東方project × ONE PIECE ~狂気の吸血鬼と鮮血の記憶~ (すずひら)
しおりを挟む

原作5000年前~ 黎明の刻
始まりの島と初めての出会い


序盤は設定が垂れ流されるのでくどいです。
40話からようやくワンピース要素が強く出てくる亀の歩みです。


 

 

ここは……どこだろう。

 

辺りは薄暗く、壁も地面もごつごつとした岩肌に覆われていた。

ずっと奥の方に光が差し込んでいて、洞窟なのかな、と思う。

私は何でこんなところにいるのだろう。

 

最後の記憶を思い出す――と、自分が死んでしまったことを思い出した。

それで、ああ、そうだ。

死んだ後に神様を名乗る男性と出会ったのだ。

自称神の彼が一方的に説明したところによると、私は天界の抽選に当選して、人格や記憶をそのままで転生する権利を得たらしい。

 

なんだかひどく突拍子もない話だったが、彼の神々しさを見れば神様だということは疑うまでもない。

日本人らしく特に信仰のない無宗教者だった私は一も二もなくその話を信じたが、問題が一つ。

私は特に転生したいとも思わなかったのだ。

前世でやり残したことも特にないし、十分に満足した人生だった。

もう一度人生を始めるには楽しみよりも気苦労の方が勝ってしまいそうだった。

 

私がそう言うと、神様は慌てて考え直すようにと言ってきた。

なんでも、最近の天界ではこの転生させるという行為が流行っていて、この神様もやってみたいと思ったらしい。

神様というものは基本退屈だそうで、そこで近年新たな娯楽として人間を転生させてその様を見て楽しむというのが天界での一大ムーブメントになった。

しかし、誰も彼もぽんぽんと転生させることはできず、たまたま適格だった私を逃すと次に転生可能な魂が来るのがいつになるのか分からないという。

 

正直なところ面倒だったが、私が人生をエンジョイして大往生できたのもきっと神様のおかげでもあるのだろう。

それに毎年初詣とかで願い事をしていたし一度くらいは神様のお願い事も聞かないとバチが当たるというものだ、と考えを改め、私は転生の申し出を了承した。

すると神様はとても喜んで転生についての説明をしてくれた。

なんかすごく人間臭いというか、親しみの持てる神様である。

 

これから転生する世界は私が元いた世界から見て下位の世界――漫画やアニメやゲームなどの創作物の世界らしい。

上位世界から下位世界への転生は周囲に与える影響が非常に少なくて簡単なうえ、創作物の世界ならそこをどんなに改変しても原作に影響を与えることはないそうだ。

簡単に言えばパラレルワールドみたいなものが発生するらしい。

さらに、その世界の存在に対して、転生者の方が上位存在になるのでその世界ではかなり自由が利く。

こういったことから転生に都合がいいという。

加えて、転生先の体も既存のキャラクターを流用することで簡単に済ませられるらしい。

 

それで、神様は私の転生先の体と世界を何にするか尋ねてきた。

私は、「どちらも私が知らないもので」と条件を付けて神様にお任せすることにした。

自分が好きな漫画の世界に転生と言うのは面白いかもしれないが、葛藤や気苦労もすごそうだったので。

 

そんなわけで神様がぱぱっと決めた。どちらも神様の趣味だという。

 

 

 

転生先の体は、東方projectというゲームの、『狂気の吸血鬼』“フランドール・スカーレット”。

 

転生先の世界は、ONE PIECEという世界的に有名な漫画らしい。

 

 

 

東方は名前を知っている程度で、ワンピースも『海賊王におれはなる!』という有名な台詞を知っている程度。

条件通りだった。

 

ちなみに神様曰く転生した時点で「何ができるか」など自分が転生したキャラクターの事はだいたいわかるし、心配はいらないだろう、とのこと。

 

あと、転生を受け入れてくれた礼として、ちょっとした手助けをしてくれるそう。

両世界に関して正方向の干渉をすることで、私が転生する先の世界に東方のキャラによく似た性質を持つ人物が生まれるように改変するらしい。

神様曰く、「正方向の干渉だからきっといいことが起こるよ。できるだけ関わりを持っておくといいかもね」ということだ。

 

何を言っているかよくわからなかった。

だいたい私は東方をよく知らないのでキャラによく似た人と言われてもどうすればいいのだろう。

そんなことがあったのち、神様の『頑張ってね』という言葉と共にだんだんと意識が薄れて――

 

 

 

――現在に至る。

 

 

ということはつまり、今私はフランドール・スカーレットになって、ワンピースの世界に居るということだろうか。

どうしようかな、と思いつつ小さくなってしまった可愛らしい自分の両手を眺めてみる。

キレイな肌、スラッとしているのに柔らかそうな手だ。

その手で自分の顔をペタペタと触ってみる。

小さな体だ。

服はナイトキャップのような帽子や、真紅の半袖とミニスカートなど可愛らしい。

自分がそれを着ていることに違和感を覚えるかと思ったが、不思議とそんなことはない。

この体が自分の体だという意識はしっかりとある。

 

自分の内面に意識を向けると、自分がどういう存在なのか、何ができるのかが頭に浮かんでくる。

なるほど、私は吸血鬼である。

その事実はすとんと胸におちた。

 

その胸もすとんと平坦だけれど10にも満たないような年齢の子供の体では仕方ない。

そのまま背中に手を回すと、羽が生えていることに気が付く。

目を向けるとそこには細い枝に七色の宝石がぶら下がっているような不思議な羽があった。

少し意識してみるとパタパタと動き、同時に体が少し地面から浮いた。

10秒ほど空中に浮いてからふわっと着地する。

こんな揚力もなにもない構造だけど空は飛べるようだ。

 

揚力の代わりに妖力で飛ぶのだろうか。

 

「…………」

 

なんとなく気まずさを紛らわせるために壁を叩いてみると、ゴガン、という硬質な物同士がぶつかるような音がして壁の一部の岩が砕けた。

一方で手の方は無傷、どころか痛みすらない。

段ボールでできた張りぼての石を殴ったような感触だった。

 

「うーん、となると……」

 

私は立ち上がり、光が差し込んでいる洞窟の出口へと向かう。

恐る恐る光に手を伸ばしてみると、

 

「あづっ!?」

 

熱いというよりはむしろ痛い、と感じて手を引っ込める。

見れば指先が軽い火傷をしたように火ぶくれしていた。

そして数秒で元の綺麗な白い肌に戻って痛みも消えた。

陽の光を浴びると即座に灰になる、というほどではないけれど、どうやらちゃんと吸血鬼らしく太陽光は弱点のようだ。

まぁとりあえず昼間は外に出られないようなので洞窟でじっとしていた方がいいだろう。

神様もそれを見越して洞窟で目覚めるようにしてくれたのだろうか。

目覚めたら灰とか、見ているだろう神様も悲しいだろうし。

 

というかちょっと軽率に過ぎた。

いまので存在が消滅してたらどうするつもりだったのか。

そこまでいかなくても手が灰になって元に戻らない可能性も普通に有ったのに。

どうもまだ現実感がわかず、ふわふわしている。

 

 

その後、夜まで暇になったので体の調子を確かめたりして時間を潰した。

体の調子は良好、自分の体じゃないと思えるくらい軽快に動く。

能力の方はどうやら『ありとあらゆるものを破壊する程度の能力』というものも使えるらしい。

少し集中すると“目”というものが見え、それを手の中に移動させることができた。

手の中の“目”を『くにゅ』と握ると岩が音もなく砕け、『きゅっ』と握るとドカンと爆発し、『ふんっ』と握ったら跡形もなく吹き飛んだ。

どうやら握る力によって破壊の仕方が変えられるらしい。

恐ろしくて正直あまり使いたくない能力である。

 

 

夜になり、月明かりの元外に出てみる。

街灯もないし辺りは真っ暗なはずだけど、さすが吸血鬼と言うべきか見え方は昼と変わらず非常にはっきりしている。

パタパタと羽ばたいて空を飛んで辺りを見回したが、人里のようなものはない。

思い切ってかなり上空まで飛ぶと、私のいるここはとてもとても大きな島らしいことが分かった。

次にあちこち飛び回ってみたが、どこにも文明の影がない。

やたらと大きいのにもしかして無人島なのだろうか。

 

ただ、私は第一村人が発見できないことにガッカリしていたがそれも少しの間だけだった。

気ままに上空を飛び回っているのだが、これがとても楽しいのだ。

自分の思い通りにビュンビュン飛べるし、寒いということもないし、特に疲れもしない。

思いっきり速度を上げると音の壁らしきものにぶつかる経験までできた。

『鬼の腕力と天狗の速度を併せ持つ』という吸血鬼の身体スペックは素晴らしい。

 

……おや、私は何でこんなことを知っているのだろうか。

鬼にも天狗にあったことはないのだけれど。

この体がもつ知識なのだろうか。

 

ともあれ私はそのまま散々飛び続け、東の空が明るくなってきたころに洞窟へと戻り、吸血鬼らしく日の出とともに寝るのだった。

とりあえず明日は柔らかい寝床を作ろうと思いながら。

こうして私の転生1日目は空を飛び回るだけで終わってしまった。

 

 

 

 

 

 

私がこの世界にやってきて1年ほどがたった。

時間が進みすぎ?私もそう思う。

 

まず最初の頃は日々を生きるのに必死だった。

衣と住はあったのだけど、食がなかったのだ。

 

手ごろな果物でも食べようと思ったら洞窟近くの木に生っていた果実は毒々しい色と模様がついていたのだ。

吸血鬼が毒や食あたりで死ぬとも思えないが、とても食べる気にはなれなかった。

そうなると動物や山菜になる。

動物を狩るのはいい。

高すぎる視力と飛行能力のおかげで見つけることに苦労しないし、圧倒的な身体能力でどんな獣でも仕留められるし、殺すことに抵抗を覚えることもなかった。

 

だが、だが待って欲しい。

いかに獲物を仕留めようとも、私は動物の捌き方も血抜きの仕方も知らないのだ。

前世の記憶で料理はできるだろうが、今度は調理器具や調味料がない。

火を熾すことすら一苦労である。

 

絶望した私は、しかし諦めなかった。

ただの負けず嫌いともいう。

 

とりあえず、火だ。

まずは原始的なものから始めることにした。

一瞬木と木をこすり合わせて火を熾す姿を想像したが、すぐに断念する。

ろくな知識がない素人がそんなことをやっても成功するビジョンが見えない。

それより私は『フランドール・スカーレット』なのだ。

ならばその力を最大限活用すべき。

そう考えると、自然と自分が何をすればいいのかが分かった。

 

「禁忌『レーヴァテイン』」

 

呟き、掌に力の流れを意識する。

たったそれだけで私の手の中には燃え盛る炎剣があった。

 

不思議な感覚だった。

自分の中から“力”が手のひらを通じて外へと流れて炎剣を形作っている。

それは少し意識するだけで自在に形を変え、それでいて手には全く熱さを感じない。

試しに近くの木を切りつけてみればあっという間に火が付き、慌てて消火する。

 

炎剣の使い方が分かったところで、私はまずイノシシ(のような動物)の丸焼きを作ろうと試みた。

しかし、結果は丸焦げのダークマターが誕生しただけだった。

中までしっかり火が通っており、黒くないところがない。

完璧である。

というかこれはもはや炭である。

私は良い炭焼き職人になれるだろう。

……レーヴァテインの火力が高すぎたのだ。

 

そうして私は試行錯誤を繰り返し頑張った。

包丁などの刃物類は爪を伸ばして鋭利に強化したりして代用した。

鉄鉱石らしきものを発掘したのでレーヴァテインで溶かしてフライパン(に見えたらうれしいただの鉄板)を作った。

調味料がなかったので海水から塩も作った。

そうした努力の末、私は肉を美味しく食べられる技術を手にした。

この世界で初めてちゃんとした“料理”を食べた時の感動は忘れない。

日本ではこんなに苦労した経験もない。

 

文明とはまこと、偉大だった。

 

 

他にも山菜を食べて毒にのたうち回ったり(命にはかかわらなかったが、笑いが止まらなくなったりした)、魚が釣れないことにイライラしてうっかり湖を一つ蒸発させてしまったりと色々なことを経験した。

 

大変だったのは雨が降った時だ。

吸血鬼は流れる水を渡れない、という伝承のように私も雨の中を移動できなかったからだ。

即座に行動不能になるというほどでもないのだが、どうにも体がだるくて動く気力がなくなる。

特に初めての長雨の時は本当につらかった。

 

事前に食料を備蓄しておかなかったせいで洞窟の中で数週間飲まず食わずで餓死しかけたのだ。

 

あの時は自分の腕に牙を突き立て血を吸って空腹を紛らわせた。

もう少し長雨が続いたら腕か足を喰っていただろう。

そう思うとぞっとする。

それからは数日分の食料は必ず貯蔵するようになった。

吸血鬼の体ゆえか、人間にして数日分の食料があれば数か月は活動できるのだ。

まぁこの流れる水と言う弱点も良くわからないのだけどね。

川は普通に渡れるし、湖にも潜れるし、全ての流水がダメと言うわけでもなさそうなんだけど。

とりあえず雨は鬼門ということは確かだが。

 

 

そんなこんなであっという間に一年がたった。

洞窟の壁に日数を刻んでいたのだけど、365を超えてもあまり季節に変化はなかった。

年中暖かく、熱帯に近い気候なのだろう。

 

そして、一年がたったところで私はハッと気が付いたのだ。

気が付いてしまったのだ。私はなぜこんな無人島でサバイバルをしているのか、と。

だってこの無人島から海を超えて別の島や大陸に行けばそこには文明があるだろうし、そこで働いてお金を稼いでおいしい文明的食事を――。

こんな簡単なことに思い至らなかったここ一年間の私の頭はポンコツだった。

転生と言う非日常に頭が回らなかったというのもあるだろうが、にしたって一年はポンコツである。

そうして私は健康で文化的な最低限度の生活を営むために保存食を少しとお金に換えられそうなものを持って島を飛び出したのだった。

文字通り、羽ばたいて。

 

次の島はすぐに見つかった。

なにせ私の飛行速度は音速に迫る。

全力で三時間も飛行すれば日本縦断だってできるのだ。

しかもたいして疲れないし。

 

ただし、まぁ人生というものはそこまで甘くないわけで。

 

見つけた島は変わらず無人島だった。

そしてその次の島も、その次の島も無人島だった。

しかも変な島ばっかり。

ずっと燃えてる島とか意味が分からない。

油田でもあるのだろうか。

 

行く場所行く場所誰もいなくて、もしかしてこの世界にいるのは自分一人なんじゃないかと嫌な想像が頭をちらつき始める。

神様が何かの手違いで別の無人世界に送ってしまった……とか。

 

いやな想像を振り払って飛ぶこと数十時間。

十数個目のかなり大きな――北海道とまではいわないけど四国くらいの面積はありそうな――島で私はようやく、人間が暮らしているのを見つけた。

ようやく自分以外の人間を(私は吸血鬼だけど)見つけたことが嬉しくて、彼らが見るからに原始的な格好をしていても気にはならなかった。

 

それよりも問題だったのは、今まさに彼らが絶滅しかけていることだった。

 

 

 

 

絶望が、襲い掛かってきた。

俺たち土の民はもともともっと内陸の安全な土地に暮らしていた。

しかし、手を組んだ山の民と湖の民に住処を追われ、危険な地へと追いやられた。

(おさ)達年長の者は山の民と湖の民に恭順することを提案したが、それを蹴ったのは俺たち若い世代だった。

一部族同士で争い負けたのならば恭順もやむなしだが、奴らは卑怯にも手を組み共謀して俺たち土の民を追い落とした。

そんな奴らに従うことなんてできなかった。

だが、今にして思えば、あそこでおとなしく長達に従うべきだったのだろう。

 

かつての住処を追い出されてからも俺たちはしばらくの間はまだなんとかやっていけていた。

だがある日突然、見たこともないような恐ろしい魔獣が俺たちの村を襲った。

それからは村を捨ててただひたすらに逃げる日々の始まりだ。

村で一番強かった戦士もなんの抵抗もできずに殺された。

 

奴は俺たちすべてを一気に殺そうとはしなかった。

殺した者をその場で食うからだ。食っている間は俺たちを襲ってこない。

だから俺たちはその間にまた遠くへと逃げる。

だが、魔獣の足の速さは尋常ではないし、臭いか何かで俺たちを的確に追跡して来るのだ。

 

そして昨日、ついに村の最後の戦士が殺された。

これで俺たちの村に残っているのは老人と女と俺のような若い男だけだ。

悔しいが残った俺たちはまだ成人の儀を行っておらず、戦士として武器を扱ったこともない。

これであの魔獣に対抗するすべはなくなった。

今更山の民と湖の民に助けを求めようとしても、魔獣から逃げ続けたせいで既にかつての住処からは大分離れてしまっている。

 

終わりだ。

絶望だった。

昨日村の最後の戦士が殺された後、生き残った村人たちで話し合った。

もう逃げる気力の残っている者はいなかった。

せめて死んでいった戦士たちに顔向けができるよう、最後まであの魔獣に抗おうと皆で決めた。

最後の一人が殺されるまで、老人も女も子供も闘うことを決めた。

 

そう、今日が俺たち土の民の最後の日だった。

――そう、なるはずだった。

 

 

魔獣の強さに陰りはなく、俺たちの最後の抵抗もむなしく、仲間は次々に殺されていった。

そして俺も、これから女たちをかばって死ぬのだ。

不思議と死の恐怖はなかった。

魔獣に生きたまま喰われるとしても、それだけ仲間が襲われる時間を遅らせることができる。

そう思えば怖くはなかった。

きっと村の戦士たちも同じ思いで死んでいったのだろう。

 

だが、ああ、怖くはなくても、もう、目の前に、魔獣の(あぎと)が。

 

その時だ。

奇跡が起きた。

 

俺の目の前に、小柄な影がすさまじい速度で降り立ち、獣の牙を受け止めたのだ。

戦士たちを一噛みで引き裂いてきたその牙は、なぜか微動だにせず受け止められていた。

そして、次の瞬間には魔獣はすさまじい速度で吹き飛び、大木に叩き付けられ、ぐちゃぐちゃになって死んだ。

俺には何が起きたのか、とっさには分からなかった。

目の前の小柄な影が魔獣を殴り飛ばしたのだ、と分かったのは振り切った拳とそこに付着している魔獣の血を見たからに過ぎない。

俺たちを滅亡させようとしていた恐ろしい魔獣は、小柄な影の目にもとまらない速度の拳にあっけなく殺されてしまったのだ。

 

「××××××?」

 

小柄な影は聞きなれない言葉を口にしながらこちらを振り返った。

ここで俺は初めてその小柄な影を認識した。

 

それは、はじめ人間のように見えた。

まだ子供だ。

俺よりも小さい少女だった。

背丈は10の子供にも満たないだろう。

だが、次のその少女の纏う空気を感じて、俺はそれがとんでもない勘違いだと思い知った。

 

禍々しい、いや、そんな言葉では表現しきれない。

恐ろしく捻じ曲がり狂ったような威圧が吹き付けてくる。

 

あの魔獣が何だというのだ。

あの魔獣が発していた殺意など、目の前の子供が発する狂気に比べればそよ風のようなものだ。

 

がくがくと足が震える。

歯が鳴るのを抑えられない。

あの魔獣に殺される寸前でも恐怖を抱かなかった俺が、目の前の子供に見られているだけで気絶しそうな恐怖を感じている。

 

そして何よりもその、真紅の瞳だ。

小さな可愛らしい瞳のはずなのに、底の見えない深淵を覗き込んでいるような不安感を感じる。

それなのに魅入られてしまったかのように目が離せない。

その瞳に見つめられているだけで気が狂いそうになる。

 

「あ、あなたは……」

 

少女には牙が生えていた。

小さなまっ白い牙だ。

だが、その牙はあの魔獣の大きいだけの牙よりもずっと存在感のある、恐ろしい牙だった。

 

少女には歪な羽が生えていた。

枯れ枝に色とりどりの綺麗な石がぶら下がっているかのような異形の羽だ。

だが、それは見る者の心を惑わす魅惑の羽だった。

 

加えて全身から発する怖気の走る雰囲気、全てがどうでもよくなってしまうような深淵のそれ、真紅の瞳。

 

俺は全身全霊で、彼女が俺たち人間とは違う別のイキモノなのだと理解した。

あの魔獣すら足元にも及ばない、イキモノとしての格が違う。

彼女の前では俺も、戦士も、あの魔獣もすべてが等しく無価値に思える。

そうだ、まだ俺が小さかった頃に婆さん達に聞いたことがある。

俺たち人間の及びもつかない存在がこの世界には存在するのだ。

 

確か、――神、というんだったか。

 

「×、×、××?」

 

少女は、神は何事かをつぶやく。

ああ、使う言葉も俺たちの程度の低いものとは違うのだ。

神の言葉はなめらかで透き通るように綺麗な声音だった。

その言葉を聞いているだけで天に昇ってしまえそうな、天上の言葉なのだ。

 

「ああ、神よ! 神よ!」

 

俺はそう叫びながら地に伏せた。

もはや顔を上げていられなかったのだ。

これ以上面と向かっていれば吹き付ける狂気の風に気を持っていかれてしまう。

俺にはひたすらに頭を地につけ狂気の波動が頭上を通り過ぎることを待つことしかできなかった。

すぐに俺の背後でも同じように動く気配があった。

俺がかばおうとした女たちも、その後ろにいた老人たちも子供たちも、皆が一様にひれ伏しているのだろう。

老人や子供など、ともすればこの狂気の風を受けただけで死んでしまうかもしれない。

その意味では若く丈夫な俺が神に最も近かったことは幸運だったのかもしれない。

 

少しして、ようやくほんの少しだけ吹き付ける狂気に慣れ、俺は恐る恐る顔を上げた。

神はふわふわと宙に浮いていた。

ああ、ただそれだけで俺たちとは違う存在なのだと声高に主張している。

 

ふと、こちらを見る神と目があった。

すぐさま先ほどのように真紅の瞳から狂気が頭の中に流れ込んできて、叫び声を上げて発狂しそうになる。

だが、神はそこで俺に微笑みかけたのだ。

それは狂気を纏った笑みだったが、同時に深い恍惚感をも俺に与えてきた。

その笑みを見て、俺はなによりも魂で理解した。

 

俺は、俺たちは、この方に出会うために生まれてきたのだ、と。

 

 

 

 

私の眼下ではようやく見つけた数十人ほどの人間たちが今まさに絶滅しようとしているところだった。

彼らは粗末……というよりは原始的な服に身を包み、しょぼい槍……というよりはただの棒で必死に応戦していた。

相手は獅子に似た獣。

体格は大きめで、成人男性二人分くらい。

獣と人間たちとの戦力差は歴然で、あたりには噛み殺されたであろう人間の死体がいくつも転がっていた。

獣が太い前足で、槍ごと数人まとめて男たちを吹き飛ばす。女たちが悲鳴を上げ、そこに獣が襲い掛かる。

女たちをかばうように少年が走り出て、身を投げ出すようにして獣の爪による攻撃から女たちを守ろうと――。

 

「ちょっと待った、待った!」

 

あっけにとられてその状況をただ見つめていた私は、そこで我に返り、慌てて急降下した。

少年と獣の間に降り立ち、獣が振り下ろした爪を右腕で受け止める。

最悪大けがまであるかもしれないが、私は超回復能力をもつ吸血鬼だ。

問題はない――と思っていたのだけれど、予想に反して獣の爪は私の柔肌に小さな切り傷を付けるにとどまり、食い込みすらしなかった。

拍子抜けし、そのまま獣の鼻面に一発パンチをお見舞いしてやると、それだけであっさりと獣は吹っ飛んだ。いやはや、この体のスペックはすごい。

前世ならば中型犬と戦うだけでも精いっぱいだったろう。

 

「大丈夫だった?」

 

私は後ろにかばった少年に声をかけた。

まぁあたりを見る限り死体がごろごろ転がっているわけで集団としては全然大丈夫なんかではなさそうだけど、他にかける言葉が見つからない。

しかしまぁ、どうにも彼らは随分と混乱しているようでその問いかけに対する返事はない。

どうしたものかと悩んでいると、助けた少年が話しかけてきた。

 

「×、××××……」

「え、な、なに?」

「…………××、××! ××!」

 

ふぁー、何言ってるのかわかんないよぉ。

日本語でも英語でもない。

私が前世を含めてもきいたことのない言語だった。

これでも日本語を始め英語ロシア語ドイツ語フランス語、珍しいところなんかじゃラテン語とかもできるくらい結構語学力には自信があったのに。

普通転生って言葉とかどうにかしてくれるものじゃないの!?

 

どうすればいいか分からず混乱していると、突然少年が何事かを叫びながら地面に伏せた。

そして周りにいた他の人たちも続々と同じ言葉を叫びながら地面に伏せていく。

 

私は何が起きたのか訳が分からずちょっと怖くなった。

一応何が起きてもすぐに対処できるように地面から1メートルほど浮いておく。

普通鳥などが空を飛ぶときには地面を蹴って飛び立つのだが、どういう原理で飛んでいるのかもわからない私の飛行に限っては、空中からの方が初動が自由で素早いことはこの一年で学んだことだ。

空中に浮きながら、私は彼らに何が起きたのか考える。

私の背後に恐怖を感じるようなモンスターが現れたのかと思って後ろを振り向くが、何もいない。

うーん……?

 

その後にあったことを鑑みるに、彼らはどうやら私を拝んでいるらしかった。

彼らが手も足も出なかった巨大な魔獣を一撃で倒して皆を助けた私を神様か何かだと思っているようで、何かにつけて供物らしき果物を持って来たり、伏して拝んだりするのだ。

 

うむむ、想像以上に文明レベルが低い!

 

私は言葉によるコミュニケーションが取れないなりに、身振り手振りでどうにか意思の疎通を図った。

その結果わかったことと言えば、彼らが文字を持っていないことと、やはり文明レベルが非常に低いということ。

いやはや、参った。

文明的な生活と美味しい食事を期待していた私はこの時点でかなりがっかりしたのだけど、あの島では食べられない獣や植物を食べられると思えばなんとか諦めもついた。

それにしてもこの世界に来てからまともな娯楽がないせいで楽しみがほとんど食事しかないという悲しさを実感してしまう。

こんなことなら神様に任せず、もうちょっと文明的な漫画でも選んでおけばよかったかもしれない。

……ま、世紀末漫画とかよりはましだったと思おう。

 

 

その後、私は放っておいたらすぐに絶滅しそうなほど弱弱しい彼らをどうにかするために奮闘した。

 

私は彼らに身を守る方法を教え、道具の作り方を教え、獣の安全な殺し方を教え、皮の剥ぎ方、血抜きの仕方、火の使い方を教えた。

皮の剥ぎ方や血抜きの仕方なんかは私の方が教えてほしいくらいだったのだけど、彼らの手際を見る限りどう考えても絶対に私の方が上手いと確信できる悲しさだった。

 

火に関しては熾し方が今のところ私のレーヴァテインだけなので、村の一部にずっとたき火をし続けることでなんとかした。

獣を追い払えるし、夜目が利く私と違って彼らには夜闇を照らす灯りがあれば心強いと思ったのだ。

ちなみに言葉が全く通じないのでコミュニケーションはほぼすべての局面において非常に難儀した。

彼らが私の事を神として敬い、一挙一動に注目して、私のやることを真似て、常に私に従うような状況でもなければ途中で面倒くさくなって放り出していただろう。

 

特に、ファーストコンタクトの時に助けた少年――名前は特殊な発音で聞き取れなかった――がいっとう慕ってくれて随分助けになってくれた。

彼はいつも私の後ろをカルガモの雛のようについてきて、意味の分からないであろう日本語をおうむ返しに呟いていたあたり可愛げもあった。

なお私も彼らの言葉を覚えようと思ったのだけど、まずもって発音ができない言葉が多く単語レベルで限界だったので、通じないと分かっていても日本語で話しかけ続けるのだった。

 

せめて文字と教科書がないと無理。

フィールドワークで現地住民の言葉を覚えてしまう文化人類学者さんはほんと尊敬するよ。

 




・神様
以後登場予定無し
たぶんロリコン

・食料に困窮
実際いかにチートをもらおうとも文明がない中に放り出されたら辛いと思う
本作のフランちゃんはこうやって成長していきます

・腕か足を喰う
ゼフさんかな?

・語学力が堪能
うらやましい
でもこの世界では通じません
以後の伏線


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ラフテルの建国と巫女さんの話

前回のまとめ

・フランに転生(憑依)してワンピース世界に
・無人島で無物資スタート
・現地住民との邂逅


 

 

一年がたち、二年がたち、五年十年二十年と時が流れ、彼らの村は見違えるほど大きくなった。

外敵への備えももちろんだが、なにより農耕を始めたことが大きいだろう。

これによって日々の生活に余裕ができ、文明をはぐくむ準備ができた。

彼らは日本語を、カタコトとはいえ話しはじめ、私の言葉はほとんどを理解できるようになっていた。

 

紡錘の発明によって服飾技術も随分向上した。

腰ミノオンリーみたいなレベルから教科書に載ってる縄文弥生人に毛が生えたくらいまでは進化したと思う。

島の他の場所に住んでいた部族も統合して集落の人数も増えたし、周囲一帯を縄張りにするまでに至った。

 

ちなみに彼らの部族の名前は『××××』というらしいのだが、多分日本語で言えば『土の民』といった意味だろう。

ここでの生活も長いのでなんとなくの言葉の意味くらいは分かるようになってきた。

 

 

集落が発展する間、私も神様ごっこばかりをしていたわけではない。

吸血鬼の能力を十全に使えるように努力した結果、体を霧状にしたり、コウモリになったり、四人に分身したり、と色々な能力が使えるようになった。

 

特に霧化が一番の収穫だろう。

最初の頃は体の一部しか霧化できなかったのだけれど、徐々に規模が広がり、二〇年が過ぎるころにはついに全身を霧化することに成功した。

そしてそれに伴って素晴らしい発見をしたのだ。

 

なんと、服を着たまま霧化すると服も霧になるのだ。

 

服も霧に出来るということはつまり、服も私の体の一部と言うことなのだろう。

これがすべての吸血鬼全般にあてはまるのか、私が『フランドール・スカーレット』だからその固有の服装が存在の一部となっているのかはわからないが、多分前者だろう。

霧になった後戻ったら全裸とか格好悪いし。

カリスマが足りてない。

 

で、このことの副次効果として服だけを霧にし、元に戻すことで破れた部分や汚れがあっても元通り新品の状態に戻すという裏技が可能になったのである。

やったー。

この裏技を得るまでは川でせっせと洗濯して、その間代わりの粗末な服を着るしかなかったのだが、これですべて解決した。

ちなみに体の方も体表を霧化して元に戻すことで体の汚れも落すことができる。

流水がダメなせいで水浴びがしにくい吸血鬼の私にとってはありがたいことだった。

 

後の発見としては、私が年を取らない、もしくは成長が非常に遅い、ということが分かった。

なにせ二〇年経っても身長が一ミリも伸びていない。

胸もしかり。

それでいて髪や爪は伸びるのでまったく代謝がないというわけでもなさそうなんだけど。

吸血鬼だから成長が著しく遅いのか、存在が『フランドール・スカーレット』になったせいで成長しない存在になった可能性もある。

これに関してはあと数百年は経たないと結論は出ないだろう。

とりあえず感覚的にいますぐ寿命でどうこうなったりはしなさそうだった。

 

そして、彼ら土の民と出会ってから百年ほどもたった頃、一つ大きな問題ができた。

安全が確保され、衛生環境が改善し、農業によって安定した食料が供給され、……となった結果、人口が爆発的に増加した。

それに伴って土地と食料が足りなくなりそうなのが目下最大の問題である。

土地が悪く、農作に適していない場所が多いのでむやみやたらに開拓することもできない。

 

私はどうするか悩んだ。

最初は弱弱しい彼らを見捨てられなかったから成り行きと惰性で助けたが、さすがに百年も一緒に暮らしていれば情もわく。

もはや本質的にも対外的にも私は彼らの王だった。

いや、彼らにとっては神、か。

 

――だからなんとしても、私はこの問題を解決したかった。

 

ある日、解決法を思いついた。

土地と食料が足りないならば、新天地を目指せばいいのだ。

 

 

 

 

広い土地、を考えた時真っ先に浮かんだのは私がこの世界で目覚めた――『始まりの島』だった。

あそこは雲を突っ切るくらい上空まで行ってようやく海岸線が見えるサイズの巨大な島だった。

多分今いるこの島の一〇倍以上は大きいと思う。

オーストラリアくらいのサイズはあるんじゃないだろうか。

いや、オーストラリアを上空から見たことはないけれど。

 

あと加えてあの島で一年間生活した感想としては、非常に気候が安定していて植生も豊か。

動物も多く、湖で魚も取れる。

鉱脈もあったし、住むにはいい環境だろう。

 

そこで私は彼ら土の民に移住の提案をしてみた。

すると意外なことに彼らは一も二もなくうなずいた。

私としてはそんな簡単に先祖代々の土地を捨てていいのかな、と思ったのだけれど、よくよく彼らに話を聞いてみれば、彼らからすればこれは神の国(私が元居た土地)への移住を認められたことに等しく、とても嬉しいそうだ。

それに彼らはもともと大陸の方から流れてきた民だったので土地に思い入れはないらしい。

 

そんなわけで、それからは船の建造が急ピッチで進められた。

音速に迫る私の全力飛行ですら数時間かかる距離だ。

エンジンなんてあるわけでもなし、風に左右される帆船での船旅なら数か月の道のりになるだろう。

つまり建造する船には長旅に耐えられる頑丈さと、移住に必要な物資と人員を積み込めるだけの大きさが必要だった。

 

船の建造は難航した。

 

土の民の居住区域はもともとが内陸部でさほど大きい川があるわけでもなく、海に出れば巨大な魔獣がいるわけで彼ら土の民に船の必要性などなかったため、ボートを作る技術すら存在しなかった。

そこに突然大型帆船を作ろうというのである。

無茶な話だった。

 

鉄器自体は私がそれなりに普及させてはいたが、現代のノコギリやカンナのような性能のいいものは存在しないから木を加工するのも一苦労。

構造も私の前世の記憶にある曖昧な情報を元に作っているので最初の頃は水に浮かべることすら困難だった。

一〇年以上をかけて何とか形にはしたものの、今度は船を動かす技術がなかった。

帆を張ってもどう動かせば船がどう進むのかも分かっていないし、海図もコンパスもない。

もう問題だらけで私は途中で何度も諦めかけたのだが、当の本人たち土の民が不屈の精神で頑張っていたので計画は続いたようなものだ。

多分私にとっては現代の完成形のビジョンが頭の中にあるから、それに達しない現状にガッカリきているのだけれど、彼らにとっては未知の技術や未知の乗り物を試行錯誤してより良くしていくのが楽しいのだろう。

 

そんなこんなで私が島に来てから120年ほどもたったころ、私たちはようやく船出の時を迎えた。

船旅に部族の全員を連れて行くことは流石に船の人員的に無理だったし、老人や子供は長旅に耐えられないだろうと言うことでおいていく決断をしなければならなかった。

勿論船旅に若い男たちだけを連れて行くと残された村――すでに規模は大都市――が成り立たなくなるし、女性がいないと移住先で子孫が増えない。

色々と考え比率を調整し、大きな帆船10隻に乗り込めるだけの人員が乗りこんだ。

この巨大な帆船10隻はこの数十年の集大成と言ってもよく、船団を見て誇らしげな気持ちになったものだ。

120年前は腰ミノと竹やりの生活をしていたとは思えない進歩だった。

 

船旅は過酷なものになった。

航海技術が未熟な上に、海図もない。

一応私が空を飛んで進行方向を指示しているとはいえ、厳しいものがある。

栄養面などは気を使っていたのだが、長旅で体調を崩してしまう者も出て、残念ながら亡くなってしまった人もいる。

それでも、天候にも恵まれ数か月の旅を経て何とか10隻全てが目的地である『始まりの島』へとたどり着いた。

 

『××××……××××……』

 

島に降り立つと、この船団で最年長の土の民のリーダーである長老が何かをつぶやいていた。

最近は日本語ばかりでめっきり聞かなくなってしまった彼らの言語だ。

言語を駆逐してしまった気がして若干気に病んでいるところではある。

 

「なんて言ったの、長老?」

 

「ああ、フラン様。いえ、ようやくここまで来たのかと感慨深くなってしまいまして。『ここが“ラフテル”』とつぶやいてしまったのです」

 

「ラフテル?」

 

「はい。我らの言語で“神の国”を意味します。我らが神の住まわれていた土地ですから……」

 

なるほど。この島も『始まりの島』じゃあ恰好が付かないし、それが名前でいいかな。

 

そうして私たちは新天地“ラフテル”での生活を始めたのだった。

 

 

 

 

さて、ラフテルへと彼ら土の民が移住してきてから実に一〇〇年ほどが経った。

移住は問題なく行われ、当初から都市計画に基づいた開発が進められた。

無秩序に勢力圏を広げていくよりは効率的だろうと思ったのだ。

村は街となり都市となり、一〇〇年経った今では立派に国と呼べる規模だろう。

新しい血を取り入れるために、向こうの島に残してきた彼らの部族や他の部族からも定期的に人を迎えているので、世代交代に伴って人口も増える一方だ。

技術力を含め文明も随分進歩したと思う。

航海技術だってしっかり確立されている。

 

一方で私はと言うとこの世界の通算でもう二〇〇年以上たっているが老いるどころかまったくもって成長が見られない。

身長も伸びず胸もそのまま、それでいて髪は伸びるから手入れが面倒だし食べ過ぎればお腹に肉が付く。

悲しい吸血鬼の体だった。

まぁ霧化すればなんとでもなるのだけど。

 

まぁ成長が認められないのは体だけでその他は自分でもだいぶん成長したと思う。

まず様々な能力は使い続けたことで慣れたのか、かなり使い勝手は良くなった。

 

特に飛行能力は音速の壁を超えることに成功し、今でも最高速度記録は日々更新中である。

当初はソニックブームとか心配もあったのだけれど吸血鬼の体には特に何の問題もなかった。

むしろ調子に乗って低空飛行した際に周囲を衝撃波でボロボロにしてしまったほどだ。

 

また、体に流れる力、オーラのようなものを操ることができるようになった。

これは多分妖気とか妖力とか言われるものなのだろうと思う。

これもまた随分便利なもので、体表に纏わせれば日光にもある程度耐えることができる。

 

他にも、流水も大丈夫になったのでついにシャワー・お風呂・温泉への障害がなくなった。

素晴らしい。

大変素晴らしい。

日本人がお風呂に入れないことは死活問題なのだ。

個人差はあると思うが。

 

ただ、この妖気は普通の人には圧迫感があるらしく、島の住人の前で纏うと気の強いもの以外は気絶してしまう。

よって普段はあまり軽々しく外に出さないように気を付けている。

ちなみにこれらのことや私が年を取らないことで、本格的に私は神様として見られるようになってしまった。

うむむ。

私は神様というよりむしろ悪魔なんだけどね。

吸血鬼は悪魔の王だから。

 

ああ、あとは魔法だ。

私は吸血鬼にして魔法少女らしい。

なんかふと使ってみたらできた。

火を熾したり水を出したりいろいろと便利なんだけど、どうしてこれをこの世界にやってきたときに使えなかったのか、と悲しくなる。

レーヴァテインで獣の丸焼きならぬ丸焦げを作った悲しみの記憶は癒えていない。

 

魔法に使う魔力(仮称)は妖力ともまた違うもののようで、よくわかっていない。

まぁ特に焦って調査とかはしていない。

なにせ、訓練する時間はこれから数百年単位で有り余っているのだから。

 

 

 

 

私は巫女だ。

巫女はここラフテルの中でも最も尊い務めであり、巫女であるというだけでラフテルの全住人から羨望の眼差しを向けられる。

それというのも、巫女の務めはフラン様のお世話なのだ!

 

これ以上に名誉なことがあるだろうか。

 

巫女という言葉はフラン様がかつておられたという神の国で、神に仕える女のことを指すらしい。

残念なのは、巫女というのは年若く美しく聡明で心が強く男を知らない処女(おとめ)しかなれないということだ。

つまり私ももう数年もしたら巫女の務めを次代の巫女に引き継がなければならないのである。

もしかしたら私の妹に引き継ぐことになるかもしれない。

あの子も巫女を目指して毎日熱心に修行しているようだし。

私も妹も、美しく生んでくれた優しい母と、巫女となるべく教養を叩き込んでくれた厳格な父には感謝している。

 

フラン様は私たち土の民がずっと遠い地で迫害され絶滅しかけた時に天より舞い降りて皆を救ったという神様だ。

それからフラン様は私たちの祖先に様々な知恵を授けてくださり、ついに私たちは神の国ラフテルへと移住したのだという。

それはもう100年以上も前の話だけど、土の民では物心がつく前から両親から寝物語として聞かされるお話だ。

ラフテルの全住人がこの物語を一言一句間違えることなくそらんじることができる。

できないほど頭の悪い者は、幼い頃に密かに処分される。

これは、不出来な血を後の世代に残さないためだ。

 

ちなみに物語をそらんじるのはフラン様が用いる神の言葉に慣れるためでもある。

もともと私たち土の民が使っていた言葉というものもあったらしいのだけど、今ではその言葉を話す者はあまりいない。

巫女である私を含め、一定以上の教養を学んだ者は話せるけれど、大多数の住人はすでに神の言葉だけを用いて話す。

私のような教養のある者が「古き言葉」を途絶えさせていないのは、ひとえに今私たちが神の言葉を話すことが許されているのがフラン様の恩情によるものだからだ。

私たちは神より与えられた神の言葉を用いてよい、ということに感謝の心を忘れてはいけないのだ。

それでいて神の言葉を不完全な形で話すことは不敬なので、ラフテルの民は小さなころから物語として正しい言葉を覚えるのだ。

 

ただ、神の言葉というだけあってそれは非常に難しい。

自他共に頭の良さを認める私でさえも、完璧とは程遠い。話すだけならば住人全員が不自由しないが、文字がとても難しいのだ。

文字の種類には平仮名、片仮名、漢字、英字という4種類の文字に加え、数字がある。

このうち漢字以外の3種類は数が少なく覚えやすい。

 

しかし、漢字が厄介なのだ。

いや、厄介などと言っては神の言葉に対して失礼か。

なにせ漢字というモノはそのもの一字に意味を内包しているのだ。

これにより驚くほど短い文章で濃密な内容を表すことができるのだけど、その代り如何せん数が多い。

恐れながらも百年以上かけてフラン様手ずから辞書というものを作ってくださっているのだけど、それでもすべての漢字を網羅するには至っていないらしい。

 

更に更に、神の言葉にも日本語と英語という二種類のものが存在する。

フラン様はこのどちらをも自在に操ることができるのだが、さすがに私たちにはそこまでは無理だとお考えになられて、実際には日本語のみを私たちに伝えられ、英語は単語のみにとどまっている。

日本語がラフテルの共通語ではあるが、英語の方が「古き言葉」に発音が近く、名付けなどはこちらを参考に行われることも多い。

 

おっと、すっかり話がそれてしまった。

そうそう、私が巫女だという話だった。

 

巫女になるうえで一番の難関は若さでも美しさでも聡明さでもなく、何よりその心の強さだ。

というのもフラン様からは人間を狂気に誘う空気が常時溢れていて、心の弱い人間が近くにいると簡単に発狂してしまうのである。

フラン様が住まわれる神殿の近くには子供を近づけないのはフラン様に粗相をしないようにという配慮もあるが、なにより心の弱い子供が迂闊に近づくと死んでしまうことがあるというのが大きい。

大人になれば自然とフラン様の狂気にも慣れるのだけど、巫女を務めるのは少女なため幼少期から心の強さが必要なのである。

 

その点私は完璧だった。

 

幼い頃に不慮の事故で生死の境をさまよってからというもの、私には恐怖の感情がほとんどない。

フラン様のおそばに常にいても心が乱されずお世話ができるのだ。

普通の巫女は長時間フラン様の傍に侍っていると気をやってしまうので、巫女は常に3,4人体制で仕事を回し、仕事の合間には心を落ち着ける時間を挟むのだけど、私に限ってはその配慮が必要ない。

その分フラン様によりお仕えすることができるのだ。

なんと喜ばしいことだろう。

今ではあの事故にも感謝しているほどだ。

 

フラン様は驚くほどに優しいお方だ。

私たちの祖先を救ってくださったことも、その後導いてくださったこともそうだし、私たち下々の人間の健康なんぞを気遣ってくださったりもする。

ラフテルの住人皆に略した呼び名を許されていることもそうだろう。

フランドール・スカーレットという素晴らしいご尊名がおありになるのだけど、フラン様ご本人が、「フランと呼んで」とおっしゃるので私たちは皆フラン様と呼ぶ。

勿論それはフラン様の前でのみだ。

フラン様がおられないところではちゃんとフルネームで、敬意をもってその名を呼ぶ。

 

フラン様は何の見返りもなしに私たちを救い、導いてくださる偉大なお方だ。

ラフテルが発展した今となってもフラン様は私たちに何かを求めたりはしない。

日々神殿に捧げられる食物もフラン様が何かを言ったわけでなく、私たちが感謝の気持ちを表しているに過ぎない。

 

だから私は巫女として、少しでもフラン様に恩をお返しできるよう、全身全霊を持ってお仕えするのだ。

 

 

フラン様は陽の出ている間はお眠りになり、夜に活動なさることが多い。

今日も日の入りと同時にお目覚めになられた。

私はすぐにきれいな水と布を用意し、細心の注意を払って丁寧にフラン様のお顔を拭う。

フラン様は大きく伸びをしたかと思うと一瞬だけ全身を霧に変えた。

そして戻った時には淡い桃色の寝間着――ネグリジェというらしい――からいつもの服装へと変化している。

いつみても不思議な現象だ。

本音を言えば着替えも手伝わせていただきたいのだけど、それをフラン様ご本人に言うわけにもいかないだろう。

 

今日も漢字辞書をお作りになっているフラン様を眺めていると、雲間から月が顔を出したのに気が付いた。フラン様もそれに気が付き空を見上げる。

 

「お、今日は満月なんだね」

 

「はい。月見酒でもご用意いたしましょうか」

 

「あー、そうだね。お願い」

 

「畏まりました。どうぞ」

 

私は密かに用意してあった豪奢な盃に最高級のお酒を注ぎ、フラン様に捧げる。

常ならばフラン様はお断りになる事も多いけれど、最近は頻繁に飲み物を飲まれるのでもしかしたらと思い準備しておいたのだ。

こうしてフラン様に満足してもらえることが私の何よりの喜びだ。

 

フラン様は盃に少しずつ口を付け、ふぅ、と物憂げなため息をついた。

何かお心を悩ませることがあるのだろうか。

私ごときに言っても詮無いことではあるのだろうけど、それでも相談していただきたいという思いが胸をよぎる。

私たちに普段何も求めないフラン様が、私たちの力を必要としてくれる、なんてことがあればそれこそ天にも昇る思いを得るだろうに。

 

しばらくして、私はフラン様の様子がいつもとは違っていることに気が付いた。

普段フラン様はお酒を飲まれても酔うことはない。

しかし、今日に限ってはどこかふらふらとしている。

私はあわててフラン様のお傍に駆け寄った。

もしバランスを崩し転倒してお怪我でもされたら、私は生きていられない。

 

「大丈夫ですか、フラン様……?」

 

私の声に反応してフラン様がこちらを見る。

 

私はその瞳を見て我知らず息を呑んだ。

 

お綺麗な真紅の瞳はぼんやりとしてどこか焦点があっていないように見える。

お酒の影響があるのかトロンとした瞳で私を見ている。だけどその瞳から発せられる狂気は普段の比ではない。

なにせ、常時フラン様のお近くにいても全く平気な私が、今、気がおかしくなりそうになって震えている。

見られているだけで、足元の大地が崩壊して転落していくような不安感が全身を襲う。

私の足は今ちゃんと地面についているだろうか。

ああ、もう、全身の感覚がなくなってきた。

 

「フラン様……?」

 

「喉がぁ渇いたなぁ」

 

「た、ただいま飲み物をお持ちします」

 

「いいよぉ、目の前にあるしぃ」

 

フラン様のお言葉はどこか間延びしていて呂律が回っておらず、酔っているのがはっきりとわかる。

だけど私には今のフラン様が前後不覚の状態で適当に喋っておられるわけではないことが、なぜか理解できた。

むしろ今は、普段理性の内に隠されて、私たちには決して見せては頂けないお姿を露わにしておられるのだ、と。

 

「あなたの血がぁ、飲みたいなぁ」

 

「……っ!」

 

漠然と、私は今から死ぬのだな、と思った。

フラン様のおっしゃった私の血を飲むというのは指先から滴る血を舐めるなどという程度ではないのだろう。

それこそ私は全身の血を一滴残らずこれからフラン様に捧げるのだ。

形のある死を目の前にして、しかし、私の体の震えは止まり、恐怖は去った。

狂気はもうどこにも見当たらない。

 

私はフラン様の常人には見せないお姿を見せていただき、あまつさえ、フラン様が私の血を求めてくださっている。

ああ、こんなにも嬉しいことがあるだろうか。

もとよりこの体は爪の先から魂のひと欠片まですべてフラン様のもの。

戯れに何の意味もなく殺されたとしても私は満足して死んで行けるだろう。

それなのに、フラン様は私の血がお飲みになりたいという。

 

ああ、私ごときの下賤な血がフラン様の体に入りその血肉になるなど、想像しただけで絶頂してしまうような素晴らしいことではないか。

なんと、なんと名誉なことなのだろう。

 

「ああ、フラン様。どうぞ、どうぞ、存分にご堪能ください」

 

「いただきまぁす」

 

フラン様が私に覆いかぶさるように正面から抱き付いてくる。

ああ、これだけでも望外の喜びだ。

 

そして、ブスリ、という音が私の左の首筋から聞こえてきた。

痛みはない。

首筋に穴が開いた感覚だけが静かに伝わってくる。

すぐにそこから私の生命力とも魂ともいえるようなものが流れ出ていくのが分かった。

それは、フラン様のお口から体内に入り、私はフラン様の中で永劫の時を生きるのだ。

 

ああ、なんという、なんという。

 

もはや体に力が入らない。

生きるための力という力が全て流れ出てしまったかのようだ。

だけど、体が空っぽになる事はない。

力が抜けた傍から、喜びの感情が私の身を満たしていくからだ。

 

「ああ、フラン様、私の全てをフラン様に捧げる前に一つだけ、不敬をお許しください」

 

私は力の入らなくなった腕を必死に持ち上げて、目の前にあるフラン様の小さな頭を抱きしめた。

力が入らないなりに、精いっぱい力強く。

 

不敬なことだ。

だけど私はこうしたいと思うことを止められなかった。

私は巫女失格かもしれない。

こんな様では妹に怒られてしまう。

 

だけど、フラン様が震えているのを、私は黙って見ていられなかったのだ。

フラン様は私の血をお飲みになりながら、静かに涙をお流しになっていた。

位置関係的に私からお顔は見えないけれど、首筋に伝う熱い水気がそれを教えてくれた。

 

フラン様は声も出さず、静かに泣いておられるのだ。

 

なぜ泣かれているのか、それは私には分からない。

私の血が泣くほど不味かったのかもしれない。

もしそうだったらそれはとても恥ずかしく、申し訳ない。

 

「ああ、フラン様。――お慕いしております」

 

私はフラン様の小さな頭を胸に抱いたまま小さくつぶやいた。

不敬ではあったが、今この時、私はフラン様を尊敬する巫女ではなく、幼子をあやす母親だった。

おかしなことだろう。

フラン様は私たちの祖先が生まれる前から生きていて私なんかよりもよっぽど年上なのに、私はどうしてもそう思ってしまうのだ。

私はまだ男を知らず子供もいないのに、なぜかそう思うのだ。

 

ああ、今この時だけは、私がフラン様に抱く感情は畏敬でも崇敬でもなく、愛だった。

 

「お慕い、申し上げて、おります……」

 

そうして私はフラン様を胸に抱いたまま、永劫の暗闇の中に意識を閉ざした。

だけど、何も心配することはない。

私は、フラン様の中で生き続けるのだから。

 

 

――狂信者は自分が狂っていることに気が付かない。なぜなら彼の捧げる信仰が狂気そのものだからだ。

 

 

 

 

一つ事件があった。

 

当時、国も私も順調に過ごしていたけど、その中で私の神としての扱いが私の一番の悩みだった。

というのも、数十年前から私の傍にはお世話係として“巫女”が付いていた。

別に私が頼んだわけでも何でもなく、彼ら土の民が勝手に作り出した役職だ。

迂闊に日本の話なんてしなければよかった。

 

巫女の仕事内容はただただひたすら私の周りに侍ってお世話をすること。

一応複数人から成る交代制と言えど三六五日二四時間休みなしで働き続けというブラック企業どころか違法地下労働施設すらも真っ青な仕事内容である。

しかも、担当するのは狩りや農業で役に立たない年少の少女。

労働基準法はどうした。子供の人権は! 

 

……そんなもの作ってないよ。

そもそも国家形態があやふやなのに法律なんて作れるわけがない。

だいたい生活環境や医療技術が発展して無いから平均寿命もまだまだ短いし、子供だって立派な労働力なんだよね、この世界。

 

巫女は常時三から四人いて、一番下が十歳くらいから、上は一五歳ほどになると次代の巫女に仕事を引き継ぎ引退して、引退後は国内の有力な男子の元に嫁ぎに行く。

その時にはどうにも、娘を送り出す父親のような気持ちになってしまっていた。

もう何代もの世代交代を見てきているから、慣れてはきても心苦しいものがあった。

当時もそのうちの一人が傍に侍って、私が何も言わずとも飲み物を用意してくれていた。

うん、凄く喉が渇いたなって思ったけどなんでわかったのだろう……?

 

当時は特に暑いわけでもないのにやたらと喉が渇いていた。

更年期障害とか老化で喉が渇くと聞いたことがあった私は、まさかそんなことないよね、確かに年齢的には結構いってるけど吸血鬼的には問題ないだろうし、などとため息をつきながら見当違いの事を考えていた。

 

喉の渇きの本当の原因は明白だ。

 

私はこの世界に来てからその当時までの200年ほどの間、一切血を吸っていなかった。

吸血鬼であるのに、だ。

 

獣を食べる時も必ず火を通して食べていた。

現代日本の知識があったため、寄生虫とか病気とかを考えて生肉にかぶりつくということはしなかった。

 

そう、私はこの頃まだ心のどこかで「自分は人間だ」という意識があった。

自分が吸血鬼であるということはよく理解していたけれど、それは理解していただけでその思考は身についていたわけではなかった。

 

故に。

 

無意識下で血を求め、意識下ではそのことに全く気が付かず、ただただ喉の渇きを感じる日々。

ある日、理性のタガが外れ、本能に体が支配されたとき、私が凶行を行うことは必然だった。

 

吸血衝動の限界が頂点に達した時、私は傍にいた巫女の一人に牙を突き立てていた。

 

 

我に返った時、私の体は紅かった。

真っ赤に染まった自分の服を見て全身の血がすっと冷えるような感覚がした。

同時に、自分の力が数倍にも数十倍にもなったかのような深い絶頂感も感じていた。

 

――喉の渇きが、癒えていた。

 

実際に吸った血の量はさほどでもないだろう。

事実、飲みきれない血があふれ出て、服と地面を赤く染めているのだ。

だが、あふれ出ているということは、すなわちおびただしい出血量を示す。

 

巫女は既に、息絶えていた。

私の頭にしがみつくようにして。

どれほど痛く苦しかったのだろう。

 

 

私は吸血鬼であり――人間は食料だ。

私は人間であり―――人間は仲間だ。

 

 

相反する二つの意識が私の中でせめぎ合い、人間を殺してしまったことに「自分はこうあるべきだ」という充足感と、「禁忌を犯してしまった」という後悔を感じた。

 

その光景を見た他の巫女が長を呼び、すぐに騒ぎは広がった。

私は騒がしくなる周りの様子を感じながらも、ただただ巫女の遺骸の傍に佇むしかなかった。

 

 

 

「フラン様……なにか、その者が不敬を働きましたでしょうか」

 

長の言葉に、私は俯いていた顔をゆっくりと上げた。

長の顔は酷くこわばっており、酷い焦燥感がみてとれた。

なぜだろう、と考えて私はすぐに答えに思い至った。

 

彼らにとって私は神である。

その神の傍で世話をしていた巫女が神自身に殺された。

そうなれば当然、巫女に落ち度があったと考えるだろう。

彼らは、神の不手際など考えもしない。

真実、巫女はただ甲斐甲斐しく私の世話をしていただけだというのに――!

 

私はその時、唐突に何もかもが馬鹿らしくなった。

私が人間であるにしろ、吸血鬼であるにしろ、私は神ではない。

ならばもう、いっそすべてをぶち壊してもいいのではないかと思った。

 

私はそれから、長と周りにいる者たちに、私が神ではないことを伝えた。

彼らには神話などなじみがなく、神すら「何か超常のもの」という認識しか抱いてはいなかった。

その彼らに悪魔の存在や、悪魔の王たる吸血鬼の説明をするのは骨が折れた。

 

それでも私は全てを言った。

神と悪魔について、吸血鬼である私の本性、吸血鬼にとって人間は単なる食糧でしかないこと。

何の落ち度もない巫女をその手に掛けたこと――。

 

私は話しながら、彼らに罵倒され蔑まれこの地を追い出された後、どこに行こうか考えていた。

どこか、誰も見知らぬ土地で、何ともかかわりを持たず一人で静かに暮らそうかと思った。

それはこの世界に来てから一年間過ごした生活であり、ここ数百年で得た煩わしさはないだろう、と。

 

そんなことを考える私の思考は長の言葉に遮られた。

 

「フラン様。わしには正直なところその神と悪魔の違いというモノが良くわかりませぬ。ただ、一つだけ申し上げるとするならば、その違いはわしらにはさほど意味を持たぬと思うのです」

 

「……え?」

 

「ワシらにとってはフラン様が神であろうと悪魔であろうと、たとえわしらと同じ人間であったとしても、違いはなく、フラン様に捧げる畏敬の念は揺らぐことはありませぬ。もしフラン様が食料としてわしらをご所望なら、わしは喜んでこの身を捧げましょう。……老い先短い骨と皮ばかりの身で、味は保証できかねますが」

 

長の言葉に、周りにいた者たちが笑った。

そこには、私を糾弾する雰囲気は欠片もなかった。

 

「でしたら、よぼよぼな長の代わりに私が身を捧げます! 巫女としておそばに控え心を捧げることがせいぜいかと思っていましたが、この身までも捧げることができるのならば本望です!」

 

と、私が殺した巫女の妹が言う。

 

「な、んで……あなたは、姉を殺した私が憎くないの……?」

 

呆然とした私の言葉に妹は困ったように笑った。

 

「はい、全く。お姉ちゃんともう喋れないのは少し悲しいですけれど、それ以上にお姉ちゃんがうらやましいです。お姉ちゃんも絶対、喜んで逝ったと思いますよ!」

 

それは、全く理解できない感情だった。

私には、本当に彼らが人間なのかどうか疑わしく思えた。

 

狂っている。

 

ここにいる人間はみな狂っている。

……ああ、それはきっと、私も。

 

「……フラン様。わしは今日までフラン様が全知全能の神であると疑わず生きておりました。しかし、その考えが間違っていたことは不敬ながらも認めましょう。あなた様は我らの心を全く分かっておられない」

 

その長の言葉に続くように、周りにいた者たちが口々に言う。

 

――私たちは父母や祖父母より、代々昔の話を聞いております。私たちの祖先が滅びようとしていた時に手を差し伸べてくれたフラン様の事を。

 

――フラン様が先ほどおっしゃった『神話』というのがまさに、我らにとっての祖先の話になると思いますが、どうか。

 

――俺らがフラン様を見限った、なんて言ったらもう逝ったじいさんばあさんがすごい形相でこっちに還ってきて俺らの事を殺しにくるぜ。

 

――全くだ、そんなことでは古き地に残った者たちにも、ラフテルへやってきた祖先にも申し訳が立たん。

 

彼らの言葉には私を非難する要素は全くなく、むしろ彼らのその気持ちをわかっていないことに対してやんわりと非難される有様だった。

 

混乱の極致にいた私には、その言葉に対してどう反応すればいいのか分からなかった。

 

 

そうして結局私は彼らの勢いに呑まれ、なし崩し的に当時の生活を続けることになった。

 

人間を殺した忌避感も、彼らの私に対する考え方にも、何一つ折り合いを付けられないまま、私はただ流されるように生活をつづけた。

 

 

その後も問題はいくつか発生した。

 

今回衝動的に巫女を襲ってしまったのは数百年間も断食ならぬ断血をしていたからで、定期的に血を吸えば理性を飛ばすこともなく、殺すまで吸うことはないのではないか。

実際、あの巫女から吸った量もせいぜい貧血になる程度の量だろうから、という推測に基づいて吸血鬼人生二度目の吸血に及んだ。

対象は当時の巫女である14歳の少女だった。

すると、意識して行った初めての吸血で、加減が分からず。

 

殺すことはなかったが、なんと彼女を眷属化してしまった。

 

吸血鬼の吸血には食事と眷属作り、そして性行為の3種類があるということは本能的に理解していたのだけど、その可能性に至らなかった私の全面的なミスだった。

 

私はもう半泣きになりながら謝ったのだが、その時の周囲の反応は満場一致で「フラン様の眷属になるなんて、何と羨ましい……私も!」といった感じであり、本人に至っては吸血の際の悦楽で一度失神し、気が付いた後、自分が眷属になっていると知って再び失神していた。

なんでも嬉しすぎて絶頂したらしい。

……知りたくなかった。

 

ちなみのその巫女は名をココアという。

吸血鬼化したのかと思ったのだけど、両側頭部に蝙蝠のような羽が生え、背中に生えた羽も私の持つ棒に宝石がぶら下がったような奇妙な羽ではなく、普通に蝙蝠っぽい羽で、私にはない尻尾も生えていて、どうやら吸血鬼よりも下位の存在である悪魔になってしまったようだった。

なるほど、確かに眷属にするのに同格の吸血鬼を作るというのもおかしな話だ。

吸血鬼は悪魔を一声で召還すると言うし、普通のことなのかもしれない。

ココアは羽など私とお揃いでないことを嘆いていたが、今でも巫女として元気に生活している。

 

吸血鬼が神様で悪魔が巫女というのもなかなか凄いと思う。

 

そうそう、眷属から血を吸っても(というか血はやはり人間のものでないと)意味が無いので、ココアは残念そうだったけど身の回りのお世話だけで、血の提供は別の巫女がやってくれることになった。

眷属化させない解決策として、私が首筋に噛みつくのではなく、指先を少し切ってもらってそこから血を吸うことにした。

この方法で今のところ特に問題は起こっていない。

 

血を吸うと体が満たされ、心に潤いを感じる。

その瞬間私は確かに吸血鬼なのだという実感を得る。

 

――だけどまだ、人間を殺すことへの忌避感は薄れていない。

 

 




吸血鬼は悪魔の王
東方原作でのレミリアのスペルカード《夜符デーモンキングクレイドル》から
吸血鬼は悪魔の一種という考えもあるけど本作ではこの設定で

言語侵略
ワンピース世界でカタカナと漢字含め複数の言語が入り混じっていることの設定回収
語源・意味のよくわからないラフテルはその世界の言語ということで
個人的には「laughter」なのかなって思ってます

普段はお酒に酔わない
東方キャラはみんなお酒に強いイメージしかない

小悪魔
この小説のこぁは貧乳です(重要)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

原作4300年前~ 紅の海賊
悪魔の実と大航海の準備


前回のまとめ

・ラフテル建国
・初めての吸血&殺人
・眷属の悪魔を作る


 

時間はゆっくりと、しかし確実に流れる。

巫女を吸い殺した事件から100年ほど経ったある時、また一つ事件があった。

 

ある日のことだ。

ラフテルの一部が蜂の巣をつついたような騒ぎになった。

ラフテルの住人たちは基本的に陽気でお祭り騒ぎが好きなのだけど、その日はもっと緊迫しているというか、困惑しているというか。

そんな感じの空気が漂っていた。

 

私は不思議に思って“こぁ”――ここ100年で付けたココアのあだ名だ――を伴ってその現場へ向かった。

 

現場は少し開けていて数人の人間が中央に、それを取り囲むようにして住人がずらっとひしめいていた。

そして、現場の様子はというと、一言でいえばびっくり人間ショー。

 

鳥の羽が生えた青年、火を噴く少女、ぐにゃぐにゃしているおじいさん、体がバラバラのパーツになっている若い女性。

 

「なにこれ、どうしたの?」

 

「おお、フラン様!」

 

近くにいた人に尋ねると、その人が大仰な反応をする。

するとその声を聴いた別の人が反応し、……とあっという間に当たりの喧騒は静まり、皆が私の言葉を傾聴する状況ができていた。

うーん、ここまでの過剰反応いらないのになぁ。

もっと気安く接してほしいんだけど。

 

「それで、どうしたの? 何か面白いことになっているみたいだけど」

 

「はい、フラン様。それが、実は……」

 

彼らの話によると、ビックリ人間ショーをやっている彼らはラフテルの辺境に住む一家で、今朝突然一家そろって変な体質になってしまったというのだ。

それでどうしたらいいかわからず、とりあえずラフテルの中心、つまり私の暮らしている神殿へと指示を聞きたく訪れたらしい。

ところが見た目からして変な彼らは周囲の住人に捕まってしまい、ここで足止めされていたとか。

うん、ここに来たのは正解だったかな。

 

「ふうん。原因はわかってるの?」

 

「は、はい、フラン様。実は今朝、この果実を食べてからこんな体になってしまったのです」

 

そう言って鳥になった青年が差し出してきたのは毒々しい色と模様がついている果実。

なんというか、凄く見覚えがある。

私がこの世界で目覚めたあの洞窟の前に生っていた果実だ。

 

「よくこんなマズそうなもの食べたね……」

 

「はい、とてもマズかったです」

 

「あ、そう……」

 

 

マズいというか毒すらありそうな見た目だけど。

 

 

「それで家族みんなでこの実を食べたらそれぞれバラバラの体質を発症したの?」

 

「いえ、食べた実はみなそれぞれ違います。ただ、どれもこの実のような変な模様がついていて」

 

「……んー、とりあえず経過観察して問題が起こらないかどうか確かめるまでこれと同じ変な模様の着いた果実は食べないように、周りに広めておいてね」

 

「はい、承りましたフラン様。して、経過観察というのは?」

 

「こんなビックリ体質になってるんだし、少ししたら生命力を使い切って死んじゃうとか、ありそうじゃない? だから少なくとも数か月は様子見てね、ってこと」

 

「な、なるほど、わかりました」

 

「それじゃ」

 

私は持っていた果実を鳥の青年に渡して、その場から飛び去った。

その後をこぁが付いてくる。

 

「フラン様。あのような対応でよろしかったのですか? あれはヒトの身には過ぎた力のような気がします。ご命令いただければ処分してきますが」

 

いやいや、何物騒なこと言ってるんだろうこの子。

処分って、そういうこと、だよね?

こぁもつい100年前まで人間だったじゃない。

 

……ああいや、この子は人間だった時から私に関することでは結構過激な子だったっけ。

というか巫女になる子ってだいたいそういう傾向強い気がしてきた。

なんだろう、ヤンデレ臭がする。

やだなぁ。

 

「いやぁ、あれでいいよ」

 

「そうですか?」

 

「今はまだ、ね」

 

「なるほど、フラン様がそうおっしゃるのであれば」

 

「それに正直なところ、あの程度じゃ“面白い”の域を出ないよ。鳥になった、ぐにゃぐにゃになった、体がバラバラになった、だから何って感じ。火を噴けるのは便利かもだけど」

 

かつてレーヴァテインでやりくりしていた火は、現在ではすでに火おこしの道具と方法が確立されていて一般家庭で気軽に火を熾せる状態だ。

私も魔法でぽんと火を出せる。

だからそこまで火を噴けることがいいとも思わないけど。

 

そう、どうせならもっと凄い――私たちの価値観を根底から覆すような、そんな力ならよかった。

この世界で300年ほどを過ごしているけど、どうにも近ごろ飽きが来ている。

もっと何か刺激が欲しい。

びっくり人間ショーくらいじゃ心が動かない。

 

その点ではかつて私が巫女を殺してしまった事件はなかなか心が動いた。

 

……最近、歯車が狂う夢をよく見る。

吸血鬼も夢を見るのだ。

不思議なのは歯車の歯が欠けているのになぜかかみ合うように動いていたり、歯車自体が真円ではなく歪んだ楕円な事だろうか。

その夢が何を意味しているのかは、分からない。

 

 

 

しばらくして、当代の長から例の実について報告が上がってきた。

なんでもあの実はクソ不味いけど食べると不思議な力が手に入る果実らしい。

手に入る力は大別して3つ。

 

一つは体の原形すらとどめずに自然物そのものに変化するもの。

一つは体の原形はとどめつつその性質が変化するもの。

一つは動物など他の生物に変化するもの。

 

それぞれ、土の民の言葉で自然系(ロギア)超人系(パラミシア)動物系(ゾオン)と名付けたそうだ。

パラミシアとか英語じゃゾウリムシって意味なんだけど。

まぁ彼らがそれでいいならいいや。

 

ちなみに寿命に変化とかのデメリットはないけど、2つ以上実を食べると爆散するらしい。

ひええ。

クソ不味いらしいし私は絶対に食べないよ、そんな劇物。

 

この果実は例の洞窟の前に群生しているけど、それ以外にもラフテルの他の場所でも発見報告があったらしい。

一つとして同じ模様、形、色の果実は存在せず、能力もまた同じものはないという。

なんなんだろうね、この実。

 

それで、ラフテルの住人たちはこの実を、悪魔(わたし)のように超常の力を発揮できるようになる実ということで「悪魔の実」と名付け、先を争うように食べているらしい。

というのもこの悪魔の実はかなり希少な物らしく、ラフテル全土の住民にいきわたる程の数はないのだという。

見つけたら幸運、早い者勝ちということだ。

 

私はとりあえず、問題――奪い合いで争いとか――が起こらない限りは黙認することにした。

少し嫌な予感はしたのだけど。

 

 

 

 

「暇なんだよね」

 

突然私の所へやってきたフラン様は開口一番そう言った。

私はもうずいぶんと長いことラフテルの長を務めてきたが、フラン様が直接私の家を訪れるのは初めてのことだった。

 

「なにか催し物でも開きましょうか」

 

「いや、そういうのじゃなくて。もっと根本的に」

 

「はぁ」

 

我らが神は時折戯れで突飛な提案をするが、その真意は読めない。

代々長達に伝わっているところでは、こういったことは我らの祖先が古の地でフラン様と出会ったころから行われていたという。

ただ一つ確かなことは、その試みの数々は短期的に見て失敗であっても数十年単位で長期的に見ればどれもがなんらかの意義を持っていたものであるということだけ。

 

フラン様は「私は悪魔であって神じゃない」と言うが、私たちからすれば特にどちらでも変わりはないのである。

寿命が短く50年生きれば長寿という私たち人間と、数百年単位で生きるフラン様は生きている時間も視点も異なる。

その上で大切なことはただ一つ、フラン様は我らの事を想ってくださっているということだけである。

だから私たちはフラン様が死ねと言えば死ぬし、暇だと言えばなんとかするのだ。

さて、今回もその類だろうか。

 

「具体的にはしばらくラフテルを離れようかと思って」

 

「それは……私共に何か至らぬことがありましたか?」

 

「いやいや、そういう風に思われたくないからこうやって話を切り出してるんじゃない。そのくらいは汲んでよね」

 

そうは言うが、本当のところはどうだろう。

我ら土の民はいまや神の国(ラフテル)の民となった。

古の地で魔獣や他部族に追われ滅亡しかけていたところを救われ、こうして今日の発展を見ている。

血が濃くなりすぎないよう数十年周期で古の地から山の民や湖の民などを迎えているが、彼らは一様にラフテルに来て驚くのだ。

曰く、ラフテルの文明は外の世界に比べて進みすぎている。

この島だけが未来に生きていると。

 

危急に手を差し伸べるどころか、そんな栄光を我らに与えてくださったフラン様に対して我らは何を返せているのだろうか。

フラン様が我らの事を想ってくださっていることは知っている。

だが、それでも不安にも思う。

 

フラン様が我らを想う理由がないからだ。

 

例えばかつて、我らの祖先がフラン様の窮地を救った、などの根拠でもあればまだ納得できるのだが事実はその逆である。

だからこうしてラフテルを離れるという話を聞いて、フラン様が我らを見限ってしまったのではないかという黒い不安が胸に湧くことを、私は止められなかった。

 

「ほんとにさ、純粋に、暇つぶしがしたいと思って。で、なにしようかなーって考えてたら、私まだこの世界の事よく知らないなって思って」

 

「この世界のこと、とは?」

 

「そのまんまの意味。私はラフテルから、あなたたちの言う古の地あたりまでしか見たことないし」

 

「そうなのですか」

 

「そうなの。だから長には人を集めてもらいたくて。私と一緒にこの世界を旅する人」

 

「ふむ。フラン様でしたらココア様を連れて空を往かれるかと思ったのですが」

 

「それも考えたんだけどね。こぁを連れて行くと本格的にみんな“眷属まで連れて出ていかれた、フラン様に見捨てられた!”って大騒ぎしそうでしょ」

 

「まぁ私はともかく民はそう反応するでしょうなぁ」

 

「私だって貴方たちとの付き合いは長いんだからそのくらいはわかるよ。だからこの探検の旅にはこぁは置いていくつもり。で、一人で行くのも寂しいしい何人かと船旅で行こうかなって」

 

「なるほど。我らからすれば安心できる提案ですが、この話はココア様には?」

 

「……んー、まだしてない。まぁきっと自分も行くって言ってきかないだろうけど、そこは何とかするよ……」

 

 

ココア様は500年以上前にフラン様の眷属となった元巫女である。

ココア様ご自身は、自身もかつてはラフテルの民であり巫女の一人にすぎなかったのだから敬称などいらない、とは仰るが、我らラフテルの民からすれば人の身を捨てフラン様の眷属になったというココア様の境遇は羨望の的であり、その立場を獲得したココア様には皆畏敬の念をも抱いている。

実際、500年以上の長き時をフラン様のおそばに仕えて過ごしているというだけで尊敬できるというものだ。

 

そのココア様は自分がラフテルで一番フラン様を想っていると言ってはばからず、常にフラン様のお世話をしようとすることはラフテルでは有名な話である。

それゆえ、今回の旅について行けないとなれば、最悪暴れることまで視野に入れなければならないだろう。

ココア様は悪魔なため身体能力も高く、我々で抑えられるかは心配なところがあるが、それについてフラン様が解決してくれるというのであれば安心できるというものだ。

 

 

「それで、船を動かせる人とか航海士とかコックとか……とにかく船に乗る人を集めてほしいんだよね」

 

「ふぅむ……なにか条件に指定はありますかな?」

 

「あー、未知の海域を冒険するわけだから最低限の体力と自衛能力は欲しいかなぁ。コックさんとか無理そうなら別にいいけど」

 

「自衛、となると悪魔の実の能力者などよいかもしれませんな。悪魔の実の能力者は海で泳げなくなるようですが、船旅ならばそう困らんでしょう。不慮の事態での対応能力などを考えてもよいのではないでしょうか?」

 

「お任せするよ。あと、船大工さん達に私たちの乗る船の建造を依頼しておいてほしいな」

 

「了解しました。彼らもフラン様のためとなれば一世一代の大仕事、最高の船を作ることでしょう」

 

「じゃあよろしくね」

 

それだけを伝えてフラン様は帰られた。

船大工たちがこれから他の仕事を放って最優先で船を建造するとしても、恐らく一年ほどはかかるだろう。

となるとその間にラフテル中に告知しここ央都まで来てもらい……いや、それではあまりに多く人が集まり過ぎるか。

フラン様の旅の供など、ラフテルの島民なら誰だって立候補するだろう。

私だって行きたい。

 

そうすると、各地である程度候補を絞ってから央都に来てもらうのが良いだろうか。

それぞれ腕っぷしや航海術、料理など特定分野に秀でている者で条件は若く健康であること、か。

うーん、私では条件を満たしそうにないな。

なんともはや、残念極まる……。

あと20歳若ければなぁ……。

 

 

 

 

そうだ、旅に出よう。

 

ふとそう思いついた。

いや、なかなかどうして悪くないんじゃないかなぁこのアイデア。

 

こぁを眷属にしてからもう500年ほどたったけど、本当に暇なんだよね。

ラフテルは随分と文明的になってきた。

私が彼らと出会ってからもう700年ほどになるのかな。

今じゃここ央都セントラルを中心とした地方分権の政治システムも出来上がったし、法律とか裁判とかそういうのもちゃんとある。

700年で縄文時代から江戸時代くらいまで文明を進歩させたのだから誇っていいよね。

たぶん。

 

なんだけど、高度に発展したシステムのせいで私のやることがないの。

一応ラフテルという国の形態としては“神にして悪魔の王たる吸血鬼フランドール・スカーレット”をトップとする絶対王政ならぬ絶対神政になるのかな。

私の肩書がおかしなことになってるけど。

 

でも、実務は全部私から全権を委託されている(ことになっているらしい)セントラルの長が各地方の長をまとめる形で全部処理しているし私がやることはない。

一応統治方針に口を挟んだり、裁判の結果を鶴の一声で変えたりできる権力はあるみたいなんだけど、別にそんなことする気もない。

 

ここ数百年ずっと頑張ってきた辞書の編纂作業も一区切りついちゃったし。

日本語については分かる限りの漢字とか単語とかもろもろまとめたんだよね。

一人で日本国語大辞典と大漢和辞典を作ったようなものだし、誰か褒めて欲しい。

勿論あんな規模と精度じゃないけど。

 

私は一応英語も話せるけど、この上英語まで広める気はないから英語や他の言語は単語レベルでだけ。

こっちの辞書ももう結構前に完成してる。

写本を仕事とする人が結構いるから、既に複製されてラフテル中に広まってるはず。

 

となるともうやることっていったら魔法の研究くらいしかなくて。

でもその魔法の研究も500年もやってたらたいがいの事はできるようになってしまっている。

賢者の石も作れるようになったし。

というか私の羽にぶら下がっている7色の結晶も天然の賢者の石だった。

私が魔力を使えるのはこれのせいみたい。

賢者の石って言うのは要は高純度の魔力結晶体のことっぽいし。

流石、吸血鬼にして魔法少女の“フランドール・スカーレット”といったところ。

私の事なんだけど。

 

 

そんなわけで暇を持て余していたら、最近ラフテル近海に繰り出す船乗りが多いという話を聞いたんだよね。

なんでも、ラフテルの周りがどうなっているのか気になった人がいて、200年くらい前には調査が始まっていたらしい。

全然知らなかった。

 

で、ラフテルの周りには色々と面白い島があって、大分地理もはっきりしてきて、基本的な航海法とかが広まってきて、最近になって近海調査がちょっとしたブームになってるとか。

 

そんな話を聞いていたからか、ふと旅に出ようと思った。

思えば私はこの世界で旅したことがあるのはラフテルから古の地の間くらいだし、その周りがどうなっているか知らない。

もっと言えば、この世界の世界地図を見たことがない。

きっとまだ誰も世界地図を描いたことがないだろう。

どころか、地球が球体であることも知られていないんじゃ。

 

……いや、この世界が球体である保証もないのかな。

もしかしたら神話みたいにおっきな亀が支えているお皿みたいな世界なのかもしれない。

この世界はワンピースの世界、なんだと思う。

多分。

神様によれば。

 

もし、もしもそうなら、言ってしまえば一人の作者の想像から生まれた世界なのだから、何が起こってもおかしくはない。

なんでもありの世界なんだから。

 

そう考えると私は急にわくわくしてきた。

そうだよ、悪魔の実なんてすごくフィクション向きの設定に思えるし、古の地の近くにあるずっと燃えてる島とかだって、いかにも創作物の中の存在みたい。

まだ見ぬこの世界にはきっといろんな夢が詰まってる。

私はこの世界を冒険しつくしてやるのだ!

 

そうと決まればさっそく行動、ということで私は央都セントラルの長の元にお願いに行った。

冒険と言えば仲間が必要だ。

確かに私一人で飛行した方が早いし楽だし確実なんだろうけど、それじゃあ面白くない。

だいたい暇つぶしも兼ねてるんだからそう焦って飛び回る必要もないしね。

 

長にもろもろ頼んだあとは、こぁの説得だ。

これがなかなか大変だった。

予想通りこぁはもう暴れるわ泣くわ自殺しようとするわで大変だった。

最終的には

 

「だからほら、いざとなったら召喚するから」

 

「うぅ……ぐすっ。……召喚、ですか?」

 

「そうそう。悪魔の王たる吸血鬼は一声で悪魔を召喚できる魔力をもってるんだよ。こぁの力が必要になったら呼ぶからさ」

 

「でもそれって呼ばれなかったら私はいらない子ってことですよね……」

 

「……あー、いや、そんなことはないよ」

 

 

め、めんどくさい、この子!

 

 

「それにこぁにはラフテルを任せるからさ。私のいない間に良く治めておいてよ」

 

「それは言われずともやりますけど……フラン様ぁ」

 

「あーほら、泣かないの。――んー、分かった、今日から出発するまでの間一緒に寝てあげるから!」

 

「えっ!」

 

「私がいない間の分まで一緒にいてあげる。それで我慢してよね」

 

「ふ、フラン様と添い寝フラン様と添い寝……はっ、鼻から忠誠心が」

 

 

こんな感じでなんとか収まった。

まったくもう、ヤンデレ気味のこぁの対応は大変。

女の子同士だけど一応睡眠中の貞操にも気を付けておこうと思う。

流石にこぁもそこまではしない。

……と思う。

……だったらいいなぁ。

 

多分こぁは衝動的に手を出しちゃうけど後で我に返って手を出したことを気に病んで自殺するタイプだから……。

ほんともうやだぁ私の眷属。

私の影響じゃ……ないよね?

 

それで、船大工たちによれば、最高の船を作るのに一年ちょっとかかるらしい。

長がその間に船のクルーを集めてくれるから、私は旅程を立てることにした。

まず、船をどっちに向けて走らせるかも考えてないからだ。

それに、最近近海を旅している人たちに話を聞いたところ、どうも不穏な感じだった。

 

曰く、海の上に出ると至る所で磁気嵐が発生していたりでコンパスがまともに使えず、進むべき方角を見失いやすい。

曰く、大型の海魔獣が出る海域がある。

曰く、風が吹かない地帯があり、そこに入り込むと船が動かなくなり立ち往生する。

 

などなど。

実際海に出て帰ってくる確率は半分をかなり下回っていてだいぶん危険な航海みたいだった。

近海でこれなんだから、私がやろうとしている世界一周規模の船旅なんてしたら地獄への片道切符だろう。

私以外は命がいくつあっても足りない。

 

今までラフテルと古の地を往復する時には私が空から道案内していたからコンパスなんて使ってなかったし、私が事前に調べた安全なルートを通っていたから海魔獣も風が吹かない地帯にも遭遇していない。

なるほど、本格的な航海に出る前にちょっと調べる必要がありそうだなと思った。

 

そんなわけで私はラフテルを中心に近海を飛びまわってみた。

島の東側にしばらく飛んでみると、遠目に巨大な山が見えてきた。

どれほど巨大かというと、頂上が雲で見えない。

間違いなくこの世界で一番高い山……山なのかな。

とりあえず左右にもずーっと続いているから山というより壁だね。

しかも色が赤い。

音速で飛ばして壁の近くまで来ると、それが非常に急勾配の大陸であることが分かった。

海中から山脈が飛び出ていると考えてもらえればいいだろう。

それでいて赤い色は土の色だ。

赤い土って酸性土なんだっけ。

煉瓦の材料になるとか聞いたことがある気がする。

 

赤い土の巨大な山脈が海からつきでているとかなんとも珍妙な自然物だ。

まぁ燃える島とかずっと霧がかかっている島とかあるし、気候だって変な磁気みたいなのが荒れ狂っていたり、何もないところに大渦があったりこの世界は理屈じゃ説明付けられない自然が溢れているわけで、この赤い大陸もそのうちの一つなんだろう。

 

さて、赤い大陸は北東から南西に向かって延びていてその終わりは見えない。

これじゃあこっちの方に船旅してきても行き詰ってしまう。

反対側に行く方がいいかな。

方向的には古の地とかあるほうだ。

 

あとはもう一つ懸念があるんだよね。

上空を飛んでみてわかったんだけど、報告通りどうもこの世界には一際凶暴そうな海魔獣がいる地域がある。

その海魔獣の生息地域というのが帯のように細長く連なっているのだ。

私ならこの海魔獣をぼこぼこにすることは訳ないけど、船が襲われたらひとたまりもないと思う。

なにせ大きいのでは数百メートル以上あるんだもん。

体当たりだけで船は粉々になっちゃうよね。

その上この海域はなぜか風が吹かず、常に凪の状態だし。

空を飛べる私やエンジン付きの船ならともかく、帆船じゃあ進むことも難しいよ。

 

この海魔獣が住む凪の帯は二本有って、ちょうどラフテルや古の地を挟むようにして存在してる。

方角的にはこの赤い大陸と直角方向、つまり南東から北西へと延びている。

二本の帯はほぼ平行で幅はかなり広いけど、世界地図的に見たら道のようにも見えるんじゃないかな。

 

となるとこの帯の間を抜けるように行った方がいいのかな。

ラフテルからは北西に向けてまっすぐ進むことになる。

まぁこれ以上はやっぱり実際に旅をしてみて確認してみるほかないよね。

最悪船が沈んだら転移魔法でクルー全員ラフテルに飛ばせばいいだろうし。

ああ、ラフテルに転移魔法用のマーカー設置しておかなきゃ。

 

 

 

 

国を揺るがす告知があった。

なんとフラン様が長期間の旅に出るという。

その上同行者を募っているらしい。

この話を聞いて俺は、なんとしてでもこの同行者に選ばれたいと思った。

 

俺の生まれはラフテルの中でも辺境の地だ。

そのせいか小さい頃から野山を駆け巡り冒険をすることが好きだった。

まだ見ぬ世界を探検するのはロマンだった。

 

あるとき山で魔獣に襲われて死にかけた。

俺一人だったら死んでいたが、たまたまその時通りがかった男に助けてもらった。

その男は植物の研究をしているという学者で、ラフテル中をめぐっているらしい。

そして学者と言ってはいたが、とにかく滅茶苦茶強かった。

強さには多少自信のあった俺が手も足も出なかった魔獣を剣で一閃だ。

 

俺はその男の強さにほれ込み、弟子にしてもらった。

弟子というか、研究の助手、いや、雑用と言ったところか。

剣の方は旅の間とか暇なときとかに多少稽古をつけてくれるくらいだ。

 

そうして俺はその男についていってラフテル中を旅した。

その中でも未知の発見がたくさんあり、やはり冒険はロマンだと常々思ったものだ。

年が20をいくつか超えたあたりで師であり親代わりだった学者の男が死んでしまったが、それからも俺はあちらこちらを旅し、ついにはラフテル全土を巡り歩いてしまった。そうなると次に気になるのはラフテルの外だった。

 

ラフテルからは数十年周期で定期的に古の地へと船が出ている。

俺たちの遠い祖先たちをラフテルに迎え入れているのだ。

その航路は500年間で確立され、今ではフラン様の先導なしに行くことができる。

しかし、それ以外の外洋となるとまだほとんどが調査されていない状態だ。

ちょくちょく命知らずの調査隊が出ていくらしいのだが、そのほとんどが帰ってこない。

それでも奇跡的に生還した者たちの調査結果や航海技術の向上でここ十数年はかなり調査が活発になってきているらしかった。

 

そうなるともう俺には海に出る以外の選択肢は残されていない。

俺は漁師の男の元に弟子入りして船の操り方を学んだ。そして自分の船を買い、単身で何度も海に繰り出した。

海には魔獣がうようよと生息していたが、師匠に倣った俺の剣はそのことごとくを切り伏せた。

俺はまだ師匠のように10を超える真空刃を放つなどと言ったことはできないが、3発ほどなら出せるし、魔獣にはそれで十分だ。

 

色々な島を探検し、近海を制覇するうちに志を同じくする仲間もでき、船も大きくなった。

しかし、船の大きさと性能的にも、船員の技量的にも、資金的にも、ラフテルを拠点とした航海には限界があり、一定以上先の海域の調査はまだ全く進んでいない。

端的に言って、行き詰ってしまっていた。

 

そんな時だ。

フラン様の旅の同行者の話を聞いたのは。

 

俺はすぐに、「これだ!」と思った。

フラン様の船旅なら今俺が乗っている船など比べ物にならないほど性能のいい船を大工たちが総力を挙げて作るだろうし、金や人員の問題も国がなんとでもするだろう。

俺が一個人として楽しんでいる船旅とは規模が違う。

こちらは国家プロジェクトだ。

 

――それになにより、俺がこの年になるまでロマンだロマンだ言い続けて培ってきた経験や技術が、もしフラン様のために生かせるならば、それに勝る喜びはない。

それは今までの人生の中で感じてきた何にも勝るロマンだ。

 

そうと決まれば早速俺はその募集に応募することにした。

まずは地方での選考があったのだが、俺は剣の腕には自信があるし、航海技術もなかなかのものだと自負している。

すくなくとも100回以上の船旅に出て帰ってきたやつを俺は自分以外に知らない。

だから地方予選はすんなり通って央都セントラルへとやってきた。

ここで最終選考が行われるという。

それもフラン様の目の前で、だ。

もはや国を挙げた大会になっていてそれぞれの道のエキスパートが今ここ央都に集まっているのだ。

 

俺が登録しているのは“船員”で、他に“料理人”や“船医”、“船大工”、“航海士”などの専門家がそれぞれ最終選考を別々に行うようだった。

コックはフラン様の目の前で料理を作り、実際に味を見てもらい結果が決まる。

ちなみに、最終選考まで残っている者は皆それぞれ体力には一定以上の自信がある者だけが残っている。

それはコックも然りで、皆ガタイのいい男たちだ。

 

コックたちは勝ち負けに関係なくフラン様に自分の作った料理を食べてもらえるだけで感激しているようで、涙を流している者も多い。

あと、フラン様に食べてもらう料理の他に、俺たち他の候補者にも料理が振舞われた。

もしも選考に通れば長い間そいつのメシを喰うことになるのだから、俺たちから不安や文句が出ないように腕を見せつける意味があるのだろう。

実際、どのコックの料理もめちゃくちゃうまい。

流石はラフテル有数の料理人といったところか。

酒も飲みたいところだが、これから俺の選考があるってのに呑むわけにもいかない。

非常に残念だ。

 

最終的に決まったコックは珍しい服を着ている白髪の男だった。

あの服は着物というんだったか。

和服だったか?

とにかくそれを着ている男は俺からするととてもコックには見えなかった。

というのもその男の静かな佇まいに全く隙が無い。

足運びを見てもなんらかの武術を極めているように見える。

やはりラフテル(いち)のコックともなれば常人ではないのだろう。

 

その後も航海士や大工が次々と決まっていき、最終的に俺のエントリーしている“船員”の選考になった。

船員に関してはエントリー数が最も多く、またここまで残った者たちに航海技術はほとんど差がないために決着は試合で付けるらしい。

トーナメント式でベスト8まで残ればクルーになれる可能性があるようだがこの人数から絞り込まれるとすると5,6連勝は必要か。

 

燃えてきた、ロマンだぜ。

 

 

 

 




・巫女はヤンデレ
・ラフテル同様ロギア、パラミシア、ゾオンに関しても土の民の言葉ということで
・悪魔の実の名前の由来はフラン
・大航海時代(原作4300年前)

レッドラインとカームベルトの地理的な関係が良くわからなかった人はウィキで図でも見てください。文章力が足りない……。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

クルーの選考会と出航前の会議

前回のまとめ

・悪魔の実の発見、流行
・大航海の準備
・ロマンロマン言う植物学者の弟子で剣士の男登場


 

 

船ができたとの報告があって、船旅の準備もほとんど終わった。

あとは船員を決めるだけ。

 

そして今日ついにその選考会がここ央都セントラルで開かれる。

とても楽しみで昨日はちょっとしか寝れなかった。

ちなみに選考は一応決められた方法で行われるけど実際の採用は私が目で見て気に入った人をということらしいので気合が入っている。

 

選考会でトップ取った人を不採用ってなったら普通は非難ごうごうだろうけど、少なくともラフテルで私の決定に不満を持つ人はいないのでそんな方法に落ち着いているのだろう。

……私もすっかりみんなの狂信具合に慣れちゃったなぁ。

 

選考会は国中から候補者を集めて行うらしくて、ざっと見ただけで1000人以上の人が集まっている。

しかもその人たちの誰もが一癖も二癖もありそうなイイ顔をしている。

まぁその道のエキスパートを一か所に集めたらそうなるか。

というかほとんど男の人なんだね。

女性がほとんどいない。

体力ある人の方がいいから仕方ない面もありそうだけど、なんともむさくなりそう。

 

選考会は私の活動時間に合わせて夜に行われる。

場所は央都の一番大きい競技場。

普段はスポーツの大会とかを行っている場所に今は赤々とかがり火が焚かれて夜の闇に照らし出されている。

 

まず最初は開幕の挨拶を私がして、コック候補たちによる料理がみんなに振舞われた。

せっかくみんな央都まできたんだから、ということで結果が出て一喜一憂する前に宴会的な感じでやるらしい。

ちなみにこれはコックたちの選考も兼ねていて、それぞれ一人一品私に料理を差し出して食べる感じだ。

候補者全員分ともなると結構な量だけど、吸血鬼の私は見た目の胃袋の容量以上に大量に食べられるし、魔法を使えばそれこそほぼ無限に食事をすることだって可能だ。

おいしい料理をたくさん食べられるのだから大歓迎。

ちなみに吸血鬼だからか何なのか食べ過ぎると漫画みたいにお腹がポッコリと出たりもする。

まぁ胃袋云々の前に物理法則を無視した体だから何も言えないけど。

 

そうして私は数々の美味しい料理を食べながら心の中で涙した。

かつてこの世界にやってきた時を思い出せば、四苦八苦して作った黒こげの丸焼き、毒がある事を知らずに食べたキノコ、ようやく料理ができそうな状況になっても調味料どころか調理器具さえない状況。

連鎖的に飢えて自分の血を吸って凌いだことまで思い出した。

あれから700余年。

ここまで長かった……。

 

とと、そんなしんみりとした雰囲気になってる場合じゃないね。

今は誰をコックとして連れて行くのか決めなきゃ。

 

――悩んだ末、和服を着た若白髪の男性にすることにした。

料理の味もそうだけど、決め手は私への態度だ。

他の料理人は私に自分の作った料理を食べてもらうだけで感動して泣いてたりしたのだけど、彼だけはそういった過剰な反応をしなかった。

言葉も二言三言交わしただけだけど、それなりに砕けた口調だったし。

正直船旅に出てからもフラン様フラン様と崇められるのは鬱陶しそうだからね。

それにこう、ガサツというか豪快な方が海の男!って感じだし。

 

そのあとは航海士や大工も次々と決めていった。

この人たちもやっぱり私への態度や口調を評価に入れて決めた。

そして最後が特殊技能を持たない一般のクルーの選考。

といってもみんな航海技術は持ってるらしくて、決め手に欠けるんだそう。

そこで一般クルーだけは武闘大会形式で決めるらしい。

まぁ自分の身は自分で守れる方がいいよね。

 

船の大きさ的に10人くらいを選ぶ必要があってとりあえずベスト16まではトーナメント式。

そのあとは決勝まで続けるか、状況を見て総当たりに変えるか、それとも私がパパッと決めちゃってもいいみたい。

 

そして始まった武闘大会。

これがまた、なかなか面白い。

正直私からすれば実力的には犬VS猫……もといカブトムシVSクワガタムシみたいなどんぐりの背比べレベルではあるけれど、かつて私だった前世の頃の感覚で言えば超人たちの戦闘だ。

私にははっきりと見えてるけど、一般人が見たらきっと目に見えないような速さで動いたり岩も砕けそうな威力の蹴りが放たれたりと、なかなかどうして人間も鍛えればこんなことができるのかとすこし驚いた。

彼らなら、かつて古の地で土の民を襲っていたあの魔獣程度ならさほど時間をかけずに打倒することもできるだろう。

人間は700年でここまで強くなるものなのか。

 

彼らは槍とも呼べない粗末な棒を振り回していた先祖とは違い、鍛えられた鋼の剣や槍を用いて明らかに武術の技術があると分かる動きで動いている。

確かに私は空手やら剣道やらの概念をラフテルに広めはしたし、私でも分かるかつ再現可能な技術については初期のころに土の民に身を護る術として伝授した。

しかし、今や彼らが扱う技術はその段階から大きく発展しているように見える。

 

更に加えて彼らの中には悪魔の実の能力者も多数混じっているみたい。

それがまたヴァリエーションに富んでいるので見ててなかなか楽しい。

例えば体を自然物に変化させられるロギアの者たちには物理的な攻撃が効きにくいようで、今も砂に変化する相手に対して槍が効かないので対戦相手は四苦八苦している。

おっ、近くにあった水瓶をぶちまけて……おー砂が水で固まって泥っぽくなって槍が効き始めた。

ああいう機転が利くのはいいね。

あの槍使いは注目しておこうかな。

でもなんであんなところに水瓶……ああ。

あっちの火のロギアがやらかした時用の保険で用意されてたのかな。

砂の人、ドンマイ。

 

とまぁこんな感じで戦いが繰り広げられている。

競技場は広いから一度に何面も試合場がとれるのがいいね。

今のところ悪魔の実の能力者が優勢だけど、ただ中には妖力のような力を纏って強引にロギアを突破する人間もいる。

あの力はなんだろうね。

人間版の妖力みたいな感じだけど。

多少弱弱しいけどそれでもロギアに対して明確にダメージを与えてはいるところをみるとなかなか。

私も妖力を纏えばロギアに触れられるのかな?

 

あとパラミシアはびっくり人間みたいなのがいっぱいいるし、ゾオンは特徴からなんの生物なのか考えるのも面白い。

半獣みたいな形態や完全な獣形態とかいろいろあるし。

 

そんなこんなで試合は進み、ベストエイトが決定してからも決勝戦までやらせることにした。

理由は試合場の面がいくつも取れてスムーズに進んだのと、観客の盛り上がりが結構凄かったからだ。

日が沈んでから始められた今回の選考会は今目の前でやっている決勝戦段階でちょっと日を跨いだぐらい。

みんな深夜テンションも手伝ってか盛り上がってる。

 

決勝戦は氷の悪魔の実の能力者対剣使いの非能力者の試合になった。

面白くていい試合だったけど結果は僅差で、剣使いの方が勝ち。

人間版妖力みたいなのが使えて能力者に有効な攻撃ができたのが大きいっぽい。

勝ったその剣士の名前はマロン。

おいしそうな名前の黒目黒髪短髪中肉中背の男性だ。

あまり特徴のない感じ。

ただ、勝った後大声で「ロマンだ―!」と叫んでいたあたりは特徴的というかなんというか。

自分の名前のマロンとロマンをかけてるのかな?

 

それで優勝した彼はいいとして他のクルーの採用者を決めなきゃと思っていると、優勝者のマロン君から「フラン様(わたし)と手合わせしたい」と提案があった。

それを聞いた周りの人たちはフラン様に剣を向けるなど何を考えているーと大変おかんむりだったけど、私としてはその提案はなんだかなあといった感じだ。

 

確かに彼は人間とは思えない身体能力と剣技で優勝した。

なんか衝撃波みたいなのを剣から飛ばしてたりもしたし、ラフテルの人間の中では最強なんだろうとは思う。

ただ、それだけだ。

人間じゃ吸血鬼(わたし)には勝てないし、眷属の悪魔(こぁ)にすら届かないだろう。

気持ち的には「世界最強のカブトムシに戦いを挑まれてもなぁ」、といったところである。

種族が違うのだからこればっかりは仕方がない。

 

私は吸血鬼で、彼らは人間だ。

 

でもまぁ、彼も私の船のクルーになるわけで、話に聞く「神様」というだけでは命を預けるのに不安を抱くのも当然かもしれない。

なら力を見せる名目で遊ぶのも悪くはないだろうか。

 

そこまで考えて私は彼の申し出を了承した。

マロン君も受けてもらえるとは思っていなかったようで驚いていたけど。

 

もちろん周りの人たちは反対した。

特にこぁはもうすごくて今にもマロン君を殺しそうな目で睨んでいたけど、何とかなだめた。

「私が怪我を負うとでも思っているの?」って言っただけだけど。

 

実際人間どころかこぁでさえ本気で挑んできても私に傷をつけられるかどうか怪しい。

種族の違いという絶対的な壁に加えて私には700年の訓練期間があったのだ。

辞書作りなどでひきこもることが多かったとはいえ、外で体を動かす機会もそれなりに作っていたし、近くの島を消し飛ばす憂さ晴らしをしたことだってある。

一度は全力の殺し合いをしたことも。

 

吸血鬼の身体能力と妖力だけでも十分なのに、そこに加えて私は魔法少女で、今では賢者の石を簡単に生成することだってできる。

さらに『ありとあらゆるものを破壊する程度の能力』なんていう物騒なものまであるのだ。

もうオーバーキルである。

この世界は私と何を戦わせたいのだろう。

漫画の世界だしモノホンの神様とかが地上に全面戦争しかけてきたりしても驚かないけど。

 

と、そんな状況だったので私は快く申し出を了承し、マロン君との一対一の戦闘が始まることになった。

ここで問題がある。

 

……どうやって手加減しよう。

 

 

 

 

冷汗が一筋たれる。

俺は思う。

どうしてこうなってしまったのだろうと。

 

ちょっとした思い付きだったのだ。

俺は船員(クルー)選考の武闘大会を順調に勝ち進んだ。

悪魔の実の能力者など手ごわい相手もいたが、剣に“気”を纏わせればロギアも斬ることができるため、俺はなんとか対処ができていた。

あと周囲を見る限り能力以外の純粋な力量では俺はかなり突出していたようで、ヒヤッとさせられる場面は何度かありながらも順当に優勝した。

 

それで気が大きくなっていたのだろうか。

ふと、「フラン様と戦ったらどうなるのだろう」という思い付きが頭をよぎったのだ。

 

フラン様。

フランドール・スカーレット様。

俺たちラフテルの住民の先祖を助け導き今日の発展を授けてくれたという悪魔の王――吸血鬼にして神様。

無論俺も心の底から尊敬し信仰している。

 

だが、俺はフラン様の力を見たことがない。

それは他の住民も同じだろう。

フラン様が直接手を下さなければならないようなことはここ数百年起こっていない。

それはきっと良いことなのだろうが、どこか釈然としない気はする。

 

フラン様の力を疑う気などは毛頭ない。

だが、ほんの少しでもその力の一端を見たいと思うことは、果たして不敬に当たるのだろうか――。

 

気づけば俺は、フラン様とのエキシビジョンマッチの申し出をしていた。

そして、周囲はそれに猛反対したが、当のフラン様はあっさりと受けてしまった。

ゆえに、冒頭に至る。

 

俺は競技場の中央で剣を構え、フラン様と対峙しているのだ。

フラン様はまったく気負った様子もなく、得物すら持っていない。

だというのに、吹き付ける狂気だけで冷汗が流れる。

 

「さ、それじゃ始めようか」

 

「……武器はいいんですか、フラン様」

 

「ああ、なにかあった方が戦いやすい? じゃあ剣でも……ほいっ」

 

フラン様がそう呟くと次の瞬間、その手には赤く輝く剣があった。

 

「その剣は……」

 

「ああ、これは魔法でちょちょいと作っただけだからただの鉄の剣みたいなものだよ。10分くらいで自壊すると思うし。流石にレーヴァテインを使うわけにもいかないしね。見た目だけ参考にはしたけど」

 

レーヴァテインといえば、かつて俺たちの先祖が与えられた“消えぬ炎”の元になった炎の大剣の事か。

確かにそんなものを使われてしまえば剣術云々の前に俺など消し炭になってしまうだろう。

 

 

「さ、どこからでもかかっておいで」

 

その言葉に俺は一度大きく深呼吸をして、気を落ち着ける。

もとより勝てるとも思っていないし、フラン様を傷つけることが目的ではない。

俺の生涯を共にしてきた剣術がどこまで通用するか、そしてこの世界の一番の高みを少しでも見たい、ただそれだけなのだ。

 

競技場は静まり返っているが、反比例するように熱気は高まっている。

皆なんだかんだ言ってフラン様が力を見せてくれる状況に興奮しているのだ。

 

そう、俺は今から神の御業に挑むのだ。

それは、また、なんというか――

 

「――ロマンだぜ!」

 

初手は様子見などない全力の斬り下ろし。

対してフラン様は構えさえとらない。

しかし、俺の剣がフラン様に当たる直前に剣を握るフラン様の手が一瞬ぶれた。

そして同時に俺の剣に伝わる衝撃。

弾かれた!

手の動きが早すぎて見えなかったのか。

それにしても動きの速さはともかく、ほとんど力を込めていないように見えたのに、手に伝わる衝撃の強さよ。

 

だが俺とてその程度では動揺しない。

すぐさま斬り返すが――それも軽く弾かれる。

左から右から上から下から斬りつけるがそのすべてを一瞬で弾かれてしまう。

弾きにくい突きすらも剣先を見事に払われる。

構えず予備動作なしで剣を弾いているあたり、俺の剣の軌道は完全に見切られているうえに膂力も相手にならない。

ならば!

 

「ふっ!」

 

少し距離を取り、“気”を剣に込め飛ばす。

これならば目には見えないが――。

 

「おっと」

 

首を振るだけでやはり簡単に躱される。

だがそんなことは予想していた。

今度はその隙に同時に3発を放つ。

だが、その攻撃はなんと空いている左手に受け止められ、握りつぶされてしまった。

岩を砕くくらいの威力はあるんだが……。

 

「その妖力みたいのを放つのは私には効かないかな。多分当っても全く意味ないと思う」

 

「……威力が低すぎるってことですか?」

 

吸血鬼のフラン様にはたとえ俺の剣がクリティカルヒットしたところで傷一つ負わない、という可能性は十分にある。

 

「んーそれもあるけど……いや、そうだね。扱いが全然なってないよ。その妖力みたいなの、何て呼んでるの?」

 

「妖力……“気”のことですか。俺の師匠は“覇気”と呼んでいましたが」

 

「ん、その覇気ね。まず出力が低い。体の表面からうっすらと立ち上る程度じゃほとんど意味ないよ。やるなら――このくらいやらなきゃ」

 

 

そう言ったフラン様の体から金色の湯気のようなものが噴き出る。

それはすぐに密度を上げ見通せないほど濃い靄になる。

同時に狂気の圧が一気に膨れ上がる。

周囲で観戦していた者の中には耐えきれず気絶したものも出たようだ。

 

 

「で、これを武器に込めると切れ味とか強度が上がるわけだけどマロン君の場合は纏わせるのがせいぜいな感じ?」

 

「……そう、ですね」

 

「それももうちょっと頑張った方がいいかな。纏わせるんじゃなくて染み込ませた方がずっと効果は高いよ。あとその際には色をイメージするといいと思う」

 

「色、ですか?」

 

「そそ。イメージってのは案外馬鹿にできないよ。例えばほら」

 

フラン様の手に持っていた赤い剣は、フラン様の金色の覇気を吸い込み、その色を金色ではなく漆黒に変えた。

 

「赤とか金色の剣より黒い方が硬そうで切れ味もよさそうでしょ」

 

言われて俺も自分の剣に覇気を込めてみる。

しかし、イメージした漆黒には程遠く少しだけ黒みがかった程度だ。

 

「そそ。そんな感じ。で、分かったと思うけどその覇気を飛ばす剣術も、飛ばす覇気に色を付けたりもっと密度を上げたりとかすれば威力は大分向上するんじゃないかな」

 

「なるほど……」

 

そんなこと言われるまで考えたこともなかった。

師匠も色を付けたりはしていなかった。

 

「で、この妖力――じゃなくて覇気は攻撃だけじゃなくて防御にも使えるんだよ。こうして身に纏えばだいたいの攻撃は弾いちゃう。だから私の体が纏う覇気の密度にはるかに劣る“飛ぶ斬撃”じゃまったく意味ないね、ってこと。……なんか随分余計な話をした気がするね。さ、続きをしようか」

 

俺はその言葉に少し考え、口を開く。

 

「――いえ、ここまでにしてください、フラン様。どうやら俺はまだ戯れにもフラン様と剣を交わすレベルではないようです」

 

「あ、あれ? そうなの? せっかく他にも魔法の弾幕とか眷属召喚とかいろいろ考えてたんだけど」

 

「え、遠慮しておきます」

 

危なかった……。

今の短い剣の応酬だけでも全く歯が立たないことが判明したのにその上悪魔の御業である“魔法”や悪魔の王たる吸血鬼の眷属を召喚されたりすれば真面目に命がいくつあっても足りない。

俺は自分の実力を確かめてフラン様のお力も見たいとは思ったが、自殺願望はないのだ。

 

――こうしてエキシビジョンマッチは終わり、選考会も閉幕となった。

最後には不完全燃焼だったフラン様の大魔法により夜空に巨大な花火が打ち上げられた。

それはそれは見事な美しさだった――ロマンだぜ。

……一歩間違えば俺があの花火になっていたかと思うと、背筋が冷えるが。

 

 

 

 

「さて、今日みんなに集まってもらったのは他でもない、一週間後に迫った出航に向けての顔合わせと情報確認だね!」

 

いつになくハイテンションの私がいるのは央都セントラルの大会議室。

そこには過日の選考会にて私を含む審査員の眼鏡に適った船員(クルー)たちが勢ぞろいしていた。

 

「まずは自己紹介からだね。私は――まぁみんな知ってると思うけど一応。フランドール・スカーレットだよ。年齢は700歳ちょっと。神で悪魔の王の吸血鬼です。よろしくね! あとクルーの皆には私のことはフランじゃなくてキャプテンとか船長って呼んでほしいな。敬語とかも気にしなくていいからね。さて、それじゃあ順番に自己紹介してね。暫定副船長のマロン君から時計回りで」

 

「えっと、あの。フラン様……じゃなくて船長、俺が副船長ですか? 初耳なんですが」

 

「ああうん、言ってなかったね。あまり意味はないけど船員(クルー)の中での実力トップってことを鑑みてまとめ役をやってもらおうと思って。航海中にもっと適任が見つかったら改めて副船長を任命しようと思ってるから暫定だね」

 

「なるほど、わかりました。――んじゃ自己紹介と行こう。俺の名前はマロンだ。このとおり暫定副船長を拝命した。選考大会は皆みてたから分かるだろうが剣使いで腕には自信がある。有事の際には頼ってくれ。あとはラフテル中を旅していたこともあるから知識は多い方だと思っている。特に植物に関しては詳しい方だ」

 

 

最初に自己紹介をしたのは私とエキシビジョンで戦ったマロン君。

黒髪短髪の青年で20代後半か30代前半くらいかな。

剣使いなのはわかってたけど植物にも詳しいんだね。

旅の最中に見つけた未知の植物の研究とかできるかも。

 

彼の簡単な自己紹介が終わり、次に立ち上がったのは隣に座る青年……いや、少年。

10代後半くらいの彼は室内の人間のなかでも2番目ほどに若い。

ちなみに勿論一番若い(ように見える)のは私だけど人間じゃないからノーカン。

実際は歳年長の人のゆうに10倍以上を生きているしね。

 

「次は僕かな。僕はウェンディゴ。役職は船員(クルー)でヒエヒエの実を食べた氷人間です。ずっと近くにいると寒いと思うのでごめんなさい。マロンさんに決勝で負けちゃったのは残念です。いつかリベンジしたいです」

 

少年は水色の髪をしていて服装も寒色系で涼しげ。

ヒエヒエの実って言う悪魔の実を食べたからそうしてるのか、もともとそういうセンスだったのかは知らない。

 

そういえばこの世界の人間の髪とか目の色って結構不思議。

古の地で初めて出会った彼らは黒や茶の普通の髪色だったのにラフテルに来てからというもの実にいろいろな色が発現しだした。

必ずしも遺伝してるわけでもなさそうだしそもそもピンク色の髪の毛が地毛とかまるっきりファンタジー。

しかもラフテルだけじゃなくて今じゃ古の地の人たちも色々な髪色が出始めてるし。

しかもみんなそのことについてまったく疑問を持っていない。

せいぜい金髪の人に対して「フラン様と同じ色でうらやましい」とかその程度の感想。

 

まぁもともとここはワンピースって言う漫画の世界なんだしそんなものだよね。

そう言えばワンピースってどういう意味なんだろう。

服のワンピース?

服飾がテーマのマンガじゃ……ないよね?

 

「はいはーい。俺っちはラン! 同じくクルーで槍使いだ! 選考会の最後にフラン様が見せてくれた覇気ってのを扱えるようになりてー」

 

私がどうでもいいことを考えていると元気いっぱいの声が聞こえた。

ウェンディゴ君の次に名乗りを上げたのは槍使いのラン君。

長身で陽気な青年。

ウェンディゴ君の次くらいに若い。

でも選考会の様子を見た限り戦闘センスは結構ありそう。

あと私にもフランクな感じでそれもグッド!

 

「ラン、フラン様のことは船長と呼べと言われたであろう。儂はクック、料理人だ。武術の心得もあるゆえ足手まといにはならん。……あと儂はこんなナリだがまだ30代前半だ」

 

次は若白髪の男性。

とてもおいしい料理を出してくれた和服を着た料理人の人だ。

そんな感じに自己紹介は続いていく。

 

 

「私はナヴィです。航海士として参加します。ペラペラの実の紙人間ですので水が嫌いです。特にウェンディゴ君は周囲が湿ってそうなので近づかないでください」

 

「ひどい!……いや、能力制御できるように頑張ります……」

 

 

航海士のナヴィ君という眼鏡をかけた真面目そうな男性が自己紹介を終え、最後の一人になった。

最後の一人はこのメンバーの中で一番若い。

まだ10代前半の少女で、この中で唯一選考会を通して選ばれたわけではなく私が個人的に知り合った子である。

ちなみに私以外の唯一の女性クルーでもある。

 

「あの、私はルミニアっていいます。ルミャって呼んでください。私は皆さんのように優れた技能を持ってるわけでもなくて、フラン様に選んでいただいてここにいます。ヤミヤミの実の闇人間です。日光を遮ることができるのでフラン様の御傍について、航海について行けない巫女さん達の代わりに雑用とかをすることになると思います。足手まといかもしれませんが、精いっぱい頑張ります。雑用とかなんでも申し付けてください。よろしくおねがいします!」

 

「私からちょっと補足しておくね。今言った通りルミャは選考会関係なく私が選んだクルーだね。みんな知ってるように私は太陽が苦手なんだけど、航海する以上夜に船を進ませるわけにもいかないでしょ。私なら夜目が効くけどみんなはそうじゃないしね。だから航海は普通に昼にすることになるからどうしようかなって思ってたら、たまたまルミャと知り合ってね。能力が丁度良く便利だったからお願いしてついてきてもらうことにしたの」

 

とまあそういうことである。

ルミャちゃんとはもともと別件で出会ったんだけど、能力がとても便利で航海にもついてきてもらうことにした。

一応妖力で体を覆えば別に日光如きどうとでもなるんだけど、そうするとなんか服の上にもう一枚服を着ているような感じがして鬱陶しいんだよね。

 

さて、そんなこんなでクルー総員20名。

私を入れて21名の自己紹介が終わった。

いよいよ今後の航海のことについての話だ。

 

「さて、航海について話すよ。まずはこの地図を見てね」

 

私が用意した大きい地図。

ラフテルの形と周辺の海域についての書き込みがあるけどそれ以外は空白だ。

唯一目を引くのがラフテルを挟むようにしてのびる2本の帯と、それに対して直角に交差している赤い線。

 

「この地図は私が空を飛んで書いたラフテルとその周辺の地図だよ。ちなみに今いる央都はここだね。こうしてみると実は央都は結構ラフテルの中心から離れた場所にあるんだよね。ま、それは置いといて、私たちが出航するのはここの港。で、ここからこうやってこの帯の間を進んでいく予定でいるよ」

 

私は地図を指さしながら話を進めていく。

最初に手を挙げて質問したのは副船長のマロン君だ。

 

「船長。その帯と赤い線はなんなんでしょう?」

 

「あ、言ってなかったね。これは大分遠いから多分ラフテルの誰も知らないことだと思うんだけど、この赤い線はね、凄く大きな大陸なの」

 

「大陸、ですか」

 

「そう、ラフテルよりもずっとずっと大きい大陸で、見た感じ赤い土の壁だね。高さも相当で多分一万メートルくらいあると思う。左右もパッと見どこまで続いてるかもわからないしこっちの方に進むと壁にぶつかっちゃうわけ。だから進行方向としてはこの壁の反対に向かって進もうと思ってるよ」

 

「なるほど、さしずめ赤い土の大陸(レッドライン)てわけですね。どうしてそんな地形になってるのか不思議だ、ロマンだ……」

 

「あはは、そうだね。私も気になるけど、一応今は置いておくよ。航海中になにかわかるかもね。さて、それでこっちの帯の事だけど、これは風が吹かない凪の地域だね。いつも風が吹かない不思議な場所だよ。こっちのことは知ってる人も多いんじゃないかな?」

 

私がそう言うとクルーの内半分ほどが知っていると声をあげた。

ただし、その地帯が帯状にずっと連なっていることは知らなかったらしい。

 

「この凪の海域には大型の海魔獣が住んでるね。別に強さ的には大したことはないんだけど、船を攻撃されたら困るからね。この海域を避けるように、かつレッドラインの反対側に進むとなるとこの帯の間を抜けていくしか道がないんだよね」

 

「なぜ海王類はそんな帯状に棲息しているんでしょうね。凪の海域が海王類の巣になっているのか、海王類が棲むところが凪になるのか……実に興味深い」

 

声をあげたのは眼鏡をかけた真面目そうな航海士のナヴィ君。

眼鏡を指でクイっと上げて「実に興味深い」と呟いているさまは航海士というより学者みたい。

 

「海王類って?」

 

「ああ、船長のおっしゃった海魔獣の俗称ですね。海に生息する生物の中で最も強いからと安直に名付けられたようです。大きさはさまざまですが小さいもので5,6メートル、大きいものでは数百メートル以上にもなるようです。ちなみに海王類に哺乳類は含まず、哺乳類は海獣と呼ばれています」

 

「へぇ、そうなんだ。名前の呼びわけは知らなかったなぁ」

 

「まぁ先人が勝手に名付けたものでしょうしね。船長、その凪の海域……仮に凪の帯(カームベルト)とでも呼称しますが、そこの範囲は正確なのでしょうか」

 

「そうだね、空を飛んでいたら急に風が吹かなくなるから分かりやすいから。体感した限りだけどほぼ同じ間隔で平行に存在してる感じかな。カームベルトの中でもこの地図で点線になってる部分は、まだ確認して無いけど多分続いてたらこうなるかなって予測だね。だからもしかしたらこの先で帯が一つに収束してるかもしれないし、突然終わっているかもしれない。それも含めて調査に行くのが今回の航海だよ!」

 

「なるほど、ありがとうございます。航海士としては是非世界地図を書いてみたいものですね」

 

「お、じゃあナヴィ君の航海目標はそれにしようか。人類で初めて世界地図を描いた男! 歴史の教科書に載るね!」

 

「……それはなんだか照れますね。――ええ、全身全霊で挑ませていただきます」

 

「頑張ってね。あと、敬語は使わなくていいんだよ? 他の皆もね」

 

 

そんな感じでつつがなく出航前の会議は終わり、ついに調査航海に出発する日がやってくる。

 

 

 





・ロマンロマン言う植物学者の弟子で剣士の男マロン登場。もちろん苗字はモンブラン。なお今は短髪だが髪が伸びると……? この血が4000年間淘汰されずに生き残るというのもなかなか無茶な設定ではある
・覇気と妖力の設定とか
・ルミャ登場。なおこの小説ではこぁも含めあくまでそれっぽい人というだけです
・レッドライン、カームベルト、海王類の名前付け


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

航海の開始と覇気のあれこれ

前回のまとめ

・クルー選び
・自己紹介
・レッドラインの名前付けとか


 

 

出航式は華やかだった。

特に、ラフテル中の有名な船大工が協力して作った船はとても立派で皆を驚かせた。

名前はフラン様が名付けた『サンタ・マリア号』。

かつてコロンブスが乗ってジパングを目指した有名な帆船、ということだがよくわからん。

サンタ・マリア号にはフラン様が作った辞書が積み込まれているのであとで調べてみよう。

 

 

「マロンさん! 訓練しようぜ!」

 

「おう、いいぞ。今日もたっぷりしごいてやる、ラン」

 

「のぞむところだぜ!」

 

 

航海は穏やかに進んでいた。

クルーはルミャちゃん以外皆しっかりとした航海技術を事前に学んでいたし、副船長の俺の指示にもしっかり従ってくれる。

航海士のナヴィの腕もかなりのもので、俺も安心して船の針路を預けることができた。

 

フラン様は当初皆に混じって船に関わろうとしていた。

皆は内心フラン様の手を煩わせるのもどうかと思っていたが、もともとフラン様の暇つぶしもかねて計画された航海なのだからと誰も何も言わなかった。

しかし、実際のところフラン様に船の知識はほとんどなく、できることと言えば副船長の俺の指示に従って帆を張ったりすることくらい。

さすがの膂力でクルー数人がかりで動かすものを片手で操作していたのは凄いのだが……。

 

まぁ、それも当然である。

かつての古の地との往復ではフラン様はもっぱら空を飛びナビゲートに徹していたらしいし、そもそもフラン様は船に乗って移動することすらこれが初めてだった。

なにせ空を飛べば船など比べ物にならないくらい速く快適に移動できるのだから。

船の操作など覚えるだけ無意味である。

 

よってフラン様は基本的に船の操作など専門的な事には関わらず、料理人であるクックの手伝いや、船の掃除、見張り台での監視など細々とした雑用をすることになった。

 

 

これに悲鳴を上げたのはもともと雑用係として入ったルミャちゃんだ。

フラン様にさすがにそんなことをさせるわけにはいかない、と。

 

……まぁ色々悶着はあったのだが、最終的にはやはりフラン様の自由に過ごしてもらうことに決まった。

当たり前だ。ラフテルの住人に、フラン様に意見することはできても、フラン様の決定を覆すことはできない。

ルミャちゃんにできるのはフラン様がなにもせずともいいよう先回りして全ての仕事を片付けることくらいだった。

 

 

航海が始まって一か月もすると船の雰囲気は非常に和やかで穏やかなものになった。

今では俺を含めフラン様に敬語を使うものも少ない。

もともと誰にでも敬語で話していた者くらいだろう。

 

船の上という狭い空間でずっと寝食を共にしていれば、初めはフラン様に畏れや遠慮のあったものたちも、フラン様のお人柄に惹かれて親しくなっていった。

なにより、フラン様に敬語など畏まった態度で接すると少しだけ悲しそうな顔をするのだ。

あの顔に耐えられる奴はラフテルにはいない。

 

 

航海も順調だった。

時折現れるはぐれ海王類などはクルー皆がこぞって始末してしまう。

なにせこの船のクルーは料理人から船大工に至るまでみな手練れである。

小型の海王類などちょっとした暇つぶしの余興である。

船の針路も初めは古の地に寄る予定なので、そこまでは既に先人たちによって既存の航海ルートが築かれている。

実に安定した船旅だった。

 

俺たちは皆、クックの美味しい料理を楽しみながら、時には宴会をして、時には一発芸大会をして、時にはフラン様の昔話という名の神話を聞き、時には船員同士の喧嘩をした。

おっと、喧嘩って言っても深刻なものじゃない。

俺の獲物を勝手に仕留めやがって、なんだとお前がうすのろなのが悪いんだろうが、ああんてめえやるのかコラ、みたいなじゃれあいである。

フラン様も笑顔できゃっきゃきゃっきゃと手をたたいて楽しんでいた。

 

途中で物資の補給のために島に立ち寄ることもあった。

だが、ラフテルから古の地までの航海ルートにある島はすべて先人たちの手によって調査が入っている。

特に問題はなかった。

 

そうして俺たちは数か月かけて親交を深めながら古の地へとやってきた。

船を下りた俺たちを古の地の人々は歓迎の宴会を開いてもてなしてくれた。

まぁ、フラン様が古の地を訪れるのも久しぶりだからな、当然だろう。

フラン様が彼らに航海の事などを話し、数日の宴会を楽しんでから船旅を再開した。

勿論物資は必要十分なだけわけてもらい、準備も万端である。

 

 

そこからは未知の連続である。

なんともロマンだった。

訪れる島はいずれも奇妙なものであり、新しい発見が次々とあった。

巨大な魔獣との闘いなども心が躍った。

だが、いずれも危機と呼ぶほどのものはなく実に楽しく穏やかな航海が続く。

最近では船の上で船員たちに修行を付けてやることがマイブームだ。

特に俺は槍使いのランに懐かれていてよく特訓を申し込まれる。

今も剣を振り、ランをしごいているわけだが、まだまだだな。

隙が多すぎる。

 

勿論俺も修行をしている。

相手はフラン様だ。

修行の事を話すとフラン様は楽しそうに二つ返事で引き受けてくれた。

フラン様は剣技のことは分からないとのことなので、まずは徹底的に覇気の使い方を叩き込まれた。

フラン様が操るところの覇気は妖力と言って俺たち人間が使う覇気とは少しばかり性質が違うようなのだが、大本は同じ力。

フラン様の覇気の操作は熟達していて、可視化して覇気で造形・着色、それを物質化するなどということまでやってのける。

体からもやのように引き出すことがせいぜいの俺とは雲泥の差である。

 

ちなみに、サンタ・マリア号はすでにフラン様の覇気によって超強化してあるので船の上で俺たち如きがいくら暴れたところで傷一つつかない。

出航前は海王類に壊される心配をしていたが、無用のものだった。

もっとも、カームベルトは帆船であるこの船では進むことはできないから特に変わりもないのだが。

副次効果としてフラン様の強化を得たサンタマリア号は見た目が真っ黒になってしまった。

フラン様は慌てて部分部分の覇気の色を変えて元の装飾を再現したが、それでも船は全体的に黒っぽくなってしまった。

「これじゃあペリーの黒船だよ……」とつぶやいていたが、ペリーとはなんだろうか?

