ファントムオブキル―浄罪の大罪人― (三水レイシャ)
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第1部
とある男の独白


あらすじを変更しました(内容は変わりません)。


 別に誰かに褒め称えて欲しかったわけじゃない。

 

 生きた証をこの世に残したいと思っていたわけじゃない。

 

 自分の名前を広めたいという十代の子供じみた承認欲求を満たしたかったわけじゃない。

 

 俺にはどうしても見過ごせない現実があって。

 

 俺には決して裏切れない理想があった。

 

 その現実は、誰もが知りながら目を逸らしてきたもので。

 

 この理想は、誰もが一度抱き、そして捨ててしまうものだ。

 

 俺はそんな現実が許せなかった。

 

 俺はこの理想を放棄できなかった。

 

 ただそれだけのことだった。

 

 数百年にわたる一族の悲願だとか、宇宙人の世界征服計画だとか、人類史の再編だとか。

 

 そんな物語にある御大層な動機で動いていたわけでは決してないのだ。

 

 そこらの道に転がっている石と同じくらいありふれた、いっそ陳腐と呼ばれても仕方がないほどに使い尽くされた動機。

 

 俺を主人公として書いた物語が出版されれば、こう評されるだろう。

 

 三流にすらなれない駄作。

 

 大赤字で初版打ち切り間違いなしの糞作品。

 

 大手通販サイトのレビューで軒並み星一評価が付くだろう。

 

 それも嫌がらせでなく、本音で。

 

 俺自身はなんてことのないただの凡人。

 

 神の血なんて引いてないし、宇宙人にアブダクションされて使命を言い渡されてないし、時を渡る怪人でもないし、数億年地球を観測し続けた人工生命体でもない。

 

 何処にでもいる、平凡なただの人間。

 

 つまりは、貴方のような誰かである。

 

 だからこそ、平凡で、ありきたりで、他人から馬鹿にされるような理想を張り続けた。

 

 大国の大統領も、高名な宗教者も、財閥の社長も、IQ200の科学者も。

 

 御大層な肩書を持つ人々は、力を持った人々はしなかった。

 

 誰も彼もがしなかった。

 

 だから、俺がした。

 

 何処にでもいる平凡な七十億分の一が実行した。

 

 骨肉、血液一滴、細胞一片にいたるまで。

 

 全身全霊、一分一秒も漏らさずに。

 

 『俺』という存在の全てを掛けて。

 

 いつも誰かが捨て去って、いつかの誰かが祈り続けた理想を形にしようとしてきた。

 

 人としての正しさ。

 

 社会が持つべき責任。

 

 人類が償わなければならない罪。

 

 俺の理想の説明に古めかしい宗教の古書も難解な哲学論を持ち出すつもりはない。

 

 この理想は誰にでも、そう子供にすらわかる至極単純なものなのだから。

 

 

 

 全ては上手く行っていた。

 

 全ては上手くいくはずだったのだ。

 

 

 

 俺の理想は―――

 

 

 

 あの日、あの時。

 

 始点となる終着点。

 

 最後の決戦の時。

 

 仲間全てを失って。

 

 俺の取るに足らない失敗で。

 

 

 

 ―――砕かれたのだ。  

 

       

 



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第1章 愚者の黒腕
prologue


――おはようございます。

 

――……ああ…おはよう。

 

――ご気分は如何でしょうか?

 

――最悪だ。

 

――どのような感じでしょうか?

 

――酩酊感がひどい。寝落ちしたときに無理な体勢で寝て起きた時みたいな感じがする。

 

――正常な反応です。長期のコールドスリープによる影響でしょう。

 

――俺はどのくらい眠っていた?

 

――単純な時間の積み重ねですと現在は西暦五千四百七十六年七月十四日午前三時十四分五十六秒になります。

 

――二千二百年から三千年も眠っていたのか。

 

――お入りになった時は時間設定などしている暇はありませんでしたし。

 

――よくも無事だったな、俺。

 

――特殊な体であることが幸いしたようですね。通常の人間なら百年も過ぎていたら肉体が壊死していました。

 

――コールドスリープだって万能じゃない。結局科学技術は二十世紀のSFの実現には至らなかったんだっけか。嘆いてたな、古流映画愛好家が。

 

――当時の状況もあるでしょう。二千百九十五年からは生物関係や兵器開発の研究が主流でしたから。

 

――そう言われると納得ができるか。でだ、世界はどうなった?

 

――〈運命の輪〉は回り、輪は軸から外れ、何処かへ行ってしまいました。まわりくどい説明ですが、ようするに失敗、です。

 

――ちっくしょう!あと一歩だったのにッ……っつ、ぐぁっ!

 

――感情を高ぶらせますと筋肉が硬直します。長い眠りから冷めた直後の急激な筋肉の動きに激痛が走るのは当然でしょう。

 

――っつ。で、よくもまぁ、研究所が残っていたな。位相融合なんて起きちまったら地球規模どころか宇宙規模の災害だってのに。というかどうやってコールドスリープを保った?予備電源を使ったとしても三千年も持たないだろうに。

 

――不条理が働いたようです。〈運命の輪〉が回ったせいで発生した微風のようなものでしょう。電力の方は失敗技術を用いました。

 

――元凶に守られ、天敵に救われ、宿敵に助けられるとはな。皮肉が過ぎる。

 

――今の世界は隣接していた位相の影響が強いです。前時代――西暦二千二百年とは大きく様相を変えています。

 

――異界存在(ディファレンス)は?

 

――消滅しました。

 

――そこだけ成功したのか。守るものを犠牲にして……。ところで現在研究所はどういった体制を取っている。

 

――電力は自然エネルギーで得ています。設備はスペース・ジェネレーション社製コールドスリープ装置〈FDF(フリージング・デス・フェイク)〉以外は機能を停止させております。

 

――このコールドスリープ装置、不謹慎な名前だな、おい。

 

――どういたしますか?

 

――そうだな…。全システムを起動準備状態に、そしてこの棺桶を解放を。

 

 

 コールドスリープ装置の内側にあるモニターにそう打ち込むと、ぶしゅぅ、という炭酸飲料の缶を開けたときのような気の抜けた音を出して氷棺の封印が解かれる。

 モニターの打ち込み方式は、モニターに映るキーボードを目が追うのを内蔵カメラが撮影して反映させるというものであり、青年の体は一度も動いていない。

 青年が文字で会話していたのは研究所のシステムを一括統括している人工知能〈adma(アドマ)〉だ。

 コールドスリープ装置は扉が開いた所で、次の動きへとシフトする。

 青年が寝転がっているベッドが使用者を激しく刺激しないようにゆっくりと動きだす。ベッドが青年の上半身を持ち上げるようにして傾いていき、設定角度六十度まで傾くと、今度は下半身部が動きだす。最後には車椅子となった。因みに全自動である。

 この機構は異界存在によって滅ぼされた少子高齢化大国である日本が作りだした介護ベッドのものだ。開発当時、ベッドから車椅子に変化する動画が日本の有名動画投稿サイトでは『凄過ぎワロスwwww』『ロボットの時代来たー\(^_^)/』『トランスフォーマーかよwwwww』といったコメントで弾幕が張られたとか、いないとか。

 そもそもなぜコールドスリープ装置にこの機構が利用されているのかというと、これが元々惑星探査のためのものであったからだ。長時間無重力下で過ごすと筋肉が衰えていく。他惑星の重力下で活動するにはいささか筋力が心許ないだろうということらしい。介護関連の技術がコールドスリープ装置だけでなく惑星探査のための装置には利用されている。

 さてそんな変身ベッド、いや車椅子に支えられた男は痛みに悶えていた。

「いてっ、いてっ、いてぇぇぇぇっ!」

 今まで凍っていたおかげで痛感覚がマヒしていたが、解凍され時間が経ったおかげで正常に戻った。なので活動を開始していた内臓を動かす筋肉の動きにも反応してしまうわけで。極微細な動きにも痛みを感じてしまうのであった。

『耐えてください。じきに痛みもなくなるでしょう』

 研究所内にアナウンスが機械的な女声で響く。〈adma〉が流した音声である。

 悶える男を無視して機械たちは淡々と動き始める。約三千年間眠り続けていた研究所は静かに稼働しはじめた。久しぶりに聞く機械音を懐かしむ余裕もなく、男は自動車椅子によって休憩室へと運ばれた。

「ふぃ~、やっとこさ落ち着いて来た」

『お茶をどうぞ』

「サンキュ」

 天井から伸びるマニピュレーターを動かして〈adma〉が注いだ麦茶を青年は躊躇いなく飲み込んだ。すると…

「ぬおぉぉぉっ!」

 痛い!胃が超絶痛い!

 体内に入ってきた異物の処理という当り前のどうさに、三千年という空白が激痛を与える。

「お前、分っててやってるだろっ」

『貴方がお気づきにならないことを推測に入れてませんでした。てっきり承知されてるかと』

「…ぜぇ…ぜぇ…ぜぇ………今度は回復が早かったな……ようやく体が目覚めたか」

『とりあえずもう一杯』

「うん、ありがと」

 呼吸を整えてもう一杯。今度は大丈夫だった。

 久しぶりの飲み物は美味かった。

『何かおあがりになりますか?レーションもありますし、インスタントのものなら私でも作れますが』

「いや、後にする。正直腹減ってないし……それよりブラインド開けてくれるか?外の様子が気になる」

『承りました』

 青年が注文すると忠実な人工知能は、すぐに窓をふさぐブラインドを開けた。

 閉ざされた世界に太陽の光が降り注ぐ。

 青年の目が太陽光の眩しさにくらんだが、それも一瞬のことだった。

「うわぁ」

 思わず感嘆の声が漏れる。

 窓の外に広がっていたのは一面の森。青年が生きていた頃は南半球の土地はすべて開発されてしまい、アマゾンの広大な熱帯雨林や東南アジアの森林、おおよそ豊な自然という言葉で分類できるものは全て失われてしまっていた。写真でしか残っていない風景に青年は感動を抑えきれない。

「すげえなぁ。こんな光景を見れるなんて」

『二千二百年ころは研究所は氷の大地ですし、生きている植物といえばコケとか背丈の低い雑草くらいでしたものね』

「あの光景も嫌いじゃなかったけど、一面の森って奴も悪くないなあ」

『ま、実際の所はこれも〈運命の輪〉が回った結果なのですが』

「感動に水を差すなよ。空気よもうぜ」

『私は人工知能ですので』

しれっとそう宣った。

 空いたコップを〈adma〉のマニピュレーターに渡して、青年は休憩室を後にした。

 〈adma〉が尋ねる。

『いかがなさいますか?』

「とりあえず〈FDF〉の所いって左眼の回収だ。どこら辺にあったっけ?入る前はごたごたしてたから、適当に放り投げたんだよな」

 青年は所在なさげに閉じた左眼のまぶたを開けたり、閉めたりする。

 まぶたの奥にあるのは空洞。そこには本来あるべき眼球が収まっていない。以前に彼は左眼を負傷し、それ以来義眼にしているのだ。

『監視カメラの映像だと装置のすぐ近くに落ちていますね』

「そんじゃ、拾ってくか」

 リハビリを兼ねて、車椅子を手で動かす。

 やってみると、結構疲れた。

「やっぱ、人間は足で歩くのが一番だな」

 そんな当たり前のことに気づかされる。足の不自由な人は毎日を過ごすだけでも大変な苦労をしているのだと、知識でなく、経験としても知った。

 寝起き(それも三千年からのコールドスリープからの)には辛い運動をして、先ほどの部屋に戻ってきた。今考えると、最初から取っておけばよかった話である。二度手間であった。

 青年はキョロキョロと部屋を見渡してから、お目当てのものを見つける。

「お、あった、あった」

 義眼とは思えない生々しい眼球が床に転がっていた。事情を知らない者が見たら、ぎょとしていただろう光景だ。

 そいつを拾って共同洗面所へと移動。

「えっと、こいつを洗って」

 洗面台で消毒液を使い綺麗にしてから、左眼の空洞に埋め込んだ。

 この時眼球からこめかみにかけて埋め込んである極小コンピューターと義眼の結合部を合致させる。

 かちっ、と言う気持ちの良い音がした。

「ぽちっとな」

 二千二百年から二世紀と四半世紀くらい前のアニメの決め台詞と共にこめかみにある手応えを押す。それと同時に青年は両目を閉じる。

『システム起動。問題を検索中……異常なし。コンピューターとの同期中……完了。〈ana(アナ)〉起動します』

 暗闇に文字が浮かぶ。目で言うならば、角膜に当たる部分に文字が浮かぶ。

 詳しいことは青年にも詳しい原理はわからないのだが、角膜を覆う涙液に電離したイオンを利用して文字を形作っているらしい。この義眼の製作者は天才と呼ばれた友人なので凡人、ましてや〈愚者〉というレッテルを貼られた青年にはわかるはずもない。

『おはようございます。お目覚めになられたようですね』

「ああ、おはよう。そっちも無事でなによりだ。俺もお前も研究所も三千年間よくもってたと思うよ」

『おそらく〈運命の輪〉の影響でしょう』

「また、それか。何かしらの不条理が働いたってことだよな」

『ええ、〈運命の輪〉が人の手でも起こせるようなことしかできないことは考えにくいでしょう。特に貴方方、〈運命の輪〉に巻き込まれなかった維持派(・・・)の皆さんにとっては、容易に推測できることでしょう』

「癪だな」

『同意見です』

 二人(?)して舌打ちをする。〈ana〉は顔文字で出した。

「でも、命あるだけましなのか?一体この世界がどんな世界なのか?彼女たちはどうなったのか?〈運命の輪〉はまだ存在するのか?」

『それをこれから調べに行くのでしょうに。それに、今は貴方が目覚めたことには何か意味があるはずです』

「オカルティックだな、人工知能の癖に」

『無根拠の言じゃないですよーだ。それに人工知能だからってオカルトを言っちゃいけないなんて偏見です、ジェンダーです』

「ジェンダーは男女に対する偏見だ。ゆめゆめ間違えるな、性別不詳」

『ぶー、ぶー』

 顔文字と共に言葉で文句を訴える人工知能。

 〈adma〉と違い茶目っ気があるのは、作った天才の遊び心だ。曰く『無表情系女子が時々だす人間味とか萌えるだろ、萌えるだろ!』、とのことだった。

 人工知能の言語プログラムには多くの容量が割かれている。青年としてはもっと有用なことに容量を割いて欲しかった。いや、これはこれで青年は好きなのだが。

『それでは何を始めましょうか?この世界について調べる、彼女達がどうなったのか、計画派がどうなったのか。調べることはたくさんありますが』

 人工知能が冷静にやるべきことをリストアップしていく。けれど、青年は選択肢にないことを答えた。

「とりあえずは敗戦処理…かな」

 真っ先にやることがこれだった。

 いや、やらなければならないこと、の方が正しかった。

 

 

 

 青年は左目だけを閉じたまま、車椅子をとある一室へと動かす。

 過去の終わりにして、現在(いま)の始まりにして、青年と彼の仲間にとっての宿敵がいた部屋へと青年は向かう。

『そうでしたね。先を見るよりも後ろを振り返らなければなりませんでした』

 〈ana〉が言葉を打ち込む。

『戦友を弔わなければ……なりませんね』

「………うん」

 青年と〈ana〉の間で交わされる言葉は少ない。〈adma〉もアナウンスで話しかけることはない。

 段々とその場所へと近づいてく。

 近かづけば、近づくほどにかつての惨状が、内部抗争の爪痕が激しくなっていく。

 最初は壁や床の弾痕だった。

 けれど惨劇の痕跡が死体へと変わるのに時間は掛からなかった。

 地面に崩れ落ちている白衣を来た死体たち。青年が眠る前共に戦った戦友たち。そして彼が死に追いやった人たち。

 死体は腐っていなかった。不条理が働いた結果に違いない。おかげで誰が誰だか判別ができた。

「国際連合異界存在研究機関所属研究員、〈死神〉のヴァロヴォア・チェルニコフ」

「同じく、〈恋人〉のイリーリャ・チェルニコフ」

「同じく、〈審判〉の李勝利(リ・スンリ)

「同じく、〈世界〉のマック・フューリー」

 続けざまに倒れている四人。

 勝てる確率が低い闘争に青年を信じてついてきてくれた大切な親友たち。

 青年が逃げるために最後まで戦ってくれた戦友。

 冷たくなった彼らが目の前にいる。

『大丈夫ですか?』

「ん、何が?」

『いえ、辛いなら、泣いたほうがよろしいかと』

「……俺は……泣くことなんてできないよ」

『それは長い時間が感情を風化させてしまったからですか?』

 人工知能の見当はずれの答えに青年は苦笑で返しながらこう思う。

 泣くわけにはいかない。

 彼は託されたから。

 人類の未来を、彼女達の行く末を、倒れていった親友の思いを。

 だから青年は涙を流すわけにはいかない。立ち止まって、めそめそと泣いていることなんてできない。

 親友が命を引き換えに繋いでくれた命と託した思いを台無しにするわけにはいかない。

 思いを噛みしめて、宿敵の元へと急ぐ。

 扉を開いたその先には。

「……ない」

 目的地としていた部屋はなかった。

 あったのは虚空だけで、青年の目の前に広がるのは豊かな自然のみ。

 青年は研究所を統括する人工知能に呼びかける。

「〈adma〉!部屋は俺が眠っている間に崩れ落ちたとかじゃないよな」

『はい。ここらから先の区画は崩壊したのではなく、切り分けられるようにして消滅しています。いや、消滅ではなく、正真正銘切り分けられたと表現したほうが適切です』

「やっぱりそう簡単にはいかないか。すぐに壊しておしまいだと楽だったんだが…」

 つまるところ、まだ敵は生きているということだ。

 あれだけのことをしておいて、〈運命の輪〉を回しておいて、まだのうのうと生きている。

 なくなっている区画は敵が活動を主としていた区画だ。研究結果は敵の手元にあるし、強力な戦力も敵の手にある。

「戦局は厳しいな」

『けれど、戦うのでしょう?』

「ああ、その通りだ」

 声に厚みが増す。

 車椅子から青年は二つの足で立ち上がる。

 覚悟は決めた。

 もう後ろは振り返らない。

 〈運命の輪〉を巡る戦いを再び開始する。

「国際連合異界存在研究機システム管理用人工知能〈adma〉に通達!全システムを即時起動!この世界にあるだろうインターネットを探し、できるならハッキングを!隠蔽処理はしっかりな!」

『インターネットがあるのでしょうか?』

「あるさ。人間ってのは欲深いからな。一度甘い蜜をすえば、何度でも吸いたがる。蜜が吸えないならともかく、吸えるなら絶対に吸う。〈世界〉の奴が開発したハッキング用プログラムがあるだろ。それを使っておくと良い」

『わかりました。貴方はどうするのですか?』

「まずは遺体を埋葬する。その後にドローンを飛ばして、周囲や地形の調査。とにもかくにも、埋葬が終わったら俺も情報を集めることに専念する」

『了解しました』

 ぷつりとアナウンスが切れた途端に、研究所が唸り声を上げる。二千二百年の遺物が再び息をし始めた。

『私は一体何をすればよろしいですか?』

 〈ana〉が文字を映す。

「お前にはドローンに乗ってもらって、オリジナルを探してもらうことになる」

『すでに計画派に確保されていると思いますが』

「一応調べておく。正直俺一人だけで計画派に勝てるかどうかわからないから」

『もうすでに弱気になっておられるのですか?』

「すまん。情けないよな」

『いえ、そのようなことは思いませんよ。無理はしないでください』

「無理なんかしてないさ」

『じゃあ、見栄を張っている?』

「ご名答」

 くくくっ、と卑屈に青年は笑う。

 戦士の笑いとは程遠いが、青年にとってはぴったりな笑い方だと彼は心の中で自嘲した。

 青年はひとまず遺体を運ぼうと〈世界〉と〈審判〉の二人を肩で担ぎ、外へとつながる通路を進む。

『遺体を運ぶのに自律行動ロボットを使えばよろしかったのに』

「それはできない、〈ana〉。彼らの重さは俺が背負わなければならない十字架の重さだ。背負う十字架は多いけど、実感できる重さは少ない。せめて友人たちの十字架は背負いたいんだ」

『そういうものなのですか?』

「そういうものなの」

『そうなのですか、記録して起きます。それとCMCシステムは既に起動しています。我が主――』

「すまない、もうその名前で呼ばないでくれ」

『では、なんとお呼びすればよろしいでしょうか?』

 戦争のためにやらなければならないことは多い。だから、青年はちっぽけなことから始めることにした。

 弱気な自分を置いていくために。失敗した過去の自分と決別するために。

 自らを表す名前を捨てさり、今の彼を指し示す的確な名前を静かに宣誓する。

 

「―――シン。そう呼んでくれ」

 

 

 

 




words
・青年はコールドスリープから目を覚ました。
・青年が眠ったのは二千二百年のことだった。
・〈運命の輪〉が回った結果、位相融合という宇宙規模の災害が発生した。
・異界存在なる者がいて、青年や友人たちはそれを研究する〈国際連合異界存在研究機関〉に所属していた。
・宇宙関連の技術には介護関係の技術が用いられている。
・日本は異界存在によって滅ぼされた。
・研究所の管理のための人工知能は〈adma〉。
・青年は〈維持派〉なるグループに所属し、〈維持派〉は〈運命の輪〉が回ることを止められなかった。なお〈運命の輪〉を回したのは計画派。
・青年の左目は義眼。〈ana〉という人工知能が搭載。
・彼女達は一体誰のことを指すのか?
・青年の目覚めによって再び戦争は開始した。
・青年はシンと名乗った。


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ep.01 銀髪戦姫と白衣の青年

「……ちょっと、どういうことなのよ……っ!」

 腰まで伸ばした長い銀色の髪の少女はその真紅の目を細めて忌々し気に吐き棄てた。

 年齢は十代後半ほど、その見目は美しく、いっそ神々しさすら感じさせるほどの美貌の持ち主だ。風にたなびくとても長い銀色の髪は太陽の光を反射して美しく輝き、彼女をいっそう眩い存在へと昇華させていた。少女の見た目は美しいけれど、彼女の鋭い切れ目と血のような赤い瞳、そしてするどい刀のような雰囲気が人に近寄りがたい印象を与えている。

 加えると彼女の手には彼女に似つかわしくない――場違いといっていいほどの――血に塗れた長剣がある。

 だが、それを不思議と思うのはあまりに滑稽だろう。この世界つまりは天上世界で彼女はあまりにも有名だ。否、彼女達はと言うべきか。

 キラープリンセス、と彼女達は名付けられている。

 伝説の名を持つ少女たちであり、人々を捕食する異形の存在――異族を打ち倒す強大な力を持った者たちのことを天上世界ではそう呼んでいる。

 銀髪の彼女はキラープリンセスの一人、レーヴァテイン。キラープリンセスの中でも高いポテンシャルを秘めるキラープリンセスだ。

「たはは、すまん。間違えたみたいだ」

 レーヴァテインの後ろにいる青年は、申し訳なさの欠片もなく笑いながら返す。

 レーヴァテインに背中を預けているのは黒髪でくたびれた白衣を来た眼鏡の男。何が入っているのか、腰には二つほどポーチを提げている。加えて左腕には包帯を巻いた奇妙ないで立ち。その男はレーヴァテインにシンと名乗った。

 ほんの数日前レーヴァテインはシンと出会い契約を結んだばかりだ。

 レーヴァテイン曰く、『変人』。つかみどころのない変な男だとレーヴァテインはこの数日で理解した。

 現在二人は世界樹ユグドラシルを中心に広がる天上世界唯一の大陸〈ラグナ大陸〉人が住む領域の辺境――甘ったるい匂いが充満する冥花繁殖帯で数十体もの異族に囲まれていた。一人のキラープリンセスが全て討伐しきるには厳しい数だ。だが、三百六十度異族に囲まれてしまったら、逃げたくても逃げることはできない。

 まさに絶体絶命。

「あなたの言う通りに行けば、異族に遭遇せずに街に着けるんじゃなかったの!」

「いや、そのはずだったんだけど…。どうしてだろ?私の計算は結構正確なのに」

 シンは不思議そうに小首をかしげる。

 今までも異族を避けるために事前にシンが先行し異族の群れの位置を確認、異族の進行速度やらその他諸々の条件から考えてシンはルートを選択しレーヴァテインと旅をしていた。

 異族の行動を計算して予測することが可能なのか不思議に思っていたレーヴァテインも彼の計算を一応は信じていた。今このときまでは――

「こんな数の異族に囲まれるなんて初めてよ、どうするつもり?」

「どうするって………倒すしかないでしょ。こうも囲まれてしまったら」

「……………はぁ……………」

「ため息だけって止めてくれない?なんかいたたまれない気持ちになるから」

「………後で殺すから」

「怖すぎるわ!」

 この銀髪少女は真面目に言ってるから恐ろしい。

「で、正直生き残れる自身がないんだけど」

「今のレーヴァテインなら大丈夫だろ。これくらいの数たやすく屠れるでしょ」

「簡単に言ってくれるわね。こういう面倒(めんど)臭いことは嫌いなのよ」

 嫌悪感を露わにした彼女の口調。だがシンは何故か頬を緩ませて言う。

「よく知ってるよ。お前がそういう奴だってことは」

「たった数日前に会ったばかりだって言うのによくそんな口を利けるわね」

 小さくため息を吐いてから、レーヴァテインは長剣の切っ先を異族に向け直す。

 異族は数十体、足でまといが一人、正直に言って分が悪い。

「せいぜい上手く逃げて、異族に捕まらないことね。生憎と捕まったマスターを助けるつもりはないから」

 キラープリンセスは自身のキラーズと適合し、共鳴するバイブスを持った人間である奏官――もしくはマスターとも呼ばれている――と主従関係で結ばれている。全員が全員そうというわけではない。奏官はいなくても別に構わない。奏官がいる理由の一つとしては奏官がいた方がキラープリンセスは本来の能力を発揮することができるという事情がある。

 孤独を望むレーヴァテインにとって奏官というのは邪魔な存在だ。だから、いなくてもいいなら、いない方がいいのである。

 ただ――

「そう思ってても私を切り捨てず戦ってくれるところがお前の優しさだよね」

 と言った途端、レーヴァテインは殺気が籠った目を異族からシンに移す。

 シンは今にも爆発しそうな怒りをひしひしと背中に感じ、冷や汗が噴き出た。

「…うるさい」

 怖いくらい冷たい声で言われる。

 異族よりも前にシンを斬るわよ、と四文字の裏にはそんな言葉が見え隠れしている。

「じゃ、よろしく頼むよ、レーヴァテイン」

「…言っとくけど本当に捕まったら助けないから」

「わかった、わかった。大丈夫だって、異形の奴らと戦うのは初めてじゃない。蝶のように避け、蜂のようにさ――せないけど、ゴキブリみたいにはしぶといつもりだよ」

異族と戦う力もない人間のくせに自身満々に言うシンにレーヴァテインは呆れを隠せない声で返す。

「……人間のくせによく言えたものね」

 目の前には数十体の異族。

 普通なら五、六人のキラープリンセスで討伐を行う数。それをたった一人で倒さねばならない。

 本当に生き残れる確率は低い。

(……暴走染みた力を持つ私でも削り切れるかどうか…)

 それでもやるしかない。後ろにいる役立たず(マスター)のためではなく、あくまでも自分が生き残るために。

 こんな余計な仕事を押し付けたからには報酬を用意してくれねばなるまい。

 レーヴァテインは異族の群れへと切り込みながらマスターに告げる。

 

「終わったら街一番の宿に泊まらせてもらうから…!」

 

 鉄の匂いが甘ったるい花の匂いと交じってシンとレーヴァテインの鼻腔を満たす。

 二人の周囲は見渡す限り、(あか)(あか)(あか)

 異形共の白い表皮の残骸が浮かぶ血の海が広がっている。

 約十分の交戦を経て彼女はこの惨状を作りだした。

 真っ二つにされた死体、首と胴が切り離されている死体、臓腑が飛び出している死体。死体の有様はそれぞれであったが、いずれも絶命している。存命の余地なく肉体を破壊されていた。

 この地獄を作りだしたのが一見華奢な少女にしか見えないレーヴァテイン一人であることは言うまでもない。

「…………」

 レーヴァテインは一人、今の自分に違和感を覚えつつも、シンから手渡された布で長剣を拭きつつ、異族の死体の傍らで何かをしているシンの背中を訝し気に見ていた。

「……ねえ、何してんの?」

「ん、ああ、弔いをね」

「弔い、異族相手に?」

「変か?」

「とてつもなく…変」

 人間の敵である異族は当然忌み嫌われている。死体をぞんざいに扱いこそすれ弔いなんて絶対にしない。

 シンのように弔う人間をレーヴァテインは知らない。

「ははは、まあ、一風変わった人間ってのもなかなか乙じゃない?」

「わけ、わかんない」

 レーヴァテインのシンを見る目が一層訝し気になる。

 レーヴァテインの視線の先でシンは腰に取り付けたポーチから底にかけて緩やかな曲線を描く透明の円筒を取り出した。そして、その円筒に異族の血を注ぎ始める。

 ますますわけのわからないことをシンはし始めた。

「……今度は何してんの?」

「異族の血を採ってる」

「そんなのは見ればわかるわよ。私が言いたいのは、どうしてそんなことをするのかってこと」

 シンは半分くらい異族の血で満たしたその円筒をひらひらと見せつける。

「そうだなぁ、今は個人的な興味――とでも言っておこうか。試験管だと保存状態が不安だが、試料が欲しいからな。こういう採れる時に採って置かないと。わざわざ試料採取のためにレーヴァテインを戦わせるのは申し訳ないし」

 ……そんなこと言われても全然わかんないんだけど。

 そんなことを思ったが、レーヴァテインは口には出さなかった。他人の事情を詮索するのは彼女のポリシーではない。

 少なくとも自分が巻き込まれることはないと言っているので、どうでも良かったという面がないわけでもないのだが。

「よし、これくらいでいいか」

 シンはポーチに異族の血が入った円筒をポーチに入れ、レーヴァテインと向き合う。

「お疲れさま、レーヴァテイン。何か体調が悪いとかはないかい?」

「…それはない。でも、動きにくい。ねえ、どうして服を変えたの?」

 シンと出会う前レーヴァテインは両脇に深いスリットが入った灰色の服を着ていた。だが、シンに出会って早々着替えるように強く言われて、最初は無視していたが、鬱陶(うっとう)しくなってきたので、渋々今はスリットの入っていないよく似た服を着ている。

 レーヴァテインはシンが着替えさせたのをずっと疑問に思っていた。

 レーヴァテインが彼に問うと、何故かシンは頬を赤らめながら答えた。

「ちょ、おまっ、あんな服は破廉恥(はれんち)すぎるだろ!なんで横乳(よこちち)丸見えで平気な顔してんだよ!それにあの服すぐに脱げそうじゃん!目の毒過ぎるわ!シェキナーもそうだけどよ、なんで胸が大きいキラープリンセスに限って際どい服を着てるんだよ。ミョルニルとか草薙剣(くさなぎのつるぎ)とか胸が小さいほうが健全な服じゃん…って、うおっ、そんな鋭く蹴るなっ、死ぬっ、死ぬって!」

「う、うるさいっ。アンタみたいな変態は死になさい!この変態!」

 シンの腹にレーヴァテインの蹴りが炸裂する。

 天を裂く男の絶叫が響き、レーヴァテインの一方的な暴力はしばらく続いた。

 

「はぁ………はぁ………疲れた………」

 シンを蹴り疲れたレーヴァテインは、ぺたん、と花畑の上に座り込む。

 蹴られた側のシンは所々に痣とか作りながらもぴんぴんしていた。

「どうして、そんなに、体力があるのよ」

 キラープリンセスが疲れるまで彼女の攻撃を避け続けたのだ。人間以上のスペックを持つレーヴァテインが疲れているのに、ただの人間が元気であるという事実は驚きを通り越して、いささか気持ちが悪い。

「異形の者との戦闘は慣れてるって言ったろ。普通の人間の体力程度だったらさっきの異族との戦いでもとっくにへばってるさ」

 ははは、と乾いた声で笑う。

 何か誤魔化している気がする。そう思いつつも、シンを問い詰めるようなことはレーヴァテインはしない。他人を距離を詰めるのはレーヴァテインの主義ではない。

「でもそれだけ私を蹴っ飛ばす元気があるなら、体調の方も大丈夫か。良かった、良かった」

「心中は決して穏やかじゃないけどね」

 ギロリと鋭くシンを睨む。戦わされるわ、セクハラ発言やらただの人間に体力負けするやらでレーヴァテインはすこぶる機嫌が悪い。シンは全身に突き刺さるような殺気を感じていた。

「よ、よぉし、じゃあ張り切って街に行こうか、コルテはもうすぐそこだ!」

「もう私へとへとだから街まで歩けそうにない…」

「おいおい、もう少しだから頑張ってくれよ。はい、立って、立って」

「………無理……限界………」

「いやキラープリンセスなら全然余裕だろ。面倒くさがってないで………って言ってもな」

 ボサボサの頭を申し訳なさげな顔で掻く。

「私の計算が間違ってたせいで、レーヴァテインに負担を掛けたんだから私が文句を言うのは筋が通ってないよな」

 顎に手を当てると、何かを考えはじめ、少し時間が経つとポンと手を打つ。

「それじゃあ、私がレーヴァテインをおぶってってやるよ」

 ナイスアイディア、とレーヴァテインに親指を上げた握りこぶしを向ながら言った。

「………正気?」

「ん?人間だからって女の子一人を持ち上げるくらいは造作もないことだけど。あんまり人間を舐めるなよ」

 ………私が言いたいのはそういうことじゃないんだけど。

 と思ったが口にしない。

「よし、じゃあ、私の背中に乗れ。………そうそう、コアラみたいにしがみつく感じで」

「……コアラって何?」

「アレ、この時代にはいない?じゃあ、赤ちゃんみたいに」

「なんかその例えムカつくんだけど」

「こらっ、首しめるな…………剣は持ってくれよ、アレを持てる筋力はレーヴァテインを背負ったままじゃあ発揮できないからな」

「ちっ」

「舌打ちするな」

 シンはレーヴァテインの太腿に手を沿えて、ゆっくりと立つ。

 その時銀髪が揺れてシンの顔にかかる。途端に形容しがたい良い匂いが漂ってきた。

 どうしてあんな凄絶な戦いの後なのにこんなに良い匂いがするだろう、とシンは純粋にそう思った。

 それに今のこの体勢は少々不味い。レーヴァテインの胸部にある柔らかいものが密着してしまっている。レーヴァテインがシンの背中に寄りかかるようにして体を預けるから、なおさら不味い。彼女のあれが押し付けられてしまっている。それだけでなく、ほのかに伝わる彼女の体温がさらにシンの心臓の鼓動の速さに拍車をかける。

 今更ながらシンは自分が出した案が悪手であることに気付いた。

 心臓の音が異様なくらい大きく聞こえる。体が妙に熱い。

 別にいやらしいことを考えているわけではないのだが、さすがにこの状況で緊張するなというほうが無理な話である。

 降りてもらうか?いや、私の間違いのせいで疲れてるんだから、そういうわけには……

「…………ねえ」

「は、はい!」

 突然レーヴァテインに話しかけられる。声が裏返ってしまった。

「心臓の音がうるさいくらい伝わってくるんだけど、変なこと考えてないでしょうね」

「考えてないって。ただお前の胸が押し付けられている状態でドキドキするなという方が無理だろうが」

「最初からこうなるってわかってなかったの?」

 レーヴァテインは自身の中で答えが出ていることを無駄だとわかっていながらも聞いた。

「わかってなかったよ!」

 やっぱりそうなんだ。

 呆れの意味でため息を吐く。

「………太腿の手をお尻に回したら、首を切り落とすからね」

「そんなことしないって……私ってそんなに信用ない?」

「………ふんっ」

 レーヴァテインがさらに体を預けてくる。

「おいおい、これ以上体を預けるなよ……」

「うるさい、私寝るから、宿に着いたら起こして」

 ったく人の気も知らないで、というぼやきを最後に聞いてレーヴァテインはシンの背中で目を閉じる。

 

 こうして二人は突然の異族の襲撃を経て、目的地〈コルテの街〉へと向かうのだった。

 




words
・くたびれ白衣と左腕包帯の男シンと銀色の髪に赤い瞳の少女レーヴァテインは行動を共にしている。
・レーヴァテインはキラープリンセスと呼ばれる強大な力を持つ人間ではない存在。
・舞台は天上世界の〈ラグナ大陸〉。現在の二人の位置は冥花繁殖帯。
・異族は人を捕食する異形である。
・レーヴァテインは〈暴走〉じみた力を持っている。
・シンは異族を弔い、血液を採取した。
・レーヴァテインは普段の服ではなく、シンが用意した服を着ている。元々の服はシンが動揺するような過激な服だった。


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ep.02 コルテの街

03

 数ある街の中でも最も辺境にある街がコルテだ。

 異族が跋扈する人外域ワスレナと近い冥花繁殖帯にあるだけあって他の街と比べると商業は盛んではない。だが、それでも街は街。一定の賑わいを見せるこの街は街の外に住む人々にとって重要な役割を果たしている。

 それは物流の要となる行商人たちの拠点となっていることだ。  

 耕民区クレナイ――冥花繁殖帯を含めた人が住める領域――に住む農民階層の身分の人々は基本的に村から出て街に何かを買いに行くことができない。これは教会が税を取り立てて、農民たちのの手元にまとまった金が残らず街まで旅をするための準備金が用意できないためである。そのために農民たちが生活に必要なものを手に入れるに行商人に頼るしかない。行商人は言ってみれば農民たちにとっての命綱なのだ。コルテの街があるか、ないかでは人々の生活が大きく変わってくる。

 「こんな辺境に街を作らなくても、村の位置を調整すれば経済的ではないか?」という疑問の声もあったが、街が栄えるにつれて次第に消えていった。

 そして今シンはコルテの内と外を繋ぐ門の前に立っていた。彼の前には気難しそうな老年の門番が入門受付の壁を隔てて唸っている。

 門番が渋い顔で言う。

「あのよぉ、奏官さん。おそらくアンタらは異族と一戦交えてきたんだろうけどさぁ。その恰好はないだろうがよ」

「やっぱり…駄目ですかね」

「駄目だ、駄目だ。むき身の剣をどうにかしてくんねえと」

 異族との戦闘をしたまんまの恰好で来ている。レーヴァテインの剣はシンの持っていたタオルで一応は血を拭いたものの、キレイに拭きとれているわけではない。生々しい赤い血がまだ僅かに付着していて、刺激的な絵面となっている。剣が丸出しのままでは入れないのは当然だった。

「大体さぁ、奏官の基本原則わかってんの、おたく?キル姫が街に入る場合は武器を隠して、キル姫とわからないように変装させる。それが基本原則、常識でしょうが。人としての道理をちゃんと踏まえろや」

「…はい…すみません」

「はい、すみません、じゃないの。まったくこれだから若い(もん)はいかん。ルールは守らんで、大人を馬鹿にするわで、一体どんな教育受けてんだ。阿呆どもめ」

「…はぁ…ですがそれを私に言われても…」

「なぁに戯けたことを抜かしとる。お前も一緒だろうが。自分は関係ありませんって面してる奴が一番わかってねぇって相場は決まってんだ」

「ごもっともな意見ですね」

「だろ?だからさぁ、俺は馬鹿どもをもっとしめ(・・)てやらんといかんと思うんだよ。だからよ………」

 くどくどと平時の不満をこれでもかとぶちまけ始める老門番。堰を切ったようにあふれてくることからよっぽど不満が溜まっていたようで、彼の愚痴が終わる気配はない。

 シンは人の好さそうな顔で老門番の愚痴に首肯し、時折「たしかに…」「ええ、まったくその通りです」と相槌を打ちながら、嵐が過ぎ去るのを待つことにした。一度溢れた水が止められないように、愚痴もそう簡単に止まるものではない。こういうのは全部吐き出させて、心の中の黒いものを全部吐き出させた方が良い。

 幸か不幸か、シンは愚痴を聞き流すのには慣れている。気長に待つことにした。

「……だからよ、お前もな、ちゃんとルールを守って、真っ当な人間になれよ」

「はい、わかりました。貴重なお時間を割いてのご教授ありがとうございました」

 微塵の感謝もない心で、いけしゃあしゃあとシンは言う。

 まったくもってどうでも良いことではあるが、高校時代のシンの数少ない友人の一人がとある教師に怒られた際、こんな風にお礼を言えと言われて怒っていたことをシンは思い出した。今となっては確かに教師の言う通りかもな、と思う反面、未成熟な高校生の心情を汲んでほしいと思うのは高校生の甘えだろうか。

「えっと、それで私はどうすれば…」

「ちっ、ああ、そうだったな。まったく面倒だな」

 ちょっと待ってろ、と忌々し気に吐き棄ててたから老門番は言って奥に入っていった。そして二枚の大きなボロ布を持って戻って来る。

「ほら、こいつを使ってキル姫とスリロス(・・・・)――キル姫の武器を隠せ。そんでもって税を払ってけ、三十ゼニーだ」

「わざわざありがとうございます。なんだかんだ言って、世話好きなんですね」

「馬鹿言うんじゃねえよ、それは教会が用意したもんだ。俺がわざわざ自費で用意すると思うか?俺は人一倍ケチなんだ。顔も知らぬ誰かのために金を使うものか」

「……教会が…?」

「ん?なんでそんな不思議な顔をする。お前も奏官なんだから、教会の命令で来たんじゃないのか?」

「いえ、私は奏官じゃなくて彼女のパートナーですので」

「パートナーって、まぁ、いいか。とりあえずだ。教会から俺たち街の門番に送られた通知だと、どうやら街に奏官たちを集めているみたいでな、突然の通知だったもんで準備もしっかりしていない奏官がいるんじゃないかってことで、キル姫を隠すための道具を寄越したんだと。まぁ、渡したのはお前が初めてだが」

「一体なぜ奏官を?集会みたいなのがあるのですか?」

「そんなことまで俺が知るかよ。知りたきゃ、お前が教会に行って聞いてこい」

 しかし、老門番は思い出したように話を付け加えた。

「ああ、でも昨日来た奏官が『どうやらヤバいことが起きたみたいッス』とか言ってたな」

「……ヤバいこと…」

「変なことが起こらんといいけどな。ま、こんなちっぽけな思いは簡単に世界に押しつぶされてしまうのだろうが」

「世界というのは残酷ですから。人間なんて矮小な存在の小さな思いでさえ踏みにじって、勝手に回っていく。当然のことですけど、やるせないですよね」

「なぁに、したり顔で語ってんだ、若造。お前が人生を語るのは何十年と早いわ」

「いてっ………ちょっと、デコピンしないでくださいよ」

「うるせえ、調子に乗った罰だ」

 不満そうに顔を歪めたまま老門番は静かに目を閉じた。シンには彼が何を思っているのかはわからないが、シンの態度に対して不満を募らせているのだろうことは想像できる。

「あ、そうだ。すみません、一つ伺いたいことが…」

「…………何だよ」

 老門番は片方の目を開いてシンを睨む。明らかに面倒だと思っている顔だが、シンは厚顔にも続ける。

「この街で妙なことが起きませんでしたか?例えば、変な音が夜中に鳴り響いたとか、体調が悪くなった人が多いとか」

「そんな話は聞いたことねえなぁ。あ、だが前教会付近の地面が陥没したことがあったな」

「陥没、ですか」 

 シンは少しを考えるような顔をした後それ以上老門番に話しかけることはしなかった。老門番もシンと雑談をかわすこともない。レーヴァテインを背負っていたため、四苦八苦しながら巾着を取り出して、税の三十ゼニ―を払った。そして受け取ったボロ布で適当にレーヴァテインとスリロスを包むと門を通過した。

 立ち去る直前、シンは老門番の方を振り返ってこう言った。

「老門番さん、貴方は若い人は嫌いかもしれませんけど、私は貴方のような人好きですよ」

「ふん、言ってろ、馬鹿者」

「それじゃあ、また、今度は酒でも持って来ますから、夜に一杯やりましょう」

「誰がやるかよ、バーカ」

 最後まで通じ合うことがないまま、二人は別れた。

 

04

 コルテの街はシンが思っていたよりも大分賑わっていた。

 門を抜けたすぐの所には大きな広場、その先には商店が並ぶ大通り。荷馬車を連れているのを見ると行商人だろうか?商店だけでなく、即席の露店のようなものまで出ている。とても辺境の街の賑わいとは思えない。大したことはないだろう、というシンの予想は良い意味で裏切られた。

 そんな栄えている街なので、必然的に人もまた様々な種類の者がいる。簡素な麻の服を着ている街の住民。高そうな金の刺繍がしつらえてある服を着た恰幅のよい商人。顔を真っ白に化粧した、派手な服を着た赤鼻の道化師。激しく肌を露出させた妖艶ないで立ちの踊り子。テーブルへと次々と酒を持っていく、忙しない酒屋の娘、等々。とにかく職種も、身分も違う様々な人間がいた。眩しい極彩色の光景を前にして、シンは立ちくらみを起こしたが、ぐっとこらえた。久しぶりの人混みに当てられてしまったみたいだ。

 思わず口をつく。

「祭りでもあんのかよ」

 すると返事があった。

「……街なんて大抵こんなものよ」

「なんだ、起きてたのか」

「……持ってる剣やら自分の体なんかに無理矢理布を巻きつけられちゃあね……嫌でも目覚めるわよ」

「起きたなら、降ろして良い?」

「……嫌よ。なに?さっきドヤ顔で『人間を舐めるなよ』とか言っておきながらその体たらく?だらしないわね」

「ぐっ」

「……それに私は働いた…契約上の報酬は払って」

「私とお前の契約にお前を背負うっていう内容はなかったはずだが!?」

「………」

 返事はない。ただの屍のようだ。

 はぁ、と一つため息。都合の悪い時だけ口を紡ぐのは彼女の性分なので、シンはもう諦めている。

 とりあえず門を出たところで立ち往生していても仕方がないので、レーヴァテインを背負ったままシンは人の群れへと潜っていく。

 人が多い大通りに入ると、人の匂いだけでなくいくつもの匂いが混じっていることに気づく。果物屋にならぶオレンジの爽やか匂い。露店で焼いている野鳥の香ばしい香り。若い女が振りまく香水。酒の匂い、等々。個々の匂いは良い香りなのだろうが、あまりにも多くの匂いが混じり過ぎて鼻が馴れていないシンには悪臭として感じられた。レーヴァテインも同様らしく、不快に感じているのが息遣いで伝わった。

「これは結構鼻に来るな。辛い」

「……早く宿を取って…こんなところ抜け出しなさいよ」

「そうしたいのはやまやま何だが……さっきから宿屋が一向に見つからない。店ばっかだ」

「……多分種別ごとに区画ごとで分かれているのよ。ここは商業区だから店しかない」

「近い場所に同じようなものを扱う店を並べるとあまりい良くないって話を聞いたことがあるんだけど」

「……商売のことなんて知らないわよ。私は異族と戦うことが専門なんだから」

 少しイラついた様子でレーヴァテインが答えた。

「で、結局宿泊施設が集まっている区画はどこにあるんだ?」

「……なんか……偉そう」

「痛いっ、痛いって、首をつねるなっ。分った、分ったから、教えてください、レーヴァテインさんっ」

「……ふんっ、最初からそうしなさいよ、まったく。宿屋の区画があるのはきっと街の中心よ」

「そりゃまた、なんで?」

「……行商人とかはまず拠点となる宿を探すでしょ。宿泊施設を街の中心に集中させておけば必然的に商業区を通るから、嫌でも商店が目に入る」

「なるほど。街ぐるみで商売をしているわけか」

 徹底して商売に特化している街だ。

 シンにはわからないだけで、様々な工夫が施されているに違いない。

 そして、ここで浮上した疑問が一つ。

「意外とレーヴァテインって街に詳しいんだな」

 シンと出会う前のレーヴァテインはいわゆる野良キラープリンセスという奴で教会所属の奏官――簡潔に言うとキラープリンセスの管理者と行動を共にしていなかった。となるととある事情(・・・・・)で人の中では暮らせないキラープリンセスは必然的に野宿となるし、自給自足を強いられるはず。それだというのに何故レーヴァテインは人の領域である街に詳しいのか?

「……別に、変な話じゃないわよ」

 レーヴァテインはこう答える。

「……教会の庇護下にないキラープリンセスは人の文明の恩恵は受けられないのは知っての通り。住む場所も人の目があるから限られてくる。でも人と関われないわけじゃない。『異族』を狩る道具としての利用価値はある。だから野良のキラープリンセスは教会が後回しにする地域の異族を狩ることで食べ物を分けてもらったり…お金を得たりする。金をもらうのは稀ね。私たちじゃ商人は人の足元を見て、値段を吊り上げてくるもの。ちまちましたお金をもらうくらいじゃ、何も買えない」

「それがなんでお前が街に詳しいことに繋がる?」

「……私の場合は、村と村を行き来する行商人の護衛を生業としていたの。一応彼らが使う道は教会所属の奏官とキラープリンセスの主従が定期的に異族を討伐しているとはいえ、神出鬼没の異族はいつ襲ってくるからわからないもの。ちょっと不安を煽ってやればすぐに彼らを食いつく」

 つまりこういうことか。

 行商人たちの恐怖心を言葉巧みに刺激して彼らに取り入って、建前だけの護衛を行い、無労働の報酬を受け取っていた。彼女は行商人たちの話を盗み聞き、情報を得ていた。そういうことだ。

 こう簡潔にまとめてしまうと、レーヴァテインは立派な悪役である。

「お前さ、結構(わる)だよな。まぁ、知ってたけど」

「……たった数日でよくそんな『レーヴァテインのことは全部わかってるぜ、きらっ☆』みたいなこと言えるわね。それに言わせてもらうけど、ちゃんと異族は倒したから…働いてないみたいに言わないで」

「すまん、すまん。あとさ、お前も『きらっ☆』とか恥ずかしいセリフ言うのな。珍しい」

「……うるさい……わすれろ」

 脇腹に太腿で一発。無理な体勢だったので対してダメージはない。

 ただ先程の話を野良のキラープリンセスの視点に立って考えるとレーヴァテインのやり方にも一理ある。シンが想像しているよりも野良のキラープリンセスの生活は苦しい。人間よりも数倍肉体が強靭な彼女たちは、よほどのことがない限り風邪は引くことはないけれど、腹も空くし、喉も乾く、住む場所もいる。『文明』を頼れない彼女たちは原始的な狩猟採集生活を強いられる。不安定な生活を安定させるには強かになる必要がある。強盗といった犯罪をしないだけ、レーヴァテインは幾分もマシだ。

 そんな会話――レーヴァテインは無視するので実質的にはシンの独り言――二人は街の中を進む。途中レーヴァテインの要望でいくつかの店を冷やかした(随分と店主と客に嫌な顔をされた)。道はかなり混雑していたが、勝手に道が譲られるので進むのは苦労しなかった。

「………………」

「………………」

 二人は人々の視線を一身に集めながら街を進む。

 街は喧騒に満ちていて、熱気に満ちている。だが、シンとレーヴァテインの周りだけは温度が下がっていた。

 まるで幽霊の出る心霊スポットのように。周囲から切り離さた異質な場所となっていた。

「………………」

「………………」

 二人は人々のひそひそ話を聞き流しながら街を進む。

 多くの声が混ざり合って、いっしょくたとなった声の中でも明確に感じられるソレ。

 まるで美しい計算式の中に混じった不成立の証明のように。素晴らしいもの中に混じる不純物。

「………………」

「………………」

 沈黙が続く。わかっていた、知っていた。欠落していたのは経験だ。

「きついな」

「…今更何言ってんの……わかってたことでしょ」

「火の中に手を突っ込んだら火傷するって知識では知っていても、その火傷の痛みまでわからないだろ。それと一緒だよ」

 眉間に皺を寄せ、青年は彼を苛む元凶の名を呟く。

「―――蔑姫(べっき)主義、か」 

 天上世界に蔓延する一つの思想。キラープリンセスを嫌悪し、差別する風潮。

 それが蔑姫主義。人間が抱えている悪しき考えだ。

 野良のキラープリンセスが人のいる場所で住めないのも、キラープリンセス相手の商売に商人が値段を吊り上げるのも、レーヴァテインを背負ったシンたちが道を譲られ、人々の悪い意味で注目を集め、嫌悪の視線を向けられ、陰口を言われるのも、その原因は結局の所ソレに求めることができる。

「一体なんでそんな風潮が生まれてるんだよ」

「……はぁ、なんでそんなことも知らないの。常識でしょ、常識」

「そんなこと言われても、分らないっての」

「……ほんと貴方ってわけわかんない」

 少し間を置いてから彼女は答えた。

「……キラープリンセスが異族を殺す時、その瞳は喜びに満ちている。嫌悪されるべき殺傷を喜んで行う不気味で薄気味悪い人間のような何か(・・)。大方そんなところでしょ。まぁ、狂気に飲み込まれ〈暴走〉したキラープリンセスが一つの村を壊滅させたっていうことが関係していないわけじゃないだろうけど」

「なるほど、生物的不安定さにつけこんできたか。奴ら、影響を広げて何を企んでやがる」

「…いい加減妄想の話は止めてもけでも哀れだわ」

「ちょっ、馬鹿お前っ、そんなに首を強く抓るなっ。キラープリンセスの力だと人間の肉なんて簡単に引きちぎれるから、下手のことすんじゃない!」

「……街に入る前に私の蹴りを受けてピンピンしてたのは誰かしら?」

「それとこれとは話は別だっ」

 シンは必死にレーヴァテインにやめさせようとするが、悲しいかな、今彼はレーヴァテインは背負っている状態である。そのため両手は塞がっているし、背中は完全に取られているしで、なすすべがないのであった。結果彼女の気が済むまで、うなじ(・・・)をつねられることに…………

 しばらくして「ふんっ」という鼻息が彼女の不機嫌タイムに終了を告げる。

「痛いなぁ~、もう~」

「…訳の分からないことを言い出す。貴方が悪いのよ」

「えっ、もしかして『…話が通じなくて寂しい…うふっ』みたいなこと思ってたわけ!」

「……………」

「ギャァァァァァッ!無言で首を絞めるなァァァァ!」

「…うざい……黙れ……死ね……うざい」

「耳元で呪いの言葉を吐くな、怖えよっ。ごめん、本当にごめんって」

 ひとしきり謝ってレーヴァテインの許しを請うことに。シンは学ばない男なのであった。

「ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ、死ぬかと思った」

「……自業自得」

「ちょっとした意趣返しのつもりだったんだよ」

 「レーヴァテインのことは全部わかってるぜ、きらっ☆」の、である。

 さて、話が少し逸れてしまったがそろそろ話を戻そうか、とシンは深く息を吸い、深く吐く。

「蔑姫主義とか、さ。お前たちキラープリンセスにとって辛い世の中だと思うけど、さ。あまり思いつめるなよ。なんかあったら聞くから。ほら私は研究者でもあったけど、カウンセラーの資格も持ってるから」

「……別に、いちいち気にしてなんからんないわよ。随分と長い間差別にさらされてきたんだもの。もう慣れたわ」

「慣れた、か」

 たった三文字の言葉がシンの心に突き刺さる。

 つまりはこういうことか。彼女はもう諦めてしまっているわけか。差別され、嫌悪されてしまうことはもう変えられないことだと思ってしまっているというわけだ。

 確かに、諦めてしまった方が楽かもしれない。差別の風潮を受け入れてしまうことのほうが社会に抗うより簡単なのかもしれない。

 でも、そんなの―――

「―――そんなの駄目だよ」

「…何ですって」

「差別されることに慣れちゃうのは駄目だよってこと。慣れちゃうと、永遠にその立場から抜け出せなくなる。立ち上がることを忘れてしまう。受け入れてしまって、流されて、腐ってしまう。人間ってのはさ、部屋の空気と同じなんだよ。新しい風を入れないと空気が段々淀んでいくように、立ち止まり続けると、駄目になっちゃうんだ」

「…ふぅん。でも、キラープリンセスは人間じゃないわよ」

「同じだよ、人間もキラープリンセスも。キラープリンセスだって喜んだり、悲しんだり、怒ったり、不機嫌になったり、苦しんだり、辛かったり………それに誰かを好きになったり。そんな当たり前の感情がキラープリンセス(おまえたち)にもあるだろう?一体どこが人間と違うって言うんだい?」

 シンは知っている。とてもよく知っている。キラープリンセス(かのじょたち)が人間と違う生物であることを、シンは知っている。

 けれどキラープリンセスにだって感情がある。人間と同じ容姿をして、人間と同じ思いを持って、人間と同じように生きる。

 だからシンは主張する。どうしようもない〈愚者〉として声高に叫ぶ。

『キラープリンセスは人間と同じなのだ』、と。

「…そんなの知らないわよ」

 レーヴァテインは不機嫌よりも困惑の色が濃い声でそう呟いた。

 それもそうだろう。彼女自身キラープリンセスと人間は別の生物だと思っているし、社会の認識も言わずもがな。唐突にまったく正反対のベクトルの思想を説かれても困惑するに決まっている。

 それに最大の溝が埋められていない。

「…人間を生き物を殺すことを楽しんだりしないもの。私には殺戮の甘美さはわからないけど……」

「ああ、殺戮に対する喜びを感じる狂気性のこと?そんなのは気にしなくてもいいと思うけど。元々人間と類似の精神性を持っているなら、逆に無いほうがおかしいし」

(なんだか、とんでもないこと言いだしたわね)

「人間の狂気性は他人との関わり合いやら倫理観やらに触れることによって段々と薄れていくんだよ。『人の痛み』とやらを知ることによってね。だからそういうこと(・・・・・・)を知らない赤ん坊とか幼児は残虐な面が多いんだよ。私も五歳か六歳くらいのころは蚊の体を引きちぎって喜んでた記憶がある」

「…それは…恐ろしいわね」

 レーヴァテインの頭の中で小さいシンが悪い笑みを浮かべながら、蚊の体を順番にむしっていく姿を想像し、身震いする。

「だろ?他にも例を挙げるなら、とある心理学の実験だと大学生たちを看守と囚人の二役に分けて一定期間、閉鎖的空間で共同生活させると、看守役には攻撃性が、囚人には被虐性が芽生え始めたという結果が出たんだ」

 「スタンフォード監獄実験っていうんだけどね、覚えてない?」シンはそう言ったがレーヴァテインには何のことかわからない。

「…それで…貴方は何が言いたいのかしら」

「だから、えっと、要するに、殺すことを喜ぶ狂気性があるからってキラープリンセス(おまえたち)人間(わたしたち)を分けて考えなくてもいいんっじゃないかな?ほら、さっきも言った通り人間にも君たちと同じ感性が生まれた時から本能として宿っているんだし、人間は特定の役割を与えられれば簡単に自らの暴力性に呑まれてしまうような弱い生き物なんだ。異族を殺し続けることで狂気に呑まれるキラープリンセスと似たようなものじゃないかな?」

 シンの言っていることは、つまるところ、彼にとって都合が良すぎる解釈でしかない。

 赤ん坊は本能的に残虐なことを楽しんでいるのではなく、それが残虐なことであると知らないから玩具で遊ぶことと同じ感覚でいるだけなのかもしれない。心理についての研究を少しかじっただけのシンにはその真偽はわからない。曖昧だからこそ彼は『人間は本能的に残虐なことを楽しむ感性を持つ』という結論を叩きだした。

 スタンフォード監獄実験の件にしたって、意図的に解釈を捻じ曲げている。

 何故シンはそこまでしてキラープリンセスと人は同じだと彼は説くのか?

 そこに彼の真意が見え隠れしている。

 シンの真意にレーヴァテインは気づいているのか、いないのか。真偽はわからないが、彼女はいつもどおりの彼女でこう答えた。

「…あっ…そ」

「『…あっ…そ』って、もう少しまとな返事はないのかよ。結構真面目な話をしていたつもりだったんだけど」

 あまりにもいつも通りの返事にシンは少々面食らう。もう少しまともな返事が欲しかったのだが、そんなシンの思いなど露知らずレーヴァテインはあくまでもいつもの彼女で会話を続ける。

「…いいから…行くわよ……早く宿で私を休ませなさい」

「ああ、もう!相変わらずのマイペースだなぁ!」

「…黙りなさい……さぁ…早く宿屋へ行くのよ…この下僕」

「最早対等な関係でもなくなった!」

 なんだかもう、我儘お嬢様であった。

「ったく……悪いが、もうちょっと我慢してくれよ」

「…はぁ…何でよ」

「最初は宿にお前を置いてから行こうと思ってたんだが、宿に着く前にこっちに先に着いたからな」

 シンが立ち止る。

 彼の言葉に導かれるようにしてレーヴァテインが見上げる先には。

 

 ――教会。

 




words
・二人はコルテの街に入った。
・コルテの街は最も辺境にある街で他の街と比べると商業は盛んではないが賑わっている。
・耕民区クレナイは農民階層が住んでいる。
・クレナイに住む人々にとって行商人は命綱。行商人を支える街はなくてはならない。
・コルテの街は疑問の声が上がるほど辺境にある。
・キラープリンセスの武器はスリロスと総称される。
・教会が奏官を集めている。
・キラープリンセスを差別する蔑姫主義が広がっている。
・解釈を捻じ曲げてでもキラープリンセスと人は一緒だというシンの真意とは一体?


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ep.03 ラグナロク教会

05

 こんな神話がある。

 

 かつて大地に名前がなかった頃。数多の悪魔が地上へと舞い降りた。世界は闇に覆われ、終わりのない嘆きの日々が続く。人々の嘆きの声は天上の神の元へと届き、地上の惨状を知った神が流した涙は一つの川となり、小さな若芽を大樹へと成長させる。雲を貫き、天へと届くまでに至った大樹は幾銭の実を宿した。その実は無双の武器と姿を変え、人々の絶望を切り裂き、闇に立ち向かう勇気を与え、闇の全てを焼き尽し、世界に平和をもたらしたのだった………

 

 こうした語り口で始まる一連の神話を拠り所として、一つの宗教組織が作られた。

 ラグナロク教会。ラグナ大陸唯一の宗教組織である。

 象徴として掲げているのは既に失われた神話の武器で、人々の信仰も神話に語られる武器に向けられていた。 

 組織の力は強大で、その権力は古くからある貴族のそれに匹敵する。世界樹ユグドラシルの根元にある王都セリアにはラグナロク教会の最高権威である〈教皇庁〉があり、各街、各村に建てられた支部教会をまとめていた。

 何故そこまで徹底して人の居住区域に教会が置かれているのかというと、教会がただの宗教組織ではなく一種の軍事組織としての側面も持つからだ。

 人間の脅威である異族を効率よく討伐し、人命を守るためにバイブスを持つ奏官と奏官のバイブスに適合するキラーズを持つキラープリンセスの主従を教会の所属させることで管理する。異族が発生した近隣の街や村から要請を受けたラグナロク教会は奏官に任務を与え、討伐に向かわせる。これが天上世界における異族討伐の実情だ。またラグナロク教会に救援を要請した街や村には寄進という名の報酬をラグナロク教会に支払う義務が発生し、ラグナロク教会はその寄進料や税金で組織を運営している。

 キルオーダーと呼ばれる天上世界における絶対規範もまたラグナロク教会が定めている。この規範はキラープリンセスに対する法律だ。キラープリンセスたちにとって神聖な儀式である〈淘汰〉や〈暴走〉と呼ばれるキラープリンセスの自我亡失現象に対する対処法などが定められている。

 そして今、レーヴァテインとシンの二人はコルテの街の支部教会に足を踏み入れていた。だが、入った途端シンは唖然としていた。

「………………おい」

 長い沈黙の後にシンは、

「まんまキリスト教会じゃねーかぁぁぁぁっ!」

 叫ぶ。静謐な教会の空気をシンの声が切り裂く。

 シンの視線は内陣の祭壇から赤子を抱く女性の意匠が施された中央のステンドグラス、天井の老人が若い男に手を伸ばしている絵まで移りっていき、顔を回して教会の中をきょろきょろと見回している。 

 そんな騒々しいな男の反応にレーヴァテインは、

「……いちいちうるさい」

「ふんぎゃっ」

 足を踏みつけて黙らせた。隣で無駄に暴れられるのが気に入らなかった。よって実力行使。

 ちなみにレーヴァテイン自身も教会に来るのは初めてだったりする。大抵街に入れるのは奏官付きのキラープリンセスなので、シンと出会う前は野良だった彼女が入れる道理もない。レーヴァテインが教会内を見回していないのは単純に興味がないからである。

 ついでに言うと、隣で足を抑えて蹲っている男にも興味はない。

「い、今のは結構痛かったぞ」

「……訳のわかんないこと言ってないで、さっさと祀官を呼びなさいよ。私は眠いのよ」

 シンはレーヴァテインを背中から降ろしていた。曰く、「もう起きたじゃん」。彼女が心の中で、教会から出たらもう一回背負わせようと思ったのは彼の知る所ではない。

「……速く祀官を呼びなさいよ」

「はいはい、わかってるって。ところで何処に祀官とやらがいるのかは知ってたりしない?」

 レーヴァテインは無言で首を振るう。

 シンも教会について勿論詳しわけないので、ここは手っ取り早い方法を取ることにした。

 具体的に述べるならば、大声で祀官を呼ぶことにした。

「すーみ―まーせーんっ‼誰かいませんかーッ‼」

 シンの声が教会内を反響する。少しして奥の扉から白い宗教服に身を包んだ老人が現れた。痩せてはいるが背筋はしゃんとしていて、大分年を取っているようだが、しっかりしているように見える。

 にこやかに微笑みながら老人は二人の近くにやってくると問うた。

「おやおや、一体どうしたのですかな?まだ通知した時刻には時間がありますが」

 どうやら目の前の老祀官は二人のことを奏官とキラープリンセスの主従関係にあると思っているらしい。

 シンはわざとらしい作り笑顔を浮かべて答えた。

「実はですね。まだ私たち教会の洗礼を受けていなくて。本日は洗礼を受けるための事前申請に伺ったんです」

 そう言った途端レーヴァテインが目を見開き口を開きかけるが、すんでの所でシンが手で彼女を制す。

 老祀官は一連の挙動に首を傾げたものの、深くは言及しなかった。一瞬訝し気な顔をしたが、すぐににこやかな笑顔を浮かべる。

「おお、そうでしたか、そうでしたか。これは失礼いたしました。でしたら少しお待ちください。すぐに書類を持ってまいりますので」

 そう言って老祀官は出てきた扉へと戻っていく。扉がしまると同時にレーヴァテインが先程の驚きの理由を語りだした。

「……今のどういうことよ」

「今のって?」

「……とぼけないで、貴方が奏官になるっていう話のことよ!何言ってるの?」

 レーヴァテインが驚くの無理はない。だって彼には奏官であるための最重要事項が抜けている。

「……貴方はバイブスを持っていない」

 奏官とは一般にキラープリンセスと連れている者のことを指す。しかし、奏官はキラープリンセスを連れていれば名乗れるというものではない。奏官になるにはいくつかの条件があるものの、その最低条件はバイブスを持っていることだ。キラープリンセスのキラーズと適合することで、彼女達を戦闘において万全の状態にするマナの亜種バイブスは、異族討伐において非力な奏官の唯一の存在意義だ。

 けれどシンは――レーヴァテインが断言したように――バイブスを持っていない。奏官であるための最低条件を満たしていないのだ。

「……バイブスを持っていない以上貴方は最低条件を満たしていない。だから――」

「――だから奏官にはなれない、とお前はそう言いたいのかな?」

 問いかけると無言で彼女は首肯する。

 気づかない内にシンの頬が緩んだ。

「……何よ、その笑顔」

「ありゃ?私、笑ってた?」

「……笑ってた、とてもムカつく顔、いや気持ちの悪い顔で」

「それは流石に酷くないかな!?」

 さすがにちょっぴり傷ついた。

 少々熱くなってしまった思考を冷まして、シンは真面目の顔をしてレーヴァテインと向き合った。

「さて、お前の疑問はごもっともなものだから、ちゃんと説明しておくよ」

「…………」

 彼女の沈黙を説明の肯定として彼は受け取って置く。

「はじめに断言しておこう。奏官にはなれる、絶対に」

「……はぁ、だからくどいくらい言ってるでしょう。バイブスを持ってなければ奏官には――」

「なれるさ、肩書だけ(・・・・)なら、ね」

 シンの言葉を受けてのレーヴァテインの感情は、見開かれた目が物語っている。

「誰も彼もが、キラープリンセスと一緒にいるその人物は奏官と見なすだろ?」

「………まぁ、確かに」

「私はラグナロク教会の教皇庁が行っている奏官になるための〈洗礼〉とやらの詳細を知らない。一般人に聞いても知らないらしいし、奏官に聞いてもキルオーダーで言えないとかで情報を得られなかったからな。でも、おそらく、〈洗礼〉はバイブスの有無を確かめる何かしらの儀式が行われるのだろう。だって奏官であることの証明はバイブスを持っていることなのだから。特別職の任命には必ず証明が必要だ。弁護士の司法試験の合格書とか、そういう類のな。さてさて、では質問。ここでは奏官の証明試験つまりは〈洗礼〉ができるか?支部教会で教皇庁と同じことができるかと言われると、答えは否、できない」

「…………どうしてよ?」

「設備がないから」

 普段より二拍おいてレーヴァテインは口を挟んだ。

 レーヴァテインはつい最近まで野良だった身。行商人との関わりがあったおかげで街については多少のことは知っているが、教会の内情とかは最低限度のことくらいしか知らない。

 彼女の心内には色々と聞きたいことがわだかまっていたが、ひとまずそれらは置いておいて男の話を聞くことにした。

「設備がない根拠は無防備すぎるからだ」

「……?」

「わからないか?〈洗礼〉って奴は、わざわざ絶対遵守法のキルオーダーに口外禁止とまで定めているラグナロク教会の秘儀なんだ。だったら〈洗礼〉が行うことのできる場所は最も警備を厚くてもいいはずだ」

「……目に見えない所で実はとんでもない装備があるかもしれない、もしくはわざと力を隠すことで逆に敵勢力の目

を逸らしているのかもしれないじゃない」

「いや、その可能性は低い。今回のように特定の場所(・・・・・)を守る場合には、力をさらしておいた方が良い」

「……何でよ」

「襲う場所は疑いようもなくここだからだ。いくつか候補地があるなら、わざと警備を薄くして場所の重要性を低く見せる方法も有効だ。けど、場所がわかりきってしまっている以上、相手は騙されない。教会を敵対している勢力にとっては教会しか手がかりがないから支部教会を襲うしかない。テストで答えがわかってるなら、不正解には目がいかないように。支部教会が唯一の襲撃地だから他の候補地なんて考えない。そういう結論に落ち着く」

「……なるほど、〈洗礼〉が支部教会じゃできないと結論づけたことも納得できる。警備が厚くないから、重要施設が存在しない。確かに、つじつまは合うわね。そして、〈洗礼〉を受けないからバイブスを持っていないこともばれない…………と。まぁ、推理と呼ぶにはあまりにも拙すぎる、根拠の無い推測の集合だけど」

「そう言われると、言い返せないけど……限りなく百パーセントには近いと思うよ」

「……もし、推測が間違っていて、〈洗礼〉を受けることになったら、どうするつもりだったの?」

「とぼけるさ。奏官ならともかく、私と同じようにバイブスを持たない祀官ならば適合の感覚を実感しているわけじゃないから、騙しおおせるだろう」

 ま、忌み嫌われているキラープリンセスといる時点で疑われることはないだろうが、ともシンは考えている。

 バイブスを持たないで気持ちの悪いキラープリンセスと一緒にいる人間など、余程の事情持ちしかいないだろうから。

「……それにしても肩書の奏官か。実際には奏官じゃなくて志願者となるのだけれど、社会的に見ればそんなことは関係ない。一般人にとってはキラープリンセスと一緒にいる事実だけで奏官と呼ばれるし、教会からも奏官になることを申請すれば奏官(仮)として認識される。真実を伴わない、事実上の奏官のできあがりってわけね」

「そ、納得してくれたかな」

「……ええ、よくわかったわ」

 レーヴァテインは頷いて、紅の瞳を薄く開いて彼を見た。

 彼の奥底を見透かすように。

「……貴方が教会の腹の中に入って、何か(・・)をしようとしているのかも、ね」

「……………」

「……沈黙は肯定として受け取るわよ」

 少々の敵意を込めてシンを睨む。

 レーヴァテインはシンを疑っている。疑う理由がある。

 肩書だけの奏官の立場を得るために教会へ訪れ洗礼の申請をする。ただそう言われただけでは、肩書だけの奏官になるという点以外は不審な点は見当たらない。だが、じっくりと考えると怪しげな点が一つある。

 怪しげな点とは、洗礼を申請したことである。

 キラープリンセスは忌避される存在であり、キラープリンセスと一緒にいる人物は奏官。これはラグナ大陸では当たり前のこと。だからこそ、誰も例外を疑わない。『当り前』を疑おうとする人間はそうそうお目にかかれない。社会秩序の精神的基盤となっている『当り前』は簡単に打ち崩せるものではない。

 ようは大多数の人間は、くどいようではあるが、キラープリンセスと一緒にいる人間=奏官という等式が成り立っているのである。1+1=2と同じく疑いようのないくらいに。

 そしてそうと疑わないのは、ラグナロク教会と無関係の人間だけではない。教会の人間もまた、疑うことはしない。そのことはシンも言っている。『誰も彼もが、キラープリンセスと一緒にいるその人物は奏官と見なすだろ?』と。わざわざ申請などしなくても、教会からも疑われない肩書の奏官のできあがり、というわけである。

 ならば、何故シンは申請などをする。肩書の奏官を主張するなら、むしろばれないようにラグナロク教会とは距離を置いた方が良いのにも関わらず、だ。

 レーヴァテインは核心を突く。

「貴方は奏官の肩書が欲しいんじゃない。欲しいのは王都セリアの入門許可証ね」

 王都とは友達の家感覚で簡単にいけるようなものではない。円形に壁で囲まれていて、入れる門も片手ほどしかない。特別な身分であったり許可証がないと門が開くことはない。。平民などは立ち入る機会すら与えられない。そんな聖域のような場所だ。

 ただ平民でも王都に入れる機会をただ一回だけだが持つ職業がある。それが奏官であり、与えられる機会というのが〈洗礼〉だ。

 だからレーヴァテインは結論付けた。シンが欲しいものは〈洗礼〉の機会即ち王都セリアへの入門許可証だ、と。

「貴方の目的は何?まさか教会に楯突くつもり?」

「うーん、やっぱり、お前は連れて来ないほうが良かったかなぁ」

 シンが渋い顔をする。

 この事実から導き去れる結論は。

「……………………………………………帰る」

「ちょっ、待って、ホントに待って!」

「嫌よっ、何でわざわざ大陸を牛耳っている教会と敵対しなくちゃいけないのっ!そんな危険冒すかっ、馬鹿っ!」

 殴ったり、叩いたり、蹴ったり。

 レーヴァテインはしがついてくるシンを何とか突き放そうとするけれど、シンは一向に離れない。

「馬鹿っ、阿保っ、おたんこなすっ」

「なんか言葉の選択が古いっ!」

「いいから離せっ、この大馬鹿野郎っ!」

「そげぶっ」

 レーヴァテインの腰の入った一発が気持ちよく顔に決まった。軽く吹っ飛ぶ。

 地面にキスした状態のシンの足がピクピクと震えている。

「謝らないわよ」

「うん、謝らなくてもいいよ」

 鼻頭を抑えてシンは起き上がる。体中が痛んでいるようで、動きがぎこちない。レーヴァテインの抵抗によって痣があちこちに出来てしまっているようだった。

「だけどさ、お願いだから私と一緒に来てくれないかな」

「ぜぇぇぇぇっっっったいに嫌っっ!」

「そこを何とか」

 直角に腰を曲げて懇願するシン。そんな彼を迷惑そうに半眼で睨み付けて、レーヴァテインはポツリと呟いた。

「………………一日だけ」

「はい?」

「……一日だけ契約に従う。教会にも貴方のことは伝えない。………それで私と貴方の関係は終わり、さようなら」

「そ……んな。頼むよ……レーヴァテイン…っ!これはお前のためでもあるんだ」

「うるさい。教会と敵対する中で私にメリットが生まれるとは到底考えられないんだけど」

「教会の奴らはお前を―――」

「……くどい」

 地獄の鬼が出す声とは、このような声のことを言うのであろう。

 小さくとも底冷えするような、とてもつもなく冷徹な声。

 超えられない彼と彼女の間にそびえたつ拒絶の壁となった。

 彼は再度口を開こうとする。

 寸前に彼女の切っ先が喉に突きつけられた。

「……っ!」

「黙りなさい。貴方はこのまま教会に追われて、無様に、無意味に野垂れ死になさい。私は貴方の死出の旅路に付き合うつもりは毛頭ないから」

 鋭い眼光が彼を貫いた。

 絶対的な別離が確定してしまった。

 もう彼女は彼の下には戻らない。

「私は貴方と明日になったら別れる、いいわね?」

「………」

「返事は?」

「………わかった。お前の言うことに従う」

 彼の言葉を聞いてようやく彼女は剣を降ろす。

 シンは悔し気に下唇を噛んでいた。

 レーヴァテインは彼の方など見向きもしなかった。

 そんなひと悶着があって、ようやく老祀官が入って言った扉が開く。

 何も知らない老祀官は、

「何かありましたのかな?」

 と首を傾げるのだった。

 

06

 コルテの街、宿泊施設区。

 公的にそう呼称されているわけではないが、事実上そう呼ばれる相応しい場所。

 シンとレーヴァテインは拠点となる宿を探す。

 商業施設よりも高さが高い建物に囲まれたこの場所は日光が遮られ、仄かに薄暗いし、静かだ。全体的に穏やかな空気に包まれている。

 人々は多種多様な恰好をした人が集まっていて、瘦せ細った農民から恰幅の良い商人まで、黒い装束に身を包んだ女性から髪の毛を剃り切った男性まで、とにかくなんでもかんでも集まっていた。雑然という言葉がピッタリである。

 並んで歩く中、シンはレーヴァテインとの間に満ちている気まずさをひしひしと感じていた。教会から出て以来一言も口を聞いていないし、勿論シンから話しかけられるはずもない。救いなのは、あの話を切り出さなければ彼女が爆発することがないことか。地雷さえ踏まなければ、彼女はいつも通りの彼女でいてくれる。シンはそういったレーヴァテインの性格をよく心得ている。

「…………………」

「…………………」

 気まずい沈黙が流れる。大抵の場合、沈黙を破るのはシンの役目であるのだが、意外にも、今この時の沈黙を破ったのはレーヴァテインだった。

「……なんで背負ってくれないのよ」

 レーヴァテインは忌々しげにパートナーの青年を睨んだ。

 ラグナロク教会傘下のコルテ支部教会で彼女を降ろして以来、シンはレーヴァテインを背中に乗せていない。

今が気まずさを解消する好機だと思い、シンは会話に便乗する。

「いやだって、もう起きたじゃん。いちいち背負わなくもいいでしょ」

「……関係ない、私はちゃんと働いた。契約に基づき対価を要求する」

「だから、君と僕との契約にそんなことは入ってないって」

 ちょくちょく二人の話に出てくる契約。その内容は『同行する間はレーヴァテインの衣食住を保障すること』。簡単に言えば、野良キラープリンセスであったレーヴァテインに人間らしい生活を送らせるというものだ。なのでレーヴァテインの言っていることはとんでもない間違いであり、シンの言っていることに分がある。

「君の場合アレだ。ホントに私をただの乗り物としか思ってない所がいけないね。もう少し甘えてくる感じがあったら、男の甲斐性とやらでなんとかしてやりたいと思うんだけど…」

 言った途端、ヒヤリとしたものがシンの背中を走る。

「おっと、怒らせちゃったかな?」

「……おちょくってる?」

 地獄の呼び声とはまさにこのことだろう。

 殺気を乗せた鋭い視線でレーヴァテインはシンを睨みつける。

 子供は当然、大人でさえも腰が抜けてしまいそうな気迫。けれど、シンは強烈な殺気を前にしてもへこたれない。相も変らぬ調子で続ける。教会でのそれを思えば、遊びのような物だ。

「全然、そんなつもりはないんだけどな。むしろ後学のために覚えておいた方がいいよ。男ってのは女には弱いんだよ。特に私みたいに女性経験がないような男は甘えられるとね」

「……私の胸があたったくらいでおろおろしてたくせに、口は達者ね」

「それとこれとは別なんだ。理論を知っているのと、理論を実践可能化はまた別物だろうて」

「……要するに口だけ上手な最低男と」

「ちょっと酷くない⁉それ⁉そこまでじゃないっての⁉」

「……甲斐性なしのヘタレ男」

「楽しそうだなお前!さっきまでの不機嫌さはどうした!」

 口元を綻ばせている銀髪戦姫。人を虐めて喜んでいる所を見るに、このお姫様、相当に性格が悪いと見える。

 この心象の変化の速さ。女心は秋の空というやつか。つくづく女心はわからないものである。

 今回の一件、シンの悪い所を上げると、彼女に甘えることを薦めたことだろう。彼女は人との馴れ合いを嫌う、いや憎んですらいる。だから彼女がシンと同行する理由も損得勘定の契約だ。シンの言葉は火に油を注ぐようなもので、必然として大火事になっただけのこと。

 シンはそれをわかっていてやった節もあるのだが。

「……ねぇ、一つ聞いてもいいかしら?」

「んだよ、もう虐めても何もでないぞ」

「……貴方はいちいち反応してくれるから面白い……じゃなくて、今日はどこに泊まるつもりなの。勿論、最上級の宿を要求するけど」

「財布に厳しいことを平然と言ってくれるなぁ」

「でもお金は十分あるのよね。見た目大富豪並だったけど」

「……色々分解してかき集めたからね。一グラムあたりのレートが高かったのと金本位制が利用されててよかったよ、ホントに」

 シンが換金して得た貨幣はあまりのも多く、ポーチ一つを財布代わりにしても入りきらず、小分けにして白衣の内ポケットにも入れている。換金したときは、あまりの金額に目を丸くした。

「……そんな大金持ちなら、どんな宿にも泊まれるはずよね?」

「無理無理」

「は?」

 予想外の答えにレーヴァテインが素っ頓狂な声を出す。「……」もすっ飛ばした。

「……そんな大金持ちなら、どんな宿にも泊まれるはずよね?」

「二回言っても無駄だからね。現実を直視しようか」

「……泊まれるわよね」

「くひょいひゃあ、ひょう。ひょんひゃけいってもむひゃらって」

 頬を掴んで縦に横に。

 実力行使のレーヴァテインはシンの顔を粘土細工のようにぐにゃぐにゃにする。下手をすれば冗談抜きで顔の形が変わる可能性があるので勘弁してほしい。

 びよん、と彼女の手が放されて顔が元に戻る。

「イテテテ……」

「で、理由は?」

「お前さ、もう少し気遣ってくれても……」

「で、理由は?」

「あー、はいはい、そうでした、お前に気遣うなんて思考回路は存在しないよな、聞いた俺が馬鹿だった」

 やけっぱちに言い放って、続ける。

「足を買うのさ」

「……足?」

「正確には馬と荷車な。さすがにこれからの旅を徒歩で続けるのは辛いから。馬とかあれば楽だもん。ぶっちゃけ、それがこの街に来た目的だし」

 言った後にシンは、しまった、と自分のうかつさを呪った。

「……それなら、まぁ、仕方ないか…」

 襟に顔を埋めて、小さく彼女は呟いた。不承不承といった感じだが、それでも納得してくれたようである。

 怒られることを予想していたシンは肩透かしを食らった気分になった。

(……同じくらい離れた別の街もあるのに、どうして危険な方を選んだのかは謎だけど…)

 そうレーヴァテインが遠い目をしていることも知らずに、シンは続けた。

「で、街に詳しいレーヴァテインさんに質問があるんですが」

「……ん、何よ」

「どんな宿が優良な宿なの?一級のもの以外同じにしか見えないんだけど」

 いかにも超高級な宿は豪華絢爛で判別もつきやすい。しかしながら、それ以外の宿は外装からはいまいち判別しがたい。街について詳しいレーヴァテインに判断を仰ぐのは賢明な判断だ。

 頼りない同行人にため息を吐きながらも、レーヴァテインは答えてくれた。

「……宿から出てくる人で判断しなさい」

「人?」

「……そう、人のみなりや身分で判断するの。良い宿には相応の人物が泊まっているもの。宿泊者が上流なり中流階級の商人であれば、その宿はそれなりの宿ってことでしょう?」

「なるほどね。因みに、それも行商人の話を盗み聞きして手に入れた情報?」

「……なんで迫害対象のキラープリンセスである私が宿事情まで聞いてると思うのよ。宿があるような場所まで言ったことなんてないわよ。それに商人だったらいつも泊まる宿は決まってたりするし、普通は宿のことなんて心配しないから話さない」

「じゃあ、何で詳しいのさ?」

「……ただ頭を使っただけ…それだけよ」

「へぇ、流石レーヴァテインだな」

「…………うるさい」

 不機嫌そうに、ぶっきらぼうにレーヴァテインは答える。

 これは、もしかすると……

「はっはっはー、それじゃ、直々に頭を撫でて進ぜよう」

「ちょっ、やめっ、てっ」

「お?なんだ照れてんのか?可愛い奴め!」

 わしゃわしゃわしゃー。

 シンはレーヴァテインの頭を少々乱暴に撫でる。ふんわりとした銀髪に指を縫うように差し込み、彼女の頭をこねくり回す。

 そんなことをされたレーヴァテインは珍しく頬を赤らめていた。要するに照れていたのだ。意外にも彼女は褒められるのには弱い。

「ほれほれほれー!」

「ちょ、ホントに止め、てってっ」

 ただ物事には限度というものがあって。

「ほれほれほれほれほれほれほれほれーっ!」

「ったく、いい加減にしなさいよっ!」

 とうとう怒りを爆発させたレーヴァテインが実力行使にでる。

 頭をなでるシンの腕をつかみ、体をシンの懐に入れて、そして―――

「はぁぁぁぁぁっ!」

 気合を入れて、一気に背負い投げる!

 ドッシーンッ、という音を立ててシンが地面に叩きつけられる。

 辺りは騒然。一体何事かと野次馬共が集まり始める。

 結構な騒ぎになっているのだが、そんなことを気にしないのがレーヴァテインという少女で。

 シンを地面に叩き付けると同時に、紐に括りつけて背中に背負っていたスリロスを降ろして、ボロ布に包まれた切っ先をシンに突きつける。

「……何か言うことは?」

「ハイ、スミマセンデシタ。モウ、シマセン」

 底冷えするようなドスの効いた声に、シンはただただそう言うしかなかった。

 『首と胴体をつなげておきたいなら、態度を改めることね』。簡潔な問いの裏にはわかりやすい脅迫があった。

 何事にも節度というものが大事である。

 

07

 結局選んだ宿は上から三番目くらいに上等な宿であった。

 シンは妥当な判断だとしいたが、レーヴァテインは「……三流野郎」と蔑んだ。

 部屋は広く、高い階の部屋のため日当たりは良い。内装も立派なものであり、ベッドのシーツ等も良質な生地が使われていて、ふかふかだった。

 なお、宿に着いてからのレーヴァテインの行動は以下の通りである。

 部屋には入り、うららかな日差しが差し込んでいる窓のカーテンを閉めて、ベッドにだーいぶ。

 その間わずか五秒。異族狩ってるときよりも行動が速かったんじゃないか?シンは勿論、彼女自身もちょこっとだけ思った。

「……やぁぁぁぁっっっと休める」

 枕に顔を埋めて、体に溜まった悪いものを吐き出すように彼女は言った。

 恨み言のように聞こえるのはシンの気のせいだろうか。

「掛け布団もかぶれよ。風邪ひくから」

「……貴方が掛けて」

「はいはい、わかりましたよ、お姫様」

 そっと毛布をシンは掛けてやる。

 レーヴァテインは毛布を手繰り寄せて、顔だけだすようにくるまった。そして眠そうな顔で問う。

「……今日はどうするの?」

「どうするって?」

「……私と貴方の契約の内の一つ。おいしい食べ物を私に食べさせること。忘れたわけじゃないでしょうね」

「ああ、そのことか。忘れてないよ。これから街に出るから、何か探してくるよ」

「……変なものだったら許さないから」

「了解、了解。宿で食べるんじゃなくて、外食でもいいか?」

「……めんどくさいけど…おいしい食べ物が食べられるなら、それで構わない」

 ふぁぁぁ、とレーヴァテインは欠伸を一つ。

 今直ぐにでも寝入りそうな彼女に慌ててシンは告げる。

「あ、悪い、調整(チューニング)させて」

「……えー」

「ほれ、座って、座って」

「……やだ、寝たままでもいいでしょ。どうせ私は何もしないんだし」

 そう言うとレーヴァテインはうつ伏せになる。

「……早く終わらせて」 

「わかったよ」

 彼女のわがままには最早慣れた。

 仕方ないなぁ、とでも言いたげなシンの口調に、レーヴァテインは「何よ」と不機嫌な声で言うもシンは相手にしない。肩を竦めるだけだ

 シンは彼女の上に馬乗りになり、背中に包帯を巻いた左手を添える。

 そして、言葉を口にする。

「CMCシステム起動、対象レーヴァテイン、調整開始(チューニングスタート)

 ピクリ、とレーヴァテインの背中が震えた。

「大丈夫か?」

「……んっ、大丈夫」

 ちょっと体に刺激が走っただけでレーヴァテインの肉体には何の異常もない。

 レーヴァテインに感覚を聞いてみる。

「どんな風に感じてる?今まで見たいにつっかえている感じがする?」

「……全然しないわ。むしろ清々しいくらい」

 レーヴァテインと行動を共にしてから、何度かシンが行ってきた『調整(チューニング)』。

 一番初めは泥の中を進むような重たい感覚を覚えたが、今は一転して体の垢を水で洗い流しているような爽快感を感じている。現実は肌が汗ばんでたりするのだが、そんなことが気にならないくらい清々しい気分である。

 レーヴァテインは今まで聞いたことのないキラープリンセスに対する処置に、最初は不信感を抱いたものの、シンの熱心な懇願に折れて、彼にやらせている。

 どうしてシンがそのような技術を使えるのかはレーヴァテインにはわからないのだが、ここ数日で理解したのは調整(チューニング)が文字通り彼女自身の調子を整えているということだ。

 コルテの街の前で行った異族討伐の際に感じていた違和感も、あまりにも自分の調子が良いことへの違和感。以前は暴れ馬を力で無理矢理ねじ伏せていたという感じだったが、今は上手に乗りこなせている。枠に収まるべきものが収まった。そんな感じがする。

(……出力の調整、私という兵器の整備(チューニング)、そういう意味合い?)

 そう結論づけた時、シンが彼女の心を読んだかのように語りだした。

調整(チューニング)の目的がキラープリンセスの力の調整だと思っていたら、それは間違いだ」

 シンは背中を押す力を強めた。

「本来は君には施す必要はないんだけどね。色々あってね」

「……そうなの?」

「そうなの…」

 なんだか語調が忌々し気だった。

 背中の重量が消える。

 シンがレーヴァテインの体から身をどかした。そのままレーヴァテインを背にしてベッドに腰かける。

「キラープリンセスには遺伝子的に同じ人物がたくさんいる。人間でいう同じ姿を持つ別人(ドッペルゲンガー)ではなく、完全なる同一生物(クローン)、今の時代ではこう言われているそうだな――イミテーションと」

 虚空を見つめながら滔々とシンは語る。その語り口はどこか寒々しい。

「そして教会はイミテーション同士を殺し合わせる〈淘汰〉という儀式を以てオリジナルを復活させようとしている」

 何かを真剣に語っているようだった。

「でも不思議に思わないか?模造品(イミテーション)がいるのにどうして原物(オリジナル)がいないんだ?」

 けれど、レーヴァテインにとってはさして興味を引く内容でもなく。

「そこに教会が、いや□□□が隠していることが存在する」

 徐々に言葉が胡乱に聞こえ始めて。

「その一つが□相融□であって、それのせいでお前たち□□□□□に微弱ながらマ□の作用が出てしまった」

 だんだん視界が霞始め。

「だ□ら今回は□□の影響□取りの□くために□□□□□□□に□□しない調□を、□□□□□であるお前に施し―――」

 とうとう瞼が落ちてしまう。

「―――、――――」

 シンの語りを子守歌にレーヴァテインは眠りの底へと落ちていった。  

 

 

 

 

「―――いろいろ言ったけど、私はキラープリンセス(おまえ)たちを兵器じゃなくて女の子と思っているから。そこんところ間違えないでね、って……」

 シンが長い一人語りを終えて、レーヴァテインの方を振り返るとそこにはとうの昔に眠りについている彼女の姿が。

 起きているときには絶対に見せない、あどけない寝顔を見て優しく微笑んでから、

「行ってきます」

 小さく言って彼は部屋を後にした。




words
・シンは肩書だけの奏官になろうとするも、その手段によってレーヴァテインに疑われ彼女からの契約破棄を受け入れてしまった。
・シンはラグナロク教会と対立するつもりであった。
・シンがコルテの街に来た目的は馬を確保することも含んでいた。
・シンは『調整』という技術を有しており、レーヴァテインの力を調整した。けれど調整は本来レーヴァテインには不要なものであり、力の調整も本来の目的ではないらしい。
・レーヴァテインは重要なシンの言葉を聞き逃した。


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ep.04 過去たちの現代考察

08

 落ち込んでいた。

 もう、ただひたすらに。

 気分的には落ち込み過ぎてマントルまで沈み込んでいた。

 いや、現代に過去と同じくマントルがあるのかは不確かなのだけれど。

「…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………どないしよ」

『馬鹿なのですか、貴方は』

 さっそく計画がどんづまった。

 うっかり口を滑らせた愚かなシンに左目の人工知能〈ana(アナ)〉は呆れを露わにする。

 場所はコルテの宿泊区の路地裏。建物に囲まれて日が差し込まなくて薄暗く、少々湿っぽい。見上げると切り取られた青空が見える。いつか見た、超高層ビルが立ち並ぶ大都市を思い出した。

 何故このような趣味の悪い場所にいるのかと問われれば、話の内容が現代の人間にとって奇妙極まりないものだからと答えるほかない。すなわち過去の話。過去から目覚めたばかりのシンにとって、まだ今の時代を異世界だと思っている過去の遺物にとっての現代の話である。

『レーヴァテインなら、ちょっとしたことで貴方の意図に気づくことくらいわかるでしょうに』

「彼女は戦闘に対する勘に優れているだけで、戦術面に対しては頭が回らないと思ってたんだよ。異界存在の大規模討伐作戦でも、彼女自身はただ静観するだけで口を出すことはなかったんだ。作戦立案に優れていたのはシャルウルとかだったから、彼女が目立つことなんてなかったし」

『作戦実行中に起きた不測の事態に最もうまく対処していたのはレーヴァテインでしたよ。ただ彼女は閉鎖的だったから、考えを言わなくて知れ渡っていないだけで』

「あー…そうか……そうだった…」

『まだ寝ぼけていいるのですか。貴方ほどレーヴァテインを見ていた人間はいないというのに。彼女の才覚を忘れるなんて…。CMCシステムのナノロボットを介しての電気ショックで、気合を入れましょうか?』

「血管内で電気ショック起こすって、絶対死ぬからな。さすがの私でも。体内が焼ききれたりとかして」

 左腕を摩りながら言う。

「もしかしたらキラープリンセスを兵器としてしか見ていないこんな世界で、私は無意識的に彼女たちの兵器としての側面を見ないようにしていたのかもしれないな」

 キラープリンセスを道具としてしか見ない世界。非人間を人間として正しく扱わない世界。

 シンから見たら彼女たちは人間であるけれども、全員が全員彼女たちのことを人間と思うわけではない。特に蔑姫主義などという差別が蔓延しているこの世界では、人間として扱う者は限りなく少数だろう。異族を討伐するためだけの人型兵器としてしかキラープリンセスを扱わない風潮に対する反動で、シンは無意識的に彼女たちに対して認識を歪めてしまっていた。

 過去においてキラープリンセスの扱いはどうであったか?その質問の回答は、キラープリンセスを嫌悪するような風潮はなかった、である。確かにキラープリンセスはキラープリンセスであるが故に色々問題が発生したりはしたが、露骨に彼女たちを卑下するようなことはなかった。

「どうしてこうななったんだろうな?」

『こう、とは?』

「キラープリンセスが差別されるようになってるってことだよ」

『ラグナロク教会、でしょうね。言うまでもなく』

「中世の魔女狩りと似たようなものか。宗教的権力の決定が人々にまで影響を及ぼしている。それも悪い方に」

 宗教による「悪」の決定。意図的な差別階級の設定。教会は差別を公認しているわけではないが、教会の人間も差別しているので実質公認しているようなものなのである。

 今の時代において宗教の影響は強い。中世くらいの文明レベルと言えば詳しく述べる必要もあるまい。過去でもルネサンスだったり宗教改革が起きる前までは教会の存在はとても強かった。天動説を否定し、地動説を唱えた学者が弾圧されたのは有名な話である。

 けれど蔑姫主義の主要な原因は別の理由がある。

『貴方の話を聞く限り、やはり直接的な原因は”暴走”にあるのでは?』

 暴走したキラープリンセスが村一つを壊滅させた。高笑いを上げなが異族を屠っていた。

 そういったわかりやすい暴力的、狂気的エピソードが、やはり蔑姫主義の原因となっている。

 キラープリンセスの狂気性発露や自我亡失現象であるこの暴走。現代の暴走についてシンたちは違和感を抱いていた。

『過去側の私たちからすれば、現代の暴走に対しては首を傾げるしかありませんね』

「キラープリンセスが理性を失い暴力性に従って破壊の限りを尽くすって触れ込みだが、正直わけがわからない。そもそも暴走ってのは、イミテーションたちの脳が情報処理に耐え切れないでオーバーヒートを起こす現象のことを指す言葉だ。あんな彼女たちの精神性の崩壊なんていうおぞましい現象は知らないぞ、俺」

 というより精神とかそういうのって科学の分野じゃない、と呟く。

『とりあえずは旧暴走対策のシステムコードの調整(チューニング)で症状が抑えられたのですし、暴走が変容した原因も分かっているので良しとしましょうか』

「研究所を出立する前にサンプルが取れて本当に良かった。原因がわかっていなかったらレーヴァテインも危うい状態のままだったしね」

 合流したレーヴァテインに必要のない調整を施した理由は暴走の原因にある。

「……マナ…か」

『位相融合後、〈運命の輪〉が回った後のこの世界に蔓延する人間の五感では感知できない不可視の物質。主にイミテーションが保有しているみたいですが、レーヴァテインもわずかに持っていました。おそらく合流予定のキラープリンセスもまた同様かと』

 暴走したキラープリンセスを調整で鎮圧したことで初めて存在を知ることができたそれは、シンにとって現実味のない言葉だった。昨今ライトノベルやゲーム、アニメとかでしかお目にかかれない、創作上でしか使われないその言葉に現実味を感じろというほうが無理がある。ちなみにマナとは太平洋の島国で使われた超常的な力の概念を示す言葉だったりする。どうであれ、民族学とかに関わり合いのないシンにとって〈マナ〉という言葉が現実に、一般的に使われていることに違和感がすごい。肌がムズムズするような感覚を覚える。

『暴走が裏付けるようにキラープリンセスがマナを保持している状態は大変危険なようです』

「だからこそ速く合流しないと………あ、ところで暴走をしたキラープリンセスは殺処分とかふざけたことがキルオーダーに書かれてんだけど、検証するときにキラープリンセスを調整で救ったから教会から刺客とか送られるのかな?」

『どっちみち教会と敵対するんだから、どうでもいいじゃないですか、キルオーダーなんて。犯罪者を志望するみたいなものですからね、貴方のやっていることは』

「人聞きの悪いこと言うな。どちらかというと断罪者だぞ、私は」

『正しさっていうのは社会に裏付けられているんです。社会のルールを破ってしまったら、どんな事情であれ犯罪者です』

「私、杉山派ですから」

『史上最悪の哲学者なんて出さないでくださいよ』

 軽口を叩くようにシンは言い、〈ana〉はため息が聞こえてきそうな言葉を返す。

 突然放り込まれた現代(いせかい)。マナやら変質した暴走やら蔑姫主義やらラグナロク教会やらで考えることは沢山あるけれど、目的だけは定まっている。ただそれだけで一人と一機が迷うことはない。 

 ところで、その目的達成の道に影が差しているのではなかったか?

『それで、どうするおつもりなのですか?さっそく計画が破綻していますが』

「………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………どないしよ」

『はぁ、やはり何も考えていないのですね』

「すみません」

『謝るな。頭を動かせ』

 会話用記録文より抜粋『辛辣系ヒロインの罵倒』。レーヴァテインが言うようなセリフを打ち込んでくるあたり〈ana〉もシンを追い詰めに来ている。精神的に。

『私たちの計画は一番説得が厄介そうなレーヴァテインを回収。コルテの街で王都への入場許可証を入手。他の四人のキラープリンセスも回収し、教皇庁に乗り込む。そういう算段だったはずです』

「うん、その通りだね」

 シンの手元にはラグナロク教会の老祀官から貰った三つの物がある。

 一つは奏官の身分を示す銅製のバッチ。奏官の三つの階級に応じてバッチの材質が変わるらしい。どうやら洗礼申請者は最も低い階級の少奏官と同じ扱いらしく、それを示す銅のバッチをもらった。

 二つ目は聖宣書(せいせんしょ)。こちらは宗教上の戒律やら奏官としての責務など――俗にいうキルオーダーが書かれている宗教書。キリスト教における聖書のような物だ。

 そして三つ目、王都の入場許可証。目的の達成のための最初の切符である。これがあれば王都への入場が認められる。首尾よく許可証を手に入れられたのは僥倖であったが、同時に思わぬ失敗をしてしまったのは事実だ。

 迂闊だった、とシンは思う。ケアレスミスを犯したのは〈ana〉が言った通り――ああ返した手前罰が悪いが――気が抜けていた面もある。天上世界の人間が蔑姫主義で盲目になっているように、彼もまた異常な現代で思考が曇っていたのだった。

 シンが犯した失敗はレーヴァテインの離反。これほど修整が効かない失敗はない。

 強情で頑固でひねくれてて、素直じゃない上自分を曲げない。そんな面倒くさい性格をしている彼女を再度ついてきてくれるように説得するのは難しい。

 なのでシンは問題を棚上げにすることにした。何故かって?

(だってどうしようもいじゃない)

 それでいいのか浄罪人、と〈ana〉からツッコミが来そうなので口にはしない。

「さて、とりあえずもう一つの問題に手を出そうじゃないか」

『…………わかりました』

 〈ana〉は空気を呼んでくれたらしい。心の中で感謝するシンであった。

 さて一人と一機の議論はもう一つの問題とやらに移る。

「この街から発せられている電波は変わらないか?」

『ええ、何も変わりありません』

「場所は教会下か?」

『以下同文』

(何も変わらないか)

 略された返答に全てを察する。

 コルテの街に来たのは旅の準備をするためとレーヴァテインには言った。

 それは間違いではない。だが、理由の全てではない。

 レーヴァテインと合流したとある山からはほぼ同距離に二つの街があった。一つは耕民区の中央つまりは比較的異族と遭遇しない安全地帯、そしてもう一つが冥花繁殖地帯の街――ここコルテ、行き着くまでの異族との遭遇しやすさでは確率の高さは抜きんでている。

 なぜわざわざ危険な場所を選んだのか?同じ街ならば安全な道を選ばなかったのか?

