ネムの駆けていく世界 (社財怪剣)
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プロローグ

「ネムを連れて村の外へ逃げろ、早く!」

「エンリ! ネム!」

 

 何かに願いを叫ぶように、絶望から抗う意思を込めた声。それは少女が聞いた父と母の最後の言葉だった。母親は二人の子供を村の外へと走らせると、襲撃者を引き付けるため父親とともに家に残る。

少女は姉に手を引かれ襲撃者のいない方へと走り続けた。周りの建物からは煙が上がり、地面には無数の血だまりが見受けられ、村のあちこちから少女に聞き覚えのある声が聞こえてくる。

 

「走れ!」

「ちくしょう!」

「だれか助けて!」

 

 怖い怖い怖い怖い。

 凍り付くような恐怖と血の匂いに少女は頭がおかしくなりそうだった。それでも泣き出さずに走り続けた。だって、姉が手を引いてくれている。

少女は姉を信じている。きっとこの怖い出来事もなんとかしてくれるんだ。そして、いつもの楽しいカルネ村に戻ってこれる。

そう信じて――姉の手を一層強く握った。

 

 

 

 

    ――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 リ・エスティーゼ王国の辺境にある小さな村、王都からも遠く重要拠点ではない田舎に暮らす人々の集落。ここはカルネ村という。カルネ村は村人のほとんどが畑仕事や薬草の採取で暮らしを守っている長閑な村だった。

 

 民家の家の前ではしゃぐ小さな少女。赤みがかった髪を揺らしながらネム・エモットは姉の見送りをしていた。10歳になったばかりのネムは元気いっぱい、無邪気に村を駆け回る、村の平和を象徴するような娘である。田舎っぽい紺色の服に赤いスカーフが特徴的な格好がその無邪気な表情によく似合っている。

 その日はとてもいい天気だった。緑豊かな土地を吹き抜ける風がとても気持ちいい。朝の日課で井戸に水を汲みに出かける姉に「いってらっしゃい」と言って満面の笑顔を向ける。

 家の中へ戻ると今度は家事の手伝いを始める。学校などという施設の存在しないこの村では大人の仕事を手伝いながら物事を覚え、成長していく。トントントンと野菜を切り、朝食の準備をする母の周りでテーブルへ食器を並べるのがネムの役目だ。

 

 ネムは自分の暮らすこの村が大好きであった。人口が100人を少し超える程度の小さな村ではネムの知らない人間はいない。みんなが家族のように支えあいながら暮らしている。そんな村の中でもネムの自慢は姉のエンリだ。村一番の働き者でみんなから信頼され、いつか村長になるのではないかと期待されている。だからネムもいつか姉のようになりたい。そして村長になった姉とカルネ村を守っていくんだ。

 そう…思っていた。

 

 朝食の支度も終わり家族揃っていただきますをするため、ネムは椅子に座って足を揺らしながら姉のエンリの帰りを待つ。談笑する父と母を眺めながら楽しい毎日に幸せを感じていた。

 

 ふいに家の扉がバタンと騒々しく開かれる。肩で息を切らして飛び込んできたのは近所に住むモルガーいう農夫だ。

 

「エモット。大変だ! 今すぐに子供たちを連れて逃げろ!」

 

 モルガーは元から騒がしい人間だが、あんなに慌てた様子は見たことがない。異常を察したネムの父が座っていた椅子をガタンと倒してモルガーに駆け寄る。

 

「おいおい、いったいどうしたんだモルガー。落ち着いて話せよ」

 

 ぜぇぜぇとあがった息を整えてモルガーが大きく声を上げる。その顔には不安と動揺が含まれており、決して良い話が出てこないことは分かっている。

 

「騎士だ。騎士の集団が村に攻め込んできた!」

「そんな、まさか!?」

 

 ネムの父が外へ飛び出すと、悲鳴を上げて逃げ惑う村人たちの姿がった。その背後、まるで村人を追い込むように全身鎧(フルプレート)に身を包んだ騎士の集団が剣を構えて迫ってくるのが見える。その数はざっと見ても20以上だろうか。前列の騎士の剣には真新しい血がべったりと付着しており、それが何を意味しているのかを理解するのに時間はかからなかった。

 彼は家の中に引き返すと武器の代わりになるような農具を手にし、家族を、娘を傍に寄せる。

あれほどの騎士の集団に勝てるはずがない。そう分かっていながらも、彼にはやらなければならないことがある。

大切な家族を守らなければならない。

 

 

 

 

 

    ――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 走る。走る。走る。

 どこまで走っただろうか。エンリはネムの手を引き、村を出て大森林へと向かおうとしていた。

草をかき分け走ってきたネムの足は所々血がにじんでいた。全力でずっと走っていたためか、足が痛くて何度も躓きそうになる。しかし、後ろから聞こえる恐ろしい騎士たちの声が二人を走らせる。

 

「黙れ、黙れ、黙れ!」

 

 エンリがまるで自分に言い聞かせるように呟いた。

そして私の手を一層強く握ってくれる。その決意を固めた姉の横顔を見てまだ頑張ろうと気合が入った。

 

「早く、逃げるよ!」

「う、うん」

 

 ネムとエンリは懸命に逃げた。走った。手を握り走った。

それでもダメだった。途中でネムが石に躓いて転んでしまったからだ。その隙を騎士たちは見逃すはずもなく、追い込まれてしまう。一度立ち止まってしまうと再び振り切るのは不可能だろう。

 

「散々逃げ回りやがって。抵抗しなければ苦しませず殺してやるというのに」

 

 剣を振り上げながら近づく騎士に諦めず、エンリは拳を振るい必死で抵抗した。だが、騎士の剣は残酷であった。走りだそうとしたエンリの背中に血しぶきが飛ぶ。

 

 

 エンリは呻くように歯を食いしばって痛みに耐えながら、それでもネムを守ろうと傷ついた体を盾にする。血、血がたくさん流れていくのが見えた。ネムは動けなかった。逃げようと考えられなかった。姉が苦しんでいるのに怖くて動けなかった。

血濡れの背中を騎士に向け、エンリはネムを抱きしめた。

 

「どうか妹だけは、妹だけは殺さないでください!」

「お、お姉ちゃん……」

 

 そんな言葉は聞こえないのか騎士たちはゆっくりと近づいてくる。

自分はどうなってもいい。だけどこの子には生きていてほしいと願った。誰でもいい。この声が聞こえるのならば、少しでも耳を傾けてくれるのであれば。どうかこの子をお救いくださいと祈る。

 

「お願いします。どうか!」

 

 ザシュ――

 

 ネムの顔に温かい液体が降りかかると、抱きしめていた力が抜けてそのまま倒れていく。首から大量の血を流すエンリから小さな声が聞こえる。

 

「ネム……にげ……て……」

 

 震えて掠れたような声、それだけ言い残すとエンリは動かなくなった。

わずかな希望さえも許されず、目の前の現実が、絶望がネムの心を侵食する。

 

 嘘だ。

 

 ネムは呆然とその場にへたり込む。

なんでこんなことになってるか理解できない。昨日まで村はあんなに平和だったのに、どうしてこんな事になっているのか分からない。ネムは涙を流しながら姉の亡骸に叫ぶ。

 

「お姉ちゃん! いやだよ。なんで!」

 

 ――突如。

胸に熱さが走って吹き飛ばされた。草の上を転がりながら、ネムは自分が斬られた事に気づく。傷はそれほど深くはないが、じわじわと経験したことのない痛みに泣きわめく元気も生まれなかった。

 

「チッ、ガキは軽くて上手く斬れねえぜ」

「さっきの返り血で手元が狂ったか?さっさと済まさないと隊長にどやされるぞ」

 

 不機嫌そうな声でいがみ合う騎士たちの声が聞こえる。ネムの命などなんとも思っていない。

ああ、そんなに心底面倒そうにカルネ村は、家族は、姉は殺されたのだ。ネムは悔しくて、悲しくて心にぽっかり穴が開いたような気がした。

 

 仰向けに倒れたネムが目を開けると、きれいな青空だけが見える。

カルネ村を駆け回っていつも見上げていた景色だ。この村で大きくなってずっと家族と暮らしていくのだと思っていた。そんな未来はもう来ない。騎士の集団がネムの大切なものを全部奪っていってしまった。何もなくなってしまった。

 ガチャガチャと甲冑の擦れる音を奏でて、死の足音が近づいてくる。

自分もここで死ぬのだとネムは悟った。

 

 ガチャリ……。

 

 ガチャリ……。

 

 歩いてくる騎士の足音が止まった。止めを刺す気なのだろう。

目の前に広がる空に家族の笑顔が見えた気がした。ネムは空に向かって手を伸ばす。

 

「お姉ちゃん……」

 

 伸ばした先には何もない。ネムの小さな手を握ってくれる人はもういないのだから。

でも……それでも手を伸ばした。

騎士の悲鳴や雷が落ちるような轟音の幻聴が聞こえる。

それでも手を伸ばした。

 

 ふと、伸ばした右手に優しく何かを握らされる感触があった。

目を開けると…辺りには惨たらしく殺された騎士の死体。

そして――。

 

「飲め」

 

 この世の絶望と恐怖を(かたど)った黒いオーラを纏う骸骨の神様が自分を見下ろしていた。

手にするのは死神の鎌よりも恐ろしい絶大なる杖、纏うのは漆黒のローブ。絶望の村に死の支配者(オーバーロード)がやってきた。絶対なる死そのものがネムを迎えにやってきた。

 

 

 

 







【あとがき】
ここまで読んでいただきありがとうございました。
初投稿になるのでいろいろと不備があるかもしれませんがご指摘いただけたら幸いです。



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血塗れの村

「飲め」

 

 モモンガは血塗れで倒れる少女を複雑な気分で見ていた。これは間に合ったと言っていいのだろうか。外の景色を見ることができるアイテム「遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモート・ビューイング)」の実験中に騎士の集団に襲われている村を偶然見つけたのだ。

 しかし、見つけるのが遅すぎた。村人の大半はすでに殺されており、生き残りがいるかどうかという場面での発見だった。鏡を拡大したときに見えた二人の少女、その一人が騎士に斬られた時に聞こえた気がしたのだ。「どうか妹の命だけは助けてください」という声が。

 助けに入ったところでこの村は救えず、村として最低限の機能も無くしてしまった場所に価値はない。この世界の人間の強さが未知数である今、ナザリックの存在を感づかれるリスクを負うのは愚かなことではないか。

 一人でも助けられるなら助けて当たり前。なのでしょうか、たっちさん……。モモンガは心の中で呟きながら、ここに来るもう一つの理由を作った友人の言葉を思い出す。

 

 それにしても、目の前の少女はいつまでも動かない。見たところ生きてはいるようだが出血の量が多い。早く回復しなければせっかく助けてやった者をみすみす殺してしまうことになる。相手は子供だ。殺されかけて動揺しているのか、それとも回復アイテムの使い方もしらないのか。どちらにせよ促してやるのが大人というものだろう。

 

「どうした、毒など入っていないぞ。ただの回復のポーション…だ……」

 

 できるだけ怖がらせないように落ち着いた威厳のある声で話したつもりだった。体を少し前に進めた瞬間、目の前の少女はびくりと体を震わせて「あっ……」と小さな声を漏らす。続いてスカートからショロショロと水音が聞こえてくる。なんとも反応しづらい出来事に動揺したモモンガだったが大人の対応でスルーすることにした。

 

 もしやこの世界は異形種が珍しく、死の支配者(オーバーロード)の見た目を怖がっているのだろうか。あれこれ考えた結果、自身の背後に禍々しいオーラが立ち上っていることに気づく。モモンガは焦りと戸惑いを覚えながらここへ向かっていたため、絶望のオーラⅠがうっかり発動していたのだった。

 とっさにスキルを解除すると、少女は動けるようになったのかこくこくとポーションを飲みだした。見た目もそうだったかもしれないがこっちだったかと、モモンガは安堵し先ほどのやり取りはなかった事にした。胸に刻まれた痛々しい剣の傷跡が何事もなかったかのように治癒していく。反応は薄いが少女もかなり驚いているようだ。

 さてここからが問題だ。さっきからあきらかにレイプ目になっている目の前の少女、いったいどうしたものか。

 

「私の名前はネムといいます。お名前……お名前を教えてください」

「私はアインズ……そう、ナザリック地下大墳墓が主、アインズ・ウール・ゴウンだ」

「アインズ・ウール・ゴウン様」

 

 虚ろな目で、胸に刻みつけるようにアインズの名を呼ぶネムに若干違和感を覚えながらも認識できた事があった。この体になってから人間は虫けらのようにしか見えなくなっていたと思ったが、こうして触れ合ってみると小動物くらいに可愛げがあるものだと。まるで人の精神であったころ、捨て猫が雨の中に佇んでいるのを見ているかのようだった。

 

「ふむ、捨て猫を拾うかどうか……か」

 

 ポーションで回復したその体は傷以上に全身血まみれであった。近くに倒れている村娘であろう少女の遺体を一見し、彼女の流した血であろうとアインズには分かった。遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモート・ビューイング)で必死にネムを守ろうとする彼女の姿を見ていたのだ。鏡越しに聞いた、だが聞こえるはずない願いとともに。

 

「アインズ・ウール・ゴウン様」

「そう畏まらんでもいい。アインズでよい」

「アインズ様……」

 

 一区切りついたところでこれからのことを考える。先ほど殺した騎士は予想以上に低レベル。死の騎士(デス・ナイト)あたりを召喚して騎士を殺しつつ他の生存者を探すべきか。エイトエッジ・アサシンの報告を待つべきか…。

 ふと見ると、ネムが地面に手を突き懇願するかのような視線を向けている。死にかけていたとはいえ、目の前でアインズの圧倒的な魔法が使い騎士を殺したことは理解しているはずだ。相手の機嫌を害すれば自分にその力が降りかかるかもしれない状況で、何を願おうというのか。

 この後にどういう頼みごとをするのかアインズは大体察していた。そこにいるのは絶対的な死の支配者。家族を殺した相手に復讐するチャンスなのだ、そう言うに決まっている。

 あの騎士共を皆殺しにしてくれ、と。

 

「ネムを殺してください……」

 

 

 

 

    ――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

「ガゼフ殿。村の様子はどうですかな」

 

 パチパチと残り火が音をたてるカルネ村の広場。辺りには夥しい血の跡、村人の死体、そして騎士のバラバラになった四肢があちこちに散乱している。アインズの目線の先には王国戦士長、ガセフ・ストロノーフの姿がある。先ほど村へ救援へやってきたという戦士集団の隊長でなかなか話の通じる人物であった。当初は「戦士長殿」と呼んでいたが「ガゼフ」で結構、と気を使ってくれるほどだ。

 

「アインズ殿が魔法で得た情報通りだった。村人は無差別に虐殺を受けたようだ。村長や一部の者たちは捕虜として中央広場にとらえられていたが……」

「若者達が皆殺され、我を失い最後の抵抗をするも返り討ち……ですか。どうやら生き残った村人は彼女だけのようです」

 

 アインズはエイトエッジ・アサシンからの情報により、カルネ村で起こった殺戮の全容はほぼ把握していた。騎士の集団は何を早まったのか村人の捕虜までも殺していたのだ。隊長格がよほど無能であったのか死の騎士(デス・ナイト)に突撃を仕掛けるばかりで目的も未だ不明である。

 アインズの足元にはローブを握りしめる小さな少女、ネム・エモットが怯えるように立っていた。目の前に広がるのはすでに住民が誰もいない村。カルネ村だった廃墟だ。

 

「不憫でなりません。我々の到着がもう少し早ければ、もっと多くの村人を救えたかもしれないというのに」

「そうかも……しれませんね」

 

 それを聞いてアインズは彼への警戒心を一段階下げる。王国戦士長を名乗る男、ガゼフは心底悔しそうに眉を寄せて不甲斐ないと自分に言い聞かせていたからだ。ガゼフと出会ったのは、アインズの召喚した死の騎士(デス・ナイト)が村を襲った騎士全てを殺してからだ。初めは無言で対立し戦闘もやむなしかと思われたが、アインズに寄り添うネムの姿を見て対話を試みてきたのだ。

 そして、これまでの経緯を述べると手を合わせ礼を述べてきたのだった。とっさの判断で仮面をつけて素顔を隠していたが、広場に待機させた死の騎士(デス・ナイト)を見る隊員たちからは未だ怖れと戸惑いの色が見える。

 彼らを信用するには材料が足らなすぎる。

 

「失態だな」

 

 王国戦士長。王国。

 つまり、先ほどの騎士たちは王国の者ではないことが予測される。ナザリックが飛ばされてきたこの世界には少なくとも王国があり、さらに敵対する国があるというということだ。やはり、この世界の情勢も住む者たちのレベルすら知りえていない状態でナザリックを出たことは失敗だったかもしれない。先ほどの戦闘がナザリックを危険にさらす可能性もあるのだ。

 

 まずはこの世界の情報が必要だ。しかし、村長辺りからこの世界の情報を集められれば良かったのだがこれでは……。唯一の村人であるネムは幼すぎて情報の信憑性に欠けるだろう。そう思いながら隣に寄り添うネムを見る。それ以前に今のこんな生気のない状態でまともな話が出来るとも思えない。ならばガゼフに聞くのが一番早い。

 

「ガゼフ殿、私は長いこと魔法の研究で引きこもっていたせいか、王国がどういう状況なのか知らないのだ。少し時間をとって教えてもらえないだろうか」

「うむ、そのような事情があったとは。あれだけの騎士を殲滅する力があって名が知られていないのが疑問でしたが、なるほど」

 

 ガゼフからこの世界、主に王国を中心とした情勢や他国との位置関係などの情報を得ることができた。通貨について聞いた時はさすがに眉を顰められたが、なんとか誤魔化しつつ話を進められたようだった。優先すべきは自分たちの状況把握に使える情報。アインズの愛するナザリックを守るための手段を考えていかなければならない。

 

