ストレンジャーズ (philo)
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宵闇の消失
登場キャラクター一覧


この章に登場するキャラクターの出典、およびSRC学園キャラの製作者の方々の一覧です。

全ての製作者の方々に、この場を借りて深くお礼を申し上げます。

SRC学園キャラは下記のURLから詳細を閲覧できます。

 

 

――――――――――――――――――――――――

 

 

 

エトナ…………魔界戦記ディスガイア

 

木原数多(きはら・あまた)…………とある魔術の禁書目録

 

霧間凪(きりま・なぎ)…………ブギーポップは笑わない

 

佐倉杏子(さくら・きょうこ)…………魔法少女まどか☆マギカ

 

ザボエラ…………ダイの大冒険

 

羽原健太郎(はばら・けんたろう)…………ブギーポップは笑わない

 

プリニー…………魔界戦記ディスガイア

 

美樹さやか(みき・さやか)…………魔法少女まどか☆マギカ

 

ミスティア=ローレライ…………東方project

 

八雲紫(やくも・ゆかり)…………東方project

 

ルーミア…………東方project

 

 

 

SRC学園

麻生ハイネ(あそう・はいね)…………いぷしろん様

http://www10.atwiki.jp/byakumu2/pages/492.html

 

内田深雪(うちだ・みゆき)…………前田耕二様

http://www10.atwiki.jp/byakumu2/pages/1723.html

 

裏戸白貴(うらど・しろたか)…………リドリー様

http://www10.atwiki.jp/byakumu2/pages/1751.html

 

カエサル…………alw様

http://www10.atwiki.jp/byakumu2/pages/2105.html

 

クレア=クラーケン…………MAX与太郎様

http://www10.atwiki.jp/byakumu2/pages/1655.html

 

降条恭祐(こうじょう・きょうすけ)…………亜崎紫苑様

http://www10.atwiki.jp/byakumu2/pages/757.html

 

河内惣一(こうち・そういち)…………philo

http://www10.atwiki.jp/byakumu2/pages/2045.html

 

鷹村誓史(たかむら・せいじ)…………philo

http://www10.atwiki.jp/byakumu2/pages/2088.html

 

永遠之道雀夜(とわのみち・さくや)…………alw様

http://www10.atwiki.jp/byakumu2/pages/2544.html

 

マスターD…………MAX与太郎様

http://www10.atwiki.jp/byakumu2/pages/1115.html

 



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00 少女と悪党

 SRC学園――。

 伊豆半島の南方に浮かぶ人工島「SRC島」に作られた、学園都市と並ぶ能力者開発の聖地である。

 様々な超能力者、怪物の集うこの島で、事件の幕は開こうとしていた――。

 

 うっそうとした木々の立ち並ぶ、深い森の中だった。

 背の高い木々の間に、かろうじて道と呼べそうな隙間ができている。時々、遠くから鳥や獣の鳴き声が響いてくる。

 ここはSRC島の北部に位置する、「伝説の樹海」と呼ばれる巨大な森の中だ。

 20年前、「聖域」と呼ばれる不思議な空間の門が開いたことで発生したともいわれる、不思議なエネルギーに満ちた樹海。

 その中では何が起きても不思議ではないといわれる森の中を、ひとりの少女が歩いていた。

「ん~……どこだろう、ここ?」

 その少女の年の頃は十二、三歳というところだろうか。

 黒いゴスロリスタイルのドレスに身を包み、金色の髪には赤いリボンが結ばれている。

「幻想郷じゃないみたいだけど、なんか……よくわからないー」

 きょろきょろと辺りを見回す少女の顔には不思議そうな表情はあるが、恐れや不安はない。幼い少女の心には、未知の場所に迷い込んだことへの恐怖という気持ちは、あまりないようだった。あるいは、彼女の元々持っている天性の楽天家の気質がそうさせるのか。

 少女の名は、ルーミアという。

「でも……おなかすいた~……」

 きゅるるる、と愛らしい音がして、ルーミアはお腹を押さえた。

 寂しさは感じなくても、物理的な空腹には勝てないようだ。その顔に、情けなさそうな表情が浮かんでいる。

「へぇ……おなかがすいてるのかい?」

 不意に、低い男の声が木陰から響いた。

「? ……誰?」

 ザッザッと落ち葉を踏みしめて、姿を見せた男に、ルーミアは不思議そうな声をかける。

 裾の長い白衣を着込んだ、背の高い男だった。

 一見すると研究者や医者のように見えるが、短く刈り込んで金色に染めた不良じみた頭髪と、険しそうな顔の右頬に彫られた刺青、口元に浮かぶ意地の悪そうなニヤニヤ笑いが、インテリというよりは武闘派のヤクザのような印象をかもし出している。

 男の名は、木原数多(きはら・あまた)という。

「俺が誰かなんて、どうだっていいさ。それよりお前よぉ、腹減ってんだよなぁ。俺のところでご馳走してやろうか? 今なら好きなモン喰い放題だぜ」

 木原は、その凶暴そうな顔に似合わない猫なで声を出した。

 小さい子供が一目見ただけで怯えて逃げそうな凶悪な人相の男だったが、愛想笑いを浮かべて優しい声を出すと、不思議と親しみやすい印象に変わる。

「えっ、本当?」

 ご馳走と聞いて、ルーミアが目を輝かせる。

 いま空腹なだけではなく、もともと食い意地の張った性格のようだ。

「じゃあ、お肉たくさん食べたいな!」

「ああ、お安いご用さ。新鮮なお肉には事欠いたことないからなぁ。ぎゃははははははは!」

 何が楽しいのか、高笑いを上げる木原。

「ん~……でも……」

「おいおい、遠慮することはねえんだぜ? お前みたいなガキが腹をすかせたままなんて、カワイソーだもんなぁ」

 いかにも気前の良さそうな笑みを見せる木原に、ルーミアはうーんと考え込みながら、

「『ただほど高いものはない』って霊夢がいってたし」

「ハハッ! そーかい、真面目なガキだなぁ」

 少女の口から出た人名も特に気にせず、木原はルーミアを褒めた。

「そんじゃあ、俺のところでちょっとしたお仕事を手伝っちゃくれねえかい? 人手が足んねーんだわ。そうすりゃタダで飯食ったことにはなんねえだろ。お前の力が必要なんだよ」

「お仕事? ん、それなら行くよ!」

 それが一体どんな「お仕事」なのかろくに確認することもせず、素直に納得するルーミア。

 そんなルーミアに、木原は満足げに頷いた。

「よっしゃ、雇用成立だな。ついて来な。なあに、すぐそこだよ」

 そういって、木原はルーミアを従えて歩き出した。そのやり取りはどう見ても子供を言いくるめる誘拐犯だったが、それを目撃していたのは、周囲の木々と太陽のみだった。



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01 厄介で頑固な古参騎士

 SRC島・クルセイド学園騎士団本部総代騎士執務室。

 SRC学園創設以来の伝統を持つ個人生徒会・クルセイド騎士団の騎士団棟、その中枢たる部屋は、中世ヨーロッパの城砦にも似た威厳ある雰囲気を漂わせていた。

 その執務机には、その部屋の雰囲気と肩書きのいかめしさに似合わない、飄々とした雰囲気の青年――麻生ハイネが着席し、執務机の横の椅子にふんぞり返って腕を組んでいる眼鏡の男に語りかけていた。

「それで、河内先輩。以上が今回の予算案ですが……何か支障はありますか?」

「フン……」

 その男、河内惣一は、騎士団総代たるハイネの言葉に、どうでもよさげな鼻息で答えた。

「阿尾会計は、意外としっかり予算を取ったな。昨今の姫士組との予算争いを考えると、大したものだ。貴様がアイドルグループ発言で姫士組とモメた事のいい尻拭いをしてくれたものだな? 総代騎士殿」

「…………」

 ハイネは黙った。この最古参の先輩はいつもこうだ。人の触れられたくない古傷をいじり回すのを、何よりも好む。

「まあ、阿尾は城島の派閥だからな。奴の威光が働いていてもおかしくはない。正義面ばかりする無能共よりはよほど役に立つ。そういう人間をもっと登用しろ、麻生」

「おっしゃりたいことはわかりますよ、先輩。ですが、人材の抜擢はバランスが肝心です。総代騎士は常に公平な立場でいなければならない。違いますか?」

「常に公平、か。フン、ものは言いようだな。どっちつかずで八方美人の『奇妙卿(サー・ファニー)』らしい発言だな? なあ、麻生よ」

「いやに絡みますね、先輩。何かお気に入らないことでも?」

 ハイネが聞いた。惣一の嫌味はいつものことだが、今回はややしつこすぎるところがある。

「俺ではなく自分の胸に聞いてみるんだな、そういうことは」

 惣一は、にべもなく答えた。

「心当たりの一つや二つ、出て来るのではないか? 貴様とて一方の派閥の長だろう」

「…………」

「この騎士団の歴史は派閥争いの歴史だ。初代・白銀総代の時から、綺堂などというワルが幅を利かせていたものだ。そんな中で完全中立は成立せん。中立という名の派閥に入るのがおちだ。少なくとも、俺の前で奇麗事を言っても役に立たんぞ」

 そう言って惣一は、ハイネをじろりと横目でにらんだ。

「やれやれ、先輩にはかないませんね……」

 ハイネは、それへやれやれといった様子で肩をすくめた。のらりくらりと言を左右にして、建前と綺麗事でうやむやにかわしてしまうのはハイネの得意技だったが、百戦錬磨の惣一にはさすがに通じる手でもない。

「いいでしょう。確かに、阿尾正騎士の権限を増大するのは、僕としては気が進みません。ですが、虎牢卿が、阿尾君の方が仕事がしやすいというなら、譲歩するのにやぶさかではありませんよ」

「ほう? ずいぶんと物分りがいいな」

「まあ、といってもただじゃないですけどね」

 そう言ってハイネはくえない微笑を浮かべた。ある意味で、彼もまた惣一に負けず劣らずの狸でもあった。

「最近、不良グループ『猟惨泊』のモヒカンたちが活発化してるのはご存知ですよね。城島名誉騎士は鎮圧に熱心でないですし、虎牢卿に一肌脱いでいただければと……」

「フン……自派閥の戦力を温存するつもりか?」

 騎士団は、いつの時代も大組織らしく派閥抗争に明け暮れている。一枚岩の時期もあるが、そうでない時期の方がむしろ多い。ハイネの時代は、城島派、鋼城派と数々の派閥がしのぎを削る時代だった。

「この俺を前線に駆り出そうとはいい度胸だな、麻生よ」

 惣一は、むろんハイネの魂胆は読んでいる。自分の派閥の部隊の消耗を抑えようというのだ。

「もちろん、お気に召さないならいいのですが。ただその場合、阿尾正騎士の件も、ご容赦願えるとありがたいのですが……」

 いかにも殊勝かつ謙虚そうな態度であったが、こうなると「奇妙卿」はてこでも動かない。相手がたとえ惣一であっても、ウナギのようにぬるぬるとのたくり、すり抜けてしまう。

 実際、惣一は惣一で、古参の立場にものを言わせて城島に便宜を図らせようとしているという弱みがあるのだ。

「……この俺を相手に駆け引きか。転んでもただでは起きん男よな。さすがは奇妙卿の称号を持つだけのことはある。まあいい、貴様の駆け引きに乗ってやろう。俺も時には手足を動かさんと、なまってしまうからな」

「感謝いたします。河内先輩」

 ハイネが丁寧に頭を下げた。惣一は冷ややかな視線を投げかけたが、鼻を鳴らしはしなかった。ハイネの粘り強さは、惣一から見ればそう厭うべきものではない。むしろ、政治もできない猪武者に総代をやられるよりは良いはずだった。

 執務室のドアが開き、一人の青年が入ってきた。

「麻生総代。今後の騎士団の活動計画についてお話ししたいのですが」

「やあ、裏戸君。枢機騎士たちとの調整は終わったのかな」

 眼鏡の青年の名は裏戸白貴(うらど・しろたか)。

 クルセイド騎士団の正騎士であり、総代騎士の正式な補佐役である枢機騎士でこそないものの、だからこそハイネの一の腹心として知られる策士だった。

「裏戸か。貴様のような頭の回る腹心がいれば、麻生の足元も安泰だな。城島めも人材は豊富だが、麻生派もおいそれとひっくり返されはせんことだろうよ」

「お褒めにあずかり恐縮です。河内先輩」

 まんざら皮肉とも思えない惣一の賛辞に、白貴は慎ましく頭を下げた。

「フン……では俺は、さっそくモヒカン退治に出かける。阿尾の権限のこと、反故にするなよ。麻生」

 そう言い捨てて、惣一は部屋を出て行った。

 惣一が完全に離れるまで待つと、ハイネはため息をついて、首をごきごき鳴らした。

「やれやれ。さすがは『固陋卿』、話していると肩がこるね」

「後輩いびりが大好きな最古参ですからね、あの方は」

 白貴も苦笑した。ハイネの参謀として、惣一と何度も折衝したことのある彼は、惣一の厄介さを肌身で知っている。

「ま、その代わりにやることはしっかりやってくれるからね。これでモヒカン退治が前進するはずだ。城島君がモヒカンの手引きをしてるかはわからないが、彼がモヒカン退治に消極的なのは事実だからね」

「その代わり、阿尾正騎士の発言力が増大したわけですね」

 白貴は肩をすくめて言った。

「これでさぞ、予算のことをうるさく言ってくるに違いないですよ。困ったものです」

「優秀なのは確かだからね。あの松井枢機騎士がかつて育て上げた人材だけのことはある」

 阿尾圭輔(あお・けいすけ)は、騎士団の会計を任されている正騎士だ。

 『人間コンピューター』と呼ばれるほどに頭の回転が速く、計算も得意な青年だが癖も強く、根に持つタイプなうえに大変な吝嗇家だった。利益をえさに、ハイネの対立派閥である城島派に入っているため、ハイネとしては敬遠したい人物だった。

 だが、ハイネは不敵に笑って言った。

「河内先輩も阿尾君も、僕を利用したいならすればいいさ。僕もお返しに利用してやるまでのことだよ」

「やれやれ。騎士団はこんなことばかりですな」

「さっきの虎牢卿の言葉じゃないけど、騎士団は昔からそういう組織さ。さてと、それじゃ活動計画だけど……」

 言ってハイネは机の上に山積みになっていた書類の一つを取り上げた。

 総代騎士とその腹心の仕事は、書類に劣らず山ほどあった。




今回のSRC学園登場キャラクター

麻生ハイネ(あそう・はいね)…………いぷしろん様
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裏戸白貴(うらど・しろたか)…………リドリー様
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河内惣一(こうち・そういち)…………philo
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02 胡散臭い妖怪

「たわば!!」

「あべし!!」

 SRC中央商店街。

 SRC島の中央付近、各学園から等距離にある商店街だ。

 普段なら大勢の学生の談笑で賑わうこの場所に、今はモヒカン頭の不良たちの悲鳴が響き渡っていた。

「くっ……この眼鏡野郎、手ごわいぞ」

「特別な力はねえが、やたら戦い慣れていやがる!」

 モヒカンたちの前に立ち塞がるのは、胸に七つの傷を持つ救世主ではない。

 背後に騎士たちを従えた、老害として知られる仏頂面の眼鏡の古参騎士だ。

「フン……俺は貴様らのような生ぬるいチンピラとは見てきた修羅場の数が違う。源氏や鈴木のような決め手はないが、貴様らごときが何十人集まっても俺は倒せんよ」

 かつての同僚の名を口にしながら、惣一は冷ややかに吐き捨てた。この場にいる人数では、モヒカンたちは騎士団の倍以上もいた。しかし、騎士団にはほとんど被害者も出ず、ボロ雑巾のようになって地面に転がっているのはモヒカンばかりであった。惣一の巧妙な指揮と戦術の賜物であった。

「駄目だ、とても勝てねえ!」

「に、逃げろ~!」

 モヒカンたちは崩れ立った。優位と見るや調子に乗るが、少しでも不利と見るとたちまち気勢を失う。それがモヒカンという生き物だった。

「鷹村、追撃しろ。俺は後方を固める」

 走り去るモヒカンたちの背中を見ながら、振り向きもせずに惣一は言った。

「町に潜伏したザコどものあぶり出しも必要だし、俺の能力は追撃向きではないからな」

「虎牢卿のご指示の通りに。鷹村隊、モヒカンどものアジトを襲撃するぞ!」

 そう言って応じたのは、正騎士の鷹村誓史(たかむら・せいじ)だ。

 誓史の部隊は騎士団でも真面目に鍛錬をしていることで有名だ。隊長の号令に応じて、騎士たちはたちまち隊列を整え、粛然と行進していった。

「ご協力ありがとうございます、虎牢卿。おかげであの大勢のモヒカンを撃退できました」

 その場に残った女騎士が、惣一に礼を言った。

 彼女の名は内田深雪(うちだ・みゆき)。

 生真面目で誠実ながら、どちらかといえば真面目さが災いして雑用の処理などを押し付けられがちな少女だった。

「フン、貴様や鷹村の戦闘力があれば、あの程度の烏合の衆は片付けられたはずだぞ」

 惣一は深雪をじろりと見た。

「貴様らはまだ、戦闘力に判断力がついてきておらん。もっと戦術をしっかり練れ。内田、貴様もいつまでも雑用係ばかりしていないで、人を動かすことを覚えろ。新入りのペーペーではないんだ」

「はい……すみません、虎牢卿」

 深雪はしゅんとした顔で頭を下げたが、惣一は容赦しなかった。

「俺に謝ってどうなる。貴様が自分を高めろというのだ。そうすれば、俺のようなジジイがわざわざ前線に出る必要もなくなって楽ができるからな」

 惣一がなおも小言を続けようとすると、

「――フ。まったく、評判通りの口うるさい男ね」

 割って入った声があった。

「? お前は……?」

 惣一は振り向いて、いぶかしげに声の主を見つめた。

 それは、日傘をさして紫のドレスを着た、金髪の少女だった。

「こんにちは。私は八雲紫」

 少女は、穏やかに微笑みながら、そう名乗った。

 惣一の眉が、厳しくひそめられた。

 彼の、気配察知能力、そして長年戦った古参騎士としての勘が告げていた。この少女は、ただものではないと。惣一の背後で、これもそれなりに場数を踏んできた深雪が、目を見開いていた。

 ――何者だ? いつ、どこから現れた?

 惣一は少女を観察しながら考えた。

 優雅な、貴婦人のような少女だった。

 長い金髪と豊満な胸は、どこか母親を連想させる。アルカイックな微笑みは、聖女や菩薩を想像させる。整った白い顔といい、誰もが見惚れるような美少女であった。

 だが、同時に。

 たとえようのない胡散臭さも、また彼女から漂っていた。

 まともでないもの。

 異質なもの。

 この世のものとも思えないもの。

 その美貌と優しげな雰囲気に魅かれると同時に、彼女から漂う胡散臭さに、見る者は不安を覚え、心をざわめかせることだろう。

「河内惣一正騎士、貴方に用があって来たの」

 その少女、紫は、美しい唇でそう口にした。

「河内先輩に用、ですか? 一体……」

 ほのかに冷や汗をにじませながら深雪が言いかける。

 それを手で制して、惣一は一歩進み出た。

「……。貴様、この島の学生じゃないな。見たこともない顔だ。いや、その気配……もしや貴様、モンスターか? 人間にしては妙な雰囲気だ。――いや、胡散臭いと言った方が妥当か」

「あら、一目で見抜くなんて、伊達に修羅場を見てきたわけではないみたいね。それとも磨き抜いた気配察知能力のたまものかしら?」

 惣一の言葉に、紫の笑みが優しげなものから、不敵なものへと変わった。

 そうすると、はっとするほど雄々しく、しぶとそうな雰囲気が漂う。

「……俺のことをずいぶんと詳しく知ってるようだな。貴様、何者だ」

「下調べは何事にも必要でしょう?」

 紫は微笑して言った。

「貴方のことに限らず、この島のことは大体知ってるわよ。まあ、わからないことの方が多いけれどね。この私にすらわからないことが山ほどある。あの学園都市といい、長生きはしてみるものだわ」

「……。面倒はごめんだが、『帰れ』と言って大人しく帰る気はなさそうだな」

「物分りのいい子は好きよ。話ぐらいなら聞くのはただでしょ?」

「ただほど高いものはない、という言葉もある」

 惣一は鼻を鳴らした。

「それに貴様のような、強大な力を持っていてわけありそうなモンスターなどという輩の話など、詳しく聞けばもう逃げられないと決まっている」

「本当に聡い男ね。だからこそ貴方に目をつけたのだけど。あと私は妖怪。この島でいうモンスターとは違うわ。本来ならこの島にいるはずのない存在だけれど、今日は事情が特別なの。貴方達とも、あながち無関係ではないわ」

「どうやら、話を聞かんわけにはいかないようだな。仕方がない。内田、後の始末を頼む。手が必要なら鈴木に電話しろ。ツケは河内に回すと言えば奴は来る」

「了解しました。河内正騎士」

 深雪が、惣一に敬礼した。

 紫はまた微笑し、惣一はまた鼻を鳴らした。




今回のSRC学園登場キャラクター

内田深雪(うちだ・みゆき)…………前田耕二様
http://www10.atwiki.jp/byakumu2/pages/1723.html

鷹村誓史(たかむら・せいじ)…………philo
http://www10.atwiki.jp/byakumu2/pages/2088.html


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03 八雲紫の依頼

 SRC島中央商店街の喫茶店『イリーレスト』。

 商店街の裏路地に存在する、もの静かな喫茶店だ。

 高等部以上の生徒や教師たちが主な客層で、小、中学生はあまり来ない。ゆえに、やや大人な雰囲気が漂っている。紅茶やコーヒーやメインで軽食なども売っているため昼食にも利用される店だった。

「いらっしゃいませ。おや河内さん、女の子連れとは珍しいですね」

 カウンターでグラスを拭いていた青年が、店に入ってきた惣一を見て笑顔を向けた。

 このバイトの青年の名は降条恭祐(こうじょう・きょうすけ)といい、クルセイド学園高等部の二年生だった。

「フン。少々わけありでな」

 惣一は肩をすくめて、紫を促した。

 紫は、恭祐に向けて優雅に一礼して見せて、席のひとつに座り、惣一にも座らせた。

「俺はいつものを頼む。貴様はどうする」

「お酒が好きだけど、相談事にお酒を飲むのも気が引けるわね。カモミールティーをストレートで頼むわ」

「かしこまりました。ブルーマウンテンのブラックにカモミールティーのストレート、お持ちいたします」

 恭祐がカウンターの奥へ行くと、紫が言った。

「この店を話す場所に選ぶなんて、趣味が良いわね」

「ここのことも知っているようだな。まあ、この店がどんな場所かは、少し調べればすぐわかることだがな」

 惣一の言葉には、微妙な含みがあった。

 すなわち、このイリーレストという店に、どんな客が来て、そして、どんな事件が来るのかという。

「いい店よ。静かで、それでいて活気に満ちている。喫茶店はね、単に静かなだけじゃ駄目なの。様々な人を引き付ける、引力が要るのよ。この店は数多くの運命の交差点として機能しているわ」

 見透かすような視線で、紫は店内の落ち着いた内装を眺め渡した。

「興味深い話だが、この際本題を優先してもらおうか。貴様の目にどう見えるかは知らんが、こう見えて俺も暇ではないのでな」

「わかっているわ。私とて、そんな余裕があるわけでもないもの。早いところ事件を解決しないと、霊夢に大目玉を食らってしまうわ」

「この島で何か起きたのか?」

 惣一は、紫の言った知らない人名のことは気にせずにそう尋ねた。

「ええ。この島と、そして私の住処である『幻想郷』で異変が起きたのよ。幻想郷は、日本列島のとある場所にある、『幻となったものを自動的に呼び寄せる土地』。博麗大結界によって外界と隔てられた、妖怪と人間の住まう理想郷よ」

「なるほどな。ある意味、このSRC島に近いものがある」

 惣一は頷いた。

「そこで、何か問題が起きたわけか。それも、この島と関係のある問題が」

「ええ。……単刀直入に言うわ」

 紫の顔が、真剣みを帯びた。

「幻想郷の住人の一人が、この島の樹海で消息を絶ったの。どういう理由かはわからないけど、幻想郷と樹海が空間的に繋がり、そのトンネルに一人の妖怪が迷い込んだのよ」

「わからん話ではないな。あの樹海では、何が起きても不思議ではない。しかも幻想郷という名前からすれば、その世界も存在的に不安定な世界だろうからな」

「……『固陋卿』などというあだ名があるわりに、頭の回転と柔軟さは一流ね」

 惣一の冷静な反応に、紫は口笛を吹いて言った。

「俺をおだてても何も出んよ。あと、二度とその名を口にするな」

 惣一は据わった視線を紫に向けた。

 惣一の、騎士団における称号は「虎牢卿」といい、その勇猛さと堅牢な守りでつけられていたが、その頑迷固陋ぶりから、「古老卿」とか「固陋卿」と揶揄されることもあった。

 が、無論、面と向かって最古参の先輩にそう言う度胸のある騎士はいない。

「影で誰がどう呼ぼうと知ったことではないが、俺の目の前で言う度胸のある奴は貴様ぐらいだ」

「はいはい。まったく、恐れを知らない人ね」

「妖怪なんぞを恐れていて騎士がつとまるか」

 二人が憎まれ口の応酬をしていると、恭祐がトレイを手に歩いてきた。

「お待たせしました。ブルーマウンテンにカモミール、お持ちしました」

「ああ。すまんな」

 惣一は口論を中止して、恭祐に礼を言った。

 彼は騎士団の後輩や関係者以外に横柄な態度を取ることはなく、紳士的な学生で通っていた。

「いい香り。さすが、いい葉っぱを使っているわね」

 目を細めてカップから立ち上る湯気を嗅ぐ紫に、恭祐は笑顔を向けて、

「どうぞ、ごゆっくり」

 と言って立ち去った。

「さて、話を戻すわ」

 そう言って紫はハーブティーをひと口飲んだ。

「その妖怪……『ルーミア』という名前の少女が、樹海へ迷い込んだのは確認したけど、その後の行く先がわからなくなったの。誰かが彼女を誘拐し、魔術的な隠蔽措置をとった可能性がある。そうでなければ、私が幻想郷の住人を見落とすなどありえない。この島にはその手の悪事を企む人間は、掃いて捨てるほどいるでしょう?」

「否定はせんな。金や能力がひしめくこの島には、色々な悪い奴が集まってくる」

 惣一は冷ややかに言い、そして紫に冷ややかな視線を向けた。

「そしてその、ルーミアというガキの行方を、この俺に探れということか」

「その通りよ」

 その視線をものともせずに、紫は微笑して即答した。

「話はわかった。しかし、なぜ俺に話を持ち込む? この島には探偵も大勢いる。人助けが趣味の熱血馬鹿もいくらでもいる。俺のような頭の固いジジイに頼むなど、的外れとしか思えんのだがな」

 惣一は、騎士団に所属する騎士だ。

 しかし、騎士とはいっても、熱血系のアニメや漫画の主人公になるような男ではない。

 むしろ、そうした若い熱血漢たちの陳情をすげなく退け、無理難題を言っていびる意地悪な先輩や重役といった役回りだ。

 その彼が行方不明の女の子の探索を頼まれるなど、確かにある種の戯言と言えなくもないかも知れなかった。

 だが、紫は真顔で首を振った。

「そうとも限らないわよ。……貴方が一番適任なのよ。確かに探偵たちは調査の専門家だわ。でもね、荒事の専門家とは限らないでしょう? そして正義の戦士たちは、戦闘能力はともあれ、貴方のような老獪な判断力は足りないわ。綿密な調査をする能力と、豊富な経験とを合わせ持つ人材といえば、やはり貴方が妥当なのよ」

「くわえて三財閥とも接点が薄い、か」

 惣一は言葉を引き継いだ。

「探偵部『SRCD』の部長は朱雀院財閥に連なる血縁者だ。確かに幻想郷のことを知られるのは面倒だな」

「私自身が調査するとなると、きっと敵を警戒させ、事態を大きくしてしまうしね。いずれ、この島や三財閥も大きな嵐に巻き込まれる時が来るかもしれない。でもそれは、少なくとも今じゃない。だとすれば、騒動の種をわざわざ撒く必要はないわ」

「なるほど。その言葉には、全面的に同意できるな」

 面倒な騒ぎは大嫌いだ、というのが惣一の口癖であり生活態度だ。

 厄介ごとを持ち込みに来る後輩を怒鳴り飛ばしたことも、一度や二度ではない。

 だが同時に、彼はそれだけでもなかった。歴戦の騎士として彼は、逃げられる時とそうでない時との違いを心得ていた。

 だから、彼はこう言った。

「いいだろう、ルーミアを探してやる。とはいえ、ただというわけにはいかんぞ。先ほども言ったように、俺も暇じゃない。今ここに来るのにも、鈴木に後を任せて来ているぐらいだからな」

「そう言うと思ってたわ。……この本をあげる」

 紫はそう言って、一冊の和綴じの本を差し出した。

 カバンや上着のポケットから、ではない。空中から、すい、と取り出した。そういえば先ほどの日傘も、どこへ置いたやら、さっぱり見えなくなっている。

 が、惣一はそれは気にせず、本の題名に目をやった。空間制御の能力者も、この島には何人もいる。

「これは……『幻想郷縁起』?」

 惣一は、題名を口にした。

「幻想郷の住人が記した、幻想郷とそこにすむ妖怪の詳細が書かれた書物よ。つまり、幻想郷の情報がつまっているわけね。この本と、香霖堂から拝借してきた金品とマジックアイテムを何点か進呈するわ。それでどうかしら?」

 こーりん涙目である。

 だが、そんな幻想郷の事情は惣一の知ったことではなかったし、また興味のあるところでもなかった。

「なるほど……悪くない条件だな」

 パラパラと本のページをめくりながら言った。少し目にしただけでも、尋常の情報ではないことがわかった。ネットにも騎士団の資料室にも、この本の内容は載っていないだろう。

「では確かに引き受けた。ルーミアという少女は、俺が探し出すとしよう」

 そういって本を懐にしまい、

「ただ、俺一人では手が足りない。三人寄れば文殊の知恵、という言葉もある。貴様はかなり見聞が広いようだからな。二人ほど、助手をつけてもらいたい。その代償に、報酬はいくらか割り引いて構わん」

「いいわ。それなら、ちょうどいい人材の心当たりがあるわ。明日までに連れてくるから、少し待っていてね」

「了解した」

 そう言って惣一は、コーヒーの最後のひと口をすすり終えた。

 彼もまた、会話をしながら、コーヒーを飲むのを忘れていなかった。




今回のSRC学園登場キャラクター

降条恭祐(こうじょう・きょうすけ)…………亜崎紫苑様
http://www10.atwiki.jp/byakumu2/pages/757.html


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04 パートナー

「……なるほど。それでオレに、SRC島での調査を依頼したわけか」

 長い黒髪の、鋭い目つきの少女はそう言った。

 その部屋は、一言で言えば、探偵事務所だった。

 会社のオフィスのような機能的な雰囲気でありながら、どこかカタギでない雰囲気も漂う。机の引き出しに、拳銃の一つも入っていそうな雰囲気があった。

「貴方の情報収集能力は、きっと彼の役に立つわ。霧間凪さん」

 紫は、部屋の主である少女探偵にそう言った。

「あの大思想家、霧間誠一の娘であり、数々の戦いを潜り抜けてきた貴方なら……ね。彼は、単純に戦いに強いだけの人間は求めていない。判断力の優れた切れ者を欲しているはずよ」

「河内惣一……『綺羅星の時代』と呼ばれたSRC学園の黄金時代を支えた一人か」

 凪は、この妖怪の少女が父の名を口にしたことには反応を示さず、仕事のパートナー予定者のことに意識を向けた。

「派手さはないが、堅実で隙のない戦法では、騎士団随一と言われていた。模擬戦などでも、黒星が極端に少ない。地道に守りを固めて引き分けに持ち込むか、相手の疲労や油断を誘って勝ちを拾うか。本人の性格が知れるな」