 その答えは一つの異常に集約される。天上世界における文明レベルでは考えられないそれは、シンの注目を集めるのには十分だった。

 研究所でこの時代を調べている際に国際連合異界存在研究機関システム管理用人工知能〈adma(アドマ)〉がとある観測結果を通達した。

『当研究所の西方から人工的な電波が発せられている』

 天啓だった。

 四人のキラープリンセスの内一番最初にレーヴァテインと合流することは決定事項であったが、それ以降の行動予定が定まっていなかったシンは即断した。コルテの街に行かなければ、と。

 何故教会地下から電波が発せられているのか。その理由は定かではないが、どうせろくでもないことに決まっている。

 シンは短く息を吐くと口を開いた。

「まぁ、教会が何を企んでいるかはさっぱりだが、どうにかするしかないだろ。後手に回るのは口惜しいけれど」

『あちらには兵器がたくさんありますからね。軍用兵器やら銃火器、プロト二ウム型核爆弾、自律型ロボット兵器群等々……』

「対してこちらには単純戦力としては役に立たない人工知能二機に従軍経験のある私と銃一丁」

『そんなっ、役に立たないなんて酷いですっ!』

「おい、感情のない機械の癖に感情的な言葉を使うな。空々しいわ!」

『ぶーぶー』

「うるさい」

 まったくこの人工知能は…

 シンは呆れたが、同時に〈ana〉との会話に心が救われた。

 敵対者との戦力は絶対的。そんな絶望を前にして、凝り固まった心がほんの少しだけだが柔らかくなる。

(まぁ、やってやれないことはないのだし…)

 仮にも現代における最大勢力と抗争するつもりなのだ。シンたちにも勝算がないわけではないし、教会側の戦力にも弱点はある。

 天を仰ぐ。

 切り取られた空は前より雲が増えているように思えた。

「にしても一体どうしたものかねぇ」

『レーヴァテインのことですか?』

「ああ、その通り」

『もういっそのこと全部打ち明けたらどうです?もう教会と敵対するのはばれているのですし』

「いや、怪訝な顔されて終わるだけでしょ。ここに至るまでも、結構過去を思い出させるような揺さぶりをかけてみたけど、琴線に触れたものはなかったみたいだったし」

 最もわかりやすいのは、教会での「まんまキリスト教会じゃねーかぁぁぁぁっ!」か。三大宗教の一角にまで怪訝な顔をされてしまったら、一体どうしろと言うのか?

 そうシンが思っていると人工知能が物騒なことを言い出した。

『左腕で殴ってみればよろしいのでは?記憶喪失には頭に強い衝撃を与えれば良い、というのは有名じゃないですか』

「あのな、これが単純な記憶喪失だと思うか?位相融合なんで未曾有の災害で、そんな単純な話になっていると思うか?マナとかいう非科学的物質がある世界で?思い出すべき記憶そのものがなくなってたり、脳の細胞が死滅したりしてるかもしれないんだぞ」

『過去の領域では語れないというわけですか』

「そういうこと。あと戻るかどうかもわからないのに、そんな物騒なことを提案するなよ」

『(∀`*ゞ)テヘッ』

「うぜぇ」

 色々会話パターンを組み込んであるのでキャラブレ甚だしい人工知能である。

 とはいえ記憶のことはシンにもお手上げ状態だ。キラープリンセスのことは何から何まで知っていると自負している彼であっても記憶の欠損については手の付けようがなかった。ただ記憶を失っているだけなのか、それとも何かしらの人為的な作用が施されているのか、または別のことが関係しているのか?いくつかの推測は立てられるが、決定的な原因までは絞り切れない。というわけでシンはこの問題を棚上げにしていたし、これからも放置しておく。

 シンは立ち上がった。

「さてと、祀官(・・)が言っていた招集時間までには時間があるし、私もやることやりますか」

『教会へ殴り込むのですか?レーヴァテインを説得するのですか?』

「いやいや、何言ってるのさ」

 呆れたように言ってから、左のこめかみのボタンを押す。

 

「馬を買いに行くんだよ」

 

 

 

 

 さて、ここで囁かな事実を一つ。

 〈ana〉を沈黙させると、シンはふと思い出したかのよう、に聖宣書を取り出して、一枚のページを破り捨てた。

 

 『黄昏にて夜明けを待つ』

 

 文面はその一文だけだった。




words
・過去における暴走は情報過多による脳のオーバーヒート現象である。現代の暴走は過去のものと変質している。
・調整は暴走抑制用のCMCコード。
・シンが教会から受け取ったものは三つ。奏官としての立場を示す銅のバッチ、キルオーダーが書かれている聖宣書、そして王都への入場許可証。
・ラグナロク教会からは人工的な電波が発せられており、シンがわざわざ危険な冥花繁殖地帯にあるコルテの街を選んだのもこれが理由。
・レーヴァテインの離反はシンにとって手痛い失敗だった。
・キラープリンセスたちの記憶を取り戻す方法をシンは持ち合わせてはいない。
・諸々の問題があるものの、手の付けようがないため、シンは一番取り掛かりやい『馬の入手』から取り掛かった。
・『黄昏にて夜明けを待つ』


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ep.05 ドス黒い平和

09

 路地裏を出て数刻。

 直接馬の商人の下に行く前に、シンはちょっとした調査も兼ねてコルテの街をぶらついた。懸念を取り除くためのちょっとした探索だ。結局何も得られず終わったが、『成果を得られなかった』という結果の方が彼にとっては朗報だ。彼の心の平穏は保たれた。

 他にも得られたものがる。

 例えばコルテの街は規模が広い割に街の案内板がないという不親切設計ということだ。そういう事情があって、シンは店を出している商人から道を聞いたりして馬の商人が店を構える場所へと向かう。シンが聞いたところによると、コルテの街には一つしか馬を売り買いできる場所はないとのことだった。馬を放牧するために広い土地が必要であり、牛や豚と言った他の家畜との兼ね合いもあり、一つの街に馬を扱う業者は一つか二つなのが通例なのだそうだ。例に漏れず、家畜を扱う店は同じ区域に固まって開かれている。畜産区とでも仮称することにした。

 家畜を扱う店が集中していると聞いたとき、ちょっと行く気が失せたことは誰にも言うまい。匂いが凄そう、という感想は胸の内にしまっておく。

 他にも、大通りを歩いていてふと気づいたことが。

 シンが街に来た時よりも通りにいる人間の数が少ない。道を覆いつくすほどの人間がいたのだ。減った時は分かりやすい。加えて商人たちも外に出していた商品を追われるように片付け始めている。何かあるのだろうか、とシンが首を傾げているとこんな会話が聞こえてきた。

「雨が降りそうだぞ。早く大事な商品をしまえ!」

「黒い雲がやってきたわい。こりゃ、豪雨になるかねぇ」

 会話につられて空を見上げると、なるほど、確かに黒い雲が立ち込めてきている。人が少なかったのは雨が降りそうだったからか。

(………急ご)

 そう思って、足を速めた。

 

 

 幸運にも目当ての店には雨が降る前に辿り着けた。

 やはり畜産区では獣臭さが充満していた。鼻が曲がりそうな悪臭にシンは顔をしかめつつ、店の扉を開く。

 カランカラン。ベルの空虚な音が扉を動かすと鳴る。扉を開けた先には少し薄暗い、誰もいない部屋が。晴れていれば窓から太陽の光が差し込んでいたのだろうが、生憎曇り始めている現状差し込む光は弱々しい。照明用と思しき蝋燭は火も灯さていないままにしてあった。

 いるはずの店の人間がいないため、仕方なくシンは勝手に店の中を物色する。とはいっても、目ぼしいものがあるはずもなく、興味が惹かれるものと言えばどんな馬がいるか、という目録くらいだった。

 人気のない部屋でシンは思う。

(丈夫で体力のある馬が欲しい)

 シンの旅はいつ終わるかわからない長い旅になる。高価な馬を何度も買うのは金銭的に辛いだろうから、馬を買うのはこれっきりにしたい。だから、若いタフな馬が望ましい。

 そんなことを思っていると、突然、世界が瞬いた。少し遅れて、空気を裂く爆音。バシバシバシ、と窓を叩く大粒の雨。

 とうとう雨が降りだした。それも雷を伴った豪雨。間断なく家屋を叩く雨粒の音が雨の強さを伝えてくる。夏の日の終わりの夕立を思わせる降り方だ。夏の日の終わり、そう表現すると趣深くなるのは言葉の妙だ。実際は鬱屈な雨でしかないというのに。言葉の魔力とは不思議なものである。

 この雨を、おそらく通り雨だろう、とシンは結論づけた。帰る頃には止んでいると思う。だから、さほど心配はしなかった。

 しかし暗い天候につられて、気分が暗くなるのは当然のこと。心情と利害は別物だ。

 ついつい感傷的な気分になって考えこんでしまう。

 思い浮かぶのは彼女のこと。銀色の髪のつれない少女。

 レーヴァテイン。

「………はぁ」

 雨降り荒ぶ外を眺めながらため息を吐く。

 考えてもわかることではないし、どんなに彼女のことを想っても彼女に想いが届くことはない。

 寂しい片思い。おそらくは永遠に近い距離離れている二人の距離。

 無駄だとわかっている。けれど思い浮かぶのは彼女のことばかりだ。

 いかんいかん、と首を振って邪念を頭から振り払おうとしてもまとわりついてくる。

「まったく、俺はいかんよな」

 自嘲気味に笑う。

 今日も手ひどく振られたばかりじゃないか。学べよな、まったく。

 戦術的に必要な人員であるから彼女をなんとかして心変わりさせたいものだが、どうにも良い案が浮かんでこない。

 自身のポンコツ頭脳に嫌気がさす。

 これが〈世界〉だったらまた違った結果になっただろうか?いや、それはないか。あの天才は人間関係についてはからっきしだったし、レーヴァテインのようなクールキャラが好きな奴ではあったが、三次元ではまったく上手く関係を築けていなかったからな。必死に声を掛けるものの、無視されたりして玉砕していた。結果はわかりきっているのに何度もアタックする〈世界〉をもう一人の研究仲間と一緒に呆れていたものである。

 シンは少し昔を思い出して、ふっと笑う。あの賑やかな日々も既に遠い。シンの研究室は大抵彼を含めた三人の声が絶えなかった。当時は鬱陶しいと思っていたが、過ぎた今では良い思い出だ。

 心の奥でチクリと痛みが走る。シンはそれを噛み殺す。

 雨が降っている。ただシンは茫然と眺めていた。

 しばらくそうしているうちに、慌ただしい音を立てて奥の扉が開かれた。

「いや~、まいったまいった。突然の雨ほど厄介なものはないなぁ」

 年は四十くらいの店主と思しき男が出てきた。シンと目が合い、二人して会釈をする。

 髪にかかった雨を布でふき取りながらカウンターに入った。棚から火打石を取り出すと、適当な紙に火を着けた。その火を手近な蝋燭に着け、紙を消火。最初の蝋燭に灯した火を他の蝋燭に着けていく。

「申し訳ない。待たせちまったか?」

「いえいえ、お気になさらず。特に急いでたわけではありませんし。何をしてらしたんです?」

「馬たちを厩舎に入れてたんだよ。雨に濡れると風邪を引きかねない」

「動物って毛がある分、雨が降ったら大変そうなイメージありますよね」

「そこんところは油とかで対策はしてんじゃねえの?よく知らないけど」

 そう言って店主は肩を竦めた。

「ま、そんな話は置いといて、だ。あんた商売に来たんだろ?ご要望は?馬か、それとも飼料の売り付けか。商人ってぇ柄じゃないよなぁ、その恰好」

「馬を買いに。しばらく長旅に出るものですから、頑丈で強い馬を」

「費用は?」

 シンは無言でカウンターに金で膨れた革袋を置いた。

「………上等だ」

 店主はニヤリと笑う。

 

 

 奥の厩舎に通された。

 馬と藁の匂いが鼻腔を満たす。遮断された空間だからか、外の複数家畜混合臭(もうそう言うしかない)よりはましだった。馬一種だけだと随分と違うものだ。

 当の馬たちは柵で一頭一頭区切られていた。この悪天候だからか、そわそわとしていて落ち着きがないように見えた。

 木で作られたこの建物は天井に穴でも開いているのか、ポツポツと雨漏りが見られた。それに床が水浸しだ。雨の勢いがうかがえる。いくら地面と床に高低差がないとはいえ、短時間でここまで濡れるとは相当な豪雨である。

 そして、そんな有様の厩舎を見かねてか、一人の女性が箒で水を外に掃き出していた。店主の紹介によると彼の奥さんとのことだった。 

 厩舎の真ん中くらいで立ち止まる。店主に問われた。

「それで?お前さんは長旅に出るんだっけか?」

「ええ、大分長い旅になるのでしっかりとした馬を買いたいんです」

「と、なると………こいつらか……」

 茶毛の馬と黒毛の馬の前で立ち止まる。

 この二頭は他の馬と違い、落ち着きを払っている(ように見える)。見た目の印象でしかないが、賢そうな二頭であった。

「若くて、壮健で、従順だ。ウチで扱っている中でも一等の馬だぞ。どうだ?」

「どうだ?と言われても………私は馬に関しては素人ですので、良い馬と言われたものを買うしかないのですが」

「おいおい、俺に悪意があった場合どうするつもりだったんだよ」

「信頼していますので。私は研究者だったので商売とかはよく知りませんが、商売人にとって信頼というのは大切でしょう?商業連合、ギルド、座それに株仲間。そういう類の商人の同業者組合みたいなのがあるはず。ネットワークがあるならば、情報の共有と拡散はある程度の速さがある。下手なことをすれば、信頼なんてあっという間に瓦解し、客足が遠のくのでは?」

「言ってることは間違っちゃあいねえが、|馬屋〈ウチ〉みたいに一つの街に一軒、二軒くらいの職種だと絶対数が少ないから消去法的に選ばざるを得ない場合があるんだよな、どんなに悪質な店でも」

「他の街に行くという選択はないんですか?」

「ないわけじゃねえがなぁ。やっぱり街の外は危険だろ」

 店主の説明ははっきりとしたものではかったが、言わんとしていることはわかった。

 やはり異族が問題となる。教会所属のキラープリンセスのおかげで街道周辺は優先的に異族が討伐されているものの、不安は残る。何しろ『人間には倒せないという』触れ込みだ。神出鬼没の異族といつ遭遇するかもわからない状況では街の外に出るのは気が進まない。安全性にはどうしてもギャンブルの要素が残るのは否めない。たかが買い物で安全を手放したりはしないだろう。そういう事情を加味すると、人の往来が少ないために噂の伝播も対してないのかもしれない、とシンは考えを改めた。

 さて、そんな天上世界の商業事情について考察はここらで終わりにして再び馬の商談を開始。商談とは言うもののそんな大仰なものでもなく、レジに買い物かごを通すような単調な作業でシンは馬を購入した。高額な取引なのにあまりにも適当なシンの様子に店主は「なんだかなぁ」と渋い顔をしていたが、知ったこっちゃない。馬の良し悪しがわからない素人が馬を買おうというのだ。そうなったら店側の良心を信頼するほかない。もとより駄馬を掴ませれる覚悟は出来ているのである。

「ちなみに名前は?」

「アールヴァグとアルスヴィズ…かな。北欧神話つながりで」

「なんじゃそりゃ?」

「………ハハハ」

 アールヴァグとアルスウィズ。黒い馬がアールヴァグ、茶色の馬がアルスウィズ。

 北欧神話において太陽の女神ソールが御者を務める太陽を引く馬車を走らせている二頭の馬だ。登場するのは『スノッリのエッダ』その中の『ギュルティのたぶらかし』において。狼スコルに追われる形でソールは太陽を馬に引かせている。

 まぁ、レーヴァテインに言ったらもっと単純な名前にしなさいよ、とか文句を言われそうなものだが…。

 北欧神話にはスレイプニルやホーヴヴァルプ二ルなどの馬が登場する。けれど二頭一組といったらアールヴァグとアルスウィズだ。昼の神のスキンファクシと夜の神のフリームファクシの組み合わせでも条件には該当するので、悩んだのだが、結局こちらが没案となった。理由は昼と夜という正反対の記号性が不仲を暗示しているようで嫌だったから。なんだか言いがかり染みている。スキンファクシとフリームファクシは怒っていい。主に象徴の誤解釈という点で。

「お前さん、何処かの宿に泊まってるんだよな?」

「はい、そうですが。それが何か?」

「馬を届けてやろうと思ってな」

「よろしいのですか?」

「良いってことよ。ついでに荷車もつけてやる」

「はぁ、ありがとうございます。でも店が空くことになってしまいませんか?」

「いいの、いいの。俺がいなくても女房がいるからな。対応は任せれば良い。それに馬は日用品やら食料やらと違って、頻繁に買い替えるものじゃない。訪ねてくる客自体少ない」

「そういう話を聞くと儲けが大丈夫か疑問になってきました」

「大丈夫、大丈夫。馬は単価が高い、つまりは一回の商売でかなりの金が懐に入る。後は副業したり、農作物の肥料用に馬糞を売ったりしてな。生活に余裕ができるくらいの金は稼いでいる」

「……貨幣経済が農村にまで浸透してるからできる商売ですね」

「まぁな」

 そんな雑談をしつつ、シンは自身が止まっている宿の名を告げた。店主は宿の名前に合点がいったように頷くと「やっぱり金持ちをすごいところに泊まってんだなぁ」と感心したように言うので、「同行人が高い所しか許してくれなくて」と返しておいた。特に他意はない。

 さて目的の買い物は終わった。もうここには用はないのだが、如何せん天候が悪い。帰るころには止んでいるというシンの予想は外れ、雨は今も絶賛降り続いている。むしろさっきよりも強く降っているような気がした。

「いや、そうでもないぞ」

 通り雨じゃなかったか、とのシンの呟きに店主は答えた。

「多分今が❘ヤマ《・・》だな。過ぎればよくなると思うぞ」

 ということで雨が止むまで店で休ませてもらうことに。

 店主の妻が気を遣って出してくれたお茶を飲みながら、シン、店主、妻の三人で雑談に興じることとなった。お茶うけのないちょっとしたお茶会である。

 話の内容はどうでもいいことだった。

 今となっては笑い話と化した商売失敗談、甘すぎる夫婦の馴れ初め、馬の出産を巡る感動秘話などなど。

 水を得た魚のように店主の口が回る回る。一度話始めたら止まらないタイプの人間らしく会話が途切れることはなかった。

 外では稲光が走っている。ゴロゴロズバチィーン。激しい雨音を切り裂く轟音が、時折、遠くから聞こえてくる。

 荒々しいBGMを伴ったお茶会は穏やかに進行する。外界から隔絶された優しい世界が此処にはあった。春のまどろみのような、柔らかな温かみがこの場にはあった。

 けれど、そんな平穏はいとも簡単に崩れ去る。いや、そもそもシンにとって平穏なんて幻想でしかなかった。

 シンにとってこの世界は歪んでいて、狂っている埒外の場所なのだから。『現代』の誰もが平穏と呼んでも、『過去』から見たらその平穏の中には、やはり『歪み』が存在する。

 『現代』と『過去』の価値観のズレ。平穏が幻想へと切り替わるスイッチを押したのは店主だった。

「……そういや、この街も嫌な街になったな」

 窓の外を見ながら店主は嘆息する。

「そうですねぇ、まったく」

 店主の妻も賛同した。

 この街を訪れたばかりのシンは当然わけがわからず。

「何かあったのですか?」

 そう問うた時シンは『当り前』の予想をつけていた。

 犯罪が増加したとか、伝染病が流行しているとか、よくない集団が街に蔓延っているとか。

 きっと『過去』の人間であれば、そんなことを思いつくに違いない。

 だけど違った。次の一言で『現代』の邪悪さの一端が開かれる。

「キル姫がここ最近コルテに集合してるだろ。それが不快でな」

 かたっ、とシンが掴んだカップがソーサーにぶつかって音を立てた。

 体中の筋肉が強張る。数瞬の後になんでもないように、誤魔化すように、けれどどこかぎこちない動作でカップを口に運ぶ。

 お茶はすっかり冷めていた。

「あの化け物たちがかなりの数コルテに集まっているのでしょう?さっさと消えてくれないかしら」

「いつ暴走するかどうかわからない危険な奴らだ。いつコルテが灰塵を化すかわからないから、毎日びくびくしてるぜ」

「戦闘がなければ暴走しないって言われても恐ろしいよな。まったくあんな気持ちの悪い奴ら、異族さえいなければ全員さらし首にしてやるのに」

「あら、そんなことできるのかしら?人間には殺せない異族を楽しそうに屠るアレら(・・・)に」

「できるさ。アレらがキルオーダーで縛られている限り、人間には手を出せない。首を差し出せと言えば、差し出さざるを得ないさ」

 ハハハ。うふふふ。

 二人は笑う。いつまでも。

 いつまでも、いつまでも、いつまでも。

 雷が近い場所でいななく。

 至近で雷が落ちた時に特有の光と音が時差なく訪れる現象が引き起こる。

 店主とその妻が轟音と雷光に視覚と聴覚を奪われた時間は数瞬。

 二人が感覚を取り戻したとき。

 もうそのお茶会にシンはいない。

 

10

 

 

 気持ち悪い

 

 

 

 気持ち悪い気持ち悪い

 

 

 

 気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い

 

 

 

 気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い

 

 

 

 

 気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち―――――――

 

 

 

 

 

                     「気持ち悪い」

 

 

 

 

 

11

 雨が降っている。

 雷雨の下シンは其処にいた。どことも知れぬ路地裏で上半身を壁に預けて、水たまりに浸かるのも構わずに足を地面に放りながら彼はただただ其処にいた。冷たい雨が容赦なく彼の体を打ち付けている。白衣の下に着た黒いタンクトップが雨粒を吸い、確かな重みと冷たさを彼の肉体に伝えてくる。けれど、水に濡れるのも体が冷えるのも彼はまったく気にしている様子はない。ただただ在ることだけに徹しているように見えるその様は人形というよりもむしろ亡者と揶揄した方が正しいように思える。

 あの時彼は逃げ出した。雷の光と音に紛れて、一瞬の内にあの店から飛び出した。不自然だったし、失敗だったと思う。あの二人に対して失礼だとも思う。けれど体が動いてしまった。思考する前に、感情が体を突き動かしていた。気が付けば豪雨の中大通りを全力で駆け抜けていた。

 どの道を通って、どの角を曲がって、どこから路地裏に入ったのかわからない。ここは宿泊区の路地裏なのか?それとも商業区?はたまた畜産区?もしかして見知らぬ場所?そんな思考がポツポツと生まれていく。けれどシンはそんな些事など気にかけていない。自分の立ち位置などもうどうでも良い。

 教会の敵対者。過去から目覚めた男。全てを取りこぼした負け犬。悪魔に魂を捧げた〈愚者〉。レーヴァテインの相棒。

 およそ自身を構成するアイデンティティが酷く希薄なものに感じる。

 路地裏にはしばらく雨が打ち付ける音だけがしていた。

 永らくの沈黙。

 ようやく彼の口が開く。

「――ハ」

 けれど、それは言葉ではなく。

「――ハハ」

 決して正気の中のものではない。

「――ハハハ」

 沙汰の外にある感情をたたえている。

 

 

「――ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッッッッッ‼」

 

 

 狂笑いや哄笑と言うべきそれが路地裏に反響する。

 壊れたように笑いながら彼を地面を転げまわる。

「――ハッ、ハハハハッ、ハハハッ、ハハハハハハハハッ‼」

 水だまりをかき乱し、泥を被りながら、けれども彼は笑うことを止めない。

 箍が外れたことを感じながら、それでもなお冷静な部分が残っていることを彼は自覚していた。

 そして理性の中でこう考えていた。

 

 なんなんだこの世界は。

 

 それを知覚してしまったら、もう止まらない。シンの自我(エゴ)が爆発する。

  

「くそがっ、くそがっ、くそがっ!なんなんだこの世界は!どうしてこんなにも醜悪なんだ!何故そこまで歪むことができるっ。蔑姫主義もそうだ。ただただ諦めただけのクソ野郎を守っているのがキラープリンセスだとういのにどうしてそんなに冷たくなれる!お前らの天敵だろうがっ、お前ら自身でなんとかしろよ!なんでもかんでも彼女達に背負わせてんじゃねえよ!お前らの生存競争に部外者を巻き込んでじゃねえ!戦っている彼女達が怖いなら自分たちでなんとかする努力をしろよ!なんで努力すらしてないお前らが彼女達を否定できる!生き残りたいないなら剣を取って、拳を握って異族に殴りかかれ!後方でお茶なんか啜って、安穏と過ごしているんじゃねえよ!一度でもいいから最前線に立ってみろ。命のやり取りがどれほど恐ろしいことか知らないで、どうして彼女達を馬鹿にできる、侮蔑できる!どういう道理だっ、どういう理屈だっ、どういう精神してんだ!現代(いま)過去(むかし)も戦うことしかしてない、一度も彼女達自身の願いを叶えたことのない彼女達にこれ以上戦いを強要するなよ!もういいだろうがっ!もう十分だろうがっ!もう彼女達を解放してやれよっ!血みどろの世界から引き離してやれっ!くそう!くそう!くそう!何で現代の人間はこんなにも獣、いや獣以下にまで簡単に堕ちることができる!どうしてそこまで非道になれるんだよっ!このクソ野郎共がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっ‼」

 

 雨が降っている。

 感情に呼応して、火照った体が緩やかに雨に冷やされていく。

 全てを吐き出し終えたシンは壁にもたれれかかり、殻に閉じこもるように膝を抱いた。

 くぐもった声で呟く。

「気持ち悪い」

 最初に押し寄せてきた感情はそれだった。そして次が、

「怖い」

 一通り叫んで鬱憤を晴らした所で冷静になった思考があの狂気を直視する。

 恐ろしかった。おぞましかった。

 人間の底にある泥のようなものを垣間見たような気がした。

 シンが逃げ出したとき、会話に上がっていたのは街に増えたキラープリンセスについてだった。キラープリンセスが街に増えて不快だということだった。

 蔑姫主義について怒りは感じるし、キル姫――キラープリンセスの蔑称を用いたことも正直文句を言いたい所ではある。街にキラープリンセスが増えたことを不快に思うことに腹立たしさを覚えるものの、それを糾弾する権利はシンにはない。街の人々にとってキラープリンセスが街にいるということは、いつ爆発するかもわからない不発弾が近くにあるということ同義なのだから。

 けれど、これとあれとは話が別だろう。

 あれは仕方がないという範疇を超えている。

 だってそうだろう?

 命を奪うこと、それよりも残酷なことを奴らは話していたのだ。

 

 笑いながら(・・・・・)まるでいつも通りの世間話をするように(・・・・・・・・・・・・・・・・・・)

 表現しがたい悪寒が走る。

 あれがこの世界のスタンダードなのか?

 無邪気な笑顔で悪意を向けるのが当たり前のことなのか?

 よりもよって命のやり取りを委託している相手に?

 理解不能。というよりも理解を拒否した。守られている癖に侮蔑する恩知らずになどなりたくない。人として怨を仇で返すような真似をしていいはずがない。

 けれどこの世界の常識は人としての常道から外れている。乖離しすぎている。シンには社会そのものが醜悪な獣に見えていた。およそ道徳というものが破綻している。

 気持ちが悪い。おぞましい。不気味だ。怖い。

 現代と過去の価値観にはクレバスが如き隔絶がある。溝にはクトゥルフ系の怪物が蠢いていそうだった。

 これが現代。仮初の安寧が支配するドス黒い平和に満ちた人間にとって無為な争いのない桃源郷。なるほど異界存在との戦いに明け暮れていた過去よりは平和だろう。人間同士で殺し合っていた世界よりは何十倍も素晴らしい世界だろう。

 だが、こんなものが真の平和であってたまるか。

 生き残るための責任を押し付けて、悪意によって成り立つ平和などあってはならない。平和とはそんな形で成り立つべきものではないはずだ。

 何か尊いものが黒く塗りつぶされている。そう感じる。

 シンは激怒した。こんなくそったれな世界は変えなければ。そう思っていた(・・・・・・・)今の今までは(・・・・・・)

 

「無理だろ、こんなの」

 

 胸の内で抑えきれなかった感情が漏れ出す。

 諦めという感情が漏れ出す。

 だって、こんなものどうすればいいというのだ。今人間として生きている人間がどれくらいいるのか?位相融合前の総人口は十億人。最盛期には百億人を突破したのだが、第三次世界大戦と異界存在の到来によって人類の総人口は最終的に十分の一にまでに減少した。位相融合などという宇宙規模の未曾有の災厄ではどれくらいの人間が死んだのだろう?仮に千万人の人間が人間として生き残っていたとしよう。この世界を変えるには、そんな途方もない数の人間たち全ての精神性を変えなければならないのだ。馬鹿げているとしか、言いようがない。どうやったって計画が破綻するのは見えている。自分達を生かしている存在を笑いながら殺そうとする狂人共の心が変わるビジョンがどうやったって想像できない。

 正直シンは教会を倒せばそれで良いと思っていた。教会――その最奥にいる者たちを倒し、教会組織を変革し、人々を指導すればラープリンセスたちの立場も改善できるだろうと、人とキラープリンセスは手を取り合っていけると、そう信じていた。

 だが、現実は甘くはなかった。世界は獰猛に牙を剥く。

 人類悪は人間の根幹に風呂場のカビのようにしつこく染みついている。簡単にはとれない。

 ずっと享受し続けた生温い世界を人間が簡単に手放すわけがない。存分に甘えられる環境があるならば、人間はそれを決して手放さない。人間とは一度啜った甘い蜜の味を忘れられない生き物だ。依存症とはアルコールや麻薬

だけに発生するものではない。あらゆる快楽においてそれは発生する。この世界は蔑姫主義依存症を発症している重病患者だ。

 

 雨が降っている。

 いつまでそこで蹲っていただろう。

 雨の冷たさはもう感じない。それは体が冷え切ってしまったからか、心が冷え切ってしまったからか。

 路地の奥から、コツコツ、と靴音が薄暗い路地裏に響く。

 ふと(憲兵とかに不審者として通報されるか?)と不安に思ったが(まぁ、どうでもいいか。幽霊みたいにそこにいるだけなんだし)と責められる道理もないので動くことはしなかった。

 通り過ぎるかと思われた誰かの靴音が止まる。

 

「あの…大丈夫………ですか?」

 

 雨の勢いが少し弱まった。そんな気がした。




words
・街にはシンが心配していたことは何もなかった。
・二頭の馬を無事購入。黒い馬がアールヴァグ、茶色の馬がアルスヴィズ。

・たとえ矛盾を孕んでいたとしても、感情はふつふつと湧くものだ。それを非難するのはおかしいというものだろう。




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ep.06 止まない雨は……

今回読みにくいかもしれません。最後の方が少々描写少な目ですが、そういう表現ということでご理解いただきたいです。


12

「あ~~も~嫌だ~」

「うるさい、マック。そもそもお前が言いだしたことだろう」

 コンピューターが並ぶ薬品臭い研究室。本棚には『異界存在の生態レポート』『対異界存在兵士の活動期間について』『M細胞の細胞同化の過程』『対異界存在兵器の開発に対する生物工学的アプローチの検討案』等々小難しい題名でラベリングされたファイルが所狭しと並んでいる。部屋を快適な温度に保つエアコンは静かな駆動音を立てて業務を果たしていた。無機質な白色の灯りは部屋を一様に照らし、部屋全体を均等な明るさをもたらしている。

 最適な環境を保つ研究室にて、二人の青年が分厚い本を前にして頭を捻っていた。

 不満そうに口を尖らせて、椅子にやる気なさげに体を預けている金髪碧眼の青年の名前はマック・フューリー。二千二百年という世紀末かつ終末期世界に誕生した時代の麒麟児。三年前、齢十九歳にして国際連合異界存在研究機関になんのコネもなく、彼自身の力だけでやってきたまごうことなき天才だ。

 文句を垂れ始めた友人に険しい目つきを向けているのがシン――正確には未来においてシンと名乗ることとなる青年だ。青年も若いが、別にマック同様天才というわけではない。この研究所に配属されるはずだった養父が研究していた分野を引き継いでいるのが彼しか生き残っていなかったので、仕方なく彼が養父のポストに就くことになったのだ。彼がこの研究所にやってくるのにあたっては、仕掛けはなくとも種もコネもある。彼は優秀ではあるが、凡才でしかない。この場にいるのは偶然と幸運が重なった結果だ。

 さて、そんな天才と優秀であるが凡才という二人の凸凹コンビがどんな本を前にして頭を捻っているのかと問われれば、その答えは意外や意外、難解な研究レポートではなく『人名辞典』だった。しかし、それだけではない。彼らの周囲にはライトノベルや文庫本などが無作為に散らばっている。研究職に就いている二人として考えると首を傾げざるを得ない状況ではあるが、彼らのもう一つの肩書を知れば納得のいく光景であった。

 対異界存在兵士担当のカウンセラー。それが二人が持つもう一つの顔であった。ともあれ、二人の活動はカウンセラーの業務内容の範疇の外のものを行ったりしているのだが。それは別の機会に話すべきことである。

 さて、遅くなったが彼らがやっていることを明示するとしよう。きっかけは天才マックのとある提案だった。

「彼女たちに名前を付けよう!」

 同名個体ごとに彼女達は同じ遺伝子を共有し外見上全く差異がなく、性格も似通っている。個々を判別するのが難しい。よって名前を与えられず、誕生当時に記憶している神話上の武器の名前と八ケタの番号によって軍のネットワークバンクに登録され識別される。そこで天才が言うわけだ「冷たい番号じゃなくて、ちゃんとした名前をつけてやろう」と。

 そして、場面は冒頭に戻る。

 簡潔に言おう。言い出しっぺのマック、飽きる。

 シンは不満そうに言う。

「第一なんで彼女達に『お前ら一人一人に個別の名前を付けてやるっ!フハハハハッ!』とか宣言しちゃうんだよ。人間の場合だって被ってない名前はないだろうに」

「いいじゃんかよー。可愛い女の子たちの前ではかっこつけたくなるんだよー」

「加減を考えろ。この大天才(おおばかやろう)

 手近にあったライトノベルをマックに投げつける。綺麗な弧を描き頭に直撃。ナイスヒット。着弾と同時に「ぐへぇっ」という情けない声をマックが漏らす。

 シンが自分のライトノベルを投げたことにマックはぶつくさ文句を言いつつも、投げられたライトノベルを見て怒る。

「って、これ『境界線上のホライゾン』じゃん!名作を侮辱するなっ!」

「そっちに怒るのかよ!もはやライトとは言えないほど厚いライトノベルを投げつけられたことじゃねえのか!あと、それになったのは偶々だからな、他意はない!名作を投げたことは謝罪します。申し訳ございませんでした」

「それでよし」

「何お前が偉そうにしてんだ。元はと言えばお前が原因だろうが」

 今度はファイルを投げつける。顔にクリーンヒット。ギャグ漫画よろしく顔にファイルがめり込んだ。

「きゅ~」

 そう言ってマックが床に倒れ込むのを尻目に彼は人名辞典をペラペラと捲る。といっても人名辞典を捲っても既に全ての名前を付けてしまったのでこの行為に意味はない。

「彼女達がどれくらいの人数いると思ってる?一つの個体につき、一万人のクローンが誕生してるんだぞ。総勢だと何十万だ。何十万の名前を用意できると本気で思ってるのか?」

「でも名前を付けるのは止めないんだろ?」

「あんなに期待した顔を見たら、前言撤回なんて言えるわけないだろ」

 そうぶっきらぼうにシンが言うと途端にマックがニヤニヤと気持ちの悪い顔で笑いだす。

「なんだよ」

「なんだかんだで彼女達のこと愛しるんだなぁって」

「阿呆、俺は義理を通しているだけだ」

「あらぁ?じゃあ、この前アイツの胸で泣いてたのは一体なんだのかしらぁ?」

「……………」

「ぎゃぁぁぁっ!無言でこっちにこないで!左腕を持ち上げないでぇぇぇっ!」

 調子に乗った天才にお灸をすえてやる。

 こんな調子の二人でも親友同士なのだから、世の中わからないものである。

「で、ライトノベルからも人名辞典からも全部名前を取ったけどどうすんだ?」

 この場にライトノベルがあるのは彼らが読んだからではない。ライトノベルのキャラクターから名前を取ろうという話になったからである。例えば先程の『境界線上のホライゾン』のキャラクターから名前を取ると『ホライゾン・アリアダスト』を『ホライゾン』と『アリアダスト』でわけて二人に命名するといった具合に。ただ全てのキャラクターからとれるというわけではなく、名前として適切ではない名前は却下した。のだが――

「とりあえず使って来なかった、キャラクター名を――」

「却下」

 窮地に陥ったマックが禁を解こうとするのでシンは即座に切り捨てる。

「いいじゃんかー、もうそうするしかないじゃーん」

「ふざけるな。『とある魔術の禁書目録』の『沈利(しずり)』とか『物語シリーズ』の『伊豆湖(いづこ)』は今の時代でも名前としては浮くんだよ。日本の記憶を持つ彼女達の命名が追い付いてないからって、今後の彼女達の人生で生きにくくなるような名前はつけないってことにしただろう」

「じゃあ、関連する神話や伝承から取る」

「悪くはないが、喧嘩にならないか?同個体内で。『マリア』って名前をキリスト教系のロンギヌスに着けるとすると聖母の名前だから、下手をすると嫉妬とかしそうだが」

「それくらいは個体の性格毎で判断してつけていくしかないな。ロンギヌスは大丈夫だろうけど、ケラウノスに『ゼウス』とかつけると面倒そうだ」

「まず『ゼウス』を女の子の名前に採用しないけどな」

 ギリシャ神話一の浮気親父の名前が欲しい奴なんていないだろう、とシンはぼやく。

 さて、神や伝承の名前を付けるとしてもやはり数が足りない。他にも対案を考える必要がある。

「お前はなんかないのか?名前を付ける方法」

「そうだな…」

 机上のパソコンを操作して、モニターに映るとある一個体の同じ顔の対異界存在兵士の写真をスクロールしていく。マウスを動かしながらシンは言う。

「安直ではあるが、同一個体内でも存在する身体的特徴の差異を示す単語を一部の文字でアナグラムしたりするのはどうだ?」

 薄いピンク色の長髪に、自信なさげな垂れ目そしてほんのり赤みがかった瞳の少女の顔写真がモニターに映っている。個体分類は〈Mystolitin(ミストルティン)〉。

 延々と続く同じ顔の少女の写真の中でシンは一人の写真でマウスの動きを止める。

 そして言った。

 

そばかす(freckles)―――フェレス(feres)

 

13

 聞き覚えのあるキラープリンセスの恐々とした声にシンは顔を上げた。

「こんな雨の中……蹲っていたら…風邪を…引いてしまい…ますよ…?」

 低めの身長、薄いピンク色の長髪、自信なさげな赤みを帯びた垂れ目、そしてそばかす。彼女は傘の中に彼を入れるようにしてくれていた。

「フェレス……?」

「いえ……わたしは…ミストルティン……です」

 どうやら付けた名前はすっかり忘れてしまっているようだった。シンとマックの苦労が浮かばれない。

「どうして…こんな…所に…?」

「どうして、か。そうさなぁ、有り体言うならば、現実に打ちのめされていた、かなぁ」

「はぁ……現実…」

 あまり得心いかない様子でフェレス――いやミストルティンが頷いた。初対面の人間に突然そんなこと言われてしまったら、戸惑うしかないだろう。彼女の感情は理にかなっている。

 ともあれシンにだって聞きたいことはあるので彼はミストルティンに問う。

「お前こそどうしてここに?」

「えっと…あの…実はマスターと……わかれてしまって……探している内に…道に迷ってしまって…」

 それで…、とミストルティンは言葉を止めたが、言わんとしていることはわかる。となると一つ疑問が浮かぶ。

「なんでこんな路地裏に?大通りを探した方がいいんじゃないか?」

「あ…それは…」

 口ごもって彼女は頭を抑える。さすがのシンもどういう意味を含めているのかわからない。

「どういうこと?」

「帽子を…なくして…しまったんです……変装用の……」

「変装は帽子だけでいいのか?」

「は…い……人間が…キラープリンセスを見分けるのは…イミテーションが同じ場所にいるときか……もしくは髪の色ですから…帽子をかぶっていれば……大抵隠しおおせるのです……」

「ああ、なるほど」

「……?」

 シンの返答に今度はミストルティンが頭を傾げる番だった。

 シンは街に来て以来ずっと疑問に思っていたことがある。何故街に入った時、門番に渡されたボロ布でレーヴァテインを――拙くはあるが――変装させていたのに忌避の目を向けられたのか、ということである。ようやく納得がいった。あの時は体だけをボロ布で包んでいるだけで、髪は露出していた。故にあの反応。蔑姫主義に基づいた嫌な視線だというわけだ。

(それにしても、髪か)

 盲点だった、と思う。マナ、中世ヨーロッパ風の街並み、異族(モンスター)などなど。まるで異世界系ライトノベルにシンが入りこんだようであったが、この世界はまごうことなき現実であり、過去から連綿と続く現在なのだ。なので人間はライトノベルで登場するような奇抜な髪色を持つものはいない。黒、金、茶、赤、といったありきたりの髪色しかない。対照的にキラープリンセスたちは、今も昔も色鮮やかな髪を持っている。例えばギリシャ神話の主神ゼウスの雷霆の名を冠するケラウノスの髪は青、アーサー王伝説に登場する最強の騎士が持つ剣の名を持つアロンダイトは薄ピンク色だったりと髪色は特殊だ。レーヴァテインの銀髪も持っている人間はいるだろうが、人間の場合はどらかというとプラチナ・ブロンドというように白に近い金髪と表現した方が適切だろう。レーヴァテインほど真正の意味での銀髪を持つ人間はいない。そういう理由で髪を露出していた彼女は目立ち、キラープリンセスと認識されたに違いない。

 帽子を買っとかないとなぁ、とシンは淡々と思う。そして、少し落ち着きを取り戻した自分がいることに気づく。ミストルティンが登場したのが大きいのかもしれない。守るべきものが近くにいるというのは大切なことである。

 とりあえずシンは立つ。いつまでもここで蹲っているわけにはいかない。

 気合を入れるために両手で頬を叩いてから、ミストルティンに向き合う。

「じゃあ、行こうか」

「え……?何処に…?」

「何処にって、そりゃあお前の奏官の所にさ。きっと心配してるだろうからね」

「いいんですか…?私…キラープリンセス…ですよ?」

「別に構わんさ。私自身レーヴァテインを雇っているからね。蔑姫主義なんてくだらんものに染まり切ってないよ、私は」

「えっと…でも…」

「早くしないとおいてくぞー」

「あっ…待って…ください…っ」

 ミストルティンは決して他人に何かを要求することはない。他人との関わりを拒む彼女は誰かを頼るということをしない。だから、此方が強引に引っ張っていく必要がある。シンとしてはミストルティンに人間的成長をして欲しいと思う所でもあるのであった。彼女の意志をくみ取って行動してくれるような人間は少ないのだから。

(ま、私が介入するべきことでもないか…)

 もしミストルティンがシンの旗下にあるのなら別だが、彼女は今彼女の奏官の元に身を寄せている。ならば当人たちで話し合った方が良い。

 少し先を行くシンをミストルティンが追いかける形で歩き出す。

 後ろを行く彼女は懸命に傘に彼を入れようとするが、如何せん身長差があって難しい。うーん、うーんと背伸びしするが、中々上手くいかない。

 そして、

「あっ」

 伸ばした傘の端がシンの顔に直撃する。

「へぶっ」

 予期せぬ事態にシンも虚を突かれ、素っ頓狂な声を出してしまった。

「ごめんなさいっ、ごめんなさいっ、ごめんなさいっ、ごめんなさいっ……」

 顔を真っ青にして必死に謝りまくるミストルティン。

「そんなに謝らなくてもいいけども…」

「ごめんなさいっ、ごめんなさいっ、ごめんなさいっ、ごめんなさいっ……」

「いや、だから謝らなくてもいいって」

「ごめんなさいっ、ごめんなさいっ、ごめんなさいっ、ごめんなさいっ……」

「おーい、聞いてるー、ミストルティンさーん」

 ミストルティンの謝罪タイムが終わるまでしばらくかかった。

 

 

「本当に……ごめんなさい」

「だから、そんなに謝らなくていいからね。たかが傘があたった程度じゃん」

 完全に意気消沈してしまったミストルティンを慰めながら路地裏を行く。結局傘はシンが持ち、ミストルティンと相合傘をすることになった。

 傘が当たったのは善意から来る行動の結果起きてしまった事故なので、シンには彼女を責めることができない。むしろあんなに謝られるとシンの方が申し訳なくなってくる。

 とりあえず話題を変えよう、と思う。 

「…お前の奏官は一体どんな奴なんだ?」

「私…の…マスターですか?」

「うん、どういう人間なのかなぁって。生憎と私は奏官という人種に会ったことがなくてね。個人的に興味がある」

「そう……ですね…」

 ミストルティンはしばし考えこむと口を開く。

「マスターはキラープリンセス(わたしたち)のことを『妹』って呼んでくれるんです。本当は、きっと、キラープリンセスの方が年齢は上なんだろうけど、マスターは『私がみんなを守るッス』とか言って『妹』呼びを止めなくて。みんなで、マスターは守られてなさいって言ってるんですけどね。それでも私はなんだかんだで嬉しくて。だってキラープリンセスは本当の意味での家族と呼べる存在はいないじゃないですか。だから家族っていう温かい関係に憧れていたりもして。時々人間が羨ましくなるんです。人間はキラープリンセス(わたしたち)には出来ないこと、手に入らないことを出来たり、手に入れたりできるんですから。でも、マスターのおかげで私は毎日楽しく過ごしています。家族はいなくても家族のような仲間がいる。姉妹はいなくても姉妹同然の人がいる。同じ血が通っていなくてもいいんです。本当に大切なのは血じゃなくて、想いだと私は考えています。例え私の隊の関係を偽物で価値のない物だと断じる人がいても、この信念だけは揺るがない。気が弱い私でも、そこだけは譲りません。えっと、つまり、私が言いたいのは、私のマスターは最高のマスターだと言うことですっ!」

 全てを言いきって「ごめんなさい……一人で……ベラベラ…」とミストルティンが小さく謝罪した。

 対してシンはまるで彼女の不安を払拭するように微笑んで、

「そうか」

 ただそれだけ言って、静かに彼女の頭に手を乗せた。

「―――えっと?」

 やや間を置いて彼女は状況を把握し、顔を赤くして首を傾げた。

 戸惑うミストルティンを傍目に、シンは自身の胸の内に温かな灯が宿っていることを感じていた。

 ただただこう思う。よかった、と。

 ミストルティンというキラープリンセスは非常に怯臆な性格だ。他人を恐れ、自分自身に自信がなく、物陰さえあれば一目を避けて隠れようとする。胸を張って自分の言葉を言うなんてことはほぼない。言葉に詰まることなんてざらだ。

 けれど、マスターのことを語る彼女は違った。

 声を弾ませて、笑顔を浮かべて、溌溂と喋る彼女に恐怖なんてなかった。今の彼女は(さが)であり、記憶から来る根源的恐怖を払拭するほど素晴らしい物に出会えた。そういうことなのだろう。

 だからこそシンは思う。よかった、と。良い人の元に行きつくことができたことに、心の底からほっとしている。

「……よかった」

「えっと…あの……そろそろ手を離していただけると……」

「ん?ああ、すまない」

 ミストルティンに言われてシンは彼女の頭から手を放した。ちょっとデリカシーがなかったか。

 昔のようにしてしまうのは意識的に自粛するべきだ。そこに寂しさを感じてしまうのは自我(エゴ)だろう。

 それでも感情は完全に押し殺すことはできなくて、シンが少々気落ちしているとミストルティンが――シンの心情を察しているわけではないだろうが――口を開いた。

「で…でも……なんだか……懐かしい…気が…します………何…で……でしょう……ね?」

 しばし思考が止まる。ふっ、と息を吐く。

「そうか」

 自分がどんな顔をしているのか。想像することは難しくなかった。

 

 さてほんわかしてるとこに水を差すようで悪いけど、そういえば二人は迷子じゃなかったっけ?

 

「うーむ、わからん」

「……何処なん…でしょうね?」

 相変わらず雨は降り続けていた。一向に止む気配はない。

 二人は路地裏を歩き回っていたが、どうにもミストルティンのマスターがいるという宿泊施設区にたどり着けない。ここかと思えば商業区、ここかと思えば畜産区。行けども、行けども見当違いな所ばかり。

 もとよりシンがミストルティンを案内するということ自体無理がある。かたや今日街に来たばかりの旅人、かたや迷子になっているキラープリンセス。どうやって目的地に辿り着けばいいと言うのだ。理論の破綻も甚だしい。前提条件が十分でない以上、解が導き出されることはない。

(まぁ、解を導き出せる条件がないわけじゃないけど)

 どうにかできる手段がないわけではない。けれど内容が内容だけに、うーん、と頭を抱えてしまう。シンとしては全然構わないのだけれど、ミストルティンが拒否しそうではある。いや、でも、大通りの状態を鑑みるに大丈夫か………?

 逡巡。

 決断。

「大通りに出よう」

「えっ……でも……私……」

 キラープリンセスだから大通りなんて出てしまったら髪を隠せていない以上拙いことでは、と告げようとするミストルティンを遮ってシンが語りだす。

「大丈夫だ。雨で人は少なくなっている。たぶんそんなにはいない。傘って結構高級品だろ?」

「は……はい……一応……旅をする人は……持っていますが……」

「とはいえ、持っているからといって頻繁に使いたくはない。何故なら消耗するから」

「では……頻繁に買い……替え…ること……はでき……ないから……」

「たとえ傘を持っていても、無駄に使いたくはない。旅をしているわけでもないし、ここには雨を凌げる宿がある。それに多くの店が閉めている以上いくら傘を持っていたって急ぎの用事でもなければ、外には出ない筈」

「けど……そんな拙い憶測で……人が……いないと……決め……付けるのは」

「いない、じゃなくて、少ない、な。多少は見られても仕方がないさ。どの穴に剣を差し込めば黒ひげを飛ばせるか、なんてことを延々とやってるよりはマシなはずだ」

 シンの提案にミストルティンはすぐに踏ん切りがつかず、しばし決断に時間を要した。

 ミストルティンが決断した後、多少予防線を張ってから、シンの見覚えのある大通りを探し、出る。

「ちっ」

 出た瞬間思わず舌打ちをする。ミストルティンが怯えるように肩を震わせた。元来の臆病さ故の反射行動だろうから、シンは気にしない。彼女に落ち度がないことは彼女自身が一番わかっている。

 舌打ちをしたのは単純で、人が予想よりも多かったからである。当てが外れてしまった。物語の主人公のように、何事も予想通りとはいかないようだ。

 予防線――彼女の髪を束ねさせて、傘はミストルティンだけが入るようにして深く差すことで特徴となる髪を隠させた。彼女の低い身長も相まって、覗き込みさえしなければ髪が見えることはないはずだ。しかし万一のこともある。もしばれてしまったら、向けられるのはあの吐き気を催す気持ちの悪い視線だ。

(何度も向けられたくないよな、あんなの)

 昼に身を以て体感しているためによくわかる。アレは嫌なものだ。

 シンはミストルティンに早く抜けるように指示をする。彼女はそれに従う。

 雨が降り注ぐ大通り。即席の主従が人の目から逃げるように行く。

 肌に当たる雨粒の勢いが弱くなっていることをシンは気付いた

 

 幸いにもミストルティンに気づく人間はいなかった。都合よくいったことにシンは胸を撫でおろす。

 宿が並ぶ宿泊施設区に二人は無事到着。彼女のマスターが泊まっている宿はすぐに発見できた。なぜなら彼女のマスターがそわそわと宿の前でしていたからだ。

 意外にもマスターは女だった。これは女性差別をしているわけでなく、単純に奏官の男女比が男に偏っていることからのシンの感想だ。「キラープリンセスは女性のみであるから陰陽の関係でしばってるのかもな」などとシンは思ったものだが、その推測が外れていることは言うまでもない。この世界においてあらゆるオカルトは消されているのだから。

 閑話休題。

 ミストルティンのマスターである少女の傍らには二人の武装を外したキラープリンセスが。

 一人はアイムール。髪は暗めの紅色。白のトップスの上に紫色のラインが入った黒色の、皮のような質感でありながら柔らかそうな感じのある服を着ている。無表情で目先が鋭いために、初対面だと恐ろしさを与えるものの、根は悪い娘ではない。まぁ、扱いには難しい所があるが。

 二人目はパラケルスス。赤みががかった茶髪を持つ身長低めの少女。胸元には赤い宝石が付いたリボン、緑色の服とダークブラウンのミニスカートというシンプルな恰好をしている。無口で人あたりは悪いが、性根は悪い娘ではない。まぁ、協調性には欠ける所があるが。

「……中々個性が強い隊だな」

 アイムール、パラケルスス、ミストルティン。なかなかに個性的なメンバーがそろっている。シンの声の引き攣り具合を察して、「ははは」と乾いた笑い声を上げるミストルティン。

 ミストルティンがマスターに向かって走っていく。

「マ…マスター…!」

「あっ、良かったッス、ミストルティン!やっと、見つけたッスよ。もう迷子になっちゃだめじゃないッスか!」

「ごめん……なさ…い」

「いいんスよ。『妹』が無事で良かったッス。それに私の方にも非はあるッスからね。私もごめんなさいッス」

「で…でもっ」

「はいはい、もうこの話は終わりにするッスよ。喧嘩両成敗、お互い様ってことッス。それよりも道中何かなかったッスか?変な目とか向けられなかったッスか?見たところ変装用の帽子がなくなっているみたいだし」

「いえ……えっと…あそこにいる人…のおかげで…ここ……まで来れ……ました」

 ミストルティンが言うと、マスターがミストルティン越しにシンの方を見る。

 目が合ってシンが一礼。対してマスターはシンの方にやってきた。

 お礼でも言われるかと思ったが、違った。こんなことを言い出す。

「アンタ、内の妹に変なことしてないッスよね」

 いきなり疑われた。しかも睨み付けられながら。ミストルティンが「マスター!」と抗議する。

「いきなり失礼だな。まぁ、ミストルティンのことを心配するのはよくわかるが」

「いいから答えるッス。ミストルティンは自分から見知らぬ奴と関わるタイプじゃないッス。もしかしてアンタがミストルティンを内の隊から別れさせたんじゃないスか」

「おいおい、変な誤解は止めてくれ。偶々路地裏で会ったんだよ。傘がなかった私に親切にしてくれたんだ」

 実際は違うが、真実をぼかして伝える。完全に間違っているというわけではないので、気も病まない。

 シンは当たり障りのない返事を返したつもりであったが、それでもマスターは「あーだこーだ」言い続ける。結局、当事者であるミストルティンと見かねたパラケルススの仲裁が入り、この場は落ち着いた。

 シンとマスターの間に和解はなかった。ミストルティンがお詫びとお礼を言い、パラケルススがマスターを力で無理矢理下げさせて、この一件は終わった。

 そして別れ際。シンは聞きたいことがあって、宿に入ろうとしたマスターに声を掛ける。

「なぁ、お前」

「なんスか?」

「お前はキラープリンセスのことをどう思ってるんだ。蔑姫主義に憑りつかれているみたいだが、お前はどうなんだ?」

 シンは問う。一拍。そして回答。

「そんなの愛してるに決まってるじゃないスか」

 空白。空隙。

 マスターが立ち去る。その背中を再び呼び止める。

「おい!」

「うっとうしいッスねっ、謝らないッスか――」

「――ありがとな。愛してくれて」

 マスターが振り返る。

 けれど、もう既にシンの姿はない。あるのは太陽に照らされた道だけだ。

 取り残された奏官の少女は「何なんスか一体…」と、歩いていく青年の背中を見ながら呟いた。

 

  

 この世界は彼女たちにとって残酷で、底なしの悪意に塗れていて、目も当てられないほどに醜悪だ。

 けれど希望はある。その希望は弱くて、今にも暗闇に塗りつぶされてしまいそうな小さな光かもしれない。闇を照らせるほどの強い力を持っていないのかもしれない。

 だとしても充分だ。

 青年は今一度立ち上がる。折れた心を再び奮い立たせる。

「雨が止んだか」

 止まない雨はない。雲はいつか晴れ、光が差す。

 青年は心温かに、太陽に照らされた街へと歩き出すのだった。  




words

止まない雨はない。雨が降れば、太陽が照るときもある。世界はそのように変化し、人もまた同じ。

願いがあるならば、その足で濡れた大地を踏みしめて道を作り出すしかない。

その最初の一歩を踏み出すことを青年は決意した。


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ep.07 迫る危機

次話で三話ぶりにレーヴァテイン登場します。


14

 本日二回目の教会訪問。再び此処を訪れたのは事前に通達されていたことであり、体面上は奏官見習いとして通っているシンも例外なく呼びつけられる。

 既に百人弱の奏官が集合していた。キラープリンセスを連れている者もいれば、いない者もいる。こうした集会ごとにキラープリンセスを参加させるのはどうやら奏官の判断に委ねられているようだ。

 街に奏官がかき集められていることは門番から聞いている。この場にいる奏官たちは何故こんなにも多くの奏官が一つの街に集められているのかという疑問に対しての推測をぶつけあっていた。とはいっても奏官がやることといえば異族討伐であるために、ある程度確信に近い結論が各々の奏官で出ているので自分の見解に対して他人の同意を得ることが主目的であるようにシンは思えた。

 シンが今回の件に対して知っていることと言えば、「なんかヤバいことが起きたみたいッス」という門番が奏官から聞いたという証言のみ。

 今回の件をシンは注視している。おそらくこの時代の人間にとってもイレギュラーな事態である。ならば人為的(・・・)に起こされた可能性をシンは考える。作為的に起こされたのならば、その痕跡が残っているはずだ。事象は連続し、過去は忘却されるが足跡は消えない。起きたことである以上、それを完全になかったことにすることは不可能だ。綿密な計画であればあるほど、手がかりが多く追いやすくなる。シンはそれを見逃さない。きっと事件の裏には奴らの思惑がある。

(すでに一つ点は掴んでいる。後はもう一つ点を見つけて線にすればいい)

 物事が都合よく運ぶとは思わないが、自分しかいないのだからやるしかない。

 胃が痛くなるが、すでに覚悟は決めたのだ。弱音を吐いている場合ではない。

 さてさて、そういったシンの目的と合致する事情はさておいて、目下最大限嫌なことと言えば、

(あの理不尽マスターに会うのはごめんだ)

 教会に来る前にあったミストルティンのマスター。シンの気力を再点火した彼女ではあるし、門番の証言も特徴的な語尾から彼女の言であるのは確定だろうから、シンにとってのメリットを提供してきた人物であるのに少しも好感情を抱けない。印象は最悪。もう二度と会いたくないと思うほどに。

 見つからないようにしようとシンは決めて、人が少ない壁際、それも柱の影に待機する。意図的に探したりしなければ、見つかることはないだろう。

 とはいえ声が掛けられないわけではない。

「君がレーヴァテインのマスターかい?」

 脈絡のない問いかけであった。

「レーヴァテインと言ってもたくさんいるでしょう?キラープリンセスには同じ容姿に同じ性格といった分類上は同一個体であるイミテーションが存在するんですから。一口にレーヴァテインと言っても、貴方が話題に上げているレーヴァテインとは限りませんよ」

「いや君の情報は既に手にしている。一応レーヴァテインのマスターであることを確認して、情報に基づく特定を確定したかっただけだよ」

そして確定したわけさ、と茶目っ気たっぷりに男は言った。ただ一口に男と言っていいものかという疑念にシンは囚われる。何しろ、彼はとても個性的な恰好をしているのだから。

 年齢は三十後半から四十前半。唾の広いテンガロンハットを被り、革製のガンベルト、そのホルダーにはしっかりとリボルバー付きの拳銃が収まっている。さながら新大陸開拓期のガンマン、西部劇からそのまま飛び出してきたような恰好だ。恰幅の良い体つきをしてよく通るダンディな声を持ちながら、コスプレ染みた格好をしているためにどうにも人物像が定まらない。

 一言で、妙な男、というのが実に的を得ている。不審者ではないが奇妙さ故に歩いていれば自然と人が道を開けていく、そういうタイプの人間だ。一種のオーラを放っているともいえる。

 男はテンガロンハットを深く被りなおして言う。脅すような、低い声で。

「忠告だ。キラープリンセスの立場を悪くするような真似はするな。これ以上彼女達の立場を悪くしたくはないのでね」

 一瞬何を言われているのかわからなかったが、直ぐに思い当たる。

「ああ、変装のこと……」

 コルテの街に入ってきてすぐの時は不完全な変装のせいで悪目立ちしてしまった。教会の規律を破ったことに対して糾弾しているのだ。

「あの時はレーヴァテインと主従関係を結んだばかりでして、変装の規則を知らなかったんですよ。ま、知らなかったとはいえ、許されることではないですが」

「ふむ……無知は罪とも言うが……しかしだ………知らなかったなら仕方ない……か。すまないね。一応釘を刺しておきたかったんだ」

「いえ、キラープリンセスのことを思いやってくれる人がいるのは私も嬉しいですから」

「ならば同志だ。よろしく頼むよ、若人。名乗るが遅れたね、私はカルロ・ボンビエリという。階級は少奏官だ」

「私はシンです。ただのシン。まだ洗礼を受けていないので奏官見習いです。隊にいるのはレーヴァテイン一人だけ。以降よろしくお願いします」

 最初のピリピリとした雰囲気は何処へやら。カルロとシンは右手を差し出し、固く握手する。

 キラープリンセスを大切にしてくれる人と知り合えるのは素直に喜ばしい。シンは共同戦線を張るつもりは毛頭ないが、キラープリンセスを大切にする思想の持主がいることは蔑姫主義の改善への足掛かりとなることは確かだ。いてくれるだけでもありがたいというものである。

 シンの主目的は計画派の抹殺である。レーヴァテインといった他のキラープリンセスの保護もそのための布石だ。しかし、蔑姫主義の改善はシンにとって元来の目的と同じく実行しなければならない課題と定義している。具体的な方策はまだない。だが、必ず解決する。課題とは乗り越えるためにあるのだから。

 わざわざ課題と定義したのは、あまりにも大きな壁を乗り越えることが出来ると信じたいシンの願いが滲みでているのかもしれない。

 元よりこんな世界が出来上がってしまったのはシンに責任がある。責任を執るという意味でも、やはり蔑姫主義の改善は義務であった。

 シンとしてはカルロを自身の業に巻き込むつもりなど毛頭ないので、話を持ち掛けることなど決してしないが。

「カルロさんは今回の件どう思ってます?コルテ周辺に滞在していた部隊が残らず招集されたと聞いたのですけれど」

「考えられるのは異族の大移動だな。奏官が集められる理由としては大概の場合それだね」

「異族の大移動、ですか?」

 いいかね、と口火を切ってカルロは説明を始めた。

 異族は十から二十の数で一つの群れを形成し、不規則にラグナ大陸をさまよっている。ただ向かう方向が同じ二つの異族の群れが遭遇すると、二つの群れが一つ群れとなって行動するようになる。そして三つの群れが一つに、四つの群れが一つに、と雪だるま式に群れの巨大化が進んでいく。無論しばらくすれば、群れはまた最適な数に分割されるし、大抵の場合は大きくなりすぎる前に奏官たちのよって潰されることが常だ。けれど、何事にも例外が起きる場合がある。今回がその例外だ。

「多数の異族の群れが奇跡的な確率で同じ場所、同じ方角を目指した場合には教会の対処が及ばないほどに加速的に数が増え、百を超える大群となる。私も一度肥大化した大群の討伐任務に従事したことがあるがね。あれを群れというのは抵抗を覚える。あれは災害だよ、白の災害とも言うべきね。人肉を貪り尽くすイナゴさ」

 どこかで聞いたような例えを交え、話を終えたカルロは肩を竦めた。言葉の端々に滲み出ている苛立ちが、その戦闘が苦しいものであったことが伺える。

(しかし成程、偶発的な異族の群れの加速的融合か。となると今日の遭遇も関係してくるのか?)

 コルテに入る前に起きた直前の戦闘。シンが念入りに偵察し、異族の移動速度を正確に計算してきたにも関わらず起きてしまった遭遇戦はレーヴァテインにとってはシンのミスにより起きた戦闘であったのだろうが、全てを行ったシンからすれば奇妙なことであった。シンが偶々見落としていただけの可能性はない。左眼の義眼〈ana(アナ)〉の熱源感知機能を使用したためである。半径百メートル以内の熱源を発見するこの機能は偵察時反応することなかった。異族の移動速度から考えて百メートル以上離れていれば、追い付かれることはない。

 となると異族の活動が活発化したということであり、活発化させた何かがある。

 異族そのものの習性、何かしらのフェロモン、競争本能の増長などなど――

(――あとは…共鳴……?いや、それはないか)

 いくつかの可能性が考えられるが、やはりデータが少ないために判断のしようがない。別にわからなくても問題ないか、とシンは結論づけてこの疑問を思考の隅に追いやった。

 むしろ異族大集合の方が気になる。けれどもシンが思考を纏めるより先に、状況が動いてしまった。それもシンが最も会いたくない人物の登場という形で。

「カルロさん、お久しぶりッス!マイア・ガレット参上しましたッス!」

 ガンッ、と壁に頭をぶつける。

「最後にあったのは二か月ほど前ッスか。前回の合同任務の時はお世話になりました!」

「久しぶりだね、マイア君。息災だったかな?」

「はいッス!おかげさまで無病息災、毎日健康、内の妹たちとの中も良好!万事好調ッス!」

「ハハハ。それは何よりだ。あっ、シン君、一体どこに行こうとしてるのかね?」

 こそこそとその場を立ち去ろうとするシンをカルロは目ざとく見つけた。

 錆び付いたブリキ人形のようにギコギコという音が聞こえてきそうな不自然な挙動で、シンはゆっくりと動きを止めた。

「えっ、別にっ、何でもないですよっ」

「そんな裏返った声で言われても説得力皆無だよ」

「いやいや、ホントに何でもないですから」

「ますます怪しんだけどね、その言い分」

「いやいやいや、ホントにホントですって」

「もう振りとしか思えないよ」

 そうこうしてるうちにマイアがシンに気づく。気づいてしまう。

「ん?アンタ、何処かであったような………あっ」

「はいー人違いですー全然違いますー」

「その反応絶対わかっててやってるんスよね!わかってるんスよ、こっちは!」

「きーこーえーなーいー」

「馬鹿にしてんスかーッ!」

 激情のまま殴りかかってきたマイアを、シンはひょいと軽々躱す。そのままの勢いでマイアはこけて、地面に顔から激突。

(ざまぁみろ)

 内心でほくそ笑むシンは中々に外道であった。

「ギャースッ!」

 奇声を上げてマイア復活。

「お前はドラクエのモンスターか」

「わけわかんないこと言ってるんじゃねッスよ!」

「そりゃ、そうだ」

 ネタが通じないのはわかっていても少し寂しい。シンはおくびにも出さないが。

 さて、意味のわからない言葉で揶揄われた まま、この少女は引くような玉ではない。起き上がったまま彼女はシンに詰め寄る。

「私はまだアンタのこと信用してないッスからッ!」

「言ってろ理不尽野郎」

「野郎じゃないッス!このあんぽんたん!」

「前から思ってたけど、この場合の野郎ってただの罵倒だから男女関係なく使って良いと思うんだよね」

「無視すんじゃねえ、この馬鹿ッ!」

「うるせえぇぇぇぇぇっ!いちいちめんどくさい女だなぁぁっ!テメェはよォォォォッ!」

 とうに収拾がつかなくなっていた。

 マイアはシンにつかみかかり、シンが彼女をいなす。マイアは勝手に地面とキスをして、シンがそれを鼻で笑い、マイアは激怒し、シンが揶揄し、マイアをさらに怒らせる。

 負の悪循環というよりは、シンが一方的にマイアの怒りを増加させているだけだ。ハムスターが車輪を回転させているという比喩が的確だ。ただ疲れているのはハムスターではなく、車輪の方ではあるが。

「というか、よくもまぁ、お前みたいな奴があの三人を纏めていられるよな!お前なんかが、よくやるわ!」

「うっさい!アンタに私たちの何がわかるってんスか!」

「キラープリンセスのことに関しては俺の右にでる者はいねえよ!」

「何スかその自信!」

「黙れ、チビ」

「なっ、触れてはならない所に触れてしまったッスね」

「あ゛、やんのか?」

 暴走列車は自力では止まらない。

 とうとう見かねたカルロが仲裁に入る。

「もう終わりにしなさい、二人とも。君たちの間に何があったのかは聞かないけれど、落ち着きなさい。これ以上騒ぐと周りに迷惑だよ」

「むぅ、だけど、カルロさんっ」

「だけど、じゃないよマイア君。そもそもの発端がシン君とは君も悪い。どうやらマイア君が最初に喧嘩を売ったようだしね。二人とも、ここは引くんだ。シン君も、いいね?」

 問い掛けられたシンは無言で頷く。

 彼も子供相手に少々熱くなり過ぎたと反省している。

 ただ反省はしているものの……

「では仲直りの握手をしよう」

 カルロの和解案に乗じて、両人ともいやいやながら握手をした時。

「ぎにゃぁぁぁぁぁぁッッッ」

 左手で強く握り嫌がらせをしたのは大人げなくはないだろう?

 

15 

 柱時計の鐘が鳴る。

 教会が通達した時刻となった。

 集められた奏官たちの前に老祀官と見知らぬ美青年が立つ。

 互いに雑談を交わしていた奏官たちも二人が現れたことに気づくと、一人また一人と口を閉じ教会は静寂に包まれた。

 何故奏官たちが集められたのか?何故こんなにも多くの奏官を一つの街に集約させたのか?一体何が起きているのか?

 奏官たちが抱いてきた疑問の答えが、これから明示される。

 重苦しい空気の中、老祀官が口を開く。

「みなさん、本日はお集まりいただきありがとうございます。事前の通達にありました時刻となりましたので、これより緊急集会を開始いたします」

 そして一礼。

「この会の開会理由は――おそらく皆さまわかっておていででしょうが――異族の大群の発生、その討伐依頼のためでございます――」

 それが最初に確認したのは二週間前、とある村から討伐任務を行うはずだった奏官だった。

 三十ほどの数に膨れ上がった異族の群れの討伐任務だった。いつも通りの、何の異常もない討伐任務。彼は多少気を緩めながら、けれど決して油断しない程度に、言うなれば肩に力を入れすぎない適度な緊張感で部隊のキラープリンセス五人を引き連れて任務に臨んだという。

 初めの内は順調だった。いつもの通りのフォーメーションを駆使し、キラープリンセスの連携と奏官の的確な指示によって異族は数を減らしていった。

 異常に気付いたのは二十体ほど討伐し終えた時くらいだった。いやもっと早く異常には気付いていたのだが、確信となったのがその時であった。

 異族の数が減っていなかったのだ。それどころか増えてすらいた。

 事前に確認されていた異族の数が討伐時に多少変化していることはままある。彼も最初は異族の群れが一つほど合流したのだろう、と異族討伐の常識から推測していた。

 けれどその推測は大きく外れていた。合流した群は一つどころではなかったのだ。

 大地を覆うほどの白の群れを前にして、命からがら逃げだした奏官とその部隊は直ぐに村へと引き換えし、そのまま異族と進行方向とは逆のラグナ大陸の中心部へと村民を連れて逃亡。逃げた先の街チティトラの支部教会へと自身が得た情報を伝えたという。

 件の大群の向かう先は言わずもがな。こうしてコルテの街に奏官が集合させられていることから明らかだ。

「――というのが、此度の招集に至った経緯でございます」

 やはりというか、当然と言えば当然というか。

 各々の奏官たちが抱いたのは、驚きでも悲嘆でもなく納得であった。それもそのはず。彼らは予測していたのだから。

 多少のどよめきが起こりこそすれ、騒ぎになるほどのことではない。

 だが、何人かの奏官たちの直感を嫌な予感を告げていた。まだ安心はできないぞ、と。一部の賢明な者たちの拳には汗が握られていた。

 そしてこの二人もまた――幸か不幸かはわからないが――賢明の者たちであった。

「シン君、気づいているかね」

「ええ、気づいていますとも」

 マイアだけは男二人の会話の内容がわかっていないようで首を傾げる。

「もーうッ、なんなんスかッ、二人ともッ!」

「思い出せ、老祀官の言っていたことを」

「異族の大群がコルテの街に迫ってきているんスよね」

「ああ、そして討伐任務を通達するにおいて何が足りていないか考えろ」

 シンの上からの物言いにムッとなるが、マイアは素直に言うことを聞く。

 顎に手を当て、考える。

 そして気づく。

 途端に顔が強張る。

「気づいたかね?」

 マイアの変化に気づいたカルロが問う。

 答えなくとも表情でわかる。

 気づいている者は気づいている老祀官が伝えていない、いっそ意図的に隠してたのではないかと思ってしまう、重要な情報の欠如。

 

 ――まだ老祀官は異族の数を言っていない!

 

 マイアがその意味を理解し、到来する恐怖を実感した時。

 審判が下される。

 

「到来する異族の数は―――一万(・・)体でございます」

 

 教会の空気が凍り付く音をマイアは聞いた気がした。

 

 

 

 一万体の異族の来襲。

 それはまさに空前絶後、未曾有の事態であった。

 奏官は想像もできない数字に恐れ慄き、動揺した。当然と言えば、当然だ。彼らが経験してきた大規模討伐任務といば、せいぜい百や二百程度の数の討伐でしかない。千はおろか万などという数は誰もが未経験、馬鹿げていると騒ぎ出してもいいレベルの絶望だった。

 教会の空気に奏官の恐怖に染まり始めている中で、シンもやはり焦燥感に駆られていた。

(いくら雑魚とはいえ、一万体なんて彼女達が対応できる数じゃないっ)

 教会地下から発生している電波が何のために発生させられているかのはわかった。もう電波の発生を止める手段はあるが、止める意味はない。もう既に電波は役目を果たしているのだから。目覚めたのが遅れてしまったために、シンが遅れを取るのは当然のことだ。賽は投げられた。一万体の異族はコルテの街に迷うことなく向かってくるだろう。

 ただ、それはそれとして、現実問題一万体の異族がコルテの街に迫っている。奏官たちはその問題を真剣に考えなければならない。

 現在コルテの街に存在するキラープリンセスだけで一万体の異族を討伐できるかと問われれば、その答えはノーだ。

 そもそもキラープリンセスは現代の人間が思うような最強の兵器などではない。

 確かにキラープリンセスは強力な兵器であろう。人間以上の膂力を持ち、巨大な武器を手足のように操り、人では倒せぬ異形共をたやすく屠る。

 ああ、なんと心強い兵器だろうか。キル姫こそ人が持ちうる最強の兵器だ!

 もし、そんな奴を見つけたら、過去の人間は笑い飛ばすだろう。

 何を馬鹿なことを言っているのだ、と。

 運用方法が根本的に間違っている。彼女達は彼女達のみで戦線に投入されて輝くような英雄などという狂人ではない。

 彼女達は偶々強く生まれただけにすぎない女の子でしかない。

 人間より高い身体能力を持つだけのただの女の子でしかない。

 運悪く貧乏くじを引き当てただけのちっぽな女の子でしかない。

 決して戦士ではない。人柱となった女の子でしかないのだから、わずかな手勢で逆境を覆すなどという奇跡は引き起こせない。

 加えてキラープリンセスと対して大きさが変わらない異族が相手というのが尚のこと悪い。彼女達は対人戦闘の経験が少ないことをシンは知っている。彼女達がどれくらい長い間異族と戦い、どれほどの経験を積んでいるかは知らない。が、過剰に期待するのは間違いであろう。

(となると………やはり……)

 手はある。だが、極力この手札を切りたくない。

 これを使えば間違いなくシンは目立つ。この時代においては異物過ぎるソレを明らかにするというのは、俺はここにいると奴らに誇示しているようなものだ。

 それは不味い。計画の序盤で奴らに存在を知られるのはあまりも悪手だ。

 ただ……それでは……

 

 ――それでは奴らと一緒になってしまう

 

 救えるはずの命をドブに捨て腐らせた奴らと一緒になってしまう。

 そんなことは共に戦った友たちのためにもできない。

 合理と人道。メリットとデメリット。負うリスクと目標の優先度。

 全てを考慮して、しばしの間逡巡する。

 やがて決断を下した青年は、初めて周囲の人間に対して意識を向けた。

 横にいる二人の奏官をシンは見やる。

 カルロは流石というべきか。彼には年齢に応じた経験がある。きっと多くの修羅場をくぐってきたのだろう。驚きはしていても、目は確かに据わっていた。きっと頭の中では様々な策謀が巡っているに違いない。

 マイアは困惑していた。どうキラープリンセスを動かすか、どう他の隊との協力をすればいいか。混乱はしていても、直ぐに戦闘思考へと切り替える胆力にはシンは驚きを禁じ得ない。年は二十も満たしてないだろうに、よくもまぁ、迫りくる死の恐怖に屈しないものだ。とシンは感心した。

 教会側の説明は混乱する奏官たちを静めながらも続いた。

 説明内容は大規模討伐作戦に対する具体的な作戦に移る。同時に老祀官が後ろに下がり、彼の隣に立っていた美青年が前に出た。

 青年はトナティウと名乗った。

 彼こそが今回の大規模討伐任務の総指揮官とのことだ。

「ほう、あの年で大奏官か」

「むぅ、中々やるッスね」

「マイア君だって中奏官じゃないか。充分凄いと思うよ」

「何?こいつが中奏官…?」

「何スかその顔?」

「いや、だって、ねぇ」

「ムカーーーーーッ!」

「いちいち漫画みたいな反応してくれるなぁ、ホント面白い」

 ヒートアップする前にカルロがストップをかける。

 さて大奏官というのは奏官の三つの位階の中で最も高い地位の名前である。経験と功績が求められるために、この階位に付く奏官は若くても三十後半代が一般的である。となると若くして大奏官となったトナティウは余程の優秀な人物に違いなかった。

「どうなると思います?今回の討伐任務」

 トナティウの説明を聞きながら、シンはカルロに問うた。

「さてね。優秀な大奏官がいるとはいえ、かなり厳しい戦いになると思うよ」

「何しろ一万スからね。一体どんな戦場になるのやら」

「あ、ごめん。お前には聞いてない」

「ムガーーーーッ!!」

 また同じやり取りを繰り返す若人二人を温かい目でカルロは暖かい目で見ながら、反面冷徹な思考を巡らせる。

 カルロはシンよりも、マイアよりも、トナティウよりも奏官をずっと長く勤めている。そんな彼だからこそ、感じたことがあった。

「何も起きなければいいのだが」

 根拠もなにもない、いわゆる戦士の勘が告げる嫌な感じを胸に秘めて、彼もまた戦いに挑む。

「ぐだぐだしても仕方ないッスね。どうしたら生き残れるかを考えないと」

 体の芯から来る恐怖を押さえつけて、逃げ出したくなる衝動を抑え込んで少女は前を向く。

 過去からの遺物(シン)歴戦の奏官(カルロ)蕾の乙女奏官(マイア)

 それぞれの立場から、それぞれの覚悟で三人は戦いに望む。

 

 

 後にコルテ大規模討伐作戦と史実に名付けられる教会と異族の戦いは、現代にも過去にも不穏な空気を漂わせながら始まろうとしていたのだった。

 

 




words
・教会の集会にてシンはカルロ・ボンビエリとマイア・ガレットという奏官と出会う。
・既にシンは電波が何のために発せられているかがわかったし、止めても意味がないことを知っている。
・集会の目的はコルテの街に迫る危機〈一万体の異族来襲〉とその作戦を伝えるためであった。
・シンはこの危機に対して切札を切ることにした。
・キラープリンセスは過去において強さを求められていたわけではない。
・此度の討伐任務の総指揮官はトナティウという大奏官。
・シン、マイア、ガレットはそれぞれの視点から未曾有の危機に立ち向かう。


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ep.08 その笑顔の裏には

16

 夕食はラーメンにする。宿に戻ってきたレーヴァテインの契約者たる男は寝覚めの彼女にそう言いうと、深いフード付きの服に着替えさせて彼女を街に連れ出した。

 「下手に高いものを振る舞うよりも、親しみやすい味がいいだろう」と言ってレーヴァテインが連れてこられたそこは、こじんまりしていて、良く言えば古臭い、悪く言えばボロ屋と呼ぶべき外装をしていた。看板の文字は風雨にさらされたせいかほとんどかすれ、かろうじて読める程度で、本当に営業しているのだろうかと思わせるほどに杜撰な管理だった。

 木製の引き戸を開けると、濃厚なスープの匂いが鼻腔を満たす。気難しそうな店主が短く「らっしゃい」というと、若い店員が二人を席に案内した。店内には多くの客がおり、大半は男性客。女性客もちらほらいるが、片手で数えることができるほどだ。この店は酒を提供していないらしく、賑やかではあったがうるさくはない。昼間の人混みを想像していたレーヴァテインは――表情には出さないが――ほっとする。

 人が多い中でもキラープリンセスが入ってきたことに騒ぎが発生しないのは、深いフードを被って特徴的な銀色の髪を隠しているためである。当然の事ながらスリロスも置いてきている。フードは故意に外そうとしなければ大丈夫だろうし、下手なことをしなければ、深いフードを被った人物がキラープリンセスであるとバレることはないだろう。店内に入った時は、フードを被る珍妙な客に対する好奇の視線が向けられていたが、次第にそれも消えていき、二人に注目する人間はもういない。

 案内してくれた店員に男は豚骨ラーメン、レーヴァテインは醤油ラーメンを注文すると、男は今日何をしてきたかについて逐一報告してきた。

 無論レーヴァテインは聞く気などないので、男の報告に冷たく返す。

 

 馬の名前はアールヴァグとアルスウィズ―――なんでそんな覚えにくい名前にしたのよ。

 カルロ・ボンビエリとマイア・ガレットという奏官と親交を深めた―――別にどうでもいいし。

 マイア・ガレットは結構面倒な女だった―――あ、そ。

 変装用にフード付きの服を買ってきました―――早く私の元の服返して。 

 あと、一万体の異族がやってきている―――ずずずずー。

 

 こんな具合に適当にレーヴァテインはあしらっていた。徹底的に冷たい態度に男はわざとらしく落ち込んだ。演技であることはバレバレなのに、どうしてそんなことをするのだろうか、と彼女は疑問に思う。

(ま…でも…何かあった…ようね…)

 出会った時から、空洞のような空々しさをレーヴァテインに感じさせる男であったが、今はほんの少しだけ重みのようなものがあるように感じる。

 何か嬉しいことでもあったのだろうか?口から出てくる言葉は喜色ばんでいる。心なしか表情が明るく見えるのも、気のせいではないと思う。とにかく何かしらの変化はあった。

 

 でも、まぁ、そんなこと、どうでも良い(・・・・・・)

 

 どうせ、すぐ別れる相手なのだ。目の前の男が何にほだされたかなど関係ないし、興味など微塵も湧かない。人のことなど対岸の火事でしかない………………。

 ………………。

 ちょっと待て、目の前の男は何て言った?やたらと軽い調子であったが、重大なことを言わなかったか?

「…………は?」

「だから一万体の異族が来襲しているそうだ」

 絶句。レーヴァテインにはそれしかできなかった。

 レーヴァテインが唖然とする姿を見て、対面の男が「流石に驚いただろ?」と何故か得意げに言う。その顔がムカついたので、奴のチャーシューを奪ってやった。

「ああっ!最後に食べようとしてたのにっ!」

 そんな殺生な、などと嘆いていたが、知ったことか。むしろ清々しい。爽やかな風が胸の内で吹き渡っている心地すらする。痛快だ。

 戦利品を咀嚼しながら現実を咀嚼する。

 一万体の異族の襲撃。そんな天変地異など聞いたことがない。そもそも異族が百体以上いることでさえ、異常事態なのだ。一万体などという卒倒ものの数字など信じられない。

 馬鹿げている、その一言に尽きる。

 一体どうしてこうなったのやら?一万なんて数そうそうお目にかかれるものではない。この街の人間は甚だ運が良いようだ。

 勿論、皮肉であるが。

 まったく面倒なことになった。折角面倒な奴と手を切れると思ったのに、面倒ごとが次々と舞い込んで来る。目の前の男が厄を引き込んでいるんじゃないか?そう思うと腹が立って来る。

 「あれ?これスープを通した間接キスじゃね?」とかキモイことを宣う馬鹿のメンマを全部強奪し、一口で食いきって鬱憤を晴らすことにする。

「メンマまでとるなぁぁっ!」

 目の前の男は懇願するが、届き入れるはずもなく。迷いなくメンマを口に頬ぼった。コリコリとした歯ごたえが堪らない。この食感は他の食べ物と似ていない独特のものだ。噛むごとに強くなる味わいにに思わず頰が緩む。

 なお、「めんまぁ…ちゃぁしゅぅ……グスッ…」とか言っている馬鹿は放っておく。

「それで、一体いつ異族たちは来襲するの?」

「私に対するフォローはないのな……って、睨むな睨むな…」

「いいから早く」

「五日後だってよ。まだ公には発表されていないが、明日には発表するらしい」

「かなり近い。参戦人数はどれくらいなの?」

「参戦するマスターは八十一人、キラープリンセスの数は二百五十一人だ」

「……厳しい」

「けど、考えうる限りの最悪な事態じゃないのは救いだな」

「どういうこと?」

「つまりだな――」

 男が言うには、一万体の異族の来襲とはいっても一万体の異族が同時期にやってくるそうだが、同時にはやってこないらしい。

 いまいち意味を理解できないので男に問い正すと、こう答えた。

「一万体というのはこの街に向かってきている異族の総数だ。こいつらは群れを形成し、コルテにやってきているわけだが、この群れの密度にはムラがある。一万を大グループとすると、数百単位での小グループが間隔を開けているんだ。だから同時ではなく、同時期。一万体の全てがやって来るには、同時というには時間的幅があるってことだな」

 なるほど、男の説明を聞くと余裕があるように一瞬思える。一万体という数が一度に襲来しないことがマシながする。

 でも――

「最悪よりほんのちょっとマシ、ってくらいね」

 キラープリンセスには断ち切ることのできない性がある。

それは暴走(・・)。キラープリンセスの狂暴化。これは戦いが長期化すればするほどキラープリンセスの暴走の発生率は上がっていく。

 今回は異族との戦闘が断続的になるので、戦闘を交替制にしておけば多少はマシとも言えなくもないが、やはり焼石に水だと思われる。

 レーヴァテインには、殺戮の快楽に溺れずに、元の精神を保ったまま戦いを切り抜けられるキラープリンセスがいるように思えない。

「どうにもきな臭い」

 棘のあるレーヴァテインの呟きに目の前の男が反応した。

「どうしてそう思う?」

「あまりにも無謀すぎる。異族の数に対してキラープリンセス側の戦力が圧倒的に足りてない。それに作戦の詰が甘すぎる」

「作戦の詰が甘い?」

 今度はシンが尋ねる番だった。

 この男はこの男で、何やら別の視点で、今回の事件を考察している様子ではあったが、作戦の機微と言ったことにはどうにも鈍いらしい。

「もし教会がこれほどの数の異族を討伐したいなら、挟撃を仕掛けるのが得策のはず」

「コルテ側と異族の背中側ってことか?」

「できれば四方向で囲みたい。そうすれば上手く戦力の分散ができるし、場所を選べばただの平地でしかない冥花繁殖帯なんかよりもっと戦いやすい地形を選べるかもしれない」

「確かにな。でも、どうして奏官側から何も意見が出なかった?異族との戦闘になれている彼らは作戦に対して何も口を出さなかったぞ」

「多分、だけど、理由は二つ」

 コップの中の水を飲み干す。

「一つ目は既に賽は投げられているから。既に集めてしまった以上作戦の変更はできない。ここら辺にいる奏官を片っ端から集めてきたって話だし、きっとさらに集めようと思っても時間がかかる。多少の変更はともかく作戦の大きな変更はまず無理。教会が予定した作戦のまま、討伐戦は行われると思う」

「なるほどね。だからカルロさんは何も言わなかったのか。やたら渋い顔をしていると思ったら……」

「そして二つ目は――」

 レーヴァテインの赤い目が射貫くように細まった。

「――教会の反感を買うことを恐れたか……」

 目の前の男が露骨に嫌な顔をする。

「教会の力は絶大。下手に陰口を叩くと、居るんだか居ないんだかわからない黒奏官に処分されるって話もあるくらい」

「え、何それ怖い。どんな都市伝説だよ」

「黒奏官がなくても、キラープリンセス(わたしたち)を統率してる時点で十分脅威なのだから、教会と対立するなんて馬鹿でもしない――――あ、でも、ここに教会と対立する大馬鹿野郎が此処にいたっけ」

「だからなぁ、私についてきた方がお前にとっても絶対良いんだって」

「はいはい」

 ぐだぐだ言い続ける大馬鹿野郎を、ラーメンを食べる片手間にあしらう。

 すくなくとも教会と対立するような奴と行動を取るような愚行を犯せるはずがない。レーヴァテインは契約で主従関係にあるわけではないので、男に従う義理もない。それに、もし主従関係にあっても、レーヴァテインは叛意を持つ奏官を教会に引き渡すことを決断しただろう。

 非情なことをしてでも敵対を避けなければいけないほど、教会の軍事力や影響力というのは恐ろしい。

 反乱分子の烙印を押されたら、末路は死だ。そこに救いはない。

(この男も引き渡すべきかしら)

 そんな考えが思い浮かんだが、すぐに振り払う。ここで関係を切ってしまえば、火の粉が降りかかることもないのだし、そこまで潔癖になる必要もあるまい。同名キラープリンセスは同じ顔なんだし、この男に組していたレーヴァテインが特定されることなどないだろう。

 レーヴァテインは小さくため息を吐いてから言う。

「きっと、教会はこの街を守る気なんてない。元々潰す気」

「しかし、メリットはなんだ?何故街を潰そうとする。意味がないだろう」

「私に聞かれても困る。ただ、真偽は定かじゃないけど、王族が人口調整を行っているって噂話もあるんだし、そこ関連だったりして。ていうか貴方の方は貴方の方はどうなの、何かないの?」

「そうだな。私が裏にある目的と見当をつけているのは、街の消滅じゃない」

 男はそう言うと、人差し指をレーヴァテインの方に向けた。

「目的は君たちだ」

「何を言っているの?」

「暴走だよ」

 暴走。キラープリンセスの自我亡失現象。獣のように暴力を振るう化け物と成り果てる事実上の死。

 だが、そんなものに何の意味がある?

 レーヴァテインには何を根拠に推論を立てたのかがわからなかった。

「お前と出会う前、私はキラープリンセスの暴走と遭遇したことがある」

「――っ!」

「その時は、まぁ、調整(チューニング)で直したんだけど」

 調整(チューニング)……?

 聞き慣れない単語に首を傾げたが、すぐさま「ああ、あれ」と今まで行われた謎技術に思い至った。

「え、あれってそういう効果だったの?」

「元々暴走鎮圧用のコードなんだ」

「じゃあ、なんで私にしてきたの。暴走なんかしてないし」

「いや、マナとかいう不純物があったから、除去したかったんだ」

「はぁ、何言って――いや、やっぱりいい」

 言っていることが意味不明なのは今更だ。説明する気もないようだし、追及しても時間の無駄となる。

 話を戻そう。

「で、目的がキラープリンセス(わたしたち)の暴走っていうのはどういうこと?」

「過去も現在もだけど、暴走状態にあるキラープリンセスは普段よりも過剰にエネルギーが供給されている。つまり暴走状態のキラープリンセスは破裂寸前の水風船って所かな。奴らの目的はその溢れんばかりのエネルギーだ――」

(どうしよ、言ってることがさっぱりわからない)

 色々つらつらと理論(?)を並び立てるものの、レーヴァテインにはさっぱりだ。サイボウブンレツとかコウエネルギーなんたらケツゴウとか言ってるが、未知の単語が多すぎて会話についていけない。

 かろうじて理解できたのは、キラープリンセスの暴走が目的ではないかという推測と、暴走時のキラープリンセスは多量のエネルギーが生成されている状態であるという事実だけだった。

 とりあえず難しい話はわからなくて良いので、レーヴァテインは会話を先に進める。思えば、教会の目的などどうでも良いことだった。

 もっと建設的な話をしよう。

「…教会の目的はどうでも良くて――――今回の討伐戦で一つ聞きたいことがあるんだけど」

「おっ、ああ、すまない。訳がわからなかったよな。それで、聞きたいことって?」

「向かってくる異族の中に使徒はいるの?」

「―――使徒……?」

 あれ?何この反応?

 男は眉を顰めて、不思議そうに首を傾げた。

「は?だから使徒よ、使徒」

「教会でも出ていたけど、使徒ってなんだ?」

 今度はレーヴァテインが眉を顰める番だった。

 え?だから何言ってるの?常識でしょ、常識。

「あの、ふざけてるの?使徒っていったら、使徒でしょう?」

「すまない。本当にわからないんだ」

「嘘……だって使徒よ、使徒」

「異族と使徒って何か違うのか」

「違うっ!」

「説明頼む」

 素直に頭を下げてきた。

 はぁぁぁ、と大きくため息を吐いて、レーヴァテインは口を開く。

 曰く、使徒とは異族と同じ白の異形でありながら、桁違いの戦闘力を持つ者である。

 曰く、使徒とは捕食本能だけの異族とは異なり、明確なる殺意を持つ敵である。

 曰く、使徒とは知能を持ち、異族を率いる統率者である。

 総括するに、使徒とは異族の上位存在だ。代表例は四本腕の怪力〈ミノタウロス〉やマナ弾を操るカラスのしゃれこうべ〈クロウエル〉だ。使徒がいる群れといない群れとでは、群れ全体の戦闘能力が違う。奏官がキラープリンセスの能力を引き上げるように、使徒はただの獣である異族を戦士にする。

 今回の討伐任務において、使徒がいるかいないかで討伐難易度は雲泥の差だ。

「で、結局どうなの?いるの?」

「教会側の調査では、今の所、見つかっていないそうだ」

 今の所、ね。

 不穏な言葉にレーヴァテインは一層眉の皺を深めた。「そんなに険しい顔してると、綺麗な顔が台無しだぞ」という阿保のラーメンの器と自分の空っぽの器を取り換える。

「おい」

 無視。

 ずずず~、という音が口を閉じた二人の間に空しく響く。

「……ごちそうさま」

「食べ足りないなら、替え玉できるぞ」

「替え…玉…?」

「おかわりのことだよ」

「する」

「即答………ほんとお前って自分の欲求に素直だよな」

「……悪い?」

「いや、全然。むしろ、そっちの方が可愛いから気にならない」

 浮ついた事を笑いながら平然と言った。でも、まぁ、レーヴァテインは相手にしない。別に喜ぶようなことでもない。

 無視をしてやると露骨に男が残念そうな顔をする。なるほど、邪険にするより、無視した方が効果的だったか。

 男が店員を呼ぶ。が、生憎立て込んでいるようで答える店員が誰一人としていなかった。直接カウンターの方に出向こうと男が立ち上がると、ズボンのポケットから何かが零れ落ちた。

(……何…これ?)

 それは奇妙な物体だった。 

 原形を留めていない、元は立方体だと窺える立方体の箱。まるで無理矢理押しつぶされたかのようなそれは、金属でもガラスでもない、見たことのない素材で出来ているようだった。破壊されたせいで歪んだ面からは、赤や青といった色とりどりの何かに包まれた金属が飛び出している。

 気になったので拾ってみた。

 おそらく元々は何かの付属部品だったのだろうか。とある一面は力づくで引き剥がしたような破壊痕がある。中を覗いでみると、意外にも中はスカスカで、裏面を這うようにして紋様やら部品が接着されていた。

(……一体何なの?)

 何なの、というのは目の前の部品にたいする疑問でもあり、また同時にあの男がどうやって部品をはぎ取ったのかという謎を一口で表したものだった。

 その断面は工具かなにかで切り取ったようなものではない。人が何かを切り出したときのそれよりも、むしろ異族が人の骨を引きちぎったときの方に似ている。

 となると、あの男は男自身の力だけでこの立方体を大本から引きちぎったのだ。

 では、何処に金属を引きちぎるような力があるのだろうか?

