SKO41に入った鮮血帝だけど、なにか質問ある? (ごはんはまだですか?)
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第1話 ゲームスタート

 自分はひどく恵まれた方だと、この世界をみて思う。

 

 常に浄化された空気がドーム内を満たす、人工心肺もいらないアーコロジー楽園(ニライカナイ)で生まれ育ち、富民層の親のおかげで大学院まで進むことができ、これまた親のコネで一流と呼ばれる企業に入社して、人脈にも恵まれ、信頼できる友がいて、何不自由ない生活を送れる。

 

 人工太陽が放つ、爽やかな朝日に照らされた室内で、本物の鶏の卵とチーズで出来たオムレツ、それに遺伝子無調整の小麦粉から出来たパンを食べながら、慈琉(じる)くにふは思う。

 

(ああ、名前は本名だ。

 笑ったやつは後で全力でしばく。ハゲるまでしばく。

 第一子誕生にはっちゃけた父親が、国を治められるような大きな男になってほしいとつけたのだ。始めの案では国夫という漢字だったが、世界に一つだけの名前にしたいとひらがなで届けられたのだ。せめてくにおにして欲しかった)

 

 話がそれてしまったな。

 そう、自分は恵まれた生まれだという話だ。

 TVの中では、汚染された水で農業プラントが一つ潰れただとか、○○市で硫化水素が発生しただとか、暗いニュースばかりが流れている。

 だけど、目を窓の外に向ければ、木々の緑も、ドームの天井に映し出された空の青さも、汚れなどなにひとつない美しさを保っていた。

 

 恵まれているのだろう。

 人工肺のせいで運動も碌にできず、錠剤で栄養を補給し、子供の小遣いのような賃金で働かされている貧困層に比べれば。

 

 だが、なにか足りないという気持ちがあった。

 

 だが、ちっぽけなひどく劣った存在だと常に心のどこかで思っていた。

 

 きっと、それは満たされた退屈さゆえだろうと、次々にいろんなことに手を出てみた。ヨットに乗ったり、絵を描いたり、チェスをしてみたり、バイクに乗ってみたり、電子ゲームにも手を出したこともあった。

 そのほとんどで成功をおさめてきたが、心の底でくすぶる劣等感が払拭されることはなかった。

 

 食べ終わった食器を皿洗い機に入れると、俺はオーディオルームへ向かう。

 壁一面のプロジェクターも、背の高さほどのスピーカーも素通りで、片隅にあるダイブシステムに手を伸ばす。

 やわらかな革張りのカウチに寝そべると、ヘッドギアを着けて電源を入れる。重低な起動音とともに灯った青い光が、薄暗い部屋をわずかに照らした。

 

 今日は知人に勧められたネットゲームに手を出すつもりだった。

 なんでも一世を風靡したDMMOで、複雑な世界観と豊富な職業やスキルが人気だという。

 

「これで少しは無聊が慰められればいいのだが」

 

 あきらめ半分にため息を吐きながら、電子空間に浮かび上がったゲームタイトルを眺める。

 

 

 

<Yggdrasil -ユグドラシル->

 

 

 

△はじまり の 草原

 

 さわさわと草を渡る風が、黄色の体毛を揺らす。電脳世界に降り立った先は、晴れ渡った草原だった。ここで昼寝でもしたらさぞかし心地よいだろう。

 なにげなく視線をやったステータスメニューに表示されている現在地情報に、なんともわかりやすい地名だとジルクニフはあきれ返った。複雑で緻密で奥深い北欧神話を元にした世界観はどこにいったのだ。

 

 プレイヤーネームは”ジルクニフ”だ。どうせ真面目にやるつもりがなく、始め、名前は「ああああ」にしようと思ったが、すでに何十人と同じ名前がいてやめて、本名にしたのだ。

 種族はネコ科のビーストマンだ。選んだ理由は、人間種以外は苦労をするという事前情報から、少しでも手ごたえがあった方がいいということと、今は二足歩行のネコだが種族を上げていくとライオンへと変れることが大きかった。

 映像データーでしかみたことはないが、黄金のタテガミを揺らす百獣の王者に魅かれていた。いつかライオンのような立派な強い王に()りたかった。

 

「とりあえずレベルでも上げていくか」

 

 ジルクニフは、現実よりも鮮やかな青空の下、なにはともかくゲームを楽しむことにした。

 

 

***

 

 

 はじめのうちは順調だった。

 

 元々、ゲームの類をいくつかこなしているため、要領もわかっていて、さくさくと戦闘をこなしていき、レベルは上がっていき、少ないが金銭やアイテムも手に入った。

 

 だが始めてそう経たないうちに、先人の忠告通り、異形種は苦労をするということを身に持って知ることとなる。

 PKである。はじまりの草原では初心者狩りに散々遭い、進んだ先の森でも人間種プレイヤーによる異業種狩りが横行していた。ようやく10を超えたレベルはすぐさまデスペナで元に戻り、手に入ったドロップアイテムはこちらがドロップするはめになった。

 上って下がって、手に入れて盗られて、罵倒されて、遊びで狩られて、死体蹴りされて、散々な目にあった。

 

 それでもユグドラシルを続けているのは意地だった。

 力ある強者に暇つぶしで虫けらのように扱われるのは悔しいことで、一番低い第一位階の魔法さえも使えないまま終わることは許せないことで、何も守れず何も残せずに去ることは、……できなかった。

 

 そう、ただの意地だ。

 

 ジルクニフはたかだかゲームに夢中になっている自分を自嘲すると、今日もまたユグドラシルの世界へとダイブしていく。

 

 

 

△深い 青の 森

 

 高い木が頭上を覆い太陽を隠している森は暗いのだが、それでもフィールドのかなり先まで見ることができるのは作りものの世界であるからだ。

 こればかりは現実よりもいい点だ。虫や、まとわりつくような湿気もないことだしな。

 

 ……ふと、ジルクニフは胸の内に湧いた疑問に首をかしげた。

 

 どうして俺は現実の森を知っているのだ?

 整備された公園や庭木ぐらいしか自然を知らないのに、立ち入るものを拒む森の暗さや湿った空気を思い出せるのだ?

 

 浮いた疑問は、モンスターがポップしたことで泡と消えた。だが、どこか頭にまとわりついた。

 

 ひのきのぼうでウサギ型モンスターを殴り続ければ、HPが0になると同時に軽快な電子音がレベルアップを知らせる。

 ジルクニフはそれに構うことなく、ドロップアイテムを急ぎ回収すると場を後にする。

 モンスターを倒し油断している時が、一番PKに襲われやすいのだと実体験で学んでいるからだ。

 

 周辺と変わらない大木の一本の後ろに身を潜めると、人気がないのを確認してから手に入れたアイテムを確認する。ボックスに入っていたのはHPを回復できる”きのみ”だったので、さっそく使用する。アイテム欄で選択してダブルクリックすれば、減っているHPバーがわずかばかり戻った。

 

 回復した次はレベルが上がった時になったもう一つの電子音の正体を確かめる。

 コントロールを操り、ステータスをオープンすると、そこにはレベルアップを知らせる履歴の下に、魔法を覚えたという文字があった。

 焦る気持ちを抑えながら確認すれば、スキルの中に確かに魔法が増えていた。たかだか第一位階の、それも少しばかり移動速度が速くなる程度の魔法でしかなかったが、ようやく待ち望んだ初めての魔法に、ジルクニフは自然にガッツポーズをとっていた。

 

「よし、今日はついているな」

 

「ほ~、じゃあ俺達にも運をわけてもらおうか」

 

 そんな風に浮かれていたから、密かに忍び寄る影に気がつけなかった。否、高レベルの気配遮断と身を隠すスキルを使用されていたため、例え慎重に身がまえていたとしても、ようやく10を越した低レベルのジルクニフでは気が付くことはできなかっただろう。

 

 視線を向ければ、レア度の高そうなゴテゴテした装備をした二人のプレイヤーがいた。

 手には武器を構え、いつでも戦闘に移れる様子からいやでも強請(ゆすり)もしくは強奪が目的だとわかる。

 PK自体が目的ではないのならアイテムを渡せば、見逃してくれるだろう。だがあいにくと所持アイテムは先ほど使ったきのみでしまいだった。いつもであれば先を見越して低級ポーションの一つや二つ持っておくのだが、すでに使いきっていて空っぽだ。所持金額も薬草がぎりぎり買えるだけしか持っていない上に、PKにどうせ盗られるのだからと、装備はひのきのぼうと初心者のズボンしかない。

 規制にひっかかるため、スライムやロボット系の異形種であっても全装備を外して全裸になることはできない。更にはひのきのぼうはどこでも拾えて、売っても値がつかない初心者救援装備だ。

 渡せるものは低級おつかいクエストでもらえる程度の金銭しかなかった。だが、ついているという言葉を聞かれているため、正直に言っても信じてくれはしないだろう。

 

 つまりは逃げるしかなかった。

 立ち向かったところで敵いはしないし、ましてやデスペナでレベルダウンしてせっかく覚えた魔法を失うなどしたくはなかった。

 

 三十六計逃げるにしかず。

 ジルクニフは覚えたばかりの<早足>を使うと、ログアウトのできる安全地帯を目指して走りだす。

 

「てめえ逃げんな」

 

 すぐに後ろを追いかけてくる二人を尻目に走っていく。

 人間種に移動ペナルティがかかる足場の悪い苔の生えた岩場や荒れた茂みの中を抜けていくが、レベル差のせいで振り払えないでいた。

 

 後ろから迫る光に気が付き、慌て横に跳べば、先ほどまでいた場所を<火の玉>が通り過ぎる。間一髪だった。

 姿勢を立て直しながら振り返れば、ずいぶんと近くにまで近付かれてしまっていることに気が付く。

 むしろここまで逃げ切れたほうが善戦した方だろう。五分近く逃げられたのは地形での有利さと相手が飛び道具や魔法を使わなかった上に今まで真剣ではなく遊んでいたことが大きかった。

 

 だが、スキルを使うようになってしまえば、もう遊びはおしまいだ。

 

「アイテムなんて持っていないと言っても、貴殿らは信じないのだろうな」

 

 懐には塵芥程度しかないのだと、両手を開けてしめしてみるが剣呑な雰囲気は当たり前だが和らぐことはなかった。

 

 残念だと表すアイコンを浮かべれば、相手からは笑顔のアイコンが返される。

 

「悪あがきをさせていただくぞ」

 

 移動速度を上げるためにストレージに納めていたひのきのぼうを取り出し構える。

 チャキッと武器を構えた時になる効果音を耳に、どうして持ち手に巻いた布と木しかないのに鍔鳴りがするのだろうと、そんな場合ではないのに常々思っていた疑問が湧いてきた。

 

 相手が構えるごてごてとした飾りの付いたら高そうな武器は、触れたことも見たこともない伝説級だろうか遺物級だろうか。初心者にちょうどいいフィールドにいるくらいだから廃人レベルほど高くはないのだろうが、それでも己では手も足もでないほどのレベル差だろう。

 それでも諦めて回線を切って逃げることをしないのは、絶望的な、それこそ姿をみただけで死を覚悟するほどの格の違いを感じなかったからだ。

 

(もっとも、そんな相手がいたところで逃げるような無様なことはしないがな)

 

 ゲームのホログラムには反映されていないが、ジルクニフの口元には自然と笑みが浮かんでいた。

 負けて失うものは、わずかな金と魔法。それに己のプライドぐらいだ。

 なんて安い負け戦だ。

 命も国も喪わないで済むなんて。

 

「死ねよ、厨ニ初心者」

 

「いいや、死ぬのはそちらだ」

 

 声と共に落ちてきた稲光がPK二人の体と、彼らと向き合っていたジルクニフの視界を焼く。強すぎる光に、保護機能が働きモニターの明暗値が一気に落ちる。

 暗くなった画面が徐々に戻れば、目の前には先ほどまで対応していた相手の死体が転がっていた。本物の死体とはまるで違うが、体の端からポリゴンとなり崩れていく様は、独特の薄気味悪さがあった。

 

 電脳世界に溶けていくポリゴンを眺めていると、道の向こうからフレンドリーに手を振りながら近づいてくる一団があった。

 

「初心者狩りをしていて逆に狩られるなんてNDK?NDK?」

「開幕ぶっぱ、やっぱさいつよ~www」

 

 軽口を叩きながら、悠々とした足運びで現れたのは三人の異形種プレイヤーたちだった。なんかてかてかしていた。

 

 そのうちの二人が死んだPKのアイテムを拾いにいき、ライトニングを放ったのであろう、みるからに魔法詠唱者といった格好の者はこちらに近づいてきた。

 宝石や金で彩られたローブを、この程度なぞ惜しくはないとばかりに地にぞろりと引きずり、悪魔のものだと言われても納得できる禍禍しい頭蓋骨が据え付けられた杖を持つ姿は、

 

「異形種狩りに遭われているようなので、お節介かもしれませんが手を出させていただきました。大丈夫ですか?」

 

 親切そうな声で差し出される手は、

 

 白い骨、

 死、そのもの、

 

 死を支配するものだった。

 

「ア、アインズ・ウール・ゴウン……っ」

 

 まるで圧し殺される家畜の悲鳴ような、ひきつった声でそれだけ呟くと、オーバーロードは肯定してゆるやかに肉も骨もない頭で頷いた。

 

 

 

 そこがジルクニフの限界だった。

 

 力任せにヘッドギアを剥ぎ取ると、叩きつけるようにボタンを押して電源を切った。

 

 

 

***

 

 

 

 ネコ科のビーストマンの姿が断線ログアウトを示すモノクロになり、その足元に所持アイテムのひのきのぼうと金が転がる。

 

「えっ?」

 

「うわ~、回線ブッチするなんて、俺らの悪名広がり過ぎ?」

「助けてもらったけど、DQNギルドとは関わりたくないんですね。わかりますwww」

 

 モモンガは行き場のなくなった手を見つめると、ただひたすら混乱した声を漏らすのであった。

 

 

 

「えっ?」

 

 

 

 

 

 

 そんな悲しい思いはしたが、その初心者との関係はそれで終わりだとモモンガは思っていた。

 

 だが、不思議なことにあれだけ初対面の時には怯えて逃げたのが嘘のように、次に偶然会った時には友好的に挨拶をしてきたのだった。

 

 そうしているうちに、ぷにっと萌えさんと一緒にキノコ狩りをしに行ってたり、ホワイトブリムさんと廃城系ダンジョンにメイドモンスターを探しに行ったり、たっち・みーさんに人生相談をしていたり、女性メンバーと円満ハーレムの作り方を議論していたりと気が付けばジルクニフはすっかりとアインズ・ウール・ゴウンのメンバーと打ち解けていた。

 ……ただ一人、モモンガを除いて。

 

「なんだか距離を感じるんですよね。フツーに挨拶とか世間話とかはしてくれるんですけど」

「初めの苦手意識が残っているんですかねー」

 

 のほほんとした口調のブループラネットですら、彼の住むニライカナイの写真を見たり、庭木の育て方の相談にのったりする関係だ。

 

「でも、気にはなっているみたいですよ。結構、モモンガさんのことを聞かれますし」

「俺もこの前、弱点を聞かれた―! ちゃんと、熟女に弱いって答えといたぜ♪」

 

 床で正座をしていた るし★ふぁー が会話に加わってきた。

 そういえば、たびたびジルクニフから視線を感じることがあった。何か言いたいことがあるのかと水を向けても、二三語、交わして話が終わってしまうので、気のせいだと思っていた。だけど、もしかしたら気のせいではなかったのか?

 ずっと避けられていると思っていたが、もしかしたら出会い頭で逃げた気まずさが残っているだけかもしれない。距離を感じるからといって、本心をしらずにこちらからも距離を作ってしまい、そんなすれ違いで親しくなれたかもしれない人を失うのは……惜しかった。

 

 モモンガは一つ頷くと椅子から立ち上がった。

 

「彼と話してみることにします」

「それがいいと思いますよ」

 

 手を振って見送ってくれるブループラネットに、決意のアイコン((`・ω・´))を返すと転送の準備をする。

 

「ギルドの勧誘もしなくてはいけませんしね」

 

 勝手に年上好きにしてくれた るし★ふぁー に正座の延長を言い渡すと、モモンガは三十五人目の新しい仲間を迎えにいくのだった。

 

 

▼ジルクニフ が 仲間になった!

 



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第2話 ネコ目ネコ科ヒョウ属

名前だけ借りたオリギルメンが出ますが、舞台装置以上の何ものでもないので、さらっと読み捨てて大丈夫です。苦手な方はすみません。
元ネタがわかるひとは、ハヤカワ文庫でボクと握手!
現世界ではSF心を、異世界ではファンタジー心を満たしてくれるオーバーロードは最高だぜ


 異形種を選ぶのには浅かれ深かれ理由がある。

 

 スキル構成を考えてや、好みのゲームスタイルを行うためなど、純粋にゲームを楽しむために選んだもの。

 好きな映画に出てくるモンスターを目指したもの、抜きゲのおなじみモンスターがヒロインの声をしていれば一挙両得ではないかと笑い半分に選んだもの、でっかい昆虫はロマンだと語ったもの。

 何ものにも指図されない絶対的な強者になりたかったもの。自分がされたように一番大切なものを無慈悲に奪えるもの。

 はっきりと理由を言えるものもいるし、選んだ理由が自分自身さえわからないものもいる。だが、わからなかったり、意味なんてなかったりしても、気が付いていないだけで、そこには望みや悩み、心の奥底に隠れた理由があるのだ。

 幼少期に見た変わった看板が忘れられない。空を自由に飛びたい。好きだった人の飼っていたペット。本当の自分と正反対なものになりたい。

 それらの話を聞くことは、心理学者ではない私であっても非常に面白く興味深いことだった。

 

「チグリス・ユーフラテスさんが異形種を選んだ理由を知りたがるのには、そんな訳があったんですか」

「私は好きな小説からなんて単純な理由ですから、余計に複雑な理由がある人が気になるのかもしれません」

「ふふ、それを言ったら暑い日だったから服どころか肉すら脱ぎ捨てたいと、骨を選んだ私の方が単純ですよ(^^)」

 

 存在感のある闇としか言いようのない得体のしれないナニかが笑うように浮かぶ光の粒を点滅すれば、向かいに座るスケルトンも笑顔のアイコンを浮かべる。

 チグリス・ユーフラテスいわく、この姿は夜に飛び交う蛍を表現しているのだと主張しているのだが、向こうが見えない黒い(もや)と光る塵のような塊は、蠢く闇に飲み込まれた魂が死ぬ間際に輝いていると言われても信じられそうな、人知の及ばない薄気味悪さがあった。

 そんな姿からも、平坦で朴訥な彼の穏やかな喋り方からも、戦闘になると脳筋族に混じってヒャッハーしながら鉄砲玉のように飛び出していく様は想像できない。忍びなのに忍ばないとはコレいかに?

 

「ギルメンのほとんどには聞きましたね。面白いあたりでは、安価で決めただとか、神の啓示があっただとか」

「なにそれこわい。面白いで片付けて大丈夫なんですか」

「さあ、よくは知りませんが、いあいあ とか くつるふたぐん とか言ってましたよ」

「特定した」

 

 一瞬、危ない妙な宗教にはまっている人間がいるのかと思ったが、どうやらただの怪奇趣味だったようだ。よかったよかった。アレも怪しい妙な宗教には違いないが、少なくとも危険ではないだろう。多分。窓に映る影も八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)だろう。多分。

 

―ブゥン

 安堵に胸をなでおろしていると、話の区切りを待っていたかのようなタイミングで、二人の居る円卓の間に新たなメンバーがログインしてきた。

 最近、ようやく中級種族になれたジルクニフだった。

 ケット・シーに似た愛らしい姿は昔の話、今はすらっとしたヒョウのようなビーストマンだ。肉食獣らしく正面を向いた目に、広めの丸い耳が若い印象を出していた。艶やかな短い毛が覆う細い肉体には太い手足が揃い、成長すれば大きくなりそうな予感を携えている。

 

「ア、モモンガさんにチグリス・ユーフラテスさん。こんにちは」

「こん^^」

「こん^^」

 

 開口一番、どもったジルクニフに、からかいの意味を込めて挨拶の定型文を二人して投げつける。

 現在時間は夜の九時を回ったところだが、このギルドでの挨拶は常に“こんにちは”だ。社会人ギルドなので夜の八時から十一時くらいまでがログイン率が高いのだが、同じ社会人といっても就業時間はバラバラで、九時でも仕事終りの者もいれば、あとちょっとだけやってから出勤するという者もいる。だから、常に挨拶は“こんにちは”になった。

 ……というのは新参者に説明している表向きの理由だ。初期クラン時には社会人らしくお疲れ様が挨拶だったが、某社畜メンバーが「常にお疲れだよ畜生!」とキレて暴れる事件があり、それ以降、挨拶の文句を変更したという壮絶な経緯があった。

 

「今、メイン種族を選んだ理由で盛り上がっていたんですよ」

 

 そんな過去を思い出しながらも、モモンガは表面上はにこやかな声で話しかける。

 

「ちなみに私は好きな小説のラストシーンからです」

「……モモンガさんは、生きとし生けるものに死という平等を与えるためですか」

「私はどこの魔王ですか(笑)」

「アインズ・ウール・ゴウンの外ではそんな噂が流れているのですかねー」

 

 ユグドラシル非公式のラスボスと呼ばれるのは伊達ではなく、悪の組織としてやりたい放題しているDQNギルドのことは、掲示板やアフィを少し探せば眉唾な与太話がいくらでもみつかる。

 彼らの名誉を守るためにぼかして一例をあげれば、某ワールド・ディザスターの中の人は悪魔の魂が封印された人間だとか、某ゴーレムクラスターは木星人だとか、某アーチャーが販売日の三日前からエロゲショップに並んでいただとか。

 それに比べれば、死を振り撒く魔導王だの十八万の兵をゲーム感覚で殺しただの、自分の噂話はまだマシなほうで、むしろ死霊使いらしくロールプレイにぴったりでどこかに書き残しておきたいぐらいだ。もっともそんな五年後に夜中に部屋で転がるようなマネはしないがな。

 

「まだ聞いていませんでしたが、ジルクニフさんはどんな理由で種族を決めたんですか?」

「ライオンが好きだからだ」「でもキリンさんはも~っと好きです」

 

 いつの間にか物陰に潜んでいた るし☆ふぁー はそれだけ言うと、すぐに転送して消えていった。

 

「なんだったんだ今のは」

「かなり昔、古典のCMネタだったと思いますが……、アレのすることにいちいち意味を探していたらやってられないですよ」

 

 思わず口に出た呟きに、モモンガが返答をする。後半の言葉は妙に実感がこもった響きがあった。

 

「それでジルクニフさんの選んだ理由でしたね」

「ライオンって、エジプト神話の怪物でしたっけ?」

 

 イラストやCGでしかライオンをみたことのないこの世界の住人の認知度はこんなものかと、ジルニクフは鼻白む。もっとも、そう言うジルクニフも実物のライオンは現世ではみたことがないし、前世では火を吹いたり石化の魔眼を持っていたりとまっとうなライオンはいなかったのだが。

 

「確か数百年前に全滅した、ネコ科の大型肉食獣ですよ」

「へー、恐竜と戦ったりしてたんですか。すごいですね」

 

 現実味を持たず、まるでおとぎ話をするように、骸骨と闇が本当のことを知っているものからみれば失笑ものの会話をしている。そう、小卒が大半を占めるこの世界の住人の認知度はこんなものだ。

 ここは大人らしく簡単にさらっと説明をして、あとはまた違う話に移ればいい。わかっている。そうすべきだと理解している。

 

 だけど、鮮血の二つ名を持つ前世とは違い、現世ではイージーモードで生きてきたジルクニフは、好きなものをぞんざいに扱われて無視できるほど大人ではなかった。

 

「百獣の王であるライオンは、オスに鬣のある種が有名で社交性を持ちネコ科では唯一といっていい群れで狩りをする動物で、他にも獅子とかレオとか―――」

 

 つまりタブラ顔負けのオタクトークをはじめ、開始十分でモモンガとチグリス・ユーフラテスの両名を宇宙の神秘に心飛ばすほどの悟りへとたどり着かせた。

 それから一時間ほどして、先ほど去っていった るし☆ふぁー が戻ってきても気が付かないほど熱中して延々と話し続けるその顔は、好きなロボットを語る子供のようにきらめいていた。

 

「タテガミのふさふさは――、ふさふさの――、種によってはメスにもふさふさが――」

 

 

 

 後日、ジルクニフの中の人はハゲだという噂がギルド内を駆け巡り、おのれアインズ・ウール・ゴウン!と叫ぶ姿があったそうな。

 



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第3話 一歩進んで前ならえ

説明回
私は歌詞を作中に書いているわけではない。ただ、そろそろ終わるという事実の確認を復唱させているだけだ。


 今日はウルベルトさんと一緒に魔法マクロの見直しをする約束をしていた。時計を見ると予定の時間までは少しばかりあった。珍しく残業がなくまっすぐにアパートに帰れたので、ナザリックの自室に放り込んだままであったドロップアイテムを片付けても、まだ余裕がある。

 もっとも片付けたとは言っても、種類ごとに山を分けただけだが。

 可視化すれば少しはやりやすいかと思いついて実行してみたが、おもちゃ箱をひっくり返したかのような、この部屋の中で竜巻が荒れ狂ったかのような、空き巣に入られたような、雑然とし、どこから手をつけたらいいのかわからないほど途方に暮れるほどの荒れようとなっただけだった。小人閑居して不善を成す。便所のカレンダーに書かれていた名言が心に刺さる。

 一瞬、諦めて見なかったことにしようとも考えたが、流石にこのままにしておくわけにはいかず、また時間が余っていることから逃げる言い訳のしようもなく、モモンガは過去の自分を恨みながら分類し始めたのだった。

 

「こういう時にメイドが片付けてくれたら楽なのにな」

 

 なんということをしてくれたのでしょう。自分が引き起こした悲劇的ビフォア・アフターから目をそらして、アイテムの一時収納箱として部屋の片隅に立たせているソリュシャンを眺めながら、しょんないことをつらつらと考えれば、一定時間の視線を感知した彼女は「どうぞご用命を」とばかりにスカートの端をつまんで軽く腰を下げた。広がる布のやわらかい揺らぎも、動くに合わせてわずかに浮くシルクのような金髪も、冷静で有能なメイドらしさを、ほんのわずかなしぐさの中で表現されていた。

 今日だけで何度も見た仕草だが、目にするたびにメイド三人集の本気をひしひしと感じる。もうお前らメイドと結婚しろ。……と言ったところで「はい、喜んで!!」と某居酒屋の掛声が返ってくるだけだ。表情が変わらないユグドラシルであっても、満面の笑みでサムズアップしている様が脳裏に浮かぶようだ。

 

「これも頼む」

 

 消耗アイテムの類を拾い上げると、ソリュシャンに預け入れる。重量制限のある武器や防具と違って、消耗品は各アイテムの個数制限まで所有することができる。つまり無限鞄と同等の能力 ―機能というとメイド三英傑に殺される。PKではなく殺される― があるソリュシャンにならば、回復薬10個に回復薬グレート10個、こんがり肉10個、生命の粉塵3個、砥石20個etc.を持たせることができるのだ。ここまでならば普通にも思えるのだが、グミは30個までなのにテントならば99個持ち運べる。ゲームの不思議なところだ。

 

 装備は頭や腕など場所ごとに棚を分けて、データクリスタルは別の棚に入れて、最後に預けておいた物を自分のアイテムボックスにしまい込む。おおざっぱながらこれでどうにか形にはなった。

 あとは時間のある時にしよう。

 いつまでも片付けられない人間の思考に陥っていることに気が付かないモモンガは大きく伸びをすると、見えないものに蓋をする後ろめたい気持ちを抱えながらそさくさと逃げるように部屋から出ていった。

 無論、ソリュシャンを開放するのを忘れずに。メイドの独り占め ―もしくはそうみられる行為― をしたら最後、メイド三羽烏に仲間認定され熱烈な歓迎のハグをされることだろう。数日前のジルクニフのように。

 本人は戦力の解析のためだ。と言い張っていたが、聞く耳を持たないメイド三兄弟に最後は神輿のように担ぎ揚げられてわっしょいわっしょいとどこかに連れ去られていった。

 

 ……その後、彼の行方を知るものはいない。

 

 

 

ガチャリ

 白っぽいのが良いとの要望を受けて設置された、自然があふれていた時代に戻っても現実では作ることが出来ない、177cmのモモンガが余裕をもってくぐれるサイズの柳の一枚板の扉を開けて廊下に出ると、そこには、元気に廊下で踊るジルクニフの姿が……。

 

 一瞬、いやかなり長いことモモンガは状況が理解できずに、ドアノブを握ったまま固まっていた。

 金貨色のビーストマンがリズムカルに手を体の前で回し、一歩前に進んでは上半身を揺らさないまま綺麗に膝を曲げて腰を落としポーズを決めてから速やかに起立に戻る動きを繰り返しながら、活発で好印象を覚えるよく通る声で高らかに歌っている。

 これが彼一人であれば、メイド教に脳をやられたかと納得しただろう。だが、一人ではなかった。それどころか2・3人ではすまず、数十人もの様々な異形が踊っていた。

 

「そろそろ終わりかな。そろそろ終わりかな」

 

 重油を固めたような黒い液体も、白銀の鎧に身を包んだ大男も、メイド服を基調とした鎧をまとう夜会巻きのデュラハンも、人間ではありえない角度に曲がった猫背のNINJYAも、悪の戦闘員に抱えられたペンギンも、プレイヤーもNPCも指の先まで気を張らせ、プログラムされたロボットのように一糸乱れぬ動きで機敏に踊る集団は、なんのスキルも使っていないのに圧倒されるオーラVを放っていた。

 

「そろそろ終わりかな」

 

 声と動きに一層力が入る。

 なにも知らないモモンガもこれが最後なのだと、自然と頭ではなく心で理解した。

 

 右手は上に、左手は添うように横に。

 彼らは両手で天と地を表していた。高々と天を指す右手にはどこまでも終わりのない高みを目指す気高き志があり、水平に掲げられた左手には遍く広がるユグドラシルの9つの地平すべてはアインズ・ウール・ゴウンの下で一つだと、力を伴っているが上の慈悲深い宣言があった。

 一歩前に進む形で止まった右脚は、未来へ進む一歩。地に根ざした力強い左脚は今を支える過去の連なり。

 筋の通った背中は、隣を歩む友の荷を背負うために空いている。広く開いた胸は、自信と誇りに充ち溢れている。

 

「終わりっ!」

 

 全員の声が綺麗に重なる。

 彼らは肉体のすべてで、自分自身を、アインズ・ウール・ゴウンを表現していた。

 

 

 

 あいかわらずモモンガが固まったままでいると、踊り終えた面々が先ほどまでの緊張感に満ちた雰囲気を払拭して、わいわいと雑談を始めて普段の雑然とした空気が戻ってくる。

 その緩んだ空気に、ようやくモモンガは我を取り戻して動くことができた。

 

「い、今のはなんだったんですか?」

 

「あれ、モモンガお兄ちゃん、見てたの~?」

「こんちは、ギルマス」

 

 ぞろぞろと歩き去ろうとしていた集団の中から、声が聞こえた何人かがこちらの呟きに気が付き反応すれば、残りの面々もつられて集まってくる。

 先ほどは、あまりのインパクトに頭が働かなかったが、落ち着いてみれば踊っていたのはNPCを除けば剣士しかりタンクしかり前衛職のものがほとんどだと気が付く。

 

「前線ってタイミング合わせにシビアじゃない? だから動きを合わせる訓練」

「すぐ目の前に敵がいるのに、隣も後もみて、状況みて周りみて仲間みて、タイミングあわせて攻撃してすぐに退いて、忙しいったらありゃしない。まあ好きだからやるけどwww」

 

 モモンガは魔術職としてフィールド全体を俯瞰しながら、戦闘中の彼らがまるで一つの生命のように連帯して動くのに常々感心していたが、まさかこんな努力が隠されていたのか。いったいどれだけ練習を繰り返してきたのだろう。

 彼らのストイックな姿勢に頭が下がる思いだった。

 

「そういえば、どうしてメイドや守護者までいるのですか?」

「おっさんが過半数とかむなしいから」

「え?」

「おっさんが大半とかむさ苦しいから」

 

 社会人ギルドであるので多少年齢がいっているのも、異形種ギルドなこともあり女性が少ないことも仕方がないことだ。だから中の人がおっさんが過半数を占めていても、仕方がない。と自分に言い訳をしてみても、改めて見つめ直せばドキ☆ほぼおっさんだらけのギルド。とか地獄絵図だ。なにをポロリするというのだ。モラルか。命か。

 二十歳を越え、通りすがりの小学生におっさん呼ばわりされたことが、いつまでの心の棘になっているモモンガだった。

 

「ちなみに、俺らこれからサンドバッグ殴りッス。マジックキャスターはお留守番よろ」

「お土産楽しみにしといてー」

 

 完全魔術無効を持ち、攻撃力も防御力もHPも高いが、かなり遅い動きのせいでサンドバッグになり下がっている高レベルモンスターである電車サイズの芋虫は知っているが、魔法詠唱者なモモンガは一度も対峙したことはなかった。

 油断をしなければ一方的に攻撃できるのだが、桁違いのHPのため討伐時間がかなりかかるうえにドロップも普通なので、効率がよくないことから人気は低く非アクティブ状態で、もしょもしょと草を食べているのを時々みかける。でかいので目立つのだ。芋虫モンスターには様々な色がおるので、モモンガは密かに占いに利用していた。黄色は金運UPで、緑は健康運だ。

 

「じゃーね、ギルマス」

「ジルジルと仲良くしとけよ」

 

 口々に別れの言葉を告げて前衛職が去っていき、NPCは元の配置に戻れば、先ほどまでにぎやかだった廊下に平穏が戻った。汚れるはずのないデーター上の場所なのに、人が多かったせいかどこか埃っぽい空気が残っているように思えた。

 モモンガが時計をみれば、まだ約束には早い時間を指していた。フレンドリストも確認したが、ウルベルトの名前は半透明になっておりログアウト状態だった。

 さて、どう暇つぶししようかと、片付けの続きという言葉を無理やりに脳内の奥に押し込めると、モモンガは唯一残ったジルクニフへ向き直る。

 

 

 

 そう、踊りのインパクトで吹っ飛んでいたが、彼だけは前衛職ではない。

 

 ジルクニフの職業は召喚術師(サーモナー)と指揮官を中心に、支援系の補助ビルドだった。

 バフ、デバフ等のステータス支援魔法は便利で、どこかのギルドに所属していなくても勧誘の嵐でパーティ組みに困ることはないし、常にちやほやされ回復などの待遇でも優遇されがちだし、いいことづくめにもみえる。

 だが補助職は保護職といわれるぐらい打たれ弱い。Lv.10の差があれば勝敗は決するユグドラシルにおいて、自分の半分以下のレベルの敵とて苦戦するし、中級者向け以上のフィールドを一人で歩くのは自殺行為にも等しいし、パーティを組まなければまっとうにゲームをすることが出来ないのだ。故に支援系や同じく打たれ弱い回復系の補助職は、ちやほやされたい姫か、人助けが好きな仏が多い。

 戦闘は面倒くさいから、友達と役割分担したから、とかもいないわけではないが、戦闘フィールドの流れを読み、常に味方の状態に気を配らなければいけなく、かなり忙しく神経を使うので、明確な理由がないと長く続かず、どのMMOでも常に人手不足な職業だ。

 

 

 

 そんな支援職だが、ジルクニフは姫でも仏でもない。

 

 皇帝だ。

 

