赤木しげるのSecond Life (shureid)
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東京編
赤木しげるの始動


 飛散しろっ赤木しげる…!

 

 初めに断っておくと、赤木しげるがこの世を去ったのは事故でも他殺でも無い。ならば病気かと言われれば、間接的な原因はそれであろう。

 赤木は患った。アルツハイマーと言う大病を。それにより己が人生の柱となっていた麻雀どころか、今日の年月日すら分からなくなっていた。

 凡人には到底理解出来ない領域で、赤木は自分が自分で無くなる前に手打ちすると決心し、自らの人生に幕を閉じたのだ。

 

 心地良いものだった。感じた事の無い風が体を通り抜けて行き、周りには生涯で初めての友と言える仲間に囲まれ、無念ではあるものの未練無くこの世を去る事が出来た。

しかし、風と共に散り散りになる様に吹き飛ばされていた意識が段々形になり、それはやがて明確な形を形成し始めた事に赤木は気付いた。

 その時には既に思考出来るレベルになっており、まさか原田か天辺りが自分を蘇生したのだろうかと当たりを付け始めた。

 しかし、次の瞬間にはその思考も吹っ飛び、赤木の瞼には、顔を歪めてしまう程の強い日差しが差し込んでいた。

 背中には硬い感触があり、周りの音を察するに自分は外に居るのだろうと考察する。少し呻き声を上げながら体を起こした赤木は、目をゆっくりと開き、眩しさで霞む視界に少し不快感を覚えながらゆっくりと頭を起動していた。

 

「クク……なんだこりゃ、これが死後の世界か?」

 

 ブランコに砂場、視界に映ったのは何てことは無い、何処にでもあるただの公園だった。自分の今の境遇からして生き返ったとも思い難い。つまり自分は死んだのだ。

 そしてこれが死後の世界かと頭に疑問を浮かべた赤木は、あまりに現代社会と酷似している為思わず笑いを漏らした。

 しかし、その笑いが一瞬で吹き飛ぶ程の衝撃が赤木に走る。黒いズボンにベルト、そして白シャツ。それは赤木が中学生の時に着用していた学生服であり、怪訝な表情で手を見てみればまだ皺が無い。顔を触ってみるが、どう考えても五十代の肌では無く、赤木の服装相応の肌になっていた。

 

「……ふぅ。こりゃ分からない事だらけだな」

 

 寝転がっていたベンチから、運動靴を地面に降ろし立ち上がった赤木は、ようやく鮮明に見えてきた視界と頭を回転させながら周囲を見渡す。

 人気は無いが、マンションや一軒家が視界に入る。そして先程から裏手の道を聞き覚えのあるエンジン音と共に車が行き交っていた。

 何か現状が分かりそうなものは無いかともう少し注意深く辺りを見渡すと、赤木にも覚えのあるコンビニのマークが目に入った。兎に角歩いてみようと足を踏み出し、砂利を踏み鳴らしながら公園を後にし、コンビニへと歩き始める。

 赤木はこの時点で、自らが自殺した時の事が嘘に思える様な、思考の回転に驚きを隠せなかった。

 

「クク……そりゃ中坊の時の俺なんだ、まだ呆けちゃあるめえか……」

 

 コンビニへ向かう道すがら、この姿には少し思い入れがあり、思い出したい事がすっと頭の中に浮かぶ事に有難味を覚えながら、過去を振り返っていた。

 自分が麻雀と出会う切っ掛けとも言える、南郷との出会い、そして強敵市川との死闘。アカギとしての始まりでもあるその時代は、波乱万丈な人生の中でも色褪せず赤木の中で生き続けていた。しかし、それさえも何一つ思い出せなくなった辺りから、赤木は自分の生涯に終止符を打とうと心に決めていたのだ。

 物思いに耽っている内にコンビニの前まで辿り着いており、容赦無く照りつける日差しから逃げる様に自動ドアを潜った。

 店員の挨拶を尻目に、赤木はその日の新聞が無いかと店内を散策し、レジの横に置かれている事に気付いた。新聞と手に取った赤木は真っ先に日付を確認し、それが2016年である事。つまり赤木の死から十七年経過している事実を知り、ますます謎が深まっていた。

 

 しかし、それが赤木の居た世界から十七年経過していたのかは定かでは無い為、赤木は頭を悩ませていた。その時、ドアに映る自分の姿が視界に入る。それは間違い無く中学生の頃の赤木しげるであり、今の自分が健常者である事の証明だった。先程から妙に思考が冴えている事がその考えを後押している。

少しの間新聞を握りながら思考を巡らせていたが、聡明な赤木でも考え様が無い事は存在する。そして一つの仮説を立てる。

 これは第一の人生を、無念に、そしてその無念に感謝しながら死んでいった赤木しげるに対する第二の人生なのだと。流石の赤木もアルツハイマーを患うまでは、思考する事に対して感謝した事は無い。失って気が付く事は人生において多々あるのだ。しかし、今は自由に思考出来る。つまり、麻雀が打てるのだ。

 一文無し、宿無し、普通の人間なら絶望する状況であるが、赤木はそれ程悲嘆していなかった。とりあえず雀荘でも探すかと、赤木は何時ものニヒルな笑みを浮かべ、ポケットへ手を突っ込む。

 

「一雨降るな……」

 

 今居る場所は青空が広がっているが、山を越えようと遠くから押し寄せている雨雲に気付き、赤木はさっさと雀荘を見つけてしまおうとコンビニを駆けだした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 少し暗い赤髪を揺らしながら、降りそうな雨に鞄を漁るが、折り畳み傘を学校へと置いて来てしまった事に気付いた宮永照は、何のための折り畳み傘だと自分で自分に呆れていた。

自己嫌悪も程々に、家に辿り着くまでに一雨降るなと考えた照は、雨宿りも兼ねて普段は滅多に入らない雀荘へと足を運ぶ事に決めた。

 さて、街に点在する雀荘の中で何処に足を運ぼうかと考えていた照は、どうせ打つなら強い面子が良いと考え、高校に入るまでよくお世話になっていた雀荘へと向かう事に決めた。

 

「そんなに遠くないし……良いか」

 

 帰り道とは少し逸れるが、その日は妙な気分であり、雀荘へと向かってやろうと言う気になった。高校へ入ってから何故か雨が降ろうが雪が降ろうがフリーの雀荘へ赴く事は無くなっていたが、偶には気分転換にチームメイトと違う面子と打つのも有りかと考えをまとめ、雀荘へと早歩きで向かい始めた。

 

 雑居ビルの二階に店を構えるその雀荘の外観は、記憶と変化しておらず、此処のマスターは自分の事を覚えているのだろうかと漠然と考えつつ、階段に足を踏み入れる。その瞬間、背後では地面に大粒の雨が叩き付けられており、間一髪だったと胸を撫で下ろしながら店前の扉に手を掛ける。

ドアノブを捻り、扉を開けた瞬間蒸し暑さを吹き飛ばす冷気が照の体を包み、頭の中は涼しいと言う感情で埋め尽くされる。

 

「……こんにちは」

 

「っとと……いらっしゃい。……ん、もしかして照ちゃん!?」

 

 髭は綺麗に剃られ、清潔感のあるタキシードに身を纏った男性は、照の姿を見るやいなや手に持っていたコップを近場のテーブルに置き、照へと駆け寄ってくる。

 

「お久しぶりです」

 

「いやぁ、久しぶりだね。白糸台に行ってから全然顔を見せてくれなかったから」

 

「すみません。忙しくて」

 

「いやいや、いいよいいよ。元気そうで安心した。一人かい?」

 

「はい、直ぐ打てますか?」

 

「さっきあそこの角卓でラス半コールがあったから、ちょっと待っててくれない?」

 

「構いません」

 

 照は壁際に設置されているベンチに腰を下ろすと、窓に打ち付けている大粒の雨を見て溜息を吐いた。

マスターにアイスコーヒーを注文し、ものの五分で空いた卓に腰を降ろすと、表情を変えずに少し頭を下げる。

 

「よろしくお願いします」

 

 例え打つ場所が雀荘だろうが、部室だろうが、インターハイ決勝の卓だろうが、打つ麻雀は変わらない。何万回と繰り返した動作で配牌を並べると、第一打を切り出そうと浮き牌に手を伸ばす。

 その瞬間、背後の入口の扉が勢い良く開かれ、扉についてる鈴がけたたましい音を響かせる。

 

「沖田さぁん。どうも」

 

「あ……竜崎さん……どうも……」

 

 どう見ても堅気には見えない二人組が雀荘へと足を踏み入れ、その姿を見たマスターは一瞬驚いた表情を浮かべ、同時に何をしに来たんだと疑問を浮かべながら頭を下げる。

 

「いやな……ちょいと入り組んだ話になるんだわ。まあアンタが気にする話じゃあ無いんだが……結論を言うとみかじめ料、倍になるんだわ」

 

 恐らくこの雀荘に居る面々は学生からサラリーマンまで、ただ純粋に麻雀を愉しんでいる面子であろう。レートもノーレートであり、裏プロも居ない、遊びの場として成立していた。そんな中、誰もが聞きたくないであろう話を大声で言う辺り、やはりヤクザと言う人種は好きになれない。

 照はそんな事を漠然と考えながら、下家の辺張落としの一筒を討ち取っていた。

 

「ロン、3900です」

 

 このご時世にそんな昭和のVシネマの様なみかじめ料なんて存在しているのかと、久しく雀荘に顔を見せていなかった照は点棒を手に取りながら思う。

 マスターは店の雰囲気を悪くするのを嫌がり小声で話そうとするが、ヤクザの発言で大体内容が分かってしまう。店の奥では奥さんが不安そうな表情でマスターの動向を覗き込んでいる。

 無論、照は全く気にしなかったが、他の三人はマスターの方へと気が集中し、麻雀どころではなくなっていた。

 そんな面子と打っても仕方ないと照は配牌を伏せ、三人に目配せすると目を瞑り、騒動が収まるのを待つ事を決めた。

 

「そんな……倍だなんて……今月も一昨日に……」

 

「俺らも心苦しいんだけどな。親父には逆らえんのだわ」

 

「何とかなりませんかっ!?」

 

「うーん……ウチらも何とかしてあげたいし……じゃあこうしますか。折角の雀荘、一つ麻雀で決めますかい」

 

「麻雀で……?」

 

「そうだな……ウチらまだ他にも店回らなあかんからな、半荘一回。もしウチらが負けたらみかじめ料は今まで通り……いや、半額でええわ。ウチらが勝てば倍、これでどうや?」

 

 詐欺の常套手段。照はその浅はかすぎる要求に眩暈を覚えていた。先ず有り得ない要求を吹っかけ、その次に落としどころとして先程の要求とは掛け離れた条件を用意する。半荘の麻雀勝負となれば実力よりも運に左右される。それでも半荘一回の勝負を吹っかけて来た理由は、恐らく絶対に勝つ自信がある。つまりは。

 

「……イカサマ」

 

イカサマである。ヤクザは二人、恐らくコンビ打ちを要求してくるのであろう。

 

「ですが……」

 

 マスターは今遊戯中の面々に目をやると、雀荘内の客はマスターの意志を汲み取り、次々と席を立っていく。店を後にしていく客達が皆、また来るよと呟いて帰って行ったのがマスターの唯一の救いだろうか。

 マスターは申し訳なさそうに頭を下げているが、それを尻目にヤクザはあろうことか。

 

「そんなそんな、皆帰さんでも一卓貸してくれるだけでええんやけどな」

 

 どの口が言うのか、そんな状況で楽しくかつ気楽に打てる人物等その雀荘内で照以外居る筈が無い。

 気付けば照以外は全員店を後にしており、まだ飲みかけであったアイスコーヒーが勿体無いなと照は未だ椅子に座り続けていた。そんな照の様子を見たマスターは、照に駆け寄り申し訳無さそうに頭を下げる。

 

「ごめんな照ちゃん……。それと……」

 

 中々次の言葉を発しないマスターを見かねた照は、小さな溜息を吐くと首を縦に振る。

 

「構わないです。打ち足りていませんでしたし」

 

「……学生の君にこんなお願いするのは気が引けるんだけど……本当にすまないっ!」

 

 謝ってばかりのマスターの気苦労を考え、かつ照はまだ麻雀が打ち足りていなかった為、ヤクザとの麻雀を承諾した。先程言った通り、照にとっては店の存亡を賭けたと言っても過言ではないヤクザとの麻雀でさえ、部室で打つ麻雀とさほど大差は無かった。

 雨はまだ止まず、依然雀荘の窓を雨粒が叩いている。照は席を移動する事無く座り続けていると、ヤクザと話を付けたマスターが駆け寄ってくる。

 

「もし負けても、絶対照ちゃんには被害が出ない様にするから……」

 

 逆ではないのか。

 負けてもみかじめ料が上がるだけだろう、勿論この先非常に苦労する事になるが、今どうにかなる話ではない。問題は勝った時だ、素直にヤクザが負けを認めてみかじめ料を半分にするのであろうか、そのリスクを考えるとこの場は負けて収めるべきではないかとほんの刹那の間考えるが、自分はそんな器用な性格では無く、わざと負ける事が出来る訳無いと頭を切り替える。

 卓は照が座っていた卓をそのまま使用する事が決定し、場決めの話になるがヤクザの適当で良いと言う鶴の一声により、照の上家にマスター、下家に子分、そして対面に竜崎と腰掛けていった。

 

「じゃあ、始めましょか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「結局……降ってきやがったな……」

 

 既に全身が濡鼠の様に水浸しになった赤木は、急ぐ必要も無いなと街に点在している雀荘を横目に見ながら町を闊歩していた。雨が降る前に一軒目の雀荘を見つけていたのだが、何となく違うと言う理由で見逃し、それからどの雀荘も赤木の直感には引っかからず、既に五軒目を見逃した所であった。

赤木が居た時代よりも雀荘の数が遥かに多く、世間一般に麻雀が流行している事を感じていると、とある雑居ビルが視界に入った。二階の窓には麻雀倶楽部の文字があり、外観は雑居ビルに店を構える普通の雀荘だった。

 

「クク……」

 

 その雀荘を見上げた赤木は、小さく笑いを漏らすと濡れた足を階段に踏み出し、一歩一歩ゆっくりと階段を登って行った。

 

 

 

 

 



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赤木しげると無口な少女 其の一

 ずぶ濡れのまま階段を登る、何処となく既視感を覚えながら、赤木は店のドアノブに手を掛けた。ゆっくりと開いた扉の先には、少なくとも外観からは想像出来ない光景が広がっていた。

 普段なら様々な音が入り乱れている筈の雀荘は、ただ一つ打牌の音のみが広い店内に響いていた。

 異様な光景である。何十卓も置かれている店内に、立っている卓は一つのみ。そして使われていない雀卓は普通牌が整えられているものだが、どの卓も試合中の体を成しており、サイドテーブルには幾つもの飲みかけのグラスが無造作に置かれている。

 赤木の鋭い目線の先には、明らかに堅気では無い二人に対し、この店のマスターであろうタキシードの男、そして一目で女子高生と見て取れる女子が一人。

 

「あらら……そんなに濡れて……ごめんなさいね。今は……その……」

 

 あのマスターの妻であろうか、この異様な光景に怯えないようにとの配慮か柔らかい笑顔を浮かべながら店の奥へと戻って行き、白いタオルを抱え戻って来る。

 

「とりあえずお拭きなさい」

 

「ええ、どうも」

 

 赤木はタオルを受け取ると首へと回し、頭を拭き始める。そしてタオルを首に掛けたまま、その異様な卓へと歩み寄って行く。

 マスターの妻は一瞬止めようとしたが、その光景に全く動じず先々進んで行く赤木に声を掛けそびれる。赤木は照の背後へと歩み寄ると、近くの椅子に腰かけようと考えるが、この濡れたズボンでは申し訳無いとその場でポケットへと手を突っ込み、その場を見下ろす。

 

「なんだい、坊や」

 

「いえ、お気になさらず」

 

「ふん……通しじゃなきゃ何でもいい、好きにしろ」

 

 赤木からすればその光景は日常である。もっと言及するのならば、日本のヤクザのトップとも言える男を手玉に取った事があり、その上、泣く子も黙るその男を泣かせた事もある。それに関しては言い方に少々語弊があるかもしれないが、今の赤木からすれば目の前で突っ張っているヤクザはその辺に居る通行人と大差無い存在であった。

 そして普通に見れば異様としか言いようの無い卓で、赤木同様平常心で打牌している少女に赤木は興味をそそられた。

 ギャンブルは何かを賭けているか否かでその本質が変わる。少なくともこの場では賭けが成立しているのだろう。だが、赤木が見る範疇でその少女は恐ろしい程の平常心を保ちながら淡々と打牌していた。

 

(へぇ……)

 

 そしてまたその少女、宮永照も背後に立っている少年に興味を向けていた。試合中に対戦相手以外の人物を注視した事がかつてあっただろうか、流石の照もこんな雀荘にずぶ濡れで入店し、あまつさえその卓を見下ろす白髪の少年が気にならない筈が無い。

 半荘一回勝負、条件は半荘終了時、二人の合計点が純粋に高かった方の勝ちと言うシンプルな内容であった。箱割れが出てしまえばその時点でそのコンビが負け、同時に飛んだ場合はその時点での合計点で決まる。

 照は表情に出さないが非常に悩んでいた。高校の試合に入れ替わりの団体戦はあれど、チームが同卓して勝ちを目指すルールは無い。勢いに任せてツモっていてはマスターが飛ぶ。かといって出上がりだけを狙っていては上がれる機会は少なくなる。自分の麻雀が出来ない事に少々の息苦しさを感じていた。

 ツモが有効打になるのは相手が親の時に限り、更に自分の相方であるマスターの点数は東一局竜崎の親にて親跳直撃、残り七千点まで削られていた。何か来ると思っていた照であったが、それを仕掛けて来たのはなんと初っ端東一局であった。マスターは自分の手牌に必死で気付いていなかったが、照が見逃す筈も無かった。

 エレベーター。最も単純なイカサマであり、ある意味最強のイカサマでもあった。種を明かせば単純この上ない、コンビ間で牌を交換し合うのだ。

 卓下で行われるそれは証拠を掴み難く、牌を交換する一瞬の少牌の瞬間を指摘する以外に看破する方法は無い。そもそも上がり形を見ても怪しすぎる、清一色に向かう際その色が多少溢れる事は多々あるが、手出しの萬子、そしてその切り順がどう見ても支離滅裂であった。マスターは親跳を当てられたショックで全く気付いていないようだったが。

 と言っても照はそのイカサマを指摘する気も無かった。競技者としては認めたくは無いが、そんな小細工を全て薙ぎ倒して勝つ、それが照のセオリーだった。

 

 

 そして東一局一本場、また仕掛けて来るのかと相手に少し気を配っていると、後ろの少年がマスターの後ろへと移動していた。

 少年は嘲笑気味にマスターの手牌を見下ろし、溜息を吐いている。マスターは気付いていないが失礼この上ない反応であった。皆が理牌に集中している間も照は集中を切らさない。

 山を全て取り終わり、照が手牌に目を降ろそうとした瞬間、竜崎が動く。不要牌を右手に握り、山の右端とすり替えた、無論照は見逃さなかったが、同時にその動向を目で追っていた人物が居た。

 

(……あの子)

 

 赤木である。普通観戦として背後に立つのならば、理牌されていく手牌に目が釘付けになるものだ。そして竜崎も手練れ、音も無く淀みも無く、したたかに行われたそれは、予め知っておかないとまず見逃すレベルの速さだった。

 赤木も照同様、言いがかりをつける事無く、再びマスターの手牌へと目を落としていた。

照は一息深呼吸すると、赤木に気が向きすぎていると気を取り直し、素早く理牌すると切り出しを何にすべきかを考えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

(クク……随分きつそうだな)

 

 今自分が見下ろすこの男の心境は、手に取る様に分かっていた。何故なら赤木はかつてこの様な思考に陥った人物を何百人と陥れ、喰い取ってきたからだ。

 飛べば終わりなこの状況、初っ端に親跳を直撃され、残り点数は七千、満貫直撃で死ぬ。兎に角和了る事だけを考えて進められたその手は、既に見た目發のみの二副露。更には上家の竜崎の親リーチ。

 しかし、マスターに降りる気は更々無かった。何故なら手牌にはドラの暗刻に加え頭の五筒の一つが赤、傍から見れば苦し紛れの發のみに見えるその手は、実は満貫手に化けていた。マスターはその隠した刃で相手を穿つ腹積もりであったが、赤木からすればドラが何枚あろうが、マスターのその鳴きは苦し紛れ以外の何物にも見えなかった。

 竜崎からのリーチが掛かった瞬間、照からの差し込みを期待する。この満貫を和了れば、照の点数は16700点まで減るだろう。しかし現役高校生最強の照ならば、それ位諸共しないだろうと淡い期待を抱いていた。マスターの待ちはバレバレの三、六萬であり、出和了りには期待出来なかった。ならば差し込みと照からの援護を期待していた。

 照はそんなマスターのひしひしと伝わる熱望をとっくに汲み取っていた。しかし照の対面、竜崎に萬子が非常に高く、頭ハネのルールの今、萬子はとてもではないが切れる状況では無かった。どうしたものかと照は考える。他人を勝たせる方向で考える事がこれ程しんどいとは、敵全員をまとめて飛ばす勢いで和了り続ける事の楽さを今になって実感する。

 場は七巡目であったが、照は既に平和のノミ手を張っていた。待ちは六九筒。九筒はドラの為出る事は先ず無いだろう。下家の子分に聴牌気配は無い、そして対面の竜崎の待ちは十中八九、三六萬か五八萬と当たりを付けていた。タンヤオ気味の捨て牌、恐らく平和はないだろう。ドラはマスターが暗刻で持っているが、下手に裏ドラが乗れば振ったマスターは一発で飛ぶ。

 

「…………」

 

 竜崎のリーチ後、マスターは場に三枚切れている白をツモり、安牌をツモれた安心感と同時に、ツモれなかった事を悔やみながら場に切り出す。次の照のツモ、照はノータイムで一索をツモ切る。

 そして子分が安牌を手出し、竜崎の一発目のツモは不発に終わり、舌打ちと共に安牌の西を河に叩き付ける。

 次巡マスターのツモ。多少震えながら伸ばした手が掴んだのは、赤五萬。

 現在のマスターの手はドラ暗刻、頭である五筒の対子、そして四萬五萬。この五萬を赤と入れ替えればこの手が跳満にまで化ける。しかし、五萬は竜崎に厳しい。

 ならば四萬はどうだろうか、此方も厳しい。ならば五萬で勝負に出るしかないのでは無いか。

 マスターは乱れる呼吸を整えながら、ツモった赤五萬を手牌に入れ、五萬を手に取る。店の存続が掛かっている以上、そして自分がそれを握っている以上何処かで勝負を仕掛けるしかない。

 

(だけど……この五萬は……っ)

 

 

 竜崎に危なすぎる、振れば終わるかもしれない。

 

 

 

「ッ…………!」

 

 

 

 

 マスターは五萬を手牌の上へ置くと、深い溜め息を吐いた。

 切れない、自分には。諦めて安牌であろう五筒に手を伸ばした瞬間。

 

 

 

 

 

 

「随分きつそうですね。代わりましょうか」

 

 その時点でのマスターは知る由も無いが、それはマスタ―にとっての天啓であった。

 先程から背後で観戦していた物好きな少年は、肩の上に手を置くと少し口角を上げ目を細める。こんな場に居るのだから腕に自信はあるのだろうが、その風体はただの中学生、とてもこの場を任せられる訳が無い。

 

「いや……大丈夫――」

 

「代わって下さい」

 

「へっ?」

 

 思わぬ方向から声がした事にマスターは驚いた。照は赤木を見つめ、マスターと交代する様に目でジェスチャーしていた。

 何故照がこんな少年と自分を代わる様に促したのか、マスターは疑問であったが、照が言うのならば間違いないのだろうと席を立ち上がり、竜崎と目を合わせる。

 

「ケッ、ガキに代わっても賭けは続行だからな」

 

 竜崎の了承を得たマスターは椅子を引き、赤木に席を譲ると自身は背後の椅子へと腰掛ける。

 何年振りだろうか、この感覚。ひり付く様な空気も、この椅子の座り心地も。何時間でも感銘を受けていられそうだったが、赤木は席に着くやいなや真っ先に右手で牌を掴み、その感触を確かめる様に握り込んでいた。そして一息吐くと、間髪入れずドラの暗刻に手を伸ばす。

 

「あっ!」

 

 マスターが短い声を上げるが時既に遅し、赤木はあろうことかドラの九筒を場に叩き付けていた。

 



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赤木しげると無口な少女 其の二

 思わず素っ頓狂な声を上げてしまったマスターだったが、誰からもロンの発声が入らず胸を撫で下ろす。当然飛びはしないものの照は赤木から和了る事をせず、何食わぬ顔でツモ山に手を伸ばす。しかし、どうせ安全な所を切るのならば、親の竜崎、そして子分に現物の五筒ではないのだろうか。竜崎の待ちはほぼ萬子であると断定はしているが、万が一当たってしまえば七千点は紙屑の様に吹き飛んでしまう。五筒なら聴牌を崩す羽目になるが、形はまだ闘える。

 そんなマスターを傍目に、場は淡々と流れて行く。次巡、赤木のツモは五萬。マスターはそのツモを見てどう捌くべきかと思考し始めるが、それを掻き消す様にまたもや赤木はドラの九筒を場に叩き付ける。

 

(何故……入り方によっては九筒を頭に……いや、そもそも何故この子はドラの暗刻を……)

 

 深まるマスターの謎であったが、その謎が解けるのはその二巡後。

 

 

「ちょっ……!」

 

 

 あろうことが次巡もドラの九筒を場に切り出した赤木は、背後で不安そうに見ていたマスターの妻へと飲み物を要求する。

 そんな暢気な赤木とは裏腹に、場に切り出されたのは手出しの九筒三連打。そこだけが歪んで見える程異様なそれは、打ち手に息苦しさを与えていた。今はまだ気付かないが、それはやがて毒となり、思考へと回り始める。

 

 赤木がドラを三連打した同巡、子分に聴牌が入る。七筒に八筒がくっついての六九筒待ち。平和も付く両面の好形だったが、ドラの九筒は既に場に三枚切られてしまっている。

 六筒は竜崎が三枚、和了りの目はかなり薄いと見た子分は、後ほんの少しで届きそうな純チャンを目指す事を視野に入れる。

 竜崎の待ちが絞られている今、自分が行くべきではないかと考える。もしこの純チャンを対面のガキにブチ当てれば、自分がこの勝負を終わらせる事が出来る。

 子分はそう意気込み七筒に手を伸ばし切り出す。赤木が九筒を連打しなければ絶対に切り出される事の無かった七筒。

そして次巡、牌を掴んだ瞬間その牌が何かを理解する。

 

(きゅ……九筒ッ……クソッ!)

 

 子分は熱くなり、純チャンを狙い止まらない。

 例え冷静に立ち止まった所で、その九筒を手の中に収める事が出来ただろうか。

 

 

 

 

 そうして場に叩き付けられた九筒。

 

 

「ロン」

 

「なっ!?」

 

 それを討ち取る、まるで狩人の様に。赤木のドラ三連打と言う強烈な場の裏で息を潜めていた照は、静かに、そして絶対出る事の無かった相手からのドラ九筒を貫いた。

 その様子を見た赤木は眉を吊り上げると、ニヒルな笑みを浮かべながら髪を掻く。

 

「平和、ドラ1。2000点の一本場は2300点です」

 

「……参ったな、最近の学生はこんなヒリついた麻雀を打つのかい」

 

「えっと……あの子、現日本チャンプの高校生だよ」

 

 マスターは赤木の呟きに対し、耳元で囁く。赤木の時代では学生が打つ麻雀等高が知れており、その学生のルートを外れ己が人生を麻雀へと注ぎ込んだ者にのみ、高みへと登る権利が許される。しかし、どう見てもこの赤髪の少女は真面目に学校へ通っている風体であり、表のチャンプならば日常的にヤクザと打つ等と言う事はしていないだろう。

 赤木はこの照と言う少女へ非常に興味を持った。赤木が照を試す様に打った一局、ドラの三連打に対し全く和了り気を見せなかった。それ所か赤木のドラ三連打の最中、手変わりが可能な牌を引いているにも関わらず、照はノータイムでそれを切り出している。照は初対面にして赤木の狙いを読み取っており、それを形と成していた。

 その時、赤木は懐かしい場面を思い出していた。忘れもしないあの東西対決。赤木が託した手牌を、天が四暗刻まで育て上げた、飛龍地斬四暗刻ツモ。

 規模は違うものの、それは見えていなければ辿り着けない道。運命を紡ぐ細い糸を手繰り寄せる力。

 

 

 背後で見ていたマスターには、ようやくその全貌が理解出来た。思わず口元に手を当ててしまう。こんな曲芸染みた事が可能なのだろうか、ドラを三連打した赤木も赤木だが、それを全て見逃し、あろう事か四枚目のドラを討ち取った照。マスターはこの二人ならば、もしかして勝ってしまうのではないかと期待を抱く。

 場は次局へと移り、その洗牌の最中赤木は運ばれてきた麦茶を口につけながら照に問う。

 

「嬢ちゃん、名前は」

 

「宮永照、あなたは?」

 

「赤木……赤木しげる」

 

 明らかに年下の男子に嬢ちゃん呼ばわりされたが、不思議と照はその呼称に対して違和感を覚えてはいなかった。

 まるで自分より何年も生き、何年も打ち続けてきたかの様な線の太い麻雀。あの場でドラの九筒を三連打出来る人間は、少なくとも高校生には存在しない。

 東二局、赤木の親。配牌は萬子が七枚、字牌が三枚と染め手には絶好の配牌であった。マスターの行けると言う確信とは裏腹に、赤木は宮永照と言う少女をもっと見極めようと、第一打を切り出す。それは萬子、更には赤五萬と、通常では考えられない様な切り出しであった。

 

(な……なんで……)

 

 一方、照の手はどれも程よく面子になっており、ニ向聴の好配牌であった。普段の照ならば、他人が何をしようがスタンスを崩さす己の道を進んで行く。

 しかし、何故だろうか、出来面子の中の六萬へと手が伸びてしまう。こんな切り方、普段では絶対にしない、例え他人に唆されても。

 照はふと視線を赤木へと移す。その視線に気付き目を合わせた赤木は、嘲笑気味な笑みと共に、ついて来れるか、と言わんばかりの表情で照を見下す。

 

「…………っ」

 

 その後はノータイムだった、照が切り出した六萬を皮切りに、場には一巡目から萬子がこれでもかと言わんばかりに並べられていく。

 竜崎はその異様な光景に、嫌な汗が背中を流れて行くのを感じた。それもそうであろう、まだ五巡目だと言うのに場には一萬以外全ての萬子が切られている。明らかにコケにされていると確信した竜崎は、卓下へと手を伸ばしとある牌を子分へと要求する。

 そうして入れ替えてきた牌を手牌に入れると、竜崎はまるで悪鬼の様な笑みを浮かべ、このガキ共を捻り潰してやると言わんばかりに牌を河へと叩き付けた。

 六巡目にして竜崎の手牌には三元牌の暗刻が三つ、つまり既に大三元が確定していた。残りは一萬、五筒、六筒、七筒と、場にはかなり安い萬子待ち。

 さあ飛び込んで来いと竜崎は意気込み、赤木の切る牌に注目する。そしてそれは場に四枚目のニ萬、つまりこの一萬の壁、益々出やすくなったと竜崎は心の中で高笑いしながら照の切る牌に注目する。

しかし、六巡目以降の照は手牌の端の字牌を切り始め、ようやく手を進め始めたと言った所であった。一方の赤木は相変わらず萬子を河へと並べ続けており、九巡目までその全てが萬子で河を埋め尽くしていた。一萬が出るのは時間の問題だろうと考えていた十四巡目、ついに照に動きがあった。

 

「リーチ」

 

 その半荘初めてリーチの発声が入る。安牌として抱えていたのだろうか、場に切れている五萬を曲げ、リー棒を卓の真ん中へと置いた照は、椅子へ腰を深く落とし溜息を吐いた。

 竜崎のツモ、全く動かなかった手に八筒、つまり手変わりの選択がやってきた。

 一萬を切り出し、五筒八筒待ち。大三元は確定している為、赤木か照、どちらから出ようが一瞬でカタが付く。どうやら一萬は溢れそうに無く、手変わりするのが無難かと一萬に手を伸ばす。萬子は場に殆ど切られている、照も流石に一萬待ちという訳ではないだろう。見るからに五八筒の筋が臭い、しかし自分からその牌が溢れる事はまず無いだろう。

 そう結論付け一萬を掴んだ瞬間、まるで体に電流が走ったかの様な衝撃が走る。

 

 

 何故、一萬だけ切られていないのか。

 

 

 二萬は既に四枚切れ、他の萬子も最低二枚は切られている。明らかに一萬を避けて切っているとしか思えない切り筋だった。

 だからなんだ、それを餌に一萬で待たれていると言うのか。そんな馬鹿げた妄想で大三元を棒に振る訳にはいかない。竜崎はその一萬を河に叩き付けようとするが、その牌から手が離れない。先程の赤木のドラ三連打からの討ち取り、あれがどうしても目の前をチラついてしまう。そう、赤木の放った毒が竜崎の思考を浸食していったのだ。

 赤木は手出して萬子を切り続けている。ならば一萬を残していようが出和了りの形へと手を作り上げられている筈が無い。そもそも一旦退くにしても五八筒の筋は照に危ない。まさか大三元確定の暗刻に手を出す訳にはいかない。

 

 

 そう思う事が既に、赤木の理に飲まれていたのだ。

 竜崎は切ってやると一萬を場に切り出そうとするのだが、今の異様な河がどうしても目に入る。大三元と言うこの場を一瞬で終局へと誘う手を張った今、この好機を逃す手は無い。

 ならば切れと心では思っているのだがどうしても決心が付かない。

 その時、まるで地獄に垂れた蜘蛛の糸の様に、舎弟から手牌の情報が竜崎へと送られてくる。

 一萬の暗刻持ち。その瞬間、竜崎は安堵し、同時に勝ちを確信した。わざと大げさに腕を振り上げ、皆の注目を集めた瞬間、舎弟に次の照のツモ山へと送りこませたのだ。

 

 死の五筒を。

 

(あぶねぇ、冷静に考えてみろ、こんな一萬がどうして切れなかったんだ)

 

 竜崎は場に叩き付ける、一萬を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 もし、照がリーチしていなければ竜崎は八筒ツモ切りと言う結論に辿り着き、それを実行していただろう。

 

 

 

 

 

 しかし、照のリーチがその逃げ道を塞いだ。人生で初めてのノーテンリーチ。存在は知っていたが、自分が実行する事は恐らく生涯無い筈だと確信していた。

 

 

(……私の初めて)

 

 

 

「ロン」

 

「あ?」

 

「ククク……この味はやっぱりたまんねぇな」

 

 

 赤木が倒した牌に、竜崎は椅子から腰を浮かせ叫び声を上げる。

 

「こ……国士ぃぃぃぃぃぃ!?」

 

 

 

 思考し、知略し、葛藤し、己の全てを振り絞る様に捨てられた牌で和了る。

 それこそ赤木が思う、何より美味い極上の味であった。

 



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赤木しげると無口な少女 其の三

 親の役満直撃、42000点あった竜崎の点数は、その一撃で跡形も無く吹き飛んだ。

 正しかった。そう、竜崎は正しかったのだ。一萬は臭い、ならばそれを引っ込めるべきであった。しかし、竜崎はその読みと心中出来なかった。四枚の一萬の在り処が分かった時点で安心しきっていたのだ。かと言って国士の可能性に気付いたとして、その一萬を止める事が出来ただろうか。

 竜崎は少しの間赤木の手を見て呆けていたが、やがて我に返ると溜息を吐き椅子を引いた。

 

「帰るぞ」

 

 怒り狂うのでは無いかと危惧していた照だったが、拍子抜けな竜崎の態度に一先ず安心し、同時にマスターはたった二局であったに関わらず腰が抜け、その場から立つ事が出来なかった。

 

「良いんですか?竜崎さん」

 

「良いも悪いもねえ。やられた方がアホなんだ」

 

 話の分かるヤクザで良かったと思いつつ、照はバラバラの手牌を伏せ、殆ど氷で薄まってしまっているアイスコーヒーを飲み干す。

 竜崎達は不満そうながらも手を出す事無く店を後にして行った。数十分前までは活気があったその店内には、未だ椅子に踏ん反り返っている赤木と、感謝の言葉を述べながら頭を下げ続けている夫妻、そして照だけが残った。

 照はたった二局ではあったが、今までの自分とは全く違う麻雀を打っていた。それも全てこの少年の影響だろう。

 

 高校生の間では最早負ける気はしない。ならばプロでも通用するかと言われれば、自信を持って頷ける話では無くなる。

 どうにも、奴等は見えているのだ。何が見えているかと問われれば、麻雀の真髄とでも言う他無いだろう。それが今の自分には足りず、この少年に満ち足りている物。

 照は立ち上がると、マスターにそろそろお暇しますとの意志を告げ、サイドテーブルにかけられていた鞄を手に取る。先程までとはいかないが、外の雨は強く降り続けており、マスターに傘は借りられるかと問うと、勿論と即答で返って来る。

 

「傘、二本ありますか?」

 

「えっ?あ……ごめんね、さっきの御客さん達にみんな貸しちゃって……一本なら余ってるんだけどね……」

 

「そうですか、ではお借りします」

 

 照は腰を深く沈めている赤木に視線を移すと、出口へ視線を移しついて来いと合図する。赤木は考える間も無く立ち上がると、礼と共にタオルをマスターへと返却し照の後へ続く。

 

「照ちゃんっ!キミも、本当にありがとう!」

 

 背後から響くマスターの感謝の念に足を止め、会釈をするとマスターの妻が用意した大き目の傘を受け取り、近日返しに来ますと告げドアノブに手を掛けた。

 外は雀荘の中と違い蒸し暑くジメジメしており、この中を帰るのは少し憂鬱だったが仕方が無いと雀荘の階段をゆっくりと降りていく。その後ろを赤木がポケットへ手を突っ込みながら降り、軒下で立ち止まった照に合わせ足を止める。女子高生と中学生男子なら二人分軽く入ってしまいそうなその大人用の傘を開くと、首を捻り赤木に問う。

 

「家、来る?」

 

「こちとら宿無しで困ってたんだ。邪魔するよ」

 

 照の横へ足を踏み入れた赤木は、照と速度を合わせながら雨が降り続けるアスファルトの上を歩く。

 家まで凡そニ十分だろうか、既に五分は歩いたのだろうが二人の口からは一切の発言が無い。それもそうであろう、照は基本無口なのだ。赤木も寡黙な男と勘違いされがちだが、ギャンブルの話や人生の話となれば驚く程饒舌になる。しかし、基本的には照と同じ無口であった。

 互いに静寂を気にして話を切り出す性格では無く、無言のまま雨の道路を歩き続ける。すると、そんな二人の姿をとある人物が目撃していた。

 

 

 

 

 

 

 

 大星淡は雨から逃れる様にファーストフード店へと入り、ごった返す店内で席を求めて二階へと上がり壁際の席へと腰を降ろしていた。早く止まないかとガラス張りの壁から恨めしそうに外を睨み付ける。

 頼んでいたサンドウィッチを食べ終わり、何か面白いものでも無いものかと外を見続けていたが、傘を差し歩く道行く人の表情は皆同じであり、考える事も同じである。見ていてもつまらないものだ。

 そんな中、向かいの道路に何やら相合傘をしながら歩いているらしき二人組の姿が見えた。白で統一された白糸台の制服は非常に目立つ、遠くから見ても直ぐに分かる程に。だから淡はその傘に入っている一人が白糸台の生徒だと直ぐに理解した。

 

「青春だねー」

 

 紙コップに入ったドリンクへ、ストローを通して空気を送り込み、ボコボコと泡を立てながらその様子を見ていた淡だったが、どんな生徒かふと気になり、身を乗り出して傘の下を覗き込もうとする。

 

(そんな青春君達の顔を見てやろう)

 

 悪戯気のある笑みを浮かべながら、此方と同じ位置まで来ようとしている二人組の顔が見える。

 一人は白髪の中学生位の男子であろうか、そしてその奥の少女を見た瞬間、淡は文字通り腰を抜かす。

 

 

「あえ……て……て……」

 

 言葉が出ない。その少女は毎日顔を合わせている無愛想な最強高校生。

 

 宮永照が男と相合傘をしていると言う事実がどれ程凄まじいか、淡は混乱する頭で色々と考えていたが、とりあえず自分の家にピンポイントで隕石が直撃したと言われた方がまだインパクトは少ない。それ程衝撃的な光景であった。

 

「て………る……あ……」

 

 殺人現場の第一発見者の様な声の振り絞り方に、周りに居た客は大丈夫かこの子はと不安がっていたが、やがて冷静になった淡は椅子に座り直しストローに口を付ける。

 

(あのテルが……麻雀しすぎて一索の鳥さんと結婚すると思ってたのにっ……)

 

 まだ見間違いの可能性もあると自分を納得させようとしたが、白糸台の制服、そして見間違える事の無いあの赤髪は、その人物が照だと言う可能性をこの上無く引き上げていた。

 

「…………雨止んだら家にいってみよ」

 

 もし本当に付き合っているとしたら、カップルの後を追い、その家に突入するなどテロ行為に等しいが、今の淡は事実を確かめてみたいと強く感じていた。とりあえず同じ部活の仲間を応援に呼ぼうと携帯を取り出し、慣れた手付きでメールアドレスを引用していく。

 どんな本文にしたものかと考えていたが、普通に来てくれでは恐らく来てくれない。

 

「…………」

 

 一瞬考えた後、淡は閃いたと拳を小さく握ると、鼻歌を囀りながらメールを打ち込んで行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 白糸台の団体戦メンバー、弘世菫はそのゲリラ豪雨の様な雨に、持前のビニール傘では戦えないと判断し目に付いたファーストフード店へと入店していた。

 同じ目的の人間が多いのか、店内は込み合っていたが、店の奥に一つ空席を見つけ、とりあえず席を取ろうと鞄を置いて注文に向かう。

 トレイを受け取った後、紺色のロングヘアを揺らしながら椅子へと腰を降ろすと、悶々と来たるべきインターハイについて考えていた。

 

 そんな菫の思考を寸断する様に、携帯のバイブがメールの着信を知らせる。

 どうせ淡辺りであろうと目星を付け、開いた携帯のディスプレイに表示されていたのはやはり淡の名前。

このまま携帯を閉じてしまっても良かったが、一応本文を見てみるかとメールを開いた菫は、その本文に怪訝な表情を浮かべた。

 

 

『助けてぇぇぇぇ!菫ぇぇぇぇぇ!