「さすがは『炎の魔女』。よく知っているわね」

「SRC島の動向は把握しておく必要があるからな」

 机の上のノートパソコンで情報を検索しながら、凪は言った。

「三年前の『祇園会事件』にしても、ずいぶんと裏で派手な動きがあったようだしな。あれはやはり、幻想郷の住人、それもかなり高い地位にいるあんたとも無関係じゃないんだろ?」

「……困った人ね。聡すぎると寿命を縮めるわよ?」

「何、オレは昼行灯のフリも得意なんでね。聡さを隠さないのは、信頼の証だと思ってくれていいよ」

 苦笑して言う紫に、凪も笑って見せた。

「あんたは一見胡散臭く、腹の知れない奴に見えるが、その本質はたぶん真面目なヤツだ。はるばる結界の外まで、一人の妖怪を助けに出かける程度にはね。違うかい?」

「まあ、ルーミアに色々と秘密があるのも事実だけどね。でも確かに、幻想郷の住人を見捨ててまで寝ているのは私の流儀ではないわ」

「そういう奴の頼みなら、引き受けるのにやぶさかじゃないな。オレとしても、ここであんたにすげなくするのは得策じゃないからな」

「そう言ってくれると思ったわ。だとすると、貴方の報酬は、幻想郷とSRC学園とのコネクションというところかしら?」

「学園都市に対抗するには、味方は多い方がいいからな」

 凪の顔が引き締まった。

 学園都市。

 東京の西に位置する完全独立教育研究機関。

 あらゆる教育機関・研究組織の集合体であり、学生が人口の八割を占める学生の街にして、外部より数十年進んだ最先端科学技術が研究・運用されている科学の街。

 また、人為的な超能力開発が実用化され学生全員に実施されており、超能力開発機関としても知られていた。

「あんたと学園都市の理事長アレイスター=クロウリーとを比べれば、どちらについた方がいいかなんて知れきってるしな」

 探偵である凪は、裏の情報を多く知っていた。

 学園都市の王ともいえる統括理事長アレイスターが、裏に数々の黒い噂があることも、その噂の裏づけとなる情報も、いくつも把握していたのだった。

「あら、私も人間を食べたりしてるかも知れないわよ?」

「人間誰しも潔白ってわけにはいかないだろうしな」

 挑発的に言う紫に、凪は肩をすくめて応じた。

「ただ、それが止めるべきだと判断できるものを見かけたなら止める。それだけだ」

「貴方は本当にいつもそうね。常にたった一人で世界に向かって立ち、何者をも恐れようとはしない。だからこそ貴方は誰よりも強く、誰よりも優しいのでしょうね」

「オレを褒めても何も出ないよ」

 その笑顔から挑発の色を消し、かわって敬意と慈しみをにじませた紫に、凪は居心地悪げな顔になった。

「さて、それじゃ早速旅支度に入るとするかな。健太郎や正樹に事情を話して、後のことを任せてから現地入りするまでに、あと四時間ってところか」

「上出来ね。一日ぐらいの余裕はあると思うけど、早いほどいいのは確かね」

「あのお馬鹿さん、どこでどうしているのか知れたものじゃないしね。さて、それじゃ次の協力者のところへ行かないと……」

 そう言って紫は、その場からスーッと姿を消した。

 凪は、意に介さない。そんなものは見慣れたものだ、という風情だった。そのまま戦場に臨む戦士の顔つきになった凪は、立ち上がって戸棚を開き、カバンに様々な道具を詰め込み始めた。

 

「……ということなの。貴方も、力を貸してくれないかしら?」

「んだよ、かったりーなぁ。なんであたしがそんなことやらなきゃならねえんだよ」

 紫の言葉に、佐倉杏子は面倒くさげな声を上げた。

 そこは、とあるビルの屋上だった。

 廃ビルというわけではないが、あまり人の出入りのない寂れたビルで、普段は無人のことも多い。都会の死角を見出すのが巧みな杏子が見繕ったねぐらの一つだった。

「人のために動くとか、そういうのは、なんかいやなんだよ」

「あら、本当にそう?」

 あくびをしながら言う杏子に、紫はいたずらっぽく尋ねた。

「……ふん。当たり前だろ。他人のために何かしたって結局一文の得にもならねーばかりか、そいつのためにもならないもんさ。世の中結局、頼れるのは自分だけなんだからな」

「そうね。ならそういうことにしておこうかしら」

 紫は微笑して言った。

「貴方の利益になることならいいのね?」

「……ま、そういうことになんのかな」

 杏子は肩をすくめて、横目で紫を見た。

「けどお前、あたしに何をくれるっていうんだ?」

「そうね。たとえば、これなんかどうかしら?」

 そう言って紫が取り出したものを見て、杏子の顔色が変わった。

「! それ……!」

「貴方達魔法少女は、このグリーフシードは喉から手が出るほど欲しいでしょう」

 グリーフシード。「悲嘆の種」という意味の名を持つその物体は、杏子に――キュゥべえと契約した魔法少女たちにとって、生命線といえる道具であった。

「しかも貴方は今、これが余分に必要な事情もあるはずよ?」

「てめえ……何でそれを知ってやがる」

 紫の意地悪げな言葉に、杏子の顔からけだるさが完全に吹き飛び、かみつきそうな表情になった。

「侮らないでほしいわね。これでも、幻想郷では大物で通ってるのよ」

 その刺すような視線にも、紫はまったく動じなかった。

「貴方の性格と、そして戦闘力の高さはきっと彼らに必要になるわ。力を貸してくれるわね?」

「……うまく乗せられるのは気に入らねえが、選択の余地はなさそうだな」

 不承不承といった風情で、杏子はため息をついた。

「しょうがねえ、やってやるよ。島へ行く船は、お前が手配してくれるんだな?」

「ええ。これが旅券よ」

「用意のいいこった。あたしが断ったらどうするつもりだったんだよ」

「貴方ならきっと引き受けてくれる。私には確信があったのよ」

「チッ……」

 舌打ちして杏子は、旅券をひったくった。その手に、紫はグリーフシードも押し付けた。

「グリーフシードは前払いで渡しておくわ。出かける前に、彼女に渡しておいてあげなさい。あまり余裕のある状態じゃないんでしょ?」

「ケッ、お前に指図される筋合いはねーよ」

 杏子は紫から視線を外した。

 苦々しげな、そしてどこか切なさをはらんだ、複雑な視線を、屋上から見える街へと向けた。



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05 初顔合わせ

「揃ったようだな」

 前回と同じイリーレストの座席で、惣一は紫と、新たに加わった二人の少女を見渡した。

 黒いつなぎと安全靴に身を固めた黒髪の少女、霧間凪。

 ホットパンツにパーカーのラフないでたちの赤髪の少女、佐倉杏子。

 紫ともども、三者三様の美貌を誇る少女たちに対して、惣一は大した感慨も見せず、言った。

「自己紹介しておくか。俺は河内惣一。このクルセイド学園の治安維持生徒会、クルセイド騎士団の団員をしている」

「オレはあんたのこと知ってるよ。あの三代目銀腕卿・源氏政行を支えて戦ったんだろう?」

「ほう……? よく知ってるな」

「下調べぐらいするさ。あんたのことは、ここの学園新聞やHPにもよく出てたからね。オレは霧間凪。本土の深陽学園に通う高校生だよ。特技はパソコンとサバイバル技術全般、ほか色々だよ。まあ、邪魔にはならないと思うよ」

「あてにしている、と言っておこう。……そっちの貴様は中学生か? 本当にこんなガキが役に立つのか、八雲紫」

 惣一はじろりと杏子を見て言った。

「んだとてめー! いきなりずいぶんな挨拶じゃねえかよ」

 たちまち杏子がいきり立った。

「ガキって言うな。あたしには佐倉杏子ってちゃんとした名前があるんだよ!」

「杏子でも涼子でもいい。貴様は何ができる。使えん奴ならチェンジを申し込むぞ」

「こ、この野郎……!」

 眉一つ動かさない惣一に、杏子は歯ぎしりをしながら立ち上がろうとする。それを紫が制して、

「まあまあ、二人とも。河内さん、魔法少女は知ってるかしら? この島にもいる、魔法能力者とは違う、一般には知られていない意味だけど」

「……。なるほど、未知の要素というわけか」

「なんだ、お前も知らねえんじゃねーか。それでよく偉そうな口聞けるもんだな」

 杏子の嫌味にこれまた惣一は反応を返さず、淡々と質問した。

「ごたくはいい。魔法少女とはなんだ。少なくとも戦闘能力はあると解釈していいんだな?」

「まあ、な。これでも場数は踏んでるからな」

 杏子も鼻を鳴らして答えた。

「紫から聞いたけど、この島にはモンスターとかがたくさんいるんだろ? そんなの魔女に比べればちょろいもんだぜ」

「モンスターだけとは限らないわ。魔女はいないと思うけど、人間の悪者やよその世界の魔族が関わっている可能性は高いわね。ルーミアの行方がわからなくなったところを見ると、何らかの隠蔽魔術が使われたと見るべきでしょうし」

「人間と魔族の共犯もあり得る、か。フン、全く面倒なことだ。まあ、手に負えないレベルの大物魔族が、こんな小さい事件にからんでいるとはさすがに思えんがな」

「小さい事件、ね。本当にそう言い切れるかしらね。不安定な世界同士とはいえ、なぜ幻想郷とSRC島がつながったのか、その謎も解けていないのに」

「それを調査するのは貴様の役目だろう?」

 難しい顔の紫に、やはり惣一は動じずに言った。

「俺に話を持ち込んだのは、ルーミアの探索で手を取られないようにするためだ。違うか?」

「まあ、そういうことになるわね。河内正騎士、貴方を信用して幻想郷の住人を任せたのよ。失敗は許されないわ」

「フン……引き受けた依頼は果たすだけだ」

 真正面からの紫の視線を、惣一はやはり平然と受け止めた。

「最善を尽くすさ。言うまでもないけどね」

 凪も微笑して言った。

「かったりー仕事はとっとと終わらせて、メシでも食いに行くに限るぜ」

 杏子は快活に言った。

 三者三様の応答を、紫は満足げに見やった。

「よろしく頼むわね。無事に終わったら、豪勢な食事でもおごらせてもらうわ。それでは私は忙しいから、河内さん、後はよろしくね」

 言い終えると、紫はすぅっと座席から姿を消した。

 チャリン、とテーブルの上に紫の分の紅茶の代金が落ちる音がした。

「き、消えた!?」

 目を見張る杏子に凪が、

「アイツは力のある妖怪だからな。テレポートの能力ぐらい持ってても不思議じゃないだろうよ。魔法なのか超能力なのかはわからないけどな。まあ、今はどうでもいいことだろう」

「その通りだ。俺達にはそう時間は残されていない。ルーミアは誰かに拉致された可能性もあるのだからな。発見したらすでに死体でした、では笑い話にもならん」

「チッ……一々気にさわる言い方をする奴だな」

「まあ、そう言うな。別に河内さんは、間違ったことは言っちゃいないんだ」

 舌打ちして言う杏子を凪がなだめた。

「早速捜査を始めよう。河内さん、何かあてはあるのか? この島に一番詳しいのはあんただからな」

「まあな。伊達に長く島にいたわけではない。まずは情報収集だ。島にいる人間やモンスターで、明らかに外部の者とおぼしき者を探す。この島は二万人程度の人口はいるはずだが、学園都市と同じような街だから、そこまでよそ者が多くはない」

「東京の人口は約1322万人、大阪の人口は約287万人、学園都市の人口は約230万人だったな」

 凪が言った。

「東京や大阪のような大都市で探すとなれば、さすがにお手上げかも知れないが、この小さな島を探すならな。島にいる人間の大半は学生、残りも教員や警備員、船員など限定された職種がほとんどだ」

「あの学園都市と条件は同じ、ってことか?」

「だいぶ違うな。あそこは無数の学校を持つ文字通りの都市なのに対して、ここはわずか3つの学校のみだ。3校ともかなりのマンモス校だが、やはり3校だけの孤島では、陸と地続きの学園都市とは条件が違う」

「島にある施設は学校、商店街、居住区。それに使われてない建物がいくらかと、あとは伝説の樹海だ。ルーミアは伝説の樹海で行方不明になったそうだ。だからといって樹海にいるとは限るまい。よそ者が隠れるには一番の場所だろうがな。同時にモンスターの襲撃の危険もあり、設備も揃っていない不便な場所でもある」

「『能力科学研究所』はどうだ? あそこは三財閥の出資を受けた研究所でありながら、人体実験なんかの黒い噂の絶えない施設だろう」

「その線は一応除外する。悪名が高い分、何かあったら真っ先に疑われる場所だ。そしてあの八雲紫を敵に回して無事でいるほどの戦力は、あの場所にはない」

「この島の外の誰かが乗り込んできて、島のどこかへルーミアを隠したって考えてるのか?」

「おそらくはな。島にも悪い奴は多いが、学園都市の暗部ほどの規模はない。島原産の悪党といえば、せいぜいが不良グループや能科研、それにモンスターがいるぐらいだ。そうした連中が、幻想郷の住人をさらって利用しようとするとは考えにくい。まあ、不良どもに捕まって慰み者にでもされているとか、モンスターに食われているという可能性も……」

「おい!」

 怒声を上げる杏子に、言葉を遮られた惣一が不快げな視線を向けた。

「何だそのツラは。可能性ぐらい考えるのは当然だろう」

「まあ落ち着けよ、杏子。多分、河内さんの言ったようなことはないと思うよ。幻想郷の妖怪は、みんなある程度の戦闘能力を持ってる。いくら呑気な奴でも、大人しく捕まりはしないだろ。紫から聞いたルーミアの特徴からすれば、騙されて連れて行かれた可能性が高いんじゃないかな」

「だとすれば、敵はルーミアの価値を知っているわけか……」

 惣一は、あごをつまんで考えた。

「ルーミアという娘には何か秘密があるようなことは、八雲紫も言っていたがな。詳しいことは言えないようだしな」

「……それで、結局どこを探すんだ? 相談するのも良いけど、早く行かないとヤバいんだろ?」

「せっかちなガキだ。だがまあ、一理あるのも確かだな。まずは市街地の施設を中心に見慣れない人間やモンスターの情報を集めるとしよう。よほどうまく潜伏していない限り、この小さな学園島で完全に隠れるのは不可能だろうからな」

 そう言って、惣一は恭祐に代金を支払い、二人を促して店を出た。

 捜査はまだ、始まったばかりだった。



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06 まな板の上の妖怪

「わー、おいしそー!」

「好きなだけ食ってもいいんだぜ」

 机の上に並べられたご馳走の山を前に、ルーミアが歓声を上げる。

 それへ、横に立つ木原が、猫なで声でささやいていた。

 そこは、島内のとある場所。

 どこかのオフィスのような機能的な空間だが、あまり日常的に仕事などに使われているようには見えない。少なくとも、書類やら家具やらはすっかり片付けられた、ひどく殺風景な場所となっている。

 そのがらんとした部屋の真ん中に机が置かれ、コンビニやファミレスで買ったとおぼしきハンバーグやサンドイッチ、パスタなどが乱雑に並んでいた。

 さして値段のかかっているとも思えないジャンクフードの山だったが、空腹のルーミアは目を輝かせ、よだれを垂らして見ている。

「後でしっかり働いてもらうからな。たっぷり食べて元気をつけときな。俺はちょっと、あっちで仕事の相談してるんでよ」

 木原がそう言うと、

「ありがとー! いっただきまーす!」

 ルーミアはさっそく猛然とハンバーガーにかぶりつき始めた。そのまま凄い勢いで食べていくのを尻目に、木原は隣室へ歩み去った。

 そして、ルーミアの前では浮かべなかった、悪意のあるにやけ面で言った。

「……チョロいねえ。こんなガキみてえな手で釣られてくれるんだから、簡単すぎてこっちが罪悪感を覚えそうだぜ。まッ、俺としちゃこの後が問題になるから、お前らを雇ったわけなんだがな」

 木原の視線の先には、二人の人物がソファーに座っていた。

 一人は、小柄な老人。一人は、扇情的な衣装に身を包んだ少女だった。どちらも人ではない。老人は大きな尖った耳をしており、少女は小さなコウモリの翼と先の尖った尻尾を生やしていた。

 老人の名はザボエラ。少女の名はエトナといった。

「もらうモンはたんまりともらったから、ワシらはお前の命令に従うよ。学園都市の生体工学のデータは凄いの!これなら大魔王様も大喜びに違いあるまいて」

 ザボエラがいうと、エトナも頷いた。

「あたしもまー、お金たっぷりもらっちゃったしぃ」

 そして彼女は、気がかりそうに木原に尋ねた。

「けど本当に、あたしらを雇う必要あったわけ? このガキ一匹ひっさらって、ちょちょいといじくるだけの簡単なお仕事なんでしょ?」

「ハッ、そりゃ浅い考えってもんだよ。銀行強盗だってよ、店舗を制圧するのは簡単だ。問題は、後から団体様でお出でになられるポリ公様方をどうあしらうかだ、そうじゃねえのかい?」

「なるほどのぉ……それでワシとエトナの術で、この娘の気配を隠したというわけか」

「猟犬部隊謹製の消臭剤にちょいと魔術的措置を施したものもブッかけておいたしな」

 木原はにやりと笑った。

「あのガキ、森を歩いて汚れた服をキレイにするなんて戯言を大真面目に信じてやがんの。ギャハハハハハハハ!」

「アハハ、超うけるー!」

 少女の無邪気さを笑いものにする木原の言葉に、エトナも楽しげに調子を合わせた。

「まぁ、それはおいといて、これで追っ手がつかなくなったわけ?」

「そうはいかねえよ。時間稼ぎができる程度のことだ。このちっぽけな島のことだ、いずれ誰かにかぎつけられる。ただ、大軍で来ることはありえねえだろうがな。せいぜいが4、5人のチームで捜索に来る程度だ。それ以上の人数は出せねえ」

「なんでそんなことがわかんのよ?」

「このガキにそこまでの重要度はねえ。これが白玉楼や永遠亭のお姫さんとかなら話は別だ」

 そういって木原は言葉を切り、悪意のこもった微笑を浮かべた。

「けどよぉ、ザコ妖怪の1匹や1匹をいちいち全力で捜索してたら人手がいくらあっても足りねぇっつうの。はははははっ!」

「とすると、幻想郷はこいつを切り捨てるのか?」

 ザボエラが尋ねると、

「いや、一応捜索はするだろうな。ただそれが全力じゃねえってだけの話だ。島の全戦力で捜索に当たられたら、さすがにこのちっぽけな島にいつまでも潜伏してることはできねえ。けど、5人程度のチームが捜索してるぐらいなら、そうすぐには発見されねえ」

 そういって木原はぞっとするような笑いを浮かべた。

「見つかった場合、屠殺してお肉に変えてやるために人手が必要だろう? ヒヒ……ヒヒヒッ」

「……あーなるほどね。それであたしやザボエラに兵隊を連れて来させたわけか」

 その残忍そうな笑い声に、エトナはぽんと手を打って、

「追っ手は多分人間だろうけど……全員、バラしちまっていいわけ?」

 その問いに、木原は呆れた調子で答えた。

「あのなぁ、俺を追うマヌケを生かしておく合理的な理由がどこにあるんだよ? アホな質問してんじゃねーよ」

 そしてザボエラを見て、またニヤリと笑う。

「別に樹海まで運ばなくても、ザボエラ、てめーの持つ薬物で溶かしちまえば後始末は完璧だろうよ。ウヒヒヒ」

「まあ、そうじゃな。そんなのはお手のものよ」

 ザボエラも自慢げに笑った。

「やーれやれ。あたしもいい加減根性曲がりのつもりだけど、あんたには負けるわ。木原数多」

「俺をあんまり褒めないでくれや。恥ずかしくて死んじまいそうだぜ」

 人殺しを何とも思わないような木原の言動に、エトナが降参したように両手を上げると、木原は平然と肩をすくめてみせた。

 すると、

「ごちそうさまー。もう食べちゃったよー」

 ドアが開けられ、ルーミアが腹をさすりながら入ってきた。

 それを見てエトナが目を剥いた。

「ッ!? あ、あの山のような料理を、全部食べちまったわけ!?」

 ザボエラも呆れ顔で、

「なんちゅう大食漢じゃ。まるで断食後のベロゴンじゃな」

 木原だけは気にも留めずに愛想笑いを浮かべて、

「よーしよし、それじゃあお仕事に付き合ってもらおうかな。なに、難しいことは一切しねえよ。拍子抜けしちまうぐらい簡単なお仕事だから安心しな。クククク……」

 人なつっこそうな笑い顔が一瞬だけ、獲物を狙う猛獣の笑みをひらめかせた。



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07 捜査開始

 SRC島探偵部『SRCD』。

 「SRC島に起きる怪事件を解決する」という名目の元立ち上げられた部活で、部室棟に事務所を構えている。

 情報収集生徒会「広耳堂」とのつながりも深く、その手腕の確かさもあって、ここぞと言う時には頼りにされている部活だ。

 そのSRCDの部長が、惣一たちの目の前で安楽椅子に腰掛けている仮面の女性「マスターD」だ。

「見慣れない人物、ね」

 彼女は、その本名から学籍、年齢に至るまで謎に包まれており、その素性を知る者は少ない。

 知る者は知っているというが、知っている者は口を開かないし、無理に素性を探ろうとする者は次の日に全裸で校門前に転がっているという噂も囁かれているため、正体不明の謎の探偵で通っている女性だ。

 そのマスターDに対して、惣一は淡々と言った。

「ああ。この島に来る人間の顔ぶれは、それほど幅広いわけではない。本土からの船員、三財閥の事務職員など、身なりを見れば身分は大体はっきりするはずだ」

「そういうパターンに収まらない例外を探せって事ね」

「あと、町を歩いてるモンスターにも気をつけてもらいたい。この島も色々な生物が住んでるとはいえ、モンスターが普通に住んでるわけでもないようだからな」

 凪が横から言い、懐から一枚の写真を出した。

「それにこの写真の娘を優先的に探してほしい。見つかる確率は低いが、もしいたとすれば、たぶんこの服装をしてるからすぐわかる」

 それはルーミアの写真だった。

 黒いゴスロリ服に金髪といういでたちを見た杏子が呆れた声を出した。

「おいおい、本当にこんな目立つゴスロリ服なんか学園の島で着てるのかよ? 敵さんも学生服に変装させるぐらいはするんじゃねえのか」

「そうとも限らないさ。彼女を騙して連れて行く場合、変装までさせることはできないからな。まあ、人に見られないうちに、すでにアジトに隠している可能性もあるから、こっちは念のためだけどな」

「引き受けてくれるか? 謝礼は弾む」

 惣一の問いにマスターDは、

「わかったわ。情報を集めてみるわね。何のためにそんな依頼をするのかは、聞かない方がよさそうね」

「わかっているなら話は早い。貴様が余計なことに首を突っ込むような人物なら、こうまで探偵部が信用を得ることはなかったろうからな」

「一言多いのは相変わらずね、河内正騎士。まあいいわ、すぐに捜査を始めるわ」

 肩をすくめるマスターDに、凪が言った。

「なるべく急いでくれ。人の命がかかってるかも知れないんでね。それも詳細を話せない理由のうちだが、緊急度は高いと思ってくれ」

「わかったわ。……それにしても貴方」

「?」

 今の会話の流れで、自分に言及される理由がわからず、凪が首を傾げると、

「なかなか凛とした美人じゃないの。スタイルもいいし、そそられるものがあるわね。どう? 用事が片付いたら、私と一緒にディナーでも」

「……考えとくよ」

 露骨な色目を向けてくるマスターDに、凪は疲れた口調で言った。

 杏子は疑わしげな視線を惣一に向け、惣一は無言で視線を逸らした。

 

「これで本当に見つかるのか?」

 中央商店街の賑わいを歩きながら、杏子が惣一に聞いた。

「俺達3人だけで島中回るよりはな。人手を使った方が効率がいい。それに、俺達があちこちをかぎ回っているということが、敵に知られたら面倒だ」

「顔を知られたくないと?」

 凪が言った。

「八雲紫が、わざわざ騎士団でも目立たない俺に依頼したこと自体、あまり事件を知られたくないことを物語っているからな。幻想郷の存在は隠されている。なるべく手がかりは残したくないということだろう」

「あまり時間をかけて、新聞部にすっぱ抜かれでもしたら、目も当てられないだろうしな……」

「そういうことだ。学園治安保持部隊の高見沢だの、姫士組の伊佐美だのといった有名人が動くと、すぐに話題になる。今さら俺が動いていても、気にとめる者などいるまいよ。あまり噂になるのも面倒だが、動かないと情報が集まらないのも確かだしな。俺は騎士団の麻生のもとへ行く。霧間、貴様はPCに詳しいというから島のセキュリティにアクセスして――」

 惣一がそう言いかけると、不意に杏子が言った。

「なあなあ、あたし腹減ったんだけど。もう昼飯時だし、飯食いに行かねー?」

 惣一は杏子を半目でにらんだ。

「……遊びじゃないのだぞ、佐倉」

「しょうがねーだろ、腹が減っては戦は出来ないって言うしさ。あたし、もう腹ペコで動けねーよ。飯食わせてくれなきゃ動かねーぞ!」

 惣一は顔をしかめた。

「……八雲紫め。面倒なガキをよこしおって」

 それへ、凪がなだめ顔で言う。

「まあまあ、河内さん。いざという時のために、栄養はとっておく必要があるだろ。人の多く集まるレストランなら、聞き込みにも向いてるだろうしな」

「フン、もっともらしいことを……まあ、一理あるか。ならば海月楼がいいな。あそこの店長は、島に長くいる情報通だ。一応聞いてみる価値はあるだろう」

「中華料理チェーン『海月楼』か。今あそこの社長がSRC島支店を直接経営してるんだったな」

「中華か! ひゃっはあ、ギョーザ大好きだぜ!」

 目を輝かせる杏子に、惣一は呆れ顔で言った。

「まるっきりガキだな……」

「いいじゃないか。まだ中学生なんだろ。子供は子供らしくしてられるのが一番なんだよ、ホントはね……」

 その言葉に込められた、どこか重たい感情に、惣一は気付かぬふりをして、ただ肩をひとつすくめた。

 

 SRC島中華料理チェーン『海月楼』。

 中華風の装いのファミリーレストランで、このSRC島支店は社長のクレア自ら経営している。

「かーっ、うめっ! このチャーハン最高だぜ!」

「この八宝菜もいい味つけだね。ファミレスにしては、ずいぶんと丁寧に作っているよ。杏子、あんまりがっついて食べると腹壊すぞ?」

「大丈夫だって、あたしはお腹丈夫だし。あっ店員さん、中華そばおかわりね。代金は河内さんの払いでいーんだよな? あたしも手伝いで来てるんだしさ!」

 そう言ってニカッと笑う杏子に惣一は、

「フン……図々しいガキだ」

「まあまあ、河内君。こんな可愛い子とお食事できるなんて、男冥利につきるんじゃないの?」

 そう言って笑いかけたのは、白と黒が入り混じった髪に赤と黄色に塗り分けられた挑発的な服装をした三十歳程度の女性。この店の店長にして海月楼チェーンの社長、クレア・クラーケンだった。

 彼女はこの島に店を構えて長く、多くの学生と顔なじみだった。惣一とて例外ではない。

「生憎と、俺には幼女趣味はありませんので。中学生のガキなど、煩わしいだけです。もとよりガキのお守りなら、源氏や御堂の方が適任でしょうしね」

 傲岸不遜な惣一も、この年上の女性には慇懃だった。もとより、彼は目上や年上に対しては礼儀正しい。

「うふふ。河内君、そうは言ってても年下の面倒は得意じゃないの。騎士団の若い子たちのことも、色々教えてあげてるんでしょ?」

「見ていてイライラするだけです。未熟者というのは、時にこちらに迷惑を及ぼす。勝手に死なれては、上官である俺の責任になります。自分で勝手に死んだ馬鹿のために頭を下げるのは願い下げです」

「むぐむぐ……まったく、ひでーこと言うなぁ」

 ギョウザを頬張りながら口をとがらせる杏子に、凪が笑いかけた。

「まあ、そういうなって。河内さんは、ちゃんと責任をとるつもりなんだから。本当にひどい奴なら、後輩に責任を押し付けて自分は知らん顔をしたりするだろ?」

「チッ……」

 見透かしたような凪の口ぶりに、惣一は忌々しげに舌打ちをした。

「それはそうと、河内君、何か聞きたいことがあるんじゃないの? 何か悩んでる顔してるわよ」

「かないませんな。クレア社長には」

 惣一は肩をすくめた。

「まあ、俺が見慣れない女の子2人と食事に来てる時点で、わけありなのは丸わかりでしょうがな」

「私でよかったら相談に乗るわよ?」

「ありがとうございます。詳細は話せませんが、見慣れないよそ者を探しておりまして。この店にあからさまに学園関係者と違う風貌の人間やモンスターは来ませんでしたか?」

「うーん……見慣れないよそ者、ねえ」

 クレアは、あごをつまんで考えこんだ。

「うちには学生や教師以外に、連絡船の船員、事務職員、警備員とかが来るけど……」

「あと、この写真の女の子を探してるんだ。来てないかな?」

 凪の見せたルーミアの写真に、クレアは首をかしげた。

「見たことがないわね。目立つドレスだから、来れば覚えてると思うんだけど」

「うーん……だめかぁ。あ、ペプシコーラもう一杯」

 惣一は杏子をじろりと見た。

「少しは遠慮しろ、貴様は。……レストランには来ているかと思ったがな。八雲……いや、あの女の情報によれば、このガキはなかなかの大食いらしいからな」

「まあ、彼女を連れてった誰かさんが、そんなおいそれと人目につく場所に連れてくとも思えないからな。社長さん、他にはなにか情報はないかい?」

「うーん、そうねぇ。商店街の噂話とかはよく聞くけど」

 そう言って思案顔をしたクレアは、ふと顔を上げた。

「あっ、そうだわ。この間、肉の得々で宇治川さんのお肉を大量に仕入れていった人がいたと聞いたわ」

「!」

 その言葉に、凪が眉を跳ね上げた。

「その人の人相までは聞いてないけど、レストランで使うように大量のお肉を買って行ったとか。あそこのお肉、何の肉かわからないから、うちでは材料をいつも厳しく指定して、成分検査も怠らないんだけどね」

「い……一体どんな肉屋なんだよ」

 引いた表情で言う杏子に、惣一がすました顔で説明した。

「肉の得々といえば、得体の知れないことで有名な肉屋だな。店主も裏の商売をやっているとかいないとか噂があるしな。あと近所の犬や猫がいなくなった日に肉の特売があるとか……どうした佐倉、顔色が悪いぞ」

「オメーよぉ……人がチンジャオロース食ってる時にそういう話すんなよな!」

 杏子のあげる抗議の声も、惣一はどこ吹く風だ。

「フン、神経の細い奴だ。……まあ俺も、あまり宇治川と関わりたくはないんだがな」

「けど状況が状況だ。どんな客が来たのか、聞き込みだけはしておくか」

「それが済んだらSRC島警察署の桜田署長にも話を聞いておく。桜田署長は騎士団初代隊長・白銀渚のもとで戦った騎士団の大先輩だ。協力してくれるはずだ」

「白銀渚……初代『銀腕卿(アガートラム)』にして現・警視庁警視正か。いずれ会ってみたい人だな。まあ、桜田署長もかなりの英傑だと聞くしな。いずれにしても時間との勝負だ。メシが終わったら、さっそく得々に行くぞ」