 召喚にはいくつかの種類があるが、ジルクニフの使うのは魔力をかなり多く使うが、一度召喚すれば術を解除するか戦闘不能にならない限り、付き従い続ける術だった。

 彼のメイン種族のビーストマンは肉体的ステータス ―特にヒットポイントが― が上がりやすい代わりに、魔術系の上昇率はよくない種族だ。それを逆手にとりHPとMPを逆転させる装備をつけ、純粋な魔法詠唱師と比べても桁違いのMPで小隊並の大量の召喚獣を侍らせて身を守り、万が一、自らに攻撃が届いたとしてもHPは低いが種族故の固い耐久値でワールドエネミークラスでなければ一撃死は防いでみせた。一瞬が稼げれば、あとはバフが掛けられステータスの上昇した彼の親衛隊達が攻撃・防御・回復とそれぞれ動き戦線を元に戻す。

 簡単なことに思えるかも知れないが、全ての状況に対応できる単行本一冊分にも相当するような膨大なマクロを組むか、その場その場で数十人に的確な指示を個別に出していくか、どちらにしても手と知恵の込んだ技術が必要だった。

 かつてどのように召喚獣を操っているのかを尋ねた際には「禁則事項です」と答えられた。命綱である戦術について秘密にすることに納得はしたが、偶然、近くで話を聞いていたペロロンチーノと熱い握手を交わしていたので何かのネタだったのかもしれないと心に引っ掛かっている。どの道、質問をはぐらかされたことには変わりはないのだろうが。

 

 ちなみにジルクニフの召喚獣だが一匹一匹名前がついており、特に強い4体をまとめて四騎士と呼んでいて、多くの手下を従わせる偉そうな態度、隠しクラスであるカリスマエンペラーを取得していることを合わせて彼が厨二皇帝とあだ名される由来になっている。

 

 

 

「ジルクニフさんは、どうして前衛の皆さんと一緒に踊っていたんですか?」

 

 仲良くしておけという言葉があったからではないが、なんとなく気まずい沈黙を破るためにモモンガは無難な話題を振る。まさかたびたび数十人が連なって淡々と居室のすぐ外で踊っている事案には驚きはしたが、別に踊ろうが歌おうが個人の勝手であるし、害はないのだから止めさせることもないだろう。……誘われなかったのは少しばかり寂しいが。

 そうだ、寂しいのだ。

 前衛職の訓練だとしても、みんなが一緒に楽しんでいるのに、知らされずに一人でいたことが。

 

 なぜ、同じ後衛のジルクニフが誘われ、俺は誘われなかったのか。

 

 心の奥底でくすぶる悋気が声色に浮かばないように抑え込む。

 声と動きしかアバターに反映されない世界は不便で、便利だ。感情が伝わるようにテキストボックスに(笑)やwwwを入力することもあるし、感情アイコンもよく使う。

 逆に感情を伝えないようにするのも意識して行えば簡単だ。

 事実、ジルクニフはこちらの暗い感情に気が付かないで、質問に答えている。

 

「私は脳波デバイスで繋いでいるから、ナノと比べればどうしても反応が遅れる不利がある。それを埋めるためだ」

「どうしてそんな旧式のものを。そういえば、楽園(ニライカナイ)は自然派コミュでしたっけ」

 

 以前、少しばかりそんな話をしたことがある。

 アーコロジーの話なんて住む世界が違いすぎて、聞いても共感できず羨むしかないのであまり話題にしないのだが、ジルクニフのいる場所は百年前の生活を守る変わったところだという話を戦闘待ちの暇つぶしに触れる程度の軽い話をしたのだ。

 確か、生命が脅かされない限り、人工心肺やナノデバイスなどの肉体改造の類は行われず、食糧は人の手で作っているのだという。土に埋まっているものや、死んだ動物を食べるなんて気持ち悪くないのだろうか。

 

「本当は前衛で強くなりたかったのだが、身体に異物を入れる勇気が出なくてな」

「はは、メガネ愛好者がコンタクトを怖がるのと同じ台詞を言ってますよ」

 

 劣悪な環境で生まれ、物心ついた頃にはすでに内臓のいくつもが強化したものに置き換わっている鈴木悟としては、肉体の改造に忌避感を覚える気持ちはわからなかった。むしろ、安くはない金額を出してくれた親の愛情を感じるぐらいだ。

 

 空っぽな笑いが過ぎれば、沈黙が滞る。

 いつもならばNPOやギルドメンバーが忙しなく往来する廊下なのだが、先ほどまでの賑やかさが去ってから誰も通りかからず、ただ二人きりが世界から切り離されたように残されていた。豪奢な装飾が今日ばかりは虚構の虚しさを感じさせる。

 身動きせず静かにしていれば、耳の奥で沈黙が鳴り続ける。それは音声を発する前のスピーカーの無音と同じだった。低く音にはならない不快な音が、心の重さとは裏腹に空気に浮かんで二人の間に軽く存在している。

 

 今度の沈黙を破ったのはジルクニフからだった。

 

「アイ、――モモンガさん、よければ自己練習に付き合ってはくれないか?」

「練習、ですか?」

 

 このビーストマンはよく噛むなと思考をそらしながらも返答をする。この気まずい静けさから逃げるためであれば、どんなことでもするつもりだが、召喚術師と魔法詠唱者とでなんの練習をするというのだろうか。

 

「この後、ウルベルトさんとの約束がありますので、あまり長い時間は付き合えませんが、私でよろしければ付き合いますよ」

「ああ、5分もかからない」

 

 すぐに用意するといって、ジルクニフは金色の毛並みで覆われた獣の手で壁面に仮想ディスプレイを設置し、なにかの映像データを選択し再生する。

 よく磨かれたガラス板に映されたのは時代を感じさせる荒い平面映像であった。

 そして、スーツを着た男二人が高らかに歌い踊るそれは、一度聞いただけでうろ覚えだったが、先ほどまで仲間たちが踊っていたソレだった。

 

「もう少し動きの練習したかったのだ。なに、簡単な動きだからモモンガ殿であれば、すぐに覚えられるだろう」

 

 こちらの暗い気持ちに気が付かなかったなんて、嘘だった。

 隠し通せていたなんて己の自惚れだった。

 

 すべては見過ごされて、文字通り、見た上でなんでもないように過ごしていてくれたのだ。

 

「ふん、勘違いするなよ。これは我が強くなるためにした事に過ぎないのだからな」

 

 寂しいと、仲間外れにされて悲しいと。その気持ちを汲み、次からは踊りに参加できるように教えてくれるつもりでいるのだ。彼は。

 

「それでも、ありがとうございます」

 

 ジルクニフからの返事はなかった。

 明るくスローテンポな曲が終われば、場に静けさが戻る。だが、今度の沈黙は冷たく重い、気まずいものではなかった。正反対に温かくこそばゆい、いつまでも味わっていたい。そんな空気だった。

 

「礼などよいわ。それよりも、ちゃんと覚えただろうな」

「はい、もう大丈夫です」

 

 鋭い爪の生えた指が画面をタップすれば、また同じ映像が流れ出す。

 さっさと右を向いたジルクニフに合わせて、あわててモモンガも同じ方向、彼の背中を向く。

 

「一歩進んで」

 

 流れる音楽に合わせて体を動かせば、もう一つの自分である骨のアバターも軽々と動く。まっすぐに腕を伸ばして、次は腰に当てて、ひっくり返って。聞いていればゆっくりだった曲も、実際に動いてみればなかなか忙しかった。横に歩いて腰をひねり、向き直ったら手をかき、しゃがんで立ち上がって。

 

 次々と出される指示に必死になって従っているうちに、1分強の短い曲は終わった。長くも短い時間が終われば、若干の疲れと物足りなさが残る。

 

「あの、もう一回いいですか?」

「ああ、我が友の頼みならば、もちろんだとも」

 

 友。

 そうだ、彼は、彼らは友達なのだ。

 わがままを言っても許される仲間なのだ。

 

 背中を向けたままのジルクニフへ、見えないとわかりながらも笑顔のアイコンを送る。アイコンのポップ音は、ギターの軽快な音がかき消してくれた。

 モモンガは気恥ずかしさをごまかすように、踊りに集中する。頭上に浮かんだままの笑顔はなかなか消えてくれなかった。

 




モモンガ「問題解決の手順を明確化した行進 終わりー!」
ジルクニフ「男のツンデレなぞ、一文の得にもならん! 終わりー!」


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第4話 めんそーれ。Barナザリック

「アーコロジーなんて全部爆発すればいい」

 

 そう吐き捨てるように言ったのはウルベルトだった。

 山羊の頭をもつ悪魔は、高めのカウンターチェアに浅く腰掛け、手に持った酒杯を敵のように睨みつけている。彼とモモンガがいるのは時間限定で開いている小さなショットバーを模した部屋だ。よく磨かれ黒い艶をしたマカボニーのカウンターを照らすのは、カウンター向こうの酒が並ぶ棚に設置されたライディングバーの反射光だ。色とりどりのガラス瓶を通した光は、天井や壁に美しい陰影を落としている。

 仮想空間なので香るはずはないが、どこか煙草と酒の薫り漂う室内には二人の他には、カウンターの向こうにいるNPCのバーテンダーがいるだけだ。

 

島人(しまんちゅ)の集いで、なにかヒドイ目にでもあいましたか?」

 

 ウルベルトがジルクニフに誘われて、アーコロジー・ニライカナイ在住のユグドラシルプレイヤーの集会に参加したのは先日の話だ。富民層を嫌ってやまないことを公言して憚らない男であるが、厨二仲間に何度も誘われて断りきれず、「気のいい連中ばかりだ。顔を出してくれるだけでいいから」と引っ張られていった。

 

「結局、あいつらは俺たちを同じ人間だなんて思ってやしないんだ」

 

 憂い顔の魔術師は、草食動物には似合わない鋭い牙をむき出しにし憎々しげに言葉を切ると、長い爪のはえた手で器用に掴みジョッキに半分ほど残っていた黄金色した麦酒を一気に飲み干した。

 味も匂いもなければ、酔うことも出来ないデーター上だけの酒だが、どうせ話すためのきっかけだ。ピーキーが差し出すカクテルを受け取るとモモンガも口をつける。

 視界の片隅でステータス上昇を示すアイコンが点灯したのを視認してから、手の中のグラスを改めて眺める。透明なのに白くとも銀とも光に照らされて輝くカクテルグラスに注がれているのは、青の中に透明な黄緑が漂った静かな海を思わせる名も知らぬカクテルで、目で見るだけでも十分に酔えそうな美しさだった。

 

「俺を、……“ウルベルト・アレイン・オードル”を見て口々に言うんだ」

 

―――大きい(まぎぃ)

―――美味しそうだ(まぁさぎさん)

―――オスは臭いんだよなぁ(やしが、雄ゃ やなかじゃ)

 

―――最近、ヤギ食べてないな(ひーじゃー かめー うらん)

 

 重い沈黙の漂う室内で、グラスの中の氷が涼やかな音を立てる。

 会話が止まれば、部屋にはバーテンダーがステアする音だけになった。ラウンジや酒場にいけばジャズやクラシック、はたまた派手なブギやロックが場の空気に合わせて流れているが、隠れ家をイメージしたショットバーには酒をきこしめく音の他には余計な音楽はない。

 普段はその沈黙が心地よいのだが、今日ばかりは静けさを持て余していた。

 

 空になったジョッキの代わりにバーテンダーが、満月にかかる薄雲を溶かし入れたような琥珀色の泡盛を切子のロックグラスに入れて差し出せば、ウルベルトはそれも一気に飲み干した。

 

「畜生、あいつら食べ物として見てやがるんだ」

 

 思い返してみればジルクニフが山羊(ウルベルト)を見る視線には、欲の色が混じっていたような気もする。食欲という三大欲が。

 

 モモンガは口を開きかけたが、結局なにを言えばいいのか皆目もつかず、黙ってまた手の中のグラスに目を落とす。慰めればいいのか、笑い飛ばしてやればいいのか、友人の心を軽くしてやるための正しい選択がみつからないでいた。

 

「モモンガさん、長々と愚痴ってしまってすみません」

「いえいえ、私なんかでは何の力にもなれず、申し訳ありません」

「そんなことありません。聞いてもらっただけでも、楽になりました」

 

 胸の苦味とともに酒を何杯も飲み下し、ようやくウルベルトの口調も飄々とした元の調子に戻っていた。

 ステータスバーの時刻が、もうすぐ日を変わることを示していたことをきっかけに、次を最後の一杯にし、今日はもう解散する流れになった。自分はまだ最初の酒が残っているので、頼むのはウルベルトだけだ。

 茸生物が踊るような慣れた動きで十種類ものリキュールを次々と混ぜていく。出来上がったのは“ナザリック”。自然を愛してやまないブループラネットが、アースというカクテルを参考に作り上げた、オレンジや緑、青に黄色、全部で十もの色がベースの銀の中に漂い、目でも楽しめるカラフルな酒だ。ゲーム内なので残念ながら味わうことはできないのだが、こんなにも綺麗なのだからきっとほっぺたが落ちるほど美味しいことだろう。

 

「愚痴を聞いてもらったお礼といってはなんですが、島人(しまんちゅ)の連中に土産として冷凍肉を貰ったんですけど、モモンガさんもよければ一緒に食べませんか?」

「肉ですか! それはすごいですね」

 

 良くて合成食糧。普段は栄養剤を主食としている身としては、肉という超高級食材なんて、幼いころに誕生日で一口だけ食べた記憶しかない。

 

「はい、本物の肉ですよ。……ヤギ肉ですけど(笑)」

 

 再び沈黙がバーを支配する。

 カクテルはすっかり色が混ざり切り、哀しみの色をしていた。

 



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ハロウィン番外編

ジルクニフ出ません


 10月31日。ここしばらくは会社に寝泊まりする激務が続き、やはり神なぞはいないと改めて思う神無月の終り。

 久しぶりとなる我が家に帰ると、夕食もそこそこにネクタイすら緩めずユグドラシルを起動する。逸る気持ちでナノデバイスを繋ぎながらパソコンに貼られたメモに目をやれば、ハロウィンの文字があった。

 

「カボチャとコスプレの日か……」

 

 仕事にせかされているうちにイベントの最終日になってしまっていた。だが常に仮装をしているような姿にあっては、わざわざ行事に乗っかる意義がわいてこない。

 また今年もイベント専用モンスター狩りでもしてこようかと、算段をつけると付箋を剥がして丸めるとゴミ箱に投げ入れる。放射線を描いて綺麗に目標に入ったことに満足感を覚えると、鈴木悟は椅子に深く座り、ゲームの世界にダイブしていった。

 

 

 

△ナザリック地下大墳墓 九階層 円卓

 

 思わずモモンガはコンソールに表示された地名を確認する。そこには確かに初期ログイン場所のエリア名が表示されている。だが、視線を上げれば神々しいまでの王城と謳われた自慢のギルド本拠地は、なくなっていた。

 

 綺羅々々しい金や銀、はたまた派手なピンクやオレンジのモールが天井から垂れさがり、重厚なシャンデリアには水晶の花が飾られて美しい七色の光をきらめかせていた。

 テーブルの上には顔の描かれたカボチャの飾りが大小いくつも転がり、椅子には一抱えもある大きなぬいぐるみが置かれている。よくみれば大分かわいらしくデフォルメされてはいるが、それぞれ本来の椅子の持ち主を模したぬいぐるみだと気が付いた。ペロロンチーノの席には黄色いひよこが、タブラ・スマラグディナの席には鉢巻をしたタコが、武人建御雷と弐式炎雷の席には虎のパンツを履いた赤鬼と青鬼が、といった具合だ。

 部屋の片隅に控えるNPCのメイドも、いつもの楚々とした格好とは違い、ひざ丈までのふりふりなピンクのメイド服にネコ耳で今にも萌え萌えきゅん(はーと)とか言いだしそうだ。

 

「しばらく間を空けているうちに何が起きたんだ?」

 

 丸文字で“はっぴー☆はろうぃん”と書かれたバルーンが漂う室内は、いくら瞬きしても元の姿に戻ることはない。モモンガが立ち上がれば、空いた席に丸みを帯びた骸骨のぬいぐるみがPOPした。

 

「この無駄に凝ったギミックは るし★ふぁー さんの仕業か。だが、ファンシーすぎるし餡ころさんっぽいかな?」

 

 出現したモモンガぬいぐるみの両頬をはさみこめば、やわらかなクッションのような弾力がもちもちと手を押し返してくる。いつまでも触っていたかったが、あと4時間もしないうちにイベントが終わるとあってはのんびりしている暇はなかった。乗り気でない行事ではあっても、スルーすることができないのは装備できないアイテムもため込んでしまう貧乏性だからだ。

 

 誰か捕まるかとフレンドリストを出せば、イベント最終日ということもありほぼ全員がログインしていた。さらにそこからギルド内用の連絡板を読みこむ。更新順に上がるツリーにはやはりハロウィンについての文字がいくつも連ねられていた。

 『ハロウィン外装買占め隊』『ゴーストの出現場所について』『レシピ:カボチャの煮付け』『ハロウィンってケルトの祭では?』『今年もくりぼっちの人の数→』…………。

 モモンガは反射的にくりぼっちスレを開きそうになったが、今日はハロウィンだと鋼の意志で抑え込むといくつかのスレッドを斜め読みしていけば、ナザリック内がハロウィン一色に染まっていく経緯がわかった。

 普段から着せ替えをして楽しんでいる女性陣を発端に、NPC愛が溢れてやまないものたちが自分たちの愛し子にもたまには違う外装を与えてみたくなり、それが徐々に室内の装飾にまで感染していったのだ。さすがに一から変えてしまうのは手間暇がかかりすぎるし、本来のナザリックを壊すことになってしまうので、今あるものに足したり入れ替えたりするだけのものにはなっているが。

 そこにいくまでの可否を問う話し合いの中には、なかなかログインしないギルド長を心配する声がいくつもあった。

 

「私はみんなが楽しんでいるなら、大歓迎です。よ、っと」

 

 すでに見る者はいないだろう終わった多数決の決議の最後にsageで書き込むと、モモンガは皆ががんばって飾りつけたであろうナザリックを見学しに歩きだした。

 

 

 

「ふへー、みんな楽しみすぎだろ」

 

 地表から順番に周って行ったが、短い期間の行事に全力を注いだ大人の悪ふざけを見せつけられた気分だった。

 花火が上がり続ける墓地の中心にそびえる大霊廟にはWelcomeのネオンが点滅し、取り囲む8体の戦士像はカボチャの被りものをしていた。おどろおどろしい巨木にもイルミネーションが灯り、一部は動物を模したトピアリーに替えられている。

 

 ここはどこの観光地だと呆れながら扉をくぐれば、赤い革のスーツを着たゾンビたちが機敏な踊りで出迎えてくれた。黒棺に通じる落とし穴に気を付けながら、階層守護者のシャルティアを探していくと、ぽかんとひらけた場所に見上げるほどのプレゼントボックスが置いてあった。

 

 紫の星が散る黄色の箱に近づけば、触れてもいないのに赤いリボンが解け、中から吸血鬼の恰好をしたシャルティアが飛び出して、こちらも同じように踊りだした。

 元々、このNPCは吸血鬼なのだが、製作者であるペロロンチーノの趣味でゴスロリじみた服装を普段はしている。だが、今日はスーツに黒のマントと“いかにも”な衣装を身に着けていた。

 裏地だけ赤いマントを翻して現れるのは、デミウルゴスの外装を転用したのか、少しばかり似た黒のスーツだが、身を包むほどの大きな外套に隠れて分かりづらいが上着の後ろはバロック風に膨らみながら伸びて燕尾のように仕立て上げられている。持ち上げられた胸に挟まれたネクタイと、しゅっと細まった袖の先にはそれぞれルビーが飾られている。耳のすぐ後ろで結んだ白銀の髪をまとめるのは、コウモリの羽根の髪飾りだ。

 踏み出したステップには顔が映るまで磨かれた皮靴があり、いつもとは違う低いヒールが歳相当の幼さを、はたまた外見よりも仕事を選ぶ大人らしさを醸し出していた。

 

 やがて踊り終えたシャルティアはまた箱の中に入っていった。

 

「ペロロンチーノさん、本気出し過ぎ」

 

 外装にこだわっているのもそうだが、踊りのギミックにも魅せ場を所々作り上げて、見る者を楽しませる仕上がりになっていた。俺の嫁、最高やろ? 友人の自慢げな声が今にも聞こえてきそうだった。

 

「俺も、パンドラになんか仮装させたほうがいいのかなー」

 

 モモンガは踊っているシャルティアの写真を保存してしまうと、次の階層へと向かった。

 

 

 

 巨大なアヒルちゃんが浮かぶ地底湖を渡り、氷河に降りれば、雪の白と、飾られた緑と赤が織りなすクリスマスが広がっていた。

 おそらくはおおざっぱなところが多分にある建御雷が次のシーズンまでも纏めて済ます気なのだろう。それまでの間に侵入者があったらどうするつもりなのだ。等間隔に並ぶモミの木の間を練り歩きながら、モモンガはギルド長としてやらなければいけない仕事リストを更新していく。

 

 位置やバランスを考えずに適当に設置しただろう煙筒が上に載る大白球を覗けば、リースを首にかけ、赤いサンタ帽を被ったコキュートスが佇んでいた。自意識がないNPCなのに、どこか途方に暮れた哀愁が漂っている気がする。

 

「愛されてはいると思うぞ。ちょっと無頓着なだけで」

 

 不憫に感じたモモンガは、木彫りの鹿()を侍らかしたコキュートスを励ますと、後ろ髪をひかれる思いで転移門へと歩いていった。

 

 

 

 一足早いクリスマスムードの氷河を抜ければ、ジャングルにたどり着く。

 おそらくはこちらだろうと円形闘技場ではなく、双子の住処とされている樹の方へと足を向ければ、予想通り、辺り一面に溢れたぬいぐるみやカボチャが歓迎してくれた。

 元より女性陣がお茶会を開いたりしている城ということもあり、オレンジやパープルが踊るファンシーで明るくポップな飾りつけがされていた。円卓に似た雰囲気に、あそこの飾り付けをしたのは4人だろうなと中りをつけながら、アウラとマーレを探す。

 

 なかなかみつからない双子たちはぬいぐるみの山に隠れていた。というよりもぬいぐるみと化していた。

 もこもこしたロンパースに、同じくもこもこした大きなグローブとシューズをつけて、アウラは桃色のネコに、マーレは水色のウサギになっていた。被ったフードの上の耳も、もちろん、もこもこしている。

 庇護欲を誘う幼い姿をしているうえに、こんなかわいい格好をしているためLv.100といわれても信じられそうにない。触り心地よさそうな見た目に負けて頭を撫ぜれば、洗濯したてのタオルのふわふわを思い出す感触がした。

 こんな子供に「トリック・オア・トリート」と言われたら、相好を崩していくらでもお菓子を差し出してしまいそうだ。ボーナス課金まったなし!

 可愛い可愛いといつまででも構っていられるが、もしも茶釜さんたちにデレデレした姿をみられたら、この先ずっとなにかあるたびにロリコンだのショタコンだのからかわれるのが目に見えている。

 モモンガは最後に一撫ぜすると、持っていた食事アイテムを二人に渡し、次の階層へと期待しながら足を進めた。

 

 

 

 そして始めに戻る。

 

「いかにも悪魔ってデミウルゴスはカッコ良かったし、対のヴィクティムの天使もよかったな~。

 ふへー、みんな楽しみすぎだろ」

 

 それぞれが贅や工夫を凝らした仮装や装飾に、モモンガは満足げなため息を漏らす。製作者の話を聞くまでもなく、見る者を楽しませるように、また自分たちも楽しんで作ったのが伝わってきた。

 期間限定のモンスターを狩るのに忙しかったり、元は死者や化け物が人間界に混じる祭りということでハロウィン期間だけ異形種であってもミドガルズよりも上のワールドの街が―――無論、PKは不可だが―――解放されているので、そこで遊んでいたり、皆ハロウィンイベントに忙しいのか、今日は誰にも会わなかったが、彼らの作り上げたものを見て回っただけでも十分に満足することが出来た。

 左腕を掲げて時計をみれば、もう15分もしないうちにハロウィンは終わろうとしていた。

 

「んー、写真もたくさん撮ったし、もう寝るか」

 

 連日の仕事の疲れが泥のように溜まっていて、そろそろ眠気が限界に近付いていた。このまま寝落ちして強制終了させられる前に、ログアウトしておかなければとわかりつつも、モモンガは最後にギルドの連絡板を立ち上げる。

 そして、ただ一言だけ書き込んでモモンガは落ちていった。

 

 

 

 ハロウィン、楽しかったです。またやりましょう。




某作者のハロウィン話と、被っている場所が何箇所かありましたんで、そのうち替えます。
明日も4時起きなんで、今日は尾張!


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第5話 if,ウルベルトの帰還

ウルベルトが人間になってナザリックに帰る話みたいな?


 ナザリック地下大墳墓の最下層。

 ガルガンチュアさえも身をかがめること無く立つことのできる高い天井には、いくつものシャンデリアが吊るされ、窓のない室内であっても何一つ隠すことなく影を打ち消さんとばかりに燈された七色の魔石の明かりが煌々と辺りを照らしだしていた。

 壁にはアインズ・ウール・ゴウンの栄光を作り上げた者たちの紋章を描いた旗がかかり、生きていると見間違うような白磁の彫刻よりも、指先に乗る小さな馬の細工さえも見ることのできない裏側まで彫り込まれ、ハミのビスを数えることのできるほど細部まで作りあげられた金と銀の装飾さえも、切れ目も隙間もなく敷き詰められた寝具にできそうなほど柔らかくビロウドの艶めきを持つ血よりも深い真紅の絨毯よりも、天を突かんとばかりにそびえたつ水晶を掘りだした王座よりも、その旗はなによりも輝かしい装飾であった。

 

 端と端では会話も難しい広い部屋に集まっているのは、悪魔や闇妖精、蟲王に真祖、それに天使。いつもは階層に閉じこもり表には現れない者も集まり、広々とした王座の間は守護者とその配下たちが隙間なく詰めている。だが、文句は誰一人言わない。それどころか自ら体を丸めて、少しでも全員が王座に近寄れるように気を配りあっている。プライドの高いシャルティアでさえもそうだ。

 

 

 

 それは見るためである。 なにを?

 それは聞くためである。 なにを?

 

 

 

 すべての目と耳は、彼らのいる場所よりも上にある王座に向けられていた。

 そこにいるのは、ただ三人。いつもであれば後ろに控えるアルベドも今日ばかりは段の下に降りている。

 

 ただ一人の彼らの王のために用意された椅子には、ローブを羽織りスタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを構えた死の支配者が、眼窩の炎を赤く燃やしながら鎮座している。

 その左には軍服を着た彼の子であるパンドラズ・アクターが、何一つ聞き逃さないように胸に手を当て構えている。

 その右には茶色いマントで体を覆う“人間”がいた。

 

 ただ一人の例外を除いて人間種(ヒューマ)あらざる異形種ばかりが連ねるこの場において、脆弱なニンゲンが、言うに事欠いて王座の高さに並んでいるというのに、誰も異議や不満を叫ぶことはなかった。

 ただ、沈黙があった。

 無言の中であっても、隠しきれない感情が熱意となって空気に混ざる。疑いも、切望も、混乱も、戸惑いも、喜びも、……希望も。すべては見えない熱となって狭くなった部屋の中で渦巻いている。

 

 張りつめた糸の、沈黙を破ったのは誇りであるギルドの名を我が銘としたアインズ・ウール・ゴウン、その人だった。

 

「問おう」

 

 感情のない、平坦な声が静かな部屋の隅々まで響き渡る。

 階段下で跪く者たちは、言葉を余すところなく聞こうと身動きどころか呼吸さえも止め、何も見逃さまいと瞬きもしない。

 

「汝の―――大切なものはなんだ?」

 

 問いかけられた男が一歩前に出る。

 多少は身なりを整えてはいるが、ナザリックの豪奢で神々しい調度品に囲まれては、数刻前の土埃にまみれた姿と大差ないレベルであった。だが、1㎡ほどで一般的な3人家族が一年遊び暮らせるだけの絨毯を踏むことに躊躇いはなく、まるで自身がここに立っていることに疑いを持たないようであった。

 

「なにも」

 

「大切なものはないと? それが答えか」

 

 質問を重ねるアインズの声に失望も喜びもない。知っている文句がなぞられるのを静かに待っている。

 

「大切なものはなにもない。世界の全てが我らのもの故」

 

 ただの、ほつれた木綿の服を着た、鍛えられてはいるがそれでも人間の枠から抜け出せてはいない黒髪の男は、妄言の類にしか思えない大言を吐く。しかし、その言葉に哂うものはいなかった。

 蝋に似た生気のない白い指を祈るように胸の前で組む吸血鬼も、隣あう片割れと肩を寄り添いあう双子の闇妖精も、感情が冷気となり体表が白い霜でおおわれつつある蟲王も、真剣な表情で見入っていた。

 

「問おう」

 

 王の手に握られた杖の石突が一度、打ち鳴らされる。

 

「汝の、友の名は?」

 

「友なぞいらぬ」

 

 ざわり。耳が痛いほどの緊張を孕んだ沈黙が、湧きたったざわめきで破られる。声はなく、恐れに近い振るえだけだったが、この場を覆うほどの人数が起こしたソレは音となって新たに危うい緊張を張り巡らした。

 

「……必要なのは、共に闘う仲間だ」

 

 深い想いを刻まれた皺の奥にひそませた竜人も、羽根の先まで気に満ちさせて触れれば破裂しそうな女淫魔も、……血がにじむほど掌を握りしめて一人だけ俯く悪魔も、息を呑んで発される言葉に聞き入っていた。

 

 

 

 再度、杖が鳴らされる。

 

 その音は福音であった。カァン。悪の組織にはふさわしくない、天使の鳴らす清らかな鐘の音が王座の間に高らかに響き渡った。

 座するアインズは立ち上がると、その腕を大きく広げて、湧きたてと、歓喜せよと、配下のものたちに許された唯一の行為を誘う。

 

「皆のもの、喜べ。ウルベルト・アレイン・オードルの帰還だ」

 

 多種多様な声と感情が一斉に上がった。

 溢れたのは嬉しさだった。叫びだった。懐かしさだった。涙だった。言葉に出来ない感情だった。声が嵐のようにうねり熱狂は留まることを知らない。隣にいるものと抱き合う者がいる。滂沱の涙を流し地に伏せる者がいる。飛び上がり帽子を振る者がいる。感情が溢れすぎて動くことすらできない者がいる。

 その全てはただひとえに喜びが根底にあった。

 

 ただの一人の例外もなく。

 そう、アインズ、いやモモンガでさえも。

 

 腕を広げたままモモンガは隣に立つウルベルトの方へ向く。口元には穏やかな笑みが浮かび、秘めていても激しく燃えていた眼窩の炎は今やあたたかい色をしていた。全身からは隠しようもないほど喜びが溢れていた。

 

「おかえりなさい、ウルベルトさん」

 

 浅黒い肌でもわかるほど頬を上気させたウルベルトは、恥ずかしいのを誤魔化すように手で顔を覆っているが、隙間から覗く緩んだ口元は隠せていない。

 

「ただいま」

 

 かすれた蚊の鳴くような声であったが、確かに全ての者たちの耳に届き、再び王座の間は歓喜の嵐に襲われた。

 

 

 

***

 

 

 

 宝物殿。

 ある意味、ナザリックの最奥部に位置する場所に二人の男がいた。

 片方は山羊頭の悪魔。もう片方は黄金色の獅子。

 草食動物と肉食動物。魔法に長けた種族と物理攻撃に長けた種族。悪に染まる男と守り導かんとする男。貧困層と富裕層。

 表面だけ見れば相対する二人だが、不思議と息が合い、こうしてどちらともなく誘いあい戯れることが多かった。口さがないものは厨二仲間と揶揄するが。

 

「奥にいるパンドラズ・アクターに話かければ、よいのだな」

「ひみつのしつもん、ですか。テキトーでいいですかね」

 

 ウルベルトとジルクニフが宝物殿の奥にわざわざ足を運んだのは、先日起きた小さな事件の顛末だった。

 まったくもってくだらない話だが、現在ギルドランク18位のアインズ・ウール・ゴウンを嫉んだ連中が塵も積もれば山となるとばかりにやたらめったら重箱の隅をつつくようにくだらないことを通報しまくったのだ。付き纏われただとか、年齢制限にかかる卑猥なことを言われただとか、キャラデザインを盗作されただとか、チート行為をしているだとか。その結果、ギルド内の何名かに注意札(イエローカード)が届いたのだ。無論、そんなことをしでかした連中には、しっかりと証拠を残さないようにして報復したが。

 

 おおらかでプレイヤー同士の自治に任せ滅多なことではBANをしない運営であっても、元々DQNギルドと名高いアインズ・ウール・ゴウンとあっては、すでに注意や警告をいただいているうえにこのような騒ぎがあっては、そのうちまた不幸に巻き込まれて、キャラクターがデリートされる惧れが危惧された。

 事実、一度二度、過去には春のBAN祭で消されたギルメンもいた。

 

 そのことがあり、新しいキャラクターを作り上げた際に、ギルドに戻ってこれるようにと本人確認をするためのパスワードを各々で設定するという話になったのだった。

 宝物殿にいて、まず戦闘には繰り出されないであろう、モモンガが設定したNPCのドッペルゲンガーに二つ“ひみつのしつもん”を答えておくことに決まり、手の空いた人から実行しているのだが、なかなか面倒くさがって行わない者がいて、ギルド長が名簿片手に催促して回っているというのが現実だ。

 各言うウルベルトとジルクニフも、面倒くさがっていた者のうちの一人だ。怒りのアイコンをぽこぽこと頭上に浮かべるモモンガに追い立てられて、ようやくここまで来たのだが、正直いえば面倒くさいというのがまだ勝っていた。

 

「では失礼して、私から答えさせてもらうぞ」

 

 ペットの好物という質問に乾電池などと、本当にテキトーな答えを返しているジルクニフを眺めながら、山羊頭の悪魔は手持無沙汰にシルクハットをいじくったり、モノクロームをかけ直したりして暇を潰す。

 二度、欠伸を噛み殺していると、ジルクニフの番が終わった。

 

「こちらは終わったぞ」

「はいはい、さっさと答えて、遊びに行きましょう」

 

 ピンク色の卵にマジックで目鼻を書いたパンドラズ・アクターの前に立つと、設定されたプログラムを起動するために決められた言葉を口にする。

 

「“ひみつのしつもん”」

 

 棒立ちの状態から、胸に手を当てた格好になったパンドラズ・アクターの上にテキストボックスが浮かび上がる。

 まるで漫画のセリフ枠のようなソコに書かれている文面を読み上げると、ウルベルトは相変わらず沸き上がってくる欠伸をしながら、ほんのわずかな悪ふざけを含んで答えていった。

 

 

 

「大切なもの……“なし。世界の全てが我らのもの故”」

 

 

 

 

***

パンドラ「はい、本人確認できました」

ウルベルト「恥ずか死ぬ」



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第6話 やかましい

訳:漫画ベドちゃん、最高にかわいい


 ほいほいとケーキに釣られたのは馬鹿な行いだったかもしれない。ぶくぶく茶釜は行儀悪くフォークを咥えたまま半目で騒ぐものたちを眺めた。

 

 

 

 タブラ・スマラグディナに呼び止められたのはレイド戦が終わった後のことだった。

 初見故に手こずるかと思われていたが、意外にあっさりと片付き、戦利品を分配した参加メンバーたちは肩透かしを覚えながら散々にばらけていった。

 改めてパーティを募集して素材探しにいくのには時間が足りず、スキルや装備の組み合わせを試すほど退屈はしておらず、ナザリックに帰ってはきたものの特になにかをしようとする気にもなれず、茶釜は暇と時間を持て余していた。