 あ、場所は帰り道にあるファーストフード店!絶対来てね!』

 

 

「…………」

 

 どうやら、逼迫した状況の様だ。

 呼び捨てをしてまで焦っている文面を作り上げたいのだろうが、ご丁寧に入った絶対来てね!と言うサブタイトルはそれらを全て台無しにしていた。

 なんと、同じ店に淡が居るのかと。菫は辺りを見渡すがそれらしい姿は見えない。ならば二階かと、流石に同じ店内ならば行ってやるかと腰を上げた菫は、トレイを片付け二階へと登る。

 白糸台の制服は全くどうして、よく目立つ。壁際に淡が居る事を確認すると、メールの本文とは掛け離れた暢気な様子の淡の頭に、携帯していた扇子を振り下ろす。

 

「あいたっ……って菫先輩っ!?早くない!?瞬間移動!?」

 

「下に居ただけだ。それで、用件は?」

 

「あ、やばいんだよ!なんと照が男の子と相合傘してさっき其処を通って行ったの!」

 

「見間違いだ」

 

 照と付き合いの長い菫でさえ、そう切り捨てる程、その光景は荒唐無稽なものだった。

 

「とりあえずテルの家に行って見ようと思うから、一緒に行こう!」

 

「………………………まあ、雨が止んだらな」

 

 と言っても、淡が嘘をついている様にも見えない。どんな間違いでも照が男と相合傘をしている何てことあるだろうか、いや無い。その間違いが起きてしまった可能性があるのだ。ならばそれを確かめてみるのも有りだろう。

 淡の向かいへと腰掛けた菫は、早く止まないだろうかと外を見上げ、それにつられた淡が外の雨雲を見つめる。段々雲は薄くなっており、もう一押しで止むと考えた淡は、ドリンクを追加で頼もうと一階へと降りて行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

「着いた」

 

「ああ」

 

 照が家に着いた時には既に雨脚は弱まっており、傘を丁寧に畳むと鞄から鍵を取り出し、鍵穴へと差し込む。母親はまだ帰っておらず、家には誰も居ない為説明する手間が省けたと思い赤木を家に通す。玄関へと入った赤木は、とりあえずこの濡鼠の服を何とかしたいと考え靴を脱いだ照に話を切り出す。

 

「シャワー借りてもいいかい。それと服が欲しいな」

 

 傍から見れば図々しい男だが、先程宿無しと言っていたのは嘘とも思えない。照はそんな事を一切気にせずに赤木の要望を叶えようと考える。今家に住んでいるのは母親と二人のみで、赤木に合うサイズの服は家に存在していなかった。ならば買いに行くしか無いが、生憎それを揃えられる程手持ちがある訳でもない。母親に相談すれば何とかなるだろうが、帰りは夜になる。

 

「……ちょっと、待ってて」

 

 照は携帯を取り出すと、頼れそうな仲間に相談する事を決めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ、テルからメールだ」

 

「ん……私もだ。何々……」

 

 雨が弱まり、そろそろ店を出るかと考えていた二人へ、同時に照からのメールが入る。

 

 

『頼みがある。もし下校中でなければ構わないけど。

 男物のLサイズのYシャツとズボン、それと靴下下着を買って来て欲しい。

 お金は明日渡す。

 図々しい頼みだけど聞いてくれると嬉しい』

 

 

 メールを閉じた淡は、菫の顔へと目を向ける。

 

 

(……菫ってあんな表情するんだ)

 

 

 今見た菫の表情は忘れる事にし、手持ちが少なかった淡は、菫の所持金と合わせれば足りるかなと考え、恐らく初めてである照の個人的頼みを聞き入れる事を決めていた。

 



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卓上で踊らされる少女達 其の一

(…………空気が重い)

 

 

 菫は座っているだけで息が詰まりそうな場を経験をしたのは久しぶりだな、と現実逃避する様に窓の外へと視線を移す。

 

 

 

 

 思えば何故こんな場に自分は座っているのだろう、ファーストフード店に居た時の想像とは全く違う流れで物事が進んでしまっていた。

 あの時は思っていた、あのメールの文面がストレート過ぎて一瞬固まってしまったが、冷静に考えてみれば照がどうせ自分の知らない親戚か何かの男子を家に呼び、それを淡が大袈裟に彼氏か何かと勘違いする。家に行ってその子の着替えであろう服を渡し、誤解が解けさあハッピー、帰りましょうとなると。

 少なくともはしゃいでいた淡も何処となくそう言うオチだろうとは思っていたみたいだ。

 照と直接会うまでは。

 

「ありがとう」

 

 何時も通り無表情で頭を下げた照に、淡は先程の男子について突っ込んで話を聞こうとウズウズしていた。しかし、どうも照の様子がおかしい、何時もなら空気を読まずとも照の中へずかずか入って行く淡も、それを察したのか様子を伺っている。

 長い付き合いだと分かる、照は基本無表情だが感情の起伏は人並みにある。何か思いつめた様な、そんな何とも言えない表情。

 

「……重ねてお願いがある」

 

「何だ?」

 

「半荘一回だけでもいい、麻雀に付き合ってほしい」

 

 何を言い出すかと思えば麻雀らしい。

 成程、どうせその男子も麻雀好きで、照が高校チャンプと知ってか身の程知らずにも勝負を挑んだ。そうなれば面子が足りず、着替えとついでに面子を要求した。こんな所だろうか。しかし、ならば照のあの表情はなんなのだろうか、菫は少し違和感を覚えながらその要求を快諾する。

 

「いいぞ」

 

「いーよ!打とう!」

 

 淡も乗り気だ。すると照は上がってくれとスリッパを二つ下駄箱から並べ、二階の自室へ向かう様促した。淡から受け取った着替えを握り照は脱衣所へ向かう。

 

「先行ってるねー」

 

 元気良く階段を駆け上って行く淡に続き、菫は後を追う。照の家は何度か訪れた事があり、部屋の場所は淡もよく知っている。淡は階段を昇り切ると、直ぐ右手に見える部屋のドアノブを捻り中へと飛び込んだ。そのまま照のベッドへと倒れ込むと、鞄を枕元に置き、枕に顔を埋める。

 

「あー……何時来てもテルの部屋は居心地が良いなー……」

 

 まるで自分の部屋の様に寛いでいる淡を尻目に、菫は几帳面に鞄を壁に立てかけると、部屋の中央に置かれている自動卓の椅子の一つに腰掛ける。

 雀荘の様にサイドテーブルや椅子が丁寧に置かれ、四角いその空間のみ、まるで試合会場の様な佇まいだった。すると数分もしない内に二つの足音が階段を昇って来る事に気付く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 シャワーを浴び終え、着替えまで用意して貰った赤木は、面倒見の良い学生だなと感心しつつ、これからの自分の身の置き方について考えていた。

 殆ど余生みたいな今の境遇だ、かつて生きた赤木しげるの様にまた生きるのも悪くは無いだろう、そう考えていた。

 

 しかし、先程からチラつく、天の言葉が。

 

「赤木しげるがやり残した……家族……こいつを築きましょう!」

 

 嗚呼、暖かい言葉だった。

 

「来てください……!俺んとこへ……!」

 

 天は望まなかった、赤木が孤独のまま死ぬ事を。しかし、赤木は孤独を望んだ自分への因果応報だと切り捨てた。好きでやってきたツケが回っただけだと。ならば、その責任が今となって回って来たのではないか。

 赤木が今まで好き放題生きて来た傍ら、様々な事を取りこぼして来た。家族、親友等、人との繋がりを。

 もしかすれば、今の自分はそんなツケを清算する為にこの場所へ立っているのではないか。赤木しげるの第二の人生を、今まで赤木しげるが取りこぼして来たものを拾い集める為に使えと言う神の啓示なのではないか。

 

「クク……考えすぎか。ガキでもこさえろってのか」

 

 赤木は受け取ったシャツに袖を通し、ジーパンへ足を通す。ズブ濡れのズボンとシャツを洗濯籠へと放り込むと同時に照が脱衣所へと入って来る。

 

「終わった?」

 

「ああ」

 

「なら、頼みがある」

 

「……言ってみな」

 

「半荘、付き合って」

 

「…………」

 

 先程からどうもこの照と言う少女に興味が尽きない。麻雀の上手さ云々では無い。博打を打つ者に必要不可欠な資質、揺れない心。自分の読みと心中出来る心の強さをこの少女は持っている。

 しかし、それも自分より格上の悪鬼達にぶつかった時どうなるか分からない。赤木はこの少女に、ある男の顔を重ねていた。

 

 

 井川ひろゆき。赤木や天に出会い、その人生を180°反転させた男。最初は只の麻雀が上手い程度の学生だった。しかし天やその周りの強敵と闘っていく内に、己の道を見つけ、不器用ながらも熱い麻雀を打つ男になっていった。赤木はそんなひろゆきの事を非常に好いており、最後の別れ際に生きる道を指し示した。

 そんな熱い三流の男、ひろゆきを思い出した瞬間、赤木の口から意図せず思わぬ発言が零れていた。

 

「俺と、打ちたいのかい」

 

 それはただ共に卓を囲みたいと言う意味では無い。赤木と打ち、己の腕を見つめ、更に赤木の麻雀を吸収したいのか、と言う意味が込められていた。照もその気だったのか強く頷くと、赤木は参ったなと溜息を吐いた。

 赤木が今まで避けて来た道、家族。これは十年後でも良いだろう。ならば他の道、後進へ今まで赤木が培った麻雀を伝える事。赤木は麻雀の指導をした事は人生で一度も無い。赤木と麻雀を打った強者達は皆、その感性で赤木の麻雀を感じ取り、ある者は対抗意識を燃やし、ある者は自分の物にしていった。そもそも赤木の麻雀を真似出来る人間はこの世に存在しない、それは天賦の才なのだから。

 と言っても赤木はそこでこれを切るべきだとか、待ちの読み方だとかの能書きを垂れるつもりは微塵も無い。この少女にはもっと別の所、理外の強さがあると言う所を知って欲しい。

 

 

「クク……随分丸くなったもんだ」

 

 照は赤木に魅入られ、赤木も照に魅入られた。

 今この場に立っている赤木は間違い無く赤木しげるだ。しかし、生前とでは少し考え方が変化していた。赤木しげると言う自分を貫いて終えた人生、それを全うした今、考え方が少し柔らかくなりつつあった。

 

 

 

 照は一度、この男と本気で打ってみたい、帰り道はその事ばかり考えていた。今の自分がどれ程この男と戦えるのか、高校生相手ならば和了り続けているだけで終わる。しかし、この男にそれが通用するのか。

 

 確かめたい、何よりも。

 照はその場に入ってくれる事となった菫と淡に感謝し、赤木の返事を待つ。

 

「卓はあるか?」

 

「うん。二階、付いて来て」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 こうして赤木との邂逅を果たした菫と淡だったが、その印象で特に目立ったものは無かった。嗚呼、今からこの男子は哀れにも照の手によってそのプライドをズタズタに引き裂かれる事になるのだろう、菫は腕自慢は身内の中で留めておけばいいものを、と溜息を吐く。

 

「ねえ、お名前は?」

 

「赤木……赤木しげる」

 

「へえ。しげる君か、テルと何処で知り合ったの?」

 

 突然の質問攻めに、赤木は困った様に照に助けを求める。照は仕方無いと淡に質問を返していく。

 

「雀荘で知り合った」

 

「へぇー。テルがフリーの雀荘に?」

 

「雨宿り」

 

「ふーん。歳は?いくつ?」

 

「…………?」

 

 照は首を傾げながら赤木へと視線を向ける。赤木はやれやれと言った様子でどう答えたものかと考える。今の風体は恐らく赤木が中学一年、つまり十三歳の時の姿だろう。しかし、馬鹿正直に答えるのもどうかと考えた赤木は、便宜上高校生程の年齢でいいかと結論付ける。

 

 

「……十六」

 

「って事は一年生?」

 

 此処辺りで赤木は面倒になったのか、淡の返事を適当に頷いて返す。

 

「へぇー、同い年かぁ……私は大星淡、よろしく!」

 

「弘世菫だ、よろしく」

 

 菫は見えてきた全貌に、成程と言った表情で頷く。恐らくこの雨で照は雀荘へ雨宿りに行ったのであろう。そこでこの少年と出会った。少年が照にお願いしたのだろうか、分からないがそう言う運びだろう。それにしてもよく照がそれを了承したものだ、おまけに着替えまで。

 

「じゃあ、始める。頭ハネ有、赤無しそれ以外のルールは特に指定しない。ただの半荘」

 

「トップが一位?分かりやすいね」

 

 麻雀の優劣は運に左右されやすい。故にプロの公式試合等では年に凄まじい回数の半荘をこなす。しかし、そんな膨大な時間は照に存在しない。部に参加している以上、練習には参加しなければならないのに加え、インハイの日も迫って来ている。

 ならば、己の全てをこの半荘に注ぎ込むと決めた。これで何も得られなければ、それまでの人間だったと言う事だ。

 

 

 

 四人はそれぞれ座順を決める牌を掴み、淡は引いた西を自動卓の中へと放ると席に着く。上家に赤木、対面に菫、そして下家に照。起家は菫となった。

 

(良いねー、上家にしげる君か。甘い牌いっぱい頂戴ね)

 

 淡は何処となく調子の良さを感じ、体の底から力が溢れてくる様に感じた。今ならこの半荘中、ずっと他人の配牌を地に落とす事も容易いだろう。その証拠に配牌に目を落とした瞬間、菫の顔が若干引き攣ったのが見えた。照も赤木も顔には出さないが五向聴なのは間違いないだろう。

 

「なんだこりゃ、クク……良い配牌だな」

 

 赤木は喉を鳴らしながら思わず笑いをこぼす。第三者視点から見れば三人の配牌は酷いものだった。

 照の配牌には自風となる北以外の字牌が点々としており、面子もまるで出来ていない。

 菫の配牌は一見国士寄りの配牌に見えるが、三四五の面子が一つ、別色の六の頭が一つと向かうにしても遠すぎる微妙な手だった。

 赤木の配牌は発言とは裏腹に典型的なチャンタ気味の配牌。しかしチャンタを目指すにしろ公九牌の対子が一つも無く、一三や七九等の嵌張が目立つ。普通ならツモってる内に両面へと移行するであろうが、断ヤオを付けるのは難しくなり打点は落ちる。良くて平和止まりと言った所だろう。ドラの五萬を持っているのが救いだろうが、今の手には絡み辛い所だ。

 

 菫が切り出したオタ風の西、その牌に誰も反応する事無く赤木のツモ巡、ツモって来た牌は一索、浮いていた一索に重なる形で入る。普通の人間ならばとりあえず頭が一つ出来たかと考える所だろう。

しかし、赤木はこの手の行く末を見据えその為の第一歩を切り出した。

 

「あれれ」

 

 赤木が切り出したのはドラの五萬、淡は真っ先にチャンタを思い浮かべ、純チャンまで伸びると面倒そうだなと考えたが、この局にその心配は無さそうだった。

 

(んふふー、指が六本まで折れてるよ)

 

 タンヤオ、平和、二三四の三色、ドラドラ。この手を完成させるまでに四筒を引けば完璧だ。淡の手は配牌の時点で既に一向聴、もう一つの順子は七八萬であり、此方が入ってしまうと三色が消える可能性が生まれ、九萬を引いてしまうとタンヤオが消える。逆に一筒を引いてしまっても三色とタンヤオが両方消えてしまう。

 四筒かつ和了りが六萬なら文句無しの倍満。

 

(ま、今の流れなら……当然)

 

 

「リーチ!」

 

 

 淡がツモって来たのは四筒、これしか無いと言うツモを一巡目に引き当てる。

 これにダブリーを加えれば倍満、ツモってウラウラで三倍満まで見えてくる。もし九萬の安めを引いてしまっても跳満確定、ドラを乗せて倍満、行かない手は無い。

 

(暗刻が欲しかったけど……まあそれは欲張りだよね)

 

 淡は浮いていた一索を場に叩き付け、リー棒を卓の中心へと置く。

 

 

 何故彼女が暗刻を欲したのか、それは彼女が、最後の牌山に差し掛かる直前、暗カンを仕掛けると、その後の和了りでその裏ドラがそっくりそのままカンした牌に乗る。

 荒唐無稽な話に思えるが、何度もそうやって対戦相手を屠ってきた。それを裏付ける科学的根拠は無いのだが、淡は必ずその方法で和了る事が出来る。照達の配牌が非常に悪くなっているのも、確実に淡の影響を受けている。

 それはもう牌に愛されているとでも言う他無いだろう。このダブリーにも同じ事が言える。ダブリーで倍満が殆ど確定しているなど、同卓した人間からすればやっていられないと匙を投げてしまいそうになる。

 絶対的な運気を引き寄せる、勝つ為の手段の一つだ。場にはまるで雲の様に運気が漂っていると赤木は考えている。その場に居る者の運量により、相対的にその場の運量は増して行く。ならばそんな者達が集う卓で、その運量を一気に引き寄せたなら、その者の手がどうなるかは言うまでもない。

 淡は得意であった。その場を支配し、運や流れを我が物にするのは。

 

 

 

 しかし、赤木からしてみればそんなものは過ぎた玩具だ、と言わんばかりに。

 

「ポン」

 

 その一索を鳴いた。

 

 

 



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卓上で踊らされる少女達 其の二

 この時、淡、菫の思考はピタリと一致していた。

 

(一発消されちゃった……)

 

(一発消しか……まあ彼の配牌も酷いものなのだろう。チャンタへ向かう繋ぎの一索ポン……)

 

(…………)

 

 赤木は手に浮いていた八筒を場に切り出す。これで赤木は一索の一鳴き、そして手に余ったのは白、西、北。そして穴空きの辺張や嵌張。そして浮いた中張牌。

 淡はツモってやると意気込むと、勢い良くツモ山に手を伸ばし、オーバーアクション気味にツモ牌を振り上げた。

 

「あれ、ケチついちゃったかなあ」

 

 淡が再びツモって来た四筒を場に切り出すと、照はようやく自分のツモ番かとツモ山に手を伸ばす。この局はもう淡の勝ちで殆ど決まっているだろう、それ程照の配牌も酷い。

 六萬をツモった照は、淡に臭そうな所を握れたと手中に収め、南を切り出す。

 菫のツモ番、せめてこの白が重なってくれればと淡い期待を抱きながらツモ牌を手牌の上へと乗せる。その祈りが通じたのか菫は白を重ね、これで何とか闘えるかもしれないと浮いた八索を切り出した。ダブリーを絶対の根拠で読み当てるのは不可能に近い芸当である。巡が進めば筋や壁が見えて来るだろうが、まだ河に見えたのは六枚、読めと言う方が不可能だ。

 これで当てられたのなら交通事故と切り出した八索だったが、淡からの発声は無く安心していると。

 

「チー」

 

 別の場所、自分の下家から声が上がる。

 赤木は七九索を倒し、八索をチーするとノータイムで場に白を切り出した。

 

「ポ……ポン!」

 

「えー」

 

 ツモ番が回って来ない事に不満の声を上げる淡だったが、菫はこっちの苦労も知ってくれと白を卓の右下へと晒す。

 そして菫の切り番、赤木は典型的なチャンタか純チャンのニ副露、ドラは絡まない為、振ってしまっても痛くないだろう。しかし、淡の影響を受けているのであれば、まだ赤木は聴牌を成していない筈だ。しかし念の為と、菫は少しでも自分の手を進める為、かつ赤木に当たる可能性のある三筒を切り出す。

 

「チー」

 

 またもや赤木から声が上がる。

 今度は一二筒を倒し、一二三筒の順子を右下へと晒した。これで三副露、赤木は流れる様に四筒を切り出す。

 照はまだ自分は一度しかツモっていないのにも関わらず、既に煮詰まっているその場に嫌な気配を感じた。この三鳴きで恐らく聴牌したのであろう。

 役は殆どチャンタで確定している、あの四枚の内、三枚で役牌の暗刻が出来ているとも思えない。

 それにしても菫の反応を見るに彼女も五向聴なのは伺えるが、この男だけ三向聴だと言われても驚きはしない。鳴くと言う行為、それは打点を下げ、和了りへと向かう近道だと考えていた照だったが、この男の鳴きはどうもそれとは違うようだ。

 

 

 

(何か凄い場が進んでるけど……聴牌してない……筈だよね……)

 

 淡も本能的に照と同じ焦燥感を抱いていた。まさか自分がリーチ後二度しかツモっていないのに、此処まで迫られるとは思っておらず、その不安を掻き消すために安牌か和了り牌よ来い、と念じながらツモ山に手を伸ばす。

 赤木の仕掛けの速さ、淀み無い牌捌き、この強かな男は本当に五向聴以上なのかと疑ってしまう。

 

(いやでも……さっき良い配牌って自分で言ってたし……何か不安になってきた……)

 

 

 大星淡は自信家だ、高校100年生だと自負する程には。自分の力にも自信を持っている。

 その時の赤木に嘘を言っている気配は無かった。恐らく赤木はしっかりあの手を見据えた上で、良い配牌だとぼやいたのだろう。赤木以外の人間が見れば、百人が百人凡手と即答する手であったが。

 

 

 

 

(うえええええええ……)

 

 引いてきたのは最悪、場に出ていない北。まさかこの倍満ダブリーがあんな千点のチャンタに負けてしまうのかと、その北を今すぐ窓から投げ捨てたい衝動に駆られるが、リーチ者の運命とは和了り牌以外を全て切り捨てる事。恐る恐る北を場に切り出すが、赤木からの発声は無い。淡は胸を撫で下ろすと、何故自分はダブリーで仕掛けておきながらこんなに追い詰められているのかと口を尖らせる。

 照のツモ巡、もうこの局に自分の和了り目は無いなと、ツモって来た四枚目の白を切りながらも、そろそろ淡が和了る気配を感じ焦っていた。

 

 そして菫のツモ巡、ツモって来たのは南であり、手が進まない事に焦りを覚えると同時に、赤木への差し込みを視野に入れ始めていた。

 淡がもしツモったなら、親である菫には手痛い出費となる。更に自分がこの手を進めた所で、遠い上に千五百点以外に成り様も無く、赤木に差し込むのが得策ではないかと考え始める。

 赤木は高くて純チャン、と言っても十中八九チャンタの千点だろう。聴牌すら怪しいこの局、千点の出費で終局が買えるのだ。親位くれてやる。

 と言っても赤木の待ちはまだ絞られた訳では無く、差し込みに拘る余り淡に直撃されていては目も当てられない。

 とりあえず、と九筒を場に切り出すが、赤木からの発声は無い。赤木はツモって来た牌を手中に収めると、手にあった北を切り出した。

 

(さあお願い……しげる君は何かと入れ替えたし……もう聴牌してるよね……)

 

 今度こそ、とツモって来た淡の顔は他者から見て明らかに引き攣っていた。

 震える手で、そのツモ牌、西を場に切り出す。

 

「ポン」

 

「ひっ!…………て、え?ポン?」

 

 

 てっきりロンの発声だと思っていた淡は、まさかの四副露目に拍子抜けしていた。赤木は右端の二牌を倒そうとしたのだが。

 

「おっと」

 

 コツン、と手が左の牌に触れ、その牌を倒してしまう。赤木は咄嗟にその牌の全面を親指で隠す、しかし、ほんの少し顔を覗かせていた黒字により、その色が萬子だと言う事は三人に明らかになった。

 

「悪いな、これは見せ牌か?」

 

「……私は別に構わない」

 

「緊張してるの?別に良いよー」

 

 見せ牌、それは麻雀の反則行為の一つで、手や袖がぶつかり牌が倒れてしまった場合、事故や故意に関わらず、その見せてしまった牌では和了れないと言うルールである。勿論公式戦では徹底されているが、家庭麻雀や身内の麻雀ならば許容されている事も少なくは無い。牌自体は赤木の指で隠されていたのに加え、か弱い男子生徒を囲んで見せ牌だと責め立てる場では無いだろうと菫と淡の二人は許容する。

 

「二人が良いなら」

 

 照の目をもってすれば、それは明らかに故意であった。いや、普通に見ればよくある只の見せ牌なのだが、赤木のそれは余りにも自然すぎたのだ。まるで意図して自然に牌を倒す事を演出したと思える程に、その動作に穴が無かったのだ。しかし、此処は声を荒げる場面では無い。赤木が仕掛けて来たのだ、ならば自分はそれを躱さなければならない。

 

 

 

 赤木はその萬子を手中に戻すと、淡の河から西を掴み四副露目として晒した。

 そして赤木の切り出し、三人共赤木が先程見せ牌した位置を覚えている、そちらを残せば赤木の待ちは萬子で確定する。三人の注目の中、赤木が切り出したのは八萬、つまり赤木が晒した牌とは違う牌を切り出していた。其処まで来れば、もう赤木の待ち牌は何かが確定する。八萬の右隣かつ、萬子の幺九牌。これはもう九萬以外有り得ないのだ。

 

(ふふ、迂闊だったねしげる君。この勝負私の勝ちだよ)

 

 淡は勝ちを確信しながらツモ山に手を伸ばす。例え九萬を引いてしまっても、自分の和了り牌、つまり同聴と言う事になる。更に言えば赤木は六萬を引いてしまうと逃げ場は無く、淡に振り込む運命となる。しかし、ツモって来た牌は南。ツモれはしなかったが、焦り無く切り出す。何故なら赤木と同聴、赤木にツモられない限り、自分の和了りは揺るがないからだ。残る危険は頭ハネ位だが。

 

(ま、もう九萬待ちは確定してる訳だし。テルも菫先輩も切らな――)

 

 

 

 

 

 淡に電流走る。

 

 

 赤木の手は千点と九萬待ちが確定。

 対して自分はダブリー、そして自分をよく知る二人にはこれがダブリーのみとは思われていないだろう。

自分ならどうするか。当然、ツモられる位ならば喜んで払うだろう、千点を。

 

 

「ッ――――」

 

 

 照のツモ番、淡は必死の形相で照の手に九萬が無い事を祈りつつ、ツモ山に伸ばす手を凝視する。そうしてツモって来たのは九萬、普通に考えるならばまさに欲しかった所だ。千点を払って流局、親も流せる。もし雀荘での赤木を目撃していなければ、確実に照はこの九萬を切っていただろう。

 

「……………」

 

 しかし、照はその九萬を手中に収めると、安牌として手出しの八萬を切り出す。照は匂いを感じた。この明らかに差し込めと言った九萬に匂いを。

 照が切った八萬に視線を移した後、ツモ山に手を伸ばした菫は、自分の手中に九萬が無い事に焦りを覚えていた。もし淡にツモられでもしたら、悲惨な親被りを食らう可能性がある。そんな事をしなくても千点でこの進まない手とダブリーの場を終わらせてくれる便利屋さんが下家に座っているのだ。当然依頼するに決まっている。

 まず握った感触は萬子、そして右手に握った萬子を恐る恐る確認すると、そこには「九」の文字。

 

 

 助かった、と。

 親が流れるのはまあ痛いが、それ以上に余計な出費は御免だ。菫は何の疑問も抱かずに九萬を切り出した。

 一方の淡は、やられたと手を伏せようとするが。

 

 

 

 

「へっ」

 

 

 

 赤木の手は何の淀みも無くツモ山へと伸ばされようとしていた。

 

「え、あ、ごめん!ロンっ!」

 

「なッ!?」

 

 急いで倒した淡の手、ダブリー、平和、三色、ドラドラ。そして当然の様に乗った裏を合わせれば倍満、菫の点数から16000点引かれる事となった。

 

「何で……」

 

「ん?どうかしたか」

 

 子供っぽく無邪気に笑う赤木に、菫は何も言えなかった。当然である、屁理屈を言えば麻雀に和了り牌を出されたら必ず和了らなければならないルールは無い。その時、照は赤木の狙いを察し、そして戦慄した。

 

 

 赤木は淡のダブリーに対し、和了りに行ったのではない。手を安く演出させ、かつ淡と待ちを合わせて振り込ませる為に動いていたのだ。その為には先ず淡のダブリーを読まなければならない。赤木が動いたのは一巡目の淡からの一索ポン。となると赤木はその時点で凡その察しを付け、九萬待ちへと手を寄せて行った事になる。そんな事が可能なのだろうか。そして自然な見せ牌、傍から見ればチャンプと麻雀を打って緊張している高校生に見えなくもないだろうか、落ち着いてはいるが。それを利用して自分の待ちを知らせる。そしてその罠に飛び込んで来るのを待つ。淡がツモるか六萬を自分が引く以外、この局の勝ちは赤木に向いていた。

 更に考えて見れば、他人に行って貰うと言う事は、自分の手が悪いと言う事だ。もし巡目が過ぎ、菫の手が良くなっていたら赤木に振り込む可能性は低くなっていた。この浅い巡目でチャンタを張ったからこそ、菫を淡へと振り込ませると言う曲芸染みた事をやってのけたのだ。

 

 同時に冷や汗を掻く、自分だって手中に九萬があった。一歩間違えれば、自分が食らっていたかもしれない、恐ろしい話だ。結果だけ見ればダブリーを仕掛けた淡のロン和了り。しかしその実、裏では赤木は全てを操っていた、あの無残な配牌で。

 

 

「…………一つ良い?」

 

「何だい」

 

「どうして淡の待ちがわかったの?」

 

「クク……さあな、ただの勘さ」

 

 

 此処まで来れば、菫、淡両名共に察する。

 成程、この男は記念に照と麻雀を打ちたいと言うそこら辺の高校生等では無い。照を倒しに来ているのだ。恐らくこの場における照の勝ちとは当然照がトップを取る事。しかし、淡はこの和了りで41000点を得た。まだ東一局が終了したとはいえ、淡を追い越す為の打点が必要になって来る。

 しかし、それでもこの男が照に勝つのは無理だなと考えた。この世界のプレイヤーは皆、ある種それぞれの和了り方で場を支配していく。淡ならば手を悪くさせ、最後の山で大物手を和了り切る。ならばこの照はどの様な和了りを見せるのだろうか、それは至極単純。

 和了る度に打点を上げ、兎に角和了り続けるのだ。そうなれば照、淡間の16000点と言う点差は東場の内に引っくり返る。

 

 

 

 照が場を支配すれば、もう手も足も出なくなる。しかし、場の支配、それは驚く程簡単に傾いて行く。

一局目に和了ったのは確かに淡だった。しかし、三人の配牌を見るに、先程の局は淡が物にした訳では無かった。

 そうなれば、淡が引き込んでいた運、流れ、それは全て何処へ行ってしまうのだろうか。

 

 

 

「まずまずだな」

 

 そう言いながら一巡目にリー棒を放り投げ、牌を曲げた赤木に他ならないだろう。

 

 



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葛藤する少女達 其の一

 赤木が中を曲げた事を確認した淡は、手牌をパタッと後方に伏せ目を細める。嗚呼、こんな屈辱を受けたのは何時振りか。運気、流れを初っ端から全て掻き集め、大物手のダブリーを仕掛けて行き、終わってみれば三人の向聴数はしっかり五向聴以上であった。それに加えその大物手をキッチリ和了る事が出来た。

 

 

 

 いや違う、和了らされた。

 赤木が和了らなかった理由は分からない。まさか菫を飛ばして終わらせると言う宣言なのだろうか、どちらにせよ。

 

「気に入らないッ!」

 

 淡はツモって来た牌を一瞬確認すると、手牌に入れる事無くその場に叩き付ける。

 

 

 

 

 

「リーチッ!」

 

 リー棒と共に。

 

 

 

「へえ」

 

 中々太い運だな、と感心した赤木だったが、本当に曲げてよかったのかと嘲笑気味に溜息を吐く。赤木を睨み付けた淡だったが、その人を嘲笑うかの様な笑いに対し、最初は怒りが沸いて来たが、徐々に一抹の不安を覚える様になってきた。自分の手はダブリーだがノミ手だ、二萬の嵌張待ち。しかし、淡の手には七筒の暗刻がある。ならば、赤木が和了りさえしなければこの局は淡の勝ちで揺るがない。

 

 赤木が、和了りさえしなければ。

 

「……………」

 

 サイコロの目は七、つまり最後の壁が丸残りしている事になる。其処へ辿り着くまでは、鳴きが入らなかったら最短で六巡。五巡目にカンを入れ、かつ最後の山で赤木から直撃を取ってやると鼻を鳴らす淡。それに鳴きが入ろうが関係無い、そうやって自分は何時もカンドラを乗せ、対戦相手を絶望させて来た。

 

 

 配牌を開いた照は、ほんの少し目を見開き驚いた。同時に菫も同じリアクションを取る。出来面子が既に二つ、二三四の萬子と二三四の索子。東の頭、先程の配牌とは雲泥の差である。この時点でこの場は淡の支配下から外れた事になる。淡と同卓すれば、配牌の向聴数は毎度五向聴まで落ちる。荒唐無稽な話だが、それが事実に加え本人でさえもそれを疑っていない。しかし、赤木はいとも容易く曲げた、しかもダブリーで。つまり此処は赤木の場、赤木が支配する場と言う事になる。

 

 

(赤木君の場………)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 赤木の場、ふざけるな、そんな嫌な話があるか。

 

 照からしてみれば、赤木の場となっている時点でこんな三色へ向かえと言っている出来面子ですら怪しく見えてくる。まさか三色へ向かうと其処で溢れる牌を赤木に打ち取られるのではないだろうか、と勘繰ってしまう程に。

 そうなれば話にならない、手が進まないからだ。あれも当たるこれも当たると思考を縛っていけば聴牌など夢のまた夢。

 しかし、麻雀とは面白い。必ずしも真っ直ぐ進む事が最善手とは限らないからだ。時には一歩引いてみる事も必要になる。そう、リーチが出来るからと言って、リーチを仕掛けるのが最善手と言わない様に。それはダブリーにも言えるのかと、照は淡の曲げた中を見ながら漠然と考えていた。

 

 

 早い内に赤木の本質を知っておきたい。能力は、基本的な打ち筋はと。照は和了る事が不可能と見た東一局は見に回っていた。今までだってずっとそうして来た。インハイ予選では同卓する全員の本質、打ち筋、手の内まで、まるで鏡に映ったかの様に易々と見えた。

 照魔鏡、何時からだろうか、それを認識する様になったのは。最初は朧げだったその鏡だったが、次第に鏡が形を成して行き、高校に入る頃には対戦相手を映す鏡が本当に其処にあるかのように思える様になってきた。

 

 

 照魔鏡とは妖怪、悪魔の正体や妖術を照らし出してあばくとされている鏡らしい。自分の名前が照なのだ、良く合っている名前だと思う。

 ならば、あの男の悪魔染みた麻雀も暴き出せるのでは、と対局前は考えていた。

しかし、今はどうだろうか、まるで卓上は靄がかかったかの様に薄暗く、淡と菫は辛うじて認識する事が出来るが、対面の赤木は鏡に全く映っていなかった。まるで霧が濃くかかった山頂で、向かいの山を凝視している様なもの。どんなに目を凝らしても見える筈が無い。だからあの三副露も非常に不気味であった、何時もならブラフか本手か、手に取る様に分かると言うのに。見えないと言うだけでこれ程疲れるのかと、照は東二局で既に疲弊気味な事を自覚し、普通の高校生相手に役満縛りで麻雀する方がまだ楽だなと自嘲気味に息を吐いた。

 ツモって来た牌は三萬、ドラが三萬な事を考えるとこれはいよいよ三色かと考える。しかし、まだこの手の行く末を見極めるのは早すぎると、浮いていた自風の西を切り出す。

 

 

 次いで菫のツモ、人和は存在しないが、ダブリー一発など当てられては堪ったものでは無い、自分の持ち点は9000点、下手をすれば飛んでしまう。第一ツモは六筒、とりあえず考えてみようと手の中へと入れる。先程と違い菫の手は軽く、かつ打点を秘めている。白の暗刻、そして一枚の發に加え、一通の種、萬子の一二三四六八九。

 自分の特技は狙い撃ち、照や淡の様に派手な力では無いが、相手の手を読み切りその溢れそうな牌を討ち取る。自分はこのスタイルを貫いて来た、かつ過信せず通用しないと見れば普通に和了る。

 

 今、この場で狙い撃てるのはリーチをかけていない照だけであろう。一言で簡単に言ったが、それがどれ程至難でかつ、茨の道かは想像するに難くない。

 二軒ダブリーを掻い潜りながら、照の手を完璧に読み切り、かつ自分の手を照の余り牌に合わせ切る。かと言って攻めなければ、自分のこの点数は南場を迎える事無く儚く消えてしまうだろう。

 

 

(行くも地獄、行かぬも地獄か……)

 

 自分は競技者だ。行かぬまま地獄へ堕ちて行く等あってはならない。しかし、進む地獄の第一歩は六筒、八筒、四索のどれかを切り出す事。

 狙い撃つ以前に手を育てて聴牌に向かわなければ狙い撃ちもクソも無い。この手を完成、かつ討ち取る事が出来たのなら、一通、混一、役牌、ドラ一。跳満の手を成就させる事になる。

 

 

 しかし、切れるのか、この三枚が。

 

 

 

 

 その様子を傍から見ていた赤木は、此処がこの女生徒の分水嶺だなと感じていた。最初は照との一騎打ちになると思っていた赤木だが、中々どうして、同卓した二人も照とはまではいかないがそれに近しい物を持っている。ならば、赤木は試練を用意する。越えなければ前に進めない壁を。

 その為にはあえて辛く苦しい茨の道を歩む必要がある。それはまるで水の張った洗面器に顔をつけ続けている様なもの、苦しさに顔を上げてしまったものから脱落していく。それを言えば、淡は少し危ない。流れを読まずにただ手にダブリーが入っていたと言う理由で曲げたのだろう。つまりそれは思考を捨てたと言う事になる、自分から考える事を放棄したのだと。

 そして菫は行くのかと、その手から放たれる牌に赤木は注目する。

 

 

 ダブリーなんて読めはしない、ならば突っ張るべきだ。何処か思考放棄の様にも思えるが、赤木はこれも立派な判断だと考えている。突っ張るのも、相手の待ちを完全に読み切った上で打牌する事も、どちらも立派なものが付き纏っている。

 それは揺れない心、突っ張ると決めたならそれを通す。待ちを読み切ったと思ったならそれ以外の牌を全て通す。ならば、菫は踏み出さなくてはならない、地雷原へと足を。

 

 

 

 

 

 

「っ…………」

 

 菫は先程から下唇を噛み、その鉛の様に重い四索を切り出せずにいた。

 楽になりたい、どうせ二軒リーチだ、今の自分が追いつける筈は無い。この白の暗刻を落としていこう。

 

(それが出来ればどれ程楽になれるか)

 

 

 

 此処で突っ張って飛んだらどうする、たった二局で無様に終わってしまう。

 

 

 

(…………ッ!)

 

 

 空気が重い、菫はお茶を濁す様に溜息を吐きながら窓の外に目をやる。白の暗刻落とし、百人がそれを見たら何人賛同するだろうか。点数を削られた自分の手には大物手の気配、しかし親と子の二軒ダブリー。ならば仕方が無いのではないか。

 

 

(言い訳をするな)

 

 

 頭の中で行くか引くかの思考がグルグルと渦巻き、それはやがて鬩ぎ合い葛藤になっていく。

 ふと思えば、何処か自分は何時も逃げていたのではないか。団体戦で先鋒に居座る照が点数を鬼神の様に稼いで来る。自分達はそれを守りつつ丁寧に捌いていく。

 もし点数が必要になっても、大将の淡が荒稼ぎをする、自分はただその二人に甘んじているだけなのではないか。

 

 

 何時の間にか、そう考える様になっていた。自分に照や淡の様な大層な力は無い、あるのは地味な特技、狙い撃ち。ならば仕方が無いのではないか、この二人は牌に愛されている。自分とは違う領域に居るのだ、そんな二人と肩を並べられる筈が無い。もし突っ張ってそんな三人の勝負に水を差すのは如何なものだろうか。

 ならばと菫は白に手を伸ばす。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「クク……これじゃあ誰の為に麻雀打ってるかわからねえな」

 

「…………」

 

 自分の為だ。

 

 

 

 と答えられる筈も無い。今まさに、三人の勝負の邪魔はすまいと白に手を伸ばしていたからだ。だが仕方無いだろう、競技者としては無論トップを取りたい、しかし――。

 

 

「……………」

 

 今すべきなのは、白糸台高校麻雀部部長としての打牌か。それとも、一選手としての打牌か。

 本当の強者と相対した時、その人間の本当の本質が見えて来ると言うが、自分はどうだろうか。

 

 此処で白を切るのが、自分の麻雀なのか。

 

 

(違う……)

 

 

 此処で照や淡の顔色を覗って、自分の手を投げるのが二人の為になるか。

 

 

(違う…!)

 

 

 此処で決めるのは、一通、混一、役牌、ドラ一の跳満。

 なら、この手は白を切るのか。

 

(違うッ!)

 

 

 自分は白糸台高校麻雀部部長以前に、麻雀選手の弘世菫だ。

 なら歯を食いしばれ、逃げるな。勝負を邪魔してしまう等という言い訳に感けて勝負を投げるな。

 

 

 

 菫は歯を食いしばり、その鉛の様に重い四索を手に掴むと、場へと叩き付けた。

 選んだのは修羅の道。赤木はその魂を振り絞り切り出した四索を満足そうに見つめると、ツモ山に手を伸ばす。

 

 

(残念だが、この局、俺の目は無くなったな)

 

 

 赤木は九筒をツモ切ると、右端にある一枚の白を見つめた後、その手を伏せた。

 

 



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葛藤する少女達 其の二

 菫が勝負に出た、切る牌を見ずともあの気迫溢れる切り出しは勝負に向かったと察する事が出来る。菫の向聴数も恐らく五向聴以下では無いのだろう、ならば最後のツモ山へ辿り着く前に振り込んでしまう可能性がある。それを危惧しながらツモ山に手を伸ばし、ツモ牌を確認する。ツモは四萬、現在淡の待ちは一三萬の嵌張待ちであり、リーチをかけなければ打一萬の両面へと移行していた所だろう。

 ミスとは言えないミスだが、ダブリーをかけて一発目に裏目を引いたのは人生で初めてだと断言出来る。普段の相手なら何も気にせず打った四萬だったが、淡は少し手を止めてしまう。そして淡の心でほんの少し、不安の種が芽を出し始めた事に本人は気付いていない。無論リーチ者である淡はその四萬を切り出すしか無い。

 淡が切り出したのを確認した照は牌をツモり、菫が進んだ今まだ攻める時では無いかと考え現物の四萬を切り出した。

 

 菫のツモ巡、ツモって来た牌は五萬。絶好の所を引いたと安堵しながらも、突っ張ると決めた菫は六筒を切り出す。横目で菫の打牌を確認した赤木はツモ山に手を伸ばし、それを掴む。

 その瞬間、赤木はワザとらしくツモって来た牌を見つめると、目を瞑りククッと短い笑いを漏らす。そしてツモ切られた牌を見て淡は思わず生唾を飲んでしまう。

 

 

 

 

 その牌は五萬。

 

(ッ………)

 

 

 ダブリーに逸らず、一巡待ってリーチしていれば、その五萬を討ち取る事が出来た。

 

 

(……結果論)

 

 そう、それはまさに結果論ではあるが、ダブリーとリーチ一発の点数が同じ事もまた事実であった。今までダブリーで裏目を見た事など無かった。淡からすればこのダブリーは至極当然、何故ならダブリーをかければ自分は必ず和了れたからだ。

 しかしこの時、ダブリーをかけずにそのダブリーより早く和了れる道を目撃してしまった。淡は気にすまいとツモ山に手を伸ばすが、確実にその不安の芽は淡の知らぬ所で育って来ている。

 淡はツモって来た九筒を切りながら、その事実を忘れようと雑念を掻き消す様に顔を左右へと振る。

 

 次巡、四順目の淡のツモは西、淡は次のツモで七筒をツモりカンを入れる。それは何度もこなして来た予定調和であったのだが、淡はそれに対し少しの不安を覚えていた。

 果たしてこの場で自分は七筒を引いて来れるのであろうか。こんな弱気な事を考えたのは初めてだ、此処でカンを入れる牌をツモって来る事は淡からすれば余りに当然の筈だった。

 

 そして次巡、次のツモから最後の山に入る。ならば此処で自分は七筒を引く筈、と少し震える手をツモ山へと伸ばして行く。ツモ山から掴んだ感触はピンズ、恐る恐る親指をズラしていくと、そこから顔を覗かせたのは七つの丸。

 

 ほっ、と。淡が安堵の溜息を漏らしたのも束の間、やはりこの自分の判断は間違っていなかったと自信を取り戻す。相手には五向聴以上の手牌があり、人生で初めて裏目ったダブリーを経験した淡だったが、やはり自分の力はその程度で揺らぐ事は無い、そう確信し伏せていた手牌を開け、七筒を倒す。

 

「カンッ!」

 

 このカンで赤木に引導を渡してやると意気込んだ淡は先ず嶺上牌をツモって来る。その牌は發、まあこれは大丈夫だろうと考え、新ドラを捲りに行く。

 此処で表のドラも乗せる事が出来れば、淡の打点は凄まじい事になる。そうなれば一撃でこの対局を終わらせる事が出来るかもしれない。そうして捲った新ドラは中、自分とは全く関係の無いドラな事もあり、直ぐに目線を河へと戻すとツモって来ていた嶺上牌の發をツモ切る。

 

 

 

 

 

 

 

「ロン」

 

「えっ?」

 

 

 

 

 その発声と共に牌を倒したのは赤木では無く、対面の菫。

 

「白、混一、一通……ドラ4。倍満は16000点」

 

(ドラ……4ッ……!?)

 

 

 そう、それは今まさに自分が乗せた新ドラ。それは菫の手にある白にそっくりそのまま乗り、そのツケの清算を自分が払う事となっていた。

 先程の局と正反対の点数移動が起きるが、赤木と淡の点棒を手にした分、菫の点数が淡を上回った。

 

 

(…………もし)

 

 

 淡がカンを入れなければ、新ドラが菫の手に乗る事も、自分が發で振り込む事も無かった。しかし、淡がその七筒をカンする事は余りにも当然であり、ミスとは言えない。

 仮に赤木や照が全く同じ立場で同じ振り込み方をしてしまっても、両者共その振り込みを微塵も気にする事無く、平然と次の局をこなすであろう。

 しかし、淡は今までその戦法に支えられて麻雀を打ってきた。相手の配牌が悪くなる事も、自分がダブリーで和了る事も、当然のものとして麻雀を打ってきた。

 それが崩れてしまった今、淡を支えるものが残っているのだろうか。

 

 

 菫も、照も、今まで苦悩し、葛藤し、芯を通し麻雀を打ち続けた。もし躓きそうになった時、それを支えるのは確固たる何か。菫は先程揺れ動く感情の中、自分が今まで打ち続けて来た麻雀選手の弘世菫としての打牌を信じてその一歩を踏み出した。照も同様であろう。

 ならば、今まで淡を支えていた物は何か、それは自分が有利に試合を支配していると言う自信。相手が五向聴ならば即リーなどの聴牌に怯える事も無い、自分の手にはダブリーが入る。何も考える事無く牌を曲げればよい、どうせドラのお釣り付きで戻って来る。

 それが崩された時、何に頼れば良いのか。

 

 

 

 

 

「………………」

 

 

 

 

 分からない、何故ならそれが崩された事等一度も無かったから。

 

 

 

 

 

 

 淡を支えるものは余りに強力で、余りに脆かった。

 

 

 

 

 

 

 

 東三局、淡の親。

 順位は現在27000点の菫がトップであり、次に点数の出入りをしていない照の25000点。最後に点棒を失った赤木と淡の24000点。

 普段の淡なら、点数を稼ぐぞと意気込んでサイコロを回すのだが、淡は覇気の無い瞳を浮かべ、卓の中心へ人差し指を伸ばしサイコロを振る。出た目は対面、ドラは六萬。

 

 淡はもう自分の手はボロボロだろうと考えていたのだが、配牌を開いた瞬間、淡は目を見開き驚愕していた。

 三五萬に九萬の暗刻、加えて三四五の筒子、七八九索に西の対子、そして白。あわや天和かと思えるその手は、既に打白で四萬待ち聴牌。先程に続き再びダブリーの嵌張待ちの手であった。

 

 

「…………」

 

 五分前の淡ならば、ノータイムどころか思考の余地を残さず白切りのダブリーに向かっていただろう。しかし、先程のダブリー裏目からの嶺上牌の討ち取り、それがその白を曲げさせようとしない。もし次のツモでまたもや両面へ切り替える事の出来る牌を引いてしまったら、もし次のツモがドラの六萬なら両面へ向かいつつドラを確保出来る。

 

(ダブリー……でも、二萬か六萬を引けば……)

 

 

 ダブリーが出来るにも関わらず、ダブリーをしない等そんな話があるか。淡は当然の様にそう考えていた。だからこの白は曲げるべきだ。

 しかし、手が動かない。先程の裏目、そして自分のカンによる菫の倍満。その事ばかりが淡の頭をぐるぐると回り始める。

 

 

 ポンッ、と、淡はそのまま何も考えず白を置いた。しかし、淡からはリーチ宣言も、リー棒も無い。とりあえずは様子見で良いだろう、淡はそう結論付けその白を河へと落とした。

 其処に思考も葛藤も、決意も存在しない。兎に角巡目が進んでから考えれば良いと、皆がツモっている様子を伺いながら漠然と考えていた。

 

 そして二巡目、殆ど思考を放棄している淡が手に取った牌、それは。

 

 

 

「ッ――――――」

 

 

 淡がツモって来た牌は四萬。

 開いた口が塞がらないとはこの事だろうか、ダブリーをかければ一発ツモだったのだ。その瞬間、淡に何故ダブリーをかけなかったのかと言う後悔の念が鬩ぎ込んで来る。

 もしリーチをかけていればダブリー一発ツモ、この時点で四十符三翻の3900オール、ドラが一つでも乗れば文句無しの親満ツモである。

 

 結果的に淡はダブリーをかけなかった。その結果、そこにあるのはツモのみ700オール、これが今の現実だった。赤木ならばその手を絶対に倒さない。それを倒すと言う事は、自分が弱気になってダブリーをかけずにノミ手をツモりましたと宣言する事になるからだ。

 しかし今の淡には、その和了りを引っ込める事は出来ない。親の連チャンと言う背景に加え、その和了りを見逃す勇気も無い。

 

 

「……ツモ、700オール」

 

 淡の手牌の付近へと2100点が集められる。淡はその点棒を見ながら自暴自棄寸前になっていた。すると、赤木は王牌へと手を伸ばし、裏ドラを捲り卓の中央へと静かに置く。

 無論リーチをかけられなかった裏ドラなど淡は見る気が無かった。見ても何もメリットが無い。

 

 

 

 

 しかし、其処に差し出されたなら、見てしまうのが人間の性。

 

 

「っ……八萬……」

 

(……意地悪な人)

 

 裏ドラは八萬、つまりダブリーをかけていれば淡の手はダブリー、一発、ツモ、ドラ三の跳満6000オールにまで跳ね上がっていた。

 ワザとらしく裏ドラを見える所へと置いた赤木の嫌らしさに、淡の心中を察する照であったが、一歩間違えれば自分もこの男に惑わされかねない。淡には悪いが反面教師にさせて貰おうと照は心に誓う。

結果的には親の連チャンであったが、其処には何も残っていない。

 あるのは弱気になり、和了りの点数を十分の一近くまで減らしてしまったと言う結果だけ。

 

 

 

 東三局、一本場。

 ついに淡の配牌は聴牌どころか五向聴まで落ち、ドラも絡まず辺張や嵌張が目立つ。淡はグチャグチャになった頭を整理する事も出来ず、ただチャンタ目指して外へと寄せて行き始める。

 チャンタに関係の無い中張牌を引けばツモ切り、幺九牌を引けばとりあえず手に残す。それを繰り返していた淡の末路は言うまでもない。

 

 

「ロン、一本場の七対子のみは1900」

 

「ッ……」

 

 手を倒したのは再び菫であり、その手は七対子のみではあったが、菫は前巡に北を切っている。それは字牌が殆ど切られている場に既に二枚出ており、七対子の待ちとしては絶好の北。

菫はそれを捨ててまで九萬待ちを選んでいた。何故ならそれは淡の浮き牌であり、他の面子が揃えば切り出される予定だった九萬。

 点数は大した事無いものの、狙い撃ちをされた本人の心にはヒビが入る。何故なら自分の手を読み切られた上で和了られた事が明確になるからだ。今の淡の手を読み切る事は、数々の浮き牌を討ち取ってきた菫からすれば余りにも容易かった。

 ヒビが入りかけていた淡の心に、更に大きな亀裂が入る。そして次局は照の親、もし照が五向聴の縛りを無くしたのなら、今から何が起こるかは想像するに難くない。

 

 

「………………」

 

 

 東四局、淡の手牌はまたもや五向聴、もはやどうすれば良いか分からなくなった淡は、ただ聴牌へと向かう打牌をしようと浮いた南へと手を伸ばす。

 

 

 

「……見てられねえな」

 

「……だって、どうすればいいか分からないんだもん」

 

「何だそりゃ、打てばいいだろう、麻雀を」

 

 

 淡は赤木の言っている事が理解出来ない。今自分達が打っているのは間違い無く麻雀である。

 

 

「麻雀うってるよ」

 

「どうだかな、俺から言えばそんなもん、ただの絵合わせだ」

 

「…………わかんないよ」

 

「クク……まあ見てな」

 

 

 

 



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葛藤する少女達 其の三

 赤木のその言葉に一番反応を示したのは現在親番の照であった。此処で稼いでおかなければ、次の親番まで回ってくるかどうかも怪しいのだ。

 二巡目にして照の手は順子が並び、浮き牌の九萬か西に重なる形で頭が出来れば聴牌であった。しかし待ちは一三索の嵌張待ちであり、四索を引き入れての両面へと移行したい所であった。

淡の南切りを横目にツモって来た牌に目を向ける。ツモって来た牌は九萬であり、浮いていた九萬に重なる形で引き入れる事が出来、安堵しながら九萬を手牌に落とす。

 此処で照は選択を迫られる。両面を追って手を回すか、即リーチか。どの道ドラは絡んでおらず、リーチで裏ドラに期待した方が打点に望みがある。しかし、照の麻雀は一局一局を切り離して流れを掴むものでは無く、最初に小さい和了りを決め、そこから流れを掴んでいく。

 

「………………」

 

