平和な地球旅行 (荒無 時竜)
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王の食事

ただ、思い付きで書き始めました
4000ちょいと、まだまだ文章力が足りないのも感じますが
原作とは似ても似つかないゆったりした作品を目指して、大体一話完結で書きたいと思っていますので、よろしくお願いいたします


椅子の上で、私は目を覚ました

薄暗い窓の外を開いたばかりの目で一瞥して、腰を掛けなおす

ギシリと、音を立てて揺れた木の椅子は、ゆらゆらと前後に動き出し

また、今度は小さくミシッミシッと音を立てる

繰り返し。くりかえし。クリカエシ。

この音で耳を覚ましたかもしれん、と耳に指を入れながらも

……こりゃぁ、買い替え時かねぇ

そんな事を思った。

もうざっと何十年と愛用してきた椅子であるが、やはり木材。

湿気や風、色々な要因が合わさり大切にしていてもいつかは壊れてしまうのだ

ましてや、私の寿命に耐えきれるわけがない。

一つのモノを使い続けることは出来ないと、頭ではわかっていたが、いかんせん名残惜しい

ありがとう、そんな感謝にもにた言葉を想いながら、しわの寄った蒼白の、長い、細い、指で撫でる

どうやら、この国の「大切にする心」とやらが少しづつ移ってきているらしい。

情とかいうやつか?

たまに自分の本質がぼやけてしまうのはいけないと思いつつも、天井を見上げ体を椅子に任せる

背もたれが受け止めてくれる、そして勢いままにしばしの揺れ

動く天井を眺めた後、近くのサイドテーブルの上に、膝の上の寝る前に読んでいた本を乗せた

ステンドグラスのような模様のある、黄色と白のランプ。

その光に照らされて、革の本表紙に掘られた金色の箔が照る。

誰が見ても、それは日本の言語で無いことはわかるだろう

達筆で、うねりをあげるような。

深く、掘られた、英語の様で、似て非なる文字。

謎の文字は艶やかに、濡れるように、淡く光を反射させて、持ち主のローブを闇の中に映し出す

それは、年季を感じさせる煤汚れた黄色、ところどころはまだ綺麗で、されども裾は破れた黄色いローブ

長く、大きく、持ち主の私の体格にはとうていあっていないようにも見える。

後ろにはだらんと、長くフードが垂れていた

私ははゆっくりとフード手繰り寄せて被る。

深く、顔を隠すようにしてね、そうしてそのまま椅子から体を持ち上げた

ばさりばさりと、手繰り寄せていた膝上のローブが赤い絨毯へと向かって落ち始めたが、それは最後まで落ちきることはない

愛用のローブなのだ、埃で汚れてもらっては困る

まぁ、ボロいと言われれば反論は出来ないのだけれど

それでも、確かにお気に入り。寧ろ、通り越してこれもわたしなのだ

 

全てが茶色や鈍い赤・金でまとめられたシックな部屋

少し昔の、アンティークという形容詞が一番しっくりくるものばかり

揺れる椅子、小さな丸机、なにもかもが私のお気に入りだった。

特に本は、後ろにある本棚。その中に一度も刺したことがない程、執拗に読む宝物だ

まるで、書斎。その部屋の中で一際異彩な感触を孕むものがある

置いた本の隣、真っ白な地にクレーターや波を思わせる凹凸のある仮面

白く、ただ蒼白く、まるで真夜中に輝く月面のような仮面

手に触れると、カタリと小さな音を立ててゆれる仮面

それだった。

手に取る、軽い音のする仮面

ゆっくりと自分の顔に当てる

なに、落ちることはない。

紐もゴムもないが、仮面もまた私の一部なのだ。

地球のやわな重力に負けるはずがない

一度ローブを棚引かせ、体になじむ事を確認してから私は歩き出した。

夕闇に紛れるように、ゆったりと。

私はハスター。

黄衣の王、ハスター。

 

 

 

私が地球の日本という場所に降り立ったのは、割とつい最近である

教団のモノに呼ばれたわけでもなく

あの憎き幼き穢き忌々しきモノ、あぁ名前も思い出したくないクトゥルフが起きたわけでもない

事の発端は無貌の神、ニャルラトホテプが私の前に姿を現したという事だった

ぬるりと、自由な彼は寧ろ無謀といっても良いぐらいに軽々しく、私の元を訪れた

「久々…というには少し、いやあまりにも時間が経ちすぎたかね?」

「これはこれは、フォーマルハウトに行きたいとでも申すのかな?」

「私と貴方に直接的な因果も因縁もないでしょうに、苦い冗談を言いなさる」

「クトゥグアとの同盟関係を顔の広い貴方が知らないわけがないでしょう。

もっとも、広いのが物理的にだけというのであれば納得しますがね」

随分と良い冗談だ事で。そうニャルラトホテプは告げて、一呼吸

ゆったりとした口調で、彼は語りかけてきた

何処か楽しそうな……そう、馬鹿な人間の腸を引きずり出し、骨を溶かし切った時のような笑みで

「ハスター、貴方は地球へと行ったことがおありで?」と

満面の笑みで、上がりきった口角で、目の前の邪神は言う

なんの挑発だ?と懸念を抱きつつ、それでも確かに本人との因縁はそうそうに無い

何かの探りなのだろうか、クトゥグアへの怒りや丁寧に編み込んだ呪詛でも絡めてくるのだろうか

そう思いつつも、問いかけへの答えを口にする

「あぁ、何度か。

もっとも、自分の要求ばかりで相手にしたくなかったから、まとめて送り返したがな」

「それはそれは……ですが、最近は行っていませんよね?

あぁ、なんて残念な事か!いやはや堅苦しい生活のワーカー様には遊びに行くような暇などないですか」

「それほどの口を叩くと?

あの辺境に何があると言うのか、自由も行き過ぎると浮浪に変わるな馬鹿々々しい」

働けと、そう一言皮肉ったが、彼はにやりと笑って回りだす

知らないことは、無知であることは何よりも残念だろう

身を隠して住んでみると良い、案外田舎も良いところだ

 

そしてそのままあれやこれやの口車の末、私は地球に少しばかりお試し住みをさせられることとなった

少々無理やりに、しかも奴らの策ではないと断定できない以上、席を外すのは許しがたきことでもあった

が、同時にあのニャルラトホテプが、無貌の神が、リスクを冒してまで「愉快な話」を持ち掛けてきたのだ

それも、我ら邪神の通ずる趣向、意味のない虐殺と滅亡と絶望ではなく、「慰安旅行」というのだから尚驚きだ

ただ、少しばかり興味をそそられてしまった以上、私にも非はある

結果、そのままのらりくらりと流されて、地球に降り立ってしまったのだから。

 

少し田舎の方の一軒家をニャルラトホテプに手配され、最初は私には似合わないインスマス小屋だ!なんて思ったのだが

いざ入ってみると、埃一つとしてない綺麗な家であった。

唯一手放せない私的な本と椅子やランプがおける、窓の少ない部屋もあり、まぁ少しならと妥協はできた。

それよりも驚いたのは、この家近辺の習慣だった。

よかったら……と、わたしの外見にも驚かず(黄色いローブで必死に全身を隠しはしたが)