 凪がきっぱりと言うと、杏子は元気よく、惣一は淡々と、それぞれ頷いた。




クレア=クラーケン…………MAX与太郎様
http://www10.atwiki.jp/byakumu2/pages/1655.html

マスターD…………MAX与太郎様
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08 実験開始

「この機械を頭につけて寝ればいいの?」

 冷蔵庫ほどの大きさの機械に接続された、あからさまに怪しげなヘッドギアを手に、ルーミアは無邪気に聞いた。

「ああ。妖怪の脳波を調べたくてな」

 木原は友好的な笑みのままで言った。

「このデータをもとに、医学の進歩を目指すのさ。お前のやってることは人助けだぜ。なぁに、痛いことはなにもねぇ。お前はただ、気持ちよーく寝てりゃいいのさ」

「うん、わかったー」

 と言ってルーミアはヘッドギアを頭からかぶり、機械のそばのベッドに横になった。

「…………ぐーすか、ぴー」

「うわぁ、速攻で高イビキだわ」

「いいのか、木原?」

「全く問題はねえよ。むしろ好都合ってぇもんだ」

 ザボエラの問いに木原は満足げに言い、そしてニヤリと顔を歪めた。

「脳ミソいじくる時に起きてられたら、泣き喚かれてウルサイからなぁ。ひゃははははははは!」

「ほんっと、あんたって外道よねー」

 狂ったような高笑いを上げる木原に、エトナが呆れた声を出した。

「ま、別にいいけど。で、あたしらは何をすりゃいいわけ?」

「ザボエラはこのガキの魔術的な分析だ。魔術の領域は俺の専門外だからな。お前の魔導科学者としての実力は魔界に響き渡っているだろう? バランだのミストバーンだの、戦うしか能のねェ脳筋共には出来ねえ技術がお前にはあるんだよ、ザボエラ爺さん」

「うひゃひゃひゃひゃひゃひゃ! ワシをあまり褒めると、思わず木に登ってしまうぞい」

 所属している魔王軍ではいまいち扱いのよくないザボエラは、おだてられてサルのようにしわくちゃな顔をさらに笑みで歪めた。

「だがまあ、確かに興味深い研究材料じゃ。幻想郷の妖怪は、『弾幕』という特殊な魔法を使うようじゃからの。ミストバーンの放ったスパイの報告では、幻想郷の住人は『魔法を操る程度の能力』『氷を操る程度の能力』といった固有能力を……」

「そんなことは俺だって知ってる。その上でな、このルーミアというガキは一番都合が良いのさ」

「こんなマヌケ面したガキに何があるわけ? どう見てもそのへんの池でドジョウでも取ってそうなしょーもないガキじゃない」

「だからこそ、だよ。重要人物じゃあねえから、ガキ一匹には幻想郷も大きい動きは起こせねえ」

 木原はずるそうに笑い、それから声をひそめた。

「それに、これは未確認情報だが……このルーミアというガキ、何か秘密があるらしい。試しにそいつの頭のリボンを外してみな、エトナ」

「そんなの簡単じゃん。……? と、取れない?」

 無造作にルーミアのリボンを取ろうとしたエトナは、その硬い手ごたえに、狼狽の声を上げた。

「ご覧の通りだ。そのリボン、何らかの封印だ。封印を解くと何が起きるかは知らねえがな。こいつがただのチビ妖怪じゃねえってことは確かだ。こいつの肉体と脳味噌を分析し、可能ならば秘められた力を抽出してやろうってのが俺の計画さ」

「なるほどのう! そりゃあ確かに、心ひかれる素材じゃわい」

 木原の説明に、ザボエラが狂科学者の歪んだ笑みを浮かべた。

「ではひとつ早速、服をぬがせてメスを……うひひひ」

 涎をたらしながらルーミアの服に手をかけようとするザボエラを、木原がたしなめた。

「落ち着け、間抜け。何のために学習装置(テスタメント)につないで寝かせたと思ってやがるんだ」

「そういや、このヘンテコな機械は何なわけ?」

 ベッドの横の機械を指さして問うエトナに、よくぞ聞いてくれたと言わんばかりに木原が満面の笑みを浮かべた。

「学園都市謹製の、脳をいじる装置さ! 脳の中身をのぞくのもお手のもの、脳にウイルスをぶち込むのもお安い御用だ。俺もずいぶんと大勢の脳味噌を料理してきたがよぉ。この装置に出会った時には、失業するかと冷汗もんだったぜ。時間の許す限り徹底的に、このガキの脳を調べつくし、吸い出せるだけのエネルギーを吸い出す。こいつの固有能力は『闇を操る程度の能力』。応用力バツグンの、利用価値満点の能力だぜ!」

「うほほ、夢がふくらむのう!」

 木原の残忍な行為の説明に、ザボエラは顔をほころばせた。

「では早速分析にとりかかるかの。魔術的な観点からの解析はワシに任せとけ」

「エトナはこのアジトの警備をやれ。バカが紛れ込まないように見張っておくんだ。このちっぽけな島のことだから、どこでどんな間抜けがうろついてないとも限らないからなあ」

「ちぇー、なんかあたしだけ地味な仕事よね」

「グダグダ言うな役立たず」

 木原の指示に、エトナが頬を膨らませた。それへ取り合わず、木原はルーミアに、獲物を狙う狼の笑みを向けた。

「さあ、早速お仕事の時間だぜルーミアちゃん。武運つたなく殉職したとしても、あなたの事ァ二秒ぐらいは忘れませんってなぁ。ギャーッハハハハハ!!」

 狂笑とともに、木原の指が狂気の機械のスイッチを押した。自身に迫る毒牙にも気付かず、ルーミアは健やかな寝息を立てていた……。



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09 焦燥と活路

 惣一たちがルーミアの捜査を始めて三日後。

 SRC島中央商店街の喫茶店『イリーレスト』に、また三人が集まっていた。

 ただし、今日は最初集まった時のように余裕のある表情ではなかった。

「くそっ……!」

 杏子が、ドシンと音を立てて色艶のいい木のテーブルを叩いた。

 それへ、煩わしげに惣一が言った。

「うるさい。落ち着け、佐倉」

「これが落ち着いてられるかよ!」

 杏子が怒鳴った。

「これでもう三日じゃねえか! どうすんだよ、ルーミアが無事じゃなかったら! まさかこんなに手がかりがつかめねえなんて……!くそっ、何がどうなってやがる!」

 杏子の、気の強そうな美貌には焦燥の色が濃く浮かんでいた。

 最初はまだ鼻歌混じりだった彼女も、いつまでたってもルーミアが見つからないことで、その安否に対する不安の気持ちがむくむくと頭をもたげてきたのだった。

 不良の慰み者だのモンスターの餌だの、初日に惣一が口にした不吉な予想が、杏子の脳裏をちらついていた。彼女はぎりぎりと歯を噛み鳴らし、荒っぽく吐息をついた。

「こうしちゃいられねえ。せめてあたしだけでも、捜索を……!」

 そう言って杏子は、席を立って飛び出そうとする。

 それを、惣一が押しとどめた。

「待て。勝手な行動は許さん。俺がリーダーだ。戦力を分散させては貴様を雇った意味がない」

 その言葉に、杏子は怒りに燃えた視線を惣一に向けた。

「てめえっ――ルーミアがどうなってもいいってのかよ!」

 返答次第ではその場で飛びかかりそうな形相だったが、惣一は眉ひとつ動かさない。

「俺は最善を尽くすだけのことだ。その結果、不可抗力的にガキが死のうと、そんなことで一々心を動かされていては騎士はつとまらん。哀れなガキなど無限にいる。一々救おうとしていたら、一生かかっても救いきれん。今回の件も、あの胡散臭い妖怪の報酬が労力に見合ったと判断しただけだ」

 そのにべもない言葉に、杏子がガタンと椅子を蹴った。

「野郎っ!!」

 そのまま惣一に掴みかかろうとする。しかし凪が、寸前で押しとどめた。

「よしな、杏子。……河内さんはね、河内さんなりに心配してるんだよ」

「……何が言いたい」

 凪の言葉に、初めて惣一が不快げな視線を向けてきた。が、今度は凪が惣一の視線に取り合わず、

「あんたは騎士団という組織で、生徒たちを守るために戦っていた。進路もたしか、警察関係を志願してたはず……それはつまり、一生かかって哀れなガキを救おうとしてるって事じゃないか?」

「……!」

 凪の話を聞いた杏子が、目を見開いて惣一を見る。

 その瞳に浮かぶ色を見た惣一が、忌々しげに顔をゆがめ、鼻を鳴らした。

「……可愛くない小娘だ。貴様が騎士団にいたら、死ぬほどしごき倒してやっていたところだ」

 凪はやはり平気な顔だ。「どうぞ、喜んで」とでもいいたげに、くすりと微笑すらして見せた。

「最善を……尽くすって、本当かよ? 河内」

 先ほどの焦燥と惣一への怒りの色に代わり、緊張とほのかな期待をにじませながら、杏子が口にした。それへ、惣一が面倒くさそうに鼻を鳴らした。

「『さん』をつけろ、無礼なガキめ。もとよりこの河内、引き受けた仕事の手を抜く気はない。すでに打てるだけの手は打った。情報が集まらんのは、敵の隠れ方が巧妙なのを示している」

「……確かに、な。この小さな島で、そういつまでもよそ者が隠れてられるってのは変な話だ」

「考えていなかったが、島内の不良グループや悪徳職員で、金で抱き込まれて協力してる奴がいるかもしれん。その線で洗うよう、麻生や探偵部に指示を出しておいた。時間はかかるが、地道に前進するほかはない。今にして思えば、八雲紫のやつは、こんな状況を想定して俺に頼んだのかもしれんな。気にさわるやつだ」

「根競べであんたの右に出る者はいないっていうからな」

 紫の「全てわかっているぞ」と言いたげな笑顔を思い出して、惣一は肩をすくめた。それへ、凪が穏やかな微笑を向けた。

「フン……華々しい活躍をしていきがってるうちは、しょせんはガキだということよ。戦いはいつでも根競べだ。長い時間潜伏していれば、敵がボロを出すことも――」

 惣一が言いかけると、彼の懐の電話が鳴った。

「ん? 河内さんの電話か」

 ちゃんと「さん」をつけた杏子に惣一が一瞬目をやってから、携帯電話を取り出して通話ボタンを押した。

「河内だ。……玄武堂か。ああ、今はマスターDだったな。……わかった。わかったから静かにしろ。一々面倒なことにこだわる女だ」

 電話の相手は、あの探偵部『SRCD』の部長だった。一瞬惣一が口にした名前を聞いて、電話の向こうからけたたましい抗議の声が鳴り響いた。惣一は、うるさそうに携帯を耳から離して、相手の言葉が途切れてから言った。

「貴様は金をもらって働いているのだろう? なら、とっとと用件を言え。俺も暇では……何だと?」

 相手の言葉を聞いて、惣一が眉を動かした。

「…………わかった。確かにそれは収穫だ。場所は……うむ、メールで頼む。ただちに俺達が急行する。時間の余裕はない。切るぞ」

 切断ボタンを押すや否や、惣一はガタリと席を立った。そして手早く財布を取り出し、「つりはいらん」と言い添えて、そばを通った恭祐に紙幣を手渡した。

「マスターDって、このあいだの探偵さんかい?」

 凪もすでに立ち上がり、出かける支度をしながら言った。杏子だけが事態の急変にとっさについていけず、どぎまぎしている。

「ああ。ついに手がかりが転がり込んできた。不審なモンスターを商店街で発見したらしい。すぐに俺達が向かい、捕獲する。モンスターは日本語で会話をしていたから、知性があって意志の疎通も可能なようだ。とすれば、情報を聞き出せる」

 そう聞いて、ようやく杏子も勇躍した。

 事情さえ理解してしまえば、動くあてができたことは、今の杏子には何より嬉しい知らせだった。

「よっしゃ。そうと決まれば早速行くぜ! 待ってろよ、ルーミア!」

 気合の入った声で言う杏子を見て、

「ふっ……」

 と凪が微笑した。

「? なんだよ」

 いぶかしげに振り向く杏子に凪は、

「いや、お前もいいやつだなって思ってさ」

 と穏やかに言った。

「一見自己中心的に、わがままにふるまってるように見えるが、お前はほんとは思いやりの強いやつだろ? 人助けをしたり、悲しんでる子をなぐさめたりする方が性に合ってるんじゃないかな、お前は」

 その言葉に、杏子の目が泳いだ。戸惑いの色と、そしてかすかに切なげな色がその目に浮かんだ。

「……っ。そ、そんなこと……ねーよ」

「そうかい?」

 凪の問いに、杏子がやや暗い顔で足元に視線を落とした。

「あたしみてーなガキが言うことでもないかも知れないけどよ……人はさ、結局一人で生きるしかねえんだよ。誰かを助けたいと思ってとった行動が、結果としてそいつを破滅させちまうことだって……ある。だから、あたしは……誰かのためになんて動いたりしねーよ」

 そう言い切った杏子が自分の目を見据えてくるのを、凪もまた目をそらさずに受け止めた。凪は杏子のその考え方自体が、すでに「他人のためを思って」いることに気づいていたが、口にだしては、

「……。そっか……」

 と優しい声音で言っただけだった。

 それへ、惣一がぶっきらぼうにせかす声が投げかけられた。

「何をごちゃごちゃ話している。さっさと行くぞ。標的が逃げたらどうするつもりだ」

「うっせーな。今行くよ!」

 怒鳴り返して、杏子は喫茶店を出ていった。

 その背を、凪は、物思わしげに眺めていた。

(……杏子。やっぱり優しい奴だよ、お前は。杏子のためにも無事でいてくれよ……ルーミア)

 そして凪も決意の色を瞳にたたえると、二人の後を追って店を出た。

 三人の戦士の中で、ようやく時間が動き出していた。



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10 プリニー隊

 学生たちの行き交う中央商店街。

 その外れに、ペンギンが三羽いた。

 いや、よく見るとペンギンとは少し違う。ポーチを身につけ、背中にはコウモリのような羽が生えている。そもそもペンギンは、商店街ではなく、南極にいるものだ。

 彼らはプリニー。

 とある異世界において、罪人の魂が封じ込められた生物であり、生前の罪をつぐなうために魔界や天界で働く存在だった。

 その存在意義を証明するかのように、プリニーの一匹がこう言った。

「ふぅ……これで頼まれた買い物は全部ッスかね」

 もう一匹が買い物袋の中を確認しながら言った。

「そうッスね。サツマチップ、がじゃりこ、ジャンボフランク、オムおにぎり、カメコーラ、パンダグレープ、ほか色々ッス。それじゃ、アジトに戻るッスかね」

 三匹目のプリニーが提案した。

「みんな、せっかく町に出たんだから、ゲーセンでも行かないッスか? アジトへ戻っても、どうせ木原様やエトナ様にこき使われるだけの未来しか見えないッスよ」

「駄目ッスよ。パシリが遅くなったら、エトナ様にどんな目に遭わされるか知れたもんじゃないッス。それに木原様、どーもエトナ様以上に人使いが荒くて処罰が恐いオーラがプンプンッスしね」

「あー、あの『猟犬部隊』とかいう人間共、木原様をえらく恐がってたッスからねえ」

「どこの世界でも下っ端はつらいものッスねえ」

 三匹目がいうと、最初のプリニーがため息をついて、

「言っても仕方がないッスよ。さあ、早いところアジトへ――」

 言いかけたところで、

「待て! こらあっ!!」

 恐い顔をした杏子が、三匹の前に飛び出した。

「うわひゃあ!?」

「な、なんッスか~!?」

 突然現れた槍を持った少女に、三匹が狼狽していると、その隙に惣一と凪がさっさと包囲し、退路を塞いだ。

 何人か横を通った学生が物珍しげにその様子を見ていたが、特に惣一たちを手伝おうとしたり、あるいはプリニーたちを助けようとしたりするものはいなかった。

「なるほど、マスターDから聞いた通りだね。しゃべるペンギンが買い物してるよ」

「……こんな時でなければ関わりたくない馬鹿馬鹿しさだが、今の会話を聞く限り、こいつらが手がかりで間違いないようだな。貴様ら、ここで何をしていた?」

 惣一が眼鏡をぎろりと光らせて質問すると、プリニーの一匹が必死にかぶりを振った。

「ひいい~! し、知らないッスよ~!」

「ここでしゃべったらエトナ様に殺され……い、いや、とにかくオレらには手がかりなんかないッスよ!」

 三匹目も必死な顔でうんうんと頷いている。

「フン……どうやら痛い目に遭わないとわからないようだな?」

「ま、待てよ! その、あんまり乱暴はやめろよ」

 ボキボキと指を鳴らし始めた惣一に、杏子があわてて言った。

「お優しいことだな。だが、余裕のある状況ではない。こいつらの無事とルーミアの無事、どっちが大事だ?」

「そ、それは……っ」

 杏子が口ごもると、例によって凪が惣一をなだめた。

「まあ河内さん、中学生をいじめるなよな」

 そして、プリニーたちに向き直り、大人が幼稚園児に話をする時のようにしゃがみこんで言った。

「えっと、君らはボスの命令で買い物に来たんだよね」

「な……なんのことッスかね」

 一匹目が、冷や汗を流しながら口笛を吹いてみせたが、凪は構わず続けた。

「だってそうだろ? 君らみたいな目立つ奴らが、好き好んで危険な街中を歩くとも思えないしね。さっきの会話からするに、無茶な命令でパシらされてたんじゃないのかい?」

「え……え~と、それは……」

「そんな横暴な命令を出す奴だったら、どうせ部下なんて簡単に切り捨てるだろうからね……オレ達は君らを帰す気はない。だとすればそのエトナってボスは、君らが勝手に逃げたと思うだろうね。その時になってオレ達が君らを放り出したら、お前らはどうなる?」

「…………っっ!」

 凪の言葉に、二匹目のプリニーが顔面蒼白になった。

「ひいい~~~!! 殺されるッスよ~~~!!」

「に、逃げないと丸焼きにして食われちまうッス!」

 残る二匹が口々に喚くと、二匹目がぼそりと言った。

「……逃げるってどこへッスか? オレ達も木原様の案内でアジトまで来たッスよね」

「まごまごしてたら、あっさりエトナ様に見つかって、そんでもって……」

『…………』

 三匹は、顔を見合わせて絶句した。

 どう考えても、制裁される未来しか思い浮かばない。

「結論は出たかい?」

 そんな三匹の様子を見ながら、凪が言った。

「ちなみにオレ達に協力してくれれば、君らをかくまってあげてもいいよ。河内さん、手配できるよね?」

「ああ、それは簡単だ。騎士団でもかくまえるし、樹海の或真先生のつても使える。その気になってかくまえば、たとえ小者3人だろうと、手出しをするのは騎士団に喧嘩を売ることにほかならないからな」

 惣一の言葉に、一匹目のプリニーが目を輝かせた。

「た、助かるんスか、オレたち!?」

「ああ。オレ達に協力さえしてくれればね。君達だって、敵に捕まる危険を冒してお菓子なんか買いに行かせるようなボスに義理立てすることもないだろう?」

「ま、そりゃそうッスね」

 二匹目が頷くと、三匹目も同意した。

「エトナ様、ぶっちゃけオレらをティッシュ以下にしか思ってないッスし……」

「決まりだね。それじゃ、アジトの場所を教えてもらおうか」

 凪が快活に言った。

「…………」

「さっそく行くよ。ん? どうした、杏子」

 歩き出そうとした凪は、ふと杏子が黙って自分の方を見ているのに気付いて聞いた。

 杏子は少し口ごもりながら、

「いや……あんた、やり方がうまいなって思ってさ。あたしじゃ、あんな風にうまく丸め込んだりとか、難しいかなーって……」

「何、オレは少しばかり要領が良いだけさ」

 凪は苦笑した。

「必要に迫られれば杏子にもできるよ。ただ、それは今じゃないだけさ。案外わりとすぐに、杏子の力が必要となる時が来るんじゃないかな?」

「そう、かな……」

「よし、敵のアジトの場所は聞き出した」

 凪と杏子が話している間に、プリニーから情報を聞いていた惣一が言った。

「なんと三財閥の出資する警備会社『樽田セキュリティサービス』の事務所の一つだ。所員が丸々、敵と入れ替わっているそうだ。あの会社め……三財閥には忠実かと思ったら、とんだところに腐ったリンゴが混じっていたわけだな」

「見つからないわけだね。まさか島の警備を引き受ける会社の事務所が敵のアジトに変わってるなんて誰も思わないからな。樹海や廃ビルに潜んでるとこっちが思うことぐらい、敵も余裕で想定してたってわけか」

「島中の廃ビルを洗うことは、人数さえ出せば1週間とかからずにできるだろうしな。樽田がいくらで抱き込まれたかは知らんが、あそこも一枚岩ではないということだろう」

 そう言って惣一はあごをつまんで思案顔で言った。

「この事実はいいな。騎士団をあなどる樽田社長にねじこみ、こちらの権限を増大させる材料に使える」

 その言葉に、杏子が呆れた声を上げた。

「こんな時にまで政治の算段かよ! んっとに、汚い大人だなあんたは」

「河内さんは仲間のためを思っているんだよ。だからあまり責めてやらないことだね。ともあれ河内さん、その算段はルーミアを助けた後だってのはわかってるよな?」

「言わずもがなだ。……ペンギンどもは近くを巡回していた騎士団員に渡しておいた。俺の直筆のメモを渡したから、麻生は重要人物として保護する。あとは、間髪をおかずに樽田の事務所へ押し込むまでだ」

「待ってろよ、ルーミア!!」

 杏子が、拳を掌に打ちつけて気合いを入れた。



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11 突入

 SRC島市街地樽田セキュリティサービス第6事務所。

 中央商店街からやや離れた場所にある、地味な建物だ。一見したところなんの事務所かよくわからない、道端の石ころのようなビルであり、まただからこそ、木原たちが潜り込んで悪事をたくらむにはうってつけの場所だった。

 その悪の巣窟に、いま喚声と悲鳴、激しい物音が響き渡った。

「な、なんだ貴様!? ……ぐッ」

 驚いて誰何した兵士が、鳩尾を蹴られて意識を失い。

「し、侵入者だ! 早く連絡――あばばば!」

 あわてて携帯電話を取り出そうとした兵士が、電磁警棒の一撃を浴びて失神した。携帯電話も、電撃で完全に壊れた。

「一丁あがり、っと。正門の見張りはこれで全部かな」

 ドサリと人が倒れる音を効果音に、凪は長い黒髪をかきあげた。

 そして携帯電話を取り出し、

「もしもし、河内さん。こっちはいったけど、そっちはどうだい?」

『制圧した。兵員控え室に睡眠ガスを流し、全員無力化して縛り上げてある』

 電話口からは、惣一の返事が返った。荒事をこなしたばかりとは思えない、淡々とした声だった。

『番犬の陽動に向かった佐倉からも、全部片付けたという報告があった。これで1階の敵は始末したはずだ』

「杏子も大したもんだね。さすが、あの紫が手配した人材だけのことはある。立ち居振る舞いから戦い慣れしてることは見て取ったが、河内さんも使えることはわかってたのかい?」

『まあな。そうでなければ、こんな任務に中学生を使ったりはせん。無駄話はそこまでだ。2階への階段は一つしかない。全員で合流し、一気に制圧する!』

 惣一の声に歴戦の騎士らしい覇気がこもり、

「了解……!」

 凪もその両目を強く輝かせた。

 

 樽田事務所の一階ホール。

「二人とも!」

「無事か」

「フン、当然だ」

 三人の戦士は、それぞれ敵を倒して合流した。まだ前哨戦だ。三人とも息ひとつ乱していない。同時に、敵にもほとんどダメージと呼べるほどのものは与えていないだろう。肝心のルーミアにも、まだ辿り着いていない。

「前哨戦で損害は出さん。……二階へ行くぞ」

 惣一が言った。

「今のところ敵はまだ出ていない。俺が前面に出て、敵を迎える。俺のフェイティア『キャッスルガード』ならバズーカの直撃にも耐えられる。その陰から凪が撃て」

「了解」

「よし……行くぜ!」

 凪が冷静に短く、杏子が気合を入れて、それぞれ返事をした。三人は、一気に二階への階段をかけ上がった。事務所の二階は、人気がなかった。三人は、それを疑問に思わなかった。戦力を集中させて、待ち伏せているのだ。

「あそこか……?」

 杏子が、会議室かちょっとした講堂とおぼしき二枚の扉の前で身構えた。警備会社の社員たちの集会所として、支部長の訓示を与えたりする部屋なのだろう。

「俺の気配察知能力では、この大扉以外から敵を感じない。扉の奥は、山ほど気配がある。十五、六人は下るまい」

「こっからが本番ってとこか。ルーミアを人質にとられたらどうする?」

「手の打ちようはある。注意は俺と佐倉が引くから、霧間がなんとか打開しろ」

「気安く言ってくれるね……まあ、弱音を吐く気はないけどさ。さてと、地獄の一丁目に行ってみますか……」

 凪がそこまで言いかけた途端、

『元気かなーん、お客様方。ぎゃははははッ!!』

「――――!!」

 扉の隙間から、嘲笑と哄笑が響き渡った。

 惣一たちの到来は、予測されていたのだ。

 三人は顔を見合わせ、そして――突入することを決めた。

 杏子が走り寄って扉をガラリと開け、三人がそれぞれ壁に身を寄せる。内部からの不意打ちがないことを確認して、一斉に駆け込んだ。

 広い室内に待ち受けていたのは、十五、六人の人影だった。木原の部下の猟犬部隊とおぼしき兵士が五人。ファンタジー・ゲームに出てくるような戦士姿と魔法使い姿がそれぞれ三人ずつ。それに翼ある蛇の魔物・キメラ、生きて動く鎧の魔物・さまよう鎧。その中心にザボエラとエトナを従えて、木原が立っていた。



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12 囚われし宵闇

「よォーこそ、命知らずのコンクリ詰め志願者共! 俺を退屈させないために来てくれて有難う!」

 大仰な動作で両手を広げて、木原が朗らかに笑いながら言った。

「あんまりコトが順調に運びすぎて、刺激がなくて困ってたんだわ。お前らみたいな正義面したバカ共が来てくれて助かるぜ」

 敵の部隊は油断なく身構えてはいるものの、すぐに攻撃してくる気配はない。しばらく相手が会話を楽しむ気だと知った惣一は、舌戦に応じるべく口を開いた。

「貴様がボスか。フン、自信満々だな。名前ぐらいは名乗ったらどうだ? 三秒ぐらいは覚えていてやるぞ」

「あァ、そうだなあ。どうせこれから地獄に行く奴に内緒にしておく意味もねえよなあ。俺は木原数多。どこの誰かは……知ってる奴は、いるかな?」

 その名乗りに凪が、

「木原だと……? もしや、学園都市の科学者『木原一族』か!」

「木原一族……? 何だそれは」

 惣一が眉をひそめた。

「オレも詳しい情報は知らない……ただ、学園都市の闇に深く関わる科学者の一族だ。聞いた話では、一族のほとんどが脳のネジのぶっ飛んだ狂科学者で、イカれた実験を繰り返すという……」

「……ッ!」

 凪が慎重に言うと、その言葉の内容に杏子が顔をひきつらせた。

 一方、木原は誇らしげに笑った。

「ヒャッハッハッハッ!! 悪くはねェな、外部からの情報収集で木原の名を知ってるだけでも充分及第点だよ! 『炎の魔女』霧間凪だっけか? てめえのような厄介なのが混ざってるとあれば、もっと慎重にやるべきだったかもなぁ。失敗、失敗……何やってんだかなぁ、俺ぁ!」

 一人で納得し、一人でバンバンと額を叩いてみせる。その大げさで派手な動作は、三人を警戒させるに十分だった。

 だが、そんなことに構わず、空気を読まない言葉を投げた者がいる。

 エトナだ。

「えらくアップダウン激しいじゃないの。木原の旦那。こんな奴ら、とっとと排除しちゃえば……」

 言いかけた途端、

「あだっ!?」

 いきなり額に、硬いボールペンがぶつかった。

 木原が正確にエトナの額を狙って投げつけたのだ。

「いったいわね。何すんのよ、バカ木原!」

 悪魔の少女は怒って喚こうとするが、不意にその言葉が途切れた。

 急速にテンションをトーンダウンさせた木原の、底冷えのするような視線を浴びたのだ。

「うるせぇな。黙りやがれ。てめえが余計なことしてくれたせいで、こいつらが今ここにいるんだろうがよ。厳重注意じゃ済まねえぞ、あ? ここできっちり働いてくれねえと、そのお体でツケ払ってもらうことになるぜ」

 先ほどのハイテンションとはうって変わって、陰にこもった不気味な威圧感のあるつぶやき方だった。ただ先ほどとも共通しているのは――何をしだすかわからないという危うさだった。

 この男は、談笑しながら平気で相手を射殺できるタイプだ。そのことを、惣一たち三人は、実感として理解していた。

 木原は、エトナをにらみつけて口を開いた。

「確認すっぞ……わかってんのか!?」

 ドスのきいた恐喝。

 普通の市民なら聞いただけで腰を抜かしてへたり込みそうな一喝に、さすがのエトナも気を呑まれたように、冷や汗を拭いながら言い返した。

「……! わ、わかってるわよ……! こいつらぶち殺せばいいんでしょ、要するに!今すぐ始末してブタのエサにしてやるわよ!」

 大声で叫ぶのは、同盟相手に威圧された悔しさを紛らわすためか。あるいは心中によぎった恐怖の感情を認めたくないがゆえか。いずれにせよ木原数多という超能力者でも改造人間でもない普通の人間は、強力な魔力と肉体を持った悪魔をビビらせたのだ。

「ヒヒヒ、そういうことならワシも乗らせてもらおうかの」

 一方でザボエラは、脅かされているのが自分でないから平然たるものだ。卑しいニヤニヤ笑いを浮かべながら、獲物を狙う獣の目で三人を見やった。

「ちょうど次の魔導生物の実験体が欲しかったところじゃからのう、ウヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャ!」

「くそッ……この外道ども!」

 杏子が歯噛みして叫ぶと、惣一が淡々と言った。

「ガキをさらうような連中が外道なのは知れきったことだ。貴様ら、ルーミアをどうした? あまり俺達を失望させるような返事を返すと、貴様らの首で補償することになりかねんぞ」

 その言葉に、木原が歓喜の叫びを上げた。

「カッコイーッ! その人の命を屁とも思わねえ物言い、惚れちゃいそうだぜチクショー!」

 そして、なだめるように手を振ってみせると、

「心配すんなや、落ち着け! 今すぐ囚われのお姫様と会わせるからよぉ! ……出しなっ!」

 木原はザボエラに指示を出した。

 心得たザボエラが手元のスイッチを押すと、部屋の中央にしつらえられていた大きなカプセルが開き、中から一人の少女が現れた。

 探し求めていた、黒いドレスに金髪の妖怪の少女が。

「あいつがルーミアか!」

 目指す目的を発見した興奮に、杏子が声を高めた。

「紫の写真の通りの黒いドレスに金髪だな。けど……何かがおかしいな」

 凪は眉をひそめ、

「おい、ルーミア! オレ達の声がわかるか?」

 と呼びかけた。

 しかし、

「…………」

 金髪の妖怪少女は、何も答えない。

 本来なら朗らかで活きのよいであろう少女の顔は無表情で、その瞳は虚ろで光がなかった。凪の声にも、ピクリとも反応を返さない。

「ど、どうしたんだよ……ルーミア! おい、ルーミアってば!」

 杏子も狼狽し、泣きそうな声を張り上げた。

 五体は無事だ。目につく外傷もない。それでも、その精神が無事には――どう見ても見えなかった。

 信じたくないものを必死で押し殺すかのように、呼びかけを続ける杏子に、

「ハッハッハ……ハッハッハッハッハッハッハ!!」

 と木原は、腹の底から愉しそうな哄笑を浴びせた。

「おいおい、このガキが俺のもとへ来て何日経ったと思ってるんだよ? その間、何の処置もしないでおいたとでも思うか?