 

なお、この船の強化で船大工のカープが無職になってしまった。

なにせフラン様の強化した船を壊せるのはフラン様だけだ。

一度試しにと俺が全力で船を斬りつける実験をしたのだが、結果は俺の剣が折れた。

傷一つなかった。

俺は泣いた。

カープも泣いた。

 

 

そんなわけで俺は今クルーの一人が予備として持ってきていた剣を仕方なく借りている。

カープは無職になってしまったので、その腕を生かして船の備品を色々作ったりしている。

最近は鍛冶を覚え始めたらしい。

鍛冶師に転向、というよりは鍛冶師も兼業できるようになるのだと息巻いている。

彼が鍛冶をできるようになったら俺の剣を打ってもらおう。

 

ちなみに、船の上で鍛冶などする場所があるのか、と思うかもしれないが、結論から言えばある。

サンタ・マリア号にはフラン様を含め21人のクルーがいるが、本来ならば寝るための船室や食堂、倉庫などだけで手いっぱいである。

しかし、実のところクルーには一人一人かなり広い一人部屋が与えられているし、娯楽のための部屋や、のびのびとくつろげる談話室、果ては屋内プールや大浴場まで用意してある。

これはフラン様が用いる神の御業、悪魔の法、すなわち“魔法”というものによる。

その理論はすさまじく難解で、フラン様によれば魔法に使う魔力は覇気を少し工夫すれば代用できるから誰にでも扱える、とのことだが、この船で一番頭のいいナヴィすらその魔法理論の初歩の初歩で理解不能だという。

 

ともかく、その魔法によってサンタ・マリア号の中は空間が拡張されていて、見た目の数十倍の空間が内部に広がっているのである。

さすがはフラン様だ。

普通ならば狭い船内で長時間過ごしていれば、精神的にくるものもあるだろう。

しかし、船内でマラソンすらできる環境とあってはそんな心配もいらない。

船の内部が快適過ぎて陸におりるのが面倒くさいと冗談交じりに話すクルーもいるほどだ。

この航海の目的は未知の世界の調査探検なので、冗談だと分かっていてもそんなことを言ったクルーは俺がたっぷりとしごいてやったが。

 

そんなわけで拡張された一室を鍛冶に耐えるように改造され、船大工はそこで色々と頑張っている。

なお、倉庫にもこれでもかと物資が詰まっているので無補給でも数年は活動できる。

鍛冶に使う鉄などもそこに収められている。

それほど詰め込めば重さも相当なはずだが、そこも重量軽減の魔法でサンタ・マリア号は見た目よりもむしろ軽くなっているそうだ。

 

なお、無補給でいいというのは言葉通りの意味だ。

収められている物資には保存魔法がかけられてあり、肉や魚なども獲れたて新鮮なまま数十年でももつという。

俺たちクルーはその説明を船内で受け、船の中に広がる広大な空間と共に唖然としたものだ。

流石は我らが神。

なんでもありである。

 

そんなわけで俺たちの航海は順調に……順調すぎるほどにすすんでいる。

未知の島や海域、不思議な気象、面白い動植物……俺たちの航海の先にはまだ見ぬロマンが詰まっている。

ああ、やはり俺はフラン様についてきて正解だった。

ラフテルに生まれてよかった。

これほどの体験ができるなど、ああフラン様には感謝しかない。

この世界は――ロマンだぜ。

 

 

 

 

本日モ快晴ナリ。

太陽め、死に晒せ。

 

とまぁ恨み言を呟いてもしょうがない。

洋上における太陽というのは地上の太陽とはまた違った鬱陶しさがあるのだ。

実際に太陽に死んでもらったらこの世界が終わってしまうので困ってしまうのだけど。

 

うだるような暑さ、ギラギラ光る太陽の下、私を乗せて船は順調に航海を続けていた。

ほんと、ルミャを連れてきてよかった。

 

私の船の名前はサンタ・マリア号。

かの有名なコロンブスが黄金の国ジパングを云々の船である。

世界でもっとも有名な帆船の名前かもしれない。

多分広義の船の名前としてもタイタニックの次くらいには有名なんじゃないかな。

流石に沈没したらいやだからタイタニックとは名付けないけど。

 

まぁサンタ・マリアも意味は「聖母マリア」なわけで、吸血鬼の私が乗る船としてはどうなの、って感じだよね。

キリスト教なんてないこの世界では疑問に持つ人はいないだろうけどさ。

――もっとも、この世界で宗教と言えば私が神様なわけで、明確にナントカ教とは呼ばれて無いけどラフテルの住民は皆フランドール教の狂信者な気もする。

まぁ、目の前に本物じゃなくても神様がいれば宗教観も違うものになるよね。

 

さてさて、そんなことより船旅だ。

航海は順調そのもので、あらゆる困難を想定した準備をした甲斐があったといえるだろう。

 

まず船には壊れないように妖力――この世界では覇気と呼んだ方がいいのかな――で強化を施した。

見た目はちょっと黒っぽくなっちゃったけどまぁ、吸血鬼の乗る船としてはこっちの方が見た目的にもカッコいいかもしれない。

一瞬、真紅に染め上げるという案も頭の片隅によぎったけど、流石にセンスがひどすぎると思ったので却下した。

というかなんでそんなことを思いついたのだろう。

悪魔の王の乗る紅い船……紅魔艦とでも呼ばれそう。

 

まぁこれで海王類に襲われても心配は丸呑みくらいで壊れることはないと思う。

そして、中身の方も色々改造した。

この時ほど魔法の研究を続けて来て良かったと思ったことはない。

空間拡張に始まり、重量軽減、船が転覆しないように重心の安定化、材質が劣化しないように保存魔法、加えて倉庫の物資にも保存魔法をかけ、船酔いをする人が出ないように揺れが発生しないようにもした。

さしずめ「私の考えた最高の船」ってところ。

暇つぶしなのにわざわざ不便な船旅をする気はないしね。

 

さすがにここまで大規模な魔法を連発したので賢者の石を一個消費した。

ちなみにこの船には賢者の石が100個ほど積み込まれているので万が一魔力暴走すると周囲一帯の海域が塵も残さず消し飛ぶんだけどね。

みんなにはヒ・ミ・ツ。

 

 

そしてクルーたちとの仲も良好。

ほとんどの人たちと主従関係じゃない“いい関係”を築けている。

いままでの700年の生の中でも一番楽しい時間だ。友達、というよりは“仲間”、って感じかな。

長時間同じ空間で同じ目的のために共に過ごす、というのは絆を深めるには一番いい方法だと思う。

 

流石にフラン、と呼び捨てにしてくれる人はいないけど、代わりに船長、キャプテン、ボス、お頭、と役職名で気軽に呼んでくれるし、そのおかげか敬語を使う人も減ってきている。

キャプテンと呼ぶようにという私のお願いは非常にいい判断だったと自画自賛してみる。

 

 

本当に、船旅をするという選択は正しかった。

仲間で仲良く料理を食べ、バカ騒ぎをして、時にはちょっとした喧嘩をして、未知の島を探検して、釣りで釣果を競ったり、屋内プールで遊んだり、戦闘訓練をしてみたり。

本当に、毎日が楽しい。

 

 

今まではやはりどこかこの世界の人々と距離を置いていた。

吸血鬼と人間、神と人間、私と漫画の世界の住人。

私とこの世界の人々は目に見えない薄い壁を隔てていたんだと思う。

だけど、この航海を通して私はそんな壁が本当はないことを知った。

 

彼らは物語の住人なんかじゃなくて、目の前で生きている人間だった。

私は吸血鬼で彼らは人間だけど、そんなことは関係なく仲間になる事が出来た。

確かに種族の差による配慮は必要だろう。

例えば私が彼らの冗談に全力で突っ込みチョップを入れれば彼らは消し飛んでしまう。

だけどそれは、彼らに対して距離を置く必要性にはならない。

言葉だけで突っ込みを入れてもいいし、頭をはたくなら見た目相応の人間の幼女の筋力レベルまで力を抑えればいい。

そうすればいかに全力で叩いたところで彼らを殺してしまうことはない。

 

私は今、この世界で初めて“生きている実感”を感じていた。

 

 

 

 

「さて、じゃあ実験を始めてみよっか」

 

「はい!」

 

今船内の一室――訓練場と呼ばれている頑丈で広い空間にクルーが全員集合していた。

船の操作と見張りは一時的に私が自分自身と使い魔を召喚して操っている。

 

 

禁忌『フォーオブアカインド』

 

 

私自身が4人に分身する技だ。

魔法ではなく、吸血鬼――というより“フランドール・スカーレット”の固有能力(スペルカード)と言えばいいだろうか。

レーヴァテインと同じようなものだ。

本体である私をそのままに分身であるフランを3人生み出す能力で、私は分身と意識を共有できる。

とても便利だけど長時間使っていると頭が痛くなってくるので精々3時間くらいが持続時間だ。

無理すれば消費妖力量的に丸一日くらいはいけそうな気もするけど。

 

 

さて、そんなものまで使ってなぜ皆を集めているかと言えば、実験のためである。

実験内容は覇気と悪魔の実の能力の関係性について。

クルーたちは常日頃訓練を欠かしていないのだけれど、最近覇気と悪魔の実の能力について色々とわかってきたことがあるので、そのフィードバックをみんなにしつつ、新しく何かわからないかと実験を行おうという集まりだ。

 

 

「まずは最近の発見からだね。ナヴィ」

 

「はい、船長。まず前提としてラフテルでは覇気の存在について広まってはいませんでした。覇気は人間が誰しももっている力ですが、これに気が付き操ることができるのは一部の強者のみだったからですね。翻ってサンタマリアのクルーの中には覇気を十全に扱える船長に加え、ある程度操る事の出来る副船長と料理長、最近目覚めたウェンディゴ君とラン君がいます。そこで最近になって様々な事実が判明してきました。資料をご覧ください」

 

といってナヴィは手に持っていた紙を皆に配る。

ナヴィはペラペラの実の紙人間なので紙を自由自在に操ることができる。

いちいち手渡しではなく全員の元にふわっと紙が配られる。

というかこんなしっかり準備してくれてたんだね、真面目だなぁ。

 

紙には以下のように要点がまとめられていた。

お、思ったより長い。

 

 

・覇気とは誰もが体の中に持っている力で生命力と似たようなもの。よって使い過ぎれば命に関わる。

 

・覇気は無色無形の力で身に纏ったり武器に纏わせることで効果を発揮する。ただし船長ほどの使い手になれば覇気自体の可視化や具現化も可能。この点に関しては妖力と覇気の違いもあるので研究中。

 

・覇気はイメージによってその性質を変化させる。特に無形無色なため形と色の想像は大きな違いをもたらす

○形

→鎧のように纏うイメージで体の防御力をあげることができる。強化した身体での直接攻撃も有効。靄のように纏うより具体的な形を想像して纏った方が効果は高い。なお、上位の使い方として身体に完全に染み込ませ一体化する技術がある。この技術に関しては非常に困難なうえ一歩間違えれば生命の危険があるので修得は船長の立会いの下行うこと。

→矛のようなイメージで近距離攻撃に用いることも可能。ただし、実際に武器を用意しそれに纏わせる方がはるかに簡単で効率的。これは無形の覇気を物質化することが困難なため。副船長の空を飛ぶ斬撃は覇気そのものを飛ばしているわけではなく、剣に纏わせた風属性の覇気を用いて真空刃を出している模様。

→弓矢のように覇気を固めて飛ばすことは可能だが非常に困難。また、物質化が完全でない場合は威力も低い。

○色

→黒なら硬さ、赤なら熱さ、青なら冷たさ、など色のイメージにより覇気の性質をある程度変化させることが可能。船長のレベルともなれば実際に覇気を炎として具現化させることも可能。

→個人で感じる色への感覚の違いが覇気に与える影響については調査中。

 

・覇気は生命力のようなものであるため、覇気を感知することで離れた相手の気配を感じることが可能。また、より詳しく感じることでその者がどんな行動をとろうとしているかの先読みが可能。船長レベルになれば相手の思考や記憶を読み取ることも可能。

 

・覇気を感じられる精度・距離に関しても訓練次第で伸ばすことが可能。船長の全力で半径100キロほどの円の範囲らしい。参考までに、副船長の実力は現在半径5メートル。

 

・覇気は覇気で相殺でき、より強い覇気によって上書きされる。覇気使い同士の殴り合いになった場合、より強い覇気を纏う方に軍配が上がる

→また、覇気は生命力なので自身の所持する覇気より強い覇気をぶつけられると昏倒する。ただし覇気を周囲に発散するのは非常に難しく感覚的なため才能が必要。また、無形のまま発散した場合、多少の実力差では昏倒しない。

○参考実験:副船長(全力)→ラン(覇気若干覚醒済み時)=気絶まではしないが衰弱

      副船長(全力)→ウェンディゴ(覇気未覚醒時)=気絶

      船長(手抜き)→副船長(全力覇気防御時)=気絶

 

・覇気は悪魔の実の能力者を実体化させる。例:メラメラの実で炎状態の相手に覇気を纏った拳で殴って攻撃が可能。

→ただし覇気を纏った攻撃自体を回避された場合当然効果はない。

 

・なお、以上より覇気の種類をおおまかに3種類に分類する。攻防に関する覇気を「武装色の覇気」、気配察知に関する覇気を「見聞色の覇気」、使用者が限定される発散できる覇気を「覇王色の覇気」と仮称する。

 

 

ほえー。

結構長かった。

私含めみんなが数分かけて読み終えたのを見計らってナヴィが続ける。

 

 

「以上がこれまでの覇気について分かっていることです。何か質問は。――ないようですね。では本題に入りましょう。本日はこれらのことを踏まえたうえで悪魔の実の能力について色々と調査・実験を行おうという集まりです。覇気の方はまだ扱える人間が船長を除き20人中4人と少ないですが、悪魔の実の能力者は20人中17人ですから、より様々なデータが集まればよいと思っています」

 

「あー補足しておくけど、この先の航海で覇気を使える相手が障害になった時に悪魔の実の能力に頼りきりだと危ないから私からこの集まりを提案したんだよね。だからまぁ興味なくても協力してね」

 

私の言葉に、口々に「船長に協力するなんて当たり前っすよ」「船長なんだからもっとばーんと命令してくれよな!」みたいな反応が返ってくる。

んー、やっぱり気の置けない関係っていいね。

 

「とりあえず今のところ覇気に目覚めているのがウェンを除いてみんな非能力者。だから悪魔の実の能力者は覇気に目覚めにくいのかなって仮説を立ててるんだよね。実際覇気で悪魔の実の力を一部無効化できるってことはなんらかの相反する効果がありそうだし」

 

というわけで色々と実験。

サンタマリアのクルーは選考基準的に悪魔の実の能力者がとても多い。

というか非能力者は副船長のマロン、料理長のクック、槍使い平船員のランの3人だけだ。

一方能力者はロギアが6人、パラミシアが7人、ゾオンが4人いる。

 

まずは覇気が能力に与える効果の検証。

覇気の強弱を操ってみたり色々と試すことは多い。

それが終わったら次は能力者同士の能力の相互干渉。

これで覇気と同じような現象が起こったら、覇気と悪魔の実の能力は本質的に同じものと考えてもいいかもしれない。

あとやっぱり唯一能力者で覇気を目覚めさせているウェンがどうなるかだよね。

ただ、ヒエヒエの実はロギアだけど氷の性質上他のロギアのように物理攻撃を受け流せないっていう違いがあるからどうなんだろうね。

そこら辺を含めてやっぱり調査あるのみ、かなぁ。

 

 

 





・覇気チート。このための覇気≒妖力設定
・魔法チート。フランが魔法少女である設定を生かしている二次創作ってあまり見ない。今作では悪魔の妹でない分魔法少女設定が幅を利かせる
・唐突な紅魔館の外観ディスり。けっこう、紅魔艦にするかは悩んだ。艦というほど船が発達していないので諦めました
・覇気の設定垂れ流し。正直なところ武装色、見聞色、覇王色の名前の由来はこじつけられなかったので適当


ところでクルーの名前の由来。ちょっとでも覚えやすくなってもらえれば。

マロン → もちろんロマンとかけて。あと栗の家系の始祖。
ウェンディゴ → インディアンに伝わる精霊。ヒエヒエの実の能力者なので。
クック → コックから。料理人なので。
カープ → カーペンターから。船大工(失業)なので
ナヴィ → ナビゲーターから。航海士なので。
ラン → ランスから。槍使いなので。
ルミニア → もちろんルーミアから。ヤミヤミの実の能力者といえば。
他にも医者とか音楽家とか乗ってると思うけど多分出てきません。なんて適当な名前付けなんだろう。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

悲運の少女と暗闇の過去

前回のまとめ

・楽しい大航海ライフ
・覇気の設定垂れ流し





 

 

エクスナー・ルミニアはもともとラフテルで最も名誉ある職――巫女を目指す少女だった。

素質は十分で、年若く美しく聡明で心が強く男を知らない処女(おとめ)であったため、限りなく狭い門をくぐり抜け巫女候補となっていた。

 

巫女候補となってルミニアは悪魔の実を食した。

これは、巫女はなるべくフラン様に近しくより悪魔らしい存在として在るべき、またもし何かあったときに身を挺してフラン様をお守りできる力を、という理由で行われ始めていた慣習だった。

そのために悪魔の実に関しては見つかったものが常にいくつか央都にストックされていて、優先的に巫女に与えられる。

ルミニアが食した悪魔の実の能力は自身を闇に変える力であり、ロギア系ヤミヤミの実と名付けられた。

夜の支配者たる悪魔の王、吸血鬼フランドール・スカーレットに仕える者としてふさわしい能力であると周囲にうらやましがられた。

 

 

ただし、優秀なルミニアであっても最初は酷く苦労した。

悪魔の実の能力者は自身の能力をうまく制御できないと能力が勝手に発動してしまうからである。

ゾオンであれば人間形態でも耳や尻尾が生えたりしてしまう。

ロギアに属するヤミヤミの実を食べたルミニアは、食べた当初体が勝手に闇になってしまうのを制御できなかった。

例えばこれがメラメラの実やヒエヒエの実などであれば被害を考えてすぐに周りとの距離をとるということができたのだろうが、ヤミヤミの実は厄介な能力を持っていた。

 

それは、重力変化である。

いや、重力というより強力な引力だろうか。

この能力に関してはのちにフランが「光さえ吸い込むブラックホールに類似する性質」と考察しているが、とにかく何もしなくても勝手に周りの物を引き寄せて闇の中に吸い込んでしまうのである。

そしてしまいには吸い込んだ物は凄まじい重力で押しつぶされてしまい、人間であれば精神が崩壊してしまうのだ。

 

初めてルミニアが能力を制御できず暴走させてしまったとき、そこは彼女の自宅だった。

そして、どうにか能力の制御を取り戻したときには、彼女の自宅は周囲の家も巻き込むレベルで跡形もなくなっており、エクスナー家の全員、つまりルミニアの父と母、そして兄、加えて隣の家のエドガー老夫妻の五人はルミニアの闇に取り込まれ心を壊してしまっていた。

 

ルミニアは嘆き悲しんだが、意図せずとも器物損壊に殺人未遂である。

ラフテルではフランが日本のものを参考に法律を定めており、この件は明確な法律違反。

ルミニアは駆け付けた警察に逮捕された。

だが、ルミニアとしてはもう死刑になろうが構わなかった。

精神が壊れた家族や隣人はもうまともに喋る事すらできず、廃人状態。

死人も同然である。

意図せずとはいえそんな罪を犯してしまった彼女は良心の呵責に耐えられなかった。

 

ルミニアは初め、すぐに処刑されるだろうと思っていた。

精神が崩壊したエドガー老夫婦の間には離れたところに住む遺族がいると聞いていたため、彼らに謝罪ができないことが心残りだった。

ところがルミニアは普段は使われない簡易の留置所にいれられ、数日間も処刑されなかった。

これには彼女も内心首を傾げた。

 

ラフテルではそもそも悪意を持った事件というものはほとんど起きない。

住人全員が例外なく高い信仰心を持ち、法の下ならぬフランドール・スカーレットの下に平等である、という意識がある。

そして、資本主義ではなく社会主義に近い社会形態をしている。

国家宗教と社会主義が結びついた結果、ラフテルの住民同士の結束は非常に固い。

 

ゆえに信仰心を持たざる者、ラフテルの在り方に疑問を抱く者は住民の密告により地方警察の手で秘密裏に“処理”される。

どこぞの東側諸国よりもよっぽどたちが悪い。

かつてフランが評したようにある意味でこの国は国民全員が狂っているとも言える。

そもそもトップが一番狂気を振りまいているのだから何を言わんやということではあるが。

 

そのため争いと言えば男女の痴情の縺れ程度しか発生しない。

そしてもし発生した場合だいたいはその場で処断される。

軽度なら厳重注意。

重度ならその場で死刑である。

フランドール・スカーレットが住まうことを許している神の国(ラフテル)に、神に貢献できない住民は必要ないのだ。

 

 

ならば処刑されない自分は一体何なのだろう。

ルミニアは暗い留置所で一人考え込んだが、何もわからなかった。

両親と兄と隣人を五人も殺し、それもただ殺すのではなく精神だけ殺すという惨いことをした自分にふさわしい拷問処刑の用意でもされているのかと考えた。

ルミニアはそれで構わなかった。

せいぜい苦しんで死ぬことくらいしか彼らに償う方法はないと思っていた。

 

しかし、ルミニアは事件の数日後、央都セントラルの裁判所に連れてこられた。

ルミニアには何が起きているか分からなかった。

 

ラフテルの地方都市には裁判所はないが、央都セントラルにだけは裁判所がある。

これは地方警察が判断しきれない案件が発生した場合や警察そのものに問題が発生した場合、または自然災害など非人為的事故の処理などを担うためである。

 

ただし裁判と言っても検察や弁護士はいない。

複数の裁判官のもと、警察が事情を説明して判決が下されるのだ。

 

 

裁判当日、被告人席に連れてこられたルミニアは酷く驚いた。

なぜなら裁判所の最上段には憧れのフランドール・スカーレットがいたからだ。

そして、驚いたのはルミニアだけではない。

事前に知らされていなかった参加者は全員目玉がとび出るほど驚いた。

なぜならラフテルで行われる裁判にフランが顔を出したのは初めてのことだったのである。

 

事前に説明を受けていた裁判官たちも酷く緊張していた。

フランは裁判に口出しをする役職ではないが、彼女が白と言えば漆黒も漂白される。

ラフテルにおいてフランは司法権のトップに位置しているのだから。

そして裁判官たちが出した結論にフランが否を唱えることが彼らには恐ろしくてたまらない。

もしそんなことになれば彼らはラフテル中の住民から非難の目を向けられるだろう。

もしかすればその場で処刑まであり得る。

いや、処刑などされずとも彼らはその前に自罰の念から自害を選ぶ可能性の方が高いが。

 

裁判が始まった。

まずはルミニアが起こしたことの詳細が警察官の口から語られる。

その声はかすかに震えていて、彼がいかに緊張しているかが伝わる。

彼自身は裁判の行方にほとんど関係がないと言っても、フランの目の前で報告を読み上げるだけで凄まじい緊張を強いられている。

 

通常ならルミニアは問答無用ですぐに死刑になるはずだった。

しかし、現場に駆け付けた警察官が見た光景は更地になった家屋跡と、地面に倒れている人間を泣きながら揺すっているルミニアの姿。

事情を聞けば悪魔の実の能力が暴走したという。

 

警察官は困った。

これは事件として処理すべきか事故として処理すべきか。

さらにはルミニアを処刑するとして、物理攻撃を無効化してしまうというロギアの能力者をどうやって殺せばいいのか。

 

手に余る案件だと感じた警察官はとりあえずルミニアを警察署に連れて行き、裁判所に申し立てた。

 

 

「被告エクスナー・ルミニア、以上のことに間違いはないかね」

 

「……はい、ありません」

 

「つまり本事件は悪魔の実の能力の暴走によるもの、と。うむむ」

 

 

それからは裁判官たちによる議論が始まった。

悪魔の実の能力は本人に由来するものであり事件扱いにすべきだ。

いや、意思と関係なく暴走したのならば事故として処理すべきだ。

いや、制御できないこと自体本人の過ちとして考えるべきだ。

いや、何の実なのかすらわかっていない状態で食べて、食べたとたんに暴走するケースだって考えられる。

いや、いや、いや。

 

フランが見ている前で水掛け論のような展開を見せるのは望ましくないかもしれない。

だが、フランが見ているからこそあらゆることを考慮して結論を出さなければならない。

裁判官たちの議論に終わりは見えなかった。

 

ルミニアはそれらの裁判官の議論をBGMに最上段に座るフランを見ていた。

そして、フランもまたルミニアを見ていた。

ルミニアはフランをずっと見つめることが不敬なのではないかとも思ったが、その真紅の瞳に魅入られたように視線を外すことができなかった。

一方フランは何を考えているのか分からない微笑みを浮かべてルミニアをじっと見ていた。

 

 

「……あ……ア、あァ……あああぁあああアあァー!」

 

 

膠着した議論を終わらせたのはルミニアだった。

ずっとフランの瞳に魅入っていた彼女は、狂気の許容量を超えてしまったのだ。

家族と隣人の心を殺し罪悪感に苛まれ、不可解な現状に悩み、自身の行く末に絶望し、暗い留置所でただただ死を願っていた彼女の精神は既にかなり参っていた。

そこにあこがれの存在であり狂気の塊であるフランと出会ってしまった。狂気の瞳に魅入ってしまった。

 

狂った叫び声と共にルミニアの体が末端から闇と化す。

ルミニアが立っていた木製の証言台が闇に引きずり込まれバキバキと音を立てて崩壊していく。

裁判官たちは咄嗟に立ち上がり距離をとる。

警察官たちも同様に避難する。

本来ならば取り押さえるべきなのだろうが、手を出しかねた。

なにせ報告通りならこの闇に呑まれれば廃人になってしまうのだ。

 

 

「ああああアああぁぁぁあああああアアぁぁぁ!」

 

 

闇は徐々に広がり、証言台だけでなくその周りの設備をも食い散らかす。

このままではまずいと勇気ある警察官が飛び出そうとした時だ。

 

 

「面白いね。ブラックホールみたい」

 

 

フランが最上段から軽い足取りで降りてきた。

警察官が悲鳴じみた声で「フラン様、お下がりください!」と叫ぶ。

もしもフランを傷つけるようなことがあればラフテル始まって以来の大惨事だ。

 

しかし、当のフランは警察官に向けて微笑みを向けた。

 

 

「あはは。夜の支配者たる吸血鬼の私が、闇でどうにかなるとでも思ってるの?」

 

「そ、それは……」

 

 

そう言われてしまえばだれも何も言い返せない。

実際、精神的にはともかく力量的にフランを傷つけられるものなどラフテルにはいないだろう。

彼らが神は、そう言う存在だった。

 

 

「悪魔の実かぁ。どうやったら抑えられるんだろうね。こないだの剣士みたいに妖力で抑え込めるかな?」

 

 

まだ覇気が悪魔の実に有効であるという情報が出回る前である。

フランは妖力でなんとかできると思ったわけではなく、意思によって自在に操れるほぼ万能の力であり自身の吸血鬼としての力の源である妖力ならなんとかなるかなと楽観的に考えていただけだ。

加えて先日クルーの選考会でロギアに対処していた人間の操る妖力のような力――覇気というものを思い出したのだ。

 

そうしてルミニアの闇はフランの妖力に簡単に抑え込まれた。

闇が再び少女の体を形作る。

 

 

「――ああああ、あ、ああ……。あれ、私、は……」

「や。意識はある?」

「あ、え――ふ、フラン様……!?」

 

 

 

 

「さて」

 

ルミニアが落ち着いたのを見計らってフランが語りかける。

その言葉は裁判所の中にいる人全員に向けられている。

皆は一言も聞き漏らすまいと傾聴の姿勢を取った。

いうなれば神託である。

 

「まぁみんなもなんで私がここにいるのかってのはずっと疑問だったと思うけど、こぁから話を聞いて“こういうこと”が起こりそうだから来たわけ。正直に言ってさ、私は悪魔の実なんて実体のよくわからないものを簡単に食べちゃう現状がどうなの、って思ってるの。確かに人智を超えた力は手に入るだろうけど、力にはそれに見合う責任が付随すると思うんだ。いやまぁガラにもないことを話してるとは思うんだけどね、私も一応700年以上神様として生きているわけで」

 

事実、フランは過去に自分の能力の暴走で死にかけたことがある。

まだ古の地に旅立つ前、この世界に来てから半年ほどたったころ。

 

フランは“フランドール・スカーレット”の持つ能力(スペルカード)、“禁忌『フォーオブアカインド』”を使用した。

ちょうどレーヴァテインの火力調整もうまく行えるようになってきたころで、身一つで放り出された未知の島で半年のサバイバル生活を切り抜け自分の能力に自信を持ち始めていたころでもあった。

分身して作業を分担すれば楽になるだろうと軽い気持ちでフォーオブアカインドを発生させた。

 

結果、血みどろの壮絶な殺し合いが発生した。

 

禁忌『フォーオブアカインド』によって生み出された三体のフランの分身はその誰もが「自分こそが本物である」という意識を持っていた。

故に本体であるフランから作業の分担を告げられた時に「なぜ分身が本体に命令を出すのか」と喧嘩になった。

喧嘩と言っても幼女の喧嘩という見た目ほど生易しいものではない。

まだ自身のスペックを完全に開花させる前であったとはいえ、悪魔の王たる吸血鬼の能力まで使用した全力の殺し合いに発展した。

 

本体が勝ちを拾えたのはたまたまである。

状況が一対一対一対一というバトルロワイヤルの状況であったこと。

分身も本体同様能力の使用に未熟な面を持っていたこと。

朝日が昇った時偶然一人だけ日陰にいたこと。

分身がまだ妖力を十全に使えず日光に怯んでしまった隙に『ありとあらゆるものを破壊する程度の能力』で分身たちを殺せたこと。

その時までに分身の一人が既に脱落しており『ありとあらゆるものを破壊する程度の能力』で手に移動させる“目”が二つで済み、両手で発動できたこと。

 

もしこれがバトルロワイヤルではなく一対三の状況だったら。

分身が本来のフランドール・スカーレットの実力を持っていたら。

朝日が昇った時に自分も日光に晒されていたら。

分身が妖力を纏うことで日光を克服していたら。

『ありとあらゆるものを破壊する程度の能力』が効かず殺しきれなかったら。

三人が残っており両手では一人殺しきれなかったら。

 

一歩間違えばフランは死んでいた。

いや、分身に成り代わられていた。

なんとか無事に事態を収拾できたと、ほっとしたフランだったが、すぐに衝撃の事実に気が付いた。

 

生み出された分身たちは自分が本体だと思い込んでいた。

ならば、今ここにいる私――“本体”は本当に本体なのだろうか。

 

 

フランは必死に自分が自分である証明を探したが、一両日かけてもついに手掛かりは何も見つからなかった。

それはそうだ、世界五分前仮説を反証するようなものなのだから。

気が狂いそうになった。

いや、このときフランは多少なりとも狂ったのだろう。

 

 

しかしその翌日フランはまた、ふと気が付いた。

自分が何者であるか。

そんなことはもしかしたら割とどうでもいいものなんじゃないか。

だって“私”はもともと“フランドール・スカーレット”ではなかったただの一般人だったはずなのだから。

 

確かにそれはそうだろう。

だが、そのことと自分が本体なのか分身なのかについて論理的な整合性はない。

しかしそれでもフランはこの考えに至ったことで、一応の精神の安定を見せた。

 

事実はどうでもよい。

大事なのはフランがそのことをどう捉えるか。

彼女にとって自己の肯定は自己によりのみ完結した。

 

 

この事件によってフランはなぜフォーオブアカインドというスペルカードに“禁忌”の名を冠しているのかを知ったのだ。

同じく禁忌の名が冠されているレーヴァテインについても最高温度で暴発させた場合自分が一瞬でドロドロに溶ける可能性だってある。

 

この日からフランは自分の能力の制御の訓練を日常的に始めた。

その努力がめでたく実って、今日(こんにち)のフランは自由自在な妖力の操作、多種多様な魔法、『ありとあらゆるものを破壊する程度の能力』の制御、スペルカードの制御をこなしている。

今ではフォーオブアカインドで本体の操作権を失うこともないし、レーヴァテインで黒焦げ肉を作ることもない。

 

 

フランは正気と引き換えに強さを得た。

今では自分の力を“フランドール・スカーレット”の物だからという理由では信用していない。

自身が努力によって磨き上げてきたものだから頼れるのだと自負している。

努力は裏切らないと身をもって経験した。

 

だからこそフランはよくわかってもいない悪魔の実をもてはやすラフテルの現状に疑問を抱いていた。

勿論ラフテルの王ならぬ神たるフランが一声あげればラフテルの住民はそのことごとくが悪魔の実を知恵の樹の“禁断の果実”よろしく禁忌の食物として手を出さなくなるだろう。

それどころかすでに実を食べた人間全員が次々に自殺を始めるだろう。

 

だが、フランはそうしなかった。

それは悪魔の実が現状フランの脅威になるような代物ではないという認識、そしてできればこのことにラフテルの住民が自らの手で気づいて欲しいという、これまで彼ら土の民の成長を見守ってきた立場からの思いだった。

 

 

しかし、今回のルミニアが起こした事件。

悪魔の実の中には一歩間違えば周囲に甚大な被害を与える能力もありそうであるということが判明した。

加えて悪魔の実、特にロギアの者たちには物理的な攻撃や拘束が効かないという報告も受けていた。

 

ともすればラフテルが危機に陥る可能性もある。

それを懸念し、フランは今ここにいた。

なんだかんだで立派に神様やっているのである。

 

 

「まぁロギアの対策については妖力が有効みたいだから何かあれば私かこぁに声をかけてくれればなんとかするよ。他にもなんらかの対処法は考えないといけないと思うけどね。で、いままで悪魔の実に関しての法律もなかったわけで……『法律なくして刑罰なし』とまでは言わないけど遡及処罰の禁止くらいはあってもいいと思うんだよね」

 

 

そんなやりとりがあって、ルミニアはこの事件においての処罰を与えられなかった。

それでも、罪悪感に潰されそうだった彼女に、フランはある提案をした。

 

 

そうして、エクスナー・ルミニアはいまだ自分の能力と、そしてそれがもたらした罪に向き合えないまま、サンタ・マリア号に乗り込むこととなる――。

 





・唐突な重い話。巫女の話やったし今更か


ところで投稿初日から日間ランキング載ったみたいで評価に赤色付くくらい色々な人に読んでもらえました。
感謝感謝です。
原作までまだまだ遠いんですが読み続けてもらえれば幸いです。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

恐竜の島と死闘の代償

前回のまとめ

・ルミニアの重い過去


 

 

うわぁ、すごい。

目の前の光景を見て出てくるのはそんな感想だった。

小学生並の感想だった。

いや、きょうびの小学生でももう少しまともな感想を言うだろう。

 

でも、そのくらいすごかったのだ。

言葉が出なくなるくらい。

 

なにせ、私の目の前では恐竜が闊歩していた。

 

「すごいね、生きてる恐竜を見たのは初めてだよ」

 

「アレらは恐竜というのですか?」

 

「私が知ってるのと同じならね」

 

ナヴィが尋ねてくるけど、私は半ば生返事のように答えていた。

 

私たちのサンタマリア号が出航してから実に一年。

今日辿り着いた島には恐竜が闊歩していた。

見た感じティラノサウルスっぽいのやらトリケラトプスっぽいの、プテラノドンっぽいのも飛んでいる。

 

「みんな、一応私から離れないでおいてね。あれ、結構強いよ」

 

私の言葉にクルーは返事を返してくるけど、その声は震えていたりする。

当然だ、私もちょっと怖い。

 

いや、私は戦えば負けないと思う。

素手でも殺せるし、スペルカードや魔法を使うならまとめて瞬殺もできるくらいの実力差はある。

うぬぼれじゃないとは思う。

 

だけど、なんというか前世の記憶が邪魔するのか根源的な恐怖を感じる。

幻想の存在が目の前にいるというのも拍車をかけているのだろうか。

 

 

それにしても恐竜とは。

人間が生きている時期と同年代にいるということは、この世界は本格的に地球ではなさそうだ。

まぁレッドラインやカームベルトといった不思議な環境や海王類といった不思議生物がいる時点で今更ではあるのだけど。

というかそもそも人間のように見える彼らだって覇気といった不思議パワーを使えたりする時点で私の知る人間とは厳密には違うのだろう。

 

「どうしようかなぁ」

 

「この島の調査をするのは骨が折れそうですね」

 

「そうだねぇ、でも植生とかもかなり違うみたいだしなぁ」

 

正直なところ、私は恐竜がナマで見れただけで結構満足しているのだけど、この航海の目的から言ってここで帰るのはなんか違うんだよね。

かといってクルーの皆を危険にさらすのは船長としてどうなのっていう。

草食恐竜はともかく、あのティラノっぽいのはクルーの中で一番強いマロンが挑んでも返り討ちだと思う。

 

とと、そんな事を考えていたら一体の恐竜に目を付けられてしまった。

ティラノっぽい恐竜がマロンに攻撃してきたので、私は仕方なく腕を振るった。

当然、耐えられるはずもない。

恐竜は破裂した肉片入り血袋と化した。

 

「うおう……流石船長……」

 

「いや、これは結構グロ……」

 

「うっ……」

 

ああ、ちょっと手段を間違えたかも。

ルミャなんか吐きそうな顔色をしてる。

ああ、こんなところも吸血鬼になって感性が変わっちゃってるなぁ。

私はむしろ飛び散る綺麗な赤色に興奮すら覚えているのに。

 

というかちょっと恐竜の血を飲んでみたい。

どんな味がするんだろう。

 

「――キャプテン、何体か他にも向かってきますぜ」

 

「血の臭いに寄ってきたのでしょうか。船長、どうしますか?」

 

ちょっと悩む。

この島の生態系を壊すのは少し躊躇する。

ただまぁ、向かってきたのは向こうからだし。吸血鬼である私が恐竜の絶滅を心配してあげる謂れもない、か。

そうだね、絶滅したら博物館に化石で飾って、「フランドール・スカーレットに絶滅させられた」って説明文でもつけてあげよう。

 

「よし、刃向かうものは殲滅! “禁忌『恋の迷路』”」

 

スペルカードを発動させる。

途端に周囲に妖力でできた壁が構築されていく。

恐竜の体当たり程度ではびくともしない壁だ。

恐竜たちは次々分断されていき、臆病な恐竜は逃げ始めた。

とりあえず、目の前には一体の肉食っぽい大型恐竜が残った。

その眼には恐怖もあるけどそれよりも強い敵意と食欲が浮かんでいる。

 

普段は大型の草食恐竜を食べているだろうし、なんで小さくて食べごたえもなさそうな私たちに食欲を向けるんだろう、と不思議だったけど、よくよく恐竜を見てその疑問は氷解した。

この恐竜、わずかだけど妖力――覇気を纏っている。

なるほど、覇気とはつまり生命エネルギー。

覇気を感じ取れるならそこらの恐竜よりも私やマロンの方が食べごたえがあるように感じるだろう。

ん、でも私は普段妖力を体の内にしまっているので感知できてないのかな。

さっきもマロンに襲い掛かってたし。

 

「とりあえず何事も経験。20人全員でその恐竜を倒すこと。やれる?」

 

「やります、キャプテン!」とウェン。

 

「任せとけって、ボス!」とラン。

 

「応ともさ、お頭!」とカープ。

 

「無論だ、船長」とクック。

 

「ふええええ」と情けない声を出しているのはルミャ。

 

ルミャ以外からは力強い返事が返ってくる。

まぁヤミヤミの実は直接戦闘むきの能力じゃないからね。

ヤミヤミの実は物理攻撃を受け流せるという強みのあるロギアに属しているくせに、その(じつ)まったく受け流せないという悲しい能力を持っている。

それどころか実を食べる前と比べて、攻撃が何倍も痛いらしい。

これは多分相手の攻撃の衝撃とかを必要以上に吸い込んじゃってるんだろうね。

“痛み”まで吸い込んでるから激痛が走る。

一応ロギアの特性は失われていないから体に傷はつかないみたいだけどね。

 

まーそれ以上にルミャが闘いたくないのは精神的なものが大きいと思うけど。

もともと戦闘要員で連れてきたわけじゃないからそこはいいんだけどさ。

 

「危なくなったら呼んでね。死んでなかったら助けてあげる」

 

まぁそれは死んでしまったら諦めるということでもある。

最悪船を動かせる人数残ったら大丈夫だしね。

 

さて、私は未知の体験――恐竜への吸血行為を始めてみよう。

 

 

 

 

船長が去った後、残された俺たちは目の前の恐竜という大型陸上生物と死闘を繰り広げた。

 

まず、俺の剣だが、そのままでは頑丈な表皮を削り取るのも困難で、覇気を纏わせないと斬るのは難しかった。

俺一人だったならばかなりの長期戦を強いられた相手だろう。

加えてこの巨体での一撃を喰らえば一発でダウンしてしまう可能性は非常に高い。

勝つのは困難といえるだろう。

 

しかし、俺には頼れる仲間がいた。

 

ウェンはヒエヒエの実で相手の素早い移動を阻害してくれるし、ランの覇気を纏った槍は確実にダメージを与えている。

威力の点で最も大きいのはクックの一撃だ。

覇気を纏った拳は表皮を貫き体の内部で威力を爆発させる。

浸透勁というんだったか。

俺も教えてもらったがなかなかできるようにはならない。

とにかく、その一撃が入った時には恐竜もよろけて呻いていた。

 

勿論こちらの被害もゼロではない。

一番のピンチだったのは巨大な咆哮で皆の動きが止められてしまったことだ。

あれは覇王色の覇気にとてもよく似ていた。

フラン様の物ほどではないため、皆気絶まではしなかったが、一瞬体が硬直してしまった。

そしてその隙の爪での攻撃で二人やられた。

重傷だったため後方に下げて、船医が治療を施している。

他にも牙を躱しきれずに一人、振動に足を取られてその隙にやられたのが一人、ロギアだからと油断してやられたのが一人。

相手が薄くとはいえ覇気を纏っていることに気づかなかったのだろう。

これは情報を皆に共有しなかった副船長の俺のミスでもある。

そうして船医と戦えないルミャを含めてすでにメンバーの三分の一、七人が戦線を離脱している。

 

当然、その分残った者にかかる負担は大きい。

くそ、フラン様が軽く屠った相手に20人がかりで手こずるってのは情けねえ。

 

言い訳がましいが、せめて俺の愛剣があれば――。

今の剣も悪くはないのだが、やはり愛着があって長年使っていた剣と比べると覇気の(とお)りが全然違う。

 

「GYAAAAAA!」

 

だが、相手もかなりの血を流して激昂している。

動きも鈍ってきているし、このまま押し切れば行ける。

 

……そう、油断したのが悪かった。

意識をそらしたのは一瞬。

だが、致命的だ。

気が付けば俺の目の前には相手の尾が。

今までの戦闘で一度も振るわれなかったそれは、思考の埒外にあった。

避けられない距離、まずいと思う余裕すらない刹那の猶予。

俺は死を覚悟した。

フラン様を呼ぶことさえ思いつかなかった。

 

「マロンさんっ!」

 

その刹那に飛び込んできたのは、いままで戦闘には参加しないで後方支援に徹していたルミャだった。

彼女の事情についてはフラン様からクルー全員に伝えられている。

能力の暴走で家族と隣人を精神的に殺してしまった悲運の少女。

その事件によって優しい家族も巫女としての輝かしい未来もすべてを失った。

 

生来の性格とその事件により他者を傷つけることを恐れる少女をフラン様も俺たちクルーも無理に戦闘に参加させようとはしなかった。

そもそも自ら立候補してクルーになったわけでもないのだから。

 

加えて、屈強な体を持つ男である俺たちクルーと違って、彼女は酷く華奢だ。

強く抱きしめれば折れてしまいそうなほどの体。

もちろんフラン様もそうだが、フラン様はその身からあふれ出る存在感がそうは見せない。

ルミャは違う。

彼女は、根本的に戦う者の体ではない。

 

だから、この戦闘でも彼女が戦いに参加しないことを責めるクルーはいなかった。

むしろ、目の前の巨大な敵の恐怖に耐えてけが人の治療にあたっている姿を賞賛すらしていた。

 

ゆえに、咄嗟に飛び出して俺をかばったことにその場の全員が驚愕した。

 

ルミャが恐竜の一撃を受けて吹き飛ばされる。

小さな体がボールのように軽々と吹き飛び、周囲にあった木に激突した。

死んでいてもおかしくない。

強力な一撃をもろに全身で受け止めたのだ。

彼女は自然系(ロギア)の能力者ではあるが、今の一撃は相手も覇気をまとっており、まごうことなき直撃。

 

「――ルミャ!!」

 

俺は叫び、彼女のもとに走り出そうとする体を必死に引き留めた。

ここで俺が行って何になるというのか。

自分の身すら守れず、幼い少女に身を挺して庇わせる無能の俺が。

今俺に出来ることは、ただ、目の前の害獣を倒すことのみ――!

 

顔が熱かった。

いや、顔だけではない。

頭が、そして次第に全身が熱を放ち始めた。

頭に血が上っているわけではない。

彼女が殺されたかもしれないということには激昂しているが、同時にひどく冷静で、冷淡な思考も持ち合わせている。

単純に、今までにない力が溢れてきているのだろうか。

――今なら、()れる!

否! 殺らなければならない!

 

「ウェン、ラン、クック、10秒足止めを頼む!」

 

俺の唐突な言葉にも、彼ら三人はいち早くルミャがやられた衝撃から立ち直って行動に移してくれた。

他のクルーはまだ硬直が抜けきっていない。

 

三人が決死の足止めをしている間、俺は目を閉じただひたすらに集中していた。

借りていた剣は申し訳ないが捨て置く。

馴染まぬ剣よりも、今は。

 

思い出すのは、フラン様が行っていた覇気の物質化。

形状と、質感と、色彩と――現実にソレがあるかのように頭の中で思い描く。

目を開ければ、今まで成功する気配を微塵も見せなかったが、予感通りこの土壇場で、一発で成功した。

原因は、ルミャが目の前で俺をかばってやられた事だろう。

なぜそれで俺の覇気の操作技術が上がるのかはわからないが――仇をとれと、言われている気がした。

 

「うおおおおおおお!」

 

叫び、全力の刺突を恐竜に叩き込まんと地を駆ける。

三人は俺の指示通り敵の足止めに徹してくれていた。

クックの一撃が足に入り、奴がふらついた。

好機――やれる、全力の一撃を!

 

だが、そこで恐竜はぐっと両足に力を込めた。

それはこの戦闘のさなか何度も見ている動作。

あの動きの後には筋肉のばねを使った跳躍が来る。

今まではそれを避けるだけで良かった。

だが、今動かれては練り上げた決死の一撃が躱されてしまう!

くそ、あんな体勢からでも跳べるのか――。

 

内心で激しい焦燥を感じながらも、俺の足は既に止めることのできない速度になっていた。

躱されればそれこそカウンターで殺される。

チャンスに(はや)った。

物質化した覇気を長時間は維持できない、そこまでの技量は俺にない。

それに焦って軽率な行動をした報いか。

一度ならず二度までも失態を犯そうとしている自分に嫌気がさす。

 

だが、そこで再び奇跡が起こった。

足に力を入れた恐竜は踏ん張りがきかなくなったかのように地面に崩れ落ちたのだ。

否、奇跡ではない。

それは、明確な人間の、強靭な意思の発露だった。

 

恐竜の右足には黒い靄が絡みついていた。

それは、吹き飛ばされたはずの、彼女の力。

重力負荷をかけ恐竜を転倒させた、ヤミヤミの実の力だった。

 

彼女はまだ、生きている。

 

それが分かっただけで、俺の手に持つ覇気の剣はさらに強固になった気がした。

 

「せやあああァァァッッッ!」

 

ドンッ!!!

 

俺の剣は見事に恐竜の首を断ち切り、敵は大量の血を吹き出しながら動かなくなった。

俺はそれを見届け、すぐさま彼女の下に向かった。

 

すでに船医が看てくれていたようで、怪我をしている部分には包帯が巻かれていた。

だが、包帯の白の下からはすぐさま赤が浸食してきている。

声をかけるが、意識はもうろうとしているようで明確な返事は返ってこない。

――この状態で能力の遠隔発動をして、二度にわたって俺を助けてくれたのか。

 

船医に尋ねるも、首を横に振るだけだった。

曰く、処置はしたが傷がふさがらず、このままでは出血多量で危ないという。

 

それを聞き、俺は全力で、島中に響き渡るような大声で叫んだ。

 

 

「フラン様ぁぁぁああああああアアア!!」

 

「――どうしたの?」

 

俺の呼びかけに、転移魔法が使えるフラン様は一秒と掛からず応えてくれた。

恐らくは、俺がピンチに陥ったあの時にも叫べば助けてくれたのだろう。

この方は、そう言う方だった。

 

「ルミャが、傷がふさがらないんです、助けてやってください!」

 

俺は普段と違い、敬語でフラン様に懇願した。

今は、サンタマリア号の船長ではなく、ラフテルの神フランドール・スカーレット様こそが必要だった。

 

「いいよ。――ん、ただ、この状態は普通の治癒魔法じゃ治らないね」

 

ルミャに手を当てたフラン様は数秒してそう言った。

俺にはそれが絶望的な宣告に聞こえた。

 

「治らないんですか」

 

「生命力が漏れ出しすぎてる。普通の治癒魔法じゃもたないね。一つ治す方法はあるけど、それをやるとルミャはちょっと人間じゃなくなっちゃうかな。本人の了承なしに人間やめさせちゃうのはちょっと「お願いします! 責任は俺がとります!」

 

俺はフラン様の言葉に被せるように叫んだ。

不敬だなんだと考えていられる余裕はなかった。

俺の腕の中の少女は今も刻一刻と冷たくなっている。

俺を二度も救った少女の命の灯は消えかけていた。

 

「……ん、わかった。一生責任とってあげてね」

 

そう言うとフラン様はルミャの首筋に噛みついた。

なぜここで吸血を?

そう思ったが、疑問はすぐに解消された。

吸血とは逆にフラン様の妖力が噛み跡からルミャに流れ込んでいるのを感じる。

覇気とは生命エネルギー。

それも、フラン様の妖力ともなれば人間の覇気とは全く性質の異なる高純度の物だ。

なるほど、これなら確かに失った血や生気を補って余りあるだろう。

 

――同時に、思い至る。

フラン様の妖力が流れていくということはこぁ様と同じような眷属化ではないか。

人間ではないものになる、というのはそういうことか……。

 

治療は一分ほどで終わった。

フラン様がルミャの首筋から口を離したときには、すでにルミャの体温や血の気は元に戻っており、正常な呼吸をしていた。

船医が看たところによれば傷跡すら治っていたそうだ。

 

フラン様は他の重傷者たちにも治療を施した後、また迷路の外へと飛び去って行った。

 

俺には力が足りない。

大切な仲間たちも守れずに、何がロマンだ。

俺の命を二度も救ったルミャに、返せる恩は。

 

 

 

 

「あー結構おいしかった」

 

フランがマロンたちクルーの元へ戻ってきたのは日が暮れてからだった。

 

「なにか収穫はありましたか、船長」

 

ナヴィの言葉に、フランは満面の笑みで答える。

 

「いやー、動物の血も試したことはあるんだけど、獣臭がひどくてとても飲めたものじゃなかったんだよね。でも、恐竜はかなりいい味してた。人間のと比べるとコクが違うね。やっぱり歴史の積み重ねが味にも影響するのかな」

 

そう語るフランはとても楽しそうだった。

 

「抵抗した恐竜は全部殲滅したから、今日は船の中で休んで、明日はこの島を探検してみることにしよう。ざっと見た感じやっぱりこの島は他の島から隔絶されて時代の進みが極端に遅いみたいだね。面白い発見もありそうだよ」

 

「とりあえず明日の事は副船長や皆に伝えておきます。……それで、船長、ルミャの事ですが」

 

「うん、どうかした?」

 

「体調には問題ないのですが、こぁ様のように悪魔になるのでしょうか」

 

「んー、いや、多分それはないかな」

 

「ふむ?」

 

「こぁの時は加減が分からなくて間違って眷属化しちゃったんだよね。でも今回はちゃんと調整したから眷属ってまではいかないかな。翼が生えたりとか見た目が極端に変わることもないと思うよ。送る妖力もルミャの存在を上書きしない程度にとどめたから、せいぜい体が頑丈になるとか、寿命が延びるとかくらいかな。まぁ、確実に人間は辞めちゃうね」

 

「そうですか、わかりました。そのことも副船長には伝えておきましょう」

 

 

 

 

いやぁ、この島はほんとにわくわくさせてくれるね。

私は恐竜が棲む太古の島を探検しながらそんな事を思った。

 

昨日はクルーにも経験と思って恐竜との闘いをさせてみたけど、犠牲者は誰も出なくてよかったよかった。

 

今日は動ける人たち全員でこの島の探索。

昨日怪我をして動けない人たちは船においてきた。

この戦いにはついてこれそうもない――って別に戦わないけどね。

暴れる恐竜は昨日大体駆逐したから、今残っているのは草食のと、肉食の中でも慎重な奴らだけ。

まぁサンタ・マリア号なら恐竜に噛まれても傷一つつかないし、安全面に関しては完璧。

 

でもってこの島だよ。

恐竜がいるだけでもびっくりだけど、植生とかもよくわからないなりにジュラ紀とかそんなイメージをさせる。

周囲の島と完全に孤立した地理環境でガラパゴス諸島みたいになってるのかな。

ガラパゴス諸島の正式名称はコロン諸島。

名前の由来は私たちの船サンタ・マリアに乗っていたコロンブスが語源なわけで、そう考えると色々と運命めいたものを感じる。

 

あれ、でもガラパゴス諸島は別に進化に取り残された島じゃないっけ。

ダーウィンの進化論の発想の元になったのは覚えてるんだけど。

単に外界と別の進化を遂げた島だっけ?

 

まぁそんなのはどうでもいいや、重要なことじゃない。

私のお粗末な知識を披露してどうするのって話だよね。

あーあ、この世界にインターネットでもあれば私も国づくりに苦労したりはしなかっただろうに。

 

でもよく考えると私って記憶力めちゃくちゃいいよね。

なにせ前世のことなんてもう700年以上前のことだし、よく覚えてるなって感じ。

吸血鬼になって記憶の劣化がストップしてるのかな。

 

ありそう。

吸血鬼は長命種だし記憶力は人間の比じゃないよね。

だって100歳超えたらボケてくる吸血鬼とか……うん、カリスマが足りてない。

 

 

そんなどうでもいいことを考えながら島を探索する。

一番役に立っているのはマロンだ。

 

マロンは昨日ルミャが怪我したことでかなり落ち込んでいたけど、一晩寝て大分復活したみたい。

植物に詳しいという特技でもってこの島の未知の植物を片っ端から採取している。

彼の詳しいというのは自慢でも何でもなくてほんとに詳しい。

植物学者の師匠から教えてもらったって言ってたけど、本人も植物学者を名乗れるくらいには知識がある。

まぁ本人は名乗るなら植物学者じゃなくてロマンを求める探検家って名乗るだろうけど。

 

さてさて、他にはどんな新発見があるだろう。

未知の探索って言うわくわくがとまらない。

マロンじゃないけど、ほんとロマンがある。

ああ、航海に出てよかった――。

 






恐竜
原作のX・ドレークがゾオンの古代種大型肉食恐竜の悪魔の実の能力者っぽいので、ワンピース世界にも恐竜っていたんだなという発想から。覇気を使うのももちろん彼のリスペクト。来歴含めカッコいいですよね、彼。ドジっ子だし(ぇ
追記:そういえば原作でもブロギーとドリーのところで恐竜でてましたね。

一年後
この作品は原作前が5000年もあるのでバンバン飛びます。その間もロマンあふれる冒険はずっとあったということで脳内補完してください。次話でまた10年飛びます

覇気の物質化
原作でもそのうちやるんじゃないかと思っている。そこまでいかなくても覇気を使って物質化したロギアとか

ルミャ負傷
過去話が出てきたらだいたい死亡フラグ。無事回収。なおフランのおかげで死亡はしていない模様


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

10年の軌跡と深海への挑戦

前回のまとめ

・恐竜との死闘
・ルミャ負傷、半人外化


 

 

航海開始から実に10年。

カームベルトの間の海域をあっちにふらふらこっちにふらふら、クルーの死や、現地住民の新クルー入りなどいろいろなことがあった。

 

そう、現地住民に会ったことが大きいと思う。

文明レベルは低かったけど、紀元前の西洋諸国もしくはエジプトあたりくらいの文明はあった。

言葉が通じなかったのが残念だけど……。

 

そんなこんなで10年もたったのだけど、その間にクルーにもいろいろと変化があった。

前述のとおり未知の島への上陸時に不慮の事故を迎えてしまったクルーもいるし、未知の病原菌をもらってしまって病気で死んだクルーもいた。

わたしは吸血鬼で病気にとかならないからそういう治療の魔法を開発していなかった。

怪我はまだしも病気になるという発想がなかった。

 

ラフテルを作った頃なんかは衛生状況が悪いと病気になるから、とかいろいろ考えてたはずなのにね。

長いこと吸血鬼をやっているからか、思考もそっち寄りになってきてるのかな。

 

まぁ一人が発症した時点で空気感染とかを防ぐように魔法で気流を調整したりしたのが良かったのか他に発症者はいなかった。

 

それでも悪いことばかりではない。

現地の住民がクルーとして新加入したりね。

中でも特大にハッピーなのはマロンとルミャがくっついたことだ。

 

恐竜島での一件で二人の仲は急速に接近して、それから三年後には挙式した。

その間にもいろいろなゴタゴタはあったけど。

 

例えば、ラン。

彼もまたルミャに好意を抱いている一人だった。

実際、ランの方からルミャに告白したこともあったらしい。

青春だねぇ。

 

ところがどっこい、彼には悲しい宿命があった。

ランの苗字はエドガーという。

そう、彼はルミニアが殺してしまった隣人の老夫婦の孫だったのだ。

実際自分でも気が付いてなかったみたいで、ランの苗字を聞いたルミャが質問して初めて事実が判明したほど。

加えて彼が楽観的で陽気な人物ということもあってランはルミャの事を知ってからも全く恨んでいなかった。

 

しかし、ルミャの側は彼に対して罪悪感を抱き続けた。

告白されても、負い目なく彼と付き合える自信がなかったそうだ。

このあたりは私もルミャに相談された。

あまりいいアドバイスを贈れた気はしないけど。

なにせわたし700年以上恋愛とかしたことないし……。

さすがにこぁが迫ってきたことを数には数えたくないし……。

 

まぁそれはともかく、そんなうだうだとした関係が続いていたところで、横からルミャをかっさらっていったのがマロンである。

漁夫の利というか、トンビが油揚げというか。

まーしばらくは酷かったね。

船の中もかなりギスギスした。

 

結局はルミャが真摯に愛を説き続けたマロンに靡いて、ランが諦めることで決着はついたんだけど。

なんとも可哀想なラン。

私含めクルー一同で盛大に慰めたよ。

彼もまぁ引きずる性格じゃなかったのは幸いかな。

 

それで、結婚式は船の中で盛大にやった。

私としては教会結婚式のイメージだったんだけど、神父さんとかもいないしそこらへんは実に適当。

実際、神たる私が目の前にいる神前結婚もかくやという状況なわけで、多少の不備は全く気にならないよね。

この頃になるとランも素直に心から祝福していて、彼はほんとにいい好青年だなあと。

いつかいい人が見つかるよ、きっと。

 

結婚式から七年経って、今では二人の子供もいる。

正直私の妖力を得て、半妖化してるルミャに子供できるのかなと心配だったんだけどいらない心配だったみたいで、無事に男の子と女の子の二人が生まれた。

今では船内で元気いっぱいに走り回る七歳児だ。

……ってことはあいつら結婚する前からやる事やってたってことなんだよね。

 

うむむ、それは別にいいんだけど、私も一応女の子なわけで。

もうすでに700年以上処女を守ってきているのでどうなのって感じ。

化石だよ化石。

絶対この世界に私の同類(きゅうけつき)っていないよね。

生涯独身かぁ……はぁ。

かといってそこらの男を捕まえるのもどうなのって感じだし。

こぁに至っては同性とか以前に、彼女は私の眷属なわけで自慰に近しいものを感じる。

虚しい。

 

まぁ私は孤高の吸血鬼だからね! 仕方ないね!

吸血鬼になってから性欲を感じたことないし。

 

さてと、そんな戯言は置いておいて、今は目の前に迫った状況をどうしようかって言う。

 

「キャプテン。やっぱり登っていくのは無理じゃないかな」

 

「だよねぇ、船も置いていくことになるし」

 

航海から10年、初めて航路上の問題が現れた。

いままではどんなに危険な海域でもサンタマリア号の力をもってすればなんてことはなかった。

でも流石に今回ばかりは無理だ。

 

目の前には左右に遥かに広がる赤い土の大陸(レッドライン)

そう、私たちは今レッドラインにぶち当たってこれ以上先に進めないという状況に陥っているのだ。

 

航海士のナヴィの見立てによると、このレッドラインはラフテルの南東にあったレッドラインの裏側、ということではないらしい。

いままでの航海で星の位置との関係などからこの世界が球体であることは分かっている。

その前提から考えると、このレッドラインという赤い大陸はこの世界をぐるりと一周するように存在しているみたい。

つまり、私たちはこの世界を半周してきたということ。

世界一周まで半分の道のりを踏破したことになる。

 

だが、そこで詰まってしまった。

さすがのサンタマリア号もてっぺんさえ見えないレッドラインを空飛んで超えていくのは無理だ。

 

「もう無理矢理ブチ抜いちゃおうか。全力の大魔法打てば貫通させることもできると思うけど……」

 

「いやいやいや、キャプテン、それはまずいよ。下手したら地形が変わる程度じゃすまないって」

 

ウェンの言葉に周りの皆も激しく同意する。

むう。

首振り過ぎ。

とりあえず探査魔法でも打ってみるかな。

 

「んー、このまま戻るのもアレだし、なんならカームベルトを突っ切ってレッドライン沿いに一周してみねえか? どこかで切れ目があるかもしれないし」

 

「一考の余地はあるな。しかしラン、カームベルトでどうやって船を動かす気じゃ?」

 

「そこはほら、あれだよ。ボスの魔法で……」

 

「つまり何も考えていないわけですね。これだからあなたは単細胞と呼ばれるのです」

 

「単細胞って呼ぶのはナヴィだけだろ!?」

 

わーきゃー騒いでいるクルーを尻目に探査魔法を走らせていると、びっくりの情報が入ってきた。

え、なんで。

 

「ちょっとちょっと、みんな。ここの海凄く深い」

 

「はい? それがどしたんだ、お頭」

 

「うーん? 俺も船長の言いたいことがいまいちわからんな。ナヴィは分かるか?」

 

「……この大陸の下に何かあるということですか、船長?」

 

「わかんないけど、海底が見つからない。今打ってる探査魔法はソナーみたいに反響で調べてるんだけど、反応が全く返ってこないの」

 

「しかし海底となると行く方法がありませんね」

 

「……いや、空を飛ぶよりは現実的かも。船を基点に空間魔法で空気の膜を張って潜れば……制御はそこまで難しくないだろうし……多分低温と水圧は耐えられる……ああ、でも空気膜張ったら沈まなくなっちゃうか。ううん、重力軽減魔法を一時的に解けば沈むかな。あー海王類に襲われたら……」

 

うむむむむ、ここまで頭を使うのは久しぶりだ。

でもサンタマリア号で深海を探検するにあたっての技術的課題を魔法でなんとかする。

その思考実験は面白いかも。

使える魔法のバリエーションも広がるし……。

 

「よし、みんなあと三日頂戴。もう少し詳しく調査して、いけそうなら行く。それまで自由時間で遊んでていいよ」

 

「ですが船長が仕事をしているときに私たちが遊んでいるというのは……」

 

「いいのいいの。――ちょっと本気で挑戦してみる。しばらく一人にしといて」

 

 

 

 

当初三日だった調査予定は大幅に伸びて一週間かかった。

だがその努力は報われ、フランはレッドラインの下、海底1万メートルの場所に通り抜けられる巨大な穴とそこに存在する巨大な生命反応の情報を得ていた。

しかもその生命体は人間でも海王類でもないようなのだ。

これでテンションが上がらない方がおかしかった。

 

船を包む空気の膜や、海底へ沈む際の動力など様々な課題も魔法を駆使して解決した。

いざというときの保険に船ごと地上へ送還する広域転移魔法の設置も完了している。

あとは乗り込むだけである。

 

「いざ、海底1万メートルへ!」

 

海底1万メートル。

これがどれほどすごいことなのか、クルーは全く分かっていなかったが、フラン自身はよく理解していた。

 

フランの前世において地球での最も深い深海の深度は1万1000メートルほど。

日本の目の前にあるマリアナ海溝のチャレンジャー海淵である。

その深度まで有人潜水艦が潜れた記録はほとんどなく、その技術的難度は宇宙へ行くのとさほど変わりがない。

数少ない記録も、海底へもぐるための専用の潜水艦を現代科学の粋を集め何年もかけて開発し打ち立てた記録だ。

対してフランはあろうことか()()をその深度まで、もしかすれば更に深いところまで潜らせようというのである。

正気の沙汰ではない。

 

加えて深海の水圧はすさまじい。

海中では水深が10メートル増すごとに水圧が1気圧ずつ増える。

水深1万2000メートルなら1201気圧だ。

つまり、1平方センチ当たり約1.2トンもの力がかかる。

さすがのフランでも生身では一瞬で潰されてしまうであろう驚異の圧力である。

専用の潜水艦はこの恐ろしい圧力に耐えるための様々な機構と工夫を有している。

対してフランは船の周りに空気の膜を張ることで何とかしようとしているのである。

正気の沙汰ではない。

 

まったくもって狂気の思い付きである。

だが、それでも、それらの問題を解決してしまうのが彼女の用いる魔法、超常の技術だった。

 

フランの用いる魔法は“フランドール・スカーレット”が魔法少女であることに由来する、もともと訓練なしに使えた基礎的な魔法の仕組みを自身で研究・解明し、発展させたものだ。

ゆえに今回用いるような空気の膜を張る魔法などは一から理論を組み立て、試行錯誤の末に完成させている。

その技量はすでにどこぞの紫の喘息魔女にも匹敵するだろう。

 

それは驚くべきことかもしれないが、もともとフランの頭の出来は悪くない。

加えてくだんの魔女が100年少々しか生きていないのに対してフランは実に700余年の経験がある。

結果、三日はオーバーしたものの、一週間という期間で見事にこれらの魔法を組み上げていた。

 

 

サンタマリア号の見た目は、シャボン玉に包まれたまま海へと沈んでいく帆船。

なかなかに奇妙な光景ではあったが、それを外から見る人間はいない。

船はゆっくりと海底へと向けて沈んでいった。

 

「船の名前タイタニックにしても良かったかも。マロンとルミャであのポーズを……」

 

「なんかいったか、船長?」

 

「いや、なんでも。にしてもみんななんで甲板に出てるの?」

 

「いやぁ、海のこんな深い場所まで潜るのは珍しいからな。みんな興味津々だよ。かくいう俺も興奮しっぱなしだぜ。いやあ、この眺めはロマンだ」

 

「まぁたしかにそうかも。でもそろそろ海上からの光が届かなくなるから真っ暗になるよ」

 

言われてフランが辺りを見回せば色とりどりのとても綺麗な光景が広がっている。

このあたりは熱帯に近い気候だからか熱帯魚のようにカラフルな魚もたくさん泳いでいる。

ちなみに熱帯魚がカラフルなのは周囲にある珊瑚礁に紛れるため、などと言われているが、それを裏付けるように派手な色彩の珊瑚礁も多く見える。

また、時折海王類が姿を見せるが、サンタマリア号を襲おうとはしない。

これはフランのかけた隠ぺい魔法の効果によるものだ。

 

クルーらは初めて見るそれらの光景にはしゃいでいたが、すぐにフランの言う通りあたりが暗くなり始める。

水深が10メートルを超えたあたりで視界が青に染まっていく。

光の波長の違いにより、赤い光は青い光より多く水分子に吸収されるためである。

そして、100メートルも潜れば届く光は地上の1%なためかなり暗くなり、200メートルを超えたあたりで色の判別が難しくなるほどほとんど視界は効かなくなる。

400メートルを超えればそこは完全な暗闇。

人間の眼では何も見えない暗黒の世界である。

 

クルーらは豪胆な人間ぞろいだ。

そもそも資質がある一握りの人間が、10年間もの時には命を懸けた未知の冒険をこなし、生き抜いてきた。

だが、そんな彼らでも何も見えない暗黒の世界には僅かながらも恐怖を抱いたらしく、一人、また一人と無言で船室へと入っていく。

 

甲板に残ったのは、吸血鬼の視力でいまだあたりの様子が見えているフランと、闇に馴染みのあるルミャ、そしてマロンの三人だけだった。

マロンはもう全く見えなくなった周囲を見回して、呟いた。

 

「これが深海か……完全な暗闇がここまで怖いなんてな。お前はいつもこんな光景を見てるのか?」

 

「いやいや、そんな情けない顔しないでよマロン。私は確かにヤミヤミの実の能力者だけど私が闇になっていても見える光景は普通だよ。むしろ能力使うたびにいつもこんな暗闇になってたらトラウマものだよ」

 

「むしろ敵を吸い込んだ時に、敵がこの暗闇に囚われるから精神を……あ、スマン。無遠慮だったな」

 

「……気にしないで。この10年、自分の罪とはしっかり向き合ったもの。もう私は能力を暴走させることもないし、あなたが――大切な人が危険ならこの能力を使うことにためらいはないよ。ラン君のおじいちゃんとおばあちゃんには本当に申し訳ないけれど……」

 

「――大丈夫、お前が闇に潰されそうなときは、俺が支えるよ。まだまだ先は長いんだ。二人でゆっくり、罪を償っていこう」

 

「……うん、ありがと、マロン」

 

どちらからともなく抱きしめ合いいちゃいちゃし始める二人をじとっとした目で見てから、フランは音も気配もなくそっとその場を離れる。

あの様子では近いうちに熱い口づけが乱舞するだろうと思ってだった。

ちなみに、経験則からくる判断である。

この二人は子供ができてからもこの調子だった。

クルーの前でもおっぱじめるから手に負えない。

 

「……いいよいいよ。前世でも結局独り身だったし。どーせこの世界でも私はぼっちですよーだ。リア充ばくは――って私が言ったらほんとに爆発させちゃうもんなぁ。……ま、二人が幸せそうならいいや」

 

見張り台に腰かけたフランは一つため息をついて、頭を振った。

可愛い帽子が左右に揺れる。

 

「それにしてもこの海。ほんとに不思議だよねぇ」

 

フランがこのレッドラインにぶつかった時に、すぐに探査魔法を使わなかったのは魔法の存在を思いつかなかったからではない。

大陸にぶつかった時、その下に通り抜けられる穴が開いているなど誰が想像できるだろうか。

加えて問題なのは、その穴が恐ろしく深い位置にあるということだった。

 

「もう深海6000メートルを超えた……どう考えてもおかしい。大陸の直近に海溝レベルの穴があるってどういうことなの。たしか6000メートル以下の深海は地球上でも海底面積の1%とかだったと思うんだけど……あ、もしかしてこの世界って地球よりかなり大きい惑星の可能性がある? 航海記録もうちょっと真面目につけておけばよかったかなぁ。ナヴィに聞いたらこの世界の大きさ分かんないかな」

 

砂糖を溶かしたような甘い空気からの現実逃避か、フランはそんなことをぶつぶつ呟きながら黄昏(たそがれ)ていた。

すでに周囲の様子は吸血鬼の眼をもってしても完全な暗闇にしか見えない。

深度100メートル程度ではフランの視界はまだ効いていた。

だが、1000メートルを超えてしまえば光は全て吸収されてしまい、フランの眼にも何も見えなくなる。

 

吸血鬼となってからフランは、新月の夜ですらはっきりと周囲を見渡せていたため、この世界に来てから、実に700余年ぶりとなる暗闇である。

 

「懐かしいなぁ。前世の夜ってこんな感じだっけ。……いや、電気とかでもっと明るかったかな。ここまで真っ暗なのはもしかして初体験?」

 

夜の支配者たる吸血鬼の彼女にとって暗闇とは恐れるものではなく制するものである。

恐怖心などは微塵もない。

ただ、あたりにいるであろう深海魚などを見れないことが残念だった。

――ちなみに、魔法やスペルカードを使えば光源を作ることなどお茶の子さいさいなのだが、そのことには思い至っていない。

 

フランはしばらくその新鮮な暗闇を楽しんでいた。

ところが、深度9000メートルを超えたあたりから薄ぼんやりと光が見えてくる。

 

「うんん? なんで海底が明るくなってくるんだろう。海底のおっきな生命反応と何か関わりがあるのかな」

 

そしてついに深度が1万メートルに達した時、それは姿を現した。

 

「――うわぁ……なんて、おっきい……」

 

見えてきた巨大な生命反応の正体。

それは、全長がどれだけあるかもわからない大きな大きな樹だった。

しかもその根は光っており、海底だというのに地上と変わらない明るさが保たれている。

さらに、根の周囲には深海だというのに植物や地上付近でも見ることができるであろう魚が生息している。

根からは大きな気泡が絶えずあふれ出て、地上へと昇っていく。

 

その幻想的な光景に、船室に引っ込んでいたクルーたちも甲板へ出てくる。

 

「うわっ、なんだこれ!?」

 

「ひゃー綺麗だねー」

 

「……素晴らしい光景だ」

 

「ふむ……実に興味深い」

 

フランは海流を操作し、サンタマリア号を巨大な樹木へと近づけていく。

その間も視線は巨大な樹から離せない。

 

「驚き桃の木山椒の木……いやいや、これはほんと、びっくり……」

 

フランはかつてないほどの強度と密度で妖気を纏う。

クルーはそのあまりの禍々しさに顔を引きつらせるが、フランはそんなことにまったく頓着しなかった。

そして、その状態で船を覆う空気の層から外へと出る。

 

本来フランは吸血鬼のため流水が苦手である。

海を渡ることはできても海流があるため海に潜るのは難しい。

加えて今は海中だというのに日光がさしている状態。

それらを妖力で撥ね退け、強行突入しているのである。

それほどフランがこの樹に魅せられていると言ってもいい。

 

「わぁ、温かい……深海の海水温じゃない……水圧も低い……っていうか、この樹の根から気体が出てる……これは、酸素?」

 

樹のふもとまでたどり着いたフランは樹の根に触れて、直接探査魔法を行使する。

結果、この樹は海底に生えており、レッドラインを突き抜け遥か彼方の海上1万メートル以上まで伸びているということが判明する。

ここは深海1万メートル。

つまり、この大樹は全長2万メートルを誇る化け物樹木ということである。

しかも大地を割って、だ。

アスファルトから咲くタンポポ、の超スケール版のようなもの。

 

「しかもこの光は紛れもなく“日光”……。地上の、少なくとも1万メートル以上離れた場所の日光がここまで届いてるんだ……この樹は光を蓄える性質を持っているのかな……。それに、光合成の結果海底にまで酸素が供給されてる。しかも気孔じゃなくて根から放出してるとか……」

 

どこか陶然としたようにフランは呟きを続ける。

それは未知の大発見を前にした探検家の顔だった。

 

「それに、光があるからこのあたりだけ光合成をする植物が生えてる。海水温も温かい。水圧が低いのはなんでだろう。酸素濃度が高いのと関係あるのかな」

 

そのとき、フランの後頭部に何かがぶつかった。

ダメージは一切ないが、フランが振り向くとそれは氷の塊だった。

ふと視線をあげると、その氷塊を作り出したであろうウェンディゴを筆頭にクルー総出で甲板に出て何事かを喚いていた。

しかし、フランとの間には空気の膜と海水があるため声が届かない。

フランは仕方なく一旦調査をやめて船へと戻る。

 

「どしたのさ」

 

「いや、どしたのじゃないっすよ船長。あんな楽しそうなところに一人だけ行って」

 

「そうそう。僕らがいくら叫んでも気が付かないから仕方なく能力で攻撃したんですよ。僕の全力攻撃が毛ほども通用してなかったけど……」

 

実際は、かなり強固な妖力の防御を纏っていたフランに多少なりとも衝撃を与えられただけでもすごいのだが。

 

「船長、あの樹はなんなんだ?」

 

「まったまった。私もよくわからないから調査しに行ってたんだよ。みんなを置いて行ったことは謝るけどさ、あんなの見たらいてもたってもいられなくなるでしょ?」

 

「まぁ、それは……」

 

フランの言い訳はクルー全員の同意を得ていた。

10年もの間様々な冒険を繰り返してきたクルーたちはすっかり一流の探検家である。

心構えを含めて。

 

「すごいよ、あの大樹。光を放つし酸素も送り込んでる。大きさも地上まで届くくらい大きいよ。――あ、酸素があって水圧も低いならみんなも外に出られるようにできるかも」

 

ちょっと待ってね、と言ってフランは魔法を発動させる。

サンタマリア号を覆う空気の膜の超巨大なものを大樹の周りに張り巡らせたのだ。

勿論地上で使ったわけではないので空気の膜とは言っても内部は海水なのだが、大樹から次々と酸素が供給されていくため、みるみるうちに空気で満たされていく。

空気の膜は徐々に広がっていき、ついにはサンタマリア号の空気膜と接触し、同化した。

これで船は大樹を覆う空気膜の内部に完全に取り込まれた形になる。

 

「おお、海の中なのに息ができる」

 

「空気が暖かいですね……」

 

「すげー。な、船長、あの樹のとこまで行っていいか?」

 

「いいよ。樹は傷つけないようにね。マロンはちょっと調査に付き合って」

 

「おう」

 

フランは眼前に広がる巨大樹を見つめる。

いままで想像もしなかったようなそれは、この世界に来てから最大級の感動を彼女にもたらした。

 

「マロンじゃないけど、いやぁ、これはロマンだなぁ……」

 

「なんか言ったか、船長?」

 

「――いや、なんでもないよ」

 





魚人島編(魚人島建国よりはるか以前)


ちなみに今の状況はラフテルから出発してグランドラインを逆行、新世界を航行し終えて魚人島まで戻ってきたところです。
魚人島を超えればグランドラインの前半、通称楽園へと突入します。

なおチート船&戦力なのに10年とか時間かかりすぎじゃと思うかもしれませんが、島の探索とかしてるうえログポースなんかないので直線的でもなくかなりのんびりした行程です。ロジャー達の世代もかなり時間かけて攻略しているようですしね。


・原作との矛盾点
原作ではフランキーが魚人島に潜る際「「受光層」を抜けて「薄明層」ももう終わりってトコだな。1000メートルは越えたろう」と言っていますが、水深200メートルを超えると無光層です。
原作ではフランたちが潜ったのと反対側のヤルキマンマングローブが海底までのびるほうから行ったので明るかった、ということにでも。
漫画の演出上必要とはいえ原作主人公たちは深海でも目が完全に見えてますしおすし。
すくなくともフランキーが薄明層が終わりって言ってた1000メートルからもっと深く潜ってるから光は届いていないはずなんですけど、あまり突っ込まないでください。
あと下降流プルームとかありましたけどあれってプルームテクトニクスからきてるんですかね?
これも扱いが難しいので無視させてください。
ワンピ世界の環境はほんと謎……。

・どうでもいいこと
甲板をかん“ば”んで変換しても出てこなくて調べたらかん“ぱ”んだったという。
長年勘違いしていたことが発覚。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

海底の大樹と船大工の日本刀

前回のまとめ

・マロンとルミャの結婚
・海底1万メートルに突入
・巨大な樹を見つける


 

 

海底1万メートルにそびえたつ巨樹。

その根からは光が溢れていて、深海だというのに地上と何ら遜色ない明るさが保たれている。

私と植物に詳しいマロンはその謎の大樹について詳しく調査していた。

その結果、いくつかのことが判明する。

 

「すごいね、この樹は……ここに一本存在してるだけで周囲の生態系を根本から変える力を持ってる……」

 

「ああ。それにしても根から栄養分を放出してるのは謎だが……」

 

「だねぇ。発芽三条件の水・適温・空気に加えて、成長に必要な光と栄養分も供給してるなんて、まさに海底に植物を生やすために存在してる樹みたいだよね……。懐かしいなぁ。小学校の理科でやった覚えがある」

 

私は遥か彼方まで伸びる大樹を見上げた。

探査魔法によって、この大樹は大陸を貫き上空一万メートルまで伸びていることがわかっている。

つまり全長2万メートルという前世では想像すらできない植物だということになる。

 

「しっかし、船長。この樹ってラフテルにある例の樹と同じ種類じゃないか?」

 

「うん? 例の樹?」

 

「ああほら、ラフテルの中心に生えてる巨大な樹だよ、やたら頑丈な。サンタマリア号もあの樹を材料に作ってるんじゃなかったか? 加工に時間かかりまくったとか聞いたけど」

 

「あーあの樹かぁ。でもあの樹って光ったりはしてなかったと思うけど?」

 

「うーん、大きさが違いすぎて俺もちょっと自信はないがこの尋常じゃない頑丈さといい色々と共通点はあるんだよな。思うに海中に生えるか地上に生えるかで性質が異なるんじゃないかと」

 

「そんなに頑丈なの?」

 

「ああ、この樹については恐ろしい深海圧の中生えてるわけで説明不要だよな。例の樹に関しては頑丈すぎてなかなか加工ができないもんらしい。一流の職人でもあの樹を扱えるようになるまで20年かかるらしいぜ。あとでカープに聞いてみたらどうだ?」

 

「そっかぁ」

 

そうなるとサンタマリア号を妖力で強化する必要はなかったのかな。

というかそこまでして頑張って作ってくれた努力の結晶を無駄にするようなことをしたのは船大工さんたちにちょっと申し訳なかったかもしれない。

あ、でも私の妖力に耐えうるだけの木材を使って作ってくれたって考えればいいのか。

普通の木材だと私の妖力をこめると強すぎてすぐに自壊しちゃうもんね。

よし、言い訳完了。

 

それにしても似たような樹がラフテルにもあるのかぁ。

世界に一本しかないなら生命の樹(セフィロト)って名付けようと思ってたんだけど。

二本あるとなると名前どうしようかなあ。

創世記つながりでアダムとイブにしちゃおっかな。

 

そうするとこの周りに独自の生態系を築いてる方がイブかな。

太陽の光を放つ珍しい樹だから“太陽樹イブ”にしよう。

ラフテルの方はよく覚えてないけどラフテルでは名前付けられていたのかな。

 

「マロン、そのラフテルの方にある樹って何か名前付いてた?」

「んー、いや、あの樹って言えばだれでもわかる樹だったからなぁ、あ、おーい、カープ」

 

マロンが呼びかけるとちょうど近くに来ていた船大工兼鍛冶師修行中のカープがやってきた。

 

「おう、どうした副頭領、とそれに船長も」

 

「あのラフテルにあるでっかい樹だけどよ、なんか名前付いてたっけか?」

 

「ああ? あの樹はそうだな、特に名前はついてなかったと思うが。ただ木工職人たちの間じゃどんな宝にも勝る価値のあるスゲー樹ってことで“宝樹”なんて呼ばれてたっけかな。突然どうしたんで」

 

なるほど、宝樹ね。

なかなかカッコいいじゃん。

あーとなると宝樹と太陽樹じゃちょっとかみ合ってないかな。

どっちも二文字で陽樹にしようかな。

 

「ああいや、私がちょっと気になってね。この樹とその樹、名前を付けようと思って」

 

「ほう! お頭が付けてくれるなら樹も喜びましょうや」

 

「えへへ、そうだといいね。――この樹は“陽樹イブ”、ラフテルの方の樹は“宝樹アダム”って呼ぶことにしよう。今日から君の名前は陽樹イブだね!」

 

私は目の前にある巨樹の根っこをポンと叩いた。

すると私の言葉にこたえるかのように樹が小さく震えた。

……ちょっと吸血鬼の腕力で強く叩きすぎたかな。

 

その後で、フルネームだと“太陽樹イブ”と“宝樹アダム”の五文字五文字でこっちの方が良かったんじゃないかなって気もしたけど、後の祭り。

 

これが、樹齢何万年……いや、何億年になるかもわからない巨樹“陽樹イブ”と私の出会いだった。

そして、後に私はこの陽樹イブの下に新たな命を生み出すことになる……。

そこに至る経緯はなかなかに突飛なものではあるのだけれど。

今の私には、もちろん知る由もない。

 

 

 

 

陽樹イブの調べもついたところで私たちは再び船に乗り込み、海上へと浮上することにした。

もちろんここに転移魔法用のマーカーを設置しておくのも忘れない。

 

深海からの急速な浮上は潜水病とかの危険があるけど、今回は空気膜の中でみんな過ごしていて圧力の変化とかも特にないので問題なし。

そうして海上に出るとそこはレッドラインの向こう側だった。

 

「おおー、通り抜けられたんだな!」

 

「あんな深い海の底を潜るなんて普通は不可能だもんなぁ。俺たちが初めてなんじゃないか?」

 

「でしょうねぇ。いや、さすが船長です」

 

「あはは、あんまり褒めないでよ。照れる照れる」

 

「にしてもいやぁ、一週間ぶりのお天道様かぁ」

 

「んー、自由にのびのびできるって素晴らしいなァ」

 

実質的に海に潜っていた期間は一週間くらいだった上に、日光も空気もあったし普段と変わらない船室があったんだけど、それでもやっぱり閉塞感はあったのかな。

 

「それにしても随分穏やかな海だね、ナヴィ」

 

「そうですね。レッドラインで区切られているせいで海の性質が大きく異なっているのかもしれません。なにがあるかわかりませんし気は抜けませんが」

 

「おう、頼りにしてるぜ航海士」

 

「副船長こそ、そろそろ彼らを取り仕切ったらどうですか。なんか海獣仕留めて食べ始めてますよ」

 

「――げっ、マジだ。おい、お前ら勝手に何してんだよっ!」

 

「あはははは」

 

賑やかでいいねぇ。

太陽はまぶしいけどルミャが覆ってくれてるから気にはならない。

うん、実に良い航海日和だ。

 

「さて、みんな。航海再開だよー。しゅっぱーつ!」

 

「「「「「おうっ!!」」」」」

 

 

 

 

「おいおい、マロン。いやさ副頭領」

 

「あん、なんだ?」

 

ある日、船大工……よりも最近じゃ専ら鍛冶師のカープに呼ばれた。

こいつは10年以上フラン様の最高級の設備の下で腕を磨いたからか、今じゃそれなりの剣を打つようになっている。

ただ、まだ俺の眼鏡には敵っちゃいねえ。

というのも、俺の覇気を込めても壊れねえレベルの剣が打ちあがってこないからだ。

 

こいつの目標はいつかフラン様の妖力を込めても壊れねえ剣を打つことらしいが、俺程度の覇気でぶっ壊れるんじゃまだまだだ。

俺もこの10年でかなり腕を上げた自負はあるが、まだまだ頂は見えない。

覇気どころか剣術でもまったく勝てないからな。

ようやくこの間、初めて覇気なしの勝負で一本取ったが……。

 

その後初めて負けたフラン様にこれでもかってくらいぼこぼこにされたからなぁ……。

あれは良い思い出じゃなくてむしろ封印したいくらいの……。

 

と、おっと、今はカープに呼ばれていたんだった。

 

「ついに打ちあがったぜ! 俺の最高傑作だ!」

 

「また言ってるのか」

 

こいつはいつも最高傑作だ! といっているんだが、そのたびに俺に壊されている。

まぁ自壊までの持続時間は伸びてるから毎回最高傑作なのはほんとなのかもしれないが……。

 

「ははは、驚くなよ。今回はお頭のお墨付きだ。というかお頭が刀を打ってみたいって言うからよ、俺がお頭の手伝いありで目の前で一本打ってみたんだ」

 

「なっ、船長が!?」

 

おいおい、それはマジモンにやべえ剣じゃないのか?

俺に扱えるのかよそれ。

それはロマンを超えて怖いぞ……。

 

内心恐怖しながらカープの案内についていき、工房へと入る。

机の上に置かれてるのが、件のシロモノか。

 

それはいままで見た剣とは形状が少し違った。

いままでの剣といえば刃が鋭い直線を描いていたが、これは刃が微妙に反っている。

 

「お頭が日本刀っていう刃が反った剣を複数の鋼を合わせて打つ打ち方を教えてくれてよ、それを試したんだ」

 

「ニホントウ?」

 

「ああ、お頭の故郷に伝わる「折れず、曲がらず、よく斬れる」ってえ最強の刀剣らしい」

 

「ふうむ、日本刀、か。日本って言う船長の故郷に関してはラフテルでも聞いたことがあったな。確かクックの着てる和服ってのも日本の物だろ」

 

「らしいな。それで、この日本刀なんだが、まぁ完全には再現できなくてな」

 

「ふむ?」

 

「まず原料には玉鋼っつー金属が必要らしいんだが、お頭も「砂鉄を混ぜるんだったかなー」って程度しかよくわからんらしくてな。今回はできるだけ高純度の鋼に覇気を混ぜ込んで作った」

 

「ほう、覇気を。なるほどな、完成品に混ぜ込むよりも打つときに混ぜた方がなじみやすそうだ」

 

「ああ、この発想もまぁお頭のもんだったんだがな。で、そのほかにも二種類の鋼を用意してこれを重ねて打つわけだ。あと製法はマジでスゲエぞ。その名も折り返しっつってな……」

 

「いや、いい、いい。俺が鍛冶の方法聞いてもさっぱりわかりゃしねえよ」

 

「そうか、残念だな。こりゃあほんと画期的な方法なんだぜ。これをラフテルの鍛冶師共に伝えたらどんなに悔しがるか」

 

「はいはい。それで?」

 

「ちっ、つれねーな。まぁ注意するのは片刃だってーことくらいだな」

 

「片刃?」

 

「手にとってよく見てみろ。刃が山なりに反ってる方にのみ刃がある。反対側は峰ってえらしい。こっちじゃ切れねえ」

 

「ふうん? そりゃまた扱いにくそうだな。どっちでも切れた方が楽だろうに」

 

「それは俺も言ったんだがな。日本刀は普通の剣みてえに押し斬るんじゃなくて引き斬るためのもんらしい。だから剣それ自体の重量とかは重要じゃないんだとよ」

 

「使い方が違うってことか? だが、重量が重要じゃないってなんだ。この剣はかなりでかいぞ?」

 

どう見ても俺の背丈くらいはある。

やたら長い柄を入れれば俺の背丈も超えそうだ。

重さはまぁ普通に振り回せる程度だが、俺も大概常人離れしてきているのであまりアテにはならんな。

 

「……それがなぁ、俺は今度つくる剣は思いっきりでけえのにしてみようと思っててな。そのための準備をしてたところにお頭の話を聞いたわけで、お頭の製法を取り入れてこの剣を作ろうってことになったんだよ」

 

「……ああ、なるほど。お前は普通の剣を作ろうとしたが、船長のアイデアは日本刀を作るためのものだった、と」

 

「そういうこった。刃の焼き入れのあたりでお頭も大きさに気が付いたみたいでな、できあがってからは「こんなの日本刀じゃない」っつってぷんぷん拗ねて歩いて行っちまった。ただまぁ刃の強度に関してはお頭のお墨付きってのは本当だぜ」

 

「ほう。んじゃまあ試しに」

 

覇気を手元の剣に込めてみるが、まったく自壊しそうな気配はない。

ならばとさらに強度が要求される“色付きの覇気”を込めてみる。

色は刀剣類に最適の黒色。

伴侶のルミャの“闇”をイメージする。

 

「おお、ビクともしねえな。確かにこりゃあ“最高傑作”だ。ロマンだぜ。もらっていいのか?」

 

「ああまて、まだ鞘もなんもつくってねえんだ。すぐ仕上げるからよ。あと、お頭に聞いた鍔ってのを付けようと思ってる」

 

「ツバ?」

 

「ああ、持ち手と刀身の間につける金属の事らしくてな。詳しくは聞かなかったが、手を保護するためのものらしい。同時に剣の重心を調整するためのもんでもあるとか。俺はそれを聞いて、「これだ!」と思ったね」

 

「なるほどな、確かに大きいだけの剣じゃあ振り回しにくい。手元に重心が来るようになりゃあでかくても振るえるってわけか」

 

「その通り! しかもその鍔ってのには職人が精緻な装飾を施して、それ単体が芸術品としてみられるような美しいモンだっていうじゃねえか。これは俺も腕が鳴るなと。日本刀自体も美術品として扱われるようなモンらしいからよ。失敗作とはいえどある程度は近づけてやろうと思ってな」

 

「おう、じゃあお前の腕に期待してるぜ」

 

 

そんなやりとりがあって、後日俺の下に新しい大剣が届いた。

それはまぁ見事な装飾が施されていて、俺は一瞬「これを振り回すのか?」と思ってしまったほどだ。

装飾は剣自体にも施されていたが、鞘と鍔という部分にも見事なものが彫り込まれていた。

カープは船大工と鍛冶師を辞めても芸術家として食っていけるんじゃないだろうか。

 

しかし鍔はやたらでかいな。

左右にびよーんと延びていて、見方によってはカッコ悪いが、遠目から見れば綺麗な十字を描く。

なるほど、この発想があったから柄もやたら長いんだな。

いや、気に入ったぞこの剣。

ロマンだ。

 

しかし、カープの太鼓判とは裏腹にフラン様はやけに不機嫌だった。

 

「そんな十字架みたいな不格好な剣は日本刀なんかじゃないからね」

「反りも先っぽだけだしカッコ悪い」

「そもそもおっきすぎ。柄も鍔も長すぎ。みてらんない」

「だいたいそれ振り回すのに邪魔じゃん」

「普段も持ち歩くときどうするの。腰に提げられないじゃない」

「装飾がごてごてしすぎ」

「鍔ってそういう直線的なのじゃないから。そういうのは西洋のだから。日本刀の鍔はもっと丸くて小さくて……」

 

とまぁこんな感じで珍しく辛辣だった。

それほど日本刀に入れ込んでいるのだろうか。

フラン様の扱う剣レーヴァテインはむしろ日本刀より従来の剣に似ていると思うのだが……。

 

結局最終的にフラン様はどうしても納得がいかないらしく、「もういい! 最高の日本刀は自分で打つ!」と言って拗ねてしまったが。

……まぁ時間が経てばケロッと治るだろう。

 

それにしてもデカイ剣だった。

持ち運ぶにしても背中に背負う以外の選択肢がない。

まぁこれはこれで格好がつくだろう。

クルーもみんな褒めてくれたし。

……フラン様以外は。

 

ちなみにこの剣、いまのところ無銘である。

カープはカッコいい名前を付けようとしたらしいが、フラン様が頑として拒んだらしい。

まぁ、俺は別に名無しの剣でいいんだが。

いやしかし、実にロマンあふれる大剣だ。

 

 

それからしばらくはそれなりに大変だった。

まずこの大剣の扱いに慣れることが難しく、振るコツをつかむまではランやウェン、クックどころか他のクルーたち、極めつけは本来戦闘員ではないルミャにまでも散々負け続けた。

一度はフラン様に本気で「持つことで弱くなるなら持たない方がいい」と諭されてしまったが、俺が弱くなったのはこの大剣のせいではなく、大剣を扱えない俺の技量不足だということは痛いほど実感していたため、すぐに使いこなせるようになる、と誓って許してもらった。

その後は慣れるまでただただ剣を振り続け、一か月もすれば俺は元の強さを取り戻し、三か月が過ぎるころには以前の俺でも勝てないだろう高みへと到達した。

 

覇気を込めた剣の頑丈さと切れ味に加え、大きくて質量を持った物体を高速で振り回すというのがどれほど凶悪か、という話だ。

今までは自身より大きな魔獣などに襲われると対処が難しかったが、この剣ならば海王類すら敵ではない。

特に大きさに比例して“飛ぶ斬撃”の範囲と威力も向上しているため、より巨大な敵との闘いが容易になっている。

 

また、対人戦においても一撃の威力が向上している。

これはもともとフラン様が作ろうとしていた日本刀に類似する特徴のようだが、片刃にすることで刀身に厚みが出て断ち切る力が強くなるようだ。

最近ではクルーから“二の太刀いらず”なんて呼ばれ始めている。

気合だけで相手を圧倒できる“一の太刀いらず”のフラン様に比べればなんとも悲しい二つ名だが。

まぁ、順調であると言えるだろう。

 

 

ただ、一つ心配なのがカープだ。

この剣の仕上がりを確認してからというもの、すっかり気が抜けてしまっている。

船の仕事はしっかりこなすのだが、なにをするにも身が入らないようだ。

船大工が仕事を失い鍛冶師になって、そこで納得のいく剣を打ってしまったから次が見えないのだろうか。

ただまぁこればっかりは俺にどうこうできる問題じゃない。

 

奴には奴の生き甲斐(ロマン)があるだろう。

それは自分自身で見つけるものだ。

カープが自分だけのロマンを見つけたなら、俺は副船長として応援してやらなきゃな。

 

 






シャボンを出すヤルキマンマングローブやサンゴはまだこの時代には存在して無いです。
よって全部魔法のごり押し。
いまはまだフランしか行き来ができないというのは今後ちょっとだけ生かされる設定です。

日本刀とかに関しては色々意見あると思いますがあくまでフランのガバガバ現代知識なのであまり突っ込まないでやってください。
ちなみに今回の剣については刃全体が湾曲しているわけではなく、剣先だけが反っています。
先反りと呼ばれるもので普通に日本刀の反りの一種ですが、フランは天下五剣とかの有名なものしかイメージにないので日本刀とは認めない発言をしています。

刀剣と言えばワンピ世界の最上大業物12工はリアルと同じ12人の刀工という意味なんですかね。
そうなると12人が打った刀が最上大業物なわけで12本以上あるように思うんです。
まぁそれにしたって最上はそれぞれの刀工の最高の一本で計12本だとは思いますが、大業物以下はどうなのかなぁ。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

鮮血の海賊団とラフテルへの里帰り

前回のまとめ

・陽樹イブの命名
・刀鍛冶として大成しちゃうカープ(船大工)
・ただし気が抜けた模様


注意
今話中に迫害シーンなどがありますが、当作品には特定の人種を貶めたりする意図はありません。
あくまで話の演出上なのでご了承ください。
気分が悪くなった方がいましたらごめんなさい。



 

 

そういえば、思い付きから始めたこの探検隊、10年がたったいまでは別の名前が付いている。

その名も“スカーレット海賊団”!

なかなかカッコいいと思う。

ただ、この名前は伊達や酔狂でつけたものじゃなくて、私のとある心境の変化から付けざるを得なくなった、というのが正しい。

少し、重い話になる。

 

スカーレットはもちろん私のフランドール・スカーレットの名前から。

加えてこの10年の航海では、行く先行く先で凶暴な動植物や原住民の返り血を浴びる羽目になっていたから。

一度なんか数百メートル級の海王類の血を船全体にかぶって船が真紅(スカーレット)に染まったこともあるし。

紅魔艦の名前がふとよぎったのは内緒。

なんでこんなに気になるんだろうこの名前。

 

いや返り血云々、これは別に私たちの血の気が多いとかって言う話ではなくて、向こうから襲い掛かってくるのを返り討ちにしてるだけなんだけど。

……まぁ本来なら血なんか出させなくても収拾する実力差があるのに殺っちゃってる点では血の気は多いのかなぁ。

吸血鬼的には少ない方だと思うんだけど。

いや、吸血鬼の平均を知らないけどさ。

 

そして、問題は海賊団の方。

これは調査団とか探検隊とかでいいと思ってたんだけど、クルーからもっとカッコいい感じがいいと言われていたので考え出したのだ。

実際やっていることは海賊紛いなので間違ってはいない。

未知の島に乗り込んでは貴重そうな動物植物を調査のために乱獲したり、襲い掛かってくる生物が多い島では落ち着いて調査できるように生態系が壊れるくらいに殲滅したり。

原住民がいる島でも実力差と文明レベルの差でもって侵略しているようなものだし。

そう考えるとコロンブスの乗っていたサンタ・マリア号という船の名前もなんだか意味深な感じがしてくるよね。

付けた時はそこまで深く考えているわけではなかったんだけど。

 

クリストファー・コロンブスといえば世界史の中でも有名な人物だ。

新大陸を発見したことはもちろんだけど、その輝かしい功績の裏で当時としてはごく自然な闇も抱えている。

彼の職業の一つは奴隷商人だ。

彼はインディアンと初遭遇した時、一目見て「これは良い奴隷になる」と考え、実際に金品を強奪するのみならず彼らを捕えて奴隷とした。

軍を率いてインディアンの大虐殺を行ったことでも有名だ。

兵士たちは手足を切り落としたり、遊び半分で殺したりもしたという。

 

だけど、これは別に当時の世界では非難されるようなことじゃなかった。

相手は文明レベルの非常に低い、“人間”以下の生物だったのだから。

何をしようと良心が痛むこともない。

現代ならばたとえ猿を虐待した程度でも動物愛護団体がすっとんでくるだろうけど、その当時はそんな考え方はない。

当時の彼らにとっては高度な文明を持つキリスト世界の白人が持つ当然の権利であり、むしろ国からは賞賛さえされるようなことだった。

 

そして、これはなにも歴史的な事実、対岸の火事というわけではない。

実際、私の“スカーレット海賊団”にもあてはまる事だったからだ。

初めて原住民と接触した時、クルーたちは彼らを同じ人間とは扱わなかった。

初接触の際、言葉が通じずどうすればいいかなと思案している私を尻目に、相手の一人が一番くみし易いであろう子供の私に攻撃の意志を見せた時、マロンはなんの躊躇もなくその相手を血袋に変えた。

私が硬直していると、一人を殺された原住民たちが一斉にこちらに襲い掛かってきた。

そして、私が止める間もなくクルーたちによって、原住民たちは一人残らず地面のシミに変えられていた。

無論、相手になるはずもない。

彼らは古の地で出会った土の民よりましとはいえ、持っている武装すら粗末なものだった。

覇気や悪魔の実といった超常の力すら扱える私のクルーたちに敵う道理はない。

 

一連の流れに私はしばし呆然としていた。

そして、そんな私をよそにクルーたちは談笑していた。

 

「初めてラフテルの外で人型のを見たけど、てんで弱っちいな」

 

「フラン様を最初に襲うとは武人の風上にも置けんな。……いや、一番強い者を襲うという点ではむしろ良いのか?」

 

「いや、あいつらの弱さなら逆に不敬だろうよ」

 

「まったくだ、こちらの力量すらわかっていなかったようだ。生きている価値はないな」

 

「しかしこのアクセサリーなんかなかなかいいんじゃないか? ワイルドな感じで」

 

「ワイルドって言うか粗野な感じなだけだと思いますけど……。まあラフテルにはあまりない感じのだから国に持って帰ったら喜ばれるかも」

 

「だなぁ。しかしなんでこいつら肌真っ黒なんだ」

 

「ここは随分暑いですからね。ラフテルでも気候の暑い場所に住むものは肌が黒くなる傾向にあると聞きますよ」

 

「なるほどなぁ。あ、お頭の肌がまっ白いのって太陽を避けてるからか!」

 

「あー言われてみれば」

 

「ほう、カープはなかなかいいところに気が付きますね。それは一考の余地ある疑義ですよ」

 

「ラフテルじゃ肌が白い方が好まれるもんなぁ。フラン様に似たいって。特に女はよ」

 

「ふふふ、僕なんかは地元でも肌が真っ白で女の子たちの羨望の的でしたよ」

 

「確かにウェンは肌が白いなぁ。ヒエヒエの実の副作用とかじゃなかったのか」

 

「これは元からです。しかしランさんは黒いですよね。こいつらほどじゃないですけど」

 

「うるせーこんなやつらと一緒にすんな。俺は地元からしてみんな黒いっての。ラフテルの中でも唯一の砂漠地帯だからな」

 

「ほう、ランの地元はあそこか。俺はあそこも植物調査に行ったことあるぞ。サボテンとか面白い植物がたくさんあった」

 

血の臭いがいまだ濃く漂う中、クルーは皆楽しそうに話していた。

今の虐殺で少なくとも30人以上が死んだというのに。

私はそのことについていけず、珍しく思考が空回りしていた。

ようやく声を出して、彼らにさっきの原住民について聞いてみる。

けど。

 

「うん? 別にどうともおもわねえけど。船長を襲ったから殺しただけって言うか」

 

「ま、そうだよな。特に生かしておく価値もないだろ」

 

「言葉も理解してなかったしあの服装じゃ得るものもないだろ」

 

「持ち物を色々見てみてみましたけどたいした文明もなさそうでしたよ」

 

「なに言ってるんですみなさん。たとえ相手が有益な存在だったとしてもフラン様に害意を向けた時点で即刻殺すべきですよ!」

 

「ルミャちゃん、フラン様じゃなくて、船長な」

 

「あっ、す、すいませんマロンさん。それに船長も。ちょっと熱くなっちゃいました」

 

私は再び呆然とするしかなかった。

彼らと私の間にここまで意識の差があるとは思わなかったのだ。

私はクルーに、この島の探索を命じて、一人その場に残った。

そして、考え、考え、思い至る。

 

……ああ、ああ、そうか。

彼らはまさに、コロンブスの率いたクルーだった。

コロンブスは、私だ。

相手は文明レベルの非常に低い、“人間”以下の生物だった。

特に、ラフテルの民にとって神たる(フランドール・スカーレット)の存在を知らないなど、人間としての最低条件にも当てはまらないのだろう。

何をしようと良心が痛むこともない。

現代ならばたとえ猿を虐待した程度でも動物愛護団体がすっとんでくるだろうけど、ラフテルにはそんな団体も考え方もない。

彼らにとっては高度な文明を持つ神の国(ラフテル)の民たる自分たちが持つ当然の権利であり、むしろ神に矛を向ける異教徒の粛清だった。

 

……それも当たり前か。

確かに一度立ち止まって考えてみれば、動物は殺して良くて先ほどの原住民を殺してはいけないという道理はない。

人間ならその命を尊重すべき?

確かに現代ならそんな考え方もあるだろう。

だが、今この世界この時代にあってはそんな考えは誰からも必要とされていないし、誰も想像すらしていない思考だ。

あの博愛主義者のルミャにでさえ、一片の慈悲すら見当たらなかった。

それほど、ラフテルの民にとっては自然な事だった。

 

そしてなにより、吸血鬼である私にとって、人間も動物も同じようなものだった。

違いと言えば、言葉を話すかどうかくらいか。

ならば話の通じなかった原住民はやはり人間として扱うまでもない。

珍種の動物として血の味くらいは確かめても良かったかもしれないけど――。

 

 

いや!

いや、だめでしょ、それは!

そこまで行っちゃったら、“(フラン)”は“私”でなくなる!

 

思い出せ、かつて土の民にあった時の事を。

かつては彼らだって言葉を理解し合えなかった。

それどころか文明レベルだってさっきの原住民よりはるかに低かった。

でも私は彼らを魔獣から助けて、ともに文明を発展させた。

いまじゃラフテルなんて言う立派な国も作った。

それは決して、珍しい動物を飼う感覚ではなかったはずだ!

 

……これは、この虐殺は私のミスだ。

私が今までラフテルの人間にそういう思想を教えてこなかったから、彼らは当然のように彼らを殺した。

それはクルーのミスじゃない。

私のミスだ。

私が事前に対策を考えておけばどうとでもなるヒューマンエラーだった。

そう、私が吸血鬼としてではなく、元(いち)人間だった者として彼らに教えられることがあった。

ラフテルにある学校で、道徳の時間でも作って組み込んでやればよかった。

なにも全員をその思想に染め上げる洗脳紛いの事はしなくてもいい。

ただ、例えばこんな事例もあると、そんな考え方もあると、その程度に受け取ってもらえればそれでいい。

今までのラフテルの民には、思想の選択肢すらなかったのだから。

 

 

そこまでを考えて、私はまずクルーたちの意識改革から始めることにした。

まずは原住民、そして動物であってもむやみな虐殺はやめさせる。

徐々に、この思想を広めていこう。

最初は上手く行かなくていい。

今回のような虐殺が起こることもたびたびあるだろう。

 

勿論私が一言言えば、皆は何も考えず私の言葉に従うだろう。

でも、それじゃだめなんだ。

彼ら自身で見つけてもらわなきゃならない。

自分自身の考えで、その思考を血肉にしてもらわなきゃならない。

 

今の彼らにとって原住民を同じ人間として扱うことには抵抗が残るだろう。

現時点でそう言う対象とは全く見ていない。

それどころか私に害意を向けた時点で彼らの中では害虫以下の存在だと思う。

 

この島にはまださっきの原住民の生き残りがいるはずだ。

私が一声かければ生き残るだろう人たちだ。

でも、私はクルーに何も言わない。

 

クルーは皆敬虔な信徒だ。

きっと神の言葉を疑わず受け入れる。

ラフテル国民の狂信具合なら神に対して「なぜそんなことを言うんだろう」なんて疑問すら思わないかもしれない。

でも、それじゃあきっとだめなんだ。

だから、私はこの島の生き残りを見殺すことにする。

 

まったく、問題に気が付いたところでやっぱり私は自分が面倒を見てきた人間が可愛くて仕方ないらしい。

そのために原住民の犠牲を容認するんだから、やっぱり本質は残虐な吸血鬼なのかもしれない。

だから、恨むならクルーじゃなくて、私を恨んで欲しい。

そして、その間に彼らクルーたちが自身の行動に自ら疑問を持ち、それに対して答えを出してくれることを望む。

 

彼らが考えた末、やはり殺すという結論に達するのならば私は何も言わない。

思想はその個人の自由だ。

私の船に乗っている間は統制できるかもしれないけど、私にはその気はない。

ただ、クルーの内の一人でもその考えに至ったのならば、私は尊重したい。

誰かの嫌がることをする人間には育ってほしくない。

願わくは、その“誰か”に見ず知らずの他人が含まれますように。

 

 

だから私はクルーの情操教育のために原住民の犠牲を容認した。

それは、これまでの無自覚な未知からの略奪とは違った、明確な意思の下の侵略だった。

 

――だから私は“海賊団”を名乗ることにした。

自嘲と、戒めの意を込めて。

当然、クルーには何も話していない。

これからもきっと、名前の由来を話すことはないだろう。

 

私の号令の下、今日も血染めの(スカーレット)海賊団は未知の海を進む。

 

 

 

 

「よう、ただいま」

 

「おかえりなさい、マロン」

 

「……いやぁ、普通はもうちょっと驚かないかな、母上殿。数十年ぶりの再会だろう?」

 

俺は今、ラフテルへと帰ってきていた。

航海開始から十年。

海底という難所を超えたフラン様が、クルーに向けて「里帰りしたい人いる?」と言ったことに端を発する。

ナヴィの見立てではサンタマリア号が今いるレッドラインの場所とラフテルの位置は星の丁度真裏あたり。

流石に無理じゃないかと思ったが、フラン様の魔力と賢者の石というアイテムをもってすれば転移魔法で一発らしい。

丁度航海の行程も半分。

キリのいいここで一度国に戻って英気を養う、というのが名目らしい。

俺たちを含めて手を上げる奴は何人もいた。

 

元々一度出れば二度とラフテルに戻ることはできないかもしれないという覚悟を持って航海に出てきた俺たちではあったが、家族に顔を見せたりと故郷に帰れるなら帰りたい奴は多かった。

帰る家がないクルーもいたが、それでも懐かしいラフテルの地を踏みたいと言った。

俺とルミャは結婚と子供ができたことの報告だな。

 

それで、クルーの三分の二ほどが挙手し、ラフテルへの一時的な里帰りをすることになった。

帰る気のない者や、航海中に新しく仲間になった者もいる。

そいつらは残って船を守ることになる。

船長も副船長も抜けて色々と心配ではあるが、敵わない敵が来れば船室に逃げ込んでいれば何も問題はない。

フラン様の魔法の守りを突破できるものなどいない。

この間俺の全力の覇気を込めた大剣でやっと傷がついた程度だ。

愛剣が折れた事件を思い出すようなシチュエーションだったが、今回は大剣の方は無事だった。

ただまぁ、切れた船は自動修復魔法で数秒と立たず直っていたが。

つまるところ俺程度の実力ではサンタ・マリア号を破壊することは不可能なのである。

これまでの航海で今の俺以上の実力を持った敵はそうそう見かけるものではなかった。

突然天変地異が連続して襲い掛かりでもしなければ大丈夫だろう。

 

 

それで、ひるがえってラフテルへと戻ってきた俺たちである。

 

俺の故郷はラフテルでも辺境の地だったが、俺の幼少期からすでに30年は経っている。

俺の実家の周囲もすっかり開発されているようだった。

旅の植物学者についていってから一度も実家には帰っていなかったので、もしかしたら両親が死んでいるという可能性も考えてはいた。

家が残っていない可能性も十分高かった。

だが、ボロくなったとはいえ家はあり、母がいた。

父は死んでしまったそうだが、母にだけでもルミャの事を報告できるのは嬉しかった。

 

……なにせ、ルミャは家族がいない天涯孤独の身なのだから。

今は俺も子供たちもいる。

だが、彼女には親はいない。

ただ、俺と結婚したということは俺の母は彼女の義母ということになる。

多少なりとも慰めになっていればいいなと、思った。

 

「あの、はじめまして、お義母さん。私、エクスナー・ルミニアといいます。マロンさんの、その、妻で、事後承諾という形にはなってしまうんですが……」

 

「ルミャ、そんなしどろもどろにならなくてもいいだろう」

 

「だだだだって、私お義母さんに挨拶もしないで結婚しちゃってるし!」

 

「フラン様の前で挙げた祝儀だろうに」

 

「そ、そういえばそうだった……」

 

「あらあらあら、まあまあまあ。あのロマン馬鹿のマロンがこんな可愛い娘さんをねえ。想像もしていなかったわ」

 

「誰がロマン馬鹿だ。入っていいか?」

 

「ええ、ええ。どうぞ。ルミニアさんもいらっしゃい、何もないところだけどくつろいで行ってね」

 

「あ、ありがとうございます。あとその、紹介が遅れました。この子たち、マロンさんと私の子供です。――ほら、自己紹介して」

 

ルミャが俺たちの後ろに隠れていた二人を手前に押し出す。

この子たちは聡明なんだがどうにも引っ込み思案だ。

俺よりもルミャの血が濃く出ているに違いない。

その後は俺たちの息子と娘による自己紹介があり、母上殿が泣いた。

俺はまぁ30年もほったらかしにしてきた母上殿に照れくさくて合わせる顔もなく、ぶっきらぼうに振舞っていたわけだが、これには年甲斐もなく慌てた。

母上殿によると、孫の顔を見て涙腺が緩んでしまったらしい。

 

まぁ、俺に期待なんてしていなかったわけで、孫の顔なんて見られると思っていなかったそうだ。

俺もびっくりしてるよ、こんなにいい嫁さんもらって子供もできるなんてな。

俺はてっきりどっかの山奥で一人の垂れ死ぬ運命だと思ってたからな。

それもこれも、今ここにいるのも全部フラン様のおかげなわけだが。

まーこれも、一つのロマンの形なのかねえ。

 

俺もこの子らが育って、伴侶を見つけて、孫の顔を見れるのか?

いやぁ、どう考えても無理だなぁ。

俺はそれこそ洋上で死ぬだろう。

死ぬならば、フラン様の傍で死にたい。

叶うならば、死を看取って欲しい。

過ぎたる願いだろうか。

 

勿論、ルミャに看取られるという選択肢もあるのだが、できれば彼女には看取らせるより俺が彼女を看取りたい。

フラン様の妖力を吸収したことで半分人外と化しているルミャは何歳まで生きるか分からない。

俺のいない後生を長く過ごさせたくない、というのはわがままだろうか。

 

……おっと、いかんな。

思考が随分先のことに飛んでしまっている。

俺が死ぬのはまだまだ先だ。

少なくともこの航海の先を見届けるまでは死ねない。

俺はなんたって、スカーレット海賊団の副船長なのだから。

 

 

そんなこんなで俺は一か月間、母上殿の元にルミャと子供ともども厄介になった。

そこで一つした決断は、子供たちをこのままここに置いて行こうということだ。

この先、危ない航海があるかもしれない。

勿論フラン様の加護がある中で万が一など起こらないとは思っているが、それでもなるべく子供には安全な場所にいて欲しい。

 

同時に、幼少期からあんなロマンあふれる冒険にいかせるのは我慢ならない、という醜い嫉妬心もある。

ロマンはせめてそれなりの実力を身に着けてから自分で探求するものだからな。

俺の子供たるもの、そのくらいはちゃんとやってほしいわけだ。

 

ルミャは子供と離れることを寂しく思うだろうか。

泣かれでもしたらこの決断も無に帰す可能性が非常に高いが、まぁルミャもスカーレット海賊団の一員である以上子供を連れて行こうとは思わないだろう。

多分。

 

そういえばフラン様はこの一か月ずっとこぁ様の元にいるという話だったが、大丈夫なんだろうか。

話を聞く限り色々と危なそうな気もするのだが。

10年間もほったらかしてきたわけだし。

いやまぁ、フラン様に限って危ないなんてことはないか。

 





海賊団の由来とか
当作品には偉大な先駆者を含め何者も貶める意図は含まれていません。
アンチヘイトタグはついてるけど、そう見えるかもしれないというだけで。
でもちょっとハードすぎ&くどすぎたかなぁという気はしたり。
でもでもフラン様の心の成長のために必要な犠牲だったということでひとつ。

結婚報告
重い話で終わらせたくなかったのでちょっと軽めの話。


次話はアラバスタ編ですね。
例によって例の如く建国前ですが。
……これまでに出てきた原作キャラって陽樹イブだけじゃなかろうか。
え、キャラじゃない?


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

原作4300年前~ 砂漠の国
砂漠の民と(元)船大工の望み


前回のまとめ

・スカーレット海賊団の発足。
・10年ぶりの里帰り



 

 

「うへー暑い―溶けるー」

 

「おい、ウェン、氷出せ氷。俺も暑い」

 

「ちょっと……この環境で一番つらいの僕なんだけど、副船長……」

 

「まったく、情けないのう。鍛え方が足りんわい。心頭滅却すれば火もまた涼し、じゃ」

 

「まぁ鍛冶の炉に比べりゃ全然だな」

 

そんな呑気な会話をするスカーレット海賊団の一行は今、砂漠の島へと上陸していた。

島というには広いかもしれないが、この世界における大陸はレッドラインの事を指し、それ以外の陸地は全て島なのである。

 

「ああーひんやりする―」

 

「ちょ、ちょっとキャプテン、抱き付かないでくださいよ!」

 

「ウェンもこの10年で大きくなったねぇ。よしよし」

 

「~~~~!! み、みなさん、ニヤニヤ見てないで助けてくださいよ!」

 

「まぁまぁいいじゃねえか。この島では船長を背負っておけよ。役得だぜ?」

 

「船長の体格なら重さを感じることもねぇだろ」

 

「マーローンー? 女性に体重の話はしちゃいけないって言ったよね?」

 

「ひっ。……き、気を付けます、はい。だからルミャ、その高密度のドス黒い闇はしまおうな。な?」

 

吸血鬼のフランはルミャの闇が覆っているとはいえ、ギラギラと照り付ける太陽と暑い気温にグロッキーになっていた。

その結果ヒエヒエの実の氷人間のウェンディゴにおぶさり、彼をクーラー代わりにしていた。

もちろんフランがその気になればこの程度の太陽などなんの痛痒も感じなくなるが、普段のフランは極力妖力を纏わず力をセーブしている。

それは、突出した力を封印してクルーたちと冒険を繰り広げるためでもあり、こういった些細なイベントを楽しむためでもあった。

 

「にしてもナヴィ。なにもないけどほんとにこっちであっているのか?」

 

「ええ、大丈夫ですよ。“紙鳥”で広域偵察しましたし、私の計算ではそろそろオアシスが見えてくるはずです。……噂をすれば、ほら」

 

砂丘を越えた一行の眼に映るのは砂漠の中でそこだけ緑色が眩しいオアシスだった。

オアシスには大きな集落が形成されていて、結構な人数の人が住んでいる。

《砂漠の民》とでも仮称しようか。

人々の中でも男性は褐色の肌に白い布を纏っており髪を剃りあげているために、見るからに未開の異邦人と言った見た目だ。

女性の方も髪を刈りこんでいる者やほとんど裸に近いヒラヒラした衣装の者もいるが、中には髪を伸ばし白いワンピース型の服を纏っている者もいて、まだしも文明的である。

 

ちなみにナヴィの言っていた“紙鳥”とはペラペラの実の紙人間だからこそできる、自分の一部を折り紙で造形するという技の一種である。

なお、折り紙の折り方は暇なときにフランが船室で教えたものだが、眼鏡装備の線の細い真面目な学者風の男性であるナヴィに見た目幼女のフランが折り紙の折り方を教えている光景ははたから見ればほっこりしたことだろう。

 

「おーすごい。まさに古代エジプトってかんじ。でも腰巻だけかぁ……昔を思い出すなぁ……。髪を剃ってるのは気候のせいかな?」

 

フランたち一行が近づいていくと、それに気が付いた砂漠の民が慌てて行動を開始する。

武器を取りに行く者、女子供を避難させる者、逃げ惑う者、応援を呼ぶ者。

海賊団の来襲に対しては自然な反応であり、実際数々の集落を壊滅させてきたスカーレット海賊団を警戒するのは正しかった。

もっとも、以前ならこの敵対までいかない警戒反応だけでも皆殺しになった村もあったのだが。

 

現状はフランの教育の成果もあり、とりあえず“フランの偉大さを広める相手”程度には相手のことを認識するようになっている。

ちなみにこれもフランが前世において西洋の侵略者がキリスト教を布教していた過去に倣って思いついた手段である。

“知らないとはいえフランに敵意を向けた”ことが以前までのクルーたちの殺意の引き金だったのを、“フラン様のことを知らない哀れな先住民に布教しよう”程度にはなっているのだ。

 

よって現在スカーレット海賊団は臨戦態勢の砂の民に対して非常に穏健に対応していた。

具体的には、とりあえず初手で圧倒的な力の差を見せつける。

とんでもない威圧外交――それも暴力を伴ったもの――である。

 

だいたいは覇気で相手を気絶させるところまではいかない。

それよりも視覚的に効果のある悪魔の実の能力者がなにかしたほうが効果が高いことはいままでの経験でよくわかっていた。

フランを含めクルー皆がラフテルにいたころは知らなかったが、どうやらこの世界では悪魔の実というのは希少なもので、体を自然物そのものに変化させるロギアなど普通に神様のように扱われることが常だった。

 

実際、このときもロギアの者たちがちょっとした宴会芸のようなことをするだけで、砂漠の民は驚き地に伏せ、スカーレット海賊団の訪問を歓迎した。

 

 

 

 

「あー暑いー」

 

「言わなくても分かってるよ、船長。そうやって口に出すからなおさら暑いんじゃないのか?」

 

「もう少し闇を濃くしましょうか、船長?」

 

「いやぁまあ大丈夫だよ、ルミャ」

 

私たちは今砂漠のオアシスに有る集落にいた。

砂漠を見るのは前世を含めて初めてで、かなりわくわくとどきどきがあったんだけど、私はそれを上回る暑さと日光にやられていた。

滞在二日目にしてもう海に出たくなっている。

 

「……でも面白いんだよなぁ、砂漠。料理もおいしかったし」

 

「確かにな。クックも料理のレパートリーが広がるっつっていろいろ勉強してたぜ」

 

「マロンも植物の研究楽しいんでしょ」

 

「おう。幻覚を見せるサボテンとかも興味深いけどな。これなんか見てみろよ、船長、ルミャ」

 

「うん? なんか匂うね」

 

「ああ、これはあいつら――砂漠の民が重宝してる植物みたいでな。こいつから出る液を肌に塗りこむことで日光に負けない丈夫な肌を作ることができるみたいなんだ」

 

「へぇ、そんなものがあるんだ。確かにこの日光じゃ普通なら火傷しちゃいますね」

 

「私たちみたいに覇気を纏えないと日中50度を超える砂漠じゃ確かに火傷するね。なるほど、幼少期からそうやって肌を慣らしてるんだね。砂漠の民ならではの知恵って感じかな」

 

「それと砂漠で体を清潔に保つのも難しそうって思うだろ。でもこの液に消毒やら防臭やらの効果がありそうなんだよ。これ、いい匂いもするしなんだったら香水にでもすればラフテルで人気になるんじゃないかと思ってな」

 

「香水! それはいいね、マロン。完成したら私にも頂戴ね」

 

「はいよお姫様。精製は船医にでも頼めばやってくれるかな?」

 

「香水ねえ。私って吸血鬼だからか体臭とかしないんだよね」

 

「え? 船長って普通に匂いしますよ」

 

「えええ、ほんと? 私人間の数十倍は鼻がいいと思うんだけど、全く分かんないや。自分の体臭って分からないって言うけど……。血の匂いでもするの?」

 

「血というよりはどこか甘い匂いがします。はちみつを使ったお菓子みたいな……」

 

「そうだな、甘ったるいってほどじゃなくて、仄かに香る程度だが」

 

「ふうん? お菓子が好きだからかな?」

 

三人でそんなどうでもいいような会話をしていると、船大工兼鍛冶師のカープが飛びかける声が聞こえた。

 

「おーい、お頭、ちょっときてくれー。凄いモンを見つけた!」

 

「お、なになに?」

 

言われたとおりに向かってみると、砂の中から巨大な白い物体が顔を出しているのが見えた。

現場にはカープだけじゃなくて他にも何人かクルーがそろっていた。

 

「お頭、この白い石を見てくれ。こいつをどう思う?」

 

一瞬、ネタに走ろうかと思ったけどこの世界じゃ誰も反応してくれそうにないよね。

 

「きれいだね。これは……大理石、かな?」

 

「おお、流石お頭、なんでも知ってるな。ふむ、大理石って言うのか」

 

「そうだね。でもなんで砂漠にあるんだろう」

 

大理石は高級感のある半透明で縞目が綺麗な白い石だ。

英語ではマーブル。

マーブル模様の語源にもなってる。

でもたしか大理石って石灰岩だよね?

石灰岩って珊瑚の死骸とかじゃなかったかな。

砂漠にあるのはなんでなんだろう。

 

「とりあえず砂をどかしてみようか」

 

砂に埋もれてよくわからないので周囲の砂を魔法で巻き上げて飛ばす。

すると、出てきたのは巨大な鉱床。

大理石だけじゃなくてもっと白く輝く石もあった。

 

「こっちは石膏、かな。きれいな白だね、雪花石膏っていうんだっけかな」

 

石膏は海水が干上がってできるものなんだっけ。

大理石もだけど昔はここが海だったのかな?

それにしても地質学の授業で勉強したことが来世の700年後に活かされるとは……。

 

そんなことを考えていると、砂漠の民も砂を巻き上げた竜巻を見てかぞろぞろと集まってきた。

そして口々に驚きの言葉を発する。

そりゃあ自分たちの住んでる砂の下からこんなもの出てくればびっくりするよね。

 

「こりゃあ、なんてまた、美しい……」

 

「ああ、驚いたな、こんな石があるのか……」

 

「綺麗ですね……」

 

けど驚いてるのは砂漠の民だけじゃなくて、カープやマロン、ルミャを含め、スカーレット海賊団のみんなもだった。

ここまで白い石は確かに珍しいのかな。

私としては前世の記憶があるから別にびっくりはしないけど、そういえばこの世界はインターネットどころか流通すらないし、珍しさの価値は前世よりずっと上なのかも。

 

「こっちの大理石(マーブル)は建築資材とか彫刻とかに使われるね。雪花石膏(アラバスタ)の方も過熱すると大理石みたいになるらしいけど。あとは芳香剤になるんだっけかなぁ。流石にこれ以上は良く知らないや」

 

むしろよく覚えているものだ。

授業で聞き流した覚えしかないのに、当時の自分すら覚えていないような記憶を今なら引き出せる。

吸血鬼の記憶力は記憶するだけじゃなくて引き出す方もすごい。

というかそういう能力でもないと辞書なんて作れなかったけどね。

 

「これで……建築、か……」

 

なんだかやけに熱のこもった声でカープが呟いている。

なんだろう、琴線に触れた?

カープはしばらく目を閉じて唸っていたけど、決心がついたのか私に話しかけてくる。

 

「お頭……俺、この石で建築、やってみたいんですが」

 

私たちスカーレット海賊団は一つの場所に三日から一週間ほど留まることが多い。

でも、さすがに一から石材を切り出して建築するとなったら重機とかだってないし軽く一週間以上はかかるだろう。

だから、私は船長としてこのカープの提案は蹴らなきゃいけない。

 

「んー、まぁ他の皆に聞いてみて、だね。マロン、みんなを集めて」

 

「おうよ、船長」

 

 

 

 

結論から言えば、私たちスカーレット海賊団はしばらくこの砂漠のオアシスに滞在することになった。

なんでもカープは最近、マロンのために剣を作ってから鍛冶師としての仕事にもなんだか身が入らなくなっていたらしく、クルーもみな心配していたそうだ。

……私は気づいていなかったんだけど。

 

で、カープは大理石と雪花石膏という未知の石に魅せられて、建築士としての血が騒いだらしい。

というのもラフテルにいたころはもともと建築士で、船大工も兼任していた状態だったそうだ。

カープもまたラフテル中から選抜されたクルーの例にもれず才能あふれる人間で、基本的に何でもできる人だったみたい。

そういえば船の中でも日曜大工的な感じで色々作ってたりもしてたね。

 

クルーは船長(わたし)さえ良いなら、という条件付きでカープの頼みを聞くことにした。

まぁ私もたまにはひとところに落ち着いてのんびりしてもいいかなとは思っていたし、砂漠は珍しいのでもう少し堪能したいという気持ちもあったのでオーケーを出した。

 

そして最終的には、私が設計した建物をスカーレット海賊団みんなで協力して作る、というお祭りイベントのような何かになっていた。

 

ちなみに、もちろん私は建物の設計なんてできないので、簡単なイメージイラストを描いただけだ。

なんとなく古代エジプトっぽい感じと白い建築物ということでアラジンに出てくるような頭が丸い宮殿のイラストを描いたところ、これがみんなに好評だった。

確かにこんな異国情緒あふれるデザインのものはラフテルにはないもんね。

 

と、そんな感じで建築が始まってから気づいた。

 

あれ? アラジンのモデルってエジプトじゃないよね。

アラビア語とかでてたし。

そしてそうなると私が描いた宮殿が、明らかにタージ・マハルなことに気が付く。

インドだよ! エジプトじゃないよ!

確かに大理石で真っ白な宮殿だけど!

 

というかそもそも建築素人のクルーたちを動員して作る建築物にしては複雑なうえ大きすぎたし、宮殿なんて建てても、私たちスカーレット海賊団は次の目的地に向けて出発するわけで放置していくしかないのだ。

どう考えてもただの計画なしである。

だいたい私が悪い。

 

けど、嬉々として石を切り出し建築し始めているクルーの姿を見ると私には何もいえなかった。

 

「ねぇマロン。そんなに建築作業楽しい?」

 

「おう。これも“未知”の一つだしな。船長の威光を示すような立派なモンを作るってのはなかなかにロマンじゃねえか」

 

こんな感じである。

多分時間が経てばめんどくさくなると思うんだけど、今は新しく始めた作業にみんな興味津々というかほんとに楽しそうに働いている。

 

さてその間私は何をしているかと言えばクックと一緒に特にやることもなくのんびり過ごしている。

クックはクルーの中で唯一、料理の研究のために建築には関わらず私の傍にいるようにしたそうだ。

一応、私を一人にしないように、というクルーの配慮でもあるらしい。

 

そんなこんなで砂漠をあっちこっち飛んでみたり、海の方まで出ていったり。

その中で最悪の出来事が一つ。

 

砂漠のオアシスでイチゴを見つけたことがあった。

お、珍しいと思って一つつまんで口に入れる……。

そのあとのことはあまり覚えていない(正確には覚えているけど思い出したくない)が、クックの話だと地形が変わる程に狂乱していたらしい。

クックも余波に巻き込まれて死にかけたとか。

異変をかぎつけてやってきた船医のおかげで大事はなかったらしい。

 

そのイチゴ、実は蜘蛛だったのである。

今でも思い出すと鳥肌が立つのだけど、イチゴのように見える真っ赤な蜘蛛だったのだ。

しかも船医がのちに調査したところでは食べると数日後に突然死ぬ猛毒を持っているという凶悪な奴だったらしい。

吸血鬼の私に毒なんて効かないはずなんだけど、その事件の後は三日三晩うなされた。

毒よりも口の中で蠢く細い足が……ぷちっと潰れる感覚が……苦い液体が……いや、やめよう。

 

まぁ、それはそれは嫌な事件だった。

ただ、面白い発見ももちろん多い。

なかでも砂漠の生物はどれもユニークで、他の環境とは生態系が全く異なるのだと思い知らされた。

生物と言えば、砂漠にすむものだけでなく、砂漠の周辺の海や河に住む生物も変わったものが多かった。

猫のようにみえる海獣とか結構可愛いものも見れた。

というかクックがジュゴンみたいな海獣に武術を教えてたんだけど、なにやってるんだろ……。

 

 

しばらくあたりを彷徨って、久しぶりにオアシスに帰ると、建築スピードが一気に上がっていた。

何があったのかと思えば、砂漠の民が建築に参加していた。

それも、宮殿だけじゃなくて周囲に街のような感じで色々と作り始めている。

 

「カープ。どうしたのこれ」

 

「お頭、帰ってきたんですね。いやぁ、俺らにも何が何だか。なんか勝手に手伝われちまって。言葉が分かればいいんすけどねえ」

 

「ふうん」

 

私はひとりの砂漠の民を呼んで、彼に話しかけてみた。

砂漠の民の言葉は分からないけど、私は見聞色の覇気を使えば相手の考えていることを大体読み取れる。

その結果、彼らは私たちを神の一行のようにとらえていて、超常の力(悪魔の実や覇気のこと)を使い、見たこともない綺麗な白い石を使って何かを作っているので、是非とも手伝いたい、という心境なのがわかった。

加えて、クックが作る料理などの私たちが持つ文化についてもいたく感銘を受けているようだった。

 

なんだかここまで懐かれると土の民との初接触を思い出してこそばゆい。

タージ・マハルもどきの宮殿をつくるためにはしばらく滞在しなきゃならないし、その間くらいは面倒見てあげてもいいかなぁ。

 

とりあえず言葉と文字を教えるところかなぁ。

私は相手の思考を読み取れるけど、意思疎通ができないとどうしようもないし……。

 

 






細かいネタ解説とか。

・幻覚剤になるサボテン
原作のメスカルサボテンのこと

・香水の元になる植物
砂漠にそんな植物生えるって結構珍しいと思う。もちろん原作ナノハナの街から

・フランの匂い
なんとなく甘いお菓子の匂いがしそう。作者の勝手な妄想

・海ネコ
フランが可愛いと言ったがためだけに、のちにこのあたりで神聖な生き物として扱われるようになる勝ち組生物。4000年前なので原作よりも可愛いかった可能性もある(子海ネコは原作扉絵でも可愛かったけど)

・砂漠のイチゴ
原作ではエースが食べた(食べてない)もの。3日間症状なしで潜伏して突然死に至らしめる上に、死体がその後3日間感染源になるとかいう凶悪過ぎる毒を持つ蜘蛛。死体が感染源ってもしかして空気感染?ヤバすぎませんかねぇ。

・クンフージュゴン
なぜカンフーも何もありそうにない砂漠の国であんな生物がいるのか。それは誰かが教えたから。代々受け継がれた武術は中国ならぬカンフー4000年の歴史を誇る……といいなぁ




目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ナヴィとの話とルミャとの話

前回のまとめ

・砂漠のオアシス堪能
・大量の大理石と雪花石膏発掘
・タージ・マハルもどきの宮殿建設開始

今話は会話文多めの番外編的な感じ?


 

 

みんながせっせと宮殿を作っている間、暇だった私は砂漠中を飛び回って冒険していた。

しかしそれも半年ほどで飽きてしまい、それからはきまぐれで建築の手伝いをしたり、砂漠の民に色々と教えてあげたりしていた。

大理石の切り出しなどは悪魔の実の能力や、覇気を纏った剣でスパスパきれるのでいいのだけど、もち運びと組み立ては人間の彼らにはそれなりに厳しい。

その問題は私が周囲一帯に重力軽減の魔法をかけるだけで一発解決なんだけど。

 

砂漠の民の方に関しては、最初は見た目が幼女な私がクルーみなのトップらしいということで疑問を持っていたみたいだけど、一回魔法で雨を降らせたことでそれも一発解決だ。

やっぱりオアシスとはいえ砂漠で雨を降らせる能力って重宝されるよね。

降雨の魔法は五行の一、水に関する比較的簡単な魔法なんだけどね。

ただ、雨の中では吸血鬼(わたし)が動けなくなるのと、ペラペラの実の紙人間のナヴィに嫌な顔されるからあまり降らせたくないところではある。

 

お、噂をすればなんとやら。

 

「おーい、ナヴィー」

 

「おや、船長。どうしました」

 

「ちょっとお話ししない?」

 

「ええ、いいですよ」

 

暇だったのでナヴィを捕まえておしゃべりすることにする。

そういえばナヴィは現状に対してどう思ってるんだろう。

 

「そうですね。私としては早く航海を再開したいという気持ちもありますが、カープが実に楽しそうですしね。クルーもみな協力的ですし、しばらくはこのままでいいんじゃないでしょうか」

 

「航海を再開したいって言うのは、やっぱり?」

 

「ええ、私は生きているうちに世界地図を書き上げたい――まぁ、10年以上かけてカームベルトの間のみ、それもまだ半分しか終わっていないという現状では夢物語なことは分かっているんですが」

 

「カームベルトの間って言っても、隅々まで探索したわけでもないしね……」

 

「そうですね。だから夢としては持っていますが、半ば諦めていますよ。だから早く海に出ようとカープを責める気もありませんしね」

 

「……それは、時間さえあれば解決するのかな?」

 

「船長?」

 

「ねぇ、ナヴィ。私が永遠の命をあげるって言ったらどうする?」

 

「それはこぁ様のように眷属化する、ということですか?」

 

「……うん。こぁみたいに完全に私の眷属になれば人間の尺度じゃほぼ不老、永遠の寿命を得ることにもなると思う。ルミャみたいに眷属まで行かなくても、私の因子を強く与えれば100年200年以上寿命を延ばすのはわけないよ」

 

「……船長。いえ、フラン様。今、ご自分がどんな顔をなさっているか分かりますか?」

 

「……え?」

 

「迷っていますね。私を眷属化はしたくない、それでいて(ナヴィ)が死ぬのも嫌だ、なんて。私の自惚れでなければそんな顔をしていますよ」

 

「…………」

 

「そしてそれは、カープにも言えることなのでしょう。それで、私に聞いてみた」

 

「……やっぱりナヴィは頭がいいね。なんでもお見通し、かぁ」

 

「いえいえ、私がというよりはフラン様が素直なだけですよ」

 

「単純って言ってる?」

 

「いえ、わかりやすい、と」

 

ニヤリと笑ったナヴィの顔を見て、私は思わず噴き出した。

こんなやりとりは、ラフテルにいたころじゃ想像もできなかった。

この気安い軽口を叩ける関係性は、この10年にも及ぶ大航海で培われたものだった。

 

笑ううち、涙が出てきた。

この涙は、なんの涙なのだろう。

 

「――そう、だね。私は、ナヴィやみんなが人間であることがうらやましい。今を生きる生命の一瞬の輝きっていうの? それが見ていてとても眩しい」

 

もとは人間だった私が言うのも変な話だけど。

私の持つ妖力と、人間の持つ覇気。

どっちも生命エネルギーのような力で共通点もあるけどまったく同一の力じゃない。

それは、なんでか考えたことがある。

 

その性質を研究してわかったことは、覇気はその時を生きる人間の生命力の発露だということ。

子供が持つ覇気は弱く、外に出すことが難しい。

成長して来れば生命力の増大に伴って覇気の強度も増す。

そして、死に近づくほど弱くなる。

 

それに対して私の妖力は、過去生きてきた歴史の積み重ねだった。

私の妖力はこの世界に生を受けたときはたいしたことがなかった。

それが、この世界で過ごしていくうちに徐々に増大していき、100年を超えるころには人間のそれを上回っていた。

妖力の増大は700年経った今でも続いている。

それを知った時、私の中には納得があった。

吸血鬼を含む妖怪の類はその生きてきた年月が長いほどに力を増す。

私たちのような存在は、過去何を成してきたか、がそのまま力となるのだ。

 

何を成すかで発露される未来に生きる生命の力と、何を成してきたかで顕現する過去に生きてきた生命の力。

それが、覇気と妖力の違い。

そして、人間と妖怪(わたし)の違いだった。

 

「私は“今”を精いっぱい生きるってことができないの。私にとっては“今”は長すぎる。永遠に終わらない“今”を生きるのはある意味地獄だよ」

 

「だから私たち人間がうらやましい、と?」

 

「そう。そして、それだから眷属になんかしたくない。こぁのときは事故で、偶然で、相手も望んでいた結果になったからって自分を納得させることができたけど、今度はそうはいかない。……でも、人間の寿命は――短い。私からすれば、それこそ一瞬の輝きだよ。あと30年もすればスカーレット海賊団の初期メンバーはルミャ以外みんな寿命で死んじゃうでしょ」

 

「そうですね。私や副船長ももう40過ぎです。一番若かったウェンディゴ君も30を超えましたものね」

 

「私はもうラフテルで何回も世代交代を見てきたからさ、慣れてはいるんだよ。それでも、これほど濃い10年間はなかった。みんなにもとても愛着がわいてる」

 

「……そう言ってもらえればクルーは一同涙を流して喜びますよ」

 

「ナヴィは泣かないの?」

 

「私は、水が嫌いですので」

 

「……あはは、そうだったね」

 

空を見上げると、いつの間にか日は落ちて月が昇っていた。

砂漠で見る月は、幻想的なほど美しい。

 

「だからさ、死んでほしくないんだ。でも、人間はいつか死ぬ。私はどうすればいいのかなって思って、ずっと悩んでた。だから、最後にはきっと、みんなの意思を尊重する」

 

「フラン様が「死なないでくれ」、「眷属になってずっと傍にいてくれ」と言えば、私も含めクルーは誰でもフラン様に従いますよ。それでも私たちの意思を?」

 

「……うん。私が欲しいのはお人形さんじゃないもの」

 

「そうですか。――では、フラン様。最初の質問に対する私の答えを」

 

「……うん」

 

「――私は、永遠の命を望みません。フラン様とともにずっと過ごすというのは名誉で、心が打ち震えることですが、それでも私はフラン様が愛してくださった一人の人間として逝きたいと思います」

 

「……そっか。……うん、多分ナヴィならそう言うんだろうなって思ってた」

 

「だからこそ、私に話したのでしょう?」

 

「そう、なのかな。そう、なのかも」

 

「カープにも直接聞いてみることをお勧めしますよ」

 

「……結果は、分かってるけどね」

 

「それでも、ですよ」

 

「……うん」

 

私は夜空に浮かぶ月を見上げた。

そうしないと、水が嫌いなナヴィを不快にさせるかもしれなかったから。

鼻の奥が、痺れたように痛い。

 

「今の話を聞いて、私も一つ学びましたよ、フラン様」

 

「……どんな?」

 

「私は私一人で夢をかなえようと思っていましたが、必ずしもそうしなくてもいいということを。フラン様の言にあやかるなら、人間は未来に思いを託して行ける生き物でしょうから」

 

「そうだね。子孫を作るのは私にはできない、人間にしかできないことだね」

 

「とりあえず私も子供を作ってみようと思います。今まで色恋にはとんと興味を持てなかったのですが」

 

「あはは、航海中だと相手を探すのが大変だね。砂漠の民からだれか気に入った人でも見つければ?」

 

「確かに、水気の少ないこの土地の女性は相性がいいかもしれません」

 

「女性選びもそこが基準になるんだ……」

 

「ええ。どうも私は水気を連想させる肉感的な女性が苦手な様でして。それこそルミャさんのような女性の方が好みですかね」

 

「すっごい真面目な顔で貧乳好き宣言するんだね。ルミャが泣くよ?」

 

「貧乳というよりスレンダーな体型、ですが。ルミャさんに伝わると泣かれる前に副船長に殺されそうなので、ご内密に」

 

「いいけど。ルミャを寝取っちゃだめだよ」

 

「船長は私をなんだと思ってるんですか。自分で言うのもなんですが、恋愛経験のない40過ぎの堅物がそんなことをできるとでも?」

 

「言ってて悲しくならない?」

 

「いえ、まったく」

 

「なんかナヴィのそういうところ尊敬できると思う」

 

「それはありがとうございます」

 

すごく重い会話をしていたはずなのに、いつのまにか内容がとても軽くて気楽なものになっていた。

長く一緒にいた私には、これがナヴィの心遣いだということは分かっていたし、ナヴィも私が気づいていることを察しているだろう。

でも、私は何も言わないし、ナヴィも何も言わない。

 

船の針路のみならず、私の悩みも、会話の流れも、すべてを理解し操って見せるのが、スカーレット海賊団が誇る航海士、ナヴィという男だった。

 

 

 

 

さてまぁ、私もうじうじと思い悩んでいただけではない。

私の教育のおかげで滞在一年がたつころには、砂漠の民は日本語をちゃんと喋れるようになっていたし、一部の知識層は読み書きもできるようになった。あとは船にたくさん積んである辞書を数冊あげれば私たちが去っても文化はすたれないだろう。

ちなみに教育に用いたのは一種の精神魔法。

使い方によっては洗脳とか危ないこともできるのだけど、今回のは単なる知識の植え付けだ。

 

そして言語文化だけではなく、私はさまざまなラフテルの――正確には前世の――文化を伝道した。

そのうちの最も偉大な文化の一つが、何を隠そうずばり、

 

お風呂!

 

である。

 

 

「ふあぁぁぁ、生き返るぅぅぅー」

 

「船長は不死なだけで別に死んでないと思いますけど……?」

 

「いいの、ルミャ。こういうのは雰囲気なんだよ」

 

ここはこの世の楽園、じゃなかった、公衆浴場である。

砂漠で暮らしている人たちにお風呂の文化なんてあるわけもなく、もちろん私が作った。

元日本人のさがか、それとも流水が苦手な吸血鬼ゆえか、私はお風呂がとても好きだ。

それに加えて砂漠だと砂煙が舞い上がって全身がスナスナし始める。

で、我慢できなくなったのでどーんと大浴場を作っちゃった。

 

そしたらまぁサンタ・マリア号の船室の広いお風呂にすでに洗脳されていたクルーのみならず、砂漠の民にも大好評。

やっぱりお風呂は万人共通の文化だとはっきりわかるんだね。

ちなみに水が嫌いなナヴィと、入ったら溶けてしまうウェンは頑なに入ろうとはしない。

なお、悪魔の実の能力者は水に浸かると力が抜けるらしいけど、そこらへんは魔法で対策してある。

この船以外のお風呂に入れないってのは難儀な体だよね。

 

「ルミャもお風呂好きなんだっけ? なんかあんまりそういうイメージないけど」

 

「うーん、私もクルーの皆さんと同じで、この航海で染められちゃった派ですかね。ラフテルにいたころも公衆浴場はありましたけど、なんでわざわざ熱い湯に入るんだろうと思ってましたもん」

 

「まぁラフテルは気候的に寒くならないからね」

 

「そうですね。でもこの間ラフテルに戻った時にしっかり布教しておきましたから!」

 

「あはは。ラフテルにも温泉湧けばいいのにねぇ」

 

「温泉、ですか。天然のお風呂でしたっけ?」

 

「そうだよー。美容に良かったりとかお湯自体にいろいろ効果あったりするの。お肌がつるつるになったり」

 

「それはいいですね!」

 

「ルミャは別に気にしなくても肌もきれいじゃない」

 

「ふふ、船長に言われても自信持てませんよ。――でもまぁ、私も普通の人よりはずっといいんですよね……」

 

ルミャの言葉は前向きだけど、口調に影があった。

 

「……やっぱり、ヒトから外れつつあるのは、気になる?」

 

「いえ、そんなことは……。ううん、船長を、フラン様を責める気持ちとかは全くないんです。どころか、私の命を救ってくれて、それで私はマロンと結婚して子供もできて、幸せなんです」

 

ルミャにはかつて私の妖力を注ぎ込んだ。

その結果、彼女の体の中には吸血鬼である私の因子が混ざりこみ、身体能力などもろもろが人間のスペックを超えている。

具体的には、素の身体能力でクルー最強であるマロンの二倍、夜目がきき、五感に優れ、寿命は200年ほど伸びている。

寿命の延びにあわせて老化もほとんど止まっているため、もう三十路に差し掛かろうというのにルミャの見た目は10代の少女にしか見えない。

だから肌も手入れの必要がないほど白くて綺麗でハリがあるし、それでいてたおやかな外見とは裏腹に多少の怪我では死なない生命力もある。

妖力によって強制的に覇気にも目覚め、今本気でマロンとルミャが闘えば十中八九ルミャが勝つだろう。

 

それほどの恩恵を受けておきながら、実はデメリットはほとんどない。

勿論私がそのレベルにとどまるように調整したおかげだけど、ルミャは日光にも流水にも弱くないし、吸血衝動もない。

せいぜい、興奮した時に目が赤く染まるのと、夜の営み中にマロンの首筋に甘噛みする癖ができてしまったことだけらしい。

もちろん発達した犬歯なんてないので意味はないのだけど。

ちなみにこのせいで彼らがことに及んだ翌日にはマロンの首筋に噛み跡があるのではっきりとわかってしまう。

まぁデメリットと言えばデメリットだろうか。

 

と、そんなことはどうでもいい。

今は真面目な話をしてるんだった。

 

「でも、いつかはその幸せも終わってしまうんですよね。もともとマロンと私には年齢差がありましたし、先に彼が逝くことは分かってたんです。でも、今の私の寿命じゃ、マロンどころか子供たちが大人になって、老人になって、死んだとしても私はまだ生きているんです。そう考えたら、不安になってしまって。マロンがいない世界で私は生きていけるのかなって……」

 

その悩みは、吸血鬼になって以来私が抱えているものと同じだった。

だからよくわかる、他人に置いて逝かれる苦しみは。

その上、ルミャはまだ人間の範疇にとどまる。

同族と異なるというのは、それだけで精神を蝕むことだろう。

私はまだ、自分が吸血鬼だという誇りと自負を持てているから、大丈夫なだけだ。

 

そう言えば、半年くらい前にナヴィとも似たような話をしたっけ。

 

「まったくもう、お熱いことだね」

 

「あ、い、いえ。すみません、フラン様にこんなお話しするつもりじゃなかったんですけど……」

 

「いいのいいの。お風呂はこういう話をするための場所でもあるんだから。身に纏ってる服を脱ぎ捨てて、本音をさらけ出せる場所なんだから」

 

「はぁ……」

 

「そういうものなの。――ま、ルミャ。私から言えるのはせいぜい悩みなさい、ってことくらいだね」

 

「え?」

 

「長い間悩んで悩んで悩んで、それで出した答えがきっとあなたには必要なんだよ」

 

「そうなんでしょうか……」

 

「そうそう。悩め若人暗闇の先の未来は明るいぞ、ってね」

 

「私はもう若人って年でもないと思うんですけど……」

 

「あはは、私からすればみんな若人だよ。――でもルミャ、一つだけ覚えておいて」

 

「はい?」

 

「私はいつでもあなたの味方だよ。答えが出たら私がどうにでもしてあげる。こう見えて私、神様なんだから」

 

「フラン様……」

 

「はい、もうこの話はここで終わり! お風呂に湿っぽい話はつきものだけどね」

 

「――っ、はい、船長!」

 

「じゃあなんかもっと軽い話しよう。最近マロンとはどうなの?」

 

「えっ、あ、いや、その」

 

マロンの話題を振ってあげれば途端に真っ赤になるルミャ。

ほんとこの子は分かりやすい。

 

「私こないだ、ルミャが砂漠の民の踊り子の衣装を買ってるとこ見ちゃったんだけど。スケスケのやつ」

 

「え、えええええ! うそ、誰にも見られないように注意してたのに!」

 

「……え、ええー。冗談だったのに、ほんとに買ったの……? まだ子供作る気?」

 

「~~~~っ!! せ、船長ぅううう!」

 

「あははははっ」

 

しばらく浴場には、ルミャが私に水をかける音と、私の笑い声が響いた。

 

 

――航海に終わりの影は見え始めているけど、それでもまだ、今はまだ、この楽しい時間を。

そんな願いは、一体誰に向けられたものなのだろう。

神様は、私だというのに。

 

 

 

 

 






・砂漠で降雨
それこそほんとに神様扱い。ちなみに原作のダンスパウダーではなく、実際に0から雨雲を作っています

・覇気と妖力の違い
だからフラン様の覇気は人間のものよりもずっと強いんだよ、というチートの裏付け設定みたいなもの。700年でこれなんだから原作あたりの5000年経過フラン様はどうなっているのやら。ここらへんの設定はガバガバ

・ナヴィの女性探し
このあとすぐに一人ひっかける。40過ぎとはいえ神様御一行の一人で誠実そうな男性から口説かれればすぐ堕ちる人もいる。相手はもちろん慎ましい女性

・お風呂
アラバスタ編で大浴場が出てきたので。それはともかくフランちゃんの貴重なお風呂シーン。原作よろしく覗きなんてしたら死にます。フランちゃんウフフ

・神様は、私だというのに
1話に出てきた神様「あれ?」


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

船大工の決意とフランのどうでもいい話

前回のまとめ

・フランとルミャのお風呂シーン



 

 

私は、カープに呼び出されて建設途中の宮殿に向かっていた。

もうこの砂漠のオアシスへの滞在期間は二年に及び、白亜の宮殿も半分以上が完成している。

カープはその宮殿の現在の最上階、作りかけの展望台で待っていた。

 

「おう、お頭。呼び出したりしちまってすまねえな」

 

「気にしないで。眺めもいいし、準備もしてくれてたみたいだから」

 

カープの足元にはお酒やおつまみなどが用意されていた。

砂漠の澄んだ夜空はとてもきれいで、今日は新月だからか一層星々が綺麗に瞬いている。

たぶん星空保護区(ゴールドティア)にも劣らない眺めだろうと思う。

 

私は「話がある」とだけカープに伝えられ、今ここにいる。

何の話かは、だいたい見当がついていた。

 

でも、初めは互いに何も言わず、お酒を盃に注ぎ合った。

軽く盃を掲げて縁をコツンと合わせ、乾杯する。

 

お酒は私がラフテルで作っていた日本酒でもワインでもなく、この砂漠地帯でとれる果物を使った果実酒だった。

果実由来だろうほのかに甘いまろやかな口当たりと荒々しい雑味が口の中に広がる。

悪く言えば洗練されていない未熟な酒造技術のお酒だけれど、案外と嫌いではなかった。

野性味あふれる、とでもいいのだろうか。

多分、この満点の星空の下だということも影響していると思うけど。

 

おつまみにはチーズと生ハムとドライフルーツが用意されていた。

 

チーズはこのあたりではまだ発明されていなかったようで、クックが砂漠の民に作り方を教えていた。

このクリームチーズは私がラフテルでも良く食べていた癖のないかなり完成された逸品だ。

どんなお酒にでも合うだろう。

 

生ハムは何の肉を使っているのだろう。

これは多分ここらでとれた獣か海獣の肉を使っているのだろうけど、臭み抜きの処理も完璧だし少々の塩気は甘い果実酒と相性がいい。

多分作ってくれたのはクックだね。

完璧な仕事をしてくれる。

 

ドライフルーツはどれも砂漠地帯の果物だ。

特に目を引くのはナツメヤシに似た植物の果実。

たしか英語でデーツっていうんだっけ。

なんか聖書に「神の食物」として出てくるようなものだった気がする。

食感や味は干し柿や餡子みたいな感じ。

とても甘くておいしい。

 

私とカープはしばらくの間、そうやって静かにお酒とおつまみを楽しみながら満天の星空を眺めていた。

心地よい沈黙を破ったのはカープだった。

 

「なあ、お頭」

 

「うん」

 

「俺さ、船を降りようと思うんだ」

 

「……そう」

 

とたんにおいしく飲んでいたお酒の味が分からなくなった気がした。

その言葉は、想定していたなかでも最悪から二番目の台詞だった。

 

「その感じじゃあ、俺がこういうのも分かってたか、お頭」

 

「……なんとなく。昔から悪い予感はよく当たるんだ」

 

「流石だぜ。……理由、話した方がいいか?」

 

「話したいなら、聞いててあげるよ」

 

「んじゃまぁ、ちょっと長くなるが、聞いてくれや」

 

カープが語った理由は簡潔なものだった。

船大工として乗り込んだものの、仕事がなかった現状。

一般のクルーとして働いていたが、どこかやるせなさもあった日々。

戦闘力も突出したものではなく、悪魔の実の能力も平凡なゾオンのもの。

船大工に代わる、スカーレット海賊団の中での確固たる役職を求めて手を出した鍛冶師。

鍛冶は楽しかったし魂を込めた逸品も完成したが、同時に感じた「これではない」という思い。

そんな中砂漠で出会った未知の石材。

ラフテルで大工として働いていたころの思いがよみがえり、再び建築を始めた日の事。

クルー皆とワイワイやりながら宮殿を作っていく毎日。

砂漠の民にも慕われ、彼らの生活をより良い形で発展させようと、街の設計をした。

その日々に、いつしか心奪われていたこと。

やがてくる航海生活に戻れば、もう建築に携わる機会はないだろうという思い。

 

「10年間、あっちこっちを旅した。本当に、楽しかった。みんなで馬鹿やって、未知の発見に驚いて。俺は、この広い世界のほんの一部の狭い世界しか知らなかった。だから、このままスカーレット海賊団の一員として最期まで旅をしたいって気持ちももちろんある。だけどよ――」

 

「…………」

 

「――ここで、この宮殿を作ってるときに、「ああ、俺の天職はこれだ」って思っちまったんだ。一度そう思っちまったらもう歯止めが効かねえ。俺は家を、建物を作るのが好きなんだ。なんでだろうな。船も、剣も、家具やらなんやら色々作ってきたが、なんでか家なんだ。理由は分かんねえんだが」

 

「……なにかを好きになるのに、理由はいらないよ。むしろ理由なく好きなものの方が、理由のある好きな物よりも大事なことの方が、多いと思う」

 

「そうかもしれねえな。……俺はこの砂漠だけじゃなく、もっといろんな場所でいろんな家を建ててえ。ラフテルで広まってるような家だけじゃなく、俺にしか作れないような家を。その土地に合った、最高の家を作ってみてえ。建材だって大理石(マーブル)雪花石膏(アラバスタ)、こんなその土地の建材の特色を生かした家を作ってみてえ」

 

「…………」

 

カープの言葉には熱がこもっていた。

本心からそう思っているのだと、この思いはもう覆せないと私が確信するには十分な語りだった。

 

「お頭……いやさ、フラン様。自分からサンタマリアの船員に志願しておいて、勝手なことはわかってる。無責任だと詰ってくれても構わねえ。だが、船を下りる許可を、くれねえか……」

 

カープは私の眼を真っ直ぐに見た。

ラフテルの民曰く、私の眼は正面から直視することにはとても精神力がいるらしい。

なるほど、確かに今もカープは歯を食いしばり、冷汗を垂らしている。

それほどまでの、必死の懇願ということだろう。

――私が返せる答えは、一つしかなかった。

 

「いいよ」

 

「……え?」

 

「いいよ、って言ったの。船を下りるのを、認めてあげる。……嬉しくないの?」

 

「い、いや、想像してたよりも随分とあっさりだったもんで、拍子抜けして。……自分で言っといてなんですが、いいんですか、お頭」

 

「……私はさ、スカーレット海賊団のこと、家族みたいなものだと思ってるの。私の(スカーレット)を冠してるからかもしれないけど、本当の家族みたいに思ってる」

 

「そいつぁあなんとも光栄なことですや」

 

「まぁそんなこと言ったらラフテルの皆だって私の子供みたいなものなんだけどね。――でも、スカーレット海賊団のクルーは私にとってそれよりもずっと近しい家族みたいなものなんだよ。だったら、家族の夢は応援してあげなきゃね」

 

「お頭……」

 

「ただし! いくつか条件があるよ!」

 

「お、おう!」

 

「まず一つ目。船を下りるのはこの宮殿が完成してから。みんなとの、最後の思い出にしよう」

 

「ああ」

 

「二つ目。あとで通信用の魔道具作るから、それを肌身離さず持ってること。なにかあったら必ず連絡してくること。地球の裏側でも一瞬で助けに行くから」

 

「……お頭」

 

「この条件は絶対に呑むこと。私は譲らないよ」

 

「――ああ、参った、参ったよお頭。あっさり下船許可くれたもんで俺の事なんて割とどうでもいいのかとも思ってたんだが……いや、すまねえ」

 

「ほんとにそんなこと思ってたなら怒るよ。――三つ目。家族(クルー)から離れて夢を追うんだったら、絶対にその夢を叶えること。世界中の人が驚くような建物を作らないと許さないよ」

 

「おう!」

 

「最後。――船を下りるのは許可するけど、スカーレット海賊団を抜けることは許さないから」

 

「……うん? お頭、それはどういう意味だ?」

 

「……はぁ。カープ、あなたもう少し人の心の機微を理解する努力をすべきだよ……。だから、スカーレット海賊団の船大工はあなたしかいないってこと。夢に挫折したら、いつでも戻ってきていいってことよ。――わざわざ言わせないでよ、恥ずかしい」

 

「――っ、ははっ。いや、ほんとお頭には敵わねえや」

 

「それはそうだよ。この世で私に敵う人間なんていないんだから。――お酒、おかわり」

 

「――あいよ。仰せの通りに」

 

 

その後、カープはクルー一人一人の元へ出向いて話をしたらしい。

マロンや他何人かとは口論の末殴り合いにまで発展したらしいけど、最終的にはみな納得してくれたそうだ

 

こうして、スカーレット海賊団の船大工兼鍛冶師兼大工のカープこと、ヴェルンド・カープは船を下りることになった。

否応なく“いつか来る終わり”を私に意識させて……。

 

 

 

 

「これでよかったのかなぁ……」

 

呟いた声は夜空に溶けて消える。

誰も返すことはない。

 

カープと話したあの夜からもうどれだけたっただろうか。

すでに白亜の宮殿は完成した。

名前は雪花石膏(アラバスタ)をもじってアルバーナ宮殿、としたらしい。

 

竣工式は盛大な宴を開いた。

いや、別に建築の神様に感謝したわけでもないし、竣工式って言うよりは落成式なのかな。

まぁ、ともかくお祭り騒ぎをやったんだよね

これはもちろん、カープのお別れ会も兼ねている。

すでに別れの言葉は済ませて、明日の朝にはスカーレット海賊団はこの砂漠の国を出る。

 

「……はぁ」

 

別れが明日に迫っていると思うと、もうとっくに吹っ切ったはずの思いが頭をもたげてくる。

これで良かったのか、これ以外の選択はなかったのか。

そんな迷いがぐるぐると渦まいて、苦しくなって私は独りアルバーナ宮殿のてっぺんにきていた。

てっぺんというのは人が立つことを想定した最上階ではなく、言葉通りの屋上だ。

砂漠の夜に吹き抜ける風は冷たくて、少しだけ頭が冷える気がした。

 

「あーもう、やめやめ。辛気臭いこと考えてるからだめなんだよね。なにか楽しいこととかどうでもいいことでも考えよう」

 

どうでもいいこと。

なんだろう。

そうだなぁ、私自身のことについてでも考えてみようかな。

 

私って吸血鬼なわけだけど、いわゆる普通の吸血鬼じゃないよね。

よくある吸血鬼の弱点である十字架とか銀製の武器とかは私に対して特別な効果がないし、感覚的には白木の杭を胸に打たれても死ぬ気がしない。

実際フォーオブアカインドの暴走事件の時、何回か心臓えぐられてるし。

にんにくの匂いだって別に苦手じゃない。

さすがに生でまるまんま一個食べるとかは遠慮したいけど、それは普通の人間も同じなんじゃないかなって思う。

 

明確な弱点って呼べるのは日光と流水くらいかなぁ。

日光も流水も正直本気で妖力纏えば気にならないレベルではあるんだけど。

一応妖力補助なしだと、日光は肌がすぐに日焼けするし、流水の中だと気力が奪われて動きたくなくなる。

そう考えると私の敵って天候?

晴れの日は言うに及ばず、雨の日も空や地面が全て「流れる水」状態になるから、物理的に外に出られなくなるもんなぁ。

打倒太陽! ってほどじゃないけど、時々太陽破壊したくなるし。

まぁ太陽は魔法で雲を呼んで隠せばいいし、雨雲は吹き散らしちゃえば問題ないけど。

やっぱり魔法も使えるって言うのが過剰性能すぎるのかなぁ。

不死性、怪力、飛行、霧化、蝙蝠化、吸血、催眠能力、大量の悪魔を一声で召還する魔力、これに加えて魔法と『ありとあらゆるものを破壊する程度の能力』だもんなぁ。

吸血鬼らしく拘束制御術式(クロムウェル)でも開発して能力制限した方がいいのかなぁ。

 

そういえば吸血鬼と言えば、私は吸血鬼(ヴァンパイア)ではなく吸血鬼(ドラキュラ)を名乗っている。

正確にはヴァンパイアが吸血鬼全般の事で、ドラキュラはブラム・ストーカーの小説に出てくる吸血鬼の事を指すんだけど、私はなんだかドラキュラの方に憧れを持っている。

正確には、ドラキュラのモデルとなったワラキア公ヴラド三世ことヴラド・ツェペシュに、だけど。

なんとなく、他人な気がしないんだよね。

血はつながっていないと思うけど、ノリで串刺し公(ツェペシュ)の末裔を名乗りたくなっちゃうくらいには。

あと彼の生きざまもそうだけど、名前もカッコいいよね。

ドラキュラはドラクル、つまり竜って意味が元なんだよね。

彼のお父さんがドラゴン騎士団の所属だったから竜公(ドラクル)って呼ばれていて、その息子だから小竜公(ドラキュラ)

しかも、西洋じゃ竜=悪魔って考えられていたから、後世にはドラクルは悪魔公、ドラキュラは悪魔の子、なんて呼ばれてたりして。

私が“吸血鬼は悪魔の王”って信じてるのってここら辺が原因なのかな。

ほんとに、なんとなくそう信じてるんだけど、なんでだろうね。

そんなわけで私はヴァンパイアじゃなくてドラキュラを名乗ったりしている。

 

そうだ、名前と言えば、この世界の名前の付け方は面白い。

もともと古の地で暮らしていた土の民たちの名前は姓名の順だった。

姓は土の民であることを示していてみんな同じだったから姓と呼べるかどうかは微妙だけど。

それが、ラフテルに来てからはみんなそれぞれ思い思いの姓をつけるようになった。

まぁ私が家族をわかりやすくするために「付けたら?」って提案したんだけど。

この時も土の民の方式に倣ったというよりは、馴染み深い日本の姓名方式を採用しただけ。

日本式って言っても、彼らは重要な役職の者にはミドルネームがつくこともあるから完全な日本式じゃないけどね。

一方で私の名前“フランドール・スカーレット”は名姓の順。

これは混乱が起こるかな、と思っていたらそんなことは全くなかったんだよね。

多分ラフテルの住民全員が私の名前について知っているからだと思うけど。

そんなわけで私だけ周りと名前の法則が違っちゃったりしている。

 

そう言えば、“フランドール・スカーレット”っていう私の名前はどういう意味を込めて名付けられたんだろうね。

スカーレットはまぁ、私の眼の色とか、吸血鬼を連想させる血の色とかそういうニュアンスの苗字なんだろうけど。

フランドールって色々と考えられるんだよね。

ぱっと思いつくところではフランス北部国境あたりのフランドル地方。

あの有名な『フランダースの犬』のフランドルだ。

もしくは同じくフランス語で“フラム・ド・オール”つまりは“Flamme d'Or”の可能性もある。

フランス語で“金色の炎”っていう意味だ。

これならかなりカッコいい。

実際、私が全力で妖力を解放すると金色の炎のように妖力(オーラ)が燃え上がるので、あながち間違いでもない。

フォーオブアカインドの時に分身した私がそうなってるのを見たけど、かなり綺麗だった。

それに、私金髪だから妖力の解放で髪が逆立つのも金色の炎に見えなくもないかな?