そばとかいう極めて美味なものを振る舞って貰えたのだ

なぜ自ら不利益を被るのかはわからなかったが、ただただ忘れはしない

あの美味しさを、そして老婆のあの笑顔を。

きっと忘れてしまった時、私はまた邪神へと戻るのだろう

忘れなければ…もしかしたら、知らない事を知り続けることができるのかもしれないが

ともかく、そのそばというのは美味だった

極めて細い、灰色の触手を束ねて、半透明の茶色い血液に付け込んで、二本の棒ですすり食べるという奇怪な料理

おそるおそる掴んでは、触手がずり落ち、箸という物になれるのは少々時間がかかった

しかし、努力は実を結ぶというか、見よう見まねで食してみるとそれは大変美味なもので

ぶっちゃけた話、生贄に人間いらねぇやとか素直に思ったし

なんか、あの血なまぐさい世界に戻りたくないなぁ……なんて、邪神の邪の字を思わず忘れてしまいそうだった

この時まで「あの変顔神に踊らされてるのでは」と思っては疑い続けてきたのだが

あの変幻自在の顔の中で一番さわやかな笑みを浮かべていた理由を、私は確かにこの時、感じてしまったのだ

その日の夜に、宿舎へと現れたあの変顔神はニヤニヤしながら第一声、「うまかったろ?」と言ってきた

どうやら、友人がしばらくここに来るから、美味しいものを振る舞ってあげてほしいなんて言う根回しをしていたらしくて

正直悔しさと、嬉しさとでまさに一杯食わされたと思ったね。いっぱいそば喰ったんだけどさ

 

 

 

 

「……っと、見えてきたなぁ」

思い出し笑いをしながら、風に乗って空を飛ぶ。

夕暮れは過ぎて、もう星の見える夜の中に私はいた。

アルデバランは見えぬとも、苦しんだ死以外に美しさを感じる日が来るとは思っていなかったが、そんな恒星よりも目先の明るさの方が高い

人間の密集地帯だ

とかいなんていうらしい其処は、私たちの建てる石造りに似て非なる建造物を立て

火よりも強い明かりを焚いて

せわしなく、ひたすらに動き回っていた。

動く鉄塊、聳えるは塔。下手な邪神よりよっぽどいい働きをすると、私はそう思う

椅子も買いたいが、それはまた後で……だ

やっぱり邪神と言えど、腹は減るのさ

特に、こんなモノの旨い所にすんじゃぁ、尚更。

自ら辺境に来て、ゲテモノ食べてく無貌の神は本当に何考えてるんだろうか

単なる好奇心で動ける、というのはある意味で感心してしまう節がある。

一応、同盟先の敵であるから口に出しては言えないが、呪怨よりも旨いものがこの宇宙の辺境に存在するなんて、かつての私は信じないだろう

そっくりそのまま記憶を無くせば、今のわたしだって信じない

ただ、信じなくても食べてしまえば、魅力に取りつかれてしまうだろう

戯曲の登場人物が、狂気に唆されて果実の甘さをしるように、ね。

降り立ったのは、人間の少ない通り道の軒裏

通りにでてすぐ見える一軒の店に来ることが、私の地球での日課だった

本気で触れば砕ける木造りの軒の、中。

私よりも脆弱貧弱無知無能のこのひとりのおっさんが

味、料理という唯一点において、邪神ハスターを負かしきったと言えるだろう。

それを裏付けるように、こうして私は毎日来てしまっている。

「親父、いつもの」

「はいよ、黄色の旦那」

もはや常連、黄色い旦那と呼ばれるのも、なかなかに悪くはない

そもそも黄色いローブの者なんて怪しがられて当然なのだから、逆に私は周りの人間から映る姿を、ほんの少し細工しているのだ

きっと彼らからは少し風変わりな人間に見えていることだろう、もっともその程度の事だが

寧ろ違和感なく溶け込めている証拠なのだから、素直に喜んでしまおうと思っている。

それはそれとして、ここはパスタの専門店

あのカオナシに連れていかれた最初の店でもあった

パスター、パスターとアフーム=ザーもびっくりな寒いダジャレを叫びつつ、黄色いヤツ頼めよぉ~と半分冗談越しにせかされて

渋々頼んだが癖になってしまったのだ

これが

「はいよ、毎日悪いねぇ」

「いやいや、好きなんで」

この鮮やかな黄色の血液

ぴりぴりと異形の舌にも感じる黒い実

咀嚼し甲斐のある厚切りの牛のベーコンに

なんと言ってもこの触手、その上にのる存在感抜群の卵

カルボナーラ……そう呼ばれるこの料理は、この地球に来て一番お気に入りのものだった

そばとは細い触手という点において確かに似ているが、食べてみれば全てが違う事が良くわかる

濃厚な卵の黄身に絡めてあつあつの触手を口いっぱいに頬張る嬉しさが

鼻の奥から濃厚な血液の香りが駆け抜け、舌には黒い実の刺激が

何より、食べ終わった時の満足感が

ただただ、生贄よりも戦いよりも、私を満足させてくれていた

「いただきます」

マナーだと、半場強要された定型文も忘れずに口にしてから、三又の小さな槍で触手を絡めとる

立ち上る白き煙が、その触手の熱さを、どれだけ満足させてくれるかを物語っていた

口へと槍を動かして、何度目かもわからない喜びの声を上げる

 

王の晩餐はまだ、終わることを知らない



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晩餐の刻

課題の波にもまれています、時竜です
最近ルルブを購入しまして、新たに増えた資料を片手に少しづつプロット練りをしている最中でありますが、文章の書き方が昔と変わっていないかと少し心配もしています



今日もこの椅子の上で目を覚ます

最早見慣れた光景、驚くことも、ここはどこかと狼狽することもない

自分の星の夢を見ることも、日を追うごとに少なくなってきた

それは良いことなのだろうか?と考えもするが、変化があるという事は何かのきっかけにはなりえるだろう

もしかしたら、そんな言葉の先に続く文章を書くことが出来るかもしれない

新しい考え方が芽生えるかもしれない

今までを捨て去るという物悲しい側面を持つ行動……いや、実際に私自身が動いているわけでは無いから「衝動」というべきか?