 残ァーん念でしたァ! このガキの脳味噌にはたっぷりウイルスをぶち込んで、俺の忠実な操り人形に変えておいたのさ! 俺の手のリモコンで自在に動く、哀れな戦う人形ってわけさ。ざまー見やがれ!」

 木原の残酷な言葉と哄笑に、杏子が激怒した。

「な、てめえ、なんてことをぉ!!」

 それへエトナが鬱陶しげに眉をしかめた。

「うっさいわねー、熱血すんじゃないわよ。五体満足で対面できただけ、マシじゃん」

 ザボエラも満足げに笑いながら続けた。

「木原殿はさすがに考えに抜け目がないわい。これなら、人質に刃を向ける手間も省ける。なぜって、この娘の救出が目的で来た貴様らは、この娘が襲って来ても殺すわけにはいかないからのォ、くひゃひゃひゃひゃ!」

 その言葉に、今度は惣一が、底冷えのする視線を向けた。

「吹いてくれるな……俺達が先に、貴様らを皆殺しにできないとでも?」

「ああ心配すんなや、そう言うと思ってスペシャルな趣向を用意しておいたんだ」

 と木原は、惣一の殺気を十分予期していたように冷静に笑って言った。

「俺の発明を楽しみな。NB(ナイトバード)テリトリー、展開!」

 そして木原が卓上のスイッチを押すと――ルーミアの体から、暗闇が広がった。

「ッ!?」

「これは……」

 明かりのついた室内を、突如として闇が覆う。

 周囲を警戒する惣一と凪に、木原が得意げに言葉を投げた。

「驚いたか? これこそ、このガキの『闇を操る程度の能力』を抽出して作ったNBテリトリー。この空間の中にいる限り、闇に阻まれててめえらの攻撃は俺達に当たらねえのさ。ぎゃははははははは!」

「な、なんだと!?」

「いやー、このガキの潜在能力はなかなか大したもんよ? 木原さんが目をつけるだけのことはあるわ」

 エトナが楽しそうに言った。

「わずか三日でこんな装置を組み上げちゃう木原さんも大したもんだけどね。ホント、敵に回したくない人だわ」

「ワシらはおろか兵隊共にも攻撃は当たらない。唯一当たるのは救出対象のルーミアだけ。この状況を一体どうやって打破するつもりじゃ!? ヒヒヒ、ハハハハ、ヒャーッハハハハハ!!」

「くっそぉ……! なんてことをしやがる!」

「木原……! 貴様、ルーミアをどうするつもりだ!」

 怒り顔の杏子に続いて、凪も険しい顔で木原を見た。

「元が未成熟な妖怪の潜在能力だ。こんな無茶な力の引き出し方をして、無事に済むわけがない!」

「そうだなあ。死ぬかも知れないわなァ。で、それがどーかしたってぇのかい?」

 木原は鼻をほじりながら言った。

「ッ……!」

「たとえばお前ら、歯磨き粉のチューブが残り少なくなってきた時どうするよ? 歯ブラシで中身をしごき出し、場合によってはチューブをハサミで真っ二つにして、最後の最後までしぼり取るだろ!? 資源ってのは有効に使うモンだ。それがエコってもんだろ、うぎゃははははははは! 僕らのために命を差し出してくれてありがとうルーミアちゃん、あなたのことは二秒ぐらいは忘れませんってなぁ。ぎゃはははは!」

「ッ、野郎ォ――――!!」

 木原の哄笑に杏子が逆上して、赤い槍を手に突進しようとするが、それへ惣一が冷ややかな声をかけた。

「落ち着け、ガキめが。あんな外道の挑発に乗るな」

「だ、だってよッ!」

「腐ってもあのガキは妖怪だ。薬物に対する抵抗力も、人間とは違う。何とかして弱らせて、説得してみろ。無駄かもしれんが、やれることはそのぐらいしかない。熱血したり友情の炎を燃やしたりするのは、貴様の方が得意だろう。やってみろ、佐倉」

「……っ!」

 惣一の言葉に杏子から逆上が消え、かわって決意と不安の間で揺れる表情が現れた。

 そんな杏子に、凪が力強く言った。

「大丈夫だ。お前ならできる。道はオレたちがつけてやる。必ずルーミアを取り戻せ!」

「……、わかった。そうでなきゃ、あたしも来た意味がねえもんな」

 そして杏子は、キッと無表情なルーミアを見据えた。

「待ってろよ、ルーミア。お前は必ずあたしが助けてやるからな!」



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13 杏子の闘い

 杏子の言葉に応じるように、ルーミアが空中へ飛び上がった。

 そして、うつろな目のまま、手をかざし、光の弾を放った。

 杏子と凪はその場を飛びすさり、惣一は掌大の盾の玩具のようなものを目の前にかざした。すると、小さい盾はたちまち惣一の全身を覆うほどの大盾となった。惣一のフェイティア「キャッスルガード」。SRC学園の能力者が能力によって生み出した神秘の道具「フェイティア」。惣一は、自分の意志で自在に大きさを変えられる大盾のフェイティアの持ち主だった。堅牢な盾は、たちまちルーミアの弾幕を弾いた。

「荒っぽくいくが、恨むなよ!」

 凪が小型の拳銃を抜き放ち、ルーミアに向けて数発撃った。狙いあやまたず、肩口や手足に命中する。しかし、魔力で強化されているのか、その体はさほどの傷はつかなかった。

「いくぞっ!」

 杏子は槍を手にルーミアに突進した。が、すぐに身を翻して飛び退かねばならなかった。兵士たちの銃撃と、魔法使いの放った炎弾が、杏子を襲ったのだ。

「邪魔すんじゃねえ、てめえら!」

 怒声を放つ杏子を、木原がニヤニヤと見つめた。彼ら三人は、高みの見物だ。部下の兵隊たちに戦わせて、自分は悠然と観察していた。

 木原たちだけではない。兵隊たちも、すぐには近寄ってこない。銃を構え、魔法を唱える用意をしながら、しかし積極的に襲ってはこない。彼らの意図は明白だ。

 ルーミアを前に出して、三人と戦わせようとしているのだ。

「この外道共が……!」

 それに気付いた杏子が歯ぎしりをする。虚ろな表情のルーミアが宙を舞い、その手から光の弾幕を打ち出す。凪と杏子は弾の隙間を掻い潜って避けた。惣一は――避けない。懐から小型の盾の玩具のようなものを取り出して掲げた。すると、盾はたちまち、惣一の背丈ほどもある大盾へと姿を変えた。

 これが惣一のフェイティア、キャッスルガードだ。フェイティアとは、能力者が生み出す超常の道具だ。その形状も、剣や槍から指輪や本に至るまで多種多様だ。守りの戦に長けた惣一が大盾のフェイティアを発現したのも、また必然といえるのかもしれなかった。

 大盾は雨を防ぐ傘のごとく、ルーミアの弾幕をことごとく防いだ。

「杏子!」

 凪が叫ぶと、応、と言って杏子が飛び出した。そして弾幕を撃ち尽くしたルーミアに肉薄し、

「しっかりしろっ!」

 と叫んで槍を一閃させ、ルーミアに斬りつけた。いい一撃だった。たとえ魔力の強化がなくても、命を奪うには至らない。それでいて、気迫は十分にこもった、杏子らしい一撃だ。

 熟練の魔法少女の斬撃を受けて、ルーミアが空中でよろめく。その隙を逃さず、惣一が神速で弓矢を組み立て、ルーミアに放つ。一発、二発と矢が突き立った。ルーミアは苦痛の悲鳴ひとつ上げないまま無造作に矢を引き抜くが、その傷跡からは血が流れ落ちていた。

 何人かの兵士が、銃を撃って牽制しようとした。しかし、牽制は凪が先だった。凪の手早い銃撃に、兵士たちはたたらを踏んだ。この人数差なら、一斉にかかれば、もう少し違った結果になっていたかも知れない。それでも木原の命令がない以上、それは無理な相談だった。

「…………」

 魔力である程度強化されているとはいえ、もとがさほど頑強な身体や、強大な魔力を持った妖怪というわけではない。三人の攻撃をその身に受けたルーミアは、たちまちふらふらしだして、宙を飛ぶ高度もぐっと落ちてきた。

「ルーミアの動きが鈍くなってきたな。今のうちだ、佐倉!」

「――、よしッ!」

 惣一の言葉に、杏子が再びルーミアに突進した。ただし、今度はルーミアを斬るためではなく、ルーミアを説得するためだ。同時に惣一と凪も突進し、ルーミアと杏子を左右からかばった。木原はまだ動かない。芝居見物でもするような悠然たる態度で、ニヤニヤ見ているばかりだ。実際、彼にとって三人の生死などどうでもよく、この「実験」でどんな結果が出るのかにしか興味はないのだろう。

「ルーミア! お前、目を覚ませよっ!」

「…………」

 杏子がルーミアの虚ろな瞳を正面から見て叫ぶ。

 ルーミアは、答えない。

 杏子は構わず、さらに大声を張り上げた。

「紫が……! 故郷のみんなが待ってるんだぞ! こんなところで悪い奴のいいなりになって、嫌じゃねえのかよ! そんな薬の束縛なんか、妖怪なら気合で跳ね除けて見せろよ!」

「ギャッハッハ! このガキ、面白いこといってやがるぜ」

 だしぬけに、木原が哄笑を上げた。

「ただの薬物じゃねえ。モンスター用の特製の麻薬だよ。説得しようったって言葉なんぞ通じねえ。録画して送れば、お笑いコンクール入賞決定の爆笑モンの光景だよなぁ、ブヒャヒャヒャヒャヒャ!」

「ふざけんじゃねえ! ルーミアは、こいつは道具じゃねえんだ! たとえ無駄と分かっていても……! 仮にもう死んでるとしても、だからって諦めきれるかよっ! あたしらは、こいつを……幻想郷に帰してやるために、ここまで捜査を続けてきたんだよ!」

「フヒャヒャ、ワシもこんな光景を見たことがあるぞ」

 ザボエラがニヤニヤしながら口を挟んだ。

「いつだったか魔王軍が村を攻撃し、大勢の村人を殺した時じゃったがの、一人の子供が母親の死体にすがって喚いていたんじゃ。母さん、起きて、早く逃げよう、じゃとよ! その母親は顔は無事だが心臓は吹っ飛ばされて、どう見ても死んでおるのに! 人間ちゅうもんは、本当に現実を受け入れられないで足掻くようなみじめな生き物なんじゃのお、グヒャヒャヒャヒャヒャ!」

 その残酷な言葉に杏子は激高した表情を向けるが、惣一はザボエラに目ひとつくれずに言った。

「ほざいてろ。本当に、説得が無意味と言い切れるのか?」

「あァ……?」

 木原が不快げに眉をしかめた。

「妖怪の精神は人間とは違う。貴様らの生体工学は人間のものであって、妖怪の研究ではない。そして何故、ルーミアを殺して完全に道具にしてしまわん? そうできない理由があるのだろう? 小物とはいえ幻想郷の住人を『殺害』すればあの八雲紫の逆鱗に触れ、全面戦争になる。そうだろう……?」

「……!」

 杏子が目を見張って惣一を振り向き、木原はさらに苛立たしげな顔をした。

「チッ……てめえ、ずいぶんこしゃくな口きくじゃねえか。その舌引っこ抜いて、舌きりスズメみてーにしてもらうのがお好みか?」

「言ってろ。俺の言葉を否定も嘲笑もせんならそれで充分だ」

 木原のぞっとするような視線と声も、惣一にはなんらの感慨も衝撃も与えることはなかった。

「しょせん貴様は学園都市の使い走りなんだよ。それより佐倉、早くそのガキを叩き起こせ。この間抜け共の相手は俺がしてやる。貴様は、貴様にできることをしろ」

 殺せ、と木原が兵士に合図を送る。数人の兵士がタイミングを合わせて惣一に発砲したが、やはりキャッスルガードの守りを抜くことはできない。かえって、兵士の一人が凪の銃撃を受け、わめき声を上げてのけぞった。NBテリトリーによって傷はつかないが、闇の中的確に撃ってきた凪の一撃は、兵士に衝撃を与えた。

「ああ……ありがとうよ、河内さん……!」

 そして杏子は、救助すべき少女を振り返る。

「ルーミア! ルーミア! お願いだ、起きてくれ!」

 そのか細い肩を掴んで、激しく揺さぶる。

「あたしはお前のことを何も知らねえ。そんなあたしの声なんか聞けねえかも知れねえ……! でも、お願いだ! あたし、お前と友達になりたいんだ……! お前のこと、もっと知りたいんだよ! 汚い世界と隔離された幻想郷で、平和に暮らしてきた日々をさ……取り戻そうぜ、ルーミア! 罪もないお前を道具扱いするような悪党共に好きにされて、悔しくねーのかよ、お前っ!」

「ギャハハハハハハハ! こいつはウケるぜ、罪もないと来なすったか!」

 再び、木原の嘲笑が飛んだ。

「何がおかしい、てめえっ!」

「幻想郷の妖怪の多くは人肉食だ。そのガキも、怯えて逃げる人間を捕らえ、泣き叫ぶそいつを殺して食ってるんだよ!」

「――――ッ!?」

 木原の言葉に、杏子が愕然とした。

「ば、馬鹿なこと言うな……!そんなこと、あるわけ……!」

「何も知らないガキが、自分の見たい夢だけ見てんじゃねえよ! 平和な理想郷だって!? そんなもんねェんだよ! 幻想郷はよぉ、力のある奴がすべてを支配し、偽りの平和を楽しむディストピアだ。そのガキも、その汚れた世界の一部に過ぎねえ。そんなダニ野郎を俺が道具扱いして何が悪いんだ、あァ!? 大体てめーも、泣き叫ぶ牛や豚を誰かが殺したお肉を食って生きてるじゃねえか! 俺がそいつを道具にするのは、何ひとつ間違ってねえ! てめえらの掲げる薄甘い理想論こそ、最初から破綻しまくりなんだよ!」

「……。うう……あああ……ッ!」

 木原の言葉は、毒を塗られたナイフとなって杏子の心をえぐった。

 杏子は茫然と立ち尽くし、その足ががくがくと震え出した。吐き気をこらえるかのように、うめき声が口から漏れる。

 だが、

「冷静になれ、杏子! その悪魔の戯言に惑わされるな!」

 凪の毅然とした叫びが、冷水のように杏子に浴びせかけられた。

「あァ!? 何がどう戯言だ!?」

 木原が嘲笑とともに叫ぶ。

「俺の言うことはすべて正論。反論の余地もねえ、筋の通った議論じゃねーかよ!?」

「確かにお前の言う通りさ。この世はしょせん弱肉強食、他人の命を奪わないと生きていけない世界だ」

 そう言って、凪は木原をキッとにらんだ。

「けど、だからといって、悪者に捕まった気の毒な女の子を助けていけない理由にはならないんだよ!」

「ほざきやがれ! 正義面しかできねえガキが!」

「ルーミアは妖怪だから人を食うかも知れない。でもな、幻想郷では人と妖怪が共存してるという情報もある。人を食い物にしてるのは木原、てめーだ。正論を言ってるようで、てめえの価値観を押し付けてるだけなんだよ。弱肉強食だけが世界の原理なら……ガンジーもマザー・テレサも、偉人として讃えられたりなんかしなかった!」

「……っ!」

「てめェ……」

 杏子の顔に生気が戻ってきたのを見た木原は、顔をしかめる。

 先ほどの惣一の時よりさらに苦い顔で、凪を見つめた。

 可能ならば、今すぐ攻撃命令を下し、三人とも細切れ肉にしてしまいたかった。だが、命令を下しても、この手練れの三人が始末できるとは限らない。破壊や殺戮にためらいを持つ木原ではなかったが、進行中の実験を無下にする気にはなれなかった。動作不良を起こしたパソコンを、ただ電源を引っこ抜けば解決するとは限らないようなものだ。

 それをいいことに、凪は声を励まして言った。

「現実を知ったような顔でしたり顔してるのはてめえだよ、木原。お前もしょせん、一面的にしかものを見てないんだ。ルーミアが人食いの怪物だろうと! 今のそいつは、悪人に利用された気の毒な女の子で、オレたちはそれを助けに来たんだ! この構図に迷うべき余地なんかない。杏子、お前の信じる道を突き進め! お前は間違ってなんかいない。お前が本当にやりたいことを、今やって見せろ!」

 凪の両目に、炎がきらめいた。

 「炎の魔女」の二つ名通りの、誇り高い激情で美しく頬を染め、荒々しく息を弾ませる凪の表情は、木原の悪意に絡め捕られかけた杏子に、カンフル剤のような効果をもたらした。

「――――、よしッ……!」

 杏子が掌と拳を打ち合わせるのを見て、

「……クソが。このガキ、先に殺しとくべきだったぜ」

 木原は己の段取りの悪さを悔やんだ。

 敵は、この革つなぎの少女だった。この冷静と情熱を併せ持った、冷たい論理を制御しつつなお熱い心を微塵も失わない少女をこそ、なんとしてでも排除しておくべきだったのだ。

「なんとも熱い演説だな……俺にはできん。やはり助手を雇って正解だったな」

 惣一も、別の観点から凪に賞賛を小さく送った。

 杏子は、もはやそちらを見ていない。彼女はただ、見るべきものだけを見ていた。

「ルーミア! 聞いただろ、凪の言葉を!お前にだって、生きる権利はあるんだよ! たとえお前が人食いの怪物だろうと! お前に悪気なんかない! 精一杯生きてる子供なんだよ! それを薄汚れた機械を使って操り人形にするような悪党の言いなりになっていい理由なんか! どこにも! ありゃしねえんだよ! お前に根性があるなら、今すぐに――」

 言いつのりかけて。

「――ぐッ!?」

 杏子は、呻き声とともによろめいた。

 間近から撃たれた、光弾の一撃に胸を撃たれて。

 撃ったのは。

「ルーミア!!」

 凪が緊迫した声を上げる。

「…………」

 ルーミアは、虚ろな顔のまま、右手を掲げて立っていた。

 必死で自分を救おうと呼びかける相手を撃ったということすら知らず、妖怪の少女は、ただ操り人形のように、ぼうっとその場に立ち尽くしていた。

「やーれやれ……名演説だけど、そろそろ勘弁して欲しいねぇ。鳥肌がヤベーんだわ」

 木原が、殺意の滲んだ笑顔で、右手のリモコンを掲げてみせた。

「言っただろ、そいつは俺が操作してるって? 至近距離で無防備にべらべら喋ってる奴を撃つなんざ、あっという間のことなのさ。くだらねえ戯言で俺をイラつかせた罰だ。このままとっととくたばっちまいな!」

 木原が一斉攻撃を開始しないのは、実験の失敗を恐れたためだけではなかった。

 より効果的な、より残忍で相手の心をえぐるやり方を、密かに模索していたからだった。

 彼は決して、冷徹に効率を追求するだけの男ではない。より効果的に相手をなぶれる、より自分が甘い愉悦を啜れるやり方を探すためなら、多少の犠牲や失態は顧みないタイプの男だったのだ。

 そして今、木原はそのやり方に辿り着いた。救われるべき少女の手で、救いにきた少女を刺させる、無惨なやり方に。

 木原はほくそ笑みながら、リモコンのスイッチを立て続けに押した。

 光弾が乱れ飛ぶ。

 杏子の肩に、腕に、太腿に、熱と衝撃の塊が次々と炸裂する。

 いかに強靭な耐久力と再生力を持つ魔法少女でも、何度も直撃を受けて、無事ではいられない。

「ぐああああああっ!!」

「杏子ぉ!!」

 苦痛の絶叫を上げる杏子に、凪が思わず、敵の部隊との均衡を崩して駆け寄ろうとするが、それを惣一が冷静に制した。

「落ち着け、霧間。……佐倉、貴様はそれで終わりか?」

 惣一は杏子に、先ほど杏子が無傷だった時と、まったく変わらない視線を向けた。

 たとえ、やられているのが年端もゆかぬ少女だろうと。

 たとえ、救うべき少女によって救いにきた少女が撃たれる惨状だろうと。

 まだ杏子は死からはほど遠い。そればかりか、手足も無事に繋がっている。身体に穴ひとつ開いてはいない。多少、打撲傷の派手なものが出来た程度だ。それも、後に残る傷などありはしない。惣一は知らないが、そもそも魔法少女に跡は残らない。

 ゆえに惣一に動揺は無い。ただ淡々と杏子に――この場の最前線で戦う戦友に、落ち着き払って助言を送った。

「ルーミアは弾幕使い。至近距離では大技は撃てん。離れたらそのままやられるぞ。俺が貴様なら、穴の二つや三つ開けられようと、そのぐらいで諦めたりはせんぞ」

「ふざけんじゃねえ。あたしだって魔法少女だ……地獄ぐらい見てきてんだよ」

 杏子は、惣一を振り向いて笑った。

 十四歳の少女が浮かべるには、あまりに凄惨で――そして、あまりに力強い、修羅場をくぐった戦士の笑いだ。

「かつてあたしは父親を殺した……あたしが死に追いやってしまったんだ。それから、魔法少女として地獄を這う日々だ。奇跡も希望もなく、ただ化け物を狩るだけの日々……! そんなあたしにも、守りたいものが出来た! ルーミア、お前にだっているだろうが。大事な奴の一人ぐらいはよ! そいつの元へ戻れよ、ルーミア!」

「…………」

 澄ました顔で木原がスイッチを押す。

 また一発、光弾が炸裂する。

 今度は、杏子の顔面にだ。

「がぅ――――っ!」

「あんたねぇ、そのままじゃマジで死ぬわよ! そんなガキなんか放っといて逃げればいいのに、バカじゃないの!?」

 ふらつき、苦痛にのたうち回るのを全身の忍耐力でこらえる杏子に、エトナが呆れた叫びを上げた。

 顔面にデッドボールを受けたようなものだ。普通の人間なら、顔がトマトのように潰れていただろう。魔法少女という超人とはいっても、鼻を、目を、魔力の弾に直撃された苦痛は、並大抵ではないだろう。

「……っるせぇ、てめえにゃ……わかん、ねえよ」

 汗と血を、ぼたぼた垂らしながら。

 それでも杏子は、歯を食いしばって、崩れ落ちるのをこらえて立っていた。

 そして、燃えるような視線をルーミアに向ける。

 したたる血のような言葉を、ルーミアに投げかける。

「ルーミア……お前だって、辛いだろうがよ……悪党にいいように利用されて、散々痛い思いして、お前、それで……いいの……かよ」

「…………」

 ルーミアは、応えない。

 まるで人形が話しかけられたかのように、無表情な顔で見返すばかりだ。

 ザボエラが嘲笑を放った。

「ヒヒヒ、無駄なことじゃい。そいつは完全に洗脳されておる。学園都市の『学習装置(テスタメント)』は脳を直接操作するからのう。呼びかけたぐらいで解ければ苦労はせんわい!」

 木原も、鼠をなぶる猫のような笑みを浮かべた。

「いやぁ、ビデオカメラ持ってくるんだったぜ。無駄とわかってる説得を必死でする姿、しかも当の相手に撃たれながらだ! 酒のさかなに最適だぜ。いいや、マスかきのオカズにぴったりかもなぁ、ぎゃははははははは!」

「……好きにあざ笑えよ。たとえ世界中から笑われようとも、やり遂げるべきことがあるもんだ。杏子は……お前らが思うより、ずっと強いんだ」

 凪は言った。その声は小さかったが――そこに篭もる感情は、何者にも負けないほどに強かった。

 その声に背を押されたように、杏子がルーミアに穏やかに言った。

「ルーミア……あたしは、お前に会うのも初めてだ。お前がどんな遊びが好きかも知らねえ。だから、あたしに教えてくれよ……お前が何が好きなのか、さ」

 そして、杏子は。

 武器を置いて、少女を抱き締めた。

「…………!?」

 ルーミアが、びくっ、と震えた。

 それまで何をしようと――銃で撃たれ、槍で斬られても眉ひとつ動かさなかったルーミアが、まるで蜂に刺されたように、激しく反応した。

 その様子を見て、エトナが驚きの声を上げた。

「あ、あいつ!」

「あったけぇな……妖怪ってのも、ちゃんと暖かいんじゃねえかよ。なぁ、感じるか? あたしの体温……」

 杏子は。

 母が子を、夫が妻を、親鳥が子鳥を慈しむように。優しく妖怪の少女を抱きしめ、そっと頬に頬を寄せた。

 そして、熱い言葉を耳に囁く。

「恐くない……恐くないよ。あたしがこうやって、そばにいるから……!」

「…………」

 ルーミアは応えない。

 応えない――が、しかし。

「撃て、ルーミア! そいつの脳天を撃ち抜け!」

 木原がこれまでにない焦りを見せて、リモコンのボタンを連打する――が、しかしルーミアは動かない。

 彼はルーミアが自分の脳を焼き切るほどの魔力の出力を指示した。それでもって、杏子もろともルーミアを死に追いやろうとした。しかしルーミアは、応えない。

 木原は忌々しげに、地団太を踏んだ。

「あァ……? どうなってやがる? そいつの脳天には制御プログラムがびっしり詰まってるってのに! 俺の制御装置の支配を逃れるなんて、有り得ねえ!くそ、どうなってやがる!」

「科学者なんてのは脆いものだな。理論に合わない事態になると、すぐに取り乱す」

 まるで嫌いなテニスの選手がミスをしたのを見た時の観客のように、冷淡な言葉を惣一は吐き出した。

 そして、次の瞬間。

「――霧間っ! チャンスだ、そのまま眠らせろ!」

「応っ!!」

 凪が疾駆する。

 たちまち銃弾が、炎弾が、氷弾が降り注ぐ。当たれば、普通の人間である凪の命はないだろう。

 だが、惣一が即座に割り込み、キャッスルガードを構えた。「虎牢卿」の二つ名を取らしめた堅牢極まりないフェイティアは、ただの一発の弾たりとも、惣一と、そして凪の身に届かせはしなかった。

 そして――凪は、ルーミアに届いた。

 杏子に抱きすくめられ、凍りついたように身動きをしないルーミアの、その首筋に凪が注射針を突き立てる。たちまち、ルーミアはかくんと首を垂れ、ぐったりと杏子に身を預けた。

「よし! 麻酔注射が効いたぞ!」

 凪が喜びの声を上げた。

「これでルーミアの身体は昏睡状態だ。つまり――」

 言い終えるより早く、広い室内に光が戻った。

 兵士たちの何人かが、まぶしさに慣れず、必死で目をこすった。

「うっ!? こ、これは!?」

 あたふたと周囲を見回すザボエラに、惣一が冷ややかに鼻を鳴らした。

「つまり、敵を守っていた闇の結界も解除されるというわけか。好き放題言ってくれた返礼をようやく返せるな?木原数多」

「チィ……ッ」

 そのわずかな隙をも、霧間凪は無駄にしなかった。

 彼女は、近くの机の陰から駆け戻り、

「ルーミアは物陰に寝かせておいた。これで、敵は手出しはできないはずだ。あとは、木原たちを打ち倒すだけだ!」

「よおし、こうなりゃ元気百倍だぜ!」

 杏子が勇躍して叫び、そして闘志に満ちた視線を木原たちに向けた。

「おいてめえら、ルーミアにひでえことしやがった報い、たっぷりとくれてやるから覚悟しな!」



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14 三対三

「ち……ちくしょーっ! どうすんのよ木原!」

「うろたえるんじゃねえ。やることは別に変わっちゃいねえ」

 狼狽するエトナの方を見もせず、木原はその顔を笑みの形に凄惨に歪めた。

「そのガキを取り返したのは褒めてやるが、その程度で俺の科学闘法を破れるとでも思うか! てめえらは手足を切り落として、爆笑必至の死体(オブジェ)に変えてやるから有難く思いな!」

「オレは死なないよ。これでも、待ってる家族もいるんでね」

 凪は飄々と言い、銃を構える。

「大口を叩く奴は早死にすると決まってるんだよ……老いぼれ!!」

 惣一もギラと眼鏡を光らせ、攻撃的な言葉を木原に投げかけた。

 その言葉が、開戦の合図となった。

 キメラとさまよう鎧が前衛となって突っ込んできた。後方から戦士が続いた。魔法使いと猟犬部隊は、魔法で、銃で三人を狙う。さらに、ザボエラ、エトナ、そして木原が三人の隙をうかがっている。

 三人の戦士の戦法は、果断なものだった。

 惣一は組み立てたハルバードを。凪は懐から引き抜いた特殊警棒を。杏子は赤い槍を手にして、戦国武将の合戦のように正面から、敵の前衛に突進したのだ。

 一見、無謀ともとれる戦法。しかし、わずか三人の軍隊の、逃げ場所も隠れ場所も少ない室内においてそれは、合理的なものだった。猟犬部隊、魔法使いが、射撃をためらった。なぜなら、たちまちのうちにもつれあった両軍は、不用意に銃や魔法を撃てば、たちまちフレンドリーファイアの結果になるからだ。

 そして敵軍の真ん中に飛び込んだ三人は、ここを先途と暴れまくった。

 惣一のハルバードが、宙を舞うキメラを叩き落とす。大盾が、戦士を叩き伏せる。凪の特殊警棒が、さまよう鎧に高圧電流を流す。その隙間を縫って、杏子の槍が、まるで舞踊のように旋回していった。木原の兵隊たちは、人と怪物とを問わず、次々にバタバタと倒れていった。

「撃て!」

 木原が部下たちに命令を飛ばす。撃て、とだけ木原はいった。兵士たちに、戸惑いが走った。目の前にいるのは友軍だ。モンスターはともかく、人間もいる。

 猟犬部隊の一人が、

「し、しかし味方に当たり――」

 言い終えないうちに、銃声と共にあおむけに倒れた。

 木原に、額を撃ち抜かれたのだ。

 木原は部下を殺しておきながら眉ひとつ動かさず、平然とふぅっと銃口に息を吹きかけると、

「こういう風にやるんだよ。わかったか?」

 ちろりと、部下たちを眺め渡した。

 恐怖による統制の力は、絶大だった。

 猟犬部隊は、いっせいにライフルの銃弾を団子になって固まっている集団に浴びせた。敵味方の区別など関係なかった。鉛の雨が降り注ぎ、キメラが、戦士が挽肉となる。さまよう鎧が、穴だらけになる。

 三人の戦士はどうか。

「くそっ……無茶苦茶しやがるぜ」

「まったくだね。まあ、オレたちも人のことは言えないけどね」

 三人とも無事だ。

 惣一は例によって大盾で、凪と杏子はその場にいた敵の身体を盾にして避けていたのだ。凪はもとより、杏子とて場数を踏んだ魔法少女だ。本心は別として、情け容赦ない戦い方には、むしろ熟練している。貫通した弾丸が何発か三人の肩や腿をかすりはしたが、それとても致命傷にはほど遠い。

「部下を犠牲にして、その挙句戦果はゼロか。絵にかいたような無能だな、木原とやら」

 惣一が言葉の弾丸を射撃する。木原の顔が一瞬、怒りに歪んだ。彼は部下の犠牲など意に介さない。そして最終的な結果が満足のいくものであればいい。けれども過程は、惣一の言った通りだ。そしてどんなに捻った悪口雑言も、現実に起こった事象や数字を踏まえた批判には遠く及ばない。

「オレが牽制する。先にザコを始末するぞ!」

 凪が叫んで、手榴弾を掲げる。ただの手榴弾ではない。閃光手榴弾だ。

 惣一は無言で、杏子は一瞬戸惑ってから、それぞれ猟犬部隊と魔法使いの群れに突進する。

「っ!」

 木原が銃を抜き、凪に連射する。凪は、転がってかわした。地面に叩きつけられる痛みを意に介さない、果断な動きだった。その手から閃光手榴弾が離れる。あたり一面が白に染まった。惣一と杏子は、敵のいる方角へ、目を閉じて突進していた。何人かの兵士は目を閉じて対応したが、敵が突っ込んでくることには対応できない。そうした兵器に慣れていない魔法使いたちは、さらに悲惨なものだった。閃光をまともにくらい、目を押さえて立ち尽くしている隙に、杏子の槍に次々と叩き伏せられていった。猟犬部隊も、状況にさして違いはない。惣一の振るうハルバードは、まるで衝立でもなぎ倒すようにして片っ端から、訓練された兵士を地に這わせていった。これがクルセイド騎士団の新入りだったらそう簡単にはいかなかっただろうが、たとえ才能に秀でていなくとも、惣一は百戦錬磨の古参騎士で、しかも能力者の島で戦ってきた男だ。木原の傀儡人形に等しい、士気の低い兵士たちでは抗しようがなかった。

