瞬時に思い知らされる。

敵一番艦の前部に発射炎が光り、六発の敵弾を発射した。敵は、まだ健在なのだ。

さっさと敵一番艦を無力化し、敵二番艦を攻撃したい「足柄」にとっては厄介極まりない存在である。

 

十三回目。斉射に移ってからは二回目となる敵一番艦の射弾が飛来してくる。

着弾した瞬間、「足柄」を水柱が囲み、寺崎の眼下で強烈な光が閃らめいた。

さっきの被弾より数段上の衝撃が襲いかかり、寺崎は危うく砲術長席から転がり落ちそうになる。

巨大な爆炎が艦橋の目の前で巨龍のように躍り、指揮所内に真っ赤な光が差し込んだ。同時に窓ガラスが全て粉々に吹っ飛び、砲術科員全員が絶叫と共に倒れ臥す。

 

衝撃が収まると、寺崎は恐る恐る窓に歩み寄った。眼下には、予想されていた光景が広がっていた。

第三砲塔が破壊されている。

二本の砲身の内、二番砲身は跡形も無く消失しており、一番砲身もありえない角度で停止している。

正面防楯には大穴が穿たれており、そこから絶えず黒煙が吐き出されている。

恐らく、装填済みだった砲弾が誘爆したのだろう。

第三砲塔は内側から引き裂かれ、破壊されたのだ。

 

「第三砲塔弾薬庫、注水完了!」

 

新たに誘爆しない様、弾火薬庫に海水が注入される

 

「怯むな!」

 

寺崎は叫んだ。

主砲一基が破壊されても、まだ四基八門が健在だ。これらを駆使して戦い続ければ、敵一番艦を撃沈して敵二番艦を戦闘不能にする事は十分可能だと、寺崎は考えていた。

「足柄」が寺崎の気持ちに応えたかの様に、第二斉射を放つ。

寺崎が砲術科員として乗り込んだことがある「金剛」や「長門」には敵わないが、「足柄」の斉射も強烈だ。腹の中の物が出そうになり、数秒間聴力が麻痺する。

寺崎はその障害に耐えながら、敵一番艦を見やった。

敵一番艦の艦首付近と、中央部よりやや後ろに、「足柄」の放った二十センチ砲弾が直撃する。

爆炎が躍り、多数の破片が四方八方に飛び散る。

だが、リ級重巡は屈しない。大きな被害を受けながらも敵一番艦が発砲し、二番艦も続く。

音速を超える速度で飛来した敵一番艦の砲弾の内、一発が「足柄」の飛行甲板に命中した。当たった瞬間、後部マストが根元からへし折れ、右舷の海面に倒れて水飛沫を上げた。

同時に偵察機に積む飛行燃料などの可燃物に引火し、大規模な火災が発生した。

「足柄」は巨大な火焔を背負うこととなり、濛々たる黒煙を引きずり始める。

火災は敵にとっていい的だ。中澤艦長は急いで消火を命じているだろう。

 

敵の砲撃はこれだけにとどまらず、敵二番艦の射弾も飛来する。

着弾すると、後方から何かが破壊された音が聞こえ、艦首から艦尾までを衝撃が貫いた。

 

「二番艦までも…!」

 

寺崎は歪んだ顔で呻いた。

敵二番艦も、一番艦同様命中弾を得たのだ。次からは斉射で来る。

「足柄」は二隻のリ級重巡によって袋叩きにされてしまうのか?敵艦隊を阻止できずに、避難民船団を蹂躙されてしまうのか?

脳裏にその様な思いが浮かぶが、寺崎はかぶりを振った。

 

(敵一番艦は瀕死だ、第三斉射で仕留める!)

 

めくるめく閃光が前甲板に走り「足柄」は第三斉射を放つ。

衝撃と音は強烈だが、寺崎は雄叫びを上げる戦士のように思えた。

「足柄」の第三斉射弾が落下する。

敵艦の艦首、中央部、艦尾に合計四発の二十センチ徹甲弾が命中し、装甲を貫いて艦内で炸裂する。

おびただしい破片が周辺に四散し、リ級重巡洋艦のマストが被弾によって倒壊する。そのマストによって叩き潰された第二砲塔はけたたましい音と共に沈黙し、第一砲塔はものの見事に「足柄」の砲弾によって爆砕される。

深海棲艦の動力源は不明だが、推進機が損傷したらしい、速力が低下する。

 

「敵一番艦、速力低下!」

 

「敵一番艦より砲撃来ません!」

 

指揮所内から報告が上がる。

 

「よし…!」

 

寺崎は報告を聞くと、顔に喜色を浮かべながら手を打った。

敵一番艦は「足柄」によって多数の二十四日センチ徹甲弾を撃ち込まれ、停止している。

艦首から艦尾までを黒煙と火災に包まれており、艦影を見ることはできないが、完全に無力化されているのは確実である。

残りは敵二番艦だ。

寺崎が敵二番艦に砲撃目標を変更するように命令しようとしたその時。

見張員の悲鳴染みた声が届いた。

 

「『古鷹』大火災、『加古』速力大幅に低下、戦列より落伍します!」

 

 

 

 




次回予告 「海の武人」


「足柄」は敵巡洋艦三隻を撃破し、船団を守れるのか⁉︎


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第七話 海の武人

今回はめっちゃ長いです!

大半が海戦シーンで疲れたぁ〜

リ級重巡洋艦=ニューオーリンズ級重巡
ホ級軽巡洋艦=ブルックリン級軽巡

って考えてもらって結構です。でも艦橋はいずれも三脚マストで


 

1

 

これより少し前、「古鷹」と「加古」は敵三、四番艦に対して戦いを優位に進めていた。

両艦共、日本帝国海軍が現在保有する重巡洋艦の中で最古参の艦であり、ベテランが多く乗っている。そのため「古鷹」は三射、「加古」は四射で直撃弾を得、すでに斉射に移行していた。

敵三、四番艦は五発以上の二〇センチ砲弾を撃ち込まれており、随所で火災を起こしている。

 

この時、「古鷹」艦長の中川浩(なかがわひろし)大佐は勝利を確信していた。

見張員の報告によると、敵三、四番艦は前部に三基、後部に二基、高雄型重巡や妙高型重巡と同じ様な砲配置をしている巡洋艦である。米国の情報によると、このような艦は一隻しかいない。

 

ホ級軽巡洋艦。

 

中口径砲を並より多く積んでいるらしいが、軽巡に重巡である「古鷹」や「加古」が負けるはずがない、と中川は状況を楽観していた。

「古鷹」が第五斉射を放ち、「加古」も続く。耳をつんざく砲声が轟き、発砲の衝撃が艦を揺らす。

前部二基、後部一基搭載している二十センチ連装砲が咆哮し、ホ級軽巡洋艦がいる左舷海域に六発の砲弾を叩き出したのだ。

入れ替わるようにして、敵三番艦の射弾が飛来してくる。

飛来した敵弾五発は「古鷹」を飛び越し、右舷側に着弾した。

発生した水柱は「古鷹」や「足柄」が発生させるそれよりも低く、細い。水中爆発の衝撃も少ない。

 

「古鷹」の第五斉射弾が着弾する。敵三番艦の周囲に水柱が上がり、ホ級の艦上に閃光が走る。

副砲を破壊したのか、小さい箱のようなものが海面に落下した。

被弾に屈することなく、ホ級は再び火を噴く。前部と後部にめるくめく閃光が走り、五発の敵弾がこちらに飛翔してくる。

着弾した瞬間、「古鷹」の左右に水柱が上がり、後方から炸裂音が響いた。

 

「喰らった…?」

 

中川は拍子抜けした声を上げた。予想より衝撃が少なく、疑問に思ったのだ。

敵は十二センチクラスの小口径砲を装備しているのか、それとも被弾箇所が艦橋から遠かったのか…。

おそらく後者だろうと、中川と思っていた。

 

「後部甲板被弾、されど損害軽微!」

 

艦のダメージコントロールを担当する副長が報告する。

深海棲艦もやられっぱなしではない。損害は少なかったが、「古鷹」は直撃弾を喰らったのだ、次からは斉射で来る。

そう気を引き締めると、予想外の出来事が起きた。

敵三番艦が発砲したのだ。「古鷹」はまだ装填を完了していない。

 

「……!」

 

艦橋内にどよめきが広がった刹那、頭上から豪雨の様な轟音が響き始める。

それが途切れた…と感じた瞬間、「古鷹」の周囲に十本以上の水柱が奔騰し、後部から打撃が三度連続して襲ってきた。

艦齢二十五年の老兵が激しく、そして小刻みに振動し、何かが破壊される音が届く。

「古鷹」は第六斉射を放つが、敵の射弾は連続した。

新たな敵弾が間髪入れずに飛来し、着弾した瞬間、再び「古鷹」を多数の水柱が包み、衝撃と炸裂音が二度襲ってくる。

と思ったらまた新たな敵弾が着弾し、艦の後部から炸裂音が聞こえでくる。

 

日本海軍の重巡洋艦は約二十秒で装填を完了して発砲出来る性能を持っているが、深海棲艦のホ級軽巡洋艦は見たところ六秒程で装填を完了して射弾を撃つことができるようだ。

「古鷹」が一度斉射を撃つ間にホ級は三度斉射を撃てる計算になる。

 

「『加古』被弾!」

 

砲弾豪雨の合間を縫って、見張員が大声で報告する。

四番艦もホ級である。被弾した以上、「古鷹」に襲いかかっている敵の速射力が、「加古」をも襲うことになるのだ。

中川としては六戦隊の僚艦が気がかりだが、今は自艦のことで手一杯だ。

敵三番艦の第四斉射弾が落下してくる直前、「古鷹」は第七斉射を放つ。

力強い砲声が轟き、駆逐艦を数発で廃艦にできる打撃力を持った二十センチ砲弾が発射される。

 

だが敵の斉射弾はそれすら押し戻す勢いだ。

 

「古鷹」の左側に搭載されていた十二センチ単装高角砲や二十五ミリ機銃はとっくに鉄くずのボロと化し、被弾した煙突は穿たれた穴から大量の黒煙を吐き出す。

「古鷹」周辺には絶えず水柱が林立し、艦上に小爆発の閃光が数秒毎に走り続ける。

今にも第八斉射を放とうとした第一、第二砲塔が続け様に爆砕され、回転しながら砲身が宙を舞う。無数の破片が右舷海面に落下する。

新たな敵弾は空になっていた魚雷発射管を粉砕し、射出機や収容クレーンを火焔と共にばらばらに吹き飛ばす。

舷側に命中した敵弾は数発が跳ね返されるが、貫通したものは大穴を開けて内部で炸裂する。

 

副長からの被害報告は来ない。被害が多すぎ、対処が追いつかないのだ。

最後の最後まで発砲を続けていた第三砲塔が旋回不能に陥り、「古鷹」は沈黙する。

それでもホ級は、何かに取り憑かれたかのように連続斉射を続ける。

ホ級軽巡洋艦の一番の武器は、一度に発射できる弾量の多さと、その速射性能だったのだ。

 

「馬鹿な…こんなことが…こんなことが…」

 

中川は呆然として、奇跡的に直撃を免れていた艦橋に佇んでいた。

さっきまでの余裕はどっかに吹っ飛んでしまっており、顔からは血の気が引いている。

 

「艦長、御指示を!」

 

誰かが叫ぶが、中川の耳には入らない。

 

「艦長!しっかりしてくだーーー」

 

誰かが言いかけた時、天井を突き破って真っ赤な物体が艦橋に突入してきた。

それを敵の砲弾だと理解する前に、中川の身体は灼熱の炎に焼き尽くされていた。

 

 

「古鷹」はいたる所で火災を起こしており、海上の松明と化している。

後方では「加古」が同様に大火災を起こしており、機関部が損傷したのか、速力が低下して戦列から落伍しつつあった。

第六戦隊の重巡四隻は、全艦が戦闘不能になったのだ。

 

「『古鷹』と『加古』が打ち負けたのか…!」

 

報告が聞いて高橋中将は呻いた。

その直後、「足柄」が敵二番艦に向けて第一斉射を放つ。

再び強烈な砲声が雷鳴のように響き渡り、周辺の空気を震わせる。

寺崎砲術長は敵二番を砲撃するにあたり、斉射を使用すると決めたようだ。

 

「敵三番艦と四番艦は?」

 

「六戦隊によって数発の二十センチ砲弾を食らったようですが、戦闘力は残しているようです」

 

高橋の問いに、中村参謀長は悔しさを滲ませながら言った。

「足柄」の敵二番艦に対する一射目の砲弾が着弾する。驚いた事に、敵艦の中央部に爆炎が躍った。

 

「当たった⁉︎」

 

中村参謀長が驚いた声を上げた。

爆炎は消えず、小火災が揺らめいている。

「足柄」は今に至って砲術家理想の初弾命中を成し遂げたのだ。

 

お返しと言わんばかりに敵二番艦が発砲し、敵弾が大気を鳴動させながら落下してくる。

着弾した瞬間、衝撃が襲い、後方から何かの破壊音が響く。

 

「第五砲塔に直撃、使用不能!」

 

寺崎砲術長が報告した。

数分前、既に「足柄」は第三砲塔を破壊されており、これで二基目である。火力の四十パーセントを「足柄」は失ったのだ。

高橋は下唇を強く噛む。敵二番艦に対して斉射を撃ち続け、戦闘不能にしようとする時に主砲一基を破壊されたのだ。手痛い損害と言えた。

 

その時、新たな敵弾が二度落下してくる。

敵二番艦のリ級重巡はまだ発砲していない。

三発の砲弾が正面に落下し、続いて四発の砲弾が右正横に落下する。

着弾の影響で「足柄」の艦体が小刻みに震える。

 

「来たか…!」

 

高橋は呻いた。

この射弾は敵三、四番艦のものだ。

ホ級軽巡の主砲は五基。本来なら五発づつ飛んでくるはずだが、主砲の一、二基は「古鷹」と「加古」にによって破壊されているのだろう。

三、四番艦は「古鷹」「加古」を撃破したため、砲撃目標を「足柄」に変更したのだ。

ホ級軽巡洋艦が直撃弾を得ると、先に「古鷹」や「加古」を襲った連続斉射が「足柄」をも襲うことになる。

 

(駄目だ……!)

 

徐々に広がる焦慮によって身体中が熱くなってきた時。

 

「後方より、味方駆逐艦接近!三水戦です!」

 

見張員が歓声を上げた。

 

「来てくれたか!」

 

高橋は喜色を浮かべ、中村参謀長と頷き合った。

三水戦はルソン島の北西沖で敵駆逐艦を相手取っていたが、混戦を抜け出し、駆けつけて来たのかもしれない。

 

「探照灯、照射始め。味方駆逐艦の雷撃まで敵巡洋艦を牽制しろ!」

 

 

2

 

「無茶です、長官!」

 

第十九駆逐隊二番艦「綾波」の艦橋に艦長有馬時吉(ありまときよし)中佐の叫びが響いた。

第三艦隊旗艦「足柄」の中央部分から、探照灯の光芒が敵巡洋艦に向けて伸びている。

探照灯は、敵の姿を闇の中から浮かび上がらせることが可能だが、同時に自分の位置も敵に暴露してしまう。

三隻の巡洋艦と対峙している「足柄」にとっては、かなり危険な行為だ。自殺行為と言っても良い。

 

(それほど我々の雷撃に賭けているということか…)

 

有馬は胸中で呟き、正面を見据える。

第十九駆逐隊は味方艦が射線に入り、開幕雷撃戦に参加できなかった部隊である。他の駆逐隊と違い、魚雷が残っているのだ。

十九駆は三水戦司令部の代わりに指揮を執っている十一駆逐隊司令の命令を受け、「足柄」「古鷹」「加古」を魚雷で援護すべく、敵駆逐艦との戦闘を抜けてこの海域までやってきた。

 

だが、戦況はかなり厳しいようだ。

「古鷹」と「加古」は深海棲艦によって無力化されており、「足柄」は巡洋艦三隻に追い詰められている。

 

「猶予はない…!」

 

有馬が手に汗握った時、「綾波」の前方を航行している第十九駆逐隊嚮導艦(きょうどうかん)の「磯波」から、発光信号が送られて来た。

 

「『磯波』より発光信号、”左魚雷戦、最大戦速、我二続ケ”」

 

見張員が信号を読み取り、報告する。

 

「左魚雷戦用意、最大戦速!」

 

有馬は骨太な声で下令した。

 

「最大戦速。針路このまま、宜候(ヨーソロー)

 

「左魚雷戦。目標、敵巡洋艦」

 

航海長の長峰忠(ながみね ただし)少佐と、水雷長の川瀬定一(かわせ さだいち)少佐がそれぞれの部署に指示を飛ばした。

前方に位置している「磯波」が一足早く増速し、有馬の「綾波」や、十九駆の僚艦「浦波」「敷波」も最大戦速である三十八ノットに増速する。

風切り音が聞こえはじめ、艦首に砕かれた海水が艦橋に降り注ぐ。

 

「見張り、敵巡洋艦との距離は?」

 

八〇(ハチマル)!」

 

「八千か…ちと遠いな…」

 

有馬は唇を歪めた。

現在、十九駆は右前方に「足柄」、左前方に敵巡洋艦三隻が見える位置におり、後方から接近する形にある。

八千メートルという距離は、二万メートルから発射した開幕雷撃に比べたら近そうに思えるが、敵巡洋艦は針路を0度…つまり真北に向いている。

この位置から発射すると魚雷と敵巡洋艦の針路が重なり、命中まで時間がかかってしまう。そのうえ被雷面積が最小になり、命中率が低い。

雷撃は五千メートル辺りかな、と考えていると、見張員の弾んだ声が飛び込んだ。

 

「『磯波』より発光信号、”目標、敵三番艦、砲撃始メ”」

 

「目標、敵三番艦。撃ち方始め!」

 

すでに照準を定めていたのだろう、有馬が命令した直後、艦橋の目の前に鎮座している十二.七センチ連装砲が左前方の敵巡洋艦に向けて火を噴く。

戦艦や重巡洋艦の主砲に比べればかなりの小口径砲に分類される十二.七センチ砲だが、間近で発射されるとかなり強烈だ。

駆逐艦の小柄な艦橋を震わせ、耳をつんざく砲声を響かせる。

 

射撃は連続される。

 

十二.七センチ砲は四、五秒ごとに発砲し、敵巡洋艦に二発ずつの砲弾を叩き込む。

第一射、第二射は外れるが、第三射から命中弾が出始めた。

これも「足柄」が、危険を顧みずに探照灯を照射し、敵巡洋艦を照らし続けてくれているおかげだろう。

「綾波」のみならず、他の艦も命中弾を出し始める。

四隻の駆逐艦に火力を集中されて、多数の十二.七センチ砲弾がホ級軽巡洋艦と思われる艦に命中する。

ホ級軽巡の舷側や上部構造物は砲弾で抉られ、小規模な火災が発生していく。

数秒毎に被弾の閃光が走り、塵のようなものが吹き飛ぶ。

その時、敵巡洋艦三隻の側面に小さい発射炎が閃らめいた。

 

「巡洋艦発砲!」

 

数秒の間を空けて、「綾波」の前方に位置している「磯波」の周辺に小さい水柱が奔騰した。

小さい水柱だが、数が多い。「磯波」に海水が降りかかり、至近弾で艦体を揺らす。

だが、命中弾はない。

多数の敵弾が飛来するが、「綾波」は被弾することなく前進を続けている。

深海棲艦にも、副砲や高角砲に相当する砲が搭載されているようだ。

「綾波」や後方の「浦波」「敷波」に敵弾が飛んでこないのは、先頭の艦から順に討ち取ろう考えているからかもしれない。

 

「敵との距離は!」

 

「六五!」

 

有馬の問いに、長峰は答える。

有馬が敵までの距離を確認した直後、正面に閃光が走った。

有馬は思わず身を乗り出す。

逆光で「磯波」のシルエットが浮かび上がり、艦後部辺りから火焔が湧く。

駆逐艦の艦体が遠目にもわかるほど震え、舞い上がった鋼板や破片が光に照らされて花火のように見えた。

 

「『磯波』被弾!」

 

被弾はさらに連続する。

巡洋艦三隻から放たれた副砲弾は次々と「磯波」に命中し、敵弾にえぐられるたびに火災が増え、爆炎が躍る。

二分間ほど敵弾を浴び続けた後、「磯波」の中央部に一際大きな爆発が発生した。

火焔は瞬く間に膨れ上がり、砕け、真っ赤に染まった炎を四散させた。

 

「……!」

 

有馬は短い悲鳴を発する。

若干遅れて炸裂音が響きわたり、「綾波」の周りの空気まで振動する。

「磯波」は爆発した場所を境にV字に折れ、炎を海水で消しながら海に引きずり込まれていった。

 

「『磯波』轟沈!」

 

見張員が無念の報告を上げる。

爆発が起きてからわずか十数秒で、「磯波」は沈んだ。

恐らく、「磯波」は魚雷発射管に敵弾を喰らい、魚雷が誘爆したのだろう。

一本で巡洋艦を大破させる能力を持った魚雷が、一度に数本が誘爆したのだ。

基準排水量二千トン足らずの駆逐艦など、ひとたまりもなかったであろう。

 

「後続艦に打電。”我、一九駆ノ指揮ヲ執ル”だ!」

 

「”我、十九駆ノ指揮ヲ執ル”直ちに打電します!」

 

有馬の命令を、素早く通信士が復唱し、実行する。

直後、敵弾が落下して来た。

「磯波」を撃沈したため、目標を二番艦の本艦に移したのだろう。

「綾波」の右前方と左前方に着弾し、水柱を形成する。

 

「艦長。『足柄』が!」

 

新たな敵副砲弾が迫っている時、長峰航海長が右正横の海面を指差して叫んだ。

差された方向を見ると、有馬の目に映ったのは…やや左に傾きながら炎上している「足柄」の姿だった。

海戦前の威風堂々とした艦影は見る影もなく、マストや煙突などを破壊されているのがわかる。

艦は完全に停止しており、機銃弾一発も放たれない。

艦橋は敵弾の直撃を喰らったのか、上半分が消失している。

そのような惨状を見る限り、第三艦隊司令部の人員も、そのほとんどが戦死してしまった可能性が高かった。

 

「仇は取る…!」

 

有馬はそう短く言うと「足柄」を一瞥して正面を向いた。

今は戦闘中だ。悲しみに浸っている余裕は無い。敵巡洋艦に魚雷をぶち当てる事を、第一に考えるべきだった。

 

「距離、五五!」

 

(雷撃距離は四千だな…)

 

報告を受けて、有馬は考えた。

「磯波」が撃沈された現在、ただでさえ少ない発射本数が更に減ってしまった。

ここで魚雷を外してしまうと、敵艦隊と避難民船団の間に立ち塞がるのは五水戦のみとなってしまう。

なんとしても外す訳には行かないため、多少の危険があっても距離を詰めるしかなかった。

「綾波」「浦波」「敷波」は第一砲塔を乱射させながら敵との距離を詰め、敵リ級、ホ級も、副砲に加えて主砲を撃ち始める。

 

「距離四五!」の報告が入った直後、「綾波」の艦橋を横なぶりの衝撃が襲いかかった。

艦橋にいる人達は衝撃で吹っ飛び、有馬も羅針盤に胴体をぶつけて呻き声を上げる。

この時、「綾波」に命中したのはホ級軽巡の副砲弾だった。

艦橋の脇に命中し、内火艇とボートダビットを粉々に粉砕したのだ。

 

「あと五百メートル……!」

 

有馬は激痛に耐えながらも、敵巡洋艦を睨み付ける。

重みのある飛翔音が響き始め、それがなくなった刹那、「綾波」の左右に敵の副砲弾の三倍はありそうな水柱が高々とそそり立った。

「綾波」の至るところが軋み、艦が苦悶の声を上げる。

 

「……!」

 

恐らくリ級重巡。しかも至近弾で夾叉されたのだ。

 

「や、やむをえん。十九駆面舵一杯。魚雷発射始め!」

 

有馬は耐えかね、大声で下令した。

雷撃距離まであと五百メートルだけだが、戦力の半減はさすがにまずい。

二十センチ砲弾は、一撃で駆逐艦を廃艦に出来る威力を持っているのだ。

 

「綾波」が敵弾落下の中、右に回頭し始め、「浦波」「敷波」が続く。

回頭中に各発射管から発射することで、扇状に魚雷を放つのだ。これにより、敵艦が取り舵に切っても面舵に切っても魚雷に捉えられることになる。

十九駆の三隻は回頭を続け、敵に艦尾を向けた所で直進に戻る。

「綾波」「浦波」「敷波」の搭載魚雷は各九本、合計二十四日七本の酸素魚雷が放たれたのだ。

 

(当たってくれ…『足柄』や『磯波』の無念を晴らしてやってくれ)

 

有馬は心の中で願った。

なおも敵弾が落下してくるが、有馬の眼中には無い。命中報告のみを待っていた。

三隻は後部の第二、第三砲塔を発砲しながら、最大戦速で離脱する。後方からは追い討ちをかけるように敵弾が飛来し、「綾波」の後部を数発が命中する。

「綾波」は黒煙を引きずるが、速力を低下させることはなく颯爽と離脱する。

 

「どうだ…?」

 

飛来する敵弾がまばらになり始めた頃、有馬は後ろを振り返った。

川瀬水雷長が報告した魚雷到達時間まで、もう少しである。

そして…。

 

「敵三番艦に魚雷命中…!」

 

「一、二番艦にも命中!」

 

「よし!」

 

川瀬からの報告を聞き、有馬は喝采を上げた。

艦橋内でも喜びが爆発する。

この時、有馬からは見えなかったが、敵一番艦のリ級に二本、二番、三番艦のホ級に各一本の魚雷が命中していた。

リ級重巡には、斜め後ろから突っ込んできた二本の九三式酸素魚雷が、続け様に艦首に命中する。

命中した瞬間艦首が跳ね上がり、艦首喫水線下が歯形のようにごっそりと食いちぎられた。

怒涛の勢いで海水が入り込み、前のめりになって停止する。

二隻のホ級軽巡は、逆に艦尾に魚雷を受けた。

艦尾が跳ね上がり、衝撃が艦を震わせ、真っ赤な爆炎が躍る。

二隻のホ級は反対に後ろに傾いて停止した。

 

三隻共、第十九駆逐隊を攻撃することも、船団を蹂躙することも…もはや不可能だった。

 

 

 

3

 

ルソン島北方沖で、一隻の軍艦がその生涯を終えようとしていた。

最後まで敵に火を噴き続けた第一砲塔は砲門を天に向けているが、他の砲塔は全てが破壊されている。

艦上には沢山の破片が転がっており、高角砲、機銃、射出機、通信アンテナと言ったものは、あらかた破壊されている。

さながら、鉄くずの堆積場だった。

マストや煙突はホ級やリ級の砲弾を喰らい、完全に破壊されている。

艦橋も同様だ。リ級の砲弾が直撃したのか、上半分が吹き飛ばされている。

艦自体は左に傾いており、生き残った乗組員達は安全な右側から海に脱出していた。

小規模な火災は至るところで発生しているが、大きな爆発は起きない。

あたかも艦が、最後まで戦った乗組員のことを気遣っているかのようだった。

 

第三艦隊旗艦「足柄」である。

 

船団を守るため、優勢な敵に対して一歩も引かずに戦ったのだ。

艦は、自らの生涯に満足しているようだった。

 

 

 

同時刻。「足柄」 艦橋

 

 

高橋伊望第三艦隊司令長官は、焦げ臭い匂いで目が覚めた。

艦橋に大穴が開いており、黒煙が入って来ているのだ。

高橋は首を振り、周りを見た。自分が倒れている事に気がつく。

視線の先には中村参謀長や他の参謀が血だらけで倒れていた。

上体を起こすために腹筋に力を入れると、激痛が走り、高橋は唸り声を発する。

恐る恐る右手で痛みがした脇腹を触ってみると、何やら固い金属の様なものが触れた。

恐らく「足柄」艦橋に被弾した際、破片が高橋に当たったのだろう。かなり深くまで突き刺さっていることがわかる。

 

生きて帰れそうには無かった。

 

「ここが俺の死に場所、か……」

 

高橋は激痛に耐えながら呟いた。

恐怖は感じていない。海軍に入った時点で覚悟は出来ている。

ぼんやりとしている目をつぶろうとした時、ある事に気が付いた。

後頭部に何やら柔らかいものが触れているのだ。

高橋は首を動かし、上を向くと…

 

美しい女性がいた……。

 

「…!」

 

高橋は驚愕する。

高橋はその女性に膝枕をされていたのだ。

女性は半透明で、高橋と目が合うと薄っすらと微笑む。

紫色の服を着ており、長髪をカチューシャでまとめている。

高橋はもうろうとする意識の中で、なぜかその女性が「足柄」だと思った。

常人ならそうは思わないが、高橋は直感でそう思ったのだ。

 

「君は…足柄…な、のか…?」

 

視界がぼんやりとし始め、舌が上手く回らないが、高橋は聞いた。

言葉と共に、口から熱く紅い液体が出る。口角から頰を伝って垂れ、床に血溜まりを作る。

脇腹からは、絶えず激痛が伝わってくる。痛い…。

「足柄」と言われた女性は、口を開いた。

 

あなたは良く戦ったわ…もう、眠りなさいな…。

 

女性の声は、高橋の頭に直接響いたように感じられた。

すると、女性は優しい手つきで高橋の頭に手を置く。

置かれると、脇腹の痛みが嘘のように引いていく。

意識が、遠のき始めた。

 

(今思えば、良い人生だった…)

 

高橋は思いを馳せた。

海軍兵学校で学術優秀賞を受賞されたことや、同期で友人だった南雲忠一との交流の日々。長年の目標であった戦艦の艦長になったり、連合艦隊参謀長に就任し、吉田善吾長官にこっぴどく叱られた事などの記憶が鮮明に蘇ってくる。

今日の海戦では、相手がライバルの英米海軍では無かったが、戦いに勝利し、女子供を乗せた船団を守り通した。

 

(本当に…満足だ…)

 

すると、眠るように高橋の魂の火が消えた。

そして意識が暗転し、二度と戻ることは無かった。

 

高橋の旅立ちを待っていたかのように、轟音と共に「足柄」の艦首が持ち上がり始める。

唸り声を上げながらも、ゆっくりと、静かに艦首が天を向く。

垂直に近い角度で数秒間停止したのちに、艦尾方向からゆっくりと海に沈降していく。

ボートで脱出した「足柄」砲術長の寺崎文雄中佐は、立ち上がって敬礼した。

他の乗組員も寺崎に倣って敬礼する。

中には、涙ぐんでいる者もいる。

 

(『足柄』よく頑張ってくれた。長官、靖国でもお元気で…)

 

寺崎は「足柄」に感謝の言葉を送ると、高橋長官の冥福を祈った。

寺崎は右目を負傷しており、包帯を巻いている。だが、残った左目で「足柄」の最期を見届ようとしていた。

 

艦橋が海面に沈み、次いで三基の砲塔が海面下に消える。

そして、艦首の菊が月光に反射して輝いた直後、「足柄」は海中に沈んでいった

 

 

「足柄」ルソン島よりの方位0度三十ご浬の地点で眠る。

 

 




ルソン島沖海戦終わり!


これが人類と艦娘のファーストコンタクトです。

でも、今回の大戦では艦娘の戦力化はされません。


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第八話 山本五十六の判断

ルソン島沖海戦
被害
沈没「足柄」「川内」「初雪」「磯波」
大破「青葉」「衣笠」「古鷹」「加古」
中破「東雲」
小破「綾波」「敷波」
撃墜又は撃破 航空機八十二機

戦果
撃沈 リ級重巡二隻 ホ級軽巡二隻 イ級駆逐艦四隻
撃破 リ級重巡一隻 ホ級軽巡一隻 イ級駆逐艦二隻

船団の護衛は成功

「ルソン島沖海戦戦闘詳報:極秘」より抜粋


1

第三艦隊の残存艦艇と船団は、1941年3月13日の夜明けをルソン島の東方、六十浬の地点で迎えた。

 

艦隊の針路は九十度、真東だ。正面の水平線上に曙光がきらめき、暗闇が朝日によって瞬く間に駆逐されていく。

 

艦隊は敵航空機の攻撃を受けないために一旦東に進み、ルソン島からの距離が百浬の海域で北に転進するのだ。

 

今頃、台湾の航空基地では敵航空機の目を船団から逸らすため、日米合同の第二次攻撃隊が発進しているだろう。

 

 

船団の上空では、第四航空戦隊の軽空母「龍驤」「瑞鳳」から発進した九六式艦上戦闘機が警戒しており、海面近くでは九七式艦上攻撃機が目を光らせている。

第五水雷戦隊、第三水雷戦隊の駆逐艦、第十六戦隊の軽巡も船団の周りを固めている。

 

厳重警戒だが、船団が深海棲艦と接触することは無かった。

 

 

 

 

2

「「「「う〜〜ん」」」」

 

3月14日、横須賀鎮守府の一室で、四人の男性の唸り声が響いた。

四人は腕を組んでおり、正方形の机を囲んでいる。

机上にはフィリピンを含む西太平洋を網羅した地図と「ルソン島沖海戦:極秘」と書かれた戦闘詳報が置かれていた。

 

「沈んだのか……あの『足柄』が…」

 

連合艦隊参謀長の宇垣纏(うがきまとめ)少将が沈んだ声で言った。

 

「足柄」はジョージ五世観艦式に参加した際、「餓狼」と評される程攻撃力が高い艦だった。

対深海棲艦戦闘が今後激化して行くと予想される現在、日本海軍にとって大きな痛手だ。

 

「『足柄』だけではありません。他にも軽巡『川内』、駆逐艦『磯波』『初雪』が撃沈され、六戦隊の重巡四隻はいずれも大破です」

 

連合艦隊作戦参謀の三和義勇(みわよしたけ)大佐が言った。

 

「加えて第三艦隊の司令部は全滅し、日米の攻撃隊は第一次、第二次を合わせて六割の損耗率です…船団が一隻も欠けることなく佐世保に入港出来たことが唯一の救いですね」

 

続けて連合艦隊首席参謀の風巻康夫(かざまきやすお)大佐が言った。

 

 

 

二日前にルソン島沖で起きた第三艦隊と深海棲艦隊の戦いは、大本営によって「ルソン島沖海戦」の呼称が決定された。

報告によると、自軍よりも多くの被害を敵に与え、船団も守り通している。勝利と言って良い結果だが、予想以上の損害で誰もが口を噤んでいた。

 

 

 

 

 

「この戦いで、わかったことが一つある…」

 

四人の中の一人、連合艦隊司令長官山本五十六(やまもといそろく)大将が口を開いた。

 

宇垣、三和、風巻は、山本に顔を向ける。

 

 

「深海棲艦は決して弱敵ではない、ということだ。奴らと戦えば我々帝国海軍が長年得意としてきた夜戦でさえ、かなりの被害を被る。これからは米英以上の強敵と考え、慎重に職務を遂行して貰いたい」

 

「「「はい!」」」

 

三人は力強く答えた。

 

「さて、ルソン島沖海戦の結果を踏まえて、日本海軍はどう動くべきだと考える?」

 

「予定通り、フィリピン奪還を第一に考えるべきです」

 

山本の問いに三和作戦参謀が言った。

前回の会議の後、風巻と市原補給参謀は国内で備蓄している分で連合艦隊が稼働できる時間を計算した結果。残り八ヶ月という数字を弾きだした。

タイムリミットは八ヶ月しかないのだ。

 

この情報を重大視した日本政府は、各国政府に石油の融通を要請したが、色よい返答は得られていない。

三和はフィリピンを奪還し、南方航路を復活させることで石油による継戦体制を確立しようと言っているのだ。

 

「三和作戦参謀に賛成です。我が国で石油がほとんど産出しない以上、フィリピン奪還は急務です」

 

「タイムリミットが八ヶ月だと長く感じますが、実際はかなり短いです。それに予想より早く石油が底をつく可能性もあります。ここはフィリピン制圧を優先すべきです」

 

風巻が同意し、宇垣も賛成した。

 

 

「…しかし、米国からの援助はないのでしょうか?米国は今回の件で我が国に貸しがあると思いますが…」

 

風巻が首を捻りながら言った。腑に落ちない、と言いたげだった。

今回の救出作戦は米国の要請によって行われたものだ、かの国は石油産出量が多い、少しの石油ぐらい融通できそうだが…

 

 

「米国も太平洋艦隊の再建で精一杯だ、とてもじゃないが無理だろうな」

 

宇垣が残念そうな顔で言った。

 

「…話を戻しましょう。フィリピンを奪還するとして、どうするかです」

 

三和が言った。

 

「米国の情報によるとハワイの真珠湾には戦艦級と思われる艦を中心とした深海棲艦主力艦隊が停泊しているらしい。マニラの敵艦隊と合流されたら、いささか厄介な存在になる…。ここは敵の各個撃破を目指して早急にフィリピンを制圧すべきだな…」

 

宇垣が意見を言うと、風巻が反論した。

 

「今は敵の情報が少なすぎます。孫子の兵法には『己を知り敵を知れば百戦危うからず』と言う言葉がありますが、その通りです。現在は台湾を最前線として情報収集に徹するべきです」

 

「帝国陸海軍には限られた時間しかない、そんな悠長な事をしていたら石油が底をつき、日本は亡国の道を歩むことになるぞ!」

 

「限られた時間しかないからこそ、です。敵の手の内が不明なまま短兵急に戦力を動かし、大損害を受けると、その時点で日本の亡国が決定してしまいます」

 

宇垣が声を荒げるが、風巻も引かない。

「作戦参謀はどうだ?」

 

山本が三和に聞いた。三和は頷くと、口を開いた。

 

「私は首席参謀に賛成です。現在、台湾の第十一航空艦隊の編成も米第八航空軍の展開も完了してなく、作戦実施は困難です。今は情報収集を行い、敵の様子を伺うべきと考えます」

 

「君達は現在の状ー」

 

二人に反論しようとした宇垣を、山本が手で制した。

 

「諸君の意見はそれぞれ一理あるが、ここは風巻案を採ろう。日本海軍は受け身に徹し、敵の弱点を見つけ、そこを全力で突く」

 

宇垣が山本に一礼して引き下がる。参謀はあくまで長官の補佐だ、司令長官が決定したことは覆せない。

 

すると、山本が三和に問いかけた。

 

「現在の第十一航空艦隊の部隊編成と第八航空軍の展開状況はどうなっている?」

 

第十一航艦は零戦と最新型の陸攻を中心とした基地航空隊である。

一週間前の3月7日より編成が開始されており、編成が完了すると台湾の台南、台中、高雄の航空基地に配備され、ルソン島の深海棲艦航空部隊と対峙する予定だった。

 

第八航空軍は米戦略航空軍に所属する部隊で、多数のB17を指揮下に収めている。日本のフィリピン奪還に協力するため、順次台湾に送り込まれているのだ。

だが、B17は北太平洋を大きく迂回して島伝いに移動してくるため、全機の展開には時間がかかりそうだった。

 

「第十一航艦は七割が編成を終了させていますが、塚原二四三(つかはらにしぞう)中将の現地入りが遅れており、まだ作戦行動は無理です。

第八航空軍もカール・スパーツ中将の到着が遅れており、部隊も全体の五割程しか展開が完了していません。両部隊共、戦力化は一週間後と報告しています」

 

「ルソン島沖海戦の戦闘詳報は深戦研に送ったか?」

 

次いで宇垣に顔を向けて聞いた。

 

「抜かりなく…」

 

宇垣は言った。

 

深戦研とは深海棲艦戦略情報研究所の略である。大本営直属の特務機関で、山口文次郎大佐がチーフを務めている。

ここには様々な分野の専門家がおり、深海棲艦の情報を集め、分析する事を目的としていた。

深海棲艦の飛行場を人類の飛行場と区別するために「姫」と付ける事や、情報にあった深海棲艦の軍艦にイロハ順に名前を付けたのも、この組織である。

 

山本は時計で時間を確認すると、立ち上がって三人に言った。

 

「俺はこれから大本営の御前会議に出席する。政府の事情も絡んでくるから決定するか分からんが、風巻案を提案してみる」

 

御前会議とは、天皇の前で総理大臣などの重鎮が重要な国策を決定するための会議である。山本は日本海軍実働部隊の代表として出席が求められていた。

 

 

 

「この会議が日本の命運を左右するな…」

 

 

部屋を出る際、山本は呟いた。

 

 

 

 

3

山本が御前会議に出席するため霞ヶ関に向かっている頃。

 

アメリカ西海岸の軍港、サンディエゴで百隻近い船が暗闇の中、出航しようとしていた。

大半の船はのっぺりとした形をしているが、中には、いかにも軍艦と思えるゴツゴツした艦影もいる。

 

 

のっぺりした船はタンカー、ゴツゴツした船は巡洋艦や駆逐艦だ。

 

 

 

日本が望み薄、と判断していた石油の輸送船団である。

 

 

やがて、金属が擦れ合う音が港内に響きわたり、碇が上げられる。

タンカーが数隻ずつ出航し始める。

 

 

 

 

 

港はこれからの嵐を予言するかのように、静粛に包まれていた。

 

 

 

 

 




次回「海上護衛戦」

米船団に深海棲艦は容赦なく襲い掛かる…


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第九話 海上護衛戦

今回は米船団と深海棲艦潜水艦部隊の戦いはを描きます!


3月17日午前10時45分 北太平洋上

ハワイ北方1000カイリ

 

1

「間も無くポイントC7(チャーリーセブン)を通過」

 

アメリカ合衆国海軍 第八任務部隊(TF8)旗艦、重巡「ノーザンプトン」の艦橋に、航海長アレン・ミラー中佐の声が響いた。

TF8とは、日本への船団–通称N12船団の護衛艦隊であり、編成はノーザンプトン級重巡「ノーザンプトン」「シカゴ」、ニューオーリンズ級重巡「クインシー」「アストレア」、ブルックリン級軽巡「フィラデルフィア」「ボイジ」「サバンナ」「フェニックス」、中型空母「ハンプトン・ローズ」とベンソン級、シムス級などの駆逐艦三十二隻を有している部隊である。

なお、N12船団はタンカー、輸送船を六十隻有している大船団で、積荷は石油、ガソリン等の戦略物資である。

 

「了解……全艦、警戒を怠るな」

 

TF8司令官兼N12船団長の、レイモンド・スプルーアンス少将はミラー航海長の報告を聞いた後、各艦に命令した。

 

スプルーアンスは出航前に、サンディエゴと目的地横須賀を線で結び、その線をポイントA1(アルファワン)からF9(フォックストロットナイン)まで五十四区間に分けた。ポイントC7とはハワイ・真珠湾の深海棲艦勢力圏に最も近くなるポイントなのだ。

 

C7より西は敵地と言えた。

 

 

命令を出しつつ、スプルーアンスは出航前の事に思いを巡らせている。

 

当初、アメリカは日本に石油を輸出する余裕がなかった。

真珠湾に備蓄していた七十万ガロンの重油が全て失われ、残存艦艇をすぐには動かせないと言う危機的状況に陥っていた。もしもその時に深海棲艦の艦隊が西海岸に現れたら、ほとんど抵抗出来ずにサンフランシスコやロサンゼルスを蹂躙されていただろう。

しかし、新たに太平洋艦隊司令長官に就任したチェスター・二ミッツ大将が、「現在、太平洋艦隊は再建途中であり、日本ほど大量の石油はあまり必要ない。それに日本は我が国の国民を命懸けで救ってくれた。この恩に応えるためにも直ちに戦略物資支援を開始すべきだ」と主張し、他の軍関係者や国民も同調したため、日本に対する戦略物資−主に石油の支援が開始されたのだ。

日本に対してはまだこの事を伝えていない。太平洋艦隊司令部が深海棲艦の電波傍受の可能性を考えたためだ。

 

 

「『フェラルディフィア』より入電です」

 

そこまで考えた時、スプルーアンスの思考は強制的に打ち切られた。

 

「ノーザンプトン」の艦橋に紙切れを持った通信長が入ってくる。

TF8参謀長のカール・ムーア大佐が「読め」と言い、通信長が報告を始めた。

 

「読みます。『方位315度ノ海面下ヨリ謎ノ電波ヲ探知ス』です」

 

「謎の電波、だと?」

 

ムーアが怪訝な声で聞き返し、周りの幕僚も顔を見合わせる。

ムーアが質問するため再び口を開けかけた時、新たな報告が入ってきた。

 

「本艦も海中より不審な電波を傍受、方位285度、数二!」

 

「『クインシー』より入電、『方位315度ノ海面より謎ノ電波ヲ確認』」

 

「他の味方艦からも同じ内容の報告電が入ってきます!」

 

艦橋に次々と切迫した内容の報告が飛び込んでくる。

 

 

「まさか…!」

 

 

ムーアがスプルーアンスの方を見て言った。

 

 

 

 

「その『まさか』、だな」

 

 

 

海面下から電波を発する存在など一つしかない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

敵の潜水艦だ。

 

 

 

 

 

 

 

鈍足な輸送船にとって潜水艦は天敵だ。第一次世界大戦でイギリスはドイツ海軍の優秀なUボートに、五千三百隻もの商船を撃沈された記録があるのだ。

N12船団とTF8は深海棲艦潜水艦部隊の跳梁する危険な海域に踏み込んでしまったのかもしれない。

 

「し、しかし。深海棲艦が潜水艦を保有している、という報告は今までに度々入ってましたが、まだ未確認情報のはずです」

 

TF8水雷参謀のジャック・シモンズ少佐が、救いを求めるように言った。

 

「深海棲艦は人類と類似した海軍兵器を保有している。この際、敵は潜水艦と判断して対処する」

 

スプルーアンスはきっぱりと言った。深海棲艦は潜水艦を保有していない、という希望的観測は、死に直結すると思ったのだ。

 

「船団、十四ノットに増速しジグザグ運動開始!各駆逐隊は敵潜を警戒、発見次第撃沈せよ!」

 

スプルーアンスが大声で命令する。

 

「ノーザンプトン」の機関の鼓動が高まり、輸送船に合わせて八ノットという低速で進んでいた艦が十四ノットに加速される。

 

タンカーや輸送船も、機関を振り絞り順次増速する。

 

第二十二駆逐隊(DDG22)方位315度に変針、敵潜に向かいます!」

 

第二十九駆逐隊(DDG29)方位285度に変針、敵潜水艦に向かう模様!」

 

「ノーザンプトン」がジグザグ運動に入った時、立て続けに見張りから二つの報告が飛び込んだ。

「ノーザンプトン」を初めとする巡洋艦や船団のタンカーは、潜水艦に対して無力だ。海中に潜む敵に攻撃する手段がない。今は駆逐艦に全てを託し、逃げ回ることしかできなかった。

 

 

2

 

「艦首前方より敵の通信波を確認。出力小」

 

DDG22に所属する駆逐艦「ハムマン」の艦橋に、通信室からの報告が上げられた。

 

「見張り、正面海域に何か見えるか?」

 

「何も見えません」

 

「ハムマン」艦長のアダム・ハンター少佐が聞くと、見張りは答えた。

 

「やはり潜水艦でしょうか?」

 

「おそらく、な」

 

「ハムマン」航海長のリッキー・テイラー大尉が問いかけるとハンターは即答した。

 

後方をちらりと見ると、八隻の巡洋艦と六十隻もの輸送船やタンカーがジグザグ運動に入っている。あそこに魚雷であれ砲撃であれ、撃ち込まれたら大損害は必須だ。

敵潜水艦は一隻残らず撃沈する必要があった。

 

「敵潜の探索を開始せよ」

 

ハンターが命令すると同時に、「ハムマン」の艦首から最新型の探信音が放たれ、ソナーマンが海中の音を聞き取るため耳を澄ませる。

 

海上の慌ただしさを察知したのだろう。敵の通信が止む。

 

深海棲艦の潜水艦は海中に潜みながら、こちらの動きを探っているだろう。今にも魚雷が向かってくるかもしれない、そう考えると背筋が寒くなってくる。

 

やがて、何かを発見したのだろう。ソナーマンが報告を上げた。

 

「ソナーコンタクト!右二十度、距離三千ヤード‼︎」

 

探信音が海中で何かを捉えたようだ。報告を聞いた瞬間、ハンターは大声で命令した。

 

「面舵、針路335度!」

「両舷全速前進!」

 

「面舵二十度、全速前進、了解(アイサー)!」

 

リッキーが素早く復唱し、「ハムマン」の艦首が右に–敵潜がいる方向に振られる。

 

「目標まで五分です」

 

航海士が報告する。

 

ハンターは正面の海域に目を向けた。見た目は普通の海だが、海面下には獰猛な海狼が息を潜めているのだ。

 

すると突然、ソナーマンの切迫した声が届いた。

 

「ソナーより艦橋!正面より魚雷音接近、数四‼︎」

 

「なに⁉︎」

 

ハンターはてっきり、海底に逃げ出すと思っていたが、敵潜水艦は猛然と「ハムマン」に牙を剥いたのだ

 

「艦長…!」

 

リッキーが怯えた声を上げる。

 

「このままだ!」

 

ハンターは叩きつけるように言った。

下手に舵を切れば、横腹に魚雷を喰らうと考えたのだ。

 

「魚雷音接近!距離八百ヤード‼︎」

 

ソナーマンが絶叫染みた声で報告する。

 

「魚雷発見!右十度から左十五度、近い‼︎」

 

魚雷を目視確認したのだろう、見張りも報告する。

 

「ハムマン」はシムス級の駆逐艦である。基準排水量は二千五百トン程度で、一本でも魚雷が命中したら致命傷を負うのは確実だ。それに「ハムマン」と敵魚雷は相対している。もしも艦首に命中したら自艦のスピードも衝撃に加算され、轟沈するかもしれない。

 

ハンターは唾を飲んで、その時を待った。

 

 

 

 

 

そして…。

 

 

「敵魚雷、本艦の左右を抜けました!」

 

見張りの報告でハンターは「ハムマン」が被雷を免れたとわかった。

 

「よし…!」

 

リッキーはガッツポーズをとる。

 

しかし、DDG22の僚艦は全艦回避というわけにはいかなかった。

「ハムマン」の後方五百ヤードを敵潜に向かって航行中だった、駆逐艦「オブライエン」が被雷する。

被雷した瞬間、一時的に「オブライエン」の姿が見えなくなる程の水柱が艦首に上がり、次いで火柱に変わった。

この時、「オブライエン」は魚雷との相対速度が加算され、艦橋直下まで一気に貫通されていた。艦首は左右にぱっくりと開いており、ドス黒い黒煙が上がっている。

艦自体は前方に傾き、スクリューが顔を覗かせている。

 

「オブライエン」が救いようがないのは、誰の目にも明らかだった。

 

畜生(ガッデム)!」

 

ハンターが罵声を発する。

 

「ソナーより艦橋、敵潜、急速に沈降中!」

 

「目標地点に到着!」

 

ソナーマンが敵潜水艦が退避にかかった事を伝え、航海士が目標地点に到達した事を伝える。

 

「生きてハワイに返すな…爆雷発射初め!」

 

敵愾心がこみ上げながらハンターは命令した。

すると、「ハムマン」の後方から爆雷の発射音が響き、若干の間を置いて炸裂音が聞こえてくる。

 

「味方艦、爆雷を発射!」

 

僚艦も爆雷を発射し始める。

次々と爆雷が海中の忌まわしい敵潜水艦に叩き込まれる。

 

そして、二十発程発射した頃。

 

後部見張りの報告が入った。

 

 

 

 

「敵潜水艦のものと思われる浮遊物を確認、撃沈した模様!」

 

 

戦いは続く。

 




空母「ハンプトン・ローズ」CV–8


「ハンプトン・ローズ」は1939年から1940年にかけて竣工した「ハンプトン・ローズ」級中型空母の一番艦である。日本海軍が竣工、建造中の翔鶴型正規空母四隻に対抗して建造された、中型空母「ワスプ」の量産タイプだ。
対深海棲艦戦争勃発時は同型艦四隻全て大西洋に展開していたが、アメリカ太平洋艦隊が壊滅したことにより、全艦が太平洋に回航されている。今回の作戦にも参加しており、深海棲艦の攻撃が今後激化していくと予想される現在、空母機動部隊の中核として期待が寄せられている。

同型艦「ホワイトオーク」「カウンズタウン」「ユナイテッド・ステーツ」

スペック
全長 219.5m
全幅 30.7m
最大速度30.7ノット
武装 12.7cm単装高角砲 八基
28mm四連装機関砲 四基
20mm単装機銃 三十二基

搭載機数 七十六機


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第十話 試練の海

今回の輸送作戦で日米は、太平洋の大半が奴らの勢力下になった事を

理解します。




1

「発見した敵潜水艦は六隻、内三隻を撃沈しました。こちらの被害は駆逐艦『オブライエン』が撃沈された模様です」

 

第八任務部隊(TF8)参謀長カール・ムーア大佐が、 TF8司令官レイモンド・スプルーアンス少将に報告した。

 

「了解…」

 

スプルーアンスはごく短く返答した。

味方駆逐艦一隻がやられたが、守るべき輸送船やタンカーは無傷だ。

 

(このまま凌ぎきれるかな?)

 

スプルーアンスは心の中で呟いた。

 

なおも後方から炸裂音が聞こえて来る。第二十九駆逐隊(DDG29)第二十二駆逐隊(DDG22)の爆雷攻撃が続いているのだ。

もしも深海棲艦の潜水艦が、人類の潜水艦に準ずる性能を持っているのだったら、爆雷攻撃を受けている時に雷撃はまず不可能だと思われる。

 

スプルーアンスを始めとするTF8の幕僚達は、魚雷が来ない事を願っていた。

 

十分が経過し、二十分、三十分と時間が過ぎていく。

 

スプルーアンスは艦橋の壁に掛けられている時計を見た。

 

時刻は11時21分。

 

「船団針路270度。DDG22とDDG29に深追いは避けろと言え」

 

もう敵潜の脅威は去ったと判断したのだ。

指示された通り、TF8とN12船団は針路270度、すなわち西に針路を取る。

スプルーアンスが乗る「ノーザンプトン」も左の遠心力を感じながら右に転舵し、艦首を西に向ける。

百隻近い船団のため、全ての船が変針するまで十分ほどかかる。

「ノーザンプトン」を含む重巡四隻を有する第四巡洋艦戦隊(CD4)が針路を270度に取り、続いて輸送船、タンカーやそれらの両側を守る駆逐艦が舵を切る。

 

「タンカー、順次面舵。LST群も面舵」

 

後部艦橋に詰めている見張り員から報告が上げられる。

船団の輸送船やタンカーは十隻を一組とした単縦陣を六列、束で形成している。先のジグザグ運動で多少陣形が乱れていると思っていたが衝突事故はなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

異変が起きたのは全船が針路を270度に取った後だった。

 

船団の左前方を守っていた駆逐艦「バック」の艦橋側面に発光信号がきらめく。

 

「『バック』より発光信号。”魚雷多数、左前方ヨリ接近。距離六千ヤード(約五千五百メートル)”‼︎」

 

「……‼︎」

 

報告が入った瞬間、艦橋にいる全員に衝撃が走った。

 

「ぜ、全艦に通達。”船団針路350度、魚雷が来る”‼︎」

 

スプルーアンスは叫んだ。

 

 

 

(敵の潜水艦は最初の六隻だけではなかった…!)

 

考えを巡らせている間にもCD4の重巡四隻が変針し、駆逐艦や船団の前の方に位置している輸送船やタンカーが変針する。明らかに統率の取れた動きでは無い。軍艦はともかく、輸送船やタンカーはバラバラに変針している。どの船も魚雷から逃れるために必死だった。

 

「魚雷接近!左四十度から左百二十度‼︎」

 

「ノーザンプトン」は左前方から向かって来る魚雷を回避するために右に舵を切った。そのため、左正横から魚雷が接近してくるのだ。

 

「輸送船接触!」

 

見張り員の報告と共に「ノーザンプトン」の後方から金属が擦れ合う重々しい音が響く。バラバラに変針したため、他の輸送船と衝撃してしまった船がいたようだ。

 

スプルーアンスは艦橋の左側に歩みより、海面を睨みつけた。

海中を切り裂き、白色の雷跡を残しながら接近してくる多数の魚雷が目に映った。数は二十本以上だ。

 

 

 

 

 

「一千……八百……六百!(ヤード)」

 

 

 

 

「四百……二百……百…近い!当たります!」

 

 

 

 

 

 

見張り員の悲鳴染みた声が飛び込む。

 

スプルーアンスは雷跡が舷側の影に隠れるのを見た。

 

 

神よ(マイゴッド)…!」

 

 

目を閉じ、天を振り仰いで運命の瞬間を待った。

魚雷が命中すると思ったのだ。

 

襲ってきた衝撃は小さかった。ドラム缶をハンマーで殴るような音が「ノーザンプトン」の艦上に響き、軽く艦が振動した。

 

 

「魚雷一、艦首に命中。不発のようです!」

 

 

歓喜の声と共に、その報告が上げられる。

スプルーアンスは安堵のあまり、その場にへたり込みそうになった。

「ノーザンプトン」は基準排水量一万四千トンの重巡洋艦だが、魚雷が一本でも命中すると大破は確実だ。沈むことはないにしろ、自慢の高速は発揮出来なくなる。

敵魚雷が不発だったのは奇跡だった。

 

 

 

だが、喜びに浸っている時間はない。

悲報が飛び込む。

 

 

「輸送船三、タンカー四隻被雷!……また一隻被雷!」

 

後方から爆発音が数度、響いて来る。

 

 

「やられたか…!」

 

ムーア参謀長が苦り切った声で言った。

守るべき船が被雷してしまったのだ。輸送船やタンカーは軍艦と比べて防御力が無きに等しい、それにどの船も戦略物資を満載しているため、その分浸水が早まる。一本でも喰らったら沈んでしまうだろう。

 

 

現在、船団は混乱状態に陥っている。

 

どの輸送船やタンカーも魚雷をかわすために舵を右や左に切り、増速したり減速する。

何を考えたのか、止まってしまう輸送船もいる。

 

瞬く間に六列の単縦陣は崩れ、四分五裂だ。

 

 

被雷した輸送船やタンカーは、魚雷が命中した穿穴から大量の海水が奔入し、黒煙を吐きながら船の傾斜がきつくなっていく。

 

 

怒り狂ったかのように駆逐艦が突進し、敵潜水艦がいると思われる場所に爆雷を叩き込む。

 

残った駆逐艦は周辺を警戒し、数隻が救助活動や消火協力をするため、被雷した輸送船やタンカーに近づく。

 

 

 

最終的に七隻の輸送船、四隻のタンカーが被雷した。

どの船も損傷が酷く、沈没は免れそうにない。

 

 

 

 

 

 

 

「正面より雷跡接近!」

 

「なに⁉︎」

 

突然、報告が艦橋に飛び込む。 スプルーアンスは「ノーザンプトン」の正面に双眼鏡を向けた。

 

雷跡が見える。

 

(なんて奴らだ!)

 

スプルーアンスは心の底からそう思った。

 

最初に遭遇した敵潜水艦部隊を回避すると、その先に新たな敵潜水艦がいる。そしてそれを回避すると、また新たな潜水艦部隊がいたのだ。

 

深海棲艦は一体何隻の潜水艦をこの海域に忍ばせているのか…。

 

 

「魚雷との距離、一千ヤード!」

 

「針路そのまま!」

 

「ノーザンプトン」艦長のマーチン・キース大佐が指示を出す。

 

「ノーザンプトン」が魚雷と魚雷の間をすり抜けられる事に賭けたのだ。

 

 

 

(大丈夫だ…当たらない)

 

「ノーザンプトン」は強運の持ち主だ。必ず回避できる。スプルーアンスはそう自分に言い聞かせた。

 

 

 

 

 

 

しかし、スプルーアンスの思いは艦に通じなかった。

 

 

「魚雷近い、当たります‼︎」

 

その悲鳴染みた報告が入った直後、「ノーザンプトン」の乗組員が生まれて初めて経験する衝撃が艦首より突き上がり、艦橋マストの高さと太さを遥かに超える水柱が高々と上がった。

 

先の魚雷よりも数十倍、強烈な衝撃だった。

 

 

 

3月26日 台湾・垣春

 

2

台湾南部、垣春の電探(レーダー)基地で二人の電測員が電探のスコープを見ながら会話をしていた。

 

「まったく、司令部は何を考えてんだか…」

 

電探陣地に配備されている山倉豊(やまくら ゆたか)兵曹長が、隣に座っている篠上三郎(しのがみ さぶろう)一等兵曹に言った。

 

「と、いいますと?」

 

篠上は怪訝な顔で聞き返す。

 

「バーカ。受身に徹し、敵の情報を収集せよ…。て命令内容だよ。日本は今ピンチだ。こんな悠長な事をしてたら(あぶら)切れで、戦わずに負けになっちまうぞ」

 

山倉は苛立ちを抑えきれずに言った。

 

今より二日前、台湾の日本海軍第十一航空艦隊と米第八航空軍に一通の命令文が届いた。

内容は山倉が言っていたのと、あらかた同じである。

 

”十一航艦ト第八航空軍ワ、比島(フィリピン)ヨリ襲来スル敵機ヲ迎撃シ、深海棲艦ノ情報収集二努メヨ”

 

というものだ。

この命令内容に、皆が不満を感じていた。 当初は''直チニ比島(フィリピン)ノ深海棲艦ヲ攻撃、撃滅セヨ”と言った趣旨の命令が来ると思われていたが、いざ来てみると「守りに徹しろ」という内容の電文だったのだ。

大日本帝国軍は攻撃を誇りとした歴戦の軍隊である。「守る」ということは「攻撃」と比べて士気が下がってしまうのだ。

 

「海軍の友人によると、この前日本に戦略物資を届けに米国の船団が横須賀に入港したと聞いたんですが、輸送船の六割がやられてたらしいですよ…」

 

篠上は小声で言った。

 

「マジか…こりゃフィリピン制圧を急がにゃならんな」

 

山倉も声を押さえて言った。

この様な会話を電測長にでも聞かれたら大変な事になる。

 

米国の船団が大損害を受けたのは海軍の中で噂になっていた。末端の兵士まで情報が伝わらないため、様々な憶測が飛び交っているのだ。だが、輸送船の六割が失われ、重巡洋艦も一隻撃沈されたのは確かな情報だった。

 

その時、山倉が電探の管面を見ると、丸いスコープの下側にエコーが起きた。

 

 

 

 

 

「ん?」

 

 

 

 

 

山倉はまじまじと管面を見つめる。緑色のエコーが波打っているのだ。

 

「どうかしたんですか?」

 

お喋りな上司が突然黙ったため、篠上が心配そうに聞いてくる。

山倉は目を擦り、電探のスコープを見直した。

スコープの下側、つまり台湾の南側方向に反応がある。

 

「どうした?」

 

電測長の茅峰翔太郎(かやみね しょうたろう)大尉も問いかけた。

 

「対空用電探、感一。方位百八十度…」

 

山倉は茅峰に報告する。

 

「…!」

 

直後、山倉は声にならない叫びを上げた。

エコーが次第に大きくなっているのだ。一機、二機と言った機数では無い。最低でも百五十機はいる大編隊だ。

 

「電測長、第十一航空艦隊司令部に報告を!」

 

山倉は茅峰に向かって叫ぶ。スコープを見たところ、台湾の南から敵の大編隊が接近しているのだ。茅峰もその事をいち早く理解したのだろう、素早く部屋の壁に立てかけられている電話機に飛びついた。

 

「垣春電探基地より十一航艦司令部、対空用電探に感あり。敵大編隊、台湾南方より接近中!繰り返します。敵大編隊、南方より接近中!」

 

茅峰は司令部を呼び出し、早口で報告する。

 

 

 

ちらりと電探のスコープを見ると、段々とエコーが強くなっていくのがわかった。

 

 

 

 

 

 




次回「邀撃の翼」

台湾が初めてクラークフィールドの深海棲艦から空襲を受ける。

爆撃を阻止するため、死に物狂いで迎撃する戦闘機。

日米戦闘機隊VS深海棲艦爆撃機編隊


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第十一話 邀撃の翼


零式艦上戦闘機二一型

全長 8.8m
翼幅 12.0m
全備重量 2410㎏
発動機 栄一二型 940馬力
最大速度 533㎞/時
航続距離 3430㎞ (増槽使用)
兵装 7.7mm機関銃×2
20mm機関銃×2


3月26日 十四時三十三分

 

1

空襲警報が鳴っていた。

 

甲高く、波打つような音が台湾の航空基地に響いている。

 

台湾空襲を想定した訓練では何度も聞いたことがあるが、今回は紛れもない実戦だ。

 

戦闘機搭乗員は素早く兵舎から滑走路に向かい、将兵は航空基地の至るところに備え付けてある二十五ミリ三連装機銃や八センチ単装高角砲に取り付き、目一杯仰角を上げる。

飛行場の脇にある航空機格納庫や掩体壕からは、整備員や兵器員が零式艦上戦闘機やカーチスP40などの戦闘機を威勢の良い掛け声と共に押し、滑走路に並べていく。

並べられた機体から、零戦二一型の中島「栄」一二型エンジンとP40のアリソンV-1710-39エンジンが暖機運転を開始し、滑走路にエンジンの始動音がこだまする。

もしも暖機運転をしなかったら、エンジンオイルが隅々まで行き渡らず、故障が起きやすくなってしまうのだ。

 

「搭乗員整列!」

 

そんな中、台南基地第一滑走路の脇に台南航空隊飛行長 小園安名(こぞの やすな)少佐の声が響いた。

台南空のほか、第三航空隊の戦闘機搭乗員も整列する。

整列し終わるのを見計らったのか、台南空と第三航空隊の上位部隊である第二十三航空戦隊司令の竹中龍蔵(たけなか りゅうぞう)少将が令達台に上がった。

竹中は搭乗員を見渡しながら口を開く。

 

「現在、台湾の南方百十浬より深海棲艦の大編隊が接近中だ。目標はここ、台湾と予測されている。台南航空隊、第三航空隊の戦闘機隊は直ちに発進。深海棲艦編隊を邀撃、これを殲滅せよ!」

 

竹中が力強く言い、続いて二十三航戦首席参謀の志摩作蔵(しま さくぞう)大佐が竹中の隣に上がり、話し始めた。

 

「敵編隊は推定二百機。高度三千から四千メートルの間で進撃中だ。台南航空隊、第三航空隊は、米第八航空軍(8AF)の戦闘機隊と共同で高度五千まで上がり、これを迎撃せよ。以上だ」

 

「敬礼!」

 

志摩が話終えると、小園が大声で言った。

 

五十人はいると思われる搭乗員が一糸乱れずに敬礼をする。 その動作には一寸の狂いもなく、見事としか言いようがない。

 

直後、「かかれ!」の号令がかけられ、戦闘機搭乗員が踵を返して自分の愛機に駆け出した。

 

滑走路に待機している零戦やP40のコクピットに、搭乗員が滑り込むように座る。

 

やがて暖機運転が終了し、フルスロットルの爆音が飛行場の空気をどよもした。汗だくで機体を運んできた整備員や兵器員が帽振れで見送る中、一番機の零戦から順に滑走路を突っ走り、大空へ駆け出す。

 

一機、二機、と零戦が発進し、第二滑走路では8AFに所属する多数のカーチスP40戦闘機が大地を蹴り、離陸する。

 

数分という短時間で全機が発進し、台湾を見下ろしながら編隊を組んでいく。

 

第二十三航空戦隊から発進した零戦五十二機、台南の8AFから発進したP40三十八機は、直ちに南に進路を取る。

 

同じような光景は、高雄、台中などの航空基地でも行われている。

 

高雄基地からは零戦三十六機、P40十四機が発進し、台中基地では零戦十八機、P40三十機が発進する。

 

三つの航空基地から飛び立った戦闘機は合計百八十八機。

 

二百機近い戦闘機は、エンジンの爆音を轟かせながら、深海棲艦の台湾攻撃を阻止すべく、洋上の敵編隊へ向かっていく。

 

日米戦闘機隊は、やがて水平線の向こうに消えた。

 

 

 

2

 

敵編隊を視界に捉えたのは、台南基地を発進してから二十分程経った頃だった。

 

「いたな……」

 

台南航空隊、第一中隊第二小隊の零戦を操る、駒崎忠恭(こまざき ただやす)飛行兵曹長は唇を舐めながら呟いた。

 

眼下には、台湾とフィリピンの間にあるバジー海峡が広がっており、正面の空には断雲が散らばっている。

 

その断雲の中から、黒いゴマ粒のようなものが数を増やしつつある。

深海棲艦機の航空攻撃隊であろう。

 

「住島一番より全機へ、正面に敵編隊発見!」

 

無線機に第一中隊長の住島正夫(すみしま まさお)少佐の声が響いた。

 

住島は第一中隊の中隊長だが、台南空の飛行隊長も兼任している。猛者揃いの台南空で飛行隊長を任されるだけあって、視力はかなり良いらしい。

 

駒崎は敵編隊を観察した。

二十〜二十五機程度の梯団が八隊見える。高度は四千メートル前後だ。

台南空と米国の戦闘機隊、合計九十機は高度五千メートルに取っており、高高度の優位はこちら側にある。

 

(おや…?)

 

駒崎はふと思った。

 

駒崎は十四日前に起きたルソン島沖海戦の航空攻撃に参加した。

その時戦った深海棲艦機の姿は覚えているが、敵の梯団八隊のうち、五隊の梯団を形成している敵機の形状が他と違うのだ。

 

ルソン島沖海戦で初見参した敵機より、かなり大きい。

 

 

深海棲艦の陸上爆撃機なのかもしれない…。

 

 

「住島一番より全機。米軍と話がついた。第三航空隊は最左、台南空は最左より二番目の梯団を狙う」

 

そこまで考えた時、住島中隊長の声が無線から聞こえた。

台南空の二十六機は最左より二番目、すなわち敵陸上爆撃機と思われる梯団の一隊を攻撃するのだ。

 

敵編隊との距離が詰まる。そろそろか?と、思った次の瞬間。

 

 

 

「住島一番より全機へ。奴らに台湾を拝ませるな。かかれ!」

 

住島飛行隊長の命令が、レシーバーに飛び込んだ。

零戦、P40が、一斉に散開する。

 

「第二小隊続け!」

 

駒崎は無線のマイクに叩きつけるように叫び、操縦桿を右に倒した。

零戦がフルスロットルの咆哮を上げ、機体が右に傾く。

上條忍(かみじょう しのぶ)一等飛行兵曹の二番機、村上秀夫(むらかみ ひでお)二等飛行兵曹の三番機、小平慎吾(こひら しんご)二等飛行兵曹の四番機が遅れずに機体を翻す。

 

駒崎機の照準器が敵機を捉えた。

巨大なブーメランのような形をしている。そのブーメランの中心部分に球体が付いており、左右の翼には二基づつのエンジンのようなものが付いている。尾翼は無く、プロペラもない。主翼のみで飛んでいるかのようだ。

 

距離がぐんぐん縮まり、敵爆撃機が照準器の外にはみ出す。

 

(頃合い良し…)

 

そう感じ、発射レバーを握ろうとしたその時、狙った敵爆撃機やその周辺の爆撃機の主翼上面に閃光が多数、煌めいた。

直後、真っ赤な弾丸が向かってくる。

 

(……‼︎)

 

駒崎は反射的に操縦桿を左に倒した。零戦が素早く左に横転する。コクピットの右脇を敵弾がかすり、機体が振動した。

少しでも回避が遅れていたらコクピットを正面から撃ち抜かれていただろう。

 

 

「小平機被弾!」

 

 

村上の悲鳴じみた声が無線から聞こえる。

 

後ろを振り向くと、右の主翼を叩き割られ、炎と黒煙を吐き出しながら落下していく小平機が見えた。

 

回避が遅れて被弾してしまったのだろう。

 

「畜生!」

 

もう部下から墜落機を出してしまった。駒崎は血が出そうなくらい下唇を噛む。だが今は戦闘中だ。少しでも気を抜けば死ぬ。

 

その事を再認識し、駒崎は操縦桿を引いた。

 

急降下によって高度が敵編隊より下がってしまったのだ、敵を攻撃するには高度を上げなければならない。

頭上を見上げると、深海棲艦機と日米戦闘機隊が熾烈な空中戦を繰り広げている。

 

敵戦闘機とドックファイトをしている零戦がいれば、剣士の決闘のように敵戦闘機と正面から機銃を撃ち合うP40もいる。

 

前者は零戦の機動力を生かして勝利するが、後者はP40が多数の敵弾を正面から喰らい、プロペラを吹き飛ばされ、エンジンを引き裂かれ、パイロットを射殺されて、悲鳴じみた音を発しながらバジー海峡に落下していく。

 

敵爆撃機を攻撃している零戦やP40は少ない、敵戦闘機に阻まれて接近できないようだ。

 

それでも十機以上の敵爆撃機が黒煙を吐きながら、編隊より落伍しかかっていた。

 

「行くぞ!」

 

駒崎は自分を鼓舞すると、一機の敵爆撃機に狙いを定めた。

 

敵爆撃機から見て前下方からの攻撃だ。重力によって弾丸の威力は下がってしまうが、今更高度を稼ぐのは時間がかかる。台湾まで無限に距離があるわけではないのだ。

 

敵爆撃機の主翼下面に発射炎が二つ光り、火煎が伸びてくる。

狙った敵爆撃機の周りの爆撃機群も発砲する。弾幕射撃だ。

駒崎は操縦桿を左に右にと倒し、敵弾をかわしながら距離を詰める。

 

(今度こそ…!)

 

駒崎はそう思い、発射レバーを握った。

 

本来ならば、機首に搭載している七.七ミリ機銃二門を発射し、弾道を確認した上で両翼の二十ミリ機関砲を撃つが、駒崎は七.七ミリ、二十ミリ、二つの武器を同時に放った。

 

零戦が発射によって小刻みに振動し、照準器に映っている敵爆撃機が二重、三重とぶれる。

 

駒崎が放った四条の火煎は、狙い通り敵爆撃機の機首に投網の様に命中した。火花が散った様に見えたが、一瞬で敵爆撃機とすれ違い、視界から外れる。

 

すれ違った後も油断は出来ない。後方から敵の射弾が迫ってくる。敵の上面機銃座だろう。

 

そして…。

 

「敵爆撃機、一機撃墜!」

 

村上の喜んだ声が無線に響いた。

 

駒崎は敵弾が来なくなった事を見計らい、操縦桿を水平に戻した。

 

下を見ると、一機の敵爆撃機が左主翼と機首から黒煙を吐きながら高度を落としている。位置的に自分達が攻撃した爆撃機だろう。

 

「よし!」

 

とりあえず一機撃墜だ。

 

駒崎は高度計を見た。高度五千メートル。

駒崎の第二小隊は敵爆撃機編隊より高い位置に上がっている。

先は小平機を失い失敗したが、爆撃機攻撃で一番有効な急降下攻撃をすることが可能だ。

駒崎以外にも同じことを考えた小隊指揮官がいるのだろう。首を振って左右を見ると、混戦から抜け出した零戦やP40の小隊が見える。

 

駒崎は手荒に操縦桿を左に倒し、フットバーを蹴飛ばした。

零戦が左に機体を翻し、視界正面に敵爆撃機編隊が移動する。

 

速度は最大の五百三十三キロを超え、降下特有のフワリとした感覚が体を包み込む。

 

急降下をかけてくる零戦小隊を見つけたのだろう。一斉に敵爆撃機の上面銃座が発砲する。

凄まじい量の敵弾が向かってくるが、全て零戦の左右、上下を通過する。速度が速すぎて追いつけないのかもしれない。

 

弾は勇者を避けて通る。という言葉の通り、一発も零戦に命中しない。

 

 

「喰らえ。深海野郎‼︎」

 

 

距離が詰まったところで駒崎は叫び、発射レバーを握った。

再び機体が振動し、四条の弾丸と薬莢が吐き出される。

 

狙い余さず、駒崎の零戦が放った弾丸は敵爆撃機の右主翼を斬りつけた。

小さい破片の様なものが吹き飛び、黒煙が這い出る。

 

直後、駒崎の零戦は敵爆撃機の側面を通過し、敵編隊の下方に飛び出している。

 

高度三千程で水平飛行に戻って見上げてみると、何機もの敵爆撃機が

煙や炎を出しながら高度を落としている。

 

「いいぞ!」

 

駒崎は歓喜した。

台南基地より発進した九十機の他に、高雄、台中基地から発進した零戦、P40も続々と邀撃に加わっている。

このまま行けば台湾空襲を阻止できるかもしれない。

 

その時、駒崎の視界に左前方から向かって来る三機の敵機が見えた。

爆撃機ではない、ルソン島沖海戦で初めて手合わせした戦闘機だ。

 

いつ見ても凶々しい見た目をしている。

 

そんな事を考えながら、駒崎は操縦桿を左に倒し、第二小隊を敵戦闘機と相対させた。

敵三機は真正面から突進して来る。発砲は敵の方が速かった。

敵戦闘機の下部に発射炎がきらめき、一条の火煎が向かって来る。

 

敵弾が到達した時、駒崎機はそこにいない。すでに機体を横に横転させて回避している。緩横転のテクニックだ。

 

上條と村上も発射するが、命中しない。

 

敵三機とすれ違う。直後、駒崎は機体を左へ水平旋回させて、敵機に追従した。

敵戦闘機も同じことを考えたのか急旋回を開始する。

 

三機ずつの戦闘機が互いの背後を取るため、旋回する。

 

遠心力により、駒崎の体はコクピットの右に張り付きそうになるが、必死に堪える。

機体はほぼ垂直だ。左の翼を海面、右の翼を上空に向け、敵戦闘機の背後を取るため旋回を続ける。

 

駒崎は知っていた。ルソン島沖海戦の時、深海棲艦の戦闘機は零戦と比べ、機動力が劣る事を。

 

敵戦闘機は急旋回を続けるが、三機の零戦は必ず敵機より小さい弧を描き、敵三機の懐に入って行く。

 

(もらった…!)

 

駒崎は心の中で呟き、発射レバーを握った。

 

両翼から破壊力抜群二十ミリ弾が二条発射され、内一条が敵機の右側面に命中した。

その敵戦闘機は命中した箇所から真っ赤な炎を吐き出し、黒い塵の様なものを出しながら海面に落下し、水飛沫を上げる。

 

他の二機も、上條と村上が撃墜したようだ。姿が見えない。

 

駒崎は次の敵機を探すべく周囲に目を向けた時、レシーバーに上條の切迫した声が響いた。

 

 

「駒崎二番より一番。台湾が!」

 

その声を聞き、駒崎が水平線上を見ると、茶色の島が見えた。大きさ、方位からして台湾であろう。

日米戦闘機隊は敵編隊と戦闘している間に台湾が目視できる位置まで来ていたのだ。

敵爆撃機隊の内、先頭集団は台湾の上空にかかっている。

 

高度計を見ると現在の高度は千五百メートル。四千メートルの高さにいる敵爆撃隊の爆撃を阻止することは不可能だ。

 

駒崎の第二小隊は敵戦闘機を三機撃墜したが、爆撃機を攻撃出来ない低空に釣り出されてしまったのだ。

 

「まだだ!」

 

駒崎は叫び、零戦の機首を台湾に向けた。爆撃を阻止するのは無理だが、妨害は可能なはずだ。

 

 

最後まで、諦めるつもりはなかった。

 

 

 




「深海棲艦の陸上爆撃機について」

同爆撃機は調査の結果、ブーメラン又は「く」の様な形状をしており、尾翼や胴体は無し。中央がやや丸みを帯びている。左右翼の下にプロペラではない別の推進エンジンと思われる物が四つ搭載されており、米国のB17四発重爆撃機と同様な運用方法だと推定される。

スペック
全長 25m
翼幅 40m
速力 500㎞/時
航続距離
クラークフィールド飛行場姫〜台湾南部までを飛行できる能力を保持している事を考えると、最低1000浬と推定される。

兵装 20mmクラス連装銃座 主翼上下に2基ずつ、合計4基
爆弾搭載量 約5トンと推定
乗組員 生命体やコクピットの様なものは確認できず。

以下のことは3月26日台湾上空にて撃墜され、台湾に不時着した深海棲艦爆撃機を解析して得た結論である。同機は他の墜落機と違い損傷が軽かったため、信頼に値する情報である。
備考
深海棲艦機に新たな機体が確認されたため、戦闘機型を甲型。爆撃機型を乙型とする。









深海棲艦戦略情報研究所
「第四回報告書:極秘」より抜粋


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第十二話 星条旗の艦隊

ボルネオ島

フィリピンの南西に位置している世界第3位の面積を持つ島である。島の大部分が鬱蒼としたジャングル地帯であり、機甲部隊や砲兵部隊の移動に適さない地形である。しかし、島の西海岸にはボルネオ島を支配しているオランダによって作られた巨大な油田を有する都市パリクパパンがあり、近代化が進んでいる一面もある。3月10日以降、フィリピンより侵攻してきた深海棲艦地上軍との戦闘が続いており、予断を許さない状況が続いている。




1

瀬戸内海は本州、九州、四国に囲まれた内海である。

 

 

古来より、畿内と九州を結ぶ航路で栄え、1941年4月12日現在でも様々な輸送船、遊覧船、漁船、そして軍艦などが、日本独自の活気に包まれながらこの美しい海を航行している。

 

 

その瀬戸内海に位置している日本海軍、呉軍港に一群の艦艇が入港して来た。

 

 

駆逐艦と思われる艦艇三十隻が入港し、巡洋艦と思われる艦艇が七隻、艦上が艦首から艦尾まで平べったく、右舷側に小さな艦橋を乗せている中型空母が一隻、順次入港する。

 

どの艦も柱島泊地や呉軍港に停泊している日本海軍の艦艇より軍艦色が薄い。

 

それに、艦から醸し出される雰囲気が日本海軍と少し違う。

 

その軍艦を目撃した漁師や、港に働いている職員は、その艦隊が掲げている旗を見て驚いたかもしれない。

 

 

 

 

白、赤、青の下地の旗に五十個の星。

 

 

 

 

星条旗だ。

 

アメリカ合衆国海軍所属、第八任務部隊(TF8)である。

この任務部隊は日本へ戦略物資を運ぶ船団の護衛として、横須賀に入港した後、横須賀海軍ドックで整備を受けてから日本軍のフィリピン奪還に協力するため呉を訪れたのだ。

TF8が入港してくると、在泊艦艇が歓迎の意を表して一斉に汽笛を鳴らす。

様々な音色の汽笛が瀬戸内の海に響き渡った。

 

 

柱島泊地の中央に停泊しているGF旗艦「長門」の艦橋では、GF首席参謀の風巻康夫大佐と、作戦参謀の三和義勇大佐が軍港に入港してくるTF8を見ながら話しをしていた。

 

「手荒くやられたみたいだ……」

 

風巻が手すりに肘を置きながら言った。タバコを吸っており、両手には横須賀から送られてきた TF8とN12船団の被害状況報告書が握られている。

 

「米船団がサンディエゴを出港する前に我々に一言でも知らせてくれば、警戒態勢を整えることが出来て被害が減ったと思うのだがな…」

 

三和もタバコを吹かしながら言った。

 

もし、山本長官の前でこのような態度だったら宇垣参謀長からどやされるかもしれないが、風巻と三和は海軍大学校の同期だ。

非公式だったら「俺」「貴様」で呼び合う仲のため、砕けた話し方になっている。

 

 

「被害は、重巡一、駆逐艦三、輸送船十八、タンカー十六隻沈没。その他七隻が大破か………この結果ならハワイを中心とする中部太平洋は完全に奴らの支配下になっている。米国から日本への戦略物資援助は中止される可能性が高いかもしれん」

 

風巻は顔を歪ませながら言った。アメリカに石油援助の最後の希望を託していたのかもしれない。

 

 

「もともと米国などあてにしていない。我々は当初の予定通り、残り七ヶ月以内にフィリピンを落とすだけさ…。だが……一つ、気になることがある」

 

三和が首を振りながら言った。

 

「何だ?」

 

三和の言葉に、風巻は聞き返す。

 

(予想はついてるがな…)

 

風巻は心の中で呟いた。

 

「東南アジア…。特にスマトラ、ボルネオの戦況だ」

 

 

 

スマトラ島、ボルネオ島の戦いは二十日前にさかのぼる。

 

 

フィリピンを占領した後、深海棲艦は、フィリピンの南方に位置しているボルネオ島、セレベス島に上陸した。

シンガポール方面では同地を占領した深海棲艦はマレー半島を陸伝いに北上すると共に、スマトラ島に侵攻している。

現在、ボルネオ島は赤道以北を深海棲艦地上軍に占領され、セレベス島は全域が奴らに占領されている。マレー半島は英タイ国境付近のクラ地狭まで戦線が押されており、スマトラ島はマラッカ海峡に面している沿岸部が全て占領されている。

日本にとって重要なのはボルネオ島パリクパパンとスマトラ島パレンバンにある東南アジア最大の貯蔵量を誇る油田だ。

この二箇所を深海棲艦に占領又は破壊されでもしたら、フィリピンを奪還しても石油は手に入らなくなってしまう。

三和はその事を危惧しているのだ。

 

 

 

それを聞いた風巻は、安心しろ。と言いたげな顔で喋り始めた。

 

 

 

「ボルネオで戦っているオランダ軍によると、深海棲艦の地上兵器はジャングル地帯の移動がかなり苦手のようだ。事実、ボルネオに上陸した敵地上軍は沿岸部の進軍は破竹の勢いだったが、ジャングルに入ると同時に這うような進撃速度に低下している。スラバヤ島に上陸した深海棲艦が沿岸部のみしか占領しなかったのは、ボルネオ島からの情報でジャングルを避けたからだろう。パリクパパンは沿岸部にあるが赤道より南、パレンバンは内陸にあるから当分敵の攻撃は受けない。安全だ」

 

三和は風巻の言葉にやや納得できないようだったが「そうだといいんだがな」と呟き、ゆっくりと頷いた。

 

 

「貴様の分析が正しければ、奴らも学習しているって事か…」

 

 

三和はそう言うと、少し間を空けて言葉を進めた。

 

 

「なぁ風巻。深海棲艦って一体何なんだ…。なぜ人類を攻撃する。奴らの目的はなんだ?」

 

 

「それがわかれば苦労はしないな…俺も知りたいね〜」

 

 

深海棲艦とは何なのか。この時代のいかなる人が思っている疑問である。だがそれを知るすべを今、彼らは持っていない。

 

 

 

 

そんな事を話している間にも、合計三十八隻の米艦隊は日本の駆逐艦に誘導され、呉の埠頭に向かっている。

やがて指定された場所に着いたのか、駆逐艦、巡洋艦、空母は鉄の擦れ合う音を響かせいながら、錨を下ろす。

 

そして、将旗が掲げられている巡洋艦から、一隻の内火艇が「長門」に向かって来た。

 

 

「スプルーアンス司令のお出ましだな」

 

風巻はそう言って三和と頷くと、三和と共に他の参謀が詰めているであろう会議室に向かって歩いて行った。

 

 

2

 

十分後、「長門」の会議室には長机を挟んで二つの艦隊司令部が対峙していた。

左に連合艦隊(GF)司令部右に第八任務部隊司令部である。

 

 

「遠路はるばるご苦労様です」

 

GF司令長官山本五十六大将は、TF8幕僚が全員座るのを見計らって、 レイモンド・スプルーアンス少将にねぎらいの言葉をかけた。

横須賀から届いた報告書でスプルーアンスが坐乗していた重巡「ノーザンプトン」が撃沈され、スプルーアンスを含む幕僚全員が数時間海を漂流したことを知っていたのだ。

相手は自分より階級が下の軍人だが、指揮系統が異なるため敬語で話している。

悠長な英語を聞いたからかスプルーアンスは驚いたような顔をしていたが、直ぐにいつもの顔に戻り、口を開いた。

 

 

「貴軍はルソン島の我が国民を救ってくださいました。それにより重巡一隻を含む四隻の軍艦を失ったのです。せめてものの恩返しですよ」

 

スプルーアンスは笑いながら言ったが、疲労の色が濃い。

 

TF8とN12船団はC7ポイントを通過してF2ポイントに到達する間に深海棲艦潜水艦部隊の波状攻撃を八回受けたのだ。

 

無理もない…。幕僚の全員がこう思ったことだろう。

 

 

「率直に申し上げます」

 

 

スプルーアンスが笑いを消し、再び口を開いた。

今は日米軍の作戦展開を協議する場だ。早く議題に入ろうと考えたのだろう。

 

「太平洋の補給線は断ち切られており、今回のような輸送作戦は困難だと判断します」

 

 

スプルーアンスがそう言うと、GF幕僚に二つの感情が現れた。

 

期待を裏切られ落胆する者と「予想通りだ」と呟き、顔色を変えない者だ。

前者は米国の援助があれば、今年10月までにフィリピンを奪還するというタイムリミットの呪縛から解き放たれると思ったのかもしれない。

 

続いてTF8参謀長カール・ムーア大佐が話し始めた。

 

「北太平洋では無く、アリューシャン列島より北の海。ベーリング海を通過する補給作戦は開始されようとしています。しかし、この海は波が高く、気象条件も劣悪なので五十、百隻といった大船団の航行には適しません。必然的にかなり小規模な船団になってしまうでしょう」

 

 

「少しでも重油、航空燃料といった戦略物資が届くだけでも十分です」

 

ムーアの言葉を聞いて風巻が言った。

 

スプルーアンスは風巻に軽く会釈すると、山本に質問した。

 

「タイワンの戦況はどうなっていますか?あそこはフィリピン奪還の足場となる場所である、ということはこちらも理解しています。タイワン防衛には協力を惜しみません」

 

 

 

 

台湾とルソン島の航空戦は3月26日の台湾空襲以降、熾烈を極めている。

2日に一度はルソン島のクラークフィールド飛行場姫から多数の乙型爆撃機が襲来する。26日の二百機ほどの大編隊ではないが、五十〜百機ほどの編隊がやって来るのだ。

爆撃は台湾南部の高雄、台南に集中されている。

台湾の第十一航空艦隊と第八航空軍、新たに展開した日本陸軍第五飛行集団は戦闘機隊を南部に集中させて守りを固めると共に、B17爆撃機や一式陸上攻撃機を来るべき反攻作戦に備えて北部に退避させている。

対空電探の敵編隊早期発見、多数の戦闘機による果敢な迎撃、アメリカやフランスから輸入した優秀な土木機材の滑走路回復能力が功を奏し、戦線を保持し続けている。

台湾の航空部隊はルソン島沖海戦で敵の防空体制が予想以上に強力であり、守りに徹する。という命令を厳守しているのだ。

 

山本はその事をスプルーアンスに説明した。

その説明を聞くと、スプルーアンスが怪訝な顔で口を開いた。

 

 

「ルソン島への攻撃を実施しないのは消極的ではありませんか?貴軍には燃料が底をつく前にフィリピンを奪還しなければならない。というタイムリミットがあるはずです」

 

「その戦略思想ついては、我が政府や軍内部で何度も協議された事であり、我々はその戦略に基づいて行動するだけです」

 

山本は一切の妥協をせずに言った。

 

「我々は本国より、貴軍のフィリピン奪還に協力せよ。との命令を受けています。奪還作戦の主力を務める日本の戦略思想がそのようなものであれば従うだけですな」

 

 

ムーアが肩をすくめながら言った。

 

 

「御理解、感謝します」

 

山本は苦笑しながら感謝の言葉をかけた。

 

「しかし、我々から一つ、お願いしたいことがあります」

 

スプルーアンスがGF幕僚の顔を見渡しながら口を開いた。

 

「なんでしょう…?」

 

宇垣参謀長が怪訝な顔でスプルーアンスに問う。

 

「情報が入っていると思いますが、ルソン島北部では我が軍が深海棲艦の地上軍と戦闘を続けています。弾薬、食料などはまだ底をついていませんが、時間の問題です。我々は彼らへの補給作戦を考えております。貴軍にはその支援をお願いしたい」

 

N12船団に所属していた二十八隻の輸送船の内、十二隻の積荷が米極東陸軍への補給物資なのだ。

 

「ルソン島沖海戦の後、ルソン島北部の港は全て破壊されていることが偵察により判明しています。仮にルソン島に到達できたとして、一体どこに物資を陸揚げするつもりですか?」

 

三和が質問する。ムーアはその質問を予想していたようだ。三和の言葉を聞くと、スラスラと説明を始めた。

 

「我が軍はイギリスと共にとある艦の開発を進めていました。その艦は港無しに物資や部隊を揚陸させることが可能です」

 

(そのような船があるのか?)

 

風巻は疑問に思った。

 

 

 

「現在はヨコスカで整備を受けていますが、いずれお見せできる機会があるでしょう。これを見た深海棲艦は驚くかもしれませんね」

 

 

 

ムーアは言い終えるとニヤリと笑った。まるでいたずらを企んでいる子供のような顔だった。

 

 

「わかりました。日本海軍として、できる限りの支援をしましょう。ルソン島で戦っている友軍を見捨てることは出来ませんから…」

 

 

山本は作戦支援を了承した。

その理由は港以外の場所に物資を揚陸できる船が存在するからではない。

日本政府と米政府によって世界各国に対深海棲艦軍事同盟の締結が呼びかけられているからだ。

軍令部によると、英国とドイツは乗り気のようだが、他国はあまり乗り気ではない。その理由が言語の違う国家の軍同士が緻密な作戦を遂行できるはずがない、という考えがあるからだ。

理由は他にもありそうだが、山本は米海軍との共同作戦によって軍事同盟に参加しない国家の不安を払拭して同盟に参加できるようにしたいと考えているのだ。

 

その時、山本の脳裏に一つの光景が浮かんだ。

 

同じ戦列を組む、日本、アメリカ、イギリス、ドイツ、フランス、イタリア、ソ連の大艦隊。その軍艦のマストに掲げられている旗は国旗の他に、北極を中心として、南緯六十度までを含めた世界地図とその両側を囲むオリーブが描かれた旗。

その上空を通過するのは同じマークが描かれた各国の航空編隊。

 

 

夢のような光景だが、現在、人類に敵対する新たな脅威が現れたのだ。共通の敵が現れたら人類は肩を並べて戦うことが出来る。

山本はそれが可能だと信じていた。

 

 

会議は続いている。

 

やがて議題は補給作戦の参加兵力や敵潜水艦の情報、東南アジア戦線の戦況に移っていった。

 

 

 

 

 

 




このお話。

設定を考えるのが大変だ…。(涙)


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第十三話 ルソンの獣

『黒い破壊者』ブラックデストロイヤー 通称BD

1941年3月1日のマニラ上陸で初めて確認された深海棲艦地上兵器。
黒く、丸みを帯びた胴体には目、口、足といった部位があり、米極東陸軍の情報によると人間を捕食する。
以下の事から生物ではないか。という意見があるが、詳細は不明。

全長6.5m、全幅2.4m、全高3m。

正面装甲はかなり硬く、37mm砲では貫通する事が不可能に近いが『黒い破壊者』は巨体に似合わず脚部が小さいため、そこが弱点となっている。しかし、移動速度が60km/時以上と高速であり、脚部をピンポイントで狙撃するのは困難だと思われる。
口の中に75mmクラスの砲を搭載しており、発砲する時は口を開いて、砲身を突き出す。
旋回砲塔ではなく固定砲のため、胴体ごと標的に向けてから発砲する。







ゲーム艦これのイ級駆逐艦後期型です。


1

4月18日午後11時29分、ルソン島北部の最前線は静かだった。

 

暗闇に包まれ、空には宝石箱をひっくり返したかのような星々が広がっている。

 

 

アメリカ極東陸軍(USAFFE)はルソン島北岸から南へ十五キロ下がったところに、イースト・ラインと言う防衛戦を敷いている。この防衛線ではブラックデストロイヤーの攻撃に備え、迫撃砲陣地や対戦車砲陣地を入念に設営し、警戒に当たっていた。

3月1日の奇襲攻撃やその後の撤退戦で戦力の七割を失ったが、まだ兵士5,000名、火砲や戦車も残っている。3月12日を境に深海棲艦地上軍が積極的に攻撃を仕掛けなくなった事も理由の一つだが、まだ戦線を辛うじて保持していた。

 

 

「斥候より連絡。ブラックデストロイヤー約十体、イースト・ラインに接近中」

 

通信兵のレオン・グルート上等兵が報告した。

 

「また来たか…」

 

報告を聞くや第28対戦車砲大隊に所属するロナルド・ケンドール軍曹は吐き捨てるように言った。

 

3月12日のルソン島沖海戦以降、敵地上軍の行動は消極的になってきている。昼間の戦闘機による機銃掃射や爆撃は変化なしだが、地上では大規模な攻撃を避け、定期的に少数の部隊が最前線を襲う、という戦法に切り替わっているのだ。

戦法は一撃離脱で、あまり被害が出ていない。しかし、いつ攻撃が来るか不明なので緊張状態が続いてしまい、兵士達は精神的にも肉体的にも疲労が重なっていた。

 

 

「砲撃準備‼︎」

 

ケンドールが命令すると装填手のロス・マッケーン一等兵が素早く砲弾を対戦車砲に装填し、尾栓を閉じる。

 

第28対戦車砲大隊が装備するのはM3 37mm対戦車砲だ。

884m/sの初速で砲弾を発射できる能力を持っている。

BDの正面装甲は貫通出来ないが、現在フィリピンにいるアメリカ極東陸軍で一番BDに対して有効な兵器だった。

イースト・ラインに展開している各対戦車砲陣地は木と枝と偽装網で巧みに遮蔽され、BDの接近を待ち構えている。

 

 

やや後方に展開している迫撃砲小隊が動いた。

空中に照明弾が砕け、淡い光がBDが近づいているであろう正面の地上を照らし出す。

 

その光の中に”それ”はいた。

 

真っ黒な楕円形の胴体、魚のように付いている左右の光る目、暗闇でもわかる白い歯。

 

まぎれもない深海棲艦地上兵器、『黒い破壊者(ブラックデストロイヤー)』だ。

 

 

 

「ひっ…!」

 

 

 

ケンドールの脇で砲弾を抱えている若い兵士が怯えた声をあげる。

 

 

「BD群、距離700m」

 

砲手のフィリップ・レスター伍長が落ち着いた声で報告する。

 

「了解」

 

ケンドールは双眼鏡を覗きながら短く返答した。

距離700mはM3対戦車砲にとって遠すぎる、仮に命中しても余裕で弾かれるだろう。

引きつけてから発砲させるつもりだった。

 

BDは防衛線に迫ってくる。時速60kmは出ていると思われた、

 

 

ケンドールの対戦車砲陣地の後方から甲高い音が響き、BD群の周辺や、ただ中に着弾の爆炎が踊り始める。

 

迫撃砲の攻撃だ。

 

一体のBDに直撃する。

真上から飛来した砲弾がBDの上面を貫いた。BDは真上から巨大なハンマーで叩き割られたかのように粉砕され、停止する。

発生した火災によって周りのBDが照らされる。照明弾よりくっきりと見える。暗闇で目標が見えないという事にはならなさそうだ。

 

 

そして。

 

 

「距離200m、照準OK!」

 

「よし、撃て(ファイヤ)!」

 

ケンドールはレスターの声が耳に入ると、大声で下令した。

 

レスターが引き金を引くと、37mmの砲門から発射炎がきらめき、砲が振動した。

発砲の轟音がルソンの大地に響き渡る。

 

 

直後、他の対戦車砲も砲撃を開始する。

 

 

 

BDの周辺に着弾の土砂が上がり、敵の正面に火花が散る。

 

破壊されたり、横転するBDはゼロだ。命中しても弾き返されてしまったようだ。先と変わらず高速で距離を詰めて来る。

 

 

「次発装填!」

 

ケンドールは叫ぶ。装填手のマッケーンが37mm徹甲弾を押し込め、尾栓を荒々しく閉じる。

 

「装填よし!」

 

再び閃光がきらめき、射弾が一体のBDに命中する。BDの足元に火焔が踊り、そのBDは前足と顔面を粉砕されて横転した。

 

BDの弱点は足元だ。巨体が高速で動くため、足を破壊するとバランスを崩し、行動不能にすることが出来るのだ。

 

 

「やった!」

 

陣地内に歓声が沸く。

 

 

直後、高速で向かって来ていたBD群が一斉に停止した。

 

「来るぞ…‼︎」

 

ケンドールが大声で叫んだ。

 

 

停止すると、BD群が次々と口を開き、口の中から砲身を突き出した。

BDが大きく揺れた、と見えた瞬間。その砲身の先から発射炎が光り、発射音が轟いた。

 

直後、周辺に敵弾が着弾し、ケンドール達の隣で果敢に発砲していた対戦車砲陣地の一つが爆砕される。

敵弾が直撃した瞬間、37mm砲の正面シールドは易々と破られ、炸裂した。

砲手や装填手は身体中を破片に切り刻まれ、朱に染まって倒れる。

 

他にも直撃弾が連続する。

 

ケンドールが周りを見渡すと、三、四ヶ所で敵弾を喰らった陣地が火災を起こしている。

 

それでも、攻撃はひるまない。

 

距離が近づいたためであろう。「ファイヤ!」の号令と共に重機関銃陣地から重々しい発射音が響き、射弾が吐き出される。

 

 

 

「距離80m!」

 

冷静を保っていたレスターが叫び声をあげる。

残った六体のBDのうち、一体がケンドールの対戦車砲陣地に向かってきているのだ。

 

「う、撃て!」

 

ケンドールは狼狽しながら叫んだ。

三たび砲門に発砲の閃光が煌めき、37mm弾が叩き出される。

 

砲弾は狙い通りBDに命中した。

 

しかし、当たったのは丸みを帯びた正面だった。

軽い音と共に弾き返され、それ以上の事は起きない。

 

BDとの距離は30mそこそこだ。

 

 

「まずい…逃げろ!」

 

ケンドールは部下に命じた。

 

ケンドールとレスター、マッケーンは素早く陣地から飛び出し、左右の草むらに伏せたが、砲弾を弾薬箱からマッケーンに渡す役割をしていた兵士二人が足がすくんで動けなくなっている。

 

「さっさとこっちに来い‼︎」

 

レスターが手を振って叫ぶが、彼らの目には向かってくるBDしか写っていない。直後、陣地はBDの巨体によって踏み潰されていた。

 

逃げ遅れた兵の内一人は絶叫を上げながらBDに踏み潰され、もう一人は血飛沫と共に上半身が搔き消える。

 

同じような光景は他の陣地でも起こっている。

 

生き残った対戦車砲は砲撃を続けるが、全てのBDを破壊する事は出来ない。

 

十箇所以上の陣地が破壊されたところで、BDが動きを止めた。

 

新たな照明弾が砕け、青白い光が地上に降り注いだ。

 

 

2

 

「う、うわぁぁぁぁぁ!」

 

「来るな、来るなぁ‼︎」

 

 

防衛線でBDと交戦中の友軍を救援すべく、現場に急行していた第192戦車大隊(192TB)所属M3スチュアート軽戦車の無線機には兵士達の断末魔が聞こえていた。

 

戦車大隊の正面では照明弾の光の下、縦横無尽に動き回るBDと、発砲する対戦車砲が見えている。発射された砲弾は虚しく弾かれ、六体のBDが健在だ。

 

まだ射程距離に入らない。

192TB第三中隊長を務めるジョージ・ハンソン中尉は歯ぎしりしながら距離が詰まるのを待っていた。

 

 

(待っていろ。今行くぞ…!)

 

ハンソンは心の中から友軍に呼びかける。

 

第三中隊は四個小隊、すなわちM3スチュアート軽戦車16輌を有する機甲部隊である。

 

当初、USAFFEは192TBの他、第194戦車大隊(194TB)を指揮下に収めており、M3スチュアート軽戦車を合計108輌保有していた。しかし、度重なるBDとの戦闘や、昼間の爆撃などで73輌が失われ、現在イースト・ラインに配備されているのは生き残った35輌のみである。

USAFFEは生き残った35輌で16輌づつの二個中隊を編成し、3輌をBDの攻撃に備えるため軍司令部の周りに配している。

 

第三中隊はそのうちの一つなのだ。

言わば虎の子。最後の砦。

 

大隊司令部は地獄の中にいる友軍を救うため、この重要な部隊を差し向けたのだ。

 

 

「『セッター1』より『ハウンズ』左旋回。『クーガー』右旋回。敵に気付かれないように動け……。『セッター』『ポインター』全車はこのまま前進」

 

ハンソンは無線機に言った。

 

「『ハウンズ1』了解」

 

「『クーガー1』了解」

 

無線機に第三小隊長と第四小隊長の声が響き、4輌づつのM3スチュアートが左右に旋回する。

 

 

M3スチュアートの主砲は37mm砲だ。BDとの正面きっての撃ち合いは分が悪すぎる。

そのため、『セッター』『ポインター』こと第一、第二小隊の8輌で正面から敵に接近して注意を引きつけ、その間に『ハウンズ』『クーガー』こと第三、第四小隊の各4輌が夜の暗闇に紛れ、BDの側面を突く、という作戦だ。

ハンソンは過去の戦訓より、BDの側面装甲や背面装甲が、正面装甲に比べて柔らかい事を知っており、それを考慮したのだ。

 

 

新たな照明弾が空中に砕け、青白い光が地上を照らし出す。

 

ハンソンはBDとの距離を測った。

 

「600m……500m…」

 

第三中隊のM3スチュアートは最大速度で接近しているため、距離が詰まっていく。

「セッター」と「ポインター」の役割は敵の牽制だ。BDを撃破する必要はないが、200mほどまで近付こうと、ハンソンは考えていた。

 

「BDが動きを止めました!」

 

砲手のハワード・キッドマン軍曹が報告する。

 

ハンソンも、キューポラの狭い視界からBDを見た。

六体のBDが停止し、こちら側を向いている。

 

距離は350mだ。

 

 

「『セッター1』より『セッター』『ポインター』。全車散開!」

 

 

ハンソンが命令すると、操縦手のノエル・ベッカー伍長がM3スチュアートを左に旋回させる。

ハンソンは後方を見ると、後続する7輌のM3スチュアートがお互いの間隔を開けるため、左右に旋回する。

 

 

その時、六体のBDが一斉に発砲した。

発射した瞬間、暗闇の中に照明弾のそれより強烈な光が、深海棲艦地上兵器の姿をくっきりと浮かび上がらせた。

ハンソンが身構えたとき、敵弾はハンソン車の目の前に落下した。

多量の土砂が舞い上がり、M3スチュアートが振動する。

 

後方から爆発音が轟き、真っ赤な光が車内に差し込んできた。

 

「『ポインター3』がやられた!」

 

無線機に悲鳴じみた声が飛び込む。

 

第二小隊三号車のM3スチュアートが敵弾を喰らい、爆砕されたのだ。

 

破壊されたBDを調査したところ、75mmクラスの砲が搭載されている事が判明している。M3スチュアートは偵察や歩兵支援を目的とした軽戦車であり、正面装甲に75mm弾を弾き返せる能力はない。

 

文字通り、粉砕されただろう。

 

 

ハンソン車が直進に戻ったとき、敵の砲門に二度目の閃光が走る。

 

飛来した敵弾は砲塔の右をかすめ、後方に飛ぶ。

敵弾通過の衝撃が、砲塔を少し震わせた。

 

 

「『セッター1』より『セッター』『ポインター』全車、砲撃開始。だが止まるな、止まったら死ぬぞ!」

 

ハンソンは無線機のマイクに怒鳴りこんだ。

 

「ファイヤ!」

 

車内に号令が響き、7輌のM3スチュアートが次々と発砲する。

動きながら撃っているため、命中は二の次だ、今は敵を牽制できたらそれでいい。

 

ハンソン車の右正横を、履帯を高速回転させながら前進していたM3スチュアートが砲塔に被弾する。

 

命中した直後、首をはねられたように砲塔が後方に吹き飛び、停止する。

第三中隊は、また1輌の戦車を失ったのだ。

 

 

今度は、とあるM3スチュアートが左の履帯に被弾する。

被弾した瞬間、転輪と履帯がバラバラになって吹き飛び、その車輌は右に旋回して停止する。

砲塔は無傷であり、固定砲台として二度、三度と発砲するが、停止している事に目を付けられ、敵に火力を集中される。

続けざまに三発の敵弾を車体正面、側面、砲塔正面に喰らい、そのスチュアートは原型をとどめないまでに破壊される。

 

 

「クソッ…『クーガー』と『ハウンズ』はまだか⁉︎」

 

ハンソンは叫んだ。

「セッター」と「ポインター」の任務は敵の目を引きつけて「クーガー」「ハウンズ」の突入援護だが、このままだと全滅する。

 

 

「『セッター4』被弾!」

 

新たな被弾報告が飛び込む。

今度は第一小隊四号車のスチュアートがやられたのだ。

 

ハンソンがこれ以上の被害を減らすため、後退命令を出そうとしたその時。無線機に声が響いた。

 

 

 

「『クーガー1』より『セッター1』、敵側面に到達、今より攻撃します!」

 

 

 




地上戦、これからもあります! (題名ガン無視)


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第十四話 戦車猛進

ザ、陸軍編ですね〜


1

側面に回り込んだ「クーガー」こと第四小隊のM3スチュアート4輌が、BD群を発見するのは容易かった。

BDの群れは一箇所に集まっており、「セッター」「ポインター」こと第一小隊、第二小隊のスチュアート8輌と撃ち合っているのだ。

 

 

「『クーガー』停止!」

 

第四小隊長のジョセファー・ウォルトン少尉はレシーバーに怒鳴りこんだ。

 

最大速度の57km/hで進んでいたスチュアートが、やや前のめりになって停止し、後続の3輌も停車する。

正面には「クーガー」に気付かず、砲撃を続けているBDが見える。

 

距離は約200mだ。

 

ひたすら「セッター」「ポインター」を狙っており、「クーガー」に脆弱な側面を晒している。

右から回り込んだ「ハウンズ」も同じであろう。

 

(チャンスだ…!)

 

「『クーガー1』より『セッター1』、敵側面に到達、今より攻撃します!」

 

ウォルトンは中隊長のハンソン中尉に報告すると、無線機の送信スイッチを切り替えてから、こう言った。

 

「横とったぞ、『クーガー』砲撃開始!」

 

直後、ウォルトン車が発砲し、部下のスチュアートも発砲する。

 

鋭い砲声が響き、スチュアートが振動する。

砲熕から薬莢が吐き出され、装填手が素早く次の砲弾を押し込む。

 

『クーガー』が放った四発の37mm弾の内、一発づつの砲弾が二体のBD側面に直撃した。

命中した瞬間、BDがこの世のものと思えない絶叫を上げ、一体は頭部を潰れた木の実のように粉砕され、もう一体は口に喰らい、顎と歯と砲身が直撃の衝撃で吹き飛ぶ。

二体とも項垂れながら停止し、火災が発生する。

 

「ハウンズ」も発砲したのだろう、一体のBDが爆発と共に転倒する。

 

「続けて撃て!」

 

ウォルトンが命令した直後。

何を考えたのか、撃破を免れた三体のBDが、地響きを立てながら回頭し、「クーガー」に突っ込んできた。

 

発射された37mm弾は狙いを外されるか、BDの正面に命中し、軽い音と共に弾き返される。

 

 

「!……『クーガー』全速前進!」

 

ウォルトンは意を決して命令した。

 

「前進ですか……隊長⁉︎」

 

操縦手が、正気か?と言わんばかりの顔で聞いてくる。

 

「後退しても、左右に回避してもやられるだけだ。死中に活を求める!」

 

「了ょ解!」

 

操縦手は、叩きつけるように言ったウォルトンの言葉で覚悟を決めたのか、陽気な声で返答した。

 

ギアを入れる音が響き、スチュアートが大幅に加速される。

 

 

BDが発砲する。

 

発射された敵弾の内、一発はウォルトン車の砲塔側面をかすった。

 

かすった瞬間、車内に凄まじい音が響き、スチュアートが盛大に振動する。

ウォルトンは衝撃で後頭部をぶつけ、数秒間視界が揺れた。

頭にヘッドギアを被っていなかったら、脳震盪を起こしていたかもしれない。

敵弾の威力を感じさせる一撃だった。

 

 

ウォルトンはキューポラの点視孔を覗くと、BDと一瞬目が合う。

 

無機質で、光が宿っていない目だった。

 

 

直後、「クーガー」と三体のBDは高速ですれ違う。

凄まじい足音と風切り音が、前から後ろに通過し、後方に過ぎ去る。

 

 

ウォルトンは瞬時に後ろを振り向いた。BDが反転して攻撃してくると思ったのだ。

 

 

BDはウォルトンの思いをよそに、全力で離脱していく。

敵は七割の戦力を失い、撤退しようとしているのだ。

 

 

 

「『セッター1』より全車、状況終了。深追いはするな。各隊、被害状況を報告せよ」

 

やがて、ハンソン中尉の疲れ切った声がレシーバーに響いた。

 

 

ウォルトンはハッチを開け、身を砲塔の上に乗り出す。

 

開けた瞬間、戦闘後特有の匂いが鼻を突いた。

肉、鉄が焼ける匂いや、血、煙の混ざった匂いだ。何度嗅いでも慣れるものではない。特に血の匂いは……。

 

ウォルトンは自分の小隊のスチュアートが健在か確認しながら、ふとさっきの出来事を思い出していた。

 

 

BDと目が合った瞬間に感じた「悲しみ」というやつだ。

 

 

何故か、BDの目が悲しそうに見えたのだ。

 

 

直後、ウォルトンはかぶりを振った。

 

(俺は何を考えているんだ…深海棲艦に感情などあるはずがないだろ)

 

そう思い、ハンソン中尉に被害がなかった事を報告する。

 

「『クーガー1』より『セッター1』第四小隊被害なし」

 

「『ハウンズ1』より『セッター1』第三小隊被害無し」

 

側面に回り込んだ第三、四小隊の被害は皆無だったが、第二小隊の報告は少し違った。

 

「『ポインター2』より『セッター1』、3輌大破」

 

第二小隊は小隊長車を含む3輌がやられたらしい。

「ポインター」に被害があるという事は「セッター」にも被弾したスチュアートがありそうだが、ハンソン中尉からの報告は無かった。

 

 

「『セッター1』より全車へ、第九補給地点まで後退。到着と同時に砲弾の補給を開始せよ」

 

 

その命令を聞き、ウォルトンが復唱しょうとレシーバーを握った時。

 

 

 

切迫した声の命令が、無線機に響いた。

 

 

 

 

 

 

「『トレーナー』より第三戦車中隊!イースト・ライン西部管区に新たなBD群が出現、個体数約三十。中隊は直ちに西部管区に移動。これを迎撃せよ!」

 

 

 

 

「トレーナー」とは第三中隊の上位部隊である第192戦車大隊司令部の呼び出し符丁だ。

 

 

「なん…だと…」

 

ウォルトンは呻き声を発した。

たった今戦ったBDは六体だけだったが、それでも16輌を有する第三中隊は精一杯だった。

新たに現れたBD群は三十体、五倍だ。とても戦えるとは思えないが…。

 

 

「聞いての通りだ。第三中隊はその全車輌を駆使して、敵の攻撃を阻止する!」

 

ハンソン中尉の皆を鼓舞する声が無線機に響き、M3スチュアート軽戦車が次々と西部管区に向かっていく。

 

 

「『クーガー1』より『クーガー』全車、右旋回。もう一戦やるぞ!」

 

ウォルトンの命令に従い、指揮下のスチュアート4輌が次々と信地旋回し、西に正面を向け、前進する。

 

 

 

 

 

ウォルトン率いる第四小隊は、新たな強敵に戦いを挑むべく、

味方の8輌と共に暗闇に消えて行った。

 

 

 

午前2時16分

 

2

 

「『トレーナー』より被害報告です」

 

ルソン島、北東部に伸びる半島。サンタアナ半島の根元にあるUSAFFE司令部に司令部付通信兵が入ってきた。

 

ゴンザカという町にある商業事務所の一室だ。

以前、司令部はルソン島北部の港湾会社に拠点をかまえていたが、深海棲艦の港への爆撃が激化したため、場所を移している。

 

USAFFE司令官ジョナサン・ウェインライト中将を始めとする司令部幕僚は、通信兵が入って来ると顔色を変えた。

西部管区に襲来した三十体のBDに対して、第192戦車大隊第二、第三中隊のM3スチュアート合計28輌を迎撃に向かわせたのは彼らだ。

過去の戦闘より、BD一体に対抗するためにはスチュアート3輌は必要だという事が分かっている。だが、敵は30、味方は28。

 

かなり劣勢だ。

 

誰もが通信兵の報告に耳を傾ける。

 

 

「敵の侵入は阻止しましたが、敵迎撃の先鋒を務めた第二中隊は全滅。第三中隊は戦力の半分を喪失……です」

 

 

報告の内容を聞いた瞬間、幕僚達に衝撃が走った。

 

BDに有効に対抗出来る部隊の四分の三が、たった二時間ほどの戦闘で失われたのだ。

誰もが驚きを隠せないでいる。

 

 

「我々は深海棲艦地上軍の性格を考え違いしていたのかもしれんな…」

 

報告を聞き、ウェインライトは苦り切った声で言った。

 

3月14日以来、敵地上軍はルソン島においての占領地の拡大を控えており、数日おきに小規模な部隊がイースト・ラインに嫌がらせとも言える攻撃を繰り返すだけだった。

それを踏まえて、USAFFE司令部は「敵はイースト・ラインを突破する力を有していないか、北ルソンを制圧するより、重要な任務がある」と考え、37mm砲という脆弱な兵器を配備するだけで事足りようとしていたのだ。

 

だが、それは間違っていた。

 

阻止はしたものの、深海棲艦地上軍はイースト・ラインの突破を諮ったのだ………三十体のBDで。

 

 

「今後、BD対応は対戦車砲部隊が主力になりそうです。あの非力な部隊が」

 

USAFFE参謀長のサム・ジェイソン大佐が自潮気味に行った。

37mm砲がBDの正面装甲を貫通できない事は周知の事実になっている。

BDの弱点は足元か、側面、背面だが、戦車のように自走できない対戦車砲は正面から向かってくるBDに対して撃つしかなく、無力なのだ。

 

 

 

フィリピンは大半が敵の支配下にあり、制海権、制空権は全て深海棲艦が握っているる。USAFFEは敵のど真ん中で孤立しているのだ。この状況で敵地上軍がルソン島制圧に本腰を入れるような事になると、瞬時に全滅してしまうかもしれない…。

 

そのような考えが幕僚達の脳内を駆け巡っているのだろう。誰一人と言葉を発さない。

 

 

「希望はまだある…」

 

ウェインライトは幕僚全員の心に刻むかのように大きな声で言った。

 

「TF8の物資補給作戦ですか?」

 

サムが確認するように聞き返すと、ウェインライトは頷いた。

 

「北ルソンの港は全て破壊されています。どうやって陸揚げするのでしょうか。いや…それ以前にTF8に敵領域を突破しルソン島までたどり着けますかね?」

 

一人の参謀が聞く。

 

「我々に出来る事は無い。友軍を信じて待つだけだ」

 

ウェインライトに変わってサムが言った。

 

「補給参謀、備蓄はあとどれほど保ちそうかな?」

 

ウェインライトが補給参謀であるエド・マシューズ少佐に問うと、マシューズは淀みなく答えた。

 

「水、食料は自給自足が可能なのでかなり持ちます。しかしガソリンや砲弾、火器などが不足しかかっており、今の状況が続けば三ヶ月程で枯渇します。しかし、重要なのはBDに有効にダメージを与える事が可能な兵器だと考えます。いくら37mm砲弾をもらっても、敵に効果が無ければ意味はありませんから…」

 

マシューズが言うと、ウェインライトは( ̄▽ ̄)と笑って口を開いた。

 

「それについては問題ない。TF8と共にヨコスカに入港した船団には

75mm砲を搭載した新型戦車が多数、載せられている。詳しくは知らないがスチュアートよりはBDに対抗できるだろう」

 

「それに日本陸軍に戦車部隊を派遣してもらう、という事も考えられますな。日本の戦車兵や装備している一〇〇式中戦車などは、皆優秀で強力ですから…」

 

サムが自信ありげに言った。彼は日本で戦車部隊の訓練を視察した事があるのだ。

 

 

 

「それも要請してみよう。通信長!」

 

ウェインライトは大声で、特設通信室に詰めている通信長を呼んだ。

やがて、通信長であるラリー・ディロン大尉が会議室に入ってきた。

 

「TF8に打電『補給作戦ハ 三ヶ月以内ノ実施ヲ希望ス 日本陸軍ニモ派兵ヲ要請サレタシ』だ。スプールアンスならこれでわかるだろう」

 

ウェインライトはディロンに電文内容を指示する。

 

 

ディロンは内容を聞くや、復唱してから通信室に走って行った。

 

 

 

 

 

 








USAFFE司令官だったマッカーサー大将はルソン島沖海戦の時、地上戦の陣頭指揮をとっていた際に戦死してしまい、代わりに北ルソン軍司令官だったジョナサン・ウェインライト中将が指揮をとっています。
(作中に書けなかったので補足しておきます)


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第十五話 漆黒のサブマリナー

潜水艦メインでーす!


4月28日

1

 

マニラよりの方位225度、二十八浬の海面下に一隻の潜水艦が息を潜めていた。

 

「マニラとの距離は?」

 

伊162潜水艦の艦長 若島晴一(わかしま せいいち)少佐は航海長 宮地晃(みやじ あきら)大尉に聞いた。

 

「二十八浬です」

 

宮地は汗を拭いながら返答する。

 

 

台湾に展開している第十一航空艦隊、第八航空軍、第五飛行集団の三個航空部隊は、大本営の戦略方針に従い、ルソン島への航空攻撃を一切実施していない。

だが、偵察は攻撃と反比例するかのように活発に行われている。

連日、海南島や台湾からは九七式大艇などの長距離偵察機が発進し、南シナ海や東シナ海では多数の潜水艦が海中から深海棲艦の動向を探っている。

伊162潜水艦も、第二十九潜水戦隊の僚艦と共にマニラ偵察の任務をおびているのだ。

 

しかし、発進した偵察機はルソン島の手前で敵機の接触を受け、偵察目標となっているマニラどころか、クラーク・フィールド飛行場姫までたどり着けていない。

隠密行動を得意とする潜水艦にとっても同じだ。深海棲艦アジア艦隊が停泊していると思われるマニラ湾に接近しようとしても、イ級駆逐艦や甲型戦闘機が厳重警戒を敷いており、撃沈される可能性が高い。

事実、マニラに近づいた十隻以上の伊号潜水艦が消息を絶っているのだ。

 

 

「二十八か…近いな」

 

若島はぼそりと呟いた。

 

二十八浬はかなり近いと言って良い。今まで三十浬以内まで接近できた潜水艦はいない。いずれも撃沈されるか、偵察を断念している。

 

伊162は十日をかけて禁断の海域まで辿り着いたのだ。

 

 

「潜望鏡深度まで浮上しますか?」

 

宮地が聞いてくる。

現在、伊162は深度70mで慶弔状態にある。今、浮上して潜望鏡を覗いたら、正面にマニラのバタンガス半島やコレヒドール島などが見えるだろう。

 

若島は即答しなかった。

 

「水測、周辺に敵艦の推進音は聞こえるか?」

 

「いえ、何も聞こえません…。静かなものです」

 

水測室でヘッドホンを付けながら海中に耳を澄ましている水測員が返答する。

周辺にイ級駆逐艦はいないようだ。イ級から攻撃を受けて生還した潜水艦乗組員によると、爆雷のような物を搭載しているという。発見されたら、かなり厄介な敵である事は想像に難しくない。

 

 

「……よし、浮上しよう。宮地、メインタンクブロー、潜望鏡深度まで浮上!」

 

若島は数秒間考えた後、命令した。せっかく十日もかけて接近したのだ。敵の拠点があると思われているマニラを偵察し、少しでも味方に情報を送ろう。そう思ったのだ。

 

 

「メインタンクブロー、深度一〇に付け!」

 

宮地が発令所の伝声管に怒鳴り込み、伊162が浮上を開始する。

 

「五〇……三五……一〇……潜望鏡深度です!」

 

宮地が海面下十メートルに達した事を報告する。

 

「潜望鏡上げ!」

 

若島が言うと、瞬時に潜望鏡のアイピースがせり上がって来る。

今の時刻は午後13時40分、南洋であるこの海域では、痛いほどの日光が海面に照りつけているだろう。

 

そんなことを考えながら、左右の把手をつかみ、アイピースに両目を押し当てた…

 

 

 

「わッ!」

 

 

外部の様子が見えた途端、若島は頓狂な声をあげた。

 

レンズに、墨汁のような黒い液体がこびり付いているのだ。

潜望鏡に写っている、向こう側の景色の半分も見えない。

 

若島はアイピースから両目を離し、軍服の袖でレンズを拭いてから、再度覗いてみるが、視界は変わらない。

どうやら海面から突き出している方のレンズにこびり付いているようだ。出航直後に覗いた時はいつもと変わらなかったから、この海域で付いたのだろうか?

 

「どうかしましたか?」

 

宮地が聞いてくる。

 

「これを見てくれ……」

 

若島は宮地にアイピースを覗くように促した。

 

宮地は怪訝な顔でアイピースを覗くと、驚きの表情に変化する。

 

「なんですか?これ…」

 

「海から突き出してる方のレンズにこびり付いているようだ…」

 

宮地の問いに若島は即答した。

宮地もこの正体はわからないようだ。

 

(もしかしたか海水か?)

 

その時、一つの記憶が脳裏をよぎる。

 

確か、ハワイの偵察を行っている米海軍潜水艦部隊の報告書にも、同じような事が書いていた。

ハワイ諸島周辺の海域が真っ黒だ…という内容だ。

 

伊162の潜望鏡レンズにこびり付いている黒い液体は、ここ周辺の汚染された海水かもしれない。

 

「浮上だ…」

 

若島は宮地に言った。

 

「了解。メインタンクブロー、浮上せよ!」

 

宮地は、先と同じように伝声管に怒鳴り込むと、艦が浮上する。

 

直後、壁から滝のような音が響き、伊162は水上に踊り出した。

 

浮上した瞬間、素早く見張り員がハッチを開け、艦橋に上がって周囲を警戒する。

 

「全周360度、敵艦、敵機なし!」

 

見張り員長である長谷川道夫(はせがわ みちお)兵曹長が報告を上げ、若島と宮地は梯子を登って艦橋に上がった。

 

上がった瞬間、新鮮な美味しい空気にありつけると思ったが、強烈な生臭い匂いが鼻を突いた。

 

若島は周囲を見渡すと、「これが原因か…」と呟き、双眼鏡を握り締めた。

 

伊162周辺の海は、墨汁を垂らしたかのように真っ黒なのだ。

 

水面には、魚の死骸や、元がなんだったのか分からない肉塊まで漂っている。それらが生臭い匂いの元だろう。

 

 

「なんなんだこれ?」「汚染されてんのか?」といった声が、見張り員から聞こえてくる。

 

「深海棲艦と何か関係があるのでしょうか?」

 

宮地は若島に聞いた。

 

「多分、あるだろう……」

 

若島はそう言うと、長谷川を呼んだ。

 

「見張り長。海水のサンプルを採取せよ」

 

「了解」

 

長谷川は部下と共に艦橋から甲板に降り、斜め下げバックから試験管を取り出して、海水を採取する。

 

(これで深海棲艦の事が、少しは分かるかもしれないな…)

 

若島がそう思った時、見張りが悲鳴じみた声で報告した。

 

 

 

「右90度、敵機接近。高度二〇!(約二千メートル)数一、甲戦です!」

 

周辺を哨戒中だった甲型戦闘機が向かってきたのだ。恐らく発見されたであろう。

 

報告を聞くや、若島は今までにない程の大声で下令した。

 

 

「急速潜航、深度四〇に付け‼︎」

 

 

素早く見張り員がハッチに滑り込み、宮地も入る。

海水を採取しに、甲板に降りた長谷川と、もう一人の兵も全力で突っ走り、艦橋に上がってくる。

 

艦の左右から黒い海水が押し寄せ、伊162は潜航を開始する。

 

若島は、残った兵がいない事を確認してから、ハッチに滑り込んだ。

 

ハッチを閉じようと、把手に手を伸ばした時。伊162を横なぶりの衝撃が襲いかかり、盛大に左に傾いた。

 

おそらく、襲来した深海棲艦の甲型戦闘機が対潜爆弾を投下し、それが伊162の真横で炸裂したのだろう。

 

若島は生臭い海水をもろに浴びる事になってしまったが、ハッチを閉め、厳重にロックする。訓練で何百回と繰り返した動作だ。間違える事はない。

 

 

海水の音が、周囲を満たす。

 

敵機の攻撃はそれだけだった。伊162は深度四十メートルまで沈降する。

 

 

 

「深度四〇に到達……」

 

やがて、深度計を見ていた宮地が報告を上げた。

 

「沈降停止。機関停止。無音潜航……」

 

若島は、立て続けに三つの命令を出す。

若島の命令に従い、伊162は深度四十メートルの海中で停止した。

 

命令通り、皆が無音を保つべく一言も口を開かない。

 

今の攻撃だけで、深海棲艦が易々と逃してくれるとは思っていない。

多分、敵機の連絡を受け、駆逐艦が向かって来ているだろう。

 

 

「水測より発令所。推進音二、方位四十五度より接近。距離三〇」

 

伝声管から報告が上げられる。

 

「速さは?」

 

「あまり速くありません。二隻とも十ノット程度です…」

 

十ノットは時速18.5キロだがら、十分程でここに来る計算だ。

 

 

「発令所より全部署。音を立てるな…」

 

若島は命令した。

 

味方潜水艦からの情報によれば、深海棲艦の駆逐艦も人類の駆逐艦と同じく、海中の音を聞いて潜水艦を探知するようだ。

 

やがて、スクリューの海水を撹拌する音が聞こえてくる。

 

潜水艦乗りにとって、死神の足音に匹敵する凶々しい音だ。

もし、気付かれると爆雷という名の鎌が容赦なく魂を削りに来る。

 

(気付くな……気付くなよ……)

 

音がますます大きくなっていく。

 

 

「敵艦、本艦の直上……!」

 

水測員の切迫した声が響いた。

 

 

「来るか?……どうだ?」

 

若島は小声で呟く。

今にも水測員から「爆雷着水音、多数!」の報告が入るかもしれないのだ。

 

そして…。

 

 

「直上を通過しました……!」

 

 

水測員から報告が入る。

 

緊張の面持ちで、頭上を見上げていた兵や下士官達の表情が安堵した物となる。

 

「まだだ……」

 

若島は、右手の人差し指を口に当てながら言った。

二隻目がいる。

 

再び、スクリューの音が聞こえて来る。二隻目のイ級駆逐艦だ。

 

「こんな汚ねぇ海で海水浴はごめんですね」

 

宮地が薄く笑いながら言った。

こんな状態で軽口を叩けるとは、大した根性だ…若島はそう思いながら返答する。

 

「まったくだ……」

 

 

その時だった……。

 

 

 

 

 

 

カァン!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

カァン………カァン………カァン………

 

 

 

 

 

 

 

 

伊162潜水艦の外郭を何かが叩いている。

 

「……‼︎」

 

直後、若島は声にならない叫びを上げた。

 

この耳をつんざく甲高い音。何度聞いても忘れようがない。

 

 

 

深信音だ。

 

 

(深海棲艦は音波探信機も持っているのか…‼︎)

 

 

ソナーには大きく分けて二種類ある。パッシブ・ソナーとアクティブ・ソナーだ。

パッシブ・ソナーは伊号潜水艦にも搭載されている機材で、聴音装置を使いながら海中や水上の敵を探知する。

アクティブ・ソナーは、自らが海中に超音波を発し、物体からの反射で、敵艦の方位や位置を探知する装置だ。

 

 

敵駆逐艦はアクティブ・ソナーで超音波を放っているのだ。

先の甲高い音は、伊162が敵の音波を跳ね返していた音だろう。

 

今頃、反射されて帰ってきた音波によって、伊162の位置を敵に探知されている事は確実だった。

 

 

「海上に動きです。一番艦反転、二番艦増速!急速接近!」

 

 

「ベント全開、メインタンク注水。海底まで潜れ!」

 

水測員の悲鳴染みた報告が耳に入るや、若島は大声で命令する。

 

 

「ベント全開、きゅーそく潜行おーー‼︎」

 

宮地が復唱し、艦が沈降を開始する。

 

 

 

アクティブ・ソナーから逃れる方法は一つしかない。

 

海底にくっ付き、息を潜めるのだ

潜水艦と海底が一体化すれば、アクティブ・ソナーは海底と伊162の判別ができずに失探する事になる。それに、海底の地形が入り組んでいると、ソナーから発射された超音波が乱反射し、伊162の探知は更に難しくなるのだ。

 

幸い、この海域の海底は入り組んだ凸凹の多い地形になっており、潜水艦が逃れるにはもってこいの場所だ。

 

 

伊162は沈降を続ける、深度百十メートルの海底を目指して。

 

 

「海面に着水音多数‼︎」

 

 

新たな報告が上げらる。

 

「来た……!」

 

若島は呻いた。深海棲艦が爆雷攻撃を開始したのだ。伊162潜水艦が海底に逃れると、探知が出来なくなる事を理解しているのかもしれない。

 

 

爆雷攻撃第一波は、伊162潜水艦の頭上で炸裂した。

 

頭をハンマーで一撃されるような衝撃が襲いかかり、炸裂音が海中を通じて艦内に轟く。

 

「第二機械室に軽微な浸水!」

 

伝声管を通じて報告が上げられる。

若島がそれに対して対処命令を出そうとした時、第二波が炸裂する。

 

一発が真横で炸裂し、他の爆雷は伊162より下の海中で炸裂した。

 

炸裂した瞬間、凄まじい衝撃が艦全体を貫き、伊162は横ロールする。下からも衝撃波が届き、艦が若干突き上がる。

 

艦の照明が点滅し、壁に張り巡らされているパイプの一部から海水が勢いよく噴き出す。

 

 

「宮地!海底まであと何メートルだ⁉︎」

 

若島は炸裂音に掻き消されないように大声で言った。

 

「現在、一〇〇!あと一〇メートルです‼︎」

 

それを聞いた直後、第三波爆雷攻撃が炸裂する。

 

周辺で一斉に炸裂し、伊162は無茶苦茶に翻弄される。

 

 

「よーし、いいタイミングだ!深海野郎!」

 

周りの兵や下士官は驚いた顔で若島を見た。

 

この状態で何が「いいタイミングだ」だ!この艦長は状況が見えていないのか⁉︎

 

誰もがこう思っていたに違いない。

だが、若島は今の状態を伊162乗組員の中で一番理解していた。

 

「最大戦速‼︎」

 

若島が宮地に命令すると、宮地は若島の考えがわかったのか、ニヤリと笑った。

 

スクリューの回転数が上がり、伊162潜水艦は海底を這うように進む。

現在、海中では、爆雷の炸裂で発生した泡と騒音でソナーが役に立たない。

若島はこの状況に紛れ、この海域を離脱しようとしているのだ。

 

第四波爆雷攻撃は来ない。

 

どうやら伊162は敵駆逐艦の目を欺き、離脱に成功したのかもしれない。

 

「速力、三ノットに減速」

 

数分進んだあと、若島は宮地に言った。

徐々に海中の状態がクリアになって来ている。

 

海底付近に来ているため、敵のアクティブ・ソナーは役に立たないが、パッシブ・ソナーに探知される可能性がある。

若島はその事を考慮したのだ。

 

イ級駆逐艦は伊162潜水艦を完全に見失ったらしい。

 

 

敵艦の攻撃は無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

若島や宮地などの乗組員は知る由もないが、この時、持ち帰った黒い海水のサンプルは、人類の来るべき大規模反攻作戦の成否を左右する

重要な情報となる……。

 

 

 

 




ルソン島のアメリカ極東軍への補給作戦開始までは、あと2〜3話挟みます。




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第十六話 空の要塞

「逆探搭載型B17」なんて出しちまうんだが大丈夫かな…-_-b


深海棲艦のレーダー基地を捜索します!


6月14日 午後3時49分

1

台湾とルソン島の間。バジー海峡上空三千メートルを南に向かって飛行する一機の機体があった。

その機体はかなり巨大で翼には左右二基づつ、合計四基のエンジンが付いている。

全体が茶色に塗装されており、翼や胴体には星のマークが描かれている。

 

 

第八航空軍所属のB17だ。

 

この機体の任務は偵察や爆撃ではない。もっと重要な任務を帯びていた。

 

 

「現在位置は?」

 

B17機長 ハワード・ロックウェル中尉は上部旋回機銃の銃座に座りながら航法士のランス・オリヴァー兵曹に聞いた。

 

 

「ルソン島より方位0度、90浬」

 

オリヴァーはチャートを見ながら答えた。

 

方位0度というのは真北の事だ。B17の針路は順調らしい。

 

 

(ていうか、なんで機長の俺が旋回機銃の役割分担されてんだよ⁉︎……まぁ理由はわかるが…)

 

ロックウェルは悪態をついた。

本来、機長が旋回機銃を撃つことはない。どの機体でもクルーに指示を出すか、他機と連絡をとるなどの役割しかないのだ。

しかし、ロックウェルが機長のB17はそうしなければいけない理由があった。

 

ロックウェルは爆弾槽を見やった。そこには爆弾ではなく、巨大な機械が搭載されている。

 

 

 

電波探知機……通称「逆探」だ。

 

 

その機械からは、二つのテニスラケットのようなアンテナが伸びており、開けっ放しの爆弾扉から機外に飛び出している。

 

敵のレーダー波をキャッチしようとしているのだ。

 

 

 

 

 

3月3日以来、台湾に展開する第十一航空艦隊はルソン島への航空偵察を度々行ってきた。

連合艦隊からの指令通り、敵の情報を集めようとしていたのだ。

だが、現在でもクラーク・フィールド飛行場姫にたどり着けたのは3月8日、同地に向かった九七式大艇一機のみ、他の偵察機は全て到達前に撃墜されるか、偵察を諦め退避している。

 

なぜか分からないが、ルソン島の手前で敵戦闘機が捕捉して来るのだ。それにより、二十機以上の偵察機が帰らぬ身となっている。

 

第十一航空艦隊司令部はこの事を重大視し、深海棲艦戦略情報研究所に分析を依頼すると共に、独自に情報収集を行った。

 

その結果、二つの結論が出た。

 

一つ目、「深海棲艦の潜水艦がバジー海峡に潜伏し、上空を通過する日本海軍の偵察機を全て飛行場姫に通報している」という物。

 

二つ目、「ルソン島周辺に敵レーダー基地、ないしレーダーピケット艦が展開しており、発見した偵察機を飛行場姫に通報している」

 

という物の二つだ。一つ目はともかく、二つ目の結論は疑問に思う参謀がかなりいた。

「深海棲艦がレーダーなどの電子機器を持っているはずがない」などの意見が挙げられたが、第十一航艦司令官の塚原二四三(つかはらにしぞう)中将が説き伏せ、この二つの結論を元に行動を開始した。

 

第六艦隊に要請し、バジー海峡に潜水艦を送り込んで敵潜水艦を捜索すると共に、日米共同で開発されていた逆探試作一号機を第八航空軍とも協議した上で爆弾搭載量が大きく、防御力も大きいB17に搭載して敵レーダー基地を捜索する事を決定し、出撃準備が進められた。

 

以来二週間。未だにルソン島北岸周辺に敵潜水艦やレーダーピケット艦のような物は発見されていない。

それにより、第十一航艦は深海棲艦はレーダー基地を設置している可能性が高いと判断したのだ。

本来ならばレーダー基地はルソン島北部に作りそうなものだが、北部はアメリカ極東軍が確保している。

そのため、ルソン島の北に位置しているバブヤン諸島に目を付けた。

第八航空軍と第十一航艦はバブヤン諸島に敵レーダー基地があると考え、ロックウェルの逆探搭載型B17を派遣したのだ。

 

これで逆探に反応があれば、敵がレーダーを保有しているという事になる。

 

ロックウェル自身も深海棲艦がレーダーを使っているとは信じられないが、行ってみなければ分からなかった。

 

 

ロックウェルのB17は出来るだけ重量を軽くするために搭乗員の人数や機銃を減らしている。

本来なら搭乗員10名、12.7mm重機関銃13丁だが、現在は搭乗員7名、重機関銃7丁になっている。

そのため一人二役ほど、こなさなければならないのだ。

 

従来より弱い防御火力で情報を持ち帰られるかが鍵だった。

 

 

 

「バブヤン諸島よりの距離60浬………間も無くです」

 

やがて、オリヴァーが報告する。

 

第八航空軍司令部は敵レーダー波を逆探が探知するのを、人類のレーダー性能と照らし合わせて50浬程だと予想している。

あと10浬で予定の空域だ。B17の巡航速度でも数分で到達できる。

 

改めて命じる事はない。そう思い、旋回機銃のトリガーに指をかけた。

 

その時だった…

 

 

 

 

 

「逆探感あり!方向機体正面、出力増大中。敵のレーダー波です!」

 

 

 

 

逆探の操作をしていた電測員のサミエル・ジェイコブ軍曹が大声で報告する。

 

 

「高度を落とせ、早く!」

 

 

ロックウェルが素早く操縦士であるマイケル・グール少尉に命令し、B17が機首を下げて降下に入る。

 

(やはり持っていた……深海棲艦はレーダーを駆使して偵察機を撃墜していたんだ!)

 

降下時特有のフワリとした感触に体を包まれながらも、ロックウェルは考える。

 

今ので、こちらの位置は奴らにばれてしまっただろう…敵戦闘機が向かってくるのは時間の問題だ。

 

(敵に捕捉されるのが先か、レーダー基地を発見するのが先か……)

 

 

B17は高度を落とし続ける。風切り音が全てを満たし、正面に海が見える。そして……

 

「逆探、反応消えました!」

 

高度六百メートルに達した時、ジェイコブが報告する。

 

直後、B17が機首を起こし、水平飛行に戻った。海面を見下ろすと、先よりも鮮明に波濤が見える。高度六百メートルはB17にとってかなり低空飛行だ。

 

人類のレーダーでも低空飛行の航空機は探知しずらい。それに関しては深海棲艦のレーダーでも同様なようだ。

事実、逆探の反応は消え、ロックウェルのB17は敵レーダーの探知外にいる。

 

深海棲艦は今頃、目標が急に消えてパニックになっているのかもしれない。

 

 

 

「無線封鎖解除、司令部宛て打電。”敵レーダー基地ハ、バブヤン諸島二アル可能性大”だ」

 

ロックウェルは通信士に言った。

それを聞くと通信士は頷き、モールス信号の通信キーを叩く。

 

 

 

トン・トン・ツー・トン・ツー・トン・トン………

 

 

 

ロックウェルは部下がしっかりとキーを叩いている事を確認すると、再び12.7ミリ連装旋回機銃の銃把を両手で握る。

 

その時、ロックウェルの目にある物が写った。

 

 

前上方の断雲の中から、黒いゴマ粒のようなものが4つ。こちらに向かってくる。

こんな空域に味方はいない。恐らく深海棲艦が保有する主力航空機ーーー甲型戦闘機のだろう。

 

ロックウェルの予想よりかなり早い出現だった。もしかしたら深海棲艦はルソン島北部に新たな飛行場姫を建設したのかもしれない。

 

「前上方より敵機!」

 

ロックウェルはそう叫ぶと、機銃を旋回させて敵機に向けた。

 

敵機もこちらを発見したらしい。先頭の機から順に機体を翻す。

 

翻した瞬間、太陽光が反射して機体が不気味に黒光る。

 

「喰らえ!」

 

ロックウェルは罵声を発し、引き金を引いた。

 

直後、鼓膜を震わせるほどの音と共に、直径12.7ミリの弾丸が連続して発射される。

機首の機銃も発砲し、弾丸を敵機に向けて撃ち上げ始める。

青色の曳光弾が流星のように伸び、敵機に吸い込まれたかのように見えた。

だが、敵機は素早く機体を横転させて回避する。二番機も同じだ、あたかもベテランパイロットが操っているような見事な機動だった。

 

一、二番機はそのまま旋回して離脱するが、残りの二機は所構わず突っ込んで来る。

 

 

三番機が発砲し、一条の火線がB17の胴体を斬りつける。

四番機も同じだ。ミシンのように弾丸がB17に命中し、ささくれを立たせる。

だが、B17は動じない。「空飛ぶ要塞・フライングフォートレス」の名に恥じぬ防御力だ。

 

敵機は高速でB17の頭上を通過し、後方に抜ける。

甲型戦闘機の大きさはP40や零戦とあまり変わらないはずだが、何倍も大きく見えた。威圧感がそうさせたのかもしれない。

 

「正面にバブヤン諸島!」

 

「逆探に反応あり!」

 

二つの報告が上げらる。

 

ロックウェルは機銃を撃ちながら首をねじり、正面を向いた。

水平線上に島が見え、だんだんと数を増やしていく。

バブヤン諸島は主にバブヤン島、カラヤン島、カミギン島、ダルピリ島、フガ島の五つの島からなる。

ジャングリに包まれ、火山が点在している。未開の島々だ。

 

この五島から敵のレーダー基地を探し出さなければならない。

 

 

「来るぞ!」

 

 

誰かの叫び声が聞こえたとき、B17の後方から二機の敵機が向かって来た。

ロックウェルが慌ただしく銃座を旋回させ、敵機に向けて発砲した時には、B17の脇を猛速で追い抜かしている。

 

「クソッ!」

 

敵機が高速すぎ、当てるのが至難の技だ。

機銃を向けた時には、すでに通過している。

 

 

「マイケル。海面ギリギリまで降下して、機体を振れ!」

 

ロックウェルは新たな命令を出した。

このままでは敵に撃墜される。海面付近まで降りて、敵機の攻撃パターンを減らしてやろうと思ったのだ。

 

B17が再び高度を落とし、日本海軍艦攻隊顔負けの超低空飛行を披露する。

同時に機体を左右に振り、敵戦闘機に照準を付けさせない。

 

逆探を搭載し、単機で敵地に乗り込む事を任されたB17のパイロットであるだけに、操縦技術は優れたものだ。

 

 

 

「右後方より敵機!」

 

の報告が入った瞬間、B17が右に旋回する。

 

右の主翼が海面に触れそうだ。とヒヤヒヤしながらロックウェルは機銃を敵機の未来位置に向け、撃ちまくる。

ロックウェルの銃座だけでは無い。右側面の12.7ミリ機銃や尾部銃座の機銃も発砲する。

その敵戦闘機はB17の撃墜を焦りすぎていたのかもしれない。単機で突っ込んで来たのだ。

B17から発射された四条の火線のうち、一条が敵機に命中した。

直後、火焔が踊り、海面ギリギリのため、その敵機は数秒とせずに海面に叩きつけられる。

 

深海棲艦の甲型戦闘機は高速だが、防御力が少ない。数発当てればバラバラに吹き飛ぶのだ。

 

 

「敵のレーダー波はどの方角から発せられてる?」

 

「我々の左前方からです!」

 

ロックウェルが機銃発射音に負けないように大声で聞くと、逆探を操作しているジェイコブも大声で返答する。

 

ロックウェルは左前方を向いた。

 

「あれか…!」

 

そこには一つの島が浮いていた。

 

バブヤン諸島の最北に位置し、五島の中で一番標高が高い島。

 

 

 

 

 

バブヤン島だ。

 

 

 

 

 

あそこに敵のレーダー基地がある。

 

「マイケル、バブヤン島に向かえ!」

 

 

ロックウェルが命令すると、B17の巨体が左に旋回する。

 

 

その時、敵機が正面から向かってきた。先に離脱して行った二機のようだ。

 

B17の進路を予想して先回りしていたのかもしれない。

 

 

ロックウェルが機銃を向けるより先に、敵機が発砲する。

 

敵弾はB17の機首を直撃する。丸みを帯びた窓ガラスが粉砕され、破片がキラキラと中に舞った。同時にスピードが少し落ちる。

 

機首を破壊された事によって、空気抵抗が増したのだ。

 

 

「機銃手戦死!」

 

ジェイコブが悲鳴染みた声で報告する。

機首機銃を担当していた兵が敵機の弾丸に撃ち抜かれてしまったのだ。

敵機の機関砲は20ミリクラスだということが判明している。生身の肉体に喰らったらひとたまりもなかっただろう。

 

一番機は風を巻いてB17とすれ違い、二番機が距離を詰めてくる。

 

ロックウェルは二番機には発砲できたが、命中しない。

 

二番機が発砲し、敵の射弾が左翼の四番エンジンを直撃する。

命中した瞬間、プロペラが吹き飛び、炎と煙が噴き出される。

ガクン!という音と共にB17の機体が大きく振動した。

 

自動消火装置が付いているはずだが、作動しない。

 

 

B17は四番エンジンから火を噴きながらも、バブヤン島の上空に入る。

次の瞬間、地上に発射炎が閃めいた。

 

「……!」

 

ロックウェルは声にならない叫びを上げる。

 

敵弾がB17の周辺で炸裂し始めた。

B17は右に左にと翻弄されてしまう。

 

ロックウェルを始めとするB17搭乗員は血眼になって地上を見回す。

 

通常、ただの小さな島に対空砲を配備するはずがない。必ずどこかにレーダー基地があるはずだ。

 

B17は五百メートルほどの高度を保ちながらバブヤン島にある山ーーースミス火山の脇を通過する。

 

(この島は決して大きい島ではない。一体どこにあるんだ!敵のレーダー基地は!)

 

ロックウェルが地上を見渡しながら思った時、ジェイコブが報告した。

 

「逆探の反応が消ました!」

 

「消えた⁉︎バカな!」

 

ロックウェルはそう言うと、B17の周辺を見渡した。

 

すると、バブヤン最高の標高1080mの山。「バブヤン・クラロ」が目に止まる。

 

ここでロックウェルは思い出した。

確か、レーダーは山などの障害物を挟んで反対側の物体を探知する事が出来ない。

山に遮られてレーダー波が届かないためだ。

 

(だとすると…)

 

逆探の反応が消えたのは「バブヤン・クラロ」にレーダー波が遮られたからかもしれない。そうなるとB17の反対側、すなわち「バブヤン・クラロ」の西に敵のレーダー基地がある事になる。

 

「正面の山を飛び越せ‼︎マイケル!」

 

ロックウェルが指示を出すと、B17が最後の力を振り絞って上昇を開始する。

 

「後方敵機!」

 

「しつこい!」

 

敵機接近の声が耳に入り、ロックウェルはそう叫ぶと反射的に引き金を引いた。リズムよく弾丸が発射され、敵機に吸い込まれる。

 

今度は効果があった。

 

吸い込まれた瞬間、敵機は黒い塵を吐き出し、錐揉み状態になりながら、山腹に墜落する。

 

 

次の瞬間、傷だらけのB17は「バブヤン・クラロ」の山頂を通過し、反対側に踊りだした。

 

ロックウェルははっきりと見た。

 

 

「バブヤン・クラロ」の西側中腹にそびえ立つ、骨組みの建造物を。

 

 

高さは二十メートルほどだ。四角い骨組みの上に、巨大な長方形の板が乗っかっている。

 

「見つけた!」

 

ロックウェルが歓喜の声で叫ぶと、ジェイコブがロックウェルの方を見て言った。

 

「逆探に感あり!今までで最大です!」

 

顔は上気しており、喜びが溢れ出ている。

 

 

「司令部に打電!”ワレ、バブヤン島ノ、バブヤン・クラロ山西側ニテ敵レーダーサイトヲ発見ス”だ!急げ!」

 

せめて第八航空軍司令部に報告するまで落とされる訳にはいかない。

 

ロックウェルはそう思い、通信士に矢継ぎ早に言った。

言い終わると、ブローニング12.7mm重機関銃を敵機に向け乱射する。

 

マイケルも速度が大幅に落ちた機体を左右に振り、回避を試みる。

 

 

しかし、B17の機動は悲しくなるほど遅い。そのような状態で敵弾わ回避できる筈もなく、敵機の弾丸が一番エンジンに命中する。

エンジンを包む鋼板の一部が後方に吹っ飛び、甲高い音を立てながらプロペラが停止する。

 

「まだか、打電は!」

 

ロックウェルが焦りを隠せずに聞くと、通信士が即答した。

 

「打電終了!」

 

 

その言葉を聞きロックウェルが安堵した。

その刹那、轟音と共にB17が大きく振動し、機首が地上を向いた。

 

咄嗟に機首を見てみると、跡形もなく粉砕されている。

恐らく、敵の20ミリ弾が集中的に直撃したのだろう。

あの様子ではマイケルは戦死している可能性が高い。

 

B17はパイロットを失い、真っ逆さまに落下していく。

 

そんな状態で、ロックウェルは薄く笑った。

もう少しで地面に叩きつけられるのに、彼は笑ったのだ。

 

 

「もう遅い、深海棲艦。お前らの大事なレーダー基地はオレ達が発見した!」

 

 

「すぐさま味方が叩きに来るだろう……覚悟しておけ!」

 

 

 

 

 

 

ロックウェルが叫び終わると同時に、凄まじい衝撃が襲いかかり……

 

B17は地面に激突して粉々に爆散した。

 

 

 

 

 

 

 




テストが多くて、これから更新遅くなりそうです‼︎


スンマソン……



感想あれば待ってまーーす


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第十七話 レーダー破壊指令

今回の話の内容をまとめると……。


一式陸攻登場!


深海棲艦のレーダー基地を破壊せよ‼︎


だけだな…。



ではどうぞー




6月15日、午前5時22分

 

 

1

視界の中には暗闇に包まれた海面と、夜光塗料が塗られた計器、左右のエンジン排気口から出る鈍い赤色しか見えない。

時折、後方を振り返って味方機が後続している事を確認すると、再び正面を向く。

遥か上空の空は黒から紫紺に染まりつつあり、夜明けが近い事を伝えていた……。

 

 

「バブヤン島に着く頃には、日が昇っているな…」

 

第十一航空艦隊 高雄航空隊飛行隊長の高嶋稔(たかしま みのる)少佐は空を見ながら言った。

 

同時に、今までの経緯を思い出している。

 

 

 

昨日、6月14日。第八航空軍所属の電波探知機を搭載したB17が、バブヤン島「バブヤン・クラロ」山の西側に敵レーダー基地を発見した。

その情報が高雄飛行場で待機していた高雄航空隊の元に届くと、陸攻隊の搭乗員達は歓喜した。

 

高雄航空隊は3月上旬のルソン島民間人救出作戦で、第三艦隊を援護すべく、クラーク・フィールド飛行場姫への日米合同航空攻撃隊に参加している。

しかし、第三艦隊の上空援護は成功したが、攻撃隊は大損害を受けることとなってしまった。

高雄航空隊も例外ではなく、所属の三十六機のうち、二十五機の九六式陸攻が撃墜され、高嶋本人の九六式陸攻も命からがら離脱したのだ。

帰還した時、高嶋は深海棲艦へ雪辱を晴らす事を誓った。

 

 

必ず貴様らの侵略を阻止し、仲間の仇を取る。と……

 

 

だが、気持ちに反して出撃命令はなかなか来なかった。

連合艦隊と大本営は受け身に徹する事を選んだのだ。

 

さらに、陸攻主体の高雄空は新型陸上攻撃機の機種変換訓練のため、後方の九州に下げらてしまう。

 

その地で高嶋は補充の搭乗員を迎え、ひたすら新しい陸攻が部隊に馴染むように努力した。

 

以来三ヶ月。

 

高雄航空隊に台湾進出の命令が出され、高嶋は新型陸攻と共に台湾の土を踏む事となったのだ。

 

十一航艦司令部で作戦説明を受け、任務はB17が発見するであろう敵レーダー基地を叩き、今後の偵察や近々実施される補給作戦を、容易に行えるようにする事だった。

 

 

そしてB17が敵レーダー基地を発見。

残念ながら通信が届いた時間は4時半を針が超えた所で、行きはともかく帰りが夜間になってしまい、危険だという事により、1日ずらされての攻撃と決まったが、高嶋は満足だった。

 

 

 

現在、高雄空の一式陸上攻撃機二十七機は第三航空隊の零戦九機と共に、敵レーダーにかからないよう、高度八十メートルの低空をバブヤン島に向けて南下している。

 

同様に住島正夫(すみしま まさお)隊長率いる台南空の零戦二十四機と、第八航空軍所属の新型戦闘機 P38”ライトニング”十八機が、高雄空の西方三十五浬を、高度三千メートルに保ちながら南下している。

こちらの編隊は、わざと自らを敵レーダーに探知させ、陸攻隊が攻撃されないように敵の迎撃機を釣り出す役割を担っていた。

 

 

そこまで考えた時。

 

攻撃隊の左側、すなわち東の水平線上に曙光が閃らめいた。

一式陸攻、護衛の零戦の姿が暗闇から浮かび上がる。

 

朝日は瞬く間に暗闇を西に追いやり、海空雲一体とした自然の神秘的な光景を展開していく。

高嶋の故郷である高知の海では見ることができない南国の光景だが……

 

 

美しかった。

 

 

 

「綺麗ですね……」

 

高嶋機の操縦士である山上直樹(やまがみ なおき)中尉が、操縦桿を握りながら言ってくる。

ルソン島沖海戦で、共に死線をくぐった相棒とも言える部下だ。

 

 

「ああ…」

 

 

高嶋は返答する。

 

 

 

発表された情報によると、深海棲艦は占領下に置いた海域を真っ黒に汚染させ、海の生命に死をもたらしているという。

このまま深海棲艦の侵攻が進めば、この海も同様の汚染された海になってしまうかもしれない。

 

「山上」

 

 

「はッ…」

 

 

高嶋は、重々しい声で部下の名前を呼んだ。山上も畏まった様子で上官の次の言葉を待つ。

 

「この蒼く美しい海を、奴らの黒い海にしてはいけない…」

 

 

ここで言葉を切り、若干の時をあけて再び口を開く。

 

 

「何としても守るんだ」

 

 

 

 

「……当然ですよ…これ以上、深海魚どもの好きにはさせません」

 

 

 

高嶋の言葉に、山上は覚悟を決めたように言うのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

飛行は続いている。

 

一式陸攻、零戦合計三十六機の攻撃隊は、ひたすらバブヤン島を目指して南下する。

 

 

二十分ほど経った頃、無線機に住島飛行隊長の声が響いた。

 

 

「住島一番より高雄一番、客が入店した。今よりもてなす」

 

「客が入店した」は敵戦闘機が釣り出された事、「もてなす」は敵戦闘機と戦闘行動に入るということだ。

 

目論見どうり、敵戦闘機はレーダーに映った日米戦闘機隊に喰い付いた。対空砲の抵抗は予想できるが、バブヤン島レーダー基地の護衛戦闘機は皆無であろう。

これで思う存分叩ける。

 

「よし!」

 

住島の報告を聞くや、高嶋と山上は頷き合った。

 

 

 

 

 

だが……その予想は裏切られる事となる。

 

 

 

「正面にバブヤン島!」

 

 

陸攻隊が爆撃針路に乗るため、高度を千メートルに上げた時。上部の二十ミリ旋回機銃を担当する宮永達郎(みやなが たつろう)二等飛行兵曹が報告を上げた。

 

 

高嶋は報告を聞くと、手元にある双眼鏡で正面を見た。

 

 

 

丸い視界の中に、小さな島が見える。

 

山が二つあり、緑に覆われている島だ。

二つの山のうち、低い方がスミス火山。ひときわ高いのが敵レーダー基地がある「バブヤン・クラロ」山であろう。

 

 

「!」

 

直後、高嶋は声にならない叫びを上げた。

 

 

バブヤン島の上空を、二十機前後の甲型戦闘機が待機しているのだ。

 

 

 

「なぜだ!敵機がいるぞ!」

 

 

山上も確認したらしい、狼狽した声で叫ぶ。

 

高嶋は、てっきり全敵戦闘機が陽動部隊に釣り出されたと考えていたが、それは間違いだった。

深海棲艦はこちらの動きを読み、戦闘機をレーダー基地の上空で待機させていたのだ。

 

 

さらに高度を上げたため、今頃レーダーに探知されているだろう。

 

 

「高嶋一番より全機。無線封鎖解除、全軍突撃せよ!」

 

高嶋は一刻の猶予もない、と判断し、全機に命令した。

 

 

命令した瞬間、二十七機の一式陸攻が一斉に巡航速度から最大速度に加速し、九機の零戦は敵戦闘機を迎え撃つべく陸攻隊を追い抜かしながら敵機に向かう。

 

 

敵機もこちらに気づいたようだ。俄然、受けて立つ。

 

攻撃隊を包み込むように散開し、こちらに向かって来た。

 

 

 

距離が凄まじい勢いで詰まっていく。

 

 

 

 

九機の零戦が敵戦闘機と空中戦に入った。

 

零戦は甲型戦闘機と正面からはやり合わない。燕のように機体を翻し、敵機の側面や背面に回りこむ。

高い機動力で敵弾をかわし、好射点に移動した零戦が、二十ミリ、七.七ミリなどの機銃を甲型に向けて発砲する。

弾丸を喰らった甲型が右の翼を叩き割られ、黒煙を吐きながら海面に向けて墜落を始める。

他にも、七.七ミリ弾を多数に叩き込まれ、白煙を引きずりながら空中をのたうつ甲型がいれば、機銃の弾倉が誘爆したのか、木っ端微塵に爆散する甲型も居る。

 

背後や側面を取られた甲型は右、あるいは左に機体を傾け、零戦を振り切ろうとするが、零戦は見逃さない。

 

右に、左にと旋回し、敵機に喰らい付いて距離を詰める。

 

 

見た所、零戦の搭乗員は果敢に攻撃し、大半の敵機を格闘戦に引きずりこんでいるが、数機の敵機が零戦に目もくれずに陸攻隊に接近して来た。

 

数は六機。

 

たかが六機でも、零戦のいない陸攻にとってはかなりの脅威だ。

 

 

「構わん、一点突破だ!突っ込め!」

 

 

高嶋は叩きつけるように無線機のマイクに言った。

バブヤン島はすぐそこにある。高嶋は強引に突破しようと考えたのだ。

 

次の瞬間、敵機が一斉に発砲する。

 

 

高嶋機に雨霰と敵弾が向かってくるが、命中寸前に弧を描いて下方にそれた。

陸攻隊も、機首の二十ミリ機銃を発砲した。

何条もの太い火線が敵機に殺到する。

 

複数の火線が同時に一機の敵機に命中した。

当たった瞬間、甲型の尖った機首が変形し、次の瞬間には強烈な閃光を発してバラバラに砕け散る。

 

 

直後、残りの甲型戦闘機が、自らが放った弾丸を追うように高嶋機の真下を通過した。

 

 

「西口機被弾。河本機被弾!」

 

 

敵機がすれ違いざまに射弾を撃ち込んだのだろう。宮永が報告を上げる。

 

ちらりと後方を向いてみると、一機の一式陸攻が、機首から煙をを引きずりながら後方に落伍していた。

機首に甲型の二十ミリ弾を喰らったのかもしれない。

 

もう一機は視界の外なのか、ここからは見えなかった。

 

「新たな敵二機、左上方!」

 

無線機に、切迫した声が響く。

 

 

高嶋が命令を出すより早く、高嶋機の左に位置している第二中隊が上部、機首の二十ミリ。胴体側面の七.七ミリ機銃を発射する。

 

赤、オレンジと言った曳光弾が甲型に伸びるが、甲型は高速で距離を詰め、一機の陸攻に射弾を浴びせる。

二機の甲型から、連続して二十ミリ弾を叩き込まれた一式陸攻は、右エンジンから火を吐き、大幅に速度が衰えて編隊から落伍する。

 

発砲した甲型は、第二中隊の側面をすれ違い、下方に抜ける。

 

敵機は一撃離脱戦法を使用しているらしい。

 

 

 

更に四機の一式陸攻を撃墜された後、攻撃を繰り返していた甲型が機体を翻して陸攻隊より離脱する。

 

高嶋がその意味を悟るより早く、バブヤン島の敵対空砲が火を噴いた。

 

陸攻隊の周辺で敵弾が炸裂し始める。

高嶋機の右側でも一発の敵弾が炸裂した。炸裂した瞬間、高嶋の乗る一式陸攻は衝撃波で左に揺れ、弾片が機体の至るところに当たって甲高い音を立てる。

 

山上が衝撃でずれた進路を修正するが、新たな敵弾が左側で炸裂し、今度は機体が右に傾く。

 

 

後方から閃光が届き、機体の破壊された音が響きわたった。

 

 

「二中隊長機被弾!西本機…撃墜されました!」

 

 

次々と被弾報告が飛び込んで来る。

 

だが、次の瞬間、陸攻隊はバブヤン島の北東から島上空に侵入していた。

 

 

「あの山の西側だ!」

 

高嶋は出撃前に頭に叩き込んだ地形図を思い出しながら、山上に大声で命令する。

 

山上は命令を聞くと、スミス火山の北側をかすめつつ、「バブヤン・クラロ」山に機首を向けた。

 

 

「宮口機被弾!」

 

 

宮永が報告が報告を上げるが、高嶋は後ろを振り向かない。目は「バブヤン・クラロ」山のみを見続ける。

 

 

残存十七機の一式陸攻は、高嶋機を先頭にしながら最大時速で敵レーダー基地に向かっていく。

 

 

「高嶋一番より全機、爆撃準備」

 

 

高嶋は全機に指示を送った。

 

「バブヤン・クラロ」山の西側に到達したら、敵レーダー基地に各機四発づつ、合計六十八発の二十五番(250キロ爆弾)を叩きつけるのだ。

各機は爆撃手が投下準備に入る。

 

陸攻隊は「バブヤン・クラロ」山を迂回する。

ここで、敵対空砲の砲撃が止んだ。深海棲艦は島の全てに対空砲を配備した訳ではないようだ。

 

 

次の瞬間、目的地に到達する。

西側山腹にそびえ立つ骨組みの鉄塔が、搭乗員達の目を射た。

 

 

 

多数の甲型戦闘機と交戦状態に入ってから五分も経っていないが、とても長い時間だった気がする。

 

陸攻隊はやっとの思いで、攻撃目標にたどり着いたのだ。

 

 

 

「高嶋一番より全機。緩降下爆撃に切り替える!俺に続け!」

 

高嶋は一瞬で判断し、無線機に怒鳴り込んだ

今から爆撃高度に上がるのは時間がかかりすぎる。それに先の敵機が襲ってくるかもしれないのだ。ぐずぐずしてられない。

 

 

鉄塔の左右二ヶ所に発射炎が閃めいた。

 

敵レーダー基地を守る最後の盾。二基の対空機銃が備え付けられていたのだ。

 

 

多数の弾丸が噴き伸びてくる。敵弾は高嶋機の左右を通過して、後方

に抜けた。

 

だが、高嶋機の右後方に位置していた一式陸攻がやられる。

 

その陸攻は敵弾に絡め取られ、コクピットを粉砕され、キラキラと破片を飛び散らせながら海岸線に向かって落下していく。

 

 

「てッ!」

 

爆撃手の島本直彦(しまもと なおひこ)一等飛行兵曹が叫んだ。

 

同時に投下ボタンに力を込め、はるばる運んで来た二十五番四発を二秒間隔で投下する。

 

後続機も次々と二十五番を投下していく。

 

 

直後、高嶋機の下方で強烈な閃光が発生し、ほぼ同時に炸裂音が響き渡った。

 

 

 

「命中!」

 

 

 

「やった!」

 

島本から報告が入ると、高嶋は山上と頷き合った。

 

 

直撃弾は連続する。

数秒ごとに、二十五番が鉄塔や機銃陣地に叩きつけられ、爆炎が躍る。

 

最後の陸攻が投弾し、二発が直撃、もう二発が至近弾になった時、高さ二十メートル程の鉄塔は原型を止めておらず、ゆっくりと甲高い音を立てながら横に倒壊した。

 

 

 

これで、ルソン島偵察が今までより何倍も容易になる。それに一週間後に予定されている補給作戦も幾分かやり易くなるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

「第十一航空艦隊司令部に打電。”ワレ、敵電探基地ヲ完全破壊ス”だ」

 

 

 

高嶋は宣言するように、高らかと言うのだった。

 

 

 

 

 

 




はぁ……ガリパンキャラ出してぇー(爆)


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第十八話 高速艦隊出撃

ルソン島海戦で活躍した人が出てきます!






6月22日

1

 

「右前方に艦影。米アジア艦隊です」

 

伊予灘での砲撃訓練を終了し、呉の柱島泊地に向かっていた戦艦「日向」の羅針艦橋に、見張り員の声が響いた。

 

 

米アジア艦隊とは、スプールアンス少将が指揮をとっている米第八任務部隊(TF8)が名を変えたものである。

本国からの増援で艦艇数が増加したため、各任務部隊に艦艇を分けて艦隊を再編成したのだ。

 

 

 

見張り員の報告を聞くや、右目に黒い眼帯をつけている男ーーー「日向」砲術長 寺崎文雄(てらさき ふみお)中佐は双眼鏡を正面に向けた。

 

 

視界の中に巡洋艦、駆逐艦、輸送船が見えてくる。

 

 

巡洋艦は六隻おり、三連装砲を前部に二基、後部に一基背負い式に搭載しているものが三隻。寺崎の前の乗艦である「足柄」の様に前部に三基、後部に二基搭載をしているものが二隻。川内型や球磨型のような小さな艦体に十二.七センチクラスと思われる砲を積めるだけ積んだ軽巡が一隻だ。

六隻の巡洋艦の内、五隻はがっしりとした箱型の艦橋だが、先頭の一隻だけはカメラの三脚のようなマストを据えていた。

 

(先頭の艦はノーザンプトン級重巡、次はニューオーリンズ級重巡、その後方はブルックリン級軽巡と……あれはなんだ?)