ともあれ、ソレは確かに歓迎すべきものであると私は思った

何故かと問われれば簡単に答えを返そう、幸せであるからだ

この感情はきっと、幸福と呼ばれるものに分類されるであろうと考える。だから幸せなのだ

人の体を引き裂いて内臓を嬲り、四肢を捥いでダルマに変えた後細切りに細かくしていく事よりも

手足から少しずつ、何とも言えぬ奇怪な鱗をもった変死体へと姿を拗らせ、恐怖と絶望をその者だけでなく

周りで過ごしていた人間すべてに与える事よりも

この小さな小屋の中で、好きな本を手に取って椅子を揺らすことの方が

私にとっては確かに確かで有意義な事だった。

否、寧ろ前述したことは須らく無駄であったと豪語してもいいほどに、今のこの空間が好きなのだ

邪神と呼ばれ、崇め奉られた私がそのようなことを抜かすとはと、過去の私は悲嘆するだろう

いや、とぐろを巻き牙を立て、仮面の奥を憎悪と悲哀を搔き立てた得も言えぬような表情に変えて無かったことにしようとするかもしれない

ただ私はきっと臆することも、動じることもなく、その仮面の奥のむき出しの牙の内側へと

まるで呼吸をする際、冷たい空気がなだれ込むことを許容するように、カルボナーラを入れることが出来ると思っている

そしておそらく笑うのだ

道化師に転がされるのも時には必要であると。

ここまで考えて、私はやっと目を開けた

 

小さな机がそこにはある

その上には小さな文学書と黄白二色のランプが瞼が閉じる前と違わぬ位置に存在している

体の力は入れずに、ただ腕だけを動かして私はそっとその書物を手に取った

「風の掛け行くままに」と書かれた日本語の書物、惹かれるように私が古書店で購入したもので

あの空間の不可思議な香りがこの本からも微かに匂うのを私は読むときいつもどこかで楽しみにしている

層になった紙の側面にそっと指を這わせてから。私はぱらぱらと本を開いた

青年が放浪しながら、自分が何なのかを探すこの時代とは違った世界を現した物語

それは何となく自分に重なるようで、これもまた「変化」を促しているのかもしれない

何はともあれ、毎日少しずつこの本を読み進めるのが最近の日課となっていた

二ページ程、昨夜の続きを追いかけるように文字を眺め見てそれから本を閉じた

椅子に沈み込んだ上体を起こし、垂れ下がったローブを手繰り寄せてからそっと立ち上がる

さぁと空気を吸い込む

言葉を口にする、何気なしに

「今日の晩御飯何にしようか」

 

 

この星の日常というのは遥か彼方の恒星が此方の惑星に日を掛けた時に始まりを迎える

地球から何億何兆と離れた星にはいくつもの生命体が蠢いていた

王の名のもとに日々外敵を駆逐するための力が蓄えられ、家畜が育ち憎悪が練られる

心地の良い断末魔が、悲鳴が其処かしこから響き渡ることもあれば、悠然と振る舞われた酒に心を溶かし

響く笛の音に耳を澄ませて安息を取る日もある

この日常こそが我らの嗜好であり、王の意思でもある

それを享受し、共に過ごせる事こそが幸せである

そう信じていた

しかし

眼下の大衆が漏らす言葉はどれもこれもが「心配」と「嘆き」を含ませているものだった

あるものは「もうお帰りにならないのか」と、またある者は「不甲斐ないばかりに」と

かくいう私も、内心ではしっかりと王の御前に立っていられたらと、あの日の事をただただ思い出しては胸を締めていた

忌まわしき無貌の神の首を絞める力があれば、どれだけ嬉しかったことか

「また、嘆いているのかい。いつもいつも落ち込もうと努力するのは勝手で感心するが、今度ばかりは少々容認しかねるぞ?」

「勝手といいつつも制限をかけんとしてくる姿、矛盾が過ぎると思うのだが?」

「私とお前の仲だろう、世界広しと言えども分かち合うのは我ら以外にはそう居ないと見えるしな」

「その前に、王の御前に立つことのできる者……という所での差別化を図ってほしいものだな。ツァールよ」

そう言って振り向いた先、いつも見かける姿とは違う大型の人間を真似たかのような姿をしたツァールを目に映した

双子であるが故だろうか言わずとも意図は伝わってくる。

いや、考え方が似ているのだろう

お前、そう言いたい衝動を向こうが先に言葉で遮った

「ロイガー、君の個性は良くもあり悪くもある。

私たちは長い生を歩いていく中、悪い事もあろうが良いことがないわけでは無い。

そしてこれからを良くするために頑張るのだ。」

「煽りか?今度こそ私の勝利で幕を締めてやりたい気分だ」

「抜かせ、光年の歳月で引き分けしか訪れん事は等にわかっているだろうに」

そうだなと一言残してふらりとその場を立ち去った。

ツァールに言われたあの言葉はその昔にハスター様に言われた言葉だ

認めつつも自らの意見も言う御心深い一言に感銘を受けたことを昨日のことのように思い出す

そしてあの言葉こそ、ツァールとの唯一の相違であったりもする

自分がロイガーであることを刻んでくれた神だ、だから王なのだ

そんな王に対して、ツァールは自分の意思を私に示しにきた

人型、普段は肉塊の姿で触手を伸ばし気ままに過ごすツァールが姿かたちを変えて、はるばる私に物言いに来たのだ

わかるさ、双子だから

「王の元へ行こう……か」

それはあまりにも甘美な誘惑だった。

もうしばらくあのお姿を見ていない、地球という野蛮な星に移り荒事も立てていないとなれば

果たして無貌は罠にでも掛けたのだろうか

何度もよぎる不安を、一人懸命に抑え続けてきたのだ

それは配下のビヤーキを統治統括することは責務であるが故、たとえそれが王の為となろうとも

一時的な背徳になるかのようで、腰が引けていたからである

しかし、恐らく同じように考えていたであろう半身は決意を示した

少し羨ましく、同時に私が一緒に行かずしてどうするとも考えた

「ふふん、いいねぇ

美徳というのかね?こういった葛藤は」

咄嗟の声に冷や汗を流して振り返る

其処には何時ぞやと同じように潜り込んだ

「這い寄る混沌でございますよっと、先日は不躾ですいませんでしたねぇ」

奴だ、王を針にかけまるで釣りを楽しむかのようにしている黒幕だ

「謝るぐらいならば、星に返して頂きたいものですね。

そんなに奔放されてしまうと、こちらも迷惑なのですよ」

「おろろ、それは失敬失敬。

ともあれ、早く地球に向かった方がいいのではないですか?」

その言葉に思わず舌打ちをする

悲観する、悲嘆する、また頭の中に負の感情が込み上げて幾度の無い連鎖を繰り返す

あぁ、罠にはまってしまったのかと

王はだまし討ち取られたのかと

しかし、続く奴の言葉は違った

こちらが呆気にとられてしまうような、耳を疑うような言葉が続いた

それは

「今日はお鍋にするらしいですよ?

しかも良いお肉をセールで買えたとかで」

……

…………

は?

「は?」

「くふふ、いいですねその顔!

それが俗にいう『ぽかーん』って奴なのでしょう!

あぁ、良い。実にいい、最高の間抜け面だ」

目の前の邪神は馬鹿みたいな高笑いをする

石の砦に響く、耳が痛いほどの大きな笑い声だ

いやしかしそれはどうでも良い、奴が言った言葉を反芻してもう一度冷静になれ

鍋?

「鍋とは一体なんだ、新手の拷問か何かか?」

そう言葉にすると、邪神はたまらないといった表情で背中をみっともなく地べたへつけて転げまわる

ひぃひぃと言いながら腹を抱えて笑い転げた

相手が上の存在であろうと殺してしまいたくなるぐらいに、嫌というほどにバカにされていることが伝わってきた

一通り笑い転げた奴は上半身を起こして私に指をさす

「行けば分かりますよ、そして楽しんできたらいいんじゃないですか?