「これで――」

「――三対三、ってとこだな」

 うろたえるエトナとザボエラ、そして木原へ向けて、凪と杏子が言い放つ。木原は歯噛みして惣一たちをにらんだ。木原自身は、荒事に慣れた古強者だ。だが、エトナは戦闘力は高くとも、そこまでとっさの対応力は高くない。基本が学者肌のザボエラは、いわずもがなだ。彼らにとって不幸なことに、惣一も凪も杏子も、少数でもって多数を討つための電光石火の戦闘が得意なタイプだった。

「どうする、科学者。猟犬はいなくなったが、まだやるか?」

 惣一が冷ややかに言い放つと、木原はそれを上回る冷ややかさで笑い捨てた。

「ハッ、笑えねえ冗談は顔だけにしとけよ。あんな一山いくらのザコ、俺があてにしてるわけがねえじゃねえか」

 言ってジャキリ、と銃のマガジンをセットして、

「最後に頼れるのは銃(こいつ)と、そして自分自身なんだよなあ!」

 叫んで射撃する。同時に、木原は突進した。

「!」

 木原の射撃は狙いをつけない、威嚇射撃だ。それにもかかわらず、凪と杏子は肝を冷やした。飛び退いていなければ、当たっていただろう。木原は、動き回りながら銃を撃つことに、おそろしく慣れていた。科学者とはいいながら、まるでプロの殺し屋か傭兵だ。

「杏子は妖怪ジジイをやれ。オレは悪魔娘を討つ!」

 叫んで凪は、エトナに向けて数発撃った。エトナは宙返りして身をかわした。すらりとした細身に刺激的なボンデージファッション、悪魔の羽と尻尾といういでたちにふさわしい、軽業師めいた身のこなし。いや、おそらく人間の軽業師などよりよほど速いだろう。

「悪いけどねー、ピストルって初見じゃないのよね。あたしがこの世界の人間じゃないからって、馬鹿にしてるでしょ?」

 エトナは悠々と軽口を叩く。その合間に宙を舞い、凪めがけて槍を振り下ろす。高々と跳躍し、上空から襲う。

 重力を含んだ衝撃が、警棒で受け止めた凪の肩にかかった。

「っ……!」

「さっきまで驚き役ばっかでイライラしてたのよ! 悪いけどこっからはあたしのターンよ。あんたを踏み台に、華麗なるエトナ様オン・ステージを――」

 しまいまでエトナは言えなかった。

 競り合いで圧される体勢だった凪が、いきなり唾の塊を吐きかけてきたからだ。

「っ!」

 ためられた唾液を、テッポウウオのように的確に、目めがけて噴きつけられて、エトナはとっさに目をつむった。同時に、後ろへ飛びすさる。目つぶしを食らったと理解したと同時に、このままの位置では逆襲されるということも、とっさに判断したからだ。それを即座に理解し、次の行動に繋げたエトナもまた、非凡といえた。

「ちょ……あんた!」

「悪いね。オレはあんたを馬鹿にしちゃいないよ」

 凪は、口元の唾を拭いながら言った。

「人間が魔物に勝つには、手段を選ばず死にもの狂いでやるしかないだろ? 悪いが反則なんてのは無いよ。オレにできること全部で、あんたを倒してやるから覚悟しな」

「……っ。あんたねぇ……そういうのは普通、悪党の戦い方でしょ! あたしのお株を奪るんじゃないわよ!」

 呆れた声を上げながらもエトナも、油断なく槍を構える。目の前の人間が単純な身体能力や武器性能以上の、とっさの判断力や決断力に優れた強敵だと理解したのだ。



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15 終幕

 ザボエラも杏子に、険しい視線を送っていた。

 すでに彼は、突撃する杏子に向けて放った投擲武器「毒牙の鎖」をかわされ、切り札を手放していた。杏子も毒液を跳ね散らせる毒牙の鎖を警戒して距離をとってはいるものの、槍を構えてじりじりとにじり寄っている。身体能力では比較にならない。モンスターとはいえひ弱な老人のそれであるザボエラにとって、熟練の魔法少女に隣接されることは、敗北を意味する。

「ベギラマ! ベギラマ!」

 ザボエラは声を張り上げ、たて続けに光線を撃ち放ったが、いずれも紙一重で杏子にかわされた。杏子にとっても、その光線をかわすことは容易いことではなく、歯をくいしばって冷や汗を散らしてはいたが、しかし結果からいえば、ザボエラの魔法攻撃は杏子を捉えるには至っていなかった。

「……!」

「でえいっ!」

 魔力が途切れ、一瞬弾幕を張れなくなったザボエラに、たちまち杏子が肉薄する。少年のような凛々しい顔に、満々たる闘志をみなぎらせ、ナイフのごとき眼光を叩きつける杏子。それを直視したザボエラは戦慄し、

「っ! ね、眠りの魔香気-っ!」

 必死で練り上げた魔力を解き放った。

「っ!」

 杏子は、素早く飛び退いた。十分なタイミングだった。ザボエラの周囲に充満した、魔力による催眠ガスは杏子にわずかなりとも触れはしなかった。クルリと宙返りをする余裕すら、杏子にはあった。

「ぬ、ぬぐぐぐ……」

「無口じゃねーか。さっきはずいぶんおしゃべりだったくせによ」

 苦しげに唸るザボエラに、杏子は嘲りの声を投げた。

 やんちゃそうな八重歯をちらと覗かせ、悪戯っぽく笑いながらもしかし、杏子の瞳は微塵も笑っていない。

 ルーミアに外道な実験を施し、木原の尻馬に乗って散々嘲ってくれたザボエラへの怒りの炎が燃えていた。

「そのガスが消えた時が、てめーの最期だ。腕の一本や二本で済むと思うんじゃねえぞ、外道ジジイが!」

「ぐ……小娘め!」

 ザボエラは脂汗を流しながら、なおも懸命に魔力を練る。彼のお得意の悪口はない。叩けるような、余裕のある状況ではなかった。

(相性の悪い相手じゃ。くそ、もう少しモンスターどもを残しておけばよかった……!)

 判断を誤った己を呪い、自分の部下まで捨て駒扱いした木原を呪ったが、ザボエラはどうにもできない。頼るべき強者も責任をなすりつける同僚も見出せないまま、身を張った最前線の戦場で苦闘を強いられ続けた。

 

 そして、惣一は。

「お兄さんよ、見たところおめえは熱血するガキの仲間にゃ似つかわしくないように思えるんだがな」

 木原の銃撃をすべてキャッスルガードで防ぎ、そのまま木原と至近距離で対峙していた。

 片や二十四歳。クルセイド騎士団において、十年の間戦ってきた最古参の騎士。

 方や三十七歳。老いとはほど遠い、脂の乗り切った凄腕の始末屋。

 彼らは選ばれし神の使徒ではない。それでも、呼吸するように当然のこととして戦いに身を置いてきた、熟練の戦士たちだった。

「何でお前みたいなのが俺の前に立つ?」

 木原からそう問われ、惣一は鼻を鳴らした。

「知ったことか。この島のガンは排除する、それだけだ。貴様など俺にとって、焼却処分されるべき生ゴミでしかない」

「ああ、そうかい。そんじゃ俺も殺すわ、とっととな!」

 そう言って、木原は銃を納め、拳を握りしめて惣一に突進する。

 惣一は眉をひそめた。

(何を考えている、こいつ? 拳での攻撃でこの大盾『キャッスルガード』に歯が立つわけがない――真正面から弾き返し、顔面に盾をぶち当ててくれる!)

 そう考え、惣一が大盾をかざす。

 いかに拳闘に長けていようと、攻めどころなどありはしない。そのまま銃弾をも跳ね返す超常の大きな板で、拳ごと相手に叩き付けるだけだ。惣一は、大盾を突き出した。

 だが。

「――――!?」

「――駄目なんだよなァ」

 突然、横からの強い衝撃を感じた。何が起きたか、とっさに――ほんの一秒にも満たない瞬間、理解できなかった。だが、それでも遅すぎた。次の瞬間、惣一は、今度は鼻面に強い衝撃を感じた。

「――――、グブァッ!!」

 体がのけぞり、かろうじて踏みとどまる。鼻血が噴き出すのを、惣一は体で感じていた。

「な、何……貴様、一体何をした!?」

 とっさにハルバードを振るって敵を退け、荒っぽく鼻血を拭いながら、惣一はかすむ目を見開いて敵をにらみつけた。ぼやける視界に、歯噛みするほどにゆっくりと、木原のにやけ面が像を結んだ。

「ハッ……てめえの盾は、確かになかなか強力なようだ。けど、それは絶対の防御じゃねえだろうが。盾っつーもんは、正面からの攻撃にゃ滅法強え。けどよ、言うなればそれは前方からの衝撃にしか対応してねんだわ。正面からの攻撃に馬鹿正直に突き出す。ならよー、その分厚い板切れの『横』から衝撃を加えればどうなる?」

「! ……まさか、貴様」

 自慢げに解説する木原に、惣一は思わず目を見開いた。

「ハッハッハッ! そのツラだと理解したな、オリコーさん! 伊達にガキどものリーダー面してねえようだなァ。そういうこったぁ。俺の研究は脳科学、能力開発、それに『力の向き(ベクトル)』! 中国拳法の要領でなぁ、盾を強打する寸前に拳の向きを変えて真横から叩いたワケさ。そうなりゃ、無防備なてめーのブサイク面が剥き出しよぉ! 本来はとある超能力者の対策に開発した技術なんだが、最近は色んなアホがいるんでな、ちぃとばかし応用を利かしてみたんだわ。面白ぇだろ? 拳法に似た特性と、その効果の高さから、『木原神拳』なんて呼ぶ奴もいるぜ。ぎゃはははは!」

 一分一秒を争う戦闘のさなかに、長々と手の内を解説する。見ようによっては、それは自ら隙を作る愚行ともとれるかもしれないが、惣一はそう楽観視する気にはなれなかった。少なくとも、不用意に近寄れないという情報が入ったことは、惣一にとって喜ばしいことではない。

 ただ同時に、そのことに臆する惣一でもない。彼は、ハルバードと大盾を構え直した。

「俺の盾が通用しない、か……フン、いいだろう! なら、そういう相手なりの対応をするまでよ。不利は認めるが……それだけでこの『虎牢卿』を倒したなどと思い上がるな、このチンピラが!」

 得意がってベラベラと手の内まで話したことを後悔させてやる。

 その決意も新たに、惣一は敵の動きを観察し、気配に意識を集中させた。

 次はどう動く?

 どの方角(ベクトル)から、どのスピードで攻めてくる?

 敵が自在に向きを変え、たとえ大盾だろうと死角から攻めてくると判明した以上、防御主体の戦法は意味がない。盾はせいぜい相手の牽制か目くらましで、長くかつ軽い特殊素材製のハルバードで敵の動きを遮りつつ、盾とハルバードの双方を攻撃に使う。柔軟性が必要だ。

 そう思い、惣一は戦術を変更したが、必ずしもうまいやり方とは言えなかった。なぜなら惣一の得手とする戦術はやはり盾の守りを頼みとすることであり、木原は彼がこれまで、ほとんど経験したことのないタイプの敵だったからだ。しかも、その奇妙な戦術に、習熟している。拳を握った木原は、銃を握った木原より、なお惣一にとって脅威だった。

 惣一は十分に正確な判断を下した。盾とハルバードをトリッキーに動かしながら、敵をかく乱して隙をうかがう戦術は、他の敵ならば十分通用しただろう。しかし、ベクトルの専門家である木原では、相手が悪すぎた。

 木原は蹴りを放った。惣一はそれを盾で払った。しかし、その払う動作までもが木原の計算通りだったのだ。太極拳の演武のようにクルリと回転した木原は、的確に盾とハルバードの隙間をぬって拳を突き出した。拳は、惣一の脇腹に命中した。

「……!」

 惣一はとっさに身をひねり、直撃だけは防いだ。そして、大盾で木原を打った。木原は、するりと身をかわした。

「ちっ――」

「ちっとばかし俺をなめすぎだぜ。坊や」

 木原は冷ややかに笑いながら言った。

「老いぼれだのチンピラだの言っておきながら、その相手に好きにされる気分はどうだい? 自分は老いぼれのチンピラ以下だと認めさせられるのは辛いかよ、ええっ?」

 悪意をこめて、木原が嘲弄を投げかけた。が、惣一は冷ややかに見返すばかりだ。惣一は天才ではない。華々しく武勇を誇ったり、鮮やかな技の冴えで並み居る敵をなぎ倒したり、そういうのは彼の領分ではない。

 だが、惣一はしぶとい。しぶとさでは、騎士団でも彼の右に出る者はそう多くはないだろう。殴られ蹴られ、欺かれ、痛い目に遭わされ、散々に嘲られようと、眉一つ動かさずに現実的な対応をしてのける男。それが河内惣一なのだった。

「偉そうに言う暇に、さっさと俺を殺せばよかろう」

 惣一は言った。

「貴様が自分で言うほど強ければ、俺はとっくに死体になっているだろうよ。それがまだできていないということは、つまり貴様はその程度の男というわけだ」

「……腕もねえくせに、減らず口だけは一人前かよ」

 木原が、怒りでひきつった笑いを浮かべた。煽り耐性は決して高くはない。しかし、惣一は油断はしない。木原はいくら怒りに燃えても、それで焦って判断ミスをするような真似は絶対にしない男だ。自分が、何を言われようと柳に風と流すことができるように、木原も、いくら怒ろうとも、それで思考や行動を濁らせることが決してないのだ。

 木原がじりっ、と距離を詰めた。惣一は身構えた。次はどちらから来る。自分の腕でどの程度まで対抗できる。思考から雑念を払い去り、不利な勝負へ挑もうとする、その刹那。

「でやぁぁぁぁっ!」

 雄叫びとともに、飛びかかる者がいた。杏子だ。

 攻撃に移ろうとした刹那、魔法少女の筋力で飛びかかられ、槍で打ちかかられた木原は、しかし即座に奇襲に対応した。普通の人間とは思えない反応速度で身をひねって地面に投げ出し、転がりざま杏子に発砲した。銃口を向けられた刹那、杏子も飛びすさり、弾丸は杏子の身をかすめた。その隙に木原は身を起こし、杏子と惣一から距離をとって身構えた。

「てめぇ……」

「旗色悪いじゃねーか、河内さん」

 杏子は惣一に、不敵な微笑を向けた。

「あたしはもう少し余裕あるぜ。なんなら手伝ってやろうか、ん?」

「……感謝はしておこう」

 虚勢を張らずに、惣一はそう答えた。あのままやっていても勝てなかったかもしれない、という予感を彼は受け入れた。自分の腕のふがいなさを嘆くよりは、援護に入ってくれる仲間がいる幸運に満足しておいた方が生産的だろう。杏子と戦っていたはずのザボエラは、呆然と立ち尽くしている。一気に杏子を打ち倒すべく精神集中させてメラゾーマを放ち、大技を使った一瞬の隙をついて杏子はザボエラを放置して木原に襲い掛かったのだ。杏子の観察眼と判断力も驚くべきものだったが、やはりザボエラは戦闘の専門家ではないことの弱みが出ていた。木原はザボエラに、会議の最中で故障したプロジェクターでも見るような、ものすごい視線を向けた。

 エトナも、似たような状況だ。彼女は、何発か凪の銃弾をかすらせ、凪のつなぎに何か所か炎弾の焼けこげを作っていたが、結論としては、いまだに凪を打ち倒して木原やザボエラの援護に向かうことができないでいた。

「チッ……!」

 戦況を読み取った木原が舌打ちし、

「くっ……! 馬鹿な、ただの人間を倒せないなど!」

 ザボエラが焦った声を出した。

 惣一は冷ややかに言った。

「フン……まずまずの強さだったが、手に負えない相手でもない」

「木原数多の木原神拳は確かに強力だ。けど、オレ達も充分戦い慣れてる。その拳法は特殊能力頼りでひ弱な能力者なんかを想定した武術じゃないのかい? さっきみたいに、河内さんみたいな熟練の戦士に使うのは、本来の使い方とは違うんじゃないかな」

「クソが……」

 凪の言葉は、木原の痛いところを突いたようだ。忌々しげに吐き捨てたが、言い返すには至らなかった。

 杏子が、威勢よく言った。

「年貢の納め時ってやつだな。とっととお縄を頂戴しちまいな!」

「冗談じゃないわよ。あたし、こんな所でブタ箱はごめんよ!」

 そしてエトナは木原を振り向き、

「ちょっと木原、あんた何とかしなさいよ! あんたのことだから何か切り札を持ってるんでしょ!?」

「んー……。切り札か。切り札ねェ……まあ、無くもないぜ」

 木原は、考え込むそぶりを見せた。

「フン、まだ何か足掻く気か?」

「毒ガス用の携帯マスクも用意してるぜ。どんな手だろうと、打ち払ってやる!」

 凪の言葉に、エトナは焦って言った。

「早く何とかしてよ! このままじゃ、追っ手が来ちゃうかも知れないでしょ!」

「あー、そりゃそうだな。確かに急いだ方がいいな」

 木原は、何度か頷いた。

 先ほどの忌々しげな様子とはうって変わった――妙に冷静な態度だった。

 そしてニヤリと笑った。

「今すぐ使ってやるぜ……『俺の』切り札をなぁ!」

 木原は、リモコンを押した。

『――――!!』

 凪が、はっとした表情を浮かべた。

 彼女は、遅まきながら気付いたのだ。

 木原が――あの癇癪持ちに見える木原が、ルーミアの束縛に失敗しても、リモコンを地面に叩き付けたりしないで、後生大事に懐にしまっていたことを。

 あのリモコンには、まだ用があったのだ。何の用が? その答えが、いま凪の目の前で展開されていた。

 ザボエラとエトナの身体が、びくんと震え、次の瞬間、

「グオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」

「ガアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」

 とても人間の――人型をしたものから発されているとは思えない絶叫、いや、轟音が二人の喉から上がり、そして二人は、爆発した。

 文字通りの爆発ではない。ザボエラは強烈な魔力を込めた炎弾を、エトナは渾身の力で振るった槍の一撃を、それぞれ三人に叩きつけてきたのだ。

 今度こそ轟音が上がり、炎と打撃が叩きつけられる。三人は避けた。凄まじい力が込められてはいるものの、狙いはほとんどつけられていない。二人自身の意志で撃ったなら、もう少し狙いを定めていただろう。文字通り、無理やり力を吐き出させられていたのだ――木原のリモコンで。

「なッ――――!?」

「これは……木原! 貴様、仲間にウイルスを!?」

 凪が、険しい顔で木原をにらんだ。

 先ほどルーミアに打ち込んでいたといった、洗脳ウイルス。

 それを、密かに自分の同盟者二人にも仕込んでいたとしたら。

 二人の食事にウイルスを混入し、いざという時に発動できるよう爆弾として埋め込んでいたとしたら。

 木原は、愉快そうな哄笑を上げた。

「ぎゃっはっはっは! 俺が何のために外部の魔族なんざ雇ったと思ってるんだよ! いざって時に盾にするために決まってんだろうが。魔族用に調整した狂犬病ウイルスを食事に仕込むぐらいお手のもんよ! 力のリミッターを外したそいつらの相手は少々骨が折れるだろうな。その間に失礼させてもらうぜェ! さようなら子犬ちゃん、あなたの事ァ二秒ぐらいは忘れませんってなぁ!!ヒャーッハッハッハッハッハッ!!」

 喚き散らして、木原は壁際に手榴弾を放り投げた。爆音と閃光。ビルの壁はやすやすと吹き飛ばされ、大穴が開いた。三人が反応するより早く、木原は穴から飛び出した。

「逃がしたか……!」

 惣一は駆け寄ろうとした。しかし、果たせなかった。目を爛々と光らせた、猛獣のような形相になったザボエラとエトナが立ち塞がっていたからだ。

「グルルルルルルッ……」

 と、ザボエラが唸る。

「ゴガアアアアアア!!」

 と、エトナが吠える。

 悪魔とはいえ人型のものが獣のように唸り、顔を歪めるさまは、ぞっとするほど無残で冒涜的だった。二人とも、単純で人に利用されやすい悪魔ではない。むしろ、この二人こそ、他人を押しのけ、踏み台にしてのし上がるようなタイプであった。しかしこの日は、ものの見事に、悪魔でも能力者でもないただの人間の木原に踏みにじられ、使い捨てられてしまったのだ。

 杏子が叫んだ。

「どうすんだよ、こいつら! このまま殺しちまうってのかよ!?」

 凪が眉をひそめて首を振った。

「殺すにしろ助けるにしろ、とにかく取り押さえないことにはな。奴の言う通り骨が折れそうだが、とにかく無力化してしまうぞ」

「畜生が。まったくとんだ厄介事だ……!」

 さしもの冷徹な惣一も、まんまと逃げられ、目の前に猛獣と化した悪魔二人をけしかけられたこの状況では、不快感を禁じ得ないでいた。

「次に会ったらぶち殺してくれるぞ、木原数多!」

 怒りを込めてそう吐き捨てた。

 そのような言葉が、この場に木原がいようといるまいと、何の力も持たないことを、自分で理解しながら。

 三人の戦士は、野獣と化した二人の悪魔を迎え撃つべく武器を構えた。



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16 茶番劇の舞台裏

 SRC島・クルセイド学園騎士団本部総代騎士執務室。

 学園の治安の要、その一つの中心たる部屋で、麻生ハイネは男女二人の客を迎えていた。

「こんにちは、クルセイド学園騎士団へようこそ。僕が総代の麻生ハイネだよ」

「羽原健太郎だ。こっちの中坊が美樹さやか」

 その青年、健太郎の紹介に、短髪の少女、さやかが口をとがらせた。

「あんたねー、オマケみたいに紹介しないでよね。デリカシーのない男はもてないわよ?」

「へっ、俺の思い人は多少乱暴なぐらいじゃないと相手してくれないんでね」

「あ、あらそうなの……」

 抗議に惚気で返されて、さやかは呆気にとられて黙った。

 ハイネは笑顔で席を勧めた。

「まあ、そこのソファーでお茶でも飲んでくれ。それではさっそく用件を聞こうか。といっても、『河内正騎士とその連れの女性のことで話がしたい』なんて言うからには、用向きは知れてるけどね」

「あんたが話の早そうな人でよかった。俺もそう、見た目ほど余裕があるわけでもないからな」

 健太郎は真剣な顔で言った。

「あんたに聞きたいのは、河内正騎士たちの足取りについてなんだが……」

「それについて答えるより先に、君達がなぜここへ来たのか、聞いておいてもいいかな。河内先輩は、どうも大きいヤマに首を突っ込んでいるようだからね」

 その言葉に、さやかが不安そうな顔で、

「大きいヤマ……って、まさか杏子、何か危ない事件にでも関わってるわけ?」

「その子が河内先輩と同行してるとすれば、そうかもね。二十分ほど前、市街地で爆発音が確認された。まだ詳細は把握できてないけど、すでに戦闘が起きていたかも知れない」

「っ……!」

 思わず立ち上がろうとするさやかを、健太郎がなだめた。

「落ち着けよ、美樹さん。魔法少女ってのは、高い戦闘能力を持っているんだろ? どんな相手か知らないが、凪も一緒なら、そう簡単にやられるとは思えないぜ」

「凪って人は……そんなに強いの?」

 その問いに健太郎は、

「ああ。……とってもな」

 と静かに笑って答えた。

 その言葉と表情にこめられた確固たる信頼は、さやかにも伝わったようだ。彼女は、軽く息をついて力を抜いた。

「河内先輩が一緒なら、なおのこと安全だろうね」

 とハイネも言い添えた。

「あの人は口うるさくて頑固で、超厄介な先輩だけれど、あの『綺羅星の時代』を支えた一人だからね。攻めの戦では源氏先輩や鈴木先輩に一歩を譲るが、堅実さであの人の右に出る者はいない。まず心配はないと思うよ」

 綺羅星の時代。

 それはハイネが総代騎士に就任する五年前の総代だった源氏政行の時代をさす。この時代は騎士団、姫士組、警備隊のSRC学園三大自警団がいずれも人材に恵まれ、大きな外敵もなかったことから、そう呼ばれていたのだった。その地味で地道な戦法と性格から目立ちはしないが、惣一もまた、その時代を支えた綺羅星の一人として知られていた。

「信頼してるんですね……河内さんのことを」

「殺したって死なないタイプさ、あの先輩は」

 ハイネは苦笑した。

「僕に詳細を知らせなかったのも、巻き込まないためというより、政治的配慮からだろうしね。本当に厄介な先輩だよ」

 ハイネに事の次第を詳しく伝えれば、それについてハイネは必ず独自の対処をする。情報収集もするだろうし、場合によっては惣一に無断で兵隊を動かすこともありえるだろう。そうなれば、ことは惣一ひとりの問題ではなくなる。そしてそうなると、惣一とハイネの間の力関係、ひいては騎士団内での二人の立ち位置にも影響がないとはいえない。惣一は、そうした面倒を嫌った。あくまで個人的に頼まれた案件として事態を処理しようと望んでいたし、そうである以上、ハイネとしては手出しも何もしないことが、惣一への誠意になるのだ。

 それを察した健太郎も、難しい顔でうなった。

「噂の通り、この島は色々面倒らしいな……」

「まあね。あの学園都市と並び称されるほどの能力者育成機関、しかも学生の権限が強いときてるからね。どうしたって政治が絡むのはやむを得ないことさ。僕らみたいな武力組織はなおのことね」

「杏子たちのことは……今はまだわからないの?」

「じきにわかるとは思うよ。戦闘があったということは、捜査に進展があったか、すでに決着がついたということだろうし。まあ、十中八九無事に帰ってくるだろうから、お茶でも入れて待ってるのがいいさ」

「そう……よね。待ってるしかないわよね……」

 ややうつむいて、さやかはつぶやいた。

 それへ、健太郎が気遣わしげな顔を向けた。

「浮かない顔だね……美樹さん」

「杏子の奴……あたしにグリーフシードだけくれて、行き先も告げずにいなくなっちゃうんだから。たまたまネットで羽原さんと知り合ってなかったら、あたし本当に途方に暮れてたと思うわよ……」

「凪の奴も他人行儀なところがあるからなあ。お互い、心配事のたえない相棒をもつと苦労するもんだね」

 そう言って健太郎は、さやかに苦笑を向けた。

「まあ、ね……杏子はあたしに、優しくしてくれたし」

「君たちの役に立てなくて、すまないと思うがね」

 締めくくるように、ハイネが言った。

「僕らも、いま何が起きていたのかを調査してる最中なんだ。伝説の樹海で、奇妙なエネルギー反応があったという知らせもあるしね。もしかしたら事件の裏側で、何か大きなものが動いているのかも知れないね――」

 ハイネは総代室の窓から、外をにらんだ。

 空はよく晴れていたが、その青空の下のどこかに、得体の知れない何かが潜み、動いているような、そんな不気味なイメージを、彼は打ち消せないでいた。

 

 そして。

 そのハイネの感覚を裏付けるかのように。

 

「さァて、それじゃ各々方――」

 木原は、缶ビールを掲げた。

「祝杯といこうか。計画の成就を記念してな」

「そうですね。……木原さんの労をねぎらわなくてはなりませんからね」

 そう言って甘ったるいドイツワインのグラスを掲げたのは、年端もいかない少女だ。

 杏子やさやかより、さらに幼い。まだ小学生ぐらいの年齢だろう。

 しかし、その口もとに浮かぶ気味の悪い笑みは、その綺麗な瞳に浮かぶぞっとするような眼光は、彼女が見た目通りの無邪気な少女ではないことを示している。

 この場で木原と杯を交わしていることから類推するまでもなく、彼女――永遠之道雀夜(とわのみち・さくや)もまた、闇に潜み、弱者の肉をむさぼることを身上とする野獣なのだった。

「そして私達の明るい未来に乾杯、というところかしらね。おっほほほほほほ……」

 そう言って、血のように赤くどろりと濁った果実酒の杯を掲げたのは、黒いローブをまとい、頭からフードをかぶった怪人物だ。顔には悪魔のようなおぞましい仮面をつけ、その奥から響く声は重々しく、耳障りな声だ。その声とあいまって、性別はおろか人間なのかどうかすら曖昧な人物だ。

 三人は、酒杯を打ち合わせて唱和した。

『乾杯(プロージット)!!』

 そして一斉に口をつけた。

 黒いローブの人物――カエサルの仮面にも口もとに切れ込みが入れてあるようで、そこから果実酒が流し込まれた。仮面の切れ込みの端から垂れた果実酒が、まるで血のようにしたたった。

 そこは、どことも知れぬ闇の中。

 富豪の屋敷の食堂か、高級クラブの一室のような贅を尽くした空間だったが、窓はなく、そこがどこかをうかがわせる手がかりは何一つない。そこが海底深く潜んでいる潜水艦の一室、と言ってもおかしくない場所だった。

 どことも知れぬ空間で、何者とも知れぬ三体の邪悪が、奸計の成功を祝って乾杯を交わしていた。

「いやしかし本当に、こうもうまくいくとは思いませんでしたね。何事も実践は肝心ですね」

 雀夜が、にやにやと笑いながら言った。

 木原も、笑いながら頷いた。

 惣一との戦いでの激昂ぶり、苛立ちぶりが嘘のような上機嫌だった。

「学園都市での計画は大体、忌々しいアレイスターの仕切りだからな。少しは『俺の』点数稼ぎが欲しかったところだ。おたくらが相手なら、分け前を分配できる。アレイスターみたいに総取りの心配がねえ。なかなかいい商売相手にありつけたものだぜ、お二人さん」

「この業界、信頼関係が大事ですからね。まあ、利益の切れ目が縁の切れ目なわけですが」

 雀夜は幼女らしからぬ追従じみた愛想笑いを浮かべているが、その瞳から覗く光は、狡猾で冷たい眼光だ。

 カエサルが、たしなめるように言った。

「そんなこと言うのはヤボよぉ、雀夜ちゃん。この面子の誰もが、故あらば相手の背を刺そうと狙っている。そうでしょ?」

「違ぇねえ。だからこそ、逆に利用はしやすいわけだな。仁義だ友情だと奇麗事を吐き散らす良い子ちゃんの相手は俺ぁもう腹いっぱいだからな。あんたらの方が楽でいい」

「人が悪いわねぇ。良い子ちゃんの利用法はちゃーんと心得てるわけなんでしょお? たとえばあのザボエラとエトナ、どうせ植えつけたウイルスも不完全なものでしょ?」

「ああ、もちろんさ。努力すれば助かる程度に効能を抑えた。脳をブッ壊して完全な暴走機械にすることもできたがな」

 そう言って木原は、ゲラゲラと笑い声を立てた。

「あのお人好しども、哀れな子犬ちゃん二匹を助けるのに手一杯で、俺の追撃に手が回らねえでやんの! そのせいで無数の罪もない子羊が犠牲になるかも知れねえっつーのに、見捨てられねえんだよ。あの悪党二匹を!」

「正義の味方とはそういう生き物ですからね。見捨てたら彼らは正義じゃなくなります」

 雀夜が、したり顔で言った。

「河内惣一さんなどは、どちらかというと正義じゃない側に近い人間ですが、でも結局は白を取る人間ですからね。騎士団にしてもそうです。見え見えの私の仕込みを、罠と承知で相手をしなければならないんですよ、アハハハハハハハ!」

「本当に、曼珠沙華ってのも大したシステムだよな。とても八つのガキの構築した組織とは思えねぇな。聖乙女学園だけの組織かと思ったら猟惨泊のモヒカン共まで手中に収めてるんだからな。大したタマだぜ」

 木原は、雀夜の支配する不良組織に言及した。

 曼珠沙華とは、聖乙女学園を中心に展開する素性の不明確な謎の多い不良グループだ。構成員はネットに登録された犯罪の依頼を請け負い、その時の犯罪映像を出資者である聖乙女学園の不良令嬢たちが見物したり賭けの対象にしたりする。末端の構成員や一部の令嬢などが捕まってはいるが、組織の中枢は依然として謎のままだ。