 男はただの人間だ。少なくともレーヴァテインはそう判断している。少しばかり体の動かし方が特殊なような気もしたが、ただそれだけだ。それは戦闘において役立つようなものであって、万力のような力を出すためのものではない。とはいえ、守られるだけの人間が何故戦うための技能を身に着けているのかは聊か疑問ではある。ま、レーヴァテインは深くは考えないのだが。

 やや気になるのは、包帯によって隠された左腕か。包帯の下が一体どんな風になっているのかは、皆目見当がつかない。いつぞや聞いた時は、茶化されてうやむやになってしまった。

 確実に何かがある。きっと隠したいことの一つなのだろう。あの左腕の真相は。

 ならば、レーヴァテインは考えることを止める。あの男が話したくないことならば、追及しても無駄だろうし、レーヴァテインから聞くようなこともしない。相手がべらべら垂れ流すならともかく、レーヴァテインから聞くようなことはしない。

 相手の内へと踏み込むことはせず、己に踏み込まれることを是としない。

 レーヴァテインとはそういう少女だ。あれこれ相手のことを詮索するのは彼女のポリシーに反する。

 らしくない。故に思考を止める。

 男が麺の入った丼を持って戻ってきた。渡された丼を受け取って、レーヴァテインは謎の機械部品を男に渡した。

「……これ、落としてた」

「ん?ああ、悪い、ありがとう」

 男はそれを受け取って、ポケットにしまった。

 箸を手に取り、レーヴァテインはラーメンをすする。

 それにしても、このラーメンなる食物は大変美味だ。レーヴァテインは自分を認識してから(・・・・・・・・・)ずっと野良のキラープリンセスであったため、食べたことがあるのは野生の果実や動物の肉くらい。キラープリンセスとしての類まれなる身体能力と劣化しない武器(スリロス)があるために、行商人の護衛を買って出て、時折塩を得たことがあるけれど、希少なものなので一度の調理でふんだんに使うことが出来なかった。ラーメンのように、いくつもの調味料をふんだんに使った食べ物は初めてだった。

「おいしいか?」

 ニマニマと笑いながら男が尋ねてくる。

「……おいしい」

「そうか」

 顔がムカつくので嫌そうに答えたが、男は歯牙にもかけず満足そうに笑う。

 ――そういう所が困るんだけど……

 冷たくあしらっているのに構ってくる図々しさ。酷く邪険にしているのに懐いてくる理解不能の思考回路。

 この男を相手にしていると心がかき乱される。どれほど敵意を向けようとも行動を共にしようとする奇妙さが故にだ。感情がまとまらず、このラーメンのスープに浮かぶ油のようにぷかぷかとあてもなく漂っている。

 レーヴァテインはもやもやとした感情から目を背けるようにして、これまでとは真逆の方向性の話題を振った。

「……それにしても意外ね。貴方は私が戦うことに反対すると思っていたけど」

「あ、うん。本当は止めたいけどね、こんな無謀な戦い。きっと最後に立っているのはレーヴァテインだけだろうから、お前に全ての負担が回って来る」

 でも、と。男は寂しそうに、悲しそうに、それでいて悔恨の念に堪えているような複雑な笑みを浮かべて男は言葉を続ける。

「レーヴァテインは行くんだろ?私がどれほど頼んでも、お前は戦場に行くんだろ?」

 その問いは、やはり悲痛に見ていていた。

「どうして――」

 言いかけて、思いとどまる。

 男が何を抱えているのか。どんなものを背負っているのか。

 全くわからない。いつもへらへらとしていて、無邪気にレーヴァテインに構ってくる子供のような男を、一体何がここまで苦しませるのか。

 レーヴァテインは知らない。少しは気になったりもする。

 けれど、やはり、レーヴァテインは聞かないのだ。

 他人の内側には踏み込まない。

 それが彼女の信条なのだから。

 故にレーヴァテインは、単純にその問いにだけ答えた。

「……もちろん行くわよ。それがキラープリンセス(わたしたち)の存在理由なんだから」

「だよな……そうだよな……」

 男は考えこむように俯くと、再び顔を上げて、やはりあの笑顔を浮かべるのだった。悲しくて、悲しくて、悲しくて。こらえきれない悲しみに、それでも固く蓋をして必死に隠している。そんな笑顔を。

「本当は戦って欲しくないんだ。キラープリンセスはもう十分戦った。人類がしなければならない戦いを請け負ってきた」

「…………」

「今すぐにでも、どんな手段を使っても、レーヴァテインを引き留めたい」

「…………」

「でも、それは出来ない。キラープリンセスの権利を踏みにじり続けた人類が、現在において、昔よりもある意味では遥かに縛る物がなくなった世界で、レーヴァテインの意志をないがしろにすることなんてできないよ」

「…………」

「キラープリンセスにはできる限り自由に、納得できる生き方をしてもらいたいから」

「…………そう」

 レーヴァテインはそう一言と呟いた。

 正直な所、レーヴァテインには男が言っていることを正確に理解できたわけではない。相変わらずわからない所もあるし、男の言っていることに意見したいこともある。

 でも、踏み込めない(・・・・・・)

 だって、そんな笑顔を浮かべられてしまったら、そんな蛮行できるわけがないじゃない。

 まるで罅が入ったガラスのように、今にも壊れそうでバラバラに砕け散ってしまいそうな、脆くて儚い笑顔。

 壊してしまう最後の一押しをすることなんて、できない。

「………ラーメン、おいしいわ」

 どうしてだろう、店内は他人の声に満ちているというのに。

 ずずずー、というラーメンを啜る音がレーヴァテインの耳朶に残る。

 

17

 レーヴァテインとラーメンを食べに行った翌朝。昇ったばかりの朝日が街を照らす中、シンは一人馬車をは走らせる。門に続く大通りを進むが、誰一人として道を行くものはいない。未だ街は微睡みに沈んでいる。だからこそ彼はこの時間に動きだしたのだ。

 シンは御者を雇っていなかったが、何の問題もない。彼自身が操縦すれば良いのだから。

 異界存在が現れて以来自動車といった乗り物は民間人の手に渡ることはなくなり、それらのほとんどが官営もしくは軍の所有物となった。結果人々の移動手段として用いられたのが馬である。位相融合が起こってしまう前の世界は、立ち並ぶ高層ビルの間を馬たちが駆け抜けるという、最先端の中に近代が存在するなんとも珍妙な世界であったのだ。

 シンが馬の扱い方を習得したのは研究所に入る前のこと。養父に科学を教わりながら、生活費を稼ぐためにタクシーのような商売をしていた。そのため彼は馬の扱いに関しては――実に以外なことだが――中々の腕を持っているのだった。

 まさかあの時身に着けた技術が、こんな所で役に立つなんて想像もしていなかったのだが。

「芸は身を助けるとはよく言ったものだ」

『知りませんでした。馬車を操縦できるなんて』

 〈ana(アナ)〉が文字を写す。 

 既に〈ana〉は起動してある。これから始めることには〈ana〉の補助が必要だ。

「研究所に入ってからは、馬車を操縦する機会なんてなかったからな。記録にないのも無理はない」

『私が出来てから研究所から出ませんでしたものね。所長からは有給を取るようにと言われていたのに』

「あの二人がいたから、別に退屈はしなかったし、ストレスもなかった。外にでる必要性を感じない行動を起こすのは無駄だ」

『そういう無駄が人間らしさだと思うのですがね』

 〈ana〉が嘆息が聞こえてきそうな文を映しだす。

 『無駄』が多い人工知能である〈ana〉が言うと説得力がある言葉だった。

ふと『無駄のない人間は機械と変わらない。故に無駄な行為を許さず、社会に有益なことにのみ人を酷使する我が国の社会は人間を機械化するための工場だ』と、あの哲学者の言葉をシンは思い出すのだった。

「俺からすれば、他の人間は無駄が多すぎる。もう少し無駄を削っても良いと思う」

『正直貴方の人間の理想像とは、役割の与えられた小説の人物のようなものでしょう?感情すらも筋道のままに発露させるような人間像が貴方のそれです』

「いや、流石にそんな価値観を持っているつもりはないんだが…」

 シンは心外だと一瞬怒りを覚えたが、理論武装の人工知能に指摘されると自信がなくなってしまった。

 自分が一番自分のことを理解していないし、身近にあるものこそ最も気付きにくい。青い鳥の話は幸福だけではなく、ありとあらゆることに通じているような気がするシンであった。

『だからこそ貴方はキラープリンセスのことが好きなんですよね』

「全く関係ないぞ。あとキラープリンセスのことは好意よりも保護対象としての認識が強い」

『ただ一人を除いて?』

「うるさい。あと、厳密に言うと三人だ」

『でも頭抜けて特別なのは一人なんですよね』

「…………」

『あの……無言のまま私の電源切ろうとしないでください』

 少々頭に血が上ってしまい我を忘れかけていた。シン自身気づかない内に、左のこめかみに人差指を当てていた。

 一応は沈黙した〈ana〉を渋々許してやる。消してしまってもまた点け直せばよいので、大層なことではないのだが。

「くだらないことを言ってないで、さっさと仕事の準備をしろ」

『はいはい、わかっていますよ―――ふふふ」

「なんだよ」

 唐突に笑い始めた人口知能。あまりにも脈絡もない言葉に、とうとう壊れたのか、とシンは眉を顰めた。

『今壊れたとか思っていますでしょう?』

「何故分かった。いつのまにか読心術のソフトでもインストールしてたのか」

『言われなくてもわかります。何年貴方と戦ってきていると思っているんですか?』

「すくなくとも一年は経ってない」

『以外と短いですよね。私たちの関係って』

「で、なんなんだ一体」

『えー、なんかつめたくないですかー』

「いいか言え」

『つーめーたーいー』

「………」

『すみません、調子に乗り過ぎました』

 おっと気づかないうちに、また指がボタンを押しそうになっていた。

 そっと左の人差し指を右手で諌める。

「で、一体なんなんだ?もう慈悲はないぞ」

『つれないですね――まぁ、いいですけど。別に深い意味はありません。ただ昔の貴方に戻ったようで少し安心しただけです』

 昔に戻ったか…。

 〈ana〉の言葉を噛みしめる。

 その言葉は少々違う。昔になど戻っていない。

 今はただひたすらに自身を塗り替えているだけだ。ひたすらペンキを塗り付けて、塗り付けて、塗り付けて。本物の自分自身を見えなくしているだけなのだ。

 だから何も変わっていない。〈愚者〉の名の通り、愚かしさのままひたすらに、偽物を演じ続ける。

 くくくっ。

 卑屈な笑いがこみ上げる。

『どうかしましたか?』

「いいや、なんでもない」

 頭を振りながら、馬を静かに走らせる。

 こんなもの気に掛けられるものではない。

 〈愚者〉と呼ばれた男が、本当に〈愚者〉だったというだけの話なのだから。

 シンはもう一度卑屈に笑った。

『それにしても良かったのですか?レーヴァテインを置いてきてしまって』

 〈ana〉が場の空気が悪くなったのを感じたのか、気を使って話題を変える。

 今シンの隣には相棒たるレーヴァテインの姿はない。コルテの街に一万体の異族が迫っていることから、契約期間は引き延ばされた。なのでシンとレーヴァテインが行動を共にしてもおかしくはないのだが、どうしてか彼は彼女を連れてはいない。

 シンは今、単独行動をしている。

「これからすることを考えると彼女を連れていくのは気が進まない。記憶が戻って『暴走』されても敵わないからな」

『まぁ、そうですけど……その時は調整(チューニング)すればよろしいのでは?』

戦闘中(・・・)には不可能だ。いくら異族が異界存在の劣化版だとしても、隙を見せられない」

簡易調整(インスタント)の常時発動では間に合いませんか?』

「クローンはともかく彼女は駄目だ。火種を潰したとはいえ、万が一にも彼女が暴走してしまったら、どうなるかは未知数。不確定要素が強い以上、彼女を戦力として投入できない」

『しかし、合流してしまった場合はどうするのです?コード275489の使用回数は限られますし、貴方一人では一万体の討伐なんて不可能ですよ』

「それは……運が味方してくれるのを信じるしかない。記憶の復活による情報過多の末の暴走(・・・・・・・・・・・・・・・・・)。討伐時間を減らせば、俺が振るう過去に触れる機会が少なくなるから、頑張るしかないな」

『私の推測ではコード2754389の弾数を鑑みるに、貴方の単独撃破数は三千程度ですが』

「ならば四千を討伐してみせる。何、メキシコシティ奪還作戦よりはマシだろう」

『あー、あれはひどかったですね』

 できれば二度と経験したくない戦いだ。今でも思い出すたびに、顔をしかめてしまう。

 今回の戦いは苦しいものではあるが、あの地獄よりは遥かにマシと思えるだけ、シンは他の奏官を比べると気持ちが楽なのかもしれない。

 門の前に来ると、十字架の意匠が施さた白い豪奢な馬車とすれ違った。

 おそらく教会が保有する馬車だろう。となると、新しい奏官が連れてこられたのだろう。いかにもな格式ばった馬車で連れて来られたことから、余程の重要人物だと思われる。きっと今回の戦いでは有用な戦力として働いてくれるだろう。

 教会の馬車と入れ違いに、門番の前に馬車を止める。

 老門番はこんな朝早くから街を出るシンに訝し気な視線を向けながらも、コルテの街にやってきた時と同じく三十ゼニ―を支払うと彼を通してくれた。

 

 

 こうしてシンはコルテの街から出立した。以降、彼の姿を見た人物はいない。

 次に彼が人々の前に姿を見せるのは、四日後つまりコルテ大規模討伐戦、その終盤のこととなる。

 




words
コルテ大規模討伐戦の概要①(②は次話にて)
・参加奏官は81人、キラープリンセスは251人。
・一万体の異族が来ると言っても一度に全てが来るのではなく、数百単位の小さな群れが順番にやって来る。
・使徒は現段階では確認されていない。
・レーヴァテインは今回の作戦は詰めが甘いといい、シンは教会の目的がキラープリンセスの暴走にあると言った。

・シンは何かの部品を持っており、レーヴァテインの推測によると何処からか無理やり引きちぎったのではないかということ。


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ep.09 そして日常は崩壊する





18

 それでは、コルテ大規模討伐戦までに一体何があったのかを記述しよう。

 

 

 レーヴァテインがシンとラーメンを食べにいった翌日。奏官だけでなく、街の住民にもコルテに迫る危機について発表された。一万体の異族という絶望的なまでの暴力を前にして、住民たちの緊張はかつてないほどに高まった。住民の一部では街を離れようとする動きもあったようだが、教会がそれを引き留めた。どうせ街の外に出ても、彼らが生き残る保証はない。むしろ生存の可能性は下がる。キラープリンセスを伴わない人間など、異族たちにとっては格好の獲物なのだから。教会側の遅すぎる対応を非難する勢力もあったが、彼らに対しては発表同日に教皇庁から街にやってきた枢機卿が討伐戦が終わった後に糾弾を受ける、と会見したために完全に封殺された。教会の教皇に次ぐ権力者がそう言ったのだから、ただの一般人が口を出せるはずもなかった。ただ不満を持っている人々が口を閉じたのは、教会に逆らったらどんな目に遭うかわからない、という無言の暴力が背景にあったこともここに付け加えておく。

 シンに置いてけぼりをくらったレーヴァテインはというと、シンの知り合いであるカルロの所に預けられた。彼女はシンの自分勝手さに静かに憤慨し、戻ってきたらブン殴る、と心の中で決意した。預けられたカルロは「他の奏官に自隊のキラープリンセスを預けるのはよろしくないけど、彼ならば事情があるのだろう」と全面的にシンに信頼を置いているらしい。レーヴァテインからすれば、昨日出会ったばかりの人間に信を置くのは愚かとしか言いようがないが、カルロ隊のキラープリンセスはそう思ってないようだ。よほど自分たちの奏官を信頼しているようだった。 

 またレーヴァテインはカルロから思わぬ情報を得ていた。

 ラーメン屋でシンが落としたあの部品。どうやら教会の地下墓地から帰ってくると手にしていたらしい。カルロが言うには、「一応今回の騒動の原因は潰したましたが、おそらく手遅れでしょう」と言っていたとのことだった。意味のわからない言葉にレーヴァテインは眉を顰めたが、シンがこの場にいない以上確認がとれないのでどうしようもないことだった。それにあの男の意味不明さは今に始まったことではない。すっかり慣れてしまったレーヴァテインは、すぐに気にしなくなった。シンが知ったら「冷たくないっ!?」とか言いそうだが、知ったことか。自業自得である。

 さて、正式に一万体の異族の襲来が知らされてから教会の動きは迅速だった。今回の総指揮官であるトナティウや位階の高い奏官たちによって作戦が決定されたあとは、三日間街の外でひたすらに隊の間での連携訓練が行われた。今回の討伐戦はいかに早く討伐戦を終わらせるかが重要になる。そのための隊と隊との連携だ。各キラープリンセスの得手不得手を上手く嚙み合わせることが連携の意義となる。そのためにより丁寧に、より時間をかけて連携訓練は行われた。

 レーヴァテインを含めたカルロ隊が連携を組むことになったのは、運よくマイア・ガレットの隊だった。奏官同士、キラープリンセス同士が一度共同戦線を張ったことがあるだけに連携の完成度は高く、二人の隊のキラープリンセスの不足を補うタイプのレーヴァテインが加わったことでかなりの安定性を得た。唯一の問題はレーヴァテインが独断先行をしてしまわないか、ということだったが、そこは上手く手綱を握るしかないというのが両奏官の見解だ。

 コルテの街の人々はとういうと、戦う力を持たないためにただただ見えない恐怖に怯えていることしかできなかった。恐怖にさらされ続けていることによって発生したストレスのはけ口は、常日頃忌避の対象としているキラープリンセスに向けられた。そんなこと、別段なんの不思議もないことだ。自然すぎる話であった。例えるならば、ボクシングの選手が普段殴っているサンドバックに対して八つ当たりをしている、といった具合だ。いつも殴っているものを、改めて殴った所で気おくれすることなどない。つまるところ、大規模討伐戦当日を迎えるまでに街の人々がしたことは、特別に奇妙なことではなく、人間として当然のことだった。行き場のない憤りを、都合の良い何かにぶつける。まさに人間らしい行動である。

 

 

 以上のことがコルテ大規模討伐戦までにコルテの街で起こった出来事だ。そして、現在は大規模討伐戦、その当日である。

 

 

 冥花の平原に一陣の風が吹き渡る。それを一身に受けたレーヴァテインの長い銀髪は容赦なく掻き乱された。

 彼女は鬱陶しげに顔に掛かった髪を振り払いながら、遥かな地平を紅の瞳で見つめている。

 教会の予測では、太陽が空の真ん中の真ん中に至ったとき、時刻にして午前十時ごろくらいから、白の猛威はあの地平よりやってくるとのことだった。あともう少しで、彼女が立つ場所は戦場と化す。

 ただ地平を眺めている彼女の心境が如何なるものか。戦の前の緊張かもう負けは確定しているという諦観か、それとも別の感情なのか。彼女の無表情からは伺い知ることができない。

 だがシンならばこう答えるだろう。

「彼女がああいう顔をする時は静かに闘志を燃やしてるんだ。彼女はそういうキラープリンセスなんだよ」

 しかし、結局のところ誰がなんと言おうと推測でしかないために真実かどうかは定かではない。

 しばらくレーヴァテインが地平を見つめていると、マイアが近づいてきて彼女の肩を叩いた。

「何してるんスか?レーヴァテイン」

「……別に…ただ眺めてただけ……」

「そうッスか」

 それだけで会話は途切れる。けれど、二人の仲は悪いというわけではなかった。これが二人の距離感の最適解だ。

 レーヴァテインは基本的に誰とも関わりたくないし、マイアは奏官としてキラープリンセスとの距離感を心得ている。

 そういった点では、レーヴァテインにとってマイアはシンよりも居心地が良い相手だったりする。

「あいつ結局帰って来なかったッスね」

「……」

 マイアが、彼女にしては珍しく、憂いの表情で呟いた。

 「あいつ」とは言うまでもなくシンのことだ。5日前よりあの男はレーヴァテインたちの前に姿を現していない。

 あの男のことを心配する様子を見せるマイアを不思議に思ったレーヴァテインは思わず言ってしまった。

「……意外…気にしてんたんだ……」

「そりゃ、気にするッスよ」

「……蛇蝎の如く嫌ってたでしょ……」

「確かにあいつのことは嫌いッスけど、それでもやっぱり死なれるのは嫌ッス。誰かが死んで嬉しいことなんてあるわけないんスから」

 マイアの表情は暗い。やはりもうシンは死んでしまったのだと決めつけている。

「……悲しむのは勝手だけど…今は討伐戦前…集中して……」

「分かってるッス。しっかり街を守るッスよ。でも、レーヴァテイン、少し冷たすぎるんじゃないッスか?自分の奏官なんだからもっと気ならないんスか?」

「……特には……」

「流石にそれはないじゃないスかね。いくら短い間とはいえ一緒に旅をした奴何スから、少しくらい気にしたっていいだろうに!」

 あまりにも素っ気ないレーヴァテインの物言いに、マイアの頭に血がのぼる。今にも掴み掛かりそうな勢いでレーヴァテインに詰め寄った。 

 けれどレーヴァテインは彼女のことなど歯牙にもかけずに、こう続ける。

「……あらゆることには終わりがある…永遠なんてあり得ない……どんな出会いにもどんな関係にも終わりが来るのなら…それを認めれば良い……そうすれば別れは特別なことなんかじゃない……」

 レーヴァテインにとっては死も別れも何もかもが織り込む済みのことなのだ。だから、それらに直面した時に心の動きは生まれない。

 覚悟があるならば、決して動じることはない。そんな彼女心の在り方はまるで鉄のようだった。

 一歩引いたマイアはレーヴァテインの言葉を咀嚼して、意味を理解して、怒りが引いた後、ただの感想としてこう思った。

「それはとても寂しいッスね」

 

 

 コルテの街を囲む砦の前にて、カルロは自隊のキラープリンセスと共にいた。

 彼の隊のキラープリンセスは弓、杖、銃と遠距離特化型の編成となっており、極端に偏っている。

弓のキラープリンセス、アルテミス。濡羽色の髪の妙齢の女性。体躯に似合わぬ長大な弓を振るう狙撃者だ。体にフィットしたライダースーツを着ているが、完全にはチャックがしまっていない。そのため胸元が露出している。何故上まで閉めないか、と聞かれると彼女は決まって、「胸が潰れて苦しいのです」と答える。聞いた一部キラープリンセスが激昂したのは言うまでもない。

同じく弓のキラープリンセス、アポロン。彼女とアルテミスは擬似的な姉妹関係にある。髪色は赤。そこから彷彿とさせられるように非常に活発な性格だ。姉のアルテミスとは違って、羽を花束のように纏めたアクセサリーを両手両足に付けて、胸部は白い帯で覆い、太ももを露出させるほどに丈が短いパンツを履いているという随分解放的でエキゾチックな格好をしている。尚アポロンは胸が無いので、胸部を十分に隠しきれている。なので全くもってエロティックじゃないからご安心を。

銃のキラープリンセス、フライクーゲル。彼女を表す端的な言葉は、ピンク髪の溌剌ガール。彼女から見て左側で長い髪を纏めていて、頭には白いカウボーイハットがある。上半身は青いビキニのようなもの、下半身は白のぴっちりとしたスカートを履いて、その上に白を基調とした前面が割かれた袖のないコートを羽織っている。銃のキラープリンセスである彼女はこの討伐戦において近接戦闘系キラープリンセスの支援に回る。

杖のキラープリンセス、アスクレピオス。金色の髪を持ち、白で統一された服とミニスカートを着て、ピンク色のジャケットを羽織るという最も普通な格好をしている。彼女は戦闘よりもマナを利用した治療を得意とする回復役。今日の戦いでは戦闘部隊の後方に待機して、傷ついたキラープリンセスの治療に専念することになっている。

 さて、今回の戦いでは弓のキラープリンセスは砦の屋上から異族を捕捉して射撃するという役割を与えられている。別行動を取る弓のキラープリンセスは戦闘の渦中にいるわけではないため、暴走の危険性は低いと判断されて奏官は付き添わないことになっていた。

 そのため、砦に入る前カルロは自隊に所属するアポロンとアルテミスに念を押す。

「いいかい?少しでも気持ちが変だと思ったら、すぐに戦闘を止めるんだよ」

「大丈夫です、マスター。決して深追いはしません。危険と判断したら即刻戦闘を中断し、精神の鎮静に努めます」

「そうそう、お姉ちゃんの言う通り、だいじょーぶ、だいじょーぶっ!まったく、マスターは心配性なんだからさ〜」

「…アルテミス、アポロンを頼む」

「…はい、十全の注意を払います」

「二人とも、どうしてボクを生温かい目でみてるのさーっ!」

 アポロンは隙が多いため、二人は心配なのだった。

「別に私だけじゃないし、フライクーゲルだって絶対やらかすしっ!」

 信頼されて無いことに機嫌を損ねたアポロンは、フライクーゲルに指差して言った。

「ホワッツッ!なんでワタシがそこででてくるわけぇ〜」

「どの口が言ってんのよ。アポロンに言われるのも当たり前じゃない。どれほどマスターの指示したと思ってんの、アンタはっ」

 心外だと驚いたフライクーゲルにアスクレピオスが制裁として頭に拳骨を食らわせた。

 アスクレピオスのために言っておくと、彼女は直ぐに手を出すような短気な性格ではない。むしろ文句を言いながら最後まで助けてくれる優しい性格――俗に言うツンデレさんだ。

 彼女が実力行使に出たのはこれまでの積み重ねがあるからであり、フライクーゲルがどれほど指示無視をしてきたかがよくわかる出来事だ。

 フライクーゲルは拳骨が当たった場所を抑えながら、涙目でアスクレピオスを見て恨めしげに言う。

「いったぁ〜い。アスクレピオスぅ〜、加減してよぉ〜」

「うっさい。だったら気をつけなさいっ、この馬鹿っ。誰が一番苦労してると思ってるの!」

「回復役のアスクレピオス」

「わかってんなら注意しなさいよっ!」

 再び激突する拳と頭。

 二回目はちゃんと加減した。

 

 

 騒がしいカルロ陣営とはうって変わって、完全に冷え切ってるのがマイア陣営だ。

 いや、もしかしたら今日で死ぬかもしれないのだから、カルロ隊より張り詰めているマイア隊の方が正しいのかもしれないが、それにしても静かすぎる。

 なんていうかもう、空気が死んでいた。少しの会話もないのだ。

「…………」

「…………」

「(おろおろ)」

 マイアの隊に所属するキラープリンセスはパラケルスス、アイムール、ミストルティン。

 誰も彼もが口を開かない。ミストルティンは話しかけようとしているが、自分の会話能力に自信がないため中々話しかけることができていなかった。彼女は というよりもミストルティンという個体は 積極的にコミュニケーションを取る性格ではない。むしろ苦手としている方だ。シンに話しかけたのは人助けという大義があったからで、今二人に話しかけようとしているのは、同じ隊だから仲良くしたいという思いが苦手意識を勝ったからである。

同じ隊ならば気負わなくても話せるだろうと思うかもしれないが、ミストルティンは最近マイア隊に入ったために、二人とはあまり打ち解けられていない。そういう事情と生来の自信の無さがあって、彼女は最初の一言を切り出せずにいた。

とはいえ、うじうじしていても仕方がない。ミストルティンは自身を奮い立たせてこう言った。

「えっと…今日は…良い天気です…ね」

言った。言い切った。なんの捻りもないけど話しかけることが出来た!ミストルティンは心の中で(やりました!マスター!)と歓喜の雄叫びを上げていた。

しかしながら、その喜びは直ぐに消え去ってしまうこととなる。

「天候の安定は非常に好ましい。今回の任務では些末な悪影響も大敗に通ずることが予測される」

 これがアイムールの返事。

「雲の様子から今日一日は晴天でしょう。(わたくし)としては自作の湿度計等でより正確にデータを取りたいところです」

 そして、これがパラケルススの返事である。

 アイムールは敵を駆逐することしか考えていないし、パラケルススは研究にしか興味がない。

予想の斜め上を行く返事にミストルティンのちっぽけな勇気は吹き飛んでしまった。

再び訪れる気まずい沈黙。

 奏官(マスター)が居る時は上手く三人の間で会話が成り立つのだが、生憎とマイアはレーヴァテインの側にいる。よって、この空気を打破できるものはいない。

(早く帰って来て…マスタぁ~)

 涙目のミストルティンのSOSは誰にも聞こえない。

 

19

 コルテの街とは天上世界にある他六つの街とは設備的に異なっている部分がある。

 それは堀の有無だ。

 街には大抵水を張った堀が存在する。堀は異族の侵入防止のために作られた。異族は泳げない。そのため水に沈めてしまえば、大抵死ぬ。今まで行われて来た防衛戦では、やはり堀を活かした作戦で成功してきた。

 しかしながら、コルテには堀がない。最も有用な作戦を封じられて、奏官とキラープリンセスたちは空前の大規模討伐戦に臨まなければならなかった。

 最大の盾がない。けれど、そんなことで怯む主従たちではない。

 彼らは堀の代わりに頑丈な丸太を組み合わせて作った柵を大量に用意した。丸太の柵をコルテを中心に異族が侵攻してくる方角へと何層にも分けて展開した。丸太の柵とコルテの間には空白地帯を用意して、戦闘に投入される順番待ちの主従や暴走の兆候が見られるキラープリンセスの一時の休息場として利用することにしている。

 コルテとは反対側、すなわち討伐戦が繰り広げられる戦地では第一陣の主従たちが並び立つ。今日の討伐戦は戦闘持続力が重要だ。よって全ての主従を一度に投入するのではなく、第五陣にまで分けて異族の小グループが途絶えるごとに順繰りに投入していくこととなる。

 かくいうレーヴァテインやカルロ隊、マイア隊も第一陣の投入戦力であった。

「総員配置に着け!これより作戦を開始する!」

 時は刻限より十分ほど前。総指揮官トナティウの緊張に満ちた言葉が平原に飛んだ。

 指示を受けて第一陣の主従たちが戦列を整える。二、三隊での連携に重きを置いているので、全ての隊が同じ動きをするのではない。混戦を招かないように、戦場を区画分けして隊を割り当てている。最悪取りこぼしてしまった異族が居ても、丸太の柵で足止めを食らっているうちに砦の屋上に陣取っている弓のキラープリンセスに討伐してもらえれば十分だろう。

 どのような連携を採用するかは各隊のキラープリンセスの構成によって奏官たちが判断する。カルロ隊とマイア隊はやはりレーヴァテインを中心にして作戦を構成していた。やはりというのも、現在の両部隊に所属するキラープリンセスの中で、彼女が最も平地での大規模戦闘に特化し、戦闘持続力に優れているいるためである。

 カルロ隊のアスクレピオスとフライクーゲルは遠距離系であるし、マイア隊のアイムールはモーニングスターというスリロスの性質上中距離型であるし、パラケルススは剣に分類されるキラープリンセスではあるがスリロスは短剣で彼女自身一対一に秀でた拳闘を戦闘法としているため、異族の数が多い戦闘を得意としていない。必然的にレーヴァテインがカルロ隊とマイア隊の近接戦闘の主力となったのだ。

 他のキラープリンセスはというとパラケススはレーヴァテインの戦闘補助、アイムールは二人の手の回らない場所にいる異族を討ち、魔銃という武器の特性上体力消費が激しいフライクーゲルはいざとなった時の遊撃手として待機、アスクレピオスは定石通り回復役である。 

 そよ風が冥花を揺らしている。丸太の柵の防壁を背に佇むレーヴァテインは、今も地平を見つめていた。長大な黒と紅の片刃の剣を地面に突き刺して、紅の瞳で遥か彼方を見つめていた。

 ふと、直ぐ側から殺気を感じてレーヴァテインは視線を横に向ける。

 すると、自分にそっくりな誰かがいた。長い銀髪にスリットの入ったぶかぶかのジャンパー、眩しい肌色の太腿が露出させるほどに丈の短いホットパンツ。

 同じ顔で、同じ姿で、同じ服装。

 紛れもなくキラープリンセス〈レーヴァテイン〉がそこにいた。

 けれど、彼女は何も驚きはしない。キラープリンセスならば、自分と同じ姿の別人がいるのは至極当然のことだ。

 すなわち、イミテーション。同じ名前、同じ顔、同じ姿、同じ服装、同じ性格を持った同一個体にして別個人。それがイミテーションのラグナロク教会の定義である。

ラグナロク教会が定義するこの場合の個体というのは名前の元となった神器の名前によって区切られた種類という意味を持ち、個人というのは自我を持つ生物としての一人一人の区別を意味する。

『個体』の意味は通常の意味とは異なっている。キラープリンセスに対して使われるときの特殊な語義と認識してもらえれば良い。

 また同一個体同士であると〈淘汰〉が行われる。ラグナロク教会はそれを既に失われた神器のオリジナル復活のための神聖な儀式と言っているが、その実態はキラープリンセス同士の殺し合いだ。勝者はキラーズを通じて敗者の経験や記憶を獲得し、よりオリジナルに近い強力なキラープリンセスとなることができる。

 さりとて、今二人のレーヴァテインの間では淘汰は発生し得ない。なぜなら二人のレーヴァテインの片方は奏官と主従関係にあるからだ。キルオーダーで、主従関係にあるもの同士では儀式を執り行ってはいけないことになっている。シンとは主従関係ではないためにレーヴァテインはレーヴァテイン(イミテーション)にそれとなく怪しまれているのだろう。ひしひしと殺気が伝わってくるのをレーヴァテインは肌で感じていた。

 淘汰を執り行うか否かはキラープリンセス自身ではっきりとわかるという。自らと同じ姿の彼女は淘汰の感覚を自覚しているのだろう。そうレーヴァテインは推測した。

(……血気盛んすぎ……)

 しかし、いくら何でも危険な任務前に味方に対して殺気を送るのはどうなのだろうか。もう少し戦いに集中しろと言いたい。

 レーヴァテインは自分と同じ個体に対して辟易とした。わざとらしい溜息を吐いて、再び前を向く。

 敵は未だ来ない。そろそろ予測の時間になるだろうが。しかし、それでも白の影は微塵も無かった。

 これを吉兆と見るか、凶兆と見るか。人それぞれであろうが、レーヴァテインは凶兆と見る。都合の良い想像は危機的状況になればなるほど非現実的なものになっていく。それを裏切られた時の絶望感はより大きい。ならば、考えうる最悪の状態を想像して、事前に覚悟を決めた方が良いに決まっている。少なくともレーヴァテインはそう考えている。

「おーい、レーヴァテイーンっ!」

 レーヴァテインの後方に控えるマイアが彼女に呼びかけた。

「異族が来る前に円陣組むッスよー!」

 異族が今すぐにも来るかもしれないのに、何を呑気なことを……。

 マイアの誘いを無視しても良い。けれど、彼女はレーヴァテインが来るまで声を掛け続けるだろう。そういう奏官なのだ、マイア・ガレットは。

(……めんどくさいなぁ)

 心の中でそうぼや(・・)いて、レーヴァテインは振り向いた。

 振り向きざまに髪が舞い上がる。

 マイア達の所に向かう表情が、心なしか柔らかいことを、きっと彼女は知らない。

 

 

 異族の群れは予想到達時間を過ぎても尚、その影すら見えやしない。

 世界は凪いでいて、不気味だ。これは安穏としたものでは決してなく、嵐の前の静けさのような不吉なものだ。

 異族がいつ来てもおかしくない状況の中で、街の守護者達は、はち切れんばかりに張り詰めた緊張を抱く。ちょっとしたきっかけで、彼らは緊張という鎖から解き放たれるだろう。そして、その時はきっと近い。

 死線をくぐり抜けた彼らならわかるのだ。地平の彼方よりやってくる血に飢えた獣の欲望が、人間全てを食らいつくさんとする怪物達の悍ましい願望が、真っ直ぐこちらにやって来ていることを。

 どんなに遅くても、奴らは必ずここに来ると。討伐者としての勘が告げている。

 そして、その予感は外れない。

 

 永劫にも感じられる長い沈黙があった。

 時計の針が十時三十分を指す頃だ。 

 最も目の良い弓のキラープリンセスの誰かが言った。

 

「来た」

 




words
コルテ大規模討伐戦の概要②
・弓のキラープリンセスはコルテの砦の屋上に配置された。
・コルテには堀がない。そのため奏官たちは丸太で作った柵を何層かにわけて配置し、足止めのための障害物とした。
・全部隊を五つにわけて、第一陣から第五陣までを異族の小グループを討伐しきるごとに交替で戦闘を行わせる。
・討伐範囲を何区画かにわけて二、三隊に当たらせる。時間が短かったために全体で討伐にあたるよりも、少数でより精度の高い連携を行うことを重視したほうが安全で効率が良いと判断されたためである。

現在起こっている異常
・異族が予測時間よりも三十分遅れで襲来してきた。


カルロ隊とマイア隊に所属するキラープリンセス
剣:レーヴァテイン、パラケルスス
斧:アイムール
弓:アルテミス、アポロン
銃:フライクーゲル
杖:アスクレピオス

・イミテーション
同じ武器の名前、同じ姿、同じ顔、同じ服装、同じ性格の同一個体の別人。
非常にややこしい表現であるが、言うなればドッペルゲンガー。
無論別人なので、完全に同じというわけではない。性格も嗜好も大体の傾向は同じだが、全く同じというわけではない。お菓子が好きなキラープリンセスがいたとしても、洋菓子が好きな者もいるし、和菓子が好きな者もいる。そういった微々たる差異はどのキラープリンセスにもある。
尚、イミテーションという呼称はキラープリンセス個人の主観から見た同一個体に対する呼称。客観的に見れば、キラープリンセスは全てイミテーションとも言える。
対義語:オリジナル


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ep.10 コルテ大規模討伐戦





20

 無数の光が空を走る。流れ星のような軌跡を描くそれらは、しかしながら流れ星などという美しくも儚い瞬光ではない。

 あの光は矢だ。弓のキラープリンセスがマナによって形成した武器であり、明確な殺意を持って放たれた醜悪なる暴力の形。肉を得た殺意は正しく標的へと駆け抜けていく。

 

 

 異族たちはキラープリンセスを捕捉後、一目散にコルテへと猛進する。

 数百の白の異形が雪崩の如くコルテへと押し寄せる。

 凹凸のないのっぺりとした白の肢体を持ち、肉のベールを被る細腕でありながら剛力を誇る異形。それが異族という人類の捕食者である。

 ――ヒト、ヒト、ヒト、ヒトッ!

 異族にあるのは捕食本能のみ。アレらの感覚器官はヒトしか捉えていない。

 ――食ベル、食ベル、食ベル、食ベルッ!

 故に、アレらは自らに迫る死の閃光にすら、気づきやしないのだ。

 その姿は火に飛び込んでいく虫のようで、ただただ哀れであった。

 

 

 着弾。それと同時に土埃が舞い上がるのをレーヴァテインは確認する。コルテに向かってきた異族たちが茶色のカーテンに覆われた。

「クキェェェッ!」

 矢に射抜かれた異族の断末魔が平原に虚しく響く。当然その声に応える者はいない。

 知覚外からの謎の攻撃に、後続の異族たちが狼狽した。一瞬だけ奴らの進行が遅れるが、気を抜いている暇などない。

 レーヴァテインはスリロスを構えた。彼女の側で控えるパラケルススと後方に控えるアイムールも同様にそれぞれの得物を構える。

 元より作戦はこういう手はずであった。

 第一撃として、異族の接近を確認後弓のキラープリンセスによるマナの矢の一斉掃射。それによって最前列の異族を殲滅し、一度異族の足を止める。弓のキラープリンセスには追撃としての掃射はさせない。彼女達は地上の部隊とは違って、交代で戦闘にあたることはなく出突っ張りだ。故に過度の行動は控えるように、各マスター達から厳命されている。

 しばしの沈黙。いや、実際にはそれほど長くはなかったのかもしれない。

 張り詰めた糸のような緊張は、異族によって断ち切られる。

「カァァァァッ!」

 奇声を伴って異族が土埃から飛び出す。

 剣、槍、斧、弓とキラープリンセスと同じような種類の得物を各々が持ち、アレらはキラープリンセス達へと突撃した。

 ほぼ目視と同時にトナティウが叫ぶ。

「突撃ィィィィィッ!」

 途端にキラープリンセスたちが駆け出した。

 相手を圧殺する巨大な斧を持つワズラが。

 身の丈以上の巨槍を操るロンギヌスが。

 真白色の美剣の担い手たるエクスカリバーが。

 獰猛な笑みを浮かべて槍を持つルーンが。

 そして、片刃の長剣を構えたレーヴァテインが。

 第一陣において前衛を任されたキラープリンセスたちが、一斉に異族達へと肉薄する!

「――――――――ッ!」

 声を発さず、されど気迫を込めてレーヴァテインは目の前の異族―――戦型種と呼ばれる異族の中でも最もポピュラーな種類の一体を真正面から叩き切った。

 無論異族も手に持っていた槍で反射的に防いだ。しかし、それは防御としての機能を果たせなかった。レーヴァテインの一撃はその槍を叩き折り、異族に剣を届かせたのだ。

 レーヴァテインの剣は非常に大きく、そして重い。スリロスの特性を活かして戦うのならば、一撃必殺が最適解だろう。術理による巧い戦闘よりも圧倒的な暴力による殲滅にレーヴァテインのスリロスは特化していると言っても過言ではない。

 レーヴァテインは先ほど真っ二つにした異族を飛び越えて、次の標的へと狙いをつける。

 斬って、斬って、斬って、斬って、斬って。

 彼女が駆け抜けた後に残るは白と赤の残骸。容赦のない剣風となってレーヴァテインは平原を赤く染め上げていった。

 十五体目の異族を斬り殺したのち、次の異族に狙いを付けた。

 体のバネを利用して、一気に急加速。肉薄し、上段に構えたスリロスを振り下ろす。

 だが――

「チィッ!」

 レーヴァテインの一刀は異族の武器によって阻まれる。

 敵の武器は斧。重量を力いっぱいに叩きつける武器。つまりはレーヴァテインのスリロスと同系統。

 なんども叩きつけられることを前提にしている以上、頑丈にできている。

 一撃必殺の定石が崩れたため、レーヴァテインは一度異族と距離を取り仕切り直しを図る。

 いくらレーヴァテインのスリロスが一撃必殺に秀でているとはいえ、彼女は闇雲に力を振り回しているわけではない。

 一撃必殺を活かすための技も術理も、彼女の経験値が導き出している。

 異族が距離をとったレーヴァテインへと疾駆する。

 振りかぶった斧はレーヴァテインを砕かんと真っ直ぐ振り下ろされた。

 当然レーヴァテインは剣で防ぐ。ただ、剣を支える腕には力が入っていない。

 剣と斧の激突。

 斧を多少受け止める程度の力しかないレーヴァテインの剣は簡単に押し返される。

 だが、それで良い。

「グギャッ」

 レーヴァテインは巧な剣捌きで異族の斧を受け流し、強烈な一撃を避けた。

 此処であてのはずれた異族は呆気に取られた。レーヴァテインの反撃を想定し、全身を使って振るった斧は虚しく宙を切り、行き場を失った大きな力が異族の体勢を崩した。

 ダメ押しとばかりに、レーヴァテインは転びそうになる異族の足を振り払い、異族を地面に転がした。

 起き上がろうろする異形を足で踏みつけて地面に這いつくばらせ、そのままスリロスで心臓を潰す。

 異族の体から剣を引き抜いた。

 白の体に剣先から零れた赤がポツポツと斑点を描いていく。

 若干乱れた呼吸を整える意味も含めて、ふぅ、と彼女は小さく息を吐いた。

「レーヴァテインっ!」

 マイアの鬼気迫った声が突如発せられた。

 迫るは戦型種の異族。得物は槍。鋭い刺突がレーヴァテインに迫る。

 紅の瞳が鬱陶しそうに自らに迫る槍先を見た。

 レーヴァテインは知っていた。異族が迫っていることも、槍が彼女の心臓を貫かんとしていることも。

 しかし、あえて、あえてレーヴァテインは何もしなかった。何故ならば、対処する必要などないのだから。

 もし一人で戦っていたならば、レーヴァテインは縦横無尽に戦場を駆け巡り、異族を次々に屠っていただろう。

 だが、今日の戦いは一人のものではない。

 ――ダンッ!

 突如空より飛来して来た何かによって槍を持つ異族が地面に打ち付けられた。

 瞬きをする間もなく、レーヴァテインの眼前で舞い上がる血飛沫。

 槍の異族に落下した何かが、太い血管――人間でいう頸動脈を掻っ切ったのだ。

 レーヴァテインが彼女に向かって苦々しさを隠さず言う。

「……えげつない」

「異族を真っ二つにする貴女には言われたくありません」

 心外だ、と不機嫌な声で言いながら、異族の背中の上でゆらりと立つのはパラケルススだ。

 パラケルススは険しい目つきでレーヴァテインを睨む。

「さっきの異族、あのタイミングなら貴女でも狩れたでしょう」

「……別にいいでしょ」

「こんな時でも、ものぐさですか」

「……体力温存と言って欲しいわね」

「物は言い様ですね」

互いの言葉にはあるのは棘。

嫌いなのではない、ただ気が合わないだけ。仲間にはなれないけれど、共闘相手なら十分だ。

 軽口にしては、棘がありすぎる言い合いをする二人に「立ち止まってる暇はないッスよーッ!」とマイアが檄を飛ばす。

「では、行きましょうか」

 パラケルススが言うと、二人は向かってくる異族の群れへと肩を並べて一歩踏み出す。

 

 

 鮮血。

 戦型種よりも硬く、屈強な肉体を持つ鎧型種と呼ばれる異族の一体が肉体を破壊されながら吹き飛ばされた。

 そこでは、もう何度も同じ光景が繰り返されている。

 重い鎧型種が華奢な少女の一撃の元に吹き飛ばされる。

 そんな出来事が繰り返されていた。

 鎧型種たちはヒトを捕食することしか考えられない頭で、それでも目の前の少女に恐れおののいていた。

 異族の前に立つのはキラープリンセス、アイムール。自らを駆逐者と呼ぶ彼女は今日は一切の妥協をするつもりはなかった。

 アイムールは戦闘にのめり込む性格をしているため、少々暴走しやすかったりする。普段はマイアから討伐数をセーブするように言われているが、今日は言われていない。

 故に、本分を果たせることで、平素の無感情の彼女からは想像できないほどに彼女の顔は興奮で顔を赤くしていた。

 これは暴走ではない。アイムールは彼女の自らの存在意義を果たせることに堪らなく悦びを覚えている。

「ハッ!」

 気合と共に再びモーニングスターを鎧型種に飛ばす。

 あれらは体が硬い代わりに、動きが鈍重だ。アイムールのモーニングスターは戦型種では避けられてしまうこともあるが、鎧型種ではよく当たる。

 鎧型種は手に持つ武器で防ごうとするが、無意味である。何もかもを一撃で破壊する粉砕のスリロスの前には細枝のように無残に破壊されていく。

 アイムールがこうして鎧型種だけを狙うことができるのは、前衛のレーヴァテインとパラケルススが戦型種を悉く討伐してくれているからだ。今もアイムールの前方では、赤い花が咲き続けている。アイムールの討伐担当範囲内には戦型種は一体も現れない。

「フフっ」

 色情の熱が籠った顔でアイムールは笑う。

 そこにあるのは悦楽か、はたまた――

 

 

「あの…マス……ター…?」

「ん?何スか?」

 アイムールがいる位置より、さらに後方。丸太の柵の近くで待機するのはカルロ、マイアの両奏官とミストルティン、アスクレピオス、フライクーゲルの五名。専ら後方からの指示出しが主な仕事の奏官(マスター)と未だ出番のないキラープリンセスたちは戦況を見守っている。

 キラープリンセスの三人にはアイムールが討ちもらしてしまった異族から奏官たちを守るという役目があったが、前線の三人の鬼神が如き活躍のおかげで一度も戦闘を行なっていない。

 レーヴァテイン、パラケルスス、アイムールが着実に仕事をこなししていく姿を見守りながら、ミストルティンが自身の奏官(マスター)たるマイアにおずおずと話し掛けた。

「アイムール…さん…を止めなくても…良いの……ですか?」

「んー、まだ大丈夫ッスよ。あれは彼女のキラーズに由来するものッスからね」

「いや…でも……」

 ミストルティンが目にしているのは、いつもの無表情とは違う喜悦に満ちた笑みを浮かべるアイムール。ミストルティンの目からは暴走しているようにしか見えない。

 心配そうなミストルティンを見て、マイアは諭すように言う。

「大丈夫ッスよ。アイムールが作戦内容通りに行動している以上理性はあるッス」

「そう…なんです…か?」

「アイムールは真面目な娘ッス。真面目すぎて従順すぎるきらい(・・・)があるくらいッスから、指示した作戦はきっちり守る娘ッス。アイムールが暴走している時は、作戦を無視して異族に特攻するッスからねぇ…。ま、あの子の場合は平時から暴走への移行状態に入ると戦い方が変わるッスから、暴走しきる前に退かせるべきッスね」

「そういう……もの…ですか?」

「そういうものッスよ。ま、油断は出来ないし、するつもりもないッスけど」

マイアはミストルティンの不安を吹き飛ばすように、声を上げて笑ったが、ミストルティンの顔は浮かないままだ。

ミストルティンがアイムールを心配していることを嬉しく思いながら、マイアは彼女を安心させるために言った。

「そうッスねぇ、例えばフライクーゲルが異族を討伐してる時のことを思い返してみて欲しいッス」

 マイアにそう言われて、ミストルティンは合同任務の時のことを思い出す。

 

 ――確か「ヘェ~イ、ハッピーしてるぅ~」とお決まりの台詞をこれから肉塊にする異族に言い放ってそのまま「ふぅ~!」とか「ひゃっほ~」とか奇声をあげながらハイテンションでマナ弾を撃ちまくってて――

 

「あ……はい……なるほど……わかりました……」

 酷く納得できる具体例であった。

 異族を殺戮している時の気分が高揚している状態を一括して暴走というのは早計だ。各キラープリンセスの個性を鑑みて、奏官は判断する必要がある。

 マイアも今となってはアイムールの引き際を理解しているが、初めてアイムールと契約を結んだときは彼女の限界がわからず無意味に戦線から退かせていた。そういう理由で、アイムールがマイアに不信感を抱き、一時的に隊が分裂しかけたことさえある。

 今は仲良し主従関係だが、かつてはそういう苦労もあったのだ。

「フライクーゲルしかり、アイムールしかり。多くのキラープリンセスがいて、それぞれに個性がある。自隊のキラープリンセス(いもうとたち)のことを理解することこそが、奏官が一番にするべきことなんスよ」

 力強くマイアが言う。

 互いを理解しあうことは人と人とのコミュニケーションで最も重要なことである。それは、自由意志と感情を持つキラープリンセスと関係を持つ上でも同様だ。

 ミストルティンは自分たちのマスターがキラープリンセスとのコミュニケーションを特に重視していることを経験として知っている。

(だったら……大丈夫…かな…)

 故に、ミストルティンは直ぐに不安をかき消すことができた。

 マスターが言うなら、大丈夫。マスターを信頼しよう。

 普段は疑り深いミストルティンも、ことマイアの言葉であるならばあっさりと信じることができてしまう。

 普通心を開かないミストルティンから信頼を得ているのは一種の才能だ。カルロがマイアを優秀な奏官だと評する理由も其処にあったりする。

「パラケルススっ、レーヴァテインっ!先行しすぎッスよっ!」

 前に出過ぎた二人のキラープリンセスにマイアが指示を飛ばす。

 奏官は後方で指示を飛ばすだけの役目しかないが、それでも気を抜くことなど一瞬も許されない。

 ミストルティンが覗くマイアの目には、緊張と恐怖がある。大切なキラープリンセス(いもうと)たちを失う可能性と街一つの人間の命を、少女は小さな背中は背負っているのだ。緊張しない、怖くないなんて嘘だろう。

 逃げ出してしまいたいだろうに、それでも彼女は闘志でそれらをねじ伏せ、此処に立っている。

 そんな自分よりも遥かに弱い人間(マスター)の毅然とした態度を見て、ミストルティンは杖を強く握りしめた。

(私も……頑張ら…ろう)

コルテ大規模討伐戦第一陣。

残る異族はまだ多い。

 

 

「ひぃまぁ~っ」

「暇なのは良いことでしょう。初戦でアンタが出るなんて最悪の事態よ」

「そうだけどさぁ~。やっぱり退屈だよぉ~」

ふぁぁ、と丸太の柵に身を預けたフライクーゲルが大きく欠伸をした。緊張感のない彼女を呆れた目でアスクレピオスが見る。

「どうして今日は戦闘前から好戦的なわけ?いつもはこんなんじゃないじゃない」

アスクレピオスが見るに今日のフライクーゲルはどことなくおかしい。いやに好戦的過ぎるのだ。確かに彼女は討伐の際はハイテンションである。けれど、それは戦いに対して自分を鼓舞するために意図的に行っているものであ

り、決して戦い自体を楽しんでいるわけではない。

 聞かれたフライクーゲルはアスクレピオスに答えた。

「なんていうかさ、こう体が疼いちゃうんだよねぇ」

「うずく?」

「そう!わくわくが止まらないっていうか、エキサイトしちゃうっていうか」

「マスター、フライクーゲルが暴走してるー」

「待って、待って、違うからぁ~っ!」

 カルロの所に行こうとするアスクレピオスをフライクーゲルがしがみついて引き止める。

「じゃあ、なんなのよ。アンタが言ってることは」

「えーと……だからぁ……力が体の内から湧いてくるっていう感じ!」

「力が湧いてくる……もしかして共鳴?」

 共鳴とは同武器系統のキラープリンセスが同じ場所にいることで発生する現象だ。特に戦闘行為を行う際はこの現象は如実に現れ、キラープリンセスの体に影響を及ぼし、身体能力を上げるというメリットを齎す。デメリットとして極度の疲労や筋肉痛の苛まれる等の肉体的負担が発生することがある。

 しかし、何故待機中のフライクーゲルまでも共鳴の影響を受けている?戦闘中しか共鳴の効果は表面化しないのではないか?

 消えない疑問。アスクレピオスは医療には秀でているが、共鳴は病気ではない。彼女の知識で処理するには限界がある。

 やはり奏官(マスター)に頼るのが最適解か。

 ぐずるフライクーゲルを引っ張ってアスクレピオスはカルロに異常を知らせにいった。

「ふむ……そんなことは聞いたこともない」

 アスクレピオスの報告を受けて、カルロは唸った。

 カルロも長い間奏官を務めているが、戦闘前に共鳴の影響を受けることがあるなんて話は聞いたことがない。もしかしたら、あるのかもしれないが有名な話ではないのだろう。偶にある偶然、見過ごしてしまえるほどの小さな変化、キラープリンセスの気のせいとして切り捨てられてしまうものなのかもしれない。

 特段気にするようなことでもないように思える。しかし、カルロは見逃すことができなかった。

 何かが引っ掛かる。どうにも上手く受け流せない。

 それは喉に小骨が刺さっているような小さな違和感。

 カルロはそれに悩まされていた。

「………」

 いや、フライクーゲルが共鳴の影響を受けている原因は予想がついている。

 一か所に集まっているキラープリンセスの数に比例して起こる共鳴の影響の拡大。

 カルロはそう見当をつけているのだ。

 なにしろ今日の戦いでは、前例の無いほどのキラープリンセスが集められている。共鳴の影響が拡大されていたって不思議ではない。

 では、カルロが頭を悩ませている違和感とは何か?

 無論それは言葉にできないくらいにあやふやなものである。不確かで、曖昧で、直感の類のものだ。

 ただ、なんとなくだが何かを見逃しているという不吉な予感がしてならない。

「あの……マスター?」

黙り込んでしまったカルロにアスクレピオスが不安そうな声色で尋ねる。フライクーゲルも、自分は危険な状態なのか、とらしくもない暗い顔を浮かべていた。

 先ず大切な娘たちを安心させるために、フライクーゲルの件をカルロは説明する。

「いや、大丈夫だ。フライクーゲルは暴走なんかしてないよ。ただキラープリンセスが多いから強く共鳴しているだけだと思うが」

「じゃあ、なんでそんな難しい顔をしてるの?」

「それが一番答えるのが難しい。一体どう説明したものか…」

「わたくしたちでよければ、話を聞きくわよ」

 アスクレピオスが親切にそう申し出てくれた。

 奏官は異変の当事者じゃない。あくまで客観的な視点でしか物事を判断できない。キラープリンセスである二人ならば、実体験からの新しい考えが出せるだろう。

 カルロはそう思って、二人に聞かせるためにゆっくりと違和感を具体化させていく。

「キラープリンセスの数が多いから、強い共鳴が起こっている。それは納得できると思う。二百体以上のキラープリンセスがいるなんて、例がないことだから断言はできないが、この推測は間違ってはいないだろう。共鳴の影響が強いものになっているということは、キラープリンセスの身体能力が上昇するということ……」

「そうだねぇ、マスターの言う通りならキラープリンセス(わたしたち)の身体能力はこれ以上ないってくらいに上がっていると思うよぉ。実際に今もエネルギーがフルだしねぇ~」

「わたくしは未だその実感はないけど、戦闘状態に移行すればきっとそうなるでしょうね。いつもと違うとんでもない力……を……」

 アスクレピオスは、言葉の途中で唐突に声が小さくなる。そして、顎に手を当てて、ぶつぶつと呟きながら、何かを考えこんでいる様子だ。

「アスクレピオス……?」

「どうしたのぉ、アスクレピオスぅ?」

 彼女に置いてけぼりを食らってしまった二人は戸惑った様子で彼女に声を掛けるも、アスクレピオスは気にした様子はまったくない。深刻な顔でひたすらに考えこんでいる。

 これはしばらく考えさせてあげたほうが良いな。カルロはそう判断し、アスクレピオスが考えをまとめるのを静かに待った。

 そして、始まりが唐突であったように、終わりも唐突であった。

 鬼気迫る様子でアスクレピオスがカルロに向かってこう言ったのだ。

「マスター、急いで本陣に連絡を。このままではわたくしたちは全滅する!」

 

 

 

 ふっ、と異族の剣が髪を掠めた。

 剣の一閃をぎりぎりの交わしたパラケルススは、けれど、全く動じず冷静に格闘を続けていく。

 どんなにギリギリの戦いに見えても、それは全ては彼女の計算通り。だから決して焦る必要はない。

 導き出した解答通り、パラケルススは戦闘を行えば良い。

「はぁっ‼」

 異族の懐に一歩踏み込み、気合と共にダガーのない左手で一突き。人間で言う所の鳩尾に拳を叩きこんだ。

 立て続けに、怯んだ異族の首筋をダガーで切り裂く。

 傷口から吹き出す血液。

 血に塗れることを疎んで、一息で後方へ撤退する。

 パラケルススにはレーヴァテインのような一撃必殺性はないし、彼女ほど卓越した身体能力を保持しているわけでもない。

 一体一体堅実に討伐する。それがパラケルススの戦い方だ。討伐できる数は少ないが、それで良い。

 コルテ大規模討伐戦にてパラケルススは大きな活躍を求められていない。平原は彼女が戦闘を得意とするフィールドではないために、両奏官も彼女にはレーヴァテインの補佐という役割を命じた。

 期待していないとも受け取れる命令ではあるが、別段パラケルススは気にしていない。むしろ非常に合理的な命令は彼女の好むところである。

 合理と理知、この二つがパラケルススの重視するものだ。それに反しないならば、奏官(マスター)たちの意見に異論などない。

 呼吸を整えると、先程倒した異族の死体を捨て置いて、レーヴァテインが取りこぼした異族を彼女は狩りに行く。

 最初はレーヴァテインと並走して異族を討伐していたのだが、彼女との戦闘能力差があまりもありすぎて、討伐についていけなくなってしまった。結果としてパラケルススはレーヴァテインが狩り損ねた戦型種をアイムールの元に行かせないようにするための関の役目を務めている。

 訓練中はレーヴァテインとの強さについていけていたのに、どうしてだか今日は身体能力に差が出ている。パラケルススにとって中々に興味がそそられる現象であったが、残念ながら今は任務中。研究できないことを少しばかり残念に思うパラケルススであった。

 さて、パラケルススが次の標的としたのは、剣の戦型種だ。どうやらパラケルススに気づいていないらしく、真っ直ぐとコルテへと向かっていく。

(……よし)

 パラケルススは絶好の機会に静かに喜んだ。

 彼女は平原での戦闘を得意とするキラープリンセスではないことは先に述べている。では、何処での戦闘に秀でているかといえば、それは視界の悪い場所や足場が不安定な場所だ。

 パラケルススは非常に身軽であり、軽業師のような身のこなしを身につけている。それに加えて優れた頭脳により生み出された戦略やトラップなどを利用し、嵌め殺す。スリロスが短剣であることも理由にあって、彼女は暗殺者じみた奇襲を得意とするキラープリンセスなのだ。

 そして、今が平原における数少ない奇襲の好機。効率的な討伐をするには申し分ない。

 繰り返す手順はレーヴァテインを槍の異族から守った時と同じもの。すなわち上からの奇襲。

 持ち前の頭脳で、討伐までの最適解を算出する。長い時間はかからない。一瞬のうちに解答は導き出せる。

 レーヴァテインは経験で剣を振るうが、パラケルススは知を以って剣を振るう。彼女の肉体的な能力こそ低いものの、それを補って余りある知能がある。ならば、十分だ。力の在り方は一辺倒ではないのだから。

 パラケルススは今立つ場所から少し後退する。助走のための距離を取ったのだ。

 そこから大地を蹴り、助走をつけて前方に回転する。

 一転、二転、三転、四転。

 五転目にして彼女は跳んだ。

 大きく弧を描き、彼女は宙を舞う。

 体がいつも以上に軽い。恐らくは強い共鳴現象の影響だろうと彼女は見当をつけていた。

 そして、今現在戦っているキラープリンセスとして実感しているその副作用も。

 パラケルススは知ってしまった。この戦場に立つ全てのキラープリンセスは既に蜘蛛の糸に捕まってしまった哀れな蝶であることに、彼女は気づいてしまったのだ。

宙を跳びながら思う。

(ああ、なんて救われないのでしょう)

 もうコルテは詰んでいる。キラープリンセスたちの戦線もすぐに崩壊するだろう。

 此処は既に砂の砦。風の前では塵と同じ。あっという間に崩れ去る。

 迫る弧の終着点。到達するは異族の上だ。開幕の矢の例の通り、異族は上からの攻撃には鈍い。落ちてくるパラケルススに気づく様子は全くない。

 パラケルススは真上から垂直にではなく、斜め上から異族の背中に着地した。未知覚の攻撃に異族が対処できるはずもなく、パラケルススの勢いに流されるままに引き摺られていく。

「グ、ギ、ギェ」

 異族が苦し気な声を上げている。硬い体を持つ異族でも流石に今のは堪えたらしく、ピクピクと体を僅かに振るわせているだけで反撃する気力がないようだ。

 異族の無様な様を見下してから、パラケルススは動脈に短剣を突きさした。

 迸る血液。

 しかし、それを全く気にせずに彼女は短剣で異族の肉を抉っていく。

「グギィッ、ギッ、ギッ、ギィィィィィィッ!」

 悲痛さを感じさせる異形の絶叫。

 そんなもの聞こえていないという風に、彼女は短剣を奥に、奥にと差し込んでいく。

 生きている肉は温かく。

 切り裂いた筋肉の感触はコリコリと弾力があり。

 体内を駆け巡る血潮の脈動は心地よく。

 異族の体内に差し込んだ手が異族という命をパラケルススの脳へ伝えてくる。

「ギィヤァァァァァァッッッ!」

 聞くに堪えない絶叫。例えそれが人の天敵である異形のものであっても、耳を覆いたくなるほどの苦しみと救いを求める思いがそこには含まれていた。

 その叫びを聞いてパラケルススは歪んだ笑みを浮かべる。

 生殺与奪権を得ているという充足感。

 生き物を蹂躙することによって満たされる支配欲。

 命を奪うという獣としての快楽。

 それら全てが甘美な蜜となってパラケルススの脳を浸す。

 何処からか聞こえてくる自分を呼ぶ声などどうでも良い。

 そんなくだらないものよりも、目の前には至上の快楽だ。

「ハハッ」

 堪えきれなかった愉悦が笑みとなってこぼれ出る。

 「何してるんスかっ、パラケルスス!今直ぐ止めるッス!」という幻聴が聞こえるが、知ったことではない。

 だって、ほら、獣の本能には誰も逆らえないでしょう?

「ギ、グ、グ、ゲェ」

 異族の体内で短剣をかき分けるように動かすと、今にも死んでしまいそうなほど弱々しい鳴き声が返ってきた。

 命の灯が今にも搔き消えようとしている。

 ああ、ああ、ああっ!

 もっと、もっと、もっと!

 まだ、まだ死んじゃダメ!

 もっと私を楽しませて!

 モット命で遊バセテ!

 ■■■■■■■!

 歪む思考。消える自我。欲望の発露。

 堕ちる。堕ちていく。

 快楽の海へとパラケルススは堕ちていく。

 もう何も考えられない。あるのは本能、獣の欲望のみ。

命を奪いたい。でも、もっと苦しんでいる様を見せて欲しい。

 殺したいのに、死んでほしくない。そんな矛盾した願望がドロドロとした絵具のように混じり合い、醜悪な彩で彼女の名前を染め上げている。

 やがて異族の体から、くたっ、と力が抜けた。

未だ異族の体内にある右手は、肉からゆっくりと体温が消え去っていく事実を教えてくれている。

 目の前のご馳走は死んでしまった。次のご馳走を探さねば。

 壊れた笑みを張り付けたパラケルススは名残惜しく思いながらも、腰を上げる。

 まぁ、別にいいだろう。だって今日は御馳走がたくさんあるのだから。食べても、食べても、食べきれないほどの異族がやってくるのだから。

「ハハ、ハハハハハッ!」

 愉快、愉快、愉快。

 そうか、この世にはこんなにも素晴らしいものがあったのか。

 世界が輝いて見える。五感が研ぎ澄まされ、冥花の匂いも、肌を撫でる風も、目に移る景色も、世界全てが鮮明に感じ取れる。

 ああ、そして、だからこそ。

 

 ――全テ壊シテシマイタイ。

 

 力が体に満ちていく。体験したことのない全能感が、さらにパラケルススを満たしていく。

「アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッ!」

 素晴らしさに高笑う。

 その直後。

「ハッ!」

 パラケルススの意識は、隙を突くような死角からの攻撃に刈り取られた。

 

 

「……はぁ」

 レーヴァテインは、殴り飛ばした少女を回収しながらため息を吐いた。

 ことの成り行きはこうだ。

 とりあえずレーヴァテインは目に付いた異族を討伐しつくした。第一陣の仕事はこれで終わりだろうと前線から退こうとしたら、パラケルススが異族の上に跨っている光景を目にする。

(……最後の一体?だったら…さっさと狩りなさいよね)

 そう心の中で愚痴を漏らしながら、ゆっくり歩いて戻っていると、どうやら視線の先のパラケルススの様子がおかしい。

(……何やってんのよ)

 紅の瞳を訝しげに細める。

 彼女の視線の先ではパラケルススが異族の上で蹲っている。ついさっき短剣を突き刺したのに、いつまで経っても引き抜こうとしない。異族を殺すなら、槍の異族からレーヴァテインを守った時のように動脈を掻っ切って仕舞えば良いはずだ。それこそ一瞬の内に目的は達せられるはず。

(……異族の肉体を採取してる?いや…まさかね)

 異族の側で蹲るといえば、現在失踪中のあの男である。五日前コルテの近辺で発生した遭遇戦の後、彼は異族の血肉を採取していた。その採取に何の意味があるのかはさっぱりだが、パラケルススが同じことをやっているなら研究目的で集めていたのかもしれない。まぁ、異族の研究なんてやってるのが教会にバレたら、キルオーダー違反の咎で即牢獄送りなのだが。

 となると、パラケルススが研究目的に異族の肉体を採取しているということはない、とレーヴァテインは結論付けた。

 あの男ならばレーヴァテインの前では堂々と教会と敵対するなどと言っていたので、キルオーダーを平然と破っていても何ら不思議ではないのだが、パラケルススは教会所属のキラープリンセスだ。彼女が教会への背信行為をする理由がない。また、キラープリンセスがキルオーダーを破ってしまっては、管理者である奏官の責任になってしまう。短い間だがマイア隊と行動を共にしてきたレーヴァテインには、パラケルススがマイアを裏切るとは到底思えなかった。

(……一体何をやってるの?)

 皆目見当がつかず不思議に思っていると。

「何してるんスかっ、パラケルスス!今すぐ止めるッス!」とマイアが叫んでいるのが聞こえてきた。

 それで全てを察したレーヴァテインは。

「ああっ、くそっ」

 悪態を吐き、駆け出した。

(身体能力が上がってるってことは、そういうことも有り得るわよね!)

 全速力で駆け抜ける。面倒なことになる前に、レーヴァテインはパラケルススの所に辿り着き、そして――

「ハッ!」

 ――到着と同時に、死角から剣の背中で、パラケルススを殴り飛ばしたのだった。

 そして、現在。レーヴァテインは、意識の落ちたパラケルススを、彼女の首根っこを掴んで、引きずりながら柵の方へと戻っている最中だ。

 背負ってやろうとも一瞬思ったが、パラケルススの体は異族の血に塗れているので止めた。それに、よく考え直してみれば、わざわざ彼女のために労力を割くような義理もない。

「……はぁ」

 これからのことを思って、レーヴァテインは溜息を吐かずにはいらなかった。

 もうパラケルススは戦うことはできないだろう。一度あんな状態になってしまったキラープリンセスを戦わせるなんて決断を、奏官は下さない。

 となると、前線はレーヴァテイン一人で維持しなければならなくなる。

 それを思うと憂鬱だ。いくら単騎で数十体の異族を屠ることができる戦闘能力を素の状態で持ち、今は強力な共鳴のバックアップを受けているレーヴァテインでも、担当区画にやってくる異族を一人で狩るのは骨が折れる。

「……はぁ」

 もう一度溜息と吐き、憂鬱な気分を息と一緒に吐き出した。

 本当に、あの男と出会ってからろくなことがない、とレーヴァテインは述懐する。あの男と契約を結んでからは、食事と寝床には困らないものの、望んでもいない厄介事が彼女の元にやってくる。。対して野良であったころは、寝床はともかくとして食事には苦労したが、反面異族との戦闘は少なく、勿論今回の討伐戦のようなものもない。

 一つが満たされれば、一つは欠ける。往々にして物事は思うようにいかないという真理を、レーヴァテインは実感していた。

「はぁ、はぁっ、レーヴァテインっ!」

 マイアが息を切らせてやってきた。

「ぜぇ、ぜぇ、ぜぇっ」

 レーヴァテインの側まで来ると、膝に手を当てて呼吸を整えている。

 大した距離でもないだろうに、何故だか彼女は激しく呼吸を乱している。

 そんなマイアを見て、レーヴァテインから一言。

「……貧弱」

「うっさいッスね!こっちも大変だったんすよっ!」

「……あっそ…ところでコイツ暴走してた……貴女しっかりしなさいよね」

 レーヴァテインはパラケルススをマイアに引き渡した。

 パラケルススは全身異族の血で真っ赤だったが、マイアは気にせず彼女を背負う。髪や服にべっとりと生臭い血が付着したが、彼女に気にした様子はない。

 血だらけのパラケルススを躊躇いなく背負ったマイアにレーヴァテインは感心した。人間であれ、キラープリンセスであれ、血に触れるのは嫌悪感を覚える。先程のパラケルススのような暴走をしかけのキラープリンセスや猟奇的趣味の持ち主でないかぎり、血など好むものはいない。

 しかしながら、マイアは何も気にすることなく血を被った。一瞬の逡巡もなく、まるで当然のことのように。

それがレーヴァテインには眩しいものに見えた。大切な人のために、躊躇なく不利益を被る。そんな行為が眩しくないなんて嘘だ。

(まぁ、その光に手を伸ばそうとは微塵も思わないけど)

 レーヴァテインは無言で、マイアの横を過ぎ去る。

「あっ、ちょっと、待つッス!」

「……何?」

「色々伝えなきゃいけないことがあるんスよ」

 マイアが慌てて、レーヴァテインの背中を追う。

「……何かあったの?」

「ありすぎて困るくらいッスよ。一体何から話せばいいやら……」

 明朗快活なマイアが、珍しく憔悴した様子でため息を吐いた。

 レーヴァテインは眉を顰める。なんだかろくでもないことが起きている気がする。

「そうッスね。まず、総大将が失踪したッス」

「は?」

 一瞬マイアが何を言っているのか分からなかった。

 総大将――確かトナティウとか言ったか――は安寧の五日間ではとても精力的に活動していた。決して逃げ出すような人間には見えなかったが………

(安全な期間で判断するのは間違いか)

 実際の恐怖を前にして、心が折れることはままあること。有りえないことかと聞かれると、レーヴァテインだったら有りえると答える。

 総大将の想像力が貧困だった。ただそれだけのことだろう。

 そうレーヴァテインが納得すると、さらにマイアが爆弾を投下する。

「それで、コルテの街の祀官が殺さているッスね」

「………」

 レーヴァテインの顔がより一層険しいものになる。

 なんだか穏やかな話ではなくなってきた。

「枢機卿は無事だったのが幸いッスかね。奏官たちの間では、トナティウがやったんじゃないかって話になってるッス」

「ま、当然そうなるわよね。殺人が起きてから、逃亡してるんだし」

「となると、トナティウの目的は最初から祀官を殺すことだった可能性も浮上してくるわけッス」

「じゃあ、動機はどうなるのよ?どうして奏官が祀官を殺すなんて蛮行に走ったわけ?」

「そこがわかんないんスよね。トナティウは大奏官なんスから、教会から厚遇されてるッス。扱いに不満など無いと思うんスが……」

「待遇以外にも何かあるんじゃない?具体的には……わからないけど」

「うーん、なんなんスかねぇ」

 とはいえ、トナティウしかわかりようのないことに悩んでいても仕方がない。殺人事件は重大だが、今日に限っては思考を割くべき最優先事項ではないだろう。終わってしまった危機よりも、現在進行中の危機に向き合うべきだ。

「それで、他には?色々ってことはまだあるんでしょ」

「あるッス。これ以上ないほど深刻で、予想だにしない危険が判明したんスよ」

 マイアの声は暗い。そこにあるのは絶望に近い諦観であり、雨が降りしきる真夜中の闇を彷彿とさせる重苦しさだった。

 マイアは告げる。

 非情で、救いようのない現実を。

「結果だけ言えば、この戦線はもう終わりッス」

「……続けて」

 レーヴァテインは先を促した。

「そうッスね、まず身近な所から話すとするッスか。パラケルススが暴走していたのは、レーヴァテインの知っての通りッス。でも、私にはパラケルススが暴走する前兆がまったくわからなかったんスよ」

「貴女はパラケルススの奏官、いくら優秀な奏官だってキラープリンセスを暴走ギリギリまで戦わせたことがないことなんてないはず。貴女だって、そうでしょう?だったら、自隊のキラープリンセスの暴走の前兆を読みとることなんて簡単じゃないの?」

「確かに、私がパラケルススの暴走の兆候を見逃すことなんてありえないッス。でも、今回ばかりはダメだったッス」

「どうして?」

「平常時から暴走状態への間が、普段のそれと比べると、とてつもなく短かったんスよ。少なくとも、私にはパラケルススはついさっきまでいつも通りに見えたッス。でも、少し目を離していた時間に暴走しかけてた。止めるための時間なんてなかったッス……」

「移行時間の短さについては、どうしてそうなっているか原因はわかってるのかしら。いや、私の方でも大体は想像できているんだけど」

 レーヴァテインの推論の根拠は自分自身が体感していることだ。つまりは、強力な共鳴現象のバックアップである。

 共鳴現象の恩恵は、確かに有用なものであるが、今回は強すぎるあまりデメリットを生んでいた。それが暴走状態への移行時間の短さ、つまり暴走しやすい状態である。何故暴走しやすくなっているか?答えは前述の通り、強すぎる共鳴現象の過剰な身体能力の向上である。身体能力が向上すれば、必然的に異族を殺しやすくなる。短い時間に異族の死体を作り上げてしまっては、当然暴走しやすくなるというものだ。

 また、今回の場合キラープリンセス自身が、暴走寸前であるということを自覚できないままままというのが厄介だ。彼女達からすれば、馴れない強大な力の扱い方を慎重に探りながら、いつも通りに戦っているだけに過ぎない。戦闘に対する集中力のせいで、暴走時特有の狂気性が表に現れないのだ。そして、狂気性が集中力によって抑えられなくなった時に、一気に狂気の底へと落ちていく。比喩的に言うなら、火がついている導火線が見えなければ、爆弾がいつ爆発するかわからないと言うのが一番適切か。

 移行時間の短さは暴走しやすい環境と暴走の兆候に気付きにくい状態という二つの条件によって成り立っているのである。

「暴走の片鱗は少しも見えなかったのに、あっさりと暴走しかけてた。正直信じられなかったッスよ。パラケルススなら(・・)、暴走しないと思ってたんスから」

「――ちょっと待って……なら(・・)って……!」

「そうッス。一番最初に暴走しかけてたのは、アイムールッス。あの子を止めていたから、パラケルススを止めるのが遅れたんス」

自分の不足ッスよ。とマイアは自責の言葉を呟いた。

 脱落者二名。初戦にして、二人のキラープリンセスが戦線から退くことになる。

 マイア・カルロ隊の前衛はレーヴァテインのみであり、後衛には杖のキラープリンセスの二人だ。例外的に、前衛としても後衛としても戦力になるフライクーゲルがいるが、銃のキラープリンセスは消耗が激しい上に殲滅力が高い。大量の異族を狩ってしまえば、暴走するのは目に見える。特に、今日の戦場においては、それが早くに起きるだろう。

 レーヴァテインは厳しくなる戦況に思わず顔を険しくする。

「パラケルススとアイムールの脱落は痛いッスね。これなら、アイムールだけでも温存しとくべきだったッスか」

「どの道無駄。フライクーゲルだって、戦闘前に影響を受けたんでしょう?だったら戦闘に傾倒しやすいアイムールなんて、もっと強く影響を受けてた」

「それも、そうッスか……」

どうなっても手詰まりな状況にマイアは深く項垂れた。

一連の説明で状況の全てを理解したレーヴァテインからすれば、この程度で気落とさないで欲しいというのが本音だ。

「まぁ、状況の酷さはわかった」

「わかったって、どれくらいッスか?」

「全部。あれだけ情報を渡されれば、十分理解可能。貴女の言葉も意味もわかる。この戦線は確かに終わっている」

 キラープリンセスが暴走しやすい場が出来ているため、暴走は当然第一陣に参加した全部隊で起きている。そして、この後続く第二陣から第五陣においてもそれは同様だ。むしろ時間が経っている分、第一陣より早く暴走状態になるキラープリンセスが出て来るはずだ。戦闘を重ねるほど、キラープリンセスの離脱者は加速度的に増えていくことになる。数が減れば、一人当たりの担当数が大きくなり、更にキラープリンセスは暴走していく。戦えば戦うほど追い詰められていく、負のスパイラルが出来上がってしまっていた。

 この状況を打開しうる唯一の方法が戦うことなのだから、救いがない。異族を出来る限り速く異族を討伐し、冷却期間を長くすることでキラープリンセスを休ませる。それしか対応のしようがなかった。といっても、焼け石に水程度の効果しか、それには期待できない。暴走の危険性の高さを考えれば、あまりにも割に合わない対応だった。

 つまり、全てを考慮して考えると、やはりこの戦線は終わっているといた。碌な対策を講じられない時点で、既に趨勢は決している。

「まったく…ほんとに最悪な日ね…」

「レーヴァテインは大丈夫なんスか?暴走の予兆とか自覚してないッスか?」

「大丈夫よ。前にも言ったと思うけど、私は暴走しないから(・・・・・・・)

「でも!今回みたいに異常ばかりだと違うかもしれないッスよっ」

「だから、大丈夫って言ってるじゃない。そもそもの前提として、異族を殺すことを楽しいだなんて思ったこと一度もない。だったら暴走のしようがないでしょ?」

 それに。

「四の五の言える状況じゃない。戦える人が戦わないと」

 

21

「結局……こうなったのね……」

血の鉄臭さと甘い花の匂いが混じり合う花畑にて、レーヴァテインはそうひとりごちた(・・・・・)

輝く銀髪も、端整な顔も、着ている服も、すっかり血に塗れてしまっている。隊で討伐する数十体の異族を単独で討伐する、キラープリンセスとして破格の戦闘能力を誇るレーヴァテインでも、多勢に無勢の戦況では形振りなど構っていられなかったのだ。

端的に言えば、第一陣以降の討伐戦は酷いものだった。

教会側の予測時間よりも異族の到達時間には()が存在したものの、結局、教会側の戦線は、ゆくっりとであるが、崩壊した。第二陣では第一陣のキラープリンセスより多くのキラープリンセスが暴走しかけ、第三陣では第二陣以上のキラープリンセスが同様に、第四陣からは討伐しきるまでキラープリンセス達が保たず、第五陣にて作戦は形を保たなくなった。

 戦える者は剣を摂れ、最後の一瞬まで敵を討ち滅ぼすのだ。

 追い詰められた教会は愚策中の愚策を採った。戦闘可能な全キラープリンセスによる異族への特攻を命じたのだ。キラープリンセスを使い潰すかのような暴挙。平時なら糾弾されるべき愚策が、この場においては最善策だった。

 早期の討伐戦の決着。キラープリンセスの暴走が高い確率で起こる危険性を伴うが、この討伐戦に教会側が勝利することができるであろう、可能性がない中でも雀の涙ほどのそれを持つ方針の元で、討伐戦は続行される。

 奏官も、キラープリンセスも、その誰もが必死に、文字通り命を懸けて戦った。

 けれども、現実には及ばなかった。

 だからこそ、レーヴァテインは、一人(・・)で此処に立っている。

 先の戦闘で、レーヴァテインと肩を並べていた八人のキラープリンセスたちは戦闘不能となってしまった。結果として、唯一暴走し得ない彼女だけが立つのは必然であった。

 レーヴァテインにもわかっていたことではある。それでも、暗い気持ちになるのは我慢できなかった。

 第五陣までで討伐できた異族は約二千五百体。全体の四分の一しか討っていない。残りの四分の三を単独で討伐しなくてはならないと考えると、気が重くなるのだった。

「……」

 無言のままレーヴァテインは地平線を見つめる。既に次の白の猛威が姿を見せ始めていた。

 視界にそれを収めると、やはり無言のままレーヴァテインは剣を摂り。

 駆ける。

 

 

「はぁぁぁぁぁぁっ!」

 柄にもない咆哮を上げて、レーヴァテインは一息に群れに飛び込んだ。

 異族の群れへと一息に特攻し、奴らの中心点へ躍り出る。

 異族からすれば格好の獲物。援軍が望めないというのに、わざわざ敵に囲まれてくるとは有り難い。

 喜色ばんだ鳴き声を上げると、レーヴァテインへと殺到する。

 血を啜り、肉を頬張る。捕食願望を満たす素晴らしい未来を一体一体が疑っていなかった。

 しかし、そんな未来は当然訪れない。

「――――ッ!」

 異族の上半身が飛ぶ。

 「グギャ?」

 そんな間抜けな声を出した異族たちは気付いていないのだろう。

 彼女のたった一振りで、取り囲んでいた自分達が横に真っ二つにされたことなど。

 ドサッ、という音は異族の下半身が倒れた音か、上半身が落ちた音か。

 忽ち異族の波が止まる。大して知能のない異族でも、目の前に立つ脅威を警戒する程度のことはできる。

 一瞬の異族の膠着。その隙をレーヴァテインは見逃さない。

「―――ッ!」

 真正面に立つ異族を一撃必殺の定石通りに斬り殺す。彼女は止まらずに、一体、二体、三体と連続して異族を斬っていく。

 異族に防御は叶わない。剣だろうが槍だろうが、そして斧だろうが、等しく彼女の一太刀は異族の得物を砕き、その肉体に刃を届かせているのだ。

 もはや異族に残されているのは絶命の一撃を回避することのみ。しかし、銀の旋風がそれを許すはずもない。

「はっ!」

 長剣の一撃を一歩引いて避けようとした異族を、さらに一歩踏み込んで突き刺した。

 息を吐く間もなく、背後の異族を一薙ぎで刈り取る。そして、また次の異族へとレーヴァテインは剣を振り下ろし続ける。

 一体異族を切り殺すと、弓の異族が突然彼女の前に飛び出してきた。否、元々彼女が切り殺した異族の背後にいたのだ。

 既に矢は引かれている。そして、放たれるのに時間はいらなかった。

 レーヴァテインの眉間に向けて矢は放たれた。レーヴァテインと矢の切っ先間のは距離にして十センチ。

 普通なら躱せぬ距離、されどレーヴァテインは躱した(・・・)

 顔を左に捻る。ただそれだけの動作とはいえ、尋常の反射神経ならばそんな所業は不可能のはずだ。

 それでも彼女はやった。不可能を可能にした。

 弓の異族の鳩尾に正拳を繰り出すと、それだけで異族は比喩ではなく吹き飛んだ(・・・・・・・・・・・)

 人間と同じ、もしくはそれ以上の重量を持つ異族をだ。

 もうキラープリンセス(レーヴァテイン)と異族は比較する必要のある力関係ではなくなっていた。此処にあるのは、狩る者と狩られる者という明確に線引きされた両者によって繰り広げられる一方的な蹂躙劇だ。

 獅子奮迅、鬼神が如き勢いで奮戦するレーヴァテイン。第一陣初戦時では見せていなかった彼女の著しく上昇した身体能力の要因は、やはり共鳴によるバックアップによるものだ。あの時よりも時間が経っていること、そして何より彼女自身が強化された力に慣れ、濁流のような力を使いこなしていることが一番大きい。他のキラープリンセスにとってはデメリットとなる強い共鳴現象は、暴走の原因となる感性を持ち合わせない彼女にとっては――ただ一つのデメリットを除いて――この上ないメリットとして機能する。

(こんな便利なものを使わない道理はない!)

 異族の群れの中を走る、走る、走る!すれ違い様に必ず異族に致命傷を負わせて、確実に一体一体丁寧に殺していく。

 レーヴァテインが同じ場所に留まらないのは、異族の集中を防ぐためだ。流石に数百体の規模に殺到されてはレーヴァテインでも捌ききれない。常に場所を移動しつづければ、対処可能な数以上の異族を相手にすることはないので、レーヴァテインはこのように戦っている。

 しかしながら、どうしても上手く行かないこともあるわけで。大量の異族という壁によって、彼女に進路は断たれてしまった。三百六十度見渡す限り、異族、異族、異族。厄介なことに鎧型種が多くおり、容易には切り抜けられないだろう。

 けれど、レーヴァテインの足は止まらなかった。なんと、手近な鎧型種を踏み台にして空へ跳躍したのだ!さらに地上の鎧型種にスリロスを投擲。凶悪な速度で投げ飛ばされたスリロスは進行線上の異族を貫き、血と肉塊の悍ましいカーペットを作り上げていった。

 これ見よがしに放たれる矢を手刀で弾き返し、時には投げ返し、地面に着地したレーヴァテインは血みどろの進路を通り、投擲したスリロスを回収する。そして、再び一方的な虐殺を繰り広げ始めた。

 絶対的優位に立つレーヴァテインは圧倒的だ。レーヴァテインが終始有利なまま討伐戦は進んでいく。

 事態はこのまま収束するかと思われた。

 このままレーヴァテインが一人で、討伐しきってしまうのではないか、とダウンしたキラープリンセスや奏官たちはそう期待していた。

 けれど、現実は甘くない。やがて希望は打ち砕かれる。

 レーヴァテインが勢いに任せて、スリロスを打ち込んだ。目視できないほどの速さで打ち込まれたそれは剣の異族の胴体を分断するはずだった(・・・)

「―――――なッ!」

 必殺の一撃たるそれは、しかし約束された結末を導き出せなかった。

 答えは単純。異族が上体を逸らして、迫りくる死の一撃を避けたのだ。

 レーヴァテインの中に浮かんだ最初の言葉は「有りえない」だった。異族にあの速さは見切れない。避けることなど不可能のはず。

 加速を殺さないまま、ステップを踏み、体を回転させる。遠心力のままに、逃した異族に追撃を掛ける。

(一度は偶然のはず、だったら――ッ!)

 そうだ殺せるはず。そうでなければ、おかしい!

 異族のスペックをレーヴァテインは遥かに凌駕しているのは既に証明されている。であるならば、であるならば――!

 レーヴァテインの黒紅の剣が異族の白へ振り下ろされる。レーヴァテインは剣の黒紅が異族の白へと吸い込まれていくような様は幻視し、勝利の手応えを感じていた。

 だが―――

「ギッ」

 短い鳴き声を残して、異族の姿がレーヴァテインの目の前から掻き消えた。

「えっ?」

 勝利を確信していたレーヴァテインの一言は思わず零れてしまったような響きだった。

(消えた…?一体……何処に?)

 平生のレーヴァテインであったならば、そんな疑問挟むことなどなかっただろう。しかし、今のレーヴァテインは普段の何倍もの力を手にしていた。異族を簡単に殺し得る力を手にしてしまっていた。

 だからこそ、慢心していた。

 異族になど負けはしない。束になってかかってきても、容易に殺しきれる。

 そう思い込んでしまったのだ。

 結果レーヴァテインは殺し合う敵に注意を払うことを怠った。

 一瞬レーヴァテインに生まれたのは思考の空白だ。それは一呼吸の間もない刹那の出来事であったが、戦闘の場において致命的な隙となる。

 困惑するレーヴァテインに与えられた現実の返答は、腹部の衝撃だった。

「―――――ぶッ」 

 レーヴァテインが吹き飛んだ。それこそ、彼女が弓の異族を殴り飛ばしたときのように。

「がはっ、ぐ、くぅ………っ!」

 ろくに受け身も取れずに、何度も体は跳ねる。

 体中が熱い。特に直接打撃を受けた腹は特にだ。加えて、同時に感じるのは息苦しさ。さきほどの一撃で肺の中の空気を一挙に体外へと吐き出してしまった。おまけに胃液やらその内容物が逆流してしまっている。げーげー、とそれら地面に吐き出すと、なんとか空気を肺一杯に吸い込んだ。服に守られていない足には擦過傷が出来ているようで、ひりひりとした痛みを感じている。視界は未だ明滅し、頭は鈍い痛みを抱えていた。

「うぐぅっ!」

 幸い五体は無事。それでも少し体を動かすだけでも、激痛が全身を駆け巡るほどの重傷を負っていた。

「くそっ……!」

 頭痛が治るまでは動きたくないのが本音だが、ここは異族の群れのど真ん中だ。甘えたことは言ってられない。

 一言そう悪態を吐いて、スリロスを支えにレーヴァテインはなんとか立ち上がる。

 足は震え、腕は痙攣し、体は休息を求めている。

 自らの体が訴える全ての衝動をねじ伏せて、ボロボロの体でレーヴァテインは剣を構えた。

 レーヴァテインには撤退という選択肢は与えられていない。今でこそコルテから離れているため、異族はレーヴァテイン一人に意識を注いでいるが、レーヴァテインが撤退してしまえばい、異族はコルテへと猛進するだろう。そうなってしまえば、一番最初に蹂躙されるのは暴走をしかけて気を失わされたキラープリンセスたちとその奏官だ。

(全くなんでこんなことしなくちゃならないよ)

 ああ、本当に野良であった頃が懐かしい。何の義務も責任もなく、空を飛ぶ鳥のように自由気ままに生きていた過去が酷く遠いもののように思える。

 思えば、あの男と出会ってからの時間は随分濃いものであたように感じられる。何よりあの男のキャラクター自体がかなり濃ゆい。あの男と共にいるだけでも、お腹一杯になるくらいだ。加えてコルテで出会ったマイアやカルロと言った面々も、あの男には及ばないまでも人の中ではかなりの変わり者たちだろう。マイアなどは特に変わっていると思われる。

 ラーメンで例えるならば塩分過多といったところか。味が濃すぎて、塩辛い。そんな日々は肌に合わない。そろそろ水が欲しいところだ。

「ふぅーーー」

 一度深呼吸をする。

 それで痛みが消えるわけではないが、覚悟は決まった。

 右足を大きく引き、上半身を前方へと傾ける。重心は前に置き、滑らかに加速できるよう姿勢を整える。

 太い針で全身を貫かれているような鋭利な痛みを無視して、左足を一歩大きく踏み出す――――?

「……あっ」

 カクン、と視界が傾いた。

 いや、違う。右足が体を支え切れなくなったのだ。

 支えを失った体は地面に倒れ込む。

 まるで突然糸の切れた操り人形のように。

 唐突に、何の脈絡もなく、それこそ、ぷっつり、と。

 レーヴァテインの体は脱力したのだ。

 理由はわかっている。

 強力すぎる共鳴現象。暴走しない彼女が得る、その唯一のデメリット。

 それは肉体の限界という名前だった。

 肉体のスペックが上がるということは、肉体への負荷が大きいということと同義。ここにきて、彼女の予想よりも早くレーヴァテインの体は限界を迎えてしまった。どうやら暴走はしないものの、感覚だけは狂っていたらしい。

 足に力を入れてみるが、ピクリとも動かない。

 腕に力を入れてみても、剣は持ちあがらない。

 かろうじて上半身を持ち上げることくらいはできる。だが、それが何になる。

 最後のキラープリンセスが倒れてしまった。この現実は揺るがない。

(……万事休す……ね)

 異族の大群は間もなくコルテに辿り着き、血を啜り、肉を喰らうだろう。

 自分の力が及ばずに命が失われることに思う所がないわけではない。

 それでも、まぁ――

(……仕方がない…か……)

 できることはやった。人事は尽くした。ならば、全ては天の御心のままだ。教会風に言うならば、神の御意志という奴か。

 まったく、くだらない言葉だ。そんなもの、ただの諦めでしかないじゃない。

 存外に教会も怠惰ね、とレーヴァテインは独りごちた。

「ギィィィッ!」

 へたり込むレーヴァテインに向けて、異族たちが殺到する。

 結局、どうして異族の身体能力が急に上がったのかはわからずじまいだ。あのいけ好かない白衣の男なら分かったのだろうか。きっと分かるのだろう。あの男は訳の分からない知識を詰め込んでいるから、訳の分からないことに説明をつけることが出来るに違いない。

 白の群れが迫る。

 もう最初の一頭は目の前だ。

 剣を振り上げ、今直ぐにも振り下ろさんとしている。

(これで…終わり…)

 本音を言えば、死ぬのはちょっと怖い。

 しかし、こうも思う。

 あの時(・・・)を繰り返すよりはまだましだ、と。

 あの時?はて、ふと浮かんだ言葉だが果たしていいつだったか?

 まぁ、どうでも良いか。

 私は今此処で死ぬのだから。

 銀色に輝く異族の剣が、私の頭を―――――っ!

 

「レぇぇぇェェェヴァァァテェェェェェェイぃぃぃィィィィィィンーーーッ!屈めぇぇぇェェェェッ!」

 

 久しく聞いていなかった声の咆哮が聞こえた直後。

 異族の剣を避けるように背中側からレーヴァテインが倒れ込むと同時に。

 

 世界が白に染め上げられた。

 




words
・コルテ大規模討伐戦戦況整理
第一陣の初戦時より強力すぎる共鳴現象により暴走するキラープリンセスが現れ始め、第一陣の二戦目では既に当初の作戦が体を為さないほどにキラープリンセスが暴走しかけていた。よって戦線は崩壊。
教会は捨身の総力戦に切り換えるも、結局シンと契約しているレーヴァテインしか戦闘継続できなかった。
そして、レーヴァテインも限界を迎えた時……

・何故暴走しかけていたキラープリンセスを気絶させるのか?
一つ目に暴走したキラープリンセスは敵味方関係なく襲い掛かるため、戦闘の邪魔になるから。
二つ目に気を失わせてしまえば、暴走の進行を抑えられ、目覚めたら正気に戻っている可能性があるから。一応平常時から暴走への移行期間が存在するために、その間であれば十分暴走を止めることが可能である。ちなみにパラケルススは移行状態だった。
暴走しかけたキラープリンセスを止めたのは当初戦闘に参加していなかった杖のキラープリンセスたちや暴走しないレーヴァテインが行っていた。

・共鳴現象
同武器系統のキラープリンセスが一定範囲に複数人いると発生する現象。ラグナロク教会は原理を把握していない。
この現象がキラープリンセスに及ぼす影響は身体能力の向上。しかしながら、今回の討伐戦ではあまりにも多くキラープリンセスが集まってしまったので、身体能力が過剰に挙げられてしまった。結果キラープリンセスたちは異族を殺しやすくなったために、暴走の危険性が上がってしまった。本来ならば、ちょっと身体能力を上げる程度、垂直跳びで普段より二、三センチ高く跳べるくらいものである。

・レーヴァテインのスペックについて
キラープリンセスの中でも破格の戦闘能力を持つレーヴァテイン(イミテーション)の中でも、かなり突出した戦闘能力を持っている。コルテに入る前の討伐戦と今回の戦いも含めると明らかだ。
また暴走しないために、他のキラープリンセスと比べて継戦能力も長い。
では、何故レーヴァテインは暴走しないのだろうか?さらには、何故ここまで戦闘能力が高いのか?

・弓のキラープリンセスは矢を空気中のマナから生成可能。

・トナティウが祀官を殺し離反。動機は不明。

・異族の身体能力も上昇している。


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ep.11 愚者の黒腕

22

 国際連合異界存在研究機関、その無機質な白い廊下にて、未来でシンと名乗る青年はとある部屋の前に立っていた。カード認証式のインターフォンに自分の職員カードをかざすと、ピンポーンという電子音が扉の上に備え付けてあるスピーカーから鳴る。

 国際連合異界存在研究機関の全ての鍵は電子キーだ。入所すると配られる職員カードには電子キーとしての機能が備え付けられている。

 専用の読み取り機器にカードをかざすと、数回のツーツーという単調な音の後、受話器を取る音がして部屋の主の声がスピーカーから流れて来た。

『はいはーい、どなたー?』

「俺だ。入っていいか?」

『おっ、来たな。待ってたぜ』

 部屋の主が言うや否や、扉は開かれた。遠慮なく青年が部屋に入る。そも今回が初めての来訪というわけではないのだし、親友の部屋に入るのに妙な心構えなどいるまい。 

 研究機関から与えられる個人部屋は一般のアパートの部屋よりも広い。だが、この部屋は手狭に感じた。何しろ物が多いのだ。それも研究とは全く関係のない趣味の物が。ライトノベルに時代遅れのBlu-rayディスク、ゲームのパッケージなどが窮屈そうにしており、特に目につくのは無数の美少女フィギアだろう。それらが所狭しと並べられているだけでも、それなりの圧迫感はある。

「相変わらず、落ち着かない部屋だな」

「うるせー、俺は落ち着くからいいんだよ」

「別に責めてるわけじゃないんだが……」

 部屋の主人ー天才マックが不貞腐れたように、プイっと顔を背けた。

 青年もアニメやライトノベルーー所謂オタク文化に触れているが、のめり込んではいない。せいぜいライトノベルを読んだり、アニメを視聴したり、ボーカロイドの曲を聴くくらいだ。作品自体に興味はあるけれどフィギアやグッズ等は買わない主義である。

「で、さっさと本題に入っても良いか?」

「俺に対するフォローはないのな。ま、別にいいけどよ」

そうぶつくさ言いながら、マックはファイルを唯一研究関連に使っている棚から取り出した。

「お前、もう少し研究にスペースを割いたらどうだ?」

「いらないから別にいいだろー。コンピュータにデータとして保存するか、最悪全部記憶しちまえば良い。何たって、俺は天才だからな」

 ニヤリと不敵に笑って、マイクはドヤ顔をかます。

「嫌味な奴め」

「事実だからな」

 何度も繰り返されたようなやり取りをしつつ、件のファイルを机の上に開いた。

 そこにあるのはとある研究成果を纏めたレポートだ。研究成果はこれからの異界存在との戦闘で重要なものであり、そして、その研究とは青年が兼ねてよりマックに頼んでおいたものに繋がるテーマでもある。

 テーマ名は『異界存在細胞(Myth Cell)(略:M細胞)が常時放つM波の及ぼす影響について』。

「お前も忙しいのに、無理を言ってすまなかった。分野が違う以上、俺ではどうしようもなくてな…」

「気にするな。この程度なら片手間の研究で事足りるさ。俺の手に掛かればすぐに終わる」

「流石、天才。分野外のこともお茶の子さいさいか」

「おう、もっと褒め称えたまえ」

「…………なんか褒める気無くす」

 青年とマックはレポートに目を移す。

「さて、そんじゃあ、話を戻すが……共鳴現象についての説明は不要だな?」

「勿論だ。共鳴現象はつまるところ、M波の合成によって引き起こされるものだ。あちらではこちらの位相の波の法則とは異なっている。あちらの位相の合成の発生条件は波長、振幅、周期の三要素の数値が近い数字であること。なので共鳴現象が起きるのは、対異界存在兵士間では同じ武器系統で、異界存在の間では同種同士――例えばタイプ:デーモンならタイプ:デーモン同士で、タイプ:ゴブリンならタイプ:ゴブリン同士で引き起こるものだ。また合成された総体としてのM波は、それを構成するM波を欲する個体に影響を与えることが判明している」

「その通り。共鳴現象が起こると、異界存在細胞――通称M細胞は活性化、その恩恵で代謝能力や身体能力、傷の治りの速度が上がったりするわけだ。じゃあ、暴走時のM波の波形は?」

「対異界存在兵士個人が放つM波の波形は通常のそれより大きく乱れている。これは時間が経つのを待つしか解決方法がない」

「イエス。さすが、対異界存在兵士計画(プロジェクト:キラープリンセス)のプロジェクトリーダー。対異界存在兵士のことはよくわかっている」

「そんなことはどうでも良い。何故そんな常識を確認する?俺がお前に頼んだのは、杖系に依らない対異界存在兵士の暴走を治療するための方法の模索だったはずだが……」

 最初にマックがレポートを出した時にも不思議に思い青年は首を傾げていたのだが、どうして脳への過負荷によって起こる重度の発熱がM波に繋がるのだろうか?共鳴現象は直接暴走と関与するようなものでもない。どういう繋がりがあるのか、凡才たる青年には想像できなかった。

「わからないか?もう答えは出ているんだぜ」

 そう言われて、少々青年は考え込む。

 一つ思いついたのは、共鳴現象によって脳の働きが活性化するというものだった。情報処理能力を上げれば暴走の原因は取り除かれる。よってM波を再現し、共鳴を促進させる方法を指しているのかとも思ったが……

「馬鹿、それだと余計に脳を使わせてるじゃねえか。もしやったら、最悪脳細胞が死滅して脳死、良くても脳に後遺症が残るぞ」

 マックにそう言われて、青年はその考えを放棄した。

「―――すまない、全然わからない。お前が言いたいことはどういうことなんだ?」

「簡単なことなんだけどな。ちょっと見方が違うってだけで」

 未だ真意を掴みかねている親友に向かって、天才は不敵に笑ってこう言った。

「共鳴現象が、つまりはM波が体に影響を与えるなら、M波の効果に対して指向性を持たせれば、共鳴現象の影響が身体能力の強化以外のことにも応用できるんじゃないか?」

「―――ッ!」

「確かに、ちゃんとした治療法の方が遥かに良い。生半可な治療では後々悪化させるだけだろう。でもな、もし実用化できれば、きっと彼女たちの帰還率を上げられる。M波に横槍を入れるだけで可能なら、戦っている間でも処置が可能だ。そして、この技術が最も効果を発揮するのは大規模作戦だろう」

 

「そう、例えば、二百人以上の対異界存在兵士が一堂に会する作戦とかな」

 

23

 消えゆく極光の白柱。

 まるで白昼夢のような出来事だった。さながらの神の裁きのような光は、しかしながら決して泡沫の夢ではない。

 その証拠に、レーヴァテインが体を持ち上げると、異族の代わりに赤と白の残骸がそこには転がっていた。辺りに満ちるは花の匂いよりも濃肉が焦げる匂いと空気に僅かに残された熱。五感が伝えうる限りの情報があれが夢ではないと、レーヴァテインに訴えかけていた。

 しかし、あんな光の柱を生み出す大量破壊兵器が実在するのだろうか。目の前に現実を突きつけられてもなお、レーヴァテインには信じられなかった。よく考えてみてほしい。数百体の異族を一撃にして屠る兵器などが存在していれば、キラープリンセスなんて不要ではないか。わざわざ一体一体白兵戦で討伐するよりも、一撃で皆殺しにした方が早いに違いない。

 あの光柱が一体何なのかはレーヴァテインには皆目見当がつかないが、似たようなものならば知っている。

 銃のキラープリンセスの一人、ブラフマーストラのマナ弾にそれはよく似ている。

 けれど、彼女のマナ弾は光線ではあれど光柱ではない。異族を射抜く貫通性を持っていても、消滅させえるほどの熱量は保持していない。 

 誰がやったのか、いや答えは既に出ているだろう。

「遅くなってすまなかった」

 レーヴァテインの前に立つ白衣の男。彼女が契約を結んでいて、偽物の奏官として行動を共にしていた人間(・・)

 眼鏡は無事だが、白衣には所々赤い染みが付き、髪は乱れ、ズボンはすっかりくたびれてしまっている。特に目を引くのが左腕。街を出る時までは包帯に隠されていた左腕は人間のそれではなかった。

 陶器のような光沢を持ち、色は墨そのものであるかのような黒。男の腕は滑らかな質感を持っていた。生物らしからなぬ質感の不気味さは異族の白色の体と良い勝負だ。だが、反面レーヴァテインは不気味さと同時に男の左腕に対して、何処か自身と近しい気配を感じていた。

「以外と手間取ってしまってな。キラープリンセスたちが暴走未遂に陥る前に合流して、暴走しにくい安全圏を確保するつもりだったが……まさか異族の共鳴現象がこんなにもはっきりと現れるなんて思っていなかった。所詮は秩序無き混ざり物と侮ったのが間違いだったか」

『ですから申し上げたではありませんか。油断はするな、と。貴方はキラープリンセスに勝る点を持っていますが、絶対的に劣っているのです。キラープリンセスが苦労して討伐する異族を相手に慢心が許されると思っているのですか?』

「一応は気を付けてはいたんだがな」

 左眼をチカチカと光らせながら、男は誰かに話しかけている。レーヴァテインの視点からは不審者以外の何者でもなかった。

 そんな訝し気なレーヴァテインの視線に気づき、男は弁解する。

「そんな目を向けないでくれ、別に気が触れたではないから……」

「いや、今更手をくれだし……」

「お前の中で俺は不審者だったんだな。正直な所を言わせてもらえば、かなりへこむ」

「自業自得でしょ。それで、聞きたいんだけど」

 レーヴァテインは目の前の惨劇を指さす。

「あれ、やったの貴方?」

「そうだな。俺がやった」

「どうやって?」

「コード2754389」

「は?」

「正確に言うならば、コード2754389〈ブラフマーストラβ〉の荷電粒子砲。まぁ、実際の荷電粒子砲とは異なるのだが…」

「荷電粒子砲……いや、そんなことどうでもよくて、ブラフマーストラってどういうこと?キラープリンセスのブラフマーストラなの?」

「無論だ……とも言い難いが、その亜種だと考えてくれ」

「そう……どうやってブラフマーストラのスリロスを持ってきたわけ。途中で仲間にしたの?というより今まで何をしていたのよ?」

「今まで何をしていたのかに答えるならば、異族を討伐していたのだが……諸々に答えるなら、実際見てもらったほうが速いか」

 一体、何を。そうレーヴァテインが問いかけるよりも早く、その男は動く。

「CMCシステム起動、コード1548726・アルテミス」

 瞬間、男の左腕が蠢動する。筋肉や関節による動きではない。ボコボコ、と妖しく肉が泡立つように動いている。

 やがてその肉の蠢動は治まっていき、突如として左腕が肥大。レーヴァテインに驚きで息を呑む暇を与えることなく、肉塊は一つの形となった。

「そ……れは…」

 それは黄銅色の長弓であった。人の身長ほどもある長大な弓で、矢を番える場所以外は人の肋骨にも似た骨組みで補強されてる。そこはかとなく月を彷彿とさせるフォルムであるのは、本来の持ち主のキラーズに由来しているのだろう。

 男が持っている弓の本来の持ち主はアルテミス。男はレーヴァテインの目の前で彼女のスリロスを生成してみせた。

 目の前の珍事に唖然とするレーヴァテインを無視して、男は立て続けに矢を左腕から形成するとこう言って矢を射る。

「CMCシステム起動、簡易調整(インスタント)

 ビュン、ビュン、ビュン。

 弦が三度鳴る。すなわち放たれた矢は三本。コルテの街、正しくは奏官や休養中のキラープリンセスたちが待機する丸太の柵の向こう側へと等角度に三方向へと放たれた。

「………」

「ほら、どうした?早く立ってくれ。次の群れが来るぞ」

 ポカンとしっぱなしのレーヴァテインをフォローすることなく、男は彼女に速く戦闘準備をするように催促した。

(色々聞きたいけれど、どうせ答えないのでしょうね…)

 男の秘密主義についてはもう諦めている。事情を聞くのは時間の無駄だろう。

 はぁ、と小さくため息を吐いて、レーヴァテインは男の言葉に首を振った。

「無理よ。体が限界を迎えているみたいなの。なんとか意識だけは保っているけど、正直な所結構ギリギリよ。今にも気を失いそう」

「共鳴現象の影響か。過去よりも強化具合が大きいな。以前だったら、この程度でキラープリンセスの体が音を上げることなんてなかったのだが……」

 ちょっと背中を貸せ、そう言って男はレーヴァテインの後ろに回り込んだ。

 調整(チューニング)の時のように左手を背中に当てる。

「CMCシステム起動、肉体治癒(ヒーリング)

「―――っ!」

 レーヴァテインはたまらず体を震わせる。

 男がシステムを起動させると同時に、体中に電撃が走ったような鋭い痛みが走った。体中の筋肉という筋肉が熱くて痛い。運動しすぎた後の筋肉疲労と筋肉痛のまま無理矢理体を動かした時のような痛みが同時に彼女を苛んでいる。気絶してしまいそうなくらいの激痛に、たまらず苦悶の声を上げた。

「痛ぅっ、うくぅっ」

「すまない、レーヴァテイン。かなり痛むだろうが、耐えてくれ」

「わかっ………てるわよ……っ……そんなっ…ことっ!」

 ああ、わかっている、わかってるわよ。

 唇を噛み、その痛みで飛びそうになる意識を保つ。ここで意識を失ってしまったら、二度と起き上がれない。そんな気がしていた。

「っつぅ……ふぅっ…」

 時間にしておよそ二十秒。男はようやく手を離す。

「よしっ、これで大丈夫なはずだ。立てるか?」

「ええ、なんとかねっ」

 後を引く痛みと少々体が動かしにくく体がよろめきそうになるのを踏ん張りながらも、スリロスを支えにしてなんとか立ち上がる。

 男は手を差し出してきたが、突っぱねた。ちょっと寂しそうな顔をするのはなんでなの?