……でも、そうなると今度はスカーレットは英語だから謎になっちゃうんだよね。

スカーレットはフランス語ではエカルラートなんだもの。

“フランドール・エカルラート”なら素直に納得できるんだけど。

うーん。

 

 

そんなどうでもいいことを考えているうちに、私はいつしか眠りに落ちていた。

10年以上船の上で(吸血鬼にとっての)昼夜逆転生活を送っていたせいで、最近では夜の方が眠い。

“家族”との別れは私の心に浅くはない傷跡を残したけれど、その日の夢見は悪くはなかった。

 

 

 

 

そうしてスカーレット海賊団に籍を残したまま離脱したヴェルンド・カープだが、彼はその後スカーレット海賊団に一度も戻ることなくその生涯を終えることとなる。

ひとえにそれは彼が短い人間の生を精一杯生きたからであり、フランはそれを責めることはなかったという。

 

ヴェルンド・カープは“アルバーナ宮殿”の建築を終えた後、砂漠に適した高性能な一般住居を設計、建築した。

その家々はのちにアラバスタと呼ばれる国での興りとなり、長きにわたって住居建築のスタンダードとされることになる。

 

砂漠をあとにした彼は、フランに作ってもらった小型の船で世界中の様々な民族へと建築技術を授けた。

その範囲は驚くほど広く、気象条件・航海条件の厳しい偉大なる航路(グランドライン)を一人で巡った上に現地の住民たちとの言葉が通じない中でのコミュニケーションなどもとったことになり、後世ではこの業績はにわかには信じがたいものとされている。

 

また、彼に関する有名な逸話として、彼に思いを寄せた女性は「俺の家族はあいつらだけだ」という台詞でことごとくが振られており、生涯独身を貫いたことでも知られている。

 

彼の作った建築物自体が後世にまで残ることは稀ではあったが、「ある日突然現れて立派な家を与えてくれた」という伝承が世界各地の民族に伝わっており、また、その建築技術も後の世にまで多大な影響を与えたと考えられている。

 

例えば、4000年ののち、百科事典には彼の事を以下のように記してある。

 

 

ヴェルンド・カープ

アラバスタ宮殿の設計、建築をしたことで著名な建築家。

「生まれる時代を間違えた」と言われるほどの建築技術とセンスを持ち合わせており、現代まで残るアラバスタ宮殿を始め、のちに世界中に様々な建築物を広める。

それらの建築物の建築技術は現代でも解明されていない部分も多く、その多様性と特殊性は他の追随を許さない。

一説では、伝説の“エメラルドの都”を作り上げたともされるが、いまだ発見はされていないために信憑性は低い。

各地の民族の伝承では彼は独り小舟でその地を訪れ素晴らしい技術の建築物を広めたとあるが、以上のような個人では到底成し得ないような業績から、民族の伝承の一部には誇張、もしくは虚偽が含まれ、彼自身も単独ではなく、大工の船団を引き連れて世界中を航海したのではなないかと言われている。

ただし、その場合でも4000年以上前に偉大なる航路(グランドライン)を含む世界中の海を航海する技術があったのか、など多くの謎も残っており、彼は建築家としてだけではなく、記録上に残る人類初の優れた航海士であった可能性も示唆されている。

 

また凄腕の鍛冶師でもあり、それまで直剣しかなかった世界に反りを持つ“刀”を生み出したことから刀鍛冶の開祖である。

刀身部分に鋼を数種類使うことや、折り返しと呼ばれる画期的な鍛錬法を生み出したことでも有名。

鞘、柄、鍔なども自作する単なる刀工を超えた存在として知られ、またそれらの芸術的センスは神がかっており、最古の最上大業物の刀工に数えられるだけでなく優れた芸術家としての顔も持っている。

彼の打った刀剣類としては、最上大業物の他にも晩年に打った“(つい)の五剣”と呼ばれる5本の大業物の刀が有名。

彼の打った刀は時を経ても劣化しない性質を持っており、刀に刻まれた銘と素材の年代判定からこれらの刀剣類が4000年の昔に作られたことは判明している。

そのため、建築家としてのヴェルンド・カープと鍛冶師としてのヴェルンド・カープは別人ではないのかという説もあるが、少なくとも鍛冶師ヴェルンド・カープが4000年以上前に存在したことは確認されている。

 

これらの来歴から一般的に彼は、“万能の職人”という二つ名で広く呼ばれることになる。

 

さらに、それ以前は船大工として働いていたという伝承もあるが、こちらはどの伝承においても定かではない。

大方、独り小舟で旅をしていたという伝承の派生で、自身で船を直していただろうことに由来するのではないかと推測されている。

 

 

 

 

――のちにこれを見て、笑った吸血鬼がいたとか、いないとか。

 

 






・星空保護区ゴールドティア
国際ダークスカイ協会とかいう凄い名前の協会が定めている、世界で最も星が綺麗に見える場所のこと。
国際夜空協会でいいじゃないとか言ってはいけない。
世界で9つの保護区があり、その中でもゴールドティアと呼ばれる3か所はとってもきれい。
そのうちの一つがアフリカ南部にあるナミブ砂漠。
アラバスタもこのくらい綺麗だったらいいなって。

・お酒のおつまみ
唐突な飯テロ。
個人的に果実酒にあう3つをチョイスしてみました。

・話が重くなってきたので上記のような小ネタを挟みつつ
打倒太陽とか拘束制御術式とかもその一環。
どちらも有名な吸血鬼にまつわるもの。

・フランのどうでもいい話。
どうでもいいと言いつつ結構核心に迫るようなものもちらほら。
フランの名前とかは結構面白いと個人的には思ってます。
金色の炎ってカッコいい。

・エメラルドの都
空島前あたりでベラミーが言ってた。
詳細不明なので捏造。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

原作4300年前~ 鈴の少女
中華風の国と鈴の少女


前回のまとめ

・カープ離脱
・吸血鬼とか、フランの名前についてとか

注意:今話はかなりR15(エロ・グロ)な描写があるうえ、人によっては気分が悪くなる展開だと思います。
閲覧の際はお気を付けください。




 

 

フランがスカーレット海賊団を率いる航海を始めてから実に25年。

その長い旅の中でも見たことがない光景が、今フランたちの目の前には広がっていた。

 

「うわぁ……これはなんていうか、刺激が強すぎ……R指定かかっちゃうよ」

 

目の前に広がるのは肌色の光景。

フランたちがこのたび上陸した大陸の住人たちは一切の服を着ていなかったのである。

いや、正確には男性はしっかりと服を着こんでおり、女性だけが全裸なのだった。

 

文明度の低い土地の民はほとんど全裸であるようなことも多く、フランたちとしてもそういったことならば慣れているのだが、目の前に広がる光景はそれとはまったく趣を異にしている。

少なくとも目の前の女性たち服を身につけていないことには必然性が見当たらないのだ。

しかも、女性たちにはどこか生気がない。

 

これじゃあまるで……とフランが思ったとき、フランたちを遠巻きに見つめる民衆の中から武器を持った男たちが数人出てきた。

その格好は見るからに兵士といった様子である。

 

『お前たちは何者だ! どこから来た!』

 

兵士たちの内最も背の高い男がそう叫んだ。

ちなみに言葉が通じるのは長年かけてフランが開発した翻訳魔法のおかげであり、実際に彼らは日本語や英語を話しているわけではない。

この翻訳魔法は相手の言葉読み取るのと同時に、こちらの言葉も現地の言葉に翻訳して伝えることができるという、かなり高性能にして複雑高度な魔法である。

フランの700余年に及ぶ魔法研鑽の集大成と言っても過言ではない。

実際には覇気を応用した読心と念話魔法を応用した意思伝達なのだが、この魔法を介することで違和感と労力なく実際に喋っているように感じ取れるのである。

 

「……マロン、相手お願い。私とルミャは隠れておくよ」

 

「……おう」

 

マロンも目の前の異常な光景に何か感じるものがあったのだろう。

特に何もフランに尋ねはしなかった。

 

フランはルミャの元へとこっそり移動する。

 

「船長、これは……」

 

「しー。静かにしててね、ルミャ。今見えなくなる魔法かけるから」

 

「は、はい」

 

フランがルミャと自分にかけたのは光の屈折率を調節して周囲に自分たちの姿を見えなくする魔法だった。

ちなみに、その性質上太陽の光を防ぐことができるため、この魔法を開発してから太陽はフランの敵ではない。

もともと大した障害でもなかったが。

 

そのままフランはルミャを抱えて飛び上がり、空中でホバリングする。

眼下では現地住民とマロンのやりとりが行われていた。

 

「俺たちはスカーレット海賊団だ。お前たちは?」

 

『私たちはクーロンの衛兵だ。怪しいものを国内に入れるわけにはいかない。即刻立ち去れ!』

 

「滞在許可は取れないのか? 俺たちは海賊団と名乗っちゃいるが無体な略奪はしないぞ」

 

『ならば一応、上に確認をとる。しばしそこで待たれよ!』

 

そのやり取りを見つめていたフランがぽつりとこぼす。

 

「……へぇ。すごいね、ルミャ」

 

「なにがですか、船長?」

 

「ここ、今までで見た中でもダントツで文明が進んでるよ。流石にラフテルほどとまではいかないけど、国の概念も衛兵の管理も命令系統もある。周りの家とかも見てみてよ。粗末なものが多いけど、立派な作りの物もある。看板に文字が書いてあるし、庶民にある程度識字率があるってことだよね。服とかも結構細かい装飾が入ってるし」

 

「確かにそうですね」

 

「クーロンっていってたっけ。都市の名前か国の名前か分からないけど、建物や衣服もどことなく中国テイストを感じるし光景は世紀末だしで九龍(クーロン)を想像しちゃうね。暫定でこの国のことはそう呼ぼうかな」

 

「中国、ですか?」

 

「そそ。私が昔住んでいた国のお隣さん。なんとなくの雰囲気だけどね。別にチャイナドレスや辮髪があるわけでもないし。なんだろう、服の色合いとかがたまたまそう見えさせてるだけなのかな」

 

「よくわかりませんけど、その中国では女性をああやって扱う風習はあったんですか?」

 

「……いやぁ、寡聞にして聞いたことがないよ。というか、ここまで発達してる国でああいう風になってるってことは奴隷かそれに準ずる制度があるのかなぁ。にしても服を着てる女性が一人も見当たらないあたり個人的な物って言うより男尊女卑的な感じなのかな?」

 

「あれが奴隷……初めて見ました」

 

「あー辞書に載せてた言葉だもんね。意味は知ってるか」

 

「はい。人権が認められない所有物として扱われる人の事、ですよね。正直辞書で見たときはよく理解できてなかったんですけど、これをみてわかりました。……どうしてこんなことをするのかはわかりませんけど」

 

「ラフテルには奴隷制はないからねぇ。そもそも個人的に言わせてもらえば奴隷制なんて私からしたら滑稽なんだけどね。人間が人間に首輪をつけて飼うって、吸血鬼の私からしたら犬が犬に首輪付けて散歩してるのと同じようなものだし」

 

「ワンちゃんがワンちゃんをお散歩……それはちょっと心が和みそうです」

 

「あー、ごめん、ルミャには合わない例えだったかも」

 

フランとルミャがそんな会話をしていると、眼下に進展があった。

どうやら、お偉いさんから入国許可が下りたらしい。

ただし、衛兵の監視付き、三日間の制限ありで、だ。

その間に皇帝に報告が行くので、その結果次第では即退去もありえるという。

フランから念話でOKをもらったマロンはその条件を了承した。

武器の所持は認められなかったので船に置いていき、不在の間盗まれないようにフランが魔法でロックをかける。

 

そうしてクーロン観光となったわけだが、フランからの指示でマロンは自分も訊きたかった疑問について、監視任務に当たっている衛兵に尋ねた。

「なぜこの国の女性は衣服を着ていないのか」、と。

これにはマロンだけでなく、スカーレット海賊団の者全員が疑問に思っていた。

特に、妻帯者であるマロンやナヴィはともかく、独身の男共にはいささか刺激が強い光景である。

なかには前かがみ気味で歩いてるクルーもいて、フランはなんだか情けない気持ちになった。

船上生活が長いし、もうちょっと潤いを与えてあげればよかったかなぁ、と。

 

その疑問に対する衛兵の答えはこうだった。

曰く、女とは子供を産むための道具であり、同じ人間ではない。

服を着せないのは家畜に服を着せないのと同じ理由だ。

首輪をつけていない女に対しては自由に所有権を主張できる。

お前たちも土産に一人一つくらいなら持って行っても構わないだろう、と。

 

その言葉を聞いて手が出かかったクルーもいたが、マロンが抑える。

そのマロンも、伴侶であるルミャを馬鹿にされたような気がして、内心では煮えくり返っているのだが。

 

「この調子じゃあ隠れてて正解だったね。私やルミゃもこの国の女性と同じように扱われそうだし」

 

「私はともかく船長にそんな仕打ちしたら皆殺しにしますよ?」

 

「ルミャもまぁたくましくなっちゃって。――私だけじゃなくてルミャに同じ事やったって、私とマロンで大虐殺だよ。……そうならないように隠れてるわけだけど」

 

街を練り歩くスカーレット海賊団の上空を、そんな話をしながらルミャを抱えたフランが飛んでいる。

その手にはいつの間にか近くの屋台で売られている食べ物が持たれていた。

 

「あれ、船長いつの間に」

 

「んー、魔法でちょちょっとね。代金払おうかとも思ったけどなんかこの国好きになれないし盗んじゃった。当たり前だけど、ラフテルとは通貨も違うしね。この国の通貨単位はゴルって言うみたい」

 

ちなみに、ラフテルの通貨単位は“ベリー”である。

 

実はラフテルで貨幣が発明されたのは文明の進歩度合いに対して非常に遅かった。

ラフテルは資本主義経済ではなく社会主義に近い経済形態な上に“万物はフラン様より与えられし物”という認識があったことにより、貨幣が必要とされなかったのである。

人口が増えれば必然的に異なる思想の持ち主も生まれたが、そういった者は“信仰心が足りない”として密かに処分されることも多かった。

つくづく、狂信者によるディストピアじみている。

 

そんな社会で貨幣が必要になったのは、悪魔の実が出回ることによって多くの人々の欲望が一気に刺激されたためであった。

信仰心が強い者ほど(フラン)に近づける悪魔の実を切望したのである。

その結果、悪魔の実の奪い合いが起こることを懸念したフランが、通貨の導入を決めることとなる。

より良い働きをしたものが金を得て、悪魔の実を買い取れるようにしたのである。

そのような経緯から通貨が生まれたこともあり、通貨単位は悪魔の“実”にちなんで“ベリー”と呼ばれるようになったのだ。

 

ちなみに、通貨の概念を知ったのちラフテルの民の一部が、通貨単位を“フラン”にしよう、という運動を起こしたのだが、それはフラン自身が全力で阻止しているという裏話もある。

恥ずかしいとかではなく、通貨の概念自体が破壊されかねなかったためである。

ラフテルの民がリンゴ一個に(いち)フランの価値を認めるだろうか。

つまりは、あらゆるモノの値段が小数点以下で表されかねなかった。

 

閑話休題(それはさておき)

 

フランは手に持った屋台の商品をほおばりながら、思案した。

いま食べている食べ物も、香辛料が効いていてそれなりには洗練された味がする。

周囲の建物などを見てもやはり文明度は高い。

普段ならば交流を持つところだが、やはりこの国の女性への扱いは問題だ。

少なくともクルーは皆いい顔をしないだろうし、最悪は戦争にまで発展するだろう。

見た限り兵装はさほどでもないし、個人個人の実力も片手であしらえるほどに低い。

だが如何せん数の差は歴然、加えて奴隷同然の扱いを受けている女性をどうするのかという問題もある。

この様子では、戦いが始まった途端肉盾として使ってくるだろう。

 

そこまでを考えて、フランはこの国には関わらないことに決めた。

別にこの国一つをスルーしたところで世界はまだまだ広い。

見るべき所や物はいくらでもあるだろう。

わざわざ嫌な思いを飲み込んでまで付き合おうとは思わなかった。

 

フランはその考えを念話魔法でクルー全員に伝えると、ルミャを抱えてサンタマリア号まで飛ぶ。

中華風の国を見たいという興味よりは、虐げられている女性を目の当たりにする嫌悪感が勝っていた。

なお、他のクルーには体面上、それなりに街を見回ってから帰還するようにと申し付けていた。

一応、わざわざ国を見て回る許可を出してもらったのでここですぐさま帰ることになれば、許可を出した上の立場の者の顔に泥を塗ることになるためだ。

それでもクルーらもこの国にあまりいい感情を抱けはしなかったようで、恐らく三日の滞在期間の内二日目辺りでこの国を出ることになるのだろうな、とフランは考えていた。

 

その考えが覆されたのは、入国一日目の夜だった。

 

 

 

 

『すまん、船長。すぐに出航しよう!』

 

サンタマリア号の船室でルミャとチェスに興じていた私の元に、マロンからの念話が届いた。

 

『うん、どうしたの、マロン。何かあった?』

 

『クックがキレちまって、襲ってくる衛兵を片っ端からぶちのめしてる』

 

『クックが?』

 

え、問題が起こるかもしれないとは薄々思ってたけど、よりにもよってクック?

短気というか脳筋というか直情型というか、そういうクルーならまだわかるんだけど、ナヴィと並んで穏やかな性格のクックが暴れるって言うのはちょっとびっくりだなぁ。

私だってクックが怒ったところなんて見たことないんだけど。

何をやらかしたんだろう、この国の人たちは。

クックの方に問題があったとは思わない。

 

『わかったよ。船まで戻ってこれそう?』

 

『ああ、クックが暴れてて衛兵はそっちに掛かりきりだ。それは問題ないんだが……そのクックが完全に頭に血が上って周りが見えなくなってる。俺の言葉も届いてないみたいでな。できれば船長の方で回収して欲しいんだが』

 

『ん、わかった。転移魔法で直接こっちに呼ぶよ。マロンたちはそのまま戻ってきて』

 

『了解!』

 

副船長の命令も聞かないほどってほんとにブチギレ状態?

状況を聞けば聞くほど意外だね。

転移魔法のマーカーは船員全員につけてあるから、サンタマリア号に呼び出すのはいつでもできる。

問題はタイミングだよね。

クックが衛兵を一手に引き受けてるおかげでマロンたちが逃げやすくなってるみたいだし、出航して少ししてから呼んだ方がいいかな?

 

そんな風に考えていると、マロンたちが船に戻ってきた。

船も衛兵たちに包囲されてたみたいだけど、それは強引に破ってきたみたい。

そのまま急いで出航する。

九龍には私たちを追える船はなさそうだから、これで多分大丈夫かな。

 

「船長、すまねえ、クックをとめられなかった」

 

「おかえり、マロン。みんなも無事だった?」

 

「おう、副船長の覇気でほとんど無力化できてたし、仮に襲ってきても俺らの相手にゃなんねえよ、ボス」

 

「そうですね。クックが殴り飛ばしていた相手も致命傷にはなっていなかったでしょう。理性が飛んでいても手加減をするくらいは体が覚えていたのでしょうかね」

 

「そっか、ならよかった。じゃあクックを呼ぶよ?」

 

私は転移魔法を甲板上に展開する。

転移魔法は今いる場所から別の場所に移動するよりも、遠くのものを手元に呼び出す方が難しい。

今いる場所から移動する場合は移動する範囲の指定が簡単なんだけど、遠方、特に目に見えない場所からのこちらへの転移は転移させる場所の指定が難しいんだよね。

失敗すると片腕を忘れてきちゃったりとか、首から上だけ転送されてきちゃったりとか、結構怖い。

だから遠くから転移する時はその人の周囲の空間ごと飛ばす方が確実。

周りの建物とか巻き込んじゃうこともあるけど、そこはご愛嬌ってことで。

この魔法もあと1000年くらい練習すればもっと簡単に使えるようになるのかな。

 

そんな事を考えながらクックのマーカーを目印に転移魔法を発動させる。

転移の結果空気が圧縮されて起こる“パシュッ”という音と共に魔法陣の上にはクックの姿があった。

 

その腕に、一人の女の子を抱えて。

 

――海の上でチリンと一つ、鈴の音が鳴る。

 

 

 

 

「えーと、それじゃあクックはその子が虐げられている現場を見て、しかもその方法がアレだったわけで、ついキレちゃったと。で、気づいたら船に戻ってきてたって?」

 

「……すまん、船長」

 

クックが若白髪――そろそろ年齢的にはただの白髪――の頭を下げてきたのを見て、私は内心ため息をついた。

ここはサンタマリア号の船室。

既に船は出航して、最大船速で九龍から離れていっている。

私の隣には副船長のマロン。

机を挟んで目の前には今回の下手人たるサンタマリアの料理長クックと、彼が連れてきてしまった女の子が座っている。

 

「いやぁ、クックがキレちゃったのもまぁ、わからなくはないよ。私も結構イラッとしてたし。でもねぇ、連れてきちゃうのは完全に誘拐だし、どうしようかなって」

 

九龍の衛兵の言い分からすれば誘拐罪じゃなくて窃盗罪かもしれないけど。

そもそも一人くらいなら持って行ってもいいぞ的なことを言ってたけど、周囲の街を壊す大暴れをしたクックにそこまでの寛容な態度はとってくれないだろうとは思う。

きっと私たち国を挙げての指名手配犯になってるよね。

 

「……船長。勝手な行動をしておいて儂がいうことじゃないかもしれんが、どうかこの子には優しくしてやってくれんか。儂はあんなものを見せられて、とても正気じゃあいられんかった」

 

「あんなものって、なにされてたのさ」

 

クックは私の言葉に、ちらと隣の女の子を見ると、幾分か低くなったトーンで言葉を紡いだ。

その内容は確かに、聞くに堪えない酷いものだった。

曰く、クックたちが街を歩いていた時に、数人の少年が件の少女を囲んでいたらしい。

何をしているのかと思って見れば、皿に盛った残飯に少年たちが小便をかけ、それを少女に食べさせていたという。

しかも食べてる最中に頭を上から踏みつけ、手をたたいて笑い、挙句の果てには皿を蹴って地面に飛び散った残飯を、這いつくばって食えと少女に命令していたらしい。

そして少女は黙々と命令に従い、周囲の大人たちもその光景に何を言うでもなかったという。

つまりは、それが彼女たちの日常の行為だったわけで、そのことに思い至ったクックがキレた。

まぁ確かに料理人のクックじゃなくてもキレるよね。

 

……というか、あの国更地にしちゃってもいいかな……?

 

「せ、船長。覇気を抑えて、抑えて。その子死にそう。俺でも辛い」

 

……おっと、妖力が漏れてた?

あの国を周囲の海水ごと地図上から蒸発させる手段について12ほど考えてただけだったんだけど。

でもダメだね、どう考えても被害者の女性たちだけ救って周りを崩壊させることはできないや。

救うって言っても、その後の面倒も見切れないしね。

ラフテルに預ければ何とかなるとは思うけど、私がそこまでしてあげる義理もないし。

 

「大丈夫?」

 

「……(こくり)」

 

私が問いかけると、青ざめて歯をがちがちと鳴らしていた少女がゆっくりと頷き、チリンと鈴の音が鳴る。

この子の境遇的には多分全然大丈夫じゃなかったとしても頷くだろうから一応魔法で体をスキャンしておく。

 

……ひどいね、これは。

栄養も全然足りてないし、体中に虐待の痕がある。

このまま成長してたら10歳にもなる前に死ぬんじゃないだろうか。

というか、このままの方針を続けていたら私が手を下すまでもなく滅びそうだね、あの国。

女性なしで国が成り立つとでも思っているんだろうか。

 

「まぁ連れてきちゃったものはしょうがないね、これから返しに行くのもアレだし。そもそも私たちは海賊団なわけだから略奪誘拐なんて今更なんだけど」

 

「そう言ってもらえると助かる、船長」

 

「勝手な行動したクックには一応罰を与えておくよ。しばらくはその子の面倒をちゃんと見ること。ただし料理とかの仕事をそっちのけにするのは許さないから、そのつもりで」

 

「……おう、恩に着る」

 

「あー船長、これは副船長としての質問なんだが、この子はスカーレット海賊団(おれら)の中でどんな位置づけで扱えばいいんだ?」

 

「ん、そうだね。じゃあクックにもう一つ追加で、この子に料理の仕方を教えること。立場はスカーレット海賊団の見習い料理人ってことで」

 

「おう、了解」

 

「で、この子自身のことなんだけど……」

 

そう言えばこの子の意思を全く聞かないままにいろいろ決めちゃった感がある。

ま、拒否したところでこっちの我を通すのが海賊団たるゆえんなんだけど。

自由に生きるって言うのは、相手の自由を無視するってことでもあるわけで。

 

「えーと、あなたお名前は?」

 

「……(ふるふる)」

 

私の質問に女の子は首を横に振った。

チリンチリンと鈴の音が鳴る。

というか、さっきから一言もしゃべってないけど言葉が話せないわけじゃないよね?

と、思って女の子の首元を見て私は絶句した。

 

女の子は九龍の女性の例にもれず服は着ておらず、貧相な体を晒しているんだけど、唯一身に着けている装飾品があった。

それが、首元の鈴。

それ自体はなかなかお洒落なデザインで小さく可愛らしい。

音も澄んでいて、改めて九龍の技術力の高さを感じさせる。

でも、問題はそんなところじゃない。

女の子は服を身に着けておらず、所有権を主張するらしい首輪もつけていない。

それなのに、首元にある鈴。

そう、鈴は首の皮に穴を通し、直接そこに縫い付けてあったのだ。

 

私はあまりのことにくらっときて椅子に座り込んだ。

これじゃあ喋れないわけだ。

ピアスどころの穴じゃない。

もしかすると声帯も傷ついているんじゃないだろうか。

というか、衛生環境って言う概念もないような時代でこの処置は傷口が腐っていてもおかしくない。

 

改めて女の子の姿を見てみる。

髪は肩までない短髪のざんばら髪で、色はくすんだワインレッド。

短くて乱れているのは虐待の痕でもあるのだろう。

くすんだ髪の色も汚れてるからで、洗えばもう少し明るい色になると思う。

青がかかった灰色の瞳に光はなく、生気が感じられない。

年齢は分からないけど、体つきからは六、七歳くらいな気がする。

ちょうどマロンとルミャの子供たちの服がぴったりかな。

 

「……とりあえず、その首の鈴をとって治療しようか。声帯まで傷ついてたら三日くらいかかるかもしれないけど」

 

私が女の子に手を伸ばすと、女の子はビクッとして椅子から飛び降り、床に頭を打ち付け始めた。

頭を振るたびにチリンチリンと綺麗な鈴の音が鳴り、逆にそれが私を悲しくさせる。

 

「だ、大丈夫だから。痛いこととか酷いことはしないよ。治療するだけだから安心して」

 

私がそういうと、女の子はより一層激しく床に頭を打ち付け、ついには額が切れて出血し始める。

それを見て慌ててマロンとクックが少女を取り押さえる。

だけど、大の大人二人に動きを封じられてもなお、女の子は首を横に振り、涙を流して嫌がっている。

 

「えーっと、翻訳魔法は機能しているはずなんだけど……」

 

「この子の耳が聞こえて無いとか?」

 

「いや、翻訳って言ってるけど実際は念話魔法の応用で意思を伝えてるから、仮に耳が聞こえていなくても伝わっているはず。言語自体を理解できないほど知性が低そうでもないし……」

 

悩んでいる間も女の子の抵抗は激しくなる。

そのうち無理な抵抗のし過ぎで体を痛めてしまうだろう。

そう思って私は最終手段、見聞色の妖力による読心を使うことにした。

 

「ごめんね、ちょっと心の中はいるよ」

 

そうして読み取った女の子の心情は驚くべきものだった。

 

この子は、この迫害の証ともいえる鈴を、手放したくなかったのだ。

いまよりもっと幼い頃に迫害の一環で縫い付けられた鈴ではあったけど、毎日その音を聞いて、いつしかこの子にとってはこの鈴こそが自分自身を表すアイデンティティーになった。

あらゆる虐待に晒されて心が壊れそうなときも、この鈴の音を聞いて自分を保っていたのだ。

多分、この子にとっては比喩抜きで「命よりも大事な」鈴なのだろう。

 

「……だめだ、私には手を出せないや」

 

読み取った女の子の心情をマロンとクックに伝え、女の子にももう手出しはしないと言うと、ようやく暴れるのをやめた。

そして、今度は暴れたことに関する謝罪を行い始める。

やっぱり、頭を下げるたびに鈴の音が鳴る。

チリン、チリン。

その音は、女の子が喋らないことも相まって、とても虚しく響く。

 

「……はぁ。私ちょっと疲れちゃった。マロン、ルミャを呼んでこの子をお風呂に入れてあげて。クック、そのあとあなたがこの子にいろいろ教えてあげること。この子、相手が男だっていうだけで絶対服従しなきゃならないって思ってるから、根気よく頑張ってね。人間一人の常識を根底から覆すのは大変だよ。あとマロン、もう一つ、クルーみんなにこの子の事を教えて、優しく接するように指示しておいて。特に遠慮なしに踏み込みそうなランとかには特に注意しておいてね」

 

「うむ」

 

「了解だ、船長」

 

「私はちょっと寝るよ……」

 

寝室へ向かいながら考える。

ああ、そういえばあの子、名前もないんだなぁ。

呼ぶときどうしよう。

とりあえずは見習いコックちゃんでいいかな……。

 






・翻訳魔法
夢の魔法。
これさえあれば外国語の勉強なしに旅行に行ける。
習得難易度はかなり高め。

・九龍(クーロン)
香港のあたりに実在した地名が由来。
東洋の魔窟と呼ばれる治外法権のスラムがあったことで有名。

・通貨単位“フラン”
実は実在する通貨単位。
ユーロ導入以前のフランスで使用されていたフランス・フランが有名だが、その他の国でも使っていた&スイスなどでは今も使っている。
ちなみにドルの下にセントがあるように、フランの下にも補助単位が存在する。
フランの下の単位はサンチーム。
太陽(サン)徒党(チーム)を組んで襲ってくるとか、日光が天敵の吸血鬼フランちゃんに喧嘩を売っているのかもしれない。
でもフランの下の単位ということで実力差は明白なのだろうか。

・重めの話
今回から数話、中華国家“九龍”編(鈴の少女編)が続きます。
ちゃんとワンピ世界の話にもつながっていきますのでしばしお付き合いを。




目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

鈴の意味と見習いのコック

前回のまとめ

・中華国家九龍(クーロン)訪問&撤退
・鈴をつけた少女が見習いコックに



 

 

とある女の子の話をしよう。

今はスカーレット海賊団で“見習いコックちゃん”として働いている、名もない鈴の少女の話だ。

 

――これは、フランどころか少女自身も知ることはない、昔のお話。

 

少女とその母親は年中暖かいクーロンという国に住んでいた。

かつてクーロンは複数の小さな国が乱立していた地域だったが、あるとき一人の男がすべての国を打ち倒し、国を統一した。

その男の子孫が代々皇帝となり、クーロンはとても繁栄し、国の外に侵略の手を伸ばす余裕すらある大きな国だった。

順調だったクーロンの覇道を捻じ曲げてしまったのはとある代の皇帝。

彼は、率直に言って醜かった。

加えて甘やかされて育ったために、かなり短気で、わがままで、女好きで、それでいて頭の出来はそう悪くはなかった。

そんな彼はあるとき市井の女に一目ぼれした。

普段ならば彼の皇帝の権力に屈して誰もが彼に従うのだが、その女は少しばかり気が強かった。

女は衆人環視の中で彼の醜さを理由に断ってしまった。

今まで誰もが思い、しかし相手が皇帝ということで口に出来なかったそのこと(みにくさ)を彼女は言ってしまったのだった。

皇帝は愕然とした。

彼は、自分が絶世の美男子だと信じて疑っていなかった。

幼少期からそう言われ続けて育っていたのだ。

クーロンにはまだ鏡という文化はなく、「よく磨かれた金属と水のそばは危ないから近寄ってはいけない」と母親に言われ、その言いつけを守ってきた彼は自分の顔を見たことがなかった。

皇帝は当然女の虚言だと思ったが、あたりを見回せば笑いをこらえている市民や、困惑した護衛の姿があった。

ここに至り、皇帝は自身が30年以上抱いてきた幻想が崩れ去った音を聞いた。

 

皇帝は、生意気なことを言った女に猛烈に腹を立てた。

加えて、今まで自分が抱いてきた女たちは真実を伝えず陰で自分を嘲笑していたのだと思いこみ、これにも(いか)った。

そしてついに彼は「皇帝を侮辱した」として、兵士に命令して女や笑っていた者たちを捕えた。

後日、町の広場には物言わぬ首が置かれることとなった。

これはクーロン始まって以来の皇帝の横暴、市民の公開処刑であったが、彼の怒りはこの程度では収まらなかった。

最終的に彼は、「自分が醜いのならば他の者をもっと醜くしてしまえばいい。いやいっそ醜いと思うことすらなくしてしまえばいい」と思い至り、その思想に基づいた政策を強引に進めた。

ここで彼を止められる母親は既に亡くなっており、重臣たちも市民の公開処刑というある種思い切った行動をとった皇帝に恐怖し、自身の命可愛さから何も意見することはなかった。

そうしてクーロンでは女性の持つ権利はことごとくが奪われ、それに反発した女性たちからは容赦なく血が流れることになった。

さらに皇帝は次々と女性を虐げることを旨とする新たな法律を打ち出し、それを市民に守らせた。

彼は良くも悪くも皇帝としての絶大な権力をもっていて、顔と性格に反比例して頭の出来だけは悪くなかった。

彼は自身の命令を忠実に遂行する兵士を優遇し、市民の監視にあたらせた。

それだけでなく、ついに皇帝は市民が市民を密告することで褒賞を得られるシステムを完成させてしまった。

これにより、皇帝に反対する勢力はことごとくが物言わぬ骸となり、街には赤い川が流れた。

また、彼は狂ってはいたが決して暗愚な王ではなく、女性がいなければ次代が生まれないこともよく理解していたため、女性を虐げるとともに子供を産む機能だけは尊重した。

それにより、女性の虐殺がおこらなかったこともまた運命の分水嶺だった。

仮に彼が虐殺まで行うような狂気状態ならば、恐らくは革命がおこり皇帝は討たれていただろう。

しかし彼は女性をモノとして扱うことで、多くの男性、とくに兵士たちを掌握し反乱を許さなかった。

醜さにコンプレックスを持っていた皇帝は、最終的に美しさの象徴である衣服と装飾品を女性が身に着けることを禁止する法律を出して、ここに支配体制の完成を見た。

そんな歪んでしまった国クーロンは皇帝が自分の息子に同じ思想を教育したために、代々続いていくことになる。

 

鈴の少女とその母親はそんな国に生まれ育った。

彼女たちが生まれたころにはすでにこの国の思想が常識と化した後ではあったが、母親は聡明だった。

子を産んだころには、彼女はこの“常識”が作られたものであることを察し、理解していた。

しかし、狂った国で正しく在った彼女は道を踏み外す。

まだ幼かった自分の娘に、その真実を教えてしまった。

娘は、自分の知った知識が何をひき起こすのかを正しく理解していなかった。

そして、隣人の悪意についてもまだ理解していなかった。

 

――結果として、母親はある日娘の前から連れ去られ、二度と戻っては来なかった。

隣人の元には幾らかのお金が入り、娘は父親から捨てられた。

そして、娘は「余計なことを話せないように」と声を奪われ、罪人の証である鈴をつけられることになる。

街の少年たちは喜んだ。

普通の女を戯れに殺すことは推奨されていない。

それは、家畜を無意味に殺すのと同じで、損害しか生まないからだ。

だが、鈴の音が鳴ればそれは玩具がやってきたことの証。

罪人の少女は首元の鈴のせいで、この先一生“首輪”を付けてもらえない。

それは、少女がこの国にとってなんの価値も持たない存在になったことを示していた。

 

ことここに至って、渦中の少女は自分の身に起きたことをほとんど理解していなかった。

わかったのは母親がいなくなってしまったことと、自分が虐げられる存在になってしまったということだけ。

そうしてすべてを失った少女に残ったのは、皮肉なことに、罪人の証である小さな鈴だけだった――。

 

 

 

 

見習いコックちゃんの扱いは、そりゃあもう大変だった。

 

まず、お風呂にいれたあとは私が魔法で治療した。

正直うちの船医じゃ手出しできないほどひどかったというのもある。

六、七歳の見た目のせいか、性的な虐待痕こそほとんどなかったけど、逆に言えばそれ以外はほんと、人の形をした壊れてもいい玩具の扱いしか受けていなかったことが良くわかる体だった。

そんな中、打撲痕とかの治療から始まり、見えないところも念入りにスキャンして、折れて歪につながってしまっていた骨を矯正したりと、内部まで完璧に仕上げた。

特に目が片方見えていなかったのには驚いた。

目に光がないなとは思っていたけど、比喩じゃなく本当に見えていなかったわけだ。

ここはもう時間遡行魔法を使ったんだけど、局所的とはいえかなりの時間を巻き戻したからすっごく疲れた。

久しぶりに魔力が空になって賢者の石を丸呑みすることになったよ。

 

そして、問題は首の鈴。

すでに長い年月を経て鈴が首の皮膚と一体化すらし始めている。

案の定声帯が傷ついていて声が出せない、どころか呼吸をするのさえ激痛が走っているだろう状態だった。

でも多分もうこの子は慣れてしまって痛覚が麻痺しているんだと思う。

ここに関しては手を触れようとするだけで逃げられてしまって、手の出しようがなかった。

だいたい、多分この鈴が外れたり壊れたりしたらこの子の精神は死んでしまうと思う。

そんなわけで、せめてもの対処として妖力を鈴に流し込むと共に固定化の魔法をかけて、ちょっとやそっとの攻撃では影響を受けないようにだけしておいた。

かなり妖力込めたし多分マロンの覇気十字剣の一撃でも傷一つないと思う。

 

そんな見習いコックちゃんの生活も、これまた大変だった。

 

まず、男性恐怖症みたいなものがあり、自分から近づこうとはしないし、近づかれると怯えて縮こまる。

ちなみに、スカーレット海賊団のクルーは私とルミャ以外全員男ね。

なにか粗相をすればひたすら頭を打ち付けて謝る。

やっぱり痛覚が麻痺しているようで、血が出ようがお構いなし。

見ているこっちが痛くなる。

 

一番ひどかったのは、コックちゃんが漏らしてしまったとき。

これに関してはトイレの場所を教えていなかったクックに全責任があるわけだけどね。

なにせコックちゃんは喋れないから物を尋ねることもできないんだから。

で、漏らしちゃった彼女は自分のまき散らしてしまった物の中に頭を打ち付ける例の謝罪を始めたわけで……そりゃあもう酷い絵面だった。

まぁ、彼女にとってはこれが九龍で生き残るのに必要な事だったわけで、多分クックが一番苦労したのはこの謝罪癖を直すことだろうね。

 

それとコックちゃんは何度クックが説明しても自分の置かれている立場が良くわかっていないようだった。

多分、外の国からやってきたスカーレット海賊団(わたしたち)の存在や、海そのものといった常識がないから理解できていないんだろうね。

見習いコックとしての仕事もクックに言われるがまま流されてやっているようで、主体性ってものが全くなかった。

 

あとは、服を着せるのも大変だった。

マロンとルミャの子供の服が船内に残っていたからそれを着せようとしたんだけど、彼女は頑として服を着ることを拒んだ。

心を読んでみると案の定九龍では女性が服を着ると罰せられるらしい。

どうしても普通の服は着ようとしない(その場で着てもそのあとすぐに脱いでしまう)ので、仕方なく私が妖力でボロボロ(にみえる)貫頭衣を作った。

ここまでしてようやく彼女も折れたらしく――「いい加減にしないとその鈴毟り取るよ」という脅しが効いたのかもしれない――このボロボロ貫頭衣だけは着用することを承諾した。

ちなみにこの服、一見しょぼそうに見えるけど、私の妖力を物質化して作り出したものである“フラン産妖力素材100%”な上に各種魔法で温度調節から清潔維持、自動サイズ調整まで完璧な、オーバーテクノロジーの塊だったりする。

私の妖力が純粋100%なので性質的にはレーヴァテインと同じレアリティなわけだ。

例の妖力強化済みの鈴より強い。

多分レーヴァテインの全力攻撃でも一発だけなら防げる。

作った後で我に返って、何やってんだろうと思った。

私も大概、この子の境遇に同情してるみたい。

 

そうして紆余曲折を経て見習いコックちゃんは見習いコックとしてスカーレット海賊団で働き始めた。

といっても、最初はクックの周りをちょろちょろして雑用をしているだけだったけど。

そもそも料理なんてしたことなく、それどころかまともな料理すら食べたことがないコックちゃんだ。

彼女の歓迎会で出てきたクックの腕によりをかけた料理を見て目を丸くしていた。

そして、自分なんかが食べてはいけないと首を精一杯横に振る彼女を押さえつけて私が無理矢理食べさせた。

で、泣いた。

いやー、安心したね。

味覚はまだちゃんと生きててほんと良かった。

そのあとは何度も何度も食べていいのかと私たちに確認して、恐る恐る料理を口に運んで、そのおいしさに感動する姿は、年相応の可愛らしさがあって、クルー全員ほっこりした。

……食べ方は手づかみだったので、箸はまだともかく、フォークやスプーンの使い方を教えてあげないとだけど。

 

コックとしての修行だけじゃなく、あらゆる教育と生活の面倒は完全にクックに一任していた。

翻訳魔法がなくても言葉が分かるように日本語の勉強、九龍の外の常識の勉強、特に外の世界の健全な男女関係についてとかを、白髪の厳ついおじさんに見える(実際その通りな)クックが幼い少女に一対一の付きっ切りで教えていると思うとなんだか笑えてくるけど。

 

なおクックは50代になってまだ独身で、ちょっと心配だったマロンが「もしかしてクックってロリコンじゃないよな?」という非常に不名誉な質問をしたことで、両者の間で血で血を洗う喧嘩が幕を開けたりもした。

なぜかランが巻き込まれて一番の被害者になっていた、南無。

クックにすれば年の離れた娘か孫といった(てい)であり、やましい気持ちは持っていないそう。

私は信じてるよ、クック……。

 

 

 

 

見習いコックちゃんがスカーレット海賊団の一員になってから三年が過ぎた。

最初の頃はほとんど表情が動かなかった彼女も、最近ではよく笑うようになった。

クックの教育の賜物か、過度な謝罪癖も鳴りを潜めごく普通な10歳くらいの女の子に見える。

ちなみに、10歳の女の子ということで、ついに私よりも成長してしまったことになる。

私は10歳未満で成長が止まっているから自分より小さい子って言うのは新鮮だったんだけどなぁ。

身長もとっくに抜かれ、胸の大きさすら完敗。

ちょっと悲しくなる。

ま、素直に成長を喜んでおこうかな。

 

近頃は見習いコックとしての仕事も板についてきて、食事時に一品二品は彼女が作っている。

味付けはクック直伝でなかなかおいしい。

クックに言わせればまだまだってことだけど。

ちなみに私は食生活も長いから味のよしあしについては一廉(ひとかど)のものだと自負しているけど、普段の生活で気にすることはあまりない。

ようは口に入れば何でもいい。

昔は食べるものがなくて虫とかも食べたことあるし。

レーヴァテイン……黒焦げ……餓死……うっ頭が。

 

ただコックちゃんはそれでまだまだ納得していないらしく、クックから厳しい修行を受けている。

その上、コックとしての修行だけでなく、クルーみんなから色々な事を学んでいる。

副船長のマロンからは号令のかけ方や、周囲への気の配り方、覇気の使い方。

航海士のナヴィからは海図の書き方、見方や風や波の読み方、天候に関する知識。

一般船員のウェンからは航海の一般知識や船の操り方。

ルミャからは掃除や洗濯、裁縫など家庭的な事を。

みんなコックちゃんの境遇については知っていて、私もなるべく優しくするようにと言っておいてあるけど、嫌々付き合っているというクルーはいない。

コックちゃんが素直な性格のいい子で、教えたことをすぐに飲み込んで消化できる才気あふれる子というのがみんな楽しいらしい。

教えたことを砂漠の砂が水を吸うみたいに吸収するって言ってた。

そんな状況で皆にかまわれているコックちゃんをみて嫉妬したのか、最近ではクックも料理だけじゃなく武術を教えたりしている。

マロンの覇気もそうだけど、10歳の女の子に教えることでもないと思うんだけどなぁ。

ま、当のコックちゃん本人は初めて知る色々な事柄に触れるのが楽しくて仕方ないらしく、毎日が楽しいって全身で表現してるからなにも言わないけどさ。

 

そうそう、コックちゃんもようやくボロボロ貫頭衣を卒業してちゃんとした服を着るようになった。

ここはクーロンではないことを理解して、服を着なきゃいけないという常識をクックから叩き込まれて、むしろいつまでもボロボロ(にみえる)服でいるのが恥ずかしくなったのだろう、自分から私に服が欲しいと言ってきた。

それはコックちゃんが私に初めてしてきたお願いで、私はもちろんそのお願いを快く叶えた。

ルミャと色々話し合って似合う服を見繕ったんだけど、素材がいいからか良く似合う。

クーロンにいた時はボロボロで良くわからなかったけど、コックちゃんの器量はとてもいい。

今じゃ暗く死んでいた眼は青がかかった灰色の瞳に生き生きとした光を灯し、くすんだワインレッドの髪も汚れを落とせば鮮やかな赤毛に化けた。

ざんばらだった髪も肩口でキレイに切りそろえられていて、もはや浮浪児のような印象はない。

 

ちなみに、服の中でも一番のお気に入りは私がデザインした服だった。

これはもともとのボロボロ貫頭衣が実質私の妖力の塊で、そのまま廃棄するのがもったいないということで作り変えたもの。

服の意匠は中国っぽかったクーロンのイメージで作ったんだけど、ちゃんとしたチャイナドレスとか生で見たことはなかったし、出来上がったのはチャイナドレスと華人服を足して2で割ったような服だった。

下は白い下穿き(長ズボン)で、なんかカンフーって感じ。

裾を絞った、ちょっとだぼっとしているアレだ。

日本でもとび職の人たちが穿いてるズボンが似てるよね。

ニッカポッカ=“Knicker bockers”っていう膝下でくくるゆったりしたズボンの事ね。

腿の部分が太いから足を高く上げる時にスムーズにできるんだよね。

膝の曲げ伸ばしも阻害されないし。

だからクックから習ってる武術の時に着る服には丁度いいのかな。

その上から薄い緑色を主体としたチャイナドレスっぽい服。

ただチャイナドレスのあの肩口で留めてるやつの製法が分からなかったから普通に胸の前で紐で留めるようにデザインした。

薄緑色にしたのは英断で、コックちゃんの髪が赤色だったから補色の緑が良く映える。

加えて下穿きの白さも際立って、色彩センスは自画自賛。

ただ、服装自体のデザインはイメージがふわっとしてて、靴とかもそれに合わせていわゆるカンフーシューズっぽい薄い布靴にしてみたんだけど、どうにも似非中華くささが匂う。

 

まぁ、コックちゃんやクルーたちにとっては私が持っているような中華のイメージなんてないから、純粋に受け取ってくれたんだと思う。

ちなみに貫頭衣時に付加しておいた魔法はそのままなので、自動サイズ調整で体にぴったりフィットして温度調節や清潔維持の効果に加えてとっても頑丈だから、その意味でも武術の鍛錬にはもってこいの服かもしれない。

 

一つだけ残念だったのは、コックちゃんがこの服を気に入り過ぎてルミャの数少ない娯楽になってたファッションショーを拒否するようになったこと。

自分の娘くらいの年の女の子を着せ替えするのは楽しかったみたいでルミャは密かに楽しみにしてたらしいんだけど、この服ができたことで汚れないから洗濯する必要もないし他の服よりよっぽど快適だわでコックちゃんがこの擬似チャイナドレスを脱がなくなってしまった。

という話をお風呂でルミャから涙交じりに話されてちょっと申し訳なくなった。

マロンやルミャも時々子供に会わせにラフテルへ転移させてるんだけど、もうちょっと頻度高くしてあげた方がいいかな。

今度コックちゃんを連れてラフテルに行ってみても面白いかもしれない。

クーロンにはなかったものがたくさんあるし、きっととてもびっくりしてくれるだろう。

 

――その時のリアクションの為にも喉は治してあげたいなぁ。

最近じゃあコックちゃんもよく笑うし精神もだいぶ安定してきていると思う。

だからこそ後天的に悪意を持って与えられた「喋れない」っていうハンデはどうにかしてあげたいんだよね。

既に首の皮膚と癒着しているとはいえ鈴を取り外すだけならそう問題じゃないんだけど、どうしてもコックちゃん自身の気の持ちようがねぇ……。

なにかいい方法ないかなぁ。

 






・ロリコン
フランは辞書に一体何を記載しているのか
700年思い付きのまま作っていたので使い道不明な言葉も多数掲載
掲載語数だけなら広辞苑を凌駕しているのかもしれない
なおフランちゃん自身が10歳未満の美少女というロリコンの夢みたいな存在なので、ラフテル在住のガチ狂信者の中にはそれなりに潜在してそう
追記:よく考えたら10代後半程度で老化が止まっているルミャを嫁にしているマロンが言うと、お前が言うな状態かもしれない。

・コックちゃんの服装
中華風戦闘服は「らんま1/2」のイメージが強いです
なお本作品ではコックちゃんは生足ではなくズボン着用で素肌率低めなので(上は半袖)、蹴り上げとかの激しい運動しても放送事故が発生することはないです
生足派の人ごめんね!
フランちゃんのドロワで勘弁してくださ(ピチューン


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

鈴の声色と二律背反の自己証明

前回のまとめ

・クーロンの成り立ち
・見習いコックちゃんの日常




 

 

「――できたっ!」

 

フランは“実験室”と銘打たれた船室の中で一人快哉をあげた。

目の前には床に描かれた魔法陣、そしてその中央にはピンクに脈打つ肉片が落ちている。

 

「アハハハハ、やっと完成した……この魔法さえあれば……でももう少し微調整しなきゃだね」

 

フランは肉片を手に取って眺める。

それは、人間の器官の一部だった。

それも、器官だけになってなお()()()()()

 

「命を与える……言うだけなら簡単だけど、生命創造がここまで大変だとは思わなかったなぁ。というか普通に有機物の錬成がしたかっただけなのに魂の定義からやらなきゃならないって……」

 

フランが開発した魔法は、無機物を有機物へと変える魔法だった。

しかしその研究は難航し、数百年に及ぶ魔法の研鑽があってもなお実現は難しいものだった。

見習いコックちゃんがサンタマリアの一員になってからずっと研究していたが、実を結んだ今日、すでに彼女の乗船から実に八年が経過している。

 

そう、この魔法はフランが見習いコックちゃんのために編み出した魔法である。

鈴を取り外すことはできない、かといって鈴をどうにかしなければ声帯の回復は不能。

そこでフランは()()()()()()()()()()()()ことを思いついたのだ。

この発想が斜め上というか、それを実現してしまう行動力なんかは数百年の時を生きる吸血鬼ならではのものだろうか。

 

 

「ふんふんふーん」

 

それから数日後。

微調整も終え、かかりきりだった魔法研究の実現めどがついて上機嫌に鼻歌を歌うフラン。

船内を歩いているとその歌を聞きつけてか件の見習いコックちゃんが現れた。

今年で乗船八年目、15歳を迎えた見習いコックちゃんは可愛らしさと美しさの丁度中間あたりの、成長途上の少女が持つ魅力を存分に振りまいている。

その容姿もかなり優れたものだ。

青がかかった灰色の瞳と鮮やかな赤色の髪は利発で活動的な印象を与える。

髪は腰まで伸ばしたストレートヘアー。

側頭部を編み上げてリボンを付けて垂らしている。

服装は例のフランが作ったチャイナ服。

この服はサイズ調整が自動で行われるので、成長して身長も体の一部も育ち始めている見習いコックちゃんの体にもぴったりフィットしている。

 

見習いコックちゃんはフランの姿を認めると、笑顔を浮かべ、その中に少しの疑問の色を混ぜる。

言葉にすれば、『フラン様、嬉しそうですね。何かいいことでもありましたか』といった具合だろう。

八年も共に暮らしていれば、言葉がなくとも言いたいことは理解できる。

見習いコックちゃんの感情表現が上手いということもあるが、少なくともサンタマリアのクルーは皆、言葉を必要とせずこの程度のコミュニケーションは取れる。

 

「あ、コックちゃん、いいところに。ようやく例の魔法が完成したんだ」

 

その言葉に見習いコックちゃんは()()と華が開くような笑顔を浮かべ、そしてすぐに眉の角度で怯えの色をあらわした。

フランが研究していた魔法に関してはクルー全員にすでに周知しているものの、見習いコックちゃん自身は自らのアイデンティティーとも呼べる鈴がどうにかなってしまうことが恐ろしいのである。

この八年の生活で船長としてのフランにも、ラフテルの神としてのフランにも信頼と敬意を抱いている見習いコックちゃんであるが、こればかりはいかんともしがたかった。

 

「今夜はパーティーだよ。クックに宴会の用意をさせて。あとみんなにも連絡してね」

 

「(こくっ)」

 

「あと、コックちゃんにも三品、メインを作ってもらおうかな」

 

「!」

 

この八年で料理の腕をクルー各員に認められるほどに成長した見習いコックちゃんであるが、いまだ見習いの地位から脱してはいない。

フランは正直もう見習いから格上げしてもいいんじゃない? と数年前から思っていたが、師匠であるクックがいまだ頑固に見習いコックちゃんの腕を認めておらず、見習いのままだった。

そのため見習いコックちゃんの料理が並ぶことはあれど、メインはいつもクックがつくり、副菜や箸休めを作るのが見習いコックちゃんの日常であった。

それを今、フランは船長として見習いコックちゃんに“メイン”を作るように指示したのだ。

ようやく長年の修行の成果を認めてもらった形になる見習いコックちゃんは涙を流さんばかりに喜んでいた。

 

「クックの舌をうならせる料理を作る事。いいね?」

 

「(こくっ、こくっ)!」

 

首を激しく上下に振り肯定の意を示す見習いコックちゃんに、フランも笑顔で頑張ってと激励をかける。

今夜は大きな騒ぎになる、という確信めいた予感を持って。

 

 

 

 

「さあ、みんな集まったね?」

 

私は周囲を見回して声を張り上げた。

宴会場にはすでに色とりどりの料理がこれでもかと並び、その周囲にクルーが勢ぞろいしている。

いや、見習いコックちゃんだけはいまここにいない。

そして、テーブルの中央もそこだけ料理が置かれず、ぽっかりと穴が開いている。

 

「マロン、今日は何やるか聞いてる?」

 

「いや、船長。唐突に宴会やるってだけ聞かされてたけど。なんの祝いだ?」

 

「ふっふーん。それを今から説明するね。今日は、見習いコックちゃんの昇進記念パーティーだよ!」

 

「なっ。儂は何も聞いてないぞ、船長!」

 

「言ってないもん」

 

クックが抗議の声をあげるけど黙殺。

 

「それじゃあコックちゃん、どうぞ!」

 

私の合図で大皿三つを器用に手に持った見習いコックちゃんが奥から現れる。

大皿には見ただけでおいしいとわかる見事な料理が鎮座している。

匂いもすごく、香辛料の鼻に来る刺激が涎を垂らさせる。

すでにクルーのうちの何人かはゴクリという音がするほどつばを飲み込んでいる。

見習いコックちゃんはそれをテーブル中央の空いたスペースに並べた。

 

「コックちゃんの代わりに私が説明するね。私から見て右から順に回鍋肉(ホイコーロー)麻婆豆腐(マーボードウフ)小籠包(ショーロンポー)っていう料理だね」

 

ちなみにもちろんこの世界の食材を使っているうえに、私が出した料理のアイデアを見習いコックちゃんが独自にアレンジしたものなので、元の世界のそれぞれの料理とは違う点も多い。

ただ、おいしさだけは保証できる。

これらはクックにはヒミツで私が見習いコックちゃんに教えたものだ。

勿論中国っぽいクーロンから着想を得た。

クックが好きな和風っぽい料理はかなり普及してきたけれど、中華料理やフランス料理といったものはまだほとんど広まっていない。

というか私が広めてないだけなんだけど。

私の料理の腕が壊滅的で再現ができないとかそういうわけではない。

ないったらない。

レーヴァテインの火力が高すぎるだけなんだよ……ほんとだよ……。

 

 

と、それはどうでもいいね。

見習いコックちゃんの作った料理をまずは皆に一口ずつ取り分けさせる。

そして、私の「乾杯!」の合図で酒杯を掲げ、宴が始まった。

 

するとすぐに見習いコックちゃんの料理を口にしたクルーたちから次々と驚きの声が上がる。

「うまい!」「辛い、がこれは痺れる旨さだ!」「あちちち、ショーロンポーっての中からアツアツの汁が出てくるぞ」「すげえな、どうやって作ったんだ」「食ったことねえ味だな。うまいぞ!」「あっ、ランてめえ俺の横取りしやがったな!」「油断しすぎじゃないっすかねぇ、副船長。宴会場も戦場だぜ!」

なんか変なの混ざってるけど。

……気を取り直して。

 

「さて、みんなはコックちゃんの昇進を認めそうだけど、クックはどうかな?」

 

「……いただく」

 

ぶすッとした顔でクックは料理に手を付ける。

それを横でドキドキしながら見守る見習いコックちゃん。

やがて空気の変化に気が付いたのか、クルーたちも静かになり、クックの反応を見守る。

 

クックはゆっくりと一口ずつ料理を口に運び、目をつむって唸る。

そして次の料理をまた口に運ぶ。

それが3度繰り返され、彼の皿は綺麗になった。

しばしの沈黙が続き、見習いコックちゃんの額に汗が浮かんできたころ、クックが口を開いた。

 

「儂は以前からおぬしの料理の腕に関しては認めていた。すでに儂と並ぶ十分な腕だ、とな。それでも見習いの看板を下ろさせなかったのはなぜだと思う?」

 

「……」

 

コックちゃんは答えない。

まぁ喋れないから答えようがないんだけど。

ただその瞳は真剣にクックを見つめている。

クックも答えを期待したわけじゃなかったようで、言葉を続ける。

 

「それはひとえにおぬしの料理がすべて、儂の模倣だったからだ。劣化しているとまではいわんが、他人の真似をするだけでは儂はおぬしを料理人としては認められん」

 

「……」

 

「翻ってこの料理は――見事だ。このホイコーローという料理は実に面白い。これは一度炒めた肉を取り出して、油に通した野菜を炒め調理し、また再度肉と混ぜ合わせたな?」

 

「(こくっ)」

 

おー流石クック。一皿食べただけでわかるんだ。

回鍋肉の“回鍋”は「一度調理した食材を、再び鍋に戻して調理すること」っていう意味らしいしね。

私はずっと鍋を回して炒めるからだと思ってたんだけど、「料理は勝負」のジャンて人がそんなことを言ってた。

漫画の知識だから合ってるかどうかは知らないけど。

 

「このマーボードウフの香辛料の使い方も見事。ショーロンポーの内部の煮凝りを熱で溶かして液体にするという発想もまた、見事。どれも儂の手腕を超えておる」

 

「(ふるふる)」

 

見習いコックちゃんは首を横に振った。

――多分、その料理のアイデアが私のものだから、自分の実力じゃないと言いたいんだろう。

クックもそれは分かっていたようで私の方をちらりと見て、さらに言葉を続ける。

 

「もちろんおぬし一人でこの発想に辿り着けたとは思わん。大方どこかのお節介な“食べる専門”の吸血鬼が入れ知恵したのだろう」

 

「……」

 

見習いコックちゃんは首を縦に振るか横に振るか迷っている様子。

発想のもとは私で合ってるけど、お節介な~のくだりで素直に頷きにくいといったところかな。

というかクック、あとで屋上ね。

 

「しかし、それをここまでの料理に昇華させた手腕はおぬしのものだ。それは誇ってよい。――本日をもって儂はおぬしを一人の料理人として認めよう」

 

「(ぱあぁ)」

 

「ただし! まだ儂の持つ技術をすべて盗んだわけでは無し。免許皆伝は許せんぞ」

 

「(しゅん)」

 

最後にオチはついたけど無事にクックも見習いコックちゃんを認めて、これで晴れて見習いコックちゃんからコックちゃんに昇格である。

それからはクルー総出のどんちゃん騒ぎ。

みんなノリがいいから飲めや歌えの大騒ぎだ。

その中心はもちろんコックちゃんだけど、今まで散々弟子のことを頑固なまでに認めなかったクックがついにデレたとあってクックも周囲から散々っぱら弄られている。

いいねぇ、やっぱりこういう空気は。

なんか、人間の営み、って感じがする。

 

さて、みんな食って飲んで歌って、場も落ち着いてきたころにパンパンと手をたたいて注目を集める。

何人かに指示してテーブルをどかしてもらって、クルーが見守る中、その中心に立つ私がコックちゃんを呼ぶ。

食って飲んで弄られて、追加の料理を作ったりで忙しかったコックちゃんは酔っているのか少し顔を赤くしながらこちらに歩いてくる。

ちなみにラフテルでは飲酒はハタチになってから、を推奨してるけど特に破っても罰則はない。

まぁ結局のところ自己責任だしね。

実際悪影響があるのかどうかは知らないし、国によっても年齢って違ったはず。

日本は特に遅いんじゃなかったかな。

そんなわけでコックちゃんも12くらいになった時には宴会ですでに飲んでいた。

勿論仕事は雑用係みたいなものだから後片付けとかの為にも軽く一杯二杯程度だけどね。

なお私は見た目が10歳未満でも中身はそれなりの年齢なのでお酒を飲んでも何の問題もない。

第一体内のアルコール程度、魔法や霧化を使わなくたってどうとでもなるし。私を酔わせたいなら神便鬼毒酒でも持ってくるしかないと思う。

 

「さて、これで見習いコックちゃんは正式にコックちゃんに昇進したね。みんな拍手!」

 

私の言葉で万雷の拍手が起きる。

コックちゃんはそれに照れた様子で答えた。

ちなみに万雷というのは誇張でも何でもなく、やたらと身体能力の高いうちのクルーたちが起こす拍手は物理的な衝撃まで伴っている。

まぁコックちゃん含めその程度でどうにかなるクルーもまたいないから何の問題もないけど。

私は片手をあげて拍手を収め、言葉を続ける。

 

「というわけで私からコックちゃんに二つ、昇進祝いを贈ろうと思ってね」

 

「(ぱあぁ)」

 

「おおー」

 

嬉しそうなコックちゃんと歓声を上げるクルーたち。

これまでの航海の中で何かしらの功績をあげたクルーには折々私からご褒美だったり、慶事があったらお祝いだったりで色々なものを贈っている。

それはモノによってまちまちではあるけれどどれも非常に価値が高いモノであることは間違いない。

多分ラフテルに持って帰ったら国宝として祀られちゃうものもある。

そんなわけで私からのプレゼントといえばクルーが沸き立つのも当然だ。

しかも、二つ、だからね。

 

「まず一つ目は、“声”。コックちゃんのその首の鈴を、声帯に変えて声が出るようにするよ」

 

私がそのための実験を繰り返していたことはクルーには知れ渡っていたけれど、改めて宣言すると宴会場がどよめいた。

当のコックちゃんも知っていたことだけれども、やっぱり緊張で硬くなってる。

 

「クック、コックちゃんの手を握ってあげて。痛みはないはずだけど、不安にはなるだろうから」

 

「……うむ」

 

クックがクルーの輪の中から出てきて、コックちゃんの右手を握った。

 

「……なに、心配することはない。普段はアレだが、船長はここぞというときには何をおいても任せられる方だ。力を抜け。筋肉を溶かせ。いつも武術の鍛錬で教えていることだ。できるだろう」

 

「(……こく)」

 

「そうだ。体はそれでいい。心は料理をするときのように、静かに研ぎ澄ませ。水面(みなも)が揺れぬ湖のごとく」

 

「(……フゥー)」

 

「恐怖は乗り越えるもの、怯えは打ち払うもの。自身を強く持て」

 

ピシッ、とコックちゃんの纏う空気が変わる。

どうやら覚悟が決まったみたい。

やっぱりなんだかんだ言って、クックの影響は大きいね。

 

「さ、それじゃあいくよ」

 

「(こくっ)」

 

私は術式を構築しながら魔術言語を紡いでいく。

魔力が渦巻き、金色の光があたりを染める。

不測の事態の時のために事前に賢者の石を二つほど丸呑みしてきてあるので、準備も万端。

術式は正常に作動し、徐々にコックちゃんの鈴が首の中へと埋まっていく。

いや、埋まっていくのではなく首の中で声帯として再構築され、周囲の細胞と同化を始めているのだ。

 

コックちゃんは自分の命よりも大切な鈴が溶けるように消えていくのを感じているのか、クックの手をぎゅっと握りしめた。

クックもまた、小さなその手を強く握り返す。

 

「あなたのその鈴は存在が消えるわけじゃない。むしろあなたの体と一体化して()()()()()になる。自分の体内を意識して」

 

「気を巡らせるのだ。力の流れを常に感じろ」

 

私とクックの言葉にコックちゃんは目を閉じ、集中し始める。

私も術式の仕上げに取り掛かる。

この術のミソは実は生命の創造のほうじゃない。

無機物の鈴を生きた細胞に変えるよりも、その新しい細胞をコックちゃんになじませる方がよほど難しい。

移植手術で拒否反応が出るのと同じで、異なる生命を一つに同化させるのが難点だった。

前世じゃ私も一般人だったはずなんだけど、なんともまぁ遠いところまで来ちゃったものだ。

今はそれを自在に魔力を操り、こなすことができる。

 

最後にひときわ大きく魔力光が反応し、収まった。

コックちゃんの喉元にあった鈴は完全に姿を消していて、穴が開いていた皮膚もその傷跡は見当たらない。

 

「さ、喋ってみて」

 

コックちゃんは喉元に手を当て、恐る恐るといった様子で声を出した。

 

「……あ」

 

最初はかすれたような声を。

だけど次第にその声はちゃんと聞き取れる声になる。

 

「……あ、ああっ、わた、私、声が」

 

その声は美しく澄んだ音色で、まさに鈴を転がすような声という形容がぴったりくる。

だけど、すぐに涙声が混ざってしまって、ちょっと苦笑い。

もう少しちゃんと、綺麗な声を聞いてみたかったんだけど。

 

「あり、ありがとう、ございますっ、フラン様……!」

 

つっかえつっかえながら、感謝の言葉を口にするコックちゃん。

その対象は私から始まって、すぐ隣で手を握っていたクックに、そして周りを取り囲んでいたクルーたちへと向いていく。

いままで言葉に出来ず伝えられなかった思いを洗いざらいぶちまけて、ようやくコックちゃんの言葉は終わった。

いままでも文字なんかで意思を伝えることはしていたけれど、やっぱり声に出して伝えるって言うのはまた意味が違うのだろう。

コックちゃんの顔はもう、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになっていた。

それでも美しさが損なわれていないのはいっそ見事というほかないけれど。

 

「それじゃあもう一つの贈り物を」

 

その言葉で俯いていたコックちゃんが顔をあげた。

声が戻ったことが衝撃的すぎてお祝いが二つあることが頭からすっぽりと抜け落ちていたみたい。

 

「ふふ、もう一つはね、“名前”。いつまでもコックちゃんじゃカッコ悪いからね。勝手だけど私の方であなたの名前を決めさせてもらったよ」

 

そう、ずっと考えていたことがこれ。

実に八年も見習いコックちゃんとしか呼んでいなかったのは我ながらどうかと思うんだけど、やっぱり名前って言うのは大事な物。

私だって、フランドール・スカーレットというこの名前は何より大事な自分自身の証明だ。

だから納得がいくまで考えた。

そして、贈るシチュエーションも、こうして最高のものを用意した。

願わくはコックちゃんに気に入ってもらいたいものである。

私は魔力で空中にその名前を書きながら告げる。

 

「あなたの名前は (ホン) 美鈴(メイリン) 。ホンは私の苗字、スカーレットにちなんで。スカーレットは炎の赤。あなたの燃え盛る炎のような、鮮やかな髪の赤色にも似合うと思う。それで、(くれない)を他の言葉で読んで、(ホン)。メイリンはもちろん、あなたの鈴から。美しい鈴と書いて、美鈴(メイリン)。色も形も音色も美しいけれど、一番美しいのはその在り方。悪夢の象徴でありながら希望の輝きでもある。あなたの二律背反(アンビバレント)()自己証明(アイデンティティー)。これほどぴったりな名前もそうそうないかなって」

 

やっぱり見習いコックちゃんといえば、中国なイメージがある。

それは出身のクーロンのイメージももちろんあるけど、例えばクックが教えている空手(のような武術)が、彼女がやると功夫(カンフー)(のような武術)に見えたり。

中国語はあまり自信ないけど多分読みは間違ってない、かな?

 

「ホン……メイリン……私の、名前……」

 

「どう? 気に入ってくれた?」

 

コックちゃんは私の言葉には答えず、俯いて泣き出してしまった。

ただまぁ、流石にここで「私のつけた名前がダサすぎて泣いちゃった!?」とか思うほど私は鈍感じゃない。

コックちゃんは泣きながらも全身で喜びを表現していたのだから。

 

「私……私、こんな、こんなに幸せで、いいんでしょうか……?」

 

その言葉に笑いがこみ上げる。

幸せでいいのか、なんて、そんな悩み。

 

「アハハハハ、まぁ、我らがスカーレット海賊団に攫われたのが、運の尽きだったね」

 

私の言葉にコックちゃんの様子を見守っていたクルーたちも次々に笑い声をあげて賛同していく。

コックちゃんもいつしか、泣きながら笑っていた。

 

そうしてこの日、見習いコックちゃんは一人前のコックちゃんになり――(ホン)美鈴(メイリン)になった。

 






・アハハハハ
フランちゃんの笑い声。
ワンピは登場人物が特殊な笑い声を出すことでも有名ですが、アハハハハはいなかったかな、フランちゃんの狂気的な感じに似合いそう、と思って設定したんですが。
なんか最近のところでヨンジがアハハハハって笑ってた気もする。
気のせいですね、ええ。
本作の設定はドレスローザ編あたりまでで作られているのでそれ以降は勘弁。

・魔法の研究
笑い声も相まってやってることはどう見てもマッドな研究者。
生命の創造とかベガパンクがひっくり返ってしまう。

・渋るクック
孫を嫁に出すおじいちゃん的な。
独り立ちさせたくない、でも認めてやりたい気持ちもある。
そんな不器用な感じを周囲のクルーも分かっているので生温かい対応になる。

・神便鬼毒酒
酒呑童子を酔わせた酒として有名。
他に有名な酒といえば日本神話で初めて出てくるお酒であるヤマタノオロチを酔わせた八塩折酒(やしおりのさけ)とかが有名でしょうか。
ワイン一杯でふらふらになるフランちゃんもウフフですが残念ながら本作ではザルです。
じゃないとワンピの人たちと飲み交わせない(メメタァ)
ヤマタノオロチだけに蛇足ですが八塩折酒も調べてみるとなかなか面白いです。
古事記伝で本居宣長は8回醸造した強い酒と解釈していますが、蒸留ならともかく醸造は繰り返しても甘くなるだけでアルコール度数は上がらないそうな。
八というのはヤマタノオロチとかけているんでしょうが。
あとは製法に果物を集めて作ったとか書いてあって、これ日本酒じゃなくてワインじゃないの?とか。
いやほんとどうでもいい話ですね。

・二律背反の自己証明
カッコいい表現を探して自爆した感。
この場合のアンビバレンスは論理学的な用法ではなく心理学用語の方なので二律背反ではなく両価感情とか愛憎併存と表記するのが正しいはず。
字面のカッコよさを優先してしまいましたが許してください。

・紅美鈴
実は本来のプロットでは名前が違った人。
もともとはフランの苗字をそのまま引き継いで『スカーレット・D・メイリン』になるはずでした。
でもやっぱりせめて主要二人(フランとメイリン)は原作通りの名前がいいかなと思いこんな感じに。
スカーレットとメイリンて言語違うけど結構語呂はいいかなと思っていたり。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

人の死と吸血鬼の生

前回のまとめ

・見習いコックちゃんがコックちゃんに昇格
・コックちゃんの名前が紅美鈴に



 

 

見習いコックちゃんがホン・メイリンになってから二年。

スカーレット海賊団の航海開始からは実に35年が経過したことになる。

当時30代だったマロンやナヴィ、クックといった年長組はすでに60代を超え、儚き人の生、寿命の終わりも見えてきている。

 

一つ救いがあるとすれば、スカーレット海賊団のクルーは皆、年をとっても若々しいということだろう。

ラフテルでは平均寿命はだいたい60歳ほどだけど、それを超えてクルーは元気だ。

この原因をナヴィと一緒に調査したところ、覇気が関係しているみたい。

以前の研究でも覇気は生命力の発露だと結論付けられていたけど、その説がさらに補強された形になる。

生命力そのものである覇気は使い過ぎれば命に関わるけど、それをコントロールする術を身に着けることは寿命を延ばすことのみならず、身体の老化を抑えることもできるようだ。

そのおかげか、もうおじいちゃんの年齢に達しているマロンたちも見た目は壮年の男性で老化がとまっているし、剣技の冴えも衰えず、ボケが始まってもいない。

 

……それでもやっぱり人間の限界はあるようで、つい先日クルーの一人が老衰で逝ってしまった。

マロンたちと同年代だった彼は、航海開始からの初期メンバーの一人で、いままでずっとともに過ごしてきた仲間だった。

葬儀はサンタマリア号でしめやかに行われ、遺体はラフテルに住む息子夫婦のもとへと送った。

 

逃れられぬ死を身近に感じ空気がどんよりとしてしまったスカーレット海賊団に活を入れたのは、クルーの中で最年少、若干17歳のメイリンだった。

彼女は持ち前の明るさと笑顔と鈴を転がすような美しい声で皆を鼓舞し、おいしい料理でみなを元気にしていった。

私もかなり落ち込んじゃっていたから、メイリンには大分助けられたかな。

 

 

そんなこんなの航海。

でも、始まりがあれば終わりもあるのは、人生だけじゃなく、この航海もそうだったのだ。

 

目の前にそびえたつ赤い壁。

それは果てしなく左右に延びていて吸血鬼の視力をもってしても終わりは見えない。

上方もまた、雲の中まで大陸が延びている。

まごうことなき赤い土の大陸(レッドライン)だ。

 

「ナヴィ、方角は」

 

「レッドラインは我らの北西にあります」

 

「じゃあ、やっぱりあの向こうにラフテルがあるんだね……」

 

私が航海を始める前に見に行った、ラフテルの南東にあったレッドライン。

私は今それを、反対側から見ているわけだ。

 

つまりこれで、世界一周を達成したことになる。

もとは世界中を巡るという漠然とした目的で始められた航海だったけど、これで一つの区切りがついたのだろう。

 

この日はそれから一日中宴会騒ぎだった。

30年以上に及ぶ長い航海の、一つの結果が達成されたのだから、それはもう大騒ぎ。

 

……ただ、私は楽しかった夢から突然醒めたような気分になって、あまりはしゃげなかった。

 

 

とはいえ落ち込んでいるわけにもいかない。

私は船長なのだから、これからのことを考えなきゃならない。

まず、航海を続けるかどうか。

このまま大陸をぶち抜いてラフテルに帰るというのも一つの選択肢だ。

かなりの年になったマロンやナヴィ、クックには故郷へ錦を飾るという栄誉があってもいいだろうと思う。

航海を続けるにしたって、来た道を戻るのか、カームベルト内の行きでは通らなかった道を通って帰るのか、カームベルトの外に出て外洋を探索するのか、色々と選択肢は多い。

 

さて、どうしよう。

 

 

 

 

最近、船長――フラン様の元気がありません。

原因は分かりきっていますが。

私の師父――クックさんの死。

そして、副船長――マロンさん、そしてその妻、ルミャさんの死です。

 

 

私、(ホン)美鈴(メイリン)がスカーレット海賊団の一員になってから10年目の年に、私たちは赤い大陸(レッドライン)という地点までたどり着き、そこで世界を一周するという偉業を達成しました。

私は航海当初からのクルーではありませんが、それでも自分が所属している海賊団が、世界でまだ誰も成し遂げたことがないことを達成した、という連帯感、一体感、そんなものに酔いしれました。

それは他のクルーの皆さんも同じで、各地で新しくクルーになった人たちもおおいに騒いでいました。

でも、今にして思えばそのころからフラン様はどこか元気がなかったようにも感じます。

 

決定的になったのはそれから三年後、我が師父――クックさんの死去。

世界一周を遂げた後私たちスカーレット海賊団は、凪の帯(カームベルト)を逆走し、来た海路とは別のルートでラフテルまで戻ることになりました。

その道中、師父が船上で息を引き取ったのです。

死因は老衰で、死の一か月前には既に明確に自分の死期が分かっていたそうです。

 

フラン様は師父に、延命をするかどうかを問いかけました。

人智を超越したフラン様の御力をもってすれば人の寿命を延ばすことなど片手間でできること。

もしも師父が望まれるなら、フラン様はすぐにでもそうしたでしょう。

 

――しかし、師父は「人として生きた。ならば人として死にたい」と、その提案を断りました。

……正直なところ、私としては師父にもっと長く生きてほしかった。

師父は私にとって人生を変えてくれた人で、父親のような人でもあり、料理の師匠であり、人生の先生であり……とにかくもう、言葉で表すのが大変なくらい大事な人だった。

だからそう、もっと長く生きて、もっといろいろなことを私に教えてほしかった。

 

ただ、師父が死を望むなら、私には止める手段はなにも残されてはいませんでした。

 

師父は最期の一か月、そのほとんどを私のために費やしてくれました。

今まで教えられなかった武術の秘伝、料理の極意、他にもたくさんのことを叩き込まれ。

それは私の短い人生の中でも特に濃密で充実した、けれどどこか寂しさを覚える時間。

師父が一つ私に教えるごとに、師父の“気”が小さくなっていくのが感じられ。

それは師父が自身の存在を私のために削っているようで、どこか、やるせなく。

 

師父は最期に一品、料理を作り、それをフラン様とお二人で食し、そのあと静かに息を引き取りました。

その日から私は、スカーレット海賊団で唯一の料理人になりました。

 

「美鈴はさ、泣かないの?」

 

「……涙は当の昔に、枯れ果ててしまいまして」

 

師父がなくなった夜、私はフラン様の御部屋でお酒を酌み交わしていました。

 

「悲しいです、とっても。胸が張り裂けそうなくらい辛いです。……でも、師父ならそんな時こそ笑えって、言うんじゃないかなって思います」

 

「そうだねぇ。クックなら「何を腑抜けた面しとる!」って根性を注入してくれそうだね」

 

「うう、師父のしごきは勘弁です」

 

もっとも、もしももう一度師父に会えるのならばいくらでもしごいてほしいところではありますが。

 

「わかっては、いたことなんだけどね。私は吸血鬼で、神様で、みんなとは違うから。同じ時間に生きることはできないんだって、分かってはいたんだけど」

 

「……フラン様」

 

「それでもやっぱり、悲しいものは、悲しいんだよね」

 

そう呟くフラン様は今にも空気に溶けてしまいそうなほど儚くて。

私はかける言葉が見つからなくて。

自分の無力さに、ぎゅっとこぶしを握り締めることしか、できませんでした。

 

 

そして、不幸は重なるもので。

師父の死から数年後、今度は副船長――マロンさんが寿命を迎えました。

本人の見立てでは、あと一年の命。

 

いえ、実のところマロンさんは類稀なる熟練の覇気使い、本当は師父が亡くなる前から自分の寿命のことについては察していたそうです。

しかし、そのことはフラン様には報告せず、妻であるルミャさんにだけ伝えていたそうです。

それは、師父の死と間を開けることでフラン様の心労を少しでも減らすため。

実際、師父の死と共にマロンさんの寿命のことも聞いていたら、フラン様は相当心に負荷を負っていたでしょう。

 

そして、マロンさんとルミャさんは、一つの大きな決断をしていました。

まず、マロンさんは老衰で死ぬことを良しとしませんでした。

それは彼の言う、「ロマン道」――私にはいまいち理解しきれないものです――に反すること。

死ぬときまでロマンを追い求めたい、というのがマロンさんの望みでした。

故に彼は自身の愛刀に残りの覇気、すなわち生命力をすべて注ぎ込んで人生の集大成としたい、と願いました。

 

フラン様ははじめその願いを聞いたとき、決していい顔はしませんでした。

それは残り少ない寿命をすり減らすことを意味しますから。

恐らくクルーの中で誰よりもフラン様と親交が深かった副船長のマロンさん。

フラン様はおそらく、師父を喪ったときよりも悲しまれた事でしょう。

 

それでも、最後にはフラン様も首を縦に振りました。

――まぁ、そういうところがマロンだもんね、と苦笑して。

 

結果から言えば、マロンさんは驚くほどあっさりと亡くなりました。

残りの寿命をフラン様に伝えた、そのわずか三日後には旅立たれたのです。

なんというか、彼の人柄が伝わるような、カラッとした最期でした。

私自身、あまり悲しさというものを感じませんでした。

あれほど元気に笑って逝かれては、悲しむに悲しめません。

 

そして、ルミャさん。

マロンさんの妻である彼女、エクスナー・ルミニアは純粋な人間ではありません。

かつて死に瀕する重傷を負い、その治療の際にフラン様の御力を受けて肉体が変質したのだと言います。

そのせいでルミャさんの寿命は普通の人間とは比べ物になりません。

恐らく、あと数百年は確実に生きるでしょう。

 

そんなルミャさんは、マロンさんの寿命がもうないことを聞いてから数年、ずっと考え抜いて一つの大きな決断をしていました。

――それは、マロンさんと共に死ぬこと。

想い人のいない世界で永い刻を過ごすことに不安を抱き、せめて共に逝きたいという願いでした。

 

これにはフラン様とマロンさん、お二方ともが反対しました。

しかし、ルミャさんの決意は固く、決して引こうとはしませんでした。

結果、折れたのはフラン様とマロンさん。

フラン様は「ほんとに夫婦そろって頑固なんだから……」と、マロンさんはそこまで妻に思われていたことに嬉しさを感じると同時に、彼女の寿命を奪ってしまうことに対して罪悪感を抱く、複雑そうな表情をしていました。

 

ルミャさん自身、子供たちを置いて逝くことには相当悩んだそうです。

夫の遺した子供の成長をラフテルで見守る、それもまた一つの選択肢。

しかし、それでも死を選んだのには、永い刻を生きることに対する忌避感があったそうです。

 

彼女に限らずラフテルの出身者というのは皆フラン様を信仰しています。

それは幼少からそう教わる事でもあり、ラフテルの成り立ちや現状を知れば知る程心からの信仰を捧げたくなります。

ラフテルで生まれ育ったわけではない私ですら、フラン様を尊く思う気持ちはあります。

そんな信者の一人、ルミャさんは自分の存在が人間よりも吸血鬼(フランさま)に近づいてしまったことに対して常々悩んでいたと言います。

神との同一化願望は誰しも持っています。

それは少しなりともフラン様に近しくなれる悪魔の実がラフテルでは貴重品として取引されることからも分かるでしょう。

しかし、ルミャさんはそれ以上に永い刻を過ごして、自身の精神が変容することを恐れたそうです。

永い刻の中でフランさまに近づいていくことで価値観が変わり、フラン様の事を大切に思えなくなったらどうしよう、という思い。

正直なところ、私からすればよくわからない思いです。

しかし、実際に人外に近づいてしまったルミャさんにとっては深刻な悩みだったようで、フラン様とマロンさんに胸の内を吐露する際には泣かれていました。

あくまでも彼女の中ではフラン様は仰ぎ見るべき存在でなければならない、ということなのでしょう。

まぁとにかく、ルミャさんもマロンさんと最期を共にすることになったのです。

 

マロンさんとルミャさんの最期は、マロンさんの愛刀にすべての覇気を注ぎ込んで死ぬというモノでした。

彼が生涯愛用した刀。

その刀はかつてカープさん(私は出会ったことがありませんが、スカーレット海賊団の船大工兼鍛冶師だそうです)がフラン様の協力のもと打ったものだそうです。

身の丈ほどもある大剣で大きく飛び出た鍔が特徴的、そのシルエットは十字架のようにも見えます。

私も何度か手合わせさせていただきましたが、大きく速く重く、とても正面から受け止められるような代物ではありませんでした。

加えてその切れ味はといえば、岩をバターのように切り裂くのですからたまりません。

そのマロンさんの愛刀には銘がありません。

なんでも、フラン様がおよそ日本刀に見えないその刀を刀と認めなかったことが原因だそうです。

ですから普段は無銘剣だの、十字架だのと呼ばれていました。

 

刀に覇気を込めるところは、私も立ち会わさせていただきました。

まぁ、立ち会うというよりは死を前にしたマロンさんとルミャさんのお世話をする雑用係として傍にいたのですけど。

 

マロンさんの覇気は死の影が見えているというのに、膨大かつ研ぎ澄まされていてとても力強いものでした。

ルミャさんの方は寿命が近いわけでもないので普段通りのものでしたが。

 

お二人は半日の時をかけてその身の覇気をすべて十字架に込めました。

覇気の色は普通無色ですが、強い意志によって各種の特性を帯びた色に変化させることができます。

お二人の覇気が染まった色は、漆黒。

なるほど、さすがヤミヤミの実の能力者のルミャさんと、長年連れ添ってきた夫なだけあります。

その覇気の闇は、闇よりも闇らしく、すべてを吸い込む漆黒の色をしていました。

 

刀身が黒く染まっていくと同時に、マロンさんとルミャさんからは色味が薄れていきました。

黒かった髪は白くなり、肌からは血の気が引いてきます。

それは、生命力である覇気を注ぎ込んでいることによる体への影響でした。

……やがて、すべての覇気を込め終えた時には、お二人は実年齢相応の老人の姿になっていました。

いままでが覇気によって若さを保っていただけだったということなのでしょう。

 

最期に、フラン様は冥土の土産としてお二人に刀の銘を贈られました。

闇色の十字架、その銘を “夜” 。

吸血鬼の象徴である「夜」の名を贈られたことは、きっとフラン様にとっての最上級の贈り物だったのでしょう。

また、「夜」はマロンさんの遺言で、「当代でもっとも剣技が優れる者に託す」とされました。

何も言わなければ恐らくは、ラフテルで国宝として飾られるだけの存在になっていたでしょうから、刀である「夜」にとってはこれで良かったのかもしれません。

 

 

そうして。

 

「俺はあなたに出会えたことが、あなたの船で副船長になれたことが、人生で一番のロマンだった。俺に夢を見させてくれて、ありがとう、船長」

 

「フラン様には私の心と体を二度にわたって救っていただきました。心から感謝しています。闇の中の私にとって、あなたは光でした。心よりお慕いしております。――マロンの次に、ですけど」

 

マロンさんはきりっとカッコよく、ルミャさんはどこかお茶目に、そう言い遺してこの世を去りました。

 

 

私は彼らの死を汚したいとは思っていませんが――はっきりいって、私にはお二人の気持ちが全く分かりませんでしたし、納得もできませんでした。

加えて言えば、その点においては師父もそうです。

私はスカーレット海賊団の一員としてだけでなく、個人的にも師父やマロンさん、ルミャさんのことは好いていました。

皆とてもいい人たちばかりで、控えめに言って大好きです。

しかし、この件についてだけは、私は彼らを憎んですらいました。

 

なぜ、彼らはフラン様をおいて去ることができたのでしょう。

寿命は人の世の常――ええ、確かにそうかもしれません。

しかし、それを覆す手段がすぐそばにあるのに、自然の摂理に従うことに何の意味があるのでしょう。

ああ、ああ、彼らにとってはきっと満足の行く最期だったのでしょう。

だけれども、私には、――涙を流すフラン様の御姿を目にしてしまった私には、そんなことはできそうにないのです。

私は、今目の前に広がる光景を、師父に、マロンさんに、ルミャさんに、見せてやりたい、見せつけてやりたい。

声を殺して嗚咽を漏らす、フラン様の儚い後ろ姿を。

――きっと私は、一生忘れることはない。

 

ならば、私は……せめて、私だけでも――。

 

 

 

 

クックと、マロンと、ルミャが死んだ。

最古参のメンバーだっただけに悲しみもひとしおで、しばらくは元気が出なかった。

特にマロンとルミャは、寿命がまだ残っていたのに、残りの寿命を覇気って形で剣に込めて死んじゃって、ほんとにもう気落ちした。

勿論当人たちにそんな気はないんだろうけど、私と一緒にいることを拒否されたような気がして、どうしても。

 

ちなみにその時、泣きながら意識を失ってたみたいで、気づいたらメイリンに後ろから抱きしめられて頭を撫でられていた。

……ちょっと恥ずかしくてメイリンには私が起きていたことは話してないけど、あれは本当にありがたかった。

こんな風にしてくれる人なんて今までいなかったから、なんか安心したというか、子供に戻ったような気がして心の底からほっとした。

悲しみで若干狂気のコントロールができなくなっていたのが、あれのおかげですっかり元通りになったしね。

……700歳以上年下の子に母性感じちゃう当たり終わってる気がしなくもないけど。

 

まぁ、生も死も人の営み。

700年以上見てきた光景だったから、耐性はついていたと思う。

今回は、あまりにも入れ込み過ぎちゃったから、反動が大きかっただけ。

それに、航海はそんなことがあっても続いていく。

私は船長なんだから、しっかりしなくちゃね。

 

そういえばマロンとルミャの、ある意味では形見というか遺品になった剣。

流石衰えたとはいえ今まで私の出会った中では人類最強の剣士と私の妖力が混ざった半妖怪の覇気を死に至るまで込めただけあって、できあがった剣は文句なしに世界最高の剣になっていた。

実は名前のなかったこの剣、せっかくだし名前を付けてあげることにした。

漆黒の刀身に似合うように、銘は“夜”。

まぁ夜って吸血鬼(わたし)の象徴みたいなもので、この剣なんか十字架に見えるから皮肉っちゃ皮肉な名前かも。

私は別に十字架苦手なわけではないけど。

 

ただこの剣、性能に比して魔剣の類になってるんだよね。

死の間際の覇気と、純粋じゃないとはいえ妖力が込められてるわけで、持ってるだけで精神に変調をきたすようになってる気がする。

この場合は、なんだろう、マロンの遺志がこもってるから持ってるとロマンを追い求めずにはいられなくなったり?

もしくはルミャの性質を受け継いで使用者が黒とか闇とか好きになるとか?

……加えて私が、「当代で最も剣技の優れた人間のもとに行く」ように魔法かけたから多分呪いの人形よろしく何度捨てても手元に戻ってくるようになってるんだよね。

魔剣というか呪剣というか。

本音を言えばラフテルの遺族のもとにあげたい気もするんだけど、本人の遺志だからね……。

 

「ボ、ボス……これなんとかしてくれ……」

 

あ、噂をすれば。

声をかけてきたのはラン。

そう、今現在の「夜」の所有者はランなのである。

ランの得物は槍なんだけど、人並み以上に剣も使える。

というより、剣に選ばれたわけだから人並み以上どころか当代では最強の剣士なわけだ。

クルーの中じゃマロンとランが突出して強かったもんなぁ。

そんなわけで今彼は「夜」に付きまとわれているのだった。

 

「どうにもできないって言ったでしょ。他のクルーを自分以上の強い剣士に育て上げればいいんじゃない?」

 

「なんで自分より強い奴を育てなきゃなんねーんだよ!」

 

「剣で強くなればいいんだって。それでもランの槍には敵わないでしょ?」

 

「そ、そりゃそうだけどよ……まぁ俺の槍は最強だからな」

 

うーん、ちょろい。

ランももう50代になってるはずなのに若々しいというか頭が幼いというか……。

元気なのはいいことだけど、年齢を重ねた落ち着きが全く見られないのはなんでだろう……。

ちなみにランがこんなんだから次期副船長は一番強いランではなく、一番統率力のあるウェンに決まった。

 

それにしても、ランとっては「片思い相手(ルミャ)」と「その夫(マロン)」の遺品がいつまでたっても付きまとってくるわけで、不憫というかなんというか。

 

 

そういえば自分でかけておいてなんだけど、あの魔法ってどういう仕組みで「世界で一番強い剣士」を探し当ててるんだろう。

原理も分からないまま魔方式を構築するとかわたし結構凄いことやってる気がしてきた。

うーん、ちょっと力入れて魔法の研究してみようかな。

目標があるのはいいことだよね、多分。

 

 

 






・覇気でアンチエイジング
ワンピの老人キャラといえばレイリー・白ひげ・ニョン婆あたりでしょうか。
みんな元気なので設定捏造。
ドクトリーヌ(Dr.くれは)も覇気使えるんじゃないかな……。
追記:調べたらロジャー(77)レイリー(78)ガープ(78)センゴク(79)おつる(76)だった。
こんなに年いってたんですね……。

・黒刀「夜」
カープが打った初登場時からその存在感を隠そうともしていなかった。
結果感想で一発でモロバレしていた剣。
形が十字架の様という点だけで特定されてしまう。
原作でミホークがなぜ「世界最強の剣士」と呼ばれているのかわかりませんが、本作中は「夜」を持っているから、で説明をつけます。

・「よしよし」してくれるメイリン
かつてラフテルにいた巫女よろしくフランへの思いが一定以上になると母性に転換される模様。


次話は「鈴の少女」編最終話です。
そのあとは大規模な戦闘回予定。
本気のフランちゃんが暴れるはず。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

クーロンの滅亡と生き残りの女たち

前回のまとめ

・クック、マロン、ルミャ退場
・めーりんは母性



 

 

10年ほどの時が過ぎて――いつの間にか初期クルーはほとんどが逝ってしまった。

世界地図を完成させるという夢を息子に託して逝ったナヴィ、立派に二代目副船長を務め上げたウェン、結局最後まで「夜」に付きまとわれていたラン。

彼らもまた、クックやマロンと同じように、人の環の中での死を選んだ。

その別れのどれもが胸を引き裂かれるように辛くて、同時にその思いの積み重ねがどこへ消えているのか不安だった。

最近はもうすっかりこの痛みにも慣れてしまって、メイリンに慰められることもない。

それでも彼女が隣にいるだけで心が落ち着くんだけど。

というかメイリンがほんといい子すぎる。

何も言わなくても私以上に私の事を理解してる気がするし、傍にいてほしい時には呼ぶまでもなく隣にいる。

料理の腕も磨きがかかってきて、すっかり胃袋掴まれちゃってるし。

 

さて、次の島はそんなメイリンの因縁の島だ。

 

「あれ、フラン様。次の島って」

 

「そうだよ。メイリンの生まれ故郷の九龍(クーロン)だね。丁度ここを通過するところだけど、どうする? メイリンが寄りたいなら立ち寄るし、そうじゃないなら一度行ってるから通り過ぎてもいいと思うけど」

 

ちなみに、以前訪れた時には散々暴れたから指名手配されてそうな私たちだけど、あれからもう20年が過ぎている。

流石に大丈夫だろうと思う。

 

「うーん……」

 

「やっぱりいい思い出ない?」

 

「いえ……どちらかといえば私が師父に拾ってもらった場所なので、思い出深いんですけど……」

 

「何か心配?」

 

「いえ……今でも暴政してたら我慢できる気がしないなぁって。師父ばりに暴れちゃいそうで……」

 

ふーむ。

そういえばクーロンは女性差別がひどい島だったっけ。

当時は私も気分が悪くなってた気がする。

 

「別にいいよ、暴れても」

 

「え?」

 

「というかここしばらく探検ばっかりで海賊らしいことしてないし、クルーの皆の息抜きにもいいかもね」

 

というのは建前で。

実のところ、メイリンがどんな決断を下すのかが気になってるだけなんだけどね。

 

長年自分を虐げてきた国。

そして今はそれに復讐する力がある。

クックに武術を教えられ、マロンやランに鍛え上げられたメイリンなら多分時間こそかかるけど単騎で国を落とすこともできるだろう。

その状況で、とてもよくできた子のメイリンがどんな行動をとるのか。

 

「よし、じゃあメイリンに一時的にスカーレット海賊団の全指揮権を与える! みんなで好きなように暴れてきていいよ」

 

「え、ええっ!?」

 

普通に暮らしてる人たちならともかく、あそこまで歪んだ国は滅ぼしちゃった方が世のため人のためにはなると思うけど。

さてさてメイリンはどうするかな。

優しいから一切の手出しをしない気もする。

芯が強いからあっさりと害悪の国を滅ぼす気もする。

頭がいいから被害者だけを救う気もする。

 

どれにしろ面白いのが、人間だよね。

 

 

 

 

なんて思っていたら手を出すまでもなく滅んでいた件について。

 

私たちがかつてのクーロンだった場所に到着すると、そこには国の残骸、廃墟が広がっていた。

人っ子一人いないゴーストタウンだ。

いやまぁ、あんだけ酷いことやってた国が長続きするわけはないと思ってたけど、まさか20年程度でここまで見事に滅ぶとは思っていなかった。

でもなんか人がいないだけじゃなく更地になってたり、わりと派手に滅んでいるというか。

しかもよく見ればこれ割と最近の被害っぽい……?

 

しばらく廃墟の街を探索していると、生き残りに出会った。

女性ばかりで100人ほどの集団が、寄り集まって生活していたのだった。

彼女たちは、私たちの姿を見るとそれぞれが武器を手に取り襲い掛かってきた。

訳が分からなかったので鎮圧してから話を聞いてみると、彼女たち曰く

『ある日突然空から翼の生えた人間たちがたくさんやってきて、人を大勢攫って行った』

『クーロン側も撃退しようとしたが、逆にあっさりと国軍を壊滅させられてしまった』

『翼の生えた人たちは日をおいて何度も襲撃してくるので、そのうち皆国から逃げ出して、ほとんどの人がいなくなった』

『最後には国を守る兵士ばかり300人ほどが残ったが、ある時を境に襲撃はぴたりとやみ、そのままここで暮らしていた』

そしてその兵士たちをこの女ばかり100人の集団が殺したそうだ。

この女たちは戦闘奴隷のようなものだったらしい。

 

え、ええと?

話を整理してみよう。

 

つまり、謎の勢力の襲撃があってクーロンは壊滅。

そんな中生き残りの男性の兵士200人と逃げることを許されなかった女性の戦闘奴隷100人が抵抗を続けていたけど、ある日から襲撃がやんだ。

人数が少なくなったのを好機とみて女性たちが反乱、男性らを鏖殺(みなごろし)

で、今に至ると。

 

なんともまぁ数奇な運命をたどる国だこと。

それで、男たちの生き残りに間違われたスカーレット海賊団のクルーに攻撃を仕掛けてきたわけね。

 

私たちはとりあえず誤解を解いてから、男性クルーたちを全員船へと戻すことにした。

そして、私とメイリンだけが残ってより詳しく話を聞いてみることにする。

 

うーん、それにしても翼の生えた人間?

パッと考えるとトリトリの実の能力者が思いつくけど、たくさんいたって言うのは何なんだろう。

 

 

 

 

生まれ故郷に戻ったらいつの間にか滅んでました。

クーロンに関しては結構複雑な思いを抱いていたんですが、肩透かしを食らったというか、思いの行き場を失ったというか。

フランさまから話を聞いた後、どうしようかと思い悩んでいたのがバカみたいですね。

そして、クーロンの跡地で出会った女性たちに話を聞くことができましたが、どうにも摩訶不思議なことが起こったようで、理解が追いつきません。

 

フラン様にどうしましょう、と伺いを立てたところ、「任せた!」と非常に力強い返事が返ってきました。

丸投げ……。

いや、確かにもともとそういう話でしたけど……状況が想像よりも数段違うじゃないですかぁ。

 

「それで、皆さんはこれからどうするんですか?」

 

仕方なしにそう尋ねてみると、女性たちのリーダーのような女性が答えました。

 

「……どうもこうもないよ。ここで死ぬしかないだろうさ」

 

「え?」

 

「もともと何か考えがあって反乱を起こしたわけじゃないんだ。アタシらはクーロンの男共に手ひどく扱われてた戦奴だったから、みんな男共に恨みは人一倍持ってたんだ」

 

「カッとなってやった、ってことですか」

 

「ああ。もともと国も翼の奴らの襲撃で滅んじまってたし、せめても最期の抵抗ってやつさ」

 

「生き延びる気はないんですか?」

 

「生き延びるったってね。住むとこも食料もないしどうしようもないよ」

 

「逃げて行った人たちみたいに移住すればいのでは?」

 

「どこにだい? この廃墟の街でもマシなほうさ。最後までアタシらが闘ってた拠点だからね。他のとこはそりゃあ見る影もなくボロボロさ。空から光が落ちて来てなにもかも吹っ飛んじまった。住民の中には船で海に逃げたやつらもいたよ。でっかい海獣に食われてたけどね」

 

そう話す女性の眼には諦めの光がありました。

いえ、諦めというよりはそもそも希望を持っていない目です。

彼女たちはほんとうに、何も考えず最後の最後に心の赴くまま反乱を起こしたのでしょう。

戦のあとですから、男性たちが何をしようとしたのかについてはだいたい想像が付きます。

私も初めて殺しを経験した後は昂って……いえ、なんでもないです。

 

ごほん。

 

彼女たちはきっと、凄い人たちなのだと思います。

戦乱にあったこの国で最後まで生き残り、しかもその後人数で勝っていた男たちを皆殺しにできる戦闘力――もさることながら、それ以上に心が強い。

()()クーロンで「男」に刃向かうということの意味を、私はよく知っていますから。

だからこそ、彼女たちは「やり遂げた」という気持ちと「やってしまった」という気持ちで燃え尽きているのです。

 

……正直に言って、私はそんな彼女たちを見ているのが辛かった。

私がついぞ反旗を翻せなかったクーロンという国に対して立ち向かい、勝利を手にした彼女たちが眩しくて。

そして、そんな彼女たちが生きることを諦めているのがやるせなくて。

 

できれば、助けてあげたい。

私がスカーレット海賊団に拾われ、救われたように、彼女たちにも手を差し伸べたい。

だけど、私にはそんな力がない。

力が、あるのは。

 

「……もう、そんな捨てられた子犬みたいな目で見ないでよ、メイリン」

 

「あ、いや……」

 

「わかってるわかってる。お願いするのも気が引けるんでしょ。まぁ任せてくれていいけどさ、説得は貴方がやるんだよ?」

 

「そ、それはもちろん、はい!」

 

やっぱりフラン様には敵いません。

敵わないからこそ、いつもおんぶに抱っこで頼り切ることに気が引けて……その引け目すらも理解されてしまっています。

フラン様は圧倒的なお力でだいたいのことは一人で何でもできます。

ですから普段から他者に頼られることは慣れているのでしょう。

それがラフテルの神としての、フランドール・スカーレットの在り方ですから。

 

でも、だからこそ私はなにか返せるものを見つけたいのですけれど。

今回もまた、フラン様に頼ってしまうことになりそうです。

力のない自分が情けないのですけど……嘆くよりも今は彼女たちの説得こそ、私がするべきことですね。

 

「少し、私の話を聞いてください。私はもともと、ここクーロンの民だったんです――」

 

 

 

 

メイリンがこの国の人たちを助けたいと言い出すことも、そのために私の力を頼るだろうことも分かってたから、私はメイリンに頼まれる前から探査魔法を飛ばしてよさそうな土地を探していた。

メイリンは本当に分かりやすく素直な子だ。

その真っ直ぐな芯の通った心は見ていて眩しいし、可能な限り助けてあげたいと思う。

私はなんていうか、そういう「人間の生きる輝き」みたいなものに弱い。

その点で行くと、ロマンを求め続けていたマロンや、「人」であろうとしてマロンと添い遂げたルミャとかも、私のドストライクだったわけだ。

 

だからまぁ、生きることの素晴らしさを熱く説いて女たちを説得しているメイリンを横目に、私は可能な限りの手を尽くした。

懸念すべきは謎の勢力の襲撃。

一度は去ったそうだけどもう一度来ないとも限らないから、逃げる場所は外敵に見つかりにくい場所がいい。

加えて逃げた後の生活の面倒をどこまで見るか。

スカーレット海賊団を放置するわけにもいかないからずっと付き合うわけにもいかないし、全ての面倒を見てしまうのは多分メイリンの望むところではないし、私もそこまでしてあげる気にはならない。

問題は男性に対して極度の不信感を抱いているであろう彼女たちをどうするかだよね。

 

そんなことを考えていると、ちょうどよさそうな島を見つけた。

場所はここから南に100キロほどの場所。

凪の帯(カームベルト)の中だ。

ここなら周りの海王類が天然のバリケードになるし、敵に見つかる可能性も低いだろう。

大きさもそれなりにあるし、動植物もそこまで危険そうなものはいない。

この島から出ることは難しくなりそうだけど、逆に考えるんだ。

出なくてもいいさって。

だいたい彼女たちに外界に出る余裕もなさそうだし、安寧の終の棲家と考えればいいよね。

 

「――――ならどうでしょう!?」

 

「敵に襲われなくて、男共がいないどころか誰の手も入っていなくて、食べるものも十分な島なんて、にわかには信じられないよ」

 

「でもでも、もしあればそこで暮らすことは吝かではないんですよね!?」

 

「アタシたちはみんなもう終わってもいいと思ってるのさ。ただまぁ、そこまで条件が整っているのなら、死ぬ前に穏やかに暮らすのも、悪くはなさそうだけど……」

 

「じゃあじゃあ、男がいなくても子供が作れるようなサービスもつけますよ! やっぱり穏やかな生活には子供がいるのが大事ですよね! ルミャさんがそう言ってました!」

 

「はぁ!? そんなことができるのかい? ……いやでも、それで男が生まれたら自分の子供でも殺しちまいそうだ。それなら子供なんて作らない方が……」

 

「それなら! 生まれる子供も女の子だけになるようにしますよ! それなら可愛い女の子を育てることは楽しみでしょう!?」

 

「あ、ああ……」

 

……。

……んん?

なんか知らない間にすごい条件が付いてるんだけど。

ちょっとメイリン、説得に熱が入って変なこと口走ってない?

押し売りセールスで洗剤とかサービスするノリでとんでもないこと言ってる気がする。

そういえばこの子、熱くなると周りが見えなくなる悪癖があったっけ……。

多分昔の、クーロン時代に教え込まれたことが原因だと思うけど、漏らしてしまった中で頭打ちつける土下座してたりとかしてたもんね……。

 

「(ふ、フラン様、大丈夫でしょうか? ちょっと調子が乗っちゃっていろいろ言っちゃったんですけど……)」

 

メイリンがこちらに耳打ちしてきた。

良かった、変なことを言っている自覚はあったんだね。

 

「(でもフラン様ならこの程度ちょちょいのちょいですよね!)」

 

あなた、私のことなんだと思ってるの……?

まぁでも、今回に限ってはできなくもないからアレなんだけど……。

 

メイリンの鈴をどうにかする過程で実験した生命創造の魔法を利用すれば、父親がいなくても子を成すことはできると思う。

加えて生まれる子供の性別を固定することもできなくは……ないかな。

ただそこまでやると魔法じゃなくて呪いの域なんだよね。

呪いって言うのはつまりかけなおさなくても永続的に人体に効果のある魔法なわけで、使用者(わたし)の手を離れても作用し続けるから調整が難しい。

強すぎると体に悪影響が出そうだし若干弱めにかけることになるだろうけど、人によっては成長と共に効果が弱まるかもなぁ。

……ま、問題が出たらその時考えればいいよね。

 

「まぁいいよ。じゃあみんなに荷物まとめさせて」

 

「はいっ。流石フラン様です!」

 

その言葉は本心なんだろうけど、若干冷や汗を流してるから自分の失敗を誤魔化すヨイショがはいっているよね?

あとでお説教しよう。

 

「まとめる荷物も特にはないけど……何で移動するんだい?」

 

「えっと、私たちの乗ってきた船があるんですけど……フラン様?」

 

「いや、流石に100キロもあるとサンタマリア号で移動する気にはなれないからね。手っ取り早く転移魔法使うよ」

 

今回は特に急いでいるわけでもないのでしっかりと地面に魔法陣を書いていく。

以前にクック一人を転移させたような状況ならともかく、100人規模での集団転移は流石に前準備なしで発動させるのは難しい。

有り余る魔力と背中の翼の賢者の石を使えばゴリ押しでできなくもないんだけどね。

ほんとこの体の性能はすごい。

 

準備ができたので私の書いた魔法陣の中にクーロンの生き残りの女性たち全員に入ってもらう。

彼女たちはこれから何が起こるのか理解していないから半信半疑というよりは不可解だという表情をしている。

ちなみにメイリンもよくわかってない顔をしている。

確かにスカーレット海賊団の面々の前でもここまで大規模な魔法を使ったことはなかったかもしれない。

何かあっても基本的に体の基礎スペックでどうにでもなるし、ある程度はクルーたちに任せていたからなぁ。

 

準備に多少時間はかかったけど、発動自体は一瞬。

演出のためにパチン、と私が指を鳴らした瞬間、彼女たちには周囲の風景が丸ごと変わったように見えたはずだ。

ここはもうクーロンの跡地ではなく、そこから遥か南の凪の帯(カームベルト)のただなかにある無人島だ。

 

 

 

 

何が起きたのか分からなかった。

分かったのはただ一つ、抗いがたい大きな力がすべてを押し流してしまったということ。

 

アタシは九龍(クーロン)という国に生まれた女だ。

クーロンじゃあ男と女の間には絶対に覆せない格差があって、女に立場なんてなかったけれど、アタシはその中でもいっとう酷い生まれだった。

顔も見たことない母親がなにやら犯罪者だったようで、アタシは生まれた時から戦奴だった。

戦奴ってのはいわば動く肉盾だ。

戦時には隣国との戦争とかに駆り出され、損耗してもいくらでも換えが効く道具のような扱い。

平時には闘技場で見世物にされる。

相手が悪いと巨大な獣と素手でやり合わなくちゃならなかったり、下手をすると平時の方が死亡率が高いってのが何とも笑えない話だ。

 

そんな中アタシはそこそこうまくやれていたんじゃないかと思う。

まず、アタシは強かった。

体格に恵まれ、運動神経反射神経ともに悪くなく、剣をとればほとんど負けなかったし、弓をとれば的を外さなかった。

そして、従順に男たちに従う理性も持っていた。

幼少のころは男に従うのが当たり前だと思い込んでいたし、成長して隣国との戦争の中で現実を知ってからも保身のためにそれまでと変わらず過ごした。

そうしていることに別段不満はなかった。

動きが悪くなってきたら処分されるまではそうして生きていくんだろうと、アタシは漠然と思っていた。

 

そんな日があるとき突然に終わった。

空から翼の生えた者たちが襲い掛かってきたのだ。

クーロンはすぐさま戦時体制になり、慌ただしい戦いの日々が始まった。

 

初めは隣国が新たに開発した兵器か何かだと思われていた翼の者たちは、どうやら隣国とは何も関係がないらしかった。

というのも、隣国もそいつらに襲われて滅亡したからだ。

クーロンの王は焦った。

なにせ長年自分たちと戦争をし続けてきた隣国があっさり滅んだのだから、翼の者たちの強さも分かるというもの。

アタシを含め国の戦えるものはすべて全力で投入された。

 

戦いは熾烈を極めた。

空を飛ぶ奴らに対して有効な手段は弓矢か投石くらいなもので、剣を当てるなんてのは難しかった。

アタシは弓矢を射続け、クーロンの兵としてはかなりの敵を倒したんじゃないかと思う。

ただ、それも焼け石に水。

ほとんどの弓は躱されるか打ち払われて意味をなさず、逆にこちらは頭上からの一撃でやられてしまう。

奴らが使う不思議な道具――貝のようなものから炎を出したり衝撃波を出したり、斬撃そのものを出したりと殺傷力が高いのだ。

 

戦力差としては到底戦いになる物ではなく、それでも辛うじて戦いの体を成していたのは奴らの目的がアタシたちを殺すことではなかったことと、アタシたちが数で勝っていたからだった。

奴らはアタシたちを積極的に殺そうとはせず、どこかに連れ去ろうとするのだ。

多分奴らにとってはこれは戦いではなく、狩りのようなものだったのだろうと思う。

 

人も物資も奪われ続け、いつしかクーロンの人々は逃げ出していた。

兵士の中にも逃げ出すものが出始め、いつの間にか王の所在も分からなくなっていた。

隣国と同じように、クーロンもあっさりと滅んだのだ。

それでも真に国を思っていたり、逃げ出す時期を見誤ったり、家族を連れ去られ復讐に燃えていたりと戦い続ける兵士は残っていた。

そして、彼らに使われるアタシたち戦奴もまた戦場から逃げ出すことはできなかった。

 

万いた兵が半分になり、さらに半分になり、千を切り、300ばかりにすり減った頃、唐突に奴らの襲撃は終わった。

敵の将を打ち取ったわけでもなく、唐突な終わりだった。

だからだろう、男共があのような蛮行に走ったのは。

普通に考えて、ほとんど全てが滅んでしまったこの状況で、手を出す愚かさは度し難い。

 

……実のところ、何があったのかアタシはよく覚えちゃいない。

初めはいままでのように傍観していたと思う。

自分に手を出されるのも仕方ないかなと諦観していたようにも思う。

でも、戦場を背中合わせで助け合って、幾度も互いに命の危機を救った戦友に手をかけられて。

よくそれまで生きていられたなと思うほど頑固な彼女が、やっぱり男共に反抗して。

戦いが終わったというのに無意味に命を散らされた彼女の姿を見て。

――私の中の何かが切れた。

 

気づけばアタシは男共を皆殺しにして、残った女たちのリーダーのような立場に収まっていた。

アタシたちの決起のきっかけがアタシの一太刀で、その強さも統率力も戦いのなかで信頼されていたからこそだったけど、正直なところアタシにとってはどうでもよかった。

だってもう、何も希望が見えない。

あとはこのまま緩やかに物資が尽きるのを待つだけだろう。

……皆ももう、生きることは諦めていた。

クーロンの女は諦めることの肝要さを、よく知っている。

アタシは、餓死は辛いから最期は皆で互いに首をはね合うのがいいだろうか、なんてそんなことを考えていた。

 

そうして緩やかな滅びを待つアタシたちのもとに、大いなる“力”がやってきたのだ。

 

遠くに見えた人影を最初に報告したのは誰だったろう。

初めはクーロンから逃げ出した住人が、戦いの終わりと共に戻ってきたのかと思った。

しかし、服装が見慣れぬものであること、そしてなにより“男”共だということがアタシたちに剣をとらせた。

男共の人数は40ほど。

少女を二人ばかり連れているようだが、先頭を歩かせているところを見るに人質か肉壁のような扱いなのだろう。

頭がカッと熱くなった。

アタシたちの思いは一つだ。

殺してやる、と。

 

ところが、あっさりと鎮圧されたのはアタシたちのほうだった。

男共は恐ろしく強く、歴戦の兵士であるアタシたちを次々と無力化していった。

しかも剣を佩いている者も多いのに、それを抜かず素手でやられる始末。

アタシたちを傷つけないようにという配慮まで透けて見えるようで、翼の奴らと同じようにアタシたちをどこかに連れて行くつもりなんだと思った。

 

アタシたちは地面に転がされながら武器を取り上げられ、一か所に集められた。

そこで少女たちが前に出てきた。

そして、驚くべきことが起こる。

少女の傍らにいた男が、アタシたちが襲い掛かるのを警戒するように一歩前に出た時、少女が手を振ってそれを押しとどめたのだ。

しかも、何事かを言って男たちを皆、下がらせた。

 

女、それも少女が大の男共に命令を発したのだ。

クーロンではありえない光景だった。

隣国はクーロンに比べればそこまで女の扱いは酷くないそうだが、それでも明確に両者の間には差がある。

 

アタシたちが呆然としている間に、少女二人はこちらへ歩み寄ってきて、話しかけてきた。

彼女たちはクーロンが滅んだ理由を尋ねてきた。

驚きの衝撃と彼我の実力差も相まって、アタシは自分が知ることをすべて素直に答えた。

するとどうだろう、緑色の服を着た赤毛の少女がアタシたちを助けたいのだと言い出した。

正直なところ、アタシは何を言われているか分からなかったし、皆もそうだっただろう。

突然現れてそんなことを言うなんて裏があるようにしか思えない。

だけど彼女たちは力づくでアタシたちをどうすることもできるのに……なぜそんなことを言いだすのか分からなかった。

赤毛の少女はもともとクーロンの民だったそうだけど、だからといってアタシたちを助ける理由にはならないだろう。

 

赤毛の少女が言う救いの未来は荒唐無稽なものだった。

誰にも襲われない安住の地。

しかも男共がいないどころか誰の手も入っていないまっさらな島。

それでいて食べるものも十分だという。

加えて男がいなくても子供が生まれるだの、生まれる子供が全員女の子になるだの、本当に何を言っているのか分からなかった。

嘘をついて騙そうとしているのかと思えば、赤毛の少女の様子を見ればそうではないことが分かる。

彼女はアタシたちを助ける側だというのに、アタシたちより必死にこちらを説得しているのだから。

 

もう訳が分からなくて、アタシは投げやりな気分になっていた。

どうせ、なにをどう足掻いたところでアタシたちは負け、彼女たちに命を握られていることにかわりはないのだから。

皆も不信感こそ持ちすれ、本気で少女の救いを信じている者はいないようだった。

 

……そして、気が付けばアタシたちは見知らぬ島に立っていた。

それが、全ての終わり。

そして、全ての始まり。

アタシたちが、神様に出会った日。

 






・クーロンで暴れることを許可するフラン
航海当初からだいぶ精神が変化している。
仲間の死を通して死に寛容になってきている。

・初めての殺し
スカーレット海賊団のクルーは海獣以外に、攻撃してくる現地住民も手に掛けることがある。
なお昂った後どうしたのかは、クックがメイリンに性知識を教えているか否かで変わる。

・押し売りセールスマン、メイリン
むしろテレビショッピングでいろいろつく感じかもしれない。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

九龍の女性たちと紅美鈴の国造り

前回のまとめ

・クーロン滅亡
・生き残りの女性たちを保護



 

 

メイリンは置いてきた。

ハッキリ言ってこの先の戦いにはついてこれそうにもない。

 

いやまぁ、冗談だけどね。

でも凪の帯(カームベルト)の中にある島に、クーロンの生き残りの女性たちと一緒に置いてきたのは本当。

なんでそんなことをしたかって言うと、保護することにした女性たちが懇願したせいだ。

 

私が転移魔法で飛ばした後彼女たちは酷く混乱していて、そのままじゃあねとお別れできる状態じゃなかった。

だからまぁ、数日だけ面倒を見てあげることにした(メイリンが)。

私はスカーレット海賊団に戻ってこの先の航路の相談とかをクルーとして、三日後島に戻ってきた。

すると、なんとまぁメイリンは島の女性たちにやたらと懐かれていた。

懐かれるというか、それはもう信頼とかの域を超えて依存のレベルだった。

 

私はその光景にひどく見覚えがある。

かつてラフテルでも見た。

そうして私は神様になったのだから。

 

困り顔のメイリンに話を聞いてみると、なにやら色々とやり過ぎたらしい。

 

まず手始めにクック仕込みの料理。

ただでさえおいしいメイリンの料理は、クーロンでひどい扱いを受けていた女性たちが食べるにはあまりにも過分だっただろう。

舌と胃がびっくりしなかったか心配だ。

 

次に文化。

……いや、これは私も悪いかな。

この島は無人島だったから居住環境とかが何もなく、早急に家を建てる必要があった。

私も流石に魔法でポンと家を建てることはできないので、ラフテルまで行って売り家をいくつか拝借してきて島に設置した。

0から作ることはできなくても出来合いの物を持ってくるのは簡単だ。

ラフテルの職人さんありがとう。

彼女たちの美意識に合うようにできるだけ中華っぽいのをチョイスしたけど、まぁこれもクーロンのものよりは格段に上等なものだ。

ま、家自体より家に住めるということの方が彼女たちには大きかったみたいだけど。

仲のいいグループに分かれて共同で一つの家に住んでもらうことにしたんだけど、今まで家畜かそれ以下の扱いを受けていた彼女たちにとってこれはかなり意味が大きかったようだ。

 

そして火だるま事件。

え?

なんでもメイリンが火だるまになったらしい。

自分で火をつけたそうだ。

ちょっと何を言っているかわからないですね……。

 

「ええっと、どういうことなの、メイリン?」

 

「はい、キノコを食べたんですよ」

 

「キノコ?」

 

「ええ。なんか食べると笑い出すキノコとか怒り出すキノコとか生えてて、面白くて色々食べてたんですよね。そしたらなんか体中からキノコが生えてくるようになっちゃって。やっぱり最後に食べたあれがまずかったのかなぁ……」

 

……私がこの世界にやってきた初めのころ、山菜を食べて毒にのたうち回ったことを思い出した。

そう、あの時はノビルみたいなのを食べては腹を下し、ウドみたいなのを食べては汗がとまらなくなり、しいたけみたいなキノコを食べて笑いが止まらなくなったんだった。

多分今なら妖力の扱いも慣れたものだし、一切の変調をきたすことなく食べきることもできるだろうと思う。

吸血鬼に毒なんて効かない。

ただ、あの頃はまだ自分の体の性能をしっかりと把握していなかったし、知らないものを口に入れるとかって言う愚行を平然と行うだけの未熟な精神だった。

まぁ、あれだ。

あの頃は若かった、ってやつだ。

そんな黒歴史を思い出してしまい、未知のキノコを拾い食いしたことに関してはメイリンに強く言うことはできない。

 

「それで、どうなったら火だるまになるの?」

 

「ええっと、体から生えてくるキノコは手で抜くことができたんですけど、抜いても根が残るみたいで次から次へと生えて来てしまって。しかもキノコが生えるごとに“気”を吸われてしまうので、しかたなく燃やすことにしたんですよ」

 

仕方なく自分の体に火をつけるその神経は理解できない。

ああ、そういえばこの子は昔から自分のことになるとわが身を顧みない軽率な行動をとることが多かった。

まぁ炎に巻かれた程度じゃなんともないからなのかな……。

実際メイリンは見た目はちょっと髪の先が焦げてるくらいで平気そうだ。

服だって私が作ったシルク100%ならぬ妖力100%のものだから燃えたりしないし。

本当は全身の熱傷ってすごく危険なんだけど、メイリンは体内の気を操作して回復力を上げたりできるもんね。

あ、それ以前に“実の力”を使えば一発か。

 

とか思ってたら、まさにそれ絡みでやらかしていたらしい。

頼れるところを見せたくて、島にいた大型の魔獣や周辺海域の海王類と“実の力”を使って戦ってみせたそうだ。

この子の実力なら能力どころか覇気すら使わずに仕留められるだろうに。

 

「で、何。どこまで使ったの? 龍気? 部分龍化? 天候操作? まさか“虹色”までは使ってないよね?」

 

「アハハ……ええと、全身龍化、しちゃいました」

 

「…………」

 

アホだ。

ここにアホの子がいる。

そんなことしたら神様認定待ったなしでしょう、もう!

 

……だめだ、メイリンとクーロンの女性たちを見てると、黒歴史を思い出してしまう。

土の民の前で空中に浮いてみたりレーヴァテインで炎出してみたりをぽんぽん気軽に行ってた昔の私を見ているようで本当につらい。

 

 

メイリンは悪魔の実の能力者だ。

悪魔の実はクックが存命のころ一緒にラフテルへと里帰りした際に、クックから誕生日プレゼントとしてもらったそうだ。

ちなみに誕生日プレゼントとして悪魔の実を贈るのは非常に難しい。

なにせ悪魔の実と言えばラフテルの住人が渇望してやまない憧れのブツである。

これを売買するために貨幣経済(ベリー)がラフテルに導入されたというくらいには大きなものだ。

そんなわけで非常に値が張る。

 

悪魔の実は“悪魔の木”があるわけではなく、あらゆる樹木の果実に寄生するように実がなる。

唯一群生が確認されているのは私が最初に暮らしていた洞窟の前に生えているもので、それは国が管理していてラフテルに多大な貢献をした人に国家勲章的なものと一緒に褒美として渡しているらしい。

その他は場所もランダムに突然実がなるので、見つけた人は宝くじに当たったようなもの。

ラフテルでの最高級の贈り物とされているし、クックが手に入れたのも偶然に近かっただろう。

 

クックはそれを自分で食べるのではなく、メイリンに贈った。

老い先短い自分よりも未来ある少女に、ということらしい。

メイリンは喜んでそれを受け取り、食べた。

 

発現した能力は龍化。

ラフテル流に言えば動物(ゾオン)系幻獣種の悪魔の実、リュウリュウの実の能力者といったところかな。

普段の人間形態時でも龍気(クック命名)という覇気とはまた異なる気の力を操れるようになる。

さらにその上の段階である部分龍化を行うと、龍の角と尻尾が生え、体の一部分に防御力の高い龍鱗を発現させたりすることが可能となり、天候を操る能力まで使えるようになる。

ちなみに空も飛べる。

この部分龍化をした龍人形態時に龍気を使うと体内に元々ある気と混ざり合い、虹色の龍気が可視化されるようになる。

これを龍闘気(ドラゴニックオーラ)(私命名)という。

別に額に竜の紋章は輝かないし、メガンテ以外の全ての魔法を防げるわけでもないけど。

いや、なんとなく昔の記憶が刺激されて、ね。

そしてさらに上の段階として全身龍化があるわけだ。

 

メイリンが全身龍化を使うと、蛇のような巨大な龍になる。

俗にいうトカゲ型の西洋竜ではなく、蛇型の東洋龍、アニメ日本昔話のオープニングに出てくるあれを思い出してくれればいい。

そりゃあもうカッコよくて、大きくて強そうな外見だ。

 

で、メイリンは頼れるところを見せたくて、この姿で、島にいた大型の魔獣や周辺海域の海王類と戦ってみせたそうだ。

 

……悪魔の実を食べたことは別にいい。

リュウリュウの実の能力は他の実の能力に比べても明らかに強力だし、十二分に“当たり”といっていい能力だ。

私の苦手な雨を天候操作で対処できるのも素晴らしい。

普段から実の力を使うのも、能力の訓練という意味でありだろう。

私だって妖力の使い方は使いながら学んだんだから。

ただそれをね、人前で、しかもクルーとかラフテルの住民以外の前でやるとかね。

 

そりゃもう神様ルート一直線だよ。

 

そんなわけで私はメイリンを連れて帰るのを諦めた。

彼女たちにとってメイリンは死にゆく窮地を救ってくれた救世主であり、初めて得た庇護者であり、絶対的な強者だ。

加えて悪魔の実の存在を知らなかったらしいクーロンの女性たちにとっては、龍に変化できるメイリンは神様の使いか、神様そのものに思えていることだろう。

こんな状態で、「じゃあ帰るのであとは頑張ってね」とできるならそもそも彼女たちを助けてはいない。

つまるところ、少なくとも彼女たちが自立できるまでくらいはメイリンが面倒を見てあげる必要性ができたわけだ。

今回のことはまぁ、八割がた自業自得と言って差し支えないとは思うけど。

 

 

メイリンを置いていくにあたって私もいくつか手助けをすることにした。

まず、彼女たちとの約束だった魔法。

生まれてくる子供が必ず女の子になる呪いだ。

これを一人ずつにかけ、なおかつ遺伝するように調整した。

孫が男の子にならないようにという配慮だけど、遺伝し続けるとかほんと呪いだよね。

 

そして、男がいなくても子供を作れるようにもした。

具体的には適当なそれっぽい石板に生命創造の魔法をこめて、覇気を込めることで発動するようにした。

魔力を扱える人が私以外にいないから別のエネルギーを魔力に変換する必要があり、こんな処置になった。

生活基盤が整っていないうちにぽんぽん孕まれても困ると思うので、この石板はメイリンに預ける。

これで子供も神様から授かる(意図せずして処女受胎でもある)形になり、ますますメイリンへの信仰が深まりそうだけど、この期に及んではもう気にしない。

私も気にしないことで今日まで生きてきているんだから。

まぁ、覇気は生命力そのものだから、それで子供が生まれるというのはあながち間違ってもいないだろうと思う。

 

あといくらかの物資と、ラフテル製の辞書と各種書物とかをあげた。

日本語の勉強から必要になるだろうけど、長期的な発展のためには必要だろうと思う。

農作業の基礎を説いた本とかも、日本語読めなきゃ意味ないからね。

 

サービスで服も作ってあげた。

彼女たちみんな戦闘後のボロボロの衣服しかもってなかったからね。

折角だから中国っぽいチャイナドレスを提唱してみた。

すると、感触は悪くなさそうなんだけど、どうやらみんな薄着の方が好みらしい。

うーん、戦闘時以外は服の着用を認められていなかったクーロンの戦奴だったから、服を着ないのが普通になりつつあるのかな。

それとも単に熱帯気候の住人だから?

正直注文されたビキニアーマーらしき服とか作る気にはならなかったので、チャイナドレスを一着とほかにもいくつか作っておいてくることにした。

あとは自分たちで作るがいいさ。

紡錘技術の確立は私だって苦労したんだから。

 

そして、一番私が苦労したのは名付けである。

まず、国の名前を決めて欲しいとメイリンに言われた。

国というか今はせいぜい村といった規模だけど、集団のまとまりのためにたしかに名前は必要だろう。

クーロンの名前を流用するのも彼女たちの心情を思えば控えた方がいい。

でもなんで私に振るかな。

 

「メイリンがつければいいじゃない」

 

「あまりいいのが思いつかなかったんですよぅ」

 

「んー、例えば?」

 

「ええと、もとが九龍(クーロン)だったから……八龍とか……いや、数が増えた方が強そうかな。十龍、百龍、千龍、万龍……うーん、いっそのこと神龍とか?」

 

「……それは」

 

メイリンの意外な弱点。

この子、名付けのセンスがない。

いやまぁ私も人のこと言えるかどうかは分からないけど、少なくともここまでは酷くないはずだ。

そして最後のはそれ以上いけない。

あとクーロンが九龍なのは私が名前の響きから勝手に決めただけで、実際のところ使ってる文字は彼ら独自のものだからね。

 

と、そういう成り行きで私が彼女たちの集団名を決めることになり、一分くらい悩んだ。

それで決めた新たな国の名前はアマゾン・リリー。

女性ばかりの集団だからアマゾネスと百合からとってアマゾン・リリーだ。

分かりやすくていいよね。

ちなみに魔法で子供が宿るので、iPS細胞とか目じゃないくらい百合(女性同士の恋愛)に優しい島だったりする。

 

ただ、名付けはそれだけにとどまらなかった。

なんと、クーロンの女性たち、彼女たちには個人名がなかったのだ。

専ら呼ばれるときは番号だったらしく、戦奴132番、みたいな。

さすがに可哀想だったし、メイリンも名前がなくて見習いコックちゃんと呼んでいた境遇と重ねちゃったので、こちらも私が名前を付けることに。

しかし約100人分の名前となるとさすがに大変だったので、こっちはちょっとずるをさせてもらった。

持ってきた辞書に載っている名前から適当に拝借してしまおうという寸法だ。

ただ、彼女たちには音の響きからして異言語だし、そこまでおかしくもないだろうと思う。 

 

適当にとった一冊は植物図鑑。

懐かしい。

著者名はモンブラン・マロン。

作製協力者としてフランドール・スカーレットとエクスナー・ルミニアの名前が記載されている。

これの著者は植物学者でもあったマロンだ。

私から元の世界の――マロンたちラフテルの住人にとっては(フラン)の住んでいた世界――の植物の名前を聞き取り、それをこの世界にある植物にあてはめたり、似たものを分類したりとかなり頑張って作成していた図鑑だ。

この世界に存在しない植物についてはイラスト(画・ルミャ)で表現したりと収録種数実に1万種という分厚い植物図鑑である。

ちなみに地球の植物の種数は知らないのでこれが多いのか少ないのかはわからないけど、個人でしかも航海の合間に作ったものとしてはかなり凄いものだと思う。

言語に関しては前世でかなり学んでいたので、広辞苑が25万、日本国語大辞典が50万語くらいの収録だったのは知ってるんだけど、さすがに植物に関しては私もそう詳しくはない。

なお私がラフテルで作った辞書の掲載語数はすでに50万を越している。

さすがに700年作り続けていない。

その分変な言葉とかこの世界独自の言い回しとか他言語とか大量に混じっているんだけど、まぁそれはご愛嬌ということで。

 

さて、それで女性たちには植物の名前から付けていくことにした。

できるだけこの世界のネーミングセンスに合うようなカタカナの物をチョイス。

サザンカ(山茶花)とか和名でも名前っぽいのはたくさんあるし困らない。

果物系のミカンとかレモンとかも名前に付けて違和感はないと思う。

パキラ、ポトス、ドラセナとかいかにも西洋名って感じのでも雰囲気が出る。

ああでも、女性に付ける名前だから観葉植物とかよりも花の名前の方が可愛らしいかな。

……彼女たちが戦闘を生業とする割とムキムキの女性たちな事には、目をつぶって。

とかいろいろ考えながらも名付けは完了した。

名前が植物由来なのはアマゾン・リリーの“百合”も植物だし、そう考えるとマッチしててよかったかも。

 

そうして、「あとは頑張って」とメイリンに言いのこして私は島をあとにした。

問題があればすぐに連絡できるように通信用の魔道具も渡してあるし、最悪本気の龍闘気を全開にしてもらえればどんなに距離があっても気づくだろう。

ま、メイリンには数年間の神様業を頑張ってもらおう。

……私の味わった苦労をメイリンも味わえばいい、とかとは思ってないからね?

 

 

 

 

フラン様が去った後、私は大変な苦労に見舞われました。

まず、アマゾン・リリーの女性たちに生活能力がないのが問題でした。

彼女たちは生まれた時から戦闘をすることだけで生き延びてきた戦奴であり、言い方はアレですが、皆脳筋でした。

リーダーの女性こそまだ頭はいくらか働くようでしたが、それでもランさんのレベルだったと言えば……いえ、この表現ではお二方に失礼ですか。

とにかく、彼女たちには生活能力が全くありませんでした。

まぁ、これは仕方のないことです。

私だって、スカーレット海賊団に拾われた当初は料理の仕方はおろか、掃除も洗濯も、なにもかもができませんでした。

全てを師父に手取り足取り教えてもらい、人の生き方というモノを学んだのです。

ですから、今度は私が彼女たちに教える番だということには否やはありません。

……それでも、疲れるものは疲れるのです。

修業とはまた違った気疲れというのか、これでは師父の厳しい修行の方がまだ楽だったかもしれません。

 

次に彼女たちが私に接する態度でした。

フラン様は終始私が龍化したことについて小言を述べていましたが、その意味がやっと分かりました。

彼女たちが私に向ける目はラフテルの人たちがフラン様に向けるものを数段濃くしたようなものでしたから。

私は傷心の彼女たちのメンタルケアもしなくてはなりませんでしたから、その態度をやめるようにということもできず、甘んじて受け入れるほかありませんでした。

 

メンタルケアと言えば、彼女たちの男嫌いは想定していたのですが、襲撃に怯える、というのが想定外でした。

クーロンが滅んだ原因である翼の生えたものたちの襲撃が彼女たちのトラウマになっているようです。

ここは凪の帯(カームベルト)に囲まれた襲いにくい島だと皆には伝えてありますが、トラウマとはそのような理屈で納得できるものではないのです。

私自身、トラウマの一つや二つ、経験がありますから……。

 

そこで私は考えました!

今暮らしている場所が海の見える開放感のある場所なのがいけないのではないかと。

ここは海の幸も獲れますし、暮らすにはいい場所なのですが、如何せん空からの襲撃があると思うと頼りなくは感じてしまいます。

そこで私は島の中央にある大きな岩山を掘ることにしました。

中心部を円柱形にくりぬいて、その中で暮らすのです!

そうすれば周囲は岩の壁で襲撃に対しては安心感がありますし、上空だけを見張ればいいので労力も少なく済みます。

 

そう考えた私は早速龍闘気も使って人間掘削機になることにしました。

岩山の大きさはかなりのもので、素手で掘るのは割と大変でしたが、一か月もかからずに100人が住むには不足ない大きさの空間を掘ることに成功しました。

 

次に取りかかったのは門の作成です。

岩山の内部と外部をつなぐ門を作らなければ行き来ができませんからね。

この門にはとにかくこだわりました。

なにせ、この門が壊れてしまえば中に閉じ込められたり、外から入れなくなる(私は空から入れますが)ので頑丈さは重要です。

加えて、門とは顔。

仮にこのアマゾン・リリーを訪れる人がいた時に最初に目にするものですから、それが半端な物であってはいけません。

少なくともフラン様にお見せして誇れるような出来に仕上げなければ。

 

それから、悪魔の実の力も使って水脈を感知して岩山の内部に水を引くこともしました。

引っ越しをしなければならないのでラフテル製の住居を一旦ばらして岩山の内部で再び組み上げようともしましたが、ばらすのはともかく組み上げられるか心配だったので、地面ごと家を引っこ抜いて空から運んだりもしました。

それらと並行して日々の生活に必要な狩猟、採集を行ったり、彼女たちの教育を行いました。

水が十分に引けたら、今度は土を持ってこなくてはなりません。

農業も行わないと、さすがに狩猟採集だけでは安定した暮らしにはなりません。

 

毎日忙しく動き回り、いつしか一か月が過ぎ、半年が過ぎ、一年が過ぎました。

そして、気づけば私はアマゾン・リリー初代皇帝、紅美鈴として彼女たちの上に君臨していたのです。

 

うう、最初はどうあっても避けようと頑張ってたんですよ!

でも、神様扱いを避けるためには実体のある為政者としてふるまうしかなくて……。

今ならフラン様がラフテルで過ごされていた気持ちが分かります。

なぜフラン様が(本質的にはともかく対外的には)神ではなく王として落ち着かれたのか、なぜラフテルの運営に滅多に口を出さないのか。

めんどくさいですものね!

何をするにも私に伺いを立ててきたり、国自体が私を中心に私のために動いたり、私が出した指示ひとつで簡単に滅ぶのかと思うと、もうやってられませんよ。

しかも100人程度でこれですもんね。

フラン様はこことは比べ物にならないほど人口の多いラフテルと、もう700年以上は歩まれていると聞きます。

……ほんと、敵いませんね。

 

それに、なにより寂しい。

慕ってくれているのはわかるんですけど、どうしても壁を感じてしまいます。

常々フラン様が「フラン様じゃなくて船長とかキャプテンって呼んでね」「もっと気軽に接してくれた方が嬉しいな」とクルーの皆さんに言っていたのは、船長としての気遣いだけではなく、本心もかなりの割合で混ざっていたのではないでしょうか。

 

そんなわけで気が付けば私はアマゾン・リリーの初代皇帝になっていたのです。

王ではなく皇帝なのは、九龍(クーロン)のトップが皇帝だったためです。

勿論言葉は違いますが、彼女たちの言葉で「王の中の王」を意味するらしいですから、皇帝で間違いはないでしょう。

私がそれより劣るただの王になることは彼女たちには許せなかったようで、皇帝になってしまいました。

それもただの皇帝じゃなくて格の高さを表すために「始皇帝」「天上皇帝」「超帝」「覇王帝」「皇帝王」「無上猊下」とかいろいろ案を出されたので、それは流石に却下しました……。

本当は、「皇帝様!」と呼ばれるよりフラン様からいただいた「(ホン)美鈴(メイリン)」という名前の方がずっと尊いと思っているのですけどね。

こればかりは彼女たちに話したところで理解はしてもらえないでしょう。

 

その彼女たちは、龍たる私がトップに立ったので、自分たちはその下である「蛇」として「九蛇(クジャ)」を名乗り始めました。

部族名のようなものでしょうか。

九なのは多分九龍からきているのでしょう。

確かに所属というのは大事です。

私だってスカーレット海賊団の一員であるということには強い自負を抱いていますから。

 

ああ、フラン様のもとへ帰れるのはいつになるのでしょう。

少なくとも次代の皇帝を選出するまでは皇帝の座を降りることはできませんよね……。

最近では初めて石板の力で子を宿した女性がいますし、いましばらくは見守らないといけないでしょう。

フラン様とは時折連絡を取ってはいますが、やはり寂しいものです。

 

フラン様の方は私に代わるお世話係として、ラフテルから来た「にとり」という女の子を育てているそうです。

彼女が思ったよりも優秀で助かっている、と楽し気に話されていました。

うう、いつの間にか私の帰る場所がなくなっていそうで心配です。

……嘆いていても仕方ありませんね。

私は、私ができることをしなければ。

 

 






中華っぽい家
すでにクーロンを訪れてから年月が経っているので、クルーらによってラフテルへとクーロンの中華っぽい文化は輸出されています。
今回はそれが高度に発展したものを逆輸入した形。
加工貿易みたいなことをやってます。

食べると笑うキノコ(ワライダケ)
現実にもワライダケというキノコがありますが、そちらは食べると顔面神経が麻痺してひきつった笑い顔に見えることからの名前。
こちらは本当に笑い出します。

食べるとキノコが生えるキノコ
原作でルフィが食べたキノコ。
名前はカラダカラキノコガハエルダケ。
この時の伝承が巡り巡ってルフィを丸焼きにすることに繋がるのかもしれない。

悪魔の実はラフテルでの最高級の贈り物
なおさらにその上をいくものとなるとフランから下賜された物品などが当てはまる。
これは売ろうとか人にあげようとか思う人が皆無なため贈り物にはならない。
多分売ろうとしたり贈ろうとしたりするとその相手からフランへの不敬を疑われて極刑に処される。
こわい。

龍闘気(ドラゴニックオーラ)
ダイ大のドラゴニックオーラは竜闘気ですが、ここではメイリンの帽子の文字が龍であることも考慮して龍闘気です。
なお今話冒頭のドラゴンボールネタとこのダイの大冒険ネタはどちらも連載がワンピースと同じジャンプですが、両作品とも連載終了がワンピース連載開始前なので、一話のフランがワンピースを知らないという描写には矛盾していないということで。
ピクシブで竜闘気タグで検索するとダイ大じゃなくてメイリンしか出てこなくて笑う。

リュウリュウの実
実はこれ正しい名前ではなく、フランがそう思っているだけなので本当の名前は別にあります。
正式名称は今後登場予定。
全身龍化の見た目はモモの助のものを巨大化して凛々しくしたものを想定しています。
原作でモモの設定が完全には明かされていないので矛盾しなければいいなぁと願うばかりです。
ちなみにメイリンはモモと違って雲をつかんだりしなくても普通に飛べます。
あと、リュウリュウの実(仮)が他の悪魔の実と比べて強力な理由は、幻獣種であるとか以外にちゃんとした理由があります。
いままでで伏線張っているけど気づく人いるかな?

収録種数1万種の植物図鑑
参考までに地球の植物種数はだいたい20万―30万くらい。
学者によって分類が異なるので250万とかいう説もあります
マロンが書いたのはあくまでも自分が見聞きしたものとフランから聞いたものだけなので、この数ということで。


そういえばこの小説のタイトルは思いつかなかったので仮題で適当に決めたのですけど、正式名称を考案中です。
「東方海賊伝」だと原作がワンピじゃなくて東方っぽいなぁとか、「ラフテルの王にわたしはなる!」だと序盤でもうなってるじゃんとか「フランちゃんのワンピース」だと服飾の話に見える、とか迷走してます。
作中のメイリン以上にネーミングセンスがない……。
やっぱりタイトルでフランちゃんとワンピース要素を出したいところですが、うむむ。
なにかいい案でもあればメッセージでくれると嬉しいです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

原作4200年前~ 天空の戦
天才の少女とそれぞれのこだわり


前回のまとめ

・アマゾン・リリー初代皇帝誕生
・皇帝様、頑張る

今話は小難しい話が多いのですが、読み飛ばしてもいいと思います。
次話前書きのまとめ読めば多分大丈夫。



 

 

メイリンをアマゾン・リリーに置いて、私の方はスカーレット海賊団に戻り航海を再開した。

すると普段メイリンに任せていた私の身の回りの世話をする人がいなくなった。

いやまぁ、一人で生活できることはできるんだよ?