 

 

寺崎は頭に叩き込んだ艦艇の識別表を思い出しながら、米アジア艦隊の所属艦艇を確認していくが、最後尾の小振りな軽巡の名前が浮かんでこなかった。

恐らく、寺崎が覚えた頃の識別表には載っていなかった新鋭艦なのかもしれない。

 

 

他にも駆逐艦は単装砲を前部と後部に二基づつと、艦中央に一基を搭載したものが大半だ。

おそらくベンソン級駆逐艦であろう。その艦が約二十隻。

 

 

そして、それらの艦艇に護衛されている輸送船が二十〜三十五隻だ。

輸送船と言っても、その船は艦首から艦尾まで幅が変わっておらず、

上部構造物も後方に小さな艦橋が乗っかているだけだ。

 

輸送船を見慣れた身には、やや異様な形に見える。

 

 

(あれが戦車揚陸艦(LST)……か)

 

 

寺崎は心の中で呟いた。

 

 

 

 

 

 

ルソン島沖海戦以降、深海棲艦はルソン島北岸の港を徹底的に爆撃し、全てを使用不能に至らしめた。

深海棲艦の行動理念は不明だが、ルソン島の米極東陸軍との連絡線を遮断するため、というのは容易に想像が付く。

港が破壊されてしまったため、米極東陸軍に補給物資を送るどころか撤退させるのも難しい。

だが、米国はビーチさえあれば戦車や物資を揚陸することができる船をイギリスと共に開発していた。

 

 

それが戦車揚陸艦だ。

 

 

同艦はビーチングと呼ばれる方法でビーチに乗り上げ、艦首の巨大な門から戦車を上陸させるのだ。

作業中に潮が引いてしまえばビーチに取り残されてしまう、という欠点があるが、ビーチさえあればどこでも、そして早急に揚陸を完了することが出来る。

TF8司令部はその性能に目を付け、今回の補給作戦に参加させているのだ。

 

TF8と共に日本にやって来たN12船団にLSTは十二隻しか配備されていなかったが、ベーリング海経由で日本に戦略物資を運びにきたN13〜N17船団のLSTも加わり、数が二倍以上に増えている。

それらのLSTには現在、米極東陸軍への増援として日本陸軍の戦車連隊と米陸軍の機甲部隊、そして補給物資が搭載されていた。

 

 

 

 

 

「米アジア艦隊の後方にも艦影多数……あれは…」

 

 

見張り員からの新しい報告を聞き、寺崎は双眼鏡の筒先を米艦隊の後方にずらした。

 

 

直後、「日向」に勝るとも劣らないブォリュームを持つ戦艦が二隻、視界に入ってくる。

その戦艦の後方には巨大な艦橋を載せた重巡が四隻。そして、その六隻の周りを軽巡一、駆逐艦十二隻が固めている。

 

 

 

「…第二艦隊です!」

 

 

見張り員が声を弾ませながら報告を上げる。

 

 

 

(第二艦隊……)

 

寺崎は心の中で反芻した。

 

「日向」の所属している第一艦隊が「鉄砲の専門家」正規空母四隻を中心としている第一航空艦隊が「航空の専門家」なら、第二艦隊は「水雷の専門家」だ。

 

大日本帝国海軍が誇る酸素魚雷を駆使して戦う高速艦隊である。

 

 

 

連合艦隊は、米極東陸軍への補給作戦に、日本海軍三本柱の一つを出撃させたのだ。

編成は3月12日のトラック諸島民間人救出作戦から変わっていない。

 

二隻の戦艦は第三戦隊第一小隊の「金剛」「榛名」。四隻の重巡は「愛宕」「高雄」「摩耶」「鳥海」。軽巡と駆逐艦は日本海軍水雷戦隊の精鋭中の精鋭、「神通」率いる第二水雷戦隊だ。

 

合計十八隻の艦隊は白波を立てながら米アジア艦隊の後方を、「日向」の右前方から右後方へと抜ける針路を進んで来る。

 

艦隊を観察している間にも、米アジア艦隊、第二艦隊と距離が近づいていく。

 

 

 

「米アジア艦隊旗艦『シカゴ』に発光信号。”貴艦隊ノ無事ト、補給作戦ノ成功ヲ祈ル”」

 

 

「日向」艦長 橋本信太郎(はしもと しんたろう)大佐が見張り員に言った。

 

見張り員は素早く復唱すると、信号灯で「シカゴ」に橋本の言葉を送信する。

 

 

 

やや間を置いて「シカゴ」の艦橋に発光信号が閃らめいた。

 

 

「『シカゴ』より返信…”吉報ヲ待タレタシ”、です!」

 

 

寺崎はちらりと「シカゴ」を見やった。

その精悍な見た目は、これからの戦いを覚悟しているようだった。

 

 

 

「戦線に出たくてウズウズしているようだな…」

 

橋本艦長が「シカゴ」に顔を向けながら話しかけてくる。

 

 

「当然です……」

 

寺崎はルソン島海戦で「足柄」砲術長としてリ級重巡洋艦やホ級軽巡洋艦と戦った。

残念ながら「足柄」は沈んでしまったが、砲戦によりリ級一隻を撃沈、もう一隻を撃破した。その後には味方駆逐艦の突入を援護する為にわざと探照灯を照らして囮となり、雷撃成功にも貢献した。

だが、寺崎個人としては「足柄」を沈めてしまった事や高橋元帥(高橋伊望 元第三艦隊司令長官 死後二階級特進)を失ってしまった事で、深い後悔の念に包まれてしまう。

それに「足柄」が大破し、艦から脱出する際、寺崎は「足柄」艦橋に()()が立っているのを見てしまった。

 

あの時は、脱出する事に頭が一杯で気にも留めていなかったが、その後思い出してみると、

 

体に悪寒が走る。

 

あれは幻覚だったのだろうか?それとも本当に…

 

 

帰国した後、寺崎は戦闘報告書を海軍中央に提出すると共に深海棲艦戦略情報研究所の職員から聴取を受けた。

聴取を受ける中で、寺崎は「足柄」の艦橋で見た女性の事を話した。

脱出の最中に見たのであれば、見間違いか、正気を疑われかねかったが、深戦研の職員は真剣に聞いてくれた。

現実味のないことを話した事で、海軍での居場所は無くなるかもしれないと考えていたが、自分が「日向」砲術長という役割に就いている事から大丈夫だったようだ。

 

 

「そう焦る必要はない。今は練度をあげることだけを考えていれば良い」

 

橋本艦長が口端を釣り上げながら言った。

 

寺崎が「日向」砲術長を拝命してから一ヶ月しか経っていない。

今のところ寺崎は「日向」の火器関係について完全に掌握しているとは言えない。

ルソン島沖海戦で初弾命中を成し遂げた寺崎でも、重巡と戦艦の砲撃システムは勝手が違うため、訓練に時間がかかってしまうのだ。

 

 

「しかし……第一艦隊が出る幕がありますかどうか」

 

 

寺崎は焦慮を隠せない表情で返答した。

 

第一艦隊は「長門」「陸奥」「伊勢」「日向」「扶桑」「山城」を中心とする戦艦部隊である。

これらの戦艦群を動かすには、凄まじい量の重油が必要になる。米国からの石油補給があっても到底足りず、備蓄を切り崩してやりくりしている状態だ。

新型戦艦が近々戦列に加わるという噂もあり、日本の石油事情は更に切迫する事になるだろう。

 

国内の備蓄が切れるのは今年10月頃と見積もられている。

タイムリミットは四ヶ月程しかないのだ。もしも南方航路を深海棲艦(奴ら)に確保されたまま10月を過ぎると、日本が誇る戦艦や空母、航空機、戦車は石油不足で動かせなくなり、くず鉄と化してしまう。

 

そうなれば台湾で食い止めている深海棲艦が北上し、日本本土が蹂躙されるかもしれないのだ。

トラックの何倍といった民間人が犠牲になってしまうだろう…

 

「それを判断するのは連合艦隊司令部(お上)の仕事だ。今は乗組員の練度を上げる事だけを考えていればいいさ……」

 

 

橋本はどこか他人事のように言う。

 

この艦長はしっかりしてるんだが、どこか能天気なんだよなぁ。と内心で苦笑しつつ、寺崎は返答した。

 

「それも、そうですねぇ…」

 

 

 

 

 

 

出撃は進んでいる。

 

 

米海軍アジア艦隊、日本海軍第二艦隊の二個艦隊は九州と四国の間、豊後水道を抜ける針路を取り、次々と「日向」とすれ違っていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

やがて艦隊は豊後水道を抜け、太平洋に消えた。

 

 

 

 

 

空は梅雨らしくどんよりとくすんでおり、これからの戦いの行方を暗示しているようだった。

 

 

 

 




第一艦隊にはこの後、思う存分戦ってもらいます。



次回は深海棲艦VS日米連合艦隊です。








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第十九話 第二次ルソン島沖海戦

最近、寒すぎる……。


6月23日午後10時09分

1

 

「正面に島影!」

 

第八任務部隊第二群(TG8.2)旗艦。軽巡「アトランタ」の艦橋に見張り員の声が飛び込んだ。

TG8.2司令官兼「アトランタ」艦長レヴィ・L・カルフーン大佐は正面に目を凝らした。

すると、暗闇の中から薄々と島の輪郭が見えてくる。予定通りなら目的地であるルソン島の東岸であろう。

 

 

「無事に着きましたね…」

 

「アトランタ」航海長マーク・クルーズ中佐が、安堵した表情で話しかけてきた。

 

「大幅に迂回したのが効いたな」

 

クルーズの言葉にカルフーンは返答する。

 

 

第八任務部隊(TF8)と日本海軍第二艦隊は豊後水道(ブンゴチャンネル)を抜けた直後、ルソン島に向かう針路よりやや東寄りの針路を取った。

ルソン島のクラークフィールド飛行場姫からは連日のように乙型重爆撃機(ベティー)の部隊が発進し、タイワン南部の航空基地に爆撃をくわえている。

直線針路でルソン島を目指すと、これらの爆撃隊の針路が重なり、発見されてしまう可能性がある。

そのため、日米連合艦隊の総指揮をとるTF8司令部は大きく東に迂回する針路を選んだのだ。

3月上旬に生起したルソン島沖海戦でも、日本海軍第三艦隊と船団は迂回航路を選択し、深海棲艦から空襲を受けずにルソン島に到着している。スプールアンスもそれに倣ったのだろう。

 

なお、深海棲艦の艦隊から接触を受けないように、マニラの反対側のルソン島東岸での揚陸作業が予定されてた。

 

 

 

「『シーガル2』より入電。”Z地点(ポイント)ニ友軍ヲ確認ス”です」

 

 

「シーガル2」こと「シカゴ」搭載のキングフィッシャー二号機から情報が届く。

 

Zポイントとは三十四隻の戦車揚陸艦(LST)が揚陸作業を行うビーチの場所である。

予定どうり、極東陸軍の部隊が揚陸される物資や増援部隊を受け入れるべく待機しているのだ。

 

「LST群、針路270度。速力12ノットに減速せよ」

 

「第一陣は揚陸準備に入れ」

 

カルフーンは二つの命令を出した。

 

「アトランタ」の艦橋に発光信号が閃めき、TG8.2の右後方に位置しているLST群にカルフーンの命令が送信される。

 

やがて”命令了解”の信号が返信され、半分に当たる十七隻のLSTがルソン島東岸の海岸線に接近していく。

 

揚陸を行うビーチは全てのLSTが同時に接岸出来るほど大きくない。

そのため、半分づつで揚陸作業を実施するのだ。

 

 

TG8.2の「アトランタ」以下駆逐艦八隻はLST群を見守りつつ遊弋を続ける。

護衛に当たる艦隊はこの九隻だけではない。ルソン島北部沖ではTF8の本隊である第八任務部隊第一群(TG8.1)の重巡三、軽巡二、駆逐艦十二隻が敵艦隊出現という万が一に備えて待機しているし、後詰めとして戦艦二、重巡四を中心とする第二艦隊もルソン島北東部沖で待機している。

さらに、日米連合艦隊は深海棲艦に発見されていない。

カルフーンは補給作戦は間違いなく成功する、と状況を楽観していた、が……。

 

 

 

 

十七隻のLSTがTG8.2を追い抜かして接岸しようとした時、レーダーマンが切迫した声で報告を上げた。

 

 

 

「対空レーダーに反応。D(深海棲艦機)群接近、方位240度!」

 

 

「接岸中止。各艦、対空戦闘!」

 

カルフーンはレーダーマンの報告を聞いた直後、大声で命令した。

 

 

命令が伝達されるや、LSTの第一陣は海岸線から距離を置き、「アトランタ」は七基の十二.七センチ連装両用砲を敵機が接近してくる方向ーーー南西方向ーーーに向ける。

後方のベンソン級駆逐艦も同様だ。各艦五基づつ搭載されている十二.七センチ単装両用砲を素早く旋回させ、敵機襲来に備える。

 

 

護衛艦隊やLSTが戦闘準備を進めていく中、敵機は数分とせずに姿を表した。

ルソン島東岸の海岸線をかすめ、いくつかの黒い影がよぎる。

同時に深海棲艦機特有の飛行音が轟き始めた。

 

 

「全艦、射撃開始!」

 

 

カルフーンは叩きつけるように下令した。

 

直後、「アトランタ」の主砲が敵機に向けて火を吹く。

 

「アトランタ」は十二.七センチ連装両用砲八基、二十八ミリ四連装機銃四基、二十ミリ単装機銃六基を搭載している防空巡洋艦である。

 

艦隊防空を重視して設計、建造された「アトランタ」にとって、初陣である今回の対空戦闘では防空巡洋艦の名に恥じない威力を発揮した。

 

高度を取りつつあった数機の敵機のうち、敵一機の至近距離で砲弾が炸裂する。次の瞬間、その敵機は閃光を発してばらばらに砕け散った。

続いてもう一機が黒煙と炎を吐きながら高度を落とし、海面に激突する前に爆発、四散する。

 

「アトランタ」が夜間にも関わらず瞬く間に二機撃墜した事に触発されたのか、ベンソン級駆逐艦も遅れじと砲撃を開始した。

 

後方から発砲音が響き始める。

 

「アトランタ」の両用砲は四秒毎に咆哮し、十四発づつの十二.七センチ砲弾を夜の空に撃ち上げていく。

 

新たに一機の敵機が至近弾の衝撃でよろめく、カルフーンは撃墜を期待するが、その敵機は機体を立て直し、他の敵機と共にTG8.2の上空を飛行音を響かせながら通過した。

光に照らされて一瞬しか見えなかったが、オスカー(甲型戦闘機の米軍コード名)ようだ。

オスカーは極東陸軍に対して地上爆撃を行ったという情報が届いている。LSTにも同じように攻撃するつもりだろう。

 

敵機が射界から外れた第四砲塔以外の砲塔は、敵機を捕捉し続ける。

 

 

十二.七センチ砲は重巡や戦艦が搭載している砲と比べたら、豆鉄砲のようなものだが、合計十二門が同時に発射された衝撃と音はかなり強烈だ。

四秒ごとに基準排水量六千トンの艦体を揺らし、音と閃光が周辺を支配する。

 

 

やがて、敵編隊は被弾機を出しながらも、LST群の上空を通過した。

 

カルフーンは爆弾で攻撃するつもりだと考えていたが、投下されたのは爆弾では無かった。

LST群の頭上で満月のような光源が複数点灯する。それらの光は風に漂いながら、ゆっくりと高度を落とし、LSTの艦影を夜の海に浮かび上がらせていく。

 

「吊光弾だと⁉︎」

 

クルーズが驚いた声を上げた。

 

まさか深海棲艦が吊光弾を持っているとは思っていなかったのかもしれない。

 

 

「新たなD群。左正横より接近、約二十機!」

 

(こいつが本命だな…)

 

見張り員の報告を聞くや、カルフーンは思った。

 

 

今まで砲撃していた小規模なオスカーの編隊は、吊光弾を投下し、対空砲を引きつけるためだったのだ。

 

 

「ベッカー、新たな敵編隊が本命だ。そいつをやれ!」

 

カルフーンは「アトランタ」砲術長であるヘンリー・ベッカー中佐を呼び出して言った。

今までLSTの上空を通過したオスカーを砲撃していた両用砲が素早く左側に旋回し、連続射撃を再開する。

新たに現れた敵機もオスカーのようだ。海面付近の低いところを飛行しながら突進してくる。そのため編隊を狙うために両用砲の砲身は水平近くまで倒されていた。

 

一機のオスカーが被弾する。

そのオスカーは逆光で機体がくっきりと見えるようになるが、直後、海面に滑り込むようにして墜落する。

その後方を突撃していたオスカーは頭上で砲弾が炸裂し、巨大な手で叩かれたかのように海面に叩きつけられる。

 

 

 

「探照灯、照射!」

 

新たに二機を撃墜したが、敵機はまだ十機以上いる。カルフーンは探照灯で敵機の姿をさらけ出し、機銃も発射出来るようにしようと考えたのだ。

 

直後、「アトランタ」の艦橋左側から二条の光芒が伸び、海面付近を舐め回すかのように照らし出す。

 

光芒が一点で止まった。

 

光の先にはオスカーの編隊が見える。

 

 

ベッカーが「機銃、射撃開始!」を命じだのだろう。重々しい連射音が響き、多数の機銃弾が発射される。

四発に一発の割合で曳光弾が混ざっているため、赤、オレンジといった色の流星が飛翔しているような光景だ。

左側に発砲可能な二十八ミリ四連装機銃二基と、二十ミリ機銃三基が対空射撃に加わったのだ。

 

 

オスカーの速度は速く、すぐに光芒の外に外れるが機銃は敵機の未来位置に向けて撃ちまくる。

 

次の瞬間、曳光弾が吸い込まれ、暗闇にマグネシウムを焚いたような閃光が走った。

二十八ミリの大口径機銃弾を喰らったオスカーは、一瞬でバラバラに空中分解を起こして海面に飛沫を起こす。

 

 

オスカーの編隊はいくら撃墜しても、ひたすら距離を詰めてくる。

 

 

(まさか……雷撃か?)

 

クラフーンは思った。

オスカーの編隊は海面ギリギリの高度を突っ込んでくる。

我が軍のTBDデヴァステーターや日本海軍の九七式艦上攻撃機(タイプ97キャリアアタッカー)の雷撃準備を連想させる飛び方だ。

 

深海棲艦の侵略戦闘行動が始まって三ヶ月と二十三日。アメリカは1898年にも一度接触しているが、今までオスカーが雷撃を行うという情報はない。

だが、駆逐艦に雷装を施している深海棲艦だ。航空機にも魚雷を搭載できる可能性は十分にある。

何よりも、海軍に入って二十年のベテラン士官の勘が、オスカーは雷撃を狙っている。と伝えていた。

 

 

「TG8.2全艦、針路240度。魚雷が来るぞ!」

 

カルフーンは大声で命令した。

 

「取舵一杯。針路240度!」

 

カルフーンの言葉を聞き、クルーズが操舵室へ通じる伝声管に怒鳴りこむ。

 

 

「LST群に送信”針路240度ニ変針セヨ。魚雷ガ来ル”だ!」

 

 

「アトランタ」のアンテナから、LST群に対して「魚雷接近」の警報が送られる。

 

 

直後、対空砲火の中を突撃して来たオスカーの編隊が「アトランタ」の前方、後方、はたまた頭上を、左から右に通過する。

 

通過する際、機銃を艦橋に乱射していくオスカーもいる。

 

艦橋の窓ガラスが吹き飛び、弾丸に撃ち抜かれた見張り員が血反吐を吐きながら大きく仰け反る。

 

そのオスカーは次の瞬間、二十八ミリ機銃と二十ミリ機銃に火力を集中される。

オスカーに赤い斑点まとわりついた、と見えた瞬間、原型を止めぬままに砕け散り、破片が「アトランタ」の艦上に降り注いだ。

 

 

 

「対空レーダー。ブラックアウト。何も見えません!」

 

「アンテナ損傷。通信不能!」

 

 

レーダーマンと、通信長が顔を引きつらせながら報告する。

 

オスカーが放った弾丸は、艦橋上部に位置している通信アンテナやレーダーをも破壊した。

「アトランタ」は夜戦に不可欠の電波の目を失ってしまったのだ。

 

 

「『マディソン』取舵。続いて『ヒラリー・P・ジョーンズ』取舵!」

 

後部見張り員が報告を上げる。

命令を受けた八隻の駆逐艦が、次々と回避行動を取っているのだ。

 

「アトランタ」も変針する。

鋭い艦首が海面を切り裂きながら、左に回頭していく。

「アトランタ」は小さい艦体に多数の対空火器や魚雷を載せたために、ややトップヘビー気味の軍艦だ。

右舷の海面が間近に迫るほど、傾く。

 

だが、転覆する事はない。他の駆逐艦と同じく、針路240度に取り、向かってきているであろう敵魚雷と正対する。

 

 

「雷跡一、本艦左舷を通過‼︎」

 

見張り員の報告が飛び込む。

 

やはり、とカルフーンは呟いた。

オスカーの編隊は雷撃を狙っていたのだ。

 

 

「雷後二、右舷を通過!」

 

「雷跡一、左舷側を通過します!」

 

 

なおも報告が上がるが、「アトランタ」には命中しない。

オスカーが放った魚雷は、全て左右に逸れている。

 

 

だが、全艦が回避出来たわけでは無かった。

 

 

 

 

 

 

「『ベンソン』被雷!」

 

見張り員の報告が入った刹那、雷鳴のような轟音が「アトランタ」に届く。

カルフーンが咄嗟に見ると、ベンソン級駆逐艦のネームシップがやや前のめりになって停止している。艦首からは絶えず大量の黒煙が上がっており、遠目でも分かるほどに艦の傾斜が深くなっている。

 

「ベンソン」は救えないであろう。

 

 

TG8.2所属艦の被雷は「ベンソン」のみだったが、被害はまだ終わらない。

オスカーが放った魚雷の射線にはTG8.2の他に、LST群も入っていたのだ。

 

 

 

 

 

 

「『LST-7』被雷。『LST-16』被雷!」

 

 

悲鳴染みた声で見張り員の報告が上がる。

 

LSTはどの艦も物資を満載している。一本だけでも致命傷だろう。

 

二隻のLSTは艦橋からは死角で、見ることは出来なかったが、火災が発生し、刻々と艦の傾斜を深めているのは容易に想像できる。

 

 

「敵機、ルソン島南西部に離脱。撤退する模様」

 

レーダーマンに変わって、見張り員が報告する。

雷撃を終了したため、飛行場姫に帰還するのだろう。

 

 

「『マディソン』は『ベンソン』。『メイヨー』『ランズテール』はLST-7、16の乗組員を救助せよ」

 

「LST第一陣は揚陸準備に入れ。第二陣は待機」

 

「本艦と駆逐艦四隻は、周辺警戒を続行する」

 

 

カルフーンは敵機の飛行音が聞こえなくなるのを見計らって、三つの命令を出した。

「アトランタ」の艦橋から発光信号が送られる。

 

命令を受けた駆逐艦は救助活動に入り、LST群第一陣の十五隻は被雷した二隻を残して、ビーチに近づく。

 

 

「『シカゴ(米アジア艦隊旗艦)』に打電をーーー」

 

カルフーンは、言いかけて苦笑した。

「アトランタ」の通信アンテナが、オスカーの機銃掃射で破壊されたのを思い出したのだ。

 

「『チャールズ・H・ヒューズ』に発光信号。”我ニカワリテ、『シカゴ』ニ被害状況ヲ報告セヨ”だ」

 

 

「”我ニカワリテ、『シカゴ』ニ被害状況ヲ報告セヨ”直ちに送信します」

 

カルフーンの言葉を通信長が復唱した。

 

 

 

 

(我々は深海棲艦に発見されている。敵の攻撃はまだありそうだな…)

 

 

カルフーンは心の中で呟いた。

 

 

 

 

 

 




次回はスプールアンス率いるTG8.1が敵艦隊と戦います!





作者の受験まで、あと二ヶ月半‼︎

イャァァァァァァァ!


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第二十話 敵艦隊迎撃

俺、受験生で何やってんだぁぁぁぁぁ!

と思いながら投稿しました。

至らない点がありましたらお気軽にどうぞ。


10時39分

1

 

米アジア艦隊は三つの任務群を編成している。

ベーリング海経由でやって来た船団の護衛艦隊が、そのままTF8の指揮下に入ったため、一つの艦隊として扱うのが難しくなったためだ。

編成はTG8.1が重巡三隻、軽巡二隻、駆逐十二隻。TG8.2が軽巡一隻、駆逐八隻。今回の作戦には参加していないが、TG8.3は中型空母二隻、軽巡二隻、駆逐十八隻を有している。

 

 

そのTG8.1旗艦兼米アジア艦隊旗艦、重巡「シカゴ」にTG8.2からの打電が届いたのは、TG8.2が夜間空襲を受けてから十五分後のことだった。

 

 

「『チャールズ・H・ヒューズ』より入電です!」

 

紙切れを持った通信士が、息を荒げながら「シカゴ」艦橋に入って来る。

アジア艦隊司令官レイモンド・スプルーアンス少将を始めとする司令部要員達は通信士が入ってきた瞬間、顔を強張らせた。

通信士の様子から、尋常じゃない情報が入ってきたと思ったのだ。

 

読め、米アジア艦隊参謀長カール・ムーア大佐はそう顎で示した。

 

通信士はムーアと目を合わせると、すぐさま読み始めた。

 

「”我、空襲ヲ受ク。『ベンソン』『LST-16』沈没。『LST-7』大破。揚陸作業ハ続行ス”……以上です」

 

 

通信士が読み終わると、若干の沈黙が艦橋に広がったが、その沈黙を突き破るようにムーアがスプルーアンスに口を開く。

 

 

「来ましたな…」

 

「ああ…これで敵艦隊が出現する可能性が出てきたわけだ」

 

スプルーアンスは腕を組んだままそう返答した。

 

「しかしなぜ『チャールズ・H・ヒューズ』が打電してきたのでしょうか?TG8.2の旗艦は『アトランタ』ですし、同艦は最新鋭艦だけに通信設備もベンソン級駆逐艦より高性能です。連絡してくるのなら『アトランタ』からだと思うのですが…」

 

通信参謀のリアム・ノア中佐が疑問を投げかけた。

 

それを聞いた幕僚達は確かにそうだ、と呟き思案顔になる。

 

そしてTG8.1唯一の航空参謀メイソン・キッド少佐が恐る恐るといった風に口を開いた。

 

 

「『アトランタ』は大破、または撃沈されてしまったのでは…」

 

 

メイソンの意見を聞いたスプルーアンスは言下に否定した。

 

「いや、それは無いと思うな」

 

そう言うと、冷静は表情で理由を話し始める。

 

「第一、旗艦である『アトランタ』が沈没ないし大破したら、必ず電文に記されているはずだ。それにTG8.2の指揮を取っているレヴィ大佐は優秀だ。新鋭艦を沈めるようなヘマはしないだろう」

 

 

「では何故『アトランタ』では無く『チャールズ・H・ヒューズ』からなの入電なんでしょうか?」

 

ノアが首を捻る。

 

「恐らく、『アトランタ』は敵機の機銃掃射か飛来した破片で、通信アンテナを損傷したのだろう。その理由ならこのーー」

 

 

スプルーアンスが言いかけた時、新たな報告が上がった。

 

 

 

「『シーガル1』より入電。”敵艦隊見ユ。〈ラオラグ〉ヨリノ方位300度、30浬。巡洋艦二、駆逐艦十”!」

 

ラオラグとはルソン島西部にある街の名前だ。米アジア艦隊ではこの街を基準に位置を伝えるように取り決めてある。

 

 

「やはり来たか…」

 

 

スプルーアンスは目を光らせながら、そう言うのだった。

 

 

 

2

「打電終了!」

 

後方の座席からネイサン・カード兵曹の威勢の良い声が響いた。

 

「了解!」

 

「シーガル1」こと「シカゴ」搭載一号機のOS2Uキングフィッシャーを操るオーウェン・キャメロン少尉も、風切り音に負けないように大声で返答する。

 

 

眼下にはルソン島西岸と、それに沿って北上する敵艦隊がぼんやりと見える。

夜目に慣れていてもはっきりと見えないが、オーウェンはしっかりと機体を敵艦隊に追従させていた。

 

 

「巡洋艦は二隻だけか…」

 

オーウェンは敵艦隊を見下ろしながら言った。

 

キングフィッシャーの高度は二千メートル。この距離からでは薄っすらとしか見えないが、確かに巡洋艦と思われる中型艦が二隻、駆逐艦らしい小型艦が十隻ほどしかいない。

ルソン島は深海棲艦が極東で最初に制圧した場所だ。イギリス領マレー半島や、オランダ領ボルネオ島にはない飛行場姫も位置している。

人類側からは極東における深海棲艦の一大拠点と考えられているが、迎撃に向かってきた敵艦隊の規模が予想より小さい。

この戦力では合計で戦艦二、重巡七、軽巡四、駆逐三十二を有する日米連合艦隊は元より、TG8.1にすら勝利は難しいだろう。

 

 

「吊光弾を投下して確認しますか?」

 

ネイサンが聞いてくる。

確かに吊光弾を投下して敵艦隊を照らすと、詳しい敵の陣容が分かるだろう。だが、これからTG8.1が敵艦隊と戦うことを考えると吊光弾を温存していた方が良い気もする。

 

オーウェンは考えながら、キングフィッシャーが敵艦隊を追い抜かした事に気付き、操縦桿を左に倒した。

キングフィッシャーが左に旋回し、正面に敵艦隊が見え始める。

 

(どう見ても巡洋艦二隻、駆逐艦十隻なんだけどなぁ〜)

 

だが、物事に100%は無い。

敵艦隊の中型艦はもしかしたら巡洋艦では無く、戦艦の可能性もあるのだ。深海棲艦のル級戦艦はハワイ以外では確認されていないが、それが逆に不気味だった。

 

もし、あの二隻は本当に巡洋艦か、と聞かれたら俺はYesと言えれるのか……?

 

 

 

「吊光弾投下準備。……いいか、一発だけだぞ」

 

オーウェンは言った。

 

「吊光弾投下準備。数一、了解!」

 

ネイサンが復唱し、吊光弾の投下準備に入る。

 

オーウェンには引っかかる事があった。

何か分からないが、第六感という奴だろうか?

 

(俺の勘はよく当たるんだ。決まって嫌な方向にな……)

 

 

「3、2、1、0。投下!」

 

ネイサンはカウントを行い、一発の吊光弾を投下した。

 

 

(どうだ…?)

 

 

オーウェンがそう思った時、高度800mで吊光弾が点灯した。

今日の夜空は雲に覆われており、月はもちろん、星も見えない。そんな中で閃光を発した吊光弾は、一際明るかった。

 

 

おぼろげな光に照らされて、敵艦のシルエットが先よりも鮮明に見えてくる。

 

(俺の杞憂だったか…)

 

オーウェンは心の中で呟いた。

 

シルエットを見たところ、三脚マストに前部と後部の二基づつの主砲。

おそらくへ級軽巡洋艦であろう。

15cmクラスの三連装砲を五基装備しているホ級軽巡より火力は弱いが、対空兵装が充実しているという情報が有る。

 

 

「『シカゴ』に打電だ。”先二発見シタ敵巡洋艦ハ、へ級軽巡ト認ム。駆逐艦ノ艦種ハ不明。単縦陣ニテ接近中”」

 

 

「了解」

 

オーウェンはネイサンに打電するように指示を出すと、再び敵艦隊を見下ろした。

吊光弾は内部燃料が無くなったのか光が消えており、暗闇が周辺を支配している。

へ級軽巡を中心とする敵艦隊は、ルソン島北西部に到達したようだ。次々と陸地に沿って面舵を切る。

TG8.1もルソン島北西部沖周辺に展開していたはずだ。そろそろ始まるか?と思った時、ネイサンが落ち着いた様子で報告する。

 

「『シカゴ』より入電。”シーガル1、吊光弾投下準備”」

 

報告を聞いた瞬間、レシプロ機が発する音がとどろき始めた。

多分、周辺の警戒に当たっていた重巡「クインシー」「アストレア」や軽巡「フェニックス」の搭載水偵が飛来したのだろう。

 

「よし、吊光弾投下用意!今度は三分に一発の割合で投下だ!」

 

「了解です!」

 

 

TG8.1は闇のヴェールに包まれており、ここからは見えないが、着実に敵艦隊と距離を詰めているはずだ。

 

 

この時、オーウェンは初の実戦ということで興奮しており、頭に引っかかる事などスッカリと忘れてしまっていた。

 

 

 

 

 

3

 

TG8.1は敵艦隊にT字を描かれていた。

敵艦隊の方がTG8.1より速く、ルソン島の北側に躍り出たため、頭を抑えられる形となったのだ。

 

だが、スプルーアンスとしては予定通りの状態だった。

 

「逆探感二、出力増大中。方位110度」

 

「対水上レーダーに反応あり。中型艦二、小型艦多数。艦隊正面!我々はT字を描かれています!」

 

 

逆探とレーダーの管面を覗いていた二人のレーダーマンが、立て続けに報告を上げる。

 

ほう、という声がスブールアンスの口から漏れた。

レーダーが敵艦隊を捕捉した瞬間に「シカゴ」搭載の逆探が反応したという事は、深海棲艦は地上だけでなく、艦艇にもレーダーを搭載している、ということになる。

 

ルソン島沖海戦の戦闘祥報は、距離二万から敵艦隊は第三艦隊を発見していた可能性が高いと書かれていたが、それは敵レーダーに第三艦隊が探知されていたからかもしれない。

 

 

「にしても、ヘ級軽巡洋艦二隻、駆逐艦十隻ですか…。私はてっきりリ級重巡かル級戦艦が出てくるものだと思っていましたが」

 

 

ムーアが言った。

確かに敵戦力は予想よりかなり弱小だが…。

 

「まだまだ謎が多い深海棲艦です。我々の予想が外れたのでしょう」

 

ノアが薄く笑いながら言った。良い方向に外れてくれた、とでも思っているのかもしれない。

 

「どっちにしろ、叩く以外にあるまい。ここを通させるわけにはいかないからな」

 

スプルーアンスが落ち着いた声で言ったが、顔は正面を向き続けている。目は闇の中から近づいている敵艦隊を見続けているのだろう。

 

 

「司令。日本艦隊にも戦闘に加わるように通達しますか?」

 

ムーアが聞いてくる。

 

「いや、敵艦隊が出現した事だけを伝えればいい。言語の違う艦隊が同じ海域で夜戦を戦うのは同士討ちの危険が多すぎる」

 

もし敵艦隊がル級戦艦を有していたら、コンゴウ・タイプの火力が必要になる。

だが敵艦隊は軽巡二、駆逐艦十のみだ、T字を描かれていても、現有戦力で何とかなるだろう。

 

 

「距離一万八千ヤード(約一万六千メートル)!」

 

 

「敵巡洋艦発砲!」

 

 

二つの報告が、立て続けに飛び込んだ。

一瞬、敵巡洋艦一番艦のシルエットが鮮明に浮かび上がり、轟音が海上に響き渡る。

二番艦も同様だ。艦上の前部と後部に閃光が走り、数秒後に雷鳴のような音が「シカゴ」の艦橋に届く。

 

スプルーアンスは、実物の深海棲艦を初めて見たのだ。

 

その姿は無機質で機械的で、いかにも人類が建造したようなシルエットの巡洋艦だ。

しかし、その艦は人類のいかなる艦艇識別表にも載っていない。

 

 

「司令…!」

 

ムーアが焦慮を隠せない表情で問いかけてくる。敵艦隊に先手を取られた事に焦っているのだろう。

 

「うろたえるな…。『シーガル』全機、吊光弾投下」

 

スプルーアンスはムーアをなだめてから命令を発した。

 

命令電文は、通信アンテナから素早く敵艦隊の上空を舞っているであろう五機のキングフィッシャーに送られる。

 

敵弾が飛来した。

砲弾が高空の空気を切り裂く、甲高い音が轟き始め、それが消えた…と感じた瞬間、「シカゴ」の左前方を航行している重巡「クインシー」の周辺に落下する。

四発の砲弾が二回続けて着弾し、水柱を発生させるが、「クインシー」には命中どころか至近弾すらならない。

ニューオーリンズ級重巡の六番艦として生を受けたの巨体は動じる事なく、最大速度で前進を続ける。

 

現在、TG8.1の巡洋艦五隻は、重巡「クインシー」「アストレア」「シカゴ」軽巡「フェニックス」「フィラデルフィア」の順で斜め単横陣を形成している。

敵艦隊にT字を描かれている場合、前部の主砲しか使えないが、斜め単横陣にする事で全艦が発砲できるようにしたのだ。

 

スプルーアンスがこのような不自然な陣形を選択したのには、理由がある。

 

 

深海棲艦の装備している魚雷のことだ。

 

以前、この海域で生起したルソン島海戦では、日本海軍第三艦隊が深海棲艦との開幕雷撃戦で、巡洋艦三隻と駆逐艦一隻を戦列から失っている。

第三艦隊は自軍の雷撃で同等の被害を敵艦隊に与えたが、TG8.1は…いや、合衆国海軍は日本海軍の酸素魚雷ほど高性能な魚雷を保有していない。

 

そのため、艦首を常に敵艦隊に向けて魚雷に備え、なおかつ全艦が敵を砲撃できるようにしたのだ。

 

「シカゴ」の左前方には「クインシー」、「アストレア」の後ろ姿が見え、艦橋からは死角で見えないが、右後方には「フェニックス」と「フィラデルフィア」が位置しているだろう。

 

 

敵巡洋艦の頭上で、数発の吊光弾が点灯する。

鮮明には程遠いが、無いよりかは何倍もましだった。

 

 

「敵小型艦、針路90度に変針。急速接近!」

 

「距離一万三千ヤード!」

 

レーダーマンが報告し、続いて砲術長のライアン・ガルシア中佐がスペイン語訛りの声で報告する。

その報告を聞き、スプルーアンスは大声で下令した。

 

「『クインシー』『アストレア』『シカゴ』目標、へ級巡洋艦一番艦。『フェニックス』『フェラデルフィア』目標、同二番艦。砲撃開始。第三十、三十三、三十八駆逐隊は敵駆逐艦を牽制せよ!」

 

 

 

 

 

 




いいところですが、切らせていただきます。


次回の話で会いましょう!
感想待ってます。


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第二十一話 南か、西か

しれっと投稿



受験勉強イヤだなぁ…


 

11時07分

 

 

 

「巡洋艦が二隻だけ、だと?」

 

第二艦隊司令官 古賀峯一(こが みねいち)中将は同参謀長 鈴木義尾(すずき よしお)少将の言葉に、耳を疑った。

 

「はい…米アジア艦隊からの電文によりますと、出現した敵艦隊はヘ級軽巡洋艦が二隻、型式不明の駆逐艦が十隻です。時間的にすでに戦闘に突入していると思われます」

 

鈴木は顔色一つ変えずに、先と同じ内容を古賀に伝えた。

 

第二艦隊旗艦「金剛」の艦橋である。

現在、第二艦隊の戦艦二隻、巡洋艦五隻、駆逐艦十二隻は各々で単縦陣を組みながら、当初の予定どうりルソン島北東沖で警戒に当たっている。

第二艦隊の南方三十浬では、米軍のLST部隊が揚陸作業にいそしんでいるはずだった。

 

 

「少ない…ですな」

 

鈴木のかたわらに立つ風巻康夫大佐は、顎に手をやりながら呟くように言った。

本来、風巻はGF司令部の首席参謀だが、今回は深海棲艦の情報収集や米アジア艦隊との連絡官を兼ねて、第二艦隊司令部幕僚と共に旗艦「金剛」に乗艦している。

 

 

「…確かに少ないが、敵の兵力がこれだけならば、我々が動く必要はないな。TG8.1のみで戦えるだろう」

 

鈴木はきっぱりと言ったが、表情には少し失望の念が見える。米アジア艦隊のみに戦わせて、第二艦隊が戦わないのは日本海軍の面目が立たないとでも考えているのかもしれなかい。

 

「いえ…私は敵戦力はこれらだけではないと考えます」

 

風巻が言うと、一瞬、古賀の目が光ったように見えた。

 

「TG8.1が戦っている艦隊とは他に別の艦隊がいる、と?」

 

古賀の質問に、風巻は「はい…その可能性は捨てきれません」と答えた。

 

深海棲艦は自らの領域に侵入した外敵にはおおよそ容赦というものがない。

ルソン島沖海戦では台湾から発進した攻撃隊が百機以上と思われる甲型戦闘機の迎撃を受けたし、米国の船団はハワイ諸島の敵領域をかすっただけで、敵潜水艦による大損害を被った。

更には常時、フィリピン周辺を厳重に警戒し、偵察に向かった日米軍の索敵機や潜水艦に対して発見次第、猛攻を加えてくる。

それ程の姿勢で常に戦いに望んでいる深海棲艦が、軽巡二隻のみを中心とする小規模な艦隊で仕掛けて来ること自体、風巻にとっては腑に落ちなかった。

 

「理由は?」

 

古賀の問いに、風巻は一息ついてから話し始めた。

 

「米軍のLST部隊が敵機による空襲を受けたことを考えますと、深海棲艦は我々の作戦の全容を把握していると思われます…。あくまで憶測ですが、TG8.1が交戦している艦隊は主力ではなく、TG8.1をルソン島北西沖に釘付けにしておく事を任務としている艦隊で、敵の主力は別の海域で待機しながらこちらの出方を伺っているのではないでしょうか?」

 

 

風巻が自らの考えを言い終えると、鈴木は「まさか、そんなことがーー」と言ったが途中で口を閉じ、思案顔になる。

 

風巻参謀の意見にも一理あると思ったのかもしれない。

 

「風巻参謀の予想が正しいとすると、深海棲艦の考えはこうゆうことか…。小規模の艦隊でTG8.1を釣り出し、その隙に主力艦隊はルソン島を南周りで迂回し、揚陸地点に突入する。護衛に付いている軽巡一隻、駆逐艦八隻のTG8.2を蹴散らし、物資を満載して足が遅いLSTを一隻残らず殲滅する」

 

古賀が言い切ると、参謀たちの顔が険しくなった。

もしもそれが本当なら、揚陸作業中のLST部隊はかなり危険な状態にある。現在、TG8.1と交戦している小規模な艦隊にすら、勝てる戦力をTG8.2は有していない。

 

「しかし…ルソン島を南回りで迂回して来るとなると、北回りの二倍以上の距離、時間が必要です。深海棲艦がそんな手を使いますかね?」

 

第二艦隊首席参謀の柳沢蔵之介(やなざわ くらのすけ)大佐が古賀の顔を伺うように言うと、風巻は口を開く。

 

「簡単な話です。深海棲艦が優れた戦略眼を持っているのであれば、敵主力艦隊はLST部隊を攻撃し、目先の戦術的勝利を欲するのであれば全力でTG8.1を攻撃するでしょう…。私は彼らは優れた戦略眼を持っていると判断します」

 

深海棲艦がルソン島の西側に主力艦隊を配しているのなら、彼らは戦術的勝利を目指しており、ルソン島の東側からLST部隊を攻撃するのであれば、戦略的勝利を目指しているということになる。

 

「長官、私はルソン島西側に敵主力艦隊が位置していると考えます。TG8.1の援護のためにも、第二艦隊は西進した方が良いかと…」

 

柳沢の発言に、風巻は反論した。

 

「いえ、敵艦隊はルソン島の東側に位置している可能性が大だと思われます。揚陸地点に移動して、LST部隊の周辺警戒に徹しましょう」

 

二人の意見対立に、古賀は迷っているようだ。黙りながら腕を組んで、参謀たちの議論に耳を傾けている。

 

「参謀長はどう思うか?」

 

古賀は鈴木に意見を求めた。

鈴木はゆっくりと頷き、慎重に言葉を選びながら口を開いた。

 

「小官は……柳沢参謀の意見に賛成です。現に、敵艦隊が出現したのはルソン島西側ですし、敵主力艦隊がいたとしても西側にいると考えるのが無難でしょう」

 

 

(ああ…やっぱりか)

 

鈴木が言い終えると、風巻は思った。

 

要は、輸送船の護衛のような地味な任務をやりたくはないのであろう。

米軍との軍事交流や、対ソ連用の合同演習を通して、米国式の合理的な考えが入って来ていたが、日本海軍には未だにそのような考えが根強いのだ。

だが、風巻は諦めず、なおも食い下がった。

 

「本作戦の第一目標は、ルソン島の米極東軍への物資補給です。仮に柳沢参謀の意見が正しくても、敵艦隊がルソン島を迂回してLST部隊を襲う可能性が1%でもあれば、南進すべきです」

 

風巻がそう言うと、柳沢が暗闇の中でも分かる程に、露骨に嫌そうな顔をする。

 

それもそうだな、と風巻は思った。

風巻GF参謀は第二艦隊にとって、ある程度の権力があるよそ者だ。柳沢は第二艦隊の首席参謀として、よそ者に口出しされたくなかったのかもしれない。

 

「では、風巻参謀は我々がルソン島東側に移動している間に、TG8.1が大損害を受けてもよろしいと?」

 

柳沢は若干の怒りを滲ませながら言った。

 

「TG8.1が壊滅しても、LST部隊が陸軍と補給物資の揚陸を完了したら我々の勝利です。戦術的勝利よりも、戦略的勝利を優先していただきたい」

 

「我が第二艦隊の任務は、米アジア艦隊の支援です。今戦っている友軍を無視して、戦艦の火力を輸送船護衛ごときに使えと言うことですか⁉︎」

 

「守るべきものはTG8.1ではなく、LST部隊だ。戦略目標を忘れるな!」

 

柳沢が声を荒げ、風巻も一歩も引かない。

連合艦隊首席参謀と第二艦隊首席参謀の議論は、収拾のつかないものとなりかけていたが、鈴木参謀長がなだめるように言った。

 

「まぁまぁ、二人共。ここは長官のご決断を仰ごう」

 

風巻と柳沢はその言葉を聞いた瞬間、同時に物凄いスピードで古賀司令官に顔を向け、同時にこう言った。

 

「「長官、ご決断を!」」

 

古賀は、二人の殺気立った顔を見てビクッとしたが、コホンと咳一つしてから、口を開き自らの決定を参謀たちに伝え始める。

 

聞くにつれて、風巻の表情は驚愕のそれに変わっていった。

 

 

 

 

 




《現在までの海戦の推移》

1941年6月23日

午後 9時48分 TG8.1- ルソン島北西沖で警戒開始

午後10時01分 第二艦隊- ルソン島北東沖で警戒開始

午後10時09分 TG8.2- ルソン島東岸・揚陸地点に到着

午後10時21分 TG8.2- 甲型戦闘機による空爆。
「ベンソン」「LST-16」沈没 「LST-17」大破

午後10時26分 LST群- 揚陸作業開始

午後10時42分 TG8.1- ルソン島北東沖にて敵艦隊と遭遇

午後10時55分 TG8.1- 戦闘開始

午後11時07分 第二艦隊- TG8.1の戦闘突入を把握


現在


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第二十二話 ル級の影

受験終わった〜長かった〜

今日から南洋海戦物語復活です!

更新頑張るぞ!


午後10時55分

 

 

1

「『シカゴ』より入電。”全艦突撃。第三十、三十三、三十八駆逐隊ハ敵駆逐艦ヲ牽制セヨ“」

 

第三十三駆逐隊(DDG33)旗艦、駆逐艦「バトラー」の艦橋に通信士の報告が上がった。

 

「DDG33、針路285度。最大戦速!」

 

通信士の報告を聞くや、DDG33司令のワイアット・グレン大佐は、早口で下令した。

DDG33はTG8.1に所属する駆逐隊であり、指揮下にリヴァモア級駆逐艦「バトラー」「ナイト」「フランクフォード」「ハーディング」の四隻を収めている。

 

「バトラー」周辺の海面が激しく泡立ち、艦が加速される。

左正横に位置している重巡洋艦「クインシー」を初めとする巡洋艦部隊が後方に過ぎ去り、「ナイト」「フランクフォード」「ハーディング」も遅れじと加速し、DDG30、DDG38の駆逐艦八隻も続く。

 

やや艦首が右に振られ、接近中の敵駆逐艦と相対する。

 

「敵駆逐艦、二群に分離。第一群は右前方、第二群は左前方より接近。距離一万三千ヤード!」

 

見張りが大声で言った。

ワイアットは正面の海域に目を凝らすと、左右に展開し始める敵駆逐艦群がぼんやりと見え、その後方に、発砲を開始した二隻のへ級軽巡洋艦が位置している。

 

「こいつは…乱戦になるぜ」

 

ワイアットは軽く唇を舐めながら言った。

敵駆逐艦はDDG33、DDG30、DDG38を左右から挟撃しようとしている。

砲戦によって駆逐艦十二隻を突破し、後方の巡洋艦を雷撃しようとしている根端かもしれない。

 

「DDG33、砲撃開始しつつ針路340度。奴らに魚雷を撃たせるな!」

 

「了解。面舵一杯(ハードスターボード)、針路340度!」

 

ワイアットが命じ、「バトラー」艦長ジェラルド・タッカード中佐が航海長に指示を出す。

 

「バトラー」の舵輪が回されている最中に、第一、第二単装砲塔が正面の敵駆逐艦に向かって火を噴く。

二門の砲口から五秒毎に直径十二.七センチの砲弾が発射され、鋭い砲声と衝撃が艦を包み込む。

すぐに「バトラー」の艦首が右に振られる。

リヴァモア級駆逐艦は基準排水量が千六百トンほどしかないため、舵輪を回してから艦が回頭するまでのタイムロスがなきに等しいのだ。

 

やがて「バトラー」が直進に戻り、後続艦三隻も順次直進に戻って行く。

 

針路340度に変針した事で、DDG33の駆逐艦四隻は右前方から接近しつつあった敵駆逐艦第一群の頭を押さえる形になっている。

 

四隻の駆逐艦の艦上では、計五基の十二.七センチ単装両用砲が素早く左側に指向し、砲撃を開始する。

 

敵も俄然、反撃する。

先頭の敵駆逐艦が発砲し、閃光によってその姿が海上に浮かび上がらせ、それを皮切りに後続の敵駆逐艦も撃ち始める。

 

(少し分が悪いな…)

 

ワイアットは敵艦隊を見ながら思った。

水偵の報告によると敵駆逐艦の数は十隻とあったが、見た所十五隻はいる。

敵駆逐艦第一群は七、八隻ほどで、こちらは四隻のみである。

DDG30とDDG38は共に第二群を相手取っており、DDG33は自らより倍の敵駆逐艦を牽制しなければならないのだ。

 

四隻のリヴァモア級駆逐艦の主砲が、数秒おきに咆哮し、火力が先頭の敵駆逐艦ーーイ級駆逐艦ーーに集中される。

 

「バトラー」が放った四回目の射弾から、命中弾が出始めた。

 

イ級駆逐艦の前部に十二.七センチ弾が直撃し、火焔が躍る。それと同時に砲塔らしき四角い箱が宙に舞い、イ級の艦上で火災が発生し始めた。

 

火災という格好の標的を得たDDG33は射撃の精度を上げ、これ見よがしに砲弾を叩き込んでゆく。

四発の十二.七ミリ弾が同時にイ級の艦橋に直撃し、これを粉砕する。

艦橋の上半分が消失し、イ級の艦影を特徴づけていたマストが衝撃でへし折れる。

艦橋を飛び越えた砲弾は対空機銃や煙突を爆砕し、舷側に命中した砲弾はこれをえぐって大穴を穿つ。

生き残った第二砲塔が砲撃を継続していたが、やがて直撃を喰らい、沈黙する。

イ級駆逐艦に雨霰と砲弾が降り注ぎ、主砲だろうと艦橋だろうと、次々と破壊されていく。

 

わずか四十秒ほどの間に、二十発以上の砲弾を叩き込まれたイ級駆逐艦は、速力が大幅に低下し、艦影が大きく変わっている。

いたるところで火災が発生し、さながら海の幽霊船だ。

 

先頭のイ級が落伍し、黒煙を突いて後続のイ級駆逐艦が姿をあらわす。

 

「目標、二番艦!」

 

タッカードが射撃指揮所に怒鳴り込み、次の瞬間には新目標に向けて射撃が再開される。

 

その時、衝撃が「バトラー」を襲った。

艦全体が小刻みに震え、後方から炸裂音が響く。

 

「一番煙突に直撃!」

 

「敵もやられっぱなしじゃねえな」

 

見張りの報告に、ワイアットは顔を引きつらせながら呟いた。

敵駆逐艦が放った砲弾の一発が 艦橋の真後ろにある煙突を吹き飛ばしたのだ。

少し前にずれていたなら、艦橋に命中していたかもしれない。

 

しかし、それでDDG33の勢いを止めることは出来なかった。新たに先頭になったイ級駆逐艦も、一番艦と同様の運命を辿る。

 

四隻の駆逐艦に袋叩きにされた二番艦は、短時間で多数のダメージを受け、戦列を離れる。

 

「いいぞ!」

 

ワイアットは喝采を叫んだ。

短時間でイ級二隻を戦闘不能にしたのは、上出来と言える。

 

 

「第一群、針路150度に変針!」

 

DDG33が、新たに先頭になったイ級三番艦に対して砲撃を開始した時、艦橋見張りが報告を上げた。

 

ワイアットは彼我の針路を脳裏に描いた。

DDG33の針路は285度、敵駆逐艦第一群は針路を90度から150度に変針したという事は、敵はDDG33の後方をすり抜ける形で突破しようとしているのだ。

 

「そうはさせるか。DDG33、右一斉回頭!」

 

ワイアットはタッカードに言った。

素早く命令電文が指揮下の駆逐艦に飛び、一糸乱れず四隻の駆逐艦が回頭する。

 

左後方に見えていた敵駆逐艦が左に流れ、視界の外に消える。やがて「ナイト」や「フランクフォード」の後部が視界に入り始め、先まで左後方に見えていた敵駆逐艦が右前方に見えて来る。

 

一斉回頭をおこなった事で、「バトラー」が最後尾に、「ハーディング」が先頭に入れ替わったのだ。

 

砲撃を再開したのは、敵の方が早かった。

双方の変針で、DDG33の右前方をやや先行する形となった敵駆逐艦第一群が、先頭の鑑から導火線に火をつけたかのように順に発砲を再開する。

発砲の閃光の数から、敵駆逐艦は六隻ほどだろうか?

 

「ハーディング」の周辺に、多数の水柱が上がる。

敵艦隊は、先頭の艦から順番に無力化していこうと考えているのかもしれない。先にDDG33が敵にやったことを、そのまま返す形だ。

 

「敵艦隊との距離は?」

 

「五千ヤード!」

 

ワイアットの問いに、タッカードは即答した。

少し考えた後、ワイアットの口が開いた。

 

「DDG33、魚雷発射用意!」

 

リヴァモア級駆逐艦の搭載している魚雷はMk11魚雷で、射程距離は

五千五百メートル。十分に敵艦隊を捉えられる距離だ。

 

「魚雷戦用意。発射角調整始急げ!」

 

タッカードが水雷指揮所に指示を出す。

 

一隻に五連装発射管は二基付いており、四隻で合計四十本のMk11魚雷を発射することが可能だ。

敵駆逐艦六隻を、切り札の魚雷で一掃してしまう考えだ。

 

しかし、DDG33が発射準備をしている間、破滅は突然に訪れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ひ、右前方より雷跡多数。距離五百ヤード!」

 

見張りが悲鳴じみた声で叫んだ。

突然の出来事で艦橋にいる全員に衝撃が走る。

 

「馬……鹿…な!」

 

ワイアットはかすれるような声で言った。

 

敵は、いつ魚雷を発射したのか。なぜ五百ヤードという距離まで雷跡を発見できなかったのか。敵駆逐艦は巡洋艦を魚雷で仕留める為に突撃して来たのではなかったのか。などの疑問が頭から湧き出て来たが、それは「馬鹿な」という一言にしか表現できなかった。

 

直後、凄まじい衝撃が「バトラー」の艦首から突き上がり、セコイヤの木のような、途方もない大きさの水柱が天高く上がった。

 

 

艦橋は巨大な手に振り回されているように揺れた。

ワイアットは衝撃で隔壁に後頭部をぶつけ、頭蓋を砕かれてしまう。

視界いっぱいに海水が見えた瞬間、ワイアットの意識は暗転した。

 

 

この時、「バトラー」の他にも「ナイト」「フランクフォード」の二隻が艦首に被雷し、「フランクフォード」は艦の半分以上が海面下に没している。

 

辛うじて魚雷を躱した「ハーディング」はなおも砲撃を続けたが、六隻のイ級駆逐艦に何十発もの砲弾を叩き込まれ、艦首から艦尾までどす黒い煙を吐き出しながら海上に停止している。

 

 

DDG33を壊滅さした駆逐艦第一群の六隻は「ハーディング」との砲戦で被害を受けたものの、針路を50度に取り、戦場の混沌へと向かって行った。

 

 

 

 

 

 

2

 

 

 

轟音が響き渡った。

 

それと同時に雷を何十倍かにしたような閃光が走り、周辺を一瞬だけ真昼に変える。

左前方を航行中の「アストレア」の後部が照らされて暗闇に浮かび上がり、自分が乗っている「シカゴ」の艦首や錨、揚収機が鮮明に照らし出される。

第一砲塔と第二砲塔の各二番砲身が、艦隊正面でT字を描いているへ級巡洋艦に向かって放たれたのだ。

 

 

「砲術より艦橋。敵巡洋艦、針路200度に変針。距離二万五千ヤード」

 

「シカゴ」が放った砲弾が着弾するより早く、「シカゴ」砲術長マーチン・ガルシア中佐が報告した。

 

「またか…」

 

TG8.1司令官レイモンド・スプルーアンス少将は軽く舌打ちしながら呟いた。

戦闘開始以来、十五分以上が経ったが、TG8.1の巡洋艦五隻は敵艦に一発の砲弾も命中させることができていない。

 

二隻のへ級軽巡洋艦は、数分毎に変針を繰り返し、砲弾をことごとく躱わしているのだ。

しかも南北へのピストン運動を行い、巡洋艦に対してT字を維持し続けている。

 

彼我の戦力差を考えれば当然の戦法かもしれないが、スプールアンスは敵が消極的すぎる、と疑問に思っていた。

 

「砲撃待て」

 

「シカゴ」艦長クリス・バーモント大佐がマーチンに指示を出す。

夜間、変針中の敵艦に発砲しても当たりっこない。その事を考慮したのだろう。

「クインシー」「アストレア」「フェニックス」「フェラデルフィア」も砲撃を中断し、駆逐艦同士の砲声のみが海上にこだまする。

 

針路を200度に変えたことで、右前方に見えていた敵巡洋艦が正面に移動する。

さっき放った砲弾は着弾してると思われるが、水柱は見えなかった。

 

スプールアンスが砲撃再開の指示を出そうとしが、艦橋に届いた報告に遮られた。

 

「『バートン』より入電です。”DDG33全滅。DDG30戦力半減、我、苦戦中”」

 

「シカゴ」の艦橋にどよめきが広がったが、スプールアンスの対応は素早かった。

 

「砲撃目標を駆逐艦に変更。各艦、準備でき次第射撃を開始」

 

放っておけば後々厄介になると思い、へ級軽巡を砲撃していたが、へ級は変針を繰り返し砲弾を躱し続けるだけで、らちがあかない。

 

ここは味方駆逐艦を援護し、なおかつ敵駆逐艦の魚雷攻撃という不安要素を取り除こうと考えたのだ。

 

射撃を繰り返していた主砲が沈黙し、右前方に旋回する。

 

「敵駆逐艦六隻接近。本艦より方位320度、距離一万ヤード」

 

レーダーマンからの報告が艦橋に届く。

スプールアンスは報告のあった方向に双眼鏡を向けた。

 

六隻の駆逐艦が視界に入ってくる。

最後尾の一隻は多数の砲弾を喰らったらしく、火災を起こしているようだ。

それでも、敵駆逐艦は真一文字に突っ込んで来る。

 

左前方に位置している「クインシー」が一番最初に発砲した。

発砲した瞬間、「クインシー」の姿がくっきりと浮かび上がり、右側海面にさざ波が立つ。

 

「アストレア」も続く。

 

「クインシー」より距離が近いため、砲声は強烈だ。

 

発砲した瞬間、真っ赤な火焔が砲身から噴き出すのが、はっきりと見える。

 

「射撃を開始します」

 

クリスが確認を取るように言うと、スプールアンスは静かに頷いた。

 

「艦長より射撃指揮所、射撃開始。繰り返す、射撃開始!」

 

クリスが三脚マストのてっぺんに位置している射撃指揮所に連絡すると、一拍の間を空けて、「シカゴ」の第一、第二、第三主砲が轟然と咆哮した。

各三門、計九門から二十.三センチ砲弾が火焔と共に叩き出され、衝撃が艦全体を打ちのめす。

戦艦ほどでないにしろ、衝撃、轟音、閃光、どれをとっても強烈だ。

 

マーチンは敵駆逐艦を砲撃するにあたり、斉射を利用すると決めたようだ。

 

後方の「フェラデルフィア」「フェニックス」も十五.二センチ三連装砲を敵駆逐艦へ向け発砲する。

 

五隻の巡洋艦が発砲した砲弾は、敵駆逐艦の周辺に着弾する。

先頭のイ級は、立て続けに落下してくる砲弾に射すくめられているようだ。

 

「駆逐艦の隊列、乱れます!」

 

見張りが報告する。敵も、まさか全ての巡洋艦が駆逐艦を攻撃してくるとは思っていなかったのかもしれない。

 

だが、第一射での命中弾はない。

深海棲艦駆逐艦部隊は、臆する事なく距離を詰めて来る。

 

「蹴散らせ。DDG33の仇だ!」

 

クリスが皆を鼓舞するために叫ぶ。

その声に触発されたかのように「クインシー」「アストレア」が第二射を放ち、「シカゴ」は第二斉射を放つ。

艦首から艦尾までを衝撃が貫き、少しの間、硝煙が視界を防ぐ。

 

「クインシー」「アストレア」の射弾は外れるが、「シカゴ」の射弾は違った。

イ級駆逐艦の左右に高々と水柱が上がり、艦上に閃光が走る。

 

逆光で一瞬だけ見えたが、箱型の艦橋は二十.二センチ砲弾に爆砕され、跡形もない。同時に長細い物や鉄板のような平べったい物が周辺に飛び散り、海面に飛沫を上げる。

 

「目標、後続のイ級!」

 

スプールアンスは五隻の巡洋艦に指示を出した。

「シカゴ」の砲弾を喰らったイ級は、致命傷を受けたようだ。速力が衰え、続々と後続のイ級駆逐艦に追い抜かされている。

 

脅威度が高いのは、無傷のイ級駆逐艦だ。

 

イ級二番艦に対しては、三回の射撃修正で「フェニックス」が直撃弾を得て、斉射に移行した。

 

「フェニックス」が搭載しているのはMk16 十五.二センチ三連装速射砲であり、約五秒で再装填を完了し、発砲できる速射性能を持っている。

 

第一斉射で二発が命中し、イ級は前部の主砲一基と後部煙突が粉砕される。

第二、第三斉射ではそれぞれ三発が命中し、イ級の艦首、中央部、艦尾と、まんべんなく艦体をえぐる。

 

「フェニックス」が第四斉射を放つ必要は無かった。イ級駆逐艦二番艦は、一寸刻みに破壊され、黒煙を引きずりながら左に回頭する。

「フェニックス」の連続斉射を受けて、回避せざるおえなかったのかもしれない。

 

二番艦が回避行動に移り、新たに先頭になった三番艦にも、火力が集中される。

二十.三センチ、十五.二センチ砲だけでなく、射程距離に入った各艦の十二.七センチ単装高角砲も砲撃に参加し、三番艦は先頭になってから数秒後には直撃弾を受け始める。

果敢に発砲していたイ級の前部主砲二基に、十二.七センチ砲弾が命中し、正面防盾を切り裂き、砲身を吹き飛ばす。

被弾したマストが根元から倒壊し、煙突を下敷きにする。

 

そこに、とどめと言うべき砲弾が飛来して来た。

「アストレア」が放った二十.三センチ砲弾が艦首に命中し、これを粉砕する。

やや前のめりになり、速力の低下したイ級に「シカゴ」の斉射弾が落下する。

三番艦の周りを多数の水柱が突き上がり、イ級駆逐艦の姿を隠す。水柱が、真っ赤な爆炎を反射して赤く染まる。

水柱が収まった時、至る所で火災を背負い、スクリューを覗かせているイ級駆逐艦が、海上に停止していた。

 

「残存敵駆逐艦、速度変わらず。なおも接近!」

 

レーダーマンが焦りを露わにして報告する。

敵駆逐艦は、いくら損害を受けても遮二無二に突撃してくる。

 

この時、スプルーアンスの脳裏に、忌まわしい記憶が蘇った。

潜水艦に囲まれ、右往左往する巡洋艦、魚雷を喰らい、大きく跳ね上がるタンカー、「ノーザンプトン」が被雷した時の天地がひっくり返るような衝撃。

 

敵駆逐艦の魚雷発射だけは阻止しなければならない。

 

 

「『クインシー』に至近弾。敵巡洋艦からの砲撃です!」

 

「敵巡洋艦、針路120度。距離一万四千ヤード!」

 

 

見張りの報告と、レーダーマンの報告が同時に艦橋に届く。

 

今まで逃げ回るだけだった二隻のへ級軽巡洋艦が、好機と見て距離を大幅に詰み、「クインシー」を砲撃しているのだ。

 

「斜め単横陣から単縦陣に移行。針路300度!」

 

「本艦、『クインシー』『アストレア』は敵巡洋艦を攻撃せよ」

 

スプルーアンスは矢継ぎ早に二つの命令を発した。

 

敵巡洋艦と敵駆逐艦を砲撃しつつ、これらの間を通る針路だ。

 

「針路300度、ハードスターボード!」

 

クリスが操舵室に通じる伝声管に怒鳴り込む。

すぐさま舵輪が回されたと思われるが、舵はすぐに効かず、巡洋艦五隻は前進を続ける。

 

舵が効くのを待っている間も、砲撃は続行される。

 

敵駆逐艦四番艦は「フェラデルフィア」と「フェニックス」の砲撃を受けており、今にも直撃しそうだ。

 

敵駆逐艦の砲弾が「シカゴ」に命中したが、中央舷側の重要防御区画(バイタルパート)に当たったらしく、鉄塊同士をぶつけたような音と共に弾かれる。

 

「シカゴ」の第一、第二砲塔が敵巡洋艦を捕捉すべく左側海面に指向している途中、前方の「クインシー」「アストレア」が右に艦首を振り、「シカゴ」も続いた。

TG8.1の巡洋艦五隻は、斜め単横陣から単縦陣に移行するため、計算で弾き出された周回半径に従って回頭する。

 

 

 

 

 

その時だった。

 

 

 

 

 

 

顔を真っ青にしながら、通信長が入ってきたのは。

 

 

 

 

 

「TG8.2より入電です!」

 

通信長はスプールアンスや、カール・ムーア参謀長に断らずに話し始めた。

 

 

「”我、戦艦二隻、巡洋艦四隻ヲ含ム敵大艦隊ト遭遇ス、至急来援コウ“です!」

 

 

 

 

 

 

 

最初、スプールアンスは通信長が何を言っているのかわからなかった。

いや、それを真実とは思いたくなく、理解しようとしていなかっただけかも知れない。

 

「司令…!」

 

ムーアの声で、スプールアンスは我に返った。

すごい勢いで窓際に寄り、「シカゴ」の後方に目を向ける。

 

戦闘開始時には見えていたルソン島が、どこにもない。

TG8.1は敵艦隊との戦いで、ルソン島が見えない海域まで釣り出されてしまったのだ。

 

「これが狙いか…深海棲艦!」

 

スプルーアンスは頭が熱くなり、怒りがこみ上げて来た。

 

その半分は深海棲艦の策略にはまってしまった自分自身に向けられていた。

 

 

 

 

 

 

 




やべえ、深海棲艦強すぎる。自分でも思いました。


次回「灼熱のアトランタ」


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第二十三話 灼熱のアトランタ

つ、疲れた…。


11時25分

 

1

 

「本艦よりの方位125度に、大型艦らしき艦影を確認。数二、距離一万八千ヤード」

 

「アトランタ」の艦橋に見張員の声が響いた。

TG8.2司令兼艦長のレヴィ・L・カルフーン大佐は、それを聞くや、航海長マーク・クルーズ中佐と顔を見合わせた。

 

 

現在、TG8.2は揚陸作業中のビーチから南方に十浬隔った海域で警戒に当たっている。

先の空襲で大破した艦の消火や救助に協力していた駆逐艦も戦列に戻り、軽巡「アトランタ」以下駆逐艦「メイヨー」「チャールズ・H・ヒューズ」「ランズテール」「マディソン」「ラフィー」「バートン」「ヒラリー・P・ジョーンズ」という編成だ。

 

 

(大型艦二、と言ったら戦艦が二隻か…)

 

カルフーンの脳裏に、日本海軍に所属し、今回の作戦にも参加している戦艦の姿が浮かんだ。

巨大なパコダマストを据えた二隻の日本戦艦が、TG8.2の船団警備に協力するため、接近してきたのかもしれない。

 

「二隻の大型艦なら、第二艦隊の『コンゴウ』と『ハルナ』でしょうか?」

 

クルーズも同じことを考えたようだ。首をひねりながらカルフーンに言う。

 

 

(待てよ……)

 

しかし、カルフーンは頭に引っかかることがあり、自問した。

 

今のTG8.2の針路は165度。

発見された大型艦は「アトランタ」よりの方位125度、すなわち南東方面の海面にいるから、これはやや不自然だ。

日本艦隊はルソン島北東部のサンタアナ半島沖にいるため、来るとしたら北からだろう。

そんなわざわざTG8.2とビーチを迂回するような針路を取って、接近してくるだろうか?

 

 

「まさか…!」

 

 

 

そこまで考えた時、カルフーンの胸中にどす黒い疑惑が浮上し始めた。

 

発見された二隻の大型艦が、味方戦艦でない可能性は十分にある。

 

 

「発光信号、送れ。“我、アトランタ。貴艦隊ハ、第二艦隊ナリヤ?”、だ」

 

カルフーンは、首筋に冷たいものが流れるのを感じつつ、指示を飛ばした。

「アトランタ」の通信アンテナは先の爆撃時の機銃掃射で破壊されている。夜間に光を発するのはためらわれたが、今は致し方なかった。

 

「了解。“我、アトランタ。貴艦隊ハ第二艦隊ナリヤ?”直ちに送信します」

 

艦橋見張りが復唱し、実行する。

 

「アトランタ」の艦橋で発光が規則的に閃らめき、第二艦隊と思われる艦隊にカルフーンが言った内容が送信される。

 

 

艦橋にいる全員がカルフーンの考えを読み取り、固唾を飲んで二隻の大型艦を見つめるが、一分、二分と時間が経っても返信が無い。

 

 

 

返答は、およそ四分経った時に、送られて来た。

 

 

 

左前方の水平線に二つの閃光が走り、その禍々しい艦影を暗闇に浮き上がらせた。

 

この時、カルフーンは直感的に思った。あの二隻は日本海軍の戦艦ではなく、深海棲艦の戦艦だ、と…。

 

日本戦艦のパゴダマストには到底見えない三脚マスト、光に照らされて見えた巨大な四基の三連装砲、マストと競い合うかのように屹立する二本の煙突。

 

紛れもない、1898年に戦艦「メイン」を撃沈し、フロリダ半島の東半分を焦土とした元凶で、現在確認されている深海棲艦の中で最強の軍艦。

 

 

 

 

 

ル級戦艦だ。

 

 

 

 

数秒遅れて砲声が響き、それに変わって三十六センチ砲弾の飛翔音が轟いてくる。

 

 

「なんてこった…」

 

クルーズの、力の抜けた声が聞こえた。

クルーズだけでなく、艦橋の全員が呆然とした表情で左前方の海面を見つめる。

 

敵弾が着弾した。

 

「アトランタ」の前方、四百メートルの地点に四本の水柱が突き上げ、二隻のル級戦艦を視界から隠す。

若干の差を開けて二番艦の射弾も落下し、右前方の海面に四本の水柱が凄まじい勢いで上がる。

 

 

その時、カルフーンは反射的に命令を下していた。

 

 

「TG8.2、対水上戦闘用意!」

 

カルフーンは一喝するような口調で言い、それを聞いた艦橋スタッフは、素早く行動を開始した。

 

「アトランタ」や後続艦ではブザー音がけたたましく鳴り響き、水兵達が必死の面相で通路を駆け抜け、自らの配置場所に急ぐ。

艦橋の目の前にある第一、第二、第三連装両用砲が左に旋回し、砲門を敵艦隊に向ける。

 

TG8.2で戦闘態勢が整えられていく中、ル級戦艦が第二射を放つ。

 

閃光が走り、ル級の艦影を浮かび上がらせた次の瞬間には、二番艦のル級も発砲したらしく、後方に第二の発射炎が光る。

さらには、その後方に第三、第四と、雷のような閃光が続く。

 

敵艦隊はル級戦艦二隻だけでは無いようだ。

発射炎から見るに巡洋艦が三、四隻付いている。この調子だと駆逐艦もいそうだ。

 

「TG8.1と第二艦隊に打電。“我、戦艦二隻、巡洋艦四隻ヲ含ム敵大艦隊ト遭遇ス、至急来援コウ”だ。この際平文でいい!『チャールズ・H・ヒューズ』に打電させろ!」

 

カルフーンは舌打ちをしつつ、指示を飛ばした。

 

通信アンテナを破壊されたことが、かなりこたえている。

これで五分は味方艦隊の救援が遅れてしまうだろう。

 

 

 

多数の砲弾が落下してくる中、思考回路をフル回転させて、カルフーンは考えた。

 

(TG8.1は駄目だ…距離があり過ぎる。救援に来てくれるのは第二艦隊かな……いや)

 

TG8.1はルソン島西側で敵艦隊と交戦中だ、仮に今すぐ戦闘を中断して救援に来てくれても、二時間以上かかってしまう。

二時間もの間、ル級戦艦を含む敵艦隊を抑え込むのは不可能だ。

そうなると、唯一の希望はルソン島北東部で遊弋している日本海軍第二艦隊だが、これも厳しい。

第二艦隊は、戦艦「コンゴウ」「ハルナ」と、重武装の重巡四隻の戦力を有しており、ル級を含む敵艦隊と互角以上に渡り合ってくれるだろう。

だが、LST部隊のビーチはルソン島北岸より三十浬、TG8.2は四十浬の海域にいる。

第二艦隊の艦艇が、全て三十ノット以上発揮できる高速艦で占められていても、ビーチまでは一時間、TG8.2がいる海域までは一時間以上かかってしまう。

カルフーンはちらりと、壁にかかっている時計を見た。

 

夜光塗料で鈍い光を発している長針と短針は、11時31分を示している。

最低、第二艦隊がビーチに達する0時半まで、敵艦隊を足止めしなければならないのだ。

 

カルフーンは一瞬、絶望的な感情に支配されて体がぐらついたが、すぐに切り替え、両手で頰を叩いた。

 

(やるしかない…!)

 

そう自分に言い聞かせると、左前方の敵艦隊を睨みつける。

 

 

「敵駆逐艦、針路320度。数十隻以上。急速に接近しつつあり」

 

見張員の報告が上がった。

 

次の瞬間、カルフーンは目を見開き、大声で下令していた。

 

「TG8.2、針路125度。突撃せよ!」

 

「砲撃目標、針路320度の敵駆逐艦。準備完了次第砲撃開始!」

 

 

「……本当によろしいのですね?」

 

クルーズが確認を求めるように聞いてくる。

 

クルーズが言いたいことはわかる。

戦艦二隻、巡洋艦四隻と多数の駆逐艦を有する大艦隊に、軽巡一隻、駆逐艦七隻のみの水雷戦隊で突撃しても雷撃は失敗、いや、部隊自体が全滅する可能性が非常に高い。

それに「アトランタ」はTG8.2唯一の巡洋艦で、なおかつ先頭に位置している。

砲撃が集中するのは自明の理だ。

そうなれば、カルフーン自身も死亡するかもしれないのだ。

 

「俺たちはただの水雷戦隊じゃない」

 

カルフーンはそう言って、言葉を続けた。

 

「魚雷発射管に搭載されているのは本国の魚雷ではなく、日本が作った酸素魚雷だぞ?どこに失敗する要素があるんだ?」

 

そう言うと、カルフーンはニヤリと笑って見せた。

 

TG8.2の魚雷発射管には試験的に、日米防共協定に基づいて日本より供与された九三式酸素魚雷(type93)が搭載されている。

カルフーンはその事を言ったのだ。

 

それを聞いたクルーズも笑いかえした。上官の覚悟に安心したのかもしれない。

 

「一丁やってやりましょう!」

 

 

 

 

 

 

カルフーンの命令どうり「アトランタ」が最大戦速の三十四ノットに増速し、後方のベンソン級駆逐艦も続く。

 

最大戦速に達した瞬間、左前方から反航戦の体制で接近して来る駆逐艦部隊に向かって、指向可能な十二.七センチ両用砲七基、合計十四門が火を噴いた。

艦砲では小口径砲に分類されるが、陸軍にとっては重砲クラスだ。

その砲が十四門、四秒毎に咆哮するのは、かなり壮観だった。

 

先頭の敵駆逐艦の反対側に多数の水柱が突きあがる。

初弾の命中はならなかったが、弾着修正を行って次の射撃までわずか四秒のみだ。

すぐに命中弾を得られるだろう。

 

「敵駆逐艦との距離一万ヤード。敵戦艦とのーーーーー!」

 

見張員の声が、三十六センチ砲弾の空気を切る轟音にかき消される。

 

カルフーンが頭上を振り仰いだ瞬間、「アトランタ」の右正横に着弾した。

艦橋をゆうに超える高さの水柱が奔騰する。

「アトランタ」が左に傾き、艦体が軋む。

 

足の裏を通じて水中爆発の衝撃が伝わって来る。

先の射弾よりも、弾着位置が近い証明だった。

 

「敵戦艦との距離、一万八千ヤード!」

 

「敵駆逐艦に命中弾!」

 

見張員が先の報告をし直し、「アトランタ」砲術長ヘンリー・ベッカー中佐が直撃弾を得たことを伝える。

 

カルフーンが双眼鏡を敵駆逐艦に向けようとした時、新たな敵弾が飛来した。

「アトランタ」目の前の海面が爆発し、ポセイドンのトライデントみたく三本の水柱が高々と突き上がった。

 

水柱の太さ、高さから、リ級重巡の二十センチ砲だろう。

 

「アトランタ」は少なくとも一隻づつのル級戦艦、リ級重巡洋艦に砲撃されているようだ。

 

 

 

合計八隻のTG8.2は、搭載されている様々な砲を、高速ですれ違って行く敵駆逐艦に向かって撃ち込む。

先頭の敵駆逐艦は、すでに二十発以上の砲弾を「アトランタ」から叩き込まれ、ノロノロと進むだけとなっている。

二番艦も同様だ。

ベンソン級駆逐艦から砲火を集中され、前部主砲と艦橋を粉砕されている。

 

敵駆逐艦も負けてはいない。

 

四番艦に位置している「ランズテール」は第一砲塔と煙突に敵弾を喰らって傷ついているし、「アトランタ」も艦中央部に三発の敵弾が命中し、二十八ミリ機銃や甲板をズタズタに破壊されている。

 

しかし、駆逐艦同士の砲戦ではTG8.2が優勢だった。

 

敵駆逐艦の隊列は乱れ、六隻が煙を引きずっており、二隻が停止している。

 

敵駆逐艦とTG8.2の相対速度は五十ノット以上で、次々と「アトランタ」は敵駆逐艦とすれ違って行く。

 

「『ランズテール』『メイヨー』被雷!」

 

突然、見張員が悲鳴染みた声で報告した。

 

「被雷?被弾じゃないのか…」

 

カルフーンは見張員に聞いたが、確かに被雷のようだ。

後方をちらりと見ると、「ランズテール」と「メイヨー」が大火災を起こして停止している。

 

カルフーンはこの時、TG8.2がどれほど危険な状況に置かれていたかを理解した。

 

敵駆逐艦はすれ違う過程で魚雷を放っていたのだ。

 

TG8.2は敵に向けて横腹を見せており、被雷面積が広い。

二隻しか被雷しなかったのは、奇跡としか言いようがなかった。

 

 

「敵戦艦との距離一万四千ヤード。戦艦の後方に敵巡洋艦!」

 

「敵駆逐艦反転。後方より接近!」

 

二つの報告が艦橋に飛び込んだ。

 

「射撃目標を敵戦艦に変更!」

 

カルフーンは意を決して言った。

攻撃目標はル級戦艦だ。

いくら、後方から敵駆逐艦が撃ってこようと、射撃目標を敵駆逐艦にしようとは思っていなかった。

 

二隻のル級が五度目の砲撃を行う。

距離が詰まったため、先よりもくっきりと発砲の瞬間が見える。

一瞬だけ閃光が周辺を支配し、後続のリ級重巡をも照らし出した。

 

頭を掻きむしりたくなるような砲弾の飛翔音が迫り、「アトランタ」の至近距離に着弾する。

 

今までにない水中爆発の衝撃が突き上げ、「アトランタ」は正面の水柱に艦首を突っ込んだ。

鋭い艦首が巨大な水柱を切り崩し、南洋特有のスコールを思わせる量の海水が頭上から降り注ぐ。

 

海水の大雨が収まると、二隻目のル級戦艦の射弾が飛来した。

飛翔音が前方から後方に過ぎ、敵弾は「アトランタ」の後方に落下した。飛翔音がとぎれると、後方から真っ赤な光が届き、同時に耳をつんざく炸裂音がルソン島東方の海上をいんいんと響き渡った。

 

 

 

「『チャールズ・H・ヒューズ』轟沈!」

 

見張員の言葉に、カルフーンは「了解」とのみ答える。

 

たとえ一発でも、三十六センチ砲弾を直撃されて浮いていられる駆逐艦はいない。

恐らく、艦底部まで貫通されて、竜骨をへし折られたであろう。

 

巡洋艦の射弾も飛来する。

 

ル級の後方で、立て続けに四つの発射炎が閃らめき、リ級重巡の艦影を浮かび上がらせた。

 

後方に着弾し、「アトランタ」が前のめる。

 

最初の射弾は外れてくれたが、次の射弾は違った。

 

飛翔音が迫った刹那、「アトランタ」の左右に高々と水柱が奔騰し、頭上からハンマーで一撃されたような衝撃が襲い掛かった。

衝撃で艦体が軋み、敵弾の炸裂音が艦橋に届く。

 

「後部両用砲、全損!」

 

ベッカーが報告を上げた。

 

飛来したリ級重巡の二十センチ砲弾は、後部に並べられていた三基の両用砲を吹き飛ばしたのだ。

 

「敵戦艦との距離は⁈」

 

「約六千ヤード!」

 

カルフーンの質問に、見張員は素早く答えた。

 

「よし、TG8.2、針路0度!敵との同航戦に移行しつつ魚雷発射だ!」

 

カルフーンは命じた。

type93なら六千ヤードを駛走するなど容易い。Mk16魚雷と違って余裕で射程距離内だ。

 

「取り舵一杯。針路0度!」

 

クルーズが、操舵室に繋がっている艦内電話に怒鳴り込む。

 

(急いでくれよ…アトランタ!)

 

カルフーンは自分が艦長を務める艦に願った。

 

命中弾を得れた事で、リ級重巡は斉射に移行するだろう。

「アトランタ」は巡洋艦でも、駆逐艦を少し大きくしただけの防御力しかない。

次に二十センチ砲弾を喰らったら致命傷を受けるかもしれない。

 

「『マディソン』取舵。続いて『ラフィー』取舵!」

 

「『ヒラリー・P・ジョーンズ』に敵弾集中。落伍します!」

 

見張員が後続の駆逐艦が続々と転舵してるのと、後方から追いすがって来た敵駆逐艦の集中砲火で「ヒラリー・P・ジョーンズ」が戦闘不能になった事を伝える。

 

これでTG8.2は四隻の駆逐艦を戦列外に失った。

生き残った「マディソン」「ラフィー」「バートン」の三隻と雷撃を成功させなければならない。

 

「アトランタ」が艦首を左に振る。

 

正面に見えていたル級戦艦が右に流れ、「アトランタ」の右側に移動した。

 

艦橋から魚雷が発射される瞬間は見えない、「魚雷発射完了」の報告で、それと知るだけだ。

だが、「アトランタ」からは四本、駆逐艦からは各八本、計二十八本のtype93が発射されたのだ。

 

type93は弾頭炸薬がMk16魚雷の約二倍搭載されており、一本で巡洋艦を戦闘不能に陥らせるとこができる。

それ程の破壊力ならば戦艦も無事ではすまない。

 

カルフーンは敵艦に高々と水柱が上がるのを期待しながら、ル級戦艦を見続けた。

 

リ級が放った砲弾が飛来した。

 

カルフーンは意に返さない。

「アトランタ」は転舵した直後であり、直進する前提で放った砲弾は見当外れの海域に着弾するはずだった。

 

だか、砲弾は散布界と言う一定の範囲にばらけて落下する性質を持っている。

三連装砲は、特にその傾向にあった。

 

「アトランタ」はリ級重巡が放った射弾の散布界から脱出していなかった。

 

「アトランタ」艦橋の目の前で凄まじい閃光が発生し、同時に衝撃で全ての窓ガラスが粉々に吹き飛んだ。

 

カルフーンは衝撃で大きくよろめき、海図台の手すりに手をかけた。

 

「喰らった…のか⁉︎」

 

クルーズが驚いたように言う。

 

「第一砲塔損傷。第二砲塔旋回不能!」

 

射撃指揮所からベッカーの報告が届いた。

 

リ級の放った二十センチ砲弾は、第一両用砲を粉砕し、衝撃で第二両用砲の台座を歪ませて旋回不能に陥れたのだ。

 

「怯むな。撃ち続けろ!」

 

カルフーンは指示を飛ばした。

 

生き残った第三両用砲と上部構造物の右側の第五両用砲がル級戦艦に向けて咆哮し、左側に位置している第四両用砲は後方から近づいて来る敵駆逐艦に撃ちまくる。

 

だが、敵艦隊の勢いは止まらない。

 

「『バートン』被弾。轟沈です!」

 

「クソ。ル級の仕業か!」

 

見張員の言葉に、カルフーンは罵声を発した。

 

ル級戦艦は、砲弾の装填に時間がかかり、素早く動く駆逐艦への命中率も悪いが、喰らったら一撃で致命傷を与える事が出来る。

 

これで二隻の駆逐艦がル級の餌食になったのだ。

 

 

 

再び、リ級の砲弾が飛来する。

 

飛翔音が途切れた瞬間、「アトランタ」の中央部に一発が直撃した。

 

奥底から、響き渡ってくるような炸裂音が轟く。

あたかも、艦が打撃に悲鳴を上げているようだった。

 

同時に、乗組員がよろけるほど「アトランタ」が大幅に減速する。

 

(缶をやられたな…)

 

カルフーンは見当をつけつつ、機関室に通じる艦内電話を手に取った。

 

「被害は…?」

 

「み、三つの缶をやられました。十五ノット程度しか…出せま…せん」

 

カルフーンの問いに、機関長は答えた。

先の被弾で重症を負ったのか、激しく喘ぐ声が聞こえてくる。

 

「分かった。修復に全力を尽くしてくれ」

 

カルフーンは冷静を装って指示を出し、受話器を置いた。

 

置いた瞬間、「アトランタ」の目の前に、まとまってル級が放った三十六センチ砲弾が落下した。

艦が着弾によって発生した波によって、大きく動揺する。

もしも「アトランタ」が減速していなかったら、まともに喰らっていただろう。

 

それ程、際どい距離だったのだ。

 

 

「まだか…魚雷は!」

 

カルフーンは苛つき気味の声で言った。

 

type93の雷速は速く、そろそろ敵艦隊に到達してそうなものだが…。

 

 

その時、リ級重巡が放った射弾が飛来した。

 

どの巡洋艦が「アトランタ」を砲撃しているのか判別できないが、砲弾が着弾し、「アトランタ」の左右に水柱が突き上がった瞬間、

一発の敵弾が「アトランタ」の艦橋に直撃した。

 

カルフーンが目を見開いた刹那、今までの被弾とは比べものにならない程の衝撃が艦橋に襲い掛かかった。

 

カルフーンは衝撃で吹っ飛ばされ、背後の隔壁に背中を強くぶつけた。

肺の中の空気が一瞬で吐き出され、数秒間、吸うことも吐くことも出来なくなる。

右肩に激痛が走り、カルフーンは呻き声を上げた時には、両手を床につけて這いつくばっていた。

 

大きく息を吸い、ぼんやりとする目をパチクリさせながら体を起き上がらせる。

 

最初に視界に入って来たのは、右側に大穴が開いている艦橋だった。

 

縦五メートル、横六メートルほどの穴が穿たれており、穴の向こう側には、小火災を起こしたル級戦艦が見える。

 

カルフーンは痛む右肩を押さえながら、艦橋内を見渡した。

 

ところどころで火災が発生し、黒煙の匂いが鼻を突いた。

 

血、肉片が壁にこびり付いており、生き絶えた艦橋要員や元が何かわからない肉塊が床に転がっている。

 

カルフーンの脳裏に、自分を忠実に補佐してくれていた部下達の名前が浮かんだ。

 

「航海長…クルーズ航海長!」

 

返事はない。

 

「ウェイブス!、モリソン!……トニー!…ベッカー!」

 

カルフーンは目に涙を浮かべながら、部下の名前を呼び続けるが、返事はない。

 

 

 

 

「う……艦長…」

 

かすれるような声がカルフーンの耳に届く。

 

 

「クルーズ航海長!」

 

カルフーンは声がした方向に振り向いた。

巨大な破片が左胸に刺さり、壁に寄りかかってぐったりとしている航海長の姿が視界に入る。

 

「クルーズ!」

 

カルフーンは部下の名前を叫び、駆け寄って手を握った。

 

「おい…しっかりしろ!」

 

カルフーンは叫んだが、クルーズはカルフーンと目が合った瞬間に力尽き、握った血まみれの手が力なく床に落ちた。

 

 

「……すまない」

 

カルフーンは、クルーズの目を閉じさせながら呟いた。

 

突撃の指示を出したのは自分だ。

所属艦艇のほとんどを失い、時間は30分程しか稼げていない。

結局、type93を使った必死の雷撃も失敗した。

 

カルフーンは立ち上がって、ル級戦艦を睨み付けた。

 

 

 

責任は、艦と運命を共にする事で取る。

 

 

 

 

日本のサムライは、自らの責任の取り方に“ハラキリ”というものがあると、クルーズから聞いた事がある。

 

自分で自分の腹を、小刀で切るのだ。

 

それを聞いた時、「そんな馬鹿なことがあるか」と笑い飛ばしたが、今になってはその精神も理解できる。

 

 

 

 

 

だが、いつまでたっても、ル級とリ級の射弾は飛んでこなかった。

 

カルフーンは疑問に思ってル級戦艦を見た時、自分の目を疑った。

巨大な二本の水柱がル級の至近に発生したのだ。

 

カルフーンはTG8.2が放ったtype93が命中したのかと思ったが、時間的にtype93は敵艦隊の遥か後方に過ぎ去っているだろう。

 

「一体、何が…?」

 

カルフーンがそう呟き、周囲を見渡した時、正面の海域に閃光が走った。

 

巨大なパゴダマストが海上に浮かび上がり、砲声が響き渡る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「第二艦隊だ…!」

 

カルフーンの口からは、自然に声が出ていた。

 

 

 

日本の戦艦が、これほど大きく、力強く見えたのは初めてだった。

 

 




次回は金剛型戦艦対ル級戦艦

です!


どうでもいいことだけど、合格した〜


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第二十四話 ルソン沖の雷鳴

いやー、「金剛」はプラモ持ってますけどカッコイイですよねー


1

 

TG8.2より発せられた救援要請を受信した時、第二艦隊はルソン島北岸より二十浬の海域まで、東岸に沿って南進していた。

 

 

新たな敵艦隊が出現すると仮定した場合、その敵艦隊がルソン島西側から出現してTG8.1を攻撃するのか、ルソン島東側に周り込んでLST部隊を攻撃するのかで、柳沢第二艦隊首席参謀と、連絡官として「金剛」に乗り込んでいる風巻GF首席参謀との間で意見の対立があった。

 

両者一歩も引かず、最終判断は古賀峯一(こが みねいち)第二艦隊司令長官が下すこととなり、その結果、古賀は「新たな敵艦隊が現れた場合、揚陸中のLST部隊を攻撃する可能性が高い」と判断し、第二艦隊の南進に踏み切ったのだ。

柳沢参謀は不服そうな顔をしていたが、古賀の判断が正しかったということはTG8.2の悲鳴染みた電文内容が裏付けている。

 

 

第二艦隊はそれを受けて、巡航速度の十八ノットから最大速度の三十ノットに増速し、戦艦二隻を含む敵艦隊が出現した海域へと急いだ。

 

 

 

 

そして今、第二艦隊は敵の捕捉に成功したのだ。

 

 

 

 

「敵戦艦、米巡洋艦への砲撃を中止!」

 

「榛名」が第一射を放った直後、艦橋見張員が報告を上げる。

 

「我々の存在に気付いたようだな…」

 

古賀はそう呟いて「金剛」の正面海域に目を向けた。

先行している第二水雷戦隊の艦艇がぼんやりと見え、その向こうには炎上している敵味方の艦艇が十隻以上停止している。

その中でも一際大きな炎を背負っている艦がいた。

 

恐らく、TG8.2旗艦の「アトランタ」だろう。

 

圧倒的な戦力差の中、敵に挑んだ部隊の旗艦は、燃え上がる艦体を沈黙のまま海上にとどめていた。

 

 

「敵艦隊、再集結しつつあり。戦艦二、巡洋艦四、駆逐艦多数。本艦よりの方位0度。距離二〇〇(フタマルマル)

 

電測室より電測長が報告をあげた。

電探は、しっかりと敵艦隊を捕捉しているようだ。

 

第二艦隊の主要艦艇には、米国から供与されたSG(シュガージョージ)対水上レーダーが搭載されている。

日本海軍には「電探は電波を発して敵を捜索するため無線封鎖の原則に反する」や「訓練された見張員の捜索能力を持ってすれば問題なく、わざわざ外国に融通してもらう必要はない」という意見が多く、電探の開発に本腰を入れているとは言えなかった。

だが、日本海軍は日米防共協定や日英防共協定による米軍や英軍との軍事交流を通じて、その優秀な捜索能力に興味を示した。

電探の搭載に難色を示す人は多かったが、山本五十六GF司令長官や豊田副武(とよだ そむえ)艦政本部長をはじめとする海軍上層部が賛成した為ーー重巡以上の艦艇にのみだがーー搭載が決定されている。

電探は真空管などの取り扱いが難しいため、戦力になってくれるか古賀自身も半信半疑だったが、電測員は的確に敵情を伝えてくれていた。

 

古賀が電探についての考えを打ち切った時、「金剛」の艦内に主砲発射を告げるブザーが鳴り響く。

ブザー音が鳴り終わった直後、「金剛」がル級戦艦への二回目の交互撃ち方を放った。

第一砲塔と第二砲塔の二番砲身から真っ赤な炎が噴き出し、周囲の海面を一閃させ、二水戦の艦艇も暗闇から浮かび上がらせる。

直径約三十六センチの砲門から、雷鳴のような砲声と共に二発の砲弾が叩き出され、二万メートル先の敵艦隊に飛ぶ。

艦が発砲の影響で小刻みに震え、艦橋要員達を“濡れ雑巾”と呼ばれる衝撃が襲った。

主砲発射で生じる衝撃波と風圧が、濡れ雑巾でおもいっきり顔を叩かれたときの衝撃と似ているためこの名がついたらしい。

 

古賀は、傍らで顔をしかめている若い参謀に笑いを含みながら声をかけた。

 

「風巻参謀。“濡れ雑巾”はどうだ?」

 

「き…きついっス」

 

風巻は目をパチパチとしながら答えた。

 

彼は米国駐在武官、航空本部員、支那方面艦隊首席参謀、軍令部作戦部長などを歴任しており、どちらかというと陸で仕事をしている方が長い。

彼に「金剛」の発砲はきつかったようだ。

 

 

「敵戦艦、面舵。針路90度。他の艦艇は針路0度。距離一九〇(ヒトキュウマル)!」

 

今度は艦橋見張員が報告した。

敵艦隊は、戦艦でT字を描き、巡洋艦、駆逐艦を接近させて第二艦隊と戦うようだが、古賀は深海棲艦が「戦艦は戦艦同士でケリをつけよう」と言ってきているようと思えた。

 

「全艦へ通達。三戦隊目標、戦艦。四戦隊目標、巡洋艦。二水戦目標、駆逐艦。全艦突撃せよ!」

 

古賀は力強く下令する。

 

素早く「金剛」の通信アンテナから命令電文が飛んだ。

 

命令を受信した各部隊は、それぞれの旗艦を先頭にして増速する。

「神通」率いる二水戦が真っ先に突撃し、第四戦隊も「愛宕」を先頭に「高雄」「摩耶」「鳥海」の順で最大速度の三十四ノットに増速する。

 

「三戦隊、砲撃一時中止。戦隊針路90度!」

 

古賀は「金剛」艦長 大杉守一(おおすぎ もりかず)大佐に命じた。

 

「取舵一杯。針路90度」

 

「とーりかぁーじいっぱーい!」

 

大杉が復唱し、操舵室で舵輪を握っている将兵の声が、伝声管を通じて聞こえてくる。

 

舵はすぐに効かない。

第三戦隊の「金剛」「榛名」は直進を続ける。

 

 

「『愛宕』射撃開始。『高雄』『摩耶』続いて射撃を開始」

 

「二水戦、敵駆逐艦と交戦に入りました!」

 

見張員が二つの報告を上げた。

 

確かにそのようだ。

右前方の海域では多数の閃光が走り、吹雪型駆逐艦や高雄型重巡の艦影、三脚マストが特徴的な敵巡洋艦の影が海上に浮かび上がる。

 

やがて、「金剛」の艦首が左に振られ、「榛名」も続く。

二隻のル級戦艦と同航戦を戦うべく、二隻の金剛型戦艦は針路90度にとる。

右側に見えていた発砲炎やルソン島の薄っすらとした輪郭が、右に流れて見えなくなり、正面に広大なフィリピン海が見え始める。

直進に戻った時、二隻のル級戦艦は「金剛」の右前方、一万四千メートルの位置に見えている。

敵の方が早く変針したため、第三戦隊よりも先行する形となったのだ。

 

 

「『金剛』目標敵一番艦。『榛名』目標二番艦。準備出来次第撃ち方始め!」

 

「水偵に打電。吊光弾投下!」

 

古賀は二つの命令を発した。

 

古賀の指令を受け、眼下の第一、第二主砲がゆっくりとその巨体を右に旋回させ、二門ずつの砲身に仰角をかける。

ここからは見えないが、後部の第三、第四主砲や「榛名」の主砲四基もル級に狙いを定めているだろう。

 

二隻の敵戦艦の上空に、満月のようなおぼろげな光が点灯した。

光源は風に揺られながら高度を落とし、ル級戦艦の艦影をぼんやりと浮かび上がらせる。

 

既に射出し、上空を舞っていた二機の零式水上観測機が、「金剛」「榛名」の射撃目標を明確にすべく、吊光弾を投下したのだ。

 

 

直後、右前方の海面で、凄まじい閃光と共に真っ赤な火炎がほとばしった。

瞬時に敵戦艦の輪郭を浮かび上がらせ、その周囲の星々の光を吹き払う。

 

閃光が消えてから数秒後、最初の光源よりやや後ろに下がった位置にも、新しい閃光が閃らめく。

 

若干の時間をおいて、大気が激しく鳴動し始める。

ル級戦艦が放った三十六センチ砲弾が飛来したのだ。

 

轟音が途切れた、と感じた瞬間。「金剛」の右正横の海面が砕け、四本の巨大な水柱が高々と突き上がった。

 

「金剛」の艦橋の高さを遥かに超え、右舷側で戦闘中の第四戦隊や二水戦を隠す。

 

「『榛名』に至近弾!」

 

見張員が大声で言った。

敵戦艦は一隻ずつで「金剛」「榛名」を砲撃しているようだ。

 

「ル級戦艦の兵装は伊勢型や扶桑型と同じく、三十六センチ砲十二門の大火力です。八門の金剛型ではやや分が悪いですな」

 

第二艦隊参謀長 鈴木義尾(すずき よしお)少将が言った。

 

「日本海軍得意の夜戦だ。火力の差があっても、深海棲艦に引けは取らんだろう」

 

古賀がそう答えると、本日三度目となる砲撃予告のブザーが艦内中に鳴り響いた。

 

古賀が、主砲発射に備えて下腹に力を込めた時、ブザー音が途切れ、一瞬のうちに視界を閃光が支配した。

眼下でめくるめく発射炎が閃らめき、足元に落雷したと思える程の轟音が耳朶を打つ。

右側の海面が発射炎を反射して赤く染まり、さざ波が立った。

 

「『榛名』砲撃開始しました!」

 

後方からも重々しい砲声が届いた直後、見張員が報告する。

 

二隻の金剛型戦艦は、ル級へ向けて三度目、同航戦に入ってからは最初の砲撃を放ったのだ。

 

「どうだ…?」

 

古賀は双眼鏡をル級戦艦へ向けた、丸い視界の中に薄っすらと敵戦艦の影が見えている。

 

「だんちゃーく!」

 

ストップウォッチを見ている水兵が報告し、艦橋にいる全員が敵一番艦に目を向けるが、艦上に命中の爆炎は躍らない。

放たれた四発の三十六センチ砲弾は、海面を叩くだけに終わったらしい。

「榛名」も同じだ。敵二番艦にも命中弾はない。

 

「金剛」「榛名」は日本海軍が保有している艦の中で最古参であり、ベテランも多く乗り込んでいるが、夜間一万四千メートル先の目標に初弾を命中させるのは至難だったようだ。

 

敵戦艦もお返しとばかりに第二射を放つ。

 

轟音と共に敵弾が飛来し、「金剛」の正面から右前方にかけて水柱が奔騰する。

基準排水量三万トンを超える巨艦は、至近弾に微動だにしない。

「金剛」は今までと変わらずに、敵艦と並進する。

 

「金剛」は続けて第二射を放った。

第一、第二、第三、第四主砲の二番砲身四門が咆哮し、衝撃が艦を震わせる。

後方に位置している「榛名」も、やや遅れて第二射を放つ。

時間差を開けて発射された八発の三十六センチ砲弾は、大気を震わせながらル級戦艦へ向かう。

 

敵一番艦の手前に、四本の水柱が噴き上がるのがぼんやりと見えた。

 

 

 

 

ここからは奇妙な膠着状態が続いた。

 

「金剛」「榛名」は第三射、第四射、第五射と、交互撃ち方を続けるが、空振りを繰り返すばかりであり、ル級戦艦もこちらに対して命中弾を得ていない。

着弾の距離が縮まった、と思った次の射弾には、また離れていたり、水柱が全く見えなくなったりと敵の射撃精度も粗かった。

 

 

 

 

 

最初に命中弾を得たのは、深海棲艦側だった。

 

 

 

 

「金剛」が第九射を轟然と放つ。

四発の砲弾が飛翔し、敵一番艦の反対側に着弾する。

 

今回も命中弾はない。

艦橋からは判別できないが、頭上の射撃指揮所に詰めているの「金剛」砲術長 浮田信家(うきた のぶいえ)中佐以下の砲術科員が着弾位置を敵艦に近づけていると願うばかりだった。

 

敵一番艦が十回目の射撃を行い、四発の砲弾が飛来する。

それが着弾した時、「金剛」の左側に二本、右側に一本の水柱が噴き上り、炸裂音が響いた。

艦橋が小刻みに震え、数人がよろめく。

 

「喰らったか…!」

 

古賀は、拳を握り締めながら呻くように言った。

 

「艦橋直下に被弾。第三、第四副砲損傷!」

 

「消火急げ!」

 

ダメージコントロールを担当する「金剛」副長戸崎大輝(とざき だいき)中佐が報告をあげ、大杉が対処命令を出す。

 

二基の副砲を失ったのは致命傷ではない。

だが「金剛」は直撃弾を喰らったのだ。

次からル級は斉射に移行し、十二発ずつの砲弾が飛来する事になる。

 

一発の敵弾を喰らった「金剛」だが、怯むことなく第十射を撃つ。

四発の三十六センチ砲弾が砲身より叩き出され、ル級戦艦へ飛ぶ。

 

砲戦開始時はル級戦艦が第三戦隊より先行していたが、時間が経つにつれて「金剛」「榛名」がル級戦艦を追い抜かしつつある。

同時に距離も詰まってきており、現在の距離は一万メートルを切っていた。

 

以上のことを考えると、そろそろ命中弾を得てもいい頃だが…。

 

水兵が「だんちゃーく!」と叫んだ直後、敵一番艦の中央部に真っ赤な爆炎が躍った。

 

「命中!」

 

浮田が歓喜を抑えられない声で報告する。

 

「よし!」

 

古賀は歓声を上げた。

古賀だけでなく艦橋にいる大杉や鈴木、風巻などの要員も喜びを露わにしている。

 

これで「金剛」も斉射に移行できる。

ル級戦艦から一方的にダメージを受けるという最悪の事態は回避できたのだ。

 

敵一番艦と「金剛」は装填のために沈黙する。

 

発砲は敵一番艦の方が早かった。

 

十二門全ての砲が発砲し、水平線まで暗闇から浮かび上がらせる。

十数秒後に、空そのものが落ちて来るような威圧感のある飛翔音が聞こえ始めた。

 

敵弾が着弾する直前、「金剛」は待望の第一斉射を放つ。

今までの倍する閃光が走り、同時に凄まじい轟音が乗組員達の鼓膜を震わせた。

計八つの砲門から、約八百キロの三十六センチ砲弾八発が叩き出され、音速の二倍以上の初速でル級戦艦に向かう。

 

斉射の余韻が収まった時、敵戦艦の射弾が着弾した。

 

 

着弾した瞬間、「金剛」を多数の水柱が包み込み、二発が直撃する。

「金剛」の巨体が大地震のように大きく揺れ、衝撃が二回続けて襲って来た。

一発が艦首に命中し、揚収機や甲板の破片を左舷海面に吹き飛ばす。

二発目は、第二煙突の真後ろにある後部艦橋を粉砕した。

そこに詰めていた後部見張員や航海士は全員死亡し、高さが半分以下に損じる。

 

「『金剛』の射弾は…」

 

古賀は呟いた。

「金剛」は高速戦艦とはいえ、元は巡洋戦艦だ。

四発、五発ならともかく、ル級の三十六センチ砲弾を十発、二十発と喰らって無事でいれるとは思えない。

それを防ぐ為には、こちらが大損害を受ける前に敵を戦闘不能にする必要がある。

古賀はそう思い、ル級戦艦を凝視した。

 

敵一番艦の周囲に高々と水柱が突き上がり、ル級の前部に巨大な爆炎が二つ上がった。

数えきれないほどの破片が飛び散り、ル級戦艦の艦影を浮かび上がらせる。

爆炎はすぐに収まるが、変わって大規模な火災が発生し、暗闇でもわかる程の黒煙を後方になびかせた。

 

 

「いいぞ!」

 

鈴木の歓喜した声が古賀の耳に届いた。

見た所、二発の砲弾がル級の前部に命中したらしい。

かなりの損害を与えたのがわかる。

もしかしたら前部に位置している第一、第二主砲を破壊できたかもしれない。

 

 

やがて、ル級が第二斉射を放つ。

大量の黒煙を吹き飛ばし、先と変わらない閃光を発した。

古賀は主砲の破壊を期待していたが、それは達成できていなかったらしい。

 

装填を完了した「金剛」も第二斉射を撃つ。

二度目の強烈な衝撃が艦を震わせ、一瞬光が視界を支配した。

衝撃が艦全体を打ちのめし、少しの間硝煙が視界を塞ぐ。

 

大気との摩擦で真っ赤に灼熱した双方の砲弾が、高空で交錯する。

「金剛」が放った八発は敵一番艦へ、敵一番艦が放った十二発は「金剛」へと、大気を鳴動させながらそれぞれの目標へ向かう。

 

敵弾が着弾した瞬間、水中爆発の衝撃が突き上がり、衝撃が「金剛」の艦首から艦尾までを貫く。

 

二発が「金剛」を直撃した。

 

最初の一発は、第三主砲と第四主砲の間に位置している飛行甲板を貫く。ガントリークレーンとカタパルトを粉々に爆砕し、第二層まで貫通した。

待機していた水偵搭乗員や航空機整備士を火焔が焼き尽くし、航空燃料や油脂に引火して火災が発生する。

 

二発目は第二主砲の正面防盾に命中したが、火花が散るだけであり、甲高い音と共に弾き返す。

金剛型戦艦は「高速戦艦」の名の通り機動性が重視されており、防御力が他の戦艦に比べて低い。

だが、採用されている主砲は伊勢型戦艦や扶桑型戦艦の主砲と同じく、堅牢に作られている。

ル級の三十六センチ砲弾は、その装甲を貫通できずに明後日の方向に弾き飛ばされたのだ。

 

 

「金剛」が放った砲弾がル級に襲いかかる。

 

今度は、ル級の後部に集中して命中した。

三度、ル級の後部に直撃弾炸裂の閃光が走り、火焔が湧き出す。

 

同時に巨大な爆炎が後部に発生し、後続している二番艦も照らし出した。

砲身のような長細い物が爆炎と共に宙を舞い、炸裂音が「金剛」に届く。

 

「やったか…⁉︎」

 

古賀は身を乗り出した。

「金剛」の第二斉射弾はル級の第四主砲を破壊した可能性が高い。

もしもそうなら、火力が弱い金剛型として貴重な戦果だが…。

 

 

敵一番艦が第三斉射を放った。

前部は同じだが、後部から発せられた閃光が弱まってる。

「金剛」は第二斉射で、敵の火力の四分の一をもぎ取ったのだ。

 

「金剛」も第三斉射を発砲する。

「金剛」の装填速度は三十秒だが、ル級戦艦の装填速度は四十秒程のようだ。

「金剛」の斉射数がル級戦艦を追いつきつつあった。

 

 

以後の砲戦は熾烈を極めた。

 

双方共直撃弾を得ており、斉射一回ごとに二、三発の砲弾が命中する。

 

「金剛」はル級戦艦の第三斉射で、今までで最大の三発を喰らった。

第四主砲の天蓋に一発が直撃し、凄まじい炸裂音と共にこれを爆砕する。

 

敵弾は天蓋を瞬時に切り裂き、内部に着弾した瞬間に炸裂した。

第四主砲の砲員達が着弾した敵弾を見て凍りついた直後、真っ赤な炎と衝撃波が内部を蹂躙し、有り余ったエネルギーは二本の砲身と天蓋を宙高く舞い上げた。

衝撃で砲台自体が歪み、濛々とした黒煙を後方に引きずり始める。

 

主砲の天蓋は正面防盾に比べて装甲が薄い。敵弾は主砲の弱点と言える場所に命中したのだ。

他の二発は、右舷側に並べてある十五.二センチ単装副砲や十二.七センチ連装高角砲、光学射撃指揮装置を剥ぎ払う。

装填済みだった単装砲や高角砲の砲弾が誘爆し、小爆発が立て続けに発生した。

 

第四斉射では、一発が後部マストの根元に直撃する。

命中した瞬間、高さ四十メートル以上のマストが大きく揺らいだ。

三つの支柱のうち二本を破壊され、残った一本が支えていたが、やがて耐えられなくなり、コントロールを失った高楼は空中線を引きちぎりながら左の海面に倒壊して水飛沫を上げた。

 

 

「金剛」も負けてはいない。

 

第三、第四斉射で、計十六発の砲弾を発射し、うち五発が敵一番艦に命中した。

第三斉射で前部の主砲一基を破壊し、第四斉射では一発がル級戦艦の艦橋を直撃した。

 

破壊された前部主砲は、後部からのみだった黒煙を前部からも噴きあげる結果となり、敵一番艦の艦首から艦尾までを火災と真っ黒な煙が覆い尽くしている。

 

第四斉射が着弾した刹那、ル級戦艦の周囲に外れ弾の水柱が奔騰し、深海棲艦で特徴となっている三脚マストのてっぺんに閃光が走った。

 

水柱が引いた時、敵一番艦の艦影は大きく変わっている。

三脚マストが途中でへし折れて、高さが半分以下になっており、煙突が二本とも綺麗さっぱり消失していた。

 

 

「どうだ…ル級戦艦?」

 

古賀は敵一番艦に問いかけた。

 

 

敵一番艦が大損害を受けたというのは、誰から見ても一目瞭然だ。

ここで一番艦を撃破したら、すぐに「榛名」が斉射を撃ち合っている敵二番艦との戦いに加勢しようと考えていた。

 

だが、古賀の考えは打ち砕かれた。

 

敵一番艦が自らを覆っている黒煙を吹き飛ばし、第五斉射を放ったのだ。

 

「なんて奴だ…!」

 

古賀は賛嘆の声を上げた。

 

ル級戦艦は十発以上の三十六センチ砲弾を叩き込まれており、艦橋を粉砕され、主砲火力は半減している。

 

それでも、戦う意欲を捨てていない。

何として目「金剛」を撃沈する、という執念を感じさせた。

 

 

ブザー音が鳴り響く。

 

 

(撃て…『金剛』!)

 

 

古賀は口内で呟いた。

 

 

直後、第一、第二、第三主砲の六門が、雷鳴のように咆哮した。

六発の砲弾が火焔と共に叩き出され、弓なりの弧を描いてル級戦艦へ飛翔する。

 

 

ル級戦艦の砲弾が先に落下した。

 

飛来した六発の砲弾うち、五発が外れたが、一発が二本の煙突の間に命中した。

煙突直下に位置しているロ号艦本式缶八基のうち、半数に当たる四基が粉砕される。

缶とはタービンに蒸気を送り、スクリューを回転させる機関の一部だ。これを一基でも破壊されると、タービンが必要とする蒸気量を維持できずに艦の最大速度が低下してしまう。

 

 

缶を破壊された「金剛」が大幅に減速する。

 

最大速度の三十ノットは元より、二十ノットも出ていない。

 

 

 

「金剛」が大損害を受けた八秒後「金剛」の第五斉射弾が落下した。

この射弾も、敵一番艦の第五斉射と同じく五発が外れ、一発が命中する。

 

 

この時、「金剛」艦橋からは確認できていなかったが、敵一番艦は第一主砲と第四主砲を「金剛」の砲弾を喰らって破壊されていた。

第五斉射で命中した一発は、破壊されている第一主砲に直撃する。

 

引き裂かれていた天蓋から砲塔内に進入した砲弾は、エネルギーが尽きるまで層を真下に貫通し、第一主砲に装填する予定だった三十六センチ砲弾を保管しておく部屋ーーー弾薬庫ーーーで炸裂した。

 

敵一番艦は交互撃ち方十回、斉射五回を放っており合計百発の砲弾を撃ち出していたが、依然、百五十発以上の三十六センチが残っている。

 

その砲弾が一斉に誘爆した。

 

 

 

 

 

「敵一番艦、轟沈!」

 

海が割れたと思える程の大音響がルソン島東側の海域でこだました時、艦橋見張員が大声で叫んだが、その声を聞き取れる人は誰もいなかった。

 

海上に太陽が出現したと思えるほどの光が発生し、古賀は堪らず目を逸らす。

真っ赤なキノコ雲が湧き出し、そこを境にル級戦艦はV字に折れた。

 

数秒後、「ズンッ」と言った風の衝撃波が「金剛」に到達し、古賀は内蔵が押し上げられる間隔を味わった。

 

 

 

余韻は短時間で収まる。

二つにちぎれたル級戦艦は、火災を海水で消しながら、海中に沈んでいく。

水蒸気が充満し、はっきりと見ることができない。

 

だが、目の前で行われた戦艦の方最期は、ただただ「壮絶」の一言で尽きた。

 

 

「危なかったな…」

 

古賀は大きく息を吐いてから呟いた。

敵一番艦が轟沈間際に放った第五斉射で、「金剛」は大損害を受けた。

自慢の高速が発揮できなくなった上、主砲の一基が破壊されている。

そのほかにも、右舷の副砲や高角砲はあらかた破壊されており、後部マストもへし折れている。

 

この状態で、敵一番艦がまだ粘っていたら相討ちとなり、「金剛」も撃沈されるかもしれなかった。

 

「敵二番艦、面舵。退避する模様」

 

見張員が報告をあげる。

 

古賀は、右斜め後ろに目を向けた。

五、六箇所に火災を発生させたル級戦艦が右に回頭している姿が視界に映る。

 

敵二番艦は二対一の砲戦になることを恐れて、撤退するようだ。

 

 

 

「長官、追撃しますか?」

 

鈴木が言ってきたが、古賀は首を横に振って言った。

 

「いや…もういいだろう」

 

「金剛」は大破と断定される被害を受けている。

この状況で変に追撃したら、敵の反撃で損害がかさんでしまうかもしれなかった。

それに、第四戦隊司令部から“敵巡洋艦、駆逐艦退却ス”の電文が送られてきている。

敵艦隊の揚陸地点突入を阻止する事が第一目標であるだけに、その目標は達成できたと判断できた。

 

 

「全艦宛、打電。“逐次集マレ。二水戦ハ、人命救助ヲ開始セヨ”」

 

 

古賀が疲れ切った声で指示を出した。

 

 

 

これが事実上の戦闘終了宣言だった。

 

 




そろそろひと段落、かな?


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第二十五話 極東の牙城


一〇〇式司令部偵察機

全長 11.0m
全幅 14.7m
発動機 ハ26型/空冷星型14気筒/875hp.×2
自重 3380kg
速力 540km/h
航続距離 2250浬(増槽あり)
武装 7.7mm機銃1丁(後部旋回)
乗員数 2名




1

 

6月24日早朝、中国大陸に寄り添うように位置している島ーー海南島ーーの南部、三亜(サンア)にある飛行場では、航空機五機の発進準備が進められていた。

 

うち四機は戦線ではお馴染みの零式艦上戦闘機だが、残りの一機は海軍では見慣れない形の双発機だ。

その双発機は、空気抵抗が最小限になるように設計されていることがわかるほどの流線形であり、いかにも高速を発揮することを目的として作らせているのがわかった。

 

 

日本陸軍独立飛行第七十六中隊の一〇〇式司令部偵察機だ。

 

 

海南島に展開する東港(トウコウ)海軍航空隊は、偵察を任務とする部隊であり、その位置関係からもフィリピン・マニラに対する情報収集の主力を務めてきた。

だが、装備しているのは九七式大型飛行艇や零式観測機などの機体ばかりであり、低速ゆえ帰還率が高くない。

それに台湾の十一航艦が、敵レーダー基地を破壊した後もマニラの防空体制の強さは変わらず、飛行場姫に辿り着けてもマニラには近づくことができないどういう状態が多発した。

 

東港航空隊司令の宮崎重敏(みやざき しげとし)大佐は、「マニラへの偵察を成功させるには、より高速の偵察機とそれを守る護衛戦闘機が必要だ」と判断し、上位部隊の十一航艦に零戦一個中隊の増援を要請した。

だが、日本海軍は高速の戦略偵察機を保有していない。

 

そこで、陸軍の一〇〇式司偵が宮崎の目に止まった。

 

一〇〇式司偵は台湾の陸軍第五飛行集団に配備されており、新たな飛行場姫を発見するなどの成果を上げている。

さらに、最大速度が540km/hと、385km/hの九七式大艇より約150km/hも優速であり、甲型戦闘機をも振り切れる高速を発揮することが可能だ。

宮崎は十一航艦を通じて第五飛行集団司令部に要請し、その結果、独立飛行第七十六中隊の一〇〇式司偵八機が東港航空隊の指揮下に入ることとなったのだ。

 

 

 

温暖運転を終了した零戦が、一機ずつ滑走路に移って発進する。

最初はゆっくりだが、徐々に加速し、「誉」発動機の爆音を轟かせながらその機体を浮からせ、大空へ向かう。

 

よく訓練されているのだろう。

四機の零戦は危なっかしいところ一つ見せずに、素早く発進した。

 

次は一〇〇式司偵の番だ。

 

搭乗している空中勤務者がフルスロットルを開き、左右の3トンを超える機体を滑走路上で走らせる。

とんがった機首が空気を切り裂き、機体が徐々に増速されていく。

 

やがて、離陸速度に達した一〇〇式司偵は、機首を上向かせて暁の大空へ飛び立っていった。

 

 

午前10時22分

 

2

 

 

「見えてきました。ルソン島です!」

 

一〇〇式司偵 空中勤務者 布目和俊(ぬのめ かずとし)准尉の耳に、後部座席に座る同乗員 迫江龍介(さこえ りゅうすけ)飛行兵曹の声が伝声管を通じて聞こえてきた。

 

迫江は海軍の航空機搭乗員だ。

日本陸軍の航空兵は地文航法を習得しており、目印の無い洋上を飛行することはできない。

そこで天測航法を習得しており、洋上に進出しても自らの場所を特定することのできる海軍航法士を同乗させるように、海軍と陸軍の間で取り決めてある。

 

 

布目は迫江の言葉を聞いて、機体正面の水平線を凝視した。

 

分厚い雲の下に、薄っすらと島影が見えてきた。

時間が経つにつれて左右に広がり、濃緑の巨体を水平線上に横たえ始める。

 

「マニラとの距離二十五浬、針路110度願います」

 

「了解」

 

迫江の言葉に、布目は短く答えた。

 

一〇〇式司偵の前方を進んでいる零戦二機が右に旋回したのを見計らって、布目は操縦桿を心持ち右に傾けた。

一〇〇式司偵が右に傾き、機首を110度へ向ける。

 

現在、マニラ周辺の敵電探に探知されないよう、計五機の編隊は高度二十メートルの低空を飛行している。

この高度での飛行は危険極まりなかったが、布目は満州や中国の起伏の激しい荒地を飛行するよりも、ただ平面のみの洋上を飛行する方が楽だと思っていた。

 

眼下をちらりと見ると、先まで蒼かった海面が黒色に澱み始めている。

情報にあったように、マニラ周辺の海面は深海棲艦によって汚染されているようだ。

 

布目は後方に付き添っている零戦二機が後続してくるのを確認すると、再び正面を向く。

 

 

「…マニラへの針路は合ってるな?」

 

布目が聞くと、迫江が自信ありげな声で返答した。

 

「自分の航法が間違っていなかったら、この針路で合っています」

 

「正面を見て見ろ…」

 

布目は大きく息を吐いてから、迫江に言った。

 

一〇〇式司偵は操縦席と後部座席が離れており、意思の疎通に難がある。

それでも、迫江の息を呑む音が聞こえたような気がした。

 

 

 

マニラ上空が荒れている。

巨大な入道雲のようなものが点在し、時折稲光を発する。

地上付近は豪雨のようだ。

水のカーテンのようなものが見え、景色がぼやけている。

 

フィリピンは6月から雨季入りだ。

東港航空隊の偵察は、悪天候の日と重なってしまったらしい。

 

 

航空偵察でも航空攻撃でも、天気が荒れていたら即刻中止が普通だ。

目標を視認できないどころか、事故の可能性もあるためである。

 

あの天候では偵察は無理だな、と布目は思っていたが…。

 

「好機、かもしれません」

 

「好機?」

 

迫江の言葉に、布目は思わず聞き返した。

 

「今まで、マニラ偵察はほとんどが失敗してきました。陸軍さん自慢の一〇〇式司偵でも、無事に情報を持って帰れるか分かりません…。でも、あのような悪天候だと敵も迎撃し難いと思いますし、少しでも貴重な情報を持ち帰れるのでは…?」

 

「…だが」

 

布目は口ごもった。

対空砲火の中を突いて進むのに躊躇はしないが、あの悪天候の中を進むのには気が引ける。

 

布目がどうするか迷っている時、零戦二番機を操る浜松十郎(はままつ じゅうろう)飛行兵曹の緊迫した声が、レシーバーに響いた。

 

「二番機より全機。上方敵機!」

 

浜松の声を聞いた直後、布目は反射的に正面上方を振り仰いだ。

十機以上の甲型戦闘機が、五機を包み込むように降下してくるのが見える。

 

(さすがは警戒厳重なところだ…!)

 

布目はそう思った刹那、叩きつけるように迫江に言った。

 

「行くぞ。迫江!」

 

次の瞬間、布目は発動機のフルスロットルを開く。

両翼に装備したハ26空冷複列十四気筒エンジンが猛々しく咆哮し、巡航速度から最大速度の540km/hに加速する。

 

四機の零戦も加速するが、一〇〇式司偵には及ばない。

一〇〇式司偵は接近中の甲戦を振り切るべく、海面すれすれを高速でマニラへと向かう。

 

逆方向に逃げても、旋回中に甲戦から機銃弾を撃ち込まれて終わりだ。

ここは高速を生かして敵編隊を突破し、雷雲の中に逃げ込もうと考えたのだ。

 

「敵機、急降下!」

 

迫江が悲鳴じみた声で報告する。

 

 

布目がちらりと見上げると、半数以上の甲戦が機体を翻し、一〇〇式司偵に向かって来る姿が目に映った。

敵はなんとしてでも一〇〇式司偵をマニラには行かせたくないようだ。

 

 

降下中の甲戦に、護衛の零戦が仕掛ける。

 

急降下している甲戦に射弾を命中させるのは至難らしく、零戦一、二番機の射弾は外れるが、三番機の放った二十ミリ弾が先陣を切って降下していた甲戦を襲った。

 

先頭の甲型戦闘機は真横から多数の二十ミリ弾に撃ち抜かれ、閃光と共にバラバラに空中分解を起こす。

 

だが、撃墜できたのは一機だけだった。

残った甲戦は機首の下に発射炎を閃らめかせ、一〇〇式司偵に射弾を浴びせる。

 

文字通り雨のように多数の火箭が降って来るが、ギリギリのところで後方に逸れていく。

甲戦が放った射弾は、一〇〇式司偵が通過した後の空間を貫くだけであり、一発も命中しない。

敵は一〇〇式司偵の最大速度を低めに見積もっていたようだ。

 

逆に、引き起こしのタイミングを見誤ったのか、先頭の甲戦と二番目の甲戦が海面に突っ込む。

 

一〇〇式司偵の後ろに二つの水飛沫が発生し、衝撃で二機の甲戦がバラバラになる。

後続の甲戦は射撃を断念し、泡を喰ったかのように機首を上向けさせた。

 

それを見計らって、布目は力強く操縦桿を手前に引く。

 

ルソン島に近づくにつれて、波が高くなっている。

このままの高度だと甲戦よりも、波にぶつかって墜落してしまうと思ったのだ。

 

「後方、敵機。まだ来ます!」

 

迫江の報告と共に、後方から七.七ミリ機銃の発射音が響く。

 

布目がバックミラーを見ると、迫江が発射した七.七ミリ弾をかわしながら追って来る甲戦の姿が写った。

 

その甲戦が機銃を発射した瞬間、布目は反射的に操縦桿を奥に倒す。

先に上がった高度が下がり、機首が海面を向く。

 

甲戦が放った火箭が一〇〇式司偵の頭上をかすめ、正面の海面に水飛沫が上がる。

高度を下げていなかったら、後ろからまともに喰らっていたと思わせるほどの近距離だった。

 

 

甲型戦闘機の攻撃はこれが最後だった。

果敢に追って来た甲戦は、一〇〇式司偵の高速に追いつけず、みるみる距離が開いていく。

 

後方で空中戦を展開している零戦が気になったが、布目は正面を向いた。

 

豪雨でけむっているマニラ湾が見え、見上げんばかりの雷雲が正面に立ちはだかる。

眼下の海は大きくうねっており、激しく泡立っている。

 

 

次の瞬間、一〇〇式司偵は豪雨の中に進入した。

 

 

それは、一瞬で世界が変わってしまったかのようだった。

分厚い雲に遮られて満足な日光が届かず、周囲は薄暗い。

雨が機体を叩き、小太鼓を連打したかのような音が布目の耳に届く。

強風が吹き荒れ、機体が小刻みに震え始めた。

 

幸い、視界は思ったより良好だ。マニラ湾やコレヒドール島を正面に見る事ができる。

 

布目は、スロットルを絞りながら機体を上昇させた。

現在の高度二百メートルから五百、八百、一千メートルと高度と上げ、湾の全容がぼんやりと見え始める。

見たところ海が黒いだけの湾であり、深海棲艦が厳重に警備する意味がわからなかった。

 

一〇〇式司偵がコレヒドール島上空を通過し、湾上空に入る。

 

コレヒドール島は米極東陸軍により島全体が要塞化されており、三十センチカノン砲八門を初めとする多数の火器がマニラ湾口に睨みを利かせていたという。

だが現在、その面影は残っていない。

 

米極東軍自慢の要塞島は、沈黙を守り、一〇〇式司偵の通過を見送っていた。

 

 

一〇〇式司偵はマニラ中心街を目指す。

 

 

「右下方に停泊中の敵艦。撮影します。近づけますか?」

 

「了解。せっかく来たんだ、撮れるもんは撮っとけ」

 

布目はそう言って機体を右に傾けた。

次の瞬間、視界に入って来た光景を見て布目は息を呑んだ。

 

マニラ湾には深海棲艦侵攻以前は米アジア艦隊の本拠地であり、キャビテ軍港と呼ばれていた港がある。

 

その港に四隻の大型艦が停泊していた。

ぼんやりとしか見えないが、明らかに人類の船ではない。

 

 

ーー深海棲艦の戦艦だ

 

 

「撮影完了!」

 

迫江が報告した瞬間、その艦上に小さい発射炎が立て続けに閃らめいた。

刹那、一〇〇式司偵の周囲で敵弾が炸裂し始める。

敵は雨で照準がつけにくいのだろう。狙いは甘い。

それでも一度ならず至近で炸裂し、弾片が機体を叩く。

 

布目は機体を捻り、対空砲の射程圏外へと急いだ。

敵戦艦から離れれば離れるほど対空砲火の密度が低くなり、やがて止む。

 

布目は計器盤を確認した。

幸い、どの計器も異常を示していない。対空砲火による機体損傷はなかったようだ。

 

 

布目が安堵した刹那、一際大きな雷が敵戦艦に落ちた。

 

戦艦の斉射を思わせる轟音が布目の耳をつんざき、巨大な稲妻が一〇〇式司偵をかすめて海面に向かう。

一瞬、薄暗かったマニラ湾が雷の閃光で昼間のように変わり、全てのものを照らし出す。

 

「なんだ…?」

 

一瞬の間、稲妻の閃光に照らし出されて浮かび上がった物を見て、布目は呟いた。

 

「迫江、今の見たか?」

 

「見ました…」

 

布目が恐る恐る聞くと、迫江は「信じられない」といった風に返答する。

 

 

布目の見間違いでなければ、マニラ市中心部に巨大な構造物が屹立している。

一瞬だけしか見えなかったが、戦車の車輪を横に倒したような円柱形だった。

一〇〇式司偵の高度からでも大きく見えたということは、かなり巨大な物だということがわかる。

 

(奴らがマニラに近付けさせたくなかった理由はあれか…!)

 

布目は直感的にそう思い、再びマニラへ機首を向ける。

距離が近くなるにつれて、巨大構造物の輪郭があらわになりはじめた。

 

一〇〇式司偵が雲の見れ目に入る。

入った瞬間、雨と風がやみ、日光が差し込んで来た。

その構造物は豪雨というヴェールを剥ぎ取り、二人の目の前に現れる。

日光に照らされ、はっきりと布目の目に映った。

 

 

一言で言うと、それは巨大で真っ黒な切り株だった。

何十本もの根のようなものが四方に伸び、地中に埋めている。

ところどころにある隙間から間欠泉のように水蒸気が漏れ出しており、同時に鈍い赤色の光が這い出ている。

高さは百メートルはあるだろうか?直径の長さは計り知れない。

 

その巨大構造物が、旧マニラ市街があったところに建造されている。

 

 

「なんだ…これ」

 

布目はかすれるような声で言った。

 

(人類は深海棲艦について、何もわかっちゃいないのか…これがなんなのかすら、わからないのか)

 

布目は心の中で呟き、深海棲艦がいかに謎が多い存在なのかを改めて実感した。

 

「撮影終了!」

 

迫江の声が耳に届き、布目は機首を真北へ向ける。

一〇〇式司偵は航続距離が長い偵察機だが、海南島〜マニラ湾を往復するだけの力はない。

帰還時は台湾へ向かうこととなっていた。

 

 

巨大構造物の周りで、多数の発射炎が光る。

 

 

一拍空け、一〇〇式司偵の高度まで駆け上がって来た敵弾が炸裂し始めた。

炸裂の硝煙で視界が悪くなるほどの量であり、先に敵戦艦から受けた対空砲火よりも数段上の火力だった。

 

ピリピリと空気が振動し、機体が大きく揺れる。

 

布目は再びフルスロットルを開き、機体を上昇させた。

雲の切れ目から離脱し、雲の中に逃げ込むためだ。

 

 

至近距離で敵弾が炸裂する。

複数の弾片が機体をえぐり、翼や胴体にささくれができる。

空中分解してしまうのではないか、と思うほど機体が揺れるが、布目はしっかりと機体を操る。

 

(もう少し…もう少し…!)

 

布目は祈るように呟き続けた。

今回の偵察で得た成果は計り知れないものがある。撮影した写真を、なんとしてでも日本に持ち替えなければならない。

 

ひたすら正面の雲を目指す。

 

 

「いっけぇぇぇぇぇ!」

 

視界いっぱいに雲が広がり、一〇〇式司偵が雲の中に逃げ切れると確信した瞬間、布目は叫んだ。

 

 

これで助かるーーー布目と迫江が直感したが、刹那、敵高射砲が放った一発が一〇〇式司偵の真上で炸裂した。

 

 

 

 

無数の弾片が、一〇〇式司偵を切り裂く。

 

後部座席から迫江の短い悲鳴が聞こえた直後、機体をこれまでにない衝撃が襲いかかり、布目の背中に焼けるような激痛が走った。

痛みに耐えきれず絶叫を上げそうになったが、口から出て来たのは熱く、真っ赤な液体だった。

 

「なんと…しても……」

 

意識が朦朧とし、視界がぼやける。

 

「この…情…」

 

 

 

 

 

 

 

 

一〇〇式司令部偵察機はコクピットから黒煙を吐きながら、雷雲の中に姿を消す。

 

 

 

地上では、巨大構造物が無言のままその巨体を横たえていた。

 

 

 






うーむ。
週一は無理そうです!


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第二十六話 反攻の歯車





WBC、日本頑張れ!


1

 

連合艦隊司令部が6月23日から24日にかけてルソン島周辺で行われた海戦ーー第二次ルソン島沖海戦ーーの詳細を把握したのは、第二艦隊と米アジア艦隊が呉に帰投した6月27日の夕方だった。

 

「まず、第二艦隊の被害から報告します」

 

GF司令部が仮住まいを置いている呉鎮守府の作戦室で、最初に話し始めたのは第二艦隊に同行していた風巻康夫GF首席参謀だった。

風巻は帰還したのち、各艦隊の戦闘詳報の情報をまとめ、会議に備えていたのだ。

 

作戦室には米アジア艦隊を代表してレイモンド・スプルーアンス少将とカール・ムーア大佐、古賀峯一中将や鈴木義尾少将などをはじめとする第二艦隊司令部幕僚、山本五十六大将や宇垣纏少将、三和義勇大佐などのGF司令部要員が顔を並べている。

 

風巻の声が作戦室に響いた瞬間、第二艦隊の面々の顔が一様に暗くなった。

 

風巻は構わず喋り始める。

 

「『高雄』『朝潮』『満潮』沈没。『金剛』『愛宕』『神通』大破。『榛名』『摩耶』『早潮』中破。『天津風』『時津風』小破……です」

 

GF参謀の中でどよめきが広がる。

 

第二艦隊はル級戦艦二隻を中心とした敵艦隊相手に、完勝と言わないまでも、勝利と判断できる戦果を上げた。

敵艦隊との戦闘を終了した時点では大破は「金剛」のみであり、沈没艦に至ってはゼロだった。

 

だが帰投の際、大規模な敵の潜水艦網に引っかかってしまい、「高雄」に六本、「朝潮」「満潮」に各一本ずつの魚雷が命中、この三隻はバジー海峡に沈んでしまう。

第二水雷戦隊の駆逐艦は敵潜水艦に魚雷を撃たせないよう奮迅したが、日本海軍駆逐艦の対潜装備で全ての敵潜を封じ込めることができず、三隻の他にも、「愛宕」「摩耶」といった主力艦にも魚雷が命中し、第二艦隊の被害は膨れ上がった。

 

その結果、健在な巡洋艦以上の艦は「鳥海」のみになってしまい、第二艦隊は事実上組織的戦闘力を失ってしまったのだ。

 

「続いて、米アジア艦隊の被害報告です」

 

風巻は、自らがまとめたノートをめくりながら言う。

 

「重巡『クインシー』、軽巡『アトランタ』、駆逐艦十隻、LST二隻が沈没。その他、重巡二隻、駆逐艦四隻が損傷です」

 

「…すなわち、合計すると巡洋艦三、駆逐艦十二、輸送艦二隻が沈み、戦艦二を含む十四隻が損傷した、ということか…」

 

「おっしゃる通りです」

 

山本の言葉に風巻は肯定した。

 

「損害軽微、とは言えませんな…」

 

三和が首を振りながら口を開く。

戦艦よりも、潜水艦からの方が被害が大きいことに驚いている様子だった。

 

「戦果はどうなんだ?」

 

宇垣が風巻に問う。

 

宇垣の問いに、風巻は一息ついてから話し始めた。

 

「日米両艦隊の戦果を合わせて…ル級戦艦一隻、リ級重巡三隻、へ級軽巡一隻、イ級駆逐艦八隻を撃沈。ル級戦艦、リ級重巡、へ級軽巡の各一隻とイ級駆逐艦五隻を撃破です。LST部隊の物資も大半が揚陸を完了しており、結果的に言うと我々の勝利です」

 

風巻が言い終わると、古賀が話し始めた。

表情は、苦虫を飲み下したように歪んでいる。自らの艦隊が大損害を受けたことで自責の念に駆られているのだろう。

 

「今回の海戦は、戦略的にも戦術的にも勝利しました。しかし、薄氷の勝利と言わざる終えません。米アジア艦隊も我々第二艦隊も、敵に踊らされました。TG8.2の奮戦がなければ、LST部隊はル級の巨砲に蹂躙されていたかもしれません」

 

古賀に続き、スプルーアンスが話し始めた。

 

「新たに、敵潜水艦の問題も浮上しました。過去に我々はハワイ諸島周辺で大規模な敵潜水艦部隊に捕捉され、大損害を受けましたが、それと同程度の潜水艦部隊が極東海域にも配備されていると判断します」

 

今回の海戦では敵艦隊に大損害を与えて撃退したが、新たに潜水艦という脅威が現れたのだ。

南方航路が復活しても、敵潜水艦に通商破壊を行われては意味がない。

 

なんとも厄介な敵が現れたものだな…作戦室に参集している参謀たちは皆一様に思ったことだろう。

 

 

「さて、海戦の詳細はわかった……」

 

山本はそう呟くように言うと、宇垣に目で指示した。

宇垣は軽く頷くと、作戦室を見渡しながら口を開く。

 

「実は、諸君らが帰還している最中、重要な情報が連合艦隊にもたらされた」

 

それを聞くや、第二艦隊の幕僚達は身を乗り出し、スプルーアンスとムーアは顔を見合わせた。

風巻もその情報については知らされておらず、宇垣の次の言葉を緊張した面持ちで待つ。

 

「24日早朝に海南島を飛び立ち、マニラ中心部の偵察に向かった陸軍の一〇〇式司令部偵察機が、いくつかの写真を撮影した。残念ながら同機の偵察員は敵の弾片により即死。操縦士も台湾に辿り着いた瞬間に力尽きてしまったが、戦死した偵察員のカメラを現像してみると、そこには驚くべきものが写っていた」

 

宇垣はそう言いながら、手元に置いてあった封筒から六枚の写真を取り出し、机の上に並べた。

 

六枚中四枚の写真は同一の物を写していることが一目でわかるが、その「写しているもの」が参謀達を瞠目させた。

 

写真は縦に伸ばされているが、マニラ湾のほとりに巨大な円柱形の建造物がそびえ立っているのがわかる。

 

「これは…?」

 

風巻の口からは、自然にそのセリフが漏れていた。

 

「不明…だな。これを撮影した本人も、機体を操っていた陸軍航空兵も戦死してしまい、直接見た人の証言も聞けない。一応、深戦研に回して分析を依頼してはいるが、この巨大構造物の正体が判明するかどうか…」

 

山本も、お手上げだと言いたげな顔で言う。

 

「米海軍の情報で、このような巨大構造物に心当たりはありませんか?」

 

風巻はスプルーアンスに聞いたが、スプルーアンスは首を横に振りながら答える。

 

「いや、こんなものは見たことがない…」

 

 

1898年に一度遭遇して以来、深海棲艦の情報を分析し続けている米国でも、この構造物の正体はわからないようだ。

 

 

「これらの分析は深戦研に任せるとして、我々が確認したいのはこの写真だ」

 

そう言って、山本は残りの二枚を指差した。

こちらも縦に伸ばされているが、四隻の大型艦が写っていることがわかる。

 

 

「写真分析の結果。この四隻中二隻の大型艦は、四十センチ三連装砲を前部に二基、後部に一基搭載しており、今まで確認されていなかった深海棲艦の新型戦艦、という結論に至った」

 

宇垣が「新型戦艦」と言った瞬間、作戦室内がざわついた。

 

もしもその情報が正しかったら、極東の深海棲艦部隊は想定よりも一段と強力だ。

四十センチ砲九門という大火力は、伊勢型、扶桑型、金剛型といった旧式戦艦を圧倒し、四十センチ砲八門の長門型でさえ、四十センチ砲が新型戦艦と比べて一門少ない。

 

「この新型戦艦は、深戦研の深海棲艦艇命名規則により、『タ級戦艦』の名称が決定された。現在、タ級はマニラ湾に二隻が確認されており、写真に写っているル級二隻と、第二次ルソン島沖海戦を損傷しつつも生き残ったル級一隻の合計五隻の戦艦が極東海域における敵艦隊の主力だと思われる」

 

宇垣が言い終わると、続いて三和が話し始めた。

 

「続いてルソン島の深海棲艦航空兵力についての新情報です。従来、極東制空権の維持はクラークフィールド飛行場姫が担ってきたと考えられていましたが、西海岸のイバ、東海岸バレルの二箇所に新たな飛行場姫が発見されました。両飛行場姫の規模はクラーク飛行場姫の半分ほどですが、二百五十機以上の甲型戦闘機と乙型爆撃機を有していることが航空偵察により判明しています」

 

以上のことが四ヶ月間に渡って行った情報収集で見出した結論だ。

二人が言った戦力が、極東海域の制空権、制海権を握っている深海棲艦の主力部隊だと考えられている。

 

 

「皆、承知していると思うが、この五隻を始めとする深海棲艦アジア艦隊と三ヶ所の飛行場姫を殲滅しなければ、南方航路復活など夢のまた夢だ。加えて敵潜水艦の問題もある。国内の石油備蓄と、米国からの重油支援が追いつかなくなるまで、あと四ヶ月しかない。反攻作戦案の作成は三和作戦参謀、風巻首席参謀を中心に進めてもらうが、それを踏まえて深海棲艦と直接手合わせした諸君の意見を聞きたい」

 

山本が言い切ると、作戦室に参集している幕僚たちの顔が引き締まったものとなった。

山本は、大規模反攻作戦の実施を示唆したのだ。近々の作戦実施は噂されていたが、実施を明言されると緊張せざるおえないのだろう。

 

始めに、第二艦隊首席参謀の柳沢蔵之介大佐が発言した。

 

「先に宇垣参謀長と三和作戦参謀が仰ったように・極東海域の敵戦力はそれらだけでしょう。しかし、私が危惧するのは作戦中に横を突かれる事です」

 

「横を突かれる……?ハワイを根城にしている深海棲艦部隊のことか?」

 

「左様です」

 

柳沢は宇垣の言葉を肯定すると、立ち上がって机上の太平洋地図を中心部分ーーハワイ・オアフ島ーーを指差した。

 

「オアフ島真珠湾の主人は3月1日を境に変わってしまいました。ハワイ諸島を偵察した潜水艦の情報によりますと、十隻の戦艦らしき大型艦を中心にした大艦隊が停泊している模様であり、この艦隊への備えが必要だと考えます」

 

柳沢の言葉に、数人の参謀が頷く。

 

南方航路復活を第一目標にするあまり、極東の敵戦力ばかり注視していたが、ハワイの深海棲艦も十二分に脅威だ。

 

極東の敵と合流されたら今以上に南方航路復活は難しくなるし、反攻作戦の最中に襲来したら、ガラ空きの日本本土を艦砲射撃で蹂躙されるかもしれない。

 

「艦隊を二分する必要があるかな…」

 

山本も危機感を持ったのだろう。呟くように言った。

 

「戦力を二分、ですか…ちと博打の要素が多いですな」

 

山本の言葉を聞き、三和は顎に手をやりながら言う。

日本に残された時間は少なく、極東に対する反攻作戦は一度しか実施できないことは確実だ。

一回しかないチャンスに対して重要な戦力を二分して挑むのはかなり危険な気がする。

 

「致し方ない。仮に作戦が成功して石油を手に入れることが出来ても、本土が焦土と化しては本末転倒だ。それに……」

 

「それに?」

 

「俺は博打が大好きだからな」

 

山本はニヤリと笑いながら言った。

 

 

「マニラの敵艦隊は我々に任せてもらえませんか?」

 

我、意を得たり。と言いたげな顔でスプルーアンスが口を開き、話し始めた。

参謀たちの目が、一斉にスプルーアンスに向く。

 

 

「今回の海戦で米アジア艦隊はかなりの損害を受けましたが、新たな増援部隊がアラスカのアンカレッジで待機しています。それを率いる指揮官は有能な上、新鋭戦艦二隻を含めた四隻の戦艦と正規空母四隻を有しています」

 

スプルーアンスが言い終わると、作戦室から「おぉ」という声が上がる。

 

日本海軍の決戦戦力を二分しなければならない状態で、スプルーアンスの申し出は何よりも有り難かった。

 

加えて、風巻も発言する。

 

「2月に竣工した『大和』も択捉島の単冠湾にて慣熟訓練を続けており、間も無く戦力化されるでしょう」

 

「大和」とは日本帝国海軍が満を持して送り出す世界最大、最強の戦艦だ。

他国海軍で類を見ない四十六センチ三連装砲を前部に二基、後部に一基、合計九門を装備しており、左右舷側の重要防御区画は「決戦距離から放たれた自艦の主砲弾を弾き返せる」規定をパスしており、ル級の三十六センチ砲弾はもちろん、新たに確認されたタ級の四十センチ砲弾すら易々と弾き返すことが可能だ。

「大和」一隻でル級戦艦なら四隻、タ級戦艦なら三隻を同時に相手にできる、とまで言われている。

 

現在は、米国からの重油と、北樺太の油田から産出した重油の両方を補給しやすいよう、北方の択捉島で訓練を続けている。

反攻作戦は「大和」の慣熟訓練を終了した暁に開始されるだろう。

 

「『蒼鶴』と『海鶴』は間に合わぬか…」

 

山本は残念そうに言った。

 

「蒼鶴」と「海鶴」とは佐世保と呉の海軍工廠にて艤装中の翔鶴型航空母艦の三、四番艦だ。

深海棲艦によるシーレーン遮断の影響で、工期が遅れているという。

この二隻が戦力化されれば、第一航空艦隊の他にもう一つの空母機動部隊を編成する予定だったが、四ヶ月以内に竣工することはスケジュール的に不可能だった。

「戦艦よりも空母」と言ってやまない航空屋の山本にとっては、「大和」より二隻の正規空母が艦隊に加わってくれた方が良かったらしい。

 

「もう、意見はないか?」

 

山本は作戦室を見渡しながら言った。

 

参謀達は引き締められた顔を微動だにしない。

 

 

「では諸君、会議はこれにて終了。風巻、三和、宇垣の三名は他の参謀と共同で反攻作戦案を練り上げろ」

 

山本が言い終わると、作戦室に集まっていた参謀達が一斉に起立し、山本に一礼する。

 

これで会議は終了した。

 

これを境に日本海軍は「情報収集」路線から「極東制圧」路線へと舵を切って行くこととなる。

 

 

 

 

 

「南方航路復活……まるで“極東打通”作戦だな」

 

 

 

 

風巻は誰にも聞こえないような声で、そう呟くのだった。

 

 




これでフィリピン攻防戦は終了ですね、

次の編からは、反攻作戦が本格的に動き出します。


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第二章 炎の七戦艦
第二十七話 豪州侵食


いやー広島の江田島に行ってきましたが、すごかったです!

資料館に展示しているのがこれまたすごい!

海上自衛隊・大日本帝国海軍の聖地なので、海軍好きには是非とも行ってほしい場所でしたね〜


1

 

「結論から言うと……答えはNOです」

 

フランス駐米大使ポール・クローデルがそう言い放った瞬間、駐米日本大使の野村吉三郎は、全身から力が抜けるような感覚に襲われた。

 

隣に座っている米国務長官コーデル・ハルも同様のようだ。

軽くため息をつき、右手でうなじを撫でている。

ハルは、困った時にいつもこうする。ハルと親交を深めるにつれて、野村はその事を薄々理解していた。

 

 

1941年8月10日、ワシントンD.C.にある米国務省長官室だ。

各国へ対しての対深海棲艦連合軍参加交渉が開始されてから、約五ヶ月半が経過している。

英国、ドイツは参加を承諾し、指揮系統の確立や統合司令部の設置準備に動き出しているが、イタリアが拒否し、ソ連が協力寄りの中立という立場を明確にしている。

そして今日、フランスさえも参加に難色を示したのだ。

 

「なぜです?第二次ルソン島沖海戦で言語の違う軍隊同士が緻密な作戦を遂行できることが証明されました。それなのに…」

 

最初、フランスは「言語の違う軍隊同士が作戦を遂行することは不可能だ」として日米政府の要請を跳ね返している。

ハルはそのことを切り出して諦めじと言うが、クローデルは首を横に振った。

 

「我が国は自由、平等、博愛を標榜する民主国家であります、ミスター・ハル。国民は戦争を望みません。世論がそうなのであれば、政府もまた然りです」

 

「深海棲艦が太平洋を完全に制覇すれば、次の標的は大西洋や地中海になるのかもしれないのです。その時に我が国や米国はいないのですぞ、貴国のみで戦われますのですか?」

 

野村はクローデルの目を見ながら言った。

冷静を装って言ったが、顔が引きっているのが自分でもわかった。

 

「我が国が太平洋派兵をためらっている理由は、もう一つあります……」

 

クローデルが控え気味に言った。

それを聞いて、野村とハルは顔を見合わせる。

 

「イタリアの存在です」

 

イタリア王国は1925年よりベニート・ムッソリーニが独裁政治を行なっており、「偉大なローマ帝国の復活」を謳い、エチオピア併合などの膨張政策を実行している。

その領土拡張の仕方は目に余り、その行動は「侵略」に近くなっている。

ヒトラーが死亡し、ナチス・ドイツが崩れた現在、イタリアは欧州各国からもっとも危険視されている国だ。

三十八センチ砲搭載の新鋭戦艦も保有しており、軍事力も遜色ない。

 

フランスはそのイタリアと国境を接しており、地中海ではツーロンのフランス本国艦隊と、タラント湾のイタリア主力艦隊が、軍事バランスの均衡を保っている。

 

「ムッソリーニは地中海をイタリアの内海にしようと目論んでいるらしいではありませんか。それを牽制するためには、致し方ない処置なのです」

 

クローデルがやり切れないような声で言った。

それを見抜いたのだろう、ハルがクローデルに言う。

 

「あなた自身はどうなのです?太平洋派兵には賛成なのですか?」

 

それを聞いたクローデルは数秒間押し黙ったが、やや間を空けて絞り出すように言った。

 

「私個人としては太平洋派兵に賛成です。深海棲艦は人類共通の敵であり、その存在は我が国にとっても好ましいものではありません」

 

「だったらーー」

 

「しかし!」

 

野村の言葉を、クローデルは叩きつけるようにさえぎった。

 

「私はあくまでフランス駐米大使です。ミスター・ノムラ。個人の考えで交渉を続ける訳には行きません。本国の考えがそうなのであれば、従うだけです」

 

それに対して、野村は何も言えなかった。

自分自身も駐米大使として意思を米国に伝えているが、それは日本の意思であり、自分の意思ではない。

海軍にいた頃も、外交官になってからも、上からの命令は絶対だ。

意見具申をすることができても、命令には従わなければならない。

 

 

フランスは国際社会に名を轟かせる列強であり、海軍はダンケルク級戦艦、リシュリュー級戦艦各二隻、計四隻を中心とする大規模な艦隊を保有している。

さらに続々と新鋭艦が竣工する予定であり、その力は長年のライバルであるイギリス海軍に迫るものがある。

 

そのような強力な国を逃したくないのだろう、ハルは諦めない。

 

「ではそれについて本国へ意見書を書かれてはいかがでしょうか?我々も出来る限り協力します」

 

「ですが…」

 

それを聞いて、クローデルは口ごもった。

全権大使が祖国の方針に反して良いものか、と思っているのかもしれない。

 

 

 

その時、ハルのデスク上にある電話が鳴った。

 

ハルの後ろに控え、会談の内容を記録していた長官室秘書官が素早く立ち上がり、受話器を取る。

 

 

「国務長官、ホワイトハウスからレーヒ海軍大将(ウィリアム・レーヒ統合参謀本部議長)です」

 

秘書官はハルにしか聞こえない声で耳打ちすると、受話器をハルに渡した。

ハルは受話器を握り、二、三語話す。

 

(何かあったのか…?)

 

野村はそう思ったが、ハルのポーカーフェイスからは何も伺い知ることはできなかった。

 

受話器を置いたハルは、戻って来てソファに腰掛ける。

 

「どうかしましたか?」

 

クローデルが問うと、ハルは恐る恐る口を開いた。

 

「オーストラリア東海岸のロックハンプトン、ブリスベンに深海棲艦の上陸が確認されました。現在、二箇所に上陸した敵勢力は占領地を広げており、一部ではオーストラリア軍と戦端が開かれているようです」

 

 

 

2

 

オーストラリア陸軍第一機甲軍の指揮下にある第四機甲連隊第二大隊のクルセイダーMkIII、四十八輌は第58号幹線道路を一路ブリスベンへと向かっていた。

 

太陽がほぼ真上に見え、暴力的なまでの日差しが照りつけている。

幹線道路の脇では、多数の避難民が長蛇の行列を作っており、戦車とは逆の方向に歩いていた。

どの人間の顔も真っ青であり、血の気がない。

 

「市民が避難するまで、時間を稼がなければ」

 

大隊長ファニー・カーター少佐はクルセイダーMkIIIのキューポラから上半身を出しながら呟いた。

 

ーー第四機甲連隊は麗下に第一、第二大隊の二つの部隊を収めており、第一大隊のクルセイダー五十二輌はブリスベンを、第二大隊の四十八輌はブリスベンの北方七十五キロ程の距離にある港町、サンシャインコーストをそれぞれ防衛していた。

 

本日、午前10時丁度に深海棲艦が上陸してから、約3時間が経過している。

カーター率いる第二大隊は、第一大隊の増援としてブリスベンに急行するよう連隊本部から指示を受けていたが、第一大隊とは通信が途絶しており、常に壊滅してしまったと思われている。

 

だが、カーターは引き返そうとは考えていない。

 

ブリスベン周辺にはまだ多数の市民が残っている。

彼らは必死に避難を続けているが、生還は難しいだろう。

 

それでも、市民より先に軍人が逃げることはあり得なかった。

 

 

カーターはちらりと道の脇に屹立している表示板を見た。

すぐに後方に過ぎ去るが、「ブリスベンまで二十キロ」と書かれているのがかろうじてわかる。

 

現在のスピードは最大の43km/hであり、三十分もあれば辿り着ける距離だ。

 

 

「『タイガースネーク1』より全車」

 

カーターはレシーバーのスイッチを入れ、自分の声を吹き込んだ。

 

「航空偵察によると、ブリスベンに上陸したBDの数は約二百。午後に入ると同時に行動を止め、ブリスベン中心部に橋頭堡を築きつつある」

 

この時、これを聞いた戦車兵達の間で声にならないどよめきが広がった。

第一大隊が壊滅した現在、五十輌に満たないクルセイダーで二百ものBDを攻撃しても、逆にこっちが全滅してしまうだろう。

戦車兵達はそのことを危惧しているのだ。

 

「我々の任務は敵の殲滅ではない。遅滞作戦を実施し、より多くの市民を逃すことだ。簡単な戦いではないが、各車の奮闘を期待する」

 

カーターはここでレシーバーのスイッチを切り、クルセイダーの周囲を見渡した。

 

第二大隊は奇数番号の戦車が左側に、偶数番号の戦車が右側に位置しており、二列の単縦陣を形成している。

カーター車の右には二号車が位置しており、後方には三号車、四号車、五号車と交互に四十六輌のクルセイダーMkIIIが後続していた。

 

 

12時57分ーー

 

「あれか…!」

 

正面の丘陵に上がる砂煙を見て、カーターは言った。

砂煙の中に楕円形のようなものが多数見える。

 

まだ判別できないが、おそらくBDだろう。

二十〜三十の群れが接近し来るようだ。

 

まだブリスベンには入っていない、正面に見えるBD群は敵の先遣部隊なのかもしれない。

 

「『タイガースネーク1』より全車。正面にBD群。距離四千ヤード(三千六千メートル)」

 

カーターは戦車の動揺に身を任せながら、部下のクルセイダー四十七輌に「敵発見」の報を伝える。

 

「あれが『黒い破壊者』か…」

 

カーターは首にかけている双眼鏡を覗き込み、呟いた。

 

丸みを帯びた頭部、獲物を見るような二つの目、白い歯と大きな口。

その姿は地球上のどの生物よりも獰猛そうであり、なおかつ巨大だ。

カーターは自身の身体が、我知らず震えるのを感じた。

 

「大隊長殿。右前方!」

 

カーター車の砲手を務めるケイティック・ドール軍曹が右前方を指差しながら言ってくる。

 

右前方の丘陵の向こう側で、激しく砂埃が舞い上がっている。

 

接近中のBDは、正面の一群だけではないようだ。

視認はできないが、少なくとも同規模の部隊が右前方に展開していると見た方がいい。

 

カーターは上半身を車内に滑り込ませ、ハッチを閉める。

キューポラの視察口からBD群を凝視した。

BDの最大速度は40km/hやら50km/hやらとまだ確実な情報はないが、見たところ30km/hほどのスピードだ。

 

クルセイダーよりも速度が遅い。

 

 

四十八輌のクルセイダーは、ひたすら距離を詰める。

 

 

戦いの火蓋が切られたのは、BDとクルセイダーの距離が一千五百ヤードを切ってからだった。

 

正面から接近中だったBD群が一斉に停止し、口内から砲身を突き出した。

その砲門に発射炎が閃らめく直前、カーターは鋭く命令を発していた。

 

「『タイガースネーク1』より全車。奇数番号車は左、偶数番号車右に旋回!奴らの側面に回り込め!」

 

命じた直後、カーター車をはじめとするクルセイダー奇数番号車の左の履帯への動力が切られ、車体が慌ただしく左に旋回する。

逆に偶数番号車は右の履帯の動力が切られ、右に旋回した。

 

それぞれのクルセイダーが左右に旋回した直後、エンジンが猛々しく咆哮し、二十トンの車体を引っ張る。

 

二十四輌ずつのクルセイダーは、幹線道路から左右に分かれ、道路の両側に広がっているステップ平原に踊り出した。

 

敵弾が飛来する。

 

道路に直撃した敵弾は、アスファルトをえぐり、大穴を穿つ。

平原に落下した敵弾は衝撃で地面を振動させ、多数の土砂を飛び散らせる。

 

被弾したクルセイダーはいない。

この長距離だと、BDも砲弾を命中させるのは至難だったようだ。

 

ブリスベンはオーストラリア有数の近代都市だが、十数キロも離れると荒れた大地と砂漠が広がっている。

その大地を踏みしめながら、クルセイダーは持ち前の高速を生かし、BD群の左右に回り込んで行く。

 

米軍からの情報によると、BDは回転砲塔を持っておらず、いちいち目標に胴体を向けてから砲撃しなければならない。

左右に回り込むことで、敵の火力を半減させると共に、その弱点を突こうとカーターは考えたのだ。

 

(引っ掻き回してやる!)