 ズン、ズン、ズンという足音が彼方より聞こえてくる。それらはつまり異族の足音。今までよりも、ずっと多くの異族が群れなしてコルテへと向かってきているのだと、レーヴァテインは確信した。

「で、どうするの?」

「どうするの、とは」

「貴方、今まで何がしかしてきたのでしょう。知ってること全部吐きなさい」

「吐きなさいとは物騒な。まぁ、構わない。もとよりそのつもりだ」

 ふぅ、と息を吐いて男は続けた。

「五日前、街から出発した俺はキラープリンセスたちの負担を減らすために異族をできる限り減すために手当たり次第に異族を食い散らかした。さっきやったように左腕からスリロスを生成したり、ブラフマーストラβで吹き飛ばしたりな。異族はキラープリンセスの休息時間が長くなるように、群れを一つ一つ飛ばしながら討伐していった。例えるならば、横断歩道の白線を跨いで歩くようにだ。で、途中で異族の集合離散の法則を把握したから、異界存在のタイプ:ウツボカヅラの一種を利用して異族を一か所に集めてブラフマーストラβで一掃した。おかげで約五千体の異族を討伐することができた。うん、僥倖だった」

「五千って……私たちが討伐できたのは二千五百程度よ。貴方って人間よね……いや人間じゃないか。その左腕を見る限り」

「心外だな。俺は人間だぞ。その在り様ではなく在り方が」

「いや、私にはそうは思えないんだけど」

 キラープリンセスを恐れていない時点で、人の大多数の在り方とは大きく外れていると思うんだけど……。

 そうレーヴァテインは思ったが口には出さなかった。今この場で話すべきことではない。

「他には何かないの?もっと、こう現状を打開する必殺技みたいな策」

「ここまで来たら、無いな。もうちょっと速く合流できていれば、一万体も討伐しなくて済んだかもしれなかったが」

「何よ、その今まではあったような物言いは」」

「異族の群れを見て見ろ」

 男が指さす先には、今まさにやってきた異族の群れ。

 いや、正確には違う。

 男の指先が指し示しているのは――

「何よ、あれ」

 それは明らかな異物。 

 無数の異族たちの中で、一際異常な個体がそこにいた。

 何が異常かと一目見て答えられるのは、その体躯だ。巨大、その一言に尽きる。最も一般的な異族である戦型種の大きさの数倍――建物の二階ほども身長あり、鎧型種を空気で膨らませたような歪な姿をしている。

 しかし、最たる異常は巨大な体躯ではない。

 頭には銀色のヘルメットをかぶり、所々素材不明の色彩豊かな糸――まるでラーメン屋で見た男の落とし物のような――が所々飛び出している。背中にはまたまた黒色の金属でできたリュックのようなもの。その上部からはピンク色の奇抜な気体が噴出している。

 呆然としている、というか色々ありすぎて理解が追い付いていないレーヴァテインだが男は慮らない。普段はレーヴァテインを優先する彼も彼女を無視してる現状は、よっぽど切羽詰まっているということの表れか。

「あれが何だかわかるか?あれがラグナロク教会の最奥が生み出した化け物、計画派が用意したコルテ大規模討伐戦(じっけん)用のモルモットの一体だ。あれを巨型種と呼ぶことに俺はした。おそらくだが、鎧型種を遺伝子改造して生み出した人造異族だろう。今回の実験の目的はキラープリンセスの暴走から抽出されるエネルギー量の観測とみて間違いない。巨型種の頭の中にはコルテの支部教会地下より発生していた電波の受信機が埋め込まれており、脳と接続して進行方向に指向性を持たせた。背中の噴出機は異族が群れる際に発するフェロモンを高濃度で含んだ空気を噴出し、本来ならありえない一万体の異族の群れを生み出したというわけだ。そんな莫大な数の異族を狩るとなれば、ほぼ全てのキラープリンセスが暴走する。巨型種はその下地を生み出すための鍵だ」

 立て板に水のように話す男の話の内容をレーヴァテインはまったく理解できなかった。

「異族が何故群れるのかについてだが、これは異族が発しているフェロモンに起因する。一つ一つの群れの異族たちが発するフェロモンはそれぞれ別物だ。二つの群れが遭遇した場合、異族たちは自分が属さない群れのフェロモンを吸うと酔う(・・)。人間が酒を飲んだ時のようになるんだ。だから異族は群れを大きくする。正しい認識ができなくなってな。しばらくすれば異族の群れが適性数に戻るのは他方のフェロモンに慣れてしまうため。つまり酔いから覚めて、正しく認識できるようになったというわけだ。しかし、今回の場合はあまりにも濃いフェロモンを吸わせ続けたため異族側が中毒になってしまった。結果巨型種が振りまいているフェロモンに依存してしまった。だから群れは大きくなり続けた。今回の騒動は、そういう顛末だよ」

「――――えっと……つまり?」

「あれを倒せば終わったってこと。今となってはの話だが」

 説明の無駄を無くしてしまえば、異族を誘導する巨型種を討伐すると、異族の習性通りに群れは瓦解する。コルテの街に到達する以前に討伐できていたら、わざわざ一万体も討伐しなくてよかったのである。

「なんで討伐しなったの?さっきの、なんだっけ、ブラフマーストラぜーた(・・・)だかじーた(・・・)でやっちゃえばよかったじゃない」

「βだ、β。一応試みてはみたのだがな。どうやらマナで障壁を張ってるらしく、ブラフマーストラβでは破壊はできたが、貫通はできなかった。壊した後に他のスリロスで追撃しても、攻撃が当たる前にマナの障壁が再度張られてしまう。結局どうにもできずに、ここまで来てしまった。すまない」

「なんで、貴方が謝るのよ。貴方は悪くないじゃない。別に手を抜いていたわけではないのでしょう?」

「それは勿論だ。一切手など抜いていない」

「なら、貴方が謝る必要なんてない。全力を尽くして、それでも届かなかった。例え結果を残せなかっとしても、他人が非難していいわけじゃない」

「―――やっぱり、優しいな。レーヴァテインは」

「私は私の考えを言っているだけ。そこに思いやりなんて皆無よ」

「そうか。それでも俺はお前が優しいと思う」

「勝手に思ってなさい。でも、期待とかそういうのはしないでよ」

「わかってる。絶対しない」

 なら、良い。

 レーヴァテインは首肯して、こちらに向かってくる異族の群れをみやった。

 巨型種が率いる異族の群れ。男の口ぶりからするに、最後の来襲となるだろうその群れは、今までの小グループとは数の桁が違う。少なくとも二千五百体、最悪三千体に登るだろう。計算が合わないかもしれないが、コルテに侵攻する間に、新たな群れが巨型種のフェロモンに釣られていてもおかしくはない。

 これを二人で。レーヴァテインと隣の男とで倒さなければならない。

 やはり絶望的な状況に変わりはない。

(いや、どうにかなる?)

 ブラフマーストラβ。

 一帯の異族を一瞬の内に殲滅せしめたあの光柱ならば、あの程度の数は造作もないのでは?

「あ、因みにブラフマーストラβは後一発だから討伐には使えないぞ」

「は?」

「ブラフマーストラβは巨型種のマナの障壁を突破するのに使う。色々試してみたけど、スリロスの内で障壁を突破できるのはブラフマーストラβしかなかった。そして、ブラフマーストラβの弾は後一発しかない」

「マナを噴出してるんじゃないの?」

「いや、俺はマナを使えない。そもそも過去の技術だから、マナ操作をできるように設計はされていない。ブラフマーストラβの弾に使っているのはこれだ」

 シンが懐から取り出したのは、一本のピンク色の棒だった。

「――肉棒?」

「女の子がそういうこといっちゃいけないよ。肉柱とかにして」

「なんでよ?ま、何でもいいけど。で、それは何なの?」

「異族の血肉を固めたものだ。こいつブラフマーストラβに装填することで荷電粒子砲を放てる」

「ああ、なるほど。だから、異族の血とか肉を採取していたのね」

「そういうことだ。ま、それだけというわけではないのだが」

「となると、どうするの?本当に私たちだけで異族を討伐するつもり?」

「いいや、それは流石に無理だ。そもそも、俺はただの人間だ。地の状態ならともかく、最高レベルでの共鳴のバックアップを受けたキラープリンセスと肩を並べて戦うなど不可能に近い。出来ることがあるなら、スズメの涙ほどのバックアップくらいだ」

 なんだ、それは。

「役立たず」

「返す言葉もない」

 しかし、素直な所は好印象である。

「いかにもな感じで現れた癖に役に立たないのとか、ふざけてるの?」

「……ぐっ」

「というか、どちらにせよ戦線は崩壊するじゃない」

「いや、それは早計というものだぞ。俺は役に立たないかもしれが、彼女達は別だろう」

 上を見て見ろ、と男は上を指差す。

 導かれるがままにレーヴァテインは上を向く。

 そこでは。

 

 光の矢が空を埋め尽くしていた。

 

 

 

「弓隊が矢を放ったぞ。さぁ、急げ、急げ、急げ!」

 コルテの砦前に設置された最終防衛戦たる丸太の柵の内側にて、少奏官カルロ・ボンビエリは声を張り上げて、奏官とキラープリンセスたちを急かす。

 教会側の本陣はもうてんやわんやだ。総指揮官は祀官を殺すは、最高責任者の枢機卿は失踪するは、謎の光柱が異族を殲滅するは、キラープリンセスたちが目覚める(・・・・・・・・・・・・・・・)は、もう何が何やらで教会勢力は混乱の極みにあった。

 最も低い位階の少奏官が総指揮官まがいなことをしているのも、他の奏官が不測の事態の中でまともな指示がだせないからである。階級こそ低いものの場数は踏んでいるカルロは、この場にいる誰よりも速くキラープリンセスたちに指示を出した。そんなカルロを次第に他の奏官たちは頼るようになり、結果として総指揮官の座についてしまったというわけだ。

 ことの始まりはシンがブラフマーストラβによって異族を殲滅した直後に遡る。

 場所は教会勢力の本陣。レーヴァテインが異族の認識範囲外になるように、本陣から遠い場所で戦ってくれていたので此処には異族は一匹たりともやってきていない。

 人身御供の安全地帯で、カルロは意識を失っている自隊のキラープリンセス五人の側に居た。

 すーすー、と暴走しかけるという危機的状況にあったとは思えないほどに穏やかな寝息を立てる五人の娘たち。

 彼女達の寝姿を見て、カルロはこう思う。

(どうして私は、奏官(わたしたち)はこんなにも無力なんだ!)

 カルロが気絶した娘たちにできることは何もない。そんなわかり切った事実が彼を苛む。

 時折鎌首をもたげるこの無力感。

 奏官はキラープリンセスたちの戦闘を補助をし、バイブスで彼女達の力を安定させるのが役目。

 それだけしかできない、ただの案山子。

 そんなことは理解している、身に染みている。

 でも、割り切ることなんてできない。

 こんな年になっても、未だに未熟な感情を引きずっていてる。

 未練がましいと思う。見苦しいとも思う。

 それでも、歯がゆい、悔しい、苦しい。

 自分の無力に対する怒りが沸々と心の内から湧いてくる。

 大切な娘たちが危機に陥っているのに、何もできない自分の無力さが酷く恨めしかった。

(もし、あの光柱のような力があれば……)

 一瞬の内に異族の群れを壊滅させた謎の光。

 きっとあれはキラープリンセスの力ではない何かだ。もし手に入れることが出来たならば、矮小な人間でもキラープリンセスの力になれるだろうか?

 遠い平原に今はない光の影を追い求める。追いすがるような瞳で地平線を見つめる。

(ん?なんだ?)

 きらり、と視線の先で何かが煌めいた。

 かなり遠いのでよくわからないが、レーヴァテインの隣に誰かがいる。その何者かが手にしている何かが太陽の光を反射したのだ。

 煌めきは一瞬だ。それが一体何なのかをカルロが知ることはできなかった。

 それでも、レーヴァテインの隣にいる何者かを見定めるためにカルロはじっと目を凝らした。

 その直後。

 ずがっ、という音を立てて、一本の黒い陶器のような矢が地面に突き刺さる。

 疑問を持つ余地もなく、矢を中心に同心円状にキラープリンセスたちの体が、ビクンッ、と跳ねあがった。

「っ!?」

 カルロの背筋に冷たいものが走った。

 ただ事ではない様子に娘たちの元へと駆け付ける。

 一体何事だ?気を失っているのにも関わらず暴走か!?

 取り乱すカルロ。けれど、彼の暗い憶測を裏切るように、爽やかな朝の目覚めが如く目を覚ましたキラープリンセスたちは、口々にこう言ったのだ。

 「私たちを戦わせてくれませんか」と。

 そして、現在。カルロは自隊だけではなく、前線で全体の指揮を執り、戦線に立っている。

 カルロとて最初は反対した。

 また暴走するかもしれないから危険だ。君たちは此処で待機していたほうが良い。

 そう言って、娘たちを引き留めた。

 けれど、彼女達も食い下がった。

 私たちもう大丈夫だ。暴走の危険性はない。

 絶対の確信と強い意志を込めた瞳で彼女達は宣言したのだ。

 最初から悩む必要なんてなかった。 

 奏官にできることなんてたかが知れている。

 だったらできることをしよう。

 彼女達を信じよう。

 ここで彼女達を信じられずして何が奏官か!

 気が付けば、頷いていた。

 そうしてからは何もかもが駆け足で動いていった。

 目覚めたキラープリンセスたち。到来する未知の巨大異族。

 未確認の情報が渦巻く混乱の中、あれよあれよとカルロは総指揮官の座に就き、奏官とキラープリンセスをまとめ上げていた。

「カルロさんっ、全隊準備が出来たッス!」

 伝聞役のマイアが全ての隊の準備が整ったことを伝えてくれた。

 大きく息を吸い――――宣言する。

「全隊、突撃―――ッ!」

 空気を震わせる地面を駆ける音。

 疾駆する狩人の少女たち。

 異族の群れに突撃する彼女達は空を走る星に似ていた。

 願わくば、彼女達が空に消えてしまう星ではないことを。

 願わくば、彼女達の居場所に無事に帰ることを。

 カルロは戦火の目の前に立つ二人を見据えて、

「頼んだよ、シン君」

 最前線にいるであろう青年に小さく祈りを託すのだった。

 

 

 さて、気絶中のキラープリンセスたちに一体何が起きたのか?

 その答えは、暴走時に乱れてしまった合成によって形成されたキラープリンセスの総体のM波を調整することによる個人のM波の調整(チューニング)だ。

 シンが射った三本の矢には事前にCMCシステムコードの一つ、簡易調整(インスタント)を起動させて、矢を形成するM細胞が調整(チューニング)と同様のM波を発生するようにしている。各個人が暴走してしまったことで乱れている総体のM波に調整のための新たな波形加えることで、個人ではなく総体のM波を安定した形に調整した。総体が安定したことで連鎖的に個人のM波も安定した形へと調整されるという仕組みである。

 小難しい理論を抜けば、今この場にいる限りキラープリンセスたちは常時暴走治療用のCMCシステムコード〈調整(チューニング)〉を簡易的でありながらも受けている状態にある。つまりは、暴走しにくいというわけだ。あくまでも簡易的であるために、完全に暴走のリスクを除くことができるわけではないので、長期戦はあまり推奨されない。

 共鳴現象についてだが、安定した形にするために多少は全体の合成したM波が変質している。それでも強力な共鳴現象を受けて戦闘に臨めることには変わりはない。キラープリンセスにとって最大のアドバンテージは未だ失われていない。

 また、シンが矢を三方向に射ったのは、全体のM波の調整を効率的に行うためだ。CMCコード・簡易調整(インタスタント)で調整をするためにはもっと多くの数の矢を必要とするが、共鳴現象が密で強く、キラープリンセスたちに及ぼす影響が強いため三本で済んだ。また過去のように矢を大量生産できるわけではないので、左腕を形成しているM細胞を節約したいという事情もあったりする。

「CMCシステム起動、コード2117651〈ダーインスレイブ〉」

 シンは新しいCMCコードを音声入力し、新たなスリロスを形成する。

 北欧神話に語られる魔剣ダーインスレイブ。そう名付けられた何の変哲のない黒い片手剣がシンの主装備だ。

 三千年ぶりに握る剣はシンの手によく馴染む。二、三度振って感触を確かめていた。

「それが貴方の武器?」

 レーヴァテインがシンに問う。

「ああ。他のスリロスと違って、人間である俺が使うには一番合っているスリロスだ。無論、ダーインスレイブだけではまともにやり合えなかったから、他のスリロス――ロンギヌスのだったり、パラシュのだったり、全武器種のキラープリンセスのスリロスを再現できる」

「それって……貴方は最強ってことなんじゃないの?」

「まさか。いくらか改造しているとはいえ、俺はただの人間。キラープリンセスには遠く及ばない。小手先の技を積み重ねて、ようやくキラープリンセスと同程度もしくは下位互換程度の戦闘能力しか持っていない」

 シンはどこまでいっても人間の域を出ない。武器が多いとはいえ、扱う者が三流では宝の持ち腐れ。そもそもスリロスは所持者のみに許された唯一無二のものだ。キラープリンセスでなければスリロスの尖った性能を活かし切れない。よって、シンはキラープリンセスに比べて弱いのだ。

(ま、いくらでもやりようはあるが)

 そうでなければ約五千体の異族を討伐できないわけだが、その理由は今取り上げるべきことではないだろう。

 なんだ、やっぱり期待外れ。そう言いたげなレーヴァテインの視線から逃げるように、後ろを振り向くと極彩色の群れがあった。

 キラープリンセス。

 現代において人類の天敵を殺す人類の奉仕者にして迫害を被る被差別民。

 人類を異族から守ることが社会的存在理由なのに、守っている人間から恐れられ、侮蔑の対象となっている、報われない少女たち。

 彼女達しかいない戦場を俯瞰し、愚者の青年は小さく呟いた。

「こんなの、間違ってる」

 さほど遠くない所で地面を蹴る音がした。

 

 さぁ、最終決戦だ。

 

24

「私は貴方とツーマンセルで行きたいんだけど、どう思う?」

 レーヴァテインは背中を合わせている白衣の青年に尋ねた。

 既に異族は二人を認識し、駆けてきている。レーヴァテインとしては、さっさと方針を決めて戦闘に入りたいところだった。

「良いのか?さっきも言った通り、俺はお前の身体能力についてけないぞ」

「構わないわ。劣っている貴方とのペースに合わせるばら、私が楽できるし」

「相変わらずだな」

「それに、あのデカブツを倒すには貴方が必要でしょ。だったら、私が貴方を守るわよ。死なれたら困るし」

「………すまない、弱くて。だけど、自分の身くらいは自分でーー」

「いいのよ、別に、負い目を感じなくて。貴方は人間なんだから、大多数と同じように守られてなさい」

「それはーーーーッ!いや、今はよそう。事態も事態だからな」

 シンは一瞬言い返そうとしたが、すぐに口を閉じた。訴えたいことはあるが、眼前に敵が迫る今訴えるべきことではないだろう。

 レーヴァテインは言葉を飲み込んだシンを敢えて無視して、自身の長剣を構えた。男のことなどどうでも良いと思っているが、共闘相手にはグダグダしていてもらっては彼女としては迷惑だ。足踏みをする男に発破をかけるとまでは言わないが、意識を変えて貰うために武器を構えたのだ。

 目論見通りにレーヴァテインに続いてシンも自らの武器を構えた。気遣いに気づいたかどうかは、彼女にはわからない。

 レーヴァテインはわざと軽い調子で言う。

「準備は良い?さっさと終わらせるわよ。帰って、ぐっすり寝たいんだから」

「本当に平常運転だな。ま、その方がお前らしいか」

「む、何よ。文句あるわけ?」

「いいや、全然」

「帰ったら、高いもの奢ってよ」

「わかったよ。高くて美味いものをご馳走してやる」

「楽しみにしてるわ―――――それじゃあ、行きましょうかっ」

 迫り来るはおよそ二千五百の異族たち。

 レーヴァテインはシンに目配せすると、迎え撃つように群れの先頭に突撃した。

 わずかに遅れながら、シンもレーヴァテインに続く。

 第一刀はレーヴァテインだった。

「――――ッ!」

 定石通りの一撃必殺。唐突な一撃に共鳴の恩恵を受ける異族でも反応が出来ずに真っ二つにされた。

 続けて二体目に斬りかかる。しかし、その一撃は紙一重で避けられてしまった。

「―――ちっ!」

 思わず吐く舌打ち。

 即座に剣を引き、追撃を止めて後退する。同じ轍を二度踏んでたまるか。

 相手の異族はレーヴァテインを斬り殺さんと得物の槍を人間離れした速さで突きだした。

 鋭く、速いその一撃。

 その穂先がレーヴァテインに届く、その瞬間に手に持った槍が弾き飛ばされた。

「CMCシステム起動、瞬間強化(ブースト)ッ!」

 CMCシステムコード〈瞬間強化(ブースト)〉。その効果は一時的な身体能力の底上げだ。持続時間は五秒から十秒ほどと極めて短時間だが爆発力は凄まじく、効果時間内であれば今のキラープリンセスの身体能力すら軽く凌駕する。

 シンは瞬間強化の性質を利用して、正面切っての不意打ちに成功した。異族の意表を突いたのだ。

 異族はシンが人間であることを見抜いていただろう。人類の天敵である異族にはいくらか混じっているいえはとはいえ、シンが人間であるということは火をみることよりも明らからなはずである。故に異族はシンの力を見誤っていた。人間と同程度の身体能力しか持たないだろうと本能的にあたりをつけ、油断をしていた。

 だから異族はシンの一撃を許した。

「――――はッ!」

 気迫と共に異族に剣を突き刺した。

 ずぶり、という肉の感触が生々しい。

「冥福を」

 小さく呟いて、異族から剣を引き抜く。

 ぞぷり、と血が溢れ出て花畑を赤く染めた。

 打ち捨てた死。戦場にも関わらず、空漠な瞳でそれをシンは眺めていた。

「ちょっと、何ぼーっとしてるのっ!」

「ああ、すまない。すぐに行く」

 頭を振り、芽生えた感傷を振り払う。

 この感傷は限りなく無駄なものだ。本来なら抱くべきではない、いや抱いてはいけない心の痛みだった。

 今殺した異族(かれ)だって、殺されてきた名前のない誰かで、これから殺していく名前を知らない救いようのない誰かの一人でしかないのだから。

 シンの罪の犠牲者の一人なのだから。

 きっと振り返る資格なんてない。それでも、傲慢であっても、シンは祈らずにいられなかった。

 

 異族(かれら)の旅路に冥福を。どうか終着点では幸福でありますように。

 

 

 討伐自体は順調に進んだ。教会側の討伐本隊も合流し、いよいよ討伐戦は佳境に入る。

 といっても数は十分、暴走の危険性もない以上、キラープリンセス側が優位に立っている。異族も共鳴しているとはいえ、これ以上ないほどの共鳴のバックアップを受けている今のキラープリンセスにとっては大した障害にはなりえない。ワンサイドゲームとはいかないまでも、通常の討伐と同じくらいの困難さだった。

 苦戦しているといえば、シンくらいである。

「CMCシステム起動、コード2176591〈ヴァナルガンド〉!」

 文字通り牙を剥くシンの左腕。腕が裂け、口が開き、異族の一体を呑み込んだ。

 CMCシステムコード〈ヴァナルガンド〉。北欧神話の最終戦争にてオーディンを呑み込んだ巨狼フェンリルの別名。それを冠したこのスリロスは武器を作るのではなく、左腕を一体の生き物に変じるものだ。

 シンがスリロスを生成する際、M細胞は生成前と生成後で質量は一致しない。多かれ少なかれ無自覚の喪失がある。ヴァナルガンドは戦闘時に喪失した分のM細胞を補填するためのスリロスだ。発動すれば左腕に消化器官が形成され、異界存在もといM細胞を保持する生き物を食べれば動物と同様に栄養を吸収する。その栄養を以て、シンの左腕はM細胞を補填している。

「えぐい」

 レーヴァテインは異族を丸呑みするシンの左腕を見て、嫌悪感を隠さずに言った。

「……気持ち悪い」

「使っている俺が言うのもどうかと思うが、気持ち悪いことには同感だ」

「狼というより蛇ね、それ」

「これを見つけたときはヨルムンガンドとどちらにするか喧嘩になった」

「ちなみに貴方はどっちだったの?」

「ヨルムンガンド」

「じゃあ、なんでヴァナルガンドなの?」

「牙が蛇の形状よりも狼のものに近かったんだ」

「……そう」

 レーヴァテインの憐みを含んだ視線が痛い。

『三時方向より、異族二体の接近を確認』

 左眼の〈ana〉が観測した情報を文字で打つ。

 異族が二体やってきたので、シンは戦闘に逃げた。

「CMCシステム起動、コード1628532〈ワズラ〉」 

 左腕が蠢き、形成するは巨斧〈ワズラ〉。古くはイラン神話に登場し、インドやギリシャ、ゾロアスター教、マニ教に影響を与え、ユダヤ教のメタトロン、仏教の弥勒菩薩などの原形にもまったというミスラ。彼の棍棒と同じ名前を持つスリロスは、シンの身長と同じくらいの大きさの斧だ。刃は大樹の幹ほど広く、レーヴァテインのスリロスよりも遥かに破壊に特化した粉砕武器である。

 シンは渾身の力で巨斧を振りかぶり、横薙ぎに振るう。

「らぁっッ!」

 これで異族の体は真っ二つ。シンはそう予想していた。けれども、シンの予想は外れることとなる。

「ギ、ギ、ギィ」

「ギェェェェッ!」

 なんと最初に斧を受けた異族が自分の体を犠牲にして、斧の追撃を食い止めたのだ。

 異族には仲間を庇うという仲間意識はない。真実はたまたま庇った異族の執念が強かった、そして異族側の共鳴によって筋肉組織が非共鳴時よりも強靭になった。ただそれだけのことである。

 けれども、過程はどうあれ結果は同じことだ。一体は倒れ、一体は生き残った。この事実は揺るがない。

「CMCシステム起動!コード1417845〈マサムネ〉ッ!」

 早口に新たなコードを音声入力して、武器を巨斧(ワズラ)から日本刀(マサムネ)へと形成しなおす。体を半身ずらし、なんとか異族の剣を紙一重で避けた。

「CMCシステム起動、瞬間強化!」

 そして、立て続けに刹那の爆発力を利用して、すれ違い様に狩り損ねた異族を切断する。

 ぼとぼと、という重たい音がした。

「ふぅ……危なかった」

 そんな安易な安堵に怒る者がいた。

『危なかったじゃありませんッ!何をしているのですか!』

「ワズラなら二体まとめて切断できると思ったんだ」

『異族だって共鳴で強化されているのは知っているでしょう!筋肉の硬質化も容易に想像できたはずですっ。甘い見通しは控えてください!』

「うっ、すまない」

『すまない、じゃないでしょうっ!しっかりしてくださいっ!起きてからというもの、貴方は気が抜けすぎていますっ!』

「面目ない」

『ああ、もうっ!すぐに謝るのも、貴方らしく――』

「〈ana〉、心配してくれている所すまないが」

『なんですか(激怒)』

「レーヴァテインが変な目で見てる」

『自業自得でしょうがっ!』

 怒りを示すように画面が激しく明滅した後、それっきり〈ana〉は沈黙してしまった。

 やってしまった、とシンは頭を掻く。

 そして一連のやり取りを見ていたレーヴァテインは「頭大丈夫?」と、シンの独り言の異様さのあまり、彼に聞いてしまっていた。

「一体誰と話しているの?寂しさを紛らわせるための理想の美少女の妄想?」

「俺はそんな悲しい奴じゃない。というよりも、なんだその妙に具体的な推測は。記憶を取り戻しているのか?」

「何の話?どうでも良いこと言ってないで、私の質問に答えなさいよ」

「〈ana〉って言って、俺の左眼の義眼――正確にはこめかみ辺りの極小コンピュータに内臓されている人工知能と話していたんだ」

「―――そう、聞いた私が馬鹿だった」

 相も変わらず訳が分からない説明が返ってくる。レーヴァテインは自分の学習能力の無さに嘆息した。

 シンは釈然としていない顔をしていたが、レーヴァテインは無視した。

 もっと建設的な話をしよう。

 レーヴァテインは視線の先に歪な異族を捉えて、シンに尋ねた。

「ねぇ、こっから巨型種を狙えないの?」

「可能だ。だが、この距離だとレーヴァテインが巨型種に辿り着く前に、破壊したマナの障壁が回復してしまう。ブラフマーストラβの弾はあと一個しかない。失敗は許されない以上万全を期したい。もう少し近づくべきだ」

「そっか……とはいっても、貴方があの様じゃ厳しいみたいだけど」

 手厳しいレーヴァテインにシンはただ項垂れるしかない。

 巨型種と二人の間にはまだずらりと異族が立ち塞がっている。シンがあの体たらくでは突破は難しいだろう。

 シンは頭を悩ませた。

 まさか自分がここまで役に立てなくなるとは思っていなかった。仮にも過去でキラープリンセスと肩を並べて異界存在と戦っていたのに、たかが異族で苦戦するとは考えていなかったのだ。

 シンの所感では異族は異界存在より遥かに弱い。現に単独行動していた間は苦戦せず討伐はできていた。

 シンが苦戦しているのは、ひとえに異族の共鳴が原因である。異族の戦闘能力は共鳴の有無で大きく変わっていた。

(ほとほと今回は共鳴に苦しめられるな)

 キラープリンセスが陥った暴走未遂。これも強すぎる共鳴現象による身体能力の超強化が原因であったし、彼女達が危機に陥る前に戦線に戻り、簡易調整(インスタント)を施す予定も共鳴現象が起きた異族のせいでご破算だ。加えて、シンの左腕を見て記憶を取り戻したキラープリンセスが暴走するなんてことがあったら、「不幸だぁぁぁっ!」と何処ぞの平凡な高校生ばりに叫ぶところであったが、幸運の女神はそこまで冷酷ではなかったらしい。記憶を取り戻したキラープリンセスはおらず、暴走するようなことはなかった。

 それでも、二人が行き詰っているのは事実。他隊のキラープリンセスに協力を仰ごうにも、彼女達は異族の討伐に掛かり切りで増援は望めない。全ての異族を討伐してから巨型種を討伐するのも一つの手段だが、それまでに疲労した彼女達の体が動けるかどうかわからない。肉体治癒(ヒーリング)を施す余裕もないし、シンとして余力がある今の内に巨型種を討伐したいのだった。

「ブラフマーストラβであれば、どれほどの距離でマナの障壁を砕けるの?」

「実は距離はあまり関係ない。届けば壊せる。だけど、この乱戦の状態ではな……」

「溜めの時間もあるってことね?確かに貴方が無防備になるわけにはいかないか」

「そのとおりだ。弾の装填には五秒ほどかかる。その間はレーヴァテインに巨型種を相手してもらわなければならない」

「……おごり一つ追加ね」

「了解。奮発させてもらおう」

 シンはマサムネからダーインスレイブへと得物を形成し直した。

 対するは異族の大群。能力が遥かに劣るシンと肉体治癒(ヒーリング)で応急処置を施しただけの手負いのレーヴァテインのコンビでは突破は辛いだろう。

 シンはレーヴァテインに突撃の合図である目配せをした。レーヴァテインはそれに答える。  

「それでは、行こう――――」

「――――へぇ~い、ハァピィしてる~?」

 唐突な、戦場に似合わない陽気な声と共に異族たちが吹き飛んだ。

 さらに追い込むように厳つい鉄球が異族を吹き飛ばす。

 フライクーゲルのマナ弾による銃撃とアイムールのモーニングスターによる急襲だ。

第一世代(ファーストキラーズ)フライクーゲル、第二世代(セカンドキラーズ)アスクレピオス、第四世代(フォースキラーズ)パラケルスス及びアイムール。以上四名が合流します』

 ややあって〈ana〉が観測結果を眼球に映す。「もう合流しているぞ」と言うと〈ana〉は自発的にスリープモードに入ってしまった。拗ねたようだった。情緒が豊かすぎる人工知能である。

 四名の内アスクレピオスが一歩前に立ち、一礼してから言う。

「カルロ・マイア隊に所属する(わたくし)たち四名、マスターの命により貴方の援護に参りました。よろしくお願いします」

「ああ、カルロさんの所の―――こちらこそ、よろしく。願ってもない援軍だ。早速だが、協力してほしいことがある」

「わかりました。では、指示を。色々聞きたいことがありますが、今はそのようなこと些事。すぐに作戦行動に移ります」

「頼む。ああ、別に敬語じゃなくてもいいぞ。窮屈だろう」

「あ、そう?じゃあ、やめさせてもらうわね。正直敬語は苦手なのよね」

 マスターの言いつけだけど、慣れないから辛いわね、と肩苦しさを取るようにアスクレピオスは肩を揉んだ。

「で、一体私たちは何をやればいいの?」

「単純なことだ。あのでかぶつまでの道を切り開いて欲しい」

「オッケー、そんなの簡単よ。まかせておきなさい」

 アスクレピオスは不敵に笑う。

 この四名とレーヴァテイン、合計五名のキラープリンセスがいれば異族の大群を突破することなど取るに足らないことだろう。

 リーダーを任されているらしいアスクレピオスが指示を出すと、めいめい彼女達は異族へと突撃する。

 一瞬パラケルススが難しい顔をしてシンのことを見たが、すぐに視線を外し他四名へと続いていく。

 シンもただ見ているだけではない。近接戦闘能力が低い杖系統のアスクレピオスの護衛を務めつつ、ためらいなく銃をぶっ放すフライクーゲルのサポートを行う。

 ふと、フライクーゲルが聞いてきた。

「ねぇ~、貴方って本当に人間?そうだとしたら、べぇりぃ、べぇりぃ、サプライズなんだけど~っ!」

「俺は人間だ。どうしようもないほどにな」

「ふ~ん、そうは見えないけど~」

 フライクーゲルがあからさまに信用していない態度を見せた。彼女がさらなる追及をしようとすると、アスクレピオスの苛ただし気な声が飛んできた。

「無駄話なんかしてないでっ、さっさと次を打ちなさい!」

「は~い、は~い、わかってるてぇ~。アスクレピオスは私にだけシヴィアじゃない?」

「アンタが一番問題起こすからでしょうが!シンも、こんな奴に構ってなくていいから次をやりなさい!」

「了解」

 キラープリンセスが人間(マスター)に命令するというあべこべな状態なっているが、シンよりも五人の特性を知っているアスクレピオスが指示を出すのが効率的である。これが最適解と言えた。 

『プツン—――三時方向数〈1〉:戦型種:種別〈剣〉接近中』

「把握したっ――と」

 〈ana〉の観測に従って、ダーインスレイブで異族を迎え撃つ。

 鍔ぜり合う剣と剣。

 拮抗は長くは続かなかった。

「CMCシステム起動、コード2414635〈天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)〉」

 シンが新たにスリロスを変形させる。

 日本の天皇の権威の象徴、三種の神器。天皇の武を示すという草薙剣の別名である天叢雲剣と名付けられたそのスリロスは長大な両刃剣だ。

「ギゲッ」

 これに驚いたのは異族だ。

 なにしろ相手の武器が変わり、リーチと重さ(・・・・・・)が一瞬の内に変わったのだ。しかも、鍔ぜり合っているという極接近状態で。

 間合いがダーインスレイブより長い天叢雲剣の刃先が異族の胴届く。

 すぐさま後退しようとする異族。 

 それを見逃すシンではない。瞬間強化の爆発力で一気に異族の心臓を貫く。

「シンっ、退きなさい!」

 アスクレピオスが叫んだ。

 シンは異族の死体を捨て置いて、指示通り後ろ向きに跳躍する。

 そして彼と入れ替わるように、アスクレピオスのマナ弾の弾幕が張られた。

 シンが殺した異族の後ろに続くようにやってきていた異族たちが被弾したり、余波を受けたりして怯んだ。

「カバーお願いっ!」

 アスクレピオスが他隊のキラープリンセスに要請すると、手の空いていた一つの隊が討伐に取り掛かる。

 カルロ・マイア本隊に合流すると、シンはアスクレピオスに言った。

「見事の采配だ。感服した」

「こんなこと大したことないわよ―――でも、ありがと」

 思わぬ賞賛に不意を突かれ、アスクレピオスは頬を朱色に染めた。

「ア、アンタこそ人間にしては良くやってるじゃない」

「まぁ、な。とはいっても、間合いの違う武器を頻繁に取り換えたり、瞬間強化を使ったりして、不意を突いて騙し騙しやってるのが、現状で歯がゆいが」

 シンが嘆息気味に言うと一人のキラープリンセスが声を掛けてきた。

「それでも十分大健闘だと思う。君はよくやっているよ。さて、そんなことより、君の左腕は(わたくし)の興味を引くに値する。この戦いが終わったら研究させてもらえないか?」

 キラープリンセスの中で屈指の探求心を持つパラケルススだ。

 アイムールと共にレーヴァテインの支援を行っていたはずだが、どうしてだか後方に下がっていた。

「パラケルスス、どうしてこっちに来たのよ。レーヴァテインの支援はどうしたの?」

「余裕がありそうだったから、こっちに来た。どうして好奇心を押さえられなくてね。彼と話しがしたくてしかたがなかったんだ。それで、どうだい?調べさせてくれるかい?」

「断る」

「むぅ、ちょっとだけでも――」

「断る」

 頑ななシンの態度に「そうかい」と不貞腐れたようにパラケルススは言った。

 同じ研究者として気持ちはわかるが、わかるが故に何をされるかが予想がつく。解剖されたり、切断されたり、得体のしれない薬を打ち込まれるのなんてまっぴらごめんだ。そも、シンの左腕は複雑極まりない技術の塊だ。世紀の天才マックと最先端異界存在研究の後継者シン、始まりのキラープリンセスの三人が協力して生み出した産物であるために、おいそれと他人に渡すことなどできないのである。

「ちょっと!そろそろ巨型種との適切戦闘領域ぐらいじゃない!?ぐだぐだ喋ってないで戦闘に集中しなさい!」

 こっちは必死で戦っているのに、何くっちゃべってるのよ、とレーヴァテインが苛ただし気に叫んだ。

 六人と巨型種の間にいる異族はレーヴァテインが中心になって薙ぎ払ってくれた。残っているのはちょっとした数の異族だけだ。

 随分とトントン拍子で作戦が進んでいるが、実際六名のキラープリンセスが居れば異族をかき分けて進むのなんてわけないことで、特にレーヴァテインが五名ものキラープリンセスのバックアップを受けている時点で多少なりとも余裕はあるのだった。 

 シンはスリロスをフライクーゲルに変更し、レーヴァテインの道を塞ぐ異族を吹き飛ばした。

「そのまま行けっ、レーヴァテイン!」

 シンの言葉を背にレーヴァテインは急加速する。

 前かがみになり疾駆する姿は、さながら肉食獣の如く。 

 レーヴァテインは剣を振りかぶり、巨型種に斬りかかった。

 しかし。

「話に聞いてた通りってわけ」

 戦型種であれば異族を真っ二つに分断できるレーヴァテインの一撃が、カキン、という硬質な音共にあっさりと弾かれた。

 感触は鎧型種の硬い皮膚のような生物的なものではなく、金属のそれに近い。反動でレーヴァテインの指が痺れ、彼女はスリロスを手放しそうになった。

 レーヴァテインを知覚した巨型種がその巨大な腕を羽虫を払うように動かす。

 けれどその動きは巨体に似合った鈍重さであったので、レーヴァテインは難なく腕を避けて地面に着地した。

「……追ってこない」

 一撃見舞ってから本隊と合流したレーヴァテインは自分を追って来ない巨型種に首を傾げならそう言った。

 一番の事情通(シン)に真相を尋ねてみる。

「どういうことなの?」

「原理は俺にもわからない。一体何を目的としてそうなっているかも不明だ。巨型種は能動的に襲って来ない。事実として、ただそれがある。俺に言えるのはこれだけだ」

 これがシンが単独行動中に何度か巨型種と戦闘を行って出した結論だ。最初は頭鈍いだけかと思い何度も攻撃して退避を繰り返し注意を引き付けてみたが、いっこうに巨型種は襲ってこなかった。そのためにシンは巨型種は能動的に攻撃できないように設定されているのだと、結論づけた。

 しかしながら、この結論を五名のキラープリンセスたちは肯定できなかった。

「え~、でも、それじゃあおかしくなぁい?」

「フライクーゲルの言う通り。巨型種が受動的な行動、つまり反撃しか行わないというのなら、どうして君の護衛が必要なんだい?君の言うブラフマーストラのスリロスの亜種、ブラフマーストラβは巨型種に直接害を加える物ではない。エネルギーの充填中に君が攻撃されるのは矛盾が生じている」

 シンは当初よりレーヴァテインにブラフマーストラβのエネルギー充填中に巨型種の相手をしてもらうことを想定していたし、途中合流したカルロ・マイア隊の面々にも同様のことを要求していた。しかし、巨型種が能動的に襲ってこないのならば、シンがエネルギー充填中に襲われることもないはずだ。

 彼女達の疑問にシンはこう答えた。

「俺がエネルギー充填しているときだけ、巨型種は襲ってくるんだ」

「それは例外的にということかい?弓や他の銃系統ではそうならないんだね」

「その通りだ、パラケルスス。もしかしたら、自分のマナの防御できるものを自衛のために排除しようとしているだけかもしれないな」

 なるほど、とキラープリンセスたちがシンの説明に納得したときだった。ふと降って湧いた疑問にレーヴァテインが何の気なしに尋ねる。

「そもそも、どうやって護衛なしにブラフマーストラβが有効って証明したの?護衛なしだったら、エネルギー充填中に襲われるんでしょ?まさか、一撃受けたわけ?」

「受けたわけではないが、受ける覚悟でブラフマーストラβを巨型種に食らわせた。ただ、それだけのことだ」

 シンが言うと皆が呆れと驚きが入り混じった顔をした。信じられないと言いたげに彼を見る。

「どうして、そんな顔をする?何かおかしいことを言ったか?」

「……いいや、何でもないわよ。貴方が飛び切りの馬鹿だってわかっただけ」

「どういうことだ?」

「わからないなら、別に良い。他の隊も仕事を終えつつある。さっさと巨型種を討伐するわよ。私たちが一番最後って言うのもなんか癪だし」

 レーヴァテインが気に入らないと眉を顰めた。

 周囲を見れば、残っている異族も僅かとなっている。全滅させられるのも時間の問題だろう。

 そして、巨型種討伐もさほど時間は掛からないだろう。シンのブラフマーストラβがエネルギー充填するまでの五秒間、五名のキラープリンセスが巨型種を抑え込めば良いだけのこと。

 シンは左腕を巨型種へと突き出した。

「みんな、五秒で良いからアイツを抑え込んでくれ。そうすれば、俺がブラフマーストラβで巨型種のマナの障壁を破壊する。そしたら――」

「私が巨型種の心臓をぶち抜く、でいいんでしょう?」

「その通りだ」

 レーヴァテインの返事に、シンはニヤリと笑った。

「何笑ってるのよ。気持ち悪い」

「いいや、何でもない。ちょっと嬉しかっただけだ」

 首を傾げるレーヴァテインの様子が、これまた可笑しくてつい声を上げて笑ってしまう。

「ちょっと、シン。気が緩み過ぎじゃないの?」

「そうそう、ハァピィ~なのはわかるけど、もっと気を引き締めなきゃバァドだよぉ」

 アスクレピオスとフライクーゲルが苦言を呈す。

 それを受けて、シンは緩んだ顔を引き締めた。

 いよいよ作戦の鍵を形成する。

「CMCシステム起動、コード2754389〈ブラフマーストラβ〉」

 蠢動するシンの左腕。他のスリロスを形成する時より、何倍も左腕は膨らんだ。ボコボコと不気味な音を立てて、肉塊はおぞましく起伏する。シンと同じくらいの大きさに、風船のように膨らんだそれは、やがて、前後に伸縮し、どっしりとした佇まいの巨砲へと変化した。装飾はなく、のっぺりとした漆黒の砲台は全長十メートルほどであり、その重量を支えるための脚が地面へと縫い込むことでアンバランスな兵器の運用をシンに可能とさせていた。

 それがブラフマーストラβ。シンが変化させることができるスリロスの中で最も破壊力に特化したスリロスである。

 シンは異族の血肉を固めた肉柱を取り出して、巨砲に装填する。

『M細胞の充填を確認。エネルギー充填開始―――秒読開始(カウント・スタート)

 熱を帯びるブラフマーストラβ。砲口から仄かに光が溢れだし始める。

 同時に、ドシンという重たい音と共に地面が揺れる。自身を害する武器の起動に巨型種が動き出したのだ。

「―――(ファイブ)

 〈ana〉が左眼に映すカウントダウンをシンが口にする。

 シンの秒読みが開始されると、五名のキラープリンセスたちも巨型種の進行を防ぐべく、一丸となって駆け出した。

「―――(フォー)

 フライクーゲルとアスクレピオスが隊より抜きんでた。それを合図とし、他三人が巨型種の進行線上からから逸れる。

 両手に装備した銃をフライクーゲルは間断なくぶっ放す。狙っているのは巨型種―――ではない(・・・・)。撃つのは巨型種が進む地面。何しろ巨型種は見た目通り重い。体を支えるためには、足場がしっかりしていなければならない。そこで地面を柔らかくするためにマナ弾の斉射で地面を耕して、巨型種の足止めあわよくば転倒を狙ってのことだった。

 フライクーゲルの後ろに立つアスクレピオスは、杖を使って空気中のマナをかき集めていた。目を瞑り、眉間に皺を寄せて、静かに周囲のマナを杖の先端に集約させる。

「―――(スリー)

 続いて動いたのはアイムールだ。

 彼女は巨型種の進行線を横切るように、スリロスであるモーニングスターを投げた。そして、ピンと鎖を張った。

 鎖と巨型種がぶつかり合う。

 瞬間、巨型種が鎖に足を取られ体勢を崩した。フライクーゲルが事前に耕していた地面が効果を発揮した。柔らかい地面に足の踏ん張りがきかず、巨型種は前傾に倒れ掛かる。

「―――(ツー)

 小柄な影が巨型種の腕を駆けあがった。

 パラケルススだ。バランスを崩しかけている巨型種の体は安定しないが、彼女は動じる様子もなく巨型種の腕を走っている。

 巨型種がバランスを整えようとしてか、パラケルススを払おうとしてかはわからないが、上を直上に上げた。

 移動中のパラケルススは容赦なく空中へ吹き上げられる。

 だが、むしろ好都合。パラケルススは静かに、ニヤリと笑う。

 落ちるパラケルススは落下速度を利用して、異族の背中を蹴り飛ばした。

 それがトドメの一撃だった。揺れていた巨型種の体は前方へと倒れ込んだ。

 しかし、このままではブラフマーストラβの射線上から逸れてしまう――――!

「―――(ワン)

 倒れ込む巨型種に巨大な光球が激突した。

 正体はマナ弾。アスクレピオスが周囲のマナを出来る限りかき集めて生み出した巨大なマナ弾だ。

 巨大マナ弾の衝撃で異族の体が後方に押し返された。

 再び巨型種がブラフマーストラβの射線上に戻る!

「―――(アウト)

 シンの宣告と共に、巨砲の光が一層の輝きを帯びる。

 足止めをしていた五名のキラープリンセスたちは巻き添えをくらうまいと、ブラフマーストラβの射線上から退いた。

『ブラフマーストラβ、エネルギー充填完了―――全エネルギー放出』

 〈ana〉の事務的な文字表示の後。

 

 空気が震えた。

 

 ズドン、という表現では物足りない音量の爆音を響かせて、極大の白光は空気を焼いた。

 射出された高熱量のエネルギーは等しく全てを薙ぎ払う災害だ。

 代償は反動による左腕の消滅とシンが竜巻の中のぼろ布のように吹き飛ばされること。

 だが、それらを些事と言えるほどの結果をそれは導きだす。

 愚者の黒腕。過去の技術の粋を集めた唯一無二の兵器が生み出せる最高火力が、巨型種を守るマナの障壁を打ち砕く。

「ガァァァァァァァァァッッッッッ!」

 白光に飲み込まれ、吠える巨型種。

 それは怒りか、恐れか、それともただの反射か。

 真実なぞ、定かではない。

 そも真実などどうでも良い。

 巨型種を守る究極の楯が消失した。

 その現実のみが絶対だ。

「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!!!」

 白光の消失。

 その直後。

 銀の輝きが地面から飛び立った。

 白光の熱気が残る中、その輝きは巨型種の胸へと真っ直ぐに飛び込んで。

 そして――――

 

 

 

 

 異族の消えた遥かな地平線。異形の死骸が転がる花畑をレーヴァテインはぼんやりと眺めていた。

 体はもう言うことを聞かない。体力は限界を迎え、呼吸が上手くいかず、肩で息をする。

「これで全部終わり?」

 レーヴァテインは、ふと背中を合わせて座っている男に問い掛ける。

「ああ、そうだな」

 かくいう男も、吹き飛んだ左腕をゆっくりと再生させていて満身創痍の恰好だった。

 ぐったりとしているのはシンとレーヴァテインだけではない。巨型種討伐に協力してくれた他五名も同様だ。アスクレピオスなんかは、フライクーゲルがしだれかかっているにもかかわらず、払いのけることさえしてなかった。

 巨型種は既にレーヴァテインによって心臓をスリロスで貫かれ、絶命している。他の異族も、キラープリンセスたちによって全て殲滅されていた。

「じゃあ、これで貴方との契約も終了ね。いや、違うわね。奢ってもらうまでは継続か」

「………なぁ、レーヴァテイン、本当に俺とついてきてくれないのか?」

「嫌よ、絶対に。教会と敵対するなんてお断りだし、今回のことで誰かと契約関係を結ぶのにも懲りた。多少不便でも、野良に戻ってのんびり暮らすわ」

「そう……か……」

 シンは明らかに落胆したような声の調子でそう言った。

 きっと、この男にも目的があって、きっと私は必要とされているのだろう。

 レーヴァテインはそう思いながらも、やはり男の願いを断った。彼女が男の願いに応じる義務もないし、意志もない。ならば、猶更男と同行するのは良くないだろう。そも、キラープリンセスにはイミテーションがいる。多少の性格の違いや能力の差はあれど、レーヴァテインの戦力が欲しいならイミテーションを誘えば良いだけの話である。

 レーヴァテインは両手を組んで「う~ん」と上に体を伸ばすと腰を上げた。

 シンは追いすがるように、レーヴァテインの腕を掴もうとする。

 けれど、彼の手は軽やかに避けられてしまいレーヴァテインには届かない。

 レーヴァテインとシンが交わる道は彼女に拒絶されてしまった。

 きっと彼女は振り返らないし、彼は追えない。

 そんな彼と彼女が永遠の離別を果たそうとする瞬間に。

 

 それは起きた。

 

「きゃ!?」

「何だっ!?」

 ブラフマーストラβの発射音と同じ、いやそれ以上の爆音と共に地面が大きく揺れた。

 倒れたレーヴァテインをシンは右腕と体で抱き留めて、揺れの発生源である振り返る(・・・・)

 彼が目にしたものはコルテの街から立ち上る巨大なキノコ雲。

 過去を知る男は、戦慄と共に答えを導き出した。

 

「核……爆弾………っ!」

 

 




words
・異界存在細胞(M細胞) 
異界存在の細胞。またシンの左腕やキラープリンセス、スリロスを構成する細胞でもある。

・M波
異界存在細胞が常時放つ波。脳波のような物。M波の波長の変化次第では発生源である異界存在細胞にも影響を与えることが知られている。
また波長、振幅、周期の三要素が近い値でなければ、合成が発生しないという特徴も持つ。

・共鳴現象の原理
複数の異界存在細胞所持者が一定範囲内に存在すると、各個体のM波が合成する。これを総体としてのM波と呼ぶ。この総体としてのM波によって各個体のM波が一つのある種最適な形に変化させられる。最適化されたM波は異界存在細胞に影響を与え、筋力の増強や新陳代謝の向上などのメリットを引き起こす。

・シンの左腕。
過去においてシン、マック、始まりのキラープリンセスの協力のもとで作られた、異界存在細胞によって構成させれている生物的な義腕。
CMCシステムによってスリロスへと変化する。

・異族の群れの融合について
A群とB群が遭遇した際に二つの異族の群れは一時的に融合する。異族は群れ毎に特殊なフェロモンを発生させていて、別の群れのフェロモンを嗅ぐと認識系の器官が麻痺する。そうすることで、本来適性数以上群れを大きくしない異族が一時的に群れを適性数以上の個体数にする。

・何故異族の群れが巨大になったのか。
巨型種が背中に背負っていた機械から濃いフェロモンを噴出し、異族たちをフェロモン中毒、もしくはフェロモン依存症のような状態にして、巨型種が異族たちを扇動した。

・何故異族がコルテに向かってきたのか。
異族を扇動していた巨型種の脳は人工的に調節されており、コルテの支部教会地下より発生していた電波を受信し、脳神経とつないだ機器から出される命令「電波が来る方角へ進め」を実行していた。
実はシンが初めてコルテ大規模討伐作戦を通達された日に、電波の発信機を破壊していた。ラーメン屋でレーヴァテインが目的した部品がそれである。結果を見るに、どうやら無意味な行為だったようである。

・異族に対するシンの態度
冥福を祈ったその理由は現在不明である。

・シンの強さ
キラープリンセス>コルテ大規模討伐作戦で戦った異族≧シン>異族

・CMCシステムスリロス対応コード表
1417845 マサムネ
1548726 アルテミス
1628532 ワズラ
2117651 ダーインスレイブ
2176591 ヴァナルガンド
2414635 天叢雲剣
2754389 ブラフマーストラβ




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epilogue

24 

 核爆弾。

 それは人類が生み出した、最も悍ましく、最も嫌悪すべき科学の悪魔。

 人類に対して使われたのは太平洋戦争時の二度であり、東西冷戦時に開発競争が盛んになった人類史上最悪の大量殺戮兵器の一つ。

 異界存在の侵攻を食い止めることが出来なかった無価値な有害なだけの役立たず(ゴミ)である。

 一度は、二十二世紀初頭に起きた杉山義弘のテロによって全ての核兵器とそれを製造し得る危険国家が壊滅させられ、核兵器製造禁止条約によって核兵器の根絶が世界によって選択された。それにも関わらず、大国によって極秘裏に製造されていた国が縋る悪夢だ。

 そして。

 現代兵器とは無縁なはずの天上世界にて。

 人類に振るわれた三度目の惨劇の結末を、シンは目の当たりにしていた。

(何が……起きている……?)

 予想の埒外の現実がシンを困惑の淵に立たせていた。

 今回の一万体の異族の裏には間違いなく計画派(きょうかい)の目的がある。

 その目的はキラープリンセスを意図的に暴走させ、暴走時のエネルギー保有量を計測するというもの。

 少なくとも、シンはそう考えていた。

 それは間違いではないはずだ。少なくとも、コルテ大規模討伐戦の真なる目的を言い当てているはずだ。

 では、何故、何故コルテが爆破される。

 理解できない。意図が見えない。

 どうしてコルテを爆発させたのだろうか?。

 忌々しい惨劇の結果を睨みつけ、シンはひたすらに思考を巡らせた。

 何処で間違えた。何を間違えた。俺はまた失敗したのか。

 繰り返す自問自答。けれど、答えは見つからず。

 睨みつけていた巨大なキノコ雲はもくもくと天へと昇っていった。お前のしていることなど取るに足らないことだと、嘲笑っているようにシンには見えた。

 シンが思考の海に溺れている最中、唐突に左眼の人工知能〈ana(アナ)〉が画面を赤く点滅させた。

『六時方向!生物反応あり!』

 不自然な警告に、パッと背後を振り返る。

「お前は………っ!」

 そこにいたのは白衣(・・)の女。金髪のアメリカ系の顔立ちをしている白人の女だ。

 シンは胸の内で燃え上がる黒い憎悪を隠しきれず、吐き棄てるようにその名前を呼ぶ。

「計画派の〈女帝〉アンナ・エフェンベルグ!」

「その〈女帝〉という呼び方、随分耳にしていなかったように思います。元々は天才マック・フューリーが大アルカナになぞらえて研究員に付けた渾名でしたね。であれば、こちらもそちらの作法に合わせましょうか」

 アンナはニッコリと微笑んだ。

「お久しぶりですね、〈愚者〉。貴方との再会は実質時間では三千年、体感時間としては五年ぶりと言った所でしょうかね」

 シンはアンナの会話に応じなかった。

 間髪入れずに、懐に忍ばせていた拳銃を引き抜いて、発砲する。

 パン、パン、パン、と乾いた音が三回花畑に響いた。

 小さな鉄の塊はアンナの頭蓋を撃ち抜き、真っ赤な血の花を咲かせる。そのはずであった。

 キィィィィン、という耳を貫くような甲高い音が空気を震わせる。

「なっ!」

 シンは弾丸の結末に目を見開いた。

 防ぐ術などない筈の無抵抗の女は、武器も楯も持っていない筈の女は。

 生きていた。ニマニマと憎たらしい笑みを深めながら、平然と生きていた。

『不可視の壁が〈女帝〉の前に形成されています!巨型種の物と同一です!』

 〈ana〉の観測通り、三発の銃弾は壁に突き刺さっているようにアンナの目の前で静止していた。弾丸の先は潰れ、運動は停止している。

 弾丸は音を立てずに地面に落ちた。

 それを皮切りにシンは口を開く。

「マナの障壁か……」

「ええ、その通りです。便宜上、魔術と私たちは名付けていますがね」

「ハッ、生粋の科学者がオカルトに頼るとは」

「別にオカルトの魔術とマナ操作の魔術とは別ですしねぇ。馬鹿にされましても」

「知っている、わざとだよ」

 シンは馬鹿にするように笑った、嘲笑った。

「どうして、此処にいる?」

「貴方がいるからですが」

「どうして俺が此処にいると分かった?」

「先日私達のネットワークにハッキングの後が見られましたから、貴方が復活してるのはわかっていたんです」

「待て、ハッキングの後が残ることなんてありえないだろう。〈adma(アドマ)〉は天才マックが作った人工知能だ。ハッキングの痕跡を残すようなへま(・・)をするとは思えない」

「簡単なことですよ。ダミーのネットワークを別口で用意したんです。よりセキュリティを固くして、如何にもこちらが本命だと思わせるようにして、です。詳しい説明ははぶきますが、ハッキングされると、極めて複雑かつ偶然的にプログラムが構築されて、私達に信号が送られるようになっていましてね。この天上世界でハッキングという過去の技術を実行できるのは維持派の生き残りでしかないですし」

「くっ、人工知能対策かっ。位相融合前に既に画策していたな!」

「計画派にはプログミングに強い人はいませんからね。その道の人に頼んで作っていただきました。一応の保険みたいなものだったんですが、役に立ってよかったです。もしマック自身がハッキングしていたのなら簡単に見破れたのでしょうけど、マックは既に計画実行前に死亡していることは確認済み。警戒する必要がありませんでした」

「それで、肝心の俺の居場所の探知方法は?」

「いえ、探知したのではありません。誘きよせたのです」

 その発言で、シンは全てを察した。

「………電波か」

「天上世界の技術レベルでは存在しない場違いな科学技術。電波を使えば、貴方は計画派が何かをしようとしていると考え、動いてくれる。後は私が罠にかかった貴方を回収すれば良い」

 つまり、シンはまんまと誘き出されたわけだ。食虫植物にかどわかされた昆虫のような無様と滑稽さににシンは自分を笑う。

「しかし、よくも俺の前に姿を現せたものだ。俺の左腕の力は知っているだろうに」

「今だからこそ、現したのですよ。五日間戦い通して、ブラフマーストラβの連発によって貴方の体が限界を迎えている時にね」

 ちっ、思わず舌打ちを打つシン。

「最初からブラフマーストラβで異族を吹き飛ばさなかった理由ははM細胞が足りなかっただけではありません。貴方自身、短時間でブラフマーストラβを打てないからです。ブラフマーストラβの体に対する負荷は尋常ではありません。一日で一発、無理をして二発くらいでしょうか?とにもかくにも、貴方の左腕が再生しきっていないのが証拠です。今の貴方は限界を迎えている。左腕を再生しきれないほどにです」

 的確な判断だった。

 ブラフマーストラβを撃つために必要なものは、M細胞の凝固体だけではない。巨大な砲門を形成するのにも、多大なエネルギーを必要とする。アンナは一日に一発、無理をして二発と言及したが、実際は一日に一発が精々で、それから次弾を撃つには二十時間以上のレストが要求される。

 これらの事情を踏まえるとシンがどれほどの無理をしてきたのかがわかるだろう。実際シンは栄養失調と似た状態に陥っている。連日のブラフマーストラβの使用と何度も行われたスリロスの形成。その負担はあまりも大きい。

M細胞はヴァナルガンドで補填できるけれども、エネルギーや栄養素ばかりはどうにもならない。彼が自分の口から補給し、消化器官で栄養を取り込むしかないのだ。

 そうした無理を重ね、栄養補給も行っていないシンは、今すぐにでも意識を失いそうな状態にあった。それでも、強く意識を保っているのは唐突に現れた忌々しい女のおかげである。

 シンは自分自身の失敗を認めがらも、全てを崩壊させた計画派の一人が憎くてたまらない。

「さて、久しぶりの再会ですので、こちらにも伺いたいことがあるのですが―――」

「枢機卿!どうしてこんな所に!」

「――彼女達が居ては、色々不都合ですからね。ご退場願いましょう」

 アンナがシンから視線を移したのは、声を張り上げたアスクレピオスだ。他キラープリンセスたちも怪訝な表情を浮かべて、枢機卿と教会の重鎮に憎悪を向けているシンを見ていた。

「退場って、まさかお前!」

「いえいえ、殺しはしませんよ。彼女達は私達の計画の大事な燃料(・・)。無駄死にさせるものですか」

 女は少々不機嫌そうに言うと、一呼吸の間を置いて口を開いた。

私は世界を定義する(I redifine the world)風は貴方に微笑みかけ、(Goognight , my child.)やがて夜の帳が降りる。(Have a nice dream.)

 力がある言葉だった。力があると言っても、それらが持つ力は力強さという類のそれではなく、何処か惹きつけられるような神秘性を含んだそれだ。

 アンナが言葉を言い終わると同時に、コテン、とレーヴァテインを除く四名のキラープリンセスが地面に倒れ込んだ。

「彼女たちに何をしたっ!」

「いちいち吠えないでください、鬱陶しい。少し眠ってもらっただけですよ」

 アンナの行ったことを知ってシンは戦慄する。

(マナとはそんなことまでできるのか……!)

 マナという物質についてシンは様々な考察をし、計画派が行使するであろうマナを警戒してきたが、アンナの魔術(・・)を見て、更にマナへの警戒心を引き上げた。

「ふぅ、これで何にも気にせずに話すことができますね。彼女達には無知でいてもらえないといけませんから、私たちの会話を聞かせるわけにはいけません―――どうしたのですか?顔が強張っていますが」

「いいや、何でもない。それより、会話をしよう。こちらには聞きたいことがある」

「いいでしょう。では、そちらからどうぞ」

 アンナはシンに質問を促した。

 シンは目下最大の疑問をアンナに問いかける。

「何故コルテを爆破した?」

 女は何の感情も籠っていない声で、平然と宣った。

「邪魔だったからですよ」

「―――邪魔?」

「はい、コルテは私達の計画にとって邪魔なものでした。だから、消し飛ばしたんです」

アンナの答えを聞いたシンは、ふと五日前レーヴァテインがラーメン屋で言っていたことを思い出す。

『あまりにも無謀すぎる。異族の数に対してキラープリンセス側の戦力が圧倒的に足りてない。それに作戦の詰が甘すぎる』

『きっと、教会はこの街を守る気なんてない。元々潰す気』

『――王族が人口調整を行っているって噂話もあるんだし、そこ関連だったりして―――』

 またコルテの街の誕生時に、こんな疑問の声があった。

『こんな辺境に街を作らなくても、村の位置を調整すれば経済的ではないか?』

 加えてコルテの街には他の街とは違う所があった。

『コルテには街を覆う堀がない』

 それらを思い出した時、シンは一つの答えに辿り着く。

「まさか、元から廃棄するつもりだった……?」

「ええ、その通りです」

「では、何故コルテを建設した?邪魔ならば、建設する必要がないじゃないか、結局廃棄するつもりだったのだろう?」

「理由として、大規模な実験ができかつ失敗しても問題ない実験場が欲しかったというものがあります。今回の実験は――貴方も予想はついているでしょうが――キラープリンセス暴走時のエネルギー保有量の観測、付け加えると共鳴により保有するエネルギーの変化量を測ることを目的とした物です。その目的遂行のためには、どうしても、かつてマックが提示した二百人以上のキラープリンセスが必要だった。それほどの数のキラープリンセスを集めるには、それなりの御題目が必要です。ラグナロク教会が組織である以上、枢機卿(わたしたち)の思惑を押し通すわけにはいきません。司祭や神官、奏官やキラープリンセスを納得させる相応の理由が必要でした。そう、例えば、今回のように異族が一万体現れたなどという未曾有の災害のような、そんな理由が必要でした」

「で、実際それを実行しても、廃棄する予定の街だから、もし防衛に失敗して異族の巣窟となっていても跡形もなく消し飛ばしてしまえば問題ない、というわけか」

「そういうことです」

 胸糞悪い話だ、とシンは吐き捨てた。

「そこまで堕ちたか、計画派」

「今更ですよ、維持派」

 三千年ぶりの敵対者との邂逅。

 維持派(シン)の計画への憎悪も計画派(アンナ)の計画への執着も、何一つ変わっていない。

 シンは腹の中で煮えたぎる憤怒と憎悪の衝動を抑えることなく吐き出し始める。

「どうして、この結末を受け入れられない?お前たちの計画は失敗した。異界存在の脅威を取り除くために、異界存在の位相でも俺達の位相でもない、もう一つの位相に穴を開ける。そして、その位相に人間のみを移動させるなんてことは無茶だったんだ。位相に穴を開ける結末なぞ、失敗技術の例を見れば明らかだろうに!お前たちの計画は実行する前から確実に(・・・)失敗する、そんな計画だったんだ。だというのに、たった一つの〈運命の輪(イレギュラー)〉に夢を見やがって!お前たちに何ができた?お前たちの計画は何を生み出した?何も生み出してないじゃないか!お前たちが生み出したのは、新たな悲劇と絶望だけだ!お前たちが計画を実行しなければ、何億の人間があんな異形に成り果てることもなかった!」

 一つ、シンが掴んだ残酷な真実がある。

「異族とは、人間だ」

 ブラフマーストラβ。その弾頭。

 それはM細胞を凝縮させた肉柱だ。

 M細胞の採取元は異族だ。

 つまり、異族はM細胞を保持している生物である。

 しかし、異界存在研究機関を管理する人工知能〈adma(アドマ)〉はシンにこう報告していたはずだ。

 異界存在は消滅している、と。

 疑問。命題の設立。

 異族とは何者だ?

「奇妙な話ではあった。異界存在は天上世界(現位相)から消えている。なのにM波は観測できた。キラープリンセスや俺のものもあった。しかし、記録にない類似波形が一種類存在したんだ」

 同じ異界存在、同個体のキラープリンセスであれ、M波の波形はそれぞれ多少ながら差異が存在する。なのでM波の種別は似た波形や振幅を基準に類似波形として分類している。

 研究所にある機器で観測できる範囲は大して広くない。だが、最も多く観測できたのが、未分類の正体不明のM波である。

「異界存在はいない。けれど、数が多い謎のM波。一体何者かと調べれば、白い謎の異形群体だ。すぐさま殺して、解剖したさ」

 解剖の結果は不可思議なものだった。

 人間の細胞と異界存在の細胞が有り得ない形で異族の体を構成していた。

 形容するならば、臓器移植の拒絶反応が起きながらも生きている状態。

 本来ならば、死んでいるような存在なのだ。異族という異形は。

 彼らはそういう矛盾、ないし不条理(・・・)を抱えた存在なのである。

 そして、シンはそうのような不条理を為し得る存在を知っている。

「位相融合、それを引き起こした〈運命の輪〉の結末だ。そして元を辿れば、俺の失敗とお前たちの計画のせいだ」

 三千年経っても死んでいないシンや腐らない仲間たちの死体。

 有り得ない事象はシンの近くでも起きている。

 だが、位相融合という宇宙規模の災害が起きる中で、〈運命の輪〉が引き起こす不条理がそんな小さな世界だけに影響を与えるなんてことあるはずがない。

 位相融合は全てを呑み込んだ。ほんの少しの例外を除いて。

「俺の失敗とお前たちの愚行が不要な犠牲を生んだんだっ!」

 位相融合の際異界存在と融合して異族と成り果てた数億人の人々は、もしシンが失敗しなければ、もし計画派が計画を実行しなければ、人として死を迎えることなどなかったのだ。

 シンはアンナに尋ねる。

「まだ進める気なのか?あの計画を、楽園計画(プロジェクト:エデン)を」

 アンナはシンに答えた。

「まだ進める気ですよ。あの計画の後継を、第二次楽園計画(プロジェクト:エデン:セカンド)を」

 そうか、ならば死ね。

 自然とその言葉が口から出る寸前に。

 ずっと沈黙していた彼女(・・)が飛び出した。

 

 

25

 レーヴァテインにはシンと枢機卿が言っていることはこれっぽちも理解できなかった。

 それでも、彼女が知っている知識で理解できたことが一つある。

 コルテの街を滅ぼしたのは枢機卿だということだ。

 だから、彼女が枢機卿(アンナ)に向かって牙を剥くのはある種の必然だったのかもしれない。

「はぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 警告の痛みを声で打ち消して、レーヴァテインは定石通りの一撃必殺でアンナを討ち取ろうとした。

 無論、マナの障壁で防がれると見越して、討ち取るつもりでという意味である。

 巨型種のマナの障壁は打ち破れなかったが、普通はマナを使えない人間が扱うならば、マナの障壁であっても破壊できるという自信がレーヴァテインにはあった。

 彼女はかつて異族を率いる使徒のマナの障壁を破ったことがある。ならば、使徒の部下である異族(巨型種)のマナの障壁は破れなくとも、普段マナを使わない人間の付け焼刃のマナの障壁ならば破れるのではないか。

 そういう心積もりで、レーヴァテインはアンナへと斬りかかったのだった。

「レーヴァテインっ!」

 男が引き留めるような声色で叫ぶ。

 当然レーヴァテインはそれを無視する。

 たかがマナ操作を覚えただけの人間に、キラープリンセスが負けるはずがないと信じて。

 レーヴァテインはアンナへと肉薄する。

「……ふむ」

 殺意をぶつけられている当の本人はどこ吹く風と言った様子で泰然自若としていた。

 その女の態度がレーヴァテインを更に腹立たせる。馬鹿にされている、そう思った。

「ちぃっ!」

 レーヴァテインとアンナの距離は長くはない。すぐにレーヴァテインの剣先が女の首元に食らいつく。

 アンナの首が飛ばされようとする、その刹那。

 女は再び力ある言葉を呟いた。

進軍を止めよ、(Fit your sowrd )大義は我らにある(under my law.)

 直後にレーヴァテインの動き止まった、いや止められた。

 レーヴァテインがほんの少し力を入れれば女の首が刎ねられるという位置で、彼女はまるでポーズ画面の中の俳優のように静止していた。

「なっ!」

 正体不明の現象に驚愕するレーヴァテイン。

 アンナが身動きの取れないレーヴァテインの眉間に人差し指を立てた。

 ニタリと女が嗤う。

開け(expose)

 

26

赤黒い雲に覆われた空keijれjnejgオiosj荒廃した高層ビル群hajieugアnwheksジjahnsh巨大な怪物の影jjieuはjihuいおhjisk腐りかけた死体jsikゆjihuうhjhusehuつあjissクリームシチューajsjierjahisu赤と緑の聖典jishuwhjeowaお姉ちゃん、ありがとうsjifuhenaハゲタカの泣き声asjifhwiuイajise呻き声shjiu助けてhusijsiajewuiaイチゴのショートケーキejaheu不味い携帯食料ashiejいajskisue暖炉の炎hiew撃墜される戦闘機sjhiehsud人類に希望はないdashuじsikこoeuhjusむさぼられる人間jisiekaiうkijiこの化け物どもめっ!skiぅejぃujehaju穴開く空dajieuああァ、あぁdkkoskjeiahきkゆishueツkajisue天を突く光jishejiu世界の慟哭jisekhaehudaiaa全てが白にksijuehajfiwjshenifajipjfaniaeiajajosijosnijsioejovskksejiwpjaosjispfjijidisaoisjiajiweruaovfjosidjaoisidojfsiopajfdoisjfoisfafnbjanviobnxmisjiejaoijfoisjaf;ivfifoajiojsaoijifvniiajofdsiaoifjaiosfjaiofjvnaifijjfjhseuyfuaisjdfndoaijfafdnslijsiaojiosjafoirjaoijoajorjpaorfiajpafjapofjaipdfjpaofjasjgfvniajoidsfjaihfuashaoiapiewoijrvnaiawoajiepwajirpiopajfioapodjfpa―――――――

 

 

                「どうか、幸せに。レーヴァちゃん」

 

27

 そして、レーヴァテインは全てを思い出した。

「レーヴァテインっ、レーヴァテインっ」

「ん、ぅん」

 自分自身の正体。キラープリンセスの根幹、その製造理由。過去人類が直面した危機と人類の抵抗。与えられた感謝の言葉と向けられた恐怖故の罵倒。ここ最近行動を共にしてきた男のこと。

 膨大で脈絡のない情報の中でやけにはっきりと聞こえた女の言葉はまだはっきりと思い出せていないが、大凡全ての記憶をレーヴァテインは取り戻した。

「貴方が黒腕(Black Arm)だったってわけ。人間でありながら、スリロスを扱う妙な研究者がいるって聞いてたけど、まさかこんなことになってから会うなんて思ってなかった」

 レーヴァテインがそう言うとシンがキョトンとした顔をするが、発言内容を理解すると彼女を問い詰めた。

「レーヴァテイン、まさか記憶を……」

「そう、取り戻した。でも、そうこういうことなの……なるほど得心言った。私が暴走しない理由も、この異常な強さも」

 レーヴァテインの中で長年の疑問が氷解した。彼女は確認の意味を込めてシンに問いかける。

私がオリジナル(・・・・・・・)。数多いるレーヴァテインの中の始まりの一ってわけ」

 オリジナル。イミテーションとの淘汰の果てに成り上がることができる至高にして唯一存在。

 ただ、それは天上世界においてでの話、ラグナロク教会が宣っている話である。

 真実は違う。

 シンは語る

対異界存在兵士製造計画(プロジェクト:キラープリンセス)によって対異界存在兵士(キラープリンセス)は個体につき一人のみだった。何故ならば、キラープリンセスを誕生させるには相応の手間と時間がかかるからだ。だから異界存在研究機関は一つの方法を国連に提示し、国連が採択したのがクローン技術だ。そして天上世界で言う所のイミテーションとなるのがクローンで、対異界存在兵士製造計画の被検体が本当の意味でのオリジナルでありお前もその一人というわけだ」

 キラープリンセスたちが模倣体(イミテーション)などと呼ばれ、呼ぶのであれば、イミテーションを定義した誰かが基準となる原始体(オリジナル)を知っていなければならない。そうでなければ、イミテーションを定義できないからだ。

 真作がないなら、何を贋作と呼べようか?真作があるからこそ、初めて贋作が成り立つのだ。そして、キラープリンセスもまた同様の話である。

 オリジナルがいなければ、イミテーションを断定できない。この世界のキラープリンセスがイミテーションと呼ばれている以上、オリジナルと呼ばれるべきキラープリンセスは確かに存在しているはずだ。

 そして、そのオリジナルのキラープリンセスの一人がこの数日間シンと行動を灯してきたレーヴァテインである。

(そういえば、コルテに来た時の宿屋でそんなようなこと言ってたような気がするわね)

 ほんの五日前のことなのに随分と遠く感じるとレーヴァテインは思う。

 それほど多くのことが五日間のうちに在りすぎたのだ。さもありなん、と言う所だろう。

 レーヴァテインは男の言葉に補足するように、あるいは自分の記憶を確かめるように告げる。

「ただ、イミテーション(クローン)たちはオリジナルほどの性能はない。当然よね。細胞は劣化してるから、身体能力はオリジナル比べて脆弱、テロメアの問題を解決できていないから短命でもある。ま、それでも確実に同個体を手っ取り早く増やせるから、人間にとっては好都合ってわけだけど」

 クローンたちの身体能力はどうしたってオリジナルには劣る。それはクローン技術の弊害であるし、より確実に対異界存在兵士を複製できるように遺伝子を操作した結果でもある。

 レーヴァテインが異常に突出して強いのは、彼女と同じオリジナルが居ないからであり、他のキラープリンセスが全てクローンであるからだ。

 ではレーヴァテイン以外のオリジナルは何処にいるのだろうか?

 それはきっとニマニマ笑っている女が知っている。

 キッ、とレーヴァテインはアンナを睨んだ。

 アンナはパチパチパチと手を叩き、微笑んでいる。まるで出来の悪い生徒を褒める教師ように。

「どうやら記憶の再生は問題なく行われたようですね。良かった。初めての試みでしたから、失敗したらどうしようかと思いましたよ。いくら記憶再生の正規手順で施術の相手がオリジナルとはいえ、暴走されてはたまりませんからね」

「あっそ。で、他のオリジナルは何処にいるの?」

「あら、相変わらず面白くない娘ですね。もう少し遊びがあっても良いと思うですけれど」

「ちっ」

 アンナからは答える気がまったく感じられなかった。

 苛立つレーヴァテインにシンが捕捉する。

「おそらく――とはいっても確定事項だが――他のオリジナルは全員捕えられて王都セリア、もっと言うと計画派が根城にしているだろう教皇庁にいる。おそらくはチェリーの中に入れられて」

「チェリー……確か私達を生み出す時に使った培養器の渾名だったかしら」

「ああ、あれには人間で言う所の胎盤としての役割があり、疑似羊水を入れれば生きたまま生物を保存できる。きっとオリジナルたちはチェリーに入れられていると思う。研究所の設備的にもあちらに渡っていることは確認が取れている。しかし、全てのオリジナルが教会によって確保されているわけではない――――そうだよな、女帝」

「ええ、その通りです。計画派(わたしたち)は四体のオリジナルを確保できていません。先の創世戦争時に参加したキラープリンセスのみを私達は確保しています――そして、私がお願いしたいのはそのことについてなのです」 アンナの発言を受けて、シンとレーヴァテインの二人は怪訝な顔をする。

 よくもまぁ、厚顔無恥に依頼ができるな、という思いで。

 シンもレーヴァテインも同じくらい目を鋭くしてアンナを睨んでいる。その眼光に込められた怒りは、その感情の源泉は別にしろ、やはりそこにあるのは純粋な怒りであり憎悪であり殺意であった。

 しかし、アンナはその全てを無視して語る。

「お願いというのは愚者、貴方にレーヴァテインと他三体のオリジナルを回収してきて欲しいのです。愚者なら既に三体の居場所を掴んでいるでしょう?キラープリンセスを追うのは貴方が一番得意なはずですから。私達がこの世界で都合良く動くために、人々の探求心を封じ、ラグナロク教会を建てたのは良かったのですが、枢機卿という立場についてしまっては迂闊に外にも出れません。かといって奏官を動かすこともできませんし、〈黒〉もそれなりの大義名分がなければ出動できません。故に計画派としては立場的にオリジナルを確保しづらいのです。ですから、お願い(・・・)です。愚者が動いている間、私達は手を一切出しません。取引に応じてもらえませんか?」

 言ってくれる!

 シンは口にはしなくとも、そう憤った。

 アンナが要求したのは、シンと計画派の一時的な不戦を引き換えにシンにオリジナルを回収してほしいというものだった。

 だが、こんなもの取引でもなんでもない。

 なぜなら、シンの目的である計画派打倒の条件にはオリジナルとの合流がある。実行しなければならない案件なのである。

 であるならば、アンナのお願いは取引ではない。

 事実上の宣戦布告。シンが四体のオリジナルを回収したら、本気で奪いに行くという未来の開戦の通告だ。

 だから、シンは言ってやる。臆することなく、真っ直ぐ強大な宿敵を見据えて、愚者は女帝に宣言する。

「ああ、受けてやる。そして、叩き潰してやる。お前たちの目論見も、その願望も何もかも全てぶち壊してやる!二度とあんな悲劇を起こさせない!」

 レーヴァテインは、ふん、と満足気に鼻を鳴らす。

 アンナは、ふふ、と蠱惑的に微笑む。

 戦跡(いくさあと)の花畑。

 過去の青年はもう一人の過去へと宣言する。

 声を張り、強い意志を込めて言い放つ。

 

「だから待ってろっ、計画派!必ず計画派(おまえたち)を打ち倒し、俺と維持派(おれたち)のラグナロクに懸けて、人間とキラープリンセスが当り前の平和を享受する幸せな世界を築き上げてやる!」

 

 

 




次章予告
―――こんな再会、誰も望んじゃいなかった。

この物語は優しい少女の泡沫の夢の終わり。
親と子。
親友と親友。
先輩と後輩。
青年は、少女は、郷愁に別れを告げる。

第二章 さよならノスタルジア

「お久しぶりです、先輩。早速ですが、死んでください」


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第2章 さよならノスタルジア
prologue


00

 時折、青年は思い出す。

 まだ彼らが一つだった時代。

 冷たくて残酷な世界であったけれど、確かにあった温かくて優しい時間のことを。

 

 

「先輩、先輩っ!」

 異界存在研究機関の長く、無機質な廊下を歩く青年の背中に快活な少女の声が掛けられた。

 青年が後ろを振り向くと、既に見慣れた少女の姿が視線の先にあった。

 研究に関するレポートをまとめたファイルをいくつも胸に抱えながら、少女は青年の所へと走って来る。後頭部でまとめてある黒髪のポニーテールが、彼女が動くたびに、尻尾のようにぴょこぴょこと動くのが青年の笑いを誘った。

「ぷぷっ」

「どうしたんですか、先輩?」

「いや、なんでもない。で、何のようだ?」

 青年はいつものように問うた。

 すると、どうしてだか少女は半目になって青年を睨んだ。

「…………先輩……もう少し口調を柔らかくした方が良いですよ」

「すまない、性分だ。そも、ある程度付き合いがあるお前に気を遣っても今更だろう?」

「関わってきた時間の問題ではないのです。女の子に対して、もっと優しく接するべきですよ」

「らしくない言葉だな。お前のそれではないな?」

「はい、彼女の言葉です」

 大変嬉しそうに少女は笑う。

「って、先輩っ!話を逸らさないでください!」

「いや、話は逸らしてないと思うが」

「先輩が原因ではあります」

「確かにそうだが、既知の事実である以上―――」

「ああっ、もうっ、別にどうでも良いことじゃないですかっ」

「どうでも良くない。責任の所在は重要な問題だ」

「じゃあ、先輩持ちでお願いします。男気を見せてください」

「勝手に決めるな。」

 少女は無視をする。青年の言葉に聞く耳を持たず、青年の横を通り抜けた。

 釈然としない青年だが、肩を竦めるだけで問い詰めることはしない。女心はよくわからないものだ、といまいち的を得ていないことを思いながら、彼を置いていった少女の後を追い、そして聞く。

「で、一体どうしてそんなに嬉しそうなんだ?」

「よくぞ、聞いてくれましたっ」

 えっへん、と少女は胸を張って言った。大変得意げな様子である。

(現金な奴だな……)

  毎度のことだが、少女の態度の変わりように青年は心の中でぼやく。いや、青年にとっては既に慣れたことなのだが、毎度毎度そう思ってしまうのは青年の性だ。

「実はですねぇ、ムフ」

「推しキャラを前にしたマックみたいな顔をしてるぞ」

「先輩、それはひどいですっ!あんなキモイ人と一緒にしないでくださいっ」

「そこまで言わなくても良いと思うが……」

「以前女の子のフィギュアに頬ずりしてたのを見ました。流石に気持ち悪かったです」

「あー……それは……」

「オタク趣味は否定しませんけど、やっぱり許容できる限界があります。人形を愛でるのは全然構わないのですが……どうにも……受け入れ難いです……」

「仲間だけの閉じた場でなら、その流儀に則っていくらでも楽しめば良い。でも、公共の場では自重しなければならない。当然の配慮だな。分りやすい例えは、いくらバイクを乗り回すのが好きだからって、暴走族みたいに人に迷惑をかけるようにはなってはいけない。つまりはそういうことだ」

「まったく、その通りです―――って、なんでこんな話してるんですかっ」

「お前が『ムフ』とか言ったからだな」

「先輩が突っ込んだからです。つまり先輩の責任です」

「―――まぁ、そうだな……間違ってない……」

「なんですか、その煮え切らない返事は」

「その場合だと、さっきの案件はお前の責任になるが…」

「過去のことを持ち出す面倒な男は嫌われますよ」

「徹底的に回避したがるな……」

 そこまで回避したがるのは少女にトラウマでもあるのだろうか?

「なんかあるなら、相談しろよ?」

「なんですか急に!」

「いや、辛いことがあったら、な?」

「今は、先輩が話を聞いてくれないのが辛いです」

 少女は心底呆れた様子で青年に言った。呆れた、ではなく諦めたとしても良い。

 そうして、ようやく二人の会話は本題へと移る。

「実はですねぇ。今度の日曜日に彼女と一緒にオーストラリアの某ネズミのテーマパークに行くことになったんです!」

「おおっ」

「しかも二人でですよ、二人で!ちゃんと彼女の自由行動許可証ももらいました!」

 勢いよく少女はファイルの束から取り出した一枚の紙を青年に見せつける。それは対異界存在兵士の任務外での自由行動を認めるという内容が書かれた国連の正式な書状だった。

「これで無粋な監視役なしで休暇を楽しめます」

「よく許可が下りたな」

「私の人徳と功績故ですね」

「百パーセント、彼女の人徳と功績だ」

 青年はばっさりと少女の言葉を切り捨てる。

 むー、と頬を膨らませる後輩を無視して青年は続けた。

「対異界存在兵士は、いわば人類の希望であり、また人類が史上初めて対面する同レベルの知能を持ってる知的生命体でもある。おかげで、彼女達は期待と不信の二重の檻に囚われたお姫様状態だ。そう言った事情で、国連の監視下に置かれているべき彼女達が国連派遣の監視役なしで行動できるには、相当の信頼が必要になる。まぁ、でも、彼女ならば、当然といえば当然だな」

「上の評判も良いですし、軍内でも人気者だそうですね。ギリシアの女神とか呼ばれているそうですよ」

「もう少し捻ったらどうなんだろうか。まんまじゃないか」

「先輩だったら、どうつけます?ラノベとかアニメだと、中二っぽい名前出てくるんじゃないですか?」

ギリシアの天使(ギリシアン・エンジェル)

「――似たようなもんじゃないですか」

「ナイチンゲールとかけてみたんだが」

「おもしろくないです」

「マックとアイツになら受けるかもなぁ……」

 数少ない二人の親友の反応を青年は想像してみる。

 …。

 ……。

 ………。

「駄目だな」

「急に黙ったとおもったら、突然どうしたんですか?」

「なんでもない」

「は、はぁ…」

「それよりも、だ」

「それが何を指しているか文脈から全く判断できませんが、なんですか?」

「楽しんで来いよ」

 青年が少女の背中を叩く。

 軽く、それでも激励するように強く。

「滅多にない機会なんだ。目一杯楽しんでこい。異界存在との戦いは激化する一方。彼女達が、彼女がいつ死ぬかはわからないんだ」

 だから。

「後悔の無いように楽しんでこい。例え一日限りの夢だとしても、お前たちだけの時間は確かにあったと言えるのだから」

 青年は少女の背中を叩いた掌で押し出した。

 突然の押し出しに少女はつんのめった。僅かばかりバランスを崩す。

 少女は体勢を立て直すと、背中を押した先輩にしかめっ面で振り返って一言二言文句を言った。

「危ないじゃないですか、全く」

「今日はなんだか怒ってばっかりだな」

「……先輩が悪いんですよ。急に詩的なことを言い出したかと思えば……聞いているこっちが恥ずかしいです」

 でも、と少女は言葉を区切った。そして、続ける。

「先輩の言う通り、楽しんでこようと思います。これからを生きていけるように、未来を生き抜くために、一杯笑って、一杯思い出を作ってこようと思います。

 帰ってきたら、嫌というほど土産話を聞かせますから、覚悟してくださいね!」

 人差し指を青年の眼前に突きつけて、少女は宣言する。

 そして、晴れ晴れとした様子で微笑むのだった。

 

 

 これはもう取り戻せない少女との一幕。

 それを思い出す度に、青年は何度も自分自身に問いかける。

 もっと早く引き留めていれば、少女だけでも不条理に囚われなくても済んだのではないだろうか、と。

 



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ep.01 あの後

 



01

 ガタゴト。ガタゴト。

 柵すら設置されていない、申し訳程度に舗装された悪路の山道を登る一つの馬車があった。

 御者席に座るのは一人の橙髪の少女。上は胸当てのみを着て、その上に朱色の改造着物を、下は健康的な肌色の太腿を露出させたショートパンツを履いている見た目十代中頃の少女だ。

 少女の隣にはボロ布に覆われた何かがあり、馬車の車輪が小石を踏み進む度に小さく跳ね上がったりしている。時々落ちそうになるそれを、少女は御者席に戻しつつ彼女は馬を歩かせていた。

「ふ~ん~ふ~ふ~ん~♪」

 空は澄み渡っている。柔らかな風が頬を撫で、髪を撫でるそよ風が心地良い。

 穏やかな旅路の中で少女は道中気の向くままに、心の往くままに鼻歌を歌う。

 少女にとって歌はもう一つの目と言っても良い。

 言葉に乗った思いを読み解き、歌詞を通して書き手の見た未体験の世界を少女は見ているのだ。

 少女と歌の始まりは、住処にしていた森の泉で星空を見上げた時のふとした気づきであった。

 かつて少女はこう感じたのだ。世界は狭い、と。

 この世界は確かに広い。星が満たす天蓋の下に世界は雄大に広がっている。けれども、少女が知ることが出来る世界なんてたかがしれている。きっとこの両掌で掬えるほどの世界しか知ることが出来ないのだろう、と少女は掬った泉の水に星空を映して思ったのだ。

 この現実は、少女からしてみれば、とても窮屈なことだった。

 もっと多くの物を見て、多くのことを知りたい。

 そんな自身の根源から溢れ出る願いを少女は持っている。そのため、彼女にはこの窮屈な世界が息苦しくて堪らない。何故私が掬い取られた世界に甘んじなければならないのか?そんな憤りが彼女の心に宿る。

 その翌朝のことだ。少女は外の世界に旅に出た。胸にあるのは怒りと少しばかりの焦燥、まだ見ぬ世界に対する大きな期待。森の外が生き抜くいことは知っている。でも、そんなことは覚悟の上だ。全てを承知の上で、少女は何もないけれど温かな暮らしを捨てて、寒風吹きすさぶ変動の世界へと脚を踏み出した。

 随分長い時を旅した。

 途中立ち寄った村では追い出されたり、色々辛いこともあったけれど、それでも少女は世界を楽しんだ。

 遥か高く聳える山々。切り立った崖から流れ落ちる巨大な滝。何重にも架かる虹。

 そのどれもが心を揺さぶられるほどの美しさを持っていた。目を輝かせるほどの価値があった。

 でも、少女は気付いてしまう。

 何も変わっていない、と。

 確かに旅を出ることで、かつてよりは広い世界を知ることが出来た。それでも、知ることできる範囲の世界は少女が歩ける範囲までだ。これでは森に居た頃と変わらない。歩き回る舞台が変わったというだけで、結局は自身が掬い取れる狭い世界であることには違いない。

 少女が知りたい世界はそんなものではないのだ。始まりの景色、星の天蓋の下で広がる雄大な世界を少女は知りたい。

 柄にもなく難しいことを考える日々が続いた。輝いて見えた世界も、その輝きがくすんで見えて、心の躍動は喪失してしまっていた。

 そんな鬱屈とした気分のまま立ち寄った村で、歌と出会った。

 衝撃的な出会いだった。歌の衝撃は闇夜を切り裂く雷光が如く少女の暗い気持ちを切り裂き、そのまま少女の体を貫ぬいた。

 気づけば、体が動いていた。

 歌い手の青年の両手を掴み、頼み込んだのだ。歌を教えて欲しい、と。

 突然の申し出に戸惑う青年であったが、少女の熱心な懇願に彼は応えた。少女の本質を知り、それでもなお、親切に彼は少女に歌を教えてくれた。

 こうして、少女は歌を知り、歌の奥深さに魅せられて、歌の中に世界を見た。

 彼女が目で、耳で、鼻で、舌で、肌で感じられる世界よりもずっと広く、深い世界。少女がずっと求め続けた星の天蓋の下の雄大な世界だ。

 まぁ、歌で見ているとは言っても、今度は歌の世界を実際に知りたいという新たな欲望が生まれているので、彼女は定住せず今でも旅を続けているのだが。

 彼女自身のルーツを考えれば、次々と知識欲が生まれるのは当然と言えば当然であった。

 鼻歌を歌う少女が操る馬車が折り返しを通り過ぎ、下り坂に差し掛かる。

 すると、見えた。

 少女の、いや少女達の目的地が。

 少女はボロ布を叩く。

 

「シン!キエム村が見えてきたよ!」

 

 

02

(随分懐かしい夢を見たな……)

 そう追想した。

 少々手荒い目覚ましに、シンは目を覚ます。

 かなりの悪路で、固い御者席の木版の上ではまともに睡眠をとれたとは言えず、シンは未だ引きずる疲労感と倦怠感を感じていた。まだ寝ていたい気持ちがあるが、彼はその欲望を振り切る。ごわごわとしたボロ布を取り払って、彼は身を起こした。

「おはよう、シン。よく眠れた?」

 明るい声で問いかけてくるのはキラープリンセス、オティヌスだ。コルテ大規模討伐戦の後に出会い、行動を共にしている。

 シンはため息を吐いて、

「よく眠れたような顔してる?」

「全然」

「……だよね」

 極めて無駄な問答だった。シンの不機嫌そうな顔に、オティヌスは誤魔化すように苦笑する。

 シンが凝った肩や固まった腰をほぐす。体を目一杯伸ばし、少しでも体の怠さを取り除こうと努力する。漏れ出る欠伸を噛み殺して、彼は〈女帝〉と別れてからのことを思い出した。

 

 

 計画派の一員、〈女帝〉アンナ・エフェンベルグは言うだけ言って、魔術によって姿を消した。

 ひとまずの脅威は去り、計画派からの一時的な不戦協定を無理矢理結ばされたとはいえ、現在進行形で危機は続いている。

 コルテでは核爆発が起きたのだ。であれば、次に来るのは放射性降下物、いわゆる死の灰だ。無数の塵が不可視の毒を放ちながら満身創痍の戦士たちを静かに襲いくる。

 この危険性を知っているのは過去の遺物であるシンと記憶を取り戻したレーヴァテインだけだ。ただ、二人とて余裕があるわけではない。シンはブラフマーストラβの無理な乱用で、レーヴァテインは長時間の高速戦闘で、互いに疲労が頂点に達している。他人のことを気にかけるほどの余裕も、気力すら残っていない。

 シンはアンナによって眠らされた四人のキラープリンセスをCMCシステムコードの一つで無理矢理覚醒させ、肉体治癒(ヒーリング)で肉体疲労を取り除いた。そして、カルロに『即時街から離れるように』という伝言を伝えて欲しいと彼女達に頼んだ。

 アンナは去り際に「核爆弾の後処理なら私の術式で処理してますから問題ありませんよ」と宣っていたが、あの女は実験のために街一つ吹き飛ばすような奴らの一員である。信用などできるはずがない。

 そうして、一応の警告と責任を果たした後に、彼は左腕が欠損した状態でレーヴァテインに肩を貸し、事前に待機させていた馬車に辿り着いた。異族は人間しか襲わないために、馬だけならば異族は素通りする。例え、異族の大群が迫っていようとも、馬たちは何も損ねることなく無事であった。

 レーヴァテインは既に気絶するように眠ってしまっていた。シンは、自身が寝床にしていた藁のベッドに彼女を寝転がらせて、自身は御者台に乗り込む。そして、朦朧とした意識のまま馬を走らせて街道に出る。それからは、シンもとうとう限界を迎えて気を失った。

 しばらく馬だけで歩いていると。

「ちょっと、ちょっと!どうしたの!」

 女の声が聞こえた。

 億劫そうにシンは瞼を開ける。

 この時、シンもレーヴァテインも過度の疲労が祟って高熱を発していた。

 レーヴァテインはシンの捨身とも言える献身的な看護を受けていたが、やはり同様に重病人の看病では焼石に水。献身的な看護、とは言うものの十分なそれでは勿論ない。

 正直、二人は死に掛けていた。まともな治療具もなく、薬もなく、近場に村はなかったので屋根や壁がある場所で休むこともできない。病状が悪化するのは必然であった。

 そんな時だったのだ。救いの女神が現れたのは。

「うわっ、凄い熱!待ってて、直ぐに薬を飲ませてあげるから!」

 オティヌス、という名のキラープリンセスだ。

 偶然シンの馬車と遭遇した彼女は御者席に倒れこみ、顔色を悪くしているシンのただならぬ様子を見て声を掛けてくれたのだった。

「彼女を優先してくれ」

「いや、キミの方が重病だから!って、何その真っ黒な腕!しかも半分ないじゃん!」

 以降はオティヌスがシンとレーヴァテインの治療をした。

 ただし、オティヌスは治療の対価を求めた。彼女とて、旅をする身。貴重な薬を分け与えたのだから、当然のことであった。内容はシン達の旅に彼女を同行させること。シンは一度躊躇したが、思えば計画派とは信頼できる不戦協定を結んでいるので、顕著な危険はないと判断し、その申し出を受け入れた。

 その後はオティヌスが馬の手綱を握り、シンとレーヴァテインは万全の治療を受けることが出来たのだった。

 

 

 そして時間軸は現在に戻る。

 オティヌスの治療のおかげで、二人はすっかり元気。体調は万全。三途の川の彼岸で義父が手を振っているのが見えたシンからしたら、オティヌス様々なのであった。

「にしても、災難だったね」

「何が?」

「コルテ大規模討伐戦」

 ピタリ、とシンの動きが止まる。

「アタシも異族たちが変な動きしてるなー、とは思ってたんだけど、嫌な予感がしたから追わなくってさ。見て見ぬふりをしちゃったんだよね」

 道中、シンとオティヌスは見た。

 異族によって荒らされた村々を。

 一万体の異族の襲来。未曾有の危機に対応するために、周辺地域の教会所属キラープリンセスたちはコルテにかき集められた。

 しかし、ここで一つ決定的な問題が発生する。

 コルテ周辺部の居住地域は守られない。

 たった五秒で言い切れる当り前の現実だ。

 シン達が見たのはその結末である。

 無惨に破壊された家屋。踏みつぶされた農作物。そして、食い散らかされた人の残骸。

 地面に沁み込んだ赤は殺された人々の最後の断末魔を記録しているかのようであった。

 怨嗟、無念、残念。

 そんな負の想念渦巻く惨劇の終着点を彼らはいくつも通り過ぎてきた。

「きっとラグナロク教会がどうにかしてくれる、って思ってたんだ……」

 コルテに集まった奏官もキラープリンセスも、一万体の異族襲来の知らせを受けた時はこの事実に気づいていた。コルテ以外に住む人々は脅威にさらされていると分かっていた。

 それでも、彼らは見逃した。絶対多数を救うために。

 奏官たちとて全てを救いたかったに違いない。

 けれども、事実として奏官たちが犠牲を肯定した。つまり一万体の異族とはそれほどまでの脅威であったのだ。

 別行動をとっていたシンもまた同様であった。

 彼は可能な範囲で村人たちのコルテへの避難を支援した。やれることといったら、異族が避難方向に現れないように討伐もしくは誘導を行うことだけだが、一定の効果は確かにあったようだった。コルテに避難できた(・・・)人々が教会の想定より多かった事実がシンの功績を証明している。

 けれども、それだけだ。全ての人間を救えたわけではない。通り過ぎた場所には避難途中で壊滅したと思われる人々の残骸がいくつもあった。失われた命は確かにあったのだ。

「だからさ、この結末を目にして、キミから顛末を聞いて、『あの時助けに行っていれば』って後悔してるんだ……」

 オティヌスは手を差し伸べなかった。伸ばせる手があったのに、彼女は手を伸ばすことを放棄した。そのことが彼女の心に酷く重くのしかかる。

 後悔は無意味だ。そんなことは分かっている。けれども、そんな行く当てのない思いを抱いしまうのは割り切れないからだ。

「きっと私が居れば救えた命があったんじゃないかなぁ、って思っちゃうんだよね」

 キラープリンセスは異族を倒せる力がある。力を持ちながら、守らないのは怠慢だ。

 不穏な空気を感じ取って立ち去った。あの時は自分の決断が正しかったと信じている、けれども今はそう断言できる自信がオティヌスにはなかった。

 薄暗い感情を胸の内に宿しているオティヌス。そんな彼女の影を断ち切るように愚者の青年は言う。

「それは間違いだぞ、オティヌス」

「………えっ…?」

「人々を守れたかもしれないのに、守らなかった。そのことに負い目を感じる必要がないと言っているんだ」

「……どういうこと……」

「睨むなよ。別に人が死ねば良いって言っているわけじゃない。俺が言っているのは、教会に所属していないキラープリンセスが人を守る義務はないってことだよ」

 キラープリンセスは確かに異族を討伐し得る力を持っている。しかし、それが全てのキラープリンセスが異族から人を守る義務を負うこととイコールではない。

「教会に所属しているキラープリンセスだったなら、話は別だろう。教会に所属し、働きの対価を得ている以上は教会が定める義務を果たさなければならない。当然のことだ。だが、オティヌス、野良であるお前ならば違う。お前は教会に所属していない。正当な対価を得ていない。ならば、お前が義務を負う道理は存在しないだろう」

「でも、私は力を持ってる!だったら、力を持っていない人々を守るのが当然じゃないの!?」

「かもしれない。往々にして、強者が弱者を救うのは当たり前のことなのかもしれない」

 シンはオティヌスの主張を肯定した。その上で、

「だが、今回に限り俺はその当然を否定するぞ」

「……どうして?」

「他人を助けるということは、助ける側に余裕がなければならないからだ。もし、お前が人々を救ったとして、お前が生き残る余裕があるのか?」

「そ…れは……」

 オティヌスは確信が持てなった。

 もし仮に村人たちの護衛を買って出たとして、異族から人々を守ったとして、果たして自分は生き残れたのか、と。

 普段の数十体規模ならば、生き残れただろう。討伐は出来なくとも囮になって村人たちから引き離し、異族を巻くことも出来たはずだ。けれど、今回は一万体だ。無論、一万体全てを相手にするわけではない。けれど、相手にする数は格段に多くなるはずだ。一つの群れを相手して、逃げた先にまた群れ、さらに逃げた先に群れ、群れ、群れ。戦闘をかぎつけた周囲の異族は引きつけられて、さらに異族は増えていく。

 果たしてオティヌスは生き残れるのだろうか?