さすがに生活能力が皆無なわけじゃない。

でも、ここ数百年間は誰かしらがお世話してくれていたわけで、しっくりこないっていうかさ。

それで、クルーの内から一人お世話係を選ぶことにした。

選出基準は一番年下の女の子。

男だとなにかと問題があるし、年齢(外見)が近い方が私も色々と気にしなくて済むからね。

 

で、ちょうどこのタイミングで新しいクルーが入ってくることになっていたからそこから選ぼうと思ってね。

スカーレット海賊団の航海が始まって早数十年。

初期クルーは皆逝ってしまい、今船に残っているクルーは航海中に現地から参加した人たちや、マロンやナヴィ、クックたちの縁故・推薦でラフテルからやってきた人たちだ。

その能力は確かで、初期クルーたちにしごかれたこともあって、皆頼れるクルーに成長している。

 

ただ、ラフテルの長から苦情があった。

なんでも、マロンたちを選抜したあのクルー選抜会、なぜあれをまた開かないのか、と。

割と閉鎖的な環境にあるラフテルにおいてスカーレット海賊団の冒険譚はかなり人気のある娯楽であり、私と一緒に船の上で過ごすという名誉に(あずか)りたいと思う人もたくさんいる。

それなのにもう長いこと門戸が開かれず、不満を抱いている人たちが結構いると長に言われた。

 

まぁ、元が私の退屈しのぎのために始めた航海で、ラフテルの人たちの事はあまり考えていなかったというのが本音だ。

新しいクルーもマロンたちに里帰りの際に「有望そうなのいたら連れて来て」と適当な感じだったし。

 

というわけで、急遽第二回スカーレット海賊団のクルー選考会が開かれたわけ。

ただし今回は私は審査に参加せず、ラフテルで長達が選んだ人たちを迎え入れる形になった。

マロンとルミャの子供とか参加してたら色眼鏡でみちゃうかもしれないからね。

それでやってきたクルーたちの中で、一番小さな女の子が“にとり”という女の子だった。

 

しかし、一つ悲劇が起きた。

最初は船に慣れるまで待ってそれから私のお世話係をやってもらおうと思ってたんだけど、彼女は自分の仕事をこなすことができなかったのだ。

いや、彼女に能力がないわけじゃない。

まだうら若い女の子であるとはいえ、彼女だって選考会で並みいるライバルを押しのけ、実力を示してクルー入りした実力者だ。

 

原因はうちのクルーにあった。

言い訳をさせてもらうなら、クルーもまた人間だ、ということ。

ラフテルに里帰りした際にはいろんな人から武勇伝や冒険譚をねだられるわけで、ちやほやされるのは誰しもうれしかっただろう。

それで、少しばかり見栄を張ったり体面を繕ったりすることは別におかしくはない。

マロンがルミャにお仕置きされるときに、例の十字架剣“夜”に磔にされていたこととか、誰しも隠してしまいたいことはある。

 

――ちなみにその光景を偶然見てしまったときは

 ――「え、な、なにやってるの。今日はそういうプレイな日?」

 ――「ふ、フラン様!? ええと、違うんです、これは!」

 ――「違う! 俺にそんな趣味はない!」

 ――「え、でもじゃあなんでマロン半裸なの」

 ――「…………」

 ――「こ、これはそう、“聖者は十字架に磔られました”って感じがするじゃないですか!」

 ――「ルミャ、混乱して自分が何言ってるか分かってないね?」

――とかなんとかいうやりとりがあったりなかったり。

ちなみに、マロンは半裸で十字架剣に磔られてベッドの上に寝かせられている状態だった。

そのあとどうなったのかは知らない。

時期的には丁度二人目の子供が……いや、よそう、私の勝手な推測で皆を混乱させたくない。

 

 

と、話が反れた。

まぁつまりスカーレット海賊団の武勇伝を語るときに、不都合な真実は隠されることがあったわけだ。

クルーの一人が実は仕事を失っていたこととか。

……そう、カープの船大工失業事件は、私たちの中では“なかったこと”になっていたのである。

 

長々と語ったけれど簡潔にまとめよう。

にとりは船大工としてスカーレット海賊団にやってきた。

そして、ウチに船大工は必要ない。

にとりはカープの後継どころか、そのカープ自体すでに船を出奔して鍛冶師兼大工として一人でやっているんだから。

端的に言って、この船ににとりの仕事は、居場所はなかった。

 

勿論私は吸血鬼であって鬼畜じゃないので、それで追い返したりするなんてことはしない。

もともと悪いのは選考会を開くときに「今度から船大工は募集しない」旨を伝えていなかった私のミスだし。

だからにとりには船大工じゃなくて一般クルーとして働いてもらうことになった。

しかし、船大工としてのセンスと腕は(ピカ)(イチ)でも、まだ小さい女の子の身。

腕力と体力だけは如何ともしがたく、十全に働けているとはいい難い状況だった。

 

そんなわけで私が全面的に悪いし、健気なにとりが四苦八苦している姿を見かねたので、当初の予定を早めて私のお世話係をやってもらうことにした。

その話をした時のにとりの喜びようは半端じゃなかった。

不遇の船大工(失業)状態からラフテルの女の子のあこがれの仕事「フラン様のお世話係」にジョブチェンジしたわけだからまぁ、気持ちは分からなくもない。

ただ、具体的な喜び方が、全身が水になって ビシャア! と床に広がったというのがなんとも個性的なだけだ。

ミズミズの実を食べた水人間であるにとりにとって、体の輪郭を失うほどの動揺は人間でいうところの失禁に相当するそうで大層恥ずかしがっていたけど。

犬とかのする嬉ションみたいなもの?

 

そうしてメイリンに代わって私のお世話係になったにとりだけど、嬉しい誤算があった。

見た目はただの気弱な少女であるにとりだけど、その中身が凄かったのだ。

長年の修練と経験を積んだ壮年の船大工たちを抑えてラフテルの選考会を勝ち抜いただけのことはある。

一言で言えば天才。

ちょっと話しただけでその聡明さはよくわかる。

天才と言えばメイリンも何でもこなせる天才の部類ではあるけれど、あちらが努力によって身に着ける言わば努力型の天才なのに対して、にとりは純然たる先天性の天才と言える。

 

だって、彼女物理学とか流体力学修めてるんだもん。

彼女の考案した船の評価が高いのはそれらの理論がきちっと船づくりに生かされているからだ。

いや、私だってね、万有引力の法則とか質量保存の法則とかのメジャーなものや、慣性の法則とかドップラー効果とか日常生活で触れるようなものとか、思いつくままを辞書に記載したよ。

ある程度まとまってからは小学校で使う理科の教科書みたいな感じで自然科学の専門書を書いたりもしたよ。

でもそれはあくまでも私が理解していた内容を文章に出来る範囲で簡単にまとめただけのものだったし、にとりが話すような流体力学なんかはそもそも書いていない。

 

粘性のない完全流体下における理想的シミュレーションと実際の粘性流体下の挙動の違いとか、造波抗力と干渉抗力の求め方とか、嬉々として語られても私にはさっぱりだ。

私はそれを聞いても、なんとなくすごそう、ってことしかわからない文系人間の典型例。

理科系の知識なんて雑学レベル。

空が青く見える理由と海が青く見える理由は違うんだよ、とかその程度の事をドヤ顔で話すことくらいしかできない。

にとりは「大きな船は急に止まれない」っていうのを「水中では慣性力に対して粘性力が少ない」って表現するんだもん。

頭痛くなってきた。

 

で、そんな知識を彼女がどこから得たのかと言えば、書物ではなく実験から学んだそうだ。

なるほど、ミズミズの実の能力を十全に活かした結果に思える。

だけどまだ10代も前半の女の子が観察から仮説を立て実験を行い実証する、という科学的な思考をしているっていうのはどうなの。

すでにいくつもの新しい法則を発見してラフテルの学会に発表もしている、その道では有名人らしいし。

ていうかそんな学会があるの初めて知ったんだけど。

 

ただまぁ、専門的な知識の披露を除けば、にとりとの会話はとても楽しい。

私自身、前世はともかく最近じゃ専ら科学的というより魔術的な思考に陥りがちだから、とても新鮮。

なにより、素直で真っ直ぐないい子だってのはよくわかってるから。

毎日を全力で楽しんでる感じがして、見てるこっちまで楽しくなる。

 

「フラン様ー。紅茶が入りましたー」

 

「ん、ありがと」

 

頭の出来に対して、お世話係の能力という点ではにとりはメイリンに遥かに劣る。

まぁ思ってることを口にしなくても読み取って、先に先にと世話してくれるメイリンの方が異常なんだけど。

にとりは一応一通りのことはできるけど、これと言って特筆すべき点はなく、料理と掃除は苦手だそうなので頼りにしていない。

私も特にそこまで高い水準を求めてはいないので不満はないけど。

 

唯一他の人と違うなと思うのは、今やってくれているお茶くみ。

にとりはミズミズの実の能力者なので、お茶に使う水を色々と変えることができるのだ。

ミズミズの実は体を水に変える能力だけど、その際にある程度なら性質を変えられるらしい。

それで、水の中に含まれるミネラル量などを調整してもらうことでお茶淹れに適した水を出すことができるのだ。

それだとにとりの体の一部を食べてるように感じるかもしれないけど、自然系(ロギア)の悪魔の実は体から切り離すことで体の一部ではなくなることは調べ済み。

ヤミヤミの実の能力者のルミャや、ヒエヒエの実の能力者のウェンが協力して調べてくれたことだ。

そのためウェンの出す氷なんかは夏場の氷嚢代わりに使われていたりもした。

 

「今日のは……ダージリン? 春摘み(ファーストフラッシュ)の結構いいやつ?」

 

「はい! ラフテルのアキ農園でとれた最高級のものです」

 

実のところ淹れたお茶の99%は水なわけで、おいしいお茶を入れる時に茶葉だけでなく水にもこだわるべきなのは明々白々。

私はお茶、特に紅茶にはちょっとうるさいのだ。

これは前世からの好みで、料理は割と雑でも許せるんだけど、紅茶に関してはしっかりしていないと落ち着かない。

メイリンにはゴールデンルールのイロハから徹底的に体に教え込んだので、今では彼女も立派な紅茶党。

でも淹れるのはいまだに私の方が上手い。

 

そんな紅茶を淹れるのに適した水の水質は、軟水で空気を多く含むもの。

これをクリアするのがこの世界では割と大変だったりする。

この世界、基本的に水が硬水なのだ。

ちなみに前世の世界でも、紅茶と言えばイギリス、なロンドンを含めヨーロッパ各地も硬水だったりする。

日本では(塩素を抜く必要があるとはいえ)蛇口をひねるだけで紅茶に適した最高の水こと水道水がいくらでも使えたけど、この世界じゃそうもいかない。

いままではいちいち煮沸・濾過したり魔法で軟水に作り変えてたりしてたんだけど、にとりがいればその点は楽ができるってわけだね。

けど……。

 

「うーん、15点」

 

「ええー! なんでですか、フラン様!」

 

「昨日まで使ってた茶葉は(ブロークン). (オレンジ). (ペコー). だよ。等級の話はしたでしょ? なのにこれ、葉っぱ見てよ。(ファイン). (ティピー). (ゴールデン). (フラワリー). (オレンジ). (ペコー). を同じ淹れ方で淹れちゃダメ。蒸らし時間をもっと長くとらなきゃ」

 

「うう……等級って値段が高いかどうかじゃないんですか?」

 

「基本的には葉っぱの大きさで分けられてるから、その等級に合わせた蒸らし時間があるんだよ、って前にも説明したじゃない。さては話聞いてなかったね?」

 

「うっ……ふ、フラン様が教えてくれた対流現象が面白くて、つい……」

 

対流現象?

……ああ、そういえばそんな話したっけ。

確か紅茶を入れるのに使うジャンピングポットが、なんで丸い形をしているのかってにとりに聞かれたんだ。

紅茶を入れるためのポットは茶葉が良く動く(ジャンピングする)ように、対流現象の起きやすい丸型のポットの方が好ましい。

コーヒーを淹れるのに使うような円柱形のポットは対流が起こりにくいから、みたいな話をした覚えがある。

 

……うーん、ちゃんと話を聞いていなかったり、この子意外とポンコツなのかもしれない。

メイリンが万能型なのに対して、にとりは一点豪華主義というか、なんというか。

 

ちなみに茶葉に関しては、お茶らしき植物を見つけてからこっち、700年以上品種改良を続けているのでかなり質はいい物に仕上がっている。

ラフテルの中にもいくつかお茶農園があり、毎年各農園の特に品質の良いゴールデン・ティップスを多く含む最上級品((ファイン). (ティピー). (ゴールデン). (フラワリー). (オレンジ). (ペコー). )は私に献上されることになっている。

中でも特によかったものを提出した農園には私から直々に出向いて褒めたりしているので、彼ら彼女らのお茶にかける情熱はなかなかすさまじい。

茶葉は元の世界のものによく性質が似ているものは同じ名前を付けているけど、この世界独自に進化した茶葉もあって非常に満足している。

コーヒー?

豆っぽいものは見つけたけど特に泥水を研究しようとは思えない。

 

「それでにとり、設計図の方は書きあがったの?」

 

「あ、はい! それはもちろん!」

 

うーんこのテンションの落差。

瞳がすっごいキラキラしてる。

……明日から紅茶は自分で淹れよう。

 

「船体前部の構造を水の抵抗を受けにくい形にしてみました。抵抗の内、造波抵抗は球状船首をつけることで剰余抵抗を60%以上大幅に削減できる見込みです。粘性圧力抵抗は船体をより流線形にすることでこちらもかなり抑えられると思います。ただ、残念ながら粘性摩擦抵抗はまだ実験中で成果は出ていません……」

 

にとりはしゅん、とした落胆の表情を浮かべるけど、私はまずその段階まで至っていない。

 

「ええっと、まずなに? 球状船首?」

 

「はい! 船体喫水線下の船首に球状の突起を取り付けることで造波抵抗を大きく打ち消すことができるはずです。これによって水面上で船首が波を生じさせるよりも先に小さな波を発生させます。この時発生する波を水面上の船首が作る波の逆位相の波にすることで互いの波が打ち消し合い、造波抵抗を大幅に削減できます!」

 

ふむふむ、なるほど、わからない。

ああ、でも見たことあるなぁ。

戦艦大和とかの船の下の方にあるでっぱりだよね。

船を横から見てそれを人の顔だとすると、顎の部分。

アゴだとしたらすっごいしゃくれてることになるけど。

あれって不思議なフォルムしてるなぁと思ってたけど、波の抵抗を打ち消すためにあったんだ……。

 

「それで、粘性圧力抵抗と粘性摩擦抵抗? ってなんなの?」

 

「粘性圧力抵抗は船が進むときに船体後部に渦の流れができてそれによる水の圧力の低下で船体が後部に引っ張られる抵抗の事です。粘性摩擦抵抗はそのもの船と水が接触する面にかかる摩擦の抵抗なんですけど……名前、わかりにくかったですか?」

 

「あーえっと、何、にとりが名前付けたの?」

 

「はい、どちらもラフテルでの研究中に私が発見したものなので……」

 

「いや、大丈夫、分かるよ、うん」

 

まぁ他にどんな名前付ければいいかわからないし。

それにしてもほんといろいろ考えるなぁ。

ていうかにとりの提唱するのって多分鋼鉄製の高速船用だよね……。

サンタマリア号は帆船なんだけど。

時代が追いついていないよ……。

 

「粘性摩擦抵抗は船の材質の表面が滑らかじゃないと抵抗が大きくなっちゃうので、航行中もずっと表面を滑らかに保つ方法を考えているところなんですけど……。今は航行中に少しずつ表面を削れるようにする技術を開発中です!」

 

「削れるって……自壊するってこと?」

 

「いえ、ラフテルで船底にフジツボとかがたくさんついて色々と問題が起こっていたっていう報告があって。それと摩擦の問題を同時に解決する方法として考えてるんです。表面をごく薄くコーティングすればいいと思うんですけど、何を使ったらいいのかまだわからなくて……水に徐々に溶けていくようなものが見つかればなぁ。でもすぐに溶けちゃだめだしある程度は水をはじく物質……油かなぁ。でもただの油じゃ塗ってもすぐに剥がれちゃうし。もっと粘性を高めるために……何かに混ぜるとかかなぁ。でもでも、うーん……」

 

あ、ダメだ。

ブツブツ呟いて完全に自分の世界に入っちゃった。

まぁいいや、にとりの書いた設計図通りにサンタマリア号を改造してみよう。

正直なところ私が妖力で動かすことができるから、その気になればこの船で空も飛べるんだけど。

にとりの頑張りをわざわざ無駄にすることもないよね。

 

 

こんな感じで、にとりは私の新しいお世話係として頑張っている。

最近は船大工を失業した代わりに研究者っていう肩書がつきそうなくらいいろいろやってる。

まぁなんにせよ、一緒にいて飽きることがないって言うのは重要だよね。

……ときどきうんざりすることもあるけど、ご愛嬌って奴かな。

 

 

 






縁故採用
例えば、ナヴィの息子なんかは縁故でクルーに入ってきている。
勿論父親に厳しく扱かれて能力は確かなもの。

聖者は十字架に磔られました
東方原作ルーミアの台詞。
有名な「そーなのかー」のポーズと共に。
返しは「人類は十進法を採用しました」であり、本文中に活かすのが非常に難しく断念。

空の青と海の青
空が青いのは青色の光の波長が短く散乱しやすいから(レイリー散乱)、海が青いのは赤色の光の波長を水(H2O)が吸収しやすく、青色の波長のみが残るから。
夕焼けは光の進む距離が長いため、青色の光が散乱しきってしまい赤色が残る。
なお地球の大気中の話であり、火星の空は赤いし火星の夕焼けは青い。
ちなみに雲が白く見えるのはミー散乱。
レイリー散乱はシルバーズ・レイリーとは多分関係ない。

アキ農園
美人姉妹が経営しているらしい。
従業員が謎の覆面をかぶっているという噂。

紅茶には軟水
実際のところ硬水で紅茶を入れると真っ黒になります(英語で紅茶をレッドティーではなくブラックティーという由来)。
硬水で淹れると渋みが抜け色も黒くなって画一的な味になりがちなので、基本的には軟水が適していると言われます。
しかし、軟水の方が色も香りも良いものになるのですが、逆に硬水で淹れたガッツリくる紅茶が好きな人もいます。
そのため茶葉にも硬水向けと軟水向けのものがあります。
作中でフランが軟水の方が~と言っているのはあくまでも彼女の価値観の中での話ということで。
あと軟水慣れしている日本人が硬水で紅茶を飲むとお腹を下す可能性が高いので注意です(実体験)。

紅茶とコーヒー
コーヒー党の人を敵に回す発言をしていますが、アンチヘイトタグついてるので(違
原作で紅茶の登場はフランキーがコーラの代わりにダージリンを燃料として入れられて紳士になったシーン、コーヒーはパンクハザード後のたしぎがスモーキーにコーヒーを勧めるシーンがあります。
そのためどちらも原料となる植物は現実世界のものと似通ったものがあると想定しています。
勿論植生は違うので独自の茶葉も存在するでしょう。
ボーイン列島の植物由来のものとか面白そうです。


次話は新章として話が一気に動きます。
ようやく原作の影が見えてきた……(現在原作約4200年前)。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ラフテルの危機と神の怒り

前回のまとめ

・新しいお世話係“にとり”登場
・フランは紅茶キチ
・にとりは研究キチ




 

 

変化というモノは突然訪れる。

いや、緩やかな変化には気付きにくいから、そう感じるだけかもしれないけど。

少なくとも今回に限っては、本当に寝耳に水の衝撃だった。

それは、メイリンがアマゾン・リリーを建国し、にとりが私のお世話係になってから二年ほどが過ぎたある日の午後の事。

 

『フラン様、フラン様! 大変ですっ!』

 

優雅な午後のティータイムを過ごしていた私の頭の中に響いたのはラフテルにいるこぁの声。

彼女は私の眷属だから念話で声を届ける程度は造作もないことだけど、彼女を眷属にしてからこの600年、一度も使われたことがない。

正確には彼女は「いつなんどきでもフラン様と繋がっていたいです! はぁはぁ」とか言って使いたがったのだけど、私が「うるさいのはいや」と一蹴してから緊急時の通信に限って使用を許可したのだ。

いままで火山の噴火などラフテルでも事件が起こることはあった。

でもそれはラフテルの住民たちの力を合わせればどうにかなるレベルの問題で私にまで連絡が来るほどのことではなく、ラフテルに里帰りして初めて聞くようなことも多かった。

その緊急通信が初めて使われたのだから、まさしく寝耳に水だった。

 

「なに、どうしたのこぁ」

 

『ラフテルに謎の勢力が侵攻中です! 現在は沿岸付近で押しとどめていますが、彼我の戦力差が圧倒的で、このままでは押し切られます!』

 

「謎の勢力? 戦力差って、あなたでもだめなの?」

 

こぁは強い。

まず、元は人間だったけど、私の眷属になってから彼女の種族は悪魔になっている。

そのため身体能力は非常に高く、翼があるため空も飛べる。

更に妖力を打ち出す弾幕も使えるため近距離遠距離どちらでもそれなりに戦える。

ラフテルに里帰りした際にいろいろと教えているため簡単な物なら魔法もいくつか使える。

私からもらった体を変化させたくないという理由で悪魔の実は食べていないようだけれど、それでも人間の最高峰であるマロンを軽くあしらえる程度には強い。

もともと戦闘向きではないとは言え、悪魔の実を食べた半妖怪のルミャよりも強く、実力的にも地位的にもラフテルのナンバーツーというにふさわしい。

 

『私もすでに迎撃に出ていますが、単体ではたいしたことありません。私でも十分に排除可能です。しかし、奴ら空を飛ぶ上に数が多すぎます! 加えて空飛ぶ船など奇怪なものがっ……!』

 

空を飛ぶ謎の敵対勢力?

それはクーロンを襲ったっていう……?

それに、空飛ぶ船?

気球か飛行船か……まさか飛行機?

なんにせよ、いかなきゃ。

――久しぶりに、神様らしいお仕事の時間だ。

 

『総員に通達。現在ラフテルが謎の勢力に襲われているとの通信が入った。これよりスカーレット海賊団はサンタマリア号ごとラフテルまで飛ぶ。その後は各員ラフテルの防衛に努めるように』

 

私は船内に通信を流し、そのまま転移魔法を発動させる。

流石に船ごと飛ばすのは魔力の負担が大きく、背中の羽の宝石が一つ割れる。

私の背中の羽は魔力タンクの賢者の石。

これが割れるまでの魔力行使は生まれてこの方二度目だ。

一度目はフォーオブアカインド事件の時に無我夢中で魔法を使い、左右合わせて九つが割れた。

ただ、割れたとはいっても作り置きしてある賢者の石を飲み込むか、魔力が自然回復すれば回復するものなので、特に気にすることはない。

……最悪の場合を想定して、いくつか予備の石を持ってきた方がいいかな。

 

「にとり、一番倉庫から賢者の石持てるだけ持ってきて。大至急ね」

 

「は、はいっ。いますぐっ!」

 

にとりが石を取りに行っている間に転移魔法が完成し、サンタマリア号がラフテルの港に転移する。

甲板に出てあたりを見ると――。

 

「――うわぁ、ちょっと想像以上かも」

 

羽が生えた人間が空を飛んでいる。

その数は雲霞の如く、少なく見積もっても万はいる。

しかも、空中に浮いているのは人間だけじゃなく、飛行船もだ。

いや、見た感じ完全に武装しているし、飛行戦艦と言った方が正しそう。

それが、見える限り100艦以上はある。

中でもひときわ大きいのはサンタマリア号が小舟に見えるサイズ。

あれなら一万人以上が乗れるんじゃないかな。

……普通サイズの飛行戦艦でも乗れる人数は1000人以上だろう。

それに、船の中の全員が外に出て飛んでいるわけもなし。

となると、船の中にいる人間も含めると、敵対勢力は多分、10万を軽く超える。

いや、宇宙戦艦ヤマトみたく100人くらいしか乗員数がいないって可能性がないわけじゃないけど。

 

「フラン様っ。賢者の石、もってきましたっ!」

 

見れば船室からにとりが飛び出してきた。

ミズミズの実の能力で体の一部を水に変え、そこに賢者の石を大量に詰め込んでもってきたみたい。

ちょっと助かったかも。

 

「ありがとう。それじゃ私は行ってくるから、にとりはここで待ってていいからね」

 

「あ、あの、フラン様っ」

 

「ごめん、あんまり余裕なさそうだしもう行く」

 

にとりは能力はともかく性格があまり戦闘向きじゃない。

ここ二年の航海で戦闘をする機会はあったけど、ほぼ役には立っていない。

だから、置いていく。

にとりじゃなくメイリンなら間違いなく連れて行くんだけど。

メイリンは今、アマゾン・リリーにいる。

ない物ねだりはしても、しょうがないね。

 

向かう先は一際激しい戦闘の光と音が乱舞している空域。

一人奮戦しているのは、こぁだ。

 

「こぁ、大丈夫っ!?」

 

「ふ、フラン様! よ、よかったぁ。もう間に合わないかと……」

 

見ればこぁは酷く消耗していた。

体の中の妖力がほぼ空に近い。

これじゃ飛んでるだけでも精一杯なはずだ。

……ともすれば消滅の危機でもある。

 

「とりあえずこれ飲んで」

 

「これは、賢者の石? あ、ありがとうございますっ」

 

でも、私ならともかくこぁじゃ賢者の石の魔力をすぐさま自分の妖力になじませることはできないだろう。

実質ここで戦線離脱だ。

 

「状況は?」

 

「――ごくんっ。は、はい。謎の勢力は当初千程度の数だったのですが、ラフテルの住民が抵抗をつづけたところ空からあの船が現れて、続々と数が増えました。沿岸までは攻め込まれたのですが、そこでなんとか押しとどめて、私が弾幕で牽制していました。しかし、相手の数が多すぎるのと、ラフテル(こちら)側に対空戦力が少なすぎることもあって、もう限界でした……」

 

「そう。じゃあ特に宣戦布告もなしにラフテルを襲ったんだね?」

 

「はい、沿岸の住民にも確認をとりましたが、一切のコンタクトはなかったようです。というより、奴らの言葉を私も聞きましたが、言語が違うようで何を言っているか分かりませんでした」

 

「わかった。じゃああいつらは私の敵だね。――こぁ」

 

「はっはいっ!」

 

「――よく、頑張ったね。あとは私に任せて」

 

「ふ、フラン様ぁ……」

 

実際、こぁがいなければすでにラフテル本土まで攻め込まれていただろう。

私が不在のラフテルをしっかり守ってくれて、なんだかんだ、この子はよくやっている。

あとで、ご褒美の一つでもあげようかな。

 

「さて、それじゃあ不埒な侵略者を始末しないと。――誰のモノに手を出したのか、思い知らせてあげなきゃ、ね」

 

ひとまず、私たちのいる空域を避けて本土へと向かおうとしている敵の一群に向けて、最大まで強化した火炎魔法を放つ。

 

それは、全てを焼き尽くす日輪。

名前を付けるなら、そう――ロイヤルフレア。

吸血鬼の私が放つには些か皮肉じみているけれど。

翼の生えた敵(イカロス)にはお似合いだ。

――そのまま墜ちて、灰となれ。

 

ゴウッと大気が焼ける音がして、香ばしい匂いが漂ってきた。

今日の夜は焼き鳥にしようかな。

 

 

 

 

翼の生えた侵略者たち。

実のところ、彼らの正体は宇宙人だった。

正確には、月のビルカという都市からやってきた者たちである。

彼らの船を指して宇宙戦艦というフランの発想はドンピシャで、それはそのもの、宇宙空間を超えてやってきた宇宙戦艦だった。

 

彼らは高度な文明を持っていたが、その文明の発展故に月にあった資源を採り尽してしまい、フランたちが住まう“青き星”へとやってきたのだった。

彼らの生活は電気によって成り立っており、国の労働力の多くをロボットに任せていたのだが、資源不足でロボットを満足に動かすことができなくなり、都市機能も麻痺し始めていた。

そこで彼らはクーロンのみならず各地の国を襲い、国に蓄えられていた資源を根こそぎ奪い、また労働力として奴隷にするために人間をも攫っていた。

 

もし仮に月の都市ビルカを動かすのに必要な資源が“青き星”で採取できるものならば、彼らも国を襲ったりはしなかったかもしれない。

しかし、月で用いられていた“資源”は月にのみ生息する様々な生物を用いたものであり、“青き星”の資源でそれらを賄うことはできなかった。

例えば、(ダイアル)という道具がある。

月に棲息する特殊な貝(厳密には死んだ貝の殻)であり、殻の一部を押す事で溜め込んだエネルギーを自在に放出できるというものだ。

これにより熱や風、光や音といった現象のみならず衝撃や斬撃などあらゆるエネルギーを保存・活用するのである。

これは彼ら月の住人にとって日常生活で使用する道具な上に、発電の一切を担っているエネルギーであり、生命線とでも言えるもの。

しかし、文明の発展とともに貝はより多くの数が必要とされ、乱獲によりその個体数を激減させてしまう。

中には強力な風を噴き出す噴風貝(ジェットダイアル)などの絶滅した種もある。

養殖で殖やす試みは行われているが、消費に対しての供給が追い付かず、焼け石に水。

 

そこでビルカの上層部がとった手段が、“青き星”への侵略だった。

事前の調査により“青き星”に(ダイアル)や、電話機のように扱えるかたつむりのような生物、電伝虫などの月に棲息する有用な資源生物は存在していないことが分かったが、人力発電を行うための労働力は手に入る。

そして、新たな物資を研究することで貝などに代わるエネルギー源を手に入れようというのだ。

 

彼らの目論見は半ば達成されていた。

各地に栄えていた国を襲い、食料などの物資、そして労働力としての人間は手に入れた。

地上の人間は弱く、彼らの文明の前には多少の抵抗しかできなかったことも侵略行為に拍車をかけた。

 

そうして、彼らは禁忌に手を出してしまう。

ビルカの上層部は欲をかいた。

事前の調査で判明していた地上で最も栄えている国、そこを襲うことにしてしまった。

あわよくば新たな技術を手に入れられるのではないかと。

 

最初は順調だった。

侵略を開始してすぐに沿岸に人が集まってきたのは想定外ではあったが、空を飛べない地上人の攻撃はせいぜいが弓矢程度。

これは頑丈な戦艦には全く効果がなく、他の国同様即座に攻め落とせると考えた。

しかし、集まってきた人間の中に不思議な力を使う者がいた。

それらは火を出したり体を異形に変えたり、攻撃を弾き返したりと他の者とは一線を画す力を行使し、立ち向かってきた。

中でもそのうちの一人が雷を発したことに、この国を襲っていた部隊の司令官は驚愕し、驚喜した。

 

「素晴らしい! あの力を国に持ち帰れば、私こそが勲一等。いや、発見の報告だけでも十分すぎる功績だ。念には念を入れて、他の部隊も呼ぶべきか……」

 

そうしてすぐさま他の部隊全てに招集をかけた。

彼らが切望してやまない電気。

それを発する謎の人間の存在は、侵略者たる彼らにとって何よりも重要な存在である。

 

ほどなくして他の地域に侵攻していた部隊が集結し、総攻撃を開始する。

総攻撃とはいっても、最重要の目標は雷を出す人間の確保、次いで不思議な力を使う地上人の確保であり、可能な限り無傷で捕える必要があった。

そのため、戦艦による砲撃などは行わず、兵士が実際に飛んでいき捕える作戦に出た。

 

「くそっ、何者だ!」

 

だが、ここで侵攻は一旦躓く。

一人の少女が国の中心方面から文字通り飛んできて、立ちはだかったのだ。

赤い髪に白黒の服を着たその少女は空を飛び、不思議な力を用いて兵士を次々に落としていった。

白兵戦でも他の国々の兵士を圧倒していたビルカ兵がたやすく屠られていく。

ついには戦艦を一艦落とされ、司令官は目標の変更を命じた。

 

「仕方がない、あれは脅威すぎる。捕獲命令を撤回、排除しろ」

 

兵士の投入だけでなく、戦艦による砲撃をも行い少女を始末する方向へと舵を切った。

しかし、少女は縦横無尽に空を飛び、砲弾を交わしながら逆に弾幕を放ち兵士を排除していく。

標的が小さいことに加え、空を飛ぶ速度はビルカ兵の比ではない。

その活躍は一騎当千、確実にビルカ兵の急所を狙い、息の根を止めていく様はまさに悪鬼の如き戦いぶり。

 

「ちっ、何という強さだ。個体としての戦闘力では我らビルカの民を大きく上回っている。地上にもかほどの脅威が存在していたとは……」

 

「司令官、このままでは味方の被害が大きくなりすぎます」

 

「うるさい、わかっているっ。“一般民”の兵士が“支配民”の俺に口出しをするなっ!」

 

「は、はっ、申し訳ありません!」

 

「……だがこのままでは埒が明かんのも確かだ。――“アレ”を起動しろ」

 

状況はそのまま膠着し、たった一人の少女に数万人以上が足止めされていることに焦れた司令官が“切り札”の使用を考えた時、状況に変化が起きた。

少女が砲弾を躱さず、障壁を張って受け止めた。

それも砲弾の大質量を正面から受ける形になり、今の一撃だけで相当疲弊したのが見て取れるほど。

 

「なに? ――そうか、今の砲弾を躱せばあの国に落ちていたな。ふん、奴め体を張って国を守ったというところか。だが、甘いな。その行動こそが国を危機にさらすことになるのだ」

 

司令官は少女自身ではなく、眼下の街を狙うように指示を出す。

すると少女は今まですべての砲弾を躱していたのが嘘のように、自ら砲弾に当たりに行き、障壁で受け止めることを余儀なくされる。

少女にとって何よりも大事なのは、主人の作った国を守ること、だったから。

少女が街を守ることをやめ、兵士や戦艦の殲滅に切り替えたところで一人では到底対処できない。

その身を盾にし時間を稼ぐことしか、少女には許されていない。

 

「手こずらせおって……弱り切ったところを拘束しろ。拘束はくれぐれも厳重にな」

 

その身で砲弾を受け止め続けた少女はみるみるうちに力をなくし、ついには飛行すら覚束なくなる。

地上での抵抗はさしたる脅威ではなく、この国の攻略も時間の問題だった。

 

――そう、時間の問題というなら。

その“禁忌”が降臨するのもまた、時間の問題(タイムリミット)

 

その禁忌が戦場に現れた時、全ての生物が時を止めた。

“それ”は人の子供のような形をしていた。

美しい金色の髪に血染めのように赤いワンピース、ふわふわした白い帽子に真紅の瞳。

ともすれば人形にでも見えてしまいそうなほど儚く可愛らしい容姿。

しかし、その身から放たれる恐ろしい波動がこれ以上なく明確に主張している。

“それ”が触れるべからざる禁忌であると。

 

一瞬ののち、ラフテルの住民たちは歓喜に湧いた。

謎の軍勢に襲われて、ラフテルのナンバーツーたるココアがラフテルを背に奮戦するも、力尽き。

あわや絶体絶命、しかしそれでも最期まで抵抗してやると意気込んでいたような状況での、王の帰還、神の降臨である。

フランの狂気の波動は、ラフテルの民にとってはこの上ない福音だった。

一方、ビルカの兵たちは恐れおののいた。

直視するまでもなく感じる狂気の波動。

見れば気がふれ、寄れば狂乱、触ろうものなら精神が崩壊するような、濃厚に過ぎる狂気の波動をその身に受けて全ての兵士が硬直した。

いや、“一般民”の兵士だけではなく、指揮官たる“支配民”の者たち、さらには艦内にいる“奴隷民”すらも身動きが取れなくなった。

 

「な、んだ、あれは……」

 

「わ、わかりません。突然あ、現れたようにしか」

 

そしてその真紅の少女は、目に見えぬ恐怖を分かりやすく顕現させた。

ゴウッ、という音とともに突如として戦場の一角に極大の火球が堕ちる。

たったの一瞬、一撃でビルカ兵が数千単位で羽虫のように焼き払われた。

 

「ば、化け物……」

 

「あ、アレを起動させろ! 今すぐだっ。総員艦内に避難、距離をとれっ」

 

司令官はその少女の異常性を一目見て理解し、実力を持って確信させられた。

あれは人の身の敵う存在ではない。

ならば、人ならざるモノにて殲滅するのみ。

 

しかし、切り札を起動させる前に、二射目。

再び地獄の炎がすべてを焼き払う。

今度は戦艦が一艦、墜とされる。

司令官はその時、声を聞いた。

火の粉舞い散る戦場で赤く照らされた鬼が嗤う声を。

その真紅の瞳と目が合った、合ってしまった。

 

『アハハハハッ、ねぇ、どうしてあなたたちは私のモノに悪戯してるのかなぁ』

 

『もしかして玩具(おもちゃ)が欲しかったの?』

 

『だったら私があなたたちを、オモチャに“して”あげる』

 

『さぁ、遊びましょう?』

 

『きゅっとして――』

 

――ドカーン。

 

その声を最後に、司令官の意識は永遠の闇に囚われる。

 

 

 

 

「い、一番艦撃沈! そんな、ありえないっ、旗艦を一撃で落とすなんて……!」

 

「うろたえるなっ、これより二番艦艦長の私が全体の指揮を執る!」

 

「目標、さらに火球を二発、……さ、左翼壊滅しました……」

 

「なんという力だ……アレの、()()()()の準備はまだ終わらんのか!」

 

「電力供給が十分でないために予定よりも時間がかかっています! このままでは……」

 

「……いやなに、奴もあの火球を無制限で撃てるわけではないようだ。見ろ、撃つたび背中の羽の宝石が砕けていっている」

 

「――ほ、報告、味方の増援ですっ! 付近に出向中だった新型の――装甲戦艦が間もなくこちらに到着するようです!」

 

「アレか! アレが来ているなど私も聞いていなかったが、いいニュースだ。アレならばあの火球も問題なく防ぎきるだろう」

 

「司令、装甲戦艦とは?」

 

「ああ、アレは重要機密だったからな。貴様ら“一般民”には情報すら公開されていなかった。アレは排撃貝(リジェクトダイアル)を100発撃ち込まれてもかすり傷一つつかん装甲を持つ戦艦だ。いかな化け物とて傷つけることはできんさ」

 

「そんなものが……」

 

「ああ。よし、全艦に通達、距離をとったのち一斉砲撃だ。装甲戦艦の到着か衛星兵器の起動が終われば――この戦い、我々の勝利だ!」

 

 






人類の最高峰マロン
と言ってますが、それはあくまでこの時代でのこと。
彼では原作黒刀ミホークどころかアラバスタルフィに覇気があるから善戦できるとかその程度(の想定)。
まぁここらへんは曖昧です。
人類は科学を得て身体能力的には昔より劣ってきているようですが、この世界ではむしろ強くなっています。
だって身長5メートル越えの人間とかいるし……。
身長参考
チョッパー:90センチ ← 人獣型。可愛い
ナミ:170センチ ← わかる
ルフィ:174センチ ← 19歳でこれは平均的?
エース:185 ←流石お兄ちゃん
ロビン:188 ← あなたエースよりおっきいの……?
ハンコック:191 ← B111:W61:H91 フランちゃんが血の涙を流す。31歳なのにこのプロポーション……
ブルック:277 ← !? ルフィより1メートル以上高い。話すとき見上げなきゃ……
ドフィ:305 ← 3メーター越え!? ちなみに新章時点41歳
青キジ:338 ← 3大将はみんな3メーター越え
白ひげ:677 ← ふぁっ!?
くま:689 ← お前ほんとに人間か……いや、くまか
モリア:692 ← 人間だよね?
しらほし姫:50メートル ← ……(気絶)

他にはスルメと呼ばれていたクラーケン:300メートル、ラブーン:432メートル、大型の海王類:5キロメートル~ など。
しらほしはともかく白ひげたちおかしい。
絶対巨人族の血が入っている。


羽の宝石が割れる
原作ではフランちゃんの羽には8個一対の計16個の宝石らしき物体が付いています。
作中で以前に7色の宝石という描写をしたと思いますが、今後も8色ではなく7色で描写します。

宇宙戦艦ヤマト
乗員数が114名なのは1974年放送の初期シリーズ。
ちなみにリアル戦艦大和の乗員数は3000名ほど。
2013年のヤマト2199では流石に少なすぎたためか999人に増えています。

ロイヤルフレア
東方原作パチュリー・ノーレッジのスペルカードから名前を拝借。
レミリア由来のものも後々登場予定。

恐ろしい波動
フランドール・スカーレットの東方文花帖での二つ名。
“悪魔の妹”の方が有名でこちらはあまり知られていない気がします。
ちなみに「きゅっとしてドカーン」も東方文花帖のフランの台詞より。
隕石を一撃で粉砕したときの台詞です。
フランちゃんウフフ。




目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

神の敗北と狂気の吸血鬼

前回のまとめ

・ラフテル強襲される
・フランちゃんおこ



 

 

“私”は、楽しくなってきていたみたいだった。

 

最初はラフテルを襲われたことだとか、こぁを一歩間違えば危ないところまで攻撃していたことだとか、ラフテルで開発させていない飛行戦艦なんてものを持ち出してきたこととか、結構頭に来ていた。

だけど、群がる羽虫を数千単位で焼き尽くしたり、飛んできた砲弾を受け止め投げ返して船を墜としたりと暴れまわっているうちに割とどうでもよくなってきて。

それよりもここしばらくやっていなかった全力で体を動かすことが楽しい。

自分から襲いに来たのに、返り討ちにあっておろおろしている相手の姿を見るのが面白い。

何より、万を超えるほどのこれだけの大虐殺を行うのは久しぶりで、香ばしい肉の焼ける匂いや、芳醇な血の香りが素晴らしい。

それに、相手の見た目が翼の生えた人間だというのもいい。

まるで、天使を相手に戦っているようで、悪魔の王たる吸血鬼の私としてはとっても気分がいい。

勿論この世界にキリスト教なんてないし、私は別に天使なんかを嫌っているわけでも無いのだけれど、ポーズとして、ね。

なにか劇でも演じているような爽快感があるのは仕方ない。

……なーんて、考えてたんだろうと思う。

かつて人間だった“私”の精神ならこんな虐殺に耐えきれなかっただろうことを考えると、色々感慨深いものもある。

 

まぁそんなわけで大暴れしてるのはとても楽しかったから。

さっき現れた無粋な装甲戦艦には腹が立つ。

 

その装甲戦艦は見た目からして他の船と違った。

飛行戦艦には小さなタイプと大きなタイプがあるのだけど、装甲戦艦はその中の大きなタイプよりもさらに大きい船だった。

世界最大の飛行物体といえばかの有名なヒンデンブルクだろうと思う。

あれは戦艦大和をそのまま空に浮かべたような狂気の飛行船だけど、今目の前にある装甲戦艦はそれよりさらに大きい。

つまり、21世紀の地球でも実現していないようなブツ、ということになる。

形も丸みを帯びていて少し独特な感じがする。

そして何より船の周囲を石のようなもので覆っているのが特徴的だ。

いかにも“装甲船”って感じがする。

どうやって浮いているのかがとても気になる。

 

私はまぁこの船にも同じように魔法で極大火球(ロイヤルフレア)をぶつけてやった。

で、普通に効かなかった。

火球が船の装甲に吸い込まれるように消えていき、装甲戦艦はなにごともなかったかのように砲撃を再開してきた。

それどころか吸い込まれた部分から極大火球(ロイヤルフレア)が私に向けて飛んできた。

 

「は?」

 

私は一瞬あっけにとられて、回避もできずその攻撃をモロに喰らってしまう。

流石私の大魔法というか、砲弾の直撃を受けても傷一つつかないであろう服をボロボロにした上に、自慢の白い肌も焼けただれさせた。

特に直撃を受けた左半身がひどく、腕は肘から先がなくなってるし、左足は腿から下が炭化してしまっている。

私が日光を防ぐために身にまとっている妖力のガードのさらにその上から貫通してダメージを与えてくるとは、なんて凶悪な魔法なのか。

ここまでボロボロにされたのはかつて自分同士で殺し合ったフォーオブアカインド事件の時以来だ。

 

……魔法のチョイスが最悪だった。

ただの火魔法ならここまでの被害はなかった。

私が放ったロイヤルフレアは太陽を模した魔法だから、吸血鬼の私に特効があったわけだ。

自分の魔法を反射されるなんてこと、今まで考えたこともなかったから適当にイカロスチックな選択をしたのが完全に裏目に出たんだろう。

今みたいに反射される可能性があるならもうロイヤルフレアは使わない方がいい。

それに、吸血鬼が苦手な流水に通じる水魔法も同様に使用を控えた方がいい。

 

とりあえず、治療しなくちゃね。

まずは右手の手刀で左腕を肩口から切り落とし、足も付け根からばっさりいった。

痛いけど太陽の光に焼かれている部分は再生速度が非常に遅くなるから仕方ない。

指先の火傷くらいなら数秒で治るけど、半身を失うほどの怪我だとそうも言ってられない。

霧化しても身体の欠損は補えないしね。

つまり、しばらくは片手片足で戦うことになる。

空は飛べるからそこまで困りはしないけれど、鬱陶しい。

なにより、私の体がこんなひどい状態になってるのを見てられない。

うわー、こぁからすごい勢いで念話が飛んできてるけど……無視しよう……。

っていうか私の戦いはラフテルの人たちも見てるわけで、ちょっとカッコ悪いところ見せちゃったなぁ。

いやぁ、恥ずかしい。

これは少し、頼れるところを見せなきゃね。

 

「禁忌『レーヴァテイン』」

 

そう思い、右手に巨大な炎剣(レーヴァテイン)を顕現させる。

レーヴァテインは私のスペルカードの中でも最大の攻撃力を持つもので、吸血鬼特攻込みのロイヤルフレアと比べても数倍の威力がある。

……これも吸収・反射されるなんてことは流石にないよね?

 

少々不安になりつつも、私はレーヴァテインを装甲戦艦に向かって振り下ろす。

それが普通の飛行戦艦ならバターのように切れるか、一瞬で蒸発したことだろう。

……しかし。

 

「嘘……レーヴァテインで無傷って……」

 

一瞬幻覚を見ているのかと思ったほど、その光景は現実感がなかった。

どんなときでもすべてを焼き尽くしてきた私の切り札(レーヴァテイン)が、完膚なきまでに防がれたのだから。

今度はロイヤルフレアのように吸収された感じではなくて、装甲の表面をなでるだけに終わったような、そんな感じだ。

余波だけで装甲戦艦の周囲の普通の飛行戦艦はいくつも溶けたから、攻撃自体を失敗したわけじゃない。

 

「くっ、こうなったら」

 

切り札がダメなら奥の手、最終手段だ。

『ありとあらゆるものを破壊する程度の能力』ならばどんなに強固な装甲だろうと――。

 

「そ、そんな、ありえないっ!?」

 

能力を発動しようとして、愕然とする。

戦艦を覆っている石のような材質の装甲。

それには、“目”がなかった。

 

万物に存在する崩壊点。

存在の根幹を為すその点――“目”は形のないもの、例えば音や風といったもの以外ならば、生物無生物問わずあらゆるものに存在する。

私の能力はその“目”を自在に自分の掌に移動させるというモノ。

そのまま握りつぶしてしまえば対象の物体は崩壊する。

いってしまえば万物の心臓(コア)を、対象を視認しただけで崩壊させる反則級の能力。

相手がどんなに強かろうと、特殊な能力を持っていようと、存在そのものを崩壊させる。

対象がどんなに硬かろうと、複雑な機構を持っていようと、存在そのものを崩壊させる。

恐らく対人・対物に限れば最強の能力だと、自惚れじゃなく思う。

 

それなのに、その装甲には“目”がなかった。

これじゃあ、私の能力は使えない。

私は、私の能力が効かないモノに初めて出会ったのだった。

 

……だから。

驚きすぎて、頭が真っ白になって、私は飛来する“光”に気が付かなかった。

普段なら察知して避けられたそれを、頭のてっぺんからつま先まで余すところなく受けて。

――私という存在は消失した。

 

 

 

 

「や、やったぞ!」

 

人智を超えた化け物が()()したのを見て、私は喝采を上げた。

いや、私だけではなく、この旗艦に乗っている乗員全てが喝采を上げていた。

今だけは、共通の脅威を取り除いたことに対して、“支配民”も“一般民”も“奴隷民”も、身分の別なく共に喜んでいた。

恐らくは、他の艦の中でも同様の光景が広がっているだろう。

 

それにしても、すさまじいものだった。

あの敵もさるものながら、それ以上にすさまじいのは我が国の誇る技術力!

私も詳細は聞かされていなかったが、あの装甲戦艦のなんと頼もしいことか。

恐ろしい威力の火球を受けてもびくともしないのは当然としても、それを跳ね返すとは。

あれはおそらく、(ダイアル)によって攻撃を吸収し、放出する仕組みだ。

使われているのは炎貝(フレイムダイアル)……ではないな、あらゆる攻撃に適応できるよう絶滅種の万能貝(オールダイアル)が使用されているとみた。

 

くく……奴が自分の放った火球で焼き尽くされたときの呆然とした表情、あれはよかった。

それまで好き勝手に暴れまわってくれていたことの溜飲が下がるというものだ。

その後出した巨大な炎の剣には少々驚かされたが、それでも装甲に傷をつけることはできんようだったしな。

そして、どうすることもできなく無様に手を握ったり開いたりしているところに、衛星兵器の一撃だ。

 

衛星兵器はその名の通り、月の小衛星を改造した兵器。

まだ(ダイアル)が豊富にとれたころに作られたもので、その内部には夥しいほどの閃光貝(フラッシュダイアル)が搭載されている。

それにより、()()()()を蓄え、光線として放つのだ。

凄まじいエネルギーを一条の光に収束するために、その威力は絶大。

いかな化け物とても耐えきれるものではなく、直撃を受けて蒸発した。

本来はビルカの防衛用の兵器だが、青き星までも射程に収めていたとは。

やはりアレを作ったあの方は天才だ。

 

さて、そろそろ本来の仕事に戻らねばな。

 

「おい、お前たち、いつまで浮かれている。敵は排除したのだ、さっさと侵攻を再開するぞ」

 

「は、はい、司令官殿。もうこんなに暗いですしね、早くしないと」

 

「暗い? まだ昼下がりだろう」

 

何を言っているんだと、窓の外を見て、私はそこにいたモノと目が合った。

 

「――アハ」

 

いつの間にか空が暗くなっている。

暗雲が立ち込めているのだ。

いや、そんなことはどうでもいい。

なぜ、なぜ、アイツが、奴は確かに蒸発したはず――。

 

「――アハ、アハハハハ、アハハハハッ!」

 

 

 

 

終わったはずの戦場に、哄笑が響く。

それは心底楽しそうで、嬉しそうな声で、聞いているだけで――なぜか背筋に震えが走るような、嗤い声。

 

「――ああ、すごい、すごいよ、ほんとうにすっごぉい。まさか私を一回でも殺せるとは思わなかったよぉ。びっくりびっくりぃ。最期のあれは太陽の光を収束させたものだよねぇ。あそこまで完璧に吸血鬼(わたし)の対策をたてられてるとは思わなかったなぁ。それに、その装甲戦艦もすごいねぇ! “目”が見えないモノなんて初めて見たよぉ」

 

どこか、間延びしたような舌足らずな声。

幼い子供が発するようなそれを、聞いたことがある者がかつて一人だけいた。

ラフテルの巫女。

フランに初めて血を吸われた人間である彼女だけが聞いたことのある、“吸血鬼”フランドール・スカーレットとしての声だった。

 

「な、なぜ生きて……」

 

「なぜ? さぁて、なぜでしょぉう? ヒントはぁあそびだよ、あ・そ・び。あなたたちを玩具(オモチャ)にして遊んであげるって言ったじゃなぁい。だから私はおままごとに付き合ってあげたんだよぉ?」

 

「お、おままごと……?」

 

こたえるフランの瞳はどこか焦点のあっていないトロンとしたもの。

しかし、その瞳から吹き荒れる狂気は、それまでの比ではない。

ただそこに佇んでいるだけで、世界が捻じ曲がるように狂っていく。

 

「痛かったなぁ。熱かったなぁ。苦しかったなぁ。辛かったなぁ。――ひどいことをするオモチャは、いらない。壊しちゃお」

 

フランドール・スカーレットは確かに攻撃を受けてこの世から消滅した。

しかし、消滅したのは“禁忌『フォーオブアカインド』”によって生み出された分身の一人だ。

フランの存在自体にはなんの痛痒もない。

敵の命はコインいっこでも、フランの方はそうではない。

本体は離れたところで、暴れる“私”の姿を楽しそうだと羨ましく見ていた。

 

フォーオブアカインドで分身を作り出した理由は、警戒。

元の世界でも見れないような飛行戦艦なんてものを操る敵対勢力の、超越した科学技術を警戒したのだ。

なにしろ“科学”とは、妖怪である“吸血鬼”フランドール・スカーレットを殺しうる不倶戴天の敵であるがゆえに。

――そして、その懸念は実現した。

 

警戒していたとはいえ、フランは自分の実力に自信を持っていた。

だから、当初はさほど慎重さもなく、まさに“遊び”だった。

分身として弱い自分を作り出し、適度に戦わせて劣勢になったところで残りの分身と共に、「フランがやられたようだな……」「ククク……奴は四天王の中でも最弱……」「羽虫ごときに負けるとは吸血鬼の面汚しよ……」と言って登場でもしようかと考え、残りの分身と本体はラフテルの護衛をしていた。

ラフテルの住民が見ている前でエンターテインメントの一種にしようとするほどには、余裕があったのだ。

ところが、彼らは分身で弱く油断やミスがあったとはいえ、フランドール・スカーレットを一度とはいえ殺して見せた。

それも、禁忌『レーヴァテイン』や『ありとあらゆるものを破壊する程度の能力』すらも防いで、である。

特に、威力の落ちていたレーヴァテインはともかく、『ありとあらゆるものを破壊する程度の能力』については本体のフランが発動しようとしても“目”が見えずに不可能だった。

科学が妖怪を殺したのだ。

 

故に、遊びは終り。

 

始まるのは、蹂躙。

 

 

 

 

分身その2とでもいうべきフランは、装甲戦艦に向かった。

すでに特性は把握している。

レーヴァテインの火力すら弾く防護壁、その一部に攻撃を吸収し放出する仕組みが組み込まれている。

だが、あの装甲にはあらゆる攻撃が効かないが、恐らく全力パンチ一発で船は沈むだろうとフランは予想していた。

なにしろ船は浮いている。

いかに頑丈でも海に叩き落すように殴りつけてやれば沈めることは簡単だ。

一応、パンチの衝撃すらすべて吸収されてしまうという可能性が考えられたため、フランはもっと堅実な方法を選択した。

 

それが、あたりを覆う暗雲。

雷雲を呼び、暴風を起こし、豪雨を降らす暗雲をフランは魔法で作り出していた。

天候操作は砂漠で雨を降らせたように、お手の物だ。

無論フランは流水が苦手なので今は雨を降らせていない。

必要なのは、風。

 

フランが軽く手を振ると一瞬にして、装甲戦艦は制御を失い錐揉み回転を始める。

空中に浮いている以上、周囲の風の影響を受けないはずはなく。

その堅牢さが嘘であるかのように、装甲戦艦は一瞬で海の底へと沈んでいった。

しばし待っても浮いては来ない。

船と言いつつ、装甲の自重で沈むような、その程度の物だった。

 

 

分身その3とでもいうべきフランは、衛星兵器を処理する。

はるか遠くの大気圏外にあるだろうそれは、いかに吸血鬼の視力が良かろうと見えるものではない。

だいいち、今は分身その2が作り出した暗雲によって上空の視界は遮られている。

では、どうするか。

その場まで飛んでいく?

いやいや、ナンセンス。

そんなことをせずとも、魔法を使えば一発だ。

 

フランが発動したのは遠視の魔法。

はるか遠くにある物を見通す千里眼で、フランはその衛星兵器を見た。

そして、掌を軽く開く。

次の瞬間にはその可愛らしい小さな掌の中には、衛星兵器の“目”があった。

 

「きゅっとして、ドカーン」

 

ぐしゃり、と。

無邪気な子供が虫を潰すように、手が握られる。

たったそれだけで、遥か彼方の存在の崩壊点は砕け。

その衛星兵器は木っ端微塵に爆散した。

 

 

本体とでもいうべきフランは、周囲に浮かぶ飛行戦艦の後片付けだ。

しかし分身たちの仕事よりも楽かと言われれば、そうでもない。

なにせ、数だけはいる。

だから、フランは片っ端から壊していくことにした。

 

「ドカーン、ドカーン、ドカーン……綺麗な花をー咲かせましょうー」

 

ひとたび右手が握られれば戦艦が一つ爆発する。

乗員の血液が空に散り、鮮血の花が咲く。

飛んでくる砲弾は左手で虫でも払うかのように払い除け、無詠唱の魔法や時たま詠唱による魔法にて次々と命を刈っていく。

安易に船を墜とすような真似はしない。

海に落ちて乗員が生き残る可能性があるからだ。

フランはいっそ丁寧なほどに敵対勢力のすべてを空中で絶命させていく。

 

装甲戦艦が墜ち、衛星兵器の応答が消えた。

フランは大きい船から攻撃対処に選んだので、旗艦もすぐに花と散った。

頼みの綱も命令系統も消え、対して相手は三人に増えた。

そんな状況でビルカ兵たちのとった行動は、逃亡一択だった。

無論、フランがそれを許すはずもない。

 

逃亡ができないと知るや、恐怖に泣きわめきながら投降をする兵たちも現れた。

フランは、にこやかに投降を受け入れた。

そして、彼らを魔法で拘束しラフテルへと転移させる。

後の処理は、ラフテルの民がやるだろう。

自分たちの国を宣戦布告もなしに突然襲い、あまつさえ何よりも大切な“フラン様”に傷をつけたビルカ兵を、筋金入りの狂信者であるラフテルの民がどうするかは、まぁ分かりきっていた。

 

 

せっせと羽虫の処理を行うフランを止めたのは、衛星兵器の処理を担当した分身その3のフランだった。

 

「そろそろいいんじゃない、(フラン)? もうほとんど全滅したよ」

 

「え? 皆殺しにしないの、(フラン)?」

 

「んー、それでもいいけど、(フラン)もそろそろ腹の虫も収まったでしょ? 残りには拷問でもして本拠地の場所聞きださない?」

 

フランとフランの会話に、装甲戦艦を沈めたフランも加わった。

 

「あー、その方がいいかも。結局(フラン)が沈めたあの船も、何だったのかよくわからないし。あとでラフテルの人たちにサルベージしてもらうにしても、設計した人とかの話を聞いた方がいいかもね」

 

「ああ、なるほど。根絶やしにするにしても、残りの奴らの居場所を聞き出さないとかぁ」

 

「それにしても、終わってみれば結構楽しかったかな、(フラン)?」

 

「まぁね。(フラン)が油断してやられたのもまぁ分からなくはないよね。自分のことだし」

 

「ここまで大暴れすることってなかったもんねぇ。自覚して無かったけど(フラン)って結構ストレスたまってたりしたのかな?」

 

「んー、船旅も長かったしねぇ。海賊団も楽しかったけどそろそろ別のことをやってもいいのかもね、(フラン)

 

「そうだ、(フラン)。メイリンに連絡とっておかない? この後の処理とかも割と押し付けたい」

 

「いやいや、(フラン)、本音がダダ漏れだよ。それは言っちゃダメでしょ」

 

「えへへ、ごめんね、(フラン)

 

「でもそうだよね。ラフテルの事だからこぁに任せたいけど、今回も頑張ってくれてたしちょっとゆっくり休ませてあげたいかな」

 

「メイリンはもうアマゾン・リリーも結構軌道に乗ってるらしいしね」

 

「しばらく人手が必要そうだし、フォーオブアカインドこのまま発動させておく?」

 

「それでもいいけど、連続発動ってタイムリミットどれくらいか分かる、(フラン)?」

 

「いや、(フラン)に聞かれても。(フラン)が分からないなら(フラン)にわかるわけないでしょ」

 

「昔は三時間で頭が痛くなって、妖力的には一日くらいで限界だったけどね」

 

「いまならもうちょっとできるのかな」

 

「なんにせよ疲れたね」

 

「そうだね。ゆっくりお風呂入って休みたいなぁ」

 

「うんうん、ぐっすり寝たいねぇ」

 

「お疲れ様、(フラン)

 

「お疲れ様、(フラン)

 

「お疲れ様、(フラン)

 






ヒンデンブルク
世界最大の飛行船、その全長実に200メートル以上。
大きさとしては戦艦大和と相違ないレベル。
こんな大きなものがどうやって空を飛ぶかと言えば、水素で飛ぶ。
……水素ということで嫌な予感はするけれど、もちろん期待を裏切らず最後は大爆発で轟沈した狂気の船。

ありとあらゆるものを破壊する程度の能力
求聞史紀によればあらゆる“物質”に存在する目を破壊できるということなので、形のないものや概念などは破壊できない仕様です。

衛星兵器
あっさり壊されましたが、その実めちゃくちゃ厄介な代物です。
チャージが必要とはいえ、大威力の攻撃を光速で放つのでほぼ確実に命中&対象を破壊する恐るべき兵器です。

貝(ダイアル)
万能貝と閃光貝はオリジナルです。
ただ、閃光貝は灯貝の上位の絶滅種として原作に登場してもおかしくはなさそうです。
万能貝は、原作の斬撃貝の仕組みが意味不明なのでこんなのもありかなぁと。

追記:閃光貝はオリジナルじゃなく原作に登場してました……。
空島編には名前がないのですが、二丁拳銃に使用されていそうですね。
名前が出たのは空島編よりも後、ウソップがルフィと決闘する35巻でのことです。
ここで見る感じ非常に弱そうですが、衛星兵器に積まれていたものは絶滅種でもっとすごい&太陽にずっと近い位置で光を蓄えるので威力が高い、とでも脳内補完してください。
くぅ、チェックが甘かった……。

四天王の中でも最弱……
元ネタはギャグマンガ日和のソードマスターヤマトで、この話が掲載されたのはワンピースの連載開始後なのでフランが知っていることとのつじつまが合いません。
このような台詞はそれ以前のゲームなどでも見られただろうことを考えて大目に見ていただけると。
それにしてもフランちゃん四天王……つよそう。
ラスボス(レミリア)の後の裏ボスが4体いるって。

フランちゃんの本気
タグにせっかく「主人公最強」をつけているので。
色々悪さできる魔法もさることながらフォーオブアカインドが強すぎですね。
きっと4人で手分けすれば7日間で地表を焼き払うこともできる。
遠距離で『ありとあらゆるものを破壊する程度の能力』が発動できるのは完全に独自解釈ですが、物体を視認することと掌で目を握りつぶすことができればこんなのもありじゃないかと。


そんなわけで戦闘終了です。
結構あっさり終わってしまいましたが、結果が分かっている戦闘を長々とやるのもどうかと思ったので。
あと事後処理に1話か2話で「天空の戦」編は終了予定です。
衛星兵器を作ったという“あのお方”……一体何イリンなんだ……。
メイリン!? ハッ、まさかっ!?





目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

月の頭脳と永遠の姫

前回のまとめ

・フランちゃん残機が一減る(ピチューン
・本気出す



 

「うう、フラン様ぁー。なんで私を呼んでくれなかったんですかぁー。肝心な時にお傍にいれないなんてこの紅美鈴、一生の不覚ですよぅ。せめて念話で一報でも入れてくれれば空飛んで全速力で向かいましたよ……」

 

「まぁあのときは私もこぁから緊急だって聞いて余裕なかったからさー」

 

「それに闘い方も酷いですよぅ。天候操って大立ち回りって、完全に私の仕事なくなっちゃってるじゃないですかぁ。なんのための龍の力なのか……。うう……」

 

「あはは、ごめんごめん」

 

め、めんどくさー。

戦いが終わった後、後処理のためにメイリンを転移魔法で呼び出したんだけど、事情を話したらすっかり拗ねちゃった。

確かにお祭りに一人蚊帳の外で、終わってから後始末にだけ呼び出されるって考えるとその気持ちは分からなくもない。

いや、ラフテルが襲われていたわけだしお祭りなんてもんじゃないか。

私は暴れまわってすっきりしたし、もう怒りの感情とかないから今となっては「楽しかったなぁ」くらいの感想しかないんだけど。

 

「まぁまぁ切り替えて。とりあえずこれから敵の本拠地にお邪魔しようと思ってるんだけど、メイリンも来る?」

 

「行きますっ。行きますよ、絶対。もう置いていかせませんからねっ」

 

襲ってきた敵の生き残りを尋問にかけた結果、いくつかのことが分かった。

まず、驚くべきことに彼らは月の住人であったということ。

宇宙戦艦ヤマトを想像した私の考えは図らずも的中していたわけだ。

彼らは月のビルカという都市の出身。

そのビルカでは年々資源が目減りしていて、このままでは都市の維持が不可能になるレベルの深刻さだった。

そこで、地上から資源を強奪しようと今回の襲撃計画がたてられた。

 

月に宇宙戦艦を作り出すほどの文明があったことも驚きだし、その文明が滅びの寸前にまで追い詰められていることも驚きだった。

特に滅びの方は行き過ぎた開発で資源不足となり他の星に侵攻する、なんて前世で読んだSF小説のような展開。

やっぱり行き過ぎた発展は身を滅ぼすということかな。

私も気を付けてはいたけれど、ラフテルがそうならないようにこれからも気を配ろう。

――最悪、私がすべてを滅ぼせば解決するとは思うけれど。

 

さて、他にわかったことと言えば、彼らの使う兵器。

まず、全てにおいて重要なのが貝、のように見えるもの。

彼らの言葉でダイアルというらしいそれは月に棲息する生物の死骸で、内部にエネルギーをため込み放出ができるという特殊なものだった。

そしてこれが彼らの技術の根本となるもののようでもある。

科学文明で言う電気、魔法文明で言う魔力のような、それがなければ始まらないというエネルギー源だ。

飛行戦艦もこれの力で飛んでいるし、都市を動かすのも、あの衛星兵器の動力源さえこれ。

極めつけは空を飛べるのもこれのおかげだった。

彼らの背中には小さい羽が生えていたようにみえたのだけど、それは実は飾りというか、脱着可能なものだった。

その羽に(ダイアル)が仕込まれていて、空を飛んでいるように見えただけだった。

天使か何かかと思っていたのにコスプレのようなものだと知り、ちょっと呆気にとられた。

 

……あとそれを見て私の羽も脱着可能ならなぁ、とちょっと思ってしまう。

寝る時とか邪魔なんだよね……ベッドに突き刺さるし宝石がジャラジャラするし。

基本的にうつ伏せか空中浮遊しながらでしか寝れないので、取り外しができるのは正直少しだけ羨ましい。

まぁ邪魔に思う以上に誇りに思っているから、不満ってほどのものでもないけどね。

なにより700年も付き合っていれば慣れる。

今はこの成長しない体も、むしろ逆にそれがいいんじゃないかと思い始めてきたし。

 

んんん、話が反れた。

で、そうやって色々と話を聞きだしてひと段落したので、これから彼らの本拠地である月を訪問してみようというところ。

話によれば住民全員で地上に来たために今は人っ子一人いないそうだけど。

 

それを最初に聞いたときは訳が分からなかった。

国民皆兵制だとしても全員で出撃するわけもなし。

後方支援要員どころか子供や老人も国に残るだろうし、病人とかもどうするんだってね。

ところが事情を聴くとこれまた壮絶だ。

資源が乏しいビルカでは、一定以上の年齢になった者、働けなくなった者や病人は殺しているんだそうだ。

限られたリソースを有効に使うためだとはいえ恐ろしいことをしている。

まるで姥捨て山だ。

そして、子供も地上(こちら)に連れてきているという。

なぜなら今現在ビルカの都市はエネルギーの供給を完全ストップしているから。

資源が窮乏しているからわからなくはないけど、いちいちやることが極端だ。

なるほど電気ガス水道が止まった家に子供を残しておけるわけもないか。

 

そんなわけでもぬけの殻となった月の都市へ視察に行き、文明の発展具合で今後の処置をどうするか決めるつもりだ。

ただ、余りに発展していればすべてを破壊しつくすしかない。

 

……前世の日本での暮らしのような高度文明的な生活に懐かしさを覚えないわけではない。

私には時間がある。

今のラフテルの文明レベルが江戸時代程度だとするならば、私が主導して発展に努めればきっとあと500年程度で現代に追いつくだろう。

ベッドに寝転がりコンビニのお菓子でもつまみながらヘッドフォンで音楽を聞きつつスマホをいじってネットサーフィン、なんてことも可能かもしれない。

だけど、それは無理なのだ。

私、フランドール・スカーレットは吸血鬼、妖怪の一種だ。

幻想は科学文明に駆逐される。

神秘の薄れる世界で私は生きていけない。

そのことをどうしようもなく、魂で理解してしまっている。

 

ゆえに、ラフテルでも科学文明につながりそうな研究は基本的に推奨していない。

だからこそ独学で物理学とかを修めているにとりにはびっくりしたわけだ。

物理学とかならまだいいけど、これが機械工学とかになってきたら流石に止めなきゃいけない。

研究と発展を私の都合で辞めさせるのはちょっと罪悪感もあるけど、こればっかりは仕方がない。

 

そう、だから飛行戦艦や衛星兵器なんてものを作っている月の文明は、放っておくわけにはいかないのだ。

 

「それじゃ行くよ。ついてこれなかったら置いてくからね、メイリン」

 

「はいっ」

 

私が飛び上がるとメイリンも部分龍化で龍人形態になり、追随してくる。

羽が生えてないのに飛んでいるのを見るとちょっと違和感があるんだけどね。

まぁ私の羽も羽と呼べるかどうか怪しい代物だし、今更かな。

 

そんなことを考えつつ高く高く飛んでいると、不思議なことに気が付いた。

すでに音速近い速度で1分以上飛んでいる。

つまり上空200キロメートルにはすでに到達しているはずなんだけど、全然空気が薄くなったりしないし、温度も変わらない。

 

「メイリン、大丈夫?」

 

「は、はい。ちょっと速いですけどなんとかついて行けてます」

 

「あーっと、息が苦しくなったりしてない? 頭痛とか吐き気とか目まいとか」

 

「それは大丈夫ですけど……」

 

んー、私が吸血鬼だから特別頑丈、ってわけでもないのかな。

いやでもメイリンも龍化してるしそうとも言い切れないかなぁ。

 

なーんて悩んでいたのもあっという間。

私たちは月に到着してしまった。

 

……所要時間は30分ほど。

 

いやいや、おかしいでしょ。

月までの距離って40万キロ近いはずなんだけど。

音速飛行でも13日かかるはずだ。

そもそも地球の重力から逃れるには音速の十何倍もの速度が必要なはず。

じゃなきゃ軌道衛星とかがちゃんと飛ばないってNHKで言ってた。

 

……ああ、ここが地球じゃないの忘れてた。

宇宙空間にも酸素あったし、月までの距離が短すぎるし、重力の枷から簡単に外れたし、もう、なんだかね。

たぶんこの世界ってヘリウムガス入りの風船を放したら、宇宙空間超えて月まで飛んでくんだろうなぁ。

 

さて、そんなわけで月についたんだけど、思っていたより小さかったことが発覚した。

まぁ距離が近いのに普通の大きさに見えていたわけだから、実物が小さいのは当たり前か。

住人全員かき集めて地上に侵攻してきた10万程度の人間しかいないってのが疑問だったけど、それも解決した。

月の都市ビルカからの侵略、だと思ってたけど、「月に国があってそのうちの都市のひとつ」というわけじゃなくて、「月自体が一つの都市」って言うのが正解みたいだね。

 

「わぁ、私月に来るの初めてです」

 

「私も初めてだよ」

 

生身で月まで来るなんて、とんだアポロ計画だ。

 

「あれ、フラン様。確か月って今誰も人がいないんでしたよね?」

 

「ん、ビルカ兵の証言通りならそのはずだけど」

 

「おかしいですね。あっちの方、結構大きな“気”が一つあります」

 

「ああ、龍人形態だとそんなこともできたっけ。便利だね」

 

「気を探れる距離はそこまで広くはないんですけどね。でもフラン様の気ならどこにいても探れますよ!」

 

「あはは。それで人がいるのはどっち?」

 

「はい、ご案内します」

 

私はメイリンの先導で月の上空を飛んでいく。

眼下には人っ子一人いないビルカの町並みが広がっている。

見たところそこまで高度な科学文明が存在しているようには見えないけど、気になるのは町中いたるところにいるロボットだ。

大きさは子供くらいで、コミカルな見た目をしている。

そんなロボットが街の中、かなりの数存在している。

ただ、どれも動きは止まっている。

 

人がいない空虚な街。

そこにたたずむ動きを止めたロボットたち。

なんだか、もの悲しささえ覚えるような情景だ。

 

「ここの地下みたいですね」

 

「ん、ありがと」

 

この距離まで来ると私にもわかる。

それなりの大きさの覇気を持つ人間が一人いるようだ。

 

「んー、どっから入ればいいの?」

 

「入り口は近くにはないみたいですね。穴あけましょうか?」

 

「穴って、メイリン……」

 

「私、アマゾン・リリーで岩盤掘削工事を結構頑張ってたので、そういうのはお手の物ですよ!」

 

「ああ、岩山くりぬいたんだっけ。よくやるよねぇ。まあそれなら任せようかな」

 

「はい、お任せください!」

 

そういうとメイリンはあっという間に地下への道を掘り出してしまった。

確かに言うだけあって手早い動き。

私が素手どころか魔法でやってもここまで早く開通はできないだろう。

 

「お邪魔しまーす」

 

「お邪魔します」

 

二人で地下へと入っていく。

地下には大きな空洞があった。

いや、ただの空洞じゃない。

その空間は特異だった。

 

白い壁。

様々な色の液体が入ったビーカーやフラスコ。

顕微鏡や両皿天秤といった実験器具の数々。

骨格標本と人体模型。

壁際には標本のようなものが溶液漬けになって並べられている。

 

学校の理科室か、どこぞの化学研究所のようなその光景に背筋が寒くなる。

やっぱり私は科学文明と相容れない。

 

「うわぁ……なんだか奇妙な空間ですね。これ何に使うんでしょう」

 

「それは顕微鏡だね。小さいものを見るために使うの。マロンが持ってた虫めがねの高性能版だよ」

 

「へぇ。フラン様は流石、何でも知ってますね!」

 

「……なんでもは知らないよ。たまたま知ってただけ」

 

人の気配はこの実験室の奥の扉の向こうからだ。

私は意を決して扉を開く。

 

 

――そこは先ほどの無機質な実験室とは違い、有機的で温かみのある空間だった。

四角く小さな部屋にベッドが一つと安楽椅子にテーブル。

そして、()()の人影。

片方は先ほどから気配を感じていた人物。

安楽椅子に座るその人物は妙齢の女性だった。

長い銀髪を三つ編みにし、赤と青のコントラストが鮮やかな服を着ている。

もう片方も女性。

長い黒髪に非常に整った顔立ち、服装はピンク色の和風仕立ての洋装といったような美しい服を着た少女だ。

こちらはベッドに横になり眠っている。

いや、眠っているという表現は正しくないだろう。

彼女からは()()()()()を感じない。

 

私が部屋に入ったことで銀髪の女性が俯いていた顔を上げた。

隣でメイリンが鋭く息をのんだのが分かる。

……私も驚いた。

 

女性の目は昏く淀んでいて、およそ尋常な精神状態ではないのが分かる。

というよりアレは完全に狂気に呑まれてしまっている眼だ。

長く狂気と隣り合わせで過ごしてきた私だからわかる。

アレは、私がたまに陥る「内なる狂気の表出」なんてレベルではなく、心の奥底までを完全に狂気にゆだね同一化した状態だ。

 

「……あら、お客さんなんて珍しいわ」

 

「……ご機嫌よう。お邪魔してるよ。私の名前はフランドール・スカーレット。こちらは紅美鈴」

 

「…………」

 

メイリンがぼけっとした顔で呆けているので軽く脛を蹴る。

確かにこのレベルの狂人が普通に受け答えしたことには驚くだろうけど、それはそれだ。

礼儀がなっちゃいない。

 

「あ、は、はい。紅美鈴です。よろしくお願いします」

 

「ご丁寧にどうも。私は“××”です」

 

「××?」

 

「はい、××です」

 

「え、フラン様それどうやって発音してるんですか」

 

「あー月の言葉だね。たぶん人間には発音できないと思うな」

 

まぁメイリンの疑問ももっともだ。

この名前は発音どころか文字に表記することさえ難しいだろう。

むりやり表記しても「もょもと」みたいな発音できない形になっちゃうだろうし。

私なんかは蝙蝠に変化できるせいか、この体の声帯でも普通に超音波を発することができる。

まぁ人間のそれとは違うということ――。

 

「××……あ、できました」

 

って、えー。

メイリンあなた人間やめちゃったの?

……あ、そうか。

そういえばメイリンの声帯ってあの鈴を同化させたものだったっけ。

それじゃあ普通の人間の声帯、とはいえないよね。

 

「××……名前の意味としては“永遠に光り輝く玉”か……。日本語あてるなら“永琳”かな」

 

エイリン。

なんだかメイリンと名前の響きが似ている。

 

「永琳。きれいな音ね」

 

「琳の字には“輝く美しい玉”っていう意味以外に“玉が触れ合って鳴る澄んだ音”って意味もあるしね。夏目漱石の『吾輩は猫である』に「琳琅(りんろう)璆鏘(きゅうそう)として鳴るじゃないか」なんて一文があるよ」

 

「そうなの。――永琳。響きが気に入ったわ。その名で呼んでくれてもいいわよ」

 

……ふむ。

夏目漱石には反応なし、か。

正直、彼女が“私”のような転生者の可能性も考えていたんだけど。

月人が皆つけてた羽を付けていない、月の深部に幽閉隔離もしくは隠れ住んでいるかのような状況、さっき見た化学実験室のような部屋、とまぁ気になることはあったけど。

この反応を見る限り、その線はなさそうかな。

 

「ありがとう。そうさせてもらうね、永琳。それでいくつか聞きたいことがあるんだけど、いい?」

 

「ええ、いいわよ。ああでも、この子にも聞かないとね」

 

そういって永琳はベッドで眠る少女に目を向けた。

 

「どう、あなたはいいかしら? ――そう、わかったわ。ええ、ありがとう」

 

そして少女に話しかけた――が。

永琳の目線はベッドの方に向いてはいるものの、少女の顔をとらえてはいない。

宙を向き、茫洋とした眼差しには何が映っているのか。

言葉もまるで会話だけど、当然ながら少女の方から返答はない。

独り言、のように見えるけど……。

 

「(ふ、フラン様。この人なんかヤバくないですか?)」

 

「(少なくともふざけているようには見えないね。幻覚と幻聴を見ているのか――もしくは私たちには見えないし聞こえない“ナニカ”があそこにいるのかもしれないけど)」

 

「(なにかって生霊とかですかね? 体は生きているみたいですし、魂だけが抜け出してるんでしょうか。それにしては“気”が感じられませんけど)」

 

「(ん、体は生きている?)」

 

「(ええ、心臓は動いているみたいですよ。それにしては生気もないし、不思議ですけど)」

 

いわれて耳を傾ければたしかに鼓動を刻む音がする。

しかし、依然として私には“あれ”から生きた人間の気配を感じ取れない。

眠る少女というよりはまるで生身の人形といった感じだ。

 

「ごめんなさいね。この子少々気難しいというか、人見知りで。けれど私があなたたちと話す分には良いそうよ。横で見ているって」

 

「……そう。ありがとう」

 

そうして奇妙な雰囲気のまま、私と永琳は話を始めた。

永琳は狂っていたけど、話自体は非常に理知的で、説明も論理立ててとても分かりやすいものだった。

そして話をしているうちに、彼女が月で何をしていたのか、どうしてここにいるのか、なぜ狂ってしまったのか、隣で眠る少女は何者なのか。

だいたいの推測はついた。

 

まず、永琳は一時期月の指導者の立場の者だったらしい。

もともとは薬学の研究者だったけど、指導者になってからは生物工学や機械工学の分野でも目覚ましい発展を遂げさせた。

(ダイアル)や電伝虫といった不思議な生物たちも彼女の遺伝子改造で生まれたようだ。

衛星兵器や飛行戦艦についても彼女が設計したというのだからその頭脳はすさまじい。

永琳はにとりが霞んでしまうような、極まった“天才”であるといえるだろう。

さらにすごいのは、彼女は妙齢の女性に見えてその実すでに500歳を超えているのだという。

私も幼い見た目で700歳以上だけど、それは私が吸血鬼だからだ。

人間である彼女は薬学を極めた結果として身体の老化を極限まで遅らせる薬を開発した。

仕組みを聞いたところどうも魂の固定とでもいうような結果を生み出しているようで、不老の他に不死の効果もありそうだ。

まぁ試しに死んでみてくれとは言えないから想像の範囲にとどまるけど。

そうして長い時間を手に入れた彼女は月の発展に大いに尽力し、今日の月の文明を作り上げた。

 

月の文明は絶頂期を迎え、指導者としての彼女の立場は絶対のものになった。

しかし、悲劇はそこからだ。

一つ目の悲劇は、不老の薬が永琳にしか使えなかったこと。

服用初期の副作用に、普通の人間は耐えられなかった。

永琳はもともと強い生命力――覇気を持っていたから適合しただけで。

ゆえに彼女は一人だけ年を取らず、周囲は当然のように老いていった。

親が死に、友が死に、伴侶が死に、子が死に、孫が死に。

彼女自身は自覚していないみたいだけど、おそらくはそれで心が壊れてしまったんだと思う。

時の流れは心の傷を癒すけれど、永すぎる時は心を壊す、ということだ。

吸血鬼(わたし)ならともかく、人間には、耐えられない。

 

そして狂ってしまった永琳は永遠の命を持った娘を生み出そうとする。

それがこのベッドで眠る少女。

彼女は永琳が作り出した人工生命体、いわゆるホムンクルスだ。

ああ、だけど実験は失敗した。

幾度となく試行錯誤を繰り返し、そのすべてがダメだった。

挫折を味わったことがなかった彼女はここでポッキリと折れてしまった。

眠る少女は叶わぬ夢の末路。

体はあれども心がない。

だから永琳は、自分の中に心を作り出したのだ。

幻覚に幻聴、もしかすると彼女には娘の体温さえ感じられるのかもしれない。

彼女の中では生きている。

 

また、ホムンクルスの研究に傾倒し始めた彼女は一方で月の指導者の立場を降り、人前から姿を消して地下の研究所にこもるようになった。

それからの月の都の零落は早いものだ。

ものの百年ほどで貝の乱獲によって生態系は崩れ、人口の調整を失敗し資源が枯渇。

彼女一人の頭脳でもっていた都市は、あっけなく斜陽を迎えた。

 

雑談を交えながらここまでのことを聞き出して、私はなんだかとても疲れてしまった。

月の都市もすべてぶっ壊してやろうと思ってたのに、彼女の話を聞いてそんな気も失せてしまった。

 

ああ、彼女は私なのだ。

吸血鬼じゃなかった私の末路が彼女なのだ。

私もかつて心が限界を迎えた時、狂気に身をゆだねて永らえたことがある。

ゆえにわかる。

永琳にとっても狂気は――救い。

狂ってなければ生きていけない。

たとえ周囲からは物言わぬ人形と暮らしているように見えても、彼女にとってはそれが夢にまで見た幸せな生活。

この小さな地下室は彼女とお姫様が二人だけで暮らす聖域だった。

――だから私は、ここから出て行こう。

 

「お話ありがとう、永琳。そろそろお(いとま)するね」

 

「いいえ、私もこの子以外と久しぶりに話せて楽しかったわ」

 

「……そうだ、そういえばその子の名前、なんていうの?」

 

「名前は――あら、そうね。そういえばあなた名前がなかったわね。この子、私としか喋らないから名前で呼ぶこともなかったのよね」

 

「そう……」

 

「そうだわ。せっかくだしあなたがこの子に名前を付けてくれないかしら」

 

「私が?」

 

「ええ。――永琳。自分の名前だけれど“××”なんかよりずっと綺麗な音だと思うわ。あなたならきっとこの子にぴったりな素敵な名前が付けられると思うの」

 

ふとした感傷で名前を尋ねてみたのだけど、思ってもみなかった答えが返ってきた。

名前、名前か。

……戦争上等! な意気込みで月まで来たのになんでこんなことになってるんだか。

まぁ、私が彼女に共感を覚えちゃったからなんだけどさ。

そうだね、名前を贈るくらいのことはしてもいいかもしれない。

 

……ああ、ぴったりな名前がある。

絶世の美貌に射干玉の髪。

月の都のお姫様。

姫は地上から月に連れ戻される際に天人の衣を着せられて心を失ってしまうんだ。

だからそう、こうして月の都で眠っている。

其は“なよ竹のかぐや姫”。

 

「永琳」にならって漢字をあてるなら――何がいいだろうか。

原典通りに「赫映(かぐや)姫」?

そのかぐやの元になったとされる「迦具夜比売(かぐやひめ)」?

いやいや、どれも優美さに欠ける。

ならばそう、もっと字からして素敵な名前がいい。

――ああ、そうだ。

かの川端康成がつけた名などはとても美しい。

流石はノーベル文学賞作家といったところか、当て字だけれどその字は端的にその本質を表している。

願わくば、あなたが気に入ってくれるといいのだけれど。

あなたの名は。

 

「――“輝夜(かぐや)”」

 

「……輝夜」

 

「輝く夜と書いて、輝夜。あなたにぴったりな名前だと思うわ」

 

「輝夜。……ああ、あなたに頼んでよかった。――輝夜、そう、あなたは輝夜よ」

 

永琳は私に礼を言い、“輝夜”に話しかけた。

その表情は今日見た中でも一番の笑顔で。

永琳のその表情を見れただけで、月までやってきた甲斐があったというもの。

 

「――ええ、素晴らしい名前ね。――そうね、そうしましょうか。――あら、そんなこと言っていいの? ――ふふ、冗談よ。ええ、毎日呼んであげるわ。輝夜も私のことは永琳って呼んでね? ――ふふ、ありがとう」

 

……それにしても、永琳、もうすっかり自分の世界に入り込んじゃった。

多分すでに私のことは意識の外になってるんだろう。

そこまで気に入ってくれたのなら嬉しい限りだけど、ちょっと苦笑い。

まぁ、ここらでお邪魔虫は退散することにしよう。

それじゃあね、永琳、輝夜。

 

「あなたたちの歩む夜道に、輝く光のあらんことを」

 

 

 

 




ビルカ民の羽は脱着式
アートオブワンピースというコーナーの衣装編で、スカイピアの住人に対しては、
「背中の羽は動かしたり、飛ぶためのモノじゃなく、空島の住人に共通した装飾の様ね。」
というナミの解説文が添えられています。
よって羽単体ではただの装飾ですが、この時代においてはダイアルを組み込むことで空を飛ぶことが可能になってます。
原作時代では原作通り空を飛ぶ機能は失われます。

成長しない体が逆に良い
この世の真理。

空気がある宇宙空間と月までの近すぎる距離
原作では風船につかまって月まで行けるようです。
そのため、宇宙空間に空気もあるし寒くもないし重力の影響もないしガスが抜けない程度の距離に月があると仮定しました。
エネルもマクシムの飛行速度で月まで行くとなると何年もかかってしまいそうですし。
ちなみに東方世界の月の都にも空気があったり地上と重力が変わらなかったり超常のテクノロジーが存在していたりと共通点があったり。

もょもと
元ネタはとあるドラクエ主人公の名前。
普通は発音できないが稀に流暢に発音できる人がいるらしい。

琳琅璆鏘
琳琅も璆鏘も澄んだ音をあらわす言葉で、あまりなじみはありませんが漱石を読んでるとよく見かけます。
初見じゃまったく意味わからなくて辞書を引いた覚えがあります。

日本文学
『吾輩は猫である』とか川端康成とか出したけど、永琳と輝夜はなんだか日本文学の雰囲気と親和性が高いように思います。
永琳「月が綺麗ね」
輝夜「死んでもいいわ」
なんてやり取りとか、月人かつ不死人であることもあいまってロマンチックな感じがします。

月までやってきた甲斐があったというもの
「甲斐なし」「甲斐あり」は、石上中納言が燕の子安貝を手に入れられなかったことから「貝なし」=「甲斐なし」になったんだよ、という駄洒落的語源説明が竹取物語中でされているので、そこからのネタです。
本当は同様に「恥を捨てる」「たまさかる」「あへなし」「あなたへがた」もさりげなくどこかの文中に混ぜ込みたかったのですが、違和感ありすぎて断念。


次話で月編終了です。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

戦勝の宴と雨乞いの儀式

前回のまとめ

・フランちゃん、月に行く
・永琳と輝夜に会う



 

「…………」

 

フラン様は永琳さんと別れてから、ずっと静かです。

私はそんなフラン様を後ろから眺めながら、月の空を飛んでいました。

 

「あの……フラン様」

 

「んー、なに、メイリン」

 

「永琳さんなんですけど、あのままにしてきてよかったんですか?」

 

「いいもなにも、私が他にすることなんてないよ」

 

「でも……ラフテルに連れて帰るとか」

 

私はフラン様と永琳さんの会話を横で聞いていただけですが、おふたりの会話には私が口をはさめないような、独特の空気がありました。

言葉にするなら分かり合っている、通じ合っているでしょうか。

私には理解できない永琳さんの思想や行動をフラン様は深く共感しているようで。

永琳さんの方も初対面だとほとんどの人が気圧されるフラン様の滲み出す狂気を何とも思っていないように接していました。

 

そんなお二人を見ているのが、私は少し悔しくて。

今の寂しそうなフラン様の後姿をただ見ていることしかできない自分が情けなくて。

 

私の声に、フラン様は飛行をやめ、振り向きました。

中空で滞空したまま向き合い、フラン様が口を開きました。

その表情は真剣そのもの。

 

「それはできないし、しちゃいけないよ。あの二人だけの空間を、私には壊せない」

 

「でも、誰もいない所で一人、ずっと人形と暮らすなんて! それに、それすら幻聴と幻覚の――」

 

「メイリン」

 

「――ッ!」

 

「幸せの定義は本人しかしちゃいけないよ」

 

「でも、でも……」

 

「メイリン、あなたは優しいから納得できないかもしれないけど。目につくものすべてを救おうとするのはあなたの悪い癖。クーロンの時は故郷ってこともあったけど、これからもその姿勢を貫くなら覚悟しなきゃいけないよ」

 

違います、フラン様。

私は確かに、救われない人がいれば昔の自分を見ているような気になって助けたくなりますけど。

私が本当に助けになりたいのは、ただ一人、あなただけ――。

 

「……彼女はね、私なんだ。吸血鬼じゃなかった私。永い時に、孤独に耐えられずに壊れてしまった私。でもね、大丈夫だよ、メイリン。私は吸血鬼だから、彼女みたいになったりはしない。……ときどき狂うことはあるかもだけど」

 

大丈夫なら、なんでそんなに弱弱しい声なんですか、フラン様。

今、ご自分がどんなに不安そうな表情をしているのか、わかっていますか?

あなたは今、私が助けになりたいと思ってしまうほどには――。

 

「違います、違いますよ、フラン様」

 

「違うって、なにが?」

 

「あなたと彼女は、違います」

 

「ん、だから彼女は人間で、私は吸血鬼で――」

 

「そういうことじゃありません。フラン様には――私がいます」

 

「え?」

 

「心の無い人形じゃなくて、私がいます。私は、フラン様を絶対独りにはさせませんから。どこまでも、一緒にいますから!」

 

「……アハハ。そう……。ありがとね、メイリン」

 

きょとんとした顔をしてから、一拍おいて笑い出したフラン様。

私の言葉は、心は届いたのでしょうか。

その眼尻には光るものがあって。

私にはその光がどういった気持ちによるものなのかはわかりませんが。

 

このとき私は、フラン様とずっとずっと共に歩むことを誓い。

――不老不死の法を見つけることを決意したのです。

 

 

「でもね、メイリン。ごくごく薄い可能性だけど、クモの糸みたく細い可能性だけど、彼女が心を取り戻す可能性もないわけじゃないんだよ」

 

「え? そうなんですか?」

 

「私も別れてから考えたんだけどね。ほら、私彼女たちに名前を贈ったじゃない。名前ってね、意識を保つのにとても大事なんだよね。私も狂気に呑まれそうになった時、“フランドール・スカーレット”の名前があったからこそ大丈夫だったわけだし」

 

「名前があることで、永琳さんが夢の世界から抜け出すってことですか?」

 

確かに私も「見習いコックちゃん」の名前を与えられたことで、スカーレット海賊団にいてもいいと、ここが私の居場所なのだと思えました。

「紅美鈴」の名前をフラン様からいただいたときは涙が止まらないほど嬉しかったのは、いまでも思い出せますしね。

 

「可能性はほんとに低いけどね。あとはもしかしたら輝夜の方が心を手に入れるかもしれない」

 

「え……人形がですか?」

 

「私の元いた国には付喪神って信仰があってね。長い間人とともに過ごしたモノには心が宿るの。あれだけ一途な心を永琳から向けられて、自我の形成に重要な名前ももらっている。しかも、妖怪である私から。そのうちほんとに心が芽生えて動き出すかもしれないよ」

 

そんな話をしながら。私とフラン様は月から“青き星”へと帰るのでした。

 

 

 

 

「えーではこれより、ラフテル戦勝記念の宴会を開始しまーす」

 

宴会の始まりの言葉なんてなんていえばいいのやら。

でもそんな適当な私の言葉にも、ノリのいいラフテルのみんなは大きな声で応えてくれた。

 

「じゃあ今日は無礼講で。好きなだけ騒いで良し!」

 

さて、なんでこうなったかといえば。

私とメイリンが月から戻ってきた後、事件の後始末をしようとしたわけだ。

まずは改めて今回の件について月人達から事情聴取。

責任の所在とかははっきりさせておかないとね。

 

月人――ビルカの民は三つの階級に分かれている。

上から順に支配民、一般民、奴隷民だ。

あからさますぎる名前だけど、まぁこれは彼らの言葉ではなく、翻訳魔法で近いニュアンスの言葉に直しているだけ。

 

で、まぁ当然責任は支配民にあるわけだ。

こいつらは各艦の艦長や副艦長をしていた。

生き残った支配民は200人ほど。

その下が一般民。

これは艦の機関部で働いていたり、実際に戦闘員として現地住民をさらったりしていた人たち。

生き残りは1500人ほど。

さらに下が奴隷民。

艦の下働き、雑用といった後方支援的な仕事や、まぁ言葉にできないあれやこれなど。

奴隷ということで前線に駆り出されそうな感じがするけれど、彼らにとっては国の危機(資源不足)を救うために体を張って戦うのは名誉あることで、それは一般民の仕事。

また、奴隷民の中には各地から攫ってきた人も含まれている。

生き残りは2000人。

 

10万人以上で襲ってきて、生き残りはたった4000人弱だ。

生存率4%以下とはなかなか。

生き残った人たちも負傷してたりするわけで、まぁわりと終わってるよね。

ちなみにラフテル側の被害は死亡者0、重傷者4、軽傷者120、建物含め沿岸部の被害軽微。

こぁが体を張って頑張ったおかげと言える。

なお軽傷者の八割は私が狂気を解放したことで、狂気の波動にあてられて昏倒した際に怪我した人たちである。

てへっ。

まぁ央都セントラルの人たちに比べてここ沿岸部は辺境と言えるし、私との交流も少ないから狂気に慣れてなかったんだろう。

なお重軽傷者はすでに全員治療済みだ。

一応月人たちも簡単な治療はしてある。

 

さて正直なところ、私はもうみんな許してもいいんじゃないかなと思っていた。

当初ラフテルを襲われたことで抱いた怒りは大暴れしてだいぶすっきりしちゃったし、攻撃を決定した支配民はともかく、命令に従っただけの一般民と奴隷民の立場については思うことがないわけじゃない。

ここは手を出して来たら一族郎党皆殺しみたいな割と野蛮な世界だけど、戦時国際法を知っている私からすれば、ねぇ。

そんなわけでラフテルのみんなに聞いてみると。

 

『フラン様が決めたことに従いますよ』

『襲われたのは頭に来ましたけど、結果的に特に問題ないですしね』

『むしろフラン様が来てくれて嬉しいっていうか?』

『役得だよなー』

『央都なんて滅多にいけないもんな。行ってもフラン様にお会いする名目もないし』

『どっちにしろ今は航海に出てらっしゃるから央都に行っても会えませんよ?』

『ああ、そっか。でもそうなるとわざわざフラン様の航海を中断させてしまったことに?』

『うむ、不甲斐ないのう……』

『長に掛け合って本格的な防衛計画を立てた方がいいのかもしれんな』

『こぁ様にも迷惑をかけてしまいましたしねぇ』

 

こんな程度の感想だった。

祖国が襲われたことに対してもっと憤っているのかなとも思ったけど、話を聞いてみれば「ラフテルはフラン様の国だからフラン様が怒ってないのに俺たちが憤るのはなんだか」みたいな。

帰属意識が低いわけじゃなくて、主体意識がないというか。

ちょっと心配になるけど、そういえばラフテルの住民って昔からこんな感じだった。

数百年もたってるのに国土を荒そうとするおバカさんが出てこないわけだよね。

敬虔な信徒がエルサレム荒すかっていう。

 

まぁそんなわけでみなも特に異論はないようなので、月人たちの今回の件は、飛行戦艦や各種兵器、物資、96%の人命の損耗をもって不問に処すことに決定。

ただし、不問に処すことと今後ラフテルで受け入れるかどうかは別の話。

こぁに相談したところ、ラフテルで受け入れるのは難しそうだ。

確かに月人たちも敵国の中では心が休まらないだろう。

なにせ彼らにとって私は同胞のことごとくを抹殺した悪魔だ。

私に恐怖して名付けた紅い悪魔(スカーレットデビル)という名前が彼らの中に広がっているのも知っている。

私の放つ狂気に慣れていないせいもあって、近づいただけで顔面蒼白、ガタガタ震え、失禁、悪ければ気絶とどこまでも恐れられている。

そんな私が治める国で生活しろというのもなかなか難しいということ。

 

月に送り返す、というのも考えたけど彼らは資源がなくて侵略戦争まで仕掛けたのに、戦果なしどころか多大な戦争物資と人的資源を失って故郷に帰ったところで生きていけないだろう。

特に人口の96%を失った国がその後もやっていけるのかと言えば、まぁ論ずるまでもない。

そこらの土地に放り出すというのはこぁに反対された。

ラフテルに襲い掛かってきて、何の報いも受けず地上の資源の恩恵にあずかるのは許せないと。

曰く「フラン様の威光をもっとよく知れる環境におきたい」そうだ。

今回の件で一番頑張ったのはこぁだし、最大限その意を酌んであげたいと思っている。

一応考えている案はあって、そのための魔法式を頭の中で構築中だ。

 

そんなこんなで月人達の処遇という問題を後回しにして、とりあえず宴会をやろうというのが今の状況。

すべてが終わったことをアピールし、今後に遺恨を残さないための催しである。

お酒飲んで騒げばだいたい丸く収まる。

あとはまぁ最近ラフテルに帰ってきてなかったから、住人との交流もかねて。

それと、月人たちも参加させている。

いつまでも怯えられてもかなわないしね。

家族や友も大勢亡くしているだろうし、飲むだけ飲んで泣くだけ泣いてすっきりしてくれればいいんだけど。

さ、私も飲もーっと。

 

 

 

 

宴もたけなわ、フランはこぁに絡まれていた。

こぁはフランの眷属である悪魔なため普段は酒に酔うということがないのだが、フランが身体機能の調節の仕方を教え、悪魔の体で初めて酔ったのである。

その結果、こぁは甘え上戸で泣き上戸なことが判明した。

ちなみに傍で飲んでいる美鈴は目が据わり敬語が消えて口調が荒々しくなり、何気に美鈴と初顔合わせで色々としゃべっていたにとりは笑い上戸である。

 

「フラン様ぁ~私いつも頑張ってるんですよぉ~。それなのにフラン様全然帰ってきてくれませんしぃ~」

「うるさい、ガタガタ抜かすな。お前はフラン様の帰る場所を守ってるんだろう。誇りを持て」

「そんなこと言ったって~。メイリンさんはいつもフラン様と一緒にいるじゃないですかぁ~」

「最近はアマゾン・リリーにかかりきりで会ってない。私だって寂しいんだぞ……」

「あっひゃっひゃっひゃー。今フラン様のおそばにいるのは私だもんねー。頼まれたって譲らないさー」

「くっ、この!」

「うぇえええん、フラン様ぁ~にとりがいじめてきますぅ~」

「アハハハハ……」

 

フランは昔、悪酔いして巫女を一人殺している。

そのため自制していて基本的に絡み酒にならないフランは、三人が互いに絡み合うのを苦笑いでみているだけで自身はさほど酔ってはいない。

いい子たちなのは知っているけど、正直今は近づいてほしくないといった表情だ。

そんな混沌とした場に長がやってきた。

今回襲われた沿岸地域一帯を治めている老人である。

 

「や、長。楽しんでる?」

 

「それはもう。ご一緒してもよろしいですかな?」

 

「どうぞどうぞ」

 

できればこの酔っ払いどもをどうにかしてくれ、というフランの目を見て長も苦笑する。

 

「ずいぶんと出来上がっているようですな」

 

「まったくね。こぁは今日はじめて“酔い方”を教えたから仕方ないにしても、メイリンとにとりはサンタマリア号で宴会したこともあるんだけどねぇ」

 

「普段はここまでではないと?」

 

「だね。いつもはもっと静かに飲んでるんだけど。……あー同性の同世代と一緒に呑むのが初めてだからかなぁ……」

 

「ははは。それならば羽目を外してしまうのも致し方ありませんな」

 

「ま、大目に見るよ。――それで、どうしたの?」

 

「いえ、用というほどのものではありません。ただこの機会に一度、皆を代表してお礼を申し上げておきたくてですな」

 

「お礼? いいよ別にそんなの。ラフテルを守るのも私の仕事みたいなものだしさ」

 

「いえ、それでもやはり」

 

「もー堅いって。宴会の場でそういうこと言うのはなし! 私はやりたいようにやってるだけで、義務とかじゃないんだし」

 

「……わかりました。しかし、皆が感謝していることだけは知っておいてください。救ってくれたことも、今ここでこうして宴を催してくれていることも、ですな」

 

「宴も?」

 

「ええ。ここらは中央に比べてフラン様にお会いする機会などありませんからな。かくいう私もこのたびはじめてお目にかかれて、老い先短い身に思い残すこともなくなりました」

 

「そっか。ま、いい気分で往生するのは構わないけど、お酒飲みすぎてぽっくり逝ったりしないでよね?」

 

「ははは、私もそれなりに長く生きてますからな。人生の友との付き合い方は心得ておりますよ」

 

「“酒は人類の友だぞ、友人を見捨てられるか”、ってね。長はいけるクチ?」

 

「酒を飲むのは時間の無駄、飲まないのは人生の無駄。ですな。私の両親が酒造りを営んでいました」

 

「おや、それはいいねぇ。“酒が人をつくり、人が酒を造った”、なーんて。ラフテルで最初にお酒作ったのは吸血鬼の私なんだけどね」

 

「おや、よい言葉ですな。墓前に供えておきましょうか」

 

「好きにしてよ。でもそこで騒いでる彼女たちにはこっちのほうがいいかな。“酒を飲むには特別の才能がいる。それは忍耐だ。忍耐は真実よりも大切なのだ”、ってね。彼女たちももう少し自制ってものを覚えてもらわないとね……」

 

「若いうちの二日酔いはよい経験ですな。この年になると無理はできませんで。――ではフラン様、私はこれで」

 

「ん、じゃあね」

 

「はい」

 

長が立ち去った後、フランのもとには次々と入れ代わり立ち代わりで人がやってきた。

皆フランと言葉を交わしたくも遠慮していたのだが、長が先陣を切ったことで踏ん切りがついたようである。

もちろんそこに酒の魔力による後押しがあることは言うまでもないが。

そして、フランはそのすべてにいやな顔一つせず付き合っていた。

実際、嫌だとか煩わしいだとかは思っていない。

神との謁見なんて堅苦しいものではなく、宴席での世間話か、せいぜい著名人の握手会。

軽い雰囲気だからこそ肩ひじを張らずに接することができるし、ラフテルの住人もそれが分かっているから必要以上に畏まったりはしない。

 

そしてそんなやり取りを月人たちも眺めていた。

彼らは初めて味わう食事やら酒やらにすっかり参ってしまい、当初のピリピリした空気はない。

どうやら月に酒類はないようで、びっくりするほど嵌まっていた。

これからの自分たちの処遇に不安はありつつも、気にしても仕方がないと割り切ったようである。

中でも奴隷民は元の待遇の悪さも手伝ってか、投げやりというかやけっぱちな様子で次々と食事と酒をかっ食らっていた。

 

ラフテルの民と会話をしつつ、フランはそんな月人達の様子も気にかけていた。

彼らの処遇についての腹案は、ある。

理論上は可能なはずで、こぁの要望も満たせる上にラフテルの民のことにも配慮した案だ。

――まぁなんとかなるよね、心配なのは明日あの三人が使い物になるかどうかだけど。

呑みすぎて馬鹿騒ぎに発展している三人娘を苦笑いで眺めつつ、宴会の夜は静かに更けていく。

 

 

 

 

「うう……頭痛い」

 

「耳の裏で鐘がガンガン鳴らされてる……」

 

「あ、だめ、また吐きそおろろろろ」

 

「はぁ……まったくもう」

 

宴会の翌日。

私たちは月人達4000人を含め、転移魔法で遠い土地へとやってきていた。

周囲に人気のない秘境と呼んで差支えない場所で、ラフテルからも遠く離れている。

月人達はこの未開の地に住むことになるのかと途方に暮れた様子であり、三人娘は二日酔いに苦しんでいる。

なお、彼女たちの名誉のために誰がリバースしたのかは明言しないでおく。

 

さて、私は確かにここに月人達を住まわせるつもりだけど、ここにこのままってわけじゃない。

彼らは資源を求めて月からこの星までやってきて、ラフテルを侵略しようとした。

だからまぁ、こぁの思いも酌んでその罰として私は「資源を与えない」ことにした。

さて、どうするか。

答えは、私の背負っている袋の中にある。

これは、サンタマリア号の倉庫から取り出してきたもので、その数ざっと300個。

何を隠そう、賢者の石だ。

 

航海当初は100個ほどしかなかったけど、毎日余った魔力をコツコツためて内職した結果、今ではゆうに数千個以上のストックがある。

今回300個使い切っても痛くもかゆくもない。

ちなみに100個でも魔力暴走すると数十キロ単位で地形が消し飛ぶので、保管は結構厳重にしてある。

 

さてさて、まず用意したのはこの賢者の石。

お次にたき火だね。

月人達にそこらの木を伐採してもらおう。

私がパパッとやってもいいけど、自分たちの住むところを作るわけだから働いてもらわないとね。

グロッキーになってるメイリンにも手伝わせよう。

その間に私は鐘を用意する。

こぁとにとりは私の手伝いだ。

 

「うっぷ。……鐘ですか、フラン様?」

 

「うう……鐘なんて何に使うんです?」

 

……訂正。

役に立たなそうだから横で見てるだけでいいや。

 

「雨乞いをするの。火を焚いて出た煙は雨雲に、鐘の音は雷鳴を象徴するからね。類感呪術ってやつだよ」

 

「へぇ……でも雨乞いなんてしてどうするんですか? メイリンに頼めば雨くらいすぐに降らせられると思うんですけど」

 

「というかフラン様でも簡単にできますよね?」

 

「まぁね。雨乞いの形にすることが大事なの。これもあくまで下準備だからね」

 

ちんぷんかんぷん、といった顔をしている二人を横目に私は鐘を作る。

まぁ、私もここまで大規模な魔術は使ったことないからね。

理論はたぶん大丈夫だと思うんだけど。

さて、鐘はどうしよう。

お寺の鐘の材質は青銅だったと思うけど、今は別に“鐘”っていう象徴があればいいしなぁ。

……うーん、カネかぁ。

いっそのこと連想する“金”で作っちゃうかな。

成金趣味みたいでちょっとどうかとは思うけど、祭具としての性質を重視するならむしろアリかも。

ほいほいっと。

 

「うわぁ、フラン様って金も作れるんですね……」

 

「まぁ私賢者の石作れるしね。錬金術はお手の物だよ」

 

「熱を加えてる様子もないのに造型が自由自在ってどうなってるんですか……」

 

「アハハ。まぁ化学の範疇じゃないね。言っちゃえば原子操作なんだけど、説明するのは難しいなぁ」

 

そんな会話をしながら純金の鐘の造型を試みていると、森で焚き火用の木を切っている月人達が目を丸くしてこっちを見ていた。

まぁ確かに珍しい作業だよね。

するとその森の方から変な音が聞こえてきた。

 

ジョ~~~~ ジョ~~~~

 

なんとも気の抜ける音だ。

複数聞こえるし、なにかの鳴き声?

と、メイリンが手に何かを掴んでこっちに走ってきた。

あれは、鳥?

 

「ふーらんさまー。面白い生き物見つけました!」

 

「その鳥? ジョーって変な鳴き声はもしかしてそれ?」

 

「はい。森の中にいっぱいいましたよ。それでですね、この鳥顔がいつも一定の方向を向いているんです」

 

そういってメイリンは鳥を持ったままその場で回転する。

すると、体はメイリンの手に持たれて回転するのに、顔は常に同じ方向を向いたままだった。

一応360度回転するわけじゃないようで、途中で逆向きに首が回ったけど、それにしたって可動域が広い。

フクロウみたいに270度くらいは回りそう。

確かに面白い生物だ。

首が向いているのは――南?

なんだろう、渡り鳥みたいにコンパス機能でもついてるんだろうか。

この島の固有の鳥なのかな。

せっかくだしこの鐘にも彫り込んでみようっと。

 

「――メイリン、その鳥に名前付けて」

 

「え? 名前ですか?」

 

「そ。なんでもいいよ。こぁとにとりと相談してもいいけど」

 

「いえ、じゃあいつも南を向いているので“サウスバード”で」

 

南鳥(サウスバード)って、また安直な。

まぁ見た目は南国にいそうな鳥だし、いい……のかな?

もともとメイリンのネーミングセンスに期待はしていなかったけども。

 

「よしっ、じゃあできた。“黄金大鐘楼~サウスバードを添えて~”の完成!」

 

なんか作り始めたら興が乗って結構な大作になっちゃったな。

まぁ象徴としての働きは十分かな。

 

「それで、焚き火の準備は出来てる?」

 

「はい、いつでもできますよ」

 

「よし、じゃあ点火。メイリンはこの鐘()いてね」

 

「はぁ。わかりましたけど……」

 

ゴンッ

 

森の方でもくもくと煙があがるのは順調そうだ。

しかし、こっちは問題だった。

うーん、そうか。

見た目は結構こだわったけど、音のことまで考えてなかった。

ゴンッという鈍い音がして全然響かない。

音はまぁ今回の場合、雷鳴のような割れ鐘の音よりも、遠くまで響く性質が重要になるから魔法でちょちょいっと。

 

「メイリン、もう一回鳴らしてみて」

 

「はい。よいしょっと」

 

カラァーーーン カラァーーーン

 

「わぁ、きれいな音ですね」

 

「ふふん。さてと、これで準備は整ったかな」

 

雨乞いの儀式を模して、それを触媒に行使する大規模魔術。

作り出すのは雲。

もちろんただの雨雲じゃない。

子供のころに夢見たような、“乗れる雲”を作り出すのだ。

 

そう、私は空に雲の国を作り出す!

 

 

 





戦時国際法
戦争においてどんな軍隊でも守らなければならない義務を記した国際法。
投降者を含む非戦闘員への攻撃を禁止するなど。

紅い悪魔
フランの姉、レミリア・スカーレットの異名。
吸血鬼だけど飲みきれなくてこぼした血液が服を真っ赤に染めるからとか。
本作にレミリアは出ないのでこの異名はフランのものに。

宴もたけなわ
漢字で書くと「宴も酣」。
酣は物事の一番の盛り上がりのこと。

酒は人類の友だぞ、友人を見捨てられるか
銀河英雄伝説のヤン・ウェンリーの言葉。
ブランデーたっぷりの紅茶が大好きでコーヒーのことを「下品な泥水」と称する人なのでここのフランちゃんと話が合いそう。

酒が人をつくり、人が酒を造った
フランスの小説家、ヴィクトル=マリー・ユーゴーの言葉。
「レ・ミゼラブル」(邦題は『(ああ)無情』)の著者。
出版社との手紙のやり取り(「?」⇆「!」)は世界で最短の手紙として有名。

酒を飲むには特別の才能がいる。それは忍耐だ。忍耐は真実よりも大切なのだ。
アメリカの映画「バーフライ」から。

サウスバードと黄金の鐘
原作の黄金の鐘はサウスバードがたくさん彫られています。
よく見るとそのうちの一つは欠けていて、モンブラン・クリケットが海の底から発見した黄金のサウスバードは鐘の一部なことが分かります。
いままで気づいてなかったんですが、小説書くにあたって読み返していてこういう細かいことに気が付くのは楽しいです。



月編、今話で終わりませんでした。
書きたいことが多すぎて結構削ったんですが収まらず。
次はちょっと早めに投稿できそうかな?


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

雲上の国と雲下の国

前回のまとめ

・宴でどんちゃん騒ぎ
・二日酔いの人多数
・お空に雲の国をつくる



 

「おお、これは結構壮観……」

 

自分で作った光景ながら、これは深海の陽樹イブに勝るとも劣らない。

一面に広がる真っ白な雲の絨毯。

ここは高度一万メートルの蒼空の果て。

そこに私は魔法で巨大な雲海を作り上げた。

 

「うわぁ、うわぁ……流石フラン様です!」

 

「これは凄い……雲とはいえ、私の力じゃ及びもつかないですね」

 

「うう……本格的に魔法を学びたくなってきたよう……」

 

こぁ、メイリン、にとりの三人も随分驚いてくれていて気分がいい。

私の力をよくわかっていなかったであろう月人達に至っては目を見開いて絶句している。

 

私は魔法で雲を作った後、皆を魔法で移動させた。

今回は転移魔法ではなく、どれほど上空なのかを体感させるために浮遊魔法を使った。

もちろん、高山病にならないようにそこらへんも気遣ってある。

 

さてこの雲、通常の雲とは異なり、特殊な性質をもつ。

それは、触れるということ。

普通の雲は水蒸気の集合体だから手で触れることはできないけど、私が作り出した雲は絵本の世界のように触れるし上に乗ることだってできる。

ああ、ジャックと豆の木でも連想してくれればいいかもしれない。

 

まぁこれで分かったと思うけど、私はこの雲の上に町を作る。

そこに月人達を住まわせるつもりだ。

さぁ、ここからは工作の時間だ。

 

「さ、みんな頑張ってね。こぁとメイリンにも働いてもらうよ」

 

こぁは簡単な魔法が使えるので私の代わりに雲の加工を、メイリンは悪魔の実の力で気象、つまりは雲を操る力があるのできっと役に立つだろう。

にとりには都市計画でも任せようかな。

 

「にとり、簡単でいいから町のつくりを考えて。現場の指揮権は任せたから」

 

「え、は、はい。……って、ええっ!?」

 

「ほんと簡単でいいよ。ここに住むのは月人達の中でも一般民だけだから」

 

私の言葉に月人達、特に一般民の体が硬直した。

確かにこんな高度の孤立した、しかも雲の上なんて言う得体のしれない場所で暮らしていくことを告げられたら硬直もするか。

まぁラフテルを襲った罰だね。

 

硬直した一般民とは対照的に支配民はほっとしている。

また、奴隷民は不安そうだ。

彼らが抱いている気持ちも手に取るようにわかるね。

支配民は一般民より上の身分の自分たちがこんなところで暮らさせられることを考えていない。

罰として働かされることはあれども、少なくとも一般民よりはいい暮らしができると思っているのだろう。

奴隷民は普段から自分たちの扱いは一般民より下の存在だ。

従って、ここよりさらに過酷な場所で暮らすことを強いられるのでは、と考えているのだろう。

 

まぁ、甘い。

国際社会は戦争を扇動した者に重い罰を与えるのだ。

戦時国際法的思考で投降者を受け入れた以上、今後の扱いもそれに準じるつもりの私からすれば、彼らの思考は的外れと言わざるを得ない。

いわゆるA級戦犯というやつ。

 

「それじゃ、みんな頑張ってね」

 

「え、あれ? フラン様はどうするんですか?」

 

「私はちょっと月まで行ってくるよ。色々とってこなきゃならないから」

 

そう告げて私は月まで移動する。

今度はらくちんな転移魔法でひとっとびだ。

一度行った際に位置情報を記憶してあるので今度はピンポイントで月まで飛べる。

このあとも色々とやることがあるから急ピッチで進めないとね。

 

まずは月に棲息している生物をある程度捕獲する。

ビルカの町中は人っ子一人いないけど、町の外に出るとちらほらと生命反応がある。

人間ではなく月に棲息する生物たちだ。

驚いたことに変な斑点のある馬とかもいたけれど、ここの月は空気もあるし重力もさほど変わらないので、馬がいたところで驚くことではないのかもしれない。

集めるのは主に貝だ。

貝は彼らの生活の根幹を為す生物で、これをある程度用意してやらないと月人達は生きていけないだろう。

どうせ月には永琳しか住んでいないのだし、彼女は食事なども含め外界を必要としていない。

 

というわけで私は月から生物を絶滅させる勢いで乱獲を開始した。

確かに絶滅寸前という触れ込みは正しいらしく、そこまでしても貝の数はさほど集まらなかった。

もともと月にすむ生物の絶対数が少ないというのもあるのだろう。

第一この月のサイズも小さいし。

 

半日ほどで作業を終えて、私は雲の上に帰還した。

 

 

「おー結構できてきたね。思ったより作業が進んでる」

 

「あ、フラン様、おかえりなさい。こんな感じで大丈夫でした?」

 

「ん、いい感じ。こんなものでいいよ」

 

見た様子は雲の上の村。

んー、牧歌的というか幻想的というか、いい雰囲気だ。

実態は使える資源を制限した、空の牢獄なわけだけど。

ここには一般民を住まわせる。

まぁ飢えない程度の暮らしはさせてあげよう。

 

さて、お次は支配民だ。

こちらも同じように雲で陸地を作り出す。

場所は一般民の暮らす場所――空島とでも名付けようか――から南の方に離れた場所。

互いに行き来できない程度の距離を離す。

大きさは空島よりもかなり小さく、かつ与える資源も少なくする。

これは支配民が一般民より人数が少ないということもあるけれど、もちろん与える罰を重くするという意味も含んでいる。

 

支配民用の雲の陸地を作り上げた後、一般民を空島に残して支配民と奴隷民を連れて転移する。

そして、ここが支配民の住む場所だと告げた。

で、当然反発するよね。

あれだけ恐れてた私によくもまぁ反抗する気概が残ってるなとは少し感心した。

反抗と言っても、口で言うだけだし、面と向かってじゃなくて陰口みたいなものだったけど。

 

そこで私は適当に「支配民は一般民より優れているから彼らにはやってあげた家づくりなども行わない、自分たちでやれ。それはお前たちが一般民の力を借りずとも自分たちだけの力でできると思っているからだ」「お前たちが月の都市ビルカの生き残りであることを示すためにこの島にはビルカと名づけることを許す、一般民の暮らす空島の方にはビルカとは名乗らせない」などといった聞こえのいいことを言って言いくるめた。

彼らもしばらくすれば自分たちの置かれた状況の過酷さに気が付くだろうし、いい気分なのは最初だけだね。

言っちゃえばこれ、隔離政策だ。

いままで手足のように扱ってきた一般民と奴隷民がいなくなった時、彼ら支配民はどういう行動に出るのだろうか。

支配民の中でまたさらに序列ができるのか、それとも支配民同士手を取り合って助け合っていくのか。

ちょっと興味を感じるところではある。

 

 

そして、最後に奴隷民だ。

支配民を空島“ビルカ”に残して、私とこぁ、メイリン、にとり、奴隷民の皆を地上に転移させる。

地上というのは、空島を作った場所の直下にある大陸のこと。

そう、奴隷民に関しては雲の上ではなく地上に住まわせてあげようと思っている。

支配民が指導者、一般民が兵士だと考えるならば、自由意思もなく働かされていた奴隷民はさしずめ兵器といったところだろうか。

戦争を仕掛けてきた月の民には罰を与えるけど、さすがにモノにまで罪を問おうとは思わない。

 

あとは、メイリンに配慮した面もある。

私個人としては、基本的人権が認められていた前世の世界ならともかく、「力こそがすべて!」な感じのこの世界では奴隷文化もまぁありっちゃありだろうと思う。

第一、前世の世界でも中近世までは普通に文化の発展を支えてきた制度だったしね。

でもまぁ奴隷よりもひどい扱いを受けていたメイリンが彼らをどう思うかはわからない。

ただ、いい気分はしないだろうと思ったのでこういう風にした次第だ。

 

私は奴隷民たちに「支配民と一般民は空の上に隔離した」「あなたたちは奴隷から解放された」といった旨を伝えたけど、どうも彼らはよくわかっていないようだった。

そういえばメイリンも最初は奴隷気分が抜けずに散々だったっけ。

ちらと見てみるとメイリンも苦笑いをしていたので、多分当時のことを思い出しているのだろう。

 

私は彼らの二つの選択肢を提示した。

一つは、月へと帰ること。

私の転移魔法で月まで飛ばしてあげようと思う。

しかし、月に帰ったところで資源も何もないので暮らしていくことは不可能だろう。

これは主に故郷に思い入れのある人たちに、墓場を選ばせる程度の選択肢だ。

もう一つはこの土地で暮らすこと。

近くに森と海がある暮らしやすい土地だし、資源も普通にある。

月の文化であった(ダイアル)については個体数が足りなかったため、地上で運用することは難しいだろうけど、ラフテルから支援を受ければそれなりに暮らしていけるようにはなるだろう。

 

奴隷民たちは全員で今後のことについて話し合い、結果として、奴隷民たちはその大部分が地上で生きていくことを選択した。

しかし、ラフテルからの支援は断り、彼らだけの力で生きていくとも。

たくましいな、と思ったけどこれ以上私の力に頼りたくないだけらしい。

私を願いの代償に魂を奪っていく悪魔だとでも思っているのだろうか。

……あ、いや、悪魔、それも悪魔の王たる吸血鬼だった。

しかも眷属の純正悪魔たるこぁも傍にいるし。

 

彼らの一部には月へ帰ることを選択した者もいた。

五名だけだけど、彼らは月へと残してきたロボットたちを休ませたいそうだ。

私が月に行った時に見た子供のようなロボットは月での労働力として一般的に使われていたもので、彼ら奴隷民にとっては友人のようなものだったらしい。

永琳が人形である輝夜をあそこまで大事に扱っていたのには、こういった月の文化も影響していたのかもしれない。

 

月へと帰る者たちは友人だったロボットたちを弔い、そこに骨をうずめるそうだ。

私は彼らの選択を尊重する。

無意味な死にしか見えなくても、その価値はきっと彼らだけが知っている。

そうそう、彼らに私のことを書いていいかと尋ねられた。

何を言っているのかわからなかったけど、どうやら死ぬ前に月に壁画を残したいそうだ。

繁栄した月の都市ビルカの“青き星”への侵略と、神の怒りによる滅亡。

それらを壁画に残して、ビルカの供養としたいらしい。

ほろんだ故郷にささげる鎮魂歌(レクイエム)、ささやかな捧げものとしてならばと、私は快く許可して彼らを月へと送った。

 

さて、残された地上の奴隷民たち、彼らはこの土地をジャヤと名付け、暮らし始めた。

また、彼ら自身のことは奴隷民ではなく、シャンディアと、そしてまだ国とまではいえないけど彼らの集団としての名前をシャンドラとして定めた。

彼らは私が空に行く前に作ったあの巨大な黄金の鐘を国のシンボルとして尊重し、定期的に鳴らすことにしたそうだ。

まぁそこらへんは自由にしてくれたらいい。

 

数日面倒を見て、大丈夫そうなので私はこぁとにとりを連れてラフテルに戻った。

メイリンは奴隷だった彼らのことをちょっと気にかけてたみたいで、少しだけ残って手助けをするらしい。

またやり過ぎてアマゾン・リリーみたいに国のシンボルが蛇になったりしなければいいけど。

 

 

これで月の民関係のことはおおむね片付いたといえるだろう。

ちゃんとこぁの要望通りにしたし、彼女も満足そうだ。

というか「ああ、フラン様のお力をこんな間近でたくさん目にすることができるなんて……」みたいなことを口走りながら恍惚の表情だったのでちょっと引いたけど。

なんにせよ、一件落着。

だけどもうしばらくは航海を再開しないで、ラフテルにいようかな。

ラフテルの普段いかない土地なんかもちょっと巡ってみよう。

今回の件でもう少し歩み寄ってもいいかなと思わされたし。

 






A級戦犯
A級B級C級は罪の重さを表しているわけではなく、罪の種類を示すものです。
A級は「平和に対する罪」で、戦争指導者を裁くもの。

ジャヤ
インドネシア語で「勝利、栄光」を意味する。
マレーシアなどの土地の名前によくついている。

シャンドラ関係の言葉
シャンドラはたぶん仏教王国シャンバラから。
聞き覚えのある言い方に直すとシャングリラですね。
また、「シャンドラの灯をともせ!」のセリフから連想される「candle(ろうそく)」「chandelier(シャンデリア)」の語源は「Chandra(チャンドラ)」で、サンスクリット語で「月」を意味します。
「Chandra(チャンドラ)」は読みもシャンドラに読めそうです。
本作での空島・シャンドラの住人たちが月の民の末裔としているのはここらへんからもネタにしてます。
原作でもビルカの名前が月の都市と空島の名前で共通だったりと関係はありそうなんですが。

国のシンボルが蛇
もちろん原作でのカシ神様のこと。


これで月編終わりです。
前回で収まりきらなかった部分のため今話は少し短め。
次回は幕間回で、にとりの話を予定。
8割方書きあがっているので早めに投稿します。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

にとりの懇願と石の話

前回のまとめ

・空島、ビルカ、ジャヤを作る
・シャンドラの民誕生



 

 

さて、悩ましい。

何が悩ましいかと言えば、「お願いします、フラン様!」と目の前で頭を下げているにとりだ。

 

にとりは月からの襲撃があってからのここ数年、目覚ましい活躍をした。

まず、私が沈めた飛行戦艦をサルベージし、研究の結果ついにはその仕組み等を解明した。

同じく私が爆破した衛星兵器のかけらも、わざわざ私と一緒に月まで行って拾い集め、研究。

飛行戦艦と衛星兵器はそれぞれを星になぞらえ、天に座す衛星兵器を天王星(ウラヌス)、死を運ぶ戦艦を冥王星(プルート)と名付け、(ダイアル)抜きでも作れる設計図さえ書き上げてしまった。

 

私を害することのできる、つまりはこの世界のあらゆる生物に対して有効といえる可能性のある兵器を解明することは対策をとるという点で非常に重要だし、その技術を応用してラフテルの防備を強固にしたこともまた大変な功績。

 

加えてプルートの防御に使われていた謎の石の研究、私の戦闘の余波で発生したらしい海の石の研究、月の民から持ち込まれた貝や電伝虫の研究、とにとりは休む暇もなく働いた。

あまりにも楽しそうに頑張るので私のお世話係の任を解いたほどだ。

ラフテルにも学者は数多くあれども、誰もがあらゆる方面でにとりに一歩劣る。

彼女はまだ十代の後半だというのにこの数年であらゆることに関しての権威になりつつある。

真の天才っているものなんだねぇ。

 

ただまぁ、私としてはにとりがいくら研究を楽しもうと、その成果をラフテルに広める気はない。

幻想(わたし)を駆逐する科学文明の台頭だけは許しておけない。

唯一島の防備のためにだけはその技術を使うことを許したけど、それに関してもさらなる研究は私の名で禁じた。

研究者たちは異議も立てずに従ってくれたので、こういうときはラフテルの住民の行き過ぎた忠誠心もありがたい。

 

ただし、いままでの功績までなかったことにはしない。

にとりには研究の成果に対する褒賞と、それを広めさせてあげられないことへの謝罪を込めて、なにか贈るつもりだった。

それで何か欲しいもの、して欲しいことがないかと尋ねたのだけど……。

 

 

「というわけでにとり、何か欲しい物とかある?」

 

「欲しいものですか……」

 

「して欲しいことでもいいよ。私にできることなら何でもするよ。そのくらいはにとりの頑張りを認めてるんだから」

 

「えっ今何でもするって」

 

「……あー、にとりのことは信用してるけど、こぁみたいなことを言い出したら流石に怒るからね」

 

こぁにもラフテル防衛の功でご褒美をあげようとしたんだけど、「ん? 今何でもするって言いました!? はぁはぁ、でしたら私はフラン様の処女を――」とか言いながら血走った目で迫ってきたので、割と本気で殴ったことは記憶にも新しい。

早く忘れたい。

 

「ええと……うーん、こぁさんと同じになっちゃいそうなんですけど……」

 

「えぇー」

 

にとりって私への狂信よりも研究に向ける熱の方が強くて割とフレンドリー、慕ってくれてるベクトルもラブよりライクの方だと思ってたんだけど。

ミズミズの実で濡れ濡れにされてしまうのだろうか。

 

「あの、私もこぁさんみたいにフラン様の眷属にして欲しいんです」

 

「ああ、そっちか。よかったよかった。……え、眷属ってなんで?」

 

「私、もっといろいろなことを学びたくて。船を学ぶだけでも10年かかりました。それなのにあの月の技術! 研究もどうにか一区切りはつきましたけど、まだまだやれることは残ってます。それ以外にもたくさんやりたいことが……どう考えても時間が足りなくて」

 

時間かぁ。

うーん、周囲に私やこぁみたいなのがいたら、人外化に忌避感もないか。

私としてはつい先日(数年前)に永琳と出会ったことで、人間の寿命を延ばすことについては敏感になっちゃってるんだけど。

それに、ルミャの例もある。

 

 

とまぁそんな感じで悩んでいたところ、にとりに「お願いします、フラン様!」頭を下げられていた次第だった。

 

……ま、いいか。

お気楽なにとりならたぶん大丈夫だろう。

内向的で心に闇を抱えていたルミャでも、すぐに心を壊すほどじゃなかった。

彼女は伴侶(マロン)との死を選んだけど、にとりはどうなるんだろう。

 

「んじゃ長い寿命が欲しいだけで、身体能力とかは特にいらないの?」

 

「そうですね、力があれば研究中の力仕事は楽になりそうですけど……って、え!? いいんですか?」

 

「いいんじゃない?」

 

まー、私も変わったということだろう。

ルミャが死んだばかりのころなら絶対に首を縦には振らなかった。

時間が心を癒したのかもしれない。

 

それに、最近は昔に比べて慎重さや臆病さがなくなってきている気がする。

為せば成る、というか案ずるより産むが易し、というか。

無鉄砲というよりは享楽的、刹那的な思考になっている。

これを“私”の退化ととるべきか、吸血鬼としての精神が成熟していると取るべきかは意見が分かれるところだけど、私はこれが自然なことなのだろうと思っている。

永い時を生きる吸血鬼(ようかい)は毎日を深く思い悩んで生きるのではなく、後先考えずにやりたいことを誰憚らずやる、というその精神こそが重要で。

それを押し通せる力を持つからこそ、吸血鬼(ようかい)は畏れられるのだろう。

 

だから、にとりの寿命を延ばすのも、私がやりたいからやるんだ。

にとりの為人(ひととなり)が好ましいから、やるだけ。

ただし眷属化はしない。

眷属は私の一部になって個としての違いがなくなってしまう。

かつて居たココアという少女が死に、こぁという悪魔が誕生したように。

こぁと会話をしていても独り言を話しているような錯覚に陥ることがあるし、彼女に迫られて拒否したのも、それがどう考えても自慰の延長線上にしか思えなかったからだ。

私は彼女を好きだけれど、それは私が(フラン)を好きだからこそ。

この“魂が近しい”というのは前世の感覚じゃ説明がつかない極めてスピリチュアルなものだね。

 

だからこそにとりには眷属化を行わず、ルミャに施したのと同じ吸血鬼の因子を与える。

ルミャは夜を統べる吸血鬼の特性たる“闇”に適性があったから身体能力とかもマロンを超えるほどに大幅に上昇したけれど、にとりはむしろ吸血鬼の性質とは反発する弱点の流水、“水”の性質をもつから、それこそせいぜい寿命と健康くらいにしか影響しないだろう。

 

まぁ長々と考えたけど、つまるところは、なるようになーれ、だ。

 

 

 

 

さて、私のロイヤルフレアを防ぎ、全力ではないとはいえレーヴァテインすら防ぎ切ったあの謎の石。

そう、今となっては飛行戦艦プルートと名付けられたあの月の船に搭載されていた防護壁に使われていた石である。

あの石については戦闘終了後に船ごとサルベージし、ラフテルで研究が進められていた。

もちろん主体となったのはにとりだけど、あの石に関しては私もかなり興味があったので本腰を入れて手伝った。

 

その結果分かったことは、あの石は絶対に傷つかない、ということだった。

私が全力で殴った衝撃、できる限り鋭利にした魔力刃による斬撃、そのほかにも数万度まで熱してみたり、人間が触れば一瞬で骨まで溶けるような腐蝕液をかけたり、色々してみたけどそのすべてに対して石は無傷だった。

なるほど、これならロイヤルフレアを防ぐだろうし、レーヴァテインも効かないだろう。

物理的な耐性以外にも魔力と妖力にすら耐性を持っているというのだから驚きだ。

『ありとあらゆるものを破壊する程度の能力』でも“目”が見えなかったしこの物質を破壊することは無理そうだ。

 

また、月の民に聞いたところこの石は月でとれたものだという。

彼らもこの石の破壊方法には至らなかったようだけれど、表面をわずかに傷つける技術を持っていた。

彼らの呼び名では、この石は“歴史の本文(ポーネグリフ)”というらしい。

グリフは絵文字とか象形文字って意味だからちょっと連想するものがあったけど、ポーネの意味が分からないし偶然音が似ただけかな。

名前の由来は、彼らの先祖がこの石を歴史書のように扱ったことかららしい。

月には300年に及ぶ月の民の発展の歴史がこの石に刻まれているそうだ。

 

ただし、資源不足で先行きが見えなくなってしまった月の民は、この石を歴史書代わりではなくもっと有用に役立てようということで戦艦プルートの絶対不壊の防護壁に流用した。

月で産出した分にも限りがあり、月で歴史書として使用されていなかった石塊は約30個。

すべての戦艦を覆うには至らず、プルートの防護壁として使っただけで30個すべてを使い切ってしまったらしい。

 

さて、この石が重要か、といわれると微妙なところだ。

絶対に壊れないという特性はともかく、歴史書代わりに用いる碑文としての価値は極めて低いといっていいだろう。

 

例えば7,8世紀ごろ、飛鳥時代から奈良時代に作られた『万葉集』はちゃんと後世に伝わったけれど、10世紀の半ば、平安時代の中期にはすでに『万葉集』の文字は読めなくなっていたそうだ。

他にも、15,6世紀あたりのヴォイニッチ手稿なんかは有名だろう。

もっと古い話をすれば、約4000年前、紀元前2000年ごろに使われていた線文字Aなんかもいまだに解読されていない。

 

文字を後世に伝えることはそう難しいことではないけれど、それを解読できるかどうかはまた別の問題。

賈湖契刻文字なんかの原文字に限れば紀元前7000年前のものだって現代に伝わっているのだ。

200年、300年ですぐに失伝してしまう文字を残すだけのものにそう大層な価値は認めにくい。

それよりもむしろ月の民がそうしたように、決して壊れないという特性を利用した方が賢いのは確かだと思う。

 

仮に地上が全面戦争で文化がすべて散逸してしまうような事態になってしまうのだとしたら、古代の文字を必ず残すという文化的な役割も持てるかもしれないけど、地上が全面戦争とか私がいる限りはありえないし。

つまるところ、碑文としてはちょっと頑丈な石、とさほど価値が変わらないといえる。

 

……ただまぁ、これは科学技術と同様に封印するべきかな。

絶対に壊れないというその性質だけでも厄介だ。

壊れないということは加工ができないということだけれど、表面を削る技術がある以上、長い長い時間をかければそのすべてを削りきることも不可能ではないかもしれないし。

 

とりあえずこの30個はラフテルで保管しておくことにしよう。

ああ、そういえばジャヤにいるシャンディアたちが一つだけ欲しいって言ってたな。

なんでも、月の民がどうして“青き星”にやってきたのか、なぜ地上と雲の上とに別れて暮らすようになったのか、などといったことを歴史の本文(ポーネグリフ)に記しておきたいらしい。

確かに彼らにとっては月の文明が滅び、地上で生きていくことになったのだから、その運命の顛末を記したいという気持ちは分からなくもない。

まぁ一つならそう悪用もできないだろうし、と許可した。

 

 

 

 

さて、ここ最近歴史の本文(ポーネグリフ)と同じく、私が調べていたものがある。

それが、海の石。

これは私の戦闘の余波で発生した石らしく、それまではまったく観測されていなかった全く未知の鉱物だった。

最初はにとりが調べていたんだけど、なんでもこの石に触れると急に力が抜けてしまって、思うように研究が捗らなかったらしい。

 

そこで私が調べてみたところ、この石は海水が私の妖力を過剰に取り込み、凝固した物体であることが判明した。

戦闘中にレーヴァテインを海面に叩きつけて、海水が一瞬で蒸発……みたいな場面があったんだろう。

正直結構ハイになっていたので戦闘の詳細は覚えていないんだけど。

 

で、この海の石だけど面白い性質があった。

それが、悪魔の実の能力者を弱らせる、というもの。

もともと悪魔の実を食べた人間は水に浸かると力が抜ける、泳げない体質になることは知られていたけど、特に海水に弱いという話は聞かない。

つまり仮にこの石が「海水が凝固してほとんど鉱物と化している状態でも海の性質を残している」、のだとしてもいまいち腑に落ちない。

この謎を解くため私は、そもそもなぜ海水が悪魔の実の力を抑制するのか、悪魔の実とは何なのか、といったことを改めて調べてみることにした。

 

思えば私はなんでこんな面白そうなものをいままでちゃんと調べていなかったんだろう。

……ああ、そういえば初めて悪魔の実が発見されたのは、身の回りのすべてに飽きが来ていたころだったっけ。

それで、その鬱屈した感じを取り払うために鮮血の(スカーレット)海賊団として航海に出たんだった。

タイミングが悪かったのかな。

 

私はまず、悪魔の実について基本的なことから調べなおした。

 

まず、悪魔の実とは食べると不思議な能力が身に付く果物である。

手に入る力は大別して三つ。

一つは体の原形すらとどめずに自然物そのものに変化するもの。

一つは体の原形はとどめつつその性質が変化するもの。

一つは動物など他の生物に変化するもの。

それぞれを自然系(ロギア)超人系(パラミシア)動物系(ゾオン)と呼ぶ。

 

近しいところではにとりの食べたのは自然系ミズミズの実、メイリンの食べた悪魔の実は動物系幻獣種リュウリュウの実など。

そういえばメイリンはなぜか最近「リュウリュウの実じゃなくてドラドラの実です!」と主張しはじめた。

名前は本人か周囲がフィーリングで勝手に決めてるようなものだから、別に何でもいいっちゃいいんだけどさ。

個人的にはリュウといえば東洋のヘビ型の龍、ドラゴンといえば西洋のトカゲ型の竜、をイメージしちゃうんだよね。

 

おっと話が反れた。

 

で、悪魔の実はその力の代償として泳げなくなる。

正確には、水に浸かると力が抜けて、能力も解除される、という感じかな。

実はこれ、海水だけじゃなく淡水でも効果がある。

要は、水が溜まっている場所、がダメなようだ。

だから海でも、湖でも、池でも、お風呂でも効果がある。

逆に流水なんかは大丈夫なので雨の中を行動できるし、シャワーも浴びられる。

流水に弱くて、逆に動かない水なら問題がない吸血鬼(わたし)とは正反対の性質だね。

……ん?

 

あと、実自体については、今のところよくわかっていないらしい。

まず生えている場所はまちまちで、そもそもあらゆる樹木の果実に寄生するように実がなるので、“悪魔の木”、というものはない。

一つとして同じ模様、形、色の果実は存在せず、能力もまた同じものはないという。

ただし、能力の保持者が死ぬと同じ能力を持つ悪魔の実が再びどこかに現れるそうだ。

実はラフテルの全域に発見報告があるけど、その場所も偏りが見られ、中心部に多く砂漠地帯などの辺境には少ない。

ただし、辺境の中でも私がこの世界に来た時に過ごした洞窟のある地域は非常に発見報告が多く、例の洞窟の前に群生すらしているらしい。

ラフテルの外では主にラフテルの民の故郷である“古の地”に多く見られる。

それ以外の場所だとほとんど見つけられなかった。

鮮血の(スカーレット)海賊団での航海中もまったく見なかったし。

ああでも、帰りに同じルートを通った時にはいくつか見つけたんだっけ。

……あれ?

 

性質についてはどうだろう。

味については誰しもが口をそろえてクソ不味いという。

また、溜まり水に弱くなる以外は寿命に変化などのデメリットはないけど、二つ以上実を食べると体が爆散するらしい。

他には、悪魔の実の能力は覇気で抑えることができるのも特徴かな。

例えば、ロギアの相手に対して覇気をまとって攻撃すると、実体化させることができたりとか。

これは妖力でも同じことができる。

そもそも妖力と覇気は大本が同じような力で、使うのが妖怪(わたし)か人間かっていうので違いが出ている。

過去の積み重ねか、今を生きる生命力か、だ。

……同じような力? あれ?

 

いやいや、ちょっとアレな想像しちゃったけどまだ決まったわけじゃない。

まだもう少し調べなきゃ。

 

――悪魔の実の多く発見された場所はどこも私が行ったことのある場所だった。

逆に私が行ったことのない場所からは見つかっていない。

そもそも私が一年間過ごしていた洞窟の前に群生しているという時点でかなり確信的ではあったんだけど。

これはつまり、悪魔の実とは。

 

一縷の望みをかけて、悪魔の実の実物を手に入れてきた。

それは、妖力を持っていた。

 

確定だ。

悪魔の実は、私が作り出している。

正確には、私から漏れ出ている妖力を摂取した果実が悪魔の実に変質している。

 

……そうか、だから妖力で悪魔の実の能力が抑えられるのか。

元が同じ力なら、純粋な妖力の方が格として高い。

なんてこった、悪魔の実のネーミングは悪魔(わたし)のようになれるから、だったけど。

まさか本当に、そうだったなんて。

 

ああ、そっか、これで海の石の謎も解けた。

海の石が能力者を抑制するのは、それが“海”の性質を持っているからじゃなくて、単純に高い妖力を有しているからだ。

無意識に漏れ出た妖力を吸って変異した悪魔の実と違い、海の石はレーヴァテインを構成する高密度の妖力を過剰に摂取して凝固したものだ。

格としては悪魔の実よりもかなり上、ほぼ絶対的に能力を抑え込むレベルで純度が違う。

 

……あれ?

いやいやいや、ちょっとまって。

それじゃあ妖力と覇気が似てるってまさか。

 

妖力を過剰吸収した海水が海の石になり、同じく果実が悪魔の実になり。

ならば、妖力の影響を受けた人間は?

 

思い返せば私が初めてこの世界で出会った人たち、古の地に住んでいた土の民たちは普通の人間と何も変わらなかった。

しかし、時がたつにつれ、彼らは強靭に成長していった。

私はそれを、文明の発展がもたらす栄養状態の改善とかだと思っていたけれど。

さらに時がたつと、前世の人間と比べればかなりの身体能力を発現する人が出始めた。

クルーの選考会を開いた頃くらいになれば、古の地の魔獣を簡単に討伐できる程度には強くなっていた。

ああ、往年のマロンなんかは空気を蹴ることで疑似的な空中歩行すらできるまでの身体能力を手に入れていた。

そして、覇気。

明らかに人間の技能を超えた力。

 

……そうか、この世界の人たちが、人間を超えた力を有しているのは、ここが漫画の世界だからじゃなくて、――私がいたから、か。

 

私は、知らず知らずのうちに、彼らを人あらざるものに――。

 

……私は、そこにただ存在するだけで、周囲に影響を与えてしまう。

ああ、そうだ。

妖怪(わたし)は一人では生きられない。

周囲に認知され、畏れられて、初めてその存在が確固たるものになる。

だから、これは、仕方のないことなんだって。

頭では、分かっているけれど……。

 

 

それでも、私は……。

 

 

 






万能のにとり
頼んだらとりあえず何でもやってくれる。
実は転生者だといわれてもフランが信じるくらい一人だけ未来に生きている。
原作でも東方の江戸時代~明治時代くらいの環境で、小型の光学迷彩装置を簡単に実用化しちゃっている。

歴史の本文(ポーネグリフ)
グリフは作中でフランが連想したように英語では絵文字や象形文字といった意味だが、ギリシャ語では glýphō(グリフォ):彫る を意味する。
また、同じくギリシャ語でポーネは pone(ポーネ):声 を意味するので、ポーネグリフは声を彫ったもの、声の碑文といった意味になるだろうか。
ロジャーはポーネグリフの文字を読めなかったそうだが、万物の声を聞けたという。
妄想が捗る。

ヴォイニッチ手稿
イタリアで発見された作者不明、題も不明な古文書。
ウィルフリッド・ヴォイニッチが発見したためヴォイニッチ手稿と呼ぶ。
謎の絵が多数書いてありロマンあふれる一品。
クトゥルフ神話におけるネクロノミコンの写本であるとする創作などでも登場する。

線文字A
紀元前18~15世紀あたりにクレタ島で使われていた文字。
同時期に発掘されたヒエログリフと線文字Bは解読されているが、Aだけまだ未解読状態。
なお、ヒエログリフは上記と同じく ヒエロス:聖なる グリフォ:彫る を意味する。

原文字
文字の祖先のような記号のこと。
中には文章のような体裁を整えているものもあり、どこまでが原文字でどこからが文字なのかは曖昧。

妖力による変質
悪魔の実や海楼石、ワンピ世界の人間が強靭なことについて。
フランちゃんがシリアスな感じで思い悩んでいるのは次章への伏線です。


次章、フランちゃん家出編

あ、次話はまだ閑話です。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

不老不死の盟友と新たな時代の幕開け

前回のまとめ

・にとり長寿命化
・歴史の本文
・海の石




 

 

「にとりっ、にとりはいるっ!?」

 

「うん? いるよー。どうしたの盟友(めいゆー)

 

ある日のこと。

メイリンさんが騒々しく我が家を訪ねてきた。

 

メイリンさんはクルーの中でも古参で、ほぼ初期から航海に参加している人だ。

加えて実力も高くて見た目も10代後半に見えるほど若々しく、その人気は実はラフテルに彼女のファンクラブがあるほど(なおメイリンさんはその存在を知らない)。

 

私も最初は気おくれしたけど、話してみるととてもフランクな人で、敬語も使わないでと言われた。

ただ、敬語はともかく名前で「メイリン」と呼び捨てにするのは難しかったので、私は彼女のことを音の近い「盟友」と呼んでいる。

その習慣から最近じゃ仲のいい人はみんな盟友と呼んじゃう癖がついちゃったんだけど。

でもメイリンさんも他の人から「姐さん」とか呼ばれていて、私以外の人からも名前で呼ばれていない気がする。

 

「だから私は盟友じゃなくてメイリンだって……ああ、違う、そうじゃなくって! あんたフラン様の眷属になったって本当!?」

 

「え、いや? 眷属じゃないけど」

 

メイリンさんがどたばたと家に上がり込んでくる。

ああ、その辺にはこないだ作った発明品が転がって――。

 

ボンッ

 

「……あー、大丈夫?」

 

「……大丈夫だけど、こんなところに危ないもの置かないでよ。髪が煤けちゃった」

 

一般人があの爆発を受けたら手足くらいは吹っ飛ぶと思うんだけど。

まぁメイリンさんだからなぁ。

 

「私の家にそんな乱暴に入ってくるのなんて盟友くらいだし」

 

「あー、ごめん、壊しちゃったね」

 

「いいよ失敗作だったから。それより、話があるなら一緒にお風呂でも入る?」

 

「……んー、あー、うん……そうする」

 

メイリンさんはこちらを見てから歯切れ悪くそう言った。

なんだろ?