「ところでアインズ殿は近くで魔法の研究をしていた魔法詠唱者(マジック・キャスター)でしたな。その子を村での出来事を知る者としてこちらで預かってもよろしいでしょうか?」

 

 ガゼフが痛いところを突いてくる。とっさの説明に自己設定作るのは控えよう。ネムはアインズの仮面の下を知っている。それ以前に殺して欲しいという彼女の願いを叶えてやろうという気になっていた。どうか妹の命だけは助けてください、という名も知らぬ者の願い。何もできなかったこの村に残せるのはこの矛盾した願いを叶えるくらいだろう。

 

 ――何故だ。

 小さな疑問がアインズの頭に浮かんできた。ネムが邪魔ならただ殺せばいい。この状況で捨て猫を拾う手間など不要なのだ。なぜ自分はこの娘に甘くなるのか。そこに理由が見つけられず自嘲気味に笑った。そう……なんとなくだ。

 

「ガゼフ殿。ネムは……」

 

 キィンと頭に声が響く。アルベドから<伝言(メッセージ)>?。何かがエイトエッジ・アサシンの警戒にかかったか。ガゼフ達の乱入もあって、周囲を警戒するように命じていたのは正解だったようだ。

 

「どうしました?」

「どうやら、何者かの集団が迫っているようです」

 

 次から次へとなんなんだとアインズが仮面の下の目を光らせていると、ガゼフの部下の一人がこちらへ駆けてくるのが見えた。報告によると集団はスレイン法国という国の部隊のようだった。ガゼフは険しい顔つきになると部下に戦闘の準備を整えるよう号令をかける。

 

「アインズ殿、どうやら狙われているのは私のようです。私が敵を引き付けるので、その子を連れて村から脱出していただきたい」

 

 ガゼフは敵の素性、自分が狙われることに身に覚えがあるらしい。なるほど、とアインズはここまでの情報からとある予測を立てる。最初から狙われているのは王国戦士長ガゼフであり、先ほど殲滅した騎士の集団はガゼフを村に留まらせる囮であったのかもしれない。

 ならばこの世界の人間たちのレベルを測るにはとても良い実験となる。

 

「ガゼフ殿、これを……。お守りのようなものです」

 

 彼らが敵の部隊に勝てるかどうかは分からないが、ガゼフには情報をもらった借りがある。そして、これまでの彼の言動から死ぬには惜しい男であると思った。

 

 

 

 

    ――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 ガゼフ達を見送るとアインズはこれまで無言だったネムの背中に手を当てる。

 

「さて、では我々も動くとするか。アルベド、準備はできているか」

「もちろんです、アインズ様!」

 

 アインズが声を向けた方向から漆黒の鎧を纏い、バルディッシュを手にした戦士が影から現れるように姿を現した。ナザリックの階層守護者統括アルベドである。当初はアインズの護衛として連れて来る予定だったが、この村へ向かう際に時間があまりにもなかったため、装備を整えてから来るように命令していていたのだ。そして到着してからは陰ながらアインズの身を守っていた。アルベドがその姿からは想像しづらい乙女に溢れた声色でアインズの前に跪く。

 

「敵の人数、見た限りでの装備の確認は済ませております。ご命令いただければすぐにでもナザリックからの戦力をご用意いたします」

「まずは戦士長殿のお手並み拝見といったところか。命令があるまで待機せよ」

「畏まりました……。ところでアインズ様、先ほどから小さな虫けらがアインズ様のお召し物に張り付いているようですが、首を落としても構いませんでしょうか?」

 

 アルベドがバルディッシュの刃をすいっと振り上げネムへ向けていた。アインズの近くで刃を振り上げるのは失礼と分かっていても人間がアインズに近づくのが気に入らないのだ。なによりもネムがアインズのローブを握っているのが最も気に食わない。

 

「ま、待てアルベド!落ち着くのだ。この者は……あれだ、この先の利用価値を考えてのだな。

 ――実験材料だ」

 

 しーん、とその場が静まり返る。ネムがローブを握る力を少し強めたような気がしなくもない。まあ、当たらずとも遠からずというところか。アルベドがバルディッシュをビシッと地面に置いて再び跪く。

 

「アインズ様の崇高なお考えに至らず申し訳ありません。貴重な実験材料を手にかけてしまうところでした」

「う、うむ。だが、お前の忠義ある行動には驚かされるぞ」

「身に余る光栄です」と体をくねらせるアルベド。

 

 ナザリックの視点だと人間は皆虫けら程度である。虫けらが死のうが生きようが興味はなく、邪魔なら潰せばいい。異形種の身になったアインズにもその感覚は理解できる。だがアインズの中にある人間だったころの影響だろうか。親しくなった人間はその例外に当たるところも分かってきた。

 アインズにとってナザリックは絶対の優先事項。どちらの感覚を尊重するべきかは比べるまでもない。しかし、ナザリックの大多数がそう考えているのならこの先に支障が出そうである。

 異形種と人間の狭間にある価値観の違い。人間に対する扱いをどうするのか指針を示す必要がありそうだとアインズは考えるのだった。

 

 









【あとがき】
アニメで一番好きなのはデス・ナイトさんの登場シーンです。
フランベルジュとタワーシールドを構えた姿とあの迫力あるBGMがとても似合っていました。



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ネムの選んだ道

 王国戦士長ガゼフは強かった。この世界の人間にとって特殊と言えるほど力強い技を繰り出して敵の召喚した天使を斬り伏せていく。だが敵の数はそれを覆すほどに多く、じりじりと追い詰められていった。ガゼフの部下は敵の物量の前に倒れ、ガゼフ自身も敵の炎の上位天使(アークエンジェル・フレイム)に囲まれ終わりかと思われたとき、ガゼフと入れ替わるようにアインズは現れる。

 

 一言で表すなら「圧倒的」だった。

 不思議な光の防壁に守られながらネムはその光景を目に焼き付けていた。スレイン法国の部隊を相手にたった一人で立ち向かい、まるで虫を払うかのように天使を闇の波動が吹き飛ばしていく。人知を超えた魔法の数々。敵の隊長が従える天使は炎に焼き尽くされ、さらに敵が自信をもって召喚した光り輝く天使も闇の中へと消え去った。

 

「………」

 

 信じられないような圧倒的力の差。目の前で繰り広げられる次元の違うアインズの戦いは、ただの村娘には未知の世界。本来なら憎むべき村の敵が悲鳴を上げる姿など彼女の目には入らなかった。見つめ続けるのはちっぽけな自分を拾ってくれた死の支配者(オーバーロード)の後ろ姿。その雄姿をいつまでも眺めていた。

 

 

 

 

 

 

 すでにスレイン法国の軍は降伏し、逃げ惑う中を次々と異形のモンスターに捕らえられていっている。それはすでに戦いではなく蹂躙、戦意を失った者を容赦せず殴殺し使えそうならば捕らえる。カルネ村での情報が少なかったため、法国の人間から少しでも引き出そうとナザリックへの深淵へ、地獄へと連れていかれるのだ。

 

 一国の部隊がまたたく間に壊滅していく中、アインズが捕らえた法国兵の一人をネムのもとへと引きずってきた。兵士はネムの近くへと投げ捨てられるが逃げようともしない。口もうまく動かないようで、ヒヒッと軽い悲鳴を出すばかりだった。兵士には麻痺、鈍足など複数のステータス異常がかかっており、まさにまな板の上の鯉という表現が相応しい。

 助けられてからほぼ無表情だったネムであったが、その瞳に僅かな感情をのせて無様に痙攣する兵士を眺めている。そこにあるのは家族を殺した者たちに対する憎悪か、怖れであろうか。

 無言で兵士を眺めるネムの眼前に剣の柄が突き付けられる。アインズが剣身の部分を持ち、ネムに差し出しているのは法国の兵が持っていたと思われる小型の剣だった。

 

「ネム……という名だったな」

 

 夕日が沈み、夜の闇が広がる戦場の跡。さわさわと夜風が草原を静かに揺らし、アインズのローブがはためく。その鋭い異形の表情からは感情が読み取れず何を考えてるのか、何をさせようとしているのか分からない。

 

「私は友に導かれお前を救った。そこに間違いなどあろうはずがないのだ。しかしお前は死の支配者である私に自らの死を願った。その願いは我が友に対する裏切りであり、重罪である。よって、私はお前に死を与えることにした。何か言い残すことはあるか?」

 

 ギラリとアインズの瞳が赤く輝き、殺気に溢れる。神のごとき強さの化け物に死を宣告された人間はどうするのだろうか。無能な者は金を差し出して命乞いをし、多少頭が回るなら見苦しい言い訳を続けた結果、逆鱗に触れて嬲り殺されることになるだろう。その先に未来はない。

 

「ごめんなさい……」

 

 小さな声、だがはっきりと子供らしい回答を口にした。

アインズ様がわざわざ助けてくれたのに、アインズ様のお友達が救おうとしてくれたのに馬鹿なことを言ってごめんなさいと涙を流していた。

 

「ふむ、そうだな。謝っている子供を私の友人が許さないはずがない」

 

 その回答になにやらとても満足したのか、まるで正しいことをした子供を褒める親のようにアインズの反応は優しげだった。この問いをしたのはネムというこの世界の人間に対する最後の警戒であり、ナザリック内部を危険にさらす可能性を極めて低くするためである。

 

「ならば、この先は自分で選ぶといい」

「選ぶ……ですか?」

「お前が命令を拒絶し私の下を去るというのなら今日のあった出来事の記憶を消し、ガゼフにお前を預けよう。理由もわからず全てを失い、今と変わらず死人のように過ごすといい」

「……………」

「だが…アインズ・ウール・ゴウンにその命を捧げ、我が命に従うのであれば我々のギルド『アインズ・ウール・ゴウン』の本拠地であるナザリック地下大墳墓がその身を受け入れよう」

「アインズ様のお家……」

 

 死の支配者が統治し、数多の異形種が住まう場所。人間にとってはそこに受け入れられるのは死も同然だろう。すなわちどちらを選んでも死ぬのと変わらない。どちらの選択が彼女にとって正しいかなど今のネムには知る由もなく、理不尽な選択であろう。

 ネムは自分の小さな手を見つめてどうするべきか考えた。死にかけた自分が空に伸ばした手は何に届いたのだろう。その優しさに応えるにはどうすればいいのだろう。

 

 不意にアインズの視線が別の方へと注がれる。そこにあるのは先ほど運ばれてきた法国軍の兵士、部隊の中でも下位であろう雑兵の一人だ。ナザリックにとって情報的価値は低く実験に使うかどうか程度の存在価値である。

 

「さて、私に逆らった不愉快な者がそこに転がっているな。命令だ、その者を殺せ」

 

 決して忘れてはいけないことがある。大好きな村のみんなの悲劇、命を懸けて自分を守ってくれた家族。そして、手を引いて最後まで身を案じてくれた尊敬する姉を絶対に忘れてはいけない。

 それ以上に――。この御方に付いていきたい。

 

 キシッと剣の柄を握る音とともに剣身はアインズの手を離れ、倒れた兵士へと向けられる。たとえ彼が麻痺して動けなかろうが関係ない。主人の命令は絶対である。初めて握る剣でも相手が動けないのであれば確実に命中するであろう。

 ネムが勢いのまま斬り付けると掠れた悲鳴が上がり、背中に赤い線がじわじわ広がっていく。そこに慈悲や躊躇いはなく、続く二撃目で首を斬り付ける。最期は子供に斬り殺されるとは夢にも思わなかったであろう。兵士は首から大量に血を噴き出し、体を震わせながら……やがて動かなくなった。

 

 相手が死んだであろうことを確認し、剣を抱えてとことこアインズの下へと駆け寄るネム。血塗れで嬉しそうに微笑むその顔は、先ほどまでと打って変わって生き生きとしている。それは生きる目的、使えるべき主を得たからだろうか。

 

「アインズ様、敵をやっつけました!」

 

 アインズは剣を抱えて戻ってきたネムの頭に手を乗せて撫でると「よくやった」と褒め称えて迎えた。硬い骨だけの手で撫でられながらネムは目を細めて嬉しそうにしている。

 初めての任務はネムに敵討ちをさせる体での殺人。そんなことは本人も分かっているしどうでもいい。ネムは素直にアインズに褒められて嬉しいという感情で満たされていた。

 

 

 

 

 

 

 村の方へと戻ったアインズ達を傷だらけのガゼフと戦士団が迎えた。

敵を追い払ったと伝えると、あまり信じてもらえなかったようだが一応納得はしてくれた。その顔から敵に何が起こったのか察しはついているようだ。そして、少し見ない間にネムが子供らしい元気を取り戻している事に目を見開いて驚いているようだった。

 

「この度は我々を救っていただき感謝の言葉もありません。必ずこの礼はさせていただきます」

「礼ですか、では何かあったときにガゼフ殿の力を貸していただけるとありがたいですな」

「ふふ、アインズ殿に遠く及ばぬこの身で役に立てることがあるのならば」

 

 誓うように手を胸に当てるガゼフ。真面目に誓いを立てるこのガゼフという男をアインズは少し気に入っていた。スレイン法国の兵にもこの気立てを分けてやりたいものだと思う。真っすぐな正義感というものはゲーマーであったアインズにとって眩しいものに映るのだろう。

 その視線が少しネムにも向いているような気がした。そして、少々不安げな表情を浮かべながらネムの前で膝を立てて小さな体に視線を合わせる。

 

「この村が襲われたのは私に大きな責任がある。ネム殿、王国戦士長としてこの度の不甲斐ない失態の謝罪させていただきたい」

「え、そうなの?」

 

 ネムは目を大きく見開いてぷるぷる震えている。この話が出たときネムはショックで周りが見えていなかったから気が付いていないはずだった。言わなければいいのに正直だからこうなるんだろうなとアインズは頭を抱えずにいられない。

 極限の緊張状態が続いていたから今までなんとか平静を保っていたが、一息ついたときに動揺が走ると恐らく決壊する。ネムはまだ子供なのだから。

 

「が、ががぜふサンは…わわわるくないで……あい…つら…がが……う、ううう…」

「ん?どうされた……」

「うわぁああああああん!おねえちゃぁあああん!!」

 

 感情が爆発した。

 

 村の中に響き渡る子供の泣きじゃくる声。治療をしていたガゼフの部下たちも何だ何だと顔を覗かせている。だがこれは必要なことだったのかもしれない。無くしていた心を、忘れていた感情を取り戻すのは何か切っ掛けが必要なのだから。しばらく泣かせておいてやることにした。

 

「子供を泣かせるのはいただけませんな、ガゼフ殿」

「す、すまぬ」

「まあ冗談はここまでとして、ネムの今後についてですが……」

「ははは、ずいぶんとアインズ殿に懐いておられるようで。まるで魔法でも使われたかのようだ」

「申し訳ないですが、王国には村人はすべて殺されたとお伝えください。この子は私が連れていきます」

「……少しその理由について説明していただけるとありがたいのだが」

「私は貴方という人間を少し気に入っているんだ。出来れば殺したくはない。ネムは連れていく。異論はあるか?」

 

 柔らかい雰囲気から一転しての硬く暗い声。断るとただでは済まなそうな雰囲気にガゼフの額に汗が浮かぶ。特に引き渡して大きな問題はない。一つの気がかりを除いて。

 

「一つだけ、よろしいか?」

「何だね」

「その子を粗末に扱わないと約束してほしいのだが」

 

 ククク……と漏れる笑いを噛み締めるようにしながらアインズは思う。やはりガゼフという男は面白い。その問いに「もちろん、そのつもりだ」と返すと心底安心したようだった。

 

「王国へ来る際には是非わが家へ。アインズ殿、ネム殿共々歓迎しよう」

「ああ、ありがとう。ガゼフ殿」

 

 

 

 

 

 

 翌朝、ネムとデス・ナイトが村人の墓作りをしていたところ、戦士団も怪我を押して手伝ってくれていた。自分たちを引き付けるため襲われた村人を助けられなかったことに、彼らも思うところがあるのだろう。

 

 彼らが去った後、村が見渡せる丘の上。三つ並んだ小さな墓の前で手を合わせるネムの姿があった。その手首には黄色いリボンが巻かれている。かつて姉であるエンリが髪を縛るのに使っていた物だ。エンリという姉を生き返らせることを思案したこともあった。だがもうその必要はないだろう。ネムはすべてを受け入れた選択の末ここに立っている。

 

「お姉ちゃん、最後まで諦めずにネムのことを守ってくれたんです」

「そうか、良い姉だったのだな。出来ればともに助けたかったものだ」

 

 ネムの背後に立つアインズはその様子を見守っていた。恐らくネムがもうこの場所に来る機会はない。ナザリックでどのように扱うかまでは具体的に決まっていないが、外に出すこともないだろう。

 しかし、人間として扱う訳にもいかないのが現状だ。そもそも人間を下等生物として認識しているナザリックの者たちが歓迎できるとは到底思えない。ならばシャルティアの眷属化という形で住まわせるのも悪くはない。眷属ならばナザリックの者として受け入れるように厳命すれば問題はないだろう。

 

 ――本当にそれでいいのか?