 今日はもうログアウトして寝てしまおうかと、9階層の廊下を這いながら予定を立てていると、弟のペロロンチーノと連れ立って歩くタブラに声を掛けられたのだった。

 

「ぶくぶく茶釜さん奇遇ですね。これから時間はありますか?」

 

 雰囲気作りのためにわざわざボイスチェンジャーを使った声は、幕一枚隔てたような現実味の薄い響きを持っている。神秘的な声を目指すのは構わないが、その声で昨日の晩御飯の話をしたりするのだからギャップがすごい。

 

「別に空いてるけど」

「よろしければ相談にのってはいただけませんか?」拘束具に絡められた灰色の頭を、機嫌を伺うために傾げるとタブラは続ける「謝礼といってはなんですがケーキの新作レシピをお渡ししましょう」

「内容による」

 

 自分は相談の内容によると言ったつもりだったが、タブラはケーキの種類についてだと思ったらしく次々と品目をあげていった。防御力が上昇する(極小)モンブラン。攻撃をくらった時に一定確率で受けるダメージを軽減するNYチーズケーキ。水耐性が一定時間上昇するベリータルト。

 

 ユグドラシルでケーキを食べても、味わえるわけでも腹が膨れるわけでもない。

 だが、ケーキは食べられる。カロリーも! 脂も! 気にせずケーキが食べられるのだ! それだけで心の栄養が満たされていくのだ。

 

 ぶくぶく茶釜は異議を唱えることなく、話が長いことで知られる男の、おそらく長いだろう相談に付き合うことにした。

 タブラが話す場所として選んだのは、彼の自室であった。ネオ・ゴシック調の室内にはアーチ形ニッチとコリント式円柱が等間隔に立ち並び、冷たく青い石畳を覆うは毛の長くこなれた真紅の絨毯であり、天井からつるされたシャンデリアの揺らぐ灯りが刻まれた流紋装飾に影を落とし時折動いているかのような錯覚を見る者に感じさせる。

 まるで殺人事件でも起きそうな洋館を思わせる内装は、まさに彼好みであった。

 バロックとロココが入り混じったナザリックにおいて、木と漆喰、それに石で作られた部屋はそこまで違和感を覚えさせない。趣味を爆発させたギルメンの自室ともなれば、ペロロンチーノなんかは知の殿堂ならぬ、エロゲのポスターが天井から床まで張られた恥の殿堂となっており、他にも個性的なところでは死獣天朱雀は古民家風にしたてあげており、聞いた話だが、ぷにっと萌えの部屋は幼稚園風だとか。

 このように個人々々の部屋と廊下では違う区切られた世界感をもつことも少なくはない。

 

 初めて入った部屋を、物珍しさから失礼にならない範囲で眺める。ふと、光輪を掲げ持つドロップアーチの扉がわずかに開いているのに気が付いた。隙間からみえる続きの間に並ぶのは錆びた鋏やメス、紫や緑など様々な色のフラスコなどの、こちらもタブラのホラー趣味全開のおどろおどろしい研究室があった。

 開いているのではなく、開けているだろう隙間を自らの精神衛生のために無視すると、茶釜は球花飾りの繰形が縁取られた琥珀色の机上に並べられたケーキを見比べる。白い皿をキャンパスに、絵の具のように色とりどりの洋菓子がきらめいている。生クリームの透明な白さも、砂糖漬のフルーツも、どんな宝石よりも美しく思えた。

 スポンジにタルトなど種類の違う5つのケーキ。これを全て食べてもいいのだが、レシピがもらえるのは一つだけ。つまりは次の頼みごとのための見せ餌なのであろう。本音をいうのであれば全部欲しいが、策にのれば次から次へと無理難題を押し付けられるリスクがあった。ここは一番ほしいものだけ貰い、未練は残さずに去るのが吉かな。

 どれを選ぼうかと目を彷徨わせていると、部屋とケーキに気を取られ半ば忘れかけていた本題を切りだされた。

 

「相談事ですが、アルベドの鎧についてなのです」

「製作中の神器級装備だっけ?」

 

 弟の返答に、茶釜はケーキ皿から目をあげると、茶菓子を用意する傍ら呼び寄せられた、タブラの横に立つ全身鎧をみる。先に外装だけ仕上げ、今はギミックをくみ上げている最中だという甲冑は、邪悪な漆黒と鮮血の赤で彩られ、禍禍しい棘も角も、悪魔か暗黒騎士かという重みある雰囲気を漂わせていた。

 

「この鎧、どう思います?」

「「黒くて固い立派なモノ」」

 

 問いかけられた姉弟の声が図らずも揃う。姉はえっちぃ仕事も多いロリ系声優として、弟はエロゲオタとして、ごく自然体で答えた結果であった。赤くなったモモンガが慌てふためき、やまいこが教育的指導と拳を落としそうな言葉に、タブラは満足げに2・3度、深く頷いた。

 

「そう言ってくださるあなたたちだからこそ、私は相談にのってもらおうと思ったのです」

 

 鎧にかぶせるように設計図を表示させ、タコに似た異形種は水かきのある節くれだった長い指を振りまわしながら、長々とした説明を語りだす。

 

(オタクの話って長いんだよね)

 

 茶釜は重要なところだけは頭にいれながら、話の大半を聞き流していく。聞き手ならば設定魔の冗長な話にも嬉々として耳を傾けるペロロンチーノがいるので十分であろう。同化がどーだの、三重構造がどーだの、そんな言葉を耳半分に、手付かずだったメインディッシュを口に放り込んでいく。

 

(うん、パイの薄いサクサク系もいいけど、クッキーみたいな厚いタルト好きだな)

 

 チーズケーキの下に敷き詰められたタルト生地にフォークを刺せば、堅い手ごたえが返ってきた。もう少しだけ力をいれれば、ぽろりと崩れてしまい、あわてて掬いあげて頬張る。香ばしそうなタルト生地の崩れた際に散った粉も、4つ股のフォークの跡を残すしっとりとしたチーズクリームの壁面も、よく再現されていて現実世界とまるで変わらない。味までとはいわないが、これで匂いがあったら最高なのにと、体験型ゲームの制約を恨みながら、ちまちまとチーズケーキを削っていく。

 柱のようになった最後の一口分を、倒さないように気を付けながら口に運べば、ちょうどタブラの話も佳境に入るところであった。

 

「つまりは露出が足りないんですよ!」

「……どういうことなのよ」

 

 ケーキと一緒には飲み込めない結論に、茶釜は思わず呟いてしまった。口の中だけで発した言葉であったが、タブラの耳にはしっかりと届いていたようで、設計図の上にさらなるイメージ図が広げられていく。

 

「せっかく三段階に外れていくのですから、徐々に露出していくべきでしょう」いまや鎧が見えなくなるほどに枚数を重ねたウィンドウの、そのどれもが大なり小なり肌色をしていた。「邪悪な暗黒騎士の中身が、エロい女淫魔(サキュバス)! これこそギャップ萌え!」

「流石はタブラだ! そこにしびれる憧れる!」

 

 興奮し高らかに叫ぶ男の姿に、薮をつついてヘビを出すということわざが脳裏に浮かんで消えない。ビキニアーマと便乗して叫ぶ弟はとりあえず後で泣かす。

 もはやケーキを味わうどころではなくなった騒ぎに、茶釜は食すことを諦めて、じっくりと身を入れて話を聞くことにした。たぶん、この乱痴気騒ぎのテンションを放っておいたら、他にも飛び火して被害が拡大することは避けられないだろう。防火壁になるのは不本意であるが、止められるのが自分しかいない状態ではするしかなかった。

 せめてケーキ分は働くとしますかね。

 

「ちなみに、このダメージ仕様は失敗でした。露出が増えるのはいいですが、弱体化しているような外見は守護者総括としてふさわしくないですから」

 

 タブラは手を振って宙に浮いているウィンドウをどかすと、コンソールをいじくり全身鎧の外装を変更した。ダメージ仕様との単語通り、あちらこちらが傷つき剥がれた手甲や裂かれたサーコートから下の生身が覗く姿は、扇情的ではあるがナザリック最奥の王座を守る者としては確かにふさわしくないと思えた。

 

「露出を増やすことの問題としては、装甲が減ることで単純な防御力が落ちることですね。パージして素早くなる展開も熱いですが、防御特化の持ち味が失われてはいけません」

「うーん、アクセサリでどうにかなんねーの」

「ペナルティをつけて、ステータスの底上げとか」

 

 三々五々と交わされる意見にあわせて、鎧の外装も次々と変わる。一部だけ透明になったり、アクセサリーが増えたり、先ほどペロロンチーノが叫んでいたようにビキニアーマーになったり。

 そうしているうちに、鎧のないところから露出する肌が、貼りつけられたポリゴンであることにふと気が付いた。あちらこちら散乱するイメージ図や、ころころと変わる外装に気を取られていたが、改めてよくみれば、角の生えた面頬付き兜は振るえて、中からかすかなすすり泣きが漏れている。

 

「ちょっ、これ誰が入ってんの!」

「ジルクニフさんですよ。たまたま通りがかったところを協力していただきました」

 

 すでに違うものに飛び火していた状況に思わず茶釜の声が荒くなる。初期メンバーがほとんどを占めるアインズ・ウール・ゴウンにおいて新参に入るジルクニフは濃いキャラクター故に、いじられることが多い。

 たぶん、タブラ・スマナグディナは底意地悪い思いではなく、単純に目についた人物を捕まえただけなのだろう。そこでたまたま通りすがってしまう運の悪さもジルクニフのいじられポイントなのだろうか。

 

「なに巻き込んでんのよ!」

「中身があったほうがいいと思いまして。アルベドを連れてくるよりも手っ取り早かったですし」

「もうやだ、おうちかえる」

 

 先ほどまで完全に無き者として扱われていたので我慢できていたのだろうが、ここにきて一人の人間として認められ、かばわれるまでに至って、彼の感情が抑えきれなくなったのか泣き声が音量を増して、ついには両手で顔を覆って床にしゃがみ込んでしまった。

 露出度の高いエロ鎧から聞こえるのが、男のガチ涙声だなんて、そんなギャップはいらない。

 

「次は踊り子風の衣装着せようぜ! コレクションから持ってくる!」

「清純系から一転、淫靡な衣装、いいですね。さっそく着せましょう」

「自重しろ弟。やめたげてタブラ」

 

 三者三様の声が混じり合い、部屋は大層やかましくなった。着せ替え人形にされたジルクニフの泣き声なんて、誰にも聞こえないぐらいに。

 

「異世界こゎぃ。ロクシーたすけて」

 

 助けを求める声も、どこにも届かず、やかましい声にかき消されて消えていった。




この前、会社にVRゲームを製作してる人達が撮影しに来てたんですよ。
仮想現実を作るために、現実のデーターを取らんといかんて矛盾しているような納得できるような。


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007話 多くの廃人を生みだした依存性・中毒性の高い合法暖房「KOTATU」

【捏造注意】コタツをよく知らない人が本やネットの知識のみで書いています。
なんかあったかいらしいねアレ。くらいの認識です。……光る?


 バハルス帝国、帝都アーウィンタール。

 黄金の都と謳われ、この世の春を謳歌する賑やかな街の更に中心部にそびえ立つは帝城であり、広く遍く力を顕示するかのように天を突くかの如くそびえ立っている。

 人の背よりも高い石を組んだ砦のごとく堅固な構造をした建物の、外側を囲う廊下のトレーサリーが施された寄り添う夫婦のようなランセット窓は狭く昼であっても暗い。だが、厚く重い扉を開けて室内に入れば中庭からの光が明るく違う一面をみせてくれる。

 居住区では木張りで断熱を図っているが、執務室のほとんどでは石壁がむき出して、かけられたタペストリーが辺りを覆ってはいるが焼け石に水で、冬になれば皇帝であっても寒さに手をかじかませながら書類にサインをするはめになるのであった。

 

 城というよりも要塞と言った方が印象を伝えやすい構造の訳は、西のリ・エスティーゼ王国、南の竜王国、はたまたスレイン法国といくどとなく繰り返してきた戦の歴史故にだ。いざという時のために守りを固めてきた結果が、この居住性のことを後回しにした使い勝手の悪い城郭だ。城というのは元々防衛のための建物であるからおかしいことではないのであろうが、住居として政治の場として姿を変えてきた昨今において、隣国のそれ自体が芸術品のようなヴァランシア宮殿を例に出すまでもなく、国内の領主たちが力を見せびらかすために農民の血を絞りあげて築かせた贅を凝らした城の数多さが物語っている。実際に、このような砦のような城を住居や政治の場として使っているのは要塞都市を除けばこの大陸を見ても少数になりつつあった。

 さて、この城だが、実際に中に入ってみると、察しの良いものならば外から見た時との大きさの違いに気が付くだろう。いくつもある中庭の為かと、誤魔化されがちだが、実際に測ってみれば差は一目瞭然だ。

 

 では、その外観と内装の差はどこへいったか。答えは壁の中にある。

 

 分厚い石積みの壁や床のあちらこちらには通路が通されているのだ。人間がやっと通れる程度の幅から、馬が通れるほどの広さのものまでいくつもの通路が壁の中を縦横無尽に走っている。それは下働きのものたちが貴血から身を隠して働くためのものであり、有事の際には戦うため、または逃げるための使われるものであり、秘密裏に客人を招くためのものであり、親に連れられてきた幼い貴族の子供たちが目を盗んで探検するためのものであった。

 隠し通路というにはおおっぴらに存在が知られている壁の中の通路だが、窓もなく四方八方に折れ曲がり、また惑わしの術がかけられているため、道を知らぬ者が入り込めばたちまち迷いさまようこととなる。遭難して死した者が今も夜な夜な出口を求めて這いずる声が壁の中から聞こえる、そんな怪談話もメイドたちの間では交わされている。

 

 そんな隠し通路だが、もちろん皇帝の執務室にも存在している。

 謁見の間のタペストリーの後に繋がる道、礼拝室横の小さな控え室に繋がる道、それらは急ぐ時に国のトップが慌る姿を見せないようにと使ったり、表には出せない会合を行う際に用いられてきた。

 そして時には息抜きのためにも。

 

 謁見の間と執務室を繋ぐ隠し通路。惑わしの術が放たれた魔力さえも狂わすせいで魔法的な明かりは使えず、また閉鎖空間であることから火も使えない。己の手さえもみえない暗闇の中を手さぐりで進むうちに出会ういくつもの分かれ道のうち、すぐに突き当たる袋小路のハズレの道。だが、そこはごく一部のものだけが知る秘密の部屋であった。

 

 

「あー、疲れた~」

「お疲れお疲れ」

 

 

 彼らがいるのは狭い部屋であった。数歩も歩けば壁に当たる部屋は平民の住む家であれば違和感がないのだが、雄大な力強さを感じさせる帝城にあっては下男の居室にも劣る質素さだった。だが、ここはまぎれもなく城にある隠し部屋である。まるで暗がりの通路を歩いているうちにまったく違う場所へと出てしまったかのようであった。

 安っぽい壁紙が貼られた壁にはカレンダーと古ぼけた掛け時計があり、板張りの天井からぶら下がる布張りの電燈は眩しくもない、やわらかなオレンジの光を放っていた。畳敷きの部屋の中央にはコタツが置かれ、天板にはお約束とばかりにミカンがかごに盛られていた。

 

 コタツに足を突っ込み、だらけ切った姿をさらすのはバハルス帝国の大君主ジルクニフ。そしてアインズ・ウール・ゴウン辺境領の絶対支配者アインズ・ウール・ゴウンその人だ。

 

 だが常ならば、この世のすべての富を積んでも釣り合わないと思えるほどの豪奢な装備を身につけた死の支配者も、それに数段劣るが緻密な刺繍布と飾りが歴史と伝統を感じさせる華美な衣装を纏う鮮血帝も、今はくたくたのジャージで、だらりと過ごしている。

 辺境候はコタツにつっぷしているし、皇帝はミカンの皮をせっせと剥いている。

 きっと彼らを知る者が見れば、幻覚か偽物かと断じることだろう。それぐらい、平素とは違うだらけきった姿だった。

 

「部下からの期待が重い……」

 

 心底疲れ切った声音のアインズは、むずがるような唸り声をあげると更にコタツに潜り込む。その様子を見たジルクニフがいたわる言葉を口にし、ミカンの山から一つ掴むと彼の前に置いた。オーバーロードは人間よりも長い骨の指でころころと小振りの丸い果実を転がして遊びながら、ただ空気が漏れたような、ため息を吐く。

 

 この秘密の隠し部屋を知る者は、彼ら二人しかいない。

 それも当たり前だ。ここは二人が全力で気を抜くためにわざわざ作り上げた部屋なのだから。場所とアイディアの提供はジルクニフ、そして作りあげギミックと内装を整えたのはアインズだ。他の誰も知らず立ち入らない小さな部屋で、支配者としての重荷を下ろし、ただのヒトとしてぐだぐだと過ごす。それはこの世界に現れてからずっと傅かれてきた者たちにとって、喉から手が出るほど欲しいものだった。

 春になれば魔法で作り上げた太陽光で日光浴しながら眠い眠いとうたた寝し、夏になれば扇風機前で宇宙人ごっこをし、秋の夜長には<遠隔視の鏡>で闘技場をビール片手に観戦し、冬になればコタツから一歩も出ずにだべり続ける。そこには超越者も皇帝もいない。友が残していった愛し子たちに慕われるオーバーロードも、数十万もの罪無き民を守り導く鮮血帝もいない。

 いるのは、時間までは何があろうとコタツから一歩も外に出ないと心に決めた駄目男が二人。

 

「味方だらけでいいではないか。こちらなぞ肉親であろうと隙あらば蹴落とさんとするどろどろした魔窟だぞ」

 

 ジルクニフはミカンの白い筋を一本一本丁寧に取り除くと、ようやく房を口に運ぶ。表情を変えずにもぐもぐと咀嚼する姿からは、甘かったのか酸っぱかったのか読み取れないが、次の房を食べたことから気に入らなかったわけではないようだ。

 手持無沙汰のアインズは、彼を真似て渡されたミカンの皮をむき始めた。肉の薄い指の腹ではやわらかい肉厚の皮はやりにくそうだが、なかなかにウマく剥いていく。だが綺麗に筋まで除いたとしてもアンデットの身では飲食はできず、ぬるぬる君に差し出してみるが一口だけは食べたが、好みではなかったようで、それ以降は差し向けても口を開けようとはしなかった。コタツの向かいに座るジルクニフをちらりと見るが、彼の前に積まれた皮の多さにこれ以上は健康によくないと、そっとアイテムボックスの中にしまい込んだ。

 

「ハードルをどんどんと高められる辛さは、そちらもわかっているだろう?」

「期待に答えれば答えるほど、更に上を望まれる辛さか」

「うぅ、本当の敵は過去の自分ですよ」

 

 支配者ロールも本音トークも入り混じらせながら、取りとめのない愚痴を浮かぶままに積み重ねていく。もし噂の的である守護者たちが、話の一片でも耳にいれたら躊躇いなく居た痕跡ごと消え去ってしまうようなないようなのだが、現世界最強の大魔法使いが慎重に慎重を重ねて、どんな魔法や異能(タレント)でも突破できない隔離空間になっているため、盗み見、盗み聞きされることは、砂漠の中に落とした砂糖粒を見つけ出すよりも可能性は低いだろう。

 だからこそ、安心してぶっちゃけ話もできるというものだ。

 

「それなのだが、見ていて思ったことがあるのだ」

「なんですか?」

 

 8つめのミカンに伸びたジルクニフの手に呆れながらアインズは問いかける。脳内には重い渦があるのに、コタツに入った脚先からはじんわりとした熱が伝わり、まるで風呂に入っているかのような、休みの朝寝時の布団の中のような、おだかやなぬくもりに包まれる心地よさがあった。

 だが、その春雲に似た白い眠気はジルクニフの言葉で、一瞬で晴れることとなった。

 

「アインズに対する守護者たちの姿は、母親はなんでもできると信じている幼児に似ているな。と」

 

 言われたことが耳に入ると同時に、NPCたちの設定された年齢ではなく実年齢が脳裏に浮かびあがる。一番年上のものであっても、まだランドセルを背負うような歳であることに、他人の指摘があって初めて気が付いたのだ。最後の方に作られたパンドラに至ってはヒヨコ帽にスモッグ、黄色い園カバンを下げているありさまだ。

 

 そうして思い返してみれば、確かに言われたようにNPCたちの言動は、かつて幼かった自分が親に向けていた態度によく似ていた。何かしら手伝えることはないかと自分なりに考えて頑張り、ほんの一言だけでも話しかけられれば喜び、丸い石や綺麗な花など宝物をみつけては走り寄っていく。

 仕えることを至上の喜びとするメイド。ただの雑談にも全身全霊で答えてくる守護者。ほんの気まぐれで口にした戯れで、世界を捧げようとするNPCたち。

 過剰な、重たすぎる期待だと思っていた。だが、幼児だと思ってみれば、自らが知る世界だけがすべてだと思っている子供だと思ってみれば、ごく普通の、慕うものへ向けた親愛でしかなかった。

 

「ちょっと納得はできましたけど、母親はやめてください。なくしはしましたけど、男なんですから」

 

 確かに彼らの態度は父親を尊敬するそれよりも、母親を慕う子を思わせるが、自らの性別に対する拘りはまだ捨てされていない。ただのゲームでしかないユグドラシル時代でも、いくら優遇されているからといって女性用装備を使う気にはなれなかったのと同じだ。

 しっかし、男性用装備のビジュアルの雑さや突拍子のなさはひどかった。アメザリ、キリン、たまご、本当にひどい。

 

「なにをなくしたんだ」

「なにをなくしたんです」

 

 ミカンを二つ並べたジルクニフの手元から、下らない話は終わりだとカゴごとミカンを没収する。ぶーぶーと文句を言われたが、指先が黄色くなるまで食べては夕食が入らなくなるだろうに、とそこまで考えて、このような思考になるあたりが母親といわれる由来なのかと落ち込んだ。

 

 その後も、特に身にならない噂話や愚痴などをとりとめなく話していると、やがて柱にかけられた時計の針が休憩の終わりを知らせる。

 

「ああ、働きたくない」

「海でも眺めにいきたい」

 

 名残惜しげに気だるい空気を払い落し、ふたりは平素の状態へと身支度していく。あくび一つを最後に脳のぼやけた眠気はすぐに幕を引きあげ、傅かるるを当たり前とする絶対的な上位者が君臨する。

 

 コタツのぬくもりはまだ体に残っているが、部屋から出ればすぐにしんしんと底冷えする城内にふるえることとなるだろう。

 あたたかさが外へと持ち出せないように、ここで話したことの全ても外にでればなかったこととなる。ヒーターの下で狭いと蹴り合ったことも、ミカンでお手玉をしたことも、トランプの勝ち負けも、なかったこととなる。

 

 

 

 笑いあったことも。

 

 

 

「では、先に行くぞ」

「ああ、またな」

 

 同時に出て密会がばれないようにアインズが扉を開けて一人でていくのを、ジルクニフは先ほどまでの身軽なジャージと比べると肩が凝りそうな装飾品の数々を整えながら見送る。

 一人分広くなった部屋は、静かで、少しだけ寒い。

 

 死の支配者然とした後ろ姿が消えた扉を眺めて、ため息を吐こうとして止める。

 神人と同じ世界にあれたのならば、本当の友になれたのだろうか。そんな願望以下のくだらないことを考え、密かに覇剣の皇竜玉を取り寄せさせるなんて、きっとコタツの熱に脳みそがのぼせていたからだろう。

 

 代わりに短く嘲笑を含んだ息を吐くと、靴底を鳴らして冷たい外へと出て行った。



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第8話 カリスマは単独クラスだって途中で気が付いた

ゆ、ユグドラシルと異世界は違うから(震え声)


※ジルクニフ、ネコ時代


△濁った 霧深い 廃園

 一抱えもある大理石の柱は打ち捨てられて長いのか、地から伸びた蔦が蔽い、葉の隙間からみえる表層には苔が生え美しかったであろう紋様を陰らせている。青々とした草にまぎれて乱雑に生えている朽ち捨てられた石柱は墓標に似ていた。

 それでも、ここがニブルヘルムのように死という沈黙に満ちていないのは、生命力溢れる様々な植物と、その蔭に潜むネズミや飛び交う虫などの小さな命が、作られた架空のものであっても存在しているからだろう。

 

「この前、モグラを捕まえたから食べたんだけど、ネズミもうまいのかねぇ」

「食堂にモグラ料理が増えていたのは、アナタの仕業でしたか……」

「闇視、土魔法強化。わかりやすい追加効果が出てたわな」

 

 雑談をするギルドメンバーの後ろをジルクニフはついて歩きながら、ネコのビーストマンを選んではいるがネズミを食べる気にはならないな。とつらつらと考えていた。

 湿気を嫌って耳をぴこっと動かせば、足元にいる召喚獣のネコ型モンスターが気にするように見上げてきた。その茶色の毛並みを撫でてから、視線を上げれば、フィールド全体を覆っている深い霧と背の高い草で隠れてはいるが、離れた場所に戦闘中のプレイヤーグループがいるのに気が付いた。

 

 アバターの頭上に浮かぶ白いプレイヤーネームのすぐ下には、最下級の装備を数点だけ身につけたネコのビーストマンばかりが4人いた。

 開始時に選択できるものではあるが全員が同じ種族ばかりだというのもそうだが、縛りプレイでなければ初心者しか使わないデータクリスタルも碌に当てていない最下級の装備をしているのに中レベル用のフィールドにいるのも妙であった。

 不審に思いながらみているうちに、勝利した4人はどこかへと歩き去っていった。

 

「この頃、ビーストマンが増えてきてはいまいか? 先の町でも何人か見かけたぞ」

「ああ、ジルクニフさんのせいですよ」

「私がなにをしたというのだ」

 

 自らが選んでいることもあり、なんとはなしに仲間意識を感じて一際目につくとはしても、あまりに見かける機会が増えているように思えた。フィールドでさえもすれ違ったことを切っ掛けに抱えていた疑問を口に出せば、自分のせいにされ驚き思わず言い訳じみた声が漏れる。

 

「カリスマエンペラーを取得したじゃないですか」答えるモモンガは、まるで小学生にものを教えるようなゆっくりとした口調だ。「スキルなら日々新しいのがみつかりますが、クラスなんて発見できたら、お祭り騒ぎにもなりますよ」

「しかもジル君てば、条件とか取得可能スキルや魔法とかの情報を公開してないからねー」

「クラス名だけ見せびらかして、あとは内緒とかマジ焦らし上手」

「てか鬼畜」

「そんな訳で、判明している条件をできるだけ揃えて取得に必要な条件を探っているんですよ」

 

 たっち・みーが話を締めくくれば、あとはジルクニフがドSか天然か、下らない議論になだれ込み纏まりがなくなった。もっとも、この集団に始めからそんなものがあったのかは疑問だが。

 

「ちなみに、直接、尋ねにくればいいと思いませんでしたか?」

 

 人間よりも巨大な蟻の問いかけに、自分のせいにされた諸々に不満を残しながら黙って首肯すれば、ギチギチと顎を鳴らす警告音を笑い声の代わりにあげられた。

 

「まだ自覚が薄いよおなので、改めて言わせてもらいますがジルクニフさん、あなたわアインズ・ウール・ゴウンに所属したのですよ」

「それぐらいは解っている」

「いいえ、わかってわいません」

 

 蟻と猫の会話が気になったのか、雑談を繰り拡げていたメンバーが近くに集まってきた。

 まだ初期種族のため、彼らの胸よりも低い身からすれば、縦も横も何回りか上回る巨体に囲まれるとそれだけでのしかかるような強い圧力を感じる。

 必然的に見上げることとなる視界にうつるのは逆光で顔に影を落とし、歪んだ造形を更におぞましい貌に変えたモノたちだった。

 ざらりとした質感や細かい触覚の先までリアルに再現された蟻。水死体の肌を剥ぎとり纏ったような生々しいが冷たい表皮をした軟体動物。はち切れんばかりの筋肉を惜しげもなくさらす土色の鬼。自然界には存在しない冗談じみた鮮やかなピンク色をしたぬるぬるの肉塊。

 そして白く乾いた骨である死の体現者。

 

 活動拠点にしているヘルヘルムの常闇であれば怪物にもお化けにも ――実際にいるモンスターだが―― 思える、それらがジルクニフを揃って見下している。彼らの表情には嘲りも侮りも、何かしらの感情の色は浮かばない。フルダイブとは言ってもアバターでしかない異形の化身には、顔のパーツを動かす機能が付いていないからだ。

 感情も、自意識も、生命さえも感じられない仮面がこちらを見下ろしている。

 

 口元を動かさずに、骸骨が喋る。

 

「ジルクニフさん、あなたも身に覚えがあるでしょう? 助けてもらったとしても全力で逃げたくなる、関わりを持ちたくないDQNギルドのことは」

「漏れも昨日、フィールドで出会い頭、悲鳴をあげた人間種(ヒューマ)にUCアイテム投げられて走り逃げられましたよ」

「アイテムを貰った上に、散々追い回してから殺しました☆ミ」

「隠し鉱山をみつけたら、発掘している痕跡があったんで、待ち伏せて掘りにきたトコをPKして装備ごと鉱山を奪いました」

伝説級(レジェンド)ぷまいれす(^q^)」

「PK不可のワールドで馬鹿にされたんで、集まれるギルメン全員呼んで、そいつの後ろをずっーーーーーと付いて回りました」

「新キャラでやり直そうとしてたので、優しい私たちわシークレットサービスを続けてあげました」

 

 モモンガの言葉を皮切りに、ゲームとはいえ眉をひそめるような迷惑行為が挙げられていく。

 野良パーティを組んだ時やネット上でAOGの話は散々聞いてきたし、自分自身もアインズ・ウール・ゴウンには様々な労をかけられてきた。良くも悪くも。

 このギルドには様々なものたちがいる。悪を演ずるものがいる。現実世界の鬱憤を仮想空間で晴らそうとするものがいる。ただ楽しんでいるだけのものがいる。無意識に人の害となるものがいる。右に倣えで悪に加担するものがいる。けれど、皆、人間だった。命を数としてしか見ていない、歪んだバケモノはいなかった。

 

「ようこそ、アインズ・ウール・ゴウンへ(^^)」

 

 だからだろうか。

 

 かなりの迷惑行為を自慢げに話されても、

 一回り以上も大きな異形たちに囲まれていても、

 脅しているようにしか思えないことを言われても、

 夢に出そうなグロテスクな仮面に見つめられていても、

 

 

 

 恐ろしいと思わないのは。

 

 

 

 

 

 笑顔のアイコンを浮かべるアインズ・ウール・ゴウンへ、ジルクニフは同じく笑顔を返した。





***




「ちなみにカリスマエンペラーの取得条件わなんですか?」
「発見されそうなギリギリまで伏せて、情報料を吊り上げようZE☆」

 悪そうな声で問いかけてくる二人に、利用すればアイテムや金、はたまた地位や優越感を得られるレアクラスの情報を、ジルクニフは惜しげもなく明かす。無論、話を盗み聞かれないように対策はした上で。

「エンペラー・ハイエンペラーを取得状態で、ギルド・クランに一度も所属せず、フレンドリストに300人登録だ」
「カ、カリスマ……」

 話を聞いていた中の一人が思わず漏らした言葉に、さほど気に払わず彼はさらに続きを話す。
その口調には当たり前の、少しばかり苦労すれば誰にでもできることを言っている調子しかない。ジルクニフ(イケメンの一軍様)にしてみれば、条件さえ知っていれば簡単にそろえられるものだという認識しかないのだ。だから、隠したり誤魔化したりしなくてもよいと考えての上だった。

「更に上位クラスがないかと1000まで埋めてみたが、なにも発生しなかったので、そこで区切りにして勧誘されていたアインズ・ウール・ゴウンに入ったのだ」

「せん…だと…!?」
「カ、カリスマ……」
「リア充こゎぃ」

 その後、しばらくジルクニフはカリスマやエンペラーと呼び続けられ、最終的には厨二皇帝に落ち着いたのは別の話。

 ちなみに隠しクラスの情報は、ロンギヌスの槍と交換で売れた。



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第9話 クリスマスは仕事です(憤怒)

 デスペナを気にしなくて済むし殺伐とした空気がないしで、もともと演習自体は人気なのだが、予約が半年待ちどころか、キャンセル待ちすら半年待たされるほどの超絶人気団体用演習がある。

 戦闘フィールドはただの市街地でしかないのだが、ほかの演習との大きな違いは拠点守備NPCを使えるという点だった。

 城以上の拠点を占拠した特典でNPCを制作したはいいが、見せびらかす機会は友人を招くかネット上で語るか敵プレイヤーが攻めてきた時ぐらいしかなく、しかも最後のものであれば消滅させられる危険性が多分にあるとなっては喜べはしない。

ゆえに、安心して自慢のNPCを連れて歩け、共に戦場を駆け巡れる、この集団演習が人気なのだ。

 

 自慢したいのは非公式ラスボスと称されることもあるDQNギルド『アインズ・ウール・ゴウン』であっても同じことで、暇さえあれば演習の申込をしつづけ、こうして今日ようやくその日を迎えることができたのだ。

 

 ランダムで選ばれたミズガルドの市街地に降り立つAOGのメンバーを落ちかけた夕陽が照らしだす。ロストする恐れがないため、伝説級や神器級の完全武装を身に纏う面々は最高峰ギルドの名に相応しい姿だった。

 その後ろにはNPCが、あいにくと用事があり来られなかったメンバーの空いた席を埋めるように並んでいる。レベル1でしかないメイドや男性従業員たちまでいるのは、製作者たちが自分の子を自慢したいからだ。

 

 

 

 太陽をも射落とす翼王が爆裂型の曲射で遠距離から場を乱し、錬金術師と死者の大魔法使いが自らの魔法を織り交ぜながらアルベドら防御特化のNPCを指示し近付く者を足止めし、コキュートスやセバス等の近接攻撃型NPCを引き連れた侍と騎士が次々と敵を屠っていく。

 いつもと違うフォーメーションやNPCに行動指示を出すためにぎこちなさはあるが、演習という気易さと、自らが作り上げたキャラクターを動かせる嬉しさで、致命的なミスは今のところみられない。むしろ自分の子かわいさで暴走しないかが心配だった。

 現にペロロンチーノなぞは、当たるのかどうかさえ考えずに従わせているシャルティアに次々と攻撃魔法を放たせている。もっともメイド様を傷つけるものは許さないと、一般メイドどころかプレアデス達も後ろに下げるホワイトプリム諸々よりがは戦いに貢献しているほうだが。

 

 今日ばかりは召喚モンスターではなく、アウラと彼女の使役する魔獣を引き連れたジルクニフはちらりと左手の時計に目をやる。開始から1時間ちかく経とうとしているが、決着はまだまだ尽きそうにない。

 レンガつくりやクラックフレームの中世ヨーロッパ風の建物が連なるフィールドは古き良きRPGのことを思い出させる。味方の本拠地近くにある広場に陣取ったジルクニフは遠くの丘を一瞥した。

 敵方の陣地にはためくのは大きく翼を広げた鶴の旗。アインズ・ウール・ゴウンと同じく上位ランク常連のギルド:千年王国の紋章だ。揃いの装備に身を包み統一感あるものたちの数が事前情報よりも多いのは、彼らもこちらと同じようにNPCを引連れているからだろう。

 