 

カーターがそう思った瞬間、第二射の閃光がBD群にほとばしった。

多数のBDが一箇所に集まっているため、一千ヤードの距離からは一かたまりの光に見えた。

 

カーター車の目前に一発が落下する。

 

落下した瞬間、地面に火焔が躍り、土砂が逆円錐状に吹き上がった。

土砂がカーター車に降りかかり、視界が悪くなる。

 

かと思ったらカーター車の右正横に敵弾が着弾し、衝撃で右の履帯が地面から浮く。

 

その時、後方から炸裂音が響き、続いて凄まじい爆発音が轟いた。

カーターが後ろの視察口を覗き込むと、二輌のクルセイダーが炎上して擱座しているのが見えた。

一輌のクルセイダーは砲塔が無くなっており、もともと砲塔があったところには巨大な火炎が湧き上がっている。

もう一輌は、遠目からわかるほどの大穴が砲塔正面に穿たれており、原型をとどめていない。

 

敵砲の威力を感じさせる光景だった。

 

「『タイガースネーク2』より『タイガースネーク1』こちらに飛来する敵弾なし!」

 

「タイガースネーク2」こと大隊二号車から連絡が入る。

二号車は偶数番号車輌を率いて、BDの右側に回り込みつつあるが、砲撃を受けなかったようだ。

 

カーターは自分の目論見が崩れたのを悟った。

部隊を二分する事で敵の火力を分散しようと考えていたが、BDはカーターの考えを嘲笑うかのように、奇数番号車のみを砲撃して来たのだ。

 

「『タイガースネーク1』より偶数番号車。砲撃開始!奇数番号車は蛇行しつつ距離を詰める!」

 

カーターはレシーバーに怒鳴りこんだ。

 

BDが目論見に乗らないのなら、こちらにも考えがある。

奇数番号車が敵の砲撃を引き受けている間に、偶数番号車のクルセイダー二十四輌が一方的にBD群を砲撃するのだ。

 

カーター車を先頭とする奇数番号車は、いち早く蛇行に移る。

 

右に左にと車体を操り、敵弾を回避する。

地面は凹凸が多く、クルセイダーはアップダウンを繰り返すが、敵弾はなかなか命中しない。

周辺の地面をえぐる敵弾は多々あるが、高速移動するクルセイダーは敵弾をかすめつつも回避に成功している。

 

逆に、被弾しているBDが視察口の中から見えた。

右から回り込んでいる偶数番号車が、搭載している六ポンド砲を放ち、BDに命中弾を得たのだろう。

 

「距離八百ヤード!」

 

ドールが報告すると同時に、カーターは命じた。

 

「『タイガースネーク1』より奇数番号全車。射撃開始!」

 

八百ヤードまで接近すれば、クルセイダーの六ポンド砲でも十分BDの正面装甲を貫通できると踏んだのだ。

 

「停止!」

 

カーターは操縦士ライザ・ヴィクター伍長に言った。

ヴィクターは素早く動き、クルセイダーがやや前のめりになって停車する。

 

「目標、右前方。距離八百ヤードのBD!」

 

カーターはそう命じると同時に弾薬箱から六ポンド徹甲弾を取り出し、砲熕内に押し込んだ。

クルセイダーMkIIIは搭乗員が三名しかおらず、車長は装填手を兼任するのだ。

 

車長は、的確な指示を出すために常時戦況を把握しなければならないが、MkIIIだとそれが難しい。

兼任のため、装填時間も間延びしてしまいがちだ。

 

だが、オーストラリア陸軍が保有している中で、最も強力な戦車がMkIIIな以上、致し方なかった。

 

「装填完了!」

 

「発射!」

 

ドールが一喝するように叫び、クルセイダーが発砲の衝撃で小刻みに揺れた。

轟音が車内にこだまし、薬莢が吐き出される。

 

カーター車が放った砲弾は、BDの右側をかすめて地面をえぐる。

 

後続のクルセイダーも順次停止し、六ポンド砲を発射する。

後ろから鋭い砲声が届いた時には、カーターが「前進!」を命じており、カーター車は前進を再開する。

 

戦車戦闘は停止、照準、撃つ、前進の繰り返しだ。

これを続けることによって、敵に被害を与えつつ生き残ることができる。

 

不意に横を晒したBDの側面に、直角に近い角度で六ポンド砲弾が命中した。

そのBDは大きく身震いし、炎を上げながら項垂れる。

もう一体のBDは同時に多数の砲弾を喰らい、肉片を飛び散らせながら粉砕される。

後退しつつあったBDには、回り込んだ偶数番号のクルセイダーが砲撃を浴びせる。

三発がそのBDを直撃するが、三発とも丸みを帯びた頭部に命中し、弾き返される。

だが、クルセイダーの砲撃は連続した。

立て続けに五発が側面に撃ち込まれ、そのBDはたまりかねたように横転する。

 

「いいぞ!」

 

カーターは笑顔でガッツポーズした。

 

カーター車の砲撃は外れてしまったが、三体のBDを立て続けに仕留めたのだ。

やはり敵の左右に回り込む作戦は成功だった、とカーターは確信した。

 

カーター車は再び停車し、五十七ミリの砲門から六ポンド砲弾を発射する。

先と同じ衝撃と轟音が襲い、カーターは数秒間視界が揺らぐが、顔を横に振って視界を戻す。

 

今度は外すことなく、BDに命中した。

砲撃を続けていたBDの正面下部に直撃し、顎を粉砕し、砲身が折れ曲がる。

そのBDは砲撃機構を破壊されただけであり、後退しようと試みるが、カーター車の第三射弾が頭部を真正面からえぐる。

刹那、大きく仰け反ったBDは、沈黙し動かなくなった。

 

クルセイダーにも、被弾した車輌が相次ぐ。

 

正面にBDの七十五ミリ弾を喰らったクルセイダーは、五十一ミリの装甲を容易く貫かれ、車内で炸裂する。

破片と炸裂エネルギーは三名の戦車兵を切り刻み、車内を引っ掻き回す。

そのクルセイダーは原型を留めており、一見すると無傷に見える。

しかし、正面装甲には握りこぶしほどの穴が開いており、そこからは車内の火災が若干見えている。

キューポラのハッチや、操縦士の視察口からは黒煙が這い出ており、戦車兵の斬死体を火葬していく。

 

後部に敵弾を喰らったクルセイダーは、エンジングリルを粉砕され、火災が発生する。

エンジンを破壊されたことにより、高速を発揮していた車体が急停車し、炎がみるみる広がっていく。

 

車長と砲手は、キューポラハッチをから脱出するが、操縦士はハッチから上半身を這い出した瞬間に炎に包まれてしまう。

操縦士は万歳をするように両手を上げながら絶命し、脱出した二人は後ろ髪を引かれる思いで戦車から離れる。

 

 

だが、被害はBD群の方が大きい。

 

クルセイダーが一輌破壊される間に、BDは二、三体が擱座する。

戦況は第一大隊が優勢だ。BD群はクルセイダーが仕掛ける機動戦に圧倒されている。

 

「『タイガースネーク12』より『タイガースネーク1』。右前方の丘陵より新たなBD群出現!約二十!」

 

大隊十二号車のクルセイダーから通信が飛び込む。

 

カーターはゆっくりとキューポラから顔を出し、丘陵の方を向いた。

二十体前後のBDが、散開しつつ丘陵を下ってきている。

 

先に丘陵の向こう側にいたBD群であろう。

先遣部隊が苦戦しているのを見て、応援に駆けつけてきたのかもしれない。

 

「『タイガースネーク1』より全車。偶数番号車は新たに出現したBD群を攻撃せよ。奇数番号車の砲撃目標はそのまま」

 

カーターは素早くレシーバーで指示を出す。

BDの数は戦闘開始時に比べて著しく減っている。奇数番号車のクルセイダーでそれらのBD群を掃討し、新たに出現したBD群には偶数番号車のクルセイダーをぶつけようと考えたのだ。

 

 

指示を受けた偶数番号のクルセイダー二十四輌が新たなBD群に向かい、奇数番号のクルセイダー二十輌は六ポンド砲を高らかに咆哮させ、残存のBDに次々と砲弾を撃ち込んでゆく。

 

 

外れ弾は地面を掘り起こし、命中した双方の砲弾はBDやクルセイダーの装甲を傷つける。

砲声、履帯を軋らせる音、エンジン音、BDの咆哮が一つになり、戦場の喧噪を形成していく。

 

 

 

 

 

 

のちに、「オーストラリア大陸を巡る戦い」と呼ばれる長期間、かつ大規模な人類と深海棲艦の地上戦の幕が、切って落とされたのだ。

 

 

 

 

 

 

 




この戦いは次の章の布石ですね〜


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第二十八話 約束



「約束」か…某アニメでそんな曲があったな…。

泣けるヤツ


 

 

1

 

風巻康夫連合艦隊首席参謀は、連合艦隊司令部がある呉鎮守府から大本営へと向かうため、汽車の中にいた。

 

日はとうに暮れており、周囲は薄暗い。

町に灯火管制は敷かれておらず、流星のように夜景が汽車の後ろに過ぎ去っていく。

 

時間的にも利用者が少ないのか、車内はガラガラだ。

居眠りしそうな老人と、リュックを背負った国民服の男性、子連れの若い女性の計四人しか座っていない。

石油事情の切迫によって、ガソリンを使うバスなどの交通機関は全て停止されている。

汽車は唯一生き残っている市民の足であり、混んでいるかと思っていたが、そうでもなかったようだ。

 

ぎゅうぎゅう詰めの汽車を覚悟してきた身であったが、すいていることに拍子抜けしつつ、風巻は目のやり場を車内からから車外に移した。

 

 

広島の町は、戦時色に染まりつつある。

 

「打倒、深海棲艦!」と書かれた横断幕や、志願兵を募るポスター、戦時国債購入促進のビラなどが街中からちらほらと見える。

国民の中には軍の勝利に沸き立つ青年や、軍人として戦場に旅立って行った夫や息子を心配する家族がいる。

 

3月1日以前は考えられなかった光景だ。

 

日本海軍の仮想敵だった米国や英国は、防共協定締結により重要な盟邦になったし、ソビエトは1939年に起こった武力衝突の政治的決着以来、少しずつだが緊張状態がほぐれていっている。

 

日本国民…いや世界の誰もが平和な世界が訪れるのを疑っていなかった。

 

だが、深海棲艦の出現で、世界は終わりの見えない戦争に巻き込まれてしまい、当事国の国民は様々な苦難と戦っているのだ。

 

(あいつらは、どうしているのだろう…)

 

風巻は、ふと家族のことを思った。

妻の紗江子(さえこ)と、娘の(りょう)の笑顔が脳裏に浮かび上がる。

さえこの実家は広島港の近くで「榎本屋」という穴子飯の料亭を開いており、紗江子はそこの若女将を勤めている。

涼も同様で、地元の高等女学校に通いながら見習いとして働いていた。

 

明治から続く老舗であり、遠くからわざわざ食べにくる客もいるが、ここ最近は客足が伸び悩んでいるらしい。

 

呉鎮守府に身を置いている自分からすれば、一度ぐらい会いに行きたかったが、連合艦隊首席参謀という役職がそれを許してはくれなかった。

 

 

 

風巻は窓から目をそらし、正面を向いた。

 

 

国民服の男性が、懐から新聞を取り出して読み始める。

新聞の見出しには、「豪州、深海棲艦上陸さる」と大きく書かれていた。

 

ーー今日は8月24日、深海棲艦が豪州に上陸してから二週間が経過している。

軍令部によると、ロックハンプトン、ブリスベンの二箇所に上陸した深海棲艦のBD個体数は合計で約二千。

局地戦闘でいくつか勝利を収めていても、オーストラリア陸軍は戦略的敗北を続けており、敵の占領地は増加し続けている。

ロックハンプトンの敵集団は沿岸にそって北上し、ブリスベンに上陸した敵集団は南進しながらシドニーを目指しているという。

 

そう、オーストラリアは奴らの「侵略」対象に定められたのだ。

 

国土を深海棲艦の化け物に蹂躙されており、民間人も多数が犠牲になってしまっただろう。

風巻としてはすぐにでも救援に向かいたいが、今は日本も危機だ。

極東の深海棲艦を10月までに片付けなければ、日本は亡国の道を歩むことになる。

 

 

 

汽車は広島駅へと急ぐ。

 

 

 

三十分程経っただろうか、いくつかの駅に停車したのち、汽車は終点である広島駅に到着した。

 

慣性の法則が働いて身体が左に引っ張られ、六両編成の汽車が機械的な音を響かせながら停車する。

 

風巻は足元に置いてあった鞄を持ち、立ち上がった。

 

終点に着いたのにも関わらず寝てしまっている老人を起こしてから、風巻は車外に足を踏み出す。

 

 

「降ってきやがった……」

 

 

ホームに立つと同時に、風巻は呟いた。

 

地面に水玉模様が増えつつある。

雲行きが怪しいと思ってはいたが、汽車から降りた途端に降ってくるとは……運が悪い。

 

最初は弱かったが、徐々に勢いを増し、最終的には豪雨になる。

 

 

風巻は小走りで屋根の下に入り、腕時計を見やった。

 

 

大本営の庁舎がある広島城は、広島駅から徒歩二十分ほどの距離にある。

 

「参ったな…」

 

時間には余裕を持って来たが、雨が続けばどう転がるか分からない。

できればすぐにも向かいたかったが、傘も無しに屋根の外に出るのはまずい気がする。

びしょ濡れで大本営に入るわけにはいかないからだ。

 

 

 

「康夫さーん」

 

その時だった。

雨の音に混じって、自分の名前を呼ぶ声が聞こえた。

風巻は不思議そうに周りを見渡すと、手を振りながら近づいてくる着物の女性の姿が見える。

 

「紗江子か……⁉︎」

 

風巻は思わず頓狂な声を上げた。

 

近づいてくる人影は、有名料亭「榎本屋」の若女将にして、自分の妻ーーー風巻紗江子だった。

 

「まぁ、やっぱり康夫さんだわ」

 

紗江子は風巻の正面に来ると、立ち止まって言った。

 

「お前…どうしてここに?」

 

風巻の問いに、紗江子は乱れた髪を直しながら答える。

 

「砂糖とみりんが切れたから、買い出しに行ってたんですよ」

 

よく見ると、右手に二つの包み紙を持っている。

以前、紗江子から穴子飯のタレに砂糖とみりんが必要だと聞いた記憶があった。

タレの原料が無くなったため、大急ぎで買いに行ったのだろう。

 

「よく俺のことがわかったな」

 

「真っ白な軍服着てたら、いやでも気付きます」

 

紗江子は微笑みながら言った。

風巻もつられるように笑顔になる。

 

深海棲艦出現以来会っていないから、半年ぶりの再会だ。

会いたいとは思っていたが、まさか今日、偶然に会えるとは。

 

「何かお困りではないんですか?」

 

紗江子はニコニコしながら顔を近づけてくる。

風巻は自分の状態を思い出した。

 

紗江子にはお見通しだったのかもしれない。

 

「あ、ああ。悪いが、傘を貸してくれないか?」

 

風巻は制帽を外し、頭を掻く。

 

「もう、大日本帝国の軍人さんがそんなんじゃ困りますよ」

 

紗江子はそう言いながらも、自分が差していた黒色の傘を差し出してくれた。

 

だが傘は一つだけ。

 

これでは紗江子が濡れてしまう。

 

「『榎本屋』まで行くんだろ?途中まで道同じだから、一緒に行くか」

 

「…私は大丈夫ですよ?」

 

紗江子は遠慮したが、風巻は首を横に振った。

 

「夏風邪をひいたら大変だ。行こう。話したいこともあるしな」

 

そう言って、右手に握った傘を自分と紗江子の間に持っていく。

 

「もう、貴方って人は…昔からそうなんですから」

 

紗江子は顔を俯かせると、風巻に身体を寄せる。

風巻は紗江子が傘の下に入ったことを確認すると、「行くよ」と言い、屋根の外に歩き始めた。

 

雨が傘に当たる音が響き始め、雨水が傘の端から地面にしたたる。

 

 

「最近は物価が高くなって大変ですよ。康夫さんの給料と、いつも来てくれる常連さんでなんとかやりくりしてますけど…」

 

いつもは寡黙な妻だが、さすがに現在の状況に不満があるのだろう。

右の頬に手をやりながら言った。

 

「そんなに悪いのか?」

 

風巻は「榎本屋」のことが気になった。

伝統ある老舗であるだけに無事に続けて欲しい。それが家族の家計に響くのならばなおさらだ。

 

「ええ、先月から赤字ですよ。お父さんは『一人でも客が来るなら店は閉めん!』の一点張りですけどね…」

 

「はは、お義父さんらしいな」

 

風巻の脳裏に、格闘家のような顔をしている紗江子の父の顔が浮かんだ。

紗江子の父親ーー榎本了佐(のりすけ)は五代目店主にして、「榎本屋」の料理長を務めている。

風巻が紗江子と恋に落ち、家族に自分のことを紹介してもらった時などは、「娘を傷物にしたのは貴様か⁉︎」と怒鳴られた挙句、凄まじい勢いで顔をぶん殴られた。

その時の自分は海軍兵学校を卒業した直後であり、在学中は散々一号生徒に鉄拳制裁を受けた身であったが、どの一号生徒の鉄拳より骨に響き、痛かった。

腫れは一週間治らず、三和に「名誉の負傷」とからかわれ続けたのを覚えている。

 

(お義父さんがいれば安心だな)

 

そう思った風巻は、話題を移した。

 

 

 

「…涼の様子はどうだ?」

 

風巻は半年の間で気になっていたことを聞く。

 

「元気よ……」

 

でもーーと、紗江子は続ける。

心なしか声のトーンが低くなっていることに風巻は気付いていた。

 

「急に始まった戦争に戸惑ってるみたい」

 

「そうか…」

 

風巻は呟くように言った。

 

3月1日以来、数十万以上の尊い生命が失われた。

軍人だけでなく、女子供、老人といった民間人も多数が犠牲になっている。

涼はまだ17才。

その少女に「戦争」という事実は重すぎたようだ。

 

 

「…トラックに行ってた親友が亡くなったらしいわ」

 

 

紗江子は暗い表情になって言い放った。

さっきまでの笑顔が消え失せてしまっている。

 

「……」

 

初めて聞くことに、風巻は何も言えなかった。

トラック諸島の基地は、開戦初日に内南洋艦隊と共に壊滅している。

入植していた民間人も約二千名が死傷する、という目を背けたくなるような被害もあった。

 

日本海軍はルソン島と並行して救出作戦を実施したが、涼の友人は生きて日本の土を踏むことができなかったのだろう。

 

「呉に帰って来た船団に、その人の姿はなかったの。涼、学校もしっかり行ってるし、店の手伝いもちゃんとしてくれてるわ。でも、何か無理してるみたい」

 

紗江子は立ち止まった。

 

「康夫さん。会って何か話してやってもらえませんか…そうすれば涼も…」

 

 

「俺は日本海軍の軍人だ…国に対する責務がある。涼は、君が支えてやってくれ…」

 

風巻も紗江子の隣で立ち止まり、無表情で言った。

 

「ううん、違うわ。全然違う…」

 

紗江子は、足元の水たまりを見ながら首を振った。

 

「涼が気にしてるのは、貴方のことよ、康夫さん」

 

紗江子が顔を上げると、沈痛な表情に変わっている。

 

ここで風巻は悟った。

紗江子は自分に心配をかけないよう、笑顔を貫いていたことを…。

 

「涼は自分の父親が還らぬ人になるのを怖がっているのよ。一番の親友が死んでしまって、人との別れの苦しみを知ってしまったから……」

 

「……」

 

「この前も、軍艦に乗って戦場に行ったんでしょう?」

 

「……」

 

「涼だけじゃない、私もよ。海軍軍人を夫に持つ以上、いつかはこういうこともあると覚悟してきた…。でも、それでも辛い。貴方が手の届かないところへ行ってしまいそうで……怖いの!」

 

紗江子は両手で、自分の胸を押さえている。

自らの感情を押さえつけるように…

 

風巻は、考える間も無く紗江子の背中に手を回していた。

離してしまった傘が宙を舞ったが、構わない。

華奢な身体を自分の胸に寄せ、両手で包み込む。

 

「生きて帰ってきて…!」

 

紗江子は風巻の胸に顔を埋めた。

泣いているのか、嗚咽が混じっている。

 

(俺は…家族のことを何も考えていなかった…)

 

風巻は自問する。

 

戦争が始まってから、風巻の頭には軍務や作戦のことしか眼中になかった。

半年もの間、家族にろくに会いに行かず、いかに深海棲艦と戦って勝利するかということしか考えていなかったのだ。

 

自分は大日本帝国海軍の軍人だ。

連合艦隊首席参謀を拝命しており、海兵卒業の時は考えられなかったほど重大な役職に就いている。

 

それでも風巻は一人の父親であり、夫でもあるのだ。

 

それを失念してたとは、我ながら恥ずかしい思いだった。

 

 

「約束…してください」

 

紗江子の震えた声が、風巻の耳に届く。

 

「この戦争で…死なないって…」

 

風巻は、紗江子を包み込む手に力を入れた。

 

「ああ…約束する」

 

そして紗江子の目を見て、はっきりと言う。

 

「俺は死なない…平和な海を取り戻したら、必ず帰ってくる」

 

 

 

 

 

 

 

 

「約束…ですよ?」

 

 

 

 

 

紗江子の声は雨の音に遮られず、はっきりと聞こえたような気がした。

 

 

 

 

 

額に当たる雨が冷たい。

 

風巻が頭上を仰ぐと、どこまでも暗い雨雲が広がっていた。

 

 

 





我ながら、キザなものを書いてしまった……。


日本軍の将兵も、守るものの為に戦った。

そのことだけを理解してくれたら十分です。



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第二十九話 暗闇の巨人

進撃の巨人ジャナイヨ


9月2日

ルソン島サンタアナ半島・米極東陸軍(USAFFE)司令部

 

1

 

「貴隊らには、ここを叩いてもらいたい」

 

USAFFE司令長官ジョナサン・ウェインライト中将は、ルソン島が網羅されている地図の中心よりやや上の場所を、指でトントンと叩いた。

 

「ここ…ですか」

 

日本帝国陸軍所属。戦車第七連隊連隊長の角谷友重(かどたに ともしげ)少佐は、英語でそう言うと、首をひねった。

 

ウェインライトの指が示している地点は、イースト・ライン東部管区よりも南に四十キロほど下がったところだ。

言うまでもなく、敵の占領地に浸入している。

 

「この地点に、何かがあるのですね?」

 

米合衆国陸軍。第二十二戦車大隊(22TB)大隊長のケイ・J・リチャードソン少佐が言った。

 

 

戦車第七連隊は6月23日に実施された日米補給作戦でルソン島に揚陸された部隊の一つである。

第一〜第四中隊の戦車部隊と、機動砲兵第二連隊を指揮下に収めており、一〇〇式中戦車乙型四十輌と九九式八十ミリ速射砲二十五門を有している。

 

本来ならば機動砲兵第二連隊は戦車第七連隊の上位部隊である第二戦車団司令部の指揮下にあるはずだが、ルソン島に展開するにあたって角谷の指揮下に入っていた。

 

もう一方の22TBも戦車第七連隊と共にルソン島に揚陸された部隊だ。

七十五ミリ砲と三十七ミリ砲を搭載している最新型のM3リー中戦車を多数保有しており、今日に至るまで戦車第七連隊と共に敵の攻撃からイースト・ラインを支え続けてる。

 

この二つの部隊はイースト・ラインをめぐる戦いで消耗していたが、依然、戦車七十輌以上を有していた。

 

ウェインライトとしては、多数の戦車を持つ部隊に行ってもらいたい任務があるのだろう。

 

 

「そうです…」

 

USAFFE参謀長サム・ジェイソン大佐が口を開いた。

 

「8月29日、この場所をーー通称E地点としますがーーを偵察に向かった斥候が、敵の前線基地のようなものを発見しました」

 

 

「前線基地⁉︎」

 

会議に同席している連隊参謀の河嶋治作(かわしま じさく)大尉が頓狂な声を上げたが、ジェイソンは構わず続ける。

 

「基地、というよりはBDの集合場所と言った方がいいかもしれません…。E地点には常時五十〜六十規模のBDが展開しており、定期的にイースト・ラインを攻撃して来たBDはここから出撃していたのが確認されています」

 

束の間、角谷は絶句した。

今まで極東の人類部隊は防戦一方だったが、ついに反撃の機会が訪れたことに実感を持てなかったのだ。

 

「E地点を粉砕すれば、多数のBDを撃破できるだけでわない。イースト・ラインの防衛にも繋がる。君達は満を持して同地を攻撃、深海棲艦地上軍を撃滅してもらいたい」

 

ウェインライトは二人の戦車指揮官に確認するように言った。

 

 

 

 

事実上の反撃命令だった。

 

 

 

2

 

「『(おきな)』より『般若(はんなゃ)』『小面(こおもて)』『小尉(こじょう)』『龍神(りゅうじん)』。展開しつつ所定の地点まで前進開始せよ。送れ」

 

「『般若』より『翁』、命令了解。所定の地点まで前進開始します。終わり」

 

角谷友重連隊長の命令がヘッドホンを通じて聞こえるや、第一中隊長の西住明仁(にしずみ あきひと)中尉は反射的に復唱を返していた。

 

遠方から微かに砲声が聞こえてくる。

 

作戦通り、22TBのM3リー中戦車三十六輌と、機動砲兵第二連隊の九九式八十ミリ速射砲二十五門が砲撃を開始したらしい。

 

「『般若一番』より『般若』全車。所定の地点まで前進する。戦車、前へ!」

 

西住は麾下の戦車に力強く命じた。

 

エンジン音が唸りを上げ、22TB、機動砲兵第二連隊の砲撃開始を待っていた第一中隊の一〇〇式中戦車十輌が前進を再開する。

西住がキューポラの視察口から後方を見やると、九輌の味方戦車が後続してるのが見え、さらにその後方には第三中隊の一〇〇式中戦車十輌が遅れじと前進しているのが見えた。

 

西住は今までの苦行を思い出しつつも、深海棲艦地上軍に反撃できる機会が巡ってきたことに喜びを噛み締めていた。

 

 

 

 

 

ーー今日の日付は9月5日。

 

E地点に向かうまでに3日を要している。

 

ルソン島の制空権は深海棲艦が握っており、白昼堂々進撃していたら甲型戦闘機の餌食になってしまう可能性がある。

そのため移動は夜間のみ行い、昼間は戦車を巧みに偽装しつつ敵機をやり過ごす、という方法が採られた。

日米戦車合計七十四輌、対戦車砲二十五門の大部隊をいちいち偽装しながら進んだため、這うような進撃速度に低下した。

 

それでも入念な偽装が奏功し、破壊されたり落伍する戦車や火砲は一つもない。

 

戦車第七連隊、機動砲兵第二連隊、第二十二戦車大隊の三つの部隊は、E地点を攻撃できる位置までやってきたのだ。

 

 

 

 

 

 

緑色、茶色、黄色を基準とした迷彩を施され、砲塔側面に日の丸が描かれた日本製III号戦車二十輌は、左右を鬱蒼とした森林に挟まれた狭い山道を、ひたすら南下する。

日は四時間ほど前に暮れており、月明かりのぼんやりとした光が正面の道を照らしていた。

 

 

作戦は簡単だ。

 

22TBと機動砲兵第二連隊がE地点の正面から牽制射撃を行い、敵の目を引きつける。

 

その隙に戦車第七連隊の『般若』『小尉』こと第一、第三中隊が左翼。『小面』『龍神』こと第二、第四中隊が右翼に迂回し、BDの脆弱な側面を狙い撃ちにするのだ。

 

 

 

迂回戦術は対BD戦闘では定着した戦法と言える。

 

BDの正面装甲は丸みを帯びており、貫通できるのは、正面に対して垂直に切り立っている中央のほんの一部分しかない。

 

だが、側面や背面は三十七ミリ砲でさえ貫通できるほど脆い。

被弾面積も広く、BDは回転砲塔を持たないから迂回部隊に反撃することも難しい。

 

USAFFEの主力戦車がM3スチュアートだった頃からこの戦法は使われており、何度がイースト・ラインに襲来したBD群を対戦車砲と共に撃退している。

 

だいたい、BDは一箇所に集まって攻撃してくる習性があり、横隊を組んだという情報はない。

迂回戦術にはもってこいの状態が多いのだ。

 

 

 

「うまくいきますかね?」

 

砲手の五十鈴勝之助(いすゞ かつのすけ)軍曹が口を開いた。

 

西住と共に、1939年の南満州紛争を経験したベテランだ。

天性と言っても過言ではないほどの射撃の名手であり、同紛争中は非力な八九式中戦車で四輌のBT7を撃破している。

 

その古強者が、やや不安げな表情を見せていた。

 

「どうした?おまえらしくない」

 

西住が心配そうに聞くと、五十鈴が振り向いて答えた。

 

「いえ…深海棲艦も馬鹿じゃありません。そろそろ迂回戦術の対策を考えてるんじゃないか、と思いましてね」

 

それを聞き、装填手の秋山直也(あきやま なおや)伍長も同意する。

 

「あ、それ自分も思いました。今まで何回も迂回戦法を使ってるでしょ?さすがに、って感じしますよね」

 

それを聞くと、西住は思案顔になる。

 

そして、やや間を空けてこう言った。

 

「……一理あるが、今回の作戦は迂回攻撃が基本だ。今から方針の変更はできん……だが、一応連隊本部に具申しておこう」

 

西住は「武部!」とエンジン音に負けない音量の声で通信手を呼んだ。

 

通信手の武部直七(たけべ なおしち)上等兵が、しゃちほこばって反応する。

 

「『翁』に連絡だ。『敵ノ陣形ガ、横陣デアル可能性モ考慮サレタシ』とな」

 

「了解」

 

武部が威勢の良い声で言い、符丁「翁」こと戦車第七連隊本部に回線をつなぐ。

武部が連絡しているを確認すると、西住はキューポラの視察口から正面に目を向けた。

 

月明かりに照らされて、正面に二つの丘が見え始める。

 

向かって右に見える丘のふもとが、E地点の真東にあたる場所であり、第一、第三中隊の迂回攻撃ポイントでもあるのだ。

 

遠方から聞こえる砲声も勢いを増してきている。

 

 

「『小面一番』より『般若一番』。『小面』『龍神』は所定の位置に着いた。そっちはどうか…?送れ」

 

第二中隊長の後藤哲平(ごとう てっぺい)中尉の肉声がヘッドホンに響く。

右翼に迂回した第二、第四中隊は、一足先に攻撃ポイントに到達したようだ。

 

「『般若一番』より『小面一番』。到達まであと二分。攻撃待たれたし。送れ」

 

「…ガ…」

 

西住はそう送信したが、なにやら様子がおかしい。

 

返信がないのだ。

 

「『般若一番』より『小面一番』…何があった。送れ」

 

「……ガ…ガガ……ザ…」

 

レシーバーのスイッチが発信から受信に切り替わっていることを確認しながら、西住は問う。

 

「……ザ…ガガ…」

 

返信は無い。

 

「クソ、こんな時に故障か?…アメちゃんの無線機も国産と変わらんな」

 

西住はそう呆れ気味に言うと、周波数を隊内全体に変えた。

 

左手で、耳に密着しているヘッドボンを押さえつけ、微かな音さえも聞き逃さないようにする。

 

「ザ……なん…ザザ…だ…あ…ガ……れ…わ…!」

 

雑音が多いが、かすかに肉声が聞こえる。

 

 

「…敵…ガ…き……ザ…」

 

「おい。どうした…⁉︎」

 

西住はレシーバーに怒鳴り込んだ。

あまり聞こえないが、「敵」という単語は聞き取れる。

 

さすがに異常だ。

 

無線機の故障だけならまだよかった、という状態になってしまっているのかもしれない。

 

「敵…の…ザ…きょ…ガガ…」

 

(まさか…敵は横隊を?)

 

無線を聞き、西住は脳裏で呟いた。

 

深海棲艦はこちらが迂回すると予想していたのかもしれない。

 

迂回戦術は兵力を分散してしまうという弱点がある。

E地点の敵全てが第二、四中隊を集中して攻撃してきたら、二十輌の一〇〇式中戦車など、一瞬で壊滅してしまう。

 

五十鈴の言葉が現実なものになってしまったのだろうか?

 

 

「ザ…ザザ…て…」

 

「おい、聞こえるか!…後藤!」

 

西住はなおも呼びかけるが、通信は途切れ途切れであり、右翼に回り込んだ部隊の状況は不明だ。

 

「隊長。間も無く、攻撃ポイントです」

 

操縦手の冷泉左京(れいぜい さきょう)伍長が冷静な声で報告する。

西住が正面を見ようと両目を視察口に近づけた時、地響きと共に強烈な振動が車体を揺らした。

 

「な、なんだ⁉︎」

 

頭部をキューポラ側面にぶつけた西住は、罵声を吐きつつ、周囲を見渡す。

敵弾の弾着による衝撃ではない。

 

その時、山道の右側の樹木が切り倒され、倒された数本の木が西住車の正面の道に勢いよく横たわった。

 

「『般若』停止!」

 

西住は咄嗟に命じる。

 

一〇〇式中戦車が、前のめりになって停車した。

 

一列で西住車に後続していた十九輌の一〇〇式中戦車も順次停車し、狭い山道は鋼鉄の鉄牛で瞬く間に埋め尽くされた。

 

 

「なんだ?」

 

西住は五十鈴、秋山と顔を見合わせた。

 

「ザ…ザザ…きょ…ザ…」

 

西住はハッチを恐る恐る開け、上半身を砲塔上に乗り出す。

 

着弾の閃光は見えなかったし、炸裂音も聞こえなかった。

砲弾の着弾による振動では、断じてない。

 

「ザ…ガ……じ…」

 

上空の夜空には多数の星が点在しているが、その光は弱く、周囲を完全に照らしてはいない。

 

西住車の左右には、先と変わらず鬱蒼とした密林が広がっており、敵らしき姿は見えなかった。

 

「ガガ…ザ……ん…ガ!」

 

西住は右前方の倒れた木の根元を見、視線をゆっくりと上に上げる。

 

 

 

照明弾が弾けた。

 

 

後方に展開していた機動砲兵第二連隊の迫撃砲小隊が放ったものだろう。

 

マグネシウムを焚いたような光が、西住の頭上で発生し、西住車の周りを照らし出した。

 

 

「なんだ…?」

 

 

「ガ…ザザ……敵の…巨人だ!…ザ」

 

 

照明弾の光に照らされ、西住の視界に「それ」が姿をさらけ出したとき。

 

後藤の悲鳴じみた声が、レシーバーから響き渡った。

 

 

 

 




西住が見た「それ」の正体は次回…ですかね


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第三十話 戦車対巨人

『暗黒の防衛者』ダークディフェンダー 通称DD

1941年9月5日、イースト・ラインより南方四十キロの地点ーー通称E地点ーーにて初めて確認された拠点防衛型の深海棲艦地上兵器。
左右の手に自身の身長くらいある盾を装備しており、50mm砲弾はおろか、75mm砲弾すら貫通するのはほとんど不可能な凄まじい防御力を誇る。
だが、本体は脆弱であり、50mm榴弾ですら貫通できるほどの装甲でしか鎧われていない。
人類陸軍の勝利の鍵は、いかにその弱点を突くかどうかであろう。

機動力は低く、BDのような直線的な高速機動はできないが、二足歩行により山岳地帯などの走破能力は高い。
ルソン島を巡る戦いでも、予想だにしない場所から現れ、部隊に大損害を与える事例が多く報告されている。

全長3.2m 全幅4.5m 全高8.5m

搭載砲 105mm砲二門 88mm砲八門。(左右の盾に装備)

以上の能力は襲来する敵を撃退することに長けていること、イースト・ラインに一切DDは出現しなかったこと、これらの二点を集約した結果、DDは拠点防衛を主任務とする個体であると判断された。

なお、容姿が人間の女性と酷似しており、破壊されたDDを調査した際、人間と似ている器官が数多く発見された。

人類と深海棲艦の関係は、各国の研究機関と共同で調査中である。







深海棲艦戦略情報研究所
「第二十八回報告書:極秘」より抜粋




ーー艦これに登場するル級戦艦ですね〜


1

 

 

そう……西住の目に映ったのは、まさしく巨人だった。

 

 

八メートルほどの身長で、人間の両手にあたる部分には巨大な盾のようなものが接合してある。

その両手の盾からは無数の砲身が突き出ており、高い攻撃力をつことを連想させた。

 

だが、もっと西住を驚かせたのは、二つの盾の隙間から見えた敵の姿だった。

視界に入った瞬間、西住の身体に思わず戦慄が走った。

 

女性の容姿にそっくりなのだ。

 

黒髪長髪のその顔は雪のように白く、口、目、鼻といった人間の顔ような部位が確認できる。

 

「ヒト…?」

 

西住が呆気にとられている間に、その巨人は右手の盾を大きく振り上げた。

数秒間空中で停止したのち、巨大な盾を勢いよく地上に振り下ろす。

 

巨大な盾が西住車の正面の地面にぶち当たり、22t以上の重量を持つ一〇〇式中戦車が大きく跳ね上がった。

西住は思わずよろけ、両手で体を支える。

 

先とまったく変わらない揺れだ。

 

さっきの衝撃は、巨人の歩行時に発生するものだったのかもしれない。

 

「中隊長!」

 

五十鈴の切迫した声で、西住は我に返った。

咄嗟に車内に上半身を滑り込ませ、レシーバーを握る。

 

「ぜ、全車後退、後退だ!」

 

無線に連絡を入れるときは、「〇〇より、〇〇」とつけることが日本陸軍の規定だが、西住はすっかり忘れてしまっていた。

 

半ば理性を失った状態で、無線電話機に怒鳴りこむ。

 

冷泉が素早く一〇〇式中戦車をバックさせ、西住車はやや前のめりで後進を開始する。

前進のそれに比べると、もどかしくなるほど遅い。

それに、左右を密林に囲まれた一本道であるだけに、味方車輌と追突しないように注意しなければならなかった。

 

それでも、正面の巨人との距離は開く。

 

巨人はBDのような高速移動はできないようだ。

 

 

西住は真っ白になった頭を振り絞り、思考を駆け巡らせる。

だが、焦りに追い討ちをかけるかのように、無線機に悲鳴じみた声が響いた。

 

「もう一体いるぞ!」

 

それが聞こえた直後、西住車の後方から真っ赤な光が届き、機械的な叫喚が耳朶を打つ。

反射的に振り向いた西住の目に映ったのは、巨人が持つ盾に叩き潰された一輌の一〇〇式中戦車だった。

 

位置的に、第三中隊の車輌らしい。

 

見上げんばかりの大きさの鉄塊に、真上から叩き潰された一〇〇式中戦車は、砲塔が車体に、車体が地面にそれぞれ食い込んでおり、履帯に至っては重量に耐えられずにバラバラに弾け飛んでいる。

左右に規則正しく並んでいた転輪は完全に歪み、直径五十ミリの砲身はありえない角度を向いていた。

全てが原型をとどめておらず、金槌で思いっきり叩かれたブリキ缶みたく、大きくひしゃげてしまっている。

 

五名の戦車兵の安否は、粉砕された一〇〇式中戦車を見れば一目瞭然だ。

 

内部の人間は、衝撃でことごとく肉塊と化してしまっただろう。

 

刹那、たった今味方戦車を叩き潰した巨人が、密林の左側から姿を現わす。

 

第一中隊は山道の正面と後方から、挟み討ちにされる形になってしまったようだ。

 

 

巨人の横顔を見た瞬間、西住は自分が恐怖していることに気がついた。

手が小刻みに震え、体が硬直している。

喉奥が酸っぱくなり、胃がキリキリと痛み始めていた。

 

(俺は、こんなに肝っ玉が小さい男だったのか…?)

 

西住は目をつぶり、首を横に振った。

自らの胸に手をやり、二、三深呼吸する。

 

ここで中隊長たる自分が恐怖状態になってしまったら、部隊を危機的な状態から救うことなど到底できない。

下手したら右翼に回り込んだ部隊のように混乱状態になってしまうかもしれない。

そうなれば、忠実で優秀な部下達が犬死してしまう。

それは四十九名の部下を持つ指揮官として、あるまじきことだ。

 

ーーだからこそ戦う。

 

ーールソン島の支配権など知ったことか、生きるために戦うんだ。

 

 

西住が目を開けた時、その目から恐怖の色は消え去っていた。

 

五十鈴と秋山が笑いかけてくる。

西住は大きく頷くと、レシーバーのスイッチを入れた。

 

 

「『般若一番』より『小尉一番』我々は正面の奴さんをやる。貴隊は山道側面より出現した敵を攻撃されたし。送れ」

 

西住が「小尉一番」こと第三中隊長藤光安時(ふじみつ やすとき)中尉に、素早く連絡を送る。

 

「『小尉一番』より『般若一番』了解!」

 

藤光の短い返信がレシーバーに響くと、西住はキューポラの狭い視界から正面を見やった。

 

山道の脇に居座っていた巨人は中央に移動し、道を完全に塞いでいる。

 

再び照明弾が砕け、はっきりと敵の姿が浮かび上がった。

敵の顔は完全にこちらを向いており、攻撃対象に見られているのは明らかだ。

 

「『般若』全車。射撃目標、正面のでか物。弾種徹甲!」

 

西住は意を決して下令する。

 

秋山が弾薬箱から五十ミリ徹甲弾を取り出し、砲熕に押し込む。

素早く尾栓を閉じ、「装填完了!」の報告を上げた。

 

砲塔が右に旋回し、五十ミリ砲が仰角を上げる。

 

「てッ!」

 

の号令一下、砲塔正面に閃光が走り、衝撃と轟音が戦闘室内にこだました。

薬莢が吐き出され、音を立てて床に転がる。

 

西住車が放った砲弾は、巨人が右手に持っている盾に命中した。

盾から針山のように飛び出していた砲身の一部が着弾の打撃で宙を舞うが、小爆発が起きただけであり、盾には傷一つ付いていない。

 

西住車の後方に位置している二号車、三号車、四号車も順次発砲する。

 

鋭い砲声が聞こえた、と思った瞬間には発射された三発の五十ミリ弾は西住の頭上を通過し、敵巨人に到達している。

 

三発の徹甲弾は、全て盾を直撃した。

 

命中した刹那、巨人は衝撃でぐらつく。

三度の小爆発が発生し、細かい破片のようなものが四方に飛び散った。

 

一〇〇式中戦車の装備している四十二口径五十ミリ砲は、八九式中戦車が装備している九〇式五十七ミリ砲とは比べ物にならないほどの貫通力を有している。

 

日本陸軍でも、「一〇〇式の砲でBDの正面装甲を貫通することは十分可能である」と言われており、局地戦では優位に立てると考えられていた。

だが、新たに出現した深海棲艦の地上兵器に対しては、一〇〇式中戦車の五十ミリ砲でも有効打は得られないようだ。

 

それを裏付けるように、硝煙の中から無傷の巨人が姿を見せ始める。

 

放った四発は、全て両手に持った盾に弾き返されてしまったのだ。

 

「撃ち続けろ!」

 

西住は怯むことなく射撃続行を指示する。

 

西住車は二射、三射、四射と五十ミリ砲を咆哮させ、正面の巨人に徹甲弾を撃ち込む。

 

発砲するのは西住車だけではない。

 

後方から断続的に雷鳴のような砲声が届き、部下の一〇〇式中戦車が果敢に砲撃している事を伝える。

 

巨人は両手に持った盾を正面に移動させ、自らの身体を守っているようだ。

本体に対して損害を与えているように見えない。

 

「やはり正面からではダメか…!」

 

西住は力任せに戦闘室の側壁を殴りつけた。

 

深海棲艦のBDは正面装甲がとても硬いことで有名だが、巨人にもその血は受け継がれているらしい。

 

何度撃ち込んでも、打撃を受けたようには見えない。

 

西住車が第六射を発射した直後、巨人の盾に真っ赤な閃光が走った。

 

西住がその意味を悟るより早く、目の前の地面が火焔と共に大きくえぐれ、大量の土砂が吹き上がった。

一〇〇式中戦車が巨大な手に掴まれ、振り回されていると思わせるほど揺れる。

西住は車長席から転がり落ちそうになるが、キューポラの左右に付いている手すりに掴まって堪えた。

 

巨人の盾は防御だけでなく、砲撃もできるようだ。

 

「あああぁあぁああぁぁあぁぁ!!!」

 

耳をつんざく炸裂音が後方から届き、地面を通じて腹に応える衝撃が襲ってくる。

何輌かの味方戦車がやられたのだろう。

聞きたくもない戦車兵の断末魔が、西住のヘッドホンに響いた。

 

「冷泉。左右の森に戦車が入るのは可能か…?」

 

衝撃が収まった時、西住は冷泉に聞いた。

 

「…可能です」

 

西住の問いに、冷泉は短く答える。

普段から寡黙な、彼らしい冷静な言葉だった。

 

 

山道は道幅が狭いため、前進か後進の二次元の機動しかできない。

左右の密林に進入して戦うことで、攻撃の幅を広げようと考えたのだ。

 

「『般若一番』より『般若』全車。ただちに左右に散開。山道から離脱しろ!」

 

西住は、叩きつけるようにレシーバーに言った。

 

森で戦車が戦うのは、愚の骨頂と言われている。

ただせさえ悪い視界がさらに悪くなり、機動力も半減するからだ。

 

だが、西住はあえて愚を犯そうとしている。

 

このまま山道で砲戦を続けても打ち負けてしまう可能性が高い。

それならば死中に活を求めよう、と西住は考えているのだ。

 

第一中隊の残存する一〇〇式中戦車七輌は、左に四輌、右に三輌と別れ、山道の左右に広がっている密林に進入する。

 

視界が一気に悪くなり、戦車は蛇行に移った。

右に、左に、と西住車はジグザグに進み、木々の隙間を縫って巨人に肉薄を試みる。

戦車が回頭を繰り返すごとに、西住の身体は左右の側壁に当たりそうになる。

 

西住はハッチを少し開け、周囲を見渡した。

 

正面に一輌、左側に二輌の味方戦車がチラリと見える。

西住車同様、木々をかわすため蛇行を繰り返しており、着実に巨人との距離を詰めていた。

 

右前方を見やると、木々の間から攻撃目標の巨人が見える。

 

向こうからこちらは見えてなそうだが、その無表情な顔からは何もうかがい知ることはできなかった。

 

再び、巨人の盾に発射炎が閃らめく。

西住が身を竦めた瞬間、西住車の右正横に着弾した。

 

木々が吹き飛ばされ、土砂が逆円錐状に吹き上がる。

多数の弾片のようなものが西住車の側面に当たり、雨だれのような音を立てた。

 

西住が感じるに、着弾の衝撃はBDのそれよりも遥かに大きい。

 

巨人はBDの七十五ミリ砲よりも強力な火砲を搭載しているのかもしれない。

 

先頭を切って進んでいた一〇〇式中戦車がやられる。

西住車の正面に火焔が躍り、大小の箱を積み上げたような輪郭が浮かび上がった 。

刹那、その一〇〇式中戦車は履帯を撒き散らしながら左に横転する。

 

敵巨人が放った砲弾の一発は、一〇〇式中戦車の側面装甲を易々と貫通し、車体内部で炸裂したのだ。

 

エネルギーと火炎は車内を席巻し、五名の戦車兵は弾片で粉々に切り刻まれる。

エネルギーはその程度で尽きず、エンジンルームを爆砕した上、凄まじい打撃力で車体を横転させたのだ。

 

西住車は、横転して火災を起こしている一〇〇式中戦車の脇を、蛇行しながら通過する。

 

西住がチラリと見ると、巨大な破口が穿たれいるのが見えた。

どれほど強力な火砲で撃たれたか、検討もつかなかい。

 

敵弾は再び襲ってくる。

 

重々しい砲声がこだましたと思った刹那、西住車の右前方と後方に時間差を開けて敵弾が落下し、左側を走行していた一〇〇式中戦車が爆砕される。

 

右前方の地面が突然、目がくらむほどの閃光を発し、車体が衝撃で大きくアップダウンする。

後方にも着弾し、後ろから蹴飛ばされたかのような衝撃が襲ってくる。

 

一際巨大な光が左側で発生し、凄まじい炸裂音がルソン島に響き渡った。

周囲が一瞬昼と化し、爆竹を鳴らしているような耳をつんざく音が立て続けに轟く。

 

西住が左側を向くと、爆発を繰り返し、その度に火焔と多数の破片を撒き散らしている一〇〇式中戦車の姿が見えた。

 

砲塔は溶鉱炉から取り出した鉄塊のように真っ赤に焼きただれている。

おそらく、命中した敵弾が弾薬箱で炸裂してしまったのだろう。

何十発もの砲弾が一斉に誘爆し、一〇〇式中戦車を内側から引き裂いたのだ。

 

 

 

二輌の味方戦車を失ったが、西住車を含めた二輌の一〇〇式中戦車は、密林の険しい道のりを走破し、巨人の側面から肉薄しつつあった。

巨人は先の場所から移動していない。

 

山道の中央に居座り、胴体の向きを変えて砲撃して来ているようだ。

 

進路を変えつつ前進したことにより、先まで右前方に見えていた巨人が正面に見えている。

 

「停止……。てッ!」

 

西住は命じた。

 

車体が急停車して動揺が収まった瞬間、五十鈴がトリガーに力を込め、主砲から直径五十ミリの徹甲弾が発射される。

 

頼もしい砲声が高らかと鳴り響き、徹甲弾が巨人に向け飛ぶ。

 

左後方に占位した一〇〇式中戦車も、遅れじと発砲する。

 

西住車と僚車が放った二発の砲弾の内一発は、巨人の右をかすめて何もない空間を貫くだけだが、五十鈴が放った砲弾は左側の盾に命中する。

命中したが、貫通することはできずに砲弾は明後日の方向に弾かれてしまった。

 

その時、巨人の背後に爆炎が躍り、何発もの砲弾を食らってびくともしなかった巨人が初めてがよろめいた。

 

「よし。間に合ったな…」

 

西住は額の汗を拭いながら呟いた。

 

巨人は、左に回り込もうとする四輌のみに対して砲撃を繰り返した。

その四輌が敵の砲撃を吸収する役割を果たし、右に回り込んだ三輌は一切妨害を受けずに射撃位置まで辿り着けたのだ。

 

二発、三発と背後から砲弾を撃ち込まれ、巨人は堪りかねたように体をひねって回避を試みる。

 

硬いのは盾だけであり、本体は脆弱な装甲でしか鎧われていないのかもしれない。

 

「前進!肉薄しろ!」

 

西住は好機が訪れたのを確信した。

巨人は小回りがあまり利かないようだ、ここは肉薄して包囲しようと考えたのだ。

 

右往左往する巨人との距離が、百五十、百二十、百、八十メートルと、どんどん詰まって行く。

 

「左旋回!回り込め!」

 

五十メートルを切った時、西住は言った。

 

西住車は左に信地旋回し、後方の一〇〇式中戦車も続く。

 

巨人は盾を極力こちらに向けようとしてくるが、一〇〇式中戦車の速度に追いつけない。

次の瞬間、二輌の一〇〇式中戦車は、山道に踊り出した。

 

迂回したことにより、巨人の反対側まで到達する事ができたのだ。

 

視界が開け、右正横の山道上に巨人が屹立しているのが見える。

西住車に対しては側面を晒しており、絶好の好機だ。

 

 

「目標。右正横の敵脚部。弾種榴弾!」

 

西住が命じると同時に、砲塔と車体がそれぞれ右に旋回し、素早く射撃体制を整えた。

秋山が素早く榴弾を装填し、五十鈴が敵に狙いを定める。

 

「頼むぞ。五十鈴」

 

西住はぼそりと呟いた。

 

「発射」

 

という短い号令の刹那、鋭い砲声が西住の耳朶を打つ。

衝撃で車体が小刻みに揺れ、ピリピリと空気が振動する。

 

西住車が放った榴弾は、狙い余さず巨人の右膝を直撃した。

 

命中した瞬間に炸裂し、無数の細かい破片を撒き散らす。

 

巨人は、倒れこむ様にひざまづいた。

膝が地面と接触した瞬間、地面が大きく揺らいだ。

膝を粉砕されたのが効いているのだろう、この世のものとは思えない絶叫が上がる。

 

「撃ちまくれ!」

 

西住は叫んだ。

巨人は盾で自らの身を守りきれていない。

さらに、敵本体は榴弾で打撃を与えられるほど脆弱だ。

 

西住車だけでなく、共に左に回り込んだ僚車。右に回り込んだ三輌の一〇〇式中戦車も、立て続けに砲を咆哮させる。

 

盾に命中して弾かれる砲弾もあるが、一発が巨人の肩をえぐる。

 

右肩で小爆発が発生し、右腕がちぎり飛ばされた。

 

右手と片方の盾が、力なく地面に横たわり、巨人はカウンターパンチを喰らったボクサーのように大きく仰け反る。

 

五十鈴は一瞬の間を見逃さなかった。

 

仰け反った瞬間、姿を現した顔に向けて、軽く一射する。

 

放たれた一発の五十ミリ榴弾は、直線的な軌道を描きながら、巨人の顔面に直撃した。

 

顔面に命中した榴弾は、貫通して炸裂する。

内側から大きく引き裂かれ、首より上の三分の一が消失する。

 

八メートルほどもある巨人が、ピクリとも動かなくなり、顔から黒煙を吹き上げながらゆっくりと地面に倒れこむ。

 

地面がこれまで以上に動揺し、ズン!といった風の衝撃が西住を突き上げた。

 

 

「やった…か…」

 

西住は力なくそう言った。

 

力み過ぎ、身体中が痛い。

 

第一中隊は部隊の半数を失いつつも、深海棲艦の新型地上兵器を下した。

西住が耳をすますと、微かに砲声が聞こえてくる。

 

米軍の戦車部隊か、機動砲兵第二連隊か、はたまた二体目の巨人を相手取った第三中隊かはわからないが、依然、戦闘は続いているようだ。

 

「作戦はどうなったんでしょうね?」

 

五十鈴が心配そうに聞いてくる。

 

「そんなの、頓挫したに決まってんだろ」

 

西住はややイラつきを覚えながら言った。

 

今回の作戦は、周到な準備の上で行われたとは言えない。

たった数日前に決定されたという噂だ。

 

情報収集も完全ではなく、戦車第七連隊は先のような化け物と単独で戦う羽目になってしまったのだ。

 

反撃の機会が訪れた、と浮き足立っていた自分も自分だが、作戦自体が失敗したと言わざるおえなかった。

 

それを裏付けるように、通信士の武部が報告を上げる。

 

「『翁』より通信。作戦は破綻。各部隊は早急に退却せよ。とのことです」

 

「言わんこっちゃない」

 

武部の言葉に、西住は軽く首を振った。

五十鈴や秋山も、苦笑いを浮かべている。

 

「『般若一番』より『般若』全車。山道には出るな。各車極力密林を通過し、イースト・ラインまで後退せよ」

 

西住はレシーバーに言った。

 

「イースト・ラインまで後退せよ」は、かなりアバウトな内容だが、各車がバラバラになってしまった以上、各自の奮迅を祈るしかなかった。

 

当然、深海棲艦は追撃を仕掛けてくるだろう。

 

何輌の戦車が、三日間のBDや甲型戦闘機の追撃を振り切り、イースト・ラインに辿り着けるかわからない。

 

 

巨人は倒したが、戦いはまだ終わっていなかった。

 

 

 




遅れました!

違う高校に行った中学校時代の友達の同級生に、私の作品を毎回読んでくださっている方がいたという奇跡ね。

「マジか…世間って狭いな…」


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第三十一話 英東洋艦隊



あー、高校楽しい


9月12日

1

 

轟音が響き渡った。

 

同時に目がくらむほどの閃光が眼下に走り、基準排水量四万二千トンの巨艦が発砲の衝撃で小刻みに震える。

巨大な火焔が艦左側に噴き出し、海面にさざなみがたつ。

瞬時に闇が吹き払われ、周囲を固める巡洋艦や駆逐艦の姿を暗闇から浮かび上がらせた。

 

 

マレー半島西海岸の町・マラッカよりの方位200度十浬の海域だ。

 

左側にはマレー半島が見え、反対の右側には極東有数の油田があるスマトラ島が薄っすらと確認することができる。

日はとうに暮れており、右上方には三日月が輝いていた。

 

 

「解せん」

 

英東洋艦隊司令長官トーマス・フィリップス中将は、旗艦「プリンス・オブ・ウェールズ」の艦橋で、腕を組みながら呟いた。

 

 

「確かに…そうですね」

 

フィリップスの傍らに立つ男性ーー英東洋艦隊参謀長のアーサー・E・パリサー少将は同意するように頷く。

 

 

 

 

3月1日ーー深海棲艦襲撃の日ーーは英東洋艦隊にとって最悪の日となった。

当時、シンガポールのセレター軍港に停泊していた軽巡四隻、駆逐艦十三隻、哨戒艇六隻、駆潜艇二隻、輸送艦七隻は全てが深海棲艦の奇襲により撃沈、又は大破着底となり、たった一日で全戦力の三分の二が失われた。

 

東洋艦隊司令部やセレター軍港の設備も全滅し、イギリス海軍はマレー半島以東の制海権を失ってしまう。

 

残存艦隊はセイロン島のツリンコマリーに後退し、ベンガル湾に深海棲艦が進入しないか監視することしかできなくなってしまったのだ。

 

シンガポールに展開した深海棲艦水上部隊は多数の巡洋艦、駆逐艦でマラッカ海峡を封鎖し、マレー半島のコタバル、クアンタンに上陸した深海棲艦地上軍を艦砲射撃で援護し続けた。

アーサー・パーシバル極東陸軍司令官は再三にわたり敵艦隊の排除を東洋艦隊に要請したが、司令官が不在で、なおかつ生き残った艦艇が旧式軽巡二隻のみとあってはいかんせん難しい。

 

フィリップスをはじめとする新たな東洋艦隊司令部が着任するまで、この状況は続いた。

 

だが、大英帝国は手をこまねいていたわけではない。

 

多数の航空部隊、機甲部隊をインド方面から展開させてクラ地峡の戦線を支えると共に、本国艦隊、地中海艦隊から多数の艦艇を引き抜き、東洋艦隊の戦力を増強した。

 

その艦隊に至っては、3月1日以前の戦力の四倍以上にまで膨れ上がっている。

 

戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」を中心に、巡洋戦艦「フッド」、巡洋艦は重巡「ロンドン」「デヴォンシャー」「シュロップシャー」「サセックス」の四隻と、もともと東洋艦隊に配備されていたリアンダー級軽巡の「アキリーズ」「エイジャックス」の二隻、敷設巡洋艦の「アブデイール」「ラトナ」「マンクスマン」「ワルシュマン」の計十隻。駆逐艦は増援を含めて二十四隻を有している。

 

 

「プリンス・オブ・ウェールズ」は去年末から竣工し始めたキング・ジョージ五世級戦艦の二番艦であり、中世の城を連想させる、ガッシリとした艦橋を持つ最新鋭戦艦である。

四連装主砲を前部と後部に一基ずつ、前部に連装主砲一基、計十門。四連装と連装の混合という特殊な砲配置を採用しており、主砲口径も時代に逆行するように三十六センチ砲を装備している。

だが、一部の装甲は日本海軍のナガト・タイプよりも厚く、速力は二十八ノットと、巡洋戦艦に迫るものがある。

通信設備やレーダー、対空砲も最新型のものが搭載されており、英海軍では「四十センチ砲搭載艦と互角に渡り合える三十六センチ砲搭載艦」の評価を得ている。

 

「フッド」は、物見櫓を思わせる三脚マストが特有だ。

同艦は1920年就役とやや古い艦だが、長らく使いこなされたためベテランが数多く乗っている。

さらに1940年、ドイツがビスマルク級戦艦を竣工させるまで世界最大の軍艦であり、ロイヤル・ネイヴィーの象徴とも言える艦だ。

その洗礼された艦影は、「世界一美しい軍艦」とも言われており、英国民の人気も高い。

主砲は「プリンス・オブ・ウェールズ」よりも口径が大きい三十八センチ砲を八門。連装四基として搭載している。

速力は約二十九.五ノットであり、巡洋戦艦の名の通り機動力も遜色ない。

 

「プリンス・オブ・ウェールズ」の頼りになる戦友だった。

 

「ロンドン」「デヴォンシャー」「シュロップシャー」「サセックス」の四隻は、いずれもカウンティ級重巡の第二グループとして建造されたロンドン級重巡である。

二十.三センチ連装砲を前部と後部に二基ずつ、背負式に搭載しており、四基八門の火力を誇る。

さらに二基の五十三.五センチ四連装魚雷発射管を装備しており、魚雷戦にも対応が可能だ。

「プリンス・オブ・ウェールズ」や「フッド」には及ばないものの、その攻撃力は敵駆逐艦を圧倒し、リ級重巡洋艦やホ級軽巡洋艦、へ級軽巡洋艦などの優秀な深海棲艦巡洋艦に対しても互角に戦える力を有していた。

 

敷設巡洋艦の四隻は、いずれもアブディール級敷設巡洋艦である。

文字通り、機雷敷設を専門とした巡洋艦であり、敵泊地に対して敷設を強行する目的で設計・建造された。

危険を伴う任務であり、素早く離脱できるように速力は三十六ノットと駆逐艦並の高速を誇る。

本来は、東洋艦隊に配備される予定はなかったが、米アジア艦隊の要請で、就役している全てのアブディール級が東洋に集っていた。

 

 

今、この海域にいる艦艇群は東洋艦隊の全兵力ではない。

「プリンス・オブ・ウェールズ」「フッド」を中心に重巡「ロンドン」「サセックス」、駆逐艦十二隻と言う編成だった。

 

「プリンス・オブ・ウェールズ」の後方に「フッド」が位置し、二隻の重巡は左側に、十二隻の駆逐艦は六隻ずつに分かれて、これら四隻の左右に展開している。

 

 

「今日こーーー」

 

 

東洋艦隊首席参謀サイモン・ヘイワーズ大佐が何かを言いかけた時、「フッド」の雷鳴のような交互撃ち方の砲声が響き渡った。

 

後方から届いた真っ赤な光が周辺の海面を照らし、「プリンス・オブ・ウェールズ」の正面海域に自らの艦橋の影が伸びる。

 

現在、二隻の戦艦はマラッカに展開している敵地上軍に対して艦砲射撃を実施しているのだ。

射撃を開始してから十分も経っていないが、つねに二隻合計で三十発以上の三十六センチ、三十八センチ砲弾を叩き込んでいた。

 

「今日こそは現れると思いましたがね……深海棲艦が我々の艦砲射撃を見過ごすとは考えられませんが…」

 

砲撃の余韻画収まった時、ヘイワーズは首を傾げながら言う。

このように、会話は砲撃の合間合間を縫って進められていた。

 

マレー半島西海岸の敵地上軍に対しての艦砲射撃は、今回が初めてではない。

八月中と九月前半に、計三回の艦砲射撃を実施している。

 

東洋艦隊がマレー半島への艦砲射撃に難色を示していたのは、艦隊の増援が来る前までのことだ。

深海棲艦はマラッカ海峡を巡洋艦や駆逐艦のみで封鎖しており、戦艦は確認されていない。

マレーシアには飛行場姫も確認されておらず、「プリンンス・オブ・ウェールズ」「フッド」をもってすれば、多少強引に制海権を敵に握られている海域を進んでも大丈夫だ、と判断されたのだ。

 

仮に敵巡洋艦部隊が襲来しても、二隻の戦艦で一蹴できる。

 

 

 

だが、敵艦隊は現れなかった。

 

一回目だけでなく、二回目、三回目も敵艦隊は出現せず、マラッカ海峡を封鎖していた深海棲艦水上部隊は、味方地上軍が巨砲に蹂躙されるのを黙って見過ごしたのだ。

 

参謀の中には「戦艦二隻を前に、戦意を失ってしまったのではないか?」という意見も出たが、フィリップスはそうは思っていない。

 

逆に、不気味さを感じていた。

 

「プリンス・オブ・ウェールズ」が、何回目かの砲撃を実施する。

凄まじい発射炎が光り、轟音がフィリップスの鼓膜を振動させる。

 

今回の砲撃は今までと違っていた。

今までは第一砲塔と第三砲塔の一番、三番砲身と二番、四番砲身を、第二砲塔は一番砲身と二番砲身を交互に射撃しており、一回に発射される砲弾は五発だった。

だが、今回は十門全てを発射している。

 

「プリンス・オブ・ウェールズ」砲術長のヘンリー・ミラー中佐が、交互撃ち方が十分と判断し、全門斉射に移行したのだろう。

 

「敵艦隊は、我々の弾切れを狙っているのかもしれませんよ?…私が深海棲艦なら、そうします」

 

「プリンス・オブ・ウェールズ」艦長のジョン・リーチ大佐が口を開いた。

 

「ふむ…考えられる事だが、レーダーには味方しか写ってないし、常時セイルフィッシュが周囲を警戒している。マラッカがシンガポールから近いと言っても、艦隊が航空機とレーダーの網をすり抜けることは無理じゃないか?」

 

パリサーは、右手を横に振りながら言った。

 

セイルフィッシュとは、日本製零式水上観測機を英海軍が採用したものだ。

正式名称は「ミツビシ・セイルフィッシュMkⅠ」であり、体格が大きいイギリス人に合わせて、コクピット周りが大きくなっている。

性能が高く、英海軍水偵乗りからはとても良い評価を得ていた。

 

パリサーの言葉に、リーチは反論する。

 

「マラッカ海峡沿岸に張り付いて島を背にし、レーダーをごまかす可能性は十分あります。それに、哨戒中のセイルフィッシュは四機のみです。水偵搭乗員の目を疑うわけではありませんが、網をすり抜けることは考えられます」

 

「仮に出現しても、我々には本艦と『フッド』がいる。深海棲艦の巡洋艦なんぞ敵ではないさ」

 

パリサーが諭すように言うと、リーチはバツの悪そうな顔をして沈黙する。

 

「敵艦隊が来ないことに不信感を持つ事は分かるが、敵が来ないに越したことはない…。今回の艦砲射撃で敵地上軍を粉砕すれば、それだけ陸軍が助かるからな」

 

フィリップスはリーチを見て言った。

生徒に教授する教師のような口調だった。

 

「は、はぁ」

 

リーチは納得できていないようだったが、引き下がる。

 

この時、フィリップスの心中で考えていたことが現実味を帯びはじめていた。

 

敵艦隊は、もうシンガポールにいないのではないか?というものである。

深海棲艦は自らの領域に進入した敵に対して、過剰なほどの攻撃を加えてくることはフィリピンを巡る戦いからも読み取れる。

そう考えれば、東洋艦隊は深海棲艦からすれば攻撃して撃退すべき対象なのは間違いない。

 

だが、駆逐艦どころか潜水艦すら姿を現さない。

 

敵艦隊は、マレー防衛を放棄してしまったのかもしれない。

 

 

「もう、シンガポールに敵水上部隊はいないのかもな…」

 

フィリップスがそう言うと、参謀達の目がフィリップスに向く。

 

丁度その時、「プリンス・オブ・ウェールズ」が第二斉射を放った。

巨体を主砲発射の衝撃が貫き、艦橋に詰めている参謀達の顔が閃光で浮かび上がった。

 

「と、いいますと?」

 

パリサーが言葉を続けるように促してくる。

フィリップスは「これは…私がふと思ったんだが」と前置きしてか話し始めた。

 

「敵は、マレーを我々を食い止めるためだけに占領したのではないかな…?敵の航空兵力はルソン島のみにしか無いし、艦隊の規模も桁違いだ…敵はルソン島を守るためだけに、要は捨て石のような役割のためにマレーを占領したと思うんだよ」

 

フィリップスの言葉に、ヘイワーズが同意するように言う。

 

「なるほど…可能性はありますね。現に我々はマレーで深海棲艦に食い止められ、半年間フィリピンに対する作戦に参加できませんでしたから…しかし、敵艦隊が出現しない理由にはならないのでは?」

 

ヘイワーズの問いに、フィリップスは答えた。

 

「捨て石であるマレーに、艦隊戦力を割けないと判断したからだと思う。恐らく、第二次ルソン島沖海戦で失った艦の穴埋めとして、マニラに向かったんじゃないかな。深海棲艦はルソンに戦力の集中を行なっているのかも…」

 

それを聞いた参謀達はほぼ同時に頷いた。

 

「今私が言ったことはあくまで推測だ。敵艦隊が来る可能性がないわけでわない。周辺警戒は厳としとけよ」

 

 

フィリップスはそう言ったが、敵艦隊は現れなかった。

 

 

艦砲射撃は何にも妨げられることなく続けられ、「プリンス・オブ・ウェールズ」と「フッド」は百発以上の主砲弾をマラッカに叩き込む。

弾道を計算されて飛来した砲弾は、着弾するや、地中深くに食い入ってから炸裂する。

巨大な火柱が形成され、土砂が舞い上がった。

近くにいたBDが消失し、無数の肉片が四方にばら撒かれる。

 

十五秒毎に飛来する十発前後の巨弾は、木々を根こそぎ吹き飛ばし、地面に穴を穿ち、アスファルトを粉砕する。

 

正面装甲が硬く、無類の防御力を持つBDとはいえ、戦艦の砲弾を喰らって無事な道理がない。

着弾する毎に落ち葉のように空中を舞い、粉砕される。

二隻の戦艦は碁盤の目に撃ち込むように、満遍なく砲弾をばらまいていく。

 

二隻の巨艦は十回、二十回、三十回と砲撃を繰り返す。

 

 

砲撃は二時間に及んだ。

 

東洋艦隊は陸との距離を詰め、内陸の敵勢力も叩く。

今まで英国が受けた貸しを、今回の艦砲射撃で全て清算しようとしているかのようだ。

 

 

 

だが、それでも敵艦隊は現れなかった。

 

水上、地上の深海棲艦は一切反撃することなく、ひたすら砲撃を受け続けている。

 

敵は、不気味な沈黙を延々と続けていた。

 

 





やっとキング・ジョージ五世級を登場させることができた……

東洋艦隊にもこれから思う存分戦ってもらいますね!


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第三十二話 勇士参集

9000文字ぐらい書いてしまった…。


9月19日

1

 

「待たせたな……!」

 

第十六任務部隊(TF16)旗艦、空母「エンタープライズ」の艦橋に、無遠慮な大声が響いた。

艦橋で大声を上げられるのは迷惑なはずだが、艦橋要員は嫌な顔一つしない。それどころか、微笑を浮かべているものもいる。

 

それは、大声を発した人物が艦隊司令官であり、部下の心情を完全に把握しているからに他ならない。

 

 

TF16司令官ウィリアム・ハルゼー中将。

 

「猛牛」のあだ名で呼ばれ、合衆国海軍一の猛将だと知られる指揮官である。

好々爺とした外見に、相手のいない格闘家のような目つきをしており、ややとっつきにくく感じてしまうところもありそうだ。

だが、「空母部隊の指揮官になるなら、パイロットの身になって考えなければならないこともある」と思い、わざわざパイロット養成学校に入学するなど、部下思いの一面もある。

 

そしてパイロット資格を取ってしまうから驚きだ。

 

部下からの信頼も厚く、その存在はチェスター・ニミッツ大将(米太平洋艦隊司令長官)からも一目置かれている。

 

合衆国海軍は、この猛将に日本への増援部隊を託したのだ。

 

 

 

(レイには苦労をかけたな…)

 

正面に淡路島が見え始め、誘導の日本駆逐艦が姿を現した頃、ハルゼーは胸中で呟いた。

 

当初、日本に回航する部隊ーー第八任務部隊(TF8)ーーの司令官はハルゼーになる予定だった。

その優秀な艦隊指揮能力と、勇猛果敢な性格が、フィリピン奪還に役立つと考えられたからだ。

しかし、太平洋艦隊司令部から「待った」がかかる。

 

オアフ島真珠湾に司令部を置いていた前太平洋艦隊司令部は、3月1日に全滅しており、ハズバンド・キンメル前太平洋艦隊司令長官や、次席指揮官とされていたウィリアム・パイ中将は全員死亡してしまった。

そのため、前任からの引き継ぎがまったく出来ぬままに、ニミッツは太平洋艦隊を任されてしまったのだ。

 

優秀な現場指揮官も圧倒的に不足し、太平洋艦隊は危機的状況に陥ってしまう。

 

新生太平洋艦隊の最初の任務は、深海棲艦の攻撃から米西海岸を防衛することだった。

西海岸にはサンフランシスコ、ロサンゼルス、サンディエゴといったメガシティが点在し、数百万人の民間人が住んでいる。

 

ーー彼らをフィリピンの二の舞にしてはならない

 

と考えた太平洋艦隊は、残存艦艇で第九十九任務部隊(TF99)を編成し、西海岸に配備した。

そして、指揮官にハルゼーを指名したのだ。

 

ハルゼーは優秀な指揮官であり、胆力もある。

その力でこの状況を乗り切ろうと考えたのだ。

 

個人的にハルゼーは、極東の友軍をこの手で救い出したいと考えていたが、命令には逆らわなかった。

だが、自らの代わりにTF8司令官になる人物を指名することとなる。

 

それが、TF8の指揮下で第四巡洋艦戦隊の指揮を取っていたレイモンド・スプルーアンス少将だった。

 

物事をつぶさに観察して分析することに長け、冷静かつ的確な判断を下すことができる。

 

だが、その時は無名の少将であり、ニミッツは難色を示したが、ハルゼーの「彼ならやってくれる」の言葉を信じ、TF8司令官、強いては米アジア艦隊司令官に任命する。

 

その判断が正しかったは、ここ半年間に証明されていた。

 

一癖も二癖もある日本帝国海軍や、タイワンに派遣された陸軍戦略航空軍と協調し、フィリピンの深海棲艦と互角以上に渡り合っている。

 

ハルゼーはスプルーアンスとの再会を楽しみにしていた。

 

日本に到着すれば、ハルゼーは米アジア艦隊の一員として、スプルーアンスの指揮下で戦うこととなる。

スプルーアンスは少将、ハルゼーは中将。

上下関係が厳しい軍としては、良い傾向とは言えなかったが、ハルゼーはスプルーアンスの下でなら戦ってもいいと考えていた。

 

ハルゼーの脳裏に、スプルーアンスの顔が浮かび上がる。

 

現在の米アジア艦隊の戦力は、重巡「シカゴ」「アストレア」軽巡「フェラデルフィア」「フェニックス」「ボイジ」「サヴァンナ」中型空母「ハンプトン・ローズ」「ホワイトオーク」駆逐艦二十二隻。

 

今までに重巡二隻、軽巡一隻、駆逐艦十三隻を深海棲艦との戦闘で失っている。

 

ベーリング海経由のNシリーズ船団を護衛してきた部隊を、増援艦艇として編成に組み込み続けていたが、その戦力は貧弱であり、それらの増援でアジア艦隊が特別強力になるわけではなかった。

 

だが、ハルゼーはスプルーアンスを満足させれるだけの戦力を揃えられたと自負している。

 

今回の日本に対しての増援は、今までで最大規模だ。

TF16と、第十七任務部隊(TF17)第二十五任務部隊(TF25)の計三部隊を収めている。

TF16はヨークタウン級正規空母の「エンタープライズ」「ホーネット」と護衛の重巡洋艦二隻、駆逐艦十五隻という編成であり、TF17も「ヨークタウン」「ワスプ」に重巡洋艦二隻、駆逐艦十三隻という編成だ。

TF25は戦艦を中心とする水上砲戦部隊であり、戦艦「ノースカロライナ」と「ワシントン」「コロラド」「ウェーストバージニア」を中心に、軽巡洋艦二隻、駆逐艦八隻となっている。

 

ヨークタウン級空母は、1937年より順次竣工し始めた大型正規空母だ。

編成にもよるが、八十機〜九十機の航空機を搭載することができ、空母機動部隊の中核をなす存在である。

右側にアイランド型の艦橋を据えており、艦首から艦尾まで広大な飛行甲板が広がっていた。

威容は戦艦に及ばないが、航空機新時代にふさわしい精悍な姿を、海上に浮かべている。

同型艦の「ヨークタウン」「エンタープライズ」「ホーネット」は全てTF16、17の編成に組み込まれており、近々実施予定の大規模反攻作戦に参加する予定だった。

 

「ワスプ」はロンドン海軍軍縮条約の制限ギリギリのトン数で建造された中型空母だ。

中型空母と言っても、搭載機は七十六機を搭載することができ、日本海軍の「ヒリュウ」「ソウリュウ」の機数よりも多い。

さらにハンプトン・ローズ級中型空母の原型になっており、能力は他の空母と遜色ない。

TF17の指揮下に入っており、航空戦の一翼をになうことが期待されている。

 

「ノースカロライナ」と「ワシントン」は、合衆国海軍が満を持して送り出す新鋭戦艦だ。

ワシントン軍縮条約が失効した後に建造されたため、様々な新技術を盛り込んだ高性能艦として完成した。

新開発の機関を搭載し、最高速度は二十七ノットを記録。

主兵装は四十五口径四十センチ三連装砲を三基九門を搭載しており、タ級戦艦と互角の火力を誇る。

航空機に対応した両用砲や、世界初の射撃管制コンピュータが搭載され、新鋭戦艦に相応しい能力を手に入れていた。

艦影は従来の籠マストではなく、教会の尖塔のようなものに変化しており、空母同様、新時代の雰囲気を醸し出していた。

 

戦艦戦力の一翼をになう「コロラド」「ウェストバージニア」の二隻はコロラド級戦艦の一、三番艦である。

海軍休日では、世界に七隻しかいない四十センチ砲搭載艦であり、真珠湾攻撃で沈められた「メリーランド」、日本海軍の「ナガト」「ムツ」、イギリス海軍の「ネルソン」「ロドネー」と共に、世界のビックセブンと呼ばれた。

ノースカロライナ級戦艦の登場までは合衆国海軍最強の戦艦であり、同級登場の後も、四十センチ砲八門の大火力は貴重な戦力である。

半年間に渡ってTF99の主力を務めていたが、今回はTF25の指揮下に入っており、真珠湾に眠っている姉妹艦の雪辱を晴らすべく、反攻作戦に参加する予定だった。

 

 

ハルゼーがそんなことを考えているなどいざ知らず、TF16、17、25は紀伊海峡を通過し、淡路島をかすめ、瀬戸内海に進入する。

駆逐艦、巡洋艦、空母、戦艦の順で進み、点在する島を避けるようにして目的地に向かう。

 

ハルゼーは周囲を見渡した。

 

心地よい海風が肌を撫で、点在する小島の緑と海の蒼色の組み合わせが美しい。

夏らしい日差しが照りつけ、海面は宝石のように輝いている。

遠方の空と地の境界線には山々の連なりが見え、それもまた綺麗で、とても幻想的な風景だった。

 

 

 

ーー日本駆逐艦に先導されて進むこと三十分。

 

 

三つの任務部隊は、柱島泊地に到着した。

 

小型艦、中型艦、大型艦別の錨地に誘導され、機械的な音響とともに錨を下ろす。

 

アンカレッジを出港して十日。

 

計五十隻の大艦隊は、一隻の落伍艦も無しに、目的地にたどり着くことができたのだ。

ハルゼーは、ひとまずそのことを喜びたかった。

 

柱島泊地は日本帝国海軍が内地に持つ泊地の中で最大だ。

連合艦隊司令部も位置しており、合衆国で言うところのサンディエゴか、真珠湾である。

 

当然のごとく、先客として多数の艦艇が停泊してた。

 

戦艦は十隻が舳先を並べており、空母や巡洋艦、駆逐艦などの艦をも合わせると百隻を優に超える。

戦艦は、日本特有のパゴダマストを天に向けて屹立させており、さながらマンハッタンの摩天楼を見ているようだ。

ビッグセブンの一員である「ナガト」「ムツ」、ニューメキシコ級戦艦、テネシー級戦艦のライバルと言えるイセ・タイプやフソウ・タイプ、最大速度ならノースカロライナ級すら上回るコンゴウ・タイプなどの日本戦艦が勢揃いだ。

空母、巡洋艦も「アカギ」「カガ」やショウカク・タイプ、ミョウコウ・タイプやモガミ・タイプ、トネ・タイプなどが、錨を下ろしている。

少将旗を掲げている「シカゴ」も停泊しており、米アジア艦隊のマニラに変わる母港でもあった。

 

日本海軍艦艇識別表に掲載されている主力艦のほとんどが、ここ柱島泊地に集結しており、大規模反攻作戦が近いことを否応にも伝えてる。

 

いや、一隻だけ合衆国海軍の識別表に載っておらず、他の艦に比べて異彩を放っている艦がいた。

 

隣に停泊しているナガト・タイプが、巡洋艦に見えてしまうほどの巨艦だ。

長さ、太さ共に比べ物にならない。

艦橋は日本海軍伝統のパゴダマストではなく、かなりスッキリとした印象を受ける。

上部構造物は中央よりやや後ろにまとまって配されており、主砲も他の日本戦艦では類を見ない三連装砲だ。

 

日本海軍も、合衆国海軍のノースカロライナ級戦艦と同じく、軍縮条約開けの新鋭戦艦を建造したようだ。

 

「あれが、『ヤマト』か…」

 

ハルゼーは、そう独り言ちた。

 

日本海軍からの事前情報で、ハルゼーは事前に「ヤマト」の存在を把握していたが、実物を見るのはこれが初めてだ。

ぶっちゃけ言って、ノースカロライナ級よりも力強く見える。

 

その容姿は、大日本帝国海軍がいかに精強で、いかに頼りになる味方かを、合衆国海軍全将兵に語りかけるかのようだった。

 

数秒間「ヤマト」を見続けたハルゼーは、頭を切り替えると、振り向いてこう言った。

 

「では諸君。行こうか」

 

それを聞いて、参謀長マイルズ・ブローニング中佐を初めとするTF16司令部の参謀たちが、一斉に頷いた。

 

 

2

 

二十分後、呉鎮守府内の第四会議室には、室内一杯に将校が集まっていた。

六つある窓は全て開けられており、計三台の扇風機が回っていたが、9月の残暑とこの人口密度の中では、なんら意味をなしていない。

 

風巻康夫GF首席参謀は、扇子で自をあおぎたい衝動を抑えつつ、室内を見渡した。

 

第四会議室は呉鎮守府にある会議室で、もっとも大きいはずだが、席に座りきれずに立っているものもいる。

だが、予定の人物は全員集まったようだ。

 

レイモンド・スプルーアンス少将を始めとする米アジア艦隊司令部、米増援部隊の総指揮を取っていたウィリアム・ハルゼー中将らTF16司令部、フランク・J・フレッチャー少将らTF17司令部、台湾に展開しているカール・スパーツ中将ら第八航空軍(8AF)司令部、日本海軍第一艦隊の高須四郎(たかす しろう)司令官ら司令部要員、第十一航空艦隊の塚原二四三(つかはら にしぞう)司令官ら司令部要員、第一航空艦隊の南雲忠一(なぐも ちゅういち)中将ら司令部要員、カーキ色の軍服を着た日本陸軍第五飛行集団の小畑英良(おばた ひでよし)中将ら幕僚たちが顔を揃えている。

その他にも、英東洋艦隊の連絡員として、同参謀長のアーサー・E・パリサー少将や、三和義勇GF作戦参謀、宇垣纒GF参謀長なども列席していた。

いずれも今回の作戦に参加する部隊の幕僚たちだ。

 

傍らに座る山本五十六GF司令長官と目が合うと、山本は軽く頷いたため、風巻はGOサインが出たと判断し、書類を左手に、指揮棒を右手に持って立ち上がった。

会議室の壁に立てかけられている黒板の前まで歩く過程で、ざわざわしていた会議室が静まり返り、全員の目が風巻に向く。

 

「今回の作戦の決行日は、10月6日に決定されました。作戦名は“KD”作戦です」

 

風巻は、開口一番そう英語で言った。

極東(Kyokutou)打通(Datuu)のKとDを取って、“KD”作戦。

今日は9月19日だから、作戦発動日は約二週間後だ。

作戦内容を部隊内に行き渡らせ、最終調整するには十分な時間であろう。

 

「ここにいる全員は当然承知していると思いますが、今回の作戦が失敗して南方航路を復活できなかった場合、国内備蓄の重油が底をつき、陸海軍関係なく全ての兵器が使用不能になります。よって、戦略目標を忠実に、正確に、完璧に達成していただきたい」

 

風巻はそう言って、傍に立つ従兵に顎で示した。

二人の従兵は、磁石を使って二つの大きな紙を黒板に貼り付ける。

一つは東はハワイ、西はシンガポールまで、太平洋の西半分が網羅された地図。

もう一つは台湾南部から南東シナ海、バジー海峡、フィリピン全土を網羅された地図だ。

後者は、前者よりもフィリピンの締める割合が大きかった。

 

「作戦は、言わば“極東打通”を戦略目標の根幹に据えています。目標はあくまで南方油田地帯との航路復活であり、フィリピンの奪還ではありません。極東の制空権、制海権の奪還が第一目標です」

 

そう言った瞬間、ハルゼーの眉毛がピクリと動いたような気がしたが、風巻は意に返さない。

ここで一息つき、指揮棒を後者の地図上のマニラ湾に向けた。

 

「極東の深海棲艦海上兵力は、ここ、マニラ湾に集中しています。配布した資料にも載ってると思いますが、タ級戦艦二隻を含む戦艦五隻、巡洋艦はリ級やホ級、ヘ級を合わせて十隻、駆逐艦は三十隻以上が停泊していることが確認されています。潜水艦の数は判明していませんが、二、三十隻は展開していると見て良いでしょう」

 

マニラ湾には、敵艦隊を示す赤い磁石が貼り付けてあった。

 

敵艦隊は、かなり厄介な存在になるだろう。

極東の制海権を奪取するには、全てを敵艦を戦闘不能にしなければならないからだ。

 

「続いて敵航空兵力についてです。飛行場姫は、ここと…ここと、ここ。計三ヶ所が確認されています。中でも、最大規模の大きさを持つのは、クラーク・フィールド飛行場姫です。推定五百機の甲型戦闘機、乙型爆撃機が展開しており、敵航空兵力の約半分を占めています。他の二ヶ所も、二百五十機以上の航空機を有していると見られており、同地の制空権を奪取するには、初戦で潰しておく必要があります」

 

風巻は、タンタンタンと三ヶ所の飛行場姫がある場所を交互に指揮棒で叩き、そう言った。

クラーク・フィールド飛行場姫、イバ飛行場姫、バレル飛行場姫の三ヶ所には、敵飛行場を示す赤い飛行機マークの磁石が貼り付けてある。

合計で、約千機。

全ての飛行場姫を使用不能にするのは、骨が折れそうだ。

 

「それと…」と風巻は言葉を続ける。

 

「マニラ中心街に発見された深海棲艦の巨大構造物ーー通称『南方棲鬼』ーーですが、我が国の研究機関の分析によると、深海棲艦のエネルギー精製施設である可能性が高いという結論に至りました。まだ確実な情報ではありませんが、75%の確率でそうだと判断することができます」

 

風巻がそう言うと、間髪入れずに一航艦司令長官の南雲が手を挙げた。

風巻の発言内容で、疑問に思うところがあったのだろう。

 

「その、南方棲鬼……だが、どのような根拠で、深海棲艦のエネルギー精製施設だと判断したのか?」

 

風巻はその問いをある程度予想していた。南雲の言葉が耳に届くや、ある人物に目配せをする。

 

「それについては、私からお伝えします」

 

風巻に劣らない流暢な英語が、会議室に響いた。

深海棲艦戦略情報研究所の所長である山口文次郎(やまざき ぶんじろう)大佐だ。

長らく対米諜報を担当する軍令部第三部五課の課長を務めており、3月8日以来では、新たに設立された深戦研の所長に収まっている。

情報分析のプロであり、技術士官や科学者などの部下の掌握にも長けている。

謎が多い深海棲艦と戦うには、情報の面で必要不可欠な人物だった。

 

「南方棲鬼が敵のエネルギー精製施設だと判断される根拠は、二つあります。第一の理由は、構造物の発光現象と発熱現象です。複数回の偵察で得た航空写真を分析した結果、南方棲鬼は常時閃光と水蒸気を放出していることが確認されています。これらの原因は、なんらかのエネルギーが棲鬼内で精製される際に、完全に変化し切れないものが具現化し、構造物表面に光と熱として発生したと思われます。使い続けて熱を持ったバッテリーを想像して頂ければわかりやすいかも知れません。続いて第二の理由です。南方棲鬼のような巨大構造物は、マニラ以外に真珠湾でも確認されています。二つの棲鬼に共通することは、巨大構造物周辺の海水が黒く汚染されている、ということです。マニラ周辺の海水は我が軍の伊162が採取し、ハワイ周辺の海水は貴国海軍の潜水艦が採取しました。二つの海水を長時間かけて慎重に分析した結果、台湾に不時着した深海棲航空機の内部から検出された液体と、全く同じ性質を持つことが判明しました。我々はこの液体が深海棲艦の動力源ーーすなわち燃料だと見ています。以上のことをふーー」

 

「ちょ、ちょっと待て」

 

やや荒い声を上げて、ハルゼーが山口の言葉を遮った。

 

「じゃあ、お前らは深海棲艦が燃料を垂れ流しにして、マニラやハワイの海を汚染させていると言いたいのか?…サンタアナ沖海戦ーー第二次ルソン島沖海戦の米軍呼称ーーの戦闘詳報(バトルレポート)は読んだが、深海棲艦が自らの大切な動力源である燃料を海に捨てるほど、バカだとは思えん」

 

「深海棲艦が汚染目的で行っているかは不明ですが、重要なのは台湾に不時着した敵機、八十九機を全て分析した結果、マニラやハワイ周辺の海水と類似した性質の液体を内部に保持している、という事実です」

 

その時、ハルゼーは失望したかのように首を横に振り、大きくため息をついた。

 

「それのみでは、その液体が燃料である、と思う判断材料が不足しているのではないかな?」

 

「そうです。不足しています」

 

ハルゼーの指摘を、山口はあっさりと認めた。

何人かの幕僚が「は?」と言った風の顔をして、山口を見る。

 

山口は咳払いを一つしてから、話を進めた。

 

「先ほど、風巻参謀が言ったように、この判断が正しい確率は75%です。実物を調査しなければ確証は得られません。ですが…もし南方棲鬼が極東深海棲艦の燃料を一身で賄っているエネルギー精製施設だとすれば、深海棲艦の弱点はそこです」

 

山口は、ここで一旦言葉を切る。

 

「…南方棲鬼を潰すことによって、深海棲艦の兵器を燃料不足で行動不能に陥らせることができるかもしれません。人類のマニラ偵察に、深海棲艦が過激なほどの反応を示したのも、彼らにとっての重要施設があったから、という考え方もできます」

 

ハルゼーは、なおも何かを言おうとしていたが、三和が覆いかぶさるように発言する。

 

「我々もバカではありません。攻撃目標は敵艦隊と飛行場姫であり、南方棲鬼の優先順位はその次です。確かに、南方棲鬼を破壊して、極東の深海棲艦を行動不能にすることができれば、それに越したことはありませんが、日本海軍はそんなに楽観主義ではありませんよ…南方棲鬼の攻撃は、言わば保険ですね」

 

それを聞いたハルゼーは、安心したようにゆっくりと頷いて、席についた。

 

「さて…話がずれましたが、“KD”作戦の概要について説明します」

 

風巻はハルゼーが着席するのを見計らってから、そう言った。

 

「作戦は二つの段階に分かれています。第一段階、10月6日夜明けと同時に、台湾の8AF、十一航艦、五飛団の基地航空部隊と、第一航空艦隊、TF16、TF17の空母機動部隊から同時に攻撃隊が発進。三ヶ所の飛行場姫を覆滅し、フィリピンの制空権を奪還します。第二段階、米アジア艦隊は、制空権争奪戦の最中に南シナ海上で英東洋艦隊と合流し、マニラの西方九十浬で敵艦隊に備えながら待機。6日夜半に東進してマニラの敵艦隊と決戦、しかるのちに撃滅します。南方棲鬼の攻撃は、それら全てが完全に終了した場合、余力があれば行ってもらいたいと考えております。なお、作戦中、第一艦隊は予備兵力として佐世保で待機。深海棲艦太平洋艦隊の本土攻撃、フィリピン救援という万が一に備えていただきます」

 

ハワイに十隻前後の大型艦を中心とする敵艦隊が存在していることは、数ヶ月前から確認されている。

第一艦隊の戦艦七隻は、その艦隊の備えとして佐世保で待機するのだ。

 

一息で言い切った風巻は、書類を閉じ、指揮棒を下ろす。

 

「以上のことが、極東の深海棲艦兵力と“KD”作戦の全容です。詳細が書かれた書類は、ブリーフィング終了後に配布されます。何か質問のある方はいますか?」

 

そう言い、風巻は会議室内を見渡した。

質問する人も、挙手する人もいない。

 

それを確認すると、書類を整理してから自らの席に戻る。

 

「諸君」

 

心に刻まれそうな、重い、そしてよく響く声で、山本が口を開いた。

 

「“KD”作戦の成否には、日本の命運がかかっている。資源枯渇のタイムリミットまでは時間が少なく、作戦実施のチャンスは一回だけだ。まさに、『背水の陣』と言ってもいい。“皇国ノ興廃、コノ一戦二アリ”の言葉は誇張ではなく、この現在の状況に当てはまるであろう……。決して楽じゃない戦いになることが予想されるが、各員の骨を粉にした奮戦を期待する!」

 

 

 

 

 

 




役者は揃った!準備完了!って感じですかね〜

感想待っとりますん


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第三十三話 負けられない戦い



いよいよ人類と深海棲艦の「決戦」です。


9月30日

 

1

 

アメリカ合衆国海軍潜水艦「グランパス」艦長エドワード・S・ハッチソン少佐の目覚めは最悪だった。

 

目を開けた瞬間、夜光灯の赤色の光に照らされた天井が視界に入り、一気に頭痛が襲ってくる。

「グランパス」が海底に鎮座し始めて四日、艦内の酸素が薄くなっている証拠であろう。

軽い高山病にかかっているかのようだ。

同時に、ムッとした熱気と湿気を感覚として感じ、体全体が汗でべっとりとしている。

 

ハッチソンは、そんな不快感に耐えながら、枕元の時計を見やった。

 

午前2時32分。

 

当直交代まで一時間半ほどある。

ハッチソンは体内時計がしっかりしてる方であり、今まで予定の時間に起きれてきたが、今日はなぜか早く起きてしまったようだ。

 

ぼんやりとする意識の中で、自分の名を呼ぶ声がする。

 

「艦……起き………さ…」

 

ハッチソンは、ゆっくりと上半身を起こし、頭を掻いた。

潜水艦で唯一の一人部屋。艦長室を見渡し、目が徐々に覚めてくるのを実感する。

 

「エドワード艦長。起きてください…真珠湾に動きです!」

 

「グランパス」航海長サムウェル・トーマス大尉の大声が、伝声管を通じて聞こえてくる。

目が覚めたのは、トーマスの声が聞こえたからだろう。

 

だが、「真珠湾に動き」の言葉を聞いて、ハッチソンの目は電気が走ったように、完全に覚めた。

 

素早く簡易ベットから降り、壁に掛けてあった制帽をかぶる。

個人デスクの上にある家族の写真を一瞥し、ハッチソンはドアノブに手を掛け、勢い良く開けた。

 

バン!といった音と共に、完全に開ききる前にドアが止まる。

 

「…?」

 

ハッチソンが不審に思いながら、半分くらい開いたドアの隙間から外を見ると、一人の男性がおでこを抑えて悶絶していた。

下から顔を伺うと、「グランパス」水雷長のアーチボルト・アーサー大尉のようだ。

艦長が中々返事をしないから、部屋まで来てくれたらしい。

 

どうやら、ノックをしようとした時に、勢いよくドアが開いて、おでこを強打してしまったようだ。

 

「あ…艦長。至急、発令所へ」

 

アーサーは、赤い顔で、おでこをさすりながら言った。

潜水艦の通路は狭いため、こういうことはよくあることである。

 

「あ、ああ。わかった」

 

ハッチソンは冷静を装って返答したが、笑いを堪えているのはアーサーにバレてしまっていた。

 

 

二人の士官は、潜水艦の狭い通路を、発令所に向かって大股で歩いて行く。

「グランパス」に与えられた任務は、真珠湾に停泊する深海棲艦太平洋艦隊の監視だ。

現在は、真珠湾南西二十二浬、深度四十三メートルの海底に鎮座している。

海底に鎮座し始めて四日経つが、それ以前も浮上と鎮座を繰り返して深海棲艦の情報収集に努めてきた。

真珠湾周辺の警戒態勢は厳重で、何隻もの味方潜水艦が撃沈されていたが、「グランパス」は、何度も死線をくぐって生き残ってきた。

 

そして、酸素が少ない艦内で、劣悪な環境で、地道に耐えてきた努力が報われる時が来たのかもしれないのだ。

 

艦長室と同じように、赤い夜行灯に照らされた通路を、ひたすら歩く。

発令所と艦長室は、比較的近い位置に作られている。

二、三個の隔壁をまたがり、電池室の脇を通過すれば、直ぐに発令所だ。

 

発令所に入ると、トーマスが直立不動の態勢でハッチソンを迎える。

 

「アーサー、そのおでこはどうしたんだ?」

 

ハッチソンに続いて入室したアーサーを見るや、トーマスは破顔して言った。

 

「あぁ…それはだな…」

 

「航海長…艦長に報告を!」

 

ハッチソンは、アーサーの現状をトーマスに説明しようとしたのだが、アーサーは目にも留まらぬ速さでハッチソンの言葉を遮った。

 

ちらっとアーサーを見ると、ブン!ブン!と、音が出そうなほどに首を横に振っている。

 

部下の心情を理解できない艦長ではない。

 

 

とすれば、取るべき行動は一つ…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「私がドアを勢い良く開けて、アーサーのおでこに強打してしまったのだよ。まったく…すまないことをした」

 

ハッチソンは肩をすくめて、まるで失敗した友人に同情する少年のように、そう言い放った。

 

それを聞いて、発令所に詰めていた水兵たちの間で笑いが起こる。

だが、悪意ある笑い声ではない。

どこか、温かみのある笑い方だった。

 

アーサーも、おでこをさすりながらニコリと笑う。

 

 

ーー緊張状態のままずっと潜っていたら、体が持たない。

その点、ハッチソンの「グランパス」は和気あいあいとしており、高い士気を保っている。

そもそも、潜水艦は狭い艦内で長時間の共同生活をするため、乗組員の間で強い一体感が生まれるものなのだ。

 

「さて、現状報告を」

 

ハッチソンは笑いを消し、トーマスに質問する。

 

「四分前、ソナーに反応がありました。方位23度、距離は約二十浬。水測員が言うには、大型艦五隻以上を含むようです」

 

トーマスは淀みなく言う。

 

「深海棲艦め…いよいよ動き始めたか」

 

ハッチソンはアーサーと顔を見合わせ、ぼそりと呟いた。

 

方位23度は、深海棲艦の拠点がある真珠湾がある方向である。

それに、今までソナーに反応がある事はあったが、駆逐艦数隻程度が関の山だった。

だが、水測員が聞いた海中のスクリュー音は、多数の大型艦ーー恐らく複数のル級戦艦ーーが発するほどの大音響らしい。

 

「ソナーより発令所。推進音接近。約三十〜四十隻と推定」

 

ソナー室で、海中の音に耳を澄ましているバーナード・ハインケル軍曹が、伝声管を通じて報告を上げる。

 

ドイツ系移民二世の若い水兵だ。

祖父が、Uボートの元艦長で世界大戦を戦ったらしいが、真相は定かではない。

いずれにしろ、ハインケルの研ぎ澄まされた聴覚が、深海棲艦の動向を完全に掴んでいることは確かだった。

 

やがて、ソナーを通さずにも、ハッチモンの耳に推進音が聞こえてくる。

やや涼しみを感じるような、上から覆いかぶさってくるような、そうゆう音ーー多数の艦艇のスクリューが、海面を攪拌する音だ。

敵艦隊から発せられた音の波動が、海底に鎮座している「グランパス」の外郭を叩き、全長九十四メートル、水中基準排水量二千三百七十トンの艦体を、微かに揺らす。

 

ハッチモンは、ゆっくりと頭上を見上げた。

視線の先には「グランパス」の天井しか見えないが、ハッチモンの心眼は、はっきりと海上の敵艦隊を捉えている。

 

ゆっくりと、だが確実に、真珠湾を出港した敵艦隊は、「グランパス」に接近して来ていた。

 

(やはり、奴らの目的は極東か…?)

 

ハッチモンは、そう心の中で呟いた。

 

敵艦隊の針路は、西である。

西には、戦局の焦点になっているフィリピンや、タイワン、マレーなどが位置している。

敵艦隊がそこに向かおうとしているのは、自明の理だ。

 

敵艦隊の推進音は、「グランパス」の右前方から、頭上を通過し、左後方へと抜ける。

 

ピーク時は、かなりの音量だったが、ゆっくりと小さくなっていき、やがて消える。

 

ハインケルの耳には聞こえていると思われるが、ソナーを介さないハッチモン達の耳には、静粛が広がっていく。

 

 

 

「ソナーより発令所。推進音失探。最終方位210度」

 

十五分後、ハインケルが発令所に報告を上げた。

 

アーサーとトーマスが、ハッチモンを見る。

ハッチモンは、重々しい声で言った。

 

 

「二時間後に浮上。敵太平洋艦隊の出撃を、日本海軍に通報する」

 

 

 

 

2

 

「一番来て欲しくない奴が、一番来て欲しくない時に来た。って感じですね」

 

右目に眼帯をしている男ーーー戦艦「日向」砲術長寺崎文雄中佐は、「日向」艦長橋本信太郎大佐に、そう話しかけた。

 

「そうだな…願わくば、第一艦隊が出撃せずに済んで欲しかったがね」

 

橋本は、バツの悪そうな顔をしながら、そう返す。

 

二人がいるのは「日向」艦橋だ。

艦橋から見渡すと、第一艦隊が停泊している佐世保湾港を一望することができ、同時に、出航作業に勤しんでいる各艦の姿を捉えることができた。

 

今日の日付は10月1日。

真珠湾を監視していた潜水艦からの電文が届いてから、一日が経過している。

佐世保の第一艦隊は、常時臨戦態勢で待機していたこともあり、あと三十分以内には出撃できる手はずだった。

 

「しかし…“KD”作戦の実施五日前に来るなんて…タイミングが悪いにも程がありますよ」

 

「日向」航海長の野沢雄大(のざわ ゆうだい)中佐が、口を開く。

出航準備を全て終わらせ、艦橋に上がってきたようだ。

 

「これで、フィリピンと太平洋の二方面の敵を相手取ることになってしまったからな…確かに、最悪だ」

 

寺崎は言った。

 

“KD”作戦の実施日は、10月6日。

すでに第一航空艦隊と第十六任務部隊はパラオに、米アジア艦隊と第十七任務部隊は沖縄県の中城湾に、それぞれ待機しており、台湾でも第八航空軍、第十一航空艦隊、第五飛行集団が出撃準備を続けている。

他にも、英東洋艦隊がマラッカ海峡で待機中だ。

 

真珠湾から出撃した敵太平洋艦隊を邀撃するのは、第一艦隊のみとなる。

連合艦隊司令部は、できる限りの艦艇を第一艦隊に加えてくれたが、敵艦隊が十隻前後の戦艦を有する以上、勝負は五分五分だろう。

いや、その戦艦群の内容にもよる。

全艦がル級戦艦ならまだしも、全てがタ級戦艦なら、「大和」がいるとはいえ、勝率は七分三分ぐらいになってしまうだろう。

 

それに、第一艦隊が敗北し、敵太平洋艦隊の阻止に失敗した場合。敵太平洋艦隊がフィリピン救援に駆けつけ、“KD”作戦が頓挫する可能性がある。

そうはならなくとも、日本本土に急接近し、沿岸部に艦砲射撃を実施するかもしれないのだ。

 

日本の命運を左右するのは、あくまで“KD”作戦の成否だが、第一艦隊の勝敗も十分に重要だ。

気を引き締めてかからなければ、日本は亡国の道を辿ることとなる。

 

「まぁ、軍人冥利に尽きることこの上ないがな」

 

橋本は、口端を吊り上げながら言った。

その言葉に、寺崎と野沢は力強く頷く。

 

大日本帝国には、後がない。

石油を初めとする戦略資源は底をつきかけており、“KD”作戦に失敗してしまったら、日本が誇る軍艦や航空機、戦車は一切動かなくなってしまうのだ。

状況は、日露戦争時の日本よりも厳しい。

その戦争の際、負けたら帝政ロシアの属国となるのが関の山だったが、今回の敵艦隊迎撃に失敗すれば、最終的に「日本」という国そのものが滅びるかもしれないのだ。

 

そのような危機的状況にあるだけに、軍人として一世一代の大仕事になる。

そのような一大決戦に参加できる喜びは、他のどんなものにも代え難いものがあった。

 

それに対して、野沢が何か言おうとした時、見張員の声が艦橋内に響いた。

 

「三水戦、四水戦。出航開始します」

 

それを聞いて、寺崎は左手につけた腕時計を見やる。

11時56分。

予定より四分早いが、第一艦隊司令部は出撃を命じたらしい。

 

「さて…会話は終わりだ。出撃といこう」

 

 

ーー第三水雷戦隊の軽巡洋艦「鬼怒」と駆逐艦十四隻、第四水雷戦隊の軽巡洋艦「那珂」と駆逐艦十二隻の出撃は、十五分程で終了する。

 

小型艦は佐世保湾口周辺に停泊するように決められているため、艦艇数の多さの割に、早く出航することができるのだ。

 

第三水雷戦隊は、半年前の第一次ルソン島沖海戦に参加しており、旗艦「川内」を始めとする艦艇三隻を失っていたが、旗艦を「鬼怒」に変えて二度目の戦いに挑もうとしていた。

 

 

軽巡二隻、駆逐艦二十六隻に続いて出撃するのは、第五、第七、第八戦隊の巡洋艦部隊である。

 

第七戦隊の大型軽巡「最上」「三隈」「熊野」「鈴谷」の四隻が一足早く湾外に踊り出し、第五戦隊の重巡「妙高」「羽黒」、第八戦隊第二小隊の大型軽巡「五ヶ瀬」「天塩」が続く。

海戦時は、深海棲艦巡洋艦部隊を牽制し、戦艦同士の砲戦に介入させない役割を担う部隊であり、戦艦部隊の露払いと言える。

 

なお、合計八隻の巡洋艦は、第七戦隊司令長官の栗田健夫(くりた たけお)少将が統一指揮を取ることになっていた。

 

次の出撃は、第二航空戦隊と「千代田」の番だ。

空母「飛龍」「蒼龍」「龍驤」、水上機母艦「千代田」の順で、湾外を目指す。

 

第二航空戦隊の当初の配備先は、第一航空艦隊だった。

だが、敵艦隊への航空攻撃、対潜哨戒、索敵のために臨時に第一艦隊の指揮下に編入されている。

多数の艦上機や水上機を有しており、水上砲戦部隊を着弾観測などでサポートする予定だった。

 

 

続いては、いよいよ艦隊主力の出撃だ。

 

「第一戦隊。出航します!」

 

艦橋見張員が、やや興奮気味の声で報告する。

それを聞いて、寺崎はちらっと「日向」の左前方を見やった。

 

世界に一隻しかいない四十六センチ砲搭載戦艦と、日本海軍が二隻しか保有していない四十センチ砲搭載戦艦ーー「大和」「長門」「陸奥」の三隻が、にわかに動き出す。

煙突から黒煙を上げながら、三隻は錨を巻き上げ、ゆっくりと湾口へと向かう。

 

「大和」には、旭日旗の他に中将旗もたなびいており、第一艦隊司令官高須四郎(たかす しろう)中将が座乗しているのが分かった。

 

 

「『伊勢』より発光信号。『第二戦隊、順次出航セヨ。我二続ケ』」

 

第二戦隊旗艦、戦艦「伊勢」から発光信号が送られて来る。

 

「錨上げ」

 

とのみ、橋本は命じた。

 

「日向」の位置関係は、前方に「伊勢」がおり、後方に「扶桑」「山城」が位置している。

「伊勢」がある程度進まなければ、衝突してしまうかもしれないのだ。

 

正面に見える「伊勢」の艦尾が激しく泡立ち、海上の城とも言える巨大な艦影が、徐々に「日向」から離れる。

 

「微速前進」

 

「了解。機関、微速前進!」

 

橋本の命令を、野沢が素早く復唱し、実行した。

足の裏を通じて艦の鼓動を感じ、唸りを上げた機関音が耳に届き始める。

若干の差を開けて「日向」は前進を開始した。

 

正面には「大和」「長門」「陸奥」「伊勢」の力強い後ろ姿が見え、「日向」もその単縦陣に加わる。

 

「『扶桑』『山城』本艦に後続します!」

 

 

ーー第一艦隊の出撃艦艇は、以上で全てだ。

 

戦艦七隻、重巡二隻、軽巡八隻、空母三隻、駆逐艦二十六隻、水上機母艦一隻。

 

合計で四十七隻。

 

第一航空艦隊や米アジア艦隊に配備されている日本艦艇を除くと、ほぼ全ての手駒だ。

同時に、残存する重油で出撃できる全ての艦艇である。

 

これで、日本全国の石油備蓄は、底をついた。

 

敵太平洋艦隊の邀撃、その先にある“KD”作戦、どちらか一方でも失敗したら日本は破滅だ。

第一艦隊を待つのは「修羅の道」、だがその道を歩まなければ、日本に、強いては人類に未来は無い。

 

 

寺崎は、自分の右目に触れた。

黒い眼帯に覆われており、触れた感覚がない。

第一次ルソン島沖海戦で、破片を喰らい、眼球を潰されたのだ。

 

深海棲艦につけられた、一生残る傷だ。

 

 

傷跡に触れ、この一身に変えても敵艦隊を壊滅させると誓う。

 

第一次ルソン島沖海戦で戦死した高橋伊望元帥の仇を打ち、同海戦で沈んだ、自らの前の乗艦ーー「足柄」の無念を晴らす。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「足柄」艦橋で見た、あの少女のためにも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





いよいよ第一艦隊が戦います!



一応、捕捉させてもらいますと、最上型も、利根型と同じ理由15.5センチ砲を搭載していて、「軽巡」の部類に入っています!


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第三十四話 西部太平洋海戦

ふむふむ、完全に不定期更新だな…。


1

 

第一艦隊はルソン島のよりの方位80度八百二十浬の海域(フィリピン海のほぼ中央)で、10月5日の夜明けを迎えた。

第一艦隊の針路は真東であり、正面の水平線に朝日が顔を覗かせ始める。

顔を出した太陽は、瞬く間に天空へと昇り、暗闇から紫紺へと空の色を変えてゆく。

 

赤道近くでの、特徴的な朝だ。

 

昼と夜の境目がとても短く、すぐに昼間のような暴力的なまでの日光が照りつけ始める。

「大和」に陣取る第一艦隊司令部は、すでに幕僚達全員が艦橋に集合しており、今日にも会敵するとされる敵太平洋艦隊に備えていた。

 

 

「全艦に通達。索敵機、発進せよ」

 

第一艦隊司令長官高須四郎(たかす しろう)中将がそう言ったのは、太陽が昇りきった、丁度その時だった。

 

通信長が素早く高須の言葉に反応し、艦橋の扉を勢いよく開け、通信室へ向かう。

やがて、高須の命令は「大和」の通信アンテナから各艦に飛んだ。

 

各艦は、夜通し水偵の準備を進めており、すでに射出できる状態にまでこぎ着けている。

そのため、命令が来てから実行されるまでの時間が短い。

 

数分後には、後方から射出音が響き、カタパルトから勢いよく飛び出した二機の零式水上偵察機が、「大和」を挟む形で左右から上昇していく。

「大和」の正面に位置する第七戦隊の「最上」「三隈」「熊野」「鈴谷」、後方の「長門」「陸奥」からも一、二機ずつの水偵が射出され、大空へ舞う。

 

索敵機を繰り出すのは、これら七隻だけではない。

 

「大和」を中心とする第一群の右後方を後続する、第二群の「伊勢」「日向」「扶桑」「山城」「妙高」「羽黒」からも、ほぼ同数の零式水上偵察機、零式水上観測機が飛び立ち、第一群の左後方に位置している第三群の「飛龍」「蒼龍」「龍驤」「千代田」「五ヶ瀬」「天塩」からも、索敵機が勢いよく飛び立つ。

 

零観、零偵、九七艦上攻撃機、合計三十六機。

 

第一群を中心にして全周360度を10度間隔で区切り、そこに一機ずつの索敵機を割り当てるのだ。

射出された各偵察機は、素早く上昇し、自らに課せられた区画の方角へと向かって飛んでいく。

高須は、それを確認すると、「大和」の正面を見やり、次いで左右後方の第二、三群を見やった。

 

 

ーー現在、第一艦隊は三つの群に分かれて航行している。

自らが所属する第一群は、第一戦隊を中心に、第七戦隊、第三水雷戦隊で構成されており、第二群は第二戦隊の旧式戦艦四隻を中心に、第五戦隊、第四水雷戦隊にて構成されている。

 

以上の二個群が、第一艦隊の主力である。

 

通称「主力隊」だ。

 

第三群は、山口多聞(やまぐち たもん)少将率いる第二航空戦隊の空母三隻と、水上機母艦「千代田」、第八戦隊の軽巡二隻、三水戦・四水戦から分配された二個駆逐隊八隻からなっている。

戦艦同士の水上砲戦が生起した場合、第八戦隊の軽巡二隻は「主力隊」と合流する予定だが、その他は「主力隊」の遥か後方に占位し、主力を支援することが求められていた。

 

通称「航空隊」である。

 

いずれの群も、対潜用の第一警戒航行序列を形成している。

 

各群の駆逐艦部隊が、逆V字型に展開し、その後方に巡洋艦、戦艦、又は巡洋艦、空母が単縦陣で後続するのだ。

これらの周辺には、常時対潜装備の九七艦攻が厳重な警戒網を敷いている。

 

日本海軍には、苦い思い出があった。

 

四ヶ月前に生起した第二次ルソン島沖海戦の折、帰還途中の第二艦隊が、大規模な敵潜水艦部隊の襲撃を受けたことがある。

主力艦のほとんどが魚雷を喰らい、「高雄」が撃沈されるという大損害を受けてしまったのだ。

 

その戦訓に鑑みて、第一艦隊は決戦前に主力艦を戦列外に失うことがないように、対潜警戒を厳重にしていた。

 

 

「北方や南方はともかく、西方にまで索敵機を送り込む必要があったのか…甚だ疑問ですね」

 

放った三十六機の索敵機が水平線上に消えた頃、第一艦隊首席参謀の津ヶ原伊織(つがはら いおり)大佐が、ぼそりと言い、さらに言葉を続けた。

 

「敵艦隊の最終確認位置は、グアムよりの方位210度八十浬です。二日間の空白があるとは言っても、第一艦隊の後方、すなわち西に回り込んでいるとは考えにくいのですが…」

 

津ヶ原の発言に、第一艦隊参謀長小林謙五(こばやし けんご)大佐と航海参謀の東山吉武(ひがしやま よしたけ)中佐が反応する。

反応した、と言ってもピクリと片方の眉毛を動かすだけだった。

 

この二人は、10月4日の索敵計画を立てた張本人である。

索敵機が出撃した後なのに難癖をつける津ヶ原に、何か思うところがあったのかもしれない。

 

ーー第一艦隊が索敵機を放ったことからも分かるように、真珠湾を出撃した敵艦隊の詳細な位置は不明だ。

伊58号潜水艦が敵艦隊を追尾していたが、伊58潜水艦は10月3日に消息を絶っている。

よって、伊58から受けた最後の報告のグアム島よりの方位210度八十浬の最終確認位置を最後にして、敵艦隊の正確な位置は判明していない。

敵艦隊の西進阻止を目標とするだけに、正確な敵位置の確認はどうしても必要なことだった。

 

東山が反論する。

 

「敵艦隊の現在位置には、多数の可能性があります。敵艦隊の巡航速度が我々の予想よりも速かった場合、第一艦隊の西方に回り込んでいる可能性も捨てきれません」

 

それを聞いた津ヶ原は二、三頷き、東山に向かって言う。

 

「その理論に頷けるところは多々ある。しかし、だ。三十六機の索敵機をもってしても、全周に向けて放てば、索敵網が薄くなってしまうのではないかな?それでは発見できる敵も発見できなくなってしまうかもしれんぞ?」

 

東山に続いて、小林が津ヶ原に向けて発言する。

 

「そもそも、これは賭けのようなものだと思う。まだ見ぬ敵艦隊が東方にいるのなら、津ヶ原が言ったように、西に索敵機を送り込まないほうが結果的に良いのかもしれない…西に向かう索敵機を東に送り、索敵網を濃くしたほうが賢い選択だろう」

 

だが、と…小林は言葉を続けた。

 

「誰も『敵艦隊は西にはいない』と、断言できる人はいないし、逆説的に『敵艦隊は西にいる』と言える人もいない。そうなった場合、無難な全周索敵に徹する他ない」

 

「………」

 

痛いところを突かれたのか、津ヶ原は押し黙った。

 

若干の沈黙が、艦橋内に広がる。

 

 

それを破ったのは、高須だった。

 

「まだ賭けに負けたか勝ったかはわからん。今は、索敵機搭乗員を信じて報告を待とう。必ず敵艦隊を見つけてくれるはずさ」

 

 

 

 

 

2

 

軽巡「五ヶ瀬」から発進した零式水上偵察機二号機は、方位50度から60度の索敵区画を担当してる。

時刻は7時45分、「五ヶ瀬」を発進してから二時間近くが経過していた。

今のところは、平凡な飛行が続いている。

周囲には敵艦隊どころか、漁船一隻見当たらなかった。

 

右前方上方に太陽が見え、赤道近くの暴力的な太陽光が、コクピット内に差し込んでくる。

計器盤や風防が、強烈な日光に反射して照り輝いていた。

色付きの飛行眼鏡をつけていなかったら、目が眩んで索敵などできなかったであろう。

そう思わさせるほどの日差しの強さだった。

 

「阿久津、現在位置は?」

 

「五ヶ瀬」搭載水偵二号機の機長を務める矢次勝己(やつぎ かつみ)飛行兵曹長は、操縦桿を握りながら、後部座席に座る航法士の阿久津晋助(あくつ しんすけ)上等飛行兵曹に聞いた。

 

「第一艦隊よりの方位50度、二百三十浬です」

 

矢次の問いに、阿久津は淀みなく答える。

 

「五ヶ瀬」二号機は第一艦隊から二百五十浬の海域上空まで進出し、その後は百浬南下してから、方位60度線に沿って引き返す予定になっている。

針路変更まで二十浬。零式水上偵察機の巡航速度なら、三十分とせずに飛行できる距離だった。

 

矢次はそれを聞くと、すぐさま視線を周囲に移す。

 

 

天候はカラッと晴れており、雲量も少ない。

眼下にはどこまでも広い太平洋が広がっており、機体の八方に水平線を望むことができる。

航空偵察にはベストな状態だ。かなり遠くの艦も発見することができるであろう。

 

(わざわざ俺たち(第八戦隊第二小隊)を第一艦隊に移してくれたんだ。しっかりと仕事しなきゃな)

 

矢次は、周囲の海面から目を逸らさずにそう思った。

 

第八戦隊第二小隊の「五ヶ瀬」「天塩」は利根型軽巡洋艦の三、四番艦であり、各六機ずつ、合計十二機の水上機を運用することが可能だ。

もともとは第二航空戦隊と同様、第一航空艦隊に配備される予定だったが、第一艦隊の索敵力を補うため、同艦隊に配備されたという経緯がある。

第一艦隊司令部。強いては、一航艦の護衛を減らしてまでそのような配置換えを決断した連合艦隊司令部の、期待を背負っているのだ。

 

日本の命運を決める海戦は、すでに火蓋を切っている。

 

その緊張感と使命感に身を包まれ、三人の水偵搭乗員は任務に当たっていた。

 

 

 

 

 

 

 

ーーー二十八分後。

 

 

 

 

 

 

「右前方、敵艦隊!」

 

 

 

 

 

 

電信員を務めている倉本譲(くらもと ゆずる)飛行兵曹が、緊張した声を上げた。

左手を見ていた矢次は、反射的に右前方を見やる。

 

「いやがった…」

 

敵艦隊の姿が目に映るや矢次の口からは、その言葉が漏れていた。

素早く左手で双眼鏡を握りしめ、右前方の敵艦隊へとその筒先を向ける。

二つの丸い視界の中に、十数倍に拡大された敵艦の姿が見え始めた。

矢次は筒先をゆっくりと後方にずらし、深海棲艦の大艦隊を観察する。

 

ーー敵艦隊の艦艇総数は、およそ四十。

戦艦と思われる大型艦八隻を中央に据え、中型艦、小型艦の単縦陣がその周辺を固めている。

数え切れない数の白い航跡が、東に伸びている。

極東を目指して、西進しているのだ。

 

「戦艦八、巡洋艦八、駆逐艦二十ってところですね」

 

阿久津は、そう当たりをつけたようだ。

 

「そうだな…もう少し詳しく言うと、戦艦八隻のうち六隻がル級で、残りの二隻がタ級、て感じか」

 

敵艦隊の大型艦八隻を観察したところ、三番艦から後ろの戦艦は三脚マストを据えており、三連装砲を前部と後部に二基ずつ背負式に搭載しているのがわかる。

間違いなく、深海棲艦の主力戦艦ーール級戦艦であろう。

 

だが、先頭の二隻は、ル級とは似ても似つかない艦影をしている。

全長はル級より長いのに、全幅は狭い。

三連装なのはル級と同じだが、前部に二基、後部に一基と三基九門しか主砲が搭載されていない。

なんと言っても、艦橋が深海棲艦艦艇を特徴づけていた三脚マストではなく、がっちりとして、なおかつ巨大な箱型艦橋に変化している。

 

人類の戦艦に例えるならば、英海軍のキング・ジョージ五世級戦艦に近いものを感じさせていた。

 

 

ーー6月24日のマニラ湾で初めて確認された、タ級戦艦である。

ル級と違って、人類が手合わせしたことがない艦種であり、まだまだその力は未知数だ。

火力は四十センチ砲九門を誇っており、こちらに「大和」がいるとは言え、油断ならない敵であることに変わりはない。

 

 

「倉本、司令部に打電。“ 我、敵艦隊発見ス。戦艦八、巡洋艦八、駆逐艦多数。戦艦ハ『タ級』二隻ヲ含ム。位置、〈ルソン島〉ヨリノ方位85度、八百浬。敵針路270度。○八一四(マルハチヒトヨン) ”」

 

矢次は早口で言うと、操縦桿を右に倒した。

零式水偵が右に傾き、右前方に見えていた敵艦隊が正面に移動する。

 

「打電終了」

 

零式水偵が、敵駆逐艦の単縦陣上空に差し掛かった頃、倉本が打電終了の報告を上げた。

 

「これからどうします?」

 

阿久津が聞いてくる。

 

「もう少し進んでみよう。第一艦隊のように艦隊を分けてるかもしれないからな」

 

矢次は躊躇うことなくそう言った。

 

敵艦隊の上空を通過し、その先の海域へと向かう。

矢次は敵艦隊から対空射撃が来ると思っていたが、敵は撃ってこなかった。

たった一機の航空機など、放っておいても良いと判断したのだろうか?

 

(その考え方が、命取りだ。深海棲艦)

 

矢次は、眼下の敵艦隊にそう言葉を投げかけ、ニヤリと笑った。

今頃、先の電文は第一艦隊の各艦で受信され、素早く暗号解読が進められているはずだ。

暗号が解読され、敵艦隊の正確な位置が知れた暁には、第一艦隊の第一群と第二群は敵艦隊へと針路をとり、第三群の第二航空戦隊からは待機中の第一次攻撃隊が出撃するであろう。

 

索敵機に発見されてしまったことが、貴様らの敗北への第一歩だ。と、矢次は続けて思っていた。

 

敵艦隊が大規模であっても、零式水偵が上空を通過するのは早い。

すぐに敵艦隊は後方に過ぎ去り、薄っすらとしか見えなくなる。

 

 

さらに零式水偵は50度線に沿って進む。

 

十分ほど飛行した時だった。

 

後方の敵艦隊が水平線に消えた頃、矢次の目に「それ」は写った。

たくさんの筆で凪いだような、複数の白い航跡が東に伸びている。

 

第二の敵艦隊だ。

 

「正面、敵艦隊!」

 

矢次は、自分でも思うほど頓狂な声で、そう叫ぶ。

 

敵艦隊は一つだけではなかった。

第一艦隊と同じ様に、複数に分散させていたのだ。

 

 

「戦艦二隻を中心とする部隊のようですね」

 

阿久津が言った。

それを聞いた矢次は、先と同じように双眼鏡の筒先を新たな敵艦隊に向け、対象を凝視する。

 

「いや……違う」

 

「何がです?」

 

矢次の言葉に、阿久津は首をかしげた。

 

 

敵艦隊は、二隻の大型艦を中心に、輪形陣を形成している。

深海棲艦の大型艦といったら、ル級戦艦かタ級戦艦だ。

阿久津もそう考え、二隻の戦艦を中心としている、と言ったのだろう。

 

だが、二隻の大型艦は、ル級でもタ級でもなかった。

 

ル級戦艦に匹敵する巨体の上には、艦首から艦尾まで、まな板のような甲板が載っている。

その甲板の右側には、やや小さめの艦橋が据えられており、戦艦には到底見えない。

 

「敵空母だ!」

 

矢次は叫んだ。

 

(深海棲艦は、空母を保有しているのか!)

 

深海棲艦は、人類と酷似した海上兵力を多数有しており、「深海棲艦は空母も保有しているのではないか?」という憶測は、日本海軍内部や米海軍内部で囁かれていた。

だが、敵空母との交戦記録は無く、目撃情報もない。

従って敵航空兵力は、飛行場姫のみと判断されており、深海棲艦は空母を保有していない、というのが通例となっていた。

 

しかし、今日、その通例は覆されることとなる。

 

矢次、阿久津、倉本の三人は、人類で初めて深海棲艦の空母を目撃した張本人となったのだ。

 

 

「左正横、敵機!」

 

阿久津が悲鳴染みた声で報告する。

 

矢次は、反射的に操縦桿を左に倒した。

零式水偵が大きく横転し、左に旋回しつつ降下を始める。

 

刹那、奔流のような多数の射弾が、矢次の頭上を左から右に通過し、自らが発した弾丸を追うように、二機の敵機が続く。

 

「倉本!司令部に打電だ!」

 

敵機が頭上を風を巻きながら通過した直後、矢次は怒鳴った。

 

戦艦八隻を中心とする敵艦隊を発見した際、敵機は現れなかったが、今回は二機の敵機が現れた。

それを鑑みても、眼下の大型艦二隻が航空機運用能力を有しているのは間違いない。

航空機が戦艦を撃沈した事例はまだないが、第一艦隊が敵航空部隊の先制攻撃を受けた場合、戦艦だろうと致命傷を受ける可能性がある。

それを阻止するためにも、深海棲艦の空母機動部隊の出現を司令部に伝えなければならない。

 

攻撃をかけてくる敵機ーー甲型戦闘機ーーは二機だけではなかった。

 

新たに、四機の甲戦が上昇してくる。

 

計六機、一機の偵察機に対しては過剰な数だ。

敵機動部隊は、自らの位置をなんとしてでも知られたくないらしい。

 

 

上昇中の四機と、降下しながら相対する。

 

左前方に一機、右前方に三機の甲戦が見え、右前方のほうが近い。

 

矢次は敵機の進路を見極め、操縦桿を倒すべき瞬間を待つ。

 

「今だ!」

 

と、短く発した矢次は、操縦桿を無造作に右に倒す。

次の瞬間、右前方から接近していた甲戦の機首に真っ赤な発射炎が閃らめき、驟雨のような多数の弾丸が突き上がって来た。

放たれた計三条の火箭は、零式水偵の左主翼をかすめ、後方に消える。

風防が、敵弾に反射してオレンジ色の染まった。

敵弾はかわしたが、安心するのも束の間、三機の甲戦と、ぶつかりそうになりながらも、高速ですれ違う。

 

左前方から向かって来た甲戦にも、同様に対応した。

機体を捻り、紙一重の距離で射弾に空を切らせる。

零式水偵の直下を、機銃を乱射させながら甲戦が通過した。

 

 

次の刹那、矢次はバックミラーを見ながら、操縦桿を力一杯手前に引く。

正面に見えていた海面が視界の外に吹っ飛び、水平飛行に移行した。

バックミラーには、初撃を加えてきた二機の甲戦と、たった今すれ違った四機の甲戦が反転しようとしているのが見える。

 

二機との距離が近い。すぐに発砲してくるだろう。

 

矢次がスロットルを絞って操縦桿を奥に倒すのと、先頭の二機が発砲するのは、ほぼ同時だった。

 

速度を大幅に落とし、お辞儀をするように機首を下げた零式水偵の正面を二条の火箭が通過する。

一拍の差を開けて、二機の甲戦が頭上を後ろから前へと向かう。

 

 

今回の攻撃も、間一髪でかわしたのだ。

 

 

 

だが、これがいつまでも続くとは思えない。

 

早く司令部に敵機動部隊の情報を伝えなければならなかった。

 

「まだか、打電は⁈」

 

矢次が大声で聞いた直後、反転を終えた四機の甲戦が、零式水偵との距離を詰め、射弾を放つ。

矢次は操縦桿を倒して回避を試みるが、五、六発が命中してしまったようだ。

後方から、複数の打撃音が届く。

 

「阿久津、倉本、無事か!」

 

矢次が、二人の無事を確認するため、風切り音に負けないような大声で聞く。

 

「阿久津、無事です!」

 

「負傷してませんが、通信機破損!」

 

倉本の返答を聞いて、矢次は絶句した。

通信機が破壊されてしまったら、味方艦隊に敵情を伝えることができない。

矢次の零式水偵は、味方への連絡手段を封じられてしまったのだ。

 

「くそ!」

 

矢次は罵声を発した。

このままでは、第一艦隊は敵艦隊が一隊しかないと思った状態で戦いに挑むであろう。

その時に空母に横を突かれては、第一艦隊といえ無傷では済まない。

 

しかし、零式水偵はその事実を味方に伝えられない。

 

 

「いや。まだだ!」

 

矢次は自らに言い聞かせるように叫んだ。

敵機を振り切り、艦隊に帰投してから直接伝えればいい。

まだ、諦めるつもりはなかった。

 

今度は、正面から三機、右前方から三機が接近して来る。

 

こっちも必死だが、敵も必死だ。

零式水偵を何としても撃墜する、という執念を感じさせる。

 

「来やがれ!」

 

矢次が挑発するように叫んだ刹那、六機の甲戦が一斉に発砲した。

ぶちまけたような数の敵弾が急速に迫まる。

 

矢次は、左フットバーを踏み込み、操縦桿を荒々しく左に倒した。

 

零式水偵がくるりと左に横転し、機体が左に滑る。

大半の敵弾が胴体や翼の脇を通過して逸れるが、数発がまとまって命中し、機体が大きく揺らいだ。

矢次の直下から何かがねじれる異音が響き、二発の敵弾が風防を叩き割る。

けたたましい破壊音がコクピット内にこだまし、右中央のガラスが粉々に吹き飛んだ。

無数のガラス片が宙を舞い、空いた穴から風が入り込んでくる。

 

矢次は、すぐに自らの身体を確認した。

 

幸い、怪我はない。

衝撃でぶつけたのか、身体のところどころが痛いが、操縦に問題はなかった。

 

だが、後ろを振り向くと、風防の内側にべっとりと大量の血がこびり付いており、阿久津が頭から血を流しながらぐったりとしている。

 

目が虚ろで、チャートを握っていた右手は力なく垂れ下がっていた。

 

「阿久津!」

 

矢次は叫んだが、阿久津は反応しない。

倉本からも反応がない。

 

「阿久津!倉本!」

 

帰ってくるのは、無言。

 

二人の水偵乗りは、敵弾を頭部に喰らい、即死してしまったのかもしれなかった。

 

更に、零式水偵の安定性が著しく落ちていることに気がつく。

操縦桿を動かしていないのに、機体は右へ左へとぎこちなく動き、心なしか高度が下がっていた。

 

矢次が、首を突き出して機体下部を見てみると、二つあるはずのフロートが一つしか接合していなかった。

先の被弾時の、何かがねじれるような異音は、フロートがちぎり飛ばされた音だったのかもしれない。

 

これで、矢次は敗北を悟った。

 

フロートは機体のバランスを取っていると共に、大量の燃料を搭載してある。

索敵ラインぎりぎりまで進出した零式水偵にとって、フロートの喪失は燃料不足による帰還不能を意味していた。

 

不安定な状態の零式水偵を見て、好機だと思ったのか一機の甲戦が接近し、とどめと言える一連射を放つ。

 

放たれた射弾は、零式水偵の右主翼を叩き割り、エンジンを粉砕した。

機体がこれまで以上に振動し、エンジンが真っ黒な煙を吐き出し始める。

 

「畜生…畜生…畜生…畜生!」

 

操縦不能に陥り、錐揉み状態で海面を目指す零式水偵のコクピット内で、矢次の胸中では、凄まじい悔しさを湧き出させていた。

噛んでいた下唇から血が漏れ、顎を濡らす。

 

だが、そんなことはどうでもよかった。

 

深海棲艦の空母機動部隊を発見しながら、味方に伝えられない。という事実が、途方もなく悔しかったのだ。

 

 

 

 

やがて、視界一杯に海面が広がりはじめる

 

矢次が目を見開いた瞬間、凄まじい衝撃が襲いかかり、零式水偵の機体は、木っ端微塵に破壊されていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




次回は航空戦です!




PS.高校生活大変だ…。


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第三十五話 巨大なる前哨戦

中間しけ〜ん、いや〜だなぁ


1

 

「風に立て!」

 

号令が、第二航空戦隊の空母三隻に響いた。

「飛龍」「蒼龍」「龍驤」は艦上で待機している第一次攻撃隊を発艦させるべく、風上へと針路を取る。

護衛として第四駆逐隊の「嵐」「萩風」「野分」「舞風」の四隻が二隻ずつ二航戦の左右について、付き添うように変針した。

 

発艦作業を行う空母は潜水艦から格好の標的になる。

風上に艦首を向ける為、艦隊の隊列から離れてしまうし、航空機を発艦させる最中は直進しかできないからだ。

 

四駆の四隻には、敵潜水艦を発見しだい二航戦に知らせ、敵の雷撃を妨害する役目があった。

 

 

四隻の駆逐艦が警戒する中、空母の飛行甲板では発艦作業が行われようとしている。

第一次攻撃隊に参加するのは、零式艦上戦闘機、九九式艦上爆撃機の混成部隊だ。

「飛龍」「蒼龍」から零戦各九機、九九艦爆各十八機、「龍驤」からは零戦、九九艦爆各九機が出撃する予定で、飛行甲板上で暖機運転に勤しんでいる。

 

合計七十二機の戦爆連合攻撃隊だ。

 

対艦攻撃を十八番としている、雷装の九七式艦上攻撃機の姿は見えない。

二航戦が搭載している四十五機の九七艦攻のうち、十二機は対潜哨戒機と索敵機として出撃しているが、残った三十三機は第二次攻撃隊に備えて、格納庫で待機しているのだ。

 

このような変則的な編成にしたのには、理由がある。

 

第一次攻撃隊の急降下爆撃で敵の対空砲を潰し、第二次攻撃隊の九七式艦上攻撃機でとどめを刺す、という戦法だ。

九七艦攻の損耗を抑えよう、という二航戦司令官山口多聞(やまぐち たもん)少将の考えだった。

 

零戦の「誉」発動機、九九艦爆の「金星」発動機の轟音がこだまし、第一次攻撃隊に参加する搭乗員は、手ぐすね引いて発艦を待ち構えている。

 

艦首付近の飛行甲板から、水蒸気の白い煙が吹き出し、後方になびく。

飛行甲板中央の白線に重なり、空母が風上へ針路を取ったことを伝える。

それを確認し、「飛龍」「蒼龍」「龍驤」の三隻は、機関を振り絞り、最大戦速へと移行した。

これによって発生した合成風力の力を借りて、航空機を大空へ放つのである。

 

「第一次攻撃隊、発艦始め」

 

「了解。第一次攻撃隊、発艦始め!」

 

山口が重々しい声で下令すると、「飛龍」飛行長の楠本幾登(くすもと いくと)中佐が復唱し、片手に握っている旗を振り上げた。

 

それをきっかけに、「飛龍」の艦上に並べられていた二十七機が発艦を開始する。

 

車輪止めが払われ、それを見計らった零戦一番機が、フルスロットルを開いた。

弓矢から放たれる矢の如く、その零戦は飛行甲板を疾駆する。

甲板の縁を蹴り、研ぎ澄まされた日本刀のような華奢な機体が、勢いよく飛び出した。

飛び出した瞬間、自重でやや高度が下がるが、素早く操縦桿を手前に引いたらしく、するすると上昇していく。

最初に発艦する機体は、駛走に必要な距離が最も少ないはずだが、危なっかしいところ一つ見せない。

 

戦闘機搭乗員の技量の高さを示していた。

 

二番機、三番機、四番機と、続々と零戦が続く。

 

手の空いた整備員、兵器員、二十五ミリ機銃の射手、十二.七センチ高角砲の装填手や、見張員、艦橋に詰めている要員など、手の空いたものは自らの帽子を力一杯に振り、出撃する味方に精一杯の声援を送っていた。

 

 

山口もその中の一人だ。

 

二航戦司令部の幕僚たちと共に、「飛龍」艦橋後部の露天発着艦指揮所で、飛行甲板を見下ろしている。

 

「そういえば、『五ヶ瀬』二号機からの続報はないのか?」

 

山口は、傍に立ち、同じく帽子を振っている二航戦首席参謀の蔵垣早苗(くらがき さなえ)大佐に聞いた。

 

「続報は受信していません。『主力隊』にも問い合わせてみましたが、結果は同様のようです」

 

蔵垣は耳打ちするように言う。

 

「主力隊」に所属する戦艦群は「飛龍」より艦橋が高い分、より遠方から発せられた電波を受信することができる。

さらに、「大和」は最新の通信設備を備えているため、その面においては「飛龍」よりも信頼できる。

そのことを踏まえて、「五ヶ瀬」二号機からの続報を「主力隊」に問い合わせたらしいが、受信していなかったようだ。

 

「無線封鎖中なので確認は取れませんが、敵の対空砲に撃墜されてしまった可能性もありますね」

 

「対空砲にか…敵の射程距離に入ってしまうほど、水偵搭乗員の腕が悪いとも思えんが」

 

蔵垣の仮定に、山口はそう返した。

 

どちらにしても、無線封鎖中では、「飛龍」から通信して「五ヶ瀬」二号機の安否を確認することはできない。

今はただ、三名の搭乗員の無事を祈ることしかできなかった。

 

だが偵察機からの続報がない事に、山口は、自分でもおかしいと思えるほど、引っかかっていた。

「五ヶ瀬」二号機から続報がないことは、なんら不審なことではないはずだが、なぜか嫌な予感がしてならない。

 

ボタンを付け間違えながら服を着ようとしているような、何か間違えながらことが進んでいるような、そんな感じだ。

 

少し考えたところで、山口はかぶりを振った。

 

(ただの思い込みかもしれぬ。変なことは考えないことだ…)

 

そう思い、視線を再び飛行甲板へと落とした。

 

零戦の発艦はとっくに終了しており、九九艦爆の発艦作業に移っている。

零戦より一回り大きい固定脚の爆撃機が、一機、また一機と飛行甲板を滑り、零戦隊を追って蒼空へ舞う。

一機あたり一分もかからない。

艦爆隊の技量も高く、駛走を開始してから四十秒ほどで発艦することができるのだ。

 

 

 

やがて、「飛龍」の飛行甲板に待機していた二十七機は、全てが無事に発艦を終える。

「蒼龍」「龍驤」も同じだ。

事故を起こしたという報告はない。

 

戦爆連合大編隊、合計七十二機の第一次攻撃隊は、艦隊上空で編隊を組むのに二十分ほどかけた後、敵艦隊がいるであろう方角へと進路を取る。

 

十数分間、航空機の爆音が頭上から響いていたが、それも消え、第一次攻撃隊は水平線に消えた。

 

 

山口は見えなくなるまで第一次攻撃隊を見送ったが、胸中から湧き出してくる「嫌な予感」が消えることはなかった。

 

 

 

 

2

 

 

第一次攻撃隊総指揮官兼「蒼龍」艦爆隊長の江草隆繁(えぐさ たかしげ)少佐は、それが見えてくるなり、思わず両目をこすった。

 

編隊の右前方上方の雲と雲の間に、三十〜四十ほどの小さい黒点が見え始めたからだ。

反射的に双眼鏡を向けると、形状が甲型戦闘機に似ているのがわかる。

いや、この空域に味方航空部隊がいるはずがないから、十中八九深海棲艦の甲型戦闘機であろう。

 

「江草一番より全機。右上方、敵機。艦爆隊、密集隊形作れ」

 

江草は米国製無線機のスイッチを入れ、矢継ぎ早にそう言った。

 

江草の命令を受信した四十五機の九九艦爆が、お互いの距離を詰め、密集隊形を形成する。

九九艦爆が装備するのは、機首の七.七ミリ固定機銃二丁と後部の七.七ミリ旋回機銃一丁の計三丁のみだ。

この自衛火力を有効に活用するには、機体を密集させ、敵戦闘機に対して弾幕を張るしかなかった。

 

 

ーー振り向いて、味方機の動向を確認していた江草の脳裏に、一つの疑問が浮かぶ。

 

接近してくる黒点の群が甲戦なのは間違いないが、それがどこから飛んで来たか、というものだ。

 

中部太平洋の制海空権は深海棲艦が握っているが、ここ周辺の海域に飛行場姫が建設されている島はない。

一番近いルソン島でさえ、八百浬以上離れているのだ。

往復することを考えると、零戦に匹敵する長距離渡洋能力を備えていても難しい距離である。

 

そのため、島から飛び立って来たという線は消えた。

 

続いて思い当たることは、タ級戦艦やル級戦艦が航空機の搭載能力を持っている可能性だ。

 

謎が多い深海棲艦であるだけに、航空戦艦と言えるような艦種が存在してもおかしくないかもしれないが、さすがにそれは考えすぎか、と、江草は内心で苦笑した。

 

「だったら…深海棲艦はーー」

 

ーー空母を保有しているのかもしれん。

 

という疑惑が、江草の胸中から湧き出す。

 

今まで深海棲艦が空母を保有している、という情報はないが、人類の軍艦に類似した戦闘艦艇を保有している以上、空母を持っていても不思議ではないからだ。

 

だが、江草はかぶりを振った。

 

今、ここでそのようなことを考えても、全て憶測の域を出ない。

 

そんなことをするならば、敵機の妨害を振り切り、敵艦隊に投弾することのみに集中すべきだ、と考えたのだ。

 

 

江草は再び右上方を見上げ、次いで攻撃隊の正面に広がる広大な太平洋を見やった。

最初、ゴマ粒のように見えていた敵編隊は、かなり大きくなっているのがわかる。

明らかに、第一次攻撃隊を目指して近づいて来ているのだ。

 

正面の海域に敵艦隊の姿は見えない。

第一次攻撃隊は、戦艦八隻を中心とする深海棲艦艦隊を目視できる距離にいたる前に、敵機に補足されてしまったようだ。

 

江草は、両手の骨を鳴らし、再び操縦桿を握る。

そして、「正念場だ」と自らに言い聞かせた。

 

その時。

 

「熊野一番より江草一番。制空隊、かかります!」

 

「飛龍」戦闘機隊長の熊野澄夫(くまの すみお)大尉の声が、レシーバーに響いた。

 

江草が返信する間も無く、艦爆隊の周囲を固めていた二十七機の零戦のうち、制空隊の十八機が熊野機を先頭にして機体を翻す。

 

ほとんど空になっていた増槽を投下し、残っていた燃料が虹を描いた。

 

制空隊は、フルスロットルを開きっぱなしにしながら、深海棲艦機編隊に突進する。

敵編隊と重なったと見えた瞬間、十八機の零戦は空中戦に突入した。

 

零戦の華奢な機体と、甲型戦闘機の砲弾のような機体が、上へ下へと縦横無尽に駆け巡り、彼我の真っ赤な機銃弾が交錯する。

蒼空のキャンパスに続々と飛行機雲の異質な紋様が描かれては、航空機が発する風圧でかき消されていく。

やがて、被弾機が出たようだ。

黒煙を引きずりながら海面に落下していく甲戦、零戦の姿が見えはじめる。

 

戦いは混戦の兆しを見せており、どちらが優勢かわからない。

願わくば、制空隊の優勢を期待したかった。

 

その時、十機ほどの敵機が隙を見つけて混戦を抜け出すのが、江草の目に映った。

とんがった機首をこちらに向け、真一文字に向かって来る。

 

敵機の数は三十〜四十ほどであり、制空隊よりも多い。

精鋭揃いの制空隊でも、全ての敵機を防ぐには至らなかったようだ。

 

直掩隊の零戦九機が、素早く動く。

右に旋回し、向かってくる敵機と相対する。

 

ここからは、まさに一瞬の出来事だった。

 

気づいた時には、直掩隊と敵機の位置関係が逆転しており、零戦二機、甲戦四機が立て続けに火を噴いている。

 

「なに?」

 

江草は思わず身を乗り出した。

 

江草は敵機は直掩隊と空中戦に突入するだろうと思っていたが、残った五機の甲型戦闘機は、先と変わらずに艦爆隊目指して向かって来たのだ。

やや慌てたように直掩隊の零戦が反転するが、間に合わない。

それどころか、制空隊との混戦を抜け出して来た新たな敵機との戦闘で、ほとんどの零戦が巴戦に引きずり込まれる。

 

五機の甲戦は、艦爆隊単独で対処しなければならないようだ。

 

甲型戦闘機は三機と二機に別れ、艦爆隊の前方と右側から接近してくる。

 

「江草一番より全機。射撃開始!」

 

江草は無線機に怒鳴り込み、正面から接近中の三機に照準を定めた。

狙いもそこそこに、発射レバーを握る。

目前に二つの発射炎が閃らめき、二条の火箭が敵機に伸びる。

 

機首の七.七ミリ機銃を放ったのだ。

 

機銃を放ったのは江草機だけではない。

後方の二、三、四、五番機も発砲し、江草機の左右の九九艦爆も七.七ミリ機銃を放つ。

青白い曳光弾が入った無数の七.七ミリ弾が、投網のようにして敵機に向かう。

 

だが、三機の敵機は大きく機体を横転させ、七.七ミリ弾に空を切らせた。

くるりと華麗に一回転し、艦爆隊の攻撃をあしらったのだ。

 

「…!」

 

江草が声にならない叫びを上げた刹那、三機の甲型戦闘機は下部に発射炎を光らせる。

艦爆隊が放った七.七ミリ弾と交錯し、二機の九九艦爆を捉えた。

 

一機は風防を真正面から撃ち抜かれ、コクピット内を血で染める。

その九九艦爆は、きらきらしたものを撒き散らしながら、力尽きたように高度を落としていく。

 

もう一機は右主翼の燃料タンクに直撃した。

霧状の航空燃料がスプリンクラーのように漏れ始め、やがて着火する。

一瞬で機体が火だるまになり、耐えかねたように右主翼が風圧でちぎり飛ばされた。

線を切られた凧のように錐揉み状態になりながら、先の九九艦爆を追うようにして墜落していく。

 

「熱い。熱いぃぃぃ!嫌だぁぁぁぁぁ!」

 

混線しているのか、墜ちていく艦爆搭乗員の断末魔が無線機から漏れる。

 

「二中隊長機被弾。草元機被弾!」

 

江草機の後部座席に座る石井樹(いしい みき)飛行兵曹長の声が、伝声管から飛び出した。

それとほぼ同時に、リズミカルな連射音が後方から届く。

石井が後方にすれ違った甲戦に向けて、後部機銃を一連射したのだろう。

報告がないところを見ると、敵機を傷つけるには至らなかったようだ。

 

江草はちらりと右を見やった。

二、三機の九九艦爆が火を噴いているのが遠目に見える。

位置的に「飛龍」の艦爆隊であろう。

右側面から仕掛けて来た甲戦にやられたのかもしれない。

 

「敵機反転。突っ込んで来る!」

 

再び、無線機に味方の悲鳴じみた声が響いた。

 

バックミラーに視線を移すと、先の三機が反転するのが見える。

二度目の攻撃を行うつもりのようだ。

 

「蒼龍」艦爆隊は近寄らせじと、後部七.七ミリ機銃を撃ちまくる。

右に左にと銃身が振られ、まるで鞭を振り回すように、満遍なく機銃弾をばらまく。

命中は二の次だ。敵機を怯ませればいい。

 

だが、そんな射手の思惑などいざ知らず、敵機は七.七ミリ弾を弾き返す勢いで急速に距離を詰め、次々と射弾を九九艦爆に叩き込む。

 

「澤部機被弾。内藤機被弾!『龍驤』隊にも被害!」

 

石井が報告を上げる。

エンジンに被弾した九九艦爆は真っ黒な煙を吐きながら空中をのたうち、翼に喰らった九九艦爆は急降下爆撃機特有の頑丈な主翼を叩き割られ、くるくると回転しながら海面を目指す。

まとまって敵弾を喰らった九九艦爆は、ジュラルミンの破片を飛び散らせながら空中分解を起こし、搭乗員を射殺された九九艦爆は原型をとどめたまま編隊から落伍する。

 

「敵機。左後方!」

 

石井が大声で叫んだ。

それを聞いた江草は反射的に首をねじり、機体の後ろを見やる。

 

明らかに江草機を攻撃しようとしている甲戦が、後ろ上方から迫って来ているのが見えた。

深海棲艦に思考という概念があるかわからないが、江草機の胴体側面と尾翼に描かれているオレンジ色の帯を見て、隊長機だと判断したのかもしれない。

 

石井が旋回機銃を乱射するが、命中しているようには見えない。

敵機の射撃から逃れるには、機体を捻らせて敵弾を躱すしかないようだ。

 

「来ます!」

 

石井がそう叫ぶと同時に、江草は荒々しく操縦桿を左に倒した。

腹に二十五番(250キロ爆弾)を抱いている身であり、機体の動きはお世辞にも軽快とは言い難いが、敵弾の火箭は江草機の右主翼をかすめ、右前方方向に消える。

直後、自らの射弾を追うようにして、江草機の頭上を甲戦が通過した。

 

「後方。まだ来ます!」

 

石井の声が聞こえた直後、頭上を通過した甲戦が急角度の水平旋回をかける。

凶々しい容姿をしている航空機だが、運動性能は高い。

素早く反転し、正面から江草機目指して突き進んで来る。

 

石井の報告からすると、後ろからも敵機が向かって来ている。

江草機は、前と後ろから挟み撃ちされているのだ。

 

江草機とその周辺を固める九九艦爆は、自らの身と自らの隊長を守るべく、一斉に機首の固定機銃と後部旋回機銃を発射した。

 

何十条もの火箭が、正面と後方の敵機に殺到する。

 

今回は効果があった。

非力な七.七ミリ機銃弾とはいえ、まとまって命中すれば相当な打撃力になる。

正面の甲戦は、無数の射弾に斬りつけられ、白煙を引きずりながら江草機の眼下に消えた。

 

後方の敵機も同様だった。

 

こちらは被害を受けなかったが、弾幕射撃に恐れをなしたのか、江草機への射撃を断念して艦爆隊との距離を開ける。

 

「蒼龍」艦爆隊は敵機の攻撃を撃退したのだ。

 

しかし、「蒼龍」艦爆隊のように撃退に成功した例は希だった。

大半の敵機は、旋回機銃や固定機銃の射弾に捉えられることなく、ゆうゆうと九九艦爆に二十ミリと思われる機銃弾を叩き込む。

 

羊の群れを狩る狼のように、編隊の外郭に位置している九九艦爆を一機、また一機と喰っていく。

各九九艦爆の操縦手は、必死の面相で機体を操って回避を試み、後部座席に座る偵察員は、敵機を近づけまいと七.七ミリ機銃を撃ちまくる。

四十五機いた九九式艦上爆撃機は、たった五機の甲型戦闘機の波状攻撃を受け、十五機以上が失われている。

 

「金山機被弾!第三小隊長機被弾!」

 

「くそ。直掩隊の連中は何やってんだ!」

 

なおも続く被弾機報告に、江草は思わず味方への悪態をついた。

 

制空隊と違い、直掩隊の役割は艦爆隊の直接護衛だ。

常に九九艦爆の周辺に留まり、襲ってくる敵機を艦爆隊の弾幕射撃と共同で蹴散らすのを第一目標にしている。

だが、周辺に直掩隊の姿は見えない。

おそらく、敵機との空中戦に引きずり込まれてしまったのだろう。

 

それによって少なからずの敵機を牽制してくれているとはいえ、直掩隊には、艦爆隊の近くにいてほしかった。

 

 

その時、正面の海域に多数の白い航跡が見え始めた。

 

「いたか!」

 

江草は思わず叫ぶ。

敵機の迎撃を受けて多数の九九艦爆を失いつつも、第一次攻撃隊は敵艦隊を目視できる距離まで至ったのだ。

 

「江草一番より全機。敵艦隊見ゆ。突撃隊形作れ!」

 

江草は無線機に怒鳴り込んだ。

 

残存の九九艦爆は密集隊形から、各中隊長を先頭に突撃隊形へと移行する。

雁の群れのように中隊ごとの斜め単横陣を形成するのだ。

中隊の定数は九機のはずだが、その定数を満たしている中隊は一つも無い。

どの中隊も二、三機の九九艦爆を戦列外に失っており、攻撃力の低下は否めないだろう。

 

だが、戦意は旺盛だった。どの艦爆乗りも無念の思いを抱きながら撃墜されていった戦友の分まで戦果を上げようと、覚悟を滲ませている。

 

敵艦隊との距離はみるみると詰まっていく。

 

敵艦隊の針路は270度。

第一次攻撃隊の正面から左後方へと向かう進路だ。

互いの針路を重ね合わせると「イ」のようになる。

 

その敵艦隊を睨みつつ、江草は攻撃隊を誘導した。

新たに撃墜される九九艦爆も出るが、江草は意に返さない。

 

攻撃隊と敵艦隊の針路が「イ」から「T」になった時、江草は意を決して下令した。

 

「江草一番より全機。全軍突撃せよ!」

 

それを受信した各中隊は、巡航速度から最大速度に加速し、敵艦隊目指して突撃を開始した。

そうするのと同時に、今まで攻撃を続けていた五機の甲戦が、艦爆隊から離れる。

江草がその意味を悟る前に、敵艦隊が対空砲火を撃ち上げ始めた。

 

「……!」

 

敵艦隊の対空弾幕は、凄まじいものがあった。

大は戦艦、小は駆逐艦まで、ありとあらゆる高角砲を放っている。

瞬く間に敵弾が炸裂し始め、艦爆隊のいる高度の空は黒色にくすみ始めた。

眼下の敵艦隊を隠すほどの射撃量だ。

衝撃波と弾片が江草機を揉みくちゃに揺らし、敵弾の炸裂音以外のものが聞こえなくなる。

 

「これが戦艦八隻の対空砲火なのか…!」

 

江草は畏怖の声を上げた。

 

敵艦隊は輪形陣ではなく、艦種ごとの単縦陣を形成している。

その分、対空弾幕は薄いと思っていたが、そうではなかった。

敵艦隊は万全の状態で第一次攻撃隊を待ち構えていたのだ。

 

一機の九九艦爆が、至近距離で敵弾の炸裂を受ける。

無数の弾片がその機体の主翼、胴体、コクピットを切り裂き、機体は一際大きな爆発と共に空中分解を起こす。

 

もう一機は、敵弾炸裂の衝撃で両翼をもぎとらる。

数秒間惰性で飛行したが、やがて自重で落下し、海面に水飛沫を上げた。

 

敵艦の対空機銃に絡め取られる九九艦爆もいる。

機首に機銃弾を喰らった九九艦爆は、丸っこい機首を粉砕され、三枝のプロペラを吹き飛ばされ、「金星」発動機を引き裂かれ、悲鳴じみた音を立てながら力尽きた様に機首を下げる。

 

 

江草は、自らが直率する「蒼龍」艦爆隊第一中隊を敵艦に向けて慎重に誘導した。

バックミラーを見ると、敵弾炸裂に煽られながら、六機の九九艦爆が後続しているのが写っている。

 

ちらりと眼下を見下ろすと、舷側を発射炎で真っ赤に染めた戦艦の姿が硝煙の隙間から見えた。

 

目標を選んでいる暇はない。

 

江草は、教科書どうりにして、左主翼の縁に敵戦艦が重なるように機体を操る。

 

「行くぞ!」

 

敵戦艦と左主翼の縁が重なるのを確認すると、江草は叩きつけるように言った。

ほぼ同時に、操縦桿を左に倒し、エンジンスロットルを絞る。

 

江草の乗る九九艦爆は、大きく横転し、機首を敵戦艦へと向けた。

後方の六機も次々と機体を翻し、江草機同様急降下に移る。

 

空と雲、そして対空砲の爆煙が上方に吹っ飛び、敵戦艦と海面が正面に来る。

 

敵戦艦は回避の動きを見せない。

九九艦爆の数が少ないため、回避しなくても良いと判断したのだろうか?

そう思った江草は、口角を吊り上げて薄く笑った。

 

多数の機体を失ったとはいえ、現在深海棲艦が相手取っているのは、日本海軍、いや、世界最強の急降下爆撃隊として知られている、二航戦の艦爆隊だ。

数が減っても、大損害を与える自信はある。

油断は命取りだぜ、と江草は内心で呼びかけた。

 

照準器の十字の中心に敵戦艦を留めるように、機体の向きを微調整する。

 

「二八(二千八百メートル)……二六……二四…」

 

後席の石井が、高度計を読み上げた。

 

江草機の右や左、真上や真下で間断なく敵弾が炸裂し、全長十メートル、全幅十四メートルの機体を大きく煽る。

 

高度二千を切った時、敵戦艦は高角砲から機銃に切り替えた。

今までの爆煙が無くなり、変わって無数の機銃弾が迫って来る。

 

大半の火箭が、江草機の主翼や固定脚、胴体やコクピットの近くを通過して後方に過ぎ去るが、時折、鋭い衝撃音が響き、機体がわずかに振動する。

敵弾が九九艦爆をかすったのだ。

 

いつ撃墜されてもおかしくないが、敵弾は直撃せず、江草機はひたすら急降下を続ける。

 

「一四……一二……一〇…」

 

石井が、機械的な読み方で報告を続ける。

単に数字を読むということに自らを集中させ、恐怖という感情を押し殺しているのかもしれない。

 

その時、後方から閃光が届き、ほとんど同時に爆砕音が聞こえた。

 

視線を一瞬だけバックミラーに移すと、炎上しながら投弾コースを外れる九九艦爆の姿が見える。

敵戦艦が放った機銃弾に撃ち抜かれたのだろう。

 

江草は怯むことなく急降下を続ける。

下手をすれば機体を引き起こして離脱したい衝動に駆られるが、江草は自分が機体の一部になったかのように、ひたすら戦艦を目指す。

 

「〇八……〇六…」

 

通常、艦爆は六百メートルが引き起こす高度だが、江草は急降下を続ける。

 

「〇四……〇二……!」

 

 

(当たるな…確実だ)

 

「てっ!」

 

江草は二百メートルを切った時、投弾レバーを倒した。

足元から機械的な音が響き、はるばる運んで来た二十五番を切り離す。

刹那、渾身の力で操縦桿を手前に引いた。

急降下を続けて来た九九艦爆が、機首を引き起こす。

 

通常の何倍もの重力が江草の体を押さえつけ、自分の身体が石のように重くなる。

頭の血が胴体に流れ、視界が暗くなった。

 

だが、それらは一瞬で終わる。

重力も視界も元に戻り、江草機は海面すれすれを敵戦艦から離脱していく。

 

「命中!」

 

石井が、歓喜した声を上げる。

 

「よし!」

 

江草も、思わずガッツポーズをとった。

 

命中弾は連続する。

艦上にいくつもの爆炎が躍り、真っ赤な炎が湧き立った。

 

 

 

 

ーーーこの時、艦爆隊の攻撃を受けたのは、タ級戦艦一隻、リ級重巡一隻、ホ級軽巡二隻、イ級駆逐艦一隻の計五隻だった。

 

「蒼龍」第一中隊の攻撃を受けたタ級は、四発の二十五番を叩きつけられた。

高度二百メートルまで肉薄した指揮官機に投下された二十五番は、第一砲塔の天蓋に直撃して破片を周囲に飛び散らせるだけだったが、後続機が投下した二十五番三発は、艦橋側面の高角砲と艦尾をそれぞれ粉砕する。

甲板の鋼板と破壊された高角砲の破片が、火焔と共に四方に飛び散り、命中箇所からは黒煙が上がりはじめていた。

 

 

被弾したリ級重巡は、タ級とさほど離れていない隊列を航行していた。

搭載している対空火器はタ級を援護することに使用されたため、自らの位置の弾幕が薄くなり、艦爆隊の投弾を許したのだ。

 

そのため、各艦最大の六発の二十五番を喰らった。

 

一発は第二砲塔を直撃し、これを跡形もなく粉砕する。

衝撃が収まらないうちに、二発目の二十五番が艦首に命中し、鋭利な刃物のようだった艦首をV字に叩き割った。

三発目は三脚マストの根元を爆砕し、四発目も同様に艦橋に直撃する。

五発目、六発目は第二砲塔脇と第三砲塔脇の甲板を抉り、大穴を穿つ。

リ級重巡は、二十五番が命中するごとに衝撃に打ちのめされ、艦体が大きく振動する。

やがて耐えられなくなったのか、巨大など三脚マストが右に倒壊し、海面に水飛沫を上げた。

 

やがてそのリ級は、前のめりになって停止する。

艦首から大量の海水が浸入し、速力を維持できなくなったためだ。

沈む事はないにせよ、戦闘力を完全に喪失している。

決戦前に重巡一隻を失うのは、大きな痛手であろう。

 

 

リ級重巡の後方を航行していた二隻のホ級軽巡には、それぞれ三発ずつが命中した。

重力によって加速された二百五十キロの徹甲爆弾が、上部構造物を爆砕し、甲板に大穴を穿ち、主砲や機銃を吹き飛ばす。

命中した箇所では真っ赤な炎が席巻し、二隻の巡洋艦からは真っ黒な煙が天に向かって伸び始める。

 

 

イ級には、一番少ない一発が命中した。

その一発は、三発の二十五番が外れ、三本の水柱を周辺に形成した直後に襲って来た。

イ級駆逐艦の中央部に命中し、炸裂する。

 

刹那、このイ級は凄まじい大爆発を起こした。

艦体が跳ね上がり、被弾箇所を境にして二つに分断される。

 

魚雷か砲弾かはわからないが、大量の爆発物に誘爆したのだろう。

二つに分かれた艦体は、一つが漂い、もう一つが瞬く間に沈んでいった。

 

 

 

 

江草機が爆撃を終了し、高度三千メートルにまで上がって来た時、海面からは、五つの黒煙が上がっているのが見える。

 

「司令部に打電。“我、攻撃終了。戦艦一、巡洋艦三撃破。駆逐艦一撃沈。今ヨリ帰投ス。〇九三二”だ」

 

江草はそう言い、味方機との集合地点へと針路を取る。

 

帰還中の艦爆隊を狙って来る敵機がいるかもしれない。投弾に成功したが、最後まで気を緩めるわけにはいかなかった。

 

 

 

 

「あ、そうだ」

 

と、江草は思い出したように言った。

 

 

「“敵機ノ迎撃ヲ受ク”も付け足してくれ。これで、近くに敵空母がいるのが分かるだろう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 




疲れた!一万文字以上書いてしまった!


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第三十六話 攻撃隊帰還、そして…



これからも更新遅くなりそうです…


 

 

「“敵機ノ迎撃ヲ受ク”。か……」

 

第二航空戦隊司令の山口多聞少将は、そう言って第一次攻撃隊指揮官機から送られてきた電文の綴りを握りしめた。

 

それを聞いて「飛龍」艦橋に詰めている幕僚達は、一斉に黙り込む。

その沈黙を破り、二航戦首席参謀の蔵垣早苗大佐が絞り出すように口を開いた。

 

「……敵機、ですか。なんとも厄介なものが現れましたね」

 

その言葉に、周囲の幕僚は同感だと言いたげに頷く。

 

 

第二航空戦隊の「飛龍」「蒼龍」「龍驤」が第一艦隊に編入された主な理由は、索敵力の強化と、航空攻撃による敵艦隊の戦力減殺を目的としている。

手持ちの艦攻を索敵機に回して索敵能力を上げると共に、敵艦隊を発見次第攻撃隊を放って「主力隊」との決戦前に敵の戦力をできる限り削っておくのだ。

すなわち、二航戦の基本任務の中に「制空権の確保」はない。

周辺海域に飛行場姫が建設されている島嶼がないため、敵航空兵力は皆無だと判断されたからだ。

 

だが現在、第一次攻撃隊が敵機の迎撃を受けるという、イレギュラーな事態が発生した。

 

当初の計画通りにことを進めていた二航戦司令部だが、(航空戦の指揮は航空の専門家である山口が取るように取り決めてある)出現した敵航空兵力への対策を早急に講じる必要に迫られているのだ。

「航空機が戦艦に変わって海軍の主力になる」と言われている現在、敵に航空兵力が存在しているというのは、かなり深刻な問題である。

 

山口の判断が、海戦の勝敗を左右するのは明白だった。

 

 

「我々が取るべき選択肢は、二つあります」

 

航海参謀の実山泉二(さねやま もとじ)中佐が、飛行甲板に視線を移しながら言った。

 

「当初の予定通り、第二次攻撃隊を戦艦八隻を中心とする敵艦隊に差し向け、『主力隊』との決戦に備えて戦力減殺に努めるか。それとも、新たに出現した敵機を発進させた元凶を探し出し、これを叩くか。です」

 

実山は、最後に「第一次攻撃隊を収容する以上、早急に飛行甲板を開けなければなりませんがね…」と言って自らの言葉を締めくくった。

 

実山の提示した二案のうち、前者に食いついたのは蔵垣だった。

 

「実山の言うとうりです。第一次攻撃隊が帰還する以上、飛行甲板は空けておく必要があります。ここは四の五言わずに二次攻撃隊を上げ、敵主力艦隊を再び叩くと共に、帰還機受け入れの状態を整えておくべきです」

 

蔵垣はやや力説するような口調になっていた。

 

江草からの続報によると、一次攻撃隊の艦爆隊はかなりの損害を受けたらしい。

詳しくはわからないが、半数近くが墜とされたようだ。

 

精鋭の艦爆乗りは、そう簡単に量産できるものではなく、ましてや大損害を受けたのは「艦爆の神様」と言われた江草隆草少佐率いる二航戦艦爆隊だ。

蔵垣は、彼らの消耗を抑えるためにも素早く収容してやりたいと考えたのかもしれない。

現に、「大和」から“対空電探感三、方位88度。第一次攻撃隊ト認ム。距離七十浬”との電文が数分前に「飛龍」に届いている。

数十分で「航空隊」上空に来れる距離だ。

だが、第二次攻撃隊の出撃準備はやや遅れている。

 

蔵垣の危機感にも、頷けるところがあった。

 

だが、「しかし……」と航空参謀の杉本重成(すぎもと しげなり)少佐が難色を示す。

 

「新たに出現した敵航空兵力は、かなり厄介な存在です。爆装の甲型戦闘機は軽巡程度なら傷つける能力を持っていますし、第二次ルソン島沖海戦では雷撃が可能なことも確認されています。敵航空機が『主力隊』の脅威になることは目に見えていますし、制空権確保の観点からも敵機を放った敵を潰す方が良いと考えますが…」

 

杉本の発言に、蔵垣は反論した。

 

「その『敵機を放った敵』がどういうものなのか具体性に欠けている。我々はそれが飛行場姫なのか、航空機搭載能力を持った敵艦なのか、はたまた確認されていない敵空母なのか、判断しかねるのだ。今できる最上のことは、叩ける敵を叩く。この一点に尽きる」

 

蔵垣に続いて、通信参謀の磯坂正孝(いそさか まさたか)中佐が口を開く。

 

「私も蔵垣参謀に賛成です。そもそも『敵機を放った敵』に攻撃隊を放つと言っても、どの索敵機もその存在を発見しておらず、所在不明です。よって、第二攻撃隊は当初の予定通り、敵主力艦隊に向かわせるべきだと考えます」

 

磯坂が言い切った直後、山口が「……それは違うだろ」と言った。

幕僚達の目が山口に向く。

今まで議論に加わらずに聞いてるだけだった山口だが、やや引っかかる所でもあったのだろうか?

 

「『五ヶ瀬』二号機は、敵主力艦隊の発見を報告してるじゃないか。その後に消息を絶ったが、これがヒントだと考える」

 

その言葉に磯坂は首をかしげる。

山口の考えを図りかねている様子だった。

 

「『五ヶ瀬』二号機は、君らが言っていた『敵機を上げた敵』を発見したんだと思う。だが、直後に敵に発見されて、通信する間も無く撃墜された……」

 

山口はそう言いつつ、海図台に足を進めた。

側近の幕僚達も続き、台を十人ほどの将校が囲む。

 

「『五ヶ瀬』二号機の索敵線は、第一艦隊の全周を360度で区分した内の、50度から60度線だ。敵主力艦隊を発見したのが、第一艦隊よりの方位50度二百四十五浬だから、敵航空部隊を発進させた敵は『五ヶ瀬』二号機の索敵線の先。すなわち、ここら辺に展開している可能性が高い」

 

山口は敵艦隊を示す赤い駒の右上の位置を、指揮棒でトントンと叩いた。

 

「司令は、索敵攻撃をなさろうと言うのですか?」

 

蔵垣が怪訝な顔で質問し、山口は力強く頷いた。

索敵攻撃とは、航空部隊が索敵を兼ねている航空攻撃方法である。

索敵の手間が省けて攻撃できるが、敵を発見できずに引き返してくる割合が通常の四倍以上に高くなってしまう。

 

「攻撃が空振りになる可能性が無いわけではないが、制空権確保はそれほどのリスクを背負ってもやり遂げなければならない事例だ」

 

だが、山口はそのようなリスクは先刻承知だった。

 

「……司令がそう仰るなら、異論はありません。第二次攻撃隊には索敵攻撃を実施させ、素早く第一次攻撃隊を収容しましょう」

 

蔵垣の一言で、二航戦の方針は決定した。

幕僚達は、山口の指示に従って動き出す。

 

 

 

 

だが、二航戦の方針は最初からつまずきを見せた。

第二次攻撃隊の発艦準備が進められて行く中、飛行甲板の後部にある第三エレベーターが故障して動かなくなったのだ。

第二次攻撃隊の三分の二は飛行甲板に上げられていたが、残りの機体は格納庫の中に残ったままになっている。

前部と中部のエレベーターは止まっておらず、機体を上げられない訳ではないが、これにより、ただでさえ遅れていた発艦準備が更に遅れてしまうこととなった。

 

「このままでは第一次攻撃隊の帰還に間に合いません。『蒼龍』『龍驤』の発艦準備は終了していますから、二隻を先に発艦させたらどうでしょう?」

 

実山が焦慮に駆られた表情で、意見を具申する。

山口は左手首につけている腕時計を見やった。

 

10時22分。

 

そろそろ第一次攻撃隊が帰還してくる時刻だ、間に合わない。

考えた山口は、実山に言った。

 

「ああ。私の名で、二隻に指示を出してくれ」

 

山口の指示は、素早くアンテナから「飛龍」「龍驤」に飛ぶ。

発艦準備を終わらせていた二隻は、第四駆逐隊の「萩風」「嵐」を従え、風上へと針路を取る。

 

今まで視界の外だった二隻が「飛龍」艦橋から見えるようになった。

二隻とも風上に針路を取ると、何かに急かされるように発艦を開始する。次々と華奢な零戦や、魚雷を抱いた九七艦攻が、風を巻いて蒼空へと飛び立つ。

 

 

いろいろと遅延事態が発生したが、北東の空に第一次攻撃隊の姿が薄っすらと見え始めた頃には、「飛龍」の発艦準備は終了していた。

 

「飛龍」の艦上には、第二次攻撃隊に参加する零式艦上戦闘機九機、九七艦上攻撃機十四機が並べられており、暖機運転に勤しんでいる。

合計二十三個のプロペラが発生させる風は凄まじいものがあり、「飛龍」の前方から後方へ、一つの気流を発生させていた。

 

「風に立て!」

 

「飛龍」艦長の加来止男(かく とめお)大佐が操舵室に指示を飛ばす。

やや間を空けて、基準排水量一万七千トンの空母が左に回頭し、艦首を風上ーー南西へと向ける。

 

誰もがスムーズに発艦作業が行われると疑っていなかった。

 

 

 

 

 

ーーーーだか、魔の手が襲いかかる。

 

 

 

 

 

「ん?」

 

山口は、首を傾げた。

 

第一艦隊の上空で警戒に当たっていた零戦が機体を翻し、北西方向に機首を向けたのだ。

フルスロットルを開いたようで、爆音が鳴り響く。

逆に対潜哨戒機の九七艦攻が、泡を食ったように低空に舞い降り、南西へと向かう。

「飛龍」の脇を通過する過程で、艦攻のコクピットから偵察員が上半身を乗り出し、必死に何かを伝えようと両手を大きく振る。

 

 

 

その時、艦橋見張員が悲鳴じみた声で報告を上げた。

 

 

 

 

「『日向』より発光信号。“接近中ノ航空機ハ、味方機ニアラズ。深海棲艦ノ航空機ナリ”です!」

 

「飛龍」艦橋に、電撃のような衝撃が走った。

加来や蔵垣、実山、磯坂といった要員達は、全員が目を見開き、言葉を失う。

 

ーーーー敵機?接近中の編隊は帰還中の味方機じゃないのか?ーーーという疑問が、彼らの胸中から湧き出した。

 

素早く反応したのは山口だった。反射的に艦橋から首を出し、接近中の編隊に双眼鏡を向ける。

 

丸い二つの視界に、固定脚が特徴な九九艦爆が見えて安心したのもつかの間、その艦爆の後方の断雲から、数えきれないほどの甲型戦闘機が姿を現したのだ。

 

「!」

 

山口はその時、全てを悟った。

 

「日向」からの報告には、やや齟齬がある。

敵編隊は、第一次攻撃隊が空襲を終了した時点から、攻撃隊を尾行していたのだ。

そうすれば電探に反応があっても、管面の光点からは第一次攻撃隊と敵編隊の区別がつかない。

第一次攻撃隊はその気が無くとも、敵機を第一艦隊上空へ案内してしまったのだ。

 

「悪魔か…深海棲艦は…!」

 

山口の首筋を、冷たいものがつたる。

 

「飛龍」の飛行甲板には、多数の魚雷を抱いた九七艦攻が並べられており、「蒼龍」「龍驤」からも発艦終了の報告は来ていない。

もしも飛行甲板に一発でも被弾した暁には、航空燃料と魚雷が誘爆を起こし、火の海になってしまうであろう。

 

 

考えたくもない最悪な未来が、山口の脳裏をよぎった。

 

 

 

 

 





どうする!多聞丸!


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第三十七話 蒼空の襲撃者


今更思ったんですけど、「砲雷撃戦、始め!」のオーケストラバージョンって、めちゃくちゃカッコよくないですか⁇

最近、そればっか聞いて執筆してますわw


1

 

「最悪な時に来やがった」

 

「日向」砲術長の寺崎文雄(てらさき ふみお)中佐は、射撃指揮所の中央に陣取りながら、盛大に舌打ちをした。

 

 

現在、「主力隊」の戦艦七隻、巡洋艦十隻、駆逐艦十八隻は、対潜警戒用の第一種警戒航行序列から、艦隊戦用の複合単縦陣へと隊列を組み直している最中である。

よって陣形は乱れており、有効な弾幕射撃は望むべくもない。

 

更に、「航空隊」の空母三隻は発艦作業の途中である。

航空機に関してはど素人の寺崎でも、「発艦作業中に空襲を受ける」というものがどれほど危険なのかは理解しているつもりだ。

 

第一艦隊にとって、もっとも最悪な時に敵機が襲来したのだ。

 

 

それでも、やらねばならないーーそう自らに言い聞かせ、寺崎は頰をパチンと叩く。

そして、自らの身体を砲術長席に沈めた。

 

 

対空戦闘用意は、五分前に橋本艦長から発せられている。

 

多数の機銃座と、左右に二基ずつ付いている十二.七センチ連装高角砲には、とっくに兵員が取り付いており、砲身を高空に向けて敵機を待ち構えていた。

 

「射撃指揮所より第二、第三分隊。低空から接近する敵機を集中して狙え。恐らく、そいつらが雷装型だ」

 

寺崎は伝声管に声を吹き込んだ。

 

「了解。低空から接近する敵機を集中して狙います」

 

高角砲を担当する第二分隊長白石和也(しらいし かずや)大尉と、機銃を担当する第三分隊長川倉久志(かわくら ひさし)大尉の威勢の良い復唱が帰ってくる。

 

第二次ルソン島沖海戦で、甲型戦闘機は雷撃を行うことができると、米海軍により確認されている。

軍艦にとって最も危険なことは、被雷することだ。

魚雷を一本でも食らえば、いかに戦艦といえど無傷では済まない。

沈むことはないにせよ、浸水によって傾斜角が狂ってしまい、正確な射撃を不能にしてしまうのだ。

 

爆弾なら四、五発喰らっても問題ないが、被雷は何としても阻止しなければならなかった。

 

 

寺崎は、双眼鏡の接眼レンズに両目を押し当て、「日向」の周囲を見渡した。

 

正面に「伊勢」が見え、後方に「扶桑」「山城」の姿が見える。

右前方には第七戦隊の「熊野」「鈴谷」が位置しており、その後方には駆逐艦四隻が展開している。

左正横のやや離れたところには、第一戦隊の「大和」「長門」「陸奥」がうっすらと見えており、周辺は「妙高」「羽黒」らしき巡洋艦や駆逐艦が寄り添っていた。

「航空隊」の空母三隻はどうか?と思い、左後方に目を向けると、風上に疾駆している三隻の空母と、護衛の駆逐艦の姿が見える。

針路は南西であり、北西に現れた敵編隊から離れる針路だった。

 

「完全にバラバラだな」

 

寺崎は、そう呟いて失笑した。

敵編隊は、「主力隊」が艦隊を再編成している時と、「航空隊」が発艦作業に追われている時。このバットタイミングと言うべき、まさに悪夢と言いたい時間帯に出現したのだ。

これをに狙って襲来したのであれば、深海棲艦は悪魔のような考え方を持っているとしか思えなかった。

 

 

右上空を見上げると、熾烈な空中戦が展開されている。

 

第一次攻撃隊の帰還機が次々と火箭に撃ち抜かれ、火を噴く艦爆、空中分解を起こす艦爆、翼を叩き割られる艦爆が続出していく。

艦隊直掩機と帰還機の零戦が果敢に敵編隊に斬り込み、爆弾も魚雷も積んでいない甲戦と背後を取り合い、上に下にと軌道を描いては真っ赤な射弾を叩き込む。

黒煙を引きずる彼我の機体が海面に落下し、水飛沫を上げていった。

 

零戦は善戦しているようだが、敵編隊はみるみる距離を詰めてくる。

 

見た所、敵機は八十機以上いるようだ。

交戦中の零戦は精々三十機といった所であり、阻止するのは到底無理だろう。

 

 

最初に対空砲火の火蓋を切ったのは「日向」の右前方に位置していた「熊野」「鈴谷」だった。

上部構造物の右舷に搭載されている二基の十二.七センチ連装高角砲が立て続けに火を噴き、計八発の十二.七センチ砲弾を敵編隊がいる高空に撃ち上げ始める。

第一射、第二射、第三射と発砲は連続し、炸裂の硝煙が空を染め始めた。

第七戦隊が射撃を開始した直後、二隻の後方を航行していた第九駆逐隊の「朝雲」「山雲」「夏雲」「峯雲」も対空砲火に加わる。

装備している各三基の十二.七センチ連装砲を数秒おきに咆哮させ、敵機に射弾を叩き込む。

 

とある甲型爆撃機の真っ正面で、砲弾が炸裂する。

刹那、甲爆のとんがった機首が大きくひしゃげ、機体は砲弾の弾子に切り刻まれた。

火焔が空中に湧き出し、その甲爆は空中分解を起こす。

もう一機の真下でも、一発が炸裂する。

その甲爆は爆圧によって機体を大きく仰け反らせ、破片を飛び散らせながら爆発四散する。

その破片が後続の甲爆に降りかかった、と見えた瞬間…後方の甲爆は飛行機構を傷つけられたのか、白煙を引きずりながら高度を落とす。

 

 

 

だが、撃墜したのはその三機だけだった。

 

五十機前後の敵編隊は二組に分かれ、ひたすら距離を詰めてくる。

 

三十機ほどの敵機が高度を落とし、残りの二十機の敵機は高空を突き進む。

おそらく前者が甲型雷撃機であり、後者が甲型爆撃機であろう。

深海棲艦は、爆撃と雷撃の同時攻撃を目論んでいるのかもしれない。

 

「『伊勢』射撃を開始しました!」

 

「『伊勢』に続け。射撃開始!」

 

見張員の報告が飛び込むと同時に、寺崎は鋭く命令を発していた。

寺崎の指令により「日向」は右舷に旋回可能な高角砲二基を撃ち始める。

 

後方からも砲声が届き、「扶桑」「山城」が撃ち始めたことを伝える。

第二戦隊の旧式戦艦四隻は、蒼空から近づく脅威を排除すべく、計十六門の十二.七センチ高角砲を撃ち始めたのだ。

 

そのほとんどが、低空から近づいてくる敵機に向けられている。

「伊勢」「扶桑」「山城」の各砲術長も、寺崎と同じように雷撃機を優先して始末しようと考えたようだ。

 

第二戦隊、第七戦隊、第九駆逐隊の十隻は途切れることなく高角砲を咆哮させる。

蒼空は砲弾炸裂の硝煙で黒々と染まり、損傷した敵機が黒煙を吐きながら海面に落下する。

海面近くでは、砲弾が炸裂するたびに直下の水面が白く湧き出し、無数の鋭い弾片が敵機に襲いかかる。

至近距離で喰らった甲雷は、巨大な手で叩かれたかのように海面に叩き付けられ、真横で砲弾が炸裂した甲雷は、大きく機体を粉砕されながら滑り込むようにして海面に落下する。

 

敵雷撃隊のはるか上空では、対空砲火の中を突き進みつつ、肉薄してくる甲爆の編隊が見える。

数機を撃墜したが、まだ十五機以上が健在だった。

 

川倉が「機銃。撃ち方始め!」を下令したのだろう。

機銃と思えないほどの重々しい射撃音が「日向」艦上に轟き、無数の機銃弾が右舷から放たれた。

 

低空を接近中だった二十五、六機の甲雷のうち、七機が機銃弾に撃ち抜かれ、瞬く間に火を噴く。

同様に、高空を突き進んできていた甲爆も四、五機が被弾し、粉砕される機体が続出する。

 

「さすがだな」

 

寺崎は、敵編隊の現状を見てほくそ笑んだ。

 

「日向」を初めとする日本戦艦に搭載されている機銃は、従来の二十五ミリ機銃だけではない。

米国との軍事交流を通じて輸入が開始された、ボフォース四十ミリ四連装機関砲も、対空機銃として搭載しているのだ。

発射速度、射程距離、発射弾数、精度、威力、全てに置いて国産の二十五ミリ機銃より優っており、米国では主力となりつつある対空機関砲である。

改装が終了した青葉型防空巡洋艦に搭載されたのを手初めに、日本海軍で普及しつつある強力な、防空の要だった。

巡洋艦や駆逐艦にはまだ手が回っていないが、戦艦や空母には小規模改装で搭載されている。

「日向」には十四基が搭載されており、右舷に旋回可能な八基が射撃を開始したのだ。

四十ミリという大口径機関砲弾を喰らった敵機は、爆撃機や雷撃機という区別はなく、跡形もなく粉砕され、一機、また一機と海面に叩きつけられる。

 

それでも、敵機は怯まない。

 

対空砲火で編隊を引き裂かれ、爆撃機と雷撃機の同時飽和攻撃は不可能になったが、それでも諦めず、ひたすら距離を詰めて来る。

 

最初に標的にされたのは、「熊野」の後方で盛んに対空砲火を撃ち上げていた「鈴谷」だった。

八、九機の甲爆が、一本棒になりながら一番機から順に機体を翻し、「鈴谷」に急降下を開始する。

 

敵は絨毯爆撃でなく、より精度の高い急降下爆撃を選択したようだ。

確実な戦果を狙っているのかもしれない。

 

真っ先に急降下を開始した一番機が、高角砲の餌食になる。

 

寺崎の目からは、瞬時に消失するように見えた。

 

恐らく、ゼロ距離で高角砲の砲弾が炸裂し、跡形もなく吹き飛ばされたのだろう。

二番機は、「鈴谷」の機銃群に絡め取られる。

無数の赤い斑点が二番機にまとわりつき、その甲爆は投弾コースから外れ、引き起こすこともなく海面に突っ込む。

「鈴谷」の搭載している機銃は、ボフォース四十ミリ機銃ではなく二十五ミリ機銃だが、撃墜に成功したようだ。

国産機銃も、まだまだ使えるということなのだろう。

 

二番機が海面に落下した数秒後、「鈴谷」は右に舵を切り、回避運動に入った。

鋭い艦首が海面を切り裂き、右へ右へと大型軽巡の巨体を誘っていく。

対空砲をかいくぐった六機の甲爆は、立て続けに搭載爆弾を切り離し、機体を引き起こす。

 

甲爆は、五百キロと思われる徹甲爆弾を二発搭載できることが、機体分析で判明している。

この時、「鈴谷」には計十二発の五百キロ爆弾が降り注いだのだ。

 

着弾は、四番機が引き起こしをかけた直後に襲ってくる。

回避行動を続ける「鈴谷」の左前方と右正横に着弾し、高々と水柱を奔騰させた。

吹き上がった海水は「鈴谷」に降りかかり、甲板や窓を濡らす。

 

四番機に続いて五番機、六番機、七番機が投弾するが、「鈴谷」には命中しない。

紙一重ではあるが、甲爆が投下した五百キロ爆弾は、海面をえぐって海水を吹き上げるだけだ。ギリギリで回避に成功している。

 

「かわせ。『鈴谷』…!」

 

寺崎は僚艦に呼びかけた。

艦橋で必死に命令を出している艦長や航海長の姿が、脳裏に浮かぶ。

 

だが、全てをかわし切ることは不可能だった。

 

投下された最後の一発が、「鈴谷」の艦橋を直撃する。

軽巡の小柄な艦橋が一撃で爆砕され、凄まじい数の破片が爆炎と共に四方八方に飛び散った。

艦橋の高さが半分以下に減り、真後ろにあったマストも衝撃で大きく傾く。

濛々とした黒煙が「鈴谷」の前部を包み込み、後方になびいてゆく。

 

「やられたか…!」

 

寺崎は、苦り切った声で言った。

 

一発とは言え、艦橋を爆砕された「鈴谷」は、戦力としてあてにならないだろう。

第一艦隊は、敵艦隊との決戦前に、貴重な戦力を失ってしまったのだ。

 

「鈴谷」の黒煙を突いて、無数の敵機が接近して来る。

敵編隊は、あくまで戦艦を狙いたいようだ。

 

「右上方、敵急爆。数五!右正横より雷撃機。数二十。距離二〇!」

 

艦橋見張員が、大声で報告を上げる。

 

寺崎が対処命令を出そうとした時、甲爆編隊の後方から二機の零戦が仕掛けるた。

 

五機の甲爆のうち、三機の甲爆が零戦に射弾を叩き込まれる。

二機は黒煙を引きずりながら空中をのたうち、一機は搭載爆弾に誘爆したのか、一際大きな爆発とともに木っ端微塵に粉砕された。

 

二機の零戦は、味方の対空砲火に撃墜されないように、素早く機体を翻して離脱する。

同士討ちの危険を孕んでまで、味方戦艦を援護してくれた零戦搭乗員に感謝しつつ、寺崎は対処命令を下した。

 

「主砲発射準備。目標、右正横の海面!」

 

寺崎の突拍子も無い命令を聞いて、測的長の坂本譲(さかもと ゆずる)中尉が頓狂な声を上げる。

 

「主砲をですか⁉︎」

 

「命令が聞こえんのか!さっさと動け!」

 

坂本の戸惑いを、寺崎は叩きつけるように遮った。

その言葉を聞いて、坂本をはじめとする第一分隊の面々は、発射準備に動き出す。

 

甲雷の数は二十機。今のままでは、全ての投雷を阻止するのは不可能と言っていい。

そこで、寺崎は主砲を海面に撃ち込み、巨大な水柱を形成することで、敵雷撃機を撃墜、または針路を妨害をしようと考えたのだ。

甲雷は海面スレスレの低空を突き進んで来るし、「日向」は三十六センチ砲十二門を装備しており、十二本の巨大な水柱を作れる。

 

以上のことを考え、寺崎は可能だと判断したのだ。

 

眼下の第一砲塔、第二砲塔が右に旋回していく。

視界外だが、後方の第三〜第六砲塔も右舷に旋回し、海面に狙いを定めているだろう。

 

「日向」が主砲発射準備を進めて行く中、零戦の追撃を振り切った二機の甲爆が、計四発の五百キロ爆弾を投下する。

今回は急降下爆撃ではなく、絨毯爆撃だった。

「日向」の右前方から左後方に通過しつつ、徹甲爆弾を投下する。

 

「日向」の正面と左右に三発の敵弾が着弾して水柱を奔騰させた直後、旋回中の第一砲塔の脇に、敵弾が吸い込まれた。

刹那、真っ赤な火焔が躍り、基準排水量四万トンの巨艦を僅かに振動させる。

 

だが、被害はそれだけだった。

 

第一砲塔は先と変わらず旋回を続け、甲板からは火災も発生しない。

敵が命中させた爆弾は、表面の鋼材を吹き飛ばしただけだった。

 

「主砲。発射準備よし。撃てます!」

 

被弾の振動が収まると同時に、坂本が報告を上げる。

本来なら「測的よし」や「方位盤よし」と言った報告が続くはずだが、全て省略されている。

「日向」が狙うのは、右側の海面だ。高速移動する艦艇でなければ、弾着計算を行う陸地でもない。

よって、複雑な計算は不要なのだ。

 

「ブザー省略!撃ち方始め!」

 

寺崎は、力を込めて言った。

 

直後、真っ赤な火焔が「日向」の右側に躍り、同時に足元に落雷したかのような凄まじい砲声が寺崎の耳朶を震わせた。

「日向」の艦首から艦尾までを発砲の衝撃が貫き、艦全体が先の被弾以上に振動する。

「日向」が装備する三十六センチ連装主砲、六基十二門が一斉に咆哮したのだ。

 

発射された十二発の三十六センチ砲弾は、浅い角度で海面に突入し、それによって発生した凄まじいエネルギーによって、「日向」艦橋をも超える高さの水柱が、十二本も形成される。

 

高角砲の炸裂や機銃弾をかいくぐって来た甲雷でも、針路上に突然そびえ立った水柱を、全てかわすことはできなかった。

 

三機が水柱に巻き込まれ、五機が突っ込む。

 

海面から出現した海水の手に鷲掴みにされ、海に引きずり込まれたようだった。

莫大な水圧に押し上げられ、瞬時に浮力を失ったのだろう。

 

水柱の合間を縫って、十機前後の甲雷が姿をあらわす。

結果的に八機を撃墜したが、寺崎が期待したような、全機を一網打尽にするには程遠い。

主砲の水柱を使う、という奇策を使ったが、敵の雷撃を阻止するには至らなかったのだ。

 

その時、「日向」は艦首を右に振った。

橋本艦長は、敵の雷撃に備えて早めに舵を切らせたようだ。

 

艦全体をやや左に傾けつつ、「日向」は対空砲を撃ちまくりながら右へ右へと進んでゆく。

 

「日向」続き、前方の「伊勢」後方の「扶桑」「山城」も面舵を切る。

「日向」が先行する形となったが、第二戦隊の旧式戦艦四隻は、肉薄しつつある甲雷の編隊に艦首を向けた。

 

敵編隊と相対することによって、被雷面積を最小にする。

魚雷回避の上等手段だった。

正面を向いたことで、発砲可能な機銃群がめっきり減ってしまったが、それでも四十ミリ四連装機銃二基、二十五ミリ連装機銃四基が火を噴き続ける。

 

先頭の甲雷に、機銃の火力が集中した。

四十ミリ、二十五ミリの機銃弾が立て続けに直撃し、黒煙と無数の破片を撒き散らしながら、「日向」正面の海面に墜落する。

 

「いかん!」

 

寺崎は悲鳴染みた声を上げた。

甲雷と「日向」の距離はほとんどない。

今魚雷を投下されれば、高確率で艦首喫水線下を抉られてしまうだろう。

 

 

 

 

だが、甲雷のとった行動は、寺崎の理解を超えていた。

 

魚雷を投下することなく、風を巻いて四隻とすれ違ったのである。

 

「なんだ?」

 

寺崎は、首を捻った。

坂口や他の砲術員も、顔を見合わせる。

 

だが、答えはすぐにわかった。

 

 

「敵雷撃隊。二航戦に向かう!」

 

 

見張員の報告が、寺崎の耳に届いた。

 

 

 

 

 

 

 




どうする!多聞丸!(2回目)




感想待っとりますけん!