 

 ギルド『アインズ・ウール・ゴウン』の加入条件は二つ。アバターが異形種であること。そしてプレイヤーが社会人であること。この世界で社会人についてはこだわる必要はない。だがギルド長として譲れないものもある。属国に住むものとして扱うならばともかく、ナザリックに所属するのであるのなら異形種であることは絶対だ。

 そういえばユグドラシルをプレイしていて種族の問題というものは多々あった。自身が異形種のPK被害にあったことがアインズ・ウール・ゴウンの生まれたきっかけであることも懐かしい。人気のあるゲームほど我儘なプレイヤーは多い。運営はプレイヤーを殆んど野放し状態だったこともあり、アインズ・ウール・ゴウンもいろいろと試行錯誤しDQNギルドプレイを楽しんだものだ。たしかユグドラシルのゲーム内、ギルドメンバーとともにこのような問題に当たったこともあった。その時はどうしていた…。

 

「さて、そろそろ行くぞネム」

「はい、アインズ様!」

 

 

 これからアインズとネムが向かうのはナザリック地下大墳墓。そこがネムにとって何より大切な場所となり、自分の家として守っていく日が来るのは近い。

 

 

 








【あとがき?】


「やあやあネムちゃん、こんにちわ」
「あ、こんにちわ。バードマンさん」
「僕の名前はペロロンチーノ。僕と契約してナザリックへおいでよ」

「ナザリックってどんなところなんですか?」
「血と拷問蠢くスペクタクル。部屋いっぱいに溢れるGも歓迎してくれるよ」
「絶対嫌です」
「アインズもいるよ」
「行きます!」
「はぁはぁ…じゃあ一緒にナザリックへ行こうか…」

「どうしてバードマンさんはそんなに息が荒いの?」
「それはね、この仮面ちょっと息苦しいからだよ。はぁはぁ」

「どうしてバードマンさんは羽が生えているの?」
「それはね、可愛い子の傍にすぐに飛んでいくためだよ」

「どうしてバードマンさんはそんなに爪が鋭いの?」
「それはね…お前の服を引き裂くためだよおぉぉぉおお!いぃやっほーい!」

 ペロロンチーノの毒牙がネムに襲い掛かろうとした瞬間、ピンク色の濁流が彼に襲い掛かる。

「ぎゃあああ!!」
「黙れ、弟」




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世界の狭間

 

 ナザリック地下大墳墓、地下第一階層の一画。

 遺跡を思わせるような迷宮の広がる階層に静かに佇む男。赤いスーツの似合うその姿からは紳士のたしなみを感じられるが、後ろから生える悪魔の尾が彼を異形であると認識させる。

ナザリック階層守護者デミウルゴスは敬愛する主人に呼び出され、この一画を封鎖するように命じられていた。本来はPOPによるアンデッドが徘徊する場所であるが、今はその気配すら感じられない。

 

「早かったわねデミウルゴス」

「アルベドですか、階層設定の管理は上手く機能しているようですね」

 

 同じく呼び出されたと思われるアルベドが指輪の能力を使い転移してきた。彼らが呼び出されたのはこれからアインズの行う『実験』を補佐するためである。デミウルゴスの顔には若干の笑みが浮かんでいた。捕らえてきた法国の兵より優先させて主人自らが行うというその実験を楽しみにしているのだ。

 続いてやってきたのはデミウルゴスと並ぶ階層守護者のシャルティア・ブラッドフォールン 。転移門(ゲート)から現れたその姿は真紅の甲冑に身を包み、巨大なランスを装備している事から、彼女が神器級(ゴッズ)アイテムを加えた装備していることが分かる。

 

「その装備とは……アインズ様は何事にも慎重にあたるのですね」

「わたしにもよく分からないでありんすぇ。念のため、ということでこの格好で来るように命じられたでありんす」

 

 多少の危険の可能性もあるということか。横を見るとアルベドがなにやら不安げな顔をしている様子。ふむ、とデミウルゴスは口元に手を当てて考えた。恐らくこれからアインズが行うのは自分には手の届かない知見をもっての事。そうであるならば、何事があっても盾となって主人を守るのが守護者としての務めである。

 先日、カルネ村での戦いの後にアインズはナザリック全員に対し、モモンガからアインズ・ウール・ゴウンへの改名とナザリックの伝説を不変のものとすることを宣言した。そのための準備を自ら進んで行う主人を頼もしく思うのだった。

 

 

 

 

「皆、揃っているようだな」

 

 敬愛すべき主の登場に守護者たちは跪いて出迎えた。気になるのはその傍ら、人間の子供がアインズに付き従うように連れられてきたことだ。守護者たちが敬礼し跪いたのを見ると、それを真似るように同じ動作をアインズに対して行っていた。

 

「デミウルゴス、シャルティア。お前たちは知らなかったな。この者は先日の戦いにて私が命を拾った。私に忠誠を誓い、ナザリックへ所属したいと希望しているのだが……お前たちはどう思う?」

 

 それを聞いて不愉快そうな表情を浮かべるシャルティア。一方のデミウルゴスは落ち着き、品定めをするような視線をネムへと向けた。しばらくの思案の後に意見を述べたのはデミウルゴスだった。

 

「恐れながらアインズ様。ナザリックは至高の方々の意思により作られた我々の手で守れるかと思います。特にナザリックにおいて人間のような愚かな生物は不要かと」

「お前の言いたいことは分かる。私とて仲間たちの作った場所の意にそぐわぬ者を置くつもりはない」

「……やはりこの者を使った実験を行うつもりでしたか」

「それもある。が、この先ナザリックの勢力を広めるにあたり統治する場も増えるだろう。その地域はナザリックの傘下として、人間も管理対象とすることは忘れるな」

 

 アインズが気になるのはシャルティアだ。なにやら先ほどから考えたまま固まって、意見がまとまらないようだった。

 

「どうしたシャルティア?何かわからないことがあれば言ってみるといい」

「ペロロンチーノ様は幼女大歓迎と言ってありんした」

 

 は?とアインズの口が大きく開く。そうだよ、たしかに間違いなくそういう人だったよ。アインズはシャルティアの創造主であるエロゲー好きの男の姿を思い出す。どうやら創造主の作った設定に加えて、主人の性癖も尊重された結果であろう。そこでナザリックとしての意思と相反したが故の迷いが生じたというところか。

 

「でも、わたしは人間なんかをナザリックに加えるのは……」

「心配するな。人間種をナザリックの一員として自ら迎えるつもりはない。お前たちがどうしても自分の手元に置きたいなら、仮の処置を考える時が来るかもしれないが」

「はい。ではこの小娘はどうするんでありんしょうか?」

「そこで、だ」

 

 アインズはアイテムボックスに手を伸ばし、用意しておいた一冊の本を取り出す。この『転魔の書』というアイテムはユグドラシルにおいてあまり使われることの無かった課金アイテム。キャラリセットを行わずに種族を異形種へと初期設定の変更をすることができるというものだ。

 アインズはギルド長として、アインズ・ウール・ゴウンに入りたいというプレイヤーが異形種でなかった時の対策に所持していたが使われることは無かった。至高の四十一人であるやまいこの妹が入団したがっていた時に勧めたのだが丁寧に断られてしまった。アバターには人それぞれ好みがあり、使い続けてきた愛着もあるのだろう。

 

「これより、アイテムによる人間種から異形種への変更が可能であるかの実験を行う」

 

 

 

 守護者たちへの説明が終わった後、それぞれを配置につかせてアイテムを使用する準備を整えた。明らかにユグドラシルプレイヤー向けのアイテム。この世界の人間に使ってどのような結果になるかは分からない。この世界に移った時から設定を操作するコンソール画面などは開かないのがネックだ。万が一、レベルの高いモンスターなどに変化し暴走したときの事を考えてシャルティアにはフル装備で来させていた。最悪の事態ではワールドエネミーということもありえる。

 ネムの方を見ると遺跡の方に気を取られているようで、キョロキョロと辺りを見回しているようだった。なんとも緊張感がない。

 

「これから、お前は人間ではなくなるだろう。出来れば人間の見た目に近いものにしてやりたいところだがスケルトンやスライムになる可能性もある。怖くはないか?」

「アインズ様が望むのならば何も怖いことなんかありません。ただ……」

「何だ?」

「どんな風になってもネムのこと、捨てないでほしいです」

「ああ、見た目で捨てたりはしない。お前の行動次第だ。それに……私の友人たちの容姿はお前の想像以上にすごいぞ」

 

 それを聞いてネムは、はにかんだ笑顔をアインズに向けると手にした本を開いた。光がネムの小さな体を包み込む。その様子をアインズは注意深く見守っていた。

 

 

 

 光の中、ネムの前には不思議な空間が広がっていた。地面や天井も存在しない世界の狭間。ぐるぐると周りを見知らぬ文字の羅列が囲むように飛び交っている。加えて先ほどから視界の中にずっと、何かの絵のようなものが浮かんでいた。目線を変えてもその絵は瞳に張り付いているかのように固定されたまま動かない。

 

 しばらくその光景を眺めていると、文字が大きく増殖してネムの体へと入り込んでいく。苦痛はないが、まるで体が溶けているような感覚と同時に新しい何かが体の中から生えてくるかのようだった。固定された絵に変化が生じると文字の侵食が消え、周りの景色に変化が現れた。

 ネムの視界の向こうには並んだ世界が二つ。それが何であるかはきっと誰にも分からない。広がっていた景色は徐々に霞んでいき、固定された絵もいつの間にか消えている。並んだ世界の一方へと引き戻されるかようにネムの意識は現実へと戻っていった。

 

 

 

 

「どうだ、その様子だと無事なようだが?」

 

 光が収まり、その場にしばらくの間呆然と立ち尽くすネムにアインズが声をかけた。手ごたえはあったが体に大きな変化はあまり見られない。失敗したのだろうか。

 だが、ネムの真紅に染まった瞳がそれを否定する。髪の色にも若干変化があり、赤みがかったものがまるで燃える炎のような色合いを呈している。初めは吸血鬼(ヴァンパイア)の系統かと思ったがアンデッドの気配は感じられない。しかし変化はあったのだ。人間に擬態できる種族も考えられる。

 

「はい、とっても元気です」

 

 そう言って、ネムは先ほどと変わらぬ笑顔を向けた。設定コンソールが表示されなかったことはほぼアインズの予想通り。異形種の中のどの種族が選ばれたかまでは分からないが大きな問題はなさそうだ。

 

 

 

―――――――――――――――――――――――

 

 

 

 一先ず実験が成功したことを確認すると地下9階層へと移動し、情報をまとめることにした。

ネムが体験したという不思議な空間の話を聞かされると、見たままの光景を描かせた。それを見てアインズは予想より大きな成果が得られた事を知るのだった。

 

「見知らぬ世界……こういう事も起こり得るのか」

 

 アインズが注目したのは視界に固定されていたという絵だ。抽象的な子供の絵で描かれているが間違いない。10年以上ずっと見続けてきたユグドラシルのユーザーインターフェースだ。HP、MPゲージや時計、現在位置などのレイアウトが完全に一致している。それを見ることができたということは、ネムはプレイヤーに近い存在となった可能性が高い。

 

「一応の実験は終わりだな、皆ご苦労であった。おかげで重要な発見をすることができたぞ」

「この者の対処はどういたしましょうか?」

 

 アルベドの言葉に忘れていた本題のことを思い出す。仮にネムがプレイヤーと同等の事ができるのだとしたら、やってもらうべき仕事がたくさんあるだろう。

 

「どうやら転生の際に近くにいた私に絶対の命令権があるようだ。そうだな、ネム?」

「は、はい!アインズ様の命令ならどんなことでも頑張ります」

 

 これは嘘だ。だがこの方が迎え入れるのに都合がいい。ここまでのネムの様子から命令は何でも聞くということに変わりはない。

 

「先ほどの実験で私が作成した(・・・・・・)異形種は使い魔として使役する。プレイヤーとしての能力を利用できれば大きな戦力としても期待できるだろう」

「畏まりました、ではそのように……」

 

 捨て猫を拾うのにとんだ手間をかけたものだとアインズは安堵し体の力を抜いた。あの時に聞こえた願いは歪んだ形ながらも叶えた。あとはネムの働き次第でいかようにもなるだろう。しかし、ステータスが気になるな。今はまったくと言っていいほどに強さを感じられない。種族の判断にデス・ナイトあたりと模擬戦でもさせてみるか。

 

 

「アインズ様、さっそく実験の成果からするべき注意をナザリックの者へ通達した方がよろしいでしょうか。今後に利用できることも多いかと」

 

 ここまでの話を聞いていたデミウルゴスが何やらしようとしているようだ。しかしアインズにはさっぱり分からない。何やら通達をするつもりらしいが、ナザリックへ所属することとなったネムの報告でもするつもりだろうか。

 

「……さすがだなデミウルゴス。この実験の意図を汲みとれるのはお前しかあるまい」

「私では深淵なるお考えの一端しか理解できませんでしたが、お褒め頂きありがたく思います」

「どういうことでありんすか?デミウルゴス」

 

 アインズは疑問を口にするシャルティアに対し心の中でガッツポーズをしながら褒めてやった。アルベドにもデミウルゴスの意図は理解できないらしく、説明しなさいという顔を向けているようなので丁度良い。

 

「……仕方のない者たちだ。説明してやりなさいデミウルゴス」

「はい。この度の実験ではアイテムによるプレイヤー化の可能性が示されるものでした。恐らくはアインズ様の他にもプレイヤーがこの世界にいるのであれば可能……ということになります。それこそがアインズ様の真の狙い」

「まさかこの世界の住人をプレイヤー化して使役する者がいる可能性も?」

「ゼロではありません。よって、世界を征服する際にはそれを想定した行動をする必要があります。此度の実験はアインズ様が懸念されていた事を証明した、ということです」

「さすがはアインズ様でありんす。そのようなお考えがあったなんて」

 

 確かにそうだ。今まではユグドラシルプレイヤーのみを警戒していたがその可能性は捨てきれない。これまで接触してきた者たちのレベルを考えると、プレイヤークラスの人間は別格だろう。そんな者がこの世界の人間に現れたなら天才、神の申し子などと呼ばれていても不思議はない。対策ありとなしで勝敗が大きく変動することはアインズもゲームを通してよく知っていることだった。さすがはデミウルゴス……ところで世界征服ってなんだ?

 

「任せたぞデミウルゴス。ついでに使い魔となったネムの事も通達しておくのだ」

「承りました」

 

 いつまでもデミウルゴス一人に苦労をかけさせる訳にもいかない。自らナザリックの外に足を運んで冒険するのも良い情報源になるだろう。新しい世界、訪れたことない町、そこに広がる未知なる光景を心待ちにしてアインズは目を輝かせた。目を輝かせているといえば、先ほどからアインズを見つめる紅い視線がある。

 

「どうしたネム?」

「私、アインズ様のお役に立てるようになったでしょうか」

「ああ、確かに試してみる価値があるな。コロッセウムに向かうぞ、デス・ナイトに遊んでもらう事としよう」

「デス・ナイトさんですか。わーい!がんばります!!」

 

 ネムはどんな相手にも負けない確信があった。自分の中に前とは全く違う強い力を感じる。使い魔となった彼女はアインズの隣で戦える守護者を目指して歩みを進めた。

 

 

 

 




【あとがき】

私が昔プレイしていたMMORPGの課金アイテムではやはり経験値アップやドロップ率上昇が中心でした。
スキルリセットあると便利ですよね。
ステータスで間違えた項目にポイントを振って戻せないなんて絶望してしまいます。


次回『一撃の決着、唸る必殺のシールドバッシュ!』




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ナザリック新入生

 

 ナザリック地下第6階層にある円形闘技場(コロッセウム)は緊張感に包まれていた。これから異形種となったネムの実力を確かめるべく模擬戦が執り行われる。

 戦う相手はデス・ナイト。レベルに対して攻撃力は低いが、代わりに守備力が高く倒れにくい特殊能力を持っている。この世界においてアインズが初めて召喚したアンデッドであり、カルネ村での戦いぶりから優秀な壁役として使えそうである。相手の実力を確かめる上では適任のモンスターであった。

 

「グオォオオオオ!」

「お手合わせお願いします、デス・ナイトさん。痛かったらごめんね」

 

 深い唸り声を発するデス・ナイトを前にしたネムに怯える様子はない。彼女の視点で見える模擬戦の相手は気前よく対戦相手を受け入れてくれた懐深い仲間の騎士。「さあ、いつでも掛かってきなさい」と指導してくれる姿が映っていた。種族が変わった影響だろうか、ナザリックの異形種は人間よりも親しみやすく感じてしまうのだ。

 

 ようやく仕えるべき主と仲間たちに認められ使い魔となることができた。体に漲ってくる異形の力を使えばどんな相手でもきっと勝てる。昨日は振り上げることが精一杯だった剣が、まるで木の棒のように軽く感じるのがその証拠だろう。

 

「えへへ、生まれ変わったネムの強さはすごいんですよ」

「ほう……勝てる算段でもあるのか?」

「昨日覚えた必殺技を使ってみます。見ていてくださいねアインズ様」

 

 余裕の表情でネムは剣を構える。その姿はまるで農家の小娘が不器用に鍬を持ち上げるかのように不格好だった。見たこともない独特の構えにアインズは期待を膨らませる。期待できるかもしれんな……そう思いながら右手を高々と掲げた。

 

「始めよ!」

 

 アインズが開始の合図を宣言すると同時にネムが走り出す。狙うのは一撃必殺。防御の姿勢に構えたデス・ナイトの側面を駆け抜けるように思い切り剣を振るうつもりだ。

「てやー!」と無駄にその場を和ませるような子供の声が響く。

<六光連斬>

 ネムが力を溜めて剣を振り抜く――。剣が煌めき、まるで斬撃の存在が分身したかのような一振りの同時攻撃。巨大な盾、タワーシールドを構えそれを防ごうとするデス・ナイトの雄叫びが響いた。

 

 ……それだけで戦いは終わった。ドシャ……と何かが落下して円形闘技場に再び静寂が訪れる。

 

「あれは、ガゼフが使っていた武技!?一撃、一撃だと!!」

 

 アインズはあまりの驚愕に身体を発光させて試合を止める。この戦いでネムの実力ははっきりした。そう……ここで止めなければならない。

 本来なら互いの実力を示す場であるべき闘技場、その端には無様に気絶した敗者の姿。ネムが目をくるくる回しながら気絶していた。手に持っていた法国の剣は粉々に砕け散っている。デス・ナイトはその様子を困惑か心配でもするように眺めているのだった。

 

 勝負は一瞬、何のフェイントもなく一直線にデス・ナイトへと向かうネムの<六光連斬>。それを迎えるように巨大なタワーシールドによるシールドバッシュがカウンターで炸裂した。ぱこーんと小さな体がボールのように高く舞い上がってそのまま落下……それで終わりだった。