 予定よりも長引く戦闘に焦って漏らした舌打ちは、前線から下がってきた たっち・みー のメール通知音でかき消された。

 悩みを多分に含んだためらいでもって、点滅するコンソールから戦場に目を上げるワールドチャンピオンの姿に、ジルクニフはアウラを通して魔獣たちに防御陣形を築かせ“いのちをだいじに”と命令を出しておく。

 

「回復する暇くらいは稼いでやる。その片手間にでも些事を片しておけ」

「私事で迷惑をかけてすみません、ジルクニフさん」

「気にするな」

 

 アイテムによる体力の回復量をUPさせる支援系の魔法を たっち・みー にかけながら、ライオンのビーストマンはまた時計に目を落とす。

 予定よりも大幅に遅れているのは、両陣営とも遊びながら戦っているからだ。本来であればランク上位陣同士の総力戦ともなれば、天をも地をも魔法が飛び交い、山のように風のように戦士たちが苛烈に攻めたて、知恵者の針の穴を通すような緻密でよく練られた策が戦場の黒を一瞬で白に裏返させる。そんな風に戦況が刻一刻と変わり、目を離せない争いになるはずなのに、NPCを自慢したいがばかりに――とはいっても本当の切り札は隠したまま――魔法やスキルを無駄打ちしては演習を長引かせているのだ。

 

 右翼に当たる戦線では、全身鎧ではなく白いドレスを着たアルベドがスカートをひるがえしながら身丈に迫る大きな両手斧を振りまわしている。

 左翼では、ただでさえ地上ゆえに動きのにぶったガルガンチュアが建物に狭まれ街路にひっかかって動けなくなっている。

 他のメンバーも大なり小なり遊びながら戦っている。それもそうだ。これは演習(あそび)なのだから。

 

 とはいっても、今日は用事があるのだと誘いを断ったのに、2時間程度ですからと頼みこまれて、渋々参加したジルクニフにしてみれば暢気に楽しめる心の余裕はなかった。

 彼女(ロクシー)が来る時間まではまだあるし、迎える支度は済んでいるとはしても、急いた気持ちをなだめることは難しかった。

 なにせ今日は年に一度の聖夜。恋人たちのクリスマスイブ。

 AOGの数少ない3人の女性陣が“用事”があっておらず、100人近くのむさ苦しい男性プレイヤーに――ネカマと女性型NPCならばいるが――囲まれて過ごす暇なぞないのだ。

 

 

 

 とはいっても、戦士職でも魔法職でも、はたまた天下の奇才たる軍略家でもない身では、戦うこと自体を楽しみ熱中している群衆を相手に一人で立ち向かい幕を引くことなんて出来ずにいた。せいぜいが空気を読みながらじりじりと戦線を上げていき、少しでも早く終わるようにと焼け石に水をかけるような努力をするしかなかった。

 

 バフの効果時間が切れそうになったのか、アウラが鞭を振るうと支配下にある幻獣たちにステータスアップのアイコンが灯った。白いチョッキを身にまとう少女のぴしんと伸びた背筋が、創造主たちとともに戦える喜びと誇りに満ちているように思えるのは、かつての生きて動く彼女を知っているからか。

 弓を背負ったアウラは全姿全霊でもって周辺を守ってくれているのだが、敵が攻めてきていない状況では、これも遊びでしかなかった。先ほど散々に辟易した時間の浪費を自らがさせていることに可笑しさがあった。

 

「なにか戦況に変化はありましたか?」

「変らずだ」

「……長引きそうですね」

 

 東西に道が伸びるひらけた広場にあって、ため息が同時に二つ吐き出される。

 思わぬ偶然に、フルヘルムに隠された目と、獣の紫色の目線が交わる。そして、少しの間をおいて気恥ずかしさを誤魔化す日本人的な笑い声がどちらともなく上がった。

 

「落ちるついでに嫌がらせをしようとおもっているのだが、のるか?」

「いいですよ。是非とも手を貸してほしいといわれて来ましたが、この戦況では私の力は必要なさそうですし」

 

 メールに落とす目線、いくどとなく時計に逸らされる意識で、互いに早く現実に帰りたがっていることを知ったことで、仲間意識が芽生え、赤信号二人で渡れば怖くないとばかりに、普段では進んでやらない他人への嫌がらせをやってみようと思ったのだ。

 

 

 

 街の中心。

 ひらけた広場には屋台や街路樹が並び、平穏な賑やかさを作っている。その中を武器を持ったものたちが駆け巡り、剣戟の火花を散らせていた。

 ぷにっと萌えの元に<伝言>が届いたのは、プレイアデスと千年王国の騎士NPCを戦わせていた時のことだった。

 

『そちらの戦況はどうなっておる?』

 

 〆切がギリギリでこられず血涙を流し悔しがるホワイトブリムのために、メイドたちの雄姿を撮影していたヘロヘロに身振りで場を任せると、ぷにっと萌えはジルクニフとの<伝言>に耳を傾ける。

 

「よくも悪くもありませんよー。どうぞ」

『もし我とたっちが抜けるが、敵味方無差別に混乱か恐慌にしたとしたら、勝てるか?』

 

 何か策があるのかと思惑を読み取ろうとしながら、ぷにっと萌えは現在の状況を改めて顧みる。

 先ほどはよくも悪くもないと言ったが、実際にはじり貧状態に陥っていた。アイテムもMPも残り少なく、戯れているうちならともかく本気でぶち当ることとなれば、メンバーがてんでバラバラに散り、策を張り巡らせてもいない今のままでは、地力の差で押し切られ負けるだろう。

 

 ストレージからマップを取り出す。

 祭気分で参加し、勝敗なんてどうでもいい戦いなのに、いつもの癖で敵味方の動きをメモしていたマップに、更にペンで矢印や線を書き足しながら、ぐるぐると思考を巡らせる。

 

「うーん、……ちょっと整えてからタイミングを合わせてもらえれば、たぶん、勝てるかなぁ。ペロロンかチグリスがいたら、速攻で決着つけれたんだけど」

 

 遠距離特化のペロロンチーノはシャルティアと上空をのんきに飛んでいたところ、案の定、敵の対空攻撃を浴びてすでに落ちている。侵入にかけてギルド内で右に出る者はいないといわれるチグリス・ユーフラテスも前に出過ぎて、同じく退場済みだ。

 フォローを入れさせてもらうならば、二人とも無鉄砲な面はあるが普段はもう少し辺りをみれるのだが、デスペナのない演習という気軽さ、1から作り上げた自慢のNPCの晴れ舞台、クリスマスに暇だというやるせなさ、リアルを充実させている仲間への憤り、そんな諸々が入り混じり、皆大なり小なりはっちゃけているのだ。

 普段はおとなしく場の調和に腐心しているモモンガでさえも、これがペロロンの分だ! などと叫びながらアルベドから借りたバルディッシュをふるっている。とても楽しそうだと思いました。(粉みかん)

 

 ストレスが溜まっているのだろうかと、自分も含めて癖の強い問題児ばかりのギルメンを相手に苦労かけてすみませんと、心中で謝罪しながら、ぷにっと萌えは<伝言>を通してジルクニフと作戦をつめていく。

 

「で、結局、なにをするんですかー?」

『ただの自慢話だ』

 

 

 

 アウラのスキル<山彦>で拡張された声が、うわんとフィールド全体に隅々まで満ちる。

 <山彦>は野伏が覚える、音声を大きくするスキルだ。恐れ状態にして相手の動きを硬直させる<咆哮>や、支配下の魔獣や召喚獣に一斉に命令を出す<号令>などの声に関係する魔法やスキルの能力の効果を上げるために使われることが多い。

 だが、今回<山彦>で響き渡ったのは、なんの効果も付属されていない、ただの肉声だった。だが、ソレはロンギヌスの槍よりも確実に強く、えぐるような深さで、聞く者を仕留めた。

 

『わるいが、彼女との約束の時間になるから落ちるぞ』

『すみません、妻が呼びに来たので落ちます』

 

 空から降ってくるふたつの声に耳あるすべてのものが止まる。

 剣を切り結んだ状態で、魔法を重ねかけしようとする途中で、後ろにNPCを引連れて歩きだそうと一歩進んだ形で、時が止まったかのように全てのプレイヤーが固まった。

 情報を受け止めきれずにフリーズしているのは下策でしかなかった。彼らがすべきだったのはソレを言った敵を消し去ってしまうべきだった。もしくは、それ以上なにも聞かずにすむように耳をふさぐべきだった。

 

 

 思考が止まるのと同じく身体の動きまで止めてしまった彼らに、声が降り注ぐ。

 

『お前たちもゲームにばっか夢中になってないで、たまには彼女を構ってやらないとすねるぞ』

 

 ソレは横殴りの雨よりも痛いまでに強く、彼らの心を打ちつけて冷たく濡らした。

 

『家族サービスって面倒ですし疲れますけど、終わってみればよかったなぁって充実感がありますよね』

 

 ソレは天を焦がす雷よりも早く、彼らのやわらかいところへ棘のように突き刺さった。

 

『今年は、左手の薬指にプレゼントを贈るつもりだ』

『妹がほしいと娘にねだられたので、ちょっとがんばってきます』

 

 ソレはどんな嵐よりも激しく、彼らの奥底に積み隠してきた澱をかき乱した。

 

 

 

『明日は休みだが、たぶんログインはしないと思う。メリークリスマス』

『みなさんも、いいクリスマスの夜を。では失礼します』

 

 

 

 沈黙があった。

 

 言われた言葉をかみしめる間があった。

 何度も何度も、噛み締めるように噛み砕くように脳内を、明るい口調で言われた言葉が繰り返し巡っていく。

 思い出すたびに怒りが湧き、思い返すたびに哀しみが募る。

 

 針でつつけば破裂してしまいそうなほどに膨らんだ緊張の中、場違いな明るい電子音が鳴り響く。

 

【嫉妬する者たちのマスク を 手に入れた▼】ピロリン

 

 

 

 その日、演習場の片隅でケモノたちが魂の叫びをあげた。

 




正月も仕事です(今年もよろしくおねがいします)


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第10話 イエェェェーイ!

「ジャスティス!!」

 

 謎の口上を述べたジルクニフは決めポーズでしばし固まっていたが、こちらに気が付くとつまらなさそうに鼻を鳴らした。

 

「ふん、なんだ。たっち・みーだったか」

「なんだと言われましても、そちらこそなんなんですか?」

 

 出会い頭で、それなりに長い文句を勢いそのままに熱く叫ばれては、こんにちわ今日はスモッグも薄くいい天気ですね。といつものように挨拶して流すことなどできなかった。

 彼らがいるのは円卓の間だ。他のギルドメンバーの多分にもれず、初期ログイン場所として登録していた たっち・みー が寝るまでの空き時間にログインしたところ、辻切りに似た唐突さで静止なぞ許さぬと言った勢いで好青年という言葉がよく似あう声を嗄らしながら先ほどの口上を述べられたのだった。

 

 突然、叫ばれたこと事態も気になることは気になるが、戦隊ヒーローっぽいことが一番気になっていることだった。しっかりと逃さないようにチェックをしていたつもりでしたが、新しいヒーローでも出てきていたのだろうか。

 そわそわと期待する気持ちでたっち・みーは聞くが、返ってきたのは知りたい答えではなかった。

 

「罰ゲームだ」

「罰ゲーム」

 

 困った顔文字(アイコン)をジルクニフは浮かべると、自身の左手に目を落とす。そこにはリング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンのほかにはなにもないのだが、まるで彼には別の“指輪”が見えているようであった。

 

降誕祭(こうたんさい)に演習を途中で抜けだした罰ゲームだ」

「ふ、降誕祭……クリスマスのことですか」

「ああ、クリ……その単語を口にするのも禁止されている」

 

 多少、煽った自覚はあるが、そこまで大ダメージを与えたつもりのない二人は禁止用語にそろって首をかしげるが、ユグドラシルの運営年数と同じだけの数の仮面を所持している者たちにとっては、ただの致命傷だった。

 その後、意気投合したアインズ・ウール・ゴウンと千年王国の間で仮面同盟という謎の組合が出来ていたり、たびたび(リア充抹殺)祭が開かれたり、情報(モテテク)交換が行われたりもしたのだが、彼らの誰も事の発端を語ろうとはしなかった。

 

閑話休題

 

 顎に手を当てて少しばかり思考を巡らせた たっち・みー は、考えてもよくわからなかったので、ひとまずそれは横に置いておいて、まずは目の前の出来ることから始めることにした。

 

「罰ゲームでしたら、私もすべきでしょうね。……どんな内容なのですか?」

「ギルメン全員に先ほどのセリフを言うだけだ。これがウルベルトに渡された紙だが、中身は多少変えてもよいそうだ」

 

 天敵の名前が出て思わず身構えたが、紙に書かれているのは偽悪主義が混じってはいるがこのギルドの所業を羅列しているだけであった。うまく韻も踏みゴロがよく、いいできばえだと思う。作成にはウルベルトだけではなく、ほかのメンバーも噛んでいるのだろうか。

 これならば、恥ずかしい思いはするが、楽しく罰ゲームを敢行できるだろう。そもそも罰ではなく“罰ゲーム”といっているのだから、後々までしこりが残るようなものが出るはずはなかった。

 紙の下にある名簿にはすでにいくつも線が引かれている。

 

「戦隊ものっぽいですし、どうせですから台詞を交互で言ってみません?」

「ただ二人で合唱するよりも、そちらの方が面白そうだな」

 

 電子ホワイトボードを呼びだすと、紙の中身をそちらに移し、文句の一行一行に名前を書いて担当を振り分けていく。

 白銀の鎧に赤いマント、金色の鬣に黒と赤のトーガ。色合的にはバランスが取れているし、並べばあとから参戦する系の追加ヒーローぽかった。それか後を任せて始めに離脱する先輩役か。客観的に己のアバターをみた たっち・みー は嬉しそうに数度頷くと、あとでスクリーンショットを撮ろうと心に決めた。

 

 

 何度目かの練習をしたのち、打ち合わせをしている最中に、帰還(アウト)をしめすサインが出てきた。

 ギルドのメンバーが現れるタイミングを測り、まずはジルクニフが大きく息を吸い込んでから口を開く。

 

「空前絶後のォォォォ!」

 

 続きたっち・みーが声を出すことになれた張りある叫びを、腹の底から響かせる。

 

「超絶怒涛の極悪ギルド!!」

 

 ログインした途端に、二人から謎の手厚い歓迎を受けたヘロヘロは戸惑い辺りに視線を彷徨わせるが、助けになりそうなものは見当たらなかった。まだ、るし★ふぁーがカメラを構えていればよかった。まだ、行っているのが茶釜とペロロンチーノの姉弟だったらよかった。そうしたら、なにやってるんですかと笑いながら答えられたのに。

 

「冷酷・残虐・悪辣非道!」

「全ての嘆きの生みの親!」

 

 口をはさむ隙を与えずに、彼らは真剣そのものにポーズを決める。

 

「そう我らこそはぁぁぁ!」

「アインズ・ウール・ゴウン」

 

 一度、溜めてから、指先をそろえた手をきびきびと動かし、片手は腰に、もう片手は高々と天を示す。鏡のように左右対称に伸びたふたつの手はしっかりとクロスしていた。

 

「「いえぇぇぇーい! ジャスティス!!」」

 

 最後のポーズを決めたジルクニフとたっち・みーの背後に爆発が見えた気がする。

 ヘロヘロはあんぐりと口を開けたまま、驚きに目を何度も瞬かせた。そうしてしばらく驚きに動きを固めていたが、何度瞬きしても変わらない現実に、これは疲れのあまり見た夢だと結論付けて、自分を納得させようと頷きながらログアウトしていった。

 

「そうだ、転職しよ」

 

 あんな激務続きの仕事なんてやめて、もっといい会社に羽ばたこう。幸い、かつての先輩が起業したところに誘われている。8時間勤務残業なし完全週休二日制の24時間年中無休のホワイト企業だっていうし、転職しよう。

 

 

 

 その後も順調に名簿の名前を消していった二人だったが、どこかその顔は晴れないでいた。

 まあ、これでも飲んで落ち付きなさい。とやまいこに貰った茶を飲みながら険しい表情で――アバターの表情は変わらないが、気配やオーラ的なものが険となっていた――ホワイトボードを睨みつける。ジルクニフが手でもてあそんでいたペンを置くと、たっち・みーは湯呑を机の上に置いた。

 

「あと3人、仲間が欲しいですね」

 

 戦隊ヒーローを名乗るのならば、ここはやはり5人組でありたかった。2人や3人、はたまた7人でもいいのだが、5人という鉄則をできれば守りたいところである。望むのならば色も揃えたい。銀と金というイレギュラーカラーよりも、赤や青や黄色にピンク、茶色白色紫、人それぞれ好みはあるけど、どれもみんなキレイだね。

 

「赤ですと武人建御雷さんだとか、ノリもいいし参加してくれそうだな」

「青の弐式さんもつられて来てくれそうですね」

 

 好き勝手に仲間のテーマカラーを割り振っては、わいわいと盛り上がるワールドチャンピオンとビーストマンの元に新たなギルメンがログインしてきた。タイミングがいいのか悪いのか。ギルメンと書いて“犠牲者”とも“生贄”とも読む人物は、何も知らずににこやかにあいさつをする。

 

「たっち・みーさんにジルクニフさん、こんにちは~」

 

「なるほど、黒もありだな」

「そうですね、かつて黒レンジャーがいたこともありますし」

 

 憧れの人と、仲の良い友人が揃っていることに思わずご機嫌になったモモンガの耳に不穏な台詞が聞こえてきた。ドキッ☆問題児だらけのDQNギルドで潤滑油となっているのは伊達じゃない。衝突のぶつかる挟間に立ち続けた危機管理能力が警告するまま、逃げようとするが、時すでに遅し。

 

 ぽんと、両肩に置かれた手は大きくあたたかいのに、安心ではなく不安しか感じさせなかった。

 

「逃がしませんよ^^」

 

 

 

 順調に仲間を増やし、いえぇぇぇーい! ジャスティス!!などと繰り返し叫ぶ彼らは知らない。本当はウルベルトがたっち・みーにだけはもっと恥ずかしい罰ゲームを用意していたことも、暇を持て余したギミック好きの錬金術師が密かに自らの管理権限でいじくれるNPCすべてに、空前絶後のォォォォという単語に反応して動きだす仕組みをしたことも、彼らは知らなかった。知るすべもなかった。

 

「そう我らこそはぁぁぁ!!アインズ・ウール・ゴウン!!」

 

 それを知ることになるのは、開き直ってやけくそに叫ぶオーバーロードただ一人だろう。

 

 

 

 

 

「「「「「いえぇぇぇーい! ジャスティス!!」」」」」

 

 だが、もしかしたら

 



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第11話 冬のせいにして暖めあおう

「第1回、円卓をコタツにするか否か会議!」

 

 ドンドンぱふぱふー。高らかに るし★ふぁー が宣言すれば、用意されていた楽器が場を盛り上げるために鳴らされた。

 

 ギルド:アインズ・ウール・ゴウンは何かを決める際には、どうしても集まれない場合を除き全員で話し合うことと制定されていた。この度もナザリックの改装について提案があると声をかけられて、ギルド一のトラブルメーカーの呼びかけに警戒しながら集まったのだった。

 

 42人が座れるテーブルは広く大きく、仮想空間では可能だが、現実であれば対角線上の相手と会話をすることは難しいだろう。

 議論がヒートアップして拳をぶつけても壊れないように強度を高めた机は、下手をしたらアルベドを差し置いてナザリック1の防御力を持っているかもしれない。何度も破壊される、そのたびに強化をしていった成れの果てだ。製作陣の意地があったのだろうが防御力UPや各種耐性の希少クリスタルを2桁も注ぎ込む必要があったかは疑問が残る。

 万が一9階層にまで敵プレイヤーが攻めよせてきたら、この机を盾にすれば攻撃特化の神器級の武器が相手でも5分は持ちこたえるだろう。問題は大きすぎて扉から出せないぐらいか。

 

 さて、改めてその卓に目を落としてみよう。

 黒曜石の輝きを放つ巨大な円卓は顔が写るほど艶やかに磨きあげられているが、冷たさよりは不思議とあたたかさと和らぎを感じさせる重さをしていた。

 天板の上には読みかけの雑誌が開いていたり、トランプが散っていたり、飲みかけのマグカップが置いてあったりする。そこまでマジメではない会議ではよくみられる光景だ。

 

 では足元をみてみよう。

 地位に差をつけないために均一に揃えられた椅子は、古代神殿の(オーダー)のように等間隔に並び、場に整いと緊張を生んでいた。

 意匠揃いの椅子にオーバーロードや半魔人やハルピュイアなど様々な違う種族が座れば、大きさや形の違うが浮き彫りになりそうなものだが、それごときの些事なぞ、まるごと包容する大きな円卓と椅子のおかげで、違うからこそのまとまりが出来ていた。それはまるで色とりどりのガラス片がモザイクに並べられ、一枚の大きな絵を作り上げるステンドグラスのようであった。

 

 瑞々しい蔦の彫刻が這う麗しの猫足の間に並ぶ、スライムの垂れた下部、金属製のブーツを履いた鳥の足、中身のない鎧の脚部、サンダルから覗く骨のつま先、普段であればテーブルの下を見れば思い思いの恰好で投げ出されたそれらは、今は厚いコタツ布団に隠されていた。

 

「会議とか言いながら、もう実行してるじゃないですか」

「寝バザーでコタツ外装が安売りしてたら、使うしかないよね☆ミ」

「事後承諾とか社会人失格だぞー」

「ホウレンソウ守れ、腐れゴーレムクラフター」

「くたばれ^^」

 異語同音にメンバーが責める言葉を投げかけるが、その足はコタツに入っていた。

 

「堕落させるのもするのも悪魔の仕事ですね」すっぽりと肩までもぐりこんだウルベルトも、

「買収でもされましたか?」隣の席の者とジェンガに興じる たっち・みーも、

「みてみてミカンが浮きました~」誰かが飲み物を口にいれた瞬間を狙って笑いをとりにいくペロロンチーノも、白い縁どられた臙脂色で分厚いだけが取り柄のようなコタツ布団に入りこんでいる。

 

「くっ、負けてなるものか」

「そうは言っても肉体は正直なようだぞ」

「ぐへへ、上の口では嫌がっていても、下の足は喜んでコタツを離そうとしないじゃねーか」

 馬鹿な会話をしている女性3人も、コタツの上にポットや菓子を次々に広げて長居する気満々である。

 

 つまりはみんなが皆、コタツを謳歌しているのだ。魔導王軍だのラスボスの巣だの散々に恐れられている極悪ギルドの異形種たちが、庶民の味方であるコスパ最強の暖房器具、超巨大コタツに潜り込んでいるのだ!

 

「はぁい多数決採るよ、コタツに反対の人は手をあげてね☆」

 

 るし★ふぁーの問いかけに上がる腕はひとつたりともなかった。コタツに入っていたために。

 

「は、反対したいのに、ぬくもりにからめとられて手が布団から出せない」

「うぅ……反対したいのに、これでは決定されてしまう。反対したいのに」

 

 強気なことを口ではいいながらも、手も足も厚手の布団にもぐりこんでぬくぬくとした温もりを堪能しきっている。その姿からは、昨日、暇つぶしがてら初心者狩り狩りをしてきたついでに、彼らの所属ギルドを潰し跡地でキャンプファイヤーを囲いマイムマイムを一踊りしてきた様にはみえなかった。

 

 

 

「くくく、体から暗黒面に堕とす、これこそがコタツの魔力よ」

「KOTATU……7つの大罪の一角、怠惰の名を担うにみあった力というわけか……」

 

 ぐだぐだと話しているうちに、悪ふざけが始まるのはアインズ・ウール・ゴウンの常であった。るし★ふぁーが悪そうな声を作って笑えば、悪にこだわる男ウルベルトが素早く反応を返す。

 

「大罪のあとの6つはなんでしたっけ?」

「諸説ありますが、強欲・暴食・憤怒・色欲・嫉妬・傲慢ですね」

「……他の担当はわかりませんが、暴食はジルクニフさんだと思いますよ」

 

 先日、骨出汁ラーメンのレシピ本と寸胴鍋を抱えたジルクニフに追いかけ回されたモモンガが、にこやかながらも底に怒りを含んだ口調で言えば、同じ様な目にあった面々がうんうんと頷き味方をした。

 

「源次郎や音改も候補にあがるが、やはりここは執着心が強く不要なアイテムまで溜め込む、我らがギルド長を“強欲”に推薦させていただこう」

 

 タブラと共にそれぞれ錬金術と召喚術でもってミカンを次々に生み出していたジルクニフが手を止め、売り言葉に買い言葉で言い返せば、それをきっかけに釣られたように聞いていた他の者たちも好き勝手に挙げ始めた。

 

「たっち・みーは傲慢だな」

「そういうウルベルトさんは嫉妬ですかね^^」

 

 いつも仲が悪い二人が、いつものようにじゃれ合っているが、いつものことなので誰も仲裁に入ろうとしたり気を悪くしたりしない。逆に下手に間に入れば、ワールド・チャンピオンとワールド・ディザスターの両方を同時に相手することになり危険が危ないこととなるので、君子危うきによらずとばかりにスルーするのが暗黙の了解になっていた。

 さすがに程度が過ぎれば仲を取り持つことはあるが、それはほとんどがギルドマスターであるモモンガの仕事であった。そんなお人好しで不運なオーバーロードは4日前にも仲裁に入って、結果、吹き飛ばされて空を飛んでいた。合掌。

 

「いいや、たっち・みーは憤怒だと思う(キリッ。でも、タブラもやまいこも茶釜もモモンガも憤怒っぽいし」

「怒られすぎだろ問題児」

 

 そんなわけで今日も今日とて、口論程度ならミカンを食べたり雑誌をめくったりと誰も気に留めていなかった。

 

「最後の色欲は……「「ペロロンチーノ」」」

「ひでぇ、否定できねーけどwww」

 

 わいわいと騒ぐ彼らはコタツに入っていた。

 仲の良いものも、仲の悪いものも、そろって一つのコタツに入っていた。

 

「NPC用のコタツも作らない? みんな、揃って入っていたら可愛いと思うの」

「ウチのコキュートスを仲間ハズレにする気か」

「ガルガンチュアだってがんばっているんですよ」

「で、出た~異形種親馬鹿(モンスターペアレンツ)奴」

 

 寒い冬も、暗い世界も、そんなんどうだっていいから、今は蚊帳の、いやコタツの外だとばかりに、ただぬくもりに包まれて42人は暖かい時を過ごしていた。

 



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バレンタイン番外編 【コキュートス×ナーベラル】

トリビア:黒いメイド服は午後用。

を知ってから、メイドに色とりどりのメイド服を着せたい衝動に駆られた。今はチョコ食べてる。


 ここはナザリックの9階層、使用人室に続く通路。

 なぜ5階層<大白球(スノーボールアース)>に自室を持つコキュートスがこんなところを歩いているのかというと、いざという時に備えてナザリック中の構造を体に覚えさせるためであった。本日は定められた休日であるのだが、生来の性質的になにもせずにいることなど出来ず、かといって鍛練の類は仕事に当たると控えるようにとアインズ様直々に申しつかわされており、こうして散策をして時間をつぶしているのであった。

 ちなみに、鍛練は一日サボれば取り戻すのに3日かかるといわれる。休みだからと止めるには支障があると武人系のNPCたちからの嘆願が強くあり、体を温める程度の運動であれば許可は出ている。だがしかし、その程度では到底物足りず、筋肉でできた脳みそを必死に動かし、散歩という名目で一日中歩き続けていたり、遊泳という名目で地底湖で水練を行ったり、坐禅を組んだりと様々な抜け道を試しているのだが、符丁まで駆使し休日であろうと堂々と働く知能組に比べればマシだと、アインズは半分あきらめつつある。

 

 

 

 そんな訳でコキュートスは今日も今日とて支配者から生暖かい視線を浴びながら、自身ではうまくごまかせていると思っている休日を過ごしていた。

 

 武器を振るうだけの空間があるかを複眼で視ながらゆったりと歩を進めていく。このあとは10階層に降りて図書館で兵法の書でも借りてくるか、7階層まで上がってデミウルゴスに声をかけるか、はたまた2階層まで盟友に会いに行くか……仮想敵を警戒しながら辺りを見回しつつ今後の予定を立てていると、進行先に怪しげな動きをする者がいるのに気が付いた。

 

(アレ ハ ナーベラル カ。ダガ、アノ格好ハ?)

 

 まるで少しでも小さく目立たなくなりたいと、常に伸びている背筋を丸めてこそこそと狭い歩幅で廊下の端を歩くのはプレアデスの一人、ナーベラルであった。製作者同士が仲がよいこともあって古くからの顔見知りで、話せば気が合うこともあり、守護者や配下のものを除けば一番親しい女性であった。

 その見知ったナーベラルの変わった様子に、コキュートスは思わず声をかけた。

 

「ナーベラル、久シイナ」

「ひょあっ!」

 

 廊下の向こうをうかがっていたナーベラルの肩が大げさなほど跳ねた。確かに後ろから声をかけたのは軽率だったかもしれないが、魔法詠唱者とはいえ戦闘メイドであることからそこまで驚くとは予想だにしていなかった。

 

「コ、コキュートス……、久しぶりね」

 

 ギギギと油の切れた機械のように、ぎこちない動きで首だけで振り返ると、胸の前に組んだ腕を抱え込むように更に背を丸めてしまう。

 猫のように円を描くやわらかい背筋にそって、さらりと赤色のリボンが流れる。武人であるコキュートスには名称はわからないが、空気を編み込んだかとも思えるふわりと軽そうな布地の赤いリボンを流れのまま頭上に視線をやれば、新雪を丸めた雪玉に似た白いふんわりとしたメイドキャップにたどり着く。

 

 腰に届くまでの長いリボンもそうだが、なによりも身にまとう服装自体が普段の彼女とは違っていた。プレアデスとしてのホワイトブリムにメイド服をモチーフにした鎧とも、ナーベとしての冒険者らしいローブ姿とも違う、明るいオレンジ色のメイド服を着ていた。

 

「この服装は弐式炎雷様にいただいたもので、たまの休みですし着てみようと思って、でもやっぱ私にはこんなかわいい格好なんて――」

「イヤ、似合ッテ イルゾ」

 

 気まずいのか恥ずかしいのか、妙に早口で聞かれてもいないのに事情を話しだすナーベラルに、あわてて褒める言葉を返す。

 女性の扱いはよくわからないが、主に守護者統括と吸血鬼との争いに巻き込まれた経験のおかげで機嫌を悪くさせれば大変だとは知っている。もっとも、慰めとも場を繕うともとれる言葉を返すのはソレだけ原因ではなく、純粋に似あうと感じたことも根本にあった。

 

「……それは本当ですか?」

「アァ」

 

 おそるおそるとこちらに向き直れば、ひざ丈のスカートがふわりとはためいて、下に重ねた白いフリルがちらりと覗く。

 一般メイドの制服に比べればフリルやリボンなどが多くふわふわとして女性らしいが、アルベドやシャルティアに比べれば大人しめで親しみを感じられて、コキュートスとしてはこれくらいがよかった。

 

「マルデ 花ノ ヨウ ニ 美シイ」

 

 他意があったわけではない。ただ思った通りの感想を述べただけだった。だが、それを聞かされた方の頬はわずかに色づく。

 

「ふふ、口説いてますか?」

「イヤ、思ッタママ ヲ 言ッタ ダケ ダ。ムシロ、ナーベラル ハ 花ヨリ モ 美シイ ナ」

 

 茶化して冗談だと終わらせるつもりだったメイドの顔が、耳までまっかに染まり、そこに来て初めてコキュートスは自分がとんでもなく恥ずかしい言葉を言ったことに気が付いたのだ。とにかく何かをしなければという気持ちに駆られて四本の腕をバタバタと動かしてみるが、時間魔法を覚えていないため時間を戻すことなんて出来ないでいた。

 

 ナーベラルが茹であがったタマゴ肌を少しでも冷やそうと両手で頬を押さえたことで、先ほどまで隠されていた開いた胸元が露わになる。いつも首までつめた服ばかりで日に焼けない肌は、より一層色が薄く透明だった。

 

 二人の間に気恥ずかしい沈黙が落ちるが、すぐに誤魔化すかのようにどちらともなく話し始める。

 

「コ、コキュートスはどこにいくつもりだったんですか?」

「タダノ散策中ダ。ナーベラル コソ ナニカ用デモ アッタ ノ デハ?」

 

 片方は慌てすぎて偽装の顔が崩れかけているし、片方は意味もなく下顎を開閉してみせている。まさに混乱の極みであるが、普段は人通りの多い廊下だというのに先ほどから誰も通りかからず、この場をなだめてくれる救世主は降臨してくれない。

 

「そうでした! カフェにいこうと思ってて」

 

 カフェでチョコレートがおまけで貰えるとエントマに聞いたのだ。なにか特別な日だからと言っていたが、あいにくと聞き覚えのない単語だったため忘れてしまっていた。さきほど、その関係でアインズ様が<嫉妬する者たちの仮面>を探しているとも聞いた。聖人の死を祝う日だといっていたのできっと黒サバトの類だろう。

 

「よければコキュートスもどうですか? 特別なチョコレートが貰えるらしいですよ」

「クク、口説イテ イル ノカ?」

 

 先ほど茶化されたお返しにと、コキュートスは同じ言葉を言ってみると、薔薇色に上気したままのナーベラルの口元がきゅっと強く結ばれた。

 空気が読めていなかったかと、彼が肩を落として反省していると、桜貝のような爪のついた小さな手が、己の一本の腕にそっと触れてきた。強い冷気に負けないほどの温かな熱がぽっとそこから心に灯った。

 

 

 

「はい、……誘って、マス」

 

 

 

 今度は、コキュートスが赤くなる番であった。

 



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1012話 I scream.you scream

5階層は氷河。コキュートスの二つ名は凍河の支配者。どちらが正解か


 まるで音まで凍りついたようだ。

 身を切り裂く冷気の刃のような風と、左右どころか上下もわからなくなる激しい吹雪が行く手を阻まんと吹き荒れる極寒の地として知られる<氷河>だが、侵入者のない平穏時には同じ場所だと信じられないほど静かな地である。

 

 気まぐれに粉雪を落とす分厚い雪雲は暗く黒く、目の前に落ちた雪につられて空を見上げても、闇の中にに紛れてしまい、降っているのかいないのかわからない。

 黒い空の下には底まで凍てついた青白い大地が、果てなどないようにどこまでも続いている。こんなにも寒い場所なのに、吐いた息が蒸気とにごらないのは、空気中の水分がすべて凍りつき乾燥しているからだ。あたりが雪と氷で覆われた場所が乾燥しているというのも、聞いてもすぐには信じられない話だ。

 

 冷たいだけではない冷えを感じさせる薄暗い<氷河>の転移門近くに、ぽつんと影を落とす姿があった。

 それはモモンガとジルクニフ、それにコキュートスの3人だった。

 彼らがこんなところでしゃがみ込んで何をしているのかというと、アイスを作っていた。

 

「本当にこれでアイスになるのか」

「そうテレビでやってみましたし」

 

 銀色のボウルを押さえているジルクニフが疑う声で問えば、ヘラで中身をかき混ぜているオーバーロードは自信ありげに答えた。コキュートスはいつものように変わらない表情でそれを眺めている。

 

 コタツでアイスを食べたいと会話の最中に出た時に、モモンガは前に観た教育番組の理科の実験を思い出し、こうして彼を誘って5階層に作りにきたのだった。食堂から持ってきた塩を雪の上に撒き凝固点降下により接点融解を起こして温度を下げ、ボウルの中にいれた液体を凍らせているのだ。