 ましてや、組織のマスターであるこの雀夜までたどり着いた者は、少なくとも治安維持組織の側にはいなかった。

「あのモヒカン共は利益さえあれば誰の下にでもつきますからね。あれほど動かしやすい駒はありませんよ。ちょっと餌を与えるだけで、島中で暴れてくれて、治安維持組織の目を勝手に引き付けてくれたのですからね。アハハハ……」

 雀夜の言葉は、ここ最近、不良グループ猟惨泊の活動が活性化していることが彼女の差し金であることを意味していた。猟惨泊は、曼珠沙華とは別のグループだ。それでも彼らには二つの特徴があった。大組織であり、構成員のモヒカンたちは忠義も節操もない寄せ集めであること、そして、仁義や自制と無縁な外道の集団であることだ。ゆえに雀夜は、ちょっとした撒き餌で、簡単にモヒカンたちを操作してのけたのだ。

「雀夜ちゃんが島で陽動してくれたおかげで、私も仕事がやりやすかったわぁ」

 カエサルも、仮面の奥で不気味に喉を鳴らして笑った。

「伝説の樹海と幻想郷……不安定な境界同士とはいえ、次元の壁を破る術はさすがに簡単には仕掛けられないものねぇ。島で騒ぎが起きてなかったら、注目されていた危険もあったわぁ」

 伝説の樹海と幻想郷。その二つの点はいずれも今回の事件で、ルーミアが関わった点である。それを線として結び、さらにこの発言をしたカエサルが何をしたのか、何の原因となったのか、その意味はわかりすぎるほどに明確であった。

「そうは言いながら、あれほどの大魔術を実行できるんだから、あんたの力量も大したもんだよ」

 木原がカエサルをねぎらって言った。

「おかげでこっちは大収穫さ。一番の標的だった『宵闇の妖怪ルーミア』を一時とはいえ手中に収められたんだからな。雀夜、お前も幻想郷で随分と収穫を挙げてたんだろ?」

「ええ、それはもちろん。ただの客のふりをして、たっぷりと幻想郷のマジックアイテムを集めてきましたよ。これを手がかりに、さらに穴を広げられます。戦力も向上しましたし、他組織との取引にも有益な材料ですね」

「まあ、本命はルーミアちゃんよねぇ。木原ちゃん、どの程度調査ができたの?」

「さすがといおうか、正体についてはからっきしだな。一説には幻想郷の封印自体に関連するともいうから、迂闊に手は出せねぇ。まあ、NBテリトリーを発動させても全く損傷がない時点で、半端じゃねえエネルギーが秘められているのは明白だがな」

「ただの妖怪で同じことをすれば、ポップコーンのように弾けるのがオチでしょうしねえ。アハハハ」

 面白い冗談でも口にしたように、雀夜が笑って言った。

「そして、魔術的エネルギーはたっぷりと持ち帰ることができた。3日という時間は、それだけの作業に十分だったぜ。ルーミア自体はガキどもに持って行かれたが、まァこんな計画であのガキを完全に手中にできるなんざ夢物語だからな」

「SRC島も色々と厄介な土地だからねぇ。SRC学園の三人の学園長、あの三大魔王のお膝元でもあるしねぇ。あまり目立つと、こっちのケツに火がつきかねないわ」

「とはいえ、充分に闇が潜む余地はありますがね。だから私のような者が学生をしていられる」

 雀夜の笑みが、禍々しく歪んだ。

「能力者たちも名家の子弟たちも、私から見ればご馳走の山のようですよ。アッハハハハハハ……!」

「私も負けてはいられないわねぇ。せっかく十二使徒の一人としてバチカンに潜り込んだんだから、有効に利用しないと。神の右席といいイスカリオテ機関といい、あの宗教も色々と闇が深いからねぇ。私には良い巣穴だわ」

 カエサルの喉から響く笑みも、ぞっとするような響きを帯びた。

「やっぱりあんたらは良い商売相手だぜ。学園都市の暗部として、俺もせいぜい励まなくっちゃあな。アーメンハレルヤギブミーマネーだ。善人ヅラした馬鹿ども相手に、これからどうやって食い散らかすのか楽しみだよなぁ!」

 木原は、陽気にそう叫んだ。そして三人の悪党は、

「ぎゃははははははははははははははははは!!」

「アハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!」

「おほほほほほほほほほほほほほほほほほほ!!」

 と、豪奢な室内に哄笑を響かせた。

 

 その瞬間。

 

『……楽しそうね、貴方達』

 

 その声が響いたか否か。

 次の瞬間、三人の座る豪華な椅子が、飛来した無数の光弾に粉砕された。

 高価そうなソファーが、卓上に並べられた高級な料理が、たちまち微塵と化して飛び散る。しかし、椅子と料理の主は、三人とも平然と部屋の一角に降り立っていた。

 三対の視線の前で、空間にスキマが現れる。

 スキマの中は、得体の知れない空間だ。無数の目が除き、スキマの端にはリボンが――空間に結ばれている。

 この世とも思えぬ異界の門から、ゆっくりと現れた、紫のドレスの、金髪の少女。

 八雲紫であった。

「いるものよね……どこの世界にも、寄生虫とかウジ虫というものは」

 紫は、面倒くさげに、こともなげに言った。

 惣一の前に現れた時の、悠然たる胡散臭さが、今はない。

 かわって、厄介な雑用を押し付けられたかのような物憂げな気配が――確固たる殺意とともに、まとわりついていた。

「いくら潰しても、尽きることはない。いうなればそれは、世界の摂理のようなものだから」

 そう言って、じろと三人の悪党に目を向けた。

 木原は、ヒューと口笛を吹いた。

「……オイオイ、どうやってここへ来たんだよ。理論上、絶対にバレない隠れ家なんだぜ? ガキどもがいかに賢かろうとも、物理的・心理的な盲点を極めたこの場所は想定すらできねえってことになってたんだがよ……」

「そうね。あの子たちには、それは無理ね」

 紫は、首肯した。

「ここへたどり着くのは、いうなれば世界の裏側を覗くに等しいことだから。それはあの子たちには荷が重いわ。……だからこれは、私の役目」

 そう言う紫の静かな視線の中の、殺意が徐々に強まっていった。

 それはさながら怒れる闘神のごとき、強大な圧力に満ちた視線だ。常人なら、その視線に見られただけでショック死しかねない。

 しかし――カエサルは、冷ややかな怒りに嘲笑で返した。

「おっほっほ……いやねぇ、私が幻想郷に穴を開けたこと、そんなに腹を立てているのぉ? あんまり細かいことにこだわるとシワが増えるわよ? お・ば・あ・ちゃん♪」

 雀夜も――この実年齢十歳にも満たない少女も、平然たる言葉を投げた。

「ルーミアさんも無事返したんだから、もう手打ちでいいじゃないですか。人間、平和が何よりですよ。せっかくおいでになったことですし、ロートシルトのワインでもどうです?」

 目の前に叩き付けられた敵意と殺意を意にも介さない、嘲弄に満ちた誘いに、紫は突きつける白刃のごとき視線と言葉で応えた。

「お前たちのような下衆の酒など飲まない。私が飲みたいのは、お前たちの血だけよ。この八雲紫の怒りに触れて、無事で終わると思うは蒙昧。身を結ばない烈花の如く散らせてあげるわ」

「ハッ――おいおい、勘弁してくれよ!」

 大妖怪からの処刑宣言に対して、木原は。

 宣言の内容ではなく、動機に対して悲鳴を上げて見せた。

「あんなザコ妖怪一匹のためにブチキレるとか、博愛精神を通り越して気狂いの領域だぜ!」

「下衆に貴人の心情は読み取れないわ。ルーミアは私の一部、幻想郷は私の血肉」

 紫の美麗な口もとから、ギリッと歯ぎしりの音が響いた。

「己が血肉をひきむしられて、黙っているほど愚かではない!」

「困りましたねえ。この人、完全に怒ってますよ? どう対処したものですかねえ。カエサルさん、どう思います?」

 目の前の紫から堂々と顔を背けて、雀夜はカエサルに、まるでクレーマーを前にして同僚に相談する慇懃無礼なコンビニの店員のような態度で話しかけた。

 それへカエサルは、笑いながら答えた。

「おほほほ……そうねぇ、考えることでもないでしょ?」

 そして、語気と気配に、これも殺気を滲ませる。

「ちょうど酒の余興が欲しかったところだわぁ。魔界にその人ありと知られた虐殺皇帝カエサルの邪気、ご披露するのも一興だわねぇ。貴方達も黙って見てる気はないんでしょ、ねえ?」

 そう言って、シャキン! と長く禍々しい鉤爪を伸ばした。

 木原も、その刺青面に、毒々しい笑いを滲ませる。

「ヒィッヒヒヒヒヒ……あの『妖怪の賢者』を生け捕ればこいつぁ、大収穫なんてレベルじゃあねえぜ。アレイスターにすら対抗できるかもなぁ!やべぇよ、よだれが止まりゃしねえ」

 そう言って、ジャカッ! と銃にマガジンを押し込んだ。

 雀夜の口もとにも、キューッと半月のような、ピエロのような笑みが刻まれた。

「私は格闘するタイプではありませんが、ゲームは好きですからね。たまにはこのヴィジョン『SOD53』も使わないと、なまってしまうかも知れません」

 その繊細な少女の手に、音もなくトランプのカードが現れた。

 ただのトランプのようにも見えた。だが、空中からいきなり現れたトランプが。こんな禍々しい笑いを浮かべる少女の手に現れたトランプが、ただのトランプであるわけがなかった。

 室内に、急速に殺気が充満していく。さながら、ガスの元栓を閉め忘れた台所のような、危険で危機的な気配で満ちていく。

「さァて、解剖の時間だぜェ! たっぷり学ばせてくれよぉ、おねェェェさンよォォォォォォ!!」

「過ちて改めざる、是れを過ちと謂う。救いがたい亡者よ、華麗に無惨に弾けて散れ!」

 木原のヒステリックな歓喜に満ちた蛮声と。

 紫の気高く烈しい怒声とが交錯し。

 それを合図として、どことも知れぬ場所で、人外の闘争が始まった。



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17 きっと最後は大団円

「……それで?」

 という惣一の問いに、

「うん、まあ。逃げられたわ」

 と紫はあっさり答えた。

 ここはSRC島中央商店街の喫茶店『イリーレスト』。

 先日座ったものと同じ座席で紫は、身体の温まりそうなホットミルクをすすりながら、年老いた猫のようにのんびりとしていた。

 今日は、服装は紫のドレスではない。白を基調とした、道教の道士のような法衣だ。惣一が一言だけ服について聞くと、「修繕が必要なのよ」とだけ答えた。

「……大言壮語しておいてそれか」

 惣一は半目で紫を見た。

 紫もさすがに忸怩たるものがあるのか、すぐに真顔で忌々しげに言った。

「正直甘く見てたのは確かね。あいつら、実力もそうだけど予想以上にしぶとくて。確かに私も幻想郷での平和な環境に慣れて、本当の外道を相手に戦う経験が足りてなかったかも知れないわね。反省しないと」

「くだらんな。まったく呑気な女だ」

 惣一はそういって、琥珀色の液体をグイッと煽った。

 水割りのスコッチ・ウイスキーだ。普段、喫茶店であるイリーレストでメニューに出ているものではないが、恭祐が惣一の頼みで特別に出したものだ。二十歳をすでに四歳も過ぎている惣一が飲むのは、当然ながら合法であった。

「反省するなら猿でもできる。戦争なら、反省する前にすでに斬られて死んでいるものだ。そんな呑気な台詞が言えるだけでも充分恵まれているというべきだな、妖怪」

 惣一は、酒を呷りながら、「妖怪の賢者」と呼ばれた大妖怪をこきおろした。

 言われた紫もおとなしく、

「言ってくれるわね。まあ、私のミスだから抗弁する気もないけれど。でも次は、必ず借りを返してやるわ」

 と返した。

「そう願いたいものだな。特にあの木原は、きっちり殺してもらいたいものだ」

 言った惣一の眼鏡が、ぎらりと光った。

「あの男は危険だ。戦闘能力や科学技術もそうだが、あの決断力や判断力、情け容赦のなさは、まさに悪の天才といっていい。あんな男を野放しにしていては、どれだけ禍根になるか知れん。八雲紫、貴様が釣り逃した魚は大きいぞ」

「そうかもね。でも、これからの世界、危険人物はいくらでもいるわよ。ザボエラの主、大魔王バーン。学園都市の王アレイスター。いずれも木原より強大で危険よ。いかに私といえども、世界の危機とすべて戦うことはできないわ。そう、霧間さんのいっていた、噂の黒帽子の死神さんでもない限り、ね」

「人が最も美しい瞬間に現れ、それ以上醜くなる前に殺す……とかいうやつか。フン、くだらんな」

「女の子たちの伝説だからね。男の貴方はそう思うかもね」

 そう言って紫は、片目をつむって惣一を見た。

「貴方は私を甘いと言うけど、貴方も充分優しいんじゃない? 結局あのザボエラとエトナは助けてあげたんでしょ」

「生かした方が使えると判断したまでだ。二人とも、どこかの組織の人間らしいからな」

 面白からぬ話題に話が転換して、惣一は仏頂面で答えた。

「場合によっては、金と引き換えに解放してもいい。先方から申し出るまでは、SRC島懲罰棟にぶち込んでおくつもりだ」

「そううまくいくといいんだけどねえ。まあ、貴方らしい発言ではあるわね。貴方は騎士団の子たちには事情を話さないの? 貴方一人で抱え込むには、いささか厄介な問題でしょう」

「くだらんな。貴様からの依頼は果たした。問題など、もう起こっていない」

 惣一は、事なかれ主義者の最古参騎士としての発言をした。

「俺のような老頭児は茶でも飲んでいるのが似合いだ。これ以上煩わされることなど――」

 だが、その言葉を最後まで言い終えることはできなかった。

「おーい、河内さん! なんか最近、またこの島で変な奴らが悪巧みしてるんだってさ。あたしも手伝うからやっつけに行こうぜ。今度はあたしの友達も連れてきたからさ!」

 一斉にバタバタと、静かな喫茶店内に闖入してきた人間たちの、その先頭に立つ十歳年下の赤髪の腕白娘に遮られたからだ。

「この人が河内さん? うわー、本当に気難しそうな顔してるわね」

 短い青髪の魔法少女が、無遠慮に惣一をのぞき込んで言った。

 それへ、長い黒髪の少女探偵が、苦笑して弁護した。

「まあ、そう言うなって。こう見えて河内さん、結構優しいところあるんだぜ。ナンパな男には厳しいから、健太郎とは相性悪いかも知れないけどな」

 ちらり、といたずらっぽい流し目をくれる相棒に、ハッカーの青年が抗議の声を上げた。

「ひでーなぁ。俺は凪一筋だぜ?」

「す、すみません河内正騎士……止めたんですが、みんなちっとも聞いてくれなくて」

 一連隊の後方からついてきた、苦労人そうな女騎士――内田深雪が、ハンカチで冷や汗を拭いながら、へこへこと頭を下げた。

 そして、室内をしげしげと見渡して、

「でもすごいですね。こんなに外の世界のお客さんが来るなんて、麻生総代でもめったに……あたっ!」

「のんきなことを言ってる場合か、内田正騎士。虎牢卿、どうかご無礼を容赦願いたい」

 同僚の頭に拳骨を見舞った鷹村誓史が、丁寧に敬礼をした。

「この者たちとて悪気があるわけではないのです。お察しいただければ幸いに存じます」

「…………」

 惣一は何も言わない。

 ただ憮然たる視線で、酒杯と群衆とを見比べていた。

「千客万来ね。私が呼んだのは二人だけなのに」

 と、紫は微笑して言い、入り口の外に合図した。

「入っていいわよ? どうせもう二人ばかり増えても大した違いはないでしょうから」

 その言葉に応じて、喫茶店に入ってきたのは。

「こんにちはー! この間は助けてくれてありがとうねー」

 黒いドレスに金髪の、幼い少女。

 すっかり元気を回復した、ルーミアだった。

「お礼に友達のミスティア連れてきたよー。ミスティアはお料理が大得意なんだよ! 歌もうまいし、きっと惣一を退屈させないよ!」

 その言葉に、横にいた、背中とそして耳の位置から羽根を生やした少女、ミスティアが唇をとがらせた。

「もー、久々に会ったと思ったら人を便利屋扱いして。でも、ルーミアを助けてくれたお礼はしないとね」

 そう言って、「夜雀の妖怪」は快活に片目をつむった。

「せっかく大勢いることだし、ヤツメウナギの蒲焼パーティーもいいわね。眼鏡の貴方、目がよくなるわよ! 店長さーん、ちょっと台所借りていいー?」

 その言葉に、恭祐が微笑して答えた。

「はいはい。よろしければ、さばくの手伝いますよ。私も一応、魚をさばいたりするのも慣れてますからね」

「そう? ありがとー、じゃ半分頼むわ。店長さんの分も作るから、楽しみにしててね!」

「ありがとうございます。あと、私は店長じゃないですよ。店を任されてるだけの、ただのバイトなんでね。まあ、この店に来てそれなりに長いんですけどね」

「へえ、そうなんだ。バイトにしちゃ落ち着いてるね」

 凪が笑って言うと、恭祐も笑って答えた。

「まあ、それなりに場数は踏んでますからね」

「この島だと色々大変ですものね。あ、ミルクティーおかわりください」と深雪。

「あたしはチョコパフェもう一杯! バナナたっぷりつけてくれよなー!」と杏子。

「お肉ー! お肉ちょうだいー!」とルーミア。

「やれやれ。ルーミアは、本当に大食いだな」

「そうだよー。おいしいもの食べると、すっごく幸せになれるもん」

 そう言って、ルーミアは杏子に、笑みを――はっとするほど、優しく柔らかな笑みを向けた。

「杏子は私がなに好きかって聞いたよね? 私、食べるの大好きだよ」

 その言葉に、杏子が目を見張った。

「……! お前……覚えて」

 ルーミアはコクンと頷いて、笑った。

「私のこと助けてくれてありがとね、杏子。友達になろうよ、私たちと」

 ミスティアも笑顔で言い添えた。

「一緒に遊んだり歌を歌ったり、いっぱいおいしいもの食べよ!」

「……っ、お前ら……」

 そう言いかけて絶句した杏子の顔を、なんと表現すればいいのか。

 喜びで笑っているような。嬉し泣きで顔が崩れそうなような。照れ隠しを押し殺しているような――なんとも表現しようのない、しかしそれは紛れもない、歓喜の顔だった。

 過酷な運命を歩む魔法少女がまず浮かべることのかなわなさそうな、そんな表情だった。

「おやおやー。杏子ったら、モテモテじゃないの」

 それへ、さやかも、屈託なくからかいの言葉を投げる。

「隅に置けないわよねー。さやかさんとも、友達になってくれるのかしら?」

 ルーミアも笑顔で答えた。

「もちろん! 友達はたくさんいた方が楽しいもんね」

「杏子も食べるの好きなんだよね。みんなで、大食い競争やろうよ!」

 そしてミスティアが、元気のいい声を出す。

「店員さーん、蒲焼焼けたよ! どんどん持ってって、それにお料理たくさん作って!」

「了解ですよ。さあ新入りの皆、さっそく運んでってくれよ」

 恭祐の言葉に応じて、香ばしいにおいをたてるヤツメウナギの蒲焼の皿を運びにかかる店員たちの姿を見て、杏子は目を見張った。

「了解ッス!」

「いやー、ここはいい職場ッスね」

「ほんとッスよ。休みはとれるわ、給料はちゃんともらえるわで。こんな職場を知ったらもうエトナの所なんか絶対戻れないッスよね~!」

「あ……あいつら、ここに就職したんだ……」

 やや呆然として杏子は、給仕するプリニーたちの姿を眺めた。

「ただ遊ばせておくわけにもいかんということでな。見た目は変だが、よく働いてくれる」と誓史。

「一段落ついたら、君たちもジュース飲んでいいよ」

『ありがとうッスー!!』

 唱和して、プリニーたちはどたどたと店内を駆け回る。

 その喧噪の中で、惣一は、ため息をついて肩をすくめた。

「……騒々しい奴らだ。まったく、面倒きわまりないな」

「あら、幻想郷は大体こんなノリよ? 騒いではしゃぐのも、皆が無事に戻って来れたからこそよ」

 そう言って紫は、穏やかな視線を、遥かに年下の、頑固者の古参騎士という役割を律儀に演じ続ける二十四歳の青年へと向けた。

「貴方だってずっと、こんな日常を守るために戦っていた。そうじゃなくって、騎士様?」

「……フン」

 大妖怪のウインクへ、惣一は鼻息を返した。

 そして、疲れた目を休めるようにして、軽くまぶたを閉ざした。そうすると惣一の顔から頑固で老けた雰囲気がふっと影をひそめ、その顔が驚くほど年相応の若者めいて見えた。

 

 ストレンジャーズ 宵闇の消失

 

 完

 



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閻王と電撃姫
登場キャラクター一覧


この章に登場するキャラクターの出典、およびSRC学園キャラの製作者の方々の一覧です。

全ての製作者の方々に、この場を借りて深くお礼を申し上げます。

SRC学園キャラは下記のURLから詳細を閲覧できます。

 

 

――――――――――――――――――――――――

 

 

 

初春飾利(ういはる・かざり)…………とある魔術の禁書目録

 

絹旗最愛(きぬはた・さいあい)…………とある魔術の禁書目録

 

固法美偉(このり・みい)…………とある魔術の禁書目録

 

佐天涙子(さてん・るいこ)…………とある魔術の禁書目録

 

白井黒子(しらい・くろこ)…………とある魔術の禁書目録

 

御坂美琴(みさか・みこと)…………とある魔術の禁書目録

 

麦野沈利(むぎの・しずり)…………とある魔術の禁書目録

 

 

 

SRC学園

伊佐美千佳(いさみ・ちか)…………凪波様

http://www10.atwiki.jp/byakumu2/pages/424.html

 

加茂川瀬里奈(かもがわ・せりな)…………philo

http://www10.atwiki.jp/byakumu2/pages/2102.html

 

岸本若菜(きしもと・わかな)…………もぐら様

http://www10.atwiki.jp/byakumu2/pages/2228.html

 

来我さつき(くるが・さつき)…………深影一輝様

http://www10.atwiki.jp/byakumu2/pages/614.html

 

十四蔵軌条(としくら・きじょう)…………MAX与太郎様

http://www10.atwiki.jp/byakumu2/pages/432.html

 

 

 

姫士組ネオユニバースとは

 

姫士組(きしぐみ)、もしくはネオユニバースと呼ばれる。

礼節を重きに置き、秩序と平和を守る為に結成された組織。

R女学園の生徒だけで構成される、『害・即・滅』の理念の元に動く戦闘集団で

中等部から高等部の生徒を中心とし、活動を行う。

通常の活動は主に学園周辺を始めとし市街地や商店街、生徒達が

多く集まる場所等の警護や哨戒となっている。

有事の際はR女学園生徒会の風紀委員と共同で事の鎮圧に携わることもあるが、

基本的には組独自の行動をとることが多く、組が『害』とみなしたものには

容赦なく制裁を加え、撃滅する。

 

生徒会長は姫長と呼称、それを補佐する副長が2名着任。

その下に5つに分けられた小隊があり、それぞれに隊長、副隊長が一名ずつ就いている。

それ以外の組員は隊士と呼ばれ、能力に応じて各小隊に配属される。



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01 姫一文字と電撃姫

 能力者や魔術師、モンスターの存在する現代。

 この世界には『SRC島』と『学園都市』の二つの能力者養成機関が存在していた。

 自然発生した『夢干渉能力者』を集めたSRC島。

 科学の力で『AIM能力者』を開発する学園都市。

 二つの力は人々に恐れられつつ受け入れられた。

 

 この物語は学園都市の『レベル5』の少女と、 SRC島で自警団を率いた一人の女性の、出会いと戦いの物語である。

 

 姫士組ネオユニバース。

 SRC島の三つの学園のうちの一つ、R女学園の生徒だけで構成される治安維持生徒会である。

 島で最大規模のクルセイド学園騎士団、聖乙女学園の生徒だけで構成され、三年前の事件によってその勢力を弱めた聖乙女学園警備隊と同格の、島を代表する自警団だ。

 新選組を模して造られ、「姫」一文字を縫い取った陣羽織をまとう少女たちの自警団は、『害・即・滅』の理念の元に動く、他の二つと比較しても苛烈で攻撃的な性格によって、学園の生徒たちの憧れと恐れの象徴として知られていた。

 その姫士組の第十二代姫長は、伊佐美千佳(いさみ・ちか)。

 副長にして、かつての第十一代姫長を、十四蔵軌条(としくら・きじょう)といった。

「千佳。もうだいぶ仕事がんばってるし、少し休まないかい? 冷たい麦茶を用意してあるよ。一口どうだい」

「ありがとうございます、トシさん。お言葉に甘えさせていただきます」

 姫士組隊舎、姫長執務室。

 R女学園を守る自警団の司令部で、二年生の姫長と三年生の副長は、和やかに言葉を交わしていた。

 千佳と軌条は、どちらも印象的な少女だ。

 千佳は一五〇センチに満たない小柄な少女で、軌条は二メートルを超える巨体を持つ少女だ。一見すると、何かのマンガのキャラクターのようにも見える二人組だ。だが、二人を笑い者にしたり揶揄したりする者はいない。彼女たち二人はどちらも、真摯かつ心優しく、そして勇敢な、姫士組の鑑ともいうべき人物だということを、学園の誰もが理解しているからだ。

 カラン、と氷の音を立てて、千佳が麦茶のコップを傾けた。

「ふぅ……冷たくて美味しいですね」

「もうだいぶ暖かくなってきたからね。冷たいものがおいしい時期だよ」

 小柄な後輩とそれを気遣う巨体の軌条は、ホッキョクグマの親子のようだった。

「そうそう、学園都市に行ってる来我さんたちから手紙と写真が来てるよ。ホラ見てみ、掃除ロボットだよ。SRC島のテクテックとはだいぶ形が違うね」

「本当ですね。学園都市は外部より科学技術が十数年進んでいるという噂は本当なんですね。交流先の、風紀委員(ジャッジメント)の白井さんともうまくやっているようですね」

 姫士組5th隊副隊長の来我さつき(くるが・さつき)は、いま学園都市に短期留学に行っている。

 SRC学園と学園都市は、ともに能力開発の名門として、お互いの蓄積するノウハウを生徒の成長に生かすべく頻繁に学生の交換留学を行っていた。

 その活動はとくにSRC島の三大自警団と学園都市の風紀委員――それぞれの治安維持組織の間において活発で、両組織は互いに切磋琢磨し、協力しあった。ひとつには、SRC島も学園都市も、必ずしも治安が良いとは言えず、警察の介入も少ないことも関係していた。

 学園都市は理事長アレイスターの方針により治安維持を学生や教員の有志によって実行させ、SRC島も警察署がありはするものの、実質的な治安維持活動の権限はSRC島の創設者たる三財閥によって学生の自警団に預けられていた。この場にいる二人の少女たちも、まだ高校生の少女ながら、島の治安を預かる警察組織の指導者でもあったのだ。

「白井さんはまだ中学生ながら、確かな実力と実績のある風紀委員のようだからね。5th隊の副隊長として、来我さんも学ぶことが多いんじゃないかな」

「彼女の力なら足手まといにもならないでしょうしね。手紙にも、武勇伝が書かれています。学園都市との交流も盛んになってきましたが、こうして出先の仲間の様子を知るのも楽しいものですね」

「そうだね。……」

「? どうしましたか、トシさん」

 軌条がふいに複雑な顔で黙りこんだのを見て、千佳がいぶかしげに聞いた。

 それへ軌条は苦笑を返して、

「ああ。いや、何となく……ね。瀬里奈さんは今、どうしてるかなって思ってね」

「瀬里奈……加茂川瀬里奈(かもがわ・せりな)十代目姫長ですか」

 千佳は、軌条が口にした人名を反復した。

 加茂川瀬里奈。

 その名は、千佳の世代にはすでに遠い名前だが、軌条の世代にとっては、忘れられない名前なのだった。

「トシさんの師匠で……姫士組中興の祖と、最悪の逆賊という相反する評価を持つ徒花……」

「あの人は……ね。複雑な人だったんだ。とても弱く、悲しい心を抱えていてね……」

 軌条は瞳に憂いをにじませて、少しうつむいて言った。

「当時まだ中学生だったボクは、それを見抜くことができなかった。できることなら、もう一度会って話をしたいね……」

「縁があれば、そのうち会えるのではないでしょうか。私もトシさんと出会えて、色々なことを教われたことを縁だと思っていますから」

「縁……か。そうだね。瀬里奈さんは今、どんな縁に出会っているのかな――」

 そういって軌条は窓の外を見た。

 はるか学園都市の方へと、少女は視線を投げかけた。その空の下に、思う人がいるかもしれないと思いながら。

 

 学園都市第六学区。

 能力開発を目的とする超近代的都市・学園都市。

 二十三に分かれた学区の一つである第六学区は、若者向けのレストランやブティック、それに学園都市の科学力を利用したアミューズメント施設の街として知られる華やかな学区だ。

 都市の外からの訪問者や、息抜きに訪れる学生などで常に賑わうこの街は、無防備な観光客を狙ってひったくりや強盗などの犯罪もしばしば起きている。

 ゆえに、風紀委員と姫士組留学生の合同巡回チームが、こうして見回るのも自然な成り行きであった。

「それでは来我さん、次はこの学区の見回りですわよ。第六学区はショッピングや観光の名所として知られていますから、揉め事が起きる確率も高いんですのよ」

 そう言ったのは、常盤台中学の制服に風紀委員の腕章をつけたツインテールの女子、白井黒子(しらい・くろこ)。

 風紀委員・第一七七支部所属に所属する、勤勉で生真面目な、その組織名の通りの風紀委員体質の少女である。

「そうか。ならば念入りに見ておかないとな。観光名所のエリアなら、役得にもなるしな」

 そう応じたボーイッシュな雰囲気の少女は、紺色の陣羽織を羽織っていた。陣羽織の背中には「姫」の文字が白く縫い取られ、彼女が姫士組ネオユニバースの隊士であることを示していた。

 彼女の名前は来我さつき(くるが・さつき)。

 R女学園高等部2年生であり、姫士組ネオユニバース5th隊副隊長だ。

「そうですわね。来我さんも学園都市(ここ)に来てから教習と訓練ばかりで、見物の時間もなかったでしょうしね。こういう機会でもなくては、せっかくの最先端都市をご披露できませんわ」

「学園都市の噂は聞いていたけれど、こうして見るとまさしく未来都市だね。SRC島も色々と珍しいものがあるけれど、科学技術ではさすがに勝てないよ」

「私も、SRC島は一度見てみたいと存じますわ。かの名高い『伝説の樹海』をはじめとして、いろいろと不思議なものであふれているという噂は聞きますもの」

「まあ、確かにモンスターとか魔術師とか色々いるものな。私も樹海で以前、古代ローマの武将のバーベム・フォン・ガーシュタイン卿と会った時には驚いたよ」

「学園都市には、そういう伝説は少ないですわねえ。もっとも、都市のどこかにあるといわれる『虚数学区』の噂などは伝説の樹海にも負けませんけれど」

「世界中のコンピュータを管理しているとも、不老不死の研究をしているともいわれる『始まりの研究所』か……」

 さつきは、少し眉をよせた。

「見滝原市の『魔法少女』といい、深陽市の『不気味な泡(ブギーポップ)』といい、不思議な噂は尽きないものだね」

「ええ。私も一度、そんな神秘を目にしてみたいものですわ」

 と黒子は言った。

「もっとも私にとっては、愛するお姉様と出会えた運命こそが、まさに最大の神秘……うふふふふ♪」

「思い出すなあ……うちのリズのことを……」

 それまでの真面目そうな様子からふいにだらしなく笑み崩れる黒子を、さつきは呆れた目で眺めた。

 彼女が、「お姉さま」と呼んでいる彼女のルームメイトにぞっこん惚れていることは、さつきもすでによく知っている。

 と、ふいに黒子が、

「おや。噂をすれば、あそこにいるのはお姉様ではありませんの。初春と佐天さんも一緒ですわね。お買い物の途中ですかしら?」

「へえ……あの君と同じ制服の子が?」

 さつきも、黒子の指さす方角にいる、三人の少女に目を向けた。

「ええ。学園都市230万人の頂点である七人の超能力者(レベル5)の第三位――常盤台中学の誇る『超電磁砲(レールガン)』御坂美琴お姉様ですわよ」

 そう言ったときの黒子の表情は、単に「お姉さま」に同性愛的な気持ちを向けるのとはまた違った、尊敬する人を紹介する時の、誇らしげな色がにじんでいたのだった。

 