「もし、自分の命を度外視で誰かを救おうとしているならば、それは偽善だ。絶命必死のボランティアなんて、やって良いものじゃない。何処ぞの正義の味方志望じゃないんだ。そこまで致命的な歪みを持っているほど、キラープリンセスは壊れていないだろう?」

「それは…そうだけどっ…でもっ」

 オティヌスは消しきれない心の痛みのままにシンに噛み付く。

「そんな論理なんかで心の棘が抜けるとでも!心は単純なものなんかじゃない!後悔なんて、どんな正論を叩きつけられたって消え去るものなんかじゃない!」

 まるでぶん殴るかのような勢い。いや、実際オティヌスは殴りかかりそうだった。

 この男は人の心を愚弄した。

 よりにもよって、誰かを守りたいという願いを無視する形で。

 オティヌスは思わず殺気立つ。けれど、シンは気にする様子もなく、変わらぬ調子で言葉を続けていた。

「俺は自由に動ける立場にいた。やりようによっては全ての村人たちを救うことが出来たかもしれない。だから、全ての罪は力の足りなかった俺にある。責任は当事者である俺が全て負うべきだ。お前が自分の命を優先したことを後悔する必要なんて、どこにもないんだよ」

 つまり、シンははこう言っているのだ。

 俺は村人たちを守りきれなかった。失敗したのは俺だ。全ての責任は俺が負う。だから、お前は自分の決断を否定しなくても良い、と。

 そして、その言葉の別側面は、もし辛くなったらシンを言い訳にして良いってことだ。罪悪感に押し潰されそうになったら、シンに責任を押し付けて罪悪感から逃げても良いってことだ。

 でも、それは。

(間違ってる)

 シンが偽善だと断じるのも分かるし、オティヌスの後悔はきっと世界に対する甘えなのだろう。けれど、頭で理解していても、そう簡単に割り切れる彼女ではなかった。

 だから、シンが用意してくれたのは、オティヌスが後悔に雁字搦めになって立ち止まらないようにするための逃げ道だ。あるいは、呪いを押し付ける人柱か。とにもかくにも、彼は彼女に都合の良い存在になってくれたわけだ。

 コイツが悪い、というわかりやすい非難の対象に。

 シンを声を上げて非難出来たら、どれだけ楽だろう。胸の裡に凝り固まる暗い感情を彼に向けてぶちまけることができたら、きっと気も楽になるに違いない。

 けれど、それは決定的に間違っている。

 オティヌスの後悔はオティヌスが自分で折り合いをつけるべきものだ。自分勝手なこの気持ちを解消するために、誰かを悪者にして良いはずがない。

「ごめん」

「何故謝るんだ?お前の後悔は真っ当なものであり、お前の願いや感情をないがしろにして記号として扱ったのは俺の落ち度だ。俺に怒りをぶつけるのは当然のことじゃないか?」

「わざとやったんでしょ」

 おそらくは、シンは最初にオティヌスの注意を向けるため、わざと彼女を怒らせるように話を切りだしたのだ。怒りで暗い気持ちを晴らし、淀んだ思考回路を再度活発にする。そうして、彼は彼女が自発的に、身の安全のために人を見捨てたというエゴイズムを肯定するように誘導した。

「どうしてそんなことを?」

 オティヌスはシンに聞いた。

「後悔のあまり、思いつめ過ぎて欲しくなかった」

 シンは何処か遠い所を見るような瞳をして続ける。

「これは大方のキラープリンセスに言えることだが、生まれながらの性質として君たちは善性が過ぎる。まるで真っ白な絵の具だ。だからほんの少しでも黒が混じると、君たちは簡単に壊れる。そんなお前たちを多く見てきた。その結末もな。だから道徳上の悪であっても、生きるための善を許容する心を持つようにして欲しかった。さっきのは俺を糾弾の対象とすることで、お前が抱える負の感情を解消しつつ、前例を作りたかったんだ。自身の生存を肯定し、人を見捨てる悪性を受け入れたという前例をな」

 人を守るな、と言っているわけじゃないが、シンは最後に付け加えた。

 シンの言いたいことはオティヌスにもわかる。というよりも、他のキラープリンセスを見ていると良く思っていことだった。まさか自分もそう指摘されるとは思わなかったが、今回に関しては自分もその枠組みに入っているように思えた。

 しかし、シンの言葉を思い返すとこうもオティヌスは思う。

「もう少し上手いやり方もあったでしょ」

 なんだかベクトルがマイナス方向なのである。なんというか、温かみがない。全体的に冷たい。感情の足し算引き算をしているようなやり方なのだ。

「もっと前向きな方法を思いつかなかったの?」

「俺としては最善手だがな」

「だったら捻くれすぎ」

「そうか?まぁ、後悔するな、とか俺が他人に言ってる時点で滑稽か」

 くくっ、とシンは卑屈に笑う。

「でも、そっか、そこまでキミが言うなら、アタシも頑張ってみるよ。この後悔との上手な折り合いの付け方ってやつを探してみる」

「いや、それじゃ、良くないわけだが」

「キミを悪者にするよりはずっと良いよ」

「論点はそこじゃないんだけどな――まぁ、良いか。最悪を回避できれば、それで」

 『誰かのために』ではなく、『自分のために』という所が重要な所なのだが、蒸し返しても仕方がない。シンは小さくため息を吐いて、肩を落とす。

 その時。

「イテっ!」

 シンの後頭部に何かが投げつけられた。

「……うるさい」

 背後を振り返ると、眠たげなレーヴァテインが紅の瞳に確かな苛立ちを湛えてシンを睨む。

「たはは、ごめんごめん」

 ふん、と鼻を鳴らしてレーヴァテインは再び目を閉じる。もう一寝入り…というわけにはいかないだろうが、静かに体を休めたいらしい。

 オティヌスは声を細めて言った。

「もっと強く出てもいいんじゃないの。キミ、彼女に甘すぎるんじゃない?」

「彼女にコルテで負担を掛けすぎちゃったからねぇ。多少のお願いは聞いてあげたいんだ」

 はぁ、とシンの答えにオティヌスは呆れを隠さずため息を吐く。

 オティヌスからすると、シンのレーヴァテインの扱いは、いっそ病的なほどに丁重に思えて仕方がない。

 まるで罪滅ぼしをしているみたい。そんな印象をオティヌスは感じていた。

 

03

 さて、それではほったらかしの話題に触れていこう。

 シンとオティヌスが向かう先。山道を下って少し行くと、そこには村がある。

 キエム村。コルテから一つ山を越えた森林地帯にある中規模の村だ。何も特別性のないありふれた村である。農民たちが畑を耕し、子供を育て、そして異族の恐怖に怯えながら細々と生きる。そんな天上世界でのありふれた生活がそこにはある。

 過去の遺物が向かう行先としては特別性にかけるかもしれない。

 けれども、場所に用はない。用があるのはそこにいる彼女だ。

 第五世代(フィフスキラーズ)のオリジナルキラープリンセス。

 個体名はエロース。

 レーヴァテインに次ぐ二人目のオリジナルがキエム村にいる。

 そして、だからこそ。

(あんな夢を見たのかもしれないな)

 シンは見ていた夢の内容を思い出す。夢に出てきた彼女はエロースと深いつながりがあった。

 自分を慕ってくれていた後輩。とはいっても、世話を焼いた、とシンは言わない。彼と彼女は先輩後輩という上下関係ではなくむしろ対等な間柄であった。

 始めに声を掛けたのは後輩のほうであった。理由は同郷出身であるからという些事だ。しかし、話しかけやすいというわけではなく、ただ単純に珍しいという意味で。とても些細なきっかけであり、研究分野が違うこともあってあまり顔を合わせることもないので、縁は簡単に切れてしまいそうではあった。けれでも、そうならなかったのは二人を繋ぐ共通点が存在したからである。

 その共通点とはキラープリンセス。後輩はシンやマックのようにキラープリンセスのカウンセラーをしていたわけではないが、彼女たちとも仲が良かった。

 殊更に、仲が良かったのはオリジナルのエロースだ。エロースが製造され、研究所での肉体調整期間に友情を深めたらしく、エロースが研究所を出たあとも通信端末で連絡を取り合っていたようであった。二人の都合があえば、後輩がエロースの派遣先に赴き、近場の大都市へ遊びに行っていた。その時の土産話を耳にタコができるほどにシンは聞かされていたことも覚えている。

 土産話をしている嬉しそうな後輩を、マックや始まりのキラープリンセス、李勝利、チェルニコフ兄妹―――つまりはいずれ維持派となる面々と微笑ましく思っていた。向けられる生温かい視線に気づき、彼女が頬を膨らませて怒るまでがワンセット。研究所で繰り広げられる日常の一幕だった。

 そう、一幕であったのだ。

 計画派による楽園計画(プロジェクト:エデン)発動後、いや発動する前から、既にその日常は消え去っていた。

 あの温かい世界は、もう遠い。

 郷愁。

 そんな言葉がシンの脳裏にふと思い浮かぶ。

 まったく甘いことだ、とシンは「くくっ」と笑いながら自嘲する。

 あの後輩は計画派に所属している。再び世界を破壊する可能性がある以上、最悪殺してでも止める必要がある。後ろ髪を引かれてどうするというのだ。

「はぁ……」

「どうしたの?急にため息なんかついて」

「いや、中々に私は度し難いと思ってね」

「はい?」

 オティヌスはキョトンとする。そんな彼女に気にするなとシンは手を振り、前を向く。

 すると。

「なんだ…?」

 森の中から土埃がうっすらと上がっている。

「誰かが異族と戦ってる!」

 弓のキラープリンセスで、目が良いオティヌスが叫んだ。

「――あっ、ちょっと、シン!」

 愚者はオティヌスの静止を振り切って跳び出す。

 柵の無い山道から。

 

 つまり切り立った崖からだ。

 

 

 




words
・コルテの戦乱後、危機に陥っていたシンとレーヴァテインをオティヌスは助けた。その礼としてオティヌスはシン達の馬車に乗り、同行している。
・アンナは魔術によって瞬間移動が可能。
・核爆弾の使用後、発生した放射性降下物をアンナは自身の術式でどうにかするつもりだったらしい。けれど、シンはその可能性を否定した。
・コルテを救う裏で、キラープリンセスが撤退したことで周囲の村は異族の暴威にさらされていた。
・シンは出来る範囲で人々は助けていた。その功績はコルテに避難できた人々の数が教会の予測より多かったことが証明している。
・オティヌスは異族の不審な動きを警戒し、関わらなかった。故に、自分が関わっていれば救えた命があったのでは、と後悔をする。
・シンはオティヌスは諭す。オティヌスは理解はしたが、納得は出来ておらず。自分の気持ちに折り合いをつけようと決意する。
・シンはキラープリンセスに『自身の命を優先すること』を肯定して欲しかった。
・シンが向かう先はキエム村。そこにいるエロースが二人目のオリジナルキラープリンセスだ。
・シンは何者かの交戦を前にして、崖から飛び出した。


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ep.02 使徒

お知らせ
あらすじ、第一章に第一部の部名を書き加えました。




04

 もう困ってしまいますよぅ。

 森の中の開けた場所。緑の空白地帯。

 エロースはそう心の中で泣き叫んだ。そこはかとなくのほほんとした話し方なので、いまいち彼女の悲嘆が伝わりにくいが、こればっかりは仕方ない。彼女の癖である。

 彼女の目の前にいるのは十六の異族と三体の使徒。

 つまるところ、エロースは絶賛交戦中というわけだ。

 ただし、現状エロースは苦境に立たされている。

(スリロスが長弓の私だけじゃあ、厳しいですよぅ)

 エロースのスリロスは長大な弓である。一目でわかる後方支援特化型のスリロスだ。走り回って場を掻き乱し、華麗に異族を討つ。そんな芸当が出来るような武器ではない。

 幸運なのは、ここが森の中であるということだろうか。射線が限定されるが、それは異族たちも同じこと。遮蔽物が多いことは、なにも悪いことだけではない。

 初動は異族側だった。

「―――――」

 角々しい小柄な白。鴉のしゃれこうべのような頭部を持つ使徒の一体、クロウエルが光輝く塊――マナの収束物が付いた杖を無言のまま掲げた。

「――ッ!」

 来る。そう気取ったエロースは後方へ跳んだ。

 追随する異族は使徒を除いた戦型種異族の十六体。際立った力はないが、剣、槍、斧、弓が均等に四体ずついるために、指揮官がいる現状極めて厄介な構成になっている。

 近接武器の十二体の異族たちは大きく口を広くように広がった。エロースを取り囲もうという算段だ。弓の四体は一列に並び、掃射の陣を取っていた。

(………さてとぉ)

 異族たちの動きを見ながら、エロースは策をめぐらす。

(現状最優先に対応すべきなのは、今すぐにでも攻撃に移れる弓の四体ですぅ。でもぉ、囲まれるのは避けたいところです!)

 戦場を把握したエロースは森の中でも、木々がより鬱蒼としている場所へと走る。

 当然異族たちもエロースを追いかけて、森の奥地へと入り込んでいった。

「ギッ!」

 時折飛んでくる、異族の矢。それらに一つでも当たれば、エロースの行動は制限され、すぐさま殺されてしまうだろう。

 だが、それも当たればの話である。

 異族が弓引いた矢は一つも当たらない。

 だが、それは――

(何も不思議な話ではありません!)

 そう単純な話である。

 ここは木々が鬱蒼とした森。つまり、木という天然の遮蔽物がそこかしこに生えている。エロースは絶えず木々の間を複雑に交差しながら通り抜けることで、異族側の射線を遮っていた。弓のキラープリンセスであるエロースからすれば弓の射線を読むことは容易なことだった。加えて的である彼女は当てにくい場所でちょこまかと動くことで、さらに木で日光が遮られているせいで視界が悪いので余計に異族の矢の精度を落していたのだ。

 こうして、弓の異族の事実上の無力化に果たしたエロースは今の内に事実上の冠を取ることにする。

(それじゃあ、近接武器の皆さんには一度私を見失ってもらいますよぅ!)

 まずは持ち前の暴走染みた(・・・・・)身体能力で十二体の異族を翻弄する。

 時に圧倒的なスピードで突き放し、時に異族に突貫して重い弓で殴りつけ負傷させつつ、時に矢を撃つ振りをして蹴りで異族を突き放す。

 相手の意表を突くようなやり方を率先して実行し、十二体の異族を翻弄し、混乱を誘う。

 確かにエロースは長弓を得物として本職は遠距離戦闘だ。前線で異族としのぎを削るような戦い方に向いているスリロスを持つキラープリンセスではない。

 それでも、エロースには経験がある。野良キラープリンセスで、たった一人で異族と戦ってきた経験が。不利な状況で戦ったこともざらだ。

 それでも、エロースは生き抜いて来た。だから今ここにいる。

 成し得た理由はエロースが持つ類まれなる戦闘センス。それは、キラープリンセスであれば、例え性格が戦闘に向いていないものであっても誰もが持つ先天的なものだ。

 生まれながらにして天才的な戦士。キラープリンセスとはそういう存在なのだ。

 エロースは自らを追いかける異族たちの視線を読んだ。

 向けられる原始的な欲望。異族が保有するたった一つの捕食願望。

 視線に込められる隠しきれないそれらを感じ取り、エロースはどれほどの異族が自身を捕捉しているかを数えた。

 そして、自身を捕捉している異族の数がゼロになるその一瞬の内に。

「―――――ッ!」

 跳躍。

 キラープリンセスの爆発的な脚力を生かして跳び、一本の枝の上に着地する。

「ギア?」

「ギャ?」

 エロースを見失った異族たちは困惑の鳴き声を漏らした。

 隙が出来た異族であったが、エロースはそれらを見逃して別方向に弓を向けた。

 後方にて支援を続ける弓の異族。それらの完全な無力化を完遂する。

 弓に矢を持つように手を構えた。

 深呼吸をして、目を閉じる。

 意識を研ぎ澄まし、周囲のマナを感じ取り、それらを手繰り寄せる。

 そうして、エロースの周囲に薄青の淡い燐光がポツポツと現れる。

 マナの光だ。光はやがてエロースの手元に引き寄せられ、やや太めの棒を形どって行き、一つの矢として完成する。

 弓のキラープリンセスが生成を可能とする()。生成時に織り込むマナ量やその密度によって矢の破壊力は変化する。

 今回形成した矢は短い時間で可能な限りの量のマナを収束させ、密度を通常のそれより高くしている。

 エロースがわざわざ木の上に登ったのは、高マナ量、高マナ密度であるこの矢を形成するためだ。ある程度のマナ量、マナ密度であれば、戦闘中何の苦もなく生成できるが、高マナ量、高マナ密度の矢を生成するにはそれなりの集中力が要求される。十二体の異族に追われながら、片手間にできることではないのだ。この矢を形成するための集中できる時間がエロースは欲しかった。

 とはいえ、確保できたと言ってもその時間は短くなる。当然だ。あくまで戦闘中。異族とて木の上のエロースにいつまでも気づかないほど馬鹿ではないし、指揮を執る知能の高いクロウエルがそれを許さないだろう。

 だが、それでもエロースは構わなかった。一度で出来ないなら、二度、三度と試せば良いだけだ。それくらいの猶予は存在するだろう。

(射線は確保済み。クロウエルは直接戦闘に向いていませんし、他二体の使徒もきっと見逃しますぅ。だから、この一撃で弓部隊を沈黙させます!)

 大きく弓を引き絞る。

 エロースの長弓には向かない狩人のような恰好。

 多少の違和感を感じながらも、エロースは狙いを絞り。

 射った。

 ビュン、と弦が鳴る。

 勢いよく放たれた一本の矢。

 それは常識の速度を振り切っていた。

 弓の異族や使徒クロウエルが接近に気づくが、既に遅い。

 マナの矢は着弾する。

 ただし異族や使徒ではなく、その足元へと。

 ドゴォォォン、と腹に響く低い轟音が空気を叩き、着弾地点から土埃が舞い上がる。

 一見、わざわざ手間を掛けて生成した決定打を外したようにも見える。だが、エロースの狙いは元よりこれだ。あの矢は後のための布石でしかない。

 ただ、弓の異族を撃滅する方針は変わっていない。

 エロースは一射した後、すぐさま矢を連続して射っていた。

 速射。神がかった速さで三本の矢を同方向へ射ったのだ。

 ドサ。ドサ。ドサ。

 三回鳴るの何かが倒れる音をエロースは確認する。

 土埃の中にあっても狙撃が出来たのはエロースが特別な目を持っていたからではない。突然の不意打ちに混乱する異族は動けなかったからだ。土埃が上がる前と上がった後で位置が変わっていないなら、狙撃は別に難しくない。

 クロウエルは狙えなかった。他二体の屈強な使徒が護衛していたせいである。

 しかし、手は打った。一時的ではあるが、使徒三体は無力化できたはずだ。

(さて、それでは近接三種を討ちにきます!)

 エロースは木の上から飛び降りた。知能が低い異族とはいえ、矢の軌道を辿ればエロースの位置を割り出す可能性は万が一にもある。位置を特定される前に移動する。

 この時、近接三種の異族は一瞬呆けていた。指揮系統が潰されたからだ。エロースがわざわざ土埃を上げたのは、クロウエルの目を潰し、指揮を執らせないことが目的であった。クロウエルの指揮がなければ、異族はただの烏合の衆。計画的な連携がないならば、異族の脅威は半減する。

「よっとぉっ!」

 着地する。

 瞬間――

「ギアァァッ!」

 一体の異族が迫る。

 どうやら土埃が上がる前に矢の発射地点を目撃していたらしい。いの一番に突撃してきた。

 得物は剣。大きく振り上げられたそれが今にも振り落とされる。

 矢を生成する時間などない。そんな隙など無かった。

 だから、エロースは手段を選ばなかった。

「はあッ!」

 裂帛の気合。

 異族の剣をエロースは弓で受け止めたのだ。

 ただの弓であれば、簡単に破壊されてしまうだろう。けれども、エロースが持つのはスリロスだ。スリロスの強度は並大抵のものではない。人類の敵対者の中で最も強い膂力を持つ使徒の一撃――太い木を一度の斬撃で切り倒すほどだ――を受けても壊れないのはその強度を証明する十分な証拠だろう。

 エロースは剣を受けると、弓の曲線を利用して異族の剣を受け流す。

 そして。

「やぁっ!」

 思いっきり右手の甲で異族の頭部を殴りつけた。いわゆる裏拳というやつだ。異族の表皮は固いため、殴りつけた手の甲がじんじん(・・・・)と鈍い痛みを持った。

「ギィ……ァっ!」

 頭を殴りつけられたことにより、異族の視界が明滅した。

 異族の体がぐらりと大きく揺れる。

 エロースは追い打ちをかけるように弓で再度異族を殴りつけ、完全に異族を昏倒させた。

 そのままの流れで、最低限の殺傷力を持った矢を瞬時に生成し極至近距離で異族の心臓部へと射った。

「ギ」

 異族は短い鳴き声を上げて完全に沈黙。

 一体撃破。

 次なる異族を討つべく、のそり、とエロースは静かに動き出す。

(土埃による目くらましもほんの少しの間しか持ちません。クロウエルが警戒して、護衛のために他二体の使徒侍らせている間が好機です!)

 いくらエロースとて使徒が動き出すと撃破なんて言ってられない。最悪の事態だって考えられる。この場は早急に異族を狩る必要があった。

 位置は木に登っている時に確認している。後は位置を予測しつつ、不意打ちを狙っていく。

(パラケルススが得意としますよね、こういうのぉ)

 そんなことを思いながら、エロースは異族を二体、三体順当に討っていく。

 一つの場所に留まらず常に移動し続けることで異族側に場所を気取らせず、しかし確実にエロースは異族を撃破する。

 そして、静かなる暗殺がさらにエロースを有利にさせた。

 不可視の狩人の恐怖。暗闇に人が感じる原始的なそれと同じものが場の異族たちを支配していた。

 一種の恐慌状態。動かなければ殺される。でも、動いても殺されるかもしれない。獣としての単純な思考回路は何度も同じ問答を繰り返し、最善を導き出せないでいる。結果として生まれた思考の淀みは、異族自身を縛る鎖となり、結果判断力を鈍らせ、更には異族たちをその場に足を縫い留めてしまっていた。

 だから、エロースが異族を狩るのは簡単だった。

(これでおしまいです!)

 最後の一体をマナの矢で貫く。

 使徒が動かなかったのは幸運だ、とエロースは静かに安堵する。

 

 その一瞬の気の緩みが致命的であった。

 

 最初にエロースが知覚したのは風だった。

「……………………………えっ?」

 疑問の声が出た。

 気づいた時には、巨大な影がエロースを覆っていた。

 使徒ミノタウロス。強大な膂力を持つ牛頭の巨躯。

 二体いたクロウエル以外の使徒の内の一体が接近していたのだ。

(―――――不味……ッ!)

 視界にギラリと銀の斧が光るのが見えた。

 ミノタウロスがその手に持つ巨大な斧を振りかぶったのだ。

 横殴りの暴威が来る。

「―――――くっ!」

 咄嗟の判断でエロースは体を屈めた。

 しかし、直後にそれが悪手であることをエロースは身を以て知った。

「―――――カハッ!」

 吹き飛ばされた。

 何に?

 ミノタウロスの左足にだ。

 斧の一撃はブラフ。本命は左足による打撃だったのだ。

 吹き飛ばされたエロースは岩壁に叩きつけられた。その反動でエロースは地面にうつ伏せに落ちる。

 パラパラ、と岩の破片が零れた。

(骨…は折れていない…よう……ですが……全身打撲……で…もう動けませんねぇ……)

 体中が痛い。何もしなくとも、ズキズキとした鋭い痛みが全身を突き刺す。戦闘行為は言うまでもなく、立ち上がることすらできないだろう。

(もう……終わりですかぁ……)

 霞む視界の中でエロースはミノタウロスを見た。

 悠然と歩を進めるのは勝者の余裕だろうか?死の執行者は静かに此方にやって来た。

(ごめん……な…さい…おばあ…ちゃん……)

 自分を待っている人に向けての謝罪。死を覚悟し、瞳と閉じるその直前。

 エロースは奇妙な動きを見た。

 ミノタウロスが中空を見上げ、斧を顔の前にかざしていたのだ。

 まるで、何かから自分を守るように。

(な…何が……?)

 パラパラと岩の破片が転がり落ちている。

 エロースが何とか顔を動かしてミノタウロスの視界を追おうとした。

 その時。

 

 ―――ジュッ

 

 唐突にミノタウロスが蒸発する。

「――――は?」

 目をパチクリとさせるエロース。まさしく混迷の極みある彼女であったが、状況は彼女は待たない。

 

 パラパラと転がり落ちていた破片はもう落ちてこない。

 

 

 

05

 シンは崖から飛び降りた。

「ちょっと何やってるの!?」

 オティヌスの困惑の声を尻目に、シンは地面へと落下していく。

 眼下には森。かなりの広さの森が途切れるまでをシンの場所からは俯瞰することができる。

 つまり結構高いのだ、シンが飛び降りた場所は。概算ではあるが、いらゆる超高層ビル程度の高さはあった。

 ほんの少し肉体を改造している程度のシンでは、普通の人間同様、着地と同時に潰れたトマトのようになるのは目に見えている。  

 シンとてそんなことは理解している。何も考えなしに突っ込んだわけではない。

 シンは左腕を直上に上げて、言った。

「CMCシステム起動、コード257843〈タラリア〉!」

 途端に左腕が膨らみ、袋の形状を取り始める。袋が完成すると、シンの体が空中でガクンと揺れ、緩やかに降下し始める。ミチリ、と左腕から嫌な音がしたが、千変万化のスリロスに自在に変形する左腕だ。怪我をした所で直ぐに再生するので気に掛ける必要など皆無である。

 タラリア。ギリシャ神話のヘルメスが持つ空を駆ける靴が名前の由来だ。このスリロスは単なる強度の高いパラシュートである。空を駆けるという実際の神話の記述からは離れた特性を持つが、空を飛ぶ伝説を持ったものが少なかったので消去法的にこの名前に決まった。

 ちなみに余談ではあるが、ヴァナルガンド同様にこのスリロスの名前を決めるときにもひと悶着あった。同ギリシャ神話で語られるイカロスとどちらにしようか、という議論になったのだ。最終的に、「イカロスは落ちたから縁起が悪いじゃない」という始まりのキラープリンセスの意見でタラリアに決定したのであるが、シンとしては納得がいっていない。

(安全に落ちるから、気にしなくても良いと思うのだが……)

 そんな風にシンは今でも思っているのだった。

 さて、タラリアのおかげで転落死の危機を免れたかと言えば、実はそうではない。

 パラシュートには最低高度というものが存在する。いわゆる安全に着地できる最も低い高さというもので、使用者はパラシュートをその高さまで落下する前に開かなければならない。

 では、シンの現在高度が十分なそれであるか?

 答えは否。

 ということで、シンは今も生命の危険に絶賛さらされ中である。

肉体鎧化(ハーデニング)!」

 シンはCMCシステムコードを音声入力する。

 ビリッ、とシンの神経に強い電流が走った。途端にシンの胴体が強張る。

 CMCシステムサポートコード〈肉体鎧化(ハーデ二ング)瞬間強化(ブースト)と同じくシンの戦闘補助系統のシステムコードである。このコードの効果は体内のM細胞を硬化させ、肉体強度を上げるという極めて単純なもの。胴体の身動きが取れなくなるという欠点があるものの、人間の柔らかい肉体しか持っていなかったシンにとっては、今回のような高度からの落下や異界存在との戦闘で吹き飛ばされた時には重宝する防御手段だ。

 肉体が固まりきる前に、シンは岩壁に踵をくっつけた。そうすることで落下の勢いを落す算段だ。

 落ちるに任せて、シンの踵が岩を削り取っていった。

 パラパラと岩の破片が下に落ちていく。

 シンは既に起動させていた〈ana〉を通して眼下を見た。

『M波確認しました。戦闘下にあるキラープリンセスはオリジナルのエロースです』

 第五世代(フィフスキラーズ)キラープリンセス、エロース。

 名前の由来はギリシャ神話に登場する愛の神である。いくつかの物語に登場するが、愛の神だけあって恋愛譚に登場するのが常だ。彼の神が持つ金の矢は射貫かれた者に激しい愛情を抱かせ、鉛の矢は射貫かれた者に恋に対する憎悪を植え付けるという神話が残っている。まさしく愛を司る神というわけだ。

 シンは〈ana(アナ)〉に指示を出し、エロースをマークし視界の倍率を引き上げさせた。小さくぼんやりと見えていた彼女の姿がアップで映る。

 柔らかそうなウェーブのかかった金髪に、建物の骨組みのようなフォルムの奇怪な弓。見間違うはずがない。今交戦しているのはエロースだ。

 久方ぶりに再会した彼女は、全体的に青の装束で身を包んでいた。胸元で青いマントをリボンで留めており、コルセットのような黒い鎧を身に着けている。ただし豊満な胸は抑えきれなかったのか、V字型の白い布で覆われているのみだ(つまりは谷間が露出している状態にあるのだが、あまり触れないでおく。シンは紳士なのだ)。鎧からはレースの付いた青いスカートが生えるようにして着いている。このスカートは衣服としてより、どちらかといえば腰巻的な役回りを持っているようだ。事実、陸上選手のブルマにもビキニにも見えるものを履いている。おかげで美脚が付け根部分まで見えてしまっていた。淀んだ薄いピンク色のニーソックスとブーツのおかげ生足ではないのが幸いだった。

 エロースを拡大する傍ら、〈ana(アナ)〉は戦況を文字で伝え続けた。

『対する異族は四、三―――たった今討伐完了しました。居残っているのは三体の使徒のみ―――ッ!』

 人工知能が器用に息を呑む。

 エロースが使徒ミノタウロスに蹴り飛ばされたのだ。

「コード解除!」

 すぐさまシンは肉体鎧化を解除する。

 解除直後に来る独特な痺れが残る体をなんとか動かして、白衣の内ポケットから十センチほどの肉柱を取り出した。

「CMCシステム起動、コード1359076〈メギド〉」

 シンの左腕が怪しく蠢動する。

 形作られるのはシンの体ほどもある銃身型の砲台だ。

 シンは先程取り出した肉柱をメギドに装填する。肉感的な音を出して、それはスリロスに取り込まれた。

『M細胞の装填を確認。エネルギー充填完了。標的〈ミノタウロス〉。標準設定―――完了しました』

 肉の砲身が莫大な熱を持つ。あまりの熱にM細胞で出来ていないシンの生の肉体に刺すような鋭い痛みが走った。痛みを噛み殺し、彼は偽り神の裁きを執行する。

「―――――――発射」

 短い宣告。

 ただそれだけだった。

 シンの殺意を感じ取ったミノタウロスが斧を掲げる。

 けれど、そんなことに意味などない。

 メギド。イスラエルに実在する地名だが、聖書上では――諸説あるが――光の勢力と闇の勢力が行う最終戦争(ハルマゲドン)が行われる地とされている。

 世界の終末、その一つの名を冠するスリロスの一撃がたかだか武器一つで防げるほどちゃち(・・・)なものであるはずがない。

 メギドが放つ砲弾は熱線、赤外線である。それに指向性を持たせて一点に集中させることで相手を焼却する熱兵器。それがメギドの正体だ。

 たかが化け物一体に防げる道理などなかった。

 シンが射貫く先。

 砲身の直線上で、煙が上がる。

 オリジナルのキラープリンセスを追い詰めるほどの怪物が消滅した。

 その確たる証拠であった。

 シンはメギドを解除する。

 崖を下りきると、呆然とするエロースに向かって言った。

 

「間一髪間に合って良かった」

 

06

「……えっとぉ……?」

 パチクリ、とエロースが瞼を閉じて、開ける。

 シンは見るからに困惑しているエロースを無視して、こう要求した。

「とりあえず面倒なことは後にしよう。まずはお前の体を回復する。背中を出してくれ」

「は、はいぃ?」

「いいから出してくれ。ほら、早く。まだ二体残ってるだろ、ほら、ほら」

「え、えぇ?」

 強引に迫るシンにエロースは流されるように背中を差し出した。

 シンはエロースの背中に掌を添えて、言う。

肉体治癒(ヒーリング)

 途端にエロースの体が大きく跳ね上がった。

「かはっ、あっ、あっ、うぅ、あぁっ!」

 エロースは喘ぎ声を上げる。艶っぽい情欲を掻き立てるようなそれではなく、苦しさを生々しく伝えてくる思わず耳を塞ぎたくなるようなそれだ。

 肉体治癒はM波を当て、無理矢理細胞の運動を活性化させることで急速な回復を促すものだ。当然被治療者の肉体への反動はある。ゲームではあるまいし、治療される側が負担を負うのは当然だ。どんな治療だって、結局は治療される側の肉体に働きかけるもの。外部から影響を与えられる以上、何かしらの負荷がかかっているのは間違いないのだから。

 けれど、エロースの肉体治癒に対する反応は顕著に過ぎた。レーヴァテインが肉体治癒を掛けられた時よりも反応が激しい。

(相性があるからな)

 キラープリンセスにも各個体固有のM波がある。共鳴とは違うが、肉体治癒はM波を当てているのは違いないわけで、どうしても相性の良し悪しは存在してしまうのである。

 それでも肉体治癒を使い続けられる所が、必要なことは何があっても実行するシンの割り切りの良さを表す点であった。

「ふぅー、ふぅー、ふぅー」

 エロースは胸を大きく上下させて、深く呼吸をした。乱れてしまった呼吸をゆっくり整える。額に浮かんだ玉の汗を拭おうとするも、拭くものがないために断念した。

 肩を落とすエロースに、シンは予め用意していたタオルを手渡す。

「これで汗を拭くと良い」

「は、はい、ありがとうございますぅ―――って、そんなことより貴方は一体何者なんですかぁっ!」

「その疑問にはしっかり答えていきたい所だが、どうやら時間がないようだ」

「はい?」

「今は戦闘中だろう?だから、直に使徒二体がこっちに来る」

 現在シンの左目の画面には二つの点が動いている。点が表しているのは〈ana(アナ)〉の熱源感知機能により検知した二体の使徒だ。その二体はゆっくりと様子を伺うようにこちらにやって来ている。おそらくは突然現れた闖入者を警戒しているのだろう。

 だが、その警戒もいつまで続くかわからない。すぐにでも襲い掛かってくる可能性さえあるのだ。時間を無駄にはできない。

 エロースはあらゆる疑問を呑み込むようにうなずいて、弓を支えにして立ち上がった。

「わかりましたぁ。とりあえず今は使徒の殲滅ですね」

「俺が前衛を務める。急造のツーマンセルだが、合わせられるか?」

「キラープリンセスを舐めないでください。それくらいのことやってみせますぅ!」

「すまないな、負担を掛けて。それで、さして時間がかからない内にオティヌスとレーヴァテインがここにやってくるはずだ。最悪、そこまで生き延びれば十分だ」

 レーヴァテインはともかくとして、馬車を任されているオティヌスはきっと全速力で山道を下っているだろう。二人の援軍が到着するまで、それほど多くの時間はかかるまい。

 無理に使徒を倒さなくて良い。二人は時間稼ぎに徹すれば良いのだ。

(ま、出来れば俺だけで片付けたいが……)

 そんなことを思いつつ、シンは言葉を呟いた。

「CMCシステム起動、コード2117651〈ダーインスレイブ〉」

 蠢動する左の黒腕。

 やや肥大化すると、一つに肉塊が腕から分化して黒剣となる。

 エロースがぎょっとした目でシンを見る。彼女ほどの人格者でも、彼を驚きのあまり凝視するのは仕方がない。誰が左腕からスリロスが生まれるなどと一体誰が想像できようか。

 シンの左腕はエロース、ひいては天上世界の住人にとってあまりにも埒外過ぎる出来事であった。

『使徒二体、動きます!』

 状況が動く。

 〈ana(アナ)〉の警告と同時に、シンとエロースも目視で敵が攻撃態勢に移ったことを確認した。

 一番初めに動いたのは使徒ミノタウロスだった。

 異族を凌駕する速力を以て、前に出たシンを切り裂かんと巨剣を振り上げる。

「――――ッ!」

 対面したシンは初めての感覚によって喉が干上がった。

 それは使徒の巨体や驚異的な身体能力に直面したからではない。

 殺意(・・)。「殺す」という明確な意志が、肌を突き刺すほど強い意志がシンにぶつけられたからだ。

 意外に思われるかもしれないが、シンは殺意というものを向けられたことはない。

 シンが戦ってきたのは、あくまで獣―――異界存在や異族といった怪物だ。彼らは強大な存在であったものの、やはり動物でしかない。本能的な欲求によって動く彼らの闘争の動機は、捕食願望だったり自衛本能だったりで、外ではなく内に向けられていた。

 けれど、使徒は違う。

 使徒はその無機質な外見からは想像できないほどに、感情的に、人間的に、外に向けられた殺意を以て力を振るっている。その中には一種の使命感すら感じられた。使徒をそこまで掻き立てる動機は分からないが、彼らには異族とは決定的に違う何かがある。

 これではレーヴァテインに呆れられてしまうのも当然だ。異族と使徒では根本的な何かが違っている。両者を同一の物と語るのは見当違いも甚だしい。

 対面する前、シンは異族と使徒との違いは強大さ程度だと思っていた。その程度の認識でしかなかった。

 だから、彼は萎縮した、してしまった。

 自身よりも何もかもが格上の使徒を前にして、恐怖という感情を表に出してしまった。

 恐怖は刹那の内に、心から体へと伝播した。

 シンの意志とは関係なく筋肉が強張る。それは恐怖を前にした特の動物としての本能的な条件反射だ。

 結果、シンの動きが一瞬鈍る。

 生まれるのはタイミングのズレ。

 使徒の剣を受けようとしたシンのダーインスレイブは、力が出し切られる前に使徒の剣に弾き飛ばされる。

「―――――ガッ!」

 冗談抜きにシンの体が舞い上げられた。下手糞な曲線を描きながら彼は宙を舞う。

 見た目に目立った外傷は負っていないが、舞い上げられたときに発生した慣性Gで肉体が圧迫され、意識が一瞬遠のき、呼吸が止まる。

「今、いきますっ!」

 使徒の作戦を読んだエロースがそう叫ぶが、直後に交戦の音がシンの耳に届いた。

 使徒ミノタウロスが前衛のいなくなった後衛職のエロース相手に襲いかかったのだ。

 エロースは応戦せざるを得ない。巧な弓捌きで彼女はミノタウロスを牽制する。ただミノタウロスを出し抜くほどの余裕はなかった。仮に、ミノタウロスを上手く出し抜けたとしても、もう一体の使徒――クロウエルが後方に控えている。エロースにシンを助ける余裕があるかどうかは、疑問が残る所だ。

 シンとて、そのようなエロースの状態は把握できている。そも自分の不始末なのだから、自分で解決するのが筋だ。

「CMCシステム起動、コード2345679〈アッキヌフォート〉」

 シンの左腕が蠢く。

 形成されたのは腕に直接装着された簡素なボウガンだ。見た目は他のスリロスと比べると、派手さや奇抜さに欠けるデザインである。

 けれども、侮ることなかれ。無駄なしの弓(アッキヌフォート)の名前を冠するこのスリロスが生半可な武器であるはずがない。

 矢が形成され、弓がひとりでに引かれていく。

 スリロス、アッキヌフォートが端的に言えば、筋肉の塊だ。人間の腕力では引けないほど固い弓を異界存在の強靭な筋肉を以て引き絞る武器。それがアッキヌフォートの正体である。

 ミチミチ、と肉が鳴る。アッキヌフォートが最大限引き絞られたのだ。

「――――発射」

 そして、矢が空間を貫いた。

 シンの宣告がなされると、肉の矢は弓より消えた(・・・)

 超常現象が起きたのではない。

 ただ目視が出来ないほどの速さで矢を射った。ただそれだけだ。

アッキヌフォート、もしくはフェイルノートとも呼ばれる弓が登場するのはケルト神話を元にする伝承『トリスタンとイズー』という物語だ。

 作中での彼の弓の能力は必中。

 であれば、アッキヌフォートと名付けられたスリロスには必中という物語の中でしか有り得ないようなインチキ能力に匹敵する性能が備わっていることになる。

 スリロス〈アッキヌフォート〉は伝承の能力を『速度』で再現した。

 防御も回避も不可能、標的の認識すらも追い越して射貫く極限の速度。ただ速いだけというわかりやすい力の集積が、御伽噺を現実のものとした。

 強力な武器であるアッキヌフォート。

 シンがその標準を向けたのは使徒ミノタウロス―――ではない(・・・・)

 空中に舞い上がったシンを討つために、マナ弾を形成していた使徒クロウエルだ。

 近接戦闘に長けたミノタウロスが前衛のシンを空へ舞い上げ、クロウエルがシンをマナ弾で狙撃する。その間ミノタウロスが弓使いのエロースを追い詰める。クロウエルは足場がないため、無防備にならざるを得ないシンを難なく殺し、二体一でエロースを討つ。

 使徒のブレインであるクロウエルの作戦はこのようなものだったのだが、この作戦は「シンが遠距離攻撃手段を持っていない」よいう前提が既に間違っていた。無論、シンと交戦するのが初めてであるクロウエルが、シンの詳細を知るなんてどだい無理な話であるので「仕方がない」といえるが。

 「その仕方がない」が使徒を滅ぼすのだ。

「――――――――」

苦悶の声は無かった。

 豪速の矢は使徒クロウエルの頭部を粉砕した。パキン、と硝子の割れるような音がして、クロウエルの頭は粉々に砕け散る。

 レーヴァテインによると、使徒は血肉を持たないが、頭と心臓を破壊すれば活動は停止するとのことだった。

 頭を失ったクロウエルは死亡した。頭のないクロウエルの死骸は変わらず直立していたが、数秒もかからぬうちに白い蛍のような光に還元され、消滅していく。

(……マナか…)

 過去では決して見れなかった幻想的な風景に、使徒の消滅をシンは発生原因を過去になかったものと断定した。

 物質世界において、特定部位の破壊による個体の消滅などあり得ない。ジェンガのように形を保てなくなり、崩壊するというならともかくだ。

 おそらくだが、と前置きした上でシンは使徒を定義する。

 使徒は炭素生命体でも、珪素生命体でもない、マナ生命体だ。〈ana〉の熱源感知機能に反応したことから、大凡の動物と同様に何らかの発熱能力を獲得している。エネルギー源としているのは、天上世界に充満しているマナ。マナ以外のものを摂取していたら、クロウエルが消滅した時に摂取した食べ物がその場に残されるはずであるが、残っていないため間違いないだろう。マナのみで高等生物と同等の多様な肉体機能を形成できるとも思えないので、肉体構造は酷く単純で、肉体を動かすためのエネルギーのみを必要とする生命体と結論付けるのが、現段階で獲得している情報からすれば妥当だろう。

 ただ、一概に生命体と定義するのは安易かもしれないともシンは思う。

 いささか使徒は”生命体”の範疇から乖離しすぎている。ロボットと言ったほうがより正確な使徒像に思える。

 けれど、それでもシンが使徒を生命体として定義したのは、そうとしか考えられないからだ。もしあのような複雑かつ繊細な輪郭、造形を持ち、自律運動する物体が生命体ではないならば、使徒は人間と同レベル以上の知的生命体による製造物になるからだ。ただし、そのような知的生命体が存在するならば、今頃人間はその知的生命体と戦争中だろう。肌の色の違いや価値観の違いで差別やら戦争やらを引き起こしてきた人間が、異種の知的生命体と対立しないわけがない。過去に知的生命体が絶滅したという意見があるかもしれない。だが、人間側の最高戦力であるキラープリンセスに比肩する兵器を作れる知的生命体がそう簡単に駆逐されるとは考えにくいし、計画派が持つ兵器でも使徒を圧倒するような兵器はないため、人間側が彼らを絶滅させることができるとは思えない。核爆弾はまさしくその使徒を圧倒する兵器だが、先日にコルテの地下にあったことは判明している。天上世界では核爆弾は、先日の一回以外使われていない。それに、核爆弾一発で一つの生物種が絶滅するとは考えにくい。結論として、絶滅したという説はまずありえない。数を減らしている説もまた同様の理由で否定できる。だから、使徒が何らかの知的生命体による製造物である可能性はゼロだ。それに、今しがたシンが実感した殺意は意志のない製造物では出せないものであり、シンの経験からでも使徒製造物説が否定できる。

 使徒を生命体と定義するのは安易な判断かもしれないが、消去法的に生命体としか定義できない。生命体の定義にあてはまるからではなく、生命体と定義するしかないからという諦めの結論だった。

 妥当ではあると思う。でも、妥協した結論であるのは言うまでもなく間違いない。

 シンは使徒についてもっと研究したい衝動に駆られるが、しかし戦闘中であるためそれは叶わない。

 お忘れではないだろうか?シンはミノタウロスに直上に打ち上げられて、現在進行形で落下中であることを。

肉体鎧化(ハーデ二ング)!」

 頭を抱えて、体を丸め込む。

 硬化したM細胞により保護されたシンが地面へと激突した。

「――――カハッ!」

 体がばらばらになったと錯覚するくらい強い衝撃に、シンは再び血を吐いた。

 そのままシンは勢いを殺しきれずに、何度か地面を小さくバウンドする。

 脳が強く揺さぶれたことによる酩酊感にも似た五感の不明瞭さに苦しめられながらも、シンはコードを解除し、再びダーインスレイブを形成する。

「ヴォぉォォォォァァァァッ!」

 ミノタウロスの方を見れば、咆哮を上げてシンに襲い掛かって来るではないか。

 ぐらり、と揺れる体で何とか踏ん張って、シンは剣を構えた。

 ミノタウロスの動きはクロウエルが居た頃と比べると格段に悪くなっている。なんというべきか全体的に粗が目立つ。剣道の達人から中学生にグレードダウンした感じだ。理性的な動きの中に獣染みた挙動が混じっている。

 何故エロースからシンに標的を変えたのかはわからない。クロウエルが末期に出した指示なのかもしれないし、ミノタウロス自身がクロウエルを倒したシンを危険だと判断したのか。その真偽はわからない。

 ぐらり、とシンの体が揺れる。

 まともな戦闘をできないと判断したシンは一撃でミノタウロスを仕留めることを決定する。

「CMCシステム起動、コード1235837〈ゲイボルグ〉」

 形状を剣から変える。よりリーチの長い槍へと。

 迫りくるミノタウロスの心臓部に穂先を向けた。

 ぐらり、と体から力が抜けそうになるが、気力でなんとか踏みとどまる。

 より強く地面を踏みしめて、シンは言った。

瞬間強化(ブースト)!」

 一時的にシンの身体能力が底上げされる。

 一瞬の爆発力を以て、シンは地面を蹴った。

 景色が大きくズレる。

 静から動への変化に、脳の視覚処理が追い付かなかったのだ。

 曖昧な輪郭の白が迫る。

 槍の穂先だけは決してずらさずにいた。

 右腕を引き絞り、左手で持った槍を鋭く白に突き出した。

 

 そして。

 

 パリン。

 そんな乾いた音を聞き。

 

 

 シンの意識は暗転した。

 

 

 最後に思ったことは、

 

(ゲン担ぎに必中の魔槍(ゲイボルグ)にして、良かったな)

 

 これでは彼女に文句を言えない、とシンは一人自嘲した。

 

 




word
エロース
第五世代。オリジナルキラープリンセス。
柔らかそうな緩いウェーブのかかった金髪、青いマントと腰巻、黒いコルセットのような鎧、淀んだ薄ピンクのニーソックスを身に着けている。
スリロスは弓。建物の骨組みのようなフォルムをした奇怪な形状。
相当な人格者。のほほんとした話し方をするが、頭の緩い娘ではない。

使徒
シンの定義では、マナ生命体。
細胞ではなくマナで形成されており、マナのみを摂取して生きる。
頭か心臓部を破壊するとマナに還元され消滅する。
天上世界に先住している知的生命体による製造物の可能性もあるが、シンは知的生命体が居ないと結論付けたためこの説を否定した。

CMCシステムコード肉体鎧化〈ハーデニング〉
体内のM細胞で出来た筋肉部分に電流を流すことで硬化する。シンが持つ数少ない防御手段。

CMCシステムコード対応表
1235837 ゲイボルグ
1359076 メギド
2345679 アッキヌフォート
2578431 タラリア




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ep.03 家・村・森

07

 本日二度目の覚醒であった。

「……ん…むぅ……」

 体の気怠さを吐き出すように重々しくシンは呻く。

 一体何がどうなったのか。とりあえずわかることと言えば、白衣を脱がされ固いベッドの上に寝かされているということだけだった。

 辛い体を動かして、シンは起き上がろうとする。

 けれど、

「まだ寝ていてください。かなり消耗していたみたいですからぁ」

 甘い砂糖菓子のような声がシンの動きを制した。

 声の主はエロースである。気絶したシンを彼女が此処まで運んできたのだ。

「あの後やってきたオティヌスから色々聞きましたぁ。随分無理をしていたようですね。ミノタウロスを倒した後に気絶するなんてぇ、焦りましたよぅ…」

「たはは、情けなくてごめん」

 シンが軽く受け流そうとすると、エロースは眉を顰めた。

「笑いごとではないですよぅ。貴方の左腕は酷く体力を消耗するものだとオティヌスから聞きました。病み上がりにそんな戦闘するなんて、無茶しすぎですぅ」

 実際、シンが消耗していたのは事実だった。

 病み上がりと連続のスリロスの形成、そして何よりメギドの使用が大きな負担となっていた。

 シンの鬼札中の鬼札であるブラフマーストラβ。使用の反動で二十時間以上のレストを必要とする代物であるが、ブラフマーストラβ以外にもレストが必要なスリロスは存在する。

 その一つがメギドだ。赤外線による熱攻撃という生体から形成した武器とは思えない攻撃手段を用いるそれは、莫大なエネルギーを必要とする。M細胞を外部から取り込むことにより多少の軽減を図っているが、それでもシンの負担は大きい。必要とされるレストは三時間。その時間内にスリロスを形成すると、シンは大きく疲弊する。

 無論ブラフマーストラβと比べると消耗が遥かに少ないことからわかるように気絶するほどに疲弊するわけではない。だが、病み上がりだったのが悪かった。シンが思っていた以上に、彼は体力を消耗していたのだ。

「熱は出ていませんけど、今日一日は寝ていてください。また熱がぶり返すといけませんから」

 そう言ってエロースは木製のお椀をシンに差し出した。お椀の中には白っぽいドロドロしたものがよそられていた。

「米と菜っ葉を大量の水で煮た料理です。オティヌスから教えてもらったお粥というもので、此処よりも雨が多い地域では体調の悪い人に食べさせる定番のものみたいです」

「米?上から見た限りだと、此処は小麦を作っているみたいだったけど。何処で手に入れたの?私は持ってないよ?」

「行商人の方から買ったものですぅ。村の物は安全性が保障されませんから」

「安全性……?」

 エロースの奇妙な発言にシンは首を傾げる。

「この村で起きているちょっとした問題なんですけどぉ……シンさんは疲れを取ることに専念してくださいねっ!今日はまだ安静な状態でいること!いいですね!」

 有無を許さないエロースの口調に逆らえず、シンは力の抜けた笑みを浮かべてこう答えた。

「わかった。お前がそう言うなら、素直に甘えさせてもらうことにするよ」

 焦っているのは大方オティヌスからシンの性格を聞いたからだろう。重たい体を引きずって、首を突っ込みかねないと思ったに違いない。

「それでは、私はおばあちゃんのとことに行ってきますから、何かあったら読んでくださいねぇ」

 エロースはシンを一瞥すると、扉を開けて出ていった。

 シンは扉が閉まると同時に、虚空にこう問いかける。

「バイタルは?」

 左目に電子的な色が光る。

 〈ana(アナ)〉だ。

『内臓や骨に問題はありませんが、筋肉が少々やられています。あとは疲労の蓄積ですね。エロースの言う通り、今日はゆっくり休むべきです。それに私の電力も減ってきたので、補充をお願いします』

「了解。まぁ、殊更急ぐ必要もないから問題ない……か」

『まさか、計画派から休戦協定を提案してくるとは思いませんでしたね。てっきり反乱分子は潰してくるものだと』

 計画派つまりラグナロク教会と対立していると判明しているのはシンだけだ。記憶のないキラープリンセスや人々がラグナロク教会に対立するはずがないし、もし記憶を持っていたとしても彼らには対立する理由がない。彼らには何が起きたかどうか分からないからだ。

 シンを潰さなかった理由はおそらく、

「俺達をたやすく潰せるからだろうな」

『あの時、〈女帝〉が見せた魔術。本物の魔術(オカルト)ではなく、マナを操作する(すべ)という意味でのマ術(・・)。計画派全員が魔術を身に着けているとすれば、厄介としか言いようがありません』

「すれば、という仮定は無意味だ。何せ魔術と銘打っていても、その本質は科学。誰でも使えるように簡易化し普及させるのは科学の得意分野だ」

『では、急がなければ手に負えなくなるのでは?奏官にまで技術が与えられれば、私達では対抗できなくなるほどの戦力になってしまうのでは?』

「いや、それはない。仮にも計画派は宗教組織として活動している。ラグナロク教会最高組織の教皇庁重鎮の御業が誰にでも使えるようになってみろ。一気に教皇庁の神秘性は損なわれ、権威は失墜するぞ。十字軍に失敗した教皇みたいにな。事実、王や貴族によって構成行政組織もあるようだし、教会に不満を持つ奏官を中心に王を担ぎ上げて反乱を起こす可能性もなきにしもあらず。形骸化の元で王権神授のダシに使われるのは、計画派も真っ平御免だろう」

『なるほど、組織運営も色々面倒ですね。ただ、何故そこまで面倒にしたか、というのが疑問ですけど』

「どういうことだ?」

 〈ana(アナ)〉の意味をくみ取れない言葉にシンは首を傾げた。

『もっと効率的な統治体制にできたのではないか、ということです。何故ラグナロク教会の一強ではなく、王や貴族との二つの柱で天上世界を治めるようにしたのでしょう。計画の早期完遂を実行するならば、彼らは障害としかなりえないと思うのです。教会がキラープリンセスという強大な戦力を占有しているのは面白くないはず。当然、教会の動きに彼らは口を出してくるでしょう。計画派からすれば、それは好ましくないことです。つまり、王や貴族は計画上の無駄な要素。いっそのこと政教一致にした方がや断然組織的に動きやすいのでは?」

「確かにその通りだが…………それは神話時代の動乱が関係してくるだろうな」

 創世戦争というワードが一人と一機の沈黙の裏に浮上する。

 数多の悪魔の到来。世界樹ユグドラシルの成り立ち。人々の神器信仰の発端。

 ラグナロク教会が語る神話には天上世界の人類史のあらましや教会が掲げる教義等が小話を交えて語られている。

 創世戦争というのは、神話の中で最も詳細に語られている天上世界創世期の動乱のことだ。

「神話になっている以上脚色が多いが、そこにはある程度の歴史的事実が含まれていると推測できる」

 コルテ大規模討伐戦後に現れたアンナの言によると、確かに創世戦争は現実に起きている。神話における創世戦争は史実の創世戦争を元に構築されているはずだ。

「イェナー・ハーフナー、テナ・キルア、アンドレア・サールマン等々。創世戦争時に人々を率いていた英雄は存在する。彼ら自身が、もしくは彼らの子孫が人々の心を集め、教会成立よりも前に小さな政治組織を構築していれば、計画派も彼らを無碍にはできない」

『後に唐突に出てきたラグナロク教会が彼らを排除すれば、確実に人々に怪しまれる。計画派は出遅れていた。英雄たちと比肩することが限界だった。貴族と教会の二大権力による統治に収めるのが、計画派の最善手だったというわけですか』

 そうだ、とシンは首肯し、こうも続ける。

「計画派は科学者であって政治家じゃない。計画派が政治体制を築き上げることが出来た方が、俺は不思議だけどな」

 考察が終わった所で、シンは粥を口に運んだ。

 粥はすっかり冷めてしまっていた。勿体ないことをした、とシンは食べながら悔やむ。

粥を食べ終わり、手近なテーブルに空の椀を置くと、

「じゃあ、〈ana(アナ)〉今後の予定を――――」

「うるさいなぁ……誰だよ…一体…?」

 ごそごそと家の奥で何かが蠢く音がした。

「(〈ana(アナ)〉一端切るぞ)」

『了解しました』

 左のこめかみを押して〈ana(アナ)〉の電源を落とす。

 未だ声の主は姿を現さない。「あぁ……うぅん…」と眠たげな声が聞こえてくる。ごそごそ、という物音も同様だ。

 シンは目を凝らして、物音がする方向を見る。

 馬車でシンが使っていたような薄汚れたボロ布がうぞうぞと動いている。どうやら何者かが布下で眠っていたようだ。シンと〈ana(アナ)〉の会話で目が覚めてしまったらしい。

「よ~いしょ~っとぉ~」」

 億劫そうな声を上げて、ボロ布の主は体を上げた。

 姿を現したのは少年だ。ボサボサで、白いふけ(・・)が混じっている黒髪は手入れされている様子はなく、顔や腕に肉はなく、痩せこけてはいないものの貧相の身体つきであった。未だ焦点の合っていない両目は、彼の言いようのない眠気を訴えている。その胡乱な瞳からか、どうにもやる気怠そうな印象が拭えない。

 少年は首を回し、腕を上に伸ばし、体の強張りを取った後、目をこすり、欠伸をする。そうした一連の動作を緩慢に終えた後、ようやくシンと少年の目があった。

(どうしたものか……)

 〈ana(アナ)〉との会話が聞かれたら不味い、といった危機感が湧く以前に、シンは当惑していた。目の前の少年の、奇妙さというか異質さというか、彼が放っている不思議なオーラに気圧され、どう声を掛けるべきかわからなかったのだ。

 しばしの沈黙。

 そして、沈黙を破ったのは気怠そうな少年の方であった。

「どぉも」

 片手を挙げて、その少年は短く挨拶する。

「………ども」

 少年の意外にもフランクな挨拶にシンは面食らう。少年の動向を伺うように、シンは小さく挨拶を返した。

 シンの内心などつゆ知らず、気怠げな少年は不思議そうに問う。

「誰?」

「初めまして、私はシン。姓はないから、そのままシンで良いよ。色々あってエロースの世話になってる」

「ふぁあ、あぁ、あ、なんだって~?」

「………私の名前はシン。色々あってエロースの世話になってる」

「そう……どうでも良いなぁ」

 シンの自己紹介をどうでも良と切り捨てて、ふわあぁ、と少年は大きな欠伸を一つ吐く。

「俺の名前はべルフ。本当は、もっと長いけど、面倒だから、べルフで良いや~」

 そして、自分の自己紹介すらおざなりにすませてしまう。

 とことん怠惰なべルフ少年から不思議な彼の素性を聞き出すのは――あまりにも礼儀を欠いた物言いへの怒りを抑えるという意味でも――困難を極めた。

 とりあえず分かったことは、べルフが此処にいる経緯であった。此処に来る前、彼はラグナ大陸中を放浪していた。キエム村周辺の森で野宿していた所を、彼を見つけたエロースが断る彼を無理矢理連行したそうだ。以来、再度旅に出るための下準備が出来ないために、そのままエロースの世話になっているとのことだった。

(なるほど、彼女の世話好きは相変わらずか)

 シンは小さく苦笑した。

 時代が変わったとはいえ、彼女の本質は変わっていなかった。分り切っていたことだが、改めてその事実を突きつけられると胸が締め付けられる。

 エロースの本質はあの頃(・・・)と何も変わらない。変わってしまったのは彼女を取り巻く環境であり、冒涜されたのは彼女の尊厳だ。

 〈運命の輪〉発見以降、人類社会は歯車が狂ってしまったようだった。 

 後輩の少女もまた同様に不条理に呑まれた、呑まれてしまった。あの時以来――エロースと後輩が遊園地に行って以来、後輩の口からうんざりするほど聞かされたエロースとの思い出話を聞いていない。

 一体何が悪かったのか?

 その問いの解答は、〈運命の輪〉であり、人間の愚かさであり、そして止められなかったシンなのだろう。

 エロースが後輩のことを覚えていれば、どれほど良かったか。

 位相融合後、記憶が失われた状態の今、エロースには後輩との思い出がない。

 エロースは親友だけではなく、親友との思い出すら失っているのだ。

 友情は消え、思い出はなく、感傷は生まれることを許されなかった。

 寂しさを感じる寒い夜。布団にくるまって、温もりの中で楽しかった過去を思い出し、人知れず「くすり」と小さく笑う。

 郷愁に身を委ね、安らかな眠りに就く。

 誰もが手にできる当り前の幸せ。

 そんなささやかな幸せを感じることすら、エロースはできないのだ。

 これを悲劇と呼ばずしてなんと呼ぶ。

 シンは身勝手だと理解していても、あの二人の温かな時代を知っている身としては、たまらなく悲しかった。

「ん~、どうしたぁ~」

 はっ、と殊更眠そうなべルフの声で追想に耽るシンの意識は現実へと浮上した。

「いや、なんでもない」

「なんでもないで、すむような顔じゃなかったけどなぁ」

「ところで、どうして眠ってたの?重労働でもしたの?」

「いいやぁ、してないかな。働いてないしなぁ」

「は?」

「何もせず、ただただエロースに養われてる。いわゆる穀潰しって奴だなぁ」

 悪びれる様子もなく、その少年は平然と言った。

 あまりにもあんまりにな事をさも当然のように言うべルフに、もう何度めかの思考の空白タイムにシンは陥った。

 どうやら、この少年は常人とは異なる世界の住人であるらしい。初対面の印象からも感じ取れる不思議な雰囲気といい、平然と自分から穀潰しということといい、この少年は他大多数の人間からは外れた人間のようだった。

 浮世離れしている、という形容が彼を表す最適な言葉だ。

 思わずシンは呟く。

「……エロース…慈悲を与える対象を選ぼうぜ……」

「だよなぁ、俺もそう思う」

「だったら、出ていくべきだろう」

「最初はそうしてたんだけどさぁ、何度も連れ戻されちゃって」

 べルフは肩をすくめて、呆れたように笑う。

「まぁ、怠惰なのは変えないんじゃなくて、変えられないんだけどなぁ」

「どういうこと?」

「そういうこと」

「もうちょっと詳しくお願い」

「ん~、そういうこと」」

「…………はぁ」

 シンは諦めのため息を吐いた。

 どうやら教える気はないらしい。頑なな拒絶の姿勢というよりは、説明するために頭を回すのが億劫そうな様子だった。どれほど怠惰なんだ、と内心で毒づく。

 ちなみに、仮にレーヴァテインがこの場にいたら、シンに冷笑を向けていたに違いない。シン自身、レーヴァテインをさんざん秘密主義で振り回したのだ。被害者のレーヴァテインからすれば、シンがべルフにあしらわれるのは見ていて気持ちが良いだろう。

「まぁ、いいか。エロースが許している以上、私が口を出すべきことじゃないし」

「飯は出てくるし、俺はちょー楽なんだがなぁ」

「もう、まじで一回死んだほうがいいんじゃない、お前」

「それほどでも~」

 ひらひらと手を振って、べルフは力なく笑う。

 シンは相手にするのが馬鹿らしくなって、布団を頭まで被った。無駄話をしているよりは、しっかり休憩した方が良いに決まっている。

「ん~、俺は出ていこうかぁ。病人がいる所にいるのも、あんまりよくないし」

 コミュニケーションを拒絶したシンをべルフは非難しなかった。

 のそり、というべルフが動く音がした。布が擦れる細やかな音が緩慢な彼の動きを伝えてくる。

 そのままべルフは出ていくかのように思われた。

 だが、思い出したかのように立ち止まると、唐突に、何の脈絡もなく――そう文を繋ぐことさえ面倒かのように――彼はその言葉を言った。

「君、怠惰だなぁ」

 それだけ言い残して、彼の気配は掻き消える。

 扉を開けた音はしなかった。きっと気を遣って、静かに出ていってくれたのだろう。

 静かになった木製家屋。

 眠りを妨げるものは何もないというのに。

 シンはしばらくの間寝付けなかった。

 

 少なくとも、変人の戯言と切って捨てられない程度には、べルフの言葉はシンに突き刺さっていた。

 

 つまりは、そういうことなのだろう。

 

08

(……ホント…何もない村……)

 レーヴァテインは、その美しい銀の髪をキエム村の中で惜しげもなく見せびらかしていた。

 もし仮に蔑姫主義などというキラープリンセスに対する差別主義がなければ、見惚れる人間が多々いただろうが、生憎と現実はそうではなく、レーヴァテインに向けられるのは恐れと排斥の視線だ。村人たちは家の中に籠り、こっそりと彼女の様子を伺っている。

 本来、街や村でキラープリンセスは正体を隠すのが原則だが、レーヴァテインは無視していた。コルテのような巨大な街だったならば、彼女も配慮しただろう。だが、キエム村のような辺鄙な村では気にした所であまり意味がない。

 なぜなら、変装していてもキラープリンセスであるとバレてしまうのだ。

 村の人口は少ない。そう、互いに村人の顔を覚えきってしまうくらいには。

 であれば、閉鎖的な村にやって来るよそ者はどうあったって目立ってしまう。

 前提として、よそ者は大凡二種類の人間に大別される。

 一つは、行商人。村から村へと、街から街へと商品を運ぶ人々の生命線。財力がある行商人は依頼をし、対価を払えば、ラグナロク教会から正式に派遣される中奏官以上の奏官による護衛を得られる。また財力がなくとも、かつてのレーヴァテインのような野良キラープリンセスに頼めば、異族に対する安価な武器(・・)が手に入る。

 もう一つは、奏官だ。対異族戦、対使徒戦のプロフェッショナル。キラープリンセスというラグナ大陸上での明示された最高戦力を持つ彼らは、誰よりも簡単にラグナ大陸中を行き来できる。

 そして両者は簡単に判別可能だ。

 多くの荷車を引っ提げてくるのが行商人で、そうでないのが奏官。

 非常にわかりやすい差異で両者は区別される。

 だから、安易な変装など意味をなさないのだ。

 一度奏官として判断されれば、連れている少女たちは総じてキラープリンセスと見なされる。

 金銭的に余裕があれば、高価な髪の染料を買ったり偽装の荷車を買ったりすることもできるのであろうが、生憎と耕民区の駆り出される奏官は貧乏な少奏官ばかり。

 必要な所に金が集まらないのは、過去も現在も変わらないらしい。

 そういった事情を踏まえると、あの男はどうにも配慮が足りないとレーヴァテインは思う。

 あの男には財力もあるのだし、髪の染料を買うことも偽装用の荷車も買うことだってできたはず。だというのに、そうしないのはただの怠慢だろう。キラープリンセスの地位向上を宣う割には爪が甘い。まったく考えが浅い男だ。

 レーヴァテインの考えをより具体的に表せば、このようになる。

 ただ、分っていながら男に伝えないレーヴァテインもレーヴァテインで完全無罪とは言えないとも付け加えておく。

 ところで、何故レーヴァテインがわざわざキエム村内を散策しているのだろうか?

(……契約は果たしてもらわないと)

 すなわちコルテの戦いの清算だった。

 戦闘中に約束した報酬を――具体的には高くて美味しい食べ物を――払ってもらわねばならない。

 あの男は阿保なことに、分を弁えず倒れてしまった。だから、面倒だと思いながらもレーヴァテインは自分の足でキエム村を訪れたというわけだ。

 ただ。

 残念なことに、わざわざ足を運んだ割には大した成果は得られなかった。

「………はぁ…」

 思わずため息を一つ。

 期待を裏切られたことに対する不満ではない。そもそもこんな辺鄙な村に要求にかなうものがあると期待すらしていなかった。

 だから、ため息を吐いたのは別の理由。

 厄介事の気配。

 コルテ大規模討伐戦に並ぶほどの凶事に巻き込まれるであろう予感である。

(……やっぱり…碌なことがない……) 

 やはりあの男は疫病神か。面倒事はもううんざりだ。そうは思うが、離れるわけにも行かない。

 あの男と離れても、レーヴァテインを取り巻く状況が良くなるわけではないのだ。

 レーヴァテインにあるのは二択。

 あの男についていくか、薬漬けになるのどっちがマシ?

「……………はぁ……」

 胸の裡に積もった暗い気持ちを吐き出すように、さっきよりも重たい溜息を吐く。一回目よりも嘆き成分マシマシ。ローヤルゼリー入りの美容用サプリメントでもあるまいし、一体誰が得をするというのだ。

 陰鬱な気持ちを湛えた紅の瞳を億劫そうに動かした。

 たまたま彼女の視線の先にあった民家の住民が睨まれたと勘違いして、半ば恐慌染みた様子でカーテンを閉めた。バタバタ、という慌ただしい足音がしてから、ガタンという大きな音で民家から聞こえてくる足音が止まる。大方タンスか何かにぶつかって、苦悶しているのだろう。

 そこまで慌てなくても良いだろうに。まったく大げさなことだ。

 レーヴァテインはそう呆れるが、天上世界の人々のキラープリンセスに対する反応は大体あんな感じだ。レーヴァテインが特別不機嫌で、異族を射殺せそうな目つきをしていることを加味すれば、あの異様な怯え方にも納得がいくだろう。

 村人の滑稽なほどの慌てぶりには溜息を吐かず、レーヴァテインは用もないので帰途に着いた。向かう先は、シンが運び込まれたエロースが厄介になっている家。キエム村の集落から、ちょっと離れた場所に位置する一軒家だ。

 他人からすれば奇妙なことかもしれないが、レーヴァテインは家に帰るのが憂鬱だった。より正確にいえば、これからのキエム村での生活がだ。あの家を拠点として活動するならば、計六人での共同生活となる。独りを好み、惰眠をむさぼりたいレーヴァテインとしては、断りたい宿泊条件である。

(……アイツとだけならばいいんだけど……)

 アイツ、というのはレーヴァテインの第一の同行人であるあの男だ。

 これは何もレーヴァテインがあの男に対して、なんらかの情を抱いたとかそういう話ではない。あの男一人であれば、存分に怠けられるという極めて営利的な理由だ。あの男は彼女に何かを強制したりはしない。行動を共にする相手としては極めて最良の人物だと言えた。

 無論惰眠をむさぼろうと思えば、キエム村に滞在している間もできるだろう。だが、必ず小言が付きまとう。同行し始めた頃のオティヌスにも散々言われてきた。あれらは気持ちの良いものではない。

 キエム村にある宿に、一人で泊まろうかとも思った。けれど、街を散策している間にそれは無理だとわかってしまった。

 この村にある唯一の宿屋がつぶれていたのだ。

 理由は不明。競争相手がいない以上、経営不振で宿を畳まざるを得なかったというのは考えにくい。客を独占できる以上、客に困ることはないはずだ。

 であれば、原因は何か?

「……はぁ…」

 重々しい溜息を一つ。

 体調が良くなれば、あの男はすぐにでもキエム村の異変の調査に乗り出すだろう。おそらくその果てにあるのはコルテ大規模討伐戦と同等、もしくはそれ以上の厄介事になる。

 望まない未来の到来を確信しながらも、レーヴァテインはキエム村を後にした。

 

 あの男一人で対処できる範囲での厄介事であることを願いながら。

 

09

 森は異常なほど静けさに包まれていた。

 聞こえるのは木葉の擦れる音、川のせせらぎ、風の足音。

 当り前に世界に溢れる自然のリズムが奏でる幽玄な音の連なりがそこにはあった。

 けれど、欠けている、あるべき何かが。

 それは同じく当り前のように存在するはずの動物達の喧騒だ。

 鳥も、シカも、リスも、ウサギも、狼も。

 種類関係なく、あらゆる動物の息遣いがこの森にはなかった。躍動する命が持つ動的な瑞々しさは微塵も感じられず、ただただ平淡な沈黙があるだけだった。

「どういうことなの…これ…」

 オティヌスは愕然とした表情で小さく呟く。

 感じるのは恐怖。肌が粟立つのをオティヌスは他人事のように感じていた。

 オティヌスが森に入ったのは、狩りをするためだった。エロースが世話になっている家に泊めてもらう以上なんらかの恩返しをしたいと思い、食料を調達するつもりだったのだ。

 森に入った当初は小さな違和感だった。森の動物をあんまりみないな、と感じる程度の違和感だ。シンとエロースが繰り広げた異族と使徒との戦いで、動物達が遠くに逃げたのだろう、という理由付けが出来ていたのもある。動物を見ないことは特段不思議なことではないと考えていた。

 けれど、違った。

 死んでいる。この森は何もかもが死んでいる。

 理解したのはふとした気づきがきっかけだった。

 それは、鳥の鳴き声が一度も聞こえない、というちっぽけな気づき。

 だが、その一点が白紙に垂らした黒いインクのようにオティヌスの思考に染みこみ、広がり、加速度的に彼女の中で恐怖を膨張させた。

 この森にあるのは、灰色の死の気配だ。彷彿とされるのは血肉を喰らう怪物ではなく、静かに忍び寄る幽霊。午後の太陽が照っているにも関わらず、冷気に満ちた暗い地下室の中にいるような錯覚をオティヌスは覚えた。

 どろりとした不気味な沈黙が纏わりついて来る。振り切れない、得体のしれない怖気がオティヌスの芯を震わせている。

「……一端戻ろう」 

 この森は尋常ではない。

 肌にヒシヒシと感じる非日常的な静謐さが持つ筆舌し難い圧力に背中を押されるようにして、オティヌスはゆっくりと森を移動し始める。

 背中を見せて、走り去るような愚は起こさない。何処にこの森を死の領域からしめる怪物がいるかわからない。未知の敵の存在が懸念される以上、最大限の警戒を払い慎重に森を出る。

「でも、一体何が此処にいるんだろ?森が死ぬなんて、御伽噺じゃないんだし」

 植物についてはひとまず考えないとして、動物が全滅するとは一体どういうことであろうか?

 狂暴な熊か何かが森の動物達を追い払った、というのはどうだろう…………いや、違う。動物がいなくなるということは、食べ物がなくなるということ。であるならば、元凶は次の食べ物を探しに森から出るはずだ。脅威がなくなったならば、出ていった動物達も戻ってくるだろう。未だに森に動物がいない理由にはならない。

 キエム村の住人が森の動物を狩りつくした………これも、違う。狩りつくすメリットがない。取りすぎた獲物はどうしたって食べきれずに駄目にしてしまう。ある程度の保存方法が確立されているとはいえ、森に生きる全ての動物たちを保存できるほどの物資がたかだが一つの村にあると考えるのは非現実的。食べ物の確保の点から考えれば、一度に狩りつくすよりは定期的に狩りを行い適度な量を獲得していった方が有益なのだ。

(じゃあ、どうしてなんだろ?)

 オティヌスが首を傾げていると、視界の端に何か光るものを発見する。

 ふと好奇心でオティヌスは『それ』に近づいた。

 そして絶句する。

 『それ』は鳥の体の内側から生えていた。

 『それ』は薄い青色で透き通る水晶のようであった。

 『それ』は彼女をはじめとする弓や銃、杖のキラープリンセスが使用する馴染み深い物だった。 

 しばしの静止の後、オティヌスはは未だ疑念の籠る声色で『それ』の正体をポツリと呟いた。

 

「―――マナ?」 

 

 

 

 

 

 

 



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Her sight ①

 とても懐かしい夢を見ていた。

 夢は泡沫と言うように、目覚めると曖昧な輪郭となってしまったけれど。

 それでも、曖昧なりに覚えている。

 その夢は何処か儚くて、寂しくて、同時に優しさに満ちていた。

 夢の中には一人の少女が出てきて、彼女を思い出すと夢のイメージが一気に彼女に収束する。

 いや、違う、逆だ。

 彼女から夢のイメージが拡散しているのだ。

 そう理解づると同時に、ぼやけていた夢の記憶が少しずつ明瞭になっていく。

 そこはとても賑やかな場所だった。

それでも喧騒からは隔絶された空間で彼女と二人、そこにいた。

 夢の中で夢そのものの少女は私に向かって柔らかく微笑んだ。

 けれど、彼女の頬を一筋の涙が伝っていて、微笑みは悲嘆に満ちていた。

 そんな矛盾した微笑みを浮かべる彼女を見ると、何故だか胸が強く締め付けられて、感情が胸の中で暴れて、

「――――――――――――」

 抱えきれなくなった言いようもない何かを吐露するように、言葉を吐き出した。

 何を言ったのか。

 そこまでは思い出せない。

 次第に夢の世界が遠ざかる。

 再び夢がぼやけていく。

 ただ記憶ではなく、感情の忘れ物がじんじん(・・・・)と傷のように弱々しくも明確に訴えかけていた。

 あの言葉は彼女に言うべきだった言葉だ、と。

 気のせいだと切り捨てることも出来る。

 けれど、この直感は間違っていない。

 そんな気がしていた。

  

 

 ガタンッ!

 突然の大きな揺れに、馬車の揺れとうららかな日差しに微睡んでいた私の意識は覚醒した。

「な、なにごとっ!?」

 備え付けの車窓をあたふたと開けて、御者の少女たちに問いかける。

「ど、どうしたの?」

 窓に近い位置にいる少女が振り返った。

「申し訳ありませぬ、枢機卿殿。驚かせてしまいましたか」

 彼女は第一世代(ファーストキラーズ)、マサムネ。そのクローン体だ。濃紺色の髪を伸ばし、キリッとした凛々しい目つきをしている。背筋をまっすぐ伸ばして座っている姿は美しさを感じさせるほどに美しく、また彼女の任務に対する真剣さを私に感じさせた。

 恐縮そうに身縮こませるマサムネに私は安心させるように微笑みながら言った。

「大丈夫だよ。ちょっと、びっくりしたくらいだから。でも、どうしたの?異族の襲撃でもあった?」

「いえ、ただ単に大きな石を車輪が踏んだだけのようでございます。大事ではございませぬ」

「そっか。でも、本当に良かったの?」

「何がでございましょうか?」

「今回の任務、もっとキラープリンセスを動員した方が良かったんじゃない?二人だけだと大変でしょう?」

 現在マサムネ達は任務地に向かう私の護衛任務に就いている。私の任務地は教皇庁のある王都から離れた辺境の村だ。そこに向かうまでの道中は、異族やら使徒やらに遭遇する危険性があるというか確実に遭遇するので、こうして二人に護衛をしてもらっている。ただ道のりは長いため、必然的に彼女達の戦闘回数も増加し、疲労も溜まる。推測される戦闘回数を鑑みるに、もう少し人員を回してもらったほうが良いと思ってるんだけど……

「問題ない。ボクたちだけで十分だよ」

 私の疑問に答えたのは、マサムネの隣に座るもう一人のキラープリンセス。同じく第一世代(ファーストキラーズ)、パラシュ。褐色肌に、薄い茶金色のツインテール、おまけに茶色の軍服のような装束を身に着ける全体的に渋い雰囲気を醸し出す少女だ。オシャレのワンポイントは赤色の腕章か。左腕に身に着けている。小柄で可愛らしい容姿をしているが、彼女も彼女でマサムネのように厳格な面持ちをしているため、まったく真逆の印象を人に与えるだろう。

 パラシュは続ける。

「ボク達は少数精鋭を主とする〈ヘルヘイム〉所属のキラープリンセス。強さは折り紙つきなんだ。貴女を目的地まで送り届ける任務を支障なくこなしてみせると約束するよ」

「パラシュの言う通りです。拙者たちは幾度もの淘汰を経てきたキラープリンセス。異族や使徒如きに後れは取りませぬ。枢機卿殿は心安くして、ごゆるりとなされると良い」

「うん。でも、本当に危なかったら言って、私も出るから(・・・・)

「ならば、枢機卿殿が御業を振るわなくてもすむように拙者たちより励まねばならぬな。気合を入れていくぞ、パラシュ」

「そうだね。教皇庁の重鎮、枢機卿の秘技が安易に振るわれてはならない。理由は枢機卿もわかっているよね?」

「もちろん、わかってる」

「だったら、ボクたちのことを気にかけすぎないほうがいい。全く、キミは随分ボク達に対して甘すぎる。他の方々同様、簡単に切り捨ててしまう冷淡さを持つべきだ」

 ヘルヘイムに所属するキラープリンセスはその任務柄故かキラープリンセスらしからぬ冷徹さを持っている。いうなれば、一般人と一線を引いているプロ意識を持った殺し屋とでも言うべきか。根は同個体のキラープリンセスとなんら変わらないのだと思う。

「そうは言っても、中々踏ん切りがつかないよ」

「では、何故枢機卿になったんだい?君のその言葉はボクには覚悟が足りてないようにしか聞こえないよ。早々に枢機卿の座を明け渡すべきだとボクは思う」

「おい、パラシュっ!」

「マサムネ、これは大事なことなんだ。キミもわかっているだろう?」

「だが、不敬がすぎるだろう!」

「ボクたちが戦う理由の重さを考えれば、問いただすのは当然のことじゃないか。トップの理想とそこに向かう姿勢が脆弱ならば、ボクたちの戦いを無駄にするかもしれないんだよ。不利益をこうむるのが、キラープリセスだけなら良い。でも、人々に悲劇が起きてしまったら、どうするんだい?ボクはそれを許さない、看過しない。だから、もう一度問うよ、枢機卿―――」

 語気を強めて、咎めるように。 

「―――君の理想は何処にある?」

 しかし、真摯に。

 パラシュは私に問うた。

「それは―――」

 考えるまでもない。

 その問いへの解答は既に決まり切っている。

 私は〈運命の輪〉を取った。

 世界がこうなる前。

 三百年前。

 

「―――人類の救済だよ」

 

 何をしてでも人類を救うと。

 

 決意したのだから。 

 

 



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ep.04 晶化病

10

 人間の本質は善か悪か。

 誰もが一度は考えたことがある論題だろう。

 そして、この問いへの解答は大凡三つに大別できる。

 一つは善だとするもの。

 一つは悪だとするもの。

 一つは善でも悪でもないとするもの。

 人によってどのように答えるかは分かれる。

 優しさに育まれてきた人ならば、善だと答えるだろう。

 悪意にさらされ続けた人ならば、悪だと答えるだろう。

 感情の錯覚を疑う人ならば、善でも悪でもないと答えるだろう。 

 結局、人の価値観は当人の経験と知識によって変動する。

 小難しい哲学論など持ち出すまでもなく、この真理は揺るがない。

 ただ、百年前に世界を騒がせた哲学者はこう言った。

「人の本質は善か悪か。この問い自体に意味はないと私は思う。だが、性善説と性悪説。どちらが正確に人の本質を突いているか、という問いについては性悪説と答えよう」

 性善説と性悪説。

 倫理や世界史の教科書、もしかしたら漢文の教科書にも載っているかもしれない。

 どちらも古代中国の戦国時代の儒学者の二人が唱えたものだ。

 両説は政治の在り方を人の本質を根拠の一つとして述べている説である。

 人の本質は善であり、仁義に満ちている。よって道徳と以て国を治めるべきであると主張するのが性善説。

 人の本質は悪であり、動物的で無秩序だ。よって礼法を以て国を治めるべきであると主張するのが性悪説。

 深い議論は省くことを許して、どちらが正しいかと結論を出せば、それは歴史が証明していよう。

 史上の大半の国家が秩序のために法制定しているし、会社や学校といった社会集団の中にもルールは存在する。法やルールで縛られなければ、各々の自分勝手な行動で社会は崩壊していくだろう。法やルールの下でさえ、無秩序が発生するのだ。道徳による統治というのは人間の善性を信頼しすぎている。不安定な善性への過信と盲信では社会を維持することも、当然発展させることも不可能だ。 

 なるほど、確かに性悪説は性善説以上に人の本質を捉えているのだろう。

 だが、彼の狂人の真意は違った。

「ん?ああ、違う違う。俺が性悪説が本質を突いているという理由はな――」

 

「――人間の善性が自分達の外部にある法によって律せられなければならないほど脆弱ってことを証明しているからだ」

 

 

11

 キエム村、滞在二日目。

 ザ・快調であった。

「元気だァーーーッ!」

「……うるさい」

「アタッ」

 朝と呼ぶには遅すぎて、昼というには早すぎる、午前九時くらいの時間帯。時計が近くにないので正確なことはわからないが、太陽の位置から判断するには大体それくらいの位置にあった。

 シンの体調はコルテでの大規模討伐戦以来の快調さだった。本来なら十分な休息が必要なブラフマーストラβの連続使用に、疲労からくる熱、病み上がりの戦闘、さらには野宿での生活やいつ異族や使徒がくるかもわからない緊張感などのいくつもの要因が重なって、彼の体と心は疲れきっていた。昨日は良い休息日となった。寝過ぎたことによる幾分かの気怠さは残っているが、少し体を動かせばすぐに消し飛ぶであろう。

 反面レーヴァテインといえば、太い枝の分岐点に体を預けて眠たげに欠伸をしている。それが彼女のいつも通りではあるのだが。久方ぶりの布団での就寝という至上の幸福……というのはおおげさだが、それなりの満足感を感じられていた。だが、最悪だったのは目覚めだ。おかげで、幸福度メーターがプラスからマイナスへと一気に振り切れる。彼女はお昼まで布団の中でぐーたらしているつもりだったが、オティヌスとエロース二人にべルフ共々叩き起こされた。本当に最悪だった。だから、彼女は超絶不機嫌である。

 さて、それでは現状把握といこう。

 場所は村はずれの家、つまりは昨日シン達が泊まった家の前。

 騒いだ(レーヴァテイン視点)シンにレーヴァテインが太めの枝を木から手折って彼に全力で投げつけ、シンは地面にキス!

 がばっ、と体を挙げてシンは抗議する。

「おい!レーヴァテインっ!」

「……何?」

「殺す気かっ!」

「……その程度で貴方が死ぬと私が思っていると思う……?……今も過去も…あれだけの修羅場を潜り抜けておいて……」

「毛色が違うだろ!作戦を立てて挑む異界存在討伐戦と味方の裏切りによる不意の暗殺。どっちが生き残りやすいと思う!?」

「……そろそろ黙ってもらって良い?」

「聞いてっ、私の話っ!」

「……というか…どうせその白衣の素材って生体モデルの衝撃吸収性の繊維で出来てるんでしょ……」

「まぁ、そうだけどな。異界存在の龍種(ドラゴン)の爪でも切り裂けないけどな」

「………………何処製?」

「『Change your imagination to the future(想像を未来に)!』で同じみの多国籍企業Curiosity×Creative Company、通称CCC製造の特注品」

「……あぁ…あの時代の寵児の……そういえば対異界存在兵士製造計画(プロジェクト:キラープリンセス)にも…参加してたっけ……」

「そそ。キラープリンセスのカウンセリングとかもしてたんだが、知らないか?」

「……全然」

「っていうか、上手く誤魔化せたと思うなよ。今も怒ってるからな」

「……………………………………ちっ」

「ちっ、じゃない、ちっ、じゃ」

「………………はぁ」

「ため息も止めなさいて」

「………………」

「なんか話して……」

「………………ねぇ…怒って良い?」

「じゃあ、これと木の枝を投げた件で五分五分ということでどうだ――――のわっ!?」

「ちっ」

「石を投げるなーーーッ!つか、どこから取り出した!」

「……当てる気はなかったわよ」

「ある方が問題だわ!」

「……自発的に黙るか…もう一日ベッドの上で過ごすかどっちが良い?」

「待って、会話をしよう。話せばわかる。一歩的な通告はなしにしよう。私の話も――――はい、黙ります」

 レーヴァテインが石を持つ右腕を振り上げた。シンはおとなしく黙ることにする。

 シンとレーヴァテインの距離感はあまり変わっていない。レーヴァテインは相変わらずの塩対応。ほんの少しくらいは――具体的には雀の涙ほど――声色が柔らかくなっているような気もするが、果たして真実はどうなのか。希望的観測が混じっているのは否めないため、シンには判断がつかない。

 不毛なやりとりができるくらいの仲と思っておくことにしよう。多分それが一番妥当だ。

「……何ニヤニヤしてんの……キモいんだけど」

「すまない、ついな」

「(ひゅん)」

「だから石を投げるなーーーーッ!」

 ズガッという凶悪な音を出して地面に石がめり込む。

 狙いははっきり逸れていたため、当てるつもりはなかったのだろうが………いや、シンの避ける方向予測して投げたのなら当てる気満々だったということになる。

 なかったよね、と視線で問うと睨まれた。

 レーヴァテインとの距離が一層遠くなった気がしたシンであった。

 否応なしに冷え込む二人の間の空気。

 べルフは家の中でごろごろしてるし、エロースとオティヌスは所用で村に出かけている。

 だが、凍てつく世界を温める人物はいた。

「あらあら、若い二人は仲が良いですねぇ~」

 声の主はロッキングチェアに腰かける白髪の老婆。名前はネイシャ・カートライト。村はずれの家の所有者である。上下ともに使い古され、色あせた青色の服を着て、足を覆い隠すように毛布を掛けている。年齢は六十歳くらいで、天上世界の文明レベルからすればかなりの高齢者だ。シンとレーヴァテインの様子をニコニコと外野から見守っている。

 シンはネイシャに苦笑いを浮かべながら問うた。

「仲良いんですかね、これ?」

「少なくとも私から見たら、とっても仲良しですよ」

 あらら、うふふ、とお上品に笑いながら、ネイシャは言って見せた。

 途端にシンの背中に走る悪寒。

 レーヴァテインの方を見やると、

「(……真に受けて…調子に乗ったら……わかってるわよね…)」

 とでも言いたげに、見たことのない凄まじい形相でシンのことを睨んでいた。そこには冗談の気配は一切ない。生半可な誤魔化しやその場しのぎの茶化しを全て許さない怒気や不快感、そして自己の解答以外を認めない拒絶の殺意が手に取るように理解できた。

(そんなこと言われなくても分かっている)

 シンはコクリとレーヴァテインに向けて首を縦に振る。

 レーヴァテインはシンの頷きを見届けると、静かに目を閉じた。どうやら本格的に眠りに入るらしい。

 おやすみ、と心の中でシンは呟いて、レーヴァテインから目を逸らした。

 そして、レーヴァテインの逆鱗に触れないように話も逸らす。

「ネイシャさん、体調はいかがですか?」

「変わりありませんよ。ただ、浸食具合が少しました気がしますねぇ。結晶が膝から腿の部分へ少しばかり進んでいるかしら」

 そう言ってネイシャは足に掛けていた毛布を取り払った。

 現れたのは本来あるべき脚ではなかく、透明感のある青色の水晶に似た何かの集合体。

 より正確を期すならば、水晶のような結晶がネイシャの足を内側から食い破るようにして生えていた。青く透き通る、南国の海を閉じ込めた宝石のような見目ではあるが、その美しさはこの上ない危うさを伴っている。それらは硬質な質感を持ち、妖しく太陽の輝きを反射する柱状の結晶体である。およそ生物的とは言い難い物体だ。どうやら細胞が変質したものではないらしい。体内の異物が堆積し、結晶化したものであるようだ。シンが調べた所、結晶体は彼女の骨や神経、筋肉に血管といった体組織をも巻き込んでいるようで、彼女の脚部は完全に機能を停止している。膝から下は自力で動かせないのが実状だ。現在は誰かの補助なしには移動すらままならない。

 ネイシャを蝕む異常。

 美しき肉体の侵略者。

 その正体は結晶化したマナ。体内に蓄積したマナが結晶化したのである。

 マナの結晶に体が蝕まれる様を見た村の人々はいつしかこの現象をこう呼ぶようになった。

 晶化病と。

 原因は今を以て不明。ラグナロク教会の人間が調査に出たそうだが、『湖の水は危険である』ということしかわからなかったとエロースが言っていた。

 結局、残ったのは分かりやすくどうしようもない結末だ。

 晶化病はキエム村で猛威を振るった。晶化病にかかった者は、時間の違いはあれど、四肢の末端から徐々肉体はマナ結晶に侵食されて、全身マナの結晶となって死ぬ。犠牲者となったのはネイシャのような老人、ついで幼い子供。歳が幼ければ幼いほど、逆に歳を取っていれば取っているほど、この病の進行は早まる。体力のない老人と子供が重症になる点はよくある風邪と類似しているが、体がマナ結晶が生えるなどという奇怪な病状の病をただの風邪と結論づけるものは誰一人としていなかった。

 キエム村のラグナロク教会の神父は晶化病を大悪魔の仕業と断定した。悪魔とは神話時代の創世戦争に人類と敵対した存在と描かれている異形の者達だ。自分の理解が及ばない事象に対して、超常に頼るのは人の常。自然現象を神に見出したり、意中の異性との出会いを運命と名付け特別視したり、特殊な技術を持つ人間を魔女と呼んで糾弾したりと、人という生き物は未知を自らの理解が及ぶ範囲に落とし込むらしい。文明レベルが低い天上世界ではより一層この傾向が顕著だろう。ただ大悪魔のせいというのは、到底受け入れがたい。一体何処に大悪魔の関与を断定できる証拠が存在するというのだ。想像力が豊かにもほどがある。大悪魔の方も冤罪を擦り付けられて、良い迷惑だと思うに違いない。

 ただ、未知に対する恐怖を解消したいという心理はごくごく当たり前。加えて自分達に降りかかる不幸を何か、もしくは誰かのせいにして、全ての責任を押し付けるのもまた人類の常である。常だからこそ、その気持ち悪さに気づけず、過ちを犯すのではあるが。

 シンは苦い顔でネイシャの足を一瞥し、

「今日は私は教会に顔を出してみます。エロースから大凡の話は聞きましたけど、やっぱり詳細な調査結果が欲しいので」

「晶化病の原因を調べるのよね。神父様方でもわからなかったから諦めてたけど、シン君が来てくれたおかげで村が救われる希望ができました。暗いことしか耳にしない最近では、唯一の喜ばしい知らせですよ」

 晶化病が流行り始めてからキエム村のニュースといえば悪いことだらけだった。例えば、何々さんが死んだとか、定期的に村に来る行商人が来ないだとか、大悪魔が夢に出てきたとか、死体が動き出したとか。不幸な知らせや恐怖を煽る話が絶えない。それらが原因で、蔓延する恐怖は更に村人たちの心に染みこみ、増長する。膨らんだ恐怖が人々を精神的に追い詰め、また新しい恐怖と混乱の種を生み出す。深夜に大悪魔を見たとか、大悪魔に目を着けられたのは誰々のせいだという具合に。誰も彼もが、存在しない大悪魔に怯え切っている。キエム村内では悪戯に恐怖を増大させるスパイラルが出来てしまっていた。いつ歯止めの効かないパニックに陥ってもおかしくない。早々に解決しなければ、無意味な血が流れることとなる。

 シンも解決するべきだとおもっているのだが、 

「ただ解決出来るかはわからないんですけどね。正直な所、私にはお手上げです。ネイシャさんの足を診ても、私には出来ることはなさそうでしたし……力及ばず、すみません…」

「もう、気になさらないでと言ったでしょう。私は誰よりも長く生きました。それだけで、もう十分幸運なのです。だというのに、死を目前としてエロースちゃんやべルフ君、レーヴァテインちゃんにオティヌスちゃん、そしてシン君、素敵な子達と一緒に暮らしているのですから私ほど幸せな人間は天上世界にはいないでしょう」

 ええ、本当に、とネイシャは噛みしめるように微笑んだ。心の底から笑っているようで、けれど底にこびり付いた暗い感情を噛み殺しているような無理をしている表情にも見える。

 誤魔化しの微笑みだ。

「それに私がどうにもならなくても原因がわかってしまえば、村の皆は見えない大悪魔に怯える生活をしなくてもよくなるでしょう?今の村は晶化病の解決を完全に諦めてしまった。だから人々は絶望に囚われてしまっているのです。ですが、もしシン君が晶化病の発生原因を突き止めてくれれば、キム村を取り巻く閉塞的な状況をきっと打開できる。原因を突き止めてしまえば、解決はできなくとも対処はできますよねぇ。どんなに絶望的な状況であっても、希望が見いだせれば人々は立ち上がれるでしょう。かつての創世戦争で、神器という希望を得たことによって人間が再起したように、キエム村の皆は村を捨てる決断を下しても生きていくでしょう。私はね、シン君。キエム村がなくなっても構わないと思っているんですよ。勿論自分が生まれ育ち、愛を育んだ村がなくなるのは悲しいですよ。それでもね、私は村の皆に生きていて貰いたいのです。ええ、それが幸いでしょう」

 ネイシャは全てを言いきって、ふぅー、と深く息を吐いた。病魔に蝕まれている体では、長く話すのは体力的に堪えるようだった。深く呼吸をし、辛そうな表情をして背もたれに体重を預けた。

「大丈夫ですか?」

 シンの問いに、ネイシャは頷きだけで答える。

 シンはネイシャが呼吸を整えている内に、彼女の言葉を反芻した。

 彼女の言葉は優しさに満ちていて、村の現状を憂いており、隣人たちを本当に心配していた。

 だが、だからこそ空々しい。

「………ネイシャさんは優しいですね…」

「はたして私は優しいのでしょうかねぇ。私が思うに、この思いは―――」

 ネイシャは酷く冷めた表情でこう告げる。

 

「―――ただの強がりです」 

 

 

12

「寒々しい」

 キエム村に足を踏み入れたシンの第一声がこれである。

 キエム村の人口八十人程度の村だ。午前中なら大人たちが畑仕事などに従事し、子供が元気に遊びまわっている光景が目に入っていてもおかしくないのだろう。もしくは、主婦の皆さんが雑談に興じている姿か。なんにせよ、村にはごくごく当り前の人の営みがあるはずである。

 けれど、キエム村にはその当り前が存在しなかった。

 人が生活している気配が全く感じ取れない。不気味なほどに硬質で退廃的な空気。足を踏み込むことを躊躇いたくなる。まるでゴーストタウンのようであった。いや、まるで、ではない。ゴーストタウンそのものだ。欧米のホラー映画のセットとして利用できそうな趣である。

 キラリ、と視界の端に光るものがあった。目を凝らしてよく見てみると、晶化病にかかった猫の死骸だとわかる。体から食い破るようにして生えるマナ結晶が太陽光を反射していた。普通、不衛生な死骸は真っ先に処分されそうなものだが、野ざらしになっているというのはどういうことなのか。

『結晶化するから腐敗しないということでしょうか?』

 晶化病の調査にあたって、シンは既に〈ana(アナ)〉を起動させている。〈ana〉はマナの結晶に侵食された猫の死骸を拡大してから、そのように問うた。

「単純に大悪魔と関わりたくないってことだろう。結晶は大悪魔の暴威の象徴だ。触らぬ神に祟りなし。いや、この場合は大悪魔だが。下手に触れたら、晶化病以上の不幸を被りかねないとでも考えているのだろう」

『宗教的な背景に基づく恐怖ですか。私には理解できません。何故存在が曖昧なものを人間は脅威として判断するのでしょう?』

「むしろ存在が曖昧だからこそ、だ。理解の範囲外にあるってことは、その存在が何者であるかどうかわからない――つまり敵なのか味方なのか、敵だとしたらどれほどの脅威なのかという判断ができないことに等しい。脅威度がわからなければ、自分自身の生存可能性すら計れない。だから生物が持つ自己防衛本能が機能して、恐怖を感じさせる。『命が危ない、逃げろ』とな。宗教が生まれるのは、そう言った恐怖も理由の一つだと俺は思う。特に多神教は、その要素が強いのではないだろうか。世界各地の宗教は未知に対する理由付けを行っている。これは未知を人々の常識に落とし込み、定義するための技法だ。定義されてしまえば、脅威度を測ることは可能となり、対処法も得られる。とりあえずの安心が得られるというわけだ。こう考えてみると、宗教は人々の未知に対する安心を得るための物差しになっているのかもな」

『だったら宗教的権威である教会が晶化病は大悪魔のせいだと定義したのですから、人々は脅威度を知り安心を得るはずです。キエム村の現状とそぐわないですよ』

「安心の物差したる教会がお手上げ状態だからだろう。壊れた物差しが使いものになるか?そもそも脅威度がわかり解決策を見いだせても、効果が表れてなければ恐怖は消えまい。まぁ、未知を定義する行為の実態は科学的活動ではなく、神話に代表されるような創作行為だからな。現実とずれているのはむしろ当然と言える。そもそもの原因が間違っているのだから、結果生み出されるのは的外れな解決策。インフルエンザの時に胃腸炎の薬を処方されているようなものだ。ってか、それくらいのことはわかるだろうに。何故聞いた?」

『この場面は所謂【キャラクターが気持ちよく一人語りする場面】だと判断しましたので、話を促してみました』

「いらん、気遣いだ。っていうか、マックの奴無駄な機能付けやがって、こんなものより目からビームみたいな兵器をつけてくれよ」

『そんな機能は流石の創造主でも、流石に実用化できないと思いますけどね』

「DIOとかカルナとか格好いんだけどな~」

『子供ですか?』

「男は大人になっても子供じみた浪漫を抱えているものだ。特に巨大ロボとか変身ベルトとかには心がときめいちゃったりするのだよ」

 そんなとりとめのないやり取りをしつつ、村内の教会へと一人と一機は向かう。

 

 

 ギィギィ、と金属の金具が鳴って教会の重い扉が開く。

 村と同様の薄ら寂しい空気が教会内は濃い。そのせいか金属の小さな悲鳴がやたらと大きく、より不気味に聞こえた。

 本来教会が持って然るべき神聖さは此処にはない。あるのは静謐さと似て非なる空虚さだ。まるで教会の時間だけが止まってしまったような過剰なほどの静けさ。誰かがわざと整えたのではないかと疑問を抱いてしまうほどに世界が固まっている。停滞した世界の色は褪せ、セピア色のベールが掛けられているように見えた。居合わせた者には寂寥感を感じさせるだろう。それこそ、天を照らし始めたばかりの午前の陽光が沈む往く斜陽の光と思わせるほどに。だが、だからこそ、神のいない教会は美しかった。この美しさは華やかさとは対極の荒廃とした美である。廃墟や古城と同種の美しさだ。不思議なことにこの荒廃とした美は人間の根源的な何かを揺さぶり、古傷を刺激する。かつて失った何かを人々はこの美しさを前に思い出されるのだ。

「…………………」

 シンは何も言わず教会に入り、扉を閉める。停止した世界を壊してはならないと思った。出来る限り慎重に扉を閉めたが、それでも金具は再び鳴く。

 ギィギィ、と苦しそうな呻き声が酷く大きく響き渡る。

 不快に思うと同時にわずかばかりの安堵をシンは得た。

 罅の入ったガラスの上を歩くような緊張があった。

『筋肉が強張っていますがどうかしましたか?』

「……いや、なんでもない。気にするな」

『なら、いんですけど……。それにしても妙ですね』

 〈ana(アナ)〉はいくつか計測結果とグラフを表示した。

『一立方メートルあたりの埃の量が多いです。まるで誰も出入りしていないような……?』

「事実そうなんじゃないか。となると、教会の祀官は亡くなったか」

 そう言った矢先、教会の奥部屋に続く扉が開く。

 シンは思わず身構えた。計画派の誰かではないか、と警戒したからだ。現在シンは晶化病に計画派が関わっているのではないかと疑っている。

 だが、シンの懸案は杞憂に終わる。

「そこにいるのは、もしかして奏官か?」

 扉から出てきたのは壮年の巨漢だ。がたい(・・・)が良く、盛り上がった胸板からは男の精強さが伺える。筋骨隆々とした非常に男らしい男であった。髪は粗雑に切りそろえられ、髭の切り方の適当具合から無精な男であることがわかる。イメージとしては熊のような猟師が適切か。

 熊のような巨漢はのっしのっしとシンの方に歩いて来て、そして言った。

「よう、奏官。遅かったじゃねえか」

 嫌に敵意に満ちた声色だった。目つきは鋭く、体全体から肌で感じられるほどの威圧を放っている。

 シンは戸惑った。何故初対面の人間に敵意を向けられなけれなばならないのか。そも、巨漢の言っていることに心当たりがなかった。

「…遅い…?」

「ん、なんだ?この教会の要請を受けて、王都から派遣された奏官じゃないのか?」

「まさか。私は洗礼前の奏官見習いです。この村には偶々立ち寄っただけですよ」

「なんだ、そうだったのか」

 シンの答えを聞くと、巨漢は力を抜いた。つまりは、敵意を消した。

「すまねえな」

 唐突に謝られた。

「は、はぁ……」

 意味がわからないシンとしては、歯切れ悪く返すしかない。

 巨漢は気まずそうな顔をして言う。

「で、お前さんは一体何の用で教会に来たんだ?」

「見習いとはいえ奏官なので、晶化病の調査をしようと思ったんですよ。だから、此方の教会が先に行っていた調査資料を拝見させてもらおうと思いまして」

 奏官見習いだから、というのは嘘である。教会の調査資料を得るために都合が良い肩書であったので、利用しただけだ。

「貴方こそ奏官じゃないんですか?」

「笑えない冗談はやめてくれ。俺はしがない行商人さ。トウモロコシ専門のな」

「トウモロコシ専門……」

「おうよ」

 果たして、それでやっていけるのだろうか?いや、地域によっては主食として食べられていたのだし、需要は意外にもあるのか……?