 モモンガが教育番組にはまったのは、かき混ざるのを真剣な目つきで見ているジルクニフの勘違いが原因だった。

 

「高卒だと思っていたが違うのか。話も普通にあうし、疑ったことすらなかったな。そうか……違うのか」

 

 なにかのきっかけで最終学歴が小学校だと告げたさいに、そう驚かれた。

 誰かとの記憶と紛れてしまったのだろうが、高校を卒業できていたと思われ、更にはその資格を疑うことすらなかったと聞かされてモモンガは嬉しくなった。

 まさか|前世<WEB版>の自分と間違われたと思いつきもせず、その話はそれで終わったのだが、モモンガの中では終わらなかった。おだてられれば豚でさえも木に登る。人ならばさらにだ。小卒が高卒と間違われたのだ。鈴木悟はこれも知識を湯水の如く与えてくれたクランから始まるメンバーのお陰だと感謝した。そして、更に知識を手に入れるべく、ながら見をできる教育番組を集めだしたのだった。

 会社にとって都合のよい、なにも考えない歯車にすべく貧民層の手には学べるものは届きにくくなっていたが、それでも探せばいくつか方法はあった。鈴木悟が選んだのは20世紀終盤のテレビ番組の録画をみることだった。今では行われていない教育番組という理科や国語などをわかりやすく説明するものは、画像が粗く音声も聞き取りづらかったが、飽きないようにか雑学が多くエンターテイメント性もあり面白かった。

 その中の一つ、理科の番組でアイスの作り方をやっていて、一度作って食べてみたいと思っていたのだ。そして機会が訪れた。

 

 シャカシャカとヘラが動くたびに、徐々に凍り始めた液体が金属のボールにこすれて水っぽい音を立てる。

 わざわざ氷に塩をかけて温度を下げなくても、常に気温が氷下点を指す<氷河>ならば何もしなくてもアイスになるとは知らないモモンガは一心不乱にアイスを作ることに集中していた。

 

「段々アイスになってきましたね」

「あとどれくらいで終わる? 指が冷たくて辛くなってきたぞ」

「あとはコキュートスと作りますし、先に戻っててもらってもいいですよ」

「風邪ヲ ヒイテ ハ 大変デス。スグ ニ 温カイ所へ 戻ラレタ方ガ……」

 

 心配そうに四本の手をわたわたと動かすコキュートスと、同じ様に心配そうに眦を下げるモモンガに、ジルクニフは口角を上げるとにっこりと笑った。

 

「そう言ってカキ氷を任せた結果、どうなったかを忘れるほど愚かではないぞ」

 

 咎めるようにみつめる紫色の眼差しに、死の支配者と蟲の王はそろって身を小さくした。みんなで食べられるようにと頑張ったのだが、さすがに2・5mのコキュートスよりも大きなカキ氷の山は削り過ぎたかもしれない。

 

 細やかな装飾の入った漆黒のローブをまとう死の体現と、氷山を背負い氷柱を生やす凍河の支配者がしょんぼりとするのを眺めながら、鬣のような金色の髪をした“人間”の青年はまだ笑っていた。まるで楽しくてしかたがないといった様子で。

 




次回更新 3月2日(木)


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1013話 ナザリックで朝食を【前編】

 王座の間に満ちていた緊張感を残したまま、42人は顔を見合せては何かを言おうと口を開いては黙るということを繰り返していた。

 言えば現実になってしまうことを恐れているのだ。

 

 豪胆で名を広げた漢も、今孔明と称えられる人物も、無知の知たる男も、沈黙のうちにあるのは今ここに一人だけ欠けている仲間のとった行動が深くかかわっていた。

 

 

 

 空想(ゲーム)が終わり、現実(リアル)になった。

 

 彼らの愛したゲームDMMOユグドラシル最後の日、その日は費やした長い時間と思い出を懐かしみ全てのギルドメンバーが集まっていた。

 過疎化の進んだゲームでもちょくちょく遊びに来ていた者は昨日の続きのように来て、しばらく顔を出していなかった者は気まずそうに気恥ずかしそうに現れ、残業が長引き23時を回ってから入ってくる者もいれば、モモンガのように有給をとって前夜からログインしている者もいる。

 ギルメンじゃないのに私もいていいのかな。なんていう遠慮するあけみを笑顔で迎え入れて、久しぶりに勢ぞろいしたことを喜び、またこの世界での最後の集まりになることを寂しんだ。

 

 想い出話は尽きることなかったが、時間はいつしか尽きようとしていた。

 最後の時は王座の間で迎えようとはモモンガの提案だった。ならばギルド武器を持っていこうとジルクニフが提案し、NPCを追従させるのはヘロヘロで、なにかを思い出して慌てて走り去ろうとしたタブラをこんな時だけは息が合うたっち・みーとウルベルトが足止めし、王座の間へと先回りした残りの面々はワールドアイテムを勝手に持ち出したことを責める代わりにアルベドの設定を揶揄しタブラを膝から崩れ落ちさせた。

 

「もういいです。これでどうですか!!」

 

 からかわれた羞恥心で床にうずくまっていたタブラが叫びながら設定を書きかえれば、それを確認した者から順に、ほうだの、へえだの短い感想の声をあげていく。

 

「『モモンガを愛している。』」

「ビッチよりはマシか」

「ちょ、なんで私に被弾してるんですか! タブラを愛している。でいいじゃないですか」

「ギルマスにだったら安心してウチの娘を嫁に出せる。……アルベドを任せましたよ」

「おめでとう、そしておめでとう」

「もうっ! それじゃあ(めと)っちゃいますからね。あとでちゃぶ台ひっくり返して文句を言っても返しませんからねっ!」

 

 祝福モードに煽られてモモンガは、どうせあとわずかな間だけだとアルベドを嫁に迎えることを受け入れた。その途端に「ぃよっしゃっ!!」と力強い喜びの声が聞こえた気がしたが、あたりを見回しても集まったNPCに埋もれる仲間たちの姿が広い部屋のあちらこちらに散らばっているのが目に映るだけで誰の言葉だったのかはわからなかった。

 

「ギルマス、なにぼんやりしてんのー?」

「最後だし、ちゃんとしめんぞー」

 

 三々五々に思い出話や連絡先の交換、再会の約束、はたまた仕事の愚痴なんかをこぼしていた面々は、モモンガが首をかしげている間に部屋の中央に集まり円陣を作っていた。

 42人がこちらを向いて待っている。自分が入れるように一人分の隙間が空いた囲いに熱いものがこみあげてきた。楽しかったな、という満足感とこれで終わりかという悲しさでぐちょぐちょの心のまま彼らの元へと駆けて行く。

 輪に入り、一人一人の顔を眺めるだけで12年間の長くも短い冒険が昨日のことのように瞼の裏に浮かんできた。本音をいえば、もっともっとずっと冒険をしていたかった。くだらない話だけで一日を潰したかった。ナザリックのギミックについて試行錯誤して頭をひねっていたかった。ワールドエネミーに挑んではまた駄目でしたねって笑っていたかった。悪戯に怒って逃げる問題児を追いかけていたかった。珍しいアイテムを競い合って集めたかった。喧嘩ばかりの二人の間でおろおろとしていたかった。美しい景色を探しにいきたかった。だけどもう、皆で過ごした<YGGDRASIL>は終わるのだ。現実世界で溢れた涙をバイザーの隙間から拭うと、記憶に深く刻みつけるためにモモンガはもう一度だけ仲間をゆっくりと見回した。

 

「では、いつものようにモモンガさん、しめの挨拶をお願いします」

 

 かつてはたっち・みーが音頭をとっていたのだが、彼がギルドマスターから降りてからはモモンガの役割になっていたソレは、社会人ギルドにはふさわしい挨拶であったが、惑わしの霧たちこめる黒い森の奥深くでドラゴン狩りが無事に終えられた時にもするものだから、異形種だらけの禍禍しい風貌もあいまみえってどこかちぐはぐな可笑しさがあった。

 

「それでは、お手を拝借!」

 

 営業で慣らした声を高らかに張り上げ、持っていたスタッフを小脇にかかえると骨の両腕を持ち上げる。

 するとそれを待っていた他の者の手があがった。ペロロンチーノの黄金の手甲や、ヘロヘロのどろどろとした黒い触椀、タブラの蝙蝠の羽根のような手、やまいこの顔ほどもある巨腕、更には集められた守護者やNPCたちの腕まで上がるのにはAIプログラム担当の作りこみのこだわりっぷりに苦笑する。

 

「ギルド:アインズ・ウール・ゴウンとナザリック地下大墳墓の皆々様の今までの健勝をねぎらうと共にー!! 今後ますますの発展と健康を願ってー!!」

「ちょっwww、最後までそれなのwwww」

「AOG合資企業wwww健在wwww」

 

 笑われたモモンガとて、いつもの通りの口上はどうかと思っているのだが、何分、応用力のない平社員の一般人なので容赦してほしい。対他ギルド時の魔王モードはカンニングペーパーを読んでいるだけと知ったら、叩き潰された連中は怒り狂うだろうか。

 

 骨しかない掌を打ちつけたのに意外と良い音が鳴ると同時に集まった全ての者の柏手が揃い鳴る。それは非常に大きな音となり、うわんとナザリック全体を揺らすとまで思えた。

 その打音の余韻を味わう暇なく、万の雷とばかりに拍手が響き渡る。

 

 大きさも形も違う掌が合わさり鳴る雷鳴は、まるでナザリックそのものを示しているようであった。その拍手はいつまでも、いつまでも終わりなく続くように、この栄光もいつまでも続くように。そんな願いがこもっているのかは分からないが、少なくともモモンガは真摯に願っていた。

 

 

 

 溢れているだろう涙をぬぐおうと、拍手をしている手はそのままに袖口でやや乱暴に眼窟を拭う。ふと、驚きに目を見開いてこちらに顔を向けるジルクニフの姿が目に付いた。いったい何にそんなに驚いているのだろうか。不思議に思いながらも拍手を止めないでいると、彼の異様な空気に少しずつ周りのものたちも辺りを見回し始める。

 

「サモン:ロイヤル・エア・ガード!!」

 

 黄金色の獅子が吠えると、召喚光の中から三騎の鷲馬が現れ、ジルクニフの前に跪いて頭を垂れた。焦げ色の羽にそれよりがは薄い茶色の毛並みがやわらかそうな生き物なのだが、鋭いツメと厚いクチバシが愛玩できるものではないと語りかけていた。そしてその鋭い目は騎乗している騎兵と同じく忠誠に溢れていた。

 鷲馬が翼を折りたたんだ際に生まれた風がモモンガの床まで届くローブをふわりと揺らす。

 

「ちょっとジルジルどうしたん?」

「説明はあとでする。シャルティア!」

「あい、ここにありんす」

 

 突然の奇行に驚いた隣の者が笑い混じりに問いかけるが、焦った色を隠さない男は守護者の一人である吸血鬼を呼びつけた。

 その声に呼び出されて後ろに控えていたシャルティアが、ボールダウンの裾をひらりと捌き、先に跪くジルクニフの近衛兵に倣い並ぶ。

 胸に手を当て、命が出るのを待つ4人の、本来ならばそのような動きをするはずはないNPCたちの姿、そして自分の身に起こったわずかだがありえない変化に、ここにきて異常に気が付き出して困惑めいたざわめきが円陣のあちらこちらから響き出す。

 

「ペロロンチーノ、借りてもよいか。決して危険な目にはあわさぬと約束しよう」

「え、ああ、うん、いーけど?」

「感謝する。―――聞いたな、シャルティア・ブラッドフォールン。供を命ずる」

「ペロロンチーノ様、ジルクニフ様、畏まりんした」

 

 真ん中の騎獣に着くニンブルを残し、あとの騎兵を下げると残った鷲馬をそれぞれ自身とシャルティアに割り振ると、ジルクニフは集中した視線をゆっくりと見返して、見る者を安心させるような力強い笑みを浮かべた。それはまさしく百獣の王の笑みだった。

 

 実はライオンは百獣の王とは言っているが、狩りの成功率はとても低く、場合によっては他の肉食獣の狩った獲物を奪うことがあり、ハイエナからハイエナ行為をすることもあるんだ。などといういつか彼が長々と語った今は必要ない豆知識をこんがらがった頭で考えているうちに、後ろにシャルティアとニンブルを引き連れたジルクニフがモモンガの目の前にまで来ていた。

 

「ジルクニフさん、これは?」

「我が友モモンガよ。急ぎ調べたいことがあるので、ここを離れる。あとを頼んでもよいか?」

「……危ないことはしないでくださいね」

「ああ、わかった。3日で戻る」

 

 案ずることはないと最後に告げたジルクニフたちが転移して消えると、あとには先ほどまでの賑やかさはすっかりと消え失せ、重苦しい静寂が残された。どの顔には大なり小なり不安が浮かんでいた。そう、彼らの顔には表情が浮かんでいた。そしてモモンガ自身にも。

 肉も骨もない指で、恐る恐る顔を撫でれば固く乾いた骨の感触が触れた。

 慣れない死そのものの触感に弾かれたように指を離すと、コンソールを表示しようとするが頼みの綱であったGMコールすら出来ないことに改めて冷たい焦りが足元から上ってきた。

 

「何が……どういうことだ!」

「どうかなさりましたか? モモンガ様?」

 

 驚きのあまりに叫べば、初めて聞く、だが先ほど聞いたような気もする女性の綺麗な声が後ろからかけられた。振り迎えれば、そこにはこちらの顔を覗き込むアルベドの姿があった。

 可愛らしく首をかしげる彼女に、そういえば先ほど結婚したな。とまた現実逃避に思考がそれる。アルベドの背後を見やれば、円陣を囲むように控えているNPCたちがいるが、そのどれもが先ほどのシャルティアや今向かい合っているアルベドと同じように動きや佇まいに人間性が垣間みえていた。

 

「何か問題がございましたか、モモンガ様?」

「アルベド」

 

 重ねられた声に、微笑みを浮かべるアルベドに意識を戻す。白く清純なドレスに覆いかぶさる翼は鷲馬よりもつややかで触り心地がよさそうだった。6層でみた朝露に輝くクモの巣のような黄金のネックレスも、両手で抱え込んだ黒い短杖も、彼女に似合っており、無断でそれらを持ち出したタブラの気持ちも少しばかりわかった。この件に関しては先ほど散々に違う形で責めたので、改めて無断貸出のことを責める気にはならなかった。

 

 ワールドアイテムから目を離して、見ることに気恥ずかしささえ覚える美しい顔に視線を移せば、角が影を落として表情がわかりにくいが、潤んだ瞳の奥底に滲む不安の色をみつけた。

 実際には、名を読んだきり黙ってしまったモモンガに対する不安であったのだが、それをみた彼は自分の抱える足元の揺らぎさえ感じさせる戸惑いと不安と同じものだと思いこんだ。どうにかしなければという激情が沸き、一瞬で冷静になる。

 

 感状の振り幅に驚き息を飲んだが、落ち着いたことは好都合だとモモンガはローブの裾を蹴りあげて一歩前に出る。

 注目を集めるために手を上げれば、ぶくぶく茶釜や餡ころもっちもっとなど仲間たちばかりかNPCたちまでこちらへと向き直ったことに、下がりそうになった足を叱咤し更に一歩踏み出す。

 

「落ちつけ。とはいってもなんらかの緊急事態が起こっていてはそれも難しかろうが、ひとまずはジルクニフから連絡があるか、状況が把握できるまでは落ち着くのだ」

 

 混乱のあまりに魔王ロールが出てしまったが、一度やってしまったからには演じきるしかないとモモンガはがらんどうな腹をくくる。

 

「コンソールを操作できるもの、GMコールが出来るものはいるか?」

「ログインしてたはずの友達に<伝言(メッセージ)>送ったけど、繋がらなかった」

「こっちも全滅」

 

 それぞれ試してはいるのだろうが、色良い返事は得られなかった。

 空中に手を伸ばす奇妙な踊りをしているメンバーから、次にNPCに向かう。

 

「守護者、及びその配下の者に命ずる。全ての階層に異常がないか確認せよ。またセバスはプレアデスと共に地上部を偵察せよ。ただし、ナザリックより出ることは禁ずる。万が一、異常が発見された場合には決して対処しようとせず、どんな些細なことでもすぐに知らせよ」

「「「はっ!!!」」」

 

 命令を下せば、お前らいつの間に練習したの?と聞きたくなるほどの揃った声で返答があった。平伏から一転、無駄のない動きで素早く散っていく後ろ姿を見送ると、ようやくモモンガは気が抜けた息をゆっくりと吐いた。

 

「あああああ、緊張した~」

「突然、魔王に転身するもんだからびっくりして、限界だった眠気も吹き飛んじゃいましたよ」

 

 どろどろと体表をゆらめかせるヘロヘロが言えば、ゆるんだ笑いがつられて沸き上がる。

 潮騒に似た笑いをこぼす集団は、一人分欠けているが大きな円を組んだままだった。上もなく、下もなく、助けあいを目的としたギルドを示す体勢、そのままだった。

 モモンガは踏みだしていた足を下げると、円周の一角に戻る。

 

「さて、どうしましょうね」

「とりま、これゲームじゃねーよな。リアルすぎるし」

「NPCたちもそうだし、俺たちの体もデーター量的に無理だら」

 

 早々に違法行為や電脳法についても試していた面々からの意見も出揃えば、重い沈黙が再び頭上にのしかかる。

 王座の間に満ちていた緊張感を残したまま、42人は顔を見合せては何かを言おうと口を開いては黙るということを繰り返していた。

 言えば現実になってしまうことを恐れているのだ。

 

 豪胆さで名を広げた漢も、今孔明と称えられる人物も、無知の知たる男も、沈黙のうちにあるのは今ここに一人だけ欠けている仲間のとった行動が深くかかわっていた。

 

 空想(ゲーム)が終わり、現実(リアル)になった。

 それだけならば、くそみたいな現実に見切りをつけていた過半数は喜んだことだろう。だが、ジルクニフがシャルティアを連れて出て行ったことが、軽率な行動を慎ませていた。

 

 かつて対ギルド戦で殲滅される間際まで行ったことがあった。かつてワールドエネミー戦で前線が崩壊し後方職が必死に逃げることがあった。そうした時にいつも最後まで生き残るのは、逃げ足の速いペロロンチーノでも、幸運EX+持ちと噂されるモモンガでも、知略に優れるぷにっと萌えでもなく、ジルクニフだった。

 エンチャンターかつ中途半端な召喚術師のジルクニフは戦い勝つことはできなかったが、どんな状況でも常に最後まで生き延びていた。

 事情を知っている様子の、その男が迷いなく守護者最強である鮮血の戦乙女シャルティアを選び、なにかを調べるに出ていったのだ。生存特化の男が、戦闘特化の者を連れていったのだ。気楽に構えていられる状況ではなかった。

 

 実際にはただ顔見知りかつ演技力に期待して連れていっただけなのだが、それを知る余地もない異形種たちはずっしりと背にかかる緊張感と不安に口まで重くなっていた。

 

「本当に、どうしましょうね」

「朝食にしましょう」

 

 ぽつりと零れた独り言に、声を張り上げたのはやまいこだった。

 右腕を高く挙手し、反対の手では震える妹の手をしっかりと握りしめた彼女はきっぱりと同じ言葉を繰り返した。

 

「朝食にしましょう」

「まだ2時だぜー」

「状況を確認するほうが先では」

「朝食にしましょう。前に聞いたことがあります。円満ハーレムの秘訣は“いっしょにご飯を食べること”だと。ならば、ここは私たちがばらばらにならないために、一緒にごはんを食べましょう」

 

 きっぱりさっぱりと断言する言葉には、強い説得力があった。

 それは彼女が教師ということもあるのだが、守るもののいる姉であることもあったのだろう。やまいこは言葉の確かさを証明するかのように掲げた拳を更に強く握りしめる。

 

「アンデッドでも食事とれるのでしょうか」

「オレ、ハーフゴーレムだぞ」

「食べないか、食べれないかではありません。願えばいいのです。一緒にごはんを食べられるように、と。さあ、朝食にしましょう」

 

 分厚い手甲に隠されて、その指にはまった三つの星が飾られた指輪が一つ輝いたのをみるものはいなかった。

 だけど、彼女の頼れる響きがある言葉に頷いた42人はぞろぞろと朝食をとるべく食堂へと向かうのだった。その伸びた背中には先ほどまでの暗い重圧はなく、最後を歩くやまいこは満足げにうなずくとにっこりと笑い、和食にするか洋食にするか幸せな悩みを浮かべた。

 




次の更新は3月9日(木)を予定しています。


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1014話 ナザリックで朝食を【中編】

おまけ。移動中ひまな3人の会話
ニンブル「……シャルティアはどのようなものを贈られれば嬉しいのだ?」
シャルティア「ふふ、妾に気がありんす?」
ニンブル「いや、いつも私の贈り物は趣味が悪いと女性陣に言われるので、参考に聞こうと、な」
ジルクニフ「残念なお知らせだが男性陣にも不評だ。まつぼっくりを貰ったモモンガが途方にくれていたぞ。この前もクルミばかり拾ってきたし、どうしてきのみにこだわるのだ。普通に趣味の茶葉とかでよいだろうに」
ニンブル「はて、そのようなことありましたかな」
シャルティア「もっとキラキラしたものだと喜びんすよ。例えば―――」
ニンブル「なるほど……ドングリか!」
ジルクニフ「違う!」
ニンブル「大きいドングリ!!」
シャルティア「矯正は無理そうでありんすね」



 シャルティアとニンブルを供に、ジルクニフが出ていってから一昼夜経った。

 まんじりとしないながらも傍目には各人とも落ち着いて過ごしていた。

 だけどよく観察すれば、いつもより口数が少なかったり逆に饒舌になっていたり、用がなければ部屋から出てこなかったり、地表部で日が沈むまでぼんやりと草原を眺めていたりと、おかしい行動がみられる。誰もがゲームが現実になってしまった異常な事態に逸る心を押さえて敢えて普通にふるまおうとしているのだ。あの るし★ふぁー でさえも大人しくしている。

 それでも心の奥底まで鬱屈せずにおられるのは、気心の知れた仲間との会話、慕うNPCの姿、更には美味しい食事のお陰だった。

 

 

 

 空想(ユグドラシル)が現実に変わったあの日、朝食をとるべく食堂に向かった彼らが味わったのは暴力だった。

 

 音楽に合わせてボタンを押せばいいゲーム世界とは変わり、たくさん上手に焼くためには調理系の職業を網羅したナザリックの誇る料理長であっても一つ一つ丁寧に工程を経て作らねばならず、全員の料理を即時にぽんと出すのはいくら助手がいても不可能だった。

 メイドたちが注文をとる声を後ろに聞きながら、あまりの動きの速さに残像すら残しつつ下ごしらえを済ませていく。その合間に、水を至高の御方に出すよう指示をする。

 

 温度にまでこだわった清らかな水がうすはりのグラスに注がれ、それぞれの手元に置かれる。

 42人の彼ら彼女らは味覚や嗅覚のある状態でとる食事に大なり小なり心踊らせながら、それぞれについたメイドに注文を伝え、何気なく目の前に置かれた水を口に含んだ。

 

 それは暴力だった。

 それは衝撃なんていう生易しいものではなかった。ある者は稲妻が頭上に落ちた。ある者は口の中が爆発した。ある者は喉に激流を受けた。すべてのものが目を見開き、驚きの叫びが口をつく。

 

「なんだこれは!?」

「水なの!? それにしては舌が痛くない!」

「薬臭くもない、腐った臭いもない、いったいコレはなんなんだ!」

「異形種になった副作用で味覚が変わったとでもいうのか!」

「まさか! ……だが、口が爛れるのを心配せず、いくらでも水が飲めるなら歓迎だよ」

「でも透明だと見た目は地味だよね。水占いも出来ないし」

「水占いって、虹色だと大吉、青だと中吉とかってやつ? 女子って占い好きだよなー。あとキラキラしてたら金運UPだっけ」

 

 もはや世界のどこを探しても汚染されていない水は存在しない、滅びゆく星で暮らしてきた者たちにとって“ただの水”の味は美味しさの暴力でしかなかった。それでも誰もソレを吐きだそうとはせず、手に握ったAOGオリジナルの0.01mmのうすはりガラスを割るものはいなかった。

 

 先ほど味蕾に感じた美味という程度の言葉では役割不足でさえある、味を確かめるべく一口、また一口と逸る感情に急かされて舌にのせる。

 つるりとゼリーに似た弾力を感じさせるのは神経を極限まで高めている故に、一瞬が長く伸びているからだ。水の玉が舌尖を通り過ぎ、中央のくぼみ正中溝に流れ込めば一呼吸置いて甘みがやってくる。無味無臭だと判断した脳にじわじわとやわらかな甘みが届けられる頃には、もっとさらに味わおうと自然と舌が丸まって水素と酸素で出来た奇跡のまろやかな宝玉をベルベッドのシーツで包み込む。

 飲みこんでしまうことを惜しむ気持ちはあるが、次の一口を味わうために喉を鳴らして食道に流し込む。緊張に乾いていた喉を癒した水の香りが鼻腔に立ち上り、さらなる刺激を求めさせる。

 胃も舌もない身なのに飲める疑問が湧く暇なく、モモンガはまるで砂漠でオアシスをみつけた彷徨人のように、コップを両手で大事に握りしめて勢いよく飲みほした。

 

 計らずとも、感嘆のため息が同時に漏れる。

 ほう、と漏れた熱っぽい息は深い満足を示していた。興奮に柳葉の耳を振るわせ瞳が蕩ける麗しいエルフと至高の御方と崇められる41人はすっかりと激しい暴力に打ち負かされて全面降伏をしていた。

 嵐の海を漂う小船にしがみつくように、激しい波が通り過ぎるのを待つ彼らはコレがまだ前菜ですらないのを忘れていた。何の効果も付属していない“ただの水”で、ここまで満身創痍な人々が、厨房で極上の料理人が腕によりをかけ贅をこらした逸品に耐えられたかどうかは、読者諸君の想像にお任せするとしよう。とりあえず発光したり宇宙を視たりはしたようだ。

 

 

 

 そんなわけで、すっかりと美食のとりこになった42人は、引きこもりも蒸発寸前も、鬱も躁も、食事の時間になればぞろぞろと死に誘われるレミングのように群れなして9階層に向かった。トラットリアでワイン片手にハムとチーズのパニーニにかぶりついたり、パブで飲めや歌えのどんちゃん騒ぎの宴をしたり、大衆食堂でサンマをおかずに白米を食べたり、カフェで作ってもらったお弁当を持って4階層の湖でガルガンチュア釣りをしたりと、その時の気分や個人の好みでばらばらの場所へと向かうのだが、朝食だけは始めと同じ一番大きな食堂で揃って食べた。

 

 ジルクニフが言った3日目。

 その日の朝も、全員が大食堂に揃っていた。

 バタートーストは香ばしいキツネ色。おにぎりの磯に巻いた海苔は焙られてパリパリだ。シリアルにかかった牛乳からは湯気たち、サラダは瑞々しく、ゆでたまごは新鮮に白味がぷりっとした。文句のつけようのない完璧な食卓が用意されている。それでも、一つ欠けた席が無言の圧力となっていた。

 卵ごはんに醤油を垂らすモモンガの手が止まり一つだけ空いた席をちらりと見る。反対にサクサクのクロワッサンをこぼさないよう齧るベルリバーは頑なにそちらをみようとはしない。

 

 

 

 連絡はある。特にシャルティアを連れだしていることで、親にあたるペロロンチーノが心配しているだろうと配慮して、彼女から定期的に<伝言>を届けさせている。だけど、肝心のなにをしているのか、なにを目的にしているのかは相変わらず黙ったままで、詳しい状況が判明せず濃い霧の中でコンパスを持たずに歩く不安はぬぐえないでいた。

 

 食後のお茶が出ても席を立つものはいない。

 42人が全員そろう、この時間を大切にしているのを悟り、メイドたちは配膳を終えると配慮して下がっていくので、食堂にはいつもの仲間たちだけがいた。自分たちが手塩にかけて作りあげた自慢の子供は可愛い。それも動き喋るのだから ― 一部の者は別の理由で― 悶絶するほど可愛い。だが、四六時中、後ろをついて回られたり、尊敬の目で常にみられていたり、敬わられ崇められるまでにいたっては一般人でしかない元人間にとってはつらかった。

 だから、こうしてNPCのいない、気心知れたものだけと過ごす時間というのは、心の底からくつろげる大切な時間だった。

 

 

 

 芳ばしい緑茶の白い湯気が視界をうっすらと曇らせる。手に握った湯のみはじんわりと暖かく、茶を飲めば腹の下あたりも同じ温度に温まった。

 今まで飲んでいたものは緑の絵の具を混ぜた泥水だったのか、とモモンガが美食に何度目かのショックを受けていると<伝言>の着信音が鳴った。

 

『本当に本当に本当に本当にライ――ピッ「もしもし、モモンガです」

 

『もしもし、私だ』

「ジルクニフさんですか?」

『そうだ私だ。ジルクニフだ』

「ちょっとモモンガさん、それって俺俺詐欺じゃないか?」

『ウルベルト、なにを言っている? 俺俺、じゃなかったジルクニフだ。信じろ』

 

 集まっている他のメンバーにも会話が聞こえるように効果範囲を広げる魔法を使ったのだが、それを聞いたウルベルトが少し離れた席から口をはさんできた。

 俺俺詐欺。国家予算に匹敵する被害額を出したともいわれる戦前に多く行われた詐欺だ。現代においても手を変え品を変え、人々をだましては金品を巻き上げるおそろしい犯罪である。まさか異世界にまで魔の手が伸びているとは……。

 

「本人確認をしてみたらどうです? 例えば本名をフルネームで言ってもらうとか」

『モモンガさんのお手を煩わせて申し訳ないですが、そこにいる山羊頭に即死魔法をかけておいてもらえますでしょうか。あとでスタッフが美味しく食べておきますから』

「ほぉら、言えないみたいですし、やはり偽者でしたね」

 

 すごく楽しげに悪い顔でにやにやと笑うウルベルトとの掛け合いを聞いているうちに、かすかに生まれかけていた疑いが晴れた。

 そもそも<伝言>の声はジルクニフそのものだし、着信音の変更方法を暇人がみつけ、モモンガも暇に飽かして42人分の着信音を個別に設定しているのだから、着信があった時点で彼以外にはいないのだ。

 

「さあさあ後ろめたくないのでしたら、名乗ってみたらどうです?」

『うぐぐ、私の名はじる……いや、我こそはバハルス帝国皇帝ジルクニフ……ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスだ』

「え、あ、ハイ」

 

 ぼんやりともっと独創的で個性ある着信音を選んだほうがよかっただろうかなどと、違うことを考えていたところに、きっぱりはっきりと厨二病で断言され、反射的にモモンガは返事をしてしまう。それを肯定だと受け取り疑いが晴れたと思ったジルクニフはいい加減に戯れるのをやめ、要件を伝えてきた。

 

『わかったのならいい。要件は昼にはナザリックに着くから詳しい話はその時にするが、日本に帰る手段がみつかった報告だ。それを皆にも伝えておいてくれ。帰るか残るか決めるのは急がなくてもよい、ともな』

 

 伝えられた言葉のあまりの衝撃に<伝言>がいつ切れたのかもわからなかった。

 一刻前の賑やかだった食堂が嘘のように静まり返り、固まった人々は呼吸すら忘れたようだった。

 



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1015話 ナザリックで昼食を【後編】

 日本に帰れる。だが帰ったところでなにがあるのだ。ここには慕う子も美味しい食事もきれいな空気もあるし、頑丈な体まである。おそらく大多数はここに残るだろう。

 しかし家庭のあるもの、しがらみを捨てられない者、あるいは異形種の肉体を受け入れられない者は帰ることを選択するだろう。

 それは別れを意味していた。ユグドラシルのサービスが終わると知り覚悟した別れとは違い、二度と会うことができなくなるだろう世界線を隔てた決別。

 

 

「私は残るよ。まだ食堂のメニューも制覇してないし」

 頭に生えた葉を揺らしてぷにっと萌えが冗談めかして笑うと、ぐびりと喉を鳴らして茶を飲んだ。

 

 残るものを逃げだと誰が後ろ指させよう。綺麗な空気、汚染されていない水、恵まれた、いや本来あるべき姿を知ってしまえば、地球が生きていける環境ではないと頭ではわかっていた事実を改めて体の底から理解させられ、生物としての本能が残れと指示している。

 

 

「おねえちゃん、帰れるの?」

「うん、そうだよ」

 ぽつりと明美が呟いたのに、やまいこが寂しげに答える。

 

 帰る者を誰が引き留めれられよう。現実が地獄だとしても、そちらで生きていくと決めた強い気持ちに誰が口を挟めるだろうか。

 だけど、帰る理由がある者は幸いである。

 

 

 日本に帰るか、ここに残るか。興奮した口調の会話があちらこちらで交わされている。その中、モモンガは一人静かに心を決めていた。

 友達はいない。両親も生きていない。養うべき家族も、恋人も、ユグドラシルも、死に物狂いで帰る方法を探す理由になるものは、元の世界にはなにも無い。もしも42人が全員帰ることを選択するのならば考えたかもしれないが、聞こえる意見の大半は残る方向に傾いている。

 

 それに作りだしたNPCたちが生きてここにいる。

 帰る、そう誰も戻るとはいわずに帰るという言葉を使うように、どんなにひどい世界でも“帰る”場所はあそこだった。だが、ユグドラシルが終わり、ナザリック大墳墓地と共に異世界へと来たNPCたちに帰る場所はもう無い。

 旅立つ際にみせた凛々しい姿のシャルティアも、すっかり皆のアスレチックと化しているが嬉しそうにしているガルガンチュアも、アンデッド故に眠れない長い夜を持て余している時に晩酌に付き合ってくれたコキュートスもデミウルゴスも、副料理長に教えられながら一生懸命に食後のお茶を淹れてくれたアウラもマーレも、よく誰かの頭の上に乗せられているヴィクティムも、好きな人には刺繍のハンカチを贈るものだと聞きましたとはにかみながらモモンガに手渡してきたアルベドも、パソコンの中にバックアップデーターという形で存在することはできるだろうが、生きている彼らの帰る場所はもう元の世界には存在しない。だから、地球へと帰るメンバーたちとはここで別れとなる。

 

 自身が作り上げたパンドラ・アクターのことを考える。

 生き生きと動く黒歴史は、精神的動揺を覚えて床を悶絶しながら転がりたい気持ちにさせられた。だが、余裕をもって見てみれば、手足の全てを使って元気に動くオーバーアクション一つ一つの中にあるのは、単に創造者に会えた嬉しさだった。

 そういえば出張で一週間いなかった父親が帰ってきた時に、幼かった鈴木悟も同じように全身で喜びを表してまとわりついた記憶がある。そう思ってしまえば、子は親に似るものなのか、と微笑ましさが湧き出てきた。

 まだ、卵頭の軍服姿は恥ずかしいが、一度可愛いと思ってしまえば、息子(パンドラ)を残していくことにためらいを覚える。

 

 

 

「私は―――、」

 

 ふいにざわめきが途切れた間、誰かに聞かせるわけではなく、決意を表明するがごとく確固たるい意志を含んだ口調で、悩み深い沈黙の岩となっていた たっち・みーが言葉を漏らす。

 

「私は帰ります」

 

 断言する強い声音に全員の目と耳が集まる。

 大声なわけでもないのに注目を集める姿に、あのこと(クリスマステロ)がなければギルドマスターのままだっただろう、アインズ・ウール・ゴウンの本来のリーダーをみる。ただのしがない調停役の自分なんかよりも彼の方が何倍も相応しいだろう。たっちのリーダー然とした行動を目の当たりにするたびに、劣等感と、そんな人物に後釜を譲られて認められたことが誇らしいという気持ちが浮かぶ。