 何時何処で打とうが、この手は嵌張の役無し聴牌を取る。それは貫いて来たものであり、絶対の自信がある。牌を曲げなかった事を確認した菫は目を見開き、脳内へ凄まじい勢いで思考を流し込んでいく。狙い撃ちに必要なのは情報、つまりその打ち手がどの牌を欲し、どの牌を不要とするのか。

 無論河も情報の一つにはなるが、最も大切なのは人間を観察し、その挙動を読み切る事。

 

 

(視線は……一瞬手牌の左端へ向いた。照ならば、今のツモ巡で聴牌していてもおかしくはない)

 

 それはまるで論理パズル。一つ一つ慎重に読み解いていき、一つの答えを出す。

 

(つまり回した、端牌の入れ替わりを狙って。思い出せ……あの端牌は……上下を入れ替えたかッ……)

 

 菫は必死に思い返す。理牌の時など自分の手は二の次、必要なのは打ち手がその配牌をどの様に並べたのか。

 

(照は……あの端牌の上下を入れ替えた……)

 

 無論、上下を正す必要の無い牌であった場合、その観察が無為に終わる事もあるが、今の菫にはツキがあった。上下を入れ替える端牌、それは萬子か索子に限定される。

 

(照が流局時倒していた牌……索子は一番左に寄せている事が多かった……)

 

 萬子、索子、筒子、それぞれの並びを入れ替えるプレイヤーは多々いるが、それでも癖として多少偏りが出て来る。親番、自分の流れとして向かった打牌、そこにはいつもの照が存在する。ならば照が最も多く左端に寄せていた索子が、今回も左端になっている可能性が高い。

 元々絶対の根拠などありはしない。しかし、その中でその読みをいかに信じ切れるか、それが勝負の命運を分ける。

 

(照の端牌は索子……それも一索……確かその右牌の上下も入れ替えていた。二索ならば入れ替える必要は無い)

 

 つまり、照の手は一三索の嵌張待ち、それの両面への移行を待っている。頼りない情報が多いが、菫はこの自分の判断を信じる。己が道を信じなければ、勝ちなど拾える筈も無い。先程も己を貫いたからこそ、淡を討ち取る事が出来たのだ。

 菫はツモって来た牌を手牌に落とし、一三索の両面移行の余り牌、つまり一索を討ち取る算段を付ける。

 しかし菫の手牌に一索は無い、それどころか二索三索も無く、今この時点で一索に待ちを合わせる事が出来なかった。しかし、他の面子は綺麗にまとまっている。今ツモって来た牌で二萬が暗刻になり、前巡のツモは順子に重なっており六七八筒の一盃口が成立している、加えてドラドラのおまけ付き。浮いた牌は六七九萬に白中、菫は場に一枚の中を切り出しながら、五八萬か一索を引き入れる事を期待し赤木のツモに注目する。

 

 先程何か仕掛けて行くとも取れる発言をした赤木だったが、その打牌は傍から見れば平凡なものだった。並びから察するに、浮いた字牌を切り出しつつ中へと寄せているのだろう。今手出しで切った北も明らかに浮き牌、河に並んでいるのは九索と北であり、典型的な断ヤオ平和手。何か仕掛けて来る人間の気配は感じられなかった。それを感じていたのは照も同様で、逆にそれが不気味さを演出していた。

 淡は言われたからには、と。赤木の一挙一動を見逃さず、ツモって来た牌をツモ切りながらも無難な手作りを進めて行く事を決める。

 

 照のツモ巡、不要牌の九索をツモって来た事を横目で確認すると、河へと切り出していく。恐らく後三巡以内には聴牌を取れる。それに根拠は無いが、自信はあった。

 菫は間に合うか、と祈る様にツモ牌に目を向ける。しかし、ツモって来たのは不要牌の八索。逸る気持ちを落ち着かせながら、八索をツモ切っていく。あの発言、恐らく、赤木も照の浮き牌である一索を狙って来るのであろう。しかし、同聴であろうと先に牌を倒すのは此方である。

 

 赤木のはツモって来た牌を手牌の中へと落とすと、ノータイムで二索を河へと叩き付けた。それは照のロン牌だが、役が無い今はまだ和了る事が出来ない。菫は赤木が二索を切り出した瞬間、照の挙動に注目する。どんな人間でも役無しのロン牌が切り出されたのならば、もしリーチをかけていれば討ち取れていたかもしれないと言う後悔が襲う。それは人により程度が異なるが、照にはその気配が全く無かった。

 

 

「クク……器用なもんだ」

 

 

 益々照の姿がひろゆきと被って来る。赤木も菫と同じく、照の待ちは一三索と読み切っており、カマをかけるつもりで切り出したものの、その二索には全く興味を向けなかった。

 自分が行くべき道を決めたなら、道中どんな事があろうが絶対にブレ無い。しかし、赤木はただ余り牌を追う事のみが打ち崩す手段では無いと自分の手牌に目を落とした。

 淡のツモ切りを確認した後、照はツモ山に手を伸ばす。引いて来た牌はまたもや不要牌、北を切り出すと、次巡かその次へと期待を寄せる。

 

 恐らく此処で手を進めなければ間に合わない。照が己の道を進みリーチをかけ、其処で和了られでもしたらもう手も足も出なくなる。

 菫の願いが届いたのか、ツモって来たのは八萬であり、これで萬子の並びは六七八九萬となる。この時点で菫の手は一盃口ドラドラ、リーチをかければ四翻。ツモならば文句無し、ロンならば十符追加に加え単騎待ち扱いのプラス二符、それで満貫が確定する。しかし菫はこの手を曲げても恐らく照に打ち負けるであろうと言う確証があった。

 点数を追い自分が決めた事を曲げた者に良い結果はついて来ない。菫は白を切り出すと、残りの猶予が最低一巡しかない事に焦りながらも打牌を目で追っていく。

 

 

 菫から見れば赤木に不自然な所は存在しない、今も二筒をツモ切っており、普通に和了りへと向かっている様に見える。淡は赤木へと意識を向けており、その手牌は聴牌とは程遠いだろう。

 そして照のツモ巡、此処で曲げられたならば、この局に自分の目は無くなってしまう。菫は照の挙動に注目するが、照はリー棒を出す事無く牌を河へと切り出した。

 

 

 

(間に合えっ……)

 

 

 

 勝利の女神、その握手を求めるようにツモ山へと手を伸ばす。

 

 

 

 

「ッ――」

 

 そして引き入れたのは一索。間に合った事、そして自分の読みを貫き一索聴牌へと合わせる事が出来た事に胸を撫で下ろす。

 恐らく次巡照は聴牌する。それもロン牌へと一切反応を見せる事無く辿り着いた両面へと。照にこの狙い撃ちは悟られていない筈だ。場を見渡す照でも、恐らくあの様な発言をされてしまっては赤木へと注意が向いてしまう、その一瞬の隙を討つ。

 

 菫は九萬へと手を伸ばすと、河へと切り出す。

 

 

 

「ロン」

 

 切り出した手が固まる。その発声は勿論照のものでも、淡のものでも無い。

 

「良い読みだった、お嬢ちゃん」

 

 

 赤木が倒した手牌、それは一瞬で七対子と理解出来る。しかし、それは強烈だった。

 並んでいるのは字牌と筒子の対子、しかし一枚だけ右端で浮いている牌がある。

 それは紛う事無き九萬、自分が今捨てた九萬であった。

 

「七対子、1600」

 

 

 馬鹿な、前巡に二筒をツモ切っているだろう。

 

 

 ならば、何故残さない。

 

 

 

 その時、菫は全てを理解した。自分の考えが見当違いであった事に。赤木の切り方、そして捨て牌に惑わされてしまった。典型的な断ヤオ平和手、二三索辺りを持っていて照の待ちへと合わせに向かうものだと決め付けていた。

 

 

 しかし違う。

 

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 赤木は照の余り牌を追う自分を追ってきたのだ。

 

 

 ある種、狙い撃ちはノーガードになってしまう。その者を狙い撃つと言う事は、どうしても他者へのガードが甘くなる。赤木はその隙を見逃さなかった。思い返せば自分は間抜けにもこの萬子並びの半分以上の牌の上下を入れ替えた。自分が照の理牌に注目している間、赤木は既に自分を狙い撃つ事を決めていたのだ。

 

 菫が呆然と場を見つめていると、少し唸っていた淡が口を開いた。

 

 

「ごめん、菫先輩もテルも、手を見せてくれない?」

 

 

 照は無言で頷くと、その手牌を倒す。それと同様に菫も自分の手牌を倒す。これは公式試合等では無い、チームメイトに前へ進む為へ手を開けてくれと頼まれれば、拒む理由も無い。

 そして照と菫の手が開かれた時、淡は今起きていた攻防の全容を理解する。

 

 

(テルの手は二巡目で聴牌……あれからツモ切りだった……)

 

 

 赤木は三巡目に二索、つまり照のロン牌を切り出している。しかし、自分が見ている範囲で、まさか照が役無しのロン牌を見逃していたとは夢にも思わなかった。

 先程の自分と全く同じ立場であり、その時自分は無様にも狼狽し、後悔の念に苛まれていた。

 

 

(菫先輩の一索……)

 

 

 そして菫、六九萬からわざわざ一索待ちへと入れ替えたのは、照のあの一索を狙い撃ったのだろう。何故、まだ河へ切り出された牌は僅かにも関わらず、あの一索の浮き牌を狙い撃とうと出来たのか。

 

 

 最後に赤木の九萬、前巡に切った二筒を残していれば、混一、七対子の満貫。しかし赤木はそれを追わず、菫の九萬を討ち取った。

 淡はツモ山へと伸ばすと、次巡の照のツモを確認する。それはまさに四索であり、其処で一索が打ち出される事となっていた。更には次の菫のツモは五索であり、もし菫が点数に目が眩み六九萬の聴牌を取っていたなら、赤木に振り込む事無く今度は菫が照に打ち込むと言う結果になっていた。

 

 

「…………」

 

 唖然とする、たった五巡の間にこれ程凄まじい攻防が行われていた事に。其処には知略、覚悟、信念が渦巻いている。

 それを一番傍で見た淡には、赤木の先程の台詞が理解出来る。今までは相手の余り牌を狙う、手を安くする等は只の小細工だと思っていた。

 何故ならダブリーにそんなものは必要ないからだ。

 

 一巡目にリーチをかけてしまえば、赤木の言う通り後は絵合わせ。最後の山までひたすらツモ切り、カンを入れ和了るだけ。

 それが通用していたからこそ、自分はその力が最強であると信じていた。それが通用しないとなった時、自分は恐ろしい程脆く崩れていってしまった。

 認めたくは無いが、それが事実だった。

 

 

 麻雀で強力な力を持つ少女はまた、麻雀が下手であった。

 

 ならばどうすべきか、ダブリーだけが麻雀では無い。それが今理解出来た。

 いや、何となくそれには気付いていた。しかし、理解しようとせずとも勝てたのだ、理解する必要も無い。

 だが今は違う。ダブリーだけでは勝てない相手が出て来てしまった、その時自分はどうするのか。

 

 

(白旗を上げる……訳無いよね)

 

 

 

 何故なら、淡は自分は麻雀が強いと疑っていないのだから。

 

 

 

 

「うん、高校90年生位からやり直そう!」

 

 

 もうダブリーだけが自分の麻雀、と言うのは辞めよう。

 知略し葛藤する、その先に本当の強さが有り、照が居るのだから。

 

 

 

 

 

  



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葛藤する少女達 其の四

 南一局、菫はまだ南入かと少しの間瞼を閉じ、手牌に目を落とすと、最後の親だと言うのに酷い配牌だなと嘲笑気味に顔を引き攣らせる。現在、各持ち点はまるで25000点に縛り付けられているかの様に拮抗しており、トップが菫の26600点、最下位が淡の24200点であった。

 それにしても、と。

 菫は浮いた端牌を切り出しながら、何時もと変わらぬ表情で卓上を見下ろしている照へ目線を移す。

 

(……照が南入でまだ和了無しとはな)

 

 珍しい事もあるものだ、とでは片付けられない。恐らく公式戦で残っている照の牌譜を全て洗ってみても、照が南入の時点でノー和了の試合など出て来ないだろう。

 では何故か、決まっている。この下家に座る男子のせいであろう。菫は集中を切らさない様にしながらも、同時に赤木の正体について漠然と考え始めていた。これだけの実力があるのであれば、確実に男子公式戦に顔写真付きで名前が載っている筈だ。こんな特徴のある人間を忘れる筈が無い。しかし、菫には赤木の顔や名前に覚えが無い。つまり公式戦には出場していないのであろう。ならば何故、この男子はこれ程の雀力を持っているのか。仮にもインハイ常連校の団体戦レギュラーメンバーである三人を、まるで掌の上で操るが如く軽くいなしているのだ。

 

 考えても答えは出て来ないと完全に卓上へと意識を戻した菫は、ある予感を感じていた。

 

 

 

 

 

 

(……照がツモる)

 

 

 例えば、インハイに出場する選手全員に聞いてみたとしよう。麻雀に流れがあるか否か、と。

 その瞬間、その場では大激論が勃発するに違いない。その時、自分はどっちつかずな答えを出してしまうかもしれない。だがこの場に居る三人にこの質問をするなら、考える間も無く流れはあると返って来るだろう。この半荘の淡の挙動を見ていれば、流れは無いなんて口が裂けても言えなくなる。流れが悪くなると感じれば、思考もネガティブな方向へと寄って行き、弱気な打牌をしてしまう事もあるのだろう。しかし、流れで配牌が変わるのは説明が付かない。そうなれば流れを掴むのが上手な人間が良い配牌を貰えると言う話になってしまう。そうなれば流れがあると信じたくは無い。

 

 流れが悪い人間は和了れないのか?

 なら照から直撃を取るつもりで逆に狙い撃たれた自分に流れがある筈が無い。ならば自分がこの局は和了れないと言う話になってしまう。

 そもそも流れとは何なのだろうか。

 

 

 

 思わず対局中に哲学染みた方向にまで思考が及んでしまった菫だったが、その時菫が感じたのは只の予感。本当に何となくそう思うだけと言うものであった。

 だが。

 

 

「ツモ、500・1000」

 

 五巡目、照がツモ一盃口の手を和了った瞬間、やはり自分の予感は正しかったと確信すると同時に、この半荘、照以外の人間に勝ち目は無くなったなと手牌を卓の中へ押し込んでいく。

 

 

 

 南二局、赤木の親。

 菫は赤木を横目で見ながら、君は良く頑張ったよと、その何を考えているか分からない横顔を見つめる。

 赤木は奮闘した、あの照に東場の間に何もさせなかったのだ、それだけで勲章が貰える。何なら白糸台麻雀部部長として照相手によく頑張ったで賞の手作り勲章をプレゼントしてあげてもいい。それ程までに、理不尽な程に、宮永照は強かった。

 先程照が和了った南一局、流れは誰に行ったかと言われれば、確実に赤木だろう。しかし、流れを掴んだ人間が必ず和了れるとも限らない事を今の局で照が証明した。照が和了ったのは恐らく偶然、倒した手を見れば特に変わった事をしていなかった。赤木も何か仕掛ける前に和了られたと言う認識だろう。麻雀ではよくある話だ。全ての局が全て互いを全て読み切ったギリギリの戦いをしている訳では無い。手牌次第では、事無く和了りまで辿り着く事も多々ある。

 

 

(…………遅いんだ、それでは)

 

 

「ツモ、4000・8000」

 

 

 この時、初めて。

 と言っても出会ったのは数十分前であったが、菫と淡は赤木が驚いた表情を浮かべた事に気付いた。勿論、誰にでも分かる位リアクションを取った訳ではない、ほんの少し目を開いて眉を吊り上げただけだ。しかし、あの鉄面皮の表情を動かしたのだ、自分には分からない何かが其処で動いたのだろう。

 それにしても照のペースが早い。照は千点や二千点ずつ刻みながら和了りを重ねて行くプレイスタイルではあるが、二回目の和了りが既に倍満、六巡目で一通、筒子の清一色、ツモを決められては同卓者は嘆くしかあるまい。

 そしてそれに対して赤木はどう動いていたのか、それが非常に気になった菫は恥を忍んで席を降りる。

 

「……すまない」

 

 赤木の背後に回り込み、その萬子に染まった手牌を見た瞬間、赤木が照とは別色の清一色を完成させていた事に驚きながらも、その手牌の構成に気付き更に戦慄する。

 高め一通の清一色、四萬で和了れば照の手牌とピタリ一致、これが偶然の出来事なのだろうか。菫は次巡、赤木がツモる予定だった牌を捲ると、信じたくは無いが予想通りの牌である事に言葉を失っていた。

 

「クク……もういいか」

 

「あ……ああ………なあ、聞いてもいいか?」

 

「ん?」

 

「こう言う時、どう考えてる?」

 

「どうって?」

 

「だから……その……」

 

 言い淀んでいる菫を見かねた赤木は、どうしたもんかと一息吐くと、背もたれに体重を預け呟く。

 

「麻雀は突き詰めれば自分の和了り牌が相手のそれより先か、後かってだけだ」

 

「…………」

 

「例え自分の和了り牌がヤマに眠ってようが、それより先に相手の和了り牌があったら終わりってだけだよ」

 

「そんな……」

 

 そんな割り切った考え、いやある意味開き直ったとも言える言葉。しかし、赤木はそれを当然と思っている。自分にはそんな割り切った考えはまだ出来ないと下唇を噛むと、赤木がその手牌を卓の中へと流し込み始めたのを見届け、菫は自席に戻り手牌と一緒に握っていた四萬を手牌と一緒に卓の中へと押し込む。

 南三局、この時点での赤木と照の点差は25900点、手牌を自分の前へと並べていきながら、赤木は懐かしい感覚に浸っていた。

 

 

 

 オレは…勝てない……流れは変わったのだ……。

 

 

 

 何時ぞや、そんな事を考えたのを今でも忘れない。

 

 

 

 

 

 

 

 傍観者とは何時だって気楽なものだ。菫と淡に今照が感じているプレッシャーは見えていない。それどころかやっと調子が出てきたか、と楽観視する程である。

 未だ赤木の正体は見えて来ない、先程の局だってそうだ。あの清一色を完成させるまで、何度鳴きの発声を入れようと考えたか。しかし、照は耐えた。口を開けば水が入る。プレッシャーと言う洪水に溺れてしまうのだ。

 そして迎えた南三局、照は今にも卒倒しそうな表情で手牌を開く。再び染め手の気配、索子が十二枚鎮座しているのに加えおまけにドラの対子。これを完成させられれば、決定的な打点を作る事が出来る。

 

 淡が北を切った事を確認した照は、山からツモって来た牌を手牌に落とす。しかし、それは不要牌の一萬。グズグズしていると赤木が何か仕掛けて来てしまう。逸る気持ちを抑えながら、照は慎重に一萬を河へと切り出した。

 菫は自分の手牌と相談すると、この局も厳しいと浮き牌に手を伸ばし、この局の動向を伺う。赤木は山からツモって来た牌を掴んだ瞬間、何か嫌な汗が背を流れていくのを感じていた。

 

 手は悪くない、育てれば二三四の三色が見えて来そうな順子の並び、牌恰好は筒子に寄っていると言えなくもない。しかし、今確実に流れは照にある。麻雀とは難しい、折角知略巡らせ手に入れた流れも、偶発的な物に掻っ攫われてしまう。赤木はこの手を成就させる事は不可能だと確信し、あるもう一つの和了り系を見据え、三色のキモである二萬を切り出して行った。

 次巡、照は再び手に落ちてきた不要牌に、焦りを抱きながら河へとツモ切って行く。

 照は菫がツモ切っている様子を横目で見ながら、赤木が切った二萬切りについて様々な考えを巡らせていた。次に赤木が切る牌で、赤木の狙いを察しなければならない、思考の遅延は命取りになる。

 

 そうして赤木が切り出す牌に注目していた照は、赤木が切ったその牌が三萬であった事を確認すると、一気に脳内へと思考を流し込んで行った。

 しかし、その思考を断ち切る様に、予想もしなかった方向から声が上がった。

 

 

「あ……ロ……ロンっ!」

 

 

 手を倒したのは淡。その手は萬子七八九の一盃口、それに引っ付いて来た一通。そして一二の辺張待ち。頭はドラの一索である事から、染め手へ向かうかこのドラを生かすか、その葛藤の道中だったのだろう。淡は赤木がツモった時点で染め手へ向かう事を決めており、次巡以降萬子を引けば容赦無くドラを切り出していた。つまりその三萬は、たまたまその巡にのみロン牌となっていたとも言える。

 

 

 赤木にあの時点での読みは無い。感じていた筒子の流れに、萬子の二萬、三萬を切り出した。結果論ではあるが、逆に三萬から切り出せば淡には振っていなかった事になる。しかし、麻雀はこの積み重ねで結果が変わって来てしまう。

 淡へと12000点を払いながら、赤木は自分の流れはもう無いと確信していた。赤木が何処かでミスをしたか、と言われればミスをした訳では無い。只々ツキが無かったのだ。

 

 

 照 42300点。

 淡 31700点。

 菫 21600点。

 赤木 4400点。

 それが南三局一本場の時点での点数であり、菫は親がもう残っていない赤木に勝ち目は無いなと、この局の行方の想像をつけていた。

 

 

 

 

 しかし、赤木がそれで腐る事は無い。そんな場面を何度経験したか、数える事も億劫になる。流れの無い赤木は、懸命に打つ事が最善策と理解している。だが、麻雀は四人で行う勝負である。例え自分がどんなに頑張って振らず、和了りを目指そうが。

 

 

 

「ロン。断ヤオ、三色、一盃口、ドラドラ」

 

「うえぇっ!?」

 

 

 他人同士で決着が着く事もある。照が淡の五萬に対して牌を倒したのを見届けた赤木は、自身の五萬の嵌張待ち聴牌の手牌を手前へと倒す。

 オーラス、これで赤木と照の点差は50200点へと膨れ上がり、それは三倍満直撃でも覆らない所まで開いていた。

 此処まで来れば条件戦になる。それは至極単純、かつ非常に有利な条件であった。赤木から役満を直撃されなければ、照の勝ちになる。

 普通の相手となら、誰もが終わったと思う瞬間である。ましてや相手はあの照なのだ。

 しかし、此処に来て初めて照は和了りとは別の思惑へと流されようとしていた。

 

 

 

 

「しげる君。流石にきついねー」

 

「クク……そうだな」

 

「あれ、意外に諦めちゃってる?」

 

「さあな」

 

「えー、どっちなのー?」

 

「そうだな……麻雀ってのはな、理外の強さってのもあるんだ」

 

「利害のつよさ?」

 

「クク、おめぇにゃまだ早えよ」

 

 

 

 

 

 

 役満さえ直撃されなければ、照の勝ちである。手牌を開いた照に、その条件が重く、ズシリと肩の上に圧し掛かって来る。逆に考えると役満の可能性が消えれば、照の勝ちが確定する。逆にこの手を仕上げるだけで、勝ちが確定する。

 手は軽い、萬子、索子、筒子、それぞれ四五六辺りで纏まっており、平和、タンヤオどちらへ移行しても構わない。早ければ三巡で聴牌するであろうその手牌。

 

 浮いた中を切り出した照は同巡、淡が切り出した三索に手を止めていた。

 今の自分の手で、唯一の嵌張になっている二四索の並び。此処に牌が入れば、この手は一気に聴牌へと近付く。

 

 

 鳴くか、いや、普段の自分ならこんな三索を一巡目に鳴いたりはしない。

 

 

 なら鳴くな、これまで我慢して来ただろう。

 何度苦しくても。

 

 

 しかし、役満を和了られなければ勝つ。そして、千点でも和了れば勝ち。

 この、素性も知らない男子に、そして人を強く惹きつける天衣無縫の麻雀を打つこの男に。自分が生まれて初めて絶対に倒して見せると強く思ったこの男に。

 

 

 

 

勝つ―――。

 

 

 

 

 

 

 照はその時、漸くと言っても良い。赤木と出会ってから初めて、普段の自分では打たない麻雀へと流された。

 

 

 

「チー」

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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葛藤する少女達 其の五

 その鳴きが間違っているかと言われれば、むしろ正着打とも言えるだろう。千点でも和了ればトップで終局、手は軽い断ヤオ、唯一の嵌張を埋める上家の打牌。

 しかし、問題は其処では無く、照が普段同じシチュエーションならその打牌をしたかと言われれば、そうでは無い。つまり自分を曲げた打牌。

 照の仕掛けに逸早く反応したのは菫であった。照との点差は33000点、子でこの点差は厳しい様にも思えるが、手には役満を期待させる三元牌の種が備わっていた。白は一枚のみ、しかし中は対子、加えて發は既に暗刻。心許無いのは面子が二三四の筒子しか無い事だろうか。

 二巡目、菫がツモって来た牌は發、カンを入れるべきか一瞬悩むが、照が鳴いた以上、恐らく手が早いのだろう。

 ならば一巡でも多く、ツモを拾っておきたい。

 

 

「カン」

 

 發を晒し、新ドラを捲る。あわよくば乗ってくれないかと捲った新ドラは八萬、掠りもしておらず落胆するが、そうやってツモって来た嶺上牌は六索、対処に困っていた三五索を嵌張から両面へと移行させた。

 

 この瞬間、照は赤木から大三元、国士の可能性が消えた事に先ず安堵する。そうやって役満の可能性が消える度に、照の勝率が上がって行くのだ。

 そんな照を後押しする様に五巡目、今度は淡から暗カンの発声が上がる。南をカンした淡が捲った新ドラは東、つまりそのカンだけで南、ドラ四が確定する。無論二人は諦めた訳では無い、少しでも照との点差を埋める為に尽力し続ける。

 照からすれば丸々乗ったのは痛いが、これで四喜和が消えた。字牌の数と赤木の河を見る限り、字一色は有り得ない。

 

 残る現実的な役満は四暗刻のみ。しかし、照からの直撃となると四暗刻を単騎で完成させる必要がある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 流石の赤木でもそんな芸当不可能だろう、そう考えていたのは六巡目のツモまでであった。

 恐らくその違和感を感じたのは照だけでは無い、淡、菫の両名とも察しているだろう。

 

 

(対子場――)

 

 

 順子がまるで重ならない。

 照の現在の手牌は、鳴いた二三四索に加え、四萬の暗刻、そして五六索、三四筒に六七七筒。この手が鳴いたその時以降一切動いていないのだ。まるで鳴いた事で縛られたかの様に、順子にならずツモって来る牌は全て対子になる。幾ら対子場とはいえ、今から暗刻を重ねに向かうのは遅すぎる。照はそう判断し七筒を頭にする事を決め、ひたすら四七索か二五筒を待ち続ける。

 

 同じくその対子場に苦しんでいた菫は、此処から鳴いていくべきかと葛藤の最中であった。

 しかし、既に中は場に二枚切れてしまっており、最高でも小三元までとなってしまっている。そうなれば打点が必要な菫は、裏ドラに期待しながら面前で手を作っていくしかない。

 

 

 

 次巡の七巡目、照のツモは六筒、再び対子が重なる一方であった。

 

 

(…………苦しい)

 

 

 赤木は確実にこの対子場、もしくは暗刻場に気付いている。そうなれば容赦無くこの男は四暗刻に向かうだろう。四暗刻単騎で張られてしまっては、待ちは現物以外分からなくなる。相手の心理を読み切り、その慢心や妥協を狩る男の四暗刻単騎待ちなど、この世で最も嫌な聴牌だと照には断言出来る。赤木を除く三名共、トップを狙える手が入っているにも関わらず、後一歩の所でそれが成就出来ない。進んで行くのは巡目だけであり、ただツモ切りが続く。

 

 

 

 それはまるで深夜の森、三人は灯りも無く足場も悪い獣道を、手探りで進んで行く様な感覚に陥り始めていた。其処は麻雀の闇、少しでも道を違えれば奈落へと誘われる。

 しかし、照にはその暗い森を少し照らす、確かなものを持っていた。

 赤木が聴牌するまでは、絶対に降りないと言う強い意志。南四局、漸くこの男の姿が見える様になって来た。無論手の内は全く読めはしないが、今なら聴牌の気配のみなら察する事が出来そうだ。ならば聴牌するまでは絶対に引かない。赤木が聴牌するまでに和了る事が出来ればそれに越したことは無いが、問題はその後。

 

 自分を一点で狙い撃ってくる単騎待ちを凌げるか。

 そう考えていたが、巡目は淡々と過ぎて行く。十二巡目辺りから流局の事を視野に入れ始めた。このまま何事も無く、流局で終わってくれるのではないか。

 

 

 

 

 

 

 しかし、赤木はそんな事を許す男では無いと言うのは、心の奥底では分かっていた。

 

 

 

 

 

「リーチ」

 

 

 同巡、十三巡目。

 赤木の手からリー棒が放たれる。

 

 

 

 

 一向聴に苦しむ淡だったが、此処で退いてしまっては完全に自分の勝ちは失せる。

 それだけは嫌だとツモって来た牌は、場に初牌である一萬、戦慄した淡だったが、その現状を冷静に理解し、そして気付く。

 赤木は自分や菫からは絶対に和了らない。ならばこの局を少しでも延命させる為に、赤木のロン牌を切ってやるのも手では無いかと考える。

 照からのロン和了りが条件の赤木は、菫や淡からロン牌が出てしまえば流石に白旗を上げる他無くなる。ならば自分はどれだけ突っ張っても問題無い、照は断ヤオで確定しているので照から声が上がる事は無い。

 

(いけっ!)

 

 

 そうやって場に切り出された一萬だったが、誰からの発声も無い。

 赤木のリアクションに注目するが、其処で無情のロン牌を出された所でこの男が顔色一つ変える訳も無いかと照のツモに注目する。

 

 

 照はツモ山に手を伸ばした瞬間、確かに見えた。その照魔鏡に映った死神の鎌を。その刃は無論自分の首元へと突きつけられている。

 

 

 何なのだ、と嘆きたくなる。

 点差は五万点、自分の手は鳴きに対応出来る軽い断ヤオ手。本来なら自分が赤木へとその鎌の矛先を向けている筈だった。しかし、現実的に今追い詰められているのは照であり、ツモって来た牌が赤木の現物では無かったら卒倒してしまいそうだ。

 照がツモって来た牌は一萬、不要牌が安牌であった事に安堵しながらその一萬を手牌に落とす。そして思考する、この長かった半荘に終止符を打つ思考を。

 

 

 

 

 

 もし照が其処で思考を捨て、適当に牌を切って行ったなら、恐らくは勝っていたかもしれない。

 手役が殆どバレてしまっているこの状況では、赤木の性質を考えるとむしろ目を瞑って牌を切り出した方が勝率は高い。

 

 

 

 

 

 

 そんな事が出来ればどれ程楽になるだろうか、しかしそんな手段は宮永照と言うプレイヤーが絶対に許さない。

 ならば思考する、何故赤木はリーチをかけたのかと。

 牌を曲げた時点で、赤木の狙いは成りそこないの四暗刻での裏ドラ期待、もしくは純粋な四暗刻単騎待ちに絞られる。前者と読むならば、暗刻は切り出して行っても問題は無い、しかし後者と読むのなら四枚見えている牌以外は全て危険牌となる。

 赤木がリーチをかけたのは、裏ドラ期待のシャボ待ちだと読ませ、暗刻を誘い出す為の罠では無いか。残りの巡目を考えると、暗刻を一回通してしまえば流局まで一気に近付く。

しかし、それを読まれているのであれば、本当に四暗刻単騎待ちなのかもしれない。

 

 分からない。

 

 

 もがけばもがくほど泥沼に嵌って行きそうな感覚に陥ってしまう。兎に角と、自分に今出来るのはこの一萬をツモ切る事だけ。照は一萬をツモ切り、次巡、自分が切り出す牌を思考し始める。他三人のツモ番は全く怖くは無い、菫は大三元へ届かず、聴牌すらしていない。赤木は無論ロン条件であり、淡もドラを乗せたきり手が動いていない。

 

 

 

 

 

 そして、十五巡目。

 

 

 

 自分が歩く地雷原は、後三歩。

 

 

「ッ――――」

 

 

 しかし、照はその牌をツモった瞬間、今まで曇り、薄暗いその場を照らしていた照魔鏡が一瞬晴れたかの様に錯覚した。手牌に落とされたのは四枚目の四萬、その時点でシャボ待ちだろうが単騎待ちだろうが関係無い。対四暗刻に炸裂する最強の銃弾。

 思わず椅子から転げ落ちそうになる。その四萬を四回切る、それだけで流局、勝ちが確定するのだ。国士では無い限り、四枚目で和了がられる事は絶対に無い。

 

 腰が抜けそうになりながらも、照はその四萬を切り出して行く。

 

 

 

 

 

 

 

「ああ……それだ」

 

 

 赤木は手牌の端を少し叩く。

 

 

 

 

 待て。

 

 

 

 それを倒してどうする、四枚目の四萬だぞ。

 

 

 

 四暗刻は絶対に―――。

 

 

 

 

 

 

 そうして姿を現した赤木の手牌は一瞬四暗刻にも見える。二筒の暗刻、八筒の暗刻、三萬の暗刻。

 此処までは良い、しかしその先にあるのは強烈、四枚並べられた五萬であった。麻雀のルール上、その手役は三萬が頭の三五萬の嵌張待ちとして扱われる。

 

 

「え、ちょっと待ってしげる君。その手ってリーチ、タンヤオ、三暗刻だけだよね?」

 

 

「ああ、俺の暗刻は」

 

 

 

 

 

 そこにある――。

 

 

 そう言いながら手を伸ばした先にあるのは王牌、そしてその三つの裏ドラ。

 此処まで来れば、赤木が何を言いたいのかは理解出来る。理解出来るが、その現象に理解等出来ない。

 

 

「一枚目」

 

 

 捲った一枚目の裏ドラは二萬。つまり三萬に丸乗りし、この時点で跳満まで手が伸びる。

 

 

「二枚目」

 

 

 続けて捲った二枚目の裏ドラも再び二萬、これでドラ六の倍満。

 

 

 三枚目に手を伸ばすかと思われた赤木だったが、その三枚目の捲る前に指を止め静止する。

まさかこの手を二度和了る事になるとは思わなかった。そしてその一度目、あの時は乗らなかった三枚目。

 今なら、今の赤木なら、乗せる事が出来る自信はあった。

 

 

 なら、行け。赤木しげる。あの時の自分を超える為に。

 

 

 

 

「三枚目――」

 

 

 

 そうして赤木が捲った牌は二萬。

 やはり、赤木しげるの暗刻は其処にあったのだ。

 

 

「……ドラ九」

 

 

「うぇぇええええ!?何それぇ!?」

 

 

「…………完敗だな、照」

 

 

 

 それはまさに理外の闘牌。

 

 

 

 赤木 36400点。

 照 22600点。

 菫 21600点。

 淡 19400点。

 それが終局時の点数であり、結果だけ見れば照は二位。

 しかし――。

 

 

 

「…………成程」

 

 

 

 

 

 

 嗚呼、あの時照魔鏡が晴れたのは、勝利への光では無い。

 勝ちを急いだ自分を焼く閃光だったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………そこ、借りるぜ。今日は疲れた」

 

「構わない」

 

 椅子から立ち上がった赤木は、照のベッドへと歩み寄ると後頭部で手を組みながら仰向けに倒れ込む。凡そ一分もしない内に聞こえてきた寝息に、よほど疲れていたのだろうと布団をかけてやる。

 

 

「ねえテル。しげる君って何者なの?」

 

「分からない」

 

「……雀荘で出会っただけなのか?」

 

「うん」

 

「……そうか、詮索はしない。それより今日は良い経験になった。礼を言うよ」

 

「私もー!」

 

「此方こそ」

 

「さて、と」

 

 時計を見ると、まだ一時間も経っていない事に菫は驚きながらも、窓の外へと目を向ける。外は既に日差しが差し込んでおり、濡れたアスファルトを乾かし始めていると言った所であった。

 

 

「帰るか」

 

「うん。それじゃ!しげる君にまた打ちたいって言っておいて!」

 

 階段を下りながら、赤木の闘牌について楽しげに語っている淡を見届けながら、玄関まで見送った照は、二人の姿が見えなくなると再び階段を登り自室へと帰って来る。

 相変わらず赤木は微動だにしないまま熟睡しており、その様子を見た照はベッドの傍まで歩み寄る。

 

 悪魔染みた麻雀を打つこの男も、案外寝顔は普通だなと率直な感想を浮かべつつ、頬を三度程突いてみる。

 

 しかし、全く起きる気配は無く、そっとしておいてやるかと卓の前に歩み寄った照は、自分の座っていた席へと腰を降ろし、終局時からそのままにしてあるその場を見渡す。

 

 

「……あそこで」

 

 

 四萬を切らない人間は何人居るだろうか。役満縛りと言う言葉に囚われすぎた照は、赤木の待ちが単騎待ち以上、つまり四枚目は絶対安牌だと思い込んでいた。まだ、自分には甘さがあった。最初に面前を押し通していれば、とっくに和了っていたかもしれない。

 

 

「…………」

 

 

 もっとこの男の麻雀を見ていたい。

 そう強く思った照だったが、それ以上にこの男の麻雀に触れて欲しい人物が、照の頭の中にはあった。

 遠く離れた長野県で別居している妹、宮永咲。

 

 

 家族麻雀以来、麻雀から離れていた筈の咲は、何時の間にか清澄と言う高校の大将を務め、そしてインターハイへの出場を勝ち取ったと聞いた。

 自分程では無いが、恐らく我が妹の咲も牌に愛されている。勿論大将戦の牌譜、映像は何度も見た。嶺上開花を鮮やかに和了るその姿は、自分が想像していた気弱い咲の姿は何処にも無く、一人の麻雀選手としての宮永咲が其処には映っていた。

 しかし、まだ全国には強者が多い。この先、得意の嶺上開花が全く通じない悪鬼達と出会ってしまうかもしれない。其処で崩れてしまわぬ様に、この男と打ち、もう一度自分の麻雀を見直して欲しい。

 

 

「……明日、聞いてみよう」

 

 

 こっちには一宿一飯の恩があるのだ。それを盾に取って長野に行って貰おう。

 淡には悪いが時間が無い。もう直ぐインハイが始まってしまう、その前に咲には壁を乗り越えて貰う。

 

 

 

 

「お姉ちゃんからの試練。頑張って、咲」

 

 

 

 

 

 



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長野編
赤木しげる、西へ


 立ち並ぶビルや住宅街の合間を縫い、昇った朝日の光が深い眠りに就いていた赤木を目覚めさせた。 眠った時間は正確に覚えていないが、昨日の夕方から寝続けているとなると十二時間近く睡眠を取っていた事になる。多少フラつきながら体を起こした赤木は、自分が置かれている状況を直ぐに理解すると、照のベッドを奪ったままだなと思い返し、辺りを見渡す。しかし、照の姿は無く、代わりに赤木の直ぐ傍で横になり、寝息を立てている照の姿があった。起こしては不味いと、そっとベッドから降りた赤木は、部屋の中心に置かれている雀卓へと歩み寄って行く。卓上の牌は昨日から動かされておらず、其処には赤木の暗刻が佇んでいる。

 

「……………おはよう」

 

 卓上の牌を繁々と見つめていると、背後から布の擦れる音と共に如何にも眠そうな照の声が聞こえる。

 

「悪いな、起こしちまったか」

 

「いや、丁度起きた」

 

 寝間着姿の照は掛け布団から這い出るとベッドの縁へ腰掛け、フラフラと頭を振りながら目を覚まして行く。そして昨晩の出来事を思い返していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 清澄高校大将であり、宮永照の妹である宮永咲は後日に控えた合同合宿に胸を躍らせていた。予選で戦った各高校のメンバーが勢揃いすると聞き、またあの面子で麻雀が出来ると気分が高揚していた。ワクワクが収まらず旅行バッグに着替え等の必需品を詰め込んでいた最中、机の上に置いてある携帯が振動している事に気付いた。

 自分の親友である和辺りだろうと、携帯のディスプレイを開いてみると、其処には想像もしなかった人物の名前が表示されていた。

 

『お姉ちゃん』

 

 つまり、宮永照からの電話であった。照と最後に会話したのは何時になるだろうか。麻雀を再開する前に一度東京へ会いに行った事がある。その時は殆ど口を聞いて貰えず、成果としてはアドレス交換のみであった。やはり自分が麻雀を嫌いになった事の確執がまだ続いていたのだろうと、その時は諦めていたが、今は胸を張って麻雀が好きだと言える。

 ならば堂々と電話に出てやればいいのではないか。咲は高まる鼓動を抑えながら、通話ボタンを押し携帯を耳に当てる。

 

「はい」

 

『もしもし』

 

「もしもし……お姉ちゃん?」

 

『うん。久しぶり、今大丈夫?』

 

「えっと……大丈夫だよ。どうしたの急に」

 

『先ず謝らせて欲しい。あの時はごめん』

 

 あの時、と言って真っ先に思い浮かぶのはやはり東京へ出向き突っぱねられたあの出来事であろう。

 

「え、あ……良いよ、全然気にしてないし……」

 

 嘘である。気にし過ぎてその日は食事が喉を通らなかったが、嘘も方便とはよく言ったものだ。

 

『私は未熟だった。人には選ぶ道があるのに、麻雀を避けた咲を避けてしまった』

 

「…………」

 

『だからごめん。また、仲良くしてやって欲しい』

 

 淡々と謝罪する照であったが、顔を真っ赤に染めながら、赤木に取られてしまった為持って来ていた予備の枕を引き裂く勢いで握り締めていたのを咲は知らない。返事を聞くのが怖い。しかし、此処で拒絶されても仕方無い様な関係を今まで築いて来てしまった。

 

 

 

「うん!私もお姉ちゃんとは仲良くしたい!」

 

 先程まで小声で怯えていた様な咲の声は一転し、それは自信に溢れた返答であった。

 

『……ありがとう』

 

 漸く枕を握っていた手を緩めると、久しぶりに世間話に花を咲かせようと予選の出来事や最近起こった他愛も無い会話を時間も忘れて続けていた。其処で咲が明日、予選に出場した各高校が参加する合同合宿へ向かう事を知る。これは良い機会だ、と。何としてもその会場へ赤木を放り込んでみたい。そう考えた照だったが、長野までは距離が遠く、足が無い照にとってはどうやって赤木を長野へと向かわせるかが問題であった。

 

『咲』

 

「何?」

 

『その……咲の知り合いに、東京まで車とかで来れる人居る?』

 

「お姉ちゃんこっちに来るの!?」

 

 咲からすれば、その言葉はどう取っても照が長野へ来ると言う文言であり、その一言で咲のテンションは最高潮へと達した。

 

『いや、私じゃない』

 

「へっ?じゃあ誰?」

 

 どう説明したものか。

 雀荘で拾った自分より麻雀が強い宿無しの高校一年生男子。

 

 

 インパクトは強いが、今一現実味に欠ける。しかし、それが事実なのだからそう伝えるしかないのだが、自然な形は何かと少し思案し、とりあえず麻雀が出来る男子が合宿に参加したいと言う体にしておく事にした。

 

『麻雀が出来る男の子』

 

「へぇ……お姉ちゃんの知り合い?」

 

『……うん。兎に角、その人と一緒に打ってみて欲しい』

 

「お姉ちゃんが言うなら良いけど……流石にそっちまで迎えに行ける人は……」

 

 仮に免許を取得している三年生に頼むとしても、合宿の時間を削ってまで行かせるのは気が引けてしまう。しかし、割と身近な人間で一人、お願いを聞いてくれそうな人間に心当たりがあった。

 

「あっ、もしかしたらいけるかも。ちょっと聞いてみるね」

 

『……ありがとう』

 

「えっと、因みにその男の子の名前は?」

 

『赤木しげる』

 

「赤木君……分かった。それじゃあ、折り返し連絡するね」

 

『うん。ありがとう』

 

 通話ボタンに手を伸ばし、携帯を折りたたんだ照は、未だに鳴り止まない心臓の鼓動をどうにか抑えようと深呼吸する。

 

 一方の咲は、直接の連絡先を知らなかった為、その人物と知り合いである中学校からの同級生へと電話をかける。

 

「あ、もしもし京ちゃん――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結局返ってきた咲の返事はイエスであり、予選で凌ぎを削った相手校である龍門渕高校、その関係者がわざわざ遠路はるばる迎えに来てくれるとの事だった。

 

 

 

 

『本当?』

 

「うん。あっち側で少し揉めてたみたいだけど、赤木君の名前を出したら二つ返事だっだよ。もしかして有名な人?」

 

 

 

 

 

 使いパシリみたいで気が引けたが、今は手段を選んでいられる状況でも無い。

 この話は赤木にはまだ何も話していない。事後承諾で大丈夫だろうと椅子に腰かけていた赤木に一応確認を取る。

 

「赤木君」

 

「ん?」

 

「長野に行って欲しい」

 

「どうした、いきなり」

 

「そこに私の妹が居る」

 

「へえ……それで」

 

「打って欲しい」

 

「クク……そんな事だろうとは思ったぜ」

 

「良い?」

 

「そうだな……家の前まで迎えが来るのなら構わねえよ」

 

「そう、良かった。もう少しで着くって」

 

 はぐらかすつもりで発言した赤木だったが、まさか交通手段まで確保していた照の用意周到さに感心しながら、溜息を吐く。揚げ足を取られた様な気分だ。

 しかし一晩だけとはいえ衣、住まで用意されたにもかかわらず断っては義理が立たない。それに赤木は照の妹に興味を持った。この宮永照と言う麻雀選手の実力はずば抜けている、恐らく裏へ来ても良い所までは通用するだろう。そんな力を持った人物の妹がどんな麻雀を打つかは興味が沸く。

 

 

 

 

 

 

 照は赤木が着ていた学生服が乾いている事に安心しながら、適度な大きさの袋へ入れると赤木へと手渡す。それを受け取った赤木は、袋を肩から下げ玄関へと向かう。

 既に迎えは到着している様で、照の家の前には黒塗りのリムジンが横付けされており、自分が代打ちをしていた時の待遇を思い出していた。車の前に立っていた男は姿勢を崩さず頭を下げ、黒いタキシードに身を包んだその出で立ちは、まるで執事と言う他無かった。

 

「お待ちしておりました。赤木しげる様」

 

「クク、大層なお出迎えだな」

 

「……わざわざ有難う御座います」

 

 照はその男に、確か咲にはハギヨシと呼ばれていたか。頭を深々と下げ、よくこんなタクシーみたいな事を受け入れてくれたと感謝の念を伝える。龍門渕家の執事であるなら、その仕事を放棄して此処まで来るのは難しかっただろうに。そう言えば咲は赤木の名前を出したら二つ返事だったと言っていた。もしかして知り合いなのかもしれない。

 赤木は照に背を向けると、右手を軽く上げ返事を返すとリムジンへと乗り込んで行く。赤木と出会ってからまだ二十四時間も経過していないだろう。しかし、この男と過ごした時間は自分が人生の中で体験した何よりも濃密な時間であり、貴重な時間だった。そんな男との別れはあっさりとしており、リムジンが自分の家の前を過ぎ去って行くのをただ見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 肘を突きながら都市開発された町を車のウィンドウから眺めていた赤木は、車の中に漂う静寂を一切気にせず背凭れへ体重を預ける。もし同乗者が居たのなら気が滅入ってしまうであろうその空間に話題を切り出したのはハギヨシであった。

 

「……赤木様」

 

「ん?」

 

「原田克美様をご存知でしょうか」

 

 

 

 さて、どう答えたものかと。その名を出すと言う事は裏に通じている人物となる。そんな赤木の思考を察したハギヨシは言葉を加える。

 

 

「私は今龍門渕家と言う御屋敷に勤めております」

 

「………………」

 

「……昔は無名であったその龍門渕家が成り上がる為には無論、裏の力も必要でした」

 

「………………」

 

「今でこその龍門渕家ではありますが、当時は裏と深い繋がりを持ち、祖父や父が尽力し、力を伸ばして行きました。私の家系は代々龍門渕家の従者であり、その従者と言う事は裏の麻雀にも通じております。そして私は祖父から話をよく聞かされました」

 

「………………」

 

「もう何十年前になるでしょうか。日本各地の悪鬼達を集め開かれた東西決戦。下っ端ではありましたが、祖父は裏方の黒服としてその戦いを間近で見ていたそうです」

 

「……それで?」

 

「その時、一際異彩を放っていた四人の人物が居ました。原田克美、僧我三威、天貴史……そして、鬼才赤木しげる。見た者を唸らせ、魅了する闘牌をする人物だと」

 

「クク、俺がその赤木しげるだって言いたいのかい?」

 

「それを確かめる為に、此処へ参りました」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「駄目に決まっているでしょう!」

 