違った王の姿に落胆しなければいいですね」

既に足元は細長い奴の手の上であることを悟った

いいだろう、罠だろうといってやろうじゃないかと

混沌なるものを一瞥してから先刻ツァールと話した高台へと掛けた

其処にはすでにツァールの姿はなく、ただ一匹のビヤーキが

「ロイガー様」と呼び掛けてきただけだった

わかるとも、と一言掛けてその上にまたがる

一瞬のうちに周りは暗く輝く銀河へ、星間飛行へと塗りつぶされていった

少し遥か先、青と緑の惑星を目指して

 

 

 

「果てさて無貌な奴は伝言を届けてくれたのだろうか」

少し明るい部屋の中、大きな物置の中にしまってある木製のちゃぶ台と呼ばれるものを引き出しながら、そっとつぶやいた

買い物から帰るその道の途中、早めの夕飯を済ませたニャルに出くわした

よぉ黄衣となれなれしく近づいてきたあいつはおもむろに

「部下の事忘れないでやれよな?」と口にした

当然、忘れたことなどないと突っぱねると、なら夕飯に誘ってやれよと言い出して

最初は星の事は任せているから星から遠ざけるわけにはと断ったのだが、いやいやと立て続けにやいのやいの言われ

二人とも頑張ってるよ、ねぎらってあげなよと畳みかけられたらいつの間にか、伝言頼めるかい?と

いま考えるとやはりあいつはまくし立てるのが馬鹿みたいにうまいなぁと感じる

やはり流されてしまったし、あいつ私の星にしょっちゅう出没していると暗示してきやがった

よっぽどの自信家なのか、楽しいもの好きなのか

それとも罠なのか、結局何年付き合ってもなおわかる気がしない

寧ろ俺だけ一方的に理解されている気さえする

面倒な奴だと思いつつも、かせっとこんろなどと呼ばれるものに手をかけた

惚れ惚れするようなきれいな鍋をその上にのせて水を入れ火にかける

白滝、豆腐、ネギに……良い赤色をした牛肉

最近俗世に慣れすぎたのか、人肉を食おうと思わなくなってきている

いや違うな、一番顕著な変化がこれだろう

牛最高、てかこんなにうまいならもっといい生物見つけて牧畜した方がいいかもしれない

私の星、もっと改善案たくさんあるのでは?

具の詰まったタッパや袋を風の力で浮かせて、キッチンへと足を踏み入れる

野菜と白滝を先に切ってからザルへと投げ入れ、フライパンを火にかける

油をかるく注いでから、一口大に切った牛肉を投下。

私はこの焼いている時の音が好きで、お湯で茹で切れると分かっていてもつい焼いてしまう

じゅうぅという肉汁したたる音を聞きながらほんのり茶色味を帯びてきた辺りで火をとめた

余熱でまだ音を漏らすフライパンをよそ眼にし、コンロの方へと目をやると

かたかたと小さな音を立てつつ鍋が微かに揺れている、煮立ち始めている証拠だ

いいねぇなんて呟きつつ肉を一度皿に分けて野菜を炒めることにする。

家を出る前にスイッチを入れた炊飯器も、後五分と表示を変え甘辛い味を思い出して口を思わずぬぐった

遥かに優れた食文化だと何度だって思う、なんせこの私が思わずそそられてしまうほどに、魅了して止まないのだから

あぁ、ツァールとロイガーにも味合わせてやりたい、、来てくれるだろうか

一本大事に残しておいた蜂蜜酒も、惜しまず出そう決めたし試みとして「そーだ」なる飲み物も買ってきた

寧ろここまで準備してから一人で食べるのも寂しい

そう考えている内にある程度の調理過程が終了した、後はことこと弱火で火にかけていくだけだ

冷蔵庫から生卵を取り出して小さな器に割り出しかき混ぜる

黄色に多少の緑の刺繍が入った座布団へ腰を下ろしてちゃぶ台の前に向き直ると二つの座布団が目に飛び込んだ

誰も座っていないそれにに不思議と寂しさは感じなかった

その理由をすぐに理解することが出来たのは、やはり気にしすぎていたからだろう

始めは微かな音だ、それはやがて大きな音に変わる、些細なもの

しかしこの星では明らかに異質な音で、されど私には親しみがある

やがて玄関の前で大きく一唸りして、まるでさっきまでなっていたことが嘘だったかのように静けさが辺りに訪れた

玄関が、開く

ひとりでにではない、奥に確かに二つの影がある

私を呼ぶ声がする

久々に見る顔が、気配がそこにはあった

「「ハスター様」」

少し申し訳なさそうな入りにくそうな顔をしながらも、一番よく表れているのは嬉しそうな表情だ

過去の私は冷たい言葉を返したかもしれない、あるいは沈黙を守ったかもしれない

けれど、美味しい食文化は確かに私を良い方向へ変えた

「おうおう来たか

鍋も丁度煮えたし、一緒に食べよう」

今この全世界を、混沌と憎悪ではなく素晴らしき食文化で染め上げたいと思った 

 



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地球慣れ

風は立たない事はない

周知の事実だろう

何かが動けば、それは物体と空気との位置が置換される

その時に雪崩れ込む空気の動きを、この星の者どもは風と称した

しかし、風とはそれだけのことを言うのではない

時に、猛烈に荒々しく。時に弱々しくそよぐ。

 

私は神だ。

イビツなる神だ。

この星の人間が形容する風の上位、突風とも嵐とも。あるいはそうハリケーンと。

私はそういうモノであると考えていた。

出来る事は壊す事、なぎ倒す事、そして全てを飲み込むこと

手を振るえば空が割れる様に、足を踏み出せばか弱い芽が摘まれるように

命を奪う事は私が存在する以上一挙一動に付きまとう、言わば気にすることでもない事だった

それだけの命だ、たったこれっぽっちの

崇拝も畏敬も恐怖も抱く前に滅び去る者どもに、価値があるか

言語を理解せず、喚き散らしのた打ち回り、少々優れたと見れれば虚勢を張り縋る

そんな生命体は幾度となくその星ごと、諸共に潰し去ってきた

奴隷となる価値もなく、ただ少々腹が満たされる程度の事

怒りは無く、ただ呆れ。不完全な生命体共には私の存在は、眼に映す事だけで限界に足るものだった

 

しかし、私にも生み出すことは出来た。

花を散らさず、首を絶たない。ただ撫でるだけの風というものを

今がそうだ

起きて考えに耽る、椅子の上。

ぐらぐらと揺れるこの振動でも、風は起きる

果たして、これが命を削っているだろうか

寝る前に本を閉じた。これは、誰かの絶叫を作り出しただろうか

当たり前が当たり前で無く、またしようと思っていなかったことが行える現状

下等生物共の感情は、挙動は言動は理念は全て、踏みにじるべくして歩いてきた今まで

しかし、いくら下等であれ何か意味がある。それは、この星に滞在してみて少しだけ理解に及ばずとも感じた事だ

下等であるからと、それだけで踏みに知るのは良くないと、そう思い始めた

得られるものは、僅かながらにしても存在する

それは、私の作る理想と繁栄の風を、確かに後押しする微風には成り得ると、そう知ったのだ

だから、もう少し

この星の文化に少し、触れていこうと思った

食事と言う文化の、真髄に近づければと思って

 