 シンは疑問は抱くが、二カッと巨漢が笑っていることから商売は上手くいっていることがわかる。

「それで、貴方は一体何をしていたんです?」

「ああ、俺は昨夜キエム村についた所なんだが、翌日村に来てみると、どうにも村に人気が感じられなかった。事情を聞こうと教会に来たら、此処の祀官が亡くなっていたのさ。しばらく放置されているようだったから、誰も教会に訪れる人がいないんじゃないかと思ってな。ちょうど今埋葬が済んだ所だ」

「死体の状態はどうでしたか?」

「なんだか体が結晶化していたな。運ぶ時、ボロボロ崩れるから大変だったぜ。だけど、人の体があんな風になるなんて見たことがない。お前さん、何か知っているか?」

「はい。実は―――」

 シンは巨漢にキエム村で起きていることを説明した。

 祀官の体が結晶化したのは晶化病の病状だということ、そして晶化病は村で猛威を振るっていること、晶化病は大悪魔のせいにされていること、巨漢は早々にキエム村を立ち去るべきだという警告、等々。

 シンの話を聞いている内に、巨漢の顔はだんだんと険しくなっていく。

「ヤバいな、こりゃあ。村の人々を見捨てるのは悔しいが、村を出るしかないか」

 苦虫をかみつぶしたように顔を歪めながら、巨漢は嘆息と共にそう決断した。

「俺は湖畔に置いて来た連れと一緒に村を出ることにするよ。緊張の糸がはちきれそうなこの村に余所者の俺らが長いしちゃあ、大悪魔と結び付けられて大変なことになる」

「そうしてください。できる限り早く出ることをオススメします」

「お前さんも気を付けろよ」

 そう言い残して、巨漢は教会を出た。

 ギィギィ、と教会の扉が鳴く。

 シンは巨漢が教会を出たことを確認すると、すぐさま奥部屋に向かう。

『埃の堆積具合から場所の特定を行いますか?』

「いや、必要ない」

 晶化病を発症した人間は四肢が結晶化する影響で行動範囲が著しく狭まる。祀官が晶化病について何かしらの記録をしているならば、手近に置いているはず。

 青白い小さな結晶が多く落ちているベッドの近くに、祀官の遺産はあるはずだ。

 資料はすぐに見つかった。

「これか……」

 『肉体の結晶化についての調査記録』。

 英語でそう題してある紙束だ。

 ただ置いてあったのは晶化病の調査記録だけではない。枕元には日記と何枚か紙が散らばっていた。

 シンは取り上げて、それらを読んでみる。

『どうやら教皇庁に対する嘆願書のようですね。晶化病に対する救援要請ですか』

「送った嘆願書の控えもある。勘合貿易の勘合符みたいなものだな」

『銀行の書類とも同じですね。一つの判を分断し、二つにわけ、再び合わせることで書類の正当性を測るという仕組みを採用しています』

「さっきの男が遅かったって言ったのは、この嘆願書が理由か」

 一番最初に嘆願書がおくられたのは半年前、最新では一か月前のものもある。嘆願書はキラープリンセスの護衛がある行商人に渡され、近隣の街〈チティトラ〉の支部教会を経由して教皇庁に送られることになっていた。

 チティトラから教皇庁まで一体何日かかるのかはわからないが、流石に半年もあればキエム村の嘆願書は教皇庁に届き、調査隊なり支援部隊などが来てもおかしくないと思われる。

 となると、晶化病は計画派が関与しており、計画派によって嘆願書はなかったことにされたのか?

「―――いや、流石に早計か」

 シンは自身の裡に沸いた疑問を振り払う。

 教皇庁からの支援がキエム村に来ていないとはいえ、嘆願書が無視されたとは限らない。

 もしかしたら、嘆願書が届いていない可能性があるのだ。

 過去ならば対異界存在の最前線でない限り手紙は確実に届けられたが、現在(いま)は違う。異族という神出鬼没の人類の天敵が大陸中に存在し、異族を倒せるキラープリンセスの護衛があっても絶対安全とは限らない。嘆願書を送る途中で異族に襲われて、全滅。嘆願書が届けられなかったという話も十分にあり得るのだ。

 仮説を立てるのは建設的だけれども、仮説は発想を狭める檻の側面も持っている。未だ情報が不十分であるため、先入観を以て調査を進めるのは危険だ。

 とりあえず晶化病の調査資料と祀官の日記を白衣のポケットに入れて、シンは教会を出る。

『今後の予定はいかがいたしますか?』

「そうだな。とりあえずは、危険だと言われている湖に行ってみようと思う。あとは、ネイシャさん以外の患者の診察と死体検分もしたい」

『では、しばらく私は起動状態ですか』

「ああ、記録を頼む」

『承りました』

「しかし、当面の問題となるのは食料だな。一体何が感染源かわからない以上、迂闊に村の食べ物に手をだすわけにはいかない」

『空気感染ではないのは救いですね』

「空気中には平均値以上のマナらしき異物はないんだろ?」

『はい。天上世界他地域と大気汚染度は何も変わっていません』

「だとすると他の感染経路で――――」

 

「お願いします!一度だけでもいいですから、おばあちゃんに会ってください!」

 

 生物の声がないキエム村。その静寂を破る怒声のような叫びがあった。

 シンの視線の先でとある家の前で必死に願いを訴える少女。

 キラープリンセス、エロース。

 人との関わりを避けるはずの野良キラープリンセスである彼女がそこにいた。

 

 

 

 

 




words
・シン達が居候している家の持ち主はネイシャ・カートライト。
・シンの白衣は多国籍企業Curiosity×Creative Company、通称CCC製の特注品。因みにCEOは天才マック。
・晶化病という肉体がマナの結晶によって蝕まれる病がキエム村で流行。
・キエム村はすっかり活気を失っている。
・現在のシンの目的は晶化病の原因を突き止めること。
・祀官は既に死亡。シンは調査資料と日記を教会から持ちだす。
・計画派に関与は不明。ただ、可能性は高い。
・通常ラグナロク教会の所属していないキラープリンセス、通称野良キラープリンセスは人と積極的には関わらない。
・野良キラープリンセスであるエロースが村内の家で何事かを訴えている。果たして彼女の真意は?


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ep.05 弱者の悲劇と強者の嘆願

13

「お願いします!一度だけで良いんです!おばあちゃんに会ってください!」

 とある一軒家の扉の前でエロースは柄にもない大きな声で訴え掛けていた。

 平時穏やかな彼女ではあるが、今この時だけはその在り方を捨てていた。

 訴える彼女の表情は複雑だ。激しく怒っているようにも、酷く悲しんでいるようにも、溢れそうな憎しみを堪えているようにも見える。おおよそエロースには似つかわしくない表情だ。けれども、幾つもの激情が入り混じる複雑な感情を抱くのも、エロースというキラープリンセスらしさと言えた。

 彼女が抱く激情。それは彼女の優しさからくる感情なのだから。

 だが、そんな当り前の優しさは時として排斥される異物となる。

 例えば、極寒の雪山で遭難してしまった時。

 例えば、食料が数少ないまま何処とも知れぬ無人島に漂着してしまった時。

 例えば、流行り病によって荒んでしまった村にいる時。

 異常の下において『当り前』の感情は容易に踏みつぶされる。

 殊更、当り前の日常の中で『当り前』の人間として生きている者によって。

 『当り前』の人間として生きる者は脆い。異常においては『当り前』をどうでも良いもののように手放す。

 当然だ。『当り前』の人間として生きる者はただ常識や法律といった外部の規則に沿って生きているだけでしかないのだから。

 彼らの裡には信念はない。

 彼らの裡には矜持がない。

 思考放棄の果て、『当り前』を甘受する彼らは機械のように第三者によって入力された指令に従って生きているだけに過ぎない。

 忘れるな。

 『当り前』とは決して軽い称号ではない。

 社会と向き合い、人と向き合い、自己と向き合い、悩み、苦しみ、決意してようやく手に入れることが出来る称号だ。

 安易なレッテルづけに流されるな。

 わかりやすい標識に惑わされるな。

 誰もが通る舗装された道路ではなく、未開拓の悪路を力強く踏みしめろ。

 『当り前』とは甘受するものではい。

 泥臭く足掻き、その果て獲得するものだ。

 『当り前』の理由を知り、意味をしり、これを行使する。

 そうして、ようやく人間は『当り前』の人間になることが出来るのだ。

 しかし、この現実に気づかない者もいる。

 特に神の威を借る教会が強い力を持つ天上世界では多いだろう。

 絶対的な免罪符()を前に人間の無垢なる邪悪は発露する。

 そう、今この時のように。

「うるさい!キル姫!さっさと村から出ていけ!」

 罵声と共に勢いよく家の扉が開かれる。

 出てきたのは中年の男だ。日々の農作業で鍛えられた筋肉のついた腕と少しくたびれた服、天上世界における平均的な成人男性と言えよう。頬はやせこけており憔悴している様子だった。晶化病の影響だ。教会が流した大悪魔というデマに心底怯えているに違いない。

 やつれた男はやや虚勢を張るような声色で怒鳴り散らす。

「毎日、毎日、毎日、毎日、毎日!家の前に来ては同じことばっかり言いやがって!いい加減にしてくれ!」

「だったらおばあちゃんに会ってください。そうすれば、私はもう二度と此処に来ません」

「だ、誰が会うか!大悪魔を呼び寄せた魔女なんかに会うわけないだろ!」

「なっ、魔女って…ふざけないでください!貴女はおばあちゃんの息子(・・・・・・・・・)でしょう!?」

 いつになくエロースは強い口調で言い放った。

 男は一瞬顔を強張らせたが、怒りで恐怖を無理矢理呑み込んで、半ばやけっぱちになりながらエロースに反駁する。

「親とか子供とか関係ねえ!あの女のせいで俺達がどれほどの迷惑を被っていると思っている!村の奴からは化け物の家族扱いされて、食べ物の配給は嫌がらせで減らされるはで、散々な目に遭っているんだ!あんな奴、居なくなった方が良かったんだ!」

 男の言葉に、とうとうエロースの中で何かがぷつんと切れた。

「貴方は…どれだけ…っ!」

 エロースが前に一歩踏み出した。

 男に掴みかかろうとしたその瞬間。

「そこまでにしておけ、エロース」

 エロースの肩を掴む者がいた。

「キルオーダーに抵触するぞ」

 シンだ。

 

14

(まったくらしいといえばらしいし、らしくないといえばらしくないな) 

 シンは内心で苦笑しながら、熱くなっているエロースを引き留めた。

 今回の件に対してエロースが何かしら動きを見せることは予想できたが、まさか絶対遵守のキルオーダーを破りかねない勢いで感情的に動くとは思わなかった。

 過去において、エロースという個体は軍人やキラープリンセスの心身問わずケアをしていた。彼女達の献身的な働きは高く評価され、彼女達には国連の表彰状が授与されている。こうしたエロースの働きのおかげで、異界存在を倒すだけの恐ろしい兵士というイメージをキラープリンセスから払拭させ、人々に受け入れられ安くなったという副次効果も生み出していた。

 こうした経緯もあって社会的には献身的なナースといった印象を持たれていたエロースではあるが、彼女を身近にする人間の意見はそれとは異なる。

 彼らは彼女たちをこう評する。

 恋愛問題の天才的な解決者だ、と。

 彼女達が最も得意としかつ好んでいたのは恋愛関係の相談である。エロースの由来を考えれば、当然と言えば当然だ。エロースはギリシアの恋愛の神。やはり彼女達の感情の一番の琴線は恋愛感情にある。エロースが怒る例の一つは浮気。男女関係なく、浮気した人物には激怒していたとシンは風の噂で耳にしていた。

 つまり何が言いたいかと言えば、エロースが激怒するのは恋愛関係についてであり、人間関係全般ではないということだ。

 だから、シンはエロースが具体的な行動を起こすとは思っていなかったわけだが。

 現実はエロースが殴りかかるほど怒り狂っているわけで……。

 さっきもシンが止めていなかったら、エロースは男を殴り飛ばしていただろう。

「落ち着け」

「シンさん…」

「流石にやりすぎだ」

「だけどっ!」

「エロース」

「~~~~~っ!」

 エロースはシンの手を振り払い、キッ、と彼を睨む。

 けれど、シンはエロースを意に介さず、男に目を向けた。

「カートライトさん」

「な、なんだよ」

「エロースの非礼を謝ります」

「そ、そうか…奏官だったらソイツのことしっかり管理しておけよなっ。お前がたるんでるから、こいつが調子に乗るんだ!」

「調子に乗る、か」

 シンは言葉に含みを持たせながら、

「それはお前もそうだろう」

「はぁ!?何を言ってやがる。俺はコイツに迷惑かけられて……」

「貴方は親を見捨てた。その事実は俺からすれば、調子に乗ってると言うのに十分なのだが」  

 実の所、シンはシンで男に苛立ちを覚えていた。エロースほどではないにしろ怒ってはいる。コルテ大規模討伐戦後に現れた宿敵アンナにすぐさま発砲したからわかるように、彼は激情型の人間だ。口ぶりほど理性的な人間ではない。

 ただ、事情が事情なだけにシンは彼に同情している。だから男を強く糾弾できないし、エロースの肩も持てない。

 シンにできるのは、二人の仲裁役になることくらいだ。

 対して男は、どうやら調子に乗ってる発言がよっぽど癪に障ったらしく、怒気を込めた目で唾を飛ばしながらがなり立て始めた。

「ふっざけんな!あの魔女さえいなければ、村が荒廃することもなかった、俺達が迫害されることもなかった!アイツさえ、居なければ!誰もが平和に生きていられたんだよ!」

 男の言葉は言いがかりにも等しい。けれども、一定の同情の余地がある。

 全ての元凶は権威を持っていることに無自覚な教会の決めつけ、ひいては人々が持つ当り前の弱さだ。男もまたそういったものの被害者であると言える。

 シンが男を糾弾できないのもこの一点だ。

 彼と彼の家族が被害にあっている事実を無視して、彼を糾弾するのは理不尽だ。

 シンは人間の弱さを理解している。彼はそれを否定できない。

 シンが人間の弱さを前にそれでも怒りを露わにする時は、彼が抱えたものを害された時である。 

 しかし。

 理屈はそうであっても、感情は別だ。若干の苛立ちを得ているのをシンは自覚している。

 だから、努めて平静を装いながら言った。

 

「頭を冷やして、自分のしたことをよく考えろ」

 

 

 事の中心にいるのは一人の人物だ。

 ネイシャ・カートライト。

 キエム村最初の晶化病発症者。

 さて、ここで一つの疑問が生まれる。

 歩行困難な状況に陥った、もっと言えば独力で生きることが出来ないような老婆が何故村の外れにすんでいるのか?

 指摘されれば、至極当然とも呼べる疑問。

 解答は人間の無自覚の悪意に塗れていた。

 ラグナロク教会と村人たちはこう決定したのだ。

『ネイシャが一番最初に発症した。ならば、その女が悪魔を呼び寄せた魔女である。晶化病を治めるために、村から魔女を追放しよう』

 つまり、迷信に溺れた人々は何の罪もない病人に存在しない罪を見出して見殺しにするつもりだった。

 彼らは共に支え合い、同じ時を過ごした隣人を保身のために手放したのだ。

 ああ、そうだとも。

 結局は過去も現在も変わらない。

 ありふれた、それこそ道の脇に生えている雑草のように。

 二千二百年以上続く人類史の中のよくある悲劇であった。

 

 

 シンは気まずさを得ていた。

 無理矢理連れ出したエロースが見たこともないほどに不機嫌だからだ。

「どう、して…?」

 噴火寸前の火山のような声が彼女の口から絞り出た。

「どうして止めたんですか……」

「止めなければ、お前は彼を殴っていただろう。キラープリンセスの暴力を見逃せるはずがない。もし、あそこで暴力を振るっていたら、お前は粛清対象だぞ」

「それでも……!」

「お前だけの問題じゃない。全てのキラープリンセスのイメージダウンに繋がる。キラープリンセスの社会的地位が更に下がることになる」

「だけど……!」

「それに、殴った所であの男の答えは変わらないと思うぞ。殴るのはお前が気持ちよくなりたいだけの自己満足だ」

「だから、何だって言うんですかぁ!」

 声を荒げたエロースが一歩シンへと詰め寄った。

「貴方は彼がやったことを許して良いものだと思っているんですか!家族を、自分を生んだ母親を見殺しにしたんですよ!守るならければいけない人を犠牲にして、自らの保身に走った!許せるとお思いですか!ええ、そうですとも、私は彼が憎い!自己満足で結構です!私は彼を許さない、絶対に!どうして見捨てられるんですか!どうして切り捨てられるんですか!彼だけじゃない、そもそも村の人はどうしてお祖母ちゃんを見捨てるんです!?こんなのあんまりじゃないですか!」

 エロースは涙していた。

 激昂。

 まさしくそう形容される叫びにシンは意外を得た。過去においてエロースが怒りを声を上げて露わにしたことがあっただろうか?少なくとも、シンはその事実を知らない。だがシンが知らなかっただけで、エロースはこの熱を持っていたに違いない。この熱、つまりは誰かのための激情を。異界存在との戦いの中で発揮される機会がなかっただけだ。

 エロースに悲しみを共有できる人と怒りを素直に露わにする余裕が出来たことを嬉しく思いながら、シンはエロースの怒りに対する解答を述べ始めた。

「キラープリンセスはさ、純粋すぎるんだよな」

「だから、どうしたって言うんですかぁ」

「だからなんだよ。お前たちには躊躇いがない、迷いがない。キラープリンセスはいつだって自分に正直だ。透明なガラスのようなんだよ、どこまでも。だから、迷いながら生きる、くすんだガラスのような人間とは共感できない場面が少なくない。そして、今がその場面だ」

 キラープリンセスは人間と違って強い(・・)。とはいえ、その強さは心の防壁の強度についてではない。同調圧力を物ともせず、どんな状況でだって自分自身を貫く。そんな強さだ。レーヴァテインだったらどんなに非難の目を向けられたってめんどくさそうにするし、オティヌスだったらどんなに悲痛な状況においても明るさを発揮する。個性を貫くのがキラープリンセスという少女たちの在り方である。

 たが、時に彼女達の強さは軋轢を生むことになる。強いが故に、彼女らは人間の迷いや葛藤に共感できない時があるのだ。

 キラープリンセスの強さはシンが言う所の過剰な純粋さ、より装飾なく言えば単純さだ。彼女達には彼女達(・・・)しかない。性格の可能性とも言うべきものが存在しないのだ。生まれながらにして完成形のキラープリンセスは生まれもった性格が変容する可能性が限りなく低い。精神的安定ではなく、固定的精神。それがキラープリンセスの強さの根底にある。

 生物学的には違う生物なのだから同調しろというのは理不尽だよなぁ、とシンは思う。だから、

「人間の弱さを理解して欲しいと言うのは人間(俺たち)の傲慢か?」

「いいえ、そんなことはないと思いますよぅ。理解をして欲しいと、分り合いたいと手を差し伸べてくれるならば、その手を取らないのはキラープリンセス(わたしたち)の怠惰です」

「だったら言葉を交わさないか。互いが理解し合えるように何度でも、何度でもだ。互いが互いの言い分を吐き出すだけなら、一生決着はつかないだろう」

 そうやって人間はいくつもの『違い』を乗り越え、そして前へと進んでいく。

 きっと言葉を交わし、理解しあう姿勢があれば『違い』ですらも『違い』でなくなるのだ。

 『違い』を認め合い、尊重し合うことができれば、

「『違い』を『個性』にすることは出来る、とかつて哲学者が言っていたな」

 簡単な問題ではない。事実、西暦二二〇〇年まで生きてきた人間が解決できていなかった。『違い』とは自分との異質さであり、その異質さを否定するのは生物としては当然のことなのかもしれない。

 けれど。

 人間とキラープリンセス(自分達)には言葉がある。互いのことを伝え合う媒体がある。

 であれば、出来るはずだ。『違い』を乗り越え、互いの『個性』の境界線上に立つことを。

 必要なのはほんの少しの優しさ。難しいことを考える必要はない。手を取り合う心さえあれば、きっと。

「私は間違っているんでしょうか?」

 ポツリ、とエロースは呟いた。

 ずぶ濡れの子犬の鳴き声を彷彿とさせるほどの弱々しさを持った響きだった。

 シンは浅く息を吸い、

「ああ、間違っている」

 エロースを否定した。だが、彼はこうも続けた。

 

「でも正しくもある。結局俺達は現実の中で、正しさと間違いの葛藤に苛まれながら生きてくしかないんだろうな」

 

15

 教会の調査で危険とされた湖に到着した。湖はキエム村の東端に位置し、その大きさは村二つ分程度の大きさはある。晶化病が流行する前は、豊かな漁場として村人たちに重宝されていたとラグナロク教会の調査記録に記されていた。

 エロースとは既に別行動を取っている。彼女は一度おばあちゃんの家に戻ると言って、去って行った。多分、真っ直ぐ帰ったわけではないだろう。大方目尻の赤みが消えるまで、一人で森を散策しているといった所か。彼女の白い肌に赤味は良く目立つ。ネイシャに心配を掛けたくないエロースはきっと泣いたことを隠したいと思っているはずだ。

 エロースがネイシャの家に戻る頃には、もう頭も冷えて普段通りの彼女だ。これ以上荒れるようであったらかつてのようにカウンセリングが必要だが、彼女ならば一人でも大丈夫だとシンは信頼している。彼女は他人の心情にはよく気が付くが、反面自分自身の感情に対しては無頓着な面があった。だから、第三者が指摘して挙げなければならない。シンが彼女を諭した以上、自分自身を見つめなおさないなんてことはない。時間を置けば、冷静さを取り戻しているだろう。

 そう物思いに耽りながら、シンは湖を眺めた。

 凪の時間だ。湖にはさざ波一つない。ただ穏やかな水面が広がっている。

 しかし、そんな牧歌的な風景を台無しにする青く光る異物があった。それも一つや、二つではない。数十のそれが湖面を漂っている。

「浮かんでいるのは結晶化したマナで死んだ魚だな」

『水鳥もちらほら浮かんでいますね。どうやら結晶化部分が少ない死骸が浮かんでいるようですよ』

「にしても、匂いが酷い。腐敗が進んでいて、もう原形を留めていないのもあるぞ」

 湖はさながら腐ったスープであった。動物の死骸がでろでろに腐り果てているためである。腐肉や腐液が湖に溶けだして、この世に顕現してならない魔境を作り出していた。

「なんか化粧が剥がれた女性みたいな…」

『化粧に失敗した女性の方が正しいでしょう』

「ああ、確かに」

 まぁ、それはそれとして。

『晶化病は沈黙の春ですか』

「もしくは水俣病やイタイイタイ病の同類だな」

 シンは顔をしかめる。

 生物濃縮という概念がある。化学物質は肉体から排出されにくいため、食物連鎖の過程で上位捕食者になればなるほど生物内の化学物質量が増えていくという現象。レイチェル・カーソンが『沈黙の春』で生物濃縮による環境被害を訴えたことで有名になった環境問題だ。

 晶化病の発症プロセスがその生物濃縮そのものなのだ。

 マナを体内に含んだ魚を鳥や人が何度も食べ、限界値まで溜め込んだマナが体内で結晶化し、死に至る。それが晶化病という流行り病の正体だ。

「木や作物がマナ結晶となっていたのはなんでだろうな?」

『木の方はともかくとして、作物に関しては湖の水を農業に利用したからでしょう』

「となると、晶化病の潜在期間は一月、二月のレベルじゃないぞ。年単位だ」

『天上世界特有の病として捉えるべきでしょうか?』

「だとしたら、政府やら教会やらで前例が共有されていないとおかしくないか。悪魔の仕業とするのにも、対応が杜撰すぎる。もっと事務処理的にネイシャさんを追放しているはずだ。今回は異常な熱狂の果てに行われている。調査に当たった教会が晶化病を知っていたようには思えない」

『だとしたら、やっぱり計画派でしょうか?』

「いや、流石に早計だろう。今回が初めてのケースなのかもしれないし」

『本当に、そうお思いで?』

「今回は決め手となるものがないからな。推測に推測を重ねて、砂の城を築き上げるような愚か者にはなりたくないんだよ」

 コルテの時見たくわかりやすい異常が存在すればシンも計画派の仕業だと断定できるのだが、如何せん晶化病に関しては曖昧な情報が多すぎる。特にシン達はマナの性質を何一つ把握できていないということが大きな壁となっている。ある特定地域にマナが集積するのは果たして自然なことなのか。それがわからないことには、シンも晶化病が人為的な病だと判断することはできなかった。

「誰か天上世界を広く見聞している人間から話を聞ければ、ある程度は――」

 その条件に当てはまる人間を思い浮かべて。

「あっ」

 一人いた。

 

「あん?一体何の話が聞きたいんだ」

 教会で出会った行商人の巨漢。

 街から街、村から村を練り歩く彼ならば色々詳しいだろう、とあたりを着けたからだった。

「マナについて聞きたいんです。この村で起きているように、マナが一つの場所に異常集積するのかということについて貴方の意見が聞きたくて」

「まぁ、構わないが、一つ条件がある」

「何ですか?」

「情報を売ってやるから、代わりにお前はトウモロコシを買ってくれ」

「どれくらいですか?」

「ここで捌くつもりだった分だ」

「うわぁ」

 人の足元を見たあくどい商売だ。

 シンは渋い顔をして舌打ちをしたが、巨漢に譲歩する気はないらしい。二ヤ二ヤと笑って、試すように、あるいは馬鹿にしたようにシンを――身長の関係で――上から見下ろしている。

「それが出来ないなら、情報は売ってやらんぞ。出来るか?」

「手持ちには余裕があるので大丈夫ですよ」

「それじゃあ、交渉成立だ。いやぁ~、助かったぜ。今手持ちが厳しくてな」

 巨漢はホクホク顔でそういうと、布の屋根と壁が付いた高そうな荷車に入っていった。

「ウィツとセン、此処で捌くつもりだった分の商品を運んでくれ」

「は、はいっ、わかり、ましたっ」

「んー、りょーかーい」

 荷車から商品が入った袋を持った二人の少女が現れた。一人は落ち着きがなく何かに怯えるように目をあちこちに巡らせ、もう一人は感情の読めない表情でぼーっと突っ立っている。両者に共通しているのは褐色肌を持っていることくらいだ。

「どこにはこべばいいのー」

「村外れの一軒家までお願い」

「りょーかーい。ところでー、ますたーははこばないのー」

「俺はそこの見習い奏官と話があるんだよ」

「むー、それはふこーへー。ますたーもはこぶべきー。ちからしごとはおとこのしごとー」

「駄目、だよっ、ウィツちゃ、ん。マスターだっ、て、忙し、いん、だか、ら」

「頼むぜ、セン。ウィツが仕事をさぼらねえように見張っててくれ」

「は、はいっ。誠心誠意頑張らせていただきましゅっ!」

 センと呼ばれた少女は噛んでしまったのが恥ずかしかったのだろう。顔を真っ赤にして走り去ってしまった。方向はネイシャの家がある方へ走っているので、引き留める必要はなさそうだった。

 巨漢は気まずそうに頭を掻いてから、

「…………じゃあ、ウィツ、行ってこい」

「ぐー」

「寝るな、アホ!」

「いたーい」

 むー、と不満そうにウィツが頬を膨らませたが、結局渋々と言った様子で出発して行った。ふらふらとするウィツ。シンはちゃんと届けているか不安になったが、途中で冷静になったセンが戻って来てウィツの手を引いたため胸を撫でおろした。

「中々個性的な二人ですね」

「まぁ、な。頼りになる奴らではあるんだが、何処か抜けてんだ」

 巨漢が諦めたように笑っている辺り、手を焼いていることが伺える。けれども、決して嫌っているわけではなく、世話のかかる子供を持つ父親のような愛情を二人に向けているようであった。

 さて、個性的な二人が出てきたことで話が逸れたが、本題はマナについての意見を貰うことだ。

「それで、教えてくれるんですよね。大枚叩いたんですから、さっさと教えてください」

「わかった、わかった。最初に断っておくが、俺は学者先生じゃない。だから、俺の言ってることは確かなものじゃないぞ、それでも良いのか?」

「構いませんとも。エロースには答えられないだろう答えを俺は貴方に求める」

「そうかい?じゃあ、俺も真摯に答えるしかないな。お前は上客だしよ」

 巨漢が似合わないウィンクする。

 そうさえたのはお前だろう、と思ったがシンは彼に何を言っても無駄な気がした。ほんの少しの間の付き合いだったが、この男の図太さが常人のそれではないことくらいはシンにも分かる。

「まず初めにマナってのは基本見えねえ。触れることもできねーし、食べることもできないし、マナが物質に干渉することもない。でもこの世界のそこら中に確かに存在している不思議な物質だ」

 イメージとしては水に溶けた塩に近い。天上世界が水で、塩がマナだ。世界中のマナ濃度は均等で、一定の場所に集中的に集まるようなことはない。

「マナが一部に収束するのは、使徒やキラープリンセスがマナを集めるときくらいだ。それ以外にマナが収束することなどはまず有り得ないな」

「一つの場所に異常に集まるという話は聞いたことありませんか?」

「天上世界のあちこちを巡っているが、そんな話は一度も聞いたことがねえな」

「昔話や伝承でも良いんです。それっぽい話はありませんか?」

「うーん、まったくないな」

 巨漢はうんうん唸って考えこんでくれてたが、やはり思いつかないようだった。

 ただ、と男は付け加えた。

「俺たちはな、湖から流れている川を沿って下流からやってきたんだ。けどな、晶化病なんて珍妙な病気は流行っていなかったぞ」

 それはつまり。

「湖でマナがせき止められている?」

「ああ、おそらくな」

「でも別に不思議なことじゃないか。マナが流れがない湖で沈殿したということも考えられるのだし」

「いや、ちょっと待て。それはおかしいぞ」

 巨漢の静止に、シンは首を傾げる。

「よく考えてみろ。そもそも何故マナが物質として振る舞っている?」

「それは前例のない異常が湖で発生しているからでしょう」

「ああ、その通りだ。だがな、マナはどこまで言ってもマナなんだ」

「どういうことですか?」

「例え物質になったとしても、マナは水中に均等に溶け込んでなくちゃおかしいんだよ。下流にも物質化したマナが流れだして、晶化病はもっと広い地域で流行ってなくちゃ不自然なんだ」

 彼が言っていることは小学生でも知っているような常識だった。

 液体に溶けた物質の濃度は均一。シンは科学者が見落としてはならない基礎中の基礎を見落としていたのだ。

(何を焦ってるんだか)

 内心そう自嘲したのを隠しつつ、シンは巨漢の言葉を聞いた。

 

「今回の晶化病はどーにもきなクセー。人為的な意図を感じるぞ」

 




words
・ネイシャは最初の晶化病発症者として、村から追放されていた。
・エロースはネイシャの息子にネイシャに会うよう頼み込みが断られ、激怒。シンの介入によって事なきを得る。
・シンはマナの情報を得るために、巨漢から大量のトウモロコシを買い取った。人数が多いのでどうにかなると楽観しているが、果たして……
・晶化病は人為的に引き起こされている可能性が高まった。


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ep.06 未だ見えぬモノ

前話の投稿(4/19)で高評価を頂き、日間ランキングに乗っていたようです。ありがとうございました。三年程創作活動をしていますが、ランキングに乗ったのは初めてです。一日に七百PVとかビビりました。これからも頑張っていきますので、よろしくお願いします。


16

「……あのさ」

 レーヴァテインは苛立ちを隠さずに溜息を吐いた。

 現時刻はレーヴァテインの見立てではおそらく日付が変わるころだ。日はとうの昔に落ちて、夜闇が世界を支配する。ただでさえ不気味なのに、住民の大半が死にゴーストタウンと化したキエム村の荒んだ様子がさらに不気味さを盛り上げていた。

 明りといえば、契約者の男が持つ小さな懐中電灯と無数の頼りない星明りだけ。足元がややおぼつかない。レーヴァテインは男の後ろにくっついて歩いていくしかないのだった。

 眠っていたレーヴァテインはこの男に連れ出された。一日中陣取っていた木の上で寝入っていたところを無理矢理起こされてだ。そんなの誰だって不機嫌になる。むしろ不機嫌にならない方がおかしいだろう。私は間違っていない。

 拒否をすることもできた。面倒だから、眠いから、と断ることもできたのだ。けれど、そうしなかったのはこれからの反計画派活動に関係があると言われたから。命に関わることとなっては、無視をすることもできなかった。

 だが。

「……どーしてこんな時間に行動しないくちゃならないわけ」

 そうなのだ。用事があるなら、日が昇っている内に声を掛けてくれれば良い話なのだ。だというのに、何故わざわざ深夜に声を掛けたのか。昼ならば、まだ多少は――一ミリくらいは――不快ではなかっただろう。

「やることがやることだからな。一目は避けたい」

「……何するつもり?」

「墓荒らしだ」

「……………………は?」

「そんな怒りを滲みだされても…」

「……いや…ほんと…何するつもりなの……」

「別におかしなことじゃない。ただの死体検分だ」

「……そういう問題じゃないでしょ」

 はぁ、これだから科学者は。

 レーヴァテインはそう口にする代わりに、大きなため息を吐いた。男が繕うように「いや俺だって不味いことくらいはわかってるぞ」と反駁する。だったら止めなさいよ、とレーヴァテインは言いたい。

 流石はというべきか。変人だらけの国際連合異界存在研究機関メンバーでもM細胞の移植を実行する指折りの異常者。自分自身で不味いと思いながら、それでも必要だから躊躇いなく実行するという精神からして常人の感覚から外れている。

「……ほんと変な奴」

「ん?何か言ったか?」

「……なんでもない」

 言った所で無駄でしょうね、とレーヴァテインは男に対して諦めを得ていた。何を言った所で、この男は立ち止まらない。目標のためにひたすら馬鹿の一つ覚えのように直進し続ける。この男はそんな愚か者の一人だ。

 どうしようもない人間だとレーヴァテインは呆れかえる。走って、走って、走り切って、その果てにあるのが破滅だったらどうするのだろうか。恐れを知らない男の様に彼女は憐みすら覚えていた。この男は道の先に崖があると知っていても走り続ける。破滅を確信していても止まらない、止まれない。目的のためなら命すら投げ捨てる。そんな危うさが見え隠れしていた。

 レーヴァテインは男が命を顧みず馬鹿なことをするような力づくで止めようと思っている。ただ決して情がワイたからではない。ラグナロク教会(計画派)と対立する以上は、この男は必要不可欠だからだ。男が生きていてくれたほうが都合が良い。利害を考えた末の、冷徹な判断でしかなかった。

 ただ。

(……なんとなく頭の奥がチリチリしてるのよね)

 あの時、つまり計画派のアンナと対峙した時、レーヴァテインは過去の記憶を取り戻した。けれども、彼女は全ての記憶を取り戻したわけではない。

『どうか、幸せに。レーヴァちゃん』

 この声の主をレーヴァテインは未だ思い出せずにいる。

 そして、蛮勇の男を見ていると未覚醒の記憶領域が疼くのだ。おそらく声の主もまた、この男と同じく勇敢と蛮勇を履き違えたような人物なのだろう。霧がかった記憶なので確かなことは言えない。だが、記憶が刺激されているということはこの推測は正しいのだ。

(……ま…別にどうでも良いことだけど〉

 レーヴァテインは頭の微痛と共に振ってわいた疑問を振り払った。過去に執着なんてない。思い出せないなら、思い出せないままで良い、とレーヴァテインは思う。

「……ねぇ」

 と気分の切り替えとしてレーヴァテインは言葉を作った。

「……夕食がトウモロコシばっかなのはなんでだったの?」

「どうした、急に?」

「……別に良いでしょ……ただの暇つぶし……こっちは夜中に起こされて不機嫌なの……貴方と話していても全然楽しくないけど…話さないよりはマシ…」

「あ、おう。自覚はしてるが、指摘されると辛いな」

 何やら男が狼狽えているようだが、レーヴァテインにとってはどうでも良いことだ。つまりは、いつも通りに無視案件。だって気にかけてもどうしようもないし。

 レーヴァテインは見つけた小石を蹴り上げて男の背中に当てて、

「……で…どうしてなの?正直…結構びっくりしてたんだけど」

「そうなのか?全然そうは見えなかったぞ」

「……顔には出さないようにしてるのよ」

「感情は表情に出した方が魅力的なのに」

 蹴った。

「ぎゃぁぁぁっ!」

「……うるさい…近所迷惑」

「レーヴァテインが原因だろ!―――あっ、待って、ちょっとヤバいかも」

「……大丈夫よ……ちゃんと手加減はしたから…背骨は折れてないでしょ」

「折れてなくてもダメージは十分大きいんだよ………!」

 地面でのたうち回っている男がなんか喚いている。ギャーギャー、うるさい。

 はぁ、と一つため息を吐く。

「なんで蔑んだ目を向けられないといけないんだ……」

「いや、普通だし」

「……マジトーン………………!」

 そこらの加減はわかってるのね、と男の理解度を確認しつつ、

「……帰って良い?」

 短く問うた。

「ごめん」

「……美味しい料理を要求する」

「了解。善処します」

「……善処?」

「確実に提供させていただきます」

 ならば、良い。

 逆方向に向けた足先を戻して、男が二重の意味で立ち上がるのを待つ。

「―――――――――まだ?」

「いつになく容赦ないな」

「……自業自得」

「流石に過剰じゃないか」

 認めたら負けじゃないかしら。

 そう思うので、何も考えないことにする。

 ややあって、男が立ち上がった。

 そして。

「トウモロコシしか取り扱っていない行商人から買い取った」

「……答えるのね」

「お前が聞いたんだろう……!」

「……話の流れ的に不自然でしょ」

「まぁ、確かにな」

「……でも…明らかに過剰な量だったわよ」

「あの行商人にマナのことを聞こうと思ったら、交換条件として村で捌くつもりだった量を買わされた」

「……人の足元見てるわね」

「ああ、全くだ」

 男はそう忌々し気に吐き棄てる。よっぽど頭に来ているらしい。

 しかし、男は「ただ」と付け加えると感動を込めてこう言った。

「でも、美味しかったよなぁ」

 これにはレーヴァテインも同意だ。

 あのトウモロコシは甘味が強く、粒一つ一つがまるで採りたてのように瑞々しかった。行商で何日も経っているとは考えられないほどに。冷凍保存技術が確立していていない天上世界でどうやってあれほどの鮮度を保ったのだろうか。そう疑問を持たざるを得ないほど、新鮮なトウモロコシだったのだ。

「……位相融合前でもあんな美味しいトウモロコシ食べたことない」

「味に関しては位相融合前からの引継ぎだからわかるが、鮮度の保ち方が不明だ。冷凍保存でも採れたての鮮度は保てないぞ」

「……天上世界独特の保存方法かしらね」

「つまりマナを使っている、ということか?」

「……それはない」

「どうしてだ?」

「……私が野良時代、行商人の護衛をしていたのは言ったわよね」

「ああ、コルテで言ってたな」

「……彼らがマナを使ってるなんて話聞いたことがない」

 より詳しく言えば、鮮度が良すぎる商品が流通しているという話を聞いたことがない、だ。

 もし今日のトウモロコシのように異様な鮮度を保った商品があれば、必ず噂になるはずだ。なにせ、ここは科学技術が確立していない、過去の歴史上では産業革命前の科学技術しかない天上世界だ。食物の保存方法などたかが知れている。行商で売られている野菜など、過去においては屑野菜として捨てられてしまうようなものばかり。そんな中、過去においても類を見ない鮮度を持つ野菜が売られていたら、話題にならないほうが奇妙というものだ。

どんな保存方法なのか、一体誰が使っているのか、そんな話が行商人たちの間で広がっているだろう。マナを使っているとなれば、猶更人の興味を引く。なにせ、マナを扱えるのはキラープリンセスと異族だけ。人が扱えたならば、革新的な技術進歩だ。噂どころかラグナロク教会が出張って、権力を振りかざした調査に出ているに違いない。

「……どんな方法であれ…あれほどの鮮度を保つ技術を私は聞いたことがない」

「なるほどな」

「……まぁ…最近生み出されたばっかの可能性もあるけど」

 オティヌスの方が詳しいでしょうね、と付け加え、レーヴァテインはそっと男に近づき、すれ違いざまに懐中電灯をすり取った。

 深い理由は特にない。ただ男の後ろを歩くのが、鬱陶しくなっただけである。

「………レーヴァテイン」

「……何?別に私が持ってても良いでしょ」

「いや、そうじゃなくて」

「……何よ?」

「急に近づかないでくれ、心臓に悪い」

「はぁ?」

 わけのわからないことを言う男だ。

 力が及ばない身でありながら、キラープリンセスと共に前線で戦っているくせに、何の敵意もないゆっくりとした動作にどうして驚くのだろうか。

 レーヴァテインはそう疑問に思ったが、この男が妙な反応をするのは今に始まったことではないので、直ぐにその疑問を捨て去った。

 レーヴァテインが先を行く。男は静かに彼女の後ろに着いて来た。特に懐中電灯を取り戻すつもりはないらしい。さっさと帰って寝たいレーヴァテインとしては、不毛なやりとりをしなく済むので、ありがたいことだった。

「……で…莫大な量のトウモロコシと交換で…何か有用な情報は得られたの?」

「ああ、一応な。晶化病が人為的に引き起こされている可能性が最有力となった」

「……そう…計画派?」

「それがよくわからない(・・・・・・・)

「……どういうことよ?」

 奇妙な物言いだった。

 それではまるで、計画派以外の組織が暗躍しているかのような……?

「とりあえず墓地に来てくれ。話はそれからだ」

 

 

 こんな夜中に一体何をしているんだろう、とレーヴァテインは心底そう思った。

 目の前にはひたすら穴を掘る男。レーヴァテインは死んだ魚のような目で彼の作業を眺めながら、彼を懐中電灯で照らしていた。いや、ほんとに何しているんだろうか。必要といえど、どうして墓荒らしの共犯者にならなきゃいけないのだろう。

「…………はぁ」

 もう数えるのも嫌になるくらい吐いた溜息。レーヴァテイン自身「……くどいわね」と思っているが、自然と出てしまうのだからしょうがない。

 そして、そんな溜息が止まらない現状に対しても彼女は溜息を吐いてしまった。

 もうどうしようもない、とレーヴァテインは諦める。

「溜息を吐くと、幸せが逃げると言うが」

「……幸せなんて無い」

「随分と悲観的だ」

「……別に…現実を言ってるだけよ」

「現実はお前が言うように、冷たいだけのものじゃない」

「……そうかしら?」

「願いが叶ったら、世界がバラ色に見えないか?お前には、何か願いはないのか?」

「……さっさと寝させて」

「…………承った」

 男の動きが二倍速になった。一応こんな時間に起こしたことを悪いとは思っているらしい。伝わってくるM波の感覚的に男のそこかしこのM細胞筋肉質が活発になっている。是非とも頑張って欲しい。

(……M細胞と言えば)

 ふとレーヴァテインは疑問に思った。

 この男はM細胞を何処まで操作出来ているのだろうか?

「ねぇ、一つ聞きたいんだけど」

「どうした?」

「貴方が移植したM細胞。何処まで貴方の制御下にあるの?」

「そうだな」

 穴を掘り終わった男が中から女の死体を取り出した。

 埋葬用シャベルに体を預けながら、

「およそ八十パーセントと言った所だ」

「結構制御下に置いているのね」

「意外か?俺は活性状態にあるM細胞を右腕を両足、胴体の筋肉部に、欠損した左腕をM細胞製の筋肉に置き換えた。神経系との接続も抜かりない。戦闘用に調整しているからな、自前の体として扱えないと。まぁ、ちょっとばかり暴走する時もあるけどな」

「……そ…」

 レーヴァテインは薄く反応を返す。話を聞きたがったのは彼女だが、もう話を掘り下げる気はなかったので、会話を切り上げる。

 墓から取り出された女の死体に視線を移して言う。

「……で…この死体がどうしたの?」

「胸部に明りを当ててみろ」

 言われた通りに、懐中電灯の光を当てる。

 女の胸部はそれなりに青い結晶に侵されていた。四肢からマナ結晶化していく晶化病の症状通りに、腕の根元付近からマナ結晶化が酷くなっている。乳房の上部あたりは未だ結晶化されておらず、色の悪い腐肉が露わになっている。

 しかし、レーヴァテインが凝視するのはとある一点だ。

 胸の中心からやや左、つまり心臓があるはずの部分を。

 彼女は沸き立つ腐臭に眉を顰めて、疑問を投げ掛ける。

「心臓が……ない?」

 レーヴァテインの視線の先。女の胸部は、ぽっかり、と球形に抉り出された跡がある。

 しゃがみ込んで、えぐり取られた跡をよく観察する。滑らかな切断面から判断するに、刃渡り十センチほどのナイフで心臓付近の体組織を丸ごと抉り取られたようだ。

「なんでこんなことになってるの?」

「わからない。だが、この墓地にある遺体のほとんどが、心臓を抉り取られている」

「私に見せたかったのが、これ?」

「ああ、そうだ」

 そうして男は次々と遺体を掘り出した。およそ三十人。腐敗の進み具合、マナ結晶の侵食度、何れも違いはあれど、皆一様に心臓が抉り出されている。

「どれも同じ切口ね」

 つまりは、同一犯ということだ。それが個人か、組織かはわからないが。少なくとも死体の心臓を盗み取る猟奇的趣味の持ち主がいるのは確かなことらしい。

 異様な流れになってきた。元々反教会ということで不穏な空気ではあったが、毛色が違う。例えるならば、独裁政府に抗うレジスタンス映画かと思いきや突然スプラッタ映画に切り替わったといった所だ。

 男は懐から紙束を取り出して、それを見ながら語り始める。

「キエム村支部教会の祀官が残した資料から判断するに、心臓が抉られた死体はどれも一週間前までに埋葬された死体だ。年齢、性別、身長、体重、いずれも共通点はなし。埋葬された日付だけだ。あとは俺が見る限り共通点はない」

「一週間前から今日までに埋葬された死体については?」

「数自体は少ないが、それらは手つかずだ。晶化病で心臓までマナ結晶化している死体も、そうでない死体も含めてな」

「となると、一週間前に訪れた何者かが死体の心臓を抜き出したって考えたほうが良さそうね」

 だけど、

「それがどうしたって言うの?」 

 シンから提示された情報を前にして、レーヴァテインはこう思う。

(わざわざ気にする必要なんてないじゃない)

 死体の心臓が根こそぎ抉り取られているのは不気味だ。それは認めよう。だけど、ただ不気味なだけだ。天上世界で起きた猟奇的事件の一つでしかない。それが反計画派(教会)活動に繋がる?レーヴァテインには理論が飛躍しているように思えた。

 疑問に思っていることが顔に出ていたのか、男がレーヴァテインにこう言った。

「忘れたか?コルテ大規模討伐戦の忘れ物、アンナの否定を」

 アンナ。アンナ・エフェンベルグ。ラグナロク教会の中枢、教皇庁にいる枢機卿の内の一人。そして、計画派メンバー。

 シンに言われてレーヴァテインは追憶する。

 全てが終わったあの時、あの女とあった消化不良の一幕を。

 

 天上世界に七つある巨大な街の一つ、コルテ。

 それは異族の大襲来という未曾有の危機を乗り切った後、核兵器によって木端微塵に吹き飛んだ。

 首謀者はラグナロク教会枢機卿、あるいは計画派の一人アンナ・エフェンベルグ。

 対するは銀の戦姫と黒腕の愚者。

 愚者は言った、宣言した。

 この天上世界を人とキラープリンセスが平和に暮らせる世界に作り替える、と。

「ふふ」

 アンナは笑う。蠱惑的に、男は破滅させる魔性の笑みを浮かべて嗤う。

 シンは余裕を見せる魔女に苛立ちを覚えながら、一つ問うべきことを問うた。

「何故祀官を殺した?」

 それはトナティウ逃亡と同時に起きた一つの殺人。シンには未だこの事件の真相が見えていなかった。

 トナティウ自身に理由はない。であれば、偏見があるように見えるかもしれないが、第一容疑者は自然とアンナに決定される。コルテ爆発などというな蛮行に手を染める人物だ。まだ何か隠しているだろう、とそう思っていた。

 思っていたのだが。

「はい?」

 アンナが首を傾げていた。それも忌々しい魔性の笑みが消え、本当に訳がわからないと言った風情でだ。

「何の話ですか?」

 これには疑問を投げかけたシンも心底驚いた。

「違うのか?」

「まさか。というよりいつ死んだんです?異族が襲来するまでは生きてましたよね?」

 疑問を作るアンナに嘘の色はない。本当に、心の底から訳が分からないと言った様子で聞いてくる。 

「トナティウが逃亡すると同時に、何者かによって祀官が殺されていたんだ」

「……ほう、それはなんとも珍妙な。というより、トナティウ犯人で決定でしょう」

「トナティウ側の理由がないだろう。何故殺す?」

「逃亡を止められたから?」

「キラープリンセスが居れば、戦闘にすらならない。八つ当たりのような殺人なんてする必要などない」

 反逆者の意見を聞いて、アンナはしばらくの間思案する。そして、何かを思いついたように、ポツリと彼女は呟いた。

 

「であれば、彼が未確定の〈魔術師〉ですか。なるほど、思わぬ僥倖ですね」

 

 アンナが再び魔性の笑みを浮かべる。獲物を見つけた肉食獣のように、子供を見つけた悪い魔女のように、彼女は体の芯から怖気が走るような微笑みを顔に貼り付ける。

「〈魔術師〉……?」

 聞き慣れない言葉に、今度はシンが首を傾げる番だった。

「そのアルカナに対応する研究員は誰もいないはずだ!〈女帝〉!〈魔術師〉とは誰のことだ!」

 シンは叫び、問うた。だが、アンナは何も答えない。ただ見下すように微笑むだけだ。 

 彼女は彼の全てを無視して、蕩けるような声でこう言った。

 

「さようなら、最愛にして、最大ではない私の宿敵。私のために生きあがいてくださいね」

 

 

 追憶終了。

 あの忌々しい女の顔を思い出して、込み上げてくる苦い物をレーヴァテインは飲み込んだ。その上で、思い出すべき重要点を記憶から抽出する。

「〈魔術師〉……」

 この男の〈愚者〉、アンナの〈女帝〉のように大アルカナで示された何者か。

 あの時の男の狼狽ぶりを見るに、

「過去において、〈魔術師〉は使われていなかったのね」

「ああ、その通りだ。全ての大アルカナが使用されるには、大アルカナで渾名を吐ける対象の数も少なかったからな」

 つまり〈魔術師〉とは天上世界に来てから、位相融合後に使用された大アルカナということだ。

 それが示すことはいくつかある。

 だが、アンナが〈魔術師〉と断じた状況から判断するに、〈魔術師〉とは計画派にとっては不都合な存在であることは安易に想像できる。

「〈魔術師〉が差す組織もしくは個人は、私達とは別口の反教会派ということ?」

「可能性としてはあり得る」

 シンは躊躇いなく断言した。だが、レーヴァテインはこう思う。

「それと心臓抜き取り事件が何の関係があるの?」

 反教会派組織があるかもしれない。

 とある村で死体から心臓が抜き取られている。

 この二つの事実に関連性が微塵も感じられない。

 もしかして、と思うが、有り得ないだろうと切り捨てる。流石にこれをするのは馬鹿すぎる。ただ男がこう言うということは、いや、まさか、ねぇ……

 しかし、男は言った、言いやがった。

「心臓の抜き取りは、もしかしたら反教会派の人間によるものかもしれない」

 この時のレーヴァテインの心境は想像に難くない。

 最早呆れすら通りこしていた。この短い間だけで躊躇いなく出来た溜息すらでやしない。

 真っ白。初期化されたコンピューターのように思考が真っ白になっていた。

 いやはや、まさかここまで馬鹿とは。どうやらこの男の馬鹿さを理解してきれていなかったらしい。こんな非論理的な推測をする人間だったとは知らなかった。というより、今まではちゃんと論理だてていたのに、どうして今回だけこんなことをやらかすのだろうか。

ややあって、ようやくレーヴァテインは絞り出した。

「……はぁ」

「なんで溜息を吐く…」

「いや、吐くわよ。流石に飛躍のしすぎ。なんで死体の心臓と反教会組織が繋がるの?」

「だよなぁ……」

 ちょっと。

「間違ってると思ってるのに言ったの?」

「いや、可能性はある。少なくとも、零ではない」 

「言って見なさいよ」

 レーヴァテインが許可を出すと、男は、ああ、と首肯して、

「俺が根拠とするのは、死体の心臓を抉りだすことの異常性だ。少なくとも、これは尋常の行動ではない」

「まぁ、そうね。墓荒らしをするのも尋常じゃないけど」

「それには触れないでくれ。というより、どうして俺を攻撃する」

「妄言のために深夜に連れまわされたのか、と一層苛ついているのよ」

「平常運転だな。まぁ、安心するが」

「良いからさっさと先を言いなさい」

 レーヴァテインは先を促す。

「さて、死体の心臓収集が尋常ではないことは先にも言った通りだ。過去も現在も、前線に立っていたレーヴァテインなら分かると思うが、死体というのは見るだけでも相当の心的ストレスになる。一度埋葬された腐りかけの死体なんて猶更触れたくないだろう。だというのに、心臓を抉った人物は約三十回同じ動作を繰り返している。明らかにまともな人間ができることじゃない。もし可能な人間がいるならば、それは三種類の人間だ。一つ、猟奇的趣味の持ち主。二つ、医療関係者。三つ、心臓を抜き取ることを苦にしないほどの目的を持つ人物だ」

「二つを外した理由を聞いていいかしら?」

「猟奇的の持ち主を外したのは簡単だ。そんな思考の持ち主が居れば、教会が把握しているだろう。指名手配とかしてるだろうな。聖宣書にも死者を辱めるのは禁ずると書いている。もしいたら、教会が許しておかないだろう。そして、キエム村の医療関係者は二週間前に晶化病で死亡していると教会の記録に残っている。一週間前までに埋葬された死体の心臓の回収は不可能だ。そもそも医療関係者が心臓を抜き出す理由もないだろうと俺は思うぞ」

 まぁ、その通りね、とレーヴァテインは男の意見に概ね同意する。

 なるほど確かに、それなりに筋が通っている。男が、三種類目の人物――それに反教会派が該当するかは判然としないが――に絞る道理も理解できた。

 ただレーヴァテインの意見としては猟奇的趣味の持ち主ばかりは完全に否定しきれない。

「猟奇的趣味の可能性を否定するのは早計よ。まだ見つかってない可能性がある。これが初犯だとも言えるんだから、簡単に切り捨てないほうが良い」

 それに。

「計画派の仕業ってことは考えられないの?晶化病は計画派が引き起こしている可能性が高いんでしょ。真っ先にそれを疑うべきだと思うけど」

「いいや、それはない」

「なんでよ?」

「教会だったら心臓じゃなくて、体ごと持っていけば良い話だからだ。奇病を治すために特例として死体を調査するとか言って、権力を行使すれば死体を掘り返して心臓を抉りだすなんて手間をする必要はない。それに晶化病の性質上、計画派が欲しいのはマナに関するデータだろう。マナに侵されていない心臓を持ち出す理由が不明だ」

 確かに男の言う通りだ。こそこそ隠れて死体の心臓を抉るなんてやり方を教会が執る理由がない。晶化病の静謐を考えると心臓よりも体を調べた方が、計画派にとっては意味のある調査になるだろう。

 であれば、話を大筋に戻すべきだ。つまりは、心臓を抜き出したのは一体誰なのか?その議論へとである。

「結論だけ言うわ」

 レーヴァテインは最初に宣言する。

「心臓を抜き取った犯人が反教会組織である可能性は限りなく低い」

 レーヴァテインの否定に男はただ確認をするように頷くだけだった。

「根拠薄弱すぎる。そもそも何故反教会組織が心臓を欲しがるの?どうしたって理由がない。キラープリセスを味方につけていたら結晶化したマナを有効活用できるでしょうけど、抜き取られた心臓はマナ結晶化していないものばかりなんでしょ。腐りかけの心臓を一体どうするというのよ。反教会組織に属する人間たちは、貴方の言う三種類目の人間、つまり強い目的を持つ人間に該当するのでしょうけど、いくら目的がある彼らでも理由がなければ動かないわよね。だったら反教会組織による犯行である線は限りなくゼロよ」

 レーヴァテインが最も推すのは、やはり猟奇的趣味の持ち主だ。最近頭角を現し、未だに教会に見つかっていないと考えれば納得がいく。理由のない反教会組織よりは遥かに可能性が高いとレーヴァテインは踏んでいる。

 ただ彼女はこうも思っていた。

(反教会組織はきっと存在するんでしょうね)

 教会のやり方を良くなく思う人間も少なくない。反逆を目論むレジスタンスが居てもおかしくない、というよりいない方がおかしい。世界の舵取りに百パーセントの同意を得られることは決してないのだから。反対勢力がいない方が不自然というものだ。

 そして、レーヴァテインはトナティウが反教会組織の一員であることをほぼ確信している。何を目的にコルテに来たのかはわからない。けれど、彼は祀官は殺した。その動機には怒りや恨みといったドス黒い感情が流れているようにレーヴァテインには思える。

「反教会組織の存在は私も否定しない。それでも、心臓の抜き取りについては彼らは関わっていないと思う。少なくとも私は納得ができないし、話を聞いた誰もがそう言うでしょうね。貴方の論理は乱暴すぎる。強引すぎるのよ」

「そうか。もしかしたらと思ったのだがな」

 もしかしたらじゃないわよ、まったく。

「……もう帰って良い?眠たいんだけど」

「ああ、構わない。付き合ってくれてありがとう。だけど―――」

「……だけど…何?」

 

「これだけは覚えていて欲しい。俺達以外にも教会に抗う者たちがこの世界には居て、そして俺達は彼らの思いを踏みにじってでも計画派を止めなければならないということを」

 

 

 

 




words
・キエム村の死体は心臓が抉り出されていた。彼らはシン一行が村に来てから、一週間前までに埋葬された死体である。
・シンは反教会組織の犯行を疑うが、レーヴァテインが唱えた猟奇的趣味の持ち主による犯行であると二人の結論は落ち着いた。
・しかし反教会組織の存在もまた、肯定される。
・コルテ戦後で遭遇したアンナ・エフェンベルグとの語らいで、〈魔術師〉という新しい大アルカナで指す存在がいることが発覚。〈魔術師〉は反教会組織である。


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Her sight②

次の話遅くなります。


 森、森、森。緑色が続く殺風景。

 ゴロゴロ。馬車が地面を踏みしめる単調な音。

 同じ風景に、同じBGM。流石に飽きた。

 山間に入ってからもう何日も経っている。目的地が山の中にあるので仕方がないことなんだけど、無変化過ぎる日常は退屈だ。

 馬で来たのも裏目に出た。一応ラグナロク教会が保有する馬の中でも最上級と呼べる馬を六頭連れてきた。けれども、慣れない山道と荷物の荷重は健脚を持つ彼らをしてでも乗り越えがたい障害だったようだ。

(私一人だけだったら、軍用自動車を使えたんだけどね)

 立場というものの考えものだ。自身が枢機卿としている以上、それ相応の待遇が与えられる。教会の重鎮が王都から遠く離れる長期任務を務めるというのに、キラープリンセスの護衛がないのは不自然だ。だからマサムネとパラシュが私に同道している。過去を忘れているキラープリンセスと行動を共にする以上、過去の遺産を使うことは出来なかった。 

 過去のことを思い出したキラープリンセスは情報隠匿のために暴走するようにしてある。記憶を取り戻したキラープリンセスたちが結託して、ラグナロク教会に反旗を翻されると厄介だ。鎮圧は可能ではある。だが、キラープリンセスの反乱は間違いなく天上世界を大きく揺るがす大事件だ。教会の権力は揺らぐだろう。キラープリンセスを管理しきれないことが判明してしまえば、虎視眈々とキラープリンセスの管理権を狙っている政府からそれを奪われる。

 キラープリンセスを政府に奪われるの、は最悪の事態だ。彼らはキラープリンセスの価値をまったくわかっていない。そんな彼らにキラープリンセスの管理権を渡すなど言語道断。もし渡してしまったら、計画に支障が出る。

それ故に暴走という機構をキラープリンセスに組み込んだ。記憶を取り戻しても結託が不可能であり、かつ在り方としての暴走であるならば政府が異を唱える口実にもならないだろうという冷たい目算が理由だ。

 とはいえ、公的にも、私的にもキラープリンセスを暴走させたいわけじゃないから、記憶が回復するリスクを犯してまで楽をしたいわけじゃない。

ただ。

「護衛はなくてもよかった」

 権力ある立場とはつくづく面倒だ。個人的には、権力もなにもないただの新人研究員だったころの方が好ましい。なんて言ったって楽だ。大した制約もなく、規則以上の束縛もない。そんな多少の不自由はあるが、社会の印象などという直ぐに変動する価値基準に縛られることのない生活を私は送っていたかった。

 勿論、人類救済のためには枢機卿という立場にあるのが最短距離だということは理解している。

 それでも非効率的なやり方には辟易してしまう。

「枢機卿殿」

 マサムネに呼びかけられた。

「一度馬を休ませたく思います。ここらで休息を取っても良いでございますか?」

「全然良いよ。別に急ぐ案件じゃないから」

 少し開けた場所で馬車が足を止める。

 しばらくぶりに止まった馬車から飛び降りて、私は手足を伸ばした。

「流石の枢機卿でも、馬車に閉じこもっりっぱなしは疲れるかい?」

「肉体的な疲労よりも精神的な疲労の方が辛いかな。普段教皇庁に引き籠ってばかりいる私でも、ここまで無変化な道行きだと限界だよ」

「異族の襲撃でもあれば、気晴らしにもなったかもしれないね」

「飛躍のしすぎだよ、パラシュ。平和が一番なのは変わりないんだから」

「…………流石に今のは失言だった。ボクの非礼を許し欲しい」

「良いよ。ブラックジョークって通じてるし、実際異族来ないかなー、とか思ってた面も無きにしも非ずだし」

「ラグナロク教会の上層部がそんなことを思ってて良いのかい?」

「損害なく解決できるから、そう思ってるんだよ」

 私の言葉を聞いて、パラシュはやれやれと首を振った。

 大方、立場がどうとかと思っているのだろう。相方のマサムネに比べて、大分フランクな性格をしているパラシュだが社会秩序とかには結構うるさい。キラーズ由来の性格だろう。

 苦言を呈されるのも面白くないので、私は話の腰を折ることにした。

「二人は私を送り届けた後、次の任務に向かうんだったよね?」

「貴族ご用達のリゾート地、フル二ヤでの調査任務さ」

「あの有名な温泉街じゃん。うらやましいな~」

「ま、キラープリンセスは入れないだろうね」

「あ、そうか。だったら法整備でもしちゃおっか。フル二ヤの温泉にキラープリンセスも入れるようにしろって」

「権力の濫用だよ、枢機卿。というか、前も言ったけど甘すぎるんだって貴方は」

 そんなことはない、と私は思っている。私だってキラープリンセスを道具として見ることもあるし、非情に切り捨てることもある。だから、甘いなんて言われる理由がないと思うんだけど…。

 私の不満が顔に出ていたのだろうか。パラシュは溜息を吐いて、

「ボク達を取り巻く環境について、どうにかしようと思っている時点で貴方は甘いんだよ。他の枢機卿たちはボク達には目もくれないじゃないか。特にアンナ枢機卿はキラープリンセスのことなんて理想のための駒としか見ていないだろう」

「そんなこと……っ!ない、とは言い切れないけど、でもパラシュはそれで良いの?」

 道具として切り捨てられて、手段の一つとして切り捨てられて。

 例えその終わりが無惨になってしまっても。

 パラシュは納得出来るのだろうか。

 彼女は答えた。

「出来るさ」

 澄んだ瞳で。

 一片も曇りのない声色で。

 彼女はそう言い切った。

 決して彼女は自己犠牲に陶酔しているわけではないし、諦観に溺れているわけでもない。

 彼女は理想に燃えていた。

「ボクの理想は人々が平穏な暮らしを送ることだ。それでも、いくらキラープリンセス(ボク達)が異族や使徒を討伐したところで、それらの脅威が実質として消えるわけじゃない。だったら人類は救うのはボク達じゃない。ボク達以外の誰かだ。そして、枢機卿。キミ達は人類救済を目的としている。だったら、キミ達の計画のためにこの身を捧げるのも当然さ」

 彼女の理想。

 それは確かに私達の目的と意味を同じくしている。

 だけど。

 自分勝手だとは分かっている。

 それでも、私はこう思わずにはいられなかった。

 

(もっと自分を大事に思っていても良いじゃない………)

 



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ep.07 創世戦争

遅くなってすみません。


17

「どうしたの急に。創世戦争について教えて欲しいなんて」

 シンの問いにオティヌスは不思議そうな顔をする。

「不思議そうな顔されても」

「唐突過ぎるからさ。びっくりしちゃって。でも、どうして?」

「実の所、私はあんまり歴史に詳しくなくてね。少し勉強しようと思ってて」

「いや、アタシが聞きたいのは動機じゃなくて」

「何かほかに問題があるか?」

「アタシが聞きたいのは、どうしてこのタイミングでってこと。今、そんなことしてる状況じゃないと思うんだけど」

 オティヌスの言う通りだった。

 呑気に話している場合ではないのは、現在シンとオティヌスは臨戦状態にあるからだ。

「やっぱり、異族はそれなりにいるね」

 二人は晶化病の元凶を叩くために、キエム村にある湖から上流へと向かっている最中だ。

 エロースとレーヴァテインは同行していない。エロースはネイシャの世話があるし、レーヴァテインはめんどくさがった。

 シンとて同行者は別にいなくても問題ないと考えていたため、彼は一人でいくつもりだったのだが、

「だったら、アタシが付いてくよ。心配だし」

 ということで、気の良いオティヌスが同行することとなった。

 もうキエム村を出発してから二日が経つ。道中は暇なので、会話に花を咲かせるのはオティヌスとしても大歓迎なのだが、しかし今はタイミングが悪かった。

 長距離の移動には避けられないものがある。

 白の異形たち。つまり異族と使徒だ。

 二人の行く先には、異族が三体いた。

 まだ距離は大分ある。だが、楽観もしていられない。

 ただ安易に気の抜けない状況でシンがオティヌスに話を振ったのも理由があった。

「いや、だって、正直ただの作業じゃん」

 この二日間、異族や使徒との遭遇はあった。人里離れた場所を歩いて異族たちとかち合わないなんてことはありえず、二人も例に漏れず異族たちとの戦闘があった。

 ただし、それらが戦闘と呼ぶに値するかと問われば、シンは否と答えるだろう。

 なぜなら、

「成功率の百パーセントの奇襲で全部終わってるから、もう少し気楽に行っても良いと思うよ」

 シンの左目に搭載される義眼の機能の一つ、熱源感知による異族の事前察知と、オティヌスの精度の高い射撃の組み合わせは極悪過ぎた。異族たちが二人を知覚する前に、矢が異族たちを貫くのだ。加えて、シンが保有する豪速の〈アッキヌフォート〉もある。奇襲が成功しないわけがなくなった。

 撃てば、殺せる。その繰り返し。

 シンが作業というのも頷けるだろう。

「そういうわけにもいかないって、何が起きるかわからないでしょ」

 しかし、オティヌスはそう言って譲らない。

(過去では、もっと苛烈な戦いをこなしてきているんだけど)

 記憶がないから仕方ない。

 過去では、異族と比べ物にならない戦闘力を持つ異界存在の最強種、タイプ:ドラゴンとの戦闘や白兵最強のタイプ:デュラハンとも頻繁に戦ったことが必ずある。異族以上の怪物との激戦の記憶があれば、事前に察知した敵を狙撃するだけの単調な作業なぞ肩の力を抜いて臨めたのだろうが。

 生真面目なオティヌスにシンは肩を竦める。

 勿論、オティヌスの考えは間違っていない。むしろシンよりも正しいと言えた。なにせ戦闘では予想のつかないことが起きるのは当然だし、公式通りに事が進むわけでもない。シンは少々気を抜きすぎているきらいがある。

 この意識の差は戦闘を本分にする者とそうでない者の違いが現れているか。

「オティヌス、射角を考えると木に登った方が良いよ」

「オッケー。方向は?」

「北に三メートル移動してるね。幅は変わってない」

 りょーかい、と口調は気楽に、けれど瞳は真剣にオティヌスはスリロスのボウガンを構える。

 直後に、青い光がポツポツとボウガンの装填部近くに現れ始めた。正体は空気中に漂うマナだ。マナの光は一瞬の内に織り込まれ一本の矢として顕在する。

 無言のまま矢を連続して射出した。

 そして。

「全弾ヒット。討ち漏らしはないよね?」

「………ん、大丈夫。動きはないよ」

 熱源感知でシンは異族たちの状態を把握した。温度ごとに色違いで示される熱源感知モードは敵の死亡確認にも使いやすい。非常に便利な機能として彼は重宝している。

「だけど、異族に群れにしては数が少ないような気がする。もう二体くらい潜んでいるかも」

「熱源は他にないけどね。異族如きが熱源感知の範囲外から攻撃できるとは思わないな」

 コルテ大規模討伐戦ではそれなりに苦戦を強いられたが、それは近接戦であり、異常な共鳴によるバックアップがあったからだ。平素の異族であれば、シンの身体能力でも容易に倒せる。使徒ならば、また別だが。

「例え、使徒でも熱源感知範囲外じゃ――」

 そうシンが言い掛けた時である。

 ヒュン、と何かがシンの頬を掠めた。

 マナの矢だった。

「ほら………」

「……もう少し気を引き締めるとしよう」

 そうして、シンはアッキヌフォートを形成する。

 

 

 顔が見事に粉砕された使徒の死体をシンは踏みつけた。

「データを見直す必要があるな。〈ana(アナ)〉、コイツの射程距離は?」

『約千メートル。しかし、森の中でこうも正確な位置把握ができるのでしょうか?」

「位相融合前の生命体比較では無駄だが……確かに気になるな。よほどの計算能力があるのか、それともマナを使った特有の力があるのか……なんにせよ更に調査が必要だな」

 シンが左眼を瞬かせて独り言を言っているが、オティヌスは無視をする。

(聞いたところで、答えてくれなさそうだし)

 オティヌスは彼の奇妙な左腕についても聞かされていない。

 既存のスリロスも存在しないスリロスをも形成する黒の埒外。

 世界を旅してきたオティヌスですら小耳に挟んだことのない極大のアンノウンの正体は、彼女では推測することすらできない。

 ラグナロク教会の神話にある通り、キラープリンセスの元となった神器を生み出したのがユグドラシルの果実なら、シンの左腕はユグドラシル由来のものなのだろうが、

(そんな感じはしないし)

 ユグドラシル由来のものならば、マナの気配があって当然だ。マナの亜種であるキラーズの始源が神器。であれば、神器同様にユグドラシルが生み出したものはマナを持っているはずなのだから。

 しかしながら、シンの左腕からはマナの気配を感じない。感じないというのは、ほんの少しくらいなら感じ取れるという意味ではなく、一切感じないという意味だ。マナ含有率0の物体をユグドラシル由来だと考えるのは、強引以上に妄想が過ぎる。

 では、一体なんのか?そう再度自身に問うてみても、答えは出なかった。

(まるでこの世のものじゃないみたい)

 シンの左腕には親近感もあるが、同じくらい異物感がある。マナがないこともそうだが、それ以上に本能が理解を拒絶するような得体の知れなさがあった。

(何処かで見たようなきがするんだけどなぁ…}

 曖昧過ぎて輪郭を掴めない記憶へと、それでも深く潜りこんだ。

 得体の知れない恐怖がオティヌスを舐める。

 ただこれはキラーズの性か。北欧の大神、知識に貪欲な神に由来する彼女はほんの好奇心で恐怖を理解しようとした、してしまった。ぶらり、と旅に出る。そんな気軽さで。

「――ッ!」

 ズキリ、と頭痛が走る。

 頭が砕かれるような痛みに、体がぐらついた。

「くっ………!」

 オティヌスは両足を踏ん張って、なんとか倒れるの拒む。

 だが、ぐわんぐわん、という脳の揺さぶりは更に酷くなっていた。

「オティヌス!」

 シンに体を支えられると、途端に膝から力が抜けた。

 気が緩んだ、のではない。

(不味……い…!)

 体の制御がオティヌスの意識から外れた。

 意識の代わりに彼女の体を満たすのは、一つの衝動だ。

 それは、理性を食い破るようにて現れる獣性。

何もかもを破壊したくなる抗いがたい甘美なそれはオティヌスを狂的な快楽へと引きずり込む。

その快楽の名をオティヌスは知っていた。

(暴…そ……う!)

 キラープリンセス特有の自我亡失現象。

 しかし、何故?

 暴走が起こるのは、戦闘における過剰な高揚感が原因だ。確かに戦闘はあったが、高揚感を得るほどのそれではない。ただ矢を撃って、周囲を警戒するだけのルーチンでは流石のキラープリンセスでも高揚感を得ることはない。

 であれば、原因は。暴走の発端は何だったか?

「CMCシステム起動、調整(チューニング)!」

 シンの黒い腕が背中に押し付けられた。

 途端に跳ねるオティヌスの体。

「カハッ……!」

 血を吐いたような衝撃と共に、肺の中の空気が押し出される。

「ひゅー…ひゅー…」

 苦しそうに胸を上下に大きく動かして、乱雑な呼吸を繰り返した。

「ゆっくりで良い。だが、深く呼吸しろ」

 シンの言う通りに、乱れた呼吸を整える。息をするのは押さえつけられている肺を無理矢理膨らませるようで辛かったが、呼吸が整う頃には肺の圧迫感も弱くなっていた。依然として体に力は入らないが、それでも随分マシな状態まで回復している。

 そして、さらに驚くべきことが。

(暴走が治まった……?)

 暴走特有の破壊衝動はすっかり消え失せ、体の制御権もオティヌスの理性下にある。暴走の気が微塵も残っていないのだ。

 暴走の解消。全く以て信じられないが、現実として自身の体で実感している以上認めるしかない。

 やはりシンの黒い腕は異常だ。天上世界の常識を無視している。いや、むしろ彼がスタンダードなのか?天上世界の常識こそが歪められた認知なのでは?だって、sじkrたえjhpwpkそfgだfg―――

 ぬちゃり、とオティヌスの体を恐怖が舐めた。

 暴走する以前のそれと質は全く同じ。

「――――ッ!」

 さっ、と身を強張らせ、思考を止める。

 まとわりつくような怖気に吐き気と頭痛を感じながら、彼女は確信した。

 シンの左腕に触れてはいけない(・・・・・・・・・・・・・・)

 何故か、までは分からない。故にしこりが残るけれど、解消しようとすればまた得体のしれない恐怖がやってくる。

(気になるけど……)

 オティヌスはシンの問題については手を引くことを決断する。本当に気になるけど、また暴走をしたら元も子もない。

「くそっ、コルテでは大丈夫だったから油断した。一体何が原因だ?」

『左腕の記憶を引っ張りだそうとしたのでは?知識を得るためには、自己を顧みないオーディンならやりかねませんよ』

「オティヌスは学者的な面は持っていないと思っていたんだが」

 シンが左眼をちかちかさせて、誰かと話している。

 此処にはシンとオティヌスしかいない。だというのに、オティヌス以外の誰と話しているのか。

「オティヌス」

 『誰か』と話し終えたシンが唐突にオティヌスの名を呼んだ。

「何?」

「金輪際、俺について詮索するな、思い出そうとするな。目の前にいる俺をただ受け入れろ」

「……どうして?」

「…………………」

 沈黙があった。

 それは、つまり、

「言えないってことね」

「すまないな。こればっかりはお前には何もできない」

「良いよ。私だって暴走したくないからね。でも、その言い方だとレーヴァテインやエロースは何かが出来るみたいだけど、どうなの?」

「……………その通りだ」

 私と彼女達は何かが違うわけ、か。

 シンの答えを聞いて、オティヌスはそう思う。一体何が違うのかなんて、全然わかんないんだけど。

「何か厄介なことを抱えているみたいだね」

 出会ったときから、奇妙な人物だとは思っていた。

 その奇妙さの理由が、彼が抱え込んでいるものならば、そして触れることが許されないのならば、納得がいく。

 常識の埒外にある秘密を持った人物を、正道を行く人物だと認識できるはずがない。

 結局何も分らないままだ。いや、何もわからないままでいなければならない、ことがわかったか。

 ただ、でも、まぁ。

「信用してるよ」

 短い時間ではあったが、シンの人となりに触れた。彼は人格的に破綻しているわけでもなく、ごく当たり前の悲劇に憤れる、ありふれた人間だ。パートナーである気難しいレーヴァテインとも、それなりに良い関係を築いていると思う。少々卑屈、というか自虐的な面も見られるが、それを除けば人間として真っ当だ。

 だから、都合が合う限り、彼の手を振り払うことはしないつもりだった。

「意外だな。てっきり、ここでお別れかと思ったんだが」

「そんなこをはする気はないよ。不信感はるけど、シンは悪い人じゃないっていうのはわかってるからね。君は自分自身をもっと肯定した方が良い。君は君が思うほど悪い人間じゃないからさ」

 オティヌスの言葉にシンは首を竦めるだけだ。明らかにまともに取り合っていない。

(根は深そうだ)

 なんとかしたい気持ちはあるけれど、オティヌスには荷が重い。彼女は気持ちが沈んでいる人を持ち前の明るさで励ますことはできるが、シンのような人をどのように励ませば良いのかわからないのだ。

 幸福を諦めた人間の救い方を、オティヌスは知らない。

 もし彼を救える人がいるとすれば、それはきっと、

(幸福を諦め、しかし再び求めた人だけだろうなぁ)

 エロースであればどうだろうかと思うが、すぐに無理だと結論を出す。

 シンは自分の評価を自己完結している。他人の意見を聞き入れる気がない以上、誰が何と言おうと彼の心は動かないだろう。

「はぁ…」

 らしくもない溜息を吐く。

 そして仕切り直して、

「結局、君については何処までアタシは知ることができるの?匙加減がいまいちよくわからないんだけど」

「暴走する起点となるのは、忘れた記憶を再度思い出そうとする行為だ」

「じゃあ、何年か経って君について思い出そうとするのも駄目ってこと?」

「ああ、言い方が悪かったか。箸にも棒にもかからないほどに思い出せないことを、無理矢理思い出そうとすると、だ。記憶を深く探ろうとすると、暴走が開始する」

「どうしてそうなってるの?」

「……さあ?」

 オティヌスはシンの気の抜けた返答にこう思う。

(嘘半分、真実半分って所かな)

 否定であれ肯定であれ、シンの発言は断定を含んでいた。曖昧な返事なのは、隠し事をしていることの表れだ。

 深く話さないのは再度の暴走を誘発させないためか、あるいはシンの抱える事情に巻き込まないためか。兎にも角にも、詮索しないことがお互いにとって良いだろう。

「今日は此処でキャンプにしようか。あんまり無理するのはよくないし」

「アタシは大丈夫だから、早く晶化病の元凶を叩こうよ」

「やめておいた方が良いよ。私の技術で暴走を抑え込んだけど、体調自体は芳しくないはずだ。普通の暴走と違って、お前のは根が深い。甘く見ない方が良い」

「でも、村の人が……」

「生憎と私は博愛主義者じゃない。お前を切り捨ててまで、見知らぬ誰かを救うつもりはないよ。それに、お前が居ないことで元凶の破壊が出来なかったらどうするつもりさ。さっきみたいなことが起きないという保証はないんだから」

 そう言われてしまえば、オティヌスも矛を収めるしかない。仕方なく彼女はシンの説得を諦める。

 シンは少し汚れの付いた白衣を丸めて枕とし、オティヌスは其処に寝そべらせた。そして、天上世界では考えられないほど高性能な携行の迷彩柄の簡易テントを広げると、一気に組み上げる。

「手慣れてるよね。君、あんまりアウトドアな感じがしないから意外だった」

「まぁ、昔色々あってね。否応なしに身に付けざるを得なかったんだよ」

 メキシコシティ奪還戦がなぁ、とぼやいているがよくわからないし、知らない方が良いので無視をする。

 空を見ると、日が落ち始めていた。西の空が朱に染まりつつある。透明な青に夜の暗が落ち、欠片のような煌めきがポツポツと灯っていく。

 緩やかに夜が近づいてくる。

 シンは松ぼっくりを火種にしてたき火をたき、暖を取る。温暖な気候の天上世界でも、流石に夜は冷える。たき火なしにはすごせない。

 完全に日が没する頃には、オティヌスも復帰した。二人、たき火を挟みながら持参の干し肉やら乾燥した硬いトルティーヤ――ともろこしを練ってつくった物――をかじる。

「そういえば」

 オティヌスがこう切り出した。

「異族の襲来でうやむやになっちゃったけど、創世戦争について知りたいんだったよね?」

「ん?あ、そうだった。色々聞きたかったんだよ」

 シンは口にほおばった干し肉を咀嚼して、呑み込むと、

「創世戦争最初期以降について詳しく聞きたくて」

 創世戦争最初期というと、ユグドラシルからキラープリンセスの前身となる神器が生み出されて始まる悪魔との闘争のことだ。

「それ以降となると……」

「ああ、二十五人の白と黒の大悪魔の登場だ。あれだけが、どうにも解釈できないんだよ。創世戦争最初期は納得がいくんだけどね」

 ラグナロク教会の神話を綴る聖宣書にはこう書かれている。

 

 人々が神器の力を持って抵抗を始めてから、多くの血が流れ、多くの涙があった。しかし、それらを礎に人類は確かな復権を成し得ていた。人々がかつてを取り始めたとき、空より白と黒の光が大地に突き刺さる。現われしは、二十五の白と黒の大悪魔。怒りを以て現れた大悪魔は人々に再び絶望をもたらした。けれども、人々は抵抗し、神器を手に戦い続けた。やがてその姿に感銘を受けた一柱の大悪魔が人々と手を結んだのである。(聖宣書 第二章 第一節 第二節 第三節)

 

 大悪魔が出てくる唯一の記述である。この三節以降、大悪魔の記述は曖昧だ。討伐された白の大悪魔は六体だとか九体と言われているし、黒は七体もしくは十体討ち取られたと言われ、大悪魔全てが人類についた大悪魔に吸収されたやらで、正確性を欠く。ただ討伐された逸話がある以上、確実に白と黒の大悪魔は何体かは殺されているとされる。

 大悪魔登場から人類の復権までの流れは戯曲や詩の題材で人気な部分だ。オティヌスが知る歌にもあるし、それから、オティヌスが旅したごく一部の地域では、悪魔信仰という異端がこの話を元に生まれている。   

「私が呑み込めないのは、二十五の大悪魔の部分だ」

「天から降りて来たってやつでしょ。大分脈絡ないよね」

「ちなみに聞きたいんだけど、オティヌスは創世戦争に参加してたの?」

「うーん、あんまり記憶にないかなぁ。随分昔の話だし」

 戦っていた記憶はある。ユグドラシルの根元、現在の王都を拠点として多くのキラープリンセスと肩を並べてお押し寄せる異族と戦った。そんな漠然としたイメージなら、思い出せる程度ではあるが。

「随分昔って言うけど、どれくらい昔なんだ?」

「それは分からない」

「分からない?」

 シンは怪訝な顔で言葉を疑問としてそっくり返して来た。

「どういうことだ?天上世界にも暦はあるだろう?」

「ないわけじゃないんだけどさ。正確じゃないんだよね。地域ごとでまったく違ったりするし」

「共通の暦がないってことか?」

「そういうこと。どっかの博士が研究してたっぽいけど、教会で処刑されたみたい」

「処刑……どうしてだ?」

「私も噂で聞いたことがあるだけだから、よくわかんない。でも、確か異端認定されてたよ。悪魔に手を貸した、だったような気がする」

「意味不明だな」

「それには同意」

 一度、干し肉を咀嚼して、

「とりあえずずっと昔って思ってくれればそれでいよ」

「なるほどなぁ………それで悪魔については何か覚えていることはあるか?」

「全然覚えてないかなぁ。だから、二十五の大悪魔が本当に降りたかどうかに結構アタシは懐疑的なんだけど」

 つまり、

「教会側の創作なんじゃないか、とアタシは思う」

「ナチュラルに危険発言するのな……教会が聞いたら一体何をするやら」

「シンとだったら問題ないかと思って」

「まぁ、実際私は気にしないんだけど――それで、何でだ?どうして創作だと思う?」

「悪魔信仰が異端だからだよ」

 オティヌスはこう考える。

 聖宣書通りならば、悪魔信仰こそが正しい信仰の形になるのではないか、と。

 衆知の通り、ラグナロク教会の宗教はユグドラシルが人類に与えた神器を崇拝する宗教だ。その教義に人類に手を貸した大悪魔をあがめる教義は一切存在しない。むしろ大悪魔をあがめることは異端とされている。

 奇妙なことだ。何せ最後の最後で人類を救ったのは人類に寝返った大悪魔である。人類復権の実質的な立役者は神器よりも大悪魔というべきだ。その大悪魔が寝返らなければ、人類は滅ぼされていただろう。  

 そんな重要な立ち位置の大悪魔をあがめる教義が教会にないのか?何故悪魔信仰が異端とされるのか?

「実際に大悪魔がいたんだったら、もっと教会での扱いが違うと思うんだよね。少なくとも異端にはなってないはず。だから、アタシは大悪魔を教会の権威づけを目的とした創作物だと考えてる」

「意外に論理的だな……!」

「馬鹿にしてるよね、それ」

「いや、オティヌスは感覚重視なイメージがあるからなー」

「言い訳になってないから。絶対馬鹿にしてるでしょ!」

 オティヌスは半目になりながら、

「まぁ、創世戦争で実際に起きたとは考えづらいね」

「だけど、神器信仰で一本化している教会からすれば、人類を救った大悪魔は異端を生み出す温床とならないか?だったら創作物として登場させ、権威付けとするにも無駄が多い気もするよ」

「うーん……でもさ、大悪魔登場後にキラープリンセス(アタシたち)登場でしょ?人類に寝返った大悪魔をキラープリンセスを統括する特別な権力の象徴と考えると納得がいくと思う。そこらへんは王族との政治的な対立が見え隠れしてると考えれるかな」

 そう言いきって、オティヌスはふっ、と息を吐いた。水筒に口を吐け、口に水を含む。

 少々長く話過ぎた。乾いた喉を潤して、固い干し肉にかぶりつく。

「まぁ、神話の言うことはあんまりあてにしない方が良いと思うよ。誰かに恣意的に編集されている可能性もあるし」

「お前、なんだかんだで鋭いよなぁ」

「だから何なの、その物言い!」

 なんでもないなんでもない、と白衣の男はどうでも良さそうに返す。

 とりあえず、むかついたのでパンを奪ってやった。

 

18

 深夜。

 小さなたき火が森の中で仄かに輝いていた。

「火が弱くなったか」

 そう言って、薪を足すのは夜の番を務めるシンだ。日中に集めておいた木や松ぼっくりを適当に火に放る。

 パチパチパチッ。

 乾いた破裂音と共に炎が弾けた。踊る炎の端から、投げ飛ばされるようにして小さな火花たちが空へと舞い上がる。

 火花を視線で追うようにしてシンは夜空を見上げた。

 天上では星が瞬いている。ちかちか、と大気の流れで揺らめく光が儚い。人工の光がないこの世界では、街であっても星空を見ることが出来た。

 空は何処とでも繋がっているのだ。ふとそんなこと思う。

「過去とも繋がっているのだろうか?」

 星座がわかれば、確認しようがあるものを。

 生憎と、シンは星座に明るくない。この手の話はマックが詳しかった。暇があれば、偶然居合わせたキラープリンセスや仲間と共に研究所の外に繰り出して、天体観測をしたものだ。異界存在が現れて、人類が絶滅の憂き目にあっても、星々は変わらず輝き続けた。当然だ。異界存在が現れようとも、所詮は広大な宇宙で起きた些事。一つの惑星で起きることなど、何万光年も離れた星々にとっては関係のないことでしかない。

 星々が寿命を終えるまで、どんなことが自分の身に起きようとも星空は普遍だ。

 だから、なのかもしれない。

 何もかもが変わり、零からの再起を図る今、過去との繋がりを求めてしまうのは。

 これは逃げだ。自分の失敗に対する逃げだ。

 変わらないものがあると知れば、失ったものに対する悲しみが和らぐ。喪失という変化によって傷つけられれば、無変化こそが慰めとなる。

 失っても変わらぬ物から過去との繋がりを得られれば、失う前との確かなつながりを自覚できるのだから。

 だから、俺は――

「星に願ってしまったのだろうな」

 だけど、それは、

「甘えだな」

 くくく、と卑屈に笑う。

 いくつもの要素が絡み合ったとはいえ、つまるところこの結末はシンの責任だ。彼には責任を果たす義務がある。

 罪人が罪を忘れることは許されない。

 絶対に。

 シンはオティヌスが眠っていることを確認し、左のこめかみを強く押す。

『こんばんは、あの後オティヌスはどうなりました?』

「委細問題なし。調整(チューニング)でことなきを得た。一応言い含めておいたから、これからも過去のことを詮索することはないだろう。わざわざ危険に首を突っ込むような馬鹿でもないし」

『それでは、創世戦争の方は如何でした?随分と気にしておいででしたけど、得られる物はありましたか?』

「一応はな。ただオティヌスは創世戦争のことをあまり覚えていないようだった。それがいつ起こったのかもだ」

『何故です?』

「天上世界共通の暦がないからだそうだ。時間が計れないんだと」

『教会は何故作らないのでしょうか?いえ、違いますね。作ってはいる(・・・・・・)のでしょうけど、何故発表しないのでしょうか?』

「わからん。表向きの理由は『悪魔に手を貸さないため』となってるようだが、意味不明だ」

 過去の遺物たちからすれば、この点が疑問だった。実際暦が統一された方が統治には便利だと思うのだ。江戸時代、天皇側と幕府側の使用する暦が違ったために無用な諍いが生まれた事例があるように、行政の行き違いを防ぐためにも統一の暦があったほうが便利なのである。

「そんな不便を持っても暦を共有しない理由は一体何なのだろうか?」

『何にせよ、情報が少なすぎますね。精査するのはもう少し後でよろしいか、と。大悪魔の方はどうなんです?』

「此れと言った情報はなし。ただオティヌスは大悪魔のくだりを創作だと考えているらしい」

『まぁ、神話なんてそんなもんでしょう。むしろ信じるほうがおかしいというものです。私としては、どうしてそんなにも気に掛けられるのが疑問なのです。一体何を根拠に創世戦争が事実だ考えているので?』 

 〈ana(アナ)〉の真っ当な疑問に、シンは「いいか」と一言断って、

「聖宣書の第一章を覚えているな?」

『ええ、神器がユグドラシルの果実から現れて悪魔を追い払う術を人類は手に入れた云々というところでしたよね。それが何か?』

「あれは異界存在との闘争の隠喩だ」

『………!』

「感情表現が豊かで話し手としても嬉しいぞ」

 なんのことなくそう言うシンの反面、左眼の人工知能はややってこう答えた。

『ユグドラシルの果実が対異界存在兵士(キラープリンセス)の培養器で神器は対異界存在兵士、そして悪魔は異界存在である、とそう推測するのですね!』

 その通りだ、とシンは首肯する。

 対異界存在兵士の培養器はその有様からチェリーと呼ばれていた。これで果実という隠喩が成立する。果実から出てきた神器というのも、培養された神話の武器の名を冠するキラープリンセスを指しているとみて間違いない。異界存在を悪魔とするのも、過去において奴らが悪魔と呼ばれていることを考えれば納得がいく。加えて、人類の敵に対する武器の確保という描写だ。実にらしい(・・・)。計画派になった研究員はただ一人を除いて、キラープリンセスをあくまで人型兵器として見なしていた。キラープリンセスを物として教会の神話に組み込んでいる時点で、教会中枢の計画派が聖宣書の編纂に関わっていると見て間違いない。

 つまり、あくまで聖宣書の第一章は過去の事実を元に描かれているわけだ。

「創世戦争。そう呼ばれる神話上の戦争は過去と、位相融合直後に起きた混乱をひとまとめにしたものだと俺は仮定している」

『第二章以降は創作と、そう言い切ることもできるのではないですか?』

「逆に聞くが、計画派に宗教神話を書けるほどの創作力があると思うか?」

『……ないですな』

「だろう?」

 会話用記録文をわざわざ引っ張り出してきたのは納得の表現か。

 〈ana〉の同意を得られたのは何よりだが、しかしシンとて仮定の正しさに確証を得ているわけではない。

「オティヌスが覚えていればよかったのだが」

 アンナの言によれば、オリジナルであるシンに同行するレーヴァテインは創世戦争に参加していない。彼女にも確認したが、やはり同じ解答だった。故にオティヌスから話を聞いて、自身の仮説を確かなものにしたかったのだが、彼女は覚えていないという。正直な気持ちを言えば、残念だと言うほかない。

(記憶の喪失というのは気になるが、今論ずるべきではないな〉

 シンは自身の仮説の不備を口にする。

「ただ完全に創作という線もないわけではない」

『と言いますと?』

「やはり一番は白と黒の大悪魔だな。白と黒は、相反する二つの魔術概念、セフィロトとクリフォト。二十五はキリスト教の十二使徒を白と黒の分で二倍、それに裏切りのユダを一人加えたってところだろう。大悪魔たちを裏切って人類側に着いたという逸話もあるから、創作をするならそこを参考にしたと考えるのが妥当だな」

『セフィロトはともかくクリフォトなんてよく知ってますね』

「俺は杉山義弘の思想に一部共感してるからな。世界最後の魔術師なんてオカルト染みたことを言われた彼の著書もいくつか読んでる。その流れでオカルト知識をある程度は知っているよ」

『やたら作品の設定分析をする創造主のオタク話にもついていけるわけですね』

「いや、あれはマックの話に付き合ってたら、自然と身に着いていただけだ」

『(´・ω・`)』

 何故『しょぼん』とした顔文字を出す。

「まぁ、聖宣書の編纂者が計画派であるとは限らないのだけどな。それっぽい下地を作って、誰かに作らせただけかもしれないし」

『じゃあ、創作の線も全然あり得るじゃないですか!』

「その通りだ。けどな、一つ消化しきれないことがあってだな」

『なんです?』

「使徒だよ。あの得体のしれないマナ生命体」

 天上世界では、異族の上位種と考えられる使徒は、しかし真実は異族とはまったくの別種である。異族は位相融合に伴って起きてしまった異界存在と人間の融合生命体であり、使徒は天上世界由来のマナで構築されている生き物。天上世界由来の、人類が元々の天上世界の位相にやってくる前にいた在来種たちである。

 それを踏まえてシンはこう考えるのだ。

「第2章で語られる創世戦争とは、位相融合直後に起きた使徒と人間の生存競争のことを指すのではないか?」

 外来種(人間)在来種(使徒)

 生存圏を同じくする二種は互いに互いの存在を許容しない。

 弱肉強食。どこまでも平等な自然の法則による生命淘汰。

 それが創世戦争と名付けられた黎明の争乱、その正体だと、シンは推測している。

「使徒にも謎が多い。異族のように人類の捕食を目的とせず、明確な殺意を持って人類に牙を剥く異形であることしか俺達は知らない。だが、生きているのは確かだ。生息圏に現れた侵略者に対して抵抗するのは当然だろう」

『では二十五の大悪魔というのは、使徒の中でも協力の個体たちの総称ですか。そして寝返った大悪魔というのは、きっと計画派が捕獲した個体でしょうね』

「おそらくな。マナ操作術としての魔術もその個体からヒントを得ているのかもしれない。生物実験は生物学者の基本実験だし」

 シンは一本の薪をたき火に投げ、足した。

 落ちた勢いで芯まで燃えた木が崩れ、灰が小さな火花たちと共に舞い上がる。

「けほっ、けほっ」

『馬鹿なのですか?』

「いや、ぼーっ、してたけだ――しかし、どうしたって創世戦争についてのあれこれは仮説の域を出ないな。確たる証拠がない」

『覚えているキラープリンセスから直接話を聞ければ良いのですがね』

「まぁ、記憶を持っているキラープリンセスにも旅の途中で出会うだろう。創世戦争についても、必要な情報ではあるが、決して急ぎというわけでもないのだし」

 大悪魔が一体なんであれ、そうそう遭遇するものでもないだろう。聖宣書の記述は曖昧だが、白も黒も半数以上は確実に討伐されている。生き残った大悪魔も天上世界の方々に散っているとのことだし、創世戦争の記述がノンフィクションであったとしても、大悪魔の存在は頭の隅に置いておくくらいでも良い。

 だから。

「気にはなるけど、時間を割く必要もない。気に掛けるのは個人的な興味だ」

『だったら打倒計画派のことだけを考えてくださいよ。時間の無駄じゃないですか』

 〈ana〉の指摘に、違いない、とシンは苦笑まじりに答える。

 夜は更けていく。〈ana〉の時計によれば、今は日付けが変わったくらいだ。

 過去においては人工の光に溢れ、深夜であっても明りはあった。しかし、現在はLEDも電球もない。火が落ちれば、真っ黒な闇が世界を支配する。

 光源と言えば、シンの目の前で揺らめくたき火くらいだ。

 ちろちろ、と蛇の下のように夜を舐める炎を見つめて、彼はこう思う。

 それは。

 

「レーヴァテインは俺が出立してから何をしているのだろうな?」

 

 

  

 

 

   

 

 



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ep.08 怠惰の本質

いつロストラグナロク編を書けるのか、と更新ペースの遅さに悩む最近です。原作準拠も始めようと思ってるのに…


19

そよ風が樹上を流れていく。

 腰下まで伸びる長髪の先を揺らす程度の優しい風を受けて、レーヴァテインは枝の腰掛け、幹に体を預けながら思わずこう呟いていた。

「……暇」

 あの男が出立して、はや三日。レーヴァテインは致命的なほどに暇だった。どれくらい暇とか言えば、太陽が昇ってから、沈むまで寝続けても何も問題ないくらい暇だ。

「……やることなんてないし」

 基本、レーヴァテインの行動指針はあの男にに依る。あの男が厄介を抱え込み、それを同道するほかないレーヴァテインも一緒に解決していく。そういう方針だ。

 実際めんどくさいことこの上ないが、レーヴァテイン自身が敵対者である計画派の狙いなので、あの男との同道は仕方がない。あの男が死んでもらっては困る。まだ計画派に捕まっていないオリジナルの説得やその統率が出来るほど自身のコミュニケーション能力が高くないことをレーヴァテインは自覚していた。

 そして勿論、単騎で乗り込んで計画派に勝てるわけじゃないことも。

 面倒事に巻き込まれるか、自由を束縛されるか、と問われれば、レーヴァテインは前者を選ぶ。

 幾度もした選択ではあるが、やはり反復しておかなければならないだろう。

「……だけど…勝てるのかしらね」

 レーヴァテインは思案する。

 彼女には懸念があった。それは計画派と敵対する以上どうしてもついて回るものであり、あの男と同道するからには目を背けられない現実だ。

 突きつけられている問題の正体は、戦力差だ。

 枢機卿―――計画派なる一派はコルテ大規模討伐戦の最後に核爆弾を用いてコルテを吹き飛ばした。そしてあの男が言うには、計画派は国際連合異界存在研究機関が過去に保有していた兵器のほとんどを持っているという。

 重火器類は勿論こと、数台の戦車に地対空ミサイル数台、そして何より忘れてはならないのが、自律型ロボット兵器群だ。

 それらは第三次世界大戦に初めて戦闘投入され、対異界存在兵器としてキラープリンセスが生まれる前から運用されていたものである。一つのマザーコンピューターを通じて数十機の人型機械兵器を同時に動かすという代物だ。

 原形は二十世紀後半に世界を混乱させた杉山義弘の武装である。大分彼のそれと型落ちしているのは否定できないが。

 あれらが敵となると厄介ではある。そもそも対異界存在兵士(キラープリンセス)と自律型ロボット兵器群では相性が悪い。対異界存在兵士が製造された理由は、別位相下で長時間の活動が出来ない人間の兵士や自律型ロボット兵器群の代わりだ。戦力的に優れていたからではない。

 一対一で対峙すれば、確実に死ぬ。自律型ロボット兵器群といはそういう相手だ。

(……手はあると言ってたけど……)

 通用はするが、届くかどうかが微妙だ。まぁ、あの男は二回目の位相融合――つまり天上世界とかつての世界が融合する前に置きた、楽園計画(プロジェクト:エデン)を巡る戦いで自律型ロボット兵器群を相手に立ち回ったというから、可能性はあるのだろう。あの左腕の力もあるのだし。 

「……………」

 思索を止めて、レーヴァテインはそっと目を閉じた。

 いつもだったらすんなり眠りに落ちるが、今日は違う。

 眠れない、わけじゃない。眠ろうと思えば、眠れる。そういう自負が彼女にはある。伊達に暇さえあれば、眠る生活をしていたわけじゃない。体に負担なく、しかしいつでもどこでも眠れる術を身に着けている。

 だから、なぜ眠れないかの答えは単純だ。

つまり今は眠りたくないのである。

 あまりにも暇すぎて、二日間何もしなかったせいだろうか?野良時代は二日程度何もしなくとも眠れたが、あの男が出会ってからは随分と忙しい日々を送ってきたように思える。長距離移動に一万体の異族討伐と、野良時代に比べればかなりアクティブだ。おまけに――これが一番だとおもうのだが――いつも他人が近くにいるのがいけない。なんとなく気が張っていた。そんな自覚がある。

(……慣れないことはするもんじゃないわね)

 けれど、こういうことがこれからも続いていくのだ。厄介だ。逃げたい。いや、逃げられないけど。

 やはり現状を一言で表すならば、

「……面倒」

 生真面目な奏官が聞けば噴飯ものだろう。顔を真っ赤にして怒るに決まってるが、馬鹿じゃないかと思う。

 『面倒』とは、厄介をやらないと言う意味ではない。

 やる気はあるのだ。『面倒』と思った時点では、既に自身の中ではやることが決定している。『面倒』と思えているのだ。それは厄介を実行する気がなければ抱けない感想である。

 やる気がないならば、「やらない」と言っておしまいだ。

 厄介を抱え込んだからこそ、『面倒』なのだ。やる気がないのに、抱え込む人間はいないだろう。

 「面倒」とは諦観である。気が進まない厄介を抱え込むしかなかったことへの。 

 人は逃げられない現実を「面倒だ」と飲み下すことで自分を誤魔化しながら生きていく。

 そうしなければ、人生辛くて生きていけないだろう。

 だからこそ多くを抱え込むエロースは変わっているとレーヴァテインは思う。

 今拠点としているネイシャ宅、そちらを見ればエロースがネイシャを甲斐甲斐しく介護している。

 レーヴァテインには、彼女がそこまで動く理由がわからない。

 きっと自分だったら、

(……見て見ぬふりをするでしょうね)

 残酷なようだが、それが最も現実的だ。おそらくレーヴァテイン以外のキラープリンセスの多くが同じ手を取るだろう。

 助けもなく、体が自由に動くわけでもない老婆に対して、社会的に差別されるキラープリンセスが何を出来る。

 医療の心得があるわけでも、食料を得るための貨幣があるわけでもない。

 ネイシャを別の街に移動させる?無駄だろう。晶化病という異質を抱えた老婆を人間が受け入れるはずもない。

 キラープリンセスに出来るのは、精々戦うことだけだ。

 きっと手を差し伸べてしまえば、こちらも疲弊する。そして、挙句の果ては共倒れだ。

 自己犠牲の献身は善ではない。自分の命は自分のために使うべきだ。もし他者のために自分を捧げれば、自分に対する責任を他者に強制的に負わせることになる。それも善意の押し付けという最も糾弾しにくい結果によって。

 人間は可能な範囲の他者を助けられれば、それで十分だ。自分が負わなければならない自己に対する責任を他者に押し付けるなど、あってはならない。

 そして、エロースがそんなことをわかっていないはずがない。

 だとしたら、どうしてネイシャを助けるのだろうか。

「なんで手を貸すんだろうね~。彼女は」

 レーヴァテインの内心の疑問に呼応するような言葉があった。

 それもレーヴァテインの真下から。

「――っ!」

 反射的に警戒し、気から飛び降りた。

 声の主を見ると、

「はろはろ~」

 と気だるげな声が返ってくる。

 べルフだった。

(気配がなかったわよ…!)