 ハギヨシは長野予選の会場で知り合った、咲の同級生である須賀京太郎から連絡を受けていた。咲の姉が明日予定されている合同合宿へある人間を寄越したいと。駄目元ではあったが主人である龍門渕透華へと話を通してみると即答で却下されてしまい、その返事をメールで送るのは失礼に当たると判断した為に京太郎へ電話を繋ぐ。

 そこで零れた赤木しげると言う名前。それに思わず了承の返事を返してしまい、自分が執事を務めてから初めて主人の意向に沿はない行動を取ってしまっていた。しかし、その名前は余りにも強烈で、気が付けば透華の前で床に頭を擦り付けていた。

 

 祖父はその生涯に幕を閉じるまで、一つ悔やみ続けていた事があったと言う。それは自分のミスで、赤木しげるの闘牌を終わらせてしまったと。その内容は聞いていない為、どんなミスをしたのかは分からなかったが、まだ物心付いたばかりで幼かったハギヨシはその時、祖父と約束した。

 

「じゃあ、代わりに僕が謝ってあげる」

 

 

 

 その人物があの赤木しげるの訳は無い、何故なら赤木しげるはとっくの昔に亡くなっているのだから。しかし、それでも祖父と交わした約束を今でも胸に刻んでいたハギヨシは、縋る様な思いで透華に懇願した。

 

「ま、まあ……そこまで言うなら……」

 

「ありがとうございます」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 赤木は再び懐かしい場面を思い浮かべていた。東西戦で赤木がその舞台を降りる事となったあの局、その局では原田が部下へ白を合計六枚になる様に仕込ませていた。その際、白の代わりに抜く筈だった牌、それを部下が聞き間違え、指示した牌とは別の牌を入れ替えていた。それが原因となり、赤木はその舞台を降り、以降裏の麻雀界からは姿を消していた。

 もし、部下が正しく原田の指示を実行していたのなら、少なくともあの場で赤木が身を退く事は無かった。つまりその部下、ハギヨシの祖父が赤木の麻雀舞台に終止符を打ってしまったとも言える。

 

「クク……別に気にしちゃいめえよ」

 

「……ですが」

 

「結果が全てだ。むしろ潮時だったのかもしれないな、若い時のオレなら読み外す事は無かった筈だった」

 

「……すみませんでした」

 

「何もあんたが謝る事じゃねえよ。なら死んだ爺さんに言っときな、あそこで例え原田の指示を全うしても、最終的な結果は変わらなかったってな」

 

 その返答は後部座席で今踏ん反り返っている男が、赤木しげるだと言う返答と同義であり、同時に気にしていないと言う赤木の言葉を聞いて安堵の溜息を漏らす。

 やっと伝えましたよ、爺様。と、本来叶う筈の無かったハギヨシの祖父との約束は、小さな繋がりから叶う事になっていた。自分がひょんな事で知り合った男子生徒の同級生、その姉がたまたま出会った男。人の出会いは一期一会とはよく言ったものだな、とハギヨシはその奇跡に浸る。

 

 

「それにしても……そのお姿は一体……」

 

「さなあ、死んだと思ったらこうなってただけだ」

 

 

 

(この世は摩訶不思議……か)

 

「そうですか……申し遅れましたが、私ハギヨシと申します。何か困った事があれば、何なりとお申し付け下さい」

 

「そうだな……ならあれだ。煙草」

 

 赤木はヘビースモーカーどころかチェーンスモーカーとも言える。麻雀の最中やその合間にも常に煙草を吸い続けていた。今の体はニコチンを欲していない様だったが、どうにも煙草が無いと落ち着かない。

 

 

「それはいけませんね。今の赤木様のお姿は中学生、将又高校生です。未成年の煙草は法律で厳罰化されております」

 

 

 

 

 世知辛い世の中になったもんだと外へと目を向けた赤木だったが、森の緑だけはあの頃と変わらないものだった。

 

 

 

 

 

 

 




後付け。
咲と照の不仲の原因は原作ではまだ明確に明かされていないので脳内保管にしておきました。一応原作では意味深な過去回想が挟まってますが、そのコマだけで保管するのは難しかったので自然な形になってます。


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波乱の合同合宿 其の一

「どうやら今日の日程は自由時間となったみたいですよ」

 

 車の窓越しに差し込む日差しは、既に反対側へと移っており、道が混んでいたせいか普段掛かる時間の凡そ倍の時間が過ぎており、昨日から何も口にしていなかった赤木は合宿所へ着いたら先ず飯か風呂だと決めていた。合宿所が木々の合間から顔を覗かせる距離まで迫った時であろうか、信号待ちを利用して透華と連絡を取ったハギヨシは、清澄高校部長竹井久の一声により、その日の予定は全て自由時間となった事を知り、赤木にその旨を伝える。

 

「そんなに焦って打っても仕方あるめえよ」

 

 到着したら先ず温泉にでも浸かるかと決めた赤木は、到着した瞬間ハギヨシに部屋の確保を頼み、貸し切り状態であったが、小部屋はまだ多数余っていた為一人部屋が一つ宛がわれる事となった。ハギヨシは何かあったらご連絡下さいと言い残すと、真っ先に透華の元へ駆けだしており、忙しない奴だなとその背中を見送る。

 

 

 

 フロントで鍵を受け取った赤木は、部屋に向かう道中、混浴の大浴場を見かけ、どうせなら部屋に設置されているであろう小さな風呂より、広い大浴場の方が良いなとその扉に手を掛ける。

 聞けば参加しているのは全員女子高生であり、男側の脱衣所に人間が居る筈も無く、唯一持っていた手荷物である着替えを適当なロッカーへと放り込むと、洗面台の横に積んであったタオルを手に取り大浴場への扉を開く。

 

 中には誰もおらず、まだ陽があるこの時間なら当然かと近くのシャワーで体を流し、浴槽へと腰を降ろす。その時、脱衣所の方向が騒がしくなって来た事に気付くが、当然赤木は無視しながら目を瞑りしばしの安息に身を委ねる。そして勢い良く開かれた扉と共に、喧しい女子生徒が静寂に包まれていた大浴場へと飛び込んでくる。

 

「華菜ちゃん一番乗りだしッ!……っておお!誰か居るッ!」

 

 池田華菜はてっきり一番乗りだと思っていた大浴場に先客が居た事に過剰反応すると、その人物へと右手を突き出し、只でさえ響くその声を大浴場により更に反響させてその人物へ届ける。

 赤木は自分の事であると分かってはいたが、その女生徒の台詞に見向きもせず天井を見上げていた。

 

「むッ……男だ!名を名乗るしッ!」

 

 本当に喧しい女子だなと無視を続けていると、それを諌める様にその横から声が響いて来る。

 

「華菜ちゃん駄目だよ……確か此処貸し切りの筈だけど……もしかして一般の人かも……」

 

 吉留未春は池田を諌めながら、毎度毎度苦労させられると溜息を吐くと、暢気に浴槽から天井を見上げている人物へと視線を移す。赤木としては無視を決め込んでも良いが、これ以上喧しくされても堪らないなと考え漸くその重い口を開く。

 

「ああ……あれだ。宮永照ってのに頼まれて麻雀しに来ただけだ」

 

 この場を手っ取り早く納得させる為には、此処へ放り込んだ張本人の名前を出すのが手っ取り早いと判断した赤木だったが、赤木のその思惑は外れる。照が一方的に押し付けただけのこの状況、この事情を詳しく知っているのは透華、ハギヨシ、咲だけであり、他校の生徒がそんな事情を知る由も無い。

 

「ええ!?宮永照ってあのインハイ王者の……」

 

「何っ!?なら気を付けるし!みはるんッ!白糸台からの刺客と見た!」

 

 駄目だなこりゃと考えた赤木は、ゆっくりと立ち上がり、未だに指を指し続けている池田と未春と間を抜けて脱衣場へと歩み寄って行き、大浴場を後にする。

 

 

 

「む……無視……しかも華菜ちゃんの裸を見てノーリアクションだし……」

 

「えっと……」

 

(フォロー出来ない……)

 

 憐れむ未春の視線に気付いた池田は、伸ばし続けていた右手を、未春の胸付近へと突き出す。

 

「みはるんだってぺったんこだし!」

 

「ええっ!?私何も言ってないよ!」

 

「何じゃ騒がしい」

 

 赤木と入れ替わる様に入って来た清澄高校の染谷まこは、騒がしい室内に何事かと未春に事情を問う。

 

「それが……宮永照さんに頼まれてこの合宿に来た男の人が……」

 

「ん?ワシは何も聞いとらんが……どうせ久の奴の仕業じゃろ」

 

「うーん……」

 

 考えても埒が明かないと判断した未春は、今はこの大浴場を味わおうと壁に設置されたシャワーへと歩み寄って行った。

 

 

 

 全く風呂を堪能出来なかった赤木は、もう一度空いてそうな時間に入り直すかと諦め脱衣所を後にする。廊下へと出た瞬間、奥の階段から二つの人影が降りて来た事に気付き、その内の一人に照の面影を感じ、あれではないかと勘繰った赤木は此方へ向かい歩いて来る二人を待つ。

 直線のその廊下では互いの姿が丸見えの為、階段を降りた瞬間、宮永咲は脱衣所から出てきた赤木の姿を認識していた。その男は此方の姿を認めると来いと言わんばかりに壁に背を預けると、腕を組み待っており、まさかあれが照の言っていた男子なのではないかと予想を立て歩み寄って行く。

 共に歩いていた原村和は、咲からその話を断片的に伺っており、あれがその男子かと考える。そもそもこの合宿所には女子しか居ない筈だ。もしあの男子が目的のその男子では無かったら、只々危険人物である。

 

 

「えっと……貴方がお姉ちゃんの言っていた……」

 

 お姉ちゃん、と言うキーワードに反応し、やはりこの女生徒が宮永咲かと納得する。

 

「ああ、あんたの姉も無茶言うぜ。まあ立ち話もなんだ……一杯飲りながら――」

 

「ちょっ、貴方未成年ですよね!何お酒誘おうとしてるんですか!」

 

「堅苦しいな、一杯位いけるだろ?」

 

「駄目です!私が許しません!そもそも未成年の飲酒は法律で――」

 

 釘を刺された上に説教までされては堪ったものでは無く、冗談だと和を諌める。

 

「冗談に聞こえませんでしたが……まあいいです」

 

「あの!お姉ちゃんは何か言ってましたか?」

 

「……いや、別に何も言っちゃいめえよ。朝起きたらいきなり長野に行けってな。其処でお前さんと打てだと」

 

「そうですか……今は自由時間ですし、面子が揃えば――」

 

「いや、今は止めておこう。興が削がれた」

 

 今現在風呂場ではしゃいでいるであろう、あの喧しい女生徒の姿を思い出しながら、兎に角咲の顔を覚えただけでも収穫かと考え、自室へ戻る旨を伝える。

 咲は赤木が東京からこっちに来たばかりで疲れているのだろうと想像し、明日はよろしくお願いしますと丁寧に頭を下げ踵を返す赤木の背中を見送った。

 

「それにしても……あの人、本当に高校生なんでしょうか。妙に貫禄が……」

 

「高校一年生みたい。同い年だって」

 

「んー……」

 

 腑に落ちない和だったが、よくよく考えれば古風な話し方をする見た目が小学生の高校生だって居ると考えればそう珍しいものでは無いかと頭を切り替え、明日は誰と打とうかと漠然と考えつつ、引き続き咲との館内の探索を楽しむ和であった。

 

 

 

 

 

 

 太陽は山へと落ちて行き、施設の周辺は既に街灯無しでは足元すら見えない程の闇に覆われていた。食事を済ませた赤木は、特にする事も無く自室に敷いた布団の上で寝そべり、そろそろ大浴場が空き始めたかと考え始めた時、部屋の戸が小さく叩かれている事に気付いた。

 

「……入りな」

 

「失礼するわ」

 

 余りにも物音がしないのでもう寝てしまったのかもしれないと考え、控えめにしていたノックにやっと気付いて貰えた久は、この男が咲と龍門渕の執事が話していた男かと寝そべる赤木を見下ろす。

 

「一応、この合宿の主催者として挨拶しに来たわ。清澄高校麻雀部部長の竹井久よ、よろしく」

 

「ああ」

 

「赤木君?だっけ。あの宮永照さんのお墨付きだとか」

 

「さあな」

 

 会話が広がらない男だ、と思いながら此処に来た挨拶以外の目的を赤木に切り出す。

 

「折角だし、ちょっと打っていかない?部屋に雀卓があるのよ、ここ」

 

「……そうだな」

 

 

 

 

 風呂が空くまではもう少し時間を潰していてもいいかと考えた赤木は腰を上げると、着いて来てと言う久の背中を追う。

 そして連れられてやって来たのは清澄高校の大部屋であり、中では先鋒の片岡優希が麻雀卓を囲う様に敷いた布団の上で燥ぎ転がっていた。その様子を和が諌め、咲は端で本を読んでいる。まこは部屋には居らず、久の記憶では予選でこっぴどくやられた鶴賀の妹尾佳織へと再戦を挑みに行っている筈だ。

 

「みんなー、連れて来たわよー」

 

「む!お前がしげるか!片岡優希だじぇ!」

 

 布団の上から右手を高く上げた優希にほんの数ミリ会釈をすると、中央に置かれている卓へと歩いて行き、入口から一番近い座椅子へと胡坐をかいて座る。

 

「誰か打ちたい人ー」

 

「えっと、じゃあ……」

 

 咲は読んでいた本を閉じ、小さく右手を上げる。そして優希は既にタコスを手に持ちながら赤木の上家へと座っており、対面へと咲が座る。

 折角なら私が、と和が空いた赤木の下家へと座り、久は後ろで赤木の実力を見定めさせて貰おうと背後へと付く。

 

「座順はどうするの?」

 

「このままでいいじぇ」

 

「……そうですね」

 

「じゃあ親だけ決めるサイコロを私が振るじょ!」

 

 出た目は右六、つまり赤木の親番からとなる。てっきり何時も通り自分からの親番だと思っていた優希は、幸先悪いなと思いつつハギヨシに無理を言って買って来てもらっていたタコスを齧る。やがて配牌を取り出して行った各々は理牌を終え、卓へ意識を戻す。

 

 

 この時、赤木は全力でこの局に挑む気は毛頭無かった。その一番の理由として、この卓の雰囲気にあった。とりあえず打ってみようと言うその場ではどうしても緊張感や真剣味が欠けてしまう。無論三人は手を抜いて打つ訳でも無く、これも練習の一環として全力で取り組むが、中々場の雰囲気と言うものは変わらない。

 しかし昨日、あの三人と囲んだ卓は今の場とは真逆、まるでインターハイ決勝戦を思わせるような、自分の全てを注ぎ込んだ闘牌であり、その覚悟があったからこそ、赤木も全力で迎え撃っていた。完全に手を抜く訳では無いが、赤木が本領を発揮するのは今では無い、恐らくその機は明日、何れ訪れるだろうと浮いた字牌を切り出した。

 

 

 

 

 

(うーん……)

 

 

 場は既に南場、トップは東場に和了り続けたが徐々に点棒を吐き出し始めている優希であり、次点でその点数の捌け口となりつつある和。次いで同点の赤木と咲。

 背後から赤木の闘牌を見ていた久だったが、余りのぱっとしなささに拍子抜けしてた。無論この三人と卓を囲み、更に優希が暴れ倒す東場を難なく凌いだ事から腕は確かなのだろうが、今一麻雀の派手さには欠けている。しかし、南場の始め頃から妙な打ち回しを始めている事には気付いていた。

 

 

「チー」

 

(また……)

 

 あえて和に鳴かせる様な牌を切り出している事が偶然なのだろうかと久は考え始めていた。無論面子を崩して抜き打ちをしている訳では無い。しかし、麻雀には不要牌の中でも切る順番は存在する。赤木は不要牌の中で、和が必要になりそうなタイミングでわざわざそれを切り出しているのだ。

 

 

「ロン。断ヤオ、ドラ一、2000点です」

 

 この局振り込んだのは咲であったが、そのロン牌は赤木の溢れそうな牌であり、恐らく咲が振っていなければ赤木が振っていただろう。

 単にこの男の打ち方が甘いのか、それとも理由は分からないがわざとやっているのか、久にはこの時点で判断が付かない。

 南場に突入してからは咲も得意の二つ槓からの嶺上開花を決めており、点数はやがて平らになり始め、この半荘ノー和了の赤木だけツモで削られた分へこみが目立つと言った所であった。

 

(咲は私が言った通り±0圏内が見える点数……ルールは何時も通りの25000点持ちの30000点返し、オカがあるからこのまま調節して終わり……か)

 

 この半荘に限り、咲は久に素点での±0を目指してみろと言われていた。久からすればあの宮永照がわざわざ妹の為に送り込んできた男だ、咲のその点数支配の壁になってくれると考えていたのだが、どうにも宛が外れた様だ。

 

 

 

 オーラス、優希の親番を迎えた時点の咲の点数は25800点であり、3900点を和了れば咲の点数は±0へと収まる。久は咲がこのまま3900点を和了って終わりだろうと予想していた。

 赤木の配牌は良くない、嵌張や辺張が目立つのに加え、風にならない字牌ばかりが手に集まって来ている。咲はドラである二萬が配牌に無かった事に不安を覚えたが、手には対子が多く、これなら3900点の手が作りやすそうだと、第一ツモで重なった七萬の暗刻を見ながら胸を撫で下ろした。

 しかし、嫌な気配がする。カンを入れてしまえば、この暗刻に丸乗りする様な悪寒を感じていた。無論普通に行けばドラ四の良い展開なのだが、丸乗りしてしまった時点で±0は不可能に近くなる。嶺上牌や新ドラに関するその勘は、今まで外した事が無い。何もこんな時に乗らずとも、と内心苦い思いをするが、これも練習だと3900点への道のりを思考し始める。

 

 

 

 

 その局、赤木が動いたのは五巡目であった。嵌張のキー牌を引き入れ、筒子の形が良く纏まって来ており、一二三三三筒と既に面子と頭が一つずつ完成している。これなら平和、重なり方によっては断ヤオ辺りへ無理無く行けるか、と考えていた久の思考をぶった切る様に、赤木は優希が切った三筒を受けてその三筒の暗刻を場に晒していた。

 

「カン」

 

(ちょ……)

 

 

 一二筒が孤立する形で残り、愚形となったのをまるで気にしていないかの様に、三筒を四枚晒した赤木は嶺上牌に手を伸ばし、その牌をツモ切る。

 そして捲った新ドラは六萬、久は赤木の悪手に夢中で気付いていなかったが、咲の顔がかなり引き攣っていたのを赤木は見逃さなかった。

 

 

 咲が何処か点数を調節しながら打っている事は、南場に入るまでに気付いていた。それが何処を目指しているかと赤木は考えていたが、どうやら27000点付近で落ち着かせている、南場の始めで優希の猛攻が止まり、咲の点数が30000点を越えてしまった時、あえて2000点に見える様な鳴きを入れて見ると、明らかに自分への差し込みを狙っていた。無論そう見せる様に鳴いた赤木の手はバラバラであり、差し込む事は叶わなかったが。

 その後も和に鳴かれる様な牌を転がし、和が聴牌したと見るや否や、その点数が30000点を±0の範囲で割る様に差し込んでいた。

 

 

 

 明らかに故意で±0を狙っている。赤木としてはまだ本気で打つ気は無かったが、オーラスだけなら、とそれを決める。

 場を操った気になっている少女に、お灸を添えてやるのも有りかと意地悪気な笑みを漏らした。

 

 

 

 

 

 



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波乱の合同合宿 其の二

 予想通り七萬にそっくり乗った新ドラを見た咲は、何と間の悪い事かとツモ山に手を伸ばしながら思う。そして悪い流れは更に悪い流れを呼んでしまう。引いたのは新しくドラとなった四枚目の七萬、これでは3900点を作るどころか跳満まで見えて来てしまう。この半荘、咲は点数を±0へ調節している事に気付いている人間はこの卓には居ないだろうと考えていた。それが何にせよ思惑を他者に悟られる事は勝負に於いて致命的なミスと言える。咲はこの半荘自然に手を寄せる事に尽力し、時々は抜き打ったが、入部当初にやった露骨に点数を下げる事等はやっていない。

 ならば、いくら点数を±0にする為とはいえこのドラを切り飛ばす事は余りに不自然過ぎる。普通に考えればトップの和へ追い付く為に打点が必要な局でドラを二枚も三枚も切り飛ばす事は殆ど暴挙に近い。それに巡目も多少過ぎている、此処でドラを切り出す事は叶わないと咲が次に選んだ手段は優希の親連荘。

 和と優希の点差は凡そ五千、それが埋まらない範囲で優希に和了って貰えれば次局仕切り直しと言った形で再び±0を目指せる。しかし、優希の捨て牌を見るに苦しそうだ、辺張を落として断ヤオへ向かっているようだがその直後にその辺張のキー牌をツモ切っている。

 

 

 ならば。

 咲は優希のキー牌になりそうな中張牌を転がし、優希のノミ手連荘に期待する。優希は咲の期待通り、咲によって切られた四索を三五索の形から鳴き、続けて次局、和がツモ切った八筒にポンの発声を入れる。これで二鳴き、しかし優希には聴牌気配が感じられない。よほど酷い配牌だったのだろう。

 

 

 

 赤木はそんな様子をまるで他人事の様に傍観しながら、ツモって来た牌を手牌に落とす。

 

 

(入った……凄まじいツモ運ね。よくあの手を此処まで仕上げたわ。けど、どうするつもりかしら、この手……)

 

 

 久は赤木のこの三筒がカンされ和了る道が狭くなった手をどう捌くのかが非常に気になっていた。行ける手と言えば対子になっている白をもう一枚重ね、役牌のみで和了る事位であろうか。そして今のツモで絶好の白をツモり、これで一応役が付き和了れる形にはなった。しかし、その点数はどう足掻いてもトップの和には届かない。もっと言えば二着の優希にさえ遠く及ばなかった。

 赤木の手は晒した三筒、中、白の暗刻、五六七八索、そして九索の暗刻。中を切れば四七五八索の多面待ちではあるが白のみに加え対々和には遠く、その手を倒してもラス確和了りとなるだけだ。赤木が中を切り、その聴牌を取ったのを見た久はとりあえずは聴牌を取るしかないかと納得していた。かなり苦しいがまだ場に出ていない白を鳴き、カンドラを乗せる。今の久にはその道筋しか見えて来ず、赤木も同じ事を考えているのだろうと思っていた。

 

 

 しかしその思惑は、同巡に和がツモ切った九索に発声を入れた瞬間外れる。

 

「ポン」

 

 

(ポン!?)

 

 

 カンなら、カンならまだ納得出来るのだ。場に初牌の白は出そうにない、ならば待ちが狭くなるが九索を無理矢理鳴いていく。しかし、赤木の発声は理解不能のポン。何故鳴くのだ、新ドラに期待するしか無い場面で理解不能のポン。九索を晒した赤木は、八索を切り飛ばし、これで九索待ち聴牌となる。しかし無論九索は赤木が三枚使っている為、実質は空聴牌である。

 

 

 とち狂ったのではないかと思う打ち筋に、困惑していた久だったが、やがて一つの仮説を立て始める。もしかすれば、この男は咲と同様、嶺上牌と新ドラが何か分かっているのではないか。成程、それなら納得が行く。それこそオカルトの境地だが、恐らく九索は新ドラになる。しかし、それでは白、ドラ四。和には届かない。だからこの男は待っているのではないか、嶺上開花が可能な牌を。それを持ってきた瞬間、この九索でカンを入れる。白、嶺上開花、ドラ四、キッチリ逆転だ。

 それを成したなら、この男の実力は本物なのだろう。久はうずうずしながらその卓の動向を見届ける。そして十二巡目、優希がようやく咲から三副露し、聴牌の形となる。八萬の頭に二四萬、よく聴牌したものだなと自分で感心する。

 

 そしてその同巡、赤木がツモって来た牌は場に二枚出ている西。

 

 

「カン」

 

「あ……」

 

 

 赤木はカンの発声を入れると、端の九索を暗刻へ叩き付ける。咲が一瞬何か声を上げたが、久はそれよりも卓上の行方が気になりそちらへ意識を集中させる。

 

 

(来たッ!……嶺上牌は西なのね)

 

 

 

 しかし、久の予想とは裏腹に、赤木がツモって来た嶺上牌は場に四枚目の北。

 

(あらら……)

 

 

 更には、赤木が北をツモ切り捲った新ドラ、それは七筒であり、優希が鳴いた八筒に丸乗りする形となった。

 

 

(うーん……)

 

 

「じぇッ!?」

 

「ッ……!」

 

 

 傍から見れば、何としてもトップを取る為にカンを入れ、ドラを乗せるつもりが逆に親の暗刻へ丸乗せしてしまった絵になるだろうか。

 しかし、この鳴きで誰より苦しんだのは誰でも無い、咲本人である。

 

 これで優希は断ヤオ、ドラ三。振ってしまえば逆転トップまで点数が跳ね上がってしまう。またもや退路が断たれてしまい、咲は内心非常に苦しかった。これで咲に残された手は只一つ、誰も和了らぬ事を祈りながら流局する事。

 

 

 次巡、咲がツモって来た牌は六索。流局を目指す為には優希と和に振ってはならない。

優希は断ヤオの聴牌が確定している、逆に言えば中張牌は全て危険牌と言える。和からは逆に聴牌気配がしないが、幺九牌が早々に切り出され辺張が整理されている。半年も経っていない付き合いだが、和が片上がりの字牌待ちを構えている所は滅多に見た事が無い、恐らくストレートな断ヤオか平和手。赤木はドラを乗せる事に失敗した様だ、此方は気にしなくても大丈夫だろう。鳴いた牌を見るにドラが乗る以外はトップへと届かない。ならば中々切り出せずにいた初牌の白はどうだろうか、優希への安牌が無い今、初牌といえどこの場ではむしろ比較的安全と言えるだろう。

 

 咲は流局間近で現物を引けない自分の運を呪いながら、白を切り出した。

 

 

「カン」

 

 

「え?」

 

 

 

 牌を倒したのは赤木。その瞬間、咲は度重なる不運で勘が鈍っていた事を察し、声を失った。

嶺上牌が分かる。何巡先が見える。それらは全てその人間が持つ勘、そして感性によるものだ。咲は勘と感性、全てを駆使して嶺上牌を感じ取っている。

 ならば次の新ドラ、それが今自分が切った初牌へ乗る事実にもう少し早く気付いておくべきだったのだ。ドラが丸乗りした優希へ気が向き過ぎていた、後悔する一瞬の間に、赤木は白を晒し、嶺上牌をツモる。

 

 

 

 

「クク……あったな」

 

 

 赤木は手牌を倒し、ツモって来た西を手牌の横へと叩き付ける。そして淀み無く伸ばされた指によって捲られたドラは当然の様に中、つまり白に丸乗りする形となった。

 

「嶺上開花、三槓子、白、ドラ四。倍満」

 

「ちょッ……なんですかその和了り!」

 

 余りの荒唐無稽過ぎる和了り形に思わず声を上げてしまう和。赤木が倍満を和了った事により、和は二位へと転落し、赤木の逆転トップと言う結果に終わった。

 

「良い待ちだろ」

 

「…………」

 

 

 子供の様に無邪気に笑う赤木に何を言えなくなった和は、溜息を吐きその場を眺める。何なのだ、訳の分からない和了りで逆転を許してしまった。

 この卓上の牌を傍から見れば、赤木が遮二無二和了りを目指し、運良くドラを乗せ逆転トップへと踊り出たとしか思えないものであり、事実優希と和はそう考えていた。

 その時、妹尾に再び役満を和了られ、食傷気味になったまこが部屋へと戻り、赤木はそろそろ風呂が空いただろうと言い残し、まこと入れ替わる様に部屋を出て行く。

 

 

「なんじゃ、部屋で打っとったんか――」

 

 

 半日前に未春が言っていた男子が恐らく今すれ違った男だろうと予想を付けたまこは久に問う。

 

「うん……そうなんだけど、まこ。ちょっとこの卓見てくれない?三人共手牌を開いて」

 

「ん?どれどれ……」

 

 

 それを受けた三人はそれぞれ自分の配牌を倒すと、久は赤木の和了った役を説明し、まこは赤木が座っていた席へと腰掛け卓上を上から見下ろす。

 

「何じゃこれは……まあ手出しかツモ切りかは分からんにせよ、あの子が最後にカンドラを乗せてトップ。まるで咲みたいじゃのお」

 

「そうね――」

 

 そう言いながら目を移した咲の手牌。手牌を見た時に一番目に入るのは先ず槓子だろう、そして次点で暗刻。咲の手には七萬の槓子がある、最初の赤木が鳴いた時に乗ったものだろうか、±0を目指す上で思わぬ障害になったと言った所だろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そこまで思考した久は目を見開くと、まるで飛びつく様に卓へと駆け寄り卓上を見下ろす。

 

 

 

「っと、なんじゃ!?」

 

 

 この局、そんな単純な話で見過ごして良いのか。

 

 

 

「ねえ咲」

 

「……はい」

 

「赤木君はもしかしてだけど、貴方の点数調整に気付いてたと思う?」

 

「……終わってみれば、そう思います」

 

「えー、咲ちゃんまた±0目指してたのか!」

 

「この半荘だけ目指してみなさいって言ってあったのよ」

 

 

 

 ならどうやって気付いた。

 そう言えば、一局だけ本当に理解に苦しむ局があった。形式聴牌を目指す訳でも無く、ただ中張牌を鳴いて行った局があった筈だ。

 

「咲、南二局であなた、もしかして赤木君へ差し込みに行った?」

 

 咲は無言で首を縦に振る。そうすればあの和へ援護とも取れる牌を切って行ったのも理解出来る。赤木は数局を捨てて試しにいったのだ。打点を得た咲が点数を明らかに下げに向かったのを。ならばオーラス、最初に赤木が鳴いたのは三筒、愚形が残る不可解な鳴きだった。

 

「最初の鳴きで、咲の七萬にドラが乗った」

 

 するとどうなる、久は額に拳を当て思案する。自分が咲なら、この局は±0が無理だと考える。事実その時の咲もそう考えていた。なら次の手段として。

 

「優希の連荘に期待した」

 

「はい」

 

 優希の捨て牌を見えるに典型的な断ヤオ、中へ寄せている河だ。ドラ二萬の行方が分からないにしろ、残された道は優希の和了りだけ、だから中盤以降咲は中張牌を適度に転がしていたのだろう。それもあって優希は聴牌に辿り着いた、二四萬の嵌張待ち。そしてその同巡、赤木は握っていた九索でカンを入れた。

 

 

 まさか――。

 

 

 その瞬間久は全身に鳥肌が立っていた事に気付く。赤木は嶺上牌を待っていた訳では無い、事実あの九索カンは赤木の手に何一つ絡まなかった。しかし、優希にはドラが乗った。

 考えろ、自分が咲ならどうする、差し込みへ向かっていた相手にまさかのドラ乗り。となると流局を願う他無い。いや、そもそも赤木はあのカンを何故あのタイミングで行ったのだろうか。

 

 

「……多分ですけど、赤木君は優希ちゃんが聴牌するのを待ってました」

 

 でなければあのタイミングでわざわざ九索をカンした事に説明が付かない。となると、赤木のあの九索ポンはわざわざ優希が聴牌してからドラを乗せる為だけに鳴いたと言う事になる。

 何の為に。

 

 

 その答えは直ぐに出た。咲の逃げ道を塞ぐ為だろう。あのタイミングでドラが乗っても、聴牌気配が読める咲には怖くは無い。しかしあのタイミング、聴牌が確定し、次巡直ぐにでも振り込みに行ける状況。其処でドラを乗せる事が一番咲には効く、自分が咲の立場なら堪ったものでは無い。つまりあのカンは自分が和了る為のカンでは無く、相手の心を折りに行くカン。

 そして流局以外に術を失った咲が、断ヤオ気味の二人へ安牌として字牌を転がす。初牌ではあるが、当てられる可能性のある赤木は明らかにノミ手、咲からすれば自分からは和了らないから別段怖くは無い。

 

 

 

 其処で討ち取られた白。

 

 

 出来過ぎと言われればそれまでだが、久は思考が終わった今、それはまるで小説を読み終わった様な気分になっていた。文面通り、つまり表面上ではよくある話が、裏を返してみれば全く別の道を歩んでいた。それを気付かず読み進め、最後のどんでん返しに驚き、狂喜する。そんな小説は好きだ、また読みたくなる。ならば、そんな小説が好きな久は、やはり赤木の麻雀をもっと見ていたくなった。

 

 赤木は一つ一つ咲の退路を潰した。それはまるで詰め将棋の様に。普通カンは自分が利する為に向かうものだ。

 しかし、赤木のカンは違った。それは相手の退路を断つ鳴き。ある種カンは自分の鳴きで他人の手に影響を与える特別なものでもある。赤木はそれを利用した、ドラと言う見える地雷を仕掛け、咲を自分の領域へと誘う為に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あの男の鳴きは逆発想だ。咲は手を進める為に、自分に有利になる為にカンを入れる。

 しかし、それと対になる様に赤木は他人が不利になる様なカンを入れる。それはまさに逆転の発想であった。

 

 



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波乱の合同合宿 其の三

 深夜、大半の部員が寝静まっている中、龍門渕の部員達が枕投げに奮闘し、隣の部屋の美穂子に咎められ部屋の明かりを消した時、宮永咲は何処と無く寝苦しさを感じ布団から這い出していた。行く宛も無くスリッパに足を通すと、皆を起こさぬよう静かに扉を開け廊下へ出る。まだ真夏とは言えないが夜は蒸し暑く、もわっとした空気が咲の肌を包むが、今はそれさえも心地よく感じる程咲の心はどんよりと曇っていた。

 適当に廊下を徘徊していると、突き当たりに光が見え足を運ぶ。其処は小さな休憩所の様であり、向い合せのベンチと暗い廊下を明るく照らす自動販売機が佇んでいた。徐に自動販売機の前へ歩み寄りディスプレイを見上げ、丁度喉が渇いていたと寝間着のポケットを弄るが、財布を持って来ている訳も無く溜息を漏らした。その時、背後から僅かに足音が響いた事に気付いたと同時に、振り向く間も無く自分の横に手が伸ばされ、その伸ばされた手に握られていた千円札は自動販売機に吸い込まれていった。

 

「あ……赤木君」

 

「好きなの飲みな」

 

 とりあえずとハギヨシに少額の金銭を要求していた赤木は、此処へ来る途中近くにコンビニがあった事を思い出し、酒と煙草を買いに行く最中であった。その道中自販機へ歩いて行く咲を見掛け寄り道をしていた。

 

「えっと、じゃあ……」

 

 咲は遠慮しようかと一瞬考えたが、喉の渇きには勝てずリンゴジュースのボタンを押すと受け取り口から取り出す。赤木は続けてブラックコーヒーのボタンを押すと、咲は屈み込みながら再び受け取り口へ手を伸ばし、コーヒー缶を赤木へと手渡す。コーヒーを受け取った赤木はそのままベンチへ向かおうとしたが、咲にお釣りを忘れてると呼び止められ、釣り銭を受け取り学生服のポケットへと捻じ込む。

 本当に何処かズレた男だなと思いながらベンチに腰かけた咲は、向かい合う形で対面に座った赤木に何から話そうかと考えたが、とりあえずジュースのお礼を言う事に決める。

 

「あの、ジュース。ありがとう」

 

「ああ」

 

「その……ブラックコーヒー飲めるって凄いね!私なんて苦くて全然……」

 

「歳食うとこれ位がいいのさ」

 

「…………赤木君も眠れないの?」

 

「ん?ちょっと酒と煙草を買いに行こうと思ったんだがな」

 

「学生服じゃ買えないよ。そもそも未成年だよね」

 

「いや、五十三だ」

 

 もしかしたらそれは赤木の渾身のボケで、此処は突っ込んでおくべきなのかと思ったがそんな気分では無くリンゴジュースに口を付けお茶を濁す。

 

「……お姉ちゃんと」

 

「……?」

 

「赤木君はお姉ちゃんと闘ったんだよね」

 

 照の口からは何も聞かされていないが、赤木と闘ったからこそ、この合宿へと送り込んで来たのであろうと言う事を想像し赤木に問う。

 

「ああ」

 

「……勝った?」

 

「ああ」

 

 当然の様に二文字で返答したが、この日本中を探しても同じ返答を出来る高校生はそう居ない。それどころか一人も居ないんじゃないかと勘繰ってしまう程、姉は強い。

 

「あれは間違いないな……学生であれに勝てるのはまあ居ないだろ」

 

 姉が褒められた事の嬉しさと同時に、その姉を倒す事が目標となった咲からすれば素直に喜んでいいのか分からない返答であった。

 

「私なんかじゃ……やっぱり勝てないよね」

 

 今日の赤木との対局。成すがまま赤木に直撃を取られた事は多少なりとも咲から自信を失わせていた。人は自己の領域を脅かすモノを恐れる。久が赤木と対戦した咲を見て思った感想であり、当の本人の咲もその言葉通り、自分の嶺上牌に自信を持て無くなっていた。あれは±0の縛りがあったからで、トップ狙いなら負けなかったとも一瞬考えたが、恐らくトップ狙いだとしても赤木には勝てなかっただろう。

 

 

 

「……あの局、仮に流局して親連したとしてだ。アンタが俺の立場で対面の手を見たいなら、何点払う?」

 

「へ?」

 

 何だその質問は。無論麻雀に於いて任意の点数移動は許されていないが、これは仮の話だろう。

 

(あの時の赤木君の立場から見た私は……特に聴牌していた訳でも無いし……)

 

「せ……千点くらい?」

 

「全部だ」

 

「全部って?」

 

「例え点棒を全部払ってでも、俺はアンタの手を覗く。多分アンタの姉も同じ事を言っただろうよ」

 

「え?でもそんな事したら……」

 

 仮に赤木の言った通り話を進めると、咲の点数は五万点近くに膨れ上がり、そうなれば親も無く子の赤木が逆転する術は紙の様に薄くなる。

 

「逆転出来なくなる……ってか?クク……まあ、よく考えな」

 

 赤木は缶コーヒーを飲み干すと、ゴミ箱へ器用に放り込み、踵を返しポケットへ手を突っ込むと、薄暗い廊下へと姿を消して行った。

 咲はその後も赤木の言った事を考え続けたが、答えは出ず、やがて疲労で眠くなって来た事を感じ自室へ戻ると眠りに就いた。

 

 

 

 

 

 

 後日、太陽が顔を見せ始めたばかりの合宿所では、大広間にて各高校が入り乱れた交流戦が行われていた。其処はまるで雀荘の様な雰囲気で各々が対戦者を誘い、空いた卓へと座り勝負を開始する。流局後に逐一手順について話し合ったりと、普段の練習では余り見られない光景が繰り広げられ、皆リラックスした状態で対局に臨んでいた。それもそうであろう、あくまで強化合宿と銘打たれたこの場で神経を擦り減らし、己の魂を振り絞った打牌をする者などそう現れない。

 

 咲は朝食の時から各高校の様々な人間に声を掛けられ、引っ張りだこであったがその全てを断っていた。中央少し横の卓へ座り続けている咲は、靴を脱ぎ、卓上で綺麗に並べられた牌を見下ろし続けている。その面持はまるで決戦を控える人間の様に鋭く、その卓へ座る事を皆が自然に避けていた。

 そんな中、一人の少女がその卓へと歩み寄り、咲へ問う。

 

「此処、良いかな?」

 

「はい」

 

 鶴賀学園麻雀部大将の加治木ゆみは、龍門渕の面々との対戦を終え、次の相手を探していた。その時、得も言えぬ雰囲気が漂っている卓が中央にある事に気付き、その中心に咲が座っていたのを受けてリベンジマッチだとその卓へ腰掛けた。咲が先程から対戦の誘いを断り続けているのをゆみは知っている、恐らく誰かを待っているのだろう。

 それが恋い焦がれるもので無いのは咲の顔を見れば分かる。その顔は大将戦の時に一瞬見せたあの顔、ゆみはそんな咲と誰が相手をするのかと気になり、興味本位で卓に着いていた。

 すると大広間の入口から、見覚えのある金髪を揺らして此方へ歩み寄って来ている人物が居る事に気付いた。それは紛う事無き龍門渕透華であるのだが、何時もと雰囲気が違う。そう言えば目立ちたがり屋の彼女がこの場に姿を見せていなかった事にゆみは今更疑問を持つ。

 透華はゆみと向かい合う様な形で着席すると、一言も言葉を発さずに目を瞑っている。その事を不審がりながらも、咲の様子を見るに透華が咲の待ち人では無い事を予想し、後一つ空いた席に注目する。

 

 和気藹々と麻雀に勤しむ中、一つだけ異様な雰囲気を漂わせている卓がある事に気付かない筈も無い。後一つ空いた席に、誰か行くのかと皆が皆の顔を見合わせるが、座っているだけで神経を擦り減らしそうな卓は御免だと互いが牽制し合う。

 

「じゃあ私が入って久しぶりに本気――」

 

「衣が――」

 

「む」

 

「ぬ!」

 

 龍門渕高校大将の天江衣と、久が同時に名乗りを上げ互いに顔を見つめ合う。久はそっとジャンケンの構えに入ると、衣もそれに便乗し右手を握り後方へ引く。咲は赤木が来る様子も無く、来るまではこの面子で対局していようとそのジャンケンの様子を傍観する。

 

「「じゃんけんっ」」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……寝過ごしちまったか」

 

 久からは七時に交流戦を開始すると告げられていたが、赤木が目を覚ました時には既に時計の短針は八を示しており、一時間程寝坊をしていた。少し小腹が空いているが、とりあえず言われた場所へ向かうかと考えた赤木は重い腰を上げ大広間へと向かう。

 

 大広間では各卓で対局が行われているものだと思っていたが、何故か皆が中央へと集まり、一つの卓へ注目していた。赤木はそんな人だかりへと歩み寄ると、短い時間だが見知った顔は居ないかと辺りを見渡した。すると昨日対局した桃色の髪の少女が観戦している事に気付き、話し掛ける。

 

「よお」

 

「あ、赤木さん。おはようございます」

 

「何の騒ぎだい、こりゃ」

 

「腕に自信のある人達が咲さんと加治木さん、それと龍門渕さんに対戦を申し込んでるんですよ」

 

「それで?」

 

「座った人が毎回ラスで交代してるみたいです。部長や天江さんもラスみたいで、やっぱりレベルの高い卓ですね」

 

 今その面子と対戦しているのは、三人目にしてトップを取ると意気込んで行った池田華菜であった。しかし、丁度オーラスが終わり、池田の点数は見事ラスで撃沈していた。

 律儀に和が付けていた点数表を見るに、挑戦者が一方的にやられている訳では無い。久も、衣も、その時たまたまラスを食ったと言う点数であり、三回戦ともある人物以外の点数は横並びしていた。

 

 

「へえ」

 

 

 これがそうか、と。赤木はその金髪越しに透華の横顔を見ると、ポケットへと手を突っ込み池田の席へと歩み寄って行く。

 

「む!お前は昨日の!」

 

「代わってくれるかい」

 

 誰が決めた訳でも無く、挑戦者がラスを食ったら終わりと言うルールが浸透しつつあったこの卓は、赤木と言う四人目の挑戦者を迎え四回戦目が始められようとしていた。

 

(来た……赤木君)

 

(宮永の反応が変わった。やはりこの男か……)

 

 

 四人目に卓へ座ったのは、何処からどう見てもその辺の高校生であり、突出した特徴と言えばその白髪であろうか。

 しかし、ゆみは昨晩久から赤木について自室であった対局について聞かされていた。

 

「あれは凄いねー。まあ、ゆみも一回やってみれば分かるかもね」

 

 

 どれ程のものか、見極めてみよう。

 ゆみは深呼吸し、気持ちを入れ直すとこれまで以上に集中し、その対局へと臨む。一方の咲は未だ昨日の赤木の答えが出せていないままであり、あの質問の真意を見極める為この半荘へ全てを注ぎ込む事を決める。卓の雰囲気が一層変わった事に、挑戦者席を観戦していた久は直ぐに気付く。

 

 

(さあ、来たわね本命が。見せて貰うわ)

 

「む、嬉しそうだな清澄の。そんなにあの男が気になるのか?」

 

「ええ、よく見ておくと良いわよ」

 

 そんなにお墨付きされては見ない訳にはいかないと、ついにはその場に居た全員がその卓へと集まり、その動向を見届け始める。

 

「……ルールは?」

 

「基本は何時も通り、赤が四枚のアリアリ。頭ハネの半荘戦」

 

「クク、いいぜ」

 

 

 

 

 

 インターハイへ駒を進めた時、自分は照の場所へ大きく前進したと思っていた。

 しかし、この男が言うには自分に足りないものがあるらしい。

 自分と姉の間にある絶対的な何か。それを見極める、絶対に。

 

 

 

 



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龍門渕透華 其の一

 座順は動かず、赤木の上家に透華、対面に咲、そして下家にゆみの並びで対局は開始された。起家は透華、ドラ表示牌は五筒であり、今回はそうならなかったが赤が多様されるこのルールでは一枚でダブドラになる可能性がある。

 

 

 

 

 

 もし、龍門渕透華がどんな人物かと問われれば、それは一言目立ちたがり屋と言えば片付けられる。

 そしてどんな麻雀を打つのかと問われれば、完璧の傍らに立ったデジタル打ちと答えれば話は済んでしまう。

 

 極稀に、透華が豹変する事がある。背後で透華の闘牌を観戦していた国広一は、今の透華の様子をとある試合と重ね合わせていた。それは昨年のインターハイ、透華はその目立ちたがり屋なスタイルをおくびにも出さず、淡々と打牌を繰り返し、圧倒的な強さで他校を蹂躙し始めた。当時対戦相手であった選手がこのままでは不味いと別の高校に狙いを定め、箱割れにする事でその場は収まったが、あのまま続けていたら間違い無く透華がぶっちぎっていたと一は確信している。

 透華が豹変する時、それはどれも強者が集う場所にて起こっている。今の状況がまさにそれと言った所だろうか。

 

 

 ならばこの透華に勝てる奴がこの場に居る訳が無い、事実咲やゆみ、そして衣や久相手に一騎当千、他者を寄せ付けない圧倒的な力でトップを取り続けている。しかし、役満を和了り続ける、八連荘をする。そんな派手な打ち回しでトップを取っている訳では無い。ひたすら淡々と和了り続け、気が付けば半荘が終了している。今の透華の麻雀を評するならば、そう形容する他無い、自分にもっとボキャブラリーがあれば言い方は変わってくるのであろうが、言いたい事は皆同じだろう。

 

 それにもう一つ気付いた事がある。あのカン大明神とも言える宮永咲からこの半荘三回で一度もカンの発声が上がっていない、透華の打ち筋も相まりその場は波一つ立たない海の様に静寂を極め、派手な出来事が起きる事も無く局が進む。らしくないと言えばそれに尽きるが、その状態の透華の方が普段の何倍も強いだろう。

 

 

 

 

 

 

 しかし、東一局、まるで波が立たないその場に、一悶着起こそうとしている奴がどうやら下家に居るらしい。

 

 

「チー」

 

 

 下家の男、どう言う訳で呼ばれたかは知らないが、どうせ企画した清澄の部長の知り合いだろう。先程からタンピン狙いで真ん中に寄せて行く透華の余り牌をこれでもかと鳴き続けている。

 場はまだ五巡目だが、既に下家の男子は三副露、一二三萬、七八九萬、九九九索とチャンタへ向かっていますと宣言している様な打ち筋であった。

 そして赤木が手の中から切り出した二筒を見たゆみは、追い付けるかとポンの発声を上げる。

 

 

(左から二番目の二筒、なら面子は一二三筒かな。三色は無いし、待ちは字牌の単騎……白と西は二枚切れだし狙いやすそうなのはそこ位かな……)

 

 

 そして透華のツモ巡、手は内側へ綺麗にまとまっており、四巡目にして三四五の三色が見えている、赤五筒が入れば最高の所だ。今の手には赤が一つ、満貫はほぼ確定していた。曲げて裏を乗せれば倍満まで見えて来るが、恐らく透華はリーチをしないだろうと一は考えていた。先程からそうだ、裏を乗せて倍満等目立ちたがり屋の透華なら絶対に向かう所だが、殆どの局面で牌を曲げていない。

 そして透華は当然の様にツモって来た赤五筒を手に入れ、浮いた七筒を切り出す。これで三四五の三色が確定し、頭は三筒、待ちは七八萬の両面。やはり透華からはリーチの発声は無く、高目跳満のその手、透華は聴牌した気を一切出さず、背後で見ていた一でさえ、手牌を見ていなければ気付かないであろうと思う程、その打ち筋は静寂に身を委ねていた。

 

 