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第三十八話 炎の九七艦攻


イカ大王
「最近…小説がなかなか書けんなぁ、どうしたんだろう…?… ハ ッ、まさかプロのライターがよくなる『スランプ』というヤツでは無いか⁉︎(嬉)」


風巻
「絶対ちげえだろ。どう見てもアマチュアだろ!」






1

 

「後方より、敵雷撃機接近。数九!」

 

見張員の悲鳴じみた報告が「飛龍」艦橋内に響き渡った。

 

二航戦司令の山口多聞少将が「飛龍」の後方を見やると、接近してくる甲型雷撃機の凶々しい姿が、目に映る。

事前に何度も写真で見た姿だが、人類の航空機に見慣れた山口にとっては、異形の翼だ。

その怪鳥ともいえる九機の敵機が、第二戦隊の戦艦四隻を突破し、発艦作業中の「飛龍」を攻撃しようとしているのだ。

 

 

「こちらに矛先を向けて来たか…!」

 

山口は苦り切った表情を作った。

二航戦の針路は風上に合わせるため、南西にとっている。

北東から出現した敵編隊に対して反対方向になるため、運が良ければ……と、淡い期待を抱いていたが、簡単に打ち砕かれてしまったようだ。

 

「飛龍」はまだ発艦作業を終わらせていない。

「飛龍」よりも早く発艦を開始した「蒼龍」「龍驤」からは、「発艦、終了ス」と電文が来ていたが、飛龍」の飛行甲板上には、依然十機前後の九七式艦上攻撃機が残っている。

発艦させるべき航空機は零戦、九七艦攻合わせて二十四機。半分以上の航空機を上げたが、作業は終了していないのだ。

 

後方から近づいてくる敵雷撃機編隊に、水上機母艦「千代田」と、対潜警戒として二航戦の周辺に展開していた「嵐」「舞風」が立ちはだかる。

今まで「飛龍」の横や後ろを追従して警戒に当たっていた三隻だが、反転し、敵機と相対する。「飛龍」と敵雷撃機を結んだ線の軸線上に割り込み、その身を盾にするようにした。

 

「千代田」の十二.七センチ連装高角砲二基と、「嵐」「舞風」の十二.七センチ砲計六基が、「飛龍」を守るべく砲撃を開始する。

小太鼓を連打するような音が響き、敵編隊の周囲で砲弾が炸裂し始めた。

黒色の花火のような硝煙が立て続けに発生し、無数の破片や弾子が敵機の周辺にばら撒かれる。

 

 

砲弾炸裂の轟音が響く中、山口は「飛龍」の飛行甲板に視線を向けた。

残っている九七艦攻が、一機、また一機と飛行甲板を蹴り、大空へと舞っていく。

 

(焦るなよ……訓練通りにやるんだ)

 

山口は思った。

 

見たところ、順調に発艦作業は続けられているが、甲板作業員や艦攻搭乗員の間には焦慮の念が広がっているのがわかる。

発艦のテンポは通常よりも早く、甲板の縁を蹴る艦攻の動きはややぎこちない。

何十、何百と繰り返した動作でも、焦りながらやってしまっては大事故に繋がる可能性がある。

こういう時だからこそ、慎重に進めてほしいと考えていた。

 

 

一機の敵機が至近距離で砲弾の炸裂を受け、粉々に爆散する。

怪鳥の姿が一瞬で搔き消え、爆炎と黒煙が空中に湧き出した。

 

撃墜された敵機の正面を進んでいた敵機には、二十五ミリ機銃の火力が集中される。

無数の二十五ミリ弾が投網のように命中し、白煙を吐きながら空中をのたうつ。

その敵機は帰還不能だと判断したのか、とんがった機首を「嵐」に向け、残った力を振り絞りながら真一文字に突入した。

 

 

直後、「嵐」の後部ーーー第二、第三主砲の間ーーーに体当たりした敵機は、瞬時に消失し、変わって真っ赤な爆炎が艦後部に噴き上がった。

 

駆逐艦の小さい艦体が大きく打ち震え、凄まじい数の塵と火焔が四方に飛び散った。

瞬く間に速力が衰え、射撃を続けていた主砲三基と二十五ミリ連装機銃五基が沈黙する。

 

 

「千代田」と「舞風」も、無事ではすまない。

 

これら二隻には、多数の機銃掃射が叩き込まれた。

敵機の下部に発射炎が閃らめいた…と見えた刹那、真っ赤な火箭が噴き伸び、「千代田」「舞風」の艦上を舐め回す。

 

艦のいたるところに被弾の火花が散り、艦体を弾丸がえぐる甲高い音が艦中に響いた。

 

果敢に発砲していた二十五ミリ機銃座にも、容赦無く機銃掃射が牙を剥く。

巨大な手に薙ぎ払われたかのように、機銃員達が吹き飛ぶ。

 

二十五ミリ機銃には申し分程度の防盾しかつけられていない。

敵弾は、その防盾を容易く貫通し、兵員の肉体を打ち砕いたのだ。

敵弾は給弾マガジンや操作ハンドル、ペダルをえぐり、銃座そのものを鉄クズに変えてゆく。

多数の兵員が血反吐を吐きながら仰け反り、朱に染まった甲板に這う。

 

被害は機銃座以外にも及んだ。

 

艦橋を掃射された「千代田」は、窓ガラスの大半を叩き割られた上、射殺される艦橋要員が続出する。

短い悲鳴で倒れ伏し、同艦長の原田覚(はらだ ただし)大佐をはじめとする艦首脳も負傷した。

 

「舞風」は艦橋は無事だったものの、機銃座全てを粉砕され、甲板上には血で染まった凄惨な状態が広がっている。

 

「飛龍」を守るべく身を挺した三隻は、敵機の攻撃に打ち負け、完全に沈黙していた。

高角砲のみならず、機銃弾すら一発も放たれない。

 

 

ーーあらかた「千代田」「嵐」「舞風」の対空砲を潰した七機の敵機は、これら三隻の頭上を通過し、高速で突き進んでくる。

 

「撃ち方始め。一機も近寄せるな!」

 

「飛龍」砲術長の国分智(こくぶん さとし)少佐が、味方の被害に臆することなく指示を飛ばす。

一拍開けて、真後ろに指向可能な四基の十二.七センチ連装高角砲が、轟然と撃ち始めた。

発射された八発づつの高速弾は、風を巻きながら後方に飛翔し、敵機の周辺で炸裂していく。

爆圧で左右に機体を煽られ、最右にいた敵機が翼を海面に接触させる。その敵機は左翼の先端を起点にコマのように一回転し、海面に滑り込んだ。

水飛沫とともに機体が見えなくなり、残骸は小さな渦と一緒に海中に沈んでいく。

 

だが、それ以上は撃墜されない。

煽られてよろめく敵機はいるが、残った六機は砲火など見えていないかのようにひたすら距離を詰めてくる。

 

間髪入れずに対空機銃の砲火が出迎えた。

ボフォース四十ミリ機関砲、二十五ミリ機銃、合計二十門以上が咆哮し、凄まじい連射音と共に多数の機銃弾を吐き出す。

 

「まだか…発艦は!」

 

山口は再び甲板に目を向けた。

 

「一機撃墜!」という報告が聞こえたような気がしたが、山口の耳には届かない。意識は、完全に発艦作業の進み具合のみに向いていた。

 

残りの艦攻は二機。一機が甲板を滑り出したところだ。

フルスロットルを開きながら飛行甲板を疾駆し、発艦を目指す。

 

「敵機、投雷‼︎」

 

見張員が、半ば絶叫と化した声で報告する。

 

(来たか…!)

 

山口は血眼になりながら、「飛龍」甲板と後方から接近中の雷跡を交互に見た。

最後の艦攻が進み始める姿と、後方から近づいてくる十本前後の魚雷の姿、この両方が見える。

「飛龍」は後ろから近づく魚雷から逃げるような形のため、相対速度は遅い。

それでも、間に合うかどうかは微妙な位置関係だ。

 

 

山口の額を汗がつたい、爪が食い込みそうになるほど拳を強く握りしめる。

最後の九七艦攻は、飛行甲板の最後尾から進み始め、徐々に加速していく。

爆音を轟かせながら艦橋脇を通過し、ひたすら進む。

 

一分にも満たない時間だが、山口は凄まじく長く感じていた。

 

 

そして……。

 

艦攻は事故を起こすことなく、飛行甲板の縁を蹴り、大空へと舞い上がった。

 

「やった!」

 

山口は喝采を上げ、それに続く形で艦橋内で歓声が爆発する。

誰もが喜びや安堵の表情を浮かべており、「万歳」の声がこだました。

 

ギリギリではあったが、「飛龍」は第二次攻撃隊の全機発艦に成功したのだ。

発艦した第二次攻撃隊の零戦二十七機、九七艦攻三十三機は、取り決められた集合空域で編隊を組み上げているだろう。

 

「頼むぞ、友永…!」

 

山口は、上空で待機しているであろう第二次攻撃隊総指揮官に、そう呼びかけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「飛龍」の後部から衝撃が襲いかかり、巨大な水柱が奔騰したのは、丁度その時だった。

 

 

 

 

 

2

午前11時45分

 

第二次攻撃隊として発艦した戦雷連合六十機を率いる「飛龍」艦攻隊長の友永丈市(ともなが じょういち)大尉は、操縦桿を微調整しながら、正面上空の黒点の群れに攻撃隊を追従させた。

 

「怪盗を尾行する探偵みたいな気分ですね」

 

「違いない」

 

友永機で偵察員を務めている赤松作(あかまつ さく)特務少尉の笑いを含んだ言葉に、友永はそう答えた。

 

 

ーー第二航空戦隊司令部の当初の方針では、第二次攻撃隊は索敵攻撃を実施する予定だった。

索敵攻撃は失敗する可能性が高いが、そのリスクを負っても敵機動部隊を攻撃するという、リスクの高い苦渋の決断だったのだ。

 

だが、友永はそれを独断で封じ、別の攻撃法に切り替えた。

 

 

 

それは、「尾行」

 

深海棲艦の航空部隊は、第一次攻撃隊の帰還時を尾行して第一艦隊の位置を把握し、空襲を仕掛ける…という奇策を使ったが、友永はその時の敵に学んだ。

 

敵編隊は第一艦隊を攻撃したのち、空母に帰還するだろう。

その敵編隊を尾行し、敵機動部隊を発見次第攻撃する。一度深海棲艦が使った手だが、索敵攻撃よりは成功率は高いと思っていた。

現に、尾行を開始してから一時間の間、第二次攻撃隊は尾行対象の敵編隊に勘付かれていない。

ギリギリ敵編隊を見ることができる距離を保ちつつ、慎重に進撃したのが功を奏したのだ。

 

 

 

零戦二十七機、九七艦攻三十三機、合計六十機の第二次攻撃隊は轟々と高度三千の高空にエンジン音を響かせながら、尾行を続ける。

 

敵編隊が見えなくなりそうになったら速度を上げ、逆に近づきすぎたと判断すれば、速度を落とす。

周辺の雲量は多く、天然のヴェールとして攻撃隊を隠してくれていた。

太陽は右前方から上がっていくのが見えており、コクピット内に差し込んできた日光が、計器盤を照り輝かせている。

その反射光を眩しいと感じつつも、友永は正面上方に見える敵編隊から目を離さない。

敵編隊は先と変わらずに飛行しており、尾行している第二次攻撃隊に気付いた様子はなかった。

 

(問題は、敵機動部隊との距離だな…)

 

友永は、そう心の中で呟いた。

 

最低でも九七艦攻が往復できる範囲に敵機動部隊がいなければ、引き返さなければならないからだ。

もしもそうなってしまえば、危険を冒して発艦した意味がない。

攻撃隊を上げるために、第一艦隊は「飛龍」を戦列外に失うまでしたのだ。

 

友永は「飛龍」が被雷した時、その様子を上空から見ていた。

 

最低でも三本の魚雷が艦尾に命中し、「飛龍」の後部に巨大な水柱が上がったシーンは、鮮明に思い出せる。

 

自らの危険を承知で第二次攻撃隊を上げてくれた二航戦司令部や、現に犠牲になった「飛龍」乗組員のためにも、深海棲艦の敵空母は必ず撃沈しなければ…と、覚悟を新たにしていた。

 

 

そして、二十分ほど飛行した時だった。

 

 

 

「来た…!」

 

友永は短く叫び、自らの心臓が跳ね上がるのを感じた。

 

敵編隊が高度を落としつつある。

明らかに空母に着艦する仕草だ。

 

「全機、全機、こちら友永一番。敵編隊に動きあり。ただし攻撃隊針路、速度共にこのまま。今のうちは、奴らに味方だと思わせておく」

 

友永は、無線機の送信ボタンを押しながらそう言った。

 

もしも深海棲艦のレーダーに第二次攻撃隊が映っているのなら、帰還途中の味方だと思われている可能性が高い。

もしもそうなのであれば都合が良いため、少なくとも敵空母を目視確認するまでは、帰還中の深海棲艦機を装おうと考えたのだ。

 

「探偵の次は演者ですか…いつから帝国海軍は何でも屋になっちまったんですかね?」

 

こんな時にも関わらず、赤松は先と変わらない声色で言った。

 

流石は兵からのたたき上げで特務少尉の階級を得た人物である。

経験からくる胆力がしっかりと備わっていた。

 

「こりゃぁ喜劇か悲劇かわかりませんが、深海棲艦をあっと言わせる演技をしてやりましょう!」

 

赤松の後ろに座る電信員…村井定(むらい やすし)一等飛行兵曹も、赤松に続いて口を開く。

 

「そうだな」

 

二人の部下に頼もしさを感じつつ、友永はそう返した。

 

ーー深海棲艦機の編隊は高度を下げ続けており、先まで正面上空に見えていた黒点の群は、やや正面下方に見えている。

敵の高度は二千八百メートルほどだ。第二次攻撃隊よりも低い。

 

「友永一番より全機。毎秒五メートルの間隔で高度を落とす。俺に続け!」

 

そう全機に指示を飛ばし、ゆっくりと操縦桿を奥に倒した。

友永の操る九七艦攻の機首が微妙に下がり、高度計の針が反時計回りに動き出す。

 

「味方機…本機に続きます」

 

赤松が報告を上げる。

声色は、真剣そのものに変化していた。

バックミラーを見やると、三十二機の九七艦攻と二十七機の零戦が後続するのが見えた。

 

 

ーー第二次攻撃隊は、深海棲艦機編隊に続く形で三千…二千五百…二千…一千五百…と、高度を落としていく。

 

(雲が低い…)

 

友永は、周囲を見渡した。

 

周辺の雲は、かなりの雲量を持つことがわかる。

先までは第二次攻撃隊にとって重要な隠れ蓑だったが、それは敵艦隊にとっても同じだ。

高度千五百メートルを切ってもまったく海面が見えないのは、かなりの不安要素と言える。

 

それでも、第二次攻撃隊は薄っすらと見える深海棲艦機の後ろ姿を追いながら、高度を落とす。

 

高度計が一千メートルを指した時だった。

 

 

突如雲から抜け出し、視界いっぱいに青々とした海面が広がった。

 

 

「あいつか!」

 

友永の口からは、意識せずその言葉が飛び出していた。

 

前方の海面に見える多数の航跡。西から東に伸びており、東進していることを伺わせる。

単縦陣ではなく輪形陣を形成しており、その中央には三隻の大型艦がそれぞれ三角形の頂点に据えるように展開していた。

 

「敵艦隊見ゆ!」

 

友永は、正面の敵艦隊を凝視し、まじまじと観察する。

 

 

輪形陣の外郭には、四隻の巡洋艦と思わられる中型艦が三隻の大型艦を取り囲むように展開しており、駆逐艦と思われる小型艦三、四隻がそれら中型艦の間に収まっている。

輪形陣中央の三隻のうち一隻は、巨大な三脚マストを屹立させ、同じく巨大な砲塔四基を前部と後部に背負式に搭載しているのがわかるーー恐らくル級戦艦だろうーーが、他の二隻にはそれが無い。

艦首から艦尾まで平べったいまな板のようなものが乗っかっており、右側に艦橋のような構造物がちょこっと据えてある。

 

空母だ…。

 

「深海棲艦が空母を保有している噂は本当だったのか…」

 

友永が呆気にとられている間、赤松が切羽詰まった様子で叫んだ。

 

「友永隊長。敵編隊が!」

 

赤松の言葉が耳に入るや、友永は今まで尾行していた深海棲艦機の編隊に目を向けた。

半数前後の砲弾のような航空機が反転し、こちらに向かってくるのが友永の目を射た。

 

「くそっ。気付かれたか」

 

深海棲艦も馬鹿では無い。

雲というヴェールから抜け出し、この距離まで迫ったら流石に気付くというものだ。

逆に、敵艦隊を目視できる位置まで敵に勘付かれなかっただけでも良いのかもしれない。詳しくはわからないが、第一次攻撃隊は敵艦隊に取り付く前に多数の艦爆を撃墜されたと聞く。

 

それに比べてばどうということはない。

 

 

友永の命令より早く、制空隊が動く。

十八機の零戦が増槽を切り離し、その華奢な機体を敵編隊に相対させた。

 

「艦攻隊続け!」

 

友永は制空隊の動向を気にしつつ、無線機に怒鳴り込んだ。

同時に操縦桿を奥に倒し、九七艦攻を海面すれすれの低空へと誘う。

「飛龍」隊、「蒼龍」隊、「龍驤」隊の各艦攻隊は、直掩隊の零戦九機と共に急速に高度を下げた。

 

頭上では、制空隊と敵編隊の熾烈な空中戦が開始されている。

彼我の機体が縦横無尽に飛び回り、互いの機銃弾を叩き込む。

零戦は持ち前の機動力を存分に活かして甲型戦闘機をきりきり舞いにさせるが、甲戦も負けていない。

二機一組として、性能で勝る零戦に挑んでいく。

一機を狙うのに夢中になっていた零戦の側面を、もう一機の甲戦が突き、射弾を放った。

だが零戦は急加速で敵弾に空を切らせ、急接近した甲戦に二十ミリ弾を一連射する。

二十ミリという大口径機関砲弾にえぐられた甲戦は、破片と黒煙を吐きながら高度を落とす。

残った甲戦は諦めじと零戦を狙うが、その零戦はくるりと機体を捻り、甲戦をドックファイトに引きずり込む。

 

 

零式艦上戦闘機と甲型戦闘機の空中戦の眼下を、友永率いる艦攻隊はひたすら突き進んだ。

正面には敵艦隊が見えいるが、肉薄までは程遠い。

必中を期すには、まだ距離を詰める必要があった。

 

「友永一番より艦攻全機。突撃隊形作れ」

 

友永は、指揮下の艦攻隊に指示を飛ばした。

 

友永の指示を受信するや、三十三機の九七艦攻は各艦攻隊ごとに横一列に展開する。

 

 

味方機が突撃隊形に移行したのを見計らって、友永は新たな指示を出した。

 

「『飛龍』隊目標、敵空母一番艦。『蒼龍』『龍驤』隊目標、敵空母二番艦。全軍突撃せよ!」

 

そう言った直後、艦攻全機は一斉にフルスロットルを開いた。

風圧で海面に水飛沫が盛大に上がり、高度六メートルの超低空で三十三機の艦攻が突撃を開始した。

 

眼下に見える海面は凄まじく近く、高速回転するプロペラが海面を叩きそうだ。高度六メートルは、少しのミスが命取りになる途方もなく危険な高度である。

だが、飛行時間一千時間を超えるベテラン勢が揃った二航戦艦攻隊は、事故を起こすことなく、その高度をひたすら進撃する。

 

 

「正面上方、敵機!」

 

赤松が叫んだ。

友永が目を向けると、五、六機の甲型戦闘機の姿が見える。

恐らく、艦隊上空を警戒していた直衛の戦闘機部隊であろう。

 

直掩隊の零戦が突出する。

友永機の頭上や左右を風を巻いて通過し、敵機に立ち向かう。

 

次の瞬間、零戦と甲戦は高速ですれ違った。

零戦一機と甲戦三機がほぼ同時に火を噴き、数秒と経たずに海面に叩きつけられる。

 

甲戦と艦攻隊の距離はほとんどない。刹那、直掩隊を突破した四機の甲戦は機体下部に発射炎を閃らめかせた。

 

九七艦攻は九九艦爆と違い、正面に発砲できる機銃を装備していない。

よって、敵機への対応は回避のみに限られる。

甲戦が放った射弾が到達した時、友永機はそこにいなかった。

機体を捻って、機銃弾に空を切らせている。

 

だが、艦攻隊全体から見れば無事とは言えなかった。

 

敵弾を回避した友永機の左真横から、真っ赤な閃光が発せられる。

友永が首をひねると、機体を炎上させる九七艦攻の姿が見えた。

位置的に、「飛龍」艦攻隊二番機の世良泰(せら やすし)飛行兵曹長が操る艦攻であろう。

「飛龍」に着任したての友永を、艦攻隊二番機の機長として支えてくれた若い艦攻乗りの乗機が、真っ赤に燃えている。

その炎は、コクピットまで及んでいた。

 

「世良…!」

 

友永は叫んだ。聞こえないとわかっていたが、叫ばずにはいられなかった。

その声に反応するかのように、世良が友永に向けて敬礼する。

 

己の身を火焔に焼かれながら、世良は立派な敬礼を送ったのだ。

 

世良機の底部から黒い塊が投下され、海面に水飛沫を上げる。

敵艦隊との距離はまだ遠いが、タダではやられたくないと思ったのだろう。

直後、世良機は海面に滑り込み、バラバラに砕け散った。

艦攻隊は全速力を出しているため、白い水飛沫はすぐに後方に過ぎ去る。

 

「仇は打つ!」

 

友永はそう短く叫び、再び正面の敵艦隊を睨みつけた。

 

機銃を乱射させながら艦攻隊の頭上を通過した敵機を追い、直掩隊の零戦も頭上を通過する。

 

敵機による被害は、世良機のみだった。

敵機は、艦攻隊の後方で直掩隊に捕捉されており、一機、また一機と撃墜されている。

 

敵機の迎撃を排除した艦攻隊に、新たな壁が立ちふさがった。

艦攻隊の周囲で爆発が連続し、衝撃が各九七艦攻に襲いかかる。

 

敵艦隊が対空射撃を開始したのだ。

 

輪形陣の外郭を固める巡洋艦、駆逐艦。輪形陣の内側に位置している戦艦、そして空母までもが、自らの身を守るために高角砲を咆哮させる。

 

真っ正面の至近距離で炸裂を喰らった九七艦攻は、プロペラを吹き飛ばされ、エンジンカウンタリングを引き裂かれ、機体のいたるところをえぐられる。

一瞬で推力を失った艦攻は、ジュラルミンの破片を飛び散らせながら海面に滑り込んだ。

 

とある九七艦攻は、左真横で炸裂を受ける。

左主翼がバッサリと弾き飛ばされ、瞬間で錐揉み状態に陥った。

くるくると回転しながら海面に叩きつけられ、盛大に水柱を発生させた。

 

頭上で砲弾が炸裂した九七艦攻は、向かってきた鋭利な破片で搭乗員が即死した上、爆圧で機体を海面に接触させる。

次の瞬間、勢いよく機首を海中に、機尾を空に向け、墜落していった。

 

三機を瞬く間に撃墜された艦攻隊だが、怯まずに突撃を続ける。

 

友永の視界内には、巡洋艦一隻と駆逐艦三隻、絶え間無く炸裂する敵弾の姿が捉えられていた。

巡洋艦から発せられる発射炎の数が、駆逐艦の倍以上あるのがわかる。

対空特化の、ヘ級軽巡洋艦なのかもしれない。

 

友永は、操縦桿を若干右に倒した。指揮下の九七艦攻も友永機に続く。

正面に見えていた巡洋艦が左に流れ、対空砲火の密度がやや薄くなったのを感じた。

それでも、左右や上方で立て続けに砲弾が炸裂し、機体を煽る。

炸裂の爆音が友永の耳をつんざき、四方に飛び散った敵弾の破片が機体を叩く。

 

対空砲火は高角砲のみではなかった。

機銃も射撃を開始したらしく、無数の敵弾が艦攻隊に迫る。

拳ほどの大きさを持つ敵弾が友永機の頭上を掠め、後方に過ぎ去った。

 

「八番機被弾!『蒼龍』隊にも被害!」

 

赤松が報告をあげた。

 

左右に首を振ると、味方機が黒煙を吐きながら海面に突っ込んだ瞬間が、友永の目に映った。

立て続けに四機が敵弾を喰らい、撃墜されてしまったのだ。

 

これで三十三機いた艦攻隊は、八機を撃墜されて、二十五機にまで減ってしまった。

艦攻隊の雷撃力の低下は免れないであろう。

 

 

それでも、突撃は続く。

 

友永は、鋭い視線で輪形陣の穴を探した。

 

敵空母に肉薄するためには、深海棲艦の外郭ラインを突破するしか無い。だが、このままでは突破までに多数を撃墜されかねないと判断したのだ。

 

「巡洋艦と駆逐艦の間をすり抜ける!」

 

友永は、そう一喝するように指示を出した。

正面には盛んに射弾を飛ばす巡洋艦と、同じく対空火器を撃ちまくる駆逐艦が見える。

それでも、両艦の間は対空砲火が薄くなっているのを、友永は見抜いていた。

 

艦攻は、低空からひたすら敵艦と敵艦の間を目指す。

 

頭上には凄まじい数の敵弾が通過しており、眼下には海面が広がっている。

少しでも高度を上げれば敵弾に粉砕され、少しでも高度を下げれば海面に接触して墜落する。

 

敵弾と海面。この狭間の、狭い空間を二十五機の九七艦攻は突き進んだ。

 

 

巡洋艦と駆逐艦が迫り、輪郭がはっきりとしてくる。

 

(へ級じゃない?)

 

友永は深海棲艦の艦種識別表を思い出し、首をひねった。

 

ヘ級軽巡洋艦は、十五センチクラスと思われる三連装主砲を前部と後部に二基ずつ配置しているが、右前方に見える敵巡洋艦は、駆逐艦に搭載するような小型の砲塔を、前部と後部に三、四基ずつ配しているのがわかる。

艦橋も、今までの深海棲艦の軍艦を印象付けていた三脚マストではなく、タ級戦艦のような箱型のそれに変化していた。

 

小口径砲の多数搭載、凄まじい対空砲火。

 

友永は思いたある節があった。

 

米海軍のアトランタ級軽巡洋艦と、帝国海軍の青葉型防空巡洋艦だ。

 

それぞれ、駆逐艦に搭載するような小口径高角砲、両用砲を主砲として多数搭載しており、「対艦能力の向上の著しい敵機から味方艦隊を守る」というコンセプトの元、生まれた艦だ。

 

右前方に見える巡洋艦は、深海棲艦が人類と同様の考えの元に建造した、防空新鋭艦なのかもしれない。

 

「だったら…!」

 

友永は、艦攻隊を危険な空域に誘導してしまったことになる。

 

「九番機がやられた!」

 

「七番機被弾!」

 

無線機から悲鳴じみた報告が上がり、それとほとんど同時に赤松が被弾機を報告する。

敵新鋭巡洋艦に近い二機の艦攻が、立て続け様に墜とされたのだ。

 

 

「怯むな。空母を叩くぞ!」

 

友永は、全味方機に大声で宣言した。

多数を撃墜されたが、依然二十機以上の九七艦攻が生き残っている。

制空戦の確保の為には、なんとしてでも敵空母を叩かなければならなかった。

 

駆逐艦と敵新鋭巡洋艦の間を、艦攻隊は高速で通過する。

 

次の瞬間、二十三機の九七艦攻は輪形陣の内側に侵入した。

 

正面には、二隻の敵空母と護衛の戦艦の姿が見える。

無数の射弾を飛ばしつつ、自らの身体を捻る巨鯨のように大きく回頭していた。

 

輪形陣の内側に浸入したことにより、艦攻隊は正面と後方から対空砲火を受ける羽目になった。

 

後方から敵の機銃弾を直撃された九七艦攻は、尾翼を吹き飛ばされ、よろけながら海面に滑り込む。

逆に正面から機銃弾を喰らった九七艦攻は、三羽のプロペラを歪ませされ、「栄」発動機を粉砕されて、火焔と共に爆散する。

 

 

その時、敵戦艦の艦首に、艦橋をも優に越える高さの巨大な水柱が奔騰した。

その巨体が大きく打ち震え、ル級は大幅に減速する。

次いで水柱は巨大な火柱に変化し、ル級の前部を黒煙とともに覆い隠す。

 

「世良の魚雷か!」

 

友永は歓声を上げた。

 

世良機は、敵機に機銃弾を叩き込まれ、数分前に撃墜された。

だが、海面に接触する寸前に魚雷を放っている。

狙いをつけて放たれたものではなく、距離も遠い。

その魚雷が命中するとは思えないが、他に何も考えられなかった。

 

現に、敵空母に寄り添っていたル級には、一本の魚雷が命中しているのだ…その事実は変わらない。

 

艦首喫水線下に大穴を穿たれたル級戦艦は、大量の海水が浸水したらしく、艦首を大きく沈め、ノロノロと進むしかしていない。

大量に放たれていた火器は全てが沈黙しており、艦攻隊の正面から迫る対空砲火の数は大幅に減っている。

 

友永機は炎上するル級戦艦の脇を通過し、敵空母に肉薄した。

 

(『加賀』や『赤城』に劣らんな…)

 

友永は、今まで人類の前に姿を晒さなかった深海棲艦の正規空母を、まじまじと見やった。

大きさは、帝国海軍が誇る基準排水量三万トン越えの「赤城」「加賀」に劣らない。

米海軍の「レキシントン」「サラトガ」と共に「世界の四大空母」と謳われた、大型空母二隻に匹敵する巨体を、深海棲艦の空母は持っていた。

 

友永は、敵空母二隻の動向にも目を凝らした。

二隻は、艦攻隊の右前方から左前方に抜ける針路を取っていたが、変針し、左前方からこちらに向かってくる針路に変化している。

 

艦首をこちらに向けており、被雷面積を最小にするつもりなのがわかった。

 

「悪あがきだ…」

 

友永は、薄く笑った。

 

敵空母との距離はほとんどない。

訓練された艦攻乗りならば、ほぼ100%の確率で命中させることができるだろう。

 

照準器の中央に敵空母一番艦を据える。

 

距離は一千メートルも無い。

高度六メートルの超低空飛行を実施している身には、敵空母の舷側やアイランド型の艦橋が、見上げんばかりの高さを持っていた。

 

「『飛龍』隊全機。投雷!」

 

友永は、頃合いよしと判断し、無線機に怒鳴り込んだ。

同時に投下レバーを力強く倒し、足元から機械的な音響が鳴り響く。

 

 

「飛龍」隊の残存十一機は、一斉に重量八百キロの九一式航空魚雷を投下し、敵空母二番艦を狙った「蒼龍」隊、「龍驤」隊の艦攻も、同様に航空魚雷を投下する。

 

投下した直後、八百キロの重荷を切り離した反動で、九七艦攻の機体が跳ね上がる。

友永は微妙なさじ加減で操縦桿を操り、高度が上がった愛機を元の高度に戻す。

未だに対空砲火は襲って来ているため、機銃弾を喰らう危険があったからだ。

 

友永機は敵空母の右側を、後方へと抜けた。

他の艦攻も同じであり、空母の左右を通過して後方へと通過していた。

 

「どうだ…?」

 

友永がそう呟き、バックミラーに視線を移した時。

 

敵空母の巨体が熱病にかかったかのように大きく震え、凄まじく巨大な水柱が天高くつき上がった。

敵空母は大きく仰け反り、艦尾は衝撃で沈み込む。

 

被雷は連続する。

二度、三度、四度と高々と水柱が奔騰し、ル級と同じく火柱に変化していった。

 

「よし!」

 

友永は歓声を上げた。

友永だけでなく、後部座席に座る赤松や村井も喜んでいる。

艦攻隊は、歓喜に包まれていた。

 

敵空母一番艦が大火災で停止した時、二番艦も同様に大損害を被っていた。

一番艦は計五本の魚雷を艦首に喰らったが、二番艦は四本を艦首に、三本を艦首付近の舷側にと、計七本を喫水線下に撃ち込まれた。

 

一番艦は艦首からだけだが、二番艦は艦首に加えて左右舷側からも黒々とした黒煙を噴き上げている。

心なしか、艦全体が沈んでいっているように見える。

 

 

 

二隻の空母が遠からず海中に没するのは、誰の目にも明らかだった。

 

 

 

この時、友永機の通信機からは、電文が飛んでいる。

 

 

 

“我、攻撃終了。戦艦一、大破。空母二、沈没確実。第三次攻撃隊ノ用ヲ認メズ。今ヨリ帰投ス。一二三八”

 

 

 

 

 

 

 




次回からはいよいよ本番!

第一艦隊の戦艦七隻と深海棲艦太平洋艦隊の戦艦八隻が激突します!


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第三十九話 Z旗が靡く時


ぜひ「天気晴朗ナレドモ波高シ」をBGMとして聞いて頂きたい!


1

 

午前中の航空戦の最中、第一艦隊「主力隊」は、艦隊陣形を第一警戒航行序列から各個の単縦陣に再編成し、一路敵艦隊へと向かっていた。

敵機の空襲で少しの遅延が生じていたが、敵艦隊を捕捉できない距離にまで遅れた訳ではなく、今までの巡航速度で進撃している。

 

「前哨戦は痛み分け…か」

 

その「主力隊」の旗艦、戦艦「大和」の羅針艦橋では、第一艦隊司令長官の高須四郎(たかす しろう)中将が、喜色とも憂色とも取れぬ表情でそう呟いていた。

高須の右手には、第二航空戦隊の「蒼龍」から送信されてきた戦果・被害報告書が握られている。

 

「制空権確保の観点から見れば、良しと言えますが…。この被害は予想外ですね」

 

第一艦隊参謀長の小林謙吾(こばやし けんご)大佐は、憂色な表情を浮かべた。

 

 

ーー本日午前九時頃から始まった航空戦で、二航戦は敵空母二隻・巡洋艦、駆逐艦各一隻を撃沈し、戦艦、巡洋艦各二隻を損傷させた。

深海棲艦の水上砲戦部隊と空母機動部隊に一回ずつの攻撃隊を放ったため、多数の敵艦に被害を与えることができたのだ。

 

その中でも、敵空母二隻の撃沈は大きい。

 

敵の航空兵力を押さえ込んだことというのは、これからの戦いを有利に進められることだろう。

以上の大戦果を見ると、二航戦の完全勝利のように感じるが、日本側の受けた被害も大きかった。

 

「『飛龍』『鈴谷』『嵐』が大破。『舞風』が中破。『陸奥』『日向』『千代田』が小破、ですか…。深海棲艦も、なかなかやりますね」

 

首席参謀の津ヶ原伊織(つがはら いおり)大佐が、顔を歪めた。

 

 

中でも「飛龍」の被害は大きい。

 

「飛龍」は艦尾に三本の魚雷を喰らい、推定二千トン以上の海水を飲み込んだ。

浸水は辛うじて止められたが、それによって艦首が上がり、艦尾は沈むという危険な状態に陥っている。

スクリューや舵は被雷によって全てが破壊されており、自力航行はまったくの不可能だった。

 

被害は艦艇だけでは無い。

 

攻撃の先鋒を務めた第一次攻撃隊は五割の損耗率、敵空母を叩いた第二次攻撃隊は四割の損耗率であり、出撃した百三十二機のうち六十六機の零戦、九九艦爆、九七艦攻が撃墜された。

 

航空機搭乗員も多数が戦死し、人的被害は膨大なものとなる。

中でも、神がかった技量を持った搭乗員の損失から来るダメージは大きい。

そのような搭乗員は、一朝一夕で育成できるものでは無いからだ。

下手をすると「飛龍」大破よりも後に響くものかもしれない。

 

 

「戦争は相手がいるものだ。むしろこの程度の損害で済んで、良かったのかもしれぬ」

 

高須はそう言いながら報告書から目を離し、被害艦についての指示を出した。

 

「…『鈴谷』『嵐』『舞風』は一個駆逐隊を護衛に付けて日本に帰還だ。『陸奥』『日向』『千代田』は応急修理の後、早急に戦列に戻ってもらう」

 

高須を初めとする第一艦隊司令部では、決戦前に戦艦を失うことを危惧していた。

深海棲艦の使用可能な戦艦は八隻と予想されているが、第一艦隊の戦艦は七隻であり、一隻少ない。

この戦力差をさらに開かせる訳にはいかないからだ。

 

「鈴谷」を戦力外に失ったのは痛手だが、戦艦を失わなかった事に、高須は満足していた。

 

 

 

 

「『飛龍』は………どうなさるのですか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「放棄だ」

 

 

 

 

若干の沈黙の後、津ヶ原が恐る恐ると聞くと、高須は重々しい声でそう言った。

表情は沈痛なものに変化していたが、一切の妥協を許さない声だった。

 

「それは…!」

 

ーーいくらなんでも

 

という台詞を、津ヶ原は飲み込む。

 

「飛龍」はスクリュー、舵を完全破壊された上、凄まじい量の海水を飲み込んだ。

極端に前部の浸水が少なく、後部の浸水が多いという状態に陥っており、艦体はかなり傾いてしまっている。

 

自力の航行が不能な以上、取るべき手段は他艦による曳航しかないが、それも難しい。

 

「飛龍」ともなる巨艦ならば、曳航可能な艦艇は限られてくる。

二千トンの海水を腹に入れた今じゃ、なおさらだ。

駆逐艦や巡洋艦ではまず不可能なため、おのずと戦艦が曳航しなければならなくなるが、第一艦隊の戦艦が決戦前に抜けるわけにはいかない。

複数の巡洋艦や駆逐艦で曳航する手もあるが、速力は致命的にまで遅くなるだろうし、「飛龍」は浸水により艦首と艦尾の高低差がかなりあるため、そもそも複数の曳航縄を結ぶことすら難しいだろう。

 

 

だが、「飛龍」を見捨てるのは惜しい。

小林が高須に反論する。

 

「『飛龍』は基準排水量二万トンを超える正規空母です…航空機搭載機数も多い。そのような有力な空母は、これからの深海棲艦との戦闘で必ず必要となる時が来ます。奴らが空母を保有していると判明した今ならば、なおさらです」

 

それに…と、小林は言葉を続けた。

 

「彼女はまだ沈んでません。乗組員も艦を祖国に帰してやろうと頑張っています。諦めるのは早いのでは?」

 

「………」

 

小林の力説に、高須は少し黙る。

数秒間目を閉じ、何かを考えるように両手を組んだ。

 

そして目を見開き、言葉を発する。

 

「我々が救うのは日本であって、『飛龍』では無い。貴官の言うことには一理あるが、『飛龍』の曳航はどうしても難しいのだ…。それならば一秒でも早く退艦命令を出し、一人でも多くの将兵を救ったほうが良いと判断する」

 

「しかし…」

 

と小林は唸り声を上げたが、一礼をして引き下がった。

 

参謀の役割は司令官の補佐であり、命令権は持たない。

それは、小林が参謀長であっても変わらないことだった。

 

「肝心なのは、敵主力との砲戦だ。『飛龍』を失っても、『主力隊』が勝利すれば取り返せる」

 

「最終的に決着をつけるのは、あくまで戦艦同士の決戦…ということですか」

 

高須の言葉に、津ヶ原はそう反応する。

 

高須は報告書から目を離し、幕僚の方に振り向いた。

その表情は、先の鎮痛なそれから変化している。

 

大日本帝国海軍の主力ーーー栄光の第一艦隊を率いる、武人の顔になっていた。

 

「敵主力艦隊の針路は変わってないな?」

 

高須は、覚悟を決めたような声で津ヶ原に質問した。

 

 

ーーー第一艦隊が空襲を受けている最中…「深海棲艦の主力が南に針路を取った」と、同艦隊を監視中の索敵機から報告が届いている。

 

敵主力の突然の針路変更に、司令部からは様々な憶測が出ていた。

とある参謀は「第一次攻撃隊から受けた被害で、フィリピン救援を諦めたのではないか?」というものもいた。

 

だが、高須はそうは考えていない。

 

敵主力艦隊の針路と、現在の第一艦隊の針路は、進行方向で重なっているのだ。

おそらく、第一次攻撃隊を尾行した敵編隊からの通信で第一艦隊の位置を把握し、それと会敵するために針路を変更したのだろう。

 

深海棲艦は、第一艦隊がこの海域に存在する限りフィリピンには近づけないと判断したのかもしれない。

第一艦隊を目指して、堂々と突き進んできたのだ。

 

 

「敵主力の針路は変わっていません。このままでしたら四十分後にはお互いを視界内に収めるでしょう」

 

津ヶ原はそう返答した。

 

その言葉に、幕僚たちの表情が引き締まったものとなる。

 

 

ーーー第一艦隊の挑戦に、深海棲艦は受けつつある。

 

日本側の戦力は戦艦七隻、重巡二隻、大型軽巡五隻、軽巡二隻、駆逐艦十八隻。

深海棲艦側の戦力は主力艦隊と機動部隊を合わせて、戦艦八隻、巡洋艦九隻、駆逐艦二十八隻。

 

戦艦を中心とする七十二隻の艦艇が、西部太平洋の広大な洋上を舞台に、人類史上最大の海戦を繰りひろげようとしている。

 

日本海軍の軍人が一度は憧れた、戦艦同士で小細工なしの、堂々とした決戦だ。

 

相手は、帝国が長年ライバルとしてきた米英ではなく深海棲艦という異形の敵だが、それでも変わらない。

 

 

 

高須は制帽を深く被ると、大きな声で命令を発した。

 

 

「第一艦隊。針路、速度共にこのまま…これより我々は、深海棲艦主力と雌雄を決する!」

 

 

2

 

「日向」が敵艦隊を視界に収めたのは、四十五分後の午後1時44分だった。

 

 

「敵艦らしき艦影を視認。本艦よりの方位25度。距離三八〇(約三万八千メートル)!」

 

測的用の十五センチ大双眼鏡を覗いていた「日向」坂本譲(さかもと ゆずる)測的長の報告が、「日向」砲術長の寺崎文雄(てらさき ふみお)中佐らがいる射撃指揮所に響いた。

 

坂本は寺崎が「足柄」の砲術長の時からの部下であり、共に第一次ルソン島沖海戦を戦った仲である。

その部下の言葉に、寺崎は落ち着いた声で反応した。

 

 

「来たか…」

 

 

「日向」は戦艦群の中で五番艦の位置であり、正面には「大和」「長門」「陸奥」「伊勢」の四隻の後ろ姿が見える。

「日向」の艦橋トップから見えたということは、より前にいる四隻では、とっくに視界内に収めているだろう。

 

現に、五分ほど前に“大和」から“電探感三、本艦ヨリノ方位25度。距離四〇〇、深海棲艦ノ主力ト認ム”と、敵艦隊出現の報が伝えられてあった。

それでも、「日向」艦橋から見えたということは、それだけお互いの距離が詰まったということだ。

 

世紀の大海戦の予感に「日向」の全将兵は、覚悟を新たにしていた。

 

「観測機より入電。“敵ノ並ビハ、駆三十、巡九、戦八。駆逐艦ト巡洋艦ハ、各個二単縦陣ヲ形成シツツアリ。一三四〇(13時40分)”です」

 

射撃指揮所に水兵が入室し、通信室から来たであろう伝令を伝えた。

 

十五分ほど前に、第一艦隊は弾着観測機を発進させている。そのうちの一機が、敵艦隊の陣形を通報したのだろう。

 

「深海棲艦の陣形も、我々とそう変わりませんね」

 

「ああ、奴らも艦隊戦はこうした方が有効に戦えると理解しているんだろうな」

 

見定めるように言った坂本に、寺崎はそう答えた。

 

“駆三十、巡九、戦八”というのは、駆逐艦三十隻が前衛を務め、中衛が九隻の巡洋艦、最後に戦艦八隻が続く、ということを示している。

 

「主力隊」の陣形も、深海棲艦と大差はない。

 

第三水雷戦隊と第四水雷戦隊がそれぞれの旗艦「鬼怒」「那珂」を先頭に各二つの単縦陣を形成して先陣を切り、その後方に第七、五、八戦隊の順で、単縦陣を組んだ巡洋艦戦隊が続く。

そしてその戦隊の後方に、第一、二戦隊が後続するのだ。

 

日本海軍も駆、巡、戦の並びであり、深海棲艦の陣形と似通っていた。

 

 

ーーー寺崎がそんなことを考えているなどいざ知らず、第一艦隊と敵艦隊は、荒波を乗り越え、飛沫で甲板を濡らし、ひたすら距離を詰めてゆく。

 

「距離三五〇!」

 

「距離三〇〇!」

 

大双眼鏡を見ている坂本が、数分おきに敵艦隊との距離を報告する。

お互いが近づき合っているため、彼我の距離はみるみるうちに近づいていった。

 

(反航戦か?それとも変針しての同航戦?)

 

寺崎は、脳裏で彼我の針路を描いた。

 

敵艦隊は、「日向」よりの方位25度…すなわち右前方に見えている。

このまま敵が変針しなければ、第一艦隊の右側を前から後ろへすれ違う形になるだろう。

もしもそうなれば、反航戦で戦いは推移することになる。

だが、片方がT字を描き、もう片方も対抗して同じ針路に変針すれば、反航戦ではなく同航戦になる。

 

どちらの方で海戦が展開されるかは、まだわからなかった。

 

 

 

その時。

 

 

「大和」の後部マストに、一つの旗がするすると掲げられた。

 

旗は、海風に吹かれて激しく靡く。

 

旗全体をXに分割し、上を黄色、下を赤色、左を黒色、右を青色にカラーリングした旗。

そして、かの日本海海戦で当時の連合艦隊旗艦の「三笠」に掲げられた、誇り高き旗。

 

 

ーーZ旗だ。

 

 

第一艦隊司令部は、日本海海戦の東郷元帥(東郷平八郎元GF長官)に習い、将兵鼓舞のためにZ旗を掲げたのだ。

 

Z旗掲揚に続く形で、「大和」の艦橋に発光信号の光が閃らめく。

 

「『大和』艦橋に発光信号。“皇国ノ興廃、コノ一戦二アリ。各員一層奮励努力セヨ”!」

 

坂本が、大声で信号内容を報告する。

 

「味な真似しやがる」

 

寺崎は、眼帯を撫でながらほくそ笑む。

そして、自らの胸が熱くなるのを感じた。

 

「みんな。やるぞ!」

 

「応!」

 

寺崎の言葉に、主砲操作を司る第一分隊の面々はそう答えたのだった。

 

「距離二八〇!」

 

「艦長より砲術。司令部から指示が来た。砲撃距離は二万五千メートル。我々は敵五番艦を目標にする」

 

敵艦隊との距離が二万八千メートルを切った時、羅針艦橋にいる「日向」艦長の橋本信太朗(はしもと しんたろう)大佐から指示が出た。

 

「了解。目標敵五番艦。距離二万五千で砲撃開始します」

 

橋本の命令内容を、寺崎は復唱する。

 

そして双眼鏡を覗き込み、接近中の敵艦隊に筒先を向けた。

丸い視界の中に、艦首をこちらに向ける駆逐艦、巡洋艦、戦艦の姿が見える。

 

その時、坂本が報告を上げた。

 

「『大和』面舵!」

 

報告を聞いて反射的に双眼鏡を正面に向けると、右に舵を切る巨艦ーー「大和」が、視界全体に広がった。

 

二番艦「長門」も、「大和」が転舵した地点に到達すると面舵に舵を取り、「大和」に続く。

三番艦「陸奥」、四番艦「伊勢」も同様だ。

 

四隻の戦艦は、見えざる糸によって繋がれているかのように、一糸乱れずに変針していく。

やがて、「日向」も「伊勢」に後続する形で右に転舵する。

正面に見えていた味方駆逐艦や、巡洋艦。敵艦隊が視界の左に流れ、次いで、先に変針した「大和」や「長門」の後ろ姿が見え始める。

 

「『扶桑』面舵。…続いて『山城』面舵!」

 

見張員が大声で報告する。

 

これで第一艦隊の戦艦は、敵艦隊に対してT字を描くことになった。

 

第一次ルソン島沖海戦では、第三艦隊もT字戦法を使用したが、大損害を出している。

その海戦を経験した寺崎にとっては必勝戦法と思えなくなっていたが、有効な戦術なのは間違いなかった。

 

他の水雷戦隊や巡洋艦戦隊は針路を変えておらず、敵艦隊との距離を詰めていく。

 

「電測より射撃指揮所。敵駆逐艦、巡洋艦増速。戦艦は増速しつつ取り舵!同航戦に突入します!」

 

寺崎は、それを聞いて深海棲艦の戦艦八隻に目を向けた。

 

一番艦のタ級戦艦を先頭に、続々と取り舵を切っている。

第一艦隊の戦艦群に劣らず、一本の線のように変針していった。

 

これによってT字は意味をなさなくなるが、司令部はこれが狙いなのだろう。

 

正面からの殴り合いーー同航戦へと敵戦艦を引きずり込んだのだ。

 

「主砲、左砲戦。目標、左舷二万五千メートルの敵五番艦。測的始め!」

 

敵戦艦群が直進に戻ると同時に、寺崎は指示を飛ばした。

坂本を始めとする砲術科員たちは、素早く動き出す。

 

目標の速度、距離、大きさを三角法で弾き出し、それに湿度や風速、風向き、気温などのデータを加えて計算する。

それによって出された仰角、旋回角に従って、眼下の巨大な主砲がゆっくりと動き出す。

視界外だが、後部の第三、第四、第五、第六砲塔も敵五番艦を狙うべく左舷側へと旋回しているだろう。

 

 

 

「三水戦、四水戦。敵駆逐艦との戦闘に突入!」

 

「『最上』『三隈』射撃開始!第五戦隊も撃ち方始めました!」

 

双方の戦艦が睨み合う中、その間の海域では、一足先に戦闘が開始される。

 

駆逐艦の十二.七センチ砲、巡洋艦の十五.五センチ砲、二十.三センチ砲が立て続けに咆哮し、火焔と砲弾を敵艦目掛けて発射する。

 

遠雷のような轟音がひっきりなしに響き、寺崎の耳に届き始めた。

 

 

 

「『大和』より発光信号。“撃チ方始メ”!」

 

 

見張員が報告を上げた刹那、「大和」が発砲する。

 

「大和」の左側に向けて、凄まじく巨大で真っ赤な火焔が噴き出し、数秒の間を空けて雷鳴のような砲声が「日向」に届く。

 

後部マストに掲げられているZ旗が、爆風で激しくはためくのが、寺崎の目を射た。

 

「測的よし!」

 

「方位盤よし!」

 

「主砲、発射準備よし!」

 

「長門」や「陸奥」が発砲する中、射撃指揮所の各部署から報告が入る。

 

寺崎は、主砲発射を予告するブザーボタンを押した。

ブザー音が艦内に鳴り響き、乗組員は主砲発射に備える。

 

そして…息を大きく吸う。

 

正面に位置している「伊勢」が、第一射を放った。

「大和」よりも距離が近いため、その轟音は腹を押し上げ、鼓膜を震わせる。

 

寺崎は「伊勢」の発砲を横目で見つつ、ブザー音のボタンから手を離した。

 

大きく息を吸い、次の瞬間、命令を発する。

 

 

 

 

 

 

 

ーーーこの言葉が言いたかったーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「撃ち方始め‼︎」

 

 

 

 

 






やっぱり海戦といえば遠距離のミサイル戦や航空戦ではなく、戦艦同士の熾烈な砲戦だ!

大艦巨砲主義ばんざーい


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第四十話 巨艦の狭間で


夜行バスの中で執筆しましたw


1

 

正面に見えた敵巡洋艦を見て、第七戦隊司令の栗田健夫(くりた たけお)少将は軽く舌打ちをした。

 

見渡したところ、深海棲艦の巡洋艦は九隻いる。

栗田指揮下の巡洋艦は、栗田が座乗している「最上」を手始めに「三隈」「熊野」「妙高」「羽黒」「五ヶ瀬」「天塩」の七隻であり、二隻の戦力差がある。

空襲による損傷で「鈴谷」が戦列を離れた為、さらに開いた形だ。

 

巡洋艦は他にも「鬼怒」「那珂」がいたが、この二隻は駆逐艦嚮導艦として設計された軽巡なので、敵巡洋艦を一対一では相手取れない。

 

当初の偵察報告で敵巡洋艦は八隻とあり、二航戦の空襲では三隻を撃沈破し、残存は五隻という状況だった。

だが、深海棲艦は主力艦隊と機動部隊を統合し、巡洋艦戦力を増強した。よって、四隻の巡洋艦が加わり、九隻となっている。

 

栗田は、七隻の手駒でその九隻を封じ込めなければならなかった。

 

「やるか…」

 

栗田はぼそりと呟き、自らの胸に手をやる。

心臓の鼓動はいつもと変わらず、不思議と緊張していない。

胸中にある感情は闘志のみ。

身体が武者震いし、一死奉公と覚悟を決めていた。

 

「『大和』面舵。『長門』面舵!」

 

後部見張員から、味方戦艦群の動向が報告される。

「最上」の艦橋からは死角となって見えなかったが、栗田の心眼は転舵する「大和」や「長門」をしっかりと捉えていた。

 

「敵駆逐艦との距離二〇〇。敵巡洋艦との距離二二〇!」

 

射撃指揮所から、「最上」砲術長佐久間良也(さくま よしや)中佐の報告が届く。

敵艦隊は駆逐艦を前衛として配しているため、巡洋艦よりも二千メートルほど近いようだ。

 

「やはり我々としては敵巡洋艦を叩くべきですが…。敵駆逐艦もいささか厄介な相手ですね」

 

七戦隊首席参謀の鈴木正金(すずき まさかね)中佐が、緊張感を露わにした顔で発言した。

 

今回の海戦では、艦隊兵力で日本は負けている。

戦艦は一隻、大型巡洋艦では二隻向こうが多く、駆逐艦に至っては十隻以上の差が開いていた。

三水戦と四水戦では敵駆逐艦群を封じ込めない可能性が高く、下手をすると第一、第二戦隊に肉薄され、魚雷を発射されるかもしれない。

 

それを阻止するならば、指揮下の巡洋艦を二、三隻敵駆逐艦に差し向ければ良いが、それでは敵巡洋艦を取り逃がす可能性がある。

 

栗田が攻撃目標をどうするか考えていた時、艦橋見張が大声で報告を上げた。

 

「敵戦艦取舵。駆逐艦、巡洋艦増速!」

 

敵艦隊も戦うべく動き出したようだ。

迷っている時間はない。

 

そう思った栗田は、凛とした声で下令した。

 

「七、五、八戦隊、針路75度。最大戦速。目標、敵巡洋艦」

 

「面舵、針路75度。最大戦速!」

 

「最上」艦長の曽爾章(そじ あきら)大佐が、航海長山内正規(やまうち まさのり)中佐に命じた。

 

「面舵。針路75度!」

 

「了解。面舵、針路75度。宜候!」

 

山内が操舵室に命じ、操舵長の柘植幸久(つげ ゆきひさ)特務少尉が威勢の良い声で復唱する。

 

舵輪が回されている間に、艦が増速する。

足の裏を通じて機関出力が上がるのを感じ取り、「最上」が巡航速度の十八ノットから、最大の三十五ノットに加速した。

 

「『三隈』『熊野』増速。第五戦隊、第八戦隊も増速します!」

 

見張員が素早く報告する。

後方の巡洋艦六隻も、「最上」に続いて遅れじと三十五ノットに増速したようだ。

 

「電測より艦橋。敵巡洋艦変針、針路160度。もっとも近い敵艦との距離、一七〇」

 

「三水戦、四水戦。突撃開始しました!」

 

敵巡洋艦も変針した旨の報告が電測室から届き、次いで見張員が三水戦、四水戦の突撃を報告する。

 

「そう来たか…」

 

栗田は、先頭の艦から順に針路160度に変針する敵艦を見ながら、敵の思惑を悟った。

七、五、八戦隊は針路75度。敵巡洋艦群は針路160度。

彼我の針路は「ハ」を右に倒したような形であり、急速に接近しつつある。

深海棲艦の巡洋艦群は、電撃的に日本の三個巡洋艦戦隊を突破し、戦艦同士の砲戦に参戦する腹づもりかもしれない。

 

「射撃目標、自らと同じ艦番号の敵巡洋艦。各艦、任意で射撃!」

 

栗田は、力のこもった口調で命令を発する。

その内容は、素早く「最上」の通信アンテナから各艦に飛び、受信した艦は、自らの艦番号と同じ敵巡洋艦を狙う。

 

「敵巡洋艦一番艦との距離、一五〇!」

 

射撃指揮所に陣取る佐久間が、射撃目標との距離を報告する。

距離一万五千メートルは、「最上」の十五.五センチ砲の射程圏内だ。

十分必中を決められる距離である。

 

前部甲板に並べられている三基の十五.五センチ三連装砲が、機械的な音響と共に左に旋回する。

各三本の砲身が、一番砲身から順に仰角を上げ、敵一番艦に狙いを定める。

 

それらを横目で見つつ、栗田は双眼鏡で左前方から接近しつつあ敵巡洋艦群を見やった。

 

「最上」「三隈」「熊野」が相手取る敵一、二、三番艦は、前部甲板に三基、後部甲板に二基、高雄型や妙高型と同じような砲配置で、五基の三連装砲を装備しており、艦橋には高々とした三脚マストが据えられてあるーーー恐らく、ホ級軽巡洋艦だ。

 

第一次ルソン島沖海戦で初めて人類と手合わせした艦であり、同海戦では射撃速度と投射量で、「古鷹」「加古」を瞬く間に戦闘不能にさせたと聞く。

 

そう考えればかなり手強い相手だが…それでも、栗田は第七戦隊の勝利を信じていた。

 

やがて、「最上」は射撃を開始する。

各砲塔の一番砲身から紅蓮の火焔が湧き出し、直径十五.五センチの徹甲弾五発を叩き出す。

凄まじい轟音が「最上」乗組員の鼓膜を振動させ、艦首から艦尾までを発砲の衝撃が襲った。

 

「『三隈』『熊野』射撃開始。後続艦も順次射撃開始」

 

後方からも、遠雷のような砲声が届く。

 

第七戦隊の僚艦ーー「三隈」「熊野」や第五戦隊の妙高型重巡二隻、第八戦隊の利根型軽巡二隻が、自らに割り振られた目標に対して砲撃を開始したのだ。

 

敵巡洋艦の艦上にも閃光が走る。

 

若干の差を開けて砲声が届き、変わって砲弾の飛翔音が響いてくる

 

先に着弾したのは、「最上」の射弾だった。

敵一番艦の正面に五本の水柱が奔騰し、水飛沫がホ級軽巡に降りかかる。

初弾命中とはならなかったようだ。

 

「最上」の射弾が着弾した刹那、敵弾の飛翔音が頭上の左から右に過ぎた…と感じた瞬間、右舷側の海面が爆発し、高々と五本の水柱を突き上げた。

 

艦がわずかに振動し、ピリピリと空気が波動する。

 

(先に命中弾を得た方が…勝つ)

 

栗田は奔騰した水柱を見ながら、胸中で独り言ちた。

 

最上型軽巡が装備する十五.五センチ三連装砲は、十二秒に一回、射撃できる性能を有している。

その砲塔を五基据えているため、十五発の砲弾を十二秒毎に放てるのだ。

一度命中弾を得れば、畳み掛けるように砲弾を撃ち込み、数分と経たず敵艦を戦闘不能に陥らせることができる。

 

だが、それはホ級軽巡も同じだ。

 

先に「最上」が敵弾を喰らえば、第一次ルソン島沖海戦で「古鷹」「加古」を大破させた敵の速射力が、瞬く間に「最上」の戦闘力を削ぐだろう。

 

先に命中弾を得た方が、この砲戦を制するのだ。

 

 

臆することなく、「最上」は第二射を放つ。

再び轟音と閃光、衝撃が周囲を満たし、重量55kgの砲弾五発を920m/sの初速で発射する。

 

五発が飛翔する中、敵一番艦のホ級軽巡も装填を終えたのだろう、二回目の射撃を行う。

彼我五発づつの砲弾が高空ですれ違い、双方の目標へと飛翔する。

 

先に着弾したのは「最上」の砲弾だった。

 

ホ級軽巡の後方に着弾し、先と変わらず五本の水柱が上がる。

砲を微調整したら、行き過ぎて後方にずれてしまったようだ。

 

間髪入れずに、敵弾が飛来する。

砲弾が空気を切り裂く甲高い音が途切れた…と感じた直後、「最上」の正面に三本、右前方に二本の水柱が上がった。

 

衝撃で若干艦が仰け反り、次いで振り戻すかのように艦首が沈む。

 

先に比べて、着弾の位置が近い。

敵は、精度を上げてきているのだ。

 

「最上」は第三射を放つ。

三たび衝撃が艦体を貫き、五発の砲弾をホ級目掛けて叩き出す。

 

その時、「最上」の右後方から凄まじい砲声が轟き、衝撃で自らの内臓が押し上げられた感覚を栗田は味わった。

 

 

「『大和』発砲!」

 

艦橋見張員が「大和」の砲声にかき消されないように、大きな声で報告をあげた。

 

栗田がチラリと右後方を見やると、硝煙に包まれた「大和」の勇姿が目に映る。

後部マストに掲げられているZ旗が、発砲の余韻ではためいていた。

 

「『大和』が撃ち始めたぞ!」

 

艦長の曽爾が、皆を鼓舞するかのように声をあげる。

 

二番艦「長門」や三番艦「陸奥」第二戦隊の「伊勢」「日向」や「扶桑」「山城」も「大和」に遅れじと撃ち始めた。

 

この時、栗田は自分たちは場違いなところに迷い込んだと思い、薄っすらと笑った。

第七、五、八戦隊の右側に第一、第二戦隊がおり、敵巡洋艦群の向こう側に敵戦艦八隻が位置している。

「大和」や「長門」が放った巨弾は頭上を右から左に飛翔し、敵戦艦から放たれた砲弾も頭上を左から右へと通過する。

 

ここは戦艦同士が雌雄を決する場なのに、そのど真ん中で巡洋艦とい中型艦が戦っているのだ。

弱者は存在を許されない、激戦の海面。

例えるなら、刀を使った真剣勝負中の最中に、子供が一人入るようなものだ。

 

「だんちゃーく!」

 

の報告が上がり、栗田は思考を打ち切った。

双眼鏡を敵巡洋艦一番艦ーーーホ級軽巡に向け、戦果を見る。

 

五本の水柱が発生し、ホ級軽巡の姿を隠した。

突然水の壁が出現し、「最上」とさほど変わらない巨体を神隠しのように隠してしまったのだ。

 

「やったか?」

 

栗田は身を乗り出した。

水柱がホ級を隠したということは、それ程の近距離でまとまって着弾したということだ。

一、二発命中している可能性がある。

ここで命中弾を得ると、かなり勝利に近づいたことになるが…

 

だが、結果は栗田を裏切る物だった。

 

水柱は引いたが、ホ級軽巡から黒煙は上がっていない。

どこか損傷した様子もない。

 

「最上」の第三射も、ホ級軽巡に命中するには至らなかったのだ。

 

仕返しのように、ホ級軽巡の射弾が飛来する。

先の二回と変わらず、甲高い飛翔音が響き始め、それが途切れた…と感じた瞬間、「最上」の正面にまとまって落下した。

 

五本の水柱が目の前で突き上がり、見上げんばかりの高さになる。

「最上」の一万二千四百トンの巨体を振動させ、南洋のスコールを思わせる雨が降り注ぐ。

甲板上は朦気に包まれ、視界が悪くなる。

 

だが、そのようなものは数秒で収まる。

海水の雨が止むや否や、「最上」は轟然と第四射を放った。

 

「敵一番艦との距離は?」

 

四射の余韻が収まった頃、栗田は艦長の曽爾に聞いた。

 

「一〇〇ですね」

 

曽爾は即答する。

栗田の質問を予想していたのかもしれない。

 

(一万か…まだ遠いな)

 

栗田は敵巡洋艦を見ながら思った。

 

 

日本海軍の巡洋艦には、米巡洋艦と違って強力な雷装を備えている。

 

最上型と利根型は六十一センチ三連装魚雷発射管を左右に二基ずつ、計四基備えており、片舷に六本の魚雷を発射できる。

妙高型は最上型、利根型より二本多い八本を発射することができ、一斉に発射した場合、七隻で計四十六本の酸素魚雷が敵艦隊に向かうことになるのだ。

だが、次発装填できる発射管とはいえ、海戦中の装填作業は遅々として進まないのが当たり前であり、実質の発射機会は一度のみとなる可能性が高い。

栗田はその少ない機会を見逃さず、日本巡洋艦の切り札と言える酸素魚雷を有効に使用しなければならなかった。

 

「望むところだ…」

 

栗田は薄く笑った。

 

自分の専門は航空でも砲術でもなく、水雷だ。

この少将という階級に上り詰めるまでの間に、多数の駆逐艦の水雷長や艦長、水雷学校の教官、水雷戦隊司令、終いには工廠の魚雷実験員を歴任してきている。

魚雷戦の仕方は海軍生活を通じて骨身にしみており、かなりの自信が栗田にはあった。

 

 

「最上」の第四射が着弾した直後、入れ替わりにホ級軽巡の第四射が飛来する。

 

四回目となる飛翔音が響き渡り、それが途切れたと感じた瞬間、「最上」の真後ろに五発の敵弾が落下する。

「最上」が後ろから蹴飛ばされたかのように前のめり、艦体が若干軋む。

だが、決定的な衝撃はない。

今回も「最上」は被弾を免れたようだ。

 

装填を完了したのだろう。「最上」は続けて第五射を放つ。

凄まじい砲声が栗田の耳朶を打ち、各砲塔一門ずつから五発の砲弾が発射された。

 

「そろそろ当たるか?」

 

鈴木参謀の声が、栗田の耳に届いた。

 

鈴木の願いはもっともだ。

「最上」は四度の射撃修正を行なっており、初弾に比べてかなり射撃精度は良くなっている。

さらに彼我の距離は急速に詰まっており、その分命中率も高くなっているだろう。

 

栗田も、「そろそろ当たれ」と強く願っていた。

 

ホ級軽巡が「最上」に遅れじと第五射を放った数秒後、「最上」の射弾が着弾する。

五本の水柱がホ級軽巡を包み込み、艦上に爆炎が躍った。

 

「やったか!」

 

栗田は大きく身を乗り出し、鈴木と頷き合った。

 

双眼鏡を向けてみると、ホ級軽巡の艦首から薄っすらと黒煙が上がっているのがわかる。

おそらく放った五発のうちの一発が、ホ級軽巡の艦首に命中したのだろう。

 

与えた被害は小さなものだろうが、これで「最上」は斉射に移行できる。

次からは十二秒毎に十五発ずつの十五.五センチ砲弾が、ホ級軽巡を襲うこととなるのだ。

 

「次より斉射!」

 

佐久間が弾んだ声で報告する。

 

「最上」は斉射の装填のため、やや沈黙する。

敵の第五射が飛来したのは、丁度その時だった。

 

(当たるなよ…当たるなよ)

 

栗田がそう念じた時、「最上」の頭上を飛び越え、右舷側の海面に水柱が突き上がった。

右側からの波で艦体がやや左に傾くが、それ以上のことは起きない。

 

「最上」は一切の被害をホ級軽巡に許さぬまま、第一斉射を放とうとしているのだ。

 

ホ級軽巡が第六射を発射するのと、「最上」が第一斉射を撃つのは、ほとんど同時だった。

 

今までの倍以上の大きさの砲声が「最上」艦上に鳴り響き、計十五門の砲門から真っ赤な火焔が躍り出た。

その火焔と同時に十五発の徹甲弾が発射され、ホ級軽巡へ向けて飛翔を始める。

交互撃ち方では確認できなかったさざ波が艦左舷側の海面に発生し、閃光や轟音が数秒間栗田の感覚を麻痺させる。

 

戦艦には及ばないが、かなり強烈な衝撃だった。

 

 

同時に、ホ級軽巡の艦上にも被弾とは異なる閃光が走る。

 

ホ級軽巡は先に命中弾を喰らったからといって、勝負を捨るようなことはしない。

十分、逆転できると考えているのだろう。

 

だが、その考えはいともあっさりと打ち砕かれてしまった。

 

砲弾がまだ空中にあるうちに、「最上」は第二斉射を放つ。

十二秒ごとに射弾を発射し、十五発ずつの砲弾を撃ち込み続ける。

 

ホ級軽巡の周辺に十本以上の水柱が奔騰すると同時に艦上に命中弾の閃光が三、四閃らめき、艦の複数箇所に火災が発生してゆく。

 

その十二秒後には第二斉射が着弾し、そのさらに十二秒後には第三斉射が、第四、第五、と砲弾の豪雨が立て続けに襲いかかる。

 

一回の斉射で得られる命中弾は、三、四発ほどだが、斉射毎に確実にホ級軽巡に直撃し、じわじわと被害を与えていた。

 

 

とある砲弾が砲塔を真正面から襲った…と見えた瞬間、その砲塔は真っ赤な火焔と共に爆砕される。

砲塔損傷の打撃に苦悶するホ級軽巡に対して新たな砲弾が飛来し、煙突の上半分を吹き飛ばし、舷側に大穴を穿ち、あらたかの対空兵装を薙ぎ払う。

甲板をえぐった砲弾は舞い上がった鋼板を左側海面にまで吹っ飛ばし、三脚マストのてっぺんに直撃した砲弾は艦橋の上部を消失させる。

続けざまに破壊された主砲は無数の破片を四方に撒き散らせ、各三本の砲身が根元からちぎれ飛ぶ。

 

上部構造物のほとんどが「最上」の中口径砲弾を喰らい、爆砕され、粉砕され、吹き飛ばされ、薙ぎ払われ、凄まじい炎が龍のように艦上をのたうちまわる。

 

三分ほどの間に十五回以上の斉射弾を受けたホ級軽巡は、艦首から艦尾までを黒々とした煙が覆っており、艦上の状態を確認することはできない。

ちらほら火災の光が見えるのが関の山であり、「最上」艦上からは黒煙の下の惨状を伺うことはできなかった。

果敢に発砲していた砲も、あらかた破壊されたのか沈黙している。

 

そのホ級軽巡が戦闘力を失っていることは、誰の目にも明らかだった。

 

「目標、敵二番艦!」

 

栗田はホ級軽巡の惨状を今一度確認した上で、目標変更の指示を出した。

十二秒毎に咆哮していた主砲五基が沈黙し、束の間の静粛が「最上」艦上に広がる。

いや、他艦の砲戦の音は聞こえるが、至近距離で連発した「最上」の砲声には遠く及ばないため、耳が静粛だと判断してしまっているようだ。

 

「敵二番艦、了解!」

 

佐久間の復唱する声が伝声管から響く。

その声からは「二番艦も叩き潰してやりますよ」という威勢を感じられた。

 

 

現在、敵二番艦は「三隈」が相手取っており、膠着状態が続いている。

敵一番艦を無力化した「最上」は、「三隈」と敵二番艦の砲戦に加勢し、膠着状態を打破しようと考えたのだ。

 

「二番艦との距離は?」

 

栗田は曽爾に聞いた。

 

敵巡洋艦の姿は、砲戦開始時よりも大きく見える。

敵艦との距離が、魚雷の必中距離にまで詰まったか気になったのだ。

 

「二番艦との距離は七〇。最後尾の九番艦との距離は一三〇!」

 

「よし。七、五、八戦隊全艦、目標…敵巡洋艦群。魚雷、攻撃始め!」

 

数秒間思考したのち、栗田は力強い声で命じた。

 

「艦橋より水雷指揮所。魚雷発射!」

 

曽爾が水雷指揮所へと通じる伝声管に怒鳴り込む。

 

連管長の「発射始め!」の号令一下、「最上」左舷の第一、第三発射管からは、二秒感覚で計六本の九三式酸素魚雷が発射される。

海面に水飛沫を上げ、魚雷は五十二ノットで駛走を開始する。

 

「『三隈』『熊野』より発光信号。“我、魚雷発射完了”」

 

「五戦隊、八戦隊より入電。“我、魚雷発射ス”」

 

見張員と通信士が報告を上げる。

後続の「三隈」「熊野」「妙高」「羽黒」「五ヶ瀬」「天塩」の六隻も、「最上」に続いて魚雷を発射したようだ。

 

「魚雷発射完了。到達まで四分!」

 

水雷長の鍬崎三郎(くわざき さぶろう)少佐が報告を上げる。

 

距離七千メートルだったら、魚雷到達まで七分ほどかかりそうなものだが、彼我は近づきあって航行しているため、その分短くなっていた。

 

「射撃を再開します」

 

敵二番艦の測的が終わったのだろう。

曽爾が確かめるように聞いてくる。

 

その言葉に栗田は静かに頷いた。

 

「射撃開始!」

 

曽爾が佐久間に下令した直後、眼下の第一、第二、第三砲塔と後部の第四、第五が咆哮する。

敵一番艦を叩きのめした十五.五センチ砲弾が、「三隈」を砲撃している敵二番艦へと飛んだ。

 

後方の「三隈」も何回目かの交互撃ち方を放つ。

こちらは「最上」よりも先に敵二番艦を砲撃している分、命中弾を得るのは早いだろう。

 

「『三隈』被弾!」

 

後部見張員が報告する。

 

「喰らったか!」

 

栗田は苦り切った声を上げた。

「最上」は敵一番艦に対して先に命中弾を得、斉射に移行して瞬く間に撃破したが、「三隈」はそうはいかなかったようだ。

 

「まずい…まずいぞ!」

 

栗田は、自らが焦慮に駆られていることに気づいた。

このままでは、「三隈」は敵一番艦と同じようになってしまう。

 

今放った砲弾が命中すれば、こちらも斉射に移行でき、互角に戦えるようになるが…。

 

「最上」の射弾が着弾し、その数秒後に「三隈」の射弾が落下する。

 

誰もが固唾を飲んで敵二番艦を見やった。

計十本の水柱が引いた時、敵二番艦の艦上に被弾の後は見当たらない。

 

「最上」はともかく、「三隈」は命中弾を得られなかったようだ。

次からは、ホ級の凄まじい速射力が「三隈」を襲うこととなる。

 

「『三隈』…!」

 

栗田は、味方艦の無事を祈ることしかできなかった。

 

 

2

 

砲弾が外れた瞬間、「三隈」艦長の崎山釈夫(ざきやま すてお)大佐は、射撃指揮所にいる砲術長の桐本司(きりもと つかさ)中佐を怒鳴り散らしたい衝動に襲われた。

 

「三隈」は敵二番艦に対して十回以上の交互撃ち方を実施しているが、一発も命中弾を得れていない。

「最上」が命中弾を得、斉射に移行するのを横目で見るだけであり、一向に命中しなかった。

逆に、十二回目に飛来した敵弾の一発が左舷側に命中し、「三隈」はホ級の連続斉射を受けようとしている。

 

「三隈」が第十三射を放った直後、敵二番艦の艦上に今までの倍以上の閃光が走った。

予想通り、敵二番艦のホ級軽巡は「三隈」に対して斉射を放ったのだ。

 

その六秒後、第二斉射の閃光が光り、そのさらに六秒後には三回目となる斉射の閃光が閃らめく。

 

「!」

 

崎山は声にならない叫びをあげた。

 

ホ級の第一斉射は、依然着弾していない。

ホ級軽巡は、六秒という最上型軽巡の半分のスピードで、十五発ごとに砲弾を撃ち込んで来るのだ。

 

敵の第一斉射が、甲高い音と共に落下してくる。

「三隈」周辺の海面が爆発し、艦が軋んだ。

 

それと同時に後方から三度破壊音が届き、艦橋が揺れる。

崎山は海図台の手すりに手をつき、自らの身体を支えた。

 

「被弾状況知らーーー!」

 

被弾状況を問う崎山の声は、第二斉射の轟音に掻き消された。

 

第一斉射が落下してきっかり六秒後、先と変わらない多数の水柱が「三隈」周辺に発生し、同時に数発が「三隈」をえぐる。

そのうちの一発が、第二砲塔を襲った。

 

「……!」

 

艦橋の正面から凄まじい閃光が発生し、轟音が海上にこだまする。

艦橋が大地震のように揺れ、崎山は思わずよろめいた。

 

「第二砲塔損傷!」

 

桐本が、悲鳴染みた声で報告する。

崎山が艦橋から眼下を見下ろすと、大きくひしゃげた第二砲塔が目に映った。

 

三本あった砲身は二本が根元からちぎり飛ばされており、残った一本も大きく折れ曲がっている。

正面防盾は大きく引き裂かれており、砲塔自体もバーヘットが破壊されているのか、傾いているのがわかる。

穿たれた穴からは第二砲員の斬死体が見え、水柱の海水がその肉片をさらってゆく。

 

だが、崎山が第二砲塔の被害を確認できた時間は少なかった。

 

間髪入れずに第三斉射が飛来し、また数発が「三隈」に命中する。

さらに六秒後に第四斉射が落下し、第五、第六、第八と六秒毎に続く。

 

「後部艦橋に直撃!」

 

「第三連管被弾!」

 

「飛行甲板に火災発生!」

 

次々と被害報告が艦橋に飛び込む。

先に「最上」が敵一番艦に対して行ったことを、そっくりそのまま返された形だ。

息つく暇もなく飛んで来る十五発ずつの砲弾に、「三隈」は次々と被弾し、損害が蓄積していく。

 

「これが…ホ級の力か!」

 

崎山は、畏怖の表情を浮かべた。

 

「艦長。回避しましょう!このままでは一方的にやられるだけです!」

 

敵弾がひっきりなさに飛んで来る中、航海長の須磨保志(すま やすし)中佐が狼狽した様子で具申した。

 

それに対して崎山が命令を発しようとした時、今までにない衝撃が「三隈」艦橋に襲いかかり、崎山の身体はビリヤードの玉のように弾き飛ばされた。

全身を床に強打し、頭部を伝声管の角にぶつけてしまう。

 

床に這った時、視界が暗くなり始めて意識が暗転しかけたが、崎山は頭部に走った鋭い痛みと気力で、どうにか持ち直した。

 

「う……」

 

渾身の力で上体を起こし、朦朧とする目で周囲を見渡す。

 

硝煙が艦橋中に充満し、崎山と共にいた艦橋要員たちも床に這ってぐったりとしているが、破損箇所は見当たらない。

敵弾は崎山のいる羅針艦橋には直撃せず、どこか近くに命中したのかもしれない。

 

「艦長…ご無事ですか?」

 

須磨が、艦長の安否を確認しようと聞いてくる。

「無事だ」と言いかけたが、それを崎山は飲み込んだ。

 

血が出ている。

 

右目の上あたりに痛みがしており、生暖かい液体が右の頬っぺたから顎にかけて垂れ流れていた。

雫を垂らすほどの出血であり、傷が深いことを伺わせる。

崎山はポケットからハンカチを取り出し、右手で傷口を強く抑えた。

真っ白だったハンカチはすぐに真っ赤に染まったが、無いよりかは幾分かマシだった。

 

「どこに喰らった?」

 

須磨が「治療を…」と言おうとしていたのを遮り、崎山は聞いた。

あの強烈な衝撃だったら、相当羅針艦橋の近くに命中したと考えられるが、その命中箇所が気になったのだ。

 

「射撃指揮所から応答がありません。恐らく、敵弾の直撃を受けたのはそこでしょう」

 

艦内電話を握っていた水兵が報告する。

 

それを聞いて、崎山は全身から力が抜けた。

射撃指揮所を破壊されてしまえは、砲精度は致命的にまで低下する。

予備の測距儀は後部艦橋に搭載されていだが、先の被弾で破壊されてしまっていた。

主砲は四基が無事だが、「三隈」は完全に戦闘力を失ってしまったのだ。

 

「ここまでか…」

 

崎山は独り言ち、天を振り仰いだ。

このまま「三隈」は一発も敵に命中させることなく、西部太平洋に沈んでしまうのか…と思ったのだ。

 

だが、ここで崎山はあることに気づいた。

 

あたかも豪雨の様に飛来してきていた敵弾が、一発も降ってこない。

 

「何だ?」

 

不審に思った崎山は、よろけながら艦橋の脇に向かい、黒煙の狭間から敵二番艦を睨みつけた。

 

 

 

 

敵二番艦が、大火災を起こしながら停止している。

二番艦だけではない。「熊野」と放火を交わしていた敵三番艦も、第五戦隊と撃ち合っていた二隻のリ級重巡も、黒煙を上げながら停止している。

発生する黒煙が、真っ直ぐ上に向かっているのが何よりの証拠だ。

 

その時、「五ヶ瀬」が目標としていた敵六番艦の艦首に凄まじい大きさの水柱が発生し、次いで巨大な火柱に変化した。

敵六番艦の艦体が大きく揺らぎ、傍目から分かるほど減速する。

 

「そうか!」

 

崎山は歓喜の声を上げた。

数分前に発射した四十六本の魚雷が、敵巡洋艦の単縦陣に到達したのだ。

強力無比の酸素魚雷が、次々と敵巡洋艦の喫水線下に命中しているのである。

 

 

 

第七、第五、第八の三個戦隊は、深海棲艦巡洋艦部隊の無力化に成功したのだった。

 

 

 

 

 

 

 





巡洋艦では最上型はお気に入りですね〜。

特に軽巡タイプはプラモ持ってますが、三連装砲五基十五門が強烈すぎて大好きですッ


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第四十一話 決戦海域、波高シ




第一艦隊頑張れッ


1

 

第七、第五、第八戦隊が敵巡洋艦と砲火を交わしている頃。

第一、第二戦隊の戦艦七隻と敵戦艦八隻の砲戦も、たけなわとなりつつあった。

 

両単縦陣とも同じ針路の向かっており、同航戦の形を戦っている。

ひっきりなしに四十六、四十、三十六センチ砲の発砲音が轟き、約一トンの巨弾が味方戦艦に、敵戦艦にそれぞれ向かう。

外れた砲弾は海面に着弾して水柱をそそり立たせ、艦上に命中した砲弾は、直撃弾炸裂の閃光を走らせて無数の破片を四方に飛び散らせる。

被弾した戦艦は大きく振動して打撃に苦悶したり、逆に堅牢な装甲で敵弾を弾き返す。

ほとんどの戦艦が大なり小なりの黒煙を引きずっており、熾烈を極めた砲戦になっていることを伺わせた。

 

 

その戦いの渦中。

 

第一、第二戦隊計七隻の先頭に立つ「大和」は、同じく敵艦隊の先頭のタ級戦艦に対して十一回目となる交互撃ち方を放っていた。

 

ブザーが鳴り止んだ刹那、各砲塔の一番砲身から直径四十六センチの巨弾が轟音と共に発射され、凄まじい大きさの火焔が艦左側に出現する。

計三発の四十六センチ砲弾が音速の二倍以上の速度でタ級戦艦へと飛翔した。

 

「今度はどうだ?当たるか?」

 

第一艦隊司令長官の高須四郎(たかす しろう)中将は、発砲の余韻が収まった頃、「大和」の戦闘艦橋から敵一番艦を見やった。

 

「大和」は戦闘開始以来、まだ敵艦に一発も命中させていない。

高須の口調は、人類最強の艦砲を深海棲艦に思い知らせたい、と言いたげだった。

 

「すでに『長門』や『日向』は命中弾を得、斉射に移行しています。『大和』砲術科の技量が彼らに劣るとは思えませんし、そろそろ命中するのでは?」

 

第一艦隊首席参謀の津ヶ原伊織(つがはら いおり)大佐が、落ち着き払った声で言った。

それもそうだな…と高須が思った時、入れ替わるようにして敵弾が飛来する。

 

空そのものが落ちて来るかのような威圧感を持った飛翔音が途切れ、タ級戦艦の放った四十センチ砲弾が落下した。

「大和」の左舷側に四本、右舷側に三本の水柱がそれぞれ突き上がり、敵弾直撃の振動が二度「大和」を震わせる。

基準排水量七万二千トンの巨体は、敵弾を受け止めて動じないが、後方から二回の炸裂音が響く。

「大和」後部のどこかに敵弾が命中し、損害を与えたのだろう。

 

「カタパルト、後部甲板に被弾。ですが損害は軽微です。火災も起きてません」

 

「大和」艦長の宮里秀徳(みやざと しゅうとく)大佐が素早く報告する。

自らが預かった艦の防御力をかなり信頼している様子だった。

 

(いかに四十センチ砲と言えど、当たりどころが悪ければ「大和」でも致命傷を受ける。早めに命中弾を得なければな…)

 

高須は口中で呟いた。

「大和」は少し前にタ級戦艦の砲弾を喰らっており、以来三十秒毎に斉射弾を受けている。

先ほど被弾した第五斉射の命中弾も合わせて、計八発の敵弾を喰らっており、左舷側の機銃座や高角砲、カタパルトなどの脆い部分にに被害が蓄積していた。

重要防御区画に弾かれる砲弾もあるが、命中した敵弾は被害を確実に「大和」に与えているのだ。

 

対して「大和」は命中弾を得ていない。

今まで十回の交互撃ち方を実施しているが、虚しく敵艦の周辺に水柱をあげるだけである。

タ級戦艦から一方的に撃たれるだけとなっているのだ。

 

今のところ敵弾は「大和」の弱点を外れているが、何発も喰らってれば、いずれ命中する可能性が高い。

艦橋トップに直撃して砲戦に不可欠な測距儀を破壊されたり、煙突に命中していくつかの缶を使用不能にされるかもしれないのだ。

 

そう考えればいても立ってもいられないが、高須のできることは少ない。

今は、「大和」砲術長の松田源吾(まつだ げんご)中佐以下の砲術科員たちを信じて、待つことしかできなかった。

 

 

周辺から水柱が引いた時、さっき放った「大和」の第十一射が着弾する。

 

タ級戦艦の周辺に赤色の水柱が奔騰した刹那、タ級戦艦の前部と後部に一つずつ爆炎が躍った。

同時に無数の破片が八方に飛び散り、遠目でもわかるほどにタ級の巨体が震える。

 

「やった!」

 

「大和」艦橋内に歓声がこだました。

高須も大きく手を打ち、喜びの気持ちを表した。

 

被弾したタ級戦艦は、前部と後部の二箇所から黒煙を噴き上げている。同時に、真っ赤な火災を遠望することができた。

 

「大和」の砲弾は、少なからずの損害をタ級に与えたようだ。

 

「大和」は十一回目の射撃で待望の命中弾を得、次から斉射に移行できる。

人類最大最強の打撃力を持つ四十六センチ砲弾が、四十秒毎に九発敵艦に降り注ぐのだ。

 

「大和」は、斉射弾装填のためにやや沈黙する。

 

その間にタ級戦艦が第六斉射を放った。

黒煙を引きずるタ級戦艦の艦上に黒煙を吹き飛ばしながら、めくるめく発射炎が閃らめく。

二発の四十六センチ砲弾を食らっておきながら、なおもタ級の士気は旺盛のようだ。

 

タ級の第六斉射が着弾する直前、「大和」は待望の斉射を放つ。

 

計九門の砲門から凄まじく巨大な炎が踊り出し、今まで感じたことのない轟音、振動、閃光が高須に襲いかかった。

「濡れ雑巾」と呼ばれる固形化した空気が艦橋を震わせ、同時に凄まじい音と光が、数秒間高須の視覚と聴覚を麻痺させる。

 

その余韻が収まった時、タ級の第六斉射弾が着弾した。

 

「大和」周囲に水柱がそそり立ち、被弾の衝撃が艦を震わせる。

 

今回は計三発が命中した。

 

一発は第二砲塔の正面に命中して弾き返され、二発目は艦首に直撃し、周囲の鋼板を右舷側へ吹き飛ばす。

 

最後の一発は、第二砲塔と艦橋の間にある第一副砲を襲った。

直撃された十五.五センチ三連装副砲は、たやすく正面防盾を貫通され、砲塔内部で敵弾の炸裂を受けた。

四十六センチ砲には及ばないものの、それなりに巨大な砲塔が台座ごと爆砕され、三本の砲身も、周囲を鎧っていた装甲板も、内部に詰めていた十二名の砲員も、瞬間で消失し、掻き消えた。

 

艦橋と大差ない高さの火柱が目の前に突き上がり、艦橋内を大火が真っ赤に染める。

 

「…!」

 

高須は絶句した。

今までにない衝撃が艦橋を揺らし、何人かがよろめく。

次いで何かが破裂するような轟音が連発し、その度に艦橋を大きく揺らした。

おそらく、装填済みだった十五.五センチ砲弾が誘爆しているのだろう。

 

「副砲に直撃!」

 

「副砲弾薬庫、注水!急げ!」

 

「応急班は直ちに急行!」

 

焦げ臭い匂いが充満する中、怒号にも似た声が艦橋内に飛び交い、被害への対処が実施される。

さんざん訓練を積んできたためだろう、動きは素早い。

 

それでも、今回の被弾が「大和」に対して、今までにない被害を与えたことは確かだった。

 

「危なかった…!」

 

高須は汗を拭い、艦橋眼下の第一副砲を見下ろした。

跡形もなく粉砕された副砲が、黒煙の合間から確認することができる。

もしも敵弾が少し後ろにずれていたら、艦橋に直撃するところだったのだ。そうはならなくとも、副砲弾薬庫が誘爆していたら「大和」と言えども無傷では済まなかっただろう。

 

その敵弾は「大和」にとってとても際どい一発だったのだ。

 

「まだです!」

 

津ヶ原が笑顔を見せながら言った。

 

「まだ被害は副砲や高角砲、甲板などにとどまっています!こちらも斉射に移行している以上、勝利はすぐそこです!」

 

「あぁ、もう少しの辛抱だ!」

 

津ヶ原の鼓舞するような言葉に、高須は陽気な声で答えた。

 

お返しと言わんばかりに、「大和」の第一斉射弾が落下する。

タ級戦艦周辺に赤色の着色料入りの水柱が奔騰し、艦上に爆発光が閃らめく。

砲身のような破片が宙高く舞い上がり、次いで巨大な火焔が艦後部に湧き出した。

 

「よし!」

 

高須は、それを見て喝采をあげた。

「大和」は一回目の斉射で、敵戦艦の主砲一基を破壊したのだ。

日本海軍が誇る四十六センチ砲の威力を、思い知らされた気がした。

 

タ級は受けた被害から立ち直れないのだろう。

第七斉射は来ず、沈黙を守っている。

 

「大和」は続けて第二斉射を放った。

先と変わらない衝撃が艦首から艦尾までを貫き、計九発の巨弾がタ級戦艦めがけて叩き出される。

再び赤色の水柱が敵艦の周りに突き上がり、艦後部辺りに三回、直撃弾炸裂の炎が躍った。

 

「大和」は四十秒のインターバルを置いて、続けて第三斉射を放つ。

 

その直後、タ級は打撃から立ち直ったのだろう。艦上に真っ赤な発射炎をほとばしらせ、砲弾を発射した。

だが、発砲の閃光は前部からのみだ。

第一斉射では、後部の第三砲塔を破壊したらしい。

 

十数秒後、タ級戦艦第七斉射の飛来音が聞こえ始めた。

心なしか、飛来の轟音が思いの外小さい。

「大和」が主砲一基を破壊したため、飛来する敵弾数が九発から六発に減ったためだろう。

 

その飛翔音が途切れたと感じた瞬間、「大和」の周囲に五本の水柱がそそり立ち、直撃弾炸裂の衝撃が艦をわななかせた。

 

衝撃は、さっきより少ない。

敵弾は艦橋から離れた箇所に命中したようだ。

 

「予備測距儀被弾。使用不能」

 

の報告が、艦橋に入る。

敵弾は、第二副砲と後部マストの間に位置している予備測距儀を直撃し、これを粉砕したようだ。

高須の頭上に据えてある主測距儀が破壊された場合の予備機構だが、今は大して必要ない。

「大和」は未だに致命傷を受けていないのだ。

 

第三斉射弾の着弾は敵弾の着弾と重なってしまったため、直接に見ることはできなかった。

それでも、水柱が引いた時にタ級戦艦が引きずる黒煙の量が倍以上に増えているのを確認することができ「大和」の第三斉射がかなりの被害を与えたのは確実だった。

 

少しの間を空けて「大和」は第四斉射を轟然と撃ち、タ級戦艦も遅れじと斉射を放つ。

 

互いの砲弾が高空ですれ違い、双方の標的へと高速で飛来する。

 

今回の敵弾は一発も「大和」に命中しなかった。

飛来した六発の敵弾は「大和」を左から右に飛び越え、右舷側の海面にまとまって落下する。

それを見て、高須は勝利を確信した。

 

おそらく、タ級戦艦は射撃を司る中枢を「大和」の四十六センチ砲弾の直撃を受け、破壊されたのだろう。

これで「大和」は大きく勝利に近づいたことになる。

ろくに砲弾を命中されられない戦艦を撃沈するなど、児戯にも等しいからだ。

 

「大和」の射弾が落下する。

 

タ級戦艦の前半分から正面にかけて多数の水柱が発生し、艦首辺りに直撃弾炸裂の閃光が走った。

無数の塵が舞い上がり、タ級の艦体が大きく振動する。

 

あたかも、四十六センチ砲弾直撃の大打撃に苦悶しているかのようだった。

 

(「大和」ならやれる。深海棲艦の新型戦艦ですら下せる)

 

高須は、日本が建造した世界最大の戦艦が深海棲艦に対抗できることを実戦の場で確認することができ、胸中で思った。

 

高須には以前から一途の不安があった。

深海棲艦が送り出してくる未知数の戦艦に、日本が巨額を投じて建造した「大和」がしっかりと対抗できるのか、というものだ。

全体が究明されていない深海棲艦だけに、「大和」をも凌ぐ能力が備わっていてもおかしくないと考えたのだ。

 

だが、その杞憂は今取り除かれた。

「大和」は四十六センチ砲九門を振りかざし、タ級戦艦を追い詰めつつある。

深海棲艦最強の戦艦を、討ち取りつつあるのだ。

 

「勝てる!…日本は、人類は、奴らに勝てる!」

 

高須は声に出して言った。

その声に応えるかのように「大和」は第五斉射の咆哮を上げる。

 

先までは苦痛に感じていた主砲斉射だったが、今は雄叫びを上げる戦士のように思えた。

 

タ級も、黒煙を吹き飛ばしながら主砲を撃つ。

その闘志は見上げたものだが、「大和」の前では無力だった。

 

九発の四十六センチ砲弾がタ級そのものとタ級周辺に落下し、タ級を巨大な水の壁が囲んだ。

タ級の巨体を水柱が全て隠し、観測することはできない。

だが、水柱の内側で起こっている惨状は容易に想像できた。

 

水柱が引いた時、タ級の艦影は大きく変化していた。

 

キング・ジョージ五世級のように切り立っていた箱型の艦橋は、叩き潰されたブリキ缶のように大きくひしゃげており、中央に屹立していた一本の煙突も、後部の甲高いマストも、跡形もなく消失している。

何発かが喫水線下に大穴を穿ったのか、艦体も大きく前に傾いており、鋭利な艦首は大部分が海水に洗われている。

第一斉射で破壊した第三砲塔は言うに及ばず、果敢に発砲していた前部第一、第二砲塔も、砲門から火を噴かすことなく沈黙していた。

 

「敵一番艦、落伍!」

 

松田砲術長が、嬉しそうな声で報告する。

 

「うむ!」

 

高須は大きく頷いた。

 

艦橋内に歓声が爆発する。

「大和」が上げた戦果に、誰もが自分のようによろこんでいた。

 

タ級は、推進機構に大きな傷を受けたようだ。

海上に停止し、その身を業火に焼かれている。

 

その時、タ級が最後に放った射弾が轟音と共に落下してきた。

 

高須が目を見開いた瞬間、「大和」の左右に見上げんばかりの水柱がそそり立ち、大音響の異音が高須の鼓膜を震わせた。

「大和」の巨体が小刻みに震え、振動が艦橋にも伝わってきた。

 

「な、何だ⁉︎」

 

高須は自らの顔から血の気が引くのを感じた。

今の被弾の衝撃は、今までにない特殊なものである。

特に、耳奥に異物をひねりこまれるような異音は、かなり不気味なものだった。

 

「長官。第一主砲塔が!」

 

小林謙吾(こばやし けんご)参謀長が、指を外にやりながら言った。

 

高須がすぐに目をやると、その目に写ったものは三本の砲身の内、中央の二番砲身が途中で折れ曲り、左の三番砲身が根元から吹き飛ばされている第一主砲の姿だった。

さっきの異音は、砲身が折れ曲がる音だったのかもしれない。

 

「ありえない…」

 

誰かの乾いた声が、高須の耳に届いた。

「大和」主砲塔の正面防盾は、重要防御区画以上に頑丈に作られており、決戦距離から放たれた四十センチ砲弾はおろか、自艦の四十六センチ砲弾すら弾き返せるように設計されている。

 

タ級の四十センチ砲は、我々が思っている以上に長砲身で貫通力を高めているのか…それともそもそも四十センチ以上の口径なのか、という疑惑が高須の中でも渦巻く。

 

だが、破壊された第一主砲を見やり、高須はあることに気づいた。

 

第一主砲は、完全に破壊されていない。

損傷しているのは二番砲身と三番砲身のみであり、正面装甲は貫通されていないように見える。

恐らく、敵弾は二番砲身と三番砲身の間に直撃し、貫通せずに炸裂したのだろう。

それによって有り余ったエネルギーが、二本の砲身を折り曲げ、吹き飛ばしたのだ。

 

「最後の砲撃が、そんな被害を…」

 

高須は呟いた。

タ級は、十発以上の四十六センチ砲弾を撃ち込まれながらも、最後に放った砲弾で「大和」に無視できない被害を与えたのだ。

タ級の不屈の精神が、「大和」から火力の三分の一をもぎ取ったと言えるだろう。

 

敵ながら天晴れというしかなかった。

 

「怯むな!」

 

高須は皆を鼓舞するように叫んだ。

敵戦艦一隻撃破の喜びに冷水をかけられた形だが、未だに戦闘は続いている。

 

まだ、気をぬくわけにはいかない。

 

「目標、二番艦!」

 

敵一番艦の上空で弾着観測に当たっていた零式観測機が、敵二番艦の上空に移動するのが高須の目に写った。

 

 

2

 

先頭のタ級戦艦が「大和」との砲戦に敗れて戦列を離れた頃、「日向」艦橋で、その戦果を喜べる人は一人もいなかった。

 

「『山城』速力低下。戦列を離れます!」

 

「『扶桑』に敵弾集中!」

 

の二つの報告が飛び込んだからだ。

 

 

「クソ。後方から切り崩されていく」

 

艦橋トップの射撃指揮所に陣取る眼帯の男ーー「日向」砲術長寺崎文雄中佐は、後方を見やって独り言ちた。

 

 

ーーー第一艦隊は七隻、敵艦隊は八隻。

この一隻の戦艦数の差が、ここで響いてきた。

 

一隻敵が多いということは、日本戦艦の内一隻が敵戦艦二隻からの集中砲火を受けるということであり、その一隻は戦列の最後尾に位置していた「山城」だった。

「山城」は自らの目標である敵七番艦を砲撃して少なからずの被害を与えていたが、いかんせん二対一では敵わず、二隻のル級戦艦に袋叩きにされてしまったのだ。

そして「山城」を完膚なきまで叩いた敵七番艦、八番艦は、敵六番艦を相手取っていた「扶桑」に砲門を向けた。

「扶桑」は一対一の砲戦から唐突に三対一の劣勢に追い込まれ、多数の砲弾に射竦められつつあるのだ。

「扶桑」の一個前に位置している「日向」砲術長の身としては、相当の危機感を覚えずにいられなかった。

 

 

「だんちゃーく!」

 

ストップウオッチを睨みつける水兵が叫び、放った十二発の斉射弾が着弾することを伝える。

敵五番艦ーール級戦艦の中央部と艦首付近に爆炎が躍ったと感じだ刹那、敵艦の周辺に黄色の着色料が入った水柱が噴き上り、神隠しのようにル級の姿を隠した。

 

「どうだ?」

 

寺崎は指揮官用の大双眼鏡を覗き込み、品定めするように呟いた。

 

「日向」は第三射で命中弾を得、計七回の斉射を実施している。

以来十発以上の三十六センチ砲弾を敵五番艦に叩きつけており、敵主砲四基のうち二基までを破壊していた。

それに、「大和」は敵一番艦を、「陸奥」は敵三番艦を無力化したと報告が入っており、それぞれ「長門」が目標としている敵二番艦と「伊勢」が目標としている敵四番艦の二隻に砲撃目標を変更している。

ここをしのげば、敵二、三、四番艦を「伊勢」とともに撃破した第一戦隊が、砲戦に加勢してくれると寺崎は考えていた。

 

 

水柱が引いた時、敵五番艦は艦首から艦尾までを真っ黒な黒煙が覆ってる姿が見えた。

「日向」が放った第八斉射は、ル級戦艦の前部にも直撃し、後部からのみになっていた黒煙を前部からも上げる結果になったようだ。

 

敵弾も飛来するが、「日向」には命中しない。

正面や、後方に着弾したり、あるいは「日向」の左右に落下するが、近くなったり遠くなったりと、敵の射撃精度は低下しつつあった。

 

「敵五番艦の速力が落ちています!」

 

測的長の坂本譲(さかもと ゆずる)大尉が、大声で報告する。

 

「やったか!」

 

寺崎は喜色を浮かべた。

「扶桑」が不利な以上、早急に敵五番艦を仕留めなければならないと考えていたのだ。

 

「目標、敵六番艦!」

 

艦長の橋本信太郎(はしもと しんたろう)大佐の命令が、射撃指揮所に飛び込んだ。

 

「日向」は敵五番艦に大きな被害を与え、速力を低下させたが、トドメを刺したとは言い難い。

だが、橋本艦長は「扶桑」の援護を優先すると決めたようだ。

 

 

 

だが、「扶桑」への援護は間に合わなかった。

 

「日向」が目標を敵六番艦に変更して交互撃ち方を開始した時、常に「扶桑」は敵六、八番艦のル級二隻から斉射を断続的に喰らっており、無視できない大損害を受けていた。

 

二十秒置きに十二発ずつの三十六センチ砲弾が「扶桑」に飛来し、弾かれるものもあるが、半分以上の砲弾が艦上の構造物を破壊する。

六基ある主砲のうち半数の三基はとっくに粉砕され、艦上は鉄屑の堆積場のような様子を呈している。

随所に敵弾の大穴を穿たれており、そこからは真っ赤な火炎とどす黒い煙が這い出ていた。

ひょろ長く屹立していた艦橋の上半分は綺麗さっぱり消失しており、艦影は別の戦艦と間違えかねないほど変化している。

 

思い出したかのように主砲が発砲するが、各砲塔バラバラであり、敵六番艦には一発も命中していない。

 

「扶桑」は敵六番艦と互角の砲戦を戦っていたものの、「山城」を片付けた敵七、八番艦の砲撃を受け、一気に押し切られてしまったのだ。

 

「日向」は新目標の敵六番艦に向けて、繰り返し交互撃ち方を撃つ。

 

「扶桑」が頑張っているうちは、敵六、七、八番艦のル級は「扶桑」を攻撃し続けており、「日向」に砲撃を加えない。

敵が「扶桑」を撃破する前に、一隻でも多くのル級を仕留めようと寺崎は考えたのだ。

 

だが、その思惑はもろくも崩れ去った。

 

「『扶桑』より発光信号。“我、隊列ヲ落伍ス。我二カエリミズ、進撃ヲ続ケサレタシ”!」

 

「『扶桑』落伍!」

 

二つの報告が、立て続けに上げられる。

 

「やられたか…!」

 

寺崎は苦り切った声を上げた。

「扶桑」は三対一の砲戦に敗れ、戦列を離れた。

第一次ルソン島沖海戦や午前中の航空戦で窮地を凌いだ寺崎でも、ル級戦艦三隻と渡り合って勝てる自信はなかった。

 

やがて、敵弾の飛翔音が大気を鳴動し始める。

 

それが途切れた…と感じた瞬間、「日向」の周辺に、三回連続で水柱がそそり立った。

 

「来た…!」

 

寺崎は声にならない叫びを上げた。

「山城」と「扶桑」を下した三隻のル級戦艦が、「日向」に砲門を向けてきたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この時、敵八番艦に肉薄する二隻の巡洋艦のことなど、寺崎はまだ知らない。

 

 

 

 





あー、テスドォぉぉぉぉぉいやぁだぁぁぁぁぁ!


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第四十二話 勇敢なる牽制者

いやー、最近めっきり涼しくなりましたなぁ。

こっちの海戦はアッツアッツでっせ!


1

 

敵戦艦に肉薄しつつあった二隻の巡洋艦とは、第八戦隊第二小隊の「五ヶ瀬」と「天塩」だった。

二隻とも最大戦速で敵戦艦の隊列に接近しており、各四基の十五.五センチ三連装砲をいつでも発射できるようにして備えている。

 

「電測より艦橋。敵戦艦七番艦、本艦よりの方位85度。敵戦艦八番艦、方位75度。それぞれ距離一一〇(一万一千メートル)、一二〇(一万二千メートル)」

 

電測室から電測長の雨宮凌二(あまみや りょうじ)大尉の報告が、艦橋に上げられた。

 

「まずいな…『日向』が集中して狙われる」

 

第二小隊の指揮を執る 「五ヶ瀬」艦長の島崎利雄(しまざき としお)大佐は、表情を歪ませながら言った。

現在、第二小隊は敵戦艦と味方戦艦の間をすれ違うような針路を取っている。

右側には敵六、七、八番艦のル級戦艦が見え、左側には無残に崩れ去った「山城」と、大火災を起こしている「扶桑」、懸命に主砲を発砲している「日向」の姿を捉えることができた。

 

日本側が不利なのは、一目瞭然だ。

 

黒煙を上げながら停止しているル級戦艦もいるが、少なくとも三隻のル級が十分に余力を残していることがわかる。

対して日本側は「山城」が停止し、「扶桑」がノロノロと進むだけとなっており、健在な戦艦は「日向」一隻のみだ。

 

隊列前方の「大和」「長門」「陸奥」と「伊勢」は、敵一番艦を撃破し、敵二、三、四番艦を追い詰めていたが、対照的に隊列後方の戦況はかなり悪いらしい。

第二小隊の役割は、戦闘力を残している「日向」に助力し、この戦況を打開する事だった。

 

(そんなことができるのか?)

 

敵艦を睨みつけながら、島崎は思った。

 

「五ヶ瀬」「天塩」は栗田健男少将の指揮下で敵巡洋艦部隊と戦い、敵巡洋艦を魚雷の飽和攻撃で撃破した後は、敵駆逐艦の掃討に当たっていた。

相手取った巡洋艦は十二.七センチ砲を多数装備しているタイプで、第二小隊の被害は少なかったし、駆逐艦との砲戦もさほどの打撃を「五ヶ瀬」「天塩」に与えなかった。

それでも、戦いを通じて多数の小口径砲弾を喰らっており、被害が蓄積している。

栗田司令の指示を受けて駆けつけたはいいものの、手負いの軽巡には荷の重い任務だと思わずにいられなかった。

 

 

「『日向』が砲撃しているのは何番艦だ?」

 

気持ちを切り替え、島崎は砲術長の今野功夫(こんの いさお)中佐に聞いた。

 

「『日向』は敵六番艦を砲撃中。敵七番艦と敵八番艦では、八番艦が無傷です」

 

「よし、射撃目標敵八番艦。回頭終了と同時に砲撃開始だ」

 

「第二小隊、右一斉回頭。針路110度」

 

島崎は一息で命令を発し、艦内電話の受話器を置いた。

 

「面舵一杯、針路110度!」

 

航海長の畠中雄彦(はたなか たけひこ)中佐が、操舵室へと繋がる伝声管へと怒鳴り込む。

「五ヶ瀬」の艦橋に発光信号の光が閃らめき、後方の「天塩」へ島崎の命令内容が送られた。

第八戦隊司令部は、第一航空艦隊に配備された「利根」に将旗を掲げているため、この場では最先任の島崎が指揮をとることになっている。

その島崎の指示を受けて、二隻はにわかに行動を開始した。

 

三十秒ほどの間を空けて、「五ヶ瀬」と「天塩」は艦首を右に振る。

 

頭上を「日向」やル級戦艦の砲弾が飛び交う中、利根型軽巡三、四番艦の二隻は一糸乱れずに回頭してゆく。

右正横に見えていた敵戦艦の姿が右前方、正面に流れ、やがて左前方、左正横へと移動する。

 

右一斉回頭を終了した時、第二小隊は「天塩」を先頭にして、敵八番艦の右斜め後方一万メートルにつけていた。

 

先に「天塩」が発砲する。

「天塩」の後ろ姿が震え、左舷側に真っ赤な火焔が湧き出た。

 

火焔の大きさを見るや、最初から斉射を放ったようだ。

敵八番艦を牽制するにあたり、砲撃はより目立つ斉射の方が効果的だと考えたのかもしれない。

 

「天塩」の余韻が収まった時、「五ヶ瀬」も発砲する。

 

艦橋の目前に並べてある四基の三連装主砲が、一斉に咆哮し、計十二発の十五.五センチ砲弾を敵八番艦へと叩き出した。

 

不穏な衝撃が艦を揺らす。

利根型軽巡は主砲が全て前部甲板に据えているため、他の艦とは少し異なる発砲の衝撃なのだ。

下手をすると、艦首が若干右に曲がったと思わせる。

 

「天塩」同様、「五ヶ瀬」も斉射だ。

今野砲術長も、「天塩」と同じように斉射の方が良いと判断したのだろう。

 

計二十四発の中口径弾がル級に着弾する前に、「天塩」が第二斉射を放ち、「五ヶ瀬」も続く。

「五ヶ瀬」が第二斉射を撃ち出した六秒後、間髪入れずに「天塩」が第三斉射を轟然と撃ち、さらに六秒後、三たび装填を完了した「五ヶ瀬」が撃つ。

 

第二小隊の二隻は、十二秒毎に主砲四基が咆哮させている。

「天塩」が発砲している間に「五ヶ瀬」が装填し、逆に「五ヶ瀬」が発砲している間に「天塩」が装填する。

交互に撃ち込んでいるため、十二発ずつの十五.五センチ砲弾が、六秒置きにル級周辺に落下していた。

 

「残弾は何発だ?」

 

「一門につき、約百三十発ずつです」

 

そんな喧噪の中。

島崎が聞くと、今野砲術長は即答した。

 

利根型が搭載する十五.五センチ砲の一門あたりの砲弾搭載数は二百七十発だから、弾数は半分を切ったことになる。

駆逐艦の掃討で、かなり砲弾を消費してしまったようだ。

 

「五ヶ瀬」でこの状態なら、「天塩」も同様であろう。

ル級戦艦を相手取るにおいて、心もとない数字だ。

 

初めから斉射を使用することは、命中率を高める点において有利だが、「五ヶ瀬」「天塩」のような高い速射力を持つ艦において、砲弾の枯渇も注意しなければならなかった。

 

 

だが、幸いと言うべきか、命中弾を得るのはすぐだった。

 

「五ヶ瀬」の第三斉射弾が落下した瞬間、ル級戦艦の艦上に小さな爆炎が躍る。

その六秒後に落下した「天塩」の第四斉射も、ル級に閃光を走らせた。

 

「命中!」

 

今野の弾んだ声が艦橋内に響いた。

第二小隊は斉射を使用した甲斐があり、素早く敵艦に命中させることが出来たのだ。

 

もともと斉射のため、射撃は続行される。

 

四基の十五.五センチ三連装砲は、更に吼え猛けり、十二発の砲弾を繰り返し撃ち込む。

 

命中弾を得てから一回目の斉射が落下した時、ル級戦艦の艦上に爆炎は躍らなかった。

「天塩」の斉射も同様だ。ル級の周辺には落下したものの、被害らしきものは与えられていない。

 

恐らく、ル級の装甲に弾き返されてしまったのだ。

 

今までの戦闘で、ル級戦艦は三十六センチ砲弾にすら耐えられる堅牢さを備えていることが判明している。

その分厚い装甲が、十五.五センチ砲弾の貫通を許さず、明後日の方向に弾きかえしたのだろう。

 

(大丈夫だ)

 

島崎は内心で呟いた。

 

いかにル級とはいえ、艦首から艦尾までを全て装甲で鎧っているわけではない。

艦橋などの脆弱な部分もある。

そこに命中すれば、被害は与えられると考えていた。

 

 

「五ヶ瀬」は第五、第六、第七斉射と、十二秒毎に射弾を放つ。

第五斉射でも被害は確認できなかったが、第六斉射以降は目に見える形で被害を与えた。

 

斉射弾が落下するたびに艦上の二、三箇所で直撃弾炸裂の閃光が走り、ひん曲がった破片などを四方に飛び散らせる。

 

艦橋と煙突の中央に命中した砲弾はそこに敷き並べてあった高角砲を薙ぎ払い、艦首や艦尾の非装甲部分に命中した砲弾は、容易く貫通して内部で炸裂する。

煙突の上部に直撃した砲弾は、炸裂エネルギーで煙突の上半分を消失させ、甲板に命中した砲弾は鋼板を吹き飛ばして大穴を穿つ。

 

一発一発の十五.五センチ砲弾は、ル級戦艦に大損害を与えない。

だが、その砲弾が十発、二十発と命中すれば、被害は馬鹿にならなかった。

 

「いいぞ。どんどん撃ち込め!」

 

島崎は、命令教本にない言葉を発した。

何かを命じるよりも、皆を鼓舞させることが目的だった。

 

 

短時間の間に多数の砲弾を喰らったル級戦艦は、十数もの黒煙を引きずっている。

だが、主砲は定期的に発砲して「日向」に砲弾を撃ち込んでいるし、速力も低下していない。

 

まだまだ斉射弾を叩きつける必要がありそうだ。

 

「艦橋より水雷指揮所。左舷側の魚雷発射管次発装填作業はあと何分ぐらいで終わる?」

 

島崎は、水雷長の黒島一志(くろしま かずし)大尉を呼び出して言った。

 

「あと十分で終了します」

 

島崎の問いに、黒島は冷静な声で答える。

 

「わかった。順調に作業を進めてくれ」

 

それだけ言って、島崎は艦内電話の受話器を置いた。

 

 

「五ヶ瀬」と「天塩」は数十分前に敵巡洋艦に対して左舷側の魚雷を放っており、今は次発装填中だ。

ル級を完全に仕留めるには、強力無比の酸素魚雷を使用する必要があるが、十分ばかり待たなくてはならないらしい。

 

その時、電測長の雨宮と艦橋見張員から同時に報告が上がった。

 

 

「電測より艦橋。敵八番艦の後方より敵駆逐艦出現。敵針路160度。距離八〇」

 

「敵戦艦八番艦の後方より敵駆逐艦接近、数四。距離八〇!」

 

二つの報告が飛び込むや否や、島崎は双眼鏡をル級の後方へと向けた。

丸い視界の中に、前部主砲を乱射しながら突き進んでくる敵駆逐艦の姿が見える。

「五ヶ瀬」と「天塩」に魚雷を発射し、ル級を援護するのが目的であろう。

 

「今野!」

 

「わかってます!」

 

島崎が今野に言うまでもなく、「五ヶ瀬」左舷の十二.七センチ連装高角砲二基が、瞬時に火を噴く。

一拍遅れて、前方を進む「天塩」も、高角砲を撃ち始める。

 

高角砲は四、五秒毎に咆哮し、敵駆逐艦へと十二.七センチ砲弾を叩き出す。主砲を一回撃つたびに二、三回の鋭い砲声鳴り響く。

 

第八戦隊第二小隊の利根型軽巡二隻は、異なる目標に向けて、遮二無二に砲を撃ちまくっているのだ。

 

「敵駆逐艦との距離七〇!」

 

見張員の報告が飛び込む。

七千メートルなら、まだ大丈夫な距離だ。

 

敵駆逐艦群との距離が六千を切った時から、命中弾が出始める。

 

先頭を突き進んでいた駆逐艦の艦首付近に火焔が湧き、鋭利な艦首が轟音と共に吹き飛ばされた。

そこに新たな十二.七センチ砲弾が飛来し、果敢に発砲していた前部砲塔を爆砕する。

前方に撃てる砲を破壊された駆逐艦は、沈黙しつつも速力を緩めない。

先と変わらず、全力で突き進んでくる。

 

その艦に、「五ヶ瀬」と「天塩」高角砲計四基八門のが火力が集中される。

 

距離が詰まったためだろう。今までの倍する勢いで、十二.七センチ砲弾が命中し始めた。

続けざまに食らう砲弾に抉られ、艦上のものはあらかた原型をとどめておらず、そのほとんどが黒煙に覆われている。

 

「ちと危ないかもしれないですね」

 

畠中航海長が焦慮を隠せない表情で言った。

 

畠中の危機感は理解できる。

思いの外、敵駆逐艦は粘っており、このままでは至近距離から魚雷を撃ち込まれると思っているかもしれない。

 

「砲術より艦橋。主砲目標は敵戦艦のままですか?」

 

今野砲術長も、思うところは同じようだ。

暗に主砲目標の変更を催促してくる。

 

「主砲目標はそのままだ。敵駆逐艦は高角砲で対処せよ。我々は、『日向』援護に徹する」

 

島崎は宣言するように言い放った。

 

艦橋内にどよめきが広がる。

誰もが、正気か?と言わんばかりの顔をしていたが、次の瞬間には覚悟を決めた表情になった。

 

「ル級を戦闘不能にするのが先か。魚雷を食らうのが先か…」

 

主砲と高角砲が断続的に咆哮する中、島崎は呟いた。

 

ここで第八戦隊第二小隊が踏ん張らなければ、「日向」が敵戦艦との砲戦に敗北し、ひいてはこの海戦を敗北する。

 

 

ここが、「五ヶ瀬」「天塩」の正念場だった。

 

 

 

その時、第二小隊の頭上の大気が激しく鳴動する。

戦艦の主砲弾が飛翔するような音だった。

 

「なんだ?」

 

不審に思った島崎は、頭上を振り仰ぐ。

鳴動の根源は、「五ヶ瀬」の頭上を右から左に移動し、左舷側ーー敵駆逐艦がいる辺りーーに巨大な水柱を突き上げさせた。

 

計四本の水柱が発生し、敵駆逐艦の隊列が乱れる。

 

 

何が起こったか、島崎は理解している。

四十センチか三十六センチ、はたまた四十六センチかは分からないが、戦艦の主砲弾が飛来して敵駆逐艦の周辺に落下したのだ。

 

「一体、どこから?」

 

畠中の呟きが耳に届く。

 

「日向」は六、七、八番艦のル級に砲撃されており、それどころではないだろう。

「伊勢」以前の味方戦艦も、敵戦艦との砲戦に拘束されているはずだ。

 

その時、島崎の疑問に答えるように、後部見張員の報告が飛び込んだ。

 

「『扶桑』敵駆逐艦を砲撃中!」

 

「なに⁉︎」

 

後部見張員の報告に、島崎は耳を疑った。

「扶桑」は数分前の砲戦で敵六番艦に敗北し、戦列から落伍したはずである。

「扶桑」の被害状況は島崎も自らの目で見ており、その艦が駆逐艦を砲撃していることが信じられなかった。

 

だが、巨弾は繰り返し撃ち込まれる。

「扶桑」の姿は死角になっており見えないが、それでも、どういう状況にあるかは予想ができた。

 

恐らく、「扶桑」は第二小隊の窮地にいてもたってもいられず、復旧作業を放り出して、生き残った主砲で駆逐艦を狙ったのだろう。

 

(ありがとう…『扶桑』)

 

島崎は目を伏せ、後方の味方戦艦に手を合わせた。

 

 

敵駆逐艦の隊列は、繰り返し撃ち込まれる巨弾で四分五裂の有様だった。

何発もの高角砲弾が命中した先頭艦は言うに及ばず、二番艦の位置の敵駆逐艦も大火災を起こして停止している。

 

その時、残った二隻のうち一隻に、「扶桑」の三十六センチ砲弾が直撃した。

敵駆逐艦の姿が瞬時に搔き消え、凄まじい大きさの火焔が湧き上がる。

黒い塵が八方に飛び散り、雷鳴のような轟音が海上に鳴り響いた。

 

水柱が引いた時、巨弾を食らった敵駆逐艦は海上に浮かんでいない。

竜骨がへし折れ、瞬時に海中に引きずり込まれたのだろう。

 

「敵駆逐艦反転」

 

見張員が報告する。

四隻中三隻を失ったため、雷撃を断念するようだ。

 

「よし」

 

島崎は安堵した。

額の汗を拭い、畠中と頷き合う。

 

 

 

だが、第二小隊の苦難は終わったわけではなかった。

 

 

再び、頭上の大気が鳴動し始めたのである。

島崎は「扶桑」が発射したものだと思っていたが、後方からの砲声は届かない。

それに、大気の鳴動は徐々に大きくなってくる。

 

「まさか…!」

 

全ての音がその轟音に掻き消された時、島崎は全てを悟った。

 

「五ヶ瀬」の前方に凄まじい高さ、太さを持った水柱が奔騰し、前方を航行していた「天塩」の姿を隠す。

同時に「五ヶ瀬」の艦体は十本以上の水柱が発生させた波によって、お辞儀をするように前のめった。

 

「来た!来た!来た!来た!…本当に来た!」

 

羅針盤に掴まって身体を支えながら、島崎は叫ぶように言った。

 

「敵戦艦八番艦からの砲撃です!」

 

今野砲術長が悲鳴染みた声で報告を上げる。

 

第二小隊が散々十五.五センチ砲弾を撃ち込んだ敵八番艦は、第二小隊など視界に入っていないかのように振る舞い、今まで「日向」を砲撃していた。

だが、第二小隊の二隻から合計三十回以上の斉射を受けて、耐えられなくなったのだらう。

 

被害の元凶である第二小隊に、砲撃目標を定めたのだ。

 

「日向」を支援するに置いて、敵八番艦の目標が「日向」から第二小隊に変更したことは喜ばしいことだったが、いざ実際に戦艦の巨弾を浴びてみると恐縮せざるおえなかった。

 

「五ヶ瀬」「天塩」は繰り返し斉射を放つ。

さっきまで駆逐艦を砲撃していた高角砲も、敵戦艦に向かって火を噴く。

 

だが、ル級は意に返さない。

 

発生する黒煙を吹き飛ばし、第二射の閃光を走らせた。

 

ル級と第二小隊の距離は四千を切っているため、数秒とせずに着弾する。

「五ヶ瀬」左舷側の海面が爆発し、十本以上の数の水柱がそそり立つ。

ル級戦艦も第二小隊と同じく最初から斉射を放っているようだった。

 

着弾した瞬間、「五ヶ瀬」の艦体が大きく右に傾いた。

同時に、凄まじい量の海水が降りかかる。

 

着弾位置はかなり近い。

あと三十メートル右にずれていたら直撃を喰らっていたかもしれない。そう思わせるほどの至近距離だった。

 

「左舷水雷科員、波にさらわれました!装填作業中断!」

 

黒島が、半ば絶叫と化した声で報告する。

 

島崎は罵声を発した。

酸素魚雷の次発装填作業を行なっていた水雷科員が、吹き上がった水柱の海水にさらわれてしまったようだ。

装填作業を再開しなければ、左舷側の魚雷は撃てない。

酸素魚雷を頼みにしていた島崎にとっては、大きく計算が狂った形だった。

 

「雷跡四、左舷方位270度から300度より接近。距離〇一!」

 

凶報は続く。

 

「ぎょ…魚雷だと⁉︎」

 

突然の出来事に、島崎は自らの身体が凍りつくのを感じた。

艦長として回避命令を出さなければならないが、咄嗟に言葉が出てこない。

島崎より先に動いたのは、畠中航海長だった。

 

「両舷停止!」

 

畠中の指示を受けた機関室では、素早くタービンの出力が最下まで落とされる。

 

「機関、後進全速!急げ!」

 

次いで畠中は言った。

舵を切っても間に合わないと考えたのだろう。後進して魚雷をやり過ごす根端のようだ。

艦を進ませる慣性と後進させる力がせめぎ合い、「五ヶ瀬」の艦体は激しく身震いする。

 

その喧騒に身を任せ、島崎は考えた。

 

数分前に第二小隊を雷撃しようと接近してきた敵駆逐艦。

「扶桑」の援護射撃と高角砲が撃破したが、最後尾にいた敵艦を取り逃がしている。おそらく、その駆逐艦が放った魚雷だろう。

 

距離も遠く、たった一隻が放った魚雷など恐れるに足らないと思っていたが、それは大きな誤算だったようだ。

 

回避中に発砲しても当たらないと考えているのだろう。

ひっきりなしに撃ちまくっていた主砲と高角砲は沈黙している。

 

やがて、「五ヶ瀬」はゆっくりと後進を開始した。

 

(かわせ!…「五ヶ瀬」)

 

島崎は自らが艦長を務める艦に願う。

願いなど意味がないとわかっていても、願わずにいられなかった。

 

四本の雷跡は、急速に近づく。

島崎には、艦首あたりに命中するコースに見えた。

 

先行した二本が、艦首をかすめて右舷側に抜ける。

半数の魚雷はギリギリで回避に成功したようだ。

 

「まだだ…」

 

艦橋内に安堵の空気が漂う中、島崎は海面を睨みつけた。

まだ二本の魚雷が残っている。

 

「八百……六百…」

 

「四百……二百…百!近い!」

 

見張員の絶叫が響く。

艦首の陰に二本の雷跡が消えるのを、島崎ははっきりと見た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「雷跡。右舷側に抜けました!」

 

 

 

そう喜色溢れる見張員の声が聞こえたのは、一秒後だったのか、はたまた十秒二十秒後だったのかわからない。

だが、気付いた時には魚雷の回避に成功しており、艦橋内に歓声が爆発していた。

 

「や、やった……」

 

島崎は力の抜けた声で言う。

自分のものかどうかもわからないような、かすれた声だった。

 

無事、魚雷の回避に成功したのだ。

 

 

だが、「五ヶ瀬」は窮地から完全に脱出できたわけではなかった。

ル級が放った砲弾の飛翔音が、頭上から鳴り響く。

 

 

「なんだ…?」

 

島崎は、飛翔音の音色が少し違うのに気づいた。

今までのものよりも大きく、そして甲高い。

 

 

 

この時、ル級が放った主砲弾の精度は、お世辞にも良いものではなかった。

「五ヶ瀬」が前進を続けていたのならば遥か後方に落下する弾道を描いており、至近弾にすらならないものだった。

 

だが、悪魔のいたずらか、魚雷回避のために「五ヶ瀬」は両舷を停止し、終いには後進する。

 

その結果、本来は当たらないはずの敵弾の落下範囲に、自ら入ってしまったのだ。

 

 

 

 

飛翔音は収まるどころか、更に拡大する。

 

「まさか⁉︎」

ーーそんなはずは…。

 

島崎は「自ら着弾位置に入ってしまった」という考えに至り、目を見開いて頭上を振り仰いだ。

喜色を浮かべていた艦橋要員達の顔が、みるみる絶望のそれへと変化する。

 

「か、回避だ!」

 

現在。「五ヶ瀬」の艦体は全速から後進微速へと移行した直後であり、ここから艦を再び移動させるのは凄まじいエネルギーが必要となる。

それを考えれば当然間に合わないが、島崎は最後まで諦めるつもりはなかった。

 

畠中も力強く頷き、機関室へ通じる伝声管に駆け寄る。

 

「機関室、両舷前進だ!最大出力でーーー」

 

次の刹那。

 

「五ヶ瀬」乗組員が今までに感じたことのない衝撃が、艦に襲いかかった。

艦橋がひっくり返ったと思わせるほどに揺れ、島崎は床に弾き飛ばされる。

畠中が何かを叫んだが、それが島崎の耳に届くことはない。

 

視界いっぱいに閃光で満たされ、灼熱の業火が島崎の身体を焼き尽くす。

 

 

 

 

 

 

家族の姿が脳裏をよぎったのを最後に、島崎の意識は暗転し、二度と戻ることはなかった。

 

 

 




次回、決着。(たぶん…)


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第四十三話 傷だらけの栄光



第一艦隊Vs深海棲艦太平洋艦隊も、今回で決着がつきます!

大海戦を制するのは一体どちらなのでしょうか⁉︎



1

 

「五ヶ瀬」はル級戦艦の主砲弾を受けて第一、第二主砲塔を破壊され、艦橋やマストも爆砕された。

速度は低下していないが、濛々たる黒煙を後方に引きずっており、艦上には多数の火災が発生している。

ほとんどのものが原型をとどめおらず、さながら幽霊船のような惨状だった。

その艦が浮いていること自体、信じられないぐらいである。

 

 

戦艦に挑んだ軽巡の末路が、そこにあった。

 

 

「すまぬ…」

 

「日向」砲術長の寺崎文雄中佐は、「五ヶ瀬」の惨状を見て瞑目した。

 

第八戦隊第二小隊は、「日向」を救うべく八番艦のル級戦艦に挑んだ。

二対一という数の優位があるとはいえ、軽巡と戦艦の戦闘である。初めから勝負はついていたのだろう。

「五ヶ瀬」「天塩」の二隻は、合計四十発以上の十五.五センチ砲弾、十二.七センチ砲弾を撃ち込んだらしいが、敵八番艦は戦闘不能にならず、たった二発の砲弾で「五ヶ瀬」を大破に追い込んだのだ。

 

 

寺崎の深謝の言葉は、主に「五ヶ瀬」乗組員に向けられていた。

 

 

だが、第二小隊の決死の行動は無駄ではない。

三対一という「日向」の圧倒的不利を、一隻のル級を牽制してくれたことで、二対一にしてくれたのだ。

「五ヶ瀬」を撃破した敵八番艦は「天塩」を目標に砲撃を続行しており、「天塩」は逃げ出すことなく牽制を続けてくれている。

 

二対一の状態は維持されているのだ。

 

 

 

そこまで考えた時、敵八番艦の右舷中央部に、凄まじく巨大な水柱がそそり立った。

八番艦のル級は激しく震え、大きく左にのけぞる。

十数秒の間を空けて、爆発音が「日向」に届いた。

 

一本目の水柱が火柱に変わる頃、間髪入れずに二本目の水柱が艦尾付近に突き上がる。

一回目と二回目の衝撃波が、艦のいたるところで共鳴し、ル級は大地震のような凄まじいし衝撃に襲われた。

二本の水柱が引いた時、敵八番艦は右舷喫水線下の二箇所に大穴を穿たれており、数百トンの海水が艦内になだれ込み始めていた。

 

巨体は大きく右に傾いており、右舷側の甲板が海水に洗われている。

 

艦上では繰り返し小爆発が発生しており、その度に周辺の黒煙を吹き飛ばす。だが、火災の数はそれ以上に多い。

吹き飛ばされても、すぐに新たな黒煙が上がり、艦上を覆い尽くす。

 

(やったな…『五ヶ瀬』)

 

何が起きたか、寺崎は分かっている。

「五ヶ瀬」か「天塩」かわからないが、発射した魚雷がル級に到達し、二本を命中させたのだ。

 

敵八番艦は海上に停止しており、繰り返し発砲していた主砲も沈黙している。

第二小隊は牽制にとどまらず、ル級戦艦一隻を戦闘不能にしてくれたのだ。

 

「五ヶ瀬」の犠牲は、「敵戦艦一隻撃破」の戦果で報われた。

決死の攻撃は無駄ではなかったのだ。

 

窮地に陥っていた「日向」の砲術長としては、感謝してもしきれない。これに応えるためには、第二小隊が開いてくれた道を通じて、残り二隻の敵戦艦を撃破し、その先にある勝利を掴みとることだった。

 

 

「敵六番艦、発砲!」

 

坂本譲測的長が報告する。

 

「斉射を続行」

 

寺崎の言葉に応えるように、「日向」は第一斉射を放つ。

前部、中部、後部に二基ずつ、計六基搭載された三十六センチ連装砲が、雷鳴のごとく吼え猛る。

強装薬炸裂の衝撃が「日向」の艦体を震わせ、十二発の巨弾を叩き出した。

 

「日向」は数分前の交互撃ち方で命中弾を得ている。

そのため、主砲全門を使った斉射に移行しているのだ。

 

先に、敵六番艦の射弾が落下する。

 

寺崎が目を見開いた瞬間、「日向」の左右に水柱が奔騰し、二度、ハンマーで打撃されたような直撃弾炸裂の振動が艦を震わせた。

同時に、後方から何かが壊れる音が届く。

 

「喰らったか…!」

 

寺崎は唸り声を上げた。

 

少し遅かったとはいえ、敵六番艦も命中弾を得た。

これで「日向」は敵六番艦を一方的に叩くことはできなくなった。

以後は、双方の間で斉射の応酬が続くことだろう。

 

やや遅れて「日向」の第一斉射弾が落下する。

敵六番艦の周辺に多数の水柱がそそり立ち、ル級の姿を隠す。

 

数秒後、水柱が引いたのちの敵六番艦は、中央部から後部辺りにかけて大規模な火災が発生していた。

同時に、大量の黒煙を引きずっている。

 

何発が命中したがわからないが、「日向」は一回目の斉射でかなりの被害を敵六番艦に与えたらしい。

 

その戦果に喜ぶ暇もなく、新たな射弾が飛来する。

頭をかきむしりたくなるような飛翔音が途切れた瞬間、「日向」の左前方に四本の水柱が発生した。

まだ至近弾ではないが、水中爆発の衝撃は足の裏を通じて感じ取ることができ、否応にも敵弾の落下位置が近づいているのを感じられる。

 

敵七番艦の砲撃だ。

 

第八戦隊第二小隊が敵八番艦を仕留めてくれたとはいえ、依然二対一の不利の状態は続いている。

勝利するためには、敵七番艦が「日向」に命中弾を得る前に敵六番艦を片付け、各個撃破の形に持っていけるかどうかが重要だった。

 

 

 

敵六番艦は、斉射に移行するためだろう、やや沈黙する。

 

その間に、「日向」は第二斉射を放つ。

二回目の轟音が寺崎の鼓膜を震わせ、衝撃が艦をわななかせた。

 

発射された十二発が空中にあるうちに、敵六番艦の艦上に斉射の火焔が躍った。

前部と後部に閃光が走り、「日向」と同じ十二発の三十六センチ砲弾が発射される。

 

直後、敵六番艦の前半分を隠すように、多数の水柱がそそり立った。

同時に、艦首辺りに真っ赤な爆炎が湧き出し、黒い塵のようなものや、ひん曲がった破片が四方に飛び散った。

 

「どうだ?」

 

水柱に遮られて直接見ることはできなかったが、黄色の着色染料が混ぜられている水柱が、火焔に反射して赤く染まったのを確認している。

そのことから、かなり巨大な火炎が発生したと思ったのだ。

 

水柱が引いた時、寺崎は自分の期待が正しかったことを悟った。

 

大双眼鏡を覗いて見ると、敵六番艦の鋭利な艦首が大きく変形しているのがわかる。

かなりの被害を、艦首とその周囲に与えたようだ。

 

仕返しのように、敵六番艦の第一斉射弾が落下してくる。

寺崎が被弾に備えて下腹に力を込めた時、三発が「日向」に命中した。

一発は艦首と第一主砲塔の間の甲板を貫き、内部で炸裂する。

兵員居住区が被害を受け、ハンモックや私物、官給品を焼き尽くした。

二発目は、後部艦橋をかすめて右舷側の海面に落下する。

かすめたと言っても、後部艦橋が大損害を受けたことに変わりはなく、後部マストがへし折れる寸前まで大きく揺らいだ挙句、後部艦橋に詰めていた艦橋要員は、衝撃で宙に投げ出されたり、身体を壁に打ち付けたりなどして全員が人事不省の有様だった。

 

そして三発目は、他の二発よりも重大な被害をもたらした。

 

寺崎が下腹に力を込めた刹那、黒い塊が第一砲塔の天蓋に吸い込まれた。

直後、凄まじい爆音が轟き、第一砲塔の天蓋が何かに食い破られたかのように瞬時に引き裂かれる。

二本の砲身は根元からちぎれ飛び、艦橋に匹敵する高さの火柱が目の前にそそり立った。

 

「な…!」

 

寺崎は言葉を失った。

「日向」の艦体は苦悶するように震え、寺崎は砲術長席から転がり落ちそうになる。

射撃指揮所内の砲術科員たちは、ほとんどが大きくよろけ、または転倒した。

 

「だ、第一砲塔弾薬庫注水!急げ!」

 

そんな中、寺崎は狼狽した様子で叫ぶ。

 

「日向」は主砲一基を失った。

火力の六分の一をもぎ取られたのだ。

 

(大丈夫…まだ、大丈夫だ)

 

寺崎は自分に言い聞かせた。

 

主砲一基を失ったのは痛手だが、まだ五基十門が残っている。

伊勢・扶桑型戦艦は計十二門の砲身を連装六基に分散して配置しているため、一基を破壊されても被害は少ない。

 

多砲塔戦艦の強みと言えた。

 

 

主砲一基を失った状態で、「日向」は第三斉射を撃つ。

三たび衝撃が艦を揺らし、雷鳴のような発射音が乗組員の耳朶を震わせた。

火力が弱くなったためだろう、思いの外発射の反動は弱い。

それでも、凄まじい破壊力を持つ徹甲弾十発が、敵六番艦に飛翔して行ったのは確かだった。

 

 

 

 

 

 

「日向」は続けて第四、五、六と斉射を続行し、敵六番艦も「日向」に向けて斉射を撃ちまくる。

無数の巨弾が「日向」周辺に水柱を発生させ、艦体を抉る。

 

以来、ル級の斉射を六回受けた「日向」は、更に主砲一基を潰され、後部艦橋を爆砕され、濛々たる黒煙を引きずっていた。

新鋭とはどうに言えない老体は、敵弾を喰らうたびに苦悶するように震え、艦のいたるところが悲鳴を上げる。

 

だが、それはル級も同じだった。

 

「日向」の斉射を受け続けたル級は、特徴的だった三脚マストを巨弾の直撃を受けて失い、前部と後部の主砲全てを破壊された。

速度も低下しており、敵七番艦に追い抜かされつつある。

 

「敵六番艦、落伍!」

 

寺崎は、伝声管を通じて艦長の橋本信太郎大佐に報告した。

 

「射撃目標、敵七番艦!」

 

素早く橋本艦長の命令が届く。

 

敵六番艦を撃破して一対一に持ち込んだものの、敵七番艦は弾着修正を繰り返しており、今にも「日向」に直撃弾を与えそうなところまで精度を向上させている。いつ敵弾を喰らってもおかしくない。

 

橋本艦長の口振りは、「勝負はこれからだ」と言いたげだった。

 

 

「了解。目標敵七番艦。ただちに砲撃を再開します」

 

素早く復唱すると、次いで指揮所を見渡し、重々しい声で命じた。

 

「主砲目標を敵七番艦に変更。測的始め!」

 

自らの命令で、皆がにわかに動き出すのを横目に見つつ、寺崎は片目で指揮官用大双眼鏡を覗き、敵七番艦を見やった。

 

敵七番艦の艦上には、十数秒ごとに直撃弾炸裂の閃光が走っている。そして、計六条の黒煙を引きずっていた。

おそらく、敵八番艦を撃破した「天塩」が、目標を変更して砲撃を続行しているのだろう。

 

それでも、決定的な被害は受けていないようだ。

 

第二小隊は、敵八番艦に対して魚雷を使用して勝利したが、やはり軽巡では、砲戦だけでル級を仕留めるのは難しいらしい。

ここは本艦が参戦し、ル級戦艦を確実に撃破しよう、と寺崎は考えていた。

 

「日向」が砲撃準備を整える中、敵七番艦の射弾は繰り返し飛来する。

 

「日向」の正面に落下して、針路を塞ぐように水柱がそそり立ったり、頭上を飛び越えて右舷側の海面に着弾したりと、至近弾はあるものの、直撃する敵弾はない。

だが、その幸運がいつまでも続くとは思っていない。

 

急いでで砲撃を再開しなければ、という焦慮が寺崎の胸中で渦巻いていた。

 

「測的よし!」

 

「方位盤よし!」

 

「主砲、発射準備よし!」

 

寺崎の気持ちを察するように、素早く指揮所の各部署から準備完了の報告が届く。

寺崎は、主砲発射を告げるブザーのボタンを押し、目標である敵七番艦を見据えた。

 

(三隻も相手取る事になるとはな…)

 

そんな中、寺崎の意識は思考に飛んだ。

 

これより前、「日向」は敵五番艦と敵六番艦の二隻と撃ち合っており、敵七番艦を含めると、計三隻のル級戦艦と砲火を交えていることになる。

今までの海戦の認識では、一回の水上砲戦で、二隻も敵戦艦を相手取れば多い方だと考えられていたが、「日向」は三隻目を相手取ろうとしているのだ。

 

寺崎としては、八面六臂の大活躍だと言いたいところだが、こちらも「扶桑」と「山城」を戦列外に失っている以上、手放しに喜べないことだったが…。

 

 

考えが思考から戦場に戻った瞬間、寺崎はボタンから手を離し、発射命令を下すべく口を開く。

 

「撃ち方ーーー」

 

だが、寺崎は命令を発することはできなかった。

 

「日向」の左右に巨大な水柱が突き上がり、艦中を打撃が襲ったからである。

後方から鈍い振動が伝わり、同時に鋭い炸裂音が響き渡った。

 

「喰らった…!」

 

寺崎が唸り声を上げた時、各砲塔と連絡を取っていた白崎努(しろざき つとむ)特務少尉が報告した。

 

「第四砲塔損傷!通信途絶!」

 

「やられたか…!」

 

「日向」は敵六番艦との砲戦で第一、第三砲塔を破壊されており、今、第四砲塔まで破壊された。

火力は半分にまで低下してしまったのだ。

 

現在使用できる主砲は、前部甲板の第二砲塔と、後部甲板の第五、第六砲塔のみである。

この三基で、敵七番艦と渡り合わなければならなかった。

 

「怯むな。撃て!」

 

衝撃が収まった頃、寺崎は力強い声で命じた。

坂本測的長が引き金を引き、生き残った主砲の各一番砲身から、計三発の巨弾が、音速の二倍以上の速度で発射される。

 

半数の火力を失いながらも、「日向」は新目標への射弾を放ったのだ。皆の闘志は、なおも健在だった。

 

だが、それを押しつぶすようにして十二発の敵弾が飛来し、数発が「日向」を抉ぐる。

 

 

 

「日向」の第一射弾は、命中しない。

敵七番艦から、かなり離れた場所に虚しく水柱を上げるだけだ。

 

 

 

第一次ルソン島沖海戦で初弾命中を成し遂げた寺崎でも、この局面での初弾命中は難しいと言わざるおえなかった。

 

「日向」は第二射、三射、四射と交互撃ち方を続行する。

その間に敵弾は容赦なく「日向」に直撃し、一寸刻みに艦を破壊してゆく。

 

今までの戦闘で、二十発以上の三十六センチ砲弾を喰らった艦体は、凄まじい様子を呈していた。

左舷側の副砲はあらかた破壊されており、後部艦橋や煙突も原型を留めぬままに粉砕されている。

砲撃を続けていた主砲三基のうち、最後尾に位置している第六砲塔も轟音と共に爆砕され、飛行甲板からは、航空燃料に引火したのか、巨大な火焔が躍っていた。

 

 

だが、「日向」は大損害を受けつつも、待望の命中弾を第五射で得ることができた。

 

敵七番艦の左右に水柱がそそり立ち、前部甲板辺りに巨大な爆炎が躍る。

同時に、砲身のような長細い破片が宙に舞った。

 

「よし!」

 

寺崎は喝采を上げた。

「日向」は満身創痍の状態でありながら、敵七番艦に主砲弾を命中させたのだ。

それだけではない。見たところ、ル級戦艦の主砲一基を破壊したらしい。

今の「日向」にとって、貴重な戦果だった。

 

 

「日向」はやや間を空けて第一斉射を放つ。

二基のみの主砲だが、計四門の砲門から紅蓮の炎が噴き出し、四発の三十六センチ砲弾を叩き出したのだ。

 

着弾を待つ間に、敵七番艦の第八斉射弾が落下してくる。

砲弾が空気を切り裂く、甲高い音が途切れた…と感じた瞬間、「日向」の艦首に火焔が湧き出し、錨や菊の紋章、鋼板などを四方にちぎり飛ばした。

何十回も経験した衝撃が艦を襲い、艦橋の頂点に位置している射撃指揮所にも、かなりの振動が伝わる。

 

だが、寺崎はそんなことは眼中にない。

 

目は大双眼鏡を覗き続けており、その先にある敵七番艦を凝視していた。

 

「だ、だんちゃーく!」

 

ストップウオッチを握る水兵が報告する。

次の瞬間、敵七番艦の周辺に三本の水柱が奔騰し、艦中央部に爆炎が躍った。

黒いチリのようなものが飛び散り、命中した箇所には小規模な火災が発生する。

放った四発のうち、一発がル級に命中したようだ。

 

 

だが、ここで「日向」と敵七番艦との砲戦は唐突に終了した。

 

 

寺崎が敵弾が飛来しないことを不審に思った時、見張員が大声で報告する。

 

「敵七番艦、取舵に転舵!」

 

「何⁉︎」

 

寺崎はそれを聞くや、反射的に指揮官用大双眼鏡に視界を戻した。

丸い視界の中に、左に転舵して離脱しつつあるル級戦艦の姿が見える。

多数の黒煙を上げてはいるが、戦列を離れるほどの被害を被っているようには見えない。

この砲戦では敵が有利だったのに、ル級は勝負を捨てたのだろうか?

 

「敵二、三、四番艦、大火災。行き足止まります」

 

「敵七番艦、離脱を図る模様」

 

見張員は、新たな敵情を報せている。

 

「どうやら勝ちました。砲術長!」

 

坂本測的長が、声を弾ませて叫んだ。

寺崎も、瞬時に状況を理解した。

 

敵一番艦は海戦の前半に「大和」に撃破され、敵五番艦と敵六番艦も「日向」が撃破した。

問題の敵八番艦も、「五ヶ瀬」「天塩」に魚雷を撃ち込まれて停止している。

戦闘力を残しているのは二、三、四、七番艦のタ級一隻とル級三隻だったが、二、三、四番艦は「大和」「長門」「陸奥」「伊勢」との砲戦に敗れ、たった今撃破された。

 

敵七番艦は、一対五では到底敵わないと考えたのだろう。

戦闘続行ではなく、撤退を選択したのだ。

 

 

寺崎は射撃指揮所の外に出て、周辺海域を見渡した。

敵艦隊は散り散りになりながら敗走しつつある。

 

戦艦は言うに及ばず、巡洋艦、駆逐艦といった艦も、隊列を一切組まず、一目散に北東方向に脱出していく。

 

深海棲艦隊に、海戦前の威容はない。

どの艦も黒煙を引きずっており、手荒くやられていた。

 

 

真珠湾からはるばる遠征してきた深海棲艦太平洋艦隊は、日本海軍第一艦隊という巨壁に真っ向からぶち当たり、そして粉々に砕け散ったのだ。

まぁ、敵艦隊を受け止めた「巨壁」も、少しでも触ればすぐにでも崩れてしまうぐらいの被害を受けたのだが…。

 

 

第一砲塔から上がる黒煙が視界を遮っていたが、寺崎は空が茜色に染まり始めているのに気付いていた。

 

西には、沈みつつある太陽の姿が見える。

 

射撃指揮所は測距儀と共に艦橋の頂点に位置しているため、全周を見渡すことができるのだ。

 

(長い一日だった…)

 

夕陽を見ながら、胸中で呟く。

 

10月5日の日の出から日没まで、ずっと第一艦隊は深海棲艦と戦っていた。

 

何度も危ない場面があったものの、対空戦闘や対艦戦闘、何時間もの死闘を制したのは第一艦隊だった。

被害を受けつつも、フィリピン救援を目論んでいた深海棲艦隊に大損害を与え、撃退に成功したのだ。

 

「あとは任せたぞ」

 

今度は、はっきりと声に出して言う。

第一艦隊が敵艦隊に勝利したからといって、戦いはまだ前半戦の段階だ。

この海戦の先にある作戦ーーー“KD”作戦を完璧に成功しなければ、第一艦隊の勝利は意味をなさなくなる。

 

寺崎の言葉は、台湾やパラオ、マラッカ海峡に待機している“KD”作戦参加部隊に向けてのものだった。

 

寺崎の心眼は、水平線の先にいる日米英部隊を、しっかりと捉えていた。

 

 

 

 

 

勝利した第一艦隊は、日本への帰路につく。

 

 

艦隊が祖国に着く頃には、“KD”作戦の成否は判明しているだろう。

 

 

艦隊の将兵は、皆、作戦の成功を祈っていた。

 

 

 

 

 

 






次回からはいよいよ作戦発動。

日本の命運を決める一戦。はっーじまーるよー



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第三章 “極東打通”作戦
第四十四話 円卓の騎士達



いよいよKD作戦開始です。


1941年10月5日・作戦日前日

 

1

呉鎮守府の連合艦隊司令部では、山本五十六GF司令長官や同参謀長の宇垣纒少将、及び参謀全員が作戦室の円卓を囲み、第一艦隊からの続報を今や遅しと待っていた。

 

時刻は、午後7時を少し回った頃である。

日はとうに暮れており、街灯の鈍い光が窓から差し込んできていた。

 

そんな中。

作戦室の中は異様な空気が広がっている。

どの参謀も口元をきつくしばっており、一言も発さない。

 

目を閉じ、腕を組んで座っている者がいれば、落ち着かない表情で立てかけられてる時計と自分の手を交互に見る者、はたまた腕を後ろで組んで円卓の周りをウロウロする者もいる。

室内には、年代物の時計が奏でる秒針の音しか響いていない。

 

このような状態が始まって、早10時間。

今日の午前9時頃、第一艦隊司令部から“我、敵艦隊ヲ発見セリ。コレヨリ戦闘ニ移行ス”の電文を受信して以来、ずっとである。

 

それ以後のGF司令部宛の電文は無く、現地部隊が発した戦術的な電文しか傍受できていない。

傍受した内容だけでは、「飛龍」がやられたことと、戦いが優位に推移していることぐらいしか把握できず、山本を始めとする司令部要員達は歯痒い思いをしながら、食事も取らずに待っているのだ。

 

ひっきりなしに飛び交っていた戦術通信を傍受しなくなった以上、海戦は終了している思われていたが、結末を記した電文は依然届かない。

 

参謀たちの忍耐は、限界を迎えようとしていた。

 

 

 

だがその時、激しい足音が沈黙を破った。

その音はだんだんと大きくなってくることから、作戦室に向かって走ってきているようだ。

 

目を閉じていた者は気がついたように目を開け、円卓の周辺を歩いていた者は席に戻る。

他の者も威儀を正し、扉の方を注視した。

 

足音が作戦室の前で止まると「失礼します」と前置きしてから、勢いよく扉が開けられた。

入ってきたのは、呉通信隊の若い中尉だった。

片手に電文内容が書かれているであろう紙切れを持っており、走って来たためだろう、やや息が荒い。

 

呉通信隊とは呉鎮守府に所属している通信隊の一つであり、広島市郊外の80mアンテナを駆使して第一艦隊との通信を担当している部隊である。

この中尉は、傍受した通信内容を午前中から度々報告に来ているため、GF司令部としても顔馴染みな存在だった。

 

読め、と宇垣が顎で示すと、中尉は一息着いてから口を開く。

 

「読みます。第一艦隊司令部発。連合艦隊司令部宛。“我、敵艦隊ニ勝利ス。敵艦隊ハ敗走中ナリ”」

 

その言葉が室内に響きわたるや、参謀たちは破顔し、胸をなでおろした。

第一艦隊が命がけで戦っている最中、ただ待つだけというのはかなりの忍耐を必要としただろう。それから解放されたというのも、参謀たちを安堵させたようだ。

 

「勝ちましたか……。第一段階は無事達成ですね」

 

GF首席参謀の風巻康夫大佐は、落ち着き払った声で言った。

 

GF司令部では、第一艦隊と敵艦隊との戦闘を第一段階。“KD”作戦のルソン島制空権奪還を第二段階。同じく米アジア艦隊と英東洋艦隊による、深海棲艦極東艦隊の撃滅を第三段階と設定している。

第一艦隊がハワイから遥々遠征してきた深海棲艦太平洋艦隊を破ったため、第一の関門は突破できたと言えた。

 

「ああ。さすがは高須司令だ」

 

宇垣も同調するように言う。

 

常日頃から感情を表に出さず「黄金仮面」の異名で呼ばれていた宇垣も、この時ばかりは目をきらめかせ、顔に笑みを浮かべていた。

 

「戦艦より空母」という航空主兵論が広まりつつある現在、宇垣の専門である砲術を主な武器とする第一艦隊が、敵艦隊と砲戦を戦い、そして勝利したということが、とても嬉しかったらしい。

 

 

その時、二人目の将校が中尉と入れ替わるように入ってきた。

階級は少尉であり、片手に紙切れを持っている。

おそらく、第一艦隊の続報を呉通信隊が受信し、その内容を報告しに来たのだ。

 

また宇垣が顎で示すと、少尉は直立不動の姿勢で敬礼し、口を開いた。

 

「第一艦隊司令部発・続報。“我、戦艦八、巡洋艦七、駆逐艦十一、空母ラシキ大型艦二隻ヲ撃沈。戦艦一、巡洋艦二、駆逐艦九隻ヲ撃破スーー」

 

「空母…だと?」

 

この時、ずっと口を閉じていた山本が、少尉の報告を遮った。

円卓の周辺もザワザワとしだす。

 

 

「深海棲艦も空母を保有しているのではないか?」という疑問は、当然GF司令部内からも上がっていた。

だが前線からの発見報告は無く、半年間、深海棲艦の空母は人類の前に一向に姿を現していない。

よって、「深海棲艦は空母を保有していない」というのが、日本海軍や米海軍の見解だった。

だが、第一艦隊からの続報には、“空母らしき大型艦”を撃沈した。とある。

「深海棲艦に空母はない」と考えていた山本にとって、その報告内容はかなりの衝撃だった。

 

「はい。報告書には確かに“空母らしき大型艦”とあります」

 

少尉は紙切れと山本を交互に見ながら、淀みなく言う

 

「暗号の解読ミスという可能性は?」

 

通信参謀の和田雄四郎(わだ ゆうしろう)中佐も疑問に思ったのだろう、少尉に聞いた。

 

「第一艦隊との通信は、交信手・暗号解読手、いずれも通信隊で最優秀の古参兵を使っております。ミスという可能性は万が一にもないと考えますが…」

 

「そうか…。報告を続けてくれ」

 

ここで、自分が報告を遮ってしまったと思ったのだろう。山本は重々しい声で少尉に言った。

 

少尉は一息つくと、報告を続ける。

 

「“被害。『山城』『飛龍』『吹雪』『白雪』『狭霧』『嵐』『夕立』『海風』沈没。『長門』『日向』『扶桑』『五ヶ瀬』『三隈』『春雨』大破。『大和』『伊勢』『鈴谷』『那珂』『舞風』中破。『陸奥』『千代田』『朝雲』『山雲』『山風』『涼風』小破。加エテ、二航戦航空機ノ五割ヲ損失ス”。以上です」

 

少尉が報告を終えた直後、円卓周辺で沈黙が広がった。

やや間を空けて、宇垣が口を開く。

 

「そんなにやられたか…」

 

要約すると戦艦一、空母一、駆逐艦六隻を損失し、損傷は大破から小破を合わせて、戦艦六隻を含む艦艇十七隻となっている。

第一艦隊の総艦艇数は四十七隻だから、半分近い艦艇が沈没ないし損傷した計算だ。

戦果は戦艦八隻を含む二十八隻を撃沈、他十二隻を撃破だから、彼我の被害・目標の達成度を見ても第一艦隊の大勝利は揺るがない。

だが「山城」や「飛龍」を失い、「長門」「日向」「扶桑」が大破した惨状を見て、勝利を大喜びする気に参謀たちはなれなかったようだ。

 

「大勝利には違いがありません」

 

戦務参謀の渡辺安次(わたなべ やすじ)中佐が、励ますかのような声で発言した。

 

「第一艦隊は戦略的にも戦術的にも、敵艦隊に勝利しました。『山城』『飛龍』の損失という被害は決して小さいものではありませんが、戦果や結果を考えると悲観には及びません」

 

渡辺の言葉が正しいと感じたのか、参謀たちは顔を上げた。

そんな中、山本が円卓を見渡しながら口を開く。

 

「第一艦隊が勝利した以上、この件に関してこれ以上の議論は不要だ。それよりも、新たな問題が浮上している」

 

「…空母らしき大型艦の正体と、これが“KD”作戦へ与える影響。この二点ですね?」

 

「その通りだ参謀長。冴えてるな」

 

宇垣との短いやり取りの後、山本は今一度円卓を見渡し、風巻に顔を向けた。

 

「第一艦隊から入電した電文には“空母らしき大型艦”とあったが、貴官はどう考える?」

 

風巻は数秒間思案したのち、自らの見解を述べ始めた。

 

「空母というものは、戦艦、巡洋艦といった艦種とは全く異なる艦影をしています。上部構造物がほとんどなく、艦首から艦尾までを飛行甲板が全通しており、かなりの遠距離からでも他の艦種と見分けられることが判明しています。以上のことを考慮しますと、偵察機搭乗員の見間違いという線はありません。第一艦隊が帰還して、直接報告を聞くまではなんとも言えませんが、敵艦隊が空母を保有していたことは十中八九間違いないと考えます」

 

風巻が話し終えると、次いで作戦参謀の三和義勇(みわ よしたけ)大佐が発言した。

 

「私も風巻参謀と同意見です。深海棲艦の戦艦や巡洋艦を空母と誤認する可能性は小さいでしょう。それに、傍受した通信には空母同士の航空戦を裏付ける内容も記録されています」

 

三和が発言を終えると、山本は大きく息を吐き、刈り上げにしている頭を掻いた。

 

「やはり、空母を保有している可能性大、か…厄介だな」

 

山本はぼそりと呟いた。

 

深海棲艦が空母を保有しているならば、飛行場姫以外にも敵に航空部隊がいる、という状況になりかねない。

今後の航空戦の苦戦が予想された。

 

「しかしなぜ、深海棲艦の空母は今まで姿を現さなかったのでしょうか?空母は便利です。多様するほかないと思うのですが…」

 

和田が疑問を提起した。

その言葉に、風巻が反応する。

 

「深海棲艦の思考は理解しかねるが、決戦兵力という意味合いが強かったんじゃないか?切り札としてハワイに温存していたから、今まで人類の前に現れなかったのかも」

 

「その仮定は、二点目の問題に直結しますな」

 

風巻の仮定に、航空参謀の佐々木彰(ささき あきら)中佐が付け足すように言った。

皆の視線が集まる中、佐々木は口を開く。

 

「敵空母が“KD”作戦に与える影響ですが、小官は、影響はまったくないと考えます。今まで深海棲艦の空母は人類の前に姿を現しませんでしたが、これは当然、フィリピンやマレーでも同様です。敵空母はハワイに常駐しているだけで、極東には存在しないでしょう」

 

山本や宇垣は、それを聞いて大きく頷いた。

自分の考えと一致したことに満足したのかもしれない。

 

「しかし、用心に越したことはありません。“KD”作戦部隊には、一応第一艦隊が敵空母と交戦した旨、伝えた方が良いと思います」

 

風巻が佐々木に続いて発言した。

 

「そうだな。日米英軍問わず、深海棲艦の空母出現は伝えた方がいい。各部隊に徹底させておこう」

 

「長官、では?」

 

宇垣が確認するように言うと、山本は顔を上げ、明瞭な声で命じた。

 

「“KD”作戦のGOサインを出そう。作戦部隊各司令部に『敵太平洋艦隊は排除。作戦は予定通り決行』の符丁を打電。発信時刻は二〇〇〇とする」

 

 

 





次回から本格的に開始ですかねー


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第四十五話 “KD”作戦発動





ちょっと長いですが我慢して読んで下さいな


10月5日・ 20時25分 同じく作戦日前日

 

1

高雄海軍航空隊・飛行隊長の高嶋稔(たかしま みのる)少佐は、部下の山上直樹(やまがみ なおき)中尉と共に、高雄飛行場の航空機格納庫にいた。

 

十五機以上の大型機を同時に整備できるように設計された大型格納庫は、凄まじく巨大であり、内部には十七機の一式陸上攻撃機が出撃に備えて羽を休めている。

同時に六十人以上の整備員や兵器員、愛機の調整に来た搭乗員が黙々と作業を続けていた。

 

並べられている一式陸攻からはひっきりなしに整備中の火花が散り、整備員の大声があちらこちらから響き渡る。

 

出撃予定時間は、日をまたいだ明日の午前5時30分。この時間に最良の機体を搭乗員に預けるため、整備員の最後の追い込みが始まっていた。

 

 

「島倉。俺の中攻の様子はどうだ?」

 

高嶋は自らの一式陸攻の主翼に右手をおき、かがみながら一番エンジンを整備している男に声をかけた。

「島倉」と言われた男は、手に持っていたレンチを工具箱に戻し、ぬっと立ち上がる。

 

「バッチリです。一番二番エンジン共にぐずっていません。この調子でいけば、一式陸攻の最高速度を更新できますよ」

 

男は笑いを含みながら答えた。

 

彼は島倉浩二(しまくら こうじ)伍長。高嶋の陸攻の整備を部下の五人と共に担当している整備員である。

海軍に入隊して以来、整備員一筋二十年のベテランであり、機体整備に関して右に出るものはいない。

高嶋は、圧倒的信頼を彼に寄せていた。

 

「あと旋回機銃に給弾して、機体全体にワックス塗りゃ整備は終了です。ま、出撃時間には余裕で間に合いますね」

 

高嶋はそれを聞いて満足げに頷き、山上に顔を向けた。

 

「ほかの機体の整備状況を見てきてくれ」

 

「了解です」

 

山上は短く答えると、踵を返して走って行った。

 

 

 

当然のことだが、第十一航空艦隊指揮下の航空兵力は、この格納庫の陸攻十七機のみでは無い。

十一航艦は第二十一、二十二、二十三、二十四の四個航空戦隊を有しており、指揮下に高雄航空隊、鹿屋航空隊、元山航空隊、美幌航空隊、千歳航空隊、木更津航空隊、三沢航空隊などの陸攻部隊を置いている。

陸攻は一式陸攻と九六式陸攻を合わせて二百四十機。

戦闘機は台南航空隊をはじめとする五個航空隊であり、零式艦上戦闘機が計百六十八機。

 

四ヶ月前の敵レーダーサイト空爆以来、機体を温存するため、陸攻は出撃を差し止められていた。

それと同時に、陸攻搭乗員の訓練を大幅に促進している。

 

それらが功を奏し、これほど大量の陸攻を揃えることができたのだ。

 

ルソン島への航空攻撃には、これら四百八機に加えて、米第八航空軍のB17、P38や、日本陸軍第五飛行集団の九七式重爆撃機などが加わる。

 

総航空機数は八百機以上。

予定では、これらを第一次、第二次攻撃隊に分けて三ヶ所の飛行場姫を叩く手はずだった。

ルソン島の深海棲艦機兵力と見比べると二百機ほど劣るが、第一次ルソン島沖海戦時に放った攻撃隊を優に超える機数だ。

 

(やれる。この規模の基地と、海軍・陸軍・米軍が共に全力を尽くせば)

 

高嶋はだだっ広い格納庫に視線を動かし、拳に力を込める。

 

 

開戦前、台湾にこのような巨大な格納庫は無かった。

だが深海棲艦との開戦以来、台湾の航空基地は大々的に拡張作業が実施されている。

フランスから輸入した優秀な土木機材を大量に投入し、米海軍自慢のシービーズ部隊と共同で昼夜問わず作業を続けただめだ。

 

開戦前から主力だった高雄、台北、台中、台南飛行場は言うに及ばず、潮州、嘉義、花蓮と言った陸軍飛行場も拡張が施さされている。

どの航空基地も三千mから八千m規模の滑走路が点在し、滑走路の脇には巨大な格納庫が大量に建設されていた。

 

台湾の日本軍航空基地は、半年間の間で大きく生まれ変わっている。

これらを持ってすれば、第一次ルソン島沖海戦のような悲惨な航空攻撃にはならないと高嶋は考えていた。

 

 

その時、高嶋の思考は強制的に現実に戻される。

格納庫の壁に設置されている高音令達機から、肉声が流れ出たのだ。

 

「達する」

 

整備中の兵や愛機の調整に来ていた搭乗員は、一斉に手を止め、令達機の方に目を向ける。そんな中、令達機は言葉を続けた。

 

「十一航艦司令部は、連合艦隊司令部からの『ニイタカヤマノボレ』を受信した。“KD”作戦は予定通り実行される。出撃時刻に変更なし、明朝〇五三〇とする。各員、その身を捧げる覚悟で自らの任を全うせよ。以上」

 

令達が終わると、格納庫の整備員達はさっき以上の活気で動き出す。

 

「『ニイタカヤマノボレ』か」

 

高嶋は格納庫内を見渡しながら呟いた。

 

呉の連合艦隊司令部から全“KD”作戦部隊に送信されて来る電文の符丁は、全部で四種類ある。

 

敵艦隊の撃滅に第一艦隊が成功し、予定通り作戦を実施するのが「ニイタカヤマノボレ」。

敵艦隊の撃滅に第一艦隊が失敗し、作戦部隊が敵艦隊を邀撃するのが「ニイタカヤマクダレ」。

敵艦隊の撃滅に第一艦隊が失敗したものの、作戦を強行するのが「フジヤマノボレ」。

敵艦隊の撃滅に第一艦隊が失敗し、作戦自体すらも中止するのが「フジヤマクダレ」。

 

こんな具合だ。

日本最高峰と次峰の山の名が冠された符丁の中で、「ニイタカヤマノボレ」は全てが予定通り進んでいることを示す。

 

そのことに、ひとまず喜びたかった。

 

高嶋はそんなことを考えながら高雄航空隊の庁舎へと足を運ぶ。

 

出撃予定時間は8時間後である。

出撃に備えて、二時間ばかり仮眠を取ろうと考えていたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

だが、深海棲艦はそれを許してくれない。

 

 

 

 

 

 

突然、高雄飛行場に不吉な音が鳴り響く。

 

甲高く波打つような音ーーー空襲警報である。

 

 

「夜間空襲だと⁉︎」

 

 

高嶋は頓狂な声を上げた。

 

今まで台湾は大から小を合わせて五十回以上の空襲をルソン島の飛行場姫から受けている。

だが、夜間に襲来したことは今までに一度も無い。

 

いずれも乙型重爆による昼間の強襲であり、それに呼応してこちらも迎撃機を発進させていた。

だが、台湾に夜間戦闘機は配備されていない。

迎撃戦の困難さは、昼間と比べて大きく跳ね上がるだろう。

 

 

高声令達機から切迫した声が流れる。

 

「情報。垣春の電探基地より、台湾南方百五十浬にて接近中の敵大編隊を探知すとの報告あり。命令。基地防空航空隊は直ちに発進、これらを迎撃、可能な限り撃墜せよ!」

 

その命令が下ると同時に、将兵たちは素早く行動を開始した。

 

夜間迎撃用に配置されていた数基の対空サーチライトに要員が取り付き、何本もの長細い光芒が天空の夜闇を貫く。

同時に、飛行場のいたるところに設置されている対空砲にも兵員が取り付き、高射砲や機銃の仰角を目一杯上げ、敵の空襲に対する備えを固めた。

 

第八航空軍の格納庫からは三十機前後のP40が引き出され、日本陸軍飛行第六十四戦隊の格納庫からは、二十機程度の一式戦闘機「隼」が誘導路に引き出される。

 

P40も一式戦も、航続距離や航法の問題で“KD”作戦の渡航攻撃に参加できない機体だ。

その搭乗員たちは日米を問わず、空襲の戸惑いよりルソン島攻撃に参加できない鬱憤をここで晴らそうとする感情の方が多いようだった。

合計五十機ほどのインターセプターたちは、轟々たる音を立てながら暖機運転を開始する。

 

「先手を打たれた…!」

 

基地全体が敵編隊の迎撃準備に急ぐなか、高嶋は立ち尽くして苦り切った声を上げた。

 

朝5時半という早い出撃時間は、飛行場姫に乙型重爆を発進させる隙を与えずに覆滅することを目的としている。

だが、ルソン島の飛行場姫はこちらの考えをあざ笑うかのように夜間に乙型重爆を放ったのだ。

 

 

 

 

敵編隊が向かって来る南側を見やると、どこまでも深い暗闇が広がっている。

だが、敵編隊の接近はひしひしと感じることができた。

 

 

2

 

同じ頃、第十六任務部隊(TF16)旗艦の「エンタープライズ」でも連合艦隊が発信した符丁を受信していた。

 

「受信した電文は『ニイタカヤマノボレ』です」

 

「となると、今のところは順調に進んでますな」

 

「エンタープライズ」通信長の報告を聞いて、TF16参謀長のマイルズ・ブローニンズ中佐はTF16司令官のウィリアム・ハルゼー中将に言った。

 

「ああ」

 

ハルゼーは艦橋から艦隊周辺を見渡しながら、短く答えた。

 

TF16は輪形陣を組んでおり、「エンタープライズ」の右前方に「ハンプトン・ローズ」が、右真横に「ホーネット」が、それぞれ薄っすらと見える。

他にも護衛としてニューオーリンズ級重巡の「サンフランシスコ」「ミネアポリス」、ブルックリン級軽巡の「フェラデルフィア」、駆逐艦十五隻が空母三隻の周辺を固めているはずだったが、暗闇に紛れて見つけることはできなかった。

 

第十七任務部隊(TF17)と第一航空艦隊は無事に向かってるかな?」

 

ハルゼーは思い出したようにブローニングに聞いた。

 

TF17と第一航空艦隊は、作戦劈頭に台湾の航空部隊・TF16と共同で飛行場姫攻撃の任を預かる部隊である。

TF17は沖縄の中城湾から、第一航空艦隊はTF16とともにパラオから出撃しており、今はそれぞれの目標海域に向かっているはずだった。

 

「現在は徹底した無線封鎖中であり、何とも言えません。しかし、日本には『便りがないのは良い便り』という言葉があります。各部隊から通信が無いのは、無事に予定海域に向かっている証拠でしょう」

 

ブローニングは淀みなく返答した。

 

「そうか…頼むぞ。フレッチャー、ナグモ」

 

ハルゼーはフランク・J・フレッチャーTF17司令官、南雲忠一(なぐも ちゅういち)第一航空艦隊司令官の名前を呟き、司令官席に身体を沈めた。

 

ルソン島への航空攻撃は、空母機動部隊と台湾の航空部隊が同時に飛行場姫の上空に到達し、深海棲艦が反撃の爆撃機を上げる前に撃滅することが求められている。

多数の航空機を第一次攻撃隊に参加させ、「一撃必殺」で飛行場姫を素早く叩き潰す。

それこそが、今作戦の格子だ。

 

航空攻撃は、日本軍とアメリカ軍の緻密な計画のもとに成り立っているのだ。

ここで少しでもほころびがあれば、作戦自体が頓挫する原因になりかねない。

アメリカ海軍一の猛将を謳われているハルゼーだが、日米機動部隊三隊の総指揮を預かる司令官として、それがもっとも危険視することだった。

 

「クレの日本海軍司令部より続報です」

 

その時、通信長が再び艦橋に上がって来た。

 

ブローニングが通信長から紙を受け取り、目を通した。

だが、紙を見つめるブローニングの顔色はみるみるうちに青くなってゆく。

 

「どうした?」

 

ハルゼーが問うと、ブローニングはおそるおそるといった風に続報の内容を話し始めた。

 

「敵艦隊を迎撃した第一艦隊は、西太平洋で深海棲艦の空母と交戦したようです。続報によりますと、『極東での敵空母の存在を留意されたし』とあります」

 

ブローニングが内容を話し終わると、艦橋内がざわめきだした。

誰もが不安そうな表情をしている。

 

それもそのはずだ。

“KD”作戦は極東の深海棲艦航空兵力は飛行場姫のみ、というのを大前提にして成り立っている。

もしも敵に空母という駒があるのなら、それこそ作戦が頓挫する原因になりかねなかった。

 

 

「うろたえるな!」

 

ハルゼーの骨太な声が響き渡った。

その一喝で、艦橋内に沈黙が広がる。

 

「マニラ湾には何度も日本軍が偵察を行なっていが、空母がいるなんて情報はない。シンガポールを偵察したイギリス空軍からも同様だ」

 

“KD”作戦開始に先立ち、深海棲艦水上部隊の拠点とされていたマニラ湾やシンガポールへは、多数の偵察機、潜水艦が送り込まれ、情報収集が行われている。

 

マニラ湾の敵極東艦隊に空母は確認されてないし、シンガポールにはそもそも敵艦すらいないと報告が上がっているのだ。

 

「日本海軍の連中も、極東に敵空母はいないと考えてるからこそ、『警戒されたし』や『注意されたし』ではなく『留意されたし』と言った文句にしたんだろうな。連中がどっしり腰を据えているのに、我々がうろたえては仕方がない」

 

「しかし…」

 

ブローニングを始めとする参謀達はまだ何か言いたげだったが、黙って引き下がる。

ここは司令を信じてみよう、とでも思ったのかもしれない。

 

 

 

 

 

TF16司令部でそのような会話がされているさなか。

 

「エンタープライズ」や「ホーネット」、「ハンプトン・ローズ」の飛行甲板直下ーーー格納庫では、出撃に備えて航空機の整備が行われている。

 

昨年11月から配備が始まったアメリカ海軍主力艦上戦闘機のグラマンF4F“ワイルドキャット”や、急降下爆撃機のSBD“ドーントレス”。雷撃機のTBD“デヴァステーター”などがこぞって1000ポンド爆弾の搭載や、12.7mm機銃弾の積み込み、エンジン調整などの作業を受けている。

 

 

 

状況は、TF17や第一航空艦隊でも同様だ。

 

TF17の「ヨークタウン」「ワスプ」「ホワイト・オーク」でも、一航艦の「赤城」「加賀」「翔鶴」「瑞鶴」「瑞鳳」でも、明日の朝にルソン島へ渾身の一撃を加えるべく、海鷲達が最後の調整を受けている。

 

 

 

 

出撃の時は近い。

 

 

 

 

3

1941年10月6日 “KD”作戦実施当日

 

 

 

高雄飛行場は、いたるところに爆弾直撃の傷跡を残していた。

 

巨大な破口を穿たれている滑走路があれば、整備中の機体ごと爆砕された格納庫、至近弾を受けて横転した高射砲などがちらほら見える。

場所によっては黒煙が上がっており、そのような場所は必死の消化作業が続いていた。

 

 

「設営隊は、滑走路の復旧はどの程度で終わると言っている?」

 

第十一航空艦隊司令官の塚原二四三(つかはら にしぞう)中将は、飛行場のほとりにある司令部庁舎から滑走路全体を見渡しながら聞いた。

 

質問を受けた参謀長の大西瀧治郎(おおにし たきじろう)大佐は、10分ほど前に受けた海軍設営隊の報告を、脳内で思い出しながら口を開く。

 

「あと30分ほどで、発着陸に問題ない程度にまで復旧できるそうです」

 

「30分か…ギリギリだな」

 

30分という時間は、塚原の期待を裏切ることになったのだろう。

彼は神妙な表情になり、顎に手をやりながら言った。

 

現在の時刻は午前4時56分。日はまだ水平線から顔を出していないが、夜空は真黒から薄青に変化し始めている。

出撃予定時間は午前5時30分だから、34分の猶予しかない。

 

 

 

(思いがけないことになったものだ…)

 

大西は今までのことに思いを巡らした。

 

七時間ほど前。台湾南西部の沿岸に位置して高雄飛行場と台南飛行場は、約八十機と思われる乙型重爆撃機の夜間空襲を受けた。

 

幸い、第八航空軍のP40や日本陸軍の一式戦が奮闘したことや、敵編隊が高雄と台南の二ヶ所を攻撃して戦力分散の愚を犯してくれたこと、夜間で視界が悪く飛行場への直撃弾が少なかったことなどが相まって、基地施設の被害は少ない。

高雄飛行場と台南飛行場合わせて滑走路三本が損傷し、格納庫数棟、高射砲数基が破壊された程度だ。

機体は格納庫ごと破壊されたものが多く、一式陸攻七機、B17四機、P38五機が全壊、又は半壊したが、全体の航空機数を見ると無視できる被害である。

 

滑走路の修復作業は、海軍設営隊と米海軍のシービーズが空襲終了直後から着手している。

だが、ブルドーザーやショベルカーを装備した日米の機械化設営隊でも、乙型重爆が穿った大穴は難敵だったようだ。

予想以上に時間がかかり、出撃時間30分前までもつれ込んでしまったのだ。

 

「第一次攻撃隊の参加機は、無傷の滑走路と誘導路で待機させています。米軍も同様です」

 

航空参謀の中川俊司(なかがわ しゅんじ)中佐が言った。

 

 

高雄飛行場には、第一から第七まで計七本の滑走路がある。

 

四千mの戦闘機用滑走路が二本、八千mの大型機用滑走路が四本、そして不時着用の三千m滑走路が一本だ。

損傷したのは第二、第六の大型機用滑走路であり、第六滑走路は米陸軍の第八航空軍が使用することになっている。

 

中川は、米第八航空軍の状況も合わせて伝えたのだ。

 

無傷の滑走路で待機している機体はともかく、誘導路に待機している機体は、滑走路が修復されない限り飛び立てない。

 

「待つしかありませんな」

 

大西は感情を感じさせない声で、そう言うのだった。

 

 

 

 

➖➖➖➖45分後➖➖➖➖

 

朝日が顔を覗かせた頃…

 

 

「来たか!」

 

高雄航空隊飛行隊長の高嶋稔少佐は、一式陸攻の操縦席に座りながら弾んだ声を上げた。

 

数時間前から第二滑走路で動きまくっていた土木機材や、作業を続けていた設営隊員たちが滑走路から離れ、飛行場の脇に移動している。

同時に、ヘルメットを被った航空機誘導員が誘導路の正面に立ち、両手に持ったライトスティックを交互に振り始めた。

 

「コマンドG5(ジー・ファイブ)より『アーチャー1』」

 

無線機から、庁舎の航空管制室に陣取っている飛行長の肉声が響く。

 

「第二滑走路の修復が完了した。『アーチャー』全機を率いて滑走路に移動。直ちに発進せよ。現在、作戦に15分の遅れが出ている。事故は許さんが、なるべく急げ」

 

「『アーチャー1』了解」

 

高嶋は短く返答し、誘導員にしたがって一式陸攻を第二滑走路に移動させる。

部下の一式陸攻も、高嶋機に続いて滑走路に移動してゆく。

チラリと左右を見ると、他の滑走路から零戦や一式陸攻、米軍のB17やP38が、大空に飛び立っているのが見えた。

 

 

高雄航空隊(アーチャー)の一式陸上攻撃機三十六機が発進準備を整えるのは早かった。

どの機体も第二滑走路が修復する間に暖機運転を終了させている。

後方の三沢航空隊(セイバー)も同様だ。

第二滑走路から飛び立つ二個航空隊の陸攻七十二機は、素早く離陸を開始作業を開始する。

 

 

高嶋は一式陸攻のフルスロットルを開いた。

左右の主翼に搭載されている「火星」二一型発動機が1470馬力の咆哮を上げ、約七トンの機体をぐいっと引っ張る。

風を切る音が徐々に増大し、速度計の針は時計回りに動き続ける。

 

設営隊は良い仕事をしたようだ。

滑走路は驚くほど滑らかであり、振動が少ない。

 

右側に見える高雄航空隊庁舎や、左側に見える帽を振る設営隊員達があっという間に後方に過ぎ去り、一式陸攻はぐんぐん加速する。

 

「離陸速度です!」

 

横に座る山上直樹副操縦士の声が飛び込むや、高嶋は操縦桿をゆっくりと手前に引く。

すると、一式陸攻は機首を上向け、タイヤが滑走路から離れる。そして緩やかな角度で上昇を開始した。

 

「『アーチャー』各機、『セイバー』各機。本機に続いて離陸します」

 

尾部20mm機銃を担当する川浦治助(かわくら じすけ)上等飛行兵が報告を上げる。

 

 

(今に見てろよ。深海棲艦)

 

機体を操りながら、高嶋はまだ見ぬ敵に言った。

第一次ルソン島沖海戦の借りをここで返してやる、と…。

 

 

 

東の水平線から朝日が昇る。

 

 

10月6日の曙光が、第一次攻撃隊の姿をありありと浮かび上がらせた。

 

 

 





次回からルソン島制空権奪還戦!