 

「ククク、私としたことが忘れていたな」

 

 武器……武器が悪かったんだよきっと。そう自分に言い聞かせながらアインズがアイテムボックスの中に手を入れて何かを探し始めた。ネムが持っていたのは法国の兵が護身に使うための剣。そんな粗末なものを持たせたままだったのが原因だろう。アイテムボックスから取り出したのは日本刀をモデルとした武器。特殊効果は少ないが、デス・ナイトと戦うには十分な威力を誇るだろう。

 

 気絶したネムが起きるのを待ってからの再戦。

ポーションを飲んで元気を取り戻したネムは渡された武器を見て目を輝かせた。

 

「すごーい!これなら負ける気がしません。生まれ変わったネムのパワーは使い魔一です」

「それはさっきも聞いたんだけどな」

 

 使い魔もお前一匹だけなのに使い魔一って何だよ、と心の中で突っ込みを入れて再戦を見守ることにした。ネムをゲームのプレイヤーと似たものと考えたとして、アバターを作成した直後の状態だったとしたら……恐らく予想通りの結果になる。

 

 

「てやー!」

 

 二度目の模擬戦はまるで先ほどのリプレイ。一直線にデス・ナイトに向かって行ったネムがシールドバッシュによって高々と空の世界へと旅立っていった。

 

 アインズは額に手を当てながらため息を漏らす。ネムが自信満々だったのは異形種の高い基本ステータスのためだろう。子供が大人くらいの力を手に入れたら、自分は強いなどと大いに勘違いするに違いない。

 

「やっぱりこれって、ほぼ初期ステータスだよなぁ……」

 

 しかし気になるのはこの世界の人間が持つという異能、武技をネムが使用したことだ。<六光連斬>という武技を使用したものの、実際にネムの斬撃は二つに増えただけだった。あれでは<二光連斬>がいいところだろう。ガゼフの武技はもっと力強く、まさに六つの光が同時に繰り出されるかのようだった。

 

 

 

 ――足りないものが多すぎるようだ。

最低限でも使い物になるようにするにはレベル上げが必要だろう。レベル上げ……か。懐かしくも心地良い響きだった。アインズはレベルがカンストしてから長い間、ゲームにあるべき楽しみの一つを忘れていたのかもしれない。

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 ナザリック第6階層守護者アウラ・ベラ・フィオーラは円形闘技場の観客席から先ほどの様子を眺めていた。アインズが作成したという噂の使い魔が来ているということでその戦いぶりを見に来たのだが、うん。とんでもなく弱い事が分かった。

 

「アウラ、見に来ていたのか?」

 

 視線を向けられるとアウラは高い位置に設置された観客席からジャンプをしてアインズの下へと駆け寄った。アインズは気絶したネムの頬をぺしぺし軽く叩いて起こした。ダイナミックに飛ばされた割にはダメージは深刻では無さそうだ。

 

「この子がアインズ様の創られた使い魔ですか」

「うむ、戦闘面ではナザリック最弱クラスといったところか」

「ああ……なるほどー」

 

 見た目の年齢は自分と同じか少し下くらいだろうか。ナザリックにおいてそのような姿の者は少ないのでアウラは新入りの異形種に親近感が湧いた。

 

「あたしはアウラ。第6階層の守護者の一人よ。よろしくね……えーと」

 

 名前は何だったかな?アウラが握手をするために手を伸ばすと、新入りはまだ呆けた様子でじっとこちらを見つめている。そしてにっこりと笑うと自分の手を取って自己紹介をはじめた。

 

「私の名前はネムです。よろしくお願いします、アウラお姉ちゃん!」

「あ、うん」

 

 アウラお姉ちゃんか。マーレ以外にお姉ちゃんなんて呼ばれるとは思ってもみなかった。照れ隠しに頭の後ろで手を組みながら「よろしくネム」と返事をした。至高の御方が使い魔として飼い始めたというネム。設定レベルが低すぎてとてもではないが戦闘には向かなそうだ。この子は無事にやっていけるのだろうかと少し心配になる。

 

「アウラよ。しばらくお前にネムを預けても良いか?少し鍛えてやって欲しいのだ」

「ええ!?アインズ様の使い魔を預かってもいいんですか」

「こいつはプレイヤーと同じように、経験を積むほどレベルが上がっていくと私は予測している。この世界を知る上で役に立つ存在になれば良いのだが」

「へー、レベルが上昇するモンスターが存在するなんて知らなかったです。さっすがアインズ様ですね」

 

 珍しいモンスターの調教はビーストテイマーとしての腕が鳴るというものだ。成長の速度は今のところ不明だけど、至高の御方の使い魔が弱いままだなんて事は許されない。

 

「丁度良かったです。さっきデミウルゴスからギガントバジリスクっていうのを貰ったところなんですよね」

 

 アウラが口笛を鳴らすと、背後に巨大なトカゲのような魔獣が現れた。その体躯は鋼のように硬い鱗で覆われ、ドラゴンを思わせるような見た目をしている。長い胴体から伸びる八本の足が流れるように動き、素早さも高めのようだ。ユグドラシルでは見かけないモンスターだが強さはデス・ナイトに匹敵するだろう。

 

「ザコモンスターですけど見た目が立派だったので飼ってみようかなって思います」

「ははは、この世界の人間でこいつを倒せる者がいたら大したものだがな」

「では、こいつとまともに戦えるくらいでよろしいですか?」

「ああ、十分だろう」

 

 そうと決まったらネムには6階層の部下たちと一緒に暮らしてもらうとしよう。というかさっきから気になっていたのだけどこの子…。

 

「ネム、あんたちょっと人間臭いわよ。直接あんたからはしないけど、服から人間の子供とか血とかが混ざったような匂いがする」

「あ…そういえば昨日から水浴びとお洗濯してないです」

 

 ネムはカルネ村の事件で血塗れになったり、墓を作り続けたりと大変だったことを思い出す。そして着の身着のままナザリックへと来てしまったのだ。

 アインズと出会った時から……。何かに気がついたネムが顔を真っ赤にしてうつむいてしまった。スカートを押さえてもじもじする様子からアインズは何かを察したが……大人の対応で見なかった事にする。

 

「まったくしょうがないわね。ここのモンスターは嗅覚が鋭い子が多いから身なりには気をつけなさいよ。それじゃ、まずは水浴びね。特訓は明日からを始めましょ」

「はい!アウラお姉ちゃん」

 

 人間の形態になれるモンスターは知性が高いため調教の手間が省けて扱いやすい。人狼などが良い例だ。ネムの種族は知らないがとてもよく言う事を聞いてくれそうだった。だがアウラにとっての部下は魔獣のような大物がお気に入りだ。自分はビーストテイマーなのだからそのように考えるのは当然なのかもしれない。

 

「あなたもよろしくね。ぎがんとばじりすく?さん」

 

 ネムが挨拶しながらギガントバジリスクの巨体に抱きついていた。今のレベル差だと攻撃されたら致命傷だろうに、怖くはないんだろうかとアウラは驚いた。ギガントバジリスクも長い舌でネムの顔を舐めて親しげに接している。客観的には食材の味見をしているようにしか見えない。まあ、貰ったばかりでも自分の目の届く範囲で暴れることは無いだろう。もし暴れたとしても特殊能力を無効化できるアウラからすればギガントバジリスクはただのレベルの低いトカゲでしかない。

 

「でも気をつけてね。そいつの目をずっと見てると石化してしまうかもしれないから……」

「…………」

 

 しばし目を離してから振り向いたアウラの目に入ったのは灰色に染まったネムの石像。ギガントバジリスクに抱きついて笑顔のままネムは石になっていた。一足遅かったようだ。その姿勢を保ったまま徐々に傾いていき…コトンと乾いた音を立てて石畳へ転がった。

 

「どうやら石化耐性は所持していないようだな」

「あ、あははは。それじゃあこの子預かっていきますねアインズ様!」

 

 アウラは笑顔で虚空を見つめるネムの石像を抱えると、ギガントバジリスクに跨りジャングルの方向目指して駆けていく。闘技場へ来たのはネムという使い魔を信用できるかの確認という理由もあった。アルベドから警戒するようにするように言われていたが問題は無さそうだ。元がこの世界の人間だとしても、今はアインズ・ウール・ゴウンの使い魔であるのだから。

 

 

 

 







【あとがき】

 ネム
 役職:アインズの使い魔
 種族レベル:空亡 ―――― 1lv
 職業レベル:ファイター ― 1lv
 武技:二光連斬


やっとナザリックの一員になれたネム。
世界を冒険する日は来るのだろうか。

   


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虚ろな在り方

 「ネム、そこで伏せてッ!」

 

 アウラの指揮に従い、その場で地べたへ身を屈めると同時に鋭い爪が頭上を通過する。

背後にあったジャングルの木が大きな音を立てて薙ぎ倒されるのが見えた。

「あわわわ……」と声をあげるネムの上空、息をつく間もなく飛び掛かる巨大な魔獣、ギガントバジリスクの影が迫る。

 

「側面に飛んで!タイミングを計って着地した瞬間を斬り付けるの!」

「はい!」 

 

 ネムが横へジャンプして向きを直すと、タイミング良く巨体が樹木の間を縫うように落下してきた。地面に大きな衝撃が走り土煙が上がる。しかしその瞬間こそが狙うべき着地硬直の隙。反撃のチャンスだった。

<二光連斬>

とっさに背を向けて回避しようとしたのか、無防備なギガントバジリスクの背面に一対の剣撃が迫る。鋼の鱗に刃が当たり、ギギィンという硬い金属音がジャングルに響いた。相手は背後を見せたまま。このまま後ろから追い打ちをかけようとネムは刀を構えて飛び掛かる。

 

「あ、ちょっと。それはまずいって…」

 

 耳に入ったアウラの声に攻撃を止めようとしたが、飛び掛かった勢いは止まらない。木々と似た保護色で横から迫る攻撃、図太く長いギガントバジリスクの尻尾が無防備だったネムの側面を捉える。刀を立てて防御したが威力は殺せなかった。尾撃はネムの脇腹を大きく打って吹き飛ばす。

 

 「きゃあああっ!」と悲鳴を上げながらネムはジャングルの木にバサバサと音を立てて突っ込んでいく。急いで立ち上がろうとしたが、ダメージが大きいのか足に力が入らない。見上げるとギガントバジリスクの大口が牙を剥いてネムの頭上で止まっていた。実戦ならばそこで命が無いかもしれないがこれは模擬戦だ。勝敗が決まったことを悟ったギガントバジリスクは舌を伸ばしてネムの擦り傷から滲んだ血をぺろぺろ舐めていた。

 

「負けましたー」

「はいはいお疲れ様。これで49敗1引き分けだね。ずいぶん防御が上がってきたみたいじゃない。最初の頃なら体が真っ二つに千切れてもおかしくない攻撃だったよ」

「バジーくんなんだか手加減がなくなってきているような気がしますよぉ……」

 

 バジーくんというのはネムが名付けたギガントバジリスクの愛称だ。ここ数日、手合わせしている内にバジーくんとはとても仲良くなっていた。第6階層に住むモンスターにも顔見知りが増えて、ナザリックこそがネムの居場所となっている。ネムはそんな毎日がとても楽しいのだった。

 

「いい友達が出来たみたいで良かったじゃない。あんたの強さに合わせて戦ってくれてるんだよ。まあ、さっきは負けないようにかなり本気だったみたいだけど」

「わたし、あんまり強くなれた気がしないんです。アインズ様に叱られてしまうでしょうか」

「肉体的にはけっこう強くなったんじゃない?問題はそこじゃないかもしれないけど、あんたの成長ってよく分かんないところあるからね。それもあって明日はアインズ様に呼び出し受けてるんだから落ち込んでないでしっかりしなさいよ」

「でも、せっかくアインズ様と同じ異形種になれたのに。人間みたいに弱いままでは何の役にもたてません……」

 

 だがネムの不安は身体的な強さではなく別の方にあった。アインズが自分を救ってくれた時に見た奇跡、絶対的な力を振るう戦いの光景が今も目に焼き付いている。瞬時に無双の兵を作り出すスキルに神のごとき威力を誇る魔法の数々。それに少しでも届かなくてはアインズ・ウール・ゴウンの使い魔として失格だろう。もしかしたら役立たずとして捨てられるかもしれない。全てを失い、アインズの為に尽くす以外に存在理由のないネムにとってそれが一番怖かった。

 

「あんた、少し勘違いしているみたいだけどさ。今のネムより弱い奴なんてナザリックにもたくさんいるんだよ」

「それでもアインズ様の役に立ちたくて……」

「そいつらはどんなに望んでも、アインズ様の為に戦いたくてもステータスは変わらない。成長できない。だから創造主が望んだ存在でいられるように、在るがままを全力で生きてる」

「そ、それは……」

「ナザリックの一員ならば自分の存在に自信を持ちなさい。思い通りに強くなれないのもあんたの在り方、そうあれという意思の下に創造されたんだから」

「…………」

 

 アインズ様はどうして自分を異形種にしてまでナザリックに置いてくれたのだろう。ネムには決められた在り方というものすら与えられていない。ナザリックには守護者をはじめ強い方たちがたくさんいる。使い魔なんていなくても世界を手に入れることなんて容易いはずだ。ナザリックに……アインズ・ウール・ゴウンに望まれていないのなら……あの時の選択は間違いだったのだろうか。

 

 

 視界が霧にかかったようにぼやけて暗くなっていく。闇の向こうで村のみんなが呼んでいる声が聞こえる。闇の中にあるカルネ村では懐かしい風景と変わらぬまま。農業に勤しみ、薬草を集めながら村人たちが笑顔で暮らしている。

 

「お前も早くこっちに来なさい」「ネムがいないと寂しいわ」「みんな待っているぞ」

みんなが呼んでいる。行かなくてはいけない。でも一人だけ、自分がそこへ行くのを否定する人がいる「こっちへ来てはダメ!」と強い瞳で自分を逃がそうとしてくれる。だから……わたしはあの方に付いていく。絶望と恐怖を模った黒いオーラを纏う創造主の為に生きる。

 

“絶望のオーラⅠ”

 

 ネムの体から黒い靄のようなオーラが立ち上っていく。それはユグドラシルのキャラクターが使える特殊能力の一つ。範囲内のレベルの低い相手にバッドステータスを与える効果があるスキルだった。

 

「ふ~ん、やればできるじゃん」

「これはアインズ様の……」

 

 初めてアインズと出会った時にこの黒いオーラを見たことがある。でも何か弱い気がする。アインズのオーラはもっと禍々しくどんな相手でも戦意を失いそうなくらい恐ろしいものだった。それでも主に少しでも近づけたことはとても嬉しい。ネムの顔に僅かに笑顔が戻るとアウラは機嫌が良さそうに後ろ手を組みながら歩いていく。

 

「あの……今日も特訓ありがとうございました」

「はいはい、また機会があれば付き合ってあげるよ。あんたもナザリックの仲間なんだから」

 

 「それじゃ、今日はお疲れ様」と言いながらアウラはギガントバジリスクを連れてどこかへと走り去っていった。あの力強さはどこから湧いてくるのだろう。たとえ少し強くなったのだとしてもネムはアウラにまったく近づけた気がしないのだ。

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 ナザリック地下第10層。夜が明けてネムが呼び出されたのはナザリックの最奥地、終点ともいえる玉座の間だった。そこは神々の住む世界。ナザリックに来た日、第9階層の一部に連れてこられた事があったが、その時は周りを見る余裕がなかったため気が付かなかった。重要な命令があると緊張していたネムだったが、玉座の間に広がる幻想的な景色に目を奪われてしまう。豪華で巨大なシャンデリアが並び、すべての柱が宝石でできているかのように輝いている。玉座は世界の支配者が座るに相応しい装飾の結晶であった。そこに座すのは会いたかった主の御姿。夢のような世界に胸がワクワクして止まらなかった。

 

「使い魔ごときがアインズ様を前に頭を下げないとはどういう了見ですか?」

 

 玉座の傍に控えていたアルベドが警告の言葉を投げかけたが聞こえていないようだ。ネムは景色を眺めながら回るように目を輝かせていた。しかし客人の立場ならともかく使い魔がこれでは示しがつかない。

 

「凄い……凄いです!」

「控えろ……と言っているでしょう」

 

 キョロキョロと周りを見渡して興奮しているネムを見兼ねたアルベドが一歩前へ出ようとしたところをアインズの右手が制した。

 

「何がそんなに凄いのかね?」

「凄いです!このお部屋キラキラですよ。こんなの凄すぎます!」

「ふむ、そういえばお前にナザリックを案内したことは無かったな。そうだ。凄いだろう」

 

 時間があるならナザリックの内部を見せても良かったかもしれない。ネムが客人だったらアイスクリームでもご馳走してやりたいくらいだ。凄い凄いと玉座の間を駆け回るネムを見てアインズは上機嫌に笑い続けた。

 

 

 

 

「先ほどは興奮して済まなかったなアルベド」

「アインズ様がお喜びになられるのであれば私は構いません」

 

 その様子に少し拗ねたようなものが感じられたが仕方がない。友人たちを……ナザリックを純粋に褒められるという、なんとも言い難い感情は抑制で止まるようなものではなかったらしい。呼び出した件について話を始めるとしよう。

 

「どうだ少しは成長したか?」

「アウラお姉ちゃんは前より強くなったって言ってくれましたけどよく分かりません。あとは魔法を一つ使えるようになったくらいです」

「ほう、その魔法を見せてみよ」

「はい……」

 

“絶望のオーラⅠ”

 

 ネムが軽く息を吸い集中すると背後から禍々しく黒いオーラが放たれる。見たこともない魔法などは期待していなかったがこれは魔法ですらない。自分もよく知っているスキル、絶望のオーラだった。それより気になるのは、ネムがいつか見たことのあるレイプ目になって薄笑いを浮かべていることだ。やばい薬でもやっているのか、それとも絶望のオーラは本来このようなものなのだろうか。どういうことだ……デミウルゴス説明しろと言いたくなってくる。