 

 帰れると聞いた時に、きっと たっち とは別れることになるだろうと反射的に思った。彼には大切な家族がいる。

 

「ちょうど娘に、お兄ちゃんが欲しいとねだられてましたし。私も自慢の息子を二人に紹介したいですしね」

 

 昨日、セバス・チャンと6層の森を穏やかに散策する二人は、見た目の種族も違っているが親子のようにみえた。そしてそう感じたことは間違っていなかった。たっちは出会って3日しか経っていない彼のこともすでに家族の内に勘定していたのだ。

 

 

 

「連れて帰れるなら、私もハムスケつれてく!」

「はむすけ? そんな名前のNPCいた?」

「外の森の中で一匹で生きていたの。あれはきっと私のハムスケの生まれ変わりに違いない!」

 

 発言した人物がペットのハムスターを亡くしたことで意気消沈し、長い間ログインせず、ようやく復活した後もしばらくはネズミ系モンスターに遭遇しては泣いたり叫んだり情緒不安定だったのはギルド内では有名な話だ。その者が目をランランと輝かせて暴走している。もはや誰も止められない。

 

「ほら、早く<遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)>出してよ」

「なんで俺が……ほらよ」

 

 たまたま不運にも隣に座っていた男がせっつかれて、しぶしぶ言われた通りにアイテムを、全員が見えるように食堂の奥の壁に設置した。ホラー映画のワンシーンかと見間違えそうなモンスターが雁首揃えて椅子に座っている様を映していた鏡は、操作者が指を動かすとまるっきり違う風景に変わる。

 

 すっかり昇った太陽に照らされた朝露に濡れる草原は静かだ。離れた席でブルー・プラネットの感嘆のため息が漏れる。同じくモモンガも表面には出さないが自然の美しさに小さく心を奮わせていた。

 草原の映像は感動を残して、ふらふらと落ち着かない動きで違う景色を映し変えていく。

 

「もっと西だって」

「西ってどっちだ」

「左!」

 

 二人の騒ぎをBGMにパノラマビューイングはいろいろなものを拾い上げていく。青々と風渡る草原。草を食む鹿の群れ。なにも通らない獣道。血煙を上げる小さな村。麦畑の中の鞍をつけた馬。草が深くなり森に変わる途中。戯れるように飛ぶ小鳥。葉を散らす老いた大木。

 

「倍率を下げた方が探しやすいんじゃない?」

「まだかかりそうだし、茶のおかわり貰いにいってくるけど、他にいる人~?」

「私も手伝いますね」

 

 目的のハムスターとやらが、みつからないことに飽きたヘロヘロが席を立って茶のお代わりを呼びかければ、バラバラと挙がった手の多さに一人では大変そうだと、調理室に向った彼の後を追おうとモモンガも腰を浮かしかける。

 

 

 

「なにをしているんですか!!」

「え、たっちさんも、お茶いりました?」

 

 トラックがビルに突っ込んだのかと思ったほどの、大きな衝突音に驚いて振り返れば、怒りに肩を振るわせるたっち・みーが拳をテーブルに叩きつけて、こちらを睨みつけていた。困惑を含んだ視線で見返せば、ほかの者たちも同じように不思議そうな表情で彼の方を一斉に向く。

 

「そうじゃないでしょ。先ほどの光景を見て、なんで茶なんて呑気な事を言ってられるのですか!」

「先ほど? …………、なにかありましたか?」

 

 平素は穏やかだが怒ると怖い人物に、叩きつけるように角張った声音で叫ばれて、必死に原因だろうものを思い出そうとするが、なにもそれらしいものが記憶に浮かばない。

 

「もういいです。私一人でもいきます」

 

 長い思考の果てに聞き返せば、たっち・みーは立ち上がるとリングの力を使い転移していってしまった。

 赤いマントを(ひるがえ)して銀色の姿がかき消えると、あとには困惑を抱えた者たちが残された。互いに顔を見合わせてはみるが、彼があそこまで激昂した原因を知っている者はみつからない。

 

「途中から見てなかったけど、映像になにかあったの?」

「別に気になるようなことは……あ、村があったから情報収集をしたかったとか?」

「でも、もう大分、殺されてましたし、無理なんじゃないですか?」

「俺は鹿を撫でたかった、に一票」

 

 皆の立てる予想を聞きながら、いい加減にハムスターはみつかったかと<遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)>に目をやるが、森の中をさ迷っていて、まだまだかかりそうだった。

 

 

 

 たっちを追うか、場をまとめるべきか迷っている間に、茶を取りに行ったヘロヘロが帰ってきた。たくさんの湯呑を載せたお盆を頭上に掲げた危なげな姿に、あわてて手伝いに行こうとするが、それよりも早くやまいこが近付き配膳をしだした。

 椅子から立ち上がっただけの半端な姿勢から、腰を下ろして落ち着くと、なんとなく空いた席を数える。調べたいことがあるからと離れたジルクニフ。なにかに駆られて出て行った たっち・みー。お茶のおかわりを配っているヘロヘロとやまいこ。順番に巡らせていると、最後に見た空席、やまいこのいるべき場所の隣に座っている明美が青ざめているのに気が付いた。

 

 ナザリックには他にも人間はいるが、食堂にいる中では唯一の人間種である彼女の表情はわかりやすい。血の気は失せて、涙が滲む眦を瞠る、その表情は恐怖だった。

 

「おかしいよ。なんでみんな人が殺されているのに平気なの」

「は?」

 

 素で困惑の声が出た。

 彼女の感情がうつったのか、じわじわと恐怖が足元から這い上ってくる。

 武装した兵士に切り捨てられる粗末な格好の村人をみた時に、なにも感じなかった。馬が麦を食べているなあ。それと同程度な興味しか抱かず、なんの利益にもならなさそうだと、すぐに頭の中から消した。

 それはおかしなことだった。

 かつて両親を相次いで亡くした時には涙が涸れるまで嘆いた。悲しい事件や事故を聞いては胸を痛ませ、泣ける話には涙腺を刺激される、ごく普通の人間だった。かかわりのない他人が傷つくことなんかで、心の動かない血も涙もない冷血漢ではなかったはずだ。

 

 だけど、再び村を映すよう命じた<遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)>で妻子を逃がすために騎士に立ち向かい返り討ちにあいかけている男をみても、道端で羽虫に集る蟻の行列に感じる程度の気持ちしか起こらない。そう、それはおかしなことだった。

 

「心まで異形種になってしまったというのか?」

 

 究極の魔法を求め魂まで捧げ、ついには死を超越した死の支配者(オーバーロード)。アンデッドたる存在では、生者に興味を抱かなくなるものなのだろうか。

 騎士に村人がなすすべなく虐殺されるよりも、己が人間を止めてしまったかもしれない事の方が恐怖を覚える。そのこと自体が恐ろしかった。

 

「カルマ値もあるのかもしれません」

 

 ニブルヘルムに住む人間種と友好的とされる巨人族のぬーぼーが呈する。彼も同じように殺戮をみて、大した感情を抱かなかったのだろう。大きな黄色い手で握られた湯のみがいやに小さく見えた。

 

 

 

「挙手してください。―――この風景に、憐憫や憤怒や焦燥を感じた人」

 

 <時間停止(タイム・ストップ)>を発動し、鏡の向こうの世界が止まる。木と土で出来た牧歌的な村は写真のように何一つ動かず、ただ戦禍を被る一瞬が切り取られている。

 写真の片隅に自らを囮にし娘たちを逃がす母親が映っている。だがモモンガには変わらず心に悲しみや憤りは湧いてこない。

 

「次に、どうでもいい、身捨てるべきだと思った人」

 

 数えられる程度しか挙がらなかった先程とは違い、躊躇(ためら)いの間を置いてから多くの手が挙がる。誰もが自分自身に起きた残酷な変化を受け入れるのは辛いだろう。だが、彼らは取り繕うよりも、仲間に正直であることを選んだ。

 

 ならばギルドマスターとして答えなくてはならない。

 

 リーダー(先導者)にはなれない。だけど、調停ならばいくらでも尽力しよう。

 ワールドチャンピオンではない、俺は、ギルドマスターだ。

 

「最後に、それでも助けに行くつもりの人」

 

 全員の手が挙がるのに満足げにうなずくと、先走って一人行ってしまった男を追いかけるために、モモンガは<転移門(ゲート)>の魔法を使った。

 

 

 

 

 ベリュースの口から隊長にはふさわしくない情けない悲鳴があがる。

 だけど、誰も彼を助けようとはしない。したくとも出来ない。戦う武器もろくにない田舎の村を襲撃するだけの簡単な任務のはずで、村人たちを中央の広場に追い立てるまではいつも通り順調だった。

 だけど、昼も前だというのに、地面から闇が吹きあがってきた。それが絶望の合図だった。

 

 どこまでも底がみえない黒洞々とした闇を扉に、出てきたのは化け物たちの行列だった。スケルトンを先頭に、オーガ、ビートル、バードマン、スライム等々、まるで神話に聞く魔神の襲撃のようだった。

 

 恐怖にかられて剣を振りまわす男がいた。身一つで逃げだす男がいた。神の名を唱える男がいた。目の前の化け物に命乞いをする男がいた。だけど、その全ては毛ほどの役に立たなかった。

 化け物どもは見た目のおそろしさを裏切らず、怪しげな魔法や素手で岩を割るほどの強い腕力で、全身鎧の騎士をまるで子供のように翻弄した。それでも誰もまだ戦意を失っていないのは、戦闘不能はいるが、死者が出ていないことが大きかった。

 おぞましい姿から感情は読み取れないが、遊んでいるつもりなのか奴らの攻撃には手加減が見られた。

 

(馬鹿め)

 

 手汗で滑る剣を握り直すとベリュースは心の中でほそく笑む。このまま時間を稼げば、きっと異変に気が付いた後詰めの本隊が助けてにくるはずだ。そうなれば、殲滅を基本任務とする戦闘のエキスパートたちが、こんなやつら一瞬で片付けてくれる。それまでの我慢だと、モンスターの最後を想像して嘲笑う。

 

 村の周囲で警戒に当たっていたはずの4人が、獣に似たモンスター数匹に追い立てられて広場に連れてこられる。その手足に多少の傷は追っているが、剣を失っておらず、まだ戦える。

 戦力が増えたことに活気づき、隊長としていいところを見せようと近くにいたピンク色のスライムに切りかかるが、妙に弾力ある体に弾かれて剣撃が通らない。斬ろうが突こうが一切の攻撃を受け入れないスライムに遊ばれながら、ベリュースはこんな徒労をするはめになった原因は田舎の村人どもにあると、勝手な恨みの目で睨みつける。

 

 

 闇から湧き出てきた化け物はなぜか、中央の広場に集められていた村人たちには手を出さなかった。

 だが、彼らの心に安堵はない。ぴくりと指一つ動かした途端に襲われるかもしれない恐怖に縛られて、誰もが息を抑えて刺激しないように固まっていた。

 

 

 

 

 力の差もわからない馬鹿な男は知らない。

 アインズ・ウール・ゴウンの者たちがは遊んでいるのではなく、殺してしまわないように慣れない力に戸惑いながら慎重に動いていることを。そして、本気で皆殺しにするつもりなら、本人が攻撃されたことに気が付く前に始末してしまえることを。

 

 

 罪無き村人を睨みつけている愚物でしかない男は知らない。

 頼みの綱であった陽光聖典の者たちは、カルネ村に<転移門>を使って現れた集団とは別に、チャリで来た男一人に、切り札を使うどころか天使を召喚する暇なく倒されたことを。

 砦や集落を襲撃することに長けたものたちは、逆に野戦の類は得意としておらず、辺りを警戒はしていたが、猛スピードで接近した純銀の聖騎士に、たった一太刀で全員が意識を刈り取られ戦闘不能になった。

 六色聖典の中でも最も戦闘行為に慣れた特殊工作部隊が、たった一人の、だが一葉の世界最強に正面から容易く破れた。地に転がる白の軽鎧に傷はない。殺さず傷つけず、倒す。それは力においても技においても圧倒的な差があるから可能な行為だった。

 

 突如、上から鳴らされた笛の音に空を見上げた愚かな男は知らない。

 三騎の鷲馬(ヒポグリフ)が円を描きながら降りてくる、その意味を。

 知っていれば、己の運の良さに賭けて逃げるか、誤魔化せることを祈りひれ伏すかすべきだった。貴族でなくても、政治の一隅に口を出せる立場にあるのならば外交も学ぶべきだった。

 自国貴族に対しても苛烈な裁きを行うことから鮮血の異名を持つ皇帝の、剣である近衛隊が、己が名を示しながら、太陽光を遮りゆっくりと降りてくる。帝国の騎士と偽るのならば最敬礼を持って出迎えるべきであるのに、剣を構えたままというのは、怖いもの知らずを通り越して、ただ愚かであった。

 

 

 

 

 状況の確認や、必要なアイテムの確保等、すぐに済ませなければいけない幾つかの要件を手早くすませ、久しぶりに創造主に会える嬉しさでそわそわとするシャルティアと共にナザリックへと向かう途中、モモンガたちが近くにみつけた村へと出かけて行ったと留守を預かるメンバーから<伝言>があった。

 ペロロンチーノも、モモンガもそちらへと向かったというので、騎首を巡らせて進路をそちら側へと替える。

 

 山脈に近づきすぎないように気を付けて飛んでいると、やがて目的の場所が見えてきた。深く大きな森のはしっこに、遠慮するように作られたちっぽけな村。人間の村にあって異質な異形種は目立つ。

 元の世界に戻ってきたからだろうか、中央の開けた広場で、こちらを見上げるオーバーロードの姿が、かつての彼と重なる。

 

 

 

 彼が憎かった。彼が恐ろしかった。殺そうと消そうと去らせようと何度も計画し秘密裏に進めようとした。だけど、まるで身体の奥深くに刻み込まれた本能のように、それが出来ないことは理解していた、させられていた。心も命も国も民も、底の見えない死の神の手中にあり、人間がどう悪あがきすればよかったのか。抵抗もすべては見透かされて踊らされて、結局は利用されただけだった。

 表では微笑んで、裏では憎んで。

 歯向うことなく友好的にあれば、アインズは慈悲深かった。その大盤振る舞いにいくつもの国が諸手を挙げて、彼の国の下に入った。だけれどもそれは、ゴブリンを恐れてドラゴンの下に潜り込むのとなにが違うというのだ。守ってくれていると勘違いして、足元の小さな虫に一々気を配らない巨体に踏みつぶされるまで目をつぶっているだけではないのか。

 違う名、同じ声、違う姿。ゲームでモモンガと名乗る男に会い、アインズとは別人にしかみえなかったが間違いなく同じ者だと魂に刻まれた恐怖で感じ取った。だけど、様子を窺う内に少しずつアインズとの違いを知っていった。我が身と比べれば歪んではいるものの、彼は人間だった。人の心のわからない。知ろうともしない化け物ではなかった。寂しさを仮想空間で埋めようとするだけの、人間だった。

 

 スレイン法国の工作兵か、王国の腐った貴族の私兵か、おそらくはそのどちらかであろう帝国の鎧を着た騎士達が地面に転がっているが、うめき声が聞こえ、胸も動いているから生きているのがわかる。

 突然、パニック映画に巻き込まれた平凡な村人たちは、すっかりと恐怖に固まっているが傷の一つもなさそうだ。

 

 肉体に引っ張られ、死の絶対支配者が再臨することを恐れていた。

 だけど彼はこの世界に来ても気の優しい、でも怒ると怖いギルマスのままだった。村が襲われていると聞き、未知の世界を恐れずに助けに向かう、PKに遭っていた“ジルクニフ”を助けた“モモンガ”のままだった。

 

 

 

「ただいま戻った。我が友、アインズ・ウール・ゴウンよ」

「おかえりなさい、ジルクニフさん」

 

 

 

 鷲馬から降り立ったのは、好青年といった言葉が似合いそうな人間だった。

 だけど、10年弱もの長い間、声だけで感情を伝え、友好を深めてきたギルドメンバーが張りのある朗朗とした声音を間違えるはずがなかった。

 

 姿どころか種族を変えて帰ってきたことは驚いたが、ゲームが現実になったのだ。それくらいでは騒ぐようなことではない。辺りに散っていた者たちがぞろぞろと集まる頃には、気絶した20人ほどの白い鎧の男たちをまとめて持ってきた たっち・みーも合流してきた。

 

 NPCと召喚獣に騎士たちの捕縛と、村の片づけを命じたジルクニフが、いつもの黒と金のトーガの裾を捌き、戦闘員のみ来ているアインズ・ウール・ゴウンの者たちをゆっくりと見回す。

 金の髪も、紫の瞳も、偉そうな口調と態度も、いつもの彼のままだった。

 

「さてと、そちらにも聞きたいことあるだろうが、まずはこちらの話を長くなるが聞いてくれるか」

「ならば昼食がてらにしましょう。ナザリックで留守番をしている者たちも聞きたいでしょうし、なにより一暴れしてボクは腹ペコです」

 

 疲れたというよりも、緊張した糸が切れたようにみえるジルクニフは、やまいこの提案に意表をつかれ、そして笑った。

 

「そうだな昼食にするか。そうしたら話そう、私の過去を。いや未来の話を」

 




Q.ガゼフはどうなったの?
A.ナザリックが捕虜を持って立ち去ったのと入れ替えにカルネ村に来ます。
その後は村人から話を聞いて次の村へと向かいます。
謎の連続村放火事件は迷宮入りします。

Q.ニグンさんや他の連中はどうなったの?
A.第5階層で、歌の得意なフレンズとしてがんばってるよ!

Q.カルネ村はどうなるの?
A.見捨てようとした罪悪感から、全員の記憶をいじくったあとは、死んだ者のうち、復活できるものは復活
帝国が戦争をしかけてきて、エ・ランテルごと帝国領になりますが、前よりも税収が軽くなったので、いい暮らしができるようになりました。

Q.ギルメンは日本に帰るの?
A.帰ったり、帰らなかったり、通いになったり、家族を連れてきたりと色々です。
でも、誰もが最終的にはナザリックに”帰って”きたそうです。


次回予告「ヘロヘロさんが、ワールドエネミー月曜日を倒してくると、出て行ったきり帰ってこない」


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第16話 暇を持て余した異形種たちの遊び

ユグドラシル時代


 古き漆黒の粘液(エルダー・ブラック・ウーズ)であるヘロヘロがナザリックから出立したのは、鉛色の雲が常に空を覆うヘルヘイムにおいても、なお一層、厚く層を重ねた雲が闇を塗り固め、暗く重みで垂れ下がるような日だった。獣の唸り声に似た雷の轟が遠くから響いている。

 風はない。地の遥か底から上る冷気が、沈黙に似て、辺りに張りつめていた。

 

「いくのか」

 

 問うたのは死獣天朱雀であったが、見送るすべての者の想いでもあった。

 行かないでくれ。止めてくれ。真綿で首を絞められるような、じわじわと押しつぶしてくる困難に目を逸らしたまま、このまま仮初の平穏な日々をやり過ごそうと、誰もが口に出せないまま、旅立とうとする男に呼びかける。

 

 だけど、彼は男だった。

 ヘロヘロはぬるま湯の日常に目を眩ませ、自らを犯す大いなる圧力を黙って甘受することはできなかった。

 怒りに満ちていた。宿命感に駆り立てられていた。……仲間への思いに溢れていた。

 

「いってきます」

 

 その先には険しい壁が立ち塞がると言うのに、まるで晴れた天気のいい日に散歩にいくかのような、なんの気負いもない背中だった。

 覚悟を決めた男を、もはや引きとめることなぞ誰にも出来ない。

 残されるものに出来るのは、ただ無事を祈り、見送るだけだ。

 

「気をつけて」

「頑張れよ!」

「必ず帰ってこい」

 

 仲間たちの声に、歩き始めたヘロヘロは触手腕を頭上に伸ばす。それは別れの挨拶にも、ガッツポーズにも似ていた。粘度の高い液体は崩れることなく、天を指す。

 彼は振り返らない。

 前だけをみつめて進むスライムの姿が沼の向こうにみえなくなるまで、いつまでもいつまでもアインズ・ウール・ゴウンの41人は見送り続けた。

 

 

 

 それから長くも短い時間が流れた。

 待ち続けるものには長く、戦うものには短い時が。

 

 

 

 始めにヘロヘロの影をみつけたのは、やはりというべきかモモンガだった。

 

「帰ってきましたよー!」

 

 無駄足になろうと何度も大霊廟の入口にヘロヘロの帰りを待ち続けた死の支配者(オーバーロード)が、こちらに向かうスライムの姿をみつけた。天空の色を鏡面のように写した沼は銀の粘土にしかみえず現実感がない。点在する沼のほとりに生えた、針金の如くねじり曲がった黒い木々の間に覗く影は、確かに古き漆黒の粘液(エルダー・ブラック・ウーズ)だった。

 

 <広域化:伝言>を受け取ったメンバーが転移してくる頃には、ヘロヘロはナザリック地下墳墓の近くにまで迫っていた。

 

 疲れ傷付き、足を引きずって歩く様に、駆けつけた面々は驚きに息をのんだが、決して肩を貸そうとはしなかった。

 

 一歩。また一歩。

 

 蝸牛の如く、みているこちらが焦れる速度で、だがヘロヘロは自らの足で確実に歩いていた。

 

 たっち・みーの拳が強く握りしめられ音を立てた。ペロロンチーノの肩は興奮に振るえ、ぶくぶく茶釜は嗚咽混じりの声を漏らす。正門に並ぶ全ての者が迎えに行きたい気持ちを圧し殺し、男がナザリックに帰ってくるのを待っていた。

 

「……ただいま、……です」

 

 最後の一歩で、ナザリックの入口を踏みしめたスライムは重力に従い倒れた。だが、彼は力尽きるその時まで前に進まんと、前のめりであった。

 そんな崩れ落ちるヘロヘロを受け止めたのは冷たい地面ではなく、あたたかい仲間の腕であった。

 

「おかえりなさい」

「ヘロヘロさん!」

「お疲れさま」

 

「みんな……ゴメン。―――オレ、駄目だったよ」

 

 悔しげに首をふる勇者を誰が責めるというのだ。振りあげられた腕は彼の汗を拭い、励ますために背や肩を叩く。

 

「おかえり、ヘロヘロ」

 

 いつもは他人をからかってばかりのるし★ふぁーも、偽悪的にふるまい憎まれ口のウルベルトも、興味のないものにはとことん冷たい弐式炎雷も、優しげな声音で歓迎の意を表していた。

 

 仲間たちのあたたかい言葉に受け入れられて、ピコンと笑顔のモーションキャプターを浮かばせヘロヘロは俯くのをやめた。

 

「あと少しで倒せるところまでいけたんだ」

「いいんです、ヘロヘロさんが無事に帰ってきてくれただけで十分です」

「あのやろう、まさか年末進行と盆休みを喚ぶなんて……盆と正月が一緒にきた騒ぎで、進行状況がめちゃくちゃだ畜生」

 

 悔しいと口ではいいながらも、ヘロヘロの口調には次第に明るい色が浮かんでいった。

 

「だが、一撃は喰らわせてやった!」

 

 その時の興奮を思い出したのか、彼の言葉が激しくなり熱を帯びていく。ゆるやかに流れていた体表も今は嵐のように強く波打っていた。

 ここにいるのは傷付いた敗者ではない。満身創痍になろうとも抗う勇者なのだ。

 常にへろへろです。と草臥れた様子の男は過去の事。今は自分の為、友の為、世界の敵へ単身挑む漢がここにいる。

 

「俺の力が足りず、ワールドエネミー月曜日を倒すことはできなかった。……だが、休みはもぎ取った!」

「ああ、こちらにも三連休の恩赦があったぞ」

「ありがとうヘロヘロさん!」

「久し振りに家族で出かけられました」

 

 一人が感謝を述べれば、すぐに万感の声が続く。辺りには喜びの感情が溢れかえり、常夜の空を覆う陰惨な黒雲さえも晴らすようだ。

 殺戮を積極的に行い多くの者たちの憎悪を一身に集める、悪を是とするギルドにあって、明るい笑い声が溢れる光景は似合わないだろうが、誰もが気にせずに素直に気持ちを表していた。

 

「ヘロヘロ万歳! アインズ・ウール・ゴウン万歳!」

「三連休万歳!」

 

 感極まった者がヘロヘロを担ぎ揚げれば、残りのものたちの腕が伸び、わっしょいわっしょいと胴上げが始まる。言葉だけでは気持ちが伝えきれないと知り、自然と行動に現れたのだ。ヘロヘロを支える腕の一本一本に力強い感謝の心がこもっている。

 

「みんな、ありがとう」

 

 拭い去った涙が、黒い眼窟からほろりと一粒零れた。

 

 

 

 離れた場所で、騒動を独り眺めるジルクニフはポツリと呟いた。

 

「なんだ、この茶番は」

 

 

 

第16話 ヘロヘロさんが、ワールドエネミー月曜日を倒してくると、出て行ったきり帰ってこない



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1017話 左遷先にも花は咲く

異世界編
クトゥルフの中で黒き豊穣の母が一番好きなんで出したかったけど、敵軍とは言え暴虐はNGが出たのでお蔵入り。エロい山羊さんは好きですか?YESYESYES!


 王都の北西に位置する、二つの山脈に囲まれたリ・ブルムラシュールに吹く風は冷たい。

 海から水を含んだ風が届くからだと、この地の者が雑談混じりで教えてくれたが、学のないガゼフにはそうかと答えるしかなかった。それが本当がどうかはわからないし、聞いた知識をなにかに役立てられるかもわからなかった。

 

 わかるのは、期待がはずれたと向けられる視線の冷たさと、自らの立ち場の不安定さだけだ。

 

 国境を越えた場所で帝国兵が活動していると目撃情報があり、部下を引き連れ確認に向かったのは半年もたたない前のことだった。駆けつけるのが遅れたせいで、いくつかの村が焼き払われて少なくない死人が出た。だが結局、帝国が行ったという証拠はつかめずに部隊は辺りをしばらく見回ったのちに引き上げるしかなかった。

 そのわずか数週間後に帝国は宣戦布告を行ってきた。

 あれは偵察行為だったのだ。それをいつもの嫌がらせだと見過ごし、戦争もいつもどおりに痛み分けで済むと甘く見積もり、その結果、大敗を受けてエ・ランテルを中心とした領土をごっそりと奪われたのは、すべて戦士長であるガゼフ・ストロノーフの責任である。政治的なものが絡んでいたとしても、そう決定されてしまえば王にもかばいきれず、結果、彼は押し付けられた責任を取り、王都よりも離れた地に左遷されることになったのだ。

 

 

 

 虚しさをおぼえ、疲れた心にも同じような冷たい風が吹いていた。

 権力に振り回されるのは、軍に入ってから常のことだったが、堂々と立ち続ける気力が今度ばかりはどうしても湧いてこなかった。部下の一人もつかなかったこともあるのだろうか。帯刀はしているが街道を見回るだけのふぬけた男を、慕っていてくれた者たちにみせるわけにはいないので、単身流されたのは幸いだった。

 

 見上げた木々の枝に緑は少なく、暦が火も中に向かっているのに、この地に春はまだ遠い。

 山頂にある社を見てきてほしいと言われたのは、終りゆく寂しい村でのことだった。険しい山道を越えるのは老人しかいない村では難しく、もしよろしければとしわくちゃの手を合わせて頼まれた。名だけは広められているが姿まではみたことのない遠方にあって、お仕着せの鎧だったので巡回の一般兵と思われたのだろうが、わざわざ訂正して誇示つもりはなかった。

 それに困っている民間人を助けることこそ、ガゼフが望んでいたことだった。ならば、なんの不満があろう。

 

 周辺国家一と謳われる剣士の手には名剣ではなく、道を切り開くための鉈が握られている。背負子の中身も借りた大工道具や古布だ。

 陽の当たらない岩の根元に雪が残る山道を歩く男の足取りは軽かった。

 

 

 

 冬の気配が濃く残る森の中は静かだ。まだ鳥も虫も寝ているのだろうか。

 まるで世界にただ一人しかいないようだ。

 一抱えほどの礎石が点々と続いているおかげで迷いはしないが、先を知らぬ道を進む故の不安が湧いてくるのはしかたがなかった。あまり通行がないために土に埋もれかけているが、これだけ沢山の石を並べるのは大変だっただろう。それだけ村の人間にとって社は大切なものだったのだ。だけど、その神も、山裾の村とともに眠ろうとしていた。

 

 息は白いが、歩き続けた体は温かい。

 前方から吹いてくる風が、ほどよい運動で火照った体に心地いい。目的地が近いのか、並んだ杭が道を示すようになった。きっと祭祀があれば、多くの人が往来をしていただろう広くなった道は歩きやすいはずなのだが、ここらはちょうど山影に当たるのか深い雪が積もっていて、その恩恵を受けることはできなかった。

 

「上火月に雪に苦しむことになろうとは」

 

 最近にも降ったのか、踏めば抜ける古い氷雪ではなく、厚い綿布団を思わせるやわらかく重い雪層が足をとる。靴が脱げないように気を付けて進まなければならず、なかなか先へは行けずに思わず愚痴ってはみたが、そういう口元は楽しそうに笑っていた。

 

 だけど、進んでいくにつれて、その顔に真剣な表情が浮かびだす。

 膝下までとはいえ、積もった雪の中を進むという激しい運動をしているというのに、体がどんどんと冷えていく。つい先刻まではかすかに汗ばむ程度には温かかったのに、今は汗が冷えて首筋に震えが走るほどだ。

 先へ行けばいくほど深まる積雪も、疑惑の一片だった。

 

「おかしい……」

 

 雪まで降り始めてしまえば、これは異常だと悠長に構えていることなど出来なくなった。しんしんと積る白い雪が薄布のように前方を覆っている。事前に教えられていた目印となる大木がなければ、曲がるべき角すら間違えたかもしれない。鉈を背負い両手を空けると、いつでも剣を抜けるように構えて精神を研ぎ澄ませていく。相変わらず梢を渡る風が鳴るだけの静かな山中は、雪を踏み固める音すら辺りに大きく響く。

 

 頭の中も雪に覆われたように白くなっていく。引き返そうという考えすら出なかった。ただ細めた目で前を睨みつけ、全身を使って泳ぐようにして進んでいく。たった一歩の距離が長い。冷気に触れる肌が痛かった。

 

 社であろう建物が白瀑の向こうに影と浮かぶ。

 ようやく着いたのかと、顔についた雪を拭い、足を止めないまま深く息を落とす。これであとは状況を確認するだけだと一瞬ゆるんだ意識が、今日で一番強く張り詰める。

 グリップを強く握りしめるが、剣を抜きはしない。かつて決勝戦でぶつかった強敵のブレイン・アングラウスの抜刀術【技】を真似するわけではない。抜くことに迷いもない。

 それは、ただ大いなる力に対する敬意だった。

 

 

 

 森を切り開いてつくられた丸い広場の奥に古い小屋がある。あれがきっと神を祭る社なのだろう。日光に晒され黒くなった建物は、厚い雪の中でぽつりと浮いていた。

 その前に異形のものが立っている。

 氷を削りあげたかのような青白い体に、地面につくほどの長い四本腕。霜の張った金属の濁った輝きをした複眼はどこを見ているのか読めない。開閉する鋏角からはき出される息が白いのは寒いからではなさそうだ。

 十歩は離れている。それでも押しつぶされてしまいそうなほどの圧を感じる。こちらを視認していないのに、まるで剣の先が喉元に突きつけられている気分だ。なのに抜刀もせず、逃げもせず、呆けていたのは、まるで少年が英雄談に目を輝かせる如く、見惚れていたからだった。

 

 顔が写るまで磨かれた名剣の妖しげな艶。

 腹を減らした猛獣の極彩色な生命力。

 夜の闇さえも焼き切る魔法の炎。

 

 力あるものは、それがどんなモノであれ、優に美しく、傲慢に視線を奪う。

 それは先の大戦で見た光景も同じだった。一人一人の兵士は目を瞠るほど強くはないのだが、わずかな遅れさえなく連なり一つの生き物のように動く帝国の軍隊は、徴兵されいやいや戦う王国と比べるまでもなく強かった。押しては退く波状攻撃にガゼフが手を取られているうちに、他の部隊はどんどんと倒されて、王国軍は負けて領土は奪われた。エ・ランテル要塞都市は、伝え聞く限りでは平常通りで民も虐げられていないのは幸いだった。

 数百の兵よりも個人の武勇が優れる世界であっても、これがもし一騎当千の英雄一人に24万強の大軍が負けたのであれば、あいつさえいなければ勝ったはずなのに、そんな暗い遺恨があっただろう。だが集団としての力に純粋に敗北すれば、己たちのあり方を見直さなければならなくなる。だが保身ばかり考える組織では訓練や装備、作戦の立て直しなんて二の次で、誰が負けた責任をとるかということばかりが話題に上がっていた。

 

 王国の誰も予想がつかないことだが、帝国軍の統率の秘訣は、世界軸を二つもわたってきた、もう一人の鮮血帝の力だった。

 味方の能力を底上げする|支援魔法使い≪エンチャンター≫。群を個に変える指揮官。

  “ぷれいやー”に世界のバランスを乱されるのを嫌う竜と敵対しないように、彼は現地人を強化するスキルや魔法をいくつも取得して移転に備えていたのだ。そして、その成果はいつもの小競り合いで終わるはずだった大戦の圧勝という形で十分に出ていた。

 国と仲間を守り導きたいと望んだジルクニフは、自らの力でそれを叶えたのだった。

 

 対して、民を守りたいと同じ願いを持っていたが、力が足りながったガゼフは雪の辺境まで流された。

 弱ければなにも守れない。

 

 周辺国家一の戦士と掲げられているもののガゼフは自分のことを強いと思ったことはなかった。

 1人ではドラゴンには勝てぬし、人間であっても多勢に囲まれれば負ける。魔法詠唱者に距離を離されれば手が出なし、暗殺者に闇討ちされれば運が悪ければ死ぬだろう。強い強いと持て囃されていても、英雄にはなれなかった男の限界は悲しいがなここだった。

 何度もせがんだ寝物語の勇者を幼いころに憧れたように、大人になってもまだ強い力に憧れたままだ。御前試合でぶつかったアングラウスと同じだ。愚直なまでに純粋に力を求めている。彼の飢えた目は、いつも鏡で見る黒い目に似ていた。

 

 自分の弱さは自分が一番わかっている。守れるものは少ない、守れたものは少ない。

 だがガゼフはまっすぐに前をむいて立ち続ける。己の弱い強さを信じる者たちのために、己の背を追ってくる英雄に憧れる者たちのために。

 

 

 

 初夏の高い空にも似た色だが、真逆の冷たさを思わせる体の彼―なのだろうか―がこちらをゆっくりと振り向く。気が付いていなかったわけはない。きっとラッセルで上がった息が整うのを待っていてくれたのだろう。

 モンスターにはない人間味ある知性を感じられる雰囲気も、威圧しないようにとゆっくりとした動きにも好感が持てるが、見上げるほどの巨体に対しているだけで緊張で喉が渇く。

 

「何時、桜ガ咲クカ ワカルカ」

「桜……?」

 

 知った単語に広場を囲う桜並木を見渡す。こげ茶色の枝につくツボミは固く、満開にあえるには遠いことのようだ。

 ふと、毎年、新兵を鍛えながら眺めていた訓練場の桜が瞼の裏に浮かんできた。今年は見れなかったあの花は、もう盛りを過ぎて散ってしまっただろうか。

 