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第四十六話 空撃の夜明け

宇宙戦艦ヤマトの二次創作も始めたので、できたら読んで見てくださいな







1

 

エンジン音の唸りが高まった瞬間、F4F一番機が弾かれるように発進し、飛行甲板の縁を勢い良く蹴った。

 

 

そのF4Fは飛行脚が飛行甲板から離れた瞬間、自重でやや高度を下げるが、次の瞬間には朝日を浴びながらフルスロットルを開いて上昇に移っている。

 

 

 

甲板の脇に位置している対空機銃のスポンソン、艦橋上部の射撃指揮所、同じく見張台。いたるところに陣取る将兵の声援を受けて、攻撃の先鋒を務めるF4Fは続々と勇躍出撃を続ける。

 

司令官のウィリアム・ハルゼー中将も、艦橋に仁王立ちになりながら機体が出撃するたびに右手の親指をぐっと上げ、パイロットに激励を送っていた。

 

 

ルソン島バレルよりの方位90度、210浬の海域。TF16旗艦「エンタープライズ」の艦上だ。

時刻は午前6時であり、台湾基地航空隊より15分ほど遅れた出撃だった。

TF16は第一航空艦隊と共にルソン島東方に展開しており、二艦隊の攻撃目標たるバレル飛行場姫に攻撃隊を放っているところである。

 

 

 

F4Fに続いて出撃するのは、1000ポンド(500kg)陸用爆弾を腹に抱えたドーントレス群だ。

ミハエル・リーチ第5偵察爆撃隊隊長の一番機を皮切りに、続々とドーントレスはフルスロットルを開き、飛行甲板を蹴って大空に舞ってゆく。

 

同じような光景は、僚艦「ホーネット」「ハンプトン・ローズ」でも見られる。

第一次攻撃隊に参加するF4F、ドーントレスはクルーの声援を背中に受け、空母三隻を飛び立っていった。

その数、三隻合わせてF4F六十二機、ドーントレス九十四機の計百五十六機である。

先鋒であるだけに、F4Fの数が多かった。

 

TF16から出撃した第一次攻撃隊は、艦隊上空で編隊を組んだ後に、日本艦隊から飛び立った攻撃隊と合流すべく、北方へと針路を取る。

 

この時刻、計画通りならばTF16北方35浬の海域に展開している第一航空艦隊からも第一次攻撃隊が放たれているはずだ。

 

バレル飛行場姫には、日米の攻撃隊が共同で攻撃を仕掛ける手筈だった。

 

 

「対空レーダー、機影を探知!」

 

その時、CICから艦橋に報告が上がった。

レーダーマンの切迫した声色に、TF16司令部の幕僚は顔色を変える。

 

「本艦隊よりの方位280度。距離80浬。数一。こちらにまっすぐ向かって来る針路です!」

 

それを聞いてハルゼーは軽く舌打ちをした。

 

「深海棲艦め。用心深い奴らだ」

 

「数一」というかことは、おそらく偵察機だろう。

深海棲艦はルソン島東方に艦隊がいる可能性を考慮している。

TF16の攻撃が敵に筒抜けにはなってはいないと思われるから、定期的な哨戒作戦の一環だろう。

 

だが、敵機がそのまま直進すれば、TF16や第一航空艦隊が深海棲艦に発見されるし、第一次攻撃隊が敵機と遭遇すれば、飛行場姫に通報されるかもしれない。

 

そうなれば完璧な奇襲は到底望めず、攻撃隊は多数の甲型戦闘機(オスカー)が待ちうける空域に飛び込んでいくこととなるが…。

 

「司令…!」

 

そのことを理解したのだろう、参謀長のマイルズ・ブローニング中佐が焦慮に駆られた表情を向けてくる。

だが、ハルゼーはそのようなことなど意に返さず、凛とした声で言った。

 

「最初から奇襲なんぞ望んじゃいない。我々のパイロットは皆優秀だ。強襲でも必ず攻撃を成功させる!このまま行け!」

 

 

2

 

「『ドラゴン・リーダー』より全機。クラーク・フィールド飛行場姫まで残り220浬。まもなくルソン上空。周辺警戒を厳とせよ」

 

「『アイ・フィールド3(サード)」より全機。敵のレーダー波を探知。作戦案“ヴァイパー”とする。敵機の出現に備えられたし」

 

 

第一次攻撃隊がタイワンから出撃して一時間が経とうとしていた頃。

二つの通信が、計器盤にくくりつけられているレシーバーから飛び込んだ。

 

「もう直したのか…」

 

第八航空軍所属・第772戦闘爆撃隊(772BFS)飛行隊長のブラットフォード・マルティネス大尉は、自分の愛機ーーーP38 “ライトニング”を操りながら呟いた。

 

「ドラゴン・リーダー」は第一次攻撃隊総指揮を執るアルヴィス・ハート大佐の乗機を示す符丁であり、「アイ・フィールド」は、第一次攻撃隊より6km前方に突出し、敵レーダー波を探っている十六機の逆探搭載型B17の小隊符丁だ。

その「アイ・フィールド」小隊の一機がレーダー波を探知したということは、第一次攻撃隊が深海棲艦のレーダーに発見される可能性が高いことを示している。

 

マルティネス率いる772BFSは、“KD”作戦実施に先立って一週間前の9月31日にバブヤン島の深海棲艦レーダーサイトを空爆していた。

 

だが、それはもう直されたらしい。

 

第一次攻撃隊が敵に探知された暁には、多数のオスカーが迎撃に向かって来ることだろう。

できれば、一切の妨害を受けずにクラーク・フィールド飛行場姫に取り付きたいとマルティネスは考えていたが、やはりそれは無理そうだった。

 

日米統合の第一次攻撃隊は、夜が開けてまも無い高度四千mの高空を轟々とどよもしながら、作戦劈頭の一撃をクラーク・フィールド飛行場姫に与えるべく、進撃を続ける。

 

 

今回の攻撃隊には第八航空軍から第85爆撃航空団(ドラゴンA)第95爆撃航空団(ドラゴンB)第101爆撃航空団(ドラゴンC)の三個航空団と、772BSF(ソルト)を含む七個戦闘機飛行隊が参加している。

総数はB17が百七十一機、P38が九十九機。計二百七十機だ。

 

これらに日本海軍六個航空隊と、日本陸軍三個飛行戦隊が加わる。

日本側の総数は陸海軍機合わせて一式陸攻百五十五機、九七式重爆七十二機、零戦百二機。計三百二十九機。

 

両軍を合計すると、五百九十九機。

 

作戦案“ヴァイパー”では、この攻撃隊が三つに分かれてルソン島の各敵拠点を叩く。

 

本隊は深海棲艦極東最大の航空拠点ーーークラーク・フィールド飛行場姫を叩くが、九七式重爆全機と一式陸攻三十六機、ならびに護衛の零戦が分遣隊として本隊を離れ、ルソン島西岸のイバ飛行場姫を攻撃する。

イバ飛行場姫には、他にも南シナ海に展開した第十七任務部隊が空襲をかける手はずだった。

 

これが当初の予定の作戦案“バゼット”の内容であり、実際に行われる作戦案“ヴァイパー”は、“バゼット”にもう一つの内容が加わる。

 

二十五機のB17が、バブヤン・サイトを破壊するのだ。

 

敵レーダーの存在は、第二次攻撃隊の際にも障害になるだろう。

「アイ・フィールド」によって敵レーダー・サイトの健在が確認された以上、見過ごすわけにはいかなかった。

 

 

なおも、第一次攻撃隊は空前の大編隊を組み、進撃を続ける。

最初に敵機の迎撃を受けたのは、「ドラゴン」本隊でも、日本軍航空部隊でもなかった。

 

「『アイ・フィールド・リーダー』より全機。現在、敵機多数の攻撃を受けている!救援を求む!」

 

「そっちに行ったか…!」

 

レシーバーから悲鳴染みた救援要請が飛び出すや、マルティネスは重々しい声で言った。

「アイ・フィールド」小隊の逆探搭載型B17は、第一次攻撃隊よりも6km前進していたが、高度は一千mと、第一次攻撃隊よりも三千m低い。

よって、迎撃に上がって来た深海棲艦機は「アイ・フィールド」を無視し、第一次攻撃隊を真っ先に攻撃してくると考えられていた。

 

しかし、敵機は人類の考えなどいざ知らず、全力で「アイ・フィールド」のB17を叩きに来たのだ。

「アイ・フィールド」のB17は20機しかいない。加えて逆探を搭載しているため、旋回機銃も半分を下ろしている。

そのような非力な部隊に、深海棲艦の迎撃機全力が襲いかかったのだ。

 

全滅は免れないだろう。

 

 

「『ドラゴン・リーダー』より『ソルト』『ペッパー』。『アイ・フィールド』の救援に向かえ」

 

「『ソルト』了解」

 

ハート大佐の肉声がレシーバから響き、マルティネスは短く答えた。その直後、レシーバーのスイッチを切り替え、叩きつけるように言った。

 

「『ソルト』続け!」

 

同時にフルスロットルを開き、操縦桿を奥に倒す。

双発双胴の異様な機体がぐんっと加速し、B17や一式陸攻を追い抜かす。バックミラーを見ると、「ソルト」に所属するP38二十一機が後続するのが見えた。

 

この位置から、「アイ・フィールド」を直視することはできない。

正面下方に広がる雲海が遮っているためだ。

「ソルト」「ペッパー」のP38四十二機はフルスロットルを開きながら、その雲海に突入する。

 

突入した瞬間、視界が凄まじく悪くなった。

雲の密度はとても濃く、日光すら遮っているのか、やや薄暗い。

共に飛行しているP38の姿は当然見えず、空中衝突の危険性も大幅に跳ね上がる。

ベテランのパイロットでも神経が張り詰める状況だが、マルティネスの意識は完全に「アイ・フィールド」の方に向いていた。

 

この瞬間も、多数の敵機がB17に襲いかかっているだろう。

「ソルト」「ペッパー」の到達が遅ければ遅いほど、逆探搭載B17は続々と撃墜される。

「一刻も早く雲海から抜け出して救援に向かいたい」。マルティネスの心にあるのはそれだけだった。

 

それから一分ほど雲海を突き進んだ後、雲から出て、視界が開ける。

 

「……!」

 

マルティネスの目に映ったのは、黒煙を引きずりながら墜落したり、懸命に旋回機銃を撃ちまくっているB17の姿と、百機を優に越すであろう甲型戦闘機の大編隊だった。

 

「『ソルト・リーダー』より『ソルト』全機。ただちに小隊ごとに散開!各個B17の離脱を援護しろ!」

 

マルティネスが無線機に怒鳴り込んだ刹那、二十一機のP38は弾けるようにして編隊から小隊ごとのグループに散開した。

「ペッパー」部隊も同様だ。瞬時に散開し、獲物を見つけたサメのごとくオスカーの編隊に切り込んでゆく。

 

マルティネスは自らの小隊機が後続していることを確認し、スロットルを開きっぱなしにしながら突進した。

正面下方には、四、五機のオスカーに追い回され、今にも撃ち落とされそうになっているB17の姿が見える。

攻撃目標はそのオスカーにすると決めた。

 

オスカーは正面のB17に夢中のようだ。マルティネスのP38に気づく様子はない。

B17を追っている五機のうち、一番近いオスカーに照準を合わせる。

 

十分射程距離内に入っていることを確認しつつ、B17を追うために左に旋回したオスカーの側面に、マルティネスは軽く一連射を加えた。

 

操縦桿のトリガーを人差し指で手前に引いた瞬間、機首に据えられている12.7mm機銃四丁、20mm機関砲一丁が一斉に火を噴く。

発砲の衝撃が中型爆撃機ほどもある巨体を揺らし、コクピットの目の前が発射炎で真っ赤に染まった。

 

マルティネスが放った五条の火箭は、狙い余さずオスカーを真横から襲いかかる。

そのオスカーは無数の大口径機関砲弾を無数に食らい、横から暴風をもろに受けるような形でバラバラに砕け散った。

 

そのオスカーの墜落を確認せず、マルティネスは素早く二機目のオスカーに機首を向ける。

そして敵機の進行方向に対して、五丁の機銃を発射した。

 

二機目のオスカーは、自ら機銃弾の奔流に飛び込む形になった。

一機目同様、無数の機銃弾に側面を撃ち抜かれ、火焔と共に空中分解を起こす。

 

マルティネスが二機のオスカーを仕留めている間に、他の三機も味方の小隊機が撃墜していた。

それを確認したマルティネスは、新たな敵機を見つけるべく周囲を見回す。

 

 

高度一千mの空域は、敵味方が入り乱れる空中戦の渦中となっていた。

直線的な軌道を描くP38と、小回りを生かすオスカーが上へ下へと空気を切り裂きながら飛び回り、互いの敵機に機銃弾を叩き込む。

 

B17はいない。生き残った機は雲海に逃げ込んだのだろう。

 

だが、B17が脱出したからといって終息する戦闘ではない。

P38に一撃離脱を仕掛けられ、大口径機関砲弾に撃ち抜かれるオスカーがいれば、オスカーにドッグファイトに持ち込まれ、背後から機銃弾を食らうP38もいる。

 

今のところ、互角に戦っているようだが、オスカーの機数は「ソルト」「ペッパー」の二倍以上だ。

全ての敵機が大勢を立て直せば、劣勢は免れないだろう。

 

 

 

 

 

「行くぞ!」

 

マルティネスは無線機を通じて小隊機に言い、空戦の只中に飛び込んで行った。

 

 




次回もルソン島制空戦奪還戦です!


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第四十七話 死闘ルソン上空


ネルソン作ったりドレッドノート作ったりジェガンコンロイ機作ったり、アニゴジ見たり、後期中間試験あったりして遅れました!

このような長期休暇はほどほどにします!


あ、でもこの機会に今後のストーリーとか再構成できたからプラスだったかにゃ❓(アホ)



1

 

「右上方。敵機!」の報告が響いたのは、第一次攻撃隊がTF16と一航艦を発進して一時間半ほど進撃した頃だった。

 

 

その報告がレシーバーから響いた時、第一次攻撃隊の総指揮を執るミハエル・リーチ第5偵察爆撃隊隊長は、ドーントレスの操縦桿を握りながら右上方を見やる。

 

「遅い。そして少ないな」

 

リーチは一目で敵編隊の規模を把握し、ボソリと呟いた。

 

 

ーー現在の攻撃隊の位置は、ルソン島よりの方位90度、40浬。攻撃目標たるバレル飛行場姫はルソン島東岸の海岸線上に位置しているため、「ルソン島との距離=飛行場姫との距離」になる。

すなわち、飛行場姫との距離は40浬(約74km)と考えて良い。

 

この距離は航空機にとって目と鼻の先だ。

 

加えて、敵編隊の規模も小さい。

甲型戦闘機の機数は二十機に満たず、こちらのF4Fと零戦の機数が敵機を圧倒している。

極東最大の敵拠点を攻めているとは思えないほどの戦闘機の少なさであり、迎撃に上がってくるのも遅い。

 

リーチとしては、拍子抜けもいいところだった。

 

(単にバレル飛行場姫の規模が予想より小さかったのか…。それとも別の空域にオスカーを上げたのか…)

 

そのような憶測を脳内で渦巻かせながら、リーチは無線機を握る。

 

「『ミカエル・リーダー』より『ヴィネット1』。F4Fを差し向けろ。ただし深追いはするな。追い払うだけでいい」

 

第一次攻撃隊のF4F隊を率いるヴィネガー・ヘルス少佐を呼び出し、指示を飛ばす。

 

その直後には「『ヴィネット』了解」の返答が返され、「ヴィネット」こと「ホーネット」戦闘機隊と「ラフィエル」こと「エンタープライズ」戦闘機隊から、十機ずつのF4Fが編隊を離れ、接近中のオスカーに向かってゆく。

 

「日本軍編隊は、戦闘機を差し向けないようですね」

 

リーチ機の後部座席に座っている偵察員のサンダース・キャメロン少尉が、双眼鏡を見ながら言った。

 

「それでいい。敵機にはF4Fで十分だ」

 

リーチはそう言って、編隊の左正横に首を向ける。

視線の先には、緻密な編隊を組み、リーチ率いるアメリカ海軍攻撃隊に並走している日本海軍攻撃隊の姿が見えた。

 

九九式艦上爆撃機と零式艦上戦闘機で構成されており、その精悍な姿は日本海軍がいかに精強で頼りになるかを示しているように思えた。

 

編隊を離れたF4F群は、敵機と交戦に入る。

 

攻撃隊の右前方空域で空中戦が始まるが、敵機は攻撃隊に向かって来る様子がない。F4Fとの戦闘で手一杯のようだった。

 

第一次攻撃隊は、右に空中戦を望みつつ、進撃を続けた。

やがてF4Fとオスカーの空中戦は後方に過ぎ去り、見えなくなる。

 

それと変わるようにして、攻撃隊正面にルソン島の濃緑の巨体が、その姿を横たえ始めた。

 

 

2

一方その頃…

 

 

「しめた!」

 

雲海の上を通過したのちに機体下方に広がった光景を見て、高雄航空隊飛行隊長の高嶋稔(たかしま みのる)少佐は、軽く喝采をあげた。

 

 

現在の高度は四千m。

 

台湾より発進した第一次攻撃隊の遥か下、高度一千mの空域では、「アイ・フィールド」こと逆探搭載型B17部隊の救援に向かったP38隊と、百機を超える甲型戦闘機の熾烈な空中戦が繰り広げられている。

 

第一次攻撃隊の迎撃に上がった甲型戦闘機は、低高度を飛行する「アイ・フィールド」部隊に引きつけられ、「ドラゴン」本隊や、高雄空をはじめとする日本編隊に近づいてこない。

「アイ・フィールド」のB17やP38には申し訳ないが、図らずとも彼らが囮の役割を果たしてくれているのだ。

 

 

日米混成の大編隊は、空戦を眼下に望みながら、夜明けから一時間ほどの空を突き進む。

高度差がかなりあるためだろう、下方で交戦中の甲型戦闘機は上昇してくる様子がない。P38への攻撃に徹するようだ。

 

「まだ来るな」

 

「そうですね」

 

高嶋の言葉を、副操縦士の山上直樹中尉が肯定する。

こう考えているのは高嶋らだけではないだろう。「ドラゴン・リーダー」こと編隊の総指揮を執るアルヴィス・ハート大佐や、各海軍航空隊飛行隊長、陸軍飛行戦隊戦隊長も、これらの敵機が深海棲艦の発進させた迎撃機のすべてではないと確信している。

 

先の甲戦百機が第一次迎撃機隊なら、必ず第二次が来る。

 

台湾で深海棲艦と対峙してきた彼らにとって、飛行場姫の迎撃がこれだけではないといことは、共通の考え方だった。

 

それが正しいことは、まもなく判明する。

 

予定の空域で二十機前後のB17が、バブヤン島の敵レーダー・サイトを攻撃すべく編隊を離れた直後、高嶋の目に「それ」は写った。

 

第一次攻撃隊の正面に、多数の黒点が見える。

距離が詰まるに連れてその黒点は数を瞬く間に数を増やし、輪郭もはっきりとしてくる。

双眼鏡を正面に向けて「敵機」だと確認した高嶋は、無線電話機の周波数を隊内から攻撃隊全体に切り替えて、ゆっくり落ち着いた声をマイクに吹き込んだ。

 

「『アーチャー1』より全機。編隊正面に敵機。数約二百」

 

その言葉で、全体に緊張感が広がる。

こちらの護衛戦闘機は、零式艦上戦闘機百二機、P38が九十九機、内P38の半数は編隊を離れて第一迎撃機隊と交戦中だから、手持ちの戦闘機は百五十機ほどだ。

 

(大丈夫だ…)

 

高嶋は目まぐるしく思考を巡らせてながら、胸中で呟いた。

 

零戦とP38が甲戦の百五十機を牽制できると考えても、残りの五十機はこちらのB17、一式陸攻、九六式陸攻、九七式重爆の弾幕射撃で対応できる。

 

 

高嶋は操縦桿を握りながら、左右や上方に目を向ける。

視界には、「コンバット・ボックス」と呼ばれる第八航空軍考案の防衛陣を敷いた爆撃機群の姿が見えた。

 

三機1組で三角形を作り、それら何百組を上下左右に緻密に組み合わせ、一つの集団とする編隊編成方法である。

各爆撃機の死角を僚機が補えるように組み合わせられており、護衛戦闘機隊を突破した敵機がいても、接近すれば死角なき銃火の弾幕が迎え撃つようになっている。

さらに米軍、日本海軍、日本陸軍の爆撃編隊はそれぞれ別の梯団ではなく、三軍合同で一つの巨大梯団を組んでいる。

 

第一次ルソン島沖海戦の時に発生したルソン島航空攻撃では、日本軍と米軍は別々の梯団を組んでおり、敵の迎撃隊が最初に米編隊を襲っても、日本編隊は援護することができなかった。

 

今回の航空攻撃では、その時の戦訓が生かされているのだ。

 

高嶋がそんなことを考えているなどいざ知らず、制空隊として、梯団の周囲を固めていた百二機の零戦がフルスロットルを開く。

半ばからになっていた増槽を切り離し、「誉」発動機の頼もしい爆音を轟かせながら、梯団の先頭に位置している高嶋機を追い抜かし、自らの二倍の数の甲戦に斬りかかっていく。

 

それと同時に五十機ほどのP38が、高嶋機の周辺ーーすなわち梯団の前面に展開し、直掩隊として接近してくる甲戦に目を光らせる。

 

改めて命じることは何もない。

 

台湾を発進した時から戦闘態勢は整っており、各銃座には常に兵員が取り付いている。

「敵機を無事に突破し、クラーク・フィールド飛行場姫に投弾する」

今集中すべきことは、その一点のみだった。

 

額に汗がつたるのを感じつつ、再び双眼鏡を正面に向けた。

 

丸い二つの視界の中に零戦と甲戦が見えた刹那、敵味方の編隊が一斉にばらけ、熾烈な空中戦が始まる。

早くも被弾する機体が出たのか、粉々に砕け散る零戦がいれば、真っ赤な炎と黒煙を引きずりながら墜落する甲戦も見える。

 

 

だが、攻撃隊を付け狙う敵機は、正面の敵編隊だけではなかった。

 

 

「『ドラゴンC28』より全機。後方下方よりも敵機!さっきの奴らだ!」

 

 

無線機からその言葉が飛び出すや、高嶋は舌打ちをしながらバックミラーを覗いた。

ミラーには味方機と雲しか見えないが、敵機が後方から近づいて来るのは間違いないようだ。

後方の味方機集団は、徐々に機体間隔を詰めており、明らかに敵機を警戒している様子である。

 

高嶋は敵機がどこから来たか目星がついていた。

分離したP38隊が相手取っていた敵編隊から、隙を見つけて抜け出してきた敵機だろう。

機数はわからないが、前と後ろから挟み撃ちにされては、いかに「コンバット・ボックス」といえど被害は増えてしまうだろう。

高嶋の焦慮の念は、徐々に高まってきていた。

 

 

梯団前面に展開した直掩隊から、十数機のP38が機体を翻し、爆撃機とすれ違いながら後方に飛ぶ。

米戦闘機隊の指揮官は素早く現状を理解したようだ。分離した双発双胴の重戦闘機は、後方から出現した敵機に斬りかかっていく。

 

「隊長。来ます!」

 

山上が叫んだ瞬間、高嶋は反射的にバックミラーから目を離し、機体正面に視線を向けた。

敵味方入り乱れる大空戦の中から、確認できるだけでも四十以上の敵機が、散り散りになりながらも抜け出す。

 

相手取った敵機の数は、零戦の二倍だ。

百戦錬磨の零戦でも、全ての敵機を封じ込めるのは至難だったようである。

 

その敵機に対応すべく、直掩隊が動く。

後方から接近中の敵機に何機か回したため、三十機ほどに減ったP38が、エンジン音を猛々しく鳴り響かせながら甲戦に突進した。

 

その刹那、高嶋は攻撃隊正面下方に、濃緑色のものが見えることに気づいた。

フィリピン北方に点在するバブヤン諸島の島々ではない。

それとは比べ物にならないほど巨大であり、見える限り南東西に大地が広がっている。

 

雲が多く、この高度から全体は把握できないが、まぎれもない。「ルソン島」であろう。

深海棲艦機に集中しすぎて気づかなかったが、攻撃隊はとっくにルソン島を視認できる位置まで到達していたのだ。

 

「帰ってきた」

 

意識せず、高嶋の口からはその台詞が漏れる。

本来、高嶋の故郷は日本であり、ルソン島などではない。

だが、半年前のルソン島攻撃の戦闘がよほど記憶に残っているのだろう、再びルソン島に飛来したことを、なぜか懐かしく感じたのだ。

 

「右前方、敵機!」

 

「左前方からも来るぞ‼︎」

 

無線機に爆撃機パイロットの怒号が飛び交う中、高嶋は冷静に敵機の動きを観察している。

見たところ、制空隊、直掩隊共に敵戦闘機との戦闘に巻き込まれており、これ以上の援護は期待できないだろう。

ルソン島上空に進入してからは、爆撃機群は弾幕射撃で対抗するしかなさそうだ。

 

直掩隊を突破した十機前後の甲戦が、高雄航空隊含む日本編隊に突入してくる。

その後方からは二機のP38が追撃しているが、距離があるため、いかに零戦以上の高速機でも追いつけていない。

制空隊、直掩隊を突破した以上。頼れるのは、味方爆撃機と共に撃ち出す弾幕射撃と、みずからの操縦技術だけだ。

 

「『アーチャー』全機。撃ち方始め‼︎」

 

頃合いよし、と判断し、高嶋は部下の陸攻に下令した。

直後、高嶋が操る一式陸攻の機首、胴体上の二箇所の銃座から、直径20mmの火箭が吐き出される。

リズミカルな連写音が機内に鳴り響き、青白い曳光弾が近づいて来る敵機に伸びた。

それを皮切りにして、上下左右後方をつづく部下の一式陸攻も、次々と機銃を発射する。

 

無数の機銃弾が敵機に殺到した時、高雄航空隊以外の部隊も対空射撃を開始していた。

B17から発射された12.7mm弾、一式陸攻、九七式重爆から発射された20mm弾、7.7mm弾。それら全て、凄まじい数の機銃弾が、甲型戦闘機を押し包むように殺到する。

 

十数機いた甲戦は、瞬く間に半数以上が被弾した。

 

20mmの大口径弾によって、とんがった機首をえぐられた甲戦は、見えない壁に激突したかのように機体が瞬時に変形し、粉々に砕け散ったと同時に爆発する。

複数の小口径弾に捉えられた敵機は、白煙を機体中から吐き出しながら高度を落とし、無数の火箭をかわそうと左右に旋回した甲戦は、さらけ出された横腹に多数の機銃弾を叩き込まれる。

 

残った敵機は弾幕射撃に恐れをなしたのか、急降下しながら攻撃隊下方の雲に消える。それを追って、P38も雲へと消える。

 

「よし!」

 

それを見て、高嶋は喝采を上げた。

弾幕射撃だけで、敵機の初撃をしりぞけたのである。

 

この調子でいけば、低い損害でクラーク・フィールド飛行場姫にたどり着ける。そうすれば爆弾の投下量も増え、クラークといえど徹底的に破壊することができる。

高嶋の心には、その希望が芽生え始めていた。

 

下方に抜けた敵機を見ようと視線を下げると、下が海面ではなく深緑の陸地になっていることに気づく。

 

台湾から発進した攻撃隊は、ルソン島上空に到達したのだ。

ここに至るまでに、飛行場姫攻撃を担当する味方爆撃機は一機も墜とされていない。

このことが、高嶋の希望に拍車をかけていた。

 

「『ドラゴン・リーダー』より各機。右前方および左前方より、新たな敵機接近。『ドラゴンA』『ドラゴンC』は右前方、『アーチャー』『セイヴァー』『アタッカー』『シューター』は左前方。他は後方の敵機に対応せよ」

 

それが耳に入るや、高嶋は右前方と左前方を交互に睨みつけた。

 

通信の内容通り、右から二十、左から三十前後の敵機が近づいて来る。

正面からの弾幕射撃が強烈だと知って、迂回するとともに、左右に分かれて火力分散を狙っているのだろう。

 

「ドラゴン・リーダー」こと攻撃隊総指揮官のアルヴィス・ハート大佐は、「ドラゴンA・C」こと第85、第101爆撃航空団の弾幕を右前方へ、「アーチャー」「セイヴァー」「アタッカー」「シューター」こと高雄航空隊、三沢航空隊、鹿島航空隊、飛行第十四戦隊の弾幕を左前方へとさし向けることを指示したのだ。

 

「『アーチャー』全機。目標、左前方から接近中の敵機。射撃開始!」

 

高嶋が無線機に怒鳴り込んだ直後、指示を受けた各機が一斉に発砲を開始し、二回目の射撃戦が始まる。

 

先陣切って突撃していた甲型戦闘機に火力が集中され、まとまって直撃した機銃弾によって、その甲戦は木っ端微塵に粉砕される。

その直後、二機目の甲戦にも火力が集中され、数秒とたたずに一機目の後を追う。

 

そのほかにも、翼をもぎ取られ、機載機銃を吹き飛ばされたりして墜落する甲戦が多発するが、およそ四割の敵機は怯まず突っ込み、陸攻に狙いを定めて真っ赤な発射炎をにきらめかせた。

 

甲戦が放つ20mm弾が、とある一式陸攻に命中する。

 

一条の火箭が左主翼からコクピットにかけて貫いた直後、左主翼が根元からちぎれとび、真っ黒な黒煙とキラキラしたものが空中に飛び散った。

直後、その陸攻は片方の揚力を完全に失い、錐揉み状態になりながら落下していく。

 

もう一機の一式陸攻は、すれ違いざまに数十発の20mm弾を機体後尾に叩き込まれた。

水平、垂直の両尾翼をほとんど同時に吹き飛ばされ、著しく機体の安定を失ってしまう。

そこにトドメというべき一連射が加えられ、燃料タンクに被弾したのか粉々に爆散する。

 

三機目の被弾機は、一式陸攻ではなく九七式重爆だった。

この重爆は全ての旋回機銃を振り立てて敵機を近づけまいとしていたが、一瞬の隙をついて接近を許し、右主翼の一番エンジンを敵弾にえぐられた。

ジュラルミンや油、どす黒い煙を撒き散らしながらも、一番プロペラは不安定に高速回転を続ける。

それが危険だと判断したパイロットはエンジン停止を試みたが、燃料をカットされ、発動機が停止する前に、プロペラが軸から外れ、高速回転したまま横に移動して機首に直撃した。

ガラス張りの機首爆撃席に座っていた爆撃手は瞬時に絶命し、二人のパイロットも高速回転に巻き込まれる。

 

自らのプロペラによって機首を切断され、パイロットが戦死した九七式は、原型を留めてない状態で急速に高度を落とし始めた。

 

「『セイヴァー7、12』被弾!『シューター8』被弾!」

 

左側面の7.7mm機銃を担当する兵が報告する。

 

三機の爆撃機が墜落している頃、左前方から飛来した甲戦の編隊は、高速ですれ違い、後方に抜けている。

銃火に身を晒す時間を最小にするためだろう。敵機は一撃離脱戦法を使用しているようだった。

 

右方向を見ると、数機のB17が黒煙を引きずりながら高度を落としているのがわかる。

米軍も、無傷とはいかなかったようだ。

 

高嶋は周囲を見渡した。

次の攻撃がどこの方向から来るか、早めに把握しておこうと思ったのだ。

 

だが、爆撃機梯団に向かって来る敵機はいない。

どの甲戦も、P38や零戦との戦闘に忙殺されているようだ。

 

高嶋は敵機が接近してこないことを確認すると、双眼鏡を手にとって機体正面に向ける。

望み薄だろうが、クラーク・フィールド飛行場姫が視認できるか?と思ったのだ。

 

 

だが当然、目標は見えない。

 

高嶋が軽くため息をついて双眼鏡を下ろそうとした時、高嶋の目線は視界内の一点で止まった。

一瞬、ルソンの濃緑の大地が大きく盛り上がったように見えたのだ。

疑問に思った高嶋は、ルソン島の大地を双眼鏡で凝視する。

 

「な……⁉︎」

 

そして視界に映ったものを見て高嶋は驚愕し、身体が凍りついた。

 

「どうかしました?」

 

山上が聞いてくるが、高嶋は無視して無線電話機に切迫した声を吹き込んだ。

 

「『アーチャー1』より全機。編隊正面下方に敵機!上昇してくる!」

 

高嶋が再び機体下方を見やると、二百機以上の甲型戦闘機が攻撃隊目指して上昇して来るのがわかった。

 

 

 

 

その敵機は、全てが緑を基準とした迷彩に包まれていた。

 

 

 



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第四十八話 クラーク爆撃


クラーク・フィールド飛行場姫を撃破せよ!


1

 

高嶋が敵機接近を全体に警報した直後、あたかもそれを待っていたかのように、二百機以上の敵機は一斉に上昇を開始した。

 

新たに出現した敵機群は、攻撃隊よりも遙か下、高度五百m辺りを旋回待機していたのだろう。

それらの甲型戦闘機は、従来の黒を中心とした機体色ではなく、深緑を基準にした森林迷彩のようなものが施されている。

 

攻撃隊の高度から見たら大地に溶け込んでしまい、この距離に近づくまで発見することができなかったのだ。

 

 

「撃て。近よせるな!」

 

高嶋は、やや狼狽した様子で無線機に怒鳴り込む。

弾幕射撃のみで撃退できる数じゃないが、少しでも被害が抑えられれば…と思っていた。

 

高嶋が指示を出す前に、危険を察知した各機が独自の判断で撃ち始めている。

各銃座は目一杯銃身を下げ、上昇してくる甲戦に対して、遮二無二に銃火を浴びせる。

 

無数の射弾が殺到した時、二百機の甲戦は一斉に散開し、数機一組で各々の角度で「コンバット・ボックス」に突入してきた。

 

各銃座は、さらに吠え猛る。

異方向同時攻撃に対処すべく、様々な方向に銃口が向けられ、鞭のように火箭をしならせて盛大に弾丸をばら撒く。

梯団外郭に達する前に、十五、六機の敵機が弾幕に捉えられ、火焔に包まれながら墜ちていく。

 

更に敵機の被弾は増える。こちらは敵機よりも上方に位置しているため、発射された機銃弾は直進性が増しており、重力の影響で弾速も早い。

その影響で命中率が高いのだ。

 

それに、何よりも発砲している爆撃機の数が多い。

第一次攻撃隊には、日米で四百機以上の爆撃機が参加しており、その全ての旋回機銃が発砲すれば、凄まじい数の銃火が敵機を迎え撃つことになる。

 

命中率が高いのは、なんと言っても「数」の力が大きかった。

 

「銃身が焼きつくまで撃て!!」

 

耳に銃座の発砲音しか届かない中、高嶋は叫ぶ。

 

三十機以上の敵機が、「コンバット・ボックス」にたどり着く前に撃墜され、取り付いた敵機も、二十機以上が周囲から旋回機銃の集中銃火を浴び、火焔とともに砕け散る。

 

だが、撃墜できたのは全体の四分の一に過ぎなかった。

無傷でふところに忍び込んだ多数の甲戦は、手当たりしだいに機銃を撃ちまくり、爆撃機を喰っていく。

 

ほぼ同時に八機の一式陸攻が被弾し、速力を大幅に落としながら攻撃隊を落伍した。

その数秒後には、梯団後方に位置していた陸軍飛行戦隊が襲われ、五、六機の九七式重爆が瞬く間に敵弾を喰らう。

 

「『アーチャー6、18、20』被弾!米軍機にも被害!」

 

「『セイヴァー』指揮官機。撃ち落とされました!」

 

味方機被害の報告が、各銃座から飛び込む。

チラリと周囲を見渡すと、黒煙を吐きながら墜落していく味方機が目立った。

翼を吹き飛ばされ、コクピットを粉砕され、エンジンを抉られ、その機体の搭乗員を乗せたまま、敵機の毒牙を受けた日米の爆撃機は、ルソンの大地へ墜ちてゆく。

 

敵機はさまざまな方向から梯団を攻撃し、第一次攻撃隊はみるみるうちに規模を失う。緻密だった編隊は前後に引き伸ばされ、飛行した後の大地には、攻撃隊の通過した空域を示すように、墜落機から発生した黒煙が続く。

 

被弾して速力が低下し、編隊から落伍した爆撃機には、これ見よがしに敵機が殺到する。

孤立した爆撃機は味方機の支援が受けれず、甲型戦闘機にとって撃墜しやすい目標なのだ。

 

編隊に、その爆撃機を救う余裕はない。

今は、ひたすらクラーク・フィールド飛行場姫を目指すしかなかった。

 

「まだか…クラークは…⁉︎」

 

高嶋は、そう言いながら正面の大地を凝視するが、飛行場姫のようなものは見えてこない。

依然、攻撃隊はクラークを視認できる距離まで進出していないのだ。

 

 

第一次ルソン島沖海戦の折に実施した航空攻撃は、深海棲艦の熾烈な抵抗に遭い、不十分な結果に終わっている。

 

第十一航空艦隊や第八航空軍はその戦訓を鑑み、今回の航空攻撃にはさまざまな対策を施した。

何よりも参加爆撃機の機数を大幅に増やしたし、同時に護衛戦闘機も零戦のほか、新鋭機のP38も投入して戦力増強を計った。

「コンバット・ボックス」という編隊編成も組み込み、攻撃成功は99%確実とまで言われた。

 

 

だが、戦いに備えるのは深海棲艦も同じだった。

 

クラーク飛行場姫に数百機の迎撃戦闘機を配備するとともに、三段構えの邀撃計画を立てていたのだ。

現に、第一第二段で攻撃してきた甲戦によって零戦、P38の全てが空戦に巻き込まれる状態になり、低空で攻撃隊を待ち構えていた第三段の迷彩甲戦は、爆撃隊の弾幕射撃のみで対抗するしか方法が無くなってしまっている。

 

人類もこの半年間、ルソン航空攻撃を準備していたが、深海棲艦もルソン防衛に備えていたのだ。

 

どちらの備えが効果的だったかは、現在の戦況が証明している。

人類よりも深海棲艦が一枚上手であり、攻撃は失敗の危機を迎えているのだ。

 

 

「いや。まだだ!」

 

高嶋は宣言するように言う。

言葉の半分は、自分に対する鼓舞のつもりだった。

 

現在、ルソン島上空に進入して三十分以上が経過している。

残り二十分ほどで、クラーク・フィールド飛行場姫を視認できる距離まで近づくのだ。

どれだけの被害を被るかわからないが、あと二十分間。この時間を耐え抜けばこちらの勝ちだと思っていた。

 

なによりも、この第一次攻撃隊がクラークを沈黙させなければ、“KD”作戦は頓挫する。

 

十一航艦や第八航空軍、第五飛行集団は、できる限りの爆撃機、戦闘機をこの攻撃隊に加えており、第二次攻撃隊は第一次攻撃隊の半分ほどの戦力しかない。

すなわち、もしも第一次攻撃隊が失敗すれば、第二次攻撃隊がクラーク撃滅に乗り出すことになるが、敵機の迎撃を突破するのは容易ではないのだ。

 

 

予定では分遣隊が離脱してイバ飛行場姫の攻撃に向かうはずだが、どの機体も離脱しない。

ハート大佐は、投入された全部隊でクラークを攻撃すると判断したようだ。

 

 

なおも熾烈な迎撃が続く中、攻撃隊は進撃を続ける。

八十機以上の爆撃機が墜落、又は落伍したが、攻撃隊はひたすらクラーク目指して前進する。

 

 

そして、さらに二十機以上の爆撃機が喰われた時。

 

正面の雲と雲の合間に、深緑の大地とは程遠い色をした、広大な黒色の平野が高嶋の目に映った。

 

それを見て、高嶋は絶句する。

 

広大な平野だと思ったものは、全て滑走路だったのだ。

半年前に見たクラーク・フィールド飛行場姫の規模の比ではない。

規模が数十倍にまで膨れ上がっている。

 

攻撃前のミーティングで、「クラークはかなり拡張されている」と米軍士官から伝えられていたが、それは高嶋の想像を絶していた。

 

(化け物め)

 

高嶋は、飛行場姫の規模に圧倒されながら、胸中でつぶやいた。

 

「『ドラゴン・リーダー』より全機。目標視認(ターゲットインサイト)!各機、予定の行動に移れ!」

 

ハート大佐のやや焦りを含んだ声が、無線機より響く。

 

「『アーチャー』全機、俺に続け!」

 

高嶋はハート大佐の命令が届くや、無線機に怒鳴り込んだ。

その命令を聞いて、「アーチャー」こと高雄航空隊の残存機二十六機が、一斉にフルスロットルを開き、高嶋機に続く。

 

突撃を開始したのは高雄航空隊だけではない。

他の海軍航空隊も、陸軍飛行戦隊も突撃を開始し、クラークへの最後の道を突き進む。

 

突撃を開始した日本軍機、それを後方から追うB17群と、編隊は二つに分かれてしまったが、これは計画の内だった。

 

クラーク飛行場姫がいかに巨大でも、三百機の爆撃機が同時に攻撃できるほど大きくはない。

それに日本軍の陸攻や重爆が投弾する高度と、B17が投弾する高度が違うため、同時に爆撃してしまうと事故の危険もあるのだ。

戦力を分散し、敵に各個撃破の機会を与えてしまったようにも思えるが、致し方ないことだった。

 

日本軍機がクラーク・フィールド飛行場姫に接近するにあたり、凄まじい対空砲火が迎える。

視界のほとんどを炸裂の爆煙が覆い、高嶋があやつる一式陸攻を、縦に横にと揺さぶる。

 

高嶋機の右を飛行していた一式陸攻が、敵弾炸裂の衝撃をもろに食らう。

衝撃と、炸裂で襲いかかってきた弾片で機体のいたるところを切り裂かれ、半ばバラバラになりながらルソンの大地に叩きつけられる。

高嶋機と同じく先頭を飛行していたことから、航空隊の指揮官機だと思われたが、どの隊かは分からなかった。

 

今度は、やや旧式化しつつも機数を補うために参加していた九六式陸攻が、敵弾の炸裂を受ける。

真っ正面で炸裂を受けたため、柴犬の鼻のようにとんがっていた機首が大きくひしゃげ、両翼がエンジンごと根元からちぎり飛ばされた。

その九六式陸攻は惰性で数秒間飛び続けたが、次の瞬間には機首を大きく下げ、地上に激突してバラバラに砕け散った。

 

さらに三機を失うが、生き残った多数の中型爆撃機は、ひたすら高度を下げつつ突撃する。

 

高嶋機は、一番最初に飛行場姫の上空に躍り出た。

対空砲火に機銃が加わり、熾烈な砲火が浴びせられるが、高嶋機には命中しない。何発かかすることがあっても、致命的な一撃はない。

 

高嶋は素早く飛行場姫を見渡し、どこに爆弾を投下すれば効果的かを瞬時に考えた。

クラーク・フィールド飛行場姫は二十五、六本の滑走路が無数に交わる滑走路区間と、機体駐機を行う整備区間、管制塔のような建造物が林立する区間の三つに分かれ、その周辺全てに対空砲が配置されているようだ。

 

高嶋は迷うことなく滑走路に目をつける。

 

無数の滑走路が「×」や「*」のようにして交わっているため、その交差部分に爆弾を叩き込めば、二本、三本といった滑走路をいっぺんに使用不能にでき、効果的だと考えたのだ。

 

高嶋は比較的近くの交差している滑走路を見つけ、そこに指揮下の陸攻を誘った。

 

「目標、正面滑走路の交差部分。投弾準備」

 

高島は一言そう言うと、機体を目標に向けて突進させる。

 

「目標、正面滑走路の交差部分。投下準備に入ります」

 

機首の爆撃席に座る島本直彦(しまもと なおひこ)爆撃手が復唱する。

高嶋の乗機が九六式陸攻だった頃から、高嶋機の爆撃手を勤めているベテラン航空兵で、かなりの腕を持っている。

 

爆弾槽にはるばる抱えてきた500kg陸用爆弾二発を、的確に目標に命中させるべく、照準器を覗いて微調整を続けていることだろう。

 

「左二十度」

 

「左十度」

 

「行きすぎました。右五度」

 

機体を投弾コースに乗せるべく、島本の指示を聞いて機体を右へ左へと動かす。

敵弾炸裂の只中で行うため、機体が衝撃波で煽られ、なかなかコースに乗せるのが難しい。

それでも、五回目の調整で「そのまま直進」の報告が上がり、無事コースに乗ることができたことを伝える。

 

「投下!」

 

その数秒後、島本の鋭い号令が機内に響いた。

それと同時に、足元から機械的な音響が届き、ヒョイっと一式陸攻は数メートルほど上昇する。

 

500kg陸用爆弾を二発、計一トンの重荷を切り離した影響で機体が急に軽くなり、高度が上がったのだ。

 

操縦桿を調整して機体の安定を保つと共に、飛行場姫から離脱する針路を取る。

 

「後続機、順次爆弾投下!」

 

旋回機銃に取り付いている兵が、大声で報告する。

敵戦闘機による熾烈な迎撃と飛行場姫の対空砲火を突破し、高雄空は爆撃に成功したのだ。

 

その次の瞬間、眼下から目がくらむほどの閃光が届き、凄まじい炸裂音が高嶋の鼓膜を震わせた。

同時に、巨大な火焔が地上から湧き出し、土砂やアスファルト画四方に飛び散る。

 

「命、中!」

 

島本が喜色を含んだ声で報告した。

 

爆弾命中は連続する。

新たな火焔が湧き出すごとに、滑走路は引き裂かれ、土砂が舞い上げられ、深さ三メートル以上の大穴を穿たれる。

その穿たれた大穴に、更に多数の500kg爆弾が降り注ぎ、盛大に大地をたがやす。

数十発の500kg爆弾を叩きつけられ、大量の爆煙が滑走路を覆い尽くした。

 

「よし!」

 

その光景を見て、高嶋は満足気に頷いた。

高雄空は、交差部分を攻撃することで、まとめて三本の滑走路を破壊したのだ。一航空隊の戦果としては十二分と言える。

 

同じような光景は、クラーク・フィールド飛行場姫のいたるところで展開されていた。

駐機場で翼を休めている乙型重爆撃機は、近くに着弾しただけでも飛行脚をへし折られて擱座し、直撃した場合は爆炎と共に粉々に砕け散る。

250kg爆弾を食らった巨大倉庫は、天井をやすやすとぶち抜かれ、棟内で爆弾炸裂を受けた。

中で待機していた甲型戦闘機を火焔が焼き尽くし、その倉庫は跡形もなく倒壊する。

管制塔らしき構造物は、数発の至近弾で大きく揺らぎ、一発の直撃弾で塔の上半分を爆砕された。

無数の破片が八方に飛び散り、下半分も轟音と共に倒れる。

 

対空砲を狙う機体もいる。

対空砲火に味方機を撃墜されつつも、機載機銃を撃ちまくりながら目と鼻の距離まで肉薄し、爆弾を投下した。

500kg爆弾を直撃された対空砲は、高射砲、機銃を問わず爆砕され、土嚢を吹き飛ばされ、長い砲身が横転する。

 

 

今やクラーク飛行場姫は、日本軍の中型爆撃機に数百発の250kg爆弾、500kg爆弾を叩きつけられ、致命的な損害を受けた。

全ての滑走路がズタズタに破壊されており、基地設備もあらかた破壊され、大火災が発生している。

 

投弾を終えた日本軍機は、持ち前の機動力を生かして低空に舞い降り、クラーク飛行場姫から一目散に離脱した。

 

 

 

 

 

それに取って代わるように、百五十機以上のB17がクラーク上空へ侵入してくる。

 

 

 

やがて、爆弾が大気を切り裂く音が響き渡り、大量の1000ポンド爆弾が、豪雨のように降り注いできた。

 

 

 

 

 




また次回もお楽しみに!


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第四十九話 防空巡洋艦「青葉」


メリークリスマス!


うーむ。クリスマスプレゼントでもらったXウィングとYウィング作ったんですが…

かっこよすぎるわ。

スターウォーズまじ神…エピソード8はやく見たぁぁぁぁぁいです




10月6日 午前8時17分

1

 

「それで姉貴が言う訳ですよ、『深海棲艦ぐらい刺身にできなくってどうするの!』てね。それで同期の連中かしこまっちゃって。いやぁ。おれんちで壮行会やってよかったなぁ」

 

「そりゃぁ、男勝りな姉さんだな。写真ないの?美人だったらバツ4の俺がもらってやる」

 

第一航空艦隊に所属する戦艦「霧島」の電測室では、二人の電探員がスコープを見ながら他愛もない会話をしていた。

一大作戦が遂行中に世間話をするのは良いこととは言えなかったが、二人とも会話しつつも、鋭い視線をレーダーの画面に向けている。

 

山倉豊(やまくら ゆたか)兵曹長と、篠上三郎(しのがみ さぶろう)一等兵曹である。

 

この二人、「霧島」に配備される以前は台湾・垣春の電探基地におり、そこで何度もルソンから来襲する敵機を探知し、司令部に報告している。

その時の経験が、他愛もない会話をするという余裕を生んでいた。

 

「バツ4?先輩バツ4なんすか?マジで?」

 

「む。言ってなかったっけ?」

 

篠上が自らのパートナーの意外な一面を知り、目を丸くする。

そんな男に姉貴を嫁にやれるか、と思っているのだろう。はっはっはと笑い、肩をすくめた。

 

「貴様ら。また無駄話か…」

 

その時、カッカッと階段を降りる音が響き始め、同時に二人の無駄話を咎める声が聞こえた。

 

「げっ、電測長」

 

「『げ』とはなんだ『げ』とは」

 

階段を降りてきた「電測長』と言われた男は、そう呆れるように言い、電探計器の脇に立った。

 

「霧島」電測長の茅峰翔太郎(かやみね しょうたろう)大尉である。

 

彼も、山倉、篠上と同じく垣春電探基地から「霧島」に異動になった将兵の一人であり、二人とは「霧島」に配備される前から上司部下の関係だ。

茅峰大尉の呆れた表情からは、垣春基地の時代から二人の雑談に頭を痛めていたことを伺わせた。

 

「だいたい、お前なんか会話癖を直したらすぐにも出世だぞ。どんだけ損してるんだか…。きっと今頃、俺みたいな戦艦の電測長だ」

 

茅峰大尉は呆れた表情を崩さないまま、山倉に言った。

 

「いえ、自分はこいつを眺めるのが一番性分に合っております。事務仕事などやりたくありません」

 

そう言って、山倉は電探計器の管面を軽く小突いた。

「それに…」と言葉を続ける。

 

「アメちゃんの最新電探に切り替わってから、管面が断然見やすくなりましたしね」

 

 

ーー日本海軍は、主要艦艇に米国製艦載レーダーの搭載を進めている。

 

試験的な意味合いが強かった「金剛」の電探搭載が、第二次ルソン島沖海戦で有効的に働いたと判明した後は、さらなる搭載計画に拍車がかかることとなる。

以前からアメリカ・イギリスを筆頭に軍用レーダーの開発が行われており、その発展には眼を見張るものがある。

海軍中央は、両国との軍事交流を通じてレーダーは近代戦に不可欠な存在だと判断し、搭載を決断したのだ。

 

だが、ここで一つの問題が発生した。

強引な搭載計画により多数の電探が艦艇に搭載されたが、それを扱う人間が圧倒的に足りなかったのだ。

 

従来より、日本海軍では横須賀通信学校で電測機器に関する教育が実施されていたが、「電探より砲術部門や航海部門」という風潮が強く、受講数も卒業数も多くなかった。

 

海軍省では“KD”作戦に間に合わせるべく、早急にアメリカ・イギリスのレーダー学校への留学や、海外からの技術顧問の奨励など、様々な対策を講じたが、第一艦隊、第二艦隊の電探搭載分の操作要員しか確保できずに終わってしまう。

そこで、横須賀通信学校を一期生、二期生といった早い時期に卒業し、日本各地の陸上電探基地に配備されている電測員が、目に留まった。

 

彼らは国産の対空、対艦電探を以前から扱っており、電測機器の扱いを熟知している。

国産と海外製ではスコープなどの仕様がだいぶ違うが、短時間の教育でも、扱いを習得できると考えられたのだ。

何よりも本土電探基地の電測員はベテランが揃っており、台湾でルソンからの航空攻撃を通報し続けた強者や、トラック諸島から引き上げてきた者もいる。

 

海軍省のやや強引な処置だったが、予想通り、彼らは素早く米国製電探の操作方法を習得し、艦隊の新たな目として機能していた。

 

山倉、篠上、茅峰も、それによって「霧島」に配備されているのだ。

 

 

「そうですねえ。これの名前、PPIスコープでしたっけ?台湾基地のAスコープとえらい違いですよ」

 

篠上も、自らがにらめっこしている電測機器を撫でながら言った。

 

 

以前のAスコープ式電探は、画面上にメモリ付きの横線が伸びており、反応があればその距離のメモリ上にエコーが発生する仕組みだった。

エコーの高さで反応物の規模を判断するのだが、探知する方角は固定式であり、警戒レーダーとしては難がある。

さらには電探の質が悪かったのだろう、画面はノイズの嵐であり、その中から突出したエコーを読み取るのは相当な熟練の技が必要だった。

だがPPIスコープ式電探は、自らの位置している点が画面の中心にあり、そこから360度全周の警戒をすることができる。

Aスコープ式と違って射撃管制レーダーには向いていないが、警戒レーダーならこれ以上のものはない。

さらに米国製の電探は質が良く、ノイズがとても少なかった。

 

 

「PPI式でも、世間話なんてしてたら発見できるものも発見できん。貴様らの腕を疑うわけじゃぁないが、ほどほどにしとけよ」

 

今度は真剣な表情になり、茅峰大尉は諭すように言った。

 

「了解です」

 

「以後、気を付けます」

 

篠上と山倉も威儀を正して答える。

二人とも、少し反省している様子だった。

 

「しかし、電測長が電測室(ここ)まで降りてきたのは、それを言うためだけじゃないんでしょう?」

 

「当然」

 

篠上の言葉に、茅峰大尉は即答する。

 

「一時間ぐらい前、第十六任務部隊が深海棲艦機に発見されたらしい。敵機接近を一番最初に探知するなら、お前らか『比叡』電測の連中だから注意しとけよ」

 

第一航空艦隊に配備されている「霧島」「比叡」は艦橋が高く、その分レーダーは高いところに設置されており、他艦と比べて探知範囲が広い。

それを踏まえて、茅峰大尉は二人に注意を喚起しに来たようだ。

 

「「わかりました」」

 

二人は同時にそう言い、再びPPIスコープへと鋭い視線を向ける。

 

 

だが、この時、スコープの画面は常に異常を示していた。

 

艦隊の西側に、複数の光点が見え始める。

PPIスコープの中心点を軸に回転している光線が通るたびに反応し、徐々にその数を増やしていく。

 

山倉は最初、帰還してきた第一次攻撃隊かと思ったが、帰還してくるのはもう少し遅いはずであり、時間的に辻褄が合わない。

その考えに至った直後、コンマ1秒にも満たない時間で「敵」だと判断した山倉は、茅峰大尉に叫んだ。

 

「電探感三。艦隊よりの方位280度。距離35浬。敵編隊と認む!」

 

 

 

2

 

「左舷前方、敵編隊視認!」

 

第一防空戦隊旗艦「青葉」の艦橋に、見張員の報告が響いた。

 

「来たか…」

 

同戦隊司令の角田覚治(かくだ かくじ)少将は、そう言って自らの唇を舐めた。

 

8時20分に「霧島」から全艦に警報が発せられてから、30分ほどが経過している。

その間に艦隊直掩の零戦九機とF4F十二機が敵編隊に向かい、第一航空艦隊の各艦では対空戦闘用意が発令された。

 

第二次攻撃隊はすでに出撃した後であり、各空母の飛行甲板は閑散としている。

だが、発艦させる機体がなくとも、迎え入れる機体はある。

空母は飛行甲板に一発でも被弾したら機能を失ってしまうため、なんとしてでも守らなければならなかった。

 

 

角田は、双眼鏡を手に取って左舷前方に筒先を向ける。

 

見張員が報告した敵編隊は、二分したうちの一つだ。

15分前、「霧島」からの続報で、敵編隊が二つに分かれ、一方がTF16へ、もう一方が一航艦に向かっていることが判明している。

接近中の敵編隊は、敵機全体の二分の一の戦力であり、八十機ほどの攻撃隊だった。

 

丸い視界の中に、多数の黒点が見え始めた。

どの機体も形まではわからないが、緻密な黒点の集団と、その集団の周辺を縦横無尽に飛び回るゴマ粒のようなものが確認できる。

 

おそらく、前者が深海棲艦の攻撃隊で、後者が迎撃に上がった零戦だろう。

数分に一回ほどの間隔で、その敵編隊から一筋の黒煙が海面に伸びる。

「青葉」艦上からははっきりと見えないが、熾烈な空中戦が繰り広げられているようだ。

 

(ようやく出番だな。「青葉」「衣笠」)

 

だんだんと艦隊に近づいてくる敵編隊を見ながら、角田は胸中で自らが指揮する一防戦の二隻に呼びかけた。

 

 

ーー「青葉」「衣笠」は僚艦の「足柄」「古鷹」「加古」と共に、第三艦隊の一翼として、半年前の第一次ルソン島沖海戦に参加し、深海棲艦との夜戦を経験している。

同海戦で青葉型の二隻は各一本の敵魚雷を艦首に喰らい、早々に隊列を離れてしまった。

その結果、目的である避難民船団の護衛は成功したが、旗艦「足柄」を失い、準同型艦の古鷹型二隻も大破するという、大きな損害を被ってしまうことになる。

 

青葉型重巡の二隻は、第三艦隊で唯一、主砲を一発も撃たず戦闘不能になる。という不愉快極まりない結果となってしまったのだ。

 

 

だが、修理と並行して、青葉・古鷹型重巡は新しい力を得ることとなる。

新時代の艦艇にふさわしい、「防空巡洋艦」と言う艦種に生まれ変わったのだ。

砲術を専門とする角田としては、重巡洋艦がそのような艦種に変わることに一途の寂しさを覚えていたが、この艦が対空戦闘に凄まじい威力を発揮することも、同時に実感していた。

 

なお、「青葉」「衣笠」の容姿は、改装前に比べて大きく様変わりしている。

以前まで主兵装だった三基の二十.三センチ連装砲は、全て撤去され、新たに新設された台座に、前後合わせて六基の六十五口径十センチ連装高角砲を艦の軸線上に沿うように配している。

他にも、上部構造物左右に配されていた単装高角砲や、魚雷発射管、カタパルトなどを全て取っ払い、詰める限りのボフォース四十ミリ機関砲や二十五ミリ機銃を搭載し、艦橋から後部にかけて、さながらハリネズミのような様相を呈していた。

 

変わったのは兵装だけではない。

 

前部高角砲と後部高角砲が別々の目標を射撃出来るよう、射撃指揮装置と予備射撃指揮所が増設され、レーダーや逆探などの電子機器も新たに搭載されている。

それらを設置したことにより、艦橋がさらに複雑になり、以前とは比べ物にならないほど精悍な見た目になっていた。

 

改装の結果、排水量の増加で最大速度や波浪生は少し低下してしまっていたが、「青葉」「衣笠」はそれらと引き換えに強力な防空力を得るに至ったのだ。

 

「有効射程に入り次第撃ち方始め。空母に指一本触れさせるな」

 

角田は重々しい声で「青葉」艦長の久宗米次郎(ひさむね こめじろう)大佐に命じた。

久宗は軽く頷き、射撃指揮所へと繋がる艦内電話を手に取る。

 

やがて艦橋目の前の第一、第二、第三高角砲が機械的な音響とともに左に旋回し、各二本の長砲身を天空へと向ける。

艦橋からは死角で見えなかったが、後方の第四、第五、第六高角砲も敵編隊に狙いを定めているだろう。

 

 

 

 

敵機は、零戦の迎撃を受けつつも、艦隊に近づいてくる。

 

 

「青葉」の対空砲群が轟々と火を噴くのは、まもなくと思われた。

 

 

 




日本海軍のレーダー事情と青葉の解説で終わってしまいましたが、許してください。。。

追記
皆さま!良いお年を!

あともう一つの作品も久々に更新しました〜


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第五十話 熾烈なる対空戦闘


香川県から失礼します


1

 

「撃ち方始め!」

 

現在、第一航空艦隊は第一航空戦隊の「赤城」「加賀」「瑞鳳」と、第五航空戦隊の「翔鶴」「瑞鶴」「秋雲」を中央に据えた輪形陣を形成しており、その周辺を第三戦隊の「霧島」「比叡」、第八戦隊の「利根」「筑摩」、第一防空戦隊の「青葉」「衣笠」、第一水雷戦隊の「阿武隈」以下駆逐艦八隻が固めている。

「青葉」から開始された射撃は、導火線を伝わる火花のように輪形陣上を広がり、やがて空母五隻を含む全艦が、持てる限りの高角砲を振りかざしての弾幕射撃に移行する。

 

 

「ガンガン撃て!」

 

そんな中、「青葉」の羅針艦橋では角田覚治一防戦司令が、砲声負けない声でそんなことを言っていた。

「青葉」の長十センチ砲は途切れることなく咆哮し、接近中の敵機に高速弾を浴びせている。

 

角田は、熾烈な対空砲火を浴びながら、ひたすら近づいてくる敵編隊を睨みつけた。

 

艦隊直掩機との戦闘で消耗したのだろう。八十はいたと思われる機数が六、七十機ほどに減少している。

そしてそれらが二手に分かれ、半数が左前方から、もう半数が左後方から、ひたすら距離を詰めてきている。

「青葉」は、もっぱら左前方の敵機を攻撃していた。

 

「全機が爆撃機ですね」

 

角田の隣で、同じく敵編隊を見ていた久宗米次郎艦長が、呟くように言った。

近づいてくる敵機は、左前方左後方問わず、高度二千以上の高空から接近してくる。

雷撃機では魚雷を投下するために低空から近づくが、今回はすべての深海棲艦機がそうではない。そう考え、敵機は全て爆装だと判断したようだ。

 

 

無数の高角砲弾が各艦艇から撃ち上げられ、上空を砲弾炸裂の硝煙で覆い尽くし、弾幕を形成する。

その弾幕に正面から飛び込んだ甲型爆撃機は、片っ端から被弾し、火焔と共に砕け散ってゆく。

超至近距離で炸裂波を浴びた甲爆は、弾片に切り裂かれ、瞬時にその姿を消失させ、跡形もなく消しとばされる。

残った空間には何も残らず、無数のキラキラとした破片が海面に向かって落下する。

 

だが、敵機は突撃をやめない。

いくら味方機を撃墜されても、諦めじと接近を図る。

 

「左上方。敵機!」

 

砲声に掻き消されそうな見張員の報告を、角田は辛うじて聞き取った。

素早く窓際により、左上方の方向を注視する。

近づいてくる甲爆は十二機。「青葉」の対空射撃の凄まじさを見て、優先的に撃破しようとしているようだ。

 

「第一、第二、第三高角砲、射撃目標を左上方の敵機に変更。目標変更を八秒で達せよ!」

 

角田が久宗に目配せすると、久宗は間髪入れずに射撃指揮所に通じた伝声管に怒鳴り込んだ。

直後、艦橋目前に背負式に配された三基の長十センチ高角砲が、素早く左上方に砲門を向け、敵機を狙う。

 

ここからが、防空巡洋艦である「青葉」の真骨頂だ。

 

高角砲射撃指揮装置を前部と後部に設置しているため、前部高角砲、後部高角砲を別々の目標に対して射撃できるのだ。

 

防空巡洋艦という艦種は、「艦隊において防空力が弱い他の艦艇を、自らの力でカバーする」をコンセプトに生まれている。

今の「青葉」は、自らを攻撃しようとしてある敵機を前部三基の高確砲で対応し、後部三基は空母を守るために使うのだ。

 

 

「青葉」は六基の高角砲を、二目標に振り分けて遮二無二に撃ちまくっている。

「青葉」を突破して空母を攻撃しようとした敵機は、長十センチ砲の餌食となり、「青葉」を攻撃しようとしてる敵機も、一機、また一機と海面に叩きつけらた。

 

距離が詰まった敵機に対しては、七基搭載しているボフォース四十ミリ四連装機関砲と、四基の二十五ミリ機銃が迎え撃つ。

指向可能ならボフォース四基、二十五ミリ二基が、ぶちまけるように大量の火箭を吐き出す。

 

四十ミリという大口径機関砲弾の直撃を食らった甲爆は、飛行機構に損傷を受けたのか、破片と白煙を引きずりながら海面に突っ込む。

二十五ミリ機銃の集中砲火を受けた甲爆は、機体中に赤い斑点のようなものをまとわりつかせながら、爆ぜ、海面に水しぶきを発生させる。

 

敵機は次々と撃墜されており、対空戦闘は順調だと思われたが、角田の額には焦慮の汗がつたっていた。

 

数分間で六機を撃墜したが、敵機が急降下に入ってしまえば、いかに対空力が高い長十センチ砲、ボフォースといえど、撃墜は困難である。

もちろん、転舵して回避することもできる。だが、そんなことをすれば輪形陣の対空弾幕に穴が開いてしまい、空母を狙う敵機の侵入を受けてしまうだろう。

一防戦が、一航艦の防空の要である以上、それはできない。

 

 

艦隊を守るため、自らの身を守るまため、「青葉」は鬼神の如く長十センチ砲、機銃を撃ちまくる。

新たに三機を撃墜したが、敵機は無慈悲に近づく。

 

 

「敵機、急降下!」

 

久宗が叫ぶ。

 

この時、後部三基の高角砲を自身を守るために使えば、「青葉」はこんな危険な状態にならなかったかもしれない。

 

だが、「自艦よりも空母」を信条とする空母護衛艦の一員として、艦隊防空を司る戦隊の司令官として、さらには日本海軍軍人として、それはありえない選択だった。

 

角田は、鋭い眼光を放つ目で、ひたすら降下してくる敵機を追う。

 

高角砲、機銃はさらに撃ち続けるが、甲爆は機体下部から二つの黒い塊を切り離す。後続の二機も同じだ。

 

「敵機、投弾!」

 

見張員が悲鳴じみた声を上げる。

この瞬間、射撃を続けていた七基のボフォースと四基の二十五ミリ機銃の射撃目標は、「降下してくる敵機」から「落下してくる爆弾」に切り替わった。

 

機銃を担当する第二分隊隊長の三船寿治郎(みふね じゅうしろう)大尉のとっさの機転であり、藁にもすがる思いで指揮下の機銃座群に命じたのだ。

 

落下してくる爆弾は六発。

敵機はかなりの低空で投下したのだろう、それからの爆弾は高精度を保っており、四、五発は命中するコースである。

 

各機銃座指揮官の「狙え!」の一言、今まで以上の勢いで各機銃は連続発射を開始した。

急降下爆撃でスピードのました爆弾が、「青葉」に命中するまで数秒。

その限りなく短い間に、二発の爆弾に機銃弾を命中させ、破壊することに成功した。

機銃弾を喰らった爆弾は「青葉」直上五十メートルほどで炸裂する。

 

機銃座では歓声が湧いたが、次の瞬間、機銃員の表情が凍りついた。

 

直撃は免れたが、凄まじい数の破片が舞い降り、「青葉」のいたるところに突き刺さる。

 

これで大損害を受けたのは、露天の機銃座だ。

 

落下中の爆弾を撃墜、という偉業を成し遂げた機銃員達は、ナイフのようにとんがった無数の破片を受け、身体中を瞬時に切り刻まれた。

破片を受けた機銃員達は、絶叫を発しながら転げまわり、または頭部や胸に受けた兵は即死する。

例えるなら、豪雨のように大量のナイフが降ってきたようなものである。

銃座周辺は血の泥沼と化し、機銃も、ボフォース、二十五ミリ問わず破壊された。

 

被害はこれだけではない。

無数の破片は、「青葉」艦橋をも襲い、上部につけられていたレーダーや逆探などの電子機器を全滅させた上、射撃指揮装置も破壊されてしまる。

これにより「青葉」は電波の目を失い、高角砲の射撃精度も低下してしまう。

 

飛来した無数の弾片は、「青葉」の表面的な部分にある箇所に壊滅的な被害を与えたのだ。

 

ここに、トドメというべきものが、重力で加速されながら落下してきた。

爆弾二発は機銃が撃墜したが、残った三発は「青葉」目指して落下を続けていたのである。

 

二発が時間差で「青葉」左右の海面に突っ込み、巨大な水柱を突き上げたのも束の間、最後の一発が第二高角砲を真上から襲った。

 

「やら……!」

 

角田はやられた!と口から飛び出しそうになったが、次の刹那、角田の体は衝撃で宙に浮いており、言葉を中断せざるおえなかった。

 

窓ガラスが一斉に砕け、艦橋目の前にから凄まじく巨大で真っ赤な閃光が差し込む。

第二高角砲は跡形もなく爆砕され、前後の第一、第三高角砲も甚大な被害を受けていた。

 

だが、角田は「青葉」の被害状況を把握するまもなく、壁に打ち付けられ、自らの意識を手放していた

 

 

 

「青葉」の防空力は、輪形陣弾幕の四分の一を占めている。

 

その艦が沈黙したことにより、艦隊左側の防御に大きな穴が開いてしまうことになった。

目に見えて弾幕が薄くなり、敵機の編隊が輪形陣の内側に侵入してくる。

 

薄くなった対空弾幕を突破し、十五、六機の甲爆が五隻の空母に殺到した。

 

 

 

 

 

 

 

 




うどんうめぇー。次回は米アジア艦隊登場かな


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第五十一話 セントラル・ガード作戦

明けましておめでとうございます。

正月三が日が終わり、日本経済を担う社会人皆様のますますのご健闘を心よりお祈りしております。









1

 

米アジア艦隊、英東洋艦隊、および三個挺身戦隊群からなる艦隊、通称「統合任務艦隊(JTF)」がマニラ湾口に位置している島ーーーコレヒドール島の南南西十五浬の海域に到達したのは、10月6日の午後10時45分だった。

 

もしも今が快晴な昼間だったなら、左前方にはパターン半島が、正面にはマニラ湾口とコレヒドール島が見えるはずだが、どちらも闇に沈んでおり、見ることはできない。

それは、まだ見ぬ敵艦隊も同様である。マニラ湾内に停泊している深海棲艦部隊は、依然、JTFの前に姿を現していなかった。

 

 

 

ーー今日の早朝から開始されたルソン島制空権奪還戦は、人類の勝利で終わったと報告が入っている。

タイワンから発進した基地航空隊は深海棲艦極東最大の航空拠点であったクラーク・フィールド飛行場姫を沈黙させしめ、イバ飛行場姫、バレル飛行場姫も、日米空母機動部隊の航空攻撃で完膚なきまでに叩き潰された。

 

ルソン島の制空権は、人類軍が握っているのだ。

JTFがこの海域に到達できたのも、制空権奪還に貢献した航空部隊のおかげだった。

 

だが、その代償は大きかったらしい。

基地航空隊の損耗率は四割以上と報告が入っており、空母部隊は深海棲艦の反撃で、「ヨークタウン」が爆弾数発を飛行甲板に食らって大破し、日本海軍でも正規空母一隻が中破、軽空母一隻が撃沈されたそうだ。

 

それらの犠牲に報いるためにも、JTFは()()()()()を成功させなければならなかった。

 

 

「この距離に至ってすら、敵艦隊の迎撃は無し…ですか」

 

その時、米アジア艦隊第二十五任務部隊(TF25)旗艦兼、JTF旗艦の戦艦「ノース・カロライナ」の戦闘指揮所(CIC)で、同参謀長カール・ムーア大佐が、腕を組みながら情報ボードに視線を落とした。

 

情報ボードには、マニラ湾およびコレヒドール島と、JTF参加部隊の位置関係が一目でわかるようになっている。

現在、TF25は、重巡「シカゴ」「アストレア」軽巡「サヴァンナ」「フェニックス」「ヘレナ」「セントルイス」戦艦「ノース・カロライナ」「ワシントン」「ウェースト・バージニア」「コロラド」の順で単縦陣を組んでおり、その右に十二隻、左に四隻の駆逐艦が付いていた。

 

TF25の右側には、肩を並べるように英東洋艦隊Z部隊が展開している。

こちらもTF25と同じような隊形を組んでおり、戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」と巡洋戦艦「フッド」および重巡四隻で構成された単縦陣の左右を、多数の駆逐艦が固めていた。

 

これら二個艦隊だけでも一大戦力と言えるが、JTF参加部隊はまだある。

 

米英の水上打撃部隊の後方には、日本海軍の水雷戦隊とイギリス海軍の巡洋艦で編成された三つの挺身戦隊群が控えていた。

 

「それで良い。それでこそ件の作戦は実施できるというものだ」

 

TF25司令官であり、同時にJTF司令官でもあるレイモンド・スプルーアンス少将がムーアに言った。

緊張も高揚も感じさせない淡々とした声だった。

 

「それは同意できますが、敵艦隊が積極的な攻勢に出ないことも少し不自然ですな」

 

日本海軍から連絡官として派遣されている星越實好(ほしこし さねよし)中佐が、流暢な英語でスプルーアンスに発言する。

 

「ふむ…確かに不自然だが、深海棲艦の意図は理解しかねる。もしかしたら艦隊保全主義(フリート・イン・ビーイング)なのかもしれん」

 

ムーアが情報ボードから星越に視線を移した。

フリート・イン・ビーイングとは、決戦を避けて自国の艦隊を温存し、その潜在的な能力で敵国への脅威とする戦略である。

もっとも消極的な戦法と知られており、事例としては日露戦争で旅順港に逼塞し、日本海軍の海上航路を妨害し続けたロシア極東艦隊などがある。

動かない艦隊などほっといても大丈夫、と思う人も多いと思うが、深海棲艦がフリート・イン・ビーイングを採用したとなると、日本に対して最も効果的な戦略を選択したと言わざるおえない。

 

JTFの目標は、「南洋航路復活の障害となる深海棲艦極東艦隊の無力化」であるが、敵艦隊がマニラ湾の奥に引きこもっている限り、水上打撃部隊では痛打を与えるのは難しくなってしまうからだ。

 

JTFが目標を達せられない限り、すなわち敵艦隊が無傷でマニラ湾に引きこもっている限り、「敵艦隊が存在する」という危険がいつまでも付きまとい、南洋航路を復活することができないのだ。

 

だが、JTFの総指揮を執る米アジア艦隊司令部では、それに対抗する作戦を練り上げ、実施しようとしてた。

 

 

「コレヒドール島との距離一万八千ヤード(一万六千メートル)」

 

十分ほど経過した後、「ノース・カロライナ」艦長のアンリ・M・ステンレス大佐の報告がCICに上がる。

それを聞いて、スプルーアンスは司令官席から立ち上がり、ムーアや他の参謀と頷きあった。

そして手元の隊内電話を手に取り、口を開く。

 

「『サクリファリス』より全艦。オペレーション “セントラル・ガード” 発動。『デルタ』『エコー』『フォックス』三隊は直ちに増速。前進開始せよ」

 

「『デルタ』了解」

「『エコー』了解」

「『フォックス』了解」

 

それぞれの呼び出し符丁をかされた第一、第二、第三挺身戦隊群の旗艦から、命令了解の返答が届く。

 

今回の作戦では、日米英の三ヶ国艦隊が同じ海域で夜戦を戦うため、同士討ちを避けるために、全艦に共通の符丁が決められていた。

 

TF25とZ部隊の後方に位置していた三個挺身隊は、巡航速度から最大戦速に増速し、「デルタ」こと第一挺身戦隊群がTF25の左を、「エコー」こと第二挺身戦隊群がTF25とZ部隊の間を、「フォックス」こと第三挺身戦隊群がZ部隊の右をそれぞれ通過し、水上打撃部隊の前方へと進出していく。

 

セントラル・ガード作戦では、戦艦部隊よりも挺身隊の方が作戦の要だった。

 

戦域情報が素早く反映される情報ボード上では、水上打撃部隊の後方に位置していた三つの挺身隊を示す駒が、コレヒドール島の手前まで前進させられる。

 

「三隊とも艦隊正面に前進完了」

 

艦橋の見張員から状況報告が届く。

 

(ここからが腕の見せ所だ…!)

 

そう一言胸中でつぶやき、スプルーアンスは隊内電話をさらに強く握る。そして軽く深呼吸し、第二の命令を発した。

 

「『サクリファリス』より『キング』『ルーク』『ナイト』および『クイーン』『ビショップ』『ポーン』全艦、取舵一杯(ハードアポード)。針路310度。合同単縦陣へ移行せよ」

 

符丁「サクリファリス」ことJTF司令部から発せられた命令は、「ノース・カロライナ」の通信アンテナから、素早くチェスの駒の符丁をかされた各戦隊に伝達され、受信した部隊はそれぞれの旗艦に従って変針する。

「ハードアポード!針路310度!」の号令が各艦の艦橋で響き渡り、舵輪が素早く左に回され始めた。

 

「『ルーク1』取舵!続いて『ルーク2』『ルーク3』取舵!」

 

「『ナイト』各艦、取舵に転舵します」

 

「『ビショップ1、2』および『ポーン』全艦、取舵へ移行!」

 

見張員やレーダーマンから、次々と味方艦の動向が伝えられる。

海軍史上、類を見ない夜間の大艦隊運動だが、それらの報告を聞く限り、衝突などの混乱は起こっていないようだ。

 

やがて、JTF旗艦「ノース・カロライナ」も変針する。

前方を進んでいた「ルーク」こと米巡洋艦戦隊が針路310度に転舵したため、それに続く形だ。

全長222m、全幅33m、基準排水量45000tの巨体が、遠心力で艦橋を右に傾かせつつ、鋭い艦首で暗黒の海面を切り裂きながら、軽巡「セントルイス」を追って左へ、左へと回頭する。

 

「戻せ。舵中央!」

 

艦の針路が310度にのる手前で、航海長のサイモン・キッド中佐が操舵室に怒鳴り込む。

舵は瞬く間に戻され、余力で「ノース・カロライナ」は「セントルイス」の後方に付く。

 

CICは艦橋内部に設置されているため、外を見ることはできない。

それでも、床の傾き具合やレーダーマンの報告で、艦隊の状況は把握することができた。

 

艦隊の回頭はまだ終わらない。

「キング1」こと「ノース・カロライナ」に後続し、「ワシントン」「ウェースト・バージニア」「コロラド」も順次針路310へ変針し、「コロラド」が直進に戻ったのを見計らって、「クイーン1」こと「プリンス・オブ・ウェールズ」、「クイーン2」こと「フッド」も続く。

 

「ナイト」「ポーン」の符丁を与えられた米英の駆逐艦部隊も、主力艦が変針するのに従って転舵する。

 

やがて、10分ほどかかった全艦の回頭運動は、Z部隊最後尾の「ビショップ4」こと英重巡「シュロップシャー」が針路310度にのったのを最後に終了した。

 

 

変針する前までTF25とZ部隊は、真っ正面からマニラ湾口に突入するような針路だったが、310度に回頭することによって、全艦で湾に蓋をするような形なると共に、米英合同の単縦陣に移行したのだ。

 

水上打撃部隊は、「シカゴ」を先頭に「アストレア」「サヴァンナ」「フェニックス」「ヘレナ」「セントルイス」「ノース・カロライナ」「ワシントン」「ウェースト・バージニア」「コロラド」「プリンス・オブ・ウェールズ」「フッド」「ロンドン」「サセックス」「デヴォンシャー」「シュロップシャー」の十六隻に及ぶ一本の単縦陣に艦隊を再構成したのだ。

さらに、その左右を駆逐艦が固めており、駆逐艦の数は湾口の方が多くなっていた。

 

「『サクリファリス』より全艦、右砲戦。観測機発進」

 

スプルーアンスは全艦の回頭終了を見計らい、第三の命令を発する。

その命令は、先の命令と変わらず瞬く間に各艦に伝達され、受信した艦では、素早く内容が実行される。

 

重巡六隻、軽巡四隻、戦艦五隻、巡戦一隻は自ら搭載している主砲を右に旋回させてマニラ湾に狙いを定めるとともに、それぞれのカタパルトから観測用の水上機が発進させた。

 

それは「ノース・カロライナ」と「ワシントン」も同じである。

この二隻は射撃管制レーダーを備えており、電探照準での射撃も可能であったが、未だ光学照準ほどの精度を期待できないため、他の鑑と同様に観測機を上げていた。

 

軽巡洋艦の十五.五センチ砲、重巡洋艦の二十.三センチ砲、戦艦の四十センチ砲、三十六センチ砲、巡洋戦艦の三十八センチ砲、合計百六十二門がマニラ湾に向けられる。

 

 

だが、それらは火を噴かない。

 

 

マニラ沖南シナ海の海域は、不気味な沈黙を保っている。

 

 

耳に届くのは、CIC要員の息遣いと、電子機器の稼働音、遠くからいんいんと響くさざ波の音だけだ。

 

 

「まだ…動かないのか…」

 

 

星越が何かをつぶやく。

 

英語ではなく日本語だったため、内容はわからないが、なんとなく予想することができた。

 

 

スプルーアンスの額を、一筋の汗がつたる。

 

 

(何を…企んでいるのだ?…)

 

自らの拠点の目の前で、人類の大艦隊が砲を向けて展開しているのだ。

もう攻撃されてもいい頃だが、マニラ湾内の敵艦隊は沈黙を守り続けている。

 

スプルーアンスは、今までに二度深海棲艦と戦い、二回とも一杯食わされている。

もしかしたら今回も…という疑惑が、心の奥底で燻り始めていた。

 

 

「敵艦隊の戦力は、タ級二隻を含む戦艦五隻、巡洋艦十隻、駆逐艦三十隻です。こちらの戦力とほぼ同等な上、地の利は向こうにあります。戦いを恐れることは無いと思うのですが…」

 

ムーア参謀長が腑に落ちない、と言いたげに首を傾げた。

 

「やることは変わらない。セントラル・ガード作戦を遂行するだけだ」

 

スプルーアンスは、半分自らに言い聞かせるように言った。

 

「『サクリファリス』より『デルタ』『エコー』『フォックス』。早急に単横陣へ移行。自らの担当区間への機雷敷設を開始せよ!」

 




だいぶ理解するのが難しい話になってしまった…


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第五十二話 第三次ルソン島沖海戦

風邪ひきました。今回は短めです。


1

 

「コレヒドール島に発射炎。陸上砲台です!」

 

「そう来たか!」

 

「エコー」こと第二挺身戦隊群に所属する第五水雷戦隊旗艦「名取」の艦橋で、同戦隊司令の原顕三郎(はら けんざぶろう)少将は左前方のコレヒドール島を睨みつけた。

 

なだらかな稜線をもつ島が、暗黒の洋上にぼんやりと見える。

そして、その稜線に沿って複数の発射炎が、断続的に閃らめきはじめていた。

 

コレヒドール島は面積9平方キロのオタマジャクシのような形をした島であり、マニラ湾と南シナ海を隔てる湾口の西寄りに浮かんでいる。

深海棲艦侵攻以前は、アメリカ極東軍によって全体を防備され、三十センチカノン砲八門などの多数の火砲が配備されていたらしいが、深海棲艦もそれと同様に陸上砲台を設置していたようだ。

 

発射炎が光った数秒後、「名取」の前方を進む英海軍の敷設巡洋艦「アブディール」「マンクスマン」の周辺に、弾着の水柱が上がりはじめる。

敵国泊地に機雷を強襲敷設することを目的に作られた二隻は、度重なる至近弾に射すくめられているようだったが、それらに怯まず、最大戦速で突撃を続けていた。

 

「名取」の周囲にも着弾の水柱が上がり始める。

 

甲高い砲弾の飛翔音が響き渡り、それが途切れた瞬間、爆発したように海面が奔騰し、水柱を突き上げさせた。

敵弾が落下するたびに最新鋭とはとうに言えない艦体が軋み、鉄塊を擦り付けるような音が艦内に響く。

 

水柱の大きさは、それほど大きくはない。

コレヒドール島の敵砲台は、15.5センチ砲や12.7センチ砲と言った小中口径砲が主力のようだ。

 

コレヒドール島は、スペイン統治時代から航路の要衝として栄え、同時にマニラ湾に近づこうとする敵船の排除にも一役買ってきたという歴史がある。

それは、島の主人が人間から深海棲艦という異形の存在になっても変わらないようだ。

マニラ湾口の海峡に近づく「エコー」に対する猛射が、それを雄弁に物語っていた。

 

「『朝風』『春風』に至近弾!」

 

「第二十二駆逐隊より入電。“我、砲撃ヲ受ク”」

 

艦橋見張員と通信士が、矢継ぎ早に報告を上げる。

「名取」に後続する第五駆逐隊、第二十二駆逐隊の神風型、睦月型駆逐艦もコレヒドール島からの砲撃を受けているようだ。

 

深海棲艦は、「エコー」に所属する英敷設巡洋艦、五水戦の全艦を目標に定め、砲撃している。

単縦陣の先頭に位置している「アブディール」から、最後尾に位置している「長月」まで、まんべんなく砲弾がばら撒かれているのだ。

 

だが、「エコー」の左右を並走し、同じくマニラ湾の海峡を目指している「デルタ」「フォックス」には砲門が向けられていない。

「エコー」が敵火力を吸収することによって、他の挺身戦隊群は無傷を保っているのだ。

 

「『エコー1」より発光信号。『全艦、射撃開始』」

 

「目標、コレヒドール島の敵砲台。撃ち方始め!発射炎を目標に撃て!」

 

「エコー1」こと第二挺身戦隊群旗艦の「アブディール」から「射撃開始」の命令が飛び込む。

それを聞いて、原は間髪入れずに命令した。

 

前方を進む「アブディール」「マンクスマン」が主砲である10.2センチ連装高角砲二基を撃ち始め、「名取」も左前方へ旋回可能な14センチ単装砲四門を撃ち始める。

さらには後方の神風型四隻、睦月型四隻も、「名取」に負けじと搭載砲をコレヒドール島へ向けて撃ち始める。

 

「バターン半島にも発射炎。その対岸にもです!」

 

見張員が新たな敵情を知らせる。

原は左前方と右前方を交互に見やった。

コレヒドール島ほどはっきりと見えず、水平線上にぼんやりとしか見えないが、バターン半島の沿岸部に発射炎がポツポツと光っているのがわかる。

その対岸も同様だ。

 

深海棲艦は、コレヒドール島のみならず、マニラ湾口の両岸にも砲台陣地を築いていたのだ。

射程距離に入ったため、挺身隊に砲撃を開始したのだろう。

 

左の「デルタ」。右の「フォックス」。今まで攻撃を免れていた二つの挺身戦隊群は、自らを砲撃しているそれぞれの陸上砲台に向けて射撃を開始する。

 

「デルタ」隊は英敷設巡洋艦「アヴェンジャー」と第七水雷戦隊。「フォックス」隊はアブディール級敷設巡洋艦の「ラトナ」「ワルシュマン」と第六水雷戦隊で編成されており、任務は「エコー」と同じくマニラ湾口への機雷の敷設である。

三個挺身隊は、陸上砲台より発射される敵弾をかいくぐりつつ、ひたすら自らの敷設区画に向けて突き進む。

 

敵の砲撃は勢いを増してゆく。

 

「名取」周辺の海面は激しく沸き返り、5500トン級軽巡の艦体を荒れ狂う波や水飛沫が叩きつける。

 

数秒ごとに主砲が反撃の砲火を放っているが、それすらも押し戻す勢いである。目標は巨大な島であり、放たれた14センチ砲弾は敵にダメージを与えていると信じたかったが、目に見えた形の効果は未だ現れていなかった。

 

(やはり我々だけの火力では足りない…!)

 

原がそう思った瞬間、「名取」の後方から稲光のような光が届き、その数秒後、落雷のごとく強烈な砲声が響き渡った。

 

「後方の味方艦隊、砲撃開始しました!」

 

見張員の声は、無数の砲弾が頭上を超える轟音にかき消される。

特急列車が鉄橋を通過するような轟音であり、海上の空気が激しく鳴動した。

 

「いいぞ…」

 

原は満足気に頷く。

後方に展開する米英の水上打撃部隊が、挺身隊を支援すべく砲撃を開始したのだ。

 

頭上を後ろから前に飛び越えた砲弾群は、ほぼ同時にコレヒドール島に着弾した。

着弾した瞬間、一際大きな閃光が島に発生し、暗闇に包まれている海峡をありありと照らし出す。

数発が敵砲台を直撃したようだ。砲弾炸裂の光に照らされ、舞い上がる土砂の他に、鋼板、砲身のような残骸を確認することができた。

 

 

「機雷敷設区間まで残り一〇(一千メートル)!」

 

航海長の九條悠太郎(くじょう ゆうたろう)少佐が落ち着いた声で報告する。

「エコー」こと第二挺身戦隊群の敷設担当区間は、マニラ湾口の海峡を三等分したうちの中央部分である。

コレヒドール島の南東側にあたり、サウス海峡と呼ばれる海域だ。

 

そこまで至ったら、敷設作業が実施できる。

さっさと終わらせて、敵弾の砲火から抜け出したい……原はそう思っていた。

 

 

マニラ湾口の海域は、陸上砲台と艦隊との砲戦で、昼間のような明るさになっている。

 

戦いは激しさを増してきていたが、湾内の敵艦隊が動き出す様子はなかった。

 

 

 

 

 

第五十二話「第三次ルソン島沖海戦」

 




オリジナル小説書きたいと思うこの頃


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第五十三話 挺身戦隊突入

この頃寒すぎね?


1

 

「エコー」こと第二挺身戦隊群は、敷設地点に到達するまでに「松風」と「文月」をコレヒドール島からの砲撃で失った。

「文月」は敵弾を機関室に直撃され、戦速を発揮できずに後退し、「松風」は機雷庫に敵弾が直撃し、無数の機雷が誘爆して爆沈した。

その他にも「エコー」旗艦の「アブディール」と五水戦旗艦の「名取」が敵弾を受け、甲板や主砲を傷つけられている。

 

それでも、敵弾をかいくぐった敷設巡洋艦二隻、軽巡一隻、駆逐艦六隻、計九隻の挺身隊は無事に敷設地点に到達した。

 

「『エコー1』より発光信号。“当隊、敷設区画二到達セリ。全艦、針路100度。斜メ単横陣へ移行セヨ”」

 

艦橋見張員の報告が「名取」艦橋に飛び込む。

 

「戦隊針路100度!順次回頭!」

 

それを聞いて、第五水雷戦隊司令の原顕三郎(はら けんざぶろう)少将は大音響で下令した。

 

「面舵一杯。針路100度!」

 

「名取」艦長の佐々木静吾(ささき せいご)大佐が、航海長の九条悠太郎(くじょう ゆうたろう)少佐に原の命令を伝える。

 

正面には、右へ回頭を始めた「アブディール」と、依然直進している「マンクスマン」の後ろ姿が見えている。

二隻とも自らの火災や発砲の閃光でその身を暗闇に浮かび上がらせており、夜戦の割にははっきりと視認することができた。

 

「名取」はまだ艦首を右に振らない。

今までと同じようにマニラ湾へ向かう針路を取っており、数秒おきに主砲の十四センチ単装砲を咆哮させている。

この艦隊運動は単縦陣から単縦陣に移るものではない。単縦陣から斜め単横陣に移るものであり、九条は絶妙な面舵のタイミングを探っているのだろう。

 

「マンクスマン」が回頭し始めた頃、一発が「名取」に命中する。

艦橋が小刻みに震え、炸裂音が艦上に轟く。

深海棲艦の陸上砲台は、水上打撃部隊との砲戦に撃ち負けつつあったが、依然砲撃を続けている。

生き残った砲台から放たれた敵弾が、新たに「名取」を傷つけたようだ。

 

やがて「名取」は鋭い舳先を右に回頭させた。

面舵に転舵したことにより、今まで左前方に見えていたコレヒドール島が死角に入る。

 

「第五駆逐隊、面舵。続いて第二十二駆逐隊、面舵」

 

後部艦橋に詰めている見張員から報告が入る。

両駆逐隊もと一隻づつの駆逐艦を失っているが、戦意は旺盛なようだ。ひるむことなく、旗艦に追随して回頭する。

 

全艦が斜め単横陣に移ったことを確認したのだろう。「エコー1」こと「アブディール」の艦橋に発光信号の閃光が光った。

 

「『エコー』より発光信号。『敷設開始』」

 

「五水戦、敷設作業始め」

 

信号を読み取った見張員の報告を聞いた直後、原はゆっくりと命じた。

 

「機関、回転制定!」

 

「敷設開始!」

 

原の命令を聞いた九条航海長と佐々木艦長が、それぞれの伝声管に怒鳴り込む。

今頃、艦尾のレール上で待機していた一号機雷が、水雷長の号令で投下開始されていることだろう。

 

「名取」には、四十八個の機雷を搭載できる設備があり、場合によって「駆逐艦を先導する水雷戦隊の旗艦」から、「自らの武装で敵の妨害を排除しつつ、機雷を投下できる高速敷設艦」に早変わりすることができるのだ。

 

それは、後続する神風型、睦月型も同じである。

 

この両型も一号機雷を搭載し、敷設できる性能を有している。さらには小改装で、通常十六個のところを三十二個の機雷を搭載できるようにバージョンアップされていた。

犠牲として、第三砲塔と二基の魚雷発射管を下ろすことになり、駆逐艦としての能力は著しく低下していたが、今回の作戦にはおあつらえ向きな改造だった。

 

 

マニラ湾口に大量の機雷を敷設し、湾内の敵艦隊を閉じ込める。

同時に、問題となっていた深海棲艦の潜水艦部隊の母港を使用不能にし、極東での通商破壊を不可能にする。これがこの“セントラル・ガード”作戦の格子だ。

普通ならば、海戦の主役となる駆逐艦部隊は第一から第四の水雷戦隊だが、この米アジア艦隊考案の作戦では、旧式駆逐艦で編成された五水戦や六水戦、仮設の七水戦などの裏方部隊が真の主力だった。

 

 

その作戦の要、真の主力とも言える部隊は、一定の速度でサウス海峡を針路100度に従って進み、機雷を敷設してゆく。

 

敵の砲台からの砲撃は、未だ止まない。

 

米英水上打撃部隊の砲撃で少なからずの被害を受けているのだろう。飛来する砲弾の量は減っていたが、常に三、四本の水柱が周辺に奔騰する。

 

この時、一筋の汗が原の首筋を通った。

 

現在、「名取」の艦尾には四十個以上の機雷が並べられており、敷設されるのを待っている。

もしもここに一発でも敵弾が命中すれば、大量の機雷が一斉に誘爆し、5500トン級軽巡などひとたまりもないだろう。

 

機雷を敷設するために、速度を落としていることに加え、島との距離は最初と比べものにならないほどに近づいている。敵弾の飛来する数が減っているとはいえ、敵弾の命中率は上がっていると思われた。

 

 

左前方に見える「マンクスマン」の後部に閃光が走る。

 

その瞬間、原の心臓は跳ね上がった。

被弾した箇所は後部だ。もしも機雷庫に食らっていたら「名取」以上の数が搭載されている機雷が誘爆してしまう。

 

原は固唾を飲んで見守るが、五秒、十秒たっても大爆発は起こらない。「マンクスマン」の後部には小規模な火災が揺らめいていたが、機雷誘爆という最悪の事態は回避できたようだ。

 

それを見て胸をなでおろした刹那、敵弾が艦橋正面の第二主砲に直撃する。小さい箱型の砲塔は基部をえぐられ、砲員と共に右舷側の海面に落した。

 

さっきの被弾以上に艦橋が震え、原はたまらず羅針盤の手すりに手をかけた。

 

「第二主砲被弾!」

 

物見櫓のようなマストの上部に位置している射撃指揮所から、砲術長の高波蔵治郎(たかなみ くらじろう)中佐の報告が入る。

敵弾は、一発が「名取」に命中し、火力の六分の一をもぎとったようだ。

 

だが、現在に至るまで敷設設備にも、推力機関にも、損傷はない。

今のところ、敷設を断念するほどの被害は受けていないのだ。

 

 

「エコー」は、ひたすら敷設作業を続ける。

 

周辺には、コレヒドール島から飛来した敵弾が上げる水柱が途切れることなく発生し、漆黒の海面をたぎらせ、艦艇をあおる。「エコー」自体も、持っている自衛火力振りかざし、敵に撃ちまくる。

 

隊列の右一万四千メートルに展開している戦艦「ノース・カロライナ」や「プリンス・オブ・ウェールズ」を中心とした水上打撃部隊からは、支援の砲撃が絶え間なく発射される。

 

 

今や、マニラ湾口南西の海域は戦いの渦中だった。

 

途切れることなく雷鳴のような砲声が轟き、被弾した艦は艦上に爆炎を躍らせ、暗闇にその姿を浮かび上がらせる。

島に着弾した外れ弾は、何もないところで炸裂し、土砂を撒き散らす。

四十センチ砲弾や二十センチ砲弾の直撃を受けた深海棲艦の陸上砲台は、台座ごと爆砕され、砲身をへし折られ、大きく引き裂かれる。

 

「機雷敷設、残り半分!」

 

敷設し始めてから十五分ほど経過した時、艦内電話を握りしめた佐々木艦長が報告する。

それに「了解」と返しつつ、原は双眼鏡をマニラ湾へと向けた。

 

丸い視界内には、噴き上がる水柱と、発射炎で浮かび上がっているコレヒドール島の稜線、その先のマニラ湾が見えている。

発射炎などの光源がないからだろう。マニラ湾の内側は暗闇に包まれており、しっかりと視認することができない。

 

原は無理だとわかりつつも、未だに統合任務艦隊JTFの前に姿を現していない敵艦隊を探した。

マニラ湾を根城にしている深海棲艦極東艦隊は、戦艦五隻を有しているという。そのようなJTFに引けを取らない戦力の敵が、未だに湾内に逼塞していることが府に落ちなかった。

 

だが、視界範囲を左から右まで覗いたが、そのようなものは見当たらない。

 

やっぱり見えないか…と思い、原は両目から接眼レンズを離なす。

 

 

ちょうどその時、「名取」艦橋の右舷側から、鈍い閃光が差し込み、数秒後、砲声に紛れて遠雷のような炸裂音が響き渡った。

 

「?」

 

原は疑問に思い、艦橋の右側に首をひねった。

 

原の目に写ったのは、海上に揺らめく火焔と、それに照らされる巡洋艦とおぼしき艦影だった。

 

鈍い閃光は、連続する。

 

巡洋艦と思しき艦影の後方で同様な閃光が複数走り、やや遅れてなにかが破裂したような轟音が響き渡った。

 

 

JTFの主力、水上打撃部隊がいる方向だった。

 

 

 

第五十三話「挺身戦隊突入」

 




感想あったら遠慮なくどーぞー


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第五十四話 背後の海狼


『カ級潜水艦』

深海棲艦が保有する攻撃型潜水艦の仮名称。3月17日を皮切りに、ハワイ周辺の中部太平洋や東シナ海、南シナ海、ベーリング海を含む北太平洋などで出現が確認されており、通商破壊で人類に大きな痛打を与えている。
基本的に単艦、または二、三隻で行動しているが、3月17日の米船団と6月24日の第二艦隊は、二十隻以上と思われるカ級に襲われているため、大集団で行動することもあるようである。
性能的には不明な点が多いが、艦首に複数の魚雷発射管を備えていることや、潜望鏡で目標艦を視認することは、人類の潜水艦と重なるところである。










1

 

最初に異変に気付いたのは、水上打撃部隊の左側、すなわちマニラ湾の南西方向に展開しているアメリカ海軍第十三駆逐隊(DDG13)の「イングラハム」だった。

 

DDG13はリヴァモア級駆逐艦四隻で構成された部隊であり、指揮下に「イングラハム」のほか「プランケット」「モンセン」「ラドロー」を有している。

海戦の主戦場はもっぱら水上打撃部隊の右側で繰り広げられているため、DDG13は直接の戦闘に参加できず、黙々と左側海域の警戒に当たっていた。

 

 

「ソナーコンタクト。方位220度から250度」

 

そんな中「イングラハム」艦橋にソナー室から報告が入る。

 

それを聞いてDDG13司令のクロード・カーライル大佐は、「イングラハム」艦長のウィリアム・ヘインズワーズ・Jr.少佐と顔を見合わせた。

方位220度から250度は、戦局が集中しているマニラ湾口とは全くの反対方向である。

二人は、そのことに少しの疑問を感じたのだ。

 

「距離は?」

 

「不明です」

 

「数は?」

 

「不明です」

 

ヘインズワーズは立て続けにソナー室に聞くが、「不明」の返答が返って来るばかりだ。

 

「聞こえたのは確かか?」

 

ヘインズワーズはさらに質問する。

 

現在、DDG13のすぐ隣には、水上打撃部隊の戦艦六隻、巡洋艦十隻、および無数の駆逐艦が航行している。海中は、大量の味方艦が轟かせるスクリュー音で凄まじい有様であろう。

そのような状態で、本当に聞こえたのか?聞き間違いではないのか?という気持ちが、ヘインズワーズにはあるようだ。

 

「微弱でしたが、確かに聞こえました」

 

ソナー員はやや焦るように言った。

もしも自分が聞いたものが本当ならば、方位220度から250度の海域に、なんらかの敵が存在しているということになる。

早く対応しなければ…という気持ちが、ソナー員にはあるようだ。

 

「水上艦か潜水艦、どっちだ?」

 

次は、カーライル自身が聞いた。

ヘインズワーズを介するよりも早く情報を得れると判断したからである。

 

「スクリュー音ではありませんでした。気泡のような音だったので、おそらく排水音でしょう。となると………潜水艦です」

 

ソナー員は少しの沈黙の後、答えた。

 

「潜水艦か…」

 

カーライルは腕を組み直し、数秒間思案する。

やがて考えが至ると、顔を上げ、凛とした声で口を開いた。

 

「DDG13全艦、対潜戦闘。JTF全部隊に『敵潜発見』を警告せよ」

 

カーライルが命じた直後、艦橋要員は素早く行動を開始する。

 

アンテナからJTF旗艦の「ノース・カロライナ」に素早く警報が飛び、艦内ではけたたましくブザー音が鳴り響き、警報灯が艦内を赤く染める。

艦尾の爆雷投射機には水兵が取り付き、艦底部のソナー室に詰めているソナー員はヘッドホンに全神経を集中させる。

 

「『ナイト14』よりDDG13全艦。『ナイト15』は本艦に続け。『ナイト16、17』は針路250度に変針。敵潜を発見しだい攻撃、撃沈せよ」

 

「艦長。『イングラハム』の針路は220度だ」

 

カーライルは隊内電話を握りしめ、「ナイト15、16、17」こと、指揮下の駆逐艦に指示を飛ばし、次いでヘインズワーズ艦長に言った。

 

「了解。取舵一杯、針路220度!」

 

ヘインズワーズは軽く頷くと、航海長のウェイブ・カークス少佐に命じる。

 

ソナー員は「排水音がしたのは方位220度から250度」と言っている。

二隻ずつの駆逐艦を、敵潜がいると思われる海域の左右に展開させ、敵を挟み撃ちにしようという魂胆だ。

 

 

数秒後、「イングラハム」は左へ回頭し始める。

 

それは、他のDDG13所属艦も同じである。

 

見張員から、

「『プランケット』本艦に後続。『モンセン』『ラドロー』針路250度に変針」

の報告が上がった。

 

左へ回頭し始めたため、右に見えていたJTFの単縦陣が死角に入り、それに変わって、正面に南シナ海が広がり始める。

 

砲の発射光が届かないため、南シナ海は暗黒の海域だ。水平線と夜空の違いも分かりづらく、空に光る星がなければ完全なる闇の世界である。

星の明かりで、辛うじて艦橋正面の主砲、艦首はぼんやりと見ることができるが、海面は闇に沈んでいて見ることはできない。

 

だが、この暗黒の海面下に獰猛な海狼が潜んでいるのだ。

早く仕留めなければ、JTF主力が魚雷攻撃を受ける。

 

そう考えると居ても立っても居られない思いだが、カーライルは冷静に思考を巡らせた。

 

「2分後、速力を10ノットまで落とせ」

 

「2分後、速力を10ノットまで落とします」

 

カーライルが命じると、カークス航海長は左手の腕時計を見ながら復唱する。

現在、「イングラハム」は最大戦速で突き進んでいるが、これでは自らのスクリュー音でソナーの効果を阻害させてしまっている。

のちに速力を落とすことで、ソナーの効力を最大限に発揮させようと考えたのだ。

 

カースク航海長が、2分後に減速することを機関室に伝えている時、レーダーマンが切羽詰まった声で報告を上げた。

 

「レーダーに感。正面および右前方、数二、距離2000ヤード!」

 

「なんだと⁉︎」

 

それを聞いて、カーライルは反射的に聞き返す。

 

対水上レーダーに反応したとなると、敵の正体は水上艦ということになる。敵の正体は潜水艦だと当たりをつけていたカーライルにとって、予想外の報告だ。

 

敵艦隊は、JTFがマニラに近づくのを待って、背後にも艦隊を待機させていたのか?…敵艦隊がなかなか姿を現さないのは、挟撃を狙っていたからなのか?という憶測が、カーライルの脳裏を飛び交った。

 

そんな中、レーダーマンは新たな続報を報告する。

 

「二つの反応とも、反射波は微弱です。哨戒艇や駆潜艇ほどの大きさだと考えられます」

 

「哨戒艇や…駆潜艇?」

 

ヘインズワーズ艦長が首をひねった。

深海棲艦は一体何がしたいのか、と言いたげな表情だった。

 

「探照灯、照射開始。目標、正面の正体不明艦(アンノーン・シップ)

 

カーライルは数秒間思案したのち、口を開いた。

このままでは、敵の正体がわからず、戦いようがない。まずは、敵の正体をハッキリさせる必要があった。

 

カーライルの命令は素早く実行され、視界の右側から「イングラハム」正面の海域に向け、一筋の光芒が伸びる。

光芒は海面を舐め回すかのように巡らされたのち、一点で止まった 。

 

光芒に捉えられ、海上にその姿を浮かび上がらせる角ばった物体が、カーライルの目に映った。

 

肉眼ではそれ以上のことは分からない。

 

カーライルは双眼鏡を向け、その正体をまじまじと見つめた。

 

「やはり…」

 

波によって見え隠れしている細長い艦体、艦体の中央部に小さく乗っている司令塔、そこから天に伸びる数本の潜望鏡…。

 

「潜水艦か…」

 

カーライルは素早く接眼レンズを額から離し、ヘインズワーズ艦長に顔を向ける。

 

「主砲、発射準備。目標、正面の浮上中の敵潜水艦!」

 

艦長も、光芒によって照らし出されたものの正体を理解したのだろう。早口で怒鳴った。

 

「『プランケット』より入電。“我、右ノ敵潜ヲ砲撃ス”」

 

「CICより艦橋、新たな敵潜を探知。本艦の真左、1500ヤード!」

 

砲撃準備が急がれる中、通信士とレーダーマンが矢継ぎ早に報告する。

敵潜は、前方の二隻だけではないようだ。浮上中のだけでも、あと一隻はいるらしい。

 

「見張員、魚雷攻撃に備え。近づいて来る雷跡を見逃すな!」

 

カークス航海長が見張員に注意をした直後、「イングラハム」は射撃を開始し、後方の「プランケット」も続いた。

近距離の目標を砲撃するためだろう。二基の12.7cm(五インチ)単装砲の砲身は水平近くにまで倒されており、その二門の砲身から二発の砲弾が発射され始めた。

発射されるたびに鋭い砲声が響き渡り、カーライルの鼓膜を震わせる。

 

 

発砲から着弾まで、数秒と経たない。

 

発射した直後には、敵潜の周辺に水柱が上がっている。

 

一射目は敵潜の細い船体を飛び越え、二射目は、手前に落下して敵潜の姿を水柱がさえぎる。

 

命中弾は、第三射で得ることができた。

二射目の水柱が引いた刹那、二発の12.7cm砲弾が立て続けに敵潜に命中する 。

 

一発目は波で見えたり見えなくなったりしている船体を大きくえぐり、二発目は司令塔を直撃した。

数本の潜望鏡が回転しながら宙を舞い、真っ赤な爆炎が躍る。

無数の破片がばら撒かれ、暗黒の海面を鈍い赤が照らし出した。

 

刹那、気泡を出しながら、直撃弾を受けた敵潜は海中に沈んでいく。

潜航しているわけではなく、沈没したようだ。

 

「目標変更、左正横の敵潜!」

 

ヘインズワーズ艦長が素早く動く。

 

艦橋正面の12.7cm単装砲二基が、軽快な駆動音とともに左に旋回し、射撃を再開する。

艦橋左側の探照灯が新たに点灯し、三隻目の敵潜の姿を、暗闇から浮かび上がらせた。

 

先の射撃に参加していなかった後部三基の単装砲も、砲撃に参加している。発射される弾数が多い分、命中弾を出すのは早いと思われた。

 

だが左正横の敵潜は周囲を気泡で泡立せ、潜航に入ろうとしている。

残り二十秒間もしないうちに、海中という主砲で手出しができない領域に逃げ込んでしまうだろう。

 

五基の単装主砲は、「そうはさせん」と言わんばかりに吼え哮り、五発ずつの砲弾を撃ち込み続ける。

 

(ダメか…?)

 

内心でカーライルが諦めかけた時、一発が敵潜の司令塔に命中し、敵潜唯一の上部構造物を跡形もなく消し飛ばした。

 

「オーケイ…!」

 

司令塔を爆砕された敵潜は、何もなかったかのように海中へ姿を消すが、致命傷を受けたのは間違いない。浮上することは、もう二度と無いだろう。

 

「イングラハム」同様、「プランケット」も撃沈に成功する。

“我、敵潜撃沈ス”の電文が、艦橋に上げられた。

 

 

「減速しますか?」

 

「イングラハム」が二隻目の敵潜を仕留めた後、カークス航海長が聞いてくる。

カーライルははじめ、カークスが何を言っているかわからなかったが、自分がした命令か……と思い出し、軽く頷いて肯定の意を伝えた。

 

機関の出力が下げられ、「イングラハム」は10ノットに減速する。

艦の鼓動が弱まり、艦首が波を切り裂く音が聞こえなくなる。

 

(どうだ…?)

 

一筋の汗が額をつたる中、カーライルは暗黒の海面を見下ろした。

 

カーライルの肉眼が潜航中の敵潜水艦を捉えることはないが、その海面下に敵潜がいると思うと、言葉にできない不快感が込み上げて来る。

先の砲撃で、こちらの位置は敵にバレているだろう。今にも魚雷が向かって来るのではないか……という張り詰めた空気の中、不気味な静寂が、周囲を包み込む。

 

 

 

「ソ、ソナーコンタクト!」

 

 

 

それを破って、ソナー員の切迫した声が飛び込んだ。

 

「敵潜三隻を確認。いや、四…五………七隻います。本艦よりの方位45度に三。330度に四!距離2200ヤード!」

 

その報告に、艦橋内に衝撃が走る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

戦いは、まだ終わらない。

 

 

 

 

 

第五十四話「背後の海狼」

 

 




春ですねぇー


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第五十五話 再びの地獄


wowsスマホ版を出たんでやってるんですけど…。
おもろいわぁ


1

 

「イングラハム」含むDDG13が、敵潜水艦数隻と渡り合っている頃、すでに三十本以上の魚雷が統合任務艦隊の隊列に迫っていた。

 

戦闘の焦点はマニア湾方面となると考えられていたため、ほとんどの駆逐艦が隊列右側に置かれており、水上打撃部隊の左側に展開している駆逐隊はDDG13の四隻のみである。

DDG13は孤軍奮戦し、敵潜三隻を撃沈したが、いかんせん敵の数が多く、魚雷発射を許してしまったのだろう。

深海棲艦の魚雷は航続距離が酸素魚雷に匹敵し、打撃力もそれに迫るものがある。

唯一の救いは雷跡を残し、発見が容易だということだけだが、今の状況から見れば気休め程度でしかない。

 

だが、あらかじめ「イングラハム」から敵潜の警報を受け取っていたからだろう。各艦の動きは素早かった。

 

「プリンス・オブ・ウェールズ」の艦橋からは、米アジア艦隊の各艦が時間差をおいて一斉に左に回頭する様が見える。

夜になれた目は、左へ身を捻らせる米艦隊の後ろ姿をしっかりと捉えていた。

水上打撃部隊の先頭に位置している「シカゴ」以下巡洋艦五隻が真っ先に艦首を左に回頭させ、後続する戦艦部隊ーーーノース・カロライナ級、コロラド級各二隻も遅れじとその巨体を左へと誘う。

 

ちょうどその時、「プリンス・オブ・ウェールズ」も左に回頭し始める。

英東洋艦隊Z部隊司令官のトーマス・フィリップス大将が「Z部隊全艦、取舵一杯。魚雷が来る!」を命じてから一分半ほどの時間を開け、基準排水量三万七千トンの巨体は が回頭を開始したのだ。

 

「『クイーン2』取舵!『ビショップ1、2』取舵!」

 

後方を追走する巡洋戦艦「フッド」も、さらにその後ろを続くロンドン級重巡も、魚雷を回避すべく取舵に転舵する。

 

 

「やはり仕掛けていたか。罠を」

 

フィリップスは顔を引きつらせながら呟いた。

 

深海棲艦は、大量の潜水艦をマニラ湾沖の海底に鎮座させ、JTFの接近を待っていたに違いない。

水上打撃部隊は、挺身戦隊群の機雷敷設を支援するため、マニラ湾に肉薄しなければならない。敵艦隊が湾内に閉じこもっているとなれば、なおさらである。

深海棲艦がこちらの“セントラル・ガード”作戦の全容を知っていなくても、JTFがマニラ湾に近づくことは容易に想像できるだろう。

 

深海棲艦は、それを背後から潜水艦で襲わせることによって部隊の退路を断たせ、かつできる限りのJTF艦艇を撃破しようという魂胆のようだ。

 

 

「そうはさせんぞ、ディープ・フィッシュ」

 

 

フィリップスは、多数の魚雷が向かってきているだろう暗闇の海面を見下ろしながら、吐き捨てるように深海棲艦の蔑称を言った。

 

マニラ湾口への機雷敷設は、被害を出しながらも予定通り進んでいる。この敵潜からの攻撃さえ軽い損害でしのげば、閉塞される湾内に位置している深海棲艦アジア艦隊は、湾外に出ることができず、戦わずに無力化することができるのだ。

 

(ここを切り抜ければ、より完璧な形で"セントラル・ガード作戦は完了する。いや、させる!)

 

フィリップスは目に炎をたたえ、決意を新たにしていた。

 

 

「舵中央!最大戦速!」

 

艦長のジョン・リーチ大佐が指示を飛ばす。

その命令により舵が中央に戻され、「プリンス・オブ・ウェールズ」の回頭は緩やかになり、やがて直進になる。

それと同時に機関出力が上げられ、二十一ノットから最大の二十八ノットに増速される。

 

水上打撃部隊で米艦隊と隊列を組んでいる時、隊列全体の速力は一番遅いコロラド級戦艦に合わせなければならず、二十一ノットで統一しなければならなかった。

コロラド級のような鈍足戦艦を組み込むことによって、ノース・カロライナ級二隻や「プリンス・オブ・ウェールズ」、巡戦「フッド」の高速性は失われてしまうが、戦艦戦力を敵艦隊と同等にするためには致し方ないことだったのだ。

 

だが、魚雷回避のために隊列を解かれた今、律儀に二十一ノットを守る義理はない。

足かせを外された「プリンス・オブ・ウェールズ」は、中世の古城のようなガッチリとした艦橋で、向かい風を真っ向から受け止めながら海上を疾駆する。

艦首に砕かれ、飛び散った水滴が艦橋にまで降りかかり、窓に斑点を形成する。

暗闇のため判別はつかないが、深海棲艦によって汚染されてしまった黒々とした海水が、窓にこびりついているのだろう。

 

「正面より雷跡近づく!数、視界内に四本!」

 

フィリップスの意識が窓から敵魚雷に戻った時、艦橋見張員が報告する。

フィリップスは正面海域を凝視した。

確かに、見える……。夜間という黒と、汚染海水という黒。その両方に塗り潰されそうになってはいるが、明らかに雷跡と思われる白いラインを四つ、確認することができた。

 

お互い接近する針路なため、近づくのは早い。

気づいた時には、魚雷はすぐ手前まで迫っていた。

 

「『ルーク1』被雷!『ルーク4』被雷!」

 

「『キング3』被雷!」

 

「『キング2』被雷!』

 

見張員が悲鳴じみた声で報告する。

フィリップスは顔を引きつらせた。

 

東洋艦隊より先に変針し、敵魚雷と相対していた米艦隊に魚雷群が到達したのだ。

被害は覚悟していたが、まさか瞬時に「ルーク1、2」こと重巡「シカゴ」、軽巡「フェニックス」と、「キング2、3」こと戦艦「ワシントン」「ウェスト・バージニア」が被雷するとは思っていなかった。

 

「魚雷近い!二本直撃(コリジョン)コース!」

 

フィリップスは首にかけているロザリオを握りしめ、運命の瞬間を待つ。艦首の影に、時間差で雷跡が入るのが見えた。

 

神よ(マイゴット)……!」

 

フィリップスが天を仰いだ時、凄まじい衝撃が艦首から突き上がり、巨大な水柱が噴き上がった。

 

 

 

2

 

JTF旗艦の戦艦「ノース・カロライナ」の艦橋では、同艦隊司令官のレイモンド・スプルーアンス少将が立ち尽くしていた。

 

先程上がってきた艦橋には、ひっきりなしに味方艦の被害が飛び込んでくる。

戦艦では「ワシントン」が三本、「ウェスト・バージニア」と「プリンス・オブ・ウェールズ」が各一本の魚雷を艦首に受け、大破した。

 

そのほかにも、以前まで米アジア艦隊の旗艦であり、スプルーアンスも乗艦していた「シカゴ」、その後方を進んでいた「フェニックス」が敵魚雷を喰らい、停止して炎上している。

 

「バカな……俺は、二度までも…」

 

スプルーアンスは立ち尽くし、そんな渇いた声しか出せない。

唖然とした表情で、空中の一点をただただ見つめていた。

 

「司令!スプルーアンス司令!」

 

そんな中、参謀長のカール・ムーア大佐がスプルーアンスの両肩を掴み、激しく揺らす。

 

「戦艦は何隻かやられましたが、まだ本艦も、『コロラド』も『フッド』も、巡洋艦も多数が残っています!戦いはまだ終わっていません!」

 

ムーアは力の限り大きな声で言い、それに続いて他の参謀から「勝機はまだあります!」や「やってやりましょう!」という声がかけられる。

 

スプルーアンスはそれでも数秒間沈黙していたが、やがて制帽を深く被り、大きく息を吐いた。

 

「皆、すまない」

 

そう短く言い、顔を上げる。

その顔は、さっきまでの後悔に満ちた苦渋の表情ではなく、艦隊司令官の男らしい顔になっていた。

そして艦隊内電話を手に取り、口を開く。

 

「『サクリファリス』より全艦。艦隊隊形を再編する。艦隊針路310度。米艦隊と英艦隊は別個に変針せよ」

 

スプルーアンスは命じた。

アメリカとイギリスは、魚雷回避のための緊急回避でバラバラの有様だ。

ここはそれぞれの艦隊ごとに針路を戻すことで、混乱を戻そうという考えだ。

 

 

水上打撃部隊の各艦が針路を310度に戻すために取り舵を切っている頃、通信室から敵情が飛び込む。

 

「『エコー3』より入電。“マニラ湾内ノ敵艦隊。始動セリ”です!」

 

「やはり、来たか…」

 

参謀達のどよめきが広がる中、スプルーアンスは冷静に言うのだった。

 

 

 

 

 

第五十五話「再びの地獄」

 

 

 

 





最近更新が間延びしてますが許してください!

定期テストが近くて…もしも下手したら数学A単位落とすんですよ(涙)


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第五十六話 敵艦隊始動せり

はぁー。もう高校に入学してから一年か…。
歳を重ねるごとに一年がどんどん短くなってるなー


1

 

「奴ら…潜水艦の雷撃を待ってたな」

 

第二挺身戦隊群(エコー)所属第五水雷戦隊司令の原顕三郎少将は、「名取」の艦橋からマニラ湾を見ながら言った。

 

作戦の開始以来、マニラ湾内に逼塞していた深海棲艦極東艦隊は、一向に動き出す気配がなかった。

それは、挺身戦隊群が機雷敷設を開始しても、JTFが接近して陸上砲台と撃ち合っても、同じである。

JTFの誰もが、深海棲艦の消極性に首をひねっていた事だろう。

 

その消極性の理由は、背後からの潜水艦攻撃を待っていたからだったのだ…。

 

「水上打撃部隊は、未だに潜水艦攻撃の混乱から立ち直っていません。今火蓋を切られたら少々厄介ですね」

 

そんな中、原の隣に立つ参謀長の加倉井義弘(かくらい よしひろ)大佐が憂悶の表情を浮かべながら言った。

 

“マニラ湾ノ敵艦隊始動セリ"の電文は、既に発進していた水上偵察機から届けられており、JTF司令部にも転送済みである。

だが、魚雷攻撃を受けた米英の水上打撃部隊の隊列は、艦艇各々で回避行動をとった影響もあって、やや分裂気味の状態だ。

さらにその中には被雷して停止したり、速力が低下している艦もいるため、なお始末が悪い。

混乱から立ち直るには、もう少し時間が必要であり、その最中を攻撃されたら、いかにJTF本隊と言えど危うい。と加倉井は言っているのだ。

 

「水上打撃部隊に対して、我々ができることはない。同部隊が混乱から立ち直り、早急に敵艦隊迎撃の準備を整えらるよう…祈るしかない」

 

その言葉に対して加倉井が何かを言おうとしたが、原は「だが…」と遮り、言葉を続けた。

 

「敵艦隊への時間稼ぎは可能だ。五水戦は現海域に留まり、敷設巡洋艦の機雷敷設を援護する。機雷原の構築が完了すれば、少なからずの足止めにはなるだろう」

 

すでに第五水雷戦隊は機雷敷設を終了させており、英敷設巡洋艦「アブディール」「マンクスマン」の作業完了を待っている。

今、第五水雷戦隊はその二隻を援護する位置につき、敵艦隊の接近を待ち構えているのだ。

 

(それだけではないがな…)

 

原は口中で呟いた。

五水戦の位置は、海峡のほぼ中央である。

敵艦隊が接近してきたら、真っ先に狙われる位置だ。

 

五水戦を海域に留めさせたのは英敷設巡洋艦を支援する目的もあるが、敵艦隊にあえて五水戦を砲撃させて火力を吸収し、水上打撃部隊のための時間を稼ぐのも目的の一つだった。

ここではあえて口に出さなかったが、加倉井は薄々気づいているようで、黙って一礼する。

「お伴します」と言いたげな表情だった。

 

一番最初に砲火を交えるのは俺の戦隊になりそうだ……と、原は呟き、小さくため息をついた。

 

 

その予想は、数分後に現実のものになる。

 

 

 

見張員が「敵艦視認!」を報告した直後、マニラ湾内にめくるめく閃光が走り、同時にタ級戦艦やル級戦艦の姿を、暗闇からありありと浮かび上がらせた。

 

二十秒ほどの間を置いて、敵弾が飛翔してくる。

 

「衝撃に備え!」

 

「名取」艦長の佐々木静吾大佐が骨太な声で叫び、それに従って乗組員のほとんどが手すりや近くの壁に手をついて身体を支えた。

 

その数秒後、原が目を見開いた刹那、「名取」正面の海面が大きく盛り上がり、爆発した。

次いで、艦橋を優に超える高さの水柱が、高々とそそり立った。

 

原は目でその頂を追ったが、艦橋からの視界内に収まらないほど大きく、すぐに見えなくなった。

 

「名取」は、その水柱に突っ込む形となり、鋭い艦首が巨大な水柱を突き崩し、大量の海水が「名取」の甲板を、主砲を、艦橋を、マストを、叩く。

艦は波と衝撃で大きく揺れ、艦の奥底から悲鳴のような叫喚が響き渡った。

あたかも、艦が巨弾の衝撃に耐え切れず、悲鳴を上げているようだった。

 

「機関室浸水!」

 

「第一主砲の砲員、波にさらわれました!」

 

随所から、やや恐怖状態の被害報告が上げられる。

 

「タ級の………四十センチ砲か……!」

 

汚染海水の異臭が立ち込める中、原はかすれる声で言った。

艦底部からの爆圧、噴き上がった海水の量、発生した波の大きさ、どれをとっても深海棲艦最強の艦砲ーーータ級の四十センチ砲ものだ。

 

今回は一発だけが至近弾になったようだが、これが二、三発来たら…と考えるだけでもおぞましく、直撃弾を食らった暁には「名取」のような5500トン級軽巡などバラバラになってしまうだろう。

 

「復旧作業に全力を尽くせ」

 

とのみ原は命じた。

射程距離内に敵がいないために反撃命令も下せず、被害対処の担当は副長であるため、指示することが少ないのだ。

 

「『名取』一号機より入電。“敵艦隊、巡洋艦八、戦艦五。駆逐艦ハ確認デキズ。コレヒドール島ヨリノ方位60度。距離二〇〇(フタマルマル)。敵艦、湾外ヲ目指シツツ有リ”です!」

 

水柱が引いた頃、通信長が水偵からの電文を報告する。

 

敵艦隊は、JTFとの戦端を開くべく、湾口を目指しているようだ。

敵駆逐艦の位置が不明なのが気がかりだが、おそらく戦艦や巡洋艦に付き添い、共に前進しているのだろう

「名取」を砲撃してくるのは、そんな戦艦の一隻だ。

 

そんな中、タ級の第二射弾が轟音とともに飛来した。

 

再び大気が激しく鳴動し、音の波動が窓ガラスをピリピリと振動させる。

敵弾が空気を切り裂く音は次第に増大し、やがてそれ以外の音が聞こえなくなる。

飛翔音は、頭をかきむしりたくなるような威圧感のある音だ。

精神に直接響き渡り、自分の勇気などどこかに吹き飛んでしまうような気さえする。

 

だが原はそれに耐え、二度目の着弾の時を待った。

 

轟音が途切れた瞬間、左前方の海面が奔騰し、水柱を吹き上げさせた。

水中爆発の衝撃が艦底部から突き上がり、発生した波浪で「名取」の艦体は右に仰け反る。

艦橋内の全員がよろけ、数名が転倒する。その直後には振り戻すかのように艦首が沈み、艦が前のめる。

 

「『アブディール』至近弾!」

 

「『マンクスマン』より信号。“我、砲撃ヲ受ク”」

 

艦橋見張員と信号員が、艦の揺れに耐えながら報告した。

 

敵艦隊は、「エコー」の巡洋艦三隻を見抜き、それぞれに一隻づつの戦艦を割り当てているようだ。

敵の戦艦数は五隻のはずだから、二隻余る。

残った二隻は、「エコー」の左右に展開している「デルタ」と「フォックス」に対して砲撃を実施しているのだろう。

 

その結論に至った原は不敵な笑みを浮かべ、ニヤリと口角を上げた。

深海棲艦は、マニラ湾口の海峡上に展開している人類の小部隊を脅威とみなし、砲撃している。

敵艦隊は、原の目論見通りに時間稼ぎに乗ってきたのだ。

 

 

三回目の発射炎が湾内にきらめき、タ級戦艦のガッチリとした艦橋と、ル級戦艦の特徴的な三脚マストが暗闇に浮かび上がる。

 

発砲した瞬間、湾内は昼間のように明るくなり、星の光を薙ぎ払い、周辺の巡洋艦や駆逐艦と思われる艦艇をも照らしだす。

やや間を開けて、立て続けに重々しい発射音が湾内に響き渡った。

 

 

巨弾が飛来する。

 

 

大気の鳴動は「名取」の頭上を左から右へ通過し、右後方に着弾した。

後ろから蹴飛ばされるような衝撃が襲いかかり、艦が大きく軋む。

 

(大丈夫。まだ大丈夫だ…)

 

後方にそそり立った極太の水柱を見ながら、原は胸中で独語した。

 

敵戦艦の打撃力は凄まじいが、夜間20kmも離れた目標を砲撃しているためだろう。命中精度はよくない。

「名取」が直撃弾を受けるとしても、もう少し後になるだろう。

その間に敷設巡洋艦が作業を終え、水上打撃部隊が混乱から立ち直れば、こちらの勝ちだった。

 

だが精度が悪いとは言え、一発でもタ級戦艦の主砲弾を「名取」が喰らえば、それは沈没を意味する。

今やっていることが、一歩間違えると骨も残らない死を迎える危険極まりない綱渡りであることも、同時に理解していた。

 

 

「敵駆逐艦を視認。左正横、距離八〇(ハチマル)(約八千メートル)!」

 

四回目の巨弾が迫っている頃、艦橋見張員が報告する。

それを聞いて、原は湾内を凝視した。

 

見張員は、夜間でも夜目が効くように訓練されている。

第一次、第二次ルソン島沖海戦でもその能力は如何なく発揮され、艦隊の勝利に貢献していた。

しかし。そのような訓練を受けていない原にとっては、夜間八千メートル先のものを見ることはできない。

 

原が小さく舌打ちした時、左側の空中で光源が点灯し、そのおぼろげな光が海面を照らし出した。

おそらく、敵艦隊の動向を監視していた水偵が、吊光弾を投下したのだろう。

そのマグネシウムを焚いたような白色の閃光は、ゆっくりと風にあおられながら高度を落とし、接近中の敵駆逐艦を薄っすらと浮かび上がらせた。

 

「目標、敵駆逐艦。五水戦全艦、射撃開始」

 

「主砲、撃ち方始め!」

 

原が命じた直後、佐々木艦長が射撃指揮所に通じる伝声管に怒鳴り込む。

 

すでに照準を合わせていたのだろう。

佐々木が言った刹那、腹に応える発射音が轟き、周囲の暗闇を一閃させる。

「名取」は破壊された第二主砲塔以外の主砲五基を、敵駆逐艦に向けて撃ち始めたのだ。

 

「『エコー1、2』射撃開始」

 

「第五駆逐隊、射撃開始。続いて第二十二駆逐隊、射撃開始」

 

見張員から、他の「エコー」隊所属艦も射撃を開始した旨、伝えられる。

「名取」の左前方には、断続的に砲門に発射炎を閃らめかせている「アブディール」と「マンクスマン」の後ろ姿が見え、後方からも十二.七センチ砲の鋭い砲声が届く。

死角で見えないが、「名取」の右後方を続く「朝風」「春風」「旗風」「皐月」「水無月」「長月」の六隻も砲撃を開始している。

 

現在、二隻の敷設巡洋艦は自らを守るために、五水戦はその二隻の作業を援護するために、全力射撃を開始したのだ。

 

 

そんな果敢な反撃を押し戻すかのように、四回目の四十センチ砲弾が落下してくる。

 

今回も、一発の敵弾が「名取」の近くに落下し、同じく一本の水柱を視界内に突き上げさせた。

 

原が着弾に備えて下腹に力を込めた刹那、左前方の「マンクスマン」と「名取」を結んだ線の中央部分に巨弾が吸い込まれる。

「マンクスマン」のスクリューによって攪拌された海面が大きく盛り上がり、砕けた…と見えた瞬間。日本最大の滝、那智の滝を天地逆向きにしたような水流が、下から上へと凄まじい勢いで噴き上がった。

 

「…!」

 

原は声にならない叫びをあげた。

今の着弾は、一回目から三回目までの敵弾よりも、相当近くに落下している。

タ級戦艦は、三回の着弾修正を着々と進め、精度を大幅に上げてきたのだ。

次かその次あたりに、「名取」は四十センチ砲を喰らうかもしれない。

 

時間差を開けて、ル級のものと思われる三十六センチ砲弾が、二隻の敷設巡洋艦に飛来する。

飛来した二発ずつの三十六センチ砲弾は、立て続けに「アブディール」「マンクスマン」の周囲に落下した。

 

飛翔音が途切れた瞬間、水柱が奔騰し、全長127メートル。基準排水量2.950トンの「名取」よりも一回り小さい艦体を大きく翻弄する。

そんな艦上での機雷敷設作業は、困難を極めているだろうが、原には英海軍乗組員の健闘を祈る事しかできなかった。

 

射程距離に入ったのだろう…リ級重巡洋艦の二十センチ砲弾や、ホ級やへ級軽巡洋艦の十五センチ砲も飛んでくる。

辛うじて至近弾で止まっているが、いつ命中弾を受けてもおかしくない状態だった。

 

 

敵巡洋艦が射撃に加わってから数分後。

 

「『エコー2』狭叉されました!」

 

見張員が、絶叫に近い声を上げる。

原は、「エコー2」こと左前方の「マンクスマン」に目を向けた。

 

「マンクスマン」の左右に、巨大な水柱がそそり立っている。

 

「やばい!」

 

加倉井参謀長の切迫した声が聞こえた。

原は、瞬時に状況を悟る。

 

砲撃していたル級戦艦が、着弾修正を繰り返し、ついに「マンクスマン」を捉えたのだ。

ル級は挟叉を得たため、斉射に移行する。

次からは、命中率が高い六発の巨弾が降り注いでくるのだ。

 

「『マンクスマン』に信号。“回避サレタシ”だ!」

 

原は早口で命じた。

「マンクスマン」は「名取」よりも小柄な軍艦であり、一発でも直撃されれば轟沈は免れないだろう。

 

 

だが、「マンクスマン」からは、“我、機雷敷設中”というぶっきらぼうな信号しか帰って来ず、回避する様子はない。

今までと変わらず、機雷の敷設作業を継続している。

 

「『マンクスマン』は何やってんだ⁉︎回避しろ!やられるぞ!」

 

加倉井が、声を枯らしながら叫ぶ。

 

だが、その声は届かない。

「マンクスマン」は周りに噴き上がる水柱など視野に入っていないかのように振る舞い、敷設作業を継続する。

 

原の脳裏に、「マンクスマン」艦長のアーウィンド・スコット中佐の、八字髭が特徴な顔が思い浮かんだ。

作戦前のブリーフィングで、彼は「この作戦は、日本の未来を左右する重要な戦いだ。だから…どんなに敵の砲火が激しくても、必ず機雷敷設を成功させる。俺たちイギリス海軍の巡洋艦は敷設に時間がかかるから、しっかりと援護してくれよ…」と原に話していた。

 

「スコット艦長……!」

 

彼の言葉を反芻しながら、原は拳を握りしめる。

 

 

ル級の巨弾群は、甲高い音を発しながら無慈悲に降ってきた。

原にそれを止めるすべはなく、「マンスクマン」を取り囲むように水柱が突き上がり、艦中央部に黒い塊が吸い込まれた。

原が唸り声を上げた直後、被弾箇所から凄まじい閃光がきらめき、巨大な爆炎が大蛇のように噴き上がる。

 

ル級から放たれた三十六センチ砲弾六発の内、一発が「マンクスマン」の三本ある煙突の中の真ん中の煙突を直撃した。

中央の煙突は瞬時に消し飛ばされ、前後の煙突も大きく傾く。

 

直撃した敵弾はエネルギーが尽きるまで艦の奥底へと貫通し、一番から六番缶室を粉砕し、艦の背骨たる竜骨をへし折ったところで炸裂した。

 

背骨に致命傷を受けた「マンクスマン」は、爆発の影響で中央煙突があった場所を境に真っ二つに分裂し、二つの艦体はV字に折れ曲りながら急速に海中に引きずりこまれていった。

 

「『マンクスマン』轟沈!」

 

被弾してから完全に海中に没するまで、わずか十五秒。生存者がいるとは思えない。

スコット艦長も、航海長や砲術長も、236名の乗組員も、死の恐怖を感じる前に自らの意識を手放していたっただろう。

 

原の目は、「マンクスマン」が二十秒ほど前まで浮かんでいた海面に釘付けになっている。

「マンクスマン」は「名取」よりも小さく、かつ高速性を維持するために駆逐艦並みの防御力しか持たされていなかったが、決して小さい船ではなかった。

 

当たりどころが悪かったのもあるだろうが、そんな船をたった一発の砲弾が、わずか十五秒たらずで沈めてしまったのだ。

 

原の心は、スコット艦長の死を悼むよりも早く、敵に対する畏怖の感情が沸々と湧き出していた。

 

そんな中、「エコー」旗艦「アブディール」の艦橋に、発光信号がまたたく。

 

「『エコー1』より発光信号。“我、敷設作業終了。『エコー』全艦、全力離脱開始セヨ”!」

 

見張員が、主砲の発射音に負けない大声で報告した。

 

「アブディール」が機雷敷設を終了させたのなら、同型艦である「マンスクマン」も搭載してきた全ての機雷を敷設させ、任務を完遂したと可能性がある。

いや。

原としては、乗組員が自らの死と引き換えに敷設作業を終了させていたと信じたかった。

 

「五水戦、面舵一杯!現海域より離脱せよ!」

 

原は「マンクスマン」乗組員に胸中で手を合わせながら、力強い声で命じた。

 

「面舵一杯。針路190度!」

 

「おもぉーかーじいっぱぁーい!」

 

九条航海長が命じ、操舵室で舵を握る兵の威勢の良い声がこだまする。

 

一足先に、左前方の「アブディール」が回頭を開始し、後続する駆逐艦六隻も、敵弾から逃れるように右に艦首を滑らせた。

 

やがて「名取」も艦首を右に回頭させ、敵艦隊から離れる針路に変更する。

 

狙いを外されたタ級の四十センチ砲弾が、「名取」の左後方に落下した。

 

 

原は、正面に目を向ける。

目線の先には、混乱から立ち直った水上打撃部隊の勇姿が、おぼろげに見えている。

その隊列の艦艇が、火のつけられた導火線のように順に砲撃を開始する。

ノース・カロライナ級戦艦やコロラド級戦艦、「フッド」などの艦影が、暗闇から浮かび上がった。

 

 

その影に向けて、原小さく「あとは任せた」と呟くのだった。

 

 

 

 

 

 

 

第五十六話「敵艦隊始動せり」

 

 




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第五十七話 瀬戸内の夜



戦闘シーン抜きです。


1

 

「こんな所にいたのか…」

 

風巻康夫(かざまき やすお)連合艦隊首席参謀は、その声を聞いて、後ろを振り返った。

振り返った風巻の視界内には、風巻と同じく濃紺の第一種軍装に身を包み、街灯の横にたたずむ三和義勇(みわ よしたけ)GF作戦参謀の姿が映っている。

 

「どうした。こんな時間に」

 

「いや…自室で仮眠を取る気になれんからな。潮風にあたりに来た。貴様も同じだろう?」

 

風巻の問いに三和はそう答えながら、ゆっくりととなりまで歩いて来る。

 

場所は、呉鎮守府敷地内の海岸だ。

灯火管制が敷かれているため、正面に広がる瀬戸内海は暗闇に包まれている。

凪いだ波が足元の石垣に当たり、冷んやりとした水しぶきが二、三滴、風巻の肌に触れた。

二人以外、この海岸には誰もいない。後ろには鎮守府の庁舎が佇んでいるが、窓から漏れる光は少なく、人の気配は感じられなかった。

 

そんな光に照らされて薄っすらと浮かび上がる三和の横顔を見ながら、風巻は口を開く。

 

「自分が立てた作戦が今実行されていて、その成否が日本の命運を左右するとなると…おちおちと寝ていられんよ。長官の御配慮には感謝だがな」

 

今は0時17分。

予定通りならば、マニラ湾沖で統合任務艦隊と深海棲艦極東艦隊が死闘を繰り広げている時間である。

風巻としては、「第一艦隊の勝敗」や「ルソン島制空権奪還戦の成否」の時のように、常に作戦室に陣取って最新情報を得たいと思っていたが、山本五十六GF司令長官が「皆、不眠不休では判断力や思考力が鈍くなる。交代で自室に戻り、しっかりと体を休めてくれ」と指示を出したため、参謀達は交代をしながら仮眠などを取っているのだ。

 

当然、風巻も山本に言われ、自室で休養をとる事になる。

参謀達の疲労感は半端なく、目を真っ赤にしている者や、顔の血色が悪い者もいた。

それらと同様、風巻も疲労が溜まっていた。今まで作戦立案の中心になっていたこともあり、他の参謀よりも酷い状態だったとも言えよう。

 

だが、自室に戻ってもなかなか寝付けず、鎮守府の海岸まで歩き、風に当たっていたのだ。

 

「それにしても疲れてるだろう。俺は大丈夫だが、貴様はとっとと休んどいた方が身のためだぞ」

 

三和は左手で風除けを作りながら、煙草にライターで火をつける。

火の光で照らされて見えた表情は本気で心配しているようだ。

 

「なんだ、俺を心配に思っているのか」

 

その言葉に対し、三和は小さく笑った。

 

「違うな。俺は貴様ではなく、貴様がすべき役割を心配しているんだ。心身ともに衰弱している奴がGF首席参謀なんて務まらないだろう?」

 

ふーっ、と煙を吐く。煙はすぐに瀬戸内から吹き付ける海風で四散した。

 

「俺も吸おう」

 

俺は自室に戻らんぞ、という意味を込めて風巻は言った。

胸ポケットから煙草の箱を取り出し、ガサガサと中を漁る。

数秒ほど漁ったら後、くしゃりと箱を握りつぶし、「ん」と右手を三和に差し出した。

 

三和は無言でもう一本の煙草を取り出し、風巻の手のひらに乗せる。

乗せても手を引っ込めないため、「けっ」と悪態をついたのち、銀色のライターも手のひらに乗せた。

 

それを見た風巻は満足気に頷き、煙草に火をつける。

三和同様うす茶色の煙を吐き、再び暗闇の瀬戸内に目を向けた。

 

 

若干の沈黙。

 

 

二人の海軍将校は、潮風に顔を撫でられながら煙草を堪能する。

風巻の煙草の半分が灰になる頃、三和が切り出した。

 

「面白い話をしようか」

 

「………」

 

「戦場伝説」

 

「……言ってみろ」

 

数秒間の沈黙の後、次の言葉を促した。

いつもの風巻なら「そんなもんは存在せん」と言ってた一蹴していただろうが、疲労困憊のせいで突っぱねる気力も失せ、聞いてやる気分になっていた。

そんな風巻を見ながら、三和は煙草をを海に放り投げ、自信ありげに口を開いた。

 

「艦娘って聞いたことあるか……。艦艇の『艦』に、生娘の『娘』て書いて『艦娘』だ」

 

「はぁ?」

 

風巻は反射的に聞き返す。

コイツは何を言っているんだ。と言いたげな表情だ。

 

「初めて聞いたか」

 

「いや、名前だけはな。知ってるよ」

 

三和の狂言に蹴落とされつつ、風巻は答えた。

「艦娘」というキーワードは、海軍内の噂を通じて小耳に挟んでいる。

艦娘とやらに関する噂は多彩を極めるが、「艦に宿る魂が女性の形をして現れたもの」という内容は、それぞれの噂での共通の見解だった。

 

日本は今、深海棲艦という正体不明の敵と戦っている。

そのため、将兵の間でさまざまな憶測が持ち上がり、それが原因でいくつかのおかしな噂は流れているのだろうと、風巻は当たりをつけている。

「艦娘」の噂も、そんなありきたりな憶測の一つだろ。と、風巻は三和に言ってやりたかったが、ここは黙って次の言葉を待った。

 

「実はな…その艦娘とやらなんだが」

 

ここで三和は言葉を切り、周りを見渡した。

誰もいないことを確認すると、声を細める。

 

「だいぶ前から、DISSが調査に乗り出しているらしい」

 

「DISSが?」

 

これには風巻も驚きを隠せない。

 

“DISS"とは、深海棲艦戦略情報研究所(Deep see fleet Institute for information Strategic Studies)の英訳の略称である。

従来、日本海軍内では「深戦研」と呼称されていたが、外国軍との会議や調整の時などに不便なため、英訳がつけられてている。

以後、日本海軍内でも英訳の呼び方が定着していた。

 

風巻も三和同様、煙草を海に放り投げ、数秒間思案顔になる。

そして顔を上げ、口を開いた。

 

「大本営陸海軍部の特務機関を動かすほどの噂が…。考えたヤツは大したもんだ」

 

信じる気はないようだ。

風巻は「噂」という単語を強調する。

 

そんな態度を華麗にスルーし、三和は話を進めた。

 

「海戦中の艦艇上で、『半透明の女性の姿を見た』って目撃情報が相次いでるらしい。決まって沈没する船でな。詳しいことは知らんが、第一次ルソン島沖海戦で沈んだ『足柄』や、潜水艦に撃沈された『高雄』が主な例だ。特に『足柄』では、当時の砲術長ほどの階級の高い者が、目撃を証言しているんだと」

 

ここで三和は風巻の方を向き、「中佐の階級を持つ者が虚言を弄するとは思えん。どうだ風巻。興味深いだろぉ」と笑いながら言った。

 

「いかんぞ三和。GF参謀たるもの、そのような噂を馬鹿正直に信じては」

 

「だが、現にDISSは動いてる。この情報に軍事的価値を見出したんだよ。大本営は」

 

確かに、それが事実ならば大本営はその噂を「単なる噂」と考えず、深海棲艦との関連性などを考慮しているのかもしれない。

しかし、「艦娘」についての噂や、「沈没しつつある艦上で半透明の女性を見た」という目撃情報から、どこをどう考えれば特務機関を動かすほどの価値を見出せるのか、風巻は疑問だった。

 

「………その元『足柄』砲術長の名は?」

 

三和の伺うような視線に耐えかね、風巻は質問する。

 

「寺崎文雄…というらしい。今は『日向』の砲術長だ。戦死してなかったらな」

 

二本目の煙草に火をつけながら、三和は答えた。

「日向」は第一艦隊の一員として、深海棲艦太平洋艦隊を迎え撃っている。かなりの激戦だったようだから、その事を言っているのだろう。

 

風巻は「艦娘」のことを脳の片隅に入れておく事にした。

 

 

DISSの動向は、少し不審である。

GF首席参謀の自分にすら知らされていなかった事にも、少しの疑問を感じる。

口調からして三和も、そのことは知らされていなかったようだ。

 

「ま、DISSの所長は情報の鬼って言われた山口文次郎大佐だ。彼からしたら、どんな情報源でも深海棲艦の正体が分かる可能性があるなら飛びつくのかもな。それがたとえ噂っていう曖昧なものでも」

 

三和はそう言って肩をすくめたが、風巻の疑問は解けなかった。

 

 

瀬戸内海は、相変わらず闇に沈んでおり、はっきりは見えない。

さざ波の控えめな音が周囲を包み込み、心地よい潮風が顔を撫でる。

 

三和の吐いた煙が、庁舎から漏れる光に照らされながら、空に昇っていく。

 

「艦娘、ね……」

 

風巻はその煙を目で追いながら、ぼそりと呟くのだった。

 

 

 

 

第五十七話「瀬戸内の夜」

 

 




高評価ありがとうございました!


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第五十八話 J.T.F.反撃


ドラえもんの映画見に行ったんですけど……



かなり面白かったです。
ドラえもんの映画は当たり外れが多くて最近は敬遠してたんですけど……久々に見たらかなりよかったですね。
このドラえもんは当たりです!皆さん機会があればご覧になってみて
ははいかがですか?



1

 

「各挺身隊より信号。“我、敷設作業終了ス”!」

 

「“サクリファリス”より“エコー”、“デルタ”、“フォックス”各隊。直ちに後退。離脱せよ」

 

支援砲撃を再開した旗艦「ノース・カロライナ」の艦橋では、統合任務艦隊(J.T.F)司令官のレイモンド・スプルーアンス少将が忙しなく指示を飛ばしていた。

スプルーアンスの視線の先には、敵艦隊の集中砲火に射すくめられつつ、懸命に離脱を図る「エコー」部隊の姿が見えている。

 

「エコー」部隊はどの艦も火災を背負っており、自らの姿を暗闇に浮かび上がらせている。

所属していた艦艇は巡洋艦三隻と駆逐艦八隻だったはずだが、敷設巡洋艦「マンクスマン」と駆逐艦三隻が姿を消している。

水上打撃部隊が敵潜水艦の魚雷攻撃の混乱から立ち直る十五分ほどの間に、敵艦隊から集中砲火を受けたことは想像に難しくない。

 

彼らには残酷な運命を課してしまった……スプルーアンスの心中には、彼らに対する深謝の気持ちで一杯だった。

 

だが…と、スプルーアンスは決意を新たにする。

ここは戦場である。そのような感傷に浸っている場合ではない。

「エコー」部隊で命を散らした将兵が報われるためには、感傷に浸らず、的確な指示で艦隊を動かし、敵に勝利を収めることだった。

 

 

挺身隊の撤退を援護すべく、「ノース・カロライナ」は十五回目の、敵潜攻撃から立ち直ってからは四回目の砲撃を実施する。

凄まじい閃光、轟音と共に発射された九発の四十センチ砲弾は、後退中の「エコー」部隊の頭上を通過し、敵艦隊の只中に着弾した。

 

一発が、敵巡洋艦の一隻に命中する。

直撃した瞬間、断続的に「エコー」部隊を砲撃していた前部主砲が沈黙し、三脚マストが大きく揺らぐ。

長細い破片と無数の塵が宙を舞い、発生した閃光が後続艦を照らし出した。

 

「当たった…」

 

誰かの呟きがスプルーアンスの耳に入ってくる。

 

「ノース・カロライナ」の四十センチ砲弾に直撃された敵巡洋艦は、うな垂れるように停止し、小爆発を繰り返す。

夜目にも黒い黒煙が前部を覆い隠し、火災が周辺の海面を照らし出した。

リ級重巡かホ級、へ級軽巡か分からないが、「ノース・カロライナ」は「エコー」部隊を砲撃していた敵巡洋艦一隻を仕留めたのだ。

 

 

「ノース・カロライナ」の前後からも、頼もしい砲声が響き渡る。

 

正面を進む巡洋艦戦隊(ルーク)の重巡「アストレア」、軽巡「サヴァンナ」「ヘレナ」「セントルイス」も、主砲の二十.三センチ砲や十五.五センチ砲を敵艦隊へと発射し、後続する「コロラド」や英東洋艦隊も、後退する各挺身隊を支援するべく射撃を続行する。

 

 

頃合い良しと判断し、スプルーアンスは隊内電話を手に取った。

 

「“サクリファリス”より“キング”、“ルーク”、“クイーン”、“ビショップ”、砲撃中止、左一斉回頭。回頭後の針路180度」

 

「左一斉回頭。回頭後の針路180度!」

 

スプルーアンスの指示を聞いて、艦長のアンリ・M・ステンレス大佐が、航海長のサイモン・キッド中佐に指示を出す。

 

サイモン航海長は力強く頷き、操舵室に「取舵一杯!針路180度!」と怒鳴り込んだ。

 

スプルーアンスからの指令が届いた各艦でも、「取舵!針路180度!」の命令がこだまし、舵輪が左に回される。

 

「逃げるんですか⁉︎」

 

日本海軍から派遣された連絡官。星越實好(ほしこし さねよし)中佐が、目を剥いた。

変針後の針路は180度。真南の方角である。

マニラ湾とその内部にいる敵艦隊は、水上打撃部隊から北東の方向なため、真南への針路を取れば海域を離脱することになる。

星越は、スプルーアンスが機雷を敷設するだけで満足し、敵艦隊に決定打を与えずに作戦を終了させようとしている、と思っているようだ。

 

星越に対し、スプルーアンスは静かに言った。

 

「深海棲艦は、『潜水艦による背後からの魚雷攻撃』というカードを切ったんだ。こちらもそれ相応のカードを切る」

 

星越はスプルーアンスの言っている意味が分からないようで、数秒間沈黙していたが、やがて理解したようで、力強く頷いた。

 

「敵艦隊を機雷原に誘い込むんですね」

 

「そうだ」

 

星越は打って変わって笑みを浮かべ、スプルーアンスもニヤリと笑った。

 

 

「ノース・カロライナ」は砲撃を中止し、左への回頭を開始する。

右舷側に見えていたマニラ湾と敵艦隊が右に流れて見えなくなり、正面に見えていた“ルーク”も、死角に入る

それに変わるように回頭中の「コロラド」の後ろ姿が見、さらにその先の英艦隊の巨艦二隻の姿も、スプルーアンスの視界に入ってきた。

 

二番艦に位置していた「ワシントン」が左舷側に三本、三番艦に位置していた「ウェスト・バージニア」が艦首に一本、それぞれ敵潜の魚雷を喰らって戦列を離れたため、四番艦に位置している「コロラド」とはかなりの距離が離れてしまっている。

 

「ワシントン」は今年就役した新鋭戦艦のため、対魚雷防御力は高いし、「ウェスト・バージニア」は艦齢二十年に達する旧式艦とはいえ、一本の魚雷が命中したところで沈没はしない。

だが、二隻とも敵艦隊との砲戦に耐えられないほどの被害を受けたことは確かだ。

「ワシントン」は左に集中して被雷したことで、射撃角度が狂い、正確な砲撃は見込めないし、「ウェスト・バージニア」は艦首喫水線下を歯型のようにごっそりと食いちぎられ、発揮できる速力は十ノット以下だ。

 

「コロラド」と「ノース・カロライナ」の間に開いた長い空間は、二隻の力強い味方戦艦を失ったことを、無言で示しているようだった。

 

 

その先に見える英艦隊の二隻は、Z部隊旗艦の「プリンス・オブ・ウェールズ」と巡戦「フッド」である。

敵潜攻撃からの混乱から早く立ち直るために英艦隊と米艦隊を分離したため、「コロラド」以上に距離が開いてしまっている。

さらに、「プリンス・オブ・ウェールズ」は魚雷一本を受けており、手負いの状態だった。

それでも二隻とも、スプルーアンスの指示通り左一斉回頭を済ませ、針路180度に乗る。

 

一斉回頭を済ませたことで、今まで「アストレア」が先頭だった隊列が「コロラド」に変わり、マニラ湾から距離を置く針路へ移行した。

ことは、Z部隊でも同様である。

「プリンス・オブ・ウェールズ」が最後尾になり、逆に今まで殿だった英重巡「シュロップシャー」が先頭に立つ。

“ナイト”こと米駆逐艦戦隊、“ポーン”こと英駆逐艦戦隊も、主力艦に付き添って左に一斉に回頭した。

 

眼下の主砲が、回頭するに従ってゆっくりと左舷側に旋回している。

左一斉回頭を行ったことで、右正横に見えていた敵艦隊が左後方に移動したためだ。

 

直進に戻って最初に砲撃を再開したのは、魚雷攻撃で「シカゴ」と「フェニックス」を失っていた“ルーク”だった。

後方から中口径砲の鋭い発射音が轟き、無数の砲弾が大気を裂いて敵艦隊へ飛ぶ。

死角で見えないが、所属する巡洋艦四隻が砲撃を開始したのだ。

「ノース・カロライナ」は、“ルーク”が三回目の射撃を実施した直後に、砲撃を再開した。

 

「目標、敵戦艦。射撃開始(オープン・ザ・ファイヤリング)!」

 

ステンレスが大音響で命じた刹那、足元に落雷したかのような砲声とともに、各主砲の二番砲身から紅蓮の焔が噴き出した。

同時に約一トンの四十センチ砲弾が砲門から叩き出され、発砲の衝撃が「ノース・カロライナ」の巨体を大きく震わせる。

左海面が赤く染まり、漣が立った。閃光は艦橋内まで照らし出し、艦橋要員達の表情までも照らし出した。

 

今まで斉射だったが、交互撃ち方に戻っている。

砲術長のサリー・デュロン中佐は、牽制のみだった射撃をやめ、着実な修正で必中を目指すようだ。

 

 

JTF旗艦に続いて、前方を進む「コロラド」も発砲する。

 

 

一閃。「コロラド」周辺の暗闇が薙ぎ払われ、条約型戦艦の特徴的な籠マストが夜闇に浮かび上がった。

艦左側に真っ赤な火焔が噴き出し、「ノース・カロライナ」同様、暗黒の海面を赤に染める。

二拍ほど開けて、腹に応える砲声がスプルーアンスの鼓膜を震わせた。

 

「…深海棲艦。追ってこい追ってこい!喰いついてこい!」

 

スプルーアンスは、挑発的に敵艦隊に呼びかけた。

 

敵艦隊の目には、「潜水艦による攻撃で大損害を受け、這々の体で逃げている人類艦隊」と映るはずだ。

深海棲艦は、人類艦隊撃滅のチャンスを見逃すはずがない、必ず追撃して来る。という確証がスプルーアンスにはあった。

 

望んだ報告は、敵艦隊に対して二回目の交互撃ち方を放った直後に上げられた。

 

「“ナイト8”より入電。“敵艦隊、針路190度二変針。JTFノ追撃二移行セリ”」

 

「よし!」

 

スプルーアンスは喜色を浮かべ、星越やカール・ムーア参謀長と頷きあった。

敵艦隊は追撃に移行した。離脱するJTFに喰いついてきたのだ。

マニラ湾外に出るとき、機雷原に引っかかることは確実であろう。

 

「敵に意図を悟らせるな。砲撃を続行」

 

スプルーアンスは声を冷静を保って言う。

 

「ノース・カロライナ」は沈黙している。

目標だった敵戦艦が転舵したため、測的をやり直しているのだろう。

 

最初に射撃を開始したのは、敵艦隊だった。

立て続けに左後方の海域に閃光が走り、タ級戦艦、ル級戦艦の姿を浮かび上がらせる。

敵戦艦群は、タ級二隻、ル級三隻の順で単縦陣を組んでいるようだ。浮かび上がった艦影から、スプルーアンスはそれを見抜いていた。

 

「敵戦艦発砲!」

 

敵弾の飛翔音は、見張員がそう報告した直後から響き始めた。

 

スプルーアンスは、戦艦から発射された砲弾の飛来音を初めて聞いた。

抗い難い力によって空そのものが落ちて来るような…凄まじい威圧感を持つ音だ。

大気が不気味に鳴り響き、艦橋内の空気まで震え、頭を掻きむしりたくなる衝動に駆られる。

 

(来る……!)