 遅かれ早かれツモって来るであろうと考えていた一だったが、次巡に透華がツモって来た牌は西。場には二枚切り出されているが、チャンタを待つ赤木からすれば絶好の牌。赤木の河には東と北が並んでおり、南も河を見渡せば三枚見えている。

 しかし、この西を抱えてしまえば、親満の手を自ら放棄する事になる。

 

 

(うぐぐ……流石に切れないよね)

 

 

 透華はまるで手を進めるかのように、淀み無く、ツモって来た西を手牌に入れると八萬を場に切り出す。赤木の手牌から出た二筒、あれを見るに赤木の待ちはほぼ単騎で確定している。ならば赤木には幺九牌以外の牌は全て通る。かと言って、これ程未練無く切り出せるものなのだろうか。

 

 

 その八萬には声が上がらず、赤木はツモ切りで番を終え、ゆみ、咲はそれぞれ手出しで和了りを目指していた。そして透華のツモ、手に入った牌はドラの六筒。さてこれは切れるかと一は考え始める。

 チャンタ狙いの赤木には百パーセント通る六筒、他者にも聴牌気配は無い、未だに手から浮いた字牌が出て来ているのだ、聴牌は遠いだろう。仮に赤木がフェイクで二筒を切り出していたとしても、この六筒では和了る事が出来ない。

 それに西が通る保証が出来たとして、この六筒を使って手作りをするのは余り宜しくは無い、七筒を切ってしまっているが故、振聴になりやすい牌でもあった。ならば三筒と入れ替えても良いが、三色が消える分打点が一つ下がる。どの道絶対通る牌なのだ、今通しておくのが吉だろう。

 

 透華はそれを一瞬で判断し、当然の様に六筒を河にツモ切って行く。

 デジタルの世界ならば当たり前の話だ、後ろで見ていた和もその判断に誤りは無いと確信していた。

 

 

 

 

「カン」

 

 

 その場がざわつく。

 正確に言えば、赤木の背後に居た人物以外が、である。

 

 

 赤木は倒した六筒と透華が切った六筒を場に晒すと、嶺上牌へ手を伸ばし、残り一枚となった手牌の横へ叩き付ける。

 そして場に倒れる二枚の白。

 

 

「ツモ。8000」

 

 

 

 開いた口が塞がらないとはこの事だろうか。

 新ドラは乗らず、ついてねえなと呟いた赤木を尻目に、一はその強烈な六筒カンに目が釘付けになっていた。

 もし、赤木がこの嶺上開花で和了れなかったなら、役が消滅しこの局は逆立ちしても和了る事が出来なくなる。海底ならば可能性はあるが、その前に絶対透華が和了ると自信を持って言える。

 なら何故そんな意味不明なカンを入れたのか。チャンタ狙いで手牌に六筒の暗刻を残す意味も分からない。いや、そもそも手牌に中張牌のドラ暗刻があって、何故あんなチャンタに見せかけた鳴きを入れるのだ。深まる謎であったが、それに答えるものは居ない。それに赤木の打ち筋を口で説明して分かる者など元から居やしないのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 赤木からすれば、デジタル打ちをする雀士と卓を囲むのはこの上ない闘い易さがあった。

 

 何故ならば、彼ら彼女らは皆、捨て牌と晒した牌に言い訳を作ってやれば、その言い訳通りに牌を切ってくれるのだ。

 

 チャンタの気配を出せば幺九牌を切らずに降りてくれる。

 タンヤオの気配を出せば幺九牌を切ってくれる。

 そんな理に適っていない不利な和了り方をする訳が無いと思ってくれれば、何でも切ってくれる。例えそれがドラだろうと。

 

 

 

 背後で赤木の一局を見ていた久は身悶えしそうになっていた。それは悪待ちの極み。久の打牌は多面張を捨て、あえて悪い待ちで待つ傾向があった。無論それは理に適っておらず、何となくと言う理由のみであり、よく和に抗議されていたものだ。しかし、赤木のこの待ちはどうだろうか。悪待ちを選ぶ為に役を下げた事はあったが、役まで捨てた事は一度も無い。そしてまるでそれが何であるか分かっていたかの様な白の地獄単騎。

 これまでの三回戦、透華以外誰一人満貫以上を和了った人間は居なかった、それをこの男は東一局で成し遂げたのだ。周りのざわめきは強くなって行くが、それとは裏腹に卓の面々は淡々と次局へと移行している。

 

 

 咲は赤木の和了りを目の前に、やはりこの場はカン出来なくなっている訳では無いなと何処か他人事の様に思い耽っていた。

 そして此処まで来れば理解出来る。自分が透華と同卓した途端カン出来無くなっているのは、それを勝ちへの拠り所としているからだろう。県予選決勝戦で悪魔染みた能力を発揮した衣でさえ、手も足も出ていなかった。幾ら満月が関係しているとはいえ、此処まで何も出来ないのは透華の力が影響している筈だ。

 恐らく、透華はこの場を平らにしている。文字通りその選手達の突出した能力を封じ込め、波風立たない場を作り上げているのだ。そして平の打ち合いになったなら、デジタルの極みである透華に勝てる人間は居ない。

 

 

 

 成程、この透華の強さの意味が漸く理解出来た。

 皆不確定要素を拠り所に闘っている節がある。それを取っ払われた時、やはりモノを言うのはいかに牌を効率良く切るか、つまりデジタル打ちである。かと言って普段その能力に頼り切っている人間がデジタル打ちを真似た所で牌選に甘さが出てしまう。そもそもデジタル打ちは一朝一夕でモノに出来る物ではない。ましてや普段からオカルト染みた闘牌を繰り返している少女達となれば尚更だ。

長くそのデジタル打ちに身を委ねた者にのみ、平の場で猛威を奮う資格が得られるのだ。

 

 

 お手上げだ、これまで三回戦はそう考えていた。この中で唯一勝てそうなのは同じデジタル打ちの和、そして臨機応変に場に対応出来るゆみ位だろうか。

 ならば、何故この男は平然とオカルトの極地とも言える和了りをやってのけたのか。

 

 

 それは赤木しげるが麻雀の打ち筋として拠り所にしているモノ、それが存在していないからであった。特段、赤木は此処でこう打てばこの結果になると思った事は無い。赤木がカンを入れれれば絶対に有効牌を引き入れる、と言った事は無いのだ。ただ赤木は、その状況でのみ、そうすれば良い結果になる、と言った事しか考えていない。

 

 赤木が拠り所にしているのは自分を信じる絶対の心。咲の様にカンで和了りを目指す訳で無く、赤木はそのカンをただの和了りへの足掛かりとしか見ていない。

 カンを入れて和了りを目指す咲、そして和了った道中にカンをしていただけと考える赤木、二人には決定的な考え方の差が生まれていた。

 

 

 

 

 

 東二局、赤木の親。

 子満貫を和了った赤木の点数は、半荘一回では確かなリードと言える30000点を越えており、逆に親と8000点を失った透華は先程までとは一転、苦しい状況であった。

 捲られたドラは四萬、つまり五萬がドラになり、赤五萬なら一枚でドラを二つ抱える事が出来る。

赤入り麻雀に余り経験が無い赤木だったが、こんな便利なモノが大衆のルールに追加されていたのかと、その事に感謝しながら手牌にある赤五萬を見下ろす。

 五七九萬と穴空きになっていた萬子の並びに、普通の人間なら六萬が入ればラッキーと考えて終わるであろう。しかし、五萬が一枚でドラドラな事を考えると、この並びをそれだけで終わらせるのは非常に勿体無い。

 

 

 この赤五萬は使える、デジタル打ちが地獄へと落ちて行く言い訳として。

 赤木はそう考えつつ、幺九牌を切り出し中へと寄せ始めている透華を横目で見ながらほくそ笑んだ。

 

 

 

 

 



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龍門渕透華 其の二

 意識が川の穏やかな流れに溶け込む様な感覚に陥る事がある。そんな中、自分は周りに誰も居ない卓に座り、打牌を繰り返している。

 周りで聞こえるのは川のせせらぎ、そして河に牌が触れる打牌音のみ。しかし、自分の周りは闇が支配しており、認識出来ているのは卓上の牌だけ。その河に切られた牌だけを見て、淡々とやるべき打牌を繰り返す。随分心地良い場所だ、透華はこの空間に再び来れた事に喜びを感じながらも、その心の隅に僅かな虚しさが存在している事にも気付いていた。そんな時、決まって思う事がある。麻雀はこんなに容易く勝てるものなのだと。

 

 嗚呼、つまらない。そして意識が現実に戻って来た時、その事を全て忘れてしまっている。

 もう三度もトップを取った。暗闇で相手が誰かは分からないが、どうせ四度目のトップも確定している。この空間に居る時、自分に敵は居ない。

 

 

 そんな事を思っていた時、それは丁度東一局を終えた瞬間だった。ふと誰かが隣に座っている様な気がした。この心地の良い空間に踏み込んでくる不届き者がどうやら居るらしい。

 確かに、訳の分からない和了り方をされた。しかし、その人間もどうせ只一つの嶺上開花と言う和了り目を願い、遮二無二突っ込んで来ただけの運に頼る人間。全国大会は強い猛者が集うと聞いたが、大半はそれだった。皆平の場になれば力を落とし、無様に点棒を吐き出し始める。やはり、自分が持っているデジタル打ちこそ最高の技術だったのだ。どうせ下家に座っている男もその類だろう。

 手は悪くない、中に寄せながらも上の三色が見えてきそうだ。ドラは絡みそうにないが、この手をキッチリ仕上げれば牌を曲げずして満貫へ辿り着きそうだ。

 

「ねえ、そこの貴方。貴方は何時もあの様な打ち方を?」

 

「いや……俺は別に特別な打ち方をした訳じゃねえな」

 

 つまりあの打ち方がこの男にとっては普通の打ち方と言えるのだろう。

 

 呆れた。

 あんな事をしていれば聴牌率は下がり、和了率などもっと低くなってしまう。それに奇策は手に役が絡みにくく打点にも繋がらない、先程みたいにドラが乗れば辛うじて満貫へ届く事もあるが。そんな打牌で自分に勝てる訳が無い。短い半荘の内と言っても、その差は如実に現れるだろう。

 

 ドラが五萬な事を考えれば、赤を引き入れて打点を上げる事も視野には入れたいが、手が進む内に上の三色へと寄ってしまった。そして今ツモって来た牌でとりあえず手は完成した。南を頭とする高めチャンタ、平和、三色、待ちは場に残り一枚ずつの一四索。一つ心残りと言えばその浮き牌が九萬の事だろうか。

 今の場、対面は早々に索子に見切りを付けて切り出しており、筒子もちらほら切られている。その中で萬子だけが非常に高い。この九萬は早目に切ってしまっても良かったが、九萬をもう一枚引き入れての純チャンへの移行も考えられた、中盤赤木が一枚切っていたが、皆が中に寄せている今、手に使われている可能性は低い。つまりは山に残っている可能性が高く、そうなれば場に二枚切れている南を回し打つ事が出来、防御面としても優秀な構えだ。

 さて、対面は本当に萬子で待っているのだろうか、注目すべきのは十巡目に切られた六筒。

何かを引き入れての打六筒。恐らく五六六筒や六六七筒の典型的な並びか三四六筒に有効牌を引き入れたのだろう。三筒は早々に場へ三枚切られている為、二四六筒の並びを十巡目までわざわざ抱えていたとは考えにくい。その時点で聴牌か否かまでは分からなかったが、浮き牌が既に整理された様を見ると恐らく一向聴だろう。その後十二巡目の打七萬、煮詰まってきた場にあの牌は強い。萬子が後の事を見ても、上の萬子が臭い。曲がっていないがあれで間違い無く聴牌しているだろう。先ずは筒子の順子が一つ、後は萬子で固まっていそうだ。

 

 打七萬、あれも六七七萬か七七八萬の浮き牌。そうなれば七八萬の可能性があり、この九萬は切れない。何か切れる材料は無いかと河を見渡すが、ヒントになりそうなものは無い。ならば当初の予定通り南を落として様子を見てみよう、直ぐに一四索か六九萬を引く事が出来れば打点は下がるが聴牌復活、更にその時落とせるのは完全安牌の南。もし、次のツモが一索、更に対面に九萬が通っていたと言う結果が分かったとしても、自分の選択に後悔は無い。こうあるべきなのだ、自分の打ち方は。

 

「クク……震えねえな」

 

「何がですの?」

 

 怖くない、とでも言いたいのだろうか。言わせておけば良い。何れ自分が上回って――。

 

 

 

「リーチ」

 

 

 下家の男子が放り投げたリーチ棒と共に河へ切り出された牌、それはドラの五萬。しかし、只のドラ五萬では無い、赤ドラ。つまり一枚で手を二役上げる事が出来る魔法の牌。

 透華はすぐさま対面の反応を見るが、対面からロンの発声は無い。それはまるで身投げの様な暴打、この下家も対面が萬子の上で待っている事位分かっているだろう。それは殆ど五八萬か六九萬に絞られている。

 

 しかし、通してくれたのなら此方は楽になる。これで五八萬の筋は消えた。つまり対面の待ち牌は十中八九、六九萬待ち。この九萬を抱えていては辛いが、もう一枚重ねる事が出来れば和了り牌を握れる上に聴牌復活。対面、上家と安牌のツモ切りが続き、続く透華のツモ。引き入れた牌は四索、打点は落ちるがとりあえずは聴牌。打南の六九萬待ち、牌を曲げる事無くノータイムで南を切り出した透華は、対面と聴牌を合わせられた事に安堵していた。これなら自分が負ける可能性がぐっと低くなる。

何故なら赤木の待ちは既に分かっているからである。

 

 さあ、思考しろ。これが自分の領域だ。

 

 

 

 赤牌切りリーチと言うのは待ちが非常に絞られる魔法の牌だ。

 一般的に赤切りリーチは二つの待ちに分類される。五七八萬などの並びから両面移行を考えての打赤五萬。両面移行で平和が付くのなら点数は同じになるのに加え、待ちも両面と広くなる。

 もう一つは引っ掛けリーチ、五七九萬や四五五萬などの並びからあえて赤五萬を切り出し、筋の八萬を誘う、そしてそれを読んで筋を引っ込めた所に三六萬で刺す。等々使い方は多彩だ。

 しかし、この引っ掛けリーチと言うのは自分の安全を保障しながら、かつ相手が飛び込んで来るのを誘う戦法だ。引っ掛ける時に切るものは比較的危険牌になりやすいのだから、皆危ない局面ではそんな打牌は引っ込める。そうだ、この状況で引っ掛けリーチをする為だけにわざわざ狭い待ちで暴打するなど理に適ってなさすぎる。

 

 

 赤木は中盤に九萬、そして前巡に四萬を切っている。つまり五七八萬の並びは無い、そして逆の二三五萬からの一四萬待ちも消えている。

 いや、思い出せ、確かあの前巡に切った四萬は、序盤手に入れてからずっと動いていなかった四萬。赤木の河から察するに、手牌は明らかに索子に寄っている印象を受ける。となれば伸びて来た索子に、最初引っ付いて固まっていた四五萬を落として行ったのでは無いか。そうとしか考えられない、この局面での赤五萬など。明らかに大物手で勝負へ向かった、それが索子の染め手となれば、対面の不要牌である索子を討ち取りやすい。成程、それだけを見たらただの暴牌だが、よくよく見てみると理に適っている。

 勝負手を押す為に切らざるを得なかった赤五萬、そう考えれば納得出来る、事実こんな打牌をされては皆赤五萬に釘付けになり、その付近を警戒してしまう。その実、手は索子で染まっていると言うのに。

 

 

 場は流局が見えてきた次巡、透華のツモ。

 手に入ったのは八萬、一応手変わりが出来るが、する意味も無い。対面の待ちは六九萬、そして赤木の待ちは索子の染め手なのだ。

 

 

 

 

 八萬をツモ切った瞬間、急に暗かった視界は開け、気が付けば自分はあの合宿所の雀卓に座っていた。

 

 

 

 この感じのままこの現実に戻って来るのは初めてだなと辺りを見渡した透華だったが、何やら騒がしい。皆が顔を見合わせ、燥いでいる。あの少年の後ろに居る清澄の部長なんてだらしのない顔をしながら少年の背中に抱き着いている。

 

 何が――。

 

 

 

「聞こえなかったか」

 

「…………?」

 

「2000点だ」

 

 

 

 赤木は何時の間にか手を倒している。

 

 七九萬の嵌張待ち、嗚呼、自分は八萬で振り込んだのだ。

 

 

 

「……何ですってェッッ!」

 

「うわっ、透華が戻ったっ」

 

 

 まるで脳天にラッキーパンチを貰ったかの様な衝撃が走る。

 

 索子はどうした、よく見てみると赤木の手に索子など面子一つしか無いではないか。

なら、何故わざわざあのタイミングで四五萬を落としたのだ。五七九萬の並びから赤五萬を切り出すのは分かる、先程自分も考察していた。

 しかし、わざわざあのタイミングで、わざわざ赤五萬が危険牌になるのを待ってから。いや、それ以前に四五萬の並びなら赤五萬を使えるではないか。ならわざわざ何故そんな打牌を、そんな事は理に――。

 

 

「……お名前、伺ってませんでしたね」

 

「赤木しげる」

 

 成程、やはりこの男がハギヨシの言っていた男。

 

「貴方は、わざわざ八萬を切らせる為だけに、索子の染め手に見せかけつつ四五萬を落としていった」

 

「さあ、どうだったかな」

 

「つまり、五萬が安牌だと分かっていたって事ですわね?」

 

 透華は対面のゆみに目配せすると、ゆみはどうせ読まれているのだろうと観念し手を開ける。それは紛れも無い六九萬待ちであり、透華の読みとピタリ一致していた。

 

「いや、勘だ」

 

「……勘ですって?」

 

「まあ、運が悪ければ死ぬだろうな、通れば良い待ちだろ?」

 

「………………」

 

「クク……なんだかな。昔からの癖って奴だ」

 

 

 理に適っていない打牌、デジタル打ちの透華もあの状態にならなければ多少打つ事もある。

 麻雀は目立ってなんぼだ、デジタル打ちが否定する流れを透華は信じている。だから流れに乗ったと感じれば押す事もある、悪ければ好形を張っても退く事だってある。しかし、此処までの三回戦の自分のデジタルに徹した打牌、その方が自分は強いと言うのを今自覚出来た。

 

 嗚呼、麻雀は何て不合理だ。

 

 自分が求める、デジタルで隙が無い打牌をしながらも、流れに乗り皆の注目を独占する打牌。

 それでは恐らくインハイの準決勝も行けない。

 自分が否定する、デジタルのみに徹し、派手さも、華やかさも、全てを欠かした打牌。

 自分で言うのもなんだが、それならインハイ決勝卓でも戦える自信はある。

 

 何時もは忘れてしまうが、あの状態の記憶を持ったまま戻って来た今だから分かる。チームが勝つ為、強くなる為には己を殺し、あのデジタルに徹した冷ややかな闘牌をするべきなのだ。

 しかし、それでは。

 

「……つまらないですわ」

 

 あの時も思った、それではつまらない。しかし、つまらなくても勝てるのだ、自分に着いて来てくれる仲間の為にも、自分は勝つ打牌をしなければならない。

 

 

「赤木さん」

 

「ん?」

 

「上手い打牌、強い打牌。どちらを目指すべきですの?」

 

「クク……何だその質問」

 

「…………」

 

「まあ……どっちもいけ、それで勝てる」

 

「……ぷっ」

 

 まだ二局しか打っていないが、この男の言いそうな言葉だ。いや、この男がそれを言うからこそ、重みがある。

 今自分はデジタルとオカルトを両天秤にかけていた。今まではそのどちらしか取る事が出来なかったからだ。しかし、今ならオカルトに身を投じながらも、デジタルを背負った打牌を出来る気がしてならない。自分が最強だと思っていたデジタルの極みでは恐らくこの男には届かなかった。たった二局だが、今の自分にはそれがマグレでは無い事位分かっている。

 二兎を追う者は一兎をも得ず、そんな言葉がある。今までの自分はまさにそれだった。どちら共得ようとしていたが、どちら共得る事が出来なかった。だからだろうか、デジタルの兎を追い続けた人格が出て来てしまったのは。

 しかし、何故今まで気が付かなかったのだろうか。二兎を得る為には二人で別々に追えばいいのだ。それを捕まえて合わせれば二兎を得る事が出来る。二つの何かを得る時、必要なのは別つ事なのだ。

 

 

 

 

 皆の注目を集めるのに、目立つ素行など必要無かった。この男はそれを見せてくれた。打つ時は地味でも、目立って無くても良い。

 真に皆の注目を集めるのはその華やかな打牌、事実赤木は皆の注目を集めるのに二局も使っていない。二打だ。

 あのカンと赤五萬切り。この二手だけで人の心を掴み、注目され目立っている。本人は全く目立った素振りを見せていないと言うのに。

 

 自分はあれ位人の心を掴むのに二打だけでは無理だ。しかし、一局かけてなら自分だって出来る。

 ああもう、あの清澄の部長なんてその二打だけで赤木にほの字だ。

 

 

「ふん、今に見てなさい。本当に目立つのは私、龍門渕透華ですわ!」

 

 

(クク……やけに元気だな)

 

 

 普通あんな討ち取り方をされれば、委縮し、萎えてしまうのが大半の人間だ。しかし、この女生徒は能天気なのか鋼のメンタルを持っているのか。それさえもプラスに考え自分の物にしようとしている。

 自分を省みる事の出来る人間は強い。先程の二局までとは違いやりにくくなるなと溜息を吐いた赤木だったが、後ろからしがみついていた久から見ればその横顔はどこか嬉しそうであった。

 

 

 

 捨てる、別つと言う事は同時に拾う事でもある。

 なら身を投じろ。デジタルとオカルトの到達点に。

 

 

 それは茨の道かもしれない、しかし退路なんてもう無い。

 その先にこの男が居るのなら。

 

 

 

 

 

 

 

 



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加治木ゆみ 其の一

 東二局、一本場。

 二本の千点棒を卓の引き出しへと放り込む赤木を横目で見ながら、やはりそうなのだろうと加治木ゆみは誰にも悟られぬ小さな溜息を吐いた。対面の透華、そして上家の赤木は自分の手を読み切った上で鎬を削り、自分には想像もつかない高みで闘っていたのだろう。

 この卓、麻雀の腕が一番劣っているのは自分だ。それでもこの半荘三回、基本的に咲より点数が上回っていたのは透華の支配によりカンが出来ずに攻め倦んでいるお蔭だ。オカルト全開の場になれば、その実力差は如実に現れるだろう。少しの希望を見据えて卓に着いてみたが、やはり結果は無情なものであった。

 麻雀においての自分の武器は何か、そう聞かれても恐らく言い淀んでしまう。確かに一高校の大将を務める実力は持っていると自負しているが、尖った武器は何も無い。やはり突出したオカルト能力を持っていない限り、自分には勝つと言う分厚い壁を越えられない様だ。

 

 

 羨ましく思う事もあった。好きな時にカンが出来る、相手の手が一向聴で止まる、やりたい放題和了る事が出来る。

 しかし、長野予選の時には既にそれらの才能が自分には無い事が分かっていた。故に懸命に、それ以外の言葉で表せられぬ程直向きで懸命に打ち続けた。善戦した様にも思えたが、蓋を開けてみれば化け物染みた能力を振りかざされ、全国への切符を逃した。

 

(……うむ。中々どうして、生まれて初めて使う言葉だが、天啓とはこの事か)

 

 上家に座るその少年は、他の少女達に見られる分かりやすい力を持っている訳では無い。にも関わらず、蹂躙の限りを尽くしていた龍門渕透華を手の平で躍らせた上、正気へ戻した。ゆみは初めて見たと断言出来る。確定要素の能力に頼らず、不確定要素を研ぎ澄まされた勘で見抜き、闘い抜いている選手の姿を。そしてその打ち方は自分に勇気を与えた。カンが、連荘が、海底ツモが出来ずとも、あれ程までに鮮やかで勝つ麻雀を打つ事が可能なのだと。

 更にまだ二局しか打っていないが、自分の打ち筋とその少年の打ち筋は何処となく似ている様に感じていた。だが、この少年の打ち方を真似ろと言われてもそれは無理だろう。あそこで赤五萬を平気で切る真似は自分には出来ない。

 しかしこれは天啓だ、もしかすればこの合宿所に居る面々の中でこの少年に一番近いのは自分かもしれない。あの領域に行けば、この卓を見下ろす景色はどう変わるのだろうか。知りたい、あの景色から見える高みとやらを見てみたい。

 

 

 一瞬でも良い、神域と呼ばれる領域を見てみたい。

 

 

 

 赤木の親連で迎えた東二局の配牌を開けたゆみは、その配牌に思わず目を見開いてしまう。

 十三枚の内の八枚が萬子で染まっており、更にそれは一萬から八萬で構成され、九萬をツモればその時点で一通が完成する。ドラが一萬な事もあり、キッチリこの手を仕上げれば一気にトップが見えて来る。字牌が無い分染め手へ向かうのは少し遠くなるが、それでも此処で一気に点数を稼いでおきたい。赤木が切り出した四筒に、奴も染め手かと考えつつツモ山へと手を伸ばす。これで九萬だったらバカツキだなと思いつつ手に落とした牌には九の文字が刻まれており、八萬の横へ九萬を入れると浮いていた二索を場へと切り出す。

 咲と透華は浮いた字牌から処理しており、この局は恐らく赤木と自分の一騎打ちになるなと考えながら手を伸ばした次巡、ツモって来た牌はドラの一萬。このツモで二巡目にも関わらず既に萬子が十枚、混一どころか清一までもが見えて来る。そうなれば最低でも倍満まで手が伸び、リーチをかけ下手にドラが乗れば、この手で対面の透華を飛ばす事も出来る。流石に一、二巡目に切った牌が二索、七索となると残りの色を警戒され透華からの直撃は難しいが、ツモってしまえば良い。

 

 

 しかし、その後は勢いに乗る事が出来ず、六巡目までツモ切りが続き、徐々に焦りが生まれ始める。そして七巡目、赤木の手から見透かされた様に切り出されたドラの一萬に思わず手が止まり、チーの発声を上げそうになる。

 

(鳴くか……いやしかし……)

 

 鳴けば一通が確定し、加えてドラ三を得る事が出来る。河の牌は既に二段目まで来てしまっているのだ、此処は鳴いても問題は無い場面であり、先程までの自分なら迷い無く鳴いていた。

 

(……私は……どうしたいんだ)

 

 自分の打ち筋を変える気は無い。だが、このままこの打ち方を続けていても先には進めない気がしてならないのだ。

 麻雀の手作りは山登りと似ているなと思った事がある。山登りをする人間は皆山頂を目指す。しかし、山頂へと辿り着く人間は極僅かだ。何故なら皆途中でドロップアウトしてしまうからである。此処まで来れば良い、此処まで来れたなら十分だ。人は皆そう言いながら山を降りて行く。

 加治木ゆみと言う麻雀選手は今の今まで山頂へと登りきった事があっただろうか。思い返せばどれも中途半端に手を止め、其処で満足していた。予選では槍槓で和了ってみせたりと色々小細工を弄したが、頂きへと辿りついた事はまだ無い。今でも忘れられない、予選最後に向かったあの国士無双。結局一向聴止まりで場は終局し、頂きには辿り着けずにいた。

 

 

 此処から先に理論は無い、勘だ。ゆみはこの手を鳴くべきではないと一瞬の勘で判断し、声を上げるのを抑えていた。

 

 

 理ではこの男は倒せない、それは対面の透華が身を以て証明した。ならばこの直感とやらに頼ってみるのも面白い。

 結果ゆみはそのドラ一萬を鳴かずにツモ山へと手を伸ばし、掴んだ感触が萬子の事に安堵しつつ、同時に戦慄していた。掴んだ萬子を落とした先は手牌の左端、つまりこのツモで一萬が三枚重なり、頭ドラ一萬のドラ含み一通が手の内で完成していた。

 残る牌は八八九筒であり、この時点で打八筒の七筒辺張待ちではあったが、ゆみはそんな手に興味は無く、とある手役のみが頭の中を支配していた。

 

(…………嗚呼、震える)

 

 ノータイムで八筒を切り出したゆみは、進めと言う勘を頼りに次のツモを待つ。場は既に八巡目へと突入したが、依然誰からも鳴きやリーチの発声は無く、赤木を含み、自分以外全員のツモ切りが続いていた。チャンスは今、この局にしかない。無表情を貫き通そうと顔を引き締めると、少し汗ばんだ手をツモ山へと伸ばす。恐る恐る開いた手の中にあった牌は九萬。ゆみは九萬を手牌に入れると、続けて八筒を河へと切り出した。

 

 

 

 

 最初の半荘からゆみの後ろで観戦を続けていた東横桃子は、本人以上にその高鳴る鼓動を抑えきれずにいた。麻雀を観戦する者としては、ポーカーフェイスを貫く事が正しい姿と言える。当人が幾ら無表情を貫こうが、後ろの人間の表情で手が丸裸になってしまうからだ。しかし、表情を抑えようにもそのゆみの手は余りに美しく、そして余りに強かった。

 麻雀を打つ者なら誰でも一度は和了りたいと願う、幻の役満。それがゆみの手牌の中で産声を上げようとしていた。そんな中無表情で居られる訳が無い。ましてやそれが自分の大好きな先輩の晴れ舞台になるかもしれないのだ。

 

(先輩っ…………)

 

 後一枚、桃子はこのままあっさりあの牌を引いてしまうのではないだろうかと言う予感に駆られていた。しかし、一枚はドラ表示牌で見えてしまっている。河には出ていないが、たった残り一枚の牌を引いて来れるものだろうか。

 

 

 

 

 

(出来るっす……!先輩なら……!)

 

 

 

 そして次巡、伸ばした手が掴んだ牌の感触は萬子。もし、あの時赤木の一萬を鳴いていれば、日の目を浴びる事は無かっただろう。

 山頂への一歩、と言ってもそれは余りに大きすぎる一歩だった。

 

 ゆみは掴んだ九萬を右端へと落とすと、ノータイムで九筒を切り出した。平静を装い一定のリズムで切り出してはいるが、ゆみの心臓は今にもはち切れそうになっている。後ろで見ていた桃子は今にも卒倒しそうになりながらも、力強く、ゆみの背後からその手牌を見守る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 和了り確率、0.0003%。

 

 麻雀のとある役に、九蓮宝燈と言う役満がある。萬子、索子、筒子は問わないが、一萬を三枚、二萬から八萬を一枚ずつ、そして九萬を三枚揃える。その時点で一萬から九萬の全てが待ちになり、場に萬子が出た時点で和了る事が出来る役だ。それは純正九蓮宝燈と呼ばれ、今回は無いが場合によってはダブル役満として採用される事もあり、麻雀で最も美しい役と言われている。

 しかし、世で和了られたとする九蓮宝燈は恐らく、純正では無い九蓮宝燈の和了りだろう。普通の九蓮宝燈と言えば清一を目指し、多面待ちの中に一つだけ和了れば九蓮宝燈になる、と言うケースが最も多い。

 何故なら、その十三枚を揃えるまでに一枚も余分な牌を引いて来てはならないからだ。二萬を二枚引いても駄目、一萬を四枚引いてしまっても駄目。混じり気無し、その十三枚をピンポイントで揃えた者にのみ許される役満。

 ゆみは感じていた。恐らく、自分は生涯二度とこの手を張る事は無いだろう。しかし、今このタイミングでこの手を張った事には何か意味がある。ゆみはそう感じていた。赤木との出会いが天啓だと思っていたのだが、この九蓮宝燈こそ神からの使者、自分が初めて山頂へと辿り着く為の足掛かりなのだろうか。

 

 普通の九蓮宝燈とは違い、純正九蓮宝燈の利点は何と言ってもその和了りやすさにある。何でも良いのだ、自分が引いても、他人が捨てても、萬子が見えた瞬間ゆみの和了りとなる。明らかな萬子染めの捨て牌に切る者は早々居ないだろうが、今はまだ十巡目、ポロッと一枚零れてもおかしくは無い。そして何より、ロンで無くともツモってしまえば良いのだ。

 ゆみの力強い切り出しを見た咲は、この局は降りるしか無いなと手出しで九筒を切り出し、それに続き透華もこの手で染め手に喧嘩は売れないと手出しで安牌を切り出す。赤木は早々に筒子を切り出して行ったが、その後は中々手が進んでいないように見える。

 

 

(邪魔者は居ないっす……!ツモって下さい!)

 

 

 桃子の祈りが通じなかったのか、ゆみが引いた牌は八索であり、落胆の色を見せるがまだ流局までは少し遠い。三筒を切って行った咲と、四枚目の中を切り出した透華。ベタ降り気味の二人からは流石に溢れないだろうが、親で染め手へ向かっているであろう赤木からなら零れてくれるかもしれない。

 

(うーん……頼みます!白い人!切って下さいっす!)

 

 

 しかし、桃子の願いとは裏腹に、赤木はツモって来た九筒を手牌に入れる事無く河へ叩き付ける。

 

「…………」

 

(そう簡単に出て来ないっすよね……)

 

 

 さあ萬子を引いてしまえとツモ山へ手を伸ばし、そうして引いて来た三筒を見たゆみは何か背中へ嫌な汗が伝っていくのを感じた。直感が伝える、この三筒は不味いと。先程は勘で打つと決めたゆみだったが、ごく一般的な麻雀を打ち続けて来たゆみは抗えない癖で赤木の河について考察し始める。

 

 

 先ずこの場に萬子は赤木が切った一萬しか見えていない、赤木は一巡目に四筒から切り出し、その後は七筒、九筒と続けて処理している。その様子を見ると手牌から早々筒子の色は捨てた様だ。その数巡後、二二三の形に一四が重なり切り出されたと思われる二索や、同じく順子が重なり切り出されたであろう八索が見え、そこからはツモ切りが続いていた。つまり萬子の面子は配牌時から綺麗に纏まっており、ツモる度に重なる索子へ寄せ筒子が切り出されたのであろう。

 恐らく赤木の待ちは萬子か索子の多面張、萬子待ちならば検討する必要は無い、もし索子ならば上の六九索辺りが臭いだろうか。よく見てみると場には四筒が四枚見えている、つまりこの三筒の壁であり、どちらにせよこの三筒は安牌に等しいと言えた。

 

 

「………………」

 

 

 なら切れば良いだろう。そんな嫌な予感と言う不確定な要素に振り回され、この純正九蓮宝燈を棒に振ると言うのか。生涯出会う事が無いかもしれない、その美しい手と決別するのか。

 しかし、ゆみの手はまるで凍りついた様にその三筒を放さなかった。皮肉なものだ、己の勘で辿り着いたこの九蓮宝燈だったが、最後にその勘が九蓮宝燈を拒否している。一般的に見れば、その三筒は考慮にも値せず切り出されるだろう、事実桃子は何故その三筒を切り出さないのかと不思議に思っていた。

 桃子はゆみと同様河を見渡し、三筒を切るのを渋っている理由を探し始める。四筒は四枚出ている、そして三筒も同様に場には三枚見えている。つまりゆみが引いて来たのは四枚目の三筒。と言う事は赤木のタンヤオ三筒単騎と言う線は消え、残る可能性は一二筒からの辺三筒待ち。それならば下の三色が見えて来るが、一萬は既に切れてしまっている。ならば赤木が三筒で牌を倒す事は出来ない筈だ。和了れそうな役と言えばチャンタの辺三筒待ちだが、そもそもチャンタ狙いの人間が要であるドラ一萬を切り出す筈が無い。

 役牌の暗刻持ちの可能性もあるが、それを言い始めたらどの牌も切れなくなってしまう。可能性を追っていくならば、その三筒が限り無く安牌と言えるだろう。

 

 

(……ん、そう言えばあの三筒は)

 

 

 一番有力な情報を得られた桃子は満足げに頷く。その三筒は前巡に咲が切っている、そして赤木はそれを見向きもせず山へツモりに行き、そしてそれを手牌に入れる事無く河へと捨てた。

 

 

 ならば尚更切れる筈だ、この三筒は。

 

(……先輩?)

 

 

 

 

「…………」

 

「せん……ぱい?」

 

 

 



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加治木ゆみ 其のニ

 やはり、三筒を切るしかない。そう結論付けたゆみは、念の為に咲と透華の捨て牌を確認し、三筒が安牌であろう事を確認する。その時、場にとある牌が一枚も見えていない事に気が付く。三筒、四筒がこれだけ切られているにも関わらず、一筒と二筒の姿が見えない。手にあるならばとっくに安牌として切られていてもおかしくは無い筈だ。ならば誰か纏めて持っている人物が居るのではないか。もしそれが透華や咲なら、頭に使うか安牌に使うかを迷い手に残しているのかもしれない。

 

 逆に考えてみよう。この状況で相手の手から萬子が出て来たならば、自分ならどうする。

 答えは決まっている、即答で降りを選択する。ならば、何から切るだろうか。咲は三筒の対子を落とした、ならば次に溢れる可能性の高い牌は一筒か二筒。

 ピタリ、合わせられる。

 

「…………」

 

 それが純正九蓮宝燈であったからこそ、その手に溺れてしまっていた。もし何の変哲も無い萬子の清一なら、この三筒を生かす道を直ぐに考えたかもしれない。相手がそんな牌で当たる筈が無いと考える事が、そっくりそのままその牌で待つ理由になる。それはこの男が教えてくれた。その通りではあると理解するが、それを実行するのは茨の道だ。張った当初はポロっと溢してくれるとでも思ったが、降りに徹されればこの面子から萬子は絶対に溢れない。ならばツモるか、後七回か八回のツモの間に萬子を引けるのか。

 

(まともに考えたら、考慮にも値しないんだがな……)

 

「クク……もっと肩の力抜いた方がいいぜ」

 

「……ふう、そうだな……。しかし、癖と言うものは難儀でな。どうにもこの手が動いてくれない」

 

「……似たような男が居たな」

 

「ん?」

 

「まともに生きようとした男の話だ。そいつはどうも生真面目で、麻雀にも真面目さが出ちまう」

 

「まともが悪いと言うのか?」

 

「いや、悪かねえさ。ただ時々、そのまともさが勘を縛っちまう。こんな運頼りの勝負だ、多少は勘に頼る場面もある。多少不真面目位が丁度いいんだよ」

 

(……多少の不真面目……か)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なんだなんだ、この騒ぎは……」

 

「あら、ヤス……藤田プロ。今お目覚め?」

 

 この合宿の真の主催者である藤田靖子は、その部屋に入室する寸前まで皆が一斉に卓を囲んでいる様を想像していたが、宛が外れ兎に角事情を知ろうとその半開きの目を擦りながら久の横へと歩み寄る。座っている面子は龍門渕透華、宮永咲、加治木ゆみ、そして見知らぬ少年。

 

「あー……男を連れ込むとは。久も中々やるようになったな」

 

「違う違う。あのインハイ王者からの贈り物よ」

 

 今まで脳内は仄かな眠気に支配されていたが、その久の一言でその眠気は彼方へと吹き飛んで行く。久の言うインハイ王者とはあの宮永照以外に想像が付かない。場を見てみると東二局、少年の親。持ち点は35000点とまだ東二だが、この面子相手に三万点を越えるのは確かな腕だなとその手牌を見下ろす。

 

(んー……三筒待ち……?手はチャンタのみか。面子に絡まなさそうとはいえ中盤にドラ一萬を落としてる。しかしまあ……この捨て牌なら萬子か索子の平和多面張と読んでくれそうだ……。当てられた奴は交通事故だな)

 

 

 番はゆみ。二索から切り出され、萬子が一枚も見えていないその河は傍から見ればどう見ても萬子の混一か清一であった。しかし、それにしてはゆみの様子がおかしい。この卓に近寄った時からゆみは牌を切り出していない。昨晩ゆみと闘った時の率直な感想は実に強か、他人から目に見えて表情を変え手を悩む選手では無かった筈だ。まさか清一においてどれを切れば一番効率の良い牌になるかで悩んでいる訳ではあるまい。靖子はそんなゆみの手が非常に気になり、ひょこっと桃子の横へ移動し、その手牌へと目を落とす。

 

 

「ッ―――」

 

 

 数秒思考が停止した後、我に返った靖子は再び見据えたゆみの手牌に強烈な衝撃を受ける。プロとして卓に着いていれば、役満が出る事自体は珍しくも無い。しかし、ゆみのそれは人生でまだ一度も拝めた事は無い幻の役満、純正九蓮宝燈。

 そして靖子が衝撃を受けたのはゆみが純正九蓮宝燈を聴牌していたからだけでは無い、赤木の手を見た後ならば、それは見る者を唸らせる。四筒が四枚切れ、三筒が三枚見えているにも関わらず、その三筒を手の内で止めていたのだ。先ず常人ならその牌が超危険牌でも突っ張って行くだろう。だが、ゆみから見た三筒はどう見ても安牌であり、それを止める道理が見当たらないのだ。何故止めていられるのだ、その三筒を。

 

(しかしこれは……)

 

 本人も何かしらの理由で止めてはいるのだろうが、やはり純正九蓮宝燈との天秤にかけてしまうのならば、切り出されるのは三筒だろう。

 靖子がそこまで思考を紡いだ瞬間、ゆみはその三筒を手牌の左端へ落とすと、九萬を眼前の河へと叩き付けた。それは文字通りの強打であり、まだ出会ってから半年も経ってないとはいえ、共に麻雀を打ち続けた桃子ですら見た事の無いゆみの感情的な一打であった。

 

 

(加治木さん……悩んでからの九萬の手出し。赤木君にきつい牌でも引いたのかな……さっきの話もよく分からなかったし……)

 

 それがただの溢れ牌で無い事はゆみの先程までの様子を見れば分かる。後退した打牌を見せたゆみに攻めるチャンスが生まれたかと一瞬考えた咲だったが、既に手牌は降りへ向かっているのに加え、聴牌を目指せば確実に萬子が溢れてしまう。もしかすれば先程のゆみの様子はブラフで、ただ萬子が溢れて来ただけかもしれない。どの道此処は安牌をと、手の中から二筒対子の内の一枚を場に切り出して行く。

 同じく透華も意気込んだは良いものの、全く勝負にならない手牌に加え、対面の萬子染め気配。やはり手を進めると溢れてしまうのは萬子であり、此処はベタ降りだと残していた安牌の字牌を切り出す。その後、赤木の巡ではツモ牌がノータイムで河へと切り出され、場が進まぬまま迎えたゆみのツモ番。

 

 今度は全く時間をかけずに再び九萬が河へと切り出され、やはり赤木にきつい索子を引かされ降りたのだろうと当たりを付けた咲は、ツモって来た萬子にどう切って行くかと考えたが、とりあえず場に安すぎる筒子を切って行こうと二枚目の二筒を場へと切り出す。

 

 

「ロン」

 

 それはとても低く、聞くものを凍り付かせる様な冷たい声でゆみはロンの発声を上げる。二筒を切り出した咲は思わず切り出した手が固まり、何事かとゆみの手牌へ目を移す。

 

「一通ドラ三。一本場は8300だ」

 

 咲は一通を当てられた事等どうでもよくなる程、ゆみが倒した手に衝撃を受けていた。綺麗に一萬から並べられたそれは、前巡までに切った九萬を残していれば純正九蓮宝燈ではないか。ゆみが牌を入れた位置は覚えている、あの三筒を引いて九萬を回し打ったのだろう。しかし、三筒は安牌の筈だ。この場で聴牌をしていると言えば赤木だが、自分が三筒の対子を落としている間赤木はツモ切りだった。ならばその三筒はなんだ、何故純正九蓮宝燈を棒に振ってまで手の内に収めたのだろうか。

 咲にその答えは見えない。しかし、赤木を後ろから見る者は、そのゆみの一手にある者は唖然とし、ある者は内心で惜しみの無い称賛を送っていた。

 

 

 それを受けた透華はゆみに見えぬ様、眼前にあった自山を開ける。ゆみのツモ位置を追っていくと、どう言う塩梅か流局まで萬子が一枚も見えない。それに加え、萬子をツモる予定となっていたのは透華と咲の二人のみであり、あの状況では鳴きにも期待出来ない。

 

「……本当、麻雀は摩訶不思議ですわね」

 

 もしこれで赤木の待ち牌が三筒であったなら、それこそ椅子から転げ落ちてしまうだろう。透華は役満を見限り、その勘と心中出来る強さを持ったゆみを羨ましく思いながら、手牌を機械の中へと押し込んで行く。オカルトに関心を持つ透華は、あそこで三筒を残すと言う事自体、オカルトの極みであると考える。もし一万人のデジタル打ちが居たのなら、一万人がその三筒を切り出すだろう。結果論だけ見れば、その純正九蓮宝燈は虚空を切っていた。しかし、あの時点のゆみにそんな事が分かる筈は無い、何故分かったのかと問えば、恐らくただの勘と返って来てしまう。

 

「原村和さん」

 

「……はいっ?」

 

「あの九萬落とし、どう思われます?」

 

「……酷い言い方をすると、とち狂ったとしか」

 

「そうですわね……」

 

 デジタルの領域から見れば、余りに理解に苦しむ。

 そしてそんなオカルトの領域に浸かっている人物がもう一人、上家に居る。

 

 

「…………ごめんなさい、少し」

 

 咲は一言断りを入れ、配牌が機械から浮かび上がって来た事を確認すると席を立ち上がり、出入り口の方向へと歩いて行く。出入り口を潜り、直ぐ横に併設されていた化粧室のドアノブを捻り、洗面台の前へと立つと蛇口を捻り、両手を受け皿にし水を貯める。

 貯まった水を一気に顔へとぶつけると、冷えたその水が咲に冷静さを取り戻させていく。

 

 

 何処か、自分は天狗になっている節があった。

 

 

 この勝負が始まる前、赤木との一騎討ちになると想像していたが、蓋を開けてみればどうだろうか。勝負をする所かその土俵にすら立てていない。認めよう、同卓する者を何処か見下していたのだ。

 透華は自分と違い、デジタルと言う武器が通じずとも、オカルトに転じようとする柔軟さがある。

 そしてゆみのあの鬼の様な九萬落とし、見てはいないが恐らく赤木の待ちは三筒だ、自分から三筒を見逃したのは大物手の気配があるゆみからしか和了る気は無いと言う単純な理由だろうか。自分がもし同じ立場ならあの三筒を止められはしない。

 

 二人にあって自分に無い物、それは懸命さだ。あのゆみの様子を見てそれを痛感した。今の自分ではあの面子から和了りを取る事すら出来ないだろう。透華によってカンが出来なくなっている等言い訳にも過ぎない。もし全国大会の大将戦で一度もカン出来ないから負けました、なんて恥辱に塗れた台詞は口が裂けても言えない。

 カンが出来ないからなんだ、自分の武器が折れようとも皆懸命に闘っているではないか。

 

 

「……ふぅ」

 

 

 考えてみれば、カンと言う行為そのものが出来なくなっている訳では無い。カンが出来る場面は人並みにあった。しかし、そのカンが全て無意味に化すと理解していたからこそ、これまでの半荘は一度もカンをしなかった。そして皆、今は自分がカンを出来ないと思い込んでいる。

 

 

「……自分の手が進まないカン、か」

 

 

 そのワードと昨晩の赤木との対局が強く結び付く。あの赤木のカンは自分を利するカンでは無かった。明らかに自分の手を縛りに行くカン。

 ドラとはまさに魔法の牌だ、落とす予定だった対子に乗れば、その対子は少々無理をしてでも手の内へ収める。それは他人も同じなのだ。他人に有利なカンでも良い、その有利さが人の心に隙を生む。

 

 

 頭を回せ、思考しろ。ただカンをして自分だけが有利になる麻雀はもう終わりだ。そこにはさしたる決意も、懸命さも、思考も大して存在はしていないからだ。

 此処からはベタ足のインファイト、互いの胸倉を掴みながらパンチを繰り出す泥仕合。

 

 

「……待っててね、お姉ちゃん」

 

 

 

 

 

 

 



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宮永咲 其の一

 化粧室を後にした咲は、ドアの向こうで不安気な表情を浮かべ両手を胸に添え立っていた和の姿を認めると、自分を心配して追って来てくれたのだろうと予測を立てる。

 

「あの……大丈夫でしょうか?」

 

「うん、ありがとう」

 

 和にお礼を言いながら笑顔を見せると、和は安心したと一息吐き咲と共に卓上へと戻って行く。今までは透華の後ろから観戦していた和だったが、今度は咲の後ろへと回り込むとその卓上を見下ろした。

 

「では再開だな。東三局、私の親」

 