 

「どうでしたか?」

「どうと言われてもな。驚いたのは確かだが、今のは魔法ではなくスキルだ」

 

 しょんぼりと肩を落とすネム。未だ不確定だがこれからの方針の参考にはなった。それにプレイヤークラスの者をナザリックに揃えるという考えは捨てたほうが良さそうだ。ナザリックは友人たちと創ったギルド、愛すべき家族たちが暮らす場所にそんなものは必要ない。それはさっきこいつに教えられたことだ。ネムがこの世界でナザリックのメンバーとして受け入れられる最初で最後の者かもしれないな。アインズはそう思いながらこの先の方針について思案した。

 

「ところでネム。異形種になってから感覚の変化や人間というものについて考え方が変わったりという事はないか?例えるなら人が虫けらのように見えるとかな」

「そんな風には思ったことないですよ。でも…そういえばナザリックの方々の声が聞こえるようになった気がします。デス・ナイトさんはクールなセリフが似合いますよね」

「え、マジで!?ゴホンッ、いや……それは良いことだな……うむ」

 

 これからの任務で人間を虫けらのように感じていては辛いかと思ったが、そういう変化もあり得るのか。たっちさんがいたら虫の声が聞こえるとか言い出しそうだ。

 

「ネム、お前にはこれから旅に出てもらう」

「ふえぇ……やっぱりネムは捨てられてしまうんでしょうか」

「お前は何を言っているんだ。すでに外の世界の情報を集めるために守護者を含めたナザリックの者を向かわせている。その援護ができるように冒険者として活動するのだ」

「え、冒険者ですか。モンスターを倒したりしてお金を稼ぐ人たちですよね」

「そうだ。アウラの話から今のお前の強さはガゼフに並ぶほどと見積もっている。十分やっていけるだろう。それに……冒険ほど成長できるものはないぞ」

 

 正直なところ、ネムがガゼフに勝てるとは思えない。ナザリックでレベルを上げ、異形種の肉体的強さで並んでいたとしても戦闘に関する経験や知識が圧倒的に足りない。それは冒険で獲得していくものだろう。かつてのプレイヤー『モモンガ』がそうであったように。

 

「今は……そうだな。冒険者として一人前になることを目指すといい」

「アインズ様のご命令ならどんなことでも頑張ります。ナザリックのみんなを助けられるように冒険者で一番を目指しちゃいます!」

「うむ、期待しているぞ」

 

 アインズは旅立つ前にナザリックにある予備の装備を渡そうとしたが思いとどまった。大昔のゲームで冒険者に竹槍を渡して旅立たせる無能な王がいたという話があるが、なるほど冒険へと旅立つ者に余計な物は必要ない。それらは自分で手に入れてこそ価値があるのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 今後についての話も終わり、アインズは何かの準備があるという事で早々に自分の部屋へと転移していった。その場に残ったのはネムとアルベド。何度か会った仲ではあるが、二人きりになるのはこれが初めてだ。互いに意識するところがあるのかどことなく部屋の空気が重い。

 

「少しお話ししたいのだけどいいかしら」

 

 先ほどから黙って事の成り行きを見守っていたアルベドが声をかけてきた。ネムも彼女に用事があった。先ほど失礼な態度をとってしまったことを謝らなくてはいけない。

 

「さっきは騒いじゃってごめんなさい」

「別にいいのよ。アインズ様が喜んでいらしたのなら、それ以上に優先するものなど存在しないわ」

「ありがとうございます。わたしもアルベドさんとお話ししてみたくて……」

「そう、偶然ね。それで……お前は何を企んでアインズ様に従うのかしら?」

 

 漆黒の羽がはためき空気がピリッと冷たくなった気がする。そこにあるのは純粋な殺気。ナザリックでこんな感覚になるのはマーレに睨まれて以来のことだ。アルベドの表情は敵を見るかのように鋭く、真面目に答えなければいけないという圧力があった。どうして自分はアインズ・ウール・ゴウンに従うのか。そんなものは考えるまでもなかった。

 

「えーと、アインズ様が命令をくれるから。それだけです」

「――貴方、元はこの世界の住人でしょう。信用なんてできないわ。貴方の存在がアインズ様の脅威になるとしたらどう責任を取るというの?」

「ネムのせいでアインズ様が悲しむくらいなら死にます」

 

 もし、本当にそうなるのなら死を選ぶと思う。ご主人様を苦しめる使い魔に存在理由なんていらない。それを聞いたアルベドは納得したように「そう……」と呟くとネムが背負っている刀に目を向けた。

 

「アインズ様からの命令よ。その刀で自分の左腕を切り落としなさい」

「えっ?」

「帰り際にそう伝えるように承ったの。貴方はこの数日間、アインズ様の期待していた事に何の成果も上げられなかった。その罰を受けてもらうわ」

「ご、ごめんなさい。ごめんなさい……」

「もう一度言うわね、アインズ様の御命令よ」

「はい……分かりました」

 

 アインズ様の命令。怖い。とっても痛そう。でもアインズ様の命令ならそれは正しい。期待を裏切ってしまった。命令を聞かずに見捨てられるくらいならこのぐらいきっと平気。そう思いながらネムは刀を抜いて左腕に刃を向ける。

 まだ刃が当たっていないのに痛みを感じるような幻覚がある。まるで斬りつける箇所を誰かに撫でられているようだった。ふぅふぅ…という自分の荒い息遣いが聞こえてくる。迷っていたらいつまでも行動に移すことはできないだろう。ネムは覚悟を決めて目を閉じながら思い切り自分の左腕に向かって刀を振り下ろした。

 

 聞こえてきたのはキィンという硬い音。痛みもまるで感じない。目を開けるとアルベドが二本の指で刀を掴み、ネムの左腕に当たる直前で止めているのが見えた。

 

「さっきの命令は嘘よ、ごめんなさいね」

 

 刀が音を立てて床に落ちるとネムはへなへなと床に尻もちをつき、安堵と緊張が解けたこともあって鼻を鳴らしながら涙を浮かべていた。

 

「うっくひっく……アルベドさん酷い……怖かったです」

「ほら泣き止みなさい。玉座の間で血を流すなんて事するわけないでしょう」

 

 アルベドは先ほどのは演技だったかのように殺気を消してネムの頭に手を乗せていた。本性というものは追い詰められたときにこそ表に現れる。ナザリックとしてネムを信用できないままアインズに近づかせるのは守護者たち全員の不安でもあった。ネムに恨まれるのを承知でその役を引き受けるのは守護者統括としての責務だろう。

 

「嫌ってくれて結構よ。貴方にアインズ様の使い魔である自覚があるというのならそれでいいの。まだ少々頼りない所があるみたいだけど認めましょう。これからもナザリックの一員としてアインズ様に従いなさい」

 

 コツコツコツ……。遠のいていくアルベドの靴音がネムの耳に残った。いつかこの方にも信頼してもらえるような使い魔になれるだろうか。そして今日のお礼もしなくてはいけない。旅立つ前にアルベドからナザリックの一員として認めるというプレゼントを貰ったのだから。

 

 

 









【あとがき】

ここまでがプロローグみたいになりました。

ナザリックで修行して少しだけ成長したネムは冒険者になるため旅立ちます。




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冒険者

 

 エ・ランテルは王国領において重要な拠点である。スレイン法国とバハルス帝国との国境に近いこの都市には、高い城壁が築き上げられ城塞都市とも呼ばれている。人口も多く活気に溢れていることもあり、自然と武器や道具などを扱う店も増えるという賑わいをみせている。そんな様々な目的を持った人の溢れるエ・ランテルでは冒険者組合への依頼も多く、近隣から冒険者を目指す者たちが野望や夢を抱いて集まっていた。

 

「とうちゃーく!」

 

 ネムは都市の門を潜ると辺りを見渡しながら、久しぶりのエ・ランテルの光景に胸を弾ませた。この都市へ来るのはネムにとって二度目だ。一度目は親に連れられて薬草の運搬に連れていってもらったとき。カルネ村からほとんど出ることの無かった彼女にとってエ・ランテルのような都会は新鮮な光景だ。

 

 自分は何故アインズ・ウール・ゴウンに従うのか。心の中にアルベドの問いが木霊する。アインズから命令をもらえるから?あの時の答えはきっと正確じゃない。でも他に何もないんだから仕方ないじゃないか。すでにネム・エモットという人間はあの日、村人のみんなと一緒に死んでしまったんだ。姉が必死に助けようとしてくれたのに何も出来ずに、ただ泣いているだけだった無力なネムは騎士に斬られて命を落とした。

 

 ネムはお気に入りの髪留めを外して活気のある街の空気を感じていた。縛っていた髪を解くと風に乗って肩の後ろまで赤髪が揺れている。ここにいるのは種族も生きる目的も分からない異形種。だから……これでいいんだ。

 

「わたしはアインズ様の使い魔『ネム』」

 

 髪留めをポケットへ押し込めるとにっこり微笑んだ。ネムは村にいた頃のような表情を取り戻すと、目指すべき冒険者組合を探し始める。

 

 髪と共に風に揺れるのはアルベド手作りの黒茶色の風除けローブ。はためくローブの下はいつも着ていたネムお気に入りの服。そして背中にはアインズからもらったネムの背丈には大きすぎる刀剣。腰に下がった小さな袋にはアインズ曰く、お小遣いという名の銅貨が50枚といくつかのスクロールが入っている。

 

 ネムはその恰好をかなり気に入っていた。服の上からローブを羽織っているだけなのに旅人のように見える。他の冒険者に歓迎されることを期待しながら、エ・ランテルの街を駆けていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 バンッ!冒険者組合の受付前にいた者たちの視線が自然と音のした方に集まる。予想通りと受け流す者や、ニヤニヤと事の成り行きを楽しむ者まで様々だ。受付嬢は机を叩くと笑顔で迎えるべき登録希望者に眉をひそめながら強い口調で答える。

 

「ここは遊び場じゃないんだよ。冒険者組合だって暇じゃないの!」

 

 困った顔で遊びじゃないよと喚くネムに受付嬢の怒りは分かるはずもない。自分だって初めは冒険者に憧れたこともあった。だがその過酷な環境、命がけの仕事を目の当たりにして今は受付嬢として働いている。常に命の危険と隣り合わせで生きるのが冒険者というもの。だから実力がどうあれ必死の覚悟をもって働く冒険者に彼女は敬意と笑顔をもって依頼を託すのだ。どう考えても目の前の存在は冒険者を勘違いしている。昔の自分のように……いや、それ以上の世間知らずの馬鹿なのだろう。

 

「冒険者の登録は流れ者だろうと得体の知れない奴でも問題ないわ。でもね、命がいくつあっても足りないような依頼だって多いの。それを分かってる?」

「お姉さんが何で怒ってるのか分からないですけど……たぶん大丈夫です。わたしは冒険者で一番にならなくちゃいけないの」

 

 はぁ、とため息をついて受付嬢は髪をかき上げる。その小さな風体でよくもそんなでかい口が叩けるものだ。冒険者の頂、アダマンタイトの冒険者は庶民にとって憧れの存在であり、何人もの冒険者が目指す英雄とも言える地位。立派な武器を背負ってはいるが、そんな村娘のような格好で何が出来るというのか。

 

「はいはい。子供は夢が大きくていいわね。ところであんたの名前は?ついでに自己紹介とかあると依頼主の希望の人材を聞くときに助かるんだけど」

「名前はネムです。身寄りがなくて近くを旅しているところを紹介されてここに来たという設定で……あ、えーと……冒険者に憧れて村を飛び出した旅人でしたっけ?」

「なんでそこで疑問形になるのよ!?」

「えへへ。そんな感じでお願いします!」

 

 受付嬢は『どこぞの村から飛び出してきた頭の沸いた田舎娘』と自己紹介文に記入すると引き出しを開けて紐のかかった一枚の銅板を取り出す。

 

「それじゃあ現実を知ってくるといいわ。これは冒険者のランクを示す証だから首にでも下げておきなさい」

 

 そう言うと受付嬢は(カッパー)のプレートを取り出すと嫌そうに顔を背けながら差し出した。ネムはプレートを受け取ると「わぁ……」と目を輝かせながらプレートを持ち上げて興味深そうに眺めている。

 

「ありがとう。受付のおねーさん」

「……怖い目にあって冒険者を辞めるならここに帰ってくるといいわ。あんたみたいなのを受け入れてくれそうな仕事場でも紹介するからさ」

「うんっ!」

 

 まあ、すぐに泣きながら返却しに来る事になるだろう。これから紹介する冒険者の宿は銅から鉄のプレートの冒険者が集まる酒場でもあるのだから。彼らが世間知らずの田舎娘へそれなりの洗礼をするはずだ。ここで会ってしまったのも何かの縁か……できるだけ傷つかずに戻ってくることを祈ろう。そう思いながら受付嬢はネムに宿の場所を教えると、小さな後ろ姿を見送った。

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

 都市の中心部から外れて人通りの少ない路地の一角にその建物はあった。ギィ…と硬い音を立ててネムは冒険者の宿の扉を開ける。埃や食べかすが落ちている汚らしい床にアルコールの匂い。宿の一階は意外と広く椅子や机が並べられた酒場となっており、そこには危険を匂わせる雰囲気の者たちが集まっていた。どう見ても柄の悪いゴロツキのたまり場としか言いようがない。そのまま扉を閉めて外の看板を確認するが、どうもここが冒険者の宿で間違いないらしい。

 

 再び扉を開けると、ほぼ全ての視線が自分に向けられている事に気づく。確認するのは胸に下がった銅のプレート。それ以前に彼女の容姿を見て口を開けて固まる者や、眉を顰める者もいる始末だ。

 

 冒険者組合でもまともに相手にされていなかったのだから、こうなるのも仕方ないのかなとネムは肩を落とした。カルネ村にいた頃からイメージとして知っていたが、ランクの低い冒険者がここまで暴漢と変わらない人たちの集まりだとは思わなかった。

 

 きっとナザリックに来る前の自分だったら泣いてしまうくらい怖い場所だったのかもしれない。でも不思議と怖いという感情は湧いてこなかった。だってそこにいる全員がいつも特訓していたバジーくんに比べてとても弱そうだったから。

 

 視線を気にせずに酒場を見渡すと、薄暗く汚い店内の奥のカウンターらしき場所にモップを持った大男がいる。前掛けからすると、この宿の主人と思われるが他の人と同様に呆れたような視線をこっちに向けている。

 

「何の用だ。ここは託児所じゃねえぞ」

 

 大男の声に合わせるように店内に笑い声が木霊する。プレートを持っているんだから冒険者だと分かっているくせに。ここまで笑いものにされるとさすがに怒りが湧いてきた。主人の言葉に真っ赤にして頬を膨らませてるネムの姿がツボに入ったのであろう。店内の笑い声はさらに大きくなっていく。

 

「宿をとりに来たんですけど。おいくらですか?」

「ここは冒険者の宿だ。受付のねーちゃんが何を考えてるか知らねえが、お前みたいなガキが来る場所じゃ……」

 

 ガシャンと食器の落ちる音や椅子が倒れる音が響くと、先ほどまで笑いに包まれていた店内には悲鳴と這いずるような軋みが残った。

 

“絶望のオーラⅠ”

 

 我慢の限界に達したネムの体から黒い絶望を模ったオーラが発せられると、そこにいた冒険者の誰もが恐怖に縛られて動くこともできない。倒れ込んで体を震わせながら、情けない声をあげる事しかできなかった。見た目は強そうだった宿の主人は倒れることは無かったが、顔を真っ青にして手を震わせている様子からまともに動けないことが分かる。どうやらネムの使ったスキルを無効化できるほどの強者はここには居ないらしい。

 

 そんなに弱いのになんで意地悪するんだろう。ネムは都会って怖いなあと思いながらカウンターの上に飛び乗る。絶望のオーラを止めるとスキルの余韻で動けない宿の主人の眼前にゆっくりと刀剣を突き出した。

 

「宿に泊まりたいな!」

「わ、悪かった。一日銅貨2枚だ。詫びに食事代はサービスしてやる」

「最初からそう言ってくれればいいのに……」

「親切心で追い返そうとしてやってたんだが。まあいい……部屋は二階だ」

「はーい」

 

 ネムは主人の眼前に突き付けていた刀を鞘にしまうと不満げな顔でカウンターを飛び降りた。その様子を冒険者たちは静寂をもって眺めていた。彼らの化け物でも見るかのような眼差しを受け、ネムの額に嫌な汗が浮かぶ。少しやり過ぎたかもしれない。

 

 ネムはこの世界の常識を知っている。ナザリック以外では普通の人間が出来ないこと、異形種であることを疑われるようなことをするべきではなかった。みんな怖がって当たり前だ。

 

「こんにちは冒険者の皆さん。今日から新しく冒険者になったネムです。お仕事で一緒になったら、さっき見せたような武技とかを使ってお手伝いするのでよろしくお願いします」

 

 ネムが深くお辞儀をしながら丁寧なしぐさで挨拶すると、ああ…と数人から乾いた声が聞こえてきた。それを聞くとネムはにっこり笑いながら、宿の階段を二階へと上がっていった。一歩間違えば得体の知れない化け物という評価をされていたのかもしれない。だが残された冒険者たちの顔に浮かんでいたのは安堵と驚愕、そして羨望だった。

 

 その姿が見えなくなると一階の酒場はネムが来る前以上の騒々しさを取り戻し、各々が好き勝手言いながら話は盛り上がっていく。話題はもちろん先ほどの新入りについてだ。

 

「凄ぇガキが来やがった。あんな武技見たことがない」

「いつの間にでけえ刀を抜いたんだ。あの小さい腕で抜けるのか?」

「だが礼儀正しいじゃないか。俺は気に入ったぜ」

 

 盛り上がる一階の様子を階段の手すりから見下ろしながらネムは小さく溜息をつく。上手く誤魔化すことは出来たのだろうか。自分が魔物である事を気づかれてはいけない。これはアインズから念を押して言われていたことだ。

