angel beats : music of the girls, by the dead, for the monster (カリー屋すぱいしー)
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Chapter.1_1

 

 ――――――♪

 

 アコースティックギターの音色がする。

 探るように何度も、同じメロディーを繰り返している。

 まるで真っ暗闇でゆっくりと確かめながら、手探りで道を進んでいくように。

 

 

 机に突っ伏して寝ていた。

 気怠い身体をなんとか起こす。寝ぼけ眼をこすりながら見渡した。

 そこには、同じ形の机と椅子が等間隔に並べられていた。

 

「ここは、教室……」

 

 よく見慣れた光景、でありながら 座っている椅子や寝ていた机に見覚えはない。

 

 

 俺はいつの間に学校に来たんだ。というか、なんで学校にいるんだ……

 いつからかなんて覚えてはいないが、学校なんて何年も来ていない。

 

 この部屋の正面には中央に大きな机がひとつ。

 そしてその後ろには黒板がかけられていた。

 よくある光景。しかし、その作りも無機質でまるで特徴がない。

 

 いや、それよりどうなったんだ。

 あのあとは、ライブはどうなったんだ、楽器はどこに置いたんだ、あいつらはどこへ行ったんだ。

 なにより俺は殺

 

 ――――――♪

 

「……ギターか」

 

 眠りを覚ました音再び色が聴こえる。

 やさしく、けれど力強く、まるでなにかに訴えかけるような。

 

 立ち上がり、聞こえてくる音を頼りにその方向を定め、教室の扉を開けた。

 開けた先にはよくある長い廊下が続いていたが、またしても自分の記憶にはない風景だった。

 やはり、ここは過去に在籍していた学校ではないようだ。

 そもそも入学して以降まともに通った記憶はないので、全く自信はない。

 

「音は上からか」

 

 ギターの音色はこの階の教室から響いてきているようではない。俺は教室から出た。

 ここがどこなのか大いに気になる。

 しかし、そんな疑問は頭の隅に追いやられ、好奇心で占められていた。

 演奏しているのが誰なのかも気になるが、何よりあの音色をもっと近くで感じたかった。

 

 #

 

 上に向かう階段は簡単に見つかった。校舎の造りなんてものはどこも似通ったものらしく、不登校児であった頃のわずかな経験でも見つけることができた。

 俺はすぐに階段を駆け上がった。

 

「ハァ、ハァ」

 

 バカみたいにはしゃいで一段飛ばしで駆け上がったものの、すぐに肺から鉄のような味が広がる。

 肺活量には自信があったが、どうやらそうでもないらしい。

 普通の男子学生ならまだしも運動以前に全力で走ること自体久しぶりなのもあるが。

 

 音のする階を求めて駆け上がり続けると、屋上の扉の前まで来た。

 音色はこの向こうから聴こえてくる。この先に、あのギターの奏者がいる。

 はやる気持ちを抑え、息を整えてからゆっくりと扉を押し開いた。

 

 屋上は風が吹いていた。着ていた学ランが緩くはためく程度の強さで、ギターの刻む音を運んでいた。

 音のする方へ目を向けると、夕日と向かい合いながらギターを弾く少女がそこにいた。

 白いセーラー服のような服を着たアコースティックギターをかき鳴らす少女は、セミロングの赤い髪を風で揺らしながら、歌っていた。

 こちらには背を向けているので、何を歌っているのかはよく聞こえない。

 顔を拝むことができないが、美少女であることを祈ろう。なぜならそのほうが夢が広がる。

 というか少女でいいのだろうか?、一応格好と体格から判断したけど、女装をした男という可能性もなきにしもあらず。前に注目度を上げるためにメイド服きてすね毛剃って演奏してたバンドマンがいたし。

 

「……あほらしい」

 

 そんな可能性を考慮する自分が悲しい。

 少女はこちらの様子には気づいていないようで、依然として弾き語りを続けている。ならば好都合、その音色を存分に聞かせてもらおうじゃないか。俺は扉に背を預け座り込み、そっと目を伏せた。

 訴えかけてくる。ギターの音色は初めて聴いた時と変わらない印象だ。ただ、近づいたことで新しく感じるものもあった。探るように力強く、そしてその強さは何かを訴えかけるように胸の奥底を叩き鼓動を起こす。

 だけれど、なんとなく、その鼓動はとても寂しく思えた。

 

 ――――――♪

 

#

 

『まだfもまともに押さえられねーのかよ』

 ―――うるさいなぁ。押さえられるって

『ちょっと貸してみろって』

 ―――いいよ、できるにはできるんだよ

『ほう、じゃあやってみろ』

 ―――ええと、こうしてこうして……あ

『できてねーじゃん。いいから貸してみろ』

 ―――チッ

『何舌打ちしてんだよ。よくみてろ』

 ―――みてできてねーから苦労してんだよ

『ちなみにこういう押さえ方もある』

 ―――おい親指使っていいのかよ

『いいんだよ弾けりゃあ。でもちゃんと押さえられるようにもなれ』

 ―――へーい

『まったく。がんばれよ』

 ―――じゃあさ、この曲できるようになったらあれ教えてくれよ

『あれ?』

 ―――ループ

『なんだお前DJにも興味あんのか』

 ―――このまえクラブハウスでEDMやっててさ、結構面白かったんだよ。そっち本職だろ?

『本職じゃねえよ。まあ、もろもろ合わせてエレクトロを教えてやるよ』

 ―――まじかやった!

『ただし!課題をちゃんとこなすこと、ちゃんとギターも続けること』

 ―――わかってるよ

『ま、いつか俺を震えさせるくらい上手くなってみろよ』

 ―――みてろよクソ兄貴!

『ハハハハハ』

 

 #

 

 ――――――――――――♪

 

「んぁ」

 

 涎がたれそうになっていた、口元を拭う。いつの間に寝ていたようだ。

 夕日はもう落ちかけており、あたりは屋上に来た時ほど明るくはなかった。風は相変わらず吹いているが、不思議と寒くはない。

 そういえばギターの音がしない、もしかして少女は帰ってしまったか。

 慌てて少女がいた方向に顔を向けると、眼前に当の本人がいた

 

「うぉああ!!いでっ!」

 

 突然の光景にびっくりして後ずさろうとするが、扉に背を預けていたのを忘れていて頭をおもいっきり打ちつけた。痛い。

 

「大丈夫か?」

 

 ぶつけた後頭部をかかえていると少女が優しく問いかけてきた。小声で大丈夫と言いながら、視線を改めて彼女へ向ける。

 予想、というより期待していた通り少女は整った顔立ちをしていた。可愛いと言うより綺麗だ。その瞳はまっすぐとして凛々しい。きっと微笑んだらもっと綺麗なんだろうな。

 少女は訝しげに俺のことをじっと見つめていた。いかんジロジロ見すぎたか。すぐに少女から目線を外す。しかし少女はまだこちらを見続けた。

 なんだこれ恥ずかしいぞ、気でもあんのか俺に。そんな馬鹿な話があるわけもないので、素直に彼女でへ問いかけた。

 

「あの、なんでしょう?」

「いや、ここで出たいんだけど」

「ああ、すみません」

 

 俺が扉の前で寝ていたから、下に降りたくても降りられないだけだったようだ。慌てて立ち上がり、彼女が通れるように扉前からどいた。

 少女も立ち上がり、おいていたギターケースを担ぐ。

 

「変なNPCもいるんだね」

 

 NPC、なんだそれは。ノンプレイヤーか、それともノンプレイアブル。

 ああ、たしかアパートの近くにそんな会社の営業所があったっけな。

 どうでもいい思考へ至っているうちに、気づくと少女は出るために扉へ手をかけていた。

 

「あ、ちょっと!」

「なに?」

 

 手をノブにかけたまま少女がこちらへ向いた。その瞳がまっすぐとこちらを射ぬく。ほんと綺麗だな、じゃない。

 

「ギター、よかったよ」

「そう。ありがとう」

 

 クールで淡泊な返事だ。

 まあミュージシャンにその手の人は結構多いし、相手するのに慣れてるからいいけれど、だけど俺はそこで会話を切り辞めたくはなかった。

 なんとなく、いや違う。どうしようもなくこの少女ともっと会話をしたかった。

 だから俺は興味をもたれるように、感じたちことを口走る。

 

「なんつーか、心に打ち付けてくるものがあった」

「作りかけのものだから、だからろくにつながってもいなかったと思うけど」

 

 バッサリと切られる。作曲中だったのか。

 でも、適当なことをいってると思われたくなかったから俺は言葉を続けた。

 

「いやでもさ、とぎれとぎれのメロディーからでも伝わってくるものはあったよ?」

「へぇ?どんな?」

 

 

 

 お、少し食いついてきた。

 この手のタイプは音楽に自覚あるなし関係なくこだわりを持ってることが多いから、こういう話をすれば多少は釣れると思った。

 だが、ここで適当なことを言えば全てが台無しにもなる。

 俺は必死に選ぶべき言葉を考えながら、彼女の問いに答えた。

 

「あれ、バラードだよね?たぶん。だからなのかな、訴えてはいるんだけど、まるで寄り添っているみたいな感じで……」

 

 少女はこちらの言葉に、特に反応は示さない。ただこちらをじっと見つめている

 続けてもいいかの判断はつかないが、逆に自分の中の情動に抑えが効かなくなっていた。

 

「ロックだったら、たぶん、投げかけているというか、いや訴えている訳ではあるんだけど、さっきの違うっつーかなんつーか、問いかけてる?」

「それで?」

 

 反応はまたしても質問。

 ここだ。ここでコケたら終わってしまう。

 慎重に、自分の中で湧き上がった感情を言葉で表現した。

 

 

 

「イメージになってしまうけど、暗闇の道を歩いていて、なんにも見えなくて、先だけじゃなくて足元ですら確かじゃなくて、それでも、不安にならず必死に胸の奥を打ちつけて、力強い鼓動になって、進む勇気と安心を与えているっていうのかな」

「ふーん、詩的なんだね」

 

 少女からはようやく問いかけ以外の言葉が出てきたものの、俺の答えが良いのか悪いのかもわからない反応だった。

 もしかして、クールというより感情の起伏がうすいのか?

 

「あーでも、その鼓動がなんか寂しい感じはしたよ。一見不安にならないようにしてんだけどさ、なんつーか虚勢というか、歩いていたら結局人は一人なんだよって気づいてしまうような、寂しい印象があった」

 

 言うつもりはなかったが、クールな少女がどのような反応を見せるか、つい言ってしまった。  怒られるかもしれない。まあそれはそれで少女の感情が見られるかもしれないし、それはそれで相入れないということを知ることもできる。

 しかし、少女は憤慨してはいなかった。まるで不意をつかれたかの‎ような、呆気無い顔をしていた。

 確かにその表情はこれはこれで面白いが、予想したものとはだいぶ異なった。

 

「……オモシロい奴だね。本当に変なNPCだ」

 

 どうやら俺の言葉は悪くはない印象になったようだ。

 

「ところでさ、質問がいくつかあるんだけどいい?」

 

 ここにきてようやく当初に悩んでいた疑問やらなんやらを思い出した。

 彼女との会話も楽しみたいが、せっかく人に会えたのだから聞いておきたい。

 

「いいよ。答えられる範囲なら」

「ありがとう。ちょっとまってて」

 

 片手で額をつかむよう両側のこめめかみを指で抑える

 こうして考えてみると、質問はいくつでも出てくる。そこからなるべく個人的なことは外して、答えられそうなものをピックアップしてみる。

 

「まず一つめ、NPCってなに?」

 

 いきなり常識を問われるようことをいうと変人扱いされかねない。

 だから、少女が先程から口にしていた単語。言葉として存在はするが、世間一般で広く使われている訳ではない。俺のことを言っているようだったが心あたりはない

 

「一般生徒のことだよ。なんだったけな、たしかゆりはノン?なんちゃらとか言っていたな」

 

 少女はギターケースを担ぎ直しながら思い出すように答えた。

 やはりなにかしらの略語であり、nonから始まるようだ。

 だが、不確かな情報のためわからないことも増える。

 一般生徒とは、一般でない人間も居るのか……俺は一般なのか……

 じゃあ彼女はなんだ。

 

「なんで俺がそのNPCなんだ?」

「知らないよ。ゆりたちがそう呼んでたんだ」

 

 呼んでた?呼称をつけたやつがいるのか。そのゆりってやつか。

 覚えのない名前だ。打倒すれば、固有名詞としての渾名ではなく分類の総称か。

 何を持ってして俺は一般なのか。

 また、今の会話に誰かの名前が出てきた。おかげでこの少女以外にもここには人がいることがわかった。機会があればあとでそいつに聞いてみよう。

 

「じゃあ二つめの質問」

「うん」

「ここはどこなんだ?」

 

 一番の疑問である、常識的な内容をここで問うた。

 

「俺の在籍していた高校でもないし、なんかいつの間にか知らない学ランを着てるし、ここはどこなんだ?」

 

 目が覚めたら知らない場所で、身に覚えのない服を着させられている。なんらかの犯罪に巻き込まれている可能性がある。

 『どうして俺がここにいるのか』でも良かったのだが、それをこの少女が知っているとは思えないし、知っていたとしても上記の内容から彼女が”犯罪者側”だった場合に教えてくれるともわからない。

 だったらまずマクロに質問して、回答を得られたら再びミクロに質問をしてみよう

 

 だけど少女が口にしたのはは予想もしない答だった。

 いや、本当はわかっていたのかも知れない。

 

「どこって、学校だろ……ああ、世界のほうか。じゃあNPCじゃないんだな」

 

 意識しなかっただけ、無意識に拒んでいただけで。

 

「ここはね」

 

 なぜなら俺には覚えがあるのだから。

 焼けるような痛みと、鈍く光るあのナイフで、

 

「死後の世界だよ」

 

 刺されて、殺された記憶が。

 



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Chapter.1_2

「いやあ、なんだよ死後の世界って」

 

 少女が口にした答えはびっくりするようなものだった。

 

 「死んだ、あとの、世界」

 「いや言葉の意味じゃねえよ」

 

 問題はそこじゃないだろ

 

 「……自覚、ないの?」

 「あるわけねーだろ!あったら死んでんじゃん!でも俺生きてんじゃん!」

 

 だって体は動いている

 声も出せる

 光も視える

 音も聴こえる

 

 これのどこが死んでるんだ。

 だいたい、死んだら天国やら地獄やらに連れていかれるものじゃないのか。

 もしくは、黄泉の国とか高天原とか嘆きの川とか煉獄とかヴァルハラとか。

 こんな普通の学校のような建物が、審判の議場であるわけがない。

 

 「タチの悪いギャグかよ」

 

 その言葉に、少女は眉間にしわを寄せて目線を下げた。

 今度こそ本当に怒らせてしまっただろうか。

 しかし、すぐに少女は顔を上げて言った。

 

 「じゃあ、心当たりはないの?」

 

 その言葉にゾクッと悪寒がした

 

 「こ、心当たり?」

 「死ぬような」

 

 急速に喉が干上がる

 嫌な汗が出てきた

 どういうことだ

 

 そうだ、心当たりは

 なくはない

 

 なぜなら俺は

 

 殺された 記憶 が

 

 あるから

 

 …… 

 

 「いや、でも」

 

 得体の知れない光景を思い出したせいだろうか、

 動悸がはやくなり、めまいがしてきた。

 

 俺はたぶんあの時死んだ。

 鈍く光る鋭利な何かで、頸動脈をスパッと切られた。

 血がドクドク出て、視界がだんだんと真っ暗になっていって、ブラックアウトした。

 そして、目覚めたらここにいた。

 

 その記憶がたしかなら、死んだのかもしれない。

 だって、普通に考えても致命傷だ。

 どうにかしてあそこから治療を受け助かったとして、

 ここが病院には見えない。

 

 じゃあここは彼女が言うように死後の世界なのか?

 俺はあそこで死んだのか?

 

 「……いやいや、やっぱりおかしいだろ」

 

 死んだ後の世界だって?

 そんなふざけた話をおいそれと認めるわけにはいかない。

 だって今の状況が全く説明つかない。

 

 「俺生きてんじゃん」

 

 死んだと思えるような記憶があっても、体は動いている。

 首筋を触ってみるが当然切られた跡はない。

 確かに、今生きている。

 

 「死んでるよ」

 「信じらんねーよ」

 

 どう考えても記憶自体がおかしいとしか思えない

 

 「だって心当たりはあるんだろ?死んだ時の」

 「あるにはあるけどそれも信じられない。そもそも今こうして意識がある。体は動いている」

 「でも死んでいるのは事実だよ」

 「じゃあ、証明してみろよ」

 

 少女に俺は難しい問題を投げかけた。

 死んでいることの証明なんて、生きていることの証明以上に無理だ。

 まず生物学的にみて俺は今生きている。

 今体を動かすことができる以上生きている証明となってしまうがゆえに、死んでいる証明にはならない

 だからまず普通に証明は不可能。

 

 もし答えるとするのならば、回答は哲学めいたなにかだろか。

 屁理屈やはったりともいうかもしれない。

 相当意地の悪いことを突きつけた。

 

 だけど、同時に場違いながらも期待してしまう自分がいた。

 あんな音色を奏でる少女が、この問になんと答えるか。

 

 「ふん……こまったね」

 

 少女がどう捉えたのかわからないが、本当に困った様子で手を組んだ。

 なにやら小声でつぶやきながら考え始めたようだ。

 

 「ここには刃物も銃もないしな。鈍器はあるけど使いたくないし……そういえば日向のときはたしかゆりが……」

 

 ……何やら物騒なことを考えているようで少し怖くなる。

 ブツブツと少女は考え続ける。回答まちで手持ち無沙汰になった俺はそこからから離れる。

 

 少女に背を向け、屋上の柵の前まで歩いた。

 夕日はちょうど沈む直前のようで、残り僅かな光が付近の雲を照らし、幻想的な色合いになっている

 屋上から見渡すと下には校庭があったが、人影はない。

 建物といえば校舎のような建物や、よくわからないが分館のようにいくつかある。

 

 ここは本当に学校なのだろうか。

 先ほど少女は彼女以外に他の誰かがいるようなことを言っていたが、今ここでは俺と彼女しか居ない。

 本当に他に人なんかがいるのだろうか。

 

 ……まあ綺麗な女性と二人っきりというのは大変喜ばしい状況ではある。

 だが残念ながら、頭が逝っている可能性があるためたぶん親密にはなれないけれど。

 

 「ふう」

 

 一息ついてみる。そして徐々に疑問が湧き上がる。

 死んだってなんだよ、死後の世界にしてはなんで学校なんだ?わけがわからない。

 テレビ局の新手のドッキリ?こんな一般人にドッキリかましてどうするんだよ。

 どこかにカメラでも仕掛けているのかと。校内でこちらが見渡せそうなところを探しているとき、ふと敷地の外へ目を向けてみた

 しかし、よく見えない。

 まるで靄がかかっているかのように、門の外の風景はしっかりと把握できなかった。

 門は見えるのだが、そこに至るまでの距離が目測できない。

 見えているのにそこまでの距離に対して全く自信が持てない、まるで門自体が蜃気楼であるかのように。

 

 「……奇妙なところだな」

 

 変で収まらない気もするが。

 

 「うん。そうだな、やっぱりゆりから聞いた日向の方法で行こう」  

 

 どうやら少女の方も結論が出たようだ。

 俺は少女の方へと振り返った。

 

 「さて聞こうかな。一体どうやったら君は俺が死んでいることを証明でき―――

 

 ドンッ

 

 ―――え?」

 

 振り向いた瞬間、少女は俺を柵の外へ突き飛ばしていた。

 いや、ちょっと、向こう側って、

 

 「まあわかるよ、もう一回死ねば」

 

 少女の表情は相変わらずクールなままだった。

 

 

 

 

 落ちる!

 

 やばい!

 

 死ぬ!

 

 頭が混乱してきた

 

 走馬灯が見える

 

 ご丁寧にBGMまでつけて

 

 曲は今まで散々混ぜるのに使ってきたteddy loidのfly awayだった

 

 「いやこれ、

  fly awayってより、

  どっちかというと、

  pass awayだろぉぉぉおおおおおおおおおおおあああああああ

 

 

 ゴキャっと固い何かと何かが押しつぶされる生々しい音とともに、意識が飛んだ。

 

 

 

 



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Chapter.1_3

 ――――――どっこいせ

 

 ――――――ゆりっぺ、ここでいいか?

 

 ――――――ええ。ありがとう

 

 ――――――ほんとにこいつNPCじゃないのか?

 

 ――――――岩沢さんが言うにはね

 

 ――――――どうにも胡散臭いぜ

 

 ――――――でも岩沢さんが言うくらいなんだから信じてあげようよ

 

 ――――――じゃあ、あなたたちはここまででいいわ。戻っていいわよ

 

 ――――――ゆりっペは戻らないのか?

 

 ――――――起きたら説明しないといけないしね

 

 ――――――おいおいふたりっきりで大丈夫なのかよ

 

 ――――――やはり俺も残ったほうが

 

 ――――――あんたたちいるとややこしくなりかねないでしょ。はい、散った散った

 

 ――――――なんかあったら呼べよー

 

 ガラガラ……

 

「さて、そろそろ起きる頃かしら」

 

 

 

 ……………………

 ………………

 …………

 ……

 

「ぁあああああああああああのアマぁ!!!殺す気かああああアアア!!!!」

 

 ふざけんな!!可愛けりゃなんでも許されると思うなよ!

 今すぐぶっ飛ばしてやる!!

 同じように屋上から突き落としてやる!!

 全裸でな!!

 

「どこだ!どこにいやがる!てかここはどこだ!?」

 

 とび起きると、また別の場所にいた。

 今度はベッドの上だが、ベッドと言っても就寝用というより治療用みたいだ。

 おいおい今度こそ病院かなにかか?

 しかし、服装は屋上いにいた時と同じ学ランのままだった。

 そして、ベッドの周りは白いカーテンで囲われていた。

 

 突然、シャっと目の前のカーテンが引かれた。

 

「おはよう。眼が覚めたみたいね」

 

 カーテンが開かれると一人の少女が立っていた。

 さっき屋上で俺を突き落としたのとはまた別人だ。

 

「ようこそ、死後の世界へ」

「流行ってんのそれ」

 

 何回聞けばいいんだ死後の世界。

 死んだような体験をしたら別の場所に移動していてそれぞれ違う少女と出会う。

 質の悪いシュミレーションゲームかループもののSFか何かに入り込んだみたいね。

 

「本当に信じてないのね。岩沢さんの言った通りだわ」

 

 少女は呆れた声を出した。

 

「じゃああんたも、俺が死んでることを証明してみしてくれよ」

 

 先程の少女と同じように問いかけてみる。

 今回もまた美少女だが先程よりも警戒心が強まっているのか、遊びというより八つ当たり気味に聞いた。

 

「それは岩沢さんが証明したじゃない」

「岩沢?」

「あなたを突き落とした子よ」

 

 あのアマ岩沢っていうのか

 名前は覚えた。今度あったらただじゃおかねーぞ。

 

「なんか恨んでるみたいだけどやめときなさい。彼女はあなたに言われたことをしてみせた、それだけなんだから」

「言われたこと?」

「死んでいる証明」

「ハッ!死んでいる証明ってあれのど……こが……」

 

 おい、ちょっとまて。

 自分の頭部を触って確かめる。

 

「やっと気づいたみたいね」

「なんで俺生きてんの?」

「そんなもの、死んでるからに決まってるじゃない」

 

 少女は至極当たり前のように正反対のことを告げた。

 

 

 ●

 

 

「わかった。死んでいることは認めよう。わるかった」

 

 俺はゆりと名乗った少女の前で頭を下げた。

 さすがにこうなってしまっては認めなければならない。

 屋上から落ちた記憶は事実のようで、ドッキリでマットかなんか敷いていて助かった、

 ともは考えられない、地面に落ちた感覚は妙にリアルに残っている。

 何より、あの体勢で落ちたら頭からぶつかるはずだ、仮にマットがあってもあの高さから落ちれば頭部も首もタダじゃ済まないだろう。

 しかし、その傷や痛みは全くない。

 彼女らが言うには、死んでいるから再び死ぬことはないというやつらしいが。

 死ぬことによって不死を得るとは、皮肉な話だな。

 

 やはり俺は死んでいるのか。

 

「私に謝られても困るわ」

「わかってる。岩沢って人にもあとでちゃんと謝罪をする」

「そう、ならいいわ」

 

 ゆりはさして気にせず近くにあった椅子を引き寄せて座った。

 

「とりあえず、改めて名乗らしてもらうわ。私はゆり。SSS、死んだ世界戦線のリーダーよ」

「死んだ世界戦線?」

 

 なんだその微妙なネーミング

 

「あとで詳しく話すけど、私たちのグループのことよ。君にも入隊してもらうからね」

 

 決定事項かよ。ずいぶん強引な少女だ

 

「なんで俺が」

「入らないと、あなた消えるわよ」

「消える!?」

 

 唐突すぎる忠告。

 死んだとか消えるとか、どうなっているんだ世界は。

 

「簡単にいえば、なにもしなければ消されるってこと」

「消されるってだれにだよ。坊さんか?」

 

 念仏唱えられまして無事成仏的な。

 

「あながち間違ってないわね。でも違うわ。神様よ」

「神ってまた。そんなんいるのかよこの世界に」

「さあね。いるんじゃない」

「さあねって……」

 

 何を根拠に言っているんだこの子は。

 

「でもあたしはいると信じているわ。そして神を殺す必ず」

 

 ……なんかやばい女の子達に引っかかってないか俺。

 死んでることを証明するためとはいえ躊躇なく突き落とすわ、神コロス発言するわ。

 出会う女運なさすぎだろ……遺伝かねこれ。

 

「信じようが信じまいがあなたの勝手よ。だけど知っておきなさい、この世界で何もせずただ普通に学校生活を送るものなら、あなたは消えるわよ」

 

 実際何人かみてきたし、と彼女はつぶやきうつむいてしまった。

 その姿に、何も悪くはないがなんとも言えない罪悪感につつまれた。

 

 でも、まあ、消えるか……

 

「嫌だな……消えるのは」

「そう、じゃあ入隊してくれる?」

 

 ゆりはケロッと打って変わって機嫌を良くした。

 さっきの態度はどうやら演技だったようで、俺はため息をつき、諦め加減に答えた。

 

「入ってやるよ。ただし、この世界のことやその他もろもろを詳しく教えろ」 

 

 

 ● 

 

  

 俺はゆりにこの世界について様々なことを教わった

 死後のこと

 学校のこと

 戦線のこと

 

 そして

 

「天使?」

「そう、彼女はこの学校の秩序を守る生徒会長にして、断罪を行う神の使者よ」

 

 断罪とか神の使者とか、そこはかとなく中学二年生が好みそうな。

 しかし彼女ということは天使は女性で、しかもこの学校の生徒なんだな

 

「なんで天使なんだよ。翼でも生えてるからなのか」

 

 そうだったらもはやギャグだな。天使ちゃん(笑)だよ

 

「翼はないわ。服装もNPCと同じよ。理由は、私たちの邪魔をしてくるからよ」

「邪魔?」

 

 ゆりは姿勢をただし、手振りを加えながらいい?と説明を始めた

 

「私たち戦線の目的はこの世界の神を殺す。すなわちこの世界を手に入れることよ」

「おう」

「でも肝心の神は未だに姿を確認できないわ」

「やっかいだな」

「そこで私たちは作戦(オペレーション)をすることで神をおびき出そうとするの」

「operation?」

「そう。たとえば、私たちはこの世界で普通に学校生活を送ると消滅するわ。そしてそれになんら不都合がないようにこの世界はつくられている」

「ほう」

「あなたはこの世界に来てすぐ岩沢さんに会ったからわからないでしょうけど、名簿だったり寮の部屋だったり、違和感なく過ごせるようにすでに根回しされているのよ」

 

 寮制なのかこの学校。どうでもいいが。

 

「ということは、死後だとか違和感に気づかなかったら、普通に学校生活送って消滅するってことか」

「そう。あたかもそれが正しい流れのようにね」

 

 俺も彼女に会ってなければ、死後ということに気づかず消滅してたのか。 

 彼女に出会えたことは幸運だったということだろうか。

 

「だから私たちはその流れに逆らうようにしてこの世界に居続けているのよ」

「たとえば?」

「授業は普通にボイコットしたり、校長室占拠したり」

「地味だなおい」

 

 やってること田舎のヤンキーと変わらないぞ。

 

「だからオペレーションをするのよ」

 

 ゆりは足を組み替えながら、人差し指をくるくるしはじめた。

 

「今言ったのは、日々消えないための事。オペレーションは神をおびき出すための行為よ」

「なにが違うんだよ」

「まず規模が違うわ」

「規模?」

「さっきのは個人的な問題で済ませられるけど、オペレーションに関しては全校生徒を相手にしたりすることが多いわ」

「具体的には?」

「それは入ってからのお楽しみよ」

 

 ゆりは小悪魔をおもわせる笑顔でウインクをしてきた。

 どんな恐ろしいことが待ってるんだよ。

 げんなりしている俺をよそにゆりは説明を続けた。

 

「簡単に言えば、正しい流れを無視したより大きいイレギュラーを発生させることによって、慌てた神をおびき出したり見つけ出そうということなの」

「不良やヤンキーとやっぱ変わんない気がするけど、一応納得」

 

 方向性は違うが天岩戸然り、神をおびき出すのはいつでもどんちゃん騒ぎってことか。

 

「そしてそのオペレーションを妨害してくるのが天使ってわけ」

「あー、神の意志に背く行為をしている輩に断罪を行うから、神の使者で天使ってこと?」

「そういうことね」

 

 ふーん。ソドムとゴモラ焼いたウリエルみたいなもんかな

 

「実際どんな妨害をしてくるんだ?」

 

 オペレーションがどんなものかわからないから予想はしづらい。

 でも、全校を相手にする大規模な不良的活動に対する妨害だから、そんな生やさしいものでは無いだろう。

 

「まずは口頭注意ね」

「軽!」

「あくまで彼女の言い分は、『学校の規則を破っている』よ。だからはじめは普通なのね」

「ああ、生徒会長なんだっけ」

 

 今まで神やら天使って会話だったのに、急にスケールの大きさが変わったぞ

 

「それで聞かなかったら実力行使ね」

「まあ順当に考えてそうだろうな」

「殺しにかかってくるわ」

「ヒェ」

 

 重い……

 なんで口頭注意から殺害なんだよ、振れ幅ありすぎだろ

 

「この世界では俺ら死なないんだろ?だったら殺しても意味はない気がするんだが」

「あくまで彼女にとっては規則違反行為の妨害よ。死ねばそこでその時の活動は停止するから、一応妨害にはなるからじゃないかしら」

 

 oh……まじか

 発想がぶっとんでんな天使ちゃん。

 さっさと容姿を確認してエンカウントしないように努めたい。

 俺がなんともいえない顔をしていたのか、察したゆりは苦笑混じりにフォローをした。

 

「普段の学校生活では大丈夫よ。普通に注意される程度だし、それを無視しなければなんともならないわ」

「それはよかった」

 

 できればオペレーションでもそうであってほしい。

 

「でもね、天使の言いなりになってたら消滅してしまうわ。オペレーションはそんなもの無視して実行し続けなければんならないわよ。覚悟しときなさい」

 

 覚悟ねえ。

 いくら死なない世界でも、痛みは感じるのだから質が悪い。

 痛いのはあまりすきじゃないんだが。

 

「それに、天使を消すことでこの世界を手に入れられるとも考えているわ」

「消すことで?」

「ええ。もしこの世界に神なんてものが仮に居ないとしても、消滅してしまう行為を強要してくる天使という存在はいるわ。だったら彼女を排除すれば消滅を強要されることもなくなるしね」

「ふーん。でもこの世界じゃ死なないんだろ?」

「そうよ。だから厄介なの」

「どっかに閉じ込めたら」

「そうも行かないわ。天使の力は強大なのよ。私たちが何人で攻撃しても殺害できないことが多いわ」

 

 数人相手に殺傷されそうでも死なないなんて、どういう規格だよ天使ちゃん。

 しかもそれより強大なんだろ。普通の女の子じゃないよな。

 それに殺害ってどんな方法でやってんだよ。

 みんなで一気に包丁投げるとかそんな生易しそうではないよな。

 ……なんか色々と早まったかな俺。

 

「まあ、あなたにはあまり関係ないのかもね」 

「え、なんで?」

「それはまた後で話すわ。他に質問は?」

 

 はぐらかされてしまった

 

「そうだな。……そういえばちょくちょく出てくるNPCってなんだ?」

 

 さっきの天使の下りや岩沢との会話で出てきて疑問に思っていた

 

「ああそれね。ノンプレイヤーキャラクターよ」

「RPGの村人みたいな?」

「そうそう。私たち戦線メンバーと違い、この世界、この学校のために用意された人材よ。教師もNPCね」

「ようこそ、しか言えないわけじゃないよな」

「そこまでゲームチックじゃないわよ。あくまでこの世界に違和感を感じず、普通に生活しても消えない存在よ。普通に会話だってできるわ。ただ、そこまで干渉的ではないわね天使以外は」

 

 だから岩沢は俺に対して変と言ったのか。

 

「戦線にとっては有害ではないんだな」

「何をもって害なのかは判断ができないけれど、そうね一応」

 

 屋上から見たこの学校の規模から言って、かなりの数の生徒がいるのだろう。

 ゆりの口ぶりから、戦線の人数はそう多くないだろう。ということは、NPCの数はかなり存在するはずだ。

 

「付き合い方によっては利用しやすいわけだな。逆に間違った扇動の仕方をするとこっちが被害を受けるか」

 

 俺が言うと、ゆりは目を開き少し驚いた顔をした。

 

「……確かに岩沢さんのいう通りね。あなた少し変よ」

「なにが」

 

 なんかおかしなことを言ってしまったか?

 

「この世界に来て、こんな短時間でNPCを駒のように考えられるなんて。普通じゃちょっとありえないわ」

「単純にNPCを見てないからだろ。わからないからゲームのように考えることしかできないんだ」

 

 俺がこの世界に来て会ったのは二人だけだぞ。

 そして二人しか会ってないのに普通じゃない言い分を信じる俺もどうかしてるけど。

 確かにそういう意味では変だな。

 

「ともあれ、俺らは学校っつー箱庭に閉じ込められて、その箱庭の創造主たる神の殺害を目論むわけですね」

 

 ほんとゲームか何かしらの実験みたいな話だな。

 

「納得できた?じゃあ行くわよ」

「行くってどこに?」

「戦線の本部に。ここにいつまでもいるわけにはいかないし」

 

 それに、とゆりは俺の胸元を指しながら言った。

 

「いつまでもその気持ち悪い服を着てるわけにも行かないでしょう?」

 

 言われて俺は学ランを見なおした。首から胸元にはびっしりと赤いものが付着している。

 落ちた時の血かこれ、グロいな。

 

「たしかに、気持ち悪い」

 



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Chapter.1_4

 

「ところでそのなんちゃら戦線の本部ってのは、どこにあるんだ?」

 

 俺はゆりの先導で戦線の本部とやらへと向かっていた。

 保健室の外はもう真っ暗となっていた。

 俺が屋上から落ちてそれなりの時間が経過したのが伺える。

 

「死んだ世界戦線。本部は校長室よ」

「ああ、占拠したってやつか」

 保健室での話を思い出す。

 先程の部屋はやはり保健室だったようで、そこに俺を運んだのは戦線のメンバーらしい。

 そのメンバーたちとも本部に行けば会えるようなのでお礼をするようにと言われた。

 いや、死体を移動させたことに対してなにを感謝しろと。お手数おかけしました?

 

「あの部屋は普段NPCたちが授業をする学習棟とは別にあるから、私たちが集まっていても大勢の目に触れなくて都合がいいのよ。それに学園の敷地内で把握できる範囲の中心近くにあるから、移動にも便利ね」

「へえ」

 

 でかいとは思っていたが、校長室が教室とは別の棟にあるとは。

 普通は職員室やらの近くにありそうなものだが、相当なマンモス校なのかここ。

 

「ちなみに橋の向こうに見える手前のあの建物が私たちの本部よ。そして、その向こうに見える並んだ3つの棟が学習棟ね」

 

 ゆりが指さす方向を見ると、手前に小さな洋館のような建物とその奥に長方形をした同じ形の建物が3つほどあった。

 屋上から見た風景から考えると、俺が目を覚ましてギターの少女に落とされたのは学習棟のようだ。

 ゆりは本部は小さいといったが、後ろの建物が大きすぎるだけで近づいたら十分に大きかった。

 本部の洋館を眺めながら橋を渡ると、突然けたたましい音を立てて洋館の3階から何かが飛び出してきた。

 

 ガッシャ――――ン

 

「うぁあああああああああああああああああああああああああああああ」

 

 飛んできた何かはきれいな放物線を描きながらちょうど俺達の前に落下した。

 

 ゴシャッ

 

 ……いきなり人と思わしき物体が目の前に現れたんだが。

 直視すると吐き気が込み上げてきたので慌てて目をそらす。

 

「あら、野田くんまた合言葉間違えたの?こないだ変えたって連絡したでしょ。……あれ?したっけ?」

「おい、なんだこれは」

「ああ、戦線のメンバーの一人野田くんよ。見ての通り、ただのバカよ」

 

 いや、見ての通りって、俺にはただの肉塊にしか見えないんだが。

 どうやら吹き飛んできたものは人間だったらしい。よく見るとブレザーのような制服を着ている

 

 顔はぐちゃぐちゃだし肢体はすべて変な方向に曲がってる。それも折れ目が1つや2つじゃない。

 

「その……この人間、だったものはどうしてこう……肉塊になったんだ」

 

 明らかにただ落下しただけでは出来上がらないぞこの現代アート。

 

「本部の入り口には対天使用のトラップがあるのよ」

 

 ゆりは肉塊が吹き飛んできた方向を指さすと、割れた窓からブラブラと揺れるギロチンらしきものが確認できた。

 なにあのギロチン、デカすぎだろ。

 

「合言葉を唱えて扉を開けないとあれが作動するわ。合言葉は定期的に変えているから気をつけてね」

「へ、へえ……」

 

 窓から覗けるギロチンは現実感を失わせるが、目の前にその被害にあった実物がある。自分はこうはなりたくないと本気で思った。

 

「やっぱりトラップ戻したほうがいいかしら。反対側の窓に飛ばしたほうが誤作動しても被害少なそうだし、ギロチンは防がれかねないわね。あなたはどう思う?」

「しらねえよ」

 

 肉塊の死体を前にしてその原因の改善案なんて話出来るかよ。

 

「わたしはやっぱりハンマーがいいと思うわ。刃だと防ぎかねないけど、面で押せば致命傷は与えられなくてもそこから飛ばすことは可能よね」

「結局飛んでいくのですね」

 

 頑張って肉塊をのぞき込むと、外傷にはあまり深い切り傷が見当たらなかった。

 ギロチンの刃が当たったら真っ二つになりかねない。何かしらの手段で防いだのだろうか。

 しかし、飛んで落ちただけでもこんなになるのかよ……

 

「さて、行くわよ」

「この人?は持ってかなくていいのか?」

「いやよ、服が汚れるじゃない。別にいいのよ、そのうち生き返るし」

 

 なんて無情な……

 

 

「カイワレ大根のパスタ〜太郎次郎に捧ぐ〜」

 

 校長室の前でゆりが合言葉を唱えると、扉から鍵が外れる音がした。

 

「さ、入るわよ」

「その合言葉のセンスは何なんだ」

 

 俺のツッコミに取り合うことなくゆりは校長室へ入るので慌てて後に続く。

 校長室へ踏み入れると、なかには数人の男がいた。みなさっき飛んできた肉塊と同じ服装だ。

 何人かが警戒するように見つめてくる。下手に目を合わすのも面倒なので、ざっと部屋を見渡すと角に女子が一人だけ一応いた。

 ただ、影に隠れるようにしているのですごく胡散臭い雰囲気がある。この世界に普通の女子はいないのか。

 

「ゆりっぺ、おかえり。もう目を覚ましたの?」

「ええ、意外と早くね」

「へぇー。そいつは楽しみな奴が来たな」

 

 ゆりは男たちと会話をしながら颯爽と奥のテーブルへと向かっていった。

 俺はどこの位置に立っていればいいかわからなかったので、とりあえずなにかあったらすぐ逃げられるよう扉の近くにいるようにした。

 うわ、なんか角にいる女子がメチャクチャ睨んでくるんですけど。目合わさんとこ。

 

「そういえばゆりっぺさん、トラップが発動したようですが何か知ってますか」

「それなら野田くんがかかってたわよ。でもダメね、あれは改良しないと。なんでまっすぐ飛んでかないで垂直に曲がってきたのかしら」

「最後にひねりを加えてありますから」

「それなんの意味があるのよ、バカなの?それにさっき廊下に柄がまっぷたつになったハルバードがあったわ。おそらく防いだのでしょうね。それじゃあ意味がないから、やっぱり位置と得物を交換しなくちゃいけないわ」

「位置もですか」

「川に落とすのは無理があったわ。垂直に曲がっちゃったし。なによりここと反対側だから一々誤作動したときにもとに戻すのも一苦労じゃない。チャーに連絡して変えてもらって頂戴」

「得物は如何いたしましょう。ハルバードで防がれたとなるときついですね。天使にはオーバードライブがありますし、最悪ハンドソニックで防がれる可能性もあります」

「さっきも考えたけど、やっぱりハンマーに直しましょう。ダメージを考慮してみたけど、たぶん天使にはあの程度のギミックで致命傷はあたえられないわ。それよりここに侵入されないことに主眼を置いてちょうだい」

「わかりました」

 

 ゆりとその周辺で会話が進むので、部外者の俺は所在なさげに扉に背を預けて黙っていた。

 その間も影に隠れた少女はにらみ続けるため、とても以後心地がわるい。

 いや、それ以前に他人のテリトリーで話題の置いてけぼりにされることがなんとも気持ち悪かった。

  

 そのあともいくつか話していたが、いったん区切りがつくとゆりは椅子に座り足を机に載せた。

 様になって入るけど、どう見ても危ないお仕事のボスって感じだな。

 さっきの会話や男たちの様子からみて、彼らはゆりに頭が上がらないのだろう。

 本当にリーダーなんだなと実感した。

 

「さて、みんな紹介するわ。新しく戦線に入った同志よ、歓迎しなさい。えーと……そういえばあなた名前聞いてなかったわね、なんていうの?」

 

 ゆりはこちらに話をふる。

 そうだった、こっちから名乗ることはなかったか。

 答えようとして一瞬思案する。わざわざ本名をいう必要があるだろうか。

 フルネームは理由あって恥ずかしいから、名乗るのは控えたい。

 しかし、わざわざ偽名を使うのも無意味な気がしたので、苗字だけを名乗ることにした。

 

「星川だ。星々に三本の方の“かわ”で星川だ。この世界のことや戦線のことはそこのリーダーから聞いてる一通り聞いている。まだ実感も知識もないから迷惑をかけるかもしれないが、微力ながら協力させてもらう。よろしく頼む」

 

 丁寧に頭を下げた。

 その姿をみたゆりが意外そうな表情をした。

 

「びっくりした、まともなことが言えるのね。そんなにかしこまらなくても大丈夫よ。ここにいるのはバカばっかりだから」

「おいおいゆりっぺそりゃ冗談キツいぜ」

「彼は日向くん。バカ筆頭よ」

「本当にキツいなおい!」

 

 バカは日向というらしい

 バカ=日向。よし、覚えられそうだぞ。

 

「おい、お前もなんかヒドいこと考えてないか?」

「いや、全然」

 

 なんと、感は鋭いようだ。侮れない。

 

「他のメンバーも紹介するわね」

 

 ゆりはその場にいる人を端から指をさしながら教えてくれた。

 

「彼は大山くん。特徴がないのが特徴よ。そしてバカよ。そっちは松下くん。柔道五段だから敬意を持って松下五段と呼ぶわ。時々バカよ。そこで踊ってるのがはTK。本名は誰も知らない謎の男よ。日本語が不自由なバカだけど、彼なりの挨拶っだたりするわ。メガネをかけて知的に話すのは高松くん。本当はバカよ。刀を持った目付きの悪いのが藤巻くん。見て呉れ通りバカよ。外で肉塊になってたのが野田くん。さっき言ったけどバカよ」

 

 ただバカにあふれていた。

 この戦線の男はみんなバカしか居ないのか。

 まともな人間に出会いたい。

 

「角の影に立っているのが椎名さん。以上がこの場にいる戦線の主要メンバーよ。あとは校内に何十人といるわ」

 

 何十人もいるのか。

 それでもNPCと呼ばれる生徒に及ばないというのだから、この学園の生徒はやはり相当なもののようだ。

 

「えーっと、いろいろよろしく」

「こちらこそ。また新しいバカが増えましたね」

 

 メガネの高松がいきなりバカ呼ばわりしてきた。

 

「おい、俺はそんなにバカじゃないぞ」

 

 反論すると今度は大山が返した。

 

「でも岩沢さんに突き落とされたんだよね。やっぱりバカだよ」

「そうだな、岩沢にだもんな。やっぱりバカだわ」

「浅はかなり」 

 

 なんだ、そんなにギターの彼女は一目置かれているのか。

 くそ、負けた気分だ、何がかはわからんが。

 

「まあまあ、新しい仲間だこれから仲良くやっていこうぜ」

 

 日向がそういい親しげに肩を組んできた。こいつ、バカだけどいいやつだな。

 

「お前やっぱり失礼なこと考えてるだろ」

「いいや全く」

「残念だけど、星川くんは私たちとは行動を共にしないわ。彼には別の仕事をしてもらおうと思ってるの」

「え?なんでだよ」

 

 それは俺も聞いてない。

 てっきりこいつらと仕事をするもんだと思ってた。

 

「ちょっと思いついてね。彼には陽動部隊のサポートに入ってもらうわ」

「陽動部隊?」

 

 陽動部隊ってなんだ?

 ここにはいない奴らなのか?

 

「サポートということは、ゲリラ時の誘導班や音響班とかということですか?」

「いいえ違うわ。直属で陽動部隊の補佐についてもらうのよ。そうね、マネージャーみたいなものかしら」

 

 よくわからないがマネージャーの真似事をやらされるらしい。

 

「どういうことだよゆりっペ!納得いかないぜ!」

「前々から要望があったのよ。こっちとの連絡とかもろもろ雑務をやってくれる人材がほしいって。なかなか適任者が居なかったんだけど、向こう側が星川くんがいいって言ったからね」

 

 どうやら先方からの要望らしい。

 いや、陽動部隊の方に心当たりが全くないんだが。

 ここにきてまともに会話したのってゆりとギターの少女だけだし。

 ということは……

 

「くそ!ズルイぜ星川、自分だけいい待遇になりやがって!」

「何がだよ。全然わかんねーよ」

 

 こっちは今日死んでいることを知った程度なんだぞ。

 何が何だか全くわからない。

 

「陽動部隊はみんな女の子なんだ。日向くんはそれを妬んでるんだよ」

 

 平凡そうな顔をした大山が察して説明をしてくれた。

 そうか女の子だけか……

 むしろ逆に、女子で完成されている空間に見知らずの異性が放り込まれることによる排除行為しか思い浮かばない。恐怖しか湧いてこないんだが。

 ドッキリ!スケベ!なイベントへの期待とかよりも、冷たい目線で蔑まされるの恐怖しかでてこない。

 セクハラとかしても大丈夫とか無いだろう。うっかりやっちゃいそうだけど。

 だから、羨ましがれても困る。

 

「でも陽動部隊ってことはひさ子がいるんだろ。あいつの所で雑務なんて、犬のような扱いにしかならいぜ」

 

 身震いをしながら藤巻がもらした。

 その言葉に、羨ましがってた日向はじめ多くの男子が身震いをしていた。

 なんだ、ドスを背負ったヤンキーですら怯える存在がいるのか。それは怖いな。

 余計に陽動部隊とやらへの希望が持てなくなる。

 仕方ない、ここは一発ガツンと言っておこう。俺は手を上げてゆりに声をかけた。

 

「あーゆりさん、ちょっといい?やっぱ俺やめたいんだけど」

「あ”?」

「っていうのは嘘で、陽動部隊って一体何をしてるのかと、俺はその中でやる具体的な仕事、あとその部隊のメンバーが知りたいっす」

 

 なにあのどすの利いた声。本当に女の子なのかしら。

 ビビッてヘタレた俺は任命拒否をあきらめた。

 

「そうねえ」

 

 ゆりは腕を組みしばし考えてから答えた。

 

「最初と最後は明日会ってみてからのお楽しみにしときましょう。そのほうが面白いわ。具体的な仕事のひとつは、戦線本部との連絡係としか言えないわね。その他は彼女達から聞いたり、追々こっちでも考えるから」

「いやそれじゃ全然わからんが……いえなんでもないっす」

 

 口答えするなら容赦はしないぞとすごんだ目つきでにらまれてすごすご下がる。

 それじゃあ明日になるまで何もわからないか。

 とりあえず、陽動部隊のメンバーが美少女であることを願おう。そのほうがモチベーションも上がる。

 ……怖い人もいるみたいだけど、がんばろう。

 

「というかお前、ゆりっぺのことさん付けでよぶんだな」

 

 日向が不思議そうに聞いてきた。

 

「いや普通だろ。まあ生きてた頃世話になってた人に、『女の人を呼ぶときは年齢の上下関係なくさん付けで呼べ。そうすれば面倒事が減るからそう意識しろ』っ殴られながら教わって癖になってはいるけど。なんか変だったか?」

 

「一部おかしいな言葉が混じってた気がするが……」

 

 なにやらかわいそうな目で日向が見つめる。

 うるせえ、俺だって思い出したくねえよあんな過去。

 

「単に口調と態度に対して珍しかっただけだよ」

 

 たしかに、名前はさん付けなのにため口が多いな。

 そこは死ぬ前もあまり意識できなかった。

 さすがに目上には意識したけど、同年や年下には特にしなかったし。

 

「それに久しぶりにゆりっペがきちんと呼ばれるの聞いたからな」

「俺はゆりっぺのほうが気になるんだが」

「いいわ説明しなくて」

「ああそれはな、俺の母親と名前がかぶってて、なんか呼びにくいから俺がつけたんだ」

「しなくていいって言ったでしょう!」

「ってやめろ!銃をしまえゆりっぺ!」

 

 どこからともなくゆりが銃を取り出し日向に向けた。

 てか普通に銃でてきちゃったよ。まさか本物?

 

「じゃあ俺もゆりっぺさんって呼ぶわ」

「ほら言わんこっちゃない!久しぶりにあたしもあだ名以外で呼んでくれる人ができたと思ったのに!」

「お前けっこう気に入ってたはずだろ!?」

 

 バァンバァンと銃が乱射される。うわぁやっぱ弾でるんだ。

 本気で当てる気はないようだが、日向の足元手前に撃ち続ける。

 流石に死んでも生き返るとはいえ、目の前で銃が乱射されている光景は精神衛生上あまりよろしくないので日向に助け舟を出してやる。

 

「いや、あだ名で呼んだほうがはやく馴染めるかなと思って。違う所で働くにしろ、何かしら連携はしていくわけだしさ」

「………………そうね。仕方ないわ」

 

 渋々といった様子で銃を撃つのをやめ静かに机に置いた。

 なんとかなったか。

 

「星川ぁ〜助かったぜぇ〜」

「お前も軽口叩くの気をつけろよ」

 

 バカだからわからんかもしれないが。

 

「さて、もう遅いし今日は解散ね」

 

 ゆりがさした時計の針はもう22時を回ろうとしていた

 そういえばこの学校には寮があると言っていたな。やはり門限とかがあるのかな。

 

「寮に俺の部屋ってあるのか?」

「教えたとおり、この世界に来たときに違和感ないようにちゃんと用意されているわ安心なさい。でも二人部屋だから気をつけてね」

 

 何を気をつければいいのかと思ったが、すぐにNPCのことだと気づいた。

 違和感がないということは、NPCである彼らは俺が昔からいたと認識しているのだろう。

 それに俺は矛盾がないように対応しなければならないし、すばやくその環境に慣れなければならない。

 いきなり知りもしない他人と相部屋で寝るのは少し怖い。

 できれば同居人は面倒じゃないやつであってほしい。

 こういう夜間の活動も色々と厄介な問題になりそうだな。

 

「星川くんは明日の朝またここにきなさい。陽動部隊のこれからのこととか説明するわ」

「了解」

 

 ゆりは背伸びをして立ち上がる。

 

「では、解散!」



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Chapter.1_5

「あんぱん、カロリーメイト、お茶にボルビック、あと適当になんかジュースとお菓子……」

 

 渡されたメモを見ながらため息をつき、天井を仰いだ。

 残念ながら青空なんかは広がっていない。

 味気ない灰色の天井が閉鎖的空間を醸し出しているだけだ。気分は晴れやしない。

 それを自覚して、俺はもう一度、今度は深くため息をついた。

 

「初日からパシリかよ」

 

-------

 

 昨日の夜、本部を出るとき新しい制服とやらを渡された。

 それまで着ていた学ランではなく日向たちが着ているようなブレザーだった。

 ゆり曰くこれは戦線メンバー、SSS(クラススリーエス)の証らしい。

 要するにNPCとの差別化だ。

 ということは、ゆりたち女子が着ているセーラー服も一般生徒とは違うのだろうか。

 

 また、夜分遅くに訪れた寮の面玄関は閉じられていたが、二階に住んでいる戦線メンバーの部屋を経由させてもらうことで難なく侵入ができた。

 大山が教えてくれたが、一階は大浴場や洗濯場、多目的ルーム等で埋められていて生徒の個室はひとつもないらしい。

 生徒が夜間外出できないようにするためだろと思うが、一応建前上は空き巣対策だそうだ。

 敷地より外がない死んだ世界で誰が空き巣するんだよとつっこんだら、男は被害に遭わなくても女は遭うことはあると日向に言われた。

 それって身内を信じていないということか。てか女目当てって下着泥棒とかだろうか。

 だがそれをNPCがするのか、死んでこちらに来た奴、戦線の人間がするのか。  

 口にしたら非常に微妙な空気になる可能性があったので黙っておいた。

 死んでまで下着泥棒する奴がいるとは思いたくない。

 

 その後、日向達の協力を得て自分の部屋を探したが、難なく自分の名前がついたプレートの部屋を見つけることができた。

 部屋に入ると、他に誰も居なかった。一人だけなのかと思ったが、壁に掛けられた制服があるのでどうやら不在なだけらしい。

 掛けられた制服が学ランなので、どうやらルームメイトはNPCのようだ。

 戦線メンバーだったら楽だったのにという期待は見事泡となって消えた。

 いきなり接触するとどうすればいいかもわからない。面倒なので不在のうちにさっさと寝ることにした。

 こっちは初対面で向こうは知ってるというおかしな状況に自分が耐えられる覚悟はまだなかった。

 

 

 ●

 

 

 朝起きるとすでに日は昇っていた。

 それなりの高さがあることから考えると、だいぶ長い間寝ていたようだ。

 

 同居人のNPCは制服がないところを見るとすでに登校したらしい。

 顔を合わせなくてよかった、と安堵をしていたのも束の間、時計を見ると10時を回っていた。

 

「……多分、完全に遅刻だなこりゃ」

 

 そもそも戦線メンバーは授業に出る義務はあるのだろうか。

 普通に生活をしたら消えてしまうというゆりの話が本当ならば、出席という当たり前の行為は避けなければならないと考えられる。

 

「学校サボるのは慣れてるしいいけどね」

 

 死ぬ前なんか行かなすぎて進級すらしなかったし。

 ただ、生前と違ってこちらは敷地内の寮制なので教師の干渉がどこまであるのか。

 想像しただけで面倒だが、そのあたりの対処法も日向達から聞いておけばいいだろう。

 

 眠い頭をなんとか起こし、顔と歯を洗い髪を整えるために洗面台へと向かう。

 ゆりは朝に来いと言っていたが、今から行ってまだ居るだろうか。

 

「んー、まあ一応午前中だし。許されるだろ」

 

 居なかったらソファーかなんかで寝て待てばいい。

 気楽に考えながら、昨日もらった新しい制服に袖を通し、まだ寝ぼけている頭でゆっくりと本部へと向かった。

 

 

 ●

 

 バァン!!

 

 昨日聞いた合言葉を唱え扉を開けると、弾丸が顔の横を通り過ぎていった。

 

「遅い!」

 

 容赦なく殺しにきやがった。

 おかげでまだ寝ぼけかけていたすっかり目は覚ました。

 急いでゆりの前まで走り土下座する。

 

「ゴメンサナイ」

 

 正直生きた心地がしない。死んでいるけど。

 

「あたしは朝のうちにこいって言ったのよ、今いつだと思ってんのもう11時よ!てめぇの朝は一体何時までか言ってみなさい!」

「12時くらい?」

「ニートかこらああああ!」

 

 再び銃口をこちらに向けてパンパン乱射をする。

 今度は本当に当ててきそうだったので必死に頭を床にこすりつけて許してもらった。

 ごめんなさい。

 

「まったく。あなたが来るのが遅いから、岩沢さんたちはもう練習に向かったわ」

「え、陽動部隊の人たち来てたの」

「呼んどいたのよ、もう面倒だから顔合わせはそっちで適当にやっときなさい。はいこれ校内の地図、赤い丸の場所で練習してるわ」

 

 それを言っておいてくれれば早く来たのに。

 早起きは出来なかっただろうけど走ってくるくらいの気概はみせた。

 あんまり意味はないけれど。

 

 ゆりから地図を受けとり場所を確認する。

 どうやら学習棟の教室を利用して練習をしているらしい。

 

「わかった。行ってみる」

「あと、はいこれ」

 

 ゆりは机の下から携帯電話ほどの大きさの黒いものを出してきた。

 手にとってみるが、アンテナらしきものが飛び出ているので、どうやら小型のトランシーバーのようだ。

 

「これは?」

「一応説明すると、まずこちら側から与える任務として、あなたは陽動部隊と本部との相互の連絡係よ。簡単な報告等があったらそれを利用してちょうだい。一番上に登録してある周波数がわたしとつながるわ」

「ふーん。二番目は?」

「それはオペレーターの周波数ね。オペレーション時に必要になるかもしれないから登録しておいたわ」

 

 オペレーターっていうと戦闘員を想像するのは俺だけだよな。普通に考えて総合通信員ってとこか。

 ずいぶんと本格的だな。

 

「だいたいわかった」

 

 俺は制服の下でトランシーバーをベルトにひっかけ、練習場所に向かおうとした。

 

「あ!ちょっと待ちなさい」

 

 慌てたようにゆりは近くにあったメモ用紙を取り出し渡してきた。

 

「何これ」

「遅刻したんだから、お詫びくらいしなさい」

 

 

 ●

 

 

「連絡係やマネージャーっていうけど、これ体のいい雑用係だろ」

 

 初めてのお仕事がパシリであることを不服に思いながら、俺は買い物へと向かっていた。

 しかし遅刻した罪悪感は一応あるし、なによりこれからアウェイへと向かうのだ。

 自分に不利な状況を少しでも減らしておきたいという打算的なヘタレの考えもあった。

 

 購買に向かう前に事務所により奨学金を受けとる。

 本来ならこの金で食堂で食券やらなんやらを購入するはずなのだが、ゆりたちは使わないという。

 一応聞いてみたものの、例によってお楽しみ扱いされてしまった。

 なんだかきな臭い雰囲気しかしないが、まあ気にしないでおこう。知らぬが仏、触らぬ神に祟りなし。

 

 たどり着いた購買でお菓子を物色し購入した。

 そこまで種類はなかったから売れてそうな感じに設置されているものを複数用意した。

 受付のおばちゃんが不審な顔をしていたが笑って誤魔化しておいた。

 そりゃ授業中に学校指定とは違う制服の生徒が買いに来たら不審がるよな。

 

 そのまま自販機へと向かい、お茶と水を購入。

 だが、ジュースって何がいいんだ……

 めんどくさいので適当に炭酸系は避けてオレンジとアップルにしておいた。

 文句を言われたら「ちゃんと種類を決めろ」と怒ろう。

 うん、たぶん無理な気がするけど。女子怖い。特にこの世界の女子変な奴しかまだ会ってないし。

 普通の子がいるという保証もない。

 

「お、コーヒーあるじゃん」

 

 自販機の一番下のあったかいの段にコーヒーが数種類並んでいた。

 メーカーは統一されているようで『keyコーヒー』とあった。

 

「なんだこれ。パチもんか?」

 

 確か生きていた世界にもキーコーヒーなるものはあったけど、ロゴが違う。

 そういえば水も同じような名前で、むこうではvからはじまった気がする。

 なにやら某大陸製のまがい物を見ている気分になった。

 しかし、それしかメーカーは無いので諦めてブラックを購入した。

 

「死後の世界特有のブランドなのかね」

 

 ひとまずコーヒーをブレザーのポケットに入れ、その他の飲み物を購買で買ったものの袋にまとめてようやく練習場へと向かった。

 

 練習場である空き教室まで行く階段を登っているとき、すでに陽動部隊の実体がなんとなくわかってきた。

 教室にとどまりきらないその音のおかげで見ずともネタバレ状態、まるわかりだった。

 聴こえ始めてから一向に音は鳴り止まず、終わる気配はしない。

 これならもう少しゆっくり行けるだろうか。俺は聞こえてくる音に聴き入りながらゆっくりと階段を登る。

 しかし、懐かしい響きだな。いくつかの鋭い弦楽器のサウンドと、バックビートを奏でるドラムの音。

 

 彼女達の陽動とは、バンドだった

 

 ●

 

 教室がある階にたどり着いたが、演奏は鳴り止まない。

 止んだ時を狙ってうまく入ればいいだろうが、果たしてどう狙ったものか。

 

 タイミングを考えながら近づいていくと、なにやら件の教室を廊下から眺める一つの姿があった。

 ピンクの長髪、服装はセーラー服だが小悪魔っぽい尻尾などパンク調のアクセサリーをしている。

 そして小さい。なにより挙動が忙しなくて不審だ。

 

 俺はおもむろに受け取ったばかりのトランシーバーをとりだし、登録してある周波数につないだ。

 

『―――もしもしこちら戦線本部、どうぞ』

「ああゆりっぺさんか?星川だが、一応地図に記された場所の付近まできた」

『何?さっそくおもちゃを使ってみたかったの?男の子ってこの手のモノ好きよね。それとももう報告することがあるのかしら』

「あ、いや、報告するというかなんというかよくわからなくて」

『はっきりしなさい、伝達はわかりやすく簡潔によ』

「ピンク髪のガキが教室の前をうろちょろしてるけど、どうすりゃいい?」

『NPC?』

「いや戦線の制服着てる。だいぶ改造してるけど」

『じゃあ大丈夫そうね。どうせガルデモのファンでしょうからほっときなさい』

「ガルデモ?」

『陽動部隊のことよ。詳しくは自分で聞きなさい。あと、もしその子が邪魔になるようだったら追い出して構わないわ。立場的にはあなたのほうが上よ』

「あきらかに俺のほうが新参ものなんだけど」

『あたしが権限を与えるわ。感謝しなさい』

「そりゃありがたいね。じゃあ通信切るぞ」

『ええ、頑張りなさい―――』

 

 ブッ

 

 通信を終わらせてトランシーバーを再び腰にしまう。初めてだが上手く通信できたな。

 それよりも驚きなのはこれの通信強度だ。

 本部とここは近いとは言いがたいし、校舎は鉄筋コンクリートでそれなりの隔たりもあるはず

 それにしては鮮明な声だった。校内に中継ポイントでもつくっているのだろうか。

 

「大した科学力だなこの世界は」

 

 教室に近づくにしたがってバンドの音は大きくなってくる。

 エレキによる荒々しい演奏が、耳よりも腹に響いてきた。

 

「おおー、フェッフェッフェ」

 

 パンク少女がなにやら危なっかしい声を出していた。

 やばそうなので早く暴走しないうちに接触を試みよう。

 少女の背後から接近し声をかける。

 

「ここで何やってんだお前」

「ひゃあああああああああああああああああいいいいいいい」

 

 俺の存在に気づいてなかったのか、驚き奇声をあげて仰け反った。

 女の子がその声はよろしくないんじゃないかな。

 

「いきなり脅かすとはなんですかー!」

 

 少女はプンスカ怒り腕をふるいながらこちらへ向いた。

 背も低いが童顔だな。可愛くはあるが。

 

「驚かすつもりはなかった。許せ」

「許せで済まされたらこの世におまわりさんはいらねんだよー!」

「この世界におまわりいねーだろ」

 

 てかこの世じゃなくてどっちかっつーとあの世だしここ。

 

「めんどくさいなおまえ。いいから答えろ、何してんだここで」

「見ず知らずの人に答える義務はありません。教えてほしくば土下座してください」

 

 少女は腕を組みここちらをバカにするように見下してきた。

 いや、身長が足りてないから大きく胸をはって顎を突き上げがんばって見下している。うぜぇ。

 

「あっそ。じゃあいいや」

「ええええええええええええええええええ」

「なんだようるせな、童顔キャラ好きじゃねえんだよ!」

「なんで罵倒されてんの!?いやそこは普通土下座するか『なんでお前に土下座しなくちゃいけねえよ』って怒るところじゃないですか!?」

「いいよめんどい、それほど知りたくもないし」

「とりましょーよコミュニケーション!さあさあ!」

「ナンデドゲザセナアカンネン」

「なんで片言の関西弁なんじゃオラぁ!」

 

 やべぇ面白いなこいつ。

 一々反応してくれるからいじりがいがある。

 

「お前何者だよ」

「お前こそナニモノですかー?名乗るときは自分からって教わりませんでしたかー?」

 

 くそ、無駄に元気だな。あとやっぱりうざい。

 

「星川だ。一応ここでは3年に所属している模様。クラスは不明。SSSに入隊したばかりの新入り様ですよ」

「じゃああたしのほうが先輩じゃないですかー!ちゃんと敬ってくださいよー!」

「あ?お前何年だよ」

 

 たしかここは高等部の三年が一番上だった気がするんだが。

 

「あたしですか?1年ですよ」

 

 チョップ

 

「いたぁああい!!」

 

 手刀をくらい頭を抱えながらうずくまった。

 あまりにもうざかったからつい手を出してしまった。

 女性に危害をくわえるのはまずいと思うが、でもなんだろう。不思議と罪悪感は湧いてこない。

 

「なにすんですか!たんこぶできたらどうするんですか!」

「そんときゃたんこぶごと叩き潰して頭整えてやるよ」

「さらにヒドい!?じゃあ新入りなら先人を敬ってくださいよ!」

「俺はお前に命令できる権限をさっきゆりっぺさんからもらった」

 

 ええええええ、とアホみたいに口を大きく開けて少女はマヌケづらをした。

 だから女の子なんだからもうちょっと恥を知れ。

 

「でも俺心広いからそのへんはいいよ。今は対等っつーことで。とりあえず名前でも教えてくれ、こっちは名乗ったんだし」

 

「自分で心広いって言っちゃうのはどうかと思いますけどねー」

 

 身なりをサッと整え少女は俺の正面にまっすぐと立った。

 

「陽動部隊のアシスタントをしているユイといいます。ユイにゃんって呼んで下さいね☆」

「は?」

「ユイにゃん☆」

 

 チョップ

 

「いたぁあああいいいいいいまたぁあああああああああ」

「許せ。あまりにもアホくさくてうざかった」

 

 床に崩れ落ちたユイが涙ぐみながら腕の下からこちらを睨んできた。

 

「誠意が感じられません!誠意が!もっと取引先に言うみたいに謝って!」

「どうもすみませんでした、ユイにゃんさん」

「ドスの効いた声で謝んないで下さい!怖いですよ!どこの取引先ですか!」

「極道?」

「ヤ○ザかよ!」

 

 うん、やっぱいじりがいあるな。ついつい続けてしまう。

 だが、さすがにこれ以上はやばそうなのでやめることにしよう。

 座り込んでいるユイに手を伸ばし起こしてあげる。ユイは再びスカートをはらったり身なりを整えた。

 

「ところでさ、本当にユイにゃんさんはここで何をしていたんだ?」

「その呼び方固定なんですか。なんか「さかなクン」さんみたいで嫌なんですけど」

「バンドの練習を見ていたようだけど」

「無視ですか。別に何かしてたわけじゃありませんよ。ガルデモの練習風景を、ただ見ていただけです」

「ガルデモ、陽動部隊のことか」

 

 そういえばさっきゆりが言ってたな。

 察するにこのバンドの名前か何かなのだろうか。

 

「星川先輩はこの世界に来てまだ間もないんですか?さっき入ったばっかりって言ってましたけど」

「間もないも何も昨日来たばっかりだよ。ほとんど外国人みたいなもんだ」

「そりゃ難儀ですね」

 

 ユイと並んでで教室を眺める。

 岩沢という少女がセンターでマイクに向かい、両サイドにギターとベース。後ろにドラムがいた。

 こちらの視線に気づいているのかいないのか、どちらにせよ気にしてはいないようで練習に没頭している。

 

「ユイにゃんさんはいつも練習見てるのか?」

「毎日では無いですが、時間があれば。ファンですからね!」

 

 ユイは胸をはっていばる。ない胸を。

 

 ファンか……たかだか学校のバンドにファンがついているのか。

 この世界には娯楽がそれほど少ないのだろうか。

 寮にテレビはなかった。購買には雑誌は売っていなかった。

 地図にコンピューター実習室というものはあったからパソコンはあるのだろう。

 それがネットにつながっているかは不明だ。下手すると学内ネットワークだけかもしれない。

 本当にこの世界の人間はどうやって娯楽を得ているのだろうか。

 部活動や同級生との会話だけではフラストレーションが溜まり続ける一方だ。

 もしくは普通の人間と違ってNPCはストレスが溜まらないようにできているのか?