 

「よし、釣りに行こう」

変な決意を固めた。

 

 

 

ざざぁーん。風とは似て非なる水の波音が響く。

寒空の下の、黒く染まった海面上に私は浮いている。

忌々しきがクトゥルフの眠りしあの石造の墓所に直結する海だ。

そう、思い出すだけで反吐と粘液が口から出そうになるあの醜い容姿よ。

まだこの星の下等生物共の方がマシであろう。

一目見たときから、全身の触手がのた打ち回り、鱗と鱗の間にひやりとした感触とぞわぞわとしたグール共の肌が撫でたような感触が体に伝った。

言葉を借りるならば、生理的に無理。である。

しかし、こんな海からはスタイリッシュで素晴らしいフォルムの魚というモノが取れるらしい。

そいつをバターとキノコでホイル焼きにしてやろうというのが、今日の邪神的魂胆だった。

先日おねぇさん?とかいう者のりょうりばんぐみで、やっていたかんたんれしぴとかいう奴だ。

紙にまだ拙い日本語で書き写して、どうせなら材料を釣ってみようじゃないかと

そう思い立ってここまで来た

……のは、いいのだが。

「なんで、お前ここにいんの?」

「我、黒触手に対抗。憤慨の意。黒触手の自慢。」

片言。短文的に言葉を紡ぐものがいる。

それが居るだけで、黄衣がジリジリと照らされ、今日は絶好の快晴だなぁ夜だけど。

人気を気にして海面に居るからこその被害として、眼下の海の水が油に落としたときのような音と熱を放つ。

餃子でも焼いているかのよう。

真っ赤な体に、立ち上るのは陽炎。彼の事を直視できる機会は、精々アフームザーが隣にいる時でやっと位の物だ。

「は?何、どゆことよ」

「詳細。黒触手言及。地球飯話。追述、我へ。曰く『地球の飯食った事ねぇなんて可哀想すぎて触手分けてやりたくなるわぁ』」

「滅茶苦茶煽られてるな、クトゥグア」

「我理解、黒触手煽動。黒触手悲愴的、我致仕方無地球へ」

「はぁ……。つまり、無貌に煽られて来たって事?」

「否!!!否否否否否!黒触手悲愴的、我致仕方無」

「ご、ごめんごめん。無貌の煽りが可哀想で、しょうがなく乗ってやったと」

「道理」

つくづく面倒な奴らだと、そう思った。

我らの司る物に応じた対立の中でも、特に顕著なのが無貌のニャルと、この烈火のクトゥグア。

板挟みにあう私の身にもなって欲しい、ニャルはやたら嫌気のさす文句で煽るしクトゥグア話しずらいし……

「で、何で私の所に?無貌が可哀想になったってもさぁ」

「我知者中、地球に居住神、『黄衣』唯一」

「あぁー、知り合いが私しか居ないから、飯を食わせろと」

「然」

「うい……」

敵陣に潜って煽ってまで、私に嫌がらせしたいのかあの道化めは!

心の中でふつふつと怒りが煮えたぎるが、如何せんこれで生ける炎が客人であると分かってしまった。そうすると、外交面でも無下には出来ない

ゆっくり釣りができるかどうか……いや、あんまり気にしないことにしよう。

とりあえず、釣れればいいのだ釣れれば。

「じゃあ、私は魚を釣りますので。今しばらく地球でも飛び回ってて貰って」

「了承」

一つ小さくため息をついた後、脇に抱えていた釣り竿を宙に置く。

下から少々風を巻き上げるだけで保持できるのだから、この星の物は軽くて良い。

私の星ならそのほとんどに石が使われたりするだろうから、重くてかなわないからな。

金属なるものを、その内どこかの星を征服して入手した方が良いだろうか。

そしたら空中の竿を辿って針を見つけ出し、そこに袋に入れてきた親近感の湧く生命体を近づけていく。

この蟲と呼ばれる短い触手のような生命体を、生きたまま串刺しとして磔にし、見えた終わりに対する最後の足掻きを見せ者とするのだ。

すれば、嘲笑うように魚どもが集まり、喰らいつくそうな。

『超入門!これで君もプロ釣り人だ!~海釣り編~』も読んだし、手順は間違ってはいないはずだ。

大丈夫大丈夫、と邪神心を落ち着ける。

手順を思い出しながら、足を組んで蟲を海の中へと投げ込んだ

今回狙うのは、鮭という魚らしい……秋の今頃は何でも食べごろなんだとか

狙うポイント~とかよくわからん事が連ねてあったが、ともかく北の海の人気のない暮れを狙ってくればいいだろうと。

非常に安易ではあるが、釣りも料理も文明破壊も拷問も、全てトライ&エラーであるし、まぁどうにかなるだろう。

釣り竿は風の緩急で上下左右に揺らしながら、家から持参した釣り入門本を片手に暇を潰す。

未だに、待つ楽しみという感性は理解しがたかった。

 

 

 

大分時間が流れた。

「あいつは、何やってんだ」

上空をふと見上げると、暇を持て余した火の玉が右往左往とぎらつかせて飛び回っている。

大よそ、殺戮か炎上かしかしない奴が、唐突に仇敵に煽られるがままにここにきているのだ。

ホント、どうかしてる。

そもそも、なんでその場で殺し合いにならなかったのかもようわからんが……

ニャルの奴はどうも、地球で煽りの文化を学んでいるらしい。

先日は、りーぜんと?とか言って蠢く触手どもを絡ませながら頭部を前方1フィートも伸ばすとかいう変な事をしていた。

ちょりーっす、ハスターのパイセンいますかー?いやぁニホンブンカマジ卍~と。

いくら文献を読み漁っても出てこないあれは、果たして日本語なのだろうか?

方言……とかいう少しぶれた日本語なのか。わからないが、っと!