 

 もしも……バレてしまったら都市の冒険者が総出で襲ってくるのだろうか。それは都市の平和を守るために仕方のない事なのかもしれない。

――たとえ同じ人間であっても自分の都合で村ごと皆殺しにするくせに……。

 

 ネムは階段に背を向けると、刀剣を大事そうに抱えて部屋の中へと入っていった。

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 ネムは午後からエ・ランテルを巡りながら街並みを満喫していた。露店にはカルネ村にはない美味しそうな物が陳列されているのでつい見入ってしまう。銅貨一枚で買ったお菓子を手に持ちながらの観光はとても気分の良いもので、朝の嫌な疲れが吹き飛んでしまった。そしてアインズがくれたお小遣いの多さに血の気が引いてしまうのだった。

 

 都市を一通り回ってみたものの、今のところアイテムや装備などは必要なさそうだ。防具はほとんど大人向けで装備できず買っても邪魔なだけだろう。だからお菓子をもう一つ買って行く。必要な物なのだから仕方ない。

 

 

 夕焼け色に都市の空が染まり、辺りに夕食の香りが漂う中、冒険者組合の近くで馬車の準備をする人たちがいる。胸には銀のプレート。自分より少し年上くらいに見える女性を含めた若々しい冒険者の一団が旅の準備をしているようだ。これから夜になるというのに出発するのかな?と眺めていると、その女性がこちらに気づいたようで微笑みながら手を振ってくれた。そんな優しい対応が嬉しくて無意識に手を振り返していた。

 

 ネムは少し冒険者というものを誤解していたのかもしれない。あの宿を紹介した受付のお姉さんに苦情の一つでも言いたくなってくる。ネムは仲良さげに声を掛け合う冒険者を見て、くすっと笑うと宿の方へと歩き出した。

 

「ネムッ!」

 

 急に後ろから名前を呼ばれて思わず振り向いてしまう。声の主は先ほどの馬車の方向。荷台から身を乗り出し、冒険者とは違う人物が驚いた顔でこちらを凝視していた。目元を隠すほどに前髪を伸ばした女性のように弱々しい姿はネムにも見覚えがある。

 

「ンフィーレア……お兄ちゃん」

 

 ネムが呟くように小さな声で名前を呼んだ。ンフィーレアは馬車の荷台から飛び出すとネムの方へ走り寄って来る。彼はカルネ村へよく遊びに来てくれた薬師。そしていつか……本当の兄になるかも思っていた人だ。エ・ランテルで唯一ネムの事を詳しく知る人物なのかもしれない。ネム自身も会えてすごく嬉しい。でも……ネム・エモットはもういないんだ。

 

「そうだ間違いないよ。今朝、村が襲われてみんな殺されたって王国の戦士から聞いて……心配してたんだよ!」

「わたしの名前は確かにネムっていいます。でもお兄ちゃんが探してる人とは違うと思うよ」

「そんな……間違えるわけがない。何度もカルネ村で遊んだじゃないか」

「わたしは旅の冒険者だよ。その子とは似ているかもしれないけど違うでしょ」

 

 結んでいた髪を解いただけで印象はかなり変化する。ンフィーレアはネムの真っ赤な髪と、紅い瞳を見つめながら苦々しい顔を浮かべる。そして銅のプレートに背中には大きな刀。かつてのネムから今の身なりを想像するのは難しいだろう。

 

「ごめん……人違いだったみたいだ」

「うん、人違いだよ。ンフィーお兄ちゃんてばそそっかしいんだから!」

「………これからカルネ村に行くんだ。襲われたのは何日か前らしいけど、生き残った人がいるかもしれない」

「そうなんだ……カ、カルネ村っていう所は知らないけど」

 

 ネムは俯いたまま暗い返事しかできない。生き残りなんていない。それはネムが一番よく知っているのだから。ンフィーレアは確認するかのようにネムの反応を見ながら話を進める。

 

「たしか君は冒険者だよね」

「まだ銅のプレートの新人なんだけどね」

「じゃあ僕が君を……ネムを雇うよ。カルネ村まで一緒に来てほしい」

「えっ、ちょっと待って。依頼の受け方とかまだよく分からなくて……」

「ごめんね。ちょっと急いでるから正式な手順を踏んでる場合じゃないんだ」

 

 返事を待たずにンフィーレアはネムの手を引いて馬車の方へと向かって行く。「ネムはお腹空いてない?」と声をかける様子はまるで以前と変わらない。さっき…人違いって言ってくれたはずなんだけどな。小さな疑問を持ちつつも暖かい手を壊してしまわないように優しく握り返した。

 

 冒険者としての初任務はなんとしても成功させなければいけない。

 アインズ・ウール・ゴウンの為に。

 

 

 

 



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命令は絶対

「夜間の移動は戦闘を覚悟していましたけど、無事に目的地へ着きそうでよかったです」

 

 リーダーであるペテルが安堵したように順調な旅路を喜んでいた。辺りはすっかり昼の景色、夜間のモンスターの奇襲を警戒した緊張感が嘘のように晴れやかだ。ンフィーレアがカルネ村を目指すにあたって雇ったのが冒険者チーム『漆黒の剣』であり、夜間の強行という危険な仕事を引き受けてくれたことは運が良かった。他のメンバーの仮眠中も、眠らずに周囲を警戒してくれたルクルットには感謝しなければいけない。おかげで彼は朝から爆睡状態だった。

 

「ネムさん大丈夫ですか? 顔色が良くないみたいですけど」

「え、ううん。大丈夫です」

「気分が悪かったら遠慮なく言うといいのである。馬車ではゆっくりとは休めないであるからな」

「ありがとうございます。ニニャさん、ダインさん」

 

 漆黒の剣のメンバーはとても優しくて銅のプレートのネムを快く受け入れてくれた。街中で見ていた彼らの姿は偽りでなく、本当に良いチームなんだなと改めて実感した。

 

「お、嬢ちゃん元気ないんだって。パパが寂しいなら俺と一緒に寝るか?」

「起きたんですかルクルット。夜間は助かりました」

「ルクルットさんはレディーに対する扱いをもっと改めた方がいいと思います」

「はっはっは。レディー扱いはあと五、六年くらいしたら考えてやろう。なあニニャ」

「ふふっ……そうだね」

 

 ネムは納得いかない顔をしながら頬を膨らませる。そうだよねニニャはあっち側だもんね。初めて見たときニニャはてっきり女性かと思っていたが、男性だと知ったときは驚いた。あんなに美人なのに男だなんてもったいない。ンフィーレア以上に女性的な人間がいるとは思わなかった。でもみんなで旅をするのは楽しい。カルネ村に向かうという憂鬱な気持ちを少しでも忘れられるのは彼らのおかげだろう。

 

「……ンフィーレア殿は無理をしすぎではないか? 出発から馬車の運転を担い、寝ていないのであろう」

「ダインの意見はごもっともだけど、ありゃ目的地に着くまでは止める気配はなかったぜ。夜の間もずっと真剣な顔つきで手綱を引いていたよ」

「無理をするのも仕方がありません。私たちは懸命に人を助けに行こうとする彼をサポートすることを望んで仕事を引き受けたんですから、信じて見守りましょう」

 

 それからほどなく荷台の上で偵察していたルクルットが村を発見すると、その表情から漆黒の剣のメンバーは村の惨状を察したようだった。

 

 村の門を過ぎ、ンフィーレアは馬車から飛び下りると目を見開いた。不眠不休で馬車を運転していたンフィーレアを迎えたのは、変わり果てたカルネ村の跡地。焼け落ちた家の痕跡、無事な家では破れたカーテンが風に揺れている。その様子から人の気配は感じられない。広場に並ぶ小さな墓石が滅んだ村という印象を強く表していた。今も赤黒い染みがそこら中に散見される。

 

「手分けして生き残った人を探してください!」

 

 ンフィーレアが叫ぶように漆黒の剣のメンバーに指示を出しながら、かつてエンリが……好きだった人が住んでいた家を目指して走り出す。非力な足を、疲労した体を奮い立たせて探さなければいけない人がいる。

 

「待ってください! 単独行動は危険です。モンスターが入り込んでいてもおかしくない!」

 

 ペテルが呼び止めるが、制止も聞かずにンフィーレアは振り返らず走り続ける。メンバーで一番足の速いルクルットが慌てて追いかけようとするが、ネムに服を引っ張られ盛大にすっ転んだ。

 

「ちょ……何すんの嬢ちゃん!」

「わたしが行きます。皆さんはここで待っていてください」

「君だけじゃ駄目だ。せめてもう一人くらい……」

 

 その声が聞こえる前にネムはすでにその場にいなかった。人間とは思えない速度、風を切るようにンフィーレアの後を追っていく。村の中は自分の庭も同然、だからンフィーレアがどこに向かっているかもすぐに分かった。

 

 

 

 

 エンリとネムがかつて暮らしていた家の前、血溜まりの痕の残る玄関にンフィーレアは立ち尽くしていた。血の付いた農具が転がる場所には誰かが戦った痕跡が残っている。何か手掛かりは無いかと部屋へ入ろうとしたところで背後から声を掛けられた。ネムが身に着けたローブを握りしめながら囁いた。

 

「ここにはもう誰もいないよお兄ちゃん」

 

 そんなことは言わないでほしい。じゃあ誰が広場に小さな墓を作ったというのか。街で君の姿を見かけたとき、心から嬉しかったのに。希望が湧いてきたというのに。

 

「ネム、エンリは……エンリは無事なんだろ!」

「わたしは……」

「誤魔化したって分かるよ。君は教えてもいない僕の名前を知っていたじゃないか。ネムが着ていた……エンリが小さいころお気に入りだと言っていた服を身に着けているじゃないか!」

 

 

 今のネムにとって一番大切なのはアインズ・ウール・ゴウン。ナザリックの関わることは誰にも話してはいけないとアインズに『命令』されている。命令は絶対。でもここで言わなかったらンフィーレアはずっとエンリを探し続けてしまう。そんなことはエンリは絶対に望まない。

 ネムは悲しそうにンフィーレアの話を聞きながら返すべき言葉を探る。でも命令を守りながら真実を伝える方法は無い。

 

 それでも……、それでもどうしても伝えなきゃいけないことだった。だからこれは命令違反ではない。そう、自分で考えた結果なのだから。

 

 

「怖い人たちがたくさん村に来て、村のみんな……お姉ちゃんも殺されてしまったの……。この村に生き残った『人間』はもう誰もいないの。だからカルネ村のことはもう忘れて。きっとお姉ちゃんも……そう望んでいると思うから……」

 

 「ネム……」

 

 ポロポロと涙を流しながら話すネムの様子を見て、自分はなんて残酷なことを聞いているのだと思い知った。エンリはもういないという告白にンフィーレアは深く目を閉ざしてその言葉の意味を受け止める。本当は分かっていた。それでも受け入れられずに村までやってきた。でも…もう受け入れるしかなかった。自分よりずっと苦しんでいる子が目の前にいるんだから。

 

 

 

 家にあったベッドに腰かけて天井を眺めていると、刀剣を壁に立てかけたネムが膝の上に座ってきた。姉妹であるためかエンリの匂いがするような気がしてンフィーレアは顔を赤らめる。村を襲った悲劇を震えながら話すネムの頭に手を乗せながら、ンフィーレアは「うん、うん……大変だったね」と優しく語り掛ける。突然現れた騎士の集団。勇敢にネムを守ったエンリ。

 しかし、その後の話がだんだんおかしな方向に進んでいく。そこから先はまるで絵本のような物語。強くて素敵で美形なご主人様『アインズ・ウール・ゴウン』が悪者から助けてくれた? 人間じゃなくなった?

 初めは村人の虐殺という恐ろしい出来事を体験して記憶が混乱していいるのかと思ったが、変化した髪や瞳の色から考えてもあまりに辻褄が合ってしまう話だった。頭の中で話を整理した後にンフィーレアの額によろしくない汗が浮かんでくる。言えない秘密というものは大抵、聞いた相手が後悔するから秘密になることが多い。これは本当に聞いてはいけない内容だったような……。

 

 考えに考えて頭がオーバーヒートしたネムがたどり着いてしまった着地点。それはただの子供の理屈、『秘密を話しても忘れてもらったら話したことにならないから大丈夫』というものだった。もちろん、そんなものをアインズが認めるかどうかなどは考慮されていない。

 

「ネ、ネム。この話を聞いてしまった人間はどうなるって言われたんだっけ?」

「ええと、どこで隠れて聞いていようと必ず死ぬことになるって。だからすぐに忘れてね、絶対だよ!」

「ソウダネ、ははは……」

 

 突如、近くでペテルの掛け声とともに金属のぶつかり合う音が聞こえた。戦闘が行われているらしい。窓から身を乗り出すと、広場からここへ向かう道の途中でペテルたち漆黒の剣がゴブリン、人食い大鬼(オーガ)の群れと交戦しているのが見えた。

 

 

 ネムは刀剣を携えるとモンスターの群れへと物凄い速度で突き進んでいく。ンフィーレアは遠目からその様子を眺めていた。普通に考えたならモンスターの方向へと飛び出していったネムを止めるべきだろう。薬草を採りに来た際にはよく遊んであげていたのだからンフィーレアだってネムのことはよく知っているつもりだ。彼女が冒険者の戦いに参加するなんてできるわけがない。けれどさっきの話が本当なら……。

 そして信じられない光景を見る。真っ二つに両断される人食い大鬼(オーガ)、見えないほど速い連撃で斬り刻まれるゴブリン。髪で隠れがちな目を擦ってみてもその光景は変わらない。身長と同じくらいか、それ以上の長さの刀剣を振り回しながら戦っているのだ。

 

 

 ああ、そうだ。ネムは嘘なんかついていない。ならばネムの言うご主人様。村を襲った集団を一人で壊滅させ、非力な子供にここまでの力を与えることができるアインズという人物は……。

 

「人知を超えた存在だ」

 

 ンフィーレアがそう呟くとほぼ同時に、背後でカチャリと食器が擦れるような小さな物音が聞こえた。振り返ると誰もいなかったはずの部屋に赤いスーツを着たメガネの男性が紅茶を片手に椅子でくつろいでいる。

 

「少し話をしてもよろしいかな?」

「貴方は……いつからそこにいたんですか!?」

「君はアインズ様に感謝すべきだ。そうではないかね? 少なくとも私以外の者が裁定者に任命されていたならば、君は会話を許されることもなく死体となっていたでしょう」

「……」

「自分の立場がご理解いただけたようで何よりです。どうぞ、こちらへ……」

 

 椅子の背後で揺れる悪魔の尻尾を見て、ンフィーレアは乾いた笑いを洩らしながら自分の状況を理解した。エンリ……僕ももうすぐにそっちへ行くよ、と心の中で呟きながら悪魔の下へと歩を進めた。

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 ギィ……。硬い音を立てて扉が開き、ガラの悪い冒険者たちの視線が集まる。冒険者の宿では先日現れたという凄腕の新入りを一目見ようと多くの冒険者が集まっていた。礼儀正しい村娘だという噂から、その新入りを仲間に誘おうという者も少なくない。

 

 扉を開いて現れたのは全身鎧(フルプレート)に身を包んだ漆黒の戦士。宿に集まった冒険者たちも顔を見合わせた。彼らが見たことも無い洗練された重装備、胸に下げられた銅のプレートから新入りだと理解するまでしばらくの時間がかかった。モモンと呼ばれた漆黒の戦士は集まった視線を気にする様子もなくコツコツと音を立て宿の主人の方へと向かう。

 

 「おー! 人間がたくさんいるっすねアイ……モモンさん」

 

 漆黒の戦士の後ろに続いて入ってきたのは赤い三つ編みの美少女。深い茶色のローブを纏い、巨大な聖杖を背負っている。そのあまりの美しさは酒場の者たちが息を呑むほどに整っていた。ナザリックのメイドであるプレアデスの一人、ルプスレギナ・ベータがモモンの後ろで楽しそうにはにかんでいた。それに合わせて酒場のざわめきが大きくなる。「赤髪ってアイツか?」「いや、もっと小さい子供のはずだが」「あんな美人の冒険者なんて見たことねえぞ」「予定変更してあの子誘おうぜ」と、酒場に集まる者の程度が知れる言葉が飛び交う。

 

 周囲から聞こえる声を無視してモモンと呼ばれた男は酒場を見渡すと、感心したように宿の主人の方を見た。宿の一階にあたる酒場は客層に見合わず清掃が行き届いており、床は綺麗に磨かれている。手作りだが新しいであろう白いテーブルクロスが印象的だ。

 

「なんだ、また新顔が来やがったのか。今度のはずいぶんと豪勢な装備だな……」

 

 宿の主人が値踏みするように見ながら面倒そうに酒瓶を棚に置いてモモンに向き直る。とても客に対する態度ではないが、誰に対してもこの接客が変わらないであろうことは想像に難くない。

 

「また……か。先ほどから周囲が騒いでいるようだが、私が来る前に話題になる新人の冒険者でも現れたのか?」

「ん、ネムのことか。今日の客はどいつもいつもそればかりで嫌になる。どう聞いても今話題になってるのはあんたらの方だろうがな」

 

 

 モモン……魔法で創られた漆黒の鎧を纏ったアインズもこの言葉の意味を理解していた。周囲の冒険者も話していた赤髪の子供、ネムで間違いないようだ。

 

「ほう……ネムというのか。そいつが何かやったのか?」 

「妙な武技を使うガキが来たってだけの話さ。俺を剣で脅してきやがったんだぜ。かと思ったら「怖がらせてごめんなさい」とか言って宿の大掃除を始めやがってよ。小汚ねえ酒場が台無しだぜ」

「その割には嬉しそうに語るのだな。確かに、酒場が主人の顔に似合わず小奇麗なことに納得してしまったよ」 

「うるせえよ! 小汚ねえ面で悪かったな!! アイツの話が聞きたかったら適当にそこらの奴に聞きな。まったく無駄に人を集めやがって迷惑してるぜ。あんたは変に騒ぎを起こさないでくれよ」 