 

「そのガルデモ?のファンの中にはNPCはいるのか」

 

 横目でユイを見ながら問う。

 

「そりゃいますよ、むしろNPCのほうが数は多いです!いつもライブはNPCたちが大はしゃぎですよ!まあ、圧倒的に人数比があれですからね」

「ふーん」

 

 ガルデモファンの中にNPCがたくさんいるってことは、やはりNPCはガルデモのライブが娯楽となっているか。

 これだけではストレスがあるとは証明できないが、もしそうならそこを上手くついた戦線の発想には敬服する。

 溜まっていた負の感情が一気に発散される対象を作れば、それに人々は簡単に依存する。

 その対象を上手く利用すれば、依存している人々もある程度操作はできる。

 まるで宗教のようだが、さすがにそこまで考えてはいないだろう。けれど、結果としてガルデモに依存している生徒は少なくはなさそうだ。

 NPC以外にも。横のこいつみたいに。

 

「すごいんですよガールズデッドモンスター、略してガルデモは!女の子だけでこの演奏力、そしてなんと言ってもボーカル&ギターの岩沢さんのあの存在感!作詞作曲までしちゃうんです!あたしのお気に入りは……」

 

 聞いてもいないのにどんどんと情報を一方的に語ってくれた。

 Girls Dead Monsterでガルデモね。

 なんつーか皮肉が効いたバンド名だな。

 

「いやーこの部隊に所属できて本当に幸せです!下っ端仕事しかさせてもらえませんがそれでもいいんです!なんたってこうして」

「なんとなくわかったからもういいよ」

 

 未だ際限なく語り続けるユイに停止をかける。

 どこまでも話す姿でよくわかった。本当にこのバンドに陶酔しているようだ。

 

「えぇー、まだ半分も語ってないですよー!」

 

 ぽかぽか肩を叩いてくるのを片手で制しながらバンドの練習を眺め続ける

 

 それより、今やってるセッションて

 

「あれ?どうしました?怪訝な顔してますね」

 

 俺の表情をみたユイが聞いてきた。

 

「おまえさ、今やってる曲わかる?」

「え?そういえば知りませんね。もしかして新曲!?」

 

 きゃーきゃーと再びやかましく叫ぶユイ。ファンが知らないならこういう曲ではないか。

 

「いや、あれ新曲じゃないよ、たぶん。てか曲ですらない」

 

 まあ見方によっては曲でないとは言い切れないだろうけれど、少なくとも一般的なバンドから言ったら違うだろう。

 

「えー、なんでわかるんですか?今日初めて聴いたんですよね」

「すこしかじっててな。生きてた頃は音楽が主食だったよ」

「おおー、ミュージシャンさんですか!」

「違う。音楽で食ってたんじゃなくて音楽を食ってた」

「意味わかんないです」

「俺もだよ。まあミュージシャンなんてそんな大層なもんじゃないよ」

 

 そんな偉いもんではない。

 死ぬまで音楽はやり続けていたが、一瞬足りとも今眼の前に居る彼女達より輝いたことなんかない。

 俺はそういう人種だ。

 

「じゃあなんでわかるんですか?音楽家の勘?」

「勘というか経験則。あれは単に暴走して収拾がつかなくなってる」

「えっ」

 

 俺はユイの頭を引き寄せ、指をさしながら説明した。

 

「たぶん最初は普通に練習してただろうな。でもあのベースが遊びはじめたんだろ。さっきから方向性は全部ベースが握ってる」

 

 握ってるというか勝手に進んでってるって感じだが。

 奥のほうでベースを持ったオレンジ色の長髪の少女が非常に愉快そうに弾いていた。

 たぶんイタズラが好きなタイプ、完全に顔がイっちゃてる。

 

「んで、ギターの片方がそれに乗っちゃった。ボーカルやるならたぶんリズムギターなんだろうけど、完全にリードギターの演奏になってる」

 

 中央にいる岩沢はずっと自分のギターを見ながら黙々と演奏している。

 

「それで本来ならリードギターであろうあのポニテの少女が、セカンドギターとしてシフトすることでなんとか喰らいついてる。みてみろよ、すげー顔してるぞ」

 

 ベースとは対の位置に居るギターを弾いている少女は、般若の形相で今にも殺さんとばかりにベースを睨み続けている。

 残念ながらベースの少女はそれに気づかない。

 

「それでおろおろしながらも、なんだかんだ楽しんでドラムはビートを刻み続けちゃってる。たぶん演奏止まったらポニテがベースにマジギレするんじゃない?あの表情じゃ」

 

 遊びで始めたことが止まらず取り返しがつかなくなっている。

 

「まあリズム隊が動きつづけてんだもん。いつになったら止まることやら」

「じゃあこの状態って止まらないんですか!?」

 

 ユイが死ぬんじゃないかっていうほど心配そうな表情で聞いてきた。

 いやさすがに死ぬまで止まらいわけじゃねーよ。

 

「誰かやめたら止まるんじゃない?思いやりがあれば。でも抜けてもほっといて続けそうな感じもするけど」

「えええええ」

「まあ確実なのはドラムが止まってくれることだけどね。さすがにベースとギターがいくら暴れてもドラムさえ止まればやめるきっかけにもなる。」

 

 そう話していると、ハイハットを叩こうとしたドラマーの手からポンとスティックが抜けて飛び、後ろの壁に叩きつけられた。

 

 足が止まったバンドは停止する。

 少しの間、疲労によるあらい息遣いが教室に響いた。

 つかの間の沈黙。

 

 そして遂にポニーテールの少女はギターをそっと床に置くと、一気にベースの少女へと飛びかかった。

 

「関根てめえええええええええええええええええ」

「うああああああごめんんさいいいいいいいい」

 

 間一髪で攻撃を躱した少女は、ベースごと持ってするりとドラマーの少女の後ろに逃げた。

 

「みさきち助けて!」

「えええ!むりだよぉ!」

 

 般若と化しているポニテの少女はなおもベースの少女を追い、逃げた少女はドラムを挟んで行ったり来たりと鬼ごっこをしている。

 こういう事態を治めるはずのリーダーこと岩沢さんは、演奏が終わると同時に座り込み足元にあった紙になにやらすごいスピードで書いては消してを繰り返している。

 

「星川先輩の言ったこと、ホントだった……」

 

 般若の大暴れを見ているユイは戸惑いオロオロしている。

 今がチャンスかな。

 

「ここはなんとかするから、お前は帰れ」

「えっ」 

「命令。大好きなガルデモのために下っ端仕事をキリキリこなしてこい」

「……さっき対等て言ったのに」

「いいからさっさと行け」

 

 シッシと追い払うように手を振る。

 心配そうに教室を見るも諦めたようでこちらを向き。

 

「むー、わかりました。ではこれで!」

 

 ビシッと敬礼をした後、ユイは背を向けチャキチャキと歩き去っていった。

 

「さて、じゃあまずこの状況をどうにかしねーとな」

 



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Chapter.1_6

 教室に入るとポニテの少女はついにベースの少女を捉えたようで、アイアンクローで顔面を掴んでいた。

 

「いい加減にしろよぉおおおおおお」

「うぐぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬ」

 

 ベースの少女もなんとか反抗しているようだが、般若の力は強大なようで逃げ出すことができない。

 てか、浮いてる。どんな握力だよ怪物か

 

 とりあえず俺は購買の袋からあんぱんを取り出した。

 それを二人にめがけて振りかぶる。

 

「ほれ、あんぱん」

「あ!?」

 

 あんぱんをポニテの少女に投げつけた。

 声に反応して少女は振り返り、掴んでいた手をはなしギリギリであんぱんをキャッチする。

 その隙にベースの少女は素早くまたドラマーの少女の背中へと隠れた。

 逃げ足の速いやつだな。

 

「えーと、水はだれ?ボルビック」

「それあたしだ」

 

 ギターの少女が顔を上げ返事をした。

 俺は彼女に水を手渡す。

 

 ポニテの少女は般若ではなくなり、その表情からは戸惑いが見受けられる。

 同じようにドラムやベースの方からも視線を感じた。

 

「おまえ、いったい」

「ああ、遅刻してすまない」

 

 彼女らに向き合い、挨拶をする。

 

「俺の名前は星川。この度陽動部隊と本部との連絡役として任務を命じられた。以後よろしく」

 

 

 ●

 

 

「お前がゆりの言ってた新入りか」

 

 自己紹介をするとポニテの少女は俺の前に立ち、その鋭い双眸で舐めるように俺を見回した。

 見定めているのだろう。しかしながら恥ずかしくて仕方がない。

 そしてなにか目覚めちゃいけなさそうな感情が生まれそう。

 

「ふーん。普通じゃん」

「初対面の相手に不躾だなこのやろう」

「顔合わせ初日から遅刻してくるバカに言われたか無いよ」

 

 ぐぅ

 まともなことを言われて簡単に論破されてしまった。くやしい。

 

「やっとゆり選んで送ってきたパシリだから、面白いやつかなーと思ったんだけどな。つまらん」

「そいつは悪かったな」

 

 パシリは確定事項なのかよ。

 いや、もう色々諦めるけどね。アウェイだし。

 

「ほんと、ゆりっぺさんが吟味してきた割には普通ですよねー」

「おいこらてめぇらいい加減殴んぞ」

「おー、怖い怖い」

 

 ベースの少女は素早い動きでドラムの少女の背中へと引っ込んだ。

 色々となめてるなこいつ。

 

「で、でもこの人昨日入ったばかりらしいですよ?」

 

 ドラムの少女がおじおじしながら言ってきた。

 この子叩いてる時と印象全然違うな。

 演奏スタイルからみて、もっとハツラツとした子かと思った。

 

「えー?じゃあなんで?」

 

 ベースの少女が俺の方を見ながら言ってくる。

 

「俺が知りたいよ。てかそっちが選んだんじゃないの?要望があったって聞いたけど」

「は?しらんぞ」

「えっ」

「え?」

 

 お互いに首をかしげる。

 確か昨日ゆりっぺさんが言ってたには、先方からの要望だったはずだぞ。

 

「お前らが呼んだんじゃねーの?」

「だれがお前みたいなド新人を好んで呼ぶかよ」

 

 いや、確かにそうだけどね。直球で言われると傷つく。

 だが、どういうことだ?もしかして俺ダマされたか。

 

「でも新人だからこれはこれで良かったんじゃないですか?」

「しおりんどういうこと?」

 

 ドラムの少女がベースの少女に問う。

 しおりんって名前なのか。中国人みたいだな。

 いや普通に考えたあだ名か。

 

 ふっふっふー、と不敵に笑いながらベースの少女は胸を張った。

 

「彼は新人だからここのことをよく知らないじゃん?だから無茶な命令にも「いや、これがここの常識だから」で押し通せるってわけよ!」

「ふざけんな」

 

 なんて恐ろしいことを考えるんだこいつは。

 それに本人の前で言っている時点で意味がないだろ。

 

「おぉ〜例えば?」

 

 ドラムの少女は前のめりで再び問う。

 それにしてもこの子打って変わってノリノリである。隠れSか。

 

「例えば、全裸で廊下待機とか」

「やらねえよ!?」

 

 それは只の変態です!

 

「全裸で自販機までダッシュのほうが面白いだろ」

「だからやらねえよ!?」

 

 ポニテの少女がのってきた。こいつは明らかにSだろ。

 ドラマーの子がさらに追い討ちをかける。

 

「全裸で日向先輩と絡んでほしいです!日×星で!いや、でも星×日も意外といいかも!」

「おまえは何言ってんだ!?」

 

 なんなんだよこいつら手に負えねええええええええ

 

 初日から不安要素しかない

 

「岩沢はどれがいいと思う?」

 

 ポニテの少女はこちらの騒ぎに全く動じず、先ほどからずっと座り込んで紙に何かを書き込み続けていた少女に話を振った。

 やはり、屋上で会った彼女が岩沢とやらか。

 

「何が」

 

 岩沢は顔を上げ尋ねる。

 本当に話聞いてなかったんだな。無関心にも程があるだろ。

 ポニテの少女は特に気にすることもなく続けた。

 

「こいつに全裸でやってもらう罰ゲーム」

「というかなんで全裸なんだよ!お前らそんなに裸が好きかよ!てか罰ゲームかよ!」

 

 遅刻の件ならならおごりで買ってくるで済んだんじゃないのか。

 岩沢は目線を上にあげ、んーっと少し思考してから無表情に答えた。

 

「全裸で北の国から弾き語りしてもらうとか」

「地味にエグいなお前!?」

 

 こいつが一番キツイだろ。

 全裸で弾き語りとか何だよ、なんかそういう芸術を求めてるみたいになるじゃねえか。

 恥ずかしくて死にたいわ。

 もう死んでるけど。

 

「北の国からが嫌なら関白宣言でもいいよ」

「曲じゃねえよ!でもなんでさだまさし縛り!?」

「じゃあ友情のハムライス」

「よく知ってんな!でもあれ10分あるからきついわ!てか歌わねえから!」

 

 岩沢はしょんぼりした顔をした。

 おお、初めてわかりやすい感情をみたぞ。

 でもなんで残念そうなんだよ、脱がねえからまじで。

 

「罰ゲームはともかく、俺は別にお前らに所望されたわけじゃないんだな?」

「ああ」

 

 ポニテの少女が同意した。

 

「じゃあどうするよ。こちらとしても一応リーダーの命令だけど、お呼ばれでないのならやめてもいい。ゆりっペさんにはこちらから伝えておく」

 

 といかやめたい。全裸パシリはキツい。

 

「そうだな。あんたが悪いってわけじゃないけど、こちらとしても来たばかりの新人を容易に信用することはできない。なんせか弱き女所帯だもんでな」

 

 片手で人を浮かせることができる怪物をか弱いとは思えないけれど。

 だがしかし、俺がここをアウェイだと思うように、彼女たちにとっても自分達のホームに現れた男という不穏分子なのだ。

 不安になるのは仕方がないことだ。

 

「戻ってゆりっペさんに別の人に代えててもらうように頼むよ。すぐに見つかるかはわからないから、パシリが居ないのはもう少し耐えてくれよ」

「わかったよ。すまなかったなあんたも」

「いいさ、別に。なんせ新人だからな。一番下っ端は苦労するのが仕事みたいなもんだろ」

 

 ポニテの少女は笑い俺もつられて笑った。

 怪力は恐ろしいけれど、案外いい子なのかも知れないな。

 

 俺は早速帰ろうと思い、トランシーバーを手にとった。

 ゆりにつなげてみたが、先ほどと違って途切れたり雑音が入ったりして上手くつながらなかった。

 もしかして別と通信中なのだろうか。それとも周波数間違えたかな。

 

「しっかし、ゆりにしてはめずらしいな間違えるなんて。勘違いしたとも思えないし」

「そうですよね。ちょっと意外です」

 

 ポニテとドラムの少女がゆりについて意外そうに話す。

 ゆりについてまだあまり知らないが、昨夜や今朝の様子からみて確証は得ているような自信があった態度だった。

 彼女たちが意外そうに話すということは、あまり勘違い等はしないはずなのだろう。

 どこかで情報がこじれたか?

 

「何が?」

 

 岩沢がボルビックの蓋を開けながら尋ねた。

 あの騒ぎは本当に全く耳に入っていなかったか。大物だな。

 

「ゆり曰く、そいつをあたしらが希望したって。珍しい勘違いだって話」

「そうだよ。あたしが頼んだ」

「へー、なんだ岩沢が頼んだのかぁああああああああああああ!?」

 

 ポニテの少女が絶叫した。

 ついでに俺もびっくりしてトランシーバー落とした。ガシャっといやな音がした。

 

「どういうことだよ岩沢!」

「いや、ゆりが適任者いなくて結構悩んでるみたいだったか、だったら彼でいいよって」

「いつ!」

「昨日」

「報告は!」

「今」

「相談は!」

「忘れてた」

 

 無表情のまま岩沢はのらりくらりと語った。

 それを聞いたポニテの少女は地面に突っ伏した。ドラムの少女も呆けている。

 あきれて物が言えないようだ。さすがに俺もびっくりした。

 どうやらこの岩沢という少女は音楽以外に関して相当マイペースなようだ。

 

「なんでこいつでいいいって決めた?」

 

 呆れ声のままポニテの少女が岩沢に質問をした。

 

「なんとなく」

「なんとなくかよ!」

 

 思わず俺がツっこんでしまった。

 何となくで俺はこの任務に呼ばれたのか。

 

「屋上で音楽の話をして、面白そうな奴だなと思ったから。だからなんとなく」

 

 そう岩沢が言うと場の空気が少し変わった。

 俺はそんな程度のことで決められたのかとあきれ顔で居たが、周りの空気は少し違い、重苦しくはなくとも何だか固いものがあった。

 当の岩沢の表情は相変わらず読み取りにくいままだったが眼は違った。

 その眼だけは強い意志を煌々と示す光が宿っていた。

 

「ああー、星川って言ったか」

 

 突っ伏したままポニテに子が俺に話しかけてきた。

 

「なんでしょう」

 

 答えると、起き上がり服の汚れを落としこちらを向いた。

 

「さっきの話は無しだ。うちらのリーダーが決めたことだ、仕方がない。一応歓迎してやるよ」

「一応かよ」

「あたしはまだ信用してないからな」

 

 さいで。

 

「まあ、これから色々と頼むぜ」

 

 ポニテの少女は手を出し握手を求めてきた。

 俺も手を出し握る。

 いきなり笑顔を浮かべるとものすごい力で握りかえしてきた。

 

「あだだだだだっだだだっだだだ」

「これからよろしくな、パシリ君」

「パシリってあだだだてか、どん、だけ強、いんだよっいだだだだ」

 

 手を離され解放される。

 どう考えても一介の女子高生が持っている握力じゃないと思う。

 ギターリストでも要らないと思う。

 これからこいつの下でパシリの日々が始まるのか。

 ……なんか泣けてきた。

 

「よろしく」

「よ、よろしくお願いします」

 

 岩沢とドラムの少女に挨拶をされる。

 

「こちらこそ、よろしく」

 

 未だ手が痛いのをこらえながら返事をする。

 岩沢は少々アレだが、この二人は基本無害のように思われるので安心する。

 ・・・・・・果たしてそれが本当かは確証をもてないが。

 

 先程からずっと黙ってたベースの少女が何か思いついたようで言ってきた。

 

「ところでいっそ記録に残すためにPV撮るとかどうですか?某英国バンドみたいに全裸で自転車こぐみたいな?」

「いい加減てめえは黙れ!」

 



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Chapter.1_7

『すまないあとちょっと練習していいか。もう少しで昼食の時間だから』

 

 岩沢にそう言われ俺は教室から追い出された。

 壁に背を預け昼食の時間まで待ち続ける。

 ただ教室から響いてくる音色はとても新鮮で暇をもてあます事はなかった。

 

 ●

 

「わるい、またせたな」

 

 練習を終え岩沢たちが教室から出てくる・

 片付けは済んでいるようで、ドラム以外の楽器はケースへとしまわれ各で担ぎシールドやアンプの類は一カ所にかためられていた。

 

「アンプとか放置しといて大丈夫なのか?」

 

 盗まれる心配はないと思うが授業をサボって練習しているのだから教師に見つかったら没収されてしまうのではないだろうか。

 話に聞く生徒会長も相当規則に厳しそうだし、ほっといたら無くなってしまう気がする。

 

「それなら戦線の人たちにあとで回収してもらうように頼みますよ」

「どうせこの人数じゃどうにもなんないし、ていうかゆりに頼んどいてくれない?」

「それが最初の仕事ッすか」

 

 へいへいと言いながら俺はトランシーバーを取り出す。

 

「わざわざ出向いて頼まなくても今連絡すればいいだけだろう」

「そうかじゃあ今頼む」

 

 しかし、俺はトランシーバーを操作するが、周波数をセットして繋いでも反応がない。

 電源が入ってるかすら怪しい。

 

「そういや、落としたんだった」

 

 驚いて落とし壊したことを思い出す。

 顔を上げると哀れんだ眼で俺を見ている8つの瞳があった。

 

「つかえねーパシリだな」 

「じゃあ直接ゆりに頼んどいてね。あとそれの修理も自分で言うんだよ」

「ドンマイです」

「が、がんばってください」

 

 その同情は大変心にしみた。

 眼から汗が出そうだ。

 

 ●

 

 食堂へと向かうために学習棟の廊下を歩く。 

 戦線の本部がある教員棟は洋館をモチーフにしているらしく、床は木材と趣があった。

 しかしこちらの廊下はリノリウムで壁はコンクリートにペンキを塗った無機質ない。いかにも学校だ。

 時折、一定間隔であらわれる掲示板やおそらく無許可であろう落書きじみた同窓会の勧誘のチラシが無機質な廊下に人の営みの匂いを漂わせていた。

 

「それにしても遠いな、普通食堂って教室と同じ建物にあるんじゃないのか?不便だろ」

 

 窓から見える食堂を眺めながぼやいていると、律儀にもドラムの少女が反応をしてくれた。

 

「せ、生徒数が多すぎるんですよ。そもそも寮制なので自炊できませんから食堂で取るしか無いんです。そのため学習棟では2000人も食事を取るなんてキャパシティが持たないんじゃないですか?」

「にしてもここから離れすぎだろ。下手すると休み時間内に食いそこねる奴もでるんじゃないか?」

「それは寮との距離を考えてでしょう。どっちかに寄ると片方から遠くなりすぎてしまいますし、遠すぎると行くのも帰るのも億劫で食事を抜いていまう生徒が出てしまったら困るんじゃないですか」

「なるほどなー。必要な不便利ってやつかー」

 

 遠いのは仕方ないにしろ、せめてあれだけ大きい建物なのだからメニューも豊富なことを祈ろう。

 定食3種類程度とかだったら悲しい。

 

「ところでさ、そういえば君の名前まだ聞いてなかったわ」

 

 窓から視線を外し、横を歩くドラムの少女に顔を向ける。

 向けた途端視線が合うといきなりビクつかれた。

 ……俺は怯えるほど凶悪な面だったのだろうか。なんか泣ける。

 

「え、あ、すいません、自己紹介がまだでしたね。あたしは入江っていいます。ガルデモでドラムスを担当しています」

 

 ビクつきながらも丁寧にお辞儀をされたのでこちらもよろしくとお辞儀を返す。

 とって食うわけでもないのだから、そんなに怖がらなくても大丈夫なのだが。

 どうもこの子は叩いてる時と通常時とのギャップがありすぎる。

 

「みゆきちは怖がりだからねー。あんまり泣かせちゃだめだぞ」

「しおりん!」

 

  前方を後ろ向きに歩くベースの少女に入江が抗議の声を上げる。

 

「あたしは関根だよ!ベースやってるぜい!ところでお兄さんの名前は?」

 

 俺は最初に名乗ったろと呆れながらも関根に答えてやる。

 

「星川だよ。よろしくな」

「何年生?」

「たぶん3年」

「じゃあ先輩さんかー」

 

 よろしくーとハイタッチを要求してきたので華麗に無視する。

 関根は弾いている時の印象と全く変わらないようで安心した。

 現実でもあのアドリブのように無茶なイタズラをしてほしくはないけれど。

 入江もここまでとは言わなくてももう少し堂々としても良いともう。

 これから顔を合わせるたびにビクつかれたら困るし。

 

「あ、あの。私なにかおかしなところありますか?」

 

 つい気になってジロジロと見てしまっていた。

 入江はさらに深刻そうな顔をしてしまう。

 

「いや、そんなことない……ちょっとあるか?」

「ひええええ」

 

 怪しげな声を上げながら入江は顔を青くする。

 このままだと髪の色と同化しそうな勢いだ。比喩だけど。

 

「みゆきち困らせないほうがいいよ、泣いちゃうから」

「しおりん!」

 

 今度は関根の頭をポカポカと可愛らしく叩いて直接抗議をする入江。

 目尻に若干光るものがあるから本当に泣きそうだったのかもしれない。

 

「わるいわるい、あんまりにも印象が違ったからさ」

「え?」

「ドラム叩いている時と今の入江さん、別人かよって思うくらい違うから」

「あー、たしかに。叩いてる時のみゆきちのはしゃぎっぷりったらすごいもんね。ファンの中でも素の性格勘違いしちゃってる人いるみたいだし」

 

 どう効いたのかはわからないが確かにダメージは受けたようで、入江の表情は青くはなくなったが暗くはなりうむいてブツブツと愚痴りはじめた。

 

「そうですよね。はしゃぎすぎですよね。わかっているんですよ、自分でも。でもバチ握ってあそこに座るとなんか気分上がっちゃうんですよ。止められないんですよ。止まらないんですよ。ついつい楽しくなっちゃうんですよ。嫌ですよねこんな女。周りからも変だってことはわかってんですよ。でもやっぱり止まらないんですよ」

「いや、俺は好きだよ。かなり」

「へ?」

「だから好きだよ」

 

 さっきまでこの世の終わりだといわんばかりに沈んでいた顔が虚を衝かれたように呆ける。

 岩沢といいなんで俺は女の子のこんな顔を良く見るのだろう。

 笑顔が見たいよ笑顔が。ゆりの笑顔は裏がありそうで怖いから遠慮するが。

 

 停止したままの入江に言葉を続ける。

 

「ああやって楽しそうにドラム叩く人結構好きだよ?見ているこっちまで楽しくなってきそうだし。まあ好きだったバンドの初代ドラマーがそういうタイプだったんだけどね」

「は、はぁ」

「それに感情ってやっぱ音やリズムにもノるもんだと思うんだよね。ドラマーが楽しそうにビートを刻んでくれるとさ、それは広がって他のメンバーにも観客にも伝わっていくんだよ。だから入江さんのあの姿結構好きだよ俺」

 

 好きだったバンドのドラマーがライブ映像ですごいにこやかに叩いている姿を思い出す。

 坊主にサングラスとヘッドフォンが印象的だった彼はで途中で脱退してしまうけれど、俺にとってそのバンドのライブと言われて思い浮かぶのはやはり彼だった。

 入江にも同じようなシンパシィを感じた。

 

 一応ほめたからさすがにネガティヴな表情から脱出はしてくれたかなと入江の顔をみる。

 当の本人は青くもなく暗くもなかったが、なぜか真っ赤な顔をしていた。

 そしてまた目が若干潤んでいる。

 どうした俺ミスったか?さすがに男と同じ扱いにしたのがまずかったか?怒ってるのかな?

 

「あー、やっちまいましたな星川先輩。こりゃ困った困った」

 

 ニシシと意地の悪い笑いをする関根。

 大変ウザったいが今はこいつにかまっている場合じゃない。

 どうする?やはり土下座か?

 ちゃんとダッシュで下がってやるべきか?

 

「まったく、みゆきちを困らせちゃいけないとは言いましたけどね。これじゃ別の意味で困ってるよ」

「し、しおりん」

 

 入江は顔を真っ赤にしたまま再び可愛らしい武力抗議を関根に行った。

 やっぱ怒ってたのかな。

 

「ごめんね。怒らせたかったわけじゃないんだけど」

「いえいえいえいえいえ、大丈夫ですよ!?」わかってますよ!?」

 

 大きくかぶりをふりながら入江は謝る俺をたしなめた。

 

「う、嬉しかったんです、少し。今まで楽しそうだねとは言われたけど褒められたことはなかったから」

 

 そう言って入江は微笑んだ。

 その笑顔は岩沢やゆりに劣らず可愛らしかった。

 

「おいこらパシリ、なに勝手にうちのドラマー口説いてんだ。しばくぞ」

「口説いてねえよ。てかお前俺に対して厳しすぎね?」

 

 再び顔を真っ赤にしてかぶりを振って否定する入江の横で、俺は関根の前を岩沢と並んで歩くギターの子に怒鳴った。

 

「お前じゃない。人を呼ぶときはちゃんと名前で呼べと教わらなかったのかパシリ」

「名乗られた覚えがない!そして俺の名前はパシリではない!」

 

 そうだっけとギターの子は首をかしげた。

 関根といいこいつといい、横暴すぎないだろうか。

 

「もう、まったく。彼女はひさ子先輩です。バンドのリードギターですよ。それとご存知かも知れませんが、そちらが岩沢さんです。バンドのリーダーです」

 

 落ち着きを取り戻した入江が丁寧に教えてくれた。

 

「ちなみにひさ子先輩は巨乳だよ」

「おいこら関根!」

「ほう」

 

 彼女の胸部を見つめる。

 着痩せなのか、制服の上からだとあんまりわからない。

 背伸びでもしてくれればわかるのだが。

 

 俺のまじまじとした視線に気づいたのか、ひさ子はそのつり目を更につり上がらせて鋭い目付きで睨んできた。

 

「見てんじゃねえよ変態」

「安心しろ、顔や足もセットで全体を見ているから。うん、エロくていいな」

「どこが安心だ!やっぱ変態だ!」

「ちょっとそのギターケースたすき掛けにしてくんない?そのほうがわかりやすい。あと変態じゃないから」

「なんの弁解にもなってないですよそれ」

 

 呆れられながら入江に冷静にツッコミを入れられた。

 だいぶ自然に接してくれている。

 どうやら緊張はなくなったらしい。安心した。

 

 ●

 

 なんやかんや会話をしながら学習棟から出て少し歩き食堂へと着く。

 外から見てもその大きさには驚いたが、中の空間の広さもまた圧巻だった。

 

「広いなあ」

「すごいでしょ。私たちがやるライブもここが多いんだ。ほら、あそこをステージにするんだよ」

 

 関根が指さす方向を見るとそこには巨大な階段が鎮座していた。

 その幅広い階段の踊り場でライブはやるのだろうか。

 確かにここなら時間帯次第ではほとんどの生徒を集客させることが可能だろう。

 まさに陽動にはうってつけの場所だ。

 

「人が来ないうちにすませちゃおうか。早く行こう」

 

 岩沢が急かし歩調を速める。

 今はちょうど正午になろうとしているところだが、一般生徒は13時手前まで授業があるため居ない。

 ここの席がすべて埋まる光景には多少興味があるが、人混みになるのも嫌なので素直に従う。

 

「あれ、食券販売機あれだろ?」

 

 前を歩いていた彼女たちが販売機を通り過ぎて、そのままカウンターへ直接向かおうとしていたので呼び止める。

 食券も買わずにどうやって食べるつもりなんだ。まさか銃で脅すのか?

 

「ああ?何いってんだ?」

 

 ひさ子が怪訝そうな顔をして振り返り、他のメンバーも立ち止まった。

 

「あの、星川先輩初めてだから知らないんじゃないでしょうか?」

「あちゃー、じゃあ食券持ってないんじゃないの?」

「……あたしはもう渡せるほど残ってないよ」

「すみません、あたしも余裕ありません」

「あたしもー」

「ひさ子、麻雀で取り上げた分あるだろう?」

「なんであたしが!」

「可哀そうじゃないですか一人だけご飯ないなんて」

 

 一同の視線を浴びてひさ子はため息をついてからこちらに近づいてきた。

 

「いいかパシリ、ここでは食券を買わずに食べるのが戦線のしきたりなんだ。理由はよくわからんが、消えないためらしい」

 

 消えないため、ということはこれも授業と同じ日常の行為に反する行動ということなのだろうか。

 

「でも食券買わずにどうやって食うんだよ」

「それはもちろん食券を使う」

「買わないのにどうやって手に入れるんだ」

「それ……まあおいおいのお楽しみってことで」

 

 ひさ子は笑った。

 またお楽しみか。どうしようもなくきな臭い匂いしかしない。

 

「俺は食券ないんだが」

「仕方がないから今回はあたしのをくれてやる。ちょっと色々あって人より多めに持っているからな」

 

 ひさ子はスカートのポケットの中に手を入れて探る。

 

「……そこは巨乳の魅力を使って谷間から出すとかよ、色気Please」

「うるさい変態黙ってろ。食券やらないぞ」

「スミマセンデシタ」

 

 取り出された食券を見る。

 紙切れが4枚あったがすべて真っ白だ。

 

「何も書いてないぞ」

「裏返してんだよ。クジ引きだクジ引き」

 

 まためんどくさいことを。

 ひさ子の顔が楽しそうにニヤニヤしているので恐らくこの中にジョーカーなるものがあるのだろう。

 どんなゲテモノ料理を食わされるかわからないから慎重にならざる得ない。

 しかし、ここでウジウジ悩む姿を見せるのもこいつをつけ上がらせそうだ。

 それもまた癪なので、さっさと右端の食券に決めてひったくる。

 

「麻婆豆腐だ」

 

 よかった普通の料理だ。

 

「あちゃーそれ引いちゃいましたか」

 

 となりから関根が食券を覗き込んでくる。

 ちょうど顔の下に頭が来て女の子特有のいい香りがした。

 

「な、何かまずいんだコレ」

 

 照れをごまかすように俺はたずねる。

 

「不味いと言いますかなんといいます、ひさ子さん他にないんですか?初めてでこれはつらいと思いますよ」

 

 入江が問うとひさ子は手のひらにあった残りの食券をひっくり返す。

 『麻婆豆腐』『麻婆豆腐』『麻婆豆腐』

 

「・・・・・・おいこら何がクジ引きだ」

「誰が変態なんかにそうやすやすと食券やるかよ。ま、これはあたしからの入隊の洗礼だと思いな」

 

 そう吐き捨ててニヤニヤ顔でカウンターへと向かった。

 

「大丈夫ですか?」

 

 入江が心配そうにたずねてくる。

 

「何がまずくてどうヤバイのかわからんが、さすがに食べられないもんじゃないだろう」

 

 それに実は麻婆豆腐は結構好きな料理だったりする。

 それでも入江は不安そうな顔のままだ。

 

「あの、これあげます。小盛りですけど」

 

 入江がくれた食券には『ごはん(小)』と書かれていた。

 

「ありがとう、助かったよ」

 

 好きだけれどさすがに麻婆豆腐だけではもの足りない。

 礼を言うと入江は少し不安が減ったようで微笑んだ。

 

「じゃああたしもあげましょう!はい」

 

 関根が渡してきた食券には『サラダ(つま)』と書いてある。

 

「え?なに?つまってサラダか?」

「一応野菜じゃないですか?」

 

 絶対こいつ自分で頼むの怖いから渡してきたんだろ。

 半眼で関根を睨むもニヤリと笑うだけだった。

 

「・・・・・・一応、ありがとう」

「一応は余計だろー」

 

 ふと制服が引っ張られる。

 今までずっと黙っていた岩沢が俺の袖を引っ張っていた。

 

「何?」

「はい、あたしもあげる」

 

 岩沢はもっていた食券を手に握らせてきた。

 その細い手が自分の手に触れ、その柔らかさに驚く。

 

「あ、ありがとう」

 

 あまりにも唐突すぎて恥ずかしくなるが、内心もっと触りたいという不純な感情も抱くが顔には出さないように努力した。

 しかしそんな心情とは裏腹に渡し終えると岩沢はすぐ手を離しさっさとカウンターへ向かっていった。

 その感触が残る手に握られた食券を見てみる。

 

 『セロリゼリー』

 

「一番ゲテモノじゃねえか!」

 

 ●

 

「おかしい、絶対におかしい」

 

 俺は目の前に置かれたブツを見て言う。

 

「だから言ったじゃないですか」

「がんばれー」

 

 心配そうな入江と完全に他人事で楽しむ関根。

 岩沢は横目で見ながらもやはり関心はないようでオムライスをもくもくと食べている。

 そしてすべての元凶はニヤニヤしながらうどんをすすっていた。クソが。

 

 どうなっているんだ、なんなんだこれは、おかしいだろ。

 カウンターでサラダが本当につま(大根)に醤油かけただけだったり、セロリゼリーが何故か青色をしていて、ごはんはごはんだったときはまだよかった。

 ツッコミ満載だったけど許容範囲内だった。正直楽しかった。

 だけどこいつが厨房の奥からやってきた途端、空気が変わり妙なプレッシャーが襲ってきた。

 そいつはすでに見た目、味わう前の段階からその危険性を禍々と示していた。

 

 赤い、ひたすらに赤い。

 

 そいつは赤色の絵の具ぶちまけてみましたと言わんばかりに真っ赤だった。

 

「こんなの絶対おかしいよ、これ麻婆豆腐じゃねえよ」

 

 その赤を見ながら悪態をつく。

 

 本来、麻婆豆腐の『麻』とは山椒のことを示す。

 正しい麻婆豆腐における辛さとは、痺れるような感覚の辛味を持つ山椒が大半を占めるはずなのである。

 本場風の辛口ならば山椒(正しくは花椒)がふんだんに使用されてこいつは黒いはずだ。そうでないならばどっちかというと茶色っぽい赤であろう。

 しかしこいつは赤い。

 この麻婆豆腐には全くもって黒い要素が見当たらなかった。

 よく目を凝らせば申し訳程度に点々と小さな黒が見える。もはや焦げと見分けがつかない。

 豆腐以外は赤、どこまでも赤。

 その色は中華料理における『麻』とは違う意味での辛味。

 刺すような、焼けるような痛みでもってその辛さを訴える、あの赤い食材をよくあらわしている。

 

 『辣』……即ち唐辛子。

 たしかかに麻婆豆腐にも唐辛子は使わなければならない食材だ。

 しかし、両方を上手く配分してこそ麻婆豆腐である。

 だが、この麻婆豆腐は本来あるべき『麻』の面影を一切排除しもうひとつの辛味『辣』が圧倒的に場を支配していた。

 もはや麻婆豆腐ではない、辣婆豆腐だ

 

「邪道だこんなもん。認めるか。てか絶対腹壊すだろ」

「いいからさっさと食えよ、男だろ」

 

 腹と肛門の心配をしていると、しびれを切らした元凶が対男用飛び道具①『男だろ』で覚悟を決めろと急かす。

 その言葉は現代だとセクハラ扱いできるから変態と罵倒してやろうかと思った。

 全くもって今の状況を打開できるわけではない。

 そしてこのまま眺めているだけでも意味はない。

 

 よし。

 

「いただきます」

 

 俺は覚悟を決めてレンゲを構えた。

 

 ●

 

 

 腫れる唇と腹の具合を気にしながら道を歩く。

 食事を終えると周りにチラホラと一般生徒が現れはじめた。

 混雑する前に出てしまおうと言われ、水をおかわりするのを断念せざるおえなかったからまだ少し口の中が辛い。

 

「辛かったなあ」

 

 今は口が一番痛いが、のちのち腹痛が襲ってくるであろうことを予想して欝になる。

 下手すると便所と一夜過ごしかねない、それほそ強烈な辛さだった。

 

「でもよく食べきりましたね。食べ終わるまであまりお水も飲んでいませんでしたし」

 

 関根と並んで前を歩く入江が振り返りながら言う。

 

「まあ、男の子ですから」

 

 このぐらいなんともないと胸をはる。

 本当は途中でやめてしまいたかったし、水を飲まなかったのは辛すぎて麻痺した舌をリセットしなおすより、このまま食べ続けたほうが辛さを感じにくくて楽だ考えたからだ。

 汗かきまくったし、最後の方なんか半分くらい感覚なかったけど。

 

「あれは男とか関係なくお世話になりたくはないよねえ」

「次は勘弁被るよ」

 

 関根の意見に同意する。

 今日は食券を持っていなかったから仕方ないが、できればもう一生食べたくない。

 

「でも関根や入江も女の子にしては結構な量食べてなかったか?」

 

 二人共普通に揚げ系の丼物を一人前完食していた。

 女の子ってそれなんの拷問だよって量の少ない食事をとっているのが大半だった気がする。

 体型維持のためにサラダ1つとかフルーツだけとか。

 

「星川先輩、それセクハラですよ?」

「エロいと思ってないからセクハラじゃないです」

「横暴すぎですよ……」

「でも普通の女の子の学生って基準で考えたら世間一般からは外れてるかもね。私たちもさ、生きていた頃は星川先輩が想像しているような食事だったよ普通に」

「そうなの?」

「でもこちらの世界では死にませんから、体型自体もそれほど変化があるわけではないんですよ。むしろ食べないとお腹へって動けなくなっちゃいます。最初はそのへん考えてなくて大変でした」

 

 なるほど、この世界では体型維持について気を使わなくても良いのか。

 死んだらそもそも歳すらとらないもんな。どーりで綺麗な子が多いわけだ。

 一部の人たちが聞いたら歓喜して来たがるだろうに。

 ただし死ぬことが条件という無理ゲーだけど。

 

 ついて行きながら歩くと学習棟とは別の方向に曲がった。

 

「もどらないのか?」

 

 岩沢が振り返る。

 

「練習はおわり。小テストとかなんかやるクラスが多いみたいで、音を出すのは控えろって今朝ゆりに忠告された。こちらとしても天使がやってきたら厄介だからね。今日は素直に大人しくしてるよ」

 

 なんだ今日はこれでおわりか。

 結局仕事らしいことってパシリしかやってないな。

 

「ふーん、あっそ。じゃ俺も帰って寝るか」

「……頼んだ仕事忘れてないよね」

 

 岩沢が半眼で睨みながら淡々といった。

 

「は?仕事?なんの……ワスレテナイヨ」

「いやいや、今なんのことだって言いかけてましたよ」

「何を言うんだ関根さん。忘れてなんかいない。ちょっと思い出せなかっただけだ」

「人はそれを忘れたと言います」

 

 入江に冷静につっこまれた。むぅ。

 

「じゃあちょっとひさ子さんのおぱいが気になって思い出せなかった」

「じゃあってなんだよ!人を巻き込むな変態!結局忘れてたんじゃねえか!」

「それなら仕方がないな。今度から忘れないでくれよ」

「Yes mam」

「いわさわあー!!」

「まあなんでもいいからさっさとゆりに伝えてくれよ。じゃあな」

 

 岩沢たちと別れ俺は教員棟へと向かった。



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Chapter.1_8

 校長室にゆりはいなかった。

 連絡をとろうにもトランシーバーは壊れてしまっている。

 仕方なく、俺はゆりを探しにでかけた。

 

 ●

 

 いない。

 どこにもいない。

 どこを探せどゆりの居場所をつかむことは全くできなかった。

 手始めに学習棟をうろついてみたがどの階にも姿はなかった。

 そもそも戦線の人間は授業なんて受けないだろうし、教室を利用しないならウロチョロしてうっかり教師に見つかるなんてあほらしい行動もとらないだろう。

 なら別の場所かと適当にあたりをつけて地図をたよにリ探しまわってみたが、生憎昨日来たばっかりの自分にあたりなどというものが正確につけられるえわけもなく、皆目見当もつかず早々に挫折した。

 しかし、幸いなことに他の戦線メンバーがちらほらといたので、その人たちに心当たりを聞いてはその場所へと向かった。

 そこにいなければまた近くのメンバーに聞いては探し、その繰り返しをつづけた。

 山以外の場所にはほとんど巡ったといって良いだろう。

 男子禁制の女子寮にもその場にいた女子の協力を得て呼び出してもらおうとしたがやはり不在だった。

 

 どこにもいない。

 あまりにもこの学園が大きすぎて、すでに足は悲鳴をあげていた。

 結局機材の無事も確かめておきたかったので休憩がてら再び学習棟へと戻ることにした。

 

 コーヒー(微糖)を購入し、自販機にもたれかかりながら座り込む。

 

「フゥ」

 

 深い溜息が出た。

 疲れた。歩きすぎてもう足はパンパンだ。

 ここにきてまだ2日目なのだが、学園を踏破したと言っても過言ではないだろう。

 ポケットから地図を取り出す。何度も広げては畳んでいたせいでクシャクシャだった。

 それを丸めてイラつきながらゴミ箱へ投げ入れる。

 勿体無い気もするが、一度訪れた場所の位置を覚えるのは得意だから問題ないだろう。

 正直見つからないし疲れたしイライラしていたから何かに当たりたかったというのもあるけれど。

 落ち着かせるように俺はコーヒーをあおった。

 

 学園中を歩きまわったおかげで昼休みはとうに過ぎ、もう少しで本日最後の授業が始まろうとする時刻にまでなっていた。

 相当な時間歩き続けたのか。そりゃ足も棒になるわ。

 座ったまま足を投げ出しボーッとする。

 廊下の半分以上を遮るかたちになっているが、どうせもう自販機を利用に降りてくるやつもいないだろうから別に構わない。

 

 フゥーッと今度は長めに溜息をつく。

 今日はなんだかあんまり座ってないな。歩いてばっかりだ。

 パシリに片付け、それに人探し。

 ……一体俺は死んでまで何やってんだろ。

 イラつきと疲労のせいか少しネガティブな考えが巡った。

 

 確かに消えたくはない。

 でも別にゆりたちに従う理由も無かった。

 消えないためには、ここの規則に反する行動を取ればいいだけのこと。

 だったら戦線と共に行動しなくても、一人でも消えないための努力はできるじゃないか。

 こんなアホみたいに歩きまわらなくてもいいじゃん。

 死んでまで真面目に働く意味もないじゃん。

 そもそも戦線に入ったのって、単に情報が欲しかったのが一番の理由だし。

 

「あああ、しんど」

 

 座っていた体勢はどんどんと崩れ、いつしか完全に寝転んで天井を仰いでいた。

 天井の上、遥か高いところをみるように焦点がぼやける。

 任務初日にして早くも5月病に似た気分になっていた。

 

 そもそも何故ゆりたちはここまでできるのだろうか。

 消えないために神を殺すと言うが、ここまでする必要はあるのだろうか。

 せいぜい天使とやらを撃退するだけでもいいんじゃないか?

 なんで神を殺す?

 

 いや違う。

 彼女たちをそう衝き動かす理由がどこか別にあるように感じた。

 

 結局そういうことだ。

 メリットデメリット以外の、損得ではない部分、感情の面で俺はまだ彼ら戦線の人たちに共感できていないのだ。

 

「まあ、ここで考えこんでも答えのでないことだけどな」

 

 こればっかりは聞いてみるしかない。

 

 キーン コーン カーン コーン

 授業開始の鐘が鳴る。

 それを区切りに寝っ転がる体を起き上がらせそのまま立ち上がった。

 残ったコーヒーをすべて飲み込む。

 でも頭をリフレッシュしたかったのでもう一度コーヒーを買う。今度はブラックだ。

 ガコンッと音をたてて缶が落ち、取り出すために屈み込む。

 変な角度で落ちたせいか、引っかかって取り出すのに苦労した。

 

 だからというわけではない。

 しかし、気づきはしなかった。

 直前になってもそいつが近づいているのに俺は気づくことが出来なかった。

 

「何をしているの……」

 

 驚き即座に振り向く。

 そこには銀髪の小柄な少女が立っていた。

 

「何をしているの……もう授業は始まっているわよ」

「ああ……そうだな……」

 

 動揺しながらも、なんとか声を絞り出す。

 見知らぬ少女にいきなり声をかけられたから驚いているのではない。

 ゆりを捜索中も知らない生徒や教師に声はかけられていたから今更それに驚きはしない。

 

 色がない。

 

 驚いているのは、その少女の声にあまりにも色がなかったからだ。

 変な表現ではあると思う。

 でも、俺は人それぞれにの声にはその人の色があると思っている。

 何色とかそう明確なのものではなく感覚的なもの。

 その人の特徴、つまり個性があるのだと。

 だけれど、その少女からはそのカラーが全く感じられなかった。

 機械的とはまた違う無機質。

 

「戻らないの……」

 

 clear

 

 あまりにも透明度が高いその声に俺は動揺を隠せなかった。

 

 いままで聞いたこともない。

 こんな声が存在しているのか。

 いや存在していいのか。

 

「ず、頭痛がしてな。保健室に行こうと思ってて」

 

 やっと俺はまともな言葉を紡いだ。

 喉は恐ろしいまでに干上がっている。

 たかだか声を聞いただけなのに。

 

「でも、コーヒーを買っていたように見えるけど……」

「ん?ああこれ、俺カフェイン中毒ぎみなんだ。頭痛がその原因である可能性もあるから、一応ね」

 

 俺は手に持っていたコーヒーを掲げて示す。

 

「そう。難儀な体ね」

「自分でもそう思うよ」

 

 わかった。

 声じゃない。

 こいつ、存在自体が全体的に不気味なんだ。

 

 すべてが無機質すぎる。

 声だけじゃなく、その言葉や挙動、雰囲気までもが恐ろしいまでに色がない。

 なによりその表情が。

 

「どうしたの……」

 

 目の前にいきなり顔を近づけられる。

 

「顔が青いわ。大丈夫かしら……ついてくわ」

「つ、ついてく?」

「保健室まで」

 

 動揺が体調不良と察したのか(そう嘘はついていたが)気をつかわれた。

 だけれど。

 

「ありがたいけど、大丈夫だよ。君も、もう授業に戻ったほうがいい」

「でも」

「大丈夫、大丈夫。倒れたりはしないから」

 

 必死に少女に言い聞かせる。

 納得はできないようだったが、すでに授業も始まっていたので一応は退いてくれるようだ。

 

「わかったわ。気をつけてね」

「おう、じゃあ」

 

 別れを告げると足早にその場を去る。

 とにかく離れたかった。遠くへ行きたかった。

 

 

 ●

 

  

 急ぎ足でその場から逃げ出した俺は学習棟を出てすぐに立ち止まり息を整えようとした。

 深く短い呼吸を何度も繰り返す。

 一回あたりのの時間がはじめの倍になってきたころようやく落ち着きを取り戻した。

 

 何だったのだろうかあれは。

 突然自分をあそこまで動揺させた得体の知れない少女。

 あそこまでの恐怖をもたらす少女。

 少女と向き合っているだけで冷静にはいられそうになかった。

 

 あの表情。

 金色の瞳を携えた彼女の表情があまりにも怖かった。

 岩沢とまったくもって全然違う。

 クールな岩沢であっても、おそらく興味のないことに対しての感情の振れ幅が小さいだけで、起伏自体はしっかりとある。

 彼女には色があったから。

 でもあれは違う。

 冷たいとかじゃない。

 無い。能面ようだ。

 俺に心配の言葉をかけているにも関わらず、その表情からは皆無と言っていいほど感情は伝わってこなかった。

 振れ幅が小さいんじゃない。

 幅を示す針がないんだ。

 振れるということがありえない。

 人間としてあるべき色や熱が全く持って感じられない。

 おそらく少女はそのことに無自覚で、その存在は恐ろしいまでに無機質。

 

 その少女のことを考えてみればみるほど、この世に存在してもよいのだろうかという疑問に至る。

 あんな化物がいるだけでどうにかしている。

 パニックからまだあまり抜け出せない俺はそれがすでに聞いていたはずの結論までに至らなかった。

 

 怖い。

 人とは思えない。

 

 それが、彼女に対して抱いた、第一印象だった。

 

 

 ●

 

 

 残念なことに、いやいやであろうと気分がすぐれなかろうと仕事はこなさなければならない。

 どうにか落ち着いた俺はゆりの行方の手がかりをつかもうと、再度戦線の人間を探していた。

 教員棟への道を曲がったとき、ちょうど目の前に戦線の制服を着た少女が歩いていた。

 

「すまない、ちょっといいか」

 

 声をかけると金髪で髪を2つに編んでいるその少女は振り向いて俺を直視した。

 

「はい、なんでしょうか」

 

 事務的なその口調は、耳につけたインカムと相まって問い合わせセンターカーなにかのアポインターを彷彿させる。

 

「ゆりっぺさん探しているんだけど、どこにいるか知らない?」

「ゆりっぺさんですか?たしかギルドに行かれたかと思いますけど」

「guild?」

 

 聞いたことのない場所だ。

 捨ててしまった地図にもたしかそんな横文字な名前の場所は存在しなかったはず。

 ということは、戦線独自の通称か?

 だとるれば、新人の俺にわかるはずがない。

 

「どういったご用件でしょうか?私から連絡を取ることも可能ですけれど」

「まじか!ナイス!」

 

 もう歩かなくてすむ!

 俺は少女の手を取りブンブンと上限振って興奮を表した。

 少女はされるがままで離そうとはしないが心底迷惑そうな顔で。

 

「再度聞きますが、どういったご用件でしょうか?」

「ああ、すまんすまん」

 

 俺はいい加減手を離す。

 

「えーと、ガルデモが練習で使用した機材を回収してほしいんだ」

「ガルデモ?」

 

 あぁ、あなたが。と少女はどこか納得した様子でうなずき、後ろを向いて耳に手を当てた。

 

「……ゆりっぺさんですか……いえ、ちがいます。ガルデモの件でして……ええ、そうです。彼からの……」

 

 耳にかけたインカムでゆりと連絡をとってくれているようだ。

 

「……はい……はい、わかしました」

 

 終わったのか耳から手をはなし、こちらに向き直り直視した。

 

「こちらで人員を手配します。あなたは教室へ向かい、機材が無事回収されるのを確認して下さい」

「それだけ?」

「どうせまだどこに運ぶかも知らないでしょうから、邪魔ですのでそれだけで結構です」

「……ごもっともです。了解しました」

 

 よろしいです、そう少女は無表情に言った。

 ……なんか無表情キャラ多くね。

 死んでるからなのかしら。

 

「じゃあとりあえず俺は行って待機してればいいんだな」

「そうですね」

「わかった。色々ありがとな、えーっと」

「遊佐です」

「ありがとう遊佐さん。俺は星川、以後お見知りおきを」

「こちらこそ」

 

 遊佐が手を差し出してきたので握り返す。

 ほっそりと小さい女の子らしい手だった。

 

 ●

 

「はい、はい、大丈夫です……たぶん……ありがとうございました」

 

 最後の機材が運ばれるのを確認し一安心。

 ようやくこの日の仕事を終えた。

 

 やっと自由だ。

 

「あー、もうなんか色々めんどいから、帰って寝よう」

「その前に報告ぐらいちゃんとやりなさい」

 

 声のする方向に顔をを向けるとゆりが扉にもたれかかりながら立っていた。

 その後ろで遊佐が会釈をする。

 

「いたのかよ、びっくりしたな」

「あなたがこの程度で動揺するとは思っていないわ」

 

 確かに驚いてはいないけど。

 

「俺は普通の矮小な人間ですよ。過大評価してもらっちゃ困るよ」

「別に過大評価なんかしてないわ」

 

 ゆりが肩をすくめて言う。

 

「あなたアホだからこの程度のことも鈍感で気づかないんじゃないかって」

「おいこら」

 

 ツカツカと歩み寄りながらゆりはまっすぐ見据えた。

 

「連絡、報告、相談、これらを自分でしっかりやりなさい。できないからアホなのよ」

「……スイマセン」

「まったく、一応あなたは正式にはガルデモのパシリじゃなくてこっちとの連絡係なんだからね、しっかりしなさい。それよりトランシーバーはどうしたの?」

 

 遊佐に連絡してもらったせいでやはり気づかれてはいたか。

 どうせ言わなきゃならないとは思ってたけど、このタイミングは微妙だな。下手すりゃ怒られそう。

 まあ誤魔化しは効かないか。

 

 覚悟を決めてスパッと言う。

 

「壊れました。申し訳ございません」

 

 腰からトランシーバーを抜き出してゆりに手渡す。

 

「あっそ、仕方ないわ」

 

 どなられたりでもするかと思ったが、ゆりの反応は予想を外れてあっさりとしたものだった。

 

「これ新型だったのよ。テストも兼ねて渡したんだけど、やっぱり壊れたわね」

「……そう……なのか」

「周波数を固定登録と変換可能機能を両方搭載するのはそれなりに便利そうなんだけどね。やっぱ負荷かかりすぎたかしらね」

 

 ゆりはトランシーバーをあれこれ弄る。

 そうか、そういうもんだったのか。

 俺が落としたわけじゃによね。たぶん。

 いい感じに責任が曖昧になりそうだから、落としたことは黙っておこうそうしよう。

 

「代わりのは明日また届けるわ。遊佐さん、これお願い」

 

 トランシーバーを受け取った遊佐はお辞儀をして去っていった。

 その足音が聞こえなくなってから再びゆりは口を開いた。

 

「どうだったかしら、はじめてのおしごとは」

「どうもこうもねーよ。つかれたよまったく」

 

 俺の返事に苦笑しながらゆりは近くの椅子を引き寄せて座った。

 それにならって俺もすぐ横の机によっかかった。

 

「女の子ばっかりで気苦労がたえなかったかしら?ガルデモのメンバーはみんな美少女だものね」

「美少女なのは同意するが、まあそのへんはどうにか打ち解けたよ」

「あっさりと同意するのね……ファーストコンタクトが成功したなら、その他に苦労があったのかしら?」

 

 少し、間が開く。

 苦労したのは歩き過ぎたからなのだが、その疲労のおかげで浮かんだあの考えを思い出した。

 話すべきかどうか迷ったが、この先悩んでも仕方がないし、聞かなければ答えは出ないと自分で結論づけたはずだ。

 

「なんで、どうしてゆりは、戦線はたたかっているんだ?」

「は?そんなの神を殺すためじゃない。話したでしょ」

 

 もう忘れたのか、やはりバカだなと憐れみに満ちた目で蔑まされた。

 

「そうじゃない、なんで神を殺すんだ」

 

 意図が伝わりやすいように多少声を強くして俺は続けた。

 

「消えないためなのは理解できる。神さえ殺せれば安泰だろうよ。でもその方法は糸口すらつかめてないんだろ?それに神を殺さなくても、こうやって不良じみた学校の規則に反する活動を行っていれば消えないはずだ。わざわざ神を殺すなんてことしなくてもいいじゃないか」

 

 一息いれて、わざと間をつくる。

 ゆりは黙って聞いている。

 

「でも、そんへんの建前はどうでもいい。いつ神の気まぐれで消されるかわからないからとかな。俺が聞きたいのは、なんでそこまでして消えたくないのか、なんで神を殺そうとまで憎むのか、そこが知りたい」

 

 ゆりは黙したまま、ふと足を軽く持ち上げてブラブラさせた。

 俺もだまってそれを見続けた。

 

 やがて口を開く。

 

「だって、許せないじゃない」

「許せない?」

「あなたは許せるの?あんな理不尽な人生を与えた神という存在に、あんな末路を背負わせた神に!!」

「どういう……」

「言ってなかったわねそういえば、気づいてるもんだとおもったから。この世界に来るための条件はただ死ぬことじゃないの」

 

 ただ?

 どういうことだ?

 

「この世界の来れるのは、到底受け入れがたいほど悲惨な人生を送ってきた哀れな人間が、死んでその生に悔いを残すことでやって来れるのよ。それこそ、未練があって成仏できない怨霊みたいにね」 

 

 ゆりの言葉に、上手く思考が回らなかった。

 ただ、死ぬことだけじゃないのか?

 悲惨?哀れ?悔い?未練?

 じゃあ、ゆりたちは。

 

「わかる思うけど、ここに来た人間はみな、まともじゃない人生を送ってきたのよ。そうね、話してあげましょうか。あたしの人生を―――

 

 

 

 ▼

 

 

 家

 

 姉

 

 妹

 

 弟

 

 妹

 

 守る

 

 守る

 

 守る

 

 守りたい

 

 守らなきゃ

 

 守るのよ

 

 まも―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――守れなかった

 

 

 ▲

 

 

 

 ―――というね、これが、あたしの送ってきた人生よ。なんにも悪いことしてなかったのにね」

 

 唖然とした。

 わけがわからなかった。

 

 そんな人生あっていいのか。

 そんな不幸がありえていいのか。

 こんな人生を。

 

「こんな理不尽な人生を与えた神様がもし、もし殺せるという可能性があるのだとしたら、あなたはその神を許しておくことができるかしら」

 

 そういうとゆりは立ち上がり出口に向かって歩き始めた。

 扉の前で立ち止まり、顔だけをこちらに向けて言う。

 

「みんな、同じなのよ。あなたもそう。心当たりあるでしょ?じゃなきゃこんなとこに来ないわ」

「……そうだな」

「私は認めない、あんな人生。我慢して受け入れて新しい人生を始めようだなんて絶対に思わない。だから、反逆するの。この世界で、その元凶たる神を殺して。……これがあなたが知りたかった戦線の活動理由、いえ原動力よ」

 

 原動力

 彼らが戦う理由

 死して尚生を哀れんで執着する呪い

 神を殺そうとまで突き動かされる所以

 

 それはまるで、

 

「まるで復讐じゃないか」

 

 その言葉に、ゆりは一瞬虚を衝かれたような顔をする。

 しかし、すぐに破顔し笑いだした。

 

「あはははははは!おもしろいわ!そうね、まさに復讐ね!いいセンスしてるわ」

 

 一頻りにゆりは笑い、落ち着いた所でニヤリと笑をつくってこちらに微笑みかけてきた。

 

「これは神への敵討ちよ、それも自分の。星川くんは、復讐はお嫌いかしら?」

「……いいや」

 

 やっとわかった。

 やっと共感できた。

 単純じゃないか。

 なんで悩んでいたんだばかばかしい。

 

 そうだ、許せるかあんな人生。

 許せるかそんな神がいたとしたら、

 

 だから

 だから俺は

 

「いいと思うぜ、復讐。自分の仇に神を殺そうなんて、イカれててRock'n'Roll過ぎんだろ。最高」

 

 俺は不敵に笑った。



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Chapter.1_9

 屋上には昨日と同じように心地よい風が吹いていた。

 

 ここから見える夕日は本物なのだろうか。

 俺が生きていたあの世界とは別物なのだろうか。

 あの夕日もまた”死んで”いるのだろうか。

 

 そんなことを考えながらも柵に寄りかかる。

 下を見ると、ちょうど部活を終えたNPCたちが教師に急かされてならが駆け足で寮へと帰ってゆく。

 その後ろ姿を眺めながら、なんとなく歌を口ずさむ。

 

「それ、ビートルズ?」

 

 声をかけられ振り向くと、ギターケースを抱えた岩沢が無表情ながらもいつもとは違って昨日会話をした時のような熱のある顔をして立っていた。

 

 

 ゆりと別れた後、俺は呆然としていた。

 最初はさっさと帰って寝ようかと思っていたのだが、ゆりとあんな話をしたままぐっすり眠れる気なんて全くしなかった。

 なんとなしに校舎内を歩いていると昨日屋上からみた景色や夕日のことを思い出した、

 このまま歩きまわって例の少女に遭遇したくもなかったので、しばらく夕日を眺めて過ごそうとやってきたのだ。

 

 だが、ここの景色は覚えていても岩沢が現れる可能性は完全に失念していた。

 そういやここで会ったんだよな。そして俺はここから落ちたんだよな……

 つい下を覗いて高低差を確かめてしまいそうになる。怖いので見ないように堪える。

 

「ビートルズだよね?」

「そうだよ」

 

 岩沢に顔だけ向けて答える。

 彼女は答えを聞きながら俺の横まで歩いて同じように寄りかかった。

 

「何でその選曲なの?」

「何でって、おかしいかな」

「夕日見ながら口ずさむような曲かなと思って」

「それはだね、」

 

 俺は黙ったまま少し待ち、校庭に設置されているスピーカーを指さした。

 

 『キーン コーン カーン コーン』

 

 タイミングよくチャイムが鳴る。

 これで完全に部活動は終了し、NPCは寮なりなんなりに帰ったことだろう。

 もうこの校舎にいるのは俺達か他の戦線メンバーだけのはずだ。

 

「生きてるとき通ってたところがね、最終下校の音楽がこれだったんだよ。だからこうして学校から帰るって雰囲気になるとつい歌っちゃってな。だから夕日みて歌ったわけじゃない」

 

 三年間の継続とは恐ろしい物で、卒業した今でもこの曲を聞くと急がなきゃと思ってしまうほどだ。

 

 それはそれとして、この曲イヤホンとかヘッドホンで聴くと気持ち悪くなるよね。

 ビートルズってステレオで分割させるのが特徴的だけどやりすぎって感じがこれはしなくもない。

 いい曲だけど。

 

「ふぅん」

 

 今までと同じように言葉だけは気のない返事だったが、その声色からは興味があるのが伺える。

 音楽の話題ならいいんだろう。

 

「ビートルズ好きなの?」

「んー、まあまあ、かな。聴きはするし嫌いじゃない」

 

 ふぅんと同じ返事をしながら、岩沢は隣で座り込みケースからアコースティックギターを取り出した。

 それを眺めていると、岩沢が顔を上げる。

 

「どうした?座りなよ」

「お、おう」

 

 同じように夕日を背にして岩沢に座り込む。

 

 『放課後・屋上・二人っきり』というシュチュエーションに男の子として思いをはせなくもないが、ペグを回して黙々とチューニングを行う岩沢にそれを期待するのは難しいだろう。想定内、想定内だから。

 

「星川ってさどんな音楽聴いてきたんだ?」

 

 アホなことを考えていたら不意に岩沢から質問をされた。

 即答は出来ず少し考えこむ。

 

「どんな、っていわれてもなあ。色々すぎてわからんよ」

「じゃあ、どんなジャンルをよく聴いていたんだ?」

「ジャンルねえ……」

「やっぱりロック?」

「男がみんなrock'n'rollerとは限らないぞ」

 

 まあ好きではあったけどよ。

 

 俺はこめかみを抑えながら考え込んだ。

 正直答えるのが色々めんどうである。

 答えるのが嫌なのではなく、めんどくさい質問なのだ。

 

 それでも岩沢は急かすことはなくゆっくりと待ち続けている。

 

「そうだなぁ……広い意味で言えばエレクトロニックをしょっちゅう聴いて過ごしてたかな」

「エレクトロニック?電子音楽ってこと?TMネットワークみたいな?」

「そうともいうかなんというか」

「どういうこと?」

 

 可愛らしく首をかしげて尋ねてくる。

 

「例えば、俺の一番好きだったバンドは"一応"エレクトロニックにカテゴライズされるんだけど、正確なジャンルは厳密にはエレクトロニックではないというか一応クラブミュージックなんだけどエレクトロニックといえばエレクトロニックっていうか……そもそもエレクトロニックは電子音楽で総称みたいなもんで、その中でも色々ジャンルがあってそれぞれはエレクトロニックでも音楽としては全くの別物だったりするわけで、はっきりと"TMネットワークネットワークみたいな"とは一概に言えないんだよ」

 

 エレクトロニックはエレクトロニックでエレクトロニックじゃなくてエレクトロニックともいいエレクトロニックにふくまれエレ……

 

「……なんかめんどくさいね」

「そもそもジャンルという考え方で音楽を分けるのはナンセンスとも言うし」

 

 一部の過激的な考えかもしれんが。

 でも俺が一番良く聴いていた分野は本当にめんどくさい感じにジャンルというものが分けられ混在されていて、それが普通に保っているという不思議な状態だった。

 何がどう分けられて違うのかは素人目ではすぐにはわからないのも確かだったけど。

 

 例えば、とあるユニットはあるDabstepというジャンルを謳って曲を出していた。

 しかし、そのジャンル内で新しい分け方ができた、というかこういう曲はこのジャンルのものとは別ものであるという考え方ができ、新たに別の枠ができた。

 おかげでそのユニットは最初に謳っていたDabstepとは別のジャンルのBrostepへとカテゴライズされてしまった。

 本人たちが決めてのではなく、客観的にみてお前らこっちと世間様に。でもそれで別に曲のスタイルが変化したわけでもなく、今まで通りだったからジャンルなんて言葉は本当にわかりやすい、”とりあえず”の目印でしかないんだってことがよくわかったものである。

 

「へぇ、ちなみになんてバンドだったんだ?」

「Pendulumっつー、イギリスのオーストラリア人バンド」

「は?イギリス?オーストラリア?」

「イギリスでレコード出して活動しているけど、出身はオーストラリアですってこと」

 

 それを聞いた岩沢はんーっと顔をしかめながら考え。

 

「……日本でしか活動してないんじゃないかっていうK-P○Pみたいな?」

「その言葉は都市伝説の範囲ギリギリアウトなんじゃないかと言われて扱いに困るけど、違うと言っておこう」

 

 それとこれとを一緒にしてはならない。

 そうか、と別にどうでもそこは良かったと言わんばかりに落ち着いた表情に岩沢は戻った。

 こいつやはり音楽がらみの話をすると表情豊かになるな。

 

「そのペンデュラム?っていうバンドはどんな音楽をつくっていたんだ?」

「えーっとな、一応ジャンルはDrum'n'Bassだ。わかるか?」

「ドラムアンドベースだろ?たしかやたらとドラムが高速でビート刻んでやたらとベースが低くなってるやつだろ」

「すごいアバウト過ぎるけどだいたいは合ってる」

 

 もともとLTJブケムというイギリスの音楽プロデュサーがジャングルという音楽と混合しないように、自らの音楽はジャングルとは指向が違う別物だということで名付けられた。

 だからドラムンベースとはLTJブケム個人の音楽から始まったジャンルであり、一応の定義はあるものの全てがそれに当てはまるわけだはないのだ。

 

「PendulumはそのDnBが基盤となっているんだけど、電子機器と多用してサウンドをつくっているからエレクトロニックと言い切ることもできる。メインメロディーはシンセが担うことが多いし」

 

 まあこう言い切るにはDnBとエレクトロニックが別物と解釈しないといけないけど、そう切っても切れるものではないからなんとも言えないんだけどね。

 前述したとおりDnBは基本クラブミュージックだからなあ。

 

「へえ、どんな詩を歌うんだ?」

「うーん、詩はオカルトチックだったり、洋楽を和訳したらよくあるやたらかっこつけてるやつだったり。でもPendulumがまともに歌詞つき歌い始めたのは3枚出したアルバムの内の最後だから、詩っていわれてもなぁ。Pendulumの本質はそこじゃないし」

「歌詞なし、インストゥルメンタルの曲がほとんどなのか?」

「そーだよー、普通に5分超える曲とかざらにあったよ」

「え、じゃあライブはどうするんだ」

 

 俺はニヤリと笑った

 

「そこがPendulumの面白いところなんだよ。ライブの時だけMCをやるメンバーがいるんだ」

「MC?」

「そう。絶妙なタイミングで合いの手入れたり、盛り上がるメロディーの直前までにめちゃくちゃ煽ってオーディエンスのボルテージ高めたりな。スッゲー盛り上がるんだよ」

 

 インストの曲が多いといまいち盛り上がり切らない。

 クラブハウスの良な場所ならいいのだが、Pendulumは普通に野外ステージでやることも多い。

 そこでMCが観客を盛り上げ続けるのだ。

 

「MCかぁ、うまく想像できないなぁ」

「んー、ヒップホップ、とはちがうけど、そんなかんじにマイクで煽りまくる人を想像すればいいよ」

「ふぅん」

 

 それにPendulumのライブはMCだけではない。

 "beat"を意識させるDnBのエレクトロニックの特徴を生かして、それに合わせたライトの点滅や切り替えなんかもする。

 ライトの活用は今どき珍しくもないが、高速のビートにのって切り替わるライトによってオーディエンスは”視る”ことでトランス状態になる。

 

「それにpendulumはアレンジ曲を結構やるんだよ。しかもそれをライブでしかやんねーから」

 

 ライブCDがでたからそれに収録はされているけれど、ちゃんとした録音ではない

 一番有名なアレンジは"voodoo people”だが、ヘタをすると他のオリジナル曲より有名かもしれない。

 たまにテレビとかでBGMにつかわれるし、PVが有名だから。

 こいつは一応本元のThe ProdigyのCDに収録されたけどすでに絶版。

 データー販売もされているけど音質256しかない。

 

「一体、どんな音楽だったんだろうな」

 

 岩沢は伝聞による想像上だけで、その音楽を聴けないことを本当に悔しがっていた。

 

 なんとなく、岩沢という少女の本質がわかりはじめた。

 この少女は、音楽を心から愛しているんだ。

 

「……俺も、せめて"Showdown"か"Witchcraft"くらいは、聴かせたかったな」

 

 冷徹に刻まれるビートとエレクトロニックによる重く激しいあのサウンドを。

 この少女に聴かせることができないのが、残念だ。

 もし聴かせることができたとしたら、音楽を愛するこの少女はどんな反応を見せてくれるだろうか。

 

 驚くのか、嫌うのか、心酔するのか、憤慨するのか、惚れるのか、軽蔑するのか、溺れるのか。

 

 想像が、とまらない。

 

 ああ、残念だ、本当に。

 

「そうだ!星川弾いてみてくれよ!」

「はぁ?」

「一曲だけ、サビだけでもいいからさ!あ、でもインストならサビだけじゃだめだな。なあ、頼むよ!」

 

 岩沢は俺の手にアコースティックギターと無理難題を押し付ける。

 いかん、こいつマジの眼だ。

 

「弾けって、アコギでとか無理だわ!エレクトロニックでシンセがメインつったろ!」

「アレンジで!」

「即興でできるかそんなもん!」

 

 むぅー、と両頬を軽く膨らませて岩沢はむくれる。

 可愛いけど無理なものは無理です。

 

「じゃあ用意したら弾いてくれるか」

「あ?」

「じゃあシンセ用意したら弾いてくれるか!?」

 

 大声をはりながら俺の肩をつかむ。

 ひさ子みたいにバカみたいな握力はないようで、痛くはない。

 だけどさっきから距離が近いって。

 

「うーん、全部再現とか無理だけど、覚えているメロディーとか、それこそうろ覚えアレンジでよければ」

「わかった、それでいい。ぜったいだぞ!」

 

 つかんだ肩に力を入れて体をもっと引き寄せる。

 そのまま睨むように下から覗き込み俺に強く主張し誓わせようとする。

 俗に言う上目遣いというやつで。狙ってんのか天然なのかわからないが、それは大変可愛らしくこちらとしてはずっと視てると恥ずかしくなるので顔を背けて誤魔化す。

 

「あーうん、デキレバネー」

「ちゃんとこっち向け」

 

 案の定注意をされる。

 そのうえ両手を肩から離し、顔を挟んでグっとまわして岩沢と目が合うように固定された。

 

「いいか、ぜったいだからな」

「はい!はい!わかったよ!約束するよ!」

 

 これ以上の間上目遣いで睨まれ続けると本当に恥ずかしくて死にそうだから諦めた。

 こいつ自覚してやってたら相当だぞ。

 でも天然だったら萌えるけどそっちの方が危険すぎるか。

 

「うん、ならよし」

 

 やっと俺は顔面ロックから解除された。

 まったく、今日はいい意味でも悪い意味でもドキドキと心臓の動悸が早められすぎて辛いわ。

 セクハラするのは全然楽だけど、こうして純粋にやられるのはどうもダメなようだ

 王道的展開に弱いんでしょうか。

 

「ああ、たのしみだなぁ。どんな音楽なんだろう」

 

 ドキドキの張本人無自覚なままいつか聴ける音楽に思いを馳せておらっしゃった。

 

 ……訂正、こいつは音楽を愛する少女ではない。

 こいつはただの音楽キチだ。

 

 ま、愛していることにはかわりないかもしれんがね。



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Chapter.1_10

「じゃあせめてこれでなんか曲弾いてくれよ」

 

 アコギを押し付けながら要求をされた。

 だから無茶をいうな。弾くこと自体ができないわけではないが、自分より上手い人の前で弾けるか。

 

「なんでそんなに弾くことを望むんだよ」

 

 俺の技術なんて、岩沢やひさ子に比べたら虫レベルと言っても過言ではない。

 ……さすがに虫はないか。自分で言って泣けちゃう。

 

「あたしは死ぬ前、生きてた頃に音楽をはじめたのが遅くてさ、経験少ないんだ。だからあんまり曲も多くを知らないんだよ」

「はあ?あれで?」

 

 あの演奏と歌唱をもっkてして経験浅いというのか?