「ここは寒いから、まだのようだな」

「寒イト咲カナイ ノカ」

「ああ、春の花だからな」

「ウゥム、俺ガ イナク ナレバ咲ク カ?」

 

 ガラスを擦り無理矢理に人の言葉に聞かせているかのような歪な声音だが、その中に悔しそうな色は隠れずににじんでいる。がっかりと肩を落とす姿に、桜の花がみれないのがそんなに残念だったのかと同情した。我が身を流れる血と同じく南から流れてきた桜は美しいとは思うが、かの地のものと同じような愛着は抱いていなかった。

 だが、行きずりのものだとしても、桜をみたいなんて、ささやかな願いくらいはかなえてやりたかった。

 

「そうだ、桜ではないが、仲間の花であれば戻ったところに咲いていたな」

「ドチラ ダ?」

「こちらだ」

 

 会話はしっかりとできているし、体も立派なのだが、つい親切にしてしまうのは世間知らずでどこか幼くも見えるせいだ。

 腰まで雪に埋もれていても氷を固めた脚は水を蹴るように軽々と進んでいく。視界をふさぐほどだったのが桜の話をしだしてから一片も落ちてこない、やはり先ほどまでの季節外れの雪は彼が降らせていたのだろうか。気安く接してしまったが、神を祭る社にいたし、もしかしたら冬の化身だったのかもしれない。

 

 山を下がるにつれ、足をとる雪が減り歩きやすくなっていく道を進めば、記憶通りに曲がり角のところに桃色の花が見えてきた。

 後をついてくる者よりもわずかに高い程度の、枝を広げたアーモンドの木は、こちらもまだ季節は早かったのだが、それでもかわいらしい花がいくつも咲いていた。若々しい新芽に抱えられる薄桃色の花弁は、春の木漏れ日を集めたようだ。

 

「話ニ聞イタ通リ、綺麗ダナ」

「ああ、綺麗だ」

 

 ガゼフはまぶしいものを見たように目を細めて、花木を眺める。

 雪は残り、風に冷たさが混じっていても、春は確かに近づいてきていた。




vistaユーザーなので、次の更新は約束できません。
2016年の使用者割合7%ってどういうこと、なんでxpより少ないの?ヴィスたん優秀だよ。4月を待つまでもなく、1年くらい前から見捨てられてるけど、いいOSだよ


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第18話 一狩りいこうぜ

SKO41の中身は大体NPC。ウルベルトだと中身デミウルゴスのつもりで書いてる。つまり弐式さんが大惨事。


 

 仕事を終え帰宅した鈴木悟は、食事などの諸々の用事をすませると、いそいそとユグドラシルを起動させる。繋いだニュートロンナノインターフェイスが動き出すわずかな時間をじれったく感じているうちに、意識はいつしか仮想世界の中に入っていた。

 

△ナザリック地下大墳墓 円卓の間

 光をやわらかく受け止める白亜の壁と、シャンデリアの灯りを夜空のごとく天板に映し出す黒曜の円卓がログインしたオーバーロードをいつものように出迎えてくれる。先ほどまでみていた自室の毛羽立ち全体的に黄ばんだ壁にシールの剥がし跡が目立つ机と比べれば雲泥の差だ。というか比べること自体が烏滸がましい。

 

 ログイン場所であり、なにかを決める時に話し合う場であり、一番長くいることになる場所だからと、温かみがあり長居しても寛げるように設計した部屋は、確かに毎ログインする度にほっとした気持ちを覚えた。それは他のメンバーも同じようで、わざわざ違う部屋に移動するのが手間というのもあるのだろうが、ここで駄弁っている姿をよく見かける。

 

 42人分の椅子が並ぶ机は馬鹿でかく、かつてギルドきっての問題児るし★ふぁーの提案で全員が敵のバトルロワイヤル・ドッチボール大会が開けたほどだ。

 最後に残ったウルベルトさんとたっちさんとの対決は燃えたなぁ。そんな出来事を思い出しながら、視線を巡らせれば机に隠れるようにして身を寄せ合う3人の姿をみつけた。

 

 侍と忍者と皇帝が、胡坐をかいて地べたに座っている。

 身をかがめて円座をつくっている後姿に、なにをしているのかと興味を持ち、モモンガは邪魔をしないようにと足音をひそめて近付くと、たまたま手前に座っていた武人建御雷の手元を覗く。彼が弄っていたのは博物館に並ぶような昔の携帯用ゲーム機だった。巨体を屈めて小さなゲーム機を操る様は、心がこそばくなる微笑ましさがあった。なんというか、いつまでも見守りたいような、全力で撫でくりまわしたくなるような気持ちで、萌えという言葉が一番しっくりとくるだろうか。

 

 弐式炎雷とジルクニフもみれば同じゲームをしていた。

 

「脚引きずったけど、しっぽが切れないな」

「討伐覚悟で切るか?」

「はちみつ下さい」

 

 液晶画面の中では3人の操るキャラクターが赤いドラゴンと戦っている。著作権が切れたゲームをユグドラシル内で出来るようにしたのだろうか。つくづくアインズ・ウール・ゴウンには暇な技術者が揃っている。

 感心と呆れを含んだ目線で見ていると、覗かれていることに気が付いた武人建御雷が画面から目を離すことなく、こちらに話しかけてきた。

 

「ギルマス、用事ならば、もう少しで狩れるので待っていてもらっていいか」

「ただ見ているだけなので、ゆっくりでいいですよ」

 

 気を散らせてしまっただろうかと、心配している内に、電脳世界の中にある更に小さな電脳世界の中の3人は翼を広げるドラゴンを追いつめてゆき、やがて倒した。口から炎を漏らしていたドラゴンが大地に崩れ落ち、高らかに勝利のファンファーレが鳴り響く。

 

「紅玉でねー、マラソンもう一周!」

「骨髄さえ出ないとは」

 

 勝利を祝うかの如く明るい音楽が流れる中、わいのわいのと騒ぎながら報酬を分け合う姿はユグドラシルのクエスト終了時の彼らとさしてかわらない。しかし、彼らはなぜゲームの中で別のゲームをしているのだろうか。

 そのゲームは何回かコラボイベントがあったことも大きいが、ユグドラシル以外にはソリティアぐらいしか他のゲームをしないモモンガでも知っているほどの有名なタイトルだ。リメイクを含めてかなりの数が出ているシリーズには、ダイブもあったはずだ。素朴な疑問を聞いてみると、ジルクニフたちは互いに顔を見合せると、言葉を交わさずに意志を通じ合わせて頷いた。

 

「ダイブをやったことはありますが、なにか違う気がします」

「ああ、モンハンは実機に限る」

「友と喋りながらやるのが面白いな」

 

 弐式炎雷が床に置かれて余っていたゲーム機を持ち上げると、ほいとモモンガの方に渡してきた。

 受け取ったゲーム機は両手に余るぐらいの大きさで、明るいピンク色をしていた。先ほど覗いた武人建御雷のキャラクターはゴツゴツした鎧姿だったのに、画面の中に映る女性キャラクターは可愛らしいメイド服を着ている。どんなつもりでコレを渡してきたのかと、思わず遠い目になるのも仕方がないだろう。

 こちらの様子に気が付いた弐式炎雷が慌てて無罪を訴えてきた。

 

「ソレ、るし★ふぁーの物です」

「るし★ふぁーさんのですか?」

「途中まで一緒にやってたのだが、ふらっとどこかへ行ってしまったのだ」

 

 言われて改めて画面を見る。銃を背負った女キャラの頭上に浮かんでいる名前は、ゴーレムの額に書かれるemethとあった。確かにファンキーなところを含めて彼らしいがある。納得して頷くと、気まぐれな るし★ふぁーを責めながらも、声音ではどこか楽しそうにしている3人をみる。先ほどまでは変わった組み合わせだと思っていたが、厨二病(ジルクニフ)戦闘狂(武人建御雷)ドS(弐式炎雷)愉快犯(るし★ふぁー)が本来の集団だったようだ。羅列してみれば意外とまとまっている気がして不思議だ。

 

「モモンガさんも、一狩りいかないか?」

「装備固いし、初心者でも大丈夫だ」

「ライトボウガンであれば、遠くから攻撃するので3乙まではいかないだろう」

 

 みんなに誘われれば断るのは難しく、モモンガは簡単に操作方法を教えられて、いない者のゲーム機を借りて参加することとなった。10分も弄れば、カメラ操作にもたつきはするがモンハン持ちも形にはなってきた。

 ユグドラシルでは魔法詠唱者しかやっていないので、ガンナーというのも新鮮で面白い。

 

「で、倒したアプトノスに近づいて○ボタンで剥ぎとり」

「生肉と……竜骨【小】が出ました」

「基本は良さそうだな。ならば狩りに行こうか」

「は、はいっ!」

 

 じんわりと掌に滲んだ汗を拭うとゲーム機を握り直して、温泉の近くで待っている他の3人のキャラクターの元へと歩いて行く。始めてやるゲームなのでとても緊張していた。サポートをしてくれると言っていたが、足を引っ張らずにちゃんと出来るといいのだが。

 

「安心するといい、初心者でもクリアできるクエストを選んだからな」

雑魚(バギィ)を25頭狩るだけだ。寒さに気をつければ難しい事はないぞ」

「進め!凍土調査隊!」

糞強いモンスター(イビルジョー)が出ます。

 

 

***

 

 エ・ランテル要塞都市に夜の帳が下りる。

 瞬く地上の星のようだった灯りは、一つまた一つと消えてゆき街が少しずつ眠りについていく。

 陽が落ちたばかりの頃にかかり始めた月が、中天に昇るころには起きている人間は数えるほどになった。詰所の夜警、路地裏を忍び歩く者、金を数える商人。それに郊外に広がる電照菊の温室で働く農家ぐらいだ。今でこそ大陸のあちらこちらでみられる電照菊であるが、発祥の地はこのエ・ランテルである。貴賓に人気のあった食用菊を、どうにかして通年供給できないか試行錯誤した努力の結果、特殊な魔法光を当てることで可能になったのだ。育て方は長いこと門外不出の独占技術ではあったが、秘密は漏れるもので、そのうち王都や貴族の居城近くでは当たり前のように作られるようになり、いまでは庶民の食卓を飾るまでになっていた。それでも電飾菊の第一人者の誇りは忘れず、最近はエディブルフラワーという他の花も食用に品種開発したものも次々と出て、古くさいと伝統食を敬遠していた若者たちの間にも人気をはくしている。

 もし鳥になり高いところから見下ろすことができるのならば、竜の背鰭のように険しい山の先に、灯台に似た明るい光をみられるだろう。それは城塞を囲うようにつくられたいくつもの温室に灯る人々の叡知と努力の証だった。

 

 眠らない花と同じように、場末の冒険者向けの宿にも眠らない者がいた。

 部屋の中だというのにくつろげそうにない揃いの漆黒の全身鎧を身につけた男が二人(・・)、まるで鏡越しのようにそれぞれのベッドに腰かけて向かい合っていた。椅子ではなくベッドに座っているのは、単純にこの安い部屋には荷物入れとベッド以外の家具がないからだった。

 

 物差しを背中に指したようなまっすぐ座る男と、気疲れしたかのように少し背を丸めて座る男。向かいあう兜を外した顔もそっくり同じだった。

 うっかりと部屋を間違えて入った客がいれば、死を具現化したかのような不死者たるオーバーロードが2人もいることに絶望の叫びをあげるだろう光景が、薄汚れた宿の片隅にあった。

 

 とはいっても、彼らの片方は能力で姿を変えた二重の影(ドッペルゲンガー)だ。

 男たちの名前はモモンガと、彼の子であるパンドラ・アクター。ナザリックの支配下にあるこの街に身分を隠して、ただの親子として来ていた。

 

 荷ほどきも終われば、睡眠不要の身に夜は長かった。粗悪な窓枠の向こうに視線を向ければ、遠くの地平は明るいが、それは魔法光でしかなく日の出はまだ遠い。

 外を見るふりをしながらモモンガはパンドラの様子をこっそりと窺う。眼孔の炎が時折不安定に揺れていた。緊張しているのだろう。彼がここに来た目的は単純に冒険者として楽しむためと、まだどこかぎこちない関係を円満にするためだった。

 

「パンドラズ・アクターよ」

「はい、なんでしょうか」

 

 名を呼ばれたパンドラは胸に右手を当て、仰々しいしぐさで続きの言葉を待つ。

 自分の姿で芝居かかった仕草をされる羞恥で精神が揺れ動き、すぐに抑圧される。このまま全てを諦めて布団の中に逃げたい思いをねじ伏せると、モモンガは一つ咳払いをしてから続きを紡ぐ。

 

「これから親子……、にすぐになるのは難しいだろうが、少しずつでもいい気心がしれた親しい関係を築いていきたいと私は考えている」

「はい、我が創造主たるモモンガ様の望みでしたら、いくらでも答えましょう」

 

 ベッドから降りたパンドラが跪いて告げる盲目的な肯定に、モモンガは苦笑を返す。

 命令して親しくなったのでは、本当の信頼は得られないだろう。モモンガは作った子を愛しているし、パンドラも親を敬愛している。だけど、今の関係は一方通行にすれ違った愛情でしかない。

 彼が望んでいるのは、仲良く笑いあい、時に喧嘩しても離れることのない、強い絆で互いに結びついたあたたかい家族。辛い時にも悲しい時にも、失ったあとでも雨を防ぐ傘みたいに心の支えとなる、そんな関係をパンドラに与えてやりたかった。

 

「立つがいい」

 

 モモンガは懐からとあるものを二つ取り出すと、片方をパンドラに渡す。

 それはかつて友と遊んだ携帯ゲーム機だった。

 

 初プレイでボロボロにされて不貞腐れていたところに、るし★ふぁーも含んだ4人連名で、黒い本体に銀のスカルが描かれたモモンガ専用のゲーム機がプレゼントされた。

 それ以降、誘われてちょくちょく彼らとゲームをするようになった。はじめのうちは卵運びに泣いたりもしたが、鬼畜クエストに連れ出されているうちに段々とこなせるようになり、いつしか肩を並べても恥ずかしくないほどの腕前に成長していった。ユグドラシルやソリティアのプレイ時間と比べれば少ないが、多くの時間を狩りに費やしてきた。そしてそれは友達と遊んだ記録でもあった。目を閉じれば、大剣を振るう武人建御雷や双剣で乱舞する弐式炎雷、ガンランスを構えるジルクニフや仲間に回復弾や硬化弾を撃ち込むるし★ふぁーの姿がまるで昨日のことのように瞼の裏に浮かんだ。

 

 電源を入れれば、フードを被ったカボチャ装備のもう一人の自分が現れる。

 モモンガは狩猟笛を背負うキャラクターから目を上げると、目の前のパンドラに笑ってみせる。自分がゲームを通して仲間たちと親しくなったように、彼とも仲良くなりたいと願って。

 

「一狩りいかないか」

 



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????話 Welcom to theナザリパーク

原作アインズ様を、ゆるゆる自アースのナザリックに招待した話。


 ゆっくりと目を開ける。

 まるで夢から覚めた気分だ。

 

 胡蝶の夢というのだったか、かつての友が話してくれた夢が現か、現が夢かわからなく故事は。この状況はよく似ていた。先程まで違う場所にいて、目を開けたら、見覚えのある場所に移動していた。現実身のある感覚が幻覚ではないと教えてくれるが、数秒前も現実であると疑うことなく過ごしていたからに混乱が生じる。

 

 それでもアンデットの特性で精神が抑制されるほど驚かなかったのは、ここがナザリックだからだ。

 

 空は青く澄み渡り、白い雲に遮られない太陽が芝生に降り注いでいる、アインズの立つここは墓石や石像が並ぶ地表部だった。だが、常とは違う様相にじわりじわりと足元を焦がしてくる軽い混乱は晴れない。

 

 色とりどりの洗濯物を爽やかな風がはためかせる光景も、壁の外から届く明るい笑い声も、アインズのよく知るナザリックにはないものだった。それとも支配者として庇護者として、いっぱいいっぱいになっていたから、目に入らない所ではこんな光景が広がっていたことに気付けていなかったのだろうか。

 

 どうすべきか悩んだが、結局は楽しげな声に誘われて足をそちらに向ける。突然に移転したことの原因を解明するために周辺の状況を把握するのだと自分に言い訳をしてみるが、楽しげに騒いでいる集団に混じることに謎の罪悪感を覚え、門に体の大半を隠してそっと気づかれないように顔だけを覗かせる。

 

 

 

 不健康そうな灰色の肌を太陽に晒し、満面の笑みで叫んでいるのはシャルティアだ。

 

「つーすとらーいく、でありんす!」

 

 いつもよりのフリルがついたゴシック調の華美なドレスではなく、飾りのないユニフォームを着ているせいか、年不相応な危うげな妖艶さがない。

 あたりに散るものも背番号が付いた揃いの恰好をしている。陰鬱な地下こそ棲家に相応しい禍禍しい風貌のクリーチャーたちが、眩しい自然光の中で、ゾンビもスケルトンも走りまわっていた。

 

 その中でもマウンドに立つ男から目が離せない。軽鎧に金属光沢の4つの翼。太陽を射抜く弓は背負っていないが、プレートを踏みしめるのはペロロンチーノだった。パンドラが化けているのかと疑いはしたが、感じる気配の重さにすぐに自分で否定する。

 

 鷹の爪にがっちりと握られたボールが振りかぶられ、ホームに向けてまっすぐに投げられる。

 白い軌道を残して放たれた球をジルクニフのバットが捕えたと思った瞬間、まるで自ら避けるようにボールはするりとバットの下に潜り込み、マウンド上に響き渡るほどの乾いた音をミットが鳴らした。

 キャッチャーの後ろにいたコッケイオスが手を頭上で回して叫べば、周りの観客たちがにわかに沸き出す。

 

「ストライクアウト! チェンジ!」

『わあああ!!』

 

 歓声を浴びながら攻撃側と守備側が交代するために動き出す。黄金色した鷹の紋章をつけた墳墓に在する者たちは一塁ベンチに座り、替わりに先ほどまで3塁ベンチにいた白い獅子のユニフォームを着た帝国の者たちが出てくる。

 周りで声援を送るものたちにも何らかのチームに属しているのか色んなユニフォームを着ていた。セバス率いるメイド集団の青き竜。隣にいるのはエクレア率いる男性従業員集団の黒い鳥。他には巨体ばかり揃っているのに可愛いウサギをマスコットにしたチームや、超位魔法<星に願いを(ウィシュ・アポン・ア・スター)を覚えている高レベル魔法使いの星チーム。シモベたちだけで組まれた赤い鯉。どうやってバットを握るのか不明だがアウラの魔獣も混じっている猛獣だらけの虎チーム。今はパが対決しているから、セが応援に来ているのか。

 わいわいとNPCを侍らかせた仲間たちが笑っている。それはかつてと同じ光景だった。今も目をつむれば、共に流した汗と涙が夜空の星のようにきらめくのが瞼の裏を浮かぶ。それはアインズが異世界に転移した諦めず頑張るための、心を照らすためのヒカリだった。

 

「いざゆけ無敵のナザリック軍団♪―――お、モモンガじゃん!」

 

 機嫌よく歌いながら歩いていたペロロンチーノが、こちらに気がついて手をふると近付いてきた。

 

「るし★ふぁーとガルガンチュア使って人間大砲の新記録目指してくるって出てったけど、戻るの早かったな。大陸横断はやっぱ無理だった?」

 

 懐かしい姿も懐かしい声も、あの時の、ユグドラシルを共に駆け回っていた輝かしい思い出のままだった。もう一度彼らに会える夢を叶えるためだったら、輝く星さえもこの手でつかめる。

 

 夢かと思った。

 夢でもいいと思った。

 このまま覚めない永久の夢であれと願った(I wish)

 

「なにしている、さっさとベンチに戻れ」

「あいよ。じゃモモンガまたな」

「はい、また」

 

 急かす声に返事をするとペロロンチーノは明るい笑いを後に置いて小走りで去っていく。

 独りでゲームをプレイしていた沈黙の底に沈み寂寥に潰される重い日々とはまるで違う、遠の昔に忘れていた“また”という約束の軽さをアインズは静かに噛みしめ、そして酒に酔ったかのようなふわふわと覚束ない様子で手を振る。

 

 綺麗に刈り揃えた芝生の上には気安い会話を弾ませ木漏れ日に似た明るい笑い声がある。

 その輪から離れて熱い目線で眺めていたアインズは、しばらく立ち尽くしていたが、やがて後ろ髪を引かれる気持ちを立ちきって踵を返す。

 だけど背中に当たる笑い声はいつまでもどこまでも追いかけてくる。それはまるでアインズを嘲笑うように耳に残った。

 

 

 

 夢遊病者の如く歩く足取りは雲を踏んでいるようにふわふわと軽い。だけど心は鉛を流し込んだかのように重かった。

 転移をせず、わざわざ歩いてナザリックを下る彼を見かけた者達から友好的な声が次々とかけられる。「一緒に遊ぼう」「食堂の肉うどんオススメ」「オハヨウゴザイマス」「なにしてんの?」その全てに曖昧な笑みで返事をするとアインズはまた歩み続ける。

 

 仲間たちがいて、彼らの子供たちが笑っていて、喜ばなければならないのに、アインズは進む度に会う度に増す重量感に押し潰されそうだった。欠けることのない友の姿に繋ぎとめられなかった不甲斐無さあざ笑われ、穏やかで心安らいだNPCの笑顔を見る度に与えてやれなかったことを責められ、モモンガと呼ぶ声に背負った名前を否定される気持ちだった。

 

(ひどい被害妄想だ)

 

 そんなはずはない。

 アウラとマーレを交えて楽しげに茶会を開いている女性陣も、正座をして『牧場で悪さをしました』と書かれた札を首から下げてバツが悪そうに苦笑しあっているウルベルトとデミウルウゴスも、そんなことを思うはずがないと必死に否定するが、誰かに会う度にまた喉を通った小石が胸底に溜まる。

 

 

 

 いつ最下層に着いたかも定かではない夢見心地で、気が付けばソロモンの小さな鍵(レメゲトン)王座の間に続く扉の前にぼんやりと立っていた。

 

 始まりの場所。アインズ・ウール・ゴウンの名を背負うと宣言した場所。最後を向かえた場所。

 

 もはやアインズにとって、ここが心の最後の砦であった。

 それゆえに開けるのを躊躇って扉に触れるか触れないかといったところで手を止めて、裕に10分は経っていた。長いこと迷った末に、決意を決めると深く深呼吸をし、目をつぶって扉に触れる。

 努力を重ねて歩んできた現実か、仲間の揃っている夢か、望んでいるのはどちらか自分でもわからなくなっていた。ペロロンチーノに会った時には確かに吉夢を喜んでいたのに、今は悪夢を恐れている。

 

 ゆっくりと目を開ける。

 視線の先、静謐にあった王座の間には声を潜めて話し合う二人の影があった。

 タコに似た頭部をした異形と話す純白のドレスをまとった美しい女性は穏やかで自然な微笑みを浮かべている。ふと、こちらに気が付いて会話が止まり、タブラが行くように手ぶりで促すと、アルベドは彼に一礼してから、小走りでこちらに駆け寄ってきた。

 上気し赤く染まった頬も、ただ一人だけをみつめている蕩ける瞳も、嬉しさにはにかむ口元も、見慣れた彼女のままだった。

 

 タブラに送り出されたアルベトが恋慕に溢れた声で言う。

 

「モモンガ様」

 

 目の前の世界を拒絶するようにアインズは顔を手で覆う。

 ギリギリと音が鳴るほど強く握りしめる指は、もしもオーバーロードの体に皮膚があれば引き裂いていただろう。力を入れ過ぎた指が頬骨に食い込み、激しい痛みが現実だと知らせるが、それを信じられない彼は更に指に力を込めていく。

 

 

 いつの間にか集まっていた仲間たちが、彼の不審な行動に、優しく声をかける。

 

「モモンガ?」

 

 自傷する彼を心配して守護者たちが不安そうに尋ねる。

 

「モモンガ様」

 

 独りには広すぎた部屋は、今や大勢で埋まっていた。

 ああ、なんて酷い悪夢なのだろうか。背負ってきた重み(アインズ・ウール・ゴウン)をすべて捨ててもいいと、彼らが“モモンガ”とあたたかく呼びかける。

 

 それに頷きたいと思うことが、

 都合のいい幻にすがることが、

 このまま夢が覚めないでいてほしいと、そう、思い願うことこそが、一番、彼の心を重く責め立てた。

 



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1020話 醤油フツウ野菜マシマシカラメ

前回のあらすじ
「この後、無茶苦茶ハグした」



 今度こそは人間大砲で大陸横断してみせるとモモンガは燃えていた。

 角度を変えてみたりや空気抵抗を減らす工夫をしてみたりと、飛距離を伸ばすために試行錯誤を繰り返すうちに時を忘れるほど熱中し、気が付けば辺りは暗くなり、深夜に近い時間帯になっていた。

 暗がりでも行動に支障はないのだが、昼食もとらずに挑戦し続けてきたこともあり、すぐに飽きるのに今回は珍しく集中していた るし★ふぁーの腹の音が鳴ったことで、その集中も切れて、二人はガルガンチュアを回収するとナザリックに帰ることにしたのだった。

 

 油煙が壁を覆い、机から椅子から部屋中のすべてから脂の匂いがするようだ。

 長いこと営業を続けてきた個人店をイメージして作られた食堂で、ガタガタする丸椅子にるし★ふぁーと並んで夜中のラーメンを啜っている時だった。パラレルワールドの自分が来ていたと知らされたのは。

 

 ガラリと薄いガラス扉が開き、赤いのれんの間からペロロンチーノが顔をのぞかせた。

 10人も入ればいっぱいになる狭い店内を左右に首を振って見渡すと、少し首をかしげてこちらに嘴を向けて固まる。人間ではなく、すっかりと鳥の仕草が自然に出るようになった友人に思わず真顔になっていると、彼のくちばしが開く。

 

「アインズ様?」

「―――ウール様」

「ゴウン様。三人揃ってアインズ・ウール・ゴウン様☆」

 

 よくわからないことを言い出したペロロンチーノに合わせて、言葉を連ねれば、すぐに意図を読んだるし★ふぁーも後に続いた。

 

「その反応はモモンガか」

「ムササビという可能性もワンチャン「ない」

 

 茶化して話を混ぜ交わせようとする るし★ふぁーを止めると、乱入者がきたことで箸をつけていたままだった麺を口に入れる。まだ冷めてはいなかったが、なにか用事があるのならば食べ終わってからにして欲しいのがモモンガの本音だった。なにしろこちらは昼飯抜きなのだから。

 たぐった薄黄色の麺にスープを絡ませて、音を立ててすする。

 ずっしりとした油が口中に広がるが、すぐに勢いよく喉を目指す縮れ麺に濾し取られて、かすかな風味を残して消えていく。鼻の奥から昇るカツオの香りに空になった喉を鳴らして、箸を操り次の一口を手繰り寄せる。

 

「うまそーだな。俺にも豚骨ハリガネニンニクアブラマシ」

 

 歌うように注文を通すと、ペロロンチーノは椅子に座り、足を揺らしてラーメンが出てくるのを待つ。それを横目に煮卵の崩れた黄身がかすかに浮いたスープをレンゲで掬う。食べるのが早いるし★ふぁーはもう替え玉を頼んでいた。

 

「で、さっきの話なんだけど、さっきまで別の世界の? モモンガが来てたんだよ」

「はあ、それがアインズ様なんですか?」

「モモンガ様じゃねーの?」

 

 レンゲを沈めていると隠れていたキクラゲが現れて、Lv.1程度の幸せを感じた。奥歯で噛みしめればコリコリとした歯ごたえの振動が脳にまで届く。更にみつからないかと底を探す。

 出された冷水のグラスがまだ汗をかいていないのに、待つ側にしてみれば時間が長く感じるのだろうペロロンチーノが揺らす脚がリズムよく床を鳴らす。タタンと趾が床を叩き、返す蹴爪が椅子の足を当たり短く澄んだ音を立てる。ふ蹠を覆う脚具が擦れれば、まるで金琴をバチで叩くが如く。段々と興がノってきた鳥が箸でグラスを叩きだしたところで、ようやく注文のラーメンが出来上り器が彼の前に置かれる。一部始終を見ていた料理長の眼はあたたかかった。

 

「色々あってギルド名を名乗ってるんだとさ」

「ふーん」

 

 後で詳しく説明をしてくれそうなぷにっと萌えかベルリバーあたりに聞こうと、生返事で答えるとサイドメニューを頼もうと考えている るし★ふぁーの横からメニュー表を覗く。デザートにひんやりした杏仁豆腐かアイスもいいが、まだ食べ足りないので餃子かチャーハンか頼みたいところだ。

 

「餃子半分にしよーぜ。てか、ペロロンチーノは俺様にも“様”をつけるべきだと思う」

「こっちのニンニク無しにしましょう。昔は“さん”つけてましたが、この頃は呼び捨て多いですよね」

「え、オレ調子のってる?」

 

 こっちにも餃子くれと嘴をつっこんできたペロロンチーノに、更にチャーハンも頼んで3分割することを提案する。これならば更にデザートもいけるかもしれない。

 しかし、深夜のラーメンはうますぎる。

 

「モモンガ、るし★ふぁー、たっち……確かに呼び捨てになってたは」

「おら、様つけろよデコ助野郎」

「るし★ふぁー様」

 

 前にアウラが語っていたが、食事が不要であっても食べられないわけではないし、食べるという行為は幸せなものだ。特に鼻をくすぐる美味しそうなものは。

 確かにその通りだ。

 カウンター越しに届く餃子を焼く時の撥ねる音も、焙られる油と卵の香ばしい香りも、向こうが透ける肋骨の中の存在しない胃袋を刺激する。先ほどまでのペロロンチーノのように行儀悪く食器を鳴らして催促したいほどだ。

 

「私も呼び捨てる時ありますし、親しみの表れですかね」

「そうそう! フレンドリーさの表現だし。だから、次に来たらアインズて呼び捨てたろ」

「いつくるの?」

「しらね」

 

 話を聞いていた料理長がすでに三等分された半チャーハンと餃子が二つ乗った皿をカウンターに置く。コトリと小さな音なのに、空腹というモンスターに取りつかれた者たちが聞き逃すはずはなく、一斉に三人の手が皿に伸びる。

 黄金色の輝く米は卵を纏いパラパラで、軽く焦げ目のついた餃子は肉汁を含みジューシーだ。噛めばラーメンで満ちていたはずの腹にどんどんと入っていく抗えないウマさがあった。

 

「呼び捨てが親しみの表れ、か」

 

 餃子をほおばりながら、モモンガはいつか守護者たちも私たちのことを気安く呼んでくれるようになるのだろうかと考えた。特に子供の姿をしているアウラやマーレに敬称で呼ばれると、目の前の彼ほどではないが“いけない気分”を覚えてしまう。

 

 だけど、モモンガが一番呼び捨てにしてほしい守護者は別にいる。

 

『モモンガ様』

 

 白いドレスに淑女の微笑みを浮かべる美しい人と、もっと親しくなれたら、いつか呼び捨てになるのだろうか。

 それとも、また別の呼び方になるのだろうか。

 

 

『―――あなた』

 

 

 一口で食べた餃子をもぐもぐと噛みしめながら、モモンガはデザートは杏仁豆腐にしようと、色だけで決めた。

 




おまけ

「モモンガ」

 それは完璧な笑顔だった。
 やわらかく細められた目に、歯を見せない上品な笑み。胸の前で組んだ手は固く握られている。
 ほんの戯れというか好奇心、それに期待のようなものを混ぜた思いでモモンガは敬称をつけずに名前を呼んでくれと頼んだ。渋りはされたが、なおも連ねて頼みこむと、アルベドは頭をすっと下げて了承の姿勢をみせた。
 そして再び頭を上げた時には、花がほころぶような完璧な笑みが浮かんでいた。

 かすかに色ののった薄い唇がうっすらと開き、私の名前を呼ぶ。

 いつもの思慕に溢れハートが語尾に浮かんでいるような甘い口調なのは同じなのだが、ただ呼び捨てにされているというだけで胸の奥にぐっとくるものがある。(ああ、これが萌えか)強制的に沈静するほどの強い感情の揺れはないが、じわじわと頬が思わず緩むようなむずがゆい感情が湧いてくる。
 実際に呼ばれてみれば気恥ずかしくはあったが、こんな嬉しさを感じられたのだから、話の流れからの気まぐれで頼みこんでみて本当によかった。一人胸の内で満足げにうなずいているモモンガの耳に、ぽつりと小さな声が届く。


「ーーーさま

 本当に、本当にかすかな蚊の鳴くような声だったが、他に誰もいない部屋は静かで、アバターの体になってから鋭敏になった聴覚にしっかりと聞こえた。
 訝しげに言葉を漏らしたアルベドを見つめる。
 じっと見られていることにも気がつけない彼女の笑みは、先ほどまでと変わらず完璧な笑みだった。だが、組まれた指は居心地が悪そうに何度も組み替えられて忙しなく動いている。腰の辺りから広がる黒い翼は何か強い感情を隠すかのようにぎゅっと体に寄り添い畳まれていた。

 ふと、意地悪な気持ちがわいてきた。

「アルベド、すまないがもう一度呼んでもらってもいいか」
「はい、モモンガ…………さま

 皮膚と筋肉のない顔でよかった。で、なければ今頃はニヤニヤとした笑みを見られていただろう。

「はは、お前に呼び捨てされるのは新鮮でいい気持ちだ」
「喜んでいただけたのでしたら、光栄です。も、モモンガ

 消え入る語尾も注意して聞いていれば、聞き逃すことはなく、命令に背く罪悪感と不敬を冒せない忠義さに揺れ動く心境が振るえる声に現れていた。いつも微笑みを浮かべている優秀な守護者総括にも、こんなに可愛らしいところがあったのかと、モモンガは冷静に頭で驚きながら、同時に胸の中では荒れ狂う嵐のような激情を感じていた。
 だからだろう、こんなに大胆なことをしてしまうなんて。

 モモンガは大きく一歩近付くと、そっとアルベドの頬を撫ぜた。
 己の白骨の指よりも、白く光が透けるような頬を耳元から顎までゆっくりと辿る。ひっかかりのないつるりとした滑らかな皮膚は、絹のような冷たさがあった。指でクイっと顎を持ち上げ、仮面の如く驚きで固まった笑みの彼女の唇に親指で触れる。ふっと吐かれた息が、指の腹をあたたかく濡らす。

「私の、いや俺の名前を教えておこう……」

 リアルに置いてきたはずの名前を告げる気になったのはどうしてだろう。
 アルベドは綺麗だし、そうあれと造られたとしても、まっすぐにこちらを慕う姿に嫌な気はしない。異世界に転移し、人間味に満ち自然に動き喋る彼女は誰の目も集める光輝く美しさがあった。だけど、それだけではなかった。それだけではない。ただ造詣が優れているからではない。ただ愛してくれるからではない。理由も理屈もなにもわからないが、彼女に知っていてほしかったのだ。現実に置いてはきたが、忘れることも消し去ることもできない人間だった頃の名前を。

 6文字の単語をきょとんとした顔で聞いたアルベドは、瞬きを何度かしてから、おもむろにピンク色の唇を開く。

 先ほどの完璧な笑みとは違う、頬を羞恥で染め上げて口角も感情を抑えようとするあまりに醜く歪んでいるし、眉間にも力が入りすぎて皺が寄っている。それでも、それは今までみてきたよりも、一番うつくしい笑顔だった。