 サイコロの七の目を確認したゆみは、対面の山を切り分け、ドラ表示牌の北を確認すると四枚の牌を掴み眼前へと並べる。咲は段々と露わになっていく配牌に、やはり初手に槓材は無いか、と状況が好転した訳では無い事を再確認し、ゆみの切り出しを待つ間牌を並び替えて行く。と言っても配牌は非常に良く、直ぐに鳴けそうなのは南の暗刻だろうか、それに加え白の対子が手にある。

 

 

 何時もは効率牌など度外視した荒唐無稽な闘牌が繰り広げられていたが、この局に至っては誰もが手成りに手を進めており、普段カンを前提に手を進める咲も、カンが出来る場面に鳴きの発声を上げる事は無かった。和が見ている限り、一つを除けばそれはよくある平凡な打牌であり、咲の手も手成りで行けば筒子に寄った南のノミ手、対子になっている白を生かすならば混一で聴牌といった所だろうか。そしてその懸念材料となっているのは、完全に孤立した四索の存在であった。これは咲が序盤、三五七索、五索が赤の並びを落とさざるを得なくなった時、三索を摘み上げてしまい、次巡にツモってしまった四索だ。麻雀ではよく有り過ぎると言っても過言では無い裏目であり、こうなってしまった時、面子不足なら七索を落とし両面に受けるものだ。面子が足りているならばフリテンの可能性も考慮し其処を落とし切る手も出て来るが、その時点での咲に面子は明らかに足りていない。ましてや五索は赤ドラだ、使う道を探すのが人情。加えてその四索を残せば染めの邪魔になり筒子の混一と言う道も断たれる。

 

 しかし、咲はその後続けて五七索と落として行くと、手牌の左端に四索を残し手を進めて行った。

 

(……四索はチャンタ気味の赤木さんが一枚切り、後は見えてませんね……。そう言えば咲さん、赤木さんが四索を落としたのを見てわざわざこの四索を残した様に見えたような)

 

 和の読み通り、その平凡さが支配する卓に飲まれてしまっているかの様に赤木も手成りで手を進めており、その手役はまたもやチャンタ、白か九筒を鳴ければ聴牌だなと考えていた所に、対面の河へお目当ての白が切り出されて行った。

 

「ポン」

 

 躊躇い無く白を鳴いた赤木は八筒を切り出すと、手を九筒頭の辺三萬待ちに受ける。皆中へ寄せて行っており、出るのも時間の問題かと考えていたその時、同巡にゆみが切った四筒に鳴きの発声を上げる者が居た。

 

「カン」

 

 その一言で場がざわめき出す。あのカンの王様宮永咲がこの日初めてのカンを見せたのだ、無論あのカンで嶺上開花を決めるのだろう。誰もがそう想像していた。しかし、咲はツモって来た嶺上牌で手を和了る事も、進める事も無く、その中をツモ切るとドラ表示牌へと手を伸ばした。人差し指一本で捲られたそこに刻まれていたのは中の文字。刹那、皆の視線は一気に赤木の鳴いた白へと向けられ、同卓する者は白チャンタドラ三の構図を思い浮かべる。しかし只一人、赤木だけは少々俯いている咲を見据えると、成程と頷く。

 

「む、珍しいな清澄の、相手にドラを乗せるなど」

 

「うーん。確かに、咲のカンじゃそうそう見ない光景ね……」

 

 更に久は気付く、当然白を残していれば自分にドラが乗っていたのだ、しかし、咲は赤木に白を鳴かせた上に、ドラまで乗せてしまったのだ。

 

(本当に調子が悪いのかしら)

 

 透華は咲の中切りの後、ツモって来た三筒を手に落とす。これで一二三筒の一盃口が完成し、残る判断としては赤木のチャンタ気配に切り出せずにいたドラ東の処理だったが、ドラが乗った事によりそれは更に切り辛くなる。しかし場には一枚も出ていない事からまだツモれる可能性もある。透華は仕方がないと頭以外で使え無さそうな対子の北を切り出して行く。

 やっとの思いでカンは出来たが、それでも相手にドラが乗り、宮永咲は本調子では無い。それが室内を漂っている推察であり、事実透華とゆみでさえそう考えていた。これまでの半荘三回で一度もカンが出来ていないのだ、ブラフでは無く本当にカンが出来なかったのだろう。それが透華の様子が戻ると共に、漸くカンへの道が開かれた。

 

 

「…………」

 

 嗚呼、いいさ。そう思っていてくれ。

 どうせこれが使えるのは一回キリだ、皆カン自体が出来ないものだと思ってくれている。ある意味半荘三回をドブに捨てたようなブラフなど、誰も読めはしないのだ。いや、それがブラフと言えるかどうかも怪しい。事実咲は本当にカンをしたくても出来ずに攻め倦んでいたのだから。しかし、相手の手を進めるカン、その逆発想とも言える鳴きをこの土壇場で思い出した。ならばこれまでの半荘三回は無駄にしない。

 

 この巡目、誰もがツモ切りを繰り返し、膠着状態のまま迎えた咲の番、ツモ山から持って来た牌を手牌に乗せると同時に、端に浮いていた白を切り出して行く。

 その白に久は咲が対子から落として行ったと言う事実を認識する。

 

(白……?じゃあ対子から白を落として行ったのね。それなら白がドラドラになった筈……勿体無いわね)

 

 

 透華は上の索子か下の萬子、それか東が重なってくれればと思い手を伸ばす。そして掴んだ牌は八索、見事に重なった面子に、残る課題は東を重ねるだけとなった。北を落としながら、現状一向聴の手が実るのをひたすら待つ。

 

 

 

 赤木はツモって来た四索を手の中に入れると、入れ替える様に一索を切り出した。後ろの観戦者はその入れ替えにどよめき、その様子にゆみは思わずツモ山へ伸ばしていた手を引っ込める。

 

 

(ッ……明らかに一索と四索を入れ替えた……何故だ、確かに白を鳴けたのだからチャンタへ向かわずとも和了れるが……)

 

 わざわざ打点を下げる意図も見当たらない。しかし、赤木が四索を引っ込めたのだ、何か意味があるのだろう。次巡にでも溢れそうになっていた四索に、今一度河を見渡す。その時、成程と咲の河を見ながらゆみは頷く。まるで其処は安全地帯ですよと言わんばかりに三索やら赤五索やらが切り出されている。萬子も比較的に切り出されたその河は、ストレートに読めば四筒をカンした辺り筒子の染め手だろう、四筒カンならばその周りは既に面子だ、待ちと言えば上の筒子か。しかし、あの白対子落としはタンヤオ移行と言う事も考えられる。思ったよりも筒子や字牌が伸びず、萬子を引っ付けての喰いタン、こんな所だろうか。

 ドラ三に強烈な印象を受ければ、誰もが赤木の安牌を切るだろう。そうなれば赤木が切っている四索は他者の手から溢れやすい、ましてやあの咲の捨て牌だ。

 

(ふむ……)

 

 危なかったとゆみは胸を撫で下ろす。赤木があのアクションを起こさなければ、この巡にでもこの四索は切り出されていたのだから。

 さて、四索を切るのは不味いと引っ込めたは良いものの、この落とす気が満々だった二四索の嵌張をどうしてくれようかと考えるが、三索か五索を引く以外に道は無い。せめて安牌とツモ山に手を伸ばすと、引いて来た牌は一索であり、とりあえずは安心と河へ切り出す。

 

 

 

 

 

 

 

(張った……!四索を切れば南、混一の五八筒待ち)

 

 同巡、咲がツモった八筒により、打四索の五八筒ノベタン待ちの手が完成した。手の構成は南の暗刻、一二三筒にカンされた四筒。南のみの四索単騎待ちを続けていた咲だったが、此処まで来れば流石にこの四索を切り出すだろう、和はそう考えていた。

 

「…………」

 

 この四索待ちはバレている。せっかくカンのミスを装い、相手にドラを乗せてまで赤木が切っている四索で和了りを釣り出そうとしたのだが、あのゆみのリアクションを見るに四索を引っ込められた可能性が高い。流石だ、赤木が四索を入れ替えたかもしれないと言う不確定要素だけで四索を止められてしまった。惜しい、咲が隠した刃は喉元まで迫っていたと言うのに、何と言う間の悪さだ。ならば仕方が無い、大人しく打四索の混一を選ぶべきではないか。

 

 

 

(いや……違う、この手はまだ生かせる……)

 

 しかし、それが成就しなかったならみすみす5200点の手を潰してしまった事実だけが残ってしまう。点数も心許無い、和了りが欲しい。

 

 

 

 

 

 

 

「…………赤木君」

 

「ん?」

 

「麻雀って楽しいし、しんどいね」

 

「……ああ」

 

「赤木君は麻雀楽しい?」

 

「逆だな」

 

「え?」

 

「そのしんどさが俺には心地良い」

 

 

 

 

 

 

 

 勝つと言う道は、その華やかな結果とは裏腹に地味なものだ。皆、見えない何かをコツコツ積み重ねて勝利を得ている。傍から見ればただ和了り続けている宮永照でさえ、その裏側では勝利の為に煮え湯を飲み、唇を噛み締めているのだろう。咲は初めてその勝利へ続く道へと足を踏み入れたものの、想像以上に其処は地道で、疲弊するものだった。

 

「ッ―――」

 

 咲は下唇を噛むと、勢い良く八筒を河へ叩き付けた。先程の桃子同様、和も咲の感情を剥き出しにした強打に驚きを隠せなかった。常に穏やかな彼女は、ここぞの和了り牌をツモった時以外、感情に左右され打牌に強弱を付ける事は皆無だった。やはり、皆対面の男に何かしらの影響を受けているのだろうか。それにしても再び四索単騎待ちで受けた咲の考えが和には微塵も理解出来ない。

 

(何故……この四索で待つ意味なんて……)

 

 咲が明らかに何かをやろうとしている。時間が無いと思った透華だったが、同巡にツモって来た東をこれ幸いと手の内に入れる。一二三索の一盃口、六七八索に二三五萬、そしてドラ東の頭。五萬が赤ドラな事を考えれば、曲げて裏を乗せて跳満が狙い目。それか直撃が難しくはなるが赤を切り出して素直に一四萬で受けるべきではないか。どうせ赤五萬リーチでなくともこの面子からの直撃は難しい。赤木のドラ暗刻が気になるが、攻める場面では攻める、それが透華のセオリーだった。

 

(曲げてツモって裏乗せて跳満、完璧ですわ!)

 

「リーチですわッ!」

 

 赤五萬を切り出した透華は、リーチ棒を静かに卓の中心へと置く。赤木はツモって来た北を河へツモ切り、ゆみは此処からでは流石に間に合わないなと手にあった五萬を切り出す。親としてはツモられたくはないが、それでも直撃だけは避けたい。

 そして咲のツモ巡、掴んだのは死神、赤五萬リーチに最も辛い九萬。リーチ宣言牌が赤ならば、一四か六九の筋が濃厚になる。赤木ならばそんなものは無視するが、透華のストレートな手作りならば恐らくどっちかの筋が当たりだろう。

 

(流石に切れませんね……此処は四索以外はあり得ません)

 

 

 

 二分の一で死ぬ。

 

 

「…………」

 

 成程、ゆみは先程こんな修羅の道を我執駆け上がって行ったのか。

 確かに右手が中々この九萬を放してくれ無さそうだ。しかし、自分は薄い氷の上を歩く道を選んだのだ。其処へ辿り着くまでは手を曲げる訳にはいかない。

 その道の先にあるのは南のみ1300点と言う酷い結果だ、全く、こんなノミ手に命を賭ける事になるとは。

 

 咲は穏やかに微笑むと刹那、その鉛の様に重い九萬を河へと叩き付ける。

 

 

(ッ……九萬、ロンの発声は無いか。しかし、その九萬は強いな、強すぎる。と言う事は筒子の清一までありそうな手か?いや、それなら四索など端から存在していなかったと言う話になる)

 

 

 元々四索を引っ込めた理由など、赤木が止めたかもしれないと言う頼りないものだ。安牌ももう無い、ならば限り無く安牌のこの四索を落として行くべきでは無いのか。

 

 

「…………ふふ」

 

 いや、それはないな――。

 

 

 

 一発を逃し落胆する表情を浮かべた透華を尻目に、赤木は安牌のツモ切りが続き、同様ゆみは安牌である四枚目の字牌をツモって来れた事に安堵しながら河へと切り出す。

 そして咲のツモ番、流局まで残るツモは多くて四回か、時間が無い。勢い良く伸ばした手が掴んだ牌は再び萬子、それも再び危険牌の六萬。六九萬の筋は無いとはいえ、四五五からのフェイク赤切りならば待ちは三六萬だ。透華が引っ掛けをする様にも思えないが、和とは違いオカルトにも片足を突っ込んだ人物だ。絶対に通る保証なんて無い。どの道もう少しで流局だ。

 

 

「…………」

 

 

 只々愚直に、懸命に進め。

 

 

 場に六萬を叩き付けた咲の様子に、赤木はこの少女に先程までとは打って変わって不気味な印象を受ける様になっていた。どう見ても下家の少女の様に勝負へ向かう体質では無さそうだったのだが、どうやら何かを変えようとしている様だ。見据えているのは姉の背中か、しかしその背中に追い付くにはこの局をモノにしなければならない。

 ツモれない透華、そして手が白ドラ三の辺三萬待ちから凍り付いた様に動かない赤木、ツモって来た南に嫌な予感を感じつつ、最後の安牌を切り出すゆみ。

 

 

(何を待っているんですか……咲さん。もう巡目もありませんし……)

 

 

 

「ッ――」

 

 

 此処だ、此処がこの手の終着点。

 そして咲はツモって来た牌に顔を俯かせると、左端に浮いていた四索を場へと切り出した。

 

 

(四索……やはりな。ついさっきまでの私なら出していた。多分引かされたのだろう、ド本命の一四萬を。不幸だな……よりによって三連続萬子の危険牌とは)

 

 

 咲はそのブラフに必死になっていた。でなければ誰があんな萬子を一発で切り出すか。余りに強い咲の九萬切りに思わず本当は四索なんて無かったんじゃないかと本気で考えてしまう程に咲の気迫は凄まじいものだった。その心中を察しつつ、同時に四索を止められていた事に安堵していた。しかし透華のツモ巡になると少し力んでしまう。このままツモらないでくれと言うゆみの願いが通じたのか、透華はツモった牌をそのまま河へと切り出した。

 そして赤木のツモ巡、赤木はツモって来た二索に何の疑問も抱かず場へと切り出す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 嗚呼――。

 

 

 

 たったの一局が永く、遠くに感じた。それも全てはこの瞬間の為に。

 

 

 

 

 

 

「ロンッ!」

 

 それはあの宮永照も成しえなかった。その場の全員を、そして鬼をも騙した咲の二索単騎待ちが赤木を討ち取る。

 

 

 

 



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宮永咲 其のニ

 ゆみはツモ山へと手を伸ばそうとしていたが、その手が次のツモを迎える事は無かった。

 

「南のみ、1300点です」

 

 咲が倒した手牌の右端、其処に鎮座していたのは萬子の危険牌では無く、二索。

 

「二索単騎――」

 

 

 この瞬間、咲の手はこの場全員の予想を打ち抜いていた。

 ここ三日間だけだが、この世界での赤木の闘牌の中で一度だけ振り込んだ事がある。しかしそれは殆ど交通事故、和了った淡にも思考は存在しておらず、運命の巡り合せにより振り込んでしまった。しかしこの討ち取りはそれとは違う。咲は思考し、知略し、葛藤しながら手を作って行った。それを読み切るのは赤木の最も得意な分野と言えよう。咲はその土俵で赤木に競り勝ったのだ。それは余りに不条理、確かに諦めた様に切り出した四索を見れば、あの赤木でさえ騙せるだろう。しかし、それはドラが内蔵された満貫手でも無い。今回は偶々透華が牌を曲げた為千点が追加されたが、打点としてはリーチ棒とさほど変わらぬ1300点。

 そんなノミ手を和了る為に、その為に二索を待つ為だけに、咲は我執修羅の道を駆け上がって行ったのだ。

 

「……どう思う?天江さん」

 

「心焉に在らざれぱ、視れども見えず、聴けども聞こえず、食らえども其の味を知らず。……この中の誰もが打ってもあの和了り形にはならない。しかし清澄のには見えていたのだろう」

 

「見えていた……か」

 

 咲はこの和了りだけに賭けていた。嶺上開花も駄目、だが普通に打っても勝てない。だからこそ、その一点のみに全力を注ぎ赤木から和了りを取った。久は赤木の両肩に手を置くと、前のめりに倒れ体重を預けながら首を傾げる。

 

「ねえ赤木君。咲の待ち、どうだった?」

 

「ああ、良い待ちだ。意志もある」

 

「へっ?あ、ありがとう……」

 

 咲はまさかこの鉄面皮に褒めて貰えるとは思っておらず、思わずにへらと顔を綻ばせてしまう。少々照れ臭くなった咲は、まだ場は南入すらしていないと言うのに抜けそうになっている気を手繰り寄せる様に手で頬を叩く。東四局、初めての親だと言うのにどうも体が重い。普段ならば嬉しいものだが、プレッシャーを感じてしまってるのだろうか。と言ってもその重さは先程までの重圧とは少し違う気もする。

配牌を開いた咲は、手牌に四萬の暗刻が備わっている事に自分はやはり嶺上開花と言う道と向き合うべきだと言う事を改めて実感する。

 

 

 

「ポン」

 

 この男は何度チャンタへ向かえば気が済むのだ。咲は一巡目から鳴きの発声を上げる赤木に掴めない雲の様なものを感じつつ、その後進んだ場へと切り出された二索にそろそろ張ったかと予想を付ける。しかし、どうにもツキは自分へと傾き始めているらしい。早々に手牌の四萬を場へ晒し、ポンの発声を上げる。暗刻からポンを仕掛けていった咲に、和はもはや何も言うまいと動向を見守っていたが、やはり自分の予想通り咲は加槓での嶺上開花を狙っている様だ。そうでなければわざわざドラを切ってまで好形の二五八索三面張を崩す理由が無い。嶺上開花で無くともタンヤオが確定しており、二五八索でも和了れるのだ。それを蹴ったと言う事は断ヤオドラ一より高く、かつ和了れる保証の手。つまり嶺上開花に必要な牌を待ち続けているのだろう。

 

 咲の神経は全て赤木へと注がれている。それも致し方無い話ではあるが、それでも麻雀は四人で行う競技であり、他人を疎かにすると手に掬った水が零れて行く様に点棒を失ってしまう。

 

「ロン、2000点」

 

 赤木のチャンタを警戒するのならば、中張牌が溢れてしまうのは道理。となればゆみの断ヤオ平和手に刺さってしまうのもまた道理であった。

 千点棒を二本卓上へと置いた咲は、どうにも先程の和了りで集中力を切らせてしまっている感覚があるのを否めず、それは南入へと突入した後も続き、透華の親番に赤木が千点を軽くツモり、同様に引き入れた赤木の親番でも透華が5200点をツモる。

 手が悪かった訳では無い、無論カンをする機会も幾分かあった。しかし、ただその手を進めカンをしているだけでは今までと何も変わらない。もがき続けていた咲だったが、場は既に南三局。赤木と百点差でトップへと立つ事が出来るゆみだったが、どうしてもその壁を越えさせまいと眼前に深い谷が現れた感覚に囚われる。四巡目、ゆみのツモ切った北に再びチャンタのみの千点を和了った赤木に、此処まで徹底されるとお手上げだと1300点を赤木へと手渡す。

 

 

 その間も咲は焦燥感に苛まれながら闘牌を繰り返していた。赤木から直撃を取ったまでは良い。しかし、その後はまるっきり和了る事が出来ず、何か仕掛けようにも他の人間が牌を倒し勝負にならない。本来麻雀とはそう言うものではあるが、その事に慣れていない咲は常に心臓を握られているかの様な苦しさを覚えていた。

 南四局、トップとの赤木の点差は二万点近くあり、オーラスが親番でなければ卓を引っ繰り返してしまいそうだ。このまま終わるのだけは絶対に嫌だ、咲は強く想いながら配牌を並べて行く。

 

 

 艶が無い、大物手どころか聴牌すら危うそうなその配牌に軽く眩暈を覚えるが、もうめげたりはしない。直向きに打つ事はもう理解した。ならば自分の打つべき牌は決まっている。槓材は無いが早々に暗刻が出来た、もしこの暗刻が鳴ければ嶺上牌で手が進む気配もある。それに内へ寄せている内に二向聴まで直ぐに辿り着いた。

 

(嫌だ……このまま終わるのは……)

 

 

 しかし、此処からが至難、面子が埋まらないのだ。暗刻になった八萬を鳴くどころか、一向聴にすらならない。そんな咲の手とは裏腹に場だけは無情に進んで行く。この半荘、短いその間に皆何かを掴み、己の全てを振り絞り闘牌へ身を委ねていた、そんな半荘が流局の親流れで終了など冗談では無い。

 

 

「ッ――」

 

 

 嵌張が埋まらない、麻雀を打っていれば不聴で流局など日常茶飯事だ。しかし、それは今じゃなくともいいだろう。何故、今なのだ。咲はもう後が無くなった山に縋る様な思いで手を伸ばすが、掴んだ牌はやはり不要牌。思えば麻雀は努力だけでは埋められないモノが余りにも多すぎる。

 少年漫画でよくあるスポ根モノならば、ラスボスである赤木に一撃を入れ、其処からヒントを得た上で打ち倒す。そうなるものだろうが、麻雀と言う競技に関しては自分の努力ではどうしようも無い部分が目に見えてしまう。しかし、その麻雀で常勝と言う看板を引っ提げている人物も居るのだ。照ならば此処で聴牌出来ず親流れ流局など有り得ないだろう。

 

 何が足りない、対局前にはそれを掴む腹積もりだったが、この土壇場で掴んだものは懸命な南直撃のみ。

 

 

 後二巡、ツモが残り二回しかないにも関わらず、手は二向聴。このツモで有効牌を引けなければ鳴きが入る以外は聴牌が絶望的になってしまう。

 

 

(お願い……!)

 

 

 震える手が掴んだ牌は三枚目の北、咲の手から零れ落ちる様に落ちたその北に赤木は目を細めると視線を手牌に落とす。

 

「ロン」

 

 周囲の人間はどよめき始めるが、それは赤木が和了った事より教科書の様な赤木の混一の捨て牌に対し、北を捨てた咲へのざわめきであった。咲は赤木の手、混一、一通、白、ドラ三に自分の点棒がマイナスへ突入した事実に気付き、更に表情を曇らせる。それは苦悶に歪んだものであり、和は咲へ何と声を掛ければ良いのかと戸惑い立ち尽くす。

 

 

「ありがとうございました」

 

 咲は一方的に挨拶を押し付けると、腰を上げ出入り口の方向へと小走りで駆け出して行く。追いかけようと足を一歩踏み出した和だったが、今の自分は咲を慰める言葉を持っていない事に気付き踏み止まる。後一歩で逆転可能だったゆみだったが、終わってみれば赤木とは二万点以上差が付いている。しかし、ゆみと透華の表情は咲のそれとは違い、何処か晴れやかな気分でその卓へ座り続け余韻に浸っていた。赤木の両肩に手を置いた久は、追ってくれないかしら、と赤木へ問い掛けてみる。少し困った様に苦笑いしていた赤木だったが、重い腰を上げると咲が走り去って行った方向へとゆっくり歩き始める。

 赤木が去って行ったその卓の周りでは、今の半荘の総評について議論が飛び交い、その中でもゆみの役満を蹴ってまで咲から討ち取ったあの一局は論が止まない。少しこっぱずかしくなり頬を掻いたゆみだったが、興奮した桃子がその話題を出し続ける限りそれは終わらないだろう。

 

「……透華」

 

「……一?」

 

「赤木君は、強かった?」

 

「そうですわね……やってみれば分かりますわ」

 

 強いと言えばそうに決まっているのだろうが、その強さを言葉で表す事が難しく、聡明な透華だったがお茶を濁す返答しか出来ない事に溜息を吐く。

 

「加治木ゆみさん」

 

「ん?」

 

「ありがとうございました。先程の九蓮宝燈崩し、感服致しました。……何故あの三筒を止められたのでしょうか」

 

 人を素直に褒めるなんて珍しいな、とプライドの高い透華を何時も横で見ている一は、そう思いつつ、自分も気になっていた疑問に答えてくれるであろうゆみへ視線を移す。

 

 

「……ああ。勘としか言いようがないが……我武者羅に打ってたから、だろうか」

 

「……余り答えになってませんわね」

 

「そうだな。ただ……あの男が相手でなければ、考慮もせず切っていたのは確かだろう」

 

 その男の背中はもう見えず、咲を追いかけて部屋を出て行ってしまった。少女を追いかける少年、と言う構図よりかはヤンチャな孫を追いかけるお爺ちゃんの方が型にハマってるなと赤木が倒した手牌を見つめながら思う久であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 悔しい。

 

 咲は行く宛も無く合宿所の廊下を彷徨い、気付けば玄関前の階段に腰を降ろし顔を伏せ涙を流していた。これ程悔しかった事は麻雀で一度も無い、それ程赤木との対局で何も出来ずに終わった事が胸を打ち付け、悔恨の念に苛まれていた。どれ程そうしていたであろうか、そろそろ心配した面々が探しに来そうだなと思い始めた時、後方から足音が近付いて来ている事に気付く。

 その足音は咲の横で止まった事を確認し、顔を上げた咲は其処に居た人物が赤木であった事に意外だなと目を見開くと、呆けた様に顔を見つめていた。泣き腫らした目は余り人に見られたくないものだが、この男なら気にならない。余り感情的に人を追ってくる人間ではなさそうな赤木だったが、胡坐を掻きながら階段に腰掛けた赤木が第一声で呼んだ咲の名は驚くほど優しく、麻雀のイメージとは雲泥の差であった。

 

 

「溺れてたよ、お前は自分に」

 

「溺れてた?」

 

「俺から南を討ち取った時から、お前から何処か真剣味って奴が抜けていくのを感じたよ」

 

「え、あ……勘違いしないでね。手を抜いたとかじゃなくて」

 

「分かってる。お前は手を抜かないだろうよ。だけど勝負には熱ってもんがあってな。そいつは気付いたら引いちまってる事がある」

 

「……お姉ちゃんなら、どうだった?」

 

 何かと姉を引き合いにだしてしまうのは、やはりこの男が姉に勝っているからと言うのもあるが、最終目標が打倒照な事もあるだろう。

 

「ククク、お前は姉にどう言うイメージを持ってる?」

 

「えっと……凄くクールで、冷静で……」

 

「……いや、あいつは誰よりも熱い麻雀を打っていたよ」

 

「お姉ちゃんが?」

 

 想像が難くなる。昔はそれ程でも無かったが、麻雀においては無表情一辺倒であり冷静に相手を屠る姉が熱い麻雀を打っていると言う事にピンと来ない咲は首を傾げ続ける。

 

「私には……難しいかな」

 

「そうかな」

 

「へ?」

 

「打ってたじゃねえか、あの一局。痺れたぜ」

 

「……でも一局だけだよ」

 

「クク……誰もが全局ああ出来る訳じゃねえよ。皆機を待ってる」

 

「機?」

 

「ああ、その機を待ち続けられる人間……そうだな。お前は其処から目指してみろ」

 

「……よくわかんないや」

 

「まだそれで良い。その……なんだ……インタ……」

 

「インターハイ?」

 

「ああ、それだ。それを目指してるんだろ?」

 

「うん」

 

「それまでに間に合えばいいんじゃねえのか」

 

「それはそうだけど……」

 

「…………咲」

 

「何?」

 

「そのインターハイとやらは目ぼしい人間が全員来るのか?」

 

「えっと、そうだね。全国から東京に集まって試合するんだよ」

 

「直ぐに試合か?」

 

「いや……東京へ行ってからは少し時間があるかな。確か開会式の前日ならみんな来てると思うし……その夜なら」

 

 その言葉を聞いた赤木は納得した様に頷くと、腰を上げ両手をポケットへと突っ込む。朝の日差しに顔を顰めながら、赤木はとある事を考えていた。

 

 

 

「四人」

 

「四人?」

 

「誰でも良いさ、東京に来る面子でお前を含めて四人集めときな」

 

 赤木の考えを何となく想像していた咲は、東京に集まったインハイ出場者の面子と本番前に対局するのだろうと当たりを付けたが、咲を含めて四人ならば赤木は打たないと言う事になる。

 

「……もう一回赤木君と打ちたかったな」

 

「ククク、何勘違いしてやがる。その三人はお前の味方だ」

 

「はえ?」

 

「まあ……少し特殊なルールになるが、四対四の麻雀だよ」

 

「四対四……でも団体戦は五対五の代表者選抜式だよ?それならインハイに備えて五人の方が……」

 

「二対二だ」

 

「え?」

 

「二対二、十巡で交代する特殊麻雀」

 

 赤木の言葉だけでは全く想像が付かない咲だったが、元よりこの男の提案を断る気はさらさら無かった。わざわざ自分の為に場を用意してくれると言うのだ、それなら甘んじて受け入れよう。

 

「分かった……頑張ってインハイの日までに三人集めておくね……って、赤木君も三人集めるの!?」

 

「まあ……そうだな、まだ時間がある」

 

 この広い全国からインハイ出場者を三人集める。それだけで骨の折れそうな作業だったが、この男なら難なくやってしまいそうな気がしてならなかった。人脈が無くとも、赤木が此処に今立っている事がその証拠になる。皆強者に集まるのだ、赤木の麻雀ならば惹きつけられる者も多いだろう。

 

「えーと、何処か宛があるの?」

 

「……とりあえず西だな」

 

「西?」

 

「大阪、あの辺りか」

 

 

 

 



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大阪編
赤木しげる、更に西へ


「なんや恭子、最近元気無いやんか」

 

「主将……いや、そんな事無いですよ」

 

 

 基本各県から一校が出場するインターハイだが、東京と大阪に限り東と西、北と南に別れ各一校ずつが出場の権利を得る事が出来る。その中で南大阪の代表校であり、夏のインターハイ出場を決めている姫松高校で大将を務めている末原恭子は、自分の高校は全国区の実力を持っていると自信を持って言える。しかし、自分が全国区の実力を持っているかと言われれば、雀力以外で足りていない部分が多すぎると感じ、自信を持って肯定する事が出来なかった。恭子と仲の良い愛宕洋榎はそんな事は気にしてくれていないのは分かっているが、何処か引け目を感じてしまう。

 

「今日はもう上がりますんで、お疲れ様でした」

 

「恭子――」

 

 逃げる様に部室を後にした恭子は、インハイまで一週間と迫っているにも関わらず、異能オカルトに対抗する手段を得られていない事に焦りを感じ続け、練習が手に付かない状況であった。一週間でどうこうなる問題でも無い事も分かっていたが、大将と言う勝利に直結する役割を任されている以上、プレッシャーはかかってしまう。もし自分がオカルトに呑まれ、手も足も出なくなったなら、それはチームの負けに繋がってしまう。

 

「……ほんま、けったいやわ」

 

 四方塞がりな恭子は、ライバルである北大阪の千里山高校所属船久保浩子にデータを譲って貰おうかと本気で考え始めていた。牌譜には穴が空くほど目を通しているが、データを取るとなると得手不得手が出てしまう。ある程度の傾向は掴めるが、其処から対策を練りだせるのは得手の領域だ、自分には向いていない。無論敵に塩を送る様な真似は絶対しないだろうが、校門前で一週間土下座し続ければ流石に心が動いてくれないかとも考えた所で顔を振り頭を冷やす。

 

「凡人、二流三流……」

 

 自覚出来ている分まだマシだと自負しているが、自分はその領域を出ない。どう足掻いても一流と呼ばれる全国区の化け物を相手に立ち回れる気がしない。しかしそんな猛者相手でも負けるつもりで卓についた事は無いのは恭子の強みであり、それは洋榎も認めている。だからこそ、全国区の強豪校で大将を任されているのだ。

 

 

「ハァ……にしても暑いわぁ……」

 

 視界に入った自販機へフラフラと吸い寄せられると、乾いた喉を潤そうと五百円玉を捻じ込みコーラのボタンを押す。ガタン、と落ちて来たコーラを手にした恭子は、余りに温いそれに眉間へ皺を寄せると、溜息を吐きながら釣り銭を取り出す。この世で夏に飲む温いコーラ程不味いものは無いなと思いつつも、木々が生い茂り日陰を作っている公園のベンチに座りながら、勝てない喉の渇きにそのコーラを胃へと流し込んで行く。足をだらしなく放り出し、背凭れへ全体重を預けていた恭子は、このまま暑さで溶けてしまいたいと考えていた。

 

 その時、背を向けあっている反対のベンチから聞こえて来た寝息に、思わず体を起こすと体を捻りベンチを覗く。其処には自分より少し年下であろう白髪の少年が暢気に頭の後ろへ手を回し、気持ち良さそうに昼寝をしている姿があった。何も考えて無さそうな少年の寝顔に羨ましい限りだなと溜息を吐くが、ブレザーでは無く学ランを来ていた少年にこの辺の人間ではないのかと想像を付ける。此処周辺の高校は男子のブレザーが多い。つまりわざわざ遠出をして公園のベンチで昼寝しているのだろうか。

 恭子が覗き込んでいる気配を感じたのだろうか、少年は薄目を開けると体を起こし、此方を凝視していた恭子と目を合わせる。

 

「ああ、すんません。起こしちゃいました?」

 

「いや、良く寝た」

 

「そうですか……でもあんま寝すぎん方が良いですよ。この辺あんま治安良く無いですし」

 

「そうなのか?」

 

「ええ」

 

「ならここ等辺に雀荘はあるかい」

 

「雀荘ですか?まあ歩けばそこらじゅうにあるんちゃいます?……麻雀打ちはるんですね」

 

「ああ」

 

「……麻雀、得意ですか?」

 

 もし此処が大阪で無ければ、その少年赤木との邂逅も無く話は終わっていただろう。元々フレンドリー気質な恭子の性格に加え、大阪人特有の人との距離の詰め方があってこそ、その出会いは生まれた。出会ったばかり、いや、出会ったばかりであるからこそ、恭子は愚痴がてらその心の内を吐き出してやろうと話を進める。

 

「そうだな」

 

「……羨ましいですわ。私も麻雀打つんですけど、悩んでるんですよ」

 

「へえ」

 

「インハイには化けモンが多いんですよ……あ、私来週全国行くんですけど、どうしたら良いか分からなくて」

 

 その台詞が一切嫌味に聞こえないのが恭子の愛嬌であり、インハイへ出場すると言う言葉も相まり、赤木は恭子に対し興味が沸き始めていた。

 

「特に宮永照……あ、男子でも麻雀打つんなら知ってはりますよね?」

 

「ああ」

 

 改めて照の有名さを実感しつつ、恭子の話を興味深く聞いて行く。

 

「あれとか別格なんですよ……ウチは大将やから当たるのは大星淡になると思うんですけど」

 

 まさか目の前の少年が今上げた二人を手玉に取り倒している事など夢にも思わず、積もり積もった心の内を一気に吐露する。

 

「毎回向聴数落ちるみたいですし……どうやって勝てば良いか――」

 

 

 その時、公園の入り口から聞き覚えのある関西弁が響き渡って来る。

 

「ああ!練習サボったと思ったら男かいな!何時の間にやねん!何時の間にやぁぁぁぁ!」

 

 合宿で会った池田華菜と近しいモノを感じる喧しさに目を向けた先には、そのタレ目を二人に向け、指を差し仁王立ちしている少女の姿があった。洋榎はやはり恭子の様子がおかしいと感じ後を付けて来ていた。恭子の道筋はある程度予想出来、其処を辿った先に見つけた恭子が男子生徒と二人きりで居る事に思わず絶叫してしまう。ずかずかと歩み寄って来た洋榎は恭子の頬を掴むとさあ吐けとその頬を伸ばし始める。

 

「ひゅひょう……ひゃいましゅよ……っと。この人とはたまたまベンチで会っただけですわ」

 

「言い訳は見苦しいで……なんや最近悩んどるのは恋の悩みやったんか。水臭いで、ウチに言ってくれれば恋のキューピットしたるのに」

 

 仮にそうであっても、洋榎に話すと話が1080°程拗れ三回転しそうであり、その気は起きないであろう。

 

「って話は置いといて。恭子、麻雀の事で悩んどんやろ?」

 

 仲の良い洋榎でなくとも、恭子の悩みと言えば麻雀しか見当たらないだろう。自分が至らないと悩んでいるのは察していた洋榎だったが、何時もは何処までやれるか楽しみと意気込み懸命に卓と向かい合っている。そんな恭子の麻雀が洋榎は大好きであり、誇りに思っていた。しかし、最近の悩みはどうもそれで片付けられるモノでは無さそうであり、徹底的に問い詰めてやろうと恭子の後を追っていた。

 

「ウチも、主将も。今年が最後です。そんな大舞台で何処までやれるんか……楽しみですし、不安なんです」

 

「らしくないやん」

 

「ウチだって……こう、センチメンタル?な時もありますよ」

 

「うーん……せやなあ……」

 

 両手を組み、唸っていた洋榎だったが、五秒もしない内に結論を出し言い張る。

 

「麻雀打つでぇ!麻雀の悩みは麻雀打って解決せな!」

 

「……ぷっ」

 

 洋榎らしい。何時もそうやってチームを引っ張ってくれる洋榎に感謝しつつ、確かにらしくなかった事を認める。一週間ではどうにもならない、ならば今自分に出来る事を精一杯すべきであろう。今までそうして来た様に。

 

「ああ、折角やったら一緒に打ちません?」

 

「かまわねぇよ」

 

「ほな決まりやな!恭子の彼氏と三人で行くでぇ!」

 

「だから彼氏ちゃいます!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 合宿が終わるや否や、ハギヨシの運転する車に揺られ本当に大阪へと向かってしまった赤木に、残されたチーム編成はどうしたものかと、自宅の湯船に浸かりながら咲は漠然と考えていた。

 インハイへ来るメンバーなら誰でも良いのだろうが、赤木の事を言えない程咲も交友関係は広くなかった。団体のインハイ出場者となると、それはもう姉の照以外見当たらない。

 

「あ」

 

 そう、自分が知る中でインハイへ出場し、その中でも王者と言える心強い味方が自分には居た事を思い出す。今までは倒すべき相手として認識していなかったからこそ、照を誘うと言う選択肢が浮かんで来なかった。二対二、つまりチームの二人が同卓する事になるのだ。一般的な団体戦のそれとは一線を画す、チーム同士での同卓。姉が自分の横で打ってくれればどれ程心強いだろうか。ゲームで例えるなら終盤にラスボスの魔王が仲間になり、隠しボスへと挑む心境だ。

 早速電話を入れてみようと湯船から勢い良く立ち上がり、善は急げと髪を乾かす事もせず自室へと駆けこむと携帯電話を手に取り、姉のアドレスから電話番号をプッシュし、数コール後聞こえてきた姉の声に今は大丈夫かと問い掛ける。

 

『大丈夫、どうしたの?』

 

 合宿所で起きた事は粗方メールでやりとりしている。自分が赤木に手も足も出なかった事、そしてもっと掴むべきものがある事も。

 

「赤木君がね、三人。チームを集めて来いって」

 

『チーム?』

 

 まさかあの男の口からそんな言葉が出るとは思ってもいなかったと思う照だったが、三人と言う事は咲を入れて四人と言う事になる。四対四の団体戦でもおっぱじめるのだろうか。

 

「それが……二対二で闘うんだって。詳しくは聞いて無いんだけど、十巡で交代するとか……」

 

『交代……?』

 

 情報はそれのみだったが、照は様々な想像を巡らせ始める。二対二と言う事はチームの半分が同卓すると言う事だろう。そして十巡交代制。言葉の意味をだけをとれば、十巡打てばチームメイトと交代するのだろうか。つまり手牌を引き継ぐと言う事になる。簡単な想像をするだけでも面白い、そもそも照は現代における団体戦はあまり団体戦と言えるものでは無いなと思っていた。団体戦とは名ばかりで出場するのは一人ずつ、麻雀に於いて援護する事は点棒を稼ぐだけである。

 しかし、赤木と初めて会った時にもやったが、二人が同卓するとその本質は恐ろしく引っくり返る。先ず差し込みの選択肢が大幅に生まれ、かつ片方を援護する為に片方を捨てる事も生まれる。其処には生きた情報が飛び交っており、その波に乗り遅れた者から脱落して行く。

 

『……面白そう』

 

「へっ?え、あ、そうだね!」

 

 てっきり、そう。とだけ返って来ると思っていた咲は、姉の反応に戸惑いを生む。

 

『それで、咲は私をメンバーに?』

 

「うん……出来ればで良いんだけど、インハイ前だと色々あると思――」

 

『行く』

 

「え?」

 

『絶対行く。何時?』

 

「えっと、開会式の前日……位かな。流石に赤木君から連絡があると思うけど……」

 

 こんなチャンス二度と無い。例えその麻雀を打ち、徹夜で後日のインハイに臨む事になろうが選択肢は一つしかない。そもそも徹夜程度で揺れる自分の麻雀では無いが。

 

『他の二人はどうする?』

 

「……えっと、一人は和ちゃんにお願いしようかと……」

 

 和の事は良く知っている。咲からよく話を聞く機会があるのに加え実力も確かである。咲が麻雀を再開するキッカケになった人物でもあり、和には感謝してもしきれない。

 

「もう一人はお姉ちゃんに任せていいかな?」

 

 今年初出場の咲に、インハイの面子を集める事は難しいかと考えた照は真っ先に菫と淡の顔を思い浮かべる。しかし、彼女達はもう大丈夫であろう。どうせならば、まだ掴んでいない人間と同卓したいと考えるが、中々面子が思い浮かばない。その卓に着く経験値を考えれば、普通に考えれば部外者はシャットアウトしたい。そうなれば清澄と白糸台だけでチームは構成したいが、照はその辺の小賢しい事は抜きにして頭を悩ませていた。

 

『……ごめん、今すぐ返事は出来ない。けど絶対に集める』

 

「うん!よろしくね!」

 

『じゃあ、おやすみ』

 

「おやすみ!」

 

 通話終了ボタンを押した咲は、携帯を折り畳むと机の上へと置く。和にはまだ話していないが、恐らく賛同してくれるだろう。

 照が用意する後一人の面子に想像を膨らませつつ、まだ乾いていなかった髪を乾かそうと咲は自室を後にした。



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場を作れ 其の一

「あ、もしもし?和ちゃん?」

 

『はい』

 

「ごめんね、こんな夜に。今大丈夫?」

 

『大丈夫ですよ』

 

 髪を乾かし終えた咲は早速和を団体戦メンバーへと誘うべく、和の携帯電話へと通話を掛けていた。

 

「えっとね……いきなりなんだけど。開会式の前の日って空いてる?」

 

『そうですね……特に予定は無いですよ』

 

「じゃあちょっと付き合って欲しい事があるんだけど……」

 

『構いませんよ』

 

 咲は赤木や照とのやり取り、そしてその麻雀へ和も参加しないかと言う誘いをかけたのだが、返ってきた和の言葉に唖然としていた。

 

「それ……本当?」

 

『ええ、個人戦でインハイへと出場する者同士は同校以外での対局は基本禁止されていますよ』

 

「でもでも、お姉ちゃんとはチームで」

 

『同じ話だと思いますが……』

 

 盲点だった、大会のレギュレーションを麻雀ルール以外確認していなかった自分にも穴があるが、この様子だと姉も知らなさそうである。バレてしまえば恐らく失格処分、それではチームに迷惑が掛かってしまう。かと言ってこの場はインハイ前に設けておきたいのも事実である。少し唸りながら思考を巡らせていた咲だったが、独断でチームが失格になるのだけは止めておきたいと和に今の話は忘れてくれと伝え電話を切る。

 携帯を握り締めたままベッドへと寝ころんだ咲は目を腕で覆いながら打開策を考えていたが、バレずに決行すると言う策以外は見当たらず、その旨を赤木に伝えようとアドレス帳から赤木の名前を探し始める。これから連絡する事も多くなるだろうとハギヨシが用意した携帯を赤木は持っている筈だが、あの男は本当に出てくれるのだろうかとディスプレイに並んだ番号を眺めながら思う。しかしそれは杞憂に終わり、数コール後には聞き覚えのある声が端末から響いて来る。

 

「あ、赤木君?」

 

『クク……いきなりどうした?』

 

「えっと……その……言い辛いんだけど」

 

『ん?』

 

「大会前に他の高校の人と試合しちゃダメなんだって……」

 

『ああ……その事か』

 

「って、知ってたの!?」

 

『今日の夕方に聞いたな』

 

 赤木の口振りから察するに、恐らく既にメンバーを見つけた赤木は、先程の自分と同様に対局へ誘ったのだろう。しかしそのメンバーも個人戦でインハイへと出場を決めていた為、本人から理由を聞いていた。聞かずとも話の流れとしてはこんな所だろう。

 

「折角誘ってくれたのに……ごめんね」

 

『ククク……心配すんな。話は付けとく、メンバーだけ集めて来い』

 

「え?話って?」

 

『じゃあな』

 

 一方的に電話を切った赤木に対し、文句の一つでも言いたくなったが、あの男に心配するなと言われれば本当に心配が要らない気がしてしまう。しかし、話を付けると言うのは大会運営にルール改訂をしろと言う抗議文を送り付けると言う事に他ならない。そんなものが罷り通る筈が無い為、やはりその試合は実現しないものなのだと溜息を吐く。

 そんな咲の不安は余所に、赤木は今日出会った末原恭子をチームとして誘う事を決めており、その為に試合を実現させる意志も持っていた。大筋は話していないが、恭子から対外試合が禁止と言うルールは説明されており、本人達も隠れて試合をする気は無いと公言していた。

 

 

 賭博要素の高かった麻雀が、此処まで一般的に浸透するまでに綺麗事だけでは済まされない事は数えきれない程あっただろう。それはどう足掻いても裏の麻雀と結び付いている事は容易に想像出来る。ならば話は早い、折角大阪まで来たのだ、恐らく奴はまだ大阪に居るだろう。その裏の麻雀界でトップとも言える男と話を付ければ試合を実現させる事も可能ではないかと考え、赤木は初めて持った携帯電話を覚束無い操作で弄りつつ、今日出会った末原恭子の携帯へと電話を掛ける。

 

『はい』

 

「俺だ」

 

『赤木君?どうかしたんですか?』

 

「明日空いてるか?」

 

『えー……昼からは自主練しようと思ってましたけど、朝は予定ありませんよ』

 

「なら九時にあの公園に来れるか?」

 

『大丈夫ですけども、また打ち行くんですか?』

 

「ちょっとな」

 

『まあ、分かりました。九時に向かいますわ』

 

「ああ」

 

 赤木が恭子を呼び出した理由は麻雀では無い。そんな事を知る由も無い恭子は、夕方の麻雀を思い出しつつ、インハイに出場するメンバーを集めているなんてとち狂った様な事を言う男の誘いに対し、一筋縄ではいかなそうだなと考えていた。確かにあの男は自分で言うだけの事はある程には麻雀が上手かった。と言っても自分と洋榎相手に振らず、和了らず、それだけであった。それだけでも十分麻雀が上手いと言えるのだが、そんな男が何を企んでいるか皆目見当も付かず、兎に角明日の為に寝ようと布団へ潜り込む恭子だった。

 

 

 後日、今から家を出れば十分前には着くだろうと言う時間に目が覚めた恭子は、程々に寝癖を直しながら洗面台で顔を洗っていた。デートでも無ければ部活でも無い、しかし恭子は着なれた服が良いとセーラー服に身を包み、赤木に指定された公園へと足を運ぶ。セミがけたたましく鳴いている公園の中、辺りを見渡すがパッと見た所姿が見えず、まさかと思いあのベンチへ歩み寄ってみると、案の定その少年はベンチで寝転びながら目を閉じていた。

 

「はぁ……」

 

「お、来たか」

 

「ええ、それで、何しはるんですか?」

 

「ちょっと道を聞きたくてな」

 

「はぁ?」

 

 まさか道案内の為にこんな朝っぱらから自分を呼び寄せたのだろうか。

 

「もう……そんな事の為にわざわざ呼び出したんですか?」

 

「クク……地図に載ってる場所でもあるめえと思ってな」

 

「宝でも探しに行くんですか」

 

「お前にとって宝になる場所だと思うがな」

 

 恭子は聞き流し気味だった耳をピクッと震わせ、そうとなれば話は別だと赤木の話に耳を傾け始める。

 

「それで、何処なんですか?」

 

「暴力団の事務所、場所位知ってるだろ?」

 

 ああ、そうか。この男は大阪人特有のボケを誘っているのだろう。そうでなければこんな平日の朝っぱらからか弱い女子高生を公園まで呼び出しておいて、あまつさえ暴力団の事務所に案内しろ等言う筈が無い。

 