 どんだけバケモノなんだよ。

 

「ギターは始めてから毎日ずっと弾いてたけど、曲とか聴いてたわけじゃないんだよねえ。有名なのはさすがに聴いたけど、あるジャンルを深く掘り進めるとかはしなかったからさ」

 

 エレキもこっちきてから触ったんだよ、と恥ずかしそうに笑った。

 俺はただ『ああ、マジで才能ってあるんだよな。神様ずりーわ』とネガティヴ思考に堕ちていた。

 

「だからさ、あたしが聴くことが出来なかった曲をもっと知りたいんだ。たとえオリジナルじゃなくて他の人の演奏でもいい、もっと色々なサウンドが聴きたいんだ」

 

 たいへん夢があってよろしいことを言っているのだが、ネガティヴロードを全力疾走している俺は「あぁそう」と全く気の利かない返事しか出来なかった。

 だが、幸か不幸か岩沢は気づかなかった。

 

「そうだ、日本のアーティストはどうなんだ?そのエレクトロニックで」

「日本でもいるよ、いい曲つくる人。でも世間的には有名じゃなかったりするから知らないだろうな」

「やっぱり海外のほうがいいの?」

「んー、曲のレベルがどうこうはないけど、まぁ海外のほうがジャンルとして盛んではあるし圧倒的に数が違い過ぎるかな」

 

 あっちはジャンルとして廃れるよりも進化のほうが多いからな。

 

「でも日本でもいい曲はあるんだろ?じゃあなんで有名にならないんだ」

 

 岩沢が首をかしげながら不思議がった。

 それはちょっと嫌な話になるが、まあいいか。

 

「残念ながら日本のヒットチャートにとってエレクトロニックってもんはギリギリゼロ年代初頭までに流行った古臭いジャンル扱いなんだよ」

 

 世間的にはピコピコ音楽。

 Perfumeみたいなのもいるけど、あれはなんか色々と違うからなあ。

 本格的な、それこそdubstepみたいなジャンルとかは、それ自体生まれたのは最近なのにすでに古いもの。

 一般人からすればクラブDJすら、ヤンキーどもがレコード回して踊り狂って馬鹿騒ぎを起こす人。

 実際は案外そういう人種とは縁がない"オタク"な人たちが聴いたりやったりするんだけどな。

 だからアンダーグラウンドな音楽として見られたりもしているんだろうが。

 

 正直、業界の頂点に君臨し続けているJ-POPなんつージャンルが進化もせずに最新の音楽として居続けているのもどうかと思うけど。

 いい曲つくる人もいるけどさ、なんか毎回同じような曲ばっかりだったり人数だけやたら多いとか

 聴いている層も決して音楽が好きで聴いてるわけじゃなさそうだし。

 グループのメンバーが不祥事起こしただけで炎上とかどないやねん。

 薬漬けのロックンローラーどうなるねん。

 彼らの音楽自体に惹かれてる人間が多いわけじゃないのに、レコ大ってなんやねん。

 結局は売れたもん勝ちか。

 

「それに電子音楽ったら、今の日本じゃ某ボーカなんちゃらさんを指すことが多いんじゃないのかな」

 

 俺は首をすくめて言う。

 あれはあれで進化の一つだから悪く言うつもりはないんだけどさ。活用する方法とか人が好きじゃない場合が多いな。

 なんでもそれ使えばいい曲になるとか思ってんじゃないのかって。

 面白い使い方やいい曲作ったら褒めるけどね。

 

「ふーん、じゃあエレクトロニック以外の日本の曲も聴かないの?」

「いや聴くには聴くけど」

 

 ここまで言っといてなんだけど普通に聴きはしますけどね。

 

「でもやっぱり海外のほうが多いの?」

 

 んー、とこめかみを掴みながら考える。

 

「海外……のほうが多かったかな。音楽を本格的に興味持ったときハマったのが洋楽だったせいもあるし、さっき言ったようにエレキトロニックの事情もあったからどうしてもアンテナが海外に向いてたかな。でも普通に邦楽もレコードショップとか行っていい曲あったら買ったりしていたよ」

 

 一応流行りものも聴くようにはしていたし。

 知っとけば何かと便利でもあったし。

 

「じゃあさ、SAD MACHINEって知ってる?」

「SAD MACHINE?……たしかシングルかアルバム買った気がするけど」

「本当!?」

「う、うん。たぶん」

 

 岩沢が今日一番のキラキラとした瞳で腕を掴んできた。

 実を言うと真面目に聴いていたのではなく素材として切り貼りしてました、だなんてとてもじゃないが言えそうにない。

 

「アルバムっていったけど何枚目だ!」

「えー、覚えてねーよ」

 

 別にそのバンドを気に入ってたわけじゃない。

 たまたま知り合いに借りたシングルでいい曲あったからアルバム購入しただけですし。

 

「いいから思い出してくれ!」

「無茶を言うな」

 

 そもそも何枚出してたか知らねーし。

 

「頼む!なんでも言うこと聞くから!」

「なん……でも……だと」

 

 何言ってんだこいつ、そんな事年頃の男の子に言ったらあれこれ妄想しちまうだろう。

 正気か、それとも天然なのか。

 

「なんでも!」

 

 岩沢はより一層掴んだ手の力を強めてきた。

 瞳はキラキラしているが、その奥底には何か深く思い光があるような気がした。

 彼女の根底を照らすような光が。

 

「……何枚目かはわからんが、REQUIEMなんちゃらの後に出たやつだったから、一枚目ではないはずだ」

「REQUIEM FOR INNOCENCE……」

「これでいいか?」

「うん、十分だ。ありがとう」

 

 なんでこんなに必死に聞いてきたんだ?好きなバンドだったのか?

 だったら自分が死んだ後どうなったのか、気にはなるだろうな。

 俺もアーミンがどこまで現役で居続けるか気になるよ。

 

「そうか……続いてたのか……よかった……」

 

 岩沢がさっきと打って変わってぽつりぽつりと小さくつぶやく。

 雰囲気もだいぶ落ち着いてきた。その表情は嬉しそうにやさしく笑っているのだが。

 

「っておい!大丈夫か泣いてるぞ」

「え?」

 

 その双眸から雫がこぼれ落ちた。

 呆けるその頬にはそのこぼれ落ちた涙がひとずじにつたっている。

 

「そんなに嬉しかったのかよ」

「うん」

「好きなバンドだったのか?」

「うん」

「ふーん、よかったな」

「……好きだった、だけじゃないんだ」

「……」

「あたしにとって、とっても大切なバンドなんだ」

 

 俺は黙って聞いた。

 岩沢の表情が真剣なものへと変わったからだ。

 

「とっても、とっても大切な、きっかけを与えてくれた曲なんだ」 

 

 両肩が震えている。何かに祈るかのように体を縮こめた。

 しかし、岩沢は顔を上げた。

 

「なぁ、聞いてくれるか?私の愛おしくも最悪だった人生を」

 

 

 

 ▼

 

 あたし

 

 父

 

 母

 

 不仲

 

 喧嘩

 

 孤独

 

 嫌悪

 

 苦しかった

 

 抜け出したかった

 

 出会い

 

 世界に訴える曲

 

 レコードショップ

 

 出会い

 

 相棒

 

 ごみ捨て場

 

 夢

 

 はしる

 

 はしる

 

 自立

 

 夢

 

 歌う

 

 歌う

 

 希望

 

 楽しい

 

 喜び

 

 歌う

 

 歌う

 

 夢

 

 叶える

 

 歌う

 

 歌う

 

 歌う

 

 うたう

 

 うt

 

 

 

 

 

 失う

 

 言葉

 

 出ない

 

 声

 

 失う

 

 光

 

 

 

 歌えない

 

 うたえない

 

 ウタエナイ

 

 

 ▲

 

 

 

「失語症……」

「そう、あたしは喋れなくなって、そのままぼんやり死んじまったのさ」

「……そう、なんだ」

 

 正直なところ、ゆりの話を先に聞いていたからそこまでの衝撃はなかった。

 もっと悲惨なものかも知れないと思っていたからかもしれない。

 

 それでも、この少女にとっては理不尽な人生であったはずだ。

 岩沢がどれほど音楽とういうものに入れ込んでいるかは、さっきまでの会話でよくわかった。

 魂を捧げていると言ってもいいくらいだ。

 そんな少女が、歌えない、音を奏でられないまま死んだ。

 俺のように突然スパっと消えたのではなく。

 悲観と絶望に浸りながら、ゆっくりと、ぼんやりと、暗闇へと落ちながら、死んでいった。

 

「つらかった……んだろうな」

 

 言葉が上手く思い浮かばず、気の聞いた台詞ひとつすら出てこない。

 そんな陳腐な言葉でも、岩沢は笑顔を向けて答えた。

 

「ああ、つらかったさ本当に」

「そうだろうな」

「……でも、おかげでこの世界に来て歌うことができた。最高の仲間に出会えて、いっぱいの観客の前で自分の音を響かせることができた」

 

 だからけっこうこれはこれでたのしいんだ。

 そう笑った岩沢の笑顔は嘘には見えなかった。

 

 じゃあ、あれはなんだったんだ、屋上で聞いたメロディーから感じた寂寥感は俺の勘違いか?

 そうとは思えない。

 あれが岩沢の人生に対する憎悪でないとするなら、一体この少女のどこからあの感情は生まれているんだ。

 

「なあ、岩沢さんはこの世界で歌えたことに満足してるの?」

「わからない」

「即答かよ」

 

 そんなんでいいのか拍子抜けだよ。

 

「本当にわからないんだ。歌えることは楽しい、生きてた頃は一人でだったからひさ子たちとやるのはすごくおもしろい。でも……」

「でも?」

「足りない、のかな?表現しきれていない気がするんだ」

「なにを表現しきれてないんだ?」

「わからない」

 

 そこもわからないのか。

 

「自分の中にイメージはあるけど、なぜか上手く紡ぎ出せない気がするんだ。だからこうして屋上に来て、ギターを弾くんだ。探しているのかもしれないね」 

 

 なら、今の状況に満足しているってわけではないんだな。

 あの寂しい音色はそこにあるのだろうか。

 俺にもさすがにわからんな。

 

「ま、ゆっくりやっていけばいいさ。時間だけは"死ぬほど"あるんだからな」

 

 口を歪めてニヤリと笑ってやった。

 その微妙な励ましをさっしたのか、岩沢は微笑んでくれた。

 

「そうだな、じゃあまずあたしの知らない曲を弾いてくれ。そこからなにかインスピレーションがわくかもしれない」

「それはまた次回な!」

 



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Chapter.1_11

「さて、いい加減帰るか」

 

 なんとか岩沢の無茶な要求を回避したけれど。

 

 そのかわりに例の作曲を手伝わされた。

 岩沢が弾いて、それになにかしらのアドバイスをするだけではあった。

 途中めんどくさくなって適当に答えたら拗ねてしまうので、毎回それなりの言葉を考えるのに苦労した。

 

 太陽はすでに落ち月が顔を出し、辺りはもうい真っ暗になっている。

 ギリギリ、外灯や食堂から漏れてくる光でなんとか見える程度の明るさは保っていた。

 

「もう帰るのか?」

「周りみろよ、何時だと思ってんだ」

「わ、本当だ」

 

 気づいた岩沢は急いで弦を緩めてギターを仕舞いはじめた。

 俺は沈んだ夕陽の代わりに浮かんで光る月を眺めた。

 まるで閉じた瞳のような下弦の月だ。

 それが神の眼だという考え方は、少々アレな発想だが質の悪い冗談にも聴こえはしないだろうか。

 

 しかし、死んだ世界だっていうのにここには互いにどこの国でも神聖視された太陽と月があるんだな。

 そもそもこの世界の宗教観とかどうなってんだろうか。死という概念はその信仰において結構大切な基準だし。

 地獄に落ちて苦しみ続けるのか、輪廻転生するのか。

 戦線の連中はそのへんを深く考えてはいないだろうな。それはいかにも日本人らしい宗教観だ。

 でもやっぱり一神教なのかなあ。天使とかいるって言うし。

 

「よし。出ようか」

 

 ギターケースを担いだ岩沢に先導されて屋上を出た。

 

 窓から入ってくる明かりで照らされる階段。

 校舎は二人分の足音だけが響いた。

 この学校に警備員とかいないんでしょうかね。屋上にも見回りは来なかったし。

 

「寮に帰らず、このまま食堂に行ったほうがいいかな。星川はどうする?」

 

 前を行く岩沢が立ち止まって振り向き尋ねた。

 

「帰って寝るよ」

「なんで?夕食は?」

「もー疲れた。眠い。あと食券ない」

 

 立ち止まった岩沢を追い抜く。いい加減足が限界だ。

 座っていた分にはよかったけど、やっぱ歩くと結構キツい。

 筋肉痛になんなきゃいいけど。

 

「そうか、仕方がないな」

「おう、すまん」

 

 岩沢も特に反論することもなく受け入れて、並んでいっしょに歩く。

 再び二人の足音だけが校舎に響いた。

 

 カツーン

 カツーン

 

 ……いや、足音だけしかしないって不気味だろ。

 二人もいるんだ、なんか会話くらいしないと。

 しかしながら、話題なんか思いつかない。

 音楽の話振るとまた長引きそうし、何話しゃいいんだよ。

 

「なあ、星川の名前って、なんて言うんだ?」

「……何だ、唐突に」

 

 話題で悩んでいると、岩沢のほうから話しかけてきた。

 だがその話題はあんまり歓迎できないぞ。

 

「これから一緒にやっていくんだ、バンドメンバーでないが互いのことはよく知っておきたい。そうだな、マネージャーみたいなものかな星川は」

「マネージャーなら苗字でもいいじゃねーか」

「名前で呼べばはやく親しくなれるだろ?あたしのことも呼び捨てで構わないよ」

「それは別にいい、どうせ癖でさん付けは抜けないから。だが名前は教えたくない、それに人に名前を聞くときは自分からと」

「まさみ。岩沢まさみ」

「……」

 

 ユイにゃん☆作戦失敗。

 

「ほら、こっちは言ったよ?そっちも早く」

 

 そして墓穴掘っちゃったか。クソが。

 

「名前好きじゃないから苗字で呼んでくれれば良い!よって教える意義なし!!」

 

 ムリヤリにも教えてたまるか。

 ゆりたちにも知られないように黙ってたけど、こいつにバレるほうがまずい。

 そういう名前なんだよ。

 

「……じゃあ、ヘンタイって呼ぶよ」

「なっ!」

 

 こいつひさ子みたいなこと言い出しやがって。

 お前にはセクハラしてないぞ!してないから呼ばれる筋合いないぞ!まだな!

 

「お前に言われるのは名誉毀損であってな」

「うちの大切な巨にゅ……リードギターに盛大にセクハラしたんだ。あとドラマーにもしてたっけ?だから、リーダーとして許せない」

「さらっと巨乳って言いそうになってましたけど、それもセクハラじゃ」

「うるさいリーダーだからいいんだ」

 

 なんて横暴な。リーダー権限恐るべし。

 俺なんて童顔後輩を弄るくらいの権限しかないんだぞ。

 巨乳ギターリストへのセクハラはグレーゾーンなんだぞ。

 

「さあヘンタイ、早く名前を教えるんだ」

 

 チッ

 こいつが変態って言い続ければ準じて他のメンバーまで俺のことをそう呼ぶだろう。

 傍からその光景を見たら、ガールズバンドに変態呼ばわりされてコキ使われる異常性癖者だと思われてしまう。

 ああクッソ、岩沢いい笑顔だな。このことに気づいてやってやがんな、チクショウ。

 俺は元来弄る側好むわけであって、弄られる事は望んでなんかいない

 ……今回は仕方がないか、諦めよう

 

「……ご、だよ」

「うん?よく聞こえない、もっと大きくはっきり言ってくれ、ついでに歌うように」

 

 最後はガン無視して要望通り声を張り上げてやった。

 

「りんごだよ!星川りんごだ!」

 

 言ってしまった。

 ああ、もう、はずかしい。

 

「リンゴ?可愛らしい名前だな、Appleの林檎?」

「いや、漢字は凛とした吾で凛吾」

「ふぅん」

 

 りんご、リンゴかあ、と感慨深そうに岩沢はつぶやく。

 自分の名前が可愛らしいことなんてのはもうどうでもいいのだ。

 そんなもの幼稚園の時に克服した。

 幸い名前には果実の林檎は役所で登録できない字だったからよかった。

 親父はMac好きだったから本当はその字が良かったらしいけどな。

 

 だけど中学過ぎたあたりから別の問題ができてしまった。

 そっちのほうがリンゴちゃんよりもきついんだ。個人的に。

 

「リンゴ、星川リンゴ、星……ああ!!」

 

 

 どうやら岩沢は気づいてしまったようだ。

 いや、彼女なら気づかないことはないか。

 

凛吾(Ringo)=星川(Star)!すごいじゃないか!ナイスネーミングだな!」

「ドーモ」

 

 クソ、マジで親ぶっ飛ばしてえ。

 母親は完全に林檎からだと思い込んでいたらしいから、原因が親父だ。

 というかねらってた。酒のんで酔っ払ってたときに教えられた。

 その理由は彼の名前にあった。

 親父の名前は"星川譲治"という。

 そして母親の旧姓は"梁村"といった。

 婿養子だったら面白かったのになと思っていたらしく、惜しがった親父はそのネタを実の息子に使いやがった。

 本当は女の子が生まれたら誤魔化してやろうと思っていたらしいが、どうにも我慢ができなかったようだ。

 おかげでわかる奴にはバカにされるし、漢字も幼少期は男の子に使う例があまりなかったせいで浮きまくった。今でいうキラキラネーム(笑)みたいな扱いだった。

 超迷惑。マジで親父ぶん殴りてえ

 

「じゃあドラムは?ドラムは叩けるのか?」

 

 そう、これがなによりも嫌なことなのだ。

 一般peopleはある一定の年齢層でなければ早々この名前ネタには気づきはしない。

 ましてやボーカルやベーシストに比べてドラマーの名前は知名度が低い少ない。

 しかし、音楽、特にバンドとか組んだりするする人々となると話は別だ。だいたいバレる。

 そして、それに気づいた後には必ず「ドラムできる?」と続く。

 これが本当にうざい。なぜなら

 

「できねえよ!16ビートも刻めねえよ!」

 

 名前が一緒だからって好きな上にドラムもできると思うなよ。

 ギターとベースとキーボードはいけるけどドラムはできねえんだよ。

 これ言ったら名前詐欺ってからかわれたこともあるんだぞ。

 

「そうか……残念だ」

 

 何が残念なのかは知らないが、岩沢はしょぼくれてしまった。

 可哀想ではあるが、俺の心はすでにだいぶ暗黒面に堕ちているのでかまってはやらない。

 でもその表情は可愛らしいから良い。

 やっぱり音楽が関係すれば結構感情豊かになるよな。

 

 あれ?でも名前の話題だけのときも意地の悪い笑みは浮かべていたな。

 ……なにによって感情が振れるのか、まだよくわからんな。

 

「まあいいや。これからもよろしくな、リンゴ」

「ファーストネームで呼ぶのかよ、やめろよ」

「だってこっちのほうが呼びやすいだろ。可愛いし」

「ごめん、俺がさっき言ってたこと覚えてる?好きじゃないから苗字で」

「じゃ、また明日な。今度は寝坊せずにちゃんと来てくれよな、リンゴ」

「おい聞けや!」

 

 まったく話を聞かないまま、岩沢は食堂の方へと駆けて行った。

 俺は一人、よくある小説の主人公のようにヤレヤレと諦めるしかなかった。

 

 ……帰ってるか。

 

 寮向かって歩き出す。

 

 ●

 

 NPC、一般生徒が寮から出ることを禁じられる頃、戦線のメンバーはようやく食堂を利用する。

 混雑を避けるというよりも、指定時間外で食事をとることで規律に反した行為という意味がある。

 本来ならば不良行為をする生徒を指導すべき教師が見回りに来るのだが、今の時刻は寮の大浴場が入浴のピークを迎えるため、こちらまで巡回することはまずない。

 生徒会長である天使もまた然りだ。

 なぜなら数週間前に女湯で覗きが侵入した事件が発生したため、ここ最近は特に浴場の監視に力をいれている。

 だがその事件は、この時間に快適に食事ができるよう定期的に戦線が起こしている自作自演のカモフラージュであることを、彼らは知らないだろう。

 もしかすると天使は気づいているかも知れないが、証拠がない以上は生徒会長である彼女は動けない。

 今夜もまた何十人という生徒が一斉に規則時間外の行動をするも、咎める者は誰も居ない平穏な食事風景が広がっていた。

 

 岩沢はいつもと同じようにバンドのメンバーと食事を囲んでいた。

 今宵の晩餐はサラダうどんのようだ。

 

「ひさ子先輩、昼と同じ肉うどんってどうなんですか女子として」

「うるさいな。食べたかったんだよ」

「そのうち五段みたいに大きくなっちゃいますよ、すでに体の一部は黒帯並の破壊力ですが。よ!ひさ子五段!なんつって」

「しおりん、それはどっちにも失礼だよ……」

 

 ひさ子ら3人がかましくも楽しげに食事をとるなか、岩沢はボーっと考えごとをしながら黙々と麺をすすっている。

 『またどうせ音楽のことを考えているんだろうな』と他のメンバーからはいつものようにスルーしているが、今岩沢が考えていたのは違うことだった。

 昨日出会い、今日仲間となったあの少年のことだ。

 

 どうしてあんな話、自分の人生を話したのだろうか。

 もちろん嫌だったわけではないが、軽々しくする話でもなかった。

 なぜだろう、珍しかったから?

 異性で音楽の話ができる人は今まで居なかったからかな。

 

 いつもと違ってそんなことを考えていた岩沢だったが、あれめぐらせている内に気づかぬまま思考は少年が教えてくれた聴いたことのない未知のサウンドへと思いを馳せていた。

 結局、いつもどおり音楽のことを考えていてしまった。

 

「岩沢さん、いいかしら」

 

 そんな軽くトランス状態になっていた岩沢に、ゆりが声をかけた。

 

「ん?ああ、だいじょうぶだ」

 

 一旦岩沢はハシを置く。

 

「食事まだでしょ、座れば?」

「大丈夫、すぐ終わるわ」

 

 ゆりは誘いを断り立ったまま話を続けた。

 

「どうかしら、星川くんは使えそう?」

「ダメだなありゃ、早くかえてくれ」

 

 ゆりの問に岩沢ではなくひさ子がヤジを飛ばした。

 

「ひさ子さんは気に入らなかったかしら」

「当たり前だろ、あんな奴気に入るわけねーだろ」

「ひさ子先輩はセクハラひどかったですもんねー。自業自得みたいなもんですが」

「なんだと関根!もういっぺん言ってみろ!」

「関根さんや入江さんは?」

 

 ゆりは他の二人の少女へと話をふった。

 陽動部隊のなかで一番"一般的な"考えを持っている入江と、"楽しい"という人間関係上で案外重要な感情に素直な関根。

 彼女達の意見も気になった。

 

「あたしは全然おっけーですよ。おもしろそうな人ですしねー」

「あ、あたしも大丈夫です。優しい人でした、星川先輩」

 

 どうやら後輩二人からは悪くない印象のようだ。

 

 (それにしても、優しいね。話をしたときは嫌がってけれど、随分早く馴染んだ上にフラグ要素もしっかりとつくってるじゃない。彼も隅に置けないわね)

 あの少年がセクハラする想像はしやすいが、優しいという印象をもたれるような姿はちょっと浮かばない。

 アホだと呼びはしたが、女性との付き合いはそこそこできるようだ。

 一部の女性に対してはセクハラまがいのこともしているようだが、ひさ子のような女性との彼なりの上手い距離のとり方なのかも知れない。

 (さすがに行き過ぎたら処分してやるけどね。女性の名誉のために)

 

 そしてゆりは、"まとも"でないが"本命"に意見を聞いた。

 

「で、岩沢さんはどう?」

「ん……問題ない。このままリンゴで構わない」

「そう、じゃあ決まりね」

 

 チッとひさ子が舌打ちはしたが、無理に反対はしなかった。

 彼女もそれなりには彼を認めているのかも知れない。

 まだ初日だから正確な事は誰もわからないが。

 

「ところでその本人は?一緒じゃないの」

 

 ゆりは辺りを見回したが、件の彼はどこにその姿は見受けられなかった。

 

「寝るって言った早々に寮へ帰ったよ。食券もないって言ってたし」

「肝心な時に役に立たないわね。じゃあ彼にも伝えておいて、明日やるって」

「何を?」

 

 岩沢やメンバーたちは小首をかしげる。

 ゆりは不敵に答えた。

 

「あなた達の出番よ」



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Chapter.1_12

 三日目の起床は昨日よりかは早かった。

 日もそれほど高くない、とはいっても午前7時半。

 普通の生徒はそろそろ登校のための準備をすべき時刻ではある。

 昨日は帰ってシャワーを浴びたらすぐに睡魔が襲ってきた。

 早めの時刻に床についたはずだから、けっこう長い時間寝ていたはず。

 しかし、長時間睡眠した場合におきやすい特有の頭痛はしない。

 多分不調と見られる症状が強制的に治されたのだろう。

 これも死なない世界の特権なのだろうか。弊害ともとれるけど。

 まあ、生前は偏頭痛によく悩まされていたから正直ありがたい。

 

 さて、着替えて外へぶらつきにでますか。

 

 ●

 

 舗装されてんだかされてないんだかわからない通学路をゆったりと歩く。

 鬱陶しいほどに降り注ぐ朝日を見つめて辟易する。

 朝は苦手だから日光とか眩しい。街路樹くらい植えて日陰をつくって欲しいものだ。

 

 今朝も同居人のNPCは起きたときにはいなかった。制服がなかったのですでに学校へむかったのだろう。

 もう朝食をとるべき時刻は過ぎているし、部活か何かしらの活動に参加している場合も考えられる。

 NPCもNPCで大変なんだな。

 

「「いっちに いっちに」」

 

 朝練に励む部員たちが掛け声とともに通りすぎ、それを目で追った。

 わざわざこんな学園の端まで走りこみとは、朝からそのあふれる青春的努力に敬服する。

 しかし、この学園の外があるかもわからない世界で彼らは一体何を目指して鍛えているのだろうか。

 地区大会とかインターハイとかあるとは思えない。

 

 というか、そもそもこの世界は一日が変わるのは観測できるけど、月とか年とか季節とかってあるのだろうか?

 もしかして彼らはインターハイという目標も知らずに不毛な努力を続けているんじゃないか?

 

「なに女子陸上部員のケツ眺めて喜んでるんだ。変態か」

 

 スパッツ姿の尻から目線を外して声のした方へ向けると、蔑むような目のひさ子といつもと変わらぬ岩沢が立っていた。

 

「おはよう、リンゴ」

「おはよーございます。岩沢さん、ひさ子さん」

 

 二人と合流して再び歩き出す。

 彼女達の歩調は当たり前だが男と比べたら遅いものだったが、今の俺には少し早いくらいだった。

 

「気だるそうだね。朝弱いの?」

「起きられねーことはないけど、半分くらいはまだ寝てる感じ」

「確かにふらふらしてるね」

 

 千鳥足気味の歩みをみて言った。

 完全な起動には時間がかかるのよね、ソニーの初代ハードみたいに。

 

「でも目はしっかりと尻を追っかけてたよな。変態め」

 

 しかし、ひさ子が再び罵ってきた。

 先ほどと違って変態と罵ったのに楽しそうな表情である。

 こいつ、俺が弱ってるの見ておもしろくなってやがるな。

 

「仕方ないだろ。生きていたら起こりうる当然の現象だ」

「意味わかんねえよ。本能で尻みるのかよ」

 

 ちょいといじってやろう

 

「いいか、人間は自分に足りないものを求めてしまうんだ」

「は?」

 

 よしよし。

 ひさ子は突然のことで混乱しているな、それを無視して話を続けよう。

 

「自分にはないもの、足りないもの、コンプレックスと呼ばれるものを人それぞれ抱えている」

「お、おう」

「コンプレックスがあるからこそ人は向上心を持ち、そしてもつ者、足りている者にあこがれる」

「うん」

「例えば、男であってもイケメンには目がいく。女だってそうだろ?きれーなねーちゃんや可愛い子がいたらなんとなく見ちゃうことあるだろ」

「そうかもな」

「それが異性となれば尚更であるし、人体はその感情に性的興奮をわかせる。それはより優れた遺伝子を残したいと本能がそうさせるんだ」

「ん、ん?」

「だから陸上部の引き締まったお尻を眺めてしまうし、ひさ子さんの双子山にも当然目がいく。それは自然であり本能なんだよ。以上証明終了」

「ふーんって、おい結局セクハラじゃねえか!このHENTAI!」

 

 顔を真っ赤にしてひさ子は胸を腕で守るように覆う。

 口調とは裏腹に可愛らしい反応をするもんだ。

 しかし彼女に味方はいなかった。

 

「わかる。ひさ子の胸にはあたしも目がいく」

「岩沢!?」

「だよなー。でも、着痩せしてるからよくわからん。巨乳っつー情報だけがあってそのせいで余計に気になっちゃうんだよ」

「あたしは見たから。普通に浴場でもみたし、そういえば水着姿もみたな」

「まじかよ」

 

 写真よこせ写真

 

「おいこら好き勝手言ってんじゃねえぞ!」

「水着が小さかったのか、こぼれそうでプルンプルンしてた」

「きけよ!」

「クソ、なんでもっと早く死ななかったんだ。羨ましすぎる」

「ふふん♪」

「……頼むから……大声で話すのはやめてくれ」

 

 憤怒を通り越して羞恥心のみが残ってしまったのか、顔をうつむけ必死に恥ずかしさを隠す。

 しかし、そんなひさ子を無情にもほっといて俺と岩沢は、ひさ子山の壮大さ及び山は大きさではなくその形なんだという嬉し恥ずかしいディスカッションを食堂まで続けながら歩いていった。

 

 正直どうかしてたとはおもう。

 

 ●

 

「おはよーございます!」

「おはようございます」

 

 食堂の席についてちびちびとコーヒーを飲んでいると、関根と入江が和食の朝食がのったトレーを持ってやってきた。

 

「おはよーさん。関根さんは朝から元気だねえ」

「先輩はだるそうだね」

「もー疲れちゃってさー」

「朝から?大丈夫ですか、昨日そんなに大変でした?」

 

 入江が心配してくれる。甲斐甲斐しくてとても優しい子だ。

 きっといい嫁になるだろうと父親的な心境に陥ったけど、もう死んでるよね俺ら。

 

「大丈夫、大丈夫。身体がまだ目覚めきってないだけだから」

「辛くても朝はちゃんと食べたほうがいいですよ?ってコーヒだけですか」

「食券ないからねー」

 

 このコーヒーだって岩沢からもらった。

 そんなに飲まないからコーヒーのみの食券なんてあってもつかわないからと。

 コーヒーのみの食券とか不便極まりないから食堂側はドリンクとかに統一すればいいと思う。

 

「でも不味いなぁこれ」

 

 煮詰まりすぎて泥水みたいな味がする。

 

「ミルクとか砂糖いれればいいんじゃん」

「朝はブラックって決めてんだよ。カフェイン中毒だから」

「カフェインの量は変化しないと思いますけど」

「気分だよ気分。こっちのほうが効きそうでいいじゃん」

「ちょいちょい頭悪そうな発言しますよね」

 

 そもそもこの中毒体質すら本物かどうかしらんけど。

 一応麻薬だから中毒作用はあると思う。

 頭痛がおきる日に限ってカフェイン摂取してなかったりするもんな。

 

 しかし不味い。不味いけど残すのはもったいない。

 これしか食料はないんだから。

 

「人からもらったものをまずいまずい言うのはどうなんだ」

 

 岩沢は渋い顔をしながら苦情をいう。

 そいう彼女はサラダにトースト、濃縮還元的100%のジュースというまさにBreakfastなしっかりとしたメニューだ。

 心底羨ましい。

 

「空腹は最高のスパイスであるはずなのに不味いんだもの。仕方ないじゃん」

「……トマトあげるよ」

 

 サラダのに入っていたミニトマトを、岩沢は机に備え付けられてあった紙布巾を敷いてその上に転がして寄越した。

 いや、皿か何かでくれないだろうか。おれは畜生か。

 

「じゃあ、あたしもあげますぜー」

「あ、あたしも」

 

 関根と入江もつられて二人一緒に小鉢にあったたくあんをトマトのように落とした。

 黄色い半円とと赤の球体という算数の教科書とかにありそうな図形が布巾を彩る。

 

 ……なんでこいつらは皿でくれないでわざわざ落とすのだろうか。

 傍から見たら俺、犬とか下僕的な何かに見えると思うんだけど。

 狙ってるとしたら恐ろしいな。

 

 しかし、貴重な食料を分け与えてくれたことには変り無い。

 そのことに頭は上がらないのでありがたく頂戴するとしよう。

 昨晩から何も食べてないので固形物が恋しい。

 

「ありがたくいただきます」

 

 あ、たくあん美味い。

 

「それにしても、ひさ子先輩今朝は静かですねー。もしかして本当に体調悪いんですか?」

 

 岩沢の隣に座り、会話に参加しないひさ子を関根が心配した。

 ちまちまとトーストをかじるその姿は昨日のような活発な印象は伺えない。

 

「そっとしといてやれ。あれだろ、なんだっけ、きっと女の子の日なんだろ」

「……先輩、それはセクハラを通り越してもはや無神経の域ですよ」

「すまん」

 

 ジョークのつもりだったんだけれども、ジト目で入江に蔑まされた。

 でもその目つきが変な快感を生み出しそうな予感がしたので、早々に謝って回避する。

 大丈夫、俺はMじゃない。じゃないはずだ。

 

「それにメンバーのそういう日はだいたいいつか知ってますから!なめないでよ!」

 

 えっへんと胸をはる関根。

 威張れることなのか。あと、ぼかして入るけど女の子が大声で言うな恥ずかしい。

 

「じゃああとでそれとなくその日を教えてくれ」

「へ、変態ですか先輩は!犯罪者!」

 

 素っ頓狂な声を上げて入江が顔を真っ赤にして怒る。

 恥ずかしさ5の怒り3ってとこか。

 

「これから一緒に活動していくんだ。知っといたほうが余計な気遣いとか考えないで対応楽なんだよ」

 

 人によっては本当に辛いらしいからな。

 そうとは知らずにいつもどおり接していたら何故か殴られたという経験があるし。

 あれは単にあの人が理不尽の塊だっただけかもしれないが。

 

「だから教えてくれるとありがたい。別にやましい理由があるわけじゃないんだ」

「まあいいですけど」

「いいのしおりん!?」

「だって別に犯罪的な理由じゃないしさー、こっちが原因で余計な気をつかわせるのはなんか申し訳ないじゃん」

「そう……だけど」

 

 さすがに無理か。

 いくらどうでもいい変態でも異性に知られたくはないだろうな。

 女心はよくわからんけどそのくらいは気を使えるようにしないと。

 

「嫌だったら別にいいぞ?」

「い、いえ!これからあたし達は先輩にお世話になりますし迷惑もかけますから、少しでも先輩の負担が減るならそれに越したことはありません!だから大丈夫です」

「お世話になるって響き、なんかエロいな」

「ここでセクハラいれる神経は本当にどうにかしたほうがいいです。ドン引きします」

 

 入江には呆れられたようだが、一応は信頼して認めてくれたようだ。

 別に悪用するつもりはないけど、セクハラ色々台無しにしてるな。

 もう少し信用を得たいし、すこしは気をつけよう。

 

 だがしかし

 

「まあリンゴとあたしのセクハラのせいで、今ひさ子はこの状態になっているんだけどな」

 

 岩沢は無慈悲にも爆弾を投下してくれた。

 

「……一応聞いときます、セクハラってどこまでしたんですか。ひさ子先輩がこんなんになってしまうなんて、手でも出しましたか?」

「壮大な双子山について語っていただけだよ?」

「や……ま……?」

 

 入江は何のことだかまったくわからないようだが、関根は気づいたようだ。

 なぜなら必死に笑いをこらえている。ひさ子をちらちら見ながら。主に上半身の一部を。

 

「人類が誰しも登頂したいと願う雄大なお山だよ」

「ん?富士山とかエベレストですか?」

「いんやおぱーい」

「おぱ……」

 

 包み隠さずストレートに言ってやった。

 入江もさすがに絶句して箸を床に落とした。

 そのまま固まったので、代わりにテーブルの箸にたくさん刺さってた割り箸をとってあげる。

 

「あ、朝から岩沢先輩と何の話をしてるんですか!」

「雄大かつ尊厳な双子山」

「男の人って好きだよねー双子山。先輩も好きなの?」

「まあまあ」

「結局お、おっぱいの話ですよね……」

 

 口に出すのが恥ずかしいのか、入江はしりすぼみになりながら小声で言った。

 でも、残念ながら今の俺にはためらいや羞恥心というものはない。

 なぜなら寝ぼけているからだ。

 

「おぱーいはいいよおぱーいは。夢があって」

「よく胸派とお尻派に分かれるっていいますけど、どうなんですか?」

 

 ちらちらとひさ子の胸部を見ながら関根は聞いてくるが、見てるこっちのほうが恥ずかしいからやめろよ。

 

「尻もいいけど、あれは男でもいい形してるのがいるからね。やっぱおぱーいのほうがいい」

 

 男でも間違えられて痴漢されるとか聞くしな。でも狙って後ろ姿で騙すとかもう許さない。

 

「でも男の人でおっぱいある人いるじゃん。力士とか」

「あれはね、おぱーいって言わないの。デブっていうの」

「リンゴ、結局胸も脂肪だよ?」

「そうよ、だからおぱーいは大きさじゃないよ。形だよ」

「貧乳でも?」

「ひんぬーでも」

 

 岩沢はふーんとうなずいた。

 ひさ子と入江は赤面しっぱなし。

 関根はなんか相変わらず爆笑してた。元気な子ね。

 

「てか、ガルデモのみなさんそれほど悪くないだろ」

 

 リードギターが異常なだけで、普通に平均かそれ以上だと思うんだけど。

 あとみんなカワイイし。

 

「褒められるのは悪い気はしないけど、それセクハラだよ」

「今更何を言う」

「ですよねー」

「い、いままでの会話は酔った勢いというか、寝ぼけた勢いってことにして忘れます」

「お手数かけます入江さん」

 

 トマトを飲み込みながら入江に頭を下げた。

 若干オーバーなかぶりになってしまったのは、やはりまだ身体が覚醒しきってないからだろう。

 うん、だるい。

 

 しかし、この子も大変そうだな。俺が言うなって話だが。

 

「それより岩沢先輩、昨晩の話はしたんですか?」

「まだしてない」

 

 スパッと岩沢が言うと入江は呆れた顔をする。昨晩? 

 

「だめじゃないですか!何してたんですか!」

「双子山の話……」

「そ、それはもういいですから」

「昨晩ってなんだ?」

 

 たずねると、岩沢は一旦口を開こうとするも閉じて考えこんでしまった。

 しばらくすると今度はめんどくさそうな顔をし、やがて口を開いた。

 

「ゆりに聞いてこい」

「おいこら」

 

 今の間はなんだったんだ。

 考えた結論がそれかよ。

 

「要件を伝えるのは簡単、でもそのあとの説明がめんどくさい。だからゆりに聞いてきて。どうせ行かなきゃならないんだろうからいいだろ、ほらいけ」

 

 ほらほらと急かして俺を席から立ち上がらせる。

 でもまだコーヒーが残ってたので、行儀は悪いが立ったまま一気にあおった。

 やっぱり不味い。

 缶コーヒー後で買おう。もしくは購買に豆でも売ってないかな。

 

「話聞き終わったら、どこに行けばいい?昨日の教室?」

「それでいいよ」

「わかった。じゃあ行ってくる」

「いってらっしゃい」

「いってらっしゃーいリンゴ先輩」

「いってらしゃい先輩気をつけて」

 

 席を立ち見送られる。

 なんか聞き逃しちゃいけないような違和感を感じたんだけど、まあいいか。

 先へ急ごう、ゆりを待たせると怖い。

 



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Chapter.1_13

「というわけでよろしく」

「ごめんわからない」

 

 机にふんぞり返るように座るゆりから「ライブやるからしくよろ」と相変わらず説明もへったくれもない命令をされた。

 突然過ぎてついていけない。これがここの風習なのか。

 

「陽動ってライヴするってこと?」

「そうよ」

「ほー、やっと本格的なお仕事ができるってことですか」

 

 やったーライヴだ。

 ぶっちゃけ今んとこ俺いらないやつだよな。

 あいつら基本的に練習しかしないし、本部からの連絡も全然少ないし。

 パシリが本業になりかけてましたよ。

 本業の連絡員らしいお仕事がやと出来るかしら。

 マネージャーっぽい仕事でもいいんだけど。

 

「で、俺は何をすれば言いわけ?」

 

 期待を込めた眼差しでゆりをみつめる。

 なんでもやってやるくらいの覚悟はあるぞ。

 

 しかし、ゆりの口から出た言葉はその期待を裏切る非情なものだった。

 

「特にないわ」

 

「……は?」

「ライブに関して特に頼むような仕事はないわ。あなた連絡要員だし、準備とかは別の部隊がやるから」

「お、おう、そうか」

 

 まじかよ。使えねーな俺。

 

「じゃあ俺どうすればいいの?」

「そうね……準備の経過とか伝達するから、ずっと彼女達についていなさい。あとはメンバーのコンディションを保つために身を捨てる覚悟で奉仕でもしたら?」

「結局パシリ業務なんですね……」

 

 どうやら本当にゆりは体のいいパシリとして俺を彼女達に宛てがっただけのようだ。

 

 実感した事実に悲観する俺を無視してゆりは机の引き出しを開けた。

 そこからペンのような細い長方形の物体を取り出した。

 

「はいこれ、代わりの通信機。インカムタイプだからあなたのチャンネルは固定、他の機器の登録もできないわ。前のに比べて不便かも知れないけど我慢して頂戴」

「これを作戦中ずっと耳に差しておけばいいわけ?」

「できれば今からつけときなさい。連絡が取りやすいから」

 

 黒い長方形の物体を耳に掛け、イヤホン部分を挿し込む。

 若干曲がった形のそれは顔に沿うようにぴったりとくっついた。

 俺のよく知るインカムとは違っていて、随分小型化されているようだ。

 それに、マイクと思しき先端が口元まで伸びているわけではない。

 こんなもので本当に音が拾えるのか心配だ。まだ違和感があって馴染めのそうにない。

 あとでこっそり外そう。胸ポケットにでも挿しとけばだいじょうぶだろ。

 

「じゃあそれで呼ぶまで待機しててね。がんばっていってらしゃい」

 

 ゆりがひらひらと追い払うように手を振る。

 もういいから帰って良しということか。

 

「とりあえず初回なんで要領や流れを覚えられるように努めますよ」

 

 そう言ってゆりに背を向けて扉へと向かう。

 たどり着く前にゆりに呼び止められた。

 

「あ、そうそう。作戦は"オペレーション トルネード"だから、彼女たちにもちゃんと伝えてね」

「へいへーい」

 

 "竜巻"ねえ。また大層な名前の作戦ですこと。

 センスが些か単純で残念ですけど。

 

 ●

 

「オペレーション・トルネードというのはですね、いわゆる食券の巻き上げです」

「なにそれカツアゲ?」

 

 空き教室へとやってきた俺は入江にオペレーションの概要について講義を受けていた。

 他のメンバーは各々の楽器を調節するのに勤しんでいたが、ドラムセットやその他機材はすでに準備のために運ばれてここにはない。

 スティックしか無い入江が(勝手に)暇そうだった(と決めつけた)ので、ゆりから聞いた話の疑問点をぶつけてみた。

 

「脅してはいませんけど、奪い取っていることには変り無いのかも知れませんね」

「戦線ってつくづくヤンキー集団だと思うよ」

 

 俺はそのヤンキー集団のパシリかあ。

 しっくりきて納得してしまう自分が嫌だな。

 

「仕方ないですよ、生きていく為です。この世界で死ぬことはできませんから、食事を抜くこともできません」

「なんで?」

「身体が再生するだけなんです。ええと、基本的に再生するのは肉体が激しく損傷したとき、それか活動するために必要な器官が動かなくなったときのみだと考えられています。そこで問題なのが"動かなくなったとき"の定義でして、壊れてしまった器官の機能は戻すけれど回復させるわけではないんです」

「つまりあれかい、食事を抜いた場合は栄養失調もろもろにより内臓とか停止して壊れることで餓死する。けれど壊れた内臓を蘇生させるだけであって餓死の原因たる空腹は治らないと」

「そうです。動かなくなって死んだとしても生き返りはしますが、栄養を得られるわけではないのでまた死にます。ループし続けますね。ちなみに体力も全開になるわけではありません、せいぜい蘇生にかかった時間分で睡眠をとった程度でしょう」

 

 うへぇ、グロい。

 死んだ世界なのに食事を取らないといけないとか、意外と肉体は生きているときの状態と変わらないのか。

 単純に蘇生するだけで、簡単に死んじゃうくらい脆いまんまだし。

 これじゃあ死の定義そもそもが何なのかわからないな。

 

 そういえば、俺のカフェイン体質もどうなっているのだろう。

 生前のように中毒のままなのか、それともリセットされて綺麗な体になっているのか。

 こちらに来てからまだ3日とたってはいないが、一応"飲まなきゃ"という脅迫概念はあるようで定期的に飲んでしまっている。

 一度、抜いてみて症状を確かめてみる必要があるか。

 

「だからこそ食事を抜くことはできませんし、そしてここでの食事は食堂で取らなきゃなりません」

「しかし、俺達は正規の手順で食事をとり続けると消滅してしまう恐れがある。だから巻きあげることで不正に購入すると」

「オペレーショントルネードは一番回数が多いポピュラーな作戦ですから、まず失敗することはないでしょう。よかったですね、初めてがこの作戦で」

「俺はそもそも作戦で特にすることも無いけどね、ハハハ……」

 

 ともあれこれでお楽しみにされていた食券の謎については解決された。

 あとなんかあったけ?わすれたな。

 そして、また新たな疑問も生じる。

 

「巻き上げるっつーけど、どうやってやるの?ライブで目を惹いてるいちに別の奴ら、例えば日向たちとかがこそこそカツアゲでもするの?」

「だから脅しはしませんって!それに日向先輩たちは外で別のお仕事があるはずですから、中には入ってくるのは作戦終了後ですよ」

 

 ふーん。

 外でお仕事ってなんだろ、誘導とか?。

 

「そうですねえ、巻き上げる方法ですか……これはお楽しみってことにしておきましょう」

 

 テヘっと気恥ずかそうに舌を出してとぼける。

 普段やりそうにない入江がやるからちょっと可愛い、けれど。

 

「うるせえ、その台詞聞きあきたわ!いいから教えろ!ケツ撫でんぞ!!」

「ド直球にセクハラ宣言!?おしりよりも胸だったんじゃないんですか?」

「それとこれとは別。可愛い女の子はその総てが愛でる対象となりうるのだよ」

「か、可愛いってそんな……」

 

 くそ、またお楽しみが増えた。覚えてられるか。

 しかし、そうなると俺でも一応確認できる形ってことか。

 こそこそやらないでどうやって犯罪行為を犯す気なんだろうなこの戦線は。

 

 でも、ぶっちゃけ一番心配なのはその巻き上げが集めて配当なのか自分で取ってきなさいなのかだ。

 おそらく彼女達は演奏があるため免除ってことで後からもらえるはずだ。

 しかし、俺の場合なんやかんやで自分でとれって話になりかねん。

 ライブしないし、ひまだからな。

 やり方もわからないのに取れる気しないから是非とも配当であってほしいものだ。

 いや、配当でも心配事はあるけどね。

 分配の基準が出来高制とかだったら俺確実に底辺だろうし。

 

「ところでリンゴ先輩、それなんですか?」

 

 入江が俺の足元に転がっていた袋をみて不思議そうに尋ねてきた。

 その袋を持ち上げて、パッケージを見せるように入江に近づけた。

 

「コーヒー豆、粉状になってるやつ。購買からパクった」

「パクったって、盗んできちゃったんですか!?」

「買うと正規の手順ってペナルティ負いそうだし。自販機がいつでもつかえるようにあんま金を消費したくなかったからな」

 

 あと購買の警備がどんなもんか試してみたところもあったけど、ざる過ぎて心配するほどじゃなかったな。

 このぶんだと人目だけを注意すれば余裕のよっちゃん。

 

「もう、まったくですね。でも、コーヒー豆なんか売っていたんですね。知りませんでした」

「目につきにくい場所にあったから、教師用とかなのかも。だとしたら、案外探せば色々出てくるかもしれないね。酒とか」

「お、お酒はだめですよ!未成年なんですから」

「この世界じゃ死にゃーせんから大丈夫だろ」

「倫理的にだめです!セクハラといい、リンゴ先輩には良識というものが欠けていると思います」

「ハハハ」

 

 こういう人間だからしゃーないよね。

 で、そんなことより気になることがあるわけで。

 

「ところで入江さん、どーして俺の名前知ってんだ?」

「どうしてって、岩沢先輩から聞きましたけど」

「チッ、やっぱそこからか」

 

 口止めしとくんだった。

 女子の情報伝達速度なめてたわ。光回線使ってんじゃね。

 

「あんまり好きじゃない名前だから苗字で呼んでくれ」

「いい名前じゃないですか」

「どこが」

「偉大なドラマーみたいで」

「リンゴ=スターがドラマーとして偉大なのかは知らねーし、第一俺はドラムやんねーつーかできねえ」

 

 昨日した話と同じようなことを再び説く。

 2日連続で語るとは思わなかったが、こいつらと一緒にいるんだからこういうことは今後もあり得るかも知れない。

 岩沢と似たような反応を示す入江だったが、話を聞いた後は少し違っていた。

 

「じゃあ、あたし教えますよドラム」

「は?」

 

 何言ってんだこいつ。

 いや、ドラマーらしいといえばそうなか。

 でもやっぱ何言ってんだ。

 

「ドラム"は"ってことはそれ以外に出来る楽器があるんですよね。何ですか?」

 

 グイグイと聞いてくる入江。

 ドラマー的側面が刺激されたのか、演奏で見せる嬉々とした表情で近づいてくる。

 

「お、主にはギターと鍵盤系。あと一応ベースも」

「十分ですね」

 

 なにが十分なのかよくわからない。

 そうこうしている内に入江は椅子を2つ俺らの間に設置し、その上に学校用具のカタログと電話帳を置いた。

 即席の練習台だ。

 

「はい、先輩。スティックが軽いかも知れませんけどちょっと我慢してくださいね」

「いやいやいや何やんの」

「そーですね、まずはメトロノームに合わせて4,8,12,16と刻んでみましょう」

「そうじゃねーよ」

 

 こいつ話を聞かない子と化していやがる。まるで岩沢みたいだ。

 多少まともだと思っていたけれど、類は友を呼ぶってことか。

 

「そんなにかたくならなくても大丈夫ですよ。ドラムなんてお猿さんでもできますから」

「たしかにそういう曲芸できるチンパンジーとかいそうだけど、そういう発言は色々な人を敵に回すからやめなさい」

「じゃあまずbpm160あたりから軽く始めてどんどん上げていきましょうか」

「速えよ!」

 

 

 ●

 

 

 どれぐらい時間がたったのかわからない。

 時計の針が何周したかも覚えていない。

 

 俺の手はすでにスティックを持つほどの握力が無くなっていた。

 力を失った手の平からバチが滑り落ちたところで入江女史によるドラム講座は終了した。

 

「手首……いてぇ……」

「このカタログあんまり弾性よくないですからね。パティパットでもあればいいんですけど」

「あれ、ゴミたまるし劣化早いからやめたほうがいいぞ」

 

 安価で手に入るし持ち運び便利だけど、意外と早くベチャつくからな。

 まあ学生とかにはいいのかもしれないから、吹奏楽部の部室とかに行けば多分あるかも。

 

「……先輩って、何者なんですか」

 

入江が不思議そうというよりは、不審そうに尋ねてくる。

 

「何者って?」

「ギターとかやれるっていいますし、だからだと思いますけどドラムができないって言うわりにはリズム感が狂っていませんでした、むしろいいくらいです。もしかして先輩がおっしゃるドラムができないっていうのはパフォーマンスとしての技術力ってことじゃないですか?」

 

 むむ、この子意外と鋭いな。

 確かにドラムができないっていうのは、単純に人前で見せるほどの技術を会得していなからではある。

 その他の楽器に関しては技術だけはあるからできると言ってはいるけど。

 

「それにパティパットを知っているとか、お亡くなりになられる前は一体何をしていたんですか?」

「色々」

「おそらく音楽関係の、それも演奏する立場としての仕事をしていたんじゃないですか」

「そんな偉いものじゃないよ。俺は色々やっていたから色々しっているだけ。ただそれだけなんだよ」

 

 入江が思っていうるようなことや岩沢が期待しているようなことは何一つ無い。

 だから、勘違いしてもらっては困る。

 過度な期待は正直迷惑だ。

 

「むー、はぐらかされた気がします」

「こんぐらいで許してよ」

 

 不意に、ピピピッと軽い電子音が鳴る。

 胸ポケットに差していたインカムの先のライトが緑色に点滅していた。

 耳に掛け、指を添えてカチッとボタンを押して切り替える。小さなノイズとともに、落ち着いたゆりの声が届いた。

 

『時間よ』



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Chapter.1_14

「ねぇねぇ、あれガルデモじゃない?」

「本当だ。もしかしてライブやるの!?」

「おいガルデモがライブやるかもよ!はやくこいって!」

 

 PM 18:25

 

 NPCの夕食がピークに達し始める時刻より少しだけ前の時間。

 本来であるならばそこそこ程度の人数しかいない食堂がかなりの生徒で収容されていた。

 

 原因は後ろに座っている彼女たちだろう。

 先程から我々が待機しているテーブルを囲うようにNPCたちが人だかりをつくっているからだ。

 その光景はまるで本当にスターかのように見える。

 

「どうしたのリンリン先輩、こわい顔しちゃって」

「そのリンリンってのがまず気になるな。パンダかよ」

「かわいいでしょ?それよりどーしちゃったの?もしかして、緊張でもしてる?」

「いや」

 

 関根が心配したのは、多分この人だかりの多さに対してだろう。

 これだけ人数が集まるとは正直驚いたが、緊張してしまうほどではない。

 そもそも彼らが注目する対象俺ではない。

 さらに、戦線メンバーのくせに仕事をしないで歓声をあげながらずっとシャッターをきっている、どこぞのアホのおかげで呆れてしまっているし。

 とりあえず、あのチビは後で叩いておこう。たしか誘導係の仕事をサボっているはずだ。

 

 こわいとわれる顔になっているのは別の理由。

 食堂に来たときゆりから渡された、懐に収まったコイツのせいだ。

 生きていた頃、大人数を相手にするのは何度かあった。

 でもさすがにコイツと相対するのなんて初めてだ。嫌でも緊張してしまう

 

「もー、いくらライブに出なくてもリンリン先輩は一応私たちの仲間なんだよ?ファンの前で物騒な表情みせないでね」

「物騒て……なんでもいいけどリンリンやめい」

「スマイル、スマイル」

 

 色々無視して関根は自分の口角を指で持ち上げて笑顔をつくってみせた。

 いつもと変わらない笑顔を見せるので笑ってしまう。

 

「……ハッ。お前はなんでも楽しそうだな」

「そうでもないよ?でも今は楽しい!だからリンリン先輩もホラ!笑顔!」

「ちょっ!人の頬に指を押し付けんなっ」

 

 関根が俺の口角を上げようと、ムリヤリ顔に指を押し付けようとしてくる。

 事情を知らない他人から見たらただの痛ップルだ。

 不本意なイチャつきが始まりそうで、そんなことをしたらガルデモのファンから殺されかねない。

 

 その時、耳に電子音が響き小さなノイズがはしった。

 片手で関根の頭を押して制し、インカムのスイッチを入れる。

 

「はい」

『こちら遊佐です』

「ういうい、奴隷の星川っす」

『……照明班、音響班共にスタンバイ完了』

「スルーかよ。お兄さん泣いちゃうよ」

『……そろそろ頃合いかと』

「いやマジでガン無視は泣きたくなるわ」

『気がついたファンも集ってきています。……変態』

「いえーい、反応もらったけど株価下がっちまったー」

 

 セクハラ失敗だった遊佐との通信を切る。

 そして俺は岩沢に向かって報告した。

 

「準備できたってさ」

 

 それを聞くと、ガルデモのメンバーがゆっくりと立ち上がる。

 少し空気が張り詰めた、というのはクサいかもしれないが、漂う雰囲気がガラリと変わる。

 

「Okay。じゃあ、はじめるとするか」

 

 

「おーおー、たけーなここ」

 

 階段を登りながら、柵を覗き込むように下を眺める。

 俺は食堂を見渡せる上階へと来ていた。

 吹き抜けのようなつくりになっている食堂がここからは俯瞰してよく見える。

 岩沢たちがそれぞれの楽器を持って、スピーカーやアンプが設置された踊り場のステージへと移るのが見えた。

 

「どうせ中に居るなら、ここから眺めるのも面白いと思うわよ」

 

 声をした方へと視線を向けると、白いベレー帽ーをかぶりゴツいトランシーバーを携えたゆりが仁王立ちしていた。

 いちいち偉そうである。でも様になっているから文句は言えない。

 テーブルから移動するとき、ここに立っていた彼女から手招きされたのでここまでやってきた。

 

「そういえば日向たちは?」

「日向くんたちは迎撃のために外で警備してもらってるわ」

「迎撃?」

「天使の」

 

 ああ、そういえばそんな奴いたな。

 紹介してもらってないから忘れてたわ。

 敵を紹介するとかないけどな。

 

「俺も暇だけどいかなくていいの?」

「いてもどうせ役に立たないわよ。ならこっちでおとなしくしていて頂戴」

 

 バッサリだわー。

 たしかにこっち来たばかりだし、役には立たんけどよ。

 それに、俺にこんなものを渡すぐらいだから彼女の言う迎撃とやらはろくなもんじゃないだろう。

 つい懐にある違和感を確認しながら、それはこっちも願い下げだなと毒づく。

 

「もしかしてライブに緊張してるの?演奏するのはあなたではないし、そこまでマネージャーらしくしなくてもいいわよ」

「関根さんと同じ思考回路かよ。ちげーし、わかってるわ」

「そう。じゃ、せいぜい楽しみなさい」

 

 ガシャン

 

 空間を煌々と照らいしていた照明がすべて消え、暗闇へと変わる。

 息を飲む声と共にNPC達の期待が膨れ上がるのがわかった。

 まだか、まだかと始まり合図を待ちながらも、その一音を聞き逃すまいという気迫を感じる。

 オーディエンスがもつ熱がジリジリと上昇し、触れた肌をやきつける。

 

 Zildjianを叩くカウントが響いた。

 音はそのままロールへと流れ。

 宴がはじまった

 

 ●

 

「お、はじまったか」

 

 外で待機していた日向は食堂から漏れてくる歓声と歌声を聞いて、作戦が本格的に始まったことを実感した。

 構えていたRPK-47を首の後ろへと回し、軽く体をひねるようにストレッチして緊張で強ばる体をほぐす。

 

『日向くん、そろそろまじめに構えていたほうがいいよ。気が抜け過ぎだよ』

 

 インカムから大山による情け無い声のお節介が聞こえた。

 

「別に気が抜けてるわけじゃねえよ。むしろ逆に張り詰め過ぎないように緊張をほぐしてるんだけど」

『なんでもいいけど、日向くんの背中はいつでも見えてるからね』

「狙撃手のお前に言われるとなんかこえーよ」

 

 しかたなく、軽機関銃を構え直す。

 だが、いつくるかわからない敵を集中したまま待ち続けていられるほど日向は兵士として優秀ではない。

 

「しっかし、なんでRPKなのかね。うちの戦線ってAK持ってる奴いないよな。カラシニコフっていったらそっちじゃねーの?」

『AKは中国製のパチものしか見たこと無いから危険だってチャーが言ってたよ』

「RPKは本物見たことあるのかよ。いったいチャーは何者なんだ……」

 

 気を張り詰めすぎないようにあえて軽口を言ってみたが、大山はのって返答をしてくれていた。

 それがわかっていての反応かどうかは定かではないけれど。

 

『そういえば、一昨日入った人みないね。星川くんだっけ』

「あいつはガルデモのパシリだろ。だから中でライブ見てんじゃねーの?ちぇ、羨ましい」

『僕達いつもライブ中はオペレーションがあるからねえ』

「そろそろ一回くらいは最初から最後までしっかり見たいものだなっと……どうやらお出ましのようだぜ」

 

 ゆらり。

 数十メートル先に敵は歩いて現れた。

 

 天使

 小柄な、それこそ守ってあげたくなるような容姿の少女。

 しかし、彼女が見た目に反してどれだけ危険性をはらんでいるかを知らない日向たちではない。

 知っているからこそ、そこに何の躊躇もない。

 

 パシュン

 

 少女の歩みが止まる。

 その腹部からは赤いシミが広がっていた。

 大山のM24から放たれた弾丸が次々と天使を射ぬく。

 行動不能にすべく、膝、足首へと容赦のない攻撃が貫いてゆく。

 

 だが、天使は再び歩みだす。

 弾が肉体を穿こうと、その足はは一歩ずつ、しっかりとこちらを目指して進んでくる。

 

 この程度でこいつがやられるわけがない。

 だから、日向も構える。

 引き金に指をかけながら。

 

「さぁ、いっちょやりますか!」

 

 ●

 

 バラバラバラ

 

 と、声やギターのサウンドに混じって破裂音が聞こえてきた。

 音源をさぐると、どうやら外から響いてきているらしい。

 

「どうしたのかしら?」

 

 ステージに向けていた顔をはずして窓のほうを眺めていた俺をゆりは不審そうに見つめてきた。

 

「いや……なんでもない……」

 

 なんとなく正体は予想できている。

 あんな音はゲームや映画でしか聞いたことがないが、多分間違っていない。

 しかし、あれだけの連射音がするってことはハンドガン以外にもライフルとかマシンガンがもあるのか。

 こえーなこの世界。

 

「あら、外の音が聞こえたのかしら。よく気づいたわ、あなた耳が良いのね」

「やっぱ外でする音ってアレ?日向たちがぶっぱなしてんの?」

「そうよ、天使にはそれなりの火力で対応しないと持たないわ。本部で顔合わせしたメンバー全員が戦ってるけれど、せいぜい足止めがいいところよ。実際今も致命傷は与えられていないはずだし」

 

 あの部屋にいた連中総出で迎え撃っているのか。

 どれだけ硬いんだよ天使。

 やっぱ神の使いだからチートか。

 

「銃が気になっちゃうの?」

「気になるっつーか、こえーよ」

 

 今この建物の外ではハリウッド映画もびっくりの銃撃戦が行われているんですよ?