「かかった」

竿が下に振れた

これは、何かが掛かった証拠だ

本にもそう書いてある、これはきっと魚に違いない事だろう。

待ち焦がれた瞬間と、いう奴だ。

今ここで風の出力さえ上げれば、こやつとはいとも簡単にお目にかかれることだろう

いや、違うね。

竿を握りしめて、組んだ足を解く

風で形成した足場に人のように立ち、今の私は釣り人その物だろう。

郷に入ってはなんとやら、やるのであれば形から。

歯を食いしばれ、雄たけびを上げよう、二足にぐっと力を籠める。

「ぅうおらぁあああああああああ」

引いた

強く、負けまいと

決死の生命の抗いに、最大限の敬意を注いで

勝ち戦に、全力を注いだ

銀の魚体を夢に見て、この感動と称されていた感覚を知る為に

一心に竿を振り上げた。

細い糸に釣られるようにして、空中に躍り出るものがある。

それは闇夜の中で影さえ見える事はなかったが、しかし今の私には確かに。

見える、緑の体躯が

飛び跳ねるのは不細工な面構え

飛び出た唇、えらばった顔に鱗。ひれもあるのに大よそ人。

火の玉が声に反応して近づいてきて、ほぼシルエットながらも特徴を捉えることが出来ていく。

拳を握りしめる、てらてらと光る鱗肌が筋張った塊のように密集していく

いや、間違いないね

落胆と言うか、悲観と言うか、最早当てつけの気分だ。

こいつは、

「あのクソ野郎の手下じゃねぇかぁあああああああああ!」

全力全霊で、大っ嫌いな磯野郎を海に叩き戻した

 

 

 

「あぁー酷い目にあった」

「美味美味」

オンボロ部屋の一室、火の出力を最大限に下げた火の玉が、微かに人間らしいフォルムをして防火シート20枚の上に鎮座している。

結局閉店間際のスーパーで購入した鮭で作った鮭のホイル焼きを、こいつとちゃぶ台を囲んでつついているのだ

あの後、海に叩き返した魚人野郎が単独であったはずもなく、海面下に見える無数の魚影に向かって鱗をひたすらに打ち込んで全滅させてやった。

心底気持ちわるかったが、まぁ海釣りはしないと決意できた。だけいい経験にはなったんじゃないだろうか

次は川釣りにしよう。

「どうだ、鮭はうまいか」

「我鮭劣化人間と判断。然、ばたぁ良好!」

「んー、そうかそうか。バターが気に入ったか」

火の玉は、揺らめく赤の中で少し黒ずんだ所を、笑うようにして歪め鉄製の端をオレンジ色に染めながらも鮭をつつき続けた。

クトゥグアと言う奴も、こう見て見れば可愛い奴なのかもしれない。

私がカルボナーラを食っている間、無貌のニャルはこんな気持ちだったんだろうか

嬉しい……のだろうか?

ようわからんが、まぁ。愉快ではあったのかなぁ。

少し考えこみかけたが、ご飯が冷めるのを危惧して慌てて箸を取った。

もうしばらく、ココロというものは考えていかなきゃいけないものなのかもしれない。

 

 

 

因みに、

次の日の新聞に、謎の火球がどでかく掲載された事は、言うまでもないだろう。

 



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無貌訪問

「あぁ、旅行?」

「そうそう」

「馬鹿じゃねぇの」

「酷くね?」

 築何十年とたった家の中、痛むような色を見せる壁や床には確かな古さを老朽を感じるが、この部屋には一つとして埃が落ちている事はない。

 無情な時間の流れを、味や歴史として刻み込んだ机や椅子。発色の良いテーブルランプ。

 沢山の書籍が並ぶ本棚には、煤汚れたような沈む色の背表紙に、金での印字が浮かび上がっている。いかにも高価そうであり、歴史的価値さえ見出せるようなものどもだ。

 こんな空間にもしも、考古学者の一人でも入れてみれば、宝石のように目を輝かせてあたりを叫びながら見て回って、狂気と恐怖と絶望をその腹に抱えて目を回しながら死んでいく事だろう。

 それもそのはず、そこにあるものはその大多数がこの世界のものだ。日本と言う島国で作られた見た目ぼろくてもそれなりに質のいい、品ばかりだ。

 だが、細工がしてある。その細工はぱっと見るだけでは理解できず、ある歴史に精通した眼でさえあれば容易く見抜ける単純なもの。

 構成する土台や基盤には無数の骨が折り重なり、鞣されてつやの出た背表紙たちにはあろうことか人間の革が使われている。表紙を見てしまえば、尽くが歪んだ悲愴の顔を呈しているのを理解できるだろう。

 何故そんなものばかりなのかと声が聞こえれば、それに心地よさを感じる住人が居るからだと。そう答える他無い。

 そんな空間には二つの人影がある。

 一方は椅子に座り、もう一方は床板の上で胡坐をかいて丸机に片一方の肘をつきながら、ながぁああああい顔を預けている。

 キリンか、あるいはヘビのようか。この空間に居る面子が人間であるなどと、そのような希望的観測は捨ておいた方が良い。

「酷くね、ってお前。あの後散々な目に合わせてくれといて何言ってんだ貴様」

「いやぁ、その件は忘れてくれよ~。いいじゃんかさぁ、ちょっと大きな花火があった位で」

「何が花火だ馬鹿、生ける面倒な火球が折角二千年ぶり位に満足げな顔してたと言うのに、いきなり現れては『嵌められて喰う飯は美味いかキャンプファイヤー』だと!

 あの後太平洋のど真ん中でドンパチやりかけたの本当に許さんからな」

「っだからいいじゃねぇーかよぉー。 ぶち殺さなかった俺をちぃとは褒めてほしいぜぇ???」

 お前らは何十年も前から引き分け続きじゃねぇかよ。と吐き出したい言葉を、二つに分かれた舌先で口内から喉奥へと押し戻す。

 目の前にいる真っ黒でどこまでも触手しかない無貌な塊は、顔なのかそれ?的な部分を重々しく振り回しながら不貞腐れたような深淵を向けてくる。

 そんな深淵で見んじゃねぇクソ野郎。

「大体、旅行ってどこ行く気だよ。プレアデスとかあそこらへん?」

「はっ、やっぱ外交大使は違うなぁ。軽ーくプレアデスとか言ってくれちゃってさぁ、折角地球居るのにわざわざいつでもいけそうな所行くとか頭湧いてんじゃねぇのか、その仮面の中にはあれか、一割にも満たない触手が一本うねうねしてるだけか?」

「ここぞとばかりに煽りおって、貴様こそ根無し草が過ぎると思うけどな」

「いーんだよ、夢の中で位遊ぶのは許してくれんだろ」

「……ふん、わからんな」

「結構。それより、旅行だ旅行。行く場所だってもう決めてあるんだ、嫌とは言わせん」

「くっそメンドクセぇのは相変わらずだな?」

「部下の前でだけは恰好良く喋ろうとしたり、キャンプファイヤーには面構え変えるお前には負けるよ」

「良い上司ってのはそういうモンだ。それより何処だよ、旅行先ってのは」

「おっ、実はノリ「勘違いすんなクソ野郎、上手い飯が食いたいだけだ」……そういう事にしとってやるよ」

 目の前にいるクソ触手は、弄るようにして自分の体の虚空からゆっくりと一枚の薄い紙切れの束ねを出す。表紙にはでかでかと、『GWにおすすめ!穴場名所特集』と書かれていてこの前の釣り本を思い出し頭が痛い。