とりあえず私はお風呂にお湯を張る。

私の「ミズミズの実」で作り出した水はある程度性質を変化させられる上、体から切り離せば私の一部じゃなくなるので、普通の水として使える。

しかも全身を水にするだけで体を清潔に保てるので研究に没頭したいときなんかもとても役立つ最高の能力だ。

使いすぎると体の体積が減ってカロリー消費もバカにならないんだけどね。

まぁ逆に言えば太らないってことでもある。

 

「お風呂入ったよ。とりあえず髪洗おっか?」

 

「ん、お願い」

 

おや、今日は随分としおらしいというか。

普段なら自分でやるといいそうなところなんだけど。

 

私はメイリンさんを洗い場に座らせて煤けた髪を洗い流す。

ちなみに、私の家のお風呂はとても広い。

実験に使うこともあるため拡張していった結果、いつの間にか10人くらいは入れる大きさになってしまった。

 

「お客さーん、痒いところはないですかー」

 

「あはは、なにそれ。床屋さんのつもり?」

 

「床屋じゃなくて美容室のつもりだったんだけど……」

 

「え、そうなの? 私は小さい頃から髪はフラン様にお手入れしてもらってたからなぁ。違いが分からない」

 

「うわーなにそれ羨ましい。それ他の人が聞いたら嫉妬に狂うよ」

 

実際私も羨ましすぎてちょっと嫉妬しちゃうなぁ。

 

「それでお客さん、今日はどうしたのさ」

 

「……ごめん、にとりがフラン様の眷属になったって聞いて、いてもたってもいられなくて」

 

「んー、さっきも言ったけど一応眷属じゃないんだよね。こぁさんみたいな感じじゃなくてルミニアさんみたいな感じってフラン様は言ってたけど」

 

「ああ、ルミャさんの……じゃあにとりも怪力になったり?」

 

「いやぁ、私はなんか適性がなかったみたいで、寿命が延びるのと健康になるのくらい。私はそれで十分なんだけどね」

 

私がそういうとメイリンさんは「……そっか、寿命か……」と呟いて動かなくなってしまった。

流石にこのままだと体が冷えるのでとりあえず湯船に誘導する。

ちなみに悪魔の実の能力者は液体に浸かることができない。

だけど私の家のお風呂はフラン様の魔法で認識をずらしてもらっているので、普通に入ることができる。

『この湯船の中の空間に概念置換の魔法をかけたの。液体と気体の認識をそれぞれ入れ替えてるだけなんだけど、これで案外簡単に世界を誤魔化せるんだよね。実際に世界そのものに改変は加えないから割と初歩の魔法だよ』って言ってたけど私にはなにがなんだかちんぷんかんぷん。

フラン様はよく私の言う理論や説明を難しすぎるというけれど、フラン様の方がよっぽど難解なことを言っている。

そのくせ自分ではそのことに気が付いていなさそうなのがまた……。

 

そんなとりとめもないことを考えながらぼーっとしていると、俯いていたメイリンさんがぽつりぽつりと話し出した。

 

「私さ、近々にとりにお願いしようと思ってたことがあるんだよね」

 

「盟友が私に? 珍しいね、なに?」

 

「不老不死の研究」

 

「へ、へえ。それはまた……」

 

さらっと言っちゃってくれてるけど、それ完全に禁忌だからね?

ラフテルで不老不死って言ったらフラン様のことだし、場合によっちゃあ処されるよ?

 

「ああ、言いたいことは分かってるよ。だからこそにとりにお願いしようと思ってた。他の人には誰にも言ってないよ」

 

確かに私はどこか冷めているというか、一歩引いているというか、フラン様に対してそこまで熱狂的なわけじゃないけどさ。

これでも一応、心の底から尊敬してるんだけどなぁ。

 

「なんで不老不死なのさ」

 

「にとりには前に月のことについて話したことあったでしょ? あの時にちょっと思うことがあってね。不死はともかくとしても、寿命を延ばしたくて」

 

「ああ……」

 

月の話は前に聞いた。

私は月の文明の遺産である衛星兵器ウラヌスや飛行戦艦プルートについて研究して、そのすさまじいまでに進歩していた技術に憧れた。

それで、フラン様に色々と尋ねたらメイリンさんと月に行ったことがあるらしく、その話をメイリンさんから聞けることになった。

ああ、そういえばこれが私とメイリンさんが仲良くなる直接のきっかけだったっけ。

 

その時の話で、長く生きすぎた永琳という女性の話があった。

そして同時にフラン様が見せた弱弱しい面、それを見て絶対にフラン様を独りにさせないと誓ったメイリンさんの回想を、そりゃあもう情感たっぷりに聞かされたんだった。

うん、今思い出しても恥ずかしくなるような語りだったけど。

たぶんお酒が入ってたのが悪かった。

メイリンさん結構酒癖悪い、というか性格変わるんだよね。

酔うと武人っぽくなっちゃって普通に説教とかかましてくるし、真顔でフラン様への愛を語り始めたりするし。

 

「じゃあそれで不老の研究を私に頼もうとしていた矢先に、私自身がそうなっちゃったと」

 

「ん……そう。心の中で秘かに決意してた目標をにとりがあっさり叶えちゃって、なんか焦ったって言うか羨望? みたいな。突然押しかけちゃってごめんね」

 

なるほどなるほど。

加えてメイリンさんのことだから後先考えずに突撃してきたことに罪悪感も感じてこんなにしおらしくなっちゃってたわけか。

 

「まぁいいってことさ、めいゆー。それにほら、考えようによっちゃあ実験材料兼完成品がすぐそばにあるわけだし研究も捗るかもよ?」

 

「……え、それじゃあ」

 

「ふふん、盟友の頼みだからね。やってみるさー不老不死研究!」

 

最近は月の技術の研究もひと段落ついて、本格的にフラン様から魔法を学ぶかどうか悩んでたくらいだし、ちょうどいいかなって。

それに、ほら、やっぱり親友の頼みはできる限り聞いてあげたいし?

 

「ただ、私がお咎め受けそうになったら庇ってよね?」

 

「そ、それはもちろん!」

 

私がそう言って悪戯っぽくウインクすると呆けた顔のメイリンさんは慌てて頷いた。

そして少し俯いたかと思えば、

 

「ありがとう、にとり。私はにとりの友達でよかったよ」

 

なーんてはにかみながらかましてくれる。

くっ、私が主導権を握っていたはずなのになんだこの破壊力は!

ほんとにこの人年上なんだろうか。

いや、というか普段の凛々しい姿とのギャップが強すぎて鼻血でそう。

幸いなことにここはお風呂場で、上気した顔も誤魔化せるし、下半身が水化してお風呂のお湯と一体化してるのもわかるまい。

 

……ふう。

 

不老不死の研究かぁ。

ちょっと頑張ってみるかな。

 

 

 

 

うん、吹っ切った。

かどうかはわからないけどとりあえずそう思うことにした。

 

悪魔の実と海の石の研究成果から、私の妖力が周囲に影響を与えていることが判明した。

特に、人間に関しては不思議な力「覇気」が使えるようになったり、素の身体能力でも人間の限界を超えたりすることで、私が彼らを人間じゃないものに作り変えてしまったのだということなんかに関してはかなり思い悩んだりもしたんだけど。

 

結論からいえば、気にしても仕方ない。

いまから妖力を完全に抑え込んだ生活をしたところでこれまで与えた変化がなくなるわけでもないし。

それになにより、私が申し訳ないと思うことは今を生きる彼らに失礼な気がして。

 

まぁぶっちゃけ問題の先送り。

考えたくないことは考えない、それが精神を健全に保つために必要なことかもしれない。

ほんとにどうしようもなくなったら月にでも逃げればいいんだし。

それで数千年たってから戻ってくれば私のことを覚えている人もいなくなってるだろうし。

うん。

 

そういえばあの能力者を弱体化させる海の石。

報告じゃ、あの石は海中にある間周囲の海水を取り込んで体積を増大させていて、海中で柱のように広がっている。

今のところの浸食速度だと問題ないけれど、定期的に削り取る必要があるだろう。

いっそのこと全部撤去してしまうことも考えたのだけれど、色々と研究に使いたいからと言われて、管理はラフテルで任せることにした。

 

ちなみに海中で柱状に広がる様はサンゴ礁のようにも見える。

にとりは海中にそびえる楼閣に見えるってことで、海楼石って名付けてたっけ。

 

 

さて、今日はそんな研究報告の場に出席することになっている。

にとりがやってる研究の方じゃなくて、ラフテルの内地の方での研究報告会だ。

なんでも印刷出版組合が新しい技術を確立させたとのこと。

普段は私が出席したりはしないんだけど、ちょうど暇だし興味のある分野だったので顔を出してみようって感じ。

気分転換と言ってもいい。

 

「それでは、ラフテル印刷出版組合の第32回定例報告会を始めます」

 

「わー」

 

「えー、本日は特別ゲストにフランドール・スカーレット様をお招きしています。各人失礼のないように」

 

「ああ、そんなに意識してくれなくていいよ。あくまでも部外者だし。邪魔したいわけじゃないから」

 

「ええ。皆わかっているとは思いますが一応の注意です。さて、本日の報告は二点ですね。ビブル君、報告を」

 

「はい、それでは私の方から」

 

お、ビブル君だ。

見た目は冴えない風貌の男性だけどなかなかのやり手だったはず。

なんせあのナヴィの息子だ。

 

ちなみにナヴィに頼まれて私が名付け親だったりする。

ペラペラの実の能力者だったナヴィから連想して、長男はペーパーの語源パピルスからピルス君、次男はパピルスから転じて書物の意になったバイブル(Bible)からビブル君だ。

流石にバイブ君にするほど私は壊滅的センスの持ち主じゃない。

まぁこの世界にまだバイブなんてものは存在しない……いや、そういえばこないだにとりがなんかメイリンと二人でこそこそなんかやってたな。

頼むからこぁにだけは完成品を渡さないでほしい。

きっと私が襲われる。

 

んん、それはともかく。

長男のピルス君はナヴィの跡を継いでスカーレット海賊団の航海士として活躍しているのに対して、ビブル君はこうして内地で紙の研究をしていると話には聞いていたけど。

 

「まず報告の一点目として、活版印刷による両面刷りの技術が確立しました」

 

「おおー」

 

「フラン様もおられることですし、簡単にいままでの印刷史を説明しましょうか」

 

「ん、いや別にいいよ。そこらへんは私詳しいし」

 

なんせラフテルに本を含む印刷技術を根付かせたの私だし。

初期のころの印刷は大変だった。

いっちばん最初は木の板に文字を彫るところから始まった。

当時土の民に文字を教えるために、木の板を小刀でちまちま削って教科書的なの作ったっけ。

 

ある程度技術が向上してからは再利用ができる粘土板を使いだした。

さらにその上の段階としては羊皮紙の利用。

まぁ羊というか形容しがたい魔獣の皮とかも使ってたんだけど。

 

現代の紙の系譜、それこそパピルス的なものを使いだしたのはラフテルに移住してからしばらくしてからのことだ。

製紙に関しては紙漉き機(抄紙機)とかの専門の道具の代用が魔法でわりとなんとかなったので結構簡単に作れた。

それでもコピー用紙みたいな完成度の高いものじゃなくて、出来損ないの和紙みたいな厚めでごわごわしたものだったけど。

一応妖力込めてたから強度だけは1000年以上の保存性を持つとかいう和紙並みだったとは思う。

 

辞書を作り出したのはこのころからだ。

当時の辞書は現代的な製本技術がなかったから、インクが裏映りしないようにって配慮もかねて袋とじ状の和本形態で作ったっけ。

そのおかげですっごいかさばって大変だった。

 

それからしばらくして木版印刷ができるようになって、辞書とかの本類が複製できるようになったんだよね。

それでも、やっぱり裏映りと紙の強度の問題で和本の装丁に準じていた。

 

で、ついに今回活版での両面印刷に成功したわけだ。

すごいなぁ、これってつまりグーテンベルクの時代まで来たってことだよね。

ルネサンス三大発明の一つだよ。

火薬と羅針盤もそろそろ発明されたりするかも。

ああいや、火薬はこないだにとりが実用化してたっけ。

ほんとあの子だけ未来に生きてるなぁ。

 

「……ううむ、知識として知ってはいましたが、実際に経験してきた方の口から聞くというのはなかなか得難い経験ですな」

 

「まぁ私は歴史の生き証人的なとこあるしね」

 

そのあとは実用化された技術についての解説などが続けられた。

やっぱり最大のネックは活字の製作らしい。

木版印刷は一枚の木の板に文字を彫って、それを版画のように紙に刷って印刷するので版を彫るのに時間がかかるけど、大量生産に適している。

対して今回実用化された活版印刷は活字(文字を彫ったハンコ)を並べて版を作るから簡単に版が作れて再利用も可能だけど、文字数の少ないアルファベットならともかく日本語は文字数がやたらと多いので、地球の歴史でもそもそも活字を作る手間が大変でなかなか普及しなかった事実がある。

 

まぁざっと数えてもひらがな50文字、カタカナ50文字、数字10文字、これらの小文字なんかで約150種類、……に加えて漢字が無数、印刷に使う常用漢字だけに絞っても2000字ある。

同じ文字でも何個か作らないと一つの版内で複数同じ文字が出てきた時に困るから実際に必要になる活字数は……ちょっと頭おかしいと言わざるを得ない。

アルファベットなら大文字小文字数字に記号まで作ってもこの10分の1ほどに収まるんじゃなかろうか。

 

現時点で一応漢字以外はおおまかに製作が終わっているらしい。

すごいなぁ、こういう努力は頭が下がる思いがする。

私は最近こういったちまちました技術の発展には関わっていない。

いまでは辞書の編纂作業も私の手を離れているし。

 

ラフテルはもうすっかり私がいなくても大丈夫なようになってしまった。

なんかあれだな、移住してきた当初からみているから、結構な感慨を覚えてる。

子供が独り立ちした親ってこんな気持ちなのかな。

 

「えー、では次に二点目の報告ですが、新種の紙の製造に成功しました」

 

「ん、新種の紙?」

 

「はい、製紙時に対象人物の身体の一部、髪や爪などを覇気を込めながら混ぜることで、対象人物の状態と現在位置を把握する特殊な紙の製造に成功しました。紙の材料には宝樹アダムの端材を利用しています」

 

「え、それ結構すごくない?」

 

作る時に相手の一部が必要とはいえ、バイタルチェックとGPS機能つきの紙になるってことだよね?

現代地球で同じことを再現しようとしたら対象の心臓に機械を埋め込むとかそのくらいしか思いつかないんだけど。

 

「ああいえ、そこまで高性能なものでもなくてですね……」

 

ビブル君の説明によれば、まず対象――例えとして私――の髪や爪を宝樹アダムで作った紙に混ぜる。

そうしてできた一枚の紙が「親紙」になる。

親紙は私の生命力を表示し、仮に私が弱って瀕死になると紙が燃えて小さくなる。

私が死ねば紙は燃え尽きる。

つまり、状態の表示は元気、瀕死、死亡、の3段階しか表示できない。

 

そして、親紙をちぎって断片にすることでそれが「子紙」になる。

子紙は親紙に引っ張られ、同時に親紙の状態を模倣する。

つまり、私が親紙を持っている限り子紙を渡した相手には私の居場所と私の生命状態が分かる。

私が親紙を捨ててしまったり燃やして処分してしまったりすれば、子紙は機能を失うわけだ。

 

ふむ、確かに欠陥もあるしそこまで万能なものではないけれど。

 

「それでもすごい発明だよ、これ」

 

「そうでしょうか?」

 

「うん、例えば私の親紙を作るじゃない。そしてそれをラフテルの私の家にでも置いておく。そうすれば子紙を持つ人にとっては私の家の場所の方向が常に把握できるでしょ?」

 

「ええ、そうですね」

 

「そしたら子紙を航海に出る船乗りに渡したりすればいいのさ。そうすれば星さえ見えない夜闇の中でもどんな嵐の中でも常に私の家の方向は分かる。遭難の危険も減るし、通常の航海だって針路をとりやすくなるよ」

 

「おお、なるほど!」

 

「加えて私の親紙なら持ち主が死んで無くなる、ってこともないしね」

 

ここにいる研究者たちはビブル君も含めて航海なんてしたことないからその発想が出てこなかったかな?

もちろん、言うまでもなくこれ、方位磁針――羅針盤だ。

ついさっき活版印刷がお目見えしたばかりなのに、三大発明が揃っちゃった。

 

実は羅針盤については以前に作ろうとしたことがある。

船で近海を探索する人が増えてきたことを鑑みて、私の知る方位磁針の作り方をラフテルの技術者に教えていくつか試しに作ってみたのだ。

 

結果は失敗。

 

この世界が地球とは違って地磁気を持っていないとか、S極が北じゃなかった、とかではない。

この世界、磁気が強すぎるのだ。

星全体が大きな磁気を持っているのは地球と同じものの、周囲にある島もそれぞれ強力な磁気を発していることが調査で判明した。

星の磁気を捉えようとしても島の磁気に邪魔されて、磁石はぐるぐるとあっちこっちを向いてしまい、方位磁針の作成は諦めた。

だからナヴィやその息子のピルス君なんかの航海士は、基本的に夜の間に星を見て方角を確認し、昼間は太陽の方角や自身の方向感覚を頼りに針路をとっていた。

 

それがまさか、こんなところで疑似方位磁針ができあがるとはなぁ。

 

「たぶんこれピルス君あたりに教えたら狂喜乱舞するよ。ラフテルの航海法が百年単位で進むことになりそう」

 

「兄さんが……そんなにですか」

 

「うん。ちなみに活版印刷の方もね。例えば私の作った辞書の簡易版を印刷してラフテル中に普及させるだけでも影響力はどんなになるか」

 

ルネサンス期のヨーロッパじゃ聖書の印刷、普及によってすさまじい影響があった。

なんたって全世界で一番売れているベストセラーは聖書なんだから。

 

「それで、その紙の名前は決まっているの?」

 

「ええと、一応主任開発者の私の名前をとって“ビブルカード”、と」

 

「ふんふん、いいんじゃない?」

 

もともとその名前付けたの私だしね。

語源がバイブルだし、紙に付ける名前としては大層な感じはするけれど。

 

なんにせよ、これでラフテルは今よりももっと大きく外へ開かれるだろうと思う。

――新しい時代の風を、感じる。

 

 

 






床屋(理髪店)と美容室の違い
実は免許が違う。
店の前に赤白青のくるくる回るポールがあれば床屋。

ルネサンス三大発明
学問の活版印刷、航海の羅針盤、戦争の火薬の3種。
哲学者フランシス・ベーコンがこの3種をルネサンス期の重要な発明として挙げている。
実は全部発明元は中国。
ルネサンス期にヨーロッパで発明されたわけではなく、この三大発明がルネサンス期の社会に多大な影響を与えたということ。
ちなみに製紙法の発祥も中国。

ベストセラー聖書
全世界500近い言語で5億冊売れている。
ちなみに無料頒布も含め刷られた数は60億~3880億(紀元前から作られているので正確な数が不明)くらいとされていて、もちろんギネス世界記録。
2位は『毛主席語録』で9億~65億くらい。
漫画ではトップが『クラシックス・イラストレイテッド』で10億。
その後はスーパーマン6億、Xメン5億、バットマン4億6000万、ピーナッツ4億、スパイダーマン3億6000万とアメリカが圧倒的に強く6位まで独占。
7位はアステリックス3億5200万とタンタンの冒険旅行3億5000万でどちらもフランス。

そして世界第9位の3億4000万!が
『ONE PIECE』!!!

なお“最も多く発行された単一作者によるコミックシリーズ”としては『ONE PIECE』が2015年6月にギネス世界記録を受賞している。
ますますの発展を祈るばかりです。

次話から新章


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

原作4200年前~ 神の家出
神様の家出と深海の研究


前回のまとめ

・にとり、メイリンの要請で不老不死の研究を始める
・活版印刷と疑似羅針盤の発明
・ビブルカード誕生



 

 

私は独りだ。

私の他には誰もいない。

誰かが私を見つけることもないし、私が誰かを見つけることもない。

私はずっとここで独り、静かに過ごす。

 

ここには私、フランドール・スカーレットしか存在しない。

ここはわが領土、されど民はおらず、国と呼ぶには静寂が過ぎる。

虚無の大地で、孤独。

 

そう、今の状況を一言で表すなら。

 

――家出なう。

 

 

いやー、やってしまった。

衝動的にラフテルを出てきちゃった。

 

私がいまいるのは、以前訪れた海底、陽樹イブが生えている深海1万2000メートルだ。

最初は月にでも行こうかと思ったんだけど、永琳の邪魔しちゃ悪いし、なによりあそこならメイリンが簡単にこれちゃうしね。

 

……そう、メイリンだ。

彼女が私の家出の理由。

 

 

月の民の襲撃があってからというもの、ここ数十年は穏やかな生活が続いていた。

アマゾン・リリーやシャンドラがうまく回るようになるまで、しばらくはラフテルを中心にのんびりした生活を過ごした。

その間はにとりの研究成果を見たり、ラフテルの外に本格的に進出し始めた島民を応援したり、こぁやメイリンと戯れたり。

 

落ち着いてからはまたスカーレット海賊団としての活動を再開し、世界中を巡った。

世界一周の復路を終えてからは凪の帯(カームベルト)の外の海にも冒険に繰り出した。

 

この世界は赤い土の大陸(レッドライン)凪の帯(カームベルト)が十字を描くように交差しているので、大まかに分けて四つの大洋がある。

でまぁ適当に方角から東の海(イーストブルー)西の海(ウエストブルー)南の海(サウスブルー)北の海(ノースブルー)と名付けたんだけど、そのうち西の海と南の海を回ってみた。

この四大洋は凪の帯(カームベルト)の間の地帯とは違い、至って普通の気候、地理で前世の地球とさほど変わらないんじゃないかって思えるほど。

魔獣なんかもほとんどいないしね。

いろんな発見もあって結構楽しかった。

 

で、航海をいったん切り上げてラフテルに戻ってきた。

そのあとは新しい船員を迎えて、残りの東の海と北の海を探索してみようかなと思っていた。

 

ちょうどそんな時だ。

ふと思った、思ってしまった。

 

――あれ? 今メイリンって何歳? と。

 

 

メイリンの見た目は若々しく、どう見ても20代の前半にしか見えない。

それどころかそれは彼女の纏う武人然とした落ち着いた雰囲気のせいで、単純な見た目だけなら10代後半と言われてもなんら疑問を抱かない。

この世界の人間には覇気という力がある。

この力をしっかりとコントロールできれば往年のマロンやクックのように若々しい体を保つことは可能だ。

 

だけれど、寿命自体は延びない。

 

メイリンはクーロン生まれのただの女の子で、特殊な来歴はない。

悪魔の実の能力者であり、非常に高いレベルの覇気すら身に着けているけれど、それでも彼女は何の変哲もない一般人だ。

 

……いや、全盛期のマロンに近い覇気を身に着けている時点で一般人とは呼べないかもしれないけれど。

なにせ彼女はマロンと違い、悪魔の実の能力者だ。

ラフテルの研究レポートでは悪魔の実の能力者は普通の人に比べて覇気の習熟が遅いと結論が出ている。

そりゃそうだ、覇気は悪魔の実の能力を抑制する、いわば両者は相反する性質をもつわけだから。

 

でも、それでも。

いくら覇気が強くても、悪魔の実の能力が天変地異を起こすレベルで強力でも、こぁと正面から戦って勝てるくらい強くても。

それでも彼女は“人間”で。

――対する私は“吸血鬼”で。

 

いつかは別れが迫るのだと。

マロンやクックたちと同じように、いままで出会ってきたすべての人たちと同じように、別れなければいけないと、知っていたはずなのに。

 

――彼女と私が出会ってもうすぐ100年だと脳裏ではじき出してしまったとき、私は衝動的に逃げ出した。

誰にも何も言わず、この海の底へと。

 

 

笑わば笑え、私はこんなにも心が弱い。

別れなんて星の数ほど経験してきたのに、たった一人との別れを直視することに、心が耐えられなかった。

 

言い訳をさせてもらうなら、彼女との時間はあまりに濃かったのだ。

 

六、七歳くらいで拾ってからというもの、彼女との付き合いは波乱万丈だった。

当初は物言わぬ肉人形だった彼女がクルーとの触れ合いの中で人間らしい心を手に入れていくのを見ていた。

はじめは雑用すらこなせなかった彼女が、ついにはクックに認められる料理の腕を手に入れるのを見ていた。

服を与えて、声を与えて、名前を与えて。

彼女は、私がマロンやクックたちクルーと共に手塩にかけて育てた娘――家族のような存在だった。

 

マロンやクックの死を一緒に看取った。

落ち込んだ私の心を癒してくれたのは彼女だった。

アマゾン・リリーの女性たちを任せて、見事その期待に応えてくれた。

月へ行った時も一緒にいたのは彼女だった。

その帰り道にも嬉しいことを言ってくれた。

アマゾン・リリーが落ち着いてからは、ラフテルで研究を続けることにしたにとりと入れ替わる形で再び“お世話係”に返り咲き、長い航海の時間を共に過ごした。

彼女は、どんな時も私に寄り添い長い時間を共に歩んだ――かけがえのない仲間だった。

 

私が彼女に抱く感情は簡単には言い表せないほどに複雑で、言葉にするまでもないほど単純で。

それを喪ってしまうことに、耐えられなくて。

 

今、ラフテルの平均寿命である60歳を大きく超えて彼女は100歳になろうとしている。

いや、出会った当初が七歳ほどだと考えれば、既に残された時間は――。

 

 

そうして私は気が付けばこの海の底で独り、佇んでいた。

 

 

 

 

私が家出をして一年がたった。

私はまだ海の底に一人でいる。

 

家出から三日ほどたった時、こぁから念話が来た。

緊急連絡以外に使わないようにと言明していたそれは、私を心から心配するもので、衝動的に逃げ出した私は少し申し訳なくなった。

 

本当は携帯の電源を切るがごとくこぁからの念話をシャットアウトすることもできたんだけど、そうしなかったのはひとえにラフテルの混乱を招きたくなかったからだ。

こぁの念話すら通じないとなると、きっとラフテルの総力を挙げて私の捜索を始めてしまう。

そして彼らに深海1万2000メートルに来る技術力はない。

きっと彼らはそれが先の無い滅びの道だと知っていても、私を探すことを貫くだろう。

 

だから私はこぁに心配しないようにと、ラフテルの住民にはうまく説明してくれと、ふわっとした感じで“命令”した。

ラフテルの民のことを心配しているといいつつも、自分からこぁに念話をかける度胸もない、地上に戻る決心もつかない、うまい言い訳すら考えていないと、ヘタレの極みだったけれど。

こぁは私がいっぱいいっぱいだったのを察してくれたのか特に食い下がることもなく了承してくれた。

……まぁ、彼女は私の眷属で、私の分身みたいなものだから絶対に私に逆らうなんてことはないんだけれど。

それでも私は少しだけ、ほっとした。

 

 

それで、それから一年ほど私は陽樹イブの木の根に腰かけて、日がな一日ぼーっとしていた。

地上はどうだろう、うまく収まったんだろうかと思いつつも、地上のことを考えると頭にメイリンのことがよぎってしまう。

だから私はなるべく何も考えず、ただただぼーっとしていた。

 

しかし流石に一年もただただぼーっとしていると飽きてきた。

なにせ食事も睡眠もしていない。

本当にただ座ってぼーっとしているだけだったから。

気が付けば蔦が私の体に絡みついて苔むして、私はイブに一体化しそうになっていた。

 

私は木に一体化しそうになっていた自分に思わず苦笑しながら、何かやることはないか考えた。

 

ただ、ここは深海1万2000メートルで周りには誰もいない。

イブの研究はちょっと考えたけど、以前に訪れた時にマロンと一緒に結構いろいろ調べ終わってしまっている。

すぐにはやることも思いつかず、私はフォーオブアカインドで分身して一人チェスをしたり一人トランプをしたりと時間をつぶした。

すぐに虚しくなった。

一人遊びは駄目だね、うん。

 

そうやって苦し紛れに時間をつぶしながら、ようやく思いついたのは魔法の研究だった。

そう、これならいくらでも時間を浪費できる。

 

それを思いついてからはむしろ忙しくなった。

やりたいことが次から次へと湧き出てくる。

私が気になるジャンルとしては生命創造系、ないし不老不死の研究だ。

それは死の回避――私の悩みに直結するものでもあるけど、それ以上に人類の永遠の探求テーマともいえる。

 

現状でも私は賢者の石の生成、黄金の錬成、ホムンクルスの創造といった錬金術の秘奥ともいえる現象を魔法で再現することができる。

ただ、不老不死だけはいまだ手掛かりすら見えていないのが現状。

一応妖力を与えることで人間を吸血鬼(わたし)よりの存在、怪異に近いものに作り変えて強靭な生命力と長い寿命を与えることはできる。

しかし、それはあくまでも人間に比べて死ににくく長寿命というだけで完全な不老不死とはいいがたい。

なにせ私だって不死じゃないし。

不老に関しては微妙だけれど、もう800年くらい生きていて全然年取ったって気がしない。

これはたぶん吸血鬼の特性じゃなくて“私”に特有な現象な気がしてるので、そういう意味でも再現性が低い不老だ。

 

まぁとりあえず使うかどうかは別にしても研究テーマとしては非常に面白く、やりがいがあるものなのは確かだろうと思う。

実際生命創造の魔法を四年ほどかけて完成させたときもすっごく楽しかったし。

あれに関してはメイリンの鈴を声帯に変化させることにしか使ったことはないけれど。

 

そんなこんなであっという間に時間は過ぎていった。

 

 

 

 

どれくらい時間がたったのか。

100年か200年か。

体感ではたぶん500年は過ぎていないと思うけど。

色々寄り道もしたけれど、不老不死の研究に一応の結果が出た。

 

うん、無理。

 

だめだね、無理だよこれ。

いくつか似たような現象を引き出すことには成功したけれど、“人間”であることを維持したままというのは無理だった。

 

寿命が、死があるからこその人間。

そうでなければ、私のような化物。

 

寿命が延びる、もしくは肉体的な不死を実現すると人間は人間じゃなくなる。

これは人体実験を繰り返して、魂の変質を調べたことで分かった。

 

……今にして思えば、ほとんど無限に等しい寿命を得てしまった月の頭脳――永琳も魂はおよそ人のそれとはかけ離れていた。

狂気に染まっていたことを抜きにしても、私が彼女に酷く親近感を抱いたのは、本質的に彼女の魂が化物(わたし)の側に近しいものであると感じ取っていたからなのだろう。

既に彼女は“人間”ではない。

あえて名前を付けるなら、理想郷に至った人間――蓬莱人、とでも呼ぶべきだろうか。

ちょうど輝夜の名前のもとにした竹取物語にも蓬莱の玉の枝という形で中国の神仙思想の影響が見えるしね。

ん、そういえば永琳の琳は「輝く美しい玉」だし、蓬莱の玉の枝にぴったり。

永も蓬莱人の特性そのものだし。

 

まぁ話がそれたけど、つまり不老不死の研究は断念。

これを進めるには魂の変質を防ぐ方法を見つけなきゃいけない。

 

と、いうわけで次の研究テーマはずばり“魂”だ!

 

魂とは何か、という問いには、実は答えられる。

前世じゃあとても哲学的な問いで、数多の答えはあれども正答を一つ選択することは難しいだろう。

しかし、この世界にきて私は吸血鬼という、人非ざるものに成った。

そして、人間の魂を変質させて眷属たる悪魔を作り出すとか、そういったことを教えられるまでもなく知っている。

この世界では、魂は観測できるもので、私が操ることのできる――悪魔的に言うならば、弄ぶことのできる――半物質的なものである。

 

さて、一概に魂の研究と言っても、手を付けられそうなことは色々あるけれど――。

 

そう考えていると、ふと目に留まったのは一匹の魚。

ここは深海1万2000メートル。

いわゆる深海魚と呼ばれる生物は実はこんな海の底にはいない。

水深200メートル以下に棲息していれば深海魚と呼ばれ、8000メートルを超えれば魚はほとんどが姿を消し、代わりにエビなんかが見られるようになる。

だからこんな深い海の底に魚がいるわけがない。

 

ところが、今私の目の前を悠々と泳ぐそいつはどう見てもただの熱帯魚、多分エンゼルフィッシュだ。

そしてその隣をウミガメが泳いでいる。

目を凝らせばメダカらしきものまでいる。

 

マロンたちと初めてこの島に来た時にも疑問に思って調査をしたけれど、結局この魚たちが何なのかはわからなかった。

百歩譲ってこの樹の周囲に棲息しているのはいいだろう。

こんな全長2万メートル以上の空気をボコボコ吐き出す化物樹木に常識は通用しないのは分かり切っているから、なんか気泡中の変な成分が海に溶け出してこの周囲では地上と変わらない環境ができているとか、そんなものだと納得もできる。

ただし、この魚たちがどこからやってきたのかということについては全く分からない。

 

いやだってこの樹の周囲はよくても、さらにその周囲はまごうことなき深海だしね?

ここに生息できる環境があるにしても、どうやってここまできたのさっていう。

 

それにしても魚……魚か。

魚にも魂はある。

魚に限らず動物には小さなものから、この世界独自の体長5キロもある海王類にまで存在する。

植物の中にも魂を感じられるものがあったりする。

大事なのは意思があるかどうか。

 

ただ、よく考えてみると人間の意志力と魚の意志力が同じだとは思えない。

脳がしっかりと機能する大型の魚ならまだしも、小魚なんかは見聞色の妖力を使ってもテレパシー系の魔法を使っても、その意思を読み取ることはできなかったりするんだよね。

これってつまり意思力――思考能力には差があるってことなんだけど。

じゃあいったいどのレベルから魂は生まれるのか。

 

おーっとなんか楽しそうなこと思いついちゃったぞ。

幸いなことに周囲には泳ぐ実験材料が大量にあるし。

人間――ホムンクルスならいくらでも生み出せるし。

 

 

 

 

そろそろ次の航海を始めようかというある日のこと、フラン様がいなくなりました。

ただ、そのときは特に何も思っていませんでした。

あの人は結構思い付きで行動することが多いし、ふらっといなくなったことも今まで何度もあります。

さすがに数十年一緒に航海していれば慣れるものですが、お世話係の身としては困らせられることも多いのです。

まあ、そんなところも含めてお慕いしているのですけど。

 

ところが、今回に限っては違いました。

フラン様がいなくなってから三日後、ココアさん――こぁがラフテル中に御触れを出したのです。

曰く、「フラン様が長期のお出かけになる。外界に興味が惹かれるものがあったそうだ。ただし外界においてもフラン様は常に我々を見ておられる。各々にはこれまで通りのたゆまぬ努力と、生の謳歌を期待する」と。

 

おかしい。

仮にフラン様がそう思ったとしても、私にすら何も言わずにというのには違和感があり過ぎました。

念話魔法の一つでも使ってくれればよいのですし、こぁに連絡しているのに私の存在を忘れるというのはあまり考えたいことではありません。

 

私はすぐさまこぁのもとを訪ね、問いただしました。

しかし、返ってきたのは無情な返事。

 

「この件について私がお話できることは何もありません」

 

私が何を尋ねようと、こぁはそれしか口にしませんでした。

私はなぜだか無性に焦りを感じ、胸倉を掴む勢いで詰め寄りました。

ですが、それでも彼女は頑として同じことしか言いませんでした。

その時の表情は、私がよく見知ったこぁの、よく笑う柔らかな表情ではなく――仮面のように冷たいもので。

 

私は、ついに我慢がきかなくなって、「ふざけるなッ!」と怒鳴って彼女を殴ってしまいました。

友人に――こぁやにとりに手をあげたのはこれが初めてのことでした。

それなのに、彼女は殴られたことを怒るわけでもなく、ただただ「この件について私がお話できることは何もありません」としか繰り返さず――私は諦めて家に帰りました。

 

そして、考えました。

考えてもわからないので、にとりのもとを訪ね、相談しました。

持つべきものは頭のいい友人です。

 

「ふうむ。フラン様に何かあった……危険性のある事じゃないね。もしそうなら何をおいてもこぁさんはすっ飛んでいくだろうし。となると、「この件について私がお話()()()ことは何もありません」ってのから察するに口止めされてるのかな」

 

「口止め……」

 

「こぁさんはフラン様の眷属だからねぇ。命令されれば逆らうことなんかできないでしょ。それが自分にとってどんなに不本意なものでもさ」

 

「…………」

 

「まぁ正直なところ直接フラン様に問いただすしかないでしょ。めいゆーはフラン様が行った場所に当てはあるの?」

 

「……今度の航海は北の海(ノースブルー)に行こうかって話はしてたけど、たぶんそれじゃないよね」

 

「それなら普通にみんなで行くだろうしね」

 

うーん、と二人して頭をひねります。

しかし、特に何も案は出ませんでした。

 

「ひょっこり帰ってくる、なんて可能性は……」

 

「まー考えない方がいいだろね。状況は常に最悪を想定して動くべきじゃない?」

 

「……不老の研究は?」

 

「なに、問題を先送りする気? ……悪いけど、まだ全然。もう何十年と研究してるけどここまで成果が出ないとか初めてだよ。機械いじってる方がよっぽど簡単。今は魂とはなんなのかってとこで詰まっちゃっててね。肉体的な不老だけなら可能っちゃ可能なんだよ。ただ、どうしても中身の方が持たないみたい。ネズミとかで研究してるんだけど、体は生命反応があるのに動かなくなるんだよね。で、これは脳の活動限界なのかなって思ったんだけど、どうもそうでもないみたいで。いわゆる魂の問題みたいなんだよ。魂については昔フラン様に教えてもらったことがあるんだけど、それだけじゃ不十分でねー。あーなんであの時の私はちゃんと突っ込んで聞かなかったんだろう。今更フラン様に聞きに行くわけにもいかないしねぇ。てなわけで現状の研究成果をめいゆーに試すと意思が欠落したお人形さんになる可能性が――」

 

「あー、もういい、もういい。うん、ありがと」

 

不老もだめ、と。

まぁこっちはもとより無茶なお願いをしているってわかっていますし、にとりを恨む気持ちは全くありません。

どころか、先の見えない課題を何十年と取り組んでもらっていて感謝の念に堪えません。

本当に、彼女は私にはもったいないくらいの友人です。

 

「じゃあフラン様の場所を探す機械は作れない?」

 

「……ん。んー。……できなくは、ない、かな。……フラン様を特定するなら妖力か魔力がぱっと思いつくけど、妖力の方は全然研究が進んでない。でも、魔力なら海楼石の研究の時に協力してもらって、魔力の観測ができる機械を作ってもらったし、魔力波は基本的に痕跡が残るからある程度は過去にさかのぼることもできる。もしフラン様が移動の時に空間転移系の魔法を使っていたなら向かった方向を割り出すのはそこまで難しくはないと思う。でも、あくまで方向が分かるだけで距離は魔力の濃度で推測することしかできないし、仮に魔法を使わずに飛んで行ったとかなら無理だし……フラン様の魔力に反応する機械自体なら三日もあれば作れると思うけど」

 

「ん、お願い。そこまでやってくれるならあとは私が足で探すよ」

 

本当に、この子は……。

でもその急に早口になってたくさんしゃべりだすのはちょっと怖いんですけどね。

 

なんにせよ、フラン様は私が必ず見つけ出して見せます。

ああ、あなたは今どこに……。

 

 

 

 






人体実験
地上から人間を攫ってきているわけではなく、自前でホムンクルスを作り出しています。
永琳にはできなかった魂の創造をフランちゃんは魔法で解決できるので、およそ普通の人間を作り出せます。

現在の陽樹イブの周りの環境
樹の周りに空気はなく、根から気泡がボコボコと出ていた状況です。
そのため樹の周囲にも海水はあり、普通に魚が泳いでいます。
そこにフランが空気膜を張り、樹に近い一部では酸素のある空間が保たれています。
8話あたりを見直してもらえればそこらへんについて書いてあります。

メダカ
原作でもメダカの人魚の5つ子が出ています。
海なのにメダカ?淡水魚では?と連載を読んでいた当初は思っていました。
しかし調べるとメダカはどうやら海水中でも生きて行けるらしいです。
メダカは世界各地に14種いますがどれも塩水に対して強く、中でもインドメダカなんかは普通に海水中に棲息していたりするみたいです。
メダカってすごい。
小学校でメダカの放流をやった覚えがありますが、環境破壊になるとか聞いて愕然とした覚えがあります、懐かしい。

海底1万2000メートル
正確には水深1万メートルあたりから空間が開け、樹が根を張っているのが1万2000メートルと設定してあります。
作中では分かりやすいように魚人島のある場所は深海1万メートルと描写することが多いかな。


豆腐メンタルのフランちゃん家出編開始です。
本物語は基本的にハッピーエンドを目指しているのでメイリンがフランに会えずに死ぬとかいう鬱展開はないです。
メイリンの寿命に関してはすでに伏線が張ってある(つもりな)ので勘のいい方は分かっているかもしれません。

答え合わせは次回(もしくは次々回)。


それはそうと次のフランス大統領選でルペン氏が勝利すると通貨『フラン』が復活するそうですね。
いえ、だから何だというわけではないのですが。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

魚人の誕生と美鈴の秘密

前回のまとめ

・フラン、家出する
・海底で魔法研究



 

 

思えばメイリンは強すぎた。

いや、強いのはいいことなんだけど。

彼女はもとから才能あふれる子だったし、クックによく鍛えられただけでなく自ら弛まぬ努力を重ねていた。

だから強いことには疑問はない。

問題はメイリンの龍になる悪魔の実だ。

 

身体能力の向上は動物(ゾオン)系の特徴だし、他の動物(ゾオン)系に比べてその強化率が高いのも、普通の動物と“龍”という幻想生物の格の違いを考えれば納得はできる。

でもでも、その強化を人間形態でも発揮できるのはどういうことだろう。

 

動物(ゾオン)系は基本的に人間形態、獣形態と、その中間である獣人形態、の三つの姿を持つ。

そして姿が獣に近づくほど身体能力は上昇する。

だというのにメイリンは人間形態時と獣(龍)形態時で身体能力に変化はないらしい。

つまり、人間形態で100%龍の力を扱えるということだ。

 

それってやばいよね。

 

だって普通、人間の体で龍の力とか使ったら体が耐えられなくない?

メイリンの全力の踏み込みなんて音速を軽く超えてるし、体が爆散してもおかしくない気がするんだけど。

少なくとも私が人間の体で吸血鬼の身体能力を発揮したら自殺にしかならない自信がある。

 

でもって、それでいて人間形態と龍形態が同じ強さってわけでもない。

中間の龍人形態だと龍闘気を使えるようになるので、まず桁違いに強くなる。

身体能力+龍闘気の足し算ではなく、それぞれが掛け算のように戦闘力が跳ね上がるからね。

しかも天候を操るという龍の伝説によるものか、風・水・雷といった自然現象をかなりのレベルで支配できる。

ついでに翼もないのに空も飛べる。

ま、これに関しては宝石のついた枝みたいな羽で飛ぶ私が言えたことではないけれど。

 

そのメイリンの強さを具体的に言えば――通常時メイリンが全盛期マロンにぎりぎり勝てないくらいの強さだとすれば、龍人形態時はマロンが束になっても相手にならない。

恐らく身体能力だけという制限を付ければ私とも互角……とまではいかなくてもかなりいい勝負ができるんじゃないだろうか。

やったことはないけれど。

 

加えて完全な龍形態にまでなると、人間としての戦闘技術こそ使えなくなりはするが、体躯が大きくなり天候への影響力が増大する。

滅多にその形態にはならないけれど、それは二段階目の龍人形態までですべて済んでしまっているという意味でもある。

 

なぜメイリンの悪魔の実はこんなに強いのだろう。

よっぽど体に合った――相性が良かったのだろうか。

不思議なこともあるものだよね。

 

 

と、まぁここまでが前置き。

動物(ゾオン)系について考えていたらふと思っただけだ。

本題は魚人の作成に当たっての、動物(ゾオン)系の利用。

 

私はこの海底で魚と人間を掛け合わせた人造生物――魚人を作るにあたって、動物(ゾオン)系を参考にした。

その過程で悪魔の実について考察し、さっきのようなメイリンのことにも思い至ったというわけだ。

 

悪魔の実は私が無意識に放出している妖力が集まって物質化したものだ。

それを食べることで疑似的な妖怪化が起こり、不思議な体質が発現する。

デメリットとしては“たまった水”が苦手になる事。

これは“流れる水”が苦手という吸血鬼由来の性質と対を為すもの。

なぜ正反対なのかと言えば、私が“妖怪”で彼らが“人間”だからだろうと思う。

検証したことはないけれど、きっと悪魔の実の能力者は暗闇よりも陽光下の方が強くなるんじゃないかな。

 

その悪魔の実は多分に私の思考が反映されている。

この世界ではいまだ発見されていない材質であるゴムになるパラミシアや、想像上の動物である不死鳥の性質を発揮するゾオンなんかがいるしね。

さて、その中でもゾオンについて特に考えてみる。

 

そもそも、ロギア、ゾオン、パラミシアの分類はラフテルの民が勝手に分類しただけなんだけど、ゾオンについては分かりやすい。

なにかしらの生物の特徴を表せばゾオンだから。

例えばチーターなら足が速くなるし、ハヤブサなら空を飛べるようになる。

 

彼らに共通する特徴としてはとにかくタフで回復力が高い。

これはたぶん私が「動物の生命力は強い」というイメージを持っていたせいだろう。

そのためかゾオンには大型の動物が多いし。

 

ここからが本題だけれど、私が魚人を作るにあたって目指したのは悪魔の実に頼らないゾオン化である。

種として強靭な生命力を持つ生物として――人間とは一線を画す生物として魚人を作るつもりだった。

なぜそんなことをするのかと言えば、これは単純に“魂の変質を観察するため”といえる。

 

悪魔の実を食べるだけでは人間は妖怪化しない。

体はあくまでも人間の範疇を逸脱せず、ほんの少しだけ特性を得るのみにとどまる。

このことは先に述べた“流水と止水”の性質が正反対なことも裏付けている。

 

だが、長期的な視点で見た場合はどうだろう。

全く影響がない、とは言えない気がする。

だから魚人という試みを通して、妖力が人体に与える影響の研究も行うつもりだ。

 

 

 

 

最初はそこらに泳いでいた何の変哲もない(深海魚じゃない)魚から遺伝子をいただいてホムンクルスにぶち込んだ。

 

まぁ当然のように拒絶反応を起こして死んだ。

 

そりゃそうだ、人間と魚では生物としての在り方があまりに違う。

呼吸ひとつとっても肺呼吸と(えら)呼吸だしね。

ここからが私の腕の見せ所。

 

互いの特性を残しつつ両者を融合して共存させる。

思い描くイメージはいわゆる半魚人、マーマンもしくはギルマンと呼ばれる空想生物。

既に完成形の想定図が頭の中にあるというのはかなりのアドバンテージだ。

 

 

最初の魚人は実験開始から一年ほどで完成した。

ほとんど想像通りの見た目と性質に加え、人間の数倍上の身体能力と生命力を得ている。

しかし、残念なことに魂が魚の側に寄り過ぎたために意思の疎通はできない。

完成はしたけど、成功とはいえないかな。

ただまぁ、一応生きてはいるから他の“失敗作”のように魚の餌にすることはやめておいた。

だから周囲に集まっている魚たちには魔力で作り出した別の餌を与えておく。

 

それにしてもここの魚たちにもこの一年で随分と懐かれてしまったものだ。

最初はDNAをもらうかわりのギブアンドテイクとしてホムンクルスの死体を餌として与えていただけだったんだけど、私が作り出したホムンクルスの死体は随分と美味しかったらしく次の実験の時には失敗する前から(むらが)られていた。

 

実のところ本当は完全に死体を処理しちゃわないで作り変えて再利用した方が魔力の消費も抑えられて肉体の変質も容易に行えるんだけどね。

魔力の消費と言っても賢者の石を使うまでもない微々たるもので自然回復する量の方がはるかに多いし、気にはしてないけどさ。

 

それからというもの、集まってくるのに期待を裏切るのも悪いので毎回失敗作を振る舞い……次第に魚の数が増えて餌の供給が追い付かなくなった。

そんなわけで今では実験をしない日でも魔力で余分にえさを作り出して与えるのが日課になってしまった。

これに関しては全面的に自業自得だしね。

私がとてもおいしい餌を提供しちゃったせいで、本来起こるはずの食物連鎖が発生せずどんどん魚の数が増えているのだから。

おかげでイブの周囲の海域は捕食者と被捕食者の種類の魚でも割と普通に共存するようになってしまった。

ある意味ではこれも生態系の破壊かな。

 

魚たちに餌をあげていると、なんか昔金魚を飼っていたころを思い出す。

まぁ私としても彼らがいることで完全な孤独を感じずに済んでいるという面もあるので、その分のお返しといったところかもしれない。

最近じゃ全長数百メートルの海王類も食べに来るから餌代は結構すごい勢いで増えてるんだけどね。

 

ちなみに初めてその海王類が来たときは周囲の魚を威圧して餌を独り占めし始めたので、ちょっとお仕置きしてあげた。

それからはすっかり素直になったので(いち)(さかな)として平等に扱っている。

その後別の海王類を連れてきた時も事前に大人しくするように伝えていたみたいで問題が起きなかったしね。

もちろん、平等と言っても体格に合わせて十分な量は食べさせてあげてるよ。

私としてものちのちは人間と海王類を掛け合わせた魚人を作ろうと目論んでいるので彼らと友好を深めるのはやぶさかではない。

 

 

 

 

そんな生活を続けて100年ほど。

ようやく人語を解する魚人が完成した。

 

なんでこんなに時間がかかったかと言えば、魚の上半身に人間の声帯を生み出すのが技術的に難しかったのと、人間的な思考回路の生成を随分と試行錯誤したからだ。

ただ、その甲斐あって十分に満足できる結果にはなった。

とりあえず彼らが自立した生活を送れるように日本語で教育を行うことにしている。

 

……なんだかこの世界に来てから教育の真似事をする機会が多い気がする。

まぁなんだかんだ私もそういうことが好きってことなんだろう。

もう800年以上も昔の話だけど、もしかしたら前世の影響も残っているのかもしれない。

 

百数十年もたつと魚人の数も三桁を超え、それぞれで交配するようになった。

自然な交配による突然変異や進化は、予想できない素晴らしい結果を生むこともあるので期待している。

惜しむらくは人間の因子が強くなった結果、子供の数がかなり少なくなってしまったことだろう。

魚の因子が強ければ一度に数十個は産んだだろうに。

 

もっとも、数世代でもすでに結果は出ている。

例えば呼吸。

初めのころ、上半身が完全に魚で鰓呼吸を行う魚人と、上半身を人間に寄せて肺呼吸にしてみた魚人の二種類を実験的に作ってみたのだけど、彼らの子供である第二世代には両者の中間のような姿形で肺呼吸も鰓呼吸も可能になった個体が産まれた。

流石に一代の世代交代では安定してその性質は発現しなかったものの、第三世代、第四世代と代を重ねるごとに徐々に両方の呼吸を行える個体が増えている。

他にも歯の形状や鱗の状態が目に見えてわかる進化を遂げている。

 

この進化の過程を間近で見られるというのはなかなかに面白い。

今まで人間の“進歩”は見てきたけれど、種の“進化”はより劇的だ。

自分が作り出した種族、というのも関係しているかもだけど。

 

実験は成功を収めつつある。

次は別の種類の魚を混ぜてみよう。

そのあとはいよいよ海王類の研究に入ってもいいかもしれない。

 

……地上から離れてもう数百年以上は経過している。

それでもまだ、研究を言い訳にして私は地上へ戻れないでいる。

私がラフテルに帰る日は、くるのだろうか……。

 

 

 

 

フラン様の居場所が分かりました。

にとりの発明品は本当に素晴らしい性能です。

フラン様の現在地はなんと、深海です。

位置的にはちょうど陽樹イブの根元の部分。

 

私はその場所を訪れたことがありません。

スカーレット海賊団としては往路と復路で二度通ったはずですが、私は残念ながらタイミングが合っていませんでした。

私がスカーレット海賊団に参加したのは往路でその海底を超えた先でのことですし、復路の時もちょうど時期的には私が船を離れてアマゾン・リリーの国づくりをやっていたころのことですから。

 

話だけはマロンさんやクックさんたち、一度訪れていた古参のクルーらに聞きましたが、それだけでもすごい場所だというのは分かりました。

船が海に沈んでいく恐怖、一寸先も見えない完全な暗闇、その先に待つ光り輝く大樹、魚が舞い踊る神秘的な光景。

私も一度は訪れてみたいと思ったものです。

 

さて、そんな深海にフラン様がいるということです。

問題はそこまでどうやって行くかでしょう。

 

人間の素潜りの限界はせいぜい数十メートル。

私も悪魔の実を食べる以前に一度挑戦してみたことがありますが、100メートルもいかないうちにギブアップしました。

今ならどうでしょうか。

悪魔の実の能力者は海に入ることはできませんが、私の場合は水流を操作して自分の周囲を常に“水が流れている状態”に保つことで弱体化を防げます。

普段はそうやってお風呂に入っていますしね。

 

そこで私は全力の覇気で身体能力を強化して、素潜りに挑戦してみました。

――しかし、500メートルが限界でした。

呼吸は五分以上止められますし、水圧にも低水温にも耐えられます。

それでも水中を高速移動する術がなければその程度が関の山でした。

 

次に、悪魔の実の力をフルに使って挑戦してみました。

ところが全身龍化まで行い挑んでみるも、2000メートルほどでだいぶ厳しくなり5000メートルほどで今度は水圧によって完全に進めなくなりました。

感覚的には指先ほどの面積にさえ500キロ以上もの力がかかっているように感じました。

人間時とは比べ物にならないほどの頑丈さを誇る龍の体、さらに鱗を最強まで強化してもそこまでが精一杯。

海の中で変化を解いたら一瞬でぺちゃんこになっていたことでしょう。

 

フラン様の今いる場所は深海1万2000メートル。

私はその半分も近づくことができなかったのです。

 

 

困ったときはにとりえもんに相談です。

フラン様がにとりに何か頼みごとをするときはこう呼んでいたそうですが、変なあだ名ですよね。

 

しかし、にとりえもんに相談しても芳しい成果はでませんでした。

海の底へ向かうのは、今の技術力では到底無理とのこと。

むしろなぜ生身で5000メートルも潜れるんだとあきれられてしまいました。

 

手詰まりです。

私はどうあってもフラン様に会うことができないのでしょうか。

……いえ、あきらめるわけにもいきませんね。

 

 

フラン様がどうやって海底へと行ったのかと言えば、サンタマリア号をシャボン玉のような空気の膜で覆って潜行したそうです。

フラン様の魔法によるものだそうですが、それを再現できないでしょうか。

 

今から魔法を覚える、というのは流石に無理でしょう。

そもそも魔法を使えるのはこの世でフラン様とその眷属であるこぁだけ。

こぁがこちらに協力できない以上、魔法に関して独力でというのは難しいでしょう。

 

……魔法ではなく、妖力ならばどうでしょう。

にとりはフラン様の捜索を行う際に、「妖力の研究は進んでおらず、魔力の方はフラン様が残した機械で何とか測定できる」と言っていましたが、実は私は逆なのです。

私は魔力を感じ取ることはできませんが、妖力は感じ取ることができるのです。

 

このことに気が付いたのは確か、悪魔の実を食べてその能力に慣れ始めてきたころのこと。

悪魔の実の能力は私によく馴染み、まるでもともと自分に備わっていた能力かのように扱うことができました。

それを使う中で、私は悪魔の実の“力の流れ”を感じ取れるようになりました。

これは私の扱う“気”に似てはいますが、非なるものです。

そしていつしかこの“力”がフラン様の扱う“妖力”とほとんど同じものだということに気が付きました。

フラン様は悪魔の実の能力者ではないのに、なぜ両者が非常に似た性質を持っているのか――長年の疑問ではありましたが、最近ようやくわかりました。

 

ええ、ええ、私の来歴を考えれば簡単なことだったのです。

私の中に流れる“悪魔の実の力”とは、そのものずばり“妖力”だったのです。

 

なぜ私が妖力を持っているのか。

それは、フラン様に与えていただいたからに他ありません。

 

私はフラン様から多くのものをいただきました。

鮮血の(スカーレット)海賊団の一員という身分、いつも身にまとっているこの衣服、生きていくために必要な知識と技術、クルーの皆という家族――私という存在はフランドール・スカーレットによって与えられたものによってそのほとんどを構成しているといっても過言ではないでしょう。

唯一私が初めから持っているものといえば、クーロンで生まれたという出自くらいなものでしょう。

それすら、今の私の存在証明(アイデンティティー)からすればとるに足らないものでありますが。

 

そして、私がフラン様から頂いたものの中でも特に大きなものが二つあります。

 

一つは、声。

それまで“私”の存在証明だった首につけられた鈴を、フラン様は私の声帯と同化させることで紅美鈴(わたし)に声を与えてくれました。

それは、かつての“私”の声とは違ってとても綺麗な音で――初めて声を出した時に「ああ、私は今生まれ変わったんだ」とひどく納得したものです。

その美しさは万人の感性に共通し、初めて話す人などは声にちょっと“気”を込めるだけで意識を奪うことすらできる声なのです。(もっともフラン様は吸血鬼の“魅了”というスキルによって同じことができるようですが)

 

もう一つは、名前。

(ホン) 美鈴(メイリン) という私の名前。

ホンはフランドール・スカーレットの苗字、スカーレットを畏れ多くもいただきました。

そのスカーレットは炎の赤を意味します。

私の燃え盛る炎のような、鮮やかな髪の赤色に似合うと言って。

そして、(くれない)を他の言葉で読んで、(ホン)

メイリンは私の鈴から。

美しい鈴と書いて、美鈴(メイリン)

色も形も音色も美しいけれど、一番美しいのはその在り方だとフラン様はおっしゃいました。

悪夢の象徴でありながら希望の輝きでもある、私の二律背反(アンビバレント)()自己証明(アイデンティティー)だと。

 

そう言って、名前を与えられた日のことはいまでも色鮮やかに思い出せます。

この世界に私が産まれたのはクーロンでのことですが、紅美鈴(わたし)が産まれたのは畢竟、あの日あの時あの場所でのことだったのです。

 

 

さて、注目すべきは声の方です。

私の声のもとになった鈴――これは、私がクーロンで“何の価値もない存在”だということを示すためにつけられたものでした。

しかしそれでも、“私”にとっては自分が自分であるために必要なたった一つの、命より大切なもので。

私がそれをとても大切にしていることを知ったフラン様は、鈴が壊れたりしないようにと()()()()()()()()()()()()、魔法で固定化してくれたのです。

その強度はマロンさんの覇気を込めた十字剣“夜”での攻撃でも傷ひとつつかないほどだったとか。

海王類の攻撃を受けても揺るぎもしない強度を誇るサンタマリア号……その全体に込められているほどの量の妖力を一つの鈴に凝縮した、といえばそのやり過ぎ感は伝わるでしょうか。

のちのちこの話を聞いたときは、フラン様は過保護すぎますね、と苦笑してしまいました。

 

そしてその鈴は私の声帯と同化して、私の体の一部になっているのです。

 

ええ、ええ、悪魔の実を食す前から私の中には妖力が備わっていたに違いありません。

未熟な私はそのことに気が付かず、悪魔の実の力と私の中の妖力が反応して初めて気が付いたのでしょう。

 

私は意図せずしてルミャさんやにとりと同じように、フラン様の妖力を与えられていたのです。

 

このことに気が付いたときは、なるほど、と色々な事柄に深く納得しました

私の悪魔の実の能力が非常に強力なのは実自体の性能だけでなく、妖力と反応しているから。

十代の半ばほどの容姿で成長が止まっているのはその時期に妖力を与えられたため。

他にもいろいろと、思い至る節がありました。

 

 

――そう、私はすでに“人間”ではありません。

かといって、フラン様と同じ“妖怪”でもありません。

 

私は覇気も使えますし、妖力も使えます。

 

人間であり、人間でない。

妖怪であり、妖怪でない。

 

それこそが、紅美鈴(わたし)

ええ、二律背反(アンビバレント)()自己証明(アイデンティティー)とはよく言ったものです。

どっちつかずの蝙蝠、というのはやはり吸血鬼であるフラン様の妖力を得ているからなのでしょうか……なんて。

 

もしかしてフラン様は、最初からこうなることを知っていたのでしょうか。

もしそうなら、今フラン様がいなくなったのは私への課題、なのかもしれません。

私の持てる力のすべてを駆使して、海底にたどり着いて見せろという。

 

 

さて、そんなわけですから、次なるアプローチは妖力による海底行きです。

まずは、フラン様のいる地点の真上に生えている陽樹イブ。

あの木を挿し木や接ぎ木で増やして、妖力で強化してみましょうか。

イブは空気を出す珍しい植物ですし、深海へアプローチするのにあれほど適したものもないでしょう。

私に残された時間がどれほどあるかはわかりませんが、死ぬまでには絶対にフラン様のもとにたどり着いて見せますとも、ええ。

 

 






流水と止水
流水の対義語って何でしょう。
留まる水、停滞する水、いろいろ思いつくけれど留水は病気の名前くらいにしか使わず(卵管留水症とか)滞水もあまりなじみのない単語かなと思い止水に。
もちろん明鏡止水から。
静水とかの方がいいのかな。

マーマンとギルマン
男性の人魚がマーマン、女性の人魚がマーメイドですが、男性の人魚はその多くがいわゆる半魚人で、英語ではどちらもマーマンです。
特に区別したい場合にギルマン(鰓人間)を使うみたいですね。

魚の卵
マンボウは一度に3億個の卵を産む。
そこから成長するのは数尾だから生存率実に1億分の1、0,00000001%という。

素潜り
呼吸のための装備を付けないで潜ることを素潜りといい、フリーダイビングなどフィンを装備して行う場合も素潜りと言います。
限界はフィンを付けての潜行で100メートルほど、より大掛かりな道具を使って世界記録だと200メートルほど。

メイリンの秘密
ようやく伏線回収。
15話「鈴の意味と見習いのコック」は去年の9月に投稿してるので、半年以上前という。
なんか感慨深いものがあります(投稿速度が遅いだけ)。


わかりにくいですが、本話のフランとメイリンではかなり時間差があります。
本話最後のメイリンの決意をしたころフランはまだぼーっとして苔むしている頃です。

次話からしばらくはフランサイドだけで話が進みます。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

海底の楽園と海の王

前回のまとめ

・魚人製作中……
・美鈴は人間じゃなかったんだよ!


 

 

『やぁ。こんにちは』

 

「うわっ、びっくりした」

 

魚人の研究が順調に進んでいたある日、突然声を掛けられた。

海底で、しかも脳内に直接語りかけるような声。

最近は魚人たちもちゃんとした人語を話すようになってきてはいるけど、それとはまったく別の声だった。

 

声がした方を向くと、そこにいたのは大きな魚――海王類。

魚というよりは海蛇に近く、メイリンが変身する竜のような感じ。

大きさは100メートルほどで海王類の中では小さいほうかな。

 

『君と話がしたいんだ。いいかな?』

 

「え? 別にいいけど……」

 

海王類が私に話って何だろう。

ここは俺たちの縄張りだから出ていけ! とか

生命を冒涜する研究はやめろ! とかかな。

交渉で何とかなればいいんだけど。

てか話ができるって割とびっくり。

調子に乗って餌を独り占めして私に叱られたあの海王類とかとは別に会話できなかったんだけど。

 

『……ああ、ありがとう。そうだ、話をする前に一つお願いがあるのだけど、よければ私に名前を付けてはくれないかな』

 

「名前? あなたには名前がないの?」

 

『私たち――君たちの言うところの海王類というのはね、それぞれの個体に名前を付けたりはしないんだよ。そもそも私たちにそんな文化はないしね。だから人間の用いる“名前”というものは非常に興味深い』

 

「ふうん。私からするとそっちのほうが不思議かも」

 

ああでも、言語を必要としないなら名前なんていらないのかな。

……まぁ名前を付けてくれって言うなら別に断ることもないか。

どんなのがいいかな。

 

ぽくぽくぽく……ちーん。

 

「いいよ、じゃあ――リヴァイ、もしくは、レヴィア、でどう?」

 

『……えーと、ふむ。なぜ二つあるんだい?』

 

「あなたがオスなのかメスなのかわからなかったからね。好きな方を選んでくれたらいいよ」

 

名前の由来はもちろんリヴァイアサンからだ。

別の読み方でレヴィアタンになる。

 

『なるほど。性別によってふさわしい名前が違うんだね。……では私はリヴァイを名乗ろうかな』

 

「まぁ気に入ってくれたのなら嬉しいかな」

 

『うん、ありがとう。君のことはフランと呼んでも?』

 

「どうぞ、リヴァイ」

 

なんだか随分と紳士的な魚だよね。

知性的にも魚どころか他の海王類とすら一線を画しているように思える。

 

「それで、話って何?」

 

『私がフランと話したかったのはね、君との子供が欲しかったからなんだ。どうだろう、この申し出を受けてはくれないかな?』

 

……紳士は紳士でも変態という名の紳士だったか。

 

「ええと、ちょっとよくわからないんだけど」

 

『ああ、すまないね、言葉が足りなかったようだ。言い訳になるけれども、普段会話というものをしないから。なかなか難しいものだね、これは』

 

ん。

凄いことに気が付いてしまった。

そういえばリヴァイの話している言葉は日本語だ。

海王類に言葉という文化はないそうだけれど、となるともしかして私が海底で魚人たちに言葉を教えているのを聞いて覚えたのだろうか。

もしそうならなかなか驚くべきことなんだけど。

 

『順を追って話そうか。まず――』

 

 

 

 

その日もいつものように、何をするでもなく海を彷徨っていた。

そして不思議なものを見つけた。

暗く冷たい海の底に聳える、明るく暖かい大樹。

その木の根本に小さな人間の子供が一人いた。

 

その子供は何もないところから人間を生み出しては廃棄して、周囲の魚達に食べさせているようだった。

何をしているのだろうか。

何かに興味を惹かれるなんて随分と久しぶりのことだった。

 

本音を言えば近くに寄ってみたかったけど、私は巨大な同族からすら恐れられている。

子供の周囲にいるような小さな魚達などは、言わずもがな。

きっと私が近づいただけで恐慌をきたし、全てが無に帰すだろう。

子供自身も逃げ出してしまうかもしれない。

だから私はいつものように気配を消して、遠目から見ることしかできなかった。

 

観察を続けているうちにいくつかわかったことがある。

まず、人間の子供だと思っていた彼女は恐らく普通の人間ではない。

私は人間をよく観察したことはないけれど、背中に石をつけた羽が生えている人間というものは見たことがない。

加えて彼女の凄まじい力。

もしかして、彼女なら私を恐れないでいてくれるんじゃないか。

なんて淡い期待を抱くほどだった。

 

そんな彼女がしようとしていることは、恐らく新しい生命の創造だ。

彼女が生み出した人間に魚の因子を掛け合わせて、新たな種族を生み出そうとしているのだ。

なんという暴挙!

神をも恐れぬ所業とはまさにこのことだ。

いや、それどころか彼女が神なのだと言っていいのかもしれない。

私は随分と長いこと生きてきたが、この世界に生命を作り出した者が誰なのかは知らなかった。

彼女がすべてを作り出したとまでは言わないが、彼女も神の一人であることは確かだった。

私はそのことに気がついたとき、知らず身を震わせた。

 

そして、実際に新たな生命が生まれる様を目にした時、その思いはより深いものになった。

 

彼女はとうとう人間と魚の間に新たな種族を作り出したのだ。

ああ、彼女と話がしたい。

気づいたときから周囲の何より強かった、何より賢かった。

誰も彼も私を恐れて近寄らなかった。

彼らは私を王だといい、災害だという。

だから私は、彼女と話がしたかった。

 

彼女はきっと自分より強く、自分より賢く、広い世界を知っている。

私は彼女の王ではなく、彼女の災害足り得ない。

きっと彼女は私を私として見てくれる。

 

ふと、頭が冷える。

際限なく加熱していた思考が落ち着き、苦笑が漏れる。

私は一方的に覗き見ているだけの相手に、何を求めているのだろうか。

自分がひどく馬鹿馬鹿しいことを考えていたことを自覚して、呆れる思いだった。

 

 

彼女の名前はフランドール・スカーレットと言うらしい。

これは彼女が魚人たちに教育を施していく中で私が知ったことの一つだ。

それにしても、彼女の用いる言葉というものはなかなかに難解である。

音に意味と感情を乗せて相手に伝えるという行為は私達海の中に生きる者にとってはあまり馴染みのないものだ。

私などは専ら思念波を使うので、言葉の習得には苦労した。

そもそも人間のように声帯器官がないものだから、自分の喉をいじくり回すことになった。

 

それにしても、彼女の授業は本当に楽しい。

自分が知らない世界がまだまだあると教えてくれるし、学ぶ喜びを気づかせてくれる。

私は今まで数百年以上も何をしていたのだろう。

ああ、できれば彼女ともっと近くで、直接話してみたい。

彼女の世界をもっと知りたい。

 

『やあ、こんにちは』

 

気がついたら、彼女に話しかけていた。

わ、私は一体何をしているんだ!

自分で自分のことがわからなくてパニックになる。

こんなことは生まれて初めてだった。

 

ひとつだけ安心したのは私が近づいても、周囲の魚達や魚人達が散ってしまうようなことがなかったことだった。

危惧していたことだけに少々拍子抜けすらしたが、よく考えればこの魚や魚人たちはあの大いなる力の具現とも言える彼女のそばに四六時中いるわけだ。

そりゃあ慣れて当然、自分ごときでは脅威に感じないのだろう。

 

「うわっ、びっくりした」

 

私は今、陽樹イブの周囲に張られた空気の膜に顔を突っ込んでいるので、彼女の声を初めて直に聞くことになった。

水中を伝わるものとは違い、とても澄んだ高い声。

少々舌足らずにも聞こえるこの声が彼女本来の声なのだろう。

 

さて、もうやらかしてしまったからには仕方がない。

腹をくくれ、頑張れ私。

 

『君と話がしたいんだ。いいかな?』

 

会話は順調に滑り出した。

言葉を話すのも初めてだけど、練習の甲斐あってかちゃんと通じているようだった。

それでなんだか嬉しくなってしまって、つい恐ろしいことを口走ってしまった。

 

名前を付けてくれって!

なんという厚かましいお願いなのだろう。

確かに私には名前がない。

というより私達海に生きる者に名前をつけるという文化自体がないのだからしょうがない。

強いて言うなら『王』か『災害』が私の名前になるのだろうか。

私が彼女、フランドール・スカーレットに堂々と名乗れる名前が欲しかったのは事実だ。

魚人たちが名前を付けてもらっているのを見て、羨ましいと思っていたことも認める。

 

しかし、だからといって今それを言うのはどうかしている!

私からすれば、彼女は百年以上も眺めていた対象だけれど、彼女にとっての私は初対面なのだから。

 

内心で酷く落ち込んでいると、彼女は少し考え込んでこう言った。

 

「いいよ、じゃあ――リヴァイ、もしくは、レヴィア、でどう?」

 

一瞬、何を言われているのか分からなかった。

しかし、その意味を理解したときに、腹の底から何かがこみ上げてくるように感じた。

 

そうか、リヴァイか、リヴァイ……私の名前。

なんだろう、頭がぐるぐるして落ち着かない。

必死で平静を装っても、内心はぐちゃぐちゃだった。

 

……だからだろう、あんなことを言ってしまったのは。

 

そこからの数分間の記憶は私にとっては悪夢のような羞恥の記憶で金輪際思い出したくもないもので。

気づけば私はフランと子供を作ることになっていたのだった。

……どうしてそうなった!?

 

 

 

 

なるほどね、魚人づくりが楽しそうで見てたと。

それで参加もしたくなって来ちゃったと。

紳士的な海王類だと思ってたけど中身は結構お茶目さんなのかな?

 

「いいよ。それじゃ作ろっか、子供」

 

『おや、やけにあっさりだね。いいのかい?』

 

「まあ子供を作るって言っても遺伝子を組み合わせるだけだからね。あなたが私の夫になりたいとかって言うなら話は別だけど」

 

『ははは。そこまで大それたことは考えていないよ』

 

実際私の遺伝子から何が生まれるのかっていうのは気になるところだ。

正確にはホムンクルスの受精卵を素体に私とリヴァイの遺伝子を組み込むわけだから、ベースは人間で吸血鬼と魚類の特徴を表すのだろうか。

いやでも吸血鬼と人間との相性は妖力と覇気の関係とかから割と最悪に近い部類だろうしなあ。

普通に拒否反応を起こして死ぬ可能性もありそうだ。

 

そうして始まった私とリヴァイの子作り計画は思っていたよりも難航した。

案の定私の遺伝子が強すぎて、ホムンクルスの素体を破壊、リヴァイの遺伝子も淘汰してしまい生命が誕生することがなかった。

 

そこでプランを変更。

 

ホムンクルスの素体が弱すぎるということで、より強靭な生命力を持つ海王類の体を素体にすることに。

この材料の提供はリヴァイからだ。

まあ、彼の体は百メートル級なので少しくらいもらったところで痛くも痒くもないらしい。

 

「大きい……」

 

そうしてできたのは魚人ではなく人魚だった。

つまり、人間をベースに魚の上半身をもつ魚人とは対照的に、魚をベースに人間の上半身をもつ人魚が誕生したのだった。

 

「むう……」

 

考えてみれば不思議なことでもない。

ホムンクルスの人間ベースからリヴァイの魚ベースに変わり、組み込む因子も魚のものを私のものにしたのだから、結果が正反対になって当然だ。

 

失敗だったのはおっぱい……じゃなくて、大きさの調整を間違ったことだ。

百メートル級のリヴァイと、一メートルちょっとの私の間にできた子だからか、生まれた人魚の大きさは二人のちょうど中間の五十メートルほどの大きさだったのだ。

 

そう、生まれたばかりなのに私より胸があるように見えるけど、あれは体が大きいからそう見えているだけ……っ!

だいたい私の因子が入ってるのに巨乳になるのはおかしいしね、HAHAHA。

……なんか悲しくなってきた。

 

いや、もしかして私も育てば巨乳になるってことの示唆なのかもしれない。

……でももう1000歳くらいなのに全く成長してないしなあ。

 

まあ、そんなことはあったけど、とにかく実験は成功だ。

リヴァイも感動してたみたい。

 

というか、私はなんで魚人を作っていたんだろうか。

人魚の方がメジャーだし、見た目の魅力とか考えても魚人より先にこっちを作って良かった気がする……。

 

それにしても本当に大きいな……。

 

『フラン、フラン。大丈夫かい? なんだか随分と唸っていたけれど』

 

「ん、ああ、平気。大丈夫」

 

まさかおっぱいがいっぱいとか言うわけにも行かないので適当に誤魔化しておく。

それにしても私ってばこんなに胸に執着する方だっけ?

まさかこれが思春期……!?

 

そんな風にどうでもいいことを考えながら、人魚も量産することにする。

量産型の方は私とリヴァイの因子は使わず、周囲の魚とホムンクルスのもので作ってしまう。

大暴れする吸血鬼の因子がないからこちらは随分と楽ちんだ。

もちろん大きさは魚人たちと同じ人間サイズ。

 

魚人だらけでインスマスかな?っていう状況だったのが、これでいくらかディズニー的世界観に近づいたかもしれない。

 

 

 

 

それにしても随分とここも人口が増えた。

イブの根本、じゃ味気ないし、何か名前をつけようかな。

 

空気の膜で覆われてあたかも島のように見えるし、深海島とか。

いや、ちょっとダサいかな。

 

『人魚島とかでいいんじゃないのかい?』

 

「あー。でもそれだとなあ」

 

「人魚島!? 美人の人魚がたくさんいるこの世の楽園かな!?」と思って喜び勇んで来てみたら、深き者共が「ルルイエへようこそ!」と言わんばかりに笑顔で出迎えでもしたら、詐欺どころの話ではない。

実際、海底都市に(自主)封印されてる(わたし)が居るわけで、非常にルルイエっぽいしね……。

 

まあ、ここは無難に魚人島とつけておくかな。

 

魚人と人魚の仲は良好だ。

一部では両者で結婚し、子をなしている者もいる。

もともと魚人も、モチーフにした魚が様々で中にはタコやイカなんてのもいたために、生殖に関してはかなり自由が利くように設計してあるのが吉と出た。

具体的には体外受精を基本にすることで体格差を無視し、遺伝子的には両者の特徴がぐちゃぐちゃに混ざらないようにどちらかの親の性質が強く出るように調整した。

 

その結果、種類の異なる魚人同士、人魚同士だけでなく魚人と人魚でも子供が作れるのだ。

もっと言えばベースに人間が含まれているので、人間と魚人、人魚でも子供を作れるだろう。

 

魚人島は今日も問題なく回っている。

ただ一つ問題があるとすれば、この子。

 

「お母さま、お母さま。見てください。色が変わりました」

 

のほほんとした声を発するのは見上げるほどに巨大な胸……ではなく人魚。

私とリヴァイの子供である人魚のレヴィアだ。

体長50メートル超えの彼女は周囲の魚人や人魚達と少々距離をおかれている。

 

「うわあ、真っ青。それヒョウモンダコ?」

 

レヴィアはその大きな胸にすっぽりと収まるタコを抱いていた。

小さく見えるけど、彼女の身長を考えればあのタコ、三メートル近いだろう。

見るからにヤバイ感じに発光しているけど、警告色だろうか。

ていうかヒョウモンダコって10センチくらいの大きさじゃなかったっけ。

 

「わかりませんけど、ぶにぶにしていて気持ちいいです」

 

「ぶにぶにってねえ……ヒョウモンダコって凄い毒を持ってたはずだけど」

 

言いかけて、それが彼女に対して全く見当違いの心配だったことを思い出す。

レヴィアはなぜだか、あらゆる海洋生物を従える能力を生まれつき持っていた。

だから彼女がタコの毒なんかにやられることはあり得ない。

 

以前レヴィアが体表に毒を持つフグに触ったことがあった。

しかし彼女が触れる瞬間、そのフグは体表に毒を出すことをやめた。

毒のあるイソギンチャクに触ったときもレヴィアは刺されなかった。

サメの鼻先を撫でたこともある。

およそ海の生物は彼女に対して危害を加えない。

そして、この能力故に彼女は周囲から避けられているのだった。

 

『まあ流石は私の娘といったところだよねえ。まさかこの年で我が同胞にすら効果を及ぼすなんてね』

 

「海王類にはまだ限定的なんだっけ?」

 

『そうだね、せいぜい友好的な相手から頼まれたくらいの強制力らしい』

 

「それって十分ヤバイと思うんだけど……」

 

『うん、ヤバイね。成長したら私すら従えることができるようになるかもしれない』

 

「問題だよねえ」

 

『何とかしてあげたいところだね』

 

海洋生物を従える能力そのものはそんなに危惧していない。

問題は、最近レヴィアがこのことに気づき始めていることだ。

 

想像してほしい。

あなたの周囲の人間はすべからくあなたに対して友好的だ。

でもそれは本当の彼らではなく、あなたが無意識に行っている催眠術で操られているのだ。

ゾッとする世界だろう。

そしてそんな世界の中、唯一なんの影響も受けていない人物が二人。

両親、つまり私とリヴァイだ。

 

まあ、結論として最近のレヴィアには私たちに対する強い依存心が伺えるのだ。

どこへ行くにもついてくるし、何をしても肯定する。

逆に周囲の生物に対しては相手のことをモノ扱いし始めている節がある。

相手の人格を認めていないといえばいいのだろうか。

あのタコもそろそろ抱きつぶしてしまいそうだ。

 

魚人や人魚は一般的に海洋生物を良き隣人として共生しているのだけど、レヴィアは段々とそういった思考ができなくなってしまっている。

……やっぱりこれどう考えても私の悪影響が出ちゃってるよね。

あーあ、どうしようかなぁ。

 






リヴァイアサンとレヴィアタン
英語だとリヴァイアサン、ラテン語だとレヴィアタン。
「リヴァイアさん」と「レヴィアたん」って書くと途端に色物っぽくなる。

インスマス
アメリカ合衆国マサチューセッツ州エセックス郡にある架空の港町。
ここの住人は年をとると半魚人に変わっていくらしい。
深き者ども、ルルイエも含め、クトゥルフ神話より。

レヴィア
周りの生物がみんな(両親除く)自分に従うので精神が歪み始めている。
よく言えば我がままに、悪く言えば傍若無人に。
フランちゃんの子育ての明日はどっちだ!


家出編は次話かその次で終わりです。
割と唐突というかあっさりと締める予定。
それが終われば一気に時間が飛んで(約3000年)空白の百年編だ!



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

それでも彼女はいなくならない

 

 

 

パァン!

 

右頬から鋭い破裂音。

少し遅れて痺れるような痛み。

 

「フラン様の……バカァっ!」

 

何が起きたのかわからず、しばし呆然とする。

泣きながら走り去るメイリンの背を見て、私はようやく自分がビンタを張られたのだと理解した。

 

「え……あ……」

 

言葉にならない声が漏れ、力なく伸ばした手は何も掴むことなく虚空を彷徨う。

何が言いたかったのか、この手をどうしたかったのか、何一つ自分でもわからない。

分かるのは、ただ――メイリンを泣かせてしまったということ。

 

ぐるぐると腹の中が渦巻いている気がする。

ぐつぐつと頭の中が煮立っている気がする。

気持ち悪い、吐きそうだ。

なんで、こんなことになったんだっけーー。

 

 

 

 

確か、海の森で森林浴をしていた。

そうしたら、レヴィアが呼びに来たのだ。

 

「お母さま、お母さま。何か見慣れないものが近づいてきています」

 

「ん、おはようレヴィア。見慣れないもの?」

 

「おはようございます、お母さま。はい、よくわからないのですけど、皆が怯えています。襲いかかった大きな子が返り討ちにされてしまったみたいで」

 

「海王類を返り討ち……?」

 

 

悲しげな顔をするレヴィアはこの数百年で随分と成長した。

身長体重胸囲こそ変わってはいないものの、幼い頃に抱いていた周囲との関係の不安やそれに起因する依存心なんかはもうすっかり問題ない。

まあ私とリヴァイの熱心な教育の成果であって、そのせいで少々博愛的になりすぎたかもしれないけど。

 

一方でリヴァイは数百年経っても老いなかった。

というか海王類の寿命は個体によってまちまちで、数十年のものもいれば、リヴァイのように何百年生きているのかわからないのまでいる。

そしてそんなリヴァイと私の子であるからなのかレヴィアもまた年のとり方が遅かった。

不老としての特性自体は劣化しているのか、確かに年は取っているけど、まだ人間でいうところの二十代後半といったところだろう。

周囲の魚人や人魚が幾度も世代交代している中、私とリヴァイとレヴィアの三人はのんびりと時を過ごしていた。

 

そして、そんな穏やかに流れる時の中でレヴィアが報告に来たのだった。

 

「見慣れないものかぁ。生き物じゃないの?」

 

「うーん、お魚さんたちの話では、生き物じゃないけど生き物も中にいるとか……」

 

「なにそれ」

 

「さあ……」

 

まあ知性の低い魚の、それも恐慌に陥っている状態での言葉なんてよくわからないものだろうけど。

とりあえず見に行くしかないかなあ。

 

「一応魚人さんたちが対応してくださっているみたいですよ」

 

「ふーん、大暴れって感じでもないのかな。海王類は襲ってきたから返り討ちにしただけ?」

 

「襲いかかった子はちょっと乱暴者さんでしたから。ほとんど怪我もないみたいですし、いいお灸になったのかもしれません。あとで様子は見に行こうと思います」

 

レヴィアはのほほんと微笑んでいるけど、それはつまり海王類に水中で襲われても、怪我させることなく返り討ちにできる実力を持っているってことなのでは?

 

考えていても始まらないので、私とレヴィアはひとまずその問題の現場に向かうことにした。

 

そして、そこにあったのは驚くべき光景だった。

なんと、船がある!

見た感じシャボン玉に包まれている船が、魚人島外周の空気膜に接するように接舷されている。

しかもそのシャボン玉からは魔法の気配がしない。

帆船で海底に来るというのは、以前に私がスカーレット海賊団を率いていたときと状況は似ているーーけど魔法を使わずにとなると、どうやったのか私にもわからなかった。

 

というか、船ということは地上からの来訪者ということだ。

いつかはこの海の底にも訪れるだろうとは思ったけれど、まさかこんなに早いなんて。

私が地上を離れてまだ千年も経っていない。

人類が既にここまで生息圏を広げたというのならそれはもう……。

 

ただ、驚きはそこで終わらなかった。

この数百年で、いや、この世界に生を受けてから最大の驚きが、私を待ち受けていたのだから。

 

武器を持った魚人達に囲まれているのは、十人ほどの人間だった。

一触即発といった雰囲気ではなく、互いに困惑しているような状況で、それぞれの代表が何やら言葉を交わしていた。

そして、その代表の両方に私は見覚えがあった。

 

魚人の方は、今代の魚人島の島長だ。

リュウグウノツカイの魚人で、とても理知的で物静か。

噂では何やらレヴィアと恋仲だという話も聞く。

母親としてはレヴィアが幸せになってくれれば何も言うことはないけれど、父親の方は大変そうだ。

リヴァイはレヴィアを溺愛してすっかり親馬鹿になってしまったので、いざとなったら私がなんとかするしかないだろうと思っている。

 

……ああ、ダメだ、思考が逸れる。

それについて、考えたくない。

なぜ、なぜあなたがそこにいるの。

わからない、何もかもが。

ねえ、なんでなの――メイリン。

 

人間代表の方は、よく見知った女性だった。

私が作った緑色の似非華人服に身を包み、凛として立っている。

私があげた、鈴の転がるような声で島長と話している。

その仕草も表情も私がよく知る彼女のもので、彼女が他人の空似なんてことはあり得ない。

 

だけど、彼女は。

悪魔の実を食したとはいえ、ただの人間で。

覇気で若々しさを保ってるとはいえ、寿命には勝てないはずで。

 

私が彼女に出会ってから、もう千年近くも経っていて。

生きているはずなんか、ないのに。

 

私は、彼女が死ぬのが怖くて、耐えられなくて、逃げ出して――こんな海の底まで逃げてきたのに。

 

なぜ、あなたはそこにいるの。

 

 

「おや、フラン様。よくぞお越しに」

 

硬直していた私に、最初に気がついたのは島長だった。

そして視線の先を追ってメイリンも私に気がついた。

 

「フラン様!」

 

目と目が合う。

彼女の綺麗な瞳から感じるのは、驚きと喜びと達成感――だろうか、複雑すぎてよくわからない。

私は彼女の目を直視できなくて、すぐに視線を外してしまったから。

 

「おや、ホン殿はフラン様と面識がお有りで?」

 

「え、ええ。というより、私はフラン様を追ってここまで来たんですから」

 

「なるほど、フラン様とお知り合いだったのならば納得です。それにしても人間というものは初めて目にしましたが実に奇妙……おっと失礼」

 

「そうですか?」

 

「ええ、人魚の上半身と魚人の下半身を足したような……実に中途半端に見えますな」

 

「あはは……私達からすれば、あなた方のほうがよっぽど奇妙なんですけどね」

 

そこまで話しメイリンは、島長との話を切り上げて私の方へと駆けてきた。

 

「フラン様! 随分と時間はかかっちゃいましたし、いろんな人の助けも借りましたけど、私ついにここまで――」

 

「どうして」

 

「え?」

 

「どうしてここにいるの、メイリン」

 

あなたは、寿命で死んだはずじゃ。

なんで生きてるの。

ねえ、どうして。

あなたが生きてるのなら、私が逃げ出して、逃げ続けたこの数百年はいったい――。

 

「それは、フラン様を探して――」

 

「私は、探してなんて言ってない」

 

そうだ、私は探してなんて一言も言っていない。

なのに、あなたは一体何年かけてここまで辿り着いたの。

何を犠牲に。

ああ、数百年以上もかけてこんな海の底まで来て。

そのために人の身であることまで捨てて。

 

「あなたも、人間のまま、死ぬべきだったのに――」

 

今まで私の前を去っていった皆のように。

みんな、私の前からいなくなった。

私だけが時の流れに置いて行かれて。

マロンだって、クックだって。

人の身を捨てることになったルミャでさえも、私を置いて行ったのに。

 

「なんで、生きてるのよッ!」

 

 

そうだ、そして私は――彼女に頬を張られたんだった。

 

 

違う、違うんだよメイリン。

私が言いたかったのはそうじゃなくて。

 

あなたが、私と同じ妖怪(こちら)側にきたのが悲しかった。

私が千年以上味わってきた離別の苦しみを、あなたには味わってほしくなかった。

 

そして、私だってもう裏切られたくなかった、置いて行かれたくなかった。

たとえ人の身を捨てたところで、どうせすぐに心が耐えきれなくなる。

私は狂気に身を委ねてのらりくらりとかわしてきたけど、心に闇を抱えていたルミャでさえも耐えきれないと言った色濃い絶望だ。

 

ああ、それなのにメイリン、あなたはもう数百年もの間私を探して。

あなたならもしかして、なんて希望を持たせてくれる。

くれてしまう。

 

過ごした時間が長いほど、濃密なほどに別れは辛くなる。

数百年前の、たった百年ぽっちを一緒に過ごしたあなたとの離別さえ耐えきれなくて逃げ出した私が。

これから先あなたとの長いときを過ごして、そして、裏切られたら。

私は、どうすればいいの――。

 

「お、お母さま……」

 

苦しげな声に、はっと我に返った。

隣では、レヴィアがその巨体を地に伏せ呻いていた。

そうだ、レヴィアは感受性が豊か、というより敏感すぎるから私の鬱々とした感情に当てられてしまったんだろう。

 

「島長、レヴィアを病院までお願い。人手も多分必要」

 

「は、はい、フラン様。それで、あの、フラン様に手をあげたあの不届き者は」

 

「……いい。ほっといて」

 

「はっ。フラン様がそうおっしゃるならば」

 

島長はテキパキと指示を出して、50メートルもの巨体であるレヴィアを十数人がかりで病院まで運んでいく。

本当は私が魔法でぽんと転送してあげられたら良かったんだけど、ここまで心が乱れている状態で魔法を使うと暴発しかねない。

 

場には私と、メイリンの船のクルーたち、そして彼らを留めるように立っている魚人島の警備兵たち。

メイリンが私を引っ叩いたことで幾分か緊張は高まっているけど、一触即発と言ったほどではない。

 

「はあ、これからどうしよう……」

 

私はまだ痛む頬を擦りながら地面に寝転んだ。

ていうか吸血鬼の私に対して暫く痛みを残すビンタって、ヤバイよね。

薄くとはいえ妖力も纏っていたし、それもぶち抜いて来たってことは覇気を込めていたのかな。

普通の人間が喰らえば首から上がなくなっているよね。

 

そうだ、こんなにジンジンと痛むのはそんな凄い力で殴られたからだ。

そう、だからきっとこの胸の、刺すような痛みも――。

 

 

 

 

フラン様を殴ってしまった。

 

初めてのことでした。

訓練で相手をしてもらって攻撃を当てたことはある。

料理のときに手を滑らせてフライパンを頭の上に落としてしまったことはある。

船室のドアを閉めるときに気が付かなくて思い切り挟んでしまったことはある。

でも、フラン様を傷つけてしまった嫌な記憶は数あれど、自分の意思で傷つけたのは初めてのことでした。

 

だって、仕方がないことでしょう。

ほとんど千年にも及ぶ研究と試行錯誤の果てに、ようやくこの海の底まで追ってきて、ようやく、ようやく出会えたのに。

 

『どうしてここにいるの』

『私は探してなんて言ってない』

『あなたも、人として死ぬべきだったのに』

『なんで生きてるの』

 

冷たい声で、私と視線も合わせようとしないで、フラン様はそう言いました。

私は、その言葉に酷く裏切られたような気分になって。

気がつけば、あの人の頬を力いっぱい張り飛ばしていました。

 

……でも、泣きながら逃げ出して時間が経って落ち着いてみれば、どこまでも気分が落ち込んでいきました。

だって、フラン様が仰ったのは本当のことなんですから。

確かに探してとは言われてませんし、フラン様からすれば数百年以上も勝手に追いかけられているようなものだったのでしょうか。

そして追いつかれていきなりビンタされて泣かれて逃げられて。

正直かなり気持ち悪いというか。

でもそれ、私なんですよね……。

 

なんか私、一人で勘違いして突っ走って、痛い子みたいな感じじゃないですか。

おかしいな、私はこんなことをするためにフラン様を追ってきたわけじゃないのに。

ああ、なんで私フラン様を引っ叩いてしまったんでしょう。

もう顔を見れません。

 

そんな風に体育座りでうじうじしていると、誰かが近づいてきました。

誰かというか、海王類?

 

「こんにちは、お嬢さん」

 

うわ、喋った。

ていうか、海王類なのになんで肉声で日本語喋ってるんですか。

 

「あなたは?」

 

「私はリヴァイ。フランの夫だよ」

 

ふ、ふ、ふ、フラン様の夫!?

い、いえ、フラン様ほどのお方でしたら夫の一人や二人、百人や千人いても驚きませんけど、え、海王類と!?

 

「まあこんなこと言うと本人から普通に否定されるだろうけどね」

 

「な、なんだ、驚かさないでくださいよ」

 

「彼女と子供を作ったのは本当だけどね」

 

「えええええ!? それってつまり結婚せずに体だけの関係ってことですかぁ!?」

 

「ははは」

 

海王類さんは楽し気に笑った後、ネタバラシをしてくれました。

なるほど、人魚を作るのに遺伝子を提供したと。

先ほどフラン様の隣にいた大きな人魚の女性が、この海王類とフラン様の子供だそうです。

はー、驚きですね。

フラン様の子供と言えば……こぁは眷属で、フラン様自身と言っても過言ではないですし子供とはちょっと違いますね。

まぁラフテルの民すべてフラン様の子供のようなものでしょうけど、私も含めて。

 

「それで、リヴァイさんは私に何か用ですか?」

 

「んー、いやね、人間とは初めて話すものだからちょっとした好奇心というやつさ。……しかし、どうやら君も普通の人間というわけではないようだね」

 

まぁ、私これでもフラン様とこぁさんの次くらいには長生きしていると思いますし。

 

「私と一緒に来た船のクルーは皆純粋な人間ですよ。そちらと話されては?」

 

「あとでそうさせてもらおうかな。――それで、君は一体なんなんだい。君からはフランと同じ匂いがする」

 

ふうむ?

なんだか警戒されてますね。

まあ別に隠すことでもないのですけど。

 

私は私の来歴をリヴァイさんに語りました。

おそらくリヴァイさんの感じているのは私の中にあるフラン様の妖力ですよね。

なにも警戒することは……ああ、なるほど、そういうことですか。

彼は私達がフラン様を地上に連れ去ってしまうことを恐れているのですね。

 

「なるほどね、フランを追って、か……。しかし君たちは双方ともに不器用というかなんというか」

 

不器用?

フラン様も私も手先は器用な方だと思いますが……。

まあにとりには負けますけど。

彼女はミズミズの実の能力でミクロン単位の精密作業ができますからね。

 

「……君はいささか抜けているところがあるようだね。でもまあ、そんな人でもなければ彼女の隣は耐えられないのかもしれないね」

 

「なんの話ですか?」

 

「君達はお互いもっと腹を割って話し合うべきだということだよ。傍から見ていて非常にやきもきさせられる」

 

「はあ……」

 

なんで私は海王類に人生のアドバイスをされているのでしょう。

だいたいフラン様と何を話せというのでしょう。

そもそも、もう合わせる顔がないんですけど。

 

「まあ、まだ実感はわかないか。……ところで君の名前は? 君はフランのなんなんだい?」

 

「あ、すいません、まだ私の自己紹介はしてませんでしたね」

 

来歴とか目的とかは語りましたが、これでは片手落ちでしたね。

 

「私の名前は紅美鈴です。フラン様の……フラン様の……?」

 

あれ、私はフラン様の何なのでしょう。

以前はスカーレット海賊団の船員として、師匠が亡くなってからは料理長として船に乗っていました。

だから私はフラン様の部下で。

でも、船を降りた今は?

 

血のつながりはないし、にとりのように友人といえるほど気安い間柄ではありません。

でも、単なる知り合いと言ってしまうには、あまりに長い時間を共に過ごしています。

フラン様が海底へ行かれるまではかなり親しかったとも思っています。

でも、それならどうしてフラン様は私に何も言わず……。

 

「……その答えを見つけるためにも君はフランとよく話し合うべきだよ。はぁ、まったくなんで私がここまで気をまわしているのやら」

 

そう言い残して、リヴァイという名の海王類は去り。

しかし、私には彼を見送る余裕はありませんでした。

 

 

 

 

魚人島の外れにある森。

美鈴はその森の中の一本の木を背にして座り込んだ。

 

「フラン様……」

 

姿は見えなくてもその木の裏側にフランがいることは、気配で感じ取っていた。

一本の木を挟んで、背中合わせに座っている形だ。

 

「…………」

 

美鈴の言葉に返事はない。

しかし、うずくまるように座っているフランが少し身じろぎしたのを、美鈴の鋭敏な感覚が捉えている。

 

「私はフラン様が突然いなくなって、とても驚きました。それと、何も言わずにだったことが、寂しく思いました」

「こぁに聞いても何も教えてもらえず……一応、何か不測の事態に巻き込まれてのことではないと分かって安心はしましたけど」

「私はフラン様にまたお会いしたかったですし、仮に別れなければならないにしても別れの言葉くらいはお伝えしたかったです」

「だからそれから、フラン様を探すことにしました。にとりに手伝ってもらって、フラン様が海底にいるようだということはわかったので、そこまで行く手段が問題でした」

「海って凄いんですね。生身で潜っても息が続かないしペシャンコにされてしまうしとても寒いしで大変でした。悪魔の実で龍になっても半分が限界で、別の方法を考えなくてはならなくて」

「私は話に聞いていた、サンタマリア号を空気の膜で覆って潜る方法を真似てみようと思いました。それで、空気を出すという陽樹イブを接ぎ木して近くの島で育てることにして……」

「勿論そのままでは無理ですから、魔力を帯びているという海楼石をそばに置いて育ててみたり、妖力を込めてみたり、”気”を込めてみたり」

 

「ちょっと待って、妖力? なんでメイリンが妖力を使えるの?」

 

独り言のように、反応を待つでもなく喋り続けていた美鈴だったが、ここで初めてフランが反応した。

しかし、その反応に美鈴はピンとこない。

 

「え、ええと、昔フラン様が私の首の鈴に妖力を込めて壊れないように強化してくださったことがありましたよね。私の声帯はその鈴を元にされているそうなので、そのせいかなと。自分が妖力を持っていると気づいたのは悪魔の実を食べてからしばらくしてのことでしたけど」

 

ガン、と大きな音が海底の森に響いた。

美鈴が背中を預けている木が大きく軋む。

フランが勢い良く顔を上げ、後頭部を背後の木に盛大にぶつけたためだった。

再び――先ほどまでとは違う理由で――頭を抱えてうずくまる気配を感じて、美鈴は咄嗟に木の裏側へ回ろうとするものの、それは他ならぬフラン自身によって止められる。

 

「待って、ちょっと、こないで。大丈夫だから。今、自分の愚かさとかアホさ加減とか抜けてるところとか考えなしなところに呆れ返ってるけど、それ以上にこんな頭抱えた間抜けな姿を見られたら死ぬ。死んじゃう」

 

美鈴はフランが鈴に妖力を込めたことと、それを声帯と同化させることで自身の一部にしたことは意図的なものではなく――もしかすれば濃すぎる妖力が体に害を与えて危なかったのでは、と問い正したかったが、とてもそんな追い打ちをかけられる状況ではない。

“気を使える女”を自負する美鈴はとりあえず別の話題を振ることにした。

 

「えっと、その、フラン様って体頑丈ですよね」

 

「……うん? 何急に」

 

「いえ、あの、フラン様なら木に頭をぶつけたくらいじゃビクともしなさそうなのに結構普通に痛がっているのが不思議で……」

 

美鈴の言葉通り、フランは今若干涙目になりながらぶつけた個所を擦り、ずれた帽子を直していた。

 

「あーうん、まあね。日光対策に常時薄ーく妖力は纏っているけど基本的には生身だよ、私。痛覚含めて感覚はだいたい普通の人間と同じくらいに調節してるし」

 

「そうなんですか……あっ、そういえば昔私がフライパンを頭に落としてしまったときやドアに挟んでしまったときも普通に痛がってましたね」

 

「強い体を持ってたり長いこと生きてるとどうしても感覚が鈍くなっちゃうからね。そして感覚が鈍ると心も鈍くなっていくから。メイリンはこの数百年でそう感じることなかった?」

 

「あはは……。私は師匠に“気”を教えてもらって、そのあとも覇気やらなんやらで見習いコックのころから常に身体強化はしていましたし、五感も強化してましたから、あまりそういうことは考えたことがありませんでした。今後は気を付けてみます。……でも、それって危険じゃないですか?」

 

「一応私も“攻撃”に対しては反射的に防御するし、“衛星兵器(ウラヌス)”レベルの不意打ちを受けなきゃ平気だよ。……まぁ、さっきのビンタは防御貫通してかなり痛かったけど。首がもげるかと思った」

 

「うっ……ご、ごめんなさい。あのときはついカッとなって本気で殴ってしまいました……。そうですよね、アレ普通の人にやってたら首から上どころか余波で全身バラバラになっててもおかしくないですよね……。うう、私はフラン様になんてことを」

 

頭を抱えていたフランから一転、今度は美鈴が体育座りに顔をうずめてブツブツと呟く。

その様子が目で見ていないのにありありと思い浮かべられることに気がついて、フランは苦笑した。

随分と、それこそ千年近くも離れて必死で忘れようとしていた存在が、全く自分の中から消えていないことに気がついて。

 

「いや、ありがとね、メイリン」

 

「へ?」

 

「いいのを一発もらったおかげで、目が覚めたよ」

 

ぺたん座りをやめて足を前に伸ばす。

帽子を取り、背を木に預ける。

一つ大きく深呼吸をすれば、なんだか一気に心も体も軽くなった気がした。

 

「私はさ、怖かったんだよね。あなたが死んでまた一人になっちゃうのが。メイリンがもうすぐ寿命で死んじゃうって思ったとき、たまらなくなって逃げ出したの」

 

「フラン様……」

 

「笑っちゃうよね。ウブなネンネじゃあるまいし、メンタル弱すぎって感じ。まあ、実際は自分で妖力与えて寿命伸ばしてたんだから世話ないけど」

 

「あはは……」

 

はあ……と大きくついた溜息は空気に溶けて広がっていく。

束の間、海の森には風が木々を揺らすだけの静寂が揺蕩う。

互いに顔すら合わせてはいないけれど、しかし、この静寂はーーなぜだか心が通じ合うような、心地の良い静寂だった。

 

「正直、今でも怖いよ。例えばさ、これから千年くらいメイリンが生きるとして、私と一緒に生きたとして、長すぎる人生に疲れて私を置いていったりしたら、なんて考えるといてもたってもいられなくなる」

 

「私は、絶対にそんなことーー!」

 

「未来のことなんて誰にもわからないよ。絶対なんて言い切れない」

 

「それは……」

 

「ふふっ。でもね、それでも、いや、それだからこそ、いいのかなってーーあなたが思わせてくれたんだよ?」

 

「え?」

 

「千年後にはメイリンが居なくなっちゃうかもしれない。でも、そうはならないかもしれない。私は耐えられないかもしれない。でも、そうはならないかもしれない。未来なんてわからないんだから、その時の自分に丸投げ! 悩むのやめちゃおうってね」

 

「ええー……それはなんというか、適当過ぎません?」

 

「いいじゃない、適当で。だって私、メイリンに思いっきりビンタされる未来なんて一度も考えたことなかったし。しかも、死んだと思っていたのに千年後に海底まで追ってきて、だよ」

 

フランは目をつむり薄く微笑む。

美鈴は花が咲くようなその気配に、思わず振り向いて見たくなった。

きっとそれは、今まで見た彼女の表情の中でも、いっとう綺麗なものだと思ったから。

 

「なんかもうね、いい意味で色々馬鹿らしくなっちゃって。もっとこう、自由に生きたいなって思っちゃった」

 

「今以上に自由に……?」と思わず美鈴は口走りそうになったが、すんでのところでこらえる。

何も言わずに深海に千年も引きこもるというのはなかなかにぶっ飛んだ自由人の在り方だが、美鈴は空気が読める女なのだ。

 

「だからさ、メイリン。色々と酷いことをしたし、酷いことも言っちゃったけど……また、私のそばにいてくれる?」

 

そのフランの言葉に美鈴は体を硬直させた。

知らず、止めていた息をゆっくりと吐き、深く深呼吸をした。

 

「フラン様……私は、自分でも分かってませんでしたけど……多分面倒くさいとか重いとか言われる女だと思います。今まで全く意識してませんでしたけど、特になんの約束があるわけでもなく千年も追っかけるとか、結構ヤバいと思うんですよね。だからまあ、気持ち悪がられたりすることはあるかもしれませんけど」

 

美鈴は目を閉じ、自分の気持ちを見つめ直す。

自分のことも大概だと自覚してしまったけれど、これも自分だと割り切ってしまえる程度には達観していた。

そして気持ちは彼女を追う前と再び会ったあとで、いささかの違いもなかった。

いや、むしろその想いは強くなっているかもしれない。

美鈴にはそのことが自分のことながら嬉しかった。

そう思える自分で在れることが誇らしかった。

 

「多分あなたが本気の本気で心の底からどうしても絶対に嫌だって拒絶しない限りは、私は頼まれなくたってそばにいたいと思います。もし死んじゃっても死の国から戻ってくるくらいには、執念深いと思いますよ、私」

 

そう言って美鈴は苦笑した。

自分でも何を言っているかわからない。

一歩間違わなくても、控えめに言って頭がおかしい。

狂っている。

 

でも、狂っているからこそ、彼女の隣に在れるのかもしれない。

 

なにせ彼女は狂気の吸血鬼、フランドール・スカーレットなのだから。

 

「だからその、いつまでも隣にいて、いいですかーー?」

 

その言葉は懇願のようであり、請願のようであり、それでいて、どこか決意表明のような色に見えた。

 

「あはっ、アハハハハッ!」

 

静かな海の森に狂った哄笑が響き渡る。

常人ならば聞いただけで腰を抜かし正気を保てなくなるような恐ろしい笑い声。

 

だけれども、ただ一人その笑い声を聞いた美鈴は知っている。

この笑い声は彼女の愛する吸血鬼が、本当に気分がいいときに出す笑い声だということを。

 

「あなたって割と馬鹿なところあると思ってたけど、間違いだったよ。正しくは大馬鹿者だね、それも救いようがないくらいの」

 

「えー、私結構勇気を振り絞っての告白だったんですけど。その反応は酷くないですか?」

 

「あはは、ごめんごめん。でも、お似合いだよ。私もどうしようもない愚か者なんだし」

 

「フラン様が愚か者なら全生物には知能がないことになると思うんですけどねえ……」

 

笑う二人の声は混ざり合い、空気に溶けていく。

それはまるで二人のわだかまりが解けていくようでもあり。

未来においてそれがどのような意味を持つのかはまだ誰にもわからないけれど。

きっと今この時は、何にも劣らぬ幸せな時間だった。

 

 

 

 

永遠に幼い吸血鬼は独り、永い時を刻む

小さな歩幅の歩みは遅く、終りは見えず

刹那の道をすれ違うよう、皆は先に行く

一人取り残される月夜に、訪れるは静寂

 

ああ世界よ、そして誰もいなくなるか?

 

 

そうして彼女が諦めれば、到る明けぬ夜

されども月夜に一人抗う、曙光輝く太陽

何も持たざる龍の少女は、月の隣を望む

月に寄り添い歩みを揃え、心の闇を払う

たとえ難き試練が彼女を、襲うとしても

 

きっと、それでも彼女はいなくならない

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

家族の名前と龍の帽子と魚人島の日々

前回のまとめ

・それでも彼女はいなくならない


 

 

その後のことを語ろうと思う。

 

メイリンからの永久ストーカー宣言(本人曰く”一世一代の告白”)を受けて、私達は以前のような関係に戻った。

 

今にして思えば、私はなんでメイリンを避けていたのやらって感じだけど、まあ過ぎ去ったことだからこそそう思えるんだよね。

まあとにかく、私は心も体も万全の状態に復帰したわけ。

 

そうそう、あのあとメイリンが、「私達の関係って何なんでしょう?」と尋ねてきた。

言われてみれば、確かに私達の関係性を表す言葉というのは見つからなかった。

強いて言えば、主と従者?

まあでも、私としてはそんな角ばった関係は嫌だったから、「家族」と答えておいた。

 

メイリンが小さかった頃から育てているから子供みたいなものだし、長年連れ添った仲だ。

一緒に過ごした時間なら、ぶっちぎりのトップでもある。

 

なにより、スカーレット海賊団のクルーは皆家族だって思ってるしね。

船の上っていう特殊な環境は仲間内の絆とか、そういうものを強力に育む効果がある。

長い航海を共に過ごしたのなら、それは血のつながりよりも濃い絆になる。

 

だから家族っていう関係性は、とてもしっくりと来た。

メイリンも気に入ってくれたみたいだし。

ただ、どっちが姉で、とか母で、とかそういう話はしていない。

色々とこじれそうだしね。

主に実年齢と見た目で。

 

 

それで、私は久しぶりに地上に帰ろうかと思ったんだけど、リヴァイやレヴィアや島長たちに、じゃあバイバイと別れることはできなかった。

とりあえず近いうちに地上に戻ることは伝えて、そのまま魚人島に滞在することに。

もうすぐレヴィアと島長が結婚しそうだしね。

娘の晴れ姿は見たいし、披露宴を盛り上げてあげなきゃ。

目指すはタイやヒラメや魚人や人魚や海王類が舞い踊る竜宮城だ。

ていうか実際に建てて結婚祝いに新居としてプレゼントしようかな、竜宮城。

どうせ体の大きいレヴィアのために、特注の家は作らなきゃならないだろうし。

 

そうそう、魚人島への滞在中はメイリンと彼女の船のクルーもここに残ることにしたらしい。

メイリンはまあわかるけどクルーたちまで付き合わせるのはなんだか申し訳なかったので、「良ければラフテルに送り返そうか?」といったんだけど、なんと彼らは皆ラフテルの出身ではないらしい。

 

メイリンが今回の深海行きに用いた植物はヤルキマンマングローブという。

ボコボコ気泡を出す”やる気満々”な”マングローブ”のような植物だからとメイリンがつけた名前らしいけど……まあ彼女のネーミングセンスは今に始まったことじゃない。

で、このヤルキマンマングローブは実験と調整のために魚人島の真上あたりで大量に飼育していた。

数百年も経つと完全に島のようになり、いつの間にか人も多く住み着くようになったらしい。

つまり彼等クルーはその島――シャボンディ諸島の出身だということだ。

 

島を作ったり、擬似的な国が出来上がったり、メイリンも意外と色々やってるよね。

実際海底までくる技術も発明してるし。

メイリンによって調整されたヤルキマンマングローブのシャボン玉で船をコーティングする技術は、学べば一定の覇気持ちの人なら誰でもできるって言うし。

私の魔法による船体保護は私しかできないから、汎用性って点で足元にも及ばない。

 

 

そんなシャボンディ諸島出身のクルーたちは地上に帰ることを拒否した。

というか人魚たちにメロメロになったというのが正しい。

魚人と人魚たちは私が作り出したホムンクルスをベースにしているので、体つきや顔つきはわりと理想形に整っているからねえ。

美男美女揃いで体も逞しかったりしなやかだったりである。

 

まあ、魚の種類によってはアレな見た目の人も結構いるけどね。

クルーのうちには魚人に一目惚れした人もいるようだ。

タコの魚人にとはまたマニアックな趣味をお持ちで。

 

ちなみに、魚人と人魚の男女比については、魚人は男性が多く、人魚は女性が多い。

ただ、多いだけでいないわけじゃない。

 

 

 

 

そんなこんなで五年ほど。

 

 

レヴィアが無事出産した。

産まれた人魚の男の子は元気に泳ぎ回っている。

驚いたのはその大きさ。

だいたい30メートルくらい?

レヴィアと島長のちょうど中間くらいだ。

あれかな、海王類のリヴァイの血が薄まって大きさが小さくなっているのかな。

このまま数世代も重ねれば普通の大きさになるだろう。

 

良かった、レヴィアは体が大きいのがちょっとだけコンプレックスだったらしいからね。

日用品とかも特注サイズだし、可愛い洋服もない。

夜の営みもサイズが合わなくて大変だと嘆いてた。

うん、そういう生々しいのはやめてね。

私これでもそういう経験ないからさ。

……てか娘に先を越される母親って凄く珍しいような。

 

いいもん、一人でも。

吸血鬼(わたし)の生殖行為は吸血だけど、未だにそういう意図で血を吸いたいってほど昂ぶった相手はいないしね。

強いていうなら今のメイリン?

人妖の狭間にして、人として練り上げた体も頂きを極めている。

どんな味がするのかは気になる。

 

そういえばメイリンの血って飲んだことなかったな。

マロンやクックといったスカーレット海賊団の初期メンバーはだいたいスキンシップで吸ってるんだけど、メイリンだけ加入時期が遅かったからなあ。

 

たしかメイリンってB型だったし美味しいとは思うんだけど。

B型は他に比べてまろみが違うんだよね。

今まで飲み比べた中じゃB型が一番おいしい。

思い返せば数百年以上血は飲んでないし、今度飲ませてもらおうかな。

 

 

 

 

そんなこんなで十年。

 

 

ある日、ふと思った。

 

「ねえ、メイリン」

 

「ん、なんですか、フラン様」

 

「その、フラン様っての、どうなの?」

 

「へ? どうなの、とは?」

 

「いや、前に私たちの関係について話したことがあったじゃない。で、結論として家族ってことで」

 

「ええ、そうでしたね。……ああ、私の敬語とフラン様って言う呼び名ですか」

 

「そう。家族に対して敬語とか様付けとか変じゃない? いや、長年そうだったから別に違和感があるとかってわけでもないんだけどさ。ふと気になって」

 

家族に敬語とかっておかしいよね?

そういう人がいるのは知ってるけど、メイリンはこぁとかにとりとかにはため口で話してるの知ってるし。

なんかこう距離あるなーって。

いやまぁ物理的な距離ならここ十年くらいはかなり近い気もするけど。

 

「うーん、考えたことがありませんでしたねぇ。私もこの話し方で慣れてしまっている部分がありますし。さすがにフラン様のことを呼び捨てたりため口って言うのはなんか違う気がして」

 

「そんなものかな」

 

「私は別に近しさとか気の置けなさとかで口調変えてるわけでもなくて、その人に一番合うような感じで自然にしゃべっているだけっていうか……」

 

「なるほどねー」

 

「でも、そうですね、何か家族っぽい、家族にしかわからないような特別な呼び方とかはあってもいいかもしれません」

 

む、この流れはもしかして私たちの関係性を明らかにする必要がある話?

でも複雑なんだよねぇ。

見た目ならメイリンが年上に見えるし、実際は私の方が上で。

子供のころから育ててる関係的には母娘だけど、メイリンの見た目も十代後半ってところだから姉と妹に見えるし。

実年齢を考えるとおばあちゃんと孫すら超える。

いや、1800歳のおばあちゃんと1100歳の孫ってのもアレだけど。

 

メイリンにおばあちゃんって呼ばれるのはちょっと嫌だなぁ。

でもお姉ちゃんってのはなんか違和感。

お母さん、は割としっくりくるけどなんかまだそんなに所帯じみたくない感はある。

まだまだ若々しくいたいっていうか?

まー、体はまったく成長しないし心の方も相応な感じでそう大きな変化をするわけでもないと思うけどね。

 

そんなことを考えていると、同じく考え込んでいたメイリンがパンッ! と勢いよく手を合わせた。

 

「思いつきましたよ、フラン様の呼び名!」

 

そのいかにもいい物を思いついた、と言わんばかりのはじける笑顔を見てちょっと嫌な予感がした。

そういえばこの子、ネーミングセンスはことごとく壊滅的な……。

 

 

妹様(いもさま)、というのはどうでしょう!」

 

 

おおっと、予想の遥か斜め上を飛んで行ったぞ。

いも……いもねえ。

これはつまり、(いもうと)(さま)ではないってことだよね。

 

ん、んー、だめだな、不意打ちだったせいかちょっと顔が赤くなってるかもしれない。

 

「えっと、その、メイリン? それはそういう意味でいいんだよね?」

 

いも。

中学や高校の古典の時間に習うような、基本的な単語だ。

意味は“親しい女性”。

男性が自身の女きょうだいを指すこともあれば、女性から女性のことを言うのにも使う。

 

ただ、それよりもっとメジャーな使い方がある。

それはいわゆる、(いも)()

つまり、“恋人”や“伴侶”を示す言葉だ。

 

普通は男性から女性に使うのだけど、まさかこの場面で普通の友人という意味で使ったわけではないだろう。

私がラフテルの辞書にちょろっと載せただけの、この世界には存在しない古語をわざわざここで持ってきているのだし。

 

だからこれは、当人同士の間でしか分からない、秘密の睦言のような呼び名なわけで。

考えようによっては、ストレートな愛の言葉よりもよっぽど淫靡なそれで。

えっと、だからその、メイリンの言う家族って言うのはつまり、母と娘でも、姉と妹でもなくて。

()()()()関係ってことで――。

 

「はい! 単に(いもうと)では実情に合いませんし、妹のことを妹って呼ぶのも変かなって。だからそこに様を付けてフラン様への気持ちをそのままに、新しい呼び名にしてみたんです」

 

ずっこけた。

 

「……? え、は? ああっと、つまり、その、メイリン? あなたのその(いも)ってどういう意味?」

 

「え、普通に妹ですけど?」

 

気が遠くなった。

いったん血の気が引いて、また頭に上ってくる。

 

「じゃ、じゃあなんで(いもうと)じゃなくて(いも)なの?」

 

「え、短い方が呼びやすいし、なんだか響きが可愛くありません? いもさまーって」

 

あ、ダメだこれ。

ダメな奴だ。

私は頭を抱えてうずくまった。

 

は、恥ずかしいぃぃぃっっっ!!

なんだこれ、一人で意識してバカみたいじゃない!

ああもうそうだよ、メイリンを信じた私がバカだったよ。

世間的には知られない言葉を当人同士の符丁のように使うとかなにそれ、本人も知ってないよ。

そうだよあの抜けたところのある真っ直ぐなメイリンがそんな高尚な言葉を使うわけないじゃない。

愛の告白するならもっと直接するってば。

ああもう、なんだこれ、なんだこれ。

顔が熱い、血液が逆流して沸騰しそうだ。

なにが母娘でも姉妹でもない家族だよこのコンチクショウ!

なにが可愛い響きのいもさまーだよもう!

 

「え、え? フラン様、どうしたんですか!? 大丈夫ですか!?」

 

「大丈夫……ちょっと自殺したくなっただけ……」

 

「それ全然大丈夫じゃないですよね!? 気をしっかり持ってください!」

 

ガクガクと私の体をゆするメイリンに、以前のような遠慮はない。

これまではボディタッチの回数もそう多くはなく、一線を引いているような慎みのある態度だった。

それが、こないだの“告白”以降は精神的にだけじゃなく、物理的にも距離が近くなった。

 

一緒にお風呂入った時とかたまーに、()()()()感じの視線とかを彼女から感じることがあって、なんだか意識しちゃったりもしてるんだけど、今のところは完全に私の独り相撲だ。

相変わらず彼女は親しい友人か距離の近しい従者といった感じで、何も進展があったりはしない。

私の方も、自分で自分の気持ちがまだ整理できてないからさっきみたいな醜態をさらしてしまうのだ。

 

いやほんとどうしたんだろう、私。

レヴィアの胸がやたら気になったり、魚人族と人魚族の恋愛模様を聞くのがここ数十年の趣味だったり、最近はメイリンのクルーたちと人魚たち(うち一人は魚人)との初々しいやり取りを見るのが楽しみだったり。

冗談で言ってたつもりだったけど、これほんとに思春期じゃなかろうか。

 

 

結局、妹様(いもさま)呼びは採用されることになった。

 

彼女はやっぱりポンコツでその言葉に言葉以上の意味はないけれど、まぁいいかなって。

しばらく呼ばせて馴染ませて、そのうち機会があったらバラしてやろうと思う。

あとメイリンが予想以上に気に入ったというのもある。

なんかしっくりくるそうだ。

 

そして、敬語はもう割とどうにもならないらしい。

試しにため口でしゃべってみてと言うと、苦渋の表情で口をもごもごさせ、あーだのうーだのうなった後に、「フ、フランさ……ウゥン! その、いい天気で、だ、だな!」といった感じで挙動不審な不審者そのものだったので諦めた。

まぁこれから長い付き合いをしていく中で変わるなら自然と変わっていくだろう。

 

ちなみに私の方からは何も変わっていない。

妹様(いもさま)呼びは認めたけれど、別に私がメイリンの妹になったわけでもなし。

あれはただの便宜上のあだ名みたいなもの。

私からメイリンのことをお姉ちゃんと呼ぶこともないし、今の口調を何か変化させることもしない。

 

なお、妹様(いもさま)と私がメイリンに呼ばれていても、周囲の人はその呼び名の意味をいまいちわかっていない(実際私もメイリンもだいたいがノリだしよくわかっていない)ので、今のところ私を妹様と呼ぶのはメイリンだけだし、これからもきっとそうだろう。

しかし“家族”にだけ通じる呼び名、という当初の目的は達成されているあたりが、メイリンの凄いところだ。

彼女はなんというか、理屈とか道理とか計算とかそういうものを飛び越えて結果を掴むようなところがある。

 

 

 

 

そんなこんなでさらに十年。

 

 

ある日のこと、私はメイリンにプレゼントを渡すことにした。

それは、メイリンがこんな海底くんだりまで諦めずに私を追いかけてくれたことへの感謝であり、ずっと私のそばにいてくれると言ってくれたことへの感謝であり、私の心を救ってくれたことへの感謝の気持ちを形にしたものだった。

 

プレゼントは、帽子。

 

色は緑を基調として、形はベレー帽のような平べったいもの。

メイリンのいつも着てくれている、私が作った中華風の服に合うようにデザインした。

帽子は手編みで、妖力を細く糸のように束ねて一本一本丁寧に編んで作った一品だ。

なにせ編み物なんて初めてだったから作り始めてから完成までに十年以上もかかってしまった。

 

ただ、編み物とはいっても目に見えるか怪しい細さで編んでいるので、見た目は普通の服のような生地と変わりはない。

服を作った時のようにぽんと作ることもできたのだけれど、一本一本に感謝の気持ちを込めたくて、わざわざめんどくさい方法で作ってしまった。

まぁ込めた想いの重さなら、メイリンにもなかなか負けていないだろうと自重するような逸品だ。

 

あとメイリン専用ってことが分かるように、帽子には“龍”と印字した星型の飾り(エンブレム)をつけてみた。

 

プレゼントを帽子にしたのは込めた想いが頭という一番大事で相手に近しい場所にいつも触れているから。

あと帽子を贈ることには「私を包み込んで」なんて意味もある。

国によっては「私を抱い――ごほんごほん、いや、なんでもない。

 

プレゼントを渡したときのメイリンの反応は……うん、まぁ恥ずかしいからこれは秘密。

まぁ、その日のメイリンはいつになく鋭くて、私が帽子に込めた想いを尽く読み取ってしまったのだけれど。

それだけ私が分かりやすいということかもしれない。

いやほんと、思い出すだけで恥ずかしいね。

でも、それ以上に嬉しかったから、いい思い出。

 

その帽子は、それからいつも被ってくれている。

 

 

 

 

そんなことがあってさらに数十年、いや、三百年ちょい?

 

 

正確な時間は分からないけど、とにかくかなりの時間がたった。

ほんとは地上へ戻ってもよかったんだけど、なんだかんだ居心地がよくてのんびりしてしまった。

 

けどそこまで経って、ようやく私とメイリンは地上へ戻ることにした。

 

きっかけは、レヴィアの死だ。

魚人や人魚の寿命は人間のものとそう変わらず、50年から60年ほど。

一部の覇気を身につけた者は100年以上生きる者もいる。

また、種族全体として年々寿命は延びているのでいずれは皆80くらいまでは生きるようになるだろう。

 

そんな中にあってレヴィアは海王類の血を引いているためか、非常に長生きした。

結婚した島長は天寿を全うし、彼自身の才覚もあって110歳まで生きたが、それでも彼が天に旅立ったその後の年月はとても長いものだった。

私はレヴィアもまた長い生に疲れてしまうかと心配していたのだけれど、彼女にそのことを話してみるとむしろ「お父さまとお母さまを置いて先立つ、親不孝な娘をお許しください」と泣かれてしまった。

 

それにはもう私もリヴァイもどうしていいかわからず大わらわ。

結局メイリンが仲立ちして場を収めてくれるまで大変だった。

 

レヴィアは幼少の頃こそ自身の能力と周囲との違いに悩んでいたけれど、成長してからは、誰の言葉にも耳を傾け、いつも親身になって助けてくれ、優しさを持ちながらも然るべきところではきちんと叱り諭すことのできる、素敵な女性になった。

島長と結婚したことも一因だけれど、それ以上に彼女はその在り方で魚人島の誰からも慕われ愛される、島の中心のような存在になっていた。

あとは、島長亡き後方々から後夫にと求婚されていたけれどその尽くを断る、一途な愛に生きる女でもあった。

そんな彼女に海王類達もベタ惚れで、レヴィアの能力が作用しているのかなとも思ったんだけれどそういうわけでもなく、単に彼女が魅力的だったりとか。

 

結局老いても変わらず心優しく、魚人島の皆の将来を案じ、静かにのほほんと微笑んで逝くような、私の自慢の娘だった。

 

レヴィアが亡くなっても特に魚人島が変わることはなかった。

彼女の葬儀で島中が深い悲しみに包まれはしたものの、彼女の子供も孫も健在で、島は正常に回っていた。

 

ただ、お父さま――リヴァイはもう落ち込んで落ち込んで。

生前に散々彼女と語らって、出来うる限りの覚悟は決めていたらしいけど、それでもやはり耐えきれないほどのショックと喪失感だったようだ。

 

まぁそういう落ち込みは私も何度も経験しているし、一応同じ娘の親として語ったり慰めたりと色々手は尽くした。

その結果リヴァイは立ち直りはしたけれど、彼女との思い出が多すぎる魚人島からはしばらく離れることにしたらしい。

 

それで、ちょうどいいきっかけだということで私とメイリンも地上へ戻ることにしたというわけだ。

 

ちなみに、メイリンのクルー達はというと、そのほとんど全員が人魚と結婚し、寿命と共に魚人島に骨をうずめた。

もともと「海に潜る」ということにロマンを感じて、ただそれだけを追い求めていた男たちがクルーになっていたわけで、その先で見目麗しい人魚に出会ってしまったらもう終わりというわけだった。

まぁみんな幸せそうだったのでいいだろう。

中にはハーレムを築いている猛者もいたことだし。

ああ、ハーレムを築いていたのは魚人好きの彼だ。

ハーレムメンバーは推して知るべし、なかなかの漢だったといえる。

 

一応幾人かは家族を地上に残しているということで、血の涙を流しながら誘惑を振り切って帰った者もいた。

私はシャボンディ諸島の座標を知らないので転移魔法は使わず、魔法の泡で彼らを覆い海王類に地上まで運んでもらうことになった。

これにはレヴィアがひと声かけてくれるだけで多くの海王類が協力してくれることになり、必要もないのに数十匹の大所帯で地上を目指すことになっていた。

地上ではまぁちょっとしたパニックになるだろうが、戦いをするわけでもないし仮に人間が襲っても海王類達には毛ほどの痛痒も与えられない。

むしろそれら海王類を率いて帰った(ように見える)クルー達は、さぞ英雄的扱いを受けて家族に対しても鼻高々だっただろう。

 

メイリンが一緒に帰らないから、「深海に行ってきた、そこには空想上の生き物だと思われていた人魚が住む楽園のような島があった」、なんて言ってもたわごとだと思われるし、帰らなかったクルー達を途中で見捨てて逃げ帰ってきたのか、なんて非難される可能性もあった。

しかしまぁ、海王類を群れで引き連れて帰るなんて常識外のことをやらかしたなら信憑性も十分だろう。

念のため証拠にということで、魚人島で如何に幸せでラブラブチュッチュな生活を送っているかを赤裸々に綴ったクルーらの手紙や、魚人島の名産品などを土産に持たせたけれど。

 

なおメイリンはメイリンで私のそばをウロチョロしたり、魚人たちに武術を教えたりとそれなりに楽しんでいたようだ。

特に武術に関しては師匠的なことをするのに憧れでもあったのか、随分と熱心にやっていた。

 

メイリンの武術はクックに教えられた武術と我流の拳法の組み合わせだ。

総合的にはメイリンのそれは非常に洗練されたカンフーっぽい武術のように見えるけど、源流は実は異なる。

実はクックの武術の方が本人が和風な感じなのにカンフーっぽく、メイリンは中華っぽいクーロン出身なのに彼女独特の拳法は空手っぽい。

そして、メイリンは此度魚人たちに武術を教えるにあたって、クックから伝承したカンフーではなく、自身の考案した空手に限って教えることにしたそうだ。

まぁ師匠の許可もとらず勝手に孫弟子をとるようなものだしね。

クックがもう亡くなっていることを考えるに、メイリンが使うカンフーのような武術はもう誰にも伝承されないのかもしれない。

ま、メイリンが生きている限り絶えることはないし、メイリンは死なないから永久に絶えないといっても過言じゃないんだけどね。

あ、そういえばクックがかつてなんでか知らないけど武術を教えてた砂漠のジュゴンたちがいたな。

アレらが千年以上も武術を伝承してたらちょっとすごいけど。

 

また、メイリンは自身の空手の技術だけでなく、魚人の身体的特徴を活かした技や、水中であるからこそできる技なんかも考案、会得して、魚人たちに教えていた。

さらっとそんなことをできるあたり、この子も大概人間やめてるよね。

 

とにかく、メイリンはこの武術を魚人空手と名付けて熱心に教え、また魚人たちもよく学んでいた。

ちなみに、人魚たちは魚人族に比べて種族的に好戦的な者が少なく、ほとんど学ぼうとしなかったため、魚人空手の名がついている。

 

メイリンはそれはそれは楽しそうに武術を教えまわっていたけど、それから100年もたつとどうやら魚人空手については教えることがなくなったようで、今度は魚人柔術なるものを開発して教え始め出した。

私も教育の真似事は好きだけど、メイリンにも伝播してるのかも。

 

さらに柔術に関してはあまり好戦的でない人魚族も興味を示し、人魚柔術というものも開発して教えだした。

 

私が前世などで学んだ知識やらを教えているのに対して、メイリンはその場で自分がまず独力で学び、それを伝えていくというなんとも高等なことをやっている。

たぶん教育者としてなら完敗なんだろうなぁ。

 

メイリンが恐ろしいのは、人魚族が柔術に興味を示したのをきっかけに更なる武術の道に引きずり込もうと画策したことだ。

そしてそれが成功しちゃうんだから、ほんとにもう。

 

メイリンは魚人族が自身の体を武器に戦うことを好む一方で、人魚族はそうではないことに気が付いた。

これはまぁ、体のつくりの違いというか力に優れる魚人と速さに優れる人魚の違いだからしょうがない。

 

そこでメイリンは人魚たちに武器術を教えだした。

彼女は剣をマロンに、槍をランに教わっていた他、その他の武器もほとんどを非常に高いレベルで収めているから武器術もお手の物だ。

なんか鎖鎌とか鉄扇とか、三節棍にモーニングスター、トンファー、手甲鉤、チャクラムなんかも使っているのを見たことがある。

彼女はどこへ向かっているのか。

無駄に時間は有り余ってるからそうなるんだろうけども。

 

ともかく、人魚具術と名付けられたその武器術によって人魚族もメイリンの修行沼に引きずり込まれることになったのだ。

まぁ、楽しそうなら何より。

 

 

 

 

そんなこんながいろいろあって、千数百年にも及ぶ私の海底生活は幕を下ろした。

地上で暮らしていた年月は800年ほどだから実はこの世界に来てから、海底で生活している時間の方が長いっていうね。

 

そうして地上に出てみれば、眩しく輝く太陽。

吸血鬼の天敵を実に千数百年ぶりに見て、なんだか感慨まで抱いてしまった。

陽樹イブは太陽と同じ光を放つけれど……やはり一度木を通した光と直接の太陽光は、比べてしまえばそれこそ天と地の差だ。

 

まずはラフテルへと帰ろう。

 

 

 






※前話のタイトルの形式がいつもと違ったり前書き後書きがないのは仕様です。
前話は回収したかったタグが一つ回収できて非常に満足しました。



魚人の女性
魚人の女性は本編に出ないのでいないものと誤解されがちですが、はっちんの想い人であるタコの女魚人オクトパ子が扉絵に出ています。

B型が一番おいしい
ワンピース世界の血液型はいわゆるABO式血液型ではなく、X,F,S,XFのXFS式血液型です。
ただ、フランがいてXFSとかいう謎の名称が付くはずもないので本作ではそのままABO式を採用ということで……。
ちなみにB型が一番おいしいというのはレミリアの好みで、永夜抄おまけテキストから。
姉妹だからきっと味の好みも同じ。

いも
女性から女性へ使う用法はあまり知られませんが、こんな使用例が。
風高く辺には吹けども(いも)がため袖さへぬれて刈れる玉藻そ
紀女郎(きのいらつめ)の句。
友人にお土産を持ってきた時の句ですが、ちょっと押しつけがましい感じに戯れています。

魚人空手他
魚人空手が有名ですが、魚人柔術、人魚柔術、人魚具術も原作に登場しています。


★帽子のプレゼント★
ワンピースにおいて帽子の授受は最重要事ですね。
東方においてもZUN帽の重要性は共通している気もします。



これにて家出編終了!
時間も一気に飛んで次章「大戦争編」に突入です。
「天空の戦」を超える本作最大のバトル展開ですが、描写しきれるか……最悪ダイジェスト化までありえる。
そこを超えれば、原作時空に突入していきますね。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

原作1200年前前後 二人の旅
眷属との再会と華人小娘との旅


前回のまとめ

・呼び名が妹様に
・美鈴が帽子をかぶって完全体に



 

 

「ふーらーんーさーまーぁーーー」

 

「あー、よしよし」

 

ラフテルに帰ってきた私は、泣きじゃくるこぁに抱きつかれた。

眷属である彼女にとって私と離れるというのは半身を裂かれるようなものらしい。

これは本人の自己申告で実際のところはそこまでではないのだろうけど、それでもまあ随分と苦労をかけたのは本当だったからされるがままにしておいた。

 

「……む、メイリンさん」

 

「あはは……」

 

正面から抱きついているこぁ。

私の背後に立つメイリン。

なんだか両者の間で緊張感みたいなものが走ったけど、何だったんだろう。

私は頭の後ろに目はないからよくわからなかったのだけれど。

 

さて、こぁが泣きついてきたのにはもう一つ理由があった。

それは、ラフテルの現状だ。

なんとラフテルでは既に私のことが半分忘れられているような状態らしい。

 

これにはちょっとびっくりしたし、メイリンも驚いていた。

私の存在は数百年の間は口伝で伝えられていたのだけど、徐々に失われ……千年たったいまではおとぎ話や創世神話のような類に思われているという。

現在私のことを信じているのはこぁの周りにいた巫女たちの家系のみで、そこで秘伝のような形で伝わっているそうだ。

 

なるほど、私がいなくなり、不老という神秘を持つメイリンもシャボンディ諸島に移住していて不在。

聞けばにとりもラフテルを出ているらしい。

てかにとりも不老になってたね、そういえば。

なんか普通に忘れてた、ごめん。

で、当のこぁも不老みたいなものだけど私がラフテルの運営には口を出さないようにと言ってあったので、大々的に人前に出ることもできず、その流れを止めることもできなかったそうだ。

 

まあ聞いてみれば納得できる話だ。

いかに私のことを信仰していても、それを次代に伝える際に少しは熱が失われる。

その繰り返しで、かつ私という実物もいないんじゃあね。

実際ラフテルの場合は経典があって教義があって、といういわゆる宗教ではなかった。

単にアイドルファンの延長線上にあるような熱狂だった。

あるいは、この人ならもっと世界を良くしてくれるという政治家に向けるような信頼だったり、ヒーローに向けるような憧憬であったかもしれない。

あのかつての狂信も、いつかは冷める儚い夢のようなもので。

 

とにかく、ラフテルでのフランドール・スカーレットの神の如き立場は失われたわけだ。

で、そのことに対して私がどう思っているかというと。

 

「別にいいんじゃない?」

 

「え、いいんですか?」

 

「まあ長く空けていた私にも責任があるし、特に問題もないでしょ。もともと私、そういう立場を傘に何かをするってことはなかったし」

 

「そういえばそうですね」

 

元はと言えば土の民の誤解から始まったことでもあるし、いい機会だったと思おう。

 

でもこぁとしては周囲がどんどん私のことを忘れていくのが寂しかったらしい。

まあ、悪いことしたね。

よしよし、泣かないで……ってこれも自分を慰めているようなものだけど。

 

うーん、だけどしばらく離れていたせいか、こぁの眷属としての性質が薄れている気がする。

具体的には、私と違い始めている。

こぁという個が確立してきたというか、魂が変質し始めているというか。

だって私、こんなにわんわん泣いたりしないし……。

 

「えっ、本当ですか、フラン様!?」

 

「うん……なんでそんなに嬉しそうなの」

 

「だって、完全にフラン様と別になったら愛してもらえる可能性があるかもしれないじゃないですか!」

 

「いまでも愛してるけど?」

 

「今のそれは、自愛のようなものでしょう? そうではなくて、私は"私"としてフラン様に愛していただきたいのです! 無論、女として!」

 

むふー、と鼻息を荒らげるこぁ。

それを苦笑してみてるメイリン。

私の過ごす世界はなんだかんだ平和で、何も変わっていないのかもしれなかった。

 

 

「せっかく出会えてとても嬉しいのですが、先程の話を聞く限り、私はもう少しフラン様と離れていようと思います」とはこぁの弁。

このまま私の近くにいて完全な眷属に戻ってしまうことが懸念らしい。

なので私はこぁの思いを汲んで、任を解いて旅に出すことにした。

ラフテルはもう私の手をはなれているし、こぁが防衛につくこともないだろうしね。

 

最近のラフテルは積極的に海に出て版図を広げているらしいし、たくましいことこの上ない。

名前もラフテルというのはかつての島の名前にとどまり、集団としては「統一王国」と名乗っているそうだ。

本拠地もラフテルを離れ、北の海(ノースブルー)にある大陸に移ったみたい。

あとは王様が血筋ではなく能力で選ばれるという随分と実力主義な王国らしい。

 

ラフテルの外に出て活動し始めたことは成長しているようで嬉しいし、今度何かご褒美をあげようかなとも考えている。

私のことは忘れているので、突然神様からプレゼントをもらうような感じでびっくりしてくれるに違いない。

なにかこう、アッと驚くようなものかもらって嬉しいものを考え中。

 

また、こぁには旅に出て色々な情報を収集してもらおうと思っている。

私がいなかった地上の千年間で何か面白いことはあったのかとか気になるし。

 

 

そんなわけでこぁと離れ、メイリンとの二人旅が始まった。

別にラフテルで改めて落ち着いて暮らしても良かったんだけど、なんというか成り行きだ。

旅のあては特にないけどまあのんびり過ごすというのが目的だし。

やりたいことが見つかればその時やればいい気楽な旅だ。

 

 

旅の最中はこれまでのメイリンの話をよく聞いた。

特にシャボンディ諸島の話はなかなか面白い。

 

「元々は私一人で海底まで行く気だったんですよ。海の底まで船で行くなんて傍から見れば馬鹿らしいですし、危険ですからね」

「研究を始めてから二百年か三百年くらい経った頃ですかね、ヤルキマンマングローブが成長してちょっとした島くらいの大きさになった頃です」

「壊れた船が漂流してきて、船の残骸にしがみついていた男性が二人助けを求めてきたんです。私は彼らを助けたんですが、随分遠くから流されて来たみたいで帰らせてあげることもできなくて」

「船もないので仕方なく彼らはその島で生活することにしました。私はその頃研究に没頭して長らく食事と睡眠はしてなかったので、彼らが来ていなければそのまま仙人みたいな生活をしていたかもしれません。今にして思えば感謝ですね」

「それで彼らも小さな島でやることがなかったので私の手伝いを申し出てくれたんです。幸いなことに片方が船大工の経験があって、船づくりには随分助かりました」

「もう片方は元々漁師だったそうで、食料係みたいになってましたね。島にはなぜか果実なんかもなっていたので食べるものには困りませんでした」

「ええ、多分ヤルキマンマングローブにどこからか樹木の種が飛んできて根付いたんだと思います。あの木は酸素を出す以外にも栄養分を多量に含んでいますから、そこらの土よりはよっぽどいい土壌だったんでしょうね」

「それで、彼らはしばらくその島にいたんです。十年くらいですかね。船を作って島を出ることもできたと思うんですけどね。あとから聞いたらなんでも私に惚れてしまっていたらしくて」

「ええ、二人共です。恥ずかしながらあの頃の私はあまり余裕がなくて、そのことに気が付かなかったんですけど。そうこうしてるうちにまた新たな来訪者がありまして」

「ヤルキマンマングローブの島が三つくらいに増えた頃だったかな、三つの大船を率いた船団が来たんです。彼らは王の命令でそのあたりの海域を探索しているとのことでした」

「はい、ラフテル、じゃない統一王国とは関係ないでしょうね。シャボンディ諸島があるのは赤い土の大陸(レッドライン)を挟んでラフテルとも北の海(ノースブルー)とも反対側の偉大なる航路(グランドライン)にありますから」

偉大なる航路(グランドライン)ですか? ああ、それは妹様が海底に行ったあとに名前が決まったんです。凪の帯(カームベルト)の間の帯状の海域のことですね。間に赤い土の大陸(レッドライン)を挟んでぐるっと一周してますね」

「はい、そうです。妹様が初めて世界一周をなした航路ということで、偉大なる航路(グランドライン)と呼ばれています。ラフテルではこの航路を踏破することが一つの栄光みたいな感じになってますね。まあサンタマリア号ほどの船でもないと無理でしょうけど」

「ああ、サンタマリア号ならラフテルにあると思いますよ。あれだけはこぁが手を出して守ってましたから。認識阻害の魔法でもかけて巫女たちに管理させているんじゃないでしょうか」

「ですよね、あの船の倉庫って軽く世界を破滅させかねない量の賢者の石とかありますもんね。クルーと認めた者しか入れない結界? そんなものがあったんですか」

「ああ、話が逸れてしまいましたね。それで船団が来たんです。彼らはシャボンディ諸島の周辺を探索するのに、拠点として使わせてくれないかと頼んできまして」

「私が研究の結果作り出したとは言え、別に島を自分のものだと主張する気もありませんでしたしね。普通に了承しましたよ。それからはその国の人たちがひっきりなしに訪れるようになりました」

「グランドラインの島々はおかしな特徴を持ってたり、方位磁針が効かない磁場があったりで航海するのが大変なんですよね。でも、シャボンディ諸島は私が作り出したのでそんなことはありませんし」

「まあ便利だったんでしょうね。そのうちに貿易の拠点にもなってきて、島の数が十を超える頃には一度は王様も訪れるくらいに発展しました」

「え、私に惚れた二人ですか? やだなあ、私は今も昔も妹様一筋ですよ。まあ、彼らにはちょっと申し訳なかったとは思いますけどね。それぞれ新しく訪れた人と結婚しました」

「それで王様も良くできた人で、栄えているシャボンディ諸島を自領にするとか、征服するとか言い出しませんでしたよ。それどころかちゃんと関税を払うとか言い出しまして」

「なんですか? ええ、そうですね。征服するとか言い出してたら殺していたかもしれません。私が何より大事だったのは妹様の元へ行くための研究でしたし、それを邪魔するなら排除していたと思いますよ。ラフテルに比べれば彼らの文明のレベルも随分と低かったのであっさり片付いたでしょう」

「まあ私も聖人じゃないですしね。スカーレット海賊団の頃にも散々ヤッておいて今更殺すことに抵抗はないですよ。侵略を受けるわけですしね。勿論、理由なく自分から襲ったりはしませんけど」

「それで王様は私の異常性に気づいたんでしょうね。まあ研究の過程で日常的に妖力やら覇気やら気やら使っていましたし、彼らの知らないことをたくさん知っていましたしね」

「王様は私の研究を手伝う代わりにそれらの知識とかを教えてほしいと頼んできまして。その頃は私も研究が五百年目くらいで行き詰まっていたので、その申し出を受けました」

「結果的には成功でした。文明レベルが低いと多少侮ってはいたんですけど、やっぱり専門の方は凄いですね。植物学者の方の知見など非常に助けになりました」

「私は代わりに知識だったり覇気の使い方だったりを教えまして。あとは悪魔の実のことなどもですね。私自身研究の過程で龍の姿になることもありましたし」

「ええ、そのへんは抜かりなく。アマゾン・リリーでの経験で身にしみてますからね。神様的な何かだとは思われないように気をつけました。それでも見た目が老いないので特別視はされてしまいましたけど」

「七百年目くらいでようやくシャボンで船をコーティングする技術までこぎ着けました。あのシャボンは潜るだけでなく通常の航海にも使えるんですよ」

「ええ、海王類に襲われたりしない限りは船が沈まなくなるので重宝されました。そのおかげでシャボンディ諸島の周辺はますます活発になりました。まあ、コーティングは一日ほどしか保たないので、航海できる距離には限りがありますけど」

「その頃からですね、私がコーティング船で潜る実験をしていると、俺達も乗せてくれ、という人たちが出始めたのは」

「最初に言ったとおり、私は元々海底へは一人で行く気でした。ただ、彼らは常々私が語っていた目的地である海底に惹かれてしまったものも多くて」

「はい、海底には巨大な光る木があること、その根本で魚達が舞い踊るキレイな光景があるということは師匠たちから聞いていましたから。加えて、ある時海に漂っている純金の板を発見しまして」