 想像するだけで恐ろしい。

 

「あなたも持ってるじゃない、渡したでしょ?M1911A1」

「だから余計にだよ!慣れているわけないんだから」

 

 懐に収まるM1911A1があるせいか、さっきから聞こえてくる音が妙に嫌な現実味を帯びる。

 俺も今あの音を鳴らすことが出来るのだと。

 なにより重いのが本物だという実感をさせられる。

 

「そんなんじゃやってけないわよ。ライブは楽しくないの?」

「いや、そーじゃねーけどよ」

 

 視線をライヴへと戻す。

 ステージで少女たちが演奏している姿が目にうつる。

 彼女達の熱とオーディエンスの熱がぶつかり合うようにしてまた更に熱さを増している。

 

「この曲のタイトルは?」

「これはたしか"Crow Song"ね。ライブではよくやる曲の1つよ」

 

 "鴉の詩"か……

 

「カラスって夜行性だっけ?」

「……さぁ?あんまり夜にカァカァ鳴いている印象は無いわね、って真面目に聴いてたんじゃないの?」

 

 そんな事言われても、この曲はタイトルを知らなかっただけですでに彼女たちの練習で聴いている。

 あとその他も数曲聴いたが、さっきからやっている曲は総て練習でやっていたものだ。

 案外レパートリーが少ないのか?。

 戦線にある機材からみて、現世みたいにちゃんと録音できるわけではなさそうだ。

 そうポンポンと曲作らないで一曲を大切にするのだろうか。

 なんとか録音出来ないかな。

 

「歌詞からそんなくだらないことを考えるなんて、相当退屈なのかしら。岩沢さんたちが知ったら泣くでしょうね」

「いやだから退屈しているわけじゃないぞ?それなりに楽しんでるよ」

「そう?」

 

 訝しむ目でゆりににらまれるが、本当に退屈してうんざりしているわけではない。

 ライヴという、音が直接体にぶつかってくる音楽はやはり楽しい。

 ただ、曲のことが気になってしまったのだ。

 

 Crow Song、この曲は俺の予想とは違った印象をもっていた。

 他にもAlchemyといった幾つかの持ち曲を聴いたが、どれも同じだった。

 

 悪い曲ではない。むしろとてもいい曲だ。

 生きているときに出会っていれば、CDを買って取り込んでリピートし続けるだろうし、切って貼って弄り回したはずだ。

 

 だけれども、どの曲からもあの屋上で聴いた音色ない。

 あの音から感じた風景はみえてこない。

 岩沢が作ってる途中と言った、断片による継ぎ接ぎだらけのあの曲から打ちつけてきた感情や思いは伝わってこない。

 

 この曲たちは、ひたすらに前を向いている。

 ただ、ただ前へと、もっと遠くへと叫び続けている。

 消えたくない、埋もれたくないと鳴いている。

 

 でも、求めている先にあるのは憧憬であり過去。

 前へと向いている限り、絶対に手に入ることはずがない。

 そこにはないものへと腕伸ばし続け。

 何がっても後ろへ振り向ことはない。

 そんな、悲しいというより阿呆らしい。

 

 ……いや、虚しい曲だ。

 

 これがあの岩沢が創りたかった歌なのか?とてもじゃないが、俺はそうとは思えない。

 

 あいつは俺から自分の知らない様々な曲を聴き出そうとしていた。

 音楽を始めたのは遅かったと照れていた。

 

 本当に作りたいものは別にあるんじゃないのか?

 まだぶつけたいものを作っていないんじゃないのか?

 でも、あの屋上で聴いた曲が彼女の本当の感情だとも言い切ることはできない。

 俺は本人ではないから。

 

 だけれど、ガルデモの持ち曲にバラードはなかった。

 

 ロックやポップスといった曲調でも、岩沢が響かせていたあの音色の感情は表現することは可能だろう。

 だが、俺の聴いた曲たちからはあの感情や風景は見受けられなかった。

 それらから伝わってくるものは、様々な意味合いがあった。

 しかし、違っていても向いてるベクトルは一緒だった。

 

 俺は思う、岩沢はロックやポップスではあの感情を表現できない。

 

 彼女もバカではないから気づいているはずだ。これは違うと。

 こちらの世界に来てからエレキに触れたと言っていた。愛器はあのアコースティックだろう。

 

 ならどうしてバラードをやらない。

 

 岩沢ほどの才能の持ち主がその考えに至らないわけがない。

 つい最近気づいたなんてことも無いはずだ、もっと前からわかっていたはずだ。

 なんで、どうして、バラードをやらないんだ。

 

 それが彼女の叫びを訴える最善の方法だろ。

 

 何か、できない事情でもあるのか。

 そのことが違和感となって気になってしまう。

 だから、ゆりに退屈そうに見えたのかも知れない。

 

「しっかし、盛り上がっているわね」

「……そうだな」

 

 眼下に広がるNPCの群れはライブ開始時刻よりも明らかに多くなっている。

 その様子はまさに狂喜乱舞。ボルテージも今が最高潮だろう。

 

「宴も闌ね……回せ」

 

 トランシーバーでゆりが命令を下すと、事前に窓の前に設置されていた巨大な円形の装置が稼働し始めた。

 これは、扇風機か?

 

「って、あれホールとか広い空間をはやく換気するものじゃねーか!あんな数を一気に回したら、うおっ!?」」

 

 予感したとおり、強烈な突風が後ろから押し付けるようにぶつかってきた。

 そしてその風は興奮したオーディエンスの熱を冷ますかのように吹きつける。

 

 風でよろめいた身体を支える為に柵を掴んでバランスをとろうとする。

 しかし、上手く取りきれなかったため片腕が柵の外へと放り出されて閉まった。

 一瞬ヒヤッとするが、なんとか身体そのものを柵に当てることで無理やりに落ちるのを防いだ。

 

 そのとき、放り出された手を何かがかすめた。

 

「紙が、舞ってる……」

 

 小さな長方形の紙が無数に下方から舞い上がっていた。

 見覚えのあるそれは。

 

「食券?」

「そう、これがオペレーション・トルネード」

「……巻き上げって、こういう意味かよ」

 

 それはまさに竜巻きかのように、うねりながら吹き上げている。

 ライトの光を反射しチラつきながら漂うそれは、不恰好ながらも光の粒が舞っているかのような神秘的な印象さえ抱かせた。

 

「どうかしら?おもしろいでしょう」

「そうだな、演出としては申し分ないよ」

 

 熱とともにオーディエンスの手元から飛んでいったそれは高く舞い上がり、そのまま窓から食堂の外へと飛び出ていった。

 風を失った外では舞い落ちるかのように降り注いでいるのだろう。

 それを想像すると、すこしその光景も見たくなった。

 

「そうだ、あなたも好きにとってみなさい。あとで配給はするけど、今ここで1、2枚程度をかすめとるのは目をつぶってあげるわよ?」

「なら、お言葉に甘えて一枚とってみるか。一応初オペレーション記念として、よっと」

 

 腕を伸ばし、舞うなかの1つを掴みとる。

 掴みとった食券を裏返すと。

 

「マーボー豆腐……」

「あらあら、あなた持ってないわね。これからそう甘くないって暗示じゃない?」

「へいへい、肝に命じておきますよ」

 

 悪態を吐きながら食券をポケットへとしまう。

 できれば普通に美味しそうなものが欲しかったな。

 

「さて、この光景に浸るのもいいけど、あなたの仕事はこのオペレーションよりも彼女達のお世話なのよ。そろそろライブも終わるわ、気を引き締めなさい」

「りょーかい」



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Chapter.1_15

『AゲートからCゲート、依然天使との接触の恐れがあります』

 

 耳にかけたインカムから遊佐の抑揚のない独特な声が聞こえてくる。

 柱のかげからひょっこりと顔をのぞかせながら俺は応対した。

 

「他はNPCの出入りで混雑しているだろうからな。流石にきつい」

 

 目線の先ではNPC達が熱気を帯びた表情で歩いている。

 

『仕方在りません。やはりこちらから誘導しますので指示に従って下さい』

「そうだな、わかった」

 

 それしかないか。

 多少不便であっても仕方がないだろうこの状況は。

 俺は顔を引っ込めながら岩沢達の方向を向いた。

 

「うっし、おめーら脱出すっぞー、40秒で支度しな」

「もうできてるよ」

 

 

「関根さん、もうちょっと頭さげろ。みつかっちまう」

 

 前を行くオレンジ色の頭を押して下げる。

 みぎゃっとか変な声が聞こえたけど気にしない。

 女の子はそんな奇怪な声をださないはずだからそう信じてるから。

 

 先頭のひさ子が振り返り、手振りで次の方向を尋ねてきた。

 周りを警戒しながらインカムを繋げる。

 

「遊佐さん、次どっち?」

『2時方向の机まで移動して下さい』

 

 言われた方向を指さしてひさ子に教える。

 うなずいたひさ子は移動し、それに続いてアヒルの子供のように俺達もついていく。

 どっちかというと勇者様一行だった。

 

 ライブで活躍したスター様たちがこんなスネークしているのには理由がある。

 日向達の天使足止めが予定時刻よりもだいぶオーバーしてしまったからだ。

 当初予定していた正面からの脱出経路では天使と接触してしまう恐れが捨てきれなくなってしまったため却下となった。

 他のゲートに進もうにもライブの熱でフィーバーしちゃってるNPCどもの群れを突破しなければならない。

 そんなところに熱源である彼女たちを投下してみろ。

 地獄絵図しか浮かばない。

 

 審議の結果、上階からの指示に従って人目につかないルートを通りながら脱出する案が採用された。

 おかげで面倒な事態は起きなかったが、代わりにかがみながらこそこそと食堂を抜けてくる羽目にあった。

 

 ちなみに今は飲食スペースを抜け、おばちゃんたちの戦場こと厨房内である。

 広いスペースのうえ食事のピークも過ぎているのでおばちゃんたちもそこそこの人数しか居なかった。

 

「さっきまで観客の視線を独占していた存在が、こうして逃げることになるとはね。有名になるのも大変だな」

『ファンに追われるとは、スター冥利に尽きるのではないでしょうか』

「俺は別に関係ないやん」

『マネージャーがタレントの為に苦労するは仕事のうちかと』

「……そうっすね」

 

 だんだんマネージャー扱いが浸透してきている。

 一応、本部からの連絡要員であってジャーマネではないんだが。

 暗黙の了解というより、外堀埋められているってかんじだ。

 実際の仕事内容はパシリだからぶっちゃけどっちでもないよねー不思議だね。

 

『机から見える青い扉から外に出ることが出来ます。そこから寮に向かってください』

「本部には戻んなくていいの?」

『橋付近に天使がいる可能性があります。近づかないほうがいいでしょう』

「りょーかい」

『では、お気をつけて』

 

 インカムを切って一行を進ませる。

 扉を抜けると辺りは真っ暗闇だった。

 

「うわー、よくみえねえ」

「裏ですから外灯も入らないですね。さっきまで強い光源の下にいましたから目が慣れないです」

 

 光もないし人の気配もしない。

 一応感覚的に寮の方向はわかるが障害が見えない状態で進むのは危うい。

 

「ちょっと進むのあぶないから一旦ここで休むか」

「さんせー。腰痛っくて……」

 

 ババア臭く腰をとんとんさせながら近くにあった瓶の箱に座る関根に習って女子たちは座り始めた。

 ライブ後すぐに移動だったためかみな疲れていたようだ。

 俺は関係なかったから元気だけど。

 

「あーつかれたあー」

「しおりんもうちょっと女の子らしくしようよ。一応男の人の前なんだからさ」

「一応かよ」

 

 悲しくなるぞおい。

 

「ライブであんだけはしゃぎまわってたらそりゃ疲れるだろうよ」

「へー、リンリン先輩ちゃんと見てたんだ」

「どこに行ってたと思ってんだよ……」

 

 ライブほっといて飯でも食ってたとか言うのか。

 あんな喧騒のなかで見ずにいる方が難しいっての。

 

「でも星川、観客席にいなかった気がするんだけど」

「あの群衆の中から俺を見つけようとしたんすかひさ子さん。愛を感じちゃうね」

「ばっバカ違ぇーよ!!いつもと違う変な視線を感じなかったんだよ!!」

「変な視線って何だよ」

「お前が胸みてくる時に発している視線だよ」

 

 まじかそんなんでてたか。

 気を付けたいけど自覚ないからどうやって発しないようにすればいいのか。

 やっぱ見ないことだろうか。無理だな。諦めよう

 

「上から見てたんだよ。さすがにライブ中にそんなとこ見ねーっての、変態じゃあるまい」

「お前変態だろ」

「仮に俺が変態だとしてもそれは変態紳士だ。でも変態じゃないから」

「意味がわかんねーよ」

 

 言ってる俺も意味がわかんなくなってきた。

 自己崩壊の凶兆かね。アイデンティティ失っちゃうかね。

 まあどうでもいいけど。

 

「俺はやるなら相手の前で堂々とするわ!あとセクハラに関してはNo Touch!がモットーなんで口だけですよ」

「リンリン先輩、セクハラに一家言もたれても……」

 

 うっわ関根に呆れられちゃったよ。

 アホの娘に蔑まされた目で見られるとマジでへこむな。やめてくれおねがい。

 

「バカな談義してないでリンゴも休みなよ」

「俺は別に疲れてないが」

「いいから座って。邪魔」

「へいへい」

 

 お言葉に甘えて扉の前に座っていた岩沢の横に座り込む。

 彼女の視線は空を向いていた。

 その視線をたどって同じように空を見上げてみるも、そこは真っ黒な世界が広がっているだけだった。

 

「星も見えねーのな」

「外灯とか夜間でも結構光が多いから。でもたまに見えるよ」

 

 星の明かりはないが不思議と空を見続けていた。

 月以外の光が存在しない夜空はすべてを飲み込んでしまいそうな気がして視線を外すことができなかった。

 

 見えない星のことを考えると、この世界のを造った存在がどういうものなのか考えさせられてしまう。

 

 仮に神という存在が本当にいるのだとして、そいつはどんなやつなのか。

 どうしても俺は宗教的観点から見てしまおうとする。

 別になにかしらの熱心な宗教家というわけではない。

 ただ、"神"という言葉を使っているせいなのか。

 まずはそこから考えてしまおうとする。

 

 もし、この世界の神が俺らが生きていた世界で信奉されていた存在だったとしよう。

 それがヤハウェなのか釈迦なのかは知らないが、仮にどれかだとする。

 だとすれば、この世界はその神を奉る宗教の価値観によって偏った構築をされているはずだ。

 例えば、食事等で何かしらの禁止事項があるとか。

 そんないかにもな制約や儀式等があってもおかしくはない。

 

 しかし、今のところそういうものは見当たらない。至って普通である。

 いや、むしろ見当たらなすぎる。

 

 そもそもなにが普通という基準が決まっていない。

 その宗教にとってはそれが普通だという考えのはずなのだから。

 ということは、俺が普通に感じるということは、俺にとっての宗教的には普通の世界なのだ。

 

 だけれど、そう考え直してもそういった行為や制約は思いつかない。

 むしろまるで儀式があまりにも浸透しすぎて慣習となってしまったような。

 無宗教国家とよばれた母国のように感じた。 

 

 ならば"神"という考え方は、間違っているのだろうか。

 

 そもそも神なんて偶像の崇拝だ。

 現実ではありえない存在。

 それを意図的に創ることで人が夢見てすがるためにある。

 それはまさしくアイドルに傾倒している奴らと変わらない。

 こうあって欲しいとひたすら望み続けるだけで近えづく事ができない絶対不可侵の存在。

 

 なら、俺らが今敵対している神も誰かしらが創り上げた偶像なのだろうか。

 本当は存在しないのかもしれない。

 居ないものに向かって刃向かい続けている。

 そんな愚かな行為なのではないだろうか。

 

「……バカバカしい」

 

 行き着いた結論を自ら一蹴した。

 もしそうならば、誰がこの世界を造ったんだ。

 どうして俺らが連れてこられたんだ。

 自ら望んだとでもいうのか。

 それこそありえない。

 だれが、死んだあとの世界なんて望むかよ。

 

 「リンゴ先輩どうしたんですか?」

 

 入江が顔を覗き込んでくる。

 空を見上げブツブツとつぶやいている姿が怪しくて心配してきたようだ。

 それをわらって誤魔化した。

 

「何でもないよ、大丈夫」

「本当にそうですか?」

「大丈夫だって。ただ、星が見えればここの位置とか季節がわかるかもと思ってね」

「ああ、そうかもしれませんね」

 

 あとその星座の並びが俺の知っているとおりなら、ギリシャ神話は無かったことにはなっていないからそれと敵対する神でではないとか。

 でも、これからはそういう観点で考えるのはやはり危険だろうか。

 さっきまでの思考を考慮しても、そこに固執して考えてしまうと間違った方向を見続けそうな予感もする。

 あくまで予感だけど。

 

「そろそろ目も慣れてきたから移動しよう」

「えー、もう少し」

「どうせこのまま寮に帰るんだから頑張れ」

「うー」

「さっさと立て」

 

 愚図る関根をひさ子が蹴り飛ばす。

 それを横目で見ながら、辺りを確認した。

 

 目がなれるまでは気づかなかったが、食堂裏の通路は結構荒れていた。

 普通に酒瓶とか転がっている。

 ちゃんと管理しろよと思う。

 NPCといえど、どうも人間臭いな。

 

「ほら行くぞ、足下気をつけろよ」

 

 俺が先を歩きながら安全を確認する。

 一応注意を呼びかけるが、総てを気づくことは出来ず関根とひさ子は転けた。

 それでもなんとか外灯のある道まで出る。

 

「やっと出れたな」

「さっさと帰ってシャワー浴びたい……」

 

 転けたが拍子にゴミ袋へダイブしたひさ子が死にそうな目をしている。

 あれクッションとか粗大ごみだったからそんなに汚れてないと思うけど。

 というかなんで食堂裏に粗大ごみあったんだろう。

 おかしいだろここの食堂。

 

「まあ早く帰りたいのは俺も同感だな」

「NPCとかに捕まる前にささっと帰りましょー」

 

 たしかにそういう可能性もある。気をつけなければならない。

 俺は辺りを確認する。

 等間隔に並ぶ外灯に照らされた道が広がっている。

 方向を再度注意しながら指示を出す。

 

「こっちの道だな、このまま行けば寮にたどり着け――――――

 

 だが、言葉を最後まで紡ぐことができなかった。

 

 なぜならば、先の外灯の下にあいつがいたからだ。

 



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Chapter.1_16

 やつがそこにいた。

 

 昨日校舎で出会った。

 気持ち悪いほど透き通った少女。

 

 どうしてここに。

 いや、生徒なのだからいるのは普通か。

 食堂から寮へと帰る道中なのかも知れない。

 普通だ、普通。でも

 

 異常なまでに無機質な表情が。

 心臓を締め上げるような雰囲気を纏うあの声が。

 なんの根拠もないただの直感が。

 

 こいつを警戒しろと訴えてくる。こいつは化け物だと無理矢理認識させられる。

 

 その黄金の双眸と視線が交差する。

 

「ひっ」

 

 入江の悲鳴が耳に入る。

 あの少女の雰囲気に怯えるのは俺だけではないのか。

 自分が異常では無いことに場違いながらも安堵を覚えた。

 

 しかし、次のセリフがその考えを否定する。

 彼女の恐怖は俺とは違ってもっと明確なものだった。

 

 

「なんでここに、

        て、天使が」

 

 

 俺は迷わず引き金をひいた。

 

 ●

 

 入江のセリフを聞きったからかどうかわからないタイミングだった。

 多分聞いていなくても撃っていたかもしれない。

 いや、確実に撃っていた。

 不思議なことにあれだけビビっていたガバメントの引き金を躊躇なく引けた。

 

 なるほど、こいつが天使。

 戦線の敵

 理不尽な神の使い手

 忌むべき存在

 

「ってぇ!?反動でけーなおい!」

 

 さすが45口径。

 やはりゲームのように片手で撃つのは無理か。俺素人だし。

 弾も標的を外して地面を跳ねていた。

 おかげで天使がこちらを完全に認識する。

 

 近づいてくる前に今度はしっかりと両手で握り、腰を据えて2,3発ぶっ放した。

 弾は見事に天使の腹部を貫いた。

 

「足止めするから逃げろ!」

 

 残りの弾もばら撒きながら岩沢たちに向かって吠える。

 天使は肉を穿れてもなお進んでくる。

 化け物かよ。

 

「逃げるって何処に!」

「寮への道にあいつがいるってことは予測が外れたってことだろ!なら本部まで逃げろ!ついでに応援でも呼んでくれ!」

 

 岩沢たちに指示をしながら最後の7発目を撃ち込む。

 反動を抑えられなくて跳ね上がった弾は腹部でなく運良く頭部へと向かって突き進んだ。

 流石に頭を破壊すれば止まるだろう。

 だが、

 

「GuardSkill_HandSonic」

 

 機械的な声色で天使がつぶやく。

 すると彼女の右手から透明な刃が甲に沿いながら生えてきた。

 そしてその手を振り上げ、迫り来る弾丸を斬り捨てた。

 カランっと割れた弾が地面に落ちる。

 

「……いやいやいやゲームかよ!まじかよ!チートじゃねえか!」

 

 弾丸を斬り落とすってどんな反応速度だよ。

 なんなんあいつ。

 まじで前世がアサシンかなんかじゃねーの?

 忍者とかそういう職業だろ。

 サイボーグ忍者とニンジャスレイヤーとかそういう類の方だけど。

 

「GuardSkill_Distortion」

 

 天使が再度詠唱する。

 今度は左手がサイコガンにでもなるかと思ったが、見た感じ変化はない。

 肉眼では見えないが体の内部が変化でもしたのだろうか。

 もしくは加速しているとか。

 

「どっちにしろ俺が出来ることは限られている」

 

 空になった弾倉を抜き予備を挿し込む。

 渡されているのはこれしか無いから、あと7発しか使えない。

 大事につかわなければ。

 

 岩沢たちはすでに走って本部へと向かっている。

 余裕をもって考えても10分稼げれば彼女たちは逃げ切れるはず。

 運が良ければ途中で他の戦線メンバーに会えるかもしれない。

 なら俺はここで彼女らが無事逃げきるまで精一杯足止めをするのみだ。

 

 再び銃口を天使に向ける。

 依然として天使は怯えること無くゆったりとした足取りでこちらに詰めてくる。

 武器をもったことによる自信からであればわかるのだが、始めからあの余裕はやはり異常だ。

 

 腕がぶれないようしっかしと構える。

 照準をぴったりと天使の頭部に合わせる。

 先ほど剣で防いだとき、弾は頭を狙っていた。

 守ったということは、やはり奴の動きを止めるには頭部を破壊すればいいのだろうか。

 だが、先ほどのような反応速度でまた防がれてしまう可能性がある。

 ならばだ。

 

 俺は腕の力を弱める。銃口が少し下がる。

 照準が頭から胸へと移る 。

 

「そのぺったんこな胸に風穴でも開けてろ」

 

 容赦なく引き金をひく。

 連続して3発。

 ただし、反動をある程度だけ受け流しわざと跳ね上がらせる。

 そうすることで銃口が上がり、同じ場所ではなく縦に並んで狙う。

 胸、喉、頭。

 ある程度タイミングはズレるが守るには動きづらい方法。

 本来は反動が強いAKなどのアサルトライフルで使うやり方。

 ハンドガンで再現しようだなんてバカな考えではあったが案外上手くいった。

 手首めっちゃ痛いけど。

 

 弾丸は予想通りの軌道を描く。

 もし致命傷を避けるなら頭を守れるはずだ。

 ただしそれは俺の考えを見抜いていたら。

 連射して撃った弾の弾道など素人にはそうそうわからない。

 

 しかし、やつの反応速度は異常だった。

 目もいいかもしれない。

 だとするとこの攻撃もバレているだろう。

 

 それでもいい。

 俺の目的は足止めだ。

 やつに致命傷を負わせなくても時間さえ稼げればそれでいい。

 頭を防がれたとしても胸に当たればそれなりに動きは鈍くなる。

 

 だが、そんな浅い考えすら化け物には通用しなかった。

 

 予想通り天使は頭に向かっている弾丸を斬り落とし。

 そのまま流れて喉に向かっていた分もはじいた。

 だが胸までは間に合わなかったようで弾はそのまま体へと吸い込まれていく。

 はずだった。

 

 弾丸は、貫かなかった。

 そのまま体を穿つはずだった弾丸は体にぶつかったと同時に斜めに弾かれていった。

 まるで跳弾したかのように。

 

「はあああああああああああ!?」

 

 意味がわからない。

 なんで弾が跳ねていった?

 防弾チョッキどころじゃねえぞ。

 まるで奴の体に見えない防壁があるかのように。

 昔アメリカのミリタリー記事でみたメタルマテリアシールドなんちゃらみたいな絵空事じゃねえか。

 

 まさかさっきのよくわからん2回目の詠唱の効果なのか?

 そんなんチートじゃん。足止めどころじゃねえよ。

 

 もう一度確認するために腹にめがけて2発撃ちこむ。

 今度は守る必要がないと判断したのか無抵抗で進んでくる。

 案の定弾は跳ねて明後日の方向へと飛んでいった。

 

「……」

 

 どうして日向たちがあんな火力で応戦していたのかよくわかった。

 今俺がもっている武力じゃ足止めすら無理だ。

 でも時間はかせがないと。

 どうやって、どうする。

 

 焦ることで思考の渦に嵌ってしまった。

 おかげで天使が間合いに侵入したきたことに眼前にくるまで気づかなかった。

 

「うぉあ!?」

 

 急いで飛び退く。

 しかし化け物チートを相手にするには遅すぎた。

 天使が振り上げた剣は容赦なく俺の左腕を斬り上げた。

 

 「…………っっっってえええええええええええ!!?」

 

 恐ろしく鋭利なのか切られた瞬間痛みはこなかった。

 だがすぐ後に焼けるような痛みは襲ってきた。

 左腕の感覚が痛みに埋め尽くされ無くなってゆく。

 

 肘から下を斬られたが、幸運なことに一応かろうじてつながっている。

 骨まで斬られて片側の微妙に残っている肉がギリギリつなぎとめている。

 多分引っ張ったら普通にとれそうなくらいふ心許ない程度。

 絶対痛いからやらないけど。

 

「いてぇ……いてぇよお……」

 

 さっきまで躊躇なく人様に発砲していたのにこの有り様。

 でもまじで痛い。

 泣いてどうにかなるレベルじゃない。

 血だってドバドバでている。

 踏ん張らないと意識が飛びそうなほどだ。

 

「あなた、まだ立つの……」

 

 天使が不思議そうに尋ねてくる。

 そりゃそうだろう腕ちょんぎれ欠けているのに俺はまだ立っている。

 腕がまるで焼けて落ちてしまいそうだけれど、俺はまだ天使を睨み続けている。

 

 俺は時間を稼がないといけない。

 たとえ痛かろうと彼女達が逃げきるまでは立っていないといけない。

 いくら死なないからって、彼女達にこんな苦痛を味わわせるわけにはいかない。

 

「あ、当たり前だ。お、俺はあいつらのま、マネジャーだぞ」

 

 痛すぎて呂律が回らなくなってきた。

 でも、踏ん張らなければならない。

 歯を食いしばり、痛みに耐え、呼吸を整える。

 そして天使を睨みつけた。

 

「音楽と関係のない障害は総て俺が被る」

 

 そう言い放ち、天使の前に立ちふさがる。

 左腕は処置している暇はないから宙ぶらりんなまま放っておく。

 それよりもまずは今できることを考えねば。

 

 そんな姿をみて天使は小首をかしげる。

 なにが可笑しいんだ。

 言葉が通じないわけはないから意味をとれていないのだろうか。頭の弱い子か。

 やがて納得したように首を戻し、再び能面のような表情で俺を見据える。

 

「そう……虚勢でなければいいけれど」

「はっ」

 

 ごめんぶっちゃけ見栄をはってます。

 マネジャーとか知らんし痛くて今すぐ逃げたい。

 ただかっこいい事言ってみたかっただけですよ。

 

「まあでもアイツらにも宣言しちゃってるんでね。男なんだし頑張らないと」

 

 右手のみでガバメントを構える。

 残弾は2発。

 自決用とかここじゃ意味ないから使い切る方向で行く。

 今でも十分足止めはできているけれど、正直あとどれだけ立っていられるかわからない。

 ならやはり致命傷とまでは行かなくても、行動不可能かそれに等しいダメージを負わせることが必要か。

 

 方法を考える。

 厄介なことに奴は無敵の防御と最強の攻撃をもっている矛盾さんだ。

 銃撃は効かない、今の武力で致命傷を与える方法は他にないか?

 考えろ。

 …………

 ……

 …

 

 1つ思いついた。

 

 効果があるかどうかわからない。

 むしろ勝算がない。

 だがこれ以外思いつかない。

 というかもう考えてられるだけの思考能力がもたない。

 やるしかないな。

 けれどそれには決定的な隙をつくらなきゃいけない。

 あの無表情天使さまの動きを止められるだけの隙を。

 銃は効かない。

 鋭利な刃物を構えている。

 無感動。

 

「なら、俺らしくこれしかねーよな」

 

 天使に向かって踏み込む。

 透明な刃を水平にして斬り込んでくるが、身を低くして躱す。

 そのまま頭突で天使にぶつかる。

 

「よっこらせ!」

 

 ぶつかった天使は体勢を崩しながら後ろへと下がる。

 俺は素早く頭を上げて銃口を天使に向け、1発撃ちこむ。

 

 それに気づいた天使はバランスを取りながらも弾丸を剣ではじく。

 頭を狙っていたわけではないのに、わざわざ不安定な体勢でも剣で防いだ。

 先ほどの頭突きは反射されなかったから、謎の防御で弾けるのは銃弾だけなのか。

 頭突きをしたせいでシールドが弱まったか。

 はたまた、ただ動揺しただけなのか。

 もしくは、はじく際には対象の認識が必要で動揺して頭突きと今の弾丸を認識しきれなかったか。

 どうにせよ、無敵の盾をつかわなかった。

 アレには何かしらの法則が存在しそうだ。

 

「うおおおおおおおおお」

 

 再び体勢を低くして天使に向かって突進する。

 気づいた天使は今度は垂直にして斬り降ろしてきた。

 刃を体を逸らして躱す。

 そのまま天使の横を通り抜けようとする。

 

 そのとき通り抜ける直前で左腕を振り上げて攻撃しようとと肩をあげる。

 天使は気づいていたのか振り下ろしていた剣を斜めに斬り上げるように振ってきた。

 だがその刃は空を切る。

 多分本来なら腕が吹き飛んでいそうだが、斬られて宙ぶらりんだったおかげで肩や二の腕の動きよりもかなり遅く手は上がって動いていた。

 そして攻撃すとかと思われた左手は天使の予期せぬ動きをした。

 

「なんだ白か、つまらん。縞パンとかカボチャパンツとか履けよネタ的に」

 

 俺の意志が通用しなくなった(物理的に)左腕は、天使のスカートをめくった。

 そしてラッキースケベな映像を網膜に焼き付けてくれる。

 なんとか隙を作った、いまがチャンスだ。

 

「もっとかわいいのを……」

 

 煽りながら天使を見据える。

 銃をむけようとすぐさま反転しようと体勢をとる、が。

 

 不意にプレッシャーを感じる。

 無表情の天使が無表情のままものすごいオーラを醸しだす。

 身の危険を感じて、急いで俺は銃を向けようと反転する。しかし、

 

「GuardSkill_Delay」

 

 天使が新たに3つ目の詠唱を唱えた。

 今度は何が起きるのかと目を凝らすが。

 その姿がブレて。

 消える。

 

 気づくといつの間にか俺の目の前に立っていた。

 

「っ!?」

 

 急いで間合いをとろうとするも遅かった。

 天使はそのまま無言で右手の剣を振り払う。

 俺の左腕を今度こそきっちりと斬り落とした。

 

 そして天使の攻撃は止まらず。

 そのまま剣を構え直す。

 

 追撃の予感しかしないのでなんとか回避しようと反応するが逃げようがない。

 そして天使は俺の行動よりも数段早かった。

 

 構えた剣をそのまま俺の胸元へと突いた。

 

「っかっは!?」

 

 切られた腕とはまた違う痛みがはしる。

 刺されているのは肺なのか心臓なのかわからないがとにかく痛い。

 息をする度に痛みは増していくのでこれは確実に死ぬなと悟る。

 

 もう立つことすらつらい。

 全体重を支えていた力を抜き、そのまま天使に覆いかぶさる。

 彼女はこちらの戦意の喪失と察し、倒れこむ体を両手で支えてくれた。

 

 死してゆく者を介抱するかのように。

 むしろ天に召す子羊受け入れるように。

 まさしくその姿は天使のようにだった。

 

 だが、

 

「……やっと隙を見せたな、化け物」

 

 その声に天使が目を見開く。

 すぐに危機を感じたのか、胸に刺さった剣を抜いて離れようとする。

 しかし、剣を抜こうも俺が体重をかけて続けているため離れることが出来ない。

 完全に身動きがとれなくなっている。

 

 悪戦苦闘している天使と違って 俺はさっきまでと違って落ち着いていた。

 無事な右手に持っていたガバメントを持ち上げる。

 銃口をそっと天使の頭部につけた。

 

 考察の一つが正しければ天使の無敵防御は対象を認識する事が条件。

 かつ、その認識は視覚に入っていることが前提とする。

 不意をつくなど目で捉えきる前に自身に到達する攻撃に対しては対象外とみなされる。

 その場合にはやたら鋭利な透明の剣で防ぐ。

 

 ならば俺のすべき行動は認識の対象外となる攻撃。

 及び剣戟では防ぐことのできない攻撃。

 ネックだったのは剣で防ぐことのできない攻撃は現状の火力では不十分。

 ならば隙を作ることによって剣自体を不能とする。

 本当はスカートめくって硬直したところを狙うはずだったんだが。

 まあ結果オーライでいいだろう。

 

 頭にきっちり合わせたまま引き金に指をかける。

 

「流石に死角からのゼロ距離はよけらんねーだろう。いい加減死んでみてくれ」

 

 ゆっくりと最後の一発を撃ち込んだ。

 

 爆ぜる。

 

 肉と骨がえぐられる。

 多量の血と共に周囲に四散する。

 

 

 天使の頭部ではなく、俺の右手が。

 

「あ、が!?」

 

 吹き飛んで手首から下が無くなっている。

 左腕と同様に流れでる血液が周囲に撒き散り汚す。

 

「くっそ!外れたか!」

 

 発射された弾丸は天使に傷つけることなく反射して出てきた銃口へと戻った。

 おかげでガバメント暴発し俺の右手と一緒に爆発四散した。

 

「ちくしょうが!」

 

 左腕は切り落とされた。右手は吹き飛んだ。貴重な飛び道具も爆発した。

 意識は朦朧している、圧倒的不利な状況。

 

 けれど。

 

「このまま死ねっかよ!」

 

 顔を振り下ろし天使を完全に覆いかぶさるようにして裏へとまわす。

 そのまま天使の首筋へと噛みついた。

 

「!?」

 

 あまりにも原始的な攻撃に流石の天使も驚く。

 もしくはここまで瀕死の状態でなお愚かにも刃向かおうとすることに対してはだろうか。

 

 だが、こちらも驚いたことがある。

 この攻撃が反射されなかったのだ。

 やはり鉄壁の防御というわけではない。

 何かしらの条件があるはずだ。

 

 しかし原因を考える余裕はない。

 反撃されたら確実にヤられる。守る術もない。

 だからそのまま噛みつく力を強める。

 骨ごと砕こうといわんばかりに歯を立てた。

 

 けれど強まることはなく逆に弱まった。

 力が抜けた顎は引っかかることなく外れる。

 そのまま膝をついて地面に倒れこんだ。

 

「……」

 

 あーやべ、力はいんね。

 血、抜け過ぎたな。

 

 周囲を見渡すと鼻血だとか吐血だとかというレベルで済まされない量が撒き散らされている。

 これはもう確実に死ぬな、視界もだんだん狭まってきたし。

 

 だがもう岩沢達は逃げきれているだろう。

 応援は間に合わなかったようだが、最重要目標は達せられた。

 少しはマネージャーらしい行動がとれたかな。

 

「あなた……」

 

 天使が倒れ込んでいる俺の横にしゃがみ込む。

 右手の剣も0と1のように見える光を散らしながら消失した。

 流石にもう戦意は無いと判断したのか、剣先ほどまで殺し合っていた相手だが無防備な姿をみせる。

 悔しいことに俺は今更刃向かう体力はない。

 はらいせにパンツをもう一回拝めてやろうかと思ったが、スカートが邪魔して見えなかった。

 くそ、やっぱ戦線の制服の方がいいな。

 一般生徒のは色気がない。つまらん。

 って、死に際に何考えているんだ俺は。

 

「あなたは、一体なにがしたかったの……」

 

 パンツのことかと思って少し焦る。

 ぶっちゃけスカートめくった事はセクハラ紳士のポリシーに反した行為だった。

 謝ろうかと思案したが、天使は真剣な表情を向けていた。

 その顔を見て俺のくだらない考えではなくもっと真面目な質問のようだ。

 

 あんなに冷たく何もなかった瞳にわずかながも熱が見えた。

 化け物と思っていた天使が今この時は何かを求める一人の少女にみえる。

 なるほど、これがこいつの本質か。意外なものをみれた。

 だが、そんな期待に答えてやるつもりはない。

 こんなに傷つけられたんだ、それに俺はこいつが好きではない。

 よって答えてやる義務もない。パンツも色気なくてつまらんし。

 

 俺はなんとか首を回す。

 天使を真正面に捉えて言い放った。

 

「うるせー、知るか」

 

 俺の返答を予想しなかったのか。

 わずかながらも目を見開いて驚いた。

 またしても新しいものを見れた事に満足し、そのまま目を閉じた。

 

 3度目の死に、その身を委ねた。



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Chapter.1_17

 『お前、Beatlesの中で何が好き?』

 

 ―――いきなりなんだよ

 

 『聞いてみたくて』

 

 ―――うーん、"Stand by me"かな

 

 『いやそれジョン・レノン名義だし。そもそもベン・E・キングのカバーだし』

 

 ―――うるせーな、じゃあ"hey jude"で

 

 『ポールかよ』

 

 ―――悪いかよ、じゃあ兄貴は何なんだよ

 

 『そうだなあ、"black bird"とか』

 

 ―――てめえもポールじゃねえか!

 

 『ハハハ』

 

 

 

 うっすらと視界に光が差し込む。

 それと同時に少しづつ頭が冴えてくる。

 目を開けると見知らぬ天井が見えた。

 

「……ここ、どこだ」

 

 気だるい体を起こして辺りを見渡す。

 応接間のように1つの机を挟んでソファが並んでいる。

 壁には本棚もあり、見覚えのある光景だった 。

 

「戦線の本部か」

 

 寝ている前のことを思い出す。

 たしか、天使との戦闘で血がなくなって意識が飛んだはずだ。

 どうやら俺は死んだ後にここまで運ばれたらしい。

 寝ていたのは備え付けられたいたソファの上だった。

 微妙に長さが足りなかったのか、はみ出している足が若干痛い。

 

「あら、起きたの」

 

 振り向くと、やたらでかい机の上に足をのせてふんぞり返るように座るゆりがいた。

 仕事中なのだろうか、声はかけてくるも視線は手元の紙から外れていない。

 

「……俺どれぐらい寝てた?」

「そうね?3時間くらいかしら」

「なんだ、意外と短かいな」

 

 屋上から落ちたときよりも肉体的ダメージはひどかったはずだ。

 回復する時間に損傷度は関係ないのか?

 

「天使相手に無茶やったわね」

 

 ゆりが書類を束ね、呆れ顔で言ってくる。

 

「そうかな。あ、もらった武器ブッ壊れちまった、すまん」

「すまんって、銃の製造も楽ではないのだけれど」

「まじか」

 

 製造って、一からつくっているのか。

 たしかに、学校にもともと銃が備え付けられているわけないよな、常識的に考えて。

 いや、でも銃の所持が認められている国家なら逆なのか?

 そもそも、なんでこの世界って日本人しかいないんだろう。

 

「それより、あなた肉体の損傷がかなり激しかったけれど。一体天使と何をやりあったの?」

「スカートめくった」

「は?」

「そしたら左腕バッサリっていうずいぶんと過激な照れ隠しをされました」

「……グチャグチャになっていた右手は?」

「ゼロ距離から頭にぶっ放してやったら銃が爆発した。あいつチートだな」

「……無茶するわね」

 

 ゆりは呆れ果てた顔をした。

 たしかに、もっと人数をかけても勝てない相手だからもっともではある。

 我ながら無茶をした。

 

「足止めにしてもやりすぎたと思う。色々迷惑かけてすまなかった」

 

 俺が謝ると、ゆりはなぜか悲痛そうに顔をしかめた。

 わずかに肩も震えている。

 

「いいえ。今回のあなたの働きは、本来あってはならないものだわ。非戦闘員が交戦に参加しないためのオペレーションのはずなのに。完全に私のミスよ、謝るのはこちらだわ。ごめんなさい」

 

 ゆりが深々と頭を下げる。

 今までの印象とはかけ離れたものだった。

 いや、だからこそ彼女は責任を重く感じているのか。

 

「べつにいいよ、俺も貴重な武器壊してんだ。それにやるべきことをやっただけだし、彼女たちは無事なんだろ?」

「ええ、あなたのおかげで無傷よ」

「そりゃよかった」

 

 それを聞いて胸を撫で下ろす。

 完全に負け戦だったわけだが、目的自体は達成できた。

 それだけであの化け物に立ち向かった意味があったというものだ。

 

「そういえば天使はどうなったの?」

「わからないわ。彼女たちから話を聞いて駆け付けた時には血だまりの中にあなたが倒れているだけで、他にだれもいなかったのよ」

 

 ならあのあとすぐに立ち去ったのか。

 俺の返り血とか浴びて汚れているはずだから、すぐには寮に帰れたと思えないんだよな。

 もしかして、どっかに立ち寄れる拠点とか持っているのかもしてない。

 

「それよりあなた、天使を見つけたとき迷わず発砲したそうね。本当は生きていた頃に経験あったの?」

「ねーよ、エアガンすら握ったこともない」

 

 まっとうに銃の形をしたものを触ったのも今日が始めてだ。

 重っかたな。警察とかSPってよくあれもって行動できるよな。

 もう少し口径が小さいから軽いのかな?

 

「やっぱりあなた異常ね」

「なにが?」

「普通、躊躇うわよ。いくら死なないといえど、やることは殺人なんだもの。ここに来たばかりの人は生きていた頃の良心や倫理観に縛られて、人を殺すどころか発砲すら禄にできない」

「そうか?M1911A1なんてフィクションでしか知らないからな。ゲーム感覚なんだよ、多分」

「……はぁ、それはそれでまた異常ね」

 

 ゆりは困った顔で額に手を当て溜息をつく。

 よく考えれば碌でもないことを言っているので、俺は何も言えず苦笑いをして誤魔化した。

 

 ゲーム感覚なのかもしれない。

 だって、この世界の境遇は普通に考えればどれも創作じみている。

 そんな虚像と思えるこの世界をまだ実感しきれていないせいだろうか。

 あれだけの痛みと苦しみを味わっておきながら、撃ったんだなー斬られたんだなーっと、もはや遠い過去のように思う。

 捉えどころなく、フワフワしたままの感覚の中で、未だに足がつかず、俺は浮いているようだ。

 

 しかし、銃を握った時にはさすがに一瞬抵抗があった。

 それでも、実際に撃ってみせることができたのは、相手が奴だったから。

 奴だからこそ、一切の躊躇がなかったと言っていい。

 あの姿を認識した瞬間に、こいつは撃たなければならないと思った。

 存在していることすら恐ろしいと震えた。

 

 最初の相対は、逃げ出すことしかできなかった。

 2度目は武器があった。

 

 だから撃てた。

 撃たなければと信じた。

 早くしないと取り返しがつかなくなると急かされた。

 

 総てはあれからはじまるのだと。

 

「……ん?」

 

 なんだ、今の思考?

 

「どうにせよ、これからは連絡要員兼マネージャー業に専念できるように私たちのほうでもしっかりしていくから」

「結局マネージャーで落ち着くのね」

「パシリのほうはよかったかしら?」

「マネージャーガンバリマス」

 

 ゆりの言葉ではまっていた思考は中断された。

 それ以降、考える事はなかった。

 

 ●

 

「じゃあ帰るわ」

「ええ、気をつけてね。武器はまた新しいのが用意できたら渡すわ」

「へいへい」

「それと、彼女たちによろしく」

 

 ひらひらと適当に手を振りながら部屋をでようとする。

 ゆりはまだ仕事があるのか残るようだ。

 

 学生とはいえ、あれだけの大掛かりな作戦をやる集団だ。

 それをまとめているゆりはどれだけの苦労をしているのだろう。

 あの作戦といい、今といい、彼女が気を抜いたところを見たことがない。

 強いな、この少女は。

 

 邪魔をしないように音を立てずそっと外へ出る。

 ここの廊下は照明がないのかつけてないだけなのか、窓から入り込む月明かりだけが廊下を照らしていた。

 

 さっさと帰ろう。今日も疲れた。

 

 階段へと向かうためにきりかえすと、踏み出した足に何かがぶつかった。

 

「ん?なんだ、って岩沢!?」

 

 岩沢が床に座っていた。

 よく見ると彼女だけでなく他のガルデモのメンバー全員がそこにいた。

 

 いたっていうか寝ていた。

 

「よろしくってこれか」 

 

 岩沢と関根にもたれかかられているひさ子はすごい寝苦しそうな顔をしている。

 入江は関根の放り出された足で膝枕をしていた。

 意外とこの子ちゃっかりしてるな。そこ交代して欲しいくらいだ。

 

 仲睦まじいのは良いことだが、さすがに淑女がここでねているのは見逃せない。

 端から肩を叩いてやった。

 

「おーい、おきろー。こんなところで寝ると風邪引くぞー」

「ん……あ、リンゴ。おはよう」

「まだこんばんはだけどな」

 

 岩沢の手を取り立ち上がらせる。

 んーっと背を伸ばしている間に他のメンバーも起こす。

 

「ひさ子さん、起きないと苦しいぞー。関根さん、口開けてると涎垂らすよ。入江さん、そこ代われ」

 

 順当にそれぞれが起き上がった。

 

「む、リンリン先輩おはよー。夜這いですかー」

「おはようだったら夜這いにならねーだろ。目を覚ませ」

 

 むにゃむにゃ言いながら目をこする関根。

 その横で入江が船をこぎながらも抗って立ち続けようとしている。

 

 なにこのカワイイ生き物たち。持って帰りて。

 

 女子ってやっぱ恐ろしいよなと思いながら、ようやく目を覚ました岩沢に声を掛ける。

 

「何でこんな所で寝てたんだ?家出?プチ野宿?」

「なんでって、そりゃリンゴをまって……って!大丈夫なのか!?」

「へいへいへーい!いきなり叫ぶなびっくりするだろ」

 

 突然大声を出しながら俺の身体をベタベタとさわってきた。

 その声に他のメンバーも覚醒したのか、わらわらと寄ってきて俺を囲む。

 

「大丈夫ですか!?すごい怪我だって聞きましたけど!?」

「なんかこうぐちゃー!って手が失くなってたらしいんだけど!?」

「おい星川なんともないのか!?」

 

 よってたかって俺の身体を撫で回すので辟易する。

 無垢な彼女たちには他意はないのだろうけれど、俺は別の感情が沸き起こりそうなので焦る。

 やばいって。

 

「だー!もう大丈夫だから!ほら、全部回復してるし」

 

 両手を回して無事をアピールしてみせる。

 それをみて彼女たちもほっと安堵した。

 

「心配してくれてありがとうな、そっちこそ大丈夫なのか?どこか痛いところとかないのか?」

「大丈夫だよ、リンゴが逃がしてくれたおかげで全員なんともない。ごめんな、もっと早く着いていれば応援も間に合ったかもしれないのに。仲間が戦っているのになんにもできなかった」

「いいって気にするな。どうせ間に合っても倒せたわけじゃないし、もっと負傷者が出ていた可能性だってあったんだ。なら俺一人が死んだだ程度で、お前らが傷つかないまま済んでよかったよ」

「……本当にありがとう」

 

 岩沢が俺の服をぎゅっと掴みながら重くつぶやく。

 なんだよいきなり畏まるなよ。

 シリアスなムードになってんじゃねーか。おい、他の奴らもなにしんみりしてんだ。

 

「もういいって、それに美少女たちを守って死ねたんらな男の冥利に尽きるってもんだ。パシリじゃなくてマネージャーらしいこともできたしな!」

 

 無駄に明るく答えてやる。

 そうすると、彼女たちも笑ってくれた。

 

「まったく、お前らしいな」

「うるせー」

 

 ハハハ、と軽やかな声が響いた。

 やはり女の子は笑顔でいたほうがいい。

 こっちの気分的にもね。

 

 

「さ、もう遅いからさっさと帰るぞ。女子寮まで送ってやるから」

「おねがいしまーす」

 

 関根が元気よく手を上げて階段へ駆けはじめる。

 入江がそれを慌てて追いかけて、ひさ子が呆れながら歩き出し。

 俺と岩沢がゆったりとその後をついて行く。

 

 

 それぞれ勝手で適当な距離感だけれども、なんとなく居心地が良かった。

 

 

「仲間、か……」

 

 生きていた頃には縁がなかった存在。

 こんな気分で共に歩むことができるとは知らなかった。

 それを知ったのが死んだ後だなんて、運がないというか、やはり禄でもない人生だったんだな。

 

 もし、生きている内に手にしていたら、なにか変わったのだろうか。

 いや、多分変わってないかもしれない。

 そもそもそんなことができていたら、それは俺じゃないな。

 愚かな考えに、つい苦笑してしまう。

 

「どうしたの?」

 

 横を歩く岩沢が不思議そうに尋ねてくる。

 前方の連中は、また関根が余計なことを言ったのかひさ子とじゃれあっている。

 

「いや、死ぬことで人としての初歩的な幸運を知るなんて、つくづく俺の人生とは阿呆らしいものだったのだなと。今知っても意味がないよなーと思ってさ」

 

 あまりにも愚かな自分を思い出し、ちょっと自己嫌悪。

 それでも、彼女はそんな俺の戯言を否定した。

 

「無意味じゃないと思うよ」

「え?」

 

 予想もしないことを言われた。

 岩沢はまっすぐと俺を見つめる。

 

「あたしたちはさ、生きてるんだよ。たしかに前の世界では死んだし、ここは死後の世界だよ。でも、この世界では生きている」

「……」

「なら、ここで学んだことはここで生かせるさ。いつ消えるかわからない儚い存在だけれど、ここで輝くことは不可能じゃない。なら、リンゴが感じている其れは無意味なんかじゃない。絶対、何か意味をもつはずさ。それが解れば、リンゴも一緒に輝けると思うよ」

 

 うん。

 やはりこいつは、すごいな。

 

「なるほどよくわからん」

「言ってるあたしもよくわかってないけどね」

「……バカだろお前」

「仲間がいないぼっちのリンゴほどじゃないさ」

 

 互いに睨み合うが、すぐに可笑しくなり二人して笑いあった。

 もしかしてコイツは俺を励まそうとしてくれたのだろうか。

 まったく、不器用だな。ほんと。

 

「でもなんとなくニュアンスは伝わったよ。ありがとうな」

「そっか、よかった」

 

 岩沢が顔がほころぶ。

 

 その笑顔が今まで彼女が見せた中で、一番美しいと感じた。

 

「お、おう」

 

 不覚にも、顔が赤らんでしまう。

 照れを隠すために若干キョドってしまった。

 だからか、岩沢は不思議そうに小首をかしげる。

 

 いそいで何か誤魔化そうと考えると、ふと忘れていたことを思い出した。

 

「えーと、岩沢さん」

「ん?」

「ごめんなさい」

「……え?え?」

 

 いきなりの謝罪に驚いて岩沢は本気で戸惑った。

 

「初めて屋上で会ったとき」

「う、うん」

「あのときお前が言ったこと信じなくてごめんなさい」

「あー、そのことか。いいよ別に、もう気にしてないっていうか忘れてたし」

「……だろうとは思ったよ。けど、一応けじめはつけときたくて」

「そう、じゃあ許す」

「あああ!二人してなに話しているんですか?秘密のお話なら私も混ぜてくださいよ!」

 

 ひさ子のヘッドロックからするりと逃げ出した関根が駆け寄ってくる。

 関係ないけどひさ子のヘッドロックって二重苦だよな。

 男にとっては抜け出したいけど抜け出したくもないというか。

 痛みに耐えられれば天国だけど。

 

「別にこれといった話は無いんだけどね」

「そうですか、別にいいんですけどね」

「適当だな」

 

 このこは大概自由だよな。呆れを通り越して関心に変わりそうだよ。



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Interlude Ⅰ

 ガルデモのメンバーを送り届けた後、自分も寮へと戻る。

 さすがに夜遅かったか、外へ出入り出来る戦線メンバーの部屋は寝ているようで通れなかった。

 仕方がないので、握りこぶし大の石ころを靴下に入れて、モーニングスター的な要領で正面玄関のガラス扉に叩きつけた。

 砂入れたらジャックナイフって呼ぶのは知っているけれど、石とか入れても同じ呼び方なのだろうか?

 どうでもいい事を考えながら複数回叩きつける。

 さすがに一発とはいかないが、何回か叩きつけることで鍵付近に穴を空けるることができた。

 警報でもなるかなーと一応警戒していたが、いらぬ心配だったようでだれもこなかった。まあ警備会社とかこの世界に存在しないだろうしね。

 

 壊した扉は直すことなんて出来るわけないので、放置する。

 俺は足早に自分の部屋へと帰った。

 

 

 ●

 

 

「タダイマー」

 

 小声で帰宅の挨拶をしながら、ゆっくりと扉を開ける。

 未だに顔を知らない同居人は寝ているだろう。起こさないように慎重に入った。

 しかし、真っ暗だと思っていた室内はなぜか明かりが灯っていた。

 

「え?」

 

 そして、奥の机に座っていた少年が驚きこちらを振り向く。

 眼があった。

 

「……」

「……」

 

 互いに唖然としながら、沈黙する。

 戸惑いが隠せない、というか初対面ですから。

 不意打ち過ぎる展開にどうしようかと考え、相手より先に話しかけた。

 

「あー、あーっと。ご、ごめんねー、夜遅くまで出歩いちゃってさ。俺非行少年だから」

「別に僕は大丈夫だけど、あんまり遅くならないほうがいいよ?先生の目もあるし」

「わるいわるい、今度から気をつける。たぶん」

 

 予想通りだ。

 こいつは俺と初めて会ったことに戸惑ったのではなく、同居人が夜中に帰ってきたことに驚いたのだ。

 

「いやさー、色々あってねー。大変なんだよー」

「ふーん、まいいけどね」

「ごめんねー本当。えーと、」

 

 やべえこいつの名前わかんねえ。

 NPCは昔から俺がここにいたという認識をしているはずだ。

 その俺が長年一緒にいるルームメイトの名前を知らないという矛盾が起きてしまう。

 いや、矛盾ではなく単に俺がおかしな人の目で見られるのか。

 しかし、NPCというくらいなのだから適当な名前だろう!

 

「ごめんね、山田くん」

「何言ってるの?僕はヨモヒロだよ」

「……ほーかほーか」

 

 NPCだからどうせ無難な名前かと思ったらどういうことだよ!

 ヨモヒロってなんだよ!どういう漢字かもわからねえよ!

 

「そこに書いてあるでしょ、忘れないでよね星川くん」

 

 ヨモヒロ少年が指さした方向をみると、入り口近くの壁にネームプレートがあった。

 そんなのあったのか。知らなかった。

 

「あー、東西南北(よもひろ)ね」

 

 なにこのDQN名字

 どこぞのやたら長い会話劇とめんどうな言葉遊びが多い某小説とかに出てきそうな名前だな。

 しかも下の名前が次郎って普通過ぎるだろう。

 

「ごめんね、俺人の名前って憶えずらい質でさー」

「本当だよー、ハハハ」

 

 面白そうに笑うヨモヒロ少年だが、俺はなんともいえない気分だったのでなんとか適当に笑顔を見繕った。

 セカイッテヒロイナー

 

「俺、シャワー浴びるけど大丈夫?」

「大丈夫だよ、僕ももう少し勉強するし」

「わかった」

 

 そう言ってそそくさと着替えを取り出す。

 なるべくヨモヒロ少年に視線を向けないよう意識しながらバスルームへ籠もった。

 

「あー、びっくりした」

 

 思わぬ邂逅だった。

 しかし、予想していたよりも案外普通に済ますことが出来た事に驚いた。

 自分の感覚とは裏腹に、俺はこの世界に慣れてきたという事なのかもしれない。

 

 

 

 to be continued

 



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Chapter.2_1

 みーんみんみんみーん。

 

 と言わんばかりにあっぱれと晴れた天気にも関わらず、そんな夏の風物詩どころかどの季節かも明確に判断つかない。

 相変わらず今は一体いつなのか、まったく謎な空をこの世界は今日もみせる。

 たぶん、桜は咲いてないけど陽炎もないし紅葉もしてないし雪も降ってないから春なんだろう。たぶん。

 

 蝉の鳴き声は聞こえないけれど、俺の耳にはもっと騒々しい音が響いていた。

 大人気ガールズバンド、ガルデモことGirlsDeadMonsterの練習風景だ。

 あの強烈だったライヴと変わらない熱をもった演奏。

 ギターのリフやドラムのロールやベースのタッピング……

 ってタッピング?

 

「せきねぇええええええ!」

「いやああああああああ」

 

 演奏していた曲中にあるはずのない音に驚き飛び起きると、教室の中では演奏が中断し関根がひさ子のアイアンクローを受けていた。

 

「……あいつ、ベースでやろうとしてたのかよ」

 

 また勝手なアドリヴを始めた関根が折檻を受けるというよくある風景に呆れながら、俺は再び元の位置へと寝転がった。

 

 

 オペレーション・トルネード以降、彼女たち陽動部隊に出番がやってくることは無かった。

 ゆりたちは何やら色々やっているみたいだが、とくにライブが必要となる作戦もないらしい。

 おかげで彼女達は練習三昧。

 俺は不本意ながらもパシリ業務が板についてきてしまっている。

 

「い、いだい、びざごぜんばい」

「てめえ何回目だあああ!?」

 

 何より悲しいのが、彼女たちが練習している間はまったく仕事がないことである。

 休憩の為に飲み物やらを買いに行くことはあるが、それも一日に多くて3回程度。

 その他の飯を除く時間、彼女たちは練習しっぱなしだから俺は基本的に待機のみ。

 小学生でも出来るおつかいだけが、今のところの主な業務内容なのだ。

 

 じゃあ何か別に仕事を見つけてこいよと思われるかもしれないが、それはもっともである。

 だがしかし、残念なことに一応本業は連絡要員であるためすぐに行動ができるように持ち場を離れてはならない、と戦線本部指令たるゆりにきつく厳命されているのだ。

 しかし、オペレーション以降インカムに通信が入った試しはない。

 それ以前に、俺を飛び越えて直接連絡したりしてるんだから意味がない。

 もはや名ばかりで無用の肩書きとなのだが、多分全部わかってて彼女は命令しているんだろうな。ひどいな。

 

「いい加減にしろよおお!」

「やばい、まじで、いぎが」

「ひ、ひさこ先輩、なんか言ってますよ!?」

 

 あるときあまりにも暇だったので机を並べてその上で寝るという画期的暇つぶしシステムを思いついた。

 喜々として実行したものの、人っていうのは寝ることにすら飽きるのだなとその日のうちに悟った。

 何よりガチで寝ようとするとポニーテールの般若様が殺意をもった眼で睨みつけてくる気がして、おちおち昼寝すらしていられなかった。

 よってこうして寝っ転がるだけが精一杯なのである。

 

 このままでは只でさえ肉体は死んでいる生者なのに精神までもが生きる屍になってしまう。

 自分で言っていることがよくわからんがそんなみっともない状態に陥ってしまう。

 

 俺はさらに練習終わりから放課後の間の空き時間を利用して、何か暇つぶしになるものはないかと校内を探し回った。

 ノートPCでも手に入れば良かったのだが、生憎この学園のPCルームにおかれているのは全てデスクトップPCだった。

 教員でもっている人はちらほらといたが、彼らから強奪したとしても後々騒がれては困るなと思い奪いはしなかった。

 盗んだところでパスワードかかっててもめんどいなという理由もあったが。

 

 そんなこんなでフラフラとしていた俺が辿りついたのは図書館だった。

 生前はそれなりに読書は楽しんでいたので、文字に拒否反応などはない。

 ここの図書館はけっこう大きめの規模なので読むものがないということもなく暇つぶしにはもってこいだった。

 

 ただ、この暇つぶしにも欠点はあった。

 本を借りるために正規の手順で行ってしまえば、それが消失へのファクターとなってしまうかもしれない。

 そのため借りていくには無断でこっそり懐に忍ばせなければならなかった。

 怪しまれないために借りられるのはポケットに隠せる文庫本のみ。

 せいぜい2冊が限度だ。

 たったそれだけでは彼女たちの練習時間を潰すことなど不可能だ。

 補充したくても放課後でなければ自由に動けない。

 いい暇つぶしではあるが、せいぜいウルトラマンが60回くらい変身できる程度しか暇は潰せなかった。

 おかげで大半はこうして寝転がって空を眺めるばかりである。

 

「いぎ、が、い、ぎが」

「ああ!?何言ってるか聴こえねえよ!?」

「アイアンクローって息できなくなるものなのか?」

 

 さらに残念なことに、練習後に美少女たちとキャキャキャウフフなハーレムイベントもない。

 イベントどころかフラグ建設も全然ない。

 

 ひさ子はよく麻雀をやりに本部へと向かう。

 一度誘われて参加したが、半荘終わる前に身ぐるみはがされそうなほど振り込みまくったので逃げ出した。翌日はがされた。

 アホみたいに強運なうえに俺ばっかりを狙い撃ちしてくるのでもう彼女とはやりたくない。

 

 入江と関根は大概寮へとすぐに帰る。

 

 リーダーの岩沢はインスピレーションをわかせるためとかなんとか言ってフラフラとどこかへ行ってしまうから、所在すらつかめない。

 放課後にはよく会話をするが、ほとんど音楽の話ばかりだ。楽しくはあるけれど、色気はない。

 

 灰色どころか何にもない真っ白。

 そんな青春を俺は謳歌しかけていた。

 

 今日もパクってきた小説を読み終えてぼーっと空を眺める。

 雲がゆったりとすすんでいるのをこれまたゆったりと楽しむ。

 ……ぼーっとするって人を駄目にしていく気がするな。

 

「リンゴ先輩」

 

 駄目人間への道を着々と歩んでいたところに入江が声をかけてきた。

 はげしくドラムを叩いていたのか、その顔は赤くほてっている。なんかエロいな。

 

「しおりんとひさ子先輩なだめておくので、その間に飲み物とか買ってきてもらえませんか?休憩にしますから

「へいへーい。よっこらせっと」

 

 寝転がっていた机から飛び降りる。

 机は予想以上に硬いもので、肩や腰をゴキゴキといわせながら凝りをほぐした。

 今度ダンボールでももってこようかな。いや、さすがにそこまでやるとホームレスみたいになるか。

 

「今日は何を読んでいたんですか?」

 

 入江が机に置かれている文庫本に目を向けた。

 それをとって入江に渡す。

 

「虐殺器官」

「も、物々しいタイトルですね」

 

 入江がその表紙に少しひきながら返してくる。

 真っ黒なバックにでかでかとタイトルと著者名を書いただけというシンプルなその表紙は、そのネーミングと相まって強烈な印象を与える。

 ちなみに文庫化される前の表紙はイラストだったが、死屍累々の戦場の中でたった一人兵士が立っているというこれまた物々しい絵である。

 

「どんな話なんですか、ミステリー?ホラー?」

「いや、SF。まあミステリーテイストではあるけれど」

「へえ」

「読んでみる?おもしろいよ」

「い、いいです。重そうな文章は苦手ですし」

「ハハ、そんなに重くないけどね」

 

 無理にすすめるつもりも無いので文庫本をポケットにしまう。

 そして入江に向き直った。

 

「じゃあ買ってくるけど、いつものでいいよね?」

「はい、大丈夫です」

 

 ズボンのポケットの中にある小銭を手探りで確認しつつ、俺はパシリへと歩み始めた。

 

 階段を下る手前で関根のような声の断末魔が聞こえたが、気には止めなかった。

 なむなむ。

 

 ●

 

 ガコン

 

 ボタンを押し商品が落ちる。

 いそいそと落ちてきたボルビックを取り出す。

 あいつ水好きだよな。でも汗かいたら塩だかなんだかも一緒に摂取した方がいいんじゃなかったけ。

 あー、でもそれあんま関係ないとかどっかの大学教授がテレビで言ってたっけ。世の中わけわからんな。

 

 買うべきものは買ったので、ポケットから新たな硬貨を取り出し自分用のコーヒーを買うために自販機に投入する。

 アイスのブラックかミルクかどっちにしようか迷っていると、ふと奇妙なデジャヴを感じる。

 

 いやこれは、確実に遭った事がある。

 そう、たしかこうやって自販機でコーヒーを買っているときに―――――

 

「何やっているの……」

 

 ガコン

 

 缶が落ちる音だけが響いた。

 俺の指はブラックでもミルクでもコーヒーですら無く、一段下の「あったかいおしるこ」のボタンを押していた。

 

「……くそが」

 

 悪態を吐きながら、アッツアツの缶を取り出すためにしゃがみ込む。

 誰だよ、自動販売機のラインナップにおしるこ入れたやつ。

 こんなの喜ぶ人間がいるのかよ。いても冬だけだろ。

 

「今は授業中よ」

 

 反応を示してやらなかったのが悪かったのか、声の主はさらに俺へと近づいてくる。

 せっかくこちらは無視しようと決めたのに、察してくれないものだろうか。

 俺はホカホカのおしるこをポケットにねじ込み、新たな硬貨を投入しながら敵意をもった目つきで睨んでやった。

 

「なんか用ですか、天使ちゃん」

 

 不自然すぎるほどクリアな少女こと生徒会長様であられる天使がそこに立っていた。

 その腕は彼女の身長以上はあるであろう長いつつを抱えていた。

 なんだ?新しい武器か?如意棒か?

 

「授業中の自動販売機の利用は禁止されているわ。直ちに教室に戻りなさい」

 

 淡々と、何度も言ってきたことがあるかのように、天使は注意をしてきた。

 その瞳の輝きは相変わらず無機質だ。

 

「知るかよ。そっちも授業中だろうが」

「先生に頼まれて教材の地図を取って来ていたの」

 

 なるほど、そのでかい棒は社会科用の地図か何かか。

 なら今は地理の授業とかなんだろう。どうでもいいが。

 

「そうかい、だったらさっさとそのわんぱく坊主のオネショよりも精密な世界地図を持って帰れ」

「だから、あなたも一緒に」

 

 ハッ、と呆れて溜息が出る。

 ついこの間死闘をした仲である。俺が一方的に惨殺されたともいうが。

 その殺す殺されるの関係にあった相手によくもまあこう平然と声を掛けられるな。

 やっぱこいつが普通じゃないのか。それとも世界なのか。

 

 あのとき、死ぬ直前に見た天使の顔を思い出す。

 無機質にクリアだった表情に、わずかに色づいたあの瞬間。

 それが何だったか少なからず想像はできるが、まだ憶測の域をでない。

 まったく謎だな。

 

「いやだ、俺はサボります。これやるから一人で帰れ、ほらよっ」

「っと……何、これ……」

「おしるこ。労いだ、セイトカイチョーご苦労さまー」

 

 そう言いながら天使の横を通り抜ける。

 通る際に袖を掴まれそうになったが、すぐに振り払った。

 一瞬振り向くと、なにか言いたそうな表情をしておしるこを握りしめたまま立ち尽くしていた。

 少し気になったが、構わず自分の持ち場へと戻った。



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Chapter.2_2

「リンゴはイヌとネコどっちが好き?」

「ネコ」

「何で」

「イヌってうるせーじゃん」

「ハハ、リンゴらしいね」

 

 放課後、空が赤みをおびてゆく中を岩沢と俺は屋上の手すりにもたれ掛かりながら座り込んでいた。

 練習が終わるとどこかへフラフラと徘徊しにでかける彼女だが、夕やけで空が染まる頃になると、ここでアコギを弾いている。

 俺はその音色が聴きたくてたまにこっそりやってくる。

 だけれども、すぐに彼女は俺に気付き弾くのをやめてしまう。

 作曲もそこそこにしながら、俺に声をかけグダグダと会話を始めてしまうのだ。

 

 弾くことに没頭しないなど、音楽キチのこいつらしくもない。

 だが、なんとなく理由は察する。スランプなのだろう。

 

 でもそれは多分俺も経験したことあるような一般的なものじゃない。

 彼女は曲を作れない訳ではない、むしろガンガンと新しい音を生み出している。

 しかし、それが一つのまとなりとなっては聴いたことがない。1つの曲として完成したものは一つとしてない。

 溢れてくるイメージを堰き止めずどんどん表現していくくせに、それをまとめるのに対してはひどく葛藤し躊躇している。

 

 何か、躊躇わなければならない理由でもあるのだろうか。

 ここ最近の彼女が奏でる僅かな音色を聴いて、そんな事を考える。

 

 今日もまた、彼女の音を楽しむことができなかった。

 

「岩沢はどっちが好きなんだよ」

「ん、どっちでもいいかな。両方嫌いでも好きでもないし」

「……お前らしいよ」

「でも、鳥は結構好きだな。どの鳥かじゃなくて、あの飛んでいる姿が好きなんだ」

「鳥、ね」

 

 空を見上げて鳥が悠々と飛ぶ姿を思い描く。

 たしかに、あの姿は憧れもするし悲しくもなる。

 

 飛んでいる姿は自由気ままに見えるが、どんなに願っても昇れる高さは限られている。

 まるで、過去の誰かさんや今の誰かさんのようだ。

 

「ねえ、鳥の名前の歌ってさ、結構多くない?」

「そうか?……パッと思いつくのって"Black bird"ぐらいしかないなぁ」

 

 あとは某ゲームの主題歌とか。

 あれはそのまんまだが。

 

「"ブラックバード"?」

「Beatlesの曲だよ。つっても、ポールが一人でギター弾いて歌ってるだけだから、Beatlesって言いきっていいものかどうかわからんが」

 

 そもそもその曲が収録されているアルバムは、メンバーおのおのが好き勝手に作った曲を収録している。

 メンバーの仲が恐ろしいまでに悪かった暗黒期だから。

 

「ブラックバードって黒い鳥ってこと?鴉とか?」

「いや、クロウタドリって鳥でイギリスじゃ割とポピュラーな鳥なんだよ。日本でいうところのスズメに近いのかな」

「じゃ、日本人がスズメの詩を歌うみたいなものかな」

「そうかもな」

 

 一説には黒人解放がテーマだともいう。Beatlesの曲は割とそういうのが多い。

 "Imagine"(これはジョン・レノン単体の曲だが)なんかその最もたる例だろう。

 たとえば"Lady Madonna"は家事育児に追われる母親たちに捧げる歌だったりもする。

 そんな社会風刺の曲がたくさんある。

 Beatlesはそうやって世界に歌うことで何かを訴え続けて来たバンドだ。

 

 しかし、悪いけれど、俺はそういうことを深く考えて聴きてはいない。

 "Lady Madonna"だってあのテンポや肉声の使い方がおもしろいから好んで聴く。

 むしろ、リアルタイムで生きていなかった俺らのような世代はそこまで考えて聴いていないだろう。

 それどころかBeatlesの曲を頻繁にBGMとして利用するTVやCMもそうではないだろうか。

 

 たとえば"hey jude"なんて、ただポールがジョンの息子を励ますために歌っているのだ

 たったそれだけなのに、今ではCMなど広く使われている。

 世界に革命を訴えた"Revolution"なんかよりも、近くの知人を救うために歌った"hey jude"のほうが未来では強く印象に残っているんだ。そっちのほうがすごいことだと思う。

 逆に、深いメッセージ性を込めたとか宣うくせにペラッペラな曲ばかりをつくる昨今のヒットチャートがあほらしく見える。

 

 「ただ歌いたかった」という方がかっこいいじゃないか。

 歌に意味を託すのではない、歌うことで意味を訴えるんだ。

 それこそが”Rock'n Roll”ではないのか。

 もっと感性に、感情に刻みつけるような歌を残すべきだ。

 

「リンゴは、ビートルズが好きなの?」

「なんだい藪から棒に。てか前もこんな会話しなかったっけ?」

「ビートルズの曲ばっか口ずさんでいる気がするからさ」

 

 そうだっただろうか?