 ニヤニヤしながら無貌がそれを捲っていくと、赤いマーカーがでかでかと縦横無尽に走らされているページが開かれて、蒼白の仮面の前に突き付けられた。

 あまりに近すぎて一瞬ぎょっと鱗が逆立ったが、落ち着いて仮面越しに文字を追っていく。

「んーと、なになに?温泉に会席料理に酒盛り自由……いくわ」

「さっすが黄衣ちゃん」

 反射的に放った風の刃が弾けるようで押しつぶすような何とも言えない音と共に、深淵のとなりで蠢いていた触手二本を切り落とす。

 それは床でにさんびちびちと、釣り上げられた魚野郎のように跳ねた後、黒い水蒸気のようなものを出しながら霧散していった。

「次ちゃん付けたら殺すぞ?」

「うっひゅー、怖い怖い。気を付けますよっと」

 切り刻まれて先の無くなった触手は、そのぐにぐにと曲がったり伸びたりしながら元の形へと変貌していく。どこまでが本人で付属品なのか、興味が尽きぬところではあるが。

 いやそれより会席料理だ。噂には聞いたことある、日本の料理の数々を少量ながらも多種類にわたって食すことが出来るものであると。

 一度は食してみたいと思ってはいたが、地球の通貨がそれなりな量必要なため、自称骨董品売りをしていてもなかなか手が出せなかった。いらない魔導書とはいっても所持数には限界があるし、ぼろぼろの陶器や石器といっても愛着があったりするからな。

 このお誘いが顔無しからのものだという事を考慮したとしても、十二分に魅力あるものであることに変わりはない。

「にしても、お前金銭面どうなってんだ?」

 しかし、そう思ってみればこいつの金銭がどうなっているかはつくづく興味が湧く所ではある。なんせ私がちょびちょびと持っているものを手放して生活しているのに対し、こいつが何かを握っているとはどうにも思えない。

「金?金はねぇ、大方ミ=ゴの研究室とかインスマスの支部貯金をごそっと頂いてる」

「盗人じゃねぇか」

「いいんだって、大体善人の所業なんだぜぇ?」

「はっ?善人だとぉ?」

 何言ってんだこいつ等々深淵から死体でも溢れてきたんじゃねぇか、と苦い顔をして思う。

 こいつの何処が善人だというのだ、常々世界を引っ掻き回して、異常現象超常現象死体増産お茶の子さいさいのこいつが、自分を咎無しと?

 鱗まみれの死体を見下すときのような、憤怒を噛み締めるような顔を無謀に向けてやると、奴は勘弁と言わんばかりに触腕を振った。

「ちょちょちょ、よく考えても見ろって」

「あ?弁明か?」

「弁明も何も、奴らに資産があったまんまなら、それこそ誰それの復活だの、人体実験だのが始まるだろ。

そんなん始まったら誰が犠牲になるか分かったもんじゃないじゃんかよ。

それに、お前の嫌いな奴の僕はそれこそ、この星が一番多い」

「むっ」

 そういわれてみれば、だ。存在として元々我々は滅ぼす側、駆逐する側。それは弱者であろうと、矮小な地球の民が反抗して対抗できるとも思えない。

 それを事前に止めている、それが良い事であるかと問われるならば微妙かもしれないが、人間に損害が行かないというのは願ったり……か?

「だろ、アイツらを少なくとも水面下で抑えて置ければ人間の世に出てくることはない。俺らにも金は入るし、winwinって奴だ」

「そうか……、人間の守護とは変な気持ちだがな」

 よし、俺もそうやって稼ごう。あの魚人ブチコロシして金が貰えるなら最高だろ。

「まぁそういうなって、それよりもだ。ハスターさんはよぉ、変化ってできんの?」

「変化?変身って事か?」

「そそ、その姿じゃ悪目立ちするからなぁ……ほれ」

 パチンと二本の触指を擦らせて音を鳴らすと、横に下にと広がっていた触手がものすごい勢いで集まっていく。一瞬の事だ。

 それはたちまち溶けるように一体化して、黒から肌色へと変色を起こし、おびただしいまでの触腕達は四つの手足と呼ばれるものへとまとまった。

 大きくはないが胸元には凸が存在し、この星の人間の中の大まかな分類。その内の女性というものに酷似したシルエットを醸し出す。

「どうですかー、可愛いでしょー」

「うるさいキモイふざけんな黙れ死ね」

「辛辣だなぁ……」

 いつもと違う上ずった音を出されて物凄い勢いで鱗が逆立った事を感じる。慌てて口反抗したもののまだ威嚇するかのように触手が伸びようとするのが止まらない。あの細い首を今にも両断したい気持ちに駆られていた。

「辛辣って……ほんと鱗逆立ったぞ、うへぇっ」

「っぁーもう、これが人間にはウケがいいんだ!兎も角、お前も俺に釣り合うイケメンになって貰わんと困んの」

「はぁ!?別にお前が女の意味なくね!?」

「一々反抗してくんな、動くんじゃねぇぞ!」

 途端、ニャルラト女が右手を黒い触手に戻しながら、勢いよく触腕で腕を掴んでくる。

 それがまるで絡まってくるように這いずって仮面の前にくると、淡く光る魔法陣が展開された。

「うおっぷ……」

「触手見て吐きそうになるんじゃねぇ!我慢してろ。

『貌は変わり、面影は無く、誰ともなく、人に成り果て、騙し隠せ』」

 短い呪文、一週間持つかどうかの変化の魔法か。とそう感じるそれは、私の体をゆっくりと一度血液の色に発光させたのちに、見かけを変え始める。

 暗い夜の闇を受けて、景色を反射する窓にはやがて、似ても似つかない容姿が浮かび上がっていく。黄色いパーカー、白いズボンの好青年と言えばよいか。人の世に溶け込むにはあまりにも顔立ちが整いすぎている気もするが、無貌はよしよしと翳した手を下ろした。