「うはぁー! 綺麗なペンダント!」

 柵川中学1年生の佐天涙子(さてん・るいこ)は、ショーウインドーを見てそう歓声を上げた。

「ほんとですねー! 色といい形といい、すごく素敵!」

 そう言った、頭に花飾りをつけた少女は、初春飾利(ういはる・かざり)。佐天の同級生であり、黒子同様、第一七七支部に所属する風紀委員でもあった。

「いやー、女の子ってやっぱアクセサリーとか好きねえ」

 そう言ったのは、黒子と同じクリーム色のベストに半袖の制服を着た、気の強そうな短髪の少女。

 常盤台中学2年生にして学園都市に7人しかいないレベル5の第三位・『超電磁砲(レールガン)』こと御坂美琴(みさか・みこと)だった。

 学園都市230万人の能力者の頂点に君臨し、通常の発電能力者の枠をはるかに超越した力を自在に操る彼女も、こうして友人たちとショッピングに興じている姿は普通の女子中学生そのものだった。

「何言ってるんですか。御坂さんだって女の子じゃないですか。素敵なドレスで着飾ってみたり、王子様とダンスを踊ってみたりとか憧れることはありませんか?」

 と初春が言った。

「そ、そうねぇ……あははは」

 美琴は笑い声を立ててごまかしながら、

(ゲコ太のレアグッズの方がいい……とは言いにくい……)

 と内心で難しい顔をしていた。

 彼女は乙女チックな理想を追うよりは、どちらかといえば子供っぽい趣味の持ち主であった。

「うーん……ペンダント欲しいけど値段がなぁ」

 佐天がペンダントを眺めながら唸った。

「そうですねぇ……5万円とか、さすがに気安く手を出せる値段じゃないですよね……」

「お小遣いためて買うにしても、その間に買われちゃうかも知れないしねえ……」

『う~ん……』

 二人そろって唸り声を出す友人たちの傍らで、美琴は別の理由で内心悩んでいた。

(買えなくはないけど……この値段じゃあ、さすがに友達に『買ってあげる☆』って言ったらイヤミすぎるわよね……。せっかく仲良くなれたのに、鼻持ちならないお嬢様扱いは嫌だし……)

 そうやって三人の活発な少女たちが三者三様の悩みをかかえて立っていると、

「何をお困りになっていますの、お姉様?」

 と声をかけてきた少女がいた。

 美琴のルームメイトである黒子だ。

「あっ、黒子」

「お悩みがありましたら、黒子にご相談下さいまし。お姉様の美しいお顔が憂いに閉ざされるなんて、私耐えられませんわ」

「何を言ってるんだか」

 憂い顔でくねくねと身悶える黒子に、美琴は呆れ顔を向けてから、

「そっちの人は? 見慣れない制服と、それに……陣羽織?」

「そうそう、ご紹介が遅れましたわ。この方はSRC島のR女学園高等部2年、来我さつきさんですの。来我さんはR女学園の治安維持系生徒会『姫士組ネオユニバース』で副隊長をされていますのよ」

「へぇ……! 風紀委員の、サブリーダー!?」

 美琴が目を見開くと、さつきは苦笑して手を振った。

「いやいや、副隊長といっても5つある分隊の1つの副隊長だよ。姫士組全体の副会長にあたる副長は、トシさん……十四蔵先輩と、同級生の一文字がやっているんだ」

 初春も笑顔で、さつきの言葉を引き継いだ。

「私は風紀委員つながりで、来我さんとは何度も訓練で会ってるんですよ。姫士組はSRC島における風紀委員に相当する『個人生徒会』なんです」

「個人生徒会?」

 佐天が聞くと、さつきが答えた。

「ああ。SRC島の三学園特有の制度でね。学生個人による同好会や組織の通称で、正式名称は『個人生徒設立同好会』。普通の学校でいう生徒会は『学園生徒会』と呼ばれるんだ。部活とは違う個人的な組織だから、公式の大会とかには出られないけれど、大きな実績を挙げている組織もあるんだよ」

「常盤台でいう『派閥』のようなものですわね。それよりは組織の体裁がより整理されていて、長い歴史を持つ生徒会もあるようですが」

「で、姫士組もそういう個人生徒会の一つなんだ」

 と美琴が言うと、さつきは頷いた。

「姫士組はR女学園開校以来の伝統のある生徒会でね。今の姫長である伊佐美は、12代目の姫長になる。治安維持系の生徒会としてはクルセイド学園の『クルセイド学園騎士団』、聖乙女学園の『聖乙女学園警備隊』と並んでいる感じかな」

「そういえば聞いたことがありますね。ネットとかでもクルセイド騎士団や姫士組の話を聞くことはありますし。有名どころでは、騎士団の初代隊長の白銀渚(しろがね・なぎさ)さんが警察の大物として、よく新聞に出ますね」

「姫士組では2代目姫長の八凪厳江(やなぎ・よしえ)さんが剣術の道場主として活躍しているな。長い歴史のある生徒会では、結構有名人が出てることもあるみたいだよ」

「すごいですね。私も何か、派閥とか入ってみようかしら」

 美琴が言うと、さつきが苦笑した。

「おいおい、君はそのままでも超有名人じゃないか。常盤台中学の第三位、御坂美琴といえば、SRC島でも有名だよ?」

 その言葉に、美琴も苦笑を浮かべた。

「いやー……私としては、あんまり有名になりたくないんですけどね。変にお嬢様扱いされてるみたいだけど、本当は私、がさつな人間だし……」

「面白いな。SRC島のお嬢様学校の生徒会長である、朱雀院飛鳥(すざくいん・あすか)も豪快なことで有名なんだ。表面だけ見てお嬢様だと思っても、なかなか本質はわからないものだよね」

「ですよね! 来我さんが話のわかる人で良かったです」

 美琴は明るい顔で言った。

「どうです、これから一緒に見物でも? 私と初春さんや佐天さんも、ちょっと散歩の途中なんですよ」

「お姉様、私たち見回りの途中ですのよ」

「まあまあ。そろそろ昼休みの時間だし、一緒に食事も悪くないだろう」

 さつきの言葉に、佐天が大声で答えた。

「賛成! 私も来我さんからSRC島のこと、色々聞いてみたいですしね。あの島も変わった噂がたくさんあるそうじゃないですか。人の肉を売る肉屋とか、神業の下着ドロとか」

「相変わらず悪趣味な噂話が好きですね、佐天さん……」

 初春が呆れ顔で言うのへ、美琴が快活に言った。

「まあまあ、初春さん。私もたまには年頃の女の子らしく、噂話に花を咲かせるのも悪くないと思うわ。せっかくのいい天気なんだし、学園都市のことも色々教えちゃいますよ!」

 そして五人の少女たちは歩き出した。

 明るい陽の下、笑いさざめきながら繁華街を歩く彼女たちの姿は、見るからに活気と希望に満ちあふれていた。

 

 その彼女たちを眺める、視線がひとつ。

 

「――――?」

 その女性は、薄手の黒いコートの裾をひるがえし、すらりとした長身の身を、背筋を伸ばしてまっすぐに立って、美琴たちを見ていた。

 コートの下は、黒いスーツに黒いストッキングの、艶やかな黒髪と合った、黒一色の不吉な装いだ。足に履いているのはパンプスやハイヒールではなく、重厚ながら機能的で動きやすい黒い革靴だ。

 それだけなら、まだしも普通の背の高い女性で通っただろう。その凛とした美貌に、思わず目をひかれる通行人はさぞかし多いことだろうが。だがそれよりも、彼女のイメージを決定づけている要素が一つあった。それは姫士組の来我さつきとある意味で共通していて、しかし同時に決定的に違う要素だった。

 彼女のコートの背にも、白い文字が縫い取られていた。しかしその文字は、「姫」ではない。この長身に長い黒髪の女性の背を飾る文字は「閻」――閻魔大王の、閻一文字だ。

「お待たせしました。瀬里奈さん」

 黒服の女性のもとへ、いくらか年下に見えるセミロングの髪の女性が歩み寄り、丁重な口調で言った。

「買ったものはホテルに送るよう言っておきました。どうですか、仕事までお茶でも……? どうかしましたか?」

 女性は、いぶかしげに黒服の女性の見ている方角を見た。

「何を見てるんですか、瀬里奈さん? あの女学生たちが、何か……?」

「――あの娘」

 彼女は、ぽつりと言った。

「貴方も見覚えがないかしら? 若菜」

 無表情な中に、ほのかに険しいものの混じった口調。

 そんな口調を涼やかな声に乗せて、瀬里奈と呼ばれた彼女――元R女学園高等部所属、元姫士組ネオユニバース10代目姫長にして『閻王』と呼ばれた加茂川瀬里奈(かもがわ・せりな)は、そう言った。

「あの……娘ですか? ! あれは……!」

 そう言って目を剥いたのは、岸本若菜(きしもと・わかな)。

 R女学園高等部3年生に籍だけは置いている、元姫士組ネオユニバース隊士。

 そう、「元」である。

「あいつ、5th隊の副隊長じゃないですか! あの原のクソアマについてるやつですよ」

 かつての戦友であったはずの少女のことを、若菜は忌々しげに吐き捨てた。

「あのガキ、学園都市なんかに何の用事で……瀬里奈さん、シメてやりますかね!」

「落ち着きなさい。――そっちじゃないわ」

 瀬里奈は淡々と言った。

「来我さんのことは私も知ってるけれど、それは別に本題じゃないの。……短めの髪をした、彼女よ。よく見かけないかしら、あの顔……?」

「あの生意気そうな顔したガキですか。えぇと……」

 若菜はいぶかしげな顔で、そちらを見た。

 瀬里奈が注視している五人の少女の横顔――そのうちのひとつの、常盤台の制服を着た短髪の少女を。

「……『超電磁砲』御坂美琴」

 瀬里奈がぽつりと言った。

 その言葉は、若菜に驚愕という影響をもたらした。

「!! 御坂って……この学園都市の第三位ですか!?」

「そう。……低能力者(レベル1)から学園都市230万人の頂点に上り詰めた常盤台中学の電撃姫。レベル5らしからぬ庶民的な人柄だと聞いたけど。……噂通りみたいね」

 気さくそうな様子で友人たちと談笑する様子を眺めながら、瀬里奈が言った。

 実際、その姿は230万人の頂点などというだいそれた肩書きの似合わない、ごく平凡で元気な女子中学生としか見えなかった。

 若菜が毒づいた。

「ふン……あんなガキ、瀬里奈さんに比べれば大したことないですよ。いくらもてはやされようと、しょせんは中坊じゃないですか」

「どうかしらね……聖乙女学園の闇を司る永遠之道雀夜(とわのみち・さくや)は8歳の子供よ?」

 瀬里奈が出した人名に、若菜は露骨にひるみを見せた。

 その聞きなれない、どこかまがまがしさを感じさせる名前に――神の視点から瀬里奈と若菜を見ている我々は、覚えがある。

 危険で邪悪な人間としての姿を目にしていた覚えが。

「あ、あんなバケモノは例外じゃないですか。あの御坂とかいうガキなんか、まるっきりただの中学生ですよ」

「……そうね。貴方の目には、彼女はその程度に見えるかもしれない」

 瀬里奈は言ったが、その目は若菜を見ていない。ただじっと、くいいるように美琴を見ていた。

「でもね、私には見えるの。彼女から立ち上る電磁波が……それとともに立ち上る『王者』の気のゆらぎが。軌条や千佳と同じ、人の上に立つ器……しかも彼女は、自分の持つ可能性の大きさに気付いてすらいない。うふ、ふふ……あぁ、いい。そそる。そそるわね……」

「……っ、瀬里奈さん」

 若菜が怯えたように言った。

 物静かで沈着そうだった瀬里奈の面と口調に、徐々に興奮が宿ってきていた。

 その美しい白い頬は紅潮し、かたちのよい唇にはぞっとするような残忍な笑みがきざまれた。その声にもまた、マグマのような狂熱がゆるやかに立ち昇ってきていた。

「……予定が変わったわ。若菜」

 高熱をほのかにはらんだ声で、瀬里奈が宣言した。

「集会所に行くわよ。『彼女』のことだから、もうすでに来ていることでしょうし、ね――」

 そう言い捨てて、瀬里奈は革靴の踵を返した。

 瀬里奈さん、と叫びながら若菜があわててついて行った。

 あとには、一瞬の異物の痕跡を残すことのない、繁華街の喧噪が、そこにあるばかりだ。




今回のSRC学園登場キャラクター

伊佐美千佳(いさみ・ちか)…………凪波様
http://www10.atwiki.jp/byakumu2/pages/424.html

加茂川瀬里奈(かもがわ・せりな)…………philo
http://www10.atwiki.jp/byakumu2/pages/2102.html

岸本若菜(きしもと・わかな)…………もぐら様
http://www10.atwiki.jp/byakumu2/pages/2228.html

来我さつき(くるが・さつき)…………深影一輝様
http://www10.atwiki.jp/byakumu2/pages/614.html

十四蔵軌条(としくら・きじょう)…………MAX与太郎様
http://www10.atwiki.jp/byakumu2/pages/432.html


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02 忍び寄る閻王の魔手

「こんにちは」

「あっ、加茂川さん」

 その建物に入ってきた瀬里奈と若菜を、十二、三歳ぐらいのフードつきパーカーを着た少女が出迎えた。

「お早いお着きですね。仕事の時間には超早いですよ」

 少女の名は絹旗最愛(きぬはた・さいあい)。

 学園都市の暗部組織『アイテム』のメンバーだ。

「ふふ、ありがとう。実は少々、用があってね。……『彼女』はいるかしら?」

「はい、いますよ。今呼んできますね」

 絹旗が奥の部屋へ行こうとすると瀬里奈が言った。

「お呼び立てしては失礼だわ。私から行くわよ」

 すると絹旗が首を振った。

「いえ。こちらの都合なんですよ。あの人、勝手に部屋に入られると、超機嫌が悪いですから」

 その言葉に、瀬里奈は頷いて、居間のソファーに腰を降ろした。

 絹旗が呼んでこようとする人物が、怒らせてはいけないたぐいの人物であることを、瀬里奈は知っている。

 無論、誰かを恐れる瀬里奈ではないが、さしあたっては、無用なすれ違いは回避しておく必要があった。

 

「なによ、仕事の前に来たりして。おちおちスーパーマサオブラザーズもやってられないわ」

 面倒くさそうに頭をがしがし掻きながら、大柄な長髪の女性が言った。

 彼女がこの学園都市の暗部組織『アイテム』のリーダーであり、レベル5のひとり『原子崩し(メルトダウナー)』こと麦野沈利(むぎの・しずり)だ。

 戦いに臨んでは鬼神のように荒れ狂うことで知られる彼女も、今はまるで満腹した虎のように大人しい。

「あら、意外ね。貴方のような人が子供の遊びをやるなんて」

 と瀬里奈が言うと、麦野は退屈そうに伸びをした。

「暇の潰し方覚えてないと、こんな仕事やってられないわよ。場合によっては3日間ずっと待機って事もあるんだから。で、何の用? 話し相手が欲しいってんだったら、私はゲームに戻るわよ」

「まさか。学園都市が誇る第四位『原子崩し(メルトダウナー)』ともあろう者を、つまらない用事で使うわけがないじゃない。私は力のある者には相応の敬意を払う主義なのよ。そして貴方は敬意に値する人間だと思うわ」

「お追従ね。つっても、悪い気はしないけど」

 麦野は軽く口もとをゆるめた。

 ただの追従ではあっても、それが心にもない追従というわけではないことを、麦野は理解し、それを前向きに受け取っていた。

「こちらとしても、SRC島にその名を轟かせた『閻王』の力を借りられるのは光栄だしね。私は頭を使うのは得意な方じゃないから、あんたの軍略家としての能力は助けになると思うわ」

「お褒めに与り光栄の至り、といっておくわ。フフ……」

 瀬里奈は静かに笑った。

「私がここへ来たのは、貴方の部下を借りたいからよ。若菜だけでは足りないし、といって貴方自身を動かすのは悪いからね。私の私用に『原子崩し』を駆り出すなんて、さすがに役不足が過ぎるというものよ」

「部下を? まあ絹旗は今ここにいるけどね。滝壺とフレンダは別件で働いてるわ。それもあって、今回は貴方に協力してもらったわけだし。で、絹旗に何の用なわけ?」

「ええ。実はね――」

 麦野の問いを受けて、瀬里奈は口を開いた。

 その口から語られた説明を耳にした、麦野は。

「……本気なの? 貴方」

 と、眉をひそめた。

 一方の瀬里奈は、楽しげに笑っていた。否、愉しげに、と言うべきだろうか。

「あら、私がこんなことで冗談を言う人間に見えるかしら?」

 対する麦野はため息をついた。

「冗談にも聞こえるわよ。仕事の前だってのに……言っておくけど、面倒はごめんよ?」

「ふふ、心配しないで。貴方に迷惑のかかるようなことはしないと約束するわ。私の手並みはわかってるでしょう? 麦野さん」

「まあ、ね。貴方の腕を疑っているわけじゃないけど」

 麦野は肩をすくめ、それからニヤリと笑った。

「それに、そうね――私を差し置いて第三位に収まってる小生意気なガキの鼻をあかしてやれるのは愉快だわね。いいわ。絹旗、協力してあげなさい」

「わかりました。加茂川さん、超よろしくお願いします」

 麦野の指示を受けた絹旗は、瀬里奈へと慇懃に頭を下げた。

「では、その標的を狙う準備をしますか?」

「学園都市の地理は貴方が詳しいはずよ。まずは彼女の通学路の割り出しを頼むわ」

 そう言うと瀬里奈はその優雅な口もとをほころばせ、両手で身を抱いた。

「ああ、早く会いたいわ御坂美琴さん。貴方なら私の飢えを、渇きを、疼きを癒してくれるのかしら? うふふふ……」

 その口から漏れる含み笑いと、ぎらぎらと輝きだす瞳とは、気の弱い者なら見て、聞いただけで怖気が走るようなものだった。

 しかし、その場にいた三人の女性たちは、そのような反応はしなかった。

 麦野は「処置なし」とでもいいたげに両手を広げてみせ、絹旗は特に反応することなく淡々とタブレットを操作し始めた。そして瀬里奈の同行者たる若菜は――うっすらと微笑んで瀬里奈を見ていた。その視線はうっとりとした歓喜に染まり、その口は薄笑いを浮かべていた。

 ここは学園都市の暗部組織のアジトだ。

 その場に集うような者達は所詮、大なり小なり、どこかしらまともではないのだった。

 その中でもとりわけまともでない、黒髪に黒服の元姫長は、まだ見(まみ)えぬ宿敵――レベル5の第三位という大仰な肩書きの割にはあまりにもまともな、まだ十四歳の活発な少女のことを思い、含み笑いを漏らし続けていた。

 

「おおっ! うまいな、このクレープ!」

 さつきは、口のなかに広がる甘いバナナとクリームの香りに、思わず顔をほころばせた。

「でしょでしょ? これ、超おすすめなんですよ」

 佐天も、ブルーベリーソースのかかったクレープを頬ばりながら、その味と、そして新しい友人がひいきの店の料理を喜んでくれているという事実との両方に対して笑顔を浮かべた。

「私と御坂さんが最初に出会った時も、ここでこれ食べたんですよね」

 そのクレープ屋は、第六学区でも評判の店だ。

 しばしば行列ができて売り切れてしまうこともあり、この日の美琴たちが五人分確保できたのは幸運なことだった。

「出会いのクレープ、というところですわね。縁起ものですわ。来我さんもこのクレープを食べて、この街に親しんでいただければ幸いですわ」

 黒子の笑顔に、さつきも笑顔を返した。

「ああ。隊の仲間にも食べさせてやりたいよ。この街にいる間の楽しみが増えたな!」

「それはいいですけど……来我さん」

 美琴は、あずきと抹茶アイスのクレープを食べながら、なんとも微妙な顔をさつきに向けた。

「ん、何だい?」

「チョコバナナクレープにマヨネーズかけるのはどうかと思うんですけど……」

 そう。

 さつきが食べている甘い甘いクレープには、卵と塩と油の味でいっぱいのマヨネーズがべっとりとかけられていたのだ。

「う……うえぇ」

 佐天が思わず口を押さえた。さつきが懐から堂々とマヨネーズのボトルを取り出した時には、四人とも目を疑ったものだ。喜んで食べているさつきに、なんとなく誰も指摘できないでいたものを、ようやく美琴が指摘したのだった。

「何を言う! マヨネーズは正義だぞ!」

 さつきは、決然とした表情で叫んだ。

「マヨこそは神の与えた食物にして、ありとあらゆる栄養と叡智が詰まった天上のエキスだ!」

「どれだけマヨネーズ好きなんですか、来我さんは~」

 初春が呆れた声を出した。

「そういえば来我さん、SRC島には名物はありますの?」

 黒子がとりなすように苦笑しながら言った。

「そのうち私たちも、島へお邪魔することもあるかも知れませんし、うかがっておくのもいいですわ」

「そうだね。うちの島にも、色々といい店が出ているよ。この学園都市にも支店があるはずだけど、外食チェーンの海月楼が店を出していてね」

「海月楼ですか! あそこ、いいですよね」

 と佐天。

「私たちもよく四人で食べに行くんですよ。やっぱ、中華はボリュームたっぷりですもんね!」

「ああ。私たちもよく仲間同士で連れ立って行くよ。そしてSRC島の支店はね、海月楼チェーンのクレア社長が直接経営してるんだよ」

 その言葉に、美琴が目を見張った。

「へえ……! 凄いじゃないですか! あの世界中に広がるチェーン店の社長さんの直営なんて」

「社長さんの作る料理がまた天下一品でね。SRC学園の生徒の一番の贅沢だよ」

 と、さつきが自慢げに言った。

「あと、聖乙女から来てるバイトでチャーハン作りのうまい子がいてね、色々と特別メニューが多いんだ」

「いいですねえ。私もチャーハン大好きですよ」

 と言ってから初春が気がかりげに、

「あとSRC島にはモンスターを食材にした料理を出す店があるって聞いたんですけど、本当なんですか?」

「モンスターの料理!?」

 美琴が目を剥いた。

「ああ、丼ドルマだね。有名なモンスターハンターだった人が店長をしていて、色々な食用になるモンスターを使ってるんだよ」

「食べられるんですか? それ……」

 当然といえば当然の美琴の反応にさつきは苦笑しながら言った。

「最初はちょっと抵抗があるかも知れないけどね。キマイラやワイバーンの肉は普通の牛や鶏の肉とそう違わないよ。スライモはジャガイモみたいだし、ダイミョウガザミはカニに似てるしね。それでも普通の食材とは違った味わいで、一度はまるとやめられなくなるよ」

「いいですねえ。なんか食べてみたいなあ」

「ああ。あれはお勧めだよ」

「学園都市にはモンスターはあまりいないようですし、モンスターの宝庫といわれるSRC島ならではですわね」

「まあ、以前原隊長に虫機動イナゴの甘露煮丼を食わされた時にはさすがに死ぬかと思ったけどな……」

「どんなモンスターなんですか? それ」

「人間の手ぐらいの大きさのイナゴが丼に盛られているところ、といえばわかってもらえるか?」

「や、やめてくださいよ! クレープ食べられなくなるじゃないですか」

 美琴が、いやな顔で叫んだ。

 それへさつきが笑ってみせて、

「まあ、たいていのメニューは普通に食えるものばかりだからね。別に毒じゃないし食品衛生法もパスしてるし、話の種に食べてみるのはいいと思うよ」

「そうですねぇ。面白そうですけど、グロいのは遠慮しますよ」

「私、グロいのも興味あるかも。来我さん、他になんかエグいのはないんですか?」

 佐天が聞くと、

「そうだなあ。プリンそっくりのモンスターの『ぷりん』をご飯にかけた、ぷりん丼もなかなかエグいな」

「ご飯にプリンをかけて食べるとか、どれだけ白米を冒涜してますの……」

 黒子がげんなりとした顔で言ってから、はっとした顔で、

「っと、いけませんわ。そろそろ風紀委員の会合の時間ですわね。今日はお姉様も参加される予定だったのでは?」

「そうそう。姫士組との交流で、色々と学園都市の情勢について知っておくって話だったわね」

「私一人だけフリーか。退屈だなあ」

 佐天が伸びをした。

「まぁ、部外者の私が風紀委員の会議に出るわけにもいかないしねえ。とりあえず駅前でウインドーショッピングでもして寮に帰るよ」

「わかりました。最近また物騒だから、裏通りには入らないようにして下さいね」

 心配げな顔で言う初春に、佐天が片手を振ってみせた。

「わかってるわかってる。私だって子供じゃないんだから」

「気をつけて下さいね。それじゃ佐天さん、失礼しますね!」

「お疲れ様ー、初春。風紀委員のお仕事がんばってね」

 そう言った佐天が、にやりと悪戯な笑みを浮かべた。

「もしも強盗や喧嘩に出くわしたら……そいやっ!」

「きゃああああ!?」

 初春が悲鳴を上げた。

 背後から忍び寄った佐天に制服のロングスカートを勢いよくめくり上げられたのだ。

「……と、こーんな感じに可愛いイチゴ柄のパンツで悩殺してやりなよー♪」

「もー、佐天さんっ!皆もいるのに何てことするんですか!」

「あっはっはー♪」

 紅潮した頬をふくらませて抗議する初春に、佐天は楽しげに笑い声を上げた。

 さつきが呆れて言った。

「確かこれで3回目だったかな? 初春さんのパンツ見るの……」

「う、うぅ~……」

「やれやれ……佐天さんも、男の子がいる時にはやらないようにね」

 美琴が呆れて言った。

「わかってますって~。さてと、それじゃ皆、がんばってくださいね」

「それじゃ、また明日!」

 さつきがそう言って片手を上げ、佐天に背を向けて去っていった。佐天以外の少女たちは、皆そのあとへ続いていく。

 友人四人の後ろ姿が人ごみにまぎれて見えなくなったのを確認した佐天は、携帯電話を取り出して時間を見た。

「さてと、まだ時間あるし寮に戻るのも早いかな」

 つぶやいて携帯電話をポケットに戻し、

「とりあえず本屋にでも寄るかな。今月の少年ゴンゴンの発売日もそろそろ――ん?」

 のんびりとつぶやいた佐天は、目の前に立った人影に、一瞬気付かなかった。

 それから、どうやら相手が意図的に自分の前に立ちはだかっていることを知り、いぶかしげに視線を向けた。

 十二、三歳ぐらいのパーカー姿の少女に。

「佐天涙子さん……ですね?」

「そうだけど、誰……?」

 とまで言ったところで、佐天の意識は途切れた。

 少女――絹旗最愛が音もなく振るった拳がみぞおちに食い込んだのだ。

 ぐったりと脱力した佐天が倒れかかるのを、人目につかないよう拳で気絶させた絹旗と、その横にいた若菜が、

「あなた大丈夫?」

「顔色が悪いわよ。立てる?」

 などと、周囲の通行人に聞こえるように言いながら両側から佐天の体を支えた。

 通行人たちは、誰も事態に気付いていない。佐天の様子を見た者も、二人の女性が助けに入ったのを見て、大丈夫なのだろうと思ってそのまま通り過ぎていく。

 いままさに、佐天が気絶させられて拉致されようとしていることなど、その場の誰も気付くはずもなかった。

「手際がいいわね。さすがは『アイテム』のメンバーね」

「私を褒めても何も出ませんよ。早く指定の廃ビルへ行きましょう。加茂川さんが超お待ちかねですよ」

 絹旗と若菜は、小声で言い合いながら、佐天の体を両側から軽々と運んで、どことも知れぬ場所へと連れ去って行った。

 あとには、繁華街の喧噪が、何事もなく残されているばかりだった。



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03 凶報来る

「思ったより早く済んだわね」

 街角で缶ジュースを片手にしながら、美琴は黒子に言った。

 見回りを終えた一同は、さつきと初春が本部へ戻り、黒子が美琴とともに宿舎へ戻ることになったのだった。

「そうですわね。まあ、来我さんや初春は固法先輩と一緒に居残りで大変ですけれども」

「来我さんは毎日仕事で大変ね。初春さんはなんで残ることになってたんだっけ?」

「風紀委員が集めた危険人物、組織の情報の整理ですわ。初春はパソコンを利用した情報処理の専門家ですから。今日私たちが聞いた情報も、風紀委員の扱う情報の一端に過ぎないのですわよ」

 風紀委員としての初春は、黒子のように腕が立つわけではない。しかし、彼女には黒子にできないことができた。それがすなわち、凄腕のシステムエンジニアに匹敵する情報処理能力であった。それがあるため、こうして見回りの任務を終えた黒子よりも帰りが遅くなることもしばしばあった。

「あ……あれだけの話を聞いたのに、まだ何か情報が?」

「それだけこの世界が複雑化しているということですわね。今やこの世界は能力、魔法、モンスターのみならず宇宙人、異世界人など数知れない超常現象であふれ返っていますもの」

「私たちの力も超常現象なのかしら?」

「まあ一応、物理学的には人間が発電したりテレポートしたりは出来ないですからね。『自分だけの現実(パーソナルリアリティ)』にせよ『夢干渉波動』にせよ、その正体は誰にもわかりませんものね」

 黒子はテレポート能力を発動する力を秘めた自らの両手を、不気味なものを見るような視線で見つめた。

「ま、それを言えば『火』だの『電気』だのって現象も、結局それが何なのかは誰にもわからないわけなのよね。電気の正体は昔は雷様の怒りとされてて、今は電子の運動とされてるけど、結局呼び方が変わっただけ……って何かの本に書いてあったわ」

 言ってから美琴は苦笑した。

「まあ正直、私は数学や言語なんかは得意でも、概念とか考察とかそういう文系の分野は苦手なのよね」

「学園都市の学問も、基本的に理系重視ですものね。SRC学園では文系の考察も進んでるそうですから、そのうち来我さんに聞いてみるのも良いかも知れませんわね」

「そうね。案外、わからなかったことがわかってくるかも知れないわね」

 そう言ってから、美琴はふと空を見上げて考え込んだ。

(あんまり考えたことがなかったものね。なんで私の力がアイツの右腕には通用しないのか、とか――)この学園都市だけ科学が30年も進んでる理由も、謎といえば謎なのよね……)

 美琴の物思いは、懐からの着信音によって破られた。

「あれ? メールだ。佐天さんからか。なになに……」

 言って携帯電話を開いた美琴は、

「……っ!?」

 と血相を変えた。

「お姉様? どうなさいましたの?」

「黒子! こ、これ……!」

「佐天さんからのメールですわよね。何かおかしなことでも……っ! これは……!」

 そのメールの文面を見た黒子も驚愕の表情を浮かべた。

 佐天のメールアドレスで届いた、そのメールは。

 しかし明らかに、佐天の手によって書かれたものではなかった。

 そのメールには、こう書かれていたのだ。

『拝啓 御坂美琴様初めまして。佐天涙子さんの身柄は預からせていただいたわ。

 賢い貴方なら、佐天さんの携帯から別人がこんなメールを送って来た時点で何が起きたか気付くのではないかしら? 私が佐天さんを誘拐した目的は一つ。御坂さん、貴方との決闘よ。今すぐに指定の場所に来て頂戴。姫士組の雄と謳われた私なら、学園都市230万人の頂点の一柱に立つ貴方を満足させられる自信があるわ。30分以内に来なかった場合、佐天さんを殺しはしないけれど、海外へ拉致させていただくわ。お友達に知らせるのは構わないけれど、警備員には知らせては駄目よ。困るからというより、無粋ですもの。警備員や風紀委員に動きがあった場合、通報したとみなして、佐天さんともども海外へ脱出させていただくわ。じゃあね、御坂さん。素敵な時間を共に楽しみましょう。貴方にとっても刺激的な体験を約束させていただくわ。