 たしかに、適当に口ずさむ時はBeatlesが多かったかもしれない。

 

「言ったかもしれないが、別に嫌いじゃないって程度かな。好きな曲もあるけれど微妙な曲もあるし」

 

 たしかに、音楽にハマり始めたころはまずそこらへんから入った。

 けど、そのあとエレクトロに行き着いてしまったし、死ぬ前は雑多に聴いていた。

 だから好きなバンドかって聞かれても、はいそうですとは言い難い。

 

「むしろ好きな曲が多くて繰り返し聴いていたっていうなら、Queenのほうが多かったと思う」

「クイーンってロックバンドだよね?たしか結構CMで聴いたことがある。"ボーントゥラブユー"?」

「そうそう、CMじゃRock調が多いけどBalladeとかすげーいいんだよ。いや、Balladeじゃないな。GospelとかAnthemっぽいんだけど、でもRockなんだよ。ピアノが主旋律の曲とかよく好きで何回も聴いてたよ」

 

 おそらく、一番有名であろうアルバムはそういう挑戦的な曲が多い。とくに"Bohemian Rhapsody"とか。

 そのアルバムの完成度はあまりに凄まじく、初めて聴いた時にそれが4作目のアルバムだとは信じられなかった。もっと後期だと思った。

 その後もバンドは絶えず進化を繰り返していき、新しい曲を生み出し続けた。

 "We Will Rock You"や"I was born to love you"など今でも有名な曲はその後に生まれていった。

 

「へー、じゃあなんか歌ってよ」

「だからアコギを押し付けんな!」

 

 岩沢が催促をしながらぐいぐいとアコギをもたせようとしてくる。

 お前の前でギターなんぞ弾けるか。

 それに愛器なんだから軽く他人に渡さないでもっと大切にしてやってくださいよ。

 

「さすがにQueenをアコギで、しかも即興のアレンジで弾く曲など無い!せめてピアノじゃないと無理!」

 

 実を言うとアコギの曲もあるのだが、全部完璧に覚えているわけではないからやっぱり無理。

 そんな不確かな記憶のみで適当な演奏をこいつの前で出来るわけがない。

 羞恥心や自己嫌悪で死ねる。死ねないけど。

 

 きっぱりと言いいきると、押される力がピタッとやんだ。

 岩沢が真剣な眼差しでこちらを見据えてくる。

 

「ピアノがあれば、いいんだな?」

「あ、あればな」

「そうか、わかった。今日は諦める」

 

 今日は、かよ。

 

 スランプであっても、その音楽に対する貪欲さは失っていないようだった。

 相変わらず、音楽キチだ。

 

 ●

 

「クイーンですか?たしか、誰かがカバーした"手をとりあって"ならCDで聴いたことありますよ」

 

 食堂で対面に座る入江がスプーンで人参をすくいながら言った。今晩はシチューのようだ。

 ちなみに俺は青椒肉絲。その前は回鍋肉だったから、中華ばっかりである。

 偏りのあるレパートリーに、食券を配給した人間の悪意を感じるのは気のせいだろうか。

 

「あれよくカバーされているもんな」

「でも誰のだったか忘れちゃいましたけどね」

「カバーなんてそんなもんだろう。有名になるのなんて極一部だけだよ」

 

 そう言いながら、箸で掴んだピーマンを頬張る。

 うーむ、微妙。

 やたらと濃い味付けなのが、個人的にうれしくない要因でもある。

 ここの食堂は当たり外れが多いなあ。

 

「でもクイーンですかぁ。個人的には洋楽っていうと、アメリカになっちゃいますけどビリー・ジョエルが好きでしたね」

「お、なかなかいい趣味してるな。"Piano Man"とか?」 

「いえそのアルバムなら、原題は忘れちゃいましたけど"愛する言葉に託して"ですかね。先輩は好きな曲とかありました?」

「うーん、ビリー・ジョエルなら、"Pressure"かな。あの陰鬱な感じがいいよね」

「先輩らしいというか、なんというかなチョイスですね……」

 

 反応は微妙だった。あのPVの焦燥感とかすごくいいと思うんだけど。

 

「でも、おもしろいですよねこういうの」

「なにが?」

「好きな曲とかたずねてみる事です。その人の特徴っていうのがなんとなくわかったりしませんか?」

 

 なるほど。そうかもしれない。

 好きな曲って、その人の人格とか根幹と呼べる部分、在り方というものを表していると思う。

 その人らしくもあれば、逆に意外なチョイスで別の側面が見えたりとか。人を識る上では良い項目といえるだろう。

 たしかに、おもしろい。だが。

 

「そう考えると俺が相当根暗なやつなのか」

 

 スランプで曲が書けないのならば、そのことを書けばいいじゃない。ってことで生まれた曲が好きなんだもの。

 自分のことながら、そんな奴はちょいと嫌だな。

 

「で、でもクイーン好きなんですよね。きれいな曲多いですし、そうとは限りませんよ。大丈夫ですって」

「慰めてくれてありがとう。でもな、Cold Playも好きなんだ」

「……そういうと何も言えなくなるのでやめてください」

 

 入江が俺の発言に苦い顔をしながらシチューを口に入れる。

 少し表情がほころぶのでおいしいのかもしれない。

 今度食べてみようかな。食券あったけ。

 

「あら、今日は二人だけ?それともデートなのかしら」

 

 米をかきこむ手を止めて振り向く。そこにはゆりが立っていた。

 相変わらず偉そうである。実際偉いんだが。

 

「で、デートってそんな」

「そーなんだよ、このあと俺の部屋に来ないかって誘ってんだけど、なかなかうんと言ってもらえなくてさ」

「え、ええ!?」

「ダメね星川くん、若いからって押せば通るわけじゃないのよ。たまには引くこともしてみなきゃ」

「それもそうか。少し急だったかな」

「でも入江さんは奥手なタイプだから、むしろ強引な方がいいのかしら?」

「難しいところだな。入江さん、今ずぐ俺とベッドの上で愛を育むのと、夜明けのコーヒーを一緒に飲むのどっちがいい?」

「ど、どど、どどどっちて」

「ちなみにどっちも同じ意味よね」

 

 顔を真っ赤にして面白い感じにあわてふためいている。

 女の子が恥ずかしがる顔というのはなんとも言えぬ背徳的感情が芽生えるな。

 

「ま、冗談はさておき。ひさ子さんはなんか調子悪いとかで岩沢さんが付き添って部屋にこもってる。関根さんは知らん」

「冗談でしたか……」

「半分は本気だけどね」

「えっ!?」

 

 ほっとしたのもつかの間、すぐにまた真っ赤な色合いに戻り割れんばかりの大声で驚いた。

 その声に反応して周りで食事をとっていた人々が、何だなんだと視線を向けてくる。

 

「そ、それはどういう」

「入江さんみたいな美少女と一晩でもいいから夢をみたいと思うのは、世の男子にとっては当たり前の感情ではないかな?」

「……それって美少女なら誰でもいいってことですか」

「それは誤解を生みそうな発言だが、残念なことにに総てが外れているわけでもない。一応、肯定はしおこう」

「考えが即物的過ぎて品性の欠片もないわね」

「死んでんだ、そんなものに囚われてどうする」

「死んでまで煩悩にこだわるのもどうかと思いますけどね……」

 

 阿呆な下心を聞いて入江はすぐに平常心を取り戻し俺を蔑んだ目で見てきた。

 ゆりははじめかた見下していた。立ち位置的にも。

 

「まったく、先輩はセクハラをもう少し抑えたほうがいいと思います」

「すまないね、コミュニケーションツールの1つなんだ」

「……既に取り返しはつきませんでしたか」

 

 入江がこちらに聴こえるように落胆の溜息をつく。

 さすがに呆れられてしまったか。

 

 

「ゆりさん、しおりんは用事が何かあるとかで早めに食べたみたいです。私が一人だったところをリンゴ先輩に誘われました」

「そう。星川くんは他に食事をともにする友人はいなかったのかしら?」

「ハッハッハ―、なまじ戦線のスター集団に仕えているからな、基本男子からは羨望と嫉妬と侮蔑の感情がこもった眼を向けられていますよ」

 

 さきほどから向けられている周囲の視線も、入江やゆりと一緒にいるからか、殺意をこめられているものがほとんどだ。

 人気者はつらいわー。ぶっちゃけあいつら羨むことなんてただの幻想で、悲しいパシリなんですけどね。

 

「あとは事情を理解してそうな日向たちはいつも来るの遅いからな。幸い入江さんも一人だったようなので」

「ということは、入江さんも来なかったら星川くんはボッチ飯だったということ?可哀想ね」

「大丈夫、多分便所飯になってたから」

 

 軽いジョークのつもりだったのだが、二人には効かなかったようで本気で憐れむ眼差しを向けられた。

 あれ、おかしいな?目から塩水でてきてるぞ?青椒肉絲がしょっぱいな。

 

「まあ何でもいいわ。用はそれではないし」

「用?」

 

 再びゆりを見上げた。入江も不思議そうに見ている。

 他のメンバーがいなくてもいいなら大した内容じゃないのか?

 

「星川くん、ちょっと私と付き合って欲しいの」

「どこに」

 

 普通に返しただけなのに、なぜか残念そうに溜息を疲れた。

 

「その返しが即答で出来るのね。うちの男どもだったら慌てふためいてもうちょっと遊べるのに。これもガルデモに仕えた賜物なのかしら」

「さすがに今日のセクハラはもう飽きた」

 

 セクハラマイスターの俺にその程度のブラフが通用すると思うなよ!

 別に現実でその返事以外が正解である「付き合って」を言われたことが無いわけではないからな!

 本当だぞ!嘘じゃないぞ!また泣きそう!

 

 そして向かいのうぶな少女は物の見事に騙されて、またもや顔を真っ赤にしていた。

 この子詐欺とか遭いやすそうだぞ、大丈夫か?お兄さん心配だよ。

 

「で、どこに付き合えばいいんだ?この世界でなんて、買い物の荷物持ちじゃあるまい」

「そうね。ある意味買い物かしらね」

「は?」

「ちょっと、ギルドまでね」

 

 

 Guild?



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Chapter.2_3

 ギルド【Guild】

 ◆意味:同業者組合、団体、会 etc…… 

 ・中世ヨーロッパで商工業者によって発足

 ・8世紀末からその形のみでいえば存在はしていたが、宗教・血縁関係といった柵が重視されていた

 ・11世紀、不平等な柵から利益を守る互助的同業組合へと変貌したのが現在の意味に最も近い起源

 ・日本では座、株仲間が同様の組織形態といえる

 

「と言っても、戦線のギルドは『組合』というより『工房』っていう感じだそうです。あたしも聞いただけなのですが、銃とかオペレーションで必要な機材などで校内で調達できないものを製造してくれる集団らしいです。あたしたちの機材はほとんどのものが音楽室や放送室から持ってきているものなので、あまりお世話になっていないから詳しくはわかりませんが」

 

 入江は丁寧に説明してくれたが、伝聞をもとした話だったので申し訳ないが上手く想像ができなかった。

 

 とりあえずわかったのは、ガルデモのパシリである俺が呼ばれる理由はやはり思い当たらないという事だ。

 結局何もわかっていない。

 呼び出された意図も掴めぬまま、翌朝俺は指定されたポイントへとりあえず足を運んでみた。

 

 高い天井、そこから吊るされた丸い照明。

 校舎のリノリウムとは違う、歩く度に軽く軋むような音がする木の床。

 様々な意味を持つカラフルなビニールの線が地を這い魔方陣のような模様を描く。

 入り口と向かいである奥の側面には地面から浮いて凹むように1つの空間が設けられており

 どうみてもここは。

 

 「体育館、だよな」

 

 ゆりから渡された地図を確かめてみるが、記された場所はやはりここで間違いない。

 やたらと開けることに意味を持つその空間は、どうみても銃の密造が行われている秘密の工房には見えなかった。

 

 だとすれば、ここはただの集合場所でギルド自体はもっと別の場所にあるのではないだろうか

 銃の密造だなんて、校則どころか法すら犯す行為だ。

 もし天使にでも突き止められでもしたら、必ず潰されるだろう。

 それこそ戦線が天使に対抗するための戦力を失うことになる。

 

 ならばやはりここは単なる中継地点で、ギルドはもっと分かり難い閉ざされた場所なのだろう。

 たとえばそうだな、山の中とか滝の裏とか。

 

 歩いていると転がっていたバスケットボールが目にはいった。

 なんとなく其れを拾い、そのままフォームを整えゴールに向かってシュート――――――

 

 ――――――ポーン

 

 ……ボールは鮮やかな放物線を描くも、リングに届くことすら無くその手前で地面を跳ねた。

 

「ないすしゅーと」

 

 抑揚のない声で背後から話しかけられ驚いて振り向く。

 そこにはいつもと変わらぬ、あまり動きのない表情をした遊佐が立っていた。

 

「見てたのかよ、恥ずかしいな」

「申し訳ありません、集中してボールを構えているように見受けられたので。結果はアレでしたが」

「皮肉を言うならせめて表情を変えろ」

「なるほど。こうですか?」

 

 遊佐は己の両頬に指をあて、持ち上げることで笑顔をつくった。なんか見たことあるぞこれ。

 しかし、口角は上がって口の尻も持ち上がり笑みを浮かべているものの、その目は相変わらず笑っていないので不気味である。

 なんだかお面みたいになっている。

 まあ、その仕草自体は可愛らしかったので許そう。

 

「そんなことより、ゆりっぺさんはどうした。呼び出したくせにまだ来てないんだけど」

「そのふょとをおつたえふぇにきましゅひゃ」

「言いにくいならそれやめていいぞ」

「……ゆりっぺさんは都合により先に向かっています。すぐに合流出来るとのことなので貴方も向かってください」

 

 頬から指を話した遊佐は淡々と連絡事項を述べた。

 なにやら若干不機嫌に感じるが、気のせいだろうか。

 

「そう、じゃあ俺はどこへ向かえばいいの?」

「少し待っていて下さい」

 

 そう告げると、遊佐は奥の舞台へと近づいていった。

 その前に立つと、壇上に登るのではなくその下の壁を引きはじめた。

 壁の中は式典等で使われるパイプ椅子ががキャスターがついた大きなカゴの中に無数に収められていた。

 其れを総て引き出そうとするので、慌てて遊佐に代わり引っ張った。

 いかにキャスターがあるといえど、中身は鉄でできた椅子なので結構な重さを持っていた。

 その長いかごを取り出すと、あとはただ暗くて狭い空間ができただけだった。

 

「この先です」

 

 遊佐は何もないその空間を指さした。

 

「は?」

「この先の床に地下へと下る扉があります。その扉を開きますと梯子がありますので降りて下さい。そこから先でゆりっペさんと合流できると思います。あとは彼女の指示に従ってくだされば大丈夫です」

「え、ギルドって地下にあるの?」

「そうですよ、ご存知在りませんでした?」

 

 知らないし、想像もつかないだろ。

 というか、地下って活動内容どころか活動場所自体が本当にアングラじゃねえか。

 

 頭の中のギルドが、作務衣とか着た渋い職人たちが一つ一つ丁寧に逸品を仕上げている想像図から、目に黒線の入った方々が怪しいパチモノ製品をこそこそ作っている某大陸の実態を収録した経済ドキュメンタリーに変わった。

 

「このライトをもって進んで下さい。扉についたら二度こちらに向かって点滅を。それを合図にここを閉めますので」

 

 俺は言われるがままにライトを受け取り、狭い空間へと潜った。

 ぺたぺたと四つん這いになって進んでいくと、床に四角い板と取っ手が付いているものが現れた。

 開いてみると中に梯子が設置されていたので、これが言っていた地下への道と認識しライトで合図を送る。

 それを確認できたのか、ゴロゴロとキャスターが転がる音が聞こえてきたので、慌てて完全にふさがってしまう前に扉を閉じなければならないと思い、ライトをくわえてその梯子を下りた。

 

 

 梯子はそれなりに長かった。

 

「よっと」

 

 しっかりと地面を踏みしめながら周囲を確認してみると、底は長い洞窟のような造りだった。

 より正確にいえば、炭鉱のような人が何かしらの理由をもって掘られたような人工的なものだ。

 長い穴の空間は壁に申し訳程度の照明が等間隔に吊るされているだけで、全体的に薄暗く先までは見通せない。

「やっと来たわね」

 

 前方から声が聞こえライトを向けるとゆりがいつもと変わらず偉そうに立っていた。

 向けたライトが眩しいようなので光を外す。

 

「随分とめんどくさい所にギルドってあるんだな」

「色々あるのよ。天使から隠すにはこの位しないといけないし、それにここなら材料にも困らないわ」

「材料?」

「それは歩きながら説明するわ。ギルドはまだまだ先にあるから、ほら行くわよ」

 

 そういうとゆりは颯爽と進んでいくので、俺は慌てて追いかけた。

 

「星川くんは、ギルドがどうやって銃を製造していると思う?」

「なんだそれ。普通に考えて鉄板から型とったりしてんじゃねの」

 

 横を歩くゆりにそう答えると、もう少し頭を働かせなさいと言われた。

 ふむ。

 

 銃の製造。

 そもそも銃に関しては映画やゲームで名前を知っている程度で明るくはない。

 だが金属でできているものなのだから、鉄板をプレスしたり切ったり曲げたりして製造するのが普通ではないだろうか。

 鋳造、という可能性もあるが、火縄銃ならともかく大量生産される現代の兵器にそんな個体差もでる原始的なめんどくさい作り方はしていないだろう。

 ではその製造方法が違うとなれば、他になにか別の手段があるのだろうか。

 ……正直思いつかない。

 

 ゆりは頭を使えと言った。

 ならば造る過程ではなく別の問題があるのだろうか。

 

 少し頭をひねってみると、1つの疑問が浮かび上がった。

 

「ゆりっぺさん、ここって鉱石とか採れるの?」

「そんなもの採れないわよ。掘ってもでてくるのは土塊と何の変哲もない石ころくらいね」

「はぁ?じゃあどうやって鋼材手に入れるんだよ」

「そもそもこの世界じゃ資材としての鉄は調達できないんじゃないかしら」

 

 なんだそれは。

 ますますわからなくなるどころか前提条件が崩壊してしまった。

 

 あーうー。

 っと頭をひねり続けてもまったく何も浮かばない。そもそもこういう思考は得意ではない。

 俺は早々と諦めて、両手を上げて降参の意を示した。

 

「もうギブアップ?」

「本当にわからん」

「仕方ないわね、答えは『土をこねる』よ」

「……おいおいバカにしているのか」

「嘘じゃないわ、本当よ?」

 

 ゆりは真顔で宣った。

 本当に泥遊びで人を殺せる兵器を作り上げているとでもいうのか。

 

「信じられん」

「普通はそうでしょうね。でも事実なのだから信じるしか無いわよ」

 

 とても真面目に言うが、信じたくてもあまりにも話が突飛つ過ぎていて、嘘でしたという方がしっくりきてしまう。

 やはり納得はできない。そんな表情をしたがゆりはお構いなしに話を進めた。

 

「作り方は単純。土塊をこねりながらクギやネジといったものを思い浮かべるの。そうするとこねていた土がいつのまにか思い浮かべていたものに変わるのよ」

「公園の砂場が戦場に変わるな」

「とはいっても、なかなか大変なのよ。色々と条件があってね」

 

 曰く

 ・こねればすぐに出来るわけではない。何時間もこねつづける必要がある

 ・初めから部品が組み合わさっている状態では造れない。ネジやバネといったパーツ1つずつ造りそれを組み立てる

 ・造りたいものはその細部まで思い浮かべないといけない

 ・識らないモノは思い浮かべることができないから造れない

 ……etc

 

「じゃあなんだ、ギルドってのは銃のパーツ一つ一つ思い浮かべながら造っているのか?」

「そういうことね。まあ今は部品を生産する機械を識っている人が入ったから、簡単な部品とかはそれで造れるようになってるみたいだけど」

 

 いや、驚いてるのはくそ時間がかかるとか量産体制が整ってきたことではなくて。

 銃の細部まで識っている奴が居るということなんだが。

 生前何やてきたんだよそいつら。

 

「地下にあるのは土塊が豊富だからなのか」

「それもあるけど、やっぱりメインは天使対策よね。わかりにくい場所でなかればならないのだけれど、あの学園の敷地って実はそれほど隠れて活動できそうなスペースは広くないのよ。大規模なことをやるには場所がないの」

「人気のない場所って山くらいだが、あまり奥まった所につくると行き来が大変になるよな。逆に行き易い場所にするとバレちまうし」

「だから盲点をついてみたの。まさか地下にこんな場所があるとは思わないでしょうね。しかも入り口が体育館の収納スペースだなんて」

 

 そりゃ思わないだろうよ。常識的に考えて。

 可笑しくてマンガかよって突っ込みたくなるくらいだもの。

 

「このくっそ長い洞窟はあれか、作業の音が地上に響かないように?」

「というよりもこれも天使対策。もし気づかれた場合でもすぐにギルドへ辿り着かないよう無数の罠を仕掛けているの」

「へえ。よくこんだけ掘ったもんだな」

「いえ、実を言うとこの洞窟は元からあったのよ、罠も一部含めて。長らく放置されていたようだから、整備して罠も増やして戦線で管理することにしたのよ」

「……この学園て一体なんなんだろう」

「まあここの罠でも天使に致命傷を負わせることは無理かもしれないわね。精々必要な物を持って逃げたり、ギルドを敵の手に渡らないように破棄する時間を稼ぐくらい」

「稼ぐって、この洞窟どれくらいあるんだよ」

「まだ半分も過ぎてないわね」

 

 残りの道のりをなんとなく想像して、俺は堪らず溜息を吐いた。

 パシリ以外の業務かとおもいきや、またもや勤務初日と同じようにひたすら歩くとは。

 進歩してないな、まったく。

 

 ●

 

 あまりのもギルドへは長い道のりで、ただ歩くだけでは暇でしょうがなかった。

 だから会話の話題も見つからなくなってきた俺とゆりは、互いに質問をしあうことで退屈な時間を潰した。

 

 俺はもっぱら戦線の活動内容や今までの戦果について。

 ゆりは俺が普段ガルデモにどんな世話をしているのかとか、主にパシリ業務について質問をしてきた。

 

「じゃあ、特に彼女たちとラッキースケベなイベントどころかプライベートな出来事も無いの?」

「何を期待しているのか知らないが、基本的にバンド練習と食事くらいしか行動は共にしないよ、会話するのだって休憩と食事の席だけかな。たまに放課後岩沢さんの練習に付き合うこともあるけど、その時も音楽の話しかしないし。言うなら同じ職場の人間みたいな関係になのかな」

「……あなた、本当に男の子なの?」

「なんだよそれ」

「本部のアホな男どもと違って美少女に囲まれたハーレム状態なのよ?それに遊佐さんやサポート部隊の後輩の子とも仲が良いみたいじゃない。何でないの?普通何かするでしょう男なら」

「しねえよ!人を飢えた狼かなんかだと思ってんじゃねえぞ」

 

 呆れたとばかりにゆりはそっぽを向いて溜息を吐いた。

 この少女は一体何を望んでいるのか修羅場がいいのかコンチクショウ。

 

「そんな気はないし、仮にあったとしても職場の人間関係こじれるような真似はしたくないだろ」

「それくらい楽しませてくれてもいいとは思うのだけれど」

「人の事を何だと思ってんだ……」

 

 しかし、実際のところよく受け入れられたなとは思う。

 いくら同志とはいえど、同性のみで組まれていた集団の中に異性が入り込んだのだ。会う前は正直なところ排除されるのでは震えていた。

 しかし、彼女たちは普通に受け入れてくれた今となっては要らぬ杞憂だったわけで。

 

「みんな良い子だから、普通に楽しく過ごす事が出来て感謝しているくらいなんだよ。手を出すとかとてもじゃないが考えられないな」

「つまらないわね。賭けに負けちゃうじゃない」

「賭け?」

「星川くんがガルデモのメンバーに手を出すか否か。あと出すなら誰か」

「最低だなおい」

 

 こいつら身内で賭け事をしているのかよ。

 でも当事者でなかったら俺も一枚噛ませてほしいのは秘密だ。

 

「手を出す方が優勢ね」

「思考回路がおかしい奴らしかいないのか」

「誰なのかは今のところどっこいどっこいね。ちなみにあたしは全員(ハーレム)よ、期待しているわ」

「ボスが一番クズでした……」

 

 他愛のない(?)会話をしていると、真っ暗な道の先から僅かだが「ドドドド」と重い音が響いてきた。

 洞窟を少し進んでいくと開けた場所に出る。その場は半分を滝とその水が流れる川で支配されていた。

 ただただくそ長い土塊の道が続いてるだけかと思ったが、水まで湧いているのか。しかもこんなに大量に。

 

 罠の存在等色々合わせてみても、ここはまるでダンジョンのような所である。

 その内宝箱とか出てくるんじゃないだろうか。

 と、勢い良くおちる滝を眺めているとゆりが先へと進んでいってしまっているので、慌て岩場に気をつけながら追った。

 

「どれぐらい降りてきたんだ?」

「そうね、メートル法での正確な距離はわからないけれど、階層でいったら15階ってところかしら」

「ビルで考えたら55mくらいってとこか。まあ当てにならん数字だけど……」

 

 天井を仰ぎながらそう呻いた。この空間はやけに天井が高い。

 おそらく掘ったのではなく元からあった空洞なのだろう。

 このように1階層あたりの高さはまばらだし、人工的に整えている階は下るほど空間を広くしている

 下手すると最深部は地中100m以下とかに有るんじゃないだろうか。

 想像するだけ無駄であるが。

 

「でも、あたしから見ると、彼女たちとはそんな軽いつながりに見えないのよね」

「何が?」

「さっきの話の続きよ」

 

 ああ、続いていたのか。

 もう終わって欲しかったんだが。

 

「だって生理の時期も知っているんでしょ?」

「ゴフッ」

 

 突然の言葉に思わず吹いてしまった。

 ゲホゲホと咳き込みながらもなんとか息を整えた。

 

「な、何故それを知っている」

「組織のトップをなめちゃだめよ。セクハラもほどほどにね」

 

 にこやかに微笑むのだが戦慄するような感覚に陥り素直に頷けない。

 散々偉そうだとか思ってきたが、本当に敵に回したら危ないのはこいつじゃないだろうか。

 

「別に明確な時期は流石に教えてもらっちゃいないよ、せいぜい誰の次は誰ぐらい。知らなくて地雷踏んだってなりたくないの。気にかける程度で、彼女たちを管理するつもりはないさ。それこそマネージャーじゃ無いんだから」

「そうよね、パシリだもんね」

 

 今度は本当に笑いながらゆりはスキップするように進む。

 いや、俺一応連絡要員が本来の職務なんですけど、あなたに任命されたんですけど。

 

 もはや形骸化された身分ではあるが、ボスが面と向かって認めてしまったらもう意味は無いな。

 今度から正式にパシリって名乗ろうかしら……

 

「でもね、そう考えても、やっぱりあなたはあたしたち戦線本部の連中以上に彼女らとの間柄はかなり近い距離感にいると思うわ」

「そうかあ?」

 

 ゆりの言ったことがいまいち実感出来ない。

 ただ単に、共に行動する時間が長いだけではないのだろうか。

 それでもゆりは続けた。

 

「だから、あなたは今のまま彼女たちと接してあげてね。ただでさえNPCにとってはスターなわけだし、サポート部隊の一部からは神格化されているほどなのよ。うちのアホな男どもと違って、あなたは気兼ねなく接する事ができる貴重でまともな男の子なのだから。彼女たちを大切にね」

 

 そう言って再び微笑んだゆりの顔は、先ほどとは打って変わって慈愛にあふれていた。

 というか、なんだか母親みたいだった。

 

 だからなのか、俺は妙に照れくさくなってしまい、気恥ずかしさを隠すために誤魔化したくなってしまう。

 

「前にアホ扱いされた気がするんですけど?」

「そうだったかしら?覚えてないわ」

 

 さらりと返したゆりは上機嫌なままの足取りで先へと進んでゆく。

 その軽やかなスキップをみながら、俺も後を追った。



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Chapter.2_4

 ンゴゴゴンゴンゴゴゴゴゴンゴゴゴンゴ

 

 腹の底を打ち付けるような重苦しい低音がテンポを刻み、時折軋むような高い金属音がハーモニーを奏でる。

 

「いやさ、これさ」

 

 俺は唖然としながらその光景を眺めた。

 目の前に広がる其れは、伝聞からの想像を完全に裏切った。

 

「どうみても工房じゃなくて工場だろ……」

 

 ギルドは巨大な生産施設だった。

 

 

 [Chapter.21:Guild]

 

 

 迷宮のように入り組んだ洞窟を抜けていくと、今度はやたらとひらけた空間に出た。

 その空間は体育館や食堂程度の広さではない。比較するにしても何かしらのドームを持ちいらなければ釣り合わないほどだ。

 しかも恐ろしいことにギルドは最下層にある。洞窟の出口はそのくっそ広い空間の上部にあった

 つまり、降りなければならないのだ。

 

 タワーほど、とは言わないが、どう見てもその空間の縦軸方向の長さは学園の校舎よりある。

 俺が岩沢に突き落とされた校舎よりもだ。

 ここから落ちたら相当悲惨なことになるだろう。

 頭が柘榴のように割れるどころではない。

 人として原型を留められていられるかどうかすらわからない。

 

 ここを降りるのか、と不安になりながら階段を探した。

 通常、このような空間ならば外壁に緩やかな下り坂、もしくは折り返すような作りの安全な階段が付いているはずだ。

 しかし、そんなものはどこを見渡してもない。

 

 階段は目の前にあった。

 正しくは下にあった。

 

 空間の上部から底までまっすぐ垂直に建つ柱。

 その側面に備え付けられた梯子。

 それがここからギルドに下り立つ唯一の道だった。

 

 ……階段造るの面倒だったのかな。

 

 ●

 

 梯子を下りながらその空間を眺めた。

 下では多種多様な機械が稼働している。

 ベルトコンベアなんかもあり、完全に量産体制が確立されているようだ。

 

「ここがギルドよ。どう?驚いたかしら?」

 

 地面に降り立ったゆりが楽しげに尋ねてくる。

 

「驚いたどころじゃねえよ……なんだこれ……すげえ。これ全部造ったのか?」

「ええそうよ。この空間自体は元々あったのだけれど、今動いている機械は全て土塊をこねて上げてパーツの一つ一つから組み立たのよ。すごいでしょ」

 

 ゆりの説明も半分程度しか耳に入らず、俺はただただその光景に圧倒されていた。

 いつ以来だろうか、こんな無骨ながらも壮大な景色をみたのは。

 眼を輝かせてみている俺にゆりは呆れたように溜息を吐いた。

 

「はあ、本当に男の子ってこういうの好きよね。ガジェットとかマシーンとか」

「そいつはロマンってもんだ、ゆりっぺ。ま、女にはわからんかもしれんがな」

 

 やたらと渋い声が響きわたった。

 顔を向けると、なるほどその声がしっくりくる、と思うような濃いヒゲをたくわえた男がやってきた。おっさんかよ。

 

「チャー!」

「よう、ゆりっペ。そいつが例の坊主か?」

 

 ゆりがチャーと呼んだ男に正面から飛びつき、男も動じること無く受け止めた。

 なんだか文字で見ると恋人みたいだが、体格差のせいか妹、いや娘が父親とじゃれあっているようにしか見えない。もしくは熊とか。

 それほど男の身体はがっちりとしていて、態度にも落ち着きがあった。

 いやまあ、半分以上の理由はあの顔が理由なんだが。

 

「そう、星川くんよ。今はガルデモのパシリをやってもらっているわ」

「……ドーモ、陽動部隊パシリノ星川デス」

 

 ついに初対面の相手にパシリとして紹介された。

 もう、色々どうでもよくなってくるな。

 

「星川くん、こっちはギルドの長をやっているチャー。老け顔だけど私たちと同じ高校生なんだからね」

「へー。さすがにこれは冗談だろ」

 

 ここまで老けることが出来る高校生が居るわけ無いだろう。

 高校は3回しか留年できないんだぞ。

 こいつどうみても三十路超えてるだろ。

 

「さてチャー、例の件なんだけど」

「ああ、そうだな。話をするにはここは少しばかりうるさいから、向こうに行くぞ」

「え、いや、あれ?嘘だよね?」

「ほら、行くわよ」

 

 チャーとゆりっペはさっさと歩いていった。

 未だにチャーの年齢は不明である。

 背中とか貫禄ありすぎて、とてもじゃないが高校生には見えない。

 

 ●

 

 「適当に腰をかけてくれ」

 

 連れられてやってきたのは、ギルドのはずれに位置する長屋のような小屋の群集の1つだった。

 小屋の中は大型機械たちから離れているのか思いの外静かである。

 いくつかの机が設置されているが、その上には様々なパーツが山のように積み上がっていた。

 ギリギリ卓上ライトが当たる中央の位置には僅かなスペースがあるだけ。

 机の上だけでなく部屋の内部全体が何かと乱雑していた。

 先程の工場に比べてこちらのほうが工房と呼ぶにしっくりくる。

 

 俺の様子に気づいたのか、チャーが積み上がっていたものを避けながら説明してくる。

 

「細かい組み立てや試作品の創造はここで行う。とはいっても、今じゃあっちの大型機械で模倣品を造るのが主流になっているからな、こんな小部屋で作業するのは極少人数だけだ」

「ここはチャーの作業部屋ってことなのか?」

「俺だけでなく銃器に関わるメンバーが使うがな。まあ今じゃ俺ぐらいしかここで仕事はしないが」

 

 なるほどね。

 だからさっきから視界の端にスプリングとか弾倉とか薬莢とか物騒なものがちらついているのね。こわいよ。

 

 部屋の正体にビクビクしている間にチャーとゆりは椅子に座ってしまっていたので、俺も適当な椅子を引き寄せる。

 うわ、焼け焦げたあとあるよ。ってこれ銃痕?

 

「と、ところで俺は何のために呼ばれたんだ?」

 

 不気味な椅子に恐る恐る座りながら、初めから気になっていた疑問をぶつけてみた。

 

「なんだゆりっぺ、言ってなかったのか」

「ここに来て説明すればいいと思ったの。どうせチャーからも同じ事を話すだろうから」

「なるほど、わかったよ」

 

 俺は何一つわかっていないのだが、チャーは一人頷くと机の引き出しから長方形の物体を1つ取り出した。

 それは見たこともあったし触ったこともあるものだった。

 

「前に渡されたトランシーバー?」

「そうだ。こいつの動作検証についてでな」

「検証?」

 

 そうだ、と再び頷きながら机の上の山からマイナスドライバーを取り出し、チャーはトランシーバーをバラし始めた。

 くるくるとドライバーを回しながらチャーは話を始めた。

 

「こいつは実験機でな。実を言うと、ゆりっペのトランシーバーとオペレーターの嬢ちゃんが使っているインカムはギルドが造ったものじゃないんだ。元からこの世界にあったらしい。ま、一度バラしたおかげで、インカムは模倣品を造れるようになったがな」

 

 あなたが今持っているのはそれよ、とゆりが俺の胸ポケットに刺さっている意味のないインカムを指す

 確かに色は違うが遊佐と同じ形をしている。

 

「トランシーバーの模倣は少し骨が折れてな、バラしただけではどうも上手く行かなかった。まあ既存の知識を使ってなんとか形にはできたが、正直トランシーバーはかさばるだけで利点がない。ゆりっぺが司令だということを見せしめる程度の意味しかない」

 

 ゆりが軽く睨んだが、チャーはさして気にせず作業を続ける。

 パカっという音とともに側が外れて中身が剥き出しにされた。

 ドライバーを細いものに変えて、更に中身のパーツも外し始める。

 

「ならば機能を拡張して上位モデルを造ってみてはどうかという話になった。ちょうどその時期に電子機器に明るいやつも入隊したので、そいつにも手伝ってもらいながら造ったわけだ。拡張した内容は、電波強度向上、周波数域拡大、おまけでチャンネル登録」

「で、完成したそれをあなたに実験としてに使わせてみたの。壊れちゃったけどね」

 

 チャーの言葉を引き継ぐかたちでゆりが補足する。

 

「あれが動作検証だったってわけ?」

「そうだ。今日お前にここに来てもらったのはこいつがどうだったか知りたくてな。生憎俺はギルドを外すわけにはいかないのでわざわざ来てもらうことになってしまったが」

 

 なるほど、実験の報告をさせるために俺を連れてきたのか。

 そんなもの紙にまとめて出すだけでいいだろと思うが、なにやらチャーからは職人的な気質を感じる。

 直接聞かないと納得しないタイプなのだろうか。

 

「えーと、俺も専門じゃないから詳しくはわからないけど、どんな事を話せばいい?」

「ふむ、まずは音はどうだった?」

「ちょ、ちょっと待ってな」

 

 こめかみを押さえながら記憶をたどる。

 トランシーバーを扱ったのは確か初めてガルデモと出会った日だからよく覚えていた。

 

「キレイだったよ、校舎の中にいてもよく通っていた。結構離れた場所から通信していたから、電波強度はそれなりにあったんじゃないかな?」

「通信は一回だけか?」

「一回だけ。相手はゆりっぺさんで、1分も無かったとおもう」

「壊れた時は?どこかに通信しようと思って繋げたら消えたとかか?」

「いや、二回目の通信をしようと思ったときには電源自体がつかなかった。何度か起動を試みたけどダメだった」

「なるほど……やはりな」

 

 チャーは三度頷くと精密ドライバーを止めた。

 ポケットからペンライトを取り出すと、ドライバーとは逆の手に持ってトランシーバーを照らした。

 

「壊れた原因はわかったの?」

「ああ、側にヒビが入っていたから外からの衝撃も考えたが、どうやら違うらしい」

 

 ゆりの問に答えながらチャーはライトの光を調節する。

 俺は外部からの衝撃の原因に心当たりがありすぎるので俯いて誤魔化した。

 

「単純なオーバーヒートだな。回路が焼き付いている」

 

 チャーがドライバーで指し示す箇所をみると、中身の一部が焦げ付いていた。

 

「機能を拡張しすぎてスペック不足だ。出力に耐え切れなかったんだろう」

「改善は?」

「まず、通信一回で逝ったという事は電波強度はもう無理だな。周波数域の拡張も諦めたほうがいいかもしれん、というか正直これは意味があるのかどうか。あとチャンネル登録自体は機能するか実験をしていないからなんとも言えん。ただ、メモリを無理やり組み込ませたようなものだから、不安要素しか無い」

「……要するに、ギルド長としてに御結論は?」

「知らないものは造れない、だな」

「……はぁ」

 

 ぎしぃっと椅子を軋ませながらゆりは背もたれに寄りかかかって空を仰いだ。

 詳しくないからよくはわからないが、たぶんあれなんだろう、失敗ってやつ。

 

「……ま、いいわ。できたら儲け物って考えだったし」

「やめて構わないな」

「ええ、この計画は破棄。人員は即刻他の仕事に割り当てて頂戴」

「了解した」

 

 どうやら会話どころか計画自体が終わってしまったようだ。お疲れ様です。

 ってことは、俺もう用無いんじゃね。

 

 帰ろっかなーっと一人天井を見つめながらぼーっとしていると、チャーが何やら黒い箱を持って現れた。

 スーツケースサイズの其れをドカっと机に置く。

 

「坊主、新しいのだ」

「は?」

 

 そう言うとチャーは黒い箱を開けた。

 

 その中には数種類のハンドガンがスポンジにすっぽり収まるように並んでいた。

 輝かしい光景だが、物が物なのでビビるだけである。輝きといっても黒光りだし。

 

「|M1911A1を壊したらしいな」

「え、あ、す、すみませんでした」

「まあそれはいい。で、ゆりっぺ、どれを渡せばいい」

「なるべく持ち運びしやすそうなの」

「ふん。じゃ、これだな」

 

 チャーは横たえられた内の1つを取り出した。

 ガバメントよりも小ぶりに見えるような見えないような。

 

「P220、日本の自衛隊でも採用されている。45口径に弾数は7つというところまではガバメントと同じだが、320グラムほど軽いぞ」

「えー、俺そっちのFN Browning Hi-Powerのほうがいいー」

「む、たしかに。そっちの方が弾数は多くあるし、造りも申し分ないな」

「だめよ。こっちで我慢しなさい」

 

 ゆりはチャーからP220をひったくると俺に押し付けた。

 

「いい?これは万が一の為にあなたに預けるの。でも、その万が一が起こらないようにあたし達は行動をしていかなければならない。非戦闘員が強力な武器を持つ必要なんて無いわ」

 

 その万が一が起きたじゃん。

 と、茶化そうかとも思ったが、ゆりの睨みが怖いのでやめた。

 ここは大人しく従ったほうが良さそうだ。

 

「その万が一が起きたからこうして新しいのを与えているんだろう」

「言っちゃうのかよ!?」

 

 ゆりは更に眼を険しくしてチャーを睨むが、さして気にぜず俺にP220を渡してくるので色々な意味で恐る恐る受け取った。

 

 チャーは軽いと言っていたが、俺にはガバメントと同じくらい重く感じた。

 質量としては軽いのかもしれないが、どちらも等しく殺せることに変わりはない。

 結局、俺にとっては慣れることのない重みなのだ。

 

「構えてみろ」

「んっと、こうかな」

 

 天使と対峙した時を思い出しながら銃を構える。

 左手でグリップの底を支えるような持ち方だ。

 

「カップ&ソーサーか……それでよく天使と殺り合ったもんだ」

「おかしいのか?」

「普通は素人がそう持ったら反動が抑えられなくてブレるんだよ」

 

 チャーは呆れながら教えてくれた。

 ふむ、そうなのか。映画とかゲームだとみんなこう構えていたが、見栄えが良いだけだったのかな?

 

「まあそれで当てられているなら変える必要もないか。弾のこめ方は知っていいるか?」

「いや、弾倉ごと貰ってたから」

「じゃあ教えてやる」

 

 俺はチャーにこめ方や正しい装填の仕方をレクチャーされてから、P220をブレザーの中に仕舞った

 

 ずっしりと、違和感のある重みが再び身体に纏わりつく。

 この重みには、あんまり慣れたくないなあ。

 

「さて、星川くんの用事はこれでおしまい。私はまだ片付けないといけない案件があるからもう少しいるつもりだけれど、どうする?帰れる?」

「帰れるってそりゃあ……帰れねえなあ」

 

 来た道を脳内で逆再生してみるが、3つ目ぐらいの曲がり角からもうわからなくなった。

 再びあの迷宮を、しかも一人で攻略しろだなんて、できる気もやる気もしない。

 

「ならギルド内でも見学してらっしゃい。帰るときに呼びに行くから」

「へいへーい」

 

 適当に返事をしながら俺はゆりたちを残して部屋から出た。

 

 ●

 

 ギルドの内部は男のロマンで溢れていた。

 大型の機械が唸りを上げて稼働している様など、手に汗握る。

 造られているいるのものが法的にアウトである部分さえ目を瞑れば、彼らの技術、創造力には敬服するばかりである。

 

「ん?ここどこだ?」

 

 気がつくとそこには機械群は無く、作業員の一人も見当たらない。

 あるのはチャーの作業部屋のような長屋がいくつかあるだけだった。

 

 どうやら興奮していたのか、いつの間にかベルトコンベアの流れから外れてしまっていたようだ。

 ずばり迷子である。

 

 ここがどこなのか、訪ねようにも出歩いている人影はなく幾つか部屋を覗いてみたものの軒並み無人であった。

 作業をしていた痕跡はあったが、それがどれくらい古いのかはわからないので、もしかするともうここは使われていないのかもしれない。

 そういえば、チャーが今はあまりこういう場所で作業をしている人間は極僅かだと言っていた。

 

 ここには誰も居ないかも知れないと思い、駆動音を頼りにギルドの中心へと戻ろうとすると、数軒先の扉から光が漏れているのが見えた。

 その扉の前に立ち、ノックをしてみるも返事はない。

 ただ、何やら物音はするので中に人がいることは間違いなさそうだ。聞こえてないだけかもしれない。

 

 注意書きも警告文も無いので、俺は遠慮無く扉を開いた。

 

「ごめんくださ―――」

「じぃいいいいいいいざぁああああああああああす!!」

 

 ゴッ

 

 神の子の名を叫ぶ声とともにスパナのような何かが飛んできて。

 俺の頭部に直撃した。



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Chapter.2_5

「いやー、悪かったねえ。頭、本当に大丈夫?」

「……なんとか」

 

 頭部にできたこぶを圧えながら答えた。まだ若干痛い。

 どうせすぐに治るだろうが、気になってしまう。

 

「ささ、入って入って」

 

 招き入れられて部屋へと入ると、そこはチャーに連れられた部屋とほぼ変わらない造りだった。だが、その中はだいぶ違った様相だった。

 

 

 雄叫びとスパナを我が頭部にお見舞いしてくれたことによって、俺は意識をすっ飛ばした。

 しかしさすがは死後の世界、意識の喪失は一瞬だけで身体が完全に地面へと伏す直前にはなんとか踏ん張った。

 痛みに関して慣れてきたのかもしれない。嫌だな。

 

 スパナをぶっ飛ばした本人は俺に気づくとお詫びとか言ってその部屋の中へと招き入れたのだった。

 

「ま、適当に座ってよ。お茶とか出すから」

 

 チャーの部屋とは違い、火薬や金属の匂いはしない。

 それどころか清潔そのもので、むしろ清潔であることが求められているかのようだ。

 

 だが、製造中なのか失敗なのかはわからないが、机の上に様々な部品が積み上がっているのは変わりないようで。

 キレイだけれど雑多な空間といったところか。

 

「……電子部品が多いな」

 

 近くにあった椅子を引き寄せながら、この部屋でつくられているであろうものの印象を述べた。

 ちなみに椅子は足の部分が養生テープでぐるぐる巻にされていたり明らかに天板が違うものがあったりなど、向こうと同じように危険な香りがした。

 

「あ、わかるー?」

 

 部屋の主が茶をいれた湯のみを受け取る。

 息を吹きかけながら冷ましていると、部屋の主は椅子を引き寄せ向かい合うように座った。

 

 服装はギルドでよく見かけるつなぎで、色の入ったゴーグルを首から下げている。

 

「ここはギルドで主に電子機器関係の製造を担当としているんだ。といっても、量産どころか実用化されているものは全然ないから僕一人で試作をしているだけなんだけどね」

「なるほど」

 

 部屋を清潔に保っている理由はやはりそれか。

 ここは地下の洞窟だから風の流れもない。電子機器を扱うのにホコリが付くのは好ましくないだろう。

 

「製造って、ここのものも土塊からできているのか?」

「そうだよ?」

 

 土塊から抵抗も出来上がるのか。もはやなんでもありだな。

 

「でも大変じゃないか?土塊から造れるのって、そのパーツ1つだけだろ?例えばこの回路についてる部品も、こんなに小さいけどもっと小さい、幾つかの材料から構成されているじゃないか」

 

 机の上の山にあった回路の1つをつまみ上げてみせる。

 銃と違って、ここにある製造品は小さいほど良いものばかり。

 それにより多くの細かなパーツが組み合わさってさらに複雑なものとなっている。

 合成品を最初から造れない、制約のある土塊からの創造では相当骨が折れるだろう。

 

 しかし、彼は俺の教えられた常識というやつを簡単に一蹴した。

 

「いやー、一発でできちゃうんだわ、それ」

「え、まじで?」

「ハハハハー、まじで」

 

 部屋の主は笑いながら机の引き出しを開け1つの箱を取り出した。

 さらにその箱の中にあった幾つかの細かな部品を取り出し机に並べた。

 

 小さい順に並べた部品を確かめながら、部屋の主はある部品と部品の間に近くにあったドライバーを置いた。

 

「こっから小さい方は一発で造れちゃう」

「なんで?1つのパーツしかできないんじゃないの?てか素材も統一されてないじゃん」

「さあ?僕にもわからないなー。ただ、ある程度の大きさ以下になるとできちゃうんだよねえ。なんでだろ?」

 

 俺は部品の1つを手に取りながめた。

 それは軽く力を込めただけで壊れてしまいそうなほど小さい。

 彼の言ったことが本当であるのならば、この部品は単体しか生み出せないはずの土塊の魔法とは違う。

 

 いや、土塊からできていることには代わりはない。

 ならば、そもそも戦線が把握している条件が違う?

 もっと別の基準があるのか?

 

 何か他と違う点は何だ?

 銃器との違いは?

 この部品において出来る理由は?

 性質?

 用途?

 形状?

 質量?

 硬度?

 規模?

 

 ……規模?

 

「ある程度の大きさからは無視されるのか?」

「ん?なんだって?」

「あんたが言っていた事が本当なら、一定の大きさ以下の場合は無視できる範囲として扱われるんじゃないかと思って」

「ごめん、意味がわからない」

 

 部屋の主は首を傾げた。

 しかし、そう言いながらも興味があるのかニヤニヤとしている。

 

「ちょ、ちょっとまって」

 

 俺はすぐに解りやすい説明を考える。

 しかし、突然思いついた仮定だったので答えようにも頭の中で様々な言葉が乱立してしまい、すぐには無理だった。

 

 お茶を飲みながら、脳内で考えを整理し言語化していく。

 ある程度組み立ったところで、忘れないうちに語り始めた。

 

「その、例えばある実験や試行をした場合、計測はするもののあまりにも極小さな数字や結果が出たりするだろ?例えば少数第何位みたいな」

「まあわかる」

「そういう場合ってどうする?」

「まー、ペーパーテストみたいな場合は有効数字が与えられているだろうからそれを基準に直すね。実験だったら証明や結果を出す上で影響がないと判断できれば切り捨てる」

「そう、要するに無視をするんだ」

「それが?」

「それがこいつにも適用されるんだよ。一定の小ささなら無視っちゃうんだ」

 

 俺は強く言い切るも、部屋の主はまだ納得がいかないようで、さらに首を捻った。

 

「んー、すまんもう少しわかりやすくできないかな?」

「わかった」

 

 興奮しているのか少し息が荒くなっていることに気がついた。

 気づかぬ内に色々と言葉をすっとばししていたかもしれない。

 

 呼吸を整えながら、再度頭の中で説明を立て直す。

 

「えっと、長くなるけど一気に言っていい?」

「ん」

「じゃあ、

 

 土塊を捏ねている時ってさ、その部品を思い浮かべるって言うだろ?

 自分のなかにあるその物体の記憶を引っ張り出している。

 形や大きさといった記憶がないとそのモノを造れない。

 ここではそれが常識となっていることだろ?

 それってつまり創造をしていく上で絶対に必要になるのは記憶ってことだ。

 ここで1つの仮定というか、置き換えをしてみる。

 

 "記憶=情報"と。

 

 君たちがやっているのは土をこねて単に部品を練りあげているだけじゃない。

 記憶という名の情報体を具現化させている、とでも言えばいいのか?

 すまん、これに関してはいい例が思いつかない。

 

 要するに、形や大きさといった"情報"を記憶という触れることの出来ない領域から、土塊を介して実体をもたせているんだ。

 "記憶がない=情報がない"、だから造れない。

 

 でもって、その情報っていうのにも容量がある。

 そして、容量を決める、というか鍵となるのは部品の規模、つまるところ大きさ比例するんだ。

 

 例えばそうだな、ここにある部品で、これだな。

 これの部品くらいの大きさのものを造ろうと思う。

 この部品の総容量を500としておこう。

 でもって、こっちの小さな部品を300としておく。

 

 今、それぞれの部品の容量はその物体の大きさを元にしてみた。

 だけど、容量を決めるのはこれだけじゃない。

 

 ああ、言っている意味がさっきと違うな、すまん。

 なんて言えばいいのか……

 

 そう、容量を決める要因は何項目かあるのかもしれない。

 例えば大きさ、材質、そして構造とか。

 大きければ容量も多くなる。

 材質を異なるものを使ったり、細かな構造をしていればその分情報が複雑となり容量もまた大きくなる。

 

 でも、その容量を決める判断基準の大部分は大きさなんだ。

 98%は大きさ、あと2%を材質、構造によって決めるみたいにね。

 だからなんだ、幾つか材質を使っていて複雑でも、その情報は全体容量の数%にしかみたないんだ。

 つまり、あまり関係がない。

 

 だから例えば、この世界で土塊を捏ねる場合、容量が450以下ならば大きさ以外の情報の容量は無視することが出来るとか。

 そういう一定の基準があるんじゃないか?

 

 あー、上手く説明できた気がしないな。

 もうむしろあれだな、情報の容量を決めるのは造りたい物体の"大きさ"だけって考えたほうが楽なのか?

 

 要するに、重要なのは"いかに複雑か"ではなくて"どれほど大きいか"なんだよ」

 

「よーするにアレか、この部品は"小さい"が故に創造に必要な情報が少ない。だから複合部品でありながら一発で出来る」

「そうそう。容量を決めるのは"大きさ"であって、一定の容量以下であったらそれがどれくらいの材質を使っていてどんな構造をしていようと、その複雑さは無視されるんじゃないのかな」

「……ふーむ」

 

 部屋の主はそう呟くと再び部品をしげしげと眺めて黙り込んだ。

 

 正直、自信満々に語った気もするがこの仮説には確信は持てない。

 即興で思いついたものだし、矛盾している点もいくつか見受けられる。

 なにより、証明のしようがない。

 銃の製造をしていた中で起きなかった事象が電子部品で起きた理由の1つとして考えられる。

 としかいいようがない。

 

「戯言と思って構わない。俺なんかよりそっちのほうが詳しいだろうし」

「そうだねー、信用するにはちょっと難しいかなあ」

 

 そう笑いながら、部屋の主はお茶を飲んだ。

 俺も一区切りつける意味を込めてお茶を口に含む。

 粉っぽい味がした。インスタントか。

 

「でも、君おもしろいねー」

「なにが?」

 

 湯のみから口をはずした彼は、唐突にそんな事を言った。

 俺は首を傾げながら聞き返す。

 おもしろいと言われた事は何度かあるが、前後の会話から理由が見当たらない。

 

「その思考さ」

「考え方?」

「だって、"情報"だなんて考え方、おもしろすぎるよ」

「そうかな?」

 

 再び首を傾げて考えた。

 しかし、彼の言う"おもしろい"という理由は思い当たらない。

 そもそも、説明する上で置き換えただけだし。

 

「君の言う"情報"はまるで"データ"のことを指しているようじゃないか」

「んー、そうだな。そう言ったほうがしっくりくるか」

「でもここは死後の世界だよ?そんな機械的概念とは縁がないものじゃないかな?」

 

 部屋の主が言ったことを聞いて、少し考えてみる。

 

 確かに、プログラム的な"データ"という見方の"情報"といのはこの世界においてどこか不釣合なイメージをもたせる。

 

 でも、イデアのような観念という意味での"情報"ならば、すんなり受け入れられそうな気はする。

 例えば、幽霊だってある意味情報体だ。

 しかし、それを思念の塊という見方ではなく記憶や人格の情報集合体と捉えると、なんだかひどく馬鹿らしい。

 いや、むしろ恐ろしいかもしれない。

 

 霊が"情報"の集合体ならば。

 一度死んでこの世界に顕在した俺もまた、"記憶"によって形成された存在ではないか。

 

 だって、この世界で俺を星川凛吾と証明するものは"記憶"しかないのだから。

 

 ……結局チープな話になった。オチもないし。

 

「未だに死後の世界を受け入れられていないからかも」

「どうして?」

「銃を身につけることには違和感があるっつーのに、実際に人を撃った時の感触があんまり残ってないんだよ。むしろそれはここに慣れたからって言うかもしれないけど、俺はどっちかっていうと……なんか、ゲームみたいだなあって。実感が薄れたっていうか無いんだよ。だから、ゲームから"データ"という考えも現れたのかもしれん」

「ゲームかあ。何となく其れはわかるなー」

「そう?」

 

 意外にも部屋の主は同意をした。

 彼はお茶をすすりながら言葉を続けた。

 

「だっていくら死後の世界って言っても現実離れしたことが多すぎじゃん?肉体の損傷は回復しちゃうし、事切れても生き返るし、土塊からものが出来上がったり、一見ただの女の子がチートみたいな強さで天使だったり」

「あれはチートだな……」

 

 天使にボッコボコにされたことを思い出して身震いする。

 届きそうで届かないあの距離感は、まさに卑怯なほど強かった。

 

「でもさ、強さが中途半端じゃない?」

「中途半端?」

 

「例えばだけどさ、現実離れした事情が死後の世界特有の理屈や観念、宗教や思想なんてもので言い表せるとするじゃん。肉体が回復したり生き返ったりするのは、地獄で罪人が永遠に罰を受けるために回復したり死ねないって説だったり。ここもある意味"地獄や天国"(死後)と言えるからね。土塊から何かを創造するのは、たしか旧約聖書のアダムも土塊から生まれたからそれと関係あるんじゃないかな。でも、天使はちょっと中途半端だと思う。本当に天使なら、人が造った武器なんか通用しないと思う。そんなものを振りかざしている暇もなく僕らを絶命させることができると思うんだよね。でも、致命傷は与えられなくともちょっとは通用したりするじゃん、だから造り続けているんだし。でもそれって、チートキャラってよりもゲーム途中にあるボーナスの強キャラみたいだよねー」

 

 その考えはなかった。

 

 チートではなく強キャラ。

 俺以上にゲームじみた考えではあるが、わからなくもない。

 実際に相対してボッコボコのボロ雑巾にされたわけだが、それでも彼女にはどこかスキがあるんじゃないかと思う。

 手がかりになるかはわからないけれど、疑問に思うこともある。

 其れが結局何なのか解ってはいないが、彼女を攻略する上で役に立つかもしれない。

 そんな考えをこちらに持たせてしまうようでは、絶対的な強さとはたしかに言えない。

 

 「ま、そういうことだけじゃなくてさ、君が言ったように人を殺した感触がないって話はたまに聞くなあ」

 「そうなの?」

 「撃ったにしろ刺したにしろ潰したにしろ、殺った時は確かに手応えってやつを感じるのに、落ち着くとその感触が上手く思い出せない。というか元から無かったんじゃないかって思うほどだって話をね。ゲームみたいにお手軽なもんだよね、やってることは人殺しなのにさ」

 

 俺だけでなく他にもそう感じている人が居るのか。

 すこし、安心した。

 

 この世界はあまりにも簡単過ぎる、いや躊躇がないと言うべきだろうか。

 なぜこんなにも良心の呵責や良識という観念が薄いのか。

 やっていることは人殺し。

 生きていた頃ならば、精神の箍がはずれない限り絶対に犯すことは出来なかった領域のこと。

 してはならなかった行為なのに。

 

 まったく、不思議だ。

 



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Chapter.2_6

「ところで、一体何を叫んでいたんだ?」

 

 俺は残っていた茶を啜りながら部屋の主に尋ねる。

 

「何って?」

「ほら、スパナを投げた時」

「ああ、あれね」

 

 部屋の主は思い出したように別の机に置かれていた物体を取り上げた。

 

「ででででーん、えふぇくたぁ〜」

 

 青いタヌキの物真似をしながら、部屋の主は手に持っていたものを俺の眼前に置く。

 

「efector?」

「そうそう、ギターとかに使うやつね。こいつはディレイかな」

 

 そいうエフェクターは、俺もよく識っている。

 しかし、眼前に置かれた物体は俺の識る限りで見たことのないタイプだった。

 正立方体を型取り、ボディはなんのペイントもされず鈍い鉄の光を放つ。

 もはやただの銀色の箱だ。

 

「とてもそうには見えないんだけど」

「あ、君エフェクターとかわかる方の人?」

 

 方の人ってなんだ。

 

「生きてた頃に部屋に幾つか転がってたよ」

 

 あんまり使う機会なかったけどけど。

 殆ど部屋ん中で遊んだくらいの思い出しか無い。

 金の無駄だったよな。

 

 銀の箱を手に取りじっくり眺める。

 よく見ると、側面にスイッチらしきもの、シールドのソケットなどがあった。

 

「ふっふーん、そいつはねえ、自作なんだよ」

「へー、どういうこと?」

「わかってないのかい」

 

 がっくりと大げさに部屋の主は項垂れる。

 いやいや、ギルドで作られるのってある意味総て自作じゃないですか。

 

「生前に得た完全な知識からなる既成品ではなくて、一度見た設計図を思い出して余ったパーツを使って造ってみたんだよ!まあこれも生前の知識と言えなくはないけど、”識ってる”かって言われたら識らないものだからね」

「んー、つまり『創刊!えふぇくたーをつくってみよう!』っていうディ◯ゴス◯ィーニ的な自作ってことですか?」

「その解釈はあまり嬉しくないのだけれど……どっちかというとラジコンの設計図だけあってパーツは無いから自分でなんとか代用してみました?かな」

 

 なるほど、だからこんなに野暮ったい形なのか。

 エフェクターというよりは悪の組織が持ってそうな安っぽい自爆装置みたい。

 

 彼が言いたいのはつまるところ「その料理は食ったことねーけど、レシピは知ってるんだぜ」ってことか。

 この世界で土塊による創造は記憶が重要だが、これは”識っている”ということになるのか微妙だな。

 だが必要なパーツ、抵抗などは別の知識によってそれぞれは”識っている”という事になる。

 ならば案外いけるのかもしれない。

 さすがに外見は知らないからこんな野暮ったいものになるのだろうけれど。

 

「ま、思い出した設計図が間違っていたのか失敗しちゃったんだけどね」

「だめじゃん」

 

 結局識らないと造れないってことかよ。

 

「既成品は何度もバラしたことあるし、多分いけるだろうと思ったんだけどなー」

「なら既成品つくれよ」

「わかってないなあ!未知なるものを造りたいじゃないか!製造者の欲求、いや使命だよ!」

 

 バンバンと興奮した様子で机を叩きながら部屋の主は喚いた。

 ちゃんと動作するものを造ることが製造者の義務だと思う。

 

「でも自作じゃなくてもエフェクター造れるって凄いじゃん」

「生きていた頃に修理屋で働いててね。もともとはスピーカーとかオーディオ系だったんだけど勘違いした奴らがエフェクターとかギターアンプ持ち込んできちゃって。なんとか直してやったらそのうちギターやシンセも持ってきて果てにはパソコンまで。お陰で電子製品ならなんでも扱うようになっちゃたんだよ」

 

 ハハハと部屋の主は何でもないかのように軽快に笑う。

 対照的に俺の顔はひきつってしまった、

 電子製品だなんて一括りにしているがそれは「クルマのエンジンも風呂のボイラーも油を燃料にしてんだから同じだろ」というぐらい暴論だ。

 凄いどころじゃない、恐ろしい。

 

「じゃあチャーが言っていた電子機器に明るい人って」

「多分僕のことだろうね。他にギルドでぼく以上に詳しい人いないし、鼻が高いよ!……まあそのプロジェクトもさっき凍結命令がきたけど」

 

 ハハハと部屋の主は乾いた声であからさまに落ち込んだ。

 

「落ち込むことないだろ」

「……僕の仕事ってあれぐらいしかなかったから。インカムはもう別の人でも創造出来るようになっちゃったし、僕銃は造れないし、ぶっちゃけ命令来る前も暇だったから余ったパーツでエフェクター造ってみたけど、失敗したし」

「……ご愁傷様」

 

 がっくりと項垂れた部屋の主を放置して、俺は野暮ったいエフェクターをしげしげと眺めた。

 

 エフェクターか。

 ガルデモはどうだろうか。

 確かマルチエフェクターではなく単体を幾つか併用してた。

 多分ひさ子が色々と気を使っていじっているのだろう。

 岩沢はあまり理解して使っているようには見受けられない。むしろ原音を好みそうな印象がある。

 そういえば、作曲は岩沢だけれど編曲はどうしているんだろう?それぞれがやってるのかな?

 

 ま、ともあれエフェクターとかは特に今気にする必要は無いか。

 岩沢の現状を脱する助けになるっていうのなら別だけれど、あれはそんな簡単に解決しそうにはないし。

 むしろもっとPA周りとか増やしたり、例えば録音機材とかあったほうが彼女たちにはいい刺激になるのかもしれない。

 

「……ん?録音?」

 

 その時、脳裏にあるものが浮かんだ。

 とても、とても懐かしいものが。

 もしかして、あれを使えば……

 

 

 ……いやいやいや

 いくらなんでもこれは直接役に立たない。

 もはや俺の趣味だ。それにあれを彼が識っているとも限らない。

 望みは薄い。

 

 しかし、欲望というか性というか、とめられぬ衝動にかられて俺は近くにあったメモ用紙に思い浮かんだ物の名称と型番を書き込んだ。

 

「な、なあ、これ、造れたりしないか?」

「うん?なにそれみせて」

 

 半分虚ろな眼をしたままメモを受け取り、部屋の主はそこに書かれた項目を読み上げた。

 そしてふむふむと言いながら、少し遠くを見つめてから俺に向かって答える。

 

「できるよ」

「本当か!」

「生きてた頃はこの手のものが修理できる場所うち以外に界隈でなかったから結構直してたし」

「じゃ、じゃあこれとかこれは?」

 

 俺は興奮を抑えられぬまま先ほどのメモ用紙にまたいくつか書き足した。

 

「んー、一応できるかな。ただ、類似品とか型落ちになるかもしれないけど」

「構わない。つ、造ってくれませんか?」

「別にいいけど、なんで?」

「そ、それは」

 

 純粋な質問だったのだろけれど、既に微妙な敬語になっていた俺は言い淀んだ

 だって趣味だもの、なんて言うには気が引ける。

 戦線にとって有益になるものであるかどうかと言われたら多分無益の割合が多い。というかほぼ無駄。

 ならば、誤魔化すしかない。

 

「な、なんといいますか、自己啓発の向上といいますか、精神的な安定を得ることによって今後の作戦練度の向上及びその他もろもろのあれとかそれといいますか」

「んー?ごめんわかりやすく言って?」

「……趣味です」

 

 無理があった。

 どう考えても戦線に有益になるとか怪しいですもの。

 

「趣味か……」

 

 部屋の主は確認するように呟くと険しい表情をする

 そして厳かにその口を開く

 

「……いいね」

「は?」

 

 険しい顔のままどこぞのSNSのクリックボタンみたいなことを言い出した。

 あれか、こいつ「うちの愛犬が死にました。悲しいです」にもクリックする質か?

 

「いいね、その理由はグッドだ。そういうの好きだよ僕」

「お、おう」

 

 顔の表情と発言がマッチングしてないのでわけがわからないが、一応認めてくれた?