「んお、こりゃ凄いな」

「だろー、ちゃんと身分証とかも手に入れてきたんだからありがたく思えよなー」

 手渡されるのは変な紙にしては厚いもの。だが紙のようというか石のようと言うか、つるつるした表面にいくつもの文字が刻まれている謎の四角。

 そこには読みにくい漢字ではあるが、身分証という文字が刻まれている。それと一緒にこの顔の絵と名前。「紀 颯斗」という漢字がこれまた印字されている。

「これが……私か?」

「そ、キイハヤト。色々考えてお前っぽい字にしといたわ。因みに俺はクロサキエミな?」

 ずいっとまたも手が突きつけられる、そこには黒崎 笑と書かれているから、これが此奴の漢字なんだろう。

 笑み、笑顔とか嬉しそうな顔をさす言葉だったか、なるほど?いつもニヤニヤしててキモイしな、

「貴様にはお似合いな名前だな」

「お、たまには嬉しい事言ってくれんじゃーん」

「うわ、気色悪い」

「……けっ、頼むから慣れてくれ。切実な話があるんだ」

「切実て、なんだよいきなりさ」

「いやさ、俺無貌の神じゃん?その気になればなーんにだって化けれる訳なんですよ。路上生活者から一流選手にだってさぁ」

 困ってるとか言いながらもポテンシャル自慢かよ。

 うわ、腹立つなぁこいつ。懐石料理の為じゃなかったなら最近覚えた三枚おろしとやらをこいつで実践しているところだぞ。

 にしても最近魚料理もよく食べる様になったなぁ俺、ちぃと見た目がアレ似だから苦手だったけど、全然別モンだし

「おい、話聞けよ!」

「あぁ、悪い、興味湧かなくて。簡潔に頼むわ」

「あーもう、だから。顔面偏差値下げるの集中力いるの!」

「なんだそりゃ、イケメンでいればいいんじゃねぇの?大体なんだその大層なお悩みはよ」

 最近読んでる本とか、たまに町中でみる動く紋様……てれびとかいったものでもよく見かけるが、この星の人間は顔とやらをやけに重要視するらしい。

 触手もないし、鱗もないし、長い舌もない時点で大差ないようなもんだと思うのだが、左右が均等に整ったヤツが美人らしいと知識としては持っている。

 今の私だって、目の前の無貌だって美人だとわかる程度には価値観も理解しはじめたが、何故美人だと悪いのだ。

「そう思っていた時期も俺にはありました~、けど美人だと男でも女でも面倒なんだよぉ……

やれ、アイドルになりませんか~だの、貴方には人を引き付ける魅力がある~だの、テレビの取材です~だのさぁ。

最初は『この下等生物共は現金で楽だなぁ、流石細胞が少ないだけある~』とか思ってたけどよぉ?来る日も来る日もお断りしてたら、面倒くせぇんだよ。町中で殺す訳にもいかないしよぉ」

「辛いか、苦しいか、そうかそうか。いやはやお前にも苦悩があるんだなぁ!こ~~~~れは嬉しいニュースだぞ!」

 いやはや、このクソ無貌にも悩みがあるとは。今日はぐっすり眠れそうだ。

 この前のクトゥグアとの一件以来少し眠りが悪くて困っていたのだ、近隣住民から得た「シュブニグラスを数える」という方法も眠くならなかったし。

「いや、言っとくけど。俺が美人だったら旅行中の移動に支障出るんだからな」

「おいふざけんな貴様苦労してブサイクになれよほらさっさとしろ」

「食文化に染まってんなぁ。いいか、よく聞け。俺もお前も楽できるいい方法がこれなんだ」

「どれだよ……って、慣れる事がか?」

「そうそう、実はこの星には一つだなぁ。非常に簡易な人除けの方法があるんだよ」

「人除けとな?魔術的なものでなく、その群がりを消せるーって事か。どうやって?」

「実は『美男美女が一緒にいる』と、人は近寄らなくなるらしい」

「そ、それは一体どういうロジックなんだ?今までに様々本は読んだが、そんな話は聞いたことないぞ」

 この星に伝わる一つの儀式的なものなのだろうか、詰まる所この星の人間にある階級が顔で決まるならば、その最上位の方々の会合を邪魔してはならぬという事なのだろうか。

 一人でいるならば、それこそ縋るようにして近づくことで、自らの階級が高いように示そうとする。そう考えれば納得がいくか?

「俺にも、その理由はわからんが……。でぇとという儀式は他の人間一切合切を退ける効果があるらしい」

「でぇと、とな」

「これを使えば、我々は安心して町中に溶け込めるし、お前は飯を頂けて俺は煩いがガヤがこなくてすむ。

ホントの事を言うならば、お前を不細工にするのだって一手間二手間必要な上に、保つ負担はお前が背負うんだぞ」

「そ、そうか……わかった。」

 ある程度筋道が通っている、改善案もある、お互いに理があるならばこれは、貿易に置き換えるならば受けるべき案件だ。

 これは個と個の小さい繋がりではあるがしかし、クトゥグアには内密な状態で無貌とラインがあることはその実望ましい事だしな。

「よし、じゃあ今日はこれで帰ることにするよ。慣れない間は驚くと変化が揺らいじまうからな、一週間はその体を使ってみてくれ」

「了承した。して、日時はいつだ?」

「んーと、二週間後って所だな。前日に改めて顔だすから」

「出す顔無いだろ」

「じゃあ体出すわ」

「わかった」

 女の体となった無貌改め黒崎は、日本人の皮膚色に近しいひらひらした腰布を揺らしながら、謎に踵の高い靴を履いて玄関の扉を開けた。

 艶の出た黒いロングヘアが、扉から入ってきた風で揺れてアイスクリームのよな甘い香りが鼻にした。

「んぉ、変な感じ」

「へへへ、人間の体も感覚全然違うよなぁ。今ちょっといい匂いだと思っただろ?」

「まぁ……な、好ましくはあった」

「これさぁ、この体の時はいいけど、元の体で嗅いだりすると変な感じするんだぜ~。

まぁ、感覚が違うのは実感できただろ、しばらく練習期間が必要なんだ」

「はいはい、わかりましたよっと。んじゃ二週間後に」

 ぶっきらぼうに手を振ると、無貌は少しせき込んでから顔を上げた。

 もう夕方か、沈みそうな恒星の赤い光が、世界を徐々に深い黒に塗りつぶしていく、束の間の時間。

 境、星が出始め、夜が始まり、人は動きをやめる。そんな景色を絵画のようにきりとった玄関のドア前で、無貌は言った。

「颯斗!今日はありがとね、ばいばい」

 

 

 

 

 

「くぁwせdrftgyふじこlp7!?!?!?!?」

「ぎゃはははは!顔面真っ青だぞ~、ハスターさんよぉ。

いやぁ、この星に来てギャルゲーを勉強した甲斐があったぜぇ。お陰ででぇとの存在も知れたしな」

「んぐぁあああ!」

 不格好な悲鳴をあげて、咄嗟に目の前のクソアマの首を断ち切らんとする……のだが、手も触手も人間の型に収まったかのようで。

 例えるならば、容器に入った死体が底を抜けて落ちていかないかの如く、私の体は青年のものを保っていた。

 触手の感覚自体はあるのに、それが体の表面に浮き上がって来ないのだ。

 気持ちが悪い、胸糞が悪い、沸き立つ激情に身を捩らせてなお。体は言う事を聞かなかった。身体の形の感覚に違和感と齟齬が生まれ始めて、足が絡まったかのように身体が倒れる

 顔をあげれば目の前。女が笑う。いや違う。無貌が笑う、溶けている。翼がある、奴は逃げる気だ。

 体を素早く起こそうと努力するが、この体には手も足も二つづつしかない、のろくて鈍くて面倒だ。歯を噛み合わせた俺の頭上、俯いたその後頭部に声がかかる。

「ははは、俺の合図がなきゃ変化は解けないぜ?んじゃなぁー」

「このぉおおおお!まちやがれぇえええええ」

 空中を一瞬で駆け上がっていく無貌のクソは、みるみる内に遠ざかって私の目でさえ見えない何処かに飛び立っていった。残念ながら翼は生えないし、風で上空に行こうにもこれほどまでに人に近しい体をしていると、副作用が怖い。我々に比べてあまりに脆いのは、本で読んだ知識がなくとも、これまで踏みつぶしてきた身勝手なエゴイスト共の処刑で十二分に理解していた。

 

 くっそ、明日から買い物が不便だ。

 



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