「   」

 今度は”様”はついていなかった。


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1021話 戦士長殺し【ガゼフ×エントマ】

あるいは守備範囲も周辺国家一の戦士長の話


 あれから幾度もの邂逅を経て、ガゼフとコキュートスは男として武人として仲良くなった。

 日を改めて咲き誇る桜を眺めたり、ガゼフが買ってきた屋台の串肉を街の外で一緒に食べたり、気まぐれに手合わせをしてみたり、武具について日が暮れるまで熱く語ってみたり、そうしているうちに互いの家に招きあい、すっかりと親友とよべるまでになっていた。

 ナザリックに初めて行った時には、宝石の名で称えられるヴァランシア宮殿をはるかに超える美しさと贅の凝らし様に圧倒され、またそれ以上に対しただけでのしかかるかの力を感じさせる多くの異形達にも一瞬ひるんだが、はじめて友達が子供に出来たことに喜ぶ彼らのあたたかい眼差しに構えた気持ちがすぐに緩んだ。

 そんな立派な家を持つコキュートスを自宅に招くのは気遅れしたが、何度も会ううちに表情の読めるようになった彼の嬉しさの滲む照れ笑いに、こちらも歓迎の笑顔を返すと、冷やしておいた茶を取りにむかった。

 

 

 そして今日も今日とてガゼフは休日にナザリックを訪れていた。

 共に武練をし、建御雷の作った美しすぎて禍禍しい太刀を鑑賞し、途中モモンガさんが持ってきてくれた茶を頂き、書を解いて互いに意見を述べてみたりと、充実した友との時間を過ごした。

 帰る際にお世話になりましたと支配者たちに挨拶をし、ゆったりと満ちた気持ちで帰路に向かうころになると、よく小さな可愛いメイドさんに足を引きとめられる。とは言っても色めいた話ではなく、持っている土産菓子が目的だ。

 始めて招かれた際に、手ぶらで訪れるのはなんだと街で評判の焼き菓子を持ってきたのだが、ナザリックのあまりの絢爛さに気後れし渡せず、そのまま持ち帰ろうとした際に、いい香りがするぅと通りすがりの彼女に言われ、自分が食べるよりも、どうせなら喜ぶ人に食べてもらいたいと渡したのが事の始めだ。

 それ以降、渡せない土産を毎回持ってくるのだから、堅物と揶揄されることが多い俺だが、驚くことにエントマとの時間が気に入っているのだろう。

 

 

 

 食堂の並ぶ通りにあるいつもの喫茶店の椅子に座り、紅茶を口に運ぶ。ここでは何を頼んでもほっぺたが落ちるほど美味しいが、決まって頼むのは昔から慣れ親しんだ茶葉だ。つまらない男だと自分でも思う。同じ茶なのに、自宅で入れるのとは天と地ほどの差がある紅茶を味わいながら、向かいの席に座るエントマを眺める。

 ぴこぴこと2本の触手を頭上で揺らし、ぶかぶかの袖からわずかにのぞかせた指先につまんでいるのは、ダイエット中と前に言っていた彼女のために選んだヘルシーなクッキーだ。カップを置くと持ってきたクッキーを一口齧る。おからが混ぜ込まれたクッキーは甘さは控えめだが、サクサクというよりもザクザクとした歯ごたえに、噛むごとに香ばしいかおりがしっかりと広がり、満足感がある。

 

「ジャムをつけたらぁ、もっと美味しくなりそぅ。だけどぉ、ダイエット中だから我慢なのぉ」

「エントマ殿は十分、痩せているじゃないか」

「甘いものと甘い言葉はぁ、女の子の敵だってぇ、至高の御方々も言ってたぁ」

「ふむ、ならばこういうのはどうだ?」

 

 一口食べた残り半分のクッキーを目の前にかかげ、空いている左手を赤いジャムのビンに伸ばす。

 

「ヘルシーなクッキーであるのならば、カロリーのあるジャムを少しなら大丈夫という考えは」

 

 スプーンで混ぜればとろりとした光が銀河の如く回転するジャムを掬い、半月の薄茶色いクッキーに乗せる。こぼさないように気をつけて、ぱくりと一口で食べれば、食事に供されてもおかしくはない固いパンに近いものから、紅茶によく合うお菓子になっていた。

 

 羨ましそうにこちらを見つめるジャムよりも濃い赤の大きな眼に、微笑ましさを感じて眦を下げると、違う一枚に同じようにジャムをつけて、テーブル越しに腕を伸ばし彼女へと差し出す。

 

「うぅー」

「ほら、うまいぞ」

 

 じっと視線は食いついているのだが、なかなか食べるまでに進まないエントマの背を押すべく更に声をかける。

 

「いっ、いただきますぅ」

「どうぞ」

 

 ようやく決断した彼女が受け取りやすいように、クッキーを摘まんだ手先をそちらに伸ばす。テーブルに両手を付いたエントマがぎこちない動きで身を乗り出したかと思うと、なんと直接手からぱくりと食べてしまった。

 

 顎の下に消えたクッキーの行方をみつめながら、ガセフは一瞬だが人指し指に感じたかすかな熱を意識していた。

 

(そんなつもりで差し出した訳ではなかったのだが)

 

 引っ込めた手の行き場をなくし、なんとなくテーブルの上に乗せてはいるが、妙に気になり落ち着かない。そわそわと浮わつく腰を座りなおして、どうにか格好をつける。

 

「えへへぇ、美味しぃ~」

「ならばよかった」

 

 もぐもぐとクッキーを食べている仮面の表情は微笑んだままで変わらないが、幸せなオーラが全身から溢れんばかりに輝いている。椅子が大きくて床につかない足もぷらぷら振られて楽しそうだ。

 

 

「かわいいな」

 

 

 思ったままの言葉が考える前に口から出た。

 言った後で、どうしてそんな軟派なことを軽々しく投げかけてしまったのだろうと深く悔いて、頭を抱える。剣を恋人として王に武勲を捧げるを一筋に生きてきて、英雄色を知るというが英雄ではない俺は浮名を流すことなく、またあいにくと愛を囁くような相手もおらず、現在は召使いとともに侘しい暮らしを送っている。それなのに、なぜこんなに簡単に口説き文句が出てしまうのか。子供や動物を褒めるのと同じ言葉だと誤魔化せられればいいが、先ほどの甘く掠れた色を持つ口調はどう聞いてもただの口説き文句だった。

 

 気を悪くさせただろうかとエントマの機嫌を伺ってみれば、先程まで機嫌良さげに揺れていた触角がぴんとこちらを指して立っていた。

 

「私ぃ、かわいぃ?」

「ああ、可愛らしい」

 

 後悔はしているが、吐いた言葉を嘘だとは言わない。恥ずかしい気持ちを胆力で封じ込め、もはや堂々と可愛いと心からの感情を伝えるのみだ。

 

「本当にぃ」

「我が信じる神に誓って」

 

 自分でもなにを言っているのかわからない。可愛いらしさの証明にどうして神が出てくるのだ。

 

「どこが可愛いのぉ? 顔ぉ? 声ぇ?」

 

 甘く幼い声音が真剣ならば、ただ素直に真剣にむかいあうのが筋であろう。

 

「小動物のような仕草もそうだが、性格が可愛いな」

「…性格ぅ?」

「美味しいものが好きだったり、のんびり屋だったり、いつも楽しそうだったり、可愛くあろうと努力しているところなんかが可愛いと、私は思う」

 

 口説いているわけではない。決して口説いてはいない。だが熱い言葉が自然と連ねられた。

 きっと、どこが可愛いかと聞いてきた時のわずかに潜んだ答えを怯えた怖がる声に押されたのだろう。どうして可愛いと言われて恐れるのかはわからない。一度だけみせてもらった本当の姿は、ナザリックの他の者がそうであるように確かに人間とは違う異形ではあった。しかし、恥ずかしがってすぐに大ぶりな袖に隠してしまい一瞬だけしか見れなかったが、苺に似たくるりとした真っ赤な8つの眼も、節のある長い手足も、感情に連動して動く触角もなかなか愛嬌があると思うのだが。

 

「エントマ殿は可愛い!」

「うん、……ありがとぉ」

 

 強く断言した言葉が届いたのか、ようやくいつものふわりと夢みるような蕩ける声音で感謝が返ってきた。エントマが元気になってくれたのならば、恥ずかしい思いをして身の丈を連ねたかいもあったというものだ。

 

「これぇ、お礼ぇ」

 

 袖の重なるフリルからのぞかせた細い指に摘まれたクッキーに、たっぷりのジャムをのせるとこちらに差し出される。

 先ほどは意図せずにやってしまった事が、今度は己の身になるとは。

 意をけっして身を乗り出すと、口を大きく開けてクッキーをくわえる。今までこんなことをしたことがなかったので、正しいやり方がわからないが、とりあえずは食べれたのでよしとしよう。

 さくさくとクッキーを噛むが、恥ずかしさで味がよくわからなかった。




源次郎「戦士長殺ス」


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1022話 守護者殺し

至高の御方々が7階層の守護者を(褒め)殺す話
10巻のラストを読んだ後、デミウルゴスを褒め回したい衝動に駆られた。ムツゴ○ウさんのように全力で褒め倒したい!ついでに照れさせたい


 ぬちゃりと柔らかく潰れたモノが奥歯にまとわりつく。

 背筋を震えさせる気持ち悪い食感と吐き気を催すエグみのある甘さに、無理矢理にでも飲みこんで口の中から消し去りたいのに、喉は鳴るだけで思い通りにならず、こびりついた黒い油汚れのように頬に溜まる生ぬるい肉はいつまでも口の中から消えない。空吐きで喉から上がったガスの酸味が鼻をピリピリと刺激し、噛めば噛むほど怖気の走る味が濁った汚染水の如く染みだして舌を侵食していく。

 吐き捨てたい。そう思っても、隣テーブルの客が黙々と食べる様や忙しなく働いている店員をみれば、粗末にすることを阻まれて、眦に涙を滲ませて大人しく咀嚼するしかなかった。背中を丸め俯く目線の先にある皿の上には、まだ料理は残っていた。見た目と香りだけは美味しそうなのがまた恨めしい。

 

「合成肉ってグリスの味がしないですか」

「わかります。甘ったるい機械油ですよね」

「俺は石鹸で洗った油粘土を押す」

 

 日本からナザリックへと“帰って”きたスーツ姿の鈴木悟は、大切に持っていた竜の秘宝を円卓の間の片隅に拵えられた所定の場所に置いた。そして見なれた異形に変化する仲間と会話を交わしながら、同じく人化の指輪を外すとオーバーロードへと戻る。漂泊し磨いたような骨の上に金と紫で縁取られた漆黒のアカデミックガウンを羽織えば、人間であった期間の方が長いはずなのに、保護スーツを脱いだ時のように身も心も軽くなり人心地つく。

 

「うぷ、口直しにさっぱりしたものが食べたい。毒無効スキル仕事しろ」

「教授とか、よくあの食生活で長生きしたよな。アーコロジーだともっとマシなもん食えんのか?」

「少なくとも私の住んでいた所はナザリックの足もとにも及ばんぞ」

「やまいこさんも、月曜日になると保存食を持てるだけ持って出勤してきますしね」

 

 まずいまずいと文句を言いながらも、合成食糧を食べるためだけに何人かで集まっては月一で世界を渡るのだから不思議だ。それがどんなものであれ故郷の味というのは特別なのだろうか。

 ジルクニフを除いたゲテモノ食いの会のメンバーたちが人から異形にすっかりと変わったタイミングで、コンコンと規則正しいリズムで部屋の扉をノックされた。

 

「ウルベルト様はお帰りでしょうか?」

「おお、入れ」

 

 特殊能力の効果でよく通る耳あたりのよい声をかけてきたのはデミウルゴスだった。入室の許可をとり入ってきた彼の腕には分厚い書類が抱えられている。

 

「現在、進めている養豚場の件で、報告に参りました」

「羊じゃなくて、豚?」

 

 確かこの主従は聖王国の方で牧場を運営しており、たくさんの羊型混合魔獣(キマイラ)を飼っていたはずだ。そんな疑問が思わずモモンガの口から出た。牧場で悪さをしたとかでたっち・みーに二人して正座させられていたのは記憶に新しい。なにをしたのかまでは聞いていないが、動物虐待ならばよくないと思う。

 

「はい。“豚”で、ございます」

 

 豚のことを思い浮かたのか、本当にうれしそうな満面の笑みで質問に答えたデミウルゴスに、冷静で知恵者の守護者の動物好きという意外な一面をみて、モモンガの顔にも笑みがほころんだ。

 彼から報告書を受け取ったウルベルトがペラペラとめくり、それを横からジルクニフが覗きこむ。

 

「王国に管理されていない豚が多過ぎて困っているから、飼育実績のある二人に私が頼んだ」

「ジルクニフさんが?」

「豚は少しならば問題はないのだが、頭数が多いと土地を枯らしてしまい後々まで影響が出てるのだ。減らすだけなら私の得意とするところだが、利用できるなら骨の髄まで利用してみようと思ってな」

 

 皮は品質がよくないが、労働力か肉としてなら役に立つだろうと、ぺろりと唇をなめるジルクニフのしぐさに、人間の姿だというのに肉に飢えたライオンが透けてみえた。

 わざわざ読む気にはならない分厚い書類を、真剣な目でウルベルトとジルクニフの二人が目を通しながら意見を交わす様を、眺めるのにも飽きて手持無沙汰に隣のデミウルゴスに話しかける。

 

「それにしても、わざわざウルベルトさんの帰ってくるのを待っていたのか? 書類ぐらいなら置いておけばよかったのに」

「そうだな、こんなに厚いのを持ち待っていて重かっただろ?」

 

 バサバサと書類を振り鳴らすウルベルトも言葉をはさんできた。『紙を手にした山羊』という単語に、今すぐ書類を取り上げるべきかと謎の危機感を覚えたが、それは心の奥底にしまい込むとモモンガはナザリック随一の働き者に心配な眼差しを向ける。賢いとした設定のおかげで調停や交渉も準備や運営もなにを任せてもそつなくこなすため、ギルメンにNPCに引っ張りだこでいつも忙しそうに働いているのを見かける。嬉しそうな顔で24時間駆けまわっているデミウルゴスの姿はあの(・・)ヘロヘロをもってして社畜だと慄かせたほどだった。

 そんな彼の負担を少しでも減らそうとするのは、ごくごく自然な流れだった。

 

「いえ、このぐらい大した負担ではございませんので」

「そうはいっても、仕事を抱え込みすぎて大変ではないか? 他のものに頼ってもいいし、無理ならちゃんと断れよ。なにか困ることがあったら、私でもウルベルトさんでも誰でもいいから遠慮せずにすぐに言えよ」

「ありがとうございます、モモンガ様! そこまで心を砕いていただきまして、このデミウルゴス、益々仕事に身が入る気持ちであります」

「あー……、まあ、ほどほどにな」

 

 無理はしないようにといったのに、仕事に燃える新入社員のような輝かしい笑顔で感謝をされ、モモンガは密かにフォローをする腹つもりを決めた。役者(アクター)故にか他人の感情に機微なパンドラか、見た目は胎児だが頭脳は落ち着いた大人なヴィクティム辺りにも、気にかけておいてもらうように頼んでおくか。

 

「――――それに、」

 

 迷うことや戸惑うことなんてありえないとばかりに口端には常に余裕な笑みを浮かべ、背筋をしゃんと伸ばして立つスマートな悪魔。そんな彼が口ごもりためらう様をみせた。内心の感情が隠せないのか、包む浅黒い炎はノックしているように不規則に燃え、後ろから伸びる尻尾は左足に巻きついている。

 モモンガは珍しいと思いながら、デミウルゴスが続きを話すのを静かに待つ。円卓にいた他の者たちの目耳も沈黙につられて、“炎獄の創造主”の二つ名を持つ7階層の守護者の元へと集まっていた。

 

「それに待っていたのは直接お声を賜り、褒めていただきたかったので……いえ、なんでもございません」

 

 恥ずかしいからか小声で告げられた理由に、ざわりと場が沸く。

 

 

 

 もし、これを言ったのがアウラだったらどうだろうか。

 幻覚のしっぽをぶんぶんと振りながら「褒めてほしいから待ってましたっ!」と輝かしい太陽の笑みで言われれば、抱きあげてほめちぎったことだろう。

 

 もし、これを言ったのがマーレだったらどうだろうか。

 おどおどと上目使いで「ほ、褒めてもらいたくて来ちゃいました……ご、ごめんなさい、やっぱり、なんでもないです」と陰る月のように耳を下げて言われたら、優しく頭を撫でながらいい子だと褒めてやったことだろう。

 

 愛らしい子供が言えば、文句なしに可愛いだろう。

 

 だが、かっちりした職業に就いていそうな切れ者という雰囲気の成人男性がやればどうだろう。

 シャツのボタンを一番上まで止め、裾からネクタイからアイロンが掛けられ皺の一つもなく、髪はきっちりと一本も乱れることないオールバック。靴は顔が映るほど磨かれ、尻尾を包む銀のプレートも鏡の如く。動きの一つ一つは紳士的に優雅で、常に余裕ある姿勢を崩さない。

 そんな180cm強の男が、へにょり眉を下げて困った表情で、褒めてほしいと乞うのだ。

 

「これがギャップ萌えです」

「タブラさん」

 

 いつの間にか部屋に来ていたタブラが、子どもにものを教えるかの如く、ゆっくりとした口調で言う。ギャップ萌え。その単語が、湧き出つつある気持ちにストンと嵌る。覚えたばかりの感情に名前が付いた瞬間だった。

 

 優秀な出来た男が、褒めてもらえるかと期待に胸を膨らませて廊下を歩く。

 しゃんとした優雅な指揮官が、ご機嫌に尻尾を揺らしながら仕事を励む。

 ナザリック以外の存在を虫以下と蔑み嘲笑う悪魔が、乱れていないかと気にして自らの主人に出会う前には何度も身だしなみを整える。

 

「それがギャップ萌えなのです」

 

 タブラは大切なことなので二度言った。

 

 

 

 まず動いたのは、やはりというべきかウルベルトだった。

 数歩で距離を縮めるべく大股で歩くと、自分が生みだした子供の前に立つ。そして持っていた書類の束をアイテムボックスにしまい込み、空いた両手を伸ばすとオールバックを乱すようにデミウルゴスの頭をやや乱暴に撫でた。長く鋭い爪を当てないように掌でわしゃわしゃと溢れる気持ちのままに力いっぱい撫でまわす。

 

「デミウルゴス。お前は俺の誇りだ」

 

 一人が動けば周りの人間も動きやすくなるものだ。すぐに何人もの者が彼に続いて口ぐちに褒めたたえる。「お疲れさま」「いつもありがとう」「カッコイイ!」ある者は頭を撫で、ある者は肩を叩き、ある者は持っていた飴を渡す。

 そのたびにデミウルゴスの尻尾は振られ、赤味が増す頬は喜びにほころぶ。

 

 改めてこの機会に褒めようとモモンガも彼を中心に作られた人団子の中に遅れて入っていくと、その頃には、尖った耳の先まで照れて真っ赤になっていた。

 

「デミウルゴスが頑張ってくれていると思えば、安心できるというものだ。感謝の思いにたえない」

 

 自分でも驚くような嬉しげな声で、デミウルゴスに感謝の言葉をかけながら乱れた髪をすいて整えてやる。嬉しさや喜びでいっぱいいっぱいになった悪魔はもはや言葉は発せず、テディベアを抱く幼児のように自らの尻尾を胸に抱きかかえてプルプルと震えていた。泣く寸前にもみえるが、感情を抑えきれず笑みの形で固まった口元がすべてを語っていた。

 

 ふと、後ろをみれば、がんばり屋の悪魔を褒めたたえるための列ができていた。

 <伝言>で呼び集められたのか先ほどまで円卓にはいなかった者も集まっている。そして並んでいるのはギルドメンバーだけではない。第七階層の配下たちも、ほかの階の守護者やNPCたちも、世話になっていることや助けてもらっている感謝を伝えるために並んでいた。

 

 モモンガは満面の笑みを浮かべる。

 

「たまには、いっぱい褒められろ」

 

 ナザリック随一の働き者に、もう一度感謝を伝えるためにモモンガは、褒め殺す列の最後尾に並び直した。

 



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1023話 本日開店!フィオーラ・フィオーレ

双子の出番が少ない気がして


 窓のない地下にあって、夜になり照明が落とされると途端に声を出すのを憚られる、墳墓の名に相応しい静寂な雰囲気が辺りに満ちる。

 

 

 転移をせずに歩いているのは疲れているからだった。

 ほぼ一日中、机に向かい書類仕事をしていた身体は、疲労無効スキルがあるのにひどく疲れていた。それは魂にこびりついた人間の残滓が悲鳴をあげているからかもしれない。と、カッコイイことを言ってみるのは深夜のテンションだからか。

 ずっしりと鉛を背負っているように足も肩も重いのに、頭だけは熱を持ち、ふわふわと酩酊感が渦巻いている。

 

 左を見れば居住区に続く通路、右を見れば娯楽区に続く通路。

 分かれ道で立ち止まり首を巡らせ、落ち付き休めれる左にしばし目を留め、次に騒いで気を晴らせる右を眺め、そして最後に隣に立つジルクニフを見る。同じくこちらを見ていた紫の眼としばらく見つめあっていたが、やがてどちらともな く右へと足を進めた。それは明日が辛くなるのは十分承知で、休まなければならないとわかっていながらも、徹夜明けに寄り道しながら帰るサラリーマンの心境と同じだった。

 

 今は分厚く積もった報告書のことも、精神的に重くなる内容のことも考えずに酒を飲みたかった。

 

「自転を24時間にするために星の重量を隕石等で調整した痕跡があるってなんだよ。おそらく、その時に文明は一度滅びているとか言われても、なんて返事すりゃいいんだよ」

「自分自身に会った途端に自己認識が崩れて死ぬなんて思ってもみなかったし、復活させた後に事あるごとに責められて仕事を押し付けられるようになるとは……」

 

 ぐちぐちと二人分の愚痴が静かな廊下に響く。だけど、その音声は眠るものに配慮して潜められていて、二人の生真面目な性分がこんなところでも表われていた。

 

 ラウンジに行くか、酒場に行くか、そう贅沢に迷う目にバーから漏れる明かりが止まる。中からは楽しげな会話がかすかに聞こえてくるが、その声の持ち主たちはこんな時間にこんな場所にいるはずはないし、第一、今日はバーが開いている日ではないはずだ。

 モモンガは疑問のままに扉を開けて中へと入って行く。

 

 カラン。固い樫で出来た焦げ茶色のドアの上で、真鍮のベルが軽やかに鳴る。

 来客を知らせる音に、話し合っていた3人がこちらを振り向いた。いつもの姿ではなく人間形体のブルー・プラネットはカウンターの向こうに、子供では足がつかない高さのあるカウンターチェアに座っているのは6階層の守護者アウラとマーレだった。隠れるような場所のない狭い室内にはマスターである茸生物は見当たらない。

 

「ブルプラさん、こんな真夜中に子供たちを酒場に連れ出して……あとで怒られても知りませんよ」

「違います、モモンガ様。あたしたちが頼んだんです」

「そ、そうです。ブルー・プラネット様は悪くないです」

 

 諌める調子でモモンガが言うと、自分たちのせいで怒られてしまうと思ったのか双子が慌てて弁明を始めた。確かに『大人の世界』に憧れる気持ちはよくわかる。それに子供たちを責めるのは辛いが、それでも日付をまたぎ、すでに朝が近いような時間帯に未成年が酒場にいることはよろしくないことだ。

 

「アウラとマーレも、茶釜さんにナイショにしておいてあげるから、もう寝なさい」

「お、お姉ちゃん、今日はもう帰ろう」

「でも……」

 

 いつもならいい子の返事がすぐにあるのに、めずらしく歯切れが悪く口ごもる様子に、ちょっとぐらいならいいかなと甘やかす気持ちがわいてくる。

 そっくりの顔をあわせてうなだれる双子の幼さ故のやわらかく細い髪に、無骨な手が載せられた。指先まで太く、手のひらは厚く固く岩のようだが、撫でる手つきは彼の不器用な笑顔に似て優しかった。

 

「モモンガさん、今回だけお願いします」

「なにか事情があるんですか?」

「茶釜様においしい飲み物を作ってあげたいんです」

「い、いつもお仕事のあとは、の、喉がカラカラだって辛そうで……」

 

 だから、彼女にはこっそりと、使われていない部屋を借りてジュースを作る練習をしている。そんな健気な動機に思わずモモンガのない涙腺が緩む。うちの子、マジ天使……!

 

 モモンガはしばらく固まっていたが、ローブの裾を捌き踵を返すとドアを開ける。気を損ねてしまったのかと不安がるアウラとマーレの方を振り向かず、ナザリックの全てのトップである男は一人言を大きな声で聞こえるように呟く。

 

「そういえば、今日はBAR『fiora-fiore』の開店している日だった気がするナー。楽しみだナー。きっとおいしいジュースが飲めるんだろうナー」

 

 意味を読み取った双子たちの色違いの双眸が明るく輝くのを肩越しでちらりと確認すると、モモンガはドアの向こうへと出て行った。準備が終わり、呼びかけられるのを心待ちにしながら。

 ちなみに眠気の限界にきているジルクニフは、その隣で目を開けたまま半分寝ていた。

 



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第24話 スマホチャレンジ

エクレア「やぁ
ようこそ、Bar NaZariCKへ。
この”ナザリック”はサービスだから、まず飲んで落ち着いて欲しい。

うん、「また」なんだ。済まない。
仏の顔も三度までって言うしね、謝って許してもらおうとも思っていない。

でも、このタイトルを見たとき、貴方は、きっと言葉では言い表せない「ときめき」みたいなものを感じてくれたと思う。
殺伐とした世の中で、そういう気持ちを忘れないで欲しい
そう思って、この作品を作ったんだ。

じゃあ、注文を聞こうか。 」



※正式名称は別だが、判りやすさと配慮で別名義

 

 モモンガはいつものようにログインした部屋で一人あたりを見回し、誰もいないことを知ると円卓から出て行った。今日は特になんの用事もなく、誰とも約束はしていなかったがログイン状況を示すサインは半数以上が点灯しており、誰かしらは捕まるだろうという目論見でとことこ9階層を歩いていく。

 

「うーむ、やはり性別が肝心なのでは?」

「でも、それだとシャルティアが大丈夫だった理由にはならんべ」

 

 そして、その目論見は当たり、階段を上がってくる二人に出会えた。

 あたたかくも冷たくもない、ぬるい死体に似た肌をしたタコ頭のタブラ・スマラグディナに、金色の軽鎧をつけた鳥人のペロロンチーノ。なにか一つに夢中になると、周りがみえなくなるほどの集中力をみせ、譲れない強いこだわりを持つオタク気質の二人なのだが、仲はよくもなく悪くもなく、仲間ではあるけど友達ではない関係だ。曰く、属性が違うそうだ。なんだ属性って……

 

「おはようございます、タブラさんにペロロンチーノさん」

 

時間は夜だが、定番になっている挨拶をすれば、それでこちらに気が付いた彼らからも同じ挨拶が返ってきた。ピコンと浮かぶ笑顔の感情アイコンの隣には、イエローカードが2枚ずつあった。

 

 イエローカード。それは規約違反を行ったものへ自動判定で送られてくる警告である。抵触したものの頭上に3か月もの間、表示され続けて、違反者を晒しものにする罰であった。

 良くも悪くも個性的で我が強いギルド:アインズ・ウール・ゴウンのメンバーが集まれば、必ず一人二人は頭上に黄色いカードを浮かべているぐらいなじみ深い存在だ。

 イエローカードは3枚溜まるとGMに召喚されて事情聴取となり、悪質な行為や反社会的な態度が目立つ場合にはアカウントの凍結や削除、公式サイトに違反者として情報が載るなどの処分が下される。なお、規約違反の中には一発でアウトとなるものもあり、その場合にはレッドカードが頭上に浮かび、GMの都合がつき次第、処分となる。

 余談なのだが、イエローカードにはごく稀に色違いが出ることがあり、それぞれ累計で銀なら5枚。金なら1枚。出現させることで特別な記念品が貰える謎のシステムがあり、そのアイテムを目的に3枚にならないように気を付けながら規約違反を行うプレイヤーもおり、運営狂ってると言われている原因の一つでもあった。

 

 

 

 そのイエローカードが二人の頭上に燦々と輝いている。

 るし★ふぁーや自分、源次郎とは違い、二人はカード集めはしているとは聞いていなかった。ただ、折りに触れ、制限されているからこそ、その中でどれだけのベストを尽くせるか、はたまた抜け道を見つけるか試行錯誤することで文化(エロ)は発展してきたと力説し、有言実行すべく規則限界の表現に挑んでいた。

 ただギリギリを攻めすぎて、時折うっかり乗り越えてしまいイエローカードをもらっていたので、今回もそれだろうか。

 

「今度はなにに挑戦したんですか? また露出の少ないエロ衣装でも作りましたか」

「童貞を鏖殺する服なら、もう完成したぜ」

「完成品は音改さんに預けましたので、きっとうまく使ってくれることでしょう」

 

 自信満々に胸を張る姿に、きっとすばらしい衣装が出来たのだろうと予測する。あとで見せてもらおう。

 

「では、どうしてイエローカードなんて貰ったんです」

「―――モモンガさん、スマホチャレンジって知ってます?」

「スマホ、チャレンジですか?」

 

 スマートホンは社会の授業で習いはしたが、教わったのは何分昔のことなので覚えているのは名前ぐらいだ。

 必死に小学校の記憶を呼び戻していると、ペロロンチーノが件のスマホを取り出してみせてくれた。モンハンに使っているPSPよりも少し小さい四角の板だ。電子空間に再現したものなので実物とは違うのだろうが、それでも今のものとは違い、温かみのあるデザインをした昔の道具にテンションが上がる。

 

「ええ、スマホチャレンジです」

 

 アームカバーに覆われた趾に掴まれている板の画面が点灯し、画像が映しだされる。

 そこに現れたのは、たわわな画像だった。

 

 丸くやわらかな二つの桃の上に、四角い板が乗っている。

 マシュマロの深い谷間を覆いかくす白いモヘアの上に、ちょこんとスマホが置かれている。

 掌サイズのスマホが小さくみえるほどの、大きなメロンがどーんと画面狭しと映し出されている。

 

 なるほど、これが、これこそがスマホチャレンジか。

 ひと目見ただけで、圧倒的な説得力でもって、言葉を通り越して脳に直接、理解をさせられた。それが男の本能だった。

 

「ユグドラシルでも、金貨チャレンジと名前を変えて流行りつつあるのです」

「心やさしい女神たちが、どんだけ沢山の金貨を積めたか競って証拠写真をネットに上げてくれてマジ感謝の念しかねえ。で、面白そうだで俺らもチャンジ中。ちなみに俺は8枚いけたぜ」

「私は3枚でした」

「そうですね、プロテインですね」

 

 鳩胸の勝利とかいうどうでもいい情報を生返事で適当に聞き流す。

 

「頭上のイエローカードはそのせいでしたか。 ……茶釜さんにでも挑戦させたんです?」

「いや、姉ちゃんのおっぱいってどこだよ」

 

 なんとなく一番身近でのってくれそうな女性をあげてみたが、確かに卑猥な形をしたピンクの棒の胸部がどこなのかは啓蒙の低い身にはわからなかった。

 他のメンバーならやまいこさんは強く押せば流されてやってくれそうだが、餡ころもっちもちさんは逆にこちらがチャレンジすることになりそうだ。流石に明美さんは他のギルドのものだし、なにより女性陣に阻まれて無理だろう。

 

「イエローカードはNPCとモンスターで挑戦した結果です、ねえタブラさん」

「はい、モンスターでも性別が♀ですとセクハラの対象になるようで駄目でした。以前は、胸部に物を載せる行為は規約違反に抵触しなかったのですが、スマホチャレンジの流行を受けて対策したと思われます」

「まったく! こんな時だけ対応が早いとかマジ運営クソ」

 

 手を大きく振って全身で怒りを表すペロロンチーノの隣でも、タブラが怒りマークのアイコンを浮かべて同意していた。

 

「試してダメだったのは、アルベドとソリュシャン、子供ならいいかと思って試したアウラ、そしてモンスターの吸血鬼の花嫁(ヴァンパイア・ブライド)です」

「あと召喚獣もなー」

 

 モモンガはアウトになる基準について考察を始めた彼らの頭上に浮くイエローカードを見上げる。NPCが3体に3階層にいるモンスターが1体。それに召喚獣。なのにイエローカードは4枚。計算が合わないのが腑に落ちなかった。

 

「他にも誰か試していたのですか?」

 

 気になった疑問をそのまま口にすれば、ペロロンチーノとタブラはこちらを振り向いてから一拍置き、揃って顔を見合わせた。

 その様子に聞いてはいけないことを聞いてしまったのかと不安になる。

 

「あー、厨二皇帝がなー」

「はあ、ジルクニフさんがいたのですか」

「はい、一緒に試していたのですけど……」

 

 普段からいじられキャラとして遊ばれている彼のことなので、うっかり3枚もらってしまい呼び出されたぐらいなら笑い話にでもなりそうなのだが、歯切れの悪い返事に、笑い飛ばせないほどのことがあったのだろうかと、どんどんと不安が募る。

 

「モモンガさん、ロクシーってわかる?」

「確か、ジルクニフさんが一番初めにゲットした召喚獣でしたよね」

「そう、彼女の名前をつけて可愛がってたやつ。あれ、メスなんだってさ」

 

 ジルクニフがギルドに入った当初から連れているネコの召喚獣は、ふわふわとした毛並みで触らして貰ったことも一度や二度ではない。ネコ派のギルメンの中にはその可愛らしさに負けて召喚術師(サーモナー)Lv.1を取得した者もいた。

 

「ネコの上に金貨を積んだわけですね」

 

 所詮はゲーム内のデーターでしかないが、普通のネコと同じ見た目をしたモンスターの上に限界まで金貨を積むというのは虐待の香りがした。しかし、それぐらいで、鳥のように常に囀っているペロロンチーノや、語りだせば止められない止まらないタブラが口ごもるだろうか。

 

「立たせてからチャレンジはしたんだけど、1枚も載らないうちにイエローカードが出てさ―――」

 

 ごく初期に手に入る下級種族のネコモンスターは、サイズも形も現実にいるネコと変わりがなく、パッチでも当てれば別だろうが、メスであろうと無論、胸の盛り上がりなどなく、そこに金貨が載るはずはないのは当たり前だ。

 

「それで次は仰向けに寝転がらせてから金貨を積みだして、でも身体が小さいから4枚だけ載って崩れて。でも、すぐに止める間もなくまた積みだして、イエローカード3枚で呼び出し」

「はあ、なんなんでしょう」

 

 それを行った理由は不可思議だったが、盛り上がりに欠ける話だった。

 それぐらいで二人がこんな態度になるのも不思議である。だが、話はこれで終わらない。

 

「連れてかれる間際に叫んでましたよ―――『ロクシーにだってスマホチャレンジぐらいできるんだ! ロクシーにだって、ロクシーにだって胸はあるんだからな!』」

「あだ名かは知りませんが、ロクシーって彼女の名前でしたよね。なにかあったんでしょうか」

「”ナニ”が無かったんだろ。出てきたら至高のぺたん娘の出てくる俺セレクト・エロゲを貸してやろっと」

 

 ふと、モモンガは宙を見上げる。そこには灯りをともす燭台が掲げられていた。なんだか今日ばかりは彼女持ちのリア充にも優しく出来る気がした。

 

 

 

 

 

「あ、そうだギルマス、チャレンジした写真みてみてー、最高で75枚まで積めたんだぜ」

 

 わくわくして見たそこには、たわわな胸部に黄金色のコインを載せたガルガンチュアが映っていた。

 

「糞がぁああ!! 許せるものかぁああああ!!」



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