 そのいいねは良いねでいいねなのだろか。

 

「造ってくれるのか?」

「そうだよ。幸い、と言うべきなのか、仕事も無くなっちゃったことだしね」

「あ、ありがとう!」

 

 思わず手を握ってブンブンと振る。

 この世界に来て、初めて心の欲求を満たす希望を見た。

 部屋の主は険しい表情を崩し、半ば呆れるように笑い尋ねてきた。

 

「ところでさ、君は何の仕事をしているの?ゆりっぺと一緒に地下に来たみたいだから前線の人?」

「いや、陽動部隊でガルデモのマネージャー?みたいな事をしている」

「あー、君が例の奴隷くん」

 

 おい、パシリより更に酷い噂が広まっているぞどういうことだ。

 

「なら、いいものをあげよう」

 

 軽く凹んでいる俺をよそに、部屋の主は奥の方に積まれたダンボールを漁り始める。

 

 やがて両手に1つずつ何かを持って現れた。

 片方はよく見る―――というか俺も持っていた―――鑑賞用よりも作業用として広く好まれている国内企業の黒いヘッドフォン。

 もう片方は掌より少し小さめのボタンがゴテゴテしたもの。

 

「それは?」

 

 俺が指差して尋ねると部屋の主は副将軍の紋処よろしく見せつけてきた。

 

「ででででーん、はんでぃれこ〜だ〜」

「レコーダー?」

「そうそう、デシタル録音形式でポータブルとか言う場合もあるけど小さいのは変わらないね。色々と便利な機能も付いてるんだぜ?ただ、内蔵マイクは無いからボイスレコーダーみたいにマイク無しでは使えないしジャックももミニジャックだけなんですけどね」

「不良品じゃねえか」

 

 受け取ってみてみると、いくつかボタンのあるものの丸い穴は小さいものしかなかった。

 内蔵マイクもないとなると、変換して差し込まなきゃ音は録れないのか。不便だな。

 

「ま、おもちゃ程度にしといてよ。変換アダプターもつけとくからこれと一緒にあげる」

「お、おう。ありがとう」

 

 もう片方のヘッドフォンも受け取り何となく眺める。

 さっきまでの会話だとレコーダーが一番不便だと思いがちだがよくよく考えてみるとヘッドフォンのほうがいらないじゃないか。だってつなぐ先がないもの。

 プレイヤーもないこの世界でこんなものギターを弾くときに音が漏れないようにするぐらいしか使い道ないんじゃないのかってあ、そうかだからレコーダーもくれたのね。

 レコーダーをくれた意味を理解しながら、ヘッドフォンを首から下げてレコーダーはポケットに仕舞った。

 ヘッドフォンのコードがぷらぷらして邪魔なのでシャツの下にねじ込む。

 

「ま、期待しないで待っててよ。造れると言っても1,2ヶ月以上はかかると思う。あとごめん、一番下のあれはちょっと難しいかもしれない」

「やっぱり?」

「できないってことは無いけれど、時間掛かり過ぎるね。学校内にもとからあるもので同じようなものを探したほうが早いと思う。頼んでおくよ」

「よろしくお願いします」

「いえいえいえ。おまかせください」

 

 深々と頭を下げた。向こうも応じて深々と下げる。

 その時、ふと気になることが浮かんだので聞いてみた。

 

「そういえばソフトウェアってどうなってんの?いくら製品を忠実に造ったしても中身までは入ってないだろう普通。」

 

 依代だけ造れば勝手に起動して動作もします、だったら世の中にプログラマーとかデベロッパーとかいらない。

 いくら抵抗やらメモリやらなんやらをつなぎあわせても、動くためのコマンドを出力してくれる頭が必要だ。

 となるとここでもそういう役割をする職人がいるのかな?

 

「ああ、それね」

 

 と部屋の主は珍しくというか、今までで一番奇妙な表情をした。

 苦々しいというのか、クシャッとした顔をして口を開く。

 

「勝手にできちゃうんだよ」

「え?」

 

 なんかとんでもないことを言われた気がしたぞ

 

「画竜点睛っとは違うけどさ、忠実にハードを再現した場合、現世でその製品に入ってたソフトってのは勝手に宿ったんだ。少し違えば何にも起きないけれど、完璧な場合は人知れず完成したらそのままね。ほんと、不思議なんだよ。魔法みたい」

 

 それは、不思議というか不気味ではないだろうか。

 俺はなんともいえない気分でその言葉を飲み込んでいると、勢い良く扉が開かれた。

 

「あ、こんな所にいたのね。帰るわよ星川くん、地上で遊佐さんが入口を開けてくれているって」

 

 ●

 

 地下迷宮の冒険から無事終了した。

 体育館の床下から這い出でてすぐに入り口の扉を開けると新鮮な風が流れこんでくる。

 深呼吸することで、地下のこもった土臭い空気にどっぷり浸かっていた肺が洗浄されていくような気分になった。

 気持ちいい……

 

 ……のは良いのだが。

 

「なんでもう夕方なんだよ」

 

 見上げた空はうっすらと赤みを帯び、日は考えていた位置から随分と下にある。

 せいぜい昼過ぎだろうと踏んでいたのだが、思った以上の時間をギルドで過ごしていたようだ。

 

「あらあら、ちょっと時間かかっちゃったわね」

「ちょっとどころか予想時刻とかなりの差があるんだが」

「地下にいたせいですよ」

 

 ゆりと遊佐がそれぞれ左右に並び立った。

 俺は遊佐にどういういうことか尋ねる。

 

「地下には当たり前ですが日光が入りません。日の傾きで時刻を"感じる"ことはできないんです。その他にも、自然現象で客観的に時刻を確かめる方法があそこにはないんです。なので、ギルドの方々は常に時計を使って時刻を確認するようにしているのですが、星川さんは持っていなかったので時刻を知る手段が何一つ無かったのですよ」

「それに登ったり降りたり歩いたりして身体に負荷をかけ続けていたから、体内時計なんかも狂っちゃっているわよね」

「うへぇ」

 

 ゆりに指摘されることで疲労を再び自覚してしまった。

 腹も減って更に身体が重くなった気分だ。ぐぅぐぅ。

 

「さ、NPCが部活動できても面倒だからさっさと帰るわよ」

「Ay,mum」

 

 適当に返事をしながら我々一行はダンジョンの入り口を後にした

 

 ●

 

 日が傾きつつあるなかをゆっくりとしたペースで歩く。

 校庭に目をやると、せっかちな陸上部員が既に器具を並べ始めている。

 

 ふと、学習棟を過ぎる手前でゆりが立ち止まって振り返った。

 

「あたしたちはこのまま本部へと戻るけれど、星川くんはどうする?」

 

 どうするとはどういう意味か。

 そう聞き返そうとしたが、すぐにゆりの言いたいことに気がつき言葉を飲み込んだ。

 ニヤニヤとした顔でゆりはこちらを伺っている。

 

「……腹減ったし購買で何か買おうと思うから、先に帰っていいよ」

「素直じゃないのね。彼女たちのことが心配だって言えばいいじゃない」

「もう練習は終わっているから居ないと思うよ。ただ単に腹が減っているだけさ」

「そういう事にしておいてあげるわ。じゃあね」

 

 ゆりはそう言うと手を振りながら颯爽と歩き始め、遊佐もこちらに会釈をしてゆりを追いかけた。

 残された俺は軽く溜息をついてから校舎を見上げる。

 

 さて、今日こそは彼女の音色に浸ることができるだろうか。

 そんなことを考えていたら目の前から件の少女、岩沢が走ってきた。

 しかもかなり慌てた様子で。

 

「いた!いた!リンゴいた!」

「おいおいどうした落ち着けって」

「いいから!」

 

 碌に耳をかたむけることなく岩沢はいきなり俺の手を掴み、走り出した。

 

「ちょっおっとと」

 

 いきなり引っ張るものだから思わず翻筋斗を打ちそうなってしまったが、何とか持ちこたえた。

 

 岩沢はそんな俺の苦労も気がつかずにズンズンと進んでゆく。

 行き先が全く以てわからないので若干不安になるのだが、こう女の子に手を握られているという現状を考えてみるとなんとも恥ずかしい反面嬉しくもあるようなやはりもうしわけないようなしかし男としてのうんちゃらかんちゃら。

 

 つい鼻の下が伸びそうな気分になるも、校舎内を走っているだけでも目立つのに女子に引きずられているようにして進むという構図は周囲の好奇な視線を引きつけるのに十分だった。

 やはり恥ずかしい面が勝り、顔が赤くなりそうな気分だ。

 

「ちょい岩沢、手を離し」

「黙って!」

 

 怒られてしまった。

 しかし、黙るし付いて行くから手は離してくれないだろうか。恥ずかしいよお。

 再度その旨を告げようとしたが、口を開いた直後に岩沢が一瞬振り返って睨みを利かせた。

 有無も言わさぬその眼光に文字通り閉口する。

 俺は諦めて岩沢に引きずられて行くがままとなった。

 



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Chapter.2_7

 俺を引き摺る岩沢は学習棟へ入り、さらに隣の棟へかかる渡り廊下を進んでゆく。

 ガルデモの練習でつかう空き教室がある棟も通り抜け、普段あまり縁のない棟へと踏み込む。

 どこへ向かうのか今度は階段を上りはじめた。

 

 通り過ぎてきた棟では幾人もの生徒達とすれ違い恥ずかしさにいたたまれなくなっていたが、ここに入ると人の気配はパッタリと消えている。

 人の視線がなくなったからといって手を繋いでいるこの現状に対する羞恥がなくなるわけではないのだが、少しばかり誰も居ないことに対する疑問と不安をもつ。

 後日知ったことなのだが、この棟は実験室や美術室といった特別教室が多くあるらしい。

 放課後は部活動にいそしむ生徒しか利用するものはおらずその部活動もさして人数が多いわけではないそうだ。

 

 しかし、授業に出たことなど一度もない俺はそれを察するなんてことはもちろんできるわけもなく、『あれれぇ?人気がないぞぉ?』と半ば思考放棄気味にとぼけておくことしかできなかった。

 

 ズンズンと進んでいた登坂はある階にて終わり、廊下を歩み幾つかの教室を通り過ぎひとつの扉の前で立ち止まった。

 カラカラっと先程までの勢いとは打って変わって岩沢は慎重に扉を開く。

 どうやらなかの様子を気にしているらしく、少し開けた隙間から室内を覗きこんでいる。

 やがて満足した様子ですべて開き俺をなかへ引っ張りこむと扉を閉めた。

 

 放課後に人気のない教室に連れ込まれるというsituationに頭のなかで煩悩の化身たる俺(その2)が暴れまわるが、良識を携えた俺(その3)が冷静にマウントポジションをとり俺(2)をタコ殴りにして何とか自制を効かした。

 しかしながらこの状況はどいうことだ。やはり誘われているのか?

 こんな状況で連想できることなど、残念な思考回路を誇る俺には桃色的回答しか導き出すことが出来ない。残念だ。

 ガチャリとはっきりとした施錠の音が響きわたり、俺の推測がいよいよ確信へと変わりはじめ、桃色回路はオーバクロックし遺憾なくその力を発揮するなかその2は拳を握り再び立ち上がろうとする。

 

「おいおいまじなのか?」

 

 いきなりの展開に性能向上したはずの頭脳は役にも立たない桃色予測(妄想)をただはじきだすのみ。

 真っ当な思考がこの状況についていけるはずもなく脳内は徐々にピンクへと汚染され始める。

 ……くそっ

 こんなことなら現世でもっと経験を積んでおくべきだった!

 冷静に対応しなければ童貞だと判断されなめられるぞ!

 

 などと残念な頭のなかでその2がその3を吹き飛ばし、見るものすべてに桃色フィルターをかけ始め思考の渦は更なる混沌へと誘う。

 ほらここ壁もよく見ると防音設計じゃないか。というかとはやはりそういう行為を誘っているんじゃないか。積極的だな。

 ……ん?防音?

 ひとつの疑問から初めて教室内を見渡す。

 するとみるみる思考の熱は冷めきり代わりに胸焼けのような気分の悪いものが広がってゆく。ここは。

 

「音楽室?」

「そうだよ。見ればわかるだろう?」

 

 岩沢はそれ以外に何があるんだと言わんばかりに応える。

 扉と対極の位置にグランドピアノが設置されており、天井近くの壁にはバッハだとかシューベルトとかの肖像画が落書きされたまま飾られている。

 先ほど疑問に思った小さい穴が無数にあいた壁もここならば違和感などない。

 誰がどう見てもここは音楽実習室である。

 何てこった……

 

「どうしたリンゴ、うずくまって」

 

 こんな場所に連れてこられても岩沢の事を考えれば十中八九どころか十中十で音楽のこと以外ありえない。

 間違ってもきゃきゃきゃでうふふの不純的な交遊ではないだろう。断言できる。

 

「……自分がバカであることを再確認しただけだ。ほうっておいてくれ」

「よくわからないけど、ほら立ちなよ」

 

 岩沢は再び俺の手を掴むと強引に引き上げて立たせる。

 こいう行動から見ても、こいつには異性という意識はないのかもしれない。

 そんなことだと悪い男に遊ばれるぞと心配してみるも、死んだこの世界じゃまずあり得ないなと直ぐに打ち消した。

 現在一番身近な俺がこんなだし。

 もしそんなことしたらゆりに殺されるし、そもそもチキンですから遊ぶなんてことできませんよ。

 

 そんな要らぬ考えをしていたら、岩沢に手を握られたままいつの間にかグランドピアノまで連れてこられて俺は鍵盤の前に座らせられていた。

 どういこと?

 現状を理解できない俺をよそに岩沢は少し離れた位置に椅子を置いて座る。

 

「岩沢、状況がよく飲み込めないのだが」

「ああ、ここは普段合唱部が使用しているんだけど、今日はオフらしくて」

「そこじゃねえよ」

 

 さっきから彼女との会話がいまいち噛み合わない。

 さも当然かといった様子で岩沢はいるが、全く事態を把握することができない。

 回答を求める!俺は何故ピアノの前に座っているのか!

 そんなことをのたまうと、岩沢は呆れた顔をした。

 

「何いっているんだリンゴ、約束したじゃないか」

「やくそく?」

「クイーンを聴かせてくれるって」

 

 そういえばそんな話もあったな。

 逃げるための方便みたいなものだったから忘れていた。

 またなんとかして逃げ切れないものか……

 

「いやまて、あれはピアノが用意できたらって」

「だから音楽室に来たんじゃないか。さあ弾いて魅せてくれ」

 

 退路をひとつ塞がれてしまった。

 遂に岩沢の前で演奏をしなければならないというのかよ。

 何とかして誤魔化し切り抜けられないものか。

 しかし、ちらりと岩沢を様子を伺うとその表情は溢れんばかりの興奮が浮かんでいるのをみてしまった。

 

「ちっ」

 

 こんなに期待でいっぱいな少女を裏切ることは流石にできない。

 俺は諦めて椅子に座り直した。

 本当に気が引ける。演奏に自信はないし。

 でもやるしかないよな。

 

「適当にアレンジして弾くからオリジナルではなくなるけど」

「かまわない」

 

 そう言って岩沢は椅子に深く座り込み、瞳を輝かせながらこちらを注視する。

 その期待に応えることは難しいだろうなと心のうちで苦笑いしながら、俺は鍵盤をゆっくりと開いた。

 

 懐かしい。

 

 白と黒の鍵による調和のとれた世界が広がる。

 鍵盤を眺めながら両手を合わせて指を軽く回す。

 それなりに可動範囲がひろがったところでそっと鍵に指をのせた。

 

 ひんやりとした感触が指に一瞬伝わり、意識が徐々に研ぎ澄まされてゆく。

 軽く息を吐き、何を演ろうか考える。

 久しぶりだからあまり挑戦はできない。

 岩沢も知っているとなると、やはりアレだろうか。

 演奏する曲目は決まった。

 

 俺はゆっくりと息を吐き出すこで冴えてゆく意識のなか妖精の歌声を駆け巡らせる。

 

 鋭く息を吐き出し。

 

 強く鍵を弾いた。

 

 

 " I was born to love you "

 

 

 Queenがどんなバンドか知らない人でもこの曲は耳にしたことがあるだろう。

 ロック調の軽やかなテンポで、フレディが鏡に囲まれた空間で熱く歌う映像もみたことがあるかもしれない。

 

 この曲、元々はQueenではなくフレディ・マーキュリーがソロで出した曲だった。

 その頃のQueenは良い感じに仲が悪く、解散はしていなかっもののそれぞれが好きにやっていた。

 しかし、フレディの死後彼が残した未収録の曲たちとともに残ったQueenメンバーがアレンジをして天国のフレディに捧げた。

 コマーシャルなどいたるところで耳にするのはそのQueenバージョンだ。

 その゛ボーントゥラブユー゛をもってQueenは再び最高の評価を得る。

 皮肉にもフレディが亡くなったことで生まれた曲が、世界で一番有名なQueenソングとなったのだ。

 

 Queenバージョンはご存知のとおりバンドアレンジのロック調なわけなのだけれど、元々のフレディがだしたのはシンセによる打ち込みのテクノ風である。

 今はそちらを意識しながら、十指を動かす。

 

 左はリズム隊のビートを意識しながら、強く、鋭く、刻むように。

 右はフレディの歌声を、高く、楽しく、弾むように。

 愛のための讃美歌を奏でる。

 

 『僕は君を愛するために、生まれてきたんだ』

 

 

 ――――――

 

 

 最後まできっちり響かせて、両手をとめた。

 ほっと息を吐いて緊張を解く。

 

 久々で不安ではあったが、即興にしては上手くいったほうだ。

 指の可動範囲も生きていた頃と変わりはない。むしろ無理が利くようになった。

 案外この体も死なないこと以外で役に立つのかもしれない。

 

 パチパチと岩沢が拍手をする。

 それに俺は仰々しくConductorのようにお辞儀をしてみせた。

 

「すごいねリンゴ、ピアノ()()()じゃん」

「そいつはどうも」

 

 俺にとってはとりようによって嫌味にもなる言葉だが、今の言葉にそんな意図はないだろう。

 もしそうだとしても、()()については言われ馴れているので素直に受け取った。

 

「ただ、なあ、うん」

 

 だから、岩沢が珍しく口ごもっても意外には思わなかった。

「なんていうか、うん」

 

 思ったことがあるけれど、それを言っていいかどうか迷う。

 普通に考えればそれは無礼な言葉となる。

 しかし、一人の音楽家たる彼女にとっては偽ることができない。

 多分そんなことを思っているのだろう。

 

 ()()もまた理解できる。

 

 だから、岩沢の代わりに言った。

 

()()()()()、だろ?」

 

 予想通り図星だったらしく、岩沢は気まずそうな表情をした。

 それと同時に科白を当てた俺に意外そうな眼を向けるどうしてわかったのか気になるのだろう。

 

「俺さ、一番初めはピアノだったんだ」

「はじめ?」

 

 突然の語りに岩沢は戸惑うが俺はかまわず続けた。

 

「小学校に入る前から始めたからキャリアでは一番長いね。その次はトランペット。金管バンド部でコルネットを教えられた延長かな。中学に進んでギター始めて、高校からは積極的に色々なものを教わった。ベースにコントラバス、ヴァイオリンやサックスも。マリンバとかティンパニなんかもあったかな。ドラムだけはなかったけど」

「……す、すごいたくさんやってきたんだな」

 

 俺の楽器歴を聞いて岩沢はぽかんと驚く。

 でも、生きているうちの楽器経験がアコギだけのうえそれも短い彼女だからこんな反応だが、長い間音楽をやり続けてきた人たちに言わせれば「節操がない」とのこと。

 基本的に複数の楽器をこなす場合は、元々やっていた楽器から繋がりや縁のあるものを選ぶ。または幼少期の習い事で教わったピアノや中二病によるギターくらいである。

 そしてこなしたとしても、大概2~3つだ。

 しかし、無差別のうえ今までこなした数は両手でも足りない。

 短い人生だったことを考えるまでもなく、たしかに節操がない。

 

「それがさっきの言葉にどう繋がるんだ?」

「あー、それな、なんつうかな」

 

 いきなり歯切れが悪くなり、岩沢が怪訝な眼をする。

 言いにくい事だが、ここまで話したんだから最後まで言わなければならない。

 どうか、岩沢が不機嫌になりませんように。

 

「俺は上手いんだよ」

「うん」

「技術は凄まじいんだよ」

「それは……」

 

 岩沢は最後まで言おうとはせず、黙った。

 それがどんな意味を持つのか理解できてしまったのかもしれない。

 俺はかまわず続けた。

 

「器用貧乏なんかと違って、どんな楽器も頭打ちすることなく様々なテクニックを修得して向上させた。さっき言った楽器の全部、人前で演奏して金とっても誰も文句は言えないまでの技術はあるよ。ギターもそれだけで言えば、岩沢やひさ子にも引けを取らない、むしろそれ以上だと手前味噌だが言い切れるね」

 

 さすがに最後の科白には不満があるのか岩沢は少しむくれてみせたが言い返すまではしなかった。

 なまじピアノを聴いたのが効いているのかもしれない。

 

「でもさ、技術で上手いのと演奏が上手いのは違うんだよな」

 

 言いたかったのはこれだろう、と聞くと彼女は遠慮がちに頷いた。

 俺は技術力は高い。それだけならどの楽器をやっても大抵の箱なら即日ステージに立てる。

 だが、上手いだけ、テクがあるだけで、いい演奏はできない。

 この腕を誉められることはあれど、音で人を熱くさせることや奮えさせることはない。

 

 ただ、上手いだけ。

 

「ベースを教えてくれた人には『機械みてえな腕』だって言われた。まさにその通りだ。人を惹き付けることのない、熱のない音しかだせないんだよ」

 

 だから、俺は岩沢たちには劣る。

 いくらテクニックがあっても、彼女たちのようにはいかない。

 NPCや戦線すらをも魅了するガルデモのほうが、音楽家としてずっとずっと上だ。

 彼女たちの演奏は本物で、俺は下手くそなんだ。

 

「……リンゴの演奏はすごかった。でもそれだけだった」

 

 岩沢は少しうつむきながら、言い難そうにもらした。

 褒めているわけではないけれど、音楽に関しては自分を誤魔化せない彼女らしい。

 

「はっきり言うね」

「ごめん」

「冗談だ気にすんな。言われ馴れていることだし、何より自覚しているから。それよりも、初聴で見抜いたお前はやっぱりすごいよ」

 

 初めて聴いた人は大概テクニックばかりに目がいってしまう。それに惑わされること無く本質に気がついた岩沢の感性はやはり目を見張るものがある。

 こういう人を天才と呼ぶのだろうな。

 

 岩沢はその賛辞を素直に受け取ってよいものかどうか迷う、そんな苦々し表情をした。

 そんな空気を変えようと思い、左手で適当に4つ打ちをしてみる。

 

「何か他にリクエストはある?上手いだけだがやれることは多いぞ。曲目がなくてもジャンルとか雰囲気とかでもいいし」

「え、ああ、そうだな……」

 

 そのまま岩沢は顎に手を当てて考え始めたので、俺は刻んでいた4打ちをゆるめ、ジムノペディの1番を弾く。

 岩沢は意外と長く悩み続けた。

 このままでは指が疲れるとか飽きるとかして"ネコ踏んじゃったよ Dubstep ver."などと意味不明な曲を勝手に弾き始めてしまいそうだ。

 そんなくだらないことを思案していると、岩沢はなにか思いついたように顔を上げ、予想もしないことを言った。

 

「そうだ、リンゴ、歌ってみてくれないか?」

「はあ?」



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Chapter.2_8

 あまりにも予想外なことを言われたので、驚き素頓狂な声を出してしまった。

 対して岩沢はいつもと変わらぬ真顔で言葉を続ける

 

「さっきの曲を聴いて思ったんだが、ボーカルはリンゴが歌ってくれないか?その方がわかりやすいし、リンゴもやりやすいだろ?」

「別に苦労は変わらないんだが……むしろ主旋律を省いて考えるから面倒な気もする……」

 

 しかし、彼女の主張には一理がある。

 アレンジはともかく、歌はピアノで奏でられるよりも声に出したほうが聴く側はわかりやすい

 初めてや疎覚えの曲ならばなおさらそのほうが良いだろう。

 

「しかしなあ、歌か」

「どうしたの、もしかして音痴だとか?」

「いやそうではないが」

 

 どうも歌うことには気が引けると言うよりは、不安な気持ちがある。

 楽器と違い歌唱力を鍛えることはしてこなかった。

 人前で披露するなどせいぜいハモりを入れる程度。それもほとんどなかった。

 カラオケも付き合いでしか行かなかったから、聴いてばかりだったし。

 つまり主観的にも客観的にも歌唱に関しての評価がない。

 自分の実力がわからない、だから不安だ。

 何よりも、今回の聴き手が本職のボーカルさまだからな。

 不安どころか怖い。

 

「音痴じゃないならいいじゃん」

「そういう問題じゃないんだけどな……やらなきゃ駄目?」

「だめ」

 

 岩沢のなかでは歌うことはすでに決定事項のようだ。

 しかし当の本人はやっぱりやる気が起きない。

 そんな俺の心情を察したのかどうか、岩沢は立ち上がり俺の手をとり優しく包んだ。

 びっくりして椅子から落ちそうになるのをこらえる。

 

「だめっていうかさ、聴いてみたいんだよ。リンゴの歌声」

「…………はぁ」

 

 そんな慈愛に満ちているかのようにみえて、情けなくおねだりをする子供のような表情でそういう岩沢を見てしまってはもう嫌だとは言えなかった。

 まったく、俺も単純だが女の子はこういう武器をもってるからずるいよな。男がやったらぶん殴ってる

 岩沢が自覚して使ってるかわからんけど。

 

「下手でも笑うなよ?」

「大丈夫。優しく微笑んであげるから」

「それはきついな……」

 

 岩沢から手を離し、再び鍵盤に指をのせる。

 ゆっくりと呼吸を整えながら、歌うことを含めて次の曲を考え始める。

 Queenの曲の中から今でも歌詞を諳じることができそうなものをピックアップ。

 その中から一番確実に覚えていそうな曲をやろうと考えたが、アレンジに少々難がある。

 コーラスも多く、一人で歌うにも寂しい。

 歌う、となると案外選ぶのが難しい。ピアノだけでなくボーカルも多少いじる必要がありそうだ。

 

 色々と悩みを繰り返した結果、一つの曲に定めた。

 たぶん岩沢は知らないだろう。だが明るめの曲なので楽しめないこともない。

 何よりもピアノがやり易いから歌うことに集中しやすい。

 

 俺は右の人差し指でAの音だけを鳴らす。

 

「――――――――――――」

 

 特に何かの意味を持たず、言葉ですらなく゛音゛としか言い様のない声を、ピアノからなるAの音に重なるように合わせてゆく。

 本当はちゃんと発声もしてみたいところだが、クリスマスの朝みたいな眼をしたやつが一人いるので時間をかけず軽く調律のみをする。

 

「――――――っ、……よし」

 

 自分の声をとらえ、準備が完了する。

 

 再び先ほどと同じようにゆっくりと息を吐き。

 

 鋭く吸い込むと同時に、鍵盤の上で指をはしらせた。

 

 

 " You and I "

 

 ポップ・ロックのシャッフルされた軽快なメロディが指の一つ一つから流れ出す。

 そのリズムに乗り込むように、フレディの声に導かれるように歌い始めた。

 

 この曲の良いところはいくつかあるけれど、やはり一番分かりやすいのはこの軽やかさだろう。

 短くシャープにまとまった旋律をもつこの曲は収録アルバムの折り返し地点におかれているのだが、それまでクロッシェやスタザン、32分音符のサウンドに浸り続けていた聴き手にとって嬉しい休息地、気分転換となっている。

 特にそれまで終始好き勝手やってきたメンバーを支え続けていたジョン・ディーコがここで遺憾なく自分の実力を我々に知らしめてくるのがたまらない。

 中盤にあるブライアン・メイのソロも歌うかのようなハウリングまじりのギターサウンドでたのしませてくる。

 

 だが、やはり印象深いのはこのピアノだろう。

 ポップが強く一見いささか軽すぎるかのようにも見受けられるが、その躍動の下でドラムがビートをしっかりと意識させロックではないとは言わせぬ存在感がある。

 それによりこの軽快なピアノがさらに際立つのだ。

 

 とまあ、ここまでそれらしい言葉を並べてはみたが、要するに楽しいのだ。

 アルバムの開幕から゛Queenらしすぎる゛曲を聴き続け、嬉しくも少し息苦しさを感じたタイミングで耳に入ってくる小躍りするようなピアノの音色は倦怠しかけた心に一瞬で新しい空気が吹き込まれ、どうしようもなく楽しくなってしまうのだ、この曲は。

 

 歌詞は、まあ、男女が二人趣深いお洒落な会話をしているらしいと思えばだいたい間違ってない。

 とても素敵な詩であるけれど、日本人として極論を言ってしまえば、聴くならば意味を気にするよりも音を楽しめ。

 英語なんだから聴いただけで綺麗に訳して受け取れることなんて難しいからとりあえず気にしなくてよい。

 ただ、出来るならば歌詞を自分なりに訳してみるのも良い。

 案外くだらない内容だったり、とても言葉として綺麗であったりするからだ。

 とりあえず、聴いてるときは無理に気にしなくてもよいというだけの話だ。これは洋楽全般に言えるけど。

 

 まあ俺は歌詞の意味をばっちり知っているのだが、男女のお洒落な雰囲気とか機微とか味わったことがないので今はただ懸命に歌詞を思い出しながら必死に歌い上げるだけだ。

 

 実に楽しげに、それが伝わるように。

 

 「――――――♪」

 

 原曲の最後はフェードアウトで終えるので適当に締めくくりをアレンジして幕を閉じる。

 最後の指を鍵から離すとドシッと疲れが身体に落ちた。

 

「はぁあああ」

 

 長めに息を吐き出しながら緊張を解く。

 流石にここまで声を出し続けたことがないので、ちょっと喉がいたい。

 だが、その痛み以上に気になるのが歌唱への評価だ。

 俺は恐る恐る唯一の客観的視点を持つ少女の様子をうかがった。

 

 ゛ボーントゥラブミー゛と違って拍手はない。

 

 さらに岩沢の表情は恐ろしく冷たいものだった。

 

 彼女の表情は感情に対して反応が鈍いことはすでに十分知っていた。

 しかし、ここ最近は少ない変化から彼女の気分というものがどいうものなのか、ある程度はわかるようになってきていた。

 はずだった。

 

 今、目の前にいる彼女の感情が全く読めない。

 動きのない、とてつもなくクールな面持ち。

 ただ、その眼に宿る光のみが、何か強い意思燃やしているかのようにうっすらと熱を帯び輝いている。

 まるで、初めて会った、あの屋上で見かけたときや、ライヴのステージでたっているときのような。

 

 ……そうか、これは信念だ。

 音楽家としての絶対的な意思だ。

 

 じゃあなんだ、あれか、俺の歌は感情が凍りつき憤怒の炎を燃やすほど酷いものなのか。

 楽器より自信なかったが、許せないレベルなのかよ。

 てか岩沢の眼こえええええ。

 

「……リンゴ」

「にゃ、にゃんだい?」

 

 岩沢の口からこぼれた小さな声に返事をしようとしたが情けなく噛んでしまった。

 いくらなんでもビビりすぎだろ俺。

 冷静に自分へツッコミをいれてみるが、岩沢の眼光が恐ろしく喉が干上がる。

 このまま俺殺されちゃうのかな?土下座とかしたほうがいいのかな?

 

「リンゴ」

「ひっ」

 

 フラフラと近寄ってきた岩沢にガシッと両肩を捕まれる。

 やばい、逃げることが不可能になってしまった。

 それどころか動きを封じられて土下座もできない。

 やっぱりあれですか?鉄拳制裁とか物理的反省が必要なんですか?

 俺をホールドした岩沢はそのヤる気に満ちた瞳でじっと見つめてくる。

 俺が顔を引きつらせ今にも泣きそうになっているなか、岩沢はゆっくりと呟いた。

 

「もっとだ」

「ひぃ!ごめんな…………ん?」

「もっとだ、もっと!もっと聴かせてくれ!」

 

 ぐわんぐわんと肩を揺らしながら岩沢は大声で訴え続ける。

 さらに熱く何かを訴えてくるが、ぐわんぐわん揺れるもんだから途中から何を言っているのかよくわからない。

 というか気持ち悪い、やめて、きつい、おぇぅ。

 

「……き……くれよ……ンゴ!……の声……音色を!」

「ちょちょちょっとまって」

 

 さらに激しくなり始めた強制ヘッドバンギングで本格的に酔い始めてしまいそうになり、揺れ動くなかなんとか彼女の手をつかみやめさせる。

 うわぁ、星が見えそうだ……おぅぇ。

 

「一た、おぇっ……一体、どういうことだ?」

「どういうこともあるか。こっちが聞きたいくらいだよ」

 

 岩沢が興奮しながら俺の疑問を跳ね返した。

 揺れの名残を抑えながら、何とか言葉を続けた。

 

「歌下手くそだったんじゃないの?」

「何を言っているんだ?バカか?」

「バカってお前、いやちよっとまて…………よかったの?」

 

 恐る恐る岩沢の顔色をうかがいながら問い直すと、彼女はにんまりとして頷いた。

 

 「ピアノはクソつまらなかったけど、歌はとても良かった。すっごい楽しいって気分になれたよ。でも歌声凄いな、高音が綺麗にぬけて、まるで少年みたいな声で見事だったよ。ピアノはクソ面白くないけど、綺麗な声を持っているんだね。」

 

 ガンっと鍵盤に頭を打ち付けて乱雑な音が鳴る。

 こいつクソって二回も言いやがって。事実だし自覚もしているが、こうも面と向かってばっさり言われると流石に傷つく。一応一番長い付き合いのある楽器だし。

 

 だけれど、歌声を褒められたことはなんだか照れくさいが、素直にうれしい。

 いや、自分の演奏で初めて技術以外、感情の部分で共感してもらえたのだ。

 楽しいって。

 初めてのことなので岩沢を直視することができず、にやける顔を隠すためにそのまま伏せ続けた。

 

「それにしてもリンゴは英語上手いな。もしかしてバイリンガル?」

「いや、喋れはしないよ。高校を入学してすぐばっくれたからgrammarは中学までだし。それもかなり怪しくなっているから、

会話しようものなら単語を羅列して誤魔化すしかないかな」

 

 単語ならわりかし頭の中に入っているが使い方が微妙。

 まいねーむいずほしかわー、くらいなら出来るだろうけれど、多分三人称の使い分けや助詞とかは厳しい。

 アメリカ辺りだとそういうやつもざららしいが。

 

「でも発音はすごくきれいだった気がするけど」

「それはちょっと理由があるんだ」

 

 まさかあいつがこんなところで役に立つとはな。

 俺は顔をあげるながら、脳裏に懐かしいにやけ面を思い出し苦笑した。

 

「生きてた頃にバイト先の客で不良外国人がいて、そいつがことあるごとに下ネタ単語教えてきてさ。しかもこっちが発音間違えたりすると気持ち悪いって毎回正してくるお節介だったんだ」

「へぇ、アメリカの人?」

「いやBritishだ」

 

 世界の公用語である英語はアメリカで使用される文法や表現方法が基準である。日本の教育もそれに準じている。

 だからか、日本人にはイギリスで使われる英語は公用語の英語とは比べて少し難しいとのこと。

 英会話教師に言わせると斜め45度から入ってくる印象らしい。

 しかしながら、言葉の発音はイギリスが断然美しい。というよりも聞き取りやすい。

 本来英国で生まれた言語であることを考えれば、アメリカは方言であり訛りと言えるため聞き取りやすいのは当たり前だ。

 それに我が国の教育というか英語資料は、使用方法はアメリカとしていながら発音はCambridgeだかOxfordだかが発行しているものを基準にしているらしい。

 つまり文法はアメリカながらも、"音"はイギリス基準なのだ。

 俺は英語の発音のみ生粋のnativeに教え込まれたというわけだ。

 

「だからやたら綺麗に聴こえたんだ」

「ある意味で本場仕込みだからな」

 

 ちなみにその不良外国人は英会話を教える気などさらさらなく、「罵倒する言葉を使えばケンカはだいたい成り立つ」という意味不明な論理からやたらと俺に汚い言葉を教えてきた。

 結果的にまともな会話はできないけれどまともじゃない会話はできる、対喧嘩用bilingualと化した。

 あいつは純真な青年を地に堕とすのが趣味か、または単に喧嘩相手がほしかったとしか考えられないクソ野郎である。

 

 ちなみにやつの職業は英国大企業の日本支社、そこの本国からきた顧問弁護士とか言っていた。

 その司法の担い手が成人していない少年に一番最初に教えた単語は゛rubbish(クソ)゛だ。

 色々とおかしい。

 

「ま、道案内もままならない会話しかできないからなんの意味もないけどな」

「そんなことない」

 

 岩沢はきっぱりとした科白を言ったあと、優しそうに微笑んだ。

 

「その人のおかけでリンゴはこうして綺麗な詩を歌えるじゃないか。あたしはそれを聴くことができて、うれしいよ。それだけでも十分意味はあるさ」

 

 …………まったく、何てことを言えるんだこの少女は。

 思わず彼女から顔をそむけてしまう。

 無自覚にこんなことをのたまえるその度胸に恐ろしさを感じつつも、やはり彼女はスターたる資質をもっているんだなと思わずにはいられなかった。

 恥ずかしい科白をよくそんな真顔で言える。本気だから尚恐ろしい。

 カッコいいじゃねえか。

 照れくささに赤らむ顔を誤魔化すように俺は岩沢へ問いかけた。

 

「他にも聴きたい曲はあるか?」

「うーん、そうだなあ。リンゴがこんなに綺麗な声を出すなんて屋上で口ずさんでいる姿からは想像できなかったから、何を歌ってもらうべきか悩むな」

「歌うことは続行かよ。歌える何が曲あったかな」

「よし、リンゴが2、3曲好きに選んでくれないか。クイーンにこだわらなくても良いから歌を聴かせてくれ。あ、そうだ邦楽も何か1曲歌ってみてくれよ」

「へいへい了解した」

 

 椅子に座り直し、鍵盤と向き合う。

 軽く指をほぐしながら岩沢のオーダーを思案する。

 別のアーティストは何をやろう。

 ColdPlayとかアレンジがダルい。Pendulumは論外。調子に乗って暴走する危険性がある。

 ならやはりBeatlsか。

 岩沢も確実に知っていそうとなると1から選んだ方がいいな。

 あと他のアーティストの曲でやれそうなのあるかな……

 それに邦楽って言われても何をやれば良いかいかんせん思い付かん。サザンとかジャニーズとか?曲わからねえよ。

 

 ぐるぐると曲目を浮かべては消してまた浮かべて。

 頭のなかを駆け回るのは悩ましくも久々に脳を使っている気がして心地よくもある。

 ま、適当に思い付いたらのりでやれば良いか。

 

「じゃ、いきますよ」

 

 そうして俺は再び指を強く弾いた。

 

 

 余談だが、"Help!"を演じたあとにイギリスばかりもつまらないかとおもいOwlCityの"Fireflies"をやったり、最後に悩んだ末、ふざけて宇多田ヒカルの"ぼくはくま"を歌ってみたところ。

 

「リンゴはあれだね、洋楽がすごいね。英語キレイだね」

 

 との評価を真顔でいただいた。

 

 歌声も母国の言葉ではツマラナイものみたいだ。

 死んで初めてめて知ることができた事実である。



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Chapter.2_9

「あーあーあー、もーおーお空はーまっくろだなー」

 

 まるでミュージカルかのように窓から見る外の景色を歌い上げる。

 適当な音で歌ったので、相当変な歌となっただろう。

 別にふざけているのではなく、さんざん酷使した声の調子を確かめているのだ。

 

 あれから岩沢にせがまれるがままにした結果、10曲近く歌わされた。しかも日本語はNGと言われ洋楽ばかり。

 さすがに歌い慣れていないせいか、喉の痛みが深刻になってきたところで終了を告げると。

 

「じゃあピアノでなにか面白いことをしてくれよ。リンゴは普通に演るとつまらないし」

 

 などど人の急所に一切遠慮をせずのたまいやがったので、さすがにむっとした。

 ネコ踏んじゃったBrostep風でもお見舞いしてやろうと思ったが、そもそも電子じゃないから無理だし下手にやると自分の指がイカれて面白くなるだけなので諦めた。

 本当は岩沢にはQueenばかりではなくぜひエレクトロニックも聴かせてやりたい。

 あの独特な高揚と頭のなかで様々な音が渦巻く混沌を聴いてみて欲しい。

 でも、音源や設備の整っていないこの世界じゃ簡単にできそうにはない。

 

 残念ながら俺が聴かせたいことは無くなってしまった。

 なので、無駄にもっている技術を活かしてガルデモの曲をピアノアレンジして弾いてみせることにした

 これがいけなかった。

 

 演奏自体は自覚しているように面白みもない本家とは程遠いものだったのだが、どうやら岩沢はピアノで表現出来る事自体に興味を持ってしまったらしい。

 詳しく言うのであれば、主旋律たる歌声を明確に鳴らす事ができるというところ。

 普段声のみで表現してきた音が他の楽器で奏でられることが思いの外面白かったらしい。ギターではさすがにそう上手くはいかないことだ。

 ピアノで一音一音をわかりやすくはっきりと表現する度にその音を興味深そうに聴いていた。

 最初にボーントゥラブミー同じ事をやってみせたはずなのだが、よく馴染んでいる曲だからこそ感じたのだろうか。

 ピアノ歴が一応そこそこはある人間から言わせてもらえば当たり前のことなのだが、この少女は音楽歴が少々特殊というか偏っているので新鮮なようだ。

 

 あと、聞いた声をすぐにピアノで弾いて見せたら「絶対音感!絶対音感!」とかはしゃがれた。

 こんなものは絶対音感なんてものではなく、ある程度正確な音と向き合い続けれ自然と身に付くものである。

 それに練習を見る限り岩沢も持っているはずだ。しかも俺よりも良質なものが。

 

 こうして驚かれたりおちょくられたりして遊んでいたらいつの間にか日は暮れてしまっていた。

 ついでに俺の指はつった。いてえ。

 

「リンゴ、見回りが来る前に退散しないと」

「はいよ」

 

 岩沢に連れだってこそこそと夜の校舎を抜け出す。

 外に出ると、空は幾多の星が瞬くこと無く月だけがポッカリといた。下弦の月だ。

 

 時と場所という条件だけ考えれば今はどう考えてもドキドキイベントな気がするのだが、場合という条件によってそんなフラグは容赦なくへし折られている。

 ゆりが賭けの話をした時はああ言ってみせたものの、さすがにもう少しラッキーあってもいいんじゃない神様?俺も一応男の子だし。

 

「何ぼーっとしてんの?行くよ」

「お、おう」

 

 見上げた月はまるで『でもお前、何だかんだ言ってビビり逃げるだろ?へたれめ』とでも皮肉に笑っているように思えた。

 

 

 誰もいない道を俺と岩沢はゆっくりと歩いていた。

 道を照らす外灯が二人の影を強めては薄めてを繰り返す。

 

「なあリンゴ」

「なんだ?」

 

 揺れる影を眺めながら、夕餉は何にしようかと考えながら岩沢に返事をした。

 気がむいてなかったとはいえ、岩沢の言ったことはあまりにも寝耳に水だった。

 

「一緒にやってみないか?ライブ」

「あぁ?」

 

 俺は岩沢の提案にガラの悪い声で疑問の返事をした。

 こいつは何を言うんだ一体。

 

「お前俺の演奏聴いただろ。技術だけあって使い物にはならねえよ」

「そうかもしれない、でも聞くに耐えないものではなかったし技術自体は賞賛に値するよ。それにおもしろいと思うんだ、新しいサウンドが入ることは刺激にもなる」

 

 岩沢は真剣な顔で言葉を返す。

 いつもと変わらない、音楽のことしか見ていない目で。

 

 ……ったく、そこしか見ていない、というよりそこしか見えていないんじゃないのか?

 音楽以外のことは俺がすべき領分なのかもしれないが、一応色々教えておかねばなるまい。

 

「あのなあ、まずゆりっぺさんが許すわけないだろ。GirlsDeadMonsterなんだぞ、Girls以外がいてどうする」

「あたしがちゃんと頼めば許してくれそうだけど、それに歌だけとか」

「応援してくれているNPCや戦線のファンの気持ちを考えろ。ガールズバンドに男が加入とか絶対受け入れられないことだ。非難轟々だよ。アンチが増えて人気も低下だよ。考えうる限りデメリットしかねえよ。てか歌も英語しか無理じゃん。そんなマイナス要因しかないものをゆりっぺさんが許すわけないだろ。てか提案した時点でぶっ飛ばされる、俺が」

「……でも、リンゴとやってみたいと思う」

 

 諦めずにおしてくる岩沢を見て、思わず溜息を吐いてしまう。

 俺を必要としてくれていることは大変嬉しいが、こればっかりは受け入れることはできない。

 岩沢と向き合い、ゆっくりと諭し始めた。

 

「いいか、俺を入れたところで音楽学的にもメリットはない」

「それはわからないじゃないか」

「いくら上手くたって、全くノれない奴がいても邪魔なだけだ。せっかくボルテージが盛り上がったとしても、ひとりフラットで居続けるからな。水を差すような真似しか出来ねえよ。その場しのぎのヘルプとかならともかく、一緒にやり続けて行こうと思う仲間なら、それは悪影響にしかならない」

 

 音は、感情と熱をのせる。

 故に、演る側も聴く側も両方の人々の(なか)へと伝わる。

 ガルデモのライヴを見ていればよくわかる。あの熱狂はそうやって互いに伝播し合ってできるものだ。

 

 だが、俺の音にはそういうものがどうしても宿ってくれない。

 それが冷たいとか鋭いとかであればそういう個性として何かしらの使い道があったのだが、残念ながらそうではない。

 単につまらない。

 プラスだろうがマイナスだろうが熱という概念そのものがない。

 一緒にやっていて楽しくない。

 お前のグルーヴにノれるのは打ち込みだけだ。

 ベースを教えてくれた人は、機械みたいな腕以外にも確かこんなことを言っていた。

 だから、俺の音が生きてる人間の音と共鳴することはない。

 

 俺と一緒に演るなんて、彼女たちのサウンドを壊しかねない。

 それは俺自身が許さない。

 

「歌も英詩は人を選ぶからガルデモでやるのはあまりおすすめできない、てか誰が書くんだよ。ま、諦めてくれ。どの方向から見ても良いことは何一つ無いし、俺は嫌だ」

「……わかった。そこまでいうのなら」

 

 しゅんとうなだれながら、岩沢はいかにも渋々といった表情で引き下がった。

 ガルデモの役に立つことならばいくらでも協力したいが、こればっかりは無理だ。

 それは俺自身が一番理解している。

 

 うなだれる姿を見て、さすがにちょっと可哀想かなとも思う。

 でも、やはりこればっかりは仕方がないことなのだ

 我慢してもらうしか無い。

 

 しかし、俺は忘れていた。

 岩沢がこの程度で諦めるような音楽キチではないという事を。

 

「なら、二人だけでやろう」

「はぁあ?」

 

 今度は本当に訳がわからなかった。

 

「ガルデモでできないのなら、別にユニットでも組めばいい」

「いやいやいやちょっとまて」

「リンゴがピアノであたしがアコギとか。あ、これなあたしじゃなくてリンゴが歌ってもいいか。英語かあ書けるかな詩」

「って聞けええええ」

 

 歩みを止めて叫び、息を整える。

 外灯照らされる岩沢の顔を真剣に睨んだ。

 

「お前は人の話を聞いていたのか?」

「ガルデモでは無理なんだろ?それは諦めるさ。でもそれなら別に組めばいいじゃないか。新しく組む分にはゆりも文句は言えないと思うし、ガルデモとは違った方向でいけば悪くはならないだろう」

「違う、話の後半だ。俺が合うやつなんていない」

「それは、やってみなければわからないだろう」

 

 岩沢はトーンを落とした声ではっきりと言った。

 その表情は真剣というより怒っているみたいだ。

 

 音楽に妥協を許さない。

 彼女は求めたことを決して諦めないしそれは許さない。

 始まる前から不可能と決め付けることもさせない。

 

「あたしは必ず合わせてみせる、リンゴと一緒に」

 

 願いではなく、決意として彼女は言い切った。

 

 ……まったく、困ったな。

 ここまで言われるとは男として情けないだろう。

 だがダメだ。

 幼稚な意地だと罵られても、これはダメだ。

 

「無理だ」

「なんで」

「合わせるじゃだめだろ、それじゃあ結局悪いようにしかならない。それに、俺はステージに立って演るべき人間じゃない。そんな身分じゃないんだよ」

 

 俺は彼女たちとは違う。

 ステージに立っても、音として孤独で在り続ける。

 仲間とオーディエンスと融け合うこと無く、異物として居続ける。

 

 その場凌ぎの誤魔化しなら可能だ。悲しいことに、そんなことが出来る技術すら俺はある。

 でも、ずっと誤魔化し続ければ、いずれくっきりと違和感は浮き彫りになり、確実に目立つ。

 今までもそうだったように、これからもずっと、誰とも交われない。

 

「それは、生きていた頃のことが関係有るのか」

 

 岩沢が遠慮がちに尋ねた。

 その言葉で深く閉まってあった傷が脳裏にちらつき、チクリと痛みがはしる。

 

「関係なくはない……っていうか、人生そのものだったからな。ハハハ」

 

 思い出した過去から目をそらすがために笑ってみせたが、露骨過ぎて不自然なものとなる。

 それを見た岩沢は、不自然な笑いの俺とは反対に悲痛な面持ちをする。

 

 なにやってんだ、その痛みは俺のものであってお前まで感じること無いのに。

 感受性が豊かすぎるってのも、感慨ものだな。

 

「……わかった」

「そうか」

「でも、諦めはしない」

「ちょ!?岩沢さん!?」

 

「リンゴと必ず演る。いつになるかわからないけど、、絶対リンゴをその気にさせてみせる」

 

 そう宣言するとともにキッと俺を睨んだ。

 その決意に思わず笑ってしまいそうになった。

 

 ――――――まったく、こいつは本当に音楽キチだ。

 

 彼女は音楽に対して諦める諦めないとか、そんな概念自体そもそもないのだ。

 どこまでも己の内にある音楽を追求し続ける姿勢は恐ろしくも滑稽で。

 

 とても羨ましい。

 

「そうかい。ま、がんばりな」

「うん。英語勉強して詩をかけるようになるから、リンゴも歌唱力鍛えといてよ」

「気がむいたらな」

 

 そう笑って、俺と岩沢は再び歩き始める。

 足取りは停まる前と変わらない。

 軽くもなく重くもなく、けれどゆったりとして心地よいものだ。

 

「早く食堂行こうぜ。腹減って仕方がない」

「そうだね。ところでリンゴ、そのヘッドホンどうしたの?」

「いいでしょ、ギルドでもらったの」

「……あたしにもちょうだい」

「だめだ。こいつは一個しかないんでな」

「えー」

 

 他愛のない会話をして食堂へと向かう。

 

 頑なに拒んだ自分の過去とは裏腹に、少女の宣言にどこか期待をしてしまっている自分に気づかないふりをしながら。

 



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Chapter.2_10

 数日後

 

 いつものように廊下に作った仮設ベットに寝転びながら本を読む。

 アンプリファーからとびでる騒々しい音色をシャットアウトできればと思いヘッドフォンをつけてみるもあまり効果はない。

 とはいえ慣れたもので、小説に没頭するのは意外と簡単だった。

 

 ふと、上から影が差し、視界を少し暗くする。

 顔を向けてみるとめずらしい客がいた。

 

「おう、遊佐さんどうしたの?」

 

 いつものように髪を二つわけた少女は、手ぶらではなく肩に大きめのカバンを下げている。

 通信員である彼女が直接出向いてくるとはめずらしい。インカムで連絡してくれればいいのに。

 俺は読みかけの本を閉じて起き上がった。

 遊佐は横においた本を一瞥した。

 

「宇宙戦争……ウェルズですか。SFとは意外です」

「そうか?まあミステリほど人気なジャンルじゃないし、こいつも古いから今どきの高校生が好むかはわからんが読む奴はいるだろ」

「いえ、星川さんがという意味です。正直、レイプとか交通事故とか謎の重病で余命幾ばくとか、まじ悲しい展開満載の横書き小説や、『突風の風が吹く』とか『伝説のレジェンド』みたいな文体がお好みなのかと思っていましたので」

「君の俺に対する印象は一体なんなんだ……」

 

  そんなに頭がすっからかんのちゃらんぽらんな軽い人間なのか。

 

「もしくは小学生の頃、家畜人ヤプーで読書感想文を書いていたとか」

「一体俺をどうしたいんだよ!?」

 

 遊佐の俺への評価はどうなってんの?低空飛行しかしていないように感じるよ? 一体何が原因なんだ?

 ……うん、どう考えてもセクハラだよな。

 

「それはそうと、ギルドから預かり物をお届けにまいりまし」

「俺としては流されてもらっちゃ困るんだが、まあいいや。ギルドから?」

「これです。」

 

 遊佐は肩に下げていたカバンをわたす。

 ビジネスサイズで重たい割に厚みはない。

 コレは何か遊佐に尋ねてみるも、どうやら彼女も知らないようで小首を傾げられただけだった。

 俺も首を傾げながら上部のファスナーをゆっくりとひらくと、中には銀色に鈍く光る板のようなものが見える

 すぐにそれが何なのか見当がつき、落とさないよう丁寧に取り出した。

 

「ノートパソコンですか……」

 

 そう、ノートパソコンだ。

 13インチのディスプレイに黒いキーボード。

 高精度アルミニウムボディで背面に社の象徴である果実のロゴマーク。

 デザイン性だけではなく操作性にも優れたクリエーター好みの仕様。

 生きていた頃、俺も好んで使っていた有名なノートパソコンだ。

 

 ただし、なぜかロゴマークはパイナップルの形をしているが……

 

「某大陸製の偽物みたいですね」

「この世界特有の現象なんだろうけどね、自販機の水とかみたいに。だけど『Fackintosh』はねえよな……単語ですらねえ……」

 

 銀色に刻印された製品名を指でなぞりながら呆れる。

 この世界の神とやらにはセンスがないようだ。

 

「ん?なんか入ってるぞ」

 

 カバンのなかにはまだなにかある。

 つかみあげると、何やら強い筆圧で一文字一文字が大きく書かれているくせに、なぜかまるっこく可愛らしい書体の文字が羅列していた。

 恐る恐る不気味な手紙を読んでみる。

 

 

 パシリくんへ

 

 やあやあ、元気かな?僕は一応息災だよ。

 

 さて、君に頼まれていた件だが、一応順調に進んでるから安心したまえ、

 とは言っても、全部完成するにはまだまだ時間がかかりそうだ。しばし待ってね☆

 

 それはそうと、これを読んでいるということはちゃんとノートパソコンは届いたのかな。

 話してあった通り、流石に創るのは厳しいから校内で調達したよ!

 がんばったんだよ!僕がやったわけじゃないけど!

 

 一応君の注文通りの物だと思うけれど、名前があれなのは諦めてくれると嬉しいな。

 僕が一から創るとなるとそれこそ今以上の時間かかってしまうだろうし。

 中身は生前の世界にあったものと違いはないはずだから大丈夫だよね。

 

 ああ、どうやって手に入れたかというと、ちょっと教師どもからちょろまかしてみた。

 無理矢理ってわけじゃないよ?

 職員室にあったのを黙って借りてきただけだよ?

 ホントだよ?

 でも誰も使ってないみたいで、無くなっても別に騒ぎにはなってないんだよね。

 むしろ無いこと自体に気づいてるのかな?

 

 あと不思議なことに。

 学校に設置されているものや職員の私物は全部OSがそれはと違うんだよね。

 むしろシェアからみて一般的なやつだった。

 それだけが違うみたい。

 

 またまた不思議なことがあるもんだね。

 ま、考えてもわからないからどうでもいいけど。

 

 ご注文の品はちゃんと届けたからね。

 

 それじゃあ、ばーいばーーい。

                                        』

 

 

「……名前がねぇ」

 

 見た目の文体に反さず手紙の中身も相当あれで、見当違いのツッコミをして現実逃避したくなった。

 差出人は書いてないが、内容からして誰だかわかる。ギルドの小屋で会った胡散臭いあいつだ。

 こっちもちゃんと名乗った覚えはないから多分向こうも名前は知らないだろう。

 ……まあいいか。お互い別に知らなくても困りそうにないし。

 

「そのノートパソコン、何かに使うんですか?」

 

 遊佐は再び小首をかしげて尋ねてくる。

 俺は馬鹿正直に本当のことを言うとゆりにチクられて怒られそうなので、適当に誤魔化す理由を考えた。

 

「んー、とりあえずガルデモの曲を録音でもしてみようかな」

「……CDにでもするのですか?」

「どうだろ。ここじゃプレスなんかはできないから手焼きになるし、そもそも空のCDが存在しているのかすらわからんし。とりあえず、録音してみてから使い道は考えるかな」

 

 実を言うと、録音してみようとは考えていた。ついでに使い道も決めている。

 しかしその使い道が完全に趣味なのだ。

 もしバレてしまったら職権乱用とかなんか小難しい理由がつけられてゆりに半殺しにされかねない。

 あくまで”何かの役に立つかも”というスタンスで総ては語らず一部の情報だけで誤魔化していく事に決めた。

 

「……そうですね、音源という手札があると後々に役に立つかもしれません。オペレーションのオプションとして考えることができますし」

 

 都合よく遊佐が納得してくれたので安心。

 この調子でゆりに知られた場合も彼女から説得してくれたら有難い。

 

「なら、録音は放送室を利用してはいかがでしょうか?」

「放送室?」

「ええ、何故かこの学園の放送室は設備や機材が無駄に充実していまして、ライブのPA関係もいくつかそこから拝借してします。それに、たしかスタジオも併設されていたかと」

 

 放送室。

 スタジオがあるなら、そういう場所でやったほうがいいか。

 音楽室でやろうかと考えていたけど、NPCの授業や部活動を考えたらそっちのほうが時間的にも利用しやすそうだ。

 

「わかった。そうしてみよう」

「お役に立ててなによりです」

「色々助かった。そうだ、自販機で何かおごるよ」

 

 俺は立ち上がり、遊佐の身体を階段の方へとむけた。

 

「いえ、そんな」

「いいから、いいから」

 

 遠慮する遊佐の背中を押しながら、自販機へと向かった。

 

 

「何を飲みたい?」

 

 硬貨を投入しながら遊佐に尋ねた。

 彼女は自販機のラインナップを軽く眺める。

 

「……特に希望はありません。星川さんが選んで下さい」

「いやおごる側なんだが……それに選択権を他人に押し付けるのはあまりいい事じゃないと思うぞ。じゃあ、おしるこで」

「星川さんと同じもので」

 

 きっちりと訂正をいれた遊佐に「それ結局押し付けてるじゃねえか」と苦笑しながら、とりあえずカフェオレを選ぶ。

 ガコンと落ちてきた缶を彼女に渡し、連れ立って外に出てベンチに座った。

 

「遠慮なく飲んでくれ」

 

 遊佐に勧めながら、俺もプルタブをあけて早速一口含んでみる。

 この世界じゃ缶コーヒーはまだブラックしか飲んだことがないので少しばかり気になっていた。

 どれ、どんなものか。

 

 口にはいったそれは。

 真っ先にコーヒーの独特な香りが全く無いことに違和感を与え。

 ただただ甘いだけで砂糖そのものかと勘違いしそうな味が広がる。

 

 これはもはやコーヒー牛乳……俺の好みではない……

 端的に言って、不味い。

 

 ブラックコーヒーとは別の方向で苦々しい顔をして次からは買わないでおこうと誓いながら飲んでいると、それを眺めていた遊佐がなにか納得したようにうなずき、呟いた。

 

「なるほど、こうやって女性を弄ぶのですね」

「 ぶ っ 」

「……汚いですよ」

 

 缶に口をつけたままだったおかげでカフェオレは前へと吹き出されず逆に顔へと噴射された。

 呆れた遊佐がちり紙をくれたのでありがたく頂戴し茶色い液体を丹念に拭きとる。

 

「……ふう。まったく、お前はなんてことを言うんだ」

「星川さんのやり方に関心しているんですよ。ひゅーひゅー」

「やめろ、するな。ただ単にお礼として文字通り一杯奢っただけだろ」

「他意はないと?」

「ねーよ」

「そうでしょうか?」

「あ?」

 

 遊佐は動きのない顔の割に楽しそうに口を開いた。

 

「たかだか荷物を届けてもらったり助言を1つしてもらっただけで具体的な礼をするというのは、いささか大仰じゃありませんか?」

「……普通じゃない?」

「少なくとも日向さんたちが同じように礼をしてきた場合、下心があるとしか考えられません」

 

 この場にいない男子どもの扱いというか印象がありありと見えるようだ。可哀想に。

 でもまあ、なんというかあのアホどもがそんなことしたら疑いたくなる気持ちはわかるような。

 何か変なことを企んでいそうだなと警戒されても仕方はない。

 

「しかし、総ての男がそうだとは限らないだろ」

「この世界におけるある意味でまともな異性は彼らしかいませんよ。NPCは生態として不明ですから除外なので。よって彼らがこの世界における男性という存在の指針です」

「暴論にもほどがある」

 

 アホを基準にされてはかなわない。

 こんなんじゃ、もしこの世界に典型的創作上主人公みたいな男が現れたらえらい目に遭うだろう。

 

「死後だけじゃなくて生前も判断基準に入れるべきだと俺は思っちゃったりもするんだけど」

「……生前の知識から考慮すると、星川さんのような手段で近づいてくる男はろくな人間ではないという判断を下しますが」

「うぇーい、なんてこったーい」

 

 掘った覚えがないのに墓穴だ。

 たしかに、その手のやり方で良からぬ企みをするクソみたいな奴らもいるけれど、ひと括りにしすぎだろ。

 

「お前はどんな偏見で生きてきたんだよ」

「生前に色々在りましたもので。死因ではないですが、死んだ理由にも関わってます」

「……すまん」

「いえ、別に気にしないで下さい。終わったことですから」

 

 さらりと自分の黒い部分を漏らしてくれたおかげで、非情に気まずい空気になった。

 当の本人は本当に来にしていない様子でカフェオレを飲んでいるが、こっちとしては申し訳ない気分で一杯だ。

 軽いノリで踏み込んではならない境界を越えてしまった罪悪感が結構クる。

 

 考えた末、空気を誤魔化すために俺も自分を切った。

 

「……その、なんだ。癖、なんだよ」

「はい?」

「こうやって女性に対して礼を尽くすのが」

「……癖でナンパとかチャラいことを?」

「ちげえって!」

 

 残ったカフェオレを一気にあおいで空にした。

 缶を横に置き、軽く息を整えて俺は続けた。

 

「生きていた頃に、大変世話になった人がいてな。その人にいつも言われていたんだ『女は敬え、そして尽くせ。そうすりゃ大概上手くいく』って」

「敬意はあまり感じられませんが」

「さん付けで呼んでるじゃん」

「それは敬称です」

 

 遊佐が冷めた目つきで睨む。

 ポリポリと頬を掻きながら気にしないふりをしたくなる。

 

「いやあ、まあ、その人も結構いい加減っていうか横暴っていうか傍若無人っていうかあんまり敬意を尽くしたくないような人だったってのがあるけど、一応世話にはなったしその考えも一理はあったわけよ。だから敬称と礼をなるべく形で尽くすってことだけは守っているんだよ」

 

 "さん"付けならこれといって呼び方で失敗することはないし、形がありかつ相手にとって困らない礼(飲み物おごるとか)をすれば失礼には当たらないし、上手くいけば良い印象を残す。

 そんな理由がることを説かれてからはその2つだけは律儀に守ってみたら癖になって自然とやってしまうようになった。

 ただそれだけではある、が。

 

「それってバリバリ下心あるじゃないですか」

 

 見方を変えれば軟派な手段だし。

 信念がそもそも異性間の諍いを避けるためだからな。

 

「途中からメリットとか面倒くさくてやめようかと思ったんだけどさ、やらなくなったらそれはそれで「やっぱ下心からだったんだな」って思われそうでそれは嫌だからなし崩しに続けちゃったんだよ。そしたらいつの間にか癖になっちゃて、下心っつーか義務、強迫観念?になったのかな。ま、形式的なものだと思ってくれていいよ」

「そうですか。しかしそれならばさぞ女性には困らなかったでしょうね」

「ハハハハハハ、面白いこと言うね遊佐さん、ハハハハハハハ」

「……残念な人ですね」

 

 バッサリと切り捨てられて、がっくりと崩れ落ちたい気分になった。

 

 いやまあね、何人か誘われてお出かけしたことはありましたよ。

 全員一回きりだったけどね。続いたことねーし関係も発展どころか始まることすら無かった。

 あれだな、惚れると好きになるってのは別種の症状なんじゃないかな。

 よくわかんないけど。

 

「なるほど、クソヘタレな星川さんなので尚更他意は無いと」

「酷い言いようですね」

 

 あながち間違ってないのが悔しい。

 

「それにしてはセクハラが酷いと思いますが」

「あれは処世術っていうかコミュニケーションツールですよ」

「最低の解答です」

「てぃ、TPOは弁えてるつもりだし」

 

 時と場合はともかく人ってのは結構気を使う。というか通用する加減が人によって異なる。

 ゆりなんかにやれば笑顔で眉間に穴あけられそうだし、岩沢は多分気づかないからこっちが滑って居た堪れない気分になりそう。

 そもそもセクハラっても軽いジョーク程度じゃないと人間関係壊しますしね。

 極稀に内容関係なくプンスカして反応も良いうえに完全に嫌ってくることはない奴がいたりするけど。ひさ子とか。

 ……あいついいやつだよな。

 

「……本当に他意はないのですね?」

「ないない。だから形式的なものだと思ってくれていいって」

 

「では、私自身に興味はないのですか」

「 ぶ っ ! ……っが、げぁ、げ、げほ」

 

 遊佐の突飛つな発言にびっくりする。だが、口には何も含んでいなかったので吹き出したのは空気のみ。変に抜けてしまったからか過呼吸のような状態になりかけた。

 

「っひ、っひ、っひ」

「大丈夫ですか?」

 

 ゆっくりと息を整えながら、問題発言をしてくれた主を睨みつけてみる。

 相変わらずまゆ1つも動かさない、完璧な無表情だ。

 

「お、お前は何を言っているの?」

 

 なんとか正常な呼吸をとりもどした喉から言葉を絞りだすも、遊佐は表情を変えないまま、再度問う。

 

「どっちなんですか?興味あるんですか?ないんですか?」

「そ、そりゃおまえあれだよ、なんつーか、ねえ」

「はっきりしていただけるとこちらもヘタレ川さんと呼ばなくて助かります」

「……ないこともなくはなくなくなくなくなくなくなくないと言いますか」

「……へぇ、あるんですか」

 

 遊佐が意外そうな表情をして、愉快そうな雰囲気を纏う。

 適当に連呼してみたが、残念なことに肯定になっていたらしい。

 いや、残念なのは自分のオツムか。我ながら頭が痛いことで。

 なによりもその回答があながち間違ってはいないという事実が痛々しい。

 

「あのねえ、あれよ、可愛い女の子に興味がないなんて男はいないんだよ。いるとすればそいつはホモか変態だ」

「可愛いですか、お褒めに預かり光栄です」

「そこしか聞いてなかっただろ。てか、だったらもう少し嬉しそうな顔をしろよ」

 

 ほのかに頬が赤らんでいるようにも見えなくもないが、遊佐の表情自体は相変わらずだ。

 だが、纏っている雰囲気はなんだか楽しそうなので多分喜んでいるのだろう。多分。

 

「しかし、その言い回しだと私が美少女でなかったら興味がないともいえますね」

「なんか表現のグレードが上がった気がするけど。ま、そうだな」

「……ここで狼狽えもみせないとは、酷い人ですね」

「何を言いやがる。『人は顔の良し悪しではない』っていっても、あれって中身をちゃんと識らなきゃ言えない台詞じゃん。逆にネコ被ってるって場合もあるんだし、中身で判断するのもそうそう安易にしていいものだとは思えないんだ。其れに、俺は遊佐さんの内面なんぞさほども識らないからな。よって外見のみで判断させていただいた」

「なるほど。酷い言い分ですが、一理はありますね」

 セクハラどころか人として酷い発言だったが、意外にも遊佐は納得をした。

 言った本人すら酷い理由だと思うから納得するのはどうかと思うけど。

 

「では、内面を識りたいとは思いませんか?」

「んー、機会があったらな」

「つれないですね」

 

 つれるのくそも、人を識るということは関係を深くするということでもあり、面倒も増えるし重くもなるという事だ。

 それを考慮した上で識りたいと思うほど、今の俺は女性関係に興味がない。

 "知っておくべき"という欲求も無い以上、動く気にすらならない。

 

「その理屈で言うと、つまりあなたはエサだけ垂らして釣り上げる気がないということですか」

「どういう意味だよ」

「セクハラしといて「君には興味ないから」とか、なめてるんですか?」

「……なんかすいませんでした」

 

 有無を言わさぬ鋭い視線に目をそらす。

 さらなる追求をされると余計に居づらくなるので、なんとか話題の方向性を変えるように試みる。

 

「と、ところでなんでそんないきなり興味がどうのこうのって聞いたんだ?」

「そんなことでしたか。もちろん、星川さんに気があるからですよ?」

「嘘だよね」

「……つまらない人ですね」

 

 遊佐は面白くなさそうな顔をした、ように見えた。

 表情筋がろくに動かないから本当かどうかわからないけれど、なんとなくそんな雰囲気を醸し出している。

 こいつは岩沢のようにクールでも天使のようにクリアでもないから、単に表現が苦手なだけなのだろうが。

 

「勝てる方法を考察してみた結果、コレが一番確実だと思ったのですが。残念です」

「何のことだ」

「賭けですよ、賭け」

「賭けって……まさか」

 

 俺はつい先日あった会話を思い出した。

 あれはギルドへと向かう間に暇つぶしとして出てきた非情にはた迷惑な話題。

 不本意にも、自分を対象に賭博行為が行われているという、それもトップが自ら大穴賭けて。

 

「……あれって実在したの?」

「知らなかったんですか?」

「てっきりゆりっぺさんが俺を誂うためについた冗談かと」

 

 本当にそんな非情なことが行われてたのかよ……

 ということは、ゆりの賭け馬も本当ってことか。最悪だなおい。

 

「おもしろそうでしたのでわたしも参加してみようと思いました。尤も、既に賭け対象として組み込まれていましたが」

「楽しんでないで止めてくれ」

「申し訳ありません、ゆりっぺさんに勝てそうな良い機会でしたのでつい」

「ゆりっぺさんに?」

 

 遊佐はスッと目を細め遠くを見つめる。

 不思議と彼女の纏っていた空気も変わる。

 冷たく、暗く、けれどその奥には何か煌めくものが。

 

「たまには上司に勝ってみたいと思っただけですよ。気まぐれです」

 

 張り詰めていたものを和らげて、遊佐は戯けるように言った。

 真意はどうあれ、とりあえず相槌でもうっておく。

 

「そんなもんかね」

「ええ、そんなものです」

 

 そう言って遊佐はカフェオレのプルタブをやっとあける。

 一口含むと、ふと顔をほころばせた。甘いものが好きなのかもしれない。

 

「でも余裕で勝てるんじゃないか?あんな大穴当たらないだろ。てか当たってたまるか」

単勝全賭け(やけっぱち)ではなく全馬同着(ハーレム)ですからね、まずありえないでしょう。でも、わたしも外していては勝ちとは言えませんから」

「そりゃたしかに」

「なので勝てる確率の高い、正確には高い確率に押し上げることができる候補に賭けてみようかと」

「だれだ?」

「わたし自身です」

「……それはそれは」

 

 訳がわかりませんな。

 俺の思考回路は既に放棄を始めている。

 

「所詮賭け馬は他人ですし、この賭けで重要なのは身体ではなく心です。ですが、他人の心情の予測なんてできません。ならば、運任せの博打にでるより自ら行動して獲得したほうが確実ではないかと思いまして」

「……えーっと、そいつはつまるところ」

「わたしがあなたをおとせばいいということです」

「……お前実は馬鹿だろ」

 

 頭が痛い。

 何なのコレ、告白されたの?違うよね?