「ハァ……一応突っ込んであげますよ。知っとるけど行く訳無いやろッ!」

 

「じゃあ場所だけ言ってくれればいいさ」

 

「え、ちょっと待って下さいよ。本気で行くんですか?」

 

「ああ」

 

「……一応理由を聞いておきましょうか」

 

「クク……まあ、お前の為でもあるな」

 

 話にならない。此処まで来れば自分はからかわれているとしか考えられず、それなら望み通り暴力団の事務所へと案内してやろうと恭子は鼻を鳴らす。どうせ本当に事務所の前へと連れて来られたらビビって逃げ出すに決まっている。恭子はそこまで言うなら案内してやると赤木の前を先導しつつ、地元の人間なら誰でも知っているであろう暴力団の事務所へと赤木を案内する。凡そ五分もかからなかっただろうか、知っている者なら避けて通りたがる路地裏へと入った恭子は、とある雑居ビルの二階を指差しつつ、さあどうだと胸を張って赤木を睨み付ける。

 

「ああ、助かったぜ」

 

 迷う余地も無く、雑居ビルの階段へと足を踏み出した赤木に、恭子は思わず背後から羽交い絞めにしながら正気かと問い詰める。

 

「ちょ、とち狂い過ぎですよッ!本当に行く馬鹿がどこに居るんですかッ!」

 

「クク……そんなに騒ぐなよ。ちょっと挨拶に行くだけだ」

 

「挨拶されるのはこっちですってッ!」

 

 まさかこんな事になるとは思っても居なかったが、こんな所に連れて来てしまった自分にも非があると恭子は必死に赤木を止めるが、赤木はそんな恭子の必死さを諸共せず階段を昇って行く。力で食い止めるのは無理だと考えた恭子は、赤木のシャツを背中から掴みつつ、地元の人間の利を生かした逃走ルートを必死に脳内で練り始めていた。

 事務所の扉をまるで定食屋にでも入る様な勢いで軽く開けた赤木に、恭子はシャツを握る力を強めて行く。もしかしたら自分は此処を定食屋と勘違いしていたのではないか、現実逃避に走る恭子だったが、中に気さくな定食屋のマスターが居る訳でも無く、強面のヤーさん達が一斉に此方を見つめる。

 

「どうした、坊や。道にでも迷ったか?」

 

 近くのソファーへと腰掛けていた角刈りの男は、赤木と比べ何倍も質量を持っている体を揺らしながら此方へ歩み寄って行く。

 

「原田克美はここら辺に居るかい?」

 

「……坊主、度胸試しなら場所を間違えてるぞ」

 

「え、えっと。えらいすんません!この子ちょっと思春期でして!……ほら、赤木君も謝ってッ!」

 

 この一言を言うのにどれ程の勇気を要したか赤木は知らない。そしてそんな恭子の心境を知らないからこそ、赤木は更に言葉を重ねて行く。

 

「どうやらハズレみたいだな。次の所案内して貰えるか?」

 

 終わった。恭子はインハイを迎える前にまさかこんな所で骨を埋める事になるとは思ってもいなかった。自分だけ逃げてしまえばいいのだが、ここへ脅かしてやろうと案内した自分にも非があると踏み止まっている分、恭子の性格は損をしていた。見る見る赤くなって行く組員の男に対し、赤木を担いででも逃げようと考えた恭子だったが、事務所の奥から聞こえて来た言葉に対し、呆気に取られ、思考が停止した。

 

「赤木……君だったかな。名前を聞いてもいいかな?」

 

 奥から歩いて来た男は一般人から見る暴力団員とは掛け離れた様な存在であり、今まさに表通りを歩いているサラリーマンと大差が無い風貌であった。

 

「赤木……赤木しげる。原田にオレが会いに来たと伝えるだけで良い」

 

「……少し待っててくれないか」

 

 男はそう言いながら中央のソファーを左手で指し示しつつ、中へ入って来る様に促す。此処でも赤木は躊躇い無く中央のソファーへと歩み寄って行き、止めるタイミングを見失った恭子は、その背後にベッタリとくっつきながら後を追う。ソファーへと勢い良く腰掛けた赤木は、膝を組みながら背に体重を預け肩を背後へと回す。そのふてぶてしい態度に感服すら覚え始めた恭子だったが、自分にそんな態度は取れないと背筋を伸ばし、両手を膝の上へと置き高鳴る心臓を抑えながら動向を伺う。凡そ三十分が経過しただろうか、息をするだけでも苦しい場にようやく動きが生まれた。

 会話の内容は聞こえなかったが、電話を終えたらしき男は端の棚にあった黒いケースを手に取ると、対面のソファーへと腰掛け両肘を膝の上へと置き、組んだ手に顎を乗せる。

 

「これでも私は顔が少し利いてね、あの人に用件だけを伝えたよ」

 

「それで?」

 

「まあ簡単なゲームをしよう」

 

 男はソファーの中心にあるテーブルへ、その黒いケースをまるでちゃぶ台返しの様に引っ繰り返して置く。ジャラジャラと言う音と共に中から現れたのは麻雀牌であり、何が起こるのか想像も付かない恭子は気が気では無かった。そんな恭子を尻目に話は進んで行く。

 

「原田さんは言ったよ、この中から……そうだな。一筒を四枚探し当てる事が出来たなら、会って話をすると」

 

「そうかい」

 

「ただし、もし失敗したら」

 

 男は懐から取り出した茶色の小太刀を勢い良く抜き放つと、木製テーブルの端へ刃を突き立てる。その動作に恭子の心臓は跳ね上がり、今日は人生最悪の厄日だと後悔の念が押し寄せてくる。

 

「指を全て貰う。これは本気だよ、相手が子供でも容赦はしない。普通は此処までしないんだけど……不味かったね、赤木しげるの名前を出したのは。何処から聞いたのか知らないけども、その名前は軽々と口にしちゃあいけない。それもあの人の前で」

 

 恭子の頭にはクエスチョンマークが飛び交い、何を話しているのか理解が追い付かない。唯一理解出来たのは、男が吹っかけた提案は先ず無理な話だと言う事だ。花牌や赤牌等を考慮してもその数は百四十四枚。その中から四枚しかない一筒をピンポイントで引く等眩暈のする確率だ。仮に勝機があるとすれば、この牌がキッチリと一から九の萬子、索子、筒子で並べられている事だが、それでもピンポイントで一筒を探し当てるのは至難の業であり、そもそも使い終わった麻雀牌を律儀に並べ変えるとも思えない。背に腹は代えられないと全身の勇気を振り絞りながら、恭子は男に問い掛ける。

 

「えっと……それはきつ過ぎるんじゃないですかね?そんなの天和を和了る位難し――」

 

 

 恭子の言葉を遮る様に淀み無く伸ばされた赤木の手は、無造作にテーブルへ投げ出された麻雀牌を四枚掴み上げると右手の内へと収め始める。宴会のお通しで出た枝豆に手を伸ばすかの様な気軽さで掴み上げられたその四牌を恭子へと突き出す。成すがままにその四枚を両手で受け取った恭子は、自分を支配していた感情である恐怖が一瞬で吹き飛び、同時に驚愕へと変化していた。震える手で両手の中に落とされた四枚をテーブルへと並べて行く。

 

 驚愕と言う面で言えば男も同じであった。テーブルに小太刀を突き立てられ此処まで冷静な高校生が居るだろうか、そして恭子が並べて行った四枚が全て一筒であった事に更なる戦慄を覚える。テーブルの上に置かれた牌に規則性は無い、それを用意した男ですら、一筒が何処にあるか等知る筈も無いのだ。男はバツが悪そうな表情を浮かべると席を立ち、再び懐から取り出した携帯電話を耳に当て、赤木を横目で見ながら話を切り出して行った。

 

 



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場を作れ 其の二

「直ぐ向かう」

 

 歳を取ると感情と言うものはまるで凝り固まっていくかのように動かなくなる。大した事では感動も、感嘆も、激昂も無い。しかし、電話の先から伝えられた名前だけは、今の自分を激昂させるのには充分過ぎるものだった。あの男の名前を軽々しく冷やかしに使う事だけは許さない。それは赤木しげるとして生き、赤木しげるとして死んでいったあの男に対しての最大の侮辱である。久しく他人から聞いたその名にふとあの通夜での出来事を思い出し、同時に後日僧我から聞いたナインの話を思い出していた。故に寝起きの頭を少し働かせ、同じ業を背負わせてやろうと無理難題を吹っかけてやった。

 

 また眠りに就こうと思った矢先、携帯電話がバイブレーションと共にポケットで存在を主張し始めた。その早さに唖然としながら携帯を耳に当て、内容を聞くや否や原田はまるで遅刻しそうな朝に慌てふためく高校生の様に着替え始めると、年老いた体に鞭を打ちながら自宅を飛び出し地下にある駐車場へ向かうと、勢い良く車へ乗り込みキーを回す。アクセル全開で部下が告げた雀荘へと向かった原田は、道中の信号を幾つか無視しつつ、安全運転ならニ十分程かかるであろうその道をものの十分もかからない内に走り抜いていた。

 階段を駆け上がり、事務所の扉を壊さん勢いで開いた原田は、その男の名前を開口一番叫ぶ。

 

「赤木ッ!」

 

 あの冷酷非道、そして鉄面皮の原田がこんなに感情を剥き出しにしている姿に戸惑いを隠せなかった部下達だったが、原田の目線を察し次々と事務所を後にして行く。そして原田に電話をかけた男は、直ぐ外で待機していますと言い残すと扉を閉め、その部屋はものの数十秒でソファーに座っている二人の少年少女らしき姿と立ち尽くしている原田のみとなっていた。

 恐る恐るソファーへと歩み寄った原田は、向かいのソファーへと腰掛けると、先ずは一服せねばと胸ポケットから煙草を取り出し火を点ける。

 風体は学生、そりゃ学生服を着ているのだからそうなのだろうが、仮にこの白髪が赤木しげるとして、隣の少女は何なのだろうか。企業の面接を受ける学生の様にピンと伸びた背筋に、それ相応の緊張を持った面持。明らかに場違いと言った所だ。何から問い詰めてみようかと考えていた矢先、口を開いたのは赤木の方であった。

 

「クク……久しぶりだな、原田」

 

「……あ、ああ」

 

 久しぶりと言われても実感など沸く筈も無く、次々と湧いて出る疑問をぶつけようにも頭の中を整理出来ず、ただ煙草を吹かし続ける原田に赤木はやれやれと溜息を吐く。

 

「僧我のジジイは元気か?」

 

「ああ……もう棺桶に片足突っ込む歳やが、まだピンピンしとる」

 

「そうかい」

 

 僧我の名前まで出されれば、もう目の前の人物が只の学生ではない、と言うよりは目の前の男が赤木しげるだと認めざるを得ない。そもそも原田が吹っかけた宝くじに当選する程確率の薄いギャンブルを意図も容易くクリアしてのけたのだ。それだけで疑う余地は減るのに加え、部下が嘘をついている様にも見えない。

 

「………………」

 

 赤木は押し黙ってしまった原田に右手を伸ばすと、咥えている煙草を指差す。

 

「…………」

 

 無言で煙草の箱を差し出した原田から煙草を一本受け取ると、灰皿の横に置かれていたライターを手に取り煙草に火を点ける。

 

「ちょ、ちょっ!黙って見とったら何してはるんですかッ!」

 

 会話について行けず、脳内のクエスチョンマークが飽和し始め完全に蚊帳の外だった恭子は我に返ると赤木の肩を揺さぶる。

 

「…………ゴホッゴホッ!」

 

「ほら……言わんこっちゃない……」

 

「クク……ハッハッハッハッ!」

 

 急に声を上げて笑い始めた原田に、ぎょっとした恭子だったが、原田からすればその光景は大層愉快なものだった。あの赤木しげるが煙草を吸って咽るなど、知っている人間からすれば愉快極まりない光景である。歳を食えば感情の起伏は小さくなるが、なかなかどうしてか、今日は朝から感情が非常に揺れ動く。人前で大声を上げて笑う事もままならない原田は、溜まっていた鬱憤を吐き出すかの様に笑い続ける。

 

 

「ふぅ……それで、赤木よ。まさか昔話の為だけに俺を呼んだ訳じゃねえな」

 

「ああ、何とかして欲しい事があってな」

 

「言うてみ」

 

「あー、なんだ……そのインターハイって言うのか。それの前は試合が出来ないみたいでな」

 

「何を言うかと思えば表の大会かいな……それ位知っとるわ」

 

 横に居る女生徒は恐らくインターハイに出場する選手なのだろう、此処から先は口にされずとも聡明な原田には理解出来る。どうせその女生徒の為に他校の選手と試合が出来る場を設けろと言うのだろう。

一方の恭子は何故ヤクザの親玉らしき人物が公式大会のレギュレーションを知っているのかを疑問に思うが、何も言うまいと動向を見守る。

 

「何とかしろ」

 

「……やっぱりな……まあ……そうやな……。何とか出来ん事は無いやろ」

 

「えっ?出来るんですか?」

 

「今や麻雀の表と裏の繋がりは切っても切れん。表のトップには顔が利く。何とかなるやろ」

 

「えっとつまり……大会のルールを変更するって事ですか?」

 

「いや、それは流石に無理やろ。やが……一度きりっちゅうんなら話は別や。せやな……麻雀に反対する団体へのデモンストレーション、とでもしとこうか」

 

 今日日麻雀は世間的に有名になり、部活動も増え続けている。しかし、一昔前の麻雀のイメージと言えば柄の良いものでは無く、賭博意識が先行したギャンブルの道具と言うのが世間の認識であった。そんな麻雀を此処まで引き上げるのに、綺麗事では済まされない道を辿り続けていた。無論裏の人間との協力も不可欠になり、先見の明があった原田はその件に対し、協力を惜しまなかった。そんなイメージがある麻雀を日本の代表的競技にするのは如何なものかと、反対する声も少なくは無い。

 

「でも、ウチそんな人達の前で試合するの嫌ですよ……」

 

「ククク、分かってねえな」

 

「無論、試合をする時は部外者は入れん、外部の人間はシャットアウト。それでええんやろ?」

 

「ああ」

 

「そんな事……」

 

「肝心なのは建前や、理由なんてどうにでもなる」

 

「まあ、それで頼むわ」

 

 それはまさに皮肉なものであった。赤木が言う原田の積み過ぎた成功が、今の赤木を手助けしているのだから。

 一段落ついたなと、赤木はソファーへ背中を預けると、後の話は恭子に任せたと肩に手を置く。

 

「え?え?ウチですか!?」

 

「……まあ、こいつは何時もこんなんや、勘弁してやってくれや」

 

「はぁ……まあ、何か裏ワザ使うみたいで気が引けますけど……因みに誰が来るんです?試合は半荘だけとかですか?」

 

 何故赤木は此処までしてその対外試合を成立させたいのかは疑問であったが、次の瞬間に赤木の口から出た人物の名前を聞いた恭子は数秒間言葉を失っていた。

 

「ん?そうだな……試合は四対四の十巡交代制だ。面子は……咲が来るなら照も来るだろうよ」

 

 宮永照、その名前は今の恭子にとっては余りに強烈で、魅力的なものだった。十巡交代制は良くわからないが、兎にも角にもインハイ前に王者と練習試合が出来るのだ。

 

「それホンマですかッ!?宮永照が来るって……あ、名前は照やけどインハイ王者のあの宮永照じゃないみたいなギャグはいいですよ?」

 

 それ以上は答えるのが面倒になったのか、恭子の話を聞き流し始めた赤木にこれ以上問いただしても無駄かと視線を原田へと戻す。まるで棚からぼた餅、何か自分を変える術を求めていた恭子にとって、その試合への参加は絶対ものにしなければならなかった。

 

「えっと、赤木君?それ、ウチも参加してええんですよね?」

 

「ああ、お前が主役だよ」

 

「……最後のはようわかりませんけど、やったらウチも文句言いませんわ。多少汚くても使えるもんは全部使います。その試合、参加させて下さいね」

 

「ならついでに後二人、面子集めてきな」

 

「……ウチがですか?」

 

「ああ」

 

「…………」

 

 先程赤木は四対四と言っていた。当然赤木も入るだろうから自分を入れて後二人なのだろう。相手は宮永照、そして咲と言っていた。流石に全ての県予選をチェックしている訳では無いが、あの龍門渕の怪物天江衣を破った選手の名前だ、最近調べたばかりなのでまだ覚えている。赤木の言い回しを聞くに宮永照と咲は姉妹なのだろう。そりゃそうだ、勝ちに来る前提なら誘いやすい人間で麻雀が強い人間、それが身内に居るのなら誘わない筈が無い。

 つまり空いた席は残り二つずつ、この半分を自分が任されたと言う訳である。

 

(……とりあえず主将なら面白そうやって乗ってくれるやろな……)

 

 どんなに面白そうなものでも、それが秘密裏に行われバレたら失格、などの試合であれば洋榎は絶対に首を縦に振らないだろうが、それが公式的なものであれば喜んで参加してくれるだろう。

 

「話はついたみたいやな……にても、あの東西戦……その真似事かいや」

 

「ククク……まああんな大層なもんじゃねえが……こいつの為にな」

 

「……その娘がひろみたいに変われると思っとんかい」

 

「さあな、恭子次第だ」

 

 話の内容は掴めないが、話の流れは理解出来る。どうやらこの少年は自分の為にこの場を設けてくれるそうだ。そうなれば俄然やる気は出て来るし、それを実現させる為に尽力してやろうと言う気になる。

 

「にしても、何で昨日会ったばっかりのウチにそこまでしてくれはるんですか?」

 

「似てたからな」

 

「誰にですか?」

 

「ひろに」

 

「…………」

 

「なあ恭子よ」

 

「はい?」

 

「お前は自分が何流の人間だと思う?」

 

「えぇ……まあ……少なくとも一流じゃないのは分かってます。インハイ行く言うても行けたのは皆のおかげですし……インハイの面子に比べれれば良いとこ二流、三流どまりですわ」

 

「ククク……じゃあインハイは諦めてるのか?」

 

「そんな事無いですよ。三流でも一泡吹かせたろッ!って気持ちは持ってますよ」

 

「躓いたらどうする?」

 

「それは……まあ……その時に……」

 

「ククク、似てるな」

 

「だから誰にですかッ!」

 

 しばらくそのやり取りを眺めていた原田だったが、話が進まないと恭子と今後の準備についての話を進めて行く。

 

「段取りが面倒やな……事前に告知せなあかん。いかんせん火急や、三日前にはその高校の顧問に話をつけな厳しいやろ」

 

「つまり……四日後には面子を集めなあかんのですね」

 

「せやな……おい赤木、相手の面子が居る高校の名前は?」

 

「さあな」

 

 額に手を当てた原田を気の毒に思った恭子は、その辺りの手配は全て自分がやると申し出る。

 

「ウチの為にやってくれてる事でしたら、これ位の協力は惜しみませんわ」

 

「助かるわ、ワイの連絡先を教えとく。色々根回しが面倒やから、後で色々連絡する」

 

 家族や部活仲間、友達のアドレスが連なる中で一際異彩を放つヤクザの親分原田克美の連絡先、男色の無いそのアドレスを見た友達にその名前が見つかれば、男かと詰め寄られるかもしれないが、断じて違う、ヤクザの親分だ。

 話を終えた恭子は、これから忙しくなるかと考えつつ、ソファーから腰を上げる。インハイ一週間前の時間をこんな事務作業染みたものに使っていいのかとも考えるが、恐らくその場に参加する事は何よりも経験値になる。そもそも普通に過ごしていて一週間足らずで何かを掴める筈が無い。ならばその時の為に賭けてみよう。

 

 原田に頭を下げた恭子は、赤木に帰るぞと促すが、赤木はもう少し此処に居ると二本目の煙草を吹かし始めていた。赤木の正体について問いただしたい所だが、それはその試合が終わってからで良いだろう。ほなまた、と言い残した恭子は洋榎を誘った後、後一人を誰にしようと考えつつ事務所を後にした。

 

 



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場を作れ 其の三

「と言う事なんだけど……どうかな?」

 

『……分かった。私が二人集める』

 

 対外試合が叶わぬと知った咲は、その旨を赤木に伝えようと今朝から電話を掛け続けていたのだが一向に出ず、昼を回りようやく折り返して来たかと思い取った電話で告げられたのは、何とかしたからそのまま面子を集めろ、と言うものだった。

 どう言う手段を使ったのかと問いただそうにも、相手があの赤木ではどうせはぐらかされてしまうだろう。聞けばどうやらその試合は大会運営からも認められる公式的な催しになるらしく、そんな特例を押し通した赤木がどんな手段を使ったのかがますます気になる。しかし、実現したのならこれ幸いと面子を集める事を考えたのだが、いかんせん自分の交友関係は長野内に留まってしまっており、誘う面子に困っていた。

 和には断った手前再び誘い辛く、ならばいっそのこと照に全て任せてしまおうかと考えてついていた。照ならばインターハイ出場者とも面識が多々あるのに加え、その圧倒的なネームがある。照と同じチームで試合が出来るなど、言い方は悪いがエサとしては極上のものだろう。善は急げと照に電話し、その了承を二つ返事で得ていた。

 

「ごめんね。迷惑かけちゃって」

 

『いや、大丈夫……』

 

 何か言おうとしたのか、咲は押し黙ると言い淀んだ照のその先の言葉を待つ。

 

『咲』

 

「何?」

 

『勝ちたい?』

 

「え……う、うん!この前は全然だったから……絶対に勝ちたい!」

 

『分かった。勝てるメンバーを絶対に集めてみる」

 

「ありがとう、じゃあね」

 

『うん』

 

 照が其処まで言うなら任せていいだろうと、その期限が四日後までだと伝え、通話終了を押した咲は携帯電話を机の上へ置くとベッドへと飛び込んだ。枕に顔を押し付けながら、姉がどんな強者を集めて来るのかと期待に胸を高鳴らせ、早くその日が来ないかとウズウズしながらベッドの上で悶え続けていた。

 

 

 一方の恭子は洋榎と連絡を取り、学校の部室で落ち合うと今朝起きた荒唐無稽な出来事を理路整然と伝えていた。終始突っ込みっぱなしだった洋榎だったが、キリが無いと無理矢理自分を納得させ恭子の話に耳を傾けていた。

 

「ほーん……そんな怪しい話に乗るんかいな」

 

「絶対チームには迷惑かけませんし、なら自分を試すええ機会になるんちゃうかなって」

 

「……まあ、恭子がええならええわ。それで、面子は決まったんかいな」

 

「ウチと赤木君、それに主将……後一人どうしましょ?」

 

「ナチュラルに頭数入っとんな……せやな、絹にでも声かけよか……。あーでも高校の縛り無くチーム組めるんやろ?やったら他校の連中と組むんもオモロイで。普段やったら絶対有り得へんし」

 

「なら千里山から引っ張って来ます?」

 

「まーそれもええけど……せや!せやぁ!ちょいウチに任せてくれへん?ごっついの連れて来たるわ!」

 

 目を輝かせて言い放つ洋榎に頷く以外の選択肢は無く、残りの面子は洋榎に任せる事を決め、トントン拍子で進んで行く話にこれ以上自分がする事は無いなと椅子の背凭れに全体重を預けた。その時、赤木の言った十巡交代制と言う単語がふと頭の中に浮かび、その事について漠然と模索を始める。読んで字の如しならば十巡で交代する、では何を。

 一番しっくり来るのは選手を、である。四人対四人と言っても麻雀のチーム戦は通常二人対二人までしか行えない。それを十巡で交代すると言うならば手牌を引き継ぐと言う事になる。成程、団体戦と言えば今のレギュレーションよりかはよっぽど団体戦らしくなる。

 

(せやけど……例えば主将が作ったええ手をウチがポカしたら……)

 

 手牌を引き継ぐと言うのは点数を引き継ぐ以上に重いものがある。その手の行先を自分が決め、その結末を他人に託すのだ。

 

「………なんやそれ、メッチャおもしろそうやん」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌朝、何時もは部室の扉を突き破らん勢いで入って来る洋榎だったが、今朝は明らかにテンションが下がりきっており、そんな洋榎を見た恭子はまさか勧誘に失敗したのかと尋ねてみる。

 

「主将、まさか」

 

「フラれてもうた……もうその日は予定あるやって……すまんな、期待させといて」

 

「いやいや、にしてもどうします?後一人」

 

「そもそもしげるは麻雀強いんかいな。前打った時は可も無く不可も無くやったで」

 

「まあ……強い選手とパイプがある時点でかなりやるんちゃいます?対局になったら直ぐ分かりますって」

 

「んー……せやなあ。インハイに来た奴で目ぼしいのをとっ捕まえるんとかどや」

 

「事前告知が要るんで無理です。やから期限があるんですわ……いっそのこと赤木君に任せてみます?」

 

「あいつに集められるんかいな……」

 

「でも赤木君は偶然会ったウチを誘ったんですよ。案外強運かもしれませんし」

 

「まあ任せるわ。無理そうやったら絹引っ張ってくるし」

 

「ほな赤木君に伝えておきます」

 

 恭子が言い終わるとほぼ同時だろうか、恭子のポケットにある携帯が震え始め、ディスプレイを見てみると其処には赤木の名前が表示されていた。此方から連絡する手間が省け丁度良かったと通話ボタンを押し、耳に携帯を当てる。

 

『恭子か?』

 

「ええ、丁度良かったですわ。こっちから連絡しよう思っとったんです」

 

『ん?』

 

「一人は洋榎……ああ、ウチと会った時一緒に打った人です。その人に決めたんですけど、もう一人は赤木君に決めて貰おう思いまして」

 

『ククク……なら丁度良かった。昨日はああ言ったがちょっと打てそうなのを見つけてな、そいつを入れてみようかと思う』

 

「って、昨日の今日ですよ!どんだけ見つけるん早いんですか!ってかアンタウチに二人見つけて来い言いましたよね!」

 

『まあいいじゃねえか。詳しい事は原田に任せてある。後は頼んだぜ』

 

「あ、ちょ!」

 

 一方的に電話を切った赤木に、盛大な溜息を吐いた恭子は怪訝な表情を浮かべていた洋榎に電話の内容を話す。

 

「ほーん。タイミング良すぎやろ。ホンマに強運もっとんちゃうか」

 

「赤木君が誰連れて来るんかは分かりませんけど……まあ変なの連れて来る予感しかしませんわ……」

 

 

 

 その日が来れば分かると結論付け変わらぬ日常を送っていたが、三日後に顧問である赤阪郁乃から呼び出しを受け出頭した恭子はその凡そを察しており、それはやはり恭子の予想通りであった。

 

「何やらかしたん~?」

 

「……ヤクザの事務所にカチコミ行きました」

 

「ヤクザさんがこんな素敵なものくれたん?」

 

 郁乃が一枚の紙をひらひらと揺らしながら恭子の前に突き出す。内容は詳しく見えなかったが、見ずとも分かる。其処でようやく赤木の話が夢物語では無い事が決定付けられ、郁乃にどう説明したものかと頭を悩ませる。敢えて事実を押し通してみようと恭子は有りのままを吹っかけて行く。

 

「ホンマですよ、メアド交換とかしたんです」

 

「…………」

 

 大事な場面でしょうもないギャグを言う人間では無いと知っていた郁乃だったが、これに関してはどう反応を返せば良いか分からなかった。

 

「監督」

 

「ん~?」

 

「絶対掴んで来ますんで、行かせて下さい」

 

「まぁ訳有みたいだけど、ちゃんと公のものではあるし私はこれ以上何も突っ込まんけども」

 

「ありがとうございます」

 

「あ、ちゃんと開会式には間に合うんやで~」

 

「前日の空き時間ですし、そんなに時間かからんと思います。大丈夫ですよ」

 

「うん、じゃあ行ってらっしゃい」

 

 顧問の承諾も得た所で、恭子はそれまでに何か準備すべき事はあるかと考えたが、直前にバタバタしても仕方が無いかと気持ちを切り替え体調管理だけはしっかりしようと心に決めた。

 一方の郁乃はキナ臭いこの試合にどうしたものかと考えていたが、その紙に記されていた他の面子を見るとなかなかどうしてか、自分の教え子はとんでもない事に首を突っ込んだ様に思える。しかし、それが悪い方向へ向かう事は決してないだろう。恐らくその対局に混じりは無い。二人がパワーアップして帰って来てくれるだろうと信じた郁乃は、それ以上恭子に追及する事無くその場を後にした。

 

 

 

 

 特に体調を崩す訳でも無く、現地入りの日を迎えた恭子は揺られるバスの窓から外の景色を眺めていた。どうせなら飛行機に乗ってみたかったとも思ったが、自分の頭の中を整理する良い機会かもしれないと流れる木々の枝を見ながら物思いに耽っていた。もう長い事バスに揺られ続け、皆最初こそ燥いでいたものの一人、また一人と眠りに襲われ、最後に洋榎がサービスエリアで起こしてくれと言い残し座席へうつ伏せに倒れ込んだ。恭子の心境を表すかの如くバスの中は静寂に支配されしばらく呆けていたが、まだ見ぬ頂点を思い浮かべながら耐えきれなくなった眠気に身を委ねた。

 一向がホテルへと到着した後、妹の絹も交え洋榎との思い出話に花を咲かせていた。風呂上がりにベッドの上で飛び跳ねている洋榎を横目に、後日に控えた約束の場と時間を確認し携帯のディスプレイと閉じる。

 

「料亭て……ほんまもんの会場やん……」

 

 指定された場所が料亭であった事に、幼い頃見たVシネマを思い出しながら迷わぬ様に改めて地図を確認する。どうやらその場所はホテルからさほど離れておらず、皆現地集合するとの事だった。赤木が誰を連れて来るのか想像も出来なかったが、誰と組んでも自分の麻雀をやるだけだと小さく握り拳を作る。

 

「……気合い、いれるで」

 

 

 

 

 



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東西決戦
役者は集う


 その日が良く眠れたかと言えば、それは嘘になる。まだかそろそろかと待ち望んでいたインハイが近付き、その準備がまだ完了しきっていない事への不安が先行する。更には期待が入り交じり頭の中をグルグルと回り続け、目が覚めたのはまだ皆が寝静まっている早朝であった。

 約束の時間は夕刻、まだ半日以上あるのに加えその日は基本的に自由時間。センター試験前夜に徹夜で英単語を詰め込む学生が極少ないように、その日に気張って麻雀の練習に勤しむ者は少ない。皆自分なりのコンディション維持やモチベーション維持に努めている。

 

「……散歩いこか」

 

 朝日は少し顔を覗かせており、街灯が無くとも道端が見える程には外は明るく、東京の地理には詳しくないがその辺をぶらぶらするかと普段着に等しい制服へ着替えると、相方を起こさぬよう忍び足で部屋を後にする。廊下は冷房が効いていたものの、外は日の光が少ないにも関わらず蒸し暑く、やはり部屋へ戻ってしまおうかと一瞬考えるが、宛の無い一歩を踏み出す。

 そんな恭子が足を踏み入れたのは閑静な住宅街であり、散歩の景色としては今一つと言ったものだった。

 

「……んん……朝飯の時間までもうちょいかな……そろそろ戻ろ」

 

 目は完全に冴えリラックス出来た時点で満足し、次の角でホテルに戻ろうと車を避けつつ、一つ目の角を曲がり少し道なりに進んで行く。

 

「…………?」

 

 住宅街の間に空き地がある事は珍しくは無い、それは大概土地所有者の看板が立てられている。しかし、そんな中恭子の目を引くものが空き地に鎮座していた。それは一目見て墓地と分かる。こんな住宅街のど真ん中にか、と思ったが東京ではまあそういう事もあるのだろうと結論付ける。そしてその空き地に建てられていた一つの墓は、一際恭子の興味をそそるものだった。

 普通墓石と言うものは綺麗な長方形だろう、自分の認識が間違っていないのは他の墓石を見れば分かる。だがそれは楕円に近いほど石が削られ、遠目から見ても異様な形を呈していた。更に興味深いのは墓前に並べられた大量のドル箱やメダル、麻雀牌にトランプやサイコロまで、ギャンブルに使う道具や戦利品らしきものが大量に供えられていたのだ。

 

「はえぇ……ギャンブルの神様でもおったんか」

 

 まさか墓石が削られているのは、そのギャンブル狂共に墓石を削り取って行かれたのではないか、罰当たりな奴が居るなと思いつつその墓石に歩み寄って行く。もしギャンブルの神様ならばゲン担ぎに手でも合わせて行こうかと興味本位で立ち寄ったその墓。

 

「…………?」

 

 墓に刻まれているのは、赤木しげるの名前。一週間前に出会い、自分を振り回している少年の名前もまさにそれであった。しかし珍しい名前でも無い。知り合いと同姓同名の墓石を見つける事は少し珍しいと考えるだけで、それ以上のものは沸いて来ない。とりあえず手でも合わせておこうかと考え、墓前で手を合わせ目を瞑る。その時、墓場の入口の方向から砂利を踏み鳴らす音が聞こえてくる事に気付き、目を開け両手を自由にすると首を捻りその方向へ目を向ける。

 此方へ歩み寄って来ていたのは眼鏡をかけた中年男性であり、どうやらその男性も自分が向かい合っている墓に用事があるようだ。

 

「おや、珍しいね。此処で若い子を見掛けるのは」

 

「ええ、どうも」

 

「驚いたかい?」

 

「はい、少し。よっぽどこの人はギャンブル好きやったんやなあって思いまして」

 

「うーん……好きと言うか……ギャンブルの化身みたいな人だったね」

 

「あら、お知り合いでしたか」

 

 普通他人の墓参りはしないものだ。しかし、それはどうやらギャンブラー達のゲン担ぎに使われている様子であり、恭子はこの男性がそうではなかったのかとそんな台詞を漏らす。

 

「まあね。兎に角ギャンブルが強い人だったよ……特に麻雀とかね」

 

「はえぇ、じゃあこの人に力借りましょうかね」

 

「麻雀やるの?」

 

「はい。ウチ麻雀のインターハイで東京来てるんです」

 

「インターハイ?凄いね。麻雀強いんだ」

 

「……どうでしょうね。どうもインターハイは化け物だらけで……自分の力で行けるんかどうか不安なんです」

 

「ハハハッ、僕も若い頃にそんな事があったね」

 

「そうなんですか?」

 

「うん。君より少し歳が行ってた時かな、実力半ばでそれはもう化物だらけの麻雀に参加した事があったよ」

 

「……どうなったんですか?」

 

「まあ結果だけ見れば……って話かな。中身はこの人に助けられてばかりだったよ」

 

 その男性は酷く懐古に満たされた視線をその墓へと向ける。どうやらこの男性とこの墓の主は昔一緒に戦った馴染みのようだ。

 

「戦友っちゅう奴ですかね」

 

「いやいや、どっちかと言うと師匠だよ」

 

「師匠……良い響きですね」

 

「そうだね、人を変えるのはやっぱり人だよ」

 

 男性は静かに手を合わせると、目を瞑り静止する。一方恭子はそろそろ頃合いかと思いホテルへ戻る為の道のりを頭の中で思い浮かべて行く。

 

「さて、そろそろ帰ろうかな」

 

「そうですね。あ、折角こんな所で会うたんですから、名前聞かせて貰ってもええですか?」

 

「僕かい?井川ひろゆきだよ」

 

「井川ひろゆきさん……ウチ、姫松高校の末原恭子いいます。インハイの試合明後日なんで、良かったら見に来て下さい」

 

「そうだね、是非見に行くよ」

 

 踵を返し墓地を後にすると、肩を並べて五分程麻雀についての他愛も無い会話を交えつつ、小さな交差点に差し掛かった所でひろゆきは足を止める。

 

「じゃあ僕、こっちだから」

 

「ええ」

 

 恭子はホテルへと戻る為、そのまま直進しようと足を踏み出した瞬間、そうや、と声を漏らしひろゆきを呼び止める。

 

「ん?」

 

「メッチャどうでも良い事なんで聞き流して貰ってええんですけど、ひろゆきさんってひろって呼ばれてませんでした?」

 

「……驚いたな、今も昔馴染みの人達にはそう呼ばれてるよ」

 

 口を半開きさせ目を丸くしているひろゆきに、今度は恭子が驚きながら立ち止まる。恭子は先程から違和感を感じていた。あの日、赤木と原田の口からひろと言う単語が出てきたのは覚えている。面と向かってお前はひろに似ているなと言われれば中々忘れられないものだ。先程から墓前の前で、ふとこの赤木しげるが自分の知るあの赤木だったなら、色々と話の辻褄が合ってくるなと考えていた。あの歳でヤクザと繋がりがあり、自分の目の前でとんでもない確率のギャンブルを容易く成功させた男。無論そんなものは驚天動地並の出来事であり、ただの絵空事だと思った為、ただの話題の一つとして聞いただけだ。

 

「誰からそれを?」

 

「……ひろゆきさん」

 

「ん?」

 

「今日の夜、予定空いてます?」

 

「あ、ああ……空いてるよ」

 

「せやったら、夕方六時に料亭笹川って店、来て貰えません?」

 

「料亭……?」

 

「インハイの前哨戦みたいなのするんです。其処に赤木しげるって人も来ます」

 

「え?赤木さんは……」

 

「と言っても歳はウチと同い年位の男の子です。これ以上質問されてもウチも分からん事だらけで……兎に角、来て貰えます?」

 

「…………行くよ、六時に料亭笹川だね?」

 

「はい、ほなまた六時に」

 

「……ああ」

 

 早歩きで道を直進していく少女の背中を見つめながら、ひろゆきは戸惑う気持ちを抑えきれずに恭子の後を追おうとも考えたが、本人もこれ以上は分からないと言っているのに加え、その場所に行けば何かが分かると結論付け帰路へとついた。

 

 ホテルへ戻った恭子は煮え切らぬ思いを胸に、只々過ぎて行く時間に抗う事もせず、ベッドの上から天井を見上げていた。それは長くも短くも感じた半日だったが、迫った時間に握った拳を胸へと叩き付け、共に闘志を漲らせ勢い良く立ち上がった。

 

 

 各々が各々の思いを胸に、その足を踏み出す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……それで、何にもならない試合会場は何処?」

 

「もう直ぐの筈だが」

 

 参った、が、王者にあそこまでされては此方も引けない。

 

 段々と山へと落ちて行く夕日に照らされながら、普段は二つに縛っている後ろ髪を解き、眼鏡をケースへと丁寧にしまい込んだ少女は隣で愚痴を漏らす二回り程小さな少女を適当に諌めつつ、目的地へと向かう。少女が言う何もならないというのは強ち間違いではないだろう。其処には賞金も、名誉も存在していない。自分は良いが、隣の少女はそれが不満でならないらしい。

 

「観客も、スポンサーも居ない。よくそんな試合受けたね」

 

「いきなり来て土下座までされたら断る訳にはいかないだろう」

 

「プライドって奴?」

 

「どうだかな」

 

 会場は近い。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ほんでぇ、しげるは誰連れてくるんやろなあ」

 

「……ええ」

 

「なんや元気無いやん。昨日まであんなに張り切っとったのに」

 

「いや、しゅしょ……洋榎、何でも無いで」

 

「そうかぁ。まあ今日は気合い入れて相手ぶっ倒したろで!」

 

「うん……うん!せやな!」

 

 恭子は笑う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お姉ちゃんとこうやって歩くの何年振りだろ」

 

「うん」

 

「……今日は勝とうね、絶対」

 

「勿論。絶対に勝つ。強い人連れて来たから大丈夫」

 

「うえぇ……緊張するなあ……私がポカしちゃったら」

 

「大丈夫、私が全力でカバーする」

 

 頼もしい、これ程人を頼もしく思った事がかつてあっただろうか。咲は嬉しさ、緊張、不安、全てが入り交じりながらも、平常心を保てている自分が不思議であった。

 

「……あれもこれも、赤木君のおかげ、かぁ……」

 

「……?赤木君の事好きなの?」

 

「ぶっ!――。何言い出すのッ!?」

 

「いや、何となく」

 

「もう……お姉ちゃんはどうなの?」

 

「………………」

 

 赤木の事を思い出したのだろうか、少し頬を赤らめ空を見上げている姉に、それは照らされた夕日のせいだと思い込み頭を振りつつ邪念を払う。

 

「あ、あれじゃない?試合の場所って」

 

「そうなの?」

 

「…………違うの?」

 

「咲が調べてると思って」

 

「調べたけど……えっと……」

 

「…………?」

 

「…………」

 

 年月を重ねても、結局はポンコツな姉妹だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねぇねぇ、赤木君。付きあっとる人とか居るん?」

 

「ククク……どうだかな」

 

「へぇー、モテそうなのにね。今日来る人って女子ばっかりなんでしょ?」

 

「だろうよ」

 

「ハーレムやねぇ」

 

「…………?」

 

(……ホンマに高校生かいなこの人……)

 

 

 役者は揃う。



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強者は集う

 予定されていた時刻より早目に到着しそうだなと携帯のディスプレイに目を落としながら気付いた恭子は歩くペースを少し落とし、洋榎も同様逸る気持ちを抑え歩幅を狭める。しかし指定されていた場所は既に目と鼻の先であり、この調子では一番乗りだなと考えていた恭子だったが、料亭の門前に人影を捉え目を凝らす。口元から上がる煙に、まさか赤木が人通りが少ないとはいえまだ明るいこの路地で白昼堂々煙草を吹かしているのではないかと勘繰るが、その予想は直ぐに外れたと理解する。

 

「……井川さん」

 

「ああ、恭子ちゃん。どうやら早すぎたかな」

 

「おん、誰やこの人」

 

「うーん……」

 

 どう説明したものかと低く唸り頭を悩ませたが、そんな様子に気付いたひろゆきからフォローが入る。

 

「今朝恭子ちゃんと知り合った井川ひろゆきだよ。ちょっと赤木さんに用があってね、お呼ばれしたんだよ」

 

「しげるの?そうなんか?恭子」

 

「ええ、まあ立ち話もなんですし、入りましょか」

 

 三人肩を並べ、門を潜った先には和風に染められた料亭の入口があり、歩みを進めながら恭子は受付に説明すれば入れるのかと思案中だったが、その問題は直ぐに解消された。

 

「来たか」

 

 入口で出迎えたのは煙草を吹かしながら壁に寄りかかっていた原田であり、その姿を認めたひろゆきと原田は同時に目を丸くする。

 

「……ひろか」

 

「原田さん……じゃあやっぱり」

 

「……おい、お前らは案内された場所に行ってな、ワイはこの男と話がある」

 

「井川さん?」

 

「あ、ああ。ごめんね、少し話してくるよ」

 

 原田に促され、料亭の奥へと駆けて行ったひろの背中を見ながら、恭子は段々とパズルのピースが嵌って行く感覚に浸っていた。やはり赤木が言っていたひろとは、あの男の事なのだろう。では、ひろの言う赤木しげるは何なのだろうか。

 

「なーんや恭子、何難しい顔しとんねん」

 

「……え、あ。何でもあらへんよ。とりあえずいこか」

 

 考えても埒が明かない、どうせこれが終わったら問い詰めてやるつもりだ。今は余計な思考は捨て目の前の試合に集中しようと大きく息を吸い深呼吸する。

 

「にしても、カタギには見えんかったであの人」

 

「んー……まあ、この試合の仕切りやってくれてはる人やから、悪い人ではないで」

 

「そっか。ウチは麻雀出来たら何でもええんやけどなー」

 

 深く詮索してこない洋榎に内心感謝しつつ、仲居の女性に案内された部屋の襖を開け用意されていた座布団へ腰を降ろすと一息吐く。ポケットから取り出した携帯のディスプレイを確認すると、まだ時間がある事を知り目の前のテーブルへと両肘を突き顔を突っ伏す。洋榎は初めて入る料亭にテンションが上がり、部屋中を歩き回り飾られている掛け軸や壺を繁々と見つめ物色し始める。

 

「はぇー、ホンモンの料亭やでぇ。映画でしか見た事無かったわー」

 

 こんな所でも平常心を保っている洋榎のメンタルの強さを羨ましがりながら、携帯を食い入る様に見つめその時間を待つ。その時、廊下から木の板が軋む音が鳴り響いて来る事に気付き、その複数の足音はやがて部屋の前で止まった。恐らく赤木とその連れて来た誰かだろう。次の瞬間には襖が開き、一目散に部屋へ飛び込んで来たのは自分には見慣れた人物であった。それは洋榎も同じであり、目を丸くしながらだらしなく口を開き切っている。

 

「どーもー!三箇牧高校二年生荒川憩ですーぅ!今日は……ってあれ、洋榎さんに末原さんやん」

 

「って、憩やんけ!ちょい待って、まさか自分用事って――」

 

「んー、ああ、そうやね。此処に誘われとったから」

 

「何ちゅう偶然やねん……」

 

「まあまあ、今日はよろしくね」

 

 そんな事を知ってか知らずか、後から入って来た赤木は恭子の対面へと歩み寄り腰を落とすと、テーブルの上に置かれていた灰皿を手繰り寄せポケットから煙草を取り出し火を点ける。

 

「ちょいしげる!憩の事誘ったんなら言わんかいな!」

 

「ん?ああ、知り合いだったか」

 

「煙草の事には突っ込まんのやな……」

 

 悪びれず笑う赤木に洋榎はやれやれと溜息を吐くと、壁に寄りかかる様に腰を落とし体重を背に預ける。

 

「にしても、何処で出会ったんや?憩としげるは」

 

「んー。インハイ近いから練習が早めに切り上げられたんやぁ。打ち足りなかったから雀荘で打ってたら赤木君と同席して」

 

「ほーん。それでスカウトされたんか」

 

「そうやねー。まさかぶっ飛ばされるとは思わんかったけど」

 

「って、飛ばされたんかい自分ッ!?」

 

「南場までは頑張ったんやけどね。それで話聞いてみたらなんか面白そうな事やる言うから」

 

「ククク……腕は確かだ」

 

「アンタに言われんでも知っとるわ!」

 

(にしても……憩が飛ばされたんかいな……)

 

 一度手を合わせた事がある洋榎には俄かに信じ難かったが、それも試合が始まれば分かる事だとそれ以上の詮索はしなかった。一方の恭子は最後の一人が知り合いであった事に少し肩の荷が下りたなと安堵の溜息を漏らす。

 

 その頃、別室ではひろゆきと原田は互いに真剣な眼差しを交わしつつ、煙草を吹かしながら赤木の事についての話を進めていた。

 

「本当なんですか?それ」

 

「まあ……十中八九間違いないやろ……。やが、それも今日で確信に出来る」

 

「……今日、麻雀するんですよね?」

 

「ああ、赤木の口から十巡交代制のあの麻雀の話が出た……覚えとるやろ、お前も」

 

「忘れる訳ありませんよ。にしても、その麻雀を知ってるって事は……」

 

「もうじき始まる。ルールの説明はワイがする予定やったが、ひろ。おどれに任せるわ」

 

「僕がですか?」

 

「若いモンの集まりにワイが出るのも無粋や。ならお前みたいな一般人が適任やろ。ルールなら覚えとるな?と言ってもあの時みたいに八人を四人に絞る闘いとはちゃう、少しルールを加えよう」

 

「それは構いませんが……そのまま、試合を見せて貰っても?」

 

「……せやな。立会人が必要な勝負やないが……見極めろや。あれが本物の赤木かどうか」

 

「……はい」

 

 

 世間話や麻雀の話に花を咲かせていた洋榎と憩の傍らで、恭子は両腕に突っ込んだ顔を少し上げ既に五本目の煙草を吹かしている赤木を見つめ続けていた。

 

「……赤木君」

 

「ん?」

 

「…………」

 

 何者なんです、そう出かかった口を紡いだ恭子は、立ち上がると、少し料亭内を散歩でもして来ようと立ち上がり、踵を返す。それと同時に開いた襖に、恭子はぎょっと肩を震わせる。その部屋へと入って来たひろゆきは声を掛けるべきだったねと謝りながら襖を閉める。何より目に留まるのはテーブルの奥で煙草を吹かしている少年。風体が似ていると感じたが、それ以上にあの独特な佇まい、そして雰囲気。どれをとってもあの赤木しげる本人であり、それは何十年経とうが忘れる筈の無いものであった。

 

「………………」

 

「井川さん?」

 

「あ、ああ。ごめん。準備が整ったみたいだから、部屋に向かおうか」

 

「あ、井川さん。あの子なんですけど――」

 

 恭子が言いたい事を察したひろゆきは、それは試合が終わってからにしようと自らの口へ人差し指を当てると、案内するよと襖を開け、恭子や洋榎を部屋から出る様に促す。

 

「そこの廊下の突き当たりにある部屋だから」

 

「はい。……井川さんはどうしはるんですか?」

 

「あの人に今日の説明を頼まれてね。後から向かうよ」

 