 

すべての音を飛翔音がかき消し、艦橋の床まで振動し始めた頃、スプルーアンスは直感した。

一拍。「ノース・カロライナ」の真正面に、硝煙の匂いをたっぷりと含んだ水柱がそそり立った。

数は三本。「コロラド」の後ろ姿を水の壁が隠し、足の裏を通じて水中爆発の振動が伝わってくる。

飛来して来た敵弾が三発ということは、「ノース・カロライナ」を砲撃しているのはタ級戦艦であろう。

ノース・カロライナ級戦艦と同等の火力を持つ、ライバルというべき深海棲艦戦艦だ。

 

その数秒後、予期せぬことが起こった。

 

タ級戦艦の巨弾が着弾しても、大気の振動は収まらなかったのだ。

スプルーアンスが頭上を振り仰いだ刹那、今度は「ノース・カロライナ」の左側海面の四ヶ所が盛り上がり、大きく砕けた。

基準排水量三万七千トン以上の巨体が右に傾き、水柱によって噴き上がった海水が頭上から降り注ぐ。

 

スプルーアンスの目線は、左に突き上がった水柱に釘付けになった。

 

着弾は連続する。

第三、第四の射弾が飛来し、セコイアの巨木のような水柱を計八本「ノース・カロライナ」周辺に発生させ、海水を滾らせる。

四回連続の戦艦主砲弾の着弾に、最新鋭の鑑体も悲鳴をあげた。

艦橋は大きく揺らぎ、隔壁や天井が大きく軋む。

 

「こいつは…!」

 

スプルーアンスは息を呑んだ。

このペースの着弾は、明らかに一隻の戦艦によるものではない。

「四回」。巨弾が飛来した回数である。

少なくとも、四隻の敵戦艦が「ノース・カロライナ」を目標に据えて砲撃しているのだ。

 

「『コロラド』より信号。“我、砲撃ヲ受ク。飛来セシ敵弾ハ三発。タ級ト認ム”!」

 

「『プリンス・オブ・ウェールズ』より入電。“我二飛来セシ敵弾無シ”」

 

その報告で、スプルーアンスは全てを悟った。

 

水上打撃部隊の各戦艦……「フッド」「プリンス・オブ・ウェールズ」と「コロラド」「ノース・カロライナ」の距離はかなり隔っており、「コロラド」と「ノース・カロライナ」の間にも、戦艦二隻分の距離が開いている。

 

敵艦隊は英戦艦二隻を敢えて見逃し、ほとんど単独での航行となっている「コロラド」に先頭のタ級を差し向け、そのさらに後方に大きく遅れている「ノース・カロライナ」に対して、タ級一隻、ル級三隻で集中砲火を浴びせているのだ。

 

「反撃だ!反撃しろ!」

 

ステンレス艦長が、狼狽しつつデュロン砲術長に命じる。

 

撃て(ファイア)!」

 

デュロンの短い号令の後、「ノース・カロライナ」の主砲が吠え猛る。

眼下の第一、第二主砲塔、後部の第三主砲塔の各一番砲身から音速の二倍以上の初速で砲弾が叩き出され、敵戦艦へと飛ぶ。

艦体が発砲の衝撃で打ち震え、目が眩む閃光が周囲を包み込む。

 

だが、敵戦艦群の砲撃は、それすら押し戻す勢いだ。

 

「き、来た…!」

 

発砲して二十秒ほど経過した頃、敵戦艦群は新たな射弾を発射する。

タ級戦艦のガッチリとした艦橋、ル級戦艦の高々とそびえ立つ三脚マストが一瞬昼間のように照らし出され、その姿をJTF将兵の前にさらけ出す。

 

いつ見ても、異形の存在が作り出したものとは思えない艦影をしている。

ゴツゴツとした無機質さは軍艦特有のものだし、搭載している艦砲や対空火器など、人類兵器に準ずるものがある。

だが、だがらこそ人ならざる者が作り出した海上兵器が、人類の今までに培って来た軍事技術とほとんど同じということが不気味だ。

 

奴らは、どこまで人間のことを知っているのだろう……という疑問がスプルーアンスにはあった。

 

 

新たな飛翔音が聞こえてくる。

 

やがて大きくなり、全ての音が飛来音でかき消される。

 

「あ……ああ……」

 

誰かの気の抜けた声が聞こえた刹那、敵弾が着弾した。

「ノース・カロライナ」の左前方に二本、右前方に一本の水柱が奔騰したのを皮切りに、計十二本の見上げんばかりの水柱が、周囲にそそり立つ。

「ノース・カロライナ」の艦橋を遥かに超え、凄まじい勢いで林立した。

 

直撃弾は無いとはいえ、合わせて十五発の巨弾が周辺に落下したのだ。艦は大きく震え、爆圧が艦底部から突き上がり、衝撃が共鳴して異様な振動が艦橋を下から上へと駆け抜けた。

 

「まだか、まだなのか⁉︎」

 

星越が日本語で何かを叫ぶ。

スプルーアンスは手すりを握りしめつつ、敵艦隊を睨みつけた。

 

「そろそろ湾口を通過し、南シナ海に躍り出るはずだ…機雷原を通過するはずだ…被雷するはずだ…。まだか?」

 

 

その時。

敵艦隊の隊列に小さな閃光が走った。

光の規模は小さいうえ、すぐに消える。

だが、数は多い。最初の閃光の五秒後には二回目、三回目、四回目の閃光が走り、その更に後方でも矢継ぎ早に光が閃らめいてゆく。

 

「やったか!」

 

スプルーアンスは身を乗り出した。

 

光の大半のすぐに消えるが、消えずに揺らめいているものもある。

その光に照らされている敵艦は、ほとんどが駆逐艦のようだ。

真っ赤な炎が揺らめき、その姿を海上に浮かび上がらせている。

 

「“バット3”より入電。“敵艦隊、機雷原二突入セリ”!」

 

“バット3”とは、四十分前に発進させたOS2Uキングフィッシャーのコード名だ。現在は、敵艦隊の頭上に張り付き、弾着観測の任務についている。

その機体が、敵艦隊が機雷原に入ったことを伝えたのだ。

 

「司令!」

 

「うむ!」

 

笑顔で振り向いたムーア参謀長に、スプルーアンスは頷いた。

 

機雷に接触していく敵艦は、続々と出現する。

日本製機雷、英国製機雷問わず、被雷した深海棲艦艦艇は大きく打ち震え、速力が低下し、怒涛の勢いで海水が流れ込む。

中には火災が発生し、暗闇に姿を浮かび上がらせる艦もいる。

 

駆逐艦は一、二発の接触で大破し、巡洋艦も接触によって喫水線下に大穴を穿たれ、傾きながら停止する。

 

 

潜水艦攻撃によって圧倒的優勢に立っていた深海棲艦極東艦隊は、今や混乱の巷となっていた。

高い密度で機雷が敷設されている海域に飛び込んだ艦隊は、被雷する艦が続出し、海上に一つ、二つ、三つと火災の光源が漸増して行く。

 

 

 

 

 

敵艦隊が、JTFと同等かそれ以上の被害を受けたことは、誰の目にも明らかだった。

 

 

 

 

第五十八話「J.T.F.反撃」

 

 

 




いやーノースカロライナカッケェ…
プリンス・オブ・ウェールズもフッドもええわぁ


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第五十九話 ノース・カロライナ轟然





春分の日に雪!



1

 

深海棲艦極東艦隊は、駆逐艦を前衛に立たせ、その後方から戦艦五隻、巡洋艦七隻がそれぞれ単縦陣を組んで後続していた。

 

 

計四十隻以上の大艦隊は針路190度に変針し、離脱を図ろうとする人類艦隊の追撃に移る。

彼らからしたら人類艦隊は、不遜にも自らの拠点を攻撃してきた「外敵」であり、一隻足りとも逃す気は無かった。

味方の潜水艦攻撃で敵戦艦二隻を落伍させ、現在は殿の敵戦艦に集中砲火を浴びせている。

生き残った敵戦艦四隻はバラバラの状態であり、統制の効いた射撃など望むべくもない。

湾口に展開していた三つの敵水雷戦隊も、数隻を撃沈して追い払った。

 

もう一押しで勝利が手に入る、敵艦隊の艦艇を一隻残らず沈めることができる。

という楽観が、この時の深海棲艦にはあった。

 

 

 

 

 

 

ーーー最初に機雷に接触したのは、駆逐艦群の一番艦に位置していたイ級駆逐艦だった。

 

イ級は接触した瞬間、大きく仰け反る。

右舷側には巨大な水柱がそそり立たせ、小柄な艦体が苦悶にのたうちまわるように身震いした。

火災こそ発生しなかったが、喫水線下に大穴を穿たれ、前のめりになって停止する。

 

先頭のイ級に破局が訪れている頃、二隻目、三隻目と後続のイ級駆逐艦も被雷している。

二隻目のイ級は、一隻目と異なって艦尾に接触させた。

艦尾が跳ね上がり、粉砕されたスクリューや舵を海面上に覗かせた。

次の瞬間には振り戻すように艦尾を海に叩きつけ、大きな水飛沫を撒き散らす。

一隻目同様、数秒間ノロノロと海上を進んだあと停止した。

 

三隻目は、停止した二隻目をかわそうと右に舵を切った直後に、艦首に機雷を接触させた。

鋭い艦首で小突くように被雷したため、瞬く間に艦首が消失し、一隻目のイ級以上に仰け反る。

艦首に大穴が開き、全速航行も祟って大量の海水が艦内に侵入していた。

たちまち後続の四隻目、五隻目のイ級も被雷し、火災を起こしながらうなだれる。

 

今や、前衛の駆逐艦群は大混乱だった。

合計すると駆逐艦九隻が被雷し、うち六隻が黒煙を上げながら停止している。残った三隻も、喫水を深く沈めながらノロノロと進むことしかしか出来ていない。

無事な駆逐艦は状況がわからないようで、ただただ海上を右往左往とするだけだった。

 

機雷の魔の手は、機雷原に差し掛かった巡洋艦部隊にも襲いかかる。

 

JTFを追って真っ先に機雷原に突入したリ級重巡は、艦首右舷側と艦中央の左舷側、右舷艦尾に一発ずつの機雷を被雷させた。

全長二百メートル前後と、日米英海軍の重巡に劣らない大きさの艦体が熱病の発作のように身震いし、三本の水柱がそれぞれの接触箇所に噴き上がる。

機雷が炸裂するや、破砕エネルギーが喫水線下の対魚雷装甲を喰い破り、破口を穿つ。

三メートル四方の穴を三箇所も穿たれたリ級は、喫水を大きく沈め、ル級戦艦に合わせて二十ノットで進んでいた速力が五ノットまで低下した。

 

その後方を追走していた二番艦のホ級は、速力を大幅に低下させた一番艦のリ級をかわそうと後進全速を掛けたが、間に合わない。

鋭利な艦首がリ級重巡の右舷艦尾に突っ込み、金属的な叫喚と共に艦首を大きくひしゃげさせた。

 

ホ級を受け止めたリ級は、それが決定打となった。

基準排水量八千トン激突の衝撃によって浸水が倍以上になり、一層喫水を沈める。

 

そのホ級軽巡も、一発を接触させた。

水柱がそそり立ち、やや間を開けて火柱に変化した。

艦首がリ級の舷側に食い込んでいるため、ホ級の受けた衝撃はもろにリ級に伝わる。

二隻とも大地震のような凄まじい衝撃に襲われ、二つの艦体が共鳴し、大音響を発した。

 

その頃、タ級戦艦、ル級戦艦各一隻も数発の機雷を接触させている。

 

 

最後尾の敵戦艦ーーー「ノース・カロライナ」を砲撃していた一番艦のタ級戦艦は、巨大な艦体も相まって、五発の機雷に被雷した。

 

日本製機雷の一号機雷はワイヤーで五個の機雷をつなげているタイプも敷設しており、この機雷の場合、ワイヤーに艦首が引っかかれば、それに引っ張られて五発全てが舷側に接触させることになる。

 

タ級が被雷したのは、まさにそれだった。

 

 

強靭な防御力を持つタ級戦艦といえど、機雷五発の同時直撃には耐えられなかった。

接触させた刹那、「ノース・カロライナ」や「プリンス・オブ・ウェールズ」に劣らない巨体が盛大に揺れ、艦首周辺に五本の水柱が奔騰する。

機雷五発の集中艦首被雷に耐えられなかったのだろう、巨大な艦首がその影響で引きちぎられ、粉砕された断面が海中に晒された。

分離された艦首は数秒間浮いていたが、やがて海中に没してゆく。

 

食い破られたらような断面から一挙に海水が侵入し、タ級戦艦やや前のままゆっくりと停止した。

 

タ級が停止している頃、三番艦に位置していたル級も炎上しながら停止している。

こちらも艦首に受けたようで、前のめりになって完全に行き足が止まっていた。

 

 

深海棲艦艦隊が大損害を受けたことは、誰の目にも明らかだった。

 

 

 

 

2

 

「敵戦艦一番艦、速力低下。三番艦、行き足止まります!」

 

「CICより艦橋。敵駆逐艦は九隻が接触した模様。他にも巡洋艦二隻が停止。敵艦隊の隊列、乱れます」

 

戦果報告が、続々と「ノース・カロライナ」艦橋に上げられる。

報告が上がるたびに歓声が沸き起こり、誰もが喜色を浮かべ、仲間と喜びを分かち合う。

敵戦艦からの砲撃も止んでおり、周辺は一時的な静寂に包まれていた。

聞こえるのは遠くから鳴り響く敵艦の被雷音のみだ。

 

 

最終的に、戦艦二隻、巡洋艦三隻、駆逐艦九隻が被雷した。

いずれも海上にその身体を横たえており、火焔に艦体を炙られている。

浸水が激しいのか、傾いて艦底部を覗かせている艦もいた。

 

スプルーアンスは、そんな敵艦隊をじっと見つめながら、CICからの報告を待つ。

 

「CICより艦橋。敵艦隊、機雷原を突破した模様。健在な敵艦、戦艦三、巡洋艦五、駆逐艦約二十。敵戦艦の針路190度」

 

やはり…と、スプルーアンスは呟いた。

敵艦隊は機雷によって大損害を受けながらも、隊列を引っ掻き回されても、戦いを投げ出すようなことはしない。

「駆逐艦一隻でも残っている限り、『外敵』を駆逐する戦いはやめない」と言いたげな闘志だ。

 

被害を受けても怯まず、自力でJTFの罠を食い破り、湾外へと躍り出したのだ。

 

(それでこそ…深海棲艦だ)

 

スプルーアンスは敵艦隊に呼びかける。

もしも湾内に引き返されれば、殲滅は困難になってしまう。

スプルーアンスとしはそれはなんとしても避けたかったため、深海棲艦の闘志はありがたかった。

 

 

敵艦隊は隊列を乱されながらも、JTFの斜め後ろから追いすがる針路を取って追撃してくる。

それを一瞥し、スプルーアンスは隊内電話で二つの指示を飛ばした。

 

「“サクリファリス”より全艦。“ナイト”、“ポーン”目標、敵駆逐艦。“ルーク”、“ビショップ”目標、敵巡洋艦。“キング”、“クイーン”目標、敵戦艦。全艦、戦闘態勢」

 

素早く各部隊の目標を振り分け、更に命令を続けた。

 

「“クイーン1、2”目標、敵戦艦一番艦。“キング4”目標、敵二番艦、“キング1”目標、敵三番艦。各艦、準備完了しだい射撃開始せよ!」

 

 

“クイーン1、2”こと「プリンス・オブ・ウェールズ」と「フッド」でタ級を砲撃し、残ったル級二隻を「ノース・カロライナ」と「コロラド」が一隻ずつ受け持つのだ。

タ級戦艦は三連装四十センチ砲を三基九門搭載しており、深海棲艦最強を誇る。

その強力な敵艦に英戦艦二隻をぶつけ、残ったル級を火力で勝る米戦艦が相手取るのだ。

 

「了解。本艦目標、敵三番艦。最後尾のル級だ」

 

艦長のアンリ・M・ステンレス大佐が射撃指揮所のサリー・デュロン砲術長に伝える。

すぐさま復唱が返り、「ノース・カロライナ」の主砲が仰角を上げ、敵三番艦に狙いを定める。

 

 

「『セントルイス』前へ出ます。『ヘレナ』『サヴァンナ』後続」

 

「“ナイト”各艦、針路120度。増速します!“ポーン”も同様!」

 

CICと見張員から報告が上げられる。

スプルーアンスの下令に従い、各艦が敵艦隊と戦闘状態に入るべく態勢を整える。

 

最初に砲撃を開始したのは英海軍Z部隊の「フッド」だった。

 

発砲した瞬間、艦周辺が昼間と化し、物見櫓のような巨大な三脚マストと、後部マスト、後部のX、Y主砲塔が火焔に照らされて白光に浮かび上がった。

左側に巨大な火焔が噴き出し、海面がさざ波によって白く染まる。

X、Y砲塔の砲身が一本ずつしか仰角を掛けていなかったため、交互撃ち方であろう。

「フッド」艦長のアーヴィン・グレンニー大佐は、交互撃ち方によって着実な命中を目指すようだ。

 

続いて、Z部隊旗艦「プリンス・オブ・ウェールズ」が発砲する。

「フッド」と同じく、閃光によってガッチリとした艦橋とマストを浮かび上がらせ、左舷側に発砲の火焔が噴き出した。

搭載主砲の口径が小さいため、「フッド」よりも火焔の大きさは小さいが、数が多い。

「プリンス・オブ・ウェールズ」は三十六センチ砲を四連装二基、連装一基に分けてて計十門搭載しており、交互撃ち方では五門が砲弾を撃ち出すことができるのだ。

魚雷一本を喰らっているはずだが、そのようなことは感じさせない。力強い砲撃だった。

 

 

「プリンス・オブ・ウェールズ」発砲の余韻が収まる前に、ステンレス艦長がスプルーアンスに言う。

 

「射撃準備完了しました」

 

その言葉にスプルーアンスが軽く頷くと、ステンレスは射撃指揮所に「射撃開始」を連絡する。

 

「射撃、開始!」

 

ステンレスの号令一下、凄まじい轟音が鳴り響き、英戦艦二隻の数倍はあろうかという閃光が「ノース・カロライナ」を包み込んだ。

何度も体験しているはずだが、慣れるものではない。

腹の中のものが出そうな感覚に襲われ、数秒間視界が暗転する。

 

艦首から艦尾までを発砲の衝撃が貫き、巨艦「ノース・カロライナ」を轟然とさせた。

 

音速の二倍以上の初速で発射された三発の四十センチ砲弾は、大気との摩擦で真っ赤になりながら、目標であるル級戦艦へと弓なりの軌道を描きながら、飛ぶ。

 

 

 

スプルーアンスは、着弾の時を待った。

 

 

 

 

第五十九話「ノース・カロライナ轟然」

 





感想待っとります!


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第六十話 巨艦激闘




今回は少し長いですかねー。


 

1

 

統合任務艦隊司令官のレイモンド・スプルースアンス少将は、鼻を突く煤煙の匂いで目を覚ました。

目を開け、薄ぼんやりとした意識のまま周囲を見渡し、状況を確認しようと努める。

そんな中、煤煙を吸って咳き込んだ。

 

ここで、自分が横たわっている事に気付く。

それと同時に、自分の右手が肩から先から消失しているのも、気付いていた。

 

「え?」

 

スプルーアンスは朦朧とする意識の中で自分の右肩を見つめ、慣れ親しんだ自分の右腕がないことをはっきりと認識する。

引き千切られたような切断部分からは、真っ赤な鮮血がただれ落ち、艦橋の床を朱に染めていた。

見るに耐えない惨状を見たスプルーアンスの表情は、すぐに驚愕のそれに変化した。

 

「ああ…うあああぁあぁぁ……あああぁぁ!」

 

すぐに絶叫を上げそうになったが、スプルーアンスは寸前でそれを飲み込む。

かすかに残っていた理性が、指揮官は常に冷静でいなければならない、という軍人としての常識を突き通していた。

本来ならばショック死ものの激痛がスプルーアンスを襲うはずだが、痛みの感覚はなかった。

戦いによってアドレナリンが出。身体が興奮状態にあるのかもしれない。

 

スプルーアンスは気をしっかり持ちながら、覚醒しつつある目で艦橋内を見渡した。

最初は自分の血で床が真っ赤になっているんだと思っていたが、自分から流出した量にしては多すぎる。

 

艦橋内部は、死屍累々の有様だった。

血まみれでいたるところが欠損している死体が目立ち、肉塊や落とされた体の部位が、血の泥寧の中に浮かんでいる。

壁や天井には血液がぶちまけられ、脂肪のような白い塊もこびりついていた。

周辺は鉄屑の堆積場のような状態であり、無数の破片やひん曲がった鉄骨などが散乱していた。

艦橋内部に視界を提供していた丸縁の窓は、全て割れており、大きくひしゃげけている。

 

艦橋左側には、あるはずの壁がない。

大穴が穿たれており、そこから暗闇の海面と炎上して停止している戦艦らしき艦影を遠望することができた。

それが味方戦艦か敵戦艦かわからないが、戦闘は終了しているようだ。

海域には、静寂が広がっている。

 

 

「何が…あったんだ…」

 

スプルーアンスはかすれた声で言った。

気を失う直前の記憶がない。

この艦橋の有様を見れば何が起こったかは大体予想できるが、自らが体験した記憶が思い出せなかった。

 

 

 

➖➖➖➖35分前➖➖➖➖

 

 

「だんちゃーく!」

 

ストップウォッチを握っている水兵がそう報告するやいなや、スプルーアンスは「ノース・カロライナ」が砲撃目標としている敵三番艦を見た。

 

敵三番艦は左後方を追撃して来ている。

水偵の吊光弾に照らされ、特徴的な三脚マストや艦体の輪郭をぼんやりと浮かび上がらせていた。

 

だが十秒経っても、二十秒経っても、敵戦艦の艦上に命中弾の火焔は躍らない。

「ノース・カロライナ」の放った交互撃ち方第一射は、ル級戦艦を捉えるに至らなかったのだ。

初弾命中がかなり難しい事はスプルーアンスも知っている。だが、もしかしたら……という淡い期待が無かったわけではなかった。

 

「ノース・カロライナ」は第二射を撃つべく、やや沈黙する。

今頃、射撃指揮所ではサリー・デュロン中佐を始めとする砲術科員達が、着弾計算の修正を行っているのだろう。

 

続いて第二射を放つ。

各砲塔の二番砲身から紅蓮の焔が躍り、四十センチ砲弾三発を叩き出した。

一万六千メートルの距離を一飛びし、三番艦の周辺に着弾する。

水柱の姿は見えないため、精度が上がっているかはわからない。今は、サリー砲術長率いる射撃指揮所のメンバーが着弾を敵艦に近づけていることを信じるしかなかった。

 

命中弾を得るには、弾着観測を繰り返し、着実な精度アップを積み上げてゆく事が必要である。

混乱がまだ続いているのか、はたまた砲撃目標に迷っているのか、深海棲艦の戦艦三隻は沈黙を守っている。

JTFの“キング“、“クイーン”は、敵艦隊よりも先に砲撃を開始し、先手を取っているのだ。

 

 

その敵戦艦が砲撃を開始したのは、「ノース・カロライナ」が第三射を放った数秒後だった。

 

最初に一番艦のタ級戦艦が発砲し、それに続く形で二、三番艦のル級戦艦も主砲を撃つ。

撃った瞬間、吊光弾とは比べ物にならないような光量が閃らめき、くっきりとした艦影を洋上にさらけ出した。

 

すでに彼我の巡洋艦、駆逐艦の間でも戦端が開かれており、敵戦艦と「ノース・カロライナ」の間の海域では中口径砲や小口径砲の閃光が立て続けにきらめいている。

敵弾群はその海域の頭上を北東から南西に飛び、味方戦艦に殺到してくる。

 

(どの艦を狙ってくるのか…)

 

そんな中、スプルーアンスは独り言ちた。

 

現在、JTFの戦艦部隊は英戦艦二隻で一番艦のタ級に集中砲火を浴びせており、二番艦には「コロラド」を、三番艦には「ノース・カロライナ」を差し向けている。

 

自らを砲撃している戦艦を狙うのか。はたまた先と同じように米戦艦に火力を集中するのか……

 

 

特急列車が鉄橋を通過する音にも例えられる飛翔音が轟き始め、空気を震えさせる。

それが途切れた時、「ノース・カロライナ」の周辺の海面が滾り、八本の水柱が矢継ぎ早にそそり立った。

弾着位置は遠いようで、突き上がってくる水中爆発の衝撃は少ない。

それでも、四発ずつの着弾の衝撃は馬鹿にならなかった。

鈍い振動が伝わり、不気味な音が艦上に響き渡る。

 

その頃、「コロラド」も砲撃を受けている。

水柱の数は三本。タ級戦艦だろう。英戦艦二隻は相変わらず見逃されたままだ。

 

「はっきりしたな」

 

スプルーアンスは「コロラド」周辺に発生している水柱を見ながら言った。

 

深海棲艦は米戦艦への集中砲火を覆すつもりはないらしい。

距離が離れている「フッド」「プリンス・オブ・ウェールズ」を放置し、タ級が「コロラド」を、ル級二隻が「ノース・カロライナ」を砲撃しているのだ。

 

 

「ノース・カロライナ」の主砲はさらに吠え、十五〜二十秒ほどの間を開けて四射、五射、六射と次々と射弾を吐き出す。

それに対抗するようにル級二隻も撃ち、タ級も撃つ。

前方を航進している「コロラド」や、Z部隊の英戦艦二隻も主砲を放ち、自らの目標へと砲弾を叩き込む。

 

「『神々の運命(ラグナロック)』だ」

 

スプルーアンスは激しい砲声の中、ムーア参謀長がそう呟くのを聞いた。

「ラグナロック」ーーー北欧神話の最後を飾る巨人と神々の最終戦争である。

地球上の支配種である人類を「神々」に、その種に猛然と挑戦して来た深海棲艦を「巨人」にたとえたのかもしれない。

人類と深海棲艦の巨艦が暗闇で激しく戦う様を、古の時代に争い合った神と巨人に当てはめだろう。

 

北欧神話で記されているラグナロックの結末は、神々も巨人族も死闘の果てに死に絶え、宇宙ともども滅亡するというものだが、スプルーアンスは共倒れなどもってのほかだと考えている。

今起こっている「ラグナロック」は、神々の勝利で幕を引かせてやる…!と、闘志を燃やしていた。

 

 

ーーー「ノース・カロライナ」は第八射で命中弾を得ることができた。

 

目標としている三番艦の中央部に爆炎が躍り、火焔が湧き出した。

無数の黒い塵が照らされながら八方に飛び散り、海面に水飛沫を上げる。

心なしか、ル級が身震いしたように見えた。

 

よし(グッド)!」

 

スプルーアンスは手を打ち、歓喜の声を上げた。

初弾命中には劣るが、八回の交互撃ち方で命中弾を得れたのは比較的早い方である。

何よりも、敵三番艦に対して先手を取れたのは何事にも代え難い快挙だ。

 

敵三番艦は中央部に火災を発生させており、薄っすらと黒煙を引きずっている。

火災で輪郭を照らし出しており、吊光弾は必要なさそうだ。

 

そんな敵三番艦は、被弾にひるむ事なく反撃の砲火を放つ。

前部二箇所と後部二箇所に発射炎が閃らめき、黒煙を吹き飛ばしならが三十六センチ砲弾四発を発射した。

その前方を進む二番艦も発砲し、「ノース・カロライナ」に向かって巨弾四発を叩き出す。

 

時間差を開けて八発の敵弾が飛来してきた。

十回以上聞いている巨弾の飛翔音だが、慣れるものではない。

周辺の大気が鳴動し始め、徐々に高まってくる轟音を聞いていると、背筋に冷たいものがよぎる。

 

それが消えた瞬間。

艦首と第一主砲塔の間の甲板が閃光と共にめくり上がり、錨揚収機を粉砕した。

数枚の鋼板や木片、鎖が右舷側に吹き飛ばされ、豪雨のように海面にばら撒かれる。

それと同時に「ノース・カロライナ」の針路上に三本の水柱がそそり立った。

 

スプルーアンスが愕然とする中、敵二番艦の射弾が着弾する。

こちらの衝撃は三番艦ほど強くなかったが、一発が被弾した。

後ろから炸裂音が届き、鈍い打撃が艦体を貫く。

 

「第六、第七両用砲大破!」

 

「ノース・カロライナ」は一切スピードを落とす事なく、極太の水柱に艦首を突っ込む。

切り崩される水柱によって大量の海水が降り注ぐ中、スプルーアンスは信じられないような思いで前部甲板の被弾箇所を見つめている。

 

「ノース・カロライナ」を砲撃している二隻のル級は、立て続けに命中弾を得たのだ。

次からは、命中率の高い計二十四発の敵弾が飛来してくる事になる。

「ノース・カロライナ」は敵戦艦よりも先に砲撃を開始し、先に命中弾を得たが、そんな余裕などどっかに吹き飛んでしまっていた。

 

二発を喰らいながらも、「ノース・カロライナ」は第一斉射を放つ。

めくるめく閃光が視界内を支配し、今までの交互撃ち方とは比べ物にならない轟音が響き渡った。

強装薬の爆発エネルギーによって叩き出された九発の主砲弾は、ライフリングによって高速回転を与えられ、ル級戦艦の装甲をぶち抜くべく飛翔する。

 

着弾する寸前、敵三番艦の艦上にも凄まじい発射炎が光った。

二番艦すら照らし出し、間を空けて雷鳴のような砲声が届く。

直後、二番艦の艦上にも発砲の閃光が走り、重々しい砲声が轟く。

 

「ノース・カロライナ」に遅れず、二隻のル級も斉射に移ったのだ。

 

それらを押し込むように、「ノース・カロライナ」の第一斉射弾が落下した。

 

ル級戦艦の周囲に七、八本の水柱が林立し、後部に二回。直撃弾炸裂の火焔が湧き上がる。

さっきの被弾以上に艦体が震え、爆炎と破片が飛び散った。

 

水柱が引くと、艦後部にも火災が発生していることがわかる。

同時に、大規模な黒煙を発生させている。

第一斉射は三番艦に対して大きな被害を与えたのだ。

ル級の防御力は、四十センチ砲に対応したものではないのかもしれない。

 

入れ替わるようにして、敵戦艦の斉射弾が飛来する。

 

スプルーアンスが体を強張らせた刹那、敵弾が着弾した。

轟音と共に飛来した敵弾は「ノース・カロライナ」の至近に水柱を突き上げさせ、三度、後方から破壊音が響く。

 

被害報告が上がる前に、敵二番艦の斉射が着弾した。

 

再び至近弾の衝撃が艦を震わせ、艦底部から水中爆発の打撃が突きあがる。

それらの衝撃と競い合うように、頭上からハンマーで一撃されたかのような衝撃が艦橋を震わせた。

全員がよろけ、数名が転倒する。

新鋭戦艦の真新しい巨体が大きく揺れ、金属的な叫喚を鳴り響かせた。

 

どの程度の被害を受けたかは分からないが、二隻のル級を合わせて四発の巨弾が「ノース・カロライナ」を抉ったらしい。

条約の制約から逃れ、様々な新技術を取り入れた最新鋭戦艦とは言え、このまま何十回と斉射を受ければ被害が重なり、戦闘不能になることもあり得る。

 

スプルーアンスや艦橋要員の焦慮の気持ちは、徐々に大きくなっていった。

 

続く第二斉射では二発を喰らう。

一発は主砲の正面防楯に直撃し、鉄塊同士をぶつけたような音と共に弾き返されるが、二発目は艦橋直下に並べられている機銃座群を薙ぎ払った。

空の脅威から艦橋を守るために並べられていた一基のボフォース四十ミリ機銃座と六基のエリコン二十ミリ単装機銃が瞬時に鉄くずと化し、原型ととどめない無数の金属片が飛び散る。

 

艦橋に近いため、今までで一番の揺れが艦橋に襲いかかった。

左側の窓ガラスが粉微塵に砕け散り、大量の破片がスコールのように艦橋を叩いた。

信号員二人が血飛沫と共に弾け飛び、艦橋内に破片が舞った。

銃弾のような破片を受けた艦橋内の将兵は倒れ伏し、絶叫を上げる。

 

第三斉射では二番艦と三番艦で、合計五発を浴びる。

艦首甲板を大きく抉り取られて木片が吹っ飛び、直撃を受けた煙突は、首をはねられたように上半分を右舷海面に落下させる。

その影響で噴煙が逆流し、機関士達が咳き込んでいる最中、艦尾にも三十六センチ砲弾が命中した。

水偵収容用のクレーンと二基のカタパルトが木っ端微塵に爆砕され、甲板の鋼板共々航跡上にばら撒かれる。

残りの二発は艦中央の重要防御区画(ばイタルパート)に弾かれるが、命中した三ヶ所からは大規模な火災が発生し、「ノース・カロライナ」は三条の黒煙を引きずり始める。

 

第四斉射では、今までで最大の六発を喰らった。

内二発は主砲防楯や艦中央が弾き返して事なきを得るが、残り四発は甲板や装甲を貫いて内部で炸裂する。

一発は第三主砲塔の脇に命中し、バーヘットと電気回路を大きく傷つけた。

一軒家もの大きさの主砲が台座を歪ませされて傾き、旋回不能になる。

電路を破壊された事によって砲塔の照明が消え失せ、内部は暗闇に包まれた。

 

二発目は二番煙突と第三砲塔の間に位置している後部艦橋を直撃した。

軽巡クラスの小柄な艦橋が一撃で爆砕され、そのてっぺんに備え付けられてあった箱型のMk.37砲射撃指揮装置が甲板に落下する。

後部艦橋に寄り添うように屹立していたマストは中間あたりでへし折られ、右舷側の海面に倒れ込む。

 

三発目は第二煙突の基部に命中した。

周囲に並べられていた短艇をバラバラに吹き飛ばし、巨大な爆炎が躍る。

幸い、機関室に被害を及ぼすことはなかったが、高さ二十メートル以上の煙突が根元から引きちぎれ、両用砲を潰しながら右舷側に横転した。

 

四発目は「ノース・カロライナ」の教会の尖塔のような艦橋の頂点に命中する。

ノース・カロライナ級戦艦で新たに採用された二重防御式の円柱形艦橋が、ル級の巨弾を受けた刹那、真っ赤に膨れ上がり、砕けた。

大量の火の粉が飛び散る中、尖塔がハンマーで叩き潰されたブリキ缶のように変形し、測距儀や射撃管制レーダー、射撃指揮所までもがサリー・デュロン砲術長ら砲術科員達と共に爆砕された。

 

これで「ノース・カロライナ」は射撃中枢を失い、正確な射撃は不可能となったが、敵三番艦からの斉射弾はこれが最後だった。

 

「敵三番艦、速力低下!」

 

見張員が歓声を上げる。

スプルーアンスは、大火災によって浮かび上がっている敵三番艦を見やった。

眼下の機銃座から発生する黒煙で視界が悪いが、煙の合間から落伍しつつある三番艦の姿を見ることができる。

 

敵三番艦のル級は、原型を留めていない。

特徴的だった三脚マストと二本の煙突は跡形もなく消失しており、代わって大量の黒煙を据えている。

四基の三連装主砲も、前部二基後部一基の計三基が破壊されており、生き残った主砲も火を噴くことはない。

いたるところで火災を発生させており、その光が徹底的に破壊され尽くした艦上の有様を暗闇にさらけ出させていた。

 

 

多数の巨弾を被弾する中、「ノース・カロライナ」は三番艦に対して五回の斉射を実施し、交互撃ち方を含めると十発以上の四十センチ砲弾を直撃させている。

 

盟邦日本が、海軍史上類を見ない四十六センチ砲を搭載した「ヤマト」を就役させ、世界最強艦砲の座を譲った四十センチ砲だが、三大海軍国の海軍休日を支え、二十年以上に渡って最強艦砲であり続けた強力な砲である。

その破壊力は絶大であり、五回の斉射で敵三番艦を戦闘不能に陥れたのだ。

 

 

だが、「ノース・カロライナ」も手痛い被害を受けている。

艦橋の頂点に敵弾を喰らい、射撃中枢を破壊されたのはかなり致命的だった。

 

「敵二番艦は…」

 

スプルーアンスは、二番艦へと視線をずらす。

 

二番艦には「コロラド」が砲撃を実施している。

同艦は1923年就役の旧式戦艦とはいえ、ノース・カロライナ級と同じ四十センチ砲搭載艦である。

ビックセブンの一員でもあり、長らく合衆国最強の戦艦だった船だ。

 

そんな艦が砲撃しているんだ。そろそろ戦闘不能になるだろう…という思いがスプルーアンスにはあったが、その想いは裏切られることとなる。

 

敵二番艦は後部からかなりの黒煙を引きずっており、火災も発生しているが、戦闘力は失っていない。

黒煙を吹き飛ばし、火災を揺らめかせ、新たな斉射を放った。

 

「司令、『コロラド』が!」

 

その時、ムーア参謀長が正面を指差しながら叫んだ。

反射的に正面の海域を見る。

 

その視線の先には、巨大な火焔を背負い、傾きながら右に回頭する「コロラド」の姿があった。

 

「『コロラド』、隊列を離脱します」

 

「『コロラド』より入電。“我、操舵不能。戦列維持困難ナリ”」

 

見張員が報告し、次いで奇跡的に通信アンテナが残っていたのだろう…通信士が報告を上げた。

 

「やられたか…!」

 

スプルーアンスは苦り切った声を上げた。

 

「コロラド」は敵二番艦を砲撃していたが、一番艦から砲撃を受けている。

タ級からの砲撃に耐えきれず、舵を破壊されたのだろう。

舵を破壊されれば、いかに「コロラド」ほどの巨艦だろうと、海流によって流されてしまう。

 

 

敵二番艦の斉射が落下してくる。

 

着弾した刹那、衝撃が「ノース・カロライナ」を貫き、後部から敵弾炸裂の轟音が二度届いた。

怒号と化した被害報告や対処命令が艦橋内を飛び交い、ムーア参謀長が「どうするんですか?」と言いたげな顔を向けてくる。

 

「コロラド」がやられた以上、手負いの二番艦は「ノース・カロライナ」単艦でどうにかしなけばならない。

隊列前方の英戦艦二隻に対して、タ級を戦闘不能にできていないところを見ると、援護を求めることもできないだろう。

“ルーク”や“ナイト”も、敵巡洋艦や駆逐艦の牽制で手一杯のようだ。

 

「“キング1”針路90度。最大戦速」

 

スプルーアンスは凛とした声で命じた。

それを聞いた艦橋要員らは、皆一様に目を剥いた。

針路90度は、敵戦艦に肉薄する針路である。「ノース・カロライナ」はすでに中破以上の被害を被っており、そんなことをしたら被害がかさみ、最悪沈没もあり得るかもしれない。

 

「そ、そんなことをしたらタ級からも砲撃を受けるかもしれませんし、それに至近距離から放たれる三十六センチ砲弾は『ノース・カロライナ』のバイタルパートでも余裕で貫通されます」

 

「90度だ」

 

ムーアの言葉に、スプルーアンスは有無を言わさない口調で言った。

 

スプルーアンスはムーアの言いたいことは理解している。

針路90度に変針すれば、「コロラド」を撃破したタ級戦艦も、「英艦隊よりも狙い易い」と見て「ノース・カロライナ」を砲撃をするかもしれないし、距離が詰まればバイタルパートのどこに命中しても、三十六センチ砲弾はたやすく貫通するだろう。

 

だが、射撃指揮所を失い、射撃精度が著しく低下させた「ノース・カロライナ」が敵二番艦を仕留めるには、これしかなかった。

 

素早く動いたのは、ステンレス艦長だった。

 

「取舵一杯。針路90度!」

 

「ノース・カロライナ」は一分ほど直進した後、艦首を左に滑らせる。

その間に新たに一発を食らったが、主砲の正面防楯で弾き返した。

 

「舵中央!」

 

90度。すなわち真東を向く手前でサイモン・キッド航海長が操舵室に下令し、余力で「ノース・カロライナ」は90度に乗る。

直進に戻ると、左前方に敵二番艦が、右前方に敵一番艦が見えている。

 

「至近距離の砲戦でカタをつける……!」

 

その二隻を睨みつけながら、スプルーアンスは覚悟を決めて言うのだった。

 

 

 

 

第六十話 「巨艦激闘」







感想待っとります!
次あたりで決着かなぁ〜と…たぶん


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第六十一話 死闘の果てに





決着ですかね


 

1

 

「最大戦速。突っ込め!」

 

航海長のサイモン・キッド中佐が顔を引きつらせながら叫んだ。

 

今までコロラド級に合わせて二十一ノットで航行していた「ノース・カロライナ」は、最大速度の二十七ノットに増速する。

十二万七千五百馬力と、条約型戦艦の四倍以上の力をもつ推力機関が全力運転を開始し、周辺の海面を泡立せる。

艦の鼓動が徐々に高まり、風切り音が響き始めた。

 

針路90度に乗ったため、左前方に敵二番艦を、右前方に敵一番艦をそれぞれ遠望することができる。

ル級戦艦の距離は一万メートル程だが、タ級戦艦とは一万メートル以上の距離が開いている。二隻とも火炎を背負っており、海上にその姿を浮かび上がらせていた。

 

「射撃目標、二番艦のル級。各砲塔の直接照準で行く」

 

ステンレス艦長が、艦橋付の砲術士に言う。

砲術士は素早く第一、第二砲塔への艦内電話に飛びつき、二、三語でステンレスの命令を伝達した。

今まで左真横を向いていた主砲二基がゆっくりと正面に近い左前方へと旋回し、計六門の砲身に仰角をかける。

 

艦橋トップと後部艦橋の射撃指揮所はル級の主砲弾で爆砕され、測距儀と射撃管制レーダーは使用不能に陥っている。

砲術長も戦死し、「ノース・カロライナ」は射撃管制の中枢を失ってしまった。

各主砲塔にはそれぞれ個別で小型測距儀が搭載されており、射撃は可能だが、正確さは望めない。

 

それでも、ル級戦艦に肉薄することで、命中精度を高めることはできる。

 

スプルーアンスがやろうとしていることは、まさにそれだった。

 

 

ル級が発砲するのと、「ノース・カロライナ」が発砲するのは、ほとんど同時だった。

左前方にめくるめく閃光がほとばしり、ル級の艦影を浮かび上がらせた刹那、目の前の第一砲塔が発砲し、続いて第二砲塔も発砲した。

二基とも斉射だ。二人の砲台長は、発射弾数を増やすことで命中率を高めようと考えているのかもしれない。

 

ほぼ正面に向けてぶっ放したため、「ノース・カロライナ」がやや制動されたような錯覚をスプルーアンスは味わった。

 

主砲発射の残響が消える頃、それに代わるようにして敵弾の飛翔音が轟き始める。

湿気を含んだ南国の空気が振動し、名状しがたい威圧感が「ノース・カロライナ」を包み込む。

 

それが途切れた瞬間、「ノース・カロライナ」の左舷に十本前後の水柱が奔騰した。

巨体が右に仰け反り、艦体がやや軋む。

敵弾が浅い角度で海面に突入したからだろう、水柱の形は今までの「柱」ではなく、逆円錐状の形に変化し、大量の海水を舞い上げさせていた。

 

そんな中、ル級の手前にも水柱が上がり、神隠しのように敵戦艦の姿を隠す。

一瞬轟沈したようにも見えるが、数秒後に水柱が引くと、先と変わらない健全な姿で前進を続けている。

 

「ノース・カロライナ」も、ル級戦艦も発砲を繰り返す。

ル級は四十秒ほど毎に、「ノース・カロライナ」は前部主砲二基が交互に撃っているので十五、六秒毎に、それぞれ射弾を叩き出す。

六発の四十センチ砲弾と、十二発の三十六センチ砲弾が飛び交い、至近距離に着弾しては異形な水柱をそそり立たせる。

 

有効射程に入ったのだろう。

ステンレス艦長が「両用砲、射撃開始!」を下令した。

一拍の間を開けて、左舷側の生き残った両用砲がル級に対して火を噴き始める。

主砲には劣るものの、独特の凄みをもつ砲声が立て続けに轟く。

主砲より発射音、衝撃共に少ないが、なんと言っても数が多い。

主砲が一回撃つ度に三、四回発砲し、大量の十二.七センチ砲弾をル級に浴びせる。

 

事はル級戦艦でも同様だ。

主砲の発射光に紛れて、上部構造物の側面に小規模な発射炎を立て続けに閃らめかせる。

やや間を開けて着弾し、「ノース・カロライナ」の周囲に小さな水柱を多数、噴き上げさせ始めた。

 

お互い、ほぼ直角に交わる針路に沿って進んでいるため、距離は一万、九千、八千、七千メートルと、どんどん近づいてゆく。

ついさっきまで水平線近くに浮かぶボートのようだったル級戦艦が、瞬く間に大きくなって行き、艦上の細部まで把握できるようになる。

 

「距離五千五百ヤード(約五千メートル)!」

 

の報告が入った時、「ノース・カロライナ」を凄まじい衝撃が襲いかかった。

新型戦艦の巨体がサンフランシスコ大地震のように震え、艦橋の全員が悲鳴と共に倒れ伏す。

スプルーアンスも耐えきれず、床に這った。

艦内の照明が激しく点滅し、艦上に堆積された残骸が海面にばら撒かれる。

上部構造物同士が共鳴し、不気味な異音が「ノース・カロライナ」を包み込んだ。

 

「ど、どこに喰らった⁉︎」

 

スレンレス艦長が、顔を蒼白にしながら叫んだ。

五千五百ヤードの距離は、戦艦同士が撃ち合うに近すぎる。

 

「ノース・カロライナ」は艦齢が若く、装甲の耐久力も三十六センチ砲程度なら跳ね返すことが可能だが、それは想定内の決戦距離に限られる。

六千ヤード以下の至近距離は想定外であり、そんな距離から放たれた三十六センチ弾を受ければ、だった一発でも戦闘不能にされる可能性があった。

 

「艦首大破!」

 

いち早く被弾箇所を発見したのだろう、サイモン航海長が報告する。

 

ル級から放たれた巨弾の一発が、「ノース・カロライナ」の艦首に浅い角度で直撃したようだ。

丸みを帯びた艦首は原型を留めておらず、ごっそりとえぐり取られている。

さっきの衝撃は、凄まじい打撃力が「ノース・カロライナ」の艦首から艦尾までを串刺しにしたものだったのだ。

 

幸い、浸水は発生していない。

「ノース・カロライナ」は艦首を破壊されながらも、敵二番艦との距離を詰める。

 

 

以来、お互いに命中弾は得られない。

副砲弾は命中しているようだが、巨弾が互いの装甲を貫くことはない。

二隻の巨艦は高速で海面を移動し、位置関係は目まぐるしく変化している。

そんな状態で主砲弾を直撃させるのは、至難の業のようだ。

 

「ノース・カロライナ」の方が速力が上なのだろう、ついさっきまではほぼ真っ正面に向いていた二基の主砲が、時間が経つにつれて左に旋回し、距離三千メートルをきる頃には左真横を向いている。

逆にル級は頭を抑えられることとなり、射界から外れた後部主砲が使用不能になっている。

「ノース・カロライナ」も敵弾を喰らって後部主砲が旋回不能なため、使用可能な主砲の門数は互角になっていた。

 

 

 

決着は唐突に着いた。

 

 

 

飛来する敵弾の一発が、「ノース・カロライナ」の艦橋を左から右へ貫く。

左側の壁が瞬時に切り裂かれ、壁を構成していた資材が大量の破片となって艦橋内にぶちまけられた。

艦橋内の要員の大半は自分の身に何が起こったかを理解する前に即死し、天地がひっくり返った…と思わせる程の振動によって弾き飛ばされる。

 

「……!」

 

スプルーアンスも例外ではない。被弾した刹那、破局を予感する。

真っ赤に染まった巨弾が内部を通過し、衝撃波で隔壁に叩きつけられた。

無数の鋭利な破片が身体中をえぐり、巨大な破片が右腕を切断する。

凄まじい激痛に喘いだ刹那、頭部を強打し、意識を暗転させた。

 

 

ーーー艦橋内に左から突入してきた三十六センチ砲弾は、将兵をなぎ倒しながら右の壁を貫き、艦橋外へ飛ぶ。

敵弾は炸裂しなかった。距離が近すぎ、信管が作動しなかったのかもしれない。

しかし、艦橋をかすっただけであったが、敵弾は一秒に満たない間に「ノース・カロライナ」の艦橋内部を地獄へと変化させたのだ。

 

 

 

そんな中、「ノース・カロライナ」が被弾する直前に放った四十センチ砲弾も、ル級戦艦を捉えている。

緩やかなカーブを描いて着弾した六発のうち、二発が命中した。

 

一発は艦首喫水線下に飛び込み、ここで炸裂する。

魚雷直撃に匹敵する打撃が喫水線下を粉砕し、大穴を穿つ。

大量の海水が怒涛の勢いで侵入し、瞬く間に第一砲塔直下まで海水が到達した。

ル級の巨体が前のめりになり、速力が落ちる。

 

この一発のみでも致命傷だが、二発目ではより決定的な破局が訪れた。

 

至近距離から放たれた四十センチ砲弾は、ほとんど初速を失うことなく第一主砲塔を貫通し、弾薬庫で炸裂したのだ。

三本の砲身が宙を舞い、主砲の天蓋、側面が内側から食い破られた。

跡形もなくなった主砲跡から巨大な火柱がそそり立ち、多数の火の粉と塵が八方に飛び散る。

多数の砲弾が同時に誘爆し、凄まじい爆風と火焔が艦内を蹂躙した。

雷鳴を数十倍にしたような大音響と共に艦体が二つに切断され、断面部分が溶鉱炉から取り出した鉄のように真っ赤に染まる。

 

二つに分離した艦体のうち、一発目によって浸水が進んでいた前部はすぐに海面下に引きずり込まれ、後部は水蒸気を発しながら漂い始めた。

弾薬庫誘爆を受けたル級は前部二割を引き千切られて停止し、黒々とした黒煙を上げ始める。

果敢に発砲していた主砲は全て沈黙し、艦体は前から後ろまで全て業火に焼かれていた。

 

 

大戦果な筈だが、「ノース・カロライナ」の艦橋でその戦果を喜べるものは一人もいない。

合衆国が満を持して送り出した新鋭戦艦は、数十発の三十六センチ砲弾を艦体や上部構造物に喰らったことにより、完全に戦闘力を喪失していた。

 

深海棲艦の戦艦を打ち破った人類艦隊の旗艦は、撃沈確実となった敵戦艦を目の前に、傷ついた体をマニラ沖に浮かべ続けていた。

 

 

 

2

 

ベネディクト・カミングス軍曹は、「ノース・カロライナ」ダメージ・コントロール・チーム第三班のチーフを務めていた。

“セントラル・ガード”作戦発動時は、艦内の即応待機室で隊員と共にに詰めており、「ノース・カロライナ」が被害を受けた時には、素早く現場に急行できるように待機していた。

 

いざ海戦が開始されてみると、中盤まで「ノース・カロライナ」は被雷も被弾もしなかったが、敵戦艦との砲戦に移ると、今まで無傷だったのを取り戻すかのように、怒涛の勢いで被弾し始めることになる。

そんな中、カミングスの三班は自らの担当区画のみならず、時には防火服に身を包んで火災に立ち向かい、浸水報告があれば隔壁補強用の木材を片手に艦底部まで降り、被害箇所に負傷者がいたら応急処置を施し、鍛え抜かれた肉体を駆使して医務室まで運んだ。

 

 

そんな作業を開始してから早30分。身体が疲労を感じ始めた頃、ダメコン第一班チーフのトーマス・ガッシュ少尉がすれ違いざまにカミングスに言った。

 

「カミングス、羅針艦橋がやられたらしい!急行してくれ!」

 

了解(アイサー)!」

 

カミングスは短く返答し、次いで隊員を振り返った。

 

「艦橋に行くぞ。誰か軍医を引っ張って来い」

 

全てを言い切る前に、艦橋へ繋がる階段(ラッタル)へと足を向ける。

一人の隊員が医務室へ走って行き、残りはカミングスに続いてラッタルを駆け上る。

 

(さっきの衝撃か…)

 

ラッタルを登り、いくつもある隔壁をまたいで艦橋へ向かう中、さきの出来事がカミングスの脳裏をよぎった。

 

「ノース・カロライナ」が変針した後、二度の強烈な衝撃があった。

一つ目は艦首方面からであり、正面から後方までを衝撃波が貫いたのを覚えている。

二つ目は頭上から来た。

ハンマーで頭を一撃されたような打撃が艦を振動させ、同じく頭上から金属的な破壊音が響き渡ったのを覚えている。

 

その時は「もしや…」と思っていたが、カミングスの予感通り、艦橋が直撃弾を受けていたようだ。

艦橋ではレイモンド・スプルーアンス少将をはじめとするアジア艦隊司令部が指揮をとっていたはずであり、ステンレス艦長やサイモン航海長、サリー砲術長をはじめとする艦首脳もいたはずだ。

直撃弾を受けたなら、重症を負っているかもしれない。最悪、有能な士官をうしなうかもしれない

 

カミングスは、彼らの安否が心配だった。

 

 

艦内地図は頭に入っており、素早く艦橋前に到達する。

被弾で歪んでいた隔壁を取り外し、到着した軍医と共に艦橋内になだれ込んだ。

 

艦橋内に入った瞬間、カミングスは絶句する。

第三班隊員の目の前に、凄惨な光景が広がった。

 

「これは…!」

 

所属軍医の一人であるクリストファー・マイルズ軍医が、驚愕の声を上げる。

 

艦橋の左右に大穴が開いており、床には無数の斬死体や肉塊が横たわっている。明らかに人体の一部だとわかるものも、鉄屑と共に転がっている。

血の匂いが鼻を突き、穴から入ってきた煤煙を含んだ風がカミングスの頰を撫でた。

 

「かかれ!」

 

数秒間呆気にとられていたカミングスだが、自らのやらなければならない役割を思い出し、我に帰る。

そして隊員に向かって大声で言った。半分は、自分自身に対してだった。

 

足の踏み場もない惨状だが、ダメコン要員は負傷者の捜索を開始する。

 

(生存者はいないかもしれん)

 

カミングスは横たわっている将兵を一人一人確認するが、息をしているものはいない。

五体満足な遺体は一つもなく、肉塊が血の泥濘の中に浮かんでいるようにしか見えないものもあった。

砲弾の直撃は、艦橋内部をこれほどの地獄に変えてしまうものなのか…と、カミングスは呟いた。

 

「生存者だ!」

 

カミングスの胸中に絶望感が湧き出した時、隊員の声が艦橋内に響いた。

カミングスは声を発した隊員の方へと向かい、砲弾直撃を生き延びた負傷者と対面する。

制帽は被っていないが、明らかに将校クラスの軍服に身を包んだ初老の男性だ。

意識はあるようで、半開きの瞼で周囲を見渡している。

軍服はところどころが擦り切れ、穴が空いている。そうではないところも、黒い煤や血がこびりついてる。

暗闇も相まって、はっきりと誰なのかは分からなかった。

 

「しっかりしろ!」

 

カミングスはなるべく大きい声で呼びかけ、生存者の背中に手を回す。

マイルズ軍医と担架を持った二人の水兵が飛んできて、生存者を取り囲んだ。

 

ここでカミングスはあることに気付き、ぎょっとした。

この生存者には右手がない。二の腕の中間部から先が無く、断面から鮮血が垂れ流れている。

 

「……艦……勝った…か……?」

 

右腕を落とされながら、生存者は口を開いた。

モゴモゴとしており、カミングスには聞こえなかったが「喋らないでください。今、ドクターが応急処置を行います」となるべく安心させるように言った。

 

だが、生存者は黙らなかった。

左手でカミングスの肩を掴み、顔を近づけながら大きな声で言った。

 

「…艦隊、は……勝ったか?」

 

今度はカミングスにも聞き取ることができた。

それを聞いて困惑する。

自身はひたすら艦内でダメージ・コントロールに駆け回っていたため、海戦の戦況は考えの外だった。

 

「勝ちました、提督。敵艦隊は全滅です」

 

マイルズ軍医が、止血処置を施しながら言った。

それが生存者を安心させるために言った嘘なのか、事実なのか、カミングスには分からなかった。

「提督」と言われた男性は、それを聞くとゆっくりと瞼を閉じ、微笑を浮かべる。

 

「止血はやった。モルヒネも効いてる。担架で運び出せ」

 

処置を終えたマイルズ軍医は水兵二人に言い、立ち上がる。

 

「チーフ。他に生存者はいません。駆逐艦が近づいてきています」

 

部下が報告を上げる。

それを聞いて船外を見渡すと、二隻の駆逐艦が接近してくるのがわかった。

艦影から、味方のベンソン級駆逐艦だろう。「ノース・カロライナ」の消火活動に協力しようとしているのかもしれない。

 

「戻るぞ!」

 

カミングスは一喝するように言った。

 

 

「ノース・カロライナ」は戦闘不能で戦列を離れたが、ダメージ・コントロール・チームの戦いは終わらない。

逆に、新しい局面に入ったと言えよう。新鋭戦艦を母港に返す戦いが、今始まったのだ。

 

 

 

 

 

第六十一話「死闘の果てに」








決着!
感想待っとります


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第六十二話 終焉の光





極東打通作戦完遂


1

 

“KD”作戦の最終局面は、第三次ルソン島沖海戦の翌日ーーー10月7日に始まった。

 

 

一群の航空機が、ルソン島上空を北から南へ飛行している。

 

機種は三種。

群の約半分を締める航空機は、葉巻のような胴体に、広い翼面積の翼をくっつけた中型爆撃機である。

機体は深緑に塗装され、主翼には一基ずつ、計二基の発動機をぶら下げた双発機であり、その主翼には赤々とした日の丸が描かれている。

 

日本帝国海軍が採用した最新の陸上攻撃機、一式陸攻だ。

 

その機体が合計四十六機、地上すれすれの低空をひたすら南へと向かっていた。

その編隊を周りを、二十七機の戦闘機が固めている。

華奢な体つきだが、凄まじい旋回性能と二十ミリ機銃二門の高火力を持ち、一躍日本軍最強戦闘機に駆け上がった零式艦上戦闘機である。

 

更にこれら七十三機の前方には、双発双胴の異様な機体ーーーP38“ライトニング”が二十四機、日本軍航空部隊の露払いのように展開していた。

 

「敵戦闘機は来ない…か。やはり、飛行場姫は完全に破壊されたようだな」

 

合計九十六機の攻撃隊の指揮を執る高雄航空隊飛行隊長の高嶋稔(たかしま みのる)少佐は、小さな雲が散らばる空を見上げながら呟いた。

 

 

10月6日の早朝から始まったルソン島制空権奪還戦は、辛くも人類の勝利で終わり、深海棲艦の飛行場姫を全て破壊した。

高嶋率いる攻撃隊の任務には、ルソン島の敵航空基地が完全に破壊されているかを確かめることも、その一つに入っている。

クラーク飛行場姫の至近を飛行し、甲型戦闘機が迎撃してくるのか確かめるのだ。

 

攻撃隊の現在位置は、クラークの北方四十浬。

至近距離とは言い難いが、航空機では数十分で到達できる距離である。

その距離に至るまでに敵機の迎撃はないため、高嶋の「飛行場姫は完全破壊されている」とい考えは確信に変わっていた。

 

 

ーーークラーク上空を通過してから十数分後。

 

「“ソルト・リーダー”より“アーチャー1”。()()を視認」

 

前方を進む“ソルト”の呼び出し符丁をかされたP38隊から、「目標」を視界内に捉えた旨、報告が入る。

 

(牙城…ね)

 

高嶋は、米軍戦闘機隊指揮官からの通信を反芻した。

 

確かに、これから爆撃する所は「牙城」の名にふさわしい。

長らく深海棲艦極東領域の本拠地とみなされており、人類の侵入を頑なに拒み続けた場所だ。

接近を試みた人類の部隊は、艦艇、航空機問わず、潜水艦でさえも熾烈な攻撃に晒され、多くの優秀な将兵が命を散らし、撃退された。

その「牙城」は、深海棲艦の一大軍事拠点たるルソン島の中央に位置し、三つの飛行場姫に囲まれ、近郊のマニラ湾には、強力な敵極東艦隊が睨みを利かせていた場所である。

深海棲艦の一大戦力が集結しており、3月1日以来人類が一歩も踏み入れることのできなかった魔の領域だ。

 

日本にとっては、南方油田航路を断ち切る巨大な楔として、アメリカにとっては、極東に保有する唯一無二の侵略された自国領土として、イギリスにとっては、インドやマレーを脅かし大英帝国の威信を失墜させようとする仇敵として、長らく存在していたのだ。

 

 

だが、それは終焉を迎えようとしている。

 

「牙城」を守るように展開していた三つの飛行場姫も、マニラ湾の強大な極東艦隊も、日米英軍の真正面からの大作戦によって打ち砕かれ、作戦の巨大な障壁となっていたハワイの太平洋艦隊も、第一艦隊によって大損害を与えられ、敗走した。

 

今や「牙城」の攻撃を遮るものは何もない。

人類は大きな被害を被りつつも、勝利への道を切り開いたのだ。

 

 

 

「“アーチャー1”より“アーチャー(高雄航空隊)”、“三沢航空隊(セイヴァー)”全機。爆撃高度へ上昇せよ、最後に深海棲艦に綺麗な花火を見せてやれ!」

 

「応!」

 

高嶋の鼓舞する声に、陸攻搭乗員の返答が唱和する。

 

合計四十六機の一式陸攻は、高嶋機を先頭に上昇に転ずる。

今までは敵戦闘機に備えて低空を飛んでいたが、飛行場姫が破壊されているのを確認したため、律儀に低空飛行をする必要はない。

 

五十機程の陸攻が上昇する様は、「ここは人類の空だ」と言っているように思えた。

 

 

高度が上がるにつれて、目標が見えてくる。

今までルソン島の激しい起伏の地形に邪魔されて見えなかったが、間違いない。攻撃隊の目標たる「南方棲鬼」だ。

 

「あれが…『南方棲鬼』か…」

 

高嶋は陸攻隊を誘いつつ、呟いた。

 

マニラ湾のほとりーーー旧マニラ市街地の中心にそびえ立つ巨大構造物だ。

自動車のタイヤを横に倒したような低い円柱形をしており、一見すると馬鹿でかい樹木の切り株にも見える。

緻密な写真分析によると、標高は149mで直径は547m。このような巨大な建造物は日本にはなく、世界中にもない。

 

写真で見るものよりも大きく見え、腹に抱いて来た八十番(800kg徹甲爆弾)で破壊できるのか?という疑問が、高嶋の能力をよぎった。

だが部隊は爆撃コースに入っている。ここは少しの疑問など断ち切り、爆撃に集中しようと自らに言い聞かせた。

 

 

その時、南方棲鬼の周辺に多数の発射炎が閃らめいた。

高嶋が息を呑んだ刹那、一式陸攻四十六機の周囲に対空砲弾炸裂の爆発が立て続けに発生する。

 

「…!」

 

高嶋は歯を食いしばりながら、爆撃手の指示に従って機体を操る。

 

事前の打ち合わせで「南方棲鬼周辺の対空砲は強力で、何機もの偵察機が撃ち落とされている」と注意を受けていたが、これは想像以上だ。

息つく間もなく敵弾が炸裂し、衝撃波が機体を揺らし、弾子が雨だれのような音を立てて機体を叩く。

 

高嶋機の左後方を追走していた陸攻が被弾した。

正面で敵弾炸裂の受けたため、機首の爆撃手席が瞬く間に粉砕され、飛来した弾子によって二名の操縦士が即死する。

弾丸のような勢いを持った破片がエンジン内に飛び込み、右主翼のプロペラが黒煙を吐き出しながら停止した。

 

「“アーチャー14”被弾!」

 

尾部の機銃座を担当する兵が、報告する。

高嶋は罵声を発しながらも、機体を爆撃コースに乗せ続けた。

 

 

二機目の被弾機は、そのさらに後方を追っていた陸攻だった。

位置的に、“セイヴァー”隊の機体だったかもしれないが、真相は定かではない。

 

バックミラーに写っている陸攻が、敵弾炸裂の硝煙に遮られ見えなくなった…と感じた刹那、右主翼をばっさりとちぎり飛ばされた陸攻が、その下から姿を現す。

その陸攻はきりもみ状態になりながら高度を下げ、ルソンの深緑の大地に激突して爆炎を躍らせた。

 

三機目は超至近距離で炸裂を受けた。

瞬時に巨大な機体が粉々に砕け散り、搭載していた八十番が誘爆したのか…一際大きな爆発を空中にひき起した。

八方に散った無数の破片が、一つ一つ白煙を引きずりながら地面へと向かう。

 

「まずいな」

 

高嶋は小さく呟いた。

 

陸攻隊は二十、三十機がいっぺんに墜とらされているわけではない。

全体の機数を見ても、被害は少ないだろう。

だが、それでも一機、また一機と撃墜されては、巨大な南方棲機を破壊できるだけの投弾数に間に合わなくなるもしれない。

 

「戦闘機隊、突入します!」

 

その時、副操縦士の山上直樹(やまがみ なおき)中尉が、歓喜の声を上げた。

高嶋が下方を見下ろすと、南方棲鬼に接近するP38隊の姿と、それに続く零戦隊の姿が見えた。

 

陸攻隊の苦境を見て、日米戦闘機隊が敵対空火器の制圧にかかったのだ。

 

 

先陣を切って突入したP38が対空砲の集中砲火を浴びてバラバラに砕けるが、後続のP38は怯むことなく距離を詰め、機首に集中搭載した機関砲を敵高射砲台に叩き込む。

 

多数の火花が砲身や台座に散り、黒煙を上げて動かなくなる。

その直後には頭上を風を巻いてP38が通過し、投下された500kg爆弾二発を叩きつけた。

高射砲は台座ごと爆砕され、周辺の土砂と砲身が吹っ飛ばされる。

 

敵対空砲陣地に突入したP38は手当たり次第に機関砲弾を乱射し、対空砲制圧用に搭載して来た陸用爆弾を投下する。

何条もの爆炎が上がり、破壊された砲座は鉄くずに変化し、その骸を横たえる。

 

やや遅れて、零戦も攻撃に加わる。

陸攻の護衛として来たために爆弾は搭載していないが、P38よりも火力の高い機関砲と、その俊敏さを駆使して敵の砲座を一つ、また一つと沈黙させていく。

 

敵の高射砲は素早く動く戦闘機に追従できないが、近接防御用に配されていた敵機銃座が、我こそはと火を噴く。

機銃弾を受けた零戦は大きな火焔とともに砕け、被弾したP38は白煙を引きずりながら南方棲鬼の上空をのたうつ。

 

だが、反撃の射弾を放った機銃座は戦闘機パイロットに目をつけられ、無数の機体が殺到する。

なおも機銃弾を吐き出し続けるが、人類の戦闘機はひらりと躱し、多数の20mm弾、12.7mm弾、7.7mm弾を叩き込んだ。

機銃座は沈黙し、落下して来た500kg爆弾によって徹底的に破壊された。

 

それでも、生き残った敵対空砲は南方棲鬼を守るべく、攻撃を続ける。

戦闘機隊の爆撃や機銃掃射によって大多数が破壊されても、残った高射砲は高速弾を遥かな高みへと撃ち上げ続ける。

 

まもなく、その抵抗が終わる時が来た。

 

「敵高射砲は制圧」

 

“ソルト”から、報告が上がる。

 

「正面下方、『南方棲鬼』。我を遮る敵なし!」

 

山上が宣言するように言った。

 

「投下!」

 

爆撃手が、力を込めて言う。

 

刹那、足元から機械的な音響が鳴り、機体がヒョイっと浮き上がる。

800kgの重量をもつ爆弾を切り離した影響で、機体が急激に軽くなったためだ。

 

「後続機。順次爆弾投下!」

 

報告が上がる。

 

八十番は、長門型戦艦の主砲弾を改良して開発されたもので、戦艦の分厚い装甲を貫くことを目的に開発された。

高度数千の高みから投下された八十番は、重力によって加速されるため、戦艦主砲弾に匹敵する破壊力がある。

その巨大徹甲爆弾が四十発以上、投下されたのだ。南方棲鬼は巨大なため、万が一にも外すことない。

 

 

「さらばだ。南方棲鬼!」

 

 

破壊できることを確信し、高嶋はそんな言葉を投げかけた。

多数の八十番が、落下して行くのが見える。

 

 

高嶋は、着弾するのを待った。

 

 

 

 

 

第六十二話 「終焉の光」






これで大きな区切りです!
次からはちょっと挟んで新たな物語の局面に移ります!

感想待ってます


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ひと時の平和
第六十三話 牙城陥落


最近暑くなって来たと思うこの頃。

以前出た戦車兵が登場します。


1941年11月15日

 

1

「でっけぇなぁ」

 

日本帝国陸軍戦車第七連隊第一中隊長の西住明仁(にしずみ あきひと)中尉は、一〇〇式中戦車の砲塔上に寝そべりながら呟いた。

 

 

視界の先には、フィリピンの強烈な日光に照りつけられ、旧マニラ中心街に屹立する深海棲艦の巨大構造物ーーー南方棲鬼の姿が見えている。

凄まじく巨大なため、視野一杯にひろがっている。

見上げんばかりの大きさに、初めてこれを見た時は「でかい!」と頓狂な声を上げてしまった。

 

南方棲鬼は随所に被弾の痕跡をとどめており、火災が発生しているのか…黒煙を吹き上げている。

詳しくは知らないが、海軍の陸攻が爆撃を実施したらしい。相当な破壊力のある爆弾で破壊されたのだろう、地上から見てもいたるところに大穴が穿たれているのがわかった。

 

その周辺には、破壊された敵高射砲陣地や、損傷度が大きく体液を流しながらうなだれるDD、頭部に穴を穿たれて擱座しているBDなどが、ちらほらとその屍を横たえている。

 

 

第一中隊はそれらを真正面から受け止める形で、横一列に展開しいる。

車輌ごとにある程度の間隔を開け、直径五十ミリの主砲はいつでも発射できるように仰角をかけていた。

 

「中隊長さん」

 

砲塔側面のハッチを開け、砲手の五十鈴勝之助(いすゞ かつのすけ)軍曹が話しかけてくる。

天賦の際と思えるほどの射撃の腕を持つ砲手だ。南満洲紛争の時から西住の部下であり、古参兵の持つ独特の空気を醸し出していた。

 

「フィリピンの陽気を楽しむのもいいですが、角谷さん(戦車第七連隊連隊長 陸軍中佐)に見つかったらどやされますぜ。一応警戒中なんだから」

 

続いて、反対側のハッチから装填手の秋山直也(あきやま なおや)伍長も、微笑を浮かべながら西住に言った。

 

「そーですよ。ここらへんは占領したからって、つい数日前まで敵の本拠地だったんですからね。万が一ってこともありますよ」

 

 

 

ーーー日本陸軍による極東の深海棲艦支配地域への侵攻は、“KD”作戦終了後、迅速に実施された。

 

日本軍としては一刻も早い南方資源帯からの石油輸入を開始したかったため、作戦前から南方侵攻部隊の編成を進めており、その結果、南方棲鬼破壊と飛行場姫沈黙が確認された10月7日の一週間後の10月14日に北ルソンに、その二日後の16日には極東有数の油田精油所であるパリクパパン、パレンバンがあるスマトラ島、ボルネオ島に上陸した。

 

同日より北ルソンに上陸した本間雅晴(ほんま まさはる)大将率いる第十四軍は、同地の米極東陸軍(USAFFE)、第二次ルソン島沖海戦で一足先に揚陸されていた戦車第七連隊と合流し、フィリピンに展開していた深海棲艦地上軍との戦闘に突入することとなる。

 

だが、第十四軍の予想に反して、深海棲艦の抵抗は少なかった。

 

南方侵攻部隊に所属する第十四軍、第十五軍、第二十五軍の各軍団は、本土や台湾、朝鮮に展開する軍団よりも機甲兵力が並はずれて多い。

第十四軍は特にその傾向が強く、戦車第一、戦車第三師団を基盤に編成されており、他の歩兵を中心とする第二、第十六、第四十八師団も歩兵装備に対戦車携帯兵器を加えるとともに、指揮下に戦車連隊を組み込んでいる。

さらには南満洲紛争で得られた教訓をもととして、独立部隊として第五飛行集団を北ルソンに展開させ、航空機の地上部隊への直協支援にも力を入れていた。

 

だが、それらの備えはほとんど必要なかった。

ミンダオ島、サマール島、レイテ島を始めとする他のフィリピン群島のみならず、極東最大の拠点だったルソン島でさえ、深海棲艦による抵抗は微々たるものだったのだ。

 

敵地上軍の主力をなすBDも、9月5日に姿を現した新型のDDも、少数の部隊が夜襲を仕掛け来ることがあったが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

行動不能に陥っているBD、DDに外傷は無く、一見しただけでは作動しているBDとは区別がつかないほどである。

第十四軍司令部では行動不能に陥っているBDを調査し、独自にその原因究明に奔走したが、理由は分かなかった。

 

そのような個体を横目に見ながら第十四軍は進撃を続け、六日前の11月9日にマニラ占領し、その三日後の12日には、フィリピン一帯を勢力下に置いた。

状況は第十五軍、第二十五軍でも同様であり、大本営が四ヶ月と踏んでいた南方侵攻は、わずか一ヶ月程で完遂されたのだ。

 

 

西住は、ここ一ヶ月以内に起こったことについて、思いを巡らせた。

 

 

ーーー補給も滞り、敵に制空権を握られている状況下で、西住ら戦車七連隊は、米軍や機動砲兵第二連隊と共に深海棲艦地上軍と熾烈な地上戦を戦った。

第二次ルソン島海戦時にLSTによって揚陸された各部隊は、USAFFEにとって喉から手が出るほど欲しがっていた機甲戦力を有しており、生起したほぼ全ての戦いに投入されたのだ。

その分損耗率も高く、定数四十輌を数えていた戦車も、第十四軍上陸時には約半分の二十三輌にまで打ち減らされていた。

戦車兵の中には重症を負い、満足な治療を受けられないまま死んだ者や、疫病によって死んだ者もいる。

 

 

“KD”作戦が成功し、第十四軍が上陸して来た時は、「これで日本に帰れる」と歓喜したものだが、参謀本部はそれを許さなかった。

 

戦車第七連隊、機動砲兵第二連隊は、日本帝国陸軍の中で唯一深海棲艦地上軍との戦闘を経験した部隊であり、劣悪な環境でイースト・ラインを守り切ったという実績もある。

陸軍上層部はその状況下で四ヶ月間生き残って来た精強な連隊を、南方侵攻でこそ必要であると判断したのだ。

 

一死奉公と覚悟を決め、皇国に生命を捧げた西住だったが、これには流石に憤りを隠しきれなかった。

戦闘で消耗したならば、別の部隊と交代するのは全世界の軍隊での常識である。

海路や空路が断ち切られた状態ならば撤退も進出もできないが、極東打通が達成された現在、部隊の移動は容易なはずだ。

そのような状態になったにも関わらず、兵力を半減させ、かつ消耗し切った連隊を最前線に留め置くなどいかがなことか、と、第十四軍司令官の本間大将に直訴したい衝動に駆られていたが、角谷連隊長に「状況は良くなる。今は堪えろ」と説き伏せられ、諦めている。

 

その後は連隊長の言った通りになり、医薬品や嗜好品、食料や弾薬が優先的に回してもらえるようになった。

米国式の簡易であるが、居住性のよいコンテナも支給され、戦車兵達には一時の休養が与えられた。

 

角谷連隊長と第十四軍の間でどのようなやりとりがあったかは定かではないが、米軍との交渉で磨かれた手腕を発揮したのだろう。

 

 

だが、また数日以内には戦闘に戻る。

定数に満たず、疲れも取れ切っていない状態でどの程度戦えるのだろうか…という不安が、常に西住の胸中にあった。

 

 

だが、“KD”作戦後の地上戦は、ルソン島で四ヶ月間に渡って戦った西住の身としては、「拍子抜け」の一言に尽きた。

 

深海棲艦に今までの勢いは無く、マニラ攻略も易々と進んだのだ。

当然、西住にも「なぜBDやDDは行動不能に陥ったのか?」という疑問はあったが、「万全ではない状態で戦うことにならなくてよかった。部下が理不尽に命を散らさずに良かった」という気持ちの方が遥かに大きかった。

 

 

「にしても…フィリピンは奪還できたんですし、早く日本に帰りたいもんですね。南方棲鬼周辺の警戒なんて、他の戦車隊でもできるでしょうに」

 

「違いない」

 

五十鈴の愚痴に、西住は南方棲鬼を見上げ続けながら同意した。

 

「なんでこんな警戒するか、連隊本部から聞いてます?」

 

五十鈴に続いて、秋山が疑問を提起する。

確かに、マニラは言うに及ばず、フィリピン全土を支配下に置いているため、BDが襲来することは考えにくい。

にも関わらず、本土に戻るはずの部隊を留めてまで警戒に当たることが腑に落ちないようだ。

 

「海軍のお偉い人が視察に来るらしい。俺たちは、万が一それを攻撃しようとする深海棲艦への用心棒ってわけだ」

 

西住は、数時間前に連隊本部で聞いた命令内容を思い出した。

今日、大本営直属の情報機関の高官が、南方棲鬼の調査団を引き連れて視察に来るのだ。

 

秋山はへぇー、と納得したように頷き、車内へ戻る。

 

「む。噂をすれば…」

 

五十鈴が何かに気付いてように呟き、上空を振り仰いだ。

西住も、釣られるように五十鈴の見ている方向に顔を向ける。

 

今まで一式戦闘機「隼」の編隊が警戒していたが、それとは少し音色の違うエンジン音が、微かに聞こえ始める。

隼よりも重々しい。隼がトランペットだとしたら、新たな音はチューバに例えられる。

 

やがて、巨大な四発機が上空の雲から姿を現した。

高翼式に取り付けられた翼の下には、反り上がったバナナのような船体と、二つのフロートがぶら下がっている。

近くを飛行している隼が極小に見えるほどの巨大機だ。翼端から翼端までは三十メートルを優に越すと思われた。

 

「あれは…九七式大艇」

 

西住はひとりごちるように言った。

過去に日本が世界に誇る名機、として海軍の公報に載っていたのを思い出したのだ。

 

航続距離は非常に長く、九州あたりからフィリピンまでは余裕で往復できると聞いたことがある。

特務機関の高官とやらは、あれに乗ってはるばるマニラまでやって来たのだろう。

 

 

九七式大艇は四機の隼に先導され、高度を落とす。

マニラ湾に着水するのは、間も無くと思われた。

 

 

 

第六十三話「牙城陥落」




次回は南方棲鬼の調査シーンですかね

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第六十四話 棲む敵



しれっと投稿(2回目)


以後、小説関係のとあるプロジェクトを実施するため、「南洋海戦物語」は半休載状態とします。
詳しくは活動報告をご覧ください。



1

 

足元から突き上げる鈍い衝撃が伝わり、変わって海面を切り裂く音が響く。

水しぶきが舞い、エンジンスロットルが絞られた。

九七式大艇は着水してから百数十メートルを滑走し、徐々にスピードを落とす。やがて海面上に停止し、ゆっくりと四つのプロペラを停止させた。

 

「着水しました。英軍のカッターが近くまで来ています」

 

副官である速水清武(はやみ きよたけ)少佐が、船外を見ながら言った。

 

「さて。行くとするか」

 

深海棲艦戦略情報研究所(DISS)所長である山口文次郎(やまぐち ぶんじろう)大佐は速水に続いて座席を立った。

ちらりと機外に目をやると、九七式大艇に近づいてくる短艇の姿が見えている。

 

マニラ周辺の警戒は米軍ではなく、シンガポールから派遣された英海軍が当たっている。

マニラ湾内にはユニオンジャックを掲げた駆逐艦三、四隻と軽巡洋艦二隻が展開しており、不測の事態に備えていた。

 

接近して来た短艇は九七式大艇の右側に接舷する。

中渡し用の板が架け橋となり、それを使って短艇に移った。

英軍の短艇に移乗した山口と速水を、数名の英水兵と一名の陸戦服を着た日本軍人が直立不動の敬礼で迎えた。

 

「大佐殿のご案内を担当します。呉鎮守府第101特別陸戦隊の加瀬晃史(かせ あきふみ)中佐です」

 

「DISS所長の山口だ。今日はよろしく頼む」

 

加瀬の敬礼に、山口は軽い返礼で答える。

山口と速水を乗せた短艇は速力を上げ、九七式大艇から離れた。

向かう先は、かつてキャビテ軍港と呼ばれた港の近くの桟橋である。

 

「海水汚染は相変わらずだな」

 

山口は短艇に揺られながらマニラ湾を見渡した。

 

上空から薄々気づいていたが、湾内は未だに深海棲艦の汚染が続いている。

颯爽と疾駆する短艇の上で、最近感じられていなかった心地よい海風に当たりたい、と山口は思っていたのだが、頰を撫でるのは生臭い匂いだけだ。

美しい海がそのような状態になってしまったのを見ると、我知らず胸が痛む。

 

「外洋は汚染の解消が観測されていますが、マニラ湾内は海流も少なく、湾の最深部などは外洋の影響を受けにくいのです。自然の力で四散するのは、もう少し後なる。というのが我々の見解です」

 

加瀬中佐は淀みなく言った。

 

呉101特陸戦隊は、DISS直属の部隊として編成された特殊陸戦隊である。

深海棲艦の極秘情報の保護を主任務としており、通常はDISSがある広島城内の大本営の警備や、主要科学者の護衛などを行なっている。

必要に応じて前線に投入されることも考慮されており、今回は南方棲鬼調査隊の護衛としてマニラに進出していた。

極秘情報に触れる機会が多いため、兵士一人一人が科学的な知識を持ち、他国に情報が漏洩しないよう、身辺調査の実際された信頼ある兵士のみが部隊に所属している。

当然戦闘能力も高く、短小銃や半装軌車、対戦車兵器などで武装しており、対BD戦、対人戦などに精通したプロフェッショナル達だった。

軍服も通常の陸戦隊とは異なり、ヘルメットや緑色の陸戦隊被服に白字で「DISS」と書かれているものを着用している。

現在、科学者で構成された調査隊はすでに帰国しており、南方棲鬼の警備を含めた一連の作業は呉101特陸隊が引き継いでいた。

 

短艇が近づくにつれて、キャビテ軍港の埠頭が見えてくる。

一ヶ月前まで深海棲艦極東艦隊の母港だっただけに、大半の港湾施設が破壊されたままだ。

短艇が目指すのは、軍港内に仮設されている桟橋である。

駆逐艦どころか哨戒艇すら接舷できないような小規模なものだが、短艇程度が接舷するなら十分な大きさだった。

 

「む…」

 

そんなキャビテ軍港内にあるものを見て、山口は目を見張った。

埠頭の脇に、巨大な鉄の塊が鎮座しているのだ。

さらに近づくにつれて、それが軍艦だとわかる。

それも、マニラ湾に展開している駆逐艦や軽巡といった艦艇ではない。「戦艦」。それも米軍の最新鋭艦だった。

 

「『ノース・カロライナ』…」

 

山口は、その戦艦の名を呟いた。

「ノース・カロライナ」の艦影は写真を見て把握していたが、軍港内に仮泊している「ノース・カロライナ」は、その姿に似ても似つかない。

特徴的だった尖塔艦橋は跡形もなく消失しており、やや丸みを帯びた艦首も左右に切り裂かれている。

後部の第三主砲は左を向いて停止しているが、前部の第一主砲は天蓋を叩き割られており、第二主砲も砲身二本が消え失せ、残った一本もありえない角度まで上がって止まっている。

艦首から艦尾までの甲板はズタズタに破壊されており、天空を睨んでいた多数の両用砲、機銃も鉄屑と化していた。

 

「手荒くやられてますね…」

 

速水少佐が沈痛な表情になった。

「ノース・カロライナ」の惨状を見て、胸を痛めたのかもしれない。

 

「『ノース・カロライナ』は自力航行が不可能な状態です。米軍の士官によりますと、工作艦を中心とする移動サービス部隊による応急修理が完了するまで、マニラに留め置かれるそうです」

 

加瀬が「ノース・カロライナ」を指差しながら言った。

 

損傷度が激しい「ノース・カロライナ」の周囲には、米工作艦「メデューサ」を含む多数の工作船が展開している。

「ノース・カロライナ」や各工作船の甲板上では、作業員や技師、搭載されているガントリークレーンなどがせわしなく動いており、修理作業が進んでいることを伺わせた。

 

 

ーーー10月6日の夜半から7日にかけてマニラ沖で生起した海戦は、大本営が「第三次ルソン島海戦」の、米英海軍は「マニラ沖海戦」の呼称をそれぞれ決定している。

 

同海戦で日米英海軍艦艇によって構成された統合任務艦隊(JTF)は、戦艦「コロラド」と重巡「シカゴ」「ロンドン」、軽巡「ヘレナ」、敷設巡洋艦「マンクスマン」と駆逐艦八隻を失い、旗艦「ノース・カロライナ」が大破着底。戦艦「ウェスト・バージニア」と軽巡「フェニックス」、駆逐艦四隻が大破し、加えて「プリンス・オブ・ウェールズ」「ワシントン」重巡「シュロップシャー」、駆逐艦二隻も中破した。

他にも「フッド」や巡洋艦、駆逐艦数隻が数発の敵弾を喰らい、軽微な損傷を受けている。

 

“デルタ”、“エコー”、“フォックス”のコード名を冠された三個挺身戦隊群は、敵艦隊とマニラ湾口に設置された陸上砲台の集中砲火を浴び、JTFの中核であった水上打撃部隊は、機雷原の中マニラ湾を脱出した深海棲艦極東艦隊と真っ向から激突、敵潜の奇襲も相まって多数の艦艇が損傷、沈没したのだ。

 

加瀬によると、「ノース・カロライナ」は敵戦艦との砲戦に辛くも勝利したが、味方の勢力下まで航行するのが不可能なほどの損傷を受けたらしい。

現場は乗組員だけでも救おうと判断し、故意に「ノース、カロライナ」をルソン島へ座礁させたのだ。

激戦を生き残った乗組員は駆逐艦によって救助され、艦自体も沈没ではなく大破着底でとどまった。

日本軍のフィリピン奪還後は再び軍籍に復帰させるべく、浮揚作業の後に海流の弱い湾内まで曳航され、そこでの修理作業が進んでいるのだ。

 

海岸に近づくにつれて、深海棲艦の残骸をかわすために短艇が右へ左へと蛇行を始める。

第三次ルソン島沖海戦では、敵の戦艦、巡洋艦各四隻と駆逐艦十二隻を撃沈する戦果を挙げたていたが、大損害を受けながらもマニラ湾内に撤退した敵艦も多い。

それらの敵艦には、ウィリアム・ハルゼー中将率いる米空母艦載機が波状攻撃を加え、そのほとんどを湾内で撃沈破した。

水深の深い湾中央に沈んだ深海棲艦もいるが、数隻が海岸沿いに着底し、その骸を晒しているのだ。

 

山口は、深海棲艦の残骸船を脇を通るたびに、その姿をまじまじと見つめる。

大半の艦体が火焔で炙られて煤汚れている。米軍の1000ポンド爆弾の直撃を受けたのか、艦橋が爆砕されて三脚檣が横倒しになっているホ級がいれば、魚雷を撃ち込まれたのか、横転して艦底部をさらけ出しているイ級もいる。

「深海棲艦は海の亡霊だ」と噂する将兵も多いが、この「幽霊船」のような光景を見ていると、その考えこそ事実だと肯定したい衝動に駆られた。

 

「こうも残骸船がゴロゴロしてると港湾施設の復旧には障害ですが、実物の深海棲艦艦艇を入手できたのは幸運でした」

 

加瀬が報告を続ける。

 

「着底している敵艦艇の内容は、ホ級一、ヘ級二、イ級五の計八隻。この全てに調査をすることができましたから」

 

その時、速水の眉毛がピクリと動いた。

 

「残骸船の調査は報告書に記されていなかったようですが?」

 

「……」

 

質問に対して的確に答えていた加瀬が、急に黙った。

加瀬は山口の後ろに立っていたのだが、纏っている空気が急に変わったように、山口には思えた。

 

「ここでするような話ではありません。上陸してから詳しくお話しします」

 

(深海棲艦について何かわかったな)

 

加瀬の変わりようを見て、山口は悟った。

今、山口らの背後では英国人水兵がせっせと短艇を操っている。

彼らの中に日本語が堪能な者がいれば、「極秘情報」を聞かれると思ったのだろう。

それは報告書も然りのようだ。山口らがマニラに訪れる数日前、101陸戦隊を含んだ南方棲鬼調査隊から報告書が届けられており、マニラ周辺での調査結果が大まかに記されていた。

だが、加瀬は「残骸船の極秘情報」を情報漏洩を恐れて報告書に記載しなかったようだ。

それほど神経質になるとは、どのような情報だろう?という疑問が、山口の胸中で湧き出していた。

 

山口、速水、加瀬を乗せた短艇は桟橋に到着する。

桟橋に着くと、三台のジープと九名の兵士が山口らを迎えた。

一瞬、第十四軍の陸軍将兵だと思ったが、ヘルメットに記されている錨のマークと「101DISS」の部隊章を見て、呉101特陸隊の兵士だと悟る。

九名は先の加瀬と同じく直立不動の敬礼で迎えた。加瀬が一歩前に出て軽く返礼し、「御苦労」と呟いた。

 

「ここからは車で移動していただきます」

 

「どこへ向かうのかね?」

 

手招きする加瀬を見つめながら山口は質問する。

 

「…南方棲鬼の内部です。そこで…先の話をさせていただきたいと思います」

 

 

 

 

 

 

第六十四話「棲む敵」






次の話は一二週間後ぐらいかな?


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第六十五話 深海の女王

なんか暑くなったと思ったら寒くなったり…やな天気ですわ

一応最新話完成したので更新します。半休載状態で投稿間延びすることをどうかお許しください!
(その分例のプロジェクトがんばっとります!)


 

1

 

DISS所長の山口文次郎(やまぐち ぶんじろう)大佐、同副官の速水清武(はやみ きよたけ)少佐、呉101陸戦隊長の加瀬晃史(かせ あきふみ)中佐の三名を乗せたジープ一台と護衛のジープ二台、計三台は、20分ほどのドライブの後、南方棲鬼内部へと繋がるゲートの前に到着した。

 

ゲートは高さ2mほどのコンクリートで出来ており、黄色と黒の縞々で塗装されている。

そのゲートの左右には完全武装の歩哨七、八名が警戒しており、ゲート開閉を管理していると思われる守衛所には、警備隊長らしき将校が座っていた。

少し離れた場所には戦車や装甲車が展開しており、警戒具合の高さが伺える。

どの将兵も深緑の陸戦服に身に纏っており、呉鎮守府第101特別陸戦隊の部隊章をつけていた。

南方棲鬼は、完全に彼らの管理下にあるようだ。

 

「聞きしに勝るな、こいつは」

 

そんな中、山口は見上げながら呟いた。

ここからでは、南方棲鬼の頂きを視界内に収めることはできない。

ここまで近づくと巨大な円柱形には見えず、馬鹿でかい漆黒の壁が切り立っているようにしか感じられなかった。

 

「高さ149m、直径547m。巨大な円柱形で『大和』なら四隻は入ります」

 

隣に座る加瀬中佐が説明する。

 

「南方棲鬼と言い、飛行場姫と言い、深海棲艦の建設土木技術は人類のそれを遥かに凌駕しますな」

 

速水少佐が賛嘆した表情を浮かべた。

深海棲艦の持つ底知れぬ力に、驚きを隠せないようだ。

守衛所に詰めていた将校が車列に歩み寄り、山口らに敬礼する。

 

「開けろ」

 

加瀬が短く言うと、素早くゲートの開門が開始された。

重量感あふれる門が、ゆっくりと溝に従って左右に開かれてゆく。

歩哨が通行の妨げにならないように左右に散らばり、門の先から南方棲鬼内部へと繋がる道路が見え始めた。

 

南方棲鬼内部へと繋がる入り口は、かなり大きい。

半円形の穴であり、直径25m、高さ10mはありそうだ。ジープが通るのに、なんの支障もない。

突然、山口の背中に悪寒が走った。南方棲鬼への入り口が、地獄へと繋がる禁断の門に見えたのだ。

前方を進む護衛の車両が一足先に内部に侵入し、続いて山口らを乗せた車両、二台目の護衛車両と続いていく。

内部に入るや、ひんやりとした空気が肌を突いた。ジープはオープンタイプなため、直に空気が触れるのだ。

 

道には木製の板が敷かれており、車両は滑らかに進んでゆく。

三台の車両はヘッドライトを点灯させ、速度を上げる。

道は、どこまでも続いているように見える。通路脇には、鉱山などに使用されるライトが定期的に設置されていたが、ヘッドライトとそのライト群の光量を合わせても、周囲は薄暗かった。

車列が進入した入り口からは、日光が差し込んでいたが、やがてそれも途切れる。

 

「まさかと思いますが、この道は工作隊が掘ったのですか?」

 

その時、速水が加瀬に聞いた。

 

「いや。もともとです。南方棲鬼は構造上、中心に向かって数本の通路が伸びており、これもその一つです」

 

加瀬は淀みなく答えると、少し開けて説明を始めた。

 

「南方棲鬼は巨大な低い円柱形をしていますが、中心部を守るようにして二つの壁が切り立っています。一つ目の壁は今我々が通過した南方棲鬼の外壁に当たる部分で、二つ目は外壁から内側へ389m進んだところにあり、円の中心部を守るようにして屹立しています。南方棲鬼内の仕切りと考えても良いでしょう。中心部へと繋がる通路は、東西南北に一箇所ずつ。どの道もこれら二の壁を貫通しており、中心部まで続いています。今我々が使っているのは、東側の通路です………その第一、第二の壁の内側に、この南方棲鬼の謎が隠されていました」

 

山口と速水は、それを聞いて身を乗り出した。

加瀬は咳払い一つして、ゆっくりと口を開く。慎重に言葉を選んでいる様子だった。

 

「まず一つ目。外郭の壁と二番目の壁の間の空間ですが…第一の壁から第二の壁への距離の間に、巨大な円筒の構造物が、多数設置されているのが確認されました。内部は空洞であり、大量の液体が内蔵されています」

 

「それは…」

 

「DISSの南方棲鬼の正体への仮説は、半分は合っていました。それらの円筒タンク内部の液体は、甲型戦闘機やBD、敵軍艦の内部から検出された液体と同様のものであり、敵の燃料に当たる物だと考えられます。周囲には大量の管が円筒同士をつなぐように存在しており、精油所のような精製施設も発見できました」

 

DISSの南方棲鬼への仮説は、「エネルギー精製施設である可能性が高い」という結果だった。

台湾〜ルソン島間の航空戦で台湾に不時着した多数の甲型戦闘機を調査した際、機体内部に大量の黒色の液体が入っていることが発見された。

それらを敵の燃料と断定はできなかったが、その液体と同様の成分の液体がマニラ周辺の海域に垂れ流されていたことで、マニラ中心部に建設されていた巨大構造物ーーー「南方棲鬼」から流れ出たと判断し、「南方棲鬼は深海棲艦のエネルギー源…引いては燃料を作り出している」という仮説が現実味を帯び始めたのだ。

いまいち決定打にかける仮説ではあったが、その分析結果は正しかったようである。

 

「第十四軍からの情報ですが、ルソン島をはじめとするフィリピン群島の深海棲艦地上兵器ーーーBDやDDは行動不能に陥っており、反撃して来た個体も動きが鈍重だったそうです。これは南方棲鬼が極東深海棲艦の燃料を供給できなくなったから、とも考えられます。いや、現にそうでしょう」

 

速水が笑顔で頷き、山口は仮説が当たっていたことにひとまず安心した。

 

「ふむ。奴らも燃料補給が必要だと分かったのは、大きな収穫だ。これからの戦いでは、深海棲艦への通商破壊という選択肢も、あえて棲鬼を攻撃して敵の補給を断ち切らせるという選択肢も、可能となる……。それで、二つ目は?」

 

加瀬はすぐに「二つ目」を言わなかった。

前方を進んでいた車両が停車し、山口らを乗せた車両も、その後方を追走していた車両も、前のめりになって停車する。

 

「降りましょう。ここからは徒歩です」

 

加瀬が振り向いて言った。暗くて、表情は分からなかった。

山口は加瀬に「二つ目」を問い詰めようと思ったが、やめた。加瀬は何かを見せながら「二つ目」を伝えたいのかもしれない。

 

前方の車両から陸戦隊員が降車し、素早く外から扉を開ける。

山口は「ありがとう」と隊員に一言かけ、車を降りる。反対側から速水も降り、山口に戸惑った表情を向けてきた。

 

山口は周囲を見渡した。

 

左右には切り立った壁が車のヘッドライトに照らされており、後ろは延々とライトが光っている。さっき山口が通った道を、道筋のように示しているのだ。

車のアイドリング音が薄暗い空間を震わせていたが、やがて消える。密閉された空間で、排気ガスを出すのはまずいのだろう。

 

「ここが第二の壁の入り口です」

 

アイドリングが切られ、車載ライトが消える。

それに取って代わるように陸戦隊員たちが懐中電灯を点灯させ、光芒を正面に向けた。

そこには、入口ゲート以上の重厚感ある門があった。その脇には開閉操作をしているであろう小屋がひっそりと立っている。

その小屋から二人の兵士が出。前方車両から降りた隊員と二、三語言葉を交わす。

兵士はヘッドライト付きのヘルメットを着用しており、顔はバイザーで覆われてよく見えない。着用している軍服から、陸戦隊員なのはわかった。

呉101特別陸戦隊から少数の部隊を分離させ、南方棲鬼内部の第二ゲートの管理を担当させているのだろう。

こんな薄気味悪い場所で任務を遂行できるとは、山口は彼らに対して頭の下がる思いだった。

 

轟音と共に門が開き、山口らは更なる内側へと入る。

入った瞬間、空気が変わる。ひんやりとした空気から、どんよりとした空気へと。

まるで洞窟の内部にいるようだった。

足元には複数の長細い木板によって道ができており、悪路ではないが、進むにつれて通路が狭くなっくる。

九名の隊員と三名の将校は、鉱山ランプによって照らされた狭い通路を、一列でひたすらを進む。

洞窟を進むこと数分。広々とした空間へと出た。

 

「ここが、南方棲鬼の中心部です」

 

「…とは言っても、何も見えませんぞ?」

 

加瀬の言葉を聞いて、速水が肩をすくめた。

たしかに。今まで通過して来た南方棲鬼の内部には、少なからずのライトが点在しており、外と変わらぬほどという訳ではないが、十分物を視認できる明るさがあった。

だが、加瀬の言う「南方棲鬼の中心部」は暗闇に包まれており、何が何やらわからない。

 

「…ライトをつけろ」

 

速水が再び口を開こうとした時、加瀬は隊員に言った。

九名の隊員は散らばり、自らが持ってきた懐中電灯ではなく、もともとそこに設置されていたであろう投光器に取り付いた。

ガチャ、という音と共に、計九基の投光器が光を発し始める。

 

「これは…!」

 

点灯する投光器が増えるたびに暗闇から浮かび上がる「それ」を見て、山口は驚愕の声を上げた。

 

巨大なドームが視界内に広がり、無数の球体の列がドーム中心から全周に向かって、放射状に伸びているのである。

 

その球体は縦3m、横1mほどの大きさであり、すこしサイズダウンしたBDやDD、なにやら人とバケモノを足して二で割ったような黒色い物体、大砲や魚雷のような装置を背負った物体が、青白い液体と共に入っているのだ。

 

ドーム中心には高い円筒が立っており、その上部に人間の女性のような存在が鎮座している。

肌は雪のように白く、黒が目立つドーム内では一際目を引く。髪も同じく純白であり、恐ろしいく長い。後頭部で二つに結ってはいるが、髪の先端が円筒下の地面に触れそうになっていた。

 

両腕には、自らの体に匹敵する大きさの鉄塊を持っており、よく見ると三連装砲台や、歯のようなものがくっついているのがわかる。

顔に当たる部分の大半は、荒れた髪によって見えないが、左目が鈍い紅色を発していることと、激痛に苦悶するような表情をしていることが、辛うじてわかる。

その女性の下半身にあたる部分は円筒に呑み込まれており、そこから大量の血管のような管が地面へ伸び、球体の一つ一つに繋がっていた。

 

「これが『二つ目』です」

 

山口、速水の二人が目の前の光景を見て絶句する中、加瀬が静かに言った。

 

「円筒上の女性が、『南方棲鬼』の本体であり、極東方面の深海棲艦の総指揮。深海棲艦のコアの製造を行なっていました」

 

「コ、コアだと?」

 

山口は絞り出すように言った。

「極東深海棲艦の総指揮」はなんとなく想像できるが、「コアの製造」という言葉は理解できない。

未だに目の前に現れた女性すら理解出来ずにいるのに、そんなことを言われても無理だ、と山口は思っていた。

 

「左様です。マニラ湾に着底した艦艇を調査したところ、全ての艦の艦橋部分に、これらの異形の存在が埋め込まれていたのです。調査団はそれを深海棲艦の『コア』だと判断しました。コアは艦種ごとに異なり、ル級なら両手に盾を持った長髪の女性、リ級なら両腕に艤装を持った短髪の女性、ホ級ならば縦長の体に大きな口と腕を持ち、無数の砲身を突き出した人外、イ級ならば卵を縦に引き伸ばした楕円形の体に巨大な口とエメラルドグリーンの目を持った化け物、と言った具合いです。なお、BDはイ級の、DDはル級のコアをそれぞれ地上型に転用した兵器であることが判明しています」

 

山口の頭はパンク寸前だった。

海軍に入って長いが、こんな突拍子も無いことをいくつも見せられ、かつ言われたことはない。

DISSの所長として開戦以来深海棲艦の分析に当たってきた山口だが、このようなことになるとは予想もしていなかった。

 

「『コア』はここで生まれていたと考えて、艦艇の艦体はどう建造するのかですか?ドックのようなものは発見されているのですか?」

 

速水が戸惑いつつ聞いた。

 

「それは不明です。南方棲鬼だけでなく、調査団はマニラ一帯を調査しましたが、ドックらしきものは発見できませんでした。深海棲艦はコアさえあれば、『無』から艦艇を建造可能な技術を確立しているのかもしれません」

 

加瀬かぶりを振りながらが答えた。

 

「こんな!」

 

その時、ドーム内に怒号が響きわたった。

思い叫びは、ドームに反射して殷々と響く。

 

「こんな…こんな……こんな異常な存在が!この世に存在して良いと思っているのか⁉︎」

 

山口が堪らず声を上げたのだ。

加瀬や速水に対してではなく、深海棲艦へ対してだった。

深海棲艦の非科学さ、非常識さ、生き物でも兵器でもないという定義されていない不正確さ、そしてそんな存在が罪なき人々の命を奪う理不尽さ。様々な思いが昂ぶり、ぶつけようのない怒りが湧き出したのだ。

出し抜けの怒声に、側に立つ加瀬が飛び上がりそうになる。

 

「貴様はなんで…何のため、何を成すためにこの世に生まれたんだ?人を殺すためか?海水を汚染するためか?ただ単に…人類と戦いたかったのか?」

 

山口は顔を紅潮させ、ピクリとも動かない南方棲鬼本体を睨みつけながら怒鳴る。

 

「そんなもの、生物でも兵器でもない。ただの中途半端な『怪異』だ!そんな存在が…人を殺すな!」

 

自分でも、なぜこんなに怒っているかわからない。

「深海棲艦」という意味不明な存在が、この世に存在する。人を殺し、人類に匹敵する軍事力、科学力を持って存在しているということが、異様に腹立たしかったのだ。

 

 

「…所長。意見具申いたします」

 

山口がひとしきり怒りをぶつけ終わり、肩で息をしながら黙った頃。

加瀬がかしこまった様子で口を開き、速水も真剣な眼差しで山口に向かい合った。

 

「早急に、例の『艦魂計画』を実行すべきです。要素は全て揃いました。沈没艦での目撃情報も把握しています」

 

「……」

 

落ち着きを取り戻した山口は、何も言わなかった。

目を閉じ、腕を組んで頭上をふり仰ぐ…。ややあって、疲れ切ったような口調で言った。

 

 

 

 

 

 

 

「………『艦娘』とやらか。そんなもの…夢物語だと思っていたが…」

 

 

 

 

 

第六十五話 「深海の女王」

 




続く!

感想待ってます


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第六十六話 人類統合軍創設


半休載で更新遅くなって申し訳ないです!

今回はかなり重要な話ですので読んでいただけると幸いです!


1

 

呉の街並みは雪化粧によって白く染まっていた。

積もってはおらず、遥かなる高空から舞った雪は、地上に到達するやや溶け、地面を灰色に染める。

それでも瓦などの屋根に落下した雪は溶けておらず、石州瓦の赤色が白い斑点をまとっていた。

雪の粒は大きい。現在は積もっていないが、時間が経てばどうなるかわからなかった。

 

「雪か…」

 

そんな中、連合艦隊(GF)首席参謀の風巻康夫大佐は、広島駅のベンチに座りながらそう独り言ちた。

ベンチの上には屋根が取り付けられており、風巻自身が雪を被ることはないが、傘がない。

 

(気象部は曇りだと言っていたじゃないか)

 

実質的な足止めを喰らい、風巻は呉海軍気象観測台の将兵に悪態をつく。半年ぶりの休暇を得たのに、これでは先が思いやられる…。と思っていた。

今日の日付は1941年12月5日。陸軍の南方侵攻部隊が「極東ノ深海棲艦ハ消滅セリ」を高らかに宣言してから一週間。それに伴うGF参謀への休暇が通達されてから、四日が経過している。

戦争中であるにもかかわらず、呉の街中では活気溢れる人々が日々の日常をすごしており、新年への準備を進めていた。

 

(俺は……連合艦隊首席参謀として…上手くやれたのだろうか?)

 

風巻は今年ーーー昭和十六年を振り返って自問した。

深海棲艦出現の3月1日以来。風巻はGF首席参謀として様々な作戦の立案に携わってきた。作戦立案にとどまらず、堪能な英語を買われての米軍との調整や、深海棲艦の戦略分析、「後方の司令部では見えるものも見えない」と考え、「金剛」に乗艦して戦場に赴いたこともある。

結果から見れば、背水の陣であった“KD”作戦を成功させ、かつ南方航路復活による長期継戦体制を確立したことは、日本の大勝利だと思う。

だが、後から考えてみれば「あれで本当によかったのか?」「こうやったらもっと死なずに済んだのではないか?」という後悔に似た思いが脳裏をよぎる。

終わった過去のことを考えてもどうしようもないが、日本という国が自分に求めた期待に、しっかりと応えられたのか自信がなかった。

 

ここで、風巻はかぶりを振る。

 

過去の自分はその時その時を全力で職務に当たり、数々の作戦の成功に貢献してきた。小さい後悔があっても、それは次の仕事への教訓にすれば良い。

幸い日本は、いや人類は、極東深海棲艦に勝利した。風巻自身も五体満足で昭和十六年を切り抜け、家族も無事である。

今は、そのことを満足すべきだった。

 

「おとーさぁーん!」

 

その時、聞き覚えのある声が聞こえた。

風巻が顔を上げると、道の反対側にしきりに手を振る少女の姿が見える。その隣には、紫色の着物に身を包む女性の姿も、確認することができた。

風巻は自然と表情をほころばせた。

 

娘の涼と妻の紗江子である。

街には雪によって白い靄がかかっていたが、自分の家族のことを風巻は決して見間違えない。

涼はマフラーとコートを着ており、紗江子は着物の上に羽織をまとっている。二人とも傘をさしており、余った片手で紗江子が大きめの風呂敷を、涼がもう一本の傘を持っている。

涼が余計に持っている傘を見て、「俺用か……手を打つのが早い」と笑顔で呟いた。

 

涼が走ってくる。

トラック環礁で親友を失って以来、精神が落ち込んでいる時期があったが、それは完全に治っている。

道に積もりかけていた雪に足を取られそうになりつつも、風巻がいるベンチにまで駆けてくる。

その後ろからは紗江子が「あんた危ないわよー」と微笑みながら追いかる。

 

「お父さん…たすけて!」

 

白い息を吐きながら倒れこむようにして風巻の隣に座った涼は、開口一番にそう言った。

 

「お母さん…ものすごい勢いで買い物するの。私もうクタクタだよー」

 

紗江子を指差す。

紗江子は小走りでベンチに到着し、申し訳なさそうに言った。

 

「すみません康夫さん。急なことなんですけど…買物に付き合っもらえますか?」

 

「えっ。これまたなぜ?」

 

久々の再会時に頓狂なことを言われ、風巻は聞き返した。

 

「父が『俺の店もお節を出す』の一点張りなんですよ。うちの料亭は穴子飯一筋でやってきたのに」

 

風巻紗江子の父である榎本了佐は、明治初期から続いている穴子飯料亭『榎本屋』の五代目であり、同料亭の料理長でもある。

当然、紗江子の夫である風巻とも親交があり、風巻は彼の相手のいない格闘家のような顔を思い浮かべた。

 

「お節を試作するから、その材料を買うんです」

 

紗江子は榎本屋の若女将である。試作お節の材料の選定を任されているようだ。

 

「おとーさーん。お母さん愛娘を何時間も買い物に振り回してるんだよぉ。なかなか家に帰らないし、寒いし、雪まで降ってくるし、私もうダメ〜」

 

となりに座る涼がベンチに倒れこむ。

 

「そこらの商店で買える食材じゃないのよ。さぁ立って」

 

それを見た紗江子はぴしゃりと言った。

 

「了佐さんには頭が上がらないからな。付き合うよ」

 

風巻は涼から傘を受け取って立ち上がる。

隣から「えぇぇ⁉︎」という声が聞こえた気がしたが、構わず紗江子に向き合った。

 

「…男手があった方が助かります。でも…あと五件は回りますよ。大丈夫ですか?せっかくの休暇なのに……」

 

「いや。大丈夫」

 

安心させるように言い、風巻は広島駅から踏み出す。

男手が増えたことで上機嫌な紗江子が続き、しぶしぶと言った雰囲気の涼が付いてくる。

 

風巻家の三人は久しぶりに帰ってきた夫を加え、買い物を楽しんだ。

徒歩や路面電車を使い、雪が降る広島を食材を求めて回る。

妻娘とともにする買物が、風巻には至福の時間だった。殺伐とした海軍内では味わえなかった柔らかな時間に、長年の疲れが溶けてなくなるのを感じる。

同時に、自分には「命に代えても守るべきものがある」と自覚し、次に拝命した職務に対する決意を固めていた。

 

風巻がもつ革鞄の中には、大きめの封筒が入っている。

 

その中の紙には、

 

 

 

 

風巻康夫連合艦隊首席参謀。

 

人類統合軍太平洋方面艦隊首席参謀二任命。パラオヘノ赴任ヲ命ズ。

 

大日本帝国海軍:海軍省 人事局長 中原義正少将

 

 

 

 

と書かれていた。

 

 

 

2

 

「やっとここまでたどり着きましたな」

 

会場に到着した時。感無量だと言いたげな表情で、駐米大使の野村吉三郎は米国務長官であるコーデル・ハルに言った。

 

「全くです」

 

ハルは表情を崩さずに返答する。

 

二人がいる場所はニューヨーク。セントラルパークの中央広場である。

なだらかな起伏を持つ草原が広がっており、数々の木がその広場を囲っている。さらにその先にはニューヨークの摩天楼がそそり立っており、午後の陽気に反射してキラキラと輝いていた。

西に歩けばハドソン川が、南に歩けば左にブルックリンを望みつつアッパー湾を見渡すことができるが、中央広場があるセントラルパーク・ノースからは、それを見ることはできなかった。

 

セントラルパークは南北に伸びる長方形をしており、マンハッタンやウォール街での仕事に明け暮れるニューヨーク市民に、自然のオアシスを提供している。

大都会の只中に位置しているだけに、戦争の最中でも多くの人々がこの公園に足を運んでいたが、今日は様子が違っていた。

歴史的瞬間を一目見ようと、数万の市民がセントラルパークに集まっている。収まりきらない人々はパークの外にまではみ出し、背伸びをしてでも公園内に視線を向けている。

 

中央広場には巨大な舞台が設置され、数多くの座席が舞台に向かい合うように並べられている。

舞台の背後には各国の国旗が横一列に翻っており、日本やアメリカ、イギリスを手始めに、ドイツ、フランスやソビエト、イタリア、オランダ、ベルギー、スペイン、ポルトガルやタイ、中華民国、北欧、南米諸国と言った国々の旗が、大西洋から吹き付ける風でたなびいている。

 

それらの旗の中央には、どの国の旗とも似ても似つかない模様の旗が、高々と掲げられていた。

水色下地の中心に、北極点を中心として北緯六十度まで描かれた世界地図が描かれており、その地図の左右には、力強さの象徴である翼が対となって描かれている。

それらの下には「MJA」の文字が黒字で書かれており、その旗の組織の名前をを示していた。

 

 

(『人類統合同盟(Mankind Joint Alliance)』。我々はついに…ここまできた)

 

野村は、晴天の空をバックにたなびく同盟旗を見上げながら、心の中で呟く。同時に、今までの苦闘を思い出していた。

 

日本は、同じく対深海棲艦軍事同盟推進派である米国と協力しながら、統合軍設立に奔走した。

野村は、新たに追加された来栖三郎(くるす さぶろう)大使や、ハルと共に統合軍設立の中心人物となり、この九ヶ月間幾度となく各国の大使と交渉を重ね、必要とあらば直接その国まで赴き、国家元首との会談を実施してきた。

 

だが、野村やハルが望んでいた「全世界が一丸となって深海棲艦と戦う体制」の確立は、簡単なことではなかった。

準軍事同盟といえる防共協定を締結していたイギリスや、独裁体制から脱却して国際社会の信頼を回復したいドイツは、こころよく参加を承諾してくれたが、フランスやイタリアは地中海を巡った固執があり、ソビエト連邦などはつい数年前まで日本と紛争状態だった仇敵である。

先の大戦を終え、平和が戻ったと思われていた現在でも、統合軍の設立は凄まじく難題なことだったのだ。

 

だが、野村やハルは諦めなかった。

深海棲艦の物量は侮れないものがある。三大海軍国である日本と米国が全力で戦っても、敵の占領地の一画を奪還したに過ぎない。

深海棲艦と戦い、勝利するためには、全人類の力が必要だったのだ。

 

半年以上粘り強く交渉を続けた結果、成功と呼べる成果を得。

そして今日、人類統合同盟の締結と、それに伴う人類統合軍創設式にこぎ着けたのだった。

 

「野村大使。こんなところにいらしたのですか」

 

その時、背後から声がかけられた。

振り返ると、来栖と壮年の軍人二人が立っている。

 

「先に会場に到着していたのですね」

 

軍人の一人は純白の海軍軍装を身につけており、少将の徽章をつけている。もう一人はカーキ色の陸軍軍装であり、隣の海軍軍人と同じく少将の徽章をつけていた。

 

「その二人は…」

 

野村は二人の軍人を見ながら言った。

 

「自己紹介が遅れて申し訳ありません。人類統合同盟最高幕僚会議の日本海軍代表に任命されました…井上成美(いのうえ しげよし)です」

 

「同じく、同会議の日本陸軍代表に任命されました…山下奉文(やました ともゆき)と申します。外交交渉、大変お疲れ様でした」

 

二人は自己紹介し、深々と野村に頭を下げた。

 

人類統合同盟最高幕僚会議とは、人類統合軍の最高意思決定機関である。参加各国から輩出された全権委任大使、海軍代表、陸軍代表、加えて空軍代表からなる代表団よって構成されており、議長副議長はその中から定期的に選ばれる。

各国の要望に応えた戦略的な決断を下すことを目的に設立されており、政治的かつ大局的見地から、統合軍の舵取りをする役割が求められていた。

さらには麗下に各国の軍人や科学者によって構成された統合兵器局や深海棲艦情報局なども有しており、情報分析や兵器面で実働部隊をバックアップすることも役割の一つである。

井上、山下はそのメンバーであり、日本全権大使は野村と来栖が務めることとなっているのだ。

 

「そうか…君達二人が…」

 

日本代表団のメンバーがニューヨークの式典に出席することは、外務省から知らされていた。

この二人とは、これから統合軍の中で協力していくことになるだろう。

 

「こちらこそよろしく頼むよ」

 

野村は二人の肩をぽんと叩いた。

 

 

ーーーそこから式典が始まるのは早かった。

野村はハルや井上らとともに数分間談笑したのち、早々と会場内へと足を運ぶ。

日本代表団の座席は舞台の最前列にあり、隣には米政府高官が、後ろにはドイツ大使を中心とした代表団の席があった。

他にも各国の大使や軍人が参加しており、各々の席に座ってセレモニーが始まるのを待っている。

野村は三名と共に座席に座り、舞台上に目をやる。

そこには世界の国家元首が参集しており、大日本帝国からは総理大臣の近衛文麿(このえ ふみまろ)と、外務大臣である松岡洋右(まつおか ようすけ)が、舞台上の席にかしこまった様子で座っていた。

 

やがて白髪が目立つスーツを身につけた男性が、舞台中央の演説台に立つ。

顔はしわ深く、見た目は好々爺としているが、目には独特の光が灯っており、演説台への足取りが軽い。

何千、何万人といった人間を前にしても一切臆することない。堂々とした態度だった。

 

野村はその人物を一瞬で理解した。

 

フランクリン・デラノ・ルーズベルト。

第三十二代合衆国大統領であり、アメリカの対深海棲艦戦争の最高指導者である。

駐米日本大使である野村とも親交があり、何度も統合軍実現に向けて意見を交換し合った仲であった。

 

ルーズベルト大統領が壇上に登ると、会場の周辺に集まっていた数万の市民の喧騒が嘘のように静まってゆく。

 

「ハワイ……トラック……フィリピン……マーシャル…」

 

完全なる静粛が、セントラルパークを包んだ時。

ルーズベルトは、太平洋に面する島々の名前を口にして演説の火蓋を切った。

 

「マレー……シンガポール……ボルネオ……スラバヤ……オーストラリア。いずれも今年3月1日以来、深海棲艦の攻撃を受けた場所です。これらの土地では…多くの尊い生命が、理不尽な死を迎えてきました。女性、子供、老人問わず、数百万の罪のない人々が…深海棲艦によって殺害されたのです。

とても…とても、痛ましく、悲しいことです。この演説を聞いている人々の中には、親しい家族や友人を深海棲艦の攻撃によって失った方もいるでしょう。

しかし。我が合衆国は悲しみの床に伏し、深海棲艦の侵略を座して受け入れることはしませんでした。太平洋の反対側に位置している偉大なるサムライの国ーーー大日本帝国と、かつて七つの海を制覇し、我が合衆国の祖母の国と言える国ーーー大英帝国と肩を並べ、海の侵略者への反撃を開始したのです。

我々の準備は周到でした。最良の軍艦、最良の戦車、最良の航空機を投入し、深海棲艦を海上から駆逐しようと挑みました…。しかしながら………今まで人類が遭遇した敵の中でも、深海棲艦は格段に強大です。戦況の中心となった極東では彼らの軍隊に苦しめられ、多くの勇敢な将兵が戦場に散り、多くの艦艇が撃沈され、多くの航空機が撃墜されました。

深海棲艦は…アメリカ、イギリス、日本が打倒するには、あまりにも大きなパワーを持ってしまっているのです。苦しいことですが、それは認めざるおえない事実なのです。

言うまでもなく、深海棲艦は人類の敵です。人類史上初めて出現したの天敵と言っても過言ではありません。米英日の打倒が困難な以上…このような『天敵』に対しては、全人類は協力し合わなければならないと、私は強く思いました。

日に日に増してホワイトハウスに報告される兵士の戦死数を見て、私は強く強く願いました。

 

その悲願は、今日、叶います」

 

ルーズベルトは後ろに座る各国首脳をちらりと見た。

 

「ニューヨーク・セントラルパークの舞台上に来てくださった各国首脳の方々が、人類の絆の証拠です。

先の大戦で生まれた各国間、民族間の憎悪、被害、過ちは消えることはありませんが、乗り越えることはできると、私は信じ、各国もそれに応えてくださいました。

人類は、手を携え、肩を並べ、『深海棲艦』という強大な敵に立ち向かうのです。けして楽な道ではないと断言できますが、深海棲艦に打ち勝った暁には、恒久的な平和が太平洋に…そして地球全体に訪れることとなるでしょう。

……3月1日から今日までの十一ヶ月と七日は、前哨戦に過ぎません。

本日、アジアでは1941年12月8日が、アメリカ大陸とヨーロッパでは1941年12月7日が、我ら人類の開戦の日となるのです。

私、アメリカ合衆国大統領フランクリン・デラノ・ルーズベルトは、人類統合同盟(MJA)の結成と、人類統合軍(MJF)の創設をここに宣言します!

 

全人類に……幸福と祝福があらんことを!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





「人類統合軍」甘美な響きだ…
次回から新たな局面がスタートします

感想待っとります!


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第四章 南太平洋激動戦
第六十七話 シドニー会戦



ここから第2部の始まりです。
戦場は、極東から南太平洋に移動します。

ちょい長めです。

半休載は続いていますのでご了承ください。



1

 

機動歩兵第五連隊第四小隊長の横尾寿次郎(よこお ひさじろう)少尉は、一式機動装甲車の荷台に立ちながら、進行方向へと双眼鏡を向けていた。

 

現在一式機動装甲車が通行している土地は起伏が激しい荒地であり、ただでさえ乗り心地が劣悪な装甲車が、進むたびに上下へと振動を繰り返す。

立っているのも一苦労な車上だが、横尾は手すりを握りしめ、できるかぎり振動をなくすようにして双眼鏡を覗いていた。

 

「小隊長殿。見えますか?」

 

運転席のとなりに設置されているM2重機関銃を操る西山佐吉(にしまや さきち)軍曹が、横尾に聞いた。

 

「いいや…」

 

横尾は短く答える。

横尾が探しているのは、北部防衛線に接近中との情報が入っているBD、DD群だが、双眼鏡の視界内には前衛として展開している味方戦車と、広漠たる乾燥地帯、そこに自生する少しの草木しか見えていなかった。

 

時に1942年6月12日。オーストラリア東海岸。シドニーの北西近郊である。

昨日、深海棲艦地上軍の大部隊が、シドニーの北方に位置している沿岸都市ーーーニューキャッスルから南進を開始した旨、偵察機からの報告が届いた。

ニューキャッスルは二ヶ月前から深海棲艦豪州侵攻集団の占領下に入っており、多数の地上兵器や野戦飛行場姫が展開している。

二ヶ月前からニューキャッスル〜シドニー間の地帯では人類と深海棲艦の一進一退の攻防が繰り広げられており、長い膠着状態が続いていた。

深海棲艦は膠着状態を打破して新たな領域を獲得すべく、ニューキャッスルから大部隊を差し向けたのだろう。

それに鑑み、シドニーに司令部を置く人類統合軍オーストリア軍団第二方面軍は、指揮下に置いている横尾ら日本陸軍戦車師団と、新型戦車を有する米陸軍機甲師団を、シドニー防衛のために出撃させた。

なるべくシドニーから離れた場所で迎撃せよ、との命令が下っているため、迎撃部隊は直ちに北上。敵部隊の補足に努めている。

シドニーの戦車キャンプから出撃して早一時間半が経つが、未だに荒涼たる大地に邪魔され、敵部隊の姿は見えなかった。

 

「しっかし…。戦場まで運んでくれるというのは有り難いものですなぁ」

 

後ろに座る対BD猟兵の村松重雄(むらまつ しげお)兵曹長が言い、荷台の座席をポンポンと叩いた。

戦場において、横尾とペアを組むベテラン兵士である。

半年前までは機動歩兵第二連隊に所属しており、ルソン島での熾烈な戦闘を経験している。

横尾と二人一組で携帯式対BD噴進砲を使用し、横尾が射撃、村松が装填を担当することとなっていた。

 

『一式機動装甲車』

機械化が進む各国陸軍の只中において、日本帝国陸軍が初めて本格的に配備した半軌条兵員輸送装甲車である。

盟邦米国が陸軍に配備しているM3ハーフトラックを日本仕様に再設計したものであり、日本各地の軍需工場で大規模生産が春頃から開始されている。

主な配備先は歩兵部隊であり、今戦争において対深海棲艦地上兵軍の主力兵器となった戦車に、歩兵を長時間追従させることを主な目的としている。

従来の日本陸軍において、歩兵の移動手段はほとんどが徒歩であり、長距離の行軍は時間がかかり、戦場に到着しても兵士が消耗しきっている場合が多かった。

だが、一式機動装甲車の配備はそれらの問題を一気に解決している。それだけにとどまらず、歩兵と戦車を組み合わせた新たな戦術の実施や、歩兵の対BD能力も格段に向上した。

陸軍参謀本部は、一式機動装甲車と対BD携帯兵器を装備した歩兵を組み合わせた部隊を多数編成し、地上戦の最中にある豪州大陸に投入している。

機動歩兵第五連隊も同様であり、装甲車五十二輌と対BD猟兵四百四十人、支援用の迫撃砲二個中隊を定数とし、指揮下に多数の機械化歩兵小隊を組み込んでいる。

横尾率いる第四小隊もその部隊の一つであり、一式機動装甲車四輌と、短機関銃や擲弾筒、携帯噴進砲で完全に武装した歩兵三十二名を有していた。

 

その時、前方を進む味方戦車隊ーーー戦車第一、三、九連隊が砂埃を上げながら停止する。

 

「『桜』停止!」

 

機動歩兵第五連隊連隊長である近藤道雄(こんごう みちお)中佐の肉声が、無線電話機から響く。

「桜」とは機動五連隊の呼び出し符丁である。

機動歩兵五連隊と戦車一、三、九連隊はいずれも戦車第一師団に所属しており、戦車一連隊には「菊」、同三連隊には「梅」、同九連隊には「橘」の通信符丁がそれぞれ定められていた。

 

「四小隊、止まれ!」

 

横尾は小隊内周波数の無線機に怒鳴った。

運転手である伊那喜一(いな きいち)伍長が横尾車を真っ先に停車させ、横尾は前につんのめる。

遅れじと第四小隊に所属している二号車、三号車、四号車が停止し、他の機械化歩兵小隊の三十六輌と、迫撃砲中隊の十二輌も順次停車した。

 

三個戦車連隊の戦車百四十四輌、一個機動歩兵連隊の装甲車五十二輌はアイドリング音を立てながら進撃を止める。

戦車第一師団の右側には、米合衆国陸軍の第三機甲師団が日本師団と同じく停止している。

最新式であるM4“シャーマン”中戦車とM3“リー”中戦車。二種類の戦車を有している機甲師団であり、総数は約二百に登る。そのさらに後方には一式機動装甲車のオリジナルであるM3ハーフトラックが多数、戦車を支援すべく後続していた。

日米合計四百輌以上の戦車、装甲車がオーストラリア東部ニュー・サウス・ウェールズの大地に展開している。

轟々たるエンジン音が不動の大地を揺らし、一つのうねりのような音の波を作り出す。

これほどまでの戦力ならば、南進中の深海棲艦地上部隊など鎧袖一触だと思えるが、深海棲艦がそれほど甘い相手ではないけどは、ここにいる将兵全員が、今までの地上戦を通じて理解していた。

 

「来た…!」

 

待機を開始して十五分ほど経過した時、横尾は小さく叫んだ。

 

正面の小高い丘の向こう側から、大規模な砂埃が上がりはじめる。

小さい地響きが響き始め、人ならざるものの咆哮が微かに聞こえた。

BDやDDの大部隊がシドニーを目指して進撃しているのだ。砂埃の大きさから、かなりの大規模な部隊が近づいて来ているようである。

 

「全軍、前へ!」

 

戦車(オール・タンクス)前進(ゴーアヘッド)!」

 

日米戦車師団の各車に、後方指揮所からの命令が飛び込んだ。

 

「『桜』各車、左右に展開しつつ前進。味方戦車への支援を開始せよ」

 

近藤連隊長の指示が各機械化歩兵小隊に届いた頃、正面に展開していた味方戦車…一〇〇式中戦車がエンジンを猛々しく咆哮させ、履帯を軋らせ、前進を開始している。

 

「四小隊、前へ!」

 

横尾は正面を指差し、大声で叫んだ。

伊那がアクセルを踏み、第四小隊一号車が味方戦車に続いて前進を開始する。

 

日米の機甲部隊が戦闘態勢を整える間に、丘の稜線から現れるBD、DDの数はどんどん増えてゆく。

事前連絡によると、シドニーに進撃している深海棲艦部隊の総数はおよそ三百。うち二百五十体がBDであり、残りがDDである。

BDが先鋒を務め、その後方から機動力に劣るDDが追随するという陣形で接近して来ていた。

 

「戦車一連隊の至近に付けろ」

 

横尾は伊那に注文をつけ、後ろを振り返った。

装甲車の荷台は決して広いとは言えないが、戦車兵用ヘルメットにゴーグル、砂嵐対策のスカーフを身につけ、手元にありとあらゆる携帯兵器を持った対BD猟兵が九名。ぎゅうぎゅうで詰めている。

そんな部下たちを見渡しながら、横尾は口を開いた。

 

「俺たちの任務は…戦車の側面を守り、戦車兵の目、耳となることだ。戦車との連携が大事だから、味方戦車から過度に離れるな。適度な距離をとって戦う」

 

横尾はそこで言葉を切り、村松に目をやった。

 

「お前ら、孤立だけはするなよ。孤立したらすぐに奴らの胃袋直行だ」

 

村松の言葉を聞いて若い兵士が怯えた表情になったが、村松はバシッとその兵の背中を叩いて言った。

 

「怖いやつは俺のケツについてこい!若けぇ奴らは俺みたいなオッサンの尻見ながら死にたくないだろう?」

 

装甲車内にどっと笑いが弾けた。

その時、横尾車が前のめりになって停車する。

横尾車の右前方には戦車第一連隊の一〇〇式中戦車が位置しており、その砲身から紅蓮の焔を噴き出させた。

腹に応える砲声が轟き、装甲で鎧われた車体を震わせる。

 

「帝国陸軍歩兵がどこまで粘り強いか深海棲艦に教えてやれ!総員降車!」

 

横尾は砲声に負けない大声で命令した。

運転手の伊那と重機関銃射手の西山以外の兵士が早々と装甲車の荷台を後にし、豪州の大地を踏みしめる。

 

その時、右前方の味方戦車が爆砕された。

鋭い打撃音がこだまし、装甲が引き裂かれ、さっきまで火を噴いていた砲身が宙を舞う。

敵弾を受けた戦車はその場にうなだれ、火災を発生させた。

 

横尾は一切目を向けることなく装甲車脇の地面に伏せ、手元にある一〇〇式機関短銃を構えた。次いで素早く周囲を見渡し、戦況の把握に努める。

相棒である村松も地面に伏し、九九式短小銃を構えた。

 

敵部隊との距離は予想以上に近い。

先頭集団との距離は500mから600mである。双眼鏡を通さずにも、BDの凶々しい見た目を確認することができた。

 

第四小隊が近くに布陣した戦車第一連隊の各戦車は、停止、前進を繰り返しながら発砲を繰り返す。

一連隊だけでなく、他の戦車三連隊、戦車九連隊やM4“シャーマン”、M3“リー”までもが矢継ぎ早に発砲し、37mm徹甲弾、50mm徹甲弾、75mm徹甲弾をBDに向けて撃ち込む。

 

「村松、沼倉、橋田、古田は俺について来い!他は装甲車の周辺で戦車の支援だ!」

 

横尾は早口で言い、前方を進む一〇〇式中戦車目指して駆け出した。

村松が素早く続き、横尾らと同じく噴進砲を担当する沼倉と橋田、火炎放射器をかついでバイザーで顔を覆う古田が追う。

 

また一輌の味方戦車が破壊される。

主砲正面の装甲を容易く貫通され、飛び込んだ敵弾が車内で炸裂した。

五名の戦車兵は肉体を打ち砕かれて一瞬で即死し、搭載していた砲弾が誘爆したのか、一際大きな爆発が発生した。

首をはねられたかのように砲塔が吹き飛び、無数の火の粉と破片が飛び散る。

周辺に展開していた数名の対BD猟兵が衝撃波と破片を受けて仰け反り、血反吐を撒き散らしながら倒れ伏す。

 

横尾らは敵弾が飛来する中を突っ走り、味方戦車の後ろに到達した。

 

「目標、右前方のBD!」

 

機関短銃から携帯式対BD噴進砲ーーー二式携帯型噴進砲(M1バズーカ)へと持ち替え、膝立ちになって肩に長細い筒をかつぐ。

背後では、村松が素早く斜め掛けバッグから60mmロケット弾を取り出し、噴進砲の尾部から弾を装填した。

装填作業が完了する間、横尾は照準器の向こう側のBDを見つめ続けている。

周辺に他の敵は確認できず、そのBDは完全に孤立していた。単独でBD群から突出してしまったのかもしれない。

いずれにしろ、二式噴進砲の格好の標的である。

 

「装填完了!爆風対策よし!」

 

「発射準備よし!」

 

村松が報告し、別の噴進砲ペアである沼倉、橋田も意気込んで叫ぶ。

横尾は狙いを定めた。

距離は近い。BDの側面に命中する軌道を描けるよう、筒先の向きを微調整し、照準を絞る。

 

「ぶっ放せ!」

 

横尾は号令一下、引き金を引く。

刹那、噴進砲の砲門から濛々たる白煙が噴出した。尾部からも煙が吐き出され、軽い衝撃が身体を揺らした。

ほとんど同時に橋田も撃ち、戦車後方から放たれた二発のロケット弾は、BD目指して噴き伸びる。

狙い過たず、二発ともBDの側面に命中した。

二式携帯型噴進砲は初速が遅く、BDの装甲を撃ち抜けない危惧があったが、成形炸薬弾の弾頭が側面装甲を食い破り、BD内部で炸裂した。

BDは無数の肉片を撒き散らしながらその場に擱座し、動かなくなる。

 

横尾らが「BD一体撃破」の戦果を挙げる中、戦場は激戦の様相を呈しつつあった。

 

BDの75mm弾を車体下部に受けたシャーマンは、正面装甲よりも僅かに薄い下部装甲を貫通され、戦闘不能になる。

内部に飛び込んだ敵弾が車内を跳ね回り、戦車兵を切り刻んだのだ。

一見無傷に思えるシャーマンだが、砲身からは火を噴くことも、履帯を軋らせての移動もしなくなる。

とあるM3は高い車高が祟り、敵弾を37mm砲塔に受ける。

二種類の砲を搭載するという特殊な戦車は、車体の上部に乗っかっている小振りな砲塔を爆砕され、多数の37mm砲弾が誘爆する。

巨大な火焔が奔騰し、内部の戦車兵ごと火だるまになる。

 

一式機動装甲車やM3ハーフトラックと言った装甲車にも、被弾する車両が相次ぐ。

これらの装甲車には戦車ほどの防御力はなく、敵弾を食らえばひとたまりもない。

直撃を受けた直後、運転手や重機関銃手が即死し、決して軽いとは言えない車体が跳ね上がる。荷台に詰めていた兵員が破片に切り裂かれ、炎に包まれ、絶叫を上げながら荷台から転げ落ちる。

 

敵弾は絶えず飛来し、味方戦車や装甲車の周辺の地面をえぐり、土砂や砂利、木々などを根こそぎにする。

至近弾を受けた一式装甲車は飛び交う破片に履帯を切断され、行動不能に陥る。歩兵は土砂を浴びながら衝撃で吹き飛ばされ、二転三転して動かなくなる。

 

「押されてるな」

 

横尾は戦況を見ながら言った。

BDにも被弾して擱座したり、火災を起こして動かなくなる個体がいるものの、撃破される車両は日米の方が多い。

人類側の兵力は深海棲艦に勝るとも劣らないため、互角の戦いが展開される筈だが…何故だろう、という疑問が横尾にはあった。

 

その時、煤煙を突いて突進してくるBDの姿が、横尾の目を射た。

敵の目標は、明らかに横尾達が隠れ蓑にしている一〇〇式中戦車だ。

接近してくるBDに気付いたのか、一〇〇式は砲塔を左に旋回させ、砲門ををBDへと向ける。

BDに向き合うや発砲し、発射された50mm弾はBDの正面に直撃した。

BDは少し立ちろいだが、効果は無い。

甲高い音と共に跳ね返され、それ以上のことは起きない。

 

「二型か…!」

 

横尾は吐き捨てるように言った。

 

オーストラリアに上陸したBDには二つの種類がある。

長らく深海棲艦地上軍の主力であったBD一型と、正面装甲を強化し、かつ超砲身の装甲貫徹力が高まった75mm砲を搭載している二型である。

一型と二型を見分ける術は無く、戦ってみるまでわからない。

ルソン島や東南アジアでBD一型に対応可能だと実証されている一〇〇式戦車の砲弾を弾いたということは、向かってくるBDは二型なのだろう。

 

横尾は機関短銃で二型を銃撃しつつ、一〇〇式戦車の右側に退避する。

村松や沼倉も小銃で牽制射撃を行いながら戦車の陰に身を隠した。

ロケット弾をぶち込みたいところだが、二式噴進砲に二型の正面装甲を貫通する力はない。

 

BD二型は停止し、口内から長細い砲身を突き出した。

次の瞬間、真っ赤な火焔が砲門から噴き出し、砲声が響き渡る。

 

「伏せろ!」

 

村松が叫んだ刹那、目の前が真っ赤に染まった。

猛烈な熱気を感じた刹那、横尾の身体は宙に浮いてる。

 

「……!」

 

数メートル後方に吹き飛ばされ、身体を地面に打ち付けられた。二転三転し、仰向けになって止まる。

朦朧とする意識で状況を把握しようとするが、音が聞こえない。

キーン、と言った耳鳴りが聴覚を支配し、視界が霞む。

 

ゆっくりと上体を起こすと、さっきまで横尾が身を隠していた一〇〇式が爆砕されていた。

砲塔が綺麗さっぱり消失しており、変わって巨大な火焔を載せている。

車内から火だるまになった戦車兵が断末魔の絶叫を上げながら這い出てくるが、車体から地面に落ちたところで力尽き、動かなくなる。

 

その一〇〇式の背後に、巨大な影が見える。

風で煙が晴れると、たった今味方戦車を破壊したBD二型の姿があった。

 

「小隊長!」

 

その時、村松の声が聞こえた。

声のした方向を向くと、小銃を持ちながら駆けてくる村松と、その後ろから追う古田の姿が見える。

二人とも横尾と同じく衝撃波で吹き飛ばされていた筈だが、そのような苦痛は感じさせない軽い足取りだった。

 

「ご無事ですか?」

 

「あいつをやる」

 

村松の自身を心配する声を無視し、横尾はBD二型を睨みつけた。

 

今まで共にいた沼倉と橋田の姿が見当たらない。恐らく、戦車の爆発に巻き込まれて肉体をバラバラにされたのか、横尾が吹き飛ばされている間にBDに喰われたのだろう。

第四小隊から対BD猟兵二名を奪ったBD二型は、新たな獲物を求めて近づいてくる。

 

距離は近い。

 

「古田。焼き尽くせ!」

 

「は、はい!」

 

火炎放射器を装備した古田は、我こそはと言わんばかりに一歩前へ出。近づいてくるBDに対してノズルを向け、引き金を引く。

ノズル口から火焔が放射された。

腰だめのノズルから発せられた焔の帯は、真正面からBDに接触し、BDの体を焼く。

丸みを帯びた頭部、エメラルドグリーンの目、不気味な程に白い歯が紅蓮の炎に焼かれ、見えなくなる。

戦車ほどの巨体が火に包まれ、文字通り火の塊へと変化する。

BDは接近をやめ、咆哮を上げながら苦悶にもがく。

 

だが、決定打ではない。

 

古田が火焔放射を止める頃、横尾は噴進砲の装填を終え、BD二型の側面に回り込んでいる。

だが。噴進砲の引き金を引こうとした直前、BD二型は大きく跳躍した。巨大な火の塊が素早く動き、古田に迫る。

 

「逃げろ!」と横尾は咄嗟に言おうとしたが、口からその言葉が出ることはなかった。

古田の上半身が搔き消え、血飛沫が舞う。BD二型は古田の後方に着地し、勢いよく横尾の方向を振り向いた。

白い歯が赤く染まっており、口からは肉塊をぼたぼたと地面に垂れ流している。

火は完全に消えており、火炎放射でダメージを受けたようには見えなかった。

 

「化け物が」

 

横尾は小さく吐き捨て、引き金を引いた。

再びの軽い衝撃が体を揺らし、白煙が噴出し、BDに向けて煙の尾が伸びる。

刹那、60mmロケット弾はBD二型の顎を直撃した。無数の歯と砲身が吹き飛び、顎が粉砕される。黒い破片が飛び散り、地面に突き刺さった

だが、これでもBD二型は力尽きなかった。

自らの肉片を撒き散らしながら、猛然と突撃して来たのである。

 

「な…!」

 

横尾は敵の予想外の行動に戸惑ったが、考える間もなく体が勝手に動いている。

横尾は瞬時に右側の地面に身を投げ出し、相棒の村松も素早く動き、左側に回避する。

BD二型は、さっきまで二人がいた場所を蹂躙し、仕留め損なったと見るや、横尾の方向を向く。

距離はほとんどない。ロケット弾によってグロテクスに粉砕された口周りが、横尾の目の前に迫る。

 

(やられる…!)

 

瞬時に悟ったが、無意識に手が動いていた。

空になった噴進砲を無造作に投げ捨て、機関短銃をBDに構える。

手に持てるサイズの機関銃がこいつに効くとは思えなかったが、戦える限り最後まで抵抗しよう、と考えていた。

 

だが、機関短銃が火を噴くことはなかった。

BD二型の左側面に太い火箭が多数突き刺さり、外板を吹き飛ばした。

衝撃によってBD二型は進路を変えられ、横尾の右を通過して後方で横転する。

 

「隊長!こっちです!」

 

火箭が向かって来た方を見ると三輌の一式機動装甲車がおり、もっとも近い装甲車の車上では、ひっきりなしに西山軍曹が手を振っている。

西山は第四小隊一号車の重機関銃射手である。車載のM2ブローニング12.7mm重機関銃を放ち、横尾の危機を救ったのだ。

 

ここで横尾は、自分達が一番BD群の近いところに展開している歩兵だということに気づいた。

一〇〇式戦車や米戦車シャーマン、リーは車体正面をBDに向け、発砲しながら後退を開始しており、歩兵部隊もそれに従って下がっている。

横尾がBDとの戦闘に拘束されている最中に戦車部隊が下がったため、横尾と村松は戦線が後退していることに気づかず、敵中に孤立しつつあるのだ。

 

「村松、走るぞ!」

 

「了解!」

 

横尾は叫び、村松も威勢の良い声で返す

二人は武器を放り投げ、全力で西山の装甲車へと駆け出した。

 

二人の後ろからは数百度の炎に焼かれ、顎を砕かれ、多数の重機関銃弾を食らったBD二型が追う。

動いは鈍くなっているが、まだ戦意は旺盛なようだ。横尾と村松を逃すつもりなどないらしく、全力で追ってくる。

 

「しつこいぞお前!」

 

村松がBDを罵るが、BDは何かに取り憑かれているように追うのをやめない。さらに後方からは二体のBD一型が続いていた。

装甲車との距離は50m。このままでは追いつかれる!

 

と思った刹那…重厚な連射音が響き、多数の青白い火箭が頭上を通過し、後ろへと伸びた。

ほとんど同時に三発のロケット弾が装甲車から放たれ、12.7mm弾を追って横尾らの頭上を越える。

 

数秒後、後方から炸裂音が届き、悲痛の叫びにも似たBDの咆哮が轟いた。

横尾は何が起こったか察しがついている。

装甲車上の三組の噴進砲兵ペアがロケット弾を発射し、追ってくるBDを撃破したのだ。

 

二人は無事に装甲車に辿り着き、部下に手助けされながら荷台に上がる。息は荒れており、小隊長として指示を出そうとしたが、言葉がでてこなかった。

 

「伊那、出せ!」

 

西山が運転手の伊那に言い、第四小隊の一式機動装甲車は後退を開始する。

最大速度などのだろう。凄まじい勢いで荷台が上下し、横尾は側壁に体をぶつけて呻き声を上げる。

ちらりと後方を見やると、横尾らを追っていたBD二型が黒煙を上げながら擱座しているのが見えた。

 

「隊長。師団本部から後退命令が出ていたんです」

 

西山が無線機も持ってくる。

 

「後退か…」

 

横尾はその言葉を反芻した。確かに。あれほどの大きな被害を受けていたら司令部は撤退を選択するだろう、という気がした。

 

だが、それが完全な敗北からの撤退ではないことが、後から分かる。

 

「『桜』。直ちに後退!繰り返す、全車、直ちに後退せよ!凄いのが来るぞ!」

 

無線機からは、ひっきりなしに近藤連隊長の興奮気味の声が響いている。

やがてその「凄いの」が、戦場に到着した。

 

 

戦車、装甲車のエンジン音に負けない轟々たる音が、徐々に音量を上げてくる。

その音は頭上を圧し、装甲車の荷台すら震え始める。

やがて、後方から歓声が湧いた。日米問わない将兵が、空からやってきた援軍にむけて歓喜を上げる。

 

「ドイツ軍か…」

 

横尾は、南の空から徐々に数を増やしつつある航空機群を見やって呟いた。逆ガル固定脚が特徴的な機体だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

第六十七話 「シドニー会戦」

 





次回 「鉄十字の荒鷲」

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第六十八話 鉄十字の荒鷲

推奨bgmはスターウォーズの「レジスタンスのマーチ」ですかねぇ


高名な急降下爆撃機乗りが登場します。


1

 

戦車第一師団、第三機甲師団の援護に飛来した航空部隊は、第二急降下爆撃航空団(SG2)のユンカースJu87“スツーカ”七十四機だった。

 

「“ヴァイオレット1”より全機。“ヴァイオレット”、“カーネーション”目標、後方に展開しているDD。“ローズマリー”目標、味方部隊追撃中のBD」

 

SG2総指揮官のカール・シュペレ中佐の肉声が、本部小隊、第二飛行隊(Ⅱ/SG2)第三飛行隊(Ⅲ/SG2)のスツーカコックピットに響く。

 

「“カーネーション”了解」

 

「“ローズマリー”了解」

 

Ⅱ/SG2飛行隊長グラーフ・ショッツ少佐と、Ⅲ/SG2飛行隊長マイハイム・メスナー少佐が、各隊の呼び出し符丁となっている花の名前を答える。

 

「奴らはDDを支援戦力に位置付けたみたいですね」

 

Ⅱ/SG2の八番機の旋回機銃手を担当するエルヴィン・ヘルシェル兵長が、操縦士であるハンス・ウルリッヒ・ルーデル少尉に言った。

ルーデルはそれに答えず、コクピットから首を出し、ゴーグルを外して正面の地上を見やった。

スツーカは逆ガルと言う特徴的な翼をしており、正面から見ると「W」のような形に見える。前下方への視界が広く、ルーデルは何不自由することなく地表の状態を確認することができた。

 

三つのものを視界内に捉えた。

砂埃の中後退する人類の機甲部隊と、それを追うBD群、さらにその後方でしきりに発射炎を光らせるDDである。

日本やアメリカからの情報では、DDは機動力に難があるが、105mm砲二門、88mm砲八門という大火力を持っている。その二つの重火砲を息つく間もなく発射し、後退する日本軍、アメリカ軍に撃ち込んでいる。

この高度からは見えにくいが、時折機甲部隊の只中で火焔が躍り、爆炎が湧き上がる。

後退中の戦車、装甲車が被弾し、爆砕されているのだ。

 

「そうらしいな」

 

ルーデルはそう短く言い、スツーカを七番機に追随させる。

飛行隊長のシュペレ中佐もDDが味方の脅威になっていることを素早く見抜き、“ヴァイオレット”と"カーネーション”の攻撃目標をDDにしたのだろう。

 

「“カーネーション4”より全機。左に日本編隊!」

 

「“ローズマリー6”より全機。右にソビエト軍機!」

 

二つの報告が立て続けに飛び込んだ。

ルーデルは左右に首を振り、口角を釣り上げる。

 

左側の空域には、日の丸が描かれた華奢な戦闘機と軽爆撃機が合計五十機、右側の空域には、欧州で馴染み深いソビエト労農赤空軍のシュトルモヴィクが四十機、SG2のスツーカと肩を並べるようにして敵地上部隊に突進している。

SG2は日ソ両軍攻撃隊との同時攻撃を意図していたわけではない。上位部隊である統合航空軍(JAF)第三航空集団(3AG)司令部からの攻撃指令を受け、スツーカをシドニー近郊の野戦飛行場から出撃させただけだ。

だが、それは日本軍もソビエト軍も同様だったのだろう。

豪州東部の航空作戦を統括する3AG司令部はSG2だけではなく、日ソ航空部隊にも地上部隊の支援を命じていたため、意図することなく、三ヶ国地上攻撃部隊の同時攻撃が実現したのだ。

 

この時、SG2総指揮官のシュペレ中佐と日本軍攻撃隊、ソビエト軍攻撃隊の間で暗黙の了解が交わされていた。

日本陸軍の軽爆撃機は左側を、赤空軍のシュトルモヴィクは右側を、そしてSG2のスツーカは中央の敵地上部隊を攻撃するのだ。

 

「“ヴァイオレット1”より全機。日本人やロシア人に遅れをとるな。中隊毎に散開して爆撃。深海棲艦に鉄槌を下せ!」

 

「“カーネーション”かかれ!」

 

シュペレ中佐とショッツ少佐の命令が同時に飛び込んだ直後、ルーデルはフルスロットルを開き、愛機を加速させた。同時に操縦桿を手前に引き、空中の降下点へと機首を向ける。

 

「ついて来い戦友(カメラード)…!」

 

ルーデルは後続する部下のスツーカに言葉を投げかけ、スツーカを爆撃ポイントへと誘う。

 

「味方機。順次加速!」

 

機銃の安全装置を外しながら、ヘルシェル兵長が報告する。

ちらりとバックミラーに目をやると、ルーデルが指揮を執る第三小隊のスツーカ三機が、遅れずに後続する様が見えた。

敵地上部隊に向けて加速するのは、第三小隊だけではない。

他の第三中隊の僚機や、第一、第二中隊の二十四機、Ⅲ/SG2の三十四機、加えて本部小隊も、ほとんど同時にフルスロットルを開き、巡航速度から最大速度の310km/hへと加速している。

 

液冷エンジン特有の尖った機首、逆ガル型の吊り上がった翼、その翼から伸びる二つの固定脚、それらを染め上げるディザートカラーの砂漠迷彩、そんなドイツ空軍(ルフトヴェッフェ)が誇る急降下爆撃機が合計七十四機、エンジン音を轟々と鳴り響かせながら、突撃を開始する。

 

攻撃目標にBDに割り振られたⅢ/SG2のスツーカは、本部小隊、Ⅱ/SG2よりも一足先に急降下爆撃を開始している。

全幅14m、全長11m、総重量3.4tに達する爆撃機がその身に似合わない軽快さで身を翻し、次々と機首を地表へと向ける。

多数のスツーカが機体を翻すたびに日光が翼に反射し、鈍い光を発する。シュペレ中佐は「鉄槌」と表現していたが、ルーデルからは振り下ろされる凶刃のようも見えた。

 

Ⅲ/SG2のスツーカが次々と対地爆撃を開始している中、ルーデルらが目標としているDD群に、一斉に閃光が走った。

 

「来るぞ!」

 

ショッツ少佐が注意を喚起した刹那、本部小隊とⅡ/SG2四十機の周囲に、次々と敵弾が炸裂し始めた。

左、右、正面、頭上、下方といたるところで敵弾が砕け、ルーデル機を右へ左へと翻弄する。炸裂した敵弾の破片がスツーカの外板に当たり、豪雨のような音を立てる。

 

(なかなかの対空弾幕だ…)

 

ルーデルはDDを見据えながら思った。

 

破壊されたDDを調査した結果、DDの装備している火砲のうち、105mm砲の全てと88mm砲四門の計六門の仰角が、最大75度であることが判明している。

DDの火砲は地上攻撃のみならず、対空射撃をも可能としているのだ。

 

ルーデルがDDの対空射撃を受けたのは、これが初めてではない。

所属航空団がオーストラリアに展開してからの半年間、何十回も出撃し、スツーカを操って戦場の空を飛び回っている。

その間にBD五十体、DD二十三体を急降下爆撃のみで破壊しており、爆撃阻止に向かって来た深海棲艦機も、少なくとも三機をスツーカで撃墜している。

祖国ドイツからはその戦果、並外れた技量を讃えられて騎士十字勲章を授与されており、盟邦イギリスからも豪州防衛の献身さを讃えられ、勲章の授与が決定されていた。

ニューキャッスル〜シドニー間の戦いが始まってからはSG2の出撃回数も増加し、ルーデル自身DDとは何度も戦い、DDの対空能力も嫌というほど見せてけられている。

 

DDの対空火力は完全に把握したと思っていたルーデルだったが、今回の対空弾幕は数段強烈だった。

DDの数はおよそ五十体、それらが密集し、一斉に弾幕を張っているからかもしれない。

 

黒い硝煙がスツーカの飛行している空域を覆い、地表を遮る。

絶えず敵弾が炸裂し、衝撃でスツーカの機体が安定しない。

 降下点との距離はほとんど無い。このまま被弾機無しに行けるか…?とルーデルは思ったが、その思いはもろくも崩れ去る。

 

ルーデル機の右前方を進んでいたスツーカが、敵弾炸裂の打撃をもろに受けた。

右主翼が屈折部を境にして折れ曲り、そのスツーカは黒煙を引きずりながら墜ち、ルーデルの視界外に消える。

 

間を置かずに、新たなスツーカが被弾する。

ルーデルの正面を進んでいた機体が、至近距離での炸裂を食らった。

 

「隊長!」

 

の叫びがルーデルの口からほとばしった。

 

被弾した機体は、ショッツ少佐のスツーカだ。

強力な105mm砲弾の炸裂だったのか、急降下に対応した頑丈な機体が木っ端微塵に砕け散り、空中に花火のような火焔が湧き出す。

無数の破片が飛び散り、ショッツ少佐と旋回機銃手の肉体もその一つ一つとして、豪州の赤焼けた大地に落下してゆく。

 

「くそっ…!」

 

ショッツ少佐はルーデル程ではないがそれなりの技量を持ち、部下からも慕われていた優秀な空軍将校だった。ルーデルも良い戦友として、そして信頼できる上司として尊敬していた彼だったが、祖国から遠く離れた異国で命を散らしたのだ。

 

ショッツ少佐の死を悼みたいが、ルーデルは気持ちを切り替え、スツーカの操縦に専念する。

 

下方にはすでにDDの大群が見えている。Ⅱ/SG2は降下点に到達したしたのだ。

 

ルーデル機の前方を飛行している第一中隊、第二中隊のスツーカが、先陣を切って急降下に移行する。第一中隊は中隊長のショッツを失った直後だったが、一糸乱れぬ機動で爆撃態勢に入っている。

次は第三中隊の番だ。

第一小隊、第二小隊のスツーカ八機が機体を180度横転させて急降下に入り、ルーデルも第三小隊の三機と共に急降下に移る。

 

左フットバーを踏み切り、操縦桿を荒々しく左に倒す。

故意にバランスを崩されたスツーカは左へと横転し、機首を地面に向けた。

南半球の青々とした空が上方に吹っ飛び、正面に無毛の大地とDDの大群が移動してくる。

風切り音が周囲を包み、ユンカース:ユモ211Dエンジンの猛々しい音と、自らの息遣いしか耳に届かない。

凄まじいマイナスGが身体を突き上げ、ルーデルは小刻みに震える操縦桿を渾身の力で抑え込み、機体を安定させる。

重力で加速され、スツーカは最大速度を突破した。速度計がものすごい勢いで時計回りに回転し、高度計は逆に反時計回りに回る。

 

照準器の先には、目標たるDDの姿が見えている。

ゆっくりと地表を移動しており、時折両手の盾から発射炎を閃らめかせている。

DDを撃破するには、身体に直接爆弾を叩きつけねばならない。両手に保持している盾の防御力は凄まじく、投下した250kg爆弾でさえ跳ね返されることがあるからだ。

だが、それには凄まじい技量が必要である。DDの弱点たる身体は二つの盾に守られており、上空からは「点」に等しい頭部しか見えていない。

DDを完全に撃破するには、盾を避け、「点」の頭部のみをピンポイントで破壊するしかないのだ。

 

ルーデルは操縦桿を微調整し、照準器の十字にDDの頭部がくるように機体をコントロールする。

並走するように急降下していた第二小隊のスツーカが、敵弾に撃ち抜かれて四散し、また別のスツーカも破片がエンジン内に飛び込んだのか、炎を引きずりながら地面に激突するが、ルーデルは一切気にしない。

 

彼の全神経は、操縦桿を握る両手と照準器を除く右目のみに集中しており、「DDに爆弾を直撃させる」ことしか考えていなかった。

 

「奢りだ。食え!」

 

高度が300mを下回り、照準器の先のDDの表情までもがはっきりと分かるようになった時。

 

ルーデルは頃合い良し…と瞬時に判断し、投下ボタンを押した。

足元から機械的な音が響き、搭載してきた250kg爆弾一発と50kg爆弾四発が切り離されれる。

投下後、ルーデルはすぐに機体を引き起こさなかった。鋭い眼光でDDを見据え、操縦桿のトリガーを引き絞る。

両翼に装備された7.92mm機銃二門が火を噴き、オレンジ色の曳航弾を含んだ火箭が、真上からDDに降り注いだ。

刹那、ルーデルは目一杯操縦桿を手前に引き、スツーカを水平飛行へと戻す。何倍にもなった重力が体をコックピットに押し付け、視界が暗くなる。

DDへの射撃機会は一瞬だったが、大量の機銃弾を命中させた自信が彼にはあった。

 

投下した五発の爆弾が、機体にやや遅れて着弾する。

ルーデルが振り向いた刹那、黒い塊がDDの頭部に吸い込まれた。直後、巨大な爆炎がDDの上半身を消しとばし、二つの盾が両腕からちぎり飛ばされた。

体液が大地にぶちまけられ、腰から下の下半身が力なく膝をつく。

 

DD一体を完全に撃破したルーデルだが、戦いはまだ終わらない。

正面に二体のDDが立ち塞がり、ルーデル機の進路を遮断するような位置を取っている。

現在のルーデル機の高度は15mほどである。DDは超低空飛行のルーデル機を墜とし易いと考え、立ち塞がったのかもしれない。

 

だがルーデルは、このような敵に撃墜されるような男ではない。

翼端を地面にかすめながらも、DD二体の間を通過するような進路を描き、両翼の機銃を放つ。

吹き伸びた7.92mmの火箭はDDの盾に火花を散らし、DDを牽制する。

 

「エルヴィン。歯を食いしばれ!」

 

「了解…!」

 

ルーデルは相棒に小さく叫び、左翼を天空へ、右翼を地面に向け、スツーカを地面に対して垂直に立たせた。

機銃を撃ちっぱなしにしながら、二体のDDの間を猛速で駆け抜けた。

風圧で砂が舞い上がり、DDを振動で身を震わせる。

 

直後、それらのDDには三小隊僚機が投下した爆弾が直撃した。

火焔が躍り、DDの上半身から黒いものが飛び散る。

バックミラーを見やると、頭部や盾から黒煙を上げ、よろめいているDDの姿が写っていた。

ルーデルは二体のDDを牽制し、その隙に部下のスツーカが二体を撃破したのである。

 

 

この時、深海棲艦地上部隊は、いたるところで人類統合軍の爆撃機からの攻撃を受け、散り散りになりつつあった。

 

左側の攻撃を担当した航空部隊ーーー日本帝国陸軍飛行第三十五戦隊の九九式双発軽爆撃機、飛行第六十四戦隊の一式戦「隼」は、搭載して来た60kg小型爆弾を敵の頭上から盛大にばら撒き、12.7mm、7.7mm機銃で敵を掃射した。

 

右側の攻撃を担当したソ連空軍部隊ーーー第四航空攻撃連隊のイリューシンiI–2は、搭載爆弾をBDやDDに叩きつけ、両翼に仕込んだ23mm機関砲二門、7.62mm機銃二門で敵部隊を狙い撃つ。

その結果、爆弾ではなく23mm機関砲の方が、敵地上部隊に大きな被害を与えることとなった。

23mmという大口径機関砲弾は、装甲が薄い天蓋を容易く貫通し、多くのBDを次々と擱座に追い込み、撃破したのだ。

 

中央の攻撃を担当したルーデルらドイツ空軍スツーカ部隊は、敵の対空砲に怯まず、正確無比な爆弾を多数見舞った。

250kg爆弾を喰らったDDは、盾で身を守る暇もなく身体を引き裂かれ、50kg爆弾の至近弾を受けたBDは堪らず横転する。

 

独ソ日の担当箇所のいずれでも、絶えることなく爆弾が降り注ぎ、俊敏に動く戦闘機や襲撃機が機銃弾を叩き込む。

 

 

あらかた空爆が終わった頃、深海棲艦地上兵器は空爆前の半分以下にまで打ち減らされていた。

多くの残骸が横たわり、敵地上部隊は各々で分断され、孤立している。

 

 

そこに、後退を続けていた日本軍戦車第一師団、米合衆国軍第三機甲師団が前進を再開した。

両師団は先程の戦闘で多数の戦車、装甲車を失っていたが、それでも三百輌以上の一〇〇式中戦車、M4“シャーマン”、M3“リー”などが履帯を軋らせ、主砲を振りかざして前進を再開し、装甲車と歩兵部隊も後続する。

それを阻止する術を、深海棲艦は持たない。

BDもDDも、随所で人類の戦車に押しまくられ、破壊され、擱座する。

 

巨大な波のように、深海棲艦の部隊を飲み込んでゆく。

 

「見たか深海棲艦。これがドイツ空軍の力だ!」

 

ルーデルは、地上の戦況を見下ろしながら叫んだ。

不利に立たされていた味方機甲師団を支援し、有利な戦況に持ち込んだのは、SG2の活躍によるところが大である。

他国の航空部隊も対地攻撃に参加しており、敵地上部隊へのとどめは味方師団が刺すのだろうが、SG2が他部隊にはできなかった決定的な役割を果たしたことを、ルーデルは確信していた。

 

 

「“ヴァイオレット1”より全機、3AG司令部より情報が届いた。新たな敵地上軍団がシドニーに向かっている。直ちにシドニーズ・ポイント飛行場に帰還。再度の出撃に備える」

 

 

 

だが、深海棲艦のシドニーへの侵攻はまだ終わらないようだ。

新たな深海棲艦地上部隊の存在が、確認されたらしい。

 

 

 

ルーデルは生き残った僚機と共に、シドニーへと機首を向ける。

視界の先には、野戦飛行場から出撃したと思われる第二次攻撃隊の姿を、捉えることができた。

 

 

 

 

 

 

 

 

第六十八話「鉄十字の荒鷲」

 




感想待っとります!