 言ってることは「あなたをめろめろにしてみせるわ」ってことで、遠まわしでもなく直球に告白ですけど、目的は俺じゃないじゃん。博打で勝つことじゃん。

 そんなこが可愛いとおもえるかって。

 

「ひどいですね。でも、どう思います?わたしのこと」

 

 上目遣いだった。

 

 なにこれ?イジメなの?

 やばい、思考がまわらん。

 

 生きていた頃にその手の経験値が低すぎるから選択肢がわからねえ。

 告白されたことなんて皆無なんだぞ、16年生きてきたけど。

 

 あれ、16年?違うよな、17?18?

 

 うーむ、高校行かなくなってから歳とか気にしなくなったとはいえ、享年すら忘れているとは。

 確か成人はしてなかった気がするけど、普通に未成年のうちからアルコールは摂取してたから不確かだ。

 免許はもってなかった。あ、でも年金の督促来なかった。

 あいや、実家を出てから住所変更の手続きしてないからそもそも俺のとこまで届かないか。

 

 いや、そんなことはどうでもいいんだそんなことは。

 死んだのだから過去なんざに意味はない。

 それより今、現在の問題をどうにかせねば。

 

「ゆ、遊佐さん一応聞くけど」

「はい」

「ご、ご冗談ですよね?」

「……」

 

 なんかにっこりした。

 

 何聞いてんだ俺。

 あれか、唐変木系主人公か。

 はやりの鈍感はーとの難聴やろうか。

 野暮ってこともあるだろ馬鹿じゃないか。

 

 あ、なんかこれ怒られそう。おにおこになりそう。

 そしてあれだろ、謎の誰得デレイベントが発生して俺はなおも勘違いをし続けてめんどくさいスパイラルになりながらも何故か濡れ場はあるって。

 

 やめろ!

 そんなキャラじゃねえ!

 ってキャラってなんだ!

 俺にキャラってあったか!

 いつもブレブレだろ!

 あれか、セクハラか!

 セクハラすればブレないか!

 セクハラすればいいんだな!

 とりあえずアレだな!

 胸でもさわっておけばいいか!

 でもラッキースケベはハーレム主人公の特有スキルじゃねえか!

 だめか!

 いや!

 あれはpassiveであって俺のはactiveだから大丈夫か!

 いけるか!

 我ながら意味不明!

 ていうかこれはセクハラじゃなくて犯罪じゃね!

 婦女暴行じゃね!

 むしろセクハラも犯罪じゃね!

 卑劣!愚劣!

 俺の紳士的セクハラ流儀はどこいった!

 NoTouchの精神はどこへ逃げた!

 連れ戻せ!

 

 そもそも何の話だったんだこれ!!!

 

「ええ、冗談ですよ」

「さわるべきかさわらないでおくべきか、もう死なないんだからいっそさわっても、いや社会的には死……ん?冗談?」

「はい、星川さんを誂ってみました」

 

 まじまじと遊佐をみつめた。

 その表情は相変わらずブレないが、瞳にあざ笑うかのような色が見える。

 

「………………………………はぁ」

 

 深い深い溜息が、ドッと重く吐き出された。

 疲れた。

 

「おもしろかったですよ。顔が赤くなったり青くなったりしころころ変わって」

「てめえ」

「セクハラでイニシアチブを握ろうとするくせに、純情な直球には弱いとは。案外ピュアボーイなんですね」

「……穴があったら入りたい。いっそ死にたい」

「死にやしませんよ。この世界じゃ」

 

 冷静にツッコミをいれられたが、其れを無視して足を組んで顔を埋めた。

 さきほどのくだらない葛藤が恥ずかしい。殺してくれぇぇ。

 

「まあゆりっぺさんに勝ってみたいという気持ちは本当ですが、自分を投げ売ってまでみるほど好条件じゃにですからね今回」

「俺はクズ株かあ」

「失礼、口が滑りました」

「本音で思ってたのかよ!そして無表情で『オホホ』ってお嬢様が笑うみたいなポーズやめろ!うぜえ!」

 

 あー俺いじられてるな。

 本来なら弄る立場だろ紳士的に。どうやったらもどれるかなーやっぱセクハラかな。

 

「……はぁ」

 

 本日何度目の溜息だろう。

 とりあえず溜息ついとけばいいとか思っている節がないだろうか。いや俺がね?

 

「……どのみち、その賭けにはお前もゆりっぺさんも勝てないだろうよ」

「え?」

 

 遊佐の疑問の声を聞きながら、俺は椅子から立ち上がる。

 身体を軽く動かすと、バキバキっと心地よい音がする。

 この短時間でどれだけ緊張したんだよ。

 

「誰か既に慕っている方がいらっしゃるのですか?できれば教えて欲しいです、それに全額賭けますから」

「インサイダーかよ……結果を言えば、遊佐さんとゆりっぺさん以外の大半の人が外れるだろうね。前提条件が間違っているもの」

 

 空になったカフェオレの缶を手にとり、ゴミ箱を探す

 すぐに見つけるが、会話の途中に行けそうな距離ではない。投げるか。

 

「そもそも、俺が誰かとどうにかなるなんてことがないんだよ」

「それはわからないと思いますよ。未来のコトですし」

「ここで見栄なんぞはらねえよ」

 

 苦笑しながら遊佐の言葉を否定する。

 

「そもそも()()に未来なんざないだろ」

「まあそうですが」

 

 俺は今更そんなものに期待なんかしないし、する意味もない。

 

「そんなことより、もっと別のこと考えなきゃ。例えば俺が成仏できなかった理由とか、そっちのほうが大事さ」

「そうですか」

「そーですよ」

 

 相槌を返しながら、籠に向かってスチール缶を投げる。

 アンダースローで放たれた其れは、綺麗な弧を描き、それが運命として決まっているかのように、見事に外れた。

 

「ナイシュー」

「だから嫌味を言うなら表情を動かせ表情を」

 

 



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Interlude Ⅱ

 

「えーっと、このノイズ消すにはたしかこいつを……」

 

 画面に表示された幾つもの波形をいじくりまわす。

 手を加えては再生、戻しては再生、またいじっては再生。

 ヘッドフォンから流れる同じような音がループし続ける。

 

「くっそこの音域めんどくせえ」

 

 悪態をつきながら、俺はカチカチと教科書を下に敷いたマウスを駆使する。

 トラックボールが欲しいところだが、この世界にそんなもの無いので諦める。

 しかし、あるとないとでは作業スピードが段違いだ

 生前にこなしていた感覚とのズレに苛立ちながらも淡々と進めていくが。

 

「ああくそ!やっぱ録り直すか?」

 

 遅々として進んでいるようにな思えない。

 同じ箇所のループだ。

 

 

 先日、遊佐に放送室で録音すればいいとの助言をもらった。

 

 その後、自分自身で直に放送室を探索しそこそこの設備があることを確認した。

 本当のスタジオとは違うものだが、まあ音楽室とか残響反響バリバリの場所で録音するよりはマシだろう。

 装備もなんとか誤魔化してやればそれなりのものはできそうだった。

 

 ガルデモのメンバーに持ちかけると全員賛成をした。

 いつもライヴでしかやれていなかったせいか、形を残せることが嬉しいようだ。

 

 すぐにゆりに相談をするとすんなりと許可が出た。

 どうやら遊佐に話を聞いていたらしく、興味があったらしい。

 ちょっかいを出さなきゃいいなと思ったが、まあ、ね・お察しください。

 

 綿密にスケジュールを調節し、録音中は放送室周辺をさり気なく戦線のメンバーが監視する。

 そうして、数日間に渡るレコーディングは始まった。

 

 録音は順調といえば順調だった。

 

 ガルデモのメンバーの殆どがそもそもスタジオに入って録音なんて経験はない素人だった。

 しかし、経験豊か(意味深)なひさ子のおかげでこちらの要求を素早くメンバーに伝えることができ事なきを得た。

 他のメンバーも、特に不満無く順調に録音できていた。

 

 岩沢のわがままがあるまでは。

 

 そもそも、レコーディングは作家とスタッフがお互いのイメージをぶつけて妥協点を探していく作業とも言える。

 レコーディングまで自分でこなすワンマンアーティストならともかく、昨今のJPOPなんかは歌っている人が曲を書いていない場合も多い。曲を書いている人が全部のメロディーやリズムを作っているとも限らない。

 故に曲を作る人とアレンジする人が別々だった場合、イメージの齟齬が生まれる可能性が高い。

 そういう齟齬を可能な限り埋めていく、妥協し続けていくのがレコーディングだ。

 などとそれは単に胃が痛くなり仲が悪くなるだけの作業かのように、生前俺に教えてくれた人がいた。

 そのときが「ホラ話だろ」とおもって笑っていたけれど、その後知り合いの仕事の手伝いでレコーディングに立ち会う機会があり、スタジオって書いて修羅場って読むんだなあと実感させられた。

 

 しかし、幸運なことにガルデモの曲は全て岩沢が作っている。

 編曲はどうなのかしらんが、特に問題はない。

 そもそも、既に曲として完成しているものを録音するだけだ。

 レコーディングで完成を目指すのではなく、完成しているものをレコーディングするだけだ。

 故に、俺からの要求はライヴとは違う要領の箇所を注意して音源用に組み立てていく程度だった。

 

 さて、そのライヴとの違いが問題だった。

 

 知っている人もいるとおもうが、レコーディングはそれぞれのパートを別々に録音する。

 リードギターはリードギター単体で演るということだ

 さらに、通しでやるのではなく幾つかに分けて録ったりもする。

 幾つかに分けたブロックをそれぞれ何回も録音し、そのなかで良いのだけを選んで組み立てる。

 いわば、CDの曲は継ぎ接ぎなのだ。

 彼女たちも、ひさ子が仲介して説明してくれたおかげですぐに要領を得てくれた。

 

 初めはちょっかい出しまくりだったゆりもいつの間にかいなくなり、数日間にもわたる録音が続いた。

 一人ずつ録音するのがほとんどのため他のメンバーは退屈するかなと思ったが、みんな真剣に仲間の演奏を聴いていた。

 ライヴとは違う状態の音が、何か新しい刺激をもたらしているようだ。

 

 滞りなく、とは言い難いが、試行錯誤をそれほど繰り返すこと無く録音は進んだ。

 お互いに完成形が見えているのだ、より美しい形へと組み立てるためにみな真剣に取り組み楽しんだ。

 

 楽器による総ての録音は終了し、残るは岩沢のボーカルだけとなった。

 こいつが問題になった。

 

 当初、他のパートと同じようにボーカルのみの別録を録った。

 とは言っても、岩沢の耳にはオフボーカルの曲をヘッドフォンから流しながらだ。

 そこから流れる曲に乗ってカラオケの要領で歌えばいい。

 ただそれだけだった、のだが。

 

『すまないが、バンド通しでやりたい』

 

 一回試し録りをしたあと、岩沢はそう言った。

 

『どうもノれない』

 

 そう言って彼女は曲を通しで録ることを望んだ。

 総ての楽器を使った状態で。

 

『リンゴも聴いて思っただろ、あたしの声が全然ダメなこと』

 

 岩沢の言いたいことは残念ながらよくわからる。

 どうにも彼女は実際に熱を肌で感じなければ本調子がでないと言いたいらいい。

 確かに試しに録った声はライヴとは違う印象がある。

 

 だが、わかるけれどそういう問題ではないのだ。

 

 別録する理由には幾つも理由がある。

 単体だかすぐに繰り返して録れるとか、音に集中しやすいとか。

 

 しかし、一番の理由は雑音なく音が取れるからだろう。

 

 CD等で販売される曲というのは、ただ音を録ってくっつけて終了ではない。

 録った後に調整をするのだ。

 サビではボーカルとギターが目立つようにとか。

 ここのリフでベースの陰鬱な音色を響かせたいとか

 曲はそれぞれ単調にできているのではなく、その中で様々な変化をみせる。

 その調整をしなければならない。

 まあ、ライヴもPAさんがそのへんを頑張ってくれるのですが。

 あとちなみ、嫌な話だが録った後にチューニングされていたりもする。

 特に声とか。

 

 よって、その音をいじりやすいよう各パートそれぞれ単一であった方が便利なのである。

 電子楽器は直接つないで録るなんて方法もあるが、ボーカルとかドラムはマイクで取らなければならないから他の音が出ていたら同時に録音してしまいかねない。

 

 そんなわけで、各楽器を奏でながらの録音なんてたまったものではない。

 声なんて言うのは高い音を出しても、データ上にすると意外と低いものなのだ。

 他の音と混ざってもらっては調整するこちらとしては大いに困る。

 

 そこんとこを説明してみせたが。

 

『リンゴを信頼しているから大丈夫』

 

 とかわけのわからない事を言われて誤魔化された。

 いやお前何もわかってないだろとツッコミたかった。

 

 堂々巡りの議論になりかけていたところ、仕方ないから諦めて岩沢の言うとおりにしてやれとひさ子の姐さんからお願いされた。

 録れないよりはマシかとあきらめて、仕方なく岩沢の要望通りにやってやった。

 

 結果、見事岩沢のマイクからばんばんバスドラのビートが響いたものができあがった。

 

「ああ、だめだ。やっぱり再録を頼もう」

 

 自室のベッドの上で寝転がりながら俺は呻いた。

 結局ボーカルの録音に入った雑音は特定の音域を消したり色々してみたが、あるもので誤魔化している現状では無理なことがよくわかった。

 もう少しちゃんとしたソフトウェアなんかがあればいいのだが、それこそ無いものねだりだ。

 大人しく岩沢を口説き落として言うこと聞いてもらおう。

 ひさ子も巻き込めばなんとかなるだろう。

 

「あれ、星川くんいたの?」

 

 扉を開けて入ってきたのはルームメイトのヨモなんちゃら君。

 どうやら風呂あがりのようで、蒸気を纏っているようにも見えなくもない。

 

「おうお帰り」

「星川くん学校で見かけないけどちゃんと授業出てるの?」

 

 ヨなんちゃら君はタオルや着替えなんかをてきぱきと片付けてゆく。

 その様子を横目で見ながら俺は答えた。

 

「不良だからな。でるわけない」

「だめだよー。ちゃんとでなきゃ卒業できないよ?」

 

 卒業なんかあるのかよ、と笑いそうになるのを堪える。

 一体NPCどもは卒業してどこの行くつもりなのだろうか。

 天国で羽つき布一枚の職業にでも就職するのか。シュールだな。

 

「いいんだよ。今在ることに精一杯だからな」

「哲学的に言えば誤魔化せると思ってない?」

「ばれたか」

「ま、特にこれ以上言うつもりはないけどさ」

 

 なんちゃら君はジャージの上着を着てまた扉へと向う。

 

「僕ちょと自販機行ってくる。それと、」

 

 振り向きながら、なんちゃら君は言った。

 

「ちゃんと青春は謳歌できるうちにしないと、後悔しちゃうよ?」

 

 その言葉に、身体が固まる。

 

「じゃ、行ってくるけどなんか欲しいものある?」

「……ブッラクコーヒー」

「ハハハ、眠れなくなっちゃうよ」

 

 そう笑って彼は扉を閉めた。

 ……なんとも耳が痛い話だ。

 そうだ、俺は青春を謳歌してこなかったんだ。

 いや、できなかったんだ。

 できなかった人生を送らされてきたのだ。

 だから、その原因を造った神が居るのならば。

 ――――――殺す

 

「……本当にいるのかね」

 

 軽く悪態を吐きながら、身体を起こす。

 クリエイティブな作業をやっていた脳は既にオーバーヒートしそうだ。

 

 パソコンを手繰り寄せ、できたものを保存しようとマウスを動かす。

 オフボーカルではあるが、俗に言うカラオケ版はできているから一応mp3なりなんなりにエンコードして、ゆりにも渡しておこう。

 マウスをメニューバーに滑らすと虹色の円形がグルグルと回りだした。別OSで言うところの砂時計マークだ

 つまり、パソコンの処理が遅い。

 このままレンダリングをして固まったりでもしたらひとたまりもない。

 俺はパソコンの処理が終了すると、音源の保存よりさきにパソコンのメモリとドライブ内の整理を始めた。

 

 あからさまにいらなそうなアプリケーションはガンガンと投げ捨てる。

 読み取れるテキストや画像各種はゆりから預かったフラッシュメモリーへと移す。

 そうすると、少しずつだが容量に空きが増え始めた。

 

 整理作業が終わりかけていたそのとき、俺は正体不明のファイルをみつけた。

 見たことのない拡張子。

 どうやらなにかしらのアプリケーションのシステムデータのようだ。

 親ファイルを見つけるも、どこにも起動アプリがない

 適当にリネームしてみてもいいが、面倒なことになっても困る。

 

 捨てよう。

 

 そう思ってポインタをファイルの上にもっていく

 だが、消すのをやめて閉じてしまった。

 

 なんとなく、躊躇われた。

 

 まあ、そこまで重いものでもないから構わない

 そう結論づけて、俺は音源作成へと戻った。

 

 

 to be continued

 

 

 



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Chapter.3_1

 この世界に季節というものはない。

 それが俺の出した結論だ。

 

 理由は在る。

 例えば植物の成長や日出日没の時刻。こういった季節に左右される条件を幾つかまとめて考察してみると、どれもチグハグなことがわかった。

 太陽の時刻から推察すると、3~5月あたり。つまり春から初夏にかけてだ。

 しかし、樹木の葉や植物を見てみれば、新芽や若葉はなく青々とした葉が大量に茂っていらっしゃる。この条件からは6~8月なのではないかと考えられる。

 そして野菜や花、意図的に育てた植物は旬やシーズンなんてもの関係なく何でも育つ。

 

 どうも噛み合わない。

 ここ世界の自然条件は、近いようで明らかに違う時期の環境が揃っている。

 それで普通自然というものは成り立つのだろうか?

 しいて言うならば、我々人間にとって身体的に過ごしやすい季節だということだ。

 死後の世界というのは随分と人間にやさしいものだ。

 

 そうそう、これとは別に季節がないのだと確実に決定付けるものがある。

 自然なんてあやふやなものよりも明らかにわかりやすい、目で理解できるものだ。

 特に、我々生徒とは切っても切り離せない季節感。

 

 そう、夏服だ

 

 くっそ暑いブレザーや学ランから解き放たれた至高の薄着!

 普段長袖に隠されていた二の腕が恥ずかしくも大胆に!

 心ときめく言葉、夏服!

 

 ……残念ながら無いんだけどね。

 この可能性に気づいた俺は一晩かけて部屋の中を捜索してみたけれど、夏用の制服が支給された痕跡はなかった。

 一応購買も覗いてみたけれど、半袖のワイシャツとか関係の有りそうな服は売ってないようだ。

 

 ああ……夏服が無いなんて何とも悲し……くはないな

 

 あったとしても戦線の制服はセーラーだから見た目はそんなに変わらないだろうし。

 それに普通に奴らは暑かったら平気で袖を捲るからな。二の腕のありがたみはない。

 多少生地がが薄くなって目の保養的イベントが発生するかもしれないけど、気づかれたら殺されそうだし。比喩ではなく本当に。

 嘆いてみたものの、正直あってもなくても変わらない。

 

 多少脱線した気がしないでもないが、そんなこんなでこの世界は季節というものすら死んでいるのだろうと実感していた。

 

 ただし、あくまでこれは俺や人間が主観的に感じる時間である。

 どうやらカレンダー上の暦、数えられた日数というものはしっかりと機能しているようだと、俺はゆりの話を岩沢と一緒に聞きながらそんなことを思った。

 

 

「文化祭?」

 

 校長室のソファに座りながら、俺は執務用の椅子にふんぞり返っているゆりに聞き返した。

 

 女の子がそんな恰好をしているなんて、ふざけているように思えるがゆりのそれはなかなか様になっている。

 部下が男だらけの組織で上司を務める女性というのは、マスコット的な役割を果たすものが多い。

 だが、彼女はそんな生易しい属性を持ち合わしているようには思えない。

 ゆるきゃらなんか見つけたら嬉々として襲いそう。

 当てはめるならあれだ、ロシアンマフィアの頭目とか。

 

 そんな上司の発言を俺は繰り返すように聞き直した。

 

「文化祭ってあれか?模擬店とかクラス劇とか、放課後の教室で準備に追われる中何故か近づく男女の距離を端から眺めて舌打ちする胸糞悪いあれ?」

「あなたがろくでない人生を送ったのはその思考にも原因が在るんじゃないかしら……まあその文化祭よ。あと1ヶ月半もすれば文化祭期間に入って授業後の時間が不規則になるわ、気をつけてね」

「あんな行事この世界にあったんだな。岩沢さんは知ってた?」

「いいや、初めて聞いた」

「そりゃそうよ、私も初めてだもの」

 

 おいおいじゃあ何故知っている。

 

「生徒会室で会議しているのを盗み聞いたの」

「趣味がいいとはいえないな」

「今更なに言ってんのよ」

 

 そう返事をしながらゆりは手元にあるノートパソコンをいじくり、くるりと画面をこちらに向けた。

 ディスプレイには長方形の図が細かく刻まれた状態で映しださている。

 そこに書き込まれた文字をみたところ、これは何かの進行表だろうか。

 

「会議の内容や捨てられていた資料から推測される文化祭のタイムスケジュールよ。大まかではあるけれど、おそらくこの通りに進むと思うわ」

「2日間だけなんだな」

「そうなの。珍しいわね」

 俺の高校生活は入学して1ヶ月もしないうち消滅したので実際にどうだったのかは知らないのだが、人から聞いた話や創作物の中にでてくる文化祭は金曜日に前夜祭、土日に一般公開と後夜祭の3日開催だったと思う

 しかし、このスケジュールを見るにここは前夜祭無しの2日のみだ

 

「前夜祭って要するに一般公開の前に身内だけで楽しみたいがためのものでしょ?ここは外部から誰も来ないのだから、文化祭自体が身内だけのものなのよ。意味がないのだからやらないのかもね」

「本番に向けて士気を向上させるためとかそういう理由も在ると思うんだけどなあ。その割に後夜祭はきっちりあるし」

 

 そもそも外から誰も来ない文化祭とか何をやる気なんだろう?身内だけで楽しいんだろうか。

 

 ……ま、NPCにとっては楽しいんだろうな。ああいうイベントって。

 開催当日だけじゃなくて、むしろそれまでの準備期間が彼らの青春を彩る非日常となるんだろう。

 こっちは毎日が非日常だけれども。

 

「で、俺らを呼び出した理由は?そのなんちゃら祭で発情するガキどものためにライヴでもやればいいのか?」

「あなた文化祭に恨みでもあるの?」

「いいやそんな行事参加したことねーし」

 

 参加したしない以前に学校自体に行かなくなりましたから。

 中学の文化祭は、ほとんどがステージイベントを強制で観させられる拷問だからカウントしなくていいだろう。

 嫌う理由はあれだな、リア充とかそれ未満の奴らがきゃっきゃうふふしてるのを見るのが気に入らない。

 別に俺の視界に入らず、hateを溜めさせなきゃどこで何してようが構わんが、文化祭っていうのは空間全体でそういう空気を作り出すじゃん。見ないようにするとか不可能じゃん。

 

「そう……可哀想にね。一人ぼっちじゃ参加したとは言わないものね」

 

 ん?変な方向に解釈されたぞ?

 

「違うよ?ボッチだったわけじゃないよ?そもそもその時期の高校には既に俺の居場所はなかったと思うし」

「ハブられてたの!?それじゃあ性格も歪むわ」

「そうじゃない!」

「リンゴ……大丈夫だ。人は一人でも案外何とかやっていける」

「違うよ!?別に俺ボッチじゃないしイジメられてたわけじゃないよ!?そもそもそんな相手すらいなかったし」

「星川くん……本当に可哀想」

「ダメだ!どんどん変な方向にいく!?」

「強がらなくても大丈夫よ。わかってるから」

「悩まなくてもいいんだ、今はあたしたちも居るんだから大丈夫」

「何一つ正確に理解されている気がしない……」

 

 俺別にイジメられてたわけじゃないし……高校行ってなかっただけだし……

 ……社会的に同世代からハブられてたという解釈もできるけど。

 

「星川くんのトラウマは置いておくとして、察しの通りあなた達には文化祭でライブをやってもらうわ」

「トラウマじゃないもん……」

 

 落ち込む俺をよそに岩沢はゆりへと質問をする。

 

「どこで演る?中庭でゲリラとか?」

「あ、それいいな。もしくはどっかの廊下とかでもいいじゃないか?」

「それ機材の方は大丈夫なのかリンゴ?」

「ミニアンプで電源さえどうにかすれば、音出すだけならギターとベースは何とかなると思う。ドラムは持ち運ぶのが大変だから厳しいかも。ミニドラムはさすがに音楽室には無かったし」

「ドラムだけ省くのは嫌だ」

「ならいっそドラム以外の打楽器を使ってみるとかどうだ?ストリート向けのやついくつか知ってるぞ」

「別の楽器か……そうするとあたしたちも変えてみたくなるな」

「じゃあそれこそ岩沢はアコギにするとか」

「なるほど。むしろ全員の楽器をエレキ抜きのストリートでやってみるか」

「お、いいな」

 

 岩沢と会話をしながらモリモリと妄想が膨らんでゆく

 ストリートか……アコギ2本にベースはそうだな、ヴァイオリンとかどうだろう。コントラバスとか。

 打楽器は持ち運び的にボンゴあたりが……いや、あれを試してみるのも悪くないな。

 

「それはそれで面白そうね。でも、残念だけれどそれでは意味がないわ」

「え、どういうことだ?」

 

 そう尋ねるとゆりはノートパソコンを閉じて、座り直す。

 背もたれに寄りかかるように座りながら、腕を組んで難しい顔をした。

 

「おそらく()()()()として認識されてしまうと思うの」

「すまん、わかりやすく言ってくれ」

「つまりね、()()()だから、いえ、()()()だからなのよ」

 

 ……余計わからなくなった。

 其れを察したのかゆりは更に思案するように険しい表情をして、もぞもぞと脚を組み替えた。

 

「つまりね、文化祭期間中のこの学園は特殊な空間になる、規則が変わると考えられるの。その空間では登校時間の無視や指定服以外の衣服の着用とか規定時間外の寮への帰宅っていう、本来であれば校則違反である行為が許されてしまう。『()()()だから』の一言でね」

「……なるほど、そういうことか。そりゃあゲリラライヴなんざ意味はないわな」

 

 奴らにとって非日常に変わる文化祭という期間は俺らが普段行なっている日常行為とリンクする。

 つまり、俺らが存在し続けるために普段から行なっている違反行為等がむしろ当たり前だという認識に変わってしまうのだ。

 あらゆる校則が緩まる、見逃されてしまう『文化祭だから』というワード。

 そんな中でゲリラライヴをやってみたとしても、恐らく音楽系の部活が似たうようなパフォーマンスをするかもしれない。それらと同一視されてしまう。

 彼らやこの世界、居るかどうかわからない神様がそれを見たら、抗っているという認識はされずノリノリで楽しんでいるとすら解釈されるだろう。

 むしろ、意味がない。

 

「……わりと戦線的にキツくないか、文化祭」

「そうね。普段通りに行動したら消えかねないわ」

「なら俺らはどうすればいい、軽音部あたりのステージにでも乱入すればいいのか?それなら楽しんではいないだろう」

「生徒会もとい天使の邪魔はしたいけれど、NPCの迷惑になるような行為は避けたいわ」

「じゃあどうする。正直俺にはお手上げだぞ」

「大丈夫、あなたたちには後夜祭でやってもらいたいの」

 

 そういってゆりは引き出しからクリアファイルに挟まった一枚の紙を取り出した。

 それには大きく『後夜祭進行内容』と書かれ、下には細かな文字で色々と書き込まれている。

 

「どうやら天使は後夜祭に校庭でキャンプファイヤーをするみたい」

「今時キャンプファイアーかよ。まさかフォークダンス踊るんじゃないだろうな」

「マイムマイムとオクラホマミキサーは確定のようね」

「中学生かよ……」

「そんなにめずしいものでもないとおもうけれど。昨今の高校でも普通にやるものじゃない?」

「あたしの学校でもあったな……興味なかったけど」

「さすが岩沢さん、ブレねえな」

「あなたたちはこのキャンプファイヤーと同時刻に食堂でライブをやってもらいたいの」

 

 ゆりはそう言いながら進行表のキャンプファイヤー点火の時刻を指さした。

 時間的にはいつも食券巻き上げ作戦(オペレーショントルネード)をやっているころとそう変わりない。

 演る上で問題はなさそうだが。

 

「あからさまにぶつけるんだな。理由は?」

「その後夜祭、キャンプファイヤーには任意参加なの、出なくてもいいってこと。まあこのまま何も起こらなければNPCたちのほとんどは参加するでしょうけれど」

「つまり、客の横取り?」

「そう。食堂はその時間も利用できるようになっているみたいでね、作戦の主旨としては、NPCを食堂に集めてキャンプファイヤーの参加人図を減らす、可能な限り0を目指して。そして誰も来なくて困り果てた天使が一体どのような行動にでるか、それを確かめるってところかしら」

「なるほどね。そういうことか」

 

 予定していた計画が実行不可能で失敗した場合、天使は一体どのような行動に出るのか。

 運が良ければ神、あるいは彼女に命令を下している存在に頼りに行くかもしれない。

 それを確かめることが出来れば、戦うべき敵の正体と居場所がつかめる。悪くない作戦だ。

 

「でも、普通にいつもみたくライヴを止めに来るかもしれないぞ」

「あの律儀で頑固で融通のきかない天使が、自らの定めた進行を放棄してまで来るかしら?ま、それはそれで天使の思考データとして収穫にはなるわ」

 

 一応納得をしてゆりにクリアファイルを返す。

 そして、再びソファに座り直し、ゆりに尋ねた。

 

「で、それを伝えるだけなら俺だけでもいいよな」

 

 この程度の説明ならいつもの作戦概要とそう大差はない。

 パシリ(連絡要員)の俺が聞いて彼女らに伝えるだけで十分だ。

 だが、この場には岩沢も呼ばれた。

 

「岩沢さんを呼び出した理由は?」

「ちゃんとあるわよ、岩沢さん」

「なに?」

 

 岩沢を顔を上げゆりをみつめる。

 それをみて、居住まいを直し、キリッとした上司の顔をした。

 

「調子はどう?」

「どうって、別に。普通だよ」

「そう、なら文化祭で新曲を発表してくれない?」

 

 その一言に、岩沢は一瞬だけしかめたような表情をした。

 それに気づいていないのか無視をしているのか、ゆりは淡々とセリフを続ける。

 

「ただライブを演るだけじゃいつもと同じでインパクトが無いわ。さっきも言ったけれど、可能な限りのNPCを食堂に集めたいの」

「ゆりっぺさんは新曲で客を集める気なのか?」

「ゲリラ公演としてはいるけれど『文化祭のどこかでガルデモが新曲を発表するらしい』という噂を流しておきたいわ。そうすればNPCの期待と注目を上げておくことが出来るでしょう。後夜祭直前にライブの確定情報を流せば申し分ない。正直賭けになるかもしれないけれど、けして部の悪い博打ではないはず」

「なるほどな」

 

 ゆりの考えは理解できる。

 普段のライヴがゲリラ公演であるおかげで、NPCたちもガルデモの演奏が聞けるかどうかは運次第なのだ。

 それに、今までガルデモに関心が無かったNPCも文化祭で高まった熱をキャンプファイヤーなんて地味なもので冷ますより、盛り上がって発散できるライヴのほうが断然魅力的だろう。

 そんな中で"新曲"なんてそれまた希少価値の高いエサをまいて、なおかつ確実な開催情報も流せば彼らの心は欲求のある側へと簡単に向いてくれる。

 確かに、いい考えだ。

 だが、

 

「岩沢さん、発表してない曲のストックとか今ある?」

「……いや」

「なら、文化祭までに作ってもらえないかしら。一曲だけでいいから」

「……」

 

 岩沢は返事をせず、ただ口をつぐんで黙った。

 ゆりも黙して待ち続ける。嫌な沈黙が続いた。

 やがて、岩沢がその口をゆっくりと開いた

 

「善処、してみるよ」

「……そう、期待しているわ」

「これで話は終わり?」

「ええ、お終いよ」

「わかった。リンゴ、先に行ってるから」

 

 そう俺に告げるもろくにこちらの顔を見ず岩沢はさっさと校長室から出ていった。

 扉が閉まると同時に、ゆりはフーッっと肩の力を抜いて楽な姿勢でふんぞり返り、つぶやいた。

 

「『善処』ですって。この世で3番目に信用ならない言葉ね」

「ここはあの世だけどな。ちなみに上2つは?」

「『先っぽだけ』と『安全日だから』」

「…………女の子が下品なことを言うもんじゃありません」

「あら、あなた好みだと思ったのけれど」

 

 ゆりはクスクス笑いながらそう言った。

 まったく、逆セクハラを受けるとは。俺もまだまだ甘いな。何がだって話だけど。

 

「それは置いといて、結局のところどうなの」

「どうって何が?」

「新曲」

 

 すっとぼけてみたものの、ゆりはその空気を読まずに端的に聞いてきた。

 横目でで表情を伺うと、先程までくだらない冗談を言っていた笑みはなくリーダーの顔へと戻っている。

 

 ……ここは誤魔化さないほうがいいか。

 俺は溜息を吐いてから答えた。

 

「無理だろうな」

「……理由は?」

「はっきり言ってスランプだ。俺が把握している限り、新しく完成した曲は一曲もない。作ってはいるようだけれど、あのペースでは到底文化祭には間にあわないだろうな。あいつの創作ペースってのがどういうものか知らないが、今はずうっと同じフレーズをこねくり回しているからいつ完成するかもわからない」

 

 俺がこの世界に来てからというもの、一から作り上げられて完成した新曲っていうのは1つもない。

 最近彼女がこねくり回しているやつや、その前に創っていたメロディーなどはどうやら1つの曲だと思うのだが、形となって通しで聴いたことは一度もない。

 最近は新しいところを足しては消して、消しては足してを繰り返しているようにみえる。

 あれでは一生完成することがないかもしれない。

 

「そんなにひどいの?」

「一歩進めば一歩下がり、それでその場が気になって足踏みをし続けてるようなもん。進みも下がりもしない」

「それは困ったわね」

 

 ゆりは頭の後ろで腕を組んで椅子にもたれかかった。

 俺も岩沢がスランプになっている現状は喜ばしくない。

 

「どうにかならないものかしら、星川くん」

「無理にでも創りあげることは可能だと思う。適当なものではなくて、それなりに聴けるものでね。岩沢さんにはそれだけの才能や技量があるから。でも、彼女は絶対に納得しないだろうし、俺もそれは大変好ましくない」

「……なんとかしなさいよ、マネージャーでしょう?」

「無茶言わないでくれよ、それに俺はパシリだったんじゃないのかよ」

 

 実を言うと、あの状態から抜けだす手立てが無いことはない。

 だが、それは俺が言うべきことではない。

 創作というものは、個々人のエゴによって生まれるものだ。

 エゴの塊に対して他人がどうこういう資格はない。

 そいつにはそいつのやり方とそいつの曲げられない信念がある。

 だから、俺は彼女にそのことで手を出すべきではない。

 

「新曲がなくても、文化祭という特別な興奮を上手く手玉に取ればNPCを誘導することはできると思うわ」

「なら別にいいじゃねえか」

「でも、可能な限り使える手札は多めに持っておきたいの。だからお願い、達成しなくてもいいから出来る限りの手は尽くしなさい」

「いやだから無茶を言うなと」

「し、な、さ、い。これは命令よ」

「お願いって言ったじゃん」

「なに?」

 

 ギロリと凄んだ目つきで思いっきり睨んできた。

 さすがにここまで命令されたは仕方がない。断ったら後が怖い。

 

 まったく。

 どうしてこの世界にいる女性の方々はこう意志が強いっていうか我が強い人が多いのかね。

 肩身狭い。

 俺は肩をすくめながら、ゆりに返事をした。

 

「善処はするさ」

 



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Chapter.3_2

 生きているとは何だろう。

 死んだということはどういうことだろう。

 

 こんな仙人みたいな自問自答をしてしまうのは、やはりここが死後の世界だからだろうか。

 

 おそらく、今後も俺は考え納得し思い直しまた考え。

 終わらないこの思考を繰り返していくことだろう。

 

 だけど、今はすこしだけわかることがある。

 

 死んだという認識をいつするかはわからない。

 死んだ瞬間の意識なんれものはない。

 死後の世界とはいえ、生きている頃となんら遜色のない生活をする。

 もしかすると、死んでいる実感なんてものはないのかもしれない。

 

 でも、生きている実感は知っている。

 

 意味もなく汗水を垂らしていた時。

 何かを成し遂げた時。

 誰かと一緒にいた時。

 

 生きていたあの頃、おそらく俺は今を生きていると感じていただろう。

 

 そして死して尚、その感覚は強みを増す。

 

 この動悸が、

 この焦燥が、

 

 死んでいるはず俺に生の実感をもたらしている。

 生きているという感触が、俺の足を急き立てる。

 

 俺は、今、生きているんだ。

 

 

 

「こらあああどろぼおおおおおおかえせええええええ」

 

 

 

 音楽室にあった四角い木箱を失敬しながら、俺は逃げ延びることに必死だった。

 

 ●

 

 「でさ、ゆりっぺさんも無茶言うけよー」

 

 ココンカココンカ

 カカコンコンコン

 

 心地よい音色がリズミカルに教室に響き渡る。

 その音は例えるなら木魚に近い、木を叩いて鳴らす独特なものだ。

 かといって、あのポンポンという眠くなるようなぼやけたものではなく。

 くっきりとした気持ちのよい音である。

 マリンバほどではないが、その音は一辺倒ではなく複数の音色で複雑な曲を奏でている。

 いうならば、民族楽器をより硬質にしたような。

 そんな音だ。

 

「はあ」

「ひどいねー」

 

 その音に混じって、入江の呆れたような返事と関根の興味のなさそうなつぶやきが聞こえた。

 

「正直ねー、俺が口出す領域じゃないと思うんだよねー」

 

 カカココン コンココン

 

「そうですねえ」

「うんうん」

 

 コーンコーン コンカンカン

 

「上からの命令に逆らうわけにもいかないしさー、中間管理職でもないのになんで俺板挟みになってるんだろ」

「あの、いきなりですみません、どうしても気になるんですが」

「何?」

「それ、なにしてるんですか?」

「変な人に見えるよリンリン先輩」

 

 俺の対面に座る二人は俺の股下を指さしながら問うてきた。

 うーむ、こう下腹部付近を指さされると恥ずかしいものがあるな。

 嘲笑われているようにも見えなくもないし……

 

「これ?」

「それです」

 

 俺は立ち上がり、女子二人が指差すブツを見えるように前に出した。

 

「これはあれだよ、我がむ……」

「いえ、カホーンなのは理解できているのですが」

 

 久々のセクハラコミュニケーションを先回りで潰されて、俺は悲しい気持ちになった。

 ここ最近セクハラしても、気がつかない天然とか銃口向けてくる鬼畜とか理解した上でせせら笑う無表情とか。

 そんなコミュニケーションにならない女子としか会話してなかったから恋しいのよセクハラが。

 自分がロクでもない考えに浸っていることに気づいて若干自分自身に対して引いていたが、入江は気にせず質問を続けた。

 

「そのカホーンどうしたんですか?もしかして、ギルドで作ってもらったんですか?」

「音楽室の横の物置っぽい部屋にあったからパクってきた」

「また盗んできちゃったんですか!?」

「どうせ誰も使えないだろうからいいでしょ」

「そういう問題じゃないですし、先生たちに知られたらどうするんですか!」

「いやー、まさか教師があんなとこで仮眠してるとは思わなかったから逃げるの大変だったよ」

「すでにバレてるじゃないですかー!」

「ところでリンリン先輩、そっちのシンセは?」

「それは前々から狙ってたんで、ついでにもらってやった。DTMで音確かめるのに使ってたけど、飽きたから今は椅子代わりにしてたカホーン叩いてました」

 

 コンコンと景気良くカホーンの前面を叩いてみせるも、入江は更に呆れたような顔をした。

 

「ゆりさんに知られたら、大変ですよ」

「なんとかなるって。どうせこいつ使えるやつなんかそんないるわけでもないんだから。俺が使ってやるべきだね」

 

 コンコンと再びカホーンを多々入れ見せると、入江はため息を付いて落胆した。

 呆れて物が言えないのだろう。

 

「だったらそれでステージにでも立ってばいいじゃないかな?」

 

 関根がケタケタと笑いながら、カホーンを指さして言ってきた。

 入江がその発言に頷く。

 

「せめて戦線の活動において有効であることを示せば、ゆりさんもそこまで怒らないと思いますし」

「ステージ?そいつは勘弁願いたいな。それにこいつを使うのは俺じゃない。入江さん、きみだ」

 

 俺はそう言って立ち上がり、腰を掛けていたカホーンを入江に差し出した。

 

「ちょいと岩沢とストリートパフォーマンスの話になってな、試しに教えてとこうかと思って。コンガとかも考えたけど、これが一番見栄えがいいかなと」

「え、ちょっと」

「さっさと座って。そうそう、あんまり跨がり過ぎないほうがやりやすいよ」

「こ、こんな感じですか?」

 

 意外にも入江は乗り気で座った。

 盗んできた俺の行為は認められないが、それでもカホーンに対する興味が勝ったのだろう。

 華奢なナリをしているが、やはりこいつも岩沢と組んでいるだけのことはある。

 音楽家っていうめんどくさい性質を持っているのだ。

 

「どうしたんですか?難しい顔して。座り方変でした?」

「いやいや、スカートからのぞく白いおみ足が綺麗だな―と思ってただけだよ」

「そうですか」

 

 渾身のセクハラ誤魔化しをさらりとスルーしながら入江はポコポコとカホーンを叩く。

 本当に最近コミュニケーションが取りにくくなっちゃったよ……

 いや、常識的にセクハラで距離感を図ろうとすべきではないんだがな。

 

「似たような音しかしませんね……」

「叩き方によって変わるんだよ。そうやって手のひらで広く叩くと低音だけど、板の上の方を指全体で叩くと高音になるよ」

「あ、本当だ」

 

 入江が教しえた通りに叩くと、乾いて張りのある音が響いた。

 いくつか技法を教えると、キャッキャしながら入江は試す。

 女子高生らしいはしゃぎぷりだ。

 入江が夢中になって叩いていると、関根が近づいてきて尋ねる。

 

「リンリン先輩、本気でストリートやるの?」

「さあな」

 

 会話の流れで出た話題程度だから、おそらく岩沢も本気にはしていないだろう。

 本気になってもらって困る。

 それよりも注力しなければならないことがあるわけだから。

 

「まあ暇つぶしにはいいだろ。曲ができないことにはどうしようもないし」

「暇つぶしかあ」

 

 関根は笑ったようにつぶやいた。

 彼女の笑顔を見て、俺は問いかけた。

 

「……なあ、お前らはどう思うんだ?」

「何が?」

「岩沢さんのスランプ」

 

 それは答えを求めたいのではなく、もはや行き詰まった故の弱音のような問いかけだ。

 

「……あたしたちはさ、一緒に演るし編曲も手伝うけど、基本的には待ってる側なんだよ」

 

 関根は答えながら抱き込むように白いL2000を抱え込んだ。

 

「あたしはベースで語ることはできる。でも、ギターの音色に合わせられても生み出す景色を見ることは、あたしだけじゃできないんだよね。歯がゆいけどさ、岩沢先輩が抱えている苦悩とか葛藤とかわかんないんだ。本当は助けたいけどどうすればいいかわからないし、助けることが正しいかどうかも判断できない。ひさ子先輩くらい音楽について詳しければいい方法ってのがあるんだろうけど、残念ながらあたしバカだから、それもわかんないんだよ」

 

 笑った表情を作りながらも、彼女は悔やむような瞳をしていた。

 その眼の先に親友を映す。

 

「みゆきちも同じなんじゃないかな。一緒にいるからなんとなくわかるんだ。悲しいけど、待ってるしかないんだよねあたしたちは」

「そうか……」

「でも、いつまでも待つよ。岩沢先輩が満足のいくものができるまで、ずっと。どれだっけかかってもいいし、どれだけ迷惑をかけられてもいい。あたしたちを奮えさせてくれるのは岩沢先輩の曲なんだから。それに、あたしたちリズム隊はガルデモの土台だよ?ブレずに安定しなきゃいけないからね、どっしり構えて待ってるよ。それにさ、リンリン先輩は解決策もってそうな気もするしねー」

 

 関根の問いかけに、俺はとぼけたように眼をそらした。

 

「さーてな」

「またまたー」

「いやほんと、根本的な解決方法はないって」

「えー、嘘だよー。ホントのコト言わないと、さっきからみゆきちの脚ガン見してるのひさ子先輩にチクっちゃいますよ-」

「やめろ意味もなく殺される」



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Chapter.3_3

 薄く紫色をおびた夕空にアコースティックの音が響く。

 相変わらずハッキリとしない音色でこっちまで気が滅入りそうだ。

 その音を聴きながら、俺は中庭のベンチでコーヒー片手にボーッと空を見上げていた。

 

「やっちまったなー」

 

 サボった、という表現が正しいかどうかは分からないが、俺は放課後屋上に行くことを拒否した。

 どうせ今の状態の岩沢のもとへ行っても、スランプがどうにかなるわけではないむしろし逃避する口実にもなってしまう。

 それでは任務は達成できない。

 

「とはいえ、なんにもしないわけにも行かないんだよなー」

 

 ゆりに命令されている以上何らかの行動を取らねばならないだろう。

 個人的には動かないことも正解だと思うが、岩沢が自力で立ち直るだけの力があるとは確証が持てない。

 しびれを切らしたゆりに勝手な手をうたれると、それはそれで面倒な事にもなりかねない。

 

「あーあ、めんどくせぇ」

 

 連絡役だパシリだマネージャーだとコロコロ表現を変えられているが、要するに自分はただの便利屋扱いなのだ。

 予想にはなってしまうが、おそらくゆりはガルデモに何らかの問題が生じた際に前線指揮を執る自分以外に対処できる、陽動部隊専門の人間をおいておきたかった。

 だから俺に連絡役なんて回りくど言い方をして彼女たちのそばへと置いた、のかもしれない。

 最初からそう考えていたかどうかは分からないが、少なくとも現状で俺に求められている役はそう違いないだろう。

 だとしたら人選を間違えたとしか思えないけど。

 

「第一、逃げることがいけないこととは、俺は思わないけどな」

「逃げるって、何からだ?」

 

 独り言に対して後ろから返事をされ、振り向くとそこにはポニーテールの我らがリードギター様がいつものように不機嫌そうな表情で佇んでいた。

 

「そりゃおめえ、おっぱ……コワイ人からだよ」

「いま卑猥なこと言おうとしてなかった?」

「聞き間違いだ、だれもお前の双子山の話なんぞしていない」

「ほほう?」

 

 訝しげな表情をするひさ子に、俺は畳み掛けるように言い放った。

 

「聞き間違えついでにもう一つ言っとくわ、頼むからギターケースは斜めに背負ってくれ。そうしたほういろいろ強調されてが嬉しい」

「忠告ありがとう。てめえの前では絶対しないように心がけておくよ」

「なにそれ悲しい。お膝の上で慰めてくれ」

「便器でも抱いて寝てろ」

 

 久しぶりの独自コミュニケーション成功に少し気分が良くなった。

 最近じゃ天然ボケか無視か暴力か理解した上でわざとボケるかしかいないから、ひさ子の反応がとても新鮮だ……。

 しかし、回数を重ねるごとにひどくなってゆくひさ子の罵詈雑言にも少し心配になった。

 こいつこんなに口が悪くなって大丈夫かよ、嫁の貰い手とか。

 その原因の一端が自分にもあることは棚に上げて心配するも、そもそも死んでるから将来とか関係ないかと勝手に納得した。

 どっこいしょと女らしさを感じさせない悲しい言葉とともにひさ子は予想外にも俺の横に座った。

 いつもなら不機嫌になって立ち去る場合が多いというのに、こうも想定外の行動をされるとむしろコワイ。

 ……そうか!これはあれか、ツンデレ的なやつか!

 ということはまさかさっきオレが言った言葉を実行してくれるのか!?

 

「まったく、素直になれよな。よっこらせ」

「なに勝手に膝枕しようとしてんだ死ね」

 

 置こうとしていた頭をがっしり掴むと、ひさ子はそのまま横におもいっきりひねった。

 

「ちょ、ま、ひさ子さぁん!?」

 

 ビキビキっと首の筋肉が嫌な音をたて、ゴリゴリっと内側から生命の危機を感じる骨的な音がうめく。

 

「そこは、だめ、そこ、頸つ、みゃ、ぁあああああああああああ!?」

 

 ゴキっと、嫌な音が頭に響き、目の前がホワイトアウトする。

 もはや何度目か数えるのを忘れたが、俺の意識は再度闇へと誘われていった。

 つまり、また死んだ。

 

 ●

 

「おーい、いい加減起きろ」

 

 ぺしんぺしんと、優しさや思いやりの欠片もない加減で叩かれた頬の痛みで俺は意識を取り戻した。

 自覚するのにしばらく時間がかったが、雲の流れから死んでそう時間はたっていないように思えた。

 

「……さすがに照れ隠しで殺っちゃうのはヤンデレすぎやしないかhoney」

「黙れ。もう一回いくか?」

「勘弁。俺、何時間くらい死んでた?」

「さあ。時計がないから正確な時間はわかんないけど、15分もかかってなかったと思うよ」

「……また短くなってる」

 

 だるい身体を何とか動かし起き上がる。

 生き返ってからのだるさは変わらないが、どんどん死んでから復活するまでの時間が短くなっている。

 死んで生き返ることに適応してきたということなのだろうか。

 しかし、いくら死んだ身でここが死後の世界とはいえ、蘇生なんてものが慣れるなんて普通の人間だったらありえないだろう。

 もはや俺は普通の人間ではなくなってきているということなのだろうか。

 ……考えたところで結論が出るものではない。

 俺は思考を放棄するように大きな欠伸をして気分を切り替えた。

 

「ふぁぅむにゃ……で、ひさ子さんはなんか俺に用事でもあんの」

「用事ってほどでもないけどな、気になって」

 

 そうひさ子は言ったひさ子は目線を校舎の屋上へと向けた。

 

「今日はいいのか」

「ああ、そういうことか」

 

 ひさ子の意図に気づいた俺は同じように目線を不愉快な音色を垂らし続ける屋上へと向けた。

 

「俺が行ったこところでどうこう出来る問題でもないし、とりあえず岩沢さんが自分で何とかするしかないのかなーとも思って。だったらむしろ下手に邪魔しないほうがいいのかもしれない」

「ふーん」

「つーかよく知ってたね俺が屋上行ってたの。まさかみんな知ってるの?」

「みんなかどうかは知らないけど、あたしは寮が岩沢と同室だからね。あんたとした会話とかよく聞くよ。ま、ほとんど音楽のことだけど」

「なるほど」

 

 岩沢のことだ、一般男子が妄想するような『女子に噂される』内容とはかけ離れたことをしゃべっているのだろう。良い意味でも悪い意味でも。

 岩沢に限らず、男の子が抱く幻想に対する女の子の現実なんて大抵そんなものだろうが。

 

「おかげで寝る前に『今日聞いた曲はな〜』とか言って話し始めたり、しまいにはギターで弾けるか試し始めるから微妙に困ってる。隣の部屋からはよく苦情は来るし、あたしもアテられて寝付けないこともあってね」

「そいつはすまんかったな。今度岩沢さんに教えるときはBWV988にでもしとくよ、神経質なお隣さんには逆に感謝されるかもな」

 

 そりゃありがたいぐっすり寝られる、とひさ子は笑った。

 今の冗談が通じるとは、周りが言うようにひさ子はガルデモの中で一番音楽というものに造詣が深いのだろう。

 ならば、聞いてみたいと俺は思った。

 

「でさ、ひさ子さん的にはどう思うのよ」

「どうって何が」

「岩沢さんの現状。リズム隊は待つって言ってた。俺としてはそれに賛成したいけど、上からの命令もあるからどうしようもない」

「そうだね……」

 

 ひさ子は片膝を抱き込むように立て、ゆっくりと口を開いた。

 

「あたしもどうしようもない、かな」

「えーひさ子さんもかよー」

「うるさい……昔はさ、岩沢は譜が書けなくてあたしが聴いて代わりに譜に起こしてたんだ。だからなんというか、曲を創ることに関してはちょっとした共同作業みたいな感じはあったかな。でも岩沢にやり方教えてからは一人でやるようになった、そのほうが効率もいいしね。あたしは生まれる過程に携わらなくなった分少し寂しくはなったけれど、新曲ができるとなんていうかプレゼントの蓋をあける前のワクワク感ってのを持てるようになったから、それはそれでたのしいよ」

「へえ、そうだったんだ」

 

 それは初めて聞いた。

 確かに、岩沢はあんな曲を作ってるにしては少し知識的に足りない部分を感じた。

 正直あってもなくても彼女は出来ているのだから関係ないことだが、少なくとも生前に教えられて学んでいたのならどこかしらで得ているはずだと思う。

 独学だから知らなかったのかと思っていたが、まさか死んでから学んだとはな。

 

「だからかな。余計に今の岩沢もみても、あたしにはどうしようもないとしか言えない」

「どうして」

「代わりに書いてやっていたときからあいつの作曲法っていうのが面白くてね。そもそも、あいつの曲自体があたしの予想を裏切った進行をしていくから。普通じゃ思いつかないようなことをして凄いって思えるんだよ……だから、どうしようもないんだ」

 

ひさ子は膝に顎をのせて憂うように言った。

 

「今の岩沢が何でうまくいかないのか、あたしはその理由がわからない。考えても、それ原因だとは言い切ることができない。あいつの考える世界がわからないから、どうしようもないんだよ」

「……そりゃそうだ」

 

 ひさ子は岩沢が実際に創造してきた場に立ち会ってきたからこそ、岩沢の思考が何処からきているのかわからない。

 想像を越えた発想によって生み出してきた人間が躓いた理由は、その発想を同じように生み出せる人間にしかわからない、と。

 

「類は友を呼ぶ……ってこの場合は全然違うか。なんつったけなあ」

「何が?」

「ほらなんつーの、ファンタジスタの見る絵ってのはファンタジスタにしか描けないっていう感じの内容のことわざ」

「全然わかんねえよ」

 

 お前ってバカなんだな、とひさ子は呆れて笑った。

 俺もそれに苦笑した。

 ひさ子はあまりにも岩沢を過大評価しすぎている。

 天才の苦悩なんていうのは確かに凡人とは違うものかもしれない。

 だけれども、その原因ってのは案外くだらないものだったりするのだ。

 それこそ、凡人は軽く越えたり避けたりして何気無く過ごしているなかで。

 

 ひとしきり笑ったのち、ひさ子は立ち上がった。

 軽い伸びをしたあとに、振り返り言った。

 

「でも、岩沢も同じだと思う。あいつはこの世界に来て、いや、音楽というものを創り始めてから初めての壁にぶち当たってんだ、そう簡単に立ち直れるものじゃない。理由だって、あの岩沢のことだから気づいてないかもしれない、だから、我らがリーダーにセクハラ以外でなんか役になってくれや、変態くん」

 

 そう言ってひさ子は軽くてを振りながら、こちらを見ずに寮の方角へと去って行った。

 ひさ子が見えなくなってから、俺はコーヒーを含みながら空を見上げる。

 曖昧な色合いだった天井は日の傾きと共に徐々に薄暗くなっていた。

 屋上から響く音色は空とは違い以前として進んではいなかった。

 空を薄く睨みながら、ひさ子や関根たちに言われたことを思い出す。

 

「……まったく、どいつもこいつも人に言うだけ言いやがって。押し付けじゃねえか」

「それだけ信頼を得たということではないでしょうか。やはりここはガルデモハーレムルートに賭けるべきかもしれません」

「うびゃぁああああああああああああああああああ!?」

 

 背後から突然耳元でささやかれ、俺は飛び跳ねるようにしてベンチから転げ落ちた。

 ビビりながら顔を上げると、ベンチの後ろには相変わらず表情筋の動きが少ない遊佐が立っていた。

 

「なんですか素っ頓狂な声を出して。さきほどのひさ子さんにも後ろからは声をかけられていた時は普通だったじゃないですか」

「遊佐さんのは声をかけるじゃなくて死角から耳元で囁くだ!心霊現象かと思うわ!」

 

 あまりにも驚いて今までで上位に食い込む醜態を見せてしまった。

 さっきまでヤレヤレ系に黄昏れていた俺がどっかに吹っ飛んじまったよ!

 

「まあ幽霊みたいなものですから」

「そりゃ死んでるもんなって上手いこと言ったつもりか。つーかまだ賭け事やってんのかよ」

「勢いはなくなりましたが地味に続いてます。勝ちたいので決まった際はインサイダーよろしくお願いしますね」

 

 しれっと言ってくるが、前にした会話を思い出すとなかなかに触れにくい話題のように俺は思ってしまうのだが……

 

「とりあえず断る……で、一体なんの用って質問をするほど予想できていんないほどじゃないけど」

「ええ、お察しの通りゆりっぺさんから経過観察というのプレッシャーかけるようを命じられただけです」

「やっぱりそうか……」

 

 ため息を吐きながらベンチに座り直すと、いつのまにか横に遊佐が座っていた。

 こいつ、なんかしれっと隣に座りやがって。プレッシャーかけやすくするつもりだな。

 今回はそう簡単にはいかんぞ。

 

「ゆりっぺさんに伝えといてくれ、やっぱ無理だと。俺がどうこうできる問題じゃねーよ」

「そんな返事を望んでいるとでも?」

「しかたねーだろ、岩沢さんの状態からいって今すぐにどうにかなるとは思えない」

「それをなんとかするのがあなたの仕事だと思うのですけれど」

 

 やはり、なかなか上手く退いてくれはしない。

 しかし、こちらもそう安々と諦めるわけにもいかない。俺はない頭を必死に振り絞った。

 

「……あー代案を提出するってことで勘弁してくれないでしょうか」

「代案ですか……」

 

 遊佐は少し思案するように顎に指を当てた。

 

「試しに聞いてみますが、どのような?」

「ゆりっぺさんの目的は、動員を増やす為になるたけライヴを盛り上げることだろ?それで新曲を利用したいと」

「まあそうですね」

「なら新曲以外の方法をつかう。そうだな、例えばライヴっていつも照明をただ当ててるだけだろ?その照明をバスドラのビートに合わせて点滅とかパターン作ったりして使う」

「なるほど……」

「あとは後ろにスクリーン置ければそこに映像出すとか」

「つまり、演出効果を積極的にするということですか?」

「まあそいうことだね」

 

 オペレーション・トルネードの巻き上げは意図的ではないにせよ演出として悪くないものだった。

 しかし、肝心のステージに関する演出はわりとチープな印象を感じだ。

 それこそ、学生のような素人が文化祭でやるもののように。

 

「演出を考えるだけでもライヴはだいぶ変わると思うんだけど」

「そうですね……ですが、その案では弱いでしょう」

「まじか」

「それは確かにライブしたいの質は向上しますが、動員が増えるわけではありません」

 

 遊佐に冷静に指摘をされ、俺は痛いところを突かれてしまったなと思った。

 俺が上げた演出に関する案は、人を集めるとしては後天的な作用しかしない。

 あくまで、ライヴに来た人間が盛り上がるだけであって、”新曲を披露するらしい”という前情報と違いライヴを最初から観に来ようとする人間を増やせるわけではない。

 せいぜいライヴが始まってから”今日はいつも以上にすごいぞ”という印象を与えることが関の山。

 その盛況で動員を増やせるかなんてはっきり言っちゃえば博打だ。やってみなければわからない。

 上手いこと言えば誤魔化せるかと思っていたが、言いくるめる前にその欠点に気づかれてしまった。

 さすがにリーダー直属の部下様は頭の回転速度が違ったか。

 しかし、どうするか悩んでいた俺に反して遊佐は意外な返事をした。

 

「しかし、いいでしょう。今回はその案をわたしの方からゆりっぺさんに報告して見逃してもらいます」

「まじか!」

「考え自体は悪くないですからね。でも、一つ貸しということで」

「お、おう」

 

 貸しって何されるんだろう。

 感情の起伏が薄い遊佐からは正直コワイ想像しか浮かばないんだけれども……

 

「あと、質問に応えることが条件です」

「質問か?答えられる範囲で、変な質問でなければ」

「岩沢さんのスランプの原因及び現状を打破する方法はなんですか?」

 

 さすがに言葉が詰まった。

 遊佐が真正面から俺を見据える。

 

「他の方々が言うように本当はわかっているんですよね。というか、ゆりっぺさんの前でそのようなことをおっしゃっていませんでしたか?」

「ほ、他の質問では……」

「拒否も黙秘もありません。この質問に答えてくださらなければ見逃すという話は無かったことに」

「まじか……」

「安心してください、聞いてもゆりっぺさんには報告しません。せいぜい”何か策がありそうかも”、とかその程度にとどめときますから」

 

 俺はベンチに背中を預けて溜息を付いた。

 正直、『おそらくこうだろう』程度の確証しかないから人に話すのは気が引ける。

 それ以上に原因自体を外側からとやかく語るのあまり気分がいいものではない。

 ……だが、話さない場合が逆に誤魔化せなくなるわけで、結局スランプ解消のために奔走しなければならない。

 

 どっちに転んでも知られることには代わりはない。

 ならば傷の少ないほうに転ぶべきか。

 

 俺はもう一度大きな溜息を吐いてから、重い口を開いた。

 

「おそらく、バラードが弾けなかったことがはじまりだろう」

「バラードですか?」

「そうだ。岩沢さんは生前にあまりロックに関わりがなかったように思える。聴いてはいたのだろうけれど、実際に弾いたり歌ったりしたことはなかったんだろうな。アコギで弾き語りやってたあいつの根底に流れるのはバラードなんだよ。だけど、死んでからロックをやるようになった。そして残念なことに、ロックしか歌えない状況にもなってしまった」

「というのは、オペレーションのことでしょうか」

「そうだ。ドンパチやってる横でしんみり聴き入ってもらっちゃ陽動の意味が無いからな。ガルデモでやる場合は完全にロックやメタルとかうるさく派手なもの限定という枷があるようになった」

 

 おそらくゆりの命令か。

 バラード禁止したわけではないのだろうけれど、ライブでは派手な曲をやるように指示したのだろう

 それを岩沢はバラード不可と判断したのかどうかは分からないが、避けるようにはなったはずだ。

 

「では、バラードを歌える状況をつくれば解消されるのですか?」

「そんな簡単な話じゃないよ。というか、問題はすでにそこにはない」

 

 俺は残りの缶コーヒーを含み、一息おいた。

 缶の中身が空になってから続けた。

 

「ロックを歌うことは、最初の頃は楽しかっただろうよ。Rock ’n’ Rollという概念自体があいつの歌いたい、刻みつけたい願いを届けるのには最適だったはずだ。でも、誰しもが一回は挫折や壁にぶち当たる、いわばスランプに陥る。多分だけど、あいつはロックの限界に辿りつてしまったんだ」

「ロックの限界?」

「そうだな、ロックを見失ったというべきか。今のあいつは伝えたいことはある、それを表現するフレーズも思いついた。だけど、それはどうやらRock ’n’ Rollじゃない」

 

 耳をすまして流れてくるアコースティック音色をたどる。

 響く弦の振動は迷子の少女のように口ごもっているかのようだ。

 

「今弾いてるのが正しいのか、もっと良いものがあるんじゃないだろうか。多分、そんなことを考え続けたらいつのまにか自分のやりたかったことってやつを見失ったんだと思う。見失って、探し続けた結果、行き止まりになって自分のロックに限界を感じた。それに気づいていたのかどうか、あいつは探し続けることをやめなかった故に今のスランプに行き着いちまった。そして今も探し続けてる」

 

 立ち上がって空を見上げる。

 流れる雲の隙間から覗く暖色の空は、色に反してとても冷たく思えた。

 

「……解決策はあるのでしょうか」

「諦める」

「諦める?」

「探すことをね。見つからないんだから諦めて別のことをした方がいい、そのほうが生産的だしもしかするとそのうちひょっこり見つかるかもしれない。でも、これは何の解決にもならない。問題から目を背けただけだからな」

 

 諦めたところでまたぶつかるかもしれない。

 先送りにした負債を抱えて気づかないふりをするのも案外苦しいものだ。

 岩沢はできないだろう。

 

「ま、これは要するにガルデモの活動を休止することだからね。ゆりっぺさんは許さないだろうし、何より本人が嫌がる、というかそんなことあいつにはできないだろ。だとするとあとはやっぱり待つしかないよ、あいつが見つけ出してくるのを」

「そうですね」

 

 遊佐はそうつぶやき立ち上がった。

 屋上を一瞬だけ見てから、俺に向き直る。

 

「質問の回答有難うございました。大変有意義でした」

「そりゃよかった。ゆりっぺさんへの進言よろしくな」

「お任せください。もちろん、今の話は内密にしておきますから」

「有り難い」

「二人だけの秘密ですね」

「なんでだろう、全然ときめかない」

 

 多分それは秘密じゃなくて弱みだからだろう。

 遊佐の表情筋が微妙に動いて笑みを浮かべているように見えるのもおそらく気のせいだろう。

 そう信じたい。

 

「では、わたしはこれで」

「ああ、お疲れさま」

 

 遊佐は一礼して背を向け歩き始めた。

 しかし、数歩歩いたところで立ち止まり振り向いた。

 

「そうそう、あれもゆりっぺさんには秘密にしておいた方がいいですよね」

「何のこと?」

「星川さんが、本当は代案をもう一つ持っていることです。どうやら確実そうなのを」

「……何のことだか」

「別にいいです、あまり良い策ではないから言いたくなかったのでしょうし。ではまた」

「……またね」

 

 遊佐の後ろ姿を眺めながら、色あせてゆく空にどことない寒気を感じた。



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Chapter.3_4

 最近、よく空を見上げている気がする。というか、空しか見えてないんじゃないだろうか?