 足音すら、聞こえなかった。

 近づいてくる姿もなく、レーヴァテインの知覚において、彼は過程を無視して現れた。

「貴方、何者?」

「君の見た通りさぁ。それ以上でも、それ以下でもないよ」

「見た通りには思えないんだけど」

「そう見えるならば、そうなのかもねぇ。まぁ、どうでも良いけど。とりあえず、登ったら?警戒なんて、するだけ無駄だよぉ」

 そう言ってべルフは大きな欠伸をする。

 隙だらけの彼の様子に敵意はないし、身を震わせるほどの害意もない。

(……少しぼーっとしてただけかもしれないわね)

 眠ろうとしていた矢先の出来事であったために、感覚が鈍っていただけなのかもしれない、と結論づけて、再び樹に登る。

「暇そうだねぇ」

「……実際暇なのよ……厄介事を持ってくる奴もいないし」

「なるほど、君の行動基準は彼なわけだ。随分依存しているようにも見えるけどぉ?」

「……同道する理由があるのよ……理由さえなければ…さっさと気楽な一人生活に戻る」

「結構、怠惰なんだねぇ。いや、レーヴァテインは基本的にそうか」

「……レーヴァテイン(わたしたち)について知ってるの?」

「多くのキラープリンセスについて、良く知ってるだけさ。それなりの縁があったから」

「……元奏官?」

「違うよ。そんな良好な関係ではないさ。もっと別のろくでもないものだね」

 そういう割には、彼の声に嫌悪の色はない。気楽な、より正確に言うならばどうでも良さそうであった。

 随分と、彼は浮世離れした感がある。いつも気だるげで、自分を切り離して世界を見ている。

 当事者意識が薄いというべきだろうか。否、若干違う気がする。

 彼は世界に冷めている。それが一番しっくりくる表現だ。

「それで?」

「……何よ」

「いや、何故エロースは手を貸すんだろうねって話ぃ。君も疑問に思ってたんじゃないの?」

「……まぁ…ね」

「実際、あの()、君たちが来るまで、結構カツカツだったんだよ」

「……世話されてる…貴方が言うべきじゃないわね」

「俺だって好きで世話されてたわけじゃないしぃ。なんかネイシャが来てから、あの家捨てて外で暮らしてたのを、半ば無理矢理世話させられるようになっちゃったんだよ」

「……らしいわね」

「だろ?で、二人の厄介者を抱えることになった彼女は結構大変なわけぇ。彼女は金髪だから、キラープリンセスじゃなくて人間として見られることが多くてね。多少は良かったんだろうけど、それでもギリギリだったね」

「……で…私より長く彼女といた貴方には理由がわかってるわけ?」

「いいや、全然。俺は怠惰な奴なんだよ?働き者の気持ちなんてわかるわけないだろ~」

 聞いた私が馬鹿だった。

 大げさに溜息をついて、レーヴァテインは目を閉じる。

 今度はよく寝られそうだ。べルフとかいう退屈な奴がいるおかげで、『べルフとの会話を拒否するため』という理由ができた。おかげで躊躇わずに済む。

 意識を自身の奥深くへ。闇に浸すように奥深く。

 眠りの波に体を委ね、風の心地に気分を委ねる。

 何をべルフに言われても、一切を無視すると決めていた。

「ねぇ、レーヴァテイン。君は怠惰が生まれる理由を知ってる?」

 しかし、彼の問いに思わず目を覚ましていた。

「……知らない」

「怠惰とはね。諦めから生まれるんだよ」

 それは、どういうことだろうか。

「人間はね。どうしたって自身が保有する可能性の中でしか生きられない。自覚的にも、無自覚的にもだ。例えば、世界には明日何をするか決めている人もいるだろうし、決めていない人もいるだろう。だけどねぇ。『明日自分が生きている』という確証を得ている点では、両者とも変わらないんだ。つまり、こう言いかえることも出来るわけ。『明日自分が生きている』という可能性の中で生きている、と」

「そう…ね。人は先が続くことを前提にして生きてる。それ以外にも、何を成すにも必ず『成功』の可能性を捨ててはいないわ。そして、日常の中で、その無自覚の心の動きに気づいている人は少ない。むしろ、日常であれば可能性ではなく必然として見ている場合ばかりよ」

「その通り。可能性に生きている、もっと言えば可能性に溺れていると言ってもいいかもしれないねぇ。苦しみを通り越して、何も感じないくらい麻痺しているんだからさぁ。絶対なんて有り得ない。それを人は忘れすぎている。思い出すのは、失敗の可能性が見える時だけ」

「でも、仕方がないでしょ。だって、日常は人々にとって確約されたもののように見えるもの。まず可能性として考えることはしないはず。日常なんて、だからこそ当り前なんて言うんだから」

「だけど、当り前なんて幻想だよねぇ。絶対なんて、有り得ないんだからさ」

「くどいわよ」

「はは、ごめんね。ただ可能性は人が無意識の内に生きる前提になっていることは分かるよね。絶対が有り得ないのなら、あらゆる全ては可能性でしかないんだから」

「で、さっさと本題」 

 無駄に話が長い。あと、有り得ないくらい饒舌。キモい。

「うん、で怠惰な人間っていうのは、言うなれば可能性を放棄した人間のことなんだ」

「可能性を放棄した?」

「その通り。怠惰とは主体が行動を否定している状態だ。つまり、ただ可能性にないただ一つの停滞を選ぶ。停滞は可能性ではない。停滞は現状維持でしかないから、現状維持は無変化だから可能性ではないんだよ。選択肢の一つではあるけどね。じゃあ、何故現状維持を選ぶのか?それは諦めているからだ。可能性を、可能性の選択を。これが怠惰の理由、怠惰の本質だよ」

「現状維持の可能性は有り得ないのね。あくまで可能性は変化だと、貴方は言うわけ」

「その通りだ。死体が保有する可能性はある?ないよね。死体はそこで完結している。死体に可能性はあるけど、死体が保有しているわけではない。死体の外にいる他者が保有しているだけだ。死体が保有しているとは言い難い。だからだよ、俺が現状維持を可能性に含めないのは。現状維持の選択を続けるのは、死んでいるのと同じだよ」

「でも、体がだるいから何もしないって人もいるじゃない」

「それには明確な理由があるじゃないか。『体がだるい』って理由がね。それに一時的な場合でしょ?それは怠惰とは呼べない。ただ、理由があって辞めただけだ。本当の怠惰っていうのはね、恒常的なものなんだ。一時の行動の否定は諦めじゃない。ただやらなかっただけ。やらなくなったとは違う」

 そしてべルフは一拍置いて、こう言った。

こちらを見透かすような感情のない瞳で、見つめながら。

 

「怠惰な君は一体何を諦めたんだろうね?」

 

20

「止まって」

 先を行くオティヌスがシンを引き留めた。

「どうしたの?」

 シンの問いかけを無視して、オティヌスはスリロスのボウガンを構えた。

 そしてマナの矢を近場の樹に向かって射る。

「よし」

「どうしてそんなこと」

「ちょっと気になっただけ。ほら、行こう!」

 そう言って、彼女はさっさと先に行ってしまった。

 小声で〈ana(アナ)〉に問う。

「異族か?」

『いえ、その気配はありません。彼女がああしたのは、多分アレのことじゃないかと」

「アレ?」

『確証がないので今は伏せておきましょう。混乱を招きたくはありませんし。ですが、可能性としては高いかと』

 結局誰も教えてくれそうにないので、諦めたシンは肩をすくめる。

 川の上流を目指して、一週間ほど経っている。森はいっそう深くなり、険しい道も増えてくる。キラープリンセスと生物的改造人間の二人の移動速度を考えれば、もうそろそろ晶化病を引き起こす原因があってもおかしくないはずだが、いっこうにそれは姿を見せない。どんな姿をしているのか、どんな形を取っているのか。そんなことすら不明だが、マナの扱いに長ける弓のキラープリンセスのオティヌスと科学者のシン、そして世界最優の天才に作られた人工知能〈ana〉が居れば、科学系であれマナを使ったものであれ、見抜けないなんてことはないはずだ。

「しかし、随分と遠くに来たね。レーヴァテインたちは大丈夫だろうか」

「大丈夫でしょ。食料も君が買って来たトウモロコシがあるし」

「トウモロコシだって保存に向いてるわけじゃないじゃん」

「それは大丈夫。ちゃんと良い保存方法を教えたからさ」

「良い保存方法?」

「トラシュカリって言うトウモロコシの粉末で作ったパンを作るの。それを干して、水気を飛ばせば長期保存も可能になるわけ。前、立ち寄った村で教わったんだー」

「トラシュカリ……トウモロコシのパン……ああ、トルティーヤのことか」

 確かメキシコの伝統的な料理だったはずだ。タコスの具を挟んでるパンだったけか。何故か神話や伝承の記憶を持つ対異界存在兵士をカウンセリングするにあたって、世界中の神話と伝承を調べ上げたため、メキシコの文化の根底にあるマヤ・アステカの文化にもシンは詳しい。

 しかし、シンには、正直な所、メキシコにはあまり良い思い出がない。

「メキシコシティ奪還戦…」

「何それ?」

「気にしないでくれ」

 あれはほんとに酷い戦いだった。

 戦地にキラープリンセスと二人きりで取り残され、異界存在との連戦が日常。

 たった五日間のことであったが、地獄だったと断言できる。

「あれはなぁ」

「何か一人で渋い顔してないでよ。わけわかんないアタシの身にもなって」

 そんなこんなで二人は進む。時折雑談を交わしながら、異族と遭遇することなく川沿いを行く。

 一時間後くらいだろうか。それが現れたのは。

「……やっぱり」

『やはりそうでしたか』

「は…?」

 それを目にした二人と一機の反応は二つに大別できる。

 オティヌスと〈ana〉は納得したように頷き、シンは驚きのあまり目を見開いていた。

 二人と一機の足を止めたもの、それは、

「マナの矢の傷跡…?」

 一時間前、オティヌスが木に付けたものと同じ形の矢傷であった。

「俺達一直線に進んでたよな?」

「道が曲がってたりもしてなかったよ」

「じゃあ、なんでお前がつけた矢傷がある!」

 有り得ないのだ。そんなことは。

 折り返したわけでも、分かれ道があったわけでも、道が曲がっていたわけでもない。

 ただただ真っ直ぐ前に進んでいただけだ。なのに、どうして通り過ぎた矢傷が今目の前にある。

 オティヌスは言った。

「多分空間が繋がってるんだよ。前見たことがある」

「そんなことがありえるのか?」

 空間を繋ぐ。シンには意味が分からない。何が空間を繋げているのか、そもそもどういった原理を利用しているのか。地点Aから地点Bへ物品を移動させるテレポーテーションくらいだったら、実用段階には至らなかったが理論は存在したために、まだ理解は及ぶ。けれど地点Aと地点Bを繋ぐなんて技術は受け入れがたい。

「オティヌスは空間が繋がる事例を知っているのか?」

「一個だけ知ってるよ。昔の話なんだけどさ、人外域ワスレナ――つまりはコルテがあった冥花繁殖帯の外の奥にある『海』に行こうと思ってたんだけど、今回みたいに気づいたらワスレナの外に居たんだよね。真っ直ぐ進んでいたはずなのに」

「じゃあ、天上世界では絶対ないとは言えないわけか……。まったくつくづくデタラメだな。この世界は」

 関係しているのは十中八九マナだろう。となると、計画派も『空間を繋ぐ』と似たレベルのデタラメを成し得ている可能性があるわけだ。

 考えたくない可能性だ。既存の科学兵器に加え、科学以上の技術を保有するとなると、分が悪すぎる。

「どうして気づいた?」

「人間のシンにはわかりにくい感覚だろうけど、なんとなくマナの流れに違和感があったんだ。この矢傷をつけた木を境にね。だから、分ったんだよ」

「なるほどな――やはり、マナの観測手段も持っておくべきか…」

「はは、レーヴァテインもいるんだし大丈夫じゃない?」

『ああ、そうだ。因みに私も風景の無変化からなんとなく勘付いてはいました』

「俺だけ気づいていなかったのな」

「まぁまぁ、気にしちゃ駄目だって。普通は気付かないし」

 オティヌスのフォローが心に染みる。

「それでどうすれば、この繋がりを解除できるんだ?」

 未だ晶化病を引き起こした原因に遭遇できない理由はわかった。

 理由を突き止めたなら、解除も可能だろうとシンは思っていたのだが、

「わからない」 

 それがオティヌスの解答だった。

「前に遭遇した時も、アタシは何もできなかったんだよ。だから、アタシは知らなくてさ」

「マナをいじくれば、どうにかなるんじゃないのか?」

「無理だよ。違和感を感じるくらいで、どういう仕組みでこうなってるのか、わかんないんだし」

 困ったことになった。

 二人と一機は頭を抱える。

 これでは行き止まりだ。晶化病を止めることも、計画派の尻尾を掴むことも出来ない。

 しばらく考え込んで、シンは決定する。

「CMCシステム起動、コード2754389〈ブラフマーストラβ〉」

 シンはブラフマーストラβを形成した。

「ど、どうしたの!?」

 オティヌスが驚いた様子でシンを見た。

「こういうどうしようもない時は、力技を試してみれば良い」

 つまりは、

「俺が持つ最高火力をぶち込む。そうすれば、微睡こっしいものは全部吹き飛ぶだろうろ」

「そんな無茶苦茶な!」

「伏せておいた方が良い」

 オティヌスの抗議を無視して、シンは肉柱をブラフマーストラβにセットした。

 そして、〈ana〉の5カウントの後に光撃を放つ。

「すっご」

 思わず、と言った風情で口を吐いた彼女の言葉には、素直な感嘆が籠っていた。

 やがて光の柱は収縮し、シンの左腕もまた消滅する。

「どうだ?」

「あの光、凄かった」

「……ありがとう?…だけど、俺じゃなくて…」

「えっ、ああ、そうだねっ。空間の方だよね!――えっと、あっ、風景が壊れてくよ!」

 延々と続く森の風景。

 それが溶けるように、消えていくのだ。

 変わらないのは、空の青。木々たちは非科学的な様子で消えていく。

 変わりい現れるのは、小さな人工湖と硬質な灰色の小屋。

 明かな過去の遺物だった。

「何……あれ?」

 疑問こそ放っているものの、オティヌスは目を輝かせていた。

 彼女のキラーズ、オーディンの弩(オティヌス)の持ち主である北欧神話の知恵の神は魔術(オカルト)を行使するためのルーン文字の獲得を目的に、首を吊るような神だ。未知を前にすれば、当然興味を引かれるだろう。

「あんまり深く考えるな。また暴走するぞ?」

「…ねぇ、その暴走体質をどうにかできないの?レーヴァテインは解消してるんだよね?」

「無理だ。お前と彼女じゃ、事情が違う」

 暴走体質の解決など、できればとっくにやっている。

 確かに調整(チューニング)を施せば、暴走の原因となるマナを取り除くことが出来る。

 だが、それはオリジナルだからだ。クローンは出来ない。

 クローンには遺伝的な寿命問題があった。クローン生命体自体の寿命が短いことは二十一世紀初頭に否定れている。だが、彼女達には遺伝子の構造的欠陥があり、寿命が短くなっていた。

 たただその事実を踏まえると、一つ現状と矛盾がある。

 何故遥か昔に創世戦争に参戦していたオティヌスが生きている。

 短い寿命を考えれば、既に死んでいるはずなのに。

 明らかな異常だ。

 だが、オティヌスだけではない、他のクローンも寿命が延びていることから、異常の理由は簡単に予測できる。

 過去と現在の最も大きな違いが答えである。

 すなわち、マナ。シンはマナがクローンの延命を図っているのだと推測していた。

(なんか何もかもの原因がマナだな…)

 弓や杖、魔銃のキラープリンセスを仲間にしたら、研究を進めたいものだ。性質を知れば、計画派の魔術への対抗策を導き出されるかもしれないし、自分も使えるかもしれない。

「それで、どうするつもり?」

「勿論調べる。オティヌスは……」

「アタシも行くよ。考えなければ良いんだよね?」

「気をつけてよ」

「わかってるって」

 そうして、二人は罠を警戒しながら、建築物に接近する。

「〈ana〉、何かあるか?」

『科学的なものは、見たところ何も。監視カメラやセンサーといったものはないようです』

「オティヌス、マナの流れは?」

「特におかしなところはないね。というより、トラップの類は警戒する必要がないかもしれない」

「どうしてだ?」

「ほら、空間を繋げて一生辿り着けないようになってたでしょ。あれ絶対人為的なものだって。今回はシンが力技でどうにかしたけどさ、基本は誰も抜け出せないと思うんだよ。だから、この建築物を作った人は元々潜入されることを想定してなかったんじゃないかな。そしたら、罠は作らないよね」

「なるほど、合理的だな」

 とはいえ、警戒は怠らず彼らは建築物に潜入する。

 鍵のかかった扉はブラフマーストラβの反動でスリロス形成をしないシンに変わり、オティヌスの矢で破壊した。

 内装は特段変わったものではない。外見通りの簡素なコンクリート小屋だ。

 一つの大きな窓から入って来る光だけで、屋内の光量は事足りる。その程度の広さの小屋だ。

 そして、小屋の左端には一台のパソコンがあった。

「これ……なのか?」

 シンは疑わし気にそれを操作する。

「何その四角い箱……えっ、何か光った!おおぅ、なんか変わってく……」

 外野がやかましい。まぁ、純粋に驚いてるだけだから、暴走の可能性は低いだろうが。

「ちっ、パスワードか……。『Eden』…ダメか…『Ragnarok』……おっ、開いた。ありがたいが、安直すぎないか?誰だよ、これの持ち主」

 そうやって開いた先にあるのは、いくつかのフォルダ。

 残念ながら、計画派が隠しているようなデータはなかった。

 けれど、『マナの集積実験』なるフォルダがあったため開く。

 特段内容は目新しいものではなかった。

 あらかた晶化病の通りだ。実権目的は人間に堆積できるマナ結晶量の計測。マナの堆積の影響は、子供や老人から始まりやすい。一時は肉体機能の万全を生むものの、マナの堆積量が増えるにあたって肉体機能が衰え始める。それが晶化病、もといマナの堆積が人体のもたらす影響だ。

 目新しいのは、計画派がマナの結晶体を求めているということくらいである。

「実験の責任者は……無いな。まぁ、アイツじゃなければ良いか」

 そしてシンは実験実行プログラムなるものを見つけた。

 彼はそれを停止する。

 それで、終わり。

「えっ、これで終わり?」

 オティヌスが呆気に取られて言う。

 おそらくパソコン以外の機器はないし、本当にこれで終わりなのだろう。

「一応壊しとくか」

 シンは拳銃を引き抜いて、パソコンに向かって撃つ。

 バン、バン、バン。

 三回の銃声が、閑静な森に鳴り響く。

 これでおしまい。

 不気味なくらい、何もなかった。

 




words
・計画派が保有する兵器は、重火器類、地対空ミサイル、数台の戦車、そして自律型ロボット兵器群である。
・自律型ロボット兵器群は一つのマザー―コンピューターで制御する人型兵器。杉山義弘の武装を元に、第三次世界大戦で実用化された。
・対異界存在兵士は別位相下での長期行動を目的に生み出された。
・戦力的には自律型ロボット兵器群の方が、対異界存在兵士よりも上。
・位相融合前に、シンは自律型ロボット兵器群を倒したことがある。
・マナを使えば、空間を繋ぐことも可能。そして計画派は、これと同等のデタラメを保有している。
・晶化病は『マナの集積実験』で引き起こされたもの。実験を停止したために、今後キエム村で晶化病が起こることはない。


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Her sight③

 相も変わらず、森である。

 なんで森しかないの!

 山だからだ。

 辺境過ぎて、山しかない。

「まぁ、天上世界は何処でも同じようなものなんだけどさ」

 森と原っぱ、時々街や村、人類の天敵(異族)もいるよ☆。それが天上世界である。

 しょうがないと言えばしょうがない。しかし、飽きる。一体いつまで木を見続ければ良いのだ。木がゲシュタルト崩壊しそうである。

「むーへーんーかー」

「良いではありませんか。異族も出ず、平和そのものでござりまするぞ」

「でも、流石に気が滅入るね。枢機卿の気持ちもわかるよ」

「だよね!気が滅入るよね!」

「正しいのは、マサムネだけどね」

「ぶーぶー」

 誰も賛同者が居ないことに思わず口を尖らせる。

 やはりヘルヘイム所属だからか。彼女達は他のイミテーションと比べて生真面目が過ぎた。面白味に掛ける、というのが私の正直な評価である。

 しかし、不平不満を言っても何も変わらない。話のネタも尽きてしまったし、会話で時間を潰そうにも直ぐに途切れて終わってしまうだろう。

 つまるところ、時間を潰す術がないのだ。

 研究者なら研究者らしく研究資料でも読めばいいのだろうが、生憎と私は他の研究員の方と違って勤勉な研究者ではない。どちらかといえば、やることやってのんびりしたい派である。この移動時間は、仕事中という言い訳を理由にだらだらしてるだけに過ぎない。

 現在進行形で私に言いつけられている仕事は創世戦争のやり残しだ。かつてのラグナロク教会の総戦力で成し遂げられなかったことではあるために非常に難易度が高い任務ではあるし、正直自分に割当たられると思っていなかった仕事である。偶然、対象が私の担当する実験場に現れたために、今回の仕事を命じられた。

(私も一応枢機卿なんだけどなぁ)

 生憎と、今は同じ地位にあっても、枢機卿内の力は異界存在研究機関では新参者のため私には無いに等しい。拒否することなどできるはずもなかった―――というのもあるが、実際は他のメンバーが研究で忙しいので、一番研究をしていない私が向かわされたというのが理由の大部分を占める。

 自業自得であった。

「くっそー、私だってやれるだけのことはやってるんだぞー」

 現実問題。

 私は元々、大学生だ。ゼミの教授が国際連合異界存在研究機関に異動になり、万が一の場合に備えてゼミ内で一番優秀な私が抜擢されたのが所属の経緯である。万が一の場合というのは、教授が専門とする位相物理学、その中でも異界存在との戦いに有用な、マイナーな分野の研究者が全員死んでしまった場合のことを言う。私は先達たちの後継として、異界存在研究機関に所属した。

 そう言った所属の経緯は彼と似ているかもしれない。

 まぁ、それはともかくとして、大学生で身分を終えてしまった自分は結局博士どころか、修士の学位すら持っていない。尖りに尖った分野の助手っぽいことをしていただけの私では、他の計画派メンバーとは遅れを取るに決まっている。

 もうずいぶんと長いこと生きていたが、やはり個々の実力で国際連合異界存在研究機関に配属された先達たちの背中を遠い。

「追いつこうとも思ってないけどさ」

 私の目的は人類の救済だ。それを成し遂げられるなら、私の配役なぞどうでも良い。

 主人公でなくても構わない。世界を救う勇者を導びく村人Aで十分だ。

 私には世界を救うだけの力はないことは十分知っている。私程度の凡才には世界は救えない。キラープリンセスに頼るしかなく、異界存在の前に屈するしかなかった人類と同じように。

 世界を救えるのは、ほんの一握りの特別な力を持った誰かだけ。計画派の研究者たちや時代の麒麟児マック・フューリーのような選ばれた人間しか人類を救う盤面に登ることはできないのだ。

 ああ、だけど。

 自分が凡人であると自覚しながらも、人類救済の盤面に登った人がいた。

『――ピリリ、ピリリ』 

 唐突な電子音があった。

 これは私の実験施設が破壊されたことの報告だ。

 そしてこの時代において、この破壊は一つの事実を指し示している。

「―――先輩」

 かつて慕った年上の青年。

 実験施設の破壊は彼が私の向かう先にいるということの証明だ。

 あの実験施設を発見し得るのは、教皇庁勢力以外では、ブラフマーストラβという高エネルギー兵器を持つ彼だけだ。同胞が無断で実験施設を破壊することは有り得ないため、必然的に彼が実験施設を破壊したことになる。

 敵対者である彼に対する態度を既に選択している。

 それは先輩を終わらせること。

 凡であると自覚しながらも人類救済の盤面に登った先輩は止まらない。自分自身の全てを投げ捨てて、地獄のような日々に堕ちても、足を止めることはない。

 だったら、もう終わらせてまおう。

 数十億の凡人は選ばれた一握りには勝てない。

 凡人である先輩に勝ち目なんて、最初からないのだから。

 ぼんやりと窓の外を見つめる。

 相変わらずの木、木、木。

 けれど、飽きるほど見飽きたこの光景が何処か寂し気に見えるのは何故なのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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ep.10 怒りの理由

そろそろズレや歪みに気づかれる方もいらっしゃると思いますが、今はノータッチでお願いします。
wordsは後日付け足します。


21 

 ゆっくりとその時が迫っているのを、ネイシャ・カートライトは自覚する。

 大悪魔の呪いとかいう青いマナの結晶。四肢を食い破って現れたそれらが自分の内側を侵食していく実感を彼女は日に日に強く得ていた。

 しかし、もう浸食の感覚は感じられない。

 それはマナの結晶がなくなった、という意味ではない。

 ネイシャには浸食の感覚を得ることすらできなくなったという意味だ。

 もう随分と夢の中にいるような心地だ。

 否、実際時間としては随分なんて言うほどの時間は立っていないのだろう。

 ただネイシャの時間感覚がずれてしまっているだけで。

 ふわふわと浮かんだり、沈んだりするような心地が毎日何度も繰り返されていく。

 そんな日常では、正しい日の巡りなど把握できるはずもない。

 緩慢な閉塞がネイシャの意識を、肉体感覚を緩やかに鈍らせていた。

 真綿に首を絞められるような終わりだ。

 否、現実として肉体がマナの結晶となり肉体が崩壊している。

 真綿に首を絞められるような、なんて生易しく感じられるほどの恐怖を得ているはずだ。

 それこそ他の晶化病患者のように。

 精神を病み、正気を失い、死んでいく。

 そんな人間の終わりと呼ぶには余りにも無惨な終わりであってもおかしくないはずである。

 けれど、ネイシャは精神を病んでおらず、正気を保っていて、さらには絶望もしていなかった。

 彼女が最後まで人間、ネイシャ・カートライトとして生きている。

 何故なら、彼女はたった一人の少女によって救われていたからだ。

 キラープリンセス、エロース。

 人間社会においては嫌われ者で、さりとてとてつもなく優しい心根の持ち主。

 彼女が死の間際まで側にいてくれたおかげで、晶化病を引き起こした張本人として良き隣人だった村人から迫害され、一人死ぬだけだった老婆は自分自身の価値を信じられた。

 エロースとは長い付き合いがあったわけじゃない。

 ネイシャの姉妹でもないし、子でもないし、孫でもない。たまたま通りかかったところを助けてくれた無関係な誰かだ。

 彼女の存在が村がつけた傷を治してくれたわけじゃない。

 けれど彼女が手を差し伸べてくれたことで、ネイシャは自分の価値を信じられることができたのだ。

 少なくとも、自分が誰かに手を差し伸べられる程度の価値があるということは。

 ネイシャは思う。

 随分と自分は幸せものだ、と。

 自分を形作り、自分が形作った全てから見捨てられても、手を差し伸べてくれた誰かがいたのだから。

 この世界には手を差し伸べられない人がたくさんいる。

 今回だって、キエム村はラグナロク教会から手を差し伸べられることはなかった。

 もしかしたら。

 いつかの誰かが手を差し伸べられない人々に手を差し伸べようとしたのかもしれない。

 でも、そんな優しい人は現実の暴力に押しつぶされてしまったのだろう、と思う。

 いつだって現実が示すのは優しさを踏みにじる残酷さなのだから。

 きっと優しさが及ぶのは、誰もが伸ばせる両手の範囲内だけだ。

 大切なのは、手を差し伸べられる距離ではなくて、手を差し伸べる選択で。

 そして、その選択の積み重ねがいずれ全ての人々を救うのだろう。

 死の淵にあって、ようやくそんな簡単なことに気が付いた。

 ふぅ、と小さく、しかし重い息を吐く。

 自分の命の糸が切れかかっているのが、不思議とわかる。

 残された時間は、もう長くない。

 だから。

 幸せな終わりをくれた彼女に。

 最後に感謝の言葉を。

 

「ありがとう」

 

 随分と掠れた声になってしまったけれど、ちゃんと届いたかしら?

 

22

 その日は月がやたらと大きく見える夜だった。

 煌々と照る月は夜を切り裂き、森の暗闇を晴らしている。昼間のように、とは言えないけれど、夜の不気味さを消し去るほどに月光は世界を照らしていた。

 けれど、その光は決して温かいものではない。その青白い輝きは何処か物悲しさを見る者に与えるものだった。

 そして、シンは見る。

 青白い月明りの元、森の開けた場所で一人佇む少女の姿を。

 エロース。

 普段の明るさはすっかりなりを潜め、ただただ彼女は無言のまま月を見上げて、立ち尽くしている。

 その様は街灯の元で打ち捨てられた人形のようだった。

「亡くなったのか…」

 どうして彼女が打ちひしがれているのかはわかる。

 あの穏やかに笑う、春の陽射しのような温かさを持った老婆が死んだのだ。

 シンとオティヌスが研究施設の破壊を行いキエム村に帰ってきたのは、ちょうど今さっき。レーヴァテインから話を聞くに、ネイシャは夕方に息を引き取ったという。

 ネイシャが息を引き取ってから、ずっとエロースは茫然としているらしかった。

 小さくなった彼女の背中に、シンは掛ける言葉が見つからない。

 過去のカウンセリングではどうであったか。かつて自分はどのようにしてキラープリンセスの心に寄り添って来たか。

 シンは問う。

「何故そんなに落ち込んでるんだ?」

 何を当り前のことを、と言うかもしれないが彼女が落ち込んでいる理由を探る必要があった。

 安易な予測は理解ではない。ただの妄想だ。

 そんなものでは、相互理解はありえない。

「何故ですかぁ……?」

「答えなくなかったら、別に構わない。けど、話せば楽になることもある」

「ありがちな言葉ですねぇ」

「だが、事実でもある。否定はできないだろう?」

「まぁ、そうですけどぉ」

 そう言って、エロースはややくたびれた溜息を吐く。

 そして、言った。

「私はですね。おばあちゃんが亡くなったこと自体はそれほど悲しくはないんですよ」

「そうなのか?」

「だって、どうしたって治せないじゃないですか、晶化病は。だったら、亡くなるのは当然で、不可避の未来でしょう?ですから、覚悟はしてたんですよぉ」

「だったら、どうしてそんなに打ちひしがれてるんだ?」

「それは……っ」

 エロースの声に若干の変化が生まれた。

 苛立ち。

 それが声音の強さに含まれている。

「結局あの人は来なかった……!」

「あの人、とは?」

 シンがそう問うとエロースは堰を切ったように叫び出す。

「おばあちゃんの息子です!あの人は結局、ただの一度もお祖母ちゃんのお見舞いに来なかった!あの人は、お祖母ちゃんの息子なのに!一度くらい顔を出したって良いじゃないですか!自分の母親が死にそうなんですよ…?なんで、そんな白状なこと……!」

 口の端を歪め、似つかわしくない怒りを彼女は発露する。

 一体何故彼女の心を激しく動いたのか。

 過去において、間接的に話を聞いていただけのシンにはわからない。

 けれど、彼は彼女の問いにこう答えた。

「それは人間だから、だろうな…」

「……どういうことですか?」

「前にも言ったかもしれないが、人間は弱くて、キラープリンセスは強い。彼とて、見舞いに行くという思いはあったはずだ。だけど彼はきっと恐れたんだろうさ。ネイシャさんからの糾弾、他の村民の目、あるいは自分の間違いを認めることか」

「自分の間違い?」

「ああ、最初は確かに教会の言うことを信じてたんだろうさ。けど、ネイシャさんを追放しても、晶化病は村で猛威を振るっていた。だったら、信じ続けられるか?教会の言うことなんて。外れまくりの推測なんて、普通は疑うだろうよ。そして、教会に対する疑念の後に来るのは、自分自身に対する疑念だ。自分の選択は正しかったのかって具合でな。で、結論として出したのは自分が間違えてたってことだろう」

「でも、出してたならどうして自分の間違いを認めることが恐ろしかったんですか?認めてるじゃないですか」

「まだ認めてないよ。彼がそう結論づけた過程は、彼自身の推測の積み重ねだ。ネイシャさんが原因じゃなかったって明確な根拠がないからな。それでも、ほぼ認めていたと思うけど」

「それでも、認めてないんですよね」

「ああ、そうだ。自分だけが思ってる分には、かもしれない、の話でまとまるからな。ただネイシャさんの口から直接答えを聞いてしまえば、彼が間違っていることが確定しまうだろ。そうすれば、自分の間違いを認めざるを得なくなる。いや、認めるしかなくなると言うべきだな。そして認めてしまえば、自分は『可哀想な被害者』じゃなく、『デマに従い親を見捨てた加害者』だ。普通の人間だったら、どちらを選ぶかは簡単に分かるだろう?」

 そんなもの誰だって楽な方を選ぶ。 

 『可哀想な被害者』の枠にいれば、誰にも糾弾されることはなく、糾弾される理由もない。

 教会にも、村の人にも、そして自分自身の良心にも。

 だったら『被害者』と『加害者』、どっちにいるべきかなんてわかり切っているだろう。

 選択ができるのなら、後者を選ぶに決まっている。

 誰だって、罵詈雑言の矢面に立つ『加害者』になんてなりたくない。

 けれど、もし自分自身が加害者だと分かってしまったら。 

 『可哀想な被害者』の枠になんていられない。

 普通の人間(・・・・・)は、必ず罪悪感に押しつぶされる。自分自身のしたことの残酷さと勘違いの醜態に、耐えきれない。

 だから、彼は逃げたのだ。

 自分自身の過ちを、第三者に確定されることから。自身が出した結論を嘘だと信じ続けるために。

 シンは言う。

「俺は別に彼のことを良心の欠片もない人間だとは思ってないんだ。むしろ、俺やネイシャさんと同じ、誰かを普通に愛して、誰かを憎む、何処にでもいる平凡な人間だと思ってる。だからこそ彼はネイシャさんに会えなかった。会おうとしはしたのかもしれないけどな」

 今、彼が一体どういう心境なのかはわからない。

 けれど、きっと葛藤しているのではなかろうか。

 それが普通の人間の感性だ。

 少なくともシンはそう信じている。

 でも、だけど。

 エロースは納得などしない。するはずがない。

「それが―――」

 彼女の怒りは、『彼がネイシャの見舞いに来なかった』ことが発端だ。

 彼の内心など関係ない。

 自分勝手な感情の中で、思いやりなど存在するものか。 

 エロースは吠えた。

「――なんだって言うんですかぁ!」

 平素の彼女であれば、有り得ないと断じれるほど違和感のある言葉。

 他者の感情を踏みにじる、独善の感情。

「彼が一体どんな思いを抱いてたって!どんな感情を抱いてたって!関係ない!お祖母ちゃんには一切関係ないじゃないですか!結局、お祖母ちゃんは家族に見捨てられたまま死んだ!その現実は、その事実は少しも揺らがない!違いますか!?」

「違わないな」

「以前貴方は言いました!強いキラープリンセスは真っ直ぐで、弱い人間はキラープリンセスのようには居られないって。そして、その弱さを理解して欲しいとも!私はこう答えましたよね!理解をして欲しいと手を差し伸べられたなら、その手を取るのは当然の義務だと!」

「ああ、言った。そして、こうも俺は言った。正しさと間違いの葛藤に苛まれながら生きていくしかないのだ、とな」

「シンさん……だったら、その葛藤の中で傷を負った人は一体どこへ行けば救われるんですか?」

「そ、れは……」

 シンは言葉に詰まる。

 その答えは彼の中にはない。

「わからない…な」

 きっと救われた人なんていないのだろう。

 誰かの葛藤にすりつぶされた人を救える優しい仕組みがあるのなら。

 人類は、きっとこんな世界にはいない。

「和解を救いと呼べるが、お前が言っているのはそういうことじゃないんだろう?」

「正しさと間違いの葛藤を自覚できる人が、この世の中にどれほどいると思いますか?日常的に葛藤は潜んでいることを気づけることがどれだけ至難なことか。人は無自覚の内に誰かを傷つけたことに気づかない。和解すら、生まれない場合が多々あるんですよ。そんな世界の優しさから取りこぼされた、いいえ取りこぼされすらされなかった彼らに、彼女らに、どんなことが出来るんでしょうね……」

 エロースの言葉にシンはただ黙り込むしかなかった。

 だって、それは途方もない問いだ。全人類が無自覚に切り捨てる誰かを救うなんてことが不可能だなんて、そんなの誰にでもわかる。何せ自分自身でさえも、その誰かを切り捨てているかもしれないのだ。誰にも気づかれないAをどうやって救う。認知できないならば、手を差し伸べることすらできないではないか。

「すみません、困らせてしまいましたか」

 エロースは申し訳なさそうに笑う。

「いいや、気にしなくて良い。それはきっと俺も考えていかないといけない問題なんだろうから」

「そう言ってくださると嬉しいです。一人一人の自覚が必要だって、彼の狂人(・・・・)も言っていましたから」

 彼の狂人…?

 ふと気になるワードが生まれたが、シンはそれを無視して、話を促す。

「エロース、ただそれが今のお前の怒りにどう繋がるんだ?」

 話が見えない。

 彼女の考えは分かった。けれど、彼女の怒りの本質がいまいち像を結ばない。

「私が怒っているのはですね。彼がお祖母ちゃんを切り捨てたことなんですよ」

「あぁ、それは分かる。だけど、怒りの本質は違うだろ。感情である以上、理由は自分に帰属するはずだ」

「そう…ですねぇ……」

 シンが問うと、エロースは一拍の間を置いて言った。

「私が怒っているのは、彼がもう私が取り戻せないものを自ら進んで取りこぼしたからですよぉ」

「エロースが、もう取り戻せないもの?」

 彼女は月光を背に、寂しげに笑う。

 何処か遠い所を見つめるような瞳で。

 そして、乾いた唇がたった四文字のその名を呟いた。

 

友達(ともだち)

 

 すっ、と静かにシンの肌が粟立つ。

「ま、さか……そういうことなのか…?」

 エロースに感じていた違和。

 ギリシアの愛の神を根本に持つ彼女にとって、最大の動機となるのはやはり恋愛だ。人と人との間に紡がれる、感情の高まりこそが彼女の琴線に最も響くものだった。

 少なくとも、エロースというキラープリンセスの個体はそうであった。

 けれど、今目の前にいるエロースは違う。

 ステレオタイプになど嵌ってはいない。

 衝撃に貫かれるシンになど構わず、エロースはその桜色の唇を動かした。

「何処とも知れない場所、いつかわからない時。そのイメージを私は知りません。ですけど、そこに確かに私には温かくて幸せな時間を共有した、大事な友達がいたんです。名前も顔も思い出せない、けれど大切な誰かが!」

エロースは明確に記憶を取り戻しているわけではない。暴走の発端になるほどの過去を取り戻しているわけではない。

曖昧で、茫洋で、けれど彼女の心の奥底に刻み付けられている輪郭をおぼろげに辿っているだけなのだ。

そして、そこにある友達とは。

 あぁ、それは間違いなく彼女のことだろう。

 人なつっこい笑顔を浮かべる、もしかしたらシンが救えていたかもしれない年下の少女。

 オリジナルのエロースの唯一にして、無二の親友。

「私は彼女のことをほとんど覚えていない!だけど、この胸にはっ、この心にはっ、言葉にできないほどの喪失感が横たわっている!取返しの付かない悲しみと訳の分からない空白感がこの胸の中にあるんですよ……っ」

 エロースがネイシャの息子に怒るのも当然だ。

 なにせ彼は彼女の悲嘆を踏みにじったのだから。

「だけど、彼は取返しがついた。失うことは否定できないかもしれないけど、失うまでの過程は選べて、失い方は自由に選べた。私には、そんな自由なかったのに!」

 エロースに襲い掛かったのは、理不尽と言って良いものだ。

 楽園計画(プロジェクト:エデン)による位相融合とそれに伴う原因不明の記憶喪失。

 全人類、全てキラープリンセスは過去の記憶を失った。

 辛い記憶も、大切な時間も等しく、平等に漂白された。

 誰一人の了解も得ず、強引に。

 これを理不尽と言わずして、何と言う。

 けれど、全てを忘れていられたならば、それはまだ幸せなのかもしれない。なにせ記憶がなければ、喪失の自覚すらないのだから。忘れたものに、空白感は抱けない。そして取り戻したいなんて思わないから、取返しのつかない悲しみなんて生まれない。

 全て忘れてしまえば、かつて『在った』としても『無い』と変わらない。

 記憶されなければ、記録されなければ、人が知覚する現実なんて容易くなかったことに出来てしまう。

 その流れに従えていたら、楽に違いない。取り戻せない物を追いかける苦しみを味わなくて済むのだから。

 だけど、エロースは違う。半端に記憶を保持している。故に、かつてあった現実を切り離せない。特に親友と共に過ごした幸福な時間は。

 もしエロースと彼女が納得のいく形で別れられていれば、エロースだって胸の中の喪失感や悲しみを抱くことはなかっただろう。

 だが、現実は納得のいく別れどころか、「さよなら」すら言えていない。あの時――つまり異界存在研究機関所属の研究員が維持派と計画派に分かれ、静かに対立していたころには機会も余裕もなかったから、言えるはずもなかった。

 だから、エロースはネイシャの息子に怒りを覚えたのだ。

 まだ「さよなら」を言えるのに、どうしてその機会を踏みにじるのか、と。

 エロースからすれば、彼の行動は砂漠で喉の渇きに苦しむ人の目の前で水を捨てるような行為だろう。自分が決して手に入れられないものを、まだ手に入れられる恵まれた者に捨てられれば誰だって激情に駆られるはずだ。

 彼女は自嘲の色を含ませた笑みを浮かべる。

 そして、たった一言こう言った。

「醜いですよねぇ?」

 自分には与えられない物を持つ誰かの選択を自身の感情によって否定する。

 エロースのしたことを悪意的に解釈するならば、そういう風に解釈できるだろう。

「そもそもとして、私がお祖母ちゃんを助けたのも、私自身が私と同じ目に遭う人間を見たくないからという理由なんですよぉ。今回の人助けの根底にあるのは私のエゴなんです。誰のためでもなかったんですよ」

「だけど、エロースのやったことは間違いじゃないだろ。エロースの存在はネイシャさんの救いになっていたはずだ」

「でも、それは客観的に見た場合の評価ですよねぇ。真実は違いますよぉ」

「他人の利益になってる時点で十分じゃないか?そも、彼女に手を差し伸べた理由の中に、優しさが一片も含まれていないなんて有り得ない。自分と同じ目に遭う人間を見たくない、という思いで動いてる時点で、それは誰かを思う優しさに相違ないと俺は思うぞ」

 たとえ彼女が自分の思いを醜いと断じようとも、エロースの優しさがあったことを否定することは許せない。

 今の彼女は疲れて、弱気になっているだけだ。ただの一瞬の気の迷いが、何も為せなかった彼女を自分勝手な悪役にすることで、自分自身の納得を得ようとしている。

 そんなことをしては駄目だ。自分自身を貶めるような納得の仕方をしてしまえば、今後ネイシャさんと同じような誰かを救う時に言い訳を許してしまう。

 全力を出しても救えないのだからしょうがないよね、と諦める理由が出来る。

 それから始まるのは、負のスパイラルだ。全力を出すことへの無意味さを悟り、全力を出すことすら忘れ、しまいには誰かを救うことすら辞めてしまう。何も生み出さない、エロースの優しさをこそぎ落とすような地獄の出来上がりだ。

「そんなに怖い顔しないでくださいよぉ。分ってますから」

 エロースは月を背中にそう微笑んだ。

「嫌なことがあって、少し嫌気がさしていただけです。ため込んでいた思いとか感情とかが、津波のように押し寄せ着て、呑み込まれちゃったといった感じで。だから、一晩ほどぐっすり寝れば、リセットされていつもの私に戻ります」

 強がってるのが透けて見えるような言葉だった。ネイシャさんと彼女の息子の別れをエロースにとって最悪な形で別れさせてしまったのだ。その時に負った傷が深くないなんて有り得ない。なにせ彼女にとってはトラウマの再来とほぼ同等。

 一晩寝れば忘れられる?馬鹿を言うな。だったら平素な穏やかさを失うまでの激情を抱くなど有り得ないだろうに。

(これは悪手だな……)

 エロースを元気づけるカードがないことはない。つまりはあるのだが、しかしそれを切るのは彼女の精神衛生によろしくない。

 これは彼女を失意から立ち上がらせるのではなく、失意から目を背けさせる物。だから最悪の場合、彼女の善性が歪む可能性もあった。

(そこは彼女の強さに期待するしかないか)

 随分と自分勝手ではあるが、このカードを切ることはシンのオリジナルの奪還と、その先にあるラグナロク教会(計画派)打倒にも繋がる。シンが切らないという選択肢を取ることは絶対にない。

 そも、手を出せるにも関わらず、手を出さなかったのはエロースのことを待っていたからだ。ネイシャが死んだ以上、もう待つ必要はない。

 シンは彼女に向かって片手を差し出した。

「なぁ、エロース。もしお前の取返しのつかないものを取り戻せるとしたら、お前はこの手を取るか?」

「え…それは、どういう……?」

「お前の友達は生きている(・・・・・)

 エロースの薄紅色の瞳が見開かれた。

「う…そ…」

「本当だ、彼女は生きている」

 とはいえ、シンとて100%彼女が生きているとは断言できない。実際生きている彼女を見たわけではないのだから。

 だが、シンは自身を以て彼女の生存を宣言できる。

 何故なら、まだアンナが生きていて、楽園計画(プロジェクト:エデン)は進行しているからだ。楽園計画を動かすためには、この科学が一切存在せず、過去の情報を隠匿する必要のある天上世界において、どうしても計画派の人員が必要だ。ならば、計画派の一人である彼女が死んでいるはずがない。アンナが過去の姿と変わらなかったように、えげつない技術で延命しているのだろう。

「彼女は俺の敵対者だ。だから、必ずどこかで相対する。だが、俺にそれを証明できる手立てはない。信じてくれとしか、言うほかない」

 卑怯な言い方だと思う。

 彼女の欲しい物を提示して、何も説明せずにこちらの要求を呑ませる。まるで詐欺師のような手管だ。

 だが、シンはやる。二度と楽園計画の悲劇を繰り替えさないために、そしてエロースの嘆きを拭うためにも。

「彼女はお前の知る彼女じゃないかもしれない。大きく変わっているかもしれない。それでも、彼女を取り戻したいと望むのなら、俺の手を取れ!エロース!」

 しばしの静寂があった。

 シンの叫びが虚しく森に反響する。

 そして。

 ゆっくり、と。

 エロースが、喉を震わせる。

「本当に、彼女と会えるんですかぁ…?」

「会える」

「ほんとの、本当に?」

「ああ、必ずだ」

「だったら――」

 初めて、エロースの体に力が宿る。俯いてばかりいた少女の顔がゆっくりと前を向く。

 もうそこに、悲嘆にくれるだけの可哀想な歩みを止めた誰かはいない。

 そこにいるのは、未来を創る意志を瞳に宿す、歩み続けることを選択した少女だ。

 エロースの手が、シンの手を掴む。

「――私は貴方の手を取ります。もう一度、彼女と友達になるために!」

「そのために世界を敵に回す覚悟あるか?」

「なんだってやりましょう。友達のためなら!」

 友達のために世界を敵に回す。

 陳腐な言葉かもしれない。フィクションの中だけで成立するものだと笑われるかもしれない。

 けれど、そんなくだらないと思われることで世界を回したって良いはずだ。

 きっと、世界中の誰もが親友同士が引き裂かれる悲劇なんて見たくない。

 結末はハッピーエンドの方が良いに決まっている。

 シンはエロースの手を強く握り返す。

 記憶を取り戻すやり方は、あのアンナから教わった。

 

『ああ、そうだ。記憶を取り戻したいなら、対象のキラープリンセスに触れて一言告げれば良いんですよ。これは魔術を知らない貴方にもできます。わざわざそうしましたから』

『良いのか?反逆者の俺に記憶の取り戻し方なんて教えて』

『構いませんよ。どうせ勝つのは私達、計画派なんですから』

 

 記憶を取り戻すキー。

 その一言とはすなわち。

 

開け(Expose)

 

 直後にエロースが気を失った。

 記憶の枷が外れたのだ。

 

22

「シンさぁん。荷物運び終わりました」

 エロースが旅の出立の準備が終わったことを青年に知らせた。

 白衣の青年はそれに返事をして、彼らの馬車へと向かう。

「食料は以前購入したトウモロコシで作ったトルティーヤが残ってますし、大丈夫だと思いますよぉ。ただ水は心許ないです。晶化病がどうにかなったとはいえ、別の場所から探した方が良いかもしれません」

「一応湖から下流だったら大丈夫だと考えてるんだが、そうだな安全面を考慮するとやっぱりそうした方が良いかもしれない」

 晶化病の元凶は既に断っている。だから、マナの不自然な蓄積は止まっていると思うのだが、一応念のためだ。治療法不明の病にかかる危険を冒す必要はない。

「マナについては過去の科学じゃないからな。俺自身には、どうしようもない」

「完全に天上世界由来ですからね。そもそもシンさんの専門は異界存在研究ですから、物理学系研究者が集まる計画派の研究の解析も難しいでしょうし」

「……詳しいな」

「彼女から研究所の皆さんのことはよく聞きましたからぁ。それとシンさんが話してくださった情報を重ねれば、簡単に推測できることですよ」

 エロースは記憶を取り戻した。

 計画派の打倒ひいては位相融合の悲劇を繰り返させないために第二次楽園計画(プロジェクト:エデン:セカンド)を止める。シンの目的を話すと、予想以上にすんなり承諾してくれた。

 キラープリンセスの善性の現れ、というよりは彼女自身の位相融合への思いが決断させた、というべきだろう。

 もう二度と取り返しのつかない喪失を誰にも得て欲しくない。

 昨夜のエロースの言葉が思い出される。

「そもそもとして、どうして位相融合という形で失敗する楽園計画に彼女は携わったのでしょうか?」

「わからない。あの時はいつの間にかそうなってたんだ。何か劇的な転換点があったわけじゃない」

「もっと私がコミュニケーションを取っていたら、何か変わっていたのかなぁ」

「いや、異界存在との戦争が激化していた以上、お前は戦場に引っ張りだこだったはずだ。そんな時間はない。それに通話しようにも、別位相間の通信状態は最悪だから出来ないだろうし、エロースに非はないぞ。同じ場所にいながら、彼女を止められなかった俺にこそ非がある」

「あまり抱え込み過ぎないようにしてくださいね。ただでさえ、多くのものを貴方は背負い込んでいるんですから」

「別に抱え込んでなどいない。当り前のことをしているだけだ」

 いつかした後輩とのじゃれ合いにもあった気がするが、これは責任の所在の問題だ。結局全ての原因は、維持派最大戦力であったシンの失敗だ。彼が失敗さえしなければ、全ての悲劇は起こらなかったとさえいえる。

 位相融合の引き金を弾かせた。ただその一点で、責任を負うには十分な理由だとシンは判断する。

 ただ正面に立つエロースは何故だか眉間に皺を寄せていた。

 シンはその理由を問い正そうとするが、しかし快活な声による横やりが入った。

「さぁ、二人とも早く乗って!出発するよ!」

 声の主は既に御者席に乗ったオティヌスだ。

「レーヴァテインはもう乗ったのか?」

「荷物を載せる前から、荷台で寝てるよ。ほんとレーヴァテインって良く寝るよね」

 一瞥すると巨大な布にくるまれた剣の上に座り、彼女は膝を抱えて眠っていた。寝転がらなかったのは、荷物の多さ故か。荷台には、もう一人くらい座れるスペースが空いていた。

 シン達の視線が鬱陶しかったのか、薄く、長いまつげの生えた紅色の瞳が開かれる。

「……何?」

「良く寝るなぁって話してたんだ」

「……何よ…文句あるわけ?」

「いや、ないけど。レーヴァテインがやる時はやる娘ってことは重々承知してるし」

「……そ…なら良いわ……あ」

 レーヴァテインは何かを思い出し、苦虫を潰したような顔をする。

「そういえばあのだらしない男は来ないわよね」

 だらしない男?

 シン、そしてキラープリンセス二人はお互いに顔を見合わせた。

 レーヴァテインの発言、その部分にだけは明確な敵意があった。彼女にしては珍しい。好悪の区別なく、他者への関心が低いのがレーヴァテインというキラープリンセスだ。故に、明確な敵意を向けるなんて――言うれなれば――破格の対応だったりする。

 しばしの思考の沈黙があった。

 それを破ったのはエロースである。

「あぁ!べルフさんのことですかぁ!」

 名前を言われて、シンもオティヌスも明確に思い出した。

 シン達がキエム村に来る前からネイシャ宅に居候をしていた、空気のような、存在感が薄い怠惰な男。

 正直シンには、べルフにレーヴァテインが敵意を向けるのがあまりピンと来ない。シンが晶化病の元凶を破壊しに行っている間に何があったのだろうか。

 疑問は湧くがシンは口に出さない。ここで突っ込むと、いらない顰蹙を買いそうだからである。

「べルフさんは同行しませんよ。自分は適当にやるから良いし、旅は面倒だからいかないって言ってましたぁ」

「……そう…来ないのね…良かったわ……」

「なぁ、エロース、べルフは一体何者なんだ?」

「実は私もよくは知らないんですよね。お祖母ちゃんがこの家に来る前に、住んでたってことくらいを知ってるだけで」

 あのやたら存在感が薄く、つかみどころのない怠惰な少年。どんな人生を辿ってきたのか、想像できない少年だった。

 あまり交流のなかったシンにとっては、彼についての印象は第一印象のままで結局止まったままである。

(まぁ、もう出会うこともないか…)

 天上世界は広く、自動車や飛行機などはない。一期一会。一度の出会いと別れは貴重である。

 もう少し言葉を交わして、彼の人となりを知りたかった気持ちもなくはない。けれども、まぁ、

「出発しようか」

 惜しい気持ちは確かにあるが、足を止めるほどではない。

 シン達は前に進み続けられなければならないのだから。

 シンは御者台に乗った。続けてエロースも乗り込む。

「さよなら、お祖母ちゃん」

 彼女は寂しげな響きを持って、そう呟いた。

 彼女の心に浮かぶのは、後悔か温かい思い出か、あるいはその両方か。

 外野であるシンにはわからない。けれど、それが彼女の糧になることを祈っている。

 シンは手綱を握り、二頭の愛馬を走らせる。

 

 

 

 

 まさにその瞬間だった。

 

 

 

 

『警告!危機的熱源感知!CMCシステム強制起動、コード257954〈アイギス〉!』

 

 

 シンの左目が一呼吸と立たぬうちに真っ赤に染め上げられる。

 立て続けにシンの左腕が肥大。彼らが乗る馬車を覆うようにして肉の壁が展開された。

「い、一体何が……!」

 オティヌスが声を上げる。

 だが、掻き消すように「ズドドドドッ!」と濁流が如き轟音が正面から叩きつけられた。

 過去を知る三人は、その音の正体を知っている。

 銃声だ。

 それもとある兵器群のみが使用する特別性のもの。

「やはり対異界存在弾丸(ADB)にするべきでしたか」

 須臾の断絶さえない銃撃が止むと、聞こえてきたのは聞き慣れた少女の声(・・・・・・・・・)

 シンは思わずと言った様子で言葉を漏らす。

「嘘……だろ…?」

 真偽を確かめるべく、アイギスの展開を解いた。

 そして、視線の先。

 銀の機械人形を従えるように立つ少女を目視する。

 彼女はシンの後輩であり、エロースの親友であった。

 シンはヤケクソ気味に叫ぶ。

 

「よりもよって、このタイミングでお前かよ!川藤早苗!」

 

 久方ぶりの再会。

 しかし、二人の間には温かい物などなくて。

 後輩は――早苗は何処までも冷たい声で宣告する。

 

「お久しぶりです、先輩。早速ですが死んでください」

  

 

 

 

 

 



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ep.11 サイカイ

本来なら一話だったのを、存外長くなったので二話にしてます。若干短めです。


23

 2174年に行われた、今となっては、失敗技術と呼ばれる技術を実証するための実験が空けた希望の無いパンドラの箱。

 運命の2200年より前に発生した人類初の位相融合は別位相に繁栄する怪物たちを私達の位相に呼び込んだ。

 それらが異界存在。全く異なる地球で育まれた別系統の生態系で生きる異形の生命体たち。

 そいつらは人類文明は徹底的に破壊し、生息圏へと変貌させた。

 人類は勿論抵抗したけれど、それでも抗し切れなくて。

 私達の位相(せかい)は確実に飲み込まれていった。

 結局そんな世界で生まれ落ちた私の根底にあったのは、恐怖だったのだろう。

 私は異界存在が恐ろしくて、怖くて、死んでしまいたいくらいで。

 暗い、暗い部屋の隅で蹲って、ずっと、ずっと怯えていた。

 まるで小さな子供のように。

 だから、勉強した。

 だから、異界存在を追い出す方法を求めた。

 あの現実(悪夢)から目を覚ます鶏の鳴き声が待っていた。

 世界諸国は着実に迫りくる終末へ向けて、対策を必死になってしていたけど、これといった決定打は生まれなかった。

 位相閉鎖核作戦、自律型ロボット兵器群の開発、対異界存在兵士製造計画(プロジェクト:キラープリンセス)

 枚挙にいともがないその試みたちはどれも人類の希望にはなれず、人類の滅亡を遅らせるだけにとどまった。

 別に、人間の反抗が進んでいなかったというわけではない。

 メキシコシティ奪還作戦、地中海作戦、アメリカ決戦、その他幾つもの必死の軍事行動の結果、多大な犠牲を払いながらも取り戻せた世界があった。

 でも、それでも。

 取り戻した世界は再び奪われ、また命は失われた。何度人類が異界存在を退けても、異界存在は人類の反抗を踏みつぶす。

 人類の努力を無為なものにして、異界存在は決して侵略の勢いを落すことなく私達を侵食した。

 人口は減り続け、成果の出ない戦いに人々は心の底では不安を感じ、終わりの見えない戦いに人類は確実に力を失っていった。

 だから、私は――

 

 ――■■■■を殺してでも、生きたかった。

 

 いつの間にか、そんな風に思っていた。

 

24

 川藤早苗。

 異界存在研究機関所長ラッセル・アダムズが連れてきた、彼の後継たる女子大学院生だった。

 肩にかかるほどで切りそろえられた黒い髪、やや低めの身長の彼女は、ネイシャ宅を取り囲む森の中で銀の人形たちに女王の如く囲まれながらそこにいる。

 白衣を身に纏うのは、過去を受け継ぐ者としての矜持の表れか。潔癖の白が妙に目に痛かった。

 彼女は異界存在研究機関の正式な研究員ではない。彼女はたかだか連れて来られた女子大学院生である。この事実は不動だ。

 ただそれでも、計画派の末席に座す少女である事実は揺るがない。

 彼女は敵だ。

 かつては手を取り合った先輩後輩だったかもしれない。

 だが、今は相容れぬ思想を掲げる敵同士。互いに殺し合うだけの理由が二人にはある。

「…………ちぃっ!」

 アイギスを解いたシンは大きく舌打ちをした。

 エロースが記憶を取り戻し、同行者となった直後に早苗が襲撃してくるこの展開は、シンが想定する中でも最悪と言って良い。

(ようやくエロースが記憶を取り戻したばかりだって言うのにな……!)

 エロースには過去のことについて整理をするための時間が必要だった。今よりも遥かに発達した文明や異族ではない別の異形との戦闘、自分たちの正体。記憶を取り戻すことで、今まで信じていた常識が悉く破壊された。それだけでも事情を呑み込むことは難しいにも関わらず、エロースには忘れていた親友のこともある。気持ちの整理という点では、破壊された常識なんかより思い出した親友についての方が時間が必要だった。

 だというのに、この展開は、この瞬間は、エロースの最も柔らかい所にある傷を深く抉っている。

 こんな再会誰も望んじゃいなかった。

 シンとしては自分が密かに彼女を撃破した後、エロースの所に連れて行こうと、そんな考えもあったのだ。そうすれば、最低最悪の構図の完成だけは確実に防げる。

 親友同士で殺し合うなんて目も当てられない悲劇は生まれなかった。

「二頭を走らせ、さっさと逃げろ!此処は俺が引き受けるっ」

 シンは馬車から飛び降りた。再度アイギスを形成し、拳銃を右手に握りなおす。

 やる気満々な彼に、焦った様子でオティヌスは言った。

「ちょ、ちょっと、流石に一人じゃ無理でしょ!さっきの攻撃覚えてないの!」

「だからこそだ!アレを防げるのは俺しかいない。いくら卓越したキラープリンセスの身体能力とはいえ、銃弾の速さには負けるっ。この戦場は俺の領分だ。戦力的にも、抱えている過去から考えてもだ!」

「だけど、圧倒的に手数不足だよっ。銀色の人形が何なのか私には全然わからない!でも、あれ一体居れば此処にいる四人を手間なく虐殺できることくらいはわかってる!シンが防御手段を持っているのはさっきのを見ればわかるけど、このままだと確実に手数によって磨り潰されるに決まってる!」

 オティヌスの指摘は的確だった。

 思わずシンは鼻白む。

 流石は軍神でもあるオーディンに名を連ねるキラープリンセスか。普段は活発な少女にしか見えないが、やはり戦闘時には抜け目ない。

 確かにオティヌスの指摘は事実であった。シンのアイギスはM細胞で構築したシンの左腕から形成される生物兵器であるため、ただ削りとられるだけの無機的な武器とは違い持続的な修復が可能だ。削られた分だけ再生する機能がある。だが、それも無限ではない。これはブラフマーストラβと同じだ。再生する際に消費するシンの体力にアイギスの再生機能は制限される。

 つまりは彼のアイギスは、手数さえあれば押し切れる。

 そう、例えば十以上のマシンガンによる掃射とか。

「確かに分が悪いといえば、分が悪い。それは否定しない。だが、こちらにも切札がある。あれらがあるのはわかってたんだ。考えなしに敵対するほど俺は馬鹿じゃない」

 シンは腰に提げたポーチを叩く。

 散々レーヴァテインにも言ってきたが、こちらには秘策がある。友が遺した自律型ロボット兵器群に対する絶対のジョーカーが。

「だから、さっさと行ってくれ。庇いながら叩けるほど俺は強くない。命の方については心配しなくても良い。この体は死ににくい。そういう風に設計してある(・・・・・・・・・・・・)

「で、でもっ――レーヴァテインはどう思うの!?」

 言葉に困ったオティヌスはレーヴァテインの意見を仰ぐ。自分よりシンとの付き合いが長く、明らかにシンの事情を知っているだろう彼女の意見を仰ぎたい。

 するといつの間にか起きていたレーヴァテインが、

「別にその男の判断は妥当だと思うけど」

 と顔色も変えずに宣った。

「キラープリンセスでは自律型ロボット兵器群――銀の人形には勝てないわ。相対しても蜂の巣にされて死ぬだけでしょうね。だったらさっさと撤退するべきよ。邪魔にならない内にね」

 レーヴァテインはつらつらとそう言う。

 オティヌスは一瞬食い下がろうとしたが、込み上げる言葉を呑み込むように喉を脈動させて、シンを見据える。

「わかったよ。心情的には納得できないけど、戦略的に必要なら仕方ないね。これ以上言っても我儘になるだろうしさ。でもさ、逃げて追撃とか来ない?」

「大丈夫だ。アイツはキラープリンセスには手を出さないし、出せない。少なくともさっき俺達が受けた攻撃はしてこないだろう」

「わかった。だったらさっさと行くよ。気を付けてね」

「言われずとも――頼んだ、アルスウィズにアルスヴァグ。彼女達を送り届けてくれ」

 シンが二頭の頭を撫でてやると、ヒヒンと二頭が嘶いた。馬屋の店主の言った通りこの二頭は賢い。心配はいらないだろうと思う。

 オティヌスが手綱を引いた。

 それに応じて二頭が動き出す。

 こうして先輩と後輩、二人の戦場が始動する。

 かと思われた。

「早苗ちゃん!」

 しかし、忘れてはならない。

 此処にはもう一つの繋がりがあることを。

 キラープリンセス、エロース。

 川藤早苗の親友だった少女。

「どうして――」

 馬車を止めてなんて、彼女は言わない。

 過去を知るが故、自律型ロボット兵器群とキラープリンセスとの相性の悪さは自覚している。戦おうなんて思わない。

 それでも、ただ一つだけ問いたいことがあった。

「どうして楽園計画(プロジェクト:エデン)なんて無茶をしたんですか!」

 エロースには分からなかった。

 シンから過去の顛末を聞かされた時、彼女は違和感を覚えていた。

 どうにも自身が知る川藤早苗と位相融合直前の川藤早苗の人間像が合致しない。

 エロースの知る早苗は前向きで少々強引な所があるけれど憎めない、そんな少女だった。少なくとも楽園計画何てわけのわからないものに手を出す人間ではない。

 そんな彼女が何故、何故楽園計画なんてものに手を出したのか。

 その理由が分からない。

 だから、

「答えてください!早苗ちゃんの理由を!」

 エロースは叫ぶ。

 これまで届かなかった分の思いを含めて。

 そして。

 若干の間を置いて、川藤早苗の口が言葉を紡いだ。

 

25

 

 「――――誰?」

 

26

 比喩抜きで、呼吸が止まった。

 シンと、そしてエロースは言葉を失い、忘我する。

 やがて怒りで震える声でシンは言った。

「おい、ふざけてんのか?」

 シンは平然と立つ後輩を睨む。

 だって覚えていないなんて、有り得ないのだ。貴重な休日にテーマパークに一緒に生き、さらには二週間たっぷりその話題をシンにしゃべり続けた早苗がエロースのことを忘れることなど。

 絶対に。

 だけど、それでも彼女は小首をかしげていた。

 まるで、本当にエロースのことなど記憶にないように。

「お前、本当に良い加減にしろよ。本気で言っているのか?」

「本気も何も。事実として私は知りませんし。私には現在も過去もキラープリンセスの知り合いなどいないはずですが。むしろ先輩がどうして怒っているのかがわかりません。そこのオリジナルが一体なんだと言うんです?」

 彼女が欲した疑問はあまりにも非現実的過ぎた。

 まるで昨日まで続いていた当り前のものが、突然今日になって無くなったかのようなそんな信じがたさが胸の内にわだかまる。

 何が一体どうなって、どうしてこんなことになっている。

 理解が追い付かない。いっそ荒唐無稽な笑えない冗談だと言ってくれた方がまだ納得がいく。

「そ、んな……っ」

 エロースが崩れ落ちる音をシンは聞いた。

 記憶を取り戻す前から朧気ながらに覚えていた親友。ようやく全てを思い出し、再出発という時に、最悪の現実が牙を剥いた。

 エロースにとっては気を失いかねないほどの衝撃だろう。

 何せ位相融合の影響で記憶を失ってもなお記憶が残る親友だ。そんな親友が、過去の記憶を失っていないはずの親友が自分自身のことを忘れていると言うのだから。

 あの温かな思い出は嘘だったのか。忘れてしまえるほどにくだらないものだったのか。

 であれば、そんなものを縋っていた自分は一体何だと言うのか。

 心の淵に沸く、疑問と惨めさ。

 しかし、シンは聞いた。

「くだらない。だったら思い出させれば良いだけじゃないですか」

 エロースの力強い言葉を。

「忘れているなら、何かしらの理由があるはずです。だったらその理由を見つけ出して、解決すれば良いだけのこと。足を止める必要なんてない。諦めてる時間なんかない」

 そうだ。

 非情な現実を前に膝を折る必要なんてない。まだ歩み続ける足は砕かれてはいない。不可能だと証明されたわけじゃない。

 だったら膝をついて、涙を流すには速すぎる。

「シンさん。お願いがあります」

「なんだ?」

「どんな手を使ってでもあそこにいる馬鹿な私の親友の目を覚まさせてください。私の代わりに、いますぐ」

 堂々としたエロースの宣告。

 それに答えるようにシンは口の端を広げ凄絶に笑うと、こう言った。

 

「ぶん殴ってでも、思い出させるさ。必ずな」

 

 

27

 嫌に風がないくせに太陽だけは燦々と輝く日だ、とシンは苦々しく思う。そのせいで、周りを囲む木々のざわめきは聞こえず、静寂が彼の耳を覆っていた。

 沈黙が故の耳鳴りが、彼の耳に鋭く刺さる。

 陽気な天気と張り詰めた緊張感のアンバランスさが、シンに不快感を催させる。

 じゃりじゃり、と自分が等間隔で鳴らす足音が、これから始まる戦いへのゴングのように思えた。

「悪い待たせたか」

 そうして、シンは後輩と相対する。

 左腕を不自然に蠢動させながら、彼は木々に遮られない位置に立ち、彼女を睨み付ける。

 既にキラープリンセスを乗せる馬車は去った。もうシンの気を逸らすものはない。

「いえ、お気になさらず。計画派(わたしたち)としても、彼女達が害されるのは都合が悪いですし――ところで、彼女、あのエロースは一体誰なんですか?今までにないくらい先輩は怒ってらっしゃるようですけど」

「本当に覚えていないのか?よりにもよって彼女を」

「ええ、まったく。これっぽちも」

「維持派は記憶が継続してると思ってたんだがな」

「勿論継続していますよ」

「継続してないから、そう言ってるんだよ。馬鹿」

 シンがそう吐き棄てるも、早苗は首を傾げるだけだ。

 ほんとの本当に、心の底から何を言っているのか分かっていない様子であった。

 何故だ。何故だ。何故なんだ。

 忘れるなんて有り得ない。覚えてないなんて嘘としか思えない。

 あんなに仲が良かったのに。

 貴重な休日を二人で遠出をして過ごすほどの親友だったはずなのに。

 あまりに楽しすぎて、たかだか研究所の先輩ごときにべらべらお土産話を聞かせるほど大好きだったはずなのに。

 どうして――

「――どうして忘れてしまってるんだよ…」

 心が痛かった。怒りを滲ませていたはずの言葉も、無自覚の内に萎む。

 シンは当事者ではない。たかだか仲の良い先輩風情だ。そんな人間に言葉を挟む権利なんてないのかもしれないかった。

 それでもシンは、口を閉じたままではいられなかった。

「まだお前の友達は生きてるじゃないか……」

 奇しくも昨日のエロースと同じだった。

 早苗は――結果的にではあるが――シンの傷を深く抉っている。

 だって、だってだ。

 まだエロースは失われていない。息を吸って、二つの足で立って、辛いことがありながら、それでも笑って生きている。

 親友が生きていることが、どれほど幸福であるのか彼女は分かっているのだろうか。

 本音を言えば、シンは早苗とエロースが羨ましい。

 なにせシンの仲間はもういない。誰一人として、生きてはいない。

 〈運命の輪〉、楽園計画(プロジェクト:エデン)を巡る内紛で、誰も彼もがシンに先を託して死んで行った。

 あの時シンは仲間たちの思いを受けて生き残った。そう言ってしまえば、聞こえは良い。

 けれど、シンはあの時のことをこう思っている。

 あの時、自分は逃げたのだ、と。

 仲間を見捨てて、みっともなく敗走した。そういう風にしか、シンは過去を振り返れない。

 シンの特別性である左腕とCMCシステム、そして左目の人工知能〈ana〉。これらをフルに活用すれば、ボロボロになりながらも仲間たち全員で窮地を脱し、今も笑い合えていたんじゃないかとそう思わずにはいられないのだ。

 まったく後悔だけがついて回る。取り返せない過去は呪いとして罪人の背中にへばりつく。

 シンは早苗に言った。

 憔悴した声で、こい願うように。

「なぁ、早苗、思い出せ……どうしてそんなことになってるんだ…」

「そう言われましても、私自身にもよくわかりませんし。というか私からすれば、先輩は訳のわからないことを喚く頭のおかしい人ですからね。ご自分の客観視は出来ていますか?」

 けれど、早苗は容赦なくシンの言葉を切り捨てる。

 当然か。証明不可能、共有できない事実なんて結局の所妄想としか思われないのだから。

 早苗がエロースを忘れてしまっていては、通じるはずもない。

 彼女は淡々と告げる。

「良いから始めましょうか。私も先輩を殺した後、やらなければならないことがありますし」

「畜生、やっぱりこうなるのか」

「何を今更。先輩とてそのつもりだったでしょう?」

「その通りだが、避けたい構図ではあったんだ。特にエロースが記憶を取り戻した直後だからな」

「タイミングの問題ですか…」

「大切だぞ、タイミング。それが悪ければ、物事の良し悪しは二転三転する」

 左腕の黒がシンの前面を塞ぎ、ライオットシールドのように展開された。

 対して、早苗は何の動きを見せずにただその場に佇むだけだ。

「言っておくが、遠慮はいらないからな」

「何故私が手を抜く前提で話してるんですか……。先輩、まだ意識が現実に追いついてないですよね?言葉の端々から私を舐め切った態度が滲み出てますよ」

「御託は良いから、さっさと自律型ロボット兵器群を動かせ」

「散々御託を並び立てたのは先輩でしょ……」

「お前が原因ではあるがな」

 早苗は呆れた様子を隠さずに、溜息を吐いた。それから僅かな怒りを込めた目で彼を見る。

 先程のやりとり。あれはかつての焼き直しだ。それも先輩(シン)後輩(早苗)の役割を取り換えたうえでの再現と言う形で。

 シンからすれば、この再現はちょっとした仕返しだ。勿論過去の分と今日の苛立ちを含めた分のである。ちょっとは胸がせいせいした。

「ちっ―――はぁ、もう良いです。というかなんで無駄話してるんでしょうね、私達」

「お前が自律型ロボット兵器群を動かさないからじゃないか?」

「先輩が向かってこないからですよ」

 そして、彼女は言葉を切って左腕(・・)で体の外側に向かって宙を切った。

 シンは腰を落として、アイギスを構えた。

 来る。二二〇〇年の科学技術の結晶が暴力となって、たった一人の青年に牙を剥く。

「ああ、ところで自律型ロボット兵器群は使いませんよ」

「……だったら何を使う気だ?」

 シンが疑問を飛ばした先、早苗が息を吸った。

 そして。

 その小さな唇を綻ばせる。

 

マナ操作(Mana Control)システム起動――登録術者”川藤早苗”。照合開始」

 

 それは奇しくも発声起動(先輩と同じ)方式。

 

『音声照合完了しました。堆積術式群、解放します』

 

 ポーン、と柔らかく、しかしシンにとっては不気味極まりない電子音が鳴った。

(魔術か……っ!)

 刹那の思考。

 異変は直後に来た。

 ざわざわ、と何かがこすれる音がする。

(……木葉……の音?)

 森の木々がざわめいている。

 風が無いにも関わらず(・・・・・・・・・・・)

「な、にが…っ?」

「先輩はもう此処にいる時点で終わっているんですよ」

 戸惑うシンを前に早苗は淡々とそう言った。

 横に切った左腕を指揮者のように降り、何処までも冷たい瞳を向けてこう告げる。

 

「さようなら、先輩。きっとこの結末が私にとっても、先輩にとっても幸福なことです」 

 

 判断の時間なぞなかった。

 起きたことはただ一つ。

 だから、事実だけを簡潔に告げよう。

 

 森がシンを叩きつぶしたのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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ep.12 彼女の目的は一体何だ?

 11月29日と11月30日から12月1日かけて日間ランキングに載りました。応援ありがとうございます。





28

 不味いわね、とレーヴァテインは心の中でそう呟いた。

 枢機卿――計画派の研究者が現れてから、オティヌスが手綱を握る馬車で逃げ出した先は、レーヴァテインたちがキエム村に来るさいに通って来た切り立った崖の上。地面が遥か下にも関わらずあの男が飛び降りた例の崖である。

 レーヴァテインは森が一望できるこの場所で、あの男と一人の枢機卿との戦いを見つめていた。

 見つめる彼女の瞳に移るのは、感情を押し殺したような冷静だ。戦場の中で冷静沈着な――というよりは無関心無感動と言うべきだろうが――レーヴァテインが感情を僅かでも表すのは珍しい。平素だったら眉を動かさず淡々と異族を殺し、偶に眉を顰めて不快感や苛立ちを表すだけである。

 けれど、この異様な戦場(・・・・・)を前にすれば当然とも言えた。

「なんなのよ…これは……」

 レーヴァテインの見つめる先。

 展開される戦場は彼女が知らないそれであった。

 否、本当は知っている。かつて似た戦場を彼女は知っている。

 知らないと表したのは、異族と剣で斬り合う天上世界の戦いとは全く乖離しているからだ。

 つまり彼女が眼下の戦場を知ったのは、現在ではなく過去。

 眼下の戦場はその異質さにおいて異形に異形を重ねた異界存在たちとの戦闘に似ている。

 しかし、そうであっても、これはあまりにも異様が過ぎた。

 なにせ――

「森の木々を全てを操作しているというの――ッ!」

 森が縦横無尽に動いていた。葉が手裏剣のように飛び、枝は鞭のようにしなり、幹は非現実的な休息成長を遂げ大木となって滑らかに動きまわり、根は起き上がってあの男をつけ狙う。

 この戦いは一対一の決闘ではない。たった一人によって行われる、史上最も異質な包囲戦だ。

 開戦直後。あの男は周囲の木々に一斉に襲われた。枢機卿が放った全方位攻撃を、木々が襲い掛かる僅かな時間差の隙間を利用して、あの男はなんとか事なきを得ている。およそ人間技ではないが、左眼の人工知能が何某かをしたのだろう。そうでもなければ、説明がつかない。

 だが、初撃を避けたからと言って、息を吐く暇があったわけではない。

 むしろ、そこからが地獄だった。

 三百六十度、何処に逃げても枢機卿の魔手は迫る。当然だ。彼女の武器はこの森そのもの。あの男は既に敵の胃袋の中にいる。逃れられる場所などあるはずがない。常にあの男は、木々による集中砲火にさらされていた。

 今は、なんとかあの男の武装――変化自在のアイギスがまるで意志を持っているように、枢機卿の隙の無い飽和攻撃を捌き続けている。

 だが、それも長くは持たない。必ずどこかであの男の体力が追い付かなくなって破綻する。

「流石にアレは不味いでしょっ!援護しないとっ」

 オティヌスが悲鳴のような声を上げる。その手には彼女のスリロスたるボウガンが握られ、マナの矢は装填済みだった。

 明らかな敵対行為。

 焦りを、感じた。

「待って……っ!」

 静止の声を出すがもう遅い。

 既に引き金は引かれている。オティヌスが矢を生み出した時点(・・・・・・・・・・・・・・・)で、それらの許容量は超えている。

 レーヴァテインは視界の先で、一体の銀の人形がこちらに大口径の砲身を向けるのを捉えた。

「まずっ……」

 確実にこちらを粉砕する一撃。オリジナルを殺すわけにはいかないので、ある程度の威力調整がされるようプログラミングはされているだろう。オティヌス殺害の余波でエロースとレーヴァテインを失うわけにはいかないからだ。

 だが、一切の介入をさせぬよう、こちらを再起不能まで追い込むことくらいは造作もないはず。

 レーヴァテインは己が得物を取った。オティヌスは爆撃から庇うためだ。異界存在に与える損傷から逆算すれば、爆撃の破壊力よりスリロスの硬度の方が上。爆圧は防げないが、爆炎や弾丸と化した破壊物は防げる。肉体に傷を負わないだけでも、随分と違うはずだ。

 だがレーヴァテインの思惑とは別に、もう一人のキラープリンセスが動く。

「オティヌスさんっ、レーヴァテインさんっ、低く後ろに跳んでくださいっ!」

 エロースの声が走った。

 咄嗟と言った風情で、オティヌスが声の通りに背面に飛んだ。

 オティヌスのつま先が大地を蹴った。

 その直後。

 ドガァァン、と擬音語で称してしまっては違和感があるほどの破壊があった。

 音が届いてほどなく地面から――崖からあまりにも巨大な土塊(つちくれ)が欠け落ちる。

 ちょうどオティヌスとレーヴァテインが立っていて、気づいてからでは逃げきれない範囲の土塊が。

「危なかった……」

 レーヴァテインはそう安堵共に吐き出した。

 エロースがいなかったら、今頃二人して地面へ真っ逆さまだっただろう。 

 先程起きたのは、ロボット兵器群による砲撃だ。接触爆発型アンチマテリアルライフル弾が崖下に炸裂。それが崖を削り取ったのである。

「自律型ロボット兵器群とは、それなりに軍事行動を共にしていますからぁ、行動パターンはわかりますよぉ」

「貴方たちも大変だったわね」

「ほんとぉに昔は大変でしたぁ。矢はかさばりますから、そんなに持てませんし、相手にしなくちゃいけない異界存在も嫌になるくらいますしぃ」

 過去において、弓のキラープリンセスの矢は異界存在の肉体を加工して作られた特別製の矢だったはずだ。現地調達が出来ないために、弓は随分と苦労したと言う。異界存在に対抗するには一番有効なのが同じ異界存在の肉体だというから敵を撃滅することに関しては合理的なのだろうが、それ以外致命的だ。当時の軍はもう少し頭を捻るべきだろうとも思う。

 そして補給の難と持ち運べる矢の本数のことを鑑みて、弓のキラープリンセスと同時に戦場へ投入されたのが自律型ロボット兵器群であった。あれらは軍事行動の補助を担当していたはずだ。つまりは戦闘介助や武器補給の実働要員である。人間が行うよりは効率的と言うことで、あれらが採用されていた。 

「まぁ、あれも滑稽よね。百年経っても、オリジナルよりも何段も下なんでしょ?」

「たった十人で世界を震撼させた杉山の遺産ですからねぇ。百年で彼らに追いつくのは、難しいんじゃないでしょうかぁ」

 そんなどうでも良い雑談を交わす。

 だからだろう。まったく話についていけてないもう一人が声を上げた。

「ちょっとぉっ!アタシのついていけない話をしないでよっ!有益な話なら解説お願い!!」

 この場で唯一、過去の事を知らないオティヌスが若干悔しそうに、泣きそうな顔をしていた。

 レーヴァテインは過去のことを伝えるために口を開き――かけて、また閉じる。

(そういえば、不用意に過去のことを知ると暴走するんだったわね…)

 エロースは暴走の件を知っているんだったか。あの男が伝えているのかもしれないが、しかしこちらは確定の答えは出せない。

 つまりはレーヴァテインが彼女に伝えるしかない。情報の共有を面倒と思う自分がいるが、共有の重要性を叫ぶ理性がいた。

 だからレーヴァテインは溜息を吐きつつ、暴走しない範囲での知識を伝えるために少しの間をおいて、今度こそ口を開く。

「別に昔話をしてただけ」

 じとーっ、とオティヌスが見てくるが、事実なのだからしょうがない。

 思えば、先ほどの会話に伝えるべきことなどなかった。大変だったねー、そうだねー、みたいな実のない会話にに何の有意味があろうか。というより無駄に頭使いたくない。面倒くさい。

 オティヌスは仕切り直しとして問いかけてくる。

「まぁ、いいや。それで、とにかくあの人形をどうにかしなくちゃいけないと思うんだけど。どうすれば良い?」

 妥当な問いであった。

 しかし、こちらとしては彼女の期待にそう答えを出すことはできない。

「ないわね」

「ないですね」

「ちょっとぉっ!」

 オティヌスが非難の声色を出すが、そうとしか答えようがないのだから仕方ない。

「自律型ロボット兵器群の戦闘能力は元々私達以上のものよ。自律型ロボット兵器群は各一個のロボットが独立ネットワークを構築し、それを世界最高の演算能力を持ったマザーコンピューターが統括した結果、コンマゼロ秒で兆単位での計算を可能とした怪物兵器。作戦なく戦おうとするのは、馬鹿らしいわよ」

「演算処理能力だけじゃなくて、所有している銃火器類も驚異ですし。先程の接触爆発型アンチマテリアルライフル〈D-340〉に加えて、20ミリマシンガン〈BRURT〉、多段爆発手榴弾〈マリスタ爆弾〉、そして胴体が天才マックの作った世界最硬金属ですからぁ。そもそもの基礎スペックがキラープリンセスと違いますよぉ。キラープリンセスが採用されたのは、人道的な判断ができる兵器が必要だとされたからですからぁ。ほら、あったでしょう?まだ私達がクローン生産が決定されていない第一世代(ファーストキラーズ)の運用開始時に起きた、虐殺事件が」

「………?」

 覚えのない情報が出てきた。

「あれ?知らない?貴女はバリバリの現役世代だったと思うのですけどぉ……?」

「知らない……」

「うーん、だったら記憶の蘇りには若干の齟齬があるのかも…?」

「あの、よくわからないけどっ、アタシを忘れないでくれるかなぁっ!お願いだからぁ……」

 気になることが出てきた所で、涙目オティヌスちゃんの横槍が入った。そういえば、いたなこの人と言った感じである。結局置いてけぼりにしたまんまだった。

 泣き出しそうなオティヌスをエロースがフォローするのを横目にいてレーヴァテインは、

「話を本筋に戻すわよ」

「ありがとうございましゅ。エロース、やらかいよ~」

「存外寂しがり屋ですねぇ。よしよし」

 オティヌスがエロースに抱かれて泣いていた。巨大な胸に顔を埋めて、頭を撫でられて慰められている。

 なんだか変なキャラ付けがされてそうだが、レーヴァテインの看過する所ではない。

「とにかく、貴女にもわかるように要約すると、結局できることはなにもないということよ」

「だけど、それじゃあ、シンが……っ!」

「でもですよぉ、ここで一つがで出てきませんかぁ?」

「疑問…?」

 はい、とおっとり仕草で答えたエロースは続けてこう言った。

「そもそもとして、自律型ロボット兵器群は私達――一括りで言う所のシン勢力と戦うことを想定されていたのでしょうかぁ?」

 そもそもの、事態の根底を揺るがしてきた。

「どういうこと?」

「考えても見てください。計画派はこの段階では、シンさんを泳がせて全てのオリジナルのキラープリンセスを集めさせるという話でした。だったら、シンさんを殺すような戦力を投入するとは思えませんよぉ。だけど、自律型ロボット兵器群に早苗ちゃんの魔術は明らかに過剰戦力ですぅ。だとしたら、彼女達は一対何を想定して戦力を整えたんでしょうかねぇ?」

 確かに、言われてみればその通りだった。

 計画派のアンナはあの戦跡の花畑を去る時に言っていた。シンには計画派が追えないオリジナルを確保させるために放置する、と。 

 であれば、この状況はなんだ?

 明らかにシンを叩きつぶそうとするこの状況は計画派の方針と明らかにズレている。

 しかし、だからといって枢機卿がシンを叩きつぶしたいか、と言われれば、それも疑問点が残る。

 だって叩き潰したいなら、開戦直後から自律型ロボット兵器群を投入すれば良い。そうすれば速攻で片が付く。

 ギリギリとか関係ない。

 枢機卿が叩き潰す気ならば、戦えている方がおかしいのだ(・・・・・・・・・・・・・)

「だったら――」

 レーヴァテインは視線を移す。

 未だ尚、森が蠢く戦場へと。

 

「――だったら、自律型ロボット兵器群は何のために投入されたの……?」

 

 見つめる先、答えはあった。

 緩やかにあれらは足を進める。

 森の近隣にある何処にでもあるような平凡な家。

 すなわち、ネイシャ宅へと―――

 

29

 刃が飛んだ。

 否、性格には刃ではない。鉄の如く硬質化した枝が、鉄あらざるしなやかさを持って切り返してきたのだ。

「ちぃっ、過剰戦力が過ぎるぞ、これはっ!」

 やや不自然な挙動で、それをよけるとシンはそうなじる。

 シンはギリギリ、ほんとうにギリギリの所で早苗の猛攻を凌いでいた。

 早苗の操る魔術は―どういう原理かは不明だが―森そのものを武器とした。木々が不気味に煽動し、ありえざる挙動を取った。極めつけは、木々の急成長である。科学的な理解を超える事象であった。

『とはいえどうにかするしかありません。貴方の体がもたなくなる前に』

「具体性のない打開策よりも、表面上の同情の方が欲しかったわけだが!」

『タイヘンデスネー』

「お前っ、ほんっといい性格してるな!」

 そんな戯言を交わしつつ、シンの体(・・・・)は枝の槍を回避する。

 状況としては絶望的であった。四方八方は敵の武装。それも千変万化する非形状固定武装だ。応用性に底はなく、対策が立てずらい。おまけに全ての攻撃が速く、鋭いから、手に負えなかった。一撃喰らえば、それが死につながるような戦場だ。全てが致命傷とも言える猛攻など気が狂いそうになる。

 異界存在タイプ:ドライアドとの戦いを思い出された。枯れた枝のような体躯を持つあれとの戦いが、これと類似していた。とはいえ、タイプ:ドライアドの方が攻撃性という点では早苗よりは生温いが。

 だから、最初の攻撃――三百六十度、全方位から攻撃が繰り出され、〈ana〉の予測線が算出された時、シンはこう決断したのである。

「〈ana〉、体を預ける」

『かしこまりました。CMCネットワークを経由して、貴方の肉体の制御権を一時借り受けます』

 下したのは、凍結されていた〈ana〉のCMCシステム統括制御OS管理権を解凍命令。

 導き出されるのは、シンの肉体を極小コンピューターである〈ana〉への明け渡しだ。

 ビリり、と刹那の内に僅かな痺れが体を駆け抜けた。

 そして。

 〈ana〉が算出した予測線をかいくぐるようにして、シンの体は木々の槍を凌いでいた。

 初撃以降の畳みかけるような連撃も、〈ana〉の制御下で行ってきた。機械に体を預けるなんて頭の螺子が外れてると言われるかもしれないが、人間より遥かに高い演算処理能力を持った機械に任せた方が判断の肉体への反映が速い。一撃必死の高速戦闘においての有用性は明らかなはずだ。

 唯一動かせるのは、口ぐらいか。

「次来るぞ……っ!」

『わかってますっ!』

 目前、五つの硬質化した回転する木葉と三つの枝の槍が迫る。

「『CMCシステム起動、コード2117651〈ダーインスレイブ〉』」

 シンの口が言葉を紡ぐ。

 途端に流動性のある盾状態の左腕から黒い無骨な剣が生成される。

「『…………ぅ』」

 〈ana〉が息を吸った。

 それから、強く大地を蹴る。

 繰り出されるのは、滑らかな剣技だった。

 鋭く飛来する硬質化した二枚の木葉を打ち払い、立て続けに食らいつく三本の槍を剣の腹でいなし足さばきでいなし、隙を縫うようにしてやってくる三枚の木葉を瞬間強化(ブースト)を使い、一息に抜き去った。

 しかし、木々の猛攻はまだ終わらない。

 九十度に四方向の木々の幹が肥大化する。それに付随して、シンの足元の地面が隆起した。否、地面ではない。隆起したように見えたのは、根。それが地上へと躍り出たのである。

 植物の根は時にコンクリートすら伸びていく。であれば、その力が人に振るわれたらどうか。

 答えは簡単。

 重力の頸木を断ち切って、直上へと吹き飛ばされる。

 シンは意識の明滅を感じとった。頭の中がシェイクされるような気持ちの悪さ。肉体の制御権を明け渡したとはいえ、シンの自意識は失われていない。

 〈ana〉が慌ただしく動く。

『血中酸素濃度、血流を即時調整。体内環境の調整を実行し、肉体感覚を平時のそれへと強制変調します』

 ぎゅるん、とそんな感じでシンの肉体感覚が戻された。急速な感覚調整に吐き気を催すが、〈ana〉はそれを認めないし、認められない。

 敵は待ってはくれない。次なる魔手はすぐそこに。

 変貌した巨木たちの幹から不自然な成長があった。シンに面した幹の上から下まで、びっしりと枝が生え始め、分岐し、シンの体を追いたてる。

「どうする!こっちは空中にいるが!」

『783に分岐した枝槍を確認。なんとかしますよ、なんとか!耐えてくださいね、貴方の体!』

 先に到達したのは、約五十の枝槍だ。

 すぐさま左腕に持ったダーインスレイブ走る。

 最初に破断したのは、前方左下より迫る枝槍だった。〈ana〉はその中でも太目の枝槍に目ぼしを付けた。無骨な剣を大きく振りかぶり、一息に先鋭化した先端を切り取った。

 そのままの勢いで、〈ana〉は器用に太目の枝に着地。軽業師のようなバランス感覚で、枝の上を駆け抜ける。

 枝槍がシンの背中を追った。後ろからだけではない。前からも、シンの体を貫かんと迫りくる。集合した枝槍はさながら獣の口のようであった。前後からちっぽけな人間に食らいつく二頭の獣。容赦のない破壊の群れがシンの体に襲い掛かる。

 対して、〈ana〉の算出した答えはシンプルだった。

『前後から迫るだけなら、それ以外の方向へと回避すれば良い』

 シンの重心が下がる。右手が枝をなぞった。

『すなわち下。自滅覚悟の急転直下は流石に想定していないでしょう』

 シンが非難をする暇もなかった。

「『CMCシステム起動、〈瞬間強化(ブースト)〉』」

 直後にシンが足場にしていた枝槍が破裂する。

 人間の足が出したとは信じられるような鋭い空気を打つ音を残して。

 

 

「とんだ最適解だな」

『仕方ないでしょう。最適解だったんですから』

 そこそこのクレーターの中心地にシンはいた。

 彼はぼやく。

「流石に死ぬかと思ったぞ」

『成功率五割くらいでしたね』

「随分な賭けだったな!」

『それくらい危険な戦場ということですよ、此処は』

「安全バーなしの絶叫体験なぞ、二度と経験したくない」

『一応クッションはありましたけれどね』

 瞬間強化による筋力増強効果で弾丸のように自身を打ち出すことで、なんとか状況を脱することを決定した〈ana〉。勿論、そのまま地面に激突すれば、即死である。

 そこで使われたのが、アイギスだ。不定の楯であるあれを何層にも織り込み、簡易クッションとした。とはいえ、衝撃を殺しきれるものではなく、体のあちこちに痛みがあるのだが。

 〈ana〉は武装をアイギスから再びダーインスレイブに持ち替えた。

 シンの顔を四つの大木の中心へと向けて、告げる。

『来ましたよ。彼女が』

 先程までシンを追っていた枝槍を足場に、彼女は君臨していた。

 枢機卿、川藤早苗。

 彼女は眉間に皺を寄せ、苦虫を噛みつぶしたような顔で言い放つ。

「まだ死にませんか。存外しぶといですね、先輩」

「そう簡単に死ねないな。あの悲劇を繰り替えさないためにも」

「まだそんなことを言っているんですか」

 不快そうに呟いて、彼女は呆れ顔でそう吐き出した。

「先輩、大義のためには犠牲が必要なんです。楽園計画(プロジェクト:エデン)はその犠牲を払うに足る大義です。止めようとする方が、間違ってます」

「くだらんなぁ、おい!失敗から何も学でいないのか?その大義は一度失敗し、こんな世界が出来上がっているんだぞ!キラープリンセスだけでなく、本来救うはずだった人類さえ滅ぼしてでも成した大義に何の意味があった!」

「一度失敗した程度で、大義は崩れませんよ。それに実験がたった一回で成功するはずがないじゃないですか。何度だって繰り返して、ようやく実験が実を結ぶのは科学者なら自明の理だと思いますが。そもそもですね。先輩のやり方で果たして人類が救われたのですか?」

「ああ、救えた!救えていたんだ!キラープリンセスと人間が共生し、ようやっと異界存在を俺達の位相より追い出す手段が確立された!なら、できないはずがない!あの戦況なら、異界存在のいない世界を作り上げることだって、出来たはずだっ」

 もし異界存在研究機関が二つの派閥に分れていなければ。

 もし〈運命の輪〉が正しく運用されていたならば。

 異界存在と人類は永遠に決別できたはずだった。人類側にはその力があったし、徐々にではあったが異界存在の支配域を押し戻していた。北米大陸の奪還も近く、ユーラシア大陸ではヒマラヤ以南までは既に人類の生活圏としていて、ヨーロッパ奪還大規模作戦も考え始められており、世論も見え始めていた地球奪還に熱を上げていた。

「なあ、早苗、何故だ?何故〈運命の輪〉をあんな風に使うことに賛同したんだ?異界存在が流入する穴を塞ぐには、〈運命の輪〉の力が必要だった。あれが人類の希望であることは否定できない。だからこそ、解せない。お前が楽園計画(プロジェクト:エデン)なんて不安定な運用法に手を出したことが。国連の方針通りだったら、ほぼ八割の確率で〈運命の輪〉の運用は成功していた。当時の戦況と〈運命の輪〉の成功率を考えれば、楽園計画なんて不要だろう?」

「その見解には私と先輩の間での根本的な齟齬があります」

「何?」

 どういうことだろうか。

 戸惑うシンに彼女は冷たい声で告げた。

「そもそもとして、私は人類の勝利を確信などしていません(・・・・・・・・・・・・・・・・)

「………っ!」

「人類の勝利を、私は信じられなかった。暴威を振るい続けた彼らを追い返せるなんて、微塵も思っていなかった。だから、求めた。不安定でも、成功率が低くても、すぐに人類を救済する方法を!」

 早苗は吠えた。それと共に左胸から青い光が漏れ出す。

「私は先輩ほど夢見がちではありません。現実的に考えましょう。人口は戦争によって減り続けて、戦える戦力は着々と減っていた。地球資源の枯渇に伴い、軍用兵器の生産は滞っていた。これの何処に勝利を見出せと?異界存在を潰す前に、人類が自身を磨り潰す方が早いに決まっています」

「資源が枯渇するには、あと二十年ほどの時間が必要だったはずだ。人口だって、二一九〇年代後半は増加傾向にあった。客観的統計データを否定するつもりか?」

「二千二百年は重大な分岐点だということをお忘れですか?先輩自身が言ったように、人類は地球奪還に沸き立っていた。戦争の狂騒に囚われ始めている時点で、資源の消耗と人的資源の戦場投入は避けられませんよ。そこで失われるものがどれほどあるか……。それに楽園計画の実行日以降にどのような作戦があるかも考えなければなりません。北米大陸奪還戦、ヨーロッパ大規模作戦、この二つだけでもどれほどの損失と被害が出るでしょうか?」

「勝利すれば――」

「勝利すれば――っ?はっ、何ですか、その希望的観測は。その程度で人類勝利の確信を得ていたというのなら、それこそ片腹痛い(・・・・)

「違うっ、最後まで話を――っ!」

「もういいです。先輩と言葉を交わす気はもうありません。貴方はここで叩き潰す。私のためにも、貴方のためにもね」

「――――ちぃっ!」

「堆積術式群起動。森よ、我が腕となりて、我が敵を討ち果たせ」

 相互理解は投棄された。

 再びの殲滅戦が幕を開ける。

 

 

 枝槍を跳び越える。

 最早何度繰り返したかわからない行為。

 されど、繰り替えさざるを得ない。

 場を支配しているのは、シンではないのだから。

 枝槍が四方八方から迫る。

「『――――っ!』」

 それをダーインスレイブが切り払い、さらに連続の瞬間強化(ブースト)によって追いすがる枝槍を振り払う。

『不味いですね。このままでは貴方の体がもちません』

「とはいえ、打開策もないだろう。弱点は見つかっているが」

『胸の青。ちょうど心臓の上に位置する光のことですね』

「あれがおそらく、マナを操る装置の発光だろうな」

『暫定名、マナコントローラー。晶化病でそこら中に巻いたマナを通して、木々を操っているとするのが正解でしょうね』

「とはいえ、木々が急成長を遂げるのは謎だがな」

『クローンのキラープリンセスの寿命問題やら晶化病などわからないことが多いですけど、まあデータが増えるのは良いことです。集まったデータを元にその性質を算出すれば良いでしょう』

「何はともあれ、まずは今日を切り抜けてからだっ!」

『語調を勢いづけた所で今の貴方には何の意味もないですよ』

 そう言って、パルクールの要領で枝槍をかいくぐる〈ana〉。

 それから背後より追撃する硬質化した木葉を拳銃にて撃ち落とし、再び大地を蹴った。

 足を休める暇はない。早苗の猛攻を切り抜けるために、〈ana〉が最適解としたのは常時の高速戦闘だった。何処であっても牙を剥き続ける森の中。敵の多重の集中攻撃を防ぐためには、常に移動し続けることで枝槍と硬質化した木葉が雪だるま式に増えることを防がなければならなかった。いわば攻撃の中心点というべきものを作らないように常に移動し続けることにしたのだ。

 おかげで四方八方に枝槍を展開され、袋小路のどん詰まりに追い詰められることはないわけだが、一つの問題点がある。

「どう早苗を止めるか、だな」

 実は先程から攻撃のを隙を突いて〈ana〉がアッキヌフォートを打つのだが、早苗は固い幹の壁によってあれらを防いでいた。アッキヌフォートの速さは人間が捕捉できる速さではないのだが、まぁ、おそらく彼女もシンと同じような機械的補助があるのだろう。

「メギドで終わらせるか?」

 メギドならば、障壁など関係なく赤外線照射によって焼却することが出来る。物理的障害は無意味だ。

 シンの提案に、〈ana〉はこう答える。

『いえ、無理でしょう。照準を合わせている間に貴方が死にます』

「まぁ、そうか。すまない、言ってみただけだ」

『いえ、まぁ、それは良いのですが……』

「ん?どうかしたか?」

『元気だな…と。正直後輩に手ひどく言われて、精神的に傷ついているものかと』

「多少はな。だが、それ以上に気になる点がある」

『気になる点?』

「先程のあいつの論法がな」

 早苗のまくし立てについての違和を彼女をよく知るシンは感じ取っていた。

「早苗、妙に論理的な説明でまくし立てていた。それは同意できるな?」

『ええ、検証の精度はともかくとして当時の状況から考えられる可能性を列挙し、貴方の意見を否定していましたね』

「ああ、だからこそ怪しい」

『は?』

「いや、早苗が論理的にまくし立てるなんておかしいんだ」

『……………何言ってるんですか?』

「ドン引きするな、まずは聞け」

『は、はぁ…』

「早苗の研究論文――筆記での論法についてはともかくとして、彼女の口上での語り口はいつだって主観的で、感情的だった。自分に都合の悪いことは徹底的に無視をする。そんな人間だ。彼女が真っ向から否定し、論理的にこちらを論破しようとする?有り得ない。最後は会話を切り上げたが、本来の彼女だったら論争する前に切り上げる」

 いつぞやの、そうだ、エロースと一緒に世界的に有名なテーマパークに行く前の会話なんかが該当するか。

 早苗は即興の議論ができない。というのがシンの見立てである。

『であれば先程の議論はなんです?彼女が論理的な話法を持たないとするならば、事実を否定することなりますが』

「簡単だ。あれは即興の議論などではなかった。アイツは事前に用意していた答えを並べ立てていただけに過ぎないんだよ」

『なぜそんなことを?』

「必要だったんだろう。早苗なりの自分自身に対する言い訳が。早苗は情に弱い。俺達を裏切ったことに対する負い目を感じないために、計画派に入った理由を客観的事実で補強、あるいは代替物としたんだと考えている」

『となると彼女が計画派に入った理由というのはもっと主観的で感情的なものであるということですか?』

「多分な。あの妙にシリアスぶったキャラクターも俺と敵対するための役作りと言ったところだろう」

 無駄な苦労をする後輩だと思う。さっさと切り捨てれば良いのに。他の計画派がそうしているように。

「中々複雑だな」

『敵に同情してる暇があったら生き残ることを考えてください。例えば、自律型ロボット兵器群のこととか!?』

「ああ、そうだ。自律型ロボって兵器群についても不自然だな」

『何がですか?』

 言いながら、〈ana〉は枝槍を切り捌く。硬質化の木葉を足のステップで躱し切り、アッキヌフォートをお見舞いする。

 案の定防がれた。

『貴方が気になることを言うせいで、防がれました』

「もう何度も繰り返したプロセスだよな?そうだよな?」

『で、自律型ロボット兵器群がどうしたんです?』

「お前な………」

 相も変わらず感情豊かな人工知能である。

 シンは諦めの溜息をついて、

「自律型ロボット兵器群は明らかに過剰戦力だ。これはレーヴァテインとエロースもなんとなく思っていることだろうが、俺一人を殺しきるには戦力を注ぎすぎている」

『そもそも論として、計画派の方針は私達に残りのオリジナルを集めさせて後から掠め取る算段でしたよね。であれば、今この段階で自律型ロボット兵器群を投入するのは機会を間違えてます』

「そうだな。であるならば、疑問点はただ一つ。すなわち自律型ロボット兵器群は俺に刺し向けられたものなのか?」

 そもそもだ。

 シンの殺害が目的ならば、何故魔術などという回りくどい方法を執る?自律型ロボット兵器群を投入すれば、圧倒的な手数と破壊力でシンを一方的に殺害することができた。そうすれば早苗は自律型ロボット兵器群の指揮を執れば良いだけである。魔術という奥の手を晒さない、既存の方法で目的を達成できる。利点しかない最適解のはずだ。

 おそらく今現在の戦いは早苗の独断によるもの。計画派の各地に散らばったオリジナルの独力での回収は困難なのは事実だろうし、シンが全てのキラープリンセスを回収した後強奪しようという考えもコルテ大規模討伐戦以降の短い間に変わるとは思えないし、彼女程度の立場では計画派の方針を変えられるはずもない。よっぽど合理的な理由があれば別だが、まぁ、ないだろう。あったらあったで、逆に自律型ロボット兵器群を初期投入しないことに対する合理性が取れなくなる。

「あとは場所だ。早苗の魔術はマナを操作するもの。それもある程度結晶化したマナ限定だ」

『そうでなければ戦いにすらならず、瞬殺されていますもんね』

「天上世界の環境を鑑みるに、この森で見られるほどの大きさのマナの結晶は何処にでも転がっているような代物ではない。だとすると、早苗の魔術は念入りに下準備をしなければ機能しない。つまり俺が来たから準備したというわけではない。俺との戦いは本流ではなく、ただの支流だろう。つまり、偶々いたから殺す。計画派の意向ではなく、早苗の私情によってだ」

『エロースを狙って、という可能性もありますが、エロース自身もキエム村では新参者ですしね。彼女が来る前に下準備となる晶化病は発生していましたから、彼女を狙ってというのもないでしょう』

「あてずっぽうにいくつか天上世界に実験場を設けて、オリジナルか俺がやってくるのを待つというのもある。が、天上世界を旅しているはずのオティヌスが知らないなら、実験場がそこらにあるというのも考えにくい。早苗の実験場は一つで、此処をピンポイントで狙っていると考えるべきだろう」

 枝槍が迫る。

 一人と一機はそれらを振り捌きながら、考える。

 

 ――彼女がキエム村にやって来た本来の目的は一体何だ?