「はい、そうです、結構大きくて、一メートル四方くらいのです。表面にそれはそれは美しい女性が描かれていまして。しかも下半身が魚という神秘的な姿だったので、シャボンディ諸島では随分と騒ぎになりましたよ。海底にはこんな美しい女性がいるのかと」

「ああ、やっぱりあれ妹様が作ったやつでしたか。並大抵の冶金技術じゃないからそうではないかと。そしてあの女性、多分レヴィアさんですよね?」

「はあ、リヴァイさんのために折角描いたのに紛失したと。なるほど、それであんなに大きいサイズだったんですね。それに金なら腐食しないですもんね」

「あれ、でも金なら水に浮かないんじゃ。ああ、メッキでしたか。全然気づきませんでした。海水中で浮きもせず沈みもしない比重に調整してあったんですか。まあそうですよね、リヴァイさんにプレゼントすることを考えると」

「あはは、まあ落ち込む姿はありありと想像できますね。海流に流されてシャボンディ諸島まで流れ着いたんでしょうか」

「ええ、それで海の底に憧れを持つ人もいたんです。島の人口数からするとほんとに一部、変人の集まりでしたけどね」

「勿論私は反対しました。潜っている途中で何かあったら死んでしまいます。私は自分の体が頑丈なのを頼みに無茶な実験を繰り返すつもりでしたから」

「ただまあ、覚悟の上だと押し切られまして。それに、船で潜るのに船員がいないんじゃ格好がつかない、と言われてしまい」

「最初の頃は潜り始めでシャボンが割れたりと自力でも生還できる失敗でしたが、徐々に深く潜れるようになるにつれ危険度は上がっていって……犠牲者も出ました」

「私もできるだけ助けはしたんですけどね。いきなり深海の圧力に晒されて、船がグシャッと。それに巻き込まれたり、一気に遠くまで放り出されてそのまま行方不明になったり。あとは深海の暗闇で精神を病んでしまったり」

「それでも彼らは諦めませんでした。最初の代の人たちが皆亡くなる頃には、次代、次々代の人たちがいました。面白いことに、どの時代でも必ず一定数はそういう馬鹿な人たちがいたんですよね」

「……ええ、そうです。やっぱり妹様には隠し事はできませんね。結構、いや、かなり辛かったです。彼らを死に追いやってまで、私は何をやっているんだろう、って」

「みんな気の良い人達でしたから。一緒に笑いあいながら船を作って、ご飯を食べて、夢を語り合って、研究に打ち込んで。その翌日には私のせいで海の藻屑となっているんですから」

「一時期は本当に悩んで、もう彼らの乗船は認めないようにしようかとも思ったんですけどね。でも、その悩みを取り払ってくれたのもまた彼らでした。話し合った結果、勢いに流されて有耶無耶のまま続けることになってしまって」

「ええ、私ってばなんだか押しに弱いみたいです。まあそんな感じでまた数世代経るうちに私も諦めがついてしまったというか。ほんと、馬鹿なんですよね、彼ら」

 

 

話しているうちに涙声になってきたメイリンの頭をよしよし、と撫でてやる。

こういう気持ちは誰かに話してすっきりした方がいい、というのは私も最近学んだばかりだ。

 

「まぁ馬鹿なくらいが見てて面白いよ。命の蝋燭を激しく燃やす煌めきは、妖怪(わたしたち)にはちょっと眩しいけれど」

 

「……そうですね。とても綺麗で、消えてほしくなくて。でも、消えるからこそ美しくて。――妹様はもう通ってきた道なんですよね?」

 

「いやぁ、私だって道の半ばじゃないかな。あなたのおかげで一応の答えは得たけどね」

 

「私も探してみます。彼らに恥じない答えを」

 

そういえば、前にもこんな話をした気がする。

そう、あれはたしか……。

 

「ま、私から言えるのはせいぜい悩みなさい、ってことくらいだね。長い間悩んで悩んで悩んで、それで出した答えがきっとあなたには必要なんだよ」

 

「はい」

 

「そうそう。悩め若人暗闇の先の未来は明るいぞ、ってね」

 

「私って若人なんですかね?」

 

「あはは、私からすればみんな若人だよ。――でもメイリン、一つだけ覚えておいて」

 

「はい?」

 

「私はいつでもあなたの味方だよ。答えが出たら私がどうにでもしてあげる。こう見えて私、神様なんだから」

 

「妹様……」

 

「――っていう会話をルミャともしたことあったなー」

 

「え、えー。なんですかそれ、いい雰囲気が台無しじゃないですか。私今ちょっとうるっと来てたんですけど」

 

「まぁまぁ。ルミャはしっかり答えを出した。あなたもきっと大丈夫だよ」

 

 

 

そんな会話をしつつ、彼女と二人、世界中を旅した。

 

途中で知り合った人を連れて一時的に三人旅になったり、四人旅になったり。

カープが最後にたどり着き、作ったと思われる和風の国で久しぶりの刀鍛冶をしてみたり。

版図を広げるラフテルの躍進を見て喜んだり。

巨人族を作ってみたり。

その実験が失敗して山のように大きいおかしな足長象を生み出してしまったり。

最近体が鈍る、と愚痴っていたメイリンと組み手をしたり。

 

あとはそう、ついに世界地図を作り上げたナヴィの子孫に褒美を与えたり。

 

 

 

 

 

 






統一王国
ラフテルから出て行った人々が現地住民を併合しつつ大きくなっていった国。
いつからか北の海に拠点を構え、統一王国を名乗る。

美鈴の過去語り
感想でいただいたコメントから。
ほんとはぱぱっと済ませるつもりだったのにやたら長くなって読みにくくなったうえに次話と分割せざるを得なくなった戦犯。
プロットにない話は書いているうちに設定が生えてしょうがない。

世界中を旅する
伏線にもならない露骨な箇条書き。


長くなったので分割!
続きはまた夜に投稿します。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

名誉の名と神様の力

前回のまとめ

・こぁとの再会、別れ
・魚人島を目指す美鈴の奮闘


 

 

かつてスカーレット海賊団の航海士だった男、ナヴィには夢があった。

それは、世界地図を書き上げること。

しかし彼はその寿命の中でサンタマリア号が通った航路――今では偉大なる航路(グランドライン)と呼ばれている――の部分しか地図を書き上げることができなかった。

それでもそれは世界で初めての地図、海図であり、その内容も世界一周分以上の膨大なものだった。

そもそも、一人の人間が未知の惑星の世界地図を丸々書き上げることなんてハナから不可能だよね。

 

最終的に彼は、永遠の寿命を得て自らが世界地図を書き上げることを断念する代わりに、子孫にその夢を託した。

そして千年以上の時を経て、ついに彼の子孫はその夢を成し遂げたのだった。

 

これには本当に驚かされて、メイリンと一緒に手を取り合って思わず跳ねてしまうほど喜んだ。

千年以上もその想いを受け継いできた子孫たちの一途さ、あらゆる苦難を乗り越えて世界中を旅して地図を書き上げたその実行力、なにより、人間の強さを。

 

“私は私一人で夢をかなえようと思っていましたが、必ずしもそうしなくてもいいということを。フラン様の言にあやかるなら、人間は未来に思いを託して行ける生き物でしょうから”

 

かつてそう言って人間としての生を全うすることを選んだナヴィという男の思いは、ちゃんとこの世界で実を結んだのだ。

 

 

ただし、その世界地図には空白部分――“漏れ”があった。

それは、かつて私とナヴィが旅した凪の帯(カームベルト)に囲まれた海域、偉大なる航路(グランドライン)

 

凪の帯(カームベルト)自体は海王類の巣があるために船で立ち入ることができなかったけど、にとりが海楼石を船底に用いたステルス船を発明したことで危険ながらも調査を行うことができた。

これによって凪の帯(カームベルト)の横断も可能となり、ラフテルは世界に版図を広げることができたのだ。

 

しかし一方で偉大なる航路(グランドライン)は磁場などが異常で方位磁針(コンパス)なども使えないうえ、環境が過酷すぎるために調査が進まなかった。

結局世界地図に描かれた偉大なる航路(グランドライン)の部分は、かつてナヴィが書き上げた情報から全く発展がみられなかったのだ。

しかも、偉大なる航路(グランドライン)の島は突如出現したり消滅したり形が変わったり、海流が変わったり、通行できない障害物ができたり……とさまざまな要因からそもそもナヴィの書いた地図の信頼性も、千年以上たったいまとなっては低いと言わざるを得ない。

 

それでも、彼らの功績はとても大きい。

だから私はその喜びと労いで彼らに接触し、とある褒美を与えた。

 

それは、記録指針(ログポース)

 

見た目は普通の方位磁針(コンパス)に似ている。

唯一の違いは針が吊るされているから四方だけでなく上下も指せるようになっていること。

つまり、円でなく球、立体的なコンパスってことだ。

これは偉大なる航路(グランドライン)の特殊な島だったり、偉大なる航路(グランドライン)を一周するうえで避けて通れない魚人島だったりを指し示すための工夫。

 

ただし普通なのは見た目だけで、その機能はだいぶ特殊なもの。

これは通常のコンパスとは違って、滞在地の磁気――“記録(ログ)”をためることで次の目的地を指し示す。

つまり、島から島への一直線の方向のみが分かるコンパスってこと。

 

使いにくいと思うかもしれないけれど、偉大なる航路(グランドライン)は場所によっては右も左も分からなくなる。

北極星のような、なにか一つの明確な方向が分かるだけでも航海は随分と楽になるはず。

大きさも腕時計くらいまで小型化したのでもち運びにも便利。

 

それともう一つ、永久指針(エターナルポース)というのも作ってみた。

こっちは磁気を永久的に一つだけ記録させることで特定の島を指し示すようにした記録指針(ログポース)だ。

出発地点の島に帰れるようにね。

違いが分かりやすいように形を変えて、こちらは砂時計みたいな感じ。

 

 

これらをプレゼントした結果、大いに喜ばれた。

そして、私の正体を知ってとても驚いていた。

 

一応プレゼントするときに私の名前と彼らのご先祖様であるナヴィのこととかを教えたんだよね。

突然知らない人から変な物体渡されても困ると思うから。

まぁ信じさせるために色々と見せたのでちょっと恐縮されちゃったけど。

 

で、そしたらなんかいつの間にか統一王国の王様に会うことになっちゃった。

 

ナヴィの子孫たちから、記録指針(ログポース)は素晴らしい発明だ、自分たちだけで使うのはもったいないと言われて多くの人に広める許可を求められたから、まぁ許可した。

そして複製・増産しないといけないので、国のトップに話を通して、技術者たちに作り方を教えてほしいと頼まれた。

 

正直ちょっと面倒って思ったけど、機嫌は良かったし心情的にはもう少し豪華なご褒美をあげてもよかったかなと思ってたので、快諾した。

 

 

王様はいかにも精力的ですって感じの壮年の男性で、見る限り覇気もなかなかのもので私についてきたメイリンが手合わせしたそうにうずうずしていた。

 

それで、謁見的な感じでナヴィの子孫たちが事情を説明したところ王様もいたく感激した。

ナヴィの家系は航海術は言うに及ばず、製紙業なんかでも国を支えてきた名家だったので王様からもこれを期に叙勲と十分な褒賞を与えると約束した。

 

これには私がちょっとむっとしてしまった。

金品などもそうだけど、叙勲するといったところでナヴィの子孫たちが大いに喜んだのだ。

それに、記録指針(ログポース)は自慢の逸品だけど、それを国中に広めてしまったら彼らに対するご褒美って感じじゃなくなってしまう。

 

なんか名誉的なものと、彼らだけに対するご褒美をあげたい。

言ってしまえば稚拙な対抗心ではあったけれど、もともともう少しちゃんとしたご褒美をあげてもいいかなと思っていたので、私は思い切って彼らに“名”と“妖力”を与えることにした。

 

 

名誉として名を。

これには私がびっくりするくらい彼らが喜んだ。

私は忘れ去られた神様になったと思っていたけれど、彼らにとってはおとぎ話に出てくるような創世神(ちょっと大袈裟)が目の前に現れて名を贈る、というのが殊更大きな意味を持つようで、記録指針(ログポース)をプレゼントした時より喜ばれた。

 

で、どんな名前を付けるか。

新しく名前を付けるというのは同時にそれまでの名前を捨てさせるってことでなんか嫌だったし、苗字を変えるってのもナヴィから続く連綿の流れを否定するようで嫌だった。

そこで、新しく付け加えることにした。

この世界はホン・メイリンやモンブラン・マロンのように姓名で名前が付けられているから、そこに新しくミドルネームの概念を持ち込んだのだ。

普段は略してもよく、公の場ではミドルネームも含めて名乗るってことで、ミドルネームについては王様に制度改革してもらうようその場で頼んで承諾してもらう。

まぁこのくらいの我儘は通させてもらう。

 

さて当初はミドルネームに“スカーレット”を贈ろうかと考えた。

でも、それはすでにメイリンに(ホン)の形で贈っているし、彼らがいかに大きな業績を残したとしても、私にとってメイリンと比べるほどの価値はない。

だからメイリンと同じレベルの名前を贈ることはやめた。

 

そこで、贈った名は“D”。

 

フランドールスカーレットを表す吸血鬼(ドラキュラ)《Dracula》であり、悪魔(デビル)《Devil》の“D”だ。

 

こんな記号みたいなので大丈夫かなとも思ったけど、まぁ喜んでくれたのでよしとする。

名を贈るときは、「Dの名を名乗ることを許す」、みたいな感じでちょっとカッコつけちゃったんだけどね。

 

ちなみにこの名前はもう一つの贈り物にも関係する。

 

 

名誉に対してもう一つのご褒美は、実利的なものとして“妖力”を。

かつてメイリンに与えたほどの妖怪に変異させるような量ではなく、かつてルミャに与えたほどの身体能力を人外にするような量でもない。

それらに比べればほんのちっぽけ、爪の先みたいなものだ。

 

効能としては、無病息災、体が丈夫になり多少は身体能力も上がり、寿命もちょっとは延びるだろう。

身体の回復能力も上がるし、要は普通の人間より死ににくくなる。

ただし、体との相性が悪ければ気のせいレベルの強化にしかならないし、どんなに肉体に適性があってもせいぜい半人外じみた強化にとどまるだろう。

ないよりマシな健康祈願のお守りだとでも思ってもらえればいい。

まぁ、神様から直接もらうお守りならご利益ありそうだけど。

 

あとこれは確証が持てないけど、覇気を覚えやすく、かつ習熟し辛くなるかもしれない。

妖力と覇気はほとんど同じ性質をもつので、妖力を持っていれば意識せずとも覇気に目覚める可能性がある。

ただ同時に、性質は似ていてもその根本の在り方は正反対なので、習熟するのは逆に時間がかかるかもしれない。

まぁ私が知る中で覇気を完全に扱えたのなんてメイリンだけなので気にすることはないかも。

あのマロンだって覇気の物質化までしか習得できなかった。

 

武装色の覇気を完全に極めれば、ありとあらゆる生物の頂点に立ち、私と殴りあえるレベルで人間やめることができる。

見聞色の覇気を完全に極めれば、ありとあらゆる生物の“声”が聞けるようになる。

覇王色の覇気を完全に極めれば、ただそこにいるだけでありとあらゆる生物が跪くだろう。

 

千年以上の間鍛錬を続けてきたメイリンでさえ武装色しか極めていないことを考えると、およそ人の手に余るエネルギーだ。

妖怪(わたし)が扱う妖力と同じようなものなのだ。

そりゃ手に余るってものだろう。

なにせ私だって未だに妖力を十全に扱いきれているとはいいがたい――。

 

 

さてさて話が逸れたけれど、そんな感じで“名”と“妖力”をナヴィの子孫に与えた。

彼ら自身ではなく、あくまでもナヴィから続く一族の連綿の営みに対しての褒美なので、名を子孫に引き継ぐことを許可した。

妖力に関しては子を産めば勝手に引き継がれていくだろう。

 

で、これで終わり、記録指針(ログポース)の作り方も既に書面にまとめて技術者に渡したしさあ帰ろうと思ったら、王様に引き留められた。

 

なんか、「俺も名前欲しい」とか駄々をこね始めた。

いやいや、あなたは関係ないでしょうと苦笑。

それでも統一王国を大きくしてきた実績とミドルネームに関する法改正を聞き入れた対価でいいからと引き下がらない。

いい年したおっさんが見苦しく駄々をこねる有様に、その場にいた大臣やら近衛兵やらもどうしたものかと顔を見合わせた。

ただ、なんでだろう。

どうしてかこの王様、そんなに鬱陶しくない。

むしろなにか懐かしいような――。

 

「妹様、妹様」

 

すると隣に控えていたメイリンが耳打ちしてきた。

 

「ん、なに、メイリン」

 

「気づきました? 彼、ランさんの子孫ですよ」

 

「えっ?」

 

「なんか懐かしいと思って“気”を見てみたらランさんのものとそっくりです」

 

気ってそんなことまでわかるんだ。

私はいわれても良くわからないけど。

ああ、でもこの懐かしい感じは、スカーレット海賊団の初期メンバーでもきってのトラブルメイカー、ウェンの方が年少なのになぜかみんなに弟みたいに可愛がられていた――ランの感じと一緒だ。

 

「妹様、よければうけてあげませんか? ただ、条件を出すってことで」

 

「うん? なにかいい考えでも?」

 

「ええ、私と戦ってその実力を認められたら今までの功績と合わせてって形でどうでしょう?」

 

「それあなたが戦いたいだけでしょ……」

 

王様に会ってからずっとうずうずしてたの知ってるんだからね。

……まぁいいか。

でも王様が殺し合いではないとはいえ、そう簡単に試合を受けるかな。

 

「あーてな感じで、戦って実力を認めたら名と力を授けてもいいけど……」

 

「やるやる! 俺頑張っちゃうよ!」

 

「王よ!?」「王様!?」「いけません、陛下!」

 

なんか大臣やら近衛兵やらが喧喧囂囂と引き留めを始めた。

そりゃそうだ、一国の王がそうやすやすとその身を危険にさらすわけない――と思ってたら。

 

「黙れいッ!」

 

ぶわっと彼を中心に覇気が吹き荒れる。

見事なまでの覇王色の覇気だ。

鍛えているであろう近衛兵はともかく、至近距離で受けた気の弱そうな大臣らは泡を吹いて失神してしまった。

 

「俺は実力でもって王の座を勝ち取ったのだ。その俺が戦いから逃げるわけにはいかん。――俺が王だ! 言いたいことがあるなら俺を倒してから言え!」

 

その言葉に衛兵たちも黙る。

そういえば統一王国(このくに)って血族じゃなくて実力で王様決めてるんだっけ。

 

「すまんな、フラン殿、見苦しいところをお見せした。ぜひその申し出、受けさせてもらおう」

 

「あー、いいけど命の保証はしないよ?」

 

「元より承知の上。なに、俺が死んでも大臣らがいる限り新しい王を立てて国は回る。それにもとより、俺は死ぬつもりなどさらさらない。見事打ち倒して名誉ある名と神より授かりし力、勝ち取って見せよう。それで、相手をしてくれるのはフラン殿ではなくそちらの華奢な女子(おなご)でいいのか?」

 

「あ、そういえば自己紹介してませんでしたね。私は紅美鈴です。よろしく。ああ、手加減はちゃんとしますから命の心配はしなくても大丈夫ですよ」

 

「……ほう? この国で最強の漢を前にしてぬかしおる」

 

「いえいえ、目の前に立った時点で相手の実力が見抜けないんじゃ程度が知れますねって」

 

バチバチと両者の間で火花が散る。

いや、覇気がぶつかり合って現実にスパークしてるよこれ。

謁見の間が黒焦げになるよー。

 

とりあえず場所を移そうということで練兵場へ。

その間に頭に血が上っているメイリンを落ち着かせる。

 

「あはは……。いやぁ、すみません妹様。戦いの気にあてられちゃった部分もありまして……」

 

まぁ、王様の言うことも分からなくはない。

メイリンの見た目は可憐な十代の少女だし、筋肉モリモリのゴリラな感じとは無縁だ。

二の腕に力を入れても力こぶが盛り上がることもなければ、腹筋が割れているということもない。

腕や足もともすれば折れてしまいそうなほどに色白ですらっとしている。

 

実際は妖力を取り込んでそこで身体の成長がストップしてしまったので、いくら体を鍛えようと筋肉がつかないだけだ。

ちなみに鍛えれば鍛えるほどその“歴史”は体に蓄積されていくので普通に強くなるし、同時に妖力の保有量もわずかながらに上昇する。

今でも私の妖力は増え続けてるしね。

 

だからまぁメイリンを見た目で侮ることは半ば仕方のない面もあるのだけど、当のメイリン本人にしたら許せないものでもあるのだろう。

特に武術家なきらいがあるので、こと戦いの場での侮りは怒り心頭といった感じだ。

 

 

王宮を出て練兵場に向かう。

そういえばラフテルには大きい建築物を作らなかったから、改めてみると統一王国の宮殿もなかなかに壮観だ。

かつてカープと作ったアルバーナ宮殿と同じくらいに大きいかもしれない。

 

練兵場は王宮のすぐそばにあった。

近衛兵が訓練するための施設らしい。

そこで王様とメイリンが向き合う。

周囲には野次馬のように兵士やらがたくさん見守っている。

ヒソヒソ話す声を聴く限り、この王様は随分と破天荒でこういった突発的な催しのようなことも多々あるらしい。

 

「さて、では条件を。私を倒すか、私が実力を認めるまであなたが立っていたらそちらの勝利ということで」

 

「ふん。すぐに伸してくれる」

 

メイリンの出した条件に周囲がざわつく。

そりゃまぁ自国で一番強い人間である王に対してこの条件はあまりにもひどい。

しかも言っているのが見た目は若い女でしかないメイリンだからね。

でもま、メイリンの代わりに立っているのが私だったら侮りの目は今の比じゃないんだろうなぁ。

 

そうして始まる模擬戦。

互いが闘気を解放した時点で野次馬のほとんどは蜘蛛の子を散らすように逃げた。

まぁ生存本能が刺激されたんだろう。

残ったのはいざというときの審判役の私と、近衛兵が数十人、気絶から復活したらしい大臣が青い顔で数人、それに事の発端となったナヴィの子孫の男性が一人。

 

「ほう、驚いた。なかなかやる」

 

「えーこの程度で驚いちゃうんですか? 私はまだ実力の十分の一も出してませんが」

 

「ぬかせ」

 

軽口を言い合いつつも、行われている戦闘は高速。

すでに大臣たちの目には何が行われているかわからないだろう。

近衛兵の中にもそろそろ厳しくなり、同僚に「今何が起こった」などと言っている。

 

メイリンが実力の十分の一も出していないというのは本当だ。

それも全力の十分の一ではなく、覇気のみで戦う場合の十分の一だ。

彼女が本気を出すときは悪魔の実の能力で角と尻尾が生えた龍人形態になり、“虹色の龍闘気(ドラゴニックオーラ)”を纏う。

あの状態は軽く物理法則に喧嘩を売り、道理を蹴っ飛ばすほど強い。

私でも魔法を解禁しないとつらいので、普通の人間と戦うならまぁ封印は妥当だけど。

 

王様は強かった。

ギアを上げ続けるメイリンに押されつつも必死で食らいつき、獰猛な笑顔を見せる。

強者との戦いが楽しくてたまらないといった感じ。

それでも押され続け、ついに限界が訪れたところでメイリンが槍を使うように促す。

 

対するメイリンは素手なので意地で反発するかなと思ったけれど、これまでの戦いで実力差を弁えたのか、素直に応じた。

ところがすでに練兵場は二人の激闘の余波で半壊し、武器庫もとっくの昔に吹っ飛んでいる。

私が結界で守ってやらなければ近衛兵や大臣たちにも死人が出ていたであろう戦いだった。

というか二人とも戦いが始まってから夢中になり過ぎで視野が狭すぎる。

 

仕方ないので私が槍を作ることにした。

といっても、いきなり初めて使う武器では武器の重さだったり重心だったりと手に馴染まず扱いにくいだろうと思う。

そこで、私が作ったのは使用者の意思に応じて形を変え、最適な形状に変化する魔槍。

血が滴るかのように、あるいはまるで生きているかのように流体が蠢き、真紅の魔槍を形作っている。

名付けるならそう。

 

「神槍『スピア・ザ・グングニル』」

 

王様に向かってぽいっと投げ渡す。

王様は半ば呆然としていたけど、反射的にかその槍を手に取った。

その瞬間、王様の思考を読み取って槍が最適な形状に変わる。

たぶんこれ以上ないってくらい手に吸い付くような、思うままに振り回せる槍になったはずだ。

実際、王様は驚愕の表情で数度槍を振り、にやりと笑った。

 

「感謝する!」

 

獰猛な獣のような笑顔の王様に対し、一方のメイリンは引きつった笑いを浮かべている。

まぁそうだろう。

あの槍は私の妖力100%、言ってしまえばレーヴァテインと同等の武器だ。

レーヴァテインがすべてを焼き尽くす破壊力と攻撃範囲に特化しているのに対して、グングニルは誰でも扱える汎用性と一点突破の攻撃力に特化している。

たぶん一対一の対人戦ならレーヴァテインよりも厄介だろう。

ま、このくらいのハンデがないとみてて楽しくないし?

 

そこからは先ほどまでとはまた違った試合展開になった。

先ほどまでのメイリンが攻め、王様が凌ぐ打ち合いのインファイトではなく、槍の間合いの戦い。

それも、王様が攻め、メイリンが受けるという一方的な展開だ。

 

メイリンは槍の苦手な間合い――懐に潜り込もうとするけれど変幻自在に変化する魔槍がそれを許さない。

しかも軽く触れるだけで致命の刃、必然メイリンは受ける際にかなりの覇気で防御を行うことになる。

加えて貫通に特化したグングニルは如何にメイリンといえども生身では受けきれないので、完全に受けきるのではなく受け流す必要が出てくる。

 

大胆かつ繊細に、高度の柔軟性を維持しつつ、臨機応変に対処する、みたいなことが求められているわけで。

まぁそれでもいまだに服にかすり傷すら許していないメイリンはすごいんだけど。

 

そしてそのままの攻防が一分ほども続き、ついにメイリンが動く。

 

「はぁっ!」

 

最高強度の武装色の覇気によって漆黒に光る拳をふるい、槍をはじく。

同時に今まで使っていなかった歩法――縮地法を解禁して、瞬く間に王様の懐へと入り込む。

本来の地脈上を瞬間移動する縮地ではなく、単に相手の意識を外す技術と桁外れの脚力によって為される技だけど、見事に効果を発揮した。

 

「甘いっ!」

 

そのメイリンの初めて見せる動きを読んでいたのか、既に王様は迎撃の態勢を整えていた。

これではメイリンは構えた場所に自ら突っ込む――わざわざカウンターをもらいに行った形になる。

おそらく王様は読んでいた。

予測はできなくとも、予想はできていた。

メイリンがこの現状を打破するには遠距離からの強烈な一撃か、槍を使用不能にするか、懐に飛び込むかの三択しかなく、とり得る選択肢は最後のみ。

王様は「メイリンならきっとできる」という敵への奇妙な信頼によって、カウンターの準備を整えていたのだろう。

 

「せやぁっ!」

 

だけど、メイリンもさるもの。

突撃の勢いそのままに王様の膝蹴りを左肘で相殺し、左拳はなんと額で受けきる。

振り始めの速度がのっていない拳に自ら頭突きをして止めに行った。

対して王様は膝の一撃を受けきられ、左拳も止められたことで体勢を崩す。

メイリンの放つ次の拳は躱せない。

勝負あり、だが――。

 

本来懐に入り込まれれば長物である槍の間合いではないが、しかし。

王様の持つ槍は私が作った“神槍『スピア・ザ・グングニル』”。

今王様の右手にあるそれは、短剣サイズの極小の槍と化していた。

武器の性能による間合いの無視。

完全に思考の埒外にあった戦法は、メイリンを刺すに足る。

 

「しまっ――」

 

崩れた体勢に逆らわず、後ろに倒れ込むようにして放たれた槍は狙い違わずメイリンの頭を射抜く。

そして。

 

ガキイィン、という激しい音を立てて“神槍『スピア・ザ・グングニル』”はあらぬ方向へと吹っ飛んで行った。

 

一方、槍の一撃を受けたメイリンの帽子はまったくの無傷だ。

 

まぁ、あの帽子は極細の妖力の糸を魔法を込めながら十年かけて織り上げた逸品なので、急造の武器如きに傷つけられるような代物じゃあない。

そもそも帽子を贈った意図の一つに今回みたいな事故から身を守れるようにというものもあるので十分に役に立ったといえる。

 

「――くぅ、お見事! 一本取られました!」

 

帽子で槍をはじいたメイリンは当初の動きは止めず、体勢を崩した王様に追撃を入れていた。

地面に仰向けで倒れる王様と、その鼻先一センチほどで止まっているメイリンの拳。

端から見れば勝敗は明らかだけど、しかし、負けを宣言したのはメイリンだ。

 

「ぜえっ、ぜえっ……。俺の、負けじゃあ、ねえのか」

 

「いえいえ、一撃を入れられた時点で私の負けです。この状況はなんというか、敗戦後の形作りみたいなものですよ」

 

そう言ってメイリンは拳をひっこめる。

そして王様に手を差し伸べ、引き起こした。

王様は全身から滝のような汗を流して、呼吸もかなり荒げている。

ほぼ限界に近いところまで肉体を酷使して立っているのもやっとというありさまだ。

対してメイリンは汗こそかいているものの、ジョギング後みたいな爽やかな汗で涼しい顔をしているし、息ひとつも乱れていない。

今回の試合ではメイリンは王様と同程度ほどまでしか身体能力を解放していなかったけど、ここらへんは根本的な身体能力の差だ。

 

私はメイリンが何をやりたいのか察したので、吹っ飛んでしまったグングニルを回収して、再び王様に手渡した。

王様は不思議そうな顔をしながらも、もう腕を上げる力もない手でしっかりと槍を受け取った。

そして、槍を握った王様の手をメイリンが掴んで高々と上げる。

 

「どうぞ、勝利の凱歌を」

 

その言葉を受けて、王様は笑って、雄たけびを上げた。

事の顛末を見ていた者は少なくても、この声を聞いただけで魂が震えるような、そんな雄たけびだった。

まったく、これだから戦闘狂どもは。

 

 

そんなこんなで王様にも“D”の名と妖力をちょびっとだけ与えた。

喜んでくれたならそれでいい。

 

またこの国に来てもいいかなとも思う。

自分で制限をかけていたとはいえ、メイリンも思い切り戦えて随分と楽しかったみたいだし。

 

ああそうそう、グングニルはちゃんと回収してきた。

王様は欲しがったけど、さすがにあればっかりはね。

世界を統一したらプレゼントしてあげる、とは言っておいたけど、まぁ無理だよね。

 

まぁほんの一時、気まぐれみたいな交錯ではあったけど楽しかったのは確かだ。

刹那の交わりを終えて、私たちはまた旅に戻る。

 

 






ミドルネーム・D
当初のプロットでは本作の紅美鈴はスカーレット・D・メイリンになる可能性もあった。
Dの意思とは一体……?

神槍『スピア・ザ・グングニル』
フランの姉、レミリア・スカーレットの使うスペルカード。
おぜうさまは本編に出してあげられないので技だけでも登場機会を。

高度の柔軟性を維持しつつ、臨機応変に対処する
銀英伝のアンドリュー・フォーク准将の名言もとい迷言。
高度“な”ではないことに注意。
「要するに、行き当たりばったりということではないかな」
本作のストーリー進行のことでもある。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

原作1200年前前後 獣の棲家
二人の鴉天狗と陸の新種族


前回のまとめ
・世界地図と記録指針
・統一王国の王様と出会う
・Dの名を与える


統一王国の王様と別れてからも、私たちは旅を続けた。

それからもいろんなことがあった。

大きな出来事としては、メイリンと一緒に獣人族を作り上げたこと。

 

獣人族は魚人族、人魚族、巨人族に続く新しい亜人種で、魚と人間から生まれた魚人たちがいるなら、動物と人間での種族がいてもいいんじゃないかというメイリンの声によるものだ。

メイリンがやたらと推してくるので、そのうちに私も乗り気になり作ることにした。

後から聞いたところによると、どうも海底で私がリヴァイと一緒に魚人族、人魚族を作ったことに対して嫉妬していたらしい。

また、そんなとこだけ可愛いんだから。

 

さて、獣人族という新種族を作るにあたって、私はまず人間と鳥、すなわち“空”の亜人種を作ることにした。

魚人たちを“海”に見立てて、地上の動物たちで“陸”、あわせて陸海空の三種ファンタジー構想だ。

 

ところがこれが、最初から躓いてしまった。

まず大きな問題として、鳥の羽の動かし方は人間の脳では理解できないみたいで、ある程度鳥の思考回路を取り入れなきゃならなかった。

これはまぁ人魚を作った時もエラやヒレの動かし方を理解するために魚の脳を必要としたから、予想できていたことではある。

なんだけど、どうにもうまくいかない。

 

原因は字面そのまま“鳥頭”。

脳みそが小さすぎるというか、機能不足でどうにもうまく育たずにすぐ死んでしまう。

魚類の時は大丈夫だったのにね。

哺乳類に近くなったせいなのかなぁ。

 

そんなわけで本当はいろんな種類の鳥人間を作ろうと思ってたんだけど、計画が頓挫した。

上半身が鳥のいわゆる鳥人を作りたかったんだけど、頭が鳥もダメ、腕が翼もダメ。

 

試行錯誤の結果生まれたのは、どこからどう見てもただの人間で、唯一背中に羽が生えていることだけが鳥要素という鳥人だった。

 

しかも前述の通り使える鳥の種類にも限りがある。

まともに育ったのは(からす)をベースにした鳥人だけ。

伝書鳩ができるハトや森の賢者フクロウ、喋るオウムとかも頭のいいイメージがあるけど、こっちは私の想像力的にダメだった。

 

なんか飛べるイメージがなかったんだよね。

ハトの羽生えた人間とか想像できる?

鴉だけはまだ鴉天狗なイメージがあったからなんとかなったんだけど。

 

まぁそもそもな話をすれば、普通に考えて人間の体格で背中に生えた翼程度で飛べるわけがなかった。

なんていうか物理的に無理だよね、イカロスじゃないんだからさ。

羽が生えてるのに宙に浮くことすらできないとかどうしようもない。

 

ここまでで優に100年の時間が過ぎた。

 

「あーもーだめ、諦めた!」

 

「ええー、妹様もう諦めちゃうんですか」

 

「だって無理だもん。見てよこの子たち」

 

眼下には実験の結果生み出された鳥人間たち。

しかしそのどれもが幼児ぐらいの体躯でガリガリの貧弱、長く生きたところであと数年の命だろう。

しかも知能も低く、完全に人と同じ頭部をしているのに言語をしゃべることもできない。

 

「体が小さくて軽いのは空を飛ぶためだけど、そのせいで生命活動に支障をきたしてる。生物として歪すぎるよ」

 

「もうちょっとどうにかならないんですか?」

 

「ううん、これがバランスの限界。これ以上だと空を飛べなくなる。そうなるとただの使えない翼の生えた人間だよ。見た目だけなら空島の人たちでいいじゃん」

 

「そんなぁ……」

 

メイリンは残念そうだけど、こればっかりは時間をかけてもどうにもならないと思う。

 

「そうだ、妹様も羽が生えているじゃないですか。しかも飛べる。その仕組みを応用とかってできないんですか?」

 

「私の羽?」

 

確かに私には羽が生えている。

細い枝に七色の宝石がぶら下がっているような不思議な羽。

意識をすればパタパタと動き、空を飛ぶことができる。

 

「でもこれ、物理的なものじゃなくて妖力で飛んでるしねぇ」

 

「じゃあ妖力で飛べるようにすればいいんじゃ?」

 

「ううーん、それはなんというか新種族を作るってよりオーダーメイドの一点物を作る感じになっちゃうなぁ」

 

妖力を込めればすべての問題は解決する。

魚人たちに込めたような微量なものでも人間の十倍ほどの筋力を発揮するのだけど、今話しているのはそういう次元じゃない。

物理法則を凌駕して空を自在に飛び回る鳥人間を作るならば、かつてメイリンの鈴に込めた程度の妖力を必要とする。

そしてそこまでやっちゃったら、動物の特徴をもった人間、ではなくもう妖怪の側に足を踏み入れることになる。

 

「いいんじゃないですか? 私は翼の生えた人間、かっこよくていいと思いますけど。見てみたいです、その鴉天狗?っての」

 

「うーん、じゃあまぁいいか……育つまではメイリンが面倒みるんだよ?」

 

「はい!」

 

なんだかんだメイリンのお願いは断れないなぁ。

まぁ作るとなったらとことんこだわろう。

方針変更、鳥人間じゃなくて鴉天狗を作ることにする。

 

鴉天狗をイメージするとイケメンだったり渋かったりの男性鴉天狗が思い浮かぶけど、私の妖力で妖怪を生み出す以上女性の方がいい。

もともと妖力ってなぜか女性性を帯びてるんだよね。

私が女だからなのか妖怪全般に言えることなのかはわからないけど、そのせいで妖力は女性との相性がいいのだ。

逆に、反転する性質をもつ覇気は男性との相性がいいらしいこともわかっている。

そのせいで女性の覇気使いは少ない。

まぁその最高峰は今隣にいるから、あくまでも多少習熟速度に差が出るとかいう程度なんだろうけど。

 

女性の鴉天狗……残念ながら私は鴉天狗を見たことがないので、イメージをそのまま形にしてみる。

基本は山伏っぽく、丸くてちょこんと乗せる感じの特徴的な帽子――たしか頭襟(ときん)――になんかよくわからない白いぽんぽんの飾り。

巫女装束の感じで白を基調に飾り紐と帯に前垂れ……袈裟はお坊さんだっけ?

下はどうしよう、袴っぽくていいのかな。

長めにして、足袋に一本足の高下駄、手に錫杖とヤツデの葉を模した天狗の羽団扇……

手もなんかぴっちりしたアームカバー的なものがあった方がそれっぽいかも?

あれ和名だとなんていうんだろう、腕貫(うでぬ)き?

なんかもっさりしてきた。

肩のあたりに切れ込みでも入れて涼しく軽やかな感じで。

おっと、ついつい服装に気をとられすぎちゃったかな。

 

「まぁざっとこんなものかな」

 

「わーすごい、あっという間ですね」

 

目の前には五、六歳くらいの女の子が二人。

 

一人は黒髪ボブで好奇心旺盛そうな赤い瞳がらんらんと輝く女の子。

今もあたりをきょろきょろ見回している。

濡れ羽色の透き通るような黒く大きな羽は彼女の体よりも大きく、少々アンバランス。

きっと体が成長しきる中高生くらいの年齢になればいい感じになると思う。

 

もう一人は癖っ気のある茶髪をツインテールにまとめた、マイペースそうな女の子。

この世に生まれたばかりだというのにあくびをしながら自分を団扇で仰いでいる。

マイペースというか、明るく軽い性格っぽいのかな。

羽はもう一人の子と比べると色素が薄く、黒というより茶色や灰色に近い感じ。

 

素体にした鴉の個体が違うからか結構個性に差がある。

 

「可愛いですねぇ。名前はあるんですか?」

 

「いや、ないけど。メイリン付ける?」

 

「いいんですか?」

 

私とメイリンのやり取りに烏天狗の少女二人がこちらを興味津々で見つめてくる。

まぁ、妖怪にとって“名”は自身の存在を確立させるのに一番大事なものだ。

それがいまから決まるとなると興味もわくだろう。

 

「じゃあ、射命丸(しゃめいまる)ちゃんと、姫海棠(ひめかいどう)ちゃんで!」

 

「射命丸と姫海棠? また随分古風というかなんというか」

 

姫海棠ってなんだっけ、なんか聞き覚えあるんだけど。

脳内検索……っと、あった。

バラ科リンゴ属の酸実(ズミ)って植物の別名か。

小さい頃に図鑑で見た記憶だけど……ああ、マロンとルミャと一緒にこの世界で植物図鑑を作った時に書いたんだっけ。

リンゴに近い植物で小さくてきれいな白い花を咲かせる。

この世界にもリンゴはあるからきっとどこかにズミも存在しているだろう。

しっかしメイリンも良くまぁそんな細かいところを覚えているもんだ。

 

「なんか名前の響きが素敵で覚えてたんですよー。姫ってついてて可愛らしいですし」

 

「ふーん。射命丸の方は?」

 

「そっちは完全に語感です!」

 

「あ、そう……」

 

まぁ、メイリンのネーミングセンスにしてはまだまともな方?

とりあえず合う下の名前を考えてあげよう。

射命丸は……お堅い感じだけど本人は元気いっぱいな感じだし、短く“(あや)”でいいかな。

姫海棠は射命丸よりもっとつよそうな名前だから、バランスをとるためにひらがなで……“はたて”とか?

 

射命丸 文

姫海棠 はたて

 

うん、いい感じかな、なんかしっくりくるし。

それぞれを指さして、告げる。

 

「あなたの名前は射命丸文。あなたの名前は姫海棠はたて」

 

その瞬間、ふわふわしていた二人の妖力がぐっと凝縮され、存在が確立される。

二人とも年相応に喜んではしゃいでいる様子からすると、どうやら名前は気に入ってくれたみたい。

これで二人とも立派な鴉天狗だ。

あくまで私の想像を形にした、鴉天狗だけど。

 

 

 

 

ひょこひょこ元気にあちこち飛び回るチビ天狗ズはどうやら相当に頭が回る。

鳥頭とか心配してたのはなんだったのかってくらい頭脳明晰。

下手すれば産まれてまだ一年ほどなのにメイリンより賢い気も……いやまぁメイリンの頭が悪いわけじゃなくて、この子たちが本当に優秀なだけだ。

なんだろう、私が鴉天狗に持つ印象に引きずられたかな。

源義経にいろいろ教えたとかで、文武に優れるイメージがあったせいかも。

 

チビ天狗ズは私のことを「お母さん」、メイリンのことを「お姉さん」と呼んで、毎日遊びまわっている。

呼び名にちょっと違和感を覚えなくもないけどまぁ事実に近いので訂正する気にもならない。

 

そして、悪戯好きなチビ天狗二人の遊び相手でメイリンがあっぷあっぷしているのを尻目に私は新しい種族作りを再開した。

 

“空”の亜人種は失敗し、ほぼほぼ妖怪である鴉天狗が産まれるという結果になってしまったし、“陸”のはせめて成功するように頑張ろう。

そう思い、動物と人間とを掛け合わせた亜人種、いわゆる獣人を作っていく。

 

これは空のに比べて随分と楽でうまくいった。

ほとんどの種族の動物と掛け合わせることに成功して、大きな問題も二つだけ。

それも、どっちも解決した。

 

一つは静電気。

新しく作り出した獣人族は皆毛皮を持っているんだけど、そこに静電気では済まないレベルで電気が帯電してしまったのだ。

毛皮って服の素材の中でも一番静電気が発生しやすいしねぇ。

まぁこれは、電気を体内にため込んで自由に放出できるよう新しい臓器をちょちょっと作ってしまえば解決。

ゴロゴロの実の雷人間とかもいるしそう変なことじゃないよね?

獣人族はみんな使えるし、新しい狩りの手段が増えたようなものでしょ。

 

もう一つは月。

なんかイヌ系の獣人たちが、満月を見ると狂暴化する。

狼の獣人から考えるに狼男の伝承かなぁ。

私のイメージが悪さをしてしまったかもしれない。

なんせ吸血鬼と狼男って切っても切れない関係だ。

狼男と吸血鬼は対立する種族だったり、吸血鬼の変種が狼男だったり、狼男が吸血鬼の下僕だったりと関係性は様々だけど、なんだかんだ共通するところは多い。

 

ま、自分の深層意識なんて考えてもよくわかんないけどね。

イヌ科ってことなのか狼はもちろん、犬と狐と狸と、コヨーテやジャッカルなども理性を失ったように狂暴になる。

ただ、狼男みたいに満月を見ると狼に戻るとかそういうことはないし、男に限らず女でも同じように狂暴になる。

まぁこっちは月の光を浴びたら、とかではなく月を「見たら」なので、夜は空を見上げないように注意しておけば大丈夫。

 

 

こうして新しく生まれた獣人たちを、私は純毛(ミンク)族と名付けた。

みんな綺麗な毛皮をもっているから、純毛族。

毛皮と言えばミンク、という安易な発想だけど。

ちなみにこの世界ではまだミンクを見たことがないので、ミンク族にミンク種はいない。

単に獣人族、としなかったのはこの世界にいっぱいいる動物(ゾオン)系悪魔の実の能力者や鴉天狗の文とはたてと混同しないように。

ミンク族は毛が生えた動物オンリーだし、電気を発する力も使えるから区別は容易。

 

さて、ミンクたちには一つだけルールを定めた。

それは、他のミンクを決して食べないこと。

ミンク族の中には肉食動物と草食動物が混じっている。

彼らが食う食われるの関係になるのはちょっと嫌だし、見た目も人間に近いのでグロい。

私は吸血鬼だけど、血を飲むだけで人肉嗜食(カニバリズム)のケはないのだ。

普通の動物に関してはそこまでめくじらたてないけど、やっぱり自分のモチーフになった動物を食べられたりするのは気分がよくないだろうと思うので、極力食べないようにと。

一応ミンク族は肉を食べなくても必要な栄養素を野菜や果物なんかで補えるように、臓器にちょちょっと調整してあるので食べ物には困らないはず。

 

ちなみに同じようなことは、魚人族と人魚族に魚を食べないように、また巨人族にも人間を食べないようにというのは言ってある。

ミンク族に対しては人間を食べないようにとは言っていないけど、人間なんて毛の薄い猿のミンクみたいなものだし、たぶん大丈夫。

 

なんだかなぁ。

私ってば人類の三大タブー、「親殺し、人食い、××××」だけはどーにも許容できない。

まだ人間だったころの名残があるのかな……。

 

 

さてと、話が逸れたけどこれでミンク族も生まれて、だいぶバランスもとれてきた。

メイリンとチビ天狗ズはミンク族の家を作ったりと色々ドタバタ走り回っている。

そんな中で小さいリスのミンクを見ていて、ふと思う。

陸・海・空の三種族(空は失敗したけど)とバランスをとるなら、巨人族にも対になる存在がいた方がおさまりがいいんじゃないかな?

 

というわけで今度は小人族を作ることに。

しかしただ小さいだけではすぐに自然に淘汰されてしまう。

そこで、ちょっとだけ強くしてみる。

筋力と、敏捷性と……なんかリスのミンクみてたせいか尻尾を付けたくなってきた。

一応尻尾も強靭にしていろんなことに使えるようにしてみる?

 

「わぁ、可愛いですね。手乗り人間?」

 

「うん、そう。小人族」

 

とりあえず十人……十匹?ほど作ってみた。

なんかもふもふわらわらしている。

ちょっと鼻がとがっちゃったけど、なんだろう、無意識に何かのイメージに引っ張られたかな。

ピノキオ?

純真無垢で善悪を知らず騙されやすく、嘘をつくと鼻が伸びるあやつり人形……うーん、妖精に命を吹き込まれたってことくらいしか共通点が見つからないけど。

まぁいいか、可愛いし。

 

「なんていうか、絵本の中の妖精みたいですね」

 

「妖精ねぇ」

 

たしかにそんな感じにも見える。

リスのような尻尾じゃなくて羽でも生えてたらまさしくそんな感じ。

まぁ妖精っぽい羽って蝶とか昆虫的な要素があるから作る気にはなれないんだけど。

昔砂漠でイチゴに似た毒蜘蛛を食べてしまってからというもの、昆虫だけはちょっと苦手になっちゃった。

仮面ライダーとかは好きだったけど、昆虫人間を作ることは金輪際ないだろう。

 

「よし、文、はたて。この小人族はあなたたちに任せた。名前とか好きにつけていいからしっかり面倒見てね」

 

「あ、はい。分かりました」

 

「えーめんどくさー」

 

「こら、はたて。ちゃんと母さんの言うこと聞きなさい!」

 

「私おっきい方が好きだしー。そうだ文、ミンク族は文の分まで私が面倒みるから小人の方は文がお願いね」

 

「ちょ、こら、はたて!」

 

チビ天狗ズがなんか喧嘩、というより追いかけっこを始めてしまった。

情操教育的な感じで小さい生き物を育てる経験をさせようかなと思ったんだけど、嫌だったかな。

まぁ二人の教育はメイリンに一任してあるし、小人族は最悪放置していても勝手に育つ。

体の小ささとかの生きにくさを考慮して、小人族同士で強い連帯感と社会性を築くようにちょちょっと調整したからね。

 

あ、文が転んだ。

まだ大きすぎる羽に慣れてなくて、急に走り出したりするとバランス崩して転ぶんだよね。

メイリンに慰められてる。

可愛いなぁ。

 

そんなこんなで鴉天狗の射命丸文、姫海棠はたて、ミンク族に小人族――のちに文がトンタッタ族と名付けた――が生まれた。

これが大きな出来事の一つ。

 

 

 

 

あれから数百年がたち、文とはたてもすっかり大人になった。

といっても身体的な成長は中高生くらいの年齢で止まっちゃってメイリンと同い年くらい。

まぁメイリンは立ち方がしっかりしていて背も高いからどうしてもお姉さんに見えるんだけど。

 

何が言いたいかというと、私の背が抜かれてしまったということだ。

うーん、最初から大きかったレヴィアの時は気にならなかったけど、自分より小さかった子に背を抜かされると何とも言えない屈辱感がある。

今じゃお母さんとは呼んでくれず、“フランさん”だしねぇ。

距離感を感じるというか、ちょっと寂しい。

 

そんな二人も親元を離れ、それぞれ別の場所へと旅立っていった。

旅立ったと言えばトンタッタ族もまだ見ぬ理想郷とやらを求めてこの地を去った。

周囲に自分たちよりも大きい生物ーー彼らは私達のことを大人間と呼ぶーーがたくさんいる環境が嫌なのかと思えばそうではなく、ミンク族に辟易としたらしい。

ミンク族自体は嫌いではないそうだけど、彼らの生活習慣が問題だった。

 

それは、ガルチュー。

ガルルと唸る百獣の王ライオンからチューチュー可愛い小さな小さな賢将のネズミまで、あらゆるミンク族に共通の挨拶を、と考え出されたものだ。

 

ところがこのガルチュー、ミンク族の元々の気質が災いしてか、言葉での挨拶以外に頬と頬を擦り合わせる動きが含まれている。

これをミンク族同士でやる分には微笑ましい光景なんだけど、対象がトンタッタ族となると話は変わる。

 

トンタッタは見た目はリスのミンクみたいなものだからミンク族は仲間と思って友愛を示す挨拶であるガルチューを行おうとする。

ところがトンタッタ族はミンク族に比べてサイズが小さい。

ミンク族が彼らに頬ずりをすると、トンタッタ族は全身を使って摩擦運動を受けるようなもの。

挨拶をしただけで酷く体力を消耗してしまう。

 

これが悪意からくるものなら私もどうにかしたんだろうけど……。

ガルチューが浸透してからというもの、ミンク族は脊髄反射的にこの挨拶を行ってしまうきらいがあり、トンタッタ族が迷惑に思っていることに気が付きつつも止められない様子だった。

ここらへんは動物の要素が半分混じったミンク族だから、本能的な行動をとってしまうってことなのかな。

 

そんなこんなで互いを嫌い合っているわけでもなかったけど、トンタッタ族はミンク族の居住地を出ていくことになったのだった。

 

 

そして、いい機会だということで私とメイリンもミンク族の元を離れてまた旅に出た。

 

久しぶりににとりに会いに行ったら、なぜか空島を作った時の”島雲”を再現して雲の上に研究所を作ってた。

なんでも数百年も天候の研究をしてたとか。

聞いてみればなんと、私が嫌いな“雨”と“日光”をどうにか操れないかという研究だったらしい。

うう、私なんてメイリンに言われるまでにとりの存在をすっかり忘れてたというのに、なんていい子……。

 

なんだか申し訳なくなったので、にとりへのご褒美として月までご招待することにした。

それを伝えるとにとりは大喜び。

以前からずっと月に行きたい、月の技術を知りたいって言ってたからねぇ。

 

ちなみに月にいる永琳と輝夜については、私は以前から何度か会いに行っている。

海底から出てしばらくしたころ、ふとどうしてるか気になって訪れてみたのだ。

すると、驚いたことにお人形だったはずの輝夜がちゃんと生きていた。

確かに昔会った時に、もしかしたら命が宿るかもって予想はしてたけど……と思ったけど、自己解決した。

絶対私のせいだ。

初めて月を訪れた時、永琳に会ってあの狭い部屋で結構な長居をして雑談をした。

話の内容も私が興味を持ち、彼女の身の上にも共感できて、テンションの上がった私は普段よりも狂気を漏出していたと思う。

それってつまり、あの頃は気づかずに周囲に放出していた妖力が色濃くたまるってことで。

加えて永琳と輝夜にそれぞれ名前を贈って……人の領域を逸脱し、自身の力のみで妖怪(こちら)側に足を踏み入れていた永琳にそんなことをすれば、彼女は完全に妖怪と化しただろう。

そしてそんな永琳と常に共にいて、ずっと心を向けられていた輝夜は必然的に……。

 

ま、まぁ、そんな悪いことじゃないよね。

永琳もすっかり狂気がなりを潜めて、とても1500歳越えとは思えないほど可愛らしく笑っていたし。

 

それからもちょくちょく遊びには行ってたので、今では永琳だけじゃなく輝夜とも結構仲がいい。

月はやることがなくて暇だってことで、好奇心旺盛なお姫様のために、遊びに行くたびに色々なおもちゃを持って行ってあげたりもしてるからね。

永琳は遊び方を一度教えるだけで全部理解しちゃうので輝夜もなかなか勝てない。

てか教えて2回目のチェスで私永琳に負けたし。

私だって年季入ってるし結構強いはずなんだけどなぁ。

 

そんなわけでにとりを月まで連れて行くことに。

姫様のいい遊び相手にもなるだろうし、永琳もそう邪険には扱わないと思う。

 

 

 

 

そんな楽しい日常に不穏な影が差した。

宇宙海賊が出たりと思わぬハプニングもあって思ったより長くなった月の滞在を終えて地上へと戻ると、鴉天狗の文に出会った。

酷く焦っていて、全力で私たちを探していたそうだ。

そして伝えられた、ミンク族の国が滅亡するというニュース。

これには私もメイリンも心底驚かされた。

 

文の案内ですぐさま現場に駆けつけると、そこにはかつてのミンク族の住処はなかった。

正確に言えば、かつて住処があった土地が襲撃され、半分ほどが跡形もなくなっていた。

ミンク族にも被害が出ていて生き残りは残された土地に避難しているようだった。

 

襲撃犯には見覚えがあった。

かつて巨人族を作る際に失敗して生まれてしまった、山のように大きいおかしな足長象だ。

 

「なにやってるの、やめなさい!」

 

この象は言葉こそ話せないものの、人語の理解はできる。

だから、この注意も聞こえているはずなのだ。

それでも、止まらない。

長い鼻が避難していたミンク族に向かって振りぬかれる。

質量、速度共に数十の人体をミンチにするなど、わけない一撃。

 

目でわかる。

「誰がお前たちの言うことなどに従うものか。俺より弱い小さき者など踏みつぶしてくれる」

その巨象が、そう思ってこちらを侮っているのが分かる。

……生まれたばかりの頃は従順で大人しい子だったのに。

 

「お母さんっ!」

 

焦って叫ぶ文。

 

「大丈夫、メイリンブチ切れてるから。私が何かするまでもないよ」

 

振り回されていた鼻がピタッと止まる。

鼻の先には片手でそれを受け止めているメイリンがいる。

同時に発生するはずの衝撃波も反作用も起きないのは非常に不自然な光景に見える。

あれは巨大な“気”でもって受け止め、エネルギーのすべてを地面を通して受け流したのだ。

今頃どこか遠くの海が爆発しているだろう。

 

「貴様……私とフラン様の愛の結晶に手を出した覚悟はできてるんだろうな……しかもフラン様の制止を無視して……」

 

ぐしゃり、と鼻が握りつぶされる。

 

「パオオオォォォン!?」

 

直径何メートルあるかわからない太い鼻がメイリンの小さな手に握りつぶされているのは端から見てもおかしな光景だ。

象の方も何が起こってるかわかってないだろう。

 

それより、今日は文に久しぶりに「フランさん」じゃなくて「お母さん」って呼ばれたし、メイリンからも「妹様」じゃなくて「フラン様」って呼ばれたなぁ。

あれだね、みんな感情的になると昔の癖が出てきちゃう感じ?

メイリンなんて普段の敬語が剥がれて、にとりや輝夜なんかと話す時みたいに乱暴な口調になってるし。

てか、ミンク族って私とメイリンの愛の結晶だったの?

 

「いいだろう、貴様の思い上がり腐った性根、私が叩き直してやる……」

 

メイリンがぶん、と腕を振ると山より大きい巨象の体が冗談みたいに吹っ飛んでいく。

はるか遠くで盛大な波しぶきが上がる……ああもう、メイリンったら頭に血が上ってるなあ。

これじゃ滅茶苦茶な津波が発生してここら一体呑み込まれちゃうじゃない。

一応結界張っておこう。

 

「文、ミンク族のとこに行くよ」

 

「あ、は、はい」

 

さてと、なんでこんなことになってるんだか。

 




人間の脳では鳥の羽の動かし方を理解できない
原作には鳥系の悪魔の実を食べたことにより飛行能力を得ている人たちが存在しますが、あれはフランの妖力が影響している悪魔の実の力によるものなので、ミンクとは状況が異なります。
フランにも羽(?)が生えているので鳥系悪魔の実の能力者たちは本能的にきっと動かし方がわかるのでしょう。
という設定があったり。

文とはたての衣装
普段見慣れた現代女子高生風ルックではなくいわゆる香霖堂天狗装束です。
幼少期のあやはたてにはこっちのほうが似合いそう!っていうのが主な理由だったり。
カッコいいのでこちらが正装ということで。

烏と鴉
原作だとどっちの表記を使っていたか思い出せない……。
本作では鳥と烏を空目しないように鴉表記を使っていくつもりです。

静電気
毛皮はプラスの電気を帯びやすい物質の代表みたいなものだし、原作でもエレクトロを使える理由はミンク(純毛)関連だと思ってます。

満月とミンク族
原作ではワンダやイヌアラシが満月や奥の手について言及していますが、これが一体何なのか、ミンク族全体に適用されるのかどうかが分かりません。
8/28追記:ようやく最新刊まで追いついたら月の獅子(スーロン)が明かされてました。
どうも全ミンク族共通の特性らしく、非常に狂暴化するもの。
まぁこの時代はまだ野性が色濃く残っているからそこまで狂暴にはならないということで。

人類三大タブー 
表記はジャンプのめだかボックスから。
××××は諸説ありますが個人的にはインセストタブーかなと。
東方は妖怪だからともかく、ワンピキャラで今のところ明確にこれを犯しているのは父殺しのドフラミンゴと人食いのビッグ・マムだけかな?

トンタッタ族
なんだかピノキオを連想させるんですよね。
純真無垢でだまされやすいとこや、オモチャだったピノキオとオモチャにされた人間がたくさんいるドレスローザ、極め付きに鼻が長いウソップに救われますし。


8/28追記:ガルチューの由来が88巻のSBSで明かされましたね。
ネパール語のティミライ マヤ ガルチュ (君を愛している)らしいです。





はたての性格と口調についてはかなり難しいので違和感あっても勘弁してください。
一応明るく軽い性格なのと、文に対しては割と砕けてチルノに対して敬語でしゃべっているようなところから、内外の差がはっきりしている猫かぶり系JKな感じで……。
今後も東方だったりワンピだったりの原作キャラが出ますが、本作独自の解釈だったり過去の捏造だったりで、みなさんの脳内イメージとだいぶキャラが変わる可能性があります。
ついてけないなーとおもったらそっとじで。

そしてプロットじゃ海底編のあと即空白の100年編に入ってるのになかなかそこまでたどり着けないという。
ええ、ミンク族編は完全に予定にない見切り発車です。
思いついちゃったら書くしかないじゃない……。
たぶんあと2,3話は……。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ひとりぼっちの白狼と鴉天狗の新聞記者

 
前回のまとめ
・鴉天狗の射命丸文、姫海棠はたての誕生
・ミンク族、トンタッタ族の誕生



 

 

濡れ羽色というのはこういう色を言うのだろう。

ただの黒ではない、光の反射でふとした拍子にどこか青にも紫にも緑にも見える色。

全てを吸い込みそうなほどに黒く、しかしどこか透明感があるその色。

 

そんな色の美しい黒髪と存在感のある大きな黒翼をもつ彼女に、私は一目で恋に落ちた。

 

いや、この気持ちは恋なのかどうか、自分でもわからないのだけど。

なにせいままで私ときたら恋などしたことがない。

仲間はいるけど、私は珍しい純白の毛並みと特殊な力、そしてなにより泳げないという一族の者にあるまじき欠点のせいで親しい者は、いなかったから。

 

私は彼女の何に惹かれたのだろう。

容姿ではない、私が初めて彼女を見たのは後ろ姿で、それだけで十分だったから。

声音ではない、私は彼女の透き通るような声やこちらをからかう明るい声を聞く前にはすでに惹かれていたから。

ならばやはり、あの翼、真っ白な私とは正反対の漆黒の翼。

あれが私の心を掴んで離さないのだ。

 

 

 

 

私は、“ミンクの里”に生まれた、狼族のミンクだった。

ミンク族はどの種族同士でも子を為すことができ、子の種族は両親のどちらか、もしくはその先祖と同じになる。

そのため多くのミンク族は自由につがいを作り子をなすのだけど、私たち狼族だけは少し特殊だ。

狼族は基本的に狼族としかつがいを作らず、仲間内での結束が非常に強い。

私は、そんな中に生まれた。

 

私たちの一族が誇る純毛(ミンク)は灰褐色が多く、個体によっては白や黒、茶色っぽい者もいる。

私の父様は茶褐色、母様は黒っぽい灰色の美しい毛並みをもっていた。

ところが、そんな二人から生まれた私はなぜだか真っ白い毛並みだった。

白っぽい灰色の毛並みを持つ狼族ならばまだそこまで珍しくはないのだけど、誰にも踏み荒らされていない新雪の降り積もる雪原のような、輝く白銀の毛並みは、いささか以上に異端だった。

 

私自身はこの白銀の純毛(ミンク)こそが一番美しく、誰憚らず誇れるモノだと思ってはいたのだけれど、残念ながら私の周囲はそうではなかった。

あまりにも周囲とかけ離れ悪目立ちする私のこの純毛(ミンク)は受け入れられず、両親すらもが私に対して辛辣で疎遠だった。

 

だから私は小さな頃から、狼族の集落から少し離れた場所に一人で暮らしていた。

両親の家で過ごした記憶がないから、私も覚えていない本当に小さな頃のことだ。

 

加えて、私がおかしいところはそれだけではなかった。

何度か死にかけ、やっとのことで独り暮らしを始めた頃から、気が付けば私には不思議な力が備わっていた。

周囲に避けられていた私はそれが自分だけの特殊な力だとはなかなか気づけなかったけれど、その力の特殊さを知った時には私はすでに周囲から“白銀(しろがね)の悪魔”として気味悪がられ、距離を置かれていた。

 

私に備わっていたのは、遠見の力。

もともとミンク族には目がよい者が多いけれど、私の“それ”はそんなレベルではない。

 

『千里先まで見通す程度の能力』

 

私はその気になればミンクの里の外に広がる世界すら見ることができた。

千里とは言うけれど実際の距離ではなく単にとても遠くまで見える、といった程度のニュアンスだ。

私自身どれくらい遠くまで見えるのかは知らない。

さらに、私の眼は物理的な障害を苦にせず全てを見通すことができた。

例えば、四方を壁に囲まれた場所でも中を覗き見ることができるし、体の中を透かして血液の流れを見ることだってできる。

 

この時点で里の者は私に隠し事をできなくなったようなものだ。

他人が隠しているものを、見せたくないものを、覗き見てしまうことができる私の眼は、疎まれ、恐れられた。

 

そして極め付きに、私は泳げなかった。

狼族に限った話ではなく、イヌ科のミンクに泳げぬ者など居ない。

だというのに私は、足がつくような浅瀬でも水に浸かっただけで力が抜け、溺れることしかできなかった。

本当に小さい頃、二歳にも満たぬ時分には泳げたような気もする。

だけどたぶんそれは記憶違いだろうと自分で思ってしまうほどには、私には泳ぎの才能がなかった。

悔し涙を流し、猛特訓したこともある。

だけども、川や海どころかお風呂で溺れて死にかけた。

溺れると力が抜け、目が見えなくなる。

どうあがいても、犬かきすらできないという現実を突きつけられた。

 

こんな私だったから周囲からは忌避され、狼族の伝統である五歳の“名付けの儀”も参加させてはもらえなかった。

だから私は小さな頃から名前のない“白銀の悪魔”として狼族の集落から少し離れた場所に一人で暮らしていた。

 

私に近づかなかった周りの者を恨んだことがないと言えば嘘になる。

ただ、雪に覆われて食べるものがなくなる厳しい冬にはいくらかの食料を分けてもらえた。

なにより血の気の多い狼族のこと、私を殺そうとしなかっただけで彼らは十分すぎるほど私に優しいと言えた。

 

だから私が恨んだのは、私自身。

おかしな眼も、泳げぬ体も、嫌になった。

いつしか、あれほど誇らしく思っていた白銀の毛並みさえも、憎しみの対象になった。

この呪われた目を抉り取ろうか、泳げぬ無様な四肢を切り落とそうか、異端の白き全身の毛を刈ってしまおうかと、何度考えただろう。

幾度も考えしかし実行しなかったのは、ひとえに私の体が父様と母様からもらったものだからだ。

言葉を交わしたことさえほとんどない二人だけれど、それでも私が自分自身を傷つけるのは、私を産んでくれた親への裏切りに思えてためらわれた。

 

 

そうして、一人里の外で暮らすことに慣れ、十二の夏を迎えたある日のこと。

 

その日、私は狩りを終えて家の前で道具の手入れを行っていた。

すると突然、バサッ、という音がして、黒い何かが空から舞い降りてきた。

まず感じたのは、不覚をとったという苦い思いと焦燥感だった。

特殊な眼を持ち嗅覚も聴覚も人並み以上に優れている私が全く気が付かず、至近距離までの接近を許してしまったのだから。

私はとっさに武器を手に取り振り向き、――運命に出会った。

 

視界いっぱいに飛び込んできた漆黒の翼。

濡れ羽色をした透き通るような羽。

一目見て、吸い込まれた。

 

「あやややや、私の家が……?」

 

その言葉を聞いて、ハッと我に返る。

完全に心を奪われていたことを自覚して、羞恥に顔が熱くなった。

 

「な、何者だ!」

 

私の家に自分から近づこうなどという者はミンク族の中にはいない。

里を守る精鋭や、やんちゃ盛りのいたずら小僧ですら、私のことを見ると怯えるのだ。

だからこの得体のしれぬ見事な翼を持つ者は、ミンクの里の敵である可能性が一番高かった。

 

「おや、その服……? 私の方こそあなたに誰なのか聞きたいところですが……まぁいいでしょう! 私です。清く正しい射命丸です!」

 

「は、はぁ」

 

翼の持ち主は、くるりとこちらを振り返って、そう言った。

美しい女性だった。

年は若く、私とそう変わらないように見える。

服装は見慣れないものだけど、とても上等なものだということは分かる。

丸い小さな帽子を頭に載せ白くふわふわの飾りを揺らしているのを、ついつい目で追ってしまった。

 

射命丸というらしいその人は見慣れない種族だった。

背の翼は鳥のもの、鴉の羽のように見えるが、ミンク族には鳥の特徴を持つ者はいない。

鳥は地上での縄張り争いに負けて空に逃げ、ミンク族になれなかった脆弱者というのが、私たちの認識。

私も、羽毛を持つから食いこそしないが、囀ることしかできない鳥のことはどうでもいいものとして見下している。

だというのに、射命丸というこの女性の持つ魅力は何なのだろう。

 

「それで、あなたのお名前は?」

 

「う、あ……」

 

射命丸は名乗ったままの勢いで、にこやかに私にそう問いかけた。

それで私はと言えば――馬鹿みたいに固まったままだった。

だって、仕方ないじゃないか。

物心ついたときにはすでに親とも離れ、里の者ともほとんど交流を持たなかった生活を続けてきたのだ。

たまに触れ合うときも大概はこちらを疎ましく思うか恐れるか、泳げないことを狼族の恥だと蔑むか、そんな程度のものだ。

 

だから私は彼女の、輝くような笑顔を、好意を、向けられるのが初めてだったから、慣れなくて、気が動転、体の奥が熱い、なにを考えているのか、彼女の顔から目が離せなくて。

 

「えっと、大丈夫ですか? 自分の名前言えます?」

 

なにか、言い返したかった。

でも、私には名乗る名がなくて。

彼女に名乗れる名がないことが、急にとても恥ずかしいことのように思えてきてしまった。

自分で名付ければよかったじゃないか。

“名付けの儀”なんて無視して、適当な名前を付けておけば今こんなにも焦らなくて済んだのに――。

私は自分でも何を考えているのかよくわからないまま、ただ本能に突き動かされて、意地だけでこう言い放った。

 

「き、貴様に名乗る名などない!」

 

言い放ってから、しまったと思った。

あんなにも素敵な好意にあふれた笑顔を向けてくれた以上、彼女はきっと敵じゃない。

それなのに、酷い口の利き方をしてしまった。

彼女はこちらの誰何(すいか)にきちんと応えてくれたというのに。

礼儀も何もなってない。

 

「あやややや、なんとも厳しい対応ですねぇ」

 

だけれど彼女は私の冷たい対応を悪く思った様子もなく、からからと笑うだけだった。

……もしかしたら彼女はとてもいい人なのかもしれない。

嫌な目も罵る言葉も向けてこないし、こんな私に笑顔と優しい対応をしてくれるし……うん、きっとそうだ。

 

「しかしですね、私の記憶違いでなければ、ここは私の家のはずなんですけど。勝手に居ついているあなたはどちらの泥棒犬なんでしょう? その服も私の服ではありませんか?」

 

「え?」

 

私の家が、この人のもの?

確かにこの家は私が建てた家じゃない。

小さい頃、両親に疎まれて狼族の集落の中に居場所がなくなって、どうしてもお腹がすいて食べ物を探しに集落の外に出た。

何日か森を彷徨って、魔獣に追いかけられて、ああもうだめだと思ったとき、この家を見つけた。

大きさはそれほどでもなくて、一人か二人が暮らすのがちょうどいいくらい。

結構古びているけれど造りはしっかりしていて雨漏りなどもない。

中には調度品の類はほとんどなくて、本棚と衣装箱、机と寝具があるだけ。

衣装箱の中には私の体にぴったりな服が数着入っていた。

そして隣接した小屋には狩りや漁のための道具があって保存食が大量に保管されてもいた。

気が付けばいつの間にか魔獣はいなくなっていた。

 

食べ物、服、居場所……その家には私が必要としているものがすべてあった。

だから私は、この家は私のために集落の人が建てたものだと思っていた。

誰もこの家のことについて触れないのは、集落で嫌われている私に表立って生活の支援ができないからだろうって。

それがまさか、この人の家だったなんて。

 

私は急に怖くなった。

もう十年以上もの間勝手に住み着いて、保存食はすべて食べてしまったし道具もいくつか壊してしまった。

家の中は私の好きなように弄ってしまったし、今着てる服だってこの家にあったものだ。

知らなかった、なんて言い訳は通用しないだろう。

でも私はなにより、こんな私に好意を向けてくれている彼女に、嫌われたくなかった。

 

「あ、あの、ごめんなさいっ!」

 

私はすぐさま、謝罪の姿勢をとった。

両手を前に投げ出し、両膝と額を地につける。

顔を伏せ牙を隠し、掌は開き上に向け爪があなたを害することはないという意思表示。

目をつむり耳と尾を伏せ、如何様な処罰も受けると示す。

このまま殺されても文句は言えない……いや、言わない。

 

私が今まで生きてこられたのは、この家に助けられたからだ。

食べるもの、生きていくのに必要なものはすべてこの家から与えてもらった。

でもそれ以上に、集落に居場所のなかった私にとってこの家は帰る場所を、居てもいい場所を私に与えてくれた。

正直にいえば、子供心に一人でいるのはとても寂しかったんだ、辛かったんだ。

たぶん、あのままどこともなくふらふらと彷徨ってその日その日を森で寝る生活を続けていたら、魔獣に食われるか、心が折れて死んでしまっていたと思う。

そうならなかったのはこの人の家があったから。

だから、私の命はこの人のもの。

邪魔だと言われて殺されても、まぁちょっと残念だけど、仕方ないのかなって思う。

 

「え、ちょ、そこで謝るの――ってかそれミンク族の“捨命隷従の礼”じゃ……ああもう、頭を上げなさい!」

 

「けど……」

 

「しかしも案山子もありませんよ! だいたいそのミンク族の土下座は名前が私に似ているので好きではないのです」

 

仕方がないので言われた通り顔を上げると、射命丸様は苦々しいというか、どこか呆れたような顔をしていた。

 

「とりあえず話を聞きましょう。お茶くらいは出してくれるでしょうね?」

 

射命丸様は半眼になり、そう言ってあごをしゃくった。

確かに射命丸様を家の前でいつまでも待たせるのなどもってのほかだった。

お茶はあまりよいものは持っていないけれど、いつも飲んでいる薬草茶ならある。

 

「はい、すぐに!」

 

 

 

 

久しぶりに生まれ故郷に帰ってきた。

何年ぶりだろう、少なくとももう十年は帰っていない。

しかし、鴉天狗は妖怪の一種で寿命が長い(お母さ……フランさんにもわからないらしい)から、数十年ごとにでも里帰りをする私はむしろマメな方だと思う。

はたてなんてミンク族の里を出たっきり一度も戻ってないらしいし。

トンタッタ族のことを私に押し付けておいて、結局自分でもたいしてミンク族の世話などしていないのだ。

 

それはさておき私はと言えば、ミンクの里への里帰りはそれなりに楽しみだったりする。

小さいときからずっと見守ってきたし、獣人ということで鴉天狗の自分と多少親近感もある。

まぁ、鳥のミンク族はいないので彼らからしたら私は異物でしかなく、人前に姿を現しにくいのが残念だけど。

 

 

里の上空をぐるりと一周して特に異常がないことと里の発展具合を確認し、隠れ家の前に降り立つ。

しかし、そこで異常に気が付いた。

見た目が少々変わっているし、軒先に野菜が吊るされていたりと生活感がある。

 

「あやややや、私の家が……?」

 

「な、何者だ!」

 

少しだけ驚いた。

振り返れば、そこにいたのは白き狼――のミンク族の少女。

いや、元の色は白なのだろうけど、薄汚れていて茶色い。

髪はぼさぼさ、毛並みも汚れて乱れていておよそ純毛(ミンク)を誇りにするミンク族とは思えない出で立ち。

 

「おや、その服……?」

 

そんな浮浪者のような恰好をしているのになぜか服だけは綺麗で清潔感が――ってあれ私の服だわ。

小さい頃に私が着ていた、フランさんからもらった服だ。

あれは妖力で作られていて汚れを付着させない魔法もかかっているからきれいなのは納得できる。

しかしなぜ。

この家は一般人が近づけないようにとフランさんが結界を張ってくれていたはずなんだけど……。

 

少女は手に大剣と盾を持ち、生気がなくほの(ぐら)く濁った目でこちらを見据えていた。

俯きがちでわからなかったけど、やたらと目つきが剣呑だ。

まぁまずは友好的に出るべきか。

 

「私の方こそあなたに誰なのか聞きたいところですが……まぁいいでしょう! 私です。清く正しい射命丸です!」

 

「は、はぁ」

 

狼の少女は困惑したような声を上げた。

こうやってこちらのペースに巻き込んで主導権を握るのがいつもの私のやり方。

もちろん、営業スマイルも忘れない。

 

「それで、あなたのお名前は?」

 

「う、あ……」

 

ところが、少女の反応はこちらの予期していたものとは異なった。

耳はピーンと立って緊張し、口をもごもごと開閉させ、顔は赤くなっているように見える。

なんだろう、人見知りか?

 

「えっと、大丈夫ですか? 自分の名前言えます?」

 

言ってから、少し煽るような言い方になってしまったのを後悔した。

純粋な心配だったんだけど、私はどうもこういう言い方をしてしまう癖がある。

いつもはまぁそれも個性と割り切っているけれど、人見知りかもしれない気の弱そうな少女を相手にはまずかったかもしれない。

 

「き、貴様に名乗る名などない!」

 

おや、また予想した反応と違う。

随分と鋭い目つきで睨まれた。

なんだろう、この子の性格がいまいち読めない。

 

「あやややや、なんとも厳しい対応ですねぇ」

 

異邦人の私を警戒しての行動だろうか。

ならば、互いの立ち位置をはっきりさせて上下関係を叩き込むか。

一応里からすれば私も不法侵入者だけど、そこは勢いでごまかしてしまおう。

 

「しかしですね、私の記憶違いでなければ、ここは私の家のはずなんですけど。勝手に居ついているあなたはどちらの泥棒犬なんでしょう? その服も私の服ではありませんか?」

 

「え?」

 

少女は剣呑な昏い目から一転、きょとんとした丸い瞳ででこちらを見た。

まぁ長いこと家を空けていたし、こちらが突然現れて家主だと名乗っても効果は薄いか。

なにか家主の証明になるようなもの持ってたかな。

 

私がそんなことを考えていると、少女の顔色が次第に変化していった。

見てわかるほどに青褪め、目はせわしなく泳ぎ焦燥に駆られている。

なんだ、なんでこんな急激な反応を?

 

「あ、あの、ごめんなさいっ!」

 

「え、ちょ、そこで謝るの……」

 

だめだ、この子が何考えているのか本気で分からない。

さっきの威勢のよさはなんだったんだ。

しかも、ただ口頭で謝るだけにとどまらず、突然地に膝をついて土下座をし始めた。

気が弱いなら責められてこの反応もわかるけど、そうなるとさっき言い返してきたのは本当になんだったのかっていう。

 

「ってかそれミンク族の“捨命隷従の礼”じゃ……ああもう、頭を上げなさい!」

 

「けど……」

 

「しかしも案山子もありませんよ! だいたいそのミンク族の土下座は名前が私に似ているので好きではないのです」

 

驚いた、まさかこんなところで“捨命隷従の礼”を見ることになるとは。

両手を前に投げ出し、両膝と額を地につける最上級の謝罪の姿勢。

牙、爪、目、耳、尾とミンク族にとっての武器を放棄し、如何なる処罰も受けると示すもの。

その名の通り命を相手に捧げる礼で、この場で殺されることはおろか、私が命じればこの先の一生を私に仕えて過ごす奴隷のような立場になることも拒否できない。

全ての誇りと自死の権利すらを捨てさせる、自殺よりも重い礼だ。

 

ああもう、心臓に悪い。

こいつ、この礼の意味ほんとにちゃんとわかってやっているんだろうか。

ほんとに何考えてんだかわからない。

……ひとまず、空気を変えたい。

 

「とりあえず話を聞きましょう。お茶くらいは出してくれるでしょうね?」

 

「はい、すぐに!」

 

私がそう言うと、彼女は大剣と盾を放置して走って家の中へと戻っていった。

片づけておこうかと手に取ると、大剣と盾は融合するように一つになり、一振りの刀へと形を変えた。

とりあえずそのまま家の隣の物置小屋に立てかけておく。

懐かしいな。

これは私が小さい頃に美鈴さんに剣術を教えられた時に使っていたものだ。

持ち主の魂を模した形状に変化する剣で、私の場合は“刀”だった。

昔はよくわかっていなかったけれど、風を操り、如何なるしがらみにも囚われない鴉天狗の身としては、鋭く何よりも疾く、全てを一振りで断ち切る刀というのはまさにその通りだったんだなと感心してしまう。

まぁここ百年ほどは刀なんて握っていないけれど。

だいたいのことは羽団扇でなんとかなるし、代わりにペンを握っているというのもある。

ペンは剣よりも強し、ってね。

 

「さてと、いったいどういうことなのか」

 

里帰り早々に気が重くなる事態だが、とりあえず事情を知らなければならない。

この家の持ち主としても、一人の新聞記者としても。

 

「お邪魔しますよ」

 

声をかけて家に入る。

自分の家にお邪魔しますと言うのはなんだか奇妙な感覚だ。

家の内装も結構様変わりしていた。

私はたまに来ては数日から数週ほど滞在するだけだったのでこの家の内装は最低限の物だけを置いた殺風景なものだった。

ところが、今は随分と生活感にあふれている。

また手作りの物が多いようで、家具や小物なんかは歪だったり不格好だ。

 

「あの、少し待って」

 

少女はかまどで火を熾しているところだった。

そういえばお茶を出せと言ったっけ。

別になくてもかまわないけど、まぁ用意してくれるというならありがたく頂こう。

 

「ええ、構いませんよ。しかし、その汚れた状態でお茶を淹れてもらうのはあまり気が進みませんね。手くらい洗ったらどうですか?」

 

「あ、その、ごめんなさい、すぐに洗ってくるっ」

 

そう言って少女は外へ駆け出して行った。

すぐそこに水甕があるのに……まぁ泥汚れを落とすなら外の方がいいか、近くに川もあったはずだし。

それにしても警戒心がないというか、もし私が家主を騙った泥棒ならどうするんでしょうね。

性格が読めないこともそうだけど、情緒不安定というかなんだか見ていて心配になる子だ。

 

ややあって少女が戻ってきた……が、多少マシになったかという程度でまだ薄汚れている。

服を脱いで全身水浴びをするというわけにもいかないし、石鹸の類を持って出たようにも見えなかったから当然なところもあるが。

まぁ私はそこまで潔癖症というわけでもないし、おかしなものを口にしたところで体を壊すような軟弱な鴉天狗でもないから言わないでおく。

 

「あの……どうぞ」

 

少女は沸かした湯で茶を淹れ、私の座るテーブルに置いた。

そして、一つしかない椅子に座るかどうか迷っている。

まぁ私は空気椅子をしているので困惑も仕方ないか。

足一本でしゃがみその上に胡坐をかくように座るこの姿勢を私は勝手に“天狗座り”と呼んでいる。

まぁ私しかやっているのを見たことはないけれど、これが案外落ち着くのだ。

頬杖もつけば数日くらいはこの姿勢でも全く疲れない。

その前に飽きるだろうけど。

 

「どうぞ、座ってください。それでは話を聞かせてもらいましょうか」

 

逡巡していた少女だが、私の言葉に素直に従い席に着き、これまでの経緯を話し始めた。

なんだかやけに従順になっている。

捨命隷従の礼、あれは本気だったとでもいうのだろうか。

私が死ねと言ったら本当に死にそうで、うかうか軽口も叩けやしない。

 

 

 

 

「はぁ……まさしく一匹狼というわけですか」

 

すっかり温くなってしまったお茶をすする。

ぐ……とんでもなく苦い。

普通のお茶じゃなく薬草茶か、健康志向でなによりで。

 

……私は今ひっじょーに苦々しい顔をしているだろう。

これはなにも薬草茶のせいではなく、少女から聞かされた話がとんでもなく重いものだったからだ。

記者の習い性で手帳にメモを取っていたのに、途中で手を動かすのをやめたほどに。

 

少女――名はない。

名を付けられる前に親に捨てられたそうだ。

ミンク族は良くも悪くもその純毛(ミンク)を誇りに持ち、結束力が強い。

それはそうあれかし、とフランさんが作ったのだから当然のこと。

しかし、この少女は特異な毛を持ち同胞から異端視された。

 

普通ならばそのまま野垂れ死んだことだろう。

ところが偶然にも私の隠れ家を発見してしまった!

きっとその時、こいつは本当に死にかけ、動く死体のような状態だったはずだ。

なにせこの家の周囲には“生者の通過を許さない結界”が張られているのだから。

 

あろうことかこいつは偶然にも結界をすり抜け、そのままこの家の住人として登録されてしまったのだ。

 

そして、特殊な眼とやらはおそらく悪魔の実。

泳げないというのにも合致する。

これは推測だけど、この家の食糧庫でそれとは知らず食べたんじゃないだろうか。

この家はフラン様が魔法をかけたり私がちょくちょく訪れたりと、普通の場所より妖力は溜まりやすいし、自然発生した可能性は十分にある。

 

で、そのまま今日まで生きてきたわけだ。

……これを他の里の住人から見たらどうなるか。

 

幼少期に捨てた異端の赤子。

すぐに魔獣の餌にでもなると思っていたところなぜか生き延びている。

後をつけてみても森の中で忽然と消える。

いつしかすべてを見通す目を手に入れていた。

狼族ならできて当たり前の泳ぎができなくなっている。

 

うん、これ完全に悪魔に呪われたとか思ってるわ。

しかも悪魔の実が関係してるからあながち間違いでもないのが笑えない。

 

そして、あろうことかこいつは今まで受けてきた迫害について何も気づいちゃいない。

冬にもらったという食料だってたぶん生贄代わりのお供え物かなんかだろうし。

話を聞いているだけの私でもイライラしてくる扱いなのに、こいつときたらとんだお花畑だ。

……いや、そうならざるを得なかったのか。

気づいてしまえば心が折れるから、無意識に目をそらしているのか。

 

その代わりとでもいうように、銀色の毛はくすみ、その瞳は混沌を煮詰めたかのように昏く濁っている。

自分に自信がない、どころか全く価値を認めていない。

壊れかけの一匹狼。

 

あーもう、なんでこんな暗い話を聞かなきゃならないの。

私はもっと笑えるような話が好きなんだけどなぁ。

 

「とりあえず、事情は分かりました。勝手に家に入ったことも物を使ったことも何も咎めはしませんよ」

 

「え、射命丸様? しかし……」

 

「だーかーらー、しかしも案山子もありません! 口答えしない!」

 

「は、はいっ!」

 

反射的に返事をしたものの、まだ納得がいっていない目だ。

自分が犯した罪に対して、罰を求めている。

ああもう、こんな話を聞かされて辛く当たれるとでも思っているのか。

……まぁできるのが問題なんだけど。

 

「……では、罰を与えます。これから先この家の管理を住み込みで行うこと。それと、私は数日ここに滞在するので、その間私の身の回りの世話をすること。いいですね?」

 

「はいっ! ……ん、あれ?」

 

少女は罰にもなってない罰で混乱している。

なにせいままで自分がやってきたことをそのまま続けるだけなのだから。

まぁ、このまま流れで押し切ってしまおう。

 

「では改めまして、私は射命丸文。しがない新聞記者の鴉天狗ですよ。どうぞよろしく、私の召使いさん?」

 

そう言って営業スマイルでにっこりと笑う。

召使い扱いでどんな反応をするかなと思っていると、少女は見てわかるほどに赤面した。

押し切られたことに怒ったのか?

それにしては尻尾がせわしなくぶんぶんと横に振られていて、やはりイマイチ何を考えているのかわからない。

 

近頃接する相手は皆、私に嫌悪の感情しか向けてこなかったから……何を考えているのかわからないこの子の相手は逆にやりにくい。

嫌いって言うほど知っているわけでもないけど。

 

なんというか、私はこの白狼が――苦手、かもしれない。

 

 






狼族のミンク
原作にはまだ狼はいなかったような。
色々捏造です、いたらごめんなさい。
月夜の戦闘力はミンク族の中でも最強。

迫害もみじ
なんでこうなったんだろう、気づいたら迫害されていた。
結構心を病んでしまっている。
もみじもみもみ。

捨命隷従の礼
いわゆる五体投地に似た土下座。
お腹を見せて寝転がる犬の、俗に言う“服従のポーズ”と迷ったんですが。

足一本でしゃがみその上に胡坐をかくように座る姿勢
東方緋想天の文のしゃがみモーションのこと。
かわいい。


生来の人を食った態度のせいで好意に鈍い鈍感系な鴉天狗と自分に価値を認められない盲目的な壊れかけの白狼の話。

なんだけど駆け足すぎて文の性格とか普段の行動とか描写できなくてもやっとする。
でもこれ以上話数をかけるとまた原作が遠のくから泣く泣くカット……。
早く原作にたどり着きたいけどたどり着いたら終わるからなんとも悩ましい。
一応二人とも結構な重要人物(になる予定)なので長い目で見てくださいな。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

白狼の怯えと天狗の戯れ

前回のまとめ
・迫害されている白狼
・里帰りした鴉天狗

※注意
時間のない中書き殴ったせいかちょっと本話は少し暴走気味、具体的に言うとちょっとえっちいです。
苦手な方は次話へどうぞ。


 

 

「ところで貴方、ちょっと汚すぎますね。私の家で過ごす以上は身なりくらいは清潔に保ってください」

 

「は、はい。ごめんなさい」

 

「この家にはお風呂があるでしょう。さっさと洗ってきてください」

 

鴉の行水とは言うけれど、実のところ鴉天狗である私はお風呂が好きだ。

元々キレイ好きではあったけれど、小さい頃にフランさんやメイリンさんとよくお風呂に入っていたのが原因だろう。

あの人たちは本当によくお風呂に入るし、時間も長い。

まだ幼かった私とはたては何度ものぼせてフラフラになったものだ。

 

そんなわけでこの家には割りと大きめのお風呂がある。

そもそも私が里帰りするのもこのお風呂の存在が大きい。

外で飛び回る生活をしていると、秘境の温泉を見つけたときくらいしかまともに湯に浸かれないから。

それにこの家のお風呂はいくらでも水が出て、温度調節も自由自在で、シャワーまで付いているのだ。

作ってくれたにとりさんには感謝しかない。

 

……おや、少女が立ち上がったまま浴室へ向かおうとしない。

そしてなにやらもごもごと唸っている。

 

「は、はい。あの、でも、その、私……」

 

「なんですか、煮えきりませんね」

 

「ご、ごめんなさい。その、私、水が苦手で……」

 

そう言った少女の顔は真っ赤で、耳と尻尾がへにゃんと垂れ下がっている。

うん?

泳げないというのは聞いていたけれど、水が怖い?

 

水が嫌いな犬もいるとは言うが、ミンク族はフランさんのイメージによって特性を付与されているので、水が嫌いなイヌ科のミンクはいないはず。

なんでも水を怖がるようになる狂犬病という病気のイメージが強いらしく、この病気にかからないようにとイヌ科のミンクはみな泳ぎが得意なようにしたそうだ。

 

泳げないから水に恐怖を抱く。

ふむ、何度も溺れかけていたらそういうこともあるのかしら。

それで水浴びもしないからこんなに薄汚れているわけか。

 

んー、めんどくさいな。

……でもまぁ、ひっじょーに面倒くさいけど、まあ水が苦手になった理由であるだろう悪魔の実は、私の妖力から生まれたんだろうし?

それを勝手に家に入り込み食べたのはコイツだとしても、一抹の責任を感じないこともない。

それに、こんなに弱弱しくいじらしい姿を見せつけられると、どうにも疼く。

 

……優しくしてやろうかと思ってたけど、前言撤回。

ちょっといじめ……ごほん、荒療治するかな。

 

「脱ぎなさい」

 

「……へ?」

 

「服を脱ぎなさいと言いました。もう一度言いますか?」

 

「い、いえ、あの、その、こ、ここで?」

 

「ええ、ここで。今すぐに。全部」

 

今は居間でお茶を飲みつつ話をした直後だ。

すぐそばに窓もあり誰かが通りかかったら見られるかもしれない。

もっとも、この家には結界が張られているのだけど、コイツはそのことを知らない。

そして、出会ってすぐの私に対して裸を見せるという行為に抵抗も覚えるのだろう。

 

「わ、わかった……」

 

おや、いきなりこんなことを言われ、屈辱で噛み付いてくるかと思えば案外従順だ。

相変わらず赤面したままで、今度は耳と尻尾がピンと緊張している。

突然言われたこんな理不尽な命令に素直に従うのか。

 

しゅるしゅるという衣擦れの音と共に一枚ずつ脱いでいく。

脱いだ服をちゃんとたたんでいるのは高評価。

下着は……上は着けていない。

下は……意外なことに褌などではなく、見た目相応の子供っぽいショーツだ。

 

ていうか私のじゃん。

 

そうか、ちょっと冷静になって考えれば、服を拝借してるんだから下着もそうだよね。

まさか他人が私の子供の頃の下着を着けているのを見ることになるとは。

なんか変な気分。

 

「あの、下も……?」

 

「さっき何といったか聞こえませんでしたか?」

 

「いえ……ごめんなさい」

 

少しの逡巡のあと、少女は私の言葉通りに従った。

完全に一糸纏わぬ姿で立ち尽くしている。

うーむ、私がこんなことをしているのは、これからのことを考えて従順に従うように躾けようと思ったからだったんだけど。

ほとんど何もしてないのに既にここまで大人しく下手に出られると、どうにも嗜虐心が刺激されて仕方ない。

 

私は、自分より下の相手をからかったり虐めたりするのが好きだ。

そして大体の相手は鴉天狗である私より下の存在なのだから、まあ有り体に言って誰に対しても態度が悪い。

こんなんだから友人の一人もできず、皆から嫌われるのだと頭では分かってはいるのだけど。

せめても表面上だけでも人当たりを良くしようと誰にでも敬語を使うようにしてはいるが、心の底では見下しているのがバレるのか、いい関係を築けた者は未だにいない。

あのお気楽でめんどくさがりな引きこもりのはたてとはまた違ったベクトルで私も人格破綻者である。

 

そしてどうにもコイツのような年端もいかない子供を相手にすると抑えが効かなくなる。

ああ、悪い癖だと自覚しているのに。

コイツは何を考えてるかよく分からなくて少し苦手に感じるけれど、それを補って余りある程に……。

 

「手は後ろで組みなさい。足は肩幅。胸張って顔は上げる。足で尻尾を挟まない」

 

「う……はい」

 

もはや何も隠すことなどできない囚人か、あるいは奴隷のような格好だ。

ここまで屈辱的な指示によく従うものだと多少の感銘を覚えるが、内心では私を殺したいほど憎んでいるに違いない。

ただ、こうやって嫌われることも含めて愉しんでしまっているのだから、私という奴は全く救えない。

 

「随分とまあ貧相な体ですね」

 

「ご、ごめんなさい……」

 

改めて見れば十歳かそこらの少女に見える。

本人の自己申告である十二歳よりは幾分幼く、ガリガリとまでは言わないものの痩せていて、貧しい体をしている。

普段の食生活も聞く限りでは満足に食べられてはいないようだったから、そのせいか。

 

それにしても、清浄が保たれていた服を脱ぎ全裸になると、小汚く薄汚れているのがよくわかる。

何年体をちゃんと洗っていないのか、まるで泥遊びしたあとの犬のようだ。

近づいてみれば体臭も凄いのではないだろうか。

 

「こちらに来て後ろを向きなさい」

 

「はい」

 

後姿を見ると、思ったよりも尻尾が大きい。

いや、体が小さいのか。

そういえば昔は私も体に対して羽が大きすぎてよくバランスを崩したっけ。

そんなことを思い出しながら、言われたとおりに目の前まで来た少女の後ろ手に組んだままの手を紐で拘束する。

 

「あ、あの、射命丸様?」

 

「私の服の飾り紐で縛りました。強く手を動かしたら千切れますのでそのままにしておくように。いいですね?」

 

「は、はい」

 

さて、まあ予定外に十分遊んだし、とっとと本来の目的を果たそうか。

私は少女の背中と膝の裏に手を入れ、ヒョイと持ち上げた。

 

「え、あ、あの!」

 

私はそう力が強い方ではないけれど、それはフランさんやメイリンさんと比べてのことで、人間やミンク族などとは比べ物にならない程度の身体能力はある。

それにしたってコイツは軽いが。

……ホント、ちょっと体調が心配になるレベルの軽さだ。

 

私は少女をそのままお姫様抱っこで浴室まで運んだ。

少女は突然持ち上げられて運ばれたことで目を白黒させていたが、私が浴室に近づいていることに気がつくと、目に見えて顔を青ざめさせた。

逃げようにも後ろ手に縛られている上に私に抱え上げられているのでなんの抵抗もできない。

せいぜいが耳を伏せて縮こまり、身を震わせる程度だった。

なにかしら文句を言うかと思ったが、口答えをするなという命令を律儀に守っているのか何も言わない。

まぁ都合はいい。

このあと暴れられても困るから。

 

私は必死に縮こまる少女を浴室の椅子に座らせた。

そして、シャワーノズルを手に取る。

 

「ひっ……」

 

耳をぺたんと伏せ俯く少女から押し殺した声が漏れる。

怯えて震える幼子のような姿にぞくぞくするものを感じないわけでもないが、これはれっきとしたショック療法であり、疚しいことは何もない、うん。

 

「絶対に椅子から立ち上がらないように」

 

そう言って、返事を聞く前に蛇口をひねる。

 

「キャンッ!?」

 

頭の上からシャワーを浴びせてやると、一瞬悲鳴を上げて飛び上がりそうになったが、肩を掴んで椅子に押さえつける。

瞳孔が開き切り、ハッハッハッと舌を出して息を荒げ、胸は激しく上下している。

体はガチガチに固まり、ぎゅっと固く握り締められた掌では爪が食い込み、少し血が流れている。

どうやらかなりのトラウマらしいが、気絶しないのであれば何も問題はない。

 

温めの温度に調節して、シャワーは出しっぱなしにしておく。

そして、浴室に備え付けられている私の愛用のシャンプーを手に取る。

ガタガタ震えたままの少女の髪に垂らし、乱暴にわしゃわしゃとかき混ぜる。

 

「全然泡が立ちませんねぇ。どんだけ汚れているんだか」

 

一度洗い流し、再度シャンプーを塗り付ける。

数度も行っているとようやく泡立ちがよくなってきた。

敏感な獣耳も念入りに洗う。

このあたりでようやく、少女の震えは収まってきた。

少しお湯の温度を上げる。

 

「シャンプーは目に入りませんでしたか?」

 

「……ぁ、え……」

 

まだ混乱しているのか返答は言葉にならない。

まぁ痛がってはいないようなので気にせず作業を進めることにする。

髪と耳が洗い終わったら、次はスポンジと石鹸で首筋、肩と徐々に下へと洗っていく。

 

「あ……んっ……」

 

汚れは酷く垢もかなり出るので結構強めに擦ってやると、なんか変な声を出し始めた。

……いや、今は別に普通に洗ってるだけなんだけど。

薄汚れた浮浪者を洗ってやってるだけなのになんかイケナイことでもしてる気分になる。

 

「なに変な声出してるんですか。発情でもしましたかこの駄犬」

 

「……ぅあ、ごめん、なさい……きもちよくて……」

 

……なんて直球な。

ああいや、よく考えたらコイツ、他人に体を触られるのが初めてなの……か?

というかコイツの生い立ちで性知識なんかないか。

 

「腕ほどきますよ」

 

飾り紐を解いても、依然としてしっかり後ろ手に組んだままだ。

爪も掌に食い込んだままなので、手のひらでにぎにぎと包み込みながらゆっくりとほどいてやる。

血が滲んでいるのが痛々しいが、そこまで大きな怪我ではない。

 

ただ、目の粗いスポンジでは痛いかもしれないので、石鹸を直接手で泡立て、指同士を絡めるようにして洗っていく。

……爪の手入れもちゃんとされてないな。

伸びきっているし、爪と指の間にゴミが溜まっている。

まぁ、これは後回しか。

 

「――っ!」

 

掌の爪痕をなぞると、石鹸が染みたのか体をこわばらせた。

しばらくそのまま手を握って慣らす。

徐々に力が抜けていき、ふにゃっとした子供の手に戻った。

 

――小さな手、紅葉のような幼い手だ。

そして、助けを求めて伸ばして、誰にもつかんでもらえなかった手。

そうして今こうやって性悪の鴉天狗に捕まってしまっているのだから、本当に救いようがない。

 

「手をあげてください」

 

「え?」

 

「万歳ですよ、ほら、ばんざーい」

 

手をあげさせて、腕から、脇、胸、背中、と順に洗っていく。

こうして見るとミンク族にしては毛のない箇所が多い。

種族や個体によっては全身ふさふさだったりするけど、コイツは耳や尻尾以外ほとんど人間と変わらないかもしれない。

 

「あ、の……しゃめいまるさま……」

 

「ん、なんですか?」

 

聞き返したが、待てども質問が来ない。

なんだ、呼んだだけ?

まぁいい、ようやく半分が終わったところだ。

 

「腕はおろしていいですよ。その代わり立ってください。足は肩幅に開いて。尻尾は持ち上げてもらえると助かります」

 

「あ、はい……」

 

背中からお尻にかけて洗っていく。

尻尾は……毛の量が多いし、もしかしたら()()()()かもしれないので今は触れずに後回しにしておく。

それにしても少女を立たせ、その足元に私が跪いて洗っている今の姿は、私の方が召使いのようだ。

そういえばそろそろ私の服も濡れて張り付き、鬱陶しい。

脱ぐ暇がなかったとはいえ、着衣状態でシャワーを浴びることになったのは初めての経験だ。

 

太ももから膝、ふくらはぎと洗っていき、もう一度椅子に座らせる。

今度は足を持ち上げて洗う。

 

「んっ……くすぐったい……あっあっ」

 

指の股や足の裏に手を滑らせると嬌声が響く。

口元に手を当てて必死で抑えているようだけど、全然抑えられていない。

まぁ、これからもっと酷くなるかもしれないのでこの程度ならば気にしない。

 

足の先まで洗い終え、また立ち上がらせて、今度は私が椅子に座る。

 

「さ、私の膝の上に腹ばいになってください」

 

「はい……」

 

椅子に座った私の膝の上に少女が恐る恐る横たわる。

姿勢としてはいわゆる、お尻ぺんぺんのポーズだ。

恥ずかしいポーズだろうが、従順でなにより。

心の中でどう思っていようと、表面上従ってくれればそれでいい。

 

「さて、暴れないでくださいね」

 

そう言って、尻尾の付け根を揉むようにして洗う。

反応は、劇的だった。

 

「ひゃんっ!? あっ、だ、だめっ――きゃいんっ!」

 

「こら、暴れるなといったでしょう」

 

「ひっ!?」

 

パァンと軽く尻を叩いてやると、すぐに大人しくなった。

手足がだらんと脱力している。

尻尾のもみ洗いを再開するとやはり反応は大きかったが、今度は歯を食いしばって声を抑え、手足も動かさないように努力している。

 

まぁ、こうなることは予想していた。

イヌ科のミンクは尻尾の付け根が弱い。

神経が多く通っていて刺激が脊髄に直結するため、どうしようもなく敏感だ。

ちなみにこれはミンク族に限ったことでもなく、私も翼の付け根は弱く、フランさんも同じ部分が、メイリンさんは顎の下と角が弱いらしい。

フランさんのあの棒のような羽に神経が通ってるのを知ったときは驚いたものだ。

 

それにしてもごわごわの尻尾だ。

長い間櫛入れどころかまともに洗われてなかっただろうから、毛と毛の間に汚れが溜まり、指で梳こうとしてもすぐに絡まる。

石鹸もまったく泡が立たない。

 

「っ、ふっ、ふっ……あ、あの! しゃめいまるさま!」

 

「終わるまで止めませんよ。静かにしててください」

 

「ふぁ、ひゃい……」

 

どうせ恥ずかしいからやめてくれとかそんなことだろう。

気持ちは分からなくもない。

私だって翼を他人に洗ってもらうなんて気恥ずかしいし、変な声でも上げたらと思うとやってられない。

 

うーむ、方針変更だ。

ぱぱっとまとめて終わらせるつもりだったけど予想外に汚れがしぶとい。

ちょっと時間はかかるけど、毛を一本一本洗っていくような感じにしよう。

 

「はっ、はっ、……っは、はっ……ん……」

 

しばらく洗っていると少女の息遣いが荒くなり、声が漏れてき始めた。

そして姿勢のおさまりが悪いのかもぞもぞとお尻を動かしている。

 

「こら、動かないでくださいよ」

 

そう言うと動きは止まったものの、数分もするとまたもぞもぞ動き出す。

ずっと同じ姿勢で疲れたのだろうか。

しかし、もう少しで尻尾も洗い終わるのだから手元を狂わせないでほしい。

いい加減張り付いた服が不快になってきているのだ、早く終わらせたい。

 

「動くなと言っているでしょう」

 

返事はない。

それどころか動きが若干速くなった。

ここにきて従順さが薄れてきたか?

とりあえず、先のように一発軽くお尻を叩いてやることにした。

 

「こら駄犬、動くな」

 

パァン、といい音が浴室に響く。

同時に、「ひっ」という息を吸い込む短い悲鳴。

――シャワーとは別のちょろちょろと水が流れる音。

なぜだか温かくなる私の右腿。

その温かさは膝を伝い、足首まで伝わっていく。

「ひっく、ひっく」としゃくりあげる涙声。

 

思わず、毛を梳いていた手が止まった。

 

シャワーの流れる音、少女の嗚咽、謎の水音だけが浴室にこだまする。

二十秒か、三十秒か。

それくらいの時間が流れ、水音は止まったが、私の右足はすっかりと温められてしまった。

 

「あやややや……まさかこんなところでマーキングされるとは……」

 

いや、ほんと勘弁してほしいというか。

泣きたいのはこっちなんだけど。

ああもう、確かに話を聞かずに黙れと言ったし、もじもじしてるサインにも気が付かなかったけれども。

けれども!

 

……まぁ、ここが浴室なのが不幸中の幸いか。

すぐに洗い流せるし、服は洗濯すればいい。

虐めすぎた報いとでも思おう。

 

「大丈夫ですから、気にしなくていいですよ」

 

「でも、その、あの、わたし……ひゃあん!?」

 

うだうだと言っているので、尻尾の付け根を弄ってやる。

すっかり綺麗になった尻尾は、茶色く薄汚れていた面影などなく、水を弾いて白銀に輝いている。

もにもに、ぐりぐりと遊んでやると、随分といい反応をする。

 

それにしても、考えてみればここ数百年、こうして誰かと触れ合うことなどなかった。

ミンクの里を出てフランさんたちと別れてからというもの、出会う人たちとは常に距離をとっていた。

今回はまぁ成り行きというか、勢いに任せた部分が多かったけれど、それでも珍しいこともあるものだと思う。

実家に帰ってきて気が緩んだのかな。

 

さて、そろそろ終わりにしよう。

いい加減私も湯に浸かりたい。

 

「さて、悶えているところ申し訳ないのですが。……こら、いつまで発情しているんですか」

 

「ひゃんっ」

 

悶えていた駄犬は一発くれてやると静かになった。

同じところを三発も叩いたからか、うっすらと紅葉の手形が浮かんでいる。

 

「それで、気分はどうですか?」

 

「あ……すごくきもちよかった……」

 

「いや、そう言うことを聞いているのではなくてですね。水はまだ怖いですか?」

 

「へ? ……あれ?」

 

今もシャワーは私と、膝の上の少女に勢いよくかかっている。

しかし、当初見せたような怯えは見られない。

ショック療法はまぁ、成功かな。

 

「あれ……なんでわたし……」

 

「お湯は温かくて気持ちがいいでしょう。力が抜ける感覚はありますか?」

 

「いや、大丈夫……目も見える……」

 

「あなたは水が苦手なんじゃなくて水に浸かるのが苦手なのです。分かりましたか?」

 

「は、はい」

 

「では落ち着いたところで膝から降りてくださいな。いい加減服がずぶ濡れで鬱陶しいのです」

 

膝の上から少女を下ろし、湯船にお湯をためる。

そしてその間に、ようやっと服を脱ぐ。

今着ている服はフランさんの服のように妖力でできているものではないので、パッと消したりはできないのだ。

 

「あ……羽……」

 

「うん? 私の羽がどうかしましたか?」

 

「服から飛び出てるから、引っかかるかと思って……」

 

「ああ、私の羽は妖力が具現化したものですからね。服に穴は開いてませんよ。脱ぐ時も少し気を付ければ……この通り」

 

シャツを脱ぎ、下着も外す。

羽には引っかからないけど、濡れて肌に張り付いているので随分と脱ぎにくい。

 

羽に関しては、本当はしばらく前から消して体内に収納することはできるようになっている。

その方が抜けた羽の処理もしなくていいし、普段の生活でも引っかかったりしないし、寝る時もうつ伏せではなくベッドに背中を付けて寝られるようになる。

しかしまぁ、この羽は鴉天狗である私の誇りみたいなものだから、生活の快適さ程度と引き換えではあまり隠す気にはならない。

せいぜい取材で人間に扮して潜入するときくらいか。

あとは、フランさんが羽を消せないらしいから、私だけ消すのもな、っていう思いもある。

なんか寂しいじゃない?

 

ようやく鬱陶しいずぶ濡れの服を全て脱ぎ去る。

結構な時間同じ姿勢で座っていたためか、大きく伸びをすると軽く音が鳴った。

 

「きれい……」

 

少女がそんなことをつぶやく。

一瞬体の事かと思ったが、その目は私の翼に向けられている。

それならばと少しバサバサと動かしてみると、わかりやすいほどにキラキラと目を輝かせた。

鴉天狗の誇りに思っている羽なので、そんな純粋な反応をされると嬉しいものだ。

人間相手だと異物感の方が強いらしく、奇異や嫌悪の目を向けられることの方が多い。

まあ動物の特徴を身に持つミンク族にしか理解されない美醜感覚なのかもしれない。

 

「さて、さっさと湯に浸かりましょう。シャワーを浴びるだけではやはり味気ないものです」

 

「あ、でも私は……」

 

「気にせずとも三人以上は入れる大きさの湯船……ああ、水に浸かるのが心配ですか」

 

とはいえ彼女がただの水嫌いなのではなく、悪魔の実の副作用で泳げないだけなことがわかったので対処は簡単だ。

お風呂に入り、お湯に妖力を溶かしていく。

大事を取って少し濃い目にしておこうか……こう表現するとなんだか入浴剤のようだ。

 

「まあ騙されたと思って入ってみてくださいな」

 

「で、でも……」

 

「ほら」

 

逡巡する少女の手を引き湯船に引き込むと、ひっ、と息を吸い込むような押し殺した悲鳴が浴室に響く。

少女は縋るような目でこちらを見てくるが、それを無視してそのまま肩を掴んで座らせる。

ざぷん、と水面が波立ち少しお湯が溢れた。

暴れようとするのを背後から抱きつくような姿勢で、力づくで押さえ込む。

 

「はいはい、どーどーどー」

 

「あの、はな、離してっ」

 

「肩まで浸かって百数えたらいいですよ」

 

「そんな!」

 

しかしまあ、暴れている時点で水に浸かっても力が抜けていない、ということに気づいても良さそうなものだけど。

そのことに少女が気づいたのは実に一分以上も経ってからだった。

 

「あれ……私……?」

 

「はいはい、落ち着きました?」

 

「あの、私、水に……」

 

「ええ。先程そう説明しましたが、何事にも例外はあります。具体的には悪魔の実の能力者は水に浸かれない。ただし妖力の混ざった水を除く、といったところでしょうか。これは悪魔の実の力と妖力の親和性が非常に高いことを利用した画期的な方法でして、このやり方が発見されるまでは概念の反転とかいう恐ろしい魔法を使っていたそうですから……とはいってもあなたは悪魔の実が何なのかも分かってはいませんしね」

 

「えっと」

 

「そうですね、私と一緒なら水も大丈夫ということです。いまはそう覚えていて貰って構いませんよ」

 

少女はまだよく分からないといった顔をしていたが、この説明でとりあえずは納得したようだった。

はあ、これでようやくのんびりできそうかな。

 

 

 

 






ドSロリコンツンデレ鈍感系鴉天狗とドM薄幸系デレデレ従順な白狼の話。

日常回が書きたかっただけなのに、ただ風呂に入るだけで終わった……どうしてこうなった。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

鴉と白狼の交わりと巨象の襲来

前回のまとめ
・鴉天狗、白狼をお風呂に入れる
・鴉天狗、白狼を調教する


 

「今日もありがとうございました、射命丸様」

 

白狼の彼女はそう柔らかく微笑んで眠りにつく。

私の隣、一糸纏わぬ姿で柔らかな寝息を立てる彼女を見て、気づかれないようにため息をこぼした。

どうしてこうなったのか、気がつけば私とコイツの付き合いはもう五年ほどになる。

 

出会ったあの日。

汚いからと風呂で丸洗いし、久々のお風呂をのんびりと堪能し……いつの間にか湯船で寝入っていたコイツを抱きかかえてベッドまで運び、夕食の準備をして、結局夜になっても起きてこなかったので私も天狗座りで寝た。

翌朝、平謝りしてくるのを適当にあしらい、せっかく作ったので夕食を朝食の代わりに食べ、のんびりと一日を過ごした。

コイツはそんな私のあとをカルガモの雛のようにちょこちょことついてきて、何かにつけて世話を焼こうとしてきたので、されるがままに任せていた。

 

そんな生活を数日続けるうち、名前がないのが不便に思い、適当に名をつけることにした。

 

付けた名は、犬走(いぬばしり)

 

天狗にこき使われる(イヌ)――実際のところは狼である彼女を揶揄したようなからかい半分の名前。

走狗(そうく)”ともかけた冗談半分、適当な洒落だとすぐにわかる名前。

だというのに、彼女はそれはもうすごい喜びようで……顔や態度で取り繕ってはいても、千切れんばかりに尻尾を振っていてはバレバレだ。

 

私は生まれたその時から、フランさんとメイリンさんにもらった“射命丸文”というこの名前があるから、名前のない彼女の気持ちはよくわからなくて。

そんな姿を見て少しだけ不憫に思い――後日、下の名前だけはちゃんと付けてやることにした。

 

付けた名は、(もみじ)

 

彼女の小さな手と綺麗な赤い瞳からの連想だ。

音の響きもまぁ、悪くはないんじゃないかと思う。

 

そんなこんなで名前を付けてからというもの、なんだか愛着がわいてしまった。

あれだ、捨てられていた子犬を拾ってペットにしてしまったのに近い。

不器用で世間知らずながらも私の言うことには何でも従う従順なペット。

なんでもないようなことでもいちいち大袈裟に喜ぶものだから、ついつい調子に乗ってしまったというのもある。

 

思えば私もこの数百年間、他人から正の感情を向けられることがなかったから――フランさんやメイリンのあの優しさを知らず知らずのうちに求めていたのかもしれない。

 

 

そうして長くても数週間ほど滞在する予定だったのが気が付けば数か月たち、ずるずると予定を先延ばしにした結果、いつの間にか季節が一巡していた。

別に何かしなければいけないことがあるわけでもなく別段焦る必要もなかったのだけれど、なんとなくこのままだとあのひきこもりの鴉天狗と同列に見られてしまいそうで嫌だった。

椛の前でいつものんべんだらりと過ごしていたから、たまには仕事をしているところでも見せて威厳を保ちたかったのかもしれない。

 

それで、久しぶりに新聞を作ることにした。

すると当然、いつでもどこでも私の後ろをついてくる白狼が興味を示した。

まぁちょうどいいので新聞製作の手伝いでもさせてみようかと思ったところ、なんとこの駄犬は字の読み書きができないのだという。

私はそこから教える羽目になった。

 

そうしてまた季節が一巡した。

新聞製作のノウハウを教え込み、字の読み書きどころか一般教養もこれでもかと詰め込んだので、最低限助手としては使えるようになった。

そこで――ようやっと――ミンクの里に彼女を伴って取材に出かけることができるようになった。

 

本当は統一王国の首都で取材を行いたかったのだけど、私が遠くに行こうとすると打ち捨てられた子犬のような目で見つめてくるので断念し、代わりに近場のミンクの里でお茶を濁すことにしたのだ。

 

私がミンクの里に来る前は、「統一王国が黄金の都と名高いシャンドラという大都市国家を攻め滅ぼした」という大ニュースが駆け巡っていた。

ところが私はそのころちょうど別のことに関わっていて、その事件の取材の機を逃してしまっていた。

このことは私の短くはない記者人生の中においても結構なミスだったから、未練がましくその後の動向を取材するよりは、さっぱりと断ち切ってしまったこちらの方がよかったのかもしれない。

ミンクの里に来たのも、一仕事終えたものの、スクープを逃して意気消沈していたからお風呂で疲れを癒そうと思ったのが理由だっけ――。

 

まぁとにかく、ミンクの里を取材することにして、その取材に椛も付き合わせることにした。

随分と抵抗されたが、嫌がらせ兼人見知りの更生のためだ。

ベッドの中で一時間ほども()()したら大人しく従った。

アイツは普段は従順だけど、たまにこうやって可愛らしい抵抗を見せる。

結局従うことになるのだから反抗する意味もないのだが、やはり駄犬は駄犬らしく学習能力がないということだろう。

 

 

里中を連れまわしてみると案の定びくびくして全く使い物にはならなかったが、里の者たちの態度はそれまでとは異なっていた。

私にとっては――予想通りではある。

椛自身は、いままでのように恐れられ嫌悪されると思っていたようだが、まったくもってズレている。

 

今、里の者たちから彼女に向けられる感情は恐怖と嫌悪ではなく、畏敬と羨望。

 

そりゃ当然。

椛の持つ、ミンク族の誇りである純毛(ミンク)は薄汚れていたかつての面影はすでになく、私が毎日ブラッシングしているのと健康状態が改善されたことによって自ら光を放つかのように白銀に輝いている。

その美しさは筆舌に尽くしがたいし、目を奪われる。

 

そして何より、ここ数年の間妖怪である私と常にともに過ごし、毎晩一緒に妖力の溶けた風呂に入り、妖力のコントロールの仕方もみっちり仕込んだ。

そのせいで――自覚はないようだけど――今では見る者が見れば明らかに過ぎるほどの強者のオーラを放っている。

覇王色の覇気、の妖力版が漏れ出しているといった感じだろうか。

そのせいで毛艶もいいのだ。

自分で自覚し制御できていない分まだまだ未熟ではあるけど、私の隣に立つなら最低限ってところか。

一応フランさんに見せても恥ずかしくは……ないと思う。

 

椛はもともと素質があったのか、悪魔の実を食して覚醒したのか――とにかく彼女は妖力に対する適性が非常に高く、私の妖力をスポンジで水を吸うように受け入れることができた。

ヒトからは――普通のミンクの枠組みからは外れ、妖怪化してしまうだろうことは伝えたけれど、それでも一切の拒否をせず受け入れた。

それならばと調子にのって注ぎ込みまくった結果がこれである。

妖力の適性は私も想定外だったので珍しく素直に心から賞賛したところ、舞い上がって狂ったように自分でも鍛錬していたからそれも一因だろう。

 

幼少の頃、彼女は確かに異物で排除される対象だった。

しかしそれは、彼女が幼く弱い存在だったからだ。

周囲と違い異端であることは、周囲をねじ伏せ黙らせる力さえ得てしまえば、それは弱みではなく武器や魅力といったものに変わる。

人間であればそううまく行かないこともあるだろうけど、こと本能に従い生き、力を信奉するミンク族に限れば、驚くほど簡単に彼女は受け入れられた。

 

あれよあれよと祭り上げられ、ついには里を治める二人の長との決闘に巻き込まれ、ごくあっさりと二人まとめて叩きのめして――舞台の上、涙目で狼狽する彼女を見て私は苦笑するしかなかった。

久しぶりに発行した新聞の一面トップには、二人の長が転がる横で半泣きのままオロオロしている白狼の写真がデカデカと載ることになる。

 

余談だけど、椛に負けた二人の長が椛に敬服し、名前を欲しがった。

――というよりあれはどう見ても惚れ込んで、「俺の姓を名乗ってくれ」ってことだろうけど、あの馬鹿は全く気がついていない。

「俺の名にお前の名が欲しい。絶対に強い後継ぎになる。代々語り継がれる名だ」とかなんとかカッコつけて口説いた結果、見事に勘違いされ――気がつけば二人の犬族と猫族の長はそれぞれ犬走(イヌバシリ)の音と似た、イヌアラシ、ネコマムシと名乗ることになっていた。

しかも、長の名として代々それを名乗り継ぐことになっていた。

これにはまあ、私を含め観衆も大爆笑である。

 

ちなみに後日また正式に、今度は直球で求愛されたそうだけど、アイツは「私は文さんのものですから」と言って断ったそうだ。

……自分の分をわきまえているのはいいけれど、二人きりの時以外は射命丸様と呼べ、という言いつけを破っていたので折檻することにした。

 

 

しかしまあそんなことがあっても私達の生活は特に変わらず、小さな一軒家で二人のんびり過ごす日が続く。

 

そうしていつしか五年もの月日が経ち、幼さを残していた少女が美しい年頃に成長した頃――事件が起きた。

 

最初の異変は、津波。

ミンクの里は平原と森を含む山あいの土地にあり、ほど近くに海もある。

しかし、海魚が好きなミンクが時たま漁をする程度でそれほど生活には関わっていない。

だから、徐々に波が高くなっていることに誰も気が付かなかったし、海が荒れていることにも然程注意は払われなかった。

 

そしてある日、目のいいミンクの一人が山の上から海の方を眺めて――そこに山があることに気がついた。

 

その山は、鳴いた。

 

 

 

 

「射命丸様、あれは一体……」

 

ある日突然、里のまとめ役たちが緊急招集されました。

私達の周囲には森を治める猫一族の長、平原を治める犬一族の長、草原を治める牛一族の長などの有力者が一堂に介しています。

そこに加えて文さんと私も何故か呼ばれました。

文さんは、世界中を飛び回っていたのでその知識量はとても凄いし頭の回転も早いし頼りにされるのは当然だけど、私はなんで呼ばれたんでしょう。

 

ともかく、そうして呼ばれて山に登ってみれば、海の先にある巨大な物体を見せられました。

未だ遠くにあるはずなのに既に天を衝く程に大きい。

そしてゆっくりとだけど動いています。

 

「あやややや、あれは災厄の巨象では……?」

 

流石文さん、なんでもご存知!

しかし、私が聞いたことのある名前ではありませんでした。

 

「災厄の巨象、ですか?」

 

「ええ、と言っても呼ばれ方は地域で様々ですが……以前アレに襲われた町をいくつか取材したことがありますが、酷いものでした。ふらりとやってきてすべてを滅ぼす……捕食を目的としているわけでもなく、ただ戯れに地形ごと町を破壊していくのです。避難さえ間に合えば人的被害は抑えられるでしょうが、山は吹き飛び森は根こそぎなぎ倒され……そこに町があったことが疑わしいほどの惨状でしたよ」

 

文さんの言葉を聞いて、私と長たちの顔が青ざめました。

なぜそんなモノが……。

 

「どう見てもこちらに向かってきていますねえ……到着までは目算で一日以内でしょうか。いや……あまりに早い……半日以内……っ、どれにせよ早めに避難を始めるべきでしょう」

 

「避難!? 我らが里を見捨てて逃げろと!?」

 

「……まだ何も起こっていない。そんなうちから尻尾を巻いて逃げ出すなど、ミンク族の恥よ!」

 

「……まあそうでしょうけど、いざその時が来てからでは遅いと思いますが」

 

「射命丸殿は里の発展に寄与されてはいるが、ミンク族の誇りを分かっておらん!」

 

「里は開祖が神に授けられ、先祖代々守り発展させてきた神聖な土地であるぞ! それを捨てるなど、ご先祖様に顔向けできぬ!」

 

「……知っていますよ」

 

ポツリと呟いた文さんの言葉は、隣にいた私しか聞こえないだろう声量の、弱々しいものでした。

 

私は、文さんが実はとても長生きで、ミンク族の誕生の場に居合わせていたことを本人から寝物語に聞いて知っています。

文さんは謙遜していましたが、彼女はミンク族にとって長いことその発展を見守ってきてくれた守り神のような存在であると、私は分かっています。

ともすれば、今を生きる私達よりも、里への思い入れはよほど……。

 

「なんとか、ならないんでしょうか……」

 

言ってから、しまったと後悔しました。

文さんがこう言った以上、既に取れる手段はないということなのに……無駄に彼女に心労を強いてしまうことを言ってしまうなんて。

 

「……椛なら、わかるでしょう。アレは生命力の塊……私よりも遥かに強い。どうにもできません。恐らくは尋常の生命体ではなく、フラン様の……」

 

人前では私の名前を頑なに呼ばない文さんが、思わず椛と呼び、そのことに気がついていない。

瞳は忙しなく揺れ動き、細かく震えていました。

恐怖か、無力感か、はたまたもっと別の感情か……私にはとても推し量ることはできませんが。

 

「……失礼します」

 

ギュッと抱きつきました。

華奢で柔らかい体……その実私よりも強靭で、でも今は震えているその肢体。

ふわりと鼻に香るのは、先日私が調合した花の香油。

お風呂上がりに互いに塗りあったそれは、結構喜んでもらえたと思う。

いつも体温は私よりも低く、ひんやりとした体。

それなのに温もりを感じるのはなぜなのでしょう。

 

「も、椛?」

 

「……ごめんなさい、射命丸様。少し、怖くなってしまって。もうちょっと、こうしていても、いいですか?」

 

「――ま、全く椛はしょうがないですね。いつまでも子供の気分が抜けていないんじゃないですか。そんなことでは呆れてしまいますよ」

 

「……はい、ごめんなさい」

 

何百年も生きてきた貴女からしたら、私はいつまでも子供なのは事実で。

でも、子供でも、あなたを癒すことができるならそれでいい。

 

「…………」

 

普段は飄々としていて何事にも動じない文さんの、初めて見せる動揺した姿に――私もそれこそ、子供のように不安に感じていたのは事実だ。

だけど、だからこそ私が何とかしてあげたい。

もう守られるだけの子供じゃなくて、孤高に空を舞う貴女の隣についていけるってことを証明したい。

 

頭を撫でてくれる文さんの優しい手を感じながら、考える。

長たちは喧喧囂囂の言い合いをしながら徹底抗戦の姿勢を崩してはいないけど、今は遠くに見えるあの象が近づいてきたら――山よりも大きい巨体に恐れおののくだろう。

その時になって逃げきれるとは思えない。

あの巨体が海中の抵抗があるにもかかわらず目に見えてわかる速度で接近しているということは、実際の動きはとんでもない速度のはずだから。

 

里を見捨てて逃げる――これが一番楽で確実なのは間違いない。

しかし、長たちが抵抗している今逃げるということは里の住民も皆見捨てるということ。

文さんと私だけなら簡単に逃げ切れる。

でもたぶん、文さんはそれをよしとしない。

 

長たちを説得する――たぶん無理だ。

これはもう、本能に近い。

戦う前から逃げ出すことができないんだ。

文さんに運んでもらって長たちだけを先に戦わせて……いや、死んでしまうかもしれないし現実的じゃない。

 

長たちをぶん殴って言うことを聞かせる――可能、かもしれない。

文さんに鍛えてもらってそれなりに腕には自信があるし、たぶん屈服させて従わせることはできる。

ああ、でもだめだ。

長たちが言うことを聞いたって、その下につくミンク族の皆が、何も言わずに素直に逃げてくれるとは思えない。

 

ミンク族は生まれながらの戦闘種族――頭を使って要領よく戦いを避けるように立ち回るなんてできっこない。

 

そうか、ここで長たちを何とかしても、どれにせよミンクの里は――。

 

ハッとして顔を上げると、文さんは困ったように微笑んでいました。

ああ、やっぱり文さんは誰よりも早くこの結論に達して……だからあんなに震えて……。

 

私には、どうすることもできない。

 

「……どうします、椛。二人だけで逃げちゃいましょっか?」

 

文さんは悪戯っぽくそう言いました。

たぶん、私が頷いたら――私を抱えて、どこまでも遠くの空に連れて行ってくれる。

 

「私は……」

 

私には、どうすることも。

なら、いっそもう二人だけで――いや、私には?

私には無理で、長たちでも無理で、あの文さんでも無理で?

――なら!

 

「文さん!」

 

「は、はい?」

 

「私を空に、空高くに連れて行ってください!」

 

「え、ええと……?」

 

予想外の答えだったのか文さんが珍しく混乱していました。

しかし、これしか方法がありません!

 

「私が”目”で()()()()()()()()()()()()()様を探します!」

 

「え、お母さんを……?」

 

「文さんが話してくれたフランドール様ならこの状況だってなんとかできるのではないでしょうか」

 

「そ、そりゃフランさんならだいたいなんでもできるだろうけど……いえでも、こんなことで手を煩わせるのも……だいたいどこにいるかわかりませんし」

 

「だから! 私がこの”目”でフランドール様の居場所を探します! それに、私が話に聞いていたフランドール様なら、きっと文さんに、自分の娘に頼られる方が嬉しいと思うはずです!」

 

「し、しかし」

 

()()()()()()()()()()()()()っ! 私たちが今やらなきゃ全部終わりなんです! 文さんが協力してくれないなら、私一人でもやりますっ!」

 

「わ、わかったわよ……」

 

そう言うと文さんは私を抱えて飛びたちました。

ぐんぐんと急上昇し、一気に雲の上まで突き抜けます。

少し寒く、息苦しいけれど、耐えられないほどじゃない。

 

「でも椛、あなたの”目”ってそんな人探しなんてできるの? 聞いたことないけど」

 

「できません」

 

「はぁっ!?」

 

「――できないので、やります」

 

私の”目”――千里先まで見通す程度の能力――は、遠くの景色を間近に見る、ということしかできません。

失せもの探しなんてできないし、そもそもどこまで遠くの景色が見えるのかもわからない。

でも、やるしかない。

 

全ての妖力を目に集める――すると肌寒かった程度の気温が一気に極寒にまで下がりました。

 

「…………」

 

「だ、大丈夫?」

 

見る、見る、見る。

およそ肉眼では見えない距離を飛び抜けて、たった一人の人を探す。

息が苦しい……頭がガンガンしてきた……。

ガチガチと犬歯が嫌な音を立てる……身震いが止まらない……。

 

「も、椛!? 大丈夫ですか?」

 

「だい、じょうぶ、です……」

 

文さんが強く抱いてくれて、それが少し温かい。

舌を出して、ハッハッハと息を荒げる様は少し見苦しいと思うけど、許してほしい。

 

「……周囲200キロはすべて”見”ました。フランドール様は服はナイトキャップのような白い帽子、真紅の半袖とミニスカート……それに綺麗な金の髪と宝石のついた枝のような翼……でしたよね?」

 

「ええ、そうです。凄まじい妖力……狂気の波動は内に隠しているかもしれませんが、おそらく見れば一目でわかります。――って、それよりも周囲200キロってどうやったんですか!? まだ一分も経ってませんよ」

 

「……視界を16に増やしました。すべて同時に見てますが……」

 

今の私の視界は昆虫の複眼のように複数の視界を束ねて見ている。

今までやったことはなかったけれど、目の前の景色と遠くの景色の二つを同時に見られるんだからできると思った。

2つ、4つ、9つ、と増やし、そして今は16の視界が別々の窓のように目の前に広がっている。

それらはそれぞれ高速で移動しながら、捜索対象であるフランドール・スカーレットの姿を探している。

 

でも、まだ足りない。

25……いや、36……まだいける……。

 

「16って、そんなの人間の脳で処理しきれるわけが……椛!?」

 

タラリ、と鼻から血が流れた。

目じりからも一筋。

ごうごうと全身を凄まじい勢いで血が巡る音が聞こえる。

耐えきれなくて毛細血管が破れてしまったのかもしれない。

 

いや、でもこれでいい。

血の巡りがよくなって寒くなく……むしろ暑くなってきたし、目も乾いてきてたから血で潤う。

今はまばたきの間さえ惜しい。

文さんの顔は溢れた血で見えなくなったけれど、今は目の前の視界はいらない。

もっと、遠くへ――。

 

「椛! 椛!? ああもう、いったん地上に降り――」

 

「だ、だめです、直線で見える方が視界がいい……むしろもっと上空に上がってください……いまの視界で見える範囲は見終わります……」

 

「――っ、この馬鹿! 駄犬! なにもそこまで、あなたが体を張る必要はないでしょう! 里からさんざん疎まれてきたあなたが、なんでそこまでして――」

 

「……文さんが」

 

「…………」

 

「私は、みんなが、里が、好きです。それに……文さんが、守ってきた里だから……私も守りたくて……文さんの大事なものは……私も大事だから……」

 

ああ、まずい。

意識が朦朧としてきた。

どれくらい時間が経っただろう。

感覚はない――半刻か、一刻か……。

まだこの星の10分の1も見られていないのに……。

 

「……この、ばか。死んだら、絶対に許さないわよ」

 

「……はい」

 

ふわっと体が軽くなる。

手足の感覚はもうほとんどないけれど、温かいものに包まれている感覚だけはあった。

 

――ふいに、口がふさがれた。

途中からは無呼吸状態になっていた私の口を覆うように、なにか柔らかいものが。

ああ、この感触は知っている。

少し意地悪で、ほんとはとっても優しい――。

 

力なく半開きになっていた口に、空気が送り込まれる。

同時に、凄まじい濃さの妖力も流れ込んできて、朦朧としていた意識が少し、覚醒する。

 

「……あんたは、ほんとにばかよ。大馬鹿。この駄犬。自分の価値を低く見て、簡単に命を放り出すような真似をして……そこまでして守りたいものが、ずっと自分を疎んできた里で……普通じゃ考えられないわ」

 

何か、冷たい雫が頬に落ちてきた。

いや、冷たくない。

とても――熱い。

 

「それに、あんた勘違いしてるわよ。私はミンクの里の事、別にそんなに大事に思ってないし……ミンクの里なんて、所詮、(あんた)以下の価値しかないわ」

 

「…………」

 

私は、文さんがどれだけミンクの里の事を大事に思っているか知っている。

世界中を飛び回って、ミンクの里に関する情報を操作して、侵略者を近づけないようにしていたことを知っている。

 

里の外では今、統一王国というとても力の強い国が、世界を統一するためにあらゆる場所に侵略戦争を仕掛けているのだという。

ミンクの里の事を知られれば、どうなるかは想像に難くない。

ミンク族は生まれながらの戦闘種族。

捕らえて兵士にすることも、高い身体能力を見込んで無理矢理働かせることも、体の仕組みを知るために研究材料にすることも、あるいはそれ以外にも”利用法”は色々とあるだろう。

そうならないように、一人で世界を相手取って、誰にも気づかれずに戦っている鴉天狗を、私は知っている。

私にも、直接そんな話をしたことはないけれど。

これでも結構、素直じゃない文さんの事は理解しているつもりだ。

 

だから、そんな里よりも大事だと言ってくれたことは――。

 

お礼が言いたくて、口を開こうとして――再び口をふさがれた。

 

呼気と妖力が流れ込んでくる。

視界は血で赤く染まって見えるけれど、それに負けないくらいにとても赤い顔が、目の前に見えた。

 

 

 

 

結局、水平線の見渡せる範囲にフランさんは見つからなかった。

仕方なく地上に降り、それでも椛は諦めず、水平線の向こう側――星の裏側に至るまでを”見”た。

それでも、星のすべてをくまなく探しても、フランさんは見つからなかった。

 

椛はよくやった。

だけど、届かなかった。

 

そして同時にタイムリミット。

巨象が襲来した。

私は倒れた椛の頭を撫でながら、山の上からその姿を見る。

 

巨象は体に対して足が異常に長く、いままで海の中に隠れていた足が地上に現れるといささか以上に奇妙に見える。

しかし、その巨体を支えているだけあって、その足の力強さはすさまじい。

一歩踏み出すだけで地形が変わる。

山を蹴り飛ばし平地にし、川を踏み抜けば流れが変わりそこに湖ができる。

 

長を含めて戦士団が襲い掛かるも、蚊ほどの痛痒も与えられていない。

表皮が厚すぎて、剣も爪も牙も電気(エレクトロ)さえ通っていないのだ。

逆に彼らは、巨象の足が動く際の風圧だけで吹き飛ばされている。

文字通り、歯牙にもかけられていない。

 

足だけではなく鼻もすさまじい。

足同様に長い鼻から放たれる海水は、地形ごと全てを押し流す。

大雨洪水どころか、局地的な大津波だ。

既に里の半分は壊滅し、流されてしまった者たちの救助に全力を傾けている。

もはや戦いの体裁すら保てていない。

 

それなのに、ミンク族は諦めない。

子供に至るまでもが無謀な突貫を繰り返し、徐々に死者も出始めている。

それでも、今更逃げろと言ったところで聞く耳なんか持たないだろう。

すでに里を壊した巨象は彼らの敵で、ここで退いて逃げることなんてできないのだ。

そういう馬鹿な種族なのだ。

星のすべてを見るも成果がなく、目を酷使しすぎてついに気絶してしまった馬鹿な白狼も含め、そういう種族なのだ。

 

対して巨象は徹底抗戦の構えを見せるミンク族を殺そうとしているわけではない。

小さなその抵抗を嘲笑い、全てを壊されていく絶望を味わわせる――そんな目的しか感じられない。

ようは遊び、気晴らし――そんな程度のものだった。

 

 

ギリ……と無意識に奥歯を噛みしめていた。

間近に見てよくわかる。

アレに、私は勝てない。

 

例え椛に妖力を渡しておらず、十全な状態であったとしても、無理だ。

皮膚を貫く攻撃はできるだろう、目などの急所を狙えば手傷を負わせることもできる。

だけど、そこで終わりだ。

妖力は奴の強大に過ぎる生命力――覇気に阻まれる。

風を起こしても彼我の体格差からほとんど意味はない。

手傷を負わせ、少々の血を流させたところで、残るのは怒りに荒れ狂って、本当にすべてを破壊しつくす巨象だけだ。

 

私にできることはただ――里の終わりを見つめることだけ。

 

始まりがあれば終わりがある。

全ての物事には終わりがある。

 

そんなことは、とっくの昔に分かっている気になっていた。

けれども、今、それを目の当たりにして。

何もできない自分に嫌気がさす。

 

記者としての活動なんかしないでただひたすらに鍛錬を積んでいれば、あの象を単身で排除できただろうか。

それとも、里の中に籠っていないで外に出て情報収集をしていればもっと早くにあの象の接近に気が付けただろうか。

意味が無いとわかっていても、在り得なかった別の未来を想像してしまう。

 

私が何もできなかったから、腕の中の白狼はこんなにもボロボロになっている。

目は力なく閉じられ、(まなじり)には流れた血の跡が乾いて固まっている。

いや、目だけではなく鼻や耳からも血を流していた。

全身の毛細血管も断裂したのか、体中のいたるところに青や黒のあざ、内出血の痕がある。

白く美しい肌は、今は見る影もなく悲惨な姿だ。

命に別状はないけれど、感じられる妖力も今はとても弱弱しい。

 

椛がこんなにも頑張っていたというのに、私がしたことはせいぜい空へ連れて行き妖力を分け与えたことくらい。

私は……。

 

「……あや、さん」

 

「っ、もみじっ!? 大丈夫!?」

 

気絶していたと思っていた椛が声を発したことに驚いた。

そしてそれ以上に、声に”力”があったことに驚いた。

声自体は弱弱しいのに、そこに込められた気持ちは何よりも強い。

 

「みつけ、ました。ふらんどーる、さま」

 

「!?」

 

「この、ほしじゃなかった……うえ、です。つきに、います……」

 

「そうか、月に……」

 

話には聞いたことがある。

月には昔先進的な文明があって、地上に、ラフテルに襲撃を仕掛けてきた。

一度はフランさんをも殺し、その逆鱗に触れてすべてを喪ったとも。

月の文明はむやみに広げてはならないと、私は行くことを禁止されていたけれど。

 

「いま、つきからおりて、きています……ゴフッ、ゴホッゴホッ……あぁ……ましたに……まだ、まにあう……」

 

「わかった、分かったからもう喋らないで」

 

血の塊を吐いた椛を抱き起こし、側臥位に寝かせる。

 

「ごめん……なさい、じかん、かかって……あとは……」

 

「黙れと言ってるでしょう、この駄犬。――よく、頑張りました。あとは、任せてください」

 

「……えへへ」

 

にへら、と力ない笑みを浮かべて、傷だらけの白狼は今度こそ気絶した。

頭を一撫でして、そっと離れる。

次の瞬間にはすでにトップスピードに乗っていた。

音を置き去りにする速さで月の下へと飛ぶ。

もう一瞬でも無駄にはしない。

 

自分で何とかできないからと母親に頼ろうとする情けない娘だけれど。

それでも今だけは、全力で助けを求める。

 

持てる限りの力を使い、風を操り、誰よりも、何よりも速く。

 





犬走
犬走りは城郭や土手、軒下などに作られる細長い通路状の道のこと。
キャットウォークと互換されたりするのが面白いですね、犬と猫。

ひきこもりの鴉天狗
(今はまだ)根暗な感じではなく、めんどくさいことが嫌で引っ込んでるだけ。
実は今後かなり大きな原作人物に影響を与える人。
さて誰でしょう。

ベッドの中
ベッドの中、ベッドの上、どっちが表現として適切なんだろう。
上、は単に場所を、中、はそこで行われる行為に主眼を置いている感じだろうか。
つまりここでは……ニャンニャンニャン。

狼狽
狼も狽も伝説上の狼の一種。
狼は前足が長くて後ろ足が短く、狽はその反対で、両者が離れると歩けなくなって慌てふためくことから、
って説と、狼が「乱れる」、狽が「よろける」を表すっていう説、
と別に字に意味なんてなくて擬態語だよって説、がある。
狼つながりでネタ仕込もうと思ったけど予想以上に難解。

文より強いゾウ
現在は原作の千年前。
原作時の疲れて老いたゾウではなく、イケイケでヤンチャしていた頃のゾウです。
足とか細い棒のようではなくムッキムキ、鼻も太くて眼力とか凄い。
文の実力は三大将や元帥に無断で密着取材を敢行できる程度。
このときのゾウは万全のマリンフォードを正面から鼻歌うたいながら踏みつぶせる程度。

上空の気温
富士山頂が-15度の時、飛行機などが空を飛ぶ上空1万メートルでは-50度くらいだそう。
椛は最初妖力で身を守っていたので大丈夫でしたが、目に集めたことで通常のミンク並の防寒機能に落ちました。

側臥位
いわゆる回復体位。
意識のない人にとらせるのに適している。




目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

襲撃の終結と大破壊の後始末

前回のまとめ
・鴉と狼のいちゃいちゃ
・巨象強襲で助けを呼ぶ




 

 

月での滞在中、私はだいたいあのいけ好かない女――輝夜の相手をしていました。

自分勝手で怠惰でお転婆で、なにかにつけて妹様に絡み、手を煩わせようとするわがまま姫。

永琳さんとにとりが二人でわいわい楽しそうにやってたから永琳さんに構ってもらえなくなって、妹様に照準を変えたのでしょうけど。

しかし時々妹様に色目を使うあの女狐に好き勝手させるほど私も甘くありません。

 

そんなこんなで結構長いこと月に滞在し、宇宙海賊とやらが突然現れたりとそれなりに刺激的だった日々を終え、地上に帰ってきました。

 

しかし、帰って早々……というよりまだ帰り道の途中というところでこちらに急速に接近する気配を感知しました。

覚えのある気配――かつてミンクの里という獣人の集落にてフラン様が生み出した鴉天狗――射命丸文。

 

「――お母さんっ!!」

 

文ちゃんが急制動をかけ、私たちの目の前で止まりました。

だいたい音速の十倍ほどの速度でしたが、周囲の大気に妖力で干渉しているため衝撃波などはありませんし、慣性を無視するような奇妙な挙動で停止しました。

それにしてもお母さん、とはまた懐かしい呼び名です。

昔は私のことも「メイリンお姉ちゃん」と呼んでくれていたのですが、少し大きくなってからは恥ずかしくなったのかフランさん、メイリンさんとどこか他人行儀に呼んでいましたから。

しかし随分と慌てているようですが……。

 

「ありゃ、文じゃん。久しぶ――」

 

「――お願いします、里を、ミンクの里を助けてください!」

 

挨拶さえ遮ってもたらされたのは、声に血の滲むような必死の懇願と矢継ぎ早に語られるミンクの里の現状。

曰く、とんでもない大きさの足長象――災厄の巨象が里を襲ったとのこと。

巨象……覚えがあります。

時系列的にはミンク族を作る前のこと、妹様が巨人族を作った時に生まれた産物。

 

巨人族は妹様が海王類や体が大きかったレヴィアさんから発想を得て作った種族で、エルバフという国――彼らの体のサイズからすれば村かもしれませんが――で暮らしています。

その生命力は素晴らしく、私もよく鍛錬の相手として利用させていただいていました。

 

ただし、一つ問題もありました。

妹様は巨人族を鴉天狗やミンク族のように試行錯誤をしたりといったこともなく、さくっと作っていましたが、あまりにもぽんぽんと作り過ぎてしまい失敗してしまったのです。

それは、巨人に見合う大きさの動物を作ろうとしたときのこと。

人よりも大きな象を巨人族のスケールで、と考えた結果生まれてしまったのは山のように大きな象。

その内包する覇気――生命力もとてつもない規格外の生命体でした。

 

環境を破壊しつくさんばかりの巨体に、妹様も作ってしまった後でこれはまずいと思ったのか食料などを必要としないように作り変えてはいました。

気性は大人しく従順だったので巨人族に世話を任せていたはずですが……正直、あのとき処分しておくべきでしたね。

 

「よし、じゃあ文、ミンクの里の場所を強く思い浮かべて。転移魔法で飛ぶよ」

 

そうして駆けつけたミンクの里は――ボロボロになっていました。

家屋の倒壊とかそういうレベルではなく、地形ごと里が半分なくなっていました。

私が文ちゃんはたてちゃんと一緒に作った家や公園、妹様と語り合った森、ピクニックに行った山、一緒に水浴びした湖、そんなものが一切合切跡形もなくなっていました。

そしてそれよりなにより、私のお願いを聞いて妹様が作ってくれたミンク族、初めての共同作業で作り上げた私と妹様の愛の結晶ともいえるミンク族がそこかしこで倒れていました。

中にはすでに事切れているものも。

 

「なにやってるの、やめなさい!」

 

巨象は妹様の呼びかけにも従わず、それどころか大きな鼻を鳴らして嘲笑さえしました。

言葉こそなくともその目は雄弁に、力に溺れた愚か者の心情を語っていました。

「誰がお前たちの言うことなどに従うものか。俺より弱い小さき者など踏みつぶしてくれる」

言葉にすればそんなところでしょうか。

蹂躙の悦楽を隠そうともしない醜い姿に、久々に血が巡るのが――分かる。

 

巨象はこちらに見せつけるかのように、避難中だったミンク族に向かってその長い鼻を振るいました。

当たれば、質量、速度共に数十の人体をミンチにするなど、わけない一撃です。

まぁ、当たれば、ですが。

 

私は相手が予備動作を見せた時には既に、一足飛びに目的地へと跳んでいました。

そして、鼻を”気”を込めた手でもって受け止め、衝撃波をすべて受け流しました。

巨象はまったく予想もしていなかったのか、その大きな目を白黒させていました。

 

「貴様……私とフラン様の愛の結晶に手を出した覚悟はできてるんだろうな……しかもフラン様の制止を無視して……」

 

私が手で押さえている巨象の鼻は何メートルあるかもわからないとてつもない大きさで、まるで壁に手を当てているかのようです。

私の手のサイズでは表皮の一部をちぎり取ることしかできないでしょう。

――なのでそのまま”気”でもってこちらも巨大な手指を形成し――握りつぶす。

 

「パオオオォォォン!?」

 

ぐしゃりと、肉が潰れる感覚がある。

ふうん、象の鼻って骨がなくて全部筋肉なのか。

 

さて、ここで大人しく降伏するなら手心も加えますが……。

巨象から感じられる気は――激痛、困惑、屈辱、そして、赫怒。

なるほど、なるほど。

 

「――いいだろう、貴様の思い上がり腐った性根、私が叩き直してやる……」

 

鼻を握ったままぶん、と腕を振って放り投げる。

山より大きい巨象の体が空を飛んでいくのは冗談みたいな光景ですね。

私も後を追うように跳び、空中で追撃。

土手っ腹に掌底を打ち込むと巨象は大きな波しぶきをあげて海に墜落しました。

 

むう、体が大きすぎるのと内包する生命力が高すぎてまともにダメージは入ってませんね。

これでは通常の打撃の他、浸透勁なども無意味そうですが……まぁ、やりようはいくらでもあります。

 

……ふふ、自分より大きな相手と戦うのは初めてではないですが、このスケールとなると覚えはありません。

強いて言うなら昔アマゾン・リリーの岩山を刳り貫いて国を作った時以来でしょうか。

お仕置きだというのに、不謹慎にも少し楽しくなってきてしまいましたね。

 

 

 

 

「あーあ、あの戦闘狂め……」

 

海上でどったんばったん大騒ぎしている小さな竜人と大きな象を見ながら、呟く。

周囲に甚大な被害を及ぼしそうだったので、里の周囲に張っていた結界を逆に彼女たちを中心に包むように張りなおした。

メイリンはもうなんか色々忘れた感じで、巨象を空高く放り投げてはまたキャッチして放り投げて、と高い高いみたいなことして遊び始めている。

ビジュアル的には山でお手玉しているような感じで、不安感がすごい。

 

現にミンクたちは避難の足を止め、息をするのも忘れたようにその光景を凝視している。

それは、私の後ろにいる文も同じだった。

まぁ文やはたての前でメイリンが本気を出したことはなかったっけか。

 

「す、すごい……あんな出鱈目な……」

 

「文、文。それで私は傷ついたミンクたちを治療してあげればいいの?」

 

「あ、は、はい。ごめんなさい。お願いします」

 

「それじゃ案内して。いきなり見知らぬ吸血鬼(わたし)がきたらみんなも警戒するでしょ。間に立って取り持って」

 

その後はミンク族を治療し、避難してた彼らを一か所にまとめて落ち着かせて……と私と文は忙しなく働いた。

その間ずっと象を虐め……もとい遊んでいたメイリンにはいくつか言いたいことがあるけどね。

というかまだやってるし。

今は象の鼻で片結びを作って引っ張りつつ、往復ビンタを繰り返している。

それでもいまだに敵愾心を失っていないあの象もなかなか心が強い、というか意地っ張りだ。

 

ミンク族たちは元は村の広場だったところに一か所に固まって、固唾をのんでその光景を見ている。

当初は里が半壊し死亡者も出たという事実から集団ヒステリーめいた狂乱も起こったけれど、今はだいぶ落ち着いたようでひとまずは小康状態といったところかな。

そうしてもろもろをやり終えたところで、文から躊躇いがちに声をかけられた。

 

「あの……フランさん」

 

「ん、なあに?」

 

「実は、ここから少し離れた山の上にも一人怪我をしたミンク族がいるんです」

 

「ああ、いいよ。どこ?」

 

「あ、あの、それでですね。彼女はなんというか、その、…………」

 

うん?