 俺はコンクリートの壁に寄りかかって夕日が落ちてゆくのを眺めながら、鉄臭いコーヒーを喉に押し込んだ。

 いい加減缶コーヒーも飽きた。

 しかし、粉末を購買で盗んできて自分で淹れるのは寮まで戻らねばならない。調理室に侵入して入れたもいいが、コーヒーを飲むたびに天使と追いかけっこするのはアホくさい。

 願わくば食堂のコーヒーが泥水のようなものではなく、ちゃんと毎回淹れてくれればいいのだが……学生食堂にそれは高望みというものか

 そんな下らないことを考えながらぼーっとしてみる。

 

 夕暮れ雰囲気というものは、色合い的な暖かさを持ちながら寂れゆく冷たさという矛盾を持ち合わせている。その矛盾が面白く、一人でこうして夕空を見上げるのは案外すきだったりする

 だが、赤く染まりゆきやがて夜へと変貌しようとする空には、相変わらず冴えない音色が響き渡り続けていた。その音が安いコーヒーの味を更に悪くする。

 

「いい加減、どうにかしないとな」

 

 

 結局何もしないまま一ヶ月半近く経ってしまった

 明日からは文化祭準備週間とやらに突入するらしい。ゆりから警備巡回時間の変更等の諸注意も受けた。

 そして、自分の仕事は全く進まないままタイムリミットギリギリとなった。

 

 日に日に岩沢は焦燥してゆき、最近では練習でもいきなりシャウトしたり曲を改変しようとしたりと奇行が出るようになった。

 他のメンバーが心配してケアをしているが、何かあるたびに俺を一瞥して「流石にそろそろなんとかしろよ」的な視線を向けてくる

 なぜかよく遭遇する遊佐までも『ゆりっぺさんを抑えるのも限界があります。早くしないと寝ている隙に殺やりますよ』だなんて怖い圧力をかけてくる始末。

『寝込みを襲われるのは大歓迎だけど朝までに帰せる自信はないぜベイベー』ってセクハラを試みたが、ここでは言えないようなびっくりするセクハラ返しを受けて個人的に本当に自信が無くなる。

 

 早くどうにかしないといけないとは俺も思ってはいる。

 正直放っといても岩沢は勝手に復活してくれるんじゃないだろうかと安易な期待をしていた。結果は進歩なく彼女は停滞したまま。しかも、現状は以前にまして最悪だ。

 

 都合のいいこと言って"自分は無力"だということにして言い訳をしているだけ。

 ぎりぎりまで引っ張った上にどうしようもなくなってしまい、遂には練習に顔を出すのも気まずくなって通勤拒否をするようになり、寮室に引き籠って時間を潰し続けた。

 幸か不幸か、誰も心配して見舞いに来ることなど一度もない。

 

 いや、けして人望がないわけではない。単純に女子生徒は男子寮に来づらいだけだ。

 男子は単純に接点がないからしかたないね。……そういうことにしてください。

 

「ま、こうしてこそこそ飲むのはめんどいけど」

 

 悲しいことに、精神的に外へ出ることを拒否しても肉体はカフェインを定期的に望む。

 最初は寮で淹れていた。切らしてしまってからは仕方なく夕方頃にこっそりコーヒーを求めて校舎へと繰り出す。

 バンドメンバーと接触すると気まずいので、購買にはよらず人のいないタイミングを狙って外にある自販機でビクビクと怯えながら缶コーヒーを購入するはめに。

 あまり人に目撃されるのはまずいとおもうが、どうしてか外で飲みたい気分になって寮には帰らなかった。おかげでひと気のない校舎裏なんぞに来なければならないが、落ち着いて飲めることを考えれば仕方が無い。遊佐とか神出鬼没だからな……

 

 ぼーっとしていたら、いつの間にか不快な音色は止んでいた。諦めて帰ったのだろうか。

 喜ばしくないことに、今日も進展はなかったようだ。

 

 コーヒーを含みながら、はてさてどうしたものかと頭を抱える。

 岩沢の現状を打破する策が正直なところ思いつかない。幾つか案はあるが、それが決定打になるとはどうしても確信できない。

 ゆりだったら片っ端から試していくんだろうけれど、俺はどうしても不確定な状態で踏み出すことができない。音楽という領域において不安定な歩き方をすることに拒否感を覚えてしまう。

 

「……やっぱ向いてないんだよ、いろいろと」

 

 不味いコーヒーを苦い顔して飲み切り俺は立ちあがる。

 空き缶を捨てようと校舎の角を曲がったとき、止んでいたギターの音色が再び鳴りだした。

 岩沢が帰ってなかったのかと思ったが、すぐにその考えを捨てることとなる。

 

「"crow song"?」

 

 アコースティックじゃない。もっと硬くて荒々しい、電子の音だ。

 しかし、なんだこのギター。コード進行もしっちゃかめっちゃかでガルデモのメンバーではない、素人まる出しの別の誰かだ。

 何より、彼女たちでは絶対にありえることのない重大な欠陥を抱えている。

 ぶっちゃけ、聴き続けると気持ち悪くなりそう。

 NPCの誰かだろうか?そういえば文化祭だから彼らも普通の高校生みたく有志のバンドを組んでいるのかもしれない。

 それでガルデモのコピーバンドになるのは至極当然のようには思う。この学園では”生きている”バンドは彼女たちしかいないのだから。

 

「……とはいえ、さすがに本物オリジナルに関わる身としては、こんな音でうちの曲を鳴らされてしまっては沽券に関わるな」

 

 俺はそうつぶやくと、自然と音源の方へと足を運んでいた。

 普段なら面倒で無視するのだが、不思議にも教えてやろうなんてお節介な感情が湧き上がっていた。全くもって自分らしくないと思う。

 だけれども、不快ながらも実に楽しそうに奏でるその音が、少し自分の底にある何かを揺らしたような気がした。

 辛気臭い音ばかりに耳を傾けていたせいか、下手くそな明るいギターがひどく懐かしく感じた。

 

「いいいいやっふぅううううう」

 

 音を辿って校舎の裏側へ回ると、そこに小さな人影があった。

 悪魔の尻尾にみえるアクセサリを激しくゆらし、ノリノリにギターを弾いて歌う少女がそこにいた。

 

 その容姿を俺はどこかで見た覚えがあった。そう、確か初めてバンドの練習を見たときにいたサポートメンバーの……

 

「……名前なんだっけあいつ」

 

 いかん、肝心の名前をど忘れしてしまった。なんかこう憎たらしい名前だった気がするのだが……

 わりとどうでもいいことが気になっていると、いつのまにか少女の演奏は佳境に入っていた。

 全身を振り回して、荒れ狂うようなスタイルで奏でていた弦を最後は細い腕で一閃してかき鳴らし、彼女の戦いは終わった。

 

 短くも重たい溜息を吐いたあと、少女はへたれこむようにその場に座った。あれだけ無駄に激しく動けば、そりゃ疲れるだろう。

 俺はねぎらうように、拍手をしながら少女へと近づくことにした。

 

「いやいや、久しぶりにいいものを見させてもらったよ」

「うぉおおえあああ!?だ、っだれですか!!変質者ですか!?へんたーい!……って、えぇっと、確かガルデモの人たちとよくいる」

「そうそう、よく覚えていたな。一応ガルデモのマネージャーとかパシリとか連絡とか雑用とかしているお兄さんだ。変態呼ばわりしたことは聞かなかったことにしてやるから、怪しいもんでもねえからもう叫ばないでくれよ」

「いやあ、その言い方は胡散臭いっすわ」

「うっせえぶっ飛ばすぞ」

「なんで!?」

 

 あー、そうそう。こんなかんじのテンポで会話する娘でした。

 反応がついつい面白くなっちゃうアホな感じの。

 

「……えっと、ひこにゃんさん?」

「誰ですかそれ!というか人ですか!ユイにゃんですよ!ユイにゃん☆」

「ああ悪い、胸クソ後輩さんだったな。今思い出した」

「悪意しか無い!?」

 

 やっぱり新鮮だ。

 周りに無愛想か切れやすいとかばかりいるからか、こういう弄りがいのある人物はめずらしい。

 入江も最近は俺のあしらい方を覚えたのか反応が薄くて悲しいからなあ。

 

「と、ところで、ガルデモのお兄さん?があたしに何の用ですか?」

「いや、さっきの演奏でちょいと伺いたいことが」

「は!まさかスカウトですか!?遂にゆいにゃん銀幕デビューですか!?」

「それはない。そして銀幕はない」

「即答!?」

 

 あわわわわーとかイラっとくる声を出しながらユイは崩れ落ちる。

 謎の演技力はあるようだから銀幕デビューはできるかもしれんな。

 この世界に芸能というカテゴライズがあるか知らんが。

 

「メンバースカウトではねえよ。今んとこ音には困っちゃいないし、というかこれ以上ギターを厚くしてどうすんだ」

「まあそうですよね、岩沢さんやひさ子さんの技術なんかに比べたら足下にも及びませんよ」

「……技術だけならな」

「ん?何かおっしゃいました?」

「なんでもねえよ。そんなことより、さっき使ってたギターよこせ」

「汚い手で私の愛器に触らないでくださいよぉ」

「いいからよこせ」

「うわああせっかく音楽室からかっぱらってきたのにいいい」

 

 無理やりユイがもっていた深紅のギターを奪い去ると、ユイは半泣きになりながら掴みかかってくる。しかし、小柄な彼女の体格は片手で抑えるに十分だった。

 というか、こいつも音楽室から盗んできているのかよ……わりと在庫あるんだなあの教室。

 もしくは軽音部あたりの備品だったりするのだろうか。

 

「かーえーせーかぁあえぇぇせぇえうわぁああああ」

「うるせぇな!いいからちょっと離れろ!別に壊したりはしねえよ!」

 

 ジタバタするユイを引っぺがし、ギターを抱えてその場に座った。

 ギャーギャーとうるさい小娘を放って置いて、俺は地面に座ってギターを構える。

 繋がっているアンプをシールドが外れないように近くへと引き寄せて、つまみを回して設定をいじる。

 何回か弦を弾きながら一番ナチュラルな音になるようにアンプを設定したら、今度は一つの弦を押えて響かせる。

 正直ここは勘になってしまうが、生きている間それなりにやってきたわけだし大丈夫だろう。

 有難い事にここでは全盛期の状態で肉体を保持していてくださるので耳は正常のはずだ。あの世さまさまだな。

 押さえて弾いてはペグを回して調節する。

 終わったら次の弦を押さえ、さっき調節した弦と交互に弾いては合わせていく。

 それをひたすら繰り返し、最後の6本目が終了した時には、暴れるように騒いでいたピンク頭の少女は食い入るように俺の作業を見つめていた。

 

「ほい、終わったぞ」

「え?あ、ありがとうございま…………今のなんですか?」

 

 ユイは弄られたギターを不思議そうに眺めては聞いてきた。

 

「"チューニング"って言葉は知ってるよな?」

「えーっと、はい。おんてーを合わせるってやつですよね?」

「……なんで知っててやらねーんだよ」

「えっ?チューナー持ってないからできないんですけど」

 

 盛大にため息を吐きたくなった。

 最初にユイの演奏を聴いた時、ガルデモではないと思った違和感は音程のズレだった。

 些細なズレどころの騒ぎではなく、そこそこ耳のいい人なら大抵はわかる程度には外れていた。

 ましてや、毎日のように彼女らの演奏を聴いている身としては気分が悪くなりそうなほどだ。

 最近では電子チューナーをヘッドに引っ掛けりゃ簡単に調節はできるしそれが主流なんだろうが、この世界にそんな便利なものが転がっているかは不明。

 けれども、俺がやったように電子チューナーを使わずにやる方法はあるだろう。

 

「いや、知りませんでしたし」

「……気持ち悪くねえの?」

「まあ気合とノリで何とか」

 

 軽く予想はしていたがなんという適当……だとしたら、弦も張ったまま保管していただろう。何て真似を。

 

「お前どうやってギター学んだんだよ」

「えーっと、どくがく?」

「なんで疑問形なんだ」

「いやぁ才能ってやつですかね?」

「ぶっとばしてえ」

 

 よくよく話を聴いていると、どうやらギターに関しては死んでから学んだらしい。

 もともと興味はあったようだが、この世界でガルデモという存在に触発され自分もやってみたくなったとかなんとか。

 つまるところ、完全に素人。

 指は音楽室にあったクラシックギター用の教科書から学び、テクニックなどはガルデモのライヴや練習を覗いて覚え、CrowSong等曲のコードはNPC内のアングラな方面で出回っている耳コピによるものを裏ルートで入手して学んだとかなんとか。

 たしかに、運指に関してもわりと独特なものだったが……まともな教本もない状態で始めるとかある意味勇気があるな。

 

「どうしてギターやろうと思ったんだ?」

「え?なんかおかしいですか?」

「別に、ただ疑問に思っただけさ。死んでしまってからわざわざ始めようと思った理由がどんなものか興味があっただけ」

 

 素人丸出しの演奏ではあったが、独学であそこまで弾けるようになるにはそれなりの努力が必要だったはずだ。

 この世界において時間なんてものは腐るほどあるわけだが、継続していくのはそんなに簡単なことではない。

 ましてやギターなんて、趣味として始めやすく飽きやすいものを誰かと共有することなく続けたわけだ。

 この少女がどうしてここまでこんなものに執着できたのか、俺は興味があった。

 

「んーそうですねえ……なんとなく?」

「なんじゃそりゃ」

「だって大した理由なんかないですよ、考えれば色々とでてきますけどねー」

「考えてくれると有りがたいがな」

 

 そうですねねーと、ユイは焦点を空へと持ち上げ首を傾げる。

 やがてそのまぶたをゆっくりと閉じて、彼女は言った。

 

「そりゃまあやりたかったから何じゃないですかね」

「やりたかった」

「はい。生きている間にやりたかったことがいーっぱいあって、そのなかの一つがギターってだけです」

「いや、でもやりたかったことがいっぱいあるんだろ?なんでギターなんだ?あそこまでの技量をもつには結構な努力をしないといけない。飽きたり辞めたいと思ったことはないのか?」

「ありますよそりゃ。ちゃんとコード押さえられるようになるまでなんか大変でしたもん。指とか毎日真っ赤っ赤でしたし」

「じゃあなんで」

 

「むしろ諦める理由があるんですか?」

 

 その言葉をきいて、俺はかたまった。

 当然の疑問であるかのようにユイは不思議そうな表情をした。

 

「全然うまくならないし、たまに人前でやってもスルーされるし、ガルデモの演奏聴くたびに凄さに圧倒されますし、それで自分との距離に愕然としてやってられなくなる毎日ですが、諦める理由なんてどこにもないと思うんですよね」

「諦める、理由がない……」

「そうですよ、躓いたところで死ぬわけでもない、挫折したって人生が終わるわけでもない」

「……」

「死んじゃっている今、何かに怯えて何もやらないなんてことはナンセンスですよ。むしろ、死んだからこそできたことなんですもん」

 

 そう言って笑ったユイの表情は、溌剌や愉快といったものでもなく、悲愴を隠した憂いなどといったものでもなかった。

 ただ、あるがままの自然な笑顔だった。

 

「……ハハハ」

「おりょ?」

「ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ」

「うわあ!?先輩が壊れた!?」

「あーあ……なーにウジウジとやってたんだろ俺」

 

 馬鹿だな。

 肝心なことを忘れていたじゃないか。

 これこそ物事における初歩の初歩ではないか。

 

 初心に立ち返る。

 

 それを考えればいい。

 何をすればいいか、自ずと見えてくるものだ。

 マネージャーとかパシリとか、そうい役割の使命じゃない。

 もっと前、あいつのことを思い返せばいいだけだ。

 

 そうすれば、"諦める"ということの意味も見出せるだろう

 

「だ、大丈夫ですか先輩?」

「あー大丈夫大丈夫。すまんびっくりさせて」

「はぁ、いきなり笑いだすんで頭おかしい人かと思いましたよ」

「それはひどいな……」

 

 俺は持っていたギターをユイに返した。

 ついでにギターをしまうときは弦も緩めるようにと教えておいた。

 

「ありがとうな色々」

「なにもしてませんけど?」

「個人的に助かったんだよ」

「はぁ……」

「なんかお礼してやるよ。そうだなぁ、ガルデモ関連でなにか融通できりゃいいけど」

「あ、じゃあそれならさっきやってた調律、今度教えてくれませんか?正直ギター弾けたことに驚きですよ」

「お前一言多いな」

 

 もっと欲望の為にがっついてくるかと思ったけど、ユイが求めてきたことは案外まともだった。

 いや、こいつはきっと思うほど適当なのではないだろう。 

 

「まあわかった。そうだな、今度音叉パクってきてやるから」

「音叉?なんでですか?」

「あると便利なんだよ、お前に絶対音感があるなら別だが。あと、ガルデモのコードもわりと間違えてるから教えとく」

「え!?嘘!?どこがですか!?」

「指摘してやりてえけど、今はちょっと時間が惜しいな」

「そんなあ……なにか用事でもあるんですか?」

「まあできちゃったていうかね」

 

「多分、あいつはまだあそこにいるだろうから」



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Chapter.3_5

 トントントン

 

 ペタペタペタ

 

 足音の擬音としてどちらが正しいだろうか。

 

 男だから重量がある。サンダルのように引きずっているわけでもない。

 ちゃんとした革靴を履いていればもっと硬質な音がでるだろうけれど、安っぽいローファーにそれを求めてもしかたがない。

 

「ここは無難に前者か」

 

 なんて、無駄な思考をしてしまうのも辺りに人気がないからだろうか。

 文化祭の準備が始まっているから賑わっているものかと思ったが、どうやらそれは各教室や部室内でとどまっているらしい。こもった鈍い音しか聞こえない。

 活気は外へ漏れ出ることなく、笑い声は内側だけに響く。誰もいない校舎の階段というのは、やたらと音が響くものである。

 

 正直なところ、NPCたちの喧騒でこの気を紛らしてほしかった。

 こうも静かだと、自分の思考との会話に陥ってしまう。

 意味のない自問自答みたいなことを繰り返すなんて、気分が良いはずがない。

 

「……勢いで来てみたけれど、どうにも気がひけるな」

 

 やはり自信が無いのだろうか。それとも逃避したことへの罪悪感からか。

 どっちらにしろやるべきことは決まっているわけだから、今更どうかできるわけでもない。

 

「ま、とりあえずエサとか買ってきたし……」

 

 お土産を気休め程度の支えにしながら俺は一段一段上ってゆく。

 音は依然として止んだままだが、なんとなくまだいる予感が俺にはあった。

 おそらく、彼女は夕日が沈むまであそこにいるだろう。

 

「じゅーじゅーいっち、じゅーに、じゅーさ……おい、なんか一段余計な気が……」

 

 不吉な段数に不安を覚える。

 なんとかしてここまでやってきたというのに、幸先が悪い。

 

 そして、扉の前に立って確信する。

 まだいる、帰っていない。

 

 予感が当たった幸福への安堵と同時に逃げる言い訳がなくなったことの落胆が自分の中にあった。

 ここまで来てまだ逃げたいのか俺は……

 

 ええい、いつまでもヘタレ行為をしているわけにはいくまい。

 覚悟を決めてさっさと始末をつけよう。

 俺は屋上へとつなぐ扉を開いた。

 

 ●

 

 岩沢は手すりにより掛かるようにして立っていた。

 

 屋上に吹く風に乗って、彼女が口ずさむ歌が耳へと流れてくる。

 夕日に照らされたその表情は影により伺うことができないが、歌声からして少なくとも愉快な気分でないことだけは確かだろう。

 ゆっくりと近づくと、岩沢は俺に気がついて振り向いた。

 

「よう」

「リンゴ……ご無沙汰だね」

「あー、いや、すまないな。ろくに顔も見せずに……ほら」

「わっ」

 

 誤魔化すように、岩沢に向かって買ってきたペットボトルの水を放り投げる。

 それを彼女はたどたどしい手つきで受けとった。

 いつもなら軽くキャッチできるものなのだが……やはり心身ともにやつれてきている。

俺は袋から自分の分の缶コーヒーを取り出して、岩沢の横に立った。

 同じように手すりへと寄りかかりながら、缶コーヒーを開ける。

 

「さっき歌ってたの、Sad Machineか?」

「わかるのか?」

「曲名とかはわからんが聴き覚えがあって。確かそうだったんじゃないかと」

 

 そうか、と岩沢は少しうれしそうな表情で微笑んだ。

 しかし、すぐにその笑みは落ち疲れた顔つきで遠くをみつめる。

 

「この曲を聞いて、あたしは音楽を始めたんだ」

「へぇ」

「話したと思うけど、生きてる時は色々と嫌なことがあってね。この曲に出会って、音楽を知って、救われたんだ」

 

 眼下では校庭でNPCたちが文化祭の準備をしている。

 よく目を凝らすと天使の姿も伺える。周りにいるのは生徒会ということか。

 ゆりの言っていたキャンプファイアの準備だろうか。

 

「色々あるとさ、この歌をうたいたくなるんだ。歌えば、少しは救われるかなって」

「そうか」

「世の中そんなにうまくはいかないけど」

「……岩沢さん」

 

 物憂げにつぶやく彼女に、俺は覚悟を決めて言葉を放った。

 

「新曲できてないだろ」

「……」

「沈黙は肯定ってことでいいのか」

 

 岩沢は何も言わない代わりに、ゆっくりとペットボトルの水を一口飲んだ。

 そして夕焼けに背を向けて、ストンっとその場へ座り込んだ。

 

「……まぁ、そこにある譜面を見ればわかるけど」

 

 岩沢の周りに散らばる白紙の譜面を横目で確認しながら俺は言った。

 まっさらで1節すら書かれていない。殴り書きすら見当たらないところを見ると、完全に行き詰まっているのだろう。

 

「進捗を聞くまでもないな。ライヴまでには間に合いそうにもないか」

 

 岩沢は、ただただ黙っていた。

 そのやつれた姿が痛々しい。

 だけれども、残酷だろうと俺は言葉を突きたて続けなければならない。

 コレは俺が与えられた役割であり、それから逃げてきたツケだ。全うしなければならない。

 

「ゆりには俺から報告しておくよ」

 

 そう締めくくっても、岩沢は黙っていた。

 俺はその沈黙を返答と受け止めて、缶コーヒーを口に含んだ。

 

 話は終わった。

 結論から言えば、今回の作戦は実行断念ということだ。

 新曲はできない。だから代案を立てる必要が出てくるだろう。

 俺は連絡要員として、その事実を確認した。それだけだ。

 

 校庭で働くNPCたちの表情は祭りを前にした高揚感で満ち溢れている。

 天使の様子は正確には確認できないが、相変わらず透明な感情を持ち合わせているようで周りの雰囲気からは若干浮いているようだった。

 でも、そんなことはお構いなしにNPCたちは無邪気に笑い合い、天使へと話しかけていた。

 その空間は、この頭上の重苦しいものとは違い活発で眩しいものだ。

 

 話すべき本題はここから先にあるはずだ。

 しかし、どう切り出すべきか思いつかない。

 

 やけに甘ったるいカフェオレが口の中で広がるけれど、今の気分とは全く合わない。

 いい加減自販機で甘い糖分入りの缶コーヒーを買うのをやめればいいのに、なぜ俺はやめていないんだ。

 

「……見えなんだ」

 

 まずいコーヒーに渋い顔をしながら飲んでいると、岩沢が唐突に呟いた。

 俺は驚きを表に出さずに、その言葉の続きを聞くことにした。

 

「曲が、歩みが立ち止まらないんだ」

「それは……次々にアイディアが溢れて、まとまらないっていうのとは違うんだろうな」

 

 俺の言葉に肯定も否定もしなかったが、岩沢は更に身体をすぼめて話し続けた。

 

「思いついたフレーズがあったんだ。それを手繰り寄せて、そこまでの道のりとその先の情景を辿る。それが辿り着くべき道筋をなぞるようにして音で描いていく……簡単に言えばあたしの曲作りはそんな感じなんだ。とはいっても、ひさ子からしたらわりと唐突で即興なことが多いらしいけど」

 

 ひさ子の言いたいことはよく分かる。

 自分自身ではまるで理論派みたいなことを抜かしていやがるが、こいつの作曲スタイルは傍から見れば行き当たりばったりだ。

 けれども、それは他人から見てそうであって、岩沢の頭の中では曲のアルゴリズムがちゃんと成り立っているのかもしれない。

 天才の行動は常人からしたら奇行だが、天才にとっては順序に則った意味のある動作かもしれないのだ。

 あれだ、数学を芸術とか哲学だって言うあの感覚……違うか。

 

「でもこの曲を作り始めてから、いいやもうちょっと前からかな。手繰り寄せたフレーズの軌跡がわからなくなってきたんだ」

「……見えなくなったってのは、曲が思い浮かばなくなったのか?」

「いいや、そうじゃない。曲は思い浮かぶ、たくさん。でも、正しいものがどれか見えない」

「正しい?」

 

「その先のコードが思いつては弾いて、書いて、形にしていく。そうやって繰り返して曲ってものができてきた、でも、ここ最近はおかしいんだ。弾いたはずなのに、書き留めたはずなのに、形になったはずなのに……気づいたら同じことを繰り返している。さっき聴いたはずの部分が頭のなかでずっとリフレインし続けて、そこから逃げるように全く違う方向へ走ったはずなのに、気づいたら元に戻ってきている。どれだけやっても前に進めない。見えていた道筋が確かなものに思えない。目先にある光が偽物なんじゃないかって疑わしく思えて不安になる。それで、思ったんだ。このフレーズ自体が間違っていたんじゃないかって。そう考えたら、立ち止まることすらできなくなってしまった」

 

哭くように、岩沢は言葉をもらす。

 

「気休めに好きな曲を歌ってみたけど、やっぱりわからない。あたしは何のために歌っているんだろうか。この歌声はどこに届ければいい、この世界に来たのはどんな後悔があったからなんだ、死して尚歌いたいと願った根源はなに?何にを伝えたくて、何を訴えたくてあたしは叫んでいるのだろうか。この状況は絶望というやつなのか……なあリンゴ、あたしはどうなってしまったんだろうな」

 

 岩沢の悲痛な叫びは、消えるような声でありながらその爪痕をくっきりと残した。

 

 それは、彼女が初めて俺に吐いた弱音だ。

 

 この世界に来て最初に出会ってから、こいつは天然で不敵なやつだった。

 その彼女が、初めて俺に弱い自分をさらけ出した。

 しかも、自分が一番信頼し情熱をおいている音楽という分野で。

 それだけで、今の岩沢がどれほど辛い状態なのか察することができるだろう。

 たすけてやらなければならない。

 だから、俺は言い放ってやった。

 

 

「知るかボケ」

「……は?」

「テメーのスランプの原因を言われても俺に解決できるかよ。俺にとっちゃな、スランプっていうのは何も思いつかないことなんだよ、立ち止まってどうこうしたって足が動かなくて進まなくなっちまうような絶望なんだよ。お前のような変人的天才の悩みと同列に扱わないでくれ。こっちはかなり粗雑なんだ。いいか、月とスッポンどころじゃねえぞ、トリュフと豚の排泄物だ!」

「いや、そこまで言わなくても」

「それに何か励ましの言葉を貰いたいとかそういうのも期待するな。優しい言葉がスラスラ出せる器用さと同情できるほどの感性は生憎だが持ち合わせていねえ。そんなものがあったら現世はもう少し生きやすい世の中だっただろうよ」

「……」

 

 まくし立てるように言い放つ。

 言っていることは自分でもクソだと思うが嘘偽りはない、すべて本心からの言葉だ。後ろめたいことなんて何一つ無い。

 だからこそ、岩沢の憂いと非難に満ちた瞳は絶妙に心を抉ってくるので苦しい。

 だがしかし、ここで言い訳しては意味がない。俺は退かない。

 

「大体なんだ?何を伝えたい?知るかよ、テメーのしたいことだろ」

「んな!」

「立ち止まれないとかどんな贅沢だよ。歩めるだけマシだろ」

「だけどそれが」

「そんなもん絶望ですらねえよ!!」

「っ!?」

 

 つい大きな声を出してしまった。

 だけども、俺は止まらない。

 

「お前にわかるか?立ち止まって一歩も歩めなくなった奴の気持ちが、這ってでも進もうとした奴の焦燥が、進むべき眼前が唐突に真っ暗になって息ができなくなった奴の苦痛が」

 

 正確には、この感情は期待という言葉で着飾った、嫉妬だ。

 持つものが持たざるものへの憎悪だ。

 

「1節すら、1つのコードすら浮かばなくなって、進まなきゃならないと焦って転んで這い蹲ってのたうち回ってそれでも前へ出なきゃならないと地を掻いて見えない先を睨んで」

 

 コレはただの八つ当たりだと言ってもいい。

 

「……そうやってもがき苦しんでも、何もならないことを絶望っていうんだ」

 

 本当は彼女にかけるべき言葉はこんなものじゃない。

 もっと違う、伝えるものがあるはずだ。

 残念なことに俺はこんな言葉を選ぶことしかできなかった。自分が嫌になる。

 でも、それでも俺は伝えなければならないんだ。

 

「じゃあ……じゃあ、あたしはどうすればいいんだよ!」

 

 叫んだ。

 初めてだ、岩沢がこんなにも剥き出しになるのは。

 場違いながらも、嬉しさを感じていた。阿呆だな俺。

 

 だが、岩沢の感情を引っ張りだしてやったぞ。

 

「自分のやってきたことが正しいかどうかわからなくなって!確かめる方法も見つからなくて!それでも自分の中では音楽が鳴り止まないのに形にならない!これが絶望じゃないって言うなら何だ!あたしはどうすればいいんだ!この頭痛と吐き気が混ざり合ったような感情をどう処理すればいいんだ!どう表現すればいいんだ!違うっていうんなら見せてくれよ!教えてくれよ!あたしが目指さないといけない道標っていうのを示してくれよ!」

 

 岩沢は取り乱して叫んだ。

 溜め込んでいた、どこにも届かない悲鳴を吐き出すように。

 

 俯いているからわからないけれど、もしかすると泣いているのかもしれない。

 女の子を泣かせるとはなんとも最低な男だな、俺は。

 

 だから、さっさと終わりにしよう。

 

「俺から言えるのは、そうだな……やめちゃえば?」

「はあ!?」

 

 岩沢が顔を上げる。やっと目があった。

 やっぱり、少し眼が潤んでいる。

 

「お前のような天才の悩みなんか知るかよ。分かるのは、お前のその状態は凡才からしたら贅沢なものだってことぐらいだ。だから俺から言えることは、新曲なんぞ作らんでもいいんじゃないかってことだけだ」

「いや、意味がわからないんだけど。それに、それじゃ文化祭が」

「気にするな。俺がどうにかしておく」

 

 そう言い切って、俺は岩沢に横に座り込んだ。

 二つの影がながくのびる。

 

「どうにかするって言ったって……」

「実を言えば、こういう時のために代案は幾つか用意しといた。まあそれにちょいちょいオプションをつけりゃあ、なんとか誤魔化せるんじゃねーの?」

「誤魔化すって、そんなんでいいのか」

「大丈夫でしょ。それに、今の岩沢さん楽しそうじゃない」

「それはそうだけど……」

「だったらやめちまったほうがいい。てめえが楽しめない音で観客がノれるとでも思ってるのか?」

 

 岩沢は再び黙ってうつむいた。

 演奏者の気分というものは受け手に伝わりやすい。そもそも、客をノセるために自分の感情を音に乗せるなんて手法はよく使うこと。

 ましてや、彼女のように感覚で出来てしまう人間にとってはそれが当たり前だろう。

 自分が一番理解しているからこそ、突き刺さる思いがあるのかもしれない。

 

 本当は感情に乗り切った演奏は演奏として破綻するんだけれども、保ち続けていられるのはこいつが天才だからだろう。

 だからこそ、割り切った演奏というのが難しいのかもしれない。あぁ、これが天才の苦悩なのか。

 少しだけ理解が出来そうだと思えた。

 

「それにさ、今の岩沢さんは誰がどうみたってRockじゃない」

「……」

「楽しくない、やりたくもない、でもやらなきゃならない。それのどこに反骨精神(ロックンロール)があるんだよ」

 

 歌うことで抗うのがロックンロールだろう。

 歌うことを強制されている状態なんて、誰がどうみてもRockじゃない。それじゃあ家畜みたいなものだ。

 

「なら、無理に歌う必要はない。やりたいことをやるのがロックンローラーだろ」

「やりたいこと

「そういえば、初めて会ったときのこと覚えているか?」

「初めてって……確かここで」

「そうそう」

 

 岩沢と最初に出会ったのはこの屋上だ。

 ついでに初めて死後の世界で死を味わうという奇異な経験もした。

 邂逅の場で俺が彼女にかけた言葉を思い出す。

 

「あの時、岩沢さんは何でBalladを弾いていたんだ?」

「なんでって、それは……たまたまとしか」

「たまたま?本当は歌いたいんじゃないの」

 

 岩沢は黙ったまま遠くを見つめた。

 俺が初めて聴いた彼女の歌はRockではなかった。

 おそらく、それが本質なんだろう。彼女も薄々と勘付いていたのかもしれない。

 

「やりたいことをやれていないっていうことでは、これもスランプの一因なんだと思う」

 

 俺が想像して唯一思いつける原因がこれだけだ。もちろん、これがすべてではないだろうけれど。

 今の彼女はガルデモのため、もっと言えば戦線の陽動部隊としての役割を果たすため歌を作っている。

 そこに意思というものは存在しない。あるのは課せられた責任だ。

 彼女は今、自分の詩を紡いでいない。

 

「単純に歌いたいのか、それとも今作っている曲でやりたいのか。どっちかはわからないし、そもそも今回の件がBalladが関係しているかも怪しいけど」

「バラードか……」

 

 正直、Balladに固執しているわけではないと思う。

 だが少なくとも、今彼女がやりたいのはRockではない。

 だから、Balladが今の状態から抜け出すきっかけになればいいんじゃないだろうか。

 

「まあなんていうか、Balladじゃなくてもいいけど別のジャンルをやってみるっていうのはいいかもしれないな」

「そうかな」

「いっそバンド以外のことをしてみるとか。あれだあれ、リフレッシュとか別の視点を持つことで視野を広げてみるという名目のような」

 

 ぽっと湧いた思いつきを言って岩沢の表情をを横目で伺う。

 嫌がるかと思ったが、予想外にも岩沢は吹き出した。

 

「はは、なんだそれ。そうは言うけどリンゴ、あたしがギター以外のことを知っていると思ったのか?」

「いやさすがに何かあるだろ」

「悪いが思いつかないから例えをくれ。さん、はい」

「おおう、いきなりだな。ええとそうだな、音楽自体は文化系だからスポーツでもやってみるとか?」

「スポーツか。あり得意じゃないけど、身体を動かすってのはあまり考えてなかったな。オススメは?」

「オススメってそれはテメーで考えろ……と言いたいが、お前知らなそうだしなあ」

「わるいね」

「うーん、俺も観はするが好んで行う人間じゃなかったからなぁ。よく見ていたのはフットボールだが気軽にできるものじゃないし、すぐに出来るってーと少人数モノだからキャッチボールとかか?アレならその辺でもできそうだよな。あとはまあセッ○スとか」

「キャッチボールかぁ。やったことないなー」

 

 久しぶりのセクハラをガンスルーされましたけど、岩沢だからしょうがないね。

 わかりやすいぐらい直球にしたんだけどね。悲しいね。

 

「たしかに、ちょっとギターから意識を外してみるのは手かもしれないね」

「思いつきで言ってるから、真に受けすぎないでほしくもあるけれど」

「それは困るな、あたしは割りと世間知らずだからね」

「めんどくせぇ女だ」

 

 めんどくさいは初めて言われたな、と岩沢は笑った。

 その声からは落ち込んでいた先ほどよりも多少軽くなったように感じる。

 

 岩沢が立ち上がった。そのまま彼女は振り向いて、薄暮の終わりを眺める。

 俺は静かにその姿を眺めた。

 

 部活に勤しんでいたNPC達は既にグラウンドから姿を消している。

 校内からは文化祭の準備に明け暮れていた奴らもいなくなり、静寂があたりを包んでいた。

 

「……リンゴ、ありがとう」

 

 岩沢がつぶやいた。

 

「なにもしちゃいねーよ」

「色々言ってくれたじゃないか」

「何一つ解決してないだろ、そもそも俺は自分の仕事をしに来ただ」

 

「あたしのためを考えていてくれるだけで、それはもう救われたようなものなんだよ」

 

 すべてを見透かしたかのように、岩沢はそう言って微笑んだ。

 不覚にも、その表情をみた俺は言葉を返すことができなかった。

 

「というわけ、お言葉に甘えて今回はやめさせてもらうよ」

「……言っといてなんだが、いいんだな?」

 

 確かめるように岩沢に問う。

 

「今のあたしじゃ、それ以外の選択肢は思いつかないよ。今作曲が終えても、どうしたってライブには間に合わないだろうね」

「……わかった。ゆりには俺から言っておく」

「いや、それは申し訳ない」

「気にするな。お前はバンドに関して悩むのは、演ることだけでいいんだよ」

 

 そうか、すまない、と岩沢は申し訳無さそうに謝った。

 気にするな、と俺はカッコつけたように言ってやった。幸いにも、その姿がおかしかったのか岩沢は苦笑してくれた。

 

 

 結局、俺が与えた選択肢は逃避だった。

 彼女の痛みや悩みを理解することどころか同情することすら俺にはできない。

 けれども、そのことに苦しんでいるのならばそこから逃げてしまえば辛くはなくなるということだけはわかる。

 それが根本的な解決にはならないことは重々承知しているつもりではあるが、凡才な俺にはそれが今の状態では一番ましとしか思えなかった。

 解決ではなく現状維持。

 未来に託すなんてきれいな言葉で俺は問題をその場しのぎに先送りしただけなのだ。

 だからせめて、請け負えることはやりたかった。彼女にこれ以上責任を感じてほしくない。

 そうやってまた、キレイ事で自分の後悔を誤魔化した。

 

「そういえば、リンゴにここで救われたのは2回目になるのかな」

「2回め?今日よりも前に何かしてたか?」

「初めてあったときだよ」

 

 初めてあった時って、岩沢がギターを弾いていたのと死んだことしか無かった気がするんだが。

 救われたってなんだ?殺してストレス発散したとか?

 なんかひどいなそれ。鬼畜か。

 

「あの時、リンゴが言ってくれたことが嬉しかったんだ」

「言ったって……あぁ、あの感想みたいなやつか」

 

 たしか、岩沢に話しかけるために彼女のギターについて感想を述べていた。

 あの時は話を引き延ばそうと色々とわけのわからないことを言った覚えが……

 

「そうそう、やたらと詩的な表現しようとしていて面白かったよ」

「やめろ恥ずかしい」

 

 岩沢にからかわれながら、言った内容をだんだんと思い出す。

 あーあ、確かにこっ恥ずかしい表現をしていたような、思い出したくないぞこれ。

 

「なんだっけ、暗い道?とか、必死に胸の奥を打ち付けるとかなんとか」

「やめて!」

 

 本心だったとは言え、表現が些かクサすぎた。思い出すだけで恥ずかしくて死にたくなる。もう死んでるから無理だけど。

 

「でも悪くない詩だったよ?意外とそっちの才能もあるんじゃない?」

「詩じゃねえよ!」

 

 あんなものをさも作品のように言わないでください。

 

「まあ、なんていうかさ。“結局は一人”っていわれたとき何故か嬉しかったんだ。理解してくれたような気がしてね」

「そういえばそんな表現もしてたな」

 

 あの時の彼女の音は、とても力強く時はっきりとしていたのに、どこか足りない寂しさを持っていた。

 それがどうしてか孤独な雰囲気を纏っていたように思えたんだ。

 

「どうして嬉しかったんだろうね。心の奥底ではあたしも結局は自分だけだとでも思っているものなのかね」

「人はだれでも死後は一人だろ。深層でそのことを理解しているなんてのは無くないことだろうし、お前だけじゃなくて皆当たり前に持っていることだろうさ。まあ、奇っ怪なことになぜか俺らは一人じゃ無かったけど」

「……やっぱり、リンゴは優しいね」

「優しくねーだろ。どうみても突き放してる意見だろう」

「いいや、優しいよ」

 

 岩沢の主張に納得がいかず、子供のようにフンっと鼻を鳴らしてそっぽを向いてやった。

 優しいなんて言われたところで、恥ずかしいだけだ。

 その時、ふとあることを思いついた。

 

「そうだ。誰かのために、詩を歌ってみればいいんじゃないか?」

「誰かのため?」

「お前が作る曲ってのは、悪い言い方になっちゃうけど、自分のこと、自分のための詩が多い」

「そう、かな?」

 

 岩沢は首を傾げながら答えた。

 俺はそんな岩沢に伝わるように続けた。

 

「何かに抗って訴える曲、対象は大衆とか世論というような大きなモノを相手にしたのが多いと思う。だけど、誰かのため、どこかの誰かに届けたい詩ってのは無い気がする」

「誰かって、例えば」

「それを言われてもなぁ。例えば、特定の人に伝えたいメッセージを込めてとか、決まった相手じゃなくても何かしらの条件に当てはまる人々に対してとか……所謂あれだな、ラッパーの人たちがやたら身内とかにマジ感謝してるあれ。エミネムは誹謗中傷で溢れてるけど」

「そういうのでいいのかな」

「いいんじゃねえのべつに。相方の息子を励ますための詩を書いたやつだっているんだし、身近にいる、隣人のこととか」

「身近な人のことか、誰かいるかな」

「伝えたいだけじゃなくて、励ましたいとかそいつのことを詩ってやりたいとかでもいいと思う。なんか安いPOPSにありそうだが、そういうのも視野を広げるっていう意味でいいのかもな」

「誰かのためにねぇ……」

 

 遠くを見つめるように、岩沢は目を細めて思案する。

恋だ何だを歌えとまでは言わないけど、こいつには多少のキャッチーさも必要なのだろうか。

 

 岩沢の詩はとても魅力的だ。でもそこにはどうしようもない痛みが付き纏っている。

 訴えたい、響かせたい、哭きたい、爪痕を残したい。

 自分の中で渦巻く叫びを吐き出して、それをどうにかしてここに留めておきたい。

 そんな詩を孤独な曲にのせて歌うからか、彼女の曲の底には避けられない悲しみが流れているようにも感じた。

 だったら、とりあえず詩のほうで方向性と意識を変えてみれば、何かしたの変化が起きるかもしれない。

 

 

「……そうか、誰かのための詩か」

 

 

 岩沢はそうつぶやくと、置かれたギターへ飛びついた。

 その突飛つな行動に俺は目を丸くして硬直した。

 

「……っておいおいおい、いきなりどうした」

「分からない!でも、何かが繋がった気がするんだ!」

 

 そう叫んだ岩沢は、ピックを咥えて急いでペグを巻いて調律をし直す。

 あまりにも唐突な自体に俺はついていけないでいた。

 

「いやーあの、できたら簡単でいいので説明をしていただけるとありがたいのですが」

「出来るかはわからない、形が見えたわけではないけど、路は見えた気がする」

 

 答えないなっていない返事をした岩沢はそれ以上説明すること無くギターを弾き始めた。

 宵闇が迫る屋上で、アコースティックの音色が響き渡った。

 

「岩沢さ……」

 

 声をかけようと試みるも、それはできなかった。

 ギターを掻きむしるように弾く彼女の横顔をみて、これ以上声をかけるのを諦めた。

 そこにはもう、重苦しい影なんてものは一切なかった。おさまりきらないほどの歓喜に満ち溢れていた。

 いや、なんかもう歓喜どころか狂喜ってレベルにイッちゃてるんだが……やばくないか。

 

 だが、彼女が弾いているメロディーと走り書きをしている五線譜を見れば何となくは察する事ができる。

 ようするに、明け星とまではいかなくても、足元を照らす灯りを得ることができたのだろう。

 ……なんだか散々うだうだと悩んでいたことがこうも単純に解決しそうなのをみると、ちょっと腰が抜けそうだけれども

 

 

「本番に間に合うかどうかは、微妙なところだな」

 

 岩沢はしばらく動きそうにない。だが、さすがにいつまでもここにいるわけにはいかない。

 既に校舎内からNPCの生徒はいなくなったので、いずれは警備が廻る時間になるだろう。

 警備の巡回パターンを思い出しながら、一度見回りついでに自販機でも寄ってこようと思った。

 そう決意して、出口へと向かう。するとギターの音がやんだ。

 振り向くと、岩沢がこちらを向いて叫んだ。

 

「リンゴ!ありがとう」

 

 その笑顔に俺は照れくささを隠しながら、片手を挙げて返事をした。



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Interlude Ⅲ

 

「で、結果を聞こうかしらね。明日から文化祭は始まるわけだけど」

「無理デシタ」

「……」

 

 俺の適当な返事に、ゆりは呆れた顔をした。

 

「……それで?」

「サーセンした」

「ちょっと1回死んでみる?懲罰として」

「死んで許されるなら何回でも死んでやるよ」

 

 向けられたベレッタの銃口を手で逸らしながら、また軽口を叩いた。

 ゆりは諦めたように嘆息を吐く。

 

「で、どうしようかしらね」

「伝えておいた代替プランでよろしくお願いします」

「遊佐さんから聞いてたあれね。やるのはいいけれど、あれじゃあ集客は難しいわ。質が上がったところで効果が出るのは次回以降でしょうから」

 

 今回の目的は生徒会のキャンプファイアーから生徒を奪うこと、集客だ。

 集客において最も重要なのは宣伝だ。

 足を運んでもらうには魅力的な前情報を提供しなければならない。

 それが新曲だったわけだ。 

 

 その代わりにやるのはライブパフォーマンスの向上。

 こいつがもたらすのは集客はなくはなくサービス満足だ。体験してもらうまで効果は望めない。

 これではライヴ本番までには伝わらず、作戦の意味を成さない。

 「なんか今までよりも凄いらしい」のような情報を流すという手もあるが、確実ではない。

 

「新曲ができてないは仕方がないわ。でも悪いけれど、“噂”は流させてもらわ」

「……本当はしたくないが、仕方がない。そこは妥協をするよ」

 

 今回の目的は集客だ。

 つまるところ、人が集まればいいだけ。

 例え前情報が虚偽であろうとも。

 

「あら、『したくない』だなんて意外ね。どんな手も厭わないと人かと思ってた」

「嘘でも期待していたファンの連中を裏切ることには変わりないだろ」

 

 結局は彼女たちが悲しむことにも繋がる。

 背に腹は変えられないことだが、それは正直嫌だった。

 

「ふーん、マネージャーらしくなってきたじゃない」

「不本意ながらな。とはいえ、上手く行かないことばかりで落ち込んでしかいねーよ」

 

 音楽意外の障害はすべて背負うと誓ったけれど、現にこうして彼女たちに迷惑がかかっている。

 与えられた仕事どころか、自ら発した言葉ですら守れず果たせていない。

 全く、自分が嫌になる。

 

「自分の力不足を嘆きなさい。そしてよりいっそう精進することね」

「精進してなんとかなるもんかね」

「それが無理なら、誤魔化す術を身につけることね」

「その場しのぎが延々と続くとも思えないんだが」

「バカね、延々と凌ぎ続けることができればいいだけのことよ」

「……なかなかに無茶なことをおっしゃいますな、うちの隊長さまは」

 

 そうかしら、とゆりっぺはにこやかに笑った。

 周りがアホばかりだと嘆いてはいるが、彼女も案外頭の中身はやばそうである。

 

「で、肝心の歌姫さまはどうなの。新曲がないのは仕方がないとしても、スランプがライブにまで影響を受けたら困るわ」

「元気に作曲してるよ」

「……は?」

「ついこの間スランプ脱しちゃったみたいで、今はバリバリやってる。残念ながら、ライブには間に合わないかな」

「……もうちょっと早くになんとかならなかったのかしら」

「マネージャーとしての力不足を感じます」

 

 現在岩沢は狂ったように屋上で作曲活動に勤しんでいる。

 完全にスランプを脱したかどうかは定かではないが、少なくとも何も見えないという状態ではなくなったみたいだ。

 

「まったく。岩沢さんはわかったけれど、他のメンバーはどうなの?」

「快調だな。リーダーの岩沢さんが復活したからか、この前の収録もノれてたし問題無いと思う」

「収録って、この前放送室でコソコソやってたアレね。その前もやってたのに、2回もやるなんて、何の意味があったのかしらないけど」

「自分たちの音を客観的に聴くってことは確かめる意味でも重要な事だと思うよ」

「その収録にTKと遊佐さんを呼んでいることに、どんな意味があるのか気になるところね」

「第三者視点を知りたかっただけだよ」

 

 そんなことよく知ってるな、と思いつつ適当なことを言ってあしらった。

 どうせ遊佐から報告されたのだろうけれど。

 

「ギルドにも何かやらせてるみたいだけど、今日のところは言及しないでおいてあげる。連絡はこれでおしまい、本番に備えておいて頂戴」

「了解した」

 

 ふざけたように敬礼してみせると、ゆりはめんどくさそうにシッシと手をふった。

 それに従うように扉へとむかうと、ゆりが今度は引き止めた。

 

「いい忘れてたことがあったわ」

「何?」

「男子どもがバカなことしてるみたいだから、気をつけなさい」

 

 それだけよ、と言ってゆりは取り出した書類に目を落としながらまた手を降った。

 

 バカなこと?

 

 ●

 

「おーい、ほしかわぁーこっちこっちー」

「……何やっているんだあのバカは」

 

 寮の玄関へと到着すると、自分を呼び止める日向の声がした。

 声の発信源を辿ってみると、どうやら彼は寮の屋上にいるらしい。

 寮の屋上へ向かうには非常用の梯子以外なかった気がするのだが。

 

「おまえもこっちこいよー」

「どうやって行くんだよ!」

「あそこあそこ」

 

 日向が指差す方向を見ると、最上階の部屋に屋上からロープが垂れていた。

 あそこからよじ登れということだろうか。

 

「はやくしろよぉー」

「わかったから!そこでまってろ!」

 

 催促されて俺は玄関の扉を開けた。

 しかし、やけに間延びした声だったが、どうしたんだ?

 

「おっそいぞー」

「うるせぇ」

 

 ロープをよじ登ってくると、そこには日向以外の男子も幾人かいた。

 そして皆一様にして顔が赤い

 

「何してんだお前ら」

「なにって、星見酒」

 

 そう言って日向は一升瓶を掲げてみせた。

 

「どうしたんだそれ」

「文化祭準備だからかなにやら購買が忙しそうでな、手伝うフリしてくすねてきた。他にも色々あるぞ」

「そんなことして大丈夫なのかよ」

「だーいじょうぶ、だーいじょうぶ。これまた準備のお陰で警備が甘いから、多少のどんちゃん騒ぎをしたところで飲んでるのはバレやしねーよ」

「いやそうじゃなくてだな」

「パぁっと、天体観測しながら前夜祭といこうじゃねぇか!」

「くっそ、酔っぱらいは話が通じねぇ」

 

 こいつ完全に酔っ払ってる。

 見渡せば、他の連中も似たようなものだ。上裸とか泣きだしてる奴とか。

 

「帰る」

「まあそういうなよ、お前が帰ったらどの女子が今一番倍率いいかわかんなくなるじゃねえか」

「あの賭けてめぇもやってんのかよ!」

「いいじゃん別にぃ!お前は女の子との絡みが多すぎるんだよぉ!妬んで賭けるくらいいいじゃねえかよぉ!」

 

 そんなことをしているから女子にも嫌われるのだ、と思ったがここの女子どもはむしろ便乗して賭けに乗じてたな。

 駆け馬自身が勝つためにアプローチとともしてきたし。

 

 しかし妬むのは結構だが、女子しかいない職場の辛さも理解はして欲しい。

 こっちはセクハラしてるからどっこいどっこいだけど。

 

「どうでもいいが、帰るぞ」

「んだよつれねーな」

「部屋帰ってやりたいことがあるんだよ。お前らも程々にしとけよ、なにやるのか知らんが明日それぞれ作戦があるだろ」

「うるせー」

「ったく。じゃあな」

 

 日向に別れを告げて、俺はその場を去った。

 ちなみに、帰り際に戦利品の中からこっそり缶ビールをくすねさせてもらった。

 そろそろアルコールの味が恋しかったところだ。

 

 ●

 

「おかえりー」

 

 自室の扉を開くと、同居人が出迎えた。

 彼の手には文化祭のしおりがある。

 

「ただいまっと。こんな時間まで起きているのは珍しいな」

 

 時刻はもうすぐ24時を越える。

 いつもならこの時間帯この同居人は寝ているはずだ。

 

「うん。ちょっと明日の準備でおそくなってね」

「何かやるのか?」

「クラスで喫茶店やるんだ。星川くんのクラスとか部活は何かやらないの?」

「生憎文化祭とは縁がなくてな。クラスは何を出すのかも知らん」

「じゃあ、暇だったら遊びに来てね」

 

 考えとく、と適当に返事をして俺はタンスの前にしゃがんでシャワーを浴びる用意をしはじめる。

 

「ぼくさすがにもう寝るけど、電気つけといた方がいい?」

「いいぞ。シャワー浴びたあとちょっと作業するけど、ベッドの上でやるから消しても構わない」

「そう、わかった」

 

 俺は下着とタオルを抱えて立ち上がった。

 

「明日、楽しみだね」

「……そうだな」

 

 かけられた言葉に、一瞬の躊躇をしながら俺は返事をして浴室へと向かった。

 

 

 

 to be continued

 



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Chapter.3_6

 そこは表現するには、混沌という言葉しか思いつかなかった。

人という人が、狂ったかのようにごちゃまぜで入り乱れている。この中に居続けたら、そのうち朝摂取したカフェインをアウトプットしてしまいそうだ。

 生きていた頃から無秩序な人の流れというのは、どうも苦手だ。

 イベントや集会での乱れ具合が嫌いで、頼むから統一性をとってもらえないだろうかといつも悩んでいたのを思い出す。

 

「邪魔くせえ、くそうるせえ、気持ちわりぃ」

 

 濁流のように行き交う人の合間を縫うようにして進む。すれ違う度に肩をぶつけている気がするが、気づかないのかこういう状況なら仕方ないのか互いに何も言わずに通り過ぎていく。

 というか、当たり負けして押し返されてしまい思うように前に進まない。

 あふれんばかりのNPCの群れに酔ってしまった俺は、出店を物色することを諦めて人気の少ない場所を求め逃げ出した。

 どこもかしこも人だらけで気の休まる場所などみつからない。執拗に声をかけてきたり強引に引きとめようとする勧誘を振りほどきながら、なんとかエアポケットのように人気のない階段の踊場を見つけることができた。

 たどり着いたその場所で、俺は壁に背を預け一息吐いた。先程は喧騒がひどくて聞こえなかったが、校内放送では聴き覚えのある曲が垂れ流されている。雑音でかき消されそうになりながら、スピーカーからはハックニー生まれの歌声が隙間を縫うように耳へと流れこむ。

 

「こんなものが明日も続くのか……」

 

 俺は頭を抱えながらその場に座り込んだ。

 

 

 [Chapter_33: Fest / 1_1 ]

 

 

 ついに文化祭がはじまった。はじまってしまった……

 

昼から起きようかと怠惰を計画していたものの、寮内からは浮足立ったNPC達のやかましい声が早朝から響き渡り、惰眠は悲しくも無残に阻まれた。

 他の戦線メンバーは何やら妨害工作や出展などの任務が与えられているようだが、このイベントにおける俺の仕事は後夜祭のライヴしかない。

 当たり前だが、率先して手伝おうという勤労意識など持ち合わせているはずもなく、また今更“学校生活の一大イベント”という青春みたいなものを精一杯満喫する欲求すらない。

 ならば力いっぱいサボり倒してやろうかと意気込んではみたものの、残念ながら寝ることは青春謳歌集団による外圧で阻まれてしまった。

仕方なしに、NPCや任務に勤しむ戦線の奴らを素見して回ろう、と校舎まで繰り出してみたわけだが、人という荒波にもみにもまれ、無残にも酔いつぶれてしまった。

 

「こうなることは事前に予測しておくべきだった……」

 

 如何せん、こういった学校にまつわる経験値が低い。だからか、勘による行動で失敗するのを恐れてしまうのが欠点だ。

 自分の弱さを恨みながら、こみ上げていた吐き気を耐え徐々に治まっていくのを待つ。

 こんなことなら、ちゃんと高校に通い続けるべきだったか、などと後悔も沸き起こるが、やはりそれはないか。行ったところで、虚しさを抱える人生になっただろう。

 

「あれ?先輩どうしたんですかー」

 

 頭上から、間の抜けたような声が降りそそいだ。

 顔をあげると、小悪魔ルックの後輩がこちらを覗きこんでいた。

 

「どうしたんです?具合でもわるいんですか?」

「……お前の顔見たら、余計気持ち悪くなりそうだなあ」

「何ですか会っていきなり!喧嘩売ってるんですか!?」

「ちょっといまテンション高めはきついかなー」

 

 ユイはいつものようにプンスカと拳を上げて激高した。それを適当に窘める。

 彼女の性格からして、こういう環境は気分が高揚しやすいと判断できる。すなわち、お祭り騒ぎを好んでいそう、故の軽口だ。

 

「先輩はひどいですね!悪魔か何かじゃないですかね!」

「そうなー悪魔だったら生徒会長にも対抗できそうだなー」

「……なんかいつにもましてやる気というか、覇気がない感じですね。いつもだったら「じゃあお前は格好から行って“小”悪魔だから俺よりも格下な。アンパン買ってこい」くらいの暴言を吐きますし」

「うるせー」

 

 年がら年中元気そうなのはお前くらいだと思うぞ。

 

「こんなヘンピなところに座り込んじゃって、気でも触れたんですか?」

「お前辺鄙の意味わかっているのか?」

 

 というか、人を錯乱したかのように言うな。

 人に酔って気分が悪くなっただけだよ、と伝えると、ほーへーっと、わかっているのかいないのか判断のしづらい返事をされた。自分の体調よりも、この後輩の将来が心配になりそうだ。死んでいるから将来も何も無いが。

 

「お前こそ、何か任務でも与えられているだろ。こんなところで油売って大丈夫なのか?」

「大丈夫ですよぉ、これを取りに行ってたんです」

 

 そういってユイが見せたのは、一本のクラシックギターだった。そこそこ美品で綺麗に保管されているがわかるが、弦は完全に緩みきっている。

 そういえば、この棟には学校の楽器やら何やらの備品が仕舞われた準備室があった気がする。

 

「わたしら下っ端には、それほど細かい指令がされているわけじゃないんです。なんかこう、文化祭をエンジョイしているふりして迷惑をかけろ、みたいな?」

「ずいぶんとアバウトだな」

「企画とかに乱入でもいいんですけど、こうやって人がワンサカ出てきているわけですし、チャンスかなーと思って」

「ああ、なるほど。ストリートか」

 

 この後輩は勇敢にもストリートライヴをゲリラ的に仕掛けてやろう、としているわけか。

 確かに、この状況は人がいる以上に足を止めてもらえる可能性が高い。日常生活であれば騒音として疎まれる場合も多いだろうが、今日のようなイベントを当たり前とした雰囲気ならばパフォーマンスとして受け入れられやすい。

 聴いてもらえるというのなら、試してみる価値はあるだろう。

 

「ホントはエレキでやりたかったんですけどね、いざ逃げるとなると面倒で。これなら投げ捨てて行けるかなと」

「おいおい、パクったものとはいえ楽器は丁寧に扱えよ」

「冗談ですよー逃走しやすいのは本当ですが」

 

 まったく、なんて奴だ。しかし、ストリートで逃走のしやすさというのは大切だ。

 死ぬ時期より少し前には、多くの都市でストリートライヴは明確な迷惑行為として取り締まりの対象になっていた。ストリートをやるには自治体に許可を得るか、お巡りさんとの追いかけっこ覚悟のゲリラ演奏するかの二択となった

 常識のある人間なら許可を得ていただろうが、常識外れもワンサカいたのでまじめに申請している人間のほうが少なかった。というか、現行犯でなければ捕まらないと信じ込んで、いかに早く逃げ切るかを重要視するようになっていた。。だからか、何故か逃げ足の早さは音楽の腕以上に必要な能力とされていた。

 とはいえ、だいたいゲリラ公演するようなアホは最初から計画性なんて無いわけで、よほどの手練でなければ捕まっていたわけで。見かけなくなったら交番か留置所に居るのだろう、と判断される哀れな奴らも少なからずいた。アホだ。

 余談だが、どちらにしろ手間もリスクもかかったため、ストリート・ミュージシャンそのものは減少していった。ちょうどその頃に、ネットで音楽を配信できるサービスが登場のも大きな要因としてあるのだろうけれど。俺も最後に見かけたのはいつだったか。確か、人に誘われてどっかの箱へ向かう途中にアコギを弾いていた奴が居たような……

 

「あ、違う自分だ。酔っ払いに巻き込まれて路上でセッションやらされたのが最後だ」

「何言ってるんですか先輩?」

「あれは辛かったなぁ、延々と追いかけっこして最後はゴミ山に潜り込んで隠れたし。いいか、ストリートに重要なのは加速力と瞬時の判断だ。ハムストリングをよく温めておけ」

「何を言っているんですか?」

 

 それはアスリートじゃないですか、とアホの後輩にツッコミをされてしまった。なんということだ。

 

「しかしストリートねぇ……そういや、あいつらも何かやるって言ってたな」

 

 昨日、休憩中に入江と関根がどこかで仕掛けるとか何とか言っていた気がする。

 具体的には何も聞いてはいないので、どこでいつやるかはわからない。おそらく、以前暇つぶしで教えたカホーンを使うと思われるのだが。

 

「そもそも、この文化祭ってどこに何があるんだ?」

「パンフレットもらってないんですか?あちらこちらでNPCの人たちが配ってましたよ?」

「来て早々荒波にもまれてここへ流れ着いたので」

 

パンフレットが存在するのか。だが、もらったところ教室や棟をろくに把握していないから、あまり意味を見出せそうにない。それに素人が作った地図って、割とわかりにくいし。

 

「そういえば、先輩はお仕事ないんですか?」

「俺が忙しいのは明日。それまでは自由」

「えーずるーい」

「頑張って蟻のように働いてくれたまえ」

「きー!先輩はバッタっていうわけですかー!」

「それを言うならキリギリスだろ……」

 

アホの子はやはりアホの子だった。

 

とはいえ、本当にキリギリスのようにヴァイオリンを弾いて暇をつぶすわけにもいかない。

人混みが嫌だとはいえ、この狭い踊り場でうずくまって愛人の車で最期を迎えた野郎の歌声を聞き続けるのも、限界というものがある。

それに外に出てきてしまったんだ、文化祭とやらを少しは堪能してみるべきだろう。何もせず寮に帰るっていうのは癪だ。

 

「なぁ後輩、面白そうな出し物ってなにか無いか?」

「知ってます!?ガルデモが最終日の後夜祭にライヴをするんじゃないかって噂があってですね!?」

「それはもう聞いた」

 

流した側の人間だから知っていて当たり前だろう。

というか、こいつ俺の役職忘れているだろ。

 

「ええー、それ意外って言われましても。正直先輩ごときが楽しめそうな内容ってないですよ」

「殴りたいけど我慢してやるから教えろ。この際なんでもいいよ、こちとら文化祭っていうものがどういうものなのか詳しくは知らないし」

「そうなんですか。なら私と一緒ですね」

「ほう、そりゃ気が合うな」

「先輩と一緒ってのは、なかなかに良くない気分ですね!」

「そろそろそのケンカ買うぞ?」

 

 凄んでやると、なんか予想以上にビクビクしながらあたふたと考え始めた。

というかさらっと、"生きていた頃にまともに学校へ通っていなかった"可能性を暴露してくれたのだが。わりと重いことなんじゃないのかコレ。

ミッション系とか進学校とか規律でそういう行事がなかった可能性も否定はできない。

だが、こいつがそんなところに通っていたとは思えないし、この世界に来ている事を考えれば可能性が高いなんて言うものは、言わずともわかるものだ。

 

「うーん……あ、そういえば向こうの校舎で、なんだか凄いアラシがでたとか聞きましたよ」

「アラシ?storm?tempest?というか凄いって何が」

「いや、よくわかんないんですけど、なんか盛り上がりが異常に凄かったとかなんとか」

「異常に盛り上がったのか?なんだろう、巻き上げ(トルネード)みたいなもんかな」

 

 ライヴしか仕事を任されてないというか、それ以外に戦線がどんな作戦を実行しているのか知らない。後夜祭は時間としては一番最後だ、それ以前に何も仕掛けていないなどということは、あの隊長さまがしないだろう。

 しかし、異常な盛り上がりというのは少し気なる。

 通常時よりも気分が高揚し逆に言えば突出して盛り上がりにくいこの状況で、“異常”と呼べる現象があるのはどういうことだろうか。

 純粋な興味もあるが、その要因や過程を知れば今後のライヴに役立つかもしれない。

 

「行ってみるか」

「あぁ!その前にお願いしたいことがあるのですが……」

「なんだ、どうした」

 

 顔を赤らめてもじもじと何やら照れくさそうにユイが恥じらい始めた。

 微妙に上目遣いとなっており、その手の好みを持ち合わせる人間なら卒倒ものだろう。

 

「残念だが俺にそういう手段は効かねーぞ。おっぱい育ててこいおっぱい」

「容赦のないセクハラですねぇ!」

「どうでもいいがさっさと言え」

「うー……あれですよ、お礼って言ってた、チューニングを教えて下さい」

 

 ああ、あれか。そういや教えると言ってから会ってなかったな。

 そんなことを何故恥ずかしがりながらいう必要があるのか、入江みたいな性格でもあるまい。あれか、プライドが許さないというタイプか?

 

「わかったよ。とりあえずギターよこせ」

 

 ギターを受け取り構えると、ユイはその場でしゃがみ込んで俺の手元を注視する。そんなに見られると少し恥ずかしいぞ。

 弦の緩みを確認しながら、ギターを眺めた。クラシックギターは久しぶりだなぁ、こいつってジャズでも使われることはあるが、ボサノヴァなどが比較的多かった。だからか、あまり縁がないけれども、弦の数は同じだ。やり方は買えなくてもいいだろ。

 

「そういや音叉がねえな。仕方ない、一本だけ合わせてやるよ」

 

 俺は二番目に太い弦を弾き、その音が鳴り響くなかペグを回して弦を締めた。何度か弾いて微調整を繰り返す。

 

「……よし、いいだろ。あとはやれ」

「うぇえええ!?」

「指示してやるからお前がやれ。でなきゃ覚えないだろ」

 

 ギターを押し付けると、渋々と受け取り恐る恐る構えた。何故そんなに怖がるんだこいつは。

 

「いいか、まず最初に5弦をAの音にするんだ。本当は音叉を鳴らしてその音に近づけるようにするのが良いんだが、今日はないからそれはやっといてやった」

「やっといたって、先輩やっぱり絶対音感とか持ってるんじゃないですか!すげえ!」

「そんな大層なもんじゃねえよ。誰でも幼少期に一定期間ピアノでも習っていれば、そこそこは身につく。じゃなくても、長い間音楽活動をしていれば慣れて覚えるものなんだよ」

「そんなもん何ですか」

「訓練すれば、ある程度の音階や音の高低くらいわかるようになる。さて次だ、5弦の調律は終わっているからそれを利用するぞ。5弦の5フレットを押さえろ。そうだ、そこを押さえて鳴らせ。そんで直ぐに4弦をならせ、5弦の音と比べながら4弦を締めてその音に近づけるんだ」

「……こ、こう、ですか」

「もうちょい締めろ、よく聴き比べるんだ。気持ち悪さがなくなるまでやれ」

 

 うげえと言いながらも、ユイは何度も聴き比べて音を調律した。ちょくちょくこちらに合っているか訪ねてくるので、「自分で自信が持てるまで聴くな」と言いたくなるが、流石にそれは可哀想なのでやめておいた。こっちの世界に来てから始めたのだ、センスといった感性には自信があったとしてもこういう技術的なものには確信がもてないだろう。

 しかし、そうやってこの少女の心情を考えてみたら、一つ疑問が思い浮かんだ。

 

「せんぱぁーい、6弦の音ってこれで合ってますか」

「なあ、それパクってきたんだろ?ついでにチューナーも貰ってくればよかったじゃねーか」

「あ、あーそれもそうですねハハハハ」

「なんで目が泳いでいるんだよ」

 

 明らかに動揺した様子をみせる。なんだこいつ、なにか後ろめたいことでもあるのか。

 

「おいなにか企んでいるわけじゃねえよな?」

「そ、そんなこと無いっすよぉぜんぜん」

「声ふるえてんぞ」

 

 ユイはあわわわと狼狽えまくり、さらに挙動不審な様子。

 やっぱこいつ馬鹿だよな、わかりやすすぎる。

 

「締め上げるもの面倒くさいからもういいよ」

「そんなことじゃないですよ!」

「じゃあなんだよ」

「いや、それはあの」

 

 両手の指をつつきながらモジモジとする。こいつ、今日は恥ずかしがってばっかりじゃねえか。こんな奴だったけ?もう少し図々しい性格だった気がするんだが。

 そんなふうに若干白い目でみつめてやると、気恥ずかしそうにユイは呟いた。

 

「や、やって欲しかったんですよぉ。チューニング」

「は?」

「先輩に調律して欲しかったんですよ!前にやって貰ったギターめちゃくちゃ気持よく弾けて感動しました!でもその後自分でも電子チューナーで合わせてみたんですけど、あの時ほどいい音が出なかったんです!だからまたやって欲しかったんですよ!」

「……なんじゃそりゃ」

 

 そんなことか。ただバレるのが恥ずかしかったのか。

 

「な、なんですかその顔は」

「呆れただけ」

「きぃー!恥ずかしいのを我慢して言ってやったのにぃい」

 

 知らんがな。というか、チューナー持っていたのか騙されたな。

 それはいいとしても、チューナー使ってもいい音がしなかったって、それは壊れていたんじゃないだろうか。もしくは、こいつの感覚の問題か?

 

「先輩にやってもらったほうが、なんかこう音が出しやすかったんですよ」

「意味がわからないな。チューナーでやったほうが正確だろ」

「んー先輩のほうが、なんていうか”合わせられた”っていうんですかねー」

「……お前の感覚がちょっとおかしいんだよ。チューナー壊れているかも知れないから、こんどギルドにでも見てもらうように頼んどけ」

「えー、まあいいか。はーい」

「じゃあ俺はそろそろ行くから、お前も頑張れよ」

「あいあいさー」

 

 そういって小さな後輩は元気よく階段を駆け下りていった。

 

「合わせられた、か」

 

 なおさら意味の分からない表現だったな。

 グルーヴみたいな、そんなものが自分にあるわけがない。むしろ。チューナーに近いって言われたほうが納得できる。

 

「それがあったのなら……どんなによかったことか」

 

 バタバタと駆け下りる足音が聞こえなくなってから、俺も腰を上げて立ち上がった。

 

「そういやあいつ、どうやって俺を見つけたんだ?」

 

 たまたまここで鉢合わせたわけだが、さっきの話を聞く限り偶然というより探していたといったほうが正しいだろう。

 このクソみたいな人混みの中、俺がどこに居るかすら分からないと思うのだが……

 

「ま、いいか」

 




遅くなりすぎました。
全体再構成中ですが、なんとか続きを書いていきます。
再構成終わりましたら検索公開もします。

次回更新は再構成及び編集が終了したころを予定しています。


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