 

 武技の話は気になるが、アインズはネムが上手くやっているようで安心した。それよりも今後は冒険者モモンとしてどう行動するかを考えなければいけない。ネムにはモモンの名声を高める布石になる程度に話題となってもらうとしよう。後は現在進行形でルプスレギナを囲みつつあるゴロツキ共を追い払うとするか。ほぼ100%因縁をつけられるだろうが仕方がない。

 

 

 

 

「ふむ、ナザリックの存在を知る者が出てしまったか」

 

 冒険者の宿の二階、アインズは暗い部屋の中で鎧を解いた姿で、額に手を当ててデミウルゴスからの<伝言(メッセージ)>による緊急連絡に頭を悩ませていた。

 

「そいつは何者でどこまで知った? 現時点でナザリックの存在に触れたものは始末しなければならん。それがどんな人間であってもな」

「シャドウ・デーモンからの報告ではアインズ様の使い魔に『兄』と呼ばれているようです。彼女の知るナザリックの情報は、ほぼ全て洩れたと言ってよいでしょう。本来ならば即刻殺すべきですが、アインズ様の使い魔が関わっているため御助言を頂こうかと」

 

 ほぼ全てって何やってんのネムさん!? 信じて送り出した使い魔がここまでやらかすとは想定外だ。家族はもういないと聞いていたが、まさか裏切り――は考えられないな。今まで嘘をついていたとも思えない。隠し事のできない子供を釣りとして使うのはやはり難しいものだ。

 

「デミウルゴス、捕らえた者は殺さずに解放して泳がせろ。ネムを守っていたシャドウ・デーモンを捕らえた者の監視に充てさせろ。もちろん、ナザリックに関してネム以外に話そうとしたら即座に始末するようにな」

 

「はっ、アインズ様のお望みのままに」

 

 <伝言(メッセージ)>が途切れるとともにアインズは深いため息をついた。どれも初めての経験だが、思うように上手く事が運ばないものだ。期待した獲物はそう早くはかからないか。焦って泳がせろとか適当なことを口走ってしまったけど大丈夫かなあ。

 

 「ところでモモンさ~ん。あの子は特に名前を隠さなくってもいいんすか?」

 

 ベッドの上で犬のようにゴロゴロしていたルプスレギナが問いかけた。旅の連れとしてルプスレギナを選んだのも人間に見た目が近く、手が空いていたからに過ぎなかった。しばらくカルネ村の跡地を見張らせていたが、無人の村を監視する意味もない。人間ばかりの場所へ同行させるのは不安があったが、先ほどまでの人間として違和感のない行動は評価に値するだろう。回復役はいて困ることも無いだろうし、案外有能なのかもしれないな。

 

「これは釣りというものだ。ネムが言うにはカルネ村以外に知り合いは少ないらしい。全滅したはずの村人、特に重要人物でもない子供が生きていても大きな問題は無い。村が襲われた際、どこかに隠れて生き残ったとでも言えばいいだけのことだ」

「釣りっすか。よく分かんないっすけどアインズ様はいろいろ考えてるんすね」

「……モモンだ」

「すみません。そういえばネムちゃんに会ったことないっすね。今度あいさつしなきゃ」

「ナザリックの者だとバレないようにするんだぞ。あいつは演技ができなそうだから自然体のままでいるのが同業者として都合がいい」

 

 王国にとってネムという村娘が生きていたところでそこには何の価値も無い。王国戦士長率いる部隊が、カルネ村を襲った謎の勢力に連続攻撃を受け、辛くもこれを撃退。王国にとってはそういうシナリオだ。彼らにはアインズ・ウール・ゴウンというマジックキャスターについても王国に話さないように頼んである。義理堅く、ネムへの負い目もあるガゼフとその部下から情報が洩れる可能性は少ないだろう。そしてガゼフの部隊では法国が用意していた天使の軍勢を退けることは不可能であると知っているのは、殺害命令を下し覗き見していた法国のみ。釣れるのは何者かで法国の動向が見えてくるといいのだが、今回をはずれを引いてしまったようだ。

 

「素直に冒険者としても楽しみたいのだがな。ところでさ……」

「はいな! モモンさん」

「敬語ではなく友人として振舞うように命令したのは私だが、ここまで上手くやれるとは思わなかったぞ。実はお前はかなり軽いキャラだったのだな」

「い、いえ……。不愉快でしたらすぐにでも改善いたします……」

「いや、今のままで構わんぞ。その社交性と語りは期待以上だ。男どもに囲まれても平然と対応できていたではないか」

 

 ちなみに件のゴロツキは一人を軽く放り投げただけで大人しくなった。宿の主人が何か言いたそうにこちらを見ていたが、まあ問題ないだろう。

 

「あんなにたくさん面白そうな玩具がいると我慢するの大変だったっすよ。ああ……あいつらの顔が恐怖に染まる日が来るのが楽しみっす」

 

 そう話しながらルプスレギナは歯を剥き出しにして殺意に溢れた笑顔で笑っていた。ああ、やっぱりコイツもそうだよね。ナザリックらしい笑顔が見れたところで次は定時報告でも行うとするか。

 

 

 






【あとがき】

ここまで読んでいただきありがとうございます。

お待たせしました。やっと続けて投稿できるようになりました。
次回はクレマンティーヌの登場でかなり血生臭くなりそうです。



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英雄の領域

 カルネ村を見渡せる小さな丘の上、ネムとンフィーレア、そして漆黒の剣の面々が小さな墓石の前で祈りを捧げていた。三つ並んだ墓石の周りには彼らが集めた花が飾られ、風に吹かれて優雅に踊っていた。墓を作り祈ること、それは今はもう会えない人への別れの儀式。だから生きている者たちは現実を受け入れ、悲しい別れを乗り越えてこの先も進んでいくことができる。

 

「おやすみエンリ……」

 

 ンフィーレアの頬を涙が伝い、お別れの言葉が贈られる。その表情にはこの村を目指していたときの陰も迷いも消えていた。結局告白をすることはできなかったが、愛していたことは変わらない。だから振り返らず前を向いて自分の生を全うしようと誓うのだった。

 

 ふいに隣に立っている少女の顔を見ると何とも血色が悪く落ち込んだ表情が目に入る。アインズ・ウール・ゴウンの情報を口外すればネムを処分する。エンリの家に現れた悪魔にンフィーレアが警告されたのはそれだけだった。とても奇妙な話。ネムの話ではアインズ・ウール・ゴウンの存在を知った者は誰であろうと死ぬというものだった。これまでに起こった出来事からネムの話が全て真実だと確信できる。その話を聞いたンフィーレア自身が殺さずに解放された理由が分からなかった。

 そして情報を口外すると危機に陥るのはネムだという。ンフィーレアができるエンリへの手向けはネムが幸せに生きられるように見守ることぐらいだろう。それを人質に取る悪魔の狡猾さと残忍さから、悪魔がそうとう頭が切れるのが分かる。

 

「どうしたのネム? さっきはあんなに元気に暴れていたのに」

「ちょっとね。悲しい声が聞こえて、少し怖かったの」

「声ってどういうこと?」

「わたしが倒したゴブリンやオーガ達の悲鳴や叫び声……」

「……でもね、ネムのおかげで僕たちは誰も命を落とさずにいられるんだよ。だから……ありがとう」

「うん……」

 

 魔物となってしまったというネム、ンフィーレアには彼女の言葉の意味を理解することはできない。この先も人間には理解してもらえない悩みを抱えて生きていくのだろう。ンフィーレアにできるのはエンリの親友として変わらずにいてあげること。彼女の妹が幸せな人生を歩むことを願うのだった。

 

 

 

―――――――――――――――――――――――

 

 

 

 エ・ランテルに戻る馬車の中、会話の中心になっていたのは先ほどの戦闘だった。ネムは強さに関して漆黒の剣から称賛の言葉を受けながらも、戦うことの基本について何も知らないことを自覚する。会話をしながらもみんなそれぞれの武器や防具の手入れに勤しんでいる。かなり使い込んでいる物もあるのだろう。先ほどのモンスターとの戦い以前からの傷跡が防具の端々に見受けられる。

 

 アインズからもらった武器を汚れたままにしておくわけにはいかない。ネムも漆黒の剣を見習って刀剣についた血を拭き取り綺麗に磨いていった。勉強熱心に彼らの真似をするネムを見て、漆黒の剣の面々は武技や魔法やアイテム、パーティーの戦闘での役割などを丁寧に物事を教えてくれるのだった。

 

「そういえば、その刀っていう武器なのかな? とても珍しいよね。なんだかとても大きいし」

「これは大切な御方からもらった宝物なんだよ」

「刀……であるか。そういえば刀を使う達人の話を聞いたことがある。王都の御前試合で戦士長殿と互角に渡り合ったそうだ」

 

 ネムの持っている刀は大太刀と呼ばれるもので、刀身が1メートル以上あり刀の中でも大型に分類される。特殊効果は『劣化無効』『物理ダメージ10%向上』のみで、アインズからするとレベル30台までが使用するゴミ同然の武器である。

 だがそれはゲーム内のみの設定。この世界ではたとえ大人でも大太刀を片手で振り回すことなど普通はできない。よほどの強者か、あるいはネムのように異形種の高いステータス補正でカバーする必要がある。

 ギガントバジリスクの硬い皮膚と何度打ち合っても劣化しない刀身を眺めながら、ネムは尊敬する主の顔を思い出していた。

 

 エ・ランテルへと戻ったらどうするべきだろう。思い返せば街ではまだおやつを食べてまわっただけである。帰ったら依頼を探しに冒険者組合を訪れるのもいいかもしれない。

 

 馬車の道中は意外と暇なことが多く、漆黒の剣の面々からはたくさんのアドバイスを貰うことができた。本当にみんなには感謝しなければいけない。

 冒険者で最高位に位置するものはアダマンタイト級冒険者に選ばれた者たちだということだった。英雄とも言われるほど数々の実績と高い名声が必要とされ、この国にも数えるほどしかいないという。目指すならここしかない。しかし、その道のりはかなり遠い。ギルドでの仕事をたくさんこなして認めてもらうには長い年月が必要なようだ。一度、ナザリックに戻って主に報告したほうがいいのだろうか?

 

「ところでネムさん、よろしければ我々『漆黒の剣』と共に行動しませんか?」

「えっ、いいんですか?」

 

 ペテルの言葉に軽く胸を高鳴らせる。ネムにとっては願ってもない提案だった。冒険者としてこれからどうすればいいか曖昧な彼女にとって、これほど頼もしい人たちは他にいないだろう。

 

「わたしなんかが仲間になってもいいんでしょうか?」

「ああ、もちろんだ。君は確かに強いけれどまだ知らないことも多いようだし、アダマンタイトを目指すなら難しい大人のルールにも力になれるかもしれない」

 

 嬉しいけれど迷惑にならないだろうか。きょろきょろ周りを見渡すと漆黒の剣の面々が頷いて返してくれる。そこには微塵の否定もなく、優し気に微笑む彼らの姿があった。

 

「よ、よろこんで。みなさんよろしくお願いします!」

 

 

 

―――――――――――――――――――――――

 

 

 

 帰りは一晩の野営をして街に戻ると、時刻はすでに夕方。エ・ランテルに着くまでに二回ほどモンスターに遭遇したので少し遅くなってしまった。城塞都市に日が射して大きな城壁が作り出すオレンジ色と影のコントラストが夜の訪れを教えてくれる。繁華街の方からは美味しそうな匂いが漂い、仕事を終えた者たちが集まってきているようだ。

 馬車は通りを抜けてうっすらと植物の匂いが漂う区画に進んでいった。辿り着いたのは区画の中でも最も大きな家。店舗と工房が合わさったンフィーレアの自宅である。薬師であるンフィーレアは祖母のリイジー・バレアレと共に街でも有名な店を構えていた。特に有名なのは祖母の方だが、彼らの製作するポーションは精度が高いと冒険者の間ではかなりの評判だ。家の裏手に馬車を停めペテル、ルクルット、そしてダインが薬草の束を担いで保管庫の中へと運んでいく。

 

「最後までお手伝いいただきありがとうございます。薬草の採取は依頼に含まれていなかったのに」

「構いませんよ。時間も無かったので大量とはいきませんでしたけどね」

「皆さんのおかげで心に区切りをつけることができました。本当に感謝しています」

 

 出発前とは違い、吹っ切れた強い目の少年の言葉に漆黒の剣の面々は顔を見合わせながら微笑んだ。表情には依頼をこなした喜びよりも一人の人間を支えることができたという充実感に溢れている。ネムはそんな彼らを見て尊敬と憧れの念を抱く。それはただ単に冒険者として強さではなく人を思いやる心を持った者達だからなのだろう。

 

「よかったら中で母屋の方に冷やしたものがあるので、果実水でも飲んでいきませんか?」

「お、いいねえ。仕事後の一杯は格別だろうな」

 

 

 

 

 果実水を片手にワイワイと賑わっている母屋から少し離れた工房、薬品の匂いが充満した室内でンフィーレアは数日置き去りにされた調合途中のポーションを片付けていた。カルネ村の事件は接客中の王国の戦士たちから偶然耳にしたものだった。それを聞いて自分の仕事をほっぽり出して冒険者組合へと駆け込んでしまったため、祖母に悪いことをしてしまったと反省する。

 

「ンフィーお兄ちゃん。これはどんな道具なの?」

 

 勝手に工房へと侵入してきたネムがポーションを調合するための器具を興味津々に眺めていた。子供は珍しい物に引き寄せられるのか、工房内を探検しているようだった。追い出す気分にもなれないが、ンフィーレアは心中穏やかでいられない。薬品の調合というものは配合が難しく、ここにある物は繊細な道具が多い。フラスコも天秤も職人が神経をすり減らして作る逸品だった。質が良い物はポーションよりも高価となる。

 

「僕は薬師だからね。ここには薬を調合するための道具がたくさんあるんだよ。そうだ、ネムも一度ポーションを調合を体験してみるかい?」

「わぁ、やってみたい!」

 

 偶然にも放置していて売り物にならない作りかけの素材がある。ほぼ成分の抽出は済んでいるので、ネムには最後の仕上げをしてもらおうと考えた。

 

「ネム、そこのハンドルを回してみて」

 

 ポタ、ポタと装置の中で薬液が混ぜ合わされ、ポーションとなった滴が瓶へと落ちていく。一定量溜まったらそれで完成。しばらくして、青色の液体が瓶に満たされる。瓶を手に持ち、それをじーっと眺めるネムの表情は何か物足りなさげだった。

 

 後片付けをしていたンフィーレアが少し後ろを振り返ると、ネムが工房を歩き回りながら何かを瓶に混ぜていることに気が付いた。ここには様々な薬品があるのだから子供から目を離すのは少々危険だったかもしれない。毒薬や劇薬の配置を思い出しながらンフィーレアはネムの方へと駆け寄る。

 

「できた……」

 

 手に持っていた瓶がなにやら発光しているようで、ンフィーレアの顔から血の気が引いていく。まさか爆発かとンフィーレアが身構えるが光はそれ以上は大きくならず静かに消えていくようだった。

 

「ネ、ネム! 危ないから変なもの混ぜちゃ……」

 

 ンフィーレアは言いかけたまま、時間が止まったように固まっていた。ネムが満足気に持っていた瓶の中身、青色であったはずのポーションは――赤色に変化していた。

 

「あれ、お兄ちゃんどうしたの? まるで石像みたいだよ。わたしも前にバジーくんのいたずらで……」

「動かないで!!」

「はっ、はいぃっ!」

 

 ンフィーレアは別人のように鋭い目つきになり、筆を手に取ると用紙に次々と情報をメモしていく。日付時刻や現在の在庫の状況、そしてネムが歩いたであろう工房の位置を書き留めていく。長い前髪に隠された瞳の奥は熱く、研究者としての情熱が燃えているようだった。ぶつぶつと独りごちりながら没頭する研究者ンフィーレアにより、彼が正気に戻るまでネムはその場に放置されてしまうのだった。

 

 

 

―――――――――――――――――――――――

 

 

 

 仕事終わりの軽い談笑を済ませる頃には夕焼けも沈み、辺りには夜の色が広がっていた。母屋には魔法のランプが灯され、漆黒の剣の面々は冒険者の宿へ泊まるためンフィーレアの見送りを受けていた。

 

「それではンフィーレアさん、我々は宿へ戻るとします」

「皆さんにはお世話になりました、ポーションをご購入の際にはサービスさせてもらいますよ」

「ネムさんはどうなされますか?」

「わたしもみんなと宿に戻るよ。漆黒の剣の一員として明日からも頑張らなくちゃ」

「宿でおねしょすんなよ、嬢ちゃん」

「しないよ! もうそんな子供じゃないもん!」

 

 元気に騒ぐネムとルクルットを見てニニャは嬉しそうに微笑んだ。新しい仲間の誕生に皆、歓迎の雰囲気で迎えている。ネムの冒険者として始まりは素晴らしい仲間と共にスタートした。明日からもどんなに楽しい冒険が待ち構えているのだろうかと心躍らせる。

 

「某も楽しかったである。それではンフィーレア殿、息災で……??」

 

 先頭を歩いていたダインがンフィーレアの方を振り向きながら店の扉を少し開けた刹那の出来事だった。突然扉の外側から突き出された鋭い武器のようなものがダインの頭に深く突き刺さっていたのだ。

 

「えっ……?」

 

 そう気の抜けた声をあげたのは誰だっただろうか。部屋にいた全員が状況を理解できずその場で静止していた。ダインの瞳がぐるりと上を向いたかと思うと、扉の取っ手に手を掛けたまま彼の大きな体がずるずるとその場に崩れ落ちていく。

 

「はーい。こんばんはー。お帰りですか? お帰りは彼の世(あちら)でーす」

 