もごもごとなんだか要領を得ない。

 

「彼女は、その、私と同じように妖怪化していまして……」

 

そう言い切った文はまるで叱られるのを怖がる幼子のようだった。

別にそんな怒ることではない気がするけど。

あーでも昔、むやみに他人に妖力を与えないようにとは言ったっけ。

少なからずその相手の人生を狂わせることだから分別が付かないうちはやっちゃだめだよ、みたいなニュアンスで。

 

「あの、怒ったり、しないんですか?」

 

「ううん? 別に。文が決めて、相手もそれを受け入れたんなら別に何も言うことはないよ。好きなんでしょ、その相手」

 

私たち妖怪にとって妖力を相手に与えるってのは自分の存在そのものを相手に分け与えるってことで、考えようによっては一体化、同一化願望に近いのかもしれない。

生命を昇華させて新しい存在にしてしまうから、突き詰めれば生殖行為にも似ているのかも。

 

まぁ少なくとも私は好きでもないどうでもいい相手に妖力を与えようとは思わない。

私が今まで与えた相手……こぁにルミャ、メイリン、にとり、永琳に輝夜、レヴィア、文とはたて……意識したかどうかを分けなくても、皆好きな人たちだ。

目覚ましい功績を残した人間に、お守りがわり程度に渡すくらいなら気にならないけどね。

 

「……う、そう、ですね、はい……」

 

あーもう、もじもじしちゃって可愛いなぁ。

てかこの反応、好きってもしかしてそっちの”好き”……?

んー、この子は拗らせちゃって人付き合い苦手だし、初めてのお友達って線もあるかな。

 

そうして文に連れてこられた場所にいたのは白い狼の女の子だった。

いや、元は白かったのだろうけど、今は赤黒い。

至る所に裂傷があって流血している。

ただ、人間ならば既に死んでいる出血量だけど、文の妖力を与えられたからか半妖よりも更にこちら側に近いところまで来ている。

命に別状はないだろう。

 

「ありゃりゃ、両目とも潰れちゃってるじゃない。もう二度と光を感じられないレベルだよこれ」

 

「……えっ!?」

 

詳しく体を調べると、両目とも視神経が焼き切れて網膜が焼け付いていた。

太陽を直視し続けたところでこうはならないだろう。

 

「しかもこれ体の方も後遺症残るね。日常生活は大丈夫かもしれないけど、走ったりとかの激しい運動はできないんじゃないかな」

 

「そんな……」

 

他にも全身の血管が傷ついていてボロボロだ。

見た目以上に酷い。

なにをさせたらこんなになるの。

とんでもない負荷をかけられたとしか思えないけど。

 

「……う、……」

 

診察が終わるとちょうど白狼の少女が目を覚ました。

 

「こんにちは」

 

「あなたは……フランドール・スカーレット様……」

 

「お、私の事は知ってるのね。初めまして。にしても目が見えてないのによくわかったね」

 

「……凄まじい妖力が渦巻いてますから」

 

「ふうん、普段から抑えてるつもりなんだけど……ああ、治療とかで色々力使ったからかな。気づかないくらいは漏れてるのかも」

 

そんな風に私達が挨拶を交わしていると、突然目に涙を湛えた文がひしっと白狼ちゃんを抱きしめた。

 

「えっ、あ、文さん!?」

 

「ごめんなさい、ごめんなさい椛……。ありがとう……。大丈夫、目が見えなくなっても私があなたの目になるし、動けなくなっても私があなたの手足になるから。安心して、絶対にあなたを一人にはしない……!」

 

「え、えっと、その……?」

 

まあ、目が覚めて急にこんなことをまくしたてられても混乱するよね。

てか文も早とちりしてるけど。

 

「あー、盛り上がってるところ悪いけど文、ちょっといい?」

 

泣きじゃくる文を落ち着かせ、白狼ちゃん――椛と言うらしい――に状況を説明する。

文が迎えに来て、私とメイリンがやってきたこと。

象の脅威はメイリンが退けたこと。

里は半壊して犠牲者も出たけど、今いる負傷者はみな治したこと、などなど。

話を聞いた椛はほっとして、お礼を言ってきた。

 

私の方も事情を聞いたけど、こちらはあまり意味がなかった。

巨象の襲来は突然だったし、ミンク族の方は何も知らなかったからね。

椛が悪魔の実の能力者で、その能力を使って私を探したってことくらいしか収穫はなかった。

 

ちなみにこの間文はずっと椛の手を握っていた。

予想していたよりも随分とずぶずぶの関係らしい。

 

「それで、残るはあなたの状態なんだけど」

 

「はい」

 

「一番深刻なのが両目。指の本数どころか明暗の区別ができてないでしょ。網膜と視神経が死んでるから自然回復の見込みはなし。体の方も血管がボロボロで激しい運動はできない」

 

「……はい」  

 

「……まあ私を探すためにこうなったってのは聞いたけど、今後はあまり無茶はしないように。文が悲しむからね。目の使用は四窓くらいに抑えて、あまり遠くは見ないこと。異変を感じたらすぐに使用を中止すること。あと運動も念のためだけど高機動の戦闘とかは避けるように」

 

「えっと、はい……?」

 

「なにその顔、ちゃんと自分の状態分かってる? 結構本気で酷いのよ。出会ったときのメイリンですらここまでじゃなかったんだから」

 

「あの、フランさん……?」

 

「なあに、文」

 

「あの、椛はもう目が見えないなら能力は使えないし、走れもしないなら高機動どころか普通の戦闘だってできないんじゃ……」

 

「まあ、そうだね。そのままなら」

 

なにをそんな間抜け面をしているのやら。

さっきの過剰な反応もそうだけどさ――

 

「なに、私が治せないとでも思ったの?」

 

昔はやり方がよくわかってなかったからメイリンの目だって時間遡行とか大掛かりな魔法を使うことでしか治せなかったけど、今はもうあれから千年以上も研鑽を積んでいる。

しかも、生命創造に関しては一家言あるほどには研究している身だ。

およそ私に治せない病はないと思っていただこう!

……なにせ癌とか先天性の奇病とかでもクローン的にもう一つ体を作って移植することで治せるからね。

脳の異常ですら記憶と人格の移し替え程度ならできる。

まあそれがもとの人間と同一かってのは哲学者にでも任せる問題だけども。

 

「というわけで勿論治すつもりだよ。そもそもそういう話でここに連れて来られたわけだし。今の容態をちゃんと伝えたのは、今後こんな無茶をしないよう戒めにね。今回治すのは、文のたってのお願いだからやるけど、今後また同じようなことがあったときにまた治してもらえると思われるのは困るしね」

 

別に力を振るうことには抵抗はない。

ただし、基本的にやりたいことしかやる気はないし、誰のお願いでも聞くほどお人好しではない。

今回は文のお願いってこともあるし、元はといえばあの巨象は私が作り出したものだから。

 

もっとも、象に関してはほんとにおまけのような理由だけど。

被造物に責任を持つとか言い出したら、魚人族やらミンク族やら含め、人間だって私はその発展に大きく関わってるんだから無理無理。

むしろ巨人族に管理を任せたはずなのにこんなことになってることに関して小一時間問い詰めたいところだ。

自分勝手かもしれないけど、まあ私は悪魔の王、吸血鬼だしね。

 

そして私の話を聞いた二人は喜び、次いで文が赤面した。

今までの自分の言葉に羞恥を覚えたんだろうけど、それでも握った手は離さないあたり、お幸せにって感じ。

 

「まあ自分がどれだけ無茶やったのか自覚するために一日はそのままね。流石にそのレベルの怪我の治療は準備なしだと大変だし。文は面倒ちゃんと見て、下手な動きをしないようにつきっきりで看病することね」

 

 

 

 

そんなこんなで傷ついたミンク族の対応はひとまず終わった。

さて、次は壊れてしまった住居と、大暴れした象の処遇だ。

 

「……それでメイリン、お遊びは満足した?」

 

調子に乗って最後には龍化までして怪獣大決戦的な一大スペクタクルを提供してくれた戦闘狂は、今私の目の前で正座をしている。

いや、頭も下げているので土下座だ。

 

「いやあ……あはは。ほんとスミマセン」

 

「全くもう、楽しくなると周囲が見えなくなるんだから。結界張ってなかったら貴方がミンクの里どころかここらの島全部ふっ飛ばしてたかもしれないんだからね」

 

まあ私も本気で怒ってるわけではないのでこのくらいでやめておく。

ミンクの皆が怪獣大決戦を繰り広げたメイリンに対して大層畏れているようだったので、幼女に怒られている姿を見せて緊張をほぐそうと考えただけだ。

 

「それでどうしようかねえ。あの象とこの半壊した里」

 

私がジロっと睨むと、海岸に伏せている山のような巨体がビクリと震えた。

それだけで大気が振動するのだからほんと凄まじいスケールだ。

あの象は文に聞いた限り今までもかなりヤンチャしてきたらしいし最悪処分してもいい。

巨人族に管理を任せていたけれど、確かにあの大きさじゃあ管理も何もない。

昔はせいぜい小山程度だったのに今じゃ天を衝く巨山だし。

ここまで大きくなるとは流石に予想していなかった。

 

「それなんですけど、こいつに里を再建させたらどうでしょう」

 

「うーん? この巨体でしかも器用な手もなしに?」

 

「あー」

 

「単に労働力としても大きすぎて扱いにくいしねえ」

 

「では護衛……里の警護につかせるというのはどうでしょうか」

 

文が私とメイリンの話し合いに参加してきた。

しかし、護衛ね。

 

「まあ強いことは強いと思うけど暴れたら……」

 

結局その場で結論は出ず、長らも含めた話し合いは長々と夜まで続いた。

さっさと始末しようかとも思ったけどそれはメイリンが反対してきた。

じゃあもう勝手にしてくれと私はさっさと議論を抜けてミンク族の世話をすることにした。

このままだと今日の晩ごはんも寝床もないしね。

 

そして私抜きの会議で出た結論は、象の背中の上に里を再建しようというものだった。

 

「……どうしてそうなったの?」

 

深夜テンションだろうか。

と思ったけど、話をよくよく聞いてみるとそう悪い案でもなさそうだった。

 

まず、守りは万全だ。

メイリンや、海王類が束になってかかるでもしないと象はそうそう倒れない。

加えてこの世界にはまだ飛行手段が乏しいので背の上の里はほぼ安全。

海を歩き回れば場所を掴むことすら難しいだろう。

 

土地についても問題ない。

象の背中はもともと苔むしていたり木が生えていたりする。

皮膚の老廃物が栄養源となっているようだ。

水浴びによって湖や川らしきものすらあるらしい。

それらはメイリンとの激しい運動で今は荒れ果てているものの、整備をするのは簡単そうだという。

加えて体があまりにも大きいので上に乗っていてもほとんど揺れない。

小さなボートはよく揺れるけど、豪華客船はほとんど揺れを感じないのと同じだ。

 

こうしてみると確かに安住の地にも思える。

世界から孤立しそうという懸念もあるし、実際に住んでみたらまた他に問題が生まれそうな気もするけど。

 

まあ、彼らがそれでいいと言うなら別に反対する気もない。

半壊した里ごと象の背中に移し、土とかもそれなりに移しておく。

あとは象に言われたことをしっかりやるように、余計なことしたら鼻をもぐぞと脅しておく。

 

 

こうしてミンクの里襲撃事件はひとまずの収束を見た。

月から帰ってきたばかりで忙しいことだったけど、まあ丸く収まったと言えるだろう。

――ところが、これは一連の大騒動の始まりにしか過ぎなかったのだ。

 

文がやたらと里の防衛に関心を向けていたのは、象に襲撃されたことが原因ではなく、今現在の世界情勢を危惧してのことだった。

私達が月へと行っている数百年の間に、地上では大きな動きが起きていた。

 

統一王国による全世界侵略戦争。

 

すでに世界の半分は掌握したという。

魚人島を支配下に置き、海王類を従える少女――恐らくはレヴィアの子孫――を利用して、安全な航海を確立し、破竹の勢いで世界中に侵略戦争を仕掛ける。

高度な文明をバックに、小さな集まりには抵抗を許さず支配を進め、抵抗する大きな集団には速やかな武力制圧を。

先日には、『黄金都市』とまで呼ばれ、大いなる栄華を誇ったシャンドラをも攻め滅ぼしたという。

 

シャンドラは以前私とメイリンたちとで作った雲の下の国、月の民の末裔が暮らす国だ。

早期からラフテルによる支援を受け、文明レベルも相当になっていたシャンドラを滅ぼしたというのなら、そこに統一王国の確固たる本気が感じられる。

 

文から聞かされたその話に、メイリンは激しく憤った。

それは、今回ミンクの里が襲撃されたことに怒ったのと同じなのだろう。

 

しかし私は、ああ、来るべきときが来たかと。

思ったよりも早く、しかし絶対に訪れる運命が戸を叩いたのだと、ただそれだけなのだと理解した。

 

かつてラフテルを育て、サンタマリア号で海に出たあの時から頭の片隅では考えていた。

ラフテルから独立し、統一王国を名乗る国家が生まれたと知ったとき、避けられないことなのだと知った。

 

先進国による植民地支配――侵略戦争。

 

前世の地球でもあったそれ、一つの地域が突出して進歩すれば避けられない結末。

 

――世界が大きく動き始める音を、聞いた。

 

 

 






エルバフ
原作の描写からするとどうも巨人族の国のようですが、リトルガーデンのドリーとブロギーは巨人族の村と言っているので、規模は国だけど巨人にとっては村のようなものなのかな。

巨人族とゾウ
巨人族の寿命は300年ほどで、成長速度は人間の2分の1、つまり40歳でやっと人間でいう“成人”(SBSより)。
一方象の寿命は60-80年ほどなので、1000年以上生きるゾウは3倍どころじゃない寿命の延び。
辻褄捏造しようと思ったけど調べると巨人族の寿命は意外に短かった。
100年以上戦っているというドリーとブロギーは人間で言うと25歳から60歳まで休みなしにずっと戦っているようなものという。

象の鼻
上唇と鼻発達しそれに筋肉がついたもので骨はない。
数万もの筋肉からできていて、鼻先には小さなものをつかめる指状突起まであってとても器用。


侵略戦争
次回から世界大戦編突入です。
裏タイトルは『世界を巻き込む○○○○』。
空白の百年を勝手に捏造します。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

原作900年前~ 統一の夢
統一の歩みとその計画の名


前回のまとめ
・ゾウをこらしめる
・ミンクの里、ゾウの上に移転
・統一王国による侵略戦争の話を聞く


 

 

統一王国は私やメイリンが月へと行っていたこの数百年の間に、破竹の勢いで版図を広げていた。

その手法は侵略とも呼べるもので、降れば寛容に統治すれども、敵対すれば一切の容赦なく相手国を攻め滅ぼした。

統一王国は発生の経緯にラフテルを母体としているものの、本拠地はすでにラフテルからは独立している。

そのため統一王国はかの国の超常的なテクノロジーを利用することこそないが、数世紀は未来を先取りした文明でもって強引に支配を拡大した。

 

問題となったのは船の航行だ。

この世界には海王類などの凶悪な生物が多数存在し海に出ることがとても危険だ。

そこで統一王国が目を付けたのは、海王類と意思の疎通ができるという人魚の姫だった。

 

かつてメイリンが考え出し定着させたというシャボンによる潜行技術でもって大軍を送り込み魚人島を制圧した統一王国は、人魚の姫を人質に取り魚人島の勢力と海王類を操る力を手に入れた。

海底という孤立した環境と海王類に襲われないという状況は魚人島を戦慣れさせておらず、また友好を装い魚人島に入り突如宣戦布告もなしに奇襲をかけた統一王国の精兵の前にはなすすべもなかったのだ。

人間の十倍の筋力を持つ魚人とて、彼らの姫を人質に取られれば大人しく従う他なかったのである。

 

そうして外洋の安全な航海を可能にした統一王国は本格的に世界征服を目指し侵略を進めていくことになる。

 

 

私とメイリンが月から帰ってきてミンク族の騒動を治めた時、統一王国はすでに世界の半分以上を完全に支配していた。

北の海(ノースブルー)に本拠を置く統一王国は手始めに凪の海(カームベルト)を挟んだ西の海(ウエストブルー)を侵略した。

そして、魚人島を経由して赤い土の大陸(レッドライン)の反対側、南の海(サウスブルー)へと手を伸ばし、すでにサウスブルーのいくつかの国は滅ぼされている。

そして、サウスブルーと東の海(イーストブルー)に挟まれたグランドライン上にあるジャヤ――黄金郷シャンドラをも滅ぼした。

 

すでに数百年の間戦争を続けているが侵略の速度は衰えておらず、黄金郷とまで名を馳せた黄金都市シャンドラを滅ぼしたことでむしろ士気は上がっている。

サウスブルーの残りの国と今はまだ無事なイーストブルーがその手に落ちるのも時間の問題だった。

 

メイリンはこの話を文から聞き、事実確認のためにジャヤへとすっ飛んでいった。

そして私もミンクの里を離れ、統一王国の首都へと向かった。

 

「よくぞ参られた、『永遠に紅い幼き月』よ」

 

「これはまた盛大な歓迎だね」

 

驚いたことに統一王国には私の話が代々伝わっているそうで、上空から突然王宮に降り立った私に対して近衛兵が剣を向けるどころか恭しくもてなされた。

そして五分もすれば王様への謁見すら叶った。

なんか変な異名みたいなので呼ばれたけど。

なんでも本名は恐れ多いからと付けられたらしい。

まるで"名前を呼んではいけないあの人"みたいな扱いである。

 

「無論。歓迎させていただくとも。むしろ我々のほうが貴女を探していたのだ。我が曽祖父の代、百年ほど前から世界中に捜索の手を広げてはいたのだが、影も形も見つからなんだ」

 

「あはは、そりゃあ月にいたからねえ。地上をいくら探しても見つからないよ」

 

「なんと。月とは……いや、その話も詳しく聞きたくはあるが、先に用を済ませようか。このたびは如何様な用件で?」

 

王様との謁見はトントン拍子に進んだ。

まあ謁見て言っても豪華な応接室みたいなところで対面に座ってお茶を飲みながらお喋りしているんだけど。

向こうもこっちに礼儀を求めてきたりしないので気楽なものだ。

 

「うん、世界征服を目指してるって聞いてね。詳しい話を聞きたくて」

 

「ふむ、それは重畳。我々が貴女を探していた理由もまさにそのことよ」

 

「へえ。じゃあ話してもらえる? あ、突然来ちゃったけど用事とか大丈夫?」

 

「無論。百年待ったのだ。今更些事になどかかずらってはおれん」

 

そうして、王様と宰相の説明を聞いた。

 

ことの始まりはそもそも統一王国を作った男の願いだったという。

彼はラフテルで生まれ、外界に興味を持ち若い頃から船で世界を旅した。

そして、絶望した。

ラフテルと比べてあまりにも遅れている諸国の文明に。

 

例えば、ある国では雨が降らないときには権力者の若い娘を生贄に捧げることで雨乞いをしていた。

ある国では医療が発達しておらず、なんでもないような病気でバタバタと人が死んでいた。

ある国では食人の風習が残っていた。

 

彼は内にこもる傾向のあったラフテルの民に働きかけ、一部の民を引き連れて北の海に新しい国を作った。

勿論、その国の目的は。

 

「なるほど、統一王国って名前はそういうわけね」

 

「代々の王家にはそのように伝わっている。すべて効率を優先し、国をまとめるために最も強い者が王となることを定めたのも初代の王だ」

 

「で、国力十分と判断してついに悲願の"統一"に乗り出したわけね」

 

「本来ならば世界に乗り出すのはせめて北の海全域をよく治めてからの予定だった。しかし、我らは魚人島と、そこに住む海王類を操る者の存在を知った」

 

「なるほどね、思いがけず計画の短縮ができたわけだ」

 

「あとは、貴女に出会った三百年ほど前の王が『世界統一の暁には神の槍をこの手に』と遺言を残している。記録によればその王から本格的な統一に乗り出したとのことだ」

 

ああ、そういえばそんなことを言ったっけか、世界統一したらグングニルあげるみたいな。

メイリンと戦ったランの子孫の彼だ。

あの時は統一王国って名前から連想して適当なことを言ったんだけど、そもそもご先祖の悲願だったとはね。

 

「さらに言えばその王から代々の王はDの名を継いでいる。我もまた、Dを継ぐ者よ」

 

「……ん。つまり、あれからみんな王様は血縁で継承してきたってこと? 実力主義はやめたの?」

 

「否。最も力のある者が国王となる法は続いている。歴代の王らは自らの子や孫をこの国で一番の猛者に鍛え上げ続けてきたのだ」

 

「うわぁ、そりゃまたすごいね」

 

「王族の子女の、幼少よりの環境がよいことは否定せん。しかし、同時に幼少から貴女のことが代々伝えられてきた。同時に我が国の悲願も。故に我が一族は誰よりも修練に励み、高みを目指してきた。我もまた幼い時分から寝物語に『永遠に紅い幼き月』のことはよく聞かされ、子供心に興奮したもの。今こうして拝顔の栄に浴すことができ、恐悦至極。ふふ、実は内心では舞い上がっておるのだ」

 

「あはは、それは照れるね。でもこんなちんちくりんでがっかりはしなかった?」

 

「何を言う。むしろその矮躯を打ち倒せる光景を想像すらできんことがより恐ろしいものよ」

 

そんな風に会談は終始和やかな雰囲気で進んだ。

侵略戦争――彼らは”統一戦争”と呼ぶ――についても、しっかりと彼らの嘘偽りない話を聞いた。

同時に、そこに懸ける思いの丈も。

それは、王の想いだけでなく、国の想いですらなく――統一王国が積み重ねてきた、歴史の”重さ”。

 

「理想を言えば一切の血を流さず、平和的に話し合いだけでの併合をすすめるべきなのだろう。しかしそれは夢物語なのが現実。ならばなるべく犠牲は少なく、短期間に、だ」

「敵対者は容赦なく粉砕する。後顧の憂いを子孫に引き継ぐわけにはいかんのだ。我々は、流した血の、何倍もの笑顔を未来に見ている」

「我らの幸福は敵対者にとっての不幸だ。だからこそ、我らは彼らを統一王国(われら)にしようとしている。我らの色に染め上げようとしている」

「なぁに、我が国の自慢はラフテル一国であったころから一度も、そう、一度も反乱が起こっていないことよ。厳格な統制のもとではあるが、国は栄えている。故に我らは止まる理由がない。もとより止まる気も、ない」

 

王と宰相から聞いた話は概ね文から聞いた話と合致した。

そして、私はこの話を聞いて、彼らを止めるべきかどうか迷った。

いずれこうなることは予想していたし、ずっと考えてはいたけれどついに出せなかった答え。

例えば、侵略するにしても相手国の文化を尊重せよ、だとか。

 

でも、初代の王の話を聞いて、今の王の話を聞いて、決意は固まった。

彼らはラフテルの文化を愛し、それを広めようとした――している。

それは押し付けでただの侵略かもしれないけど、ラフテルの、私達の作り上げた文化をそれだけ優れたものと認め、広めることで幸せな未来をつかめると考えたから。

 

子供に教育をするのは悪だろうか。

何も知らぬ幼子に"自分たちの常識"を教えることで、自由な思想を奪うことは。

その常識が「人を殺してはいけない」であっても、「異教徒は殺して良い」であっても、教えられる子供からすれば同じこと。

そして、教える大人たちからしても同じことだ。

ただ、”常識”を教え、教えられる。

そう、ただそれだけのこと。

 

唯一違いを観測できるのは第三者、傍観者のみ。

それは他国であったり、後世の歴史家であったり、あるいは神か。

 

……ならば、私は神ではなく、傍観者ではなく、好き勝手に世界を引っ掻き回してきた、ただの前世持ちの吸血鬼。

人間は好きだけど仲間や家族のほうがずっと大事な、小さな当事者。

そうだ、だいたいあのゾウだって、魚人島だって、ミンク族だって、もう私の手を離れていて、その全てに対して責任なんて負えるものかと考えたばかりだった。

 

ふっと肩の力が抜けた。

私の決断は褒められたものじゃないかもしれない、憎しみを持って迎えられるようなものかもしれない。

それでも私の、この世界に来てからの四千年間が無駄ではなかったのならば。

 

楽しみに、させてもらおう。

 

「……そっか、ありがとう。話はだいたいわかったよ。それで、そっちが私を探していた理由は何? この統一戦争絡みだって言ってたけど」

 

「うむ。単刀直入に言えば、この戦争の行く末を見ていて欲しい。我らが悲願が為されるか否かを」

 

「世界を統一できるかどうか、ってこと?」

 

「ふふ、それだけではない。それだけでは初代の国王から何も進歩していないではないか」

 

「うん、違うの?」

 

「そうだ。さらにその先がある。我々は、その計画をずっと練りに練ってきた。技術もいまでは十分に実現可能と試算が出ている。一部はラフテルの封印されし遺産、”古代兵器”を使わねばならんだろうが」

 

「古代兵器?」

 

「そう、”天より墜ちる裁きの落雷”と”大地揺るがす破滅の豪砲”よ」

 

「ああ、ウラヌスとプルトンのこと?」

 

衛星兵器天王星(ウラヌス)と飛行戦艦冥王星(プルート)はかつて月が侵攻してきた時に用いられた兵器で、当時分身とはいえ私を殺した物騒な代物だ。

技術はにとりがすべて解析し、ラフテルの防備のために建造して配備した覚えがある。

ウラヌスは月の衛星として一つ、プルートは飛行能力を排したダウングレード版を「プルトン」と名付けていくつか。

 

まぁあれから三千と五百年くらい経ってるし、古代兵器ってのも納得。

配備からいままで一度も使用されてないはずだし封印されし遺産ってのも言い得て妙な。

てかあれ今でも動くの?

……にとりが作ったやつだし動きそうだね。

 

「計画の最終段階は、世界の統一を終えた後――それら古代兵器で大規模な、それこそこの世界史上最も苛烈な破壊を行う。その破壊とのちの統制をもって計画は完遂される」

 

「ほー。そりゃまた随分大胆だね。世界を滅亡でもさせるつもり?」

 

もしそうなら流石に止めるけども。

私だって終末の世界で生きたくはないし。

 

「否。むしろそれこそが恒久平和の始まり、真の統一よ。破壊するのは人ではない。壁だ」

 

よかった、どうやら無差別虐殺を行うとかじゃないみたいだ。

壁ってぱっと思いつかないけど、人種の壁とかそういう?

 

「この世界には壁がある。あの壁を壊さぬことには、真の統一はならぬ。人々は一つになれぬのだ。しかし、壁を壊せば世界は混乱の渦に陥る。場合によっては大規模な破滅もあり得る。故に、世界を完全に統制したのちに慎重に事を運ぶ必要がある。何十年、何百年とかけ、いつか為さねばならぬ」

 

「その壁って?」

 

「ここからでも見える。ほれ、あれだ」

 

そう言って王様は部屋の窓を指さした。

その先にあったのは、大きな赤い壁――なるほど。

 

「我らの計画はあの赤い土の大陸(レッドライン)を破壊すること。北の海(ノースブルー)西の海(ウエストブルー)南の海(サウスブルー)東の海(イーストブルー)、四海に分かれそれぞれが満足に連絡もとれない今の世界では互いに商売をすることすらままならんし、真の統一は叶わぬ」

 

なるほどね。

連絡を取るだけなら飛行機の開発とかも考えられるけど……今の技術力じゃ無理だし、なにより前世の世界に比べて空が不安定なのと、正確な地図がないこと、島々が離れすぎているので航続距離の問題とかでいろいろ難しいか。

レッドラインはかなりの高さだからそれこそジェット機レベルは必要だ。

今の世界で作れるのはきっとにとりとエイリンくらいだろう。

 

船にしても航行の危険は前世の比ではなく、加えて厄介な凪の海(カームベルト)もある。

現状四海を行き来するにはカームベルトを越える技術力と魚人島の存在を知らなければいけない。

それにしたって、魚人島のシャボンで覆える船の大きさは限られている。

 

「あの土壁を打ち壊し、北の海と東の海、西の海と南の海を繋ぐ。そして、カームベルトもゆくゆくは排し、それぞれを繋ぐ」

 

「カームベルトの方は考えてるの?」

 

「現状でも海楼石を船底に敷き詰め、無風でも走れるようにした特殊な船による航行は可能だ。海王類を絶滅させることは難しいことから、なんとか海楼石の増産を行いたいが、こちらも現状では研究が進んでおらず難しい。ただし、今でも徐々に増えてはいるから、しっかりと管理をすればゆくゆくは十分な数が配備できると考えている」

 

「でもそれだけじゃないんでしょ?」

 

「うむ。まさにそれこそ統一戦争を大きく進めるきっかけになった。以前よりこちらの北・西の海から南・東の海へ渡るための魚人島については報告があり、我らも利用させてもらっていた。そして、数百年の時をかけ、徐々に彼の国へと友好的に浸透していった。なにせ我らの計画には欠かせない最重要の拠点になる」

 

「まぁ魚人島がなかったら完全に行き来できないもんね」

 

「そしてその中の報告から「人魚の姫には海王類を従える能力を持つ者が産まれることがある」という伝承を知ったのだ。我らはその存在を待ち望んだ。もしもそれが本当に存在するのならば、計画の最終段階に用いる古代兵器と同等以上の価値を持つ戦略兵器になり得るからだ。我らはかの存在を古代兵器の命名に倣い、”四海制する海王の姫”海の王(ポセイドン)、と名付けた」

 

海王類を従える人魚……間違いなくレヴィアの事だ。

あの力は子孫にも発現したんだね。

 

ちなみに名前に関してはちょっとだけ疑問がある。

ウラヌスはギリシャ神話の天空神ウーラノスからだけど、ローマ神話ではカイルスと呼ばれる。

プルートはローマ神話の冥界神で、こちらはギリシャ神話だとハーデースと呼ばれる。

それぞれ神話が違うから、きっとウラヌスに倣ってギリシャ神話の海神ポセイドンをもってきたんだろう。

ところがポセイドンはローマ神話ではネプチューンに相当して、海王星の英名はポセイドンではなくネプチューンの方が採用されている。

だからちょっとだけちぐはぐな感じがある。

 

天王星、冥王星でウラヌス、プルートと付けたから命名規則に従うと海王星はネプチューンだ。

だけどこの世界には天王星も冥王星も海王星も存在しない。

ポセイドンは私が辞書に記したことから名付けたんだろう。

 

まぁ、こんなこと気にするのは私だけだから別に人魚姫の事を古代兵器ポセイドンと呼ぶことには何の問題もないけども。

 

閑話休題。

 

「で、そのポセイドンが現れたと」

 

「そう、待ち望んだ存在がついに生まれたのだ。今から三百年ほど前のことだ。我らは魚人島を速やかに制圧し、人魚の姫の力――ポセイドンでもって、ここ北の海とカームベルトの向こうの西の海の全域を支配した。その頃は今に比べて国力も十分ではなく、二つの海を制するまでに八十年ほどもかかった。そして、人魚の姫も寿命で死んでしまった」

 

「そして、今また新しい姫が産まれたんだね?」

 

「その通り。先代の頃から南の海の侵略はじわじわとすすめてきた。しかし、我が代になってから待望の姫が産まれたのだ。我はなんとしても我が代で南の海だけでなく、東の海の制圧を、少なくともポセイドンが生きているうちに東の海での拠点までは築かねばならぬ。次のポセイドンがいつ生まれるかは分らぬ故に」

 

王の言葉には覇気があった。

目的と手段がはっきりしていて、目指す心と力が十分にあった。

 

「我らの計画はもう着地点が見えている。このまま問題なければ、今の国力でもって十年以内に東の海の制圧も完了する。ウラヌスとプルトンの起動実験もラフテルを通じ既に終わらせている。故に”永遠に紅い幼き月”、貴女には我らの悲願が為されるところを直に見ていただきたかった」

 

「それで、私を探していたんだね。その計画に、名前はあるの?」

 

「ふふ、よくぞ聞いてくれた。実はそれを言いたくてたまらなかったのだ。初代の王から志を引き継ぎ、しかし代々の王が頭をひねりさらに発展させたこの計画こそ、我らが悲願、我らが誇りなのだから」

 

王は子供のように無邪気に笑った。

それはどこまでも真っすぐで、光に満ち溢れている笑顔だった。

 

 

「我らの計画は、世界を統一し、壁を壊し、帯を取り去り、この世界を真に一つにする。そしてその果てに、皆が手を取り合って穏やかに、笑顔で生きていける平和で発展した世界を築く。故に我らはこの計画の事をこう呼ぶのだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

世界合一(ワン)による()恒久平和(ピース)、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 






永遠に紅い幼き月
本作にはレミリアが登場しないのでレミリア成分はフランに吸収されています。
カリスマにも溢れている。
ちなみに魚人島で落ち込んでいた時(参照:31話・それでも彼女はいなくならない)の格好はカリスマガードだったり。

ポセイドン
ようやく出せた3つ目の古代兵器。
原作のプルトンが本作ではプルートだったのもこの命名規則の問題があったためです。
そのため、飛行能力ありの戦艦→プルート、飛行しない戦艦→プルトン、とちょっとわかりにくくなってしまった。

ワンピース
こちらもやっと出せたタイトル回収。
原作でのワンピースはなんなのかまだ謎ですが、本作ではこういう設定で。
ひとつなぎの大秘宝は白ひげの言葉からなにか物質として存在していそうですが、本作ではそれはこの計画のことです。
世界を“一繋ぎ”にするものであり、また世界中の“人を繋ぐ”ものであり。
”ひとつなぎ”が平仮名なことにも意味があるならこんなダブルミーニング、そしてつづりはone pieceですが、実はone peaceでトリプルミーニングなら……
なーんていち読者の妄想ですが。


前話まででキリがいいので次話は来年と言っていましたが、この話までやっておいた方が続きに期待を持ってもらえるかな?と思いなおしてストック放出しました。
次こそ来年のはず。




目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

心無き王の息子と足無き人魚の姫

前回のまとめ
・王様とのおしゃべり
・ワンピース!


 

ワンピース。

その名前には聞き覚えがあった。

もう四千年前のこと、この世界に来る前に神様から聞いたのだ。

ただ、知っているのは主人公が海賊王を目指しているということとワンピースというタイトルだけ。

 

まあ、本当にここは漫画の世界だったんだなあ、という感慨があるくらいで、特に気にはならない。

なにせもうこの世界で暮らして四千年だ。

普通に考えて西暦の二倍だし、よく生きたものだと思う。

体は未だに幼いままだし寿命とか来そうにはないんだけどね。

 

そんなわけで、別に聞き覚えがある名前だからどうこう、ってことはない。

計画としては単純に興味が惹かれて面白い。

最終段階に入ったら、レッドラインの破壊とかは私が手を貸してあげてもいいかなと思うくらいには。

 

ああ、でも……。

 

「うん、ありがとう。王様も大臣も。あなたたちの計画はよく分かったし、とても面白いと思う。個人的には期待させてもらうよ」

 

「おお……! その言葉が聞けただけでも今までの尽力が報われるというものだ」

 

「できればここで見届けたいと思う。少なくともあなたが死ぬまでくらいはね。ただ……」

 

「む、何か不備が?」

 

「いや、実はね、私、海王類の王様と知り合いなんだよね。だから彼がいま迷惑してるなら、邪魔はしないけど協力もしない」

 

「ふむ……もとより手を借りようとは思ってはおらなんだが……いや、そのような事情がある上で我らを止めないでいただけるだけで、十分に過ぎるご高配。けして悪いようにはせぬと誓いましょう」

 

「ん、ありがと。それでね、あなたたちの中で魚人島の管理をしてる人がいるよね? できればその人に話を聞きたいなって」

 

「それならば責任者は我が愚息よな」

 

「息子さんがいたんだ」

 

「うむ。ありがたいことに、贔屓目なしに優秀だ。数年前に行われた武闘会では準優勝、つまり我の次に強い次代の王として認められている。故に我もその際Dの名を引き継ぎ名乗ることを許した」

 

「おー、凄いじゃない」

 

「内政手腕も見事なものだ。既に大きな結果を幾つか叩き出している。……ただ、アレには大きな欠点がな……。いや、詮無きことよ。明日には会えるよう手配しよう」

 

「ありがと」

 

「なに、礼には及ばぬ。あれの名は、エドガー・D・――」

 

エドガー。

その名前を聞いて懐かしさが去来した。

そうか、あの昔会った王様からずっと血が続いているから、目の前の王様もその息子もランの姓と同じエドガーなのか。

あの元気さだけが取り柄のランが王様一族の祖先になっているのかと思うと、大出世というかなんというか。

 

その後は王様から晩餐に招かれて、私も色々と話をしてあげた。

ラフテルでは既に私の伝承が途絶えているけど、統一王国の方では私が訪れてログポーズやDの名を与えたことが記録に残されていて、王宮に出入りするような身分の人なら知っているようだった。

それでもやっぱり細かいことは伝わっていなかったので、いろんな話をせがまれたわけだ。

特に月との戦いなんかはかなり盛り上がった。

魔法で記憶の投影を行ったけど、彼らにとっては初めて見る映画みたいなものだったろう。

しかも無駄に3Dのサラウンドスピーカーだ。

 

で、騒ぎ明かして一晩たって、翌日。

 

「初めまして、俺が王の息子です! 気軽にボーイとお呼びください!」

 

「初めまして。聞いてるとは思うけど、私はフランドール・スカーレット。永遠のなんちゃら以外なら好きに呼んでいいよ。あと敬語は別にいらないよ」

 

永遠に紅き〜とかいうのはちょっとむず痒いというかなんというか。

異名みたいに呼称されるなら別にいいけど、対面で呼ばれるとどうしてもね。

 

「んじゃお言葉に甘えて素で行かせてもらうっす! よろしくっす、フランさん!」

 

「こちらこそ。ところでボーイってあだ名はなんで? 王様の息子だから?」

 

「いやあ、周りからは召使みたいだってことでボーイって呼ばれてるんす。俺ってば頼まれごとをされるとどうにも弱くて……」

 

「なるほどね、給仕のボーイ君か」

 

頼まれごとをされると断れないっていうのが王の言ってた欠点なのかな?

 

「まあ俺はむしろ気に入ってるんで! 誰かの役に立つことは嬉しいっす」

 

王様の息子は随分明るい青年だった。

年は二十代の後半、顔は昔のランにそっくりだけど、風体は気弱そうな優男。

一応国で二番目に強いらしいから、見た目相応ではないんだろうけど。

 

「ではでは、なんでも聞いてくださいっす! 今日は仕事を全部部下に任せてきたんで、一日中でも大丈夫っすよ!」

 

「それ、大丈夫なの?」

 

「勿論! 俺もしばらく休み取ってなかったんでちょうど良かったっす」

 

たはは、と笑う姿には衒いがない。

黙っていればニコニコとした気弱な青年なのに、一旦喋りだすと明るく花咲くような笑顔で陽気になる。

表情がコロコロ変わって見てて面白い子だ。

 

「ならいいや。今日は魚人島の話を聞きたかったんだけど、時間があるならまずは世間話でもしよっか」

 

 

 

 

実は、魚人島のこと、そして海王類のことについてはほとんど調べ終わっている。

私は吸血鬼だし別に夜寝なくても平気だ。

そこで昨日の夜に王宮を抜け出してリヴァイに会いに行ったのだ。

 

『やあ、久しぶりだね、フラン』

 

「千年ぶりくらい? やっほーリヴァイ」

 

正直寿命で死んでいるかとも思ったけど、かつて私とともに魚人島を作り出した海王類の王様、リヴァイは生きていた。

 

「最近どう?」

 

『ぼちぼちだね。最近は同胞たちも忙しそうにしているけど、私はのんびりしたもんさ』

 

「影響は?」

 

『うん、とても強い。まるでレヴィアの生まれ変わりだね、あの子は。私も気を抜けば操られてしまうだろう』

 

「それでこんな辺鄙なところにいるんだね」

 

『ああ。ここにいてもかなり危ういものさ。だから命令を遮断するために近ごろはずっと眠っているよ』

 

「そんなに?」

 

『レヴィアはあの力をよく分かっていなかったし、理解してからもむやみに使って周囲を無理やり従わせようとする子でもなかった。だけど今代の姫は生まれたときからずっと()()()()に教育されてきている。支配力だけならばあの子はすでにレヴィアの比ではないよ』

 

「そう……。それであなたは?」

 

『どうもしないさ。全てはあるがままに』

 

リヴァイは私の突然の来訪にも慌てず、少ない言葉数で尋ねた私の問いに明朗に答えた。

彼は頭がいいから、随分前からこうなることが分かっていたのかもしれない。

 

『フラン、ひとつだけ。――私は自分が何なのか、ずっと考えていた。ようやく、答えを得た気がするよ』

 

別れ際のリヴァイはそんな風に、穏やかに、眠るように呟いた。

 

『私は海だったのだ。君というとても面白いヒトに会って、ふと目覚めてしまった海だったんだよ。だから私は全てを受け入れるんだ。母なる海が全てを包み込むように』

 

「父親なのに?」

 

『ふふ、あるいは私がレヴィアだったのかもね。なあに、問題はないさ。性別などは些細なことだ。種族の違いもね。私は君の容姿ではなく、君の心、魂の在り方に惹かれたのだから』

 

「……照れるね。おやすみ、リヴァイ」

 

『ああ、おやすみ、フラン』

 

突然こういう変な話を振る人が時たまいる。

そして、今まで何人かそんな人たちに会ったことがあるけれど、彼らは決まってその後姿を消す。

なんとなく、ああもうリヴァイに会うことはないのかな、と思う。

だけどもう、別れに惑うことはない。

 

 

 

 

まあ、そんなわけで海王類らの現状については理解していた。

だから、ボーイ君に聞きたかったのはもっと違うことだった。

 

「ボーイ君は仕事って何歳くらいからやってたの?」

 

「うーん、正確には難しいっすけど生まれたときからかもしれないっす」

 

「生まれたときから?」

 

「俺ってば物心ついたときには魚人島にいたんで。親父の道具って意味ではその時からかなあと」

 

「へえ。じゃあ魚人島で生まれ育ったの?」

 

「はいっす。ちょうど俺が生まれたのと同時期に魚人島の姫が生まれたんすよ。それで、親父が丁度いいタイミングだと思ったのか、二人一緒に育てたんす。幼馴染ってやつっすかねー」

 

「なるほどね、戦略兵器になりうる姫様を君にコントロールさせようとしたのかな?」

 

「お、流石っすねフランさん、その通りっす。俺も小さい頃から親父とか宰相とかに言われてそりゃあもう優しく扱ってやったっすからね。蝶よ花よとグズグズに甘やかしてやって完全に依存させてるっすよ。恋だの愛だのじゃないレベルで」

 

「おー、凄いね。大成果じゃん。死ねって言ったら死ぬ感じ?」

 

「それ以上っすね。人って自殺は結構簡単にするんすけど、殺しはなかなか難しいんすよ。あいつには海王類使って大虐殺させなきゃならないかもしれないんで、俺の言うことには何の疑いも持たずになんでもやるように躾けたっす」

 

「試してみたの?」

 

「勿論! 仕上がりを確認したいって親父に言われたんで、目の前で自分の両親殺させたっすよ。突然連れてこられてなんの説明もされてないのに俺の言葉に粛々と従って手足の先から切り刻んでたっす。両親が泣き喚いても、困ったように笑いながらも一切手は止めずにね。いやあ、血塗れで「上手くできたでしょうか?」って笑いかけられたときはゾッとしたっすねえ。たはは」

 

「それはそれは。王様も大満足だったんじゃない?」

 

「そりゃあもう。手放しで褒めてくれたっすよ。かつてここまで調教が成功した試しはないってね。あいつは例えば俺が他に女作ったところで嫉妬とかもしないっすよ。俺から何かを貰うことを期待させてもいないんで、俺が言えば他の男とでも寝るっすよ。まあ今のところその計画はないんすけど」

 

「そうなの? お姫様の血筋は大事なんだからいっぱい子供産ませたほうがいいんじゃないの?」

 

「実はすでに俺との子供が複数いるんすよ。一応俺もそれなりにいい血統っすからね。実力主義とはいえ何代も続いてる王家の次代っすから」

 

「ふーん。子供作ったら情に絆された、とかなかったの?」

 

「いやいや、流石にそれは俺を見くびりすぎっすよ。やる前もやった後も別になんも変わってないっすよ。あいや、フランさんの前でちょい下品だったっすかね」

 

「あはは、話振ったの私だし別に気にしなくていいよ」

 

全て本音だった。

私は嘘に敏感だ、嘘をついていたのなら感覚的にわかる。

少なくとも今の会話でボーイ君は何一つ嘘をついていない。

 

「ふーん、なるほどねえ」

 

子孫とはいえ、情に厚く直情径行型だったランとは随分違うようだ。

しかし、ニコニコして喋るその顔は少し気に障る。

 

「……どうかしたっすか」

 

ん、私が()()()()()ことに()()()()()かな?

やっぱりランとは違うね、頭の回りが尋常じゃない。

私も若い頃ならころっと騙されていたかも。

 

「いやいや、人間ってやっぱり面白いなあって。()()()()()()()()()()()?」

 

「……ッ! ――あなたが初めてですよ、フランドール・スカーレット。流石は、創世の吸血鬼、永遠に紅い幼き月……」

 

「アハハハハ、やっとその貼り付けたような笑顔が消えた。そっちが素かな? もう少し笑顔以外に表情のバリエーションを増やすことだね」

 

「父親すら騙せていたのに? ……いえ、忠告、ありがたく受け取っておきます」

 

笑顔を消したボーイ君は見た目気弱な青年に戻った。

ただし、その目はこちらを射殺すかのように力強く睨んでいる。

その身から溢れ出る覇気がピリピリと肌に心地よい。

これが彼の本性か。

 

「いったい、どこで」

 

「ずっと笑顔だったこと以外に明白な瑕疵はなかったと思うよ。強いて言えば少しアピールが過ぎたかな。まああとは私が人間に詳しすぎたってことくらい? これでも四千年は生きてるから」

 

「俺はいつもニコニコ誰にでもフレンドリーで接しやすくて人の頼みは断れない気のいい後輩系で、だけど知にも武にも優れて次代の王は確実、施策には手を抜かず冷酷な面も見せる頼れる王の息子で通っているんですよ。今更笑顔は変えられませんよ」

 

「変える必要はないよ。今までだって騙せてたんでしょ? 困り顔とかそういうのを挟むだけでも不自然さはなくなるよ」

 

「…………」

 

「それで、どうする? 口封じでもしてみる?」

 

「……随分にやにやと楽しそうですね。忠言をくれたってことはそういうことなんでしょうに」

 

「あはは、やっぱり君とは()()()をして正解だったな」

 

「……俺はもうイヤッすよ」

 

「ま、もういいよ。細かいことは聞かないほうが楽しめそうだし。今日は邪魔したね」

 

「もう会うことがないのを祈ってるっす……」

 

「それはどーかなあ」

 

ふふ、結構楽しかった。

自分を殺し仮面をつける――見事なボーイっぷりだった。

これからは統一王国の行く末と、ボーイ君の行く末の二つを楽しみに待てそうだ。

 

 

 

 

「くそっ、こんなところで躓くとは……いや、まだだ、アレは楽しんでいた。ならばまだ、舞台を壊すことはしない。分かっている、分かってはいるんだ……」

 

夜。

魚人島にある王宮、その一室にて。

人払いをされた奥の宮で男が一人唸っていた。

 

「せいぜい小賢しく踊ってやる。そうとも、俺はこんなところでは止まれないのだ……」

 

コンコン、と扉がノックされる音で、男は独り言を止めた。

ノックの相手は聞かずとも分かっていた。

この奥の宮に今いる者は男ともう一人だけなのだから。

 

「ご主人様、リリファです。よろしいでしょうか」

 

「ああ、構わないよ。……それと二人きりのときは名前で呼んでもいいといったじゃないか」

 

「私はご主人様ほど器用ではありませんもの。普段からこうしていないと、いざという時にボロが出てしまいますわ」

 

扉から室内に入ってきた少女は、男に向かい恭しく一礼した。

少女の名はリリファ。

今代のポセイドン、魚人島の姫――リーフィーシードラゴンの人魚である。

 

容姿は十代の半ばほどに見えるが、実年齢は男と同じ二十代の後半である。

人魚や魚人の中には時折こうして外見の老化が遅いものがいる。

 

ふわふわとした髪は光の加減で何色にも見え、まるで鮮やかなサンゴ礁のよう。

肌は真珠のように白く、瞳は海の青よりなお透き通り、それでいて底なしの深さを持つ蒼。

一目見て、ああ、人魚の姫とはかく有るべき、と万人に思わせるような可憐な姫であった。

 

だが、その体躯は人魚の姫には珍しく、人間の少女と変わらぬほどに小さい。

そして、何より目を引くのは彼女の下半身。

リーフィーシードラゴンの人魚である彼女は魚の半身を持つ――しかし、その半身は人間でいう膝頭か大腿のあたりから、バッサリとなくなっていた。

 

足のない、人魚姫。

 

リリファは、人間の足どころか、人魚の足すら持っていない人魚姫だった。

 

「まあ言葉はいいさ、仕方ない。しかし、一人で動くなと常々言っているだろう。ここにいる時は何かあればベルを鳴らすか電伝虫で俺を呼べと」

 

今もリリファは台車に乗っている。

台車に座席を取り付けただけの物で、乗り心地などは当然考慮されていない。

移動の際も棒で地面を突いて進むようなもので、当然車椅子などとは呼べない簡素極まる代物だ。

しかし、これが彼女の唯一の"足"であるのもまた現実であった。

 

「ふふ、ご主人様らしくもありませんね。私はベルを鳴らしましたよ。そうしたら何も反応がありませんでしたから、これは何かあったのだなとこうして参った次第です」

 

「……そうか」

 

男にはリリファが本当にベルを鳴らしたのか、嘘をついているのかが見抜けなかった。

確かに音は聞いていないはず、だが……。

 

器用ではないなどとんでもない謙遜だった。

この人魚姫は男とともに、三十年近くの歳月に渡って周囲を完全に騙し通してきた"共犯者"なのだから。

 

「それで、何があったのかお聞きしてもよろしいでしょうか」

 

「……ああ。俺の、そして恐らくお前の擬態も見破られた。ほぼなんの事前情報もなく、出会って一時間ほどで、だ」

 

「まあ……!」

 

男が姫に語ったのは昼間に出会った伝説の吸血鬼についてだった。

 

「ラフテルの古代兵器やらの古びた伝承はともかく、ログポースなんかを作り出していることから、ただ力が強い存在ではないことは分かっていた。しかし、アレは想像の遥か上を行っていた」

 

「頭も回ると?」

 

「それだけじゃない。あれは人の心を知り尽くした化物だ。悪魔の王というのも、あながち誇張ではないのかもしれん……」

 

「しかし、一応は見逃してくれたのですね?」

 

「ああ。アレは盤上で(俺たち)がどう踊るのかを楽しみにしていた。この国の行く末と、俺の行く末を」

 

「……ならば良いではありませんか」

 

「だがっ! アレは人とは違う、人の心を持たぬ化物だ! いつ心変わりをして、戯れに俺たちを破滅させるか分からん!」

 

男は激高のまま力強く机を叩いた。

それは常に人目を欺き計画を進めてきた男が初めて直面した危機、かつて味わったことのない焦燥と怒りからくるものだった。

気弱な見た目に似合わず屈強な男の一撃を受け、机には亀裂が入る。

しかし、それを見ていたリリファは音に怯えるでもなく、ただくすくすと微笑んだ。

 

「なんですか、ご主人様。そんな些事でお悩みになられていたのですか?」

 

「些事だと?」

 

男の声に険がこもる。

しかし人魚姫は尚もおかしそうに笑うだけだった。

 

「そうではないですか。彼の御方が人の心を持っていない? 人にあって人の心を持っていない、人面獣心の人でなしこそを、私たちは相手取って戦うのですよ。ふふ、それにむしろ彼の御方が人の心を持っていなくてよろしかったではありませんか。まともなただ人なら、王に告げているのが正常ですよ」

 

「それは、そうだが……」

 

「ご主人様。貴方は今、初めての失敗、挫折に心を焦がされていらっしゃるのです。一度落ち着きなさいませ。事はそう大事ではありませんよ。私などにはむしろ好機に思えるほどです」

 

「…………。すまん、確かに取り乱していたかもしれん。だが、好機だと?」

 

「ええ、お話を聞く限りでは想像していたよりずっと愉快な方なようですし」

 

「愉快? 今の話のどこをどう聞き間違えばそうなるんだ? アレの前に立ってみろ、力の塊、狂気の具現だぞ。愉快なんてもんじゃあない」

 

怪訝な顔を向ける男に、人魚の姫は莞爾として笑った。

男は終始、彼の吸血鬼を恐れ警戒していたが、話を聞かされた姫はむしろ好感と親しみを抱いていた。

一度も会ったことはないけれど、ありありとその姿を思い浮かべられるような強烈なパーソナリティー。

それでいてその行動は、深読みすればどうとでも読めるほどの深謀遠慮。

 

現に男は吸血鬼の一挙一動一言一句を分析して、()を把握し、どうにか優位に立てないかと足掻いている。

姫からすれば、それはやや滑稽なほどに、ズレて見えた。

初めて見た男の可愛らしい姿に、だから思わず笑みが漏れる。

 

「ご主人様に一つだけ欠点があるとすれば、それは――人の心が分からないことですよ。権謀術数に慣れきってしまって、そう、たとえば頭のいいバカ、とか。頭ではなく心で動く者、とか。そういう人たちの心が分からない」

 

「…………? 何を言っているのかわからん」

 

「ふふ、だから私がいるんです。ご安心ください、ご主人様。その吸血鬼さんは私がお相手しますわ」

 

 

 

 

 

 

 






リーフィーシードラゴン
漂う海藻にしか見えない不思議な魚。
オーストラリアなどでは有名で切手にもなっているくらい。
リリファのビジュアルイメージは難しいと思いますが、髪の毛とか服装とかが海藻みたいにふわふわしてる感じの女の子に脳内擬人化してお楽しみください。

リリファ
オリキャラが割と適当(名付けとか)な本作の中では割と設定がちゃんと練られている子。
本当はポセイドンからの変化でネプチューン、あるいはネプテューヌ(ネプチューンの別読み)と名付けたかったキャラクター。
しかし原作にはネプチューン王がいる。
王よ、少し名前負けではないですかね……。
テューヌもちょっと考えたけど調べてみるとなにやら有名っぽいキャラがいるらしいので断念。
わかさぎ姫にしようかなとも思ったがうまく動かす自信がなくこちらも断念。
この章のプロットを切る際に一番苦戦した原因。
もちろん名前はリーフィーシードラゴンから(やっぱり適当じゃないか)



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

竜人の怒りと魔法の図書館

前回のまとめ

・王の息子ボーイ君の頑張り
・足の無い当代の人魚姫(ポセイドン)


 

メイリンは激怒した。

そりゃあもう怒りがオーラとして可視化するほどに激しく怒った。

髪は逆立ち、噛み締めた唇から血を流し、瞳は殺気を孕んで爛々と輝いていた。

 

龍の逆鱗に触れたら、きっとこうなるんだろう。

ああ、そうだ、私はそれに触れてしまった。

私たちはもう、分かり合えない。

対立は決定的なもので、お互いを認めることができない。

彼女の言うことを、私は到底受け入れることはできないのだ。

そして彼女はもまた私のことを断固として受け入れられない。

 

「ごめんなさい、妹様。――いえ、フランドール・スカーレット。私はあなたに従えない。あなたの思想を認められない。認めたら、私は私でなくなってしまう」

 

血の涙を流しかねない苦悶の表情で、彼女は言う。

 

「私は、(ホン)美鈴(メイリン)は、現時点をもってフランドール・スカーレットに反逆します。あなたの作り上げた世界を否定して、破壊します。私が、あなたを愛する私であるために」

 

それは自分以外の存在を――それこそ私のことすら――考えず、世界のことも放り投げて、すべてを思考の埒外にして。

ただただ自分の我儘を、譲れない一線を守るための決意。

とっても愚かで、だからこそ愛おしい。

ああ、それは実に、実に人間的な宣言だった。

だから私は彼女の反逆を認めて、彼女の敵になった。

 

その日、紅美鈴は――世界と私に、喧嘩を売った。

 

 

 

って、突然言われても何のことだかわからないよね。

まずはこうなった経緯と原因について話そう。

 

私は統一王国に客人の身分でもてなされ、連日国内を観光していた。

王が気を利かせてくれたのか忙しいだろうにボーイ君を案内人につけてくれ、楽しい日々を過ごさせてもらった。

観光名所はもちろん、統一王国の為してきた研究成果にも目を見張る物が多い。

特にボーイ君が手掛けた一番の成果――オールブルー実験はとても興味深い。

 

オールブルー実験。

四海統べる海(オールブルー)、と名付けられたこの実験は、名前の通り北の海(ノースブルー)西の海(ウエストブルー)南の海(サウスブルー)東の海(イーストブルー)、というこの世界の4つの海を統合する研究だ。

ワンピース計画が最終段階まで成功したとき、この世界の4つの海は一つになる。

その際に何か致命的な失敗――例えば生態系の破壊など――が現れないかを研究しているのだ。

 

なにせこの世界の海は前世の海に比べても特殊すぎる。

かつての世界では太平洋、大西洋、インド洋と海は別れていたけれど、その境目はどこにあるのかなんて明確な境界線は引けないほどにそれぞれが密接に関わり合っている。

ところがこの世界ではレッドラインという物理的な境界、カームベルトに棲む海王類という生物的な境界によって明確に4つの海に別れてしまっている。

大陸の下では深層海流とかで一応海自体は繋がっているけれど、直接一つの海になることで現れる影響は決して無視できる規模ではない。

 

この研究自体はワンピース計画の初期の初期から行われていて、例えば水位の問題など物理的な影響については既に問題ないと結論が出ているそうだ。

しかし生態系の問題だけは長年机上の空論となりがちで結論が出ていなかった。

 

そこに現れたのが当時まだ十歳だったボーイ君だ。

彼は年に見合わぬ聡明さを発揮し、モデル実験を経てついには小規模な世界の縮図とも言える実験場を完成させた。

イメージとしては琵琶湖くらいの大きさの水槽に世界中の魚が収められている感じ。

勿論回遊魚だったり深海魚だったりを含めた完璧なものではないけれど、これが完成したことで研究は飛躍的な進歩を遂げ、現在では想定されるあらゆる問題に対して対処が可能との結論が出るまでになったそうだ。

 

このオールブルーの形成には、水棲生物に命令を下せるポセイドン――リリファの力が大きいとはいえ、道具を適切に使い結果を出したのはボーイ君だ。

彼はこの研究成果でもって国内に広く認められ、のちに武闘大会でも強さを見せつけたことで、次期王の地位を盤石のものとした。

 

オールブルーは私も見せてもらったけれど、正直その出来には舌を巻いた。

最初は小学生の自由研究、アリの観察とかそういう自然観察の延長だと思っていた。

違う。

ただ実験場をつくっただけではない。

そこに住む魚の一匹、貝の一枚に至るまでに()()が下され、およそ起こりうるあらゆる状況が想定され、再現されていた。

これはもう、プログラム上のシミュレーションを現実にしたものだと言っていい。

 

なんて恐ろしく、なんて残酷な実験場だろう。

生物実験がどうとか、倫理がどうとかいう次元じゃない。

そこに住む全ての生物が、意思を奪われ命令によってのみ生きて、死ぬ。

そしてそれを命令しているのは、それら水棲生物と()()()()()()()()()人魚姫なのだ。

虫をカゴに入れて観察するでも、ロボットに命令を下すでもない。

この実験場をつくった者は何を考えていたのだろう。

これほど恐ろしく残酷で非人道的で悪魔的な――それでいて甘美な実験場を。

 

背筋がゾクゾクした。

これはある意味で、神の視点だ。

神様が作った箱庭。

神様の、真似事。

あるいは、私と価値観を同じくする者か、と。

まあ、後日リリファと出会ってベクトルが違うと知ってちょっとだけがっかりしたんだけど。

 

とにかく、まあ私はいろいろと凄いものを見て楽しく過ごしていたわけ。

 

 

ところがどっこい、メイリンは違った。

 

彼女はまず滅ぼされたというジャヤ、シャンドラを見に行き、その後は世界をぐるりと巡って情勢を見てきたらしい。

そして、統一王国の支配政策を批判した。

特に、敵対的な国の国民や、魚人などの亜人種を奴隷として支配していることに関しては、不倶戴天とでも言うべき苛烈さで否定した。

 

正直、これはちょっと意外だった。

私は支配政策が悪いとも思っていないし、奴隷制を忌避してもいない。

 

支配だって、発展のプロセスには不可欠だろうし長期的に見て問題には思えない。

例えば文化の侵略。

それもまた生物の営みだろうし、そうして洗練され、また分かれていく、それが文化というものだろう。

私みたいな異物が一方的にやるよりは、この世界の住人がやるほうがよっぽどいいしね。

思えば土の民に教育を施し、この世界に日本語やら地球の文化なんかを広めてしまった私こそが最大最悪の侵略者なのだから。

それにくらべれば可愛いものだ。

 

奴隷制にしてもそれはそういうものだろう。

かつてスカーレット海賊団を率いていた際には思うところがあった。

だけどそれは私という(実力的な意味での)絶対者が率いていたから。

そういうふうに彼らを歪めてしまうことを恐れていたわけで、奴隷制そのものに対してどう、ということはなかった。

 

確かに、ひどい扱いを受けていたメイリンの姿を見たときには憤ったりしたけれど、あれは目の前の()に対しての憐れみとかが大きい。

まだ前世の人間性が強く残っていたあの頃ですら、私は奴隷制に対して「人間が人間の首に鎖をつけるなんて、吸血鬼の私からすれば犬が犬に首輪をつけるように滑稽なこと」だとルミャに語っていたほどだ。

 

だから私はむしろワンピース計画の成就のためには敵国を支配して奴隷として扱うことも必要だと思っていたし、そのあたりのことをメイリンに懇切丁寧に説明した。

ほとんどまる一日かけて論理的に合理的に、メイリンを説得しようとした。

 

ところがわからず屋のメイリンは聞く耳持たず、感情的に反論してきた。

私はあくまで冷静に大人の対応を心がけたけど、駄々をこねる子供のように聞き分けなく支離滅裂な主張を繰り返すだけ。

もうね、さすがの私も匙を投げたよ。

なんで私の言ってることがわからないかなあ。

なんでわからないのかがわからない。

普通に理性的に常識的に考えたらわかるはずなんだけどな。

 

しかもいつのまにか話題をすり替えて、やれもっと身だしなみに気をつけろだとか風呂上がりに裸でうろつくなとか寝る前には歯を磨けだとかうるさいこと言うし。

しまいには目玉焼きに醤油をかけるのはやめろとか正気?

わたしがどれだけ苦労して醤油とか味噌とか日本食を再現したか知ってるわけ!?

目玉焼きを作るときは既に塩胡椒で味を整えてあるから余計だ、って知るかそんなこと。

 

あーもうね、温厚で気が長い人格者のフランさんもね、これには怒り心頭だよね。

そんなに言うならこっちだって言わせてもらうけどね、メイリンの作る卵焼きは前々から気に入らなかったんだよね。

しょっぱいうえにツナやらノリやらいっつも何かしらの具材混ぜてあるアレね。

何なのあれ、見た目の色合いも悪いし、何でもかんでも混ぜればいいってものじゃないでしょ。

あれかな、美味しいもの×美味しいもの=凄く美味しいものとかいうお子様理論かな?

それとも胃の中に入っちゃえば全部一緒とか?

ほんとね、理解できないわ。

卵焼きっていったらきれいな黄色でふわふわした甘い卵焼きが一番でしょ。

しょっぱい卵焼きとか混ぜものとか何考えてるの。

 

混ぜものっていったらカレーにも色々混ぜるもんね。

大豆とかこんにゃくとかキノコとか鰹節にブロッコリー、バナナまで入れたことがある。

しかも常にピーマンとナスが入ってくる。

コレガワカラナイ。

夏野菜カレーだっていうならまあ、分かるよ?

でもね、普通のカレーにピーマンとナスは異常だよ。

 

メイリンは得意の中華料理だって信じられないことするからね。

酢豚にパイナップルを入れない!

これはもう酢豚への冒涜だよ。

酢豚のパイナップルは入れるのが本場。

中国は清朝の時代に欧米向けの料理店で高級感をだすために高級食材だったパイナップルを入れたのが始まりだからね。

だいたいあの甘酸っぱい感じがないと酢豚じゃないじゃん。

肉を柔らかくするために生のパイナップルに肉を漬けて仕込みをしてくれたら尚良し。

料理に果物を入れるのはカレーにすりおろしたリンゴを入れるのと同じで隠し味としてはごくごく一般的。

そんななかで全く隠れていないあの可愛いパイナップルをこそ、私は愛しているというのに。

それなのにあの似非中国人は「酢豚にパイナップルなんて入れたら料理が台無しになるじゃないですか」とかぬかしおる。

はー、もうね、ほんと信じられない。

 

いつも料理は作ってもらってる側だからね、私も今までそんな強くは主張してこなかったよ。

クソ不味くて食べられないってわけじゃないし。

でもね、目玉焼きに醤油をかけるなとまで言われたらね、戦争だよ、戦争。

ああ、悲しいね、人は分かり合えない生き物なんだね。

 

そんなこんなで双方の主張は平行線を辿り、いつしか言い争いになり、掴み合いの喧嘩になった。

結局その後メイリンは、「実家に帰らせていただきます!」とでも言わんばかりに飛び出した。

その際の捨て台詞が、冒頭のものである。

 

 

 

 

「つまり痴話喧嘩よね?」

 

「まあ、そうですね。大変仲がよろしくて羨ましいことです」

 

とある島に二人の女性がいた。

片方は輝く銀髪の妙齢の女性。

その服は赤と青が半々に塗り分けられたような個性的なものだが、落ち着いた雰囲気からか奇妙には見えず、むしろ神秘的な美しさがあった。

しかし、もう片方はそれ以上に「美」を人間の形にしたらこうなるのでは、というほどに美しい射干玉の黒髪に薄い桃色の和服を着た少女である。

二人は八意(やごころ)永琳(えいりん)蓬莱山(ほうらいさん)輝夜(かぐや)、月に住む蓬莱人だが今は地上に降りてきていた。

 

フランとメイリンとにとりが月に遊びに来ていた際に今度は地上においでよと誘われていた二人は、フランたちが地上に帰った後すぐに行動を起こしていた。

ちなみににとりは月でロボットの開発に夢中になっているので置いてきた。

そして、フランから聞いていた地上の名所を巡っているのだった。

 

「あら永琳。なら私達も痴話喧嘩してみる?」

 

「ご冗談を、姫様。ところで、その手に持ったものはなんですか?」

 

「さあ。なんか転がっていたわ。死にかけね」

 

「見たところあと一日もせずに死にそうですね。子供ですし群れから逸れたのでしょうか」

 

「永琳、あの薬ちょうだい。不老不死になるやつ」

 

「別に構いませんが……飼うのですか?」

 

「ええ、なんだかもふもふしていて気持ちいいし。……ん、ありがと。これで死なないわよね?」

 

「治療だけなら別の薬でも良かったのでは?」

 

「だって大きくなったら飼えなくなるかもしれないじゃない」

 

「まあ、構いませんが」

 

「じゃあはい」

 

「私に持てと?」

 

「小さくても結構重いもの。私は箸より重いものを持つ気はないわ」

 

「仕方ありませんね」

 

そう言うと永琳は輝夜から手渡されたモフモフした少女に薬品をぶっかけた。

兎耳が生えた少女は海から漂着したようで、ボロボロの服には海水が染み込み乾いた跡である塩が付着しており、少女自身もたいそう薄汚れている。

永琳はそんな物体を手に取るのを嫌がり、消毒薬をぶっかけたのである。

 

ちなみにこの消毒薬、ただのアルコールなどではなく、ありとあらゆる病原菌や汚れを駆逐する凄まじいもの。

服についた泥汚れすら今やまっさらである。

もちろんそんな代物は人体に多大な悪影響を及ぼす。

 

当然兎耳の少女も死ぬが、そこは事前に飲ませた不老不死の薬のおかげで死なない。

はっきり言って丁寧な扱いとはいえず、ペットというよりかはまさしく物品を扱うような手際だった。

 

「そういえば永琳、私達ってどうやって移動してたの。なんか気づいたら瞬間移動してるけど」

 

「ああ、これを使っていたんですよ」

 

「それは(ダイアル)?」

 

転移貝(テレポートダイアル)です。試作品ですが、まあ失敗しても体がバラける程度で済みますよ」

 

「ふーん。次の目的地は?」

 

「今まではフランにオススメされた場所を巡ってましたが、とりあえずそれはここミンクの里で終わりです」

 

「里って言っても跡地だけどね。つい数週間前までは健在だったのに。まったく、あの二人はほんと見ていて飽きないわ。今も録画してあるんでしょう?」

 

「ええ、先程の痴話喧嘩の様子もバッチリですよ。小型の飛行偵察機と軌道衛星を幾つか付けてあります」

 

「あはは、バレたら殺されそうね」

 

「彼女なら笑って済ませそうな気もしますが」

 

「どうでしょ。それで、結局次の目的地はどこなの」

 

「フランの眷属のココアという方の元を訪ねようかと。姫様にどこか行きたい場所があるのでしたら、そちらに変更しますが」

 

「いえ、いいわ。フランの眷属ね、どんな子なのかしら」

 

「おや、姫様はフランから聞いていないのですか?」

 

「んーあまり言いたくなさそうだったからね。意図せず眷属にしたっていうのが、私の境遇と被るのかしらね。私は命を与えてくれたフランと永琳には感謝しているのだけど」

 

「なるほど、そうでしたか。……転移貝の準備ができましたが、大丈夫ですか?」

 

「ええ、いつでもいいわよ」

 

「では」

 

永琳の声とともに二人の視界が瞬時に切り替わる。

崩壊したミンクの里跡から、どこかの島の海岸線に。

眼前にはとてつもなく大きい大樹がそびえ立っているのが見える。

 

「――ん、成功かしら?」

 

「そうですね、特定人物の情報を入力して衛星から居場所を探知するシステムも正常に動作していますから。今回は誤差五メートルといったところでしょうか」

 

「五メートルって、それ一歩間違えたら「石の中にいる」状態になるんじゃないの?」

 

「一応保険はかけてありますよ」

 

「……ホントかしら。蓬莱人の私達がそうなったら、そのうち死にたいと思っても死ねないから考えるのをやめた、とかなりそうで怖いわ」

 

「さて、ここがココアさんのいる場所のようですが」

 

「島かしら。それにしても大きな木。地上は面白いものがいっぱいね」

 

「ええ、凄まじい大きさですね。樹齢何年くらいなのかしら」

 

「樹齢は四千年以上、フラン様と同い年くらいの大樹ですよ。私達は全知の樹と呼んでいます。この世界の創生期からすべての時の流れを見てきた樹ですから」

 

「へえ、私よりも歳上なの。驚いたわ。――それで、貴女がココアさん?」

 

「ええ、私がココアです。親しみを込めて小悪魔のこぁとお呼びください」

 

現れたのはココア、フランの眷属である小悪魔の少女である。

種族は悪魔なのだが謙遜と名前との類似から小悪魔を名乗っている。

血のような赤い髪にコウモリのような羽、一見して人間ではないと分かる彼女ではあるが、永琳と輝夜は特に動じもしない。

というかむしろ彼女たちの知り合いには純粋な人間など一人もいないのだが。

 

「ええ、よろしくね、こぁ。私のことは輝夜でいいわ」

 

「私のことは永琳と。よろしく、こぁさん」

 

「ええ、よろしくお願いしますね、輝夜さん、永琳さん。しかし、永琳さん、フラン様のことを呼び捨てであるならば私のこともそうしてください」

 

「フランは私の友人ですから」

 

「ふふ、では私もいずれ友人になれることを望むばかりです」

 

「……あなたたち、フランのこと好きすぎでしょう。お互いの関係が気になるのもわかるけど、もう少し抑えなさいな。永琳の背中のウサギも、こぁの後ろの方にいる紫色のも、怯えてるわよ」

 

「あら、失礼」

 

「おっとっと、私も失礼しました。それではお先に家の方まで案内しましょう。パチュリーさん、先に戻っておもてなしの準備をしておいてください」

 

「は、はいっ」

 

そう言うと物陰に隠れて永琳たちの方を窺っていた紫色の服を着た少女は、その場からパッと消えた。

 

「今のは……」

 

「あとで紹介しますが、うちの……同居人、でしょうか。この島には私と彼女しか住んでいないので。先程のは転移魔法ですね」

 

「あの年で魔法が使えるなんて凄いわね」

 

「ふふ、私が仕込んでいますからね。永琳さんがお持ちのそれも、そうでしょう?」

 

「ええ、この貝の開発にはフランに随分と協力してもらったわ」

 

一行は大樹の根本まで会話をしながら歩く。

なおその間、目覚めたら意味不明な状況に放り込まれていた兎耳の少女は、いまも無言でぶるぶると永琳の背中で震えている。

ちなみにこの少女、ミンクの里にゾウが襲撃をかけた際に家族を殺され自身は気絶して海に放り出されてのちに漂着して死にかけていたり、拾われて命が助かったと思ったら知らないうちに勝手に不老不死にされ永久愛玩動物(ペット)コースに入っていたりと、不運の塊みたいな不憫な子である。

 

「さて、ここが私達の家です。パチュリーさんを除けば初めてのお客様ですね。ようこそ、ヴワル魔法図書館へ!」

 

こぁが案内したのは全知の樹と呼ばれる大樹の根本にある家だった。

家は三階建ほどのかなり大きなもので、木の根にすっぽりと嵌まるように、あるいは埋め込まれているかのように建っていた。

 

「あら、いい家ね。素敵なデザインだわ」

 

「ほんと、あれはステンドグラスかしら。綺麗じゃない」

 

外見にも高評価を下した二人だが、こぁに案内され中に入ると、更なる感嘆の声を上げた。

背負われたウサギに至っては驚きのあまりつぶらな瞳をこれでもかというくらい見開いている。

 

「これは、驚いたわね……」

 

「すごい広さね。どう見ても外見以上じゃない。それに天井まで埋め尽くすこの本の量。人間には一生かかっても読めなさそうだわ」

 

「内部は魔法によって空間が拡張されていますから。高架にも魔法がかけてありますから本を取るのも見た目以上に簡単ですよ」

 

図書館の内部は天までの吹き抜けになっており、恐ろしく背の高い本棚がところ狭しと乱立している。

中には宙に浮かんだ本棚や足場などもあり、図書館という言葉から想像する静のイメージからはかけ離れた動的な内装である。

 

「まあ、あちらの方はまたあとでということで。まずは居住区の方へご案内しますよ」

 

そう言うとこぁは図書館の地下に繋がる階段に二人を誘う。

そうして案内された居住区もこれまた恐ろしく広く、不思議な空間だった。

ほんの少し階段を下っただけのはずなのに、地下から見上げる天井は遠い。

しかも地下だというのに天井や左右にある窓から日光が差し込んでいる。

 

「驚かされっぱなしで少し悔しいわね。フランも大概だとは思っていたけど、ここは彼女にも劣らないわ」

 

「あはは、そう言ってもらえると嬉しいですね。なにせ私が三百年かけて作りましたから。でもまあフラン様ならこのくらいのこと、一年もかからずできると思いますけどね」

 

一行は応接室のような場所に通される。

ソファーには永琳、ウサギの少女、輝夜の順で座り、何故か真ん中に座らされて逃げ場のない少女は顔面蒼白でぶるぶると震えていた。

子供ながらにミンク族特有の動物的勘で、周囲にいるニンゲンたちの実力を感じ取っているのだから無理もない。

無謀な逃走を企てたり、泣きわめいたりしないあたりは十分に賢く、自制できている証左だった。

そのまま他愛ない会話を――若干一名が針のむしろではあるが――していると、扉がノックされ先程消えた紫の少女が現れた。

 

「失礼します……お茶をお持ちしました」

 

「ありがとうございます、パチュリーさん。さ、永琳さんと輝夜さんと……そちらのお嬢さんもどうぞ」

 

ウサギの少女は最後まで戸惑っていたが、こぁの優しい口調に意を決したようにお茶を手に取り、ぐっと一気に飲み干した。

そしてその美味しさに驚き目をまん丸くして驚いているのを見て、こぁはくすくすと笑う。

全員が一息ついたところで、こぁが切り出した。

 

「さて、それでは改めて自己紹介でもしましょうか。私はこぁといいます。フランドール・スカーレットの第一の眷属にして忠実な小悪魔。今はここ、ヴワル魔法図書館の管理者兼司書長を務めています。では次、パチュリーさん」

 

「は、はい。私はパチュリーです。こぁさんからノーレッジの姓をいただきました。ちょっと事情があってここでお世話になっています。一応司書なので何かあればお申し付けください」

 

「ん、じゃあ次は私ね。蓬莱山輝夜よ」

 

「私は八意永琳。そちらは月の姫で私がその従者、とでも思っていてちょうだい。今は地上の観光中で、フランの眷属というあなたに会いに来たの」

 

そこで話は一旦途切れ、四対の瞳がウサギの少女を見つめる。

しかし、少女が怯えて震えるだけなのを見て、永琳が代わりに口を開く。

 

「で、この子はついさっき死にかけで倒れていたところをうちの姫様が戯れに助けたの。あなた、名前は?」

 

「わ、私? ……名前はない。ウサギのミンクは子だくさんだから大きくなってから名前をつけるの」

 

「そう、それじゃシロって呼びましょ。シロウサギね」

 

「え、あ、うん。……あの、まだよくわかってないけど……助けてくれてありがと……」

 

「気にしなくていいわ。その代わりモフモフさせてね」

 

「え、モフモフってなにを……うわっ!?」

 

いうが早いか月の姫はウサギの少女を抱きかかえ、耳や尻尾をモフモフモフとモフり倒す。

敏感な感覚器や神経が多く通る尻尾まわりを容赦なく弄くられる少女はあられもない声を上げて必死に逃げ出そうとするが、月の姫はそのたおやかな姿からは想像もつかないほどに力が強く、まったく抵抗ができない。

くんずほぐれつ絡み合い嬌声をあげる様子を見て、月の賢者はため息をついた。

 

「悪いわね、見苦しいものを見せちゃって」

 

「いえいえ、まあ、うちの子にはちょっと刺激が強いみたいですけど」

 

そう言って苦笑するこぁの視線の先には、顔を真っ赤にしつつも絡み合いから視線を外せない紫の少女がいた。

 

「それで、永琳さんたちはこのまましばらく滞在していかれますか?」

 

「あら、いいの?」

 

「ええ、勿論。ここは知を求める者なら誰でも来る者拒まずの図書館ですから。もともとは単なる情報収集用の拠点だったんですけどね」

 

「収集? 集積ではなくて?」

 

「ええ、ここにある本は世界中からリアルタイムで複製転移魔法で集めたものですから。さらに言えば本だけではなく、ありとあらゆる情報が自動で活字化され製本されるようにシステムを組んでいます。まだ印刷技術はさほど進歩していませんからね。発行された本だけではさほど数がないんですよ」

 

「……本当に、凄まじいわね。ここに座っているだけで世界中の情報を掌握できる……まさに悪魔的ね」

 

「あはは……まあ、集めるだけだと寂しいから図書館にしよう! と思いついたはいいものの、三百年も一人で篭って作業してたらいつの間にかこんなになっちゃったんですよね」

 

「まぁそのあたりはのちのち詳しく聞かせて頂戴。なかなか面白そうだわ」

 

「ええ、私も正直この子の扱いに困っていたところですから。よかったら永琳さんも少し教育してあげてください。小悪魔の私だけだとどうしても限界があって」

 

「お世話になるんだもの、そのくらいはやらせてもらうわ。――そういえばこの島に名前はあるのかしら。一応月にいるにとりに、ここにしばらく滞在する旨を知らせておこうと思っているのだけど」

 

「島の名前ですか。ええ、もちろんありますよ。ただ、この島は周囲に何もない孤島ですから、どこの地図にも載ってはいないというか、まぁ言ってしまえば私が勝手につけた名前なんですが……」

 

「歯切れが悪いわね。安直に大樹の島とでも名付けたのかしら?」

 

「んー、いえ、フラン様の命で始めた情報収集でしたから名前もフラン様を連想させるようなものを、と色々考えた結果発想が飛躍してしまって。やっぱり一人で考え込むのは駄目ですよねぇ。永琳さんはこんな言葉を知っていますか?」

 

そう言って、こぁは空中にすらすらと文字を書いた。

 

After all, tomorrow is another day!

 

文字を形作る魔力光は緋色(スカーレット)に輝き、力強さを感じさせる。

 

「英語? フランから一応習いはしたけれど……「なんと言っても明日は別の日」、かしら」

 

「ええ、他には「明日という日がある」もしくは「明日は明日の風が吹く」なんて訳されたりもするらしいですが……むかしフラン様がお書きになった本の一節です。その本の主人公の名前を島の名前にしたんですけども、まぁ分からないですよね。その本もこの図書館にあるので、よければ読んでみてください」

 

「……What is the name of this island, “after all”?」

 

「あはは、手厳しいですね……正直名前の由来は“大海原”にぽつんと浮かぶ島だからってことでもいいんですけど」

 

 

 

 

「――この島の名前は、オハラ。この世全ての叡智、その最終到達点。全知の樹とヴワル魔法図書館を擁する、智者の楽園ですよ」

 

 

 

 





メイリンは激怒した
字面が似てるから文体をメロス風にしようかと思ったけどあまりにもシュールすぎるのでボツに。

逆鱗
龍の持つ81枚の鱗の内、喉元の鱗だけは向きが逆に生えていて、ここを触ると怒り狂って問答無用で殺される。
メイリンにもあるらしい。
ゲームだとよく素材として乱獲される。

オールブルー
サンジが追い求めている夢なのに随分ひどい代物に。
でも料理人的には生態系への配慮とか考えてもむしろ管理された水槽の方がいいのか……?
まぁワンピース計画成就後の世界の海は全部オールブルーになるから……。

痴話喧嘩
食べ物に関してはフランがそう思っているというだけで、特定の何かを貶めたりなどの意図はありません。

八意永琳と蓬莱山輝夜
名前だけでなく苗字に関してものちにフランにつけてもらった(という設定な)ため由来はあるんですが、今後本編で描写する場所あるかな?

不老(不死)の薬
かつては覇気が未熟な者が使用すると死亡したが改良済み。
その代わり服用すると勝手に強大な覇気に目覚める。
頑張れウサギミンクの少女!

ヴワル魔法図書館
原作でパチュリーのいる図書館は「紅魔館図書館」であり、「ヴワル魔法図書館」はパチュリーの曲名で両者は別のもの。
本作には紅魔館が出てきていないのでヴワルの方を採用。
パチュリーを顎で使う小悪魔が見れるのはこの作品だけ!(作者調べ)

After all, tomorrow is another day!
「風と共に去りぬ」の最後のシーンで主人公スカーレット・オハラが言う台詞として有名です。
有名な日本語訳は「明日は明日の風が吹く」。
スカーレットとオハラ、これはもう運命だなんとかして使ってやろう!としてこんなことに。

「……What is the name of this island, “after all”?」
after allは文頭だと永琳訳のように「なんと言っても」などの意味ですが、文末に使用すると「結局」などの意味になります。
そんな感じでこぁが出してきた英文を利用して咄嗟に皮肉を言えるくらい頭がいい永琳像を描写したかったけど分かりにくすぎる。






目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

反攻の連合と幸運の素兎

前回のまとめ

・メイリンげきおこ
・月人と小悪魔、図書館で出会う




「妹様のばか……」

 

海に向かって呟いた言葉はゆらゆらと波間に溶けて消えてしまいます。

しかし、私がしたことは消えてなくなってはくれません。

 

フラン様と喧嘩した。

 

言葉にしてしまえば簡単ですが、ことはそう単純ではありません。

 

 

私は、統一王国のやり方が許せなかった。

フラン様から説明されたことを、理性では分かっているのです。

力の強い国が他の地域を支配していく。

それはある意味で文化の伝播であり、人類が自ら発展していくために欠かせないプロセスだとも。

しかし、私はどうしても、支配した地域の住民を奴隷として扱う統一王国のやり方が許せなかった。

単に奴隷制そのものを批判しているのではありません。

自分たちこそが至高で、故に世界を発展させる義務がある、と考える傲慢にもほどがある彼らの思想そのものを私は嫌ったのです。

 

彼らは魚人や人魚たちに人権を認めません。

統一王国の法律ではそれらは魚類と同じであり、他の亜人種も似たようなものです。

確かに文明のレベルで考えれば彼らは統一王国のそれよりも随分劣っています。

でもそれはフラン様が必要以上の教育を行わなかったから。

人間とは異なる生態を持つ彼らに独自の文化を築いてほしいと願っての事だったのです。

少なくともミンク族と小人族、巨人族をつくり出したときはそうでした。

 

それに、私はかつて奴隷でした。

今はなき九龍(クーロン)という国で私は虐げられるためだけに生きていました。

だから私には彼らの気持ちが分かります。

むしろ扱いの悪さで言えば私の方が遥かに悪かったかもしれません。

 

フラン様ではこの気持ちを理解することはできないでしょう。

なんでもできるヒトではあるけれど、弱者の立場と気持ちについてだけは、分からない。

 

ある時、フラン様にここではない別の世界について聞いたことがあります。

それは私だけに話してくれた秘密の話でした。

その世界でのフラン様は覇気も使えない普通の人間で、言語や文学といった文化の研究をしていて、世界中を飛び回ることもあったそうです。

特別な力は何もなかったけど、その道では結構名も知れて権威があり何冊も本を出したことがあると、少し誇らしげに語っていました。

 

その話を聞いて、私はなるほどと納得しました。

吸血鬼であるフラン様が人間の心理を理解している理由はそこにあったのです。

そして長年人間と共に暮らしてきたことで、その感覚は磨かれていったのでしょう。

しかし同時に、そうであってもやはりあの人には“持たざる者”の気持ちは、真に理解することはできないのだろうということも思うのです。

 

今回の問題は、私が折れて納得するか我慢すれば済む話です。

ええ、全ては私の我儘なのですから。

でも、私にはそれができない。

そして、なぜできないのかをフラン様は分かってくれない。

 

だから、私たちは決定的に対立するしかありませんでした。

 

普段の生活態度に対する愚痴や食事に対する文句なんて蛇足です。

でもきっと、そうでもしないと二度と一緒に居れないほどの溝ができていたでしょう。

卑近で低俗な言い争いのレベルにまで落ちたからこそ、殺し合いをするほどの思想対立に発展することはありませんでした。

……まぁ、私が言ったことはすべて本音ではありますけど。

なんですか酢豚にパイナップルって。

ありえないでしょう。

私にだって料理人としての誇りがあるんですよ。

 

 

ただ、私も時間が経って少し頭が冷えました。

少々大人げなかったというか、やはり突き詰めて考えれば今回の一件は私の我儘なのです。

だって世界はすでに“そう”あるのです。

私が異を唱えさえしなければきっと世界はうまく回るのです。

だから世界にとっての邪魔者は私で、間違っているのは私なのでしょう。

私の心の半分は、たぶんいまならフラン様の言葉に素直に頷くことができる。

 

それでも……それでもやっぱり残りの半分は、私が紅美鈴(わたし)であるために、どうしても譲れないもので。

ならば一度戦おう、と私は結論を出しました。

ちゃんと戦って敗北したのならば、きっと折り合いもつけられるはず。

 

戦いは、私が統一王国を叩き潰すのではいけません。

フラン様が邪魔さえしなければその程度の事はたやすいとは思いますが、私個人が勝ったところでどうしようもない問題なのです。

思想の戦いであるなら、やはり群と群の戦いでなければならない。

そう考え私は統一王国に敵対している国々を巡り、それぞれの王家に対して話をしました。

彼らは統一王国のあまりにも強大な勢力に、そのままでは太刀打ちできないことを悟っていたのでしょう、すぐに私の話に頷いてくれるところもありました。

例えばネフェルタリやドンキホーテという王家がそうです。

 

また、恐らくは私が話を持ちかける前にも同盟の構想はあったのでしょう。

五家ほどが素早く同盟を締結したのちは次々と他の王家も参加し、いまだ侵略を受けていない東の海で大きな力を持つロズワード家や現在最前線となっている南の海のジャルマック家、グランドラインにあるミョスガルド家など、最終的には二十の王家が同盟に参加しました。

 

彼らは優秀でした。

同盟に参加した中で、南の海やグランドラインの国々は現在の統一王国の攻勢下でいまだ抗い続けられていたこと、東の海の国は情報が入りにくい中でも状況の判断を的確にし、すぐさま同盟に参加を決めたということも優秀さの証でしょう。

なにせ、私が声をかけ始めてから二週間もたたずに、二十もの国々が同盟を結ぶことができたのですから。

 

そして、同盟締結後はすぐさま全体での会議が開かれました。

この時代、まだ永琳さんとにとりが開発したテレビ電話だったりというものは存在せず、基本的には手紙を利用していました。

しかし、それぞれの国の間でまだしっかりとした通商ルートは確立されておらず、手紙のやり取りもそうそう上手くは行きません。

手紙を積んだ船自体が海賊や海獣に襲われて沈没したり、手紙が国の上層部までたどり着かなかったりと問題だらけです。

 

そこで、私の出番です。

私は龍の姿となり、彼ら王たちを背に乗せ世界中を飛び回りました。

そうすることでほんの数時間で実際に顔を合わせて会議をする場を作り出しました。

最初は護衛だの陰謀がどうのとうるさかったものですが、龍の姿でひと睨みもすればだいたい何も言わなくなります。

多少強引ではありますが何より時間がないのですから、そんな程度の低い争いをしている場合ではありませんしね。

 

会議ではまずそれぞれの国が持つ情報を交換し、状況の把握を行いました。

世界の半分を手に入れていた統一王国すらいまだ情報の伝達は苦慮している部分であり、これによる情報アドバンテージはかなりのものだと言えるでしょう。

実際、最前線の国々からもたらされる統一王国の戦闘に関する情報などは身に迫る危機感をより鮮明にしました。

 

会議には熱が入り活発な意見交換がなされ、今後の方針や協力体制などの話し合いは一昼夜に及びました。

正直、非協力的な国も出ることを予想しましたが、彼らはそれぞれの国の持つ力を全て投入することに全員が同意し、完全な協力体制を築きあげました。

良い意味で裏切られたと言えるでしょう。

 

会議の終わりには同盟のリーダーを決める話になりました。

そこでは全ての王から私がリーダーになって欲しいと請われましたが、私は、それだけはと固く拒否しました。

理由はいくつかあります。

彼らの様子を見て私が率いなければ戦えないヒヨコではないと確信したこと、この世界の趨勢はあくまで彼ら自身の力によって決めてほしかったこと、そしてこれが一番の理由ですが……私が先頭に立つことでフラン様が出てくるのを恐れたこと、です。

特に最後のは重要です。

 

正直、フラン様が本気を出せばいかに私が抗おうと全ては無意味です。

私はこれでもこの世界有数の戦闘能力と豊富な知識を持っていると自負しています。

しかし、それだけです。

単騎で国を滅ぼし、天候を操ることで地域一帯を支配することはできますが、それがなんだというのでしょう。

そんなものはフラン様が出てくれば簡単に抑え込まれる程度のものでしかありません。

 

フラン様は魔法を使うことで瞬時に世界中を移動してそのすべてを焼き払うことができるでしょう。

しかも、フォーオブアカインドを使用されればその手数も四倍。

到底私一人で対処できるものではありません。

もし仮に……正面から一対一で誰の邪魔も入らない状況ならば……私はフラン様を倒すことができる可能性があります。

しかし、そんな状況は起こり得ないでしょうし、追い詰めたとて転移魔法で魚人島あたりにでも逃げ込まれれば私に追うすべはありません。

 

つまり、私達が勝利を収めるには彼女を少しでも表舞台に出してはいけないのです。

そして彼女の性格上、私が指導者として正面から敵対したり前線で大暴れしたりしない限りは何があろうと出てこないはずです。

ですから私はこの同盟のトップに立つことと実際に戦闘に出ることはできないのです。

 

 

結局、リーダーは決まらず方針などは全体での多数決にて決めることになりました。

また、二十の王家が参加しているので奇数票にするため必然的に私も一票を持つことになりました。

まあ、こればかりは仕方がないでしょう。

 

そして、ついでに同盟の名前も決めることになりました。

案として出たのは「天竜連合」。

龍である私が発足に強く関わっているからということですが……。

龍ではなく竜なのは私と同じでは畏れ多いとのこと。

 

正直撤回したくもありましたが、先にリーダーの件を断っていたことと、アマゾンリリーの経験で慣れていたことからこれについては了承しました。

多数決をやっても二十対一になったでしょうしね。

 

同時にこの同盟、天竜連合のシンボルについても決まりました。

私は天に昇る龍を模した図案を提案しましたが、却下されました。

これまた名前同様畏れ多いとのこと。

そこまでのものは背負えないと満場一致で言われてしまいました。

みんな龍をちょっと怖がり過ぎじゃありません?

 

決まったのは私の龍形態時の(ひづめ)をデフォルメした図案です。

〇の上に△を三つ、下に▽を一つ。

このシンボルマークは「天駆ける竜の蹄」という名を付けられました。

会議場に来るまでに私の背に乗って空を飛んだのがそんなに印象的だったのでしょうか。

 

こうして私たち天竜連合は発足しました。

一応連名で統一王国に対して即時の停戦を求める文書を送りましたが、一考の余地もなしに断られました。

まぁ、宣戦布告もなしに世界征服に乗り出していた相手ですから最初からこうなることは予想されていて、だからこそ会議でも対策が話し合われていたのですが。

 

 

私とフラン様の争いは、統一王国と天竜連合の代理戦争の形となって――ここに開戦したのです。

 

 

 

 

「また随分と大事になったわね」

 

月の姫の呟きに本を読みながら月の頭脳が応えを返す。

机の上にはテレビが置かれ、龍人の女性を映していた。

 

「まあ彼女も引くに引けないのでしょうね。ただまあ、この時点で彼女の勝ちの目は消えましたが」

 

「え、なんで? フランが出てこないなら天竜連合にもまだチャンスはありそうだけど」

 

「ええ、天竜連合には勝ち目はあると思いますよ。ただメイリン自身の勝ちの目はありません」

 

「うーん、永琳が何を言いたいのかよく分からないわ。シロは分かる?」

 

「わ、分かりません」

 

姫様が私に問いかけてきたけど分かるわけがない。

姫様の膝の上に乗って抱かれながら、世界の危機らしきことについて話されている今の状況だってよく分かっていない。

 

私の名前は、シロウサギ。

ミンクの里で暮らしていたウサギのミンクで当年七歳。

ある時ミンクの里を山よりも大きい生き物(ゾウというらしい)が襲ってきた。

私が住んでいたのは海のそばで、真っ先に被害を受けた。

 

妹たちと弟たちは津波に流されてしまった。

まだ幼かったから、多分生きてはいない。

私はなんとか生き延びて父さんと母さん、親戚の叔父さんたちとともにゾウに立ち向かった。

ウサギのミンクには戦闘能力自体はあまりない。

だけどその分素早いし脚力はすごい、それに数が多いから集団で敵に立ち向かえる。

 

でも、そんなものはあのゾウにはなんの役にも立たなかった。

アイツは私達のことなんか気づいてすらいなかった。

父さんは鼻で払われて赤い塵になったし、母さんは手足が取れてよく分からない肉の塊になってしまった。

叔父さんたちや他のミンク族はまとめて踏み潰されてぺしゃんこになってしまった。

 

私は直接攻撃されてもいないのに衝撃波だけで皮膚をズタズタに裂かれて吹っ飛ばされて海に落ちた。

泳ぎは苦手じゃなかったけど、傷口に海水が染みて激痛で動けなくて溺れた。

そのまま意識を失って……気づいたら陸に打ち上げられていた。

何日経ったのかわからなかったけど、体のどこにも力が入らなくて、どこもかしこも痛すぎて、這いずることもままならなかった。

服もボロボロで地面に擦れた肌は赤く爛れていて、風が染みて涙が出た。

 

視界には見覚えのある、でも見たことのない景色があった。

私が住んでいたはずの里はまっさらになって何もなくなっていた。

家も、森も、山もなくなっている。

地面に落ちていたアクセサリーを力の入らない震える手で拾った。

その大好物の人参を模したアクセサリーは母さんが父さんから貰ったものだとよく自慢していたものだった。

それは――半分から折れて、ボロボロになっていた。

もう私には何も残っていない。

泣きたかったけど、涙を流す元気も残っていなかった。

 

このまま死ぬんだろうなあと、地面に倒れ伏しながらぼんやり考えていた。

そこに人の足音が聞こえた、二人分だ。

靴を履いてるからミンクじゃない。

二足歩行だし話に聞いたことがあるニンゲンというやつかもしれない。

ウサギのミンクは耳がいいのだ。

 

足音は周囲をウロウロしてからこっちに近づいてきた。

体が動かないから逃げることもできない。

やってきたのはおばあちゃんのお話に出てくる天使様みたいな人だった。

ミンク族じゃないみたいだけど、とても綺麗なヒトだった。

そしてその天使様は汚れてゴミみたいになっていた私を拾い上げた。

 

それからは何が起こったのかよく分からない。

天使様は私を何回か撫でてから液体のようなものをかけた。

すると全身の痛みはたちまち消え、真っ赤に爛れていた肌もくすんでいた毛並みも元に戻り、靄がかかったみたいだった頭もはっきりした。

動かなかった手足も動く。

私は驚き過ぎて、何をしたらいいのか分からなくて――ただただ固まっていた。

 

その後また何か液体をかけられて、一瞬胸が苦しくなって目眩がしたけどすぐに収まった。

そしていつの間にか私はもう一人のニンゲンに背負われていた。

声を掛けても良いのだろうか。

でも、何を言えばいいのだろう。

そんなことを悩んでいるうちに、不思議な感覚がして周囲の景色が突然変わった。

再び混乱していると、また新しいニンゲンが現れた。

そして新しいニンゲンと天使様のお連れ様からとても怖い気配がして、体が震えた。

漏らさなかったことを自分でも褒めてあげたかった。

私たちは大きな木の根本にある家につれていかれた。

 

不思議な光景だった。

空中に浮かんでいたり天井から逆さまに生えている本棚や、ひとりでに動く本、見たこともないような色々なものがあった。

ああ、やっぱりこのヒトたちはニンゲンじゃなくて天使様だったんだと思った。

 

別の部屋に通されて、ふかふかした横長の大きな椅子に座らされた。

私は床とか部屋の隅っことか、座ったままでも良かったのになぜか二人の天使様の間に座らされた。

そして、自己紹介が行われた。

天使様は、ホウライサンカグヤ様とヤゴコロエイリン様と言うらしい。

この家の主はこぁさん、お茶を持ってきてくれたのはパチュリーさん。

私はどうしていいか分からなくて、何も言えなかった。

そうしたら何故か名前を付けてもらえた。

ウサギのミンクが名前を貰えるのは一人前に認められた証。

その人が好きなものだったり、特徴だったりをそのままつけることが多い。

なにせ数が多いから変な名前の人も結構いる。

 

私の名前はシロウサギ。

シロウサギのシロ。

ウサギのミンクはだいたいみんな白いから私だけの特徴ではないけれど、それでもなんだか嬉しかった。

 

私はどうやら死にかけていたところを助けられて、カグヤ様のペットになったみたい。

ミンク族の中にもワニとかを飼ってる人たちがいるって聞いていたからどういう意味かは分かった。

天使様からしたら普通のことなんだと思った。

それに私にはもう居場所もないしやることもない。

そう思って姫様のおもちゃとして言われるがままにしていたんだけど、ある日エイリン様に学ぶことを命じられた。

内容はいろいろ。

カグヤ様と接するにあたっての注意とか、言葉遣いとか、他にも最低限の学問とかも。

 

そうして私は世界の広さを知った。

 

ミンクの里のウサギの集落しか知らなかった私が、初めて世界というものを認識した。

カグヤ様たちも天使様じゃなくて蓬莱人という月のニンゲンだった。

お月様!

私達ウサギのミンクにはお月様がまん丸くなった日にお餅をつく習わしがある。

お月様には私達とは違うウサギがいて、いつもお餅をついてるんだってお婆ちゃんが言っていた。

もしかしたら輝夜様と永琳様は月のウサギと知り合いかもしれない。

 

私は永琳様のことをお師匠様と呼ぶようになり、輝夜様のことを姫様と呼ぶようになった。

最近は生徒仲間のパチュリーさんとも仲良くなったし、図書館の主のこぁさんはいつも優しくて美味しい食べ物をたくさんくれるいい人だ。

 

そんなこんながあって、今日もいつもと同じように姫様のお戯れに身を任せていると、テレビというもので遠くの映像を見ることになった。

そこに映し出されたのは緑色の服を着た赤い髪の女性。

お師匠様によると、この人が紅美鈴という人でこの世界で二番目に強い人だそうだ。

一番はフランドール・スカーレット様、この世界を創った吸血鬼。

お師匠様と姫様の名付け親で、こぁさんの生みの親で、私達ミンク族を生み出した人でもあり、とにかくやってないことを探すほうが難しい人だそう。

 

そして今この二人は大喧嘩中で、世界を真っ二つに戦争をしようとしているらしい。

ミンクの里でも争いはあったけどせいぜいが氏族間の喧嘩くらいだったから正直どのくらいの規模かはわかっていないけど、とにかく大変なことはわかる。

 

そんな状況だけど、既にメイリンさんの敗北は決まっているらしい。

でも彼女の所属する天竜連合はどうなるか分からないという。

姫様もわからないようで私に尋ねてきたけど、私もわからない。

 

「あなたはだめねえ。パチュリーはどうかしら」

 

うう、お師匠様に駄目って言われた。

一緒に映像を見ていたパチュリーさんは少し考え込む。

隣ではこぁさんがニコニコと様子を見守っている。

 

「天竜連合の勝利条件とメイリンさんの勝利条件が違うから、そしてメイリンさんの条件は天竜連合が成立した時点で達成できなくなった……連合がフラン様を攻撃しようとする、とかでしょうか」

 

「いい線ね。でも少し違うわ。まあ、うちのに比べたら上出来よ」

 

うちのって私のことだ……。

出会ってからまだ一ヶ月もたっていないけど、ずっと一緒にいるからかお師匠様のひととなりはそれなりにわかってきた。

これは私をからかっているとかじゃなくて純粋な批評だから余計に心に刺さる。

 

「ま、メイリンさんも人間気分が抜けませんねえ、ってことですね。正直あまりにも愚策過ぎて呆れるくらいです」

 

こぁさんが嘆息とともにそう言う。

昔からの知り合いらしいから色々思うことがあるのかな。

 

「まあそういうことよね。フランと長く二人でい過ぎたせいじゃないかしら」

 

「結局よくわからないわ、永琳」

 

「ならこの先を楽しみにしましょう。答え合わせは彼女自身の未来で見せてくれるわ」

 

「ふうん、じゃあそういうことにしておいてあげるわ。急ぎすぎてもつまらないものね」

 

そう言って姫様はメイリンさんが映っていたテレビを消す。

そして、今の今までずっと本に視線を落としながら喋っていたお師匠様に問いかけた。

 

「ところで永琳、あなたずっと何読んでるの?」

 

「そこの駄目弟子に名前を付けてみようかなと。参考に色々と」

 

「シロに?」

 

え、私?

 

「シロウサギというのも便宜的な名前でしょう? あまりにも適当すぎるしもう少し凝った名前を付けたいわ」

 

「あら、意外ね。永琳がシロにそこまで入れ込んでるなんて思ってもみなかったわ」

 

「ただのペットならシロでもいいんでしょうけど、曲がりなりにも弟子にしてしまいましたからね」

 

「あらそう、弟子ね。でも別に名前なんてわかればいいじゃない」

 

「名前は大事ですよ、姫様」

 

え、え?

なんか知らない間に私のことで険悪なムードになってる!?

 

「少なくとも私はフランから貰ったこの名前が好きですし、あなたの名前だって」

 

「私だって好きよ。でもそれとこれとは話が別じゃない?」

 

「羨ましいですねえ、私もフラン様に名付けて欲しかったものです。ココアという名前もまあ愛着はあるんですけどねえ」

 

「あら、そうなの。いつも小悪魔と名乗るから好いていないのだと思っていたわ」

 

「いえいえそんなことないですよ。ウフフ」

 

なんでこぁさんまで話に入ってややこしくしてるの!?

パ、パチュリー助け……露骨に目を逸らされた!?

いや、私だってお師匠様たちのこんな会話に割って入りたくないけど!

 

「あらじゃあ永琳は私のネーミングセンスが気に入らないってことなのね」

 

「シロウサギではあまりにも、ねえ。こぁはどう思う?」

 

「シンプルイズザベスト、あるいは何も考えていないか。真っシロな名前ですよねえ。何色にも染まる無垢な魂が小悪魔的にはそそりますけどねえ」

 

「あなたシロに変なこと教え込もうってんじゃないでしょうね。そういうのはあの陰気な紫にしてなさいよ」

 

「あらあらまあまあ。そんなこと言われてしまうと俄然私好みに悪戯してしまいたくなりますねえ。なんせ私、小悪魔ですから」

 

「やりすぎたら私も怒るわよ」

 

「うふふ、本人も周囲も気づかないくらいゆっくりと時間をかけて、毒がじわじわと染み込むように染め上げて作り変えますよ、ねえ、気づいたときにはもう手遅れなくらいがちょうどいい」

 

「あんた性格悪いわね、知ってたけど」

 

「私も昔は善良でしたよ。フラン様の眷属でしたから」

 

「ああ、フランが言ってたわ。自分の色を獲得し始めているって。方向性間違っていないかしら」

 

「いえいえそんなことは」

 

みんな笑顔なのに恐ろしい空間を前にして私が涙目でガクガク震えていると、言い争う姫様とこぁさんを尻目にお師匠様が近づいてきた。

 

「それで、あなたはその名前気に入っているの? ああ、アレのことは気にしないでいいわよ。今はこっちのこと気づいていないわ」

 

そういえばお師匠様は私のことを名前で呼んだことがない。

私はちょっと嫌われてるのかなと思ってお師匠様とは少し距離を置いていたんだけど、まさか姫様のネーミングセンスが気に入らなかったからなの……?

 

って、お師匠様が姫様のことをアレ呼ばわりした!?

初めて聞いたんだけど!

 

「ほら、素直に言ってご覧なさい。あなたはどう思っているのかしら」

 

お師匠様は私の顎に白魚のような指を当て、クイッと顔を上に向けた。

ななな、なにこれ、どういう状況なの!?

ち、近いよお師匠様!

 

「わ、私は……」

 

私はどう思っているんだろう。

名前をもらうことは、生まれたばかりの大勢の内の一人じゃなくて、自分が一人のミンクとして認められる証だから嬉しい。

でも、シロウサギという名前を気に入っているかと言われれば……。

姫様は気に入ってるみたいだけど……。

 

「あの……あんまりすきじゃないけど、でも、姫様からもらった大事な名前だから、その……」

 

どう言っていいかわからなくて、あわあわ手を振りながらしどろもどろに答えてしまう。

 

「ふふ、まぁそう言うと思ったから色々と調べていたのだけどね」

 

「え?」

 

「この本に面白い話が載っていたわ。幸運を振りまく兎の話」

 

お師匠様が手に持っている本のタイトルは……『日本神話大全』。

さらっと片手で持ってるけど滅茶苦茶分厚くてしっかりとした装丁の本だ。

 

「日本神話って……」

 

「こことは違う世界の創世神話ね。まあちょっとした小説みたいなものよ」

 

本を手渡され、開かれたページを見るとそこには、『因幡(イナバ)素兎(シロウサギ)』というタイトルがついた話が載っていた。

挿絵にはワニの背を飛び跳ねるウサギや、皮をはがされて泣いているウサギの絵なんかが……なんかすごく可愛いタッチの絵だ。

 

「お師匠様、シロウサギってこれ……」

 

「ええ、アレのつけた名前と偶然にも一致したものだから」

 

 

 

そうしてその日、私はウサギの神様の名前の一部をもらって、因幡のシロウサギになった。

ちなみに下の名前は天為。

天の為すこと、あるいは思いがけない幸運。

私はきっと、世界で一番幸運なウサギだから。

字面がいかめしいからひらがなだけど。

 

私の名前は因幡てゐ。

因幡の素兎。

色々なことがあったけど、お師匠様と姫様と今日も楽しく暮らしている。

 

 

 

 

 

……しばらくのあいだ、拗ねた姫様からは名前を呼んでもらえなかったけど。

 

 

 




ロズワード、ジャルマック、ミョスガルド
原作では〜聖とされていて、ジャルマックやミョスガルドの家の名前は不明。
ただ、ロズワード家の家長ロズワード聖、その息子のチャルロス聖、娘のシャルリア宮を考えると家長は家名で、他は個人の名前で呼ばれるのかなと。
ちなみに原作ではロズワードはシャボンディの人身売買絡み、チャルロスはハチを撃った奴、シャルリアはケイミーを撃ち殺そうとした奴、ジャルマックはサボの船を沈めた奴、ミョスガルドは魚人島に流れ着いてオトヒメに助けられたあと渋々サインした奴。
ろくなの居ない。

天使様
月からやってきた人たちなのであながち間違いでもない。

輝夜とてゐ
二人の微妙な関係好き。
月のイナバと〜もいいけど永夜のtxtとか。

永琳とてゐ
本当は師弟より共犯者みたいな関係のほうが好き。
ここのお師匠様は実は可愛いものが好き。

因幡てゐ
好き。
こんな純粋な子がどうしてあんな悪戯好きに……おのれ小悪魔。

天為
天は「て」の、為は「ゐ」の、それぞれ字母。
ちなみに対義語の人為は偽に通じるからエンシェントデューパーのてゐとは正反対の名前、なあたりもいかにも悪戯好きの詐欺師っぽい。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

戦争の行方と賢者の目覚め

前回のまとめ
・天竜連合発足
・幸運の素兎の日々


「ヘイ、ボーイ。調子はどうだい?」

 

「あ、将軍。お久しぶりっす。調子はまあ、最悪の一歩手前っすかね……」

 

「ガハハハハ、そりゃそうだ。俺も報告を受けて耳を疑った」

 

「王も宰相も中でお待ちっす。僕らも早いとこ入りましょう」

 

王宮前、偶然将軍と出会った。

将軍は実力なら統一王国内で俺に次ぐナンバースリー、指揮権は王に次ぐナンバーツー。

統一王国には各地域の統括を行う"方面将軍"も含め二十の将軍がいるが、その頂点に立つ、"統一将軍"ジェニラ。

彼は脳筋のきらいはあるが、その分扱いやすいし優秀な駒だ。

実力で俺に負けているが、敵対心よりは尊敬の方に針がふれているのもいい。

 

「しかし、天竜連合、か。どう考える、ボーイ」

 

王宮の廊下を歩きながら将軍が話しかけてくる。

これからそのことについて王を含め会議を行うんだが、その前に聞いてくるってことは自分の立ち位置を決めかねているんだろう。

彼は自分の頭が良くないことを自覚しているから、宰相あたりに転がされないようにという保険、か。

 

「真正面から叩き潰す他、ないんじゃないっすか?」

 

相手が連合を組んだというのは、外交がやりやすくなったということでもある。

宰相もそっちの方向で考え始めているだろう。

俺たちだって、すべてを滅ぼして統一を行いたいわけじゃない。

統一後の世界で暮らす民だって必要なのだから。

しかし、だからこそ将軍には主戦論を唱えてもらった方が会議の行く末はコントロールしやすい。

 

それに、相手の動きが早すぎる。

今までも国と国で協力してこちらに対抗してきたところはあったが、こんなにも短期間のうちに二十もの国が手を組むなどなにか裏があるに決まっている。

……リリファは様子を見るべきだと言っていたが、俺は徹底的に叩き潰すしかないのではと思っている。

これほど動きの早い相手なら、手をこまねいているうちにどんな事態になるかわかったものじゃない。

 

クソっ、せっかくこれまで戦況をコントロールしてきたってのに。

今統一戦争に勝っても負けても、俺の目的を達することはできない……。

 

王宮の会議室の扉を開ける。

普段なら扉の警護をしている衛兵がいるが、緊急性が高い議題だからか近衛兵すら人払いされている。

まあ王宮内に危険などないし取り次ぎなどを行うだけなんだが……情報漏洩は気になるところか。

 

会議室の中には、王と宰相が二人、東の海、南の海の方面将軍らが四人、そして、フランドール・スカーレット。

普段は会議なんかには参加していないのに居るということは、それだけマズい事態なのか……?

 

「揃ったようだな」

 

父の――王の号令で会議が始まる。

議題は勿論天竜連合について。

詳細な報告は聞けば聞くほど信じられない内容だった。

あまりにも対応が早すぎる。

たとえ以前から着々と準備を重ねていたとしてもここまでの動きは不可能だ。

この段階で既に兵力が集結しつつあるなんてどんな手品だ。

先日こちらによこしてきた使者と要求に対する返答すらまだ届いていないはずなのに。

 

会議は予想通り紛糾した。

 

相手の動きの不気味さに対して慎重に様子を見るべきと主張する宰相派、態勢を完全に整えられてしまう前に叩くべきだとする将軍派。

現状はやや将軍派が優勢。

ジェニラが唱えるのは、今のところ戦況は良好にきているのだから、多少の不安要素で足踏みをするよりはさっさと叩き潰してしまえというやや乱暴な論。

そして、皆がどちらかに与している中沈黙を保っているのは王と……フランドール・スカーレット。

 

「さて、概ね出揃ったようではあるが、ボーイ、お前はどう考える」

 

さて、どうするか。

情報は限られてはいるが、どうにもこの速度の相手の動きから考えるに相当に強力な指導者が現れたように思う。

統一された意思なくしてはここまでの動きは不可能、ならば……。

 

「叩くべきじゃないっすかね……将軍と同じ考えっす。ただ、いつもよりも偵察船を多めに出しましょう。どうにも不気味で怖いっす」

 

「ふむ……そうか。よし、その案で行く。流れは今我らにある。確かに天竜連合のことは重大事ではあるが、もともとさらに戦況が進めば完全に追い詰められた者同士で連合を組むだろうことは予測されていた。粉砕するのが今になったか後になっていたかの違いだ。皆、気を引き締めてかかれっ!」

 

三時間に及ぶ会議が終わる。

会議の流れは望み通りにコントロールできた。

元より我ら統一王国は敵国すべてを一度に敵に回しても十二分に勝利を収められると確信している。

それほどに国力に差があるのだ。

第一既に世界の半分以上は手の内にある。

だから、天竜連合のこともそこまで心配はしていない。

 

……ただひとつ、会議中一言も言葉を発しなかった、あの化物の顔だけが。

にやにやと、まるで観劇でも楽しんでいるような、あの顔だけが……俺の心に暗い染みを残していた。

 

 

 ★

 

 

あの会議から半年。

戦況は驚くほど悪い。

優勢だったはずの統一王国軍は次々と破られ、前線が押し込まれる。

対処のためにこちらが戦力を集中させれば、突如全く別の場所に現れて撹乱を行う。

その状況が本部に届いたときには既に手遅れ。

こちらの動きをすべて予測しているかのように迅速で的確な用兵だ。

 

また、天竜連合側はそれまで操っていた船よりも数段上のものを大量に用意し、一斉に反転攻勢。

あらゆる罠をするりと抜けるばかりか、東の海、南の海全域のーー海図などないはずなのにーー厄介な海域も見事に避けている。

そしてあたかも遠く離れた船同士が意思疎通をはかっているかのような即時の連携。

手旗信号が届かない距離どころか、煙信号すら見えない距離での連携だ。

撤退の判断などもまるですべての船に総指揮官が乗っているかのような動き。

俺もすでに二度海戦で負けた。

 

被害は甚大で、軍の四分の一の喪失、攻略の指揮をとっていた将軍が三名死亡、一名が再起不能の重傷だ。

あの会議に参加していた者らである。

その穴埋めに北の海と西の海の方面将軍らを呼び寄せることになった。

また、指揮能力のある下士官も通常ではありえない損耗率で大勢やられている。

これは相手が的確にこちらの本陣、本船を襲撃しているためだ。

 

総じて、悪魔的。

常識では信じられないことが幾度も起こった。

 

だが、大量の犠牲を払い、得たこともある。

一つは、電伝虫。

もう一つは、大砲。

これこそが奴らの力の源。

 

電伝虫は奇妙な形状をした小型の生物であるが、驚くべきことにこいつらは遠く離れた二個体間で音声のやり取りができるのだ。

天竜連合はこれを使い、あの魔術的な用兵を成功させていたのだ。

 

この電伝虫、文献にあたるとどうも以前に俺たちが滅ぼしたシャンディアらが住むジャヤという島にて発見の報告があった。

ただし、この通信能力までは判明しておらず、単に奇妙な形状の生物としてのみ。

仮にシャンディアらを滅ぼさずに恭順させることができていたなら、電伝虫のことも事前に知れたのかもしれないが……。

いや、詮無いことか。

 

 

調べてみると俺たち統一王国の本陣にもひっそりと電伝虫が潜入していた。

こいつを通して俺たちの作戦も筒抜けだったというわけだ。

俺たちは兵力では勝っていても情報の戦いにおいて、同じ土俵にすら立っていなかった。

 

このことはすぐに統一王国軍全軍に通達され、徹底的な駆除を行った。

鹵獲しこちらが利用することも考えられたが、どうやっても仕組みが解明できなかった。

研究者にサンプルを渡し調べさせてはいるが、早々の実用は困難だろう。

 

そして、大砲。

我ら統一王国には大砲というものが存在していなかった。

侵略は基本的に船で軍隊を送り込む形で行われていたし、敵対勢力が大規模な船団で対抗してくることもなかったために、これまでは船に乗り込んでの白兵戦で決着を付けてきた。

 

しかし、奴らの用いてきた大砲はまるで古代兵器プルトンの小型化に成功したかのような代物で、我らの船を一撃で沈めることすらあった。

奴らはこちらの行く先々に待ち伏せしており、接敵すらままならぬままに沈められた。

 

……だが、これで奴らの強みは分かった。

こちらの情報漏洩は防いだからあと警戒すべきは即座の情報伝達のみ。

軍が半壊したとはいえこちらはまだまだ兵数で勝っている。

大砲での奇襲による被害さえなければまだ勝ち目はある。

北の海、西の海から徴兵することでさらなる余裕も持つことができる。

 

ならば、情報があったところで、大砲を用いたところでどうしようもないレベルで圧殺する、これしかない……!

 

このタイミングで北と西を手薄にするのは"計画"上の障害になるかもしれないが……いや、将軍らを剥がせたことを考えればむしろプラスに持っていくこともできるか?

 

計画の変更が必要だ。

そうさ、この天竜連合の存在すら計画に組み込み、目的を果たせばいいだけのこと……。

俺の敵は天竜連合などではないのだから……。

 

 

 

 

「あはは、苦戦してるねえ、君の王子様」

 

「もう、楽しそうに笑わないでくださいまし、フラン様」

 

「楽しいんだから仕方ないじゃん」

 

魚人島の王宮、その奥の宮で私と人魚のお姫様リリファは和やかに談笑していた。

机の上に置かれた水晶玉にはうんうん悩んでいるボーイ君の姿が映し出されている。

 

ここを初めて訪れたのはだいぶ前になる。

確かボーイ君と出会った翌日かその翌日くらいにお忍びでやってきた。

 

私を見たリリファは少し驚いた様子だったけど、取り乱した様子もなく実に朗らかに「いらっしゃいまし、フラン様」と出迎えてくれたものだ。

 

リリファ。

今代のポセイドン。

リーフィーシードラゴンの魚人で、美しい外見を持つものの、足の付け根から先がなく儚い印象を抱かせる娘だった。

顔はレヴィアによく似ている。

 

彼女の足は先天的なものではない。

統一王国が彼女を兵器として扱うため、逃亡の阻止と徹底的な服従のために切り落としたものだ。

切り落としたのは当時五歳だったボーイ君。

その頃から非凡な剣の才能を見せていた彼は眉一つ動かさず、見事に一刀両断してみせたという。

それ以来彼女はこの光も射さない奥の宮から一歩も出ることなく、兵器としての能力をただひたすらに磨いている。

 

ここにやってきたのは単純な興味本位、好奇心だった。

どんな娘なのか気になって来て、ひと目見て、少し話して、一気に惹かれた。

不思議な娘だった。

どういう精神性をしていればこうなるのか。

ある意味では狂気(こちら)側の住人だ。

 

それ以来私はボーイ君の目を盗んでちょくちょく訪れている。

夫の不在に妻を訪ねる間男みたいでちょっと楽しい。

 

「それにしても電伝虫かあ。メイリンもやるなあ」

 

「意外な使い方でしたか?」

 

「うんにゃ、ごく普通だけどメイリンが使うってのがねー。割と月関係は毛嫌いしてると思ってたんだけど」

 

「月、ですか」

 

「そうそう。あの大砲積んだ新型船も、どうもにとりの手を借りてるっぽいんだよねえ」

 

私はこうして時々雑談の中に色々な情報を混ぜて話している。

だけどもどうにもこれらの情報は他に流出していないようで、リリファは私と会っていることすらボーイ君に話していない様子。

彼女の中では私との密会はどんな扱いになっているのやら。

 

「まあ正直この世界の情報伝達システムは未熟にすぎるけどね。未開地の開拓速度に技術の発展が追いついていないせいもあるんだけど」

 

「お手紙を出しても届くのは数月後なんてよくあることですものね。届かないこともままあるようで、主人がよく愚痴っていましたわ」

 

「念話はともかく伝書鳩くらいは生まれてても良さそうなもんなんだけどね。グランドラインは飛行が難しいにしても各海域内なら十分運用できると思うんだけどなあ」

 

「鳩、というとお空を飛ぶ生き物でしたかしら。私は見たことがありませんけど……」

 

「そうそう、こんなの」

 

私はマジシャンみたいに握った手をリリファの目の前に持っていき、手を開くと同時に鳩を出した。

といっても本物じゃなくて映像魔法でそれっぽく見せているだけなんだけど。

 

「わあ、真っ白で可愛らしいですね」

 

「この鳥は自分のいた場所に帰ってくる性質を持ってるから手紙を運ばせることができるってわけ。この世界でも鳩の原種っぽいのは見たからいけそうなんだけどね。もっと賢い鳥もいるだろうし」

 

ちなみに鳩の話は本音だけどこれは同時に大ヒントでもある。

海王類を操れるリリファなら鳩を飛ばすなんかよりずっと手軽で確実で速い伝書海王類が可能だ。

速度こそ流石に即時の伝達を可能とする電伝虫には敵わないにしても確実性があるから結構役には立ちそうだ。

 

って、そんなことするくらいなら海王類で敵の船沈めたほうが早いか。

そういえばなんで統一王国はリリファの戦線投入をしないんだろう。

ふと疑問に思い聞いてみると、

 

「それは私の力が強すぎるからですわ」

 

「どゆこと?」

 

「やろうと思えば一昼夜で天竜連合を倒すこともできますもの。あの海域の島を全て沈めてしまえば簡単です。でも、そんなことをしてしまえば私への警戒は一気に跳ね上がってしまいます。敵を殺せるということは味方を殺すこともできるということですもの」

 

「あー、なるほどね。ワンピース計画にはポセイドンが必要だから扱いには苦慮するわけか。下手に使うと国を揺るがしてしまうと」

 

「加えて統一王国は王が実力制なことからも分かるように実力主義の国ですから。それほど強大な力を私が持っていると知れれば現王ではなく私を担ぐ者も出てくるやもしれません」

 

「そりゃ一大事だ」

 

「ええ。そうなれば私だけでなく魚人族、人魚族や海王類を含めた種族全体を巻き込んだ争いに発展するでしょう。たどり着く未来は、全てを滅ぼすか、滅ぼされるか……」

 

ふーむ、力があるっていうのも考えものだ。

まあ私やメイリンが戦場に出ないのもまた一種のそうした制限か。

 

にしてもこの統一戦争。

やっぱり私とメイリンの代理戦争めいてきたなあ。

私も統一王国側に何かしら手助けするべきか。

 

正直なところ、ここまで大事に、そして長期戦になるとは思っていなかった。

私も含めて意地の張り合いで拗れてしまった感じ。

戦力としても、美鈴はにとりの協力を得て月の技術まで持ち出してきているし、情報操作に文と椛の手も借りてるっぽいんだよねえ。

音速以上で噂が広がるよりも早く空飛ぶ鴉天狗と世界中を見通す隠し事を許さない千里眼持ちの白狼のタッグによる新聞記者業はわりと反則な気がする。

この時代、ネットやテレビどころかラジオも新聞もない。

民衆の得られる情報なんて噂話くらいだ。

そんな中で市場占有率(シェア)100%の、しかも国の上層部の息がかかった新聞出されたら情報操作なんて赤子の手をひねるようなものだろう。

まあ文字を読める人口的に文もいささか苦労はしてるみたいだけど。

 

それに、大砲。

ラフテルにいた頃は、海上に敵対勢力なんていなかったから大砲を配備するなんてことはなかった。

専ら敵は海王類だったけど、奴らにはむしろ大砲なんて豆鉄砲は効かない。

だったら対応できる強いクルーを乗せとけばいいし、重くて場所取るだけの大砲を積み込むことなんてなかった。

それが今、船対船の戦いという環境になって大きく響いている。

新しく大砲を積み込んだ船を建造しているらしいけど果たして間に合うのか。

 

今は天竜連合が凄まじく押しているけど、電伝虫と大砲のことが判明した以上これからは地力で勝る統一王国側が盛り返すだろう。

それで五分以上には持ち込める。

 

不安要素は北の海と西の海の情勢の悪化だ。

これまで連戦連勝を重ねてきた統一王国が初めて経験する連敗に継ぐ連敗、それに民衆が不安を覚えている。

本拠を置く北の海はまだマシだけど西の海と半分が統治下にある南の海は、もともと統一王国が侵略して併合した国々ばかりなため、中には自治権をある程度保有している国も少なからずある。

今は統一王国がそれらの国の軍隊も駆り出そうとしているけど、私にはどうも悪手に思えてならない。

戦力は大事だけれど、それ以上にもっと大事なものがあることは歴史が証明している。

 

……この世界ではその歴史が未だ浅いのが問題なんだけどね。

こと争いに関しては地形や環境のせいで前世の地球とは比べ物にならないほど国同士の繋がりが持てず、人同士で争うよりも先に魔獣やらと戦ってきたために、この世界には戦争という概念がほとんど成熟していないのだ。

 

あーもう!

どうしようかなあ。

 

 

 

 

私の名前はパチュリー。

今はヴワル魔法図書館の司書になる際にココアさん……こぁさんから"知識"を意味するノーレッジの姓をいただいているので、パチュリー・ノーレッジだ。

 

私は北の海のとある国の出身で、そこでは奴隷だった。

まあ、親も奴隷だったし小さい頃にかかった病のせいで声が出せなかったから当然だ。

体も病弱で力仕事もできなかったから、いつ処分されてもおかしくない身分だった。

 

そんななか、私が生き延びたのは本のおかげだった。

まだ幼かった頃、3歳か4歳かの頃に、偶然奴隷商の書斎に入ることがあった。

私はそこで本の魅力に取り憑かれた。

 

勿論文字なんて読めやしない。

でも不思議な形をしたその模様を眺めることは、一緒に載っていた挿絵を見るのと同じかそれ以上に私を興奮させた。

 

実に丸2日、私は仕事も寝食も忘れて本に没頭した。

そして、仕事から帰ってきた奴隷商に見つかって、骨が折れるまでしこたまぶん殴られて折檻された。

奴隷商は怒り狂っていて、勝手に書斎に入って本を荒らした私をそのまま殺してしまうつもりだっただろうけど、唐突に私を殴る手が止まった。

それは床に散らばった紙に書かれた私が書いた文字を見てのことだったと思う。

 

何しろ私はその時目は腫れ上がって見えないし、鼻血どころか歯が折れて口の中を切ったのかそこからも血を流し、全身打撲で右足は骨折しているという満身創痍だったから、意識も朦朧としていたのだ。

 

床に散らばった紙に書いたのは、本棚にあった物語のうち3巻で止まっていたものの続き。

もちろん話の内容は完全に適当だ。

なんとなく、気に入った記号の並び、美しい羅列を書き記していただけのもの。

だってそもそも私はその時文字の読み書きができなかったのだから。

 

だからその適当な続きが、ちゃんとした話になっていたのは、神の悪戯か、悪魔の気まぐれか、あるいは私の天性の才だったのか。

 

ともかく、私は流されるまま気がつけば奴隷商の下で本を書く仕事をしていた。

奴隷商は北の海の豪商の一人で、趣味は本の蒐集だった。

この時代書籍の値段は高く、一部の知識人しか有すことの出来ない貴重な物だったから、その蒐集というのは大変なものだった。

特に、奥付に『代筆:賢者の石』という判が捺されているものに関してはあまりの完成度から想像を絶する値段で取引されているらしい。

噂では統一王国とかいう国から流れてきているらしい。

そんなわけで満足に蒐集活動に勤しむこともできなかった奴隷商の暇潰しのようなものだったのだろう、私に執筆の仕事を与えたのは。

だけどそれは、私にとってはこの上ない福音だった。

 

転機が訪れたのはそれから十年ほどもたってからだった。

北の海の統一王国が私たちの住む国に攻めいってきたのだ。

そして、私の国はあっさりと負けた。

いや、それだけならよかったのだけど。

問題は国内の混乱に乗じて奴隷商が襲われたことだ。

どうも随分と恨みを買っていたらしい。

私の前では気のいい中年だったけれど、人買い業者なんてそんなものなのだろう。

 

……そういえば私も折檻された時には殺されかけたっけか。

 

私はゴウゴウと燃え盛る館を()()から眺めつつ、そんなことをぼんやりと思った。

放火されてしまった館は奴隷商の懐具合に負けないくらい景気よく燃え、全てを灰塵に帰していく。

 

私に逃げる気はなかった。

ここを出たところで奴隷身分で口を利けもしない少女に行く先もない。

熱いのは怖いけれど、大好きな本と共に燃えてしまうのが一番良さそうに思えたのだ。

そうして自室に一人座り、静かに終わりの時を待っていると、不思議なことが起こった。

 

ふっ、と突然本が消えたのだ。

本棚の中の一冊が、忽然と。

 

とうとう恐怖で幻覚でも見始めたかと自嘲していると、再びその現象が起きた。

続けてさらにもう一度。

未知の現象を目の当たりにして驚いたが、私の頭は冷静に働いていた。

 

(……今消えた三冊、どれも賢者の石の……価値が高いものが持ち去られている?)