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第六十九話 新たなる目標



なんか半休載の告知したのにどんどん文章が進むので投稿します。





 

1

 

オーストラリア大陸を巡る戦いは、1941年8月10日。深海棲艦のロックハンプトン・ブリスベンへの上陸戦から端を発する。

 

ロックハンプトンに上陸した深海棲艦には「A軍集団」、ブリスベンな上陸した深海棲艦には「B軍集団」の呼称が用いられており、上陸後、A軍集団は北上してマッカイ、ダウンズヒルといった北東岸の都市を、B軍集団は南下してゴールドコースト、ポートマッコリーといった東岸の都市を次々と陥落させた。

今年初頭にはA軍集団は大陸北東部に伸びるヨーク岬半島一帯を制圧し、B軍集団はニューキャッスルを占領してシドニーへ侵攻可能な足場を得ることとなる。

 

 

イギリス製の兵器を装備していたオーストリア軍は局地戦で善戦したが、深海棲艦の大物量やBDやDDの攻撃力に対して有効な戦いを展開できるはずがなく、多くの被害を出していた。

当時、未だに人類統合軍は創設されておらず、日本、アメリカ、イギリスは極東を巡る戦いで精一杯であり、オーストリア軍は単独での戦いを余儀なくされたからである。

 

豪州戦線に転機が訪れたのは、今年の3月のことだった。

極東の深海棲艦を一掃した日米英軍は、世界中の国々と人類統合軍を創設し、「統合軍オーストラリア軍団」を編成。多数の部隊をオーストリア大陸に派兵したのである。

同軍団は豪州の戦場に投入され、深海棲艦の破竹の勢いを停滞させた。東部戦線ではシドニー北方160kmに位置しているニューキャッスル、北部戦線ではヨーク岬半島の西側付け根にある町カーペンタリアにて深海棲艦A、B集団を釘付けにし、それ以上の侵攻を許していない。

 

以来、東部戦線はニューキャッスル〜シドニー間、北部戦線はカーペンタリア湾周辺での一進一退の攻防が続けられている。

 

 

 

2

 

「なんとか盛り返したか…」

 

オーストラリア軍団第二方面軍(2DA)の司令官であるバーナード・モントゴメリー英陸軍大将は、机上に広げられている戦況図を見下ろしながら呟いた。

 

場所は、シドニー市街の中心部に建設されているホテルの一室である。

2DAのシドニーへの展開に際して徴用され、2DA、第三航空集団(3AG)の司令部として三ヶ月前から機能している。

ホテルの窓辺からは夕焼けに照らされるボタニー湾を一望することができるが、室内にいる参謀らは皆眉をひそめ、戦況図をただひたすら凝視していた。

 

作戦室には、モントゴメリー司令官を手始めとした2DA司令部幕僚全員と、3AG司令官のジョージ・C・ケニー米陸軍中将、同参謀長のフランク・スコルキン米陸軍少将、日本陸軍豪州東部派遣軍の参謀長水淵(みずぶち)(あきら)大佐、ドイツ陸軍第七装甲軍エルヴィン・ロンメル中将、同参謀長のハインツ・ヴィーラー少将らが顔を連ねている。

なお、モントゴメリーはイギリス第八軍、ケニーは第五航空軍、ロンメルはドイツオーストリア軍団の司令官をそれぞれ兼任していた。

 

「確かに撃退には成功しましたが、我が軍も大きな被害を受けました。戦車第一師団は二度の戦いで壊滅し、米第三機甲師団も損耗率38%との報告が上げられています」

 

2DA作戦参謀の武居(たけい)清太郎(せいたろう)中佐が、顔を曇らせた。

 

「航空兵力の損耗も無視はできません。DDの対空砲、敵機との交戦によって多数の対地攻撃機が撃墜され、各国パイロットの疲労も蓄積しています」

 

ケニー3AG司令官が、武居に続いて言う。

今回の戦いでは多数の航空機が反復攻撃を実施しており、その度に熾烈な戦闘に身を投じている。度重なる戦闘が、機体を消耗させた原因のようだ。

 

机上の戦況図は、2DAの部隊配置が一目でわかるようになっている。

所属する戦車部隊、歩兵部隊、砲兵陣地を示す凸型の青駒が、シドニーを囲むように並べられおり、ニューキャッスルから南下した敵部隊を迎え討つ態勢を整えていることが分かる。

それらの北には、先ほどの戦闘で撃退され、ニューキャッスルへと引き上げてゆく深海棲艦地上部隊を示す赤駒が、二つ並べられていた。

 

今日、2DAは深海棲艦地上部隊の二度にわたる大規模攻撃を受けた。

一度目に攻撃を実施した敵部隊には「第一集団」、二度目に攻撃を実施した部隊には「第二集団」の仮名称がつけられている。

 

「第一集団」は日本軍戦車第一師団と、米軍第三機甲師団がシドニー北方にて迎え撃ち、ドイツ空軍を主力とした航空支援の下に撃退したが、直後「第一集団」と同規模の兵力を持つ「第二集団」が入れかわるように侵攻してきた。

両師団とも「第一集団」との戦闘で激しく消耗していたが、新たにイギリス第八軍隷下の第一軽装甲旅団が援軍として戦闘に加わり、辛くもシドニーを守りきっている。

だがその結果、長時間激戦にさらされた戦車第一師団と第三機甲師団は大損害を受け、絶えず支援航空機を出撃させた3AGも多数の航空機を失ってしまったのだ。

 

「深海棲艦B軍集団は、シドニー攻略に本腰を入れはじめたのでしょうか?」

 

イギリス第八軍司令部から2DA司令部に参加しているパーシー・カークス中佐が疑問を提起した。

「第一集団」「第二集団」の総兵力はBD、DD合わせて六百体に達する。オーストラリアに展開する敵地上兵器の総量から見れば一握りだが、この規模の敵がシドニーに攻めて来たのは今までに一度もない。

カークスは、これが深海棲艦大攻勢の予兆ではないか、と思っているようだ。

 

「それが事実だとして、なぜ今なのか?という疑問が残るな。積極性を好む奴らが、数ヶ月間ニューキャッスルで進撃を中止していた説明がつかん」

 

2DA参謀長のケビン・シールズ米軍少将が首をひねる。

 

「補給の問題では?」

 

水淵が口を開いた。

水淵は2DAの幕僚ではなく、あくまで日本陸軍豪州派遣軍の参謀であるが、意見があれば積極的に発言しようと考えていた。

 

「深海棲艦は巨大構造物(棲鬼)で自らの燃料を精製しておりますが、豪州大陸に棲鬼の姿は確認されていません。恐らく、ハワイないしマーシャルの棲鬼から産出した燃料を輸送船にて豪州に輸送しているのでしょう。大陸に備蓄していた燃料が底をついたため、B軍集団は一時的な侵攻停止になっていたのではないでしょうか?」

 

敵の占領下にあるブリスベンには、連日のように輸送ワ級と護衛艦艇で構成された船団が入港し、荷下ろし作業を実施している。

2DA司令部、統合太平洋艦隊(JPF)司令部では「AB軍集団への増援部隊を揚陸している」との見解を示していたが、揚陸対象には燃料も含まれているのかもしれない。

 

「筋は通っているが…」

 

シールズが天井を仰ぐ。いまいち説得性にかけるようだ。

 

「シドニー攻略のための戦力を集中していた期間だった可能性もあります。B軍集団はシドニーに展開する第二方面軍の存在を知って彼我の兵力差を認識し、対抗可能な戦力の結集を待っていたのでは…?」

 

続けて武居が憶測を述べる。

深海棲艦は非常に侵略的な軍隊だが、兵力が劣る状態では無理な進軍はしない。戦場によって積極性と消極性を選択できる戦略眼を、彼らは持っているのだ。

武居の憶測もあながち間違えではないのかもしれない。

 

「いずれにしろ、B軍集団は攻勢の色を強めて来た。今日の戦闘で、それだけははっきりと言い切れる」

 

ロンメルがやや口調を強めにして発言した。

敵が大規模な攻撃を仕掛けてきた理由ではなく、これからどのようにしてシドニーを守るかを議論すべきだ、と言いたげだった。

それを聞いて、作戦室内の全員が頷く。

 

「当面の問題はいかにしてシドニーを守り切るか、だが…」

 

モントゴメリーがまとめ、室内を見渡す。

 

「ひとまず、今日の戦闘で消耗した部隊は後方に下がらせましょう。キャンベラで再編に努めるさせるべきです」

 

カークスが戦況図の戦車第一師団、第三機甲師団の青駒を見つめた。

キャンベラはシドニーの南西に位置している都市で、オーストラリアの首都である。

2DAの後方支援基地として機能しており、主に補給や部隊の再編、訓練場の提供を行っていた。

 

「それが良いでしょう。第二方面軍は、今の時点でもB軍集団に対抗可能な戦力を有していますから」

 

第七装甲軍参謀長のヴィーラー少将が、カークスに言った。

同時に壁に貼られている2DA参加部隊の一覧を見やる。

 

ドイツ陸軍からは第七装甲軍に所属している第十三装甲師団、第五軽師団の二個師団がシドニーに展開しており、新たに第十五装甲師団が東部戦線に配備される予定である。

日本陸軍は戦車第一師団が壊滅したものの、新たに戦車第二師団がメルボルンに揚陸されており、他にも重砲や高射、歩兵など四個師団を有している。

イギリス第八軍も大陸派遣のアメリカ軍も一大兵力を保有しており、ソ連極東軍の戦車旅団も無傷で残っている。

 

「第二方面軍の全兵力は戦車七百輌、装甲車五百輌、火砲一千二百門、兵員十九万に登ります。深海棲艦をロックハンプトンまで押し戻すならまだしも、シドニーを防衛するだけなら容易です…………問題点はありますが」

 

シールズが言った。「問題点」という言葉を強調しているように思えた。

シールズが口を閉じると、変わって2DA補給参謀ハーネス・トラガルファー大佐が手元のノートをめくった。

 

「ガソリンは、使用量が供給量を遥かに上回っています。メルボルンには一週間の間に一、二度の割合でタンカー船団が入港しておりますが、現在の残量は一万ガロン以下であり、兵力、特に戦車の行動せざるおえない状況が続けば、底をつく危険があります」

 

2DAは深刻な事態に繋がりかねない問題を抱えている。

戦いの激化による、ガソリンの不足である。

 

オーストラリア軍団が豪州に展開して以来、オーストラリア大陸での燃料消費量は格段に跳ね上がった。

もちろん、統合軍も戦闘における燃料の消費量を計算に入れていたが、戦いが始まってみると予想を上回る勢いで消費し、第一方面軍(1DA)、2DA共に燃料の不足に喘いでいる。

 

太平洋に展開する統合軍陸、海、空戦力の燃料の大部分は、オランダ領インドネシアにあるパレンバン油田、パリクパパン油田がまかなっているが、両油田フル稼働でも十分とは言えていない。

ソ連や米国、英領中東も統合軍への燃料輸出を実施しているが、ソ連は自国参加軍に対してのみであり、米国は中部太平洋の制海権を深海棲艦に握られ、北太平洋経路での細々とした補給しか行えていない。

さらに英領中東は太平洋航路が軌道に乗っておらず、大々的な燃料補給への目処は立っていないのだ。

 

さらに燃料の補給は、統合艦隊や航空軍に優先して回される傾向があり、豪州へのタンカー船団は絶えず深海棲艦の潜水艦に付け狙われている。

 

「肥大化した戦力」「燃料分配の優先度の低さ」「敵による通商破壊」の三点が積み重なり、ガソリン枯渇の可能性が高まっているのだ。

統合軍が莫大な燃料消費率を抱えている以上、無理からぬことだったが…。

 

「万が一にも燃料が枯渇したら目も当てられません。以後の我々の方針は、従来と同じく『敵の占領地を増やさない』でよろしいかと思います。現状では勝つ戦ではなく、負けない戦をするべきです」

 

2DA戦務参謀のフョードル・アレフスキー少佐が言った。

司令部内唯一のソ連人参謀であり、第五十独立重戦車旅団から参加している。

 

「フョードル参謀に賛成です」

 

スコルキン3AG参謀長が賛成の意を表した。

 

「我々第三航空集団でも、燃料の不足は深刻な問題として受け止められています。航空機の運用には戦車以上の燃料が必要な上、数も多い。第二方面軍が積極的な攻勢に出るのは、燃料補給の状況を改善してからにしていただきたい」

 

燃料の問題は、2DAのみならず3AGでも同様である。

多数の航空機を有する以上、2DAよりも切迫しているのかもしれない。

 

「しかし、消極的な姿勢のままではオーストリアから深海棲艦を駆逐することはできません。もしもAB軍集団に我々を凌駕する力を得ることを許せば、我が国土から奴らを追い落とすことなど永遠に不可能になります。…いいや、それだけではありません。シドニーが落とされ、キャンベラにまで魔の手が伸びる可能性すらあります」

 

オーストラリア軍連絡官のヴィンセント・スタットリー大尉が、力説するように言った。

将官や佐官というそうそうたるメンバーの中で唯一の尉官だが、臆することはなかった。2DA、3AG両司令部の方針が、消極策に傾いていることに焦りを感じだのかもしれない。

彼を含むオーストリアの人間は、一刻も早く国土から深海棲艦を追い出したいのだ。

 

「安心したまえ、ミスター・ヴィンセント」

 

モントゴメリーがたしなめるように言った。

 

「我々は燃料の問題を抱えているが、早急に改善されるだろう。そうなれば積極策に転じ、貴国の領土を奪還することも可能だ。それに統合艦隊では、オーストラリア大陸の戦況を打開する作戦が立案されているらしい」

 

「打開する作戦、ですか…」

 

ヴィンセントは半信半疑で聞き返す。

作戦室内の各国軍司令官も、顔を見合わせる。

 

「その作戦は、ミスター・ミワに説明してもらう」

 

モントゴメリーは、後ろに立つ将校を振り返った。

純白でスッキリとしたデザインの軍服に、統合同盟マークが入った制帽を被っている。そのマークの中心には「JPF」の文字が入っており、統合太平洋艦隊から派遣されたことを示している。

名前と容姿からして日本人だろう。その男性に、作戦室内全員の目線が集中した。

 

「統合太平洋艦隊司令部から参りました、三和義勇大佐です。これから、本司令部で立案された豪州分断(“FS”)作戦について、説明させていただきます」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第六十九話 「新たなる目標」

 

 






オーストラリアの現状についての回でしたわ

次からは太平洋に戻ります


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第七十話 南の要衝


雨、大変なことになっていますね。
皆さんは大丈夫ですか?
これ以上亡くなられる人が増えないよう祈っております。


6月19日

 

1

 

「うぉ……!」

 

無数の敵弾が正面から迫った刹那、英王室空軍(RAF)第六一飛行隊(61sqn)隊長のイアン・ゴードン少佐は、素早く操縦桿を左に倒した。

 

ホーカー・ハリケーンMk.Ⅱの機体が左に横転し、視界内の乙型重爆撃機(ベティー)の怪異な姿が、右に吹っ飛ぶ。

直後、太い火箭がゴードン機の右下面を通過し、後方へと過ぎ去る。

少しでも回避行動が遅れていたら、多数の二十ミリ弾に真正面から打ち砕かれていただろう。

後続するハリケーンにも旋回機銃座から放たれた射弾が殺到するが、機体を翻して回避する。

 

「出鼻を挫かれた…!」

 

ゴードンは罵声を発し、高度優位を失って見上げる形となったベティー編隊を睨みつけた。

敵編隊は二十機程度の梯団が四組、そのいずれもが高度四千の空域を進んでいる。

ゴードン率いる61sqnのハリケーン十二機は高度四千五百メートルの空域から逆落としに攻撃を加えようとしたが、ペティーが放つ二十ミリ弾の弾幕に射竦められ、回避を余儀なくされてしまったのだ。

現在の高度は三千二百メートル。61sqnの上空を、ペティー八十機が進んでいく。

 

だが、初撃に失敗したのは61sqnのみのようだ。

他の第六二、六三飛行隊(62、63sqn)のスーパーマリン・スピットファイアMk.Ⅴ二十四機、共にラバウルから出撃したドイツ空軍第一八戦闘航空団(JG18)のBf109二十六機は、既に敵編隊に取り付いて攻撃を実施している。

61sqnが弾幕射撃の火力を吸収することになり、他の戦闘機隊の道を開いたようだ。

 

ゴードンは敵重爆編隊の後方に目をやる。

そちらでも空戦が繰り広げられており、一足先にラバウル基地から出撃した零戦と、洋上の空母機動部隊から発進したスーパーマリン・シーファイアーーースピットファイアを艦上機に改造したタイプの機体が、本隊から遅れている敵梯団の周囲を飛び回っている。

 

 

ーーー深海棲艦によるラバウルへの空襲は二週間前から始まっており、ニューブリテン島ラバウル、ニューアイルランド島カビエンに展開している第二航空集団(2AG)は、その対策として三段階の迎撃態勢を敷いている。

第一段階。ブーゲンビル島の沿岸監視員(コースト・ウォッチャー)ないしCH対空レーダーが発見した敵編隊に対して、足の長い零式艦上戦闘機がラバウル基地から急進、洋上に進出して敵機を迎撃する。

今日の邀撃戦では、ブーゲンビル島北方に展開している英空母機動部隊から発進したシーファイアも第一段階に加わっており、日英艦上戦闘機隊が一番槍をつけていた。

第二段階は、いよいよ2AGの主力が出撃する。

ラバウル、カビエンに展開しているスピットファイアやBf109と言った英独戦闘機隊が発進、零戦・シーファイヤ部隊が撃ち漏らした敵編隊を攻撃するのだ。

ハリケーン、スピットファイア、Bf109のいずれとも航続距離が短く、零戦のような長距離渡航攻撃はできない。そのため、ラバウル近海での迎撃が専門である。

この時点で損耗を抑えるため、零戦隊は撤退、または損傷して後方に遅れた敵機のみを攻撃するよう、取り決められていた。

第三段階。英独日戦闘機隊の迎撃を突破した敵重爆編隊を、飛行場やラバウル市街地に設置された多数の高射砲が迎え撃つ。

三段階の迎撃戦によって重爆の数を減らさせ、爆撃による被害を最小限にとどめる。うまくいけば、敵編隊を撃退することも可能である。

 

現在は、第二段階が開始された時点であった。

 

 

「“ビーグル”ついてこい!」

 

ゴードンは無線機に怒鳴り、操縦桿を手前に引いた。

ハリケーンが加速しつつ急上昇を開始し、Gが体を締め付ける。頭上に見えていた空が前に移動し、次い頭上に海面が来る。

ゴードンは反転宙返り行い、敵重爆編隊の背後に回り込んだのだ。

終えた後にバックミラーを覗くと、ぴったりと部下のハリケーン十一機が張り付いているのがわかる。

正面には、戦闘機隊の攻撃を免れている最右翼第四梯団の姿が見えていた。

 

「行くぞ!」

 

フルスロットルを開き、ハリケーンを敵第四梯団に突進させる。

照準器には、梯団最後尾に位置しているベティーの姿を捉えている。

ベティーは「く」のような形をしており、巨大なブーメランのように見えた。

そのブーメランの上下面二箇所に、光が瞬く。

合計四箇所から八条の火箭が放たれ、他のベティー数機も機銃を撃つ。

ゴードンは目を見開き、歯を食いしばった。

 

(回避はせん!)

 

ゴードンは覚悟を決め、ハリケーンを突進させる。

いちいち回避をしていたら、ラバウルに到達する前に敵編隊を阻止することなど無理である。

全ての火箭がゴードン機に迫ってくるように感じられるが、そのほとんどが左右、上下に逸れてゆく。

 

ゴードン機の右後方を続いていたハリケーンが、敵弾を浴びた。

真っ正面から二十ミリという大口径機銃弾を喰らい、液冷エンジンのとんがった機首を大きくひしゃげさせる。

三枚のプロペラが吹き飛び、ロールスロイス・マーリンXXエンジンを大きく引き裂かれた。一瞬で推進力を失ったハリケーンは、部品を撒き散らしながらラバウル東方の海域に墜ちていく。

 

その後方を続いていた別のハリケーンにも、敵弾は襲いかかる。

二十ミリ弾によって右主翼がバッサリと分断され、翼内に収納されていた七.七ミリ機銃四丁の弾倉が誘爆した。

ホンコン爆竹のような小爆発が立て続けに起こり、ハリケーンの機影は火焔に包まれて掻き消えた。

火焔が消えるとハリケーンの姿は無く、キラキラとした破片が残っているのみである。

 

後方から接近する方法は、旋回機銃に晒される時間が長くなってしまうのだ。ゴードンは、最も危険な攻撃法を選択したことになる。

だが、彼にとってそのようなことは百も承知であった。

敵重爆編隊は、ラバウルの直近にまで迫っている。

初撃に失敗した以上、再び高度を稼いでの急降下攻撃は時間がかかりすぎるため、一機でも多くの重爆を撃墜するにはこの方法しかなかったのだ。

 

ハリケーンとベティーの最大速度の差は大きい。みるみるうちに近づき、照準器内の敵影が大きくなる。

旋回機銃に撃墜されて十機に減った61sqnは、第四梯団を射程距離に捕捉し、機銃を放った。

 

「墜ちろ!」

 

ゴードンは忌々しさを込めて叫び、親指を添えていた射撃ボタンに力を込めた。

機体が小刻みに振動し、両翼の縁が発射炎で赤く染まる。一射一射の間隔が短く、一つ繋がりになった射撃音がゴードンの鼓膜を震わせた。

ハリケーンMk.Ⅱが装備している機銃は、七.七ミリ機銃八丁。両翼に四丁ずつ搭載している。

後継機であるスピットファイアが二十ミリ機銃二丁、七.七ミリ機銃四丁なのを考えると小口径機銃のみというのは心許ないが、なんと言っても数が多い。

放たれた八条の七.七ミリ機銃弾はひとかたまりの奔流のようにしてベティーに殺到し、ベティーの屈折部を薙ぐ。

火花が散り、外版が吹き飛ぶ。次いでそのベティーは白煙を引きずり始める。

 

ゴードンは射撃ボタンを押しっぱなしにしながらベティーに肉薄し、寸前で機体を左に滑らせた。

巨大な重爆撃機の姿が右に移動し、第四梯団の敵重爆群が視界に飛び込んでくる。

すぐさま別のベティーが、ゴードン機の正面に来る。

その敵機に対しても、ゴードンは機銃の一連射を見舞った。

両翼の小口径機銃群が再び咆哮し、豪雨のような機銃弾をベティーに撃ち込む。

すぐさま機体を右に翻し、三たび正面に来たベティーにも多数の機銃弾を浴びせる。

ゴードンは機体を右に、左にと操り、正面に来た敵機に対して手当たり次第に機銃を撃ちまくる。

 

ゴードン機を追って後続のハリケーンも躍動し、次々と敵重爆編隊の只中に飛び込んだ。

俊敏に飛び回り、ベティーへ機銃弾を叩き込む。

ゴードンは61sqnの先頭に立ち、戦果を確認することなく、猛速で敵編隊の内側を駆け抜ける。

 

ベティーも旋回機銃を発砲させるが、至近距離を飛び回るハリケーンを捉えることは難しい。

逆に多数の七.七ミリ機銃弾を受けたベティーは一機、二機と火を噴き、梯団から落伍する。

ゴードンが最初に攻撃したベティーは、追い抜かれる過程で六機のハリケーンに銃撃され、既に墜落している。

その前方を進んでいたベティー三機は主翼やエンジンに被害を受け、黒煙を引きずりながら高度を落としている

梯団前方では五機が七.七ミリ弾を喰らい、白煙を引きずっている。

 

「いいぞ」

 

敵梯団の只中を後ろから前へと駆け抜けたゴードンは、後ろを振り返って喝采を上げた。

二十機いた第四梯団は三分の二ほどに数を減らしており、そのさらに半数が何かしらの被害を受けて落伍している。

後方から追う形の攻撃となったが、ハリケーンは持ち前の機動力と機銃の手数の多さを生かし、多数のベティーを撃破したのだ。

 

61sqnのハリケーンみならず、他の梯団を攻撃したスピットファイア、Bf109も戦果を上げている。

敵第一梯団は大きく編隊を引き裂かれ、第二、第三梯団も数を減らしている。後方には損傷して速度を維持できないベティーが置き去りにされており、零戦、シーファイアがなおも攻撃を続けている。

 

 

ゴードンは正面を見据えた。

ニューブリテン島とニューアイルランド島の島影が、水平線に薄っすらと見える。

ラバウルとの距離は、まだ遠い。

 

「“ビーグル”もう一度やるぞ!」

 

「イエス・サー!」

 

ゴードンは意気揚々と命じ、部下の返答が唱和した。

素早くハリケーンを180度反転させ、たった只中を通過してきた第四梯団の重爆群を正面に据える。

ゴードンは九機のハリケーンを従え、その編隊に突撃した。

ベティー群の上面二ヶ所に閃光が走り、多数の敵弾が殺到してくる。

 

ハリケーンは、敵弾に包み込まれた。

 

 

2

 

「ラバウルは、十分に持ち堪えているようですな」

 

統合太平洋艦隊首席参謀の風巻康夫(かざまき やすお)大佐は、作戦室に響く声で言った。

 

パラオ諸島コロール島にある統合太平洋艦隊(JPF)司令部庁舎の作戦室である。

室内には白いテーブルクロスのかけられた長机があり、それを挟んでJPF司令官であるチェスター・ニミッツ大将、参謀長であるレイモンド・スプルーアンス少将、他の参謀、各軍連絡官らが座っている。

 

風巻の言葉に、2AG司令部から派遣されているリーガル・マクガイヤ英空軍中佐が誇らしげに口を開いた。

 

「高性能対空レーダーと空戦指揮所を組み合わせ、徹底した迎撃態勢を敷いています。我が本国のロンドンやマンチェスター、バーミンガム等の大都市を守る一大防空システムを、ニューブリテン島周辺に構築したのです」

 

リーガルに変わって、JPF司令部を訪れている2AG参謀長の酒巻宗孝(さかまきむねたか)少将が言葉を続けた。

 

「現在、ラバウル、カビエンの航空基地設備は拡張途中ですが、草鹿中将(草鹿任一(くさかじんいち)中将:第一一航空艦隊および2AG司令官)のご裁量により、同基地に展開しているのは戦闘機のみとなっています。加えてガダルカナルから飛来する敵重爆編隊には、護衛戦闘機が付いておりません。この二点が、ラバウル・カビエン方面を支えられている要因なのです」

 

ニューブリテン島ラバウルは二週間前の6月5日から敵の空襲を受けており、以来連日のように乙型重爆がラバウル上空に姿を見せている。

それに対し、ラバウルとニューアイルランド島カビエンに展開する基地航空隊は、徹底した守りを固め、深海棲艦に出血を強いているのだ。

 

「“FS”作戦の遂行上、初頭でラバウルを失うわけには行かぬ。第二航空集団の奮闘は、これからも続いて欲しいものだ…」

 

ニミッツが思案顔になりながら机上の地図に視線を落とす。

 

南北はトラック諸島からオーストリア北東部にかけて、東西はサモア諸島からラバウルにかけて網羅された南太平洋の地図だ。

トラック、ラバウル、カビエンには人類統合軍を示す駒が、ソロモン諸島ガダルカナル島から東にかけてニューカレドニア島、フィジー諸島、サモア諸島には深海棲艦を示す駒が置かれている。

 

 

ーーー日米英軍が極東方面での戦闘に明け暮れていた頃、深海棲艦が南太平洋に持つ占領地は、ニューカレドニア島とオーストリア大陸東海岸の一部のみであった。

だが“KD”作戦が成功して極東から敵部隊が一掃されると、深海棲艦は新たな獲物を求めるようにして南太平洋へと部隊を進め、サモア、フィジーを占領、ニューカレドニアに飛行場姫を建設し、オーストラリアへの地上軍増援を強化した。

加えて最近では西進の傾向も見せ始め、ソロモン諸島東部のガダルカナル島にまで進出している。

深海棲艦は同島に新たな飛行場姫を建設し、オーストラリアへの輸送航路の安全確保と、ラバウルへの空襲を実施しているのだ。

 

 

人類統合軍では、それに対抗して「南太平洋島嶼の奪還」「南太平洋に展開している深海棲艦海空軍の撃滅」。それに伴う「オーストラリアへの敵地上軍増援航路の分断」を目的とした作戦が立案された。

 

 

それが『“豪州分断(FS)”作戦』である。

 

 

作戦としてはラバウル、ポートモレスビーに展開した航空部隊、新編された南太平洋方面艦隊が協力してブーゲンビル島、ガダルカナル島、ニューカレドニア島と島伝いに攻略。各島に飛行場を建設して制空権を確保しつつ軍を進め、最終的にはフィジー(F)諸島とサモア(S)諸島までを奪還する。

各々の戦いで南太平洋に展開する深海棲艦部隊を撃破し、南太平洋を介して実施されているオーストリアへの敵部隊増援航路を断ち切るのだ。

 

この作戦が成功すれば、深海棲艦艦隊兵力に大きな打撃を与えられ、かつオーストラリアも救うことができるが、作戦はまだ始まったばかりだ。

ガダルカナルからの空襲でラバウルが使用不能になれば、作戦は頓挫する。

ニミッツは、そのことが気がかりのようだった。

 

「ラバウルの防空に関しては、統合航空軍を信じるしかありますまい。我々は作戦の遂行に集中しましょう」

 

スプルーアンスが指揮棒でラバウルを叩く。

 

第三次ルソン島沖海戦で「ノース・カロライナ」に座乗中、艦橋の被弾で右腕を失ったスプルーアンスだが、入院の後に復帰し、参謀長の役職についている。

風巻としてはスプルーアンスが第八任務部隊司令だった頃から共に戦い、語り合った仲のため、また一緒に仕事ができるのは喜ばしいことだった。

 

「爆撃機兵団の展開状況はどうなのですか?」

 

風巻は、会議に列席している同兵団参謀のトーマス・クランシー中佐に聞いた。

戦略爆撃機兵団は航空集団とは一線を画する部隊であり、防空戦闘機を除けば重爆撃機のみで構成されている。

兵団所属の重爆はニューギニア島ポートモレスビー基地に集結しており、敵拠点への爆撃で“FS”作戦の遂行を支援することが求められていた。

 

「問題はありません。指揮下の各爆撃隊は続々と基地に集結しており、いつでも攻撃が可能です」

 

トーマスは胸を張って言った。

 

「ラバウル、ポートモレスビーの現状はわかった。概ね予定通りであるということも。次にオーストリアの状況だが…」

 

ニミッツは作戦室内を見渡す。

 

「それについては、私から御説明させていただきます」

 

三和義勇大佐が我こそはと言わんばかりに立ち上がり、手元のノートをめくる。

三和は“FS”作戦の概要を説明をするためにオーストラリア軍団司令部に出張しており、ついさっき帰ってきたところである。

オーストラリア大陸の視察も任務に入っており、現状をありのまま伝えることが求められていた。

 

「オーストラリアの戦況は芳しくありません。慢性的なガソリン不足に悩まされており、軍団は部隊を無闇に動かさず、拠点を防衛することとで消費を抑えようとしています。“FS”作戦の実施は歓迎されましたが、『敵の補給航路分断では、すぐに効果が出ない』という意見もありました」

 

「ふむ…」

 

ニミッツは唸った。

仮にガダルカナル島を奪還してニューカレドニア島までを勢力下に置いても、深海棲艦はフィジー航路、サモア航路でオーストリアへの増援を続けるだろう。

完全にオーストリア大陸の深海棲艦地上軍を立ち枯れさせるにはフィジー、サモアの奪還が必須だが、それにはまだ時間がかかる。

 

大陸の戦況は予想よりも悪い。

“FS”作戦が効力を発揮するまで、オーストラリアは保つだろうか……という心配がニミッツの心中にあった。

 

「対処療法の域を出ませんが、潜水艦などで通商破壊を強化してはいかがでしょう。少しでもオーストリアの戦況改善に加担するには、それしかありません」

 

副首席参謀のアーサー・E・パリサー英軍大佐が言った。

統合太平洋艦隊は多数の潜水艦を保有しとおり、名高いUボートも二十隻以上が太平洋に展開している。

既に何隻かを情報収集や攻撃のためにソロモン諸島に放っているが、パリサーはこれをさらに増やしてはどうか?と言っているのだ。

 

「そうだな。私の名で、潜水艦による通商破壊の強化を命じてくれ。そしてミスター・サカマキ、ラバウルの基地化を早めるよう…アドミラル・クサカにーーー」

 

ニミッツが各部署に命令を発している最中、唐突に作戦室の扉が開いた。

入ってきたのは、連合艦隊通信参謀の一人である。

右手に紙切れを握っており、息が荒い。室内の視線がその参謀に向く。

 

「第二航空集団司令部から入電です」

 

その参謀は肩を上下させながら日本語で言った。

同司令部の参謀である酒巻が立ち上がり、通信参謀から紙切れを受け取る。

それを一読するや、酒巻は顔色を変えた。

 

「ミスター・サカマキ。どうかしたのかね?」

 

スプルーアンスが伺うように聞く。

日本語がわからない米国や英国の軍人が訝しげな表情を浮かべる中、酒巻は声を震わせながら言った。

 

 

 

 

「ソロモン諸島に深海棲艦の艦隊が出現しました。戦艦二隻を中心としており、ラバウルへの針路を取っているようです」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第七十話「南の要衝」

 

 






打つ手が早いな、深海棲艦!


感想待ってます。


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第七十一話 邀撃海面



平成最後の夏、皆さん楽しんでますか?


1

 

パラオで統合太平洋艦隊司令部が会議を開く少し前、ブーゲンビル島北東を一群の艦艇が航行していた。

 

大型艦五隻を内側に収めた輪形陣を形成しており、中型艦六隻と小型艦十四隻が周囲を固めている。

大型艦五隻のうち、戦艦は一隻しかいない。

残りは戦艦に匹敵する巨体の上に平べったい飛行甲板を乗せており、右側にアイランド型の艦橋をそびえ立たせている。

戦艦を中心とした水上砲戦部隊ではなく、空母を中心とした機動部隊であった。

 

艦隊の名は、イギリス海軍E部隊。

 

ロイヤル・ネイヴィーが日本海軍やアメリカ海軍に倣って初めて編成した空母機動部隊であり、イラストリアス級航空母艦三隻と中型航空母艦「アーク・ロイヤル」を中心に、巡洋戦艦「レパルス」、タウン級軽巡四隻、ダイドー級防巡二隻、トライバル級、ジャベリン級などの駆逐艦十四隻を有している。

 

「方位160度に味方機を視認。シーファイアです」

 

E部隊旗艦の空母「ヴィクトリアス」の艦橋に、見張員の報告が上がった。

E部隊の帯びている任務は、味方基地の防空支援である。

本来は戦艦部隊の上空援護や敵空母への航空攻撃などを主任務としているが、今日は艦上機を基地化が完了していないラバウルの防空に差し向けている。

任務を遂行した戦闘機隊が、戦闘を終えて帰還したのだろう。

 

「各母艦、帰還機受け入れ準備を開始せよ」

 

E部隊司令官のラムリー・リスター中将は艦橋外に双眼鏡を向けながら、静かに言った。

 

「着艦手順!」

 

「取舵一杯、針路120度。風に立て!」

 

「ヴィクトリアス」艦長のヘンリー・ルイス大佐と、航海長のジェフィリー・リード中佐が立て続けに命じる。

飛行甲板上が喧騒を増し始め、甲板員が帰還機着艦に備える。

やや間を開けて「ヴィクトリアス」の艦首が左に振られ、針路120度に乗った。

マストに掲げられているユニオンジャックが真後ろへとはためき、風上に艦首を向けたことを示す。

 

「ヴィクトリアス」の通信アンテナからは素早く命令が飛び、姉妹艦の「イラストリアス」「フォーミダブル」、六十機の搭載能力を持つ「アーク・ロイヤル」も、シーファイアを受け入れるために風上へと変針する。

 

シーファイア一番機が、滑るようにして飛行甲板に降り立った。

戦闘によって消耗していたのだろう。右に左にとよろめいていたが、しっかりと着艦制動索を捉える。

その一番機を皮切りにして、二機目、三機目が次々と「ヴィクトリアス」に降り、飛行甲板前方に並べられていく。

「ヴィクトリアス」に遅れ、他の空母も収容作業を開始する。

 

 

その電文が入電したのは、飛行甲板の前半分が艦載機で埋め尽くされた頃だった。

 

「敵艦隊が⁉︎」

 

息を荒げながら艦橋に上がってきた通信士の報告を聞いて、リスターは驚愕の声を上げる。

 

「はい。ソロモン諸島哨戒中のUボートの通信を傍受したものです。この内容によりますと、タ級戦艦二隻、型式不明の巡洋艦四隻で構成された敵艦隊が、ガダルカナル島よりの方位280度、八十浬の海域を西進しているようです。平文だったため、リアルタイムの情報です」

 

艦橋内からは「そんなに近くに…」や「ありえない」と言った呆然とした声が上がる。

最初に我に返って口を開いたのは、E部隊参謀長のアイザック・サイモン少将だった。

 

「近いですな。目標はラバウルですかね?」

 

「まだ断言できないが…。ソロモンを西進している以上、その可能性が高いと言わざるおえん」

 

サイモンの推定に、リスターは答える。

ラバウルは二週間前から空襲を受けているが、果敢な迎撃で凌いでいる。拉致があかないと見て、深海棲艦は艦隊による直接攻撃に踏み切ったのかもしれない。

 

「ジェフ。敵艦隊の速力が20ノット、25ノット、30ノットの場合のラバウル到達時間を弾き出せ」

 

「はい」

 

「マイルズ。ラバウルに展開している艦隊戦力と南太平洋艦隊の展開状況を問い合わせろ」

 

「了解です」

 

リスターは航海参謀のジェフリー・カーン中佐と通信参謀のネルソン・マイルズ少佐に一息で命じ、艦橋内に設置されている海図台に歩み寄った。

 

他の参謀もつられるように移動し、海図台を数人の将官が囲む。

報告にあった敵艦隊の位置に、赤いピンが立った。

位置的にソロモン諸島のほぼ中央であり、ニュージョージア島とガダルカナル島の中間海域である。

 

「ラバウルの航空部隊は対艦攻撃機を保有しておらず、攻撃隊を放てるのは我々だけです。航空攻撃を実施し、敵艦隊の戦力を減殺されては?」

 

サイモンが、海図を見下ろしながら言った。

 

E部隊の保有機は、スピットファイアを艦上タイプに改造した最新鋭艦上戦闘機スーパーマリン・シーファイアMk.Ⅰと、複葉機ながらもイギリス海軍の主力雷撃機として活躍してきたフェアリー・ソードフュッシュMk.ⅡBの二機種である。

 

艦隊防空に重きを置いて編成されているために搭載機はシーファイアの割合が高く、「ヴィクトリアス」を例に挙げると、搭載機数三十六機のうち実に二十四機がシーファイアである。

それでもイラストリアス級は各十二機、「アーク・ロイヤル」は十九機のソードフィッシュを有しており、各空母から四機づつを対潜警戒に割いても、合計三十九機が使用可能な計算になる。

 

「無論だ。場合によっては艦艇も投入する」

 

リスターは、敵艦隊を示す赤ピン凝視しながら言い切った。

 

E部隊と敵艦隊の距離は約三百五十浬(約648km)。

燃料タンクが拡張され、増槽もつけられるようにもなったソードフィッシュBの航続距離は七百二十浬(1.333km)であるため、あと二時間もすれば完全に攻撃範囲に捉えられる。

 

「その距離なら護衛戦闘機はつけられませんな。ガダルカナルから飛来した敵戦闘機に狙われれば、丸腰のソードフィッシュ隊は甚大な被害を受けます」

 

参謀と同じく海図台を囲んでいるルイス艦長が、注意を喚起した。

 

「それに関しては、第二航空集団に戦闘機を派遣してもらう、会敵時間を薄暮の時間に設定する、低空からの雷撃に限定する、などの対策を講じます。いずれにしろ、航空攻撃は必要です」

 

「お待ちください」

 

参謀らの議論を、「ヴィクトリアス」飛行長のマークス・ウェーバー大尉が止めた。

 

「航空攻撃においてもっとも重要なことは敵艦隊の針路、速度、位置を知ることです。現在の敵艦隊についての情報は『西進している』こと大まかな位置だけであり、速度は不明。攻撃隊が捕捉できない可能性があります」

 

ウェーバーは海図上の赤ピンを小突く。

 

「タ級の最大速度、巡航速度は不明ですが、ある程度予想は付きます。タ級戦艦とは今までに西部太平洋海戦、マニラ沖海戦で交戦していますが、いずれも21ノット以上の速力を出していません。これはタ級の最大速力が21ノットである、との証拠ではないでしょうか?」

 

ジェフリー航海参謀の意見に、ウェーバーは反論した。

 

「そう決めつけるのは早計です。ル級戦艦と隊列を組むために速力を落としていた可能性ーーー」

 

「航空攻撃は実施する」

 

ウェーバーの言葉を押しのけるように、リスターが言った。

 

「速力が20ノットでも30ノットでも、航空機の速力に比べたらさほど問題ではない。仮に今より二時間後、敵艦隊を20ノットとして攻撃隊を放った場合、実施の速度が25ノットなら十五浬、30ノットならば三十浬の誤差が生じるが、どちらも修正可能な距離だ」

 

リスターの言葉に数秒間押し黙ったウェーバーだったが、「司令がそう仰るなら依存はありません」と引き下がる。

 

「……現実的な問題としては、ラバウルの直接的な防衛です。四十機程度の雷撃機で戦艦を中心とする艦隊を攻撃しても、撃退するところまではいきません。深海棲艦は、必ずラバウル沖にまでやってくると考えて良いでしょう」

 

サイモンが腕を組んだ。

一番良いのはソードフィッシュ隊による雷撃で深海棲艦艦隊に大損害を与え、ラバウル攻撃を断念させることだが、その可能性は低い。

最終的にはこちらも水上部隊を繰り出し、砲戦によって決着をつけなければならないのだ。

 

「南太平洋艦隊の状況は?」

 

リスターはマイルズ通信参謀に聞く。

マイルズは数分前から通信室に詰め、南太平洋艦隊のラバウル進出についての情報を収集していたのだ。

 

ーーー「統合南太平洋方面艦隊」は太平洋艦隊指揮下に新設された艦隊であり、“FS”作戦の遂行を主任務としている。

指揮下に英米日のH部隊、オセアニア艦隊、第八艦隊の三個艦隊を有しており、艦艇は数、質ともにE部隊を上回る。

今までトラック諸島にて艦艇の集結を待っていたが、明日、準備を整えた第一段陣の第八艦隊がラバウルに展開すると、リスターは聞いていた。

第八艦隊は日本海軍の部隊であり、戦艦三隻と多数の巡洋艦を有しているらしい。

リスターは敵艦隊との対決はこの部隊が担うだろうと考えており、第八艦隊の現在位置が気がかりだったのだ。

 

「現在、第八艦隊はトラック諸島からニューブリテン島に向かっていますが…到着は明日の13時程だそうです」

 

「……到着は25時間後か」

 

マイルズの報告を聞いたリスターは、その言葉の意味を噛みしめるように、ゆっくりと反芻した。

 

「敵艦隊のニューブリテン島到達時間は、艦隊速力が20ノットならば24時間後、25ノットならば19時間後、30ノットならば16時間後です」

 

ジェフリーが、敵艦隊のラバウルまでの到達時間を恐る恐ると口にする。

 

「現在の時刻が11時半だから、20ノットならば明日の午前11時半、25ノットならば午前6時半、30ノットなら午前2時半に敵艦隊はラバウルに到達するわけだ…。いずれにしても、第八艦隊は間に合わんな」

 

リスターは天を振り仰ぎ、焦慮の表情を浮かべる。

参謀達も、その言葉の意味を理解した。

 

「ラバウルを防衛できる有力な艦隊は、我々のみということですか…」

 

ルイス艦長が、絞り出すように言う。

E部隊は航空攻撃のみならず、水上艦を繰り出してラバウルを防衛しなければならないようだ。

 

「ラバウルにはドイツ軍の艦艇と、輸送船の護衛として来航した我が軍の駆逐隊が停泊しています。彼らと協力すれば……」

 

マイルズが励ますように言うが、語尾が弱々しく消える。

 

敵艦隊の主力は、数々の戦いで人類軍を震撼させたタ級戦艦である。

四十センチ砲九門というネルソン級に匹敵する火力を持っており、防御力も深海棲艦随一を誇る。

そんな戦艦が、二隻いる。巡洋艦四隻を従え、ラバウルへと進軍している。

 

対してこちらの大型艦は巡戦「レパルス」のみであり、巡洋艦も軽巡ばかりだ。

駆逐艦は十四隻を数えるが、空母を守らなければならない以上、全てを投入することはできない。

輸送船護衛を任務としていたことから、ラバウルにいる駆逐艦も戦闘力の低い旧式艦であろうし、南太平洋艦隊に参加していないドイツ海軍が、有力な艦をラバウルに派遣しているとも思えない。

 

E部隊司令部は、重々しい雰囲気に包まれる。

 

ラバウルの重要性は、参謀の誰もが理解している。

もしもラバウルが大きな被害を受ければ“FS”作戦が頓挫し、大英帝国の一角であるオーストラリアが失陥すること。

ラバウルが敵の占領下に入ればトラック諸島が脅かされ、太平洋を、引いてはこの戦争を失うことも…。

 

そのような重要拠点を、心許ない戦力で防衛しなければならないのだ。

誰もが口をきつく縛り、一言も発さない。

 

「やろう」

 

一分ほどの沈黙の後、リスターが静かに言った。

 

「闘う前から悲観してどうする。ロイヤル・ネイヴィーの軍人は、いつ如何なる時も諦めずに戦う。そうだろう?紳士諸君」

 

リスターの言葉を聞いて、参謀達の顔に赤みが増した。

俯いていた参謀は顔を上げ、憂悶の表情を浮かべていた参謀は、闘志のそれに変わる。

 

彼らは、根っからの英王室海軍軍人である。

かつて七つの海を制覇し、今世に至るまで大英帝国の繁栄を支えてきたロイヤル・ネイヴィーが、こんなことで諦めてはならない。深海棲艦ごときに、膝を折ってはならない。

そのような思いが、男達の心中を駆け巡っていた。

 

 

リスターは参謀達の顔を見渡し、力強い声で命令を発する。

 

 

「攻撃隊の発艦準備。薄暮に会敵できるよう、発進時刻は敵艦隊の速力を見て追って判断する。発艦後は艦隊を二分し、水上砲戦部隊を編成。ラバウル沖へ急行させ、攻撃隊を突破した敵艦隊を邀撃する!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

同じ頃、カビエン港を出港しようとする巨大な影があった。

 

 

前方を進む駆逐艦が小さく見え、明らかに重巡以上の鑑であることがわかる。

 

 

マストに掲げられている旗は、ドイツ海軍旗。

 

 

高速性を考慮しただろうスリムな艦体、前部二基後部一基に分けられて搭載された三連装砲、前後に長く低い艦橋が特徴的だ。

 

 

そのさらに後方には、その艦に勝るとも劣らない大きさの艦艇二隻が続いている。

 

 

駆逐艦に先導された巨艦三隻は、南ーーーラバウル沖に針路を取りつつあった。

 

 

 

 

 

 

 

第七十一話 邀撃海面

 





次回はソードフィッシュの回ですかねぇ

感想まってますぅ


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第七十二話 ソードフィッシュ乱舞



暑い暑い暑い暑い暑い暑ーい!
最近暑すぎますねぇ。皆さん水分補給をこまめに!熱中症には十分ご注意ください!



1

 

「やはりいないか…」

 

イギリス海軍第八二六飛行隊(826sqn)の飛行隊長であるアダムス・ジャレッド少佐は、眼下に広がる海を見渡して言った。

826sqnは空母「ヴィクトリアス」の雷撃機隊であり、今回の攻撃隊には隊からフェアリー・ソードフィッシュMk.ⅡB八機が参加している。

 

「敵艦隊の速度を20ノットと設定した場合、この海域にいるはずですが…」

 

航法士のサムソン・ジーン准尉が、同じく眼下を見渡した。

 

「もうすぐ日没です。早く敵艦隊を補足しないと」

 

後ろに座る偵察員のジム・レイトン曹長が、西の空に手をやる。

攻撃隊が発進してから早二時間、現在時刻は17時50分である。

気象班の報告によれば、あと一時間もしないうちに日が沈む。

右後方の西の空には、水平線に没しようとしている太陽の姿が見え、夕焼けが空を染め上げている。海面も同様であり、揺らめく波間が朱色に彩られていた。

 

ジャレットは操縦桿をゆっくりと右に倒し、ソードフィッシュの機体を海域の上空で旋回させる。

攻撃隊指揮を執るジャレット機に続いて、部下のソードフィッシュ七機、「アーク・ロイヤル」雷撃隊の十六機、「イラストリアス」雷撃隊、「フォーミダブル」雷撃隊の十八機が機体を右に振る。

 

「“レイピア1”より“ロングソード1”。貴隊は西を捜索されたし。我が隊は東を捜索する」

 

“レイピア”こと「イラストリアス」雷撃隊である第八二〇飛行隊(820sqn)隊長のマーチン・スタットリー少佐の肉声が、無線機から響く。

 

「“ロングソード”了解。幸運を祈る(グッドラック)

 

ジャレットが820sqn指揮官機の意見を了承すると、「イラストリアス」隊とその指揮下に入っている「フォーミダブル」隊のソードフィッシュ計十八機が編隊から離脱し、東へと針路を取った。

 

「“ロングソード1”より“ロングソード”、“ダガー”全機。我が隊は西方海域を捜索する。必ず発見するぞ」

 

ジャレットはそう無線機に言い、操縦桿を左に倒す。

ソードフィッシュは前大戦の遺物とも思える複葉機だが、機動力はすこぶる良い。ネジを巻くかのように華麗に旋回し、正面に西焼けが広がる。

左前方に沈みゆく太陽が見えており、夕暮れとはいえ日差しは強かった。

 

「826sqn所属機、後続。『アーク・ロイヤル』隊(850sqn)も続きます」

 

レイトンが、後続機の動作を報告する。

 

(遠くには行っていないはずだが…)

 

ジャレットは後ろを振り返らず、眩しさに顔をしかめながら正面下方を見やった。

敵艦隊の速力が20ノット以上でも以下でも、それほど攻撃隊から離れていないと思われる。

加えて敵艦隊の目的地も分析済みであり、「ラバウル」という結果が出ている。敵艦隊とラバウルを結んだ線に沿って行けば、自然と発見できる筈だ。

 

……“ロングソード”こと826sqn、“ダガー”こと850sqnのソードフィッシュ二十四機は飛行を続け、ソロモン諸島の島々ーーーニュージョージア島、レンドヴァ島、コロンバンガラ島上空を通過し、右にブーゲンビル島が望める空域まで到達する。

 

「おいおいおいおいおい。いないじゃないか…敵艦隊は」

 

捜索を開始してから40分。ジャレットは苛立ちと焦りを滲ませながら吐き捨てた。

 

「敵艦隊が25ノットならここらへんにいるはずですがね。いませんな」

 

サムソンがチャートと双眼鏡を交互に見る。

 

「となると…。敵艦隊は25ノット以上の速力を発揮しているのか、大幅な迂回航路を選択したか、はたまた引き返したか…」

 

ジャレットはとろ火で焼かれるような焦慮を覚えながらも、敵艦隊の動向について思案する。

 

ーーー敵艦隊とE部隊本隊から編成された砲戦部隊(E2部隊)の戦力差は、歴然である。

相手が四十センチ砲を九門搭載している戦艦二隻を有しているのに対し、こちら側の戦艦は三十八センチ砲六門の巡洋戦艦一隻のみしかない。

その戦力差を少しでも埋めるためには、ソードフィッシュ隊による航空攻撃が必須だが、攻撃隊は敵艦隊を捕捉できていない。

通信がないことから、“レイピア”も同様であろう。

 

(くそ。全てが後手に回ってる!)

 

胸中で悪態をつきつつも、ジャレットは冷静を装って口を開いた。

 

「ラバウルに向かおう。敵艦隊の目標がラバウルなら、おのずと会敵できるはずだ。敵艦隊を探すより燃料の節約にもなる」

 

「それでは母艦に帰れなくなります」

 

それを聞いて、サムソンが顔を歪める。レイトンも不安そうな表情になる。

 

「攻撃後はラバウルかカビエンに降りる。今は敵艦隊に魚雷を命中させることを最優先に考える!」

 

ジャレットは「冷静な指揮官」の仮面が崩れるかな……と思いつつ、口調を強めにして言った。

 

ブーゲンビル島とニューブリテン島の間には主な島がなく、ソロモン諸島とビスマルク諸島を隔てる広漠な海域が広がっている。

ソードフィッシュ隊が飛行している空域は高度が高いため、日没時間を超えても日光が届いているが、海面付近はもはや夜である。

暗闇に包まれている海面を見下ろしながら、ジャレットら攻撃隊は捜索を続けた。

 

日が没し、ソードフィッシュの飛行する高度も薄暗くなり始めた頃、レイトンが大声で叫んだ。

 

「ジャレット隊長。左後方の海面!」

 

ジャレットは考える間も無く、瞬時に操縦桿を左に倒した。

複葉の機体が左に滑り、左前方の八割方沈んだ太陽が、正面、右前方、右正横と移動する。

 

「なにも見えんぞ?」

 

機体が報告にあった方向に向くが、艦隊の姿は見えない。サムスンが怪訝な表情でレイトンに聞いた。

 

「よく見てください。航跡が見えます」

 

レイトンは顔を紅潮させながらしきりに海面を指差す。

サムスンは魅入るように海面を凝視し、ジャレットも眉間にしわを寄せながら既に夜となった海面に目をやる。

 

「あいつか…!」

 

限りなく夜の闇に飲み込まれそうになっているが、確かに見えた。

おぼろげな航跡が二本、左から右へと伸びている。

おそらく、敵戦艦のものだろう。

事前情報によると巡洋艦四隻と駆逐艦多数を伴っていると聞いていたが、この高度からでは戦艦の航跡しか視認することができない。他の艦艇の航跡は小規模すぎ、暗闇に紛れてしまっているようだ。

 

「驚きましたな」

 

サムスンが興奮気味に言った。

 

「この時間にこの位置にいるということは、敵艦隊は30ノット以上を発揮している計算になります。巡洋艦に匹敵する高速性を、タ級戦艦は持っているようです」

 

「…どうでもいい」

 

ジャレットは敵艦隊を睨みつけた。

タ級の最高速度がわかったからと言って、何とも思わない。今のジャレットの頭には、「敵艦隊を攻撃する」という使命感しかなかった。

 

「“ロングソード1”より全機、敵艦隊発見。攻撃態勢に移行せよ。“ダガー”は左舷、“ロングソード”は右舷から雷撃する」

 

ジャレットは無線機に早口で怒鳴り込み、操縦桿を押し込んだ。

ソードフィッシュの機首が海面へ向き、高度計が反時計回りに回って高度が下がっていくことを示す。

高度を落とすことによって日光が届かなくなり、ソードフィッシュ隊は暗闇に包まれた。進行方向は暗黒の海であり、奈落の底に向かって落ちてゆくような感覚に襲われる。

ジャレットはそれに耐えながら、826sqnのソードフィッシュ八機を低空へと誘導した。

 

(待っていろ深海魚(ディープフィッシュ)ども。すぐにでもこのメカジキ(ソードフィッシュ)が貴様らを地獄の底に沈めてやる…!)

 

ジャレットが敵愾心をこめた言葉を敵艦隊に投げかけた時、敵艦の艦上にいくつもの光が躍った。

 

「対空砲です…!」

 

レイトンが絶叫を上げた刹那、多数の敵弾が炸裂した。

目を背けたいほどの火焔が空中に湧き、ジャレット機を凄まじい振動が包み込んだ。

 

 

 

2

 

日が完全に没してから七時間が経過している。

 

ニューブリテン島、ニューアイルランド島両島は張り詰めた緊張感に包まれていた。

ラバウル、カビエンに展開する第二航空集団は、敵艦隊による艦砲射撃を警戒して全戦闘機を掩体壕に収容すると共に、整備士、オペレーターなどの基地要員、日英独戦闘機搭乗員、司令部要員を内陸へと退避させた。

周辺市街地にも避難勧告が発令され、街に残っていた民間人、軍属作業員、守備隊歩兵も、防空壕や砲弾の届かない内陸へと避難している。

 

それらとすれ違うように、英軍重砲部隊がラバウル近郊の沿岸や、ニューアイルランド島南端のセントジョージ岬周辺に展開する。

もしも敵艦隊がラバウル沖やカビエン沖に姿を現した時、飛行場や市街地の最後の盾になるためだ。

最新式のBF5.5インチ重砲を多数保有しており、陸から洋上に砲門を向け、重砲多数の砲列を並べている。

ラバウル、カビエンの拠点を防衛する部隊は、これらのみではない。はるか東の洋上にはイギリス艦隊が、島の至近にはドイツ艦隊が展開し、敵艦隊出現に備えているという。

 

だが。集団司令部にしろ、パイロットにしろ、民間人にしろ兵士にしろ、不安は拭えない。

 

今まで敵爆撃機による空襲は耐えてきたが、艦隊による直接攻撃はこれが初めてである。

さらに敵艦隊の内容は巡洋艦や駆逐艦を中心とした艦隊ではなく、深海棲艦最強のタ級戦艦二隻を有している大部隊だそうだ。

タ級が搭載している四十センチ砲は、長門型やネルソン級、ノース・カロライナ級と言った人類戦艦の艦砲に匹敵する破壊力を持っており、そんな巨砲が飛行場や基地に向けられることとなれば、拡張作業が進められてきたラバウル・カビエンの基地設備はことごとく灰燼と化してしまうだろう。

 

壕に直撃して生き埋めになるかもしれない、敵弾が内陸まで飛んでくるかもしれない、基地設備が壊滅するかもしれない。“FS”作戦が頓挫するかもしれない。

ラバウル、カビエンにいる人間は、軍民問わず誰もがそのような不安を抱え、恐怖に震えていのだ。

 

 

●●●●●●●●

 

 

「安心しろ。我が艦隊が居る限り、手出しはさせん」

 

戦艦「シャルンホルスト」艦長のハンス・ヴィルヘルム・ラングスドルフ少将は、艦橋から灯火管制が敷かれて暗黒と化しているニューブリテン島を見て独り言ちた。

 

 

「まさかここて戦うなんて…。思いもしませんでしたな」

 

ラングスドルフの隣に立つ「シャルンホルスト」航海長のツェーザル・キッシンジャー中佐が、ニューブリテン島の稜線を見ながら苦笑した。

 

所属諸島の名が「ビスマルク諸島」であるということが示しているように、ニューブリテン島は1884年から1914年まで、ドイツがドイツ領として支配していた土地である。

だが、前世界大戦の際にオーストラリア軍によって占領されてイギリス連邦領になって以来、ドイツ本国からは地球の裏側と言ってもよい地理関係にあるニューブリテン島は、時が経つにつれて次第にドイツ人から忘れ去られていった。

軍人や戦史研究家の間では前大戦の古戦場として記憶に残っていたが、再びドイツ軍がこの場所で戦うなど、夢にも思っていなかっただろう。

 

「運命…かもしれぬな」

 

ラングスドルフは笑いを含めて言った。

 

「運命ですか」

 

「先の大戦で、皇帝(カイザー)の艦隊はドイツ領ニューギニアを防衛しようとはしなかった。ドイツ帝国海軍がやらなかったことを、子孫たる我々がやってみせろ、ということなのかもしれん」

 

「ドイツ海軍とこの海域は切っても切れない縁、ということですか」

 

キッシンジャーは目を光らせた。

それなら望むところだ…先人が成し得なかったことを、我々が達成してやる。と言いたげだった。

 

ドイツ艦隊の戦力は、消して小さいものではない。

 

二十八センチ三連装を前部二基、後部一基背負式に搭載し、三十八センチ砲弾を弾き返す頑丈さを持ったクルップ鋼に鎧われ、約32ノットの高速性を叩き出す戦艦「シャルンホルスト」。

火力は「シャルンホルスト」に劣るものの、斬新なポケット戦艦として世界中の海軍関係者を瞠目させ、重巡洋艦を上回る攻撃力と戦艦を上回る速力を両立させたドイッチュラント級装甲艦二、三番艦の「アドミラル・シューア」「アドミラル・グラーフ・シュペー」。

最後は、艦体はドイッチュラント級より新しく、他国に劣らない近代重巡洋艦として完成したアドミラル・ヒッパー級重巡三番艦の「プリンツ・オイゲン」である。

 

現在は敵艦隊がイギリス艦隊を突破した場合に備え、ニューアイルランド島とニューブリテン島を分かつセントジョージ海峡に、「プリンツ・オイゲン」「シャルンホルスト」「グラーフ・シュペー」「シューア」の順で単縦陣を組んで展開している。

正面には、ニューブリテン島北東部に角のように飛び出しているガゼル岬と「プリンツ・オイゲン」の後ろ姿が見えており、艦橋からは死角だが、背後にはニューアイルランド島の南部稜線が薄っすらと見えているはずだった。

 

これらの艦艇は、本来一つの艦隊ではない。

辿っていけば上位部隊に太平洋派遣艦隊司令部があるが、「シャルンホルスト」と「シューア」はオーストリア大陸へと艦砲射撃、「グラーフ・シュペー」は大陸へ向かう敵船団の通商破壊と海域調査を主任務としており、たまたま共にカビエン港で仮泊していただけだ。

「プリンツ・オイゲン」に至っては、カーペンタリアへの艦砲射撃からの帰還途中を、敵艦隊出現の急報を受けて押っ取り刀で駆けつけてきたのである。

 

だが、緊急事態に際し、これら四隻は臨時に「ラバウル戦闘群」を編成。総指揮は、最先任であるラングスドルフが執ることと決められている。

艦隊運動を行ったこともない寄せ集めの艦隊であるが、戦力的には申し分ない。

 

敵艦隊が向かってきた場合、この四隻を駆使すれば必ず撃退できると、ラングスドルフは思っていた。

 

「そういえば」

 

キッシンジャーが思い出したように言った。

 

「イギリス軍の雷撃機がタ級一隻を撃破した、という情報は本当でしょうか?」

 

ーーー日没から二時間ほど経過した頃、東方での敵艦隊迎撃を担当するイギリス艦隊から一通の電文が届いた。

互いの事前調整も無し、加えて言語が違うためにカタコトな文であったが、「接近中の敵艦隊のタ級戦艦二隻のうち一隻を撃破した」という内容であったということが判明している。

ラバウル防衛の戦力はイギリス軍・ドイツ軍を合わせてやっと互角かどうか、という状況なため、事前に敵戦艦の一隻を撃破したことは大戦果なはずだが…。

 

「いつイギリス軍が攻撃隊を放ったか不明だが、我々に電文が届いた時間を考えると、薄暮、または夜間攻撃になっていた可能性が高い。その時間帯での機上からの戦果確認は誤認が生じやすいから、期待しない方が良かろう」

 

ラングスドルフはキッパリと言い放った。

イギリス軍の実力はラングスドルフも認めているが、いつ何時も最悪の事態を想定しておこう、と考えていた。

 

それに対してキッシンジャーが何かを言おうとした時、ラバウル戦闘群の左後方の水平線に、いくつかの閃光が走った。

十数秒ほど開けて砲声が殷々と響き、残響となって南洋の湿った大気中に消えていく。

だが、閃光は止まらない。心なしか、頻度が増したように思える。

それと比例するかのように、「シャルンホルスト」の艦橋に届く砲声も勢いを増してゆく。

 

「始まったか…」

 

ラングスドルフは両目を瞑り、艦橋の天井を仰いだ。

 

 

 

ニューアイルランド島南東に展開しているイギリス海軍E2部隊が、タ級戦艦を中心とする敵艦隊との戦闘に突入したのだ。

 

 

 

 

 

 

 

第七十二話 「ソードフィッシュ乱舞」

 




登場したシャルンホルスト艦長は、史実でアドミラル・グラーフ・シュペーの艦長としてラプラタ沖海戦を戦ったハンス・ラングスドルフ大佐です。
あと、イギリス海軍E部隊司令官は史実でタラント空襲を立案したラムリー・リスター少将です。

どうですかね。適材適所ですかね?


感想待ってます。


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第七十三話 ニューアイルランド島沖海戦

大学進学か就職か迷ってるこの頃


1

 

闇夜の空に、閃光が砕けた。

 

光源は鈍い白光を発しながら、空中を揺らめく。

数は四つ。いずれも海面へ落下することなく、ゆっくりと高度を落とす。

 

「発射された星弾(スターシェル)、全弾点灯を確認」

 

高度を落とすに連れて、海面が暗闇から浮かび上がってくる。

今日の月齢は「0」。新月である。空は雲が多く、星明かりも少ない。

そんな環境で光を発した四発は、一際明るく見えた。

 

「いたな」

 

巡洋戦艦「レパルス」艦長兼E2部隊司令のウィリアム・テナント大佐は、腕を組み、右舷側の閃光下の海面を見た。

四つの星弾によってニューアイルランド島東方の海面が照らし出されているが、その海面上にゴツゴツとした影が見えている。

光量が少ないからだろう……朧げにしか見えなかったが、巨大な戦艦のようだ。

 

敵艦隊の存在は、既に十数分前から探知している。

ソードフィッシュの雷撃が成功したのか敵戦艦が一隻しかいないこと、それが巡洋艦四隻と駆逐艦十隻前後を従えていること、針路270度に取って真っ直ぐセントジョージ海峡を目指していること、E2部隊は未だに発見されていないこと。

その全てを、大規模改装によって「レパルス」に搭載された新式対水上レーダーの反射波が物語っていた。

 

(勝てる戦いだ、これは)

 

テナントは接近中の敵艦隊を見て、自らの胸に沸々と闘志が湧いてくるのを感じた。

 

状況は、当初思われていたよりも大分良くなっている。

レーダーによって判明した敵艦隊の布陣は、戦艦一、巡洋艦四、駆逐艦十隻程度。

駆逐艦群を前面に押し立て、その後方から巡洋艦、戦艦の順で構成された隊列が続くのだ。

E部隊本隊から分離されたE2部隊の戦力は、自らが艦長を務める巡戦「レパルス」を旗艦とし、タウン級軽巡第二グループの「グロスター」「マンチェスター」「リヴァプール」、同第三グループの「ベルファスト」、防空艦として建造されたダイドー級軽巡の「ハーマイオニー」「ボナヴェンチャー」、ジャベリン級駆逐艦八隻、船団護衛艦隊から合流したA級駆逐艦四隻である。

戦艦、駆逐艦の数は互角だが、巡洋艦の数は二隻こちらが多い。近距離砲戦や水雷戦が常である夜戦では、この差がモノを言う。

 

加えて敵艦隊を迎撃するのはE2部隊だけではない。

イギリス艦隊が敗北、又は敵艦を取りこぼした場合に備え、ニューブリテン島とニューアイルランド島を分かつセントジョージ海峡にドイツ海軍ラバウル戦闘群が展開しているのだ。

ここでも、嬉しい誤算があった。

当初、E部隊司令部は「南太平洋艦隊に参加していないドイツが、ニューブリテン島、ニューアイルランド島に有力な艦隊を派遣しているはずがない」と考えており、ドイツ艦隊の助力をアテにしてはいなかった。

だが交信を進めるにつれ、大きな戦力を有していることがわかってきたのだ。

ドイツ艦隊の戦力は、巡洋戦艦、重巡各一隻、ポケット戦艦二隻である。

事前調整も無しに、言語の違う艦隊同士が夜戦を戦うのは同士討ちの危険がある、とのことで別々の海面で戦うこととなってしまったが、テナントは満足だった。

 

良い要素はまだある。

姉妹艦「レナウン」に続いて、「レパルス」は1939年から1942年初頭にかけて大規模な近代化改修を実施したのだ。

前時代的な三脚マストと艦橋は全て取っ払われ、キング・ジョージ五世級戦艦の中世の城塞ようながっちりとした箱型艦橋へと一新されている。

通信設備や搭載レーダーなどの電子機器、高角砲やポンポン砲などの対空火器も新式機材へと更新され、対水雷防御をより強靭なものとすべくバルジも増設された。

重量の増加によって速力が30ノットから28.3ノットへと低下してしまったが、総合的な戦闘力は大幅にアップしているのだ。

 

夜間戦闘という条件、巡洋艦の優位、進化した「レパルス」を駆使すれば必ず勝てると、テナントは考えていた。

 

 

「敵艦隊。針路、速度共に変わらず」

 

「だろうな」

 

レーダーマンの報告を受け、テナントは薄く笑った。

 

現在E2部隊は、前衛にダイドー級防巡二隻と駆逐艦四隻を、後衛に「レパルス」とタウン級軽巡四隻を、後衛五隻の右側に駆逐艦八隻を配しており、それぞれで単縦陣を組んでいる。

肝心なのは、E2部隊が展開している場所だ。

「レパルス」の左側にはニューアイルランド島の稜線が大きく見えており、艦隊が島に貼り付けていることを示している。

深海棲艦のレーダーからは島が巨大な影となり、E2部隊を探知することができないのだ。

 

人類艦隊を探知できていないにもかかわらず、突然星弾の光を浴びたため、敵艦隊は混乱に陥っているのかもしれない。

 

「距離一万七千ヤード」

 

「“マクベス”より“ドナルベイン”。敵距離一万四千ヤードにて砲撃開始。目標、敵巡洋艦。“バンクウォー”、砲撃開始と同時に突撃。“シーワード”は“バンクウォー”を支援」

「本艦、右砲戦。一万四千ヤードで砲撃を開始する。ただし目標は敵戦艦だ」

 

テナントは艦隊内電話に命令し、次いで射撃指揮所のアーネスト・アーチャー中佐に指示を飛ばした。

イギリス海軍の通信は、常に敵に傍受されていることを前提で行うため、それぞれの戦隊に通信符丁が課されている。

今回は、シェイクスピアの劇「マクベス」の登場人物から、名前を取っていた。

 

「“ドナルベイン”了解」

「“バンクウォー”了解」

「“シーワード”了解」

 

「右砲戦、一万四千ヤードにて砲撃開始します。目標敵戦艦」

 

各戦隊から命令了解の返答と、アーチャー砲術長の復唱が届く。

 

眼下に鎮座している二基の四十二口径Mk.Ⅰ三十八センチ連装砲が、駆動音を響かせながらゆっくりと右へと旋回し始める。

二本ずつの砲身は仰角をかけ、右前方のタ級に照準を定めた。

 

“マクベス”こと「レパルス」、“ドナルベイン””ことタウン級四隻が敵艦隊に砲撃を加え、“バンクウォー”ことジャベリン級八隻が距離を詰めて雷撃、“シーワード”ことダイドー級防巡二隻、A級駆逐艦四隻がそれを支援するのである。

 

「対空レーダー感あり。本艦よりの方位75度。数は一機です」

 

その時、対空レーダーの管面を覗いていたレーダーマンの声が艦橋に響いた。

 

「深海棲艦の水偵でしょうか?」

 

「だろうな」

 

航海長のエドモンド・カーチス中佐の疑問に、テナントは答えた。

恐らくレーダーで探知できないと見て、搭載偵察機による索敵を開始したのだろう。

深海棲艦の巡洋艦以上の艦に一、二機の水上機が積まれていることは、すでに判明している。それを放ったようだ。

 

「敵機の飛行音が聞こえます!」

 

数分後。艦橋のウィングに立つ見張員が、大声で報告する。

それを聞いてテナントは耳を澄ました。カーチスも口を閉じ、艦橋内に静寂が広がる。

 

「墜としますか?」

 

「いや」

 

アーチャーが聞いてくるが、テナントは短く返す。

昼間でも命中させることが難しい高角砲を、夜間撃っても当たらないと考えたのだ。下手に射撃すれば、距離が詰まった今なら敵に位置を暴露する結果にもなる。

 

艦橋でのやり取りを知ってか知らずか、深海棲艦機特有の飛行音が聞こえはじめた。

徐々に大きくなり、艦橋内の会話も困難になるほどまで増大する。

どうやら、敵機はまっすぐE2部隊目指して向かって来ているようだ。

 

(奴らは、我々が島の影に隠れていることをわかっているのか…?)

 

「敵機直上…!」

 

テナントが胸中で呟いた時、レーダーマンが切迫した声を上げる。

敵水偵はかなりの低空を飛んでいるようだ。その高度のまま、「レパルス」の頭上を右前方から左後方へと通過する。

 

(見つからなかったか…)

 

テナントが胸を撫で下ろした時、「レパルス」の頭上に光が砕けた。

右前方を向いている二基の主砲、巡戦特有の巨大で鋭い艦首、「レパルス」の前方を進む防巡「ハーマイオニー」が、月明かりのような朧げな光に照らし出される。

 

「き、気づかれた…!」

 

「“マクベス”、“ドナルベイン”。射撃開始!」

 

カーチスが叫び声を上げた刹那、テナントは大音響で命じた。

命令を受理した眼下二基と、後部一基の主砲が猛然と咆哮する。直径三十八センチの砲門から巨大で真っ赤な火焔が噴き出し、重量一トンに迫る徹甲弾六発が叩き出される。

爆風が艦上を駆け抜け、艦橋の窓ガラスがピリピリと振動する。艦齢28年の老嬢の身体を、発砲の衝撃が貫いた。

 

「敵艦隊増速!」

 

「『グロスター』『マンチェスター』発砲!『リヴァプール』続けて発砲!」

 

「“バンクウォー”面舵。敵艦隊に突撃します!」

 

敵味方艦の状況が、続々と艦橋に届けられる。

テナントは暗闇から奇襲を加えることによって、海戦初頭で敵艦隊に大きな打撃を与えようと考えていたが、深海棲艦はそれほど甘くなかった。レーダーで人類艦隊を発見できないと見るや、迅速に水偵による索敵に切り替え、照吊弾によってE2部隊を発見したのだ。

 

彼我の距離が急速に迫る中、「レパルス」は第二射を放つ。

再びの凄まじい砲声が轟き、稲光のような閃光が周囲を真昼と変える。

今気づいたが、「レパルス」は斉射を使用しているようだ。

「レパルス」は連装砲三基六門しか搭載しておらず、交互撃ち方ならば三発しか放てない。

アーチャー砲術長はタ級戦艦を相手取るに置いてそれでは力不足と考え、斉射を選択したのだろう。

 

後方からも砲声が届き、閃光によって前方に自艦の影が伸びる。

「レパルス」三十八センチ砲ほどの重々しさはないが、数が多い。

後方を続く“ドライベイン”こと「グロスター」「マンチェスター」「リヴァプール」「ベルファスト」の軽巡はいずれも十五.二センチ三連装砲を四基十二門搭載しており、発射間隔は数秒である。

その中口径砲が絶えず唸り、途切れなく敵巡洋艦に砲弾を叩き込んでいるのだ。

 

敵艦隊は、依然発砲しない。増速はしたものの、ひたすら西進し、E2部隊からの砲撃を受け続けているだけだ。

敵艦隊が動きを起こしたのは、「レパルス」が第三斉射を放った後だった。

 

「敵巡洋艦取舵、敵戦艦取舵!」

 

「隊列後方の敵主力艦、転舵。針路270度から220度に変針しました!」

 

主砲発射の残響が残る中、見張員とレーダーマンの報告が矢継ぎ早に上がる。

 

「“マクベス” “ドナルベイン”右一斉回頭。奴らの頭を抑えろ!」

 

報告を受け、テナントは隊内電話に怒鳴り込んだ。

E2部隊の針路は30度。北北東へ向かう針路を描いていたが、敵艦隊は270度から220度に変針することでE2部隊の後方をすり抜けようとしているのだ。

ここを突破されれば、すぐにセントジョージ海峡の入り口である。ラバウル、カビエン防衛のためにはここを通すわけにはいかない。

 

「面舵一杯。針路210度」

 

カーチス航海長が操舵室へ繋がる伝声管に命令する。

「レパルス」は全長242m、全幅27.4m。高速を発揮するため長く長く細く細く作られている。すぐにでも舵輪は右に回されただろうが、これほどの巨体で、かつ細身となるということすぐに舵は効かない。

軽巡の一斉回頭を横目で見つつ、直進を続けるだけだ。

 

「まだか…!」

 

カーチスが歯ぎしりしながら敵艦隊を見つめる。

攻撃を実施したソードフィッシュ隊からの情報によれば、タ級戦艦は30ノット以上の速力を発揮できるらしい。

一度敵艦を逃せば、最大戦速が28ノットの「レパルス」は永遠に追いつくことができないのだ。

 

二分近く直進した後、「レパルス」の艦首が右に滑った。

一度運動が始まれば、あとは速い。巡洋戦艦に相応しく素早く回頭し、軽巡部隊の後方に付くべく巨体を振る。

 

「敵主力艦、面舵!」

 

「何だと⁉︎」

 

正面に“ドナルベイン”の殿艦である「ベルファスト」が見え始めた頃、新たな敵情が飛び込んだ。

レーダーマンの報告を聞いたテナントは。思わず聞き返す。

 

「敵艦隊のうち、巡洋艦、戦艦が針路320度に転舵。このままでは後方を突破されます!」

 

「しまった!」

 

テナントは敵艦隊に一杯食わされたことを悟る。

針路220度に変針した直後、敵艦隊はE2部隊が頭を抑えにかかってくること読み、素早く320度に転舵したのだ。

変針直後の「レパルス」では舵が効かず、到底に間に合わない。

 

「“ドナルベイン”右一斉回頭。やむおえん、本艦は針路270度だ!」

 

「面舵一杯、針路270度。舵がへし折れるまで切れ!」

 

テナントは声を枯らして命じ、それを受けてカーチスが再び操舵室に下令する。

「レパルス」は間に合わない。今は間に合う軽巡のみで敵艦隊の頭を抑え、「レパルス」は敵艦隊が海峡を目指して270度に変針する場合に備えて先手を取っておくしかない。

 

「敵艦隊発砲!」

 

更なる悲報が届く。E2部隊の左後方をすり抜けようとしている敵巡洋艦と敵戦艦が、砲撃を開始したのだ。

「レパルス」は面舵を切ったものの、まだ回頭を開始していない。敵に背を向けて直進を続けており、反撃ができる状態ではない。

正面では“ドナルベイン”の軽巡四隻が一斉に回頭している様が、ぼんやりと見えた。

 

背後から敵弾の飛翔音が轟き始め、不気味に漸増する。

それが途切れた時、後方から蹴とばすような衝撃が届き、「レパルス」の巨体がやや前のめった。艦尾から振動が駆け抜け、艦橋要員の数名がよろめく。

同時に滝のような音が聞こえ、直後、「レパルス」の艦首が振り戻すように突き上がった。

 

焼くような焦慮感が、テナントを襲っている。

E2部隊は敵艦隊の目まぐるしい針路変更に翻弄され、突破を許そうとしている。

タ級戦艦は、決してル級のような鈍足戦艦ではない。俊敏に動き、巡洋戦艦である「レパルス」を振り切れる操舵力と高速力を有しているのだ。

 

新たな敵弾が飛来する。

「レパルス」の右舷スレスレに着弾し、基準排水量三万八千トンの巨体を戦慄かせた。

やっとのことで、「レパルス」は回頭を開始する。たった今噴き上がった水柱を踏み潰し、右へ右へと艦首を振ってゆく。

その間、“ドライベイン”の軽巡四隻が、30ノットの高速を発揮しながら左舷側をかすめつつ、後方へと向かう。

 

「駄目だ…!」

 

テナントが軽巡洋艦すら間に合わないと悟った時、見張員の報告が飛び込んだ。

 

「“シーワード” 敵艦隊に取り付きます!」

 

 

 

2

 

“シーワード”の符丁を課された部隊は、旧式のA級駆逐四隻と防巡「ハーマイオニー」「ボナヴェンチャー」て構成されている砲戦特化の水雷戦隊である。

「ハーマイオニー」はキング・ジョージ五世級戦艦にも搭載された十三.三センチ連装高角砲五基を、「ボナヴェンチャー」は製造数が間に合わず一基少ない同砲四基を搭載しており、この火力を駆使してジャベリン級駆逐艦八隻を支援する予定であった。

 

だが、敵艦隊の俊敏な動きによって、“シーワード”の役割は変わろうとしている。

“シーワード”の六隻は敵駆逐艦に対応していたため、敵主力艦を追って「レパルス」、軽巡四隻のように針路210度に変針しなかったのだ。

その結果、図らずとも二度目の転舵を行った敵主力艦の正面に占位することとなり、“シーワード”は敵戦艦、巡洋艦に挑もうとしている。

 

「目標、敵巡洋艦一番艦。直ちに射撃開始。A級の雷撃を援護すると共に、“ドナルベイン”が敵の頭を抑えるまでの時間を稼ぐ」

 

「了解。撃ち方始め!」

 

「ボナヴェンチャー」砲術長のマシュー・バトラー中佐は、艦長であるセオ・クラウド大佐からの指示が届いた刹那、受話器を置く間も無く叫んだ。

方位盤の引き金が引かれ、前部三基、後部一基の十三.三センチ砲が発砲する。腹に応える砲声が響き、砲門から噴き出した閃光によって英国製防巡の姿を浮かび上がらせた。

 

この砲は対艦砲としても使用できる側面を有しており、五十口径の長砲身で打撃力のある重量徹甲弾を発射することができる。

装填に人力が必要なため、発射速度は低下しがちだったが、戦艦や重巡よりも圧倒的に早い。

鍛え抜かれた砲員によって素早く装填され、次々と咆哮する。

 

「ボナヴェンチャー」の前方では、「ハーマイオニー」が射撃を続けている。「ボナヴェンチャー」よりも一基多い砲を生かし、矢継ぎ早に敵巡洋艦に射弾を撃ち込んでいた。

 

敵艦隊も、俄然反撃する。

先頭を進むリ級重巡と思われる艦が発砲したのを皮切りに、後続の巡洋艦、タ級戦艦が主砲を撃つ。

飛来した敵巡洋艦の弾は海面に着弾するや炸裂し、「ボナヴェンチャー」の艦体を揺さぶる。

「ボナヴェンチャー」の後方から敵の頭を抑えにかかる“ドナルベイン”も、その後方を西進している「レパルス」も、搭載している主砲を撃つ。

 

上空は彼我の砲弾が交錯し、それぞれの目標へと飛翔する。

海域は、戦いの混沌に包まれていた。

深海棲艦は各戦隊に分裂したE2部隊の突破を図り、味方軽巡は必死に敵の頭を抑えようとする。

270度に変針した「レパルス」もタ級に痛打を浴びせるべく巨砲を撃ち、敵味方の駆逐艦も雷撃を狙って砲火の応酬を繰り返す。

 

戦いの帰趨は誰にもわからないが、戦場は確実にラバウルに近づいている。

 

「ここは、死んでも通さん…!」

 

マシューは、覚悟を滲ませて言うのだった。

 

 

 

 

 

 

第七十三話「ニューアイルランド島沖海戦」




続く!

感想待っとります


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第七十四話 不屈の戦い

〈あらすじ〉

時に1942年6月19日夜。英海軍E部隊本隊から勇躍分離したE2部隊は、ラバウル攻撃を目論む敵艦隊に苦戦を強いられていた。深海棲艦艦隊はE2部隊よりも速力、機動力共に上であり、突破を許してしまったのである。だが、“シーワード”部隊指揮官はラバウルを守るため、起死回生の策を講じる。その策の要となるのは、取るに足らない一個駆逐隊の旧式駆逐艦四隻。
ニューアイルランド島沖で繰り広げられる英深の攻防。「敗北主義者」の艦長に率いられた駆逐艦「アーデント」が、最恐戦艦タ級に挑む!巨大戦記、堂々再開!



1

 

図らずとも一隊で敵主力艦の正面に占位することになった防巡「ハーマイオニー」と「ボナヴェンチャー」が命中弾を得るのに、そう時間はかからなかった。

 

「ハーマイオニー」は十門、「ボナヴェンチャー」は八門のMk.Ⅰ五十口径十三.三センチ砲を息つく間もなく咆哮させており、南洋の湿った空気を震わせながら重量級の砲弾を叩き出している。

この二隻は巡洋艦四、戦艦一の敵隊列にT字を描いており、先頭の重巡に火力を集中している。

「ハーマイオニー」の艦橋からは凄まじく長い光芒が右舷へと伸びており、ニューアイルランド島沖の闇夜を切り裂いていた。

星弾とは比べ物にならない光量が重巡を照らし出しており、命中を早める結果となったようである。

 

かく言う先頭のリ級重巡は、英防空巡洋艦から多数の十三.三センチ砲弾を撃ち込まれており、随所で火災を起こしている。

被弾するたびに塵のようなものが四散し、黒煙を増加させ、一寸刻みに艦上の構造物を打ち砕いてゆく。

 

「命中弾三十発以上!」

 

「ボナヴェンチャー」の射撃指揮所に、方位盤手の興奮気味の報告が響いた。

 

「手ぬるい」

 

それを聞いて、砲術長のマシュー・バトラー中佐は凛とした声で呟いた。

リ級は「ハーマイオニー」と「ボナヴェンチャー」によって大きな被害を受けているが、時折主砲を放ち、「ハーマイオニー」を砲撃している。リ級が完全に戦闘力を失わせるまで、砲撃の手を緩めるつもりはなかった。

 

だが、「ボナヴェンチャー」の放った斉射が二十回を超えた頃、リ級は屈した。

大規模な火災を起こしており、特徴的な三脚マストは大きく傾いている。黒煙によって艦上の様子はよくわからない。

速力は低下させていないが、このリ級なんら脅威にならないことは誰の目にも明らかである。

 

「先頭の巡洋艦、沈黙!」

 

「目標三番艦。準備完了次第射撃再開」

 

マシューが弾んだ声で報告すると、艦長セオ・クラウド大佐の次目標指示が素早く返ってきた。

 

「三番艦…ですか?」

 

マシューは一番艦を撃破した以上、次目標は二番艦になるものだと思っていたため、思わず聞き返す。

 

「三、四番艦の敵巡洋艦は小口径砲を満載しているツ級だ。突撃しているA級が、大きな損害を受けているらしい」

“シーワード”は防巡二隻と一個駆逐隊で構成されており、 A級駆逐艦四隻を巡洋艦、戦艦に突撃させている。

そのA級が、ツ級軽巡洋艦の猛射に射竦められているようだ。

 

「了解」

 

艦長の意図を理解したマシューは即答し、素早く受話器を置く。

 

「射撃目標、敵三番艦!」

 

指示を飛ばすや否や三番艦への測的が開始され、主砲が目標へと施向する。

 

「A級の様子は?」

 

作業を横目に見ながら、マシューは焦りを滲ませた。

ツ級軽巡洋艦はダイドー・クラスやアトランタ・クラス、アオバ・タイプと同様に対空特化な艤装を持つ防空巡洋艦だ。

初めて人類の前に姿を現した西部太平洋海戦では艦隊防空に力を発揮し、相当数の日本軍の艦攻が撃墜されたと聞く。

兵装は不明な点もあるが、十センチから十二.七センチクラスの小口径砲塔を六基から八基ほど搭載しているらしく、それは駆逐艦にも大きな脅威である。

航空機程の機動力を持たず、防御力も弱い駆逐艦が雨あられと小口径砲弾を受ければ、瞬く間に廃艦と化してしまうだろう。

そんな艦から攻撃されている駆逐隊が健在か、マシューは気になったのだ。

 

「一番艦の『コドリントン』が敵弾を受けて轟沈、二番艦の『アカスタ』が被弾して火災を起こしていますが、三、四番艦は無傷です。『アカスタ』を先頭にし、敵艦隊に突撃しています」

 

見張員の報告を聞き、マシューはひとまず胸を撫で下ろした。

 

(大丈夫だ。駆逐隊が健在なら、この状況を打開する手立てはある!)

 

ーーーこの時、マシューは“シーワード”の指揮を執る「ハーマイオニー」艦長フランク・K・クック大佐の意図を見抜いている。

 

クックは A級の雷撃によって敵巡洋艦、戦艦の隊列を変針させ、後方を追いかけている“ドナルベイン”、“マクベス”こと軽巡四隻、「レパルス」の目の前に敵艦を引きずり出そうとしているのだ。

マシューは「敵艦隊はニューアイルランド島に向かう針路を進んでおり、座礁を避けるためにはいずれ変針する」と考えていたが、深海棲艦は巧妙にニューアイルランド島の南端をかすめるような針路を描いており、その希望は儚く潰えてしまっている。現状のままでは、敵艦隊はE2部隊主力よりも先にセント・ジョージ海峡に突入してしまう可能性が高い。

だが、逆にそれは朗報でもある。

敵艦隊はギリギリを攻めすぎるあまり、すぐ右側にはニューアイルランド島の南岸が位置している。魚雷を回避するには、取舵を切るしかないのだ。

変針後の先には、“ドナルベイン”と“マクベス”がいる。

 

「そうか…!」

 

そこまで考えが至ったとき、マシューは目を煌めかせた。

魚雷回避のために取舵に転舵すれば、敵艦隊は「レパルス」にT字を描かれることになる。

“ドナルベイン”が敵戦艦の追撃に移る中、「レパルス」が270度に変針した時は「遊兵化する結果になってしまうのないか?」と危機感を持ったものだが、同艦艦長のテナント大佐は、敵が変針した場合にT字を描くことを視野に入れていたのだ。

 

「そうなら…なおさらツ級は排除しなくては」

 

テナントの意向を理解したマシューは目の奥に炎をたたえ、ツ級軽巡を見据える。

 

「測的完了!」

 

「照準よし。方位盤よし!」

 

指揮所内の各部署から、訓練通りのきびきびとした報告が届く。

 

「射撃開始!」

 

マシューは息を吸い、力を込めて命じた。

計八門の砲門から十三.三センチ砲弾が発射され、耳をつんざく砲声と目を背けたくなる閃光が、「ボナヴェンチャー」を包み込んだ。

 

 

2

 

突撃を実施している駆逐隊ーーー第六十八駆逐隊(DDG68)のA級駆逐艦三隻は、回避行動を繰り返しながら雷撃の機会をうかがっていた。

 

数分前に肉薄した際、ツ級と思われる巡洋艦二隻からの猛射に遭い、嚮導艦「コドリントン」が瞬く間に撃沈されている。

次席指揮官となった二番艦「アカスタ」艦長のアリック・マーコリー中佐は「このままの雷撃は困難」と考え、一旦の距離を置いたのだ。

現在は八千メートルほどの距離を開け、ジグザグ航行による敵弾の回避に専念している。

 

時折主砲が発砲するが、それ以外DDG68からの反撃は無い。

駆逐艦三隻が巡洋艦の攻撃から逃げ回る、という状態が続いていた。

 

「なぜこんなことに…!」

 

回避行動に移ってから十五分が経過した頃。

DDG68四番艦の駆逐艦「アーデント」艦長のフェリックス・アッカーソン少佐は、駆逐艦の高機動と敵の至近弾に体を揺さぶられながら、大きく悪態をついた。

 

自分の船は、レーダーサイトや飛行場の建設資材を運ぶ船団の護衛としてラバウルを訪れただけである。

間違えても、深海棲艦の巡洋艦や戦艦に必死の雷撃を挑む為ではない。

 

ーーー彼は死にたくなかった。

 

両親を早くに亡くし、身寄りがいなかったフェリックスは飯を食べて行くために嫌々海軍に入った。

祖国に尽くすなど微塵も考えておらず、海軍兵学校の卒業成績も下から三番目と低い。出世街道はとうに外れており、同期の友人は戦艦の艦長や司令部の参謀などに収まっていたが、フェリックスは一旧式駆逐艦長に過ぎなかった。

同期や同僚からは「変人」呼ばわりされたが、志しを持って海軍に入らなかったフェリックスにとって、出世などどうでも良かったのだ。

 

生きて、大切な妻や息子に会いたい。生きて、イングランドに帰りたい。フェリックスの頭にはそれしかなかった。いくら「臆病者」や「腰抜け」となじられようと死にたくない。

できるだけ安全な場所で過ごし、生き残って本国に帰りたかったのだ。

 

だが今、自らが艦長を務める「アーデント」は、フェリックスが望まない戦いの渦中にいる。

それだけではない。海戦の結末を左右する重要な駆逐隊の一隻に、名を連ねてしまっている。

 

フェリックスの額を、大粒の汗が滴り落ちた。

なぜ私の船なんだ…もっと適任な艦がいるはずだ…という思いが、彼の心中を駆け巡っていた。

 

深海棲艦は、そんな人間の思いなど微塵も気遣ってくれない。

次々と飛来する敵弾が、ついに「アーデント」を夾叉する。

両舷から挟み込むような衝撃が襲いかかり、小柄な艦体が今まで以上に揺れる。

海水がスコールのように降り注ぎ、数秒間視界が遮られた。

衝撃によって数名が倒れ、フェリックスは伝声管を握りしめて身体を支える。

 

「夾叉されたか…!」

 

航海長のローレンス・ジェラード大尉が歯軋りしながら言う。

夾叉されたということは、次に飛来する敵弾が高可能性で命中するということをを示している。

水柱の大きさと射撃間隔から、「アーデント」を砲撃しているのはツ級軽巡洋艦だろう。「コドリントン」を撃沈した雨あられの敵弾が、「アーデント」をも襲うのだ。

 

「くそ…駄目だ…」

 

フェリックスは諦めに似た感情を持ち、艦橋に立ち尽くす。

距離を置いてからは回避行動と牽制射撃に留まっていたが、ツ級はついに「アーデント」を捉えたのだ。

咄嗟に回避を命じようとしたが、舌がおぼつかず命令が出ない。

 

だが、敵弾は来なかった。

 

二十秒、三十秒、一分が経過しても、一向に飛来しない。

ローレンス航海長が敵艦に双眼鏡を向けようとした時、見張員の歓声が飛び込んだ。

 

「敵三番艦、大破炎上中!」

 

「四番艦もです!」

 

フェリックスはツ級に目をやり、報告通りなのを確認すると汗を拭った。

二隻の巡洋艦のうち、前方を進んでいる艦は小さな火災を無数に点在させており、後方を進んでいる艦は艦橋を潰され、巨大な火球を乗せている。

二隻とも新たな砲火を放つ様子はなく、力なく洋上を漂っている。

「助かった…」という細々とした声が、我知らず口から出た。

 

この時、フェリックスは知る由もなかったが、三番艦は「ボナヴェンチャー」に繰り返し砲弾を叩き込まれて戦闘不能になり、四番艦はタ級戦艦から目標を変更した「レパルス」の巨弾が直撃し、粉砕されたのだ。

ツ級はリ級重巡やホ級軽巡と比較すると一回り小さく、防御力も低い。ひたすら駆逐艦を攻撃していたツ級の横を突き、迅速に撃破することができたのだ。

 

だが、「アーデント」の試練はこれからである。

 

「“シーワード4”より発光信号。“DDG68針路45度。我二続ケ”!」

 

その報告が飛び込むや、フェリックスの心臓は跳ね上がった。

指揮を執るアリック中佐は、ツ級二隻が撃破された今を好機と考え、突撃を再開するつもりのようだ。

 

「面舵。針路45度!」

 

なかなか命令を発しない艦長に変わり、ローレンスが操舵室に命令を送る。

 

前方を進んでいた“シーワード4”こと「アカスタ」、“シーワード5”こと「アケイティーズ」が回避行動を中止し、次々と面舵に転舵する。

一本の紐に繋がれているかのように、「アーデント」も右へと艦首を振った。

今まで右正横に見えていた敵艦隊が、右前方に見えるようになる。

フェリックスは震える手で双眼鏡を握り、敵隊列を左から右へと見渡した。

 

巡洋艦三、四番艦は損傷によって隊列を落伍しており、一、二番艦も大なり小なりの火災を背負っている。

一番艦の前方にも二隻の巡洋艦が見えており、僚艦の「ハーマイオニー」と「ボナヴェンチャー」であろう。

深海棲艦の巡洋艦部隊は壊滅状態だったが、タ級戦艦は小さな火災を起こしているだけで、ほとんど無傷である。

 

「アーデント」の右舷には、“ドナルベイン”が位置している。

タ級戦艦を牽制し続けたのだろう。「グロスター」と「マンチェスター」が姿を消しており、「リヴァプール」が巨大な火焔を引きずっている。健在な軽巡は「ベルファスト」のみであった。

 

 

「“シーワード4”より信号。“雷撃距離三千ヤード。目標タ級”」

 

見張員が艦橋に報告を上げる。

A級は1927〜28年に竣工した駆逐艦であり、旧式である。搭載している艦砲や魚雷も高性能とは言えず、搭載魚雷の射程距離は五千メートルに満たない。

五十三.三センチ四連装魚雷発射管を二基と、魚雷本数は新鋭駆逐艦に劣らない。だが、駆逐艦三隻という少数での雷撃と、魚雷の射程距離の短さを補うためには、三千ヤードにまで肉薄しなければならないとアリック中佐は考えたのだろう。

 

前方を進む「アカスタ」が発砲し、「アケイティーズ」も主砲を撃つ。逆光で二隻のシルエットが浮かび上がり、鋭い砲声がやや遅れて迫る。

 

「艦長、射撃開始します!」

 

砲術長のガイア・スワンソン大尉が叩きつけるように叫ぶ。

射撃指令が来ないことに業を煮やし、半ば催促の形をとったのだろう。

 

一拍開けて、艦橋正面に背負式に搭載されたQF四.七インチ単装砲二基が火を噴く。

剥き出しの砲身に防楯を付けただけの簡易な砲だが、「アカスタ」「アケイティーズ」に遅れじと咆哮し、直径十二センチの砲弾を矢継ぎ早に放つ。

 

「『レパルス』と『ベルファスト』はタ級を砲撃中」

 

「『ハーマイオニー』被弾!」

 

「敵戦艦との距離、七千五百ヤード」

 

海を轟かせる砲声、閃らめく爆炎、喧騒を増す波濤、飛び込む怒号、そんな戦場の最中…フェリックスの胸中では凄まじい葛藤がぶつかり合っていた。

 

曲がりなりにもロイヤル・ネイヴィーの軍人である自分が「職務を遂行しろ。戦え」と言うのに対し、妻子を持つ一人の父親である自分は「生きて帰れ。逃げろ」と言う。

 

ここでフェリックスは、自分にも軍人としての誇りや愛国心があったことに驚いた。三十年間の厳しい軍務の中で、そのような想いが培われていったのだろうか。

フェリックスは被りを振る。

誇りなど犬にでも食わせておけ、そんなものがあってもなんの役にも立たん。自らの身を滅ぼす結果になりかねない。と、自らの想いを一蹴した。

 

 

そこまで考えた時、タ級戦艦の艦上に凄まじい閃光が走り、艦橋を挟んだ前部と後部に真っ赤な火焔が湧いた。

数秒の間を空けて、遠雷の如き砲声が「アーデント」に届き、艦体をピリピリと震わせる。

 

「来る…!」

 

フェリックスが叫んだ直後、頭上を圧迫する飛翔音が聞こえ始めた。

 

今まで「ベルファスト」を砲撃していたタ級戦艦が、DDG68を脅威と見なし、砲撃目標を変更したのだ。

加えて交互撃ち方から斉射に切り替えている。手数が多い方が、駆逐艦を捕捉しやすいと考えたのだろう。

 

目を見開いた刹那、前方を進む「アカスタ」周辺の海面が盛り上がり、砕けた。

砕けた箇所から、樹齢数百年の巨木のような水柱がそそり立ち、「アカスタ」の姿を隠す。

赤い光が反射したように見えたが、詳細はわからない。すっぽりと、駆逐艦を包み込んでしまったのだ。

 

数秒後、空中に滞空していた海水が、元ある場所へ戻る。

 

それを見て、フェリックスは目をこすった。

「アカスタ」がいない。

「コドリントン」が撃沈されてからは駆逐隊の先頭に立ち、「アケイティーズ」と「アーデント」を嚮導し続けていた「アカスタ」が、綺麗さっぱり消失してしている。

 

「シ、“シーワード4”。轟沈!」

 

誰もが信じられないような目線を投げる中、見張員が半ば絶叫のように報告した。

沈没しつつある艦体も、吹き飛んだ残骸も、乗組員も、一切が掻き消えてしまった。「アカスタ」が存在していた海面は泡立っているのみであり、ついさっきまで戦っていた船の名残は一つもない。

 

「一回の斉射で…」

 

フェリックスの理性は、今にも吹き飛びそうになっていた。

少しでも口ものが緩めば、転舵反転!を命じたくなる。

「アカスタ」の惨状を見た今ならば、ローレンス航海長もガイア砲術長も、誰も反対しないだろう。

 

だが、フェリックスは押し止まった。

軍人としての責任が、彼を自重させたのである。

 

「アーデント」は速力を落とさずに「アカスタ」沈没点の脇を通過する。

中止していた砲撃が再開され、二隻に減った駆逐隊は突撃を続けた。

 

だがタ級は素早く目標を「アケイティーズ」に変更し、砲撃を再開する。

「アカスタ」と比べ、「アケイティーズ」は粘った。

大きく変針はしなかったが、敵弾の着弾点から離脱するように針路を微調整し、不規則なジグザグを描く。

だが、主砲弾命中は免れたが、敵副砲、高角砲の射程内に入った途端、副砲弾が「アケイティーズ」の艦橋を直撃した。

第二主砲よりも高くするため、それなりの大きさを持った艦橋が、半分以下の高さに損じる。

 

その一発を皮切りに、タ級の中小口径砲弾が次々と命中し始めた。

艦橋に寄り添っていたマストも、その背後に立っていた煙突も吹き飛ばされ、第二主砲は台座ごと海に叩き落とされる。

艦首は喫水線下まで引き裂かれ、舷側には穴が空き、第三主砲も甲板も、ひん曲がった鉄板や木片の堆積場に早変わりした。

 

「アケイティーズ」は艦首から艦尾までを黒煙が覆い隠し、行き足は完全に止まっている。

早くも艦首が海面下に没しており、艦尾はスクリューが顔を覗かせていた。

 

 

「アーデント」の艦橋にどよめきが広がる。

DDG68が再度の突撃に移ってから、まだ五分も経っていない。

その五分の間に「アカスタ」が轟沈し、「アケイティーズ」が沈没確実の被害を受けた。

タ級戦艦は、途方もなく巨大な壁だ。DDG68はそれに真正面からぶち当たり、駆逐艦二隻を瞬く間に失ったのである。

 

「艦長。後退するべきです!」

 

ローレンスが、真っ赤な顔を引きつらせながら言った。目は血迷っており、恐怖に狩られていることがわかる。声は、ほとんど絶叫のようだった。

 

「このままでは本艦も撃沈されます。反転し、確実な雷撃を実施するべきです!」

 

「なんだと貴様。僚艦三隻の死を無駄にするのか⁉︎」

 

ローレンスに食ってかかったのは、「アカスタ」竣工から乗り込んでいる先任海曹のカール・スペクター曹長だった。

階級はローレンスより下だが、歳はフェリックスと同じぐらい食っており、鬼軍曹と恐れられている。

 

「アリック中佐の判断は誤りだった。旧式駆逐艦三隻で雷撃なんて鼻から無理だったんだ!このままでは我々まで犬死する!」

 

「ここの突破を許せばすぐにラバウルだぞ!我々以外に誰がタ級の針路を変えられるんだ⁉︎」

 

「ドイツ艦隊がいる。彼らに任せればいい!このままでは死ぬんだぞ!我々が!何もなさずに!」

 

フェリックスは目を伏し、自らの両手の平を交互に見た。

そして、自問する。

 

(私は、なんのために海軍に入った?なぜこの歳まで軍に留まっている?私の一番の目的は?)

 

生きる為、家族を養うため、家族に会うこと。

それぞれの答えを出すが、フェリックスの胸中にはしこりのようなものが残っていた。

 

「僚艦の身を呈した犠牲を無駄にするのか?我々がここの距離に至ったのは、彼らが死んでくれたからなんだぞ⁉︎」

 

「あんたそんなに死にたいのか!必死と決死は違う!」

 

艦橋内を怒声が飛び交う中、一発の副砲弾が第一主砲に命中した。

艦首から艦尾までを衝撃が貫き、艦橋要員全員が転倒する。フェリックスも床に叩きつけられた。

 

(ここを逃げ出せば、私は家族に会えるのか?)

 

床に這いながら、フェリックスは再び自問する。

 

被弾衝撃の最中、脳裏にある光景が浮かんだ。

ーー崩れ落ちるビッグベン、焼けるロンドン、逃げ回る英国臣民、ブリテン島に上陸する異形、死体の数々…。

混沌に巻き込まれる家族…。

 

「………それだけは駄目だ。あいつらは、私の希望なんだ」

 

決意を滲ませながら、痛む身体を起き上がらせる。

 

ラバウルの重要性は、フェリックスも知っている。

陥落すればオーストラリアを失い、ひいてはこの戦争をも失う事。

深海棲艦が太平洋を制覇すれば、戦火はイギリス本国にも及びかねない。

家族に、魔の手がおよびかねない…。

 

 

「艦長。御決断を!」

 

フェリックスは吹っ切れた。そして覚悟した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「タ級のラバウル突入は、なんとしてでも阻止する」

 

 

 

 

第七十四話「不屈の戦い」

 




更新遅くて申し訳ない。夏をヒィーバーしすぎました。

次回も、できるだけ早く更新したいな…。頑張ります!

感想待ってます!

あと高評価をしてくださった方、「南洋海戦物語」を紹介してくださったサイトの主さん、ありがとうございました 



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第七十五話 戦艦燃ゆ


前回の続きです。



1

 

「大尉。水柱に向かえ!」

 

駆逐艦「アーデント」艦長フェリックス・アッカーソン少佐は、艦橋に仁王立ちになりながら叫んだ。

さっきまでの歪んだ顔はどこかに吹き飛び、両目には炯々たる光が灯っている。表情は闘志と自信に満ち溢れ、大声で側に立つローレンス・ジェラード航海長に指示を飛ばした。

 

「水柱に向かうんですか⁉︎」

 

ローレンスは、今にも泣きそうになりながら聞き返した。

 

それもそのはずだ。

「アーデント」は旧式駆逐艦にもかかわらず、単艦でタ級戦艦に挑もうとしている。

僚艦二隻が瞬く間に撃沈されるのを数分前に見ている艦橋要員からしたら、真っ直ぐ地獄の底を目指しているような気分であろう。

 

だが艦長のフェリックスは、敢えてその地獄に飛び込もうとしている。

彼の心情の変化を知らない艦橋要員からすれば、艦長が突然別人に変わってしまったように感じたに違いない。

それもこれも、ただ単に家族を守りたいがためであった。

 

「水柱にーーー」

 

再び命令を発しようとしたフェリックスの声を、巨弾飛翔の轟音が搔き消す。タ級戦艦との距離は近いため、刹那に着弾する。

「アーデント」の左前方の海面が大きく盛り上がり、次いで海神のトライデントのような三本の水柱が、高々と突き上がった。

 

凄まじい横なぶりの衝撃が「アーデント」に襲いかかり、鈍い唸り声を上げながら艦体が右に傾く。

右舷側の海面が手が届きそうなほど近くが、寸前で振り戻し、転覆を免れる。

スコールのような海水が降り注ぎ、艦周辺を朦気が立ち込めた。

それを突いて、「アーデント」は三十六ノットで突撃を続ける。

 

「水柱に向かえ、急げ!」

 

フェリックスは今一度叫んだ。

 

「と、取舵一杯。針路280度!」

 

ローレンスは舌をもつれさせながらも、操舵室に命令を伝える。

 

水柱に向かう判断は、一見すると自ら当たりに行っているように思えるが、「敵は、一度狙ったところに弾を落とさない。タ級は、弾着修正のために必ず別のところを狙う」とフェリックスは睨んだのだ。

 

巨弾の着弾によって撹拌された海面を、「アーデント」は突き進む。

 

再び、敵主砲弾が飛来する。

甲高い飛翔音を立てながら飛来した敵弾は、「アーデント」の右前方百五十メートルに落下した。

海面下に閃光が走り、先と同じく、見上げんばかりの水柱が突き上がった。鈍い衝撃が駆逐艦の小柄な艦体を震わせ、掴みかかるように海水が降り注ぐ。

 

「面舵一杯!」

 

右手に噴き上がった水柱を見ながら、フェリックスは大音響で操舵室に繋がる伝声管に怒鳴り込んだ。

素早く舵輪が回され、「アーデント」の艦首は右にへと振られる。

正面に見えていたタ級戦艦の影が左に移動し、代わりに崩れかかった水柱が視界内を占める。

 

「敵艦発砲…!」

 

そのタ級戦艦の艦上に「アーデント」に向けられて三度目になる発射炎が光る。

前後に振り分けられた三基の主砲、滑らかに艦首へと反り上がった艦体、中央よりやや下がった位置にある箱型の艦橋。それらが刹那のうちに浮かび上がり、ニューアイルランド島南岸までも照らし出す。

 

この射弾は、やや離れたところに着弾した。

「アーデント」後方二百メートルの海面を切り裂き、水柱を奔騰させる。

波浪によって「アーデント」は前のめるが、衝撃は明らかに少ない。

 

さらに次の射弾でも同様である。敵の主砲は「アーデント」を捕捉しきれてなく、その巨弾が旧式駆逐艦の艦体を抉ることはない。

取舵面舵の不規則な転舵が、敵の照準を狂わせたのだ。

 

「いけるぞ…!」

 

フェリックスは、自分の目論見通りに事が進んでいること確認し、歓声を上げた。

タ級の主砲は、「水柱に向かう」「敢えて着弾点に向かう」という不規則な軌道を描く「アーデント」を捉えられない。

瞬く間にDDG68の僚艦二隻を葬り去ったタ級の射弾は、主砲、副砲問わず、ひたすら海面を叩くだけであった。

 

「距離は?」

 

「四千二百ヤード!」

 

喧騒の中、フェリックスの問いにガイア砲術長は即答する。

それを聞いて、フェリックスは軽く舌打ちをした。突撃を開始してから半分近く距離が詰まっているが、まだ遠い。

「アーデント」はタ級戦艦の左後方から追いすがるような針路なため、相対速度が遅く、思うように近づけないのだ。

 

(前進あるのみだ!)

 

フェリックスは被りを振り、自らに言い聞かせる。

それに応えるように、「アーデント」は砲火の中を突き進む。

タ級戦艦は、上部構造物側面に多数の副砲を搭載しているようだ。それが日本戦艦のような舷側砲なのか、米新鋭戦艦のような両用砲なのか、はたまたそれらが混合しているのかは不明だが、絶えず発砲し、「アーデント」周辺に小さい、だが多くの水柱を奔騰させている。

 

その副砲弾が、艦橋右をかすめて後方に過ぎ去る。

衝撃波によって艦橋が小刻みに震え、風圧が窓ガラスを叩き割った。

艦橋内をガラス片が舞い、握りこぶしほどもある破片がフェリックスの右頬を抉る。

鋭い痛みが走るが、フェリックスは意に返さない。

 

正面に見えるタ級を見据え、回避する艦に身を委ねる。

 

「アーデント」は、一種のドラムに化したかのように敵弾に叩かれ続けた。

 

機関は最大戦速を発揮し、艦をつかさどる艦橋も、操舵室も、肝心の魚雷発射管も無事である。

だが、距離が詰まるにつれて副砲弾は一発、また一発と艦体に命中し始める。

副砲弾とはいえ、今の「アーデント」には荷が重い。

たやすく構造物を吹き飛ばし、破片を四散させ、火災を起こしていく。

海面に着弾するタ級の巨弾は、艦底部から爆圧を突き上げさせ、駆逐艦の艦体を数メートル持ち上げる。

今や「アーデント」は、上下から滅多打ちにされていた。

 

それでも、待望の報告が届く。

 

「距離二千(ヤード)!」

 

「取舵!射線が通ったと同時に魚雷発射だ!!」

 

ガイヤ砲術長の絶叫に近い声を聞き、フェリックスは意を決して命じた。

タ級戦艦の姿は、突撃を開始した時よりも数段大きく見える。「アーデント」は、タ級戦艦の懐に飛び込んだのだ。

 

「取舵一杯。取舵一杯。取舵いっぱぁーい!これでさいごだぁぁぁ!」

 

ローレンス航海長が、床に崩れながらも伝声管にしがみつき、大声で命じる。

 

やや置いて、満身創痍の「アーデント」は左舷への回頭を開始した。

 

左を見ても、右を見ても、水柱が見えている。

凄まじい勢いで煮え滾る海面を切り裂きながら、「アーデント」は左へと曲がっていく。

タ級の姿が右へと流れ、右舷側を向いて雷撃に備えていた四連装魚雷発射管から、五十三.三センチ魚雷が海中に放たれた。

 

「行け。奴の土手っ腹に、大穴を開けてやれ!」

 

命中を確信したフェリックスは、タ級戦艦の巨大な艦影を睨みつけながら言葉を投げる。

 

刹那。その艦上に今までにない閃光が走った。

一軒家はあろうかと言う大きさの火焔が湧き出し、「アーデント」に向かって硝煙が噴出する。

顔面に松明がかざされたような熱気に、フェリックスは顔をしかめた。

最後の最後に至って、タ級は「アーデント」に対して、ゼロにも等しい距離から主砲斉射を見舞ったのだ。

 

至近距離からの発砲なため、目が眩む閃光が艦橋に差し込む。

だが、フェリックスははっきりと見た。全部で九つの黒い影が、光を背後に急速に迫る様を。

 

それを四十センチ砲弾だと気付いた刹那、けたたましい破壊音が耳をつんざく。

「アーデント」のどこに命中したか分からない。一瞬のうちに視界を白光が包み込み、ありとあらゆる全てのものが掻き消えた。

 

 

(ハンナ…エド。悪いな…生きて帰れそうにない)

 

 

フェリックスは死を悟り、目を伏せる。

 

 

妻子の姿が焔の只中に見えた直後。灼熱の紅蓮がフェリックスの身体を焼き尽くした。

 

 

 

 

 

 

2

 

「タ級、魚雷回避の為取舵。ラバウルへの針路から逸れました」

 

その報告が「レパルス」艦橋に届くや否や、艦橋内に詰めている将兵達は一斉に歓声を上げた。

タ級戦艦は、もう一息でセントジョージ海峡に突入するところだった。

だが、海峡直前で魚雷攻撃に遭い、回避行動を余儀なくされたのだ。タ級が魚雷を回避するには、海峡とは逆の方向に転舵しなければならない。

 

「砲撃、一時中止」

 

巡洋戦艦「レパルス」艦長のウィリアム・テナント大佐は、腕を組み、厳しい表情で右前方ーーータ級戦艦を見つめている。

 

 

「レパルス」は海戦初頭に270度に変針してから敵巡洋艦を目標に砲撃を行い、ツ級と思われる敵艦一隻を撃沈した。

DDG68が二度目の突撃に移ってからはタ級を射撃目標に据え、三十八センチ砲弾五発の命中を確認している。

タ級戦艦には、軽巡部隊の生き残りである「ベルファスト」も砲撃を実施しており、同艦は「レパルス」の三倍である十五発の直撃弾を得ていた。

 

だが、タ級は意に返さなかった。

「レパルス」と「ベルファスト」がいくら攻撃しても、速力が落ちることも、火力が低下することもない。

タ級は二隻には目もくれず、ひたすら海峡を目指していたのだ。

 

テナントは、半ば諦めかけていた。

「レパルス」はタ級よりも速力が遅く、それの後方を追撃している以上、永遠に追いつくことができない。

このままラバウルは蹂躙されてしまうのか…。ドイツ艦隊に託すしか無いのか…と。

 

だが、DDG68四番艦「アーデント」の決死の雷撃によってタ級は回避を余儀なくされ、「レパルス」「ベルファスト」の目前に引きずり出されようとしている。

タ級の前方を進んでいた二隻の重巡も「ハーマイオニー」「ボナヴェンチャー」が片付けているため、このタ級さえ沈めてしまえば、敵艦隊の大型艦は全滅だ。

そうなれば、ラバウル防衛は達成できる。

 

「敵戦艦に魚雷命中!」

 

その時、新たな吉報が飛び込んだ。

 

テナントは、反射的にタ級戦艦に目をやった。

「レパルス」に勝るとも劣らない巨体の中央に、巨大な水柱が奔騰さている様が、テナントの目を射た。

 

「やったぞ…!」

 

カーチス航海長が歓喜し、子供のようにガッツポーズをする。

 

水柱は艦橋の高さをはるかに超え、頭上で崩れ、大量の海水をタ級に振りかける。水柱の崩壊とすれ違うかのように、被雷箇所から火柱が爆発的に膨れ上がった。

タ級の艦影が克明に浮かび上がり、長大な体が戦慄いた。

 

「タ級が…燃えている」

 

テナントは呟いた。

海戦開始以来、どのような攻撃にも悠然と耐えていたタ級が、初めて苦悶しているようだった。

 

「敵戦艦、速力低下!」

 

「タ級、直進に戻ります!」

 

レーダーマンと見張員の報告が、立て続けに上がる。

 

「本艦、射撃再開。速力の低下に注意せよ」

 

テナントは目前まで迫った勝利の興奮を押し殺しながら、凛とした声で命じた。

 

「了解。射撃目標、右前方の敵戦艦。速力の低下に注意します」

 

砲術長のアーネスト・アーチャー中佐の復唱が届き、主砲の砲身が少し下がる。

 

「“シーワード1”より入電。“我、敵戦艦攻撃二加ワル”」

 

「『ベルファスト』より入電。“目標、タ級。射撃準備完了”」

 

「本艦、砲撃準備完了」

 

手負いのタ級は、巡洋艦三隻、巡戦一隻に囲まれている。

テナントは、大音響で艦隊内電話に怒鳴り込んだ。

 

「全艦、射撃開始。奴に引導を渡してやれ!」

 

 

無数の発砲音が、海上にこだまする。

 

 

 

 

 

第七十五話 戦艦燃ゆ

 





タ級強すぎぃ!

感想待ってます。次回はドイツ艦隊の回だと思います。


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第七十六話 独艦奮闘機動烈火海峡 : 上





決戦機動増殖都市風に


 

1

 

E2部隊がニューアイルランド島沖で死闘を繰り広げている頃。

 

ニューブリテン島とニューアイルランド島を分かつセント・ジョージ海峡の中央で、ドイツ海軍ラバウル戦闘群は敵に備えて遊弋待機をしていた。

 

「プリンツ・オイゲン」「シャルンホルスト」「アドミラル・グラーフ・シュペー」「アドミラル・シューア」の順で単縦陣を組んでおり、針路は270度。海峡に蓋をするような針路を描いている。

 

ラバウルないしカビエンを目指して海峡を北進する敵艦隊に対して、T字を描けるようにしているのだ。

 

最初は、平穏そのものだった。

 

東南東の水平線では稲光のような閃光が絶えず走り、遠雷のような砲声が殷々と響いていたが、セント・ジョージ海峡に突入してくる敵艦は一隻もおらず、大型艦四隻は東西のピストン運動を繰り返した。

 

各艦の乗組員は緊張した面持ちで戦いの水平線に目をやり、長大な主砲は南を睨み続けるが、深海棲艦隊がイギリス艦隊を突破して海峡に突入して来ることはない。

 

「来ぬか」

 

隊列先頭に立つ重巡ーー「プリンツ・オイゲン」艦長のオットー・マティス大佐は、敵艦が来るかもしれないであろうセント・ジョージ海峡の入り口を見やった。

敵艦隊には四十センチ砲搭載艦がいるようだが、イギリス艦隊はよく食い止めているのだろう。敵艦隊が姿を現わす様子はない。

 

「深海棲艦との戦いを恐れはしませんが…できれば来て欲しくはありませんな。本艦のコンディションは、決して良いものではありませんから」

 

航海長のフーベルト・バイルシュミット中佐が、双眼鏡を左舷にむけ、不安そうに言う。

それを聞いて、オットーは前部甲板に鎮座する主砲に視線を移した。

 

「プリンツ・オイゲン」は昨日まで、オーストラリア大陸北部戦線の最前線である町ーーーカーペンタリアの艦砲射撃任務についていた。

単艦での陸軍支援を三日間に渡って実施したため、主砲の二十.三センチ砲にしろ十.五センチ高角砲にしろ消耗が激しく、砲弾残数も少ない。

主砲に至ってはアウグスト・ボルマン砲術長曰く、「摩耗が激しく、砲身寿命が限界に来ています」とのことだった。

それだけではない。

二日目の艦砲射撃では敵機の反撃に遭い、中央上部構造物の右側に爆弾を受けている。

 

これから戦艦を含む敵艦隊と戦うかもしれない…と考えると、かなり不安になる状態だ。

 

「それでも…やるしかあるまい。我がドイツ海軍が派遣できる最良の水上砲戦部隊が、我々なのだからな」

 

オットーは半ば自分に言い聞かせるように言った。

 

 

フーベルトの危惧は、数分後に現実のものとなる。

 

 

「『シャルンホルスト』より発光信号。“RK、針路180度。速力二十八ノット”」

 

「何?」

 

見張員の報告に、オットーは首を傾げた。

「RK」とは、ラバウル戦闘群(Rabaul Kampfgruppe)を示している。戦闘群の指揮を取る「シャルンホルスト」艦長のハンス・ラングスドルフ少将は、今までの遊弋待機を中止し、艦隊を南へ移動させるようだ。

 

「フーベルト」

 

オットーがフーベルトに軽く目配せすると、フーベルトは指示を発した。

 

「取舵。針路180度。変針後、速力二十八ノットに増速せよ」

 

今まで東西のピストン運動しかしてこなかった羅針艦橋、操舵室が、少しの喧騒を増す。

 

「取舵90度。宜候」

 

数十秒の間を開けて、全長二百十六メートル全幅二十二メートルの艦体が、左にへと艦首を振る。

真正面に見えていたニューブリテン島の稜線が右に流れ、同島最東端のガゼル岬を右に望む針路へと移行する

 

「『シャルンホルスト』転舵。『グラーフ・シュペー』転舵」

 

後続艦の状況がリアルタイムで届き、隊列の針路が西から南に移ったことを伝える。

「プリンツ・オイゲン」の鋭い艦首が真南を向いた時、機関の鼓動が高鳴る様が、足の裏を通じて感じ取れた。

 

「増速します」

 

風切り音が増し、「プリンツ・オイゲン」は巡航速度から二十八ノットに加速した。

本来なら三十三ノットを発揮できる艦だが、今回はドイッチュラント級と隊列を組んでいるため、それに合わせ形である。

 

「敵艦隊でしょうか?」

 

変針指揮を終えたフーベルトが、不安げに聞いてくる。

 

「まだ分からん」

 

オットーは短く返した。

イギリス艦隊と敵艦隊は依然戦闘中だが、こちらに近づいて来ている様子はない。

「国籍別の艦隊が事前調整もなく夜戦を戦うのは、同士討ちの危険が高い」としてラバウル戦闘群はイギリス艦隊と距離を置いたが、指揮官のラングスドルフ少将はそれを覆し、イギリス艦隊の支援に向かうのつもりなのだろうか?

 

「『シャルンホルスト』より入電です」

 

通信士が艦橋に上がってくる。

読め、とフーベルトが通信士に顎で示す。

 

「読みます。“敵戦艦、ニューブリテン島沿岸ヲ北上中トノ通報アリ。RKハ此レヲ邀撃。殲滅セントス”です!」

 

「イギリス軍の航空攻撃は失敗していたか…」

 

艦橋内にどよめきが広がるが、オットーは冷静だった。

 

今日の日没前。イギリス海軍の空母艦載雷撃機が敵艦隊に対して空襲を実施しており、戦艦一隻に魚雷数本を命中させて撃破したという。

だが、それは誤認だった。

深海棲艦隊のタ級戦艦二隻は依然健在であり、敵は艦隊を二分し、一隊でE2部隊を引きつけ、もう一隊でガラ空きのラバウルを攻撃する腹づもりだったに違いない。

 

E2部隊が敵主隊と戦闘になっても別働隊が現れなかったのは、ソロモン海を大幅に迂回していたからだろう。

タ級戦艦の機動力と速力ならば、迂回など訳はなかったようだ。

 

「まさか…艦隊を二分していたとは」

 

フーベルトが気の抜けた声を出す。

戦闘の生起が確実となり、「プリンツ・オイゲン」がしっかりと戦えるだろうか…と考えているようだ。

 

「我々にとって敵戦艦が二隻とも健在ということは大きな誤算だったが、それは敵に対しても同じだ」

 

オットーはそこで言葉を切り、フーベルトの肩に手を置いた。

 

「敵も我々がいるとは思っていまい。E2部隊を牽制して事足りていると考えている敵の慢心を利用すれば、必ず勝てるさ」

 

フーベルトはなにも言わなかったが、力強く頷いた。

 

「『シャルンホルスト』より信号。“敵位置、ワイド湾ヨリノ方位160度。敵針路15度。沿岸トノ距離、十一浬”」

 

「再度信号です。“敵艦隊、タ級戦艦一。補助艦艇ハ確認出来ズ。速力三十ノット以上”」

 

恐らく、ニューブリテン島の地上部隊からの通信を転送しているのだろう。「シャルンホルスト」が敵戦艦北上を察知したのも、地上部隊からの通報からかもしれない。

 

(敵はワイド湾に差し掛かったあたりか)

 

オットーは、脳裏に海図を描いた。

ニューブリテン島は、南西から北東にかけて北にカーブするような輪郭をしており、ラバウルはその北端付近に位置している。

ワイド湾は同島南東部にある湾であり、ラバウルからの距離は決して遠いとは言えない。

 

ラングスドルフはそれに鑑み、出来るだけラバウルから離れた海域での迎撃を決定したのだろう。

 

(かかってこい。深海棲艦)

 

正面海域は、マッチ一本ほどの光も見えない。

頭上には南半球の溢れんばかりの星々が輝き、戦闘群右舷には巨大なニューブリテン島の海岸がぼんやりと見えている。

オットーは、敵が近づいているであろう正面海域を凝視し、まだ見ぬタ級戦艦に対して言った。

 

「イギリス艦隊を封じ込めたからって、簡単にラバウルを攻撃できると思うなよ。我々の目が黒いうちは、指一本触れさせん」

 

味方は二十八ノット、敵は三十ノット以上で、双方が近づき合っている。接敵は近い。

暗黒の海域からは、近づいてくる敵の気配をひしひしと感じることができた。

 

 

2

 

「『プリンツ・オイゲン』より信号。“敵艦見ユ。本艦ヨリノ方位320度。距離一万。敵ハ戦艦タ級ナリ”!」

 

南下を開始してから十五分後。

「シャルンホルスト」の艦橋から、「プリンツ・オイゲン」艦橋に発光信号の閃光が瞬く様が見てとれた。

信号は、敵がタ級戦艦であること、距離が一万メートルであること、戦闘群の左前方を進撃していることを伝えている。

 

「戦闘群針路90度。右砲戦、目標敵戦艦。全艦、夜戦に備え」

 

接敵を把握した同戦艦艦長兼ラバウル戦闘群指揮官のハンス・ラングスドルフ少将は、凛とした声で矢継ぎ早に命じる。

 

「命令了解。取舵一杯、針路90度。『プリンツ・オイゲン』回頭点の手前で変針」

 

「主砲、右砲戦。射撃目標敵戦艦。測的開始します」

 

艦長の指示を受け、航海長のツェーザル・キッシンジャー中佐、砲術長のエルンスト・グロックラー中佐が各部署に命令を飛ばす。

 

眼下の二十八センチ三連装砲二基が砲身仰角を上げつつ右に旋回し、前方を進む「プリンツ・オイゲン」の薄っすらとした影が左への回頭を開始した。

やや置いて、「シャルンホルスト」もその鋭利な艦首を左へ振り、「プリンツ・オイゲン」を追って針路90度ーーー真東へと向ける。

後続するポケット戦艦二隻も転舵し、ラバウル戦闘群は敵戦艦の正面を左から右へ横切る針路へと移った。

 

「後続艦、どうか?」

 

キッシンジャーが後部見張員に聞く。

 

「『グラーフ・シュペー』が軸線上から右に逸れています。『シューア』は正常」

 

「『プリンツ・オイゲン』も右にずれてますな」

 

ラバウル戦闘群は、ラバウル防衛のため臨時に編成された部隊である。初めて単縦陣を組んだ艦もあるため、変針によって隊列が少し崩れてしまったようだ。

 

「構わんさ」

 

ラングスドルフはたかをくくった。

敵は戦艦一隻のみである。駆逐艦や巡洋艦がいないのなら、少し隊列が乱れていても問題はない。

もしかしたら、敵戦艦が目標選定を迷う分有利かもしれない。

 

「砲撃準備完了」

 

グロックラーが落ち着いた声で報告した。

「シャルンホルスト」は前部二基、後部一基の主砲の発射準備を整えたようだ。

「シャルンホルスト」がそうなら、他の三隻も同様だろう。

 

「“RK”。射撃開始」

 

ラングスドルフは気負ったところを見せずに下令した。

刹那、各砲塔の一番砲身から真っ赤な火焔が躍り出し、直径二十八センチ、重量三百十五キロの徹甲弾三発が発射された。

 

戦艦に搭載される砲としてはかなり小口径に分類されるが、足元に落雷したかのような鋭い轟音が耳をつんざき、固形化した空気がラングスドルフの身体を突き上げる。

全長二百三十五メートル、基準排水量三万二千トンの艦体が発砲の衝撃を受け止めて震え、水兵によってピカピカに磨かれていた甲板を爆風が駆け抜けた。

 

残響が湿った空気に消える中、前方を進む「プリンツ・オイゲン」も二十センチ砲を発砲し、後続のドイッチュラント級二隻も「シャルンホルスト」と同様二十八センチ砲を放つ。

前後から頼もしい砲声が届き、視界内に捉えている「プリンツ・オイゲン」の後ろ姿が逆光で浮かび上がった。

 

放たれた二十八センチ砲弾七発、二十センチ砲弾四発の計十一発は、低い放物線を描きながら一万メートルをひとっ飛びし、タ級戦艦に殺到する。

だが、この砲弾群が敵戦艦を捉えることはなかった。

 

「敵戦艦、面舵!」

 

レーダー員が敵情を知らせる。

今まで逆探知を恐れて稼働させていなかった対水上レーダーだが、数分前から探知を開始している。

レーダーの反射波が、敵戦艦の動向を感知したようだ。

 

四隻から発射された十一発は敵戦艦が直進する前提で放たれたもののため、狙いを外され、敵戦艦の左後方に落下する。

はっきりとは見えないものの、水平線の手前に白いモヤが盛り上がる様が、複数見てとれた。

 

「敵艦同航。本艦の右後方…距離九千!」

 

レーダー員が新たな情報を知らせる。

 

(敵は我々を脅威と取ったか…)

 

報告を聞いて、ラングスドルフは呟いた。

タ級はラバウル戦闘群を強引に突破するわけでもなく、正面対決の同航戦に持ち込んできた。

戦闘群が健在である限り、ラバウルへの艦砲射撃は不可能だと判断したのだろう。戦闘群を壊滅させた後、ゆっくりと基地設備を叩くつもりのようだ。

 

「舐められたものですな」

 

ラングスドルフと同じ考えに至ったキッシンジャーが苦笑した。

 

「個艦の性能では劣りますが、こちらは四隻です。短時間で壊滅させられる筈がありません」

 

それに対してラングスドルフが口を開きかけた時、右後方の海域を瞬光が包み込む。周囲の星々の光が薙ぎ払われ、巨大な火焔が敵艦上にほとばしった。

 

「敵艦発砲!」

 

見張員が絶叫を上げた刹那、「シャルンホルスト」に砲声が届き、遠雷のような音が響き渡る。

次いで大気が鳴動し始め、名状しがたい圧迫感を持つ飛翔音が聞こえ始めた。

艦橋内の空気が小刻みに震え、音は瞬く間に増大する。

 

(狙いは本艦か)

 

ラングスドルフは増大する飛翔音を聞き、敵の砲撃目標を悟った。

重々しい飛翔音によって全ての音が掻き消され、堪え難い音量まで上がった刹那、それは唐突に止む。

「シャルンホルスト」の右舷側に三本の水柱が奔騰し、頂きはマストを超えて遥かな高さまで突き上がった。

艦底部から水中爆発の爆圧が突き上げ、波浪によって艦が動揺する。

 

「深海棲艦も目が高い」

 

水柱を見つめながら、ラングスドルフは口角を吊り上げた。

ラバウル戦闘群の中で、「シャルンホルスト」は最も強力な艦である。タ級戦艦はそれを見抜き、それを優先して撃破しようしているのだ。

恐らく、レーダー反射波の一番大きい艦を一番強力な艦と考え、目標を選んだのだろう。

 

「艦長…!」

 

キッシンジャーが顔をひきつらせる。

各艦の射撃指揮所が再測的に勤しんでいる中、変針後の発砲はタ級戦艦が先手を取ったのだ。しかも目標は自艦と来ている。

そのことに、少しの不安を感じたようだ。

 

「案ずるな、航海長」

 

ラングスドルフはたしなめるように言う。

今の状況は、ラングスドルフにとって概ねプラン通りであった。

 

タ級の射弾が飛来してから二十秒後、再測的を終えた「シャルンホルスト」は二度目の射撃を実施する。

各砲台の二番砲身が咆哮し、真っ赤な火焔と二十八センチ弾三発を、九千メートル先の目標に向けて叩き出した。

 

前方を進む「プリンツ・オイゲン」が続けて発砲し、後続の「グラーフ・シュペー」「アドミラル・シューア」も遅れじと第二射を撃つ。

後者二隻の砲声は、第一射より倍以上も大きい。

ドイッチュラント級装甲艦は通商破壊を目的で建造されたため、搭載主砲の直径は二十八センチとシャルンホルスト級に劣らないものの、搭載数は三連装二基のみである。

交互撃ち方では二発しか発射できず、弾着修正に手こずってしまうかもしれないのだ。

両艦の艦長はそれに鑑み、第二射から斉射に切り替えたのだろう。

 

四隻のドイツ艦から放たれた射弾は高空を矢なりに通過し、やがて着弾する。

艦橋から、九千メートル先の物体を視認することはできない。

水柱にしろ敵戦艦にしろ、「白くもやもやとした影」としか表現できない状態である。下手をすると、闇に溶け込んで見えなくなってしまう。

さながら、幽霊と戦っているような感覚であった。

 

だが、タ級が第二射を撃ち、無骨な艦影をさらけ出す瞬間、それが紛れもなく戦艦であることを認識させられる。

 

敵の巨弾を受ければ甚大な被害を被り、逆に砲弾を撃ち込めばダメージを与えられる。深海棲艦は海の亡霊であると言う主張もあるが、明らかに実体対実体の戦いであった。

 

タ級の第二射弾が着弾する直前、「シャルンホルスト」は第三射を撃つ。

三たびの閃光、轟音、衝撃が艦橋に襲いかかり、五十四.五口径という長砲身から砲弾が撃ち出された。

シャルンホルスト級から新生ドイツ海軍の大型艦に採用され始めた低い構造物に円筒という特徴的な艦橋が、発射炎によって照らし出される。

 

直後、「シャルンホルスト」と「プリンツ・オイゲン」を結んだ線上に、敵弾が吸い込まれた。

爆圧が艦底を突き上げ、真正面に三本の水柱がそそり立ち、アドミラル・ビッパー級重巡の姿を完全に遮る。

アトランティック・バウの艦首が水柱の一つを突き崩し、大量の海水が前部甲板と第一砲塔、第二砲塔に降り注いだ。

 

艦体を上下に揺さぶられながらも、「シャルンホルスト」は第四射を撃ち、第五射を撃つ。

「シャルンホルスト」の搭載主砲は打撃力に欠けるものの、砲弾重量が軽いため、装填時間はわずか十七秒である。

その速射力に物を言わせ、タ級戦艦が三回目の射撃を実施する前に「シャルンホルスト」は五回の射撃を行ったのだ。

 

第五射弾の三発が空中にある内に、タ級戦艦が第三射を放つ。

三度目の…あたかも稲光のような光が「シャルンホルスト」よりも一回り大きい艦体を照らし、三基の主砲、箱型の艦橋を浮かび上がらせた。

 

聞きたくも無い轟音が鳴りひびき、巨弾が落下してくる。

飛翔音は「シャルンホルスト」の頭上を右から左へ飛び越し、艦橋の真横に着弾した。

三本の水柱のうち二本が舷側をかすめ、水柱に押しのけられるようにして「シャルンホルスト」は右に傾く。

大量の海水が滝のように降り注ぎ、艦橋周辺は濛気に包まれた。

 

敵弾は「シャルンホルスト」から五十メートルと離れていない箇所に二発が落下した。

少しでも右にずれていたら艦橋を爆砕されていたかもしれない。そう思えるほど危険な位置だったのだ。

 

(そろそろか…)

 

ラングスドルフは崩れゆく水柱と時計を交互に見、そして命令を発した。

 

「『アドミラル・グラーフ・シュペー』に信号。“探照灯、照射セヨ”」

 

「本艦、砲撃中止。これより『シャルンホルスト』は、敵弾の回避に専念する!」

 

 

 

 

第七十六話 独艦奮闘機動烈火海峡 : 上





上と書いている通り、ドイツ艦の奮闘は次回に続きます!


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第七十七話 独艦奮闘機動烈火海峡 : 中


チャールズ・マケイン著の「猛き海狼」を読んで、アドミラル・グラーフ・シュペーとラングスドルフ艦長を好きになりました。
皆さんも是非読んでみては?


1

 

「面舵15度!」

 

「『グラーフ・シュペー』探照灯、照射開始しました!」

 

見張員からの報告を聞き、ラングスドルフはちらりと後方を見やる。

死角のため「グラーフ・シュペー」の姿は見えなかったが、右側に向けて伸びる光芒を確認することができた。

光芒はとてつもなく長く、右後方を同航するタ級戦艦の姿を照らし出している。

吊光弾や星弾とは比べものにならない光量である。射撃精度は大幅に向上するであろう。

 

そのタ級戦艦の艦上に発砲炎がほとばしり、一瞬だけ探照灯よりもくっきりとその艦影をさらけ出す。星々の光が薙ぎ払われ、周囲が昼間と化した。

やがて大気が鳴動しはじめ、巨弾三発が音速を超える速度で落下してくる。

敵弾が着弾する直前、「シャルンホルスト」は15度右へ艦首を振った。

艦体が左に傾き、タ級戦艦へ近づく針路に移る。

巨弾は、回頭する艦の頭上を右から左へ飛び越し、左正横二百メートルに着弾した。

 

「回避成功!」

 

「取舵30度」

 

キッシンジャー航海長の弾んだ声を尻目に、ラングスドルフは新たな針路を命じる。

今の着弾を見て、タ級戦艦は弾着位置を手前に修正するだろう。

それを見越して「シャルンホルスト」は距離を置き、敵弾を空振りにさせるのである。

右へ振った艦首が、今度は左に振られる。

右後方のタ級戦艦が死角に入り、「シャルンホルスト」は離脱するような針路を取った。

敵戦艦が発砲する。案の定、飛来した敵弾は「シャルンホルスト」の右正横に着弾し、水柱を奔騰させた。

水柱との距離は遠く、艦底部から突き上げる爆圧は小さい。

 

「面舵30度」

 

「取舵15度」

 

ラングスドルフは、冷静さを保ちながら淡々と命じる。

「シャルンホルスト」はラングスドルフの指示する針路の通りに動き、右に左にと小刻みに舵を切る。

至近距離に着弾するものもあるが、飛来する四十センチ砲弾が、「シャルンホルスト」の舷側に大穴を穿つことも、メインマストを吹き飛ばすことも、主砲を爆砕することもない。

飛来する敵弾を、「シャルンホルスト」は的確な操艦で回避し続けていた。

 

ラバウル戦闘群は四隻。敵艦は一隻。

タ級はドイツ艦四隻よりも火力、防御力共に上であるが、一隻しかいない。

ドイツ艦は単艦ではタ級に太刀打ちできないものの、手数がある。

ラングスドルフの作戦はこれらのパワーバランス鑑みつつ、ラバウル戦闘群の手数を有効に、そして最大限活用したものであった。

 

敵艦は一隻のため、砲撃できる艦は四隻中一隻のみである。

戦闘群の中でタ級戦艦の砲撃を受けた艦は砲撃を中止し、回避運動、及び敵艦の砲撃吸収を行う。

一隻がタ級の四十センチ砲を引き付けている間に、残り三隻は探照灯の光の下、敵戦艦に高精度の集中砲火を浴びせるのだ。

もしも敵戦艦が囮艦の砲撃に埒があかないと見て他の艦に目標を変更した場合、新たに砲撃された艦が囮艦を引き継ぎ、今まで囮艦だった艦は集中砲火に加わる。

四隻で攻撃吸収艦、探照灯照射艦、集中砲火艦の三役割をローテーションし、こちらの損害を最小限にしつつ、タ級戦艦に被害を与え続けるのである。

 

唯一の懸念は、二十八センチ砲や二十センチ砲ではタ級戦艦に決定打を与えることができない、という点だ。

今に始まったことではないが、タ級は強靭な防御力を持っている。

“KD”作戦の最終局面である第三次ルソン島沖海戦の折、タ級戦艦一隻に対して盟邦イギリスの「フッド」「プリンス・オブ・ウェールズ」が挑んだが、タ級は「コロラド」を撃沈し、「プリンス・オブ・ウェールズ」の第三砲塔を叩き割って中破させしめた。

最終的には三十発以上の三十八センチ、三十六センチ砲弾を撃ち込まれてマニラ沖に沈んだが、タ級戦艦が人類の戦艦部隊にとって侮り難い敵である、という印象を骨の髄まで植え付けている。

 

だが、ラングスドルフは焦慮感など少しも感じていなかった。

ラバウル戦闘群の目標は、ラバウル・カビエンの防衛である。タ級戦艦の搭載砲弾数が艦砲射撃に必要な数以下になるまで撃たせれば、それで十分だと考えていたのだ。

 

ーーーラングスドルフは「シャルンホルスト」に囮艦の役割を果たさせるため、敵戦艦の着弾修正の裏をかく針路を指示し続ける。

 

「命中!」

 

計五回の不規則な回避を終え、敵艦の第七射にまで耐えた時、見張員の歓声が艦橋に飛び込んだ。

ラングスドルフは、咄嗟に右後方を向いた。

タ級戦艦の後部あたりに、小さい二つの火が灯っている。

第三砲塔を照らしており、海上の突風に煽られてゆらゆらと揺らめいていた。

そのさらに後部……艦尾付近に、新たな爆炎が躍る。

小さい破片が大量に舞い上がり、一際巨大な火焔が湧き上がった。

 

「いいぞ!」

 

その光景を見て、ラングスドルフはキッシンジャーと頷きあう。戦闘開始以来、常に仏頂面だった表情は破顔し、子供のような笑みを浮かべていた。

どの艦か分からないが、立て続けに二隻が命中弾を得。うち一隻は何らかの可燃物に直撃させ、大規模な火災を発生させたのだ。

敵を食い止めればそれで良い、と割り切っていたラングスドルフだが、新生ドイツ海軍の初陣でタ級戦艦に一太刀浴びせられたことに、大きな喜びを感じていた。

 

「直撃弾を得たのは『プリンツ・オイゲン』と『アドミラル・シューア』です」

 

砲撃中止を命令され、暇をもてあそんでいるであろう砲術長のエルンスト・グロックラー中佐が報告する。

重巡と装甲艦一隻ずつが、命中弾を得たのだ。本艦も射撃に加わりたい、と言いたげだった。

 

「敵艦が沈黙しています」

 

その時、キッシンジャーが報告した。

それを聞いて、ラングスドルフはタ級戦艦に双眼鏡を向ける。

タ級が発砲しない。いくら待っても、その艦上に発射炎が躍ることは無い。

三十から四十秒ごとに落下していた四十センチ砲弾が、なりを潜めている。

先の被弾が、タ級戦艦に打撃を与えたとは考えにくいが…。

 

(となると…)

 

ラングスドルフは次に来る一手を予想し、火焔に照らされたタ級戦艦を見つめ続けた。

二分後。その艦上に、この日何度目かとなる発砲炎が走った。

発射された三発の四十センチ砲弾は「シャルンホルスト」に飛来せず、その背後…「アドミラル・グラーフ・シュペー」の周囲に落下する。

 

「『グラーフ・シュペー』至近弾!」

 

タ級戦艦は、巧みな回避を続ける「シャルンホルスト」を砲撃しても、効果は薄いと考えたのだろう。

探照灯で自らの姿を浮かび上がらせ、かつ回避を行なっていない「グラーフ・シュペー」に目標を変更したのだ。

二分間の空白は、新目標である「グラーフ・シュペー」への測的を実施していたからかもしれない。

 

「『グラーフ・シュペー』に打電。“サーチライト照射中止。敵弾ヲ回避セヨ”」

 

「本艦、回避運動中止。砲撃再開。忍従の時は終わりだ。存分にやれ」

 

ラングスドルフは、力強く二つの命令を発した。

今まで右に左にと不規則に回避していた艦体が直進し、向いている方向がバラバラだった三基の主砲が、敵戦艦に照準する。

敵が射撃目標を変更したため、「シャルンホルスト」は回避を中止し、「プリンツ・オイゲン」「アドミラル・シューア」と共に砲撃を実施するのだ。

囮艦の役割は、「グラーフ・シュペー」に引き継がれたのである。

 

「『グラーフ・シュペー』照射中止。回避運動に移ります」

 

敵戦艦に伸びていた一筋の光が消え、「グラーフ・シュペー」は暗闇に包まれる。

その反面、タ級戦艦はその姿を海上に留めていた。

艦尾から発生する火災が鎮火しておらず、姿を浮かび上がらせているのである。

探照灯の光は、もう必要なさそうだ。

 

「砲撃を再開します」

 

グロックラーが興奮気味の声で報告する。

砲術長の身で、乗艦がただただ回避に専念するだけというのは相当なストレスがあったに違いない。

それから解放されたことで、声に活気が戻ったような気がした。

 

「撃て!」

 

号令一下、砲身から巨大な火焔が噴出し、強烈な砲声が轟いた。

「シャルンホルスト」の艦体が衝撃を受けて振動し、ラングスドルフの視界は数秒間暗転する。

撃たれるだけという忍従の時を終え、「シャルンホルスト」は数十分ぶりに反撃の砲火を放ったのだ。

斉射によって放たれた九発の二十八センチ砲弾は、大気との摩擦で真っ赤に染まりながらも、敵戦艦に殺到する。

 

敵艦の艦首に閃光が二度走り、巨大な爆炎が湧き出した刹那、残り七発が水柱を形成し、敵艦の姿を覆い隠した。

 

それを見て、ラングスドルフは身を乗り出した。

「シャルンホルスト」は初弾を命中させただけでなく、二発を艦首に喰らわせ、大きな被害を与えたと考えたのだ。

 

水柱が引くや、大きく艦首を変形させたタ級の艦影がおぼろげに見えている。

喫水線下にまで被害は出ていないようだが、舷側の高さが半分以下になっているのがわかる。

ヴァイタルパート方式の装甲が採用されて以来、人類の戦艦にとって艦首や艦尾は必ずしも装甲の厚い箇所ではなくなったが、それはタ級でも同じだったようだ。

「シャルンホルスト」は第一斉射で、タ級戦艦の艦首に大きな被害を与えたのである。

 

そんな中、「プリンツ・オイゲン」「アドミラル・シューア」の射弾も落下している。

中央部に三発、前部と後部に一発ずつが命中し、内三発が火花と共に跳ね返されるが、二発が炸裂する。

火焔が湧き出し、長細いものや、小さい板が飛び散るのが見てとれた。

二十センチ砲や二十八センチ砲は、タ級戦艦の装甲を貫いて奥深くで炸裂する力はないが、表面的なレーダーアンテナや副砲、射撃管制装置などの脆い部分を破壊することはできる。

二隻の射弾は、そのような部分に命中したのだろう。

 

多数の砲弾を撃ち込まれ、艦首を大破させられながらも、タ級戦艦は第二射を放つ。

艦尾から沸き立つ火炎が揺らめき、引きずる黒煙を発砲に伴う爆風が吹き飛ばした。

凄まじい破壊力をもつ巨弾三発を、音速の二倍以上の初速で叩き出したのである。

 

敵第二射弾の着弾と、「シャルンホルスト」の第二斉射は同時だった。

敵の第二射弾は「シャルンホルスト」と「グラーフ・シュペー」の間に着弾し、後ろから蹴飛ばされるような衝撃が「シャルンホルスト」を大きく振動させる。

それと同時に三基の主砲が火を吹き、発砲と着弾…二つの振動が共鳴して不気味な動揺と悲鳴のような叫喚が艦内を駆け抜けた。

発射された九発は、艦の動揺によって軌道を変えられ、タ級戦艦の前方に落下する。

 

それを見てラングスドルフは罵声を発するが、十七秒後、「シャルンホルスト」は早くも第三斉射を撃つ。

当初、至近距離での二十八センチ砲九門の斉射は耐えがたいものがあったが、今はこの上なく頼もしい。

小口径砲という不利を感じさせない力強い咆哮で、敵戦艦に向けて二十八センチ砲弾を叩き出した。

 

今度は、完全に捉えた。

水柱がタ級戦艦を囲い、中央部に直撃弾炸裂による爆炎が躍る。敵艦が火焔によって照らされ、輪郭を浮かび上がらせた。

ラングスドルフとしてはもう一、二発命中したと思っていたが、タ級の厚い装甲に阻まれてしまったようだ。

 

タ級戦艦が「グラーフ・シュペー」に対する第三射を放ち、「シャルンホルスト」も他の二隻も斉射を撃つ。

二十八センチ砲弾十五発、二十センチ砲弾八発と、四十センチ砲弾三発が遥かな高みで交錯し、それぞれの目標へと飛ぶ。

 

三度に分けて、ドイツ艦隊の射弾が落下した。

「プリンツ・オイゲン」の命中弾は全て重装甲に弾かれてしまったが、「シャルンホルスト」と「アドミラル・シューア」の射弾は前部と後部に二発ずつが直撃した。

今までで最も大きい火焔が天高く躍り、タ級戦艦が身震いした。

 

「やった!」

 

「シャルンホルスト」艦橋で、歓声が爆発する。

タ級は速力を低下させても、砲撃力を弱めてもいないが、今までで最も大きなダメージを与えたことは確かだった。

 

(どうだ…?)

 

ラングスドルフは吟味するようにタ級を見つめる。

一つ一つは小さいものの、タ級戦艦は多数の黒煙を引きずっている。

艦尾の火災も依然鎮火されておらず、艦体を暗黒の海上に浮かび上がらせていた。

もしかしたら、二十八センチ砲でもタ級を撃沈出来るのではないか?という淡い期待が、ラングスドルフね心中に芽生え始めていた。

 

だが、タ級は黒煙を吹き飛ばし、第四射を撃つ。

先の命中弾が敵の射撃指揮中枢を破壊していれば…とも考えていたが、さすがに楽観が過ぎたようだ。

 

戦闘開始時。敵戦艦は戦闘群の右後方に位置していたが、時間が経つにつれて追いついており、現在は「シャルンホルスト」と並走する形にある。

彼我でわずか二ノットの差であるが、確実に距離が詰まっているのだ。

距離が近くということは、必然的に射撃精度の向上を意味する。ラバウル戦闘群は敵艦に多数の直撃弾を得ていたが、それはタ級でも同じだった。

 

タ級から放たれた第四射弾は、「シャルンホルスト」の右正横から後方にかけて飛翔し、「グラーフ・シュペー」を捉える。

後方から発射炎とは違う閃光が届き、正面に「シャルンホルスト」の影を伸ばした。やや間を開けて炸裂音が届き、なんらかの破壊音が続く。

 

「まさか…!」

 

ラングスドルフは切迫した声を上げる。

やがて、危惧していた報告が後部見張員から上げられた。

 

「『グラーフ・シュペー』被弾。火災が発生しています!」

 

「グラーフ・シュペー」は囮艦の役割を果たすため、回避運動に勤しんでいたはずだが、間に合わず、敵弾を受けてしまったようだ。

 

「状況知らせ!」

 

ラングスドルフは叫んだ。

ドイッチュラント級装甲艦に、四十センチ砲弾に耐えられる装甲は無い。

たとえ一発でも致命傷になる可能性があるのだ。

 

「『シュペー』より発光信号。“我、機関損傷。隊列ヲ落伍ス”」

 

信号員の報告を聞き、ラングスドルフは唸り声を上げた。

タ級の四十センチ砲弾は、「アドミラル・グラーフ・シュペー」の装甲帯を容易く貫き、艦体の奥底に食い入って炸裂したのだ。

MAN社製2ストロークディーゼルエンジンのいくつかを粉砕され、スクリューの高速回転に必要なエネルギーを得られなくなったのだろう。

 

次から、タ級は斉射に移る。

精度の高い九発の四十センチ砲弾が、速力が落ちて回避もままならない「グラーフ・シュペー」に襲いかかるのだ。

それを阻止するため、「シャルンホルスト」「プリンツ・オイゲン」は斉射を撃つ。

殿艦に位置している「アドミラル・シューア」は、速力が低下した「グラーフ・シュペー」を回避するため、一時的に砲撃を中止していた。

 

両艦の射弾が落下する直前に、タ級を眩い閃光が包み込む。

数秒後に数倍強烈な発砲音が海上に響き渡り、斉射に移ったことを伝える。

直後に「シャルンホルスト」「プリンツ・オイゲン」の斉射弾が落下し、数発が敵戦艦に命中するが、ラングスドルフは意に返さない。

艦橋脇に駆け寄り、後方の「グラーフ・シュペー」に目を向ける。

刹那、極太の水柱が「グラーフ・シュペー」の周囲に林立し、海水の檻がポケット戦艦の姿を完全に覆った。

 

タ級戦艦は、「グラーフ・シュペー」の速力が低下しているのも計算に入れて放ったようだ。

数発が命中したようで、水柱が炎を反射して赤く染まっている。

 

この時、「シャルンホルスト」艦橋からは知る由もなかったが、「グラーフ・シュペー」は計三発の四十センチ砲弾を喰らっていた。

一発は図ったかのように一回目と同じ箇所に命中し、生き残っていたディーゼルエンジン四基を完全に粉砕する。

二発目は二等辺三角形のような形をしている艦橋に直撃し、跡形もなく、根元までを消しとばした。

指揮を執っていた艦長のエヴァルト・バリッシュ大佐以下艦首脳は全滅し、「グラーフ・シュペー」を司る者はいなくなる。

三発目は、より大きな被害をこの艦に与えた。

右舷中央舷側の喫水線下に飛び込み、大穴を開けたのだ。穴からは怒涛の勢いで海水が侵入し、水圧が「グラーフ・シュペー」の隔壁をぶち抜き、次々と乗組員を貪欲に飲み込んでゆく。

 

水柱が引いた時、「グラーフ・シュペー」はのろのろとしか進んでおらず、大きく右に傾斜していた。

艦橋が消え去っており、代わりに巨大な火球を据えている。

戦闘、航行不能になっているのは誰の目にも明らかであり、沈没という線も十分に考えられた。

 

「おのれ…!」

 

ラングスドルフは拳を握りしめ、タ級戦艦を睨みつける。

「アドミラル・グラーフ・シュペー」はラングスドルフが前に艦長を務めていた艦である。

その時に仲良くなった将兵は、未だに多数があの艦に乗っているのだ。

「シャルンホルスト」が、ラングスドルフの想いを代弁するかのように、六回目となる斉射を放つ。

僚艦一隻を失いながらも、いつもと変わらない力強い砲声だった。

 

「グラーフ・シュペー」をわずか一回の斉射で撃破したタ級戦艦は、新たな目標を選定するため数分間沈黙する。

その間に第六斉射弾、第七斉射弾が落下し、計三回の直撃弾炸裂を確認するが、タ級は動じない。

そして「シャルンホルスト」が第八斉射を撃つと同時に、タ級も斉射を放った。

 

同数の砲弾が高空ですれ違い、凄まじい速度で双方に降ってくる。

タ級の目標は、やはり「シャルンホルスト」であった。

 

「来るぞ!」

 

誰かが叫んだ次の瞬間、「シャルンホルスト」の左右に巨大な水柱がそそり立ち、眼下の第一主砲塔の天蓋が、内側から食い破られたかのように叩き割られた。

ラングスドルフがそこまで見届けた時、乗組員が生涯で感じたことのない凄まじい衝撃が襲いかかり、艦橋内の全員が転倒する。

ラングスドルフも例外ではなく、弾き飛ばされ、背面から床に叩きつけられた。

数秒間衝撃は収まらず、「シャルンホルスト」のいたるところから甲高い叫喚が鳴り響いた。

 

「艦長、ご無事ですか⁉︎」

 

振動が止み、身体の感覚が戻り始める頃。

キッシンジャー航海長が、顔を蒼くしながら駆け寄って来る。

身体の節々が痛む中、ラングスドルフはキッシンジャーの肩を借りて立ち上がった。

 

アントン(第一砲塔)…損傷」

 

今の被弾で負傷したのだろう。グロックラーが、喘ぎ声を挟みながら報告する。

ラングスドルフは第一砲塔の惨状を見下ろし、次いでタ級戦艦を見やった。

第一砲塔の三本の砲身は全てが消失しており、360mmの装甲厚を持った正面防盾も天蓋も大きく引き裂かれている。

主砲は艦体の中でも格段に頑丈に作られているが、距離一万メートル以下から放たれた四十センチ砲弾は、それすらも容易く破壊してしてしまう力を持っているのだ。

 

「シャルンホルスト」に対して初弾命中を成し遂げたタ級戦艦が、第二斉射を放つ。

艦首から艦尾まで多数の火災を乗せてはいるが、戦闘力が低下しているようには見えない、

タ級は多数の二十八センチ砲弾、二十センチ砲弾を撃ち込まれても戦闘力を失わず、逆に一発の命中で「シャルンホルスト」の火力三分の一をもぎ取ったのである。

 

「か、回避運動。面舵15度!」

 

ラングスドルフは鼓舞するように叫び、キッシンジャーに命令した。

タ級戦艦の並々ならぬ力に畏怖を覚えつつも、勝負を捨てていない。

作戦通り、自らの船を囮艦として「プリンツ・オイゲン」と「アドミラル・シューア」に砲撃を続行させるのだ。

面舵に転舵する前に、「シャルンホルスト」は残った主砲二基で第九斉射を撃つ。

主砲一基を失いながらも、力強い咆哮であることに変わりはない。被弾に怯まず、六発の砲弾を発射した。

 

だが、敵弾はそれすらを押し戻す勢いで、轟々たる飛翔音をたなびきながら飛来してくる。

ラングスドルフが被弾に備えて下腹に力を込めた刹那、左右に見上げんばかりの水柱が突き上げ、ハンマーで殴打されるような直撃弾炸裂の打撃が二度後方から届いた。

「シャルンホルスト」の艦体は大きく振動しながらも、波間を切り裂き、右へ15度回頭する。

回頭後、やっとのことで被害報告が届いた。

 

「後部艦橋、後部甲板に被弾。ツェーザル(第三砲塔)、旋回不能!」

 

それを聞いて、ラングスドルフは驚愕した。

敵弾は甲板を貫通し、第三主砲塔のバーヘッドや揚弾塔を歪ませたのだろう。軸を傷つけられたことで、旋回不能になってしまったのだ。

それだけではない。

「シャルンホルスト」が被弾した敵弾は三発だが、その二発が狙い澄ましたかのように主砲を傷つけ、射撃不能に陥れたのだ。

残った一基だけでは、有効な弾着修正はできない。

なんたる不運か…と、力が抜けるような思いだった。

 

続いて飛来した敵弾は、大半が頭上を通過して左舷側に着弾するが、一発が第二砲塔の緩やかな傾斜を持った天蓋をかすめ、左上方に弾かれる。

鉄板をバットで力任せに殴ったかのような打撃音がこだまし、ラングスドルフの鼓膜を震わせた。

 

「取舵15度!」

 

新たな針路を指示する中、ラングスドルフの胸中に焦慮感が広がっていた。

ラバウル戦闘群は、「グラーフ・シュペー」を失い、「シャルンホルスト」が大幅に火力を低下させている。残った「プリンツ・オイゲン」と「アドミラル・シューア」のみでは、敵戦艦を食い止められないかもしれない、と…。

 

「シャルンホルスト」の艦首が左に15度振られ、先の針路に戻る。

弾着修正によって、タ級戦艦の射弾は右舷側に逸れるはずだったが…。

敵弾は、狙い余さず「シャルンホルスト」を夾叉した。

直撃弾は無かったものの、凄まじい爆圧が突き上げ、崩れる水柱が驟雨のように甲板を叩く。

 

「馬鹿な!」

 

濛気が立ち込めて視界が悪くなる中、ラングスドルフは思わず叫んでいた。

いままでタ級戦艦はドイツ艦の回避運動に手を焼かされ、なかなか命中弾を得ることができなかった。

敵はこちらが回避する針路を予想し、的確に射弾を撃ち込んで来たのだ。

ラングスドルフの焦りは更に高まる。

 

だが、その時。見張員が奇妙な報告を上げた。

 

「爆音が聞こえます!」

 

「爆音?」

 

報告に、キッシンジャー航海長が聞き返す。

ラングスドルフは耳を澄ました。

たしかに、「プリンツ・オイゲン」や「シューア」の砲声の合間に、航空機の奏でるエンジン音が薄っすらと聞こえる。

 

「もしかして…」

 

ラングスドルフは左舷側の夜空を見上げた。

エンジン音は、徐々に高鳴る。一機や二機といった数ではない。最低五十機はいるであろう轟々たる音だった。

 

「対空レーダー反応あり。所属不明航空編隊、接近。数二隊。第一隊、方位350度、距離八浬。第二隊、方位340度、距離十二浬。両隊とも機数約三十!」

 

レーダー室から、早口で報告が上がる。

 

「来てくれたか!」

 

ラングスドフは歓喜した。

方位350度は、ラバウルやカビエンが位置している方向である。

ドイツ艦隊の苦戦を聞きつけ、攻撃隊が駆けつけてくれたのかもしれない。

 

(ラバウル、カビエンに対艦航空機はいなかった筈だが…)

 

少しの疑問をラングスドルフは感じたが、援軍ならなんでも良かった。

編隊はすぐさま姿を見せた。

頼もしい爆音を発しながら「シャルンホルスト」上空を左から右に通過し、敵戦艦に向かってゆく。

薄っすらと見えた機影から、双発機であることが辛うじてわかった。

 

「第一隊はモスキート。第二隊はソードフィッシュ!」

 

発射炎で機影が照らされたのだのだろう。

見張員が機種を見抜き、報告する。

 

「イギリス軍か…」

 

ぼそりと呟いた時、見張員が新たな情報を伝えた。

 

「日の丸を確認。モスキートは日本軍なり!」

 

 

 

 

 

第七十七話 独艦奮闘機動烈火海峡:中




大分長かったですが、楽しんでいただけましたかな?
次回決着です。

日製モスキートも登場します(陣山)

感想もお気軽に


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第七十八話 独艦奮闘機動烈火海峡 : 下


今、一話から七話までの改定作業を実施しています。
完了次第更新します。
ストーリーは変わりません。文章が一新されます。


1

 

「こいつの初陣が、まさか今日だとは…しかも相手は戦艦ときている」

 

第七五三航空隊飛行隊長の高嶋稔(たかしま みのる)中佐は、愛機を操りながら、隣で照準器を調整している山上直樹(やまがみ なおき)中尉に笑いかけた。

 

「撃沈できたら大金星ですね。本機の実戦での有効性も証明できるはずです」

 

七五三空は、海軍航空隊大規模改称によって高雄海軍航空隊が名を変えた部隊である。それと同時に、「戦闘攻撃機」という今までにない機種を装備した新たな航空隊でもあった。

 

ーーー二式戦闘攻撃機「陣山」

 

盟邦英国にて開発された多用途双発軍用機ーーデ・ハビラント モスキートのライセンスを統合兵器局を介して取得し、日本の兵器工場にて生産した機体である。

モスキートのその特筆すべき性能は、一万メートル以上の高高度にて時速650キロ以上を発揮できる高速性と、一部を除いて機体の全てを木材にて製造している点だ。

 

日本国内では、軍用機の機体を形成するアルミニウムの原料となるボーキサイトがほとんど産出しないため、そのほとんどを輸入に頼っており、いざ戦争となると航空機の製造に支障をきたす可能性がある。

国内や大陸に大量にある木材を使用でき、かつ時速650キロ以上の多用途機を採用できれば、基地航空隊は大幅に強化できると海軍は考えたのだ。

モスキートのライセンス取得は、さほど難しいことではない。

ライセンス生産の打診は、英本国でも採用されていない1940年初頭に外務省を通じて送られ、日英防共協定の締結も手伝ってモスキートの採用は円滑に進むと、誰もが思っていた。

 

だが、ここで思わぬ障害が発生することになる。

 

障害ゆえ、和製モスキートと言える陣山は、純然たるモスキートではない。

当然日本軍に対応した設計変更が少なからずされており、英国製イスパノ二十ミリ機銃から日本製九九式二号二十ミリ機銃への換装、計基盤の日本語化、B型に存在しない雷撃能力の付与等が行われているが、もっとも大きな違いは、使用される木材が日本国内や南満州にて自生する湿気に強い木々…特に竹を多く使用していることだ。

モスキートは全木製という性質のため、南洋の高温多湿な環境には耐えられない。

対深海棲艦戦争の戦場は東南アジア、南太平洋の島々が主になると予想されるため、このまま採用すれば、機体腐敗に悩まされることになる。

そこで航空本部より考案されたのが「竹の使用」と、腐敗を防止する「防腐隊」を航空隊隷下に設けることだった。

竹は水を通さず、強靭で、細工が容易であり、機体の形成に最適である。

加えて新たな防腐剤を開発し、陣山の竹の腐敗を防止する。

機体再設計を担当した中島飛行機は航空本部の意向に従って竹製モスキートを完成させ、劣悪な環境下で竹の腐敗を抑えれるよう、陣山装備部隊指揮下に腐敗防止の専門部隊が複数編成された。

 

竹の使用と防腐の徹底管理。この二本柱で、陣山の問題解決を図ったのである。

 

予定では1941年の初旬頃には機種転換が進み、最初の部隊が航空戦隊に配備される予定であったが、問題解決のために一年以上の歳月が費やされ、実戦配備は1942年2月にまでずれ込んだ。

6月に至っても陣山を装備している部隊は七五三空と、新型機の実験等を担当する横須賀航空隊のみである。

 

それでも、高嶋率いる七五三空の陣山二十七機は、英独艦隊のラバウル防衛に間に合った。

戦線投入前、七五三空はパラオ、トラックにて四ヶ月間の訓練を実施しており、防腐剤の効果、機体の南洋での耐久など、規定基準をクリアしている。

後は、実戦における有効性を証明できれば、苦労してモスキートを軍籍に入れた甲斐があるというものだ。

 

高嶋は、去年に生起した二度にわたるルソン島航空攻撃や、少数機によるレーダーサイト破壊をやり切った功績を高く買われており、自らの航空隊に新型機「陣山」を預けられている。

階級も少佐から中佐へと昇進しており、上層部の自分への期待を伺うことができた。

その期待に応えるためには、陣山の初陣を勝利で飾ることだ。

攻撃目標は、高火力・機動力・防御力を高いレベルで両立させたタ級戦艦であり、相手にとって不足はない。

 

高嶋は、英国で生を受けた戦闘攻撃機「陣山」を手足のように操り、必ず勝ってやる…と闘志を露わにしていたが…。

 

「誘導機より信号。“我ラ、現着ス”」

 

高嶋機の前方を進む九七式大艇が、両翼端のオルジス信号灯を点滅させ、それを山上が読み取る。

九七式大艇はB17以上の巨大機であり、航続距離が長い。今回は、一機が七五三空をトラック諸島からラバウル上空にまで誘導する任務を帯びていた。

 

高嶋は操縦桿を握りながら、正面下方を見下ろした。

大艇の航法が正しければニューブリテン島と、か細いニューアイルランド島を見ることができるはずだが、下方は墨汁で塗りつぶしたような暗黒が広がっており、マッチ一本の光さえ見えない。

両島とも、深海棲艦の攻撃に備えて厳重な灯火管制を実施しているのだろう。

 

(どこだ、戦場は?)

 

高嶋は正面のみならず左右に目をやり、探す。

七五三空がトラックから南下している最中、山上がラバウルに展開する第十一航空艦隊司令部と交信を試みている。

その結果、人類側は英海軍と独海軍の二個艦隊が迎撃を試みていること、敵艦隊は戦力を二分しており、一隊が東から、もう一隊が南から攻めていることを把握している。

 

だが、発射炎や火災のような光は確認できない。

上空から見る限り、ビスマルク諸島は平和そのものだ。

 

「“高雄一番”より“高雄”全機。無線封止解除、高度三千へ上昇する。我に続け」

 

この高度からでは見晴らしが悪いのかもしれない。

そう考えた高嶋は、無線機に早口で命令した。

 

前方を進む巨鯨のような九七式大艇が高嶋機に先立って上昇を開始し、高嶋も操縦桿をゆっくりと手前に引く。

機首が緩やかな角度で上を向き、陣山は大艇を追って高度一千メートルから三千メートルを目指して上昇を開始した。

 

「第一中隊各機、後続します。第二中隊、上昇を開始」

 

山上がバックミラーを見て報告する。

夜光塗料を塗られた高度計の針は時計回りに回転し、陣山部隊が高度を稼いでいる事を示す。一分、二分と時が経つ。

陣山はもともと高高度での活動を想定して作られているため、高嶋の前の乗機である九六式陸攻や一式陸攻と比べ、上昇性能は高い。

目標を発見したのは三分後の、高度計の針が二千メートルぴったりを指した時だった。

 

「見つけた!」

 

左前の下方に、橙色の光を確認することができる。

この高度からでもわかるということは、かなりの規模のようだ。

光源が敵なのか味方なのかは判らないが、この状況で光っているものといえば、一つしかない。

 

「全機へ。左前方、目標発見。編隊、左20度へ旋回」

 

高嶋は、攻撃隊を左へ誘う。

最初に大艇、続いて高嶋機、高嶋直率の第一中隊八機、第二、三中隊の十八機という順で旋回した。

左前方に見えていた光点が正面に移動し、操縦桿を奥に傾ける。下り坂を駆け下りる勢いで、二十七機の陣山は稼いだ高度を下げてゆく。

誘導機として攻撃隊の一員となっていた九七式大艇は、吊光弾を投下する役割も兼ねているため、現高度のまま目標直上を目指して直進する。

 

光点との距離が詰まる中、高嶋はそれを凝視した。

光は、大きく分けて三つを確認することができる。二つの光が並行する形で東に向かっており、その後方に取り残されるように一つの光がとどまっていた。

恐らく、火災を起こしている艦艇同士が同航戦を戦っており、航行不能になった艦が落伍して後方に放置されているのだ。

 

時折。眩い閃光が海上に走り、双方の艦艇をハッキリと浮かび上がらせる。

戦闘は、依然続いている。

十一航艦からの情報によれば、南から攻撃を仕掛けた敵は戦艦一隻のみであり、ドイツ海軍の艦艇四隻が迎撃に当たっているという。

眼下に繰り広げられている戦闘は、恐らくそれだ。

 

高度を下げるに連れ、火災を起こしている艦、落伍している艦以外の二隻の姿も確認することができるようになる。

ドイツ艦隊四隻のうち、一隻が航行不能にされ、一隻が大火災を起こし、二隻が健在なようだ。

元凶たる敵戦艦は、その奥を東に進んでいる。

かなり大きな火災を背負っているが、弱っているようには見えない。

数十秒毎に発砲し、ドイツ艦に巨弾を叩き込んでいるようだ。

 

「全機へ、敵艦は奥。繰り返す。敵艦は奥。手前の四隻は友軍だ。味方に当てるなよ」

 

高嶋は部下に念を押した。

眼下の海戦は、西部太平洋海戦や第三次ルソン島沖海戦のような大規模なものではなく、目標たる敵艦は一隻のみである。

誤爆はまずないと思われるが、もしもドイツ艦を爆撃してしまえば、帝国海軍末代までの恥だ。

場合によっては、国際問題にまで発展するかもしれない。

失うものの多さを考えれば、念を押しすぎることはなかった。

 

高度計の針が五百を指した時、高嶋は操縦桿を水平に戻し始める。

浮遊感が徐々に消え、高度四百で二十七機は突撃に移った。

九七式大艇から投下された七、八個の吊光弾が点灯し、月光のような青白い光が巨大艦の姿を照らし出す。

火災と吊光弾の光で、目標は完全に海上にその姿をさらけ出していた。

 

「第一、第二中隊は敵艦の左前方。第三中隊は左後方から攻撃する。かかれ!」

 

その命令が高嶋の口からほとばしった刹那、攻撃隊は大きく二手に別れた。

攻撃隊は敵戦艦の左後方から迫る針路を描いていたため、第一、第二中隊は敵艦の前方に回り込む必要があるのだ。

両翼に搭載された熱田二二型発動機ーーーロールス ロイス・マーリン液冷エンジンが唸り、機体が巡航速度から最大速度の時速670キロに加速される。

加速度は、半端なものではない。

米軍のF4Fで時速515キロ、日本海軍主力艦戦である零戦が時速533キロ、同じ双発機である日本陸軍の屠龍が時速550キロなのを考えると、凄まじい速力である。

 

第一、第二中隊はドイツ艦隊の頭上を早々と通過し、敵戦艦の前方に出る。それを見計らって高嶋は編隊を右に旋回させ、敵戦艦の左前方から斬りかかる位置に陣山十八機を誘った。

 

一足早く、左後方からの攻撃を指示した第三中隊が攻撃を開始している。

敵戦艦の後部に小さい発射炎が複数走り、何条もの曳光弾が夜空を駆け抜ける。

一機が火箭に捉えられて火を噴くが、残りの八機は次々とタ級の頭上をよぎり、トラック諸島から遥々抱いてきた二発の二五〇爆弾(二十五番)を投下する。

敵艦の後方左右に外れ弾の水柱が上がり、第三砲塔の上面や後部艦橋、艦尾に爆炎が沸き立つ。

計五回の閃光を確認したところで最後の陣山が通過し、第三中隊の攻撃は終了した。

 

(お次はこっちだ!)