 姫士組ネオユニバース元十代目姫長加茂川瀬里奈』

「な……なんですの、……これ」

 黒子は茫然と言った。

 治安維持に携わる風紀委員とはいえ、基本は平穏な日常に身を置く学生である黒子には、唐突に訪れた異常事態に即座についていけなかったのだ。

 それは、レベル5とはいえ、黒子以上に荒事の専門家とはいえない美琴も同様だった。

「わ……私に聞かないでよ! 私だってわけわかんないわよ、こんなの……! 冗談にしか見えないけど……でも佐天さんがこんなメール出すわけないし! 佐天さん、本当にさらわれたんだ……!」

 色を失う美琴のかたわらで、黒子も緊迫した顔つきで携帯電話のボタンを押した。

「お姉様、写真が添付されています! 縛り上げられた佐天さんが写っていますわ! 佐天さん、気の毒に怯えていますわ……。佐天さんの肩を抱いて笑ってる黒髪の女……これが加茂川瀬里奈?」

 黒子の言った通り、そこに映っているのは佐天だった。顔面蒼白で怯えた表情の彼女に馴れなれしく寄りかかって、不敵な表情を画面に向けている長髪の女。まぎれもなく、閻一文字を背負った元姫長、加茂川瀬里奈その人だった。

 美琴はその写真を見て憤慨した。

「なんて性悪な誘拐犯よ……。恐がってる女の子の横でにやにや笑うなんて! 黒子っ! 今すぐこいつ、ブッちめに行くわよ!」

「お姉様! どうか、冷静なご判断を! これは罠ですわ。ただ突っ込むだけでは、何が待っているかわかりませんわよ!」

「だ、だとしても……! 時間が指定されてるわよ!? 殺されはしなくても、佐天さんが海外へ連れ去られてしまったら、どうにもならないわ!」

 その言葉に黒子は眉をひそめて考え、

「た、確かに……。ですが、初春たちにも連絡を。犯人は元姫士組姫長と名乗っています。来我さんなら、何かわかるかも知れませんわ! 私もお姉様と同行しましょう。その途中で、初春さんにメールを送りますわ!」

「わかったわ。すぐ行きましょう」

 言って美琴はキッと眉を上げた。

「加茂川瀬里奈……! 何のつもりか知らないけど、私の友達に手出しをしたら、ただじゃ済まないわよ!」

 未知の相手に友人がさらわれ、自らは戦いを挑まれたと知りながら、美琴の心に怯みはなかった。

 その心と、そして瞳に映るものは、電撃姫の二つ名にふさわしいもの――闘志であった。

 

「佐天さんが誘拐された!?」

 風紀委員・第一七七支部。

 初春と黒子の先輩である固法美偉(このり・みい)は、驚いて叫んだ。

 初春も、真剣な顔で携帯電話を見せた。

「はい。白井さんからこのメールが! 事情を説明したメールと、犯人からの脅迫メールの転送が……」

 と、そのメールと写真を見たさつきが目を見張った。

「これは……っ、加茂川元姫長!?」

「知ってるの、来我さん?」

「はい、固法さん……。姫士組の二代前の姫長で、姫士組中興の祖と最悪の逆賊という相反する評価を持つ人物です」

 苦いため息をつきながら、さつきが答えた。

「先代姫長で現副長の十四蔵さんの師匠でもあり、非常に有能な人物だったとか……。私は面識がありませんが、うちの隊長の原先輩から色々話を聞いていましたから……」

「どうしてそんな人が、佐天さんを誘拐するんですか? 姫士組といえば、SRC島の風紀委員のようなものじゃないですか」

「原さんの話では、大変な愉快犯で、人を困らせるのが大好きな変人だったとか。あまりに奇行が多すぎて、味方から不信任案を突きつけられて失踪したんです」

「ずいぶんと厄介な人物みたいね……」

 固法は眉をひそめた。

「この脅迫メールから判断すると、御坂さんがレベル5であることで腕試しを挑みたい、と読めるけど?」

「その解釈でいいと思います。腕試し自体は、姫士組の気風に合った習慣ですし。うちは元々、規律の厳しい騎士団に比べると、豪放であることを好む気質がありますから」

「風紀委員とも結構違うんですね」

「佐天さんは安全なの? 警備員には知らせるなと、メールには書いてあるけれど――」

「はい……。確かに不用意に加茂川元姫長を刺激するのは危険かも知れません。彼女が糾弾され失脚したもう一つの理由……それは3年前の祇園会事件の時、内部粛清をやったことにあります」

「しゅ、粛清!?」

「祇園会事件……確か能力者至上主義を掲げた個人生徒会『祇園会』による武力蜂起の事件だったわね」

「はい。SRC島全土が戦争状態になり、大勢の学生が死亡した悲惨な事件です。この混乱状態に乗じて、犯罪組織のスパイなどが自警団に入り込んでいたのですが……」

「加茂川さんは、そのスパイを粛清したと?」

「はい。綿密な調査にもとづき、一人の間違いもなく確実にスパイだけを処刑したそうです。ですが、そのやり口は非常に残忍で、大勢の隊員の前でスパイをつるし上げ、剣や銃で殺害したんです」

「ひ……酷い……!」

 風紀委員に所属しているとはいえ、基本的に平和な学生である初春にとって、それはまるで異次元の出来事のような、信じがたい話であった。

「学校でそんなことを……」

 初春に比べれば荒事に慣れている固法も顔をしかめた。慣れてはいても、瀬里奈のしたことが、学校であっていいようなことでないことには変わらなかった。

 さつきも厳しい表情で言った。

「……加茂川元姫長は異常者です。刺激した場合、何をするかわからない危険性があります。固法さんにも、慎重な対応をお願いします!」

「わかったわ。貴方も、姫士組の先人が前科者になるのは避けたいでしょうしね。加茂川元姫長は、金品や人質を要求してるわけではないのよね。御坂さんが決闘に応じれば、佐天さんを解放すると……」

「はい。彼女は約束は守る人だと聞きましたから。私は指定の場所へ行きます。万一のことがあった場合、何があっても加茂川さんを止めなくては」

「でしたら、私も行きます! 佐天さんは私の大切な親友ですから……!」

 決然とした初春の言葉に、固法は少し逡巡してから、ため息をついた。

「……仕方ないわね。後の始末は私がしておくから、気をつけて行きなさい。かつての先輩とはいえ、相手がそんな異常者なら、くれぐれも対応には注意するのよ」

「はい。固法先輩からのご指導、必ず役に立てて見せます。加茂川さんが罪を犯すことのないよう、何とかして止めないと!」

「佐天さん……無事でいて下さい!」

 決意を胸に、二人の少女は風紀委員支部を飛び出した。

 部屋に残った固法は、さっそくパソコンへ向かって高速でタイピングの指を走らせつつ、内心で友人の安全と、無事な事態の鎮圧を祈っていた。



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04 佐天と瀬里奈

 十数分前。

 とある廃ビルの薄汚れた薄暗い廊下を、三人の少女が歩いていた。

 そのうちのひとりは、後ろ手に縛られ、残りの二人によって引き立てられていく最中だ。繁華街の真ん中で拉致された佐天と、拉致の実行犯である絹旗と若菜だ。

 佐天は、不安と憤慨のないまぜになった顔で振り向いた。

「な、なんなのよあんたたち……! こんなことして、警備員に捕まったら……ぐッ」

 言葉の途中で、呻き声に変わった。

 若菜が佐天の長い髪をつかんで引っ張ったのだ。

「誰が無駄口叩けって言ったの? あんたは黙って歩けばいいのよ」

 冷ややかに言う若菜に、絹旗が小声で忠告した。

「岸本さん、あまり乱暴な扱いをすると加茂川さんが超怒りますよ」

「チッ……まあいいわ、とっとと歩きな!」

「うぅっ……」

 唐突な暴力に晒されたことで、気持ちの憔悴した佐天はうつむいてとぼとぼと歩き出した。

 大丈夫、御坂さんが助けに来てくれる、と内心で呟きながら。

 やがて三人は、廃ビルの奥の、広間らしき場所に出た。

 その中央には、優雅な姿勢でソファーに腰かけている女性が一人いた。

 その女性へと、若菜は恭しく言った。

「瀬里奈さん! 佐天涙子を連れて来ました」

「フフ……ご苦労様」

 瀬里奈は悠然と言った。

「それじゃ絹旗さん、貴方は引き上げて構わないわよ。貴方は面が割れるのが嫌なのでしょう?」

「まあ、そうですね。私の役目は手伝いって事でしたからね。それじゃ加茂川さん、ごゆっくり」

 そう言って立ち去る絹旗の背中を、瀬里奈が見送った。

「年少にも関わらず、優秀な子よね。ああいう部下がいれば、組織は栄えるわね。貴方もそう思わない? 佐天涙子さん」

「な、なに……何の話してんのよ」

 急に話を振られた佐天は、面食らって口ごもった。そして、瀬里奈をキッとにらんだ。

「あんたがここのボスなわけ? な、なんでこんな人さらいみたいな真似するのよ!」

「あらあら、呑気な子ねえ。人さらいみたいな、じゃなくてこれ、人さらいそのものじゃないの。うふふふ……」

「……っ!」

 こともなげに微笑む瀬里奈に、佐天は怯えた表情を浮かべた。相手は、自分が犯罪行為をしていることを承知の上で、むしろ自慢の種にしているのだ。それはつまり、相手の良心に訴えるようなやり方は意味がないということでもある。佐天の不安の色が強まった。

「わ、私を……どうするの?」

 怯えた声で言う佐天に、瀬里奈は優雅に笑いかけた。

「心配しなくても、貴方を殺したりはしないわ。ただ、御坂さんが要求に応えてくれなかった場合、2、3年ばかり外国で暮らしてもらうことになるかもね。ふふふっ」

 その言葉を聞いて、佐天の顔に恐怖と不安以外の感情が宿った。

 友に手出しをされることへの懸念と、そして怒りとが。

「御坂さん……!? 御坂さんに何の用があるのよ!」

 それに対する、瀬里奈の答えは簡潔だった。

「決まってるわ。戦うのよ」

「っ!?」

「貴方も知ってるでしょう? 御坂美琴さんは学園都市の最高峰の能力者の一柱、第三位の『超電磁砲』。その戦闘力はまさしく天下無双。本人の気質も勇敢かつ誇り高いわね。思わず勝負を挑みたくなるのも当然だとは思わないかしら?」

「っ……そ、そんな理屈!」

 瀬里奈の身勝手な物言いに、佐天は憤慨した。

「あんた、一体どこの誰なのよ。何でこんなひどいことするのよ!」

「おい、小娘! 瀬里奈さんになめた口を――」

 横に控えていた若菜が、そう怒鳴って佐天の胸倉を掴もうと手を伸ばしたが、

「およしなさい。若菜」

 という瀬里奈の静かな制止に、

「っ! は、はいっ!」

 電気にかかったように飛び下がった。飼い慣らされた犬でもここまで忠実に言うことを聞かないだろうと感じさせる態度だった。

 そんな若菜の様子には取り合わず、瀬里奈は再び佐天に微笑を向けた。

「ふふふ……そうねえ、自己紹介がまだだったわね」

 言って立ち上がり、軽くスカートをつまんで一礼した。

「私の名前は加茂川瀬里奈。元姫士組ネオユニバース十代目姫長をつとめていた者よ。人によっては……そうね、『閻王』とか『炎帝』とか呼ぶ者もいるわ」

 その名を聞いて、佐天ははっとした。瀬里奈の言葉には、佐天の聞き覚えのある単語が含まれていた。

「! 姫士組……姫長!? それって、まさか来我さんの……!」

「昨日、現5th隊副隊長の来我さつきさんと会っていたわよね。ならば、姫士組の説明は彼女から聞いてるわね。そう、私はその姫士組の二代前の指導者。祇園会の蜂起で戦争になったSRC島で姫士組を指揮した人間よ。先代姫長で、今の副長になってる軌条は私の弟子よ」

 その言葉は、佐天を納得させるよりは、むしろさらなる疑問をもたらした。

 その疑問を、佐天はそのまま口に出して相手にぶつけた。

「……な、なんで……なんでそんな人が、私をさらったりするのよ!? 姫士組って風紀委員とか警察みたいなものでしょ? それなのに、なんで……!」

「なんで人さらいなどという犯罪者みたいな真似をするのかと聞きたいのね? うふふふ……」

 瀬里奈が今度浮かべた微笑は、どこか自分の悪さを自慢するかのような、あくどい色をたたえていた。

「確かにこれは犯罪よね。でもね佐天さん、人は何の罪も犯さずに生きていくことなんて出来ないのよ? ことに私のような歪んだ人間は、自分であろうとすると、どうしても社会の敵にならずにはいられないの」

 佐天は困惑した。

「……い、意味わからないわよっ……」

「ええ、そうでしょうね。大丈夫、まだ時間はあるから、わかるようにゆっくりと説明してあげる」

 言って瀬里奈は澄ました顔で続けた。

「御坂さんが来なかったら気の毒だけど、アメリカかヨーロッパで話の続きをするでしょうけどね」

「……っ!」

「ふふ、そう怯えないで。身柄をさらうだけで、危害は何も加えないし、むしろ王女様のように優雅な暮らしをさせてあげるから」

 瀬里奈は、ソファーの横の小さなテーブルに置かれていた、ワイングラスに満たされた高級そうなワインを一口飲んだ。

「話がそれたわね。私は、かつて姫士組の隊士として治安維持の仕事をしてきたわ。先代姫長の玲さんからも褒められたし、当代としても犠牲を極力抑えたリーダーとして名が売れたものよ。でもね……佐天さん、それは本当の私じゃないの」

「ど、どういう……こと……?」

 困惑を深める佐天に、瀬里奈は重大な秘密でも打ち明けるような表情で言った。

「私はね……佐天さん、とってもとっても残忍で邪悪なの。具体的には、生まれつき強い破壊衝動と攻撃性、人が困ったり悲しんだりする顔が大好きという性格を持っているの」

「…………っっ」

「ふふふ……自分でも狂った性格だと思うし、貴方もそう思うわよね」

 明らかに引いた表情の佐天を、瀬里奈はむしろ満足そうに眺めた。

「よく自分で変と思う人は変じゃないって言うけど、私は駄目よね……自他ともに認める異常者と言うほかはないわ。祇園会事件で姫士組に潜り込んだ敵のスパイを精神的に追い詰めて、処刑するのは本当に楽しかったわ……。あの時のスパイや犯罪者たちの恐怖に歪んだ顔、『殺せ』と叫ぶ部下たちの声、断末魔の絶叫と噴き出る血潮……ふふふ、ふふふふ……ああ、思い出すだけで絶頂しそうだわ……」

「……っ、い、嫌ぁ……!」

 陶然とした表情で語る瀬里奈は、自らの凶行を自慢する殺人鬼めいたおぞましさを、ゆっくりとあらわしていった。そのキューッと吊り上がった唇に、興奮して膨らんだ鼻腔に、爛々と殺しの喜びに輝く双眸に、佐天は恐怖と嫌悪のあまり声を上げた。

「ふふ……そう怯えないで。大丈夫、私は一般市民には手を出さないから」

 少し興奮しすぎたのを自覚して、瀬里奈は苦笑して佐天をたしなめた。

「何度か殺人鬼になることも考えたけれど、困ったことに良心や判断力も強くて、どうしても踏み切れなかったの。だから私は自警団になったの。合法的に犯罪者を処断できる自警団に、ね。金のために人殺しをするクズや、面白半分で女を強姦するゴミをひねり潰せば、喜んでくれる人たちもいるのよ?」

「……お、おかしいわよ……そんなの」

 恐怖で縮み上がりそうになりながらも、佐天はそう言わずにはいられなかった。

 この女は、姫士組姫長だったのだ。

 それはつまり、佐天にとって大事な人である初春や黒子と同じ役目についていたということだ。そんな人間が、こんな狂った言葉を得意げに吐き出していることが、佐天には耐えられなかった。

「犯罪者は……警備員や、警察に引き渡すものじゃない。勝手に命をとるなんて、間違ってるわよ……!」

「ええ、そうよねぇ。だからこそ私はまともじゃないという自覚があるのよ」

 瀬里奈はあっさりと言った。

「私の両親は普通の人だったわ。どの程度を普通と言うかは知らないけれど、犯罪者でも気狂いでもなかったと思うわ。私も愛されて育ってきたと思うし、トラウマも幼児体験もなかったわ。だから結局、原因は私しかいないってことになるわよね。突然変異の金魚のように、何故か生まれた異常者――」

 言ってから瀬里奈はため息をついた。

「……ほんと、なんでなのかしらね。私だって好きでこんな人間に生まれたかったわけじゃないのに」

 その時初めて、瀬里奈はかすかに空しげな色を浮かべた。

 その自己嫌悪とも倦怠ともつかぬ表情に、佐天は一瞬、恐怖と嫌悪を忘れて、思わず問いかけた。

「……そんなことって、あるんですか? 生まれつき人を傷つけたいなんて……私には理解できないですよ」

「ええ、そうでしょうね。でも佐天さん、心の闇というものは誰にもあるのよ」

 瀬里奈はわけ知り顔で微笑した。

「貴方だってあるでしょう? 自分が持っていないものを持っている人間をねたましく思ったり、どうにもならない自分が嫌になったりしたことが」

「っ……」

 その言葉は、佐天の痛いところを突いた。

 佐天もまた、何もかもが潔白な人間というわけではない。彼女には彼女の、弱さがあり傷があった。

「そ、それは……そうかも知れないですけど。でも……だとしても、人を傷つけるようなことは駄目ですよ。私だって、それは自分の弱さから馬鹿やったり、色々しましたけど……だからこそ、同じ過ちは繰り返さない……自分を支えてくれる仲間だけは裏切らないで生きていたいですよ」

 そして佐天は、まっすぐな視線で瀬里奈を見た。

「加茂川さんは……支えてくれる仲間はいないんですか?」

 横の若菜が不快げな顔をしたが、口に出しては何も言わなかった。

 瀬里奈は、沈思黙考してから口を開いた。

「……。私はかつて、姫士組の隊士として、頼れる師匠と、仲間と、後輩に恵まれていたわ。でもね、その人達も私の闇をわかる事はできなかった」

 そして、何度目かの微笑を浮かべた。

「だから、私は壊してやったのよ。叫んでやったの、『私は邪悪な人間だ』とね。みんな、私を恐がり、そして嫌悪していたわね。あの表情は愉快だったわ、うふふふふふふ……」

 その悪魔めいた笑い声に、しかし、佐天は今度は恐怖も嫌悪も感じなかった。

 かわって彼女がいま感じたのは、いいようのない痛ましさだった。

「……。加茂川さん、なんでそんなに泣いてるような顔で笑うんですか。本当は加茂川さんだって、仲間と……」

「どうかしらね。私はただ、この狂おしい衝動を満たしたいだけよ」

 と瀬里奈は言った。

「御坂さんなら……あの健康な心と強い力を持った女の子なら、私を受け止めてくれるのではないかしら?」

 その言葉に、佐天は何も言えなかった。

 彼女にとって大事な美琴を危険に晒したくないという思いもあったが、しかし、瀬里奈のことも、放っておけない気持ちも生まれかかっていたのだ。

 

 そして時は再び、現在。

 

「瀬里奈さん! 監視カメラに御坂美琴と白井黒子が映りました」

「ふふ。来たようね」

 若菜の報告を聞いて、瀬里奈は笑みで顔を歪めた。

「さあ始めましょう。閻王と電撃姫の、狂乱と破壊のダンスパーティーを。ふふ、ふふ、うふふふふふふ……!」

 その笑い声を聞きながら佐天は、暗い顔でうつむいていた。

 なんとかしてこの争いを止めたいと思いながらも、その手段を見出せない自分に嫌悪感を感じていたのだった。

 そして、その場に、戦士たちが現れた。



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05 両雄相対す

「佐天さん!!」

 美琴が、部屋に入るなり叫んだ。

 そこは廃ビルの中の広間のようなところだった。

 あちこちが薄汚れ、壊れていたが、十分な広さがあった。ちょっとした運動なども軽くできそうで、もちろん、その場で戦士と戦士が腕を競うにも十分なだけの空間だった。

 その広間の中心で、瀬里奈は、芝居がかった仕草で両手を広げた。

「私の舞台へようこそ、御坂美琴さん。私は『閻王』加茂川瀬里奈。元姫士組ネオユニバース10代目姫長をつとめていた者よ。貴方のことは楽しませてあげるわ。いいえ、私が楽しませてもらうと言うべきかしらね? うっふふふふふふ……」

「何をわけのわからないこと言ってんのよ……」

 美琴は、瀬里奈のわざとらしい物言いに、眉を逆立てた。

「佐天さんをどうするつもりよ、この人さらい!こんな真似をして、恥ずかしくないの!? 私に用があるなら、そう言えばいいじゃない。なんでこんなひどいことするの!」

 怒りに満ちた少女の叫びに、黒衣の女はこう答えた。

「ふふ……簡単なことよ、電撃姫。私は貴方に怒ってほしかったの」

「っ……!?」

 その言葉に、美琴は思わず絶句した。

「ただ『決闘を挑む』というだけじゃ、貴方は本気にならないでしょう? それじゃ駄目なの。貴方の本気が見たいのよ。こうして友達を危険にさらし、人質に取ってみせることで……友達思いの貴方は私に憤怒する。そうじゃないかしら?」

 そのあまりに身勝手な言葉に、美琴が二の句を継げないでいると、瀬里奈は、

「これだけでは怒ってくれないなら……そうね、このぐらいは必要かしらね」

「ちょっ――!」

 制止する間もあらばこそ。

 瀬里奈は、傍らに立っていた佐天の頬を、拳で殴った。

「あぐぅっ!!」

「ふふふ、いい声ね。若い子の悲鳴って本当に素敵……思わず濡れてきてしまいそうだわ」

 頬を押さえて痛みに呻く佐天を、瀬里奈は恍惚の表情で眺めた。

「さあ、どうかしら。もう一発いってみるかしら……?」

「――やめろっ! この下衆!!」

 美琴の怒声に、瀬里奈は手を止めて振り向いた。

 そして、獲物を狙う蛇か鰐のような、不気味に光る視線を美琴に据える。

「…………」

「み……御坂さん」

「私と戦いたいなら、私に挑みなさいよ。佐天さんを巻き込まなくても、相手ぐらいするわよ! こんな卑怯な真似しないと決闘も挑めないなんて、貴方はまるで、クズよっ! そこらでカツアゲやってる不良と変わらないチンピラよ、あんたはっ!」

「こ、このガキ! 瀬里奈さんになんてことを――」

 顔を紅潮させて瀬里奈を罵る美琴に、横に立っていた若菜が怒りの声を上げようとすると、

「黙れ」

 瀬里奈が、じろりと横目でにらんで言った。

 その底光りのする視線とドスの利いた声に、若菜はすくみ上がった。

「ひぃっ――は、はい!」

 そして若菜が引き下がると、瀬里奈は再び恍惚の表情で美琴を振り向いた。

「……ふふ。うふふふ。うふふふふふふふ……」

 含み笑いをもらして、瀬里奈は歓喜の声を上げた。

「いいわねいいわね、凄くイイわぁ! その激昂した雌獅子のような怒りの表情、私の心に響き渡るわぁ……! 御坂さん、貴方は最高よ! そうよ、それでこそ下衆の真似をしてまで怒りに火をつけた甲斐があったわ! そうよ、貴方はただの女の子みたいに笑ってるなんてつまらない。誇り高き怒りを燃やしてこその電撃姫よ!」

 その身勝手な言葉に、美琴はさらに怒りを募らせた。

「ただの女の子よ! 私は! こんな中学生相手にいい大人が人さらいなんかしてまで、馬鹿じゃないの!?」

 当然といえば当然の問いかけに、しかし瀬里奈は冷笑を返した。

「ふふ――貴方、自分の価値をわかっているの?」

「……どういうことよ」

「貴方はね、自分で思っているよりずっと凄い王なの。この私、閻王が戯れつくに相応しいほどにね。いかに幼くとも獅子は獅子――貴方自身が否定しようとも、その覇気までは隠しようがないわ。そして、強者は同じ強者と引かれ合い、求められる。そういうものでしょう?」

 ぎらぎらと輝く、獲物を前にした飢えた狼の瞳に対して、美琴はすげない拒絶を返した。

「勝手な理屈ね。そんなこといって、こういう真似して許されるとでも?」

 鼻を鳴らして続ける。

「私には貴方は、ただのイカれた犯罪者にしか見えないんだけどね。大体女王って、うちの学校の食蜂さんのあだ名じゃないの。あいつならあんたみたいなのとは気が合うでしょ。ならず者同士、決闘ごっこしてなさいよ!」

「フ……食蜂操祈(しょくほう・みさき)さんも、確かに女王の名にふさわしいわ」

 美琴の出した人名に、瀬里奈も微笑して頷いた。

「でもね、その彼女よりも貴方は上なの。いいえ、貴方は第三位ではあるものの、この学園都市の真の頂点と言ってもいいわね。第一位はあまりに歪みすぎていて、第二位は貴方ほどの将器がないわ。貴方こそが真の女王となるべき人なの」

「……意味がわからないわ」

 美琴は困惑した顔で言った。

 この美しく荒々しい無法者は、自分で考えた論理を、自分でどんどん進めていってしまうところがある。周囲の人間は、ただ困惑して、置き残されるしかない。

 そんなところも、瀬里奈を孤独たらしめる要因の一つなのだが、そんなことは美琴の知る由もない。

「私の能力『長明賽』は、物理的な力の流れだけでなく、万物のあらゆる流れを読む力なの。精神の形とか、時代の流れとか……言うなれば第六感を拡大解釈し、限界を設定していないような能力ね」

「……っ」

「……とんでもない能力ですわね。それ、定義次第では真理すら見る能力ですわよ」

 美琴の横にいた黒子が、驚嘆のおももちで言った。能力開発について深く学んでいる彼女には、いかに瀬里奈の能力が、異常なものであるかがわかった。

「AIM能力者には、そういうタイプはいないようだけど、夢干渉能力者には真理観測者も何人かいるわ」

 言ってからにやりと、瀬里奈は美琴を見て唇をゆがめた。

「だから、私には見えるのよ……貴方という人間の魂から満ち溢れる、まばゆいばかりの天の雷(いかづち)が。こんな極上のご馳走を前にして手出しをしないほど、私は萎えてはいないつもりよ……わからないかしら、御坂さん?」

「あんたがどんな理屈を並べようと、私の意見は変わりはしないわ。私はただの中学生。そしてあんたはただのイカれた犯罪者よ!」

「フフ――どうかしらね!」

 瀬里奈が美琴と激しく視線を衝突させる。

 その様子を見た黒子が、

「……! 今ですわ!」

 言って、テレポート能力を発動させた。

 瞬時に、数メートルの距離を転移して、黒子は瀬里奈たち三人のすぐそばへ現れる。

「!」

「白井さん!」

 若菜が、不意に現れた敵に狼狽した。

「なっ、こいついつの間に――げぶっ!?」

 ほんの数秒の逡巡だったが、黒子にはそれで充分だった。手練の投げ技が飛び、若菜はあっさりと背中から地面に叩きつけられた。

 背中の痛みに呻く若菜に構わず、黒子は、二メートルほど離れた位置にいる瀬里奈と佐天に目を向けた。

「お姉様は貴方の戯言など聞くお方ではありませんのよ。私が佐天さんを救出してしまえば、それで終わりですわ。佐天さん! いま瞬間移動で、助けますわよ!」

 そして再び、亜空間に身を躍らせる。

 瀬里奈とまともに戦うつもりはない。佐天のかたわらに現れ、佐天に触れて二人で転移する。それで救出劇は終わり、あとは瀬里奈を置いて逃げればいい。そのはずだった。

 しかし、黒子の思惑は、

「――――フ」

 という瀬里奈の微笑と、いつの間にやら抜き放っていた鞭のひと振りによって、瞬時に打ち砕かれていた。

 瀬里奈のフェイティア『炎帝鞭』の先端が、何もない虚空を――そこに転移した黒子の胸を、容赦なく打ちすえた。

「ぐぁうっ!!」

 悲鳴を上げて地面に転がる黒子を、美琴は愕然とした顔で見た。

「なっ――」

「そ、そんな……白井さんは消えていたのにどうして!」

「どうして場所がわかり、攻撃を当てられたのかというのね? ふふふふ……」

 瀬里奈だけが、悠然と笑っていた。

「何度も言ったでしょう、私は万物の気を読むと。ならば白井さんの気流を読み取り、出現地点を予測して攻撃することも可能よ。私と御坂さんの、王者同士の会話を妨げようなんて……いけない子」

「う、うう……」

 苦しげに呻く黒子を、瀬里奈は獲物を狙う狼の視線で見下ろした。

 そして瀬里奈は黒子に一歩近づく。右手に「炎帝鞭」を携えて。

「黒子!」

「お願い、やめてっ!」

 美琴と佐天の叫びにも、瀬里奈は揶揄するような微笑を返すばかりだ。

「さあ、どうしようかしらねえ? なにしろ私、苛烈なことで知られた閻王ですもの。貴方が御坂さんを『お姉様』と慕うなら、その可愛らしい顔に酷い傷をつけて、顔向けできなくしてあげようかしら? そんな顔になれば、逆に優しいお姉様は、憐れみをかけて貴方を寵愛してくれるかも知れないわねぇ……?」

「ひぃっ! い、いやぁ……」

 瀬里奈の美貌に浮かんだ嗜虐的な笑みに、その殺意と渇望にぎらついた眼光に、勇敢な風紀委員が口から悲鳴を漏らす。

「お姉様……助けて、お姉様ぁ……!」

 その言葉に――黒子の目に滲んだ涙に、美琴の中で何かが弾けた。

「この――ふざけるなァ!!」

「ッ!?」

 瀬里奈が、度肝を抜かれた。

 咄嗟に飛びすさって回避したものの――美琴が放った大出力の電撃の塊に、瀬里奈ほどの者が、慌てて飛び下がることしかできなかった。

 流れに乗って優雅に避けるような避け方ではない。必死で逃げるような避け方だった。

「くっ――!」

「お、お姉様……!」

 警戒の視線を向けて身構える瀬里奈と、茫然とそちらを眺める黒子の前で、美琴は冷ややかに言い放った。

「そんなにも私と戦いたいなら……好きなだけ相手してあげるわよ」

 仁王立ちになり、全身に電磁気を纏う。バチバチと稲光が閃き、その稲光よりなお強い眼光が、ひたと瀬里奈を見据える。

「この私に、この『超電磁砲』の友達にくだらないちょっかいをかけた代償がどれだけ高くつくか、その身体で思い知りなさいよ!! 私が裁いてやるわよ。閻王!!」

 その台詞に、一瞬の間を置いて、

「……ふ。ふふ……あははははははは!」

 と瀬里奈は高笑いを上げた。

 そして飢えた狼のごとき笑顔を向けた。

「いいわ、ようやっとこちらを向いてくれたわね! そうよ、この魂の咆哮、この存在の軋み合いこそが、私が渇望してやまないものだわ……! さあ殺(あそ)びましょう、常盤台の電撃姫! 姫士組の閻王が、全存在をもって愛してあげるわ!」

「調子こくのも程々にしなさいよ……いい年した大人がバカみたいな真似して! あんたみたいなふざけた奴は、ブッちめるって決めてんのよ!!」

 そして閻王と電撃姫は互いに歩み寄る。

 黒子と佐天、それに若菜はただ茫然と両雄が衝突に向けて互いに近づくのを眺めるばかりだ。



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