 

しかし直後、別の一冊が消える。

それは、以前に私が書いた本であり、賢者の石とは関係がない。

奴隷商が売り出した原本ではあるが、価値はさほど高くはない。

 

(いえ、原本……賢者の判は複製がよく作られるけれどあの三冊は本物だったらしいし……)

 

そんな推測を裏付けるように次に消えたのもまた、私が書いた本の原本だった。

そして、ここまで来ると順番にも意味が見いだせる。

消えた順番は、燃える順番。

最初の三冊があった本棚はすでに薪と化していて燃え盛っている。

今もあそこにあったままだったとしたら、とっくに炭になっていただろう。

 

(だとすると、次に消えるのはこれかしら)

 

どうして、どうやって本が消えるのか。

そんなことは頭になく、ただそういった現象なのだと理解していた。

だから私は特に躊躇いもなくその本を手に取り――

 

――気がつけば、私は見知らぬ場所に立っていた。

 

今までいた、煙の立ち込める熱い書斎とは比べ物にならないほど広く豪華絢爛な、書斎。

いや、もはやこの規模だとその表現はおかしい。

何しろ、目につく場所が全て本だ。

天から地から、全てを本が埋め尽くしている。

本の雨が天から降りしきり、本の洪水が地を流れる。

 

本ではないモノはこの空間にたった二つだけ。

それは、私と、――彼女。

 

「えっと、どちら様でしょう?」

 

こちらが聞きたい。

 

 

 

 

「なるほど、パチュリーはそうやって世界中から本を蒐集する魔法に一緒に引っ張られてこの図書館へやって来たと」

 

「ええ。初めてこぁさんに会ったときは喋れなかったし、色々大変だったのだけれどね」

 

あなたも色々大変だったんだねえ、としみじみ呟く目の前の兎の少女を見て、私も変わったなと改めて感じ入る。

かつての私が今の私を見たらどう思うだろうか。

私は、私が書く本の主人公以上に、きっと奇跡とかそういうものに出会ったのだ。

事実は小説より奇なりと言うが、まさにそれ。

 

「それにしても、賢者の石ってアレだよね……フランドール様」

 

「まあ、そうでしょうね。私も面と向かってこぁさんに聞いたことはないけれど、一番熱心に蒐集しているのがあのシリーズだもの」

 

加えて言えば、ヴワル魔法図書館はいくつかの階層にわかれていて、階層を上がるほど貴重な本が収められているのだけど、賢者の石の判がある本はそのほとんどが最上階にある。

最上階にアクセスする権限はこぁさんと司書の私しか持っていないほど。

永琳さんはかなりこぁさんに気に入られている感じがするけれど、それでも最上階には立ち入れない。

 

「ほとんどが物語とかだけれど、一部の実用書や図鑑にはさらりと世界の真理が書いてあったりするそうよ」

 

「うひゃー、おっかないねえ。気軽に読んだら精神ぶっ壊れるような重大情報とか出てくるのかな」

 

「さあ。私も読んだことはないもの」

 

「司書なのに?」

 

「司書だから、よ。危ない本に迂闊に手を出すわけないじゃない。少なくともこぁさんから習ってる魔法を完全に使いこなせるようになるまではお預けだわ」

 

「そりゃあいったいいつになることやら」

 

「あら、喧嘩売ってる?」

 

「いやいやまさか。私だってお師匠様の期待に応えるので精一杯だよ。私たちの目指す先は遠いねっていう話さ」

 

「まあそうね。あなたは寿命がないらしいから気楽にやればいいんじゃないの?」

 

「それで見捨てられたらと思うとゾッとするよ。わたしゃ死にたくなっても死ねないんだから」

 

思えば、この兎――てゐとも随分踏み込んだ話をするようになった。

彼女もここに来ていい加減長く、慣れたのか口調も随分砕けた感じになってきている。

お互い弱い立場の者同士で気が合うということもあり、結構話もするし……もしかしてこれ、友達って奴なんじゃないかしら。

 

「……うん? なんか顔赤いけど大丈夫かい、パチュリー?」

 

「え、ええ。何も問題はないわ」

 

「……ふうん」

 

だめよ、普段通りに振る舞わないと。

初めてできた友達って意識したからって、何が変わる訳でもないもの。

 

「そういえばパチュリーって好きな人いるの?」

 

「むきゅっ!?」

 

 

これは、私が主役の物語。

第一巻は奴隷編、第二巻は司書見習い編。

第三巻はどうなるのか、この物語は何巻まで続くのか。

私は作者で読者だけれど、そればっかりは分からない。

ただ、多分……いや、絶対に……私が今まで読んだどの本よりも面白いに決まっているのだ。

 

 

 




電伝虫
ワンピの世界観だと結構オーバーテクノロジーな気がする。
移動方法や通信技術含めインフラは未発達なので。

伝書鳩
古くは紀元前5000年から使われ、1970年ぐらいまで普通に日本でも現役だった。
64年の東京オリンピックでも活躍し69年に登録数がピークになったらしい。
ちなみにワンピ原作の新聞配達を行っているニュースクーはハトではなくカモメ。
世界経済新聞社長のビッグニュース・モルガンズも猛禽系の鳥っぽいのでハトではなさそう。

紫もやし
喘息?虚弱体質?こぁさんが何とかしてくれました。
なにげにこの世界で魔法が使える三人目。
ぼっちだったので人付き合いに慣れていないと同時に、物語を読んで憧れてたりしているので、ぐいぐい来る相手に弱い。



ご無沙汰です。
なんか書いてるうちに戦争編だけで20万文字軽く越えちゃって風呂敷畳めなくなったので、それはざっくりなかったことにして駆け足版というか簡略版にてお届け。
多分次話かその次で戦争編完結予定。
頭の中をまとめきれる筆力があればなあ。
フラン、美鈴、統一王国、天竜連合、ボーイとリリファ、図書館勢、魚人島、あやもみ、異種族etcと視点を広げすぎたのが敗因ですな……。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

崩壊の訪れと名もなき鎮魂歌

前回のまとめ
・失踪未遂
・大戦争の戦況
・図書館魔女の事情


大戦争ダイジェスト版です。
超駆け足。


戦線は拡大の一途を辿った。

天竜連合は巨人族を陣営に引込み、またプルトンの戦線投入を開始した。

対して統一王国側もポセイドン、及び悪魔の実の能力者による部隊を繰り出し、徹底交戦の構えを見せる。

 

正直なところ、どうしてこうなった、という念に堪えない。

 

最初はそう、ただの――今ならば素直に認められるが――痴話喧嘩だった。

私は大人げなかったし、美鈴は潔癖すぎた。

それが当人の間で拗れるならまだしも、既に状況は私たちの手を離れてしまった。

 

10年。

それが、この戦争――統一王国と天竜連合の激突――の過ぎ去った期間。

世界中を巻き込み、地表の五分の一を焼き払い、多くの国や集落を滅亡させ、世界総人口の三分の一を喪わせた。

 

これがどのくらい異常なことだか分かるだろうか。

たとえば、第二次世界大戦での死者の数は諸説あるが、多くとも一億人には届かない。

これは当時の世界人口の約三%だ。

 

こっちは三%じゃない、三分の一だ。

比喩でなく、海が血に染まったのだ。

 

 

普通は、ここまでの事態になる前に止まるはずだ。

たとえば、物資が足りなかったり、民衆が反乱を起こしたり、停戦合意が結ばれたり、なにかしらあるはずだった。

だけど、現実はどうだ。

誰もかれもが狂騒の坩堝に放り込まれてしまったかのように、止まることができなかった。

その先が破滅しかないと知っていながらも、突き進むことしかできなかった。

 

あるいは、私の狂気が世界に伝染したのだろうか。

あるいは、世界そのものが狂っていたのだろうか。

 

 

天竜連合は巨人族を戦線に投入した。

巨人族は力に心酔するふしがあり、美鈴のことは種族全体で非常に高く買っていた。

おそらくはそのツテでの同盟、参戦だろう。

彼らは強い。

その巨体は戦場にあって味方を守る巨大な盾であり、それ以上に敵をまとめて吹き飛ばす強靭な矛である。

唯一、戦場への輸送が困難だという欠点はあるものの、拠点防衛ならば彼ら以上に適任はおらず、攻め込まれる側だった天竜連合にはまさに天の配剤と言えた。

 

これに対抗するために、統一王国側は悪魔の実の能力者を集めた部隊を戦線に投入した。

悪魔の実の能力者は非常に少なく、土地によってはおとぎ話だと思われているほどに稀少ではあるが、曲がりなりにも世界の半分を支配していた統一王国ではある程度まとまった人数の能力者を揃えることができていた。

加えて、統一王国には私が関わったことで、悪魔の実の発生条件である妖力溜まりが発生しやすくなっており、他の地域に比べて能力者が多かった。

能力者は鍛え上げればその実力は一騎当千、巨人族を相手にしても引けを取らない。

特に自然系(ロギア)の能力者には一定以上の覇気を持つ者でないと抵抗はできず、戦場を左右できる戦術兵器として猛威を振るった。

 

これを打破すべく天竜連合が用意したのが、プルトンだった。

それはかつて月の民が地上を侵略した際に用いた飛行戦艦プルートのダウングレード版、飛行能力を廃した代わりに製造コストや運用難度を下げた戦艦だ。

もともとはにとりが作り出し、ラフテルの防備に用いられていたものだ。

どうやらその設計図がどこからか漏れたらしく、戦争のかなり初期の段階から天竜連合側では研究と配備が進められていたらしい。

設計図がラフテルから漏れた、という線はなくはない。

如何に私への狂信度が高いラフテルと言えど、あれから随分と長い時が経っているし。

ただまぁ、たぶん設計図を漏らしたのはにとり本人だろうと思う。

彼女はなんというか、そういうところが緩いというか、好奇心のためならある程度までの無茶や約束破りはやっちゃうというか、長生きするにつれそういう傾向が強まってきていたのは確かだから。

ただ、それにしたって天竜連合側の科学者の質が良かったのだろう。

まさかアレを大量生産する技術までを確立させてしまうというのは。

 

ここが多分、帰還不能地点(ポイントオブノーリターン)

おそらくは美鈴も想定していなかったであろうイレギュラー。

 

悪魔の実の能力者が戦術兵器だとすれば、プルトンは戦略兵器だった。

その砲の一撃は島を消し飛ばす破壊力を持ち、戦場を左右するどころか、全てを壊滅に追いやった。

特に、統一王国の本拠がある北の海、前線基地が築かれていた南の海はその尽くが焦土と化した。

民間人への配慮などなく、怒りの炎は善も悪も敵も味方も一緒くたに葬り去った。

 

この時点で私と美鈴は双方ともに危機感を持ち、密かに会った。

そして互いに非を認め過去のことは水に流し、これからのことを話し合った。

そうとも、私たちの喧嘩など、ちょっとしたすれ違い、ちょっぴりばかりの意地の張り合いでしかなかったのだから、解決しようと思えばこんなにも簡単に終わる、ただそれだけの事だった。

だけれども、とっくに大きな、大きすぎる()()()となった大戦争は、私たちの力をもってしても簡単には終わらなかった。

 

帰還不能地点(ポイントオブノーリターン)は私たちが気付かない間に、過ぎ去ってしまっていた。

既に、国の上層部を説得したところでこの流れは止まらない。

プルトンの一撃が国の中枢に撃ち込まれたことで統一王国側の指揮系統はぐちゃぐちゃになってしまい、各地の指揮官が好き勝手に動いているような状態で。

戦争に関係のない土地を襲う部隊も居て、もはや山賊海賊と代わりはない。

頭にあるのはただ、殺し、壊し、貪ることで、全ては理性を離れ、狂気に突き動かされていた。

 

対する統一王国も、最終兵器ポセイドンを持ち出した。

天竜王国側にとって不幸だったのは、プルトンが戦艦であり潜水艦ではなかったことだろう。

海底深くに存在する魚人島、そこにいる人魚姫――ポセイドンに彼らは手も足も出せなかった。

《ポセイドン》リリファは《残された王子》の命に従って、あまねく海王類に敵対勢力の殲滅指令を出した。

特に、統一王国に対し反乱を起こした西の海、天竜連合の本拠がある東の海は地形が変わるほどに徹底的に攻撃を受けた。

 

王子(ボーイ)は悔やんでいた。

彼はもともとリリファをポセイドンとしてではなく、一人の人魚姫として愛するために国を欺き戦う覚悟を決めていたのだから。

そのためのクーデターの計画もあった。

各地に自身の勢力を密かに築いてもいた。

だけれども、そんなちっぽけなものは世界大戦に吹き飛ばされ、既に統一王国は存亡の際まで陥り、リリファは全力で破壊命令を出さざるを得なかった。

 

私はそんな彼と彼女のことを知っていて、しかし、何もしてやることはできなかった。

私と美鈴は、事ここに至って――本来の当事者でありながら――さながら傍観者のようにただただ事態を眺めていることしかできなかったのだ。

世界が滅んでいく様を、ただ、ただ。

 

 

プルトンとポセイドンの戦いは、否応なく周囲を巻き込み、世界中を戦火で焼き払った。

そうして世界が滅びに近づき、このまま全てが終わるのかと思われたその時、唐突に終わりが来た。

最初に力尽きたのは、ポセイドン。

人魚姫は限界を超えた力の連続行使により倒れ、息絶えた。

そして、戦場でその報を聞いた王子もまた、その戦火の中に姿を消した。

制御を失った海王類は、操られ猛った心そのままに無差別に暴れまわった。

自身が傷つくことを厭わずもろともに破壊を振り撒くその姿は、理性なく錯乱しているようにも、姫の死に狂乱しているようにも見えた。

 

私と美鈴はこの戦況の変化が踏みとどまれる最後のラインだと直感で理解し、行動を開始した。

まずはプルトン。

海王類という敵がいなくなった今、プルトンを残しておくことはただ被害を拡大させるだけだ。

私はフォーオブアカインドを使い四人に分身したのち、四つの海に分かれそこでプルトンを破壊しまくった。

いくら攻撃力に優れた兵器とはいえ、かつてのプルートのような防御力がない以上私の敵ではない。

もちろん同時に暴れまわる海王類を止めることも行った。

 

一方の美鈴は、統一王国側の最後に残った戦力である、統一将軍ジェニラと彼の率いる悪魔の実の能力者部隊との決着を付けに行った。

 

 

 

 

「そうか、お前が天竜連合の実質的なボス……紅美鈴か」

 

「ボスというのは少し違いますが、まあ作り上げてまとめたというのならば、そうです」

 

東の海にある絶海の孤島。

その崖上で紅美鈴と統一将軍ジェニラ率いる能力者部隊が対峙していた。

彼らは天竜連合の本拠を叩くための決死の最終突撃を計画していたが、その最中敵のトップである女が護衛もつけずに単独で孤島にいるという情報を掴んだのだ。

十中八九、罠。

しかしそれでも、彼らに行かないという選択肢はなかった。

 

「我らが王の血は絶えた。我らが悲願も既に遠く叶わぬ夢物語と成り果てた。しかし――いや、だからこそ――我らは止まらぬ、止まれぬのだ」

 

「王の血、ですか。統一王国は世襲制ではなかったのでは?」

 

「表向きはな。たとえそうだったとしても、我らが抱く王は彼の方、そしてそのご子息のみ。故に紅美鈴、ここでお前を討ち、せめてもの手向けとしよう」

 

その言葉と共に、ジェニラから莫大な覇気が吹き荒れた。

それは紛れもなく、覇王色の覇気。

王と王子亡き今、彼はこの世界で最強の個である。

 

――ただしそれは、人間の中で、だが。

 

「私も正直なところ、申し訳ない気持ちはあるんですよ。自分のちっぽけな、でも譲れなかったこだわりがこんな事態を招いてしまった。しかし――いや、だからこそ――私もここで終わらせなければいけない。それが、私に残された最後の役目ですから」

 

覇気ではない、妖力でもない。

それは言うなれば、気。

ただ単純な力の奔流であり、()()()()()()()()()だけで、物理的な衝撃さえを生み出した。

 

そんな圧倒的な力を受けてさえ、ジェニラは笑った。

 

「確かにお前は強いのだろう。しかし、この状況。俺たちはてっきり罠であると思って、覚悟を決めて乗り込んだんだが……まさか、本当に単身ただ立っているだけだとは思わなかったぞ」

 

ざっ、とジェニラの後ろに控えていた悪魔の実の能力者部隊が散開した。

その数、実に千を越える。

対するは崖を背にした紅美鈴ただ一人。

 

こんな状況を人はなんというか。

四面楚歌、絶体絶命、孤立無援、そして……。

 

「私一人で背水の陣ですか」

 

ややどや顔で言い放つ美鈴。

それは余裕の現れか、本当に背後に水を背負った状況に気をよくしたのかは分からないが。

 

「……お前一人で陣なのか?」

 

「ふふ、あなたたちは何も分かっていませんね。――龍は水を得てこそ強くなる! 一騎当千の龍の力、見せて差し上げましょう!」

 

言うや否や、美鈴の体から虹色に光る龍闘気が溢れ出す。

その姿形も変化を見せ、頭部には天を衝かんばかりの威圧を放つ二本の角が現れ、瞳は爬虫類のように金色に光る瞳孔が縦に開き、露になっている首もとや両の腕には暗緑色の鱗が現れていた。

同時に、美鈴の背後の崖下から海水で作られた二頭の龍が鎌首を見せる。

 

「リュウリュウの実の能力者……! 伝説かと思っていたが、()()()()とはそういうことか!」

 

「いえ、リュウリュウの実ではなくドラドラの……まあ、今はいいでしょう。――さあ、統一王国将軍ジェニラ並びに悪魔の実の能力者部隊諸君、そろそろ幕引きの時間です」

 

「ほざけッ!」

 

 

――語られることのない歴史に残る激闘はこうして始まり、島の消滅と共に永遠の歴史の闇に葬られることとなる。

彼らの勇姿を知るは、ただ一人の龍人のみ――。

 

 

 

 

「おーい、パチュリー。ちょっとこっちこっちー」

 

「……何よてゐ、私は忙しいんだってば……って、これ」

 

「なんだよつれないなあ。パチェがあんまりにも忙しい忙しいって言うもんだからこうして本の整理手伝ってあげてるのにさぁ」

 

「いや、ちょっとてゐ、これなに?」

 

「え? 人間じゃない?」

 

「いやだから、何で人間なんかが転送室にいるのよ」

 

「あれ、パチェが昔オハラに来たときもここに飛ばされたんじゃないの?」

 

「そうだけど、あれから術式は改良して人間を本と一緒に転送するようなことはなくなったはず……」

 

「現にここにいるけど?」

 

「むきゅー」

 

ぶつぶつと言いながら術式の点検を始めた友人の姿を見て苦笑しつつ、因幡てゐは床に倒れこんでいる人間を見る。

倒れているのは壮年の男性だ。

腹に深手を負っており生命力が随分と弱っていて、このまま放置すれば半日と持たずに死ぬだろう。

いや、治療したところで助からないか。

これは人間であり、高い生命力を持つミンク族とは訳が違う。

てゐは自分の中での怪我の基準が、故郷のミンク族以外だと不死人である蓬莱人二人と悪魔と紫の魔法使いであることに気がついて首を振った。

 

それにしても、こんな死にかけの人間を見ても助けようとすらしないのだな、とてゐは友人の紫もやしことパチュリー・ノーレッジのことを意外に思う。

彼女はオハラに住む小悪魔、八意永琳、蓬莱山輝夜、少し前に月からやって来た河城にとり、そして自分には随分と親切で世話焼きだから。

さっきだってなんのかんのと言いながら、呼んだら仕事をほっぽってすぐにやって来てくれたし。

 

ただまあ、その親切心はどうやら身内限定だったらしい。

思えば奴隷身分の境遇から、もともと他者にかける情も持ち合わせていなかったのかもしれない。

 

「まあ、そんなこと言ったらわたしゃどうなるんだって話だけどね」

 

てゐは床に転がっている男を小さな足でげしげしと蹴り転がした。

直後、それまで男がいた場所に虚空から本がバラバラと降ってきた。

本から助けるために蹴ったにしても、重体の身を蹴り転がす畜生ぶりである。

 

「おい、人間。起きろー」

 

「うっ……」

 

ぺちぺちと頬をはたかれた男は息も絶え絶えながら、目を覚ました。

 

「ここは……」

 

「お目覚めかい? ここはオハラ。全ての叡知の行き着く先、智者の楽園――らしいよ」

 

「オハラ、か。寡聞にして聞いたことがないな……。君はウサギのゾオンかい?」

 

「うんにゃ、悪魔の実の能力者じゃあないよ。ミンク族だから。それで、あんたは何で死にかけてるのさ」

 

「ああ、それはね……」

 

男はそうして、少々長い己の半生を語った。

統一王国の王子として生まれた自分。

出会って一目惚れし、身分の違いから一緒にはなれないと悟った海王類の姫。

戦争に乗じて姫にクーデターを起こさせて自分がそれを解決することで、結果的に魚人・人魚族の地位を向上させ地上にまで魚人島の勢力圏を広げる計画。

戦争の後期に現れた天竜連合との戦い。

劣勢に陥り計画を凍結し抗ったもののついには押しきられ。

そして、ついに夢の半ばで姫が倒れ。

自分もまた突如暴れだした海王類から深手を受けて、何の約束も果たせないままに、このまま死ぬだろうということ。

 

その話を、因幡てゐは何を思ってか、軽口すら挟まずにじっと聞いていた。

 

話し終え、しばしの静寂があり、男が口を開いた。

 

「あー、お嬢さん、なかなか夢から覚めないんだけど、もしかしてこれって現実? それとも死後の世界だったりする?」

 

「残念だけどこれが現実ってやつだよ」

 

「いやあ、そうか……王宮の図書館でも見たこともないくらいの本の山に、不思議な見た目の女の子がいるから、もしかするとと思ったんだが……うっ、この腹の痛みはどうもくそったれの現実らしいな……」

 

「そんだけの怪我で長話してよく死なないもんだね。ミンク並みの生命力あるんじゃないの?」

 

「まあ、体の頑丈さはちょっとした売りだったからね、……ごほっごほっ」

 

「それでも流石に時間切れみたいだけど。まあいいや、面白い話聞かせてくれたお礼に小さなお願いなら一つ聞いてあげないでもないよ」

 

「そこは“なんでもお願いを聞いてあげる”って言うところじゃないのかい?」

 

「なんでもなんて言うわけないでしょ」

 

「ははは……そうだな、それなら伝言でもお願いしてくれないかな。この体じゃ彼女の元へ行くことはできなさそうだ……」

 

「すぐに向こうで会えるよ」

 

「生憎と俺は地獄落ちだ。会えやしないさ」

 

「どーだかね」

 

「俺は彼女に墓すら作ってやれなかった。だからせめて、最後の言葉くらいはな」

 

「ふーん、まあいいよ」

 

そして男は少し考え、伝言を少女に伝えた。

少女は一つ頷き、そしてふと思い出したように男に尋ねた。

 

「そういえばあんた、名前は?」

 

「俺は、エドガー・D・ジョイ……」

 

(……いや、俺には"D"を継ぐ資格も、王族としての資格もない、か。

――そうさ、彼女にさえ、伝わればいい。

俺は、お姫様に惚れてしまった、役に立たない使用人で十分だ)

 

「……名前はいい。ただ、ボーイ、と」

 

「それじゃあ流石に伝わらないと思うけど」

 

「――いいんだ。俺は、ジョイの名は彼女の前くらいでしか、使わなかったのだから……」

 

そう、呟いたきり、男は動かなくなった。

兎の少女はその姿をしばしの間見つめ、それからいまだにぶつぶつと呟いて魔法陣を弄っている友人へと声をかけた。

 

「パチュリー。ちょっと外出てくるね。それと、にとりさんに会ってくるからしばらく戻らないよ」

 

「――でもこの部分を弄ったら駄目だし、やっぱり生物と非生物の定義が……でももしかしたら生きている本、なんてものがあるかもしれないし、もしかして定義付けから考え直す必要があるのかしら……」

 

「だめだこりゃ」

 

呆れたように溜め息を一つついて、てゐは男の亡骸を両手で持ち上げた。

 

「伝言ねえ。直接か、手紙か……いや、相手も故人なんだっけ。それに墓、かあ。ミンクには墓をたてる風習はないけど、確か石に名前を刻むんだっけ? ふむ」

 

何かを思い付いた顔でニヤリと笑うと、てゐは穴を掘る道具を借りに河城にとりの元へと歩を進めた。

そしてそこで、月の石――歴史の碑文(ポーネグリフ)とそれに文字を刻む技術を知ることになる――。

 

 

 

 

 




「地上が全面戦争とか私がいる限りはありえないし」
26話『にとりの懇願と石の話』でのフランの台詞
人これをフラグと言う。

悪魔の実の総数
原作では不明ですが、既出で100くらいだった気がするから一万くらいはあるのかな……?
情報網の発達していないあの世界なら、その程度の数だと幻とか伝説扱いされそう。

エドガー・D・ジョイ
色々企んでたけどうまくいかなかった可哀想な人。
だいたいフランのせい。
原作のボーイさんは一体何をして謝っていたんだろうか。


文字数実に十分の一以下にまでスリムになりました。
これで次話で戦争編終わって新章が始められる。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

大戦争の幕引きと新たな時代の幕開け

前回のまとめ
・大戦争、苦渋の超ダイジェスト版
・ジョイボーイの謝罪


私、もとい私の率いた勢力は戦争に勝ったはずなのに、私の心情的には完膚なきまでの敗北で――私がやっていることは後始末、とでも呼ぶべきものでした。

そんなわけで私、紅美鈴は今、フラン様と共に“大戦争”の後片付けに奔走しているのです。

 

まず最初に取りかかったのは、天竜連合の生き残りの世話でした。

戦争の当事者であり戦火をここまで拡大させてしまったのは彼らのせいであるとも言えますが、それでも彼らは私と志を同じくして世界と戦ってくれた仲間なのです。

実際、世界を支配しようとした統一王国の目論見は完全に打ち砕いてしまった訳ですし。

 

ただまあ問題は打ち砕いたどころか跡形もなく粉砕してしまったことで、彼らのほとんどは自身が守るべき国を失ってしまった王族と化してしまったことでした。

彼らの治める国が多くあった東の海は海王類による徹底的な破壊によって見る影もありませんから。

 

さらに彼らはその海王類の破壊行動がトラウマになってしまったようで、海の近くを極度に怖がるようになってしまいました。

 

そこで私は赤い土の大陸(レッドライン)の上に住居を作ってあげることにしました。

多分月を除けば世界で一番海から遠い場所で、安全性も抜群です。

あと、最初は高地での低酸素状態に慣れないでしょうから、いつかの船のコーティングの要領でシャボンディ諸島のヤルキマンマングローブのシャボンを使って服も作ることにしました。

見た目は宇宙服みたいになってしまいましたが、まあ高地に適応するまでの間だけです。

 

このあたりはフラン様も協力してくださいました。

彼らもまた、私たちの喧嘩に巻き込まれた被害者だということで随分と我儘を聞いてもらったような気がします。

 

結局、彼らの中で地上に残ったのはネフェルタリ家くらいでした。

彼らの国は砂漠にあり、海王類の侵攻を免れた数少ない地域だったのです。

 

 

さて、こうして天竜連合の元統治者達が皆去ってしまったことで、残されたのは国の残骸と国民です。

もっとも、すべてが破壊し尽くされ国民総難民状態のようなものなので元統治者達に「国民を見捨てて逃げるな」とは言えません。

流石にこの状況はどんな名君がいても建て直せないでしょうし、恨まれて反乱か暗殺でもされて終わりを迎えるでしょう。

 

そこで、次に何とかしなければならなかったのは統治機構の設立でした。

私たちは国主を失った国々をまとめるため、巨大な統治機構――世界政府を作りました。

アイデア元はフラン様が仰った国連なる組織です。

いわば、世界中の国々が寄り集まって様々な問題に対して共同で解決を図るのです。

天竜連合と近しいものがありますが、あちらは戦争に際して敵勢力に対抗するために組んだ同盟のようなものなので、本質は全く異なります。

 

とはいえ世界政府を作ったよ! と言っても、誰が加入している訳でもありません。

実績がなければついてくる人もいませんものね。

そこで、最初はやはり統治のノウハウがある人たちに、ということでレッドラインへと住処を変えた天竜の生き残り達にお願いすることになりました。

 

彼らも全てを見ないことにして放置するのは気が引けたのか、これについては了承してくれました。

執務はあくまでもレッドライン上で行い、下界もとい下海には降りない、というのも安全性の面で大きな後押しになったかのかもしれません。

 

ただし、一つだけ条件が出されました。

それは、「魚人族及び人魚族並びにそれらに類する存在の根絶」というものでした。

 

彼らは、海王類を操るポセイドン――全てを破壊し尽くした兵器のことを恐れ、次代のポセイドンが生まれることを心底恐れていたのです。

しかし、流石にこんな条件を呑むわけにはいきません。

こればっかりは、先の大戦の引き金になった奴隷問題とは訳が違います。

勿論、フラン様も首を横に振りました。

 

しかし、彼らの協力を得ないとにっちもさっちも行かないのもまた現実です。

それほどに、世界はしっちゃかめっちゃかで、手の打ちようがなかったのでした。

いくらフラン様が万能で、私が強いといっても、流石に世界中を治めるには人手も知識も、何もかもが足りなさすぎました。

こと統治に関する実務という面だけに限るなら、彼らは私達の何倍もの能力を持っていたのです。

 

そこで私達は激しい話し合いの末、彼らの世界政府内での権利を大きく保証することで、条件を「魚人族及び人魚族に関しては、世界政府はこれを認知しない」というところまで引き下げさせました。

これは、ある意味では奴隷売買の認可のようなものでもありました。

なにせ存在を認知しないということは、魚人族と人魚族には権利などは一切認めず、いわば魚類の一種として扱うようなもの、ということなのですから。

 

非常に大きな葛藤がありました。

しかし、裏を返せばこれは、世界政府は積極的に魚人族・人魚族に関わりを持たないということでもあります。

建前はどうあれ、事実として魚人族と人魚族の姫であるポセイドンが天竜連合と敵対し、世界を滅ぼしかけた一因であることは否定できません。

何も取り決めがなければ魚人島は天竜連合の生き残りの手によってすぐに火の海に包まれる可能性が高く、だから多分、ここらが妥協点だったのでしょう。

私も現実を思い知り、ちょびっとだけ大人になったということなんでしょうか。

 

 

こうして私達は、彼ら天竜連合の生き残り――いつしか天竜人と呼ばれるようになった――に対して権利を保証する代わりに、世界政府内での実務を執らせることに落ち着いたのです。

王権神授説というか、王権龍授説というか。

ええ、一度約束したからには全力で保証しますとも。

 

そんな彼らは私達の想定以上に、熱心に働き、大いに助けとなってくれました。

こんなことなら、利権の保証などしなくとも勝手に大きな影響力を得ていたことでしょう。

手前味噌ながらやはり彼らは大戦前に私が見込んだだけあり、数多いる王らの中でも時機に敏く聡明で、実力のある王たちでした。

戦争だってなんだかんだ超劣勢の状況から五分、そして辛勝とはいえ勝利に持っていき、なおかつ全ての王家が戦争を生き残りここに血を残しているのですから。

そんな頭のいい彼らだったからこそ、ポセイドンの脅威は人一倍鮮明に感じられ、あそこまで恐怖したのかもしれません。

 

 

こうして世界政府が軌道に乗る傍ら、また別の計画も進んでいました。

それが、海軍の設立です。

位置付けとしては世界政府の下部組織、治安維持のための軍隊です。

実務は世界政府がこなしてくれるとしても、やはり実力がなければ統治などできませんからね。

それに、海王類などの脅威に立ち向かうにもある程度の軍隊は必須でしょう。

 

世界政府の方で登用された人材が元天竜連合所属勢力の人物が多かったのに対して、海軍では元統一王国の人間を多く呼び込みました。

これは、将来的な禍根を取り除くための一歩でもありました。

勿論、いがみ合わないように表向きだけでも大戦の話は禁句としました。

これは世界政府側もです。

世界がこんな状況で今更争いあう訳にもいきませんし、彼らも大戦のことは思い出したくもないことのようで、

これに関してはあっさり過ぎるほど受け入れられ誰も大戦のことを持ち出そうとはしませんでした。

 

そのお陰か、世界政府の実力組織としての海軍も順調な滑り出しを決め、世界中で治安維持活動を行い始めました。

やはり世界中が荒れ果ててしまったせいで治安の悪化は著しく、犯罪や紛争が絶えないもので……海軍は非常に良い働きをしてくれました。

私も海兵諸君に厳しい訓練を付けた甲斐があったというものです。

 

 

 

 

そんなこんなで忙しなく働くうちに、あっという間に十年二十年と時は流れていきました。

その間、月の技術を流出させたにとりを妹様が叱りに行ったり、そこで見ることになった小悪魔さんが作り上げていた巨大な図書館に驚いたり、何故かいた月の二人に挨拶をしたりと様々なことがありました。

そうそう、その月の二人が拾ったペットだというミンクの少女がどうもとんでもない悪戯をかましてくれたようで、妹様が随分と身悶えていました。

ポーネグリフとやらが関係しているらしいのですが、私は詳細を聞こうとしたところ妹様に止められてしまったのでよく知りません。

実物もちらっと見ましたが、私は月の言語はわかりませんしね。

 

あとは……そう、また空島に行くことになりましたっけ。

なんとあのマロン副船長の子孫と出会い、彼と共に空島へと向かうという出来事があったのです。

いやあ、何代後の子孫かも分かりませんが、“気”を探るどころか髪型で一発でしたね。

マロンさんはあの特徴的な癖毛が嫌で短髪にしていましたが、罰ゲームでよく妹様印の急速育毛剤で遊ばれていましたからよく覚えています。

 

彼はなんと処刑されかかっており、世界政府の諜報機関が情報を持ってきていなかったら、私達はなにも知らないまま彼を殺されてしまっているところでした。

サイファーポールは実にいい仕事をしてくれたと言えるでしょう。

 

 

 

 

時間というのは偉大なもので、あれだけの災禍に見舞われ到底復旧不可能に見えた世界の爪痕も、百年もすればすっかり目に見えなくなりました。

二百年もすれば、自然環境すら元に戻り始めました。

戦争を直接知る世代も、それを裏で聞いていたであろう子の世代も、伝え聞いていたかどうかの孫の世代も、みな時の奔流に流され、あの戦争から既に七百年以上も経った今では、当時のことを語る人間はすでになく。

葬り去りたい、忌まわしい負の歴史であるとして世界政府が書物に書き記すことなども禁止したために、現在ではそんな戦争があったことを知る人物すら早々いません。

 

「美鈴さん、こんにちは!」

 

「おや、こんにちは、コング君。今日はお昼からですか?」

 

「いえ、非番だったのですが緊急召集で。どうもまた例の海賊がこの近くで騒いでいるみたいでして」

 

「それはそれは、ご苦労様です」

 

「では、失礼します!」

 

元気な声で挨拶をして去っていったのは海軍本部少尉のコング君です。

彼は軍閥の名門エイプ家の期待のホープで、史上最年少で本部少尉、つまりは海軍将校に上り詰めた俊英です。

性格も真面目で爽やか、私なんかにもちゃんと挨拶をしてくれるくらい礼儀正しい青年少年です。

他の人たちはだいたいが無視か会釈程度で通りすぎていきますので。

 

はい、私は“海軍門番”紅美鈴としてお仕事中です。

 

この700余年ほどは教導隊で訓練教官をやったり海軍大将をやったり特別顧問をやったりと色々な役職を経験しましたが、200年ほど前からは海軍本部があるここ、マリンフォードの門番として主に働いています。

別に大将とかを降りたわけでもないので複数の役職を兼務という形なのですが、海軍樹立からずっと働き詰めだったので休暇を兼ねての役職です。

休みをくれた五老星の方々には感謝ですね。

近々、久しぶりに妹様と旅行に出かける予定もたてられましたし。

 

さて、門番と言っても海軍本部の門に襲撃をかけてくるお馬鹿さんは流石にいないので実質閑職です。

そのせいか少尉未満の方は私のことを「いつも門のところに立ってる変な服装のお姉さん」としか認識していないでしょう。

海兵と思われているかも怪しいですね、私制服や制帽、コートも着ていませんし。

 

ただ少尉以上、つまり将校になった際には私から海軍のトレードマークとも言える正義コートを贈っているので、そこで私については正確に把握することになります。

コートの授与式で挨拶する元帥が「紅美鈴が海軍大将“虹龍”も兼任していること」をばらしてびっくりさせるというドッキリはやり始めてからここ数十年外したことがない鉄板ネタです。

そのせいか今では「少尉未満に私の正体をばらすのはやっちゃいけないこと」みたいな不文律がありますし。

多分みんな、自分がやられたドッキリを後輩にもやらせて鬱憤を晴らしたい的なあれだと思いますけど。

 

ちなみにその海軍正義コートは私が贈っていることからも分かるように全て私の手作りです。

その年の昇進が決まった人、一人ずつの体に合わせてオーダーメイドなんですよ。

気が込めてあるので生地も丈夫ですし、汚れにも強く、肩にかけたまま戦闘をしてもずり落ちないという優れものです。

あの背中の正義の文字もひとつずつ手書きなので、よく見比べると違いに気がつくかもしれません。

 

何百着と手作りするのは一見大変に思われるかもしれませんが、服飾は武術と料理の次に熟練している趣味なので、今ではパパッと作れちゃいます。

長生きしていると色々出来るようになるものですよ。

 

ちなみに最近の趣味は花壇の手入れです。

海軍は男所帯なので、もっと華やかさがあるといいと思うんですよね。

女の子なんて全然入ってきませんし、設備だって女子トイレとか女子更衣室すらないほど劣悪なのですぐに辞めちゃうんですよね。

そして人がいないから整備とかにもお金がかけられないという悪循環。

でもでも最近ようやく一人、つるちゃんという可愛らしい女の子の三等兵が入隊してきたので、今度こそ辞めちゃわないように最大限フォローしてあげるつもりです。

妹様と旅行に行くつもりですから分身を残していく予定なので、そっちの私に任せることにはなりそうですが。

 

「だからガープ、お前はちゃんと課題をやってこいといっているんだ。そんなんじゃそのうち俺ら同期のなかでお前だけ留年することになるぞ」

 

「あー、まあ、気が向いたらな。明日提出の奴は見せてくれよなー、なー頼むよセンゴクー」

 

「全く、今回だけだぞ。次からちゃんとやって来るんだぞ!」

 

「センゴク、あんた甘すぎだよ。そんなんだから仏のセンゴクなんて呼ばれるんだ」

 

「実質パシりみたいにいいように使われてますもんねえ、センゴクさん……人がいいというか」

 

お、噂をすればそのつるちゃんと、同期のセンゴク君、ガープ君、ゼファー君です。

 

海軍に入るには基本的には地方で三等兵、つまり新兵として入隊するか、ここマリンフォード本部にある海軍学校に入学するかになります。

海軍学校に入学した際にも一応三等兵相当として扱われるのですが、やはり中央の学校卒業済みのエリートと地方の叩き上げでは実力が違うため、だいたい三階級ほど差があります。

具体的には本部での大尉は支部での大佐相当、のような感じなので、彼らは三等兵と言っても地方に行けば伍長相当です。

まあ厳しい入学試験をパスしていますしね。

 

「あ、こんにちは美鈴さん!」

 

「こんにちは、おつるちゃん」

 

輝くような笑顔で挨拶してくれたのはつるちゃん。

名前の通り、男臭い海軍に舞い降りた掃溜めの鶴です。

海軍に女性が少ないこともあって私のことを慕ってくれています。

仲間には割と怜悧な印象を与えるクール系な彼女ですが、私にはこうして甘えたり頼ってくれたりするので、ついつい面倒をみてあげたくなってしまいます。

 

「こんにちは、美鈴さん」

 

「おう美鈴。今度また稽古つけてくれ!」

 

「この馬鹿! 目上には敬語を使えと何度言ったら……!」

 

「む、やったなこの!」

 

「……こんにちは」

 

「はい、こんにちは、センゴク君、ガープ君、ゼファー君」

 

みなコング君と同様、ちゃんと挨拶をしてくれるいい子ですね。

海軍は民衆の模範になる存在ですから、こういうところで礼儀正しさを見せられるのは学校での評価も上がります。

センゴク君とガープ君は挨拶もそこそこに殴り合いの喧嘩を始めてしまったので、私はつるちゃんとゼファー君に話しかけることにしました。

 

「あなたたちもお昼からですか?」

 

「いえ、今日は休みだったのですが、呼び出されまして。何の用件かは分からないんですが」

 

「あー、なるほど。それじゃあ今日がみなさんの初実戦になるかもしれませんね」

 

「えっ、それはどういうことですか!?」

 

おや、喧嘩をしていたはずのセンゴク君が話に入ってきました。

まあ、今までは学校での座学と訓練の日々でしたでしょうし、気になりますよね。

 

「最近この辺りで騒いでいるルンバー海賊団は知っていますか?」

 

「ええ、団長“キャラコのヨーキ”率いる、楽器を鳴らしまくる変な海賊団ですよね?」

 

「あ、私も昨日文々。新聞で見た」

 

「ええ、そのルンバー海賊団です。今日もまたこの近くで騒いでいるそうで、住民から騒音被害が届けられたんでしょうねぇ。いい加減本部も重い腰を上げたようでコング少尉が先ほど召集されていましたし、彼の指揮の下出動することになるでしょうね」

 

私がそう言うとガープ君とゼファー君は少し渋い顔をしました。

 

「ルンバー海賊団、かぁ」

 

「なんか初実戦なのに小物っぽいというか……」

 

まぁ、気持ちは分からなくもありません。

ルンバー海賊団は名前こそ海賊団ですが、住民を襲ったりはしませんし、お宝を略奪したり好き勝手に音楽をかき鳴らす迷惑なだけの集団なのです。

中には彼らの音楽のファンだっていますから。

だからこそいままで放置されてきましたし、たいした懸賞額でもありません。

捕まえたところでインペルダウンに送ったりなどもちろんなく、厳重注意で終わる可能性すらあります。

100年前に大暴れした巨兵海賊団なんかと比べれば子供のお遊びのようなものです。

しかし……。

 

「最初から大物と戦ったりでは身が持ちませんよ。皆さんは海兵とはいえまだまだ見習いの三等兵なのですから」

 

「むっ……」

 

私の物言いに、ゼファー君はどうやらカチンと来たようです。

まぁ、よく立ったままお昼寝してたりするただの門番にこんなことを言われたらそうなるのも当然かもしれませんが。

 

「まぁこういうのは経験ですけどね。おつるちゃんは文々。新聞を読んだんですよね。鼻唄のブルックについても書いてありましたが読みましたか?」

 

「あ、ええと……確か西の海にある王国で護衛戦団団長だか奇襲部隊だかを務めていたって……」

 

つるちゃんの言葉にゼファー君がピクリと反応しました。

 

「ええ、結構強いらしいですよ。特に奇襲部隊仕込みの仕込み杖でサクッと暗殺でもされそうですね、油断してると」

 

「俺はそんな奴に負けやしねぇ……!」

 

お、普段の敬語が取れて素が出ました。

これじゃ簡単な煽りで隙を見せてぶすっといかれてしまいますね。

 

「まぁそのあたりはコング君がしっかり教えてくれるでしょうから彼に任せますよ。どうぞ頑張ってきてください」

 

私はそう言って彼らを門の向こうへ送り出しました。

うーん、ちょっとお節介が過ぎましたかね。

 

さて、お昼の陽気も気持ちよくなってきましたし、シエスタと洒落込むとしましょうか。

 

 

 

 




美鈴のフランに対する呼称
痴話喧嘩後は仲直りしたあともやっぱりちょっと距離があってフラン様呼び。
百年二百年経って妹様呼びに戻った。
前よりも仲は良くなったらしい。

ちょびっとだけ大人に
なお大戦終了時の年齢は3700歳程度。

空島編
いつかルフィ達がいったときに語られるかもしれない。
やさしいせかい。
この世界には『うそつきノーランド』という本はなく、代わりに『ノーランド探検記』というベストセラーがあります。

コング元帥の家名
確か原作では不明だったはず。
一線は退いちゃったけど、主人公家系のモンキーをやや彷彿とさせる猿系の名前なのが今後何か関わってくるのだろうか。
エイプは類人猿の意。

正義コート
肩からずり落ちないのは、尾田先生が「あれは『正義』を背中に刻むコート。なぜ落ちないのかと言うと、彼らにとって『正義』は、不落の物だからです!! その心意気ある限り、コートは落ちません!!!」と回答していますが、本作でも気が込められて云々というのは一応部外秘なので、海軍としての公式回答はこれです。

美鈴の分身
天津飯の分身みたいなもので、力は半減する。
意識は別々だが、再度合体したときに経験や記憶は還元されるので影分身みたいな修行が可能。
なお、そのときにどちらがより修練を積んだか対決してから合体しないと気が済まないとはた迷惑極まりないのでフランから多用を禁じられている。

ゼロ世代
いわゆるゼロ世代であるセンゴク、ガープ、つる、ゼファー。
年齢的にはゼファーが14で海軍学校に入学している(原作60年前)ので、同期はセンゴク19歳、ガープ18歳、つる16歳、ゼファー14歳。
ゼファーがセンゴクと五歳も差がある。
ちなみにこの時点で他の原作キャラはブルック30歳、レイリー18歳、ロジャー17歳、白ひげ14歳(白ひげが若い……)
なお三大将のボルサリーノやサカズキなんかはまだ生まれてもいません。

文々。新聞
読み方はぶんぶんまるしんぶん。
射命丸文及び犬走椛が所属するサイファーポール新聞部が発行している海軍広報紙。
サイファーポールは諜報機関だが表向きは海軍の広報として認識されている。
ちなみに射命丸は編集長、犬走は校正として名前が載っているが実態は二人とも記者。
購読料は月5000ベリー。
しかし! なんと海軍に所属している方には半額の2500ベリーでお届け! お安い!
割と重要な情報から海軍の裏情報、上司の秘密が暴露されていたり面白情報まで載っているので実際安いしだいたいの海兵は購読している。
(参考までに、新聞は朝日読売毎日日経どれも朝夕でだいたい4000円くらい、安いとこで3000円)

ルンバー海賊団
彼らの道のり(マリンフォードの近くということはフロリアントライアングル辺りの海域は抜けていなければならない)とか時間軸(ヨーキの疫病離脱など)を考えると若干の矛盾が生じますが、わざわざオリ海賊団を出すよりはいいかなと思って採用。
大目に見てください。
ブルックとラブーン好き、泣ける。

シエスタ
お昼休憩のことなので別にお昼寝をするとは限らないが、別に寝ないとも言っていない。


原作60年前!
ついにこれからは見知ったキャラがたくさん出せる!なんてことだ!
ようやくここまで来た(なお過程で挫折して端折った模様)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

原作60年前~ 王の世代
世界の終わりと未知への新たな扉


前回のまとめ
・世界政府、海軍誕生
・コング、センゴク、ガープ、つる、ゼファー登場



「原作60年前~ 王の世代」編、開始です。

そしてやっと始められた原作キャラの過去篇突入でやっぱり筆が乗りに乗った結果15000字超えたので非常に長いです。


美鈴と久しぶりに一緒に旅に出て世界を巡る中、少し物思いにふけった。

 

この七百年ほどで、世界も随分様変わりしてしまった。

世界政府と海軍が成立したことで小国家が乱立し覇を競う時代は終わりを告げ、世界政府という秩序とそれに従わないはみ出し者、という図式が成立した。

はみ出し者というのはいわゆる犯罪者なのだけど、覇気や悪魔の実なんてものがあるこの世界では個々人の実力が非常に高く、警察的な自警組織では相手にならないことが多い。

必然それらに対処するのは海軍ということになり、海で海兵に追われる彼らは海賊と呼ばれるようになった。

 

それでも世界は概ね安寧を保っており、七百年前の繁栄を取り戻しつつある。

 

 

美鈴に思うところがないわけでは、ない。

統一王国は間違いなくラフテルから派生した、私が育てた者たちの築いた国であり、その思想もまた目を見張るものがあった。

特に、ワンピース計画。

あれは本当に成就の瞬間が楽しみだった。

わくわくさせられた。

世界がガラッと変わってしまうような、革命だった。

 

でも、統一王国はもう存在しない。

それどころか、歴史書に登場すらしないのだ。

あれだけの栄華を誇り世界の半分をも手中に収めた国がほんの一行たりとも登場しないのは、あまりにも悲しすぎた。

だからこそ、私はてゐの悪戯――歴史の本文(ポーネグリフ)に書かれたアレを処分する決心がつかず、いまだに放置しているのだけれど。

 

ああ、話が逸れた。

 

とにかく、そうやって世界は変わってしまった。

だけれども、それでよかったと思う自分もまたいる。

仮にワンピース計画が成就していた場合、レッドラインは取り払われ、世界中の交通網が一気に発達する。

それは船だけでなく航空もだ。

そうなれば技術の発展、爆発は容易に起こり得、いずれ科学の時代がやってくる。

 

それは、私の死を意味する。

いや、私だけじゃない。

美鈴や、こぁや、文や、およそ魔の側、妖怪たちにとっての死だ。

 

たぶん美鈴は意識的にか本能的にかはわからないけれど、気づいていたんじゃないだろうか。

そうでもないと、世界政府に技術開発の統制をさせようとは思わないはずだ。

特に航空技術の開発は固く禁じている。

理由も「天を侵したとき龍の逆鱗に触れる」とさえ言い放ったらしい。

 

今ではこの制限はレッドラインの上にある都市、マリージョアに住む天“竜”人たちの領域を侵すことになるため、と解釈されているけれど、元々は美鈴の要請だったのは間違いない。

 

その天竜人達による旧時代的な支配を容認しているのも恐らくその一環だ。

彼女はけして民主主義や自由主義なんかを認めていない。

天竜人の権威を高めるために殺し程度ならまったく咎めることもなく、彼らの腐敗すらも進んで受け入れている節がある。

――トップが聡明で有能なら、どうあがいたって世界は発展してしまうものね。

 

唯一、本当に唯一譲れないのはやはり奴隷産業で、そこだけは頑なに否定しているけれど……それ以外では彼女は既におよそ人の感性をもっていない。

 

人助けはするし、他者に親切にしたりするそういう思いやりなんかはちゃんと持ち合わせている。

楽観的で享楽的で適当な感じに生きている。

だけれども、それが必要なことならば彼女はなんだってやれるし、どんな自分にだってなるだろう。

 

彼女は人から龍になったのだ。

姿形ではなく、その精神性が。

 

3000年以上をかけて、私が踏み越えられないその一線を越えていったのだ。

 

 

そうだ。

美鈴は本当によくやっている。

この七百年間というもの、ずっと働き通しで休む間もなく仕事をしていた。

それはきっと、自分が大戦の引き金を引いた負い目があったから。

 

あの大戦が彼女の責任だなんて、そんなことあるわけないのに。

確かに原因の一部、開戦の発端になったのは確かだけれどそれですべて彼女が悪いわけではない。

あれは様々な要因が絡み合って、起こるべくして起こった結果だった。

原因の比率で言うなら私と世界と美鈴で7:3:0くらいだと思う。

いやもう世界をあんな風にしたのが私だったんだから10:0:0かもしれない。

 

それなのに、美鈴は頑張った。

もし「君、明日から国連のトップね。世界中に指示出してね。世界は核戦争で荒廃しちゃったけど自分で軍隊も再編して世界を取り戻してね」と言われて動ける人がどれだけいるだろう。

 

美鈴は働くうちに分身の術まで覚えてしまい、束の間の休息すら自分自身と交代交代で取り始めたときは、私も思わず止めた。

フォーオブアカインドを使う私が言うのもなんだけど、分身までするのは流石にやりすぎだ。

 

一人二役どころか世界政府や海軍ごとに複数の役職を兼務してサイファーポールをはじめとする世界各地への活動すら始めていて、過労で倒れるんじゃないかと心配した。

まあ龍である彼女は疲労程度ものともしなかったのだけど。

 

そして私はそんな美鈴をほとんど見ているだけだった。

 

私が関わることでまた同じような未来を辿ってしまうんじゃないか、そう思うとどうにもやる気がでなかった。

結局私はこの七百年のほとんどをオハラのヴワル魔法図書館に引きこもって過ごしていた。

外に出たのなんて美鈴から誘われて、マロンの子孫、モンブラン・ノーランドの処刑を止めて一緒に空島へと行ったあのときくらい。

 

 

はっきり言って、うじうじしすぎた。

いや、自分でも分かってるんだけどどうにも怠惰なのを止められなかったのだ。

でも七百年かけて最近ようやく吹っ切れた。

 

自分勝手に生きないでどうする。

私は妖怪だ、誇り高き鮮血の吸血鬼なんだぞ。

やりたいようにやって、それで滅びるなら私は所詮そこまでの奴だったってことだ。

 

とまあ、随分だらだら回り道をした挙句だけれど、私はそんな感じに葛藤を置き去りにして、今更ながら好き勝手やることにした。

してしまった。

もうどうなっても知るもんか。

私は私のやりたいようにやって好きなように死ぬのだ。

多分それが人間も妖怪も変わらない、善き生き方なんだろう。

私は4000年以上もかけてそんな答えにたどり着いた。

 

……そういえばもうすぐ私、4900歳になるのか。

最近は100年ごとくらいにしかカウントしてなかったけど5000の大台はちょっとわくわくする。

5000歳になったら誕生日パーティーでもやろうかな。

 

 

 

 

さて、そんな自由人と化したフランドール・スカーレットが最初にしたことは、美鈴を誘って旅に出ることだった。

これは、激務の彼女を連れ出して気分転換させるという意味もあったし、しばらく引きこもっていたゆえに世界を見て回りたいという彼女自身の思いもあった。

そこでフランはまず世界政府のトップ、五老星の元へ乗り込み美鈴の休暇をもぎ取った。

突然、代々の世界政府の上層部に申し送りされるほどの特秘存在にカチ込みをかけられた五老星の心労はいかばかりか。

彼らが禿げ上がっていないことを祈るばかりである。

 

そうして、将を射んとする者はまず馬を射よとばかりに上司から陥落させたフランは無事に美鈴と共にお出かけすることになった。

最初に訪れたのは美鈴のおすすめの国だという、ゲート王国だった。

 

「いい国なんですよー。特に入国の時に潜る門がいいです。しっかり主張しているんですが華美すぎず、大きいだけでもない。装飾も品があっていいですし、造りもしっかりしてます。五百年後、千年後にも残るだろう素晴らしい門ですよ。国の顔として文句なしです」

 

「美鈴、あなた前世で門職人か何かだったの……?」

 

「まあ門に関しては一家言ありますからね、私。アマゾンリリーの岩盤くり抜き一枚門とか、海軍本部の“正義の門”とか実際作ってますし」

 

「……それで、あれがその門なわけ?」

 

「そうですそうです、あの如何にも“破壊の爪痕”って感じの装飾がされた、今にも壊れそうな……って、ええ!?」

 

美鈴は素っ頓狂な声をあげるがそれも無理はない。

目の前に見えるのは、先の説明とはそぐわないボロボロの大門だった。

 

「嘘でしょう? 一体何があったっていうんですか?」

 

「うん? お嬢さん方、観光客か何かかね」

 

「え、ああ、まあ」

 

困惑するフランと美鈴に声をかけてきたのは、通りすがりの老人だった。

美鈴があまりにも大声で叫ぶものだから気になったのか。

 

「悪いことは言わん、あの国に行くのは止めときなされ。あそこはいまや無秩序と暴力が支配する国に変わってしもうた」

 

「あそこって、ゲート王国ですよね?」

 

「……ああ、昔はそう呼ばれていたこともあったのう。いまや国の形どころか名前すらも失った無法地帯じゃよ」

 

「一体何があったんです?」

 

「革命じゃ。当時の将軍が王に反乱を起こした。そうして玉座についた新しい王は、恐ろしいことに国庫を満たすためと言って“天上金”の納付を取り止めてしまったのじゃ」

 

「うわあ……」

 

「天上金?」

 

「世界政府に加盟する際の登録金や運営にあたって毎年徴収してるお金のことです」

 

「なるほど、入会費と年会費ね」

 

「そう言われるとチープな感じになっちゃいますが……まあその通りですね。これを払わないということは世界政府から脱退したってことです。そうなると海軍が守らないようになってしまうので、よほど国の軍がしっかりしてないと海賊なんかが襲ってきたりするでしょうね」

 

「うむ、その通りじゃ。案の定国は荒廃しまた革命が起きた。今度はかつての将軍のような私利私欲での反乱ではなく、真に国を思うからこその革命じゃった。……しかし、力が足りず国は長い内乱状態に陥ってしもうた。そうして今ではもはやあの国に天上金を払う余裕などない。あとは滅びを待つのみ、じゃな」

 

そう言って老人はその場を去った。

残された美鈴とフランは顔を見合わせ、

 

「……まぁせっかく来たしとりあえず入ってみる?」

 

「……ですね」

 

とゲート王国へと足を踏み入れた。

 

その、元ゲート王国とでもいうべき地域は二人の想像の上を行っていた。

 

「あーなんか昔を思い出しますね。クーロンの裏路地がこんな感じ……いえ、さすがにここまでひどくはありませんでしたが」

 

「なんか世紀末って言うかもはや廃墟だよねこれ」

 

建物はことごとくが荒れ果て、道すらもボロボロ。

住人はやせ細り襤褸(ぼろ)を纏い、目だけを異様にギョロつかせている。

その視線は、見慣れぬ来訪者の、身なりのいい少女二人に向けられていた。

 

「とはいえ、流石に襲ってくるようなバカはいませんか。本能とでもいうんでしょうかね」

 

「まぁ私の場合はこうして完全に妖力を抑え込んじゃえば一般人だけど、美鈴は立ち居振る舞いからすでに只者じゃない感が滲み出てるもんね……武人というかなんというか」

 

「そうですか? 私門番やってるときは結構侮られてる感じですよ?」

 

「それはあなたが突っ立ったまま寝てるからでしょ……冷静に考えていつも立ったまま微動だにせず寝られる体幹とか何か事件が起きる前には必ず目を覚ます気配察知能力とか色々おかしいでしょ」

 

「ふうん? 妹様やけに私の勤務状態について詳しいですね。海軍基地には来たことがなかったと思ってたんですけど」

 

「裏文々。新聞とか花果子念報とか……いや、なんでもないよ」

 

「えっ、なにそれ気になる」

 

そんな会話を交わしながらもはや何の店が並んでいるのか、そもそも店なのかすら怪しい廃墟が並ぶ町中を歩く二人は、ふと、進行方向に目をとめた。

そちらから歩いてくる人影はこの国にきて初めて見る、横にも長いシルエットをしていた。

 

手には棒のようなものを持ち、傷だらけの顔と恰幅のいい体、着ている服は“力”と一文字デカデカと書かれた擦りきれたタンクトップ。

年は十の半ばを過ぎた頃か、その少年はずんずんとフランと美鈴の元へと歩み寄ってきた。

そのあまりのガキ大将的主張が激しすぎる出で立ちに、フランは思わず噴き出しそうになるのをこらえた。

 

「おいてめぇら、ヨソモンだな? 金目のもん置いてけ。そうすりゃ無事にこの国から出してやるよ」

 

「えーと、道案内の方? 間に合ってますよ」

 

「ちょっと美鈴、あんまり煽っちゃ……あ、素っぽいね……」

 

「ああん!? おとなしく金を出すか痛め付けられてから金を出すか選べって言ってんだよ。俺は女にも容赦しねぇぞ!」

 

「あれ、妹様。これってもしかしてほんとにバカが一人来ちゃった感じですか?」

 

「まあ、多分……」

 

「なんだとっ!?」

 

旅人の女二人に全く相手にされていない、それどころかバカにされていることを感じ取った少年はすぐさま怒りの閾値を越えて手にもつ棒を振り回した。

それは身の丈ほどもある長い棒の先端にナイフをくくりつけただけの簡素な武器ではあったが、少年の恰幅のいい見た目を裏切る速度と威力で振るわれたそれは相手の命を確実に奪う一撃と化した。

事実この少年はこの武器のリーチをもって大人をすらも打ち負かし、この地域一帯を暴力によって支配しているのだから。

 

もっとも、それは相手が一般兵士程度の実力であれば、だが。

 

「おや、思ったより速いし力もありますね。結構素質ありそうです。武器はちょっとお粗末ですが」

 

「鉄ってだけでこの国では貴重っぽいけどね」

 

少年の振るった刃は美鈴の人差し指と中指に挟まれピタリと止められていた。

ピースサインでもするかのような白羽取り。

どんな筋力を持ってすればこんな芸当が可能なのか。

 

「なっ!? くそっ動かねえ、離しやがれ!」

 

「なんか動作がいちいち格好いいよね。やろうと思えば私もできると思うけど、そもそもやろうと思わないかな」

 

「まあ見栄は大事ですから」

 

少年が武器を取り戻そうと必死に抵抗するが、指で挟まれたままのナイフは微動だにしない。

そして、ついには少年が動かそうとする力に負けて、刃がへし折れた。

 

「あらら。耐久性に難アリですね」

 

「畜生、なんなんだよてめぇ!」

 

その後も少年は素手で殴りかかるなどの奮闘を見せたが、すぐに美鈴に押さえ込まれてしまう。

しばらく体をよじるなどの抵抗を見せた少年は自分の体がピクリとも動かないことを悟り、諦めたように抵抗をやめた。

 

「この馬鹿力女が……」

 

「まあ私の力が強いことは否定しませんが、むしろこれは武術というか合気というか……まあいいですけど。それで君、名前は?」

 

「……俺に名前なんかねえ」

 

「名前がない? おやおや、それはまた……」

 

美鈴が思い出したのは、遠き過去の自分。

かつてクーロンという国にいた小さな女の子、その子も名前がなく、新しく見習いコックちゃんという名前をつけてもらったのだ。

のちに紅美鈴という自分には過ぎた名前をつけてもらったが、それまで慣れ親しんだ見習いコックちゃんの名前も実はかなり気に入っていたものだった。

 

「だがまあ、強いて言えば――俺は終焉(エンド)()世界(ワールド)。この終わりなきクソッタレの世界を終わらせる者だ……」

 

「へ……?」

 

「ふぁっ!?」

 

しかし、目の前の少年と過去の自分を重ねて感傷に浸っていた美鈴にかけられた少年の言葉は、予想外のパンチとなって美鈴を襲った。

隣で巻き込まれたフランに至っては変な声を出していた。

 

「不思議か? だが俺には他人とは違う特別な力がある。それこそが、俺がこの世界の支配者に相応しい証だ……!」

 

「はあ……」

 

「~~っ! ~~っ!」

 

組み敷かれている状態で何をいっているんだこいつはと首をかしげる美鈴と、少年の突然の中二病ムーヴに声を殺して体を震わせるフラン。

 

これが、後に世界を震撼させる男とその師匠たちとの出会いであった。

 

 

 

 

「悪魔の実ィ?」

 

「そうそう。まさかあなたが本当に“他人とは違う特別な力”を持ってるとは思わなかったけど……その能力は悪魔の実の力だね。小さい頃にでも、変な模様のついた美味しくない果物食べた覚えない?」

 

「そんなこともあったような……」

 

少年が吸血鬼と龍の二人組に出会ってから数日。

自分を遥かに越える力を目の当たりにしプライドを投げ捨て教えを乞うた少年は、素質を見込んだ龍人と濃いキャラに興味を持った吸血鬼に気に入られるという幸運もあり、今では共に旅をしていた。

そして今は、フランによる悪魔の実の説明が行われていた。

 

「とにかくその、水面に波紋を立てる程度しか役にたたない……なんだろう、ブルブルの実? ユラユラの実? も悪魔の実の一種で、世界規模でみれば別に珍しいものでもないというか……」

 

「……そうなのか。んじゃ、その、なんだ。お前たちもその悪魔の実の能力者とかいうのなのか?」

 

「あーえーと、まぁうん、そうだね」

 

実際にはその悪魔の実の製造(妖力)元の吸血鬼ではあるが、そこまで詳しく話すこともないだろうと適当に言葉を濁すフラン。

そしてそこに、やっと訪れた好機! とばかりに美鈴が首を突っ込んできた。

 

「そのとおり! 妹様は”ドラドラの実”の能力者、吸血鬼です。そして私は同じく”ドラドラの実”の龍人間! ドラキュラとドラゴンでどっちもドラドラなんですよ!」

 

「(――ああ、やっと長年の謎が解けた。美鈴が執拗にリュウリュウの実じゃないって言い張ってた理由って、私とお揃いにしたかったからなのね……)」

 

「(一般向けの説明では妖怪って言うより悪魔の実の能力者ってことにしておいた方が収まりがいいですし、絶対に”ドラドラの実”だと思ってましたからね)」

 

「(まぁバンバンの実モデルバンパイア、じゃあ語呂がね……)」

 

ひそひそと話すフランと美鈴をしり目に、少年は告げられた現実に震えていた。

自分が他人とは違う、選ばれた人間であるとの自信の源になっていた特殊な力。

それが実は世界を見ればそこまで稀少なものではなく、しかも自分のものは能力としては弱い部類に含まれてしまうこと。

確かに少年は力を持っているということだけで満足していたが、よく考えれば水面を揺らす程度の力で世界を終わらせる、エンド・ワールドとしての力になるとも思えない。

今更、自分の喉を震わせて変な声が出せる! と自慢したところで二人には笑われるのがオチだ。

少年は今、自分の中の価値観や自信がグラグラと音を立てて崩れていく様を幻視していた。

 

「そ、それじゃあお前たちの悪魔の実はどんなことができるんだ!?」

 

そして、それでもめげずに少年は師匠二人の悪魔の実の能力を尋ねた。

吸血鬼と龍とやらが何なのかは無学な少年にはよく分かっていなかったが、それが例えば子供でも頭が良くなる能力だったり、女なのに力が強くなる能力であるならば、自分を鍛えれば追い付き追い越すことができると考えたからだった。

 

「うん? 吸血鬼の能力を改めて聞かれるとねぇ……ええと、再生含めた不死性、怪力、飛行、霧化、蝙蝠化、吸血、催眠能力、あとは大量の悪魔を一声で召還できたりとかかな?」

 

「私は龍気を扱えたり龍になって空飛んだり、天候を操ることもできますよ。そこから派生で水とか風とか雷とか支配できるのと……あーあと地震も起こせます。そういえば最近は龍闘気で分身できるようになりました」

 

「…………」

 

少年は、白目をむいて倒れた。

 

 

 

 

少年が悪魔の実の現実を知り、一歩大人に近づいた日より一週間ほど後。

船の上で美鈴が少年にある問いかけをしていた。

 

「宝?」

 

「ええ、君の一番大切な宝は何ですか?」

 

「んなもん……ねえよ。ゲートの、あの国で俺が集めていた宝はてめぇが全部吹っ飛ばしちまったじゃねえか!」

 

「いや、あれは宝とは呼べないですよ……」

 

少年が美鈴に食って掛かるも、帰ってきた反応は額を抑えてやれやれと首を横に振る仕草だった。

その反応に少年はたちまち沸点を超え、美鈴に全霊の攻撃を繰り出した。

もっとも今は稽古の時間であるため攻撃するのは何らおかしいことではないのだが。

 

美鈴は相変わらずやれやれと首を横に振る動作をしたまま、攻撃を見すらせず片手だけで少年の攻撃を捌く。

思い出すのは故ゲート王国で少年と出会った後、少年のアジトへと向かったときのこと。

そこで見せられたのは、それまで少年が窃盗強盗恐喝エトセトラで集めたという”お宝”の山だった。

しかし美鈴から見てそれはお宝どころかガラクタ、ゴミの山でしかなかった。

実際そこにあったものはほとんどが価値のないもので、荒廃した故ゲート王国の惨状を鑑みてもなおゴミの山であった。

理由は単純にして明快、少年が物の価値を知らなかった一点に尽きる。

 

そして、ゴミの山を見た美鈴はその山を軽い気持ちで吹き飛ばした。

 

「何て言うか、宝ですらないものを後生大事に守っている滑稽さが癪に障るというか、見ててイライラしたんですよねえ」

 

「何でだよ!? 他人の宝が何であってもてめぇには関係ねぇだろ!」

 

「まあそうなんですけどね。理屈じゃないっていうか。多分龍の血がそうさせるんですよ。龍といえば古来から宝の番人ですから」

 

「いや美鈴、それは龍というか竜……まあどっちも含めて美鈴か。案外それが理由で門に執着があるのかもね。宝の番人と門番は似てるとこありそうだし」

 

「ふむ、なるほど。となると私も竜珠的な何かを持っていた方がいいんでしょうか。こう、私に挑んできた相手に贈るとか」

 

「なにその参加賞:飴玉みたいな有り難みのない竜珠。ていうか勝たなくても挑んだだけであげるんだ」

 

「楽しめればそれでいいので。別に弱くても構いませんよ。でも、できればやはり私は強者への登竜門でありたいですねえ」

 

「竜の門番だけに?」

 

「「あっはっはっは」」

 

「くそっ、てめぇら! 俺を! 無視して! 盛り上がってんじゃねぇ! てか、お前は俺の攻撃を避けるにしろ、こっちを見るくらいしやがれ!」

 

少年の攻撃はよそ見をしながら談笑する美鈴に悲しいほどに通じていなかった。

その攻撃は、少年の方が美鈴を避けているのでは、と思わせるほどに当たらない。

 

実際、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

それは美鈴の動きを見てから少年が当たらないように攻撃しているようにしか見えなかった。

あるいは、そうでなければ――未来予知。

 

「こないだ説明しましたけど、これが見聞色の覇気です。覇気の種類は覚えていますね?」

 

「覇王色、武装色、見聞色だろ」

 

「よろしい。さて、その見聞色のなかにも実は大別すると二種類の覇気があります」

 

に、と言いながら美鈴は人差し指と中指を立てピースサインを作った。

そしてそこに吸い込まれるように少年の振るった薙刀が振り下ろされ――ピタリと停止した。

それは少年と二人の師匠とのかつての邂逅の時の焼き直しのような光景である。

 

それを、「実戦はひとまず終了。座学の時間開始」と正確に師匠の意図を読み取った少年は、むすっとした顔で薙刀を手放してどっかりと胡座を組んで地面に座り込んだ。

 

実際、少年はここ一週間ほどの実戦形式の鍛練では闇雲に攻撃を行うばかりでまるで成長の手応えを得ていなかった。

むしろ座学と称して二人から教えられる世界の大いなる仕組みを知ることの方が少年を強く惹き付けていたし、美鈴からの武術の教えでは効率的な体の動かし方や洗練された技術の数々を、フランからの悪魔の実の訓練では能力の使い方を知り今では水面に波紋ではなく波を起こせるようになったし声を震わせるのではなく空気を震わせて遠くまで声を届けられるようになるなど、着実に成長を感じていた。

 

少年は頭が悪いわけではない。

ただ、環境ゆえに無知だった。

そして無知であることに自分で気づいていなかったのだ。

幸か不幸か、少年は頭が必要になる前に大抵のことは生まれながらに得ていた純粋な暴力でどうにかなってしまっていたのだから。

 

だから少年は師匠二人の話を聞くことを是として大人しく耳を傾けていた。

この二人はどうでもいいことをよく喋るし、今しがたのように馬鹿みたいなやり取りをよく行う。

しかしながら、そのうちの僅かには千金を払っても得られないような貴重な情報が混じっている。

少年はこれも「必要な情報を聞き逃さないようにする」という修行の一つなのではないかと真剣に考えているほどだった。

 

実際のところは、当人たちのみぞ知るところではあるが。

 

「二種類とはすなわち、(しん)(しん)。相手の動きを読む“身の見聞色”と相手の心を読む“心の見聞色”です」

 

「……よくわかんねぇ。相手の心を読むっていうのも、要は相手が次にどう動くか分かるとかってことだろ? だったらどっちも相手の動きを読むことには代わりねえじゃねえか」

 

「実に鋭い指摘ですね、グッドです。そもそも見聞色の覇気とは自分の覇気を相手の覇気にぶつけてその生命力を読み取る力のことです。人は誰しも大なり小なり覇気を持っていますからね。また、相手が覇気を自覚していないならば精度は上がります」

 

「逆に相手が優れた覇気使いなら、見聞色は意味がねえってことか?」

 

「いえ、効果が薄くなるだけで無意味とまでは言いませんよ。重要なのはこの時、変動する相手の覇気を如何に高精度に読み取るかです」

 

「――っ、そうか! そこでようやく身と心、何を読むかが大事になる。つまりさっきの種別ってのは極めた先の到達点、謂わば見聞色の覇気の第二段階……!」

 

「その通り。やっぱりエンド・ワールド君、地頭はいいんですよねえ。要所の言い回しも格好いいですし」

 

「ぶっ、ちょ、美鈴。急にその名前を呼ばないで。せめて姓か名かどっちかにしてよ。フルネームは不意打ち過ぎる」

 

「くそ、てめぇら真面目にやりやがれ!」

 

「私はいつだって大真面目ですよ?」

 

「真面目にこれだってのが一番タチ悪ィんだよ……」

 

「なんの話でしたっけ?」

 

「身の覇気と心の覇気の話だよ……」

 

「ああ、そうでしたそうでした。それで、身の覇気は相手の生命力が身体のどこで励起されているかを見抜くもので、心の覇気はそのまま相手の心を読むものです」

 

「覇気とは生命力……。だから表面化したそれを読めば次の動きがわかり、それはさながら未来視に。内在するそれを読めば生命の意思を知り、それはさながら読心に。そういうわけか」

 

「ほんとに理解が早いですねえ。ちなみに君はどっちの方が有用だと思いますか?」

 

「……心の方だ。身の方は既に表面化した覇気を読む以上攻撃までの間がない。心の方はそれより早く発生する以上、読み取ってから行動を起こせる」

 

「そうですね、概ね間違っていないと思います。ただ、やはりそのぶん習得は身に比べて難しいですよ。ちなみに人によって得手不得手もあります。私は身が得意ですし、妹様は心の方が得意です」

 

「概ねってのは?」

 

「人の心っていうのは摩訶不思議なものでしてねえ。何も考えずに無心で行動したり、そんなつもりはないのに手が出るとか体が意思に反して動いたり。行動の途中でいきなり思い付きで行動を変えたりする人もいます。つまり」

 

「……馬鹿にゃ効果が薄い」

 

「その通り。世の中には変な人がたくさんいるものですよ」

 

「お前に言われたくはないだろうけどな」

 

少年は一息ついて、天を見上げた。

仕組みは分かったが、だからといってそれを習得できるかというのはまた別問題だ。

これからまた、鬼のような修行でモノにしなければいけない。

それはどれ程遠い道のりか。

少年はいまだ見えぬ頂を思い、瞑目した。

 

「あ、ちなみに私くらいの使い手になればそもそも覇気を相手に気取られるような真似はしませんし、覇気によるフェイント、偽装も頭にいれて戦う必要があるのでまた話は変わってきますよ」

 

「あーそれね。美鈴は覇気と肉体の両方でフェイントいれてくるから困る困る」

 

「そんなこと言って妹様なんて心中偽装とかしてくるじゃないですか。そもそも見聞色の覇気を物質化させるのはずるいと思うんですよね。あればっかりはどうも私も習得できませんし」

 

「年の功って奴だね」

 

少年は何も聞かなかったことにした。

 

「あー、そういや、あれは何だったんだ。さっきの宝がどうのこうのって」

 

「ああ! すっかり話が脱線していましたね。そうそう、君の一番の宝物はなんですかって話ですよ」

 

「それはなんの意味があるんだ?」

 

「大事ですよー。宝物っていうのは別に物質に限りません。それは例えば曲げられない自分の信念でも、忘れられない思い出でも、なんなら愛する人でも構いません。人は何か自分の一番大切な何かを守るときに、最大の力を発揮するのです」

 

「一番大切なもの……」

 

「ですから、自分の宝物は何か、それをよく考えることが大切ですよ」

 

美鈴の言葉を聞き、少年は首を横に振った。

 

「俺にはそんな宝物はねえ。強いて言うならいままでの宝物は自分の力への自信とその積み重ねの結果のガラクタの山だった。そしてそれはもう木っ端微塵だよ。誰かさんのせいでな」

 

「別にそんなに悲観することはありませんよ? ないならこれから見つけて手に入れればいいだけなんですから。宝探しもまた強くなる過程では必要ですよ」

 

「宝探し、か」

 

「君が今一番欲しいものは何ですか?」

 

「力……ってのはダメだよな。力を得るために何が欲しいかって話なんだから」

 

「お、そこがわかっているのはセンスありますよ。人は往々にしてそこで躓くのです。目的と手段を混同してしまう。そして、時には望みさえも喪失する……ま、しばらく先までの宿題ですね。ゆっくりと考えるといいでしょう」

 

「そんなにゆっくりする気はねえが」

 

「まあまあそう言わずに。どうせ旅は長くなりますよ。そういえば妹様」

 

「ん、何? 美鈴」

 

「今回は結構長い旅の予定ですけど、昔みたいに海賊団は名乗らないんですか? 船長とコックに、雑用も加わりましたけど」

 

「特に考えてはいなかったけど……んー、別にいいよ。じゃあ今からスカーレット海賊団第二期結成というこで」

 

「四千二百年ぶり二度目ですね!」

 

「海賊団!? おい、何を勝手に決めてんだ。俺は雑用なんかやんねえぞ!」

 

「まあまあ、海の上ではみんな助け合いですよ。一つの船の上では船員は皆、家族なんですから」

 

「家族……?」

 

「そうですよー」

 

美鈴の言葉に少年は少し考え込んだ。

少年に家族なんてものはいない。

物心ついた時から親はなく、ずっと一人で生きてきたからだ。

家族どころか、友人すらいない。

 

だからこの喧しい二人が初めての自分の家族……?

 

「ハッ」

 

「えっ、なんで鼻で笑ったんですか?」

 

「いや、あんまりにも馬鹿なことを考えた自分にな。アホらしい」

 

少年は何を考えているんだと自重した。

少なくとも家族――初めてのそれを持つにしても、こいつらは願い下げだ、と。

 

そんなことを考えている少年を尻目に美鈴が、あ、と声をあげた。

 

「うーん、でも今の私の所属で海賊名乗るのも問題ですよねえ。海軍辞めちゃうのも勿体ないですし……」

 

「そういえば美鈴は捕まえる側かー」

 

「別に私の正義に反しないなら海賊を積極的に取り締まる気はないんですけどね。そこら辺は未来ある若者達に丸投げってことで」

 

「それでいいのか海軍大将……」

 

「いいんですよぅ。そうだ、偽名でも名乗っておきましょうか。対外的なポーズさえちゃんととっておけばバレたところでそうとやかくは言われないでしょうし」

 

「そうなの?」

 

「まあ自由にやってますし、上の方はみんな知り合いですから。それにまあ、治安が良すぎるのもそれはそれで問題というか。海軍も仕事なくなっちゃいますしね」

 

「警察とか自衛隊とかのジレンマだねえ」

 

「適度に闘争があった方が楽しいですよ、絶対。そうだなあ、コードネーム、“オールドレディ”とかでどうでしょう?」

 

「えーなんかダサ……というかそれで言うなら私の方がもっとオールドじゃないの」

 

相変わらずな美鈴のネーミングセンスに呆れるフラン。

 

「カッコよくないですか?」

 

「まあ人によるというか……あーそういえばウォースパイトの異名がオールド・レディだっけか」

 

「ウォースパイトってなんです?」

 

「私の世界にあった軍艦。世界屈指の殊勲艦で、一次大戦も二次大戦も生き残った通称“傷だらけの不沈艦”。「戦いのあるところ必ずウォースパイトあり」とまで言われたすごい船だよ」

 

「おー……おー! やっぱりカッコいいじゃないですか! ここまで私にピッタリなんて、やっぱり私の名前付けのセンスは冴えてますね!」

 

「……そうだね」

 

フランはウォースパイトが割といつもボコボコにされており故障と不調を抱えながら型落ちになった二次大戦では修復もロクにされないまま酷使されるといった不運なエピソードは語らなかった。

そこらへんも「あ、なんか美鈴ぽい」と思った訳ではない。

多分。

 

「ふっふっふ、今日から私はスカーレット海賊団のスーパーコック、謎の美女“オールドレディ”ですよ!」

 

「はいはい……。ああ、そうだ。どうせならあなたにも名前をつけようか」

 

フランはそう言って、いまだ考え込んだままだった少年に水を向けた。

 

「……は? 俺に名前?」

 

「そうそう。私は船員を名前で呼ぶけどさすがにエンド・ワールド君て呼ぶのはやだよ、私。シリアスな場面でも笑いそうになっちゃう」

 

「だから俺は船員になるなんて一言も……」

 

「あーじゃあ文ちゃんとはたてちゃんの時みたいに私と妹様で半分ずつ名前つけましょうよ! 今日の私のセンスはいつもよりも冴えてますよ!」

 

「まあそれでいいか。じゃあ私は名字の方で。……よし、思い付いた」

 

「話を聞けよお前ら! そして早すぎるだろ! 俺の名前なんだからもっとしっかり考えろよ!」

 

「え、いやちゃんと考えたよ。エンド……うふふ……ワールド要素も残しつつの割といい名前だと思うけど」

 

「だから人の名前を笑うんじゃねえ!」

 

「はいはーい! 私も思い付きました!」

 

「だからもうちょっとちゃんと考えろよ……!」

 

残念ながら少年の悲痛な叫びは二人には届かなかった。

そして、ついに考案時間三十秒の少年の名前がお披露目された。

 

「少年! 君の名字は今日から“エドワード”だ! ありふれたようでいて格好いい名字。しかしてその実態は“エンド・ワールド”を内包した隠し名! どう、パッと思い付いた割にはけっこう良くない?」

 

「流石妹様! ですが私も負けていませんよ? 少年! 君の名前は今日から“ニューゲート”です! 君の狭かった小さな世界は終わり(エンド・ワールド)、まだ見ぬ大海原への船出で新しい扉が開く(ニューゲート)! 元ゲート王国の出身でもありますし、門番の私が名付けた感もある素晴らしい名前ではないでしょうか!」

 

「ほう、なかなかやるね、美鈴……」

 

「ふふふ、私も日々成長しているのです……」

 

「くそっ、お前ら俺の名前で遊んでるだろ……!」

 

「あ、バレた?」

 

「人の名前付けるのって何度やっても楽しいんですもん。一応ちゃんと真面目に考えてはいるんですよ?」

 

「やっぱり真面目に考えてそのセンスなんだね……ニューゲートって人に付ける名前じゃないでしょ……」

 

「えーそうですか?」

 

「ふざけんな! 俺は絶対(ぜってぇ)そんな名前名乗らねえからな……!」

 

「ふふふ、私たちは常にこの名前で呼ぶからね。いつまで自分の認識を保てるかな……?」

 

「周囲の人にもちゃんと「エドワード・ニューゲート君です」って紹介しておいてあげますからね!」

 

「この……!」

 

内心「ちょっとカッコいいな」と思ってしまった少年が折れるまで、そう長くはない。

これがのちに時代に名を冠するとまで言われた、後の四皇『白ひげ』”エドワード・ニューゲート”の生まれた日であった。

 

 

 

 




美鈴や、こぁや、文や
あやややや

天上金
お金さえ払えば世界最強の軍隊が守ってくれる上に望めば支部を置いて常時駐留してくれる。
金額は国の規模によって変動するので小国なら少額と無理のない範囲に収まるようになっている。
その内実は実質的な軍事費相当を天上金として徴収することで各国の軍拡を押し留める目的が含まれる。
そのため、世界政府に加盟した場合はよほど強い国の産業がありでもしない限り軍拡の目途は立たず国防のほとんどを世界政府海軍に依存することとなる。
しかし、この世界は海賊が蔓延っていたり巨大生物が生息していたり個人規模で軍隊クラスの戦闘力を持つ者がうじゃうじゃいたりと修羅の国なので費用対効果を考えると実際安い。

ドラドラの実
原作には出てきませんが、ワンピースのゲームには動物系幻獣種、バットバットの実モデルバンパイアの悪魔の実を食したパトリック・レッドフィールドという尾田先生書き下ろしのキャラが存在します。
ロジャー世代の一人であり、生まれながらに強力な見聞色の覇気を持っていたりするインペルダウンレベル6の囚人で、異名は赤の伯爵、孤高のレッド。
バットバットの実の能力は自分と敵の年齢操作と暗闇を操る力らしいです。
しかし残念ながら作者はゲーム未プレイであり、全く活かせる気もしないので本作では彼はでてきません。
きっとバットバットの実はパチモンの吸血鬼とか不敬すぎるみたいな理由でラフテルの狂信者どもに厳重封印でもされていることでしょう。

喉を震わせて変な声が出せる
白ひげの十八番の宴会芸であり、これをやると場がドッカンドッカン盛り上がる。
ヘリウムガスを吸ったときのような高い声で喋る白ひげには誰も抵抗できず腹筋を破壊される。
グラグラの実の実用的な使い方としては振動を操ることで戦場で遠くに声を届けるのにも使えるし、周波数を操って他人の声も出せる。
ぶっちゃけ”振動”って応用範囲広すぎてヤバイのでは。
原作では大気にヒビをいれるとかそのまま空気を掴んで島を転覆させるとかどう考えてもおかしい性能をしているし……。
振動は”波”だしフランに鍛えられた白ひげならそのうち共振破壊とか光の波長操ったりとかしそう。
「世界を滅ぼす力」は伊達じゃないな!

宝の守護者
西洋竜の中でも特にギリシャ神話のドラゴンがこれ。
作者的には美鈴の門番設定はここから来ていると思っている。

オールドレディ
こんな変な名前は勿論、あからさまに伏線なのだ!



ごめんね白ひげ、中二病の黒歴史を作ってしまった。
原作並みのイケおじになるまで本作での君は斜に構えた中二ボーイだ!
なお力関係、年齢関係的にいじられ役で定着しそうな模様。
ちなみに前話の後書きにあるように、原作60年前時点のこの時の白ひげの年齢が14歳なので学校いってたらほんとに中学二年生。


あと震災直撃してしまったので次話ちょっと遅れそうです。
いろいろやること多くて大変な上余震も全然収まらない(つい5分前にも来た)くらいですが頑張りましょう……。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

海賊王の苦悩と冥王の諦観

前回のまとめ

・白ひげ君14才(髭はまだない)


参考:現時点でロジャー17歳、レイリー18歳
アニメ過去編レイリーは一人称“おれ”で金髪の完全にヤンキーな感じですが、作者がプロット切った時点ではアニメ未試聴だったので、漫画はモノクロなので普通に銀髪だと思ってたうえ喋り方もわからずで、シャンクスとバギーの喧嘩を仲裁してたあたりのイメージが強くそちらに引っ張られています。
具体的に本作ではロジャーと出会った時点で眼鏡かけてて少年らしさを残しつつもやや落ち着いた感じ。
勿論ロジャーに至ってはほぼ全部捏造。
脳内イメージと合わない!という方はそういう世界線だとでも思ってください。



眼鏡をかけ知的な雰囲気を滲ませる少年――レイリーは目の前の光景に、普段の冷静さをかなぐり捨て焦燥の極致にあった。

 

洋上にて出会った――目の前にあるのは、自分達が乗る船より大きいとはいえ小さな船だ。

乗員もおよそ十人も乗ればいっぱいだろう。

黒地に真っ赤に染め抜かれた赤い蝙蝠、そんな掲げられた旗も見覚えはなく、さほど有名な海賊団ではないはずだ。

 

しかし、乗っている奴らがヤバい。

不機嫌そうな顔をした薙刀を持った少年は年下ではあるが明らかに自分より強い。

奇妙な羽をつけている小さな金髪の女の子、緑の異国風の服を着た長身で赤毛の女性、この二人に至っては強いのかどうかも感じ取れない。

感じ取れないことが何より恐ろしい。

可愛らしく美しい見た目だ。

殺意や敵意を向けられているわけでもない。

そうだというのに、レイリーの生存本能はひしひしと逃走か降伏を訴えてくる。

 

レイリー――シルバーズ・レイリーは小さい頃に家を焼かれて以来、各地を転々とし盗んだ小さな船の上で生活していた。

その生活の上で何より必要になったのは腕っぷしではなく、危機感知能力だ。

 

腕っぷしも重要だ。

金がないから食べる物も奪うか盗むかしなければならないし、街を歩く時も裏路地を通るためガラが悪いのに絡まれることもしょっちゅうだ。

だがそれ以上に気を付けねばならないのが、就寝中の襲撃だった。

 

一人で生活している上、恨まれやすいとあっては夜間の襲撃者のことを考えないわけにはいかない。

その点、レイリーは幼いころから人並み外れた運動神経と敏感な生存本能で生き延びてきたのだ。

家を放火された際に逃げられたのもその類まれなる危機感知能力のおかげだった。

ある時二人旅になってからは見張りを任せ眠りにつくこともあったが、それでも警戒は怠っていなかったし、感覚が鈍ったとも思わない。

 

そして、その自分がなにより信じる感覚が、目の前の3人に対して盛大に警鐘を鳴らしている。

だというのに――。

 

「よぉ! いい船乗ってんなぁ! そうだ、今食いモンねえんだけどなんかくれねえか?」

 

レイリーは隣に立つ少年のその台詞を聞いて、彼と初めて会ったときのことを思い出した。

それはレイリーが東の海の海岸につけてある船の上で、揺られていた時の事。

気配には鋭いはずの彼が、声を掛けられるまで気が付かなかった。

 

 

 

「おい! いい船だなァ!」

 

「……んん? ――盗んだ船さ……」

 

声をかけてきたのは麦わら帽子をかぶった粗末な身なりの少年。

見た目からは自分とさほど変わらない年に見えた。

レイリーは内心では警戒していたが、いきなり襲ってくることもなかったため適当に言いくるめて退散させようと考えた。

 

「家を焼かれておれはここに住んどる」

 

「そうか! 名前は?」

 

一瞬、答えに逡巡する。

しかし、少年の誰何に含むものがないと判断し、そのまま本名を名乗る。

 

「……レイリー」

 

レイリーが素直に名前を口にしたことに気をよくしたのか、少年は声高々に名乗りを上げた。

 

「おれはロジャー! この日の出会いは運命だ! レイリー。――おれと一緒に世界をひっくり返さねェか!?」

 

その言葉にレイリーは一瞬呆け、次いで相手にするまでもない馬鹿だと悟った。

 

「世界? ……ハハハ、どこの誰だお前は。どっか行け!」

 

 

 

そうして追いやろうとしたが、ロジャーと名乗った少年はいつまでもレイリーに付きまとい、いつしかレイリーが根負けしてなし崩し的に同道することとなる。

そんなはた迷惑な少年――この隣のアホ面、能天気、口がでかい礼儀知らず――なんと表現したものか、罵倒の言葉に困らないレイリーの悪友はいつもと変わらぬ神をも恐れぬ態度でいる。

罵倒はすれどレイリーはこの悪友、ゴール・D・ロジャーのことを本気で馬鹿だとは思っていない。

いや、確かに馬鹿ではあるのだがただの馬鹿ならずっと一人で生きてきたレイリーが今なおつるむこともない。

付き合いはまだそれほど長いわけではないが、レイリーはロジャーの他人とは一味違うところをたくさん思い知っている。

 

このバカは頭が残念でアホなことをたくさんやるが、人並み外れて幸運だった。

教養がなく礼儀知らずだが、他人の超えてはならない一線には絶対に触れない。

周囲の悪意や嘘に敏感で、初対面の人間が善人か悪人かどうかもわかるらしい。

 

シルバーズ・レイリーはこの時、人生で初めて”逃げろ”という自身の直感、本能をねじ伏せ、隣に立つ悪友を信じた。

それがいかなる思考プロセスでもたらされたものなのかは、聡明なレイリーをしていくら考えてもわかることはなかった。

ただし、レイリーはのちに酒宴の席で、「”海賊王”ゴール・D・ロジャーの右腕としての”冥王”シルバーズ・レイリーが生まれたのはまさにこの時だった」と述懐している。

自分よりも信じられる、自分の命を預けられる、それが優れた船長の特徴なんだとも。

 

そして、その判断はまさにこの瞬間に於いても正答を掴み取っていた。

 

「あはは、誉めてくれてありがとう。それじゃこっちの船に招待するよ。ちょっと聞きたいこともあったしご馳走するよ?」

 

「まじか!? 食う食う!」

 

そう言ってロジャーは自分達の船からひらりと飛んで件の船に飛び移った。

それを見てレイリーは呆れながらも、頼もしい悪友の後を追った。

 

 

船の食堂とおぼしき場所に通された二人は席につき、食事を待っていた。

どうやら長身の赤毛の女性が食事を作るようで場を離れたが、同じく卓につく金髪の少女はなにが楽しいのかニコニコとこちらを見ているし、太った少年は不機嫌そうな顔でこちらを睨み付けている。

 

人生ではじめて経験する”緊張で胃が痛い”という感覚を知りながら、レイリーは人肉と血のジュースでも出てきたらどうしよう、などとあられもないことを考えていた。

なお目の前の少女の本来の主食が()()であることを考えれば決して的外れでもないのだが。

 

「まだかなーまだかなー」

 

「おい、ロジャー。食わせてもらうんだからせめて大人しく待ってろ」

 

行儀悪くナイフとフォークを打ち鳴らし催促じみた声をあげるロジャーに、たまらずレイリーも声をかける。

それを宥めたのは金髪の少女だった。

 

「いいよいいよ。ちょうどお昼時だったから美鈴もすぐにご飯持ってくるとは思うけど……その間に自己紹介でもしようか」

 

「お、いいぜ。俺はゴール・D・ロジャー。いつか世界をひっくり返す男だ!」

 

「……シルバーズ・レイリーです。よろしく」

 

「そっか、なるほどDね。道理で。ああ、私はフラン。フランドール・スカーレット。気軽にフランって呼んでね」

 

「俺はエン「あ、こっちはエドワード・ニューゲート。むすっとした顔してるけどいつもこんな感じだから」

 

チッ、と舌打ちして少年は席をたった。

そしてそのままのしのしと部屋を出ていった。

代わりにフランドール――フランが口を開く。

 

「あはは、まあ気にしないで。難しい年頃なの。そっかあ、それにしてもDねぇ。それに、世界をひっくり返すって、ふふ」

 

「ん、? おめぇ“D”について何か知ってんのか?」

 

「まあね、いろいろと」

 

”D”。

ロジャーのミドルネームだが、レイリーもよく知らなかった。

”D”がなんの略なのか、なぜ普通は持つことのないミドルネームをロジャーが持っているのかも。

いままで興味を持たなかったと言えばそこまでだが、もしかしてこの男、イイトコの出だったりするんだろうか。

初めて会ったときの誘い文句にして奴の口癖の「世界をひっくり返す」というのはもしやクーデターのことを言っているのか?

だとすればコイツ、まさか本当に亡国の王子かなにか――。

 

「まじかよ!? 俺んちは代々この名前を継いでんだけど、なんて読むのか親父も知らなかったらしいんだよな。なあなあ、これどういう意味なんだ? 教えてくれよ」

 

ガクッ、とレイリーは椅子から転げ落ちそうになった。

そりゃそうだ、コイツが王子なんてガラかよ、とレイリーは自分自身に突っ込んだ。

どうも異常な空間にいて思考がおかしくなっていたらしい。

 

「おまたせしました~」

 

そうしてフランが語りだそうとしたとき、長身の女性が手に皿を持ち戻ってきた。

漂ってくる香りはとても素晴らしく、レイリーは思わず目を閉じ感じ入ってしまった。

冷静沈着な――このところはイマイチなものの――レイリーさえ心奪われた香りである。

 

暴食の化身にしていつも財布の紐を握るレイリーを困らせる隣の馬鹿が反応しない訳がなかった。

 

「んおぉー、良い匂いぃ!!」

 

既にDのことなどすっぽり頭から抜け落ちているようで、瞳には料理しか映していないロジャーの姿にフランは苦笑いをする。

 

「まあ冷めちゃうのもあれだし先に食べようか」

 

レイリーはフォークとナイフを器用に使い、目の前の肉料理を切り分けていく。

となりの馬鹿はもはや手掴みと丸飲みに移行しているが、これほどの料理ならば少なくも料理と料理人に対する敬意が必要だ。

マナーなどはかけらも学んだことのないレイリーではあったが、そのくらいの心得は持っていた。

 

……仮に一人であったならば一も二もなくがっついていたのかもしれないが、少なくとも人目がある状況では見栄が勝った。

 

見たこともない厚さの肉に、豪快にかけられた芳しいソース。

それを彩る周囲の付け合わせの野菜すら、レイリーはいまだ経験したことがなかった。

 

「……うまい」

 

思わずポツリと言葉が漏れる。

それを聞いて微笑んだ長身の女性は「お代わり持ってきますねー」と言って厨房へと戻った。

 

そうして、うめーうめーと大騒ぎしながら食いまくるロジャーを尻目にレイリーも黙々と五皿目を平らげた。

 

「……旨かった」

 

「うひゃー、食った食った」

 

「お粗末様でした」

 

「しかしよく食べるねえ。まあ美鈴のご飯は美味しいから気持ちはわかるけど。あ、紹介遅れたけどこっちが美鈴ね。うちのコック」

 

「ただのコックじゃありませんよ。スーパーコックです! あと今は副船長と航海士とその他諸々兼務です」

 

「はぁ……? まあ、よろしく」

 

「お前スゲーなぁ、一人で全部やってるとかレイリーみたいだな! 料理はできねえけど!」

 

「お前はもう少し普段から仕事をしろ」

 

ロジャーとレイリーは別に海賊団を結成している訳ではなく、ただなんとなく気が合ったから共に旅をしているだけの関係だ。

しかし、生来どこか生真面目な感があるレイリーと、本能に従って生きている野生児のようなロジャーとでは自然と仕事の分担も分かれている。

ロジャーの仕事は食うことと寝ることと遊ぶこと。

レイリーの仕事はそれ以外の全部である。

 

「さて、落ち着いたところでお話を……と思ったんだけど実はもう聞きたいことないんだよね」

 

「あれ、妹様、あの見聞色の覇気の謎は解けたんですか?」

 

「うん、こっちのロジャー君が“D”なんだってさ」

 

「ああ、なるほど。血の為せる業でしたか」

 

「そうだ、おめぇそのDのこと聞かせてくれよ!」

 

「そういえば話が途中だったっけ。いいよ、Dって言うのはね……」

 

 

 

 

ゴール・D・ロジャーは人生で最大の衝撃を受けた。

世界を真っ二つに割った大戦争、その話の余りの大きさに隣のレイリーは未だ疑っているようだが、ロジャーは驚くほどにすんなりとその事実を受け入れた。

それはロジャーが、なんとなく他人の嘘がわかる、という生来の能力を持つため、ということもあるが、それ以上に理性ではなく魂で納得したからというのが大きい。

ロジャーはまだ見ぬ興奮に体の中を熱く滾らせていた。

 

「それじゃあ俺のご先祖さんはその統一王国ってのにいたのか」

 

「多分ね。私がDを贈った相手は統一王国側の人間だけだったから。どの時期かはわからないし、王様以外にもそれなりにたくさんDを持つ人はいたからどの血筋かも分からないけどね」

 

「戦争でいっぱい死んじゃいましたからねえ。名前の由来も失伝してしまったんでしょうね」

 

「……ん、ちょっと待て、フランドール。それは何かの文献で読んだとかではないのか? お前は今、私がDを贈った、と言ったが」

 

「あっ」

 

レイリーが鋭い指摘をすると迂闊なことを口走ったフランは苦笑しながら更なる真実を告げた。

即ち、長久の時を生きる吸血鬼と龍人の話を。

 

驚きで声がでない二人を横に、フランは話を続ける。

 

「私があなたたちに声をかけたのも元々はこのことが原因なんだよね。ロジャー君は普段から他人の動きとか心が読めたりすることはない?」

 

「え、あ、ああ、ある、あるよ。俺は小さい頃からいろんなものの“声”が聞こえんだ。やっぱこれ、気のせいじゃねえんだよな?」

 

「そうですねえ、それは見聞色の覇気という能力です。声ということはどうも“心の見聞色”に寄っているようですね」

 

「私があなたたちの船に接触したのは、とんでもなく膨大な見聞色の覇気があたり構わず撒き散らされている光景を見たからなんだよ。今もこのあたりに適当に広げられているってことは制御できてないんでしょ」

 

「こ、これ、制御なんてできんのか!? 頼む、もし知ってるならそのやり方教えてくれ!」

 

「ロジャー!?」

 

フランの話の途中、突然頭を下げたロジャーをレイリーは目を丸くして見つめた。

なんとなれば、それは遥か昔の統一戦争よりも長命種二人の存在よりも、レイリーにとっては驚きだった。

この傍若無人を地で行く男が、頭を下げて教えを乞う姿というのは想像すらしたことのない姿だった。

 

レイリーの疑問の声を聞き、頭を下げていたロジャーが、レイリーに向き直る。

そして、バツが悪そうに目を背けながらポツポツと話し始めた。

そんな姿もまた、レイリーにとっては初めて見る悪友の姿だった。

 

「レイリー、俺はよ、物心ついたときからこの力があった。動物や植物と話ができるのは嬉しかったけど、逆に言やあそいつらしか話し相手がいなかったんだ。親父は俺が小せえ頃に死んじまって、それっきり俺は村で気味悪がられてた。しまいにゃ殺されそうになって、俺は七つで村を出た」

 

「ロジャー……」

 

それはレイリーが知らない、いつも能天気だと思っていたロジャーという男のもうひとつの姿。

 

「声はな、聞きたくなくても聞こえてくるんだ。今はもう慣れたけど昔は酷かった。人間てのはどんなに良いやつに見えても裏の顔がある。ほんとに良いやつでもふとしたときに汚え心が顔を覗かせる。俺ぁほとほと人間ってやつが嫌いになった」

 

「…………」

 

レイリーにとってロジャーの独白は共感できず想像することしかできないものだった。

レイリーも幼いながらに家に火をつけられ焼き出されるという過去を持っているが、流石に他人の心を読めるなんてことはない。

 

「だから俺はこんな醜くてうじうじした世の中をひっくり返したくなった! みんなが笑える世界とか、そんな温いことは言わねぇ! だが、俺みたいなのが化け物だなんだってどっか隅に追いやられるような、そんな世界だけは認めねえ!」

 

ロジャーの叫びを聞き、美鈴はつい、と顔を逸らした。

ロジャーへの迫害は恐らく世界政府も一枚噛んでいる。

世界政府は悪魔の実の能力者を含め、異能持ちの台頭を恐れているのだ。

それは治安の維持という目の前の目的と、かつてのような戦争を危惧してのことである。

別に美鈴がそう世界政府に命令した訳でもないが、実際に聞かされると多少は気まずいものだった。

 

ロジャーの話は続く。

フランと美鈴は口を挟まず静かに聞いていた。

 

「レイリー、前に俺が、殺しはなるべくしねえ、って言ったのは覚えてるか?」

 

「あ、ああ、勿論だ。もっとも、俺だって海軍に積極的に追いかけられたくはないから言われずとも殺しまではするつもりはなかったが」

 

「俺がそう言ったのは死ぬ間際の“声”が聞こえるからだ。あれは本当に辛え。頭ん中ぐちゃぐちゃにされて心臓が引っ掻かれたみてえに苦しくなる。でもよ、これからもっとデケエ海に出るってのに、いつまでもそんなんじゃいけねえよな。スッゲー話も聞いちまったしよ!」

 

「ロジャー……」

 

「――だから頼む、フランドール! 俺にこの力の制御のやり方を教えてくれ!」

 

再度頭を下げたロジャーに、フランが問いかけた。

 

「事情は分かったよ。でも制御でいいの? もしこんな力いらない、って言うんなら周りの声を一切聞こえなくして能力を完全に使えなくしてあげることもできるけど」

 

「いや、それにゃ及ばねえ。この力はなんだかんだ言っても小せえ頃からずっと一緒だし……それに、良いことだってたくさんあったからな!」

 

「それは、動物の言葉が分かったりとか?」

 

「それもあるけどよ、一番はやっぱレイリーだ!」

 

「は? 俺? どういうことだ?」

 

「レイリー! 俺がお前を旅に誘ったのはお前の心が澄んでいたからだ。別に綺麗じゃねえが、お前からは不純な感じがしなかった。それにお前は一度も俺のことを気持ち悪いとか化け物だとか思ってねえ。今だって、俺が心を読めるって知ったのに、全然だ!」

 

「……突然何を言い出すんだこの馬鹿は。お前には羞恥ってもんがないのか」

 

「まあ、お前を旅に誘った一番の理由はお前と一緒なら楽しそうだし、なんかデッケエことができそうな気がしたからだけどな!」

 

「それも能力か?」

 

「いや、勘だ! なんとなく!」

 

ニシシと笑うロジャーに、レイリーは堪らず顔を逸らした。

全く、本当にこの馬鹿は、と内心で毒づくことも忘れない。

 

そんな二人の姿を見て、フランは笑った。

 

「あはは、おっけーおっけー。いいよ、それじゃあ能力の使い方、ちゃんと教えてあげる。何代も前の因果とはいえ私の妖力に振り回されてたようだし、そのくらいの責任は全うするよ」

 

「おお、マジか! ありがとよ、フランドール!」

 

「フランで良いよ。私もロジャーって呼ぶから。あなたもレイリーでいい?」

 

「あ、ああ」

 

「それでは私も美鈴と……おっと間違えました、私のことはオールド・レディとお呼びください」

 

「いや別に船の中なら美鈴でいいでしょ……」

 

こうしてこの日スカーレット海賊団の船員が一時的に二人増えた。

なお夜の歓迎会では二人とも昼食の3倍の量を平らげたために、食事を作る美鈴をひいひい言わせることとなる。

 

 

 

 

ロジャーとレイリーがスカーレット海賊団に居候のような形で加入して早くも一ヶ月が経過した。

 

その間フランはロジャーに付きっきりで見聞色の覇気の制御を教えていたが、未だ目立った成果は出ていなかった。

ちなみに覇気についてはフランよりも美鈴の方が扱いに長けているが、ロジャーの場合は血筋に現れる妖力――“D”による覇気の暴走現象であるため、より妖力の扱いに長けたフランが教えている。

 

そんなわけで二人が修行を行っているので、必然美鈴とニューゲートはこちらもペアのような形になる。

そして、一人手持ち無沙汰になるレイリーがそこに巻き込まれるのも必然であった。

 

「ま、まった、ギブだ、ギブアップ……」

 

「おやおや、もうおしまいですか? ではエド、どうぞ」

 

「へばるのが早えんだよこのモヤシメガネ!」

 

「さっきのお前よりは耐えただろうがこのデカ男!」

 

悪態をつきながら美鈴に飛びかかるエドワード・ニューゲート――エド。

今現在二人は美鈴との仁義なきデスマッチ風の稽古中であり、片方が戦っている間もう片方が休めるという仕様上、互いに互いを罵りあっていた。

 

「くそっ、このっ」

 

避ける、避ける、ひたすら避ける。

本日のメニューはロジャーと同じ見聞色の覇気の特訓であり、内容は美鈴の攻撃をただただ避けるというもの。

ただしこれがゴリゴリと精神を削っていくのを二人は感じていた。

 

躱せない。

 

美鈴の攻撃はそのすべてが、全神経を集中して体をフルに使って()()()()()()()()攻撃であり、必ず当たる。

当たると言っても直撃ではないのでダメージはさほどなく、かすったようなものである。

しかしそれに怯んでしまうと次の攻撃がまともに命中し――激痛が走る。

 

この激痛はただ攻撃を受けたことによるものではなく、”気”を浸透勁の要領で痛覚に直接打ち込むというもので想像を絶する激痛が走る。

その痛みは、ナイフで刺されてもうめき声ひとつあげないほどには痛みに強いエドをして恥も外聞もなく泣き叫びながらうずくまるほどであり、それを見たフランとロジャーは冷や汗を流し、次に自分の番が来ると知っているレイリーは絶望を顔で表現した。

 

いやらしいのはこれが”ただ痛みを感じる”という攻撃なだけあって、身体へのダメージが実際にはほとんどないことである。

そのため、如何に痛くとも数分もすれば収まり――また次の自分の番がくる。

痛みで何度かショック死するんじゃないかと危惧するくらいにビクンビクンのたうち回っても身体に然程影響はなく、ただ本能がガンガン警鐘を鳴らす程度で終わる。

 

肉体ではなく精神を苛め抜く、美鈴老師(せんせい)が考案したお勧めの修行法である。

 

実際、覇気は生命力の発露であり生命が危機を感じた時に最も高まる能力なため、こうして戦闘における痛みを通して学ぶのはほぼ最短にして最高効率の習得法である。

これより上ともなると実際に死闘を繰り返し、死線を自らの力で超えていくという荒唐無稽な方法しか残されていない。

 

「ぐああああああああああ!!!!!」

 

「気を抜きましたね? 戦場では一瞬の気の緩みが命取りですよ」

 

気の緩みというよりも一呼吸乱した程度ではあったがエドは無様に地面を転がり、ほぼ休む間もなく順番が回ってきたレイリーは舌打ちした。

 

「うーん、レイリー君も筋は悪くないんですけどねぇ。覇気を習得するにはもっと頭を空っぽにする必要があるんですよ」

 

「空っぽ……?」

 

「”考えるな、感じろ”ってことですね。月をさす指のようなものです。指に集中していては栄光を見失います」

 

「……意味が分からん。言葉で説明してもらった方が早いんじゃないのか」

 

「真理は言葉とは何の関係もないということですよ。それは空に見える明るい月にたとえることができます。言葉はそう、この場合には指にたとえることができます。指は月の位置を指し示すことはできますが、真に大事なのは指ではありません。指にこだわっていては月を見ることはできないのです。真理にたどり着くには指を越えてその先の月を見なければならない。大事なのは理論ではなく実践、頭ではなく体で感じ取ることだということです」

 

「それがこの訓練だと? 俺にはとてもそんなことができるとは思えない」

 

「疑わないこと。それが強さです。自分を強く信じることと言い換えてもいいですね。自分にはできると信じる、思い込む。そうするだけで君はきっと新しい世界の扉を開くことができます」

 

そう言われ、レイリーは目を閉じてしばし考え込んだ。

しかしどう考えても、目の前の化物が扱うような”見聞色の覇気”とやらが自分に使えるようになるとは思えなかった。

そうして悩むレイリーに、ロジャーの声がかけられた。

 

「大丈夫だ、レイリー! お前は俺が認めた奴なんだ。だからできる!」

 

「ちょっとロジャー、あなたはあなたでちゃんと集中して!」

 

「あ、おい、ちょっと待ってくれよフラン!」

 

フランに怒られ引きずられていくロジャーの声を聞いて、レイリーは呆れのため息をついた。

俺が認めた奴なんだからできる、ってどんな理論だ。

なんの根拠もないその自信はどこから湧いてくるのか。

 

しかしここでレイリーはふと――これこそが美鈴の言っていた事なのではないかと思い直した。

あの馬鹿のように能天気に楽観的に、自分ならできると思い込むことこそが大事……。

 

「あーもう、んなことできるわけないだろ!」

 

「えいっ」

 

「ぐああああああああああ!!!!!」

 

目をつむり考え込んでいたレイリーに音もなく忍び寄った美鈴が、その脳天に手刀をかました。

もちろん、例の激痛バージョンで。

 

「あ、あたまが、あたまがわれる……ぐあああああ……」

 

外的損傷はないはずなのに痛みで脂汗が流れ、身体がうまく動かなくなり酸素を取り込むことすら難しく口をパクパクと開閉させることしかできずに地面をのたうち回る。

 

「ん!? まちがったかな…」

 

激痛に悶えるレイリーを見て美鈴は困惑の表情を浮かべた。

 

「今のはお前を信じる俺を信じろ的な感じで友の信頼を信じて覇気に覚醒する場面じゃなかったですかね……」

 

修行の道は未だ、険しく遠い。

 

 

 




俺とおれ
今更ながらですが原作ワンピースにおいて一人称”俺”は平仮名でおれ表記になってます。
これは尾田先生の心意気によるものだそう(52巻SBS)ですが、拙作では基本的に漢字表記します。

万物の声
ロジャーは万物の声が聞こえたそうなので色々捏造。

美鈴老師
老師は中国語では先生の意。
まぁ美鈴は実際高齢なので字面的にも老師で問題はな(ピチューン
ウィキに「老師は基本的に穏やかで信頼できる指導者であるが、トレーニングになると非常に厳しくなることができる。彼はトレーニングにおいては無駄な希望を弟子に与えない。弟子は老師によって鍛えられるために、決して老師の教えを疑わず、痛みに耐えることに備えるべきであると、とても明確に示している」とある感じにぴったりな呼び名。
これ洗脳教育では。
ちなみに老婆も中国語だとおばあちゃんではなく自分の妻、つまり嫁のことなので「フランは俺の嫁」を中国語にすると「芙蘭是我的老婆」になりま(ピチューン

考えるな、感じろ
Don't Think. Feel!
『燃えよドラゴン』においてブルース・リーが弟子に稽古をつける場面での名台詞。
直後のセリフは「It’s like a finger pointing away to the moon. Don’t concentrate on the finger, or you will miss all the heavenly glory.」
禅問答の一節ですね。

疑わないこと。それが強さ
レイリーがルフィに覇気修行付けているときの台詞。

ん!? まちがったかな…
うわらば!

お前を信じる俺を信じろ
グレンラガンから。
この台詞はもっと後の展開の「俺が信じるお前でもない~」から続く一連の名台詞への伏線なのだがこっちの方が知名度が高い気がする。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

料理人の弟子と暴虐の新入り

前回のまとめ
・ロジャーとレイリー
・エド、ロジャー、レイリーの修行の日々


海賊とは何か。

それは船舶や沿岸部を襲い、金品を強奪する盗賊の総称である。

 

彼らはその定義からして悪であり、スカーレット海賊団を善か悪かで論じれば、それは間違いなく悪の側に属する。

あらゆる法は彼らを縛れず、略奪行為は日常茶飯事、時には殺しに発展することもある。

 

ただしそれも海軍――絶対正義の側から見ての話であり、内実は少々異なる。

 

例えば、彼らは滅多に無辜の民を襲わない。

襲うのは専ら悪人相手であり、場合によっては人助けを行うこともある。

ちょっとした街の破落戸(ごろつき)相手から、悪政を敷く領主、海域を牛耳る大海賊団、私腹を肥やす悪徳海軍……あらゆる悪は彼らの前に敗れ、その悪行をお天道様に曝すことになる。

 

では彼らは正義か。

――それもまた否。

 

彼らは別に正義のために動くわけではなく、治安の維持や人道に基づく信念を持つわけでもない。

事情があれば一般市民を襲うことにも躊躇はなく、それはただ気まぐれな行動方針でしかないのである。

 

――ある時、鴉天狗の記者がスカーレット海賊団の船長にインタビューを敢行した際の記事がある。

そこにはこう記されている。

 

Q:スカーレット海賊団の皆さんを、悪人を成敗する義賊のように思っている人々も多くいるようですが、それについてはどう思います?

 

A:あはは、ないない。悪い人を相手にすることが多いのは、その方が便利だし効率も良いからだよ。

 

Q:と、いうと?

 

A:()()()()()世間の目を味方にできるでしょ。あと、だいたいお金とかイイモノって善人より悪人の方がしこたま溜め込んでるものだよ。

 

Q:なるほど、しかしやはり少しは正義の心みたいなものもあるのでは?

 

A:まあ完全にないとは言わないよ。うちには心の優しい団員もいるしね。でもま、海賊団って掲げてる以上は何をしようと偽善じゃない?

 

Q:まあやってることは基本的に犯罪ですからね。

 

A:そうそう。悪はより大きな悪によって滅びるのさ。

 

Q:なるほど、含蓄のあるお言葉ですね。ところでちょくちょく海軍にちょっかいを出す理由は教えていただいても?

 

A:ああ、あれ? 食後の腹ごなしというか、軽い運動ってやつ? ほら、適度に体動かさないとなまっちゃうでしょ。

 

Q:そうですねえ、私も最近運動不足で体重が気になります。

 

A:あはは、あなたはいつも空を飛び回ってるんだから大丈夫じゃない? まあでもいい運動になるよ。今度参加する? ドンパチ。

 

Q:いえいえ、皆さんのお楽しみを邪魔する気はありませんので。それでは私はこれで。

 

A:ああ、うん。それにしても久しぶりに顔を合わせたってのにずいぶん変なこと聞くんだね。そういえばあの子の子供もうちの船に……え、これ記事にする? ちょっと待って、そんなの聞いてな、あ、こら、逃げるな! 待てー!

 

こんな記事が海軍軍報“文々。新聞”に載ったものだから、彼らを追いかけていた海軍は怒り心頭だったとか何とか。

 

とにかく、そんな彼らは悪の側ではあっても気まぐれで人助けはするし、身内に対して優しいことに相違はない、ということだ。

 

 

 

 

「子供を拾ったあ!?」

 

フランドール・スカーレットの驚きの声が船内に響いた。

食卓についていたエドワード・ニューゲート、ゴール・D・ロジャー、シルバーズ・レイリーも同様に驚きの目を向けた。

 

爆弾発言をしたのは紅美鈴。

今はオールド・レディと名乗っている彼女であった。

 

「あーいえ、結果的に子供がついてくることになりそうってだけで拾ったわけではないんですけどね……」

 

美鈴が説明したところによると、話はこうだった。

 

この日はとある大きな街で料理大会が開かれていた。

食材の買い出しに出ていた美鈴は気まぐれに飛び入り参加し、優勝商品の高級食材と賞金を掻っ攫うことに成功する。

ところが、その賞金で買い物をして帰ろうという時、子供連れの男に声をかけられた。

曰く――アンタの料理に心底惚れ込んだ! 俺を弟子にしてくれ――と。

 

「まあそんなわけで弟子入りを志願されたんですけど、私そんなこと言われたの初めてでちょっと嬉しくなっちゃって」

 

「あーまあ、昔何人かいたにはいたけどあまりの差に心折れちゃってたもんね……」

 

「ええ。それで彼にも試す意味合いで本気の料理を出したんですが、ますます熱心に売り込まれてしまって。何でもするから弟子にしてくれ、と」

 

「それで船に乗せたいわけね」

 

「ええ。最近は大食らいの人も増えましたし手伝いにも丁度いいかなあと。それで、彼は女の子を一人連れていまして。どうも娘とかではないみたいなんですが、一緒に旅をしているとか」

 

「ふーん、まあ別にいいよ。来る者拒まず去る者追わずってね」

 

「そうですか、いやあ良かった良かった。あ、そういうことですので入ってきてくださーい」

 

美鈴の呼びかけに応え、扉が開く。

そして身を屈め入ってきた人影にフランたちはまたもや驚いた。

 

「うわあすごい」

 

「なんだコイツ……」

 

「うひゃー、デッケエなあ!」

 

「話に聞いたことはあるが、巨人族をこの目で見るのは初めてだ」

 

入ってきたのは眉と髭が濃い小男と、身の丈三メートルを超える巨大な子供というアンバランスな二人組だった。

 

「お世話になりやす。俺ぁシュトロイゼン、しがない料理人です。こっちはシャーロット・リンリン。故あり拾って共に旅をしてやす」

 

シュトロイゼンと名乗った小男は帽子をとり頭を下げる。

一方紹介された巨大な女の子はキョロキョロと忙しなく辺りを見回している。

 

「えーと、リンリンちゃん? 何歳の……人間?」

 

「巨人族かとも思いますが、一応人間……のはずですぜ」

 

「ふーん」

 

そうしてスカーレット海賊団に、新たに見習いコックのシュトロイゼンと、大きな女の子シャーロット・リンリンが加入した。

しかし、美鈴に師事し料理道に血道をあげるシュトロイゼンはともかく、シャーロット・リンリン、彼女がまた問題児であった。

 

「セムラセムラセムラセムラセムラアアア!」

 

「ぐおおおお!?」

 

「くそっ、ロジャー早く抑えろ!」

 

「無茶言うなよレイリー!」

 

シャーロット・リンリン。

彼女はまだ八歳の人間の女の子である。

しかし、悪魔の実『ソルソルの実』の能力者である、ということを考慮してなお、彼女は異常だった。

 

その一つが、食い患い。

何かを急に食べたくなり――そうするともうその事しか考えられなくなり周囲を手当たり次第に壊しまくる発作。

そしてその際の脅威度は平時とは比較にならない。

通常時ですらおよそ人間とは思えない膂力の持ち主だというのに、食い患いの時の彼女は巨人族をも上回る怪力を発揮する。

 

つまり端的に言って、現在のエドワード、レイリー、ロジャーが束になっても敵わないのである。

 

「だめだっ、もう限界だぞ!」

 

レイリーの叫びにエドワードは目を剥いた。

今彼らは暴走したリンリンを鉄網によって抑えていた。

これは以前の暴走時にボロボロにされた三人が知恵を出しあい製作した秘密兵器だった。

力自慢のエドワードでさえ一度絡め取られてしまえば抜け出すことは容易ではないこの鉄製の網を、あろうことかリンリンは正面から引きちぎろうとしていた。

 

そして、すでに一部には断裂が走っている。

 

「まずっ――」

 

三人の必死の抵抗も虚しく、鉄網が紙細工のように引きちぎられ吹き飛ばされる。

ゴロゴロと転がり、船の縁に体を強打したエドワードはふらつく頭を振りリンリンを見る。

 

「おい、やめろ!」

 

リンリンが振りかぶった右手は船のメインマストに向けられていた。

それが直撃すれば、どうなるかは想像に難くない。

しかしエドワードの制止など食い患いで周囲が見えていないリンリンには全くの無意味であり、振りかぶられた右手は――瞬時に現れた美鈴の片手にぱしっと受け止められた。

 

その光景はエドワードと、彼に遅れて復帰したロジャーとレイリーの心胆を寒からしめた。

 

自分たち三人が束になってなお止められない進撃を片手で止めたこともそうだし、いつ現れたのか分からない移動速度も恐ろしい。

なにより、反対の手に持っている皿にのったお菓子が、今の一連の動きの中で欠片も溢れていないのである。

 

「はいはいどーどー。お望みのセムラですよー」

 

美鈴が声をかけるもそれすらリンリンには届いていないようで、なおも暴れるのを止めない。

 

「仕方ありませんね、少々無作法ですが。よっと」

 

言うなり美鈴はおもむろに片手に持っていた皿を放り投げ――右足の爪先でキャッチした。

そして空いた両腕でリンリンを拘束すると、それまでの暴れようが嘘だったかのようにリンリンは動きを止めた。

 

否。

能力ゆえに空気中の微細な振動を感じとれるエドワードにはわかる。

あれは動くのをやめたのではなく、万力のごとき力と柳のごとき技でもって無理矢理動きを止めているのだと。

今もせめぎあう力のぶつかりが音にすら聞こえない振動として空気を揺らしていた。

 

そしてそんな状態でありながら美鈴は器用に足を動かし、爪先にのった皿をリンリンの口もとまで運ぶ。

そこまでしてようやくリンリンはセムラに気がついたようで、今度こそ本当に動きを止めた。

 

「セムラだあああぁ!」

 

「はいはい、ああもうそんなに粉をこぼして……今度食べるときの作法を教えてあげましょうか」

 

ニコニコと笑いながらリンリンの相手をする美鈴を見て、エドワードはここ数日で改めて思い知らされた美鈴の底知れなさについて考えていた。

普段の自分とレイリーの修行では軽くあしらわれてしまいその実力の一片も見れていないとは思っていたものの、自分たちより強いリンリンが現れたことでより彼我の実力差が明確になった。

 

まず、身体能力が圧倒的に違いすぎる。

そして技術もまた。

レベルを上げて物理で殴ると言わんばかりの基礎スペックの暴力に加えて、そこから繰り出される技が空前絶後の領域となれば――それはもはや極まりし頂点。

話に聞くその上の龍の力を解放した状態など、エドワードには想像もできなかった。

 

その頑強さは妖力を体に取り込んだことで得たものだということは知っている。

その技術が数千年もの鍛練の積み重ねによるものだということも知っている。

だからそもそもほんの十数年しか生きていない、鍛練に至ってはまだ一年もやっていない自分なんかが勝てるわけはなく、この先何十年を費やしても追い付くことなど不可能で――それでも。

それでも、エドワード・ニューゲートは紅美鈴に勝ちたかった。

 

最初はいけすかない女だと思った。

年齢的な意味以上に幼かった自分のことをぼこぼこにして蒙を拓いてくれたことには感謝をしているし、強者を敬う心もある。

絶品の料理を毎日三食食べられるのだって彼女がいてこそだ。

それでもエドワードは美鈴のことを好きではなかった。

 

人間を見下している、というわけではない。

そもそもが、自分と同列だと思っていないのだ。

それは言動や態度の端々に時たま表れる程度であり、普段から気になるというほどではないし、本人がどう思っているかなど、エドワードには分からない。

だけれども心の奥底では決して自分と同列には見ていないことは分かる。

それはかつてスラムで自分が周囲に抱いていた感情だったから。

それがエドワードには悔しかった。

 

紅美鈴は人であり、妖である。

 

日々の会話の中でエドワードはフランドール・スカーレットや紅美鈴がどういった存在なのかを知った。

彼女たちは起こったことを隠そうとはせず、訊けばなんでも答えてくれた。

むしろ、普段はあまり喋らない自分が質問したことに喜んで要らないことまで答えてくれるような変な人たち……そう、人たちだった。

 

フランドール・スカーレットは吸血鬼であり、しかしその精神は人間とほとんど変わりがない。

妖たろうと意識しているのがみえみえで、だからこそ彼女は人なのだろうと思う。

 

紅美鈴は龍人であり、人と妖との中間に位置するかけ橋たろうとしている。

しかしその精神はそれ故に龍にも人にもなれていない。

学のないエドワードには難しいことは分からなかったが、かけ橋であろうとするならば中立ではなくむしろ人であり同時に妖でなければならないのではないか。

どちらにもなれない蝙蝠のような有り様は、見ててイライラする。

 

いや、ごちゃごちゃと御託を並べるのは()()()ない。

率直に言って、気に入らなかった。

そんな風に自分の役割とか役目とかそんなことを考えて、その結果自分を見てくれない彼女が嫌いだった。

そうとも、エドワード・ニューゲートは紅美鈴に――認めてほしかった。

 

自分の小さな世界をぶち壊して限りない大海原へと連れ出してくれた恩人に、新たな扉(ニューゲート)を開いてくれた門番に、認めてほしかった。

 

エドワードは“おかしい”と、そう思う。

美鈴はかつて自分に、船のみんなは“家族”と言った。

あの頃の自分は斜に構えていて受け入れはしなかったけれど、今ではこの新たな名と共に受け入れている。

ならば、家族ならば――愛してほしい。

 

探せと言われた自分にとっての一番大切な“宝”は見つけた。

だからエドワードはそれを愛すことに決めた。

真っ直ぐではない不格好ではあるけれど、それはまさしく愛だった。

 

恋は見返りを求めるもので、愛は見返りを求めないもの、とは何の本の一節だったか。

だけれどもエドワードは、そんなことは関係なしに愛してほしかった。

愛したいのと同じくらいに愛されたかった。

 

初めて愛を知り、入れ込んでいるのかもしれない。

しかしたとえそうだとしても、構わないと思う。

 

初めて得た他人との繋がりは依存しそうになるくらい心地よい。

ロジャーとレイリーという同年代で同性の船員が船に増えたことも内心では嬉しかったが、そんな内面を悟らせたくなくぶっきらぼうに接することしかできなかった。

照れ隠しで強く当たったこともある。

 

だから今のエドワードは一番の宝とは愛であり家族だと、今ならそう言える――恥ずかしくて人にはとても言えないが。

 

そして、それ故に強くならなければならなかった。

ひとえに、愛する者に自分を認めてもらうために。

 

 

 

 

ロジャーは心底驚いていた。

あの自分たちが束になっても敵わなかったリンリンを赤子の手でも捻るかのようにこうも手玉にとるなんて!

 

ロジャーは普段、見聞色の覇気の訓練の関係上フランと過ごすことが多く、彼女の凄さは身に染みて知ってはいるが、美鈴のことはあまり知る機会はなかった。

情報源は専ら自分以上にしごかれているらしいーー最近ようやく話してくれるようになったエドと、それに付き合わされて大変な目にあっているレイリーだ。

 

曰く、対人戦の化物。

曰く、心身を壊れるギリギリまで追い込むことになんの躊躇もないイカレ師匠。

曰く、ギリギリで止めることがわかる分タチが悪い。

曰く、曰く、曰く。

 

美鈴のことを話す彼らは怒りや呆れ、憤りを多分に含んだ愚痴をよく言う。

そうなると普段は口数の少ないエドも物静かな方であるレイリーも堰を切ったように喋りだす。

それでいて、親愛の情や尊敬の念も隠しきれていない。

怒りやなんかも本心ではあるから、彼らの感情が混ざりあった心の中を覗くのは少し楽しかったほど。

 

こうしてロジャーたち三人が打ち解けてきたのは、同じ船の仲間という以上に、共通の敵、シャーロット・リンリンが現れたからだった。

無邪気、ではあるのだろう。

ロジャーの見聞色でも、彼女から悪意は感じない。

だけれども、彼女は傍若無人を形にしたような、暴力を人形(ひとがた)にしたような存在だった。

 

何気なく壊し、悪気なく殺す。

 

彼女の悪意なき悪意に、ロジャーたち三人が団結した。

それでもなお厳しいほどに、シャーロット・リンリンは理不尽なまでに強かった。

 

そして、自分達より小さい――見た目はともかく年齢は――少女が、これほどまでに強いという事実は、ロジャーの胸を熱くもさせた。

出会ったときに、フランドール・スカーレットが語ったことが、実感として身に染みてきた。

 

海は―――広い。

世界は、もっと。

 

まだ見ぬ未知への欲求はとどまることを知らず、飛び立つ直前の鳥のように力が籠っている。

それはさながら、冒険の夜明け。

太陽は、もうすぐそこに。

 

 

 

 

「うーん、ダイエットしましょうか、リンリンちゃん」

 

「だいえっと?」

 

「ええ。私はそのまるまる太った健康的な姿も好きなんですけどね。名前と同じく大熊猫(パンダ)みたいですし」

 

「パンダさん、すき!」

 

パンダは熊や虎と同じく、リンリンの“なでなで”で死なない大型獣なので好きなのだ。

普通の獣はちょっと“ぎゅっ”と抱っこしただけで動かなくなってしまうので。

 

「でもそこまで太ってしまうと健康にも成長にも影響がありそうですしねえ。うん、やっぱり今日からダイエットを始めましょう。ダイエット中は毎日セムラをご馳走しますよ」

 

「わーい!」

 

そうしてリンリンはダイエットがなんなのかもよくわからないまま、美鈴の指示に従いダイエットを開始した。

とはいえ、食欲の化身のようなリンリンに食事制限を課してうまく行くとは美鈴も考えていない。

そのため、健康的な食事と適度な運動、リンリンが行ったのはただそれだけであった。

 

「これのどこが適度な運動だ!!」

 

エドの悲痛な叫びが船に木霊する。

そう、リンリンの適度な運動とは、エドワード、ロジャー、レイリーとの“遊び”だった。

 

今日の種目は鬼ごっこ。

鬼のリンリンから逃げるだけであり、力は強くとも動きはどんくさいリンリンから逃げ回るのは容易である。

()()がなければ。

 

フランが発動したスペルカード“禁忌 恋の迷宮”の効果により船の上は三次元の摩訶不思議な迷宮と化し、逃亡者にだけ牙を剥く悪辣なトラップがところ狭しと仕掛けられている。

 

「うわっ、わわっ、ちょっと妹様! 私にだけ厳しくありません!? 私両腕片足使用禁止のハンデあるんですけど!」

 

「設定した敵対率がロジャーたちよりほんの五倍くらい高いだけだよ。そのくらいじゃないとハンデにならないでしょ」

 

「うひゃあ、壁から変な触手みたいなの出てきた! なんなんですかこれー!?」

 

「あはは、れでぃつかまえたー」

 

「ぐぬぬ……このオールドレディが不覚をとるとは……」

 

「そういや美鈴、あなたいつまでその変な偽名使うの?」

 

「んー、もう少しはこのままですかねえ。バレバレでもいいんですよ。ポーズですよポーズ」

 

「そんなもんかあ。立場があるってのも大変だねえ」

 

「さーて、今度は私が鬼ですね。悔しかったんでちょっと本気だしちゃいますよー」

 

「おい、鬼ごっこなのに鬼が拳握ってどうする気……」

 

「ぐわああああー」

 

「ば、バカな、エドがこんなにあっさり……」

 

「くそっ、やめ、やめろっ! こっちに来るな!」

 

「ぐわああああー」

 

「えへへ、おにごっこ楽しいね!」

 

「これ見てそう言えるリンリンは大物になるかもねえ……」

 

 

こうしてある時は鬼ごっこ、ある時はドッジボールやサッカーなどの球技、ある時は敵味方に分かれてのサバイバルゲーム。

時には海軍との()()()()もあった。

 

そして、これらの遊びにリンリンはドハマりした。

今までもこうした遊びはあったが、周囲の子達との体格差、力の差により、それは満足に遊べるようなモノではなかった。

しかし今は全力を出しても壊れない遊び相手がいて、知らなかった楽しい遊びを教えてくれる。

これまでのリンリンにとって、唯一の娯楽は食べることだったが、それと同じくらい楽しいことを見つけたのである。

 

こうして体を動かす楽しさを覚えたリンリンは、みるみるうちに痩せていったばかりか、その実力もみるみるうちに伸ばしていった。

それは美鈴に戯れに教えられた武術や、遊び相手のエドワード、ロジャー、レイリーたちとの交流の中で、力の振るい方を覚えていったためである。

元から身体能力のみでエドやロジャーを圧倒していたリンリンが技術を覚えた結果は言うまでもなく、ついには巨人族に伝わる武術までをも習得する。

 

 

数年後、スカーレット海賊団の中には凄腕の武術家にして、大食いで有名な美少女海賊がいると有名になる。

彼女の名は、シャーロット・リンリン。

初頭手配額5000万ベリー。

ついた異名は大食い(クレイジーイーター)

“大食いのリンリン”

 

 

彼女の機嫌を損ねた日には、その町の全ての食材は――姿を消す。

 

或いは、魂さえも。

 

 

 

 

 

 




※ちょっと構成ミスって分かりづらくなってしまいましたが、冒頭のあややの取材は本話よりももっとあとの時系列の話です。
あの子の子供=リンリンではないのです。


セムラ
シャーロット・リンリンの大好物。
スウェーデンの伝統的なお菓子で、イースターの断食前に食べる慣習がある。

5000万ベリー
スカーレット海賊団の所属であること、暴れたときの被害からこのくらいの額。
いまはまだ大海賊時代でもなければグランドラインに価値のある時代でもなく、ロックスもロジャーも現れていないので、手配額の平均はかなり低め。
億超えとか10人もいない。

魂さえも
もちろんソルソルの実も使いこなせるようになっている。
なんだこの幼女……ぅゎょぅι゛ょっょぃ




私事ですが10月に異動があり激務の職場になってしまいました。
ようやくなれてきたのでちょっとペースあげたいところ。
過去編いいところなのにもたもたしてる間に本誌で動きがあって破綻するのが怖すぎるのでしばらく単行本は読めなさそう。
なにかおっきい齟齬があっても見逃してください。
特にロックス登場とかやめろよやめろよ……
いや、一読者としては見たいんだけどさ……


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

大食いの少女と傷だらけの巨漢

前回のまとめ
・料理地獄に堕ちたシュトロイゼン
・百合地獄に堕ちたリンリン


単行本派の人にはネタバレ要素があるので注意。
感想欄も見ないでください。
あとすっごく今さらですが、キャラ崩壊とかあります。


 

 

 

 

「一目惚れだ! 俺の女になってくれ!」

 

シャーロット・リンリンは久々の町歩きを早々に邪魔され苛立った。

最近はこういう手合いが多い。

自分の力を知っている海軍や同業者(かいぞく)ならば、こんなアホらしいことは言わないのだが、町を歩いていると一般人に声をかけられることがある。

 

リンリンは美人である。

可愛いというよりは綺麗系。

まだ12歳という幼さであるが、そのようには感じさせない美しさがある。

 

それは、リンリンが美鈴に教えてもらった生命帰還という技術によるものだ。

この生命帰還、詳細は省くが、使いこなせるようになれば、骨格すら作り替えるレベルで体の形は変幻自在になる。

 

この技術を習得したことにより、かつて3メートルはあったリンリンの身長は年相応のものとなり、今ではフランよりもやや高い程度に収まっている。

同時に、かつての醜いソバカス顔からもおさらばしており、玉のような肌を実現している。

 

身長を小さくしたのは、規格外なほど周囲より高い身長が嫌いだったから。

それに、敬愛するお姉さまを見下ろすのが嫌だったから。

 

顔を整えたのは、過去の未熟だった自分との決別であり、お姉さまに誇れる自分になりたかったから。

 

だから、シャーロット・リンリンは自分に声をかけてくる男には欠片も興味を持っていない。

見た目なんてどうにでもなるのだ。

そんなものに惹かれる男など反吐が出る。

 

そんなのに体を任せるくらいなら、エドやロジャー、レイリーなんかの遊び友達の方がまだマシだ。

少なくとも彼らが悪い人間ではないことは、ここ数年の共同生活でよく知っているし、同じ海賊団の仲間に対する親愛の情もある。

もちろん、一番の理想は美鈴お姉さまなのだけれど。

 

だからリンリンはいつものようにすげなくあしらおうとして、声がかかった方を振り向き、目線を上げ、驚いた。

 

そこにいたのはかつての自分に並ぶほどの、筋骨隆々の大男。

しかも町中であるというのに上半身裸の出で立ち。

その上半身には無数の傷跡があり――その姿は端的に言って。

 

「へ、変態ー!」

 

とある町に、シャーロット・リンリン12歳の叫び声が響き渡った。

同時に、厳しい老師に叩き込まれた武が、その拳を一筋の光と化し――大男が吹き飛ぶ。

 

現場に残ったのは、男に耐性がなく不意討ちで変態的半裸を見せられ若干涙目になったリンリンと、近くにあった屋台を吹き飛ばしそれでもなお止まらずに民家の壁に突き刺さった大男だけだった。

 

 

変態を吹き飛ばしたリンリンは、ややあって冷静さを取り戻すと、即座に顔を青ざめさせた。

咄嗟であり身の危険を感じたことで、今の一撃は割りと本気に近い威力だった。

当然、男は死んでいるだろう。

むしろ頭から壁に突き刺さっているだけ頑丈だ。

普通ならその場で爆散してミンチよりひでぇや状態になるか、壁で潰れたトマトになっている。

 

声をかけてきただけの相手を殺してしまった……。

 

良識ある海賊のリンリンは、特に理由もなく無辜の民を殺すことはない。

かつてならば罪の意識もなく殺していただろうし、食い患いによって知らず殺すこともあっただろう。

しかし、美鈴たちから教育を受け、殺すこと、の罪深さは今ではよく理解している。

加えて、ソルソルの実という魂を操る悪魔の実の能力者であるリンリンにとって、死とは他人よりも身近にあるもので、それ故に「殺すこと」に関してはかなり厳しく躾けられていた。

リンリンの大好きな食事だって、「殺すこと」なのだ。

 

リンリンの敬愛するお姉さまこと美鈴は、殺すことをそこまで過剰に忌避してはいない。

時には気楽にすぎるほどあっさりと命を奪う。

しかしそれは、自らの信念に従って殺すと決めたときだけであり、無差別な殺傷を許容してはいない。

特に今回は自分の力を制御できず、不意討ちを受けたとはいえ半ば暴走のような形で大男を殺してしまっている。

自分の力を抑えられないなんて、なんたる未熟。

お姉さまが聞いたらどう思うか。

 

リンリンはお姉さまの恐ろしい()()()()を思いだしてブルリと体を震わせ――不思議なことに気がついた。

自分の持つソルソルの実に反応がない。

それはつまりまだ、大男が死んでいないということで――。

 

リンリンは起死回生の一手に縋るべく、慌てて大男の元に駆け寄った。

 

 

 

 

「すまねえな。脅かすつもりはなかったんだが、確かに俺の見た目は醜いからなあ」

 

「いや、醜さに驚いた訳じゃないけど……まあ、なんにせよ無事で良かったわ」

 

リンリンは血だらけで気絶していたものの奇跡的に生きていた大男を近くの宿屋に運び込んだ。

小さな町に病院の類いなどなく、寝かせられる場所はこんなところしかない。

そして、一通りの治療が終わった頃、大男は目を覚ましたのである。

 

「それにしてもあなた、随分頑丈ね。あのパンチを受けて骨が数本折れてる程度なんて」

 

「まあ頑丈さには自信がある。が、俺もあれほどの一撃を受けたのは久しぶりだ。嬢ちゃん、つええな。ますます気に入った……いつつ」

 

「骨が折れてるって言ったでしょ。大人しく寝てなさい。傷口の止血もしたけど、それだって応急処置だし」

 

「恩に着る」

 

「私が怪我させたんだし当然よ。というかあなた人間? 止血するときにも思ったけど、もう傷口が治り始めてたし、正直いくら頑丈だって言ったって生きてるのが信じられないわ」

 

「うーむ、それが分からんのだ。俺は妖怪ってやつかもしれん」

 

「え、妖怪? ほんとに?」

 

「わからんが母ちゃんはそう言ってた。あんたは多分はぐれ妖怪、野生の龍だ、ってな」

 

「は、龍!?」

 

「あん? どうしたんだ、急に色めき立って」

 

「そりゃあんた、妖怪で龍って……」

 

それは、彼女が敬愛する者の姿を強く想起させた。

 

「うん? よくわからんが、俺は昔蛇みたいな姿をした生き物だったらしいのだ。それを母ちゃんが拾って育ててくれた。んである日俺が変な模様のくそ不味い果物を食ったら、こうして人間みたいな体になったんだそうだ。俺にはその頃の記憶はねえが」

 

「あー、んー、ちょっと私には判断つかないわ。あなた、ちょっと私のお姉さまに会ってくれないかしら」

 

「別に構わんが……」

 

「良かった。じゃあちょっと呼ぶわね」

 

そう言ってリンリンは手提げ鞄から電伝虫を取り出した。

そして手早く通信を済ませると、大男の横たわるベッドの縁に腰かけた。

 

「ちょっとしたら来るって。来たら怪我も治してくれるって」

 

「そうか。うむ、ますますいい女だ。俺はお前に出会うために島を出たんだろう」

 

「……なにそれ、口説いてるつもり? お生憎様だけど、あなた自身に興味があるのは認めるけど、男には興味ないわ」

 

「うむ、それもまたよし!」

 

「なんかよく分かんない奴ね、あんた」

 

リンリンは大きくため息をついた。

変な奴の相手は慣れている。

気にせず流すことが肝要なのだ。

 

暫しの沈黙を経て、大男が口を開く。

 

「そうだ、聞きたいことがあったんだ。お前の母ちゃんはどんな奴だ?」

 

「マザー? とてもいい人よ。聖人ってのはああいう人のことを言うんでしょうね」

 

「愛してるんだな」

 

「ええ、恩人よ。血の繋がりはないけど本当の母のように慕っていたわ」

 

「血の……そうか。だが、慕って()()ということは、今はもういないのか?」

 

「あー、うん……出会ってすぐのあんたに言うことでもないかもしれないけど……」

 

「なんだ?」

 

「殺しちゃったの」

 

「なに?」

 

「正確には、食べちゃった、かな。事故みたいなもので、私の意思じゃなかったけど……ま、言い訳よね」

 

リンリンはその事を知った時の出来事を思い出した。

 

かつての自分は、マザーや子供たちが急に自分だけを残していなくなってしまったのだと思っていた。

だけれども、食い患いを克服した頃のとある日にシュトロイゼンに告げられた言葉は、それまで想像すらしたことのないものだった。

 

その事実を知った妹様はしばらく私の前から姿を消して、お姉さまは呆然としてしまった私を抱き締めてくれた。

エドはふんと鼻を鳴らすだけでなにも言わず、ロジャーはポンポンと私の頭を撫でて、レイリーは色々な言葉で慰めてくれた。

 

私がマザーへ抱いていた愛情や、私を置いて消えたことへの悲しみや困惑は、全て私自身への失望と怒りに変わった。

 

あの頃の私は何の分別もついていなかった。

それは、私のことを早々に放り出した両親の存在を勘案しても、どうしようもないレベルで。

熊と狼を仲良くさせようと一緒の檻に入れ、狼を殺した熊を叱るために()()()り。

手長族の子の関節が一つ多いからちぎってあげようとしたり。

魚人族の子のヒレもそうだ。

 

そして私は、相手が目の前で泣きわめいて許しを乞うているというのに、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()なんて、思っていたのだ。

私には多分、人として大事なものが欠けていた。

 

私の悪行を全て赦したマザーを責めはすまい。

あの頃の私は、叱られたくらいではきっとなにも変わらなかった。

 

だからこそ、私に大切なことをたくさんたくさん教えてくれて、私を人間にしてくれた美鈴お姉さまのことが大好きで、心の底から感謝しているのだ。

 

 

私はマザーを、他の子達を、食べた。

 

その事を理解したとき、私は生まれて初めて吐いた。

胃の内容物を全て吐き出し、酸っぱい胃液を吐ききり、苦い胆汁すら吐き出した。

 

お姉さまが背中をさすってくれたけど、そんなことはなんの癒しにもならず、ただただ吐き気が消えなかった。

頭のなかがぐるぐると渦を巻き、お腹のなかはそれ以上に荒れ狂っていた。

 

気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪いキモチワルイ。

気分が悪い、それ以上にどうしようもない自分自身が気持ち悪かった。

 

私はそれから数週間もの間、何も食べることができなかった。

皮肉なことに私は体についた大量の脂肪のためか、それだけの期間を絶食して過ごしても死ぬことはなかった。

 

マザーや皆が私の一部になり私を生かしている。

そう思うだけで吐き気は収まらなかった。

お姉さまが毎日声をかけてくれたけれど、私には何も響かなかった。

 

そんな私を救ってくれたのは妹様だった。

妹様は私の首筋に牙を立て、血を吸った。

私はその瞬間、生まれて初めて味わう快楽――それもこの世のものとも思えないほどに強烈な――によって、一瞬にして腰を抜かした。

そして呆然とした私に、妹様は人を喰らう妖怪の話をしてくれた。

人肉食、その価値観を。

 

妹様は私に、妖怪になりたいか、と尋ねた。

人肉を喰らうことを是とする妖怪になれば、その心も落ち着き、苦しむこともなくなると。

首を縦に振れば、もう一度血を吸い、魔に転じさせる、と。

 

私はそれから三日三晩悩み、エドに、ロジャーに、レイリーに、そしてお姉さまに相談し――答えを出した。

 

人喰いは禁忌だ。

その禁忌を為した私は、人としてその咎を背負わなければ、マザー達への贖罪にはならないと、そう思った。

私はマザーが大好きだったから。

私を愛してくれたマザー、私を赦してくれたマザー。

一緒に遊んでくれた子供たちも、大好きだった。

 

私はそうして、夢を持った。

 

国を作ろう。

マザーがそうしたように、救われない子供を救い、皆が楽しく笑って食卓を囲める国を。

 

いまはまだ、私にそんな力はないから。

もっとずっと、色々なものを掌からこぼさずに掬えるように、大きくなってからの未来の話だけど。

 

その日、久しぶりに食べたお姉さまの食事は、短い私の人生の中でも最高に美味しくて。

ついつい食べ過ぎて、エドに呆れられ、ロジャーにからかわれ、レイリーにお小言を受けた。

お姉さまは頭を撫でてくれて、妹様は笑っていた。

 

いつかこんな食卓を。

そう思えるだけの、優しい家族の団欒がそこにはあった。

 

 

そんなことを話して、リンリンはふと我に返った。

 

「あー、ごめん、私初対面の相手に何言ってるんだろ。別に隠してる訳じゃないけど、こんなにペラペラ喋ったのは初めてだわ」

 

人を食った。

そんな話を聞けば、普通は気味悪がる。

だから普段は言いふらしたりはしないし、船の皆も吹聴したりはしない。

なのにこんなに喋ってしまったのは、自分でもびっくりするような、謎の行動だった。

 

「ごめんなさい、ちょっと外に出て――」

 

そう言って、ベッドから立ち上がろうとしたリンリンの腕を、大男がガシリと掴んだ。

 

「待て」

 

その声があまりにも真剣だったから、リンリンは思わず動きを止めた。

 

「俺の話を聞け。聞いてくれ」

 

そして大男は語りだした。

彼の生まれてから今までの半生と、人生の目的を。

 

 

 

 

俺の最初の記憶は、寝床に横になってるときの記憶だ。

母ちゃんが心配そうな顔で俺の顔を覗き込んでいた。

 

俺がいたのは島だった。

小さな島だ。

ちょっと走ればぐるりと一周できちまう小さな島に、俺と母ちゃんは二人で住んでいた。

 

母ちゃんが言うには、俺は小さな龍だったそうだ。

母ちゃんはそんな俺を拾って育ててくれた。

それがある日、俺は変な果実を食って、人になった。

そして、それまでの記憶をなくした。

 

だから俺が知っているのは人になったあと、寝床で目を覚ましてからのことだけだ。

 

母ちゃんは変な人だった。

いや、俺は母ちゃんしか知らなかったから当時は普通だと思ってたが、島を出てから随分変な人だったと知った。

 

まず母ちゃんは若かった。

見た目は二十にもなってないような女だ。

そしてとにかく美人だった。

俺は島を出て色んな女を見たが、母ちゃんに勝てる女はいまだに見たことがねえ。

それでいて、何でもめちゃくちゃ年をとってるらしい。

 

ああ、そうさ、母ちゃんは人間じゃねえ。

妖怪だと言っていた。

さっきお前から聞いた話じゃお前も妖怪は知ってるんだな。

 

そのせいか母ちゃんはとんでもなく強かったよ。

拳骨を落とされた日にゃ頭が割れた。

岩に叩きつけても傷一つ負わない俺の石頭がだぜ。

まいっちまうよな。

 

母ちゃんは力加減が下手で、俺はよく死にかけてた。

ただ、俺は俺で頑丈だったし回復力がとんでもなかったからなかなか死ななかった。

母ちゃんも頑丈ですごい回復力だから、血は繋がってなくてもそんなところが親子っぽくて、俺は嬉しかった。

 

そんな母ちゃんは一つ、癖があった。

自傷癖だ。

 

なにかあればすぐに自分の手首を切るんだ。

なんでそんなことをするのか聞いたことがあるが、その痛みと流れる血を見て冷静になれるらしい。

あと、自分が生きているって実感できるらしい。

 

そのうちに俺も試した。

確かに母ちゃんの言う通りだった。

 

俺はすぐに頭に血が上るから、血を抜くとスッキリする。

痛みを感じて、俺はまだ化け物にはなっていないと思える。

自分は生きている、ってのが実感できて気持ちいいんだ。

 

だがそのうちに俺は不思議に思った。

 

俺は死ねる。

母ちゃんに殴られて殴られて殴られて、そのうちに死ねる。

だが母ちゃんは?

俺が本気で殴っても軽くあしらわれる。

喧嘩じゃ勝てた試しがねえ。

 

痛みを感じて生を実感するたび、死について考えた。

 

俺は聞いてみた。

母ちゃんは死ねるのかと。

 

母ちゃんは死ねないと言った。

寿命はなく、自死も出来ない弱い自分では死ねないと。

 

水に入ればそのうちに死ぬ。

だが、呼吸ができない苦しみを一体幾日感じれば死ねるのかはわからない。

火で炙られるのだってそうだ。

普通の刃物じゃそもそも皮膚を徹らねえ。

 

あ?

手首を切ってた刃物か?

黒い小刀だ。

母ちゃんはカッターナイフって言ってたっけな。

あれだけは刃物の中でも別物だ。

岩だってバターみたいに切っちまうんだからな。

でもまあそれで滅多刺しにしても死なねえよ。

それほどに母ちゃんの生命力は強え。

 

俺はそのうちに、思った。

どうやったらこの人を殺せるんだろうかと。

 

生きることは死ぬことだ。

死のない生は生じゃねえ。

そんなもん生きてるとはいえねえ。

痛みは、傷は、流血は、死へと近づく全てが生を感じさせる。

 

なら死のねえ母ちゃんは生きているのか?

 

だから俺は殺すことにした。

殺すことで生き返らせるんだ。

 

母ちゃんはいつも暗い目をしてた。

人と関わるのが嫌になって、島に引きこもって、一日中惰性で覗き見をしてる。

俺は母ちゃんを元気にしたいんだ。

 

そうして俺は島を出た。

母ちゃんを殺せる自分になるためにな。

 

 

「……おかしいやつだとは思ってたけど、それ以上ね。狂ってるわ、あんた」

 

「うむ、俺もそう思う。島を出て知ったが、俺は随分と異端な考え方をしているようだ」

 

「それが分かっててやめようとは思わないの?」

 

「思わん。他人と違っていることなどどうでもいい。それが俺だ。俺が俺であることに他人の意思はいらん」

 

「立派なんだかそうじゃないんだか分かんないわね……」

 

呆れたように呟くリンリンであったが、内心は複雑だった。

それはかつての自分が持っていたもので、今の自分が捨ててしまったものだ。

傍若無人、唯我独尊、誉められたものではないが……少し、そう、少しだけ羨ましいと思ってしまった。

 

常識を知り流された自分と、確固たる己を持っている大男。

それは頑迷さであるとともに、強さでもある。

自分の歩んできた道が間違いとは思わない。

だから、ほんの少しだけ。

自分にはないものを持っていることに。

 

「だから俺は強くなるために世界を回っている。が……お前に出会ってしまった」

 

そんな風に考え事をしていたリンリンは大男の言葉に意識を引き戻された。

 

「シャーロット。俺と結婚してくれ」

 

「……は?」

 

「お前の話を聞いて、やはりお前しかいないと思った。俺とお前は似ている。似ていて、違う。だからこそ俺はお前でなくてはならない。お前が欲しい」

 

「何言ってんのあんた。本気で言ってるの?」

 

「本気だ。心の底から惚れ込んだ。お前と子を為したい」

 

「……あのね、色々言いたいことはあるけど、私の姿を見てもう一度言える? 私まだ12歳よ?」

 

「それがいい。いや、そうでなくてはならん」

 

「なに、あんたマザコンなだけじゃなくてロリコンなの?」

 

「ロリ……? よくわからんが、俺はお前ぐらいの容姿の女にしか勃たん。母ちゃんの見た目はお前よりいくらか年上くらいの女だったからな。それ以上の女はババアにしか見えん」

 

「うわあ……」

 

「む、もちろん母ちゃんがババアと言っているのではないぞ。母ちゃんは母ちゃんだからな」

 

「あっそ……」

 

「ちなみに年で言えば俺とお前はそう変わらんだろう。龍でいた期間がどれくらいかは知らんが、俺は人になってまだ十年も経っていない」

 

「えー……」

 

それでは幼くして三メートル近い巨体だった自分とお似合いじゃないか、と思ってしまい、リンリンは首をブルブルと振った。

いやいや、あり得ない。

こんな筋肉モリモリマッチョマンの変態は無理。

 

「ごめん、ちょっと無理」

 

「俺もそううまく行くとは思っていない。なにせ俺はまだお前に名乗ってすらいないのだからな」

 

その言葉を聞き、リンリンはきょとんとして大男の顔を見た。

 

「あー、そういえば、そうね。なんかとんでもない出会いの上に、そのあとも色々あったから……」

 

ごほん、と一つ咳払いをしてリンリンはベッドの脇から立ち上がり、男に向き直る。

背の低いリンリンと、ベッドの上で横になり上半身を起こした男の目線は、奇しくも同じ高さであった。

 

 

「それじゃ改めて。私はシャーロット・リンリン。スカーレット海賊団の一員よ」

 

「俺はカイドウ。姓はない。この名も母ちゃんの名前からもらったものだからな」

 

 

 

これが出会い。

 

 

死にたがり(キルミー)”の異名で呼ばれる大男カイドウと、“大食い(クレイジーイーター)”と恐れられる美少女海賊シャーロット・リンリンの、長い長い付き合いの――最初の一幕である。

 

 

 

そうしてこのあと、フランと美鈴が駆け付け――すわ美鈴の隠し子かとひと悶着があったりしつつ――紆余曲折を経て、愛に生きる男カイドウは、スカーレット海賊団の一員となる。

 

 

 

 

大男、カイドウ。

その身、龍にして、ヒトヒトの実“モデル鬼”の能力者。

その事実を知る者はけして多くはないが、代わりに広く知られる異名こそ――地上最強の生物。

 

一方で、不名誉な異名も持つのがこの男。

その自殺志願者のような振るまいから、誰が呼んだか死にたがり(キルミー)のカイドウ。

 

だがしかし、あまりの強さに殺せる者なし。

 

殺せるならば殺してみせよ。

それが汝の、最強の証明。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




生命帰還
原作ではルッチとクマドリが使用。
詳細や原理は不明なものの、習得に難がある分凄く使い勝手が良さそうな力。
髪の毛を動かしたり体の大きさを変えたりできる。

小さくなったリンリン
原作でのみんな同じ目線で食卓を囲むという夢を早々に叶えた。
実際、周りを大きくするより自分が小さくなる方が可能性高そう。
リトルマム。

男嫌いのリンリン
原作ではすごい数の夫と子供がいましたが、当然あの数を作者が扱いきれるはずもなく……リンリンには百合地獄に墜ちてもらう!(無慈悲)
プリンとかカタクリとか大好きな人には申し訳ない。

ミンチよりひでぇや
元ネタはガンダム。
正しくはミンチよりひでぇ「よ」だが何故か「や」の方が浸透している。

マザコンと化したカイドウ
尾田先生ごめんなさい。
母ちゃんについてはリストカッターは●てを参考にどうぞ。
はたたん、ひどい扱いしてごめんね。

ロリコンと化したカイドウ
尾田先生(ry
お姉さまに親愛を妹様に快楽を教え込まれた百合地獄堕ちリンリン VS 世界最強の生物のマジカルチ●ポ ファイッ!
……作者、あなた疲れてるのよ。

筋肉モリモリマッチョマンの変態
コマンドーは肉体以上に言葉が強すぎる。

カイドウ
バラ科の木。
花言葉は「温和」「妖艶」「美人の眠り」

地上最強の生物
原作では陸海空含めて最強と言われているが、語感が悪いので勇次郎さんの異名をお借りする。
空と海はまた違う人らが君臨する予定。


本誌読んでないどころか90巻もまだ買えていないのに、最新91巻にも載ってない(はず)の情報を出していくスタイル。
もうプロットはガバガバ。
感想欄で知っちゃった以上無視するのもアレなので無理矢理辻褄合わせにいきましたが、イムとかもう無理なので触れません(予定)。
誰だよイムって。
そもそも話読んでないからよくわかっていないんだ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。