 



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ep.13 別系統の古き対立軸

30

 早苗は目の前に展開されているホログラムを操作し続けた。

(先輩は本当にしぶといなぁっ!)

 木々を足場にして宙に立つ早苗は心の中で歯噛みする。

 手元のタイマーを見ると、制限時間は残り十四分。計画派としての本流に合流するために、彼女が自分自身に課した制約である。

 彼女の目線が追うのは、白衣の青年だ。彼は無骨な黒剣と共におよそ人間とは思えない挙動で枝槍を潜り抜けていく。

 おそらくは先輩の左目に搭載されている〈ana〉が彼の体を操っているのだろう。人間の限界を超えた判断速度と人体の限界を顧みない挙動は人工知能でなければできない。

 こちらもマナ制御デバイス――MCデバイスに搭載されている演算装置のオートディフェンスに自身の守りを任せて、標準設定を任せているが、ただそれだけだ。自分自身を機械に明け渡すようなことはしないし、出来ない。

 つくづくこう思う。

「本当に無茶をするよね……っ」

 早苗は先輩の進行方向に枝槍を十程展開する。右に二、左に三、下から突き上げるように四とその中に潜ませるように一。嚙合わせるようにして先輩に食らいつかせる。

 切っ先をより先鋭化させ空気抵抗を減らし、予備動作無しでそれらを突出させた。〈ana〉の判断処理速度でも、予測のとっかかりがなければ捌ききれないはずだ。コンマ一秒の速撃。そうあたりをつけて、彼女は枝槍を一直線に突出させる。

()ったっ‼」

 そう確信する。

 先輩の体は足を一歩踏み出した瞬間で体の動きは既に前進の形を取っている。それからの軌道修正は不可能。もとより回避に判断を当てる時間もない。枝槍は一つも外れることなく先輩の体をズタズタに引き裂くはずだ。

(これで終わる、これで終わり……っ!)

 そう、確信していた。確信できたのだ。

 だが、視線の先。

 先輩の頬が不敵に緩む。

 まるでこちらの予測が甘いと言わんばかりに。

「な……っ!」

 早苗は息を呑む。

 〈ana〉は対応していた(・・・・・・)

 予備動作なし、コンマ一秒の速撃を。

 やったことはシンプルだ。

 一歩前に踏み込んで、下から突き上げる枝槍の()に飛び乗り、枝槍の上昇する力を利用して飛びあがった。

 ただそれだけ。

 言葉にするのは、シンプルだ。だけど、それを実行するのに、どれほどの力が必要なのか。

 少なくともただの人間と人工知能には出来ない神技だ。

 先輩の有する特別な肉体に世界最高の天才マックが作った人工知能〈ana〉。

 このどちらかが欠けていても成り立たなかった。

「ああ、もう!支流にかかずらかっている余裕なんてないのに!」

 あまりにもしぶとい先輩に、早苗は地団駄を踏む。

 そうだ。私情を含めれば大本命なのだが、計画派としてはシンはついでなのだ。彼を殺せば、始末書の山にしばらく追われるだろうが、最悪〈ana〉さえ回収できれば、世界に散らばっているオリジナルは追える。多少、いや大分手続きが面倒になるが、できないことじゃない。だから、殺したって問題ない。

 自分の魔術を使えば、簡単に圧殺できると思っていたのにこのざまだ。早苗としては、初撃で終わると思ったがあっさり避けられた。初手で殺せなかったのは手痛い。学習する機会を与えてしまえば、〈ana〉は戦闘の最適パターンを生み出してしまうから。長引けば長引くほど、追い詰められるのは早苗である。

 枝槍や硬質化させた葉だけでは埒があかない、と早苗は次なる手を打つ。

「マナ制御システム起動」

 早苗は胸部に装着したMCデバイスに音声入力、システムを起動する。

 途端に彼女の前に出現する青いホログラム。それは早苗と先輩が激突している森を縮小し、空中に表していた。大気中のマナを可視化できるまで集合させて、形を整えたものだ。大気中の極微小なマナで先輩を殺すようなことはできないが、この程度のことくらいはできる。情報は肩から胸にかけて覆っているMCデバイスによるマナを通じた地上精査で得ていた。ホログラムの青には濃淡があり。これはマナの濃度を表している。青が濃ければ濃いほどマナ濃度が高いということだ。

 平素であれば、投影範囲内にある物質は縁どられる程度――つまり、森の場合であれば木の輪郭を表す程度で投影されている。だが、今回に限っては事情が違う。早苗の実験――晶化病を筆頭に、あの研究施設が起点となる異常現象のことだ――の影響で、マナが木々や地中に凝固している。普段は空白の輪郭の中が青色に染まっていた。

「今度は槍じゃない、槌っ!」

 早苗は先輩が走る周囲の木々の葉が生い茂る部分を、摘まんで離す。

 ホログラム上で木々が先輩を中心に円状に叩きつぶすように動く。

 そして、対応するように現実でもそうなった。

「よし……っ!」

 駆ける先輩が滅茶苦茶に叩き付けられる。

 先程の木槌ではあるが、勿論葉と枝は硬質化してある。イメージとしては、鉄のワイヤーで作った球に鉄塊を括りつけたハンマーか。直撃すれば、ズタズタに肉が引き裂かれ、骨は粉微塵に砕かれる。残るのは血まみれの無惨な肉塊だろう。

 今度こそは逃れられないはず。彼を襲うのは、それぞれに変化した不規則な凶器の集合体だ。その全てを避けきることなど出来るものか。

 そう思ってた。思えてたんだよ……ほんとに……

「なんとなくわかってけどっ、いい加減ムカつくなぁっ!」

 今度は正攻法でぶち破られた。

 つまりは、ダーインスレイブの剣戟で。

 的確に枝を捌き、最低限の、自分自身を守れる範囲での安全地帯を確保した。

 こちらも言うだけならば、簡単。だけど、そこにあるのは尖りに尖った実力だ。

 ただし、尖っているだけならまだしも、彼らにはそれを支えるだけの積み重ねた努力がある。努力に裏付けられた実力を切り崩すことは容易ではない。

 つまるところ、早苗はそこを見誤っていたのである。

 片や前線で異界存在と戦っていた兵士。

 片や安全地帯で後方支援としての研究者。

 戦闘において、どちらが強いかは明白だろう。

 ちらりとタイマーを見る。時間は八分を指していた。

 早苗は焦る。

「ああ、もうっ!さっさとしないと、こっちが不利になるのに!」

 学習からの最適化。生き残るたび、一人と一機は対早苗の戦略を組み上げていく。

 あと早く戦いを終わらせたいのは、心情的な問題もあった。 

「長引くなら、さっきべらべら喋らなければよかったよっ」

 自分でもらしくもないと思いながら、長々とした口上を言ってしまった。

 あれは嘘ではないが、計画派に入った真意というわけでもない。

 否、真意というのは大層か。ただちょっと言いたくないだけのこと。面と向かって言うのは恥ずかしいし、躊躇われる。そんな感じ。

 ただ、まぁ、隠した所で、言い訳を並べてしまったら、先輩に対しては何の意味もない。

 何せ彼は曲がりになりにも全キラープリンセスと向き合って、彼女たちのカウンセリングを行ってきた人間だ。言動の端端から、心の深奥に辿り着くなどお手の物。言い訳だなんてとっくに見抜いているだろうし、知己である早苗のプロファイリングなどすっかり終えているだろう。

 全部まるっとお見通し、なんてことは流石に無い。だが計画派参入の動機くらいまでは見透かされているのは確実だ。

 やっぱり何もしゃべらず、一方的に攻め立てれば良かった。早苗はそう後悔する。会話なんてしなければ、心がかき乱されることなんてなかったのに。

 先輩から全てを奪い、それから最後に残ったものさえも奪おうとしている今、早苗が思えた義理でもない。だが、それでも一抹の後悔と悔悟の念が彼女の胸に去来する。

 だが、それも一瞬だ。直ぐに早苗は浮かんだ感情を振り払って、再びの攻勢に入る。

「今はとにかく、先輩を止めないと……っ!」

 先輩の殺害は計画派の意図する所ではない。完全な早苗の独断であり、早苗の私情に基づくものである。反逆とも言われかねない、独断先行だ。

 ここで先輩を殺すということは、計画派のオリジナルの回収を阻害するということ。唯一オリジナルの位置を探し当てられる先輩の成果を横から掠め取る、計画派の目論見は破綻することとなる。

 だが、早苗は何も問題ないと考えていた。現在地不明のオリジナルはあと一人(・・・・・・・・・・・・・・・・)。先輩を殺した後、彼の右眼を摘出し、〈ana〉を計画派が利用すれば良い。例え自己破壊プログラムが内蔵されていても、問題はない。計画派(こちら)にはどんな埒外も可能とする大悪魔がいるのだから。人員面からみても、ノルマを達成して暇な早苗が最後の一人を確保しに行けば良い。

 だから。

「ここで終わらせる。先輩の無理を、先輩の無茶を……っ!」

 これ以上、彼に彼を壊させない。

 早苗は知っているのだ。先輩がああなってしまうまでにどれほどの無茶をしているのか、を。

 どうやったって彼は目的を達成するまで止まらない。この現実を彼女は嫌と言う程知っている。

 早苗としては、彼を止められればそれで良い。だから、殺せなくたって構わない。殺害を選んだのは、それが手っ取り早いから。ただそれだけだ。例え殺せなくても、目的を断念せざるを得ない―――最低でも四肢欠損までは持ちこんで見せる。そうしなければ、そうしないと、最悪の結末が――ッ!

「ちぃっ!」

 森を捻じ曲げ、世界を変える。

 目の前の空間を支配しているのは間違いなく早苗のはずなのに、先輩を押せない、押しつぶせない。

 圧倒的な優位に立っていながらも、早苗の一手はいつまでも経っても先輩には届かない。

 決着が着く様子はなかった。早苗の攻撃は先輩には通じないし、先輩の攻撃は早苗には届かない。息が詰まるような膠着状態が続いている。

 全ては偶然の産物だった。早苗の向かう先がキエム村だったことにも、エロースがキエム村に居て先輩がやって来たことにも、必然性はない。

 たまたま二つの目的が交差しただけのこと。

 だからこそ、早苗はこのチャンスを逃すつもりもなかったのだが。

「―――っ!」

 追いすがる。早苗の指先が。

 けれど、どうやったって届かない。

 黒い剣で、銀の刃で、黒の楯で、厚い斧で、鋭い槍で。

 その悉くが振り払われて、指先を折られていく。

 広大な森に比べて、ちっぽけな男の背中。

 それが何処までも遠い。

「時間は――――っ!」

 叫びながら、早苗は心の中で祈るようにタイマーを見た。

 指し示す時間は、「00:01」だった。

 それはつまり――

 

「ああもう、時間切れっ!」

 

31

 

 無口な銀の人形は森の中にポツンと立つ一軒家を取り囲んでいた。

 そこは昨日まで、村から差別された老婆が住んでいた場所。

「―――――――――」

 無言で自律型ロボット兵器群は20ミリマシンガン〈BRURT〉の円形に並んだ十の砲口を並び立てる。

 かちゃり、かちゃり。

 背中に二人の激突音を受けながら、あくまでそれらは静かに命令を遂行する。

 早苗に入力された命令通りに。

 引き金に金属の指がかかる。毎秒百発の地獄が今、旧ネイシャ宅へと火を噴いた。

 

 果たしてそこにいるのは誰だったか。

 

 答えが出るには、さほど時間がかからない。

 

32

 その時、その場に居た誰もがその光景を見ていた。

 ズガガガガガガッ!ズガガガガッ!

 止まることのない破壊音。

 一つの家が瓦礫へと変貌するまで、さほどの時間は掛からなかった。

 

 シンは心底訳が分からないと言った風に呟く。

「どういう……ことだ……?」

 

 〈ana〉はあくまで機械的に疑問する。

『何をしているのでしょうか?いえ、この場合何がしたいのか、ですか』

 

 レーヴァテインは静かに眉を顰めた。

「…………?」

 

 オティヌスは全く事態を呑み込めていない。

「え、ちょ、どうして?」

 

 そして。

 その場で何が起きたのかを二人だけが理解できていた。

 

「べルフさん!?」

「そんなに簡単にやられてくれないよね、ベルフェゴール!」

 

 誰よりも長く共に過ごしていたエロースとその命を本命とした川藤早苗。

 この二人である。

 

33

 その少年は気だるげに伸びをした。まるで何事かもなかったように、いつも通りに。余裕すら感じ取れる、緩慢な調子で彼は伸びをする。

「目覚ましにしては、随分と荒っぽいねぇ」

 彼の周囲は瓦礫であった。昨日までは生まれ、暮らした村から迫害された哀れな女の持ち主で、今日からはこの少年の寝床となるはずだった家の残骸。そこは破壊されなければ、きっと老婆と少女の始まりは残酷な、けれど優しい思い出の詰まった永遠となるはずだった。

 少年は欠伸を一つ漏らす。漏れた涙の滴を指で拭った。視線を横に映すと、側には不自然に積み上がった瓦礫があった。その瓦礫の集積は彼を円形状に取り囲んでいる。彼の周りを埋め尽くす瓦礫ではあったが、どれ一つとて彼を害することはなかったのだ。まるで、瓦礫が彼を避けているようであった。

 ふと太陽の光の反射が彼の目に着いた。気まぐれに反射しているものを取ってみる。

 それは鈍い色の流線形を描く物体だった。すなわち、銃弾。外に布陣を張る自律型ロボット兵器群が放った小さな死。

「また懐かしいなぁ」

 彼はそれを見たことがある。彼の位相(・・・・)に在り得ざるそれはもう数えるも嫌になるくらい昔の戦争でまき散らされた。

 その戦争の名は、創世戦争。教会の歴史に記される最も古い歴史。

 全ての音が静止した世界で、ゴキンッ、と関節が鳴る。それは彼の首の関節が鳴る音だった。

「ほんとーはずっとぐーたらしてたいけど、まぁ教会がある限りしょうがないか」

 彼はそう言うが、創世戦争以来この場所にずっと居て、何もしてこなかったのは果たして誰だったか。もう少し自分を顧みるべきである。 

 まぁ、とはいえ、彼の長すぎる沈黙は教会によって破られた。面倒(めんど)くさいことこの上ないが、彼の平穏を取り戻すためにも動かなければならない。

 よって彼は立ちあがる。ゆっくりと、緩慢に。

「お?」

 赤い光が彼の体に突き刺さった。

 自律型ロボット兵器群のレーザーポインターだ。異界存在を打ち砕くために作られた、火力を極めた現代兵器の最高峰が彼個人に照準を合わせている。

 その現実には誰だってすくみ上る。それはキラープリンセスだろうが、シンであろうが、関係なくだ。

 だが、彼は、二度目の欠伸をする彼は、いつもの気だるげな調子を崩さなかった。

 爽やかな朝の爽やかな目覚めのように再び伸びをして、三度目の欠伸をして、体を左右に捩じり、屈伸運動をして、肩を右から左へ順に回し、およそ十秒ほどぼーっとした後、首の座りが悪いのか時計回りと反時計回りに一周させて、腱を伸ばすために前屈、そのままの流れで後ろで手を組んで上に持ち上げ肩をほぐす、それから思いっきり大きな欠伸をした。

 そうして彼は気の抜けた声でようやく言葉を紡ぐ。

 

「――醜悪の怠惰(カイツール)

  

 

34

「―――おわっ!」

 シンは情けない声を上げて、驚いた。

 だが、それも仕方がない。

 何せ、虚空から唐突にべルフが現れたのだから。

「――よっ、と」

 シンを驚かせたべルフは彼のことを気にすることなく、気だるげに空中から着地した。

「な、な、な、な」

「うーん、そこまで驚いてくれると嬉しくなるねぇ。マジシャンになるのも悪くないかもしれない」

「どういう原理だっ!」

「『な』で始まったのに、『ど』で始まるのか。不可解が過ぎるね」

 へらへら、と力なく笑いながらべルフはそう宣った。

 自然体の彼と対照的にシンは動揺を隠せない。

「何がどうして、此処に現れた?瞬間移動、か…?いや、キラープリンセスの中にも一人だけ超能力を使えた奴がいたから、受け入れることに抵抗はないが、なぜだ?なぜ超能力者が計画派に狙われる?わざわざ自律型ロボット兵器群まで持ってきてっ」

「良いから、落ち着かない?暑苦しいよ。もう少しいつも通りでも良いんじゃない?」

「できるかっ!」

「はっはー」

 シンの若干の怒りの籠った否定に対して、べルフは軽く笑うことで返答とした。

 シンの中で状況への理解が追い付いていない。

 先程、旧ネイシャ宅を取り囲んだ自律型ロボット兵器群。あれらが銃弾を撃ち込んだ対象は「家」ではなく、その中にいた目の前の気だるげな少年――べルフだろう。だが、その動機は?何故彼が狙われる。彼が自律型ロボット兵器群の銃弾の中で生き残れた理由も気になるが、それ以上に彼が計画派に襲撃される理由の方が疑問だ。

 彼の正体にその答えは有りそうだが、それもまた見当がつかなかった。先程の瞬間移動。思いつくのは超能力者だが、超能力者だとすれば何故計画派に狙われるのか。超能力者だから、という理由では襲撃される理由としては弱い気がする。

 というより――

「お前の正体はなんなんだ!」

「だから落ち着きなって。来るよぉ、歪んだ魔術の進撃が」

「ちぃっ!〈ana〉!」

『わかっております』

 腕が突然の挙動を取った。

 〈ana〉の観測の中、あるのは枝槍と硬質化した木葉。

 都合五十の凶器が二人に迫る。

「悪いが、自分の身は自分で守ってもらうしかないぞ!」

「だいじょぶ、だいじょぶ。あれくらいで、傷つけられるほど俺の醜悪の怠惰(カイツール)はやわじゃない」

 カイツール……?

 内心首をかしげるシンだが、問う前に〈ana〉の肉体制御に口を阻まれた。

 視界内にあるのは、五つの枝槍と十三の木葉。〈ana〉は一呼吸して、ダーインスレイブを振り上げる。

 そして、行った。

 瞬間強化(ブースト)で食らいつかんとする先行する二つの枝槍と六つの木葉を追い抜いた。内、枝槍を途中で砕き、軌道を曲げてなお追いすがる木葉を打ち落とす。それから流れるように体を半歩ずらし、一本の枝槍を避けた。

 右目が赤色に染め上がる。〈ana〉の緊急警報だ。背後より枝槍が迫っていた。あくまで〈ana〉は冷静に対処する。ダーインスレイブの腹で受け止める。枝槍の直撃は免れたが、受け止められた枝槍はねじ曲がり、歪曲し、シンを打ち上げた。

 無防備な体に二本の枝槍と七つの木葉が迫る。〈ana〉は白衣の内側に手を伸ばし、一つ鉄塊を取り出した。それは拳銃だ。量産型のありふれたハンドガン、それをマックが改造したもの。〈ana〉は引き金を弾く。飛んだ弾丸が枝槍と木葉と正確無比に撃ち落とした。

 そのまま、すっと着地。

「べルフ、大丈夫か―――っ!」

 切迫した声を上げ、シンはべルフの方へと振り返る。

 べルフの戦闘能力をシンは知らない。瞬間移動の超能力がどれほどなのか、そして他の超能力が持っているのか。ただどちらにせよ、気だるげな彼が早苗の猛攻を切り抜けられるとは思えない。過去において、異界存在と最前線で戦ってきたシンでさえギリギリなのだ。それなりの戦闘経験を積み重ねたシンが背水の陣。明らかに戦闘経験が無さそうな彼が早苗の全方位飽和攻撃をいなせるとは考えられない。 

 だが、べルフは。

 シンが振り返った先のべルフは未だ健在だった。傷一つなく、服の乱れさえないままに。

「だから、言ったでしょ。大丈夫だって」

 だが、何も変わっていないからと言って、彼が早苗の攻撃全てを避けきったわけではない。

 むしろ逆。

 全てを受け切っていた。

「お前、それ…」

 枝槍は直撃し、硬質化した木葉はべルフに突き刺さっている、ように見える。

 あくまで、見かけ上は。

 実際にはべルフから紙一重の場所で停止していた。彼の輪郭を覆うように薄い膜があるのか、枝槍や硬質化した木葉は頭であれ、腹であれ、そして腕でであれ、全て彼の体表の直近で止められていた。

 からから、と木葉が落ちる。

「これが俺の権能」

「権……能…?」

 それでは、まるで――

「フィクションのようじゃないか……」

「はは、言い得て妙だねぇ。俺の存在自体、確かに在り得ざる現実(フィクション)だし。本来はさ」

「訳がわからない。どういうことなんだ」

「まぁ、それはそうだろうねぇ。君は大局的に本流だけど、今回に限っては別系統の流れだから。つまり俺――いや、俺達というべきか――とにかく初接触だから分からなくても仕方がない。別系統の古き対立軸とでも称されるのかな。そして、それと君はようやく結びつけられたというわけだ。ようやくと呼ぶには、随分早かったけど」

「だから、訳が――」

「安心すると良いよ。体のいい説明役が直ぐに来る」

 べルフが言うと、直ぐに来た。

 ぐわん、と空気がたわむ。荒れる風が二人の髪を乱されさせる。

「ここで討ち取るから、ベルフェゴール……‼」

 早苗である。木の壁を纏う彼女が、地上へと急速に降りてきたのだ。

 べルフは彼女を顎で指す。

「ほら、来た」

「何?その言い草は!正直、私は目的達成できなくて、ブちぎれ寸前なんだけど!」

「君の目的は俺の殺害と核の回収でしょ…。なんで彼の殺害に熱を上げてるの」

「私的には先輩を止めることの方が重要!」

「それで殺害とか、発想が歪んでるんだけどなぁ。まぁ、あの男の遺産に目を眩ませているようじゃあ、当然の帰結といえば帰結かな」

「殺さないと止まれないの、私の先輩は!」

「だそうだけど、そこんとこどうなの?」

「もう俺と計画派との融和は有り得ない。話し合いでの決着なら、もう過去に諦めた」

「そういうことっ。だから、殺し合うしかないの!」

 二人の答えを聞くと、べルフは「やれやれ」と言うように肩をすくめる。

「面倒なことしてるねぇ」

「人間同士の確執は面倒なの。貴方には分からないだろうけど!」

「分かりたくもないし、分かる気もないねぇ」

「だよね―――っ!」

 早苗がホログラムを操作し、瞬時に木葉を飛ばす。

「――っ!」

「身構えなくても良いよ。あれは多分威嚇射撃だから」

 べルフの言う通り彼だけに飛んでいく木葉は、彼の直前で停止する。

「無駄だよ。その程度じゃ、俺の醜悪の怠惰(カイツール)は破れない」

「だよね。だけど、この場においてその無敵性は絶対じゃない」

 早苗は自信たっぷりにそう言うが、べルフは曖昧な態度で返すだけだった。

 早苗とべルフは二人の世界に張り込んでいる。だが、シンはこの局面に声を上げられないで居た。

 当然である。何せ何もかもが蚊帳の外なのだから。

 ただ分からないことがないわけではない。

『べルフが人間ではないことは確かでしょう』

「能力系統としてはアンナのマナ障壁と同系統か。それも何段階も上の」

『権能でしたっけ。わざわざそんな大仰な名称を使っているということは、彼は神に類するものでしょうか?よくフィクションでは神の力の名称で使われてるでしょう?』

「待て、それは俺達の位相(世界)での話だろう。そもそもとして、べルフは俺達の位相の出身なのか?」

 しかし推論は立てど謎は尽きない。マナを扱っているから天上世界由来の存在なのかもしれないが、姿かたちは人だ。位相融合で生まれた新人類の可能性も否定できない。

 思索にふけるシンを置いて、二人の世界は加速する。

「だけどさ、流石に森と村一つ潰してまで、俺を潰しに来るとは思わなかったよ。控えめに言って馬鹿だと思ったねぇ」

「そっちの方が効率が良いから。第二次楽園計画(プロジェクトエデン:セカンド)にとってもね」

「うーん、歪んでるなぁ。君たちの世界では人体実験は禁止されていたよね」

「そうでもしなきゃ人類は救えないんだよ。屍の上に平和は立つ。これ、私達の位相(世界)の哲学者が言っていた言葉」

「ふぅん。ま、当然の事と言えば、当然のことだよね。つまりは失敗は成功の友って奴でしょ?」

「まぁ、その通り。陳腐に見えるかもしれないけどさ」

「陳腐なことでも、具体性を持てば吐き気を催すような現実となる。ままならないね。だけど、作戦自体は悪くないかな。よく考えたものだよね。俺のことを研究してる」

「流石にデータが少なくて難儀したけどね。ただ絡繰りが単純だったから、それさえ分かってしまえば対策は簡単だったよ」

「単純なものほど打ち破りにくいものだけどねぇ。全ての基礎基本が最も優れているようにさ」  

「かもしれない。だけど、確実にここで終わらせる。創世戦争(・・・・)を片付けて、私は過去の清算を――っ!」

 唐突、であった。

(…………?)

 シンの意識が思索の海から浮上する。

「創世……戦争……?」

 創世戦争、とシンはもう一度その言葉を心の中で繰り返す。

 それは教会神話にある人類の復権の物語。計画派が過去の異界存在との戦いをモデルとして構築した戦争神話を何故早苗はここで取り上げた…?

「いや、まさか」

 浮かび上がる疑問に、シンの脳裏でとある可能性が浮かぶ。

 さて、べルフと早苗が対立しているのは傍から見ても明らかである。

 であれば、創世戦争において教会と――つまりは計画派と対立していたのは誰だった、いや何者(・・)だったか。

 自身の予想と辿り着いた現実とのズレを前に、シンは思わず尋ねてしまっていた。

「早苗……一つ聞きたい」

「なんですか、先輩?」

 もしソレが実在するのなら、異形の姿を取っていると思っていた。何故ならソレは異形の使徒の上位種としか考えていたから。

 別位相存在である人の形を天上世界由来存在が取っていることなど、誰が予想できようか。

「べルフは、大悪魔なの、か……?」

 創世戦争。それにおける人類の敵。

 べルフが二十五の大悪魔の一人。

 それがシンの辿り着いた結論だった。

 未だ現実を受け入れ難く思うシンに、問われた早苗は答えを突きつけるべく口を開いた。

「その通りです。正式名称は大悪魔ではなく大使徒。怠惰の嘘使徒ベルフェゴール、それが彼の正体です」

「大使徒、というのは何なんだ?」

「この位相――つまりは天上世界の代表者にして代弁者、ですね。この世界を守り、この世界の在り方決定することを存在意義とするのが彼ら大使徒です。例えるならば、人体の免疫システムに似てるでしょうか。彼らは天上世界に入り込んだ異物を排除する役目を持っていて、神話にある創世戦争の後半は位相融合によって現れた人類を排除するために起きた戦争になります」

 ごくり、と鳴ったのはシンの喉だ。滲む汗が頬を伝うのを彼は自覚した。

「怠惰の嘘使徒というのは?推測する限り、大使徒の区分のようだが。確か神話上の創世戦争では、白と黒の大悪魔がいたよな」

「一人の例外を除いて、二十四の大使徒はまず二つに区分されます。その区分が実使徒と虚使徒です。基準は各々が背負う世界を構成する要素がポジティブかネガティブかで決定されますね。怠惰というのは、彼が担当している世界の構成要素の内の一つです」

「大使徒の区分は計画派がそうカテゴライズしたのか?」

「いいえ、彼ら自身の名乗りですよ。まぁ、ベルフェゴールの場合は他の大使徒からの又聞きですけど」

「そういえば、何でべルフなんて名乗ったんだ?」

「だって、長いから名乗るめんどくさいでしょ?」

「「…………………」」

 この時ばかりはシンと早苗の息がピッタリあった。二人して、たっぷり呆れの目を向ける。

 ややあって、シンは再び早苗に問いかけた。

「というよりベルフェゴールという名前は?あれは俺達の位相における悪魔の名前だったはずだ。七つの大罪内の〈怠惰〉に割り当てられた悪魔の名前だろう。どうしてそれが別位相たる天上世界由来の存在の名称と被っている」

「それについては私達にも分かっていません。並行世界間の相互影響性だとか上位概念の悟性だとか、それっぽい文献が電子書庫に残ってたんですけど、結局の所オカルトに過ぎませんでした。科学的証明はないです。ただ少なくとも、そこにいるベルフェゴールを名乗る彼が、七つの大罪と同じく怠惰を担当している大使徒であることから、私達の位相と天上世界の位相の間で何かがあることは確実だと思いますよ」

 あのムカつく彼女も含んだもの良いしてないで全部教えてくれれば良いのに、と彼女はぼやく。

 シンは小さく舌打ちをした。厄介な現実が明らかとなった。天上世界を掌握する計画派にとってすら解明できていない未知の存在。予定外にして規格外のイレギュラーの混入は計画派打倒を目指すシンの道程を狂わせる。

 不幸中の幸いと言えるのは、

「もう半数以上が討伐されているんだったよな」

「残っている大使徒は実使徒が五人、虚使徒が六人ですね。おまけに全員が創世戦争時に、その根本たる核を一部削り取られ、全盛期とは言えない状態にあります。とはいえ、全盛期と言えないだけでその権能の力は健在ですけど」

 早苗は不機嫌そうにそう言った。自身の力が悉く防がれているのだから、当然といえば当然だ。

 べルフ――ベルフェゴールの権能は確か醜悪の怠惰(カイツール)だったか。瞬間移動できたり枝槍や硬質化した木葉を防いだりとその力の端端は見受けられるものの、いまいち本質の見えない能力だ。

「結局お前の醜悪の怠惰(カイツール)って一体……?」

「まぁ、あんまり気にしなくても撃老いと思うよぉ。俺は君と対立するつもりはないしぃ」

 シンは問うが、しかしベルフェゴールは曖昧な返事を返すだけだ。

 ただし、言葉が含んでいることはいやでも分かる。

 すなわち戦闘の開始だ。

『自律型ロボット兵器群の接近を確認』

「交戦準備は?」

『ないです。おそらくは川藤早苗が待機状態にしていると思われます』 

 自律型ロボット兵器群の重たい足音がシンとベルフェゴールを取り囲んだ。

 未だ先程の掃射の熱が消えない銃口から火薬の焦げ付いた懐かしい戦場の香が僅かに森の中に漂っている。

 シンは鼻を無意識にひくつかせていた。

「先にベルフェゴールを討ちます。先輩は下がっていてください。後で、また相手をして上げます」

 徐々に出来上がっていく戦闘の空気の中で、早苗が挑発的に言った。

 シンは咄嗟に込み上げてくる反論を口にしようとしたが、すんでの所でそれを呑み込んだ。

 だって早苗の言う通りにした方がシンとしても好都合なのだ。早苗の魔術にプラスして、今度は自律型ロボット兵器群の現代兵器の火力が敵となる。早苗の魔術を相手にするだけでも精一杯だったのに、それ以上の脅威である自律型ロボット兵器群も武器として使うようになった今の早苗と戦うなんて無謀すぎる。

「くそっ!」

 自分の無力さを呪い、シンは荒々しくそう吐き捨てた。

 あくまで早苗とベルフェゴールの対立軸はシンと早苗の対立軸とまた別のもの。

 そして私情を抜きにした場合、彼女にとってはベルフェゴールこそが本命だ。今回、シンはたまたま出くわしたに過ぎない。

 此処では、外野に徹することしかできないのだ。

 

35

(これが自律型ロボット兵器群に対する切札ねぇ…)

 シンの去り際、こっそり渡された黒い棒状のもの――確かUSBとか言ったはず――を早苗に気取られぬようにベルフェゴールは手元で弄ぶ。

 シンはシンで計画派と戦うことをよく考えていたらしい。おそらく中にあるのは、彼の友人によって作られたであろう対自律型ロボット兵器群のコンピューターウイルスの類だろう。自律型ロボット兵器群を統括するマザーコンピューターに感染し、システム下にある自律型ロボット兵器群諸共、機能停止に追い込むようになっているはずだ。

 別位相の存在であるベルフェゴールが何故自律型ロボット兵器群について詳しいのかというのはともかくとして。

 ベルフェゴールとしてはこんなものなくたって自律型ロボット兵器群は破壊できるのだが、しかし彼はこう考えるのだ。

(どっちが楽になるかなぁ、と)

 彼は怠惰の虚使徒である。彼が実使徒だろうが何者であろうが、その本質は変わらない。今までの振舞通り、彼は気だるげな調子を崩さなかった。

 何せ、彼は〈怠惰〉の構成要素を背負う者。怠惰であることが、彼の通常なのである。

 つまりは、彼は面倒でたまらないのだ。早苗との激突が。

 そもそもである。ベルフェゴールとしては今の段階で計画派と戦う動機がないのだ。創世戦争が起きた理由は、位相融合という未曾有の災害によって天上世界崩壊の危機を迎えたことと人間という外来種が天上世界を崩壊させる可能性を有していたからである。創世戦争では天上世界が崩壊する危機があったため、天上世界を保護するために本当に渋々戦争に出ただけだ。同じく天上世界の守護を存在意義とする他の大使徒の意志は知らないが、少なくともベルフェゴールは現状人類を天上世界から排除しようとは思わない。

 だから。

面倒(めんど)くさいねぇ)

 この早苗との激突は計画派の都合によるものだ。ベルフェゴールには激突意志は一切ない。彼からすればはた迷惑も良い所である。

 ふわぁ、と大きな欠伸を一つ。

「もう少し真面目にやったら?自分の命がかかってるんだから」

 その欠伸を早苗に見咎められた。彼女が苛立ちを込めて言葉を放つ。

 彼女の発言の裏にある感情を読み解くならば、この戦いでベルフェゴールを討ち取る自信があるのだろう。

 とはいえ、こちらとしてはこう言うしかないのだが。

「本当にかかってるのかなぁ」

「言ってれば良いよ。その油断が貴方を殺す」

「ふーん、で、今取り出したそれは?」

 ベルフェゴールがさすのは、彼女が胸元に装着しているマナ制御デバイスから取り出した細いワイヤーのようなものだ。その先端は金属製の針のようになっており、用途としては何処かに突き刺すであろうことが見て分かる。

「貴方を殺すもの」

 早苗はそれだけ言って、先端の針を、

「――づっ」

 こめかみに突き刺した。

 それから、頭痛に耐えるように顔を歪める。数秒あって、また痛みが時折押し寄せるのか目筋を時折引く憑かせながらも、彼女は口を開いた。

「今まで、私は魔術をホログラムを操作することで発動していた」

「そうだね。傍からすれば、随分面倒な方式を取っていると思ったけど」

「私の魔術は発声方式ではやりにくかったから、先輩のCMCシステムのようにもいかない」

「まぁ、先輩の後追いをする必要もないとおもうけど」

「だから私はこう考えた。脳から直接操れば良いんじゃないかって」

「………ふーん」

 ようやく。

 ベルフェゴールの声色に真剣みが浮かぶ。

「自分が置かれている現状がようやく理解できた?」

 早苗が勝ち誇ったように口角を歪めた。

 おそらく彼女からすれば、こちらから交戦の意志を引き出せたことがまず第一の成果だからだろう。

 ベルフェゴールは素直な感想を口にする。

「まぁ、彼が嫌いそうな方法ではあるねぇ」

「先輩にだけは文句を言われたくないんだけどね。頭の中に化け物を埋め込んでるあの人には……っ!」

 どうやら彼女の中での激昂ボタンを押してしまったようだった。

 噛みつかれそうな口調で彼女が言うので、ベルフェゴールは気持ちの中で一歩引く。こういう熱いのは苦手だ。

「で、それがどうしたっていうのかな?」

「単純な話。脳とマナ制御デバイスを直接つなげることで、私は木々を自分のイメージ通りに、そしてより自由にかせるようになった。つまり、さっきまでとは違うってこと」

「なるほどね。攻撃の威力を上げて、手数を増やしたという訳か。つくづく、対ベルフェゴールの布陣だねぇ」

「他人事見たいに言って……」

「実際未だに他人事だね。君が醜悪の怠惰(カイツール)を破る俺の脅威足りえるかわからないからさぁ。一応脅威度は上がってるけど、まだまだとしか言いようがないかな」

 その発言が皮切りだった。

 はっはー、と笑う彼の顔に枝槍が叩きつけられる。

 とうとう怒りが頂点に達した早苗の所業である。

「舐めてるの?」

「『自身の不足を他人に叩きつけて、自分の小さな強さに酔うのは楽しいことだよな』。俺が言うにはらしくない言葉だけど、君を前にしてつい彼の言葉が浮かんでしまったよ」

 そういう物言いが早苗のプライドを煽っているのだが、ベルフェゴールは知っていて直す気がない。

 彼は怠惰だから。

「まぁ、良いか。君が今どのようであれ、そしてこれからどのようであるかについては、俺は追及しないしね。然るべき誰かがいるのだし」

 ベルフェゴールは顔に叩きつけられた枝槍を根元から片手で折った。何処にそんな力があったのか。枝槍自体は細い物ではない。人間の腕二つ分ほどの太さがある。だが、彼は大して力の入ってなさそうな右腕で簡単に手折ってしまった。まるで最初からそう折れると決めれらているように簡単に。

 ベルフェゴールは手折った枝槍を横に投げ捨てて、軽やかに口を開く。

 

「さぁ、戦いを始めよう。怠惰なるままにね」

 

36 

 

 ――さて、この戦いの帰結は始まる前から明らかであった。

 

 

「行けっ!」

 早苗の咆哮と共に、この森の全てが来た。

 枝槍は千の規模でベルフェゴールに突き刺さり、木葉は万の単位でベルフェゴールに襲い掛かる。

「貴方の醜悪の怠惰(カイツール)の正体は、怠惰の虚使徒としてのこの世界における絶対性が現れたもの!」

 だが、その全ては今まで通りにベルフェゴールの直前で停止する。

 そんなことは分かり切っている早苗は自身のイメージを膨らませ、さらなる追撃として木々で、体長十メートルはある巨大な蛇を三匹作り上げた。

「そして、その絶対性を権能としての発言を媒介しているのは貴方の周囲に存在する空気中のマナであることを私達は突き止めた!」

 三匹の蛇が動く。

 まず一匹の蛇がその重たい尾でベルフェゴールを吹き飛ばした。さながらプロ野球選手の投球のように鋭い吹き飛ばしは、二匹目と三匹目の蛇の丁度真ん中へ向けられている。

 二匹目と三匹目の蛇は口を開いた。吐き出されるのは、流線形の小さな木の塊だ。称するならば、木弾というべきだろうか。散弾銃のように放たれる無数の木弾は線というよりは壁。狙いの精度が高いわけではない。だが、圧倒的な物量でベルフェゴールの体を打ち付ける。

「なら貴方の権能によるマナ障壁の絶対防御を打破するにはどうしたら良いか。答えは簡単、周囲のマナを奪いとるか周囲全てのマナを消費しきる程、貴方を攻撃すれば良い!」

 ベルフェゴールの体が地面に落ちた。重力に任せた自由落下で、肉体が何度かバウンドする。そのまま彼の体はくたっとして、動き出す様子はなかった。

「だからこそ、私の堆積の魔術と自律型ロボット兵器群。私は実験によってキエム村一帯のマナを結晶化し貴方が使えるマナを減らした。なおかつ攻撃の手数を増やしている。つまり貴方を討つための最適解を用意したってわけ!」

 それでも早苗の猛攻は止まない。次なる刺客は金属音と共にやってきた。

 自律型ロボット兵器群。心無き科学の暴虐。

 接触型アンチマテリアルライフル〈D-340〉20ミリマシンガン〈BRUST〉、多段爆発手榴弾〈マリスタ手榴弾〉。異形の怪物、異界存在を殺すために作られた高火力が一斉にベルフェゴールに差し向けられる。

 鼓膜を叩きつけるような爆音が連続して響く。「――――っ!」。シンの声が聞こえたような気がしたが、生憎とそれは銃撃と爆撃の刹那の隙をついたようなものであった直ぐに掻き消されてしまった。

「さぁ、これでも貴方は余裕を保っていられる!?」

 ベルフェゴールが瞬間移動した。

 すぐさま早苗は彼を捕捉し、木葉を飛ばす。

 何回も、何十回も、何百回も、何千回も、何万回も繰り広げられた光景。

 その中で一つの異常があったのだ。

 

 ピッ、とである。

 

 彼の頬に赤い線が走った。。それから内側から赤い血が、ぷくり、と現れて彼の頬を伝って、下へと流れていく。

 それはまごうことなく切傷であった。

 それは早苗の攻撃が届いた証拠であった。

「―――――!」

 目視した早苗は笑う。強者に食らいつけた喜びを顔一杯に表した。

 確かな手応えを得た彼女は、さらに自身の想像を膨らませ、えげつない攻撃をしかけていく。

 ギアを上げ、勢いのままに激しさを増す早苗。

 対して、劣勢にあるように見えるベルフェゴールは内心冷めきったまま、誰にも知られずこう呟いていた。

 

「なんだ、この程度なんだねぇ」

 

37

 ――繰り返す。この激突の帰結は始まる前から明らかであった。

 

「く、くそ……っ!」

 早苗は地面に膝を突きながら、歯噛みする。その苦悶はただの負け犬の遠吠えでしかなかった。

 彼女は目を逸らせない現実を突きつけられていた。

 矛であり盾であった森はずたずたに破壊され、自律型ロボット兵器群は木偶となってしまっている。

 全てはただ一人の少年がなしたことである。

 すなわち、怠惰の虚使徒ベルフェゴール。この世界を支える二十五の大使徒の一人。

「やっぱり脳で直接操るのは制限時間があったね」

 早苗が膝をついているのは、ひとえにマナ制御デバイスと脳の接続の限界時間に達したからだ。多大な負荷が脳にかかり、頭が割れるような激痛が立つことすらままならなくさせていた。 

 苦しむ早苗を見下ろして、ベルフェゴールは言う。

「着眼点は悪くなかったよ」

 ベルフェゴールは敗北者をそう称える。

「俺の醜悪の怠惰(カイツール)を破るためには、確かに俺の周囲のマナを減らし、かつ俺のマナの消費量を増やすことで周囲のマナを枯渇させれば、醜悪の怠惰発動条件は満たせない。俺に攻撃は通る」

 だけど。

「君たちは俺の世界に対する絶対性の在り方を見誤っていた」

 ベルフェゴールは自身の討伐作戦の根本的な欠陥を指摘する。

「俺の『怠惰』の絶対性はマクロな世界に対する最優先権という形で現れる」

「それは知ってる!あの瞬間移動も世界が動くことによって成立しているし、マナの障壁による絶対防御も貴方の自己防衛を世界が肩代わりするという原理で為されている。貴方が世界に合わせるんじゃない、世界が貴方に合わせる。それが貴方の、『自分では何も為さず、世界が自分のために何かを為す』が故の怠惰の絶対性でしょう!」

 醜悪の怠惰(カイツール)とは、かいつまんで言えばベルフェゴールが世界によって甘やかされる権能だ。彼自身は何もしなくとも、彼がして欲しいことを世界がやってくれる。瞬間移動も、絶対防御のマナ障壁も全ては世界がベルフェゴールの都合に合わせて動いているから発生する現象(・・)だ。

 自分のために世界を動かし、自分は何もしない究極的な怠惰の結晶。

 それが、怠惰の虚使徒ベルフェゴールの権能の正体である。

 早苗が出した計画派の結論は彼の権能の本質をしっかりと捉えていた。事実ベルフェゴールも頷いている。

「その通り。君たちは間違えてなどいなかった」

「な、なら、何が違うっていうの!」

「こうは考えなかったのかな。結晶化したマナが俺に都合の良いように振る舞う、と」

「―――っ!」

 早苗は、はっ、と息を呑んだ。

 だが、ベルフェゴールの言葉は簡単に受け入れられるものではなかった。

「貴方の権能はマクロな世界を動かせても、世界の中にあるミクロな物質を変質させることはできなかったはず!」

「その点についても君たちは間違えていない。俺の権能は物質を変質させるほどの強度はない。権能を使って物質に干渉する場合、精々マナの障壁による絶対防御を得た体で破壊する間接的なせ方法くらいだ。打撃で攻撃に使われた木を破壊したり、現代最硬の自律型ロボット兵器群を砕いたりね。まぁ、自律型ロボット兵器群は一体を除けばシンのUSBを使ったけど。とにかく権能単体で、物質を変質させることは出来ない」

「な、ならどうしてっ、マナは貴方の権能で変質するの!」

「忘れたの?俺は大使徒とはいえ、使徒なんだよ。つまり、いかに姿形が人間でも、此の身を構成するのはマナなんだ」

 早苗が、計画派が見落としていた大前提。

 使徒とは一体なんだったか。天上世界由来のマナ生命体ではなかったか。

 だったら何故大使徒は例外だと言えるのだ。

「シンとは違って設備も時間もたんまりあった計画派(君たち)は使徒の正体についても掴んでいるんでしょ?」

「マナは世界に属するものであり、かつ貴方自身にも属するもの。その二面性が醜悪の怠惰の例外を生ん出るってことなんだね」

「結晶状態のマナ操作の原理は腕とか脚を動かすのと変わらないからねぇ。まぁ、とはいえ普段は使わないし、具体性のある使い方はしないんだけど」

「なんで?マナ操作を使って空気中のマナを武器としてしまえば、私との激突もあんな風に嬲られずにすんだんじゃないの?」

「えー、だってマナ操作ってことは俺が何かをしなくちゃいけ居ないでしょ。面倒だから嫌なんだ」

「そんな理由……」

 どこまでも怠惰な人だと早苗は思う。だが思い返せば、ベルフェゴールは怠惰の虚使徒。怠惰であることこそが、彼の在り方として正しいのだろう。

 深く息を吐いた。ベルフェゴールの言を彼女の中で組み立てる。ベルフェゴールの能力と計画派が切れる手札を振りかえって、仮想戦闘を何度も繰り返してみた。

 出した結論としては、こうだ。

「最初っから、敵いっこなかったんだね」

「まぁ、俺を人の手で倒すのはほぼ不可能だと思うよぉ。人間の中でもとんでもないイレギュラーだったら別だけどさ」

「ふーん?」

 まるでそんな人間がいるような口ぶりだったので若干興味を引かれるが、深くは言及しないし、する意味もないだろう。

「これで終わり、かぁ」

 自分は此処で死ぬのだから。

 結局何も達せられないまま終わってしまった。計画派の本命も、私情として為したかったことも全てやり残している。

 それでも、現実は彼女の死を突きつけている。もはや彼女にベルフェゴールに抗し得る力は残っていない。まだ手動で発動する彼女の堆積の魔術は残っている。けれど、自律型ロボット兵器群と脳からイメージを介して発動する魔術の混合で打ち破れなかったベルフェゴールを圧倒的に劣る手動の魔術で突破できるはずがない。

 故に、ここで早苗は死ぬのだろう。

 死の覚悟が出来ている、とは言い難い。未練はたっぷりだ。それでも、早苗は生を諦めるという形で死を受け入れていた。死にたくないけれど、どうしようもないのだから。

 それでも、形だけでも立ち向かう姿勢をするべきだろう。

 未だに残る鋭い痛みを堪えつつ、彼女は立ち上がった。マナ制御デバイスを起動して、ホログラムを展開する。

 そんな見た目だけはやる気満々の早苗の様を見て、ベルフェゴールはこう言った。

「え、まだやるの?」

「は……?」

「俺としてはもう終わらせようと思ってたんだけどねぇ」

「だったら私を殺すんじゃないの…?」

「え、何で?やだよぉ、そんな面倒なこと。俺には計画派と戦う理由もないし、君を殺す理由もない。今回で君たちが俺に敵わないことは嫌と言う程分かっただろうから、むしろ君が教皇庁へ戻って、伝えてくれないと困る」

「む、確かに」

 此処で早苗が死ねば、また新たな刺客が送り込まれるだろう。面倒な戦いを好まないベルフェゴールからすれば、彼の脅威度を伝えてくれるメッセンジャーが必要だ。

「それに、君にはやるべきことがあるでしょ?人類救済なんて陳腐な夢などどうでも良くなるほど大切なことがさ」

 そうだ。

 ベルフェゴールに殺されないのなら、やりたいことが、やらなきゃいけないことがある。

 死にたくないと思える未練があるのだ。

 世界を一変させた計画派としての世界を変えるための仕事よりも、ずっと、ずっと大切な。

 川藤早苗個人が抱える、決して手放せないもの。

 これっが自分勝手なものだということは、早苗自身がよく知っている。独善と自己満足の集合体。そんな醜い感情であることは。

 それでも、そうであっても、早苗はそれを諦めたくはないのだ。

「ねえ、ベルフェゴール」

 早苗はベルフェゴールに穏やかな声色で話掛ける。

「どうしてそんな励ますようなこと言うの?さっきまで馬鹿にしてたような感じだったくせに」

「別に今でも馬鹿にしてるけどねぇ」

「おい」

 それはどういうことだ。

「だけどね。だからと言って、君が君の思いを蔑ろにして良いわけではないんだよ。俺が、君以外の人間が君の思いをどう思おうとね」

「ん?……うん」

「思いとはあらゆる生命体にとって最たる可能性なんだ。生命の変革の根底には思いがあって、思いによってあらゆる可能性が花開く。だから自分の思いを果たそうとせず諦めるのは、ただの怠惰。生きる上での手抜きだよ。だから、容認できない。位相という意味での『世界』ではなく、もっと大きな括り――あらゆる位相、並行世界を含んでいるような、だ――の『世界』においてその怠慢は許容されない。当然でしょ?君たちは怠惰の虚使徒ベルフェゴールではないのだから。俺以外の生命体は常に自己の感情を、欲望を、願望を表現しなければならない。諦めることを認められないてはいないんだ。この『世界』はそういう風に出来ている」

 酷く難解な言い回しだった。言い回しだけでなく内容も意味が分からない。妙に哲学というか、オカルトというか、宗教というか、何処に着地すれば良いのかわからない、居心地の悪い話である。

 だから、こちらはかいつまんで理解をした。

「いまいちよくわかんないけど、とにかく自分のやりたいようにやれってことだね?」

「うん、そういうことだねぇ。だから俺が君を励ましているのは、そう見えるだけで大使徒としての機能ということになるのかなぁ」

「なに、それ。私の感激を返して」

「はっはー、やっぱり君は自分の都合で他人を振り回してる方がよく似合うねぇ。不快に思わえないってことは、君はそういう在り方を世界から定義づけられたんだろうさ」

「意味不明だね」

「俺は世界と最も近しい大使徒だからねぇ。他の大使徒が見えないようなことも、色々見えてるのさぁ」

 よくはわからない。というより、より正確に言えば、理解しようとしていなかった。

 ベルフェゴールの言葉は掴みどころがなく、他人に伝えようとする意志が徹底的に欠けている。どうやら意図的にそうしている節があった。だから、頭を動かすのを止めたのだ。

 まぁ、わけわからないから無視したという面がないわけではないのだけど。

「まったく奇妙な時間だね、このお喋りは」

 早苗はベルフェゴールを殺しに来たはずなのに、何故か殺害対象と親し気――そう見えるだけなのかもしれないけど――に会話をしている。奇妙が過ぎた。おそらくはベルフェゴールが早苗を敵として見ていなかったことと、彼が怠惰な性格をしているからだろう。きっと彼は怠惰だから、自身を相手によって変えないのだ。自分は何も為さない、世界が自分のために何かを為す。自分自身のために、他人を変えさせるという究極の自己中の在り方は、早苗の他人を振り回す在り方と近しいものがあった。馬が合う友人のような、そんな共鳴を感じている。

「もし出会い方が違ったら、友達にもなれたかもしれないね」

「うーん、どうだろ。そもそも友達作りなんてしたくないなぁ。大使徒の中でも、俺って浮いてるし」

「多少の努力くらいはしなよ…」

「考えてみるよぉ」

「そう言って、考えないんでしょ」

「はっはー、ま、その通り」

 いちいちムカつく奴である。この笑い方はどうにかならないのか。どうにもならないだろうなぁ、と早苗は思う。彼は自分を変えないのだから。

 早苗が呆れの溜息を吐くと、ベルフェゴールが彼女の視界から消える。

 醜悪な怠惰による瞬間移動だ。

 ベルフェゴールは早苗のすぐ側に現れた。

「じゃあ、さっさと行くと良いよぉ。彼――いや、彼と彼女が待ってるから」

 彼が早苗の背中を叩き、前に押し出した。

 突然のことに、未だ足元がおぼつかない彼女はつんのめる。

「よおっとぉ!」

 腕を大きく揺らし、前後に体の軸が揺れる。何度か往復を繰り返し、なんとか彼女は姿勢の安定を取り戻す。

「危ないなあっ!」

「立ち止まってるから悪いんだよぉ。さっさと俺と君の支流の対立軸から、君と彼らの本流の対立軸に移ってくれないと」

「また訳のわからないことを言って!!」

「俺を構ってて良いの?もう彼らは直ぐ其処にいるよ」

 そう言ってベルフェゴールは指を指す。

 言われなくても知ってるよ。その文句を早苗は住んでの所で呑み込んだ。口にしなかったのは、拗ねているように思われたくないから。この文句が持つニュアンスでは、どうしたって拗ねているような色が出てしまう。

 それでも言葉を吐き出そうとした勢いが、彼女の舌に残っている。後味が悪い。座りが悪い落ち着かなさがある。

 だから。

「ベルフェゴール」

「ん?何?」

「ありがとね」

 代わりに紡いだのは、感謝の言葉だった。

 ベルフェゴールはきょとんとした顔をする。当然だろう。話にならないとはいえ、一応は敵対者から礼を言われたのだから。

「どうしたのぉ、急にさぁ」

「いや、なんとなくそう言って置くべきだと思って。なんだか貴方に負けて、初めて頭がすっきりしたというか、冷静になれた気がする。それこそ計画派として活動する前みたいにね。憑き物が落ちて、本当にやりたいことに集中できるようになった。そんな感じがしてるの」

「まぁ、俺としては君を束縛から解放したつもりは全然ないんだけどね。ただの燃え尽き症候群なんじゃないの?」

「確かに、そうかもね。なんだか全力でやって、あっさり負けちゃったから、もう計画派なんてどうでもよくなってるのかもしれない」

「それはそれで喜ばしいことかなぁ。君たちがやってることは不健全だよ。過去ならともかく現在なら、大層な計画なんて動かさなくても、のんべんだらりん、と生きられるんじゃないのぉ。俺みたいにさぁ」

「流石にそれは――いや、そうかもね」

 クスリ、と早苗は笑う。

 悪戯めかして、おちょくるように。

 それにつられて、早苗の肯定に驚いていたベルフェゴールも笑い始めた。声を出さず、肩を揺らすだけ。何も力も入っていない、気だるげでそれでいて楽しさが滲み出ている。そんな笑いだ。

 空は快晴。雲一つのない、澄み渡るような青い空だ。見つめれば、空を染めげる鮮やかな青に吸い込まれそうになる。

 こんなにも空の青は鮮やかだっただろうか。空は過去も現在も広がっている。けれど、心の底から綺麗だと思えた青空は今見上げる青空が初めてだ。

 もしかして自分の中で何かが変わったのだろうか。多分変わったのだろう。計画派としての早苗がベルフェゴールにあっさり敗北したことで、計画派に参入する上で根幹となっていた何かが砕け散った。早苗に閉塞感を与えていた、見えないけれど確かにあった何かが消え去って、自らが見据えるべきものをきちんと捉えられるようになった気がする。

 笑うのを止めたベルフェゴールは、早苗に向かって柔らかく微笑みながら言った。

 

「過去の清算に行ってくると良い。何もかもが歪み、奪われてしまった全てを取り戻してくると良い。君の尊厳も、先輩後輩の間柄も、そして彼女との友情も。君自身の思いのために全力を尽くせば大丈夫だよ。怠惰でさえなければ、君の手はきっと届くだろうから」

 

 その言葉に含まれている優しさは、かつて何処かの誰かに与えられたものを彷彿とさせた。

 果たして、それは誰だったか。早苗には思い出せない。いつか見た夢の少女が脳裏にちらつくが、おぼろげなままで像を結ばない。暗闇の中にある物を見ているようで、全てが判然としない。

 けれども、思い出すのも時間の問題だ、と彼女は根拠は無しに確信していた。

 

 



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ep.14 川藤早苗

お久しぶりです


37

 いつだったか。おそらくは天上世界に来た時だったと思う。荷物整理をしている時に、とある有名テーマパークで売られている小さなマスコットキャラクターのぬいぐるみを段ボールの奥底から取り出したことがある。

 まるでその存在を忘れてたがっているような、そんな入れ方だった。いくつも積み重なった重たい荷物の下敷きになっており、それが入っている段ボール自体も段ボールの山の一番奥深くに置かれていた。

 触れられたくないと、かつての自分が主張していた。だって段ボールを取り出すにも一苦労なのだ。拒絶の意志があるのは明らかだった。

 もし位相融合によって分断された異界存在研究所を改築する際に自室の移動を命じられなければ、きっと積み上がった段ボールの山から発掘することもなかっただろう。

 過去の私は何を思って、このぬいぐるみを奥深くに隠したのだろうか。

 別にぬいぐるみ自体が特殊なわけではない。おそらく土産物店で売っている、何の変哲もないものだ。大きさは手のひらに乗るくらいで、使われている生地も大して高級感のあるものでもない。ぬいぐるみとなったキャラクター自体も慣れ親しんだキャラクター。奇抜な恰好をしているわけでもないし、とても忘れてしまいたいなんて嫌悪感を感じさせる要素はない。

 だとしたら、ぬいぐるみが段ボールの山の深い、深い底に封じ込めた理由は、きっとこれを買った思い出にある。

 一体いつ買ったのだろう。顎に手をかけ、しばらく考え込んでみた。

 けれども、いくら思い出を遡ってもそのぬいぐるみを買った思い出を手に取ることはできなかった。

 何処にでもあるありふれたぬいぐるみ。

 かつての自分は一体何を思って、段ボールの奥底へとしまいこんだのだろう。

 わからない。 

 だけど、忘れてしまうということは大したことじゃなかったのだと思う。一時の感情で現実逃避のために嫌な思い出をしまいこんだに違いない。

 捨ててしまっても良いと思った。これから先には無用なものだ。あった所で仕方がない。ゴミになるだけだろう。

 でも、なんとなく、なんとなくだけど、手元に残しておきたいと思った。明確な理由なんてない。ただ気が向いただけ。捨てる理由もないのだから、残す理由もなくたって良いだろう。

 今現在、段ボールの山から掘り起こされたありふれたぬいぐるみは私の机の上にちょこんと座っている。

 

38

 二人の激突が終結した。

 残されたのは、誰も見たことがないような暴虐の痕。

 何処にでもあるようなありふれた森であったそこには、異常に背が高い木々が不規則に乱立し、動物をモチーフとした巨象がゴロゴロと転がっていた。しかも、それらが途中でねじくれ曲がったり、欠けていたりするから一層異様さを増していた。また木々の幹からは剣山のように鋭い枝槍が所狭しと生えており、地獄の針山を彷彿とさせる有様だ。地面を見れば、太い根が波打つように立ち上がっている。そこには大木の根が成長した結果、幹に近い所から地面から飛び出たといったような自然さはない。幹の近くだろうが、根の先端部分だろうが、位置など関係なく地面から根が隆起している。

 まるで悪趣味なファンタジー映画のセットのようだった。

 まぁ、実際に起きたことは、映画が腰を抜かすようなトンデモバトルだったわけだが。

 そんな苛烈極まりの激突痕の間を無言で潜り抜ける者が二人いる。

 シンとエロースだ。

「―――昔」

 終始無言の二人であったが、唐突にエロースがこう切り出した。

「二人でお揃いのぬいぐるみを買ったことがあったんです」

 それはあまりにも曖昧な語りか掛けであった。

 エロースだって、きっとシンに理解してもらおうと思っていないのだろう。ただ吐き出したかった。そんな気持ちなのかもしれない。

 けれども、シンにはそのぬいぐるみの話に心当たりがあった。

 あの日のことだろう。二人が一緒にテーマパークに行ったあの日の。

 早苗の惚気が鬱陶しかったことをよく覚えている。

「それはなんてことのない、何処にでもあるようなありふれたぬいぐるみでした。値段だって大して高くありません。地元の高校生がお小遣いで買えてしまうような、そんな安物です」

 それでも、とエロースは言葉を切った。まるで込み上げる感情を押し込めるように一呼吸呑むと、彼女は口を開く。

「――それでも、私達にとっては友情の証でした。キラープリンセスと人間。生物的、社会的に大きな壁がありました。たけど、そんなこと関係なく、私達は友達だったんです。でも今の早苗ちゃんは、そのことも忘れてしまっているんでしょうね」

 声は沈んでいた。

 やはり落胆は隠しきれないか。忘却してしまっても、なおちらついていた親友。そこまで早苗のことを思っていたのだ。折角会えたというのにその親友が自分のことを忘れてしまっていては、むしろ傷つかない方がおかしいだろう。

 こういう時、今目の前にいるエロースに対してならば、優しい慰めよりこちらの言葉の方が良い。

「記憶を失っていても、取り戻せば良いだけだ。そう言ったのは、お前だろ」

「まったく、その通りですよぉ。一発殴って、さっさと彼女の目を覚ませましょう!」

 エロースはそう意気込んで、拳を真上に振り上げた。彼女のふんわりとした雰囲気のせいか、その力強い仕草は似合っていなくてシンは少し笑ってしまう。

「なんですか、もうっ」

 頬を膨らませての抗議。珍しくはあるものの、違和感はない。エロースには暗い表情より、明るい表情の方がよく似合う。

「エロースは強いな」 

「もしかしてぇ、私のこと、か弱い女の子だと思ってましたぁ?」

「いや、精神的に強いとは知っていたけど、エロースの自己主張の指向性は他者に向かっている場合が多いからな。エロース自身が窮地に立たされた場合の話はあまり知らない。だから、どんな心の動きがあるか予測がつかなかったんだ」

「まぁ、確かにそうかもですねぇ。エロース(わたしたち)は自分自身に対することに関しては、他者に対するそれに比べて随分と関心が薄いですから」

 キラープリンセス、エロースには、何と言うか、他者優先傾向があった。自分のことを蔑ろにする、というわけではないのだが、他人に心を傾けることが多い。至近な例といえば、キエム村から排斥されたネイシャの世話を住み込みでしたことが挙げられる。

 キラープリンセスのカウンセラーをしていたシンの元にも、エロースの精神分析は来ており、時たま人間関係を取りなす心労で精神を病んでしまったエロースが相談に訪れたものだった。

 そんな身を粉にして他者の手助けをする傾向を持つエロースが、しかし、今は自分自身のエゴのために弓を取っている。

 この現実をシンは嬉しく思う。

 二人はねじくれた奇怪な森を行く。

 歪に歪み、壊れてしまったこの森を。

 きっとこの森はかつての姿を取り戻すことはないだろう。取り戻したように見えても、それはあくまでも形だけ。失われたという過去は決して消えることはない。失われたあらゆるものを取り戻すことは能わない。手に入るのはかき集められた失われた残滓を必死につなぎ合わせ、ほとんど同じものであるけれど、しかし確かに何かが違うものだけだ。

 だけど、人の心は違う。過去の溝を乗り越え、再びかつてと同じように手を結ぶことが出来るはずだ。

 少なくとも、シンはそう信じている。

 枝の絡み合いを潜り抜けると、森が開けた。早苗とベルフェゴールの激突が生んだ空白地帯にシンとエロースは立つ。

「覚悟は?」

「十分!」

 これより始まるのは早苗とシン、エロースと早苗、ねじくれ曲がった二つの関係性の激突。

 失われてしまったものを、再びこの手に取り戻すために足掻く愚か者達の戦いである。

 とはいえ、だ。シンはこう思わなくもない。

 

「しかし、暴力で解決とは存外荒っぽくないか」

「これでも結構怒ってるんですよぉ、私」

「………ギリシア神話らしくて何よりだ」

 

39

「来ましたか」

 彼女は其処に立っていた。

 川藤早苗。計画派が一人。

 奇妙な木製オブジェが立ち並ぶ森の中の空白地帯に彼女は立っていた。

 彼女の背後にはくたびれた様子で座り込むベルフェゴールの姿があった。しかし、実際は「だるい」とか、「めんどくさい」とかそんな理由で座り込んでいるに違いない。

 何せ彼は怠惰の嘘使徒なのだから。

 おそらく彼はこれから始まる戦いに干渉しないだろう。彼が戦うのは降りかかる火の粉を払うため。自身から無駄なことに関与する性格ではない。

 だから、この戦いはただ過去の清算のためにある。

「待ちくたびれましたよ、先輩」

 後輩は――否、シンの怨敵は彼をそう呼ぶ。

 かつてのように、全てが壊れてしまった日を迎える前のように。

「計画派の作戦は良いのか?標的はそこで寝転がっているようだが」

「もう完全に失敗しました。彼にこちらの兵器は一切通じず、交戦は無意味。だったら、作戦はもう放棄してしまえば良いでしょう」

「そうか。しかし随分苦戦したようだな、早苗」

「全部見ていたくせに、そんなことを言うんですね、先輩。女の子に対して、もっと優しく接した方が良いですよ」

 その言葉を聞いて、シンは思わず笑ってしまっていた。

 あまりにも場違いなその反応に、早苗は眉根を寄せて、不服そうに訝しむ。

「なんで笑うんですか、先輩」

「いや、何、なんでもないよ、なんでも」

 シンが笑ってしまったのは、かつて同じ言葉を掛けられたことを思い出したからだった。

 冷たくて残酷な世界であったけれど、確かにあった温かくて優しい時間に、同じ言葉を言われたことを思い出したからだった。

「なぁ、早苗」

「なんですか」

「計画派を裏切るつもりはないのか?」

 答えの分かり切っているくだらない質問がシンの口から飛び出した。

 案の定、早苗もそう思っているようで、彼女は呆れた顔でこう返す。

「はぁ?今更何を言ってるんですか。あるわけないじゃないですか、そんなの」

「ははっ、だよな」

 いやはや、全く以てその通り。分り切り過ぎて笑えて来る。実にくだらない質問だった。実に無意味な質問だった。

 シンは自身の未練がましさに自嘲気味な笑みを浮かべる。明らかな自分の弱さの発露だった。懐かしい言葉を聞いてしまったからまた元通りの世界を取り戻せないかと、夢想の可能性があの質問を生んだ。郷愁が彼の口を滑らせたのだ。

(度し難いほどの愚かしさだ、全く)

 だが、自身の郷愁をそう評すことが出来ても、してはいけない郷愁がある。

 シンは自身より少し後ろで、佇む彼女の背を押した。

「ほら、エロース」

「――――っ」

 触れた背中は怯えを表すように僅かに丸まっていた。

 怯えは当然の感情だろう。覚悟は決めた、闘志もある、しかし同じ思い出を過ごした親友から忘れられるこちによって抉られた心は克服できるものではない。覚悟や闘志は、決して痛みを治す薬などではないのだから。

 感情は並行する。塗り替えられたように見えるのは、ただただ優先順位が入れ替わっただけに過ぎない。人はそれを感情が亡くなったと誤認しているだけに過ぎないのだ。

「あ、あの早苗ちゃん」

 舞台に躍り出たエロースが肩を震わせながら、しかししっかりと芯の通った声で問いかける。

「私のこと、覚えてる…?」

 この疑問を絞り出すのに、一体どれほどの勇気が必要だっただろうか。

 自身の心が抉られることがわかっていて、それでもなお確認せずにはいられない内心。焦燥感に似たこの感情が彼女を駆り立て、疑問を生んだ。

 悲観と諦観と、縋りつくには細すぎる希望を込めたこの疑問を。

 答えを待つエロースの喉が脈打った。それこそが緊張と期待が彼女の中で渦を巻いていることの証明だった。最早彼女の感情は心では押しとどめられず、肉の殻すら押し破ろうとする勢いで肥大化している。

 感情的にいっぱいっぱいなエロース。しかし、対する早苗は彼女の感情を一顧だにせずに、あっけらかんとこう言った。

「また、貴女?前も言ったけど、私にキラープリンセスの友人はいないよ」

 一息に切り捨てた。何の感情もなく、ただただ事実を羅列するのと同じレベルで彼女はそう述べた。

 加えて、こうも続ける。

「キラープリンセス、エロース…か。先輩が連れているということは、オリジナルのエロース?とにもかくにもエロースは下がっていた方が良いと思うよ。何せこの戦いは、エロースとは一切関係のない戦いなんだから。これは先輩と私の戦い。邪魔をしないでくれるかな?」

 事実上の戦いの舞台からの降板宣告。

 いると邪魔だから、無関係だからと早苗はエロースを排除しようと言うのだ。

 エロースもまた、この戦いに大きな思いを寄せる一人にも関わらず。

「そう、ですか」

 エロースの体から力が抜ける。しかし、それは彼女が折れたことを意味しない。折れたのではない、半端な状態を振り切ったからこその脱力だ。

「だとしたら、余計に此処を引くわけにはいきませんねぇ」

 決断は下った。彼女の中で感情の優先順位が入れ替わる。

 諦観も悲観も置き棄てて、彼女は闘志に身を染める。

 エロースの纏う空気が変わった。それは傘を忘れた少女が雨宿りを止めて、雨に打たれながら歩き出す様に似ていた。

 そんな彼女に早苗は首を傾げながら、こう問う。

「どうして?」

 無垢な質問だった。どこまでも思いが籠っていない声色で放たれていた。故に、エロースはほんとの本当に彼女が自身のことを覚えていないことを思い知った。

 ふふ、とエロースは小さく微笑む。そして、まるで幼子に言い聞かせるように優しい調子で彼女は言った。

「簡単なことですよぅ。譲れないものがあったから、譲りたくないものがあったから、ただそれだけなんです。過去(いつ)だって、現在(いま)だって、私達キラープリンセスは戦ってきた」

「ふぅん?でも、それで何か得られるものがあったの?過去も現在も、キラープリンセスは戦闘兵器としての側面から逃れられていないわけだけど」

「得られるものはありませんよぅ。でも、有ると信じていれば、きっと何かを得られるんです。少なくとも私はそうでした」

「『信じる者は救われる』っていう奴?そんな信用できないものを信じてるんだね」

「存外馬鹿にできませんよぉ。過去においては、後退した宗教的思想もぉ」

 『信じる者は救われる』。くだらない、と多くの人が一笑に付すだろう。そんな実益も伴わない言葉なぞ、何の価値もない、と。

 だが、人は信じなければ救われないのだ。救いとは各人が個別に希求する理想。その理想を生み出したのは、彼らが信じる”何か”である。裏打ちされた信じる”何か”がなければ、存在しない救いをただただ求める虚しさを死ぬまで抱え続けることとなる。

 『信じる者は救われる』、正しくは『信じることで救われる』。エロースはそれをよく思い知っている。

 だから。

「今回だって私は信じて弓を取りますよぅ。例えその結末に、何も得られないと、そう確信していてもです」

 悲観的な発言だった。けれどもやはり芯の通った声色は一切ぶれず、エロースは力強く彼女の持つ長大な弓を構える。

 マナの矢を番え、引き絞りながら、エロースはかつての――そして、今も親友だと思っている――彼女に言い放った。

 

「じゃあ、戦いを始めよう?早苗ちゃんにはなくても、私には貴女と戦う理由がある」

 

 こうして、最後の戦いが幕を開ける。

 彼女と彼の、彼女と彼女の、あまりにも大きな感情がすれ違う壮大な喧嘩とも呼べる戦いが。

 

40

「CMCシステム起動!コード2117651〈ダーインスレイブ〉!」

「マナ操作システム起動!」

 先輩後輩は同時に己が武器を励起した。

 片や、過去の遺物たるM細胞操作技術。

 片や、最先端の科学たるマナ操作技術(魔術)

 激突する科学の徒は己が専門分野の結晶を暴力へと転化する。

「〈ana(アナ)〉ッ!」

『わかっております』

 左腕から生成された無骨な黒の直剣が早苗の魔術によって振るわれる硬化した木葉を弾き落とす。

 〈ana〉に体の制御権を預けたシンの体は〈瞬間強化(ブースト)〉を掛け、力強く足を踏み込んだ。

「『いくら彼女がこの森を掌握していようとも、術者は戦闘の素人。よって対川藤早苗戦闘における最適解は近接戦闘による格闘戦だと判断します』」

 これまでの戦闘で学習し、導き出した解答がそれだった。

 彼女の兵装は彼女自身の判断能力に依存する兵装である。川藤早苗は過去においてただの研究者だった。シンのように前線で戦った経験も格闘技術も彼女にはない。キラープリンセスどころかシンにすら及ばぬ戦闘能力の持ち主を撃破するならば、接近戦が最適解となるのが自明と言えた。

 だからといって、委細都合よく行くわけではないのだが。

 剣を振り抜く。黒一色のダーインスレイブが鈍い輝きと共に早苗に迫る。

 シンの体に埋め込まれた人工知能〈ana〉が導き出した現段階における最高最善の一振り。

 学習と演算によって導き出された最初の一撃は、しかし早苗の操る樹木によって阻まれる。

「私の低い身体能力から近接格闘戦に持ち込んだのは正解でしょう。ですが、忘れましたか。私にも人工知能の補助があるってことをッ!」

 シンの一振りを防いだ樹木が大きくしなり、彼を一気に押し飛ばす。

 そのまま20本の枝槍が伸び、吹き飛ぶ彼に追いすがる。

「エロース!」

「わかってますよぅっ」

 共に戦場に立つ少女の名を呼んだ。

 だが、それは追いすがる枝槍を振り払うためのものではない。

『計20本の枝槍を補足。ダーインスレイブによる打ち払いが可能。キラープリンセス〈エロース〉の最適射撃環境を演算します』

 シンの体が舞う。剣で枝槍を打ち払い、足で枝槍の腹を蹴飛ばして、体を逸らして枝槍を凌いでいく。

 さならがら曲芸。そしてその動きの中に一瞬の空隙があった。

 それは〈ana〉が導き出し、枝槍さえも使って生み出した最適射撃環境だった。

 この最善の一瞬を、弓のキラープリンセスたるエロースが見逃すはずがない。

「フ―――」

 短く息を吐いた。

 同時に矢から離される指。矢を引き絞り続けたのは、この時のためだった。

 矢に大量のマナを練り込む。そして早苗の防御を突破できるほどの貫通力を持った矢を生み出すことが目的だった。

 空隙を走る、平時のものより太めの矢。

 全ては一瞬の内に終わった。

 ッパァン、と乾いた破裂音が鳴った。

「―――――つぅッ」

 はじけ飛ぶ樹木の先、瞠目する早苗の顔があった。

 そんな親友の顔を見て、エロースはにこりとして言う。

「次は届かせますよ?」

「チィっ。この部外者のキラープリンセス風情がァァッ!」

 激昂する早苗。

 胸に装着しているマナ操作用ののデバイスが激しく稼働する。脈動する青い光が一層強く輝きを放った。

 攻撃が苛烈さを増す、合図である。

 シンは反射的にこう叫ぶ。

「何故煽った!?」

「一応これでも頭に来てますからねぇ」

 のほほん、と言われても困るわけだが。

 色んな感情が混じりすぎて、若干情緒不安定気味になってるのではないか、と訝しむシンであった。

 とにもかくにも、悠長にしている時間はない。

 森がざわめていた(・・・・・・・・)

「来るぞ!」

 枝槍と硬質化した木葉が二人に向けて殺到する。

「それでは、シンさん…手筈通りに!」

 エロースとシンが二手に分かれて、対処する。

 シンの体を操る〈ana〉は再び〈瞬間強化〉で、疾駆した。

 向かう方向は、言うまでもなく早苗が立つ方へ。枝槍と飛来する木葉をよけながら、彼女の元へと肉薄する。

 防御があると分かっていても再度攻勢に転じたのは、自らの身を守るためでもあった。

 目的としては二つ。攻撃により早苗に精神的圧迫を掛けるため、そして彼女の近くで戦闘することによって自傷を恐れた彼女が攻撃の手を緩めることを期待してである。

 早苗もシンの思惑に気づいているようだった。

「卑怯な手を…っ!」

「森全てを武器とするお前にだけは言われたくないがね!」

 ダーインスレイブが彼女の樹木の楯を打った。この結末は分かっている。だから深追いをしないで、棘のように突き出す枝槍を紙一重で回避する。

 ついで飛来する木葉。それらを最早慣れた作業と〈ana〉は切り捨てて、再度地面を蹴った。

 そして、再度飽きもせずに振りかぶられる黒の直剣。再び予定調和が繰り返されるものだと、そう思われた。

 しかし。

「づ、ぢぃ」

 ダーインスレイブが樹木の楯に阻まれる後に、早苗は異様な苦悶の声を漏らす。まるで壊れた機械のようだった。

 シンは真顔になって、彼女に向かってこう言う。

「限界か」

「―――!」

 彼女は兵装であるマナ操作システムを対ベルフェゴール戦と引き続いて脳で直接操っている。脳に相当な負荷がかかっていることは想像に難くない。立て続けの戦闘にガタが来てしまっているのだ。対ベルフェゴール戦であれだけ多種多様な攻撃手段を用いていた早苗の攻撃が枝槍と硬質化した木葉に限定されているのも、その表れだろう。

「お前自身分かってるんだろう。既に限界近いことくらい。お前が今回想定していたのは、べルフとの、ベルフェゴールとの戦いだけで、俺との戦いは完全な支流のはずだ。想定外の戦いに相当な無理をしているだろう」

「ええ、全くその通りです。正直、今ここで投げ出したいくらいですよ。こんなに痛くて、苦しいことなんて」

「だったら、何故戦うんだ。何故俺を殺そうとする」

「先輩を止めるためです」

「止める?どういうことだ。維持派最後の生き残りに楽園計画を止められないようにするためか」

「違いますよ。そんな理由じゃない。そんなことのために、私は先輩を殺すわけないじゃないですか」

 意味不明な言葉だった。シンには早苗の言っていることが理解できず、黙り込む。

 そんなシンを早苗は見下すように鼻で笑って、こう口火を切る。

「ねぇ、先輩。貴方はまだどれくらい先輩なんですか?」

 彼女と彼の間だけで通じる問いかけだった。過去を取り戻したレーヴァテインでもエロースでも知り得ない意味のある言葉だった。

 その問いかけで、シンはここに来て初めて彼女と自分との間に横たわる確執、その本質を思い知る。

「なるほど、そういうことか」

 彼女が戦い原因は極めてミクロな問題だった。

 世界や社会とかいったそんな巨大な話ではなく、ただただ人と人との間に存在するありふれた情が全ての原因だった。

 全てを悟ったシンは思わず笑ってしまう。それは零れてしまった安堵の色に染まっていた。

 端的に言えば、肩の荷が下りた。川藤早苗は、あの少し自分勝手で人懐っこい後輩は、シンの知る通りの彼女と何も変わっていなかったのだ。

 シンは言う。

「なぁ、早苗。そんなこと気にする必要なんてなかったんだよ」

そんなこと(・・・・・)!?ふざけないでください!貴方が抱える問題はそんなことなどで、片付けられるちゃちなものじゃない!」

「いいや、ちゃちなものだよ。これは正しさの証明、人類の尊厳の表れだ。俺はな、早苗。この問題を抱えることを誇らしいとさえ思ってるんだ」

 彼にとって、彼女の言う問題は本当(ホント)の本当に些細なことで、しかも彼にとっては問題と認識されてすらいなかった。彼は彼の信念と理想に基づいて、それを勲章のように思っている。

 その証明に、彼は晴れやかな微笑みを浮かべていた。

 それを目撃した早苗は、なまじりを上げて吠える。

「こんの、狂人がッ!?だから、止めなくちゃならないんだ。例え貴方を殺してでも!」

 彼女の眉間に血管が浮かんだ。

 木々の猛攻が一段階引き上がる。

「先輩はっ、それで良いかもしれない!だけど、先輩を大切に思う人の気持ちを何故考えてくれないのですか!私だけじゃない。維持派や計画派にだって、先輩を案じる人はいた!ねぇ、先輩。貴方は目の前で部下が、同僚が、先輩が壊れていく様を見るのが、一体どれほど辛いか貴方にはわかりますか!?」

 極太の枝槍が瞬発し、ダーインスレイブで受け止めたシンが吹き飛ばされた。

「ちぃ……ッ!」

 大地を跳ね飛るシンの体。

 だが〈ana〉の操作によってすぐさま力の流れ方が演算され、体の軸を調整される。枝槍や木葉を難なく交わしながら、平然と立った。

 〈ana〉に体の制御を預けるシンは、達人のような立ち回りをする間に今にも泣き出してしまいそうな後輩の言葉を受け止めていた。

 そして彼女にこう言うのだ。

「そんなもの、思い知っているさ。嫌というほどに」

 早苗にとってのシンが、シンにとってのキラープリンセスだった。

 対異界存在兵士計画(プロジェクト:キラープリンセス)の第一責任者である彼は、黒い左腕を手に入れるまでずっとずっとやりきれない思いを抱えて彼女たちを戦場へと送り続けてきた。何もできず、ただ生み出し、殺されるのを見送る。そこにどれほどの後悔と自責の念があったのか、彼女はきっと知らない。

「俺だって、自分が生み出したキラープリンセスたちが死んでいくのを見てきた。時代に飲み込まれ、ただただ死ぬしかなかった彼女たちの背中を見送り続けてきた。お前や、それに周りの人たちが俺に対して抱えて辛さがわからないわけではない」

「でも、それでも先輩は踏み越えていくのですよね」

「あぁ、いくさ。これは俺にとって譲れない一線だ。他者の思い次第で揺るぐほど脆いものじゃない」

「だったら敵対するしかないでしょう。殺しあうしかなじゃないですか。私は私が尊敬する先輩が哀しい最後を迎えることを認めない。認められないんですから!」

 吠える。早苗がこの闘争の自分勝手な根源を。

「とんでもないエゴイストだな」

「それはお互い様ですよ」

 言い返されたシンに、くは、自然と自嘲の笑みが浮かぶ。 

 

「あぁ、全く、その通り」

 

 自我を持つから争いは無くならないのだ、と。

 かつて世界を混乱に陥れたたった一人の哲学者の言葉がふと思い出された。

 



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ep.15 さよならノスタルジア

リアル多忙につき、第二章が終わったら浄罪を停止して、同人誌の方に注力したいと思います。


41

 

 彼女はただ時を待っていた。

 

42

 回避し、捌き、そして砕く。

 もう何百回も繰り返されてきた行為をシンは何度だって繰り返す。

「CMCシステム起動、コード1312366〈ナーゲルリング〉!」

 シンの得物が漆黒の剣からの双剣へと変質する。

 ナーゲルリング。中世ドイツのディートリヒ伝説に登場する武器の名だ。その剣は何人かの担い手を経ており、キラープリンセスのナーゲルリングにもその影響は表れていた。

(さて、彼女は一体何処で何をしているのだろうな)

 オリジナルのナーゲルリングとはそれなりに親交があったシンである。詮無いことだとは思いながらも、ふとそんなことを思ってしまっていた。

 そしてシンの意識が戦場から離れたことを考えている間にも、シンの肉体は勝手に枝槍を一対の紅剣で打ち砕く。〈ana(アナ)〉による肉体操作。それがシンの意識と関係なく肉体を的確に動かしていく。

 迫りくる硬質化した木葉と枝槍。やはり一抹の間違いもなく彼らは打ち砕きながら、言った。

「もういい加減慣れてきたな」

『そろそろ攻撃パターンも解析し終わり始めましたね』 

 マナを通して木々を操る魔術。実に応用性が高い魔術であるが、やはり相手はド素人。操る術者の能力が低ければ、宝の持ち腐れだ。過酷な戦場を潜り抜けてきたシン、そして〈ana〉にとっては彼女の攻撃は単調に過ぎた。ソフトの問題ではない。ハードの問題である。

「もう少し面白い使い方してくれたらいいのに」

『例えばどうします?』

「そうだな。木の牢獄を作るとか?」

『仕込みが大変そうですね』

 そんな軽口を叩きあえるくらいには、二人の間に余裕があった。

 シンと〈ana〉が見るに早苗は相当に追い詰められている。べルフとの戦闘に多大な負荷のかかるテクノロジーの運用。べルフとの戦闘に比べると彼女の手が少ないことも加えれば、体力的に彼女は限界が近いのだと一人と一機は予測していた。

「ただ決定的な一手はなし、と」

 問題となるの決着の付け方だ。シンと〈ana〉は早苗の攻撃を正確無比に捌けるが、しかし1人と1機に早苗を砕く手はなかった。要因となるのは、早苗を覆う分厚い樹木の盾。あれを砕く手段をシン達は持ち合わせない。

 ワズラのような巨斧を使えば砕くことは出来る。しかし、それをするためにはあまりにも時間がかかりすぎてしまう。斧を振りかぶる間に枝槍や硬質化した木葉がシンに殺到。瞬く間に針山だ。生憎とこの案は使えない。

 回避が出来ることと彼女を破ることを等号では結べない。つまりはそういうことだった。

 状況としてはいじらしい。こちらは相手の手を完璧に読んでいるにも拘わらず、今一歩を踏み出せないのだから。餌を前にして待てを食らった犬。あるいは素手で殴るしかないボスバトルか。打開の見えない戦いは精神的な苦しい。

「策はある……が策を通すための今一歩が必要だ」

『しかし現状突破は不可能ですよ。どうするおつもりですか?』 

 さて、そこが問題だ。シンが切れる暴力の手札では彼女を打ち破ることはできない。次の手につなげることが出来ないのだ。

 であるならば、導き出される結論は酷く単純だ。

「暴力以外の手札を切れば良い」

 早苗の魔術がどんなテクノロジーであれ、どれほど素晴らしいテクノロジーであれ、その真価が発揮されるかは使い手にかかっている。使い手次第なら答えは明白。使い手を攻撃すれば良い。

 だから。

「精神攻撃は基本」

『なんでそんな太古のネタ知ってるんですか。21世紀前半のネタでしょうそれ』

 

43

 手詰まりを早苗は感じていた。

「学習完了ってわけですか……ッ!」

 理由は直ぐに思いつく。彼の左目に埋め込まれている超小型人工知能〈ana〉。それが戦いを経て、早苗の攻撃を分析したのだ。今、彼の肉体は〈ana〉が算出した最適パターンにて運用されている。早苗の手は全て読まれていると言っても良い。というか、そういう想定でないと戦えない。〈ana〉の予測を超える意識がなければ、先輩という壁は突破できない。戦闘において早苗と彼の間には圧倒的な差が存在する。

 相手はキラープリンセスと肩を並べて異界存在に人間でありながら白兵戦を挑み、生還してきた猛者だ。彼自身は謙遜をするが、しかし普通の人間から見たら彼は異常なほどに強い。戦闘の面でも、そして、

「精神面でも」

 何故彼は当時の戦況で人類の勝利を確信できたのか。

 何故彼はM細胞の移植なんて馬鹿げた真似ができたのか。

 そして何故自らの破滅を知りながら、それでも誇りと思えるのか。

 早苗には彼の精神が何故そこまで強靭なのかが分からない。

「くそ、どうしてっ、どうして先輩は立ち上がれるんですかっ」

 異界存在との永きにわたる生存競争。あの絶望的な戦いの中、彼は折れず、むしろ立ち向かってきた。誰もが不安に怯え、心が折れてしまっていたあの時代にだ。

 早苗だって大多数の一人だった。対異界存在兵士の登場は確かに人類の希望になり、着実に戦果を挙げていた。「天上の悪魔は、地上の天使となる」だったか。そんな煽りが語られるくらいに彼女達は成果で以て人類の要求に応えていた。

 けれども、多くの人は心の中でこう思っていたはずだ。やがてキラープリンセスも異界存在の前に敗れていく、と。

 異界存在の前に人類が積み重ねてきた負の遺産とも呼べる暴力の叡智は悉く敗北してきた。銃火器類、化学兵器、大陸間弾道ミサイルに核兵器、そして自律型ロボット兵器群。かつてSFだったものたちですら異界存在の信仰を止めるに能わず、人類は自らの生存圏を異界存在に奪われ続けていた。最早、人の心は失望に呑まれ、滅びによる安寧を求める思いが密かに芽生え始めることすらあった。でも、そんな時代でも彼は希望を持ち続けた数少ない人の内の一人だった。

 恐怖に屈した早苗には分からない。屈さなかった彼のことなんて。何もかも。

「先輩が立ち続けられる理由とは一体何なんですか!?」

 枝槍と共に彼に問いをぶつける。

 彼はいつの間にか変質したスリロス、方天画戟にて枝槍の真芯を貫き、そして言った。

「信じているからだ」

「信じている?」

「俺は人とキラープリンセスの強さを信じているからだ」

 なんだそれは。

「なんですか、それは!」

 あまりに脆弱。あまりに貧弱。理由としてこれほど頼りないものが、彼の理由であってたまるか。

「そんな理由じゃないはずです!もっと、もっと何か特別な、特別な何かが――ッ!」

「ないよ。特別なものなんて。人が立ち上がる理由なんて、その程度で良いんだ。ただそれだけで人は立ち上がれるんだよ」

「そんな、そんなことって…ッ」

「お前だってそうだろう。さっき自分で言ってたじゃないか。人間の勝利を信じられなかったから、計画派になったって。それは人間の敗北を信じてたってことだろう。早苗は『人間の勝利を信じない』ことを信じたんだ。『人は信仰と共に生きる。それは神に対する信仰ではなく、自らに対する信仰だ』。お前なら良く聞いた言葉だよな」

 確か史上最悪のテロリスト、杉山義弘の言葉だったか。生きるということは選択の連続だ。そしてその選択の根拠には自分自身に対する確信が潜んでいる。

 例え話を引用しよう。ファミレスで昼食を食べるとき、ナポリタンを食べるか、ざるそばを食べるかを悩み、ナポリタンに決めたとする。この時、選択者がナポリタンを選んだのは、ナポリタンによって自分が満たされることを予想したから、つまり満たされることを信じたということである。ではナポリタンによって満たされることを信じた主体は誰なのか。言うまでもなく選択者。一見ナポリタンへの信用に見えるが、それは誤解だ。ナポリタンはただナポリタンであるだけであって、ナポリタン自身が選択者の腹を満たす機能の指向性を持つわけではない。ナポリタンは選択者の腹を満たすことを確約するものでなく、もしかしたら腹を満たせないかもしれない可能性だって持っている。だが、それでもナポリタンが腹を満たせるものになったのは選択者がナポリタンに対して『自らの腹を満たせるもの』という属性を見出したから。全ては選択者に帰属する。そのため選択者のナポリタンに抱く信用の向き先は選択者自身に帰ってくるのだ。

 『自らに対する信仰と共に生きる』とは選択における心理をついた言葉である。不確定な未来を確定させる手段としての選択は常に不安が付きまとう。さながら霧のように、だ。その不安の霧を払うため、人は無自覚の内に自らに対する信仰を抱いている。

「――――っ!」

 一本の枝槍が飛んだ。半ば無意識の一撃だった。

 愚策だ。わかっている。でも、それでも愚策を犯してしまったのは、何か得体のしれない恐ろしい物が噴出することが本能で分かってしまったから。

 川藤早苗の内側から今の自分を砕く何かが噴出するのが、分かってしまったのだ。

 一本の槍がシンへと直進する。だが、それを彼は、あの何処までも真っ直ぐな先輩は真正面から受け止めた。

 おそらくは〈ana〉による肉体操作の一撃だろう。だがその一撃だけはシンによって繰り出されたものに早苗は見えた。

「CMCシステム起動、コード1739724〈トリュシーラ〉」

 インドの破壊神シヴァの槍。よりにもよって、そのスリロスか。

 トリムルティという思想がある。ヒンドゥーの主要な三柱神、創造のブラフマー神、維持のヴィシュヌ神、そして破壊のシヴァ神は同一のものである。有り体に言えば、そういう思想だ。破壊(シヴァ)の後に来るのは、創造(ブラフマー)であり、つまりこの状況に照らし合わせれば彼は早苗の内側から噴出しようとする何かを祝福しようというわけだ。

 パッカーン、と彼のトリュシーラが枝槍の真芯を打った音がした。

 綺麗に真っ二つに裂かれた枝槍はさながらモーセの出エジプトのように彼を避け、空を切って大地に沈む。

 それが彼女の敗北だった。

 彼は、遥かなる過去の先輩は敵対者たる計画派にではなく、ただの後輩に語り掛けるように早苗に言った。

「お前だって、ずっと俺と同じ立場だったじゃないか」

 ひゅうと喉が鳴った。何処か他人事のように思えてしまったのは、その言葉が決定的だったから。 

 忘我するほどの痛烈な言葉は早苗の中の蓋を容赦なく破壊して、抑え込まれていた感情が表層に噴出する。

 

44

「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!」

 早苗の中で何かが壊れた。

 その咆哮が解答だった。

『一体何だと言うんです!?』

「折れたんだろうさ。良心と恐怖に挟まれた彼女の心が」

 川藤早苗は元来維持派と同じ心性の持ち主だ。何故エロースの記憶が失われてしまったのかは分からないが、しかしシンとの過去が記憶にあるのなら、間違いなくかつての彼女の、キラープリンセスを大切に思う心は生きている。

「早苗は自らの不安のためにキラープリンセスを犠牲にすることに、デタラメな楽園計画(プロジェクト・エデン)に乗ることを決めてしまった。もし仮に彼女の中で物語的な理由があったり、対立者である俺に大仰な動機があれば彼女も違ったんだろうよ。非情になれない彼女は非情になる理由が必要だった。でも、彼女にはどちらもなかったのさ。結果として残ったのは割り切れずにもがくただのありふれた人間。川藤早苗という何処にでもいる普通の感性を持った女性だよ」

 言う内に戦況が動き始める。彼女の指先がシンを指差した。

「来るぞっ!」

『わかっております!』

 森林が爆発する。乱れた彼女の意志、荒れ狂う感情に呼応した乱雑な連撃がシンの肉体を追う。

「此処で決めるぞ、〈ana〉!ノスタルジアを終わらせる。新しい明日に二人を連れいくためにッ!」

 枝槍を曲芸染みた動きでシンの肉体が辿る。

 決着を付けに行く。永遠に続くと思われた千日手。予定調和が崩れた今しか、彼女を打倒しうる時はない。絡まり、ねじれ、ただ滅茶苦茶な攻撃は既に一人と一機の敵でなし。

 ダーインスレイブ、マサムネ、ロンギヌス、アイアス、タラリア、パラシュ、アッキヌフォート、ヴァナルガンド………。否、それだけではない。使える限りの手札を切って、彼は着実に低気圧のような彼女に近づいていく。

 そして、ふとこんな言葉が聞こえたのだ。おそらくは独り言ですらない。再生され続けるレコードのように、ただただ心の声が漏れていた。

 

「別にキラープリンセスを嫌っていたわけじゃなかった」

(知ってるよ、そんなことは)

 

「私はただ不安なだけだった。異界存在が恐ろしかった」

 

(だろうな。あの時代。その不安に駆られなかった人類はいないだろう)

 

「でも、不安に立ち向かう人が目の前に居たら、自分を正当化なんてできないじゃないっ」

 

 なら、

 

「やり直せば良いだけじゃないか」

 無数の枝槍を撥ね、無数の硬質化した木葉を落とし、そして青年は跳躍する。

「頭を下げて、行動を変えて、全てをやり直せばきっとお前が立ちたい場所に立てるさ。過ちは許されるためにある。人類史を鑑みろ。失敗から学び、現代は形作られてるんだぞ」

「今更、無理だよ。私はもうそちら側には立てないよ」

「だったら無理矢理にでも立たせてやる。お前が引き籠る木の鎧をぶち破って!」

 黒腕が蠢動する。

「CMCシステム起動、コード2513777〈マルミアドワーズ〉!」

 形成される分厚い刃の長剣。由来はギリシア最強の英雄ヘラクレスのその剣。青年の体に不釣り合いなほど巨大な剣を天高く掲げ、彼は絶壊の一撃を木の鎧へと振り下ろす。

 しかし早苗も黙っちゃいない。木の鎧はそのまま武器へと転化する。シンの眼下で剣山のように枝槍の穂先が形成される。

 このままではがら空きの胴に串刺し必至。だが、それでもシンは躊躇わなかった。

「防御は無視だ。ぶっ壊せェェェェェッ!」

 マルミアドワーズが早苗の木の鎧を砕く。枝槍が伸びる。

 ほぼそれは同時に行われた。

「ぐ、ぁ、ぁぁぁぁぁっ!」

 致命傷は回避した。マルミアドワーズの軌道と致命の一撃となる枝槍を粉砕したからだ。とはいえ、ただそれだけ。無視できないほどの傷を負った。その事実はゆるぎない。

「と、とった。これで、これで――っ」

 対する早苗の動きは早かった。縋るように叫びながら、彼女は魔術を起動する。彼女にとって攻防は一体。木の鎧の再生と枝槍の形成はほぼ同時に行われた。

 対するシンに彼女の攻撃に間に合うような手札はない。傷はまだ治らず、体は満足に動かせない。次の一手はあまりにも遠かった。ようやく打ち破った堅固なる木の鎧。その努力が無駄になる。無駄になってしまう。

「これで、私は――っ」

 早苗が壊れた笑みを浮かべる。勝利の確信と精神の限界が同時に訪れているのだろう。

 もう彼女は袋小路に陥っているのだろう。維持派と計画派。どちらの立場にも立てずに、ただただ苦しみだけが彼女の中で増している。

 先輩としてそんな彼女を放っておけるか。

 だから、言ってやる。

 勝利を確信した彼女に対して、見過ごしていた一つの現実って奴を。

 

「なぁ、早苗。俺は一人で戦ってたわけじゃないんだぜ?」

 

45

 その瞬間をエロースはずっとずっと待っていた。

 シンが木の鎧を破壊する、その瞬間を。

 エロースとシンの作戦はこうだった。

 木の鎧は枝槍が形成されるのと同じ速度で再生するだろう。であれば、二人でほぼ同時の連撃をしなければ早苗に攻撃は届かない。それも二撃目は再生する木の鎧を破壊するほどの威力を持たなければならないのだ。

 故に二人はこう決定した。シンが最初の破壊を行い、エロースは機が来るまでに練り上げた強力なマナの矢を放つ、と。 

 そして、時が来た。シンが早苗の鎧を破壊した。おまけに早苗の注意はシンが全て引き受けてくれ、エロース

は全くのノーマークだった。

 だから、エロースは。

 練りに練ったマナの矢。それを長弓に番え、力いっぱい引き絞る。

(取り戻す―――取り戻すッ!)

 狙うは彼女の胸元で青く光るデバイス。

 すなわち彼女の魔術の源泉を。

 無力化し、攻撃手段を奪ってしまえば対話の余地がある。そこで全てを聞き出すのだ。記憶のこととか、彼女たちの計画のこととか。そういった諸々のことを絶対に。

 さよならノスタルジア。郷愁はもう要らない。過去の続きを取り戻す。失われた時間を補管して、かつてのように笑える明日を!

 

「早苗ちゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!」

 

 絶叫。共に放たれた矢は流星のように空を走り、枝槍を粉砕し、そして再生しかけの木の鎧を貫通した。

 そして木の鎧を貫通したマナの矢は間違いなく早苗のデバイスを破壊した。

 早苗の肉体を壊すことなく、デバイスだけを正確に。

 マナの矢だからこそできる奇跡のような技だった。

 あるいは。

 もしかしたらエロースの想いが成し遂げた必然の奇跡だったのかもしれない。



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