 

高嶋が言葉を投げた刹那、タ級戦艦の左前方へ指向可能な対空火器が火を噴いた。

無数の火箭が真正面から迫り、高嶋機の上下左右に逸れてゆく。

一発が竹で作られた機体をかすめ、打撃音がこだました。

今度は高角砲も放っているようだ。重量感がある砲弾がよぎり、攻撃隊の至近で数発が炸裂する。

後方から、敵弾炸裂とは違う閃光が二度届き、やや遅れて破壊音が響き渡る。

誰の機体かわからないが、二機の陣山が撃墜されたようだ。

次いで高嶋機の右後方を続いていた陣山が被弾し、よろめきながら海面に滑り込む。

 

だが、三機を失った時には、攻撃隊は敵戦艦の至近にまで迫っていた。

高嶋は機首をタ級に向け、操縦桿に備え付けられた発射ボタンに力を込める。機首に集中して装備されている二十ミリ機関砲四門が徹甲弾を吐き出し、照準器の先に見えている巨艦の姿が二重三重にもぶれた。

発射ボタンを押しっぱなしにしながら、高嶋機は二発の二十五番を爆弾漕から切り離す。重量五百キロの荷物が投下され、機体が跳ね上がった。

高嶋機は、勢いを落とさないまま敵戦艦の頭上を飛び越える。

発射された二十ミリ弾は艦首から艦尾まで突き刺さり、無数の火花を散らせ、甲板やアンテナなどを傷つける。

二発の二十五番のうち、一発は左に逸れて敵艦右舷側の海面を抉ったが、一発は第二砲塔と艦橋の間に直撃した。

箱型艦橋の姿が爆炎によって見えなくなり、破片が舞い上がった。

射撃を続けていた機銃が沈黙し、タ級は一時的に対空能力を失う。

 

高嶋機に続いて第一中隊の各機も機銃弾を満遍なく撃ち込み、二十五番を叩きつける。

前部甲板につき刺さった二十五番は数秒後に炸裂して大穴を穿ち、高角砲や機銃を直撃した二十五番は跡形もなくそれらを吹き飛ばす。

主砲の天蓋に命中した爆弾は、分厚い装甲に阻まれて炸裂し、砲塔上に破片を飛び散らせる。

残存十五機の陣山が通過する間に、九発の命中が確認された。

 

七五三空は四機の陣山を失いながらも、合計十四発の二十五番を命中させたのだ。

だが…。

 

「これでも駄目か…!」

 

敵戦艦の火災は、空襲前の二倍以上に増えている。

だが、速力、主砲の発射間隔に違いはない。陣山が傷つけたのは表面的な部分のみであり、艦の奥底にある推進機関や、装甲に鎧われた主砲を破壊するには至らなかったのだ。

 

(もう少し積んで入れば、結果は変わったのか)

 

高嶋は出撃前の出来事に想いを馳せている。

七五三空に所属する陣山は全機が甲型であり、約九百キロの搭載力を持つ。載せようと思えば、あと一、二発二十五番を搭載することができたのだ。

だが、トラックからラバウルという長距離を飛行するためには搭載量を減らすほかない、という結論に至り、半分の爆弾で攻撃に挑んだのだ。

どうせラバウルに着陸するのだから、もう少し爆弾を搭載すれば良かったと悔やまれた。

 

「攻撃ご苦労。後は我々が引き継ぐ」

 

その時、雑音混じりの英語が無線機から飛び込んだ。

 

 

2

 

「シャルンホルスト」の艦上から、日本軍モスキートとイギリス軍ソードフィッシュの空襲をはっきりと見ることができた。

時間差で飛来した二つの攻撃隊は、モスキートが多数の爆弾を敵戦艦に叩きつけ、その直後にソードフィッシュが低空からの雷撃を敢行した。

 

モスキートの編隊は二つに別れ、一隊が後方から、もう一隊が前方から攻撃を仕掛ける。敵艦からは大量の火箭が放たれたが、少なくとも十発の爆弾が艦体に命中し、火災の量が今以上に増える。

モスキートが爆弾の投下を終えて飛び去った時、敵戦艦は砲撃を中止し、大きく左に転舵した。

艦上の火災が回頭に伴う風で揺らめき、艦首が東から北方向へと振られる。

敵戦艦は低空から近づくソードフィッシュを雷撃機だと見抜き、魚雷の回避にかかったのだ。

 

「ソードフィッシュ、超低空から突撃します!」

 

第一砲塔から発生する黒煙に遮られ、ラングスドルフ艦長はソードフィッシュの勇姿を見ることができない。

見張員の報告で、大まかな状況を理解するだけだ。

艦体を大きくうねらせながらも、タ級は雷撃を試みるソードフィッシュに射弾を浴びせる。

ドイツ艦隊との砲戦、モスキートの空襲によって多くの機銃が破壊されているのか、発射される火箭は少ない。

それでも、鈍足で防御力の低い複葉機であるソードフィッシュからすれば、大きな脅威だろう。

だが、雷撃隊に牙を剥いたのは、敵弾ではなかった。

 

「一機、海面に激突……また一機激突!」

 

見張員が苦痛染みた声を上げる。

ソードフィッシュは敵弾をかわそうと高度を下げるあまり、海面に接触してしまったようだ。

 

「ああ…また一機!」

 

(ロイヤル・ネイヴィーの意地か)

 

見張員の報告を聞いて、ラングスドルフは思った。

恐らく、ラバウルから飛来したソードフィッシュ隊は、今日の日没間際に敵艦隊に対して攻撃を実施した部隊だ。

攻撃後、母艦に帰れないと悟った彼らはラバウルに降り、再度の出撃に備えていたのだろう。

 

彼らからイギリス艦隊を通じて送られてきた電文を、ラングスドルフは良く覚えている。「戦艦一隻に魚雷数本を命中させ、撃破した」というものだ。

艦隊戦力で負けている人類側にとって何事にも代え難い快挙の筈だったが、それは誤認だった。

深海棲艦隊の戦艦は依然二隻とも健在であり、ドイツ艦隊はそのうちの一隻と交戦して大きな被害を受けている。

 

ソードフィッシュ隊の指揮官は誤認の尻拭いをするために、皆を奮起させ、複葉機という前大戦の遺産のような機体で雪辱を果たしに来たのだろう。

今度こそ…なんとしてでも魚雷を命中させる、という思いが強すぎるあまり、海面衝突という事故を起こしてしまったようだ。

 

それでもソードフィッシュ隊は高度を上げない。

射弾の下をくぐり抜けるようにして、敵戦艦に肉薄する。

三機目、四機目が海面に滑り込み、二機が敵弾を受けてバラバラに砕け散った。四散した破片が海面に水飛沫を上げ、その上空を生き残った僚機が駆け抜ける。

ドイツ艦隊にできることは無い。目標が回頭中では砲弾を命中させることはできないし、水柱が雷撃の邪魔になるかもしれない。

ただ沈黙し、戦況を見守るだけだ。

 

敵戦艦は艦首を北に向けても回頭をやめない。左へ、左へと周り続け、ソードフィッシュを撹乱する。

 

「“RK”、右一斉回頭!」

 

ラングスドルフは、大音響で命じた。

ソードフィッシュの雷撃でも撃破できなかった場合に備え、敵針路に対応した砲戦体制を維持しておくのである、

 

「面舵一杯。針路250度!」

 

キッシンジャー航海長が操舵室に指示を飛ばし、舵輪を握っている下士官は素早く右へ回す。

舵が効き始めるまでの一、二分。「シャルンホルスト」は二十八ノットで直進を続ける。

その間に、十五機前後のソードフィッシュは魚雷を投下している。

投下を終えた機体は超低空飛行を維持しながら、敵戦艦の左右を抜ける。

一機のソードフィッシュが魚雷を切り離した影響で高度が上がり、機首に機銃弾を食らった。

プロペラが吹き飛ばされ、飛び散った破片が上下二枚の主翼を容易く切り裂く。主翼を穴だらけにされて安定性を失い、よろめきながら海面に叩きつけられた。

もう一機は右主翼を数発の敵弾が貫通し、固定脚とラダーを吹き飛ばされる。

コントロールを失ったソードフィッシュは海面ではなく、タ級戦艦の舷側に激突し、粉々になった。

舷側は分厚い装甲に覆われているため、複葉機の衝突程度では傷つかない。バラバラになったソードフィッシュの機体と三名のパイロットは、虚しく海面にばら撒かれた。

 

その間「シャルンホルスト」は回頭を開始し、前方に見えていた「プリンツ・オイゲン」が左に流れ、正面に回頭中の敵戦艦が移動してくる。黒煙が取り除かれ、戦況を確認することができた。

 

「射点は最悪だが…」

 

ラングスドルフはソードフィッシュと敵戦艦を交互にを見つめた。

ソードフィッシュの動向から見て、魚雷を投下したのは間違いない。問題は、その射点だ。

タ級戦艦の艦首は南西を向いており、魚雷が到着した時には南を向いているだろう。

魚雷は真後ろから迫る形となり、被雷面積が小さくなってしまうのだ。

一本も命中しない…という可能性が、ラングスドルフの脳裏をよぎった。

 

ドイツ艦隊の三隻は針路250度に乗り、左前方に離脱する敵戦艦を望む位置関係に移った。

同時に隊列の順番が逆転し、「アドミラル・シューア」が前に、「プリンツ・オイゲン」が後方に来る。

 

「砲撃再開します」

 

グロックラー砲術長が報告した刹那、第二砲塔が発砲した。

敵戦艦との砲戦で生き残った主砲だが、二十八センチ砲三門の射撃は馬鹿にならない。

主砲の他にも、左舷側に並べられている十五センチ連装砲、同単装砲各二基が火を噴き、五十五口径の長砲身から矢継ぎ早に砲弾を叩き出す。

ソードフィッシュもモスキートも攻撃を終えたため、砲撃を加えても問題はないとグロックラーは判断したようだ。

「シャルンホルスト」に続いて、前方を進む「シューア」、後続する「プリンツ・オイゲン」も遅れじと艦砲に閃光を走らせる。

 

魚雷はまだ命中しない。

敵戦艦と魚雷が並走する形となっているため、相対速度が遅く、命中まで時間がかかってしまうのだ。

敵戦艦は左右を魚雷に挟まれているため、無闇に変針できない。ラバウルから離脱する方向ーーー南を向き、前進を続けている。

その前後左右に主砲弾、副砲弾が落下し、水柱を突き上げさせる。

一発の二十八センチ砲弾が後ろから前へ飛び越し、敵艦の針路を塞ぐような水柱を形成したと思えば、左右に二十センチ砲弾が落下して夾叉する。

十五センチ砲弾が、陣山によってズタズタにされた後部艦橋を直撃し、堆積物のように積み上がっていた破片を四散させる。

 

合計で二十センチ砲弾三発、十五センチ砲弾二発の命中が観測され、このまま敵艦が離脱して戦闘は終了か…とラングスドルフが思い始めた時。魚雷は命中した。

敵戦艦の艦尾に火柱がそそり立ち、タ級は大きく前のめる。

艦体が大きく振動し、間を空けて雷鳴のような炸裂音が轟いた。

 

「やったか⁉︎」

 

ソードフィッシュが魚雷を投下してから実に八分。

内部燃料が切れるギリギリだったに違いない。一本の魚雷が艦尾喫水線下に命中し、大きな被害を与えたのだ。

 

「敵艦、速力を大幅に低下!」

 

レーダー員が歓声を上げ、ラングスドルフは一本の魚雷が敵戦艦にもたらした惨状を悟った。

おそらく、被雷した箇所はスクリューだ。魚雷はスクリューシャフトをへし折るかプロペラを全損させ、推進力をゼロにしたのだ。

いかに三十ノットを発揮できるタ級でも、こうなってしまえば進む事もバックすることも出来ずに、海上に停止してしまう。

 

「敵艦、完全に停止。速力ゼロノット!」

 

一旦は開きかけた距離が、急速に近づき始める。

敵戦艦は足を失い、途方に暮れているように思えた。

 

「全艦、魚雷発射準備。相手は停船中だ。外すなよ」

 

ラングスドルフは勝利を確信し、下令した。

敵戦艦は、何発もの砲弾を喰らっても健在だった。トドメを刺すには、魚雷を命中させる必要がある。

幸い、「アドミラル・シューア」は四連装二基、「プリンツ・オイゲン」は三連装四基、「シャルンホルスト」は三連装二基の魚雷発射管を装備しており、三隻で五十三.三センチ魚雷十三本を片舷に向けて放つことができる。

 

敵戦艦が、最後の抵抗を試みる。

後部第三砲塔を繰り返し咆哮させ、三発ずつの四十センチ砲弾を「シューア」に叩き込む。

だが、精度は高くない。三発とも検討外れの海面を叩き、水柱の姿は闇に消える。

それは、第一砲塔、第二砲塔が加わっても同じだ。

発射された砲弾がドイツ艦をえぐることも、爆圧が艦底を築き上げることもない。今までの猛威を振るっていた四十センチ砲の面影はなく、著しく正確さを欠いている。

当てずっぽうに撃っているようにしか思えなかった。

モスキートの叩きつけた大量の爆弾が、射撃に不可欠な射撃管制レーダーや測距儀を傷つけ、射撃中枢を破壊したのだろう。

 

今やタ級の戦艦は走攻守のうち、「攻」と「走」を抜き取られている。「守」にしても回避運動が封じられている中で、耐えられるともおもえない

 

三隻は、停止しているタ級戦艦の右舷側を後ろから前へ追い越す針路を描いており、「シューア」がタ級の右正横に差し掛かっている。

敵艦との距離は五千に満たず、しかも停船している。魚雷を外す道理はなかった。

 

「チェックメイトだ。深き海の戦艦よ」

 

ラングスドリフは小さく呟き、全艦に指示を出した。

各艦の艦上に圧搾空気の音が響き、魚雷十三本が海中に放たれる。

やがて、敵戦艦の舷側に何本もの水柱がそそり立った。

 

海上に轟く炸裂音が、タ級戦艦の断末魔のように聞こえた。

 

 

 

 

第七十八話 独艦奮闘機動烈火海峡:下





ラバウル防衛成功!

感想待ってます、


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第五章 墓標ソロモン
第七十九話 ガダルカナルへの尖兵


いよいよ反撃です!
空の要塞が登場します





*一話から七話まで大規模改訂を実施しました


1

 

人類統合航空軍戦略爆撃機兵団第四十四(44)五十三(53)統合爆撃群(JBG)に所属するB17“フライング・フォートレス”F型九十六機は、ガダルカナル島西方四十浬の空域に到達した。

 

日時は、6月19日。イギリス海軍E2部隊とドイツ海軍ラバウル戦闘群がタ級二隻を中心とする敵艦隊と激突したニューアイルランド島沖海戦から、一週間が経過している。

今まで、ラバウル・カビエンに展開する第二航空集団とニューギニア島ポートモレスビーに展開する戦略爆撃機兵団は基地拡張に力を入れており、飛行場姫がいるガダルカナル島に対して空襲を実施してこなかった。

戦闘機と高性能レーダーを組み合わせた基地防空には力を入れてきたが、B17や一式陸攻がガダルカナル上空に姿を現わすことはなかったのだ。

だが、ニューアイルランド島沖海戦に勝利したことで、統合航空軍を取り巻く状況は変わった。

同海戦では英独で、装甲艦「アドミラル・グラーフ・シュペー」と軽巡「グロスター」「マンチェスター」、駆逐艦五隻を失い、戦艦「シャルンホルスト」軽巡「リヴァプール」「ハーマイオニー」駆逐艦三隻が大破ないし中破の損害を受けた。

だが、与えた損害は敵の方が多い。

タ級戦艦一隻とツ級軽巡二隻、駆逐艦三隻を撃沈し、他にもタ級、リ級重巡一隻ずつに大破と断定される打撃を与えている。

四十センチ砲を搭載した戦艦を撃沈したことは、大きな戦果である。

だが当初、撃沈した戦艦は二隻だと考えられていた。

ドイツ艦隊と戦ったタ級は六本もの魚雷受け、イギリス艦隊と戦ったタ級は魚雷一本と二百発以上の砲弾を撃ち込まれている。

両艦とも損傷が激しく、英独艦隊司令部も撃沈だと考えていたが、夜明け後に哨戒艇が確認に向かったところ、前者は艦底部を晒して横倒しになっていたが、後者は海域のどこにもいなかった。

六本の魚雷を受けた艦が未だに沈んでいなかったのを考えると、それよりも早く海中に没したとは考えにくい。

イギリス艦隊と戦ったタ級は大破しつつも、ビスマルク諸島から離脱したのだ。

 

敵戦艦を取り逃がしたものの、深海棲艦隊のラバウルへの艦砲射撃は阻止しており、それを凌いだことでラバウル、カビエン、ポートモレスビーの拡張作業はさらに活発になった。

そして二日前。大規模な重爆撃隊、高速爆撃隊を基地に迎え入れ、今日、戦略爆撃機兵団はガダルカナル島への反撃に打って出たのだ。

 

「機長より総員、ガダルカナルのルンガ飛行場姫まで約四十浬。敵機の迎撃が予想される。警戒を怠るな」

 

53JBG十七号機にて上部旋回銃塔を担当するクリフォード・トンプソン兵曹のインカムに、機長であるエイブラム・ミラー少尉の雑音混じりの声が響いた。

それを聞いてクリフォードは自らが司るブローニング十二.七ミリ重機関銃二丁の安全装置を外し、今一度周囲の確認と動力駆動銃塔がしっかりと回転するか確かめる。

 

「クリフォード、上方に視界があるのはお前だけだ。頼んだぞ」

 

「任せてください」

 

エイブラムはインカムを切り、肉声でクリフォードに念を押した。

B17の上部旋回機銃はコクピットの上な備え付けられており、パイロットと銃手は比較的コミュニケーションが取れるのだ。

 

十七号機の周囲は他のB17に囲まれており、眼下には南洋の暴力的なまでの日光に照らされてぎらぎらと輝いている広大な珊瑚海が、左方にはソロモン諸島の島々が存在しているのがわかる。

 

(今後の戦いは、爆撃機乗りにとって過酷なものになる)

 

クリフォードは周辺警戒を続けながら、これから自分達に訪れるであろう運命に想いを馳せた。

 

ラバウル、ポートモレスビーの基地化が終了した時点で、統合軍南太平洋方面艦隊は次の一手に移っている。

ソロモン諸島の一角であるブーゲンビル島に兵を進め、同島に戦闘機飛行場や早期警戒レーダーを建設すると共に、東方のショートランド島に新たな泊地を整備した。

泊地には南太平洋艦隊隷下の重巡、駆逐艦が展開して攻撃・防衛に備えており、早くも少数の沿岸監視員(コースト・ウォッチャー)が次目標であるニュージョージア島に上陸している。

 

だが、これらの島々に深海棲艦は進出していない。

ブーゲンビル島もショートランド島も、ニュージョージア島も“FS”作戦の遂行には必要な土地だが、あくまでも当面の主目標は「ガダルカナル島」、引いても同島北岸のルンガに建設されているルンガ飛行場姫の完全破壊である。

 

ラバウル、ポートモレスビーの基地化も、ルンガ飛行場姫に対抗するために行われたことだ。

ルンガへの攻撃は、それらに展開する基地航空隊ーーー第二航空集団と戦略爆撃機兵団が担当することになる。

 

ルンガ飛行場姫はクラーク・フィールド飛行場姫に勝るとも劣らない規模を持っており、防空体制も相当なものだろう。

昨年実施された“KD”作戦の航空戦に参加した経験があるクリフォードからすると、そんな迎撃体制が敷かれた敵地に爆弾を投下するなど、二度としたくはない。

だがルンガを落とさなければ、“FS”作戦の遂行は叶わない。

統合航空軍は、ルンガが沈黙するまで幾度となく航空攻撃を実施しなければならないのだ。

その間に何人の兵士が命を落とすのかを考えると、悲観せざる終えなかった。

 

「“ブラックバード・リーダー”より全機。ターゲット・ルンガまでおよそ二十分。激しい出迎えが予想される。各機、今までの過酷な訓練を思い出し、ベストを尽くせ。これ以上、奴らの好き勝手にさせるな」

 

編隊総指揮を執る44JBG司令のレイフ・アンカーソン大佐の声がレシーバーから聞こえた。

レイフの鼓舞に攻撃隊の全員が覚悟を決めた時、「敵機!」の叫びがレシーバーに飛び込んだ。

ほとんど同時に梯団後方のB17が火を噴き、黒い影がその側面を高速で上から下へ通過した。

 

「全機、直上より敵機。撃て!迎撃しろ!」

 

(上空からのトップアタックか!)

 

クリフォードは罵声を発しつつも銃塔を旋回させ、重機関銃二丁の仰角を最大にまで上げる。

もう一機のB17が被弾する。左翼のエンジンが二基とも炎上し、速力を落として高度を下げる。

クリフォードは目を凝らし、頭上を見やった。太陽光が眩しすぎ、急降下中であろう敵戦闘機を視認できない。

だが、素早く色つきのゴーグルに付け直し、凝視する。

 

「見えた!」

 

直角に近い角度で降下する敵機を発見し、照準器の中心に据えてトリガーを引きしぼる。

耳をつんざく音と共に、二門の十二.七ミリ重機関銃から連続して銃弾が吐き出された。一発一発を発射するごとに銃把が振動し、橙色の発射炎が二つの細長い銃身から噴き出る。

照準器に据える敵影は瞬く間に膨れ上がり、右に逸れた。

 

刹那、敵機は猛速で十七号機の左を上から下へ通過している。

風圧が十七号機の機体を小刻みに揺らし、敵弾が命中したのだろう、七、八回甲高い打撃音が機内に響き渡る。

 

畜生(ガッデム)…!」

 

大量に放たれた十二.七ミリ弾は、命中しなかった。

加えて、頭上から近づいてくる敵機は上部機銃を担当する自分が真っ先に発見しなければならない。

自分の気の緩みが、この事態を招いたのではないか…と思わずにいられなかった。

 

「クリフォード!まだ来るぞ!」

 

エイブラムの大声で、クリフォードは我に帰る。

十七号機を狙っている敵機は一機だけではなかった。二番機、三番機が一番機に遅れじと逆落としに突っ込んでくる。

 

(今度はきちっと鉛玉ぶち込んでやる…!)

 

口中で叫び、引き金を引く。

再びブローニング重機関銃が咆哮し、直進性に優れた十二.七ミリ弾が上空に駆け上がった。

空中で十二.七ミリ弾と敵戦闘機から放たれた機銃弾がすれ違い、十七号機の胴体に命中して火花を散らせる。

射撃戦は数秒で終わる。

二番機は先の一番機と同じく、機影も確認できないほどの高速でB17の脇を上から下へ通過し、下部機銃塔の追撃を避けながら下方へと消える。

だが、三機目は捉えることができた。

敵機の機首に十二.七ミリ弾が命中し、相対速度の大きさが相まって大きく引き裂かれた。黒煙を吐き出し、きりもみ状態になりながら海面へと落下する。

 

「オスカーじゃない⁉︎」

 

被弾墜落してゆく敵機を見ながら、クリフォードは驚愕の声を上げた。

 

深海棲艦は、黒い二等辺三角の胴体に白い歯、機銃、エメラルドグリーンの発光部を乗せた甲型戦闘機(オスカー)と、屈折部に半球を乗せた巨大なブーメランのような乙型重爆撃機(ベティー)の二機種しか保有さていない。

甲型戦闘機は多用途機の性能をはらんでおり、戦闘・急爆・雷撃に対応できたため、深海棲艦はたった二種類であらかたの航空作戦を実施することができたのである。

だが、今B17編隊を襲撃している敵機は、オスカーやベティーに似ても似つかない。

オスカーやベティーは紛れもなく異形な軍用機だが、曲がりなりにも航空機である。人類の機体と似通う部分はいくつかあった。

だが深海棲艦の新型機は、完全に航空力学を無視した形状をしている。

オスカーと違って白を基調としており、完全に球状だ。

球の上部にはネコ科動物の耳のような補助翼が付いており、球の左右には小さながらも主翼のようなものを確認できる。

そんな機体の中でもっとも目を引くのが、ギラギラの歯を並べたデカイ口と、オレンジ色の光を発する二つの目である。

オーストラリアの地上戦で猛威を振るっているBDを、少し小さくして白で塗って空に飛ばしたような機体だ。

 

「敵機は新型機だ!注意しろ!」

 

レイフ大佐の緊迫した注意喚起が響き、被弾した敵新型機が黒煙を引きずりながら脇を通過する。

完全な撃墜を確認する前に、クリフォードは自機を狙う敵機が他にいないか目を配る。

その時に眼前に広がった光景を見て、クリフォードは息を呑んだ。

 

十機前後のB17が黒煙を引きずっており、それとほぼ同数が編隊から落伍している。

何機の敵新型機が襲いかかったか分からないが、頭上からの不意をついた急降下攻撃によって、一個梯団分の機体が大きな被害を受けたのだ。

損傷が激しい機体は爆弾を投棄し、比較的近いブーゲンビル島の飛行場を目指して反転する。

それが叶わぬ機体も北へと針路を取り、出来るだけ島に近い海域での不時着を試みる。

それすらもできない機体は海面に叩きつけられ、または誘爆したのか空中で爆発四散し、十名の航空兵が命を散らす。

 

B17はただの爆撃機ではない。合衆国が満を持して送り出した「護衛なしでもやっていける」四発戦略重爆撃機だ。

二十ミリ弾にも耐えうる強固な防弾板が機体中に張り巡らせされており、死角がないように多数の十二.七ミリ旋回機銃が搭載されている。加えて、自動消火装置などのダメージコントロールも秀でている。

そんな機体をいとも簡単に撃墜したとなると、新型機はオスカーよりも強力な機関砲を搭載しているのかもしれない。

 

「右から来るぞ!突き上がってくる!」

 

右側面機銃を担当するマーティン・ブリックス軍曹の声がインカムから飛び込み、クリフォードは銃塔を右に旋回させた。

急降下攻撃を終えて低高度に降りた敵機が、新たな獲物を求めて上昇してきたのだ。

上部に設置されている旋回機銃では、下方の敵機は銃撃できない。敵機が攻撃を終えて頭上に飛び出した時に、射撃を見舞うつもりだった。

クリフォードは銃座から身を浮かし、下方に目をやる。球状をした敵機の数は三。

折しも、十七号機の右方を並走する十五、十八号機を攻撃しようとするところだった。

 

マーティン軍曹の右側重機関銃と、機首下部の連装ガンターレット、下部の動力駆動銃塔が射撃を開始する。

狙われている十五号機、十八号機も、その前方を飛行する十二号機も下方を射界に収めている機銃を撃つ。

青白い曳光弾を含んだ火箭が三機に降り注ぎ、一機が白煙を引きずって高度を下げる。

弾幕を突破した二機が機銃を撃ちっぱなしにしながら十五号機に肉薄し、B17の右前方をかすめるようにして通過する。

クリフォードはその未来位置目がけて機銃を放った。放たれた火箭は敵機の尾部をかすめて虚空に消える。

クリフォードが空振りを悟った時、十五号機の右主翼から炎が躍り、破片と黒煙が噴出した。

十五号機は瞬く間に減速し、梯団から落伍する。

 

「メーデーメーデー。こちら“ブラックバード15”。被弾した!墜ちる、墜ちる!」

 

続いて、前方を進むB17が機首に被弾する。

きらきらとしたものが舞い、機体が大きく傾く。

コクピットを粉砕されたのか、海面に向けてまっしぐらに墜ちてゆく。

続けて左後方で一機がやられる。

敵機から放たれた機銃弾が水平尾翼を吹き飛ばし、そのB17は機体全体が独楽のようにくるくると回りながら墜落する。

 

「また来るぞ、正面だ!」

 

味方機が続々と撃墜される中、エイブラム機長の絶叫がインカムに響く。

クリフォードが敵機に対応すべく銃塔を正面に向けた時には、敵新型機は十七号機の頭上を高速で通過している。至近距離ですれ違ったらしく、クリフォードは敵機の発する凄みに身をすくめた。数発が機体をかすめ、鋭い打撃がB17の巨体を震わせる。

敵機は、明らかにオスカーよりも速い。

オスカーを相手にしているつもりでやると、放つ射弾は敵機の後方を貫くだけだ。

いつもよりも素早く反応しなければ、こいつとは戦えない…!

後方から真っ赤な光が届いた。

十七号機を攻撃した敵機が、後続のB17を撃墜したのだ。

間髪入れず、新たな敵機が後ろ上方から迫る。

クリフォードは目まぐるしく銃塔を旋回させ、照準器の十字に敵機を据えた。

 

「墜ちろ!」

 

小さく叫び、動力銃塔のトリガーを引いた。

周囲のB17も上部機銃を発砲し、青白い曳痕が縦横に飛び交って地吹雪さながらの様相を呈す。

迫り来る射弾に怯んだのか、敵機は距離があるうちに機銃を撃ち、左に旋回して高速で離脱する。

それに対し、クリフォードは銃塔を旋回させて追従した。放たれた火箭は敵機の前方に飛び、敵機は自ら十二.七ミリ弾の奔流に突入することとなった。

機体中を弾丸がえぐり、その敵機は空中分解を起こす。

一機撃墜確実の戦果を上げ、十七号機の機内に歓声が湧く。

 

だが、撃墜に成功する銃座は少ない。

墜落するB17は増加するばかりである。各機の銃座は必死の表情で射弾を放って敵機を近寄らせじとするが、一機、また一機と被弾し、梯団から落伍する。

敵新型機はオスカーよりも速度、火力共に上であり、同機に慣れた銃手たちでは補足するのが困難なのだ。

敵機はB17群の周囲を俊敏に動き回り、機銃弾を叩き込む。B17は大量の火箭をむちのようにしならせて弾幕を張り、対抗する。

全体の一割が海面に墜落し、二割がなんらかの傷を受けているが、レイフ大佐から撤退命令が下る事はない。

B17群は何かに突き動かされているかのように、ガダルカナル島を目指して進撃を続ける。

 

一機撃墜の戦果を上げた十七号機にも、敵機は迫る。

 

「左後方から回り込んでくる。撃て撃て!」

 

尾部機銃を担当するアッシャー・フランク軍曹が叫び、尾部の十二.七ミリ連装機銃が火を噴く。

やや遅れて、クリフォードも後方に向けて射弾を放った。

計四条の青白い曳痕が、回り込んでくる敵機に殺到する。だが敵機はそれを横ロールでかわし、水平飛行に戻る力を利用して機首を十七号機に向けた。

真っ赤な閃光が走り、敵弾が迫る。

オスカーが装備する機銃は二十ミリ一門のみだったが、新型機は二十ミリかそれ以上の機関砲を束で装備しているようだ。凄まじい数の敵弾が投網のように迫りくり、一条が上部動力銃塔の頭上をかすめて前方に消える。

それにクリフォードが怯んだ時、十七号機を衝撃が襲った。

尾部から機首までを衝撃が貫き、クリフォードは銃塔を覆う風防に後頭部を強打する。

機体が不穏な振動を続ける中、敵機は身を翻して下方へ離脱した。

十七号機の振動は激しくなる。心なしか機体が右へ左へと振り子のように揺れ始めた。

 

「…!」

 

垂直尾翼が大きく損傷している。

縦五メートル以上の方向舵が欠損しており、十五、六個の弾痕が目立つ。外板が剥がれており、骨組みが覗かせている。

巨大な尾翼だが、空気抵抗に耐えきれなかったのだろう。数秒後には根元からちぎれ、後方へと吹き飛んだ。

それを境に、B17はがぐんと振動する。巨大な四発機は安定性を失い、落下を開始した。

凄まじいGがクリフォードの身体にかかり、遠心力によって銃座に押さえつけられる。

十七号機はくるくると回転しており、視界には空と海が交互にくる。

 

「き…機長!エイブラム機長…!」

 

クリフォードは身体から声を絞り出し、インカムで機長を呼び出す。

エイブラム機長は第一次ルソン沖海戦の航空攻撃にも参加した経験があり、軍歴はクリフォードよりも遥かに長い。

そのベテランの技量を持って、この状況を打破してくれ…と期待したのだ。

だが、エイブラム機長から返信が来ることも、機体の安定が回復することもない。

海面との距離は瞬く間に詰まる一方であり、波の一つ一つまでが、はっきりと見えるようになる。

B17では搭乗員全員にパラシュートが装備されており、機外に出れば生存の可能性がある。その考えに至ったクリフォードは脱出しようともがくが、身体は恐ろしく重い。

銃座に肉体が張り付いたようになり、指一本動かせない。

クリフォードの口から絶望の呻きが漏れる。

視界を珊瑚海の青々とした海面が占めた時、それは絶叫に変化した。

最後の断末魔でさえ、風切り音に遮られる。

刹那。凄まじい衝撃が機体を揺らし、けたたましい音が耳をつんざく。

十七号機は海面に激突し、木っ端微塵に砕け散った。

 

ーーー攻撃隊は、なおも進撃する。

やがてガダルカナル島を視界内に収め、著しく数を減少させながらも島上空へと侵入する。

戦闘機に変わって、凄まじい高射砲の弾幕が攻撃隊を出迎えた。

 

 

 

 

 

 

 

第七十九話 ガダルカナルの尖兵




今回はB17の死闘と深海棲艦の新型戦闘機を描きました。

史実と同じく、ガダルカナルの飛行場は守りが堅そうですね。戦局はソロモン諸島の覇権に移りました。

感想待ってます


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第八十話 He111と陣山夜戦

二度目のガ島航空攻撃です。



ちなみにTwitter始めました→@9bpJMAQfYUT8Ccb


1

 

ガダルカナル島への二度目の攻撃は、夜間だった。

 

「現在位置、ラバウルから四百九十浬。ルンガまで三十五浬。飛行場姫よりの方位300度。目標上空まで約十五分」

 

第二航空集団隷下ドイツ空軍第四十二爆撃航空団(K G 4 2)のハインケルHe111で航法士と機首旋回機銃手を兼任するレオン・カウフマン少尉は、作業灯で照らされたチャートを見ながら報告した。

 

「“ラガー1”より全機。無線封止解除。エスペランス岬上空から突入する。高度四百、続け」

 

カウフマンの報告を聞いたKG42飛行隊長のヨーゼフ・フォイルナー中佐は部下の機体に命令し、操縦桿をゆっくりと奥に倒した。

He111群は二千メートルから四百メートルに高度を落とすため、降下を開始する。

ガダルカナルには深海棲艦の対空レーダーが設置されていると予想されるため、高度を下げ、なるべくそれにかからないようにするのだ。

距離三十五浬は、集団司令部で予想された敵レーダーの最大探知距離だった。

攻撃隊の機数は六十二機。本部小隊の四機と、第一飛行隊(Ⅰ/K G 4 2)第二飛行隊(Ⅱ/K G 4 2)の五十八機にて構成されている。

これらの他にも、護衛として日本海軍の陣山乙型(夜間戦闘機型)十八機が付き添っていたが、詳しい所在は分からなかった。

カウフマン少尉は、He111が高度を下げるに連れて漆黒の海面がせり上がってくることに若干の恐怖を感じた。

He111は現時点におけるドイツ空軍の主力爆撃機であり、二基のエンジンに挟まれた機首は、昆虫の複眼のように全体がガラス張りになっている。

ラバウルのラポポ飛行場やカラヴァド飛行場でよく見る一式陸攻や、ポートモレスビーに展開しているB17のように一段上がってコクピットがあるわけではない。空気抵抗を最小限にするために機首から尾部までを段差なく設計されており、巨大なガラス張りの機首がコクピットと爆撃手席、機首機銃を兼任しているのだ。

機首の視界はとても広く、せり上がってくる海面も視界のほとんどを占める。

もしもパイロットが少しでも操縦を誤ればそのまま海面に叩きつけられ、自身の肉体が粉砕されるかもしれない…。

カウフマンにはそのような不安感があったが、フォイルナー中佐は的確な操縦でHe111を操り、高度四百メートルで水平飛行に移った。

 

フォイルナーは予定を通り、ガダルカナル島の西岸から低空飛行で島上空に突入するようだ。

ガダルカナル島は東西に長く、東端を南に、西端を北にそれぞれ折り曲げた形をしている。

目標たるルンガ飛行場姫は西寄りの北岸に位置しており、西端であるエスペランス岬から島上空に侵入すれば、最短距離で飛行場姫に取り付くことができるのだ。

 

(夜間爆撃なら、この戦況を打破できるかもしれん)

 

カウフマンは、出撃前に受けた航空団司令ベルンハルト・フォン・アウフマー大佐の訓示を思い出している。

大佐は昼間にガダルカナル島を攻撃した戦略爆撃機兵団の重爆隊が未知の新型機によって大きな被害を受けたこと、それらがルンガ飛行場姫に与えた被害が僅少であること、君達らの技量と夜間爆撃という戦法を用いれば、飛行場姫を完全破壊することは決して不可能ではないことを伝え、搭乗員の奮起を促した。

統合航空軍のルンガへの攻撃は、初日からつまずきを見せている。

KG42は敵機の迎撃を受けない夜間に大量の中型爆撃機を突入させ、完全破壊に至らぬまでも、一、二週間は使用不能にさせることが求められていた。

六十二機のHe111は、本部小隊とⅠ/KG42の三十二機を前衛、Ⅱ/KG42の三十機を後衛に配し、二段構えの編隊で高度四百の空域を進む。

カウフマンは航法士としてチャートに航路を書き込みつつ、機首機銃手として七.六二ミリMG81機関銃の銃把を握る。威力不足として順次二十ミリMG・FF機関砲に置き換わりつつあった機首機銃だが、換装が間に合わず、従来と同じ機銃で今回の作戦に挑んでいた。

KG42の攻撃隊は、平穏な飛行を続ける。

はぐれ機が出ることも、操縦をミスって海面に衝突することもない。日本軍夜間戦闘機の位置が不明な事を除けば、概ね予定通りの行軍だった。

だが、パヴヴ島を飛び越え、左前方にサボ島が、正面にガダルカナル島がぼんやりと見え始めた頃、異変は起きた。

He111の発するエンジン音に別の音が重なっている…と感じた刹那、闇夜の一点から真っ赤な火箭がほとばしり、発射された射弾が右前方を進むハンス・ホレーベンⅠ/KG42隊長のHe111に突き刺さった。

 

「何⁉︎」

 

のっぺりとした主翼、段差のない涙滴型の胴体が暗闇に浮かび上がり、右エンジンが火焔をしぶかせる。

推力の半分を失った機体は大きく傾き、高度が低いことも相まって、短時間で海面に叩きつけられた。

被弾墜落の一部始終を目撃した搭乗員らが愕然とする中、二機目が被弾する。

Ⅰ/KG42隊長機と同様。夜空の一点から真っ赤な機銃弾が放たれ、後方を進んでいたHe111に命中する。その機体は燃料タンクに受けたのか、一際目立つ閃光が闇夜を貫き、ばらばらに砕け散った。

続けざまに二機が墜される中、頭上の星々の光を遮り、球体の形をした何かが高速で本部小隊を飛び越えた。

 

「夜間戦闘機!」

 

「 “ラガー1”より全機、敵の夜戦だ!」

 

カウフマンは敵の正体を見抜き、それを聞いたフォイルナーが部下に警告を発する。

今まで雷装のオスカーが夜間攻撃を実施したことはあったが、夜間に戦闘機が出現したことはなかった。深海棲艦の航空部隊も人類と同じく、夜間は不活発だったのだ。

だが、深海棲艦は夜間でも空戦を行える戦闘機を開発し、多数をガダルカナル島に送り込んでいた。夜のガダルカナルは、夜間戦闘機が跋扈する危険な空域に変わってしまったのだ。

 

(まさか…敵の新型機が?)

 

カウフマンの脳裏に、日中B17を苦しめた球状敵戦闘機の姿がよぎった。

暗闇で良く見えなかったが、敵機の輪郭は球状だった気がする。敵新型機が、夜戦の能力も持っているのかもしれない。

だが敵の正体が判明しても、攻撃隊に為す術はない。

He111にレーダー照準式旋回機銃などという代物は搭載されておらず、照準は肉眼が頼りだ。

夜間に迫りくる敵機は視認することができず、回避も難しいだろう。

そんな中。三機目、四機目が被弾して海面に激突し、後方のⅡ/KG42でも被弾機が続出する。

各機の銃座は恐怖心に駆られ、夜空に撃ちまくる。

無数の曳光弾が星空をバッグにいくつもの道筋を示し、大量の七.六二ミリ弾がばら撒かれる。

敵機の姿は目に見えないため、手当たり次第に弾幕を張っているのだ。

それが夜戦を捉えることはほとんどない。

逆に敵夜戦はHe111の姿を的確に補足し、暗闇から破壊力のある機銃弾を放ってくる。機上レーダーを装備しているのかわからないが、無慈悲で確実だ。

一機、また一機と火を噴き、ガダルカナル島に到達する前に墜とされてゆく。

敵はHe111よりも速度、機動力共に上であり、姿が見えず、逆にKG42は敵に丸見え…という状態がよほど操縦士の心理に堪えたのだろう。回避運動を行う機体が増え、編隊が乱れる。

 

「“ピルスナー”全機、編隊を崩すな!」

 

Ⅱ/KG42隊長であるフリッツ・ベルンシュタイン少佐の怒号が無線機に響くが、回避は止まらない。編隊の密度は薄くなり、前後左右に伸びる。

 

「くそ、くそったれ!なんなんだよ!」

 

カウフマンは尉官にあるまじき罵声を吐きながら、MG81の銃口を振り回して乱射する。MGシリーズは発射速度が速く、数秒の射撃でも数を揃えれば濃密な弾幕を形成できる。

だが、ただ闇雲に撃っているだけでは、高性能なはずの連射音も虚しく響くだけだった。

カウフマンは視野の広い機首にいるものの、敵機を視認することはできない。発射炎や星を遮る影、敵の飛行音を感じ取り、勘で大まかな位置に放つだけだ。

「攻撃されても、反撃をすることができない」という戦況が、五分以上続く。ルンガは決して遠くないはずだが、ルンガとHe111群との間には数字では測れない途方もない隔たりがあるように思えた。

 

「“ラガー4”被弾!“ヴァイス9”、“ヴァイス17”被弾!」

 

副操縦士兼KG42副官ののハインツ・ヴィーラー大尉が、悲痛な声で報告する。

本部小隊四番機を含む三機が新たに被弾し、十五名の優秀な航空兵が命を散らしたのだ。

唯一の救いは敵夜戦の数が思ったよりも少ないことだが、十機以上のHe111が撃墜されている中で、喜ぶ材料にはならない、

 

「全機、島上空までもう少しだ。頑張れ!」

 

絶望的な状態だが、フォイルナーは諦めていない。

部下の機体に声援を送り、自機を最大速度の400キロでルンガに向けて突撃させる。

言葉の裏腹には、なんとしても投弾する…という強い意志を感じることができた。

だが、被弾機は増える一方だ。

とあるHe111は機首から左主翼の付け根にかけて敵弾を喰らい、コクピットを潰され、主翼はちぎれ飛んだ。安定と操縦士を失った機体はくるくると回転しながら高度を下げ、ガダルカナル島の西側沿岸部に叩きつけられて粉砕される。

ほとんど同時にもう一機が被弾し、空中分解を起こしてエスペランス岬に無数のジュラルミン片をばら撒く。

後続機でも、被弾機が相次ぐ。

 

率先してガダルカナル島上空に侵入したフォイルナー機にも、正面から機影が迫った。

He111とは違う音色のエンジン音が轟き、星々の光を影が遮った。

それに対してカウフマンはMG81を放とうとしたが、寸前で思いとどまる。

敵機だと思っていた機体に発射炎が閃らめいた瞬間、光で形状が浮かび上がり、双発機だということに気づいたのだ。

双発機の機首から放たれた射弾の束は、フォイルナー機の頭上を通過し、後方から接近していた敵機に吸い込まれる。

多数の二十ミリ弾を喰らった敵機は火焔に包まれ、フォイルナー機を追い越してガダルカナルのジャングルに墜落した。

だった今敵機を撃墜した人類の双発夜間戦闘機は、頼もしいレシプロ・エンジン音を轟かせながらカウフマンの頭上を通過し、新たな敵機を求めて上昇してゆく。

 

「ジンザン!」

 

意図せず、カウフマンの口からその言葉が突いて出た。

ドイツ人にとってかなり奇妙な発音だが、この上なく頼もしい名前に聞こえた。

突然救援に出現した二十機近い陣山乙型(夜間戦闘機型)は、He111群とすれ違い、敵機に斬りかかってゆく。

 

「助かった。助かった!」

 

「やれ!やっちまえ!」

 

「行け、深海の航空機どもを叩き墜とせ!」

 

窮地に陥っていたHe111のパイロット達は、思いがけない援軍に安堵し、そして和製モスキートに声援を送る。

カウフマンからは一機しか見えなかったが、敵夜戦は陣山乙型による初撃で三機を失い、残りの十一機は攻撃回避のためにHe111群から引き剥がされる。

陣山乙型は、機首のドームの中に搭載した前方五千メートルの探知範囲を持つMk. VIII機載レーダーを駆使し、暗闇というヴェールのその先に存在する敵に対して挑んでゆく。

夜間戦闘機同士の戦いでは、ドッグファイトなどの機動力に物を言わせた空中戦は発生しない。

レーダーが探知した敵機に対して、射弾を叩き込むだけだ。

カウフマンはバックミラーを見やり、He111群の後ろ上方で火箭が飛び交う様を見る。

夜戦仕様の和製モスキートと球状の敵夜戦が交戦しているが、どの交戦空域でも、規模は小さい。彼我共に同士討ちを警戒しているようだ。

攻撃隊は最大の脅威であった敵夜戦の攻撃を回避した。あとは対空砲火を突破し、飛行場姫に投弾するだけだ。

だが、攻撃隊を阻む敵はまだ残っている。

 

「“ラガー2”より全機。正面に敵飛行場!」

 

本部小隊二番機から目標発見の報が飛び込んだ刹那、地上からいくつもの光芒が夜空に向かって放たれた。

一条がフォイルナー機を捉え、カウフマンは眼下から駆け上がる光量に思わず顔をしかめた。

次の瞬間、多数の高射砲が火を噴き、フォイルナー機の周囲に稲光のようにして敵弾が炸裂する。

機体が爆風に煽られ、軋み、破片が当たったのか甲高い音が機内に響く。

フォイルナーは操縦桿を左に倒し、探照灯の光から脱出しようと試みるが、光芒はフォイルナー気に追随し、離さない。

光芒に照らされたのはカウフマンのHe111だけではない。十二、三機が地上の探照灯に捕捉され、夜空にその姿を浮かび上がらせる。

ルンガ飛行場姫には夜間対空射撃用の探照灯が多数配備され、高射砲と共に攻撃隊を待ち受けていたようだ。

夜空にさらけ出されたHe111に対して、飛行場姫周辺の高射砲陣地から精度の高い射弾が次々と撃ち上げられる。

He111は右に左にと照射範囲から出ようともがくが、探照灯に捕捉され続け、至近距離で高射砲弾の炸裂を受ける。

爆圧と弾子によって切り刻まれ、暗闇で四散して破片の一つ一つが白煙を引いてガダルカナルの大地に降り注ぐ。

ばっさりと片方の主翼を離断され、きりもみ状態になるHe111や、飛びっ散った鋭い破片によってガラス張りの機首を叩き割られ、操縦士を失って真っ逆さまに落下するHe111もいる。

だが、四十機以上のもの爆撃機を高射砲のみによって撃退することはできない。

各機では爆弾槽が開き、爆撃手が照準器を覗いて調節に入る。

やがて…。

 

「“ラガー”、“ヴァイス”、投下始め!」

 

フォイルナーが無線機に叫び、各爆撃手は投下ボタンに添えた親指に力を込める。

He111の機体が、小刻みに上下に揺れ始めた。遥々抱いてきた二五〇キロ爆弾八発を二発ずつ四回に分けて投下しているのだ。

He111は爆弾を先端を上、尾部を下にして搭載している。投下される瞬間に自重で先端が下を向くため、やや特殊な振動が機体を揺らすのだ。

 

「全機、全弾投下完了」

 

「“ピルスナー”投下完了」

 

副官のヴィーラーと、後続の編隊を指揮するベルンシュタイン少佐の報告が続けざまに上がる。

“ラガー”、“ヴァイス”こと本部小隊とⅠ/KG42の残存二十四機。“ピルスナー”ことⅡ/KG42の残存二十三機。計四十七機のHe111が、合計三百七十六発の二五〇キロ爆弾を投下したのだ。

低空からの水平爆撃だったことや、敵探照灯の妨害があったことを考えれば相当ばらけてしまったと思われるが、最低五十発は滑走路を直撃しているだろう。

完全破壊には届かないものの、数日は使用不能に陥れることに成功したのだった

 

 

 

第八十話 He111と陣山夜戦





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第八十一話 次の一手


この世界の太平洋戦争も、史実と同様にガダルカナルの戦いに身を投じていきます。



1

 

「ガダルカナル…」

 

人類統合軍南太平洋方面艦隊司令官のジェームズ・ソマーヴィル英軍中将は机上の海図に視線を落とした。

視線は、引いても飛行場姫の存在を示す黒い飛行機型の駒を置かれたガダルカナル島北部に向いている。

場所は会議室。ラバウル港湾施設のビルを接収し、艦隊司令部の庁舎として使用している。

室内では南太平洋艦隊を構成する英軍H部隊、日本軍第八艦隊、米軍オセアニア艦隊から輩出された司令官、参謀、統合航空軍の主要幕僚が机を囲んでいた。

 

「ガダルカナルのルンガ飛行場姫は、予想以上に頑強です」

 

第二航空集団(2 A D)と第十一航空艦隊の参謀長を兼任している酒巻宗孝(さかまきむねたか)大佐が、会議の火蓋を切った。

酒巻の言葉を聞いて、一同の視線がガダルカナルに集中する。

ガダルカナル島のルンガ飛行場姫には、先月19日に行ったB17の昼間爆撃とHe111の夜間爆撃を皮切りに、今日ーーー7月13日までに大小十七回の航空攻撃を実施している。

戦略爆撃機兵団(S B A C)のB17や英空軍のアブロ・ランカスター、ビッカース・ウェリントンと言った重爆撃機が昼間、2ADの一式陸攻や、陣山、He111などの高速中型爆撃機が夜間を担当し、二日に一回、多い時には一日二回の爆撃を加え、ルンガ飛行場姫を叩いた。

総出撃機数は九百八十二機。“KD”作戦参加の機数が五百機ほどだったことを考えると、飛行場姫にはその倍近い爆弾を投下したことになる。

初日のB17とHe111の攻撃は一定の成果を上げ、ラバウルや、新たに拠点となったブーゲンビル島ブイン、ショートランド泊地への空爆を一週間ほど停止させることに成功した。

2ADとSBAC司令部は早期に飛行場姫を沈黙させる好機と考え、修復を妨害する爆撃を数回実施した。

だが、ルンガは防衛体制も修復能力も、予想を遥かに上回っていた。

初日に与えた損害は一週間程で修復され、飛行場姫は対空レーダーを組み込んだ強力な防空体制を形成したのだ。

昼間、夜間問わず、ーーー日本軍が丙型戦闘機、米英軍が「フランク」と名付けたーーー強力な球状の新型戦闘機が爆撃隊を迎撃し、飛行場姫に取り付く前に多数が撃墜される。滑走路上空に躍り出しでも、多数の高射砲に狙い撃ちにされ、投下する爆弾を抱いたまま多数が墜される。

所属爆撃機は、瞬く間に数を減らして行った。

統合航空軍も手をこまねいていたわけではない。

昼間爆撃には足の長いP38“ライトニング”や零式艦上戦闘機を、夜間には機上レーダーを搭載した陣山乙型を護衛戦闘機として付けると共に、レーダーに探知されにくい低空からの攻撃や、少数機による敵レーダーサイトの破壊作戦などが立案、決行された。

だが、それらは大した効果を発揮しなかった。

ラバウル〜ガダルカナルは五二〇浬もの隔たりがあり、護衛戦闘機のパイロットは長時間におよぶ飛行に疲弊し、空戦空域で十分な働きをできなかったのだ。

深海棲艦はガダルカナル島の高地にレーダーサイトを設け、低空から近づく航空機にも目を光らせていた。加えて去年の戦訓を生かし、常時戦闘機を空中に滞空させているのだ。

統合航空軍は完璧な防備を固めた敵拠点にいたずらに航空攻撃を実施し、二百機以上の航空機を撃墜、又は激しい損傷で失っている。

このまま攻撃を続けていれば、航空兵力…特に優秀なパイロットの大消耗につながってしまう、そう言って、酒巻は説明を締めくくった。

 

「ルンガの制圧は急務です。誠に遺憾ではありますが、既存の航空兵力でガダルカナルの制空権を確保することはできません。統合艦隊の力をお借りしたい…」

 

2AD司令官の草鹿任一(くさかじんいち)中将が、項垂れながら言った。

軍人の務めは、与えられた兵力のみで作戦目標を達成することにあるが、草鹿はそれはできません、無理ですと自ら宣言したのだ。しざる負えなかったのだ。

胸中では不甲斐ない気持ちで一杯なのだろう。

 

「統合航空軍の苦しい立場は理解しました。我々としても、“FS”作戦の遂行に責任を負っている立場です。できる限りの対処は致しましょう」

 

ソマーヴィルは落ち着いた声で答えた。

“FS”作戦は日程の遅れをきたしている。その責任はガダルカナルは早急に制圧できなかった航空軍にあるのだろうが、だからと言って糾弾する気にはなれなかった。

 

「ルンガ飛行場姫を無力化する術は、今のところ二つあります」

 

ソマーヴィルが口を閉じると、待っていましたとばかりに第八艦隊参謀長の大西新蔵(おおにししんぞう)大佐が発言した。

 

「基地航空隊での攻撃は ルンガの防空体制によって封じ込められたので、残りは一つです」

 

立ち上がり、指揮棒でガダルカナル島を指した。

 

「ルンガ飛行場姫はガダルカナル島北岸、フロリダ島の対岸に当たります。五キロも内陸に入っておらず、戦艦の艦砲ならば十分射程距離に入ります。戦艦の二十八センチ以上の砲ならば、滑走路を破壊することはさほど難しいことではありません」

 

大西は、ガダルカナル島とフロリダ島の間の海域に水上艦隊を突入させ、艦砲によって飛行場姫を覆滅しようと言っているのだ。

戦艦は、火力が大きい。少数の艦隊でも艦砲射撃に成功すれば、重爆何百機分といった打撃を与えることができる。

数百発の大口径砲弾を撃ち込まれれば、航空攻撃に耐えたルンガ飛行場姫でも沈黙に追い込める。

そのように、大西は説明した。

 

「敵の戦法に習うのは、危険が大きいのではないでは?ミスター・オオニシ」

 

異議を唱えたのは、オセアニア艦隊から輩出されているカーディス・フルマー作戦参謀だった。

フルマーは大西を見やり、言葉を続ける。

 

「貴官が言った作戦は、先月のニューアイルランド島沖海戦で深海棲艦が行った戦法と同じです。敵も飛行場を艦砲で叩かれる危険は理解しているでしょうし、防衛策も用意しているはずです。砲戦艦隊をルンガ沖に突入させても、迎撃を受けて終わりです。あまつさえ、貴重な戦力を失う可能性もある」

 

「フルマー参謀に賛成です。もしも水上砲戦部隊がガダルカナルに突入する前にルンガ飛行場姫に捕捉されれば、早ければ早いほど、苛烈な空襲に晒されます。仮にそれをしのいでも、強力な敵艦隊が待ち受けているがもしれません。そうなれば部隊は艦隊戦に忙殺され、艦砲射撃は実施できません」

 

フルマーと、H部隊から参加しているエイマーズ・シリル航空参謀の二人からの異議を受けて大西は少したちろいだが、素早く反論する。

 

「艦隊を全て三十ノット以上を発揮できる艦艇で編成すれば、日が登らないうちに空襲圏を突破できます。帰路は飛行場姫は破壊されているため、空襲を受ける危険はありません」

 

「敵艦隊がルンガ沖に張り付いている場合はどうするのです?深海棲艦に『これから攻撃するからそこをどけ』と打電するのですか?」

 

シリルが英国人らしい皮肉で返すが、大西はぴくりと瞼を動かすだけで怒鳴ったりはしなかった。

 

「その場合は、彼我の戦力を考慮して現場指揮官が敵艦隊を打ち破るか撤退するかを判断すれば良い」

 

第八艦隊司令官の三川軍一(みかわぐんいち)少将が切り口上で言い、ソマーヴィルに顔を向けた。

 

「ミスター・ソマーヴィル。ガダルカナル島制圧は、急を要します。ルンガを陥とす方法は他にも幾つかありますが、南太平洋艦隊が明日にでも実施可能な作戦は、これしかありません」

 

「ふむ」

 

ソマーヴィルは思案顔になり、首をひねる。

ルンガ飛行場を艦砲にて直接叩ければ、確かに大打撃を与えることが可能だが、同時に危険も大きい。

突入部隊がガダルカナル島沖で大損害を被れば、航行不能になった艦や沈没艦の乗組員は放置せざるおえない。ニューアイルランド島沖海戦の戦場は人類の支配領域だったため乗組員の救出や大破艦の曳航は容易だったが、敵地ではそれが不可能なのだ。

加えて滑走路を少しでも見逃せば、艦隊は帰路で空襲に晒される。

深海棲艦との戦争が今後激化していくと予想される現在、大型艦艇の喪失は避けたかったが…。

 

「戦争に賭けの要素は付き物だ。大型艦を中心とした艦隊の突入作戦を決行する」

 

ソマーヴィルは意を決した。

 

「司令がご決断された。異論はないな?」

 

三川が会議室を見渡す。フルマー、シリルを含め、異議を申し立てる参謀は一人もいない。

 

「さて、決断が決まった今。参加兵力ですが…」

 

H部隊参謀長のエドワード・ケイネス大佐が取りまとめるように言い、一同の目が壁に貼られている編成表に向く。

南太平洋艦隊はH部隊、第八艦隊、オセアニア艦隊を一つの司令部が指揮する統合部隊であり、H部隊隷下には巡戦「フッド」、キング・ジョージ五世級戦艦の二、三番艦である「プリンス・オブ・ウェールズ」「デューク・オブ・ヨーク」、サウサンプトン級とリアンダー級の軽巡六隻、駆逐艦十五隻が、第八艦隊には第一艦隊から一時的に借りている第二戦隊の戦艦「陸奥」「伊勢」「日向」と、司令部直属艦の重巡「鳥海」、第七戦隊の最上型軽巡三隻、第三水雷戦隊の軽巡一隻、駆逐十二隻が、オセアニア艦隊からは第六十七任務部隊(T F 6 7)の重巡六隻、駆逐艦八隻が、それぞれ隷属している。

総兵力は戦艦六隻、巡洋艦十七隻、駆逐艦三十五隻であり、一大艦隊と言えるが、あるものが欠けていた。

 

「足らんな」

 

「足りませんね」

 

一通り編成表を見やり、ソマーヴィルと三川は顔を見合わせた。

三十ノットを発揮できる戦艦が、「フッド」しかいない。

日本戦艦の三隻は最大二十五ノット、比較的快速なキング・ジョージ五世級戦艦も、機関を振り絞っても二十八ノットが限界だ。

日英の戦艦とも、三十ノットには一歩及ばない。

これらの戦艦で作戦を強行した場合、夜間中に敵空襲圏を突破出来ず、熾烈な空襲に合うかもしれなかった。

 

「一隻の巡戦で、広大なルンガを破壊し尽くせるかな?」

 

ソマーヴィルが独り言ちるように呟いた。

ルンガ飛行場姫の航空写真は何度も見てきたが、極東クラーク・フィールド飛行場や日本軍最大の台湾航空基地に劣らない面積を誇っている。

それらを破壊し尽くすためには、滑走路などの設備に碁盤の目のように砲弾を撃ち込まねばならない。

三十八センチ砲を八門搭載し、ビッグセブンにも迫る火力を持つ「フッド」といえど、荷が重いのは明らかだった。

 

「今までの戦闘で、戦艦が航空機に撃沈された事例はありません。少々強引でも、低速戦艦二、三隻を中心とした艦隊ならば空襲を凌ぐことは可能だと考えます。例えば、我々第八艦隊には四十センチ砲を装備した『陸奥』と伊勢型二隻がいますが、これらに援護戦闘機さえ付けて頂ければ、艦隊の防空力、戦艦の防御力で強行突破できます」

 

第八艦隊参謀の神重徳(かみしげのり)中佐が力説するように言った。

自らの艦隊に「陸奥」を含めた高火力戦艦三隻を加えられているため、気が大きくなっている様子だった。

 

「戦艦のタフさを過信してはいけません。航空機は戦艦を撃沈することはできないかもしれませんが、致命傷を与えることはできます。魚雷が一本でも命中したら、射撃角が狂って正確な射撃はできませんし、爆弾が測距儀や光学照準器を破壊すれば、それこそ艦砲射撃は実施不能になってしまいます。敵地への奇襲を立案している今、ここは慎重に動くべきです」

 

TF67で航空参謀を務めているピーター・フィッシャー中佐が、慎重論を唱える。

 

「貴国には、コンゴウ・タイプなる高速戦艦が保有しています。それを二隻ほど借りることはできないでしょうか?」

 

ケイネスが大西に問う。

金剛型は、日本海軍が英国に最後に注文した巡洋戦艦である。近代化改装によって戦艦に艦種変更されたが高速性は失われておらず、「高速」の二文字が戦艦の前に入る。

英国人であるケイネスとしても、親しみのある艦だ。

 

「それは…」

 

大西は口ごもる。

金剛型戦艦の四隻は第三戦隊と第十二戦隊を編成し、それぞれ空母機動部隊である第一航空艦隊と第二航空艦隊に配備されている。

従来は二隻が一航艦、もう二隻が第二艦隊に配備されており、それならば第二艦隊にガ島艦砲射撃を要請すればよかったが、翔鶴型正規空母の三、四番艦が竣工したため、新たに編成された航空艦隊の護衛艦艇が必要になり、第二艦隊から引き抜かれたのだ。

戦艦は甲板面積が広く、対空火器のプラットホームとして有効なことに加え、空母が水上砲戦部隊に襲われた際の最後の盾になる。

戦艦が引き抜かれた第二艦隊には、新たに今年二月に竣工した最新鋭巡洋戦艦が配備される予定だったが、それらは未だに慣熟訓練を完了していなかった。

 

「そうですか…残念です」

 

大西がその旨を伝えると、ケイネスは残念そうに言った。

 

「必ずしも、戦艦である必要はありますまい」

 

議論に嫌気が刺したような声が、会議室に響く。

今まで口を閉じていたオセアニア艦隊司令兼TF67司令のダニエル・J・キャラハン少将の声だった。

 

「ご存知の通り、我が艦隊は重巡六隻を有しています。個艦の火力は戦艦には及びませんが、最大速度が三十ノット以上であること加え、数も六隻と多い。手数が多いから、戦艦一、二隻より効果的、かつ広範囲に砲弾の雨を降らせることができます。TF67なら、空襲圏を突破してルンガを徹底的に叩くことは十分可能です」

 

巡洋艦に限った場合、軽巡が巡洋艦戦隊の主力であるH部隊、第八艦隊と比べて、TF67の戦力は秀でている。

重巡といえど六隻を数えれば、ルンガ飛行場姫を覆滅できると思えた。

 

「敵艦隊に戦艦がいた場合はどうする。ル級一隻でも厳しい戦いになるぞ」

 

「昼戦ならともかく、夜戦なら巡洋艦部隊でも勝機はあります。ご安心ください。敵艦隊に戦艦が三、四隻いた場合は無駄な戦いを避け、撤退するつもりです」

 

三川は戦艦出現の危険性を示唆したが、キャラハンの説明を聞いて数分前に自らが言った言葉を思い出した。

三川が言った言葉は、「彼我の戦力を考慮して現場指揮官が敵艦隊を打ち破るか撤退するかを判断すれば良い」だった。

 

「現在、TF67はガダルカナルに最も近いショートランド泊地展開しています。調整が終わり次第、すぐにでも出撃できます」

 

「それは、こちらとしても助かります」

 

第六十四任務部隊第二群(T G 6 4 . 2)司令のノーマン・スコット大佐が言うと、すぐに肯定の声が上がった。

オーストラリア軍団第二方面軍から連絡将校として南太平洋艦隊司令部に参加しているパーシー・カークス英陸軍中佐である。

白や青、紺色の制服が目立つ会議室で、一人だけ暗緑色の制服を身に纏っており、制帽ではなくベレー帽を机上に置いている。

 

「オーストラリア大陸の深海棲艦B軍集団は、日に日に攻勢色を強めております。シドニーを巡って何十回もの戦車戦、航空戦が生起しており、我が軍は苦戦続きです。“FS”作戦が一日も早く完了するなら、それに越したことはありません」

 

「決定だ。TF67にルンガ飛行場姫を徹底的に叩いてもらう。できるな?」

 

「できます」

 

ソマーヴィルは即決し、キャラハンに問う。

キャラハンは自信ありげに「We can do it」と言った。

 

 

 

 

第八十一話 次の一手





出ましたダニエル・J・キャラハン!


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第八十二話 岩礁戦艦



ソロモンの肝はやっぱり艦砲射撃でしょう!


 

1

 

「“ジュピター1”より“サターン1”、サボ島視認。左前方、距離一万五千ヤード」

 

“ジュピター1”こと第三十七駆逐隊(D D G 3 7)一番艦の「グレイソン」からの報告が、第六十七任務部隊(T F 6 7)旗艦「サンフランシスコ」の艦橋に響いた。

TF67は第六十七任務部隊第一群(T G 6 7 . 1)第六十七任務部隊第二群(T G 6 7 . 2)にて構成されており、ノーマン・スコット大佐率いるTG67.2のリヴァモア級駆逐艦四隻、ペンサコーラ級重巡洋艦の「ペンサーコラ」「ソルトレイクシティ」が前衛を、TG67.1のフレッチャー級駆逐艦四隻、ニューオーリンズ級重巡洋艦の「サンフランシスコ」「ニューオーリンズ」「ミネアポリス」「ヴィンセンス」が後衛を務めている。

DDG37は隊列の先頭に展開しているため、最も早くガダルカナル島北西に浮かぶ島ーーーサボ島を視認することができたようだ。

 

「概ね計画通りです」

 

TF67参謀長のビクター・ロゼッター二大佐が、夜光塗料で鈍い光を発している腕時計を見ながら言った。

 

「あとは飛行場姫への艦砲射撃を実施し、最大戦速でガダルカナルから離脱するだけですな」

 

「敵艦隊がいなければ、な」

 

ビクターの言葉をTF67司令官のダニエル・J・キャラハン少将は訂正した。

彼の目には楽観など微塵も感じられない。両手を組み、鋭い眼光を夜闇の海域に向けている。

 

「司令は…敵艦隊がいるとお考えですか?」

 

「可能性は捨てきれん。我々人類の知らないところで、ディープ・フィッシュどもが何をしているか分かったものではないからな」

 

艦砲射撃を実施するにおいて、TG67.1の第八巡洋艦戦隊(C D 8)が射撃を、フレッチャー級にて編成された第五十一駆逐隊(D D G 5 1)がその直掩を、TG67.2の第三巡洋艦戦隊(C D 3)とDDG37が敵艦隊に備えての警戒を担当する。

艦砲射撃を開始し、CD8のニューオーリンズ級重巡四隻の残弾が六割となったら、CD3も対地攻撃に加わる手筈になっていた。

CD3を編成するペンサコーラ級は連装と三連装を二基ずつ、計十門の二十センチ砲を搭載しており、合衆国海軍で最多を誇る重巡洋艦級である。

ペンサコーラ級と共に巡洋艦戦隊の主力を務めるニューオーリンズ級は、1934年から37年にかけて竣工した新鋭艦であり、搭載砲数は三連装三基九門とペンサコーラ級に一歩劣るが、波浪生の改善や射撃レーダーの搭載などによって命中精度は高い。

これらの戦力から考えて、飛行場姫を覆滅することはさほど難しいことではないだろう。

だが、キャラハンはそれとは別の危機感を抱いている。

人類は今までの陸海空問わない戦闘で、思わぬ方向からの一撃で大きな損害を被り、敗北、又は危険な状況に陥ることが多かった。深海棲艦は人外だが、人類を苦戦させるほどの能力を持った優秀な戦術家なのだ。

そんな深海棲艦の最前線拠点に、巡洋艦と駆逐艦のみの艦隊で攻撃を加えようとしている…。

敵偵察機に発見されることも、海面下からの不審な電波を傍受することも、逆探が反応することもない。以上のことからTF67は深海棲艦に発見されていないと考えられるが、「奴らはすでにこちらを発見しているのではないか」「今にも暗闇のその先に発射炎が光り、巨弾が降ってくるのではないか」という危機感は、どうしても拭えなかった。

 

「本日の昼間、ルンガ飛行場姫を爆撃した戦略爆撃機兵団のB17によりますと、ガダルカナル周辺に敵艦艇らしきものは確認できなかったようです」

 

首席参謀のポール・サザーランド中佐が言った。

 

「B17のクルーは爆撃任務中でした。時速数百キロで移動する機上で、しかも高高度を飛行しています。見落としている可能性があるのでは?」

 

「仮にそうでも、最後にガダルカナル島周辺で確認された敵艦は、二日前にツラギに入港した輸送船団が最後だ。護衛には巡洋艦を中心とした部隊が付いていたらしいが、船団と共にニューカレドニア島に引き上げている」

 

航空参謀であるデニス・ウッドワイド中佐が反論するが、サザーランドはあくまで敵艦隊の不存在を主張した。

ガダルカナルにはフィジー諸島、ニューカレドニア島を経由し、ワ級輸送船を中心とする輸送船団が一週間に一回の割合で来航している。

積荷の内容の大半が不明だが、ルンガ飛行場姫を維持するための資材や物資であることは容易に想像できる。そのようなガダルカナルの深海棲艦航空兵力を裏で支える重要な船団には、決まってリ級重巡洋艦やホ級軽巡洋艦、対空対潜に特化したハ級駆逐艦などの強力な護衛艦隊が付き添っているのだ。

人類も、敵艦隊の動向については目を光らせている。

ソロモン海には多数のUボートやイギリス潜水艦が展開し、逐一敵船団の動向を報告、好機があれば魚雷攻撃を実施している。

その中の一隻が二日前に敵船団、護衛艦隊が東方に引き上げたことを伝えており、新たな船団の報告は入っていなかった。

 

「とにかく…今は艦砲射撃だな」

 

参謀達の議論を横目で見ながら、キャラハンは独り言ちた。

敵艦隊への危機感は抱いているが、TF67の攻撃目標は艦隊ではなく飛行場姫である。敵艦隊が出現したならまだしも、そうでなければ飛行場姫を破壊することを第一に考えるべきだった。

 

「“アース”より“サターン”。観測機発進。右砲戦、主砲発射準備。弾種『T3』」

 

「“サターン2”了解」

「“サターン3”了解」

「“サターン4”了解」

 

「サンフランシスコ」の艦首がサボ島とガダルカナル島の海峡に差し掛かった頃。キャラハンは、TF67司令部こと“アース”の符丁を通じて、CD8の各艦に隊内電話で指示を出した。

 

「目標ルンガ飛行場姫。主砲、対地艦砲射撃に備え。観測機発進」

 

「ニューオーリンズ」「ミネアポリス」「ヴィンセンス」の各艦長の復唱が素早く届き、続いて「サンフランシスコ」艦長のオースティン・D・ウィルソン大佐が各部署に指示を飛ばす。

後方から乾いた爆薬の音が轟き、カタパルトから勢い良く放たれた水上偵察機であるOS2U“キングフィシャー”が、爆音を発しながら上昇してゆく。

 

「“サターン”、“ヴィーナス”。機関、回転制定。速力十五ノットに減速、維持せよ。“ジュピター”、“ユレイナス”。先行し、敵艦隊の捜索に努めよ。全艦戦闘配置」

 

キャラハンはTG67.1のCD8とDDG51に艦砲射撃のための速力維持を命じ、続けてTG67.2のCD3とDDG37に先行しての警戒を命じた。

直後、足の裏から感じる機関の鼓動が小さくなり、「サンフランシスコ」は二十五ノットから十五ノットに減速する。

眼下の主砲二基がゆっくりと右に旋回し、直径二十センチの長大な砲身が鎌首をもたげるように仰角を上げる。

 

「“サターン”後続艦、順次減速。TG67.2各艦は増速します!」

 

見張員からの報告が、味方艦が命令通りに動いていることを伝えた。

 

「対艦レーダー、全周探査開始。逆探に反応なし」

 

「サンフランシスコ」の全レーダーを統括するトム・カドリッツ少佐が報告し、搭載されているSGレーダーが探知を開始する。

レーダーが反応を示すのは早かった。

 

「レーダーに反応あり。右前方一万二千ヤードからの反射波大。艦艇にあらず。巨大岩礁だと思われます」

 

「岩礁だと?」

 

カドリッツの報告を、キャラハンは思わず聞き返した。

傍の海図台に歩み寄り、ソロモン諸島ガダルカナル島の拡大海図を見やる。

 

「探知した岩礁の存在は、少なくともこの海図には記されていませんな」

 

キャラハンと同じく海図を見下ろしているロゼッター二が呟くように言った。

 

「ソロモン諸島は暗礁が特に多い海域です。座礁を防ぐためにいかに海図が精巧に作られれていようと、未発見の岩礁はあると考えます」

 

「レーダーに映る大きさだぞ。あり得るのか…?」

 

サザーランド参謀の主張にロゼッター二は異議を唱える。

キャラハンはウィルソン艦長に顔を向け、口を開いた。

 

「計画にはなかった岩礁だが…艦砲射撃に支障は?」

 

「ありません。右一斉回頭での折り返し射撃も行けます」

 

「よろしい」

 

ソロモン諸島は未開の島々が多く、人類の手があまり及んでいない。それ故、岩礁の一つ一つまでを海図に記すことは難しかったようだ。

だが、艦砲射撃に支障があるならまだしも、些細な海図の差異などこの際無視しても問題は無い。

ガダルカナル島のルンガ飛行場姫は、無防備な状態を晒している。CD8の艦砲射撃を邪魔するものは、これらの間にはない。

 

「射撃開始五分前」

 

砲術長のブレナン・シーウェル中佐が報告を上げ、それを聞いたキャラハンは艦橋前部に鎮座し、今や遅しと射撃命令を待っている主砲を見やった。砲身内には、今回が初陣である新兵器が込められていた。

『三式弾』。

CD8の重巡四隻に装填されている砲弾の名前だ。

統合兵器局の仲介の元、日本海軍から供与された対空・対地攻撃用の巨大留散弾兵器であり、英語名は『T3』。

三式弾は巡洋艦、戦艦の主砲口径に合わせて各種類があり、巡洋艦戦隊の各艦が装填している二十センチ三式弾は二百メートルの危害半径に数千発の着火性のある焼夷弾子、鋭利な破片を撒き散らすことができる。

本来は高角砲の射程外にいる敵機を大口径艦砲によって一網打尽にする目的で作られたが、可燃性の弾子は広範囲を二、三千度で焼き尽くすことが可能なため、日本海軍の提案もあり、艦砲射撃に三式弾を使用することが取り決められていた。

だが、三式弾は地中深くに潜って炸裂することはない。徹底的な破壊をもたらすためには、従来通りの徹甲弾も併用することが決定されていた。

 

右側には巨大なガダルカナル島の稜線が見えており、その島内陸の上空に複数の光源が点灯した。

目を凝らさなければ見失ってしまいそうなほど微かな光だが、その眼下にルンガ飛行場姫が位置しているという合図だ。

キングフィシャーが投下した吊光弾である。

 

「時間です。司令」

 

ロゼッター二が言った。

キャラハンは「ああ」と呟き、腕時計を見やる。時刻は22時丁度。艦砲射撃開始の時間だ。

光の真下。右前方一万八千ヤードの地点に、統合航空軍を散々に苦しめ、南太平洋艦隊と敵豪州補給線との間に立ちはだかってきたルンガ飛行場姫がいる。

忌々しい深海魚どもの、航空基地が存在している。

キャラハンは隊内電話を握りしめ、大きく息を吸った。「射撃開始」の言葉が寸前まで出かかっていた。

だが、刹那。キャラハンは凍りついた。

キャラハンだけではない。「サンフランシスコ」艦橋の全員が、TF67の将兵全員が、声にならない叫びを上げる。

 

突如、右前方の暗闇に発砲炎がほとばしり、巨大な艦影をありありと浮かび上がらせたのだ。

閃光はガダルカナル島の岸さえも照らし出し、周囲を真昼と変える。頭上に輝いていた星々の光が薙ぎ払われ、「サンフランシスコ」の艦橋内に眩い光が差し込んだ。

 

「戦艦だ!間違いない、戦艦だ!」

 

誰かの叫びが艦橋に響き渡り、次いで聞きたくもない飛翔音が轟き始め、大気が悲鳴をあげる。

 

(岩礁ではなかった…!)

 

キャラハンは一瞬で理解した。

数分前、「サンフランシスコ」のSGレーダーが探知した巨大岩礁。

停止中であったこと、海岸に恐ろしく近かったことから考えて、未発見の岩礁だと考えていたが、それは間違いだった。

正体は戦艦だった。肉食動物のように、TF67が至近距離まで接近するのを待ち構えていたのだ。

敵艦との距離は一万もない。発射された敵弾が空気を切り裂き、飛翔音は瞬く間に増大する。

キャラハンは歯を食いしばり、着弾の時を待った。

 

 

 

第八十二話「岩礁戦艦」






どうする、キャラハン!


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第八十三話 鉄嵐


遅れましたぁ…。
今回の話の前半は、「深海棲艦目線」です。


1

 

ガダルカナル島エスペランス岬沖で米艦隊を待ち構えていた深海棲戦艦は、ニューアイルランド島沖海戦を辛うじて生き残ったタ級戦艦だった。

同海戦で深海棲艦はタ級二隻、巡洋艦四隻、駆逐艦十一隻でラバウルの人類飛行場の破壊を試みたが、人類艦隊の決死の反撃を受け、戦艦一隻、巡洋艦二隻、駆逐艦三隻を失って敗退している。

 

今。第六十七任務部隊(T F 6 7)を迎え撃っているタ級戦艦も同海戦に参加しており、魚雷一本と砲弾二百発を被弾して大破した。

海戦後。大破した艦体のまま、加えて人類軍に勘付かれぬまま、ニューアイルランド島を離れることには成功したものの、艦隊拠点であるニューカレドニア島にまで帰還する力は残っておらず、ガダルカナル島の対岸にあたるフロリダ島で力尽きた。

幸い、人類軍の攻撃目標は飛行場姫であり、偽装も相まってタ級は発見を逃れ、今日まで同島南岸のツラギで応急修理を受け続けていたのだ。

 

──タ級戦艦の艦橋の上部には、人類の巡洋艦を見つめる蒼い二つの目がある。二の腕まで伸びる銀髪が海風にたなびき、楽観など微塵もしていないであろう表情が浮かび上がる。

「女性」。艦橋天蓋に佇むそれは、恐ろしく白い肌、獣の用に光る青い目、腰の左右に接着した艦砲のような艤装を除けば、「女性」と称して良い容姿をしていた。

頭部から脚部までスラリと伸びた体型をしており、左肩には肩当てが、上半身は水兵が着るようなセーラー服を身に纏っている。それらの上からマントのようなものを羽織っており、風になびいて激しく揺れていた。

 

天蓋に佇む女性は、右腕を敵艦隊にかざす。

艦首と艦橋の間に搭載されている二基の主砲が、重々しい音と共に右に旋回し始める。

艦橋後部の第三砲塔は、忌々しい敵巡洋戦艦の三十八センチ砲弾を喰らって破壊されていたが、後部砲塔を除く健在な主砲は一番砲身から順に角度を上げ、人類艦隊が距離一万メートルを切った頃には、全門が目標に指向していた。

現在、タ級戦艦は停止している。応急処置によって左舷喫水線下の穴はふさがったが、速力を出そうものならたちまち水圧によって切り裂かれてしまうだろう。それを防ぐためだ。

停止中が功を奏し、タ級戦艦は敵艦隊に感知されていない。

レーダーには映っているだろうが、岩礁かなんかと誤認しているようだ。

 

その考えに至った「女性」は、薄っすらと笑い、侮蔑に近い表情に変化する。

人類艦隊の巡洋艦六隻は、無防備な状態で近づいてくる。

 

なんの前触れもなく、タ級の主砲は咆哮した。

爆風が眼下から突き上げ、「女性」の髪をはためかせる。衝撃が艦体を貫き、そのまま海中に散ってゆく。

放たれた四十センチ砲弾六発が、さほど防御力の高くない巡洋艦群に殺到する。

距離は一万メートル以下。巡洋艦は、回避もままならない。

目標は隊列先頭に位置している敵巡洋艦である。

六発は目標の左右に着弾し、巨大な水柱をそそり立たせた。

閃光は無い。放たれた六発は敵艦を夾叉したものの、その艦体を抉ることはなかったようである。

 

タ級の存在を察知した敵艦隊の反撃は早かった。

目標としている一番艦を皮切りに二番艦、三番艦が発砲し、後続の四、五、六番艦も主砲を撃つ。

彼方の水平に六つの閃光が立て続けに走り、敵艦一隻一隻を暗闇の中から照らし出し、輪郭をくっきりと浮かび上がらせる。

輪郭から、一、二番艦は三脚檣を、残りの三、四、五、六番艦はがっしりとした箱を、それぞれ艦橋にしているようだった。

 

タ級のレーダーは、それ以外の敵艦も捕捉している。

八、九隻の駆逐艦が、放された猟犬の勢いで巡洋艦群を離れ、こちらに急速接近中である。

それに対応するべく、タ級戦艦の後方に待機していた中型艦二隻が増速し、艦の右舷側を通過して敵隊列へと向かってゆく。

ガダルカナル防衛のために急遽派遣された部隊である。駆逐艦嚮導巡洋艦として配備されていた軽巡を改装し、主砲を取っ払い、多数の魚雷発射管を搭載した重雷装巡洋艦だ。

それが二隻。

タ級を足すと三隻。これが飛行場を守る深海棲艦の全艦艇であった。

 

重雷装艦戦隊がタ級の艦首脇を通過した頃。

敵巡洋艦六隻から放たれた敵弾が、一番艦から順に降り注いでくる。

タ級は停止しているため、命中弾を得るのはさほど難しい事ではないのだろう。一番艦の射弾の大半はタ級の左右に水柱を奔騰させ、一発が第一主砲の脇を舷側を抉り取った。

二番艦は命中はなかったものの、やはり両舷に水柱をそそり立たせ、驟雨のような海水が「女性」に降りかかる。

 

三番艦以降の着弾は一、二番艦とは違った。

いや…着弾ではない。着弾寸前に炸裂し、巨大な火球と無数の火の粉が花火のように四散させたのだ。

一発や二発ではない。合計九発の敵弾がタ級周囲の空中で爆発し、火焔と鋭利な破片がタ級に摑みかかった。

余裕、侮蔑と言った表情を浮かべていた「女性」の顔が、大きく豹変する。

炎と鉄の暴風雨の只中、四番艦、五番艦さらに六番艦の砲弾が続け様に炸裂し、互いの爆風と破片、火焔が入り混じり、タ級戦艦を灼熱の大嵐の只中へと放り込んだ。

 

その嵐が止む頃、タ級の艦上ではいたるところに小火災を確認でき、甲板や機銃と言った表面的な部分が広範囲にわたって傷つけられていた。

主砲や舷側の装甲帯が貫通されることはないが、巡洋艦四隻による巨大な「散弾」は、今までの応急修理によって張り替えられていた甲板をズタズタにすることなど容易い。

甲板には数え切れないほどの鋭利な破片が突き刺さり、艦橋上部の露天に佇む「女性」も、一発の弾子を受けていた。

腹部から黒色の液体が流れ、艦橋の外板を黒く染める。

 

右前方の海域では敵駆逐艦と重雷装艦戦隊との戦端が開かれており、はやくも一番艦の飛翔音が自らに迫っている。

先の「嵐」を奇跡的に乗り切った射撃管制レーダーを基にして、タ級は敵一番艦への第二斉射を放つ。

砲の力強さは変わらない。音速の二倍以上の初速で、重量一トン以上の巨弾六発を叩き出した。

 

敵一、二番艦の第二射が入れ替わるように、大気を切り裂きながら落下してくる。両艦とも夾叉弾を得ているため、斉射だ。

十発ほどの敵弾群が二回続けて飛来し、着弾した瞬間、水柱が突き上がり、鈍い衝撃が艦体を揺らす。

破壊音が三回、鉄塊同士が激突したような音が二回響き渡り、計五発を被弾したことを伝える。

右舷側の副砲が爆砕され、後部甲板の第三主砲近くの甲板に穴が穿たれる。副砲からは火災が発生し、一条の黒煙を狼煙のように噴き上げ始めた。

 

水平線上にも、発射炎とは異なる閃光が走った。

火焔が湧き出し、一番艦の姿がこれまで以上に浮かび上がる。

長細いものや板のようなものが飛び散り、決して小さくない艦体が跳ね上がる。

三脚檣が根元からちぎれ、左舷海面に倒壊した。

 

タ級が放った第二射弾が艦橋に直撃したのだ。

一番艦は隊列先頭を維持しているものの、この距離からでも艦影が一変していることがわかる。

 

そこまで確認した時、三番艦以降の敵弾が飛来してくる。

「女性」は空中を睨みつけ、その時を待った。

 

タ級を飛び越えて左上方で炸裂した初弾を皮切りに、合計九発が弾け、凄まじい数の破片、火焔を四散させる。

第一射目と同様…四番艦、五番艦の十八発も遅れ時と炸裂し、六番艦の射弾もやや遅れて爆発した。

凄まじい熱風が吹き荒れ、再びの鉄の嵐が停止中で回避もままならないタ級に襲いかかる。

応急修理で新たに設置され、機能を維持していたレーダー、通信アンテナ、機銃座は二度の嵐で全て破壊され、降り注いだ破片で副砲の数基が機能不全に陥る。

 

「女性」はこのままではただの的だと考え、自艦の機関を始動させた。少しでも前進し、敵弾を空振りにしようと考えてたのだ。

推進機にエネルギーが注ぎ込まれ、鼓動が徐々に力強さを増す。

スクリューが回転し、艦首が海面を切り裂き始めた。

さざ波の音が届き、前から後ろへ風が通過する。垂直に上がっていた黒煙が引きずられる。

 

敵巡洋艦群が隊列順に発砲する。

驚いたことに、艦橋を消し飛ばされて満身創痍であろう一番艦も発砲した。

発射炎が、一変した艦影を浮かび上がらせるが、火力は変わらない。

続いて二番艦が撃ち、三番艦が撃つ。タ級が一番艦への第三射を撃つのと、四番艦が撃つがほとんど同時だった。

 

一、二番艦の通常弾が大気を切り裂きながら飛来する。

タ級戦艦は停止中から十五ノットに増速しているため、敵弾は艦中央部から後ろにかけて着弾した。

一番艦から放たれた十発は三発が命中し、うち一発が跳ね返されずに炸裂する。

すでに破壊されている第三主砲の天蓋に直撃し、残骸を飛び散らせた。

二番艦から放たれた十発は二発が命中し、その全てが鈍い音と共に跳ね返される。

ニューアイルランド島沖での戦いで大きな傷を負っていても、タ級の装甲は健在だ。重巡二隻からの斉射を耐え抜き、実質的な被弾は一発のみである。

 

四番艦以降の敵弾が迫る中、一番艦を目標とするタ級の第三射弾が着弾する。

自艦の増速も計算にいれて放ったつもりだが、それでも着弾範囲はやや後方にずれてしまった。

それでも、一発が艦後部に直撃する。

刹那、凄まじい大きさの爆炎が被弾箇所から天に向かって噴出し、膨れ上がり、弾けた。

雷鳴のような音が海上にこだまし、艦後部から砲塔のようなものが海に落下する。

 

タ級艦上からは知る由もなかったが、敵一番艦はノーマン・スコットTG67.2司令が座乗する「ペンサーコラ」だった。

タ級から放たれた四十センチ砲の一発が、後部第三、第四主砲の間の甲板を貫き、艦体に食い込んで二つの揚弾塔の間で炸裂したのだ。

側面から突き破られた塔内を巨龍のような火焔がのたうち回り、揚弾装置で装填を待っていた砲弾と、さらに下層にあった弾火薬庫に誘爆する。

第三砲塔と第四砲塔は眼下からの破砕エネルギーによって天蓋を切り裂かれ、五本の砲身はばらばらの方向に吹き飛んだ。

上部の爆発エネルギーは主砲をぶち抜いて上方に消えたが、弾火薬庫の砲弾百五十発の誘爆エネルギーは艦の奥底に留まり、艦の背骨たる竜骨(キール)をへし折り、艦底部、舷側を切り裂いた。

「ペンサーコラ」は二基の後部主砲の間を境に切り裂かれ、二つに分断された。

艦尾(二割)は急速に海中に引きずり込まれ、残り八割は艦首を上に向ける。

赤色の艦底部が晒される。

艦が浮いていられる時間は限られたものだが、脱出する将兵はいない。試みるものもいない。

弾火薬庫誘爆の衝撃は凄まじく、乗組員の全員が衝撃や音、火焔で人事不調に陥っているのかもしれなかった。

 

 

2

 

TG67.2二番艦の「ソルトレイクシティ」が、凄惨な姿になり今まさに沈没しつつある「ペンサーコラ」の脇を通過する。

大半の艦体が海に引きずり込まれつつあり、火災が海水に消火されて発生した大量の水蒸気が「ソルトレイクシティ」の三脚檣にまとわりつく。

 

「スコット!」

 

三番艦──重巡「サンフランシスコ」の艦橋で、TF67司令のダニエル・J・キャラハン少将は、「ペンサコーラ」に座乗していた次席指揮官ノーマン・スコット大佐の名を叫ぶ。

当然ながら返事はない。脱出している気配すらない。

「ペンサコーラ」は四十センチ砲の直撃と弾薬庫誘爆を受け、650名の乗組員と共にガダルカナル沖の海域に沈んでゆく。

 

「第三射弾、炸裂します!」

 

砲術長のブレナン・シーウェル中佐の声で、キャラハンは戦友の死を悼む気持ちを心の底に押し込め、右正横の敵戦艦へと目を向ける。

敵戦艦の頭上の中央から後方にかけて、「サンフランシスコ」から放たれた三式弾(T 3)九発が炸裂する。

炸裂点から漏斗状に大量の弾子・焼夷弾が飛び散り、海面と艦上に突き刺さる。一発はゼロ距離で炸裂したらしく、上部構造物の側面から凄まじい量の破片をまき散らした。

「サンフランシスコ」の三式弾の余韻が収まる前に、四番艦「ニューオーリンズ」、五番艦「ミネアポリス」、六番艦「ヴィンセンス」の砲弾が炸裂する。

「サンフランシスコ」艦上からはわからないが、タ級戦艦の周辺は凄まじい状態になっているだろう。

全弾の余韻が収まると、タ級は艦のいたるところに小火災を発生させている。

焼夷弾が突き刺さり、依然燃焼しているのだ。

 

「敵戦艦、加速。停止状態から航行状態に移りました」

 

シーウェルが報告する。

敵戦艦は停止した状態でTF67との戦端を開いたが、三式弾の炸裂を脅威と取ったのかもしれない。増速し、狙いを外しにかかったのだろう。

 

「司令。如何しますか?」

 

参謀長のビクター・ロゼッター二大佐がキャラハンに問う。

何が言いたいか、キャラハンにはわかる。

敵戦艦が動き出した今、第三巡洋艦戦隊(C D 3)第八巡洋艦戦隊(C D 8)の重巡五隻と敵戦艦は反航戦の針路を描いており、各々がこの針路のまま前進すれば、距離を置くことになるのだ。

任務の目標はあくまでルンガ飛行場姫であるため、敵戦艦が離脱する針路を描いている以上、飛行場破壊に専念すべきだ、と考えているのだろう。

だがキャラハンは否定した。

 

「飛行場姫よりも、今は敵戦艦の撃滅が最優先だ。艦砲射撃中に横合いを突かれれば、『ペンサコーラ』の二の舞は避けられぬ」

 

それに対して異議を唱えようとしたのだろう。ロゼッター二は口を開きかけたが、「ソルトレイクシティ」の斉射音に遮られた。

「ソルトレイクシティ」の三脚檣が逆光で浮かび上がり、三連装・連装の混合の主砲から十発の二十センチ砲弾が発射された。

唯一の姉妹艦を目の前で轟沈させられ、怒りに震えているようにキャラハンには思えた。

 

十秒ほどの間を開けて、「サンフランシスコ」の主砲も三式弾を叩き出す。

装甲を貫徹させる必要がないため、三式弾の発砲には弱装薬が使用されているが、二十センチ砲九門の斉射は強烈だ。

全長百七十九メートル、基準排水量一万トンのニューオーリンズ級重巡四番艦の艦体が衝撃を受け止め、武者震いのように振動した。

 

「“アース”より“サターン”、“ユレイアス”、左一斉回頭」

 

キャラハンは隊内電話を手に取り、各重巡に言った。

後方に離脱しつつある敵戦艦に食い下がり、砲撃を続行するのだ。

「サンフランシスコ」に続いて「ニューオーリンズ」や「ミネアポリス」が発砲する中、ロゼッター二が大声で異議を唱えた。

 

「重巡ではタ級に歯が立ちません」

 

「CD3、8の仕事は敵戦艦の火力の吸収だ。とどめは駆逐艦の魚雷でする。敵の補助艦艇はト級軽巡二隻のみだから、駆逐隊にはその余裕があるだろう」

 

「……」

 

それに対して、ロゼッター二は無言で返した。

不承不承といった様子だった。

 

「敵戦艦発砲!」

 

見張員が伝えるように、タ級戦艦が第四射を撃つ。

光量から考えて斉射だが、後部砲塔は今まで通り発砲しない。

六発の巨弾が、轟々たる音を奏でながらTF67に迫る。

それが着弾する前に「ソルトレイクシティ」の射弾が落下し、タ級の艦前部と中央に閃光を走らせた。

黒いチリのようなものが四散し、火焔が揺らめく。

 

「サンフランシスコ」の三式弾が炸裂するのと、敵弾が「ソルトレイクシティ」を至近弾夾叉するのは、ほとんど同時だった。

 

タ級戦艦を炸裂に伴う閃光、硝煙が包み込んだ刹那。ペンサコーラ級重巡の三脚檣のトップを遥かに超え、六本の水柱は天を串刺しにする勢いで奔騰する。

1929年就役という、合衆国重巡のなかでもっとも最古参な「ソルトレイクシティ」は、艦底から突き上げられる水中爆発で悲鳴を上げ、艦のいたるところから金属的な叫喚が鳴り響く。

 

極太の水柱によって姿が見えなくなったため、キャラハンは最初「ソルトレイクシティ」は轟沈してしまったのでは…?と思ったが、水柱が引くと、精悍で力強い後ろ姿をキャラハンに見せる。

 

「『ソルトレイクシティ』夾叉されました!」

 

「大丈夫だ。大丈夫」

 

見張員が緊迫した声を上げるが、キャラハンは艦橋内に聞こえる声ではっきりと言った。

キャラバンが指令した「左一斉回頭」はすでに実行されており、各艦ではすでに舵を切られている。

タ級が装填、発砲し、着弾する間に「ソルトレイクシティ」は回頭を開始しているだろう。

 

敵弾の飛翔音が聞こえ始めた頃、CD3とCD8の重巡五隻は一斉に左への回頭を開始した。

「サンフランシスコ」の鋭い艦首が左に振られ、艦体が右に傾く。正面に見えていた「ソルトレイクシティ」が右に流れ、やがて視界の左からCD8の僚艦──「ニューオーリンズ」「ミネアポリス」「ヴィンセンス」が姿を見せ始める。

タ級の射弾は狙いを外され、「サンフランシスコ」と「ソルトレイクシティ」の間に水柱を上げるだけだった。

一分後、CD3とCD8は回頭を終え、タ級戦艦と同航戦の形式に移った。

六番艦「ヴィンセンス」が先頭に立ち、二番艦「ソルトレイクシティ」が殿艦となる。

各主砲は回頭と同時に旋回しており、全砲門が左舷側に向き終わっていた。

 

束の間の沈黙の後、「ヴィンセンス」が発砲し、「ミネアポリス」も撃つ。逆光でシルエットが浮かび上がり、艦左側に発砲炎が噴出した。

再測的を終えたタ級戦艦も主砲を咆哮させ、ニューオーリンズ級のネームシップである「ニューオーリンズ」も、キャラハン座乗の「サンフランシスコ」も、今や最後のペンサコーラ級となった「ソルトレイクシティ」も、遅れじと二十センチ砲を放った

左に回頭したため、九千ヤードほどだった距離が一万一千ヤードにまで開いている。双方の砲弾が高なりの放物線を描きながら交錯し、大気を鳴動させながら、それぞれの目標へと飛翔した。

 

「敵軽巡一隻、左前方より接近」

 

キャラハンは敵戦艦との交戦に必死であり、レーダーを総括するトム・カドリッツ少佐のその報告を重視することはなかった。

 

 

 

 

 

第八十三話 鉄嵐(メタル・ストーム)





次回はチ級雷巡が大活躍かな?


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第八十四話 夜闇の雷跡






深海棲艦にも、感情はあります。


 

1

 

深海棲艦軽巡洋艦であるト級軽巡は、十五センチ単装砲を艦橋前に二基、艦橋左右に一基ずつ、後檣の前後に二基ずつ、計八基を装備している。

艦橋と後檣の間にはスペースが空いており、そこに三本の煙突や二基の連装高角砲、対空機銃、左右で一基ずつの魚雷発射管などを搭載していた。

 

ト級軽巡を改装した重雷装巡洋艦は、艦橋から後ろ──後部単装砲、後檣、対空火器等──を全て外し、そこに大量の魚雷発射管を並べた「超雷撃特化」型と言える艦である。

以前から艦隊を構成しているル級やリ級、ホ級、イ級といった艦艇と比べると最新鋭艦と呼べるものであり、ハワイで建造された二隻がニューカレドニア島で停泊していたのを飛行場姫防衛のために引っ張ってきたのである。

 

タ級戦艦から指令が届いた時、重雷装巡洋艦の二隻はすでに突撃を開始していた。

帯びている任務は駆逐艦の牽制と巡洋艦への雷撃である。重雷装艦一番艦が牽制を、二番艦が雷撃を担当すると既に取り決められていた。

 

砲撃を開始するタ級を尻目にして一番艦が接近中の敵駆逐隊に斬り込み、二番艦は敵巡洋艦の隊列へ向けて突撃を開始する。

 

タ級と同様。重雷装艦の艦橋天蓋にも、女性のような存在が佇んでいる。

こちらは、タ級ほど女性の形を留めていない。

仮面のようなものを顔面に装着しており、表情は窺い知れない。仮面上の左目のあたりには不気味な青白い光が灯っており、炎のようにゆらゆらと揺らめいている。

タ級同様肌は恐ろしいほど白いが、露出は少ない。左腕には異様な機械が装着されており、それもまた凶々しい。

容姿の中で一際目立つのは、女性が乗っている烏賊の胴にも似た鉄塊である。胴下にはBDのような白い歯が並び、左腕に共通する謎の機械がかたかたと蠢いていた。

 

 

──重雷装艦二番艦の針路は、敵巡洋艦群の針路と交差している。

後方では一番艦が敵駆逐艦との交戦を開始しており、小太鼓のような砲声が立て続けに響く。

重雷装艦は雷撃力が強い代わりに、砲戦力は然程ない。一番艦の任務は重いと言わざるおえなかった。

 

敵駆逐艦の大半がタ級の前方に展開した一番艦に襲いかかるが、二番艦も見逃されたわけではない。

左前方から互いにすれ違うような位置関係で駆逐艦二隻が現れ、前部主砲を撃ってくる。

飛来した十二.七センチ弾は二番艦の周辺に小振りな水柱を複数形成させ、一発が三番煙突に直撃して上半分を右舷側へ吹き飛ばした。

 

女性──と言うより化け物だが──は接近中の駆逐艦を一瞥し、再び敵巡洋艦群に向き合う。

艦橋前部、左脇に装備されている単装砲が素早く敵駆逐艦の未来位置へ指向し、一回、二回と火を噴く。

第三射目からは後部の単装砲二基も加わるが、砲弾は命中しない。

最大戦速ですれ違う針路なため、相対位置が目まぐるしく変化し、指向可能な砲が四門のみの重雷装艦では敵艦を捉えるのが難しいのだ。

 

対する敵駆逐艦は距離が詰まるにつれて指向可能な砲が二門から五門へと増え、二隻で十発ずつの砲弾を撃ち込んでくる。

左右両舷に水柱が奔騰したのを皮切りに、敵弾は重雷装艦二番艦の艦体を叩き始める。

敵弾は轟音と共に第一主砲を叩き割り、舷側に握りこぶしほどの穴を穿ち、機銃座を薙ぎ払う。

重雷装艦の女性が恐れるのは、艦中央にずらりと並べられている五連装魚雷発射管八基に被弾し、一斉に誘爆することだ。そうなってしまえば、ト級を改造しただけの小柄な巡洋艦など一瞬で爆沈してしまう。

 

だが、深海棲艦が送り出した新鋭艦はそのことを考慮した設計をなされていた。

魚雷発射管を覆う傾斜装甲が、舷側に命中したそれと同じく敵弾を跳ね返す。

重雷装艦の最重要防御区画と魚雷発射管防楯にはリ級重巡洋艦に匹敵する装甲が施されており、35度の傾斜も相まって強靭な防御力を持っているのだ。

その反面。艦重量増加による復元力の低下や、三十五ノット発揮可能だった速力が二十六.五ノットに低下してしまったが、駆逐艦の砲弾など受けつけるものではなかった。

 

速力は遅いが、互いの相対速度は六十ノット以上である。

風を切る勢いですれ違い、敵駆逐艦は後方へと消えてゆく。最後の最後で駆逐艦二番艦の後部に一発が命中し、箱のようなものが飛び散ったが、その艦は炎を引きずりつつも今までのスピードで離脱してゆく。おそらく、「敵戦艦への雷撃」を厳命されているのだろう。

 

重雷装艦二番艦が被弾した敵弾は全部で十三発。そのうち五発を跳ね返し、被害は艦の表面的な部分にとどまっている。

味方戦艦と交戦中の敵巡洋艦群との距離は、約八千メートル。雷撃距離を五千メートルとして、重雷装艦が走破する距離は三千メートル。

敵駆逐艦の妨害がないことを考慮すると、さほど遠い距離ではない。

 

その考えに至った雷巡の女は、左目の青炎を揺らめかせ、仮面の下から覗く口の端を釣り上げた。ただの微笑みではなく、凄みをもった笑みだった。

機関を振り絞り、雷巡は左前方に見える巡洋艦群を目指して突撃を再開する。

雷撃目標たる敵巡洋艦群は視界内を左から右へ移動する針路を描いており、重雷装艦は前進あるのみの状態だった。

 

その瞬間、雷巡の女の顔色が変わった。

素早く左正横を振り向き、夜闇の海面に視線を走らせる。

そこに、複数の青白い影がよぎる。

海面下を高速で移動するそれは、明らかにこちらに迫っていた。

 

酸素魚雷…。

 

この四文字が、女性の脳裏をよぎる。

艦首喫水線下の水中聴音機が、左前方から微細なスクリュー音を捉えたのだ。

通常、水中聴音機は自艦が最大戦速で航行していたら、自らの発する雑音で探知範囲を阻害してしまう。だが、女性はほんの微かな魚雷航行音を聞き取り、敵魚雷の存在に気がついたのだ。

 

素早く取舵を取り、魚雷と艦体を相対させる。

トップヘビーの艦を大きく右に傾かせながらも、重雷装艦は左へ左へと夜闇の海面を切り裂いてゆく。

敵魚雷の雷跡は見えない。水面下を青白い何かが通過するように見えては、波間に隠れて見えなくなる。この繰り返しだ。

 

自艦の発する喧騒が祟り、水中聴音機では敵魚雷群の大まかな位置しかわからない。艦首を0度とし、左右50度の範囲内から魚雷の微かな音がする。

女性は海面を凝視する。雷跡は見えない。

不気味な沈黙の時間が、一分、二分と続く。魚雷が迫る海域を、重雷装艦は最大戦速で進む。

 

五分が経過した頃、女性は魚雷は回避したと判断した。

敵魚雷の速度は、遅めに見積もっても四十五ノット。自艦の速度は二十六.五ノットのため、五分経っても被雷しないということは、敵魚雷群は全て後方に過ぎ去ったと考えたのだ。

 

ここで女性は首をひねり、取舵によって右後方に移動した敵巡洋艦群を見やる。そして失敗を悟る。

隊列最後尾の巡洋艦との距離は、一万メートル以上に開いている。

敵隊列の速度は三十ノット以上であり、重雷装艦では永遠に追いつけない位置関係だ。

魚雷を回避するため、雷撃コースから外れてしまったのだ。

 

だが、女性は諦めない。

面舵に転舵し、巡洋艦が視界内の右後方から正面へと流れてくる。敵対列の右後方から追いすがる針路だ。

 

その時、隊列の前方から巨大な閃光が届いた。周辺が一瞬昼間と化し、次いで腹に堪える何かが炸裂したような音が轟く。

膨大な黒煙が巡洋艦の後部から湧きたち、やや遅れて巨大な火柱がそそり立つ。

重雷装艦の艦上からは十キロ以上離れているため詳しくは分からないが、早くも浸水が始まったようだ。鋭い艦首が空を向き、水蒸気を出しながら海に引きずり込まれてゆく。

先頭の巡洋艦がタ級戦艦の四十センチ砲弾を喰らい、轟沈したようだ。

 

敵巡洋艦群が動いたのは、その後だった。

戦力を保っている二、三、四、五、六番艦が一斉に左に転舵し、そのまま180度回頭する。

順番が逆になる。六番艦が先頭になり、二番艦が最後尾に躍り出る。

敵巡洋艦が、重雷装艦に接近する針路に移ったのだ。

 

それを見て、その女性は再びニヤリと笑った。

これで奴らに魚雷をブチ込める、と言いたげな顔だった。

 

重雷装艦は巡洋艦群の左前方から、再び距離を詰めにかかる。

 

2

 

左一斉回頭を行なって敵戦艦と同航戦に移ってから、最初に被弾したのは先頭艦「ヴィンセンス」だった。

 

「『ヴィンセンス』被弾!」

 

「やられたか…」

 

TF67司令官のダニエル・J・キャラハン少将は、旗艦「サンフランシスコ」の艦橋で顔をしかめる。

五番艦「ミネアポリス」、四番艦「ニューオーリンズ」の先に、被弾炎上している「ヴィンセンス」の姿が見えている。

艦前部に被弾したらしく、逆光で艦影が浮かび上がっている。巨大な火焔が揺らめき、濛々たる黒煙を引きずり始めていた。

 

「三式弾、炸裂します!」

 

砲術長のブレナン・シーウェル中佐の報告が届き、キャラハンは左正横を同航するタ級戦艦を見やった。

十数秒前に放った砲弾群が、敵艦に到達する。タ級の頭上で九発に及ぶ三式弾が炸裂し、数千発の弾子と焼夷榴弾、破片が熱風と共に降り注いだ。

間髪入れずに「ニューオーリンズ」「ミネアポリス」、被弾前に放っていた「ヴィンセンス」の射弾も炸裂し、十五度目となる鉄嵐をタ級に見舞う。

 

タ級戦艦は以前と変わりない。

主砲は絶えずこちらを付け狙い、三式弾の影響で常に大量の小火災を艦上にまとわりつかせている。速力は二十ノット前後で、今までと変わらず後部主砲は火を吹かない。

そこに「ソルトレイクシティ」が放った二十センチ砲弾十発が、空気を切り裂きながら落下する。「ソルトレイクシティ」が所属するCD3の任務は対艦戦闘だったため、弾種は徹甲弾だ。

タ級の左右に水柱を奔騰させ、海水の壁がタ級の姿を覆い隠す。水柱の向こうに二度の閃光が走り、海水が赤く染まり、破片が舞い上げられる。

 

水柱が引く頃、タ級は「ヴィンセンス」への斉射を放つ。

艦前部がめくるめく発砲炎で包み込まれ、雷鳴のような発射音が遅れてキャラハンの腹を突き上げる。

放たれた六発の四十センチ砲弾が空中にあるうちに、「サンフランシスコ」は第十六射を放つ。

重々しい発射音と共に三連装砲の砲門から火焔と硝煙が噴出し、二十センチ三式弾九発を一万一千ヤード先の目標へ叩き出す。

 

「ニューオーリンズ」が発砲するのと同時に、セコイアの木のような極太の水柱が「ヴィンセンス」を包み込んだ。

これにも、「ヴィンセンス」は辛くも耐えた。

敵弾は飛行甲板を抉り取り、そこにあったカタパルトやクレーン、予備の水上機を吹き飛ばしたが、致命傷にはならず、「ヴィンセンス」は黒煙を引きずりつつも航行を続ける。

 

待望の報告は、その直後に届いた。

 

「“ジュピター1”より“サターン1”へ隊内通信です。戦艦へ魚雷命中!」

 

“ジュピター1”こと第三十七駆逐隊一番艦「グレイソン」から「サンフランシスコ」へ隊内電話での連絡が入り、素早く受話器を取った艦長のオースティン・D・ウィンソン大佐がキャラハンに報告する。

 

「やってくれたか!」

 

キャラハンは歓声を上げ、双眼鏡を敵戦艦へ向けた。

キャラハンは、海戦開始時からTF67に所属する駆逐隊に対して敵戦艦への雷撃を指令してきた。

CD3、CD8が敵戦艦との同航戦にあえて入ったのも、戦艦を牽制し、駆逐艦の突破口を開くためである。

それが、功を奏した。巡洋艦部隊は「ペンサーコラ」を失い、「ヴィンセンス」を傷つけられながらも、任務を果たしたのだ。

 

一万一千ヤードの隔たりがあるため、「サンフランシスコ」の艦上からタ級戦艦の舷側にそそり立つ水柱を見ることはできない。

だが、艦上の小火災が時々なにかに遮られる。恐らく、それが水柱だ。

 

「続報、魚雷三本命中」

 

ウィルソン艦長が伝え、キャラハンは勝利を確信する。

TF67に所属する駆逐艦が装備しているのは、日本海軍から供与された九三式酸素魚雷である。

一撃で重巡を大破させしめる統合軍最強の魚雷が、三本も喫水線下を食い破ったのだ。

タ級と言えども、戦闘航行不能に陥ったのは確実だった。

 

「敵戦艦沈黙、発砲来ません!」

 

キャラハンは双眼鏡でタ級を凝視する。

多数の小火災を発生させているのは今まで通りだが、艦中央に巨大な火焔がゆらめいている。小爆発が連続し、機関停止しているのか、垂直に黒煙が上がっていた。

 

「補助艦艇の様子は?」

 

「ト級軽巡二隻のうち、一隻は駆逐艦の集中砲火によって大破炎上。もう一隻は本艦の左前方六千ヤードまで接近したのち、タ級が被雷したのを察知して反転しました。現在は、エスペランス岬を通過してガダルカナル島西方に離脱中」

 

「“サターン”、“ユレイアス”、射撃中止。“ヴィーナス”集結せよ」

 

「“ジュピター”各艦は『ペンサーコラ』の乗組員救助、及び『ヴィクトリアス』の消火協力に当たれ」

 

CICから敵軽巡の情報を聞き、キャラハンは各艦に命じた。

 

「司令、我々を遮るものはありません。直ちに飛行場姫を叩きましょう」

 

首席参謀のポール・サザーランド中佐が疲れを滲ませながら言い、キャラハンは「無論」と答える。

 

 

 

──「『ヴィンセンス』被雷!」の報告が飛び込んだのは、ちょうどその時だった。

 

キャラハンは最初、報告の意味がわからなかった。

TF67の幕僚が唖然とする中、「ヴィンセンス」の左舷側には二本目、三本目の水柱が奔騰している。

既に二発の四十センチ砲弾を受けている「ヴィンセンス」の艦体が、魚雷が命中するごとに大きく打ち震え、苦悶するように大音響を発する。

水柱が火柱へと変わり、重巡の艦体を火の手が蝕んでゆく。

 

「『フレッチャー』被雷!」

 

「と、と、と」

 

キャラハンはなにを命じたら良いか理解しているが、唐突な出来事に舌がもつれ、命令を発することができない。

 

「と、取舵!取舵一杯だ!」

 

キャラハンに変わって、参謀長のビクター・ロゼッター二大佐が焦慮しながら叫ぶ。

 

「取舵一杯、急げ!」

 

キャラハンが立ち尽くす中、航海長が操舵室に怒鳴り込み、素早く舵輪が回される。

だが、基準排水量一万トンの重巡が回頭するには相応の時間がかかる。

「サンフランシスコ」が直進する間に、魚雷は迫る。五番艦「ミネアポリス」の艦首が爆炎と共に大きく切り裂かれ、膨大な量の海水が爆圧によってつき上げられる。

速力を落としていた「ヴィンセンス」に近づこうとしていた駆逐艦にも魚雷は命中し、艦橋を遥かに超えた高さの水柱がそそり立つ。

消火協力のため露天甲板で作業をしていた水兵が海に投げ出され、キールが切断され、その駆逐艦は瞬く間に海中に没した。

 

やがて「サンフランシスコ」の艦首が左へ流れ、一拍遅れて「ニューオーリンズ」も「ソルトレイクシティ」も左へと転舵した。

 

三本の魚雷を片舷にまとまって食らった「ヴィンセンス」は、既に左に転覆し、艦橋や主砲、煙突を半分以上海水に浸している。

艦底部の赤い腹、二軸のスクリューが晒され、赤い火焔に照らされて鈍い光を発していた。

 

「ミネアポリス」は艦首を吹き飛ばされ、加えてもう一本を艦橋と第一煙突の間に食らった。

五十ノット以上の速度で突入してきた敵魚雷はバルジをやすやすとぶち抜き、バブコック&ウィルコックス製水管缶全八基のうち、三基を破壊した。

吹き飛ばされた艦首の断面からは怒涛の勢いで海水が侵入し、「ミネアポリス」は艦首と艦中央部から黒煙を吹き上げながら、前のめりになって停止する。

 

「ニューオーリンズ」「サンフランシスコ」「ソルトレイクシティ」が無事に魚雷を回避できるか、まだわからなかった。

 

 

 

 

第八十三話 夜闇の雷跡






雷巡チ級。
人類の前に姿を現したのは今回が初めてのため、DISSによる『チ級』の命名はまだ行われていません。


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第八十五話 敵支配域を突破せよ




TF67の運命は。。


 

1

 

帰還途中の第六十七任務部隊(T F 6 7)残存艦艇に「対空戦闘用意」が発令されたのは、日も昇った7月17日の午前7時56分だった。

 

「話が違うぞ。こいつは…!」

 

TF67司令のキャラハン少将は、「サンフランシスコ」の艦橋で上空を見上げながら吐き捨てるように言った。

 

──昨夜の海戦の終盤。第三、八巡洋艦戦隊の重巡五隻は、敵軽巡からの大規模な雷撃を受けた。(ト級軽巡がそこまでの雷撃能力を保有していたとは考えられず、新鋭の『重雷装艦』ではないかという意見がある)

その結果、タ級の主砲弾を受けて損傷していた「ヴィンセンス」が魚雷三本を、駆逐艦「フレッチャー」「アーロン・ワード」が一本ずつを被雷してそれぞれ沈没し、五番艦「ミネアポリス」も二本を喰らって大破した。

他にも、タ級との砲戦によって「ペンサーコラ」が撃沈され、駆逐艦二隻が損傷した。

 

それでも、海戦が終了した時点で重巡「サンフランシスコ」「ニューオーリンズ」「ソルトレイクシティ」が健在であり、駆逐艦も一個駆逐隊分が無傷だった。

タ級戦艦を後退させ、思わぬ敵からの大規模雷撃も切り抜けたTF67には、依然飛行場姫への艦砲射撃を実施する余力があったのだ。

 

ガダルカナル島周辺に新たな敵艦隊が存在する可能性も、西方に遁走したタ級が反撃を仕掛けてくる可能性もあったが、キャラハンは艦砲射撃の実施を決断し、残存重巡三隻による対ルンガ飛行場姫制圧射撃が実行された。

当初の予定では砲弾の五割を撃ち込んで離脱であったが、三隻は三式弾、瞬発榴弾の全弾、徹甲弾の九割をルンガ飛行場姫の滑走路、誘導路、格納庫、管制塔などに撃ち込み、火の海と変えた。

敵陸上砲台も設置されていたが、マニラ沖海戦で猛威を振るったもの程の数も打撃力もなく、駆逐隊の砲撃で簡単に沈黙している。

 

敵艦隊を撃破した後は、さほどの妨害を受けることなく艦砲射撃を実施し、ルンガ飛行場姫を徹底的に破壊したのだ。

TF67将兵の誰もが、飛行場姫の破壊に成功したと確信していた。

 

対空レーダーに、TF67へと向かう敵編隊が映るまでは…。

 

五分前。「ニューオーリンズ」のレーダーがTF67に近づく機影を探知し、たった今「サンフランシスコ」のCICからも敵編隊近くの報告が上がった。

最初は、参謀から「敵空母から発進したのでは?」という意見が出たが、敵編隊は確実にガダルカナル島の方角から接近していることに加え、南太平洋に深海棲艦の空母は確認されていない。

 

TF67は、失敗した。

艦砲射撃で撃ち漏らした滑走路があったのか、別の飛行場姫が別の場所に建設されていたのか、それは定かではない。TF67は重巡と駆逐艦を二隻ずつ失い、目的を達成できなかったのだ。

 

 

キャラハンには任務を失敗した後悔や無力感があったが、頭を振り、冷静さを取り戻す。

今考えるべきは深海棲艦の空襲をどう切り抜けるか、である。悲観に浸る時ではない。

 

「敵編隊の到達時間は?規模は?」

 

「四十分でやってきます。規模は約八十機」

 

アラートが鳴り響く艦橋内。

キャラハンの問いに、レーダー統括のトム・カドリッツ少佐が即答する。

 

「四十分ですか。艦隊陣形の転換も、ラバウルからの防空戦闘機も間に合いませんな」

 

参謀長のビクター・ロゼッター二大佐が外をちらりと見た。

TF67は防空用の輪形陣ではなく、対潜用の警戒陣を形成している。

駆逐艦六隻が前方で傘型に展開し、その後方に重巡四隻が単縦陣で後続しているのだ。敵機の空襲が避けられない今、一刻も早く深海棲艦の空襲圏から脱出したいが、艦首を吹き飛ばされて思うように速力を発揮できない「ミネアポリス」に合わせ、艦隊速度は十一ノットに抑えられている。

 

「速力十一ノットの場合、敵空襲圏から出るのは五時間半後です。二度目、三度目の空襲も考えられます。ここは空襲圏からの脱出ではなく、味方支配地域に向かうことを第一に考えるべきでは?」

 

航空参謀のデニス・ウッドワイド中佐が言った。

現在はトラック環礁に向かう針路だが、統合航空軍が展開しているラバウル・カビエン方向に向かって味方制空権下に入ってしまおう、とウッドワイドは主張しているのだ。

 

「それで行こう」

 

キャラハンは部隊の方針を決め、次いで指示を飛ばした。

 

「第二航空集団に直掩機の要請を」

 

艦長のオースティン・D・ウィルソン大佐にその旨を伝えた後、隊内電話を手に取って命令を吹きこむ。

 

「“アース”より全艦。我が艦隊はトラック環礁への到達を断念し、味方制空権下へ進出する針路を取る。艦隊針路250度。目標、ラバウル!」

 

「“サターン2”了解」

「“サターン3”了解」

「“ユレイアス2”了解」

「“ジュピター”了解」

 

指揮下の各艦から了解の旨が伝えられる。

命令は素早く実行される。隊列前方で傘型を組んでいる駆逐艦の左半分──第三十七駆逐隊の三隻が取舵に転舵し、右半分の第五十一駆逐隊もやや遅れて転舵した。

 

「駆逐隊、回頭開始」

 

「取舵一杯。針路250度!」

 

ウィルソンが潮風に鍛えられた骨太な声で航海長に命じ、舵輪が左に回される。

「サンフランシスコ」の舵が効くまでの間、巡洋艦隊列の先頭艦を務める「ソルトレイクシティ」がDDG51を追って回頭を開始する。

たけ高い三脚檣が右に傾き、白い航跡が大きく左にうねった。

「ソルトレイクシティ」が250度に乗る直前、「サンフランシスコ」の艦首が左に振られる。

視界外に消えた二個駆逐隊と「ソルトレイクシティ」が再び姿を現し、左から正面への流れる。

 

「『ミネアポリス』転舵。『ニューオーリンズ』続いて転舵」

 

見張員からの報告で後続艦の行動を把握する。

魚雷二本を受けている「ミネアポリス」が無事に回頭を行えるか不安だったが、通信が無いところを見ると大丈夫だったようだ。

 

「“アース”より“ジュピター"、“ヴィーナス”。巡洋艦隊列の左右に展開せよ。“ジュピター”が左、“ヴィーナス”が右だ」

 

「了解」

 

全艦がトラック環礁へ向かう針路に乗ったのを見計らい、キャラハンは新たな指示を出す。

敵機は損傷して速力を落としている「ミネアポリス」を狙ってくる可能性が高い。前衛で潜水艦に目を光らせている駆逐艦六隻を巡洋艦の左右に展開させ、少しでも防空力を高めようと考えたのだ。

 

──敵編隊は予定もより早い三十分で姿を現した。

駆逐隊は、まだ展開を終えていない。

 

「敵編隊視認。本艦右後方、距離二万ヤード!」

 

後部見張員の報告が艦橋に届く。

 

「来たか…」

 

キャラハンは重々しい声で呟いた。司令官席で身じろぎもせず、続報に耳を傾ける。

 

「高度四千フィート。機数約六十。オスカーとベティーの混成です!」

 

「編隊分離。アルファ隊は約四十機、速度を上げ、高度を落とします。ブラヴォー隊はそのまま」

 

後部見張員とレーダーマンの報告が立て続けに入る。

 

「アルファ隊がオスカーで、ブラヴォー隊がベティーでしょう。ベティーはオスカー数機分のレーダー波反射面積があるため、オスカー四十機と誤認したようです」

 

首席参謀のポール・サザーランド大佐が言い、続いてウッドワイド航空参謀が口を開いた。

 

「ベティーの高高度水平爆撃は、艦艇にとってなんら脅威にはなりません。アルファ隊を優先して叩くべきです」

 

「……“アース”より全艦。オスカー編隊を“アルファ”、ベティー編隊を“ブラヴォー”と呼称する。全艦、攻撃目標“アルファ”。 “ブラヴォー”は回避運動のみで対処せよ。射程に入り次第射撃開始」

 

キャラハンはウッドワイドの意見をいれ、各艦に早口で指示を出す。

それ以外に、キャラハンが指示することはない。各艦に搭載されている高角砲、両用砲、機銃は全てが空を睨んでおり、回避運動も各艦長に任せている。

 

「三式弾を使い切ったのが悔やまれますな。あれがあれば、密集している今なら一網打尽にできたはずです」

 

ウッドワイド航空参謀が苦笑しながら言った。

 

「無い物ねだりをしても仕方ない。今は、現有戦力でこの場を切り抜けるだけさ」

 

キャラハンは他人事のように肩をすくめ、小さく笑って見せる。

 

やがて、敵機の重々しい飛行音が聞こえ始めた。

そろそろか…と思った直後、後方から小さい、だが鋭い砲声が二度三度と響き始める。

 

「『ニューオーリンズ』対空射撃開始!」

 

隊列の最後尾に位置する「ニューオーリンズ」が一番最初に後方から近づく敵編隊を射程距離に収め、対空砲火を撃ち始めたようだ。

 

「本艦も撃ちます」

 

ウィルソン艦長が確認するようにキャラハンに問い、キャラハンは小さく頷く。

刹那「撃ち方始め」が命じられたのだろう。右後方に指向可能な二十五口径十二.七センチ単装高角砲四基が鋭い砲声とともに砲撃を開始し、七、八秒間隔で砲弾を撃ち出してゆく。

 

「『ミネアポリス』射撃開始。『ソルトレイクシティ』射撃開始」

 

「サンフランシスコ」の前方を進む二隻も射程距離に敵を収めたらしく、「サンフランシスコ」同様射撃を開始する。駆逐艦の両用砲もやや遅れて射撃に加わる。

青々とした空を背後に、多数の硝煙が沸き立つ。

発射された砲弾が時限信管に従って炸裂し、無数の破片を大空にばら撒いているのだ。

閃光が空中に走り、次いで破片と衝撃はが半径数メートルに襲いかかる。それがいくつも連なり、弾幕を形成してゆく。

だが敵“アルファ”隊は一切臆することなく弾幕に突入し、よろめきながらも突破する。

 

各対空砲座は、さらに吠え猛る。

撃ち出された砲弾は敵機の未来位置に飛び、炸裂。敵機の侵入を防ぐべく新たな弾幕を作り出し、敵機を上下左右から圧迫する。

一機のオスカーが被弾した。

衝撃波によって胴体と右側の翼が分断され、二つに分かれた機体が独楽のように回転しながら落下。その後方を進んでいたオスカーも至近距離で炸裂を受け、瞬時にばらばらになる。

 

「オスカー、一撃墜。もう一機撃墜!」

 

見張員が歓喜混じりの報告を上げ、艦橋でも歓声が沸き立つが、いかんせん防空力不足だった。

駆逐艦の左右への展開も遅れており、弾幕も厚いとは言えない。

 

「“アルファ”隊、なおも接近。弾幕を突破します!」

 

レーダーマンが報告し、ウィルソン艦長が艦橋脇から空を見上げる。

対空砲で敵機を撃退することは、おそらく無理だろう。ウィルソンは回避運動のタイミングを見計らっているようだ。

 

「敵機散開。一部が『ニューオーリンズ』に向かいます!」

 

「急降下爆撃だな」

 

サザーランド首席参謀がそう呟くのを、キャラハンは砲撃の合間に聞いた。

“アルファ”隊は海面すれすれに舞い降りるわけでもなく、比較的高高度から艦隊に接近している。これはオスカーが急降下爆撃を実施する前兆だ。

 

「『ニューオーリンズ』に急降下!」

 

見張員の報告にオスカーが発するダイブ・ブレーキの音が重なる。

直後、高角砲とは違う凄みを持つ連射音が鳴り響き始めた。

大砲のような重層感と機関銃のような軽快感を兼ね備えたそれは、途切れることなく射撃を続ける。

右後方へ指向可能なボフォース四十ミリ四連装機銃と、同二十八ミリ四連装機銃が火を噴き、毎分120発の勢いで機銃弾を吐き出し始めたのである。

これらの機銃は発射速度と多銃身によって濃密な弾幕を形成することが可能であり、西部太平洋やフィリピン沖で幾多もの深海棲艦機を撃ち落としてきた実績を持つ。

 

「ニューオーリンズ」「サンフランシスコ」から放たれた機銃弾は「ニューオーリンズ」に対して急降下に移ったオスカーと今にも降下に入ろうとしているオスカー十数機に殺到する。

 

機体を翻した刹那、腹面に二十八ミリ弾を喰らったオスカーは、抱いてきた五百キロ爆弾が誘爆し、空中に一際目立つ爆炎を起こす。

後続していたオスカーにも火焔と破片が飛びかかり、二、三機が白煙を引きずりながら高度を落とす。

 

垂直に近い角度で急降下に入っているオスカーにも命中する。

正面から四十ミリ弾に撃ち抜かれた刹那、とんがった機首が大きく変形し、投弾コースを外れて速度を落とさぬまま、「ニューオーリンズ」後方の海面に激突する。

 

「『ニューオーリンズ』面舵。回避運動に入ります」

 

「面舵一杯!」

 

ひたすら敵機の動きを注視していたウィルソン艦長が、大音響で叫ぶ。

「ニューオーリンズ」を攻撃している敵機以外は、全機が「サンフランシスコ」の方向に向かってきている。ウィルソンはタイミングを「今」だと判断し、回避の指示を飛ばしたのだ。

 

「『ニューオーリンズ』に火災。被弾した模様!」

 

「右後方から来るぞ。右舷銃座何やってる!?」

 

怒号や報告が飛び交い、発砲に伴う硝煙の匂いが鼻を突く。

鼓膜を震わせる一斉射撃の最中、「サンフランシスコ」は右への回頭を開始した。

急回頭なため大きな遠心力がかかり、上部構造物が左に傾く。キャラハンは身体が左に引っ張られるのを、司令官席の手すりを強く握りしめて耐えた。

 

「敵機、右正横より急接近。機数三十!」

 

見張員の絶叫じみた報告が、辛うじて聞き取れる。

「サンフランシスコ」は海面を切り裂きながらの急回頭を続ける。正面に見えていた「ミネアポリス」が視界内の左に流れ、新たに、黒煙を吹き上げた「ニューオーリンズ」の姿が右から見えてくる。

 

(三十機といえば、“アルファ”の残存全機じゃないか)

 

キャラハンは数秒前に上げられた報告の意味を理解し、「サンフランシスコ」の運命を一瞬で悟った。

撃沈までは行かないだろうが、大きな被害を受けてしまう可能性は非常に高い。またたくさんの優秀な合衆国青年が命を落とす…。自分もその一人かもしれない。

 

そこまで考え、キャラハンは被弾に備えて身体を強張らせた。

だが、敵弾は来なかった。いつまで待っても至近弾すらない。

キャラハンが不審に思って顔を上げた時、ロゼッター二参謀長が言った。

 

「司令。敵機の目標は『ミネアポリス』です!」

 

“アルファ”のオスカー約三十機は大きく回頭する「サンフランシスコ」の頭上を通過し、「ミネアポリス」に殺到する。

「ミネアポリス」は魚雷二本を喰らい、大破している。奇跡的に十一ノットで航行可能、という状態だ。

 

「ミネアポリス」の前後に位置している「サンフランシスコ」と「ソルトレイクシティ」が頭上に傘を開くように援護の射弾を放つが、回頭中の「サンフランシスコ」からでは照準が正確さを欠き、効果的な弾幕を作り出せない。

背後から四十ミリ機銃に絡めとられたオスカーが一機墜落したが、他は全機が順に急降下に移った。

 

「サンフランシスコ」艦橋からは死角になってしまい、敵機の動向を直接見ることはできない。

「一機撃墜!」という報告も聞こえるが、「『ミネアポリス』に急降下!」「『ミネアポリス』被弾!」「現在までの被弾数、三!」といった報告が大部分を占める。

 

「ミネアポリス」が十一発目を被弾したのを最後に、“アルファ”編隊の空襲は終了した。

 

「サンフランシスコ」は回頭を続行しており、やがて視界内に「ミネアポリス」の姿が入ってくる。

それを見て、キャラハンをはじめとする艦橋内の要員は息を呑んだ。

 

「ミネアポリス」は完全に停止しており、艦首から艦尾までを完全に黒煙に包まれている。かすかに見える艦橋やマスト、主砲は原形をとどめておらず、巨大なハンマーで打撃されたかのように大きく潰されている。艦上では小爆発が連続し、大小八箇所の火災が発生している。

五百キロ爆弾被弾の影響によって補強されていた隔壁が決壊したのだろう。艦首から刻一刻と傾斜が増しており、艦尾ではスクリューの上半分が既に晒されていた。

 

強力な敵魚雷を二本被雷して持ち堪えた「ミネアポリス」だが、敵機による急降下爆撃が決定打となった。

彼女を救うことはできない。この事実は、誰の目にも明らかだった。

 

「司令。空襲はまだ終わっていません」

 

ロゼッター二が苦渋な面持ちでキャラハンに言う。

“アルファ”隊は全機が投弾を終えて退避しつつある。高角砲、機銃の射撃もまばらになっている。

だが、高高度で“アルファ”の攻撃終了を待っていた“ブラヴォー”──ベティー二十機はまだ攻撃を実施していない。

“アルファ”と入れ替わるように、高高度からTF67上空に接近しつつあるのだ。

 

「分かっている」

 

キャラハンは低い声で答え、制帽を深くかぶった。

 

まばらになっていた高角砲が、統制のとれた射撃へと戻る。

敵編隊周辺に閃光が走り、硝煙が沸く。

 

「ミネアポリス」を除くTF67各艦が、一斉に左へ舵を切る。

ベティーが発する重々しい飛行音が頭上を圧迫し、やがて大気を切り裂く音が鳴り始める。

至近弾着弾の衝撃が、「サンフランシスコ」の艦体を突き上げた。

 

 

この時、すでに「サンフランシスコ」の対空レーダーは、TF67へ迫る新たな敵編隊を捉えている。

機数は、およそ百機であった。

 

 

 

 

 

 

 

第八十五話 敵支配域を突破せよ





次の場面まで進めようと思ったのですが、一万文字を超えそうだったので一旦切りました。
調子がよければ年内にできるもしれないです。

感想待ってます。皆さま、良いお年を!


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第八十六話 消える少女




なんか書けたから投稿します。


・ついに空母機動部隊が動き出す!
艦娘うんぬんにも動きが!?



 

1

 

「太平洋艦隊の方針が決まった」

 

第二航空艦隊司令長官の小沢治三郎(おざわじさぶろう)中将の明瞭な声が、室内に響いた。

 

場所は二航艦旗艦の空母「海鶴」の作戦室である。

室内には二航艦幕僚全員と二航艦所属の各戦隊司令官、第二艦隊司令長官の近藤信竹(こんどうのぶたけ)中将、同参謀長と二艦隊所属の各戦隊司令官、統合太平洋艦隊(J P F)首席参謀の風巻康夫大佐と米海軍第六十一任務部隊(T F 6 1)連絡官のハリソン・V・ストーン中佐らが顔を揃えている。

 

「目標はガダルカナル島。同島に建設されたルンガ飛行場姫と、7月19日に新たに確認されたエスペランス岬飛行場姫の完全破壊だ」

 

小沢が「ガダルカナル」と口にすると、攻撃目標を初めて知った面々の表情が強張る。第二航空艦隊のトラック環礁進出でなんとなく予想できていたと思われるが、改めて小沢から地名を口にされると緊張を隠せないのだろう。

 

 

──ガダルカナル島。

 

豪州分断(F S)”作戦の目下最大の障害であるこの島は、依然深海棲艦の手中にある。

ラバウル・ポートモレスビーに展開する人類統合航空軍、南太平洋方面艦隊によって実施された攻撃回数は、空襲が四十二回、艦隊攻撃が二回。いずれも飛行場姫には少なからずの損害を与えているが、決定的な一撃にはならず、ガ島の敵航空兵力は健在なままである。

 

ガ島を攻撃するということは、相当なリスクとなる。

特に過去二回、飛行場姫を巡って生起した第一次、第二次ソロモン海戦において、南太平洋艦隊は手痛い敗北を期した。

 

巡洋艦六隻を中心とするTF67とタ級を含む敵艦三隻が激突した第一次ソロモン海戦では、TF67は敵艦隊を撃退してルンガ飛行場姫の破壊にも成功したものの、西()()()()()()()()()()()()()エスペランス岬飛行場姫を見逃してしまい、帰路で熾烈な空襲に遭遇。敵艦隊との交戦と空襲によって重巡「ペンサーコラ」「ヴィンセンス」「ミネアポリス」「ニューオーリンズ」と最新鋭駆逐艦「フレッチャー」を含む駆逐艦三隻を撃沈された。

 

が、ルンガ飛行場姫の完全破壊には成功しており、ガ島の敵飛行場姫は新たに発見されたエスペランス岬飛行場姫のみとなった。

TF67が帰還した五日後、南太平洋艦隊司令長官であるジェームズ・ソマーヴィル英軍中将はルンガを破壊できた今をガ島制空権奪還の好機と考え、自らが司令を務めるH部隊より軽巡三隻を中心とする艦隊(H2部隊)を輩出。ガ島に出撃させた。

 

偵察機が撮影した航空写真によると、エスペランス岬飛行場姫は二千メートル滑走路が二本しかなく、支援設備もルンガ飛行場姫ほど充実していない。

ルンガ飛行場姫から避難してきたであろう多数の航空機で溢れかえっている状況であり、軽巡の艦砲でも十分効果ありと判断されたのだ。

 

ガダルカナルの深海棲艦は、風前の灯火だった。H2部隊のみで簡単に吹き消せるほどの…。

 

だが、深海棲艦は消させはしなかった。

深海棲艦は艦隊による直接攻撃の対策を講じていたのだ。

H2部隊がガダルカナル島まで三万メートルの位置に達した時、敵艦隊による苛烈な砲撃に遭遇。H2部隊旗艦である軽巡「リアンダー」のレーダーは、確かにその時ル級戦艦三隻の影を捉えていた。

 

結果、ガ島飛行場姫を巡る二度目の海戦──第二次ソロモン海戦も南太平洋艦隊の敗北で終わり、H部隊は貴重な巡洋艦戦力を戦列外に失うこととなった。

 

これに伴い、人類統合軍の主力たるJPF指揮下の艦隊──特に空母機動部隊を出撃を求める声が、司令部内外から上がった。

南太平洋艦隊は戦艦六隻を中心とする強力な艦隊だが、空母は一隻たりとも保有していない。

水上砲戦部隊による失敗が相次いだことにより、日米の航空主兵主義の人々が声を上げたのだ。

 

第二航空艦隊に命令が下ったのには、そのような事情があった。

 

「今回の作戦には、第二航空艦隊、第二艦隊、第六十一任務部隊が参加する。攻撃目標はさきほど小沢長官が仰られた通り、ガダルカナル島に存在する二箇所の飛行場姫だ」

 

二航艦参謀長の城島高次(じょうしまたかつぐ)少将が小沢の跡を継いで発言した。同時に海図台上に広げられた南太平洋を網羅した地図のガダルカナル島を指揮棒でトントンと叩いた。

 

「我々第二航空艦隊がルンガ、六十一任務部隊がエスペランスを目標として航空攻撃を実施する。

第二艦隊には我が艦隊と米艦隊の前衛として五十浬前進して展開。敵空襲の吸収、並びに敵水上部隊の機動部隊襲撃という万が一に備えていただきます」

 

城島は説明中に近藤をちらりと見、説明が途中で敬語に変わる。二航艦と二艦隊では指揮系統が違い、加えて階級も近藤が上なためだろう。近藤を含む二艦隊司令部は今回の作戦の概要を二航艦司令部と同じくすでに知っていた。

 

「今回、貴国艦隊と行動を共にするTF61は…」

 

城島に変わり、TF61から派遣されたストーン中佐が口を開く。

流暢な日本語であり、数人の佐官が驚いたような顔を向けた。

 

「レキシントン級航空母艦二隻を含む空母五隻を中心としており、航空兵力は二航艦に匹敵する力を有しています」

 

ストーンが発言を終えると、会議を見守っていた従兵が米海軍参加艦艇の一覧が記された紙を配布する。戦隊司令や参謀が目を通し、「ほう」といった声が上がる。

 

 

TF61はれっきとした空母機動部隊であり、昨年の“KD”作戦において空母部隊を率いたフランク・J・フレッチャー中将が司令官を務める。

 

基準排水量三万トンを超える合衆国最大の空母である「レキシントン」「サラトガ」を筆頭に、中型空母「ワスプ」、それに「ワスプ」の図面を流用されて建造されたハンプトン・ローズ級中型空母の「ハンプトン・ローズ」「ユナイテッド・ステーツ」を加えた計五隻の空母を有する。総搭載機数は三百九十八機にのぼる。

護衛艦艇も相当であり、今年から就役し始めたサウス・ダコタ級戦艦一番艦「サウス・ダコタ」にポートランド級重巡二隻と「ウィチタ」、アトランタ級防巡二隻、ベンソン級やフレッチャー級などの駆逐艦十五隻が付く。

 

「二航艦と二艦隊を合計すると、正規空母六隻、中小空母五隻、戦艦巡戦五隻、巡洋艦十四隻、駆逐艦三十九隻ですか」

 

第二艦隊参謀長の白石萬隆(しらいしかずたか)少将が唸りを上げた。一同の目が壁に貼られた二航艦、二艦隊編成表へ向く。

 

第二航空艦隊の戦力は、第三航空戦隊の「海鶴」「蒼鶴」「祥鳳」と第五航空戦隊の「翔鶴」「瑞鶴」「龍鳳」を中核とし、第三戦隊の戦艦「金剛」「榛名」、第十三戦隊の軽巡「天塩」、第二防空戦隊の防空巡洋艦「古鷹」「加古」、第十一戦隊の軽巡「五十鈴」と駆逐艦十二隻が付く。

「鶴」のつく空母はいずれも翔鶴型であり、「祥鳳」「龍鳳」は去年撃沈された「瑞鳳」と同じく祥鳳型に属する。六隻とも昭和十六年、十七年中に就役した最新鋭艦であり、新生航空艦隊に相応しい顔ぶれであった。総搭載機数は合計三百四十八機、補用機五十四機である。

 

なお、“KD”作戦では機動部隊の防空力不足が浮き彫りとなっており、祥鳳型は戦闘機のみを搭載した直掩機専用空母となっている。

 

 

水上砲戦部隊である第二艦隊は、夜戦を得意とする高速の巡洋戦艦と巡洋艦、駆逐艦にて構成されている。

司令部直率戦隊である第四戦隊の「愛宕」「摩耶」、一航艦から借り受けた第一防空戦隊の「青葉」「衣笠」、第六戦隊の最新鋭巡洋戦艦「栗駒」「生駒」、第二水雷戦隊の「神通」と駆逐艦十二隻、直衛艦(秋月型)二隻だ。

 

表の中でも一際目を引くのが、「栗駒」「生駒」の二隻である。

栗駒型の二隻は日本が満を持して送り出した最新鋭巡洋戦艦であり、最高速度三十五ノットの快速と、三十一センチ砲九門という重巡を圧倒する火力、三十六センチ砲に対応した防御力を誇る。

 

同時期に設計されたこともあり、「大和」に類似した艦影を持っている。艦首はシャープであり、全長全幅はコンパクトだが、長門型以前とは違うすっきりとした艦橋、一本に統一された傾斜煙突、その後方にそびえ立つ三脚檣、小口径なものの長砲身となった三基の三連装砲はいずれも「大和」の面影を伺うことができる。

「大和」を一回りサイズダウンさせ、飛行甲板を三脚檣と第三砲塔の間に移動させて、艦橋の高さを少し減らしたような艦であった。

 

 

これら三個艦隊以外にも、補給艦、給油艦、ガダルカナル島に上陸予定である第一海兵機甲師団、第八特別陸戦隊の将兵を乗船させた輸送船団、その護衛艦艇群がある。

二つの地上部隊は戦車戦力を中核としており、戦車百二十輌、兵員約一万の戦力を有している。状況が許せばガダルカナル島に上陸し、一気に攻略する予定であった。

護衛は英太平洋艦隊が受け持ち、ネルソン級戦艦二隻を含めた二十五隻が参加していた。この艦隊には上陸作戦時の火力支援も任務に入っている。

 

 

「敵情の詳細は、風巻JPF首席参謀から伝えて貰う」

 

日米英参加部隊の確認が終わり、続いて敵戦力の情報共有に移る。小沢がちらりと風巻を見やり、顎で合図をした。

風巻はそれを見て立ち上がる。一同の目線が集中する中、臆することなく口を開いた。

 

「飛行場面積は増加傾向にあります」

 

ここで言葉を切り、封筒から数枚の写真を取り出して海図台に並べる。

いずれも、ジャングルを切り開いて作られた長大な滑走路や巨大な格納庫を写していた。

 

「これは今朝、エスペランス岬飛行場姫を撮影したものです。第二次ソロモン海戦時では小規模な設備でしたが、今日──8月2日までにルンガに劣らない規模にまで拡張されています。予想される航空機の数はおよそ二百五十機。ルンガ飛行場姫は三百機。うち三分の二が甲型戦闘機、ないし丙型戦闘機だと考えられています」

 

「五百五十機の三分の二。翔鶴型空母の四.五隻分か」

 

城島が数字を反芻した。二航艦で互角だな…と思っているようだ。

 

「敵戦力はこれだけではありません」

 

風巻は注意を喚起するように言った。

 

「昨日。空母四隻を含む二十隻の艦隊が、マーシャル諸島クェゼリンを出港したという情報が入っています。西部太平洋海戦で初めて姿を現したヲ級空母だと考えられており、南太平洋で遭遇すれば激突する公算大です」

 

それを口にした瞬間、室内が少し騒めき出す。深海棲艦は従来の人類海軍のように戦艦を戦力の中核としており、空母を主軸に作戦を展開することはなかった。空母が戦線に出ることも稀だった。

だが、それがいっぺんに四隻も現れたと言うのだ。参謀らの驚きも無理もないだろう。

 

少し間を置いて風巻は続けた。

 

「ヲ級は一隻につき八十から九十機を搭載している、という分析結果が出ています。少なく見積もっても四隻で三百二十機という計算となり、飛行場姫と共闘されると敵航空兵力は八百七十機に達します。

…敵機動部隊が出現した場合。二航艦はTF61と協力し、これを撃破。然るのちに飛行場姫を制圧していただきます。

ここで我々JPF司令部が危惧することが二点……一つ目は敵機動部隊との交戦で手一杯となり、ルンガ・エスペランス岬両飛行場姫にまで手が回らないこと。二つ目は敵空母発見が遅れ、飛行場姫を攻撃中に敵機動部隊から横合いを突かれることです。今作戦の総指揮を執る小沢長官にはご理解していただいておりますが、今ここで各戦隊に徹底しておきます」

 

「加えて、敵水上砲戦部隊も存在する。そうだな?」

 

「左様です」

 

近藤の言葉を風巻は肯定した。

予想される敵戦力は飛行場姫、機動部隊のみではない。

 

「潜水艦、航空機によって収集された情報を集約した結果、南太平洋──ニューカレドニア島、フィジー諸島、サモア諸島に存在する敵戦艦の数は、合計で八隻。うち一隻はニューアイルランド島沖に沈み、もう一隻はガダルカナル島沖で大破していますから、深海棲艦南太平洋軍が使用できる戦艦は六隻です。敵は戦艦三隻を中心とした艦隊を二個編成してローテーションを組み、交互にガダルカナル島の防衛にあたらせていると思われます」

 

第二次ソロモン海戦でH2部隊が遭遇した敵艦隊が、二個艦隊のうちの一つだと考えられている。

 

「少なくとも戦艦三隻、最悪の場合は六隻が近海にいるものと考えて行動してください」

 

「承知した」

 

風巻が着席すると近藤が呟く。

小沢も大きく頷き、次いで室内を見渡して口を開いた。

 

「ガダルカナルの敵は強大だが、我が二航艦の初陣だ。戦艦空母が何杯いようが負けはせん。各員全力を尽くして役割を果たせ」

 

「応!」の声が作戦室内に唱和した。

 

 

 

2

 

──作戦室での各部隊の調整が終わった後、風巻は内火艇で「海鶴」を離れた。

「海鶴」は他の二航艦艦艇とともにトラック環礁中央部の春島泊地に停泊している。春島泊地は主力部隊専用の泊地であるだけに、自国他国問わない数多くの主力艦が停泊している。

それでも、統合太平洋艦隊──連合艦隊、米英太平洋艦隊、独太平洋派遣艦隊を全て指揮下に収める艦隊の割には、艦の数が少ない。

 

それもそのはずだ。

ソロモン諸島が戦局の焦点となっている今、トラック環礁はラバウルを支える後方支援基地だと見られがちだが、すぐ東のマーシャル諸島、ハワイ諸島を含む広大な海域(中部太平洋)は、未だに深海棲艦の支配下なのである。

マーシャル・ハワイの深海棲艦は南太平洋前線を重視しているためトラックに押し進んで来ることはないが、中部太平洋戦線の最前線であることに変わりはない。

トラック環礁各飛行場にはラバウルに展開する第二航空集団に匹敵する航空戦力を持った第一航空集団が展開しており、加えて日本海軍の内南洋方面艦隊も駐屯して「マーシャル深海棲艦の侵攻」という万が一に備えていた。

 

なお、マーシャル諸島西端のエニウェトク環礁に深海棲艦が重爆隊を進出されれば、トラック環礁は空襲圏に入る。

敵重爆の空襲圏(最 前 線)に主力を常駐させる訳にはゆかず、JPFはトラック環礁ではなく、フィリピンとトラックの中間にあるパラオ諸島を拠点と定めていた。

だから、停泊する艦船が少なかったのだ。

 

 

風巻を乗せた内火艇は「金剛」や「龍鳳」などの間を縫うように進み、泊地のすぐ隣にある春島を目指す。

トラック環礁には全長二百キロに及ぶ珊瑚礁の内側に二百五十もの島々があり、主なものには季節と曜日の名前(春島、水曜島等)がつけられている。

内火艇が向かう春島は、第一航空集団司令部や内南洋艦隊司令部、南洋庁トラック支部庁舎があるトラック環礁の中心地であり、九つある飛行場のうち二つが存在する。

風巻はパラオからトラックへ出張している間、そこの庁舎を間借りしていた。

 

泊地を抜けた内火艇は速度を上げ、春島の桟橋へと急ぐ。

 

風巻は船首に立ち、波を割いて風をきって進む内火艇に身を任せた。

頬を撫でる潮風が心地よく、むさ苦しい艦内の空気とは段違いである。

空は冬の朝のように澄んでおり、雲ひとつない。訓練中の空冷式の英戦闘機が、頭上のはるか上空を左から右へと通過した。飛行機雲はなかった。

 

ふと家族の姿が空に浮かぶ。

その唐突さに、風巻は可笑しくて笑ってしまう。

 

(緊張の糸が切れた途端に、か…)

 

風巻は心中で呟き、妻の紗江子(さえこ)と娘の(りょう)に想いを馳せる。

去年の年末から一度も会っていない。元気にやっているだろうか。娘は大丈夫だろうか。店で新しく挑戦した御節は上手くできたのだろうか…。

 

そのようなことを考えているうちに、内火艇は桟橋に着く。

桟橋の端には従兵が二人佇み、敬礼で風巻を迎えた。

 

「御苦労」

 

風巻は自らをここまで運んできた「海鶴」内火艇の乗員をねぎらい、桟橋の板を踏む。

 

「大佐殿。本土より大佐宛の電報を預かっております」

 

内火艇が桟橋を離れ、風巻は庁舎へと歩き始める。車での送迎が一般的だが、風巻は江田島で鍛えた脚力を損ないたくなかったためそのようなものは全て断っていた。

従兵の一人がそう言ったのは、春島の土を踏みしめた直後だった。

 

(電報…?)

 

風巻は一瞬疑問に思うが、ためらいなく従兵から電報の入った封筒を受け取る。

中から紙を取り出し、目を通す。

一目見た瞬間、風巻はまぶたをピクリと動かした。従兵がやや不思議そうな表情になり、顔を見合わせる。

だが、風巻は何事もなかったかのように紙を封筒に戻し、封筒を手元の革鞄に入れ、すたすたと無言で庁舎へと歩みを進ませた。

従兵が少し遅れて後を追う。

 

(涼が行方不明に…?)

 

風巻は電報の内容を反芻する。紗江子の父の榎本了佐(のりすけ)からの電報だった。そっけなく短い文書であったが、娘である涼が7月20日の高等女学校に行ったきり、家に戻っていないのだという。

家出をするような子ではない。戦争によって精神的に病んでしまう時期はあったが、芯はしっかりしている子だ。

 

風巻は、すれ違った将兵に形ばかりの返礼をしながら、庁舎へ歩みを進める。

 

焦りからか、歩みの速さは徐々にはやくなっていた。

 

 

 

 

 

 

第八十六話 消える少女





やっと翔鶴型3、4番艦を登場させることができる。

皆さま、良いお年をお迎えください!


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第八十七話 始動、第三次ソロモン海戦


そろそろ受験で休載にはいる、かも?
それまでにストーリーはできるだけ進めておきたい。
勉強と執筆を両立できる可能性もあります。


1

 

第二航空艦隊は、午前6時15分(現地時間)をガダルカナル島西北西二八〇浬で迎えた。

 

空は白みはじめているがが、まだ日は登っていない。艦隊は未だに闇に包まれており、各空母の飛行甲板では懐中電灯の微量な光を頼りに作業員たちが発艦準備を進めている。

飛行甲板にはすでに、零式艦上戦闘機や九九式艦上爆撃機、九七式艦上攻撃機、二式艦上偵察機といった艦載機が並べられ、暖機運転に勤しんでいた。

 

「日の出まで、およそ10分です」

 

二航艦旗艦「海鶴」の艦橋で、同参謀長の城島高次少将が言った。

夜間の発艦は危険が伴うため、日が昇ってからと決定されている。城島は後10分で沈黙が破られ、戦いが始まることを示唆したのだ。

 

「うむ」

 

二航艦司令長官の小沢治三郎中将が、気負ったところを見せずに返答する。

 

小沢は帝国海軍随一の知将として知られており、「帝国海軍の諸葛孔明」の渾名がある。

日本人には珍しく身長180センチを超える長躯であり、統合太平洋艦隊司令長官チェスター・ニミッツ大将をはじめとする欧米軍人と並んでも見劣りしない。

「鬼瓦」と揶揄された強面、鷹のように鋭い眼光、引き締まった大きな体躯を見る限り、航空艦隊司令官よりも幕末を戦い抜いた歴戦の侍を連想させる。

 

小沢は海軍兵学校を三十七期生として卒業してから主流である水雷を専攻していたが、少将昇進後に第一航空戦隊司令官に就任し、「赤城」「加賀」を通じて航空機の有効性を痛恨。当時少数派であった航空畑に転換している。

連合艦隊司令官の山本五十六、同期の井上成美(いのうえしげよし)らと同じく、早くから航空機の有効性に着目しており、「空母を集中配備して運用すべし」という航空艦隊の考えた方も早い時期から持っていた。

 

開戦以来、航空機が戦艦を撃沈する事例は報告されていないため、海軍の主力は依然戦艦が務めていたが、小沢はそう遠くない未来に戦艦が航空機に敗れる時が必ず来ると信じて疑わない。

 

自らが指揮する二航艦の初陣で、ガダルカナルを沈黙させてやる。敵空母も、状況が許せば、戦艦も撃沈してやる…。

「うむ」という短い返しには、そのような秘められた闘志が滲み出ているように感じられた。

 

 

「長官には釈迦に説法かもしれませんが、空母戦は初動が肝心です。偵察機が敵空母をいかに早く発見できるかが、勝敗を決めます」

 

首席参謀の長谷川喜一(はせがわきいち)大佐が確認するように言った。

 

二日前。マーシャル諸島とソロモン諸島の中間海域を警戒していたUボートが、南下する敵機動部隊を発見している。

Uボートは"空母四隻ヲ確認ス”と報告しており、ハワイからマーシャルに増援に送られた敵艦隊で間違いない。

二日という時間は決して短い時間ではなく、戦局の中心であるガダルカナル近海に空母が展開する時間は十分あると二航艦、TF61とも考えており、敵機動部隊がいる前提で作戦を遂行すると決められていた。

 

機動部隊である二航艦、第六十一任務部隊(T F 6 1)は対空母戦闘を実施し、敵機動部隊を排除。然るのちに総力で飛行場姫を叩く。これが人類艦隊の方針だった。

 

「問題は、敵空母が展開している位置です」

 

航空参謀の原田実(はらだみのる)中佐が問題を提起した。

 

「我々の作戦は敵空母と飛行場姫を各個に叩くというものですが、敵空母が飛行場姫との共闘を選択した場合、両航空部隊を同時に相手取ることになりかねません。そうなれば、太平洋艦隊司令部が危惧した通りになります」

 

「『共闘』というのは、敵機動部隊が飛行場姫との連携を重視する…ということか? ガダルカナル島と付かず離れずの距離を維持し、航空兵力を結集して我々を迎え撃つと?」

 

「そうです」

 

小沢の確認に、原田は小さくうなずいた。

 

「私は、それはないと考える」

 

「何故ですか?」

 

小沢は小さく息を吐き、説明を始めた。身体を司令官席に沈め、鋭い眼光を放つ両目は暗闇の海面を見つめている。各艦に灯火管制が徹底されているため、僚艦の姿は見えない。

 

「機動部隊の最大の武器は、戦艦中心の艦隊に勝る機動力と、敵に姿を見せない隠密性だ。敵の背後や側面に回り込み、打撃力を持った攻撃隊を放つ。ガダルカナル近海に展開海域を限定すれば、我々の予想外の方向から攻撃を加えることはできないし、ガ島を偵察する人類機に発見される危険もある。飛行場姫との共闘は、空母の武器をむざむざと失う結果になる。

大艦巨砲主義の彼らが、空母主体の艦隊を編成したんだ。空母の扱いは心得ているだろう」

 

「しかし深海棲艦機動部隊に課された任務は、我々の撃滅ではなく飛行場姫の防衛だと考えられます。ここは無理をせず、堅実な戦法を採るのではないですか?」

 

原田に変わり、長谷川首席参謀が小沢に聞いた。

 

「堅実な戦法を採用しても、機動部隊が発見されて我々とTF61の先制攻撃を受ければ、共闘はたやすく瓦解する。そのリスクを背負うならば、攻勢的な彼らなら、機動部隊を前進させて先制攻撃の機会を伺うだろう」

 

「先手必勝、ですか…」

 

原田のつぶやきに、小沢はニヤリと笑った。

 

「彼らなら、必ずその精神を胸に突き進んで来る。我々はそれを予期し、二八〇浬という遠方に布陣したんだ」

 

ガダルカナル島飛行場姫と第二航空艦隊との距離は、約二八〇浬(519km)。

理論上では艦載機全機種が艦隊と飛行場姫の間を往復できるが、戦闘での高速機動や爆弾などの重量物を搭載することを考えると現実的な数字ではない。

それは飛行場姫でも同様だ。

対艦攻撃能力を持つ甲型戦闘機も二八〇浬の遠方への攻撃は難しいと分析されとおり、艦隊になんら脅威ではない乙型重爆撃機を除けば、敵基地航空隊は二航艦を攻撃圏内に収めていない。

 

TF61は二航艦の北東三〇浬に展開しており、ガダルカナルとの距離は二八五浬。

二航艦の東三五浬、TF61の南南東三五浬の海域に展開した、比較的前進している第二艦隊でも距離二五〇浬である。

第二艦隊を頂点とした二等辺三角形を成している三個艦隊は、いずれも敵飛行場姫の攻撃圏外にいるのだ。

 

飛行場姫の攻撃を受け付けず、先制攻撃を試みて前進してくる敵機動部隊を二航艦、TF61が真っ先に叩く。

二八〇浬という遠方に布陣した理由には、そのようなものがあった。

 

 

「我が艦隊とTF61が先制攻撃を実施できれば、空母撃沈は堅い。だが、こちらが先制攻撃を受けたとなると、立場は逆転する。空母戦力で優っていても、慢心は禁物だ」

 

小沢のその言葉に参謀らが大きく頷いた時、水平線から朝日が顔を覗かせた。

二航艦の針路は90度──真東であり、真正面から曙光が「海鶴」艦橋に差し込み始める。

輪形陣の外郭前方を守る「五十鈴」「天津風」「時津風」や、「海鶴」の右正横を守る「榛名」が、朝日に照らされて浮かび上がる。

 

日本とは違う。赤道付近の特徴的な朝だ。太陽はすぐに強烈な日光は発し始め、先までの暗闇がうそのように西に追いやられてゆく。空は闇夜から紫紺、澄み切った青空に変化する。

 

「始まったか…」

 

誰かの声が、小沢の耳に届く。

それが一日の始まりを言ったのか、熾烈な戦いの始まりを言ったのか分からない。多分両方だろう…と小沢は思った。

 

「全艦宛打電。“索敵機発進セヨ”」

 

小沢は重々しい声で命じた。

「海鶴」艦長である別府明朋(べっぷあけとも)大佐が通信室に指示を飛ばし、通信アンテナから各艦に飛ぶ。

 

それを受け、巡洋艦以上の艦がにわかに動き出した。

航空甲板のカタパルト上にて待機していた零式水上偵察機、零式水上観測機が爆薬の音とともにカタパルトから打ち出され、空中に飛び出す。

飛び出した刹那、各機は自重で高度を下げるが、次の瞬間には発動機の爆音を轟かせながら上昇し、自らに割り当てられた索敵区間へと飛んでゆく。

 

そんな中、二航艦の空母「海鶴」「蒼鶴」「祥鳳」「翔鶴」「瑞鶴」「龍鳳」のうち、第三航空戦隊と第五航空戦隊を編成する翔鶴型四隻からも航空機が発艦する。

五航戦からは雷装を施していない九七艦攻が、三航戦からは最新鋭の二式艦偵が、それぞれ発艦し、水偵隊を追って上昇してゆく。

 

「翔鶴」「瑞鶴」から四機ずつ、「海鶴」「蒼鶴」軽巡「天塩」から二機ずつ、戦艦「金剛」「榛名」軽巡「五十鈴」から一機ずつ。合計十五機だ。

これらの他にも、二航艦の双璧を成すTF61、前衛部隊である第二艦隊からも多数の偵察機が発進している。

遥か西方のラバウル・カビエンからも二式大型飛行艇やB17といった長距離偵察機が夜間の間に発進し、ソロモン諸島に到達。索敵を開始している。

 

総偵察機数は、五十機以上。

敵機動部隊の発見は、時間の問題だった。

 

 

2

 

「蒼鶴」から出撃した二式艦偵の一機───「蒼鶴」二号機は、二航艦よりの方位90度一二〇浬の空域に到達した。

 

「敵影、未だ見ず…か」

 

二号機で偵察員と機長を兼任する持田翔一(もちだしょういち)少尉は、海面を双眼鏡で舐め回すように観察しながら呟いた。

現在の高度は三千メートル。海面は淡い藍色で染色した絹のようであり、むらがない。白波は見えない。

雲量は三であり、視界内にきめ細やかな薄い雲が点在している。空気は澄んでいて、四方の水平線上まで見渡すことができた。

 

「重要な任務なのは理解しているつもりですが、こうも何もない空を飛んでいると嫌になりますわ。敵さん、どこにいるんですかねぇ」

 

操縦桿を握る操縦員の土方頼久(ひじかたよりひさ)飛行兵曹長が、能天気な口調で言った。

持田は、部下の言いように「集中力が足りんぞ」と注意しようと思ったが、やめた。

 

土方は持田よりも階級が下だが、軍歴は遥かに長い。

海軍兵学校を卒業してすぐに将校になった持田とは違い、海兵団課程を終えてから一貫して空母艦載機の操縦桿を握ってきた男だ。

歳も持田より上であり、以前は二航戦艦爆隊に所属してタ級に爆弾を叩きつけたこともある。

 

土方は長年の軍歴と死線をくぐった経験から来る凄みを持っている。持田は、彼が軽口を叩きつつも忠実に任務をこなすことを、ペアを組んだ時から理解していた。

 

なによりも、土方が最新鋭の二式艦上偵察機の操縦員に任命されるだけでも、海軍中央から高い評価を受けていることがうかがえる。

 

 

──二式艦上偵察機は現在開発中である十三試艦上爆撃機の先行試作機を量産し、偵察機に改めた機体だ。

 

「敵戦闘機を振り切れる高速」と「膨大な航続距離」を両立させるため、今まで日本軍機にはなかった液冷エンジンの搭載など、さまざまな新機構を盛り込まれて設計された。

 

最大速度は時速571キロ。二式戦闘攻撃機「陣山」に次いで、日本軍で二番目に早い。航続距離は落下増槽装備で二〇〇〇浬にも及ぶ。海外製の強馬力液冷エンジンを採用し、空気抵抗の少ない液冷式特有のとんがった機首と拡張した機内燃料槽を搭載した結果だ。

海軍中央はこの高性能に目をつけ、十三試艦爆四十機を追加発注、艦上偵察機として使用することを決定した。

 

だが、この高性能機にこぎ着けるために、相当な困難があった。

中でも、手を焼いたのは液冷エンジンである。

 

当初はドイツ製のダイムラー・ベンツDB601A液冷エンジンを国産化した愛知「熱田」二一型発動機を搭載する予定であったが、構造が複雑で、空冷エンジンに慣れた整備員にとって常時最良の状態にとどめておくのは難しい。

試作機の段階では少数ながらも液冷式に慣れた整備士が整備を行っていたが、そのような存在は海軍の中には一握りしかおらず、いざ採用・実戦となると整備不良によって戦闘に参加できない機体が続出する可能性があった。

 

ここで打開案を申し出たのが、英国である。

「ドイツ製液冷エンジンではなく我が国の液冷エンジンを搭載すれば、技術者の提供などで十三試艦爆の整備に責任を持つ。なんなら、液冷エンジンの整備員の教育に手を貸しても良い」と申し出て、スピットファイアにも搭載されているマーリン64液冷エンジンの搭載を要請した。

 

空技廠内では、ドイツ空軍よりも英国空軍(R A F)と共同戦線を張る機会の方が多く、スピットファイアとの部品の共有や手慣れた英国整備員の協力によって稼働率の上昇につながる、という意見が大勢を占め、マーリン64エンジンを愛知「熱田」三二型の名称で国産化。十三試艦爆への搭載を決定した。

 

英国としては、十三試艦爆の量産機を自国の次期艦上爆撃機としてライセンス生産したい思惑がある。

日米との交流が深まったことにより、空母機動部隊とその艦上機が持つ力の大きさを実感したからだ。

スピットファイアの艦上機版であるシーファイアと搭載エンジンが同じならば、日本で設計された機体でもパイロットも整備士も短い期間で馴染むことができると踏んだのである。

 

 

二式艦偵は先行配備機という名目であり、機数も限られている。土方、持田には整備や操縦などで戦訓を持ち帰り、その情報で十三試艦爆の問題点を洗い出して次期艦爆の性能向上に努める責務があるのだ。

そのためには、初戦で撃ち落とされ、貴重な機体を失われるわけにはいかない。

特に操縦桿を握るパイロットには元艦爆乗りの優秀なものが当てられている。土方もその一人だった。

 

 

──「……もう少しもう少しって目的地に向かう心持で行けば、嫌になることもなくなると思う」

 

双眼鏡とチャートを交互に覗きながら、持田は少し考えてから言った。

 

「そうですかぁ…? そりゃ、航法士特有の感覚ですよ。少尉殿。元艦爆乗りの俺からしたら、なかなか難しいもんです」

 

「……そうか」

 

土方は鼻歌混じりで偵察任務をこなせる度量と技量があるが、自分にはそれはない。

束の間忘れていた、自らが海戦の重大な役割の一つを担っていることを思い出し、小さくかぶりを振った。

それから持田の口数は少なくなった。土方も察したのだろう。軽口が控えめになる。

 

二人の耳に聞こえるのは「熱田」三二型の唸る音と、轟々たる風切り音。

十五分毎に、「二航艦よりの方位90度。一五〇浬」「二航艦よりの方位90度。一八〇浬」「二航艦よりの方位95度。二〇〇浬。少し南にずれている」と、機体の現在位置を報告し、場合によっては針路のずれを伝える。

土方は指摘に従って操縦桿を調整し、機体のずれを修正する。

 

単調な飛行は続く。

 

時が経つに連れて正面から昇っていた朝日が角度を変え、前上方へと移動する。太陽を遮る雲は少なく、機内に赤道付近の強烈な日光が差し込んでくる。

それを眩しいと感じつつも、持田は目を真円に近い形まで見開き、双眼鏡を覗いて海面を見続ける。チャートに自機の針路を書き込む。

 

 

──「正面、艦影!」

 

二航艦との距離が二五〇浬を超え、そろそろ引き返し地点か……と持田が思った時。土方が先まで軽口を言っていたとは思えないほど鋭い声で言った。

 

「敵艦隊か⁉︎」

 

土方の緊張した声に触発され、持田は即座に反射した。

双眼鏡の筒先を正面に向け、自機の針路上の海面を凝視する。

 

「どんぴしゃですぜ。少尉殿…」

 

双眼鏡の丸い視界内には、十隻から十五隻の中小型艦によって形成された巨大な輪形陣と、その内側に四角形の頂点に配するような形で位置している四隻の大型艦を見ることができる。

 

二五〇浬も東に、人類の艦隊がいるはずは無い。

探し求めていた、深海棲艦隊だ。

 

だが、距離はまだ遠く、大型艦が戦艦なのか正規空母なのかはわからない。

 

「距離を詰めろ」

 

持田は小さく言い、土方が無言で機体を加速させる。

日本製マーリン64が大きく唸りを上げ、プロペラが回転数を増す。巡航速度である時速430キロから最大の571キロに、二式艦偵は一気に加速した。

 

「空母ですね。しかも大物だ」

 

土方が機体を操りつつ、持田に言う。

 

深海棲艦は人類の正規空母に相当する艦と、軽空母に相当する艦の、二種類を保有していることが判明している。

軽空母型であるヌ級軽空母は、一、二隻がオーストラリア大陸の地上軍への補給船団に度々付き添っており、艦載機による対潜警戒等を実施していた。

正規空母型であるヲ級正規空母は西部太平洋海戦で二航戦と激突した艦だ。開戦以来滅多に姿を見せず、艦載機数以外スペックは謎に包まれている。

 

輪形陣の内側にいる大型艦は「空母」──それも多数の艦載機を誇り、「赤城」や「蒼鶴」に劣らない巨躯を持つヲ級空母だった。

 

「少尉。母艦に打電を。“敵艦隊見ユ。ガ島エスペランス岬ヨリノ方位55度。距離二四〇浬。敵針路225度。速力二十ノット。敵ハ、ヲ級四隻ヲ伴ウ。〇九三二”」

 

「“敵艦隊見ユ。ガ島エスペランス岬ヨリノ方位55度。距離二四〇浬。敵針路225度。速力二十ノット。敵ハ、ヲ級四隻ヲ伴ウ。〇九三二” 了解」

 

持田は素早く復唱し、暗号電文のキーを叩く。

緊張と高揚で手が少し震えるが、何百と繰り返した動作を落ち着いて行う。

だが、それは途中で中断された。全長十.二メートル、全幅十一メートルの零戦ほどの大きさしか持たない二式艦偵が機首を下げ、急降下に入ったのだ。

突然の高機動でキーから手が離れ、機体正面に海原が、機体後方に空が広がる。

 

「土方!どうした⁉︎」

 

持田は歯を食いしばりながら、土方に聞いた。

 

「敵機です!」

 

土方も持田と同じく大声で返答する。

土方は素早く自機を狙う敵機を発見し、回避にかかったのだ。

今まで二式艦偵が飛行していた空域を、何条もの赤々とした火箭を貫く。

それを追って、二機の球型の機体が艦偵の後方を右から左へ通過する。

 

「丙型戦闘機か…!」

 

たった今艦偵を取り逃がした丙型は大きく反転し、艦偵を追って急降下に入る。

二式艦偵には自衛用として後部に七.七ミリ旋回機銃が備えられており、持田の担当だが、急降下中に打電態勢から射撃体勢に移ることはできない。

機銃が無理でも、なんとか打電を続行しようとするが、急激な降下中では身体が自由に動かず、不可能だった。

 

艦偵は急降下を続け、それを追った二機の丙型も急降下を続ける。

二式艦偵は急降下爆撃機の元であるだけに、急降下能力は高い。速度は瞬く間に最大速度を超え、なおも加速する。

海面が物凄い勢いで膨れ上がる。高度は三千から二千、一千へと瞬く間に減ってゆく。

 

丙型一番機の前面に、真っ赤な発射炎が走った。続けて二番機も撃ち、驟雨のような弾丸が二式艦偵を後ろから包み込む。

命中したらしく、一度二度と鋭い打撃音がこだまするが、すぐに風切り音にかき消される。

 

弾丸の只中を、艦偵は降下を続ける。

正面に広がる海面に敵弾が突き刺さり、白い泡が飛び散るさまがくっきりと見えた。

 

「うおおおぉ…!」

 

高度百五十メートルを切った時、土方は唸り声を上げながら渾身の力で操縦桿を自らの腹に寄せた。

艦偵のとんがった機首が水平線を向き、空を向く。

 

今まで経験したことのない重力が持田の身体を押さえつけた。

足、尻、背中が完全に座席に押さえつけられ、肩と首が鈍い痛みを発した。上半身の血液が下半身に落ち、視界が暗くなった。

 

実戦の急降下爆撃でも、この高度までは肉薄しない。

艦偵は腹を海面にかすめつつ、二〇〇〇馬力近いエンジンが四トンの機体をぐいっと引っ張る。

空気圧によって海水が飛び散り、風防は水をかぶって視界が一瞬悪くなった。

 

丙型一番機が機首を起こしきれずに海面に突っ込み、海水を撒き散らしながらばらばらに砕け散る。

二番機はぎりぎりで機体を起こし、艦偵に追随する。

 

重力から解放され、持田は打電を再開した。

土方は上昇させつつ機体を巧みに左右に振り、敵弾は二式艦偵の左右上下をかすめて前方に消えてゆく。

 

 

敵機動部隊の情報を母艦に伝えられるか、まだ分からなかった。

 

 

 

 

 

第八十七話 始動、第三次ソロモン海戦




めちゃ遅いですが、明けましておめでとうございます。
次回は空母戦ですかねー?


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第八十八話 接触と攻撃

皆さん、お久しぶりです。



1

 

 「蒼鶴」二号機の二式艦偵から“敵艦隊見ユ”の電文が二航艦旗艦「海鶴」に届いている頃、二航艦の北西三〇浬に位置している合衆国海軍第六十一任務部隊も、敵偵察機の接触を受けていた。

 

「レーダー・コンタクト。敵味方不明機探知。数一。我が艦隊と交錯する針路です!」

 

 TF61旗艦「レキシントン」の艦橋に緊迫した報告が上がる。

 

「オスカーです。おそらく、敵の偵察機でしょう」

 

 TF61航空参謀のパーシバル・フリーガル少佐の分析を聞いて、司令官のフランク・J・フレッチャー中将は苦い表情を作った。

「レキシントン」の頭上を飛び越えて、空中警戒中のF4F“ワイルドキャット”の小隊が敵偵察機に向かうが、おそらく間に合わない。

 

「敵機から発せられたと思われる電波を傍受!」

 

 通信室から報告が届き、フレッチャーは目を伏せた。

内容が分からずとも、想像はできる。こちらの艦隊規模、針路、位置等を母艦に通報したのだ。

 今頃、連絡を受けたヲ級空母の艦上では、攻撃隊の発艦作業が開始されているかもしれない。

 

「我々のとるべき方策は、二つあります」

 

参謀長のヘンリー・H・ミラー少将が言った。

 

「第一、直ちに攻撃隊をガダルカナルのエスペランス飛行場姫に差し向ける。飛行甲板上の爆装攻撃隊を空にすることで、敵攻撃隊の攻撃に伴う誘爆という最悪の事態を避けられます。が、その代わり、東海域に存在する可能性が高い敵機動部隊への攻撃手段を一時的に失います」

 

 人類統合軍太平洋方面艦隊司令部は今作戦にあたり、敵機動部隊の撃滅を第一優先とし、その後にガダルカナルの飛行場姫を叩くよう、日米空母機動部隊に命令を発している。

 しかし、TF16は敵機動部隊が発見できなかった場合に備えて、第一次攻撃隊は全機を爆装としていた。

 つまり、魚雷を抱えながら陸上基地攻撃に向かうという無様な真似ををせずに済む。

 

「第二はなんだね?」

 

「敢えてリスクを負う。つまり、攻撃隊の発進を待ち、現在放っている偵察機が敵機動部隊を発見する可能性に賭ける。賭け勝てばこの段階から敵機動部隊へ大きなダメージを見込めますが、負ければ合衆国海軍最上の空母機動部隊である我がTF 61が危機に陥ります」

 

 フレッチャーは黙考した。

 彼は自分が堅実な用兵家であることを自負してきた。ハルゼーのような勇猛果敢さはなく、スプルーアンスのような計算高さもない。だが、『堅実』こそが戦場でもっとも有用であることを信じて疑わない。

 TF16の第一次攻撃隊が爆装状態であることも、万が一の敵機動部隊未発見という事態に備えた措置だ。

 彼の答えは決まっていた。

 

「攻撃隊を出す。目標はエスペランス岬飛行場姫だ。敵艦載機か来襲する前に飛行甲板を開けさせろ。爾後、艦隊針路3-0-0。擬態針路を取る」

 

 方針は決まった。

 命令を受けたレキシントン級空母、ハンプトン・ローズ級空母各二隻、そして「ワスプ」で喧騒が増す。パイロットや艦載機を管理する整備員、兵器員、そして発艦指揮所に詰める将兵が慌しく動き始めた。

 洋上に巨大なまな板を乗せたような様相の空母五隻が、護衛の駆逐艦に誘導されながら艦隊を離れ、風上へと疾走する。

 甲板上では、合衆国海軍の主力艦上戦闘機であるF4F“ワイルドキャット“が、エンジンを咆哮させ、そのずんぐりとした体に似合わないスピードで飛行甲板を駆けさせた。

 機銃のスポンソンや艦橋見張台から将兵らの声援を受けながら、同機は飛行甲板の縁を蹴り、上昇していく。それに同じ戦闘機隊のF4Fが続き、そして数分後にはSBD“ドーントレス“急降下爆撃機、今回が初陣となるTBF“アヴェンジャー”雷撃機も飛翔してゆく。

 

 その報告が入ったのは、最後から四番目のアヴェンジャーが甲板をかけ始めた時だった。

 

 紙切れを持った通信兵が艦橋に駆け込み、敬礼もままならずに報告した。

 

「日本海軍第二航空艦隊旗艦『カイカク』より入電。“我、敵空母機動部隊ヲ発見ス。位置、ガ島エスペランス岬ヨリノ方位55度、距離二四〇浬。敵針路225度。速力二十ノット。撃滅ニ協力サレタシ“。以上です」

 

 フレッチャーは思わず笑ってしまった。そしてミラー参謀長に言った。

 

「ヘンリー。日本海軍が我が陣営にいてよかったと思わないかい?奴らの獲物を見つける目はサバンナのピューマ並みだ」

 

「まったくです。敵にだけはしたくありません」

 

 艦隊上空で編隊を組みつつある攻撃隊。その指揮官機に、「レキシントン」のアンテナから命令が飛んだ。攻撃目標変更の指示だった。

 

 



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