 突き刺さった刺突武器……スティレットを引き抜き、倒れたダインの体を踏みつけながら入ってきたのは金髪の女。不吉を感じさせる女がローブをなびかせながら、余裕の笑みで歩み寄る。目の前で起きたことは間違いない。ダインが死んだ。殺されたのだ……。

 

「みんなっ武器を取れ!」

 

 一番早く反応できたペテルの叫びに、一斉に荷物を投げ捨て武器を構える。それでも女が手をヒラヒラと揺らし隙だらけの動作で返す様子に、ペテルとルクルットは苦虫を噛み潰したような表情になる。相手には余程の自信があるということだ。

 

「くそっ! お前の目的は何だ!」

「目的? それはねー、ちょーっとそこにいる薬師の子を攫いに来ただけなの。あ、私の名前はクレマンティーヌ。短いあいだだけどよろしくねー」

 

 不気味な笑みを浮かべる女に自分では敵わないと悟ったペテルが自然と目を向けるのはネム。モンスターを薙ぎ払う圧倒的戦力を期待するが少女の武器を見て考えを改める。この狭い室内は1メートル以上はあろう大太刀を振るうには適さない。

 

「ニニャ、ネム! ンフィーレアさんを連れて下がるんだ!」

「ここは俺たちで食い止めっからよ! お前らは下がってな!」

 

 ペテルに続き大声を出すルクルット。勝てる気はしない。それでも時間稼ぎの壁になれば良いと虚勢を張り上げる。

 

「ダメです! わたしも戦います。今度こそ……みんなを守る力があるんだから!」

 

 二人に並び前に出るネムを見て、クレマンティーヌはプッと吹き出し笑いをこらえながらスティレットを引き抜く。

 

「もーう、泣かせる場面かと思ったら笑わせに来るなんて反則よ。そうでちゅねー、とぉーっても強そうでちゅねー。ひゃはは!」

「何を遊んでいるクレマンティーヌ! こやつらが去ってから攫えばいいものを、余計なことを……」

 

 後ろの扉、ンフィーレアとニニャが向かっていた通路側の扉が開き、ローブを纏った老人のような男、カジットが現れる。一見アンデッドのように白い肌の小男だが熟練した自信ある態度から、彼も強敵だと理解できる。

 

「ごめんねー、カジッちゃん。でも動死体(ゾンビ)が増えても困らないでしょ。目的はそこにいるんだしさぁー。少しくらい遊んでもいいじゃん」

 

 思わぬ挟撃にペテルの顔にも絶望が浮かぶ。リーダーとして行うべき指示を出せず、このままでは全滅は避けられない。ルクルットはそれを理解してか母屋側へ視線を向ける。

 

 この家の構造は母屋と複数の工房が連なったものとなっている。[店][母屋]―[通路]という基本構造に加えて通路からは複数の工房、そして裏口のある薬草保管庫へと繋がっている。太陽光に弱い薬物を保護するために窓は少なく、脱出できる場所は限られる。主な出入り口は店側か、通路を渡った先にある薬草保管庫の二つとなるだろう。店側をクレマンティーヌが遮り、母屋と通路を跨ぐ扉にカジットが現れた。

 

「ルクルットさん、後にいる二人の援護に行ってください」

「だが、嬢ちゃん!」

「ニニャさんのこと好きなんでしょ。見てればわかるよ。好きな人のこと……守ってあげて!」

 

 そう強い口調で諭すネムの手は震えていた。アインズに与えてもらった魔物の身体、使い魔としての強さに自信はあるはずだった。それでもこの人間とは戦ってはいけないと本能が拒否しているのだ。

 

「……すまねぇ。こっちは任せたぜネム」

 

 ルクルットは今のネムを子ども扱いなどできるはずはなかった。あれに少しでも食い下がれる可能性がある者は他にいない。それでも震える少女に託すしかない自分が情けなかった。だから……後ろの二人は死んでも守らなければならない。

 ルクルットが背後に駆け出すとネムはクレマンティーヌをじっと見つめる。何がそんなに愉快なのか、楽し気に顔を歪めて嘲う彼女の手にはスティレット。どのように攻撃するかは先ほど見た通りだろう。一見、当たり所が悪くなければそれほど強力な武器には思えない。

 

「うんじゃ、演劇も終わったようだしやりますかねー」

 

 クレマンティーヌが少し身を屈めたかと思うと次の瞬間、見えないほどに速い突きがペテルの額めがけて繰り出される。彼は反応できずに避ける動作すら行うことができない。これだけでクレマンティーヌの中では戦闘は終了していた。戦力外の子供を嬲り殺して、残りは後ろからスッと行ってドスッ。これで終わり。

 しかし、スティレットから伝わる手応えは硬い感触。ネムがとっさに差し出した刀の鞘が、ペテルの額と突きの接触を拒んだ。鞘に思い切り額をぶつけたペテルがよろめくも、何とか横へ飛び態勢を立て直す。

 

「おんやー、鞘くらいだったら簡単にブチ抜けるはずなんだけどなー。良い物もってんじゃねーかぁ! 糞ガキィ!」

 

 余裕を持った態度から一変して憤怒の様相、怒声を上げながら今度はネムの方へと疾風の突きを放つ。動きがまったく追えなかった。先ほどの鞘で攻撃を防いだのは咄嗟の勘による偶然。ネムが戦ったことのある相手でも素早いのは死の騎士(デス・ナイト)の斬撃か、ギガントバジリスクの尾撃だろうか。クレマンティーヌの刺突の速度はそれを遥かに上回っており、完全に人の領域を超えていた。――すなわち英雄の領域。

 

 ネムの眼前に迫るスティレット。極限まで鍛え上げ磨き抜かれた技術を前にネムはナザリックを出てから初めての恐怖を感じた。致命的な一撃に特化したスティレットによる刺突は急所に当たればそれでおしまい。そこに体力や防御力など意味はなく、一瞬で命が奪われる。

 

「い、いやだっ!」

 

<流水加速>

 死にたくない。神経と肉体速度の急激な上昇。すんでのところでネムは身を翻して突きを躱す。必殺の突きが放たれた後の硬直、ペテルもそれを見逃さなかった。

 隙を見せたクレマンティーヌに対しペテルは側面から剣を全力で振るい……絶好のタイミングで捉えた。しかし、ペテルの斬撃は空を斬る。クレマンティーヌはネコ科の動物のように跳ね上がり、店にあるカウンターの上に着地した。

 

「武技まで使うのかこの糞ガキがぁ! あーあ、めんどくさー」

 

 悪態をついたクレマンティーヌは準備運動のように手足を解きほぐすとカウンターから床へ飛び下り、突撃の姿勢を低く……より深く溜める。

 

「そんじゃ、いーきまーすよー」

 

<疾風走破>

 次に動いたときにはその速度がさらに上昇していた。爆風のように突き進むスティレットの突きを今度は躱すこともできない。ネムは衝突の直前に刀の側面で受けるが勢いを殺せず後方へ、生薬を保管する大きな百味箪笥の向こうへと吹き飛ばされる。

 

「ネムさん!」

「隙だらけだっつーの、雑魚が!」

 

 ネムが吹き飛ばされた方向を一瞬振り返ったペテルの横から、先ほどのお返しと言わんばかりにクレマンティーヌの刺突がペテルの側頭部を貫く。頭部からスティレットを生やした彼が最期に願ったのは大切な仲間のこと。一人でも逃げ延びることを祈りながら息絶えた。

 

「はい、一匹おしまーい。もう一匹は生きてますかー?」

 

 後方へ吹き飛ばされたネムはンフィーレアたちの背中が達が見える場所、クレマンティーヌからは百味箪笥が死角となり見えない場所まで転がっていた。衝撃で飛ばされた刀が壁に深く突き刺さり、なかなか引き抜くことができない。無意識にてこの原理を使いながら思い切り動かすと、壁の一部を破壊しながらもなんとか引き抜くことができた。壁に作られた僅かな穴隙から月明りが漏れている。子供や体格の小さな女性なら通り抜けることができるだろう。

 

 それを見たネムに黒い感情が込みあげる。今から壁をさらに大きく壊している時間は無い。目の前の穴に飛び込めば自分だけでも逃げられる……。あの人は強い。逃げないと殺される。

 命を一瞬で奪う即死の一撃を前にネムの勇気は折れかけていた。

 

「ルクルット!」

 

 背後から悲痛な声が聞こえる……。すぐ近くだった。あと少し、あと少しだけ……怖いことから逃げない!

 

 

 ルクルットは圧倒的に不利な状況を知る。敵の狙いは完全にンフィーレアだった。ルクルットが駆け付けたときには既にンフィーレアは敵に捕らえられ、通路の奥へと連れ去られていた。必死に魔法で応戦しようとするニニャに加勢し踏みとどまったが時間の問題だろう。

 扉の前に立つ男は魔法攻撃が主体。倒せずともニニャの支援魔法を受けて無理やり突破することも考えたが、扉の向こう側にはンフィーレアを捕らえたローブの男たちが待機している。

 

<――酸の投げ槍(アシッド・ジャベリン)>

 

 カジットによる攻撃魔法。槍状に形成された強酸の飛沫を四肢を犠牲に受け流し、ニニャを守る壁となってその身に受けるのはこれで何発目になるだろうか。すでにルクルットの左腕は酸により半分ほどが無くなり、溶け落ちた肉のあいだから骨が覗いている。

 ニニャによる魔法のサポートが無かったら一瞬で殺されていただろう。それほどにこの男は強い。だというのに実力をまだ隠し持っているようにも感じる。ぜぇぜぇという荒い息遣いに己の限界を悟る。出血が酷すぎる。意識が朦朧とし、立っていることすらままならない。

 

「こっちに抜け穴がある、早く来て!」

 

 背後から聞こえるネムの声。一瞬だけ見えたのは自分は通れそうにない小さな穴隙。ルクルットは霞んだ意識を辛うじて呼び戻し叫んだ。

 

「ニニャ! 後ろの穴へ飛び込め!」

「でもルクルットは……」

「いいから行け! 絶対に振り返るな!」

 

 ルクルットの必死の叫びにニニャは決意を固めて駆け出す。その姿を見たルクルットは満足そうに微笑んだ。表情筋を少し動かしただけで激痛が走る。顔も弾けた酸を浴びて酷いものだろう。ああ、顔には多少の自信があったのにもったいないなと心の中で自嘲気味に笑う。

 

「クッ、逃すものか!」

 

<負の光線(レイ・オブ・ネガティブエナジー)>

 

「やらせはしねえよ!」

 

 ルクルットは残った投げナイフを投擲しつつ、魔法が炸裂する範囲へと身を乗り出し四肢を広げた。――直撃。負のエネルギーがまともに当たっては防御魔法がかかっていようと、すでに瀕死のルクルットにとって致命傷。それでも彼は倒れない。

 カジットが不愉快そうに「追え!」と怒声を飛ばしているのが聞こえる。ニニャは無事にたどり着けただろうか。パーティーの誰もが女性だと気づいていた。子供にも見抜かれているのにバレないと思っているのだから可愛いものだ。俺、やっぱりあいつのこと気に入っていたんだな。彼女が姉に再会できると信じて……ルクルットの意識は闇の中へと沈んでいった。

 

 

 

 背後へ脱出を呼びかけて、ネムは大太刀を構える。クレマンティーヌとぺテルがいたのは店側の入り口近く。穴があるのはちょうど店と母屋のあいだくらいだ。

 きっと来る。ネムはそう予測して死角からクレマンティーヌが来るであろう方向に向けて大太刀で百味箪笥ごと斬りつける。思い切り振るった大太刀はまるでギロチンの刃の如く突き進む。そこへ抜け穴を知らせる声を聞いたクレマンティーヌが獣のように飛び込んできた。

 

「なっ!」

 

 箪笥を貫通し突然現れた大太刀の刃。このタイミングでの回避は普通の人間には不可能だ。驚愕の表情に染まったクレマンティーヌは必死に体を捻り進行方向を変える。

 

<流水加速>

 クレマンティーヌは武技を用いて大太刀を首の皮一枚のところで回避し、後方へ大きく後退した。大太刀を回避することに全神経を集中させたため、ネムの姿を捉えていなかった。前を見ると反対側から走ってきたニニャが箪笥の陰に潜り込もうとしている。

 抜け穴はそこか。まだ自分の速度なら間に合うだろうとクレマンティーヌは箪笥の陰へと疾走する。

 

<二光連斬>

 ニニャを追うクレマンティーヌへ向け、ペテルの剣を拾ったネムが横から斬りつける。足が止まればニニャは確実に脱出できるだろう。そして相手が二光連斬で怯んだ隙に続けてネムも逃げることができる……はずだった。

 

「――アホか、お前」

 

 最少の動作。ネムの放った二光連斬は空を斬り、剣を持った右腕がスティレットで串刺しにされ壁に叩きつけられる。手首を貫通されたネムは悲鳴を上げて剣を落としてしまう。壁から離れようとするが床に足が届かないので、動く度に腕に激痛が走る。

 

「てめぇみたいなガキが振り回した棒切れに当たるわけねえだろうが。フェイントも入れずに同じ角度の連撃だと? 戦士をなめてんのか?」

「……ひっ、こないで……」

 

 クレマンティーヌは一息ついて壁にぶら下がったネムに目を向ける。どう見ても普通の小娘だが先ほどの戦闘力はなんだったのか。思案するクレマンティーヌの中には一つ思い当たる節があった。

 ――神人。かつてクレマンティーヌが所属していた法国の部隊『漆黒聖典』の秘匿すべき切り札。それはなんとも殺し甲斐があるというものだ。クレマンティーヌは神人への嫉妬や怖れを目の前の子供に重ね合わせ、嗜虐心が高まるのを感じた。

 

 

「んー、そんなに怖がんないでよ。逃げたお友達はもうカジッちゃんの弟子どもに捕まって殺されるころだろうしさー」

 

 別のスティレットを抜き放ち、今度は左腕を串刺しにして虫ピンでも止めるかのようにネムを壁に固定する。両腕の燃えるような痛みに絶叫するネムを見てクレマンティーヌは心底楽しそうに笑う。

 

 拷問はまだ終わらない。どこに隠し持っていたのか、ローブの下から取り出したメイスを幾度もネムの足へと振り下ろす。メイスが叩きつけられるたびに叫び声が上がり、やがてその声も小さく弱々しくなっていった。

 四肢を破壊される恐怖を前にネムは残っていた勇気も消え失せ、クレマンティーヌに何度も命乞いをする。もうやめてください……。許してください……。殺さないでください……。それすらもクレマンティーヌの嗜虐心を煽り、逆に嬲られる結果となる。幾度となく振り下ろされたメイスによってネムの細い足は赤黒く染まり、おかしな方向へと折れ曲がっていた。

 

 もう痛みで身体が麻痺して微かな悲鳴と嗚咽以外何も出てこない。死にたくない……。まだ……アインズ様の役に立てていないのに……。

 

 

「何をしているクレマンティーヌ……。逃げたマジック・キャスターを追った者たちが戻らぬ。早々に引き揚げるぞ」

「んー、もう少し楽しみたかったんだけどー。仕方ないか」

 

 スティレットを引き抜くとネムの身体が力なく床へと落下する。カジットが壁際でボロ雑巾のような状態になっているネムを見て眉を顰めた。

 

「性格破綻者が」

動死体(ゾンビ)操ってるカジッちゃんに言われたくないんですけどー。……で、意外に苦戦したみたいじゃん」

 

 カジットのローブの肩口は赤く染まり、出血の跡が見受けられた。負の光線(レイ・オブ・ネガティブエナジー)を放った際にルクルットの投げナイフが命中していたのだ。

 

「……おぬしが遊んだ所為だ。既に弟子に治癒魔法をかけさせた。地下神殿へ戻るぞ……」

「ごめーん。それじゃ、勿体ないけどガキに止めを刺しますかー」

 

 床にはナメクジが這ったように血の跡が続いている。それはネムがまともに動かぬ腕と折れた足を引き摺りながら必死に店の出口を目指した跡だった。クレマンティーヌはあえてこれを放置していた。虫のように這いつくばり足掻くのを見下すのはなんとも心地が良い。

 

 ネムの背後にクレマンティーヌの足音が迫る。出口は目の前なのにすごく遠い。痛いはずなのにとても眠い……。

 

 ガチャリ……。

 

 ガチャリ……。

 

 

 あのときと何も変わらない。大切な人たちを助けることもできずに、手を伸ばして天に助けを乞うことしかできない。伸ばした先には何もない。既に血濡れの手を握ってくれる人はもういないのだから。

 

 でも……それでも手を伸ばした。

 

 

 轟音が鳴り響き、破壊された店の扉が木片となって店内に散らばっていく。カジットは何事かと振り返り、クレマンティーヌは突然吹き飛んだ扉に唖然としながらもその方向を凝視する。そこに見えるのは漆黒の鎧。全身鎧(フルプレート)に身を包んだ漆黒の戦士が何事も無かったかのように店内へとゆっくり歩み寄る。

 漆黒の戦士が立ち止まったのは全身血塗れで床を這いずるネムの前。ネムの手が戦士の鉄靴(ソールレット)に触れ、小さな血の手形が付着する。意識は消えかけ、目の前にいるのが誰かも分からないのにその名前を呼んだ。

 

「アインズ……さ……ま……」

 

 つかの間、ネムを眺めていた戦士がわなわなと体を震わせながらその手を優しく掴む。その漆黒の鎧が血で赤く染まることを気にする様子もなく、戦士は気絶したネムをその手に抱き……そして呟いた。

 

 

「――皆殺しだ」

 

 

 

 

 









【あとがき】

ここまで読んでいただきありがとうございます。

本編になかった漆黒の剣の戦いぶりを書ければいいなと思っていたのでこうなりました。
グロ表現や拷問シーンは軽めに抑えたのですけど大丈夫だろうか。
彼らから見たクレマンティーヌはそれは恐ろしい存在だと思います。

追記:誤字報告をしていただいた方々に感謝です!


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