 洋榎に背中を押された恭子は慌てて廊下を歩き始め、そんな洋榎へくっつく様に憩は部屋を出る。そして重い腰を上げた赤木は灰皿に煙草を押し付けるとポケットへと手を突っ込み、ひろゆきの前を通り過ぎる。一瞬の間だったが、合わさった目にひろゆきは強い懐かしさを覚えていた。一方の当人は自分の事を覚えているのかとその場で立ち尽くし、背中を見つめていたが、足を止めた赤木に体を強張らせる。

 

「元気そうじゃねえか、ひろ」

 

「赤木さんッ!」

 

「まあ……話は後でだな」

 

 そのまま憩の背中を追って行く赤木にそれ以上呼び止める事は出来ず、思わず伸ばした手を握り締めると、床を軋ませながらその廊下を歩み始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その舞台へと役者が出揃ったのはほぼ同時であっただろう。恭子を先頭に開けた襖の先に広がっていたのは、同じく襖を開け部屋の中を見渡していた少女達の姿だった。

 

「…………」

 

 まるで中心に置かれている麻雀卓によって線が引かれたかの様に、此方側と向こう側の少女達は互いに睨み合い、その姿を認め合う。その間はどれ程だっただろうか、何時の間にか恭子と肩を並べていた赤木は部屋の中心へと歩み寄ると、雀卓の前で腰を降ろし立膝を突く。膝に乗せた腕から見据えた視線の先には忘れもしない、自分がこの世界であった初めての人間の姿があった。

 

「ククク……何突っ立ってんだ」

 

「久しぶり」

 

 照を筆頭に続々と部屋へと入って来た面子に、恭子は頭が痛いと右手で額を抑えながら赤木の横へと腰を降ろす。

 少なくとも、この場に日本で最も麻雀が強い高校生の上から三人が居る。その事実だけで眩暈がしそうだ。昨年のインターハイ個人戦、王者は言わずもがな照だが、その次に結果を残したのは自分の後ろで暢気に笑ってる荒川憩。そして対面に居る臨海女子の辻垣内智葉。隣に居る小さな少女は世界ジュニアでも活躍している臨海女子大将のネリー・ヴィルサラーゼ。照にしがみついている弱気そうな少女は、昨年のインターハイ最多獲得点数記録者天江衣を倒した宮永咲、その実力と今垣間見える間柄から間違い無く姉妹だろう。あの王者とその妹、そして臨海女子の巨頭が出て来たのだ、この試合にどれ程勝ちたいのかがひしひしと伝わって来る。

 

 

「なんや、マジに勝ちに来とる面子やん」

 

「みたいやね」

 

「いやー、知っている人がいっぱいやねー!」

 

 

 

 同じ感想を抱いていた智葉は、先程の控室での会話を思い出しつつ、ふてぶてしい態度で膝を突いている白髪の少年を睨み付ける。

 

 

「えっと……お姉ちゃんの妹の……宮永咲です」

 

「辻垣内智葉だ。こっちはネリー・ヴィルサラーゼ。よろしく」

 

「辻垣内さんと……ネリーちゃん?」

 

「智葉で構わない」

 

「ネリーで良いよ」

 

「はい、よろしくお願いします。智葉さん、ネリーちゃん」

 

「にしても……」

 

 何食わぬ顔で出されたお茶を啜っている照の向かいへと腰掛けた智葉は、照があそこまで必死になっていた事情を尋ねる。まさか連絡先が分からないと言う理由だけで学校に乗り込んで来るとは夢にも思わず、そして何を言い出すかと思えばチームを組んで欲しいと言い始める。流石の智葉も訳が分からず、反応に困っているといきなり土下座までし始めたのだ。勘違いされてしまいそうな非常に不味い絵面だった為、照を引き連れ廊下へと引っ張り出し事情を尋ねたが、本人はただ倒すべき相手が居るとしか答えない。

 現王者の照が言うとある種の嫌味にも聞こえるが、本当の意味で勝ちたい相手が居る様であった。

 

「それで、誰なんだ?それは。無論プロだろうから名前位は知っていると思うが――」

 

「いや、高校一年生の男の子」

 

「…………」

 

「大星淡と、弘世菫と、私の三人で挑んだけど負けた」

 

「……本当か?」

 

 白糸台が誇るその三人が同卓しても勝てなかった、その台詞を聞いた智葉は次第にその少年への興味が沸き始めていた。

 

「うん」

 

「名前は」

 

「赤木しげる」

 

「赤木しげる……」

 

 男子の部には詳しく無い智葉だったが、その三人を纏めて相手に出来る程の実力を持った者なら名前位は聞く筈だ。しかし、その名は智葉の記憶にどうにも引っかかってはくれない。

 

「それで、そのリベンジを果たす為に私を頼って来たと」

 

「そう」

 

 最初はドッキリか何かと思っていた、そもそも団体戦に出場する者同士、インターハイ前の対外試合は禁じられている。しかし、蓋を開けてみればその根底を覆すような案内状が送られて来た。どんな裏ワザを使ったのだろうか、いかに王者とはいえこんな我儘が通る筈は無い。つまり何か裏の力が働いたと言う訳だ。こんな胡散臭い試合への案内状に記されていたのは自分の名ともう一人、ネリーの名だった。

 

「それで、何でネリーに頼って来たの?」

 

「貴方の牌譜を見た。必ず力になってくれると思ったから」

 

「ふーん……まあいいや。暴れて良いみたいだし、好きにやらせて貰うよ」

 

 照はこの二人を結果だけで選んだ訳では無かった。二人共、特にネリーの麻雀には顕著に表れているが、ある事が出来る選手だった。それはこの場に於いては最も大事な事だと照は考え、何としてでも二人をチームへと引き入れたかった。

 あの男に勝つ為なら幾ら土下座しても良い、地だって這える。絶対勝つと咲にだって約束した。

 

「……時間みたい」

 

「うん、えっと、頑張ります……ので宜しくお願いします」

 

「ああ、此方こそ」

 

「よろしくー」

 

 

 

 

 

 成程、と赤木が連れて来た面子を見て照は納得する。向こうも勝ちに来ているだろう、特にあの少女、荒川憩を見た照はその横でその姿を認めた智葉と同じ感想を抱いていた。昨年の決勝卓、一年生ながら高学年に囲まれた卓で終始笑顔だった少女、そしてその少女と肩を並べている愛宕洋榎。風の噂で聞いた事がある、千里山に荒川憩と愛宕洋榎が居れば白糸台と良い勝負が出来る。そんなタラレバ話は勝負事の世界を見守る観客にとっては好物の話題だろう。しかし、照には聞き流す事が出来る筈も無く、この場でそれが只の妄想だと言う事を証明してやろうと誰にも悟られず拳を握る。

 

 一同が揃った所で部屋へと入って来たひろゆきは、睨み合いを続けている少女達にどう切り出したらいいものかと考えたが、咳払いをし注目を集める。

 

「えっと……僕の事は気にしなくていい、只の付き人だと思ってくれ。この場が表立った場では無い事は皆薄々気付いてると思う」

 

「だろうな。しかしまあ、随分大掛かりだな」

 

「そうだね。だけど皆は気にせず麻雀を打ってくれれば良い。と言っても、今からするのは普通のルールとは掛け離れたもの」

 

 ひろゆきはかつて自分がその場で闘っていた後姿を思い出しつつ、言葉を並べて行く。

 

「大きく三つ、先ず卓に入った者は十巡を終えると後ろの者と交代する。これは純粋に十巡と言う意味だから、例えば鳴きで手番が飛ばされたのならその巡目はカウントしない。それと最初に二人ずつ別れてペアを組んで貰う、その二人で協力しながら進める事になるね」

 

 智葉は二人のペアが四つ卓を囲んでいる光景を頭に思い浮かべる。

 

「つまり、純粋にツモ切った回数で良いって事だな。途中でペアを変えるのは?」

 

「半荘を区切りとしてペアを変える事は認めるよ、それは自由さ。それと二つ目、満貫縛り……と言っても本来の満貫縛りでは無く、満貫未満で和了ってもただ場が回るだけで点数にはならない」

 

 満貫縛り、つまり子なら8000点、親なら12000点の手を作らなければ和了れないと言うルールである。この場合は点数にならないだけで和了る事は出来ると言ったルールである。

 

「最後に勝ちが積もらない。つまり満貫で和了っても得られる点数は無く、ただ相手の点数が減るだけ。この三つ、点数が尽きた者から脱落して行き、これをどちらかのチームが二人同卓出来なくなるまで行う」

 

「半荘を繰り返すのか?」

 

「うん。例えば、二人対二人残ったなら、後は誰かが飛ぶまで。二人対三人で三人の内二人を同時に飛ばしたのなら、もう席に二人着く事が出来なくなりそちらの負けになる」

 

 

 詳しいルールを付け足しておこうと言い、残り三人になった際の回り方や留意点を伝え、質問はと面々に問う。

 それが麻雀の根底を覆す様なルールであったなら、頭を整理しなければならないが、ある種そのルールはシンプル。その三つのルールが頭に入った瞬間、各々の思考はそのルールに対しての考察で埋め尽くされ始める。その中で成程、と智葉は深く頷く。十巡交代制は未知の領域だが、満貫未満は場が流れるそのルール。此方は相手の手を読み、自分の手がどうなるかをいち早く見抜く力が必要になるだろう。相手の手が大物手なら無論場を直ぐに流すべきだ。しかし、自分の手にも大物手が入った場合、その手を押すか退くかを判断しなければならない。この領域を最も得意とするのは間違い無くネリーの麻雀だろう。機を待てる人間、奇しくもそれはかつて赤木が咲に言った事と同じであった。

 

 

 

 

 

「クク……誰もが全局ああ出来る訳じゃねえよ。皆機を待ってる」

 

「機?」

 

「ああ、その機を待ち続けられる人間……そうだな。お前は其処から目指してみろ」

 

 

 

 

 

 

 照はそれが麻雀に於いて必要不可欠、そして武器になる事を知っていた。故にネリーは何としてもこの場に加えたかった。そして勝ちが積もらない、それはどれだけ和了っても安全圏に逃げるなど出来なくなると言う事だ。持っている25000点の重みが通常の麻雀とは桁違いに跳ね上がる。皆ガードが固くなるだろう。そんな中機を待ち続け、その刹那の間を射抜ける人間がこの麻雀を制す。

 智葉は知らずの内に武者震いしているのを感じた、そこにあるのはギリギリまで煮詰められ濃密になった時間。そして午後六時、柱時計の鐘の音と共にその試合の開始が告げられた。

 

 

 

 



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東西決戦 其の一

 試合を始める前の決めとして、先ずはチーム内の誰とペアを組むかと言う話が上がる。本来ならば話し合いの末に決まるものなのだろうが、智葉は考えるまでも無いなと肩を竦めると眼前の席へ腰を降ろし、背後にネリーが回る。咲は言わずもがな照に張り付いており、その所作を見届けた照は智葉の下家へ当たる席へ手を突くと、理解が早くて助かると智葉へ視線を送る。ルールの性質上場決めは行われず、チームの面子が対面になると言う事は無い。

 

「あの、ウチらは――」

 

「ククク……恭子は俺とだな」

 

「ほな」

 

「決まりやな」

 

 照の下家へ恭子が座り、憩はお先にどうぞと洋榎へジェスチャーすると、口角を吊り上げおおきにと勢い良く座布団へ腰を降ろす。

 

「じゃあ、始めようか。さっき説明した通りルールは基本的に君達の浸透しているものを採用する。大きく違う点があるとすれば、赤は入っていない。親決めは……そうだね、恭子ちゃんを仮親としようか」

 

 掴み取りが無いのだからそうする他無い、無論その言葉に意を唱える者は居らず、その事を認めたひろゆきは恭子にサイコロを振るように促す。言われるがまま卓の中央へ手を伸ばし、サイコロの目を決めるボタンを押した恭子は、目を見開きそのサイコロの行方を見守る。点数が増えないこの麻雀では、恐らく親が非常に重要な役割を占めるだろう、やらずともそれは分かる話だ。少し浮かび上がったサイコロは、静寂に包まれた室内でカラカラと音を立てながら回り続け、ほんの数秒の内に五の目を観衆へと露わにする。

 

「ウチが起家……ですか」

 

 

 

 

 怪物と呼ばれる選手と対峙した時、これでもかと言う程味わう事がある。それは目に見えるものではないが、確かに存在している。分かりやすい言葉を借りるのならばプレッシャーとでも言うのだろうか。寒気や悪寒、震え、感じ方それは人により異なるが、恭子は確かに今、それを感じていた。そんな時、恭子はひたすらに平常心を保とうと自分を諌める。怪物と呼ばれる者達に自分が及ばない事は分かっている。しかし、それは負けを認める事とは似て異なるものだ。

 

(落ち着くんや末原恭子……本番は明日やけど、此処で勝てんようやったらインハイ優勝なんて夢や)

 

 

 起家のプレートを置いた恭子は、迫り上がってくる山に手首が当たらぬ様肘を上げると、もう一度サイコロを振る。出た目の七に従い山を切り分けると、少し震える手で牌を掴み眼前へと並べて行く。平常心、まるで念仏のように心の中で唱えつつ開いた配牌を目に入れた恭子は、その言葉が簡単に吹き飛んでしまう程の衝撃に襲われ、目を見開き生唾を飲み込む。

 

(萬子が十枚ッ……)

 

 その瞬間、先程まで平常心であろうとした恭子の心境は一変し、この手を必ず成就させると言う逸る気持ちが先行し始めた。

 

(これを仕上げれば最低でも親満……このルールで12000点の出費はでかいで……)

 

 相手からの直撃ならば申し分無い、ではツモならどうだろうか。仮に親満をツモったならば、同卓している洋榎の点数までも削れてしまう。しかし、同時に相手二人の点数を削る事も出来る。チームの出費として考えるならば、ツモる選択肢はあるだろう。不味いのは味方が親の時にツモってしまう事だろうか、これでは相手と自分のチームの削られる点数が同じになってしまう。この手がもし清一まで進めば最低でも跳満、ドラ表示牌は四筒と萬子に絡んで来てはいないが、一通や平和などが絡んで来れば親の倍満、点数の挽回が効かないこの麻雀に於いて、それは疑いのようの無い致命傷となる。

 

(……やっぱ直撃がベストやろな)

 

 無論直撃を取るに越した事は無い。ならばこの手は大物手を匂わせず、ひたすら無臭に徹する他ない。敢えて一萬から切り出した恭子は、その後も適度に字牌を転がしつつ、断ヤオ平和手を匂わせる打ち回しを続けた。その局、恭子はツキに恵まれたのか好形の萬子が入り続け、六巡目には一向聴と言う所までその手は育って行った。

 

「なーんや、接着剤みたいに固まってもーとるな」

 

 ツモ切りが続く洋榎は、何時も通り三味線とも取れる発言を漏らしており、恭子はその言葉を受け取りやはり此処は自分が行くしかないとツモ山へ伸ばす手に力を込める。まるで嵐の前の静けさと言った所だろうか、照と智葉の二人は鳴きの発声を上げる事無く、淡々と打牌を繰り返していた。唯一気がかりなのは照の河に少しだけ筒子が高いと言う事だろうか。

 

(聴牌しとる気配は無い……赤木君に手が回るまでにはこの手を完成させとくッ)

 

 手牌に落とした牌は三萬、唯一面子不足だった辺張に重なる最高のツモであり、残るは四萬、六萬の暗刻、そして七八八九萬の並び。浮いた白を切り出せば七八萬待ちであり、清一以外の役は無いものの跳満は確定している。更にツモに恵まれた自分の捨て牌は染めの匂いを極力消しており、ひょこっと河へ出てもおかしくは無い待ちであった。

 

(調子良さそうやん、恭子)

 

 はにかみながらその様子を横目で見ていた洋榎は、再び続く不要牌の嵐にこの局は店じまいだなと河に安い索子を切り出す。薄目で恭子の捨て牌を見つめていた智葉は、成程と溜息を吐くと手牌の中から二筒を摘み上げ、河へ叩き付ける。

 

「チー」

 

 小さく声を上げた照は手牌から一三筒を倒すと、鳴いた牌を卓の右端へと晒す。その鳴きに逸早く反応したのは恭子であり、智葉が照を援護し始めた事を直ぐに察知する。西を切り飛ばし、聴牌気配を漂わせて来た照に恭子は内心急きながらも息を止め、高鳴る鼓動を鎮めようと一瞬目を瞑りツモ山へ手を伸ばす。

 

(落ち着け……あれが本手なら筒子と萬子のぶつかり合い……オモロイやんッ!どっちが先にロン牌出すか――)

 

 恭子の思考は其処で途切れる。盲牌をするつもりは無くとも、長年染み付いた感覚はその牌の種類を恭子の脳内へ真っ先に知らせる。

 

(ドラ五筒……なんでや……こんなタイミングやなくてもええやん……)

 

 照の手が鳴き混一のみだとしたら、切り飛ばしてしまっても構わない五筒だ。しかし、満貫の材料は手の内にあるのだとしたら。

 

(いや……もしかしたらブラフ……?せやったら、ウチの清一がバレとる事になる)

 

 もしその鳴きが、筒子を掴んだ時に恭子を降りさせる為のブラフだとしたなら、何処かしらの段階で自分の手がバレていた事になる。本手でも無い相手にブラフを仕掛ける程間抜けな人間は恐らくこの場には居ない。ならば逆に考えてみよう、どの段階でバレたのかと。自分だって一端の麻雀選手だ、この手を育てる際には細心の注意を払っていた。しかしそれを容易く見抜き、先回りしようとした人物が居る。それは誰か。

 

(決まっとるな――)

 

 先程急にアクションを起こしてきた対面の人物以外に思い当たる人物は居ない。

 

(……辻垣内智葉ッ!)

 

 

 やられたかと舌を噛む恭子だったが、熱くなりすぎている自分に気付き、一旦思考を整理しようと手牌に目を落とす。

 智葉が抜き打ちで照に鳴かせた事は明白だ、自分の本手に気付き照の援護へ向かったのだろう。しかし、その先はどう読んでも答えは出て来ない。照の手に満貫が内蔵されているかどうか、其処で答えに行き詰ってしまう。それもその筈だ、智葉からすればどちらでもいいのだろう、恭子の本手を潰せるのならば照の手に満貫手が入っていようがいまいが。その曖昧さが逆に恭子の読みを妨げる。

 

(いや……まだ早まる時ちゃう。そもそも宮永照がまだ聴牌してない可能性も高い)

 

 あまりのタイミングの良さに照が聴牌していると錯覚してしまったが、嵌張を鳴いた辺りまだ手牌はまとまっていない可能性が高い。もしそうなら自分は誰と闘っていたのだろうか。

 

(聴牌はしとらん……って事にしよか……。やけど……流石にこれは切れんか……)

 

 聴牌していないと決断するならば、後々危険牌と成りかねないドラ五筒はとっとと切り飛ばして行きたい所だ。しかし、万が一その五筒で牌を倒されたならば、親番と共に8000点を失ってしまう可能性もある。恭子は悩んだ末、とりあえず良形を残そうと手牌の八萬を河へ落とす。ドラを抑えながらも萬子を良い形で残す、一見正着打の様にも見えるが、背後から一連の流れを見ていた赤木からすればそれは只の言い訳に過ぎなかった。

 人は逃げる時、他者から本心を悟られぬ言い訳を考える。ドラを抑え萬子の形を残したと言われれば聞こえは良いが、聴牌していないと判断したならばその時点でその五筒は切り出して行くべきである。それは必ず後に自分へと返って来るものだ。恭子にとってのそれは次巡、ツモって来た牌に再び顔を顰める。

 

(東……場には一枚切れやけど……)

 

 またもや混一気味の照へ危険な東、前巡は全員がツモ切りだった為、恭子の聴牌していないと言う判断を信じるならば切り出すべき牌である。この東を残してしまえば確実に手は死に、残るのは言い訳で染められた手牌のみ。

 

(ッ……行くで恭子。此処で退いてられんッ!)

 

「ポン」

 

 場へとツモ切られた東へ視線を落とした照は右端の二枚を場へと倒し、二副露目を場へと晒す。

 

「…………っ」

 

(って……何やっとんや……ウチのアホッ!)

 

 突っ張ると決めたならば、先ず切り出されるべきは東より五筒が先であるべきである。混一の手がポンで進む時、それは中張牌より字牌で手が進む確率の方が高い。恭子は突っ張ると決めたものの、手拍子で東を切り飛ばしてしまった。それが仇となり、照の手を進ませ自分の手には更に危険牌と化した五筒だけが残る結果だけが其処には映っていた。

 鳴きが入った為、恭子は次のツモで一足先に赤木と交代になる。こんな半端な形を引き継がせてしまう事への後悔の念に苛まれながらも、恭子はツモって来た二索を河へ切り出すと、腰を上げ赤木の背後へと回る。目に見えて落胆していた恭子に、赤木はやれやれと苦笑いしつつ手牌の五筒を見つめる。

 

「恭子」

 

「……はい?」

 

「この場に着く時、何を考えてた?」

 

「えっと……平常心……とかですかね……」

 

「どうだ?」

 

 その結果がこれか、と言わんばかりに手牌の五筒を恭子に見せつける赤木に、やっぱり意地悪な人だなと照は横目で赤木の顔を眺める。

 

「…………」

 

「ククク……もっと軽く行け、恭子」

 

「軽く?」

 

「今のお前の泳ぎはバタ足、見てられるもんじゃねえよ。もっとお前の麻雀のステップは軽かった筈だ」

 

 本来の恭子のスタイルは手役重視よりかは早上がり、鳴きにより流れを掴み和了りへと結び付けると言うもの。

 

「この手を見た時から、お前は何処かおかしかったぜ」

 

 言われれば、平常心と言う言葉はあの配牌を見た時に吹き飛んでしまった。8000点縛りがあるものの、普段の自分ならばあの手はもっと別の方向に生かせた筈だ。そんなんじゃこの先苦労するぜと言いつつ赤木がツモって来たのは五萬、五筒を切り出せば五面張と言う最高のツモだったが、照と交代した咲には非常に通し辛い。

 流石の赤木もこれは切れないと五萬を手に入れると、四萬を場へと切り出す。

 

(最悪や……ウチの中途半端なプレーでこの手を潰してもうた……)

 

 

 その巡を境に洋榎、智葉共に背後の仲間と交代するが、二人の手は既にベタ降り、勝負は手を引き継がれた赤木と咲に委ねられた。

 

 

 

 



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東西決戦 其の二

 

 照から手牌を引き継がれた咲は、まだ東一局だと言うのに熱気がぶつかり合っている卓上へと意識を没頭させる。無論だが突然この状況を引き継がれた訳では無い、背後から姉の一挙一動を見逃さず、自分の手番はどうするべきかと考えていた。

 しかし、場が十巡を越えてしまうと流石に手は煮詰まってしまう。晒した一二三筒の順子に加え東の暗刻、三四四六六七八筒と並んでいては、どうしても手変わりに限界がある。

 大勢はもう決しているか、入れ替わった憩とネリーはベタ降りになるだろう。必然的に自分と赤木の一対一になるが、赤木も自分と同じく相方の手牌を引き継いでいると言った点では咲にとって好都合だろう。

 あれが萬子の染め手である事は明白だ、どういう訳かチームの辻垣内智葉は恭子の迷彩をいとも簡単に曝け出させ、加えて姉との連携を以て恭子を苦しめている。こればかりはご愁傷様と言わざるを得ない。

 

(赤木君の第一打は四萬……)

 

 手牌に落とした一索をツモ切りながら、咲は赤木の手から出て来た四萬の意味を考えていた。染め手の人間からその色が出て来るとすれば、大きく分けて二パターンあるだろうか。

 一つはより広い待ちへの手変わり、もう一つは自身の色を安牌とした降り。この場は本人を除けば萬子は格安だ、降りるならば萬子を切るだけで流局まで一直線だろう。ただ赤木がそんな降りをするとも考えにくかった咲は、前者の四萬切りに焦点を当てて考える。

 そして赤木の二巡目、ツモってきた牌を淀み無く手牌へ落とすと、摘み上げた四萬を河へ切り出す。

 

「リーチ」

 

 リー棒と共に。

 

 憩、ネリーの両名は索子と現物のみに徹しており、やはりこの局は自分がモノにしなくてはとツモ山へ手を伸ばす。しかし願い届かずか、指が教えてくれたのは索子であり、咲は内心で焦りを感じつつも気取られないよう何時も通りの打牌で索子をツモ切る。

 この局の行方は三つしか有り得ない、赤木が和了るか、咲が和了るか、流局か。それはまるで三穴のクルーン、結果と言う玉が穴の周りを彷徨っており、その時を今か今かと待ち侘びている様であった。

 一発目のツモを河へ切り出した赤木に安堵しつつ、咲は少し汗ばんだ手を残り少なくなってきたツモ山へ伸ばす。

 

「ッ――」

 

 この局の転機はまさにその牌、咲の手牌に落ちた七筒からだった。これで三筒を切り出せば両面の五八筒待ち、指は五本折れ満貫は確定している。となれば三筒のノータイム切りとなるが、咲は赤木の四萬の連打に嫌な予感を感じていた。普通に考えれば萬子の染め手だが、もしかすれば自分の筒子は狙い撃たれるかもしれない、その悪寒。と言ってもそれは何となく嫌な予感がすると言ったレベルであり、確固たる自信がある訳でも無い。

 咲の背後から一連の流れを見ていた照にもそれはひしひしと伝わって来る。確定した材料が無いため、決め兼ねていると。

 

 

 しかし一つだけ、咲にはあった。

 

 

(どうしよう……嶺上牌は……八筒――)

 

 この材料は流石の照も持っていない、この場で唯一咲が持ち得る理。嶺上牌が自分の和了り牌だと言う事実、そして槓に必要な東はまだ切られていないと言う事実。この二つが咲の三筒切りを後押しする。いや、そもそも三筒などで和了ったとして、満貫に届いているのだろうか。例え三筒で和了られたとしても、場が回るだけかもしれない。

 

 この場を傍観していたひろゆきも、咲の背後から顎に手を当てその行く末を見据える。ひろゆきにはある予感があった、あの四萬落としは何か危険牌を引き入れた結果溢れたモノだと言う予感。この場での危険牌と言えば、無論咲に激高の筒子であろう。もっと言えばドラ付近、例えば五筒か四筒辺り。そこに何かがくっ付き牌が曲げられたとなれば、三六筒か二五筒は最も危ない所。強者との闘いに身を置き続けたひろゆきには、それが何か確信めいたモノに思えた。

 しかし当事者の咲にはそこまで見えてはいない、確定した材料が無い以上、その嫌な予感だけに頼らざるを得ない。

 

(……咲)

 

 降りてしまえば楽になれる。しかし、もし赤木が満貫とは程遠いゴミ手や、萬子の染め手だった時、自分が智葉と姉の作り上げた闘牌を台無しにしたと言う事実だけが残る。ならば切るのか、この三筒を。

 

 

 

 

 

 

「……へぇ~」

 

 既に店仕舞いした手牌には目もくれず、対面から咲の様子を見据えていた憩は、膝を立て両手を後ろへ突き、まるで自室で過ごしているかのような大将へと目線を移した。

 

「…………」

 

 ラフな姿勢は取っているものの、洋榎の目付きは真剣そのものであり、やはり咲の打牌の行方を見届けんとしている。他者から見れば、咲が何を悩んでいるのかは分からない。ある程度の予想は立てられるが、その奥底までは見えて来ない。

 

「麻雀はこーゆー時に、来るんやろなぁー」

 

「……何がやねん」

 

「さぁ~?」

 

 

 

 

 

 

 

「…………」

 

 そういえば、あの時。そう、合宿でだ。

 多分、自分なんかよりもっと苦しい茨の道を突き進んだ人が居た。

 

 

「お姉ちゃん」

 

 俯いていた咲は、手牌に右手を乗せ、その重い口を開いた。

 

「……何?」

 

「私ね、合宿で凄い人とやったんだ」

 

 咲は手牌の四筒を河へ切り出すと、顔を上げる。

 

「……どんな人?」

 

 ツモ切りが続き、再び咲に手番が回る。

 

「とっても凄くて、凄くて……私にはまだ分からないと思ったの」

 

 引き入れた三筒を手牌の三筒にくっ付けると、ノータイムで四筒を河へ切り放つ。

 その様を赤木の背後から見ていた恭子は、目の前に構えている三六筒待ちをまるで避けているかのように錯覚し、只の偶然だと自分に言い聞かせる。

 こんな一通が仕込まれた三六筒待ちは、振ってしまった者は交通事故だなと思う他ない。赤木は最初から此処に着地するのが分かっていたのではないかと思う程、自然に手を進め聴牌へと漕ぎ付けた、本人はどこ吹く風だったが。

  

(にしても……四筒の対子落とし……?降りたとしか思えんけどな……。宮永咲が何言っとんのかもよう分からんし)

 

 恭子から見れば、赤木のリーチに対し染め手を警戒した筒子落とし。それに尽きる咲の打牌だったが、どう言う訳か洋榎と憩の表情には何処か楽観的なモノを感じない。

 憩はツモって来た牌を神妙な面持で河へ打ち出すと、洋榎と目を合わせやれやれと首を振った。

 

「……ま、しゃーないやろ」

 

「やなぁー」

 

 何を言っているのだろうか、この二人は。終始無愛想だったネリーでさえも、何処か驚いたような表情を浮かべていたのが見て取れた。そしてその答え合わせが、咲の口から飛び出す。

 

 

 

 

 

「カン」

 

 場に晒されたのは東、続けて掴み取られた嶺上牌が卓へと叩き付けられる。

 

「今なら、少し分かる気がする」

 

 倒された咲の手牌を見た恭子は、思わず体を前のめりに倒し、食い入るように見つめる。

 

「ツモ。東、混一、嶺上開花。2000・4000です」

 

 

(なんやそれッ!?)

 

 恭子から見たそれは、全てが非常識な打牌であった。先ず四筒を落とす前は、三四四六六七七八筒だった筈だ、四筒がドラな事を考えると、三筒切り以外は有り得ない。しかし何故か三筒切りを嫌い、ドラの四筒を落とした。染め手とはいえ、ドラが絡まないと満貫に届かなくなるリスクもあるにも関わらず。

 更に二打目、あまつさえドラを全て打ち切り、三筒を頭にした所で嶺上開花。咲がこんな打ち回しをした理由が恭子には分かる。それは至極当然、三筒は赤木の和了り牌だったからだ。

 しかしそれは後ろで答えを知っていたからこその解、恭子には咲がそうした理由は分かれど、理解は出来なかった。

 

 

「なーんや憩、削られてもーてるでー」

 

「えッ!?ウチのせいッ!?」

 

 こんな状況でさえ、二人は軽口を飛ばし合っている。新ドラこそ乗らなかったものの、親の赤木はリー棒を含め-5000、憩とネリーが-2000と、ネリーの点数こそ削っているものの、チーム全体で考えたならば、咲の和了りはファインプレーと言えるだろう。そして、あの赤木の点数を東発から五千点削ったと言う事実は、宮永姉妹にしか分からないが非常にアドバンテージとなった。

 

 

 

「えっと、ネリーちゃん……その」

 

「良い」

 

 チームとしてはプラスになったとは言え、ネリー個人の点数を見ればマイナスとなる。咲はおずおずとネリーに謝罪するが、ネリーは一言で切り捨てる。

 智葉が何故自分をこの場へ連れて来たのかが今の一局でよく分かった。久しぶりに血液が循環して行くのを実感する。金だなんだと言う前に、やはり何処を取っても自分は麻雀打ちなんだと言う事を思い出していた。

 

(……対面の)

 

 白髪の男子、奴に勝ちたいがために宮永照は臨海に乗り込んで来たと言う。確かに底が知れないが、果たして自分と対等に渡り合える存在なのだろうか。時間はたっぷりある、まだ自分の番では無いが、何れは分かる、分からせる。

 赤木を強く睨み付けていたネリーだったが、本人は意にも介さずやれやれと手牌を伏せ卓の中へ流し込んでいく。

 

「……すんません、赤木君」

 

「気にすんな、まだ東一だろ」

 

「やけど……」

 

「恭子」

 

「はい?」

 

「そうだな……満貫縛りを忘れてみな」

 

「うぇ……平常心って奴ですよね」

 

「違う、何時ものお前で行ってみろ」

 

「それって、普通に手作りするっちゅう事ですかね……」

 

「そうだ、満貫縛りなんて何時ものお前になった時に思い出せば良い」

 

「……やってみますわ」

 

 とは言ったものの、恭子としては普通に手を作っていて勝てる相手では無いと思っていた。

 しかし恭子は赤木の言う普通の手作りの本当の意味を、骨の芯まで理解する事となる。

 

 

 

 

 

 

 東二局、憩の親番。

 先程の局では四回手番を終えている為、憩に残されたツモは後六回。やられっぱなしは性に合わないと勢い良く手牌を開くが、ドラや役牌の絡んでいない凡手がそこにはあった。

 

「ケチやなぁー、麻雀の神様」

 

 荒川憩と言う麻雀選手は、後ろで横顔をしげしげと眺めている愛宕洋榎と少し似ている。宮永咲や天江衣と言った、インターハイに出場する選手が持っている特徴らしい特徴を持っていない。豪快にカンをしたり、ダブリーを決めたり、そう言った異才を放っている訳では無いが、それでもインターハイ個人戦準優勝を勝ち取っているのだから、麻雀は格別に強い。強いて言うならば、自分以外が和了ると次の配牌に良い手が入りやすいかなと思うくらいだ。

 何時もの流れならば此処で必殺の一手が入る所だが、愚痴を漏らす程度には手が悪い。

 

「まあでも、やれる事はやらんとなぁ」

 

 手を引き渡す洋榎の性格を考慮して、色々選択肢を残した手をバトンタッチするのが吉だろうか。

 

(とりあえず、内に寄せとこかぁ。ドラも五萬やし。後は洋榎さんが何とかするやろ)

 

 憩はそう考え、先ずは端の整理からと一索に手を伸ばし河へ切り出す。その動作を見届けたネリーが山へ手を伸ばそうとしたが、それは赤木の発声に阻まれる。

 

「ポン」

 

「お、しげる飛ばすやん!いけいけー!」

 

 野次紛いの言葉を飛ばした洋榎だったが、後ろの恭子の顔が引き攣っているのを見るに、何かをおっぱじめようとしているのが分かる。

 東一局は相手に華を持たせたが、東二局はこっちの番だと言わんばかりの第一打ポン。憩は少し目を細め、赤木の様子を注視すると、溜息が漏れる。

 

「いやぁー、中間管理職ってきついわぁー」

 

 視線を後ろに控えた洋榎へ移し、もう一度赤木へと戻す。本当に管理職の気分だと浮いた字牌を河へ放流した憩は流し目でネリーの様子を伺う。さほど気にした様子も無く、ネリーはツモって来た牌を手牌と入れ替え河へ切る。

 咲は合宿の教訓から、己を注ぎ込んだ局の後も気を抜くまいと自分の手牌を見つめる。が、流石にやり過ぎだと内心苦笑いしてしまうドラ槓子が自身の手牌に鎮座しており、これの扱いをどうしたものかと頭を捻っていた。

 槓材を中心にすべきか、無難な所を切って姉に繋ぐか、自分は後四巡で照と入れ替わってしまう。手を拱いていては赤木のチャンタが和了りを決めるだろう。どちらにせよこのドラ槓子は赤木のノミ手臭漂う一鳴きに、封殺されたのだった。

 

 

 憩はてっきりこの局が前局に迫る勝負局になるのかと予想したが、三巡目にチャンタのみが確定したであろう二副露を晒した時点で、赤木の真意を察する。

 

(成程ね、東三局相手さんの親。そして恭子さんからの手番……)

 

 赤木が十回目のツモ切りを終え、恭子と入れ替わった事を確認した憩は、飄々と萬子の辺張を抜き打ち、入れ替わったばかりの恭子は慌てて手牌を倒す。

 

「あ、ロ……ロンっ!……千点です」

 

 無論それは場も回らない、只のノミ手。この振り込みにより憩のツモも十回に達し、背後の洋榎と入れ替わる。これで東三局は残り二回のツモ切りを残したネリーの親、後一度のツモで交代の咲、そしてまだ一度もツモ切りを行っていない恭子と洋榎となった。

 

 背後で赤木の暴ポンを見ていた恭子は、わざわざこれを狙ってやったのかと軽く目眩がしていた。咲の手に起爆剤が仕込まれていた事は露知らず、恭子は赤木がただ自分にバトンを渡す為だけに早和了りを決めたのではないかと思い、プレッシャーと高揚感の板挟みにあっていた。

 再び目の前には新品の配牌が居座っている。東一局でよく分かった、これを生かすも殺すも自分次第なのだと。よくよく考えてみれば、麻雀は当然そうなるものなのだが、他者の介入と言う通常のルールでは絶対に起こり得ないモノのお陰か、恭子はそれがよく身に染みた。

 

 赤木としては特段、全てを恭子の為だけに打ち回した訳では無かった。咲に入った大物手の予感に早和了りをぶつけただけでそれ以上の意味は無く、赤木のツモが終わると同時に恭子が和了ったのは殆ど偶然だった。

 しかし、赤木としてはこの末原恭子がもし、先程伝えた言葉の意味を理解するようになったなら、この卓の起爆剤と成り得る事も感じていた。となれば、この面子に勝ちに行くのならば、恭子にそれを託してみるのも悪くはないだろう。

 

 

 

(平常心、普通の……んー……普通のって言ったらなんやろか。いっつもうちが考えとる事……そりゃもう――)

 

 

「うちにしか出来ん事をする……。よしッ!サイコロ回して、頭も回すでッ」

 

 



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東西決戦 其の三

 とは言ったものの。ドラ表示牌が二萬、そして配牌には三五萬、四五筒、三索と、ドラ含み三色が見える配牌に、この手を鳴いて行くべきか否か、それを決め兼ねていた。赤木は満貫縛りなど気にせず打てと言ったが、これを鳴き三色に仕上げた所で対面の親を流すだけ。赤は無いので手役で満貫を作るならばやはり面前か。

 普通の麻雀に於いて親は有利だと言える、だがこのルールならば同卓したチームの片割れはツモ和了りし辛い。相手チームの減点と自チームの減点に差が無いからだ。

 とりあえず、普段の自分ならば相手の出方を見て鳴くかどうかを決める。それか他者に関係無く速攻の早和了りを決めるか。

 

 一巡目、そのどちらかを決め兼ねている恭子に、一つ目の試練が襲う。咲から放たれた三筒に、鳴くべきかのどうかの選択を迫られたのだ。

 

(鳴く……鳴いた時点で満貫は無理、でも3900点は行けるんちゃうか……?)

 

 ザンクなら上等、そう思ってはいるのだが、恭子の口と手はまるで石に変えられたかのように動かなかった。

 

(まだ一巡目や、焦ってどうすんねん)

 

 そして三巡目、ネリーが背後の智葉と交代した最初のツモ。一巡、二巡目はツモ切りが続き、これは鳴く以前の問題だなと考えていたその矢先、手牌に四萬が落とされる。

 

(これは……いよいよ三色なんか……?)

 

 続けて恭子のツモ番、まるで神様の気まぐれのように落とされた四索に、まだ二索辺りがくっ付いてくれた方が悩まずに済んだと内心愚痴を零す。鳴かずに三色、そして平和は難なく付くだろう。上手く行けば断ヤオが絡みリー棒を出さずに満貫。となれば普段の自分はこの手を面前で押し通すだろう。

 

(やったら……満貫狙い……?)

 

 そうしたいのは山々だったのだが、そうは問屋が降ろさない。二つ目の試練、そう言わんばかりに上家の照がリー棒を卓へ放る、見せつけられるように放れれた五索と共に。

 

「リーチ」

 

「ッ――」

 

 宮永照のリーチ。恭子はこの五索を鳴くべきかどうかに思わず手を止めた。照の基本戦術としては、先ず小さな和了りで流れを掴み、その後は嵐のように高打点を叩き出し続ける。となれば、照に和了らせるのは不味いだろうか。いや、どうせ照が和了っても直ぐに咲と交代する、流石に照よりは咲を相手にした方が――。

 

(……いやいやいやッ!あかんやろッ!)

 

 照の後ろに控えているのは、何も地区予選で良い勝負をする程度の打ち手等では無い、怪物天江衣を下し、更に東一局で見せた強い、強い打牌。どう転んでも上家に隙は無い、かと言って対面は――。

 もはや言うまでもない。

 

「ッ……チー」

 

 五索を拾うと三四索を場に晒し、安牌である字牌を切り飛ばす。結局鳴くならば、何故最初の三筒を鳴かなかったのか、照のリーチを潰す事に必死となっていた恭子には、もうその事は頭から抜けていた。

 

(典型的なチャンタ……三筒が一巡目な事を考えると一二三筒は出来面子やったんか……?)

 

 しかし、例えチャンタ狙いだとしても普通一二三三の並びから三筒を切り飛ばしはしない。此処から三筒が出て来るとすれば、もう他の面子が完成に近いと言う証拠だろう。下手をすれば純チャンまで見えて来るかもしれない。

 

 手牌の並びは三四五萬、晒した三四五索に、四五筒。そして七萬の暗刻に七八索。照の一発ツモを通り過ぎ、自分の手牌に舞い降りたのは六索、もし鳴いていればその六索で和了りと言えただろうか。

 

(いや……鳴いたらツモがずれたやろうし……)

 

 だから。

 

 

 

「…………」

 

(あかん、冷静になろ。とりあえずこれは聴牌、七萬切り。宮永照はチャンタ気味やけど、明らかに下か字牌。やったら……)

 

 

 ポン、と七萬を卓上へ置いた恭子は、チラッと照に目線を切る。照は不動明王が如く動かない。

 

 

 

「ロン」

 

 とりあえず聴牌だと胸を撫で下ろした恭子に聞こえて来たのは、照の声では無い。では誰か。

 酷く――。残念だ、そう言った表情を浮かべた智葉は、眼前の手牌を前へ倒す。

 

 

「混一、一通……ドラ一」

 

「親ッ……パネッ!?」

 

 その衝撃はまるでハンマーが直撃したような、凄まじいものであった。震える手を抑え付け、智葉の河を見てみるが何て事は無い。比較的萬子が高く字牌も無い、典型的な萬子の混一手。一般的に見てみれば、まだ聴牌しているかどうかはかなり怪しい所ではあったが、そんな言い訳が通用する場でも無かった。

 

 親の跳満をぶつけられた事など両の手では収まらない。だが、これ程衝撃を受けた親跳はかつて無かった。18000点、智葉の点数が43000点へ増える事が無いのが唯一の救いだろうか。洋榎はそんな事を考えていたが、当の本人にそんな余裕はない。

 持ち点7000点、点数が増えないこの麻雀に於いてこれ程の絶望はあるだろうか。決して増えないモノ、寿命に例えてみれば分かり易い。その寿命を文字通り半分以下に縮めた。

 震える手を無理矢理抑え付け、点棒を18000点卓横の箱へと移した恭子は、自らの手牌に目を落とし下唇を噛む。

 

 おざなりだった、平常心を保とうとする余り、自分の手牌に意識が集中し過ぎていた。それに加えた照のリーチ、此処で照以外の他者は意識から完全にフェードアウトした。

 ただ普通に打つ事はこんなに難しかっただろうか、何度も心の中で反芻するが、どう振り返ってもさっきの局、第一打は鳴いておくべきだった。

 

 

 

 弱肉強食、この言葉がこれ程似合う場があるか。

 恭子を討ち取った智葉は、その様を見ながら思う。この場に於ける持ち点が8000点を割ると言うのは、もう首の皮一枚といった時点まで来ているだろう。

 満貫縛りのこの場、皆自然と手の打点を上げに行く。リーチなんてされた日には、もうベタ降り以外なくなってしまう。

 そうなる恭子が容易に想像出来た智葉は、先ず一人脱落かと次の相手を見据える。

 

 

(……アカン、切り替えな)

 

 まだ自分のツモは四回残っている。赤木に繋げる為にも、自分の手番は全うしなければならない。

 

「ッ――」

 

 洋榎は喉まで出かかった言葉を無理矢理押し込めた。

 恭子の振り込みに対し、赤木、洋榎、憩の三名が声を掛ける事はしない。一見薄情にも思えるが、この場に於いてその擁護がどれ程の意味を成すか、三人は理解している。こればかりは恭子自身がケジメをつけ、解決すべき問題であった。

 

 

 東三局、親の連荘。恭子は麻雀でよくある取捨選択へ果敢に挑んで行くが、その全てを悉く外し続けていた。二四六索の並びから二索を外せば三索を引く。白、中を落とす際、白を落とせば白をツモる。麻雀を続けていればそんな裏目は珍しくも何ともない、ましてや自分は凡人なのだ。この裏目を糧に次の打牌へ繋げる。

 そう思えたらどれ程楽だっただろうか。たった一打、それが恭子のハートへ確かにヒビを入れていた。

 

「……赤木君」

 

「飛ばなかっただけマシだろ」

 

 赤木はそう笑い飛ばすと、ボロボロになった手牌の前へ腰を降ろす。酷いものだ、面子は無く、役牌も無い。

 

「さて……」

 

 手成りに進めた九巡目、卓の全員は既に入れ替わり、各々が手を進めている。そんな中、やっと出番だと言わんばかりに憩は勢い良くリー棒を振り上げると、北と共に卓上へ叩き付ける。

 

「やっとやぁー!リーチですーぅ!」

 

 同巡、対面の咲はまるで見計らったかの様なタイミングで牌を曲げる。

 

「リーチです」

 

 嵐の前の静けさだったか、鳴きの発声一つ無かったその局、九巡目にして卓は急激に終盤戦の様相を呈してきた。

 そんな中赤木の手牌は一人蚊帳の外、何とか平和のみのゴミ手に近いか。しかし平和を目指すならば暗刻である九萬を切り出して行かなければならない。

 

 誰も和了りの発声を上げる事無く迎えた次巡、赤木の手は最後の嵌張が埋まり、九萬切り聴牌となった。

 

(九萬は……宮永咲にきっつい。憩は筒子の多面張、リーチに裏が乗れば満貫か……)

 

 リーチに裏が乗れば満貫にかなり近付く。かと言って点数が増えないこのルール、一度出してしまったリー棒は二度と手元に帰っては来ないのだ。そう簡単にリーチしていては点数がもたない。

 それを承知しながら、卓の面々は皆リーチへ向かう、ただ懸命に。

 

「ククク……さて、恭子、何を切るかな」

 

「……九萬、って言いたいんですけどね。やっぱり現物の――」

 

 恭子の答えを遮るように、赤木は九萬を場に打ち出した。

 

「ッ――」

 

「なんだ、分かってるじゃねえか。九萬切り」

 

 通った――。

 だがそれだけだ、こんな平和のみのゴミ手、危険を押してまで突っ張る意味はあるのだろうか。赤木とて既に5000点削られている、こんなゴミ手を押して捕まってしまっては目も当てられない。

 

「そやけど……此処で行く意味あります?」

 

 恭子に赤木の意図は見えて来ない。そんな恭子に赤木は言葉では無く、行動で示すように咲が切り出した四萬に対し手牌を倒す。

 

「ロン……まあこの場はこれでいいじゃねえか」

 

 自分のリーチを潰すかのようにノミ手を倒した赤木、憩はもしやと思い次の自分のツモを捲る。そしてワザとらしくツモ牌を自分の眼前へ翳し溜息を吐いた。

 

「……おおきに」

 

 憩はその手にあった八萬を、自動卓の中へ放り投げる。咲はその牌が何か見えた訳では無いが、自分の和了り牌である二五八萬のどれかである事は薄々勘付いていた。

 

「ほぇー。やるやんしげる!」

 

 三者のリアクションを見ていれば嫌でも分かる、赤木が憩の放銃を防いだという事は。恭子はあの場で聴牌を取りに行く事を余り考えていなかった。どちらかと言えば、どう切れば自分が放銃しないか、そちらばかりに意識が寄っていた。

 

「……分かってはったんですか?」

 

「ククク、何がだ?」

 

「いやその……和了れるって」

 

「そんなのが分かれば苦労しねぇよ」

 

 そりゃそうだ、と。赤木の回答を聞けば納得する。しかし、赤木のそれはどう見ても分かっていたとしか思えない鮮やかなモノだった。

 と言っても赤木が嘘を吐いている訳では無い、赤木は恭子と同じくあの九萬は通ると決めていた、だから切った。その結果憩を援護する和了りを取れた。

 

「九萬は通ると思ったんだろ、恭子」

 

「え、あー……通ると言いますか、願望と言うか……」

 

「いいじゃねえか、なら、通せば」

 

「せやけど!もし――」

 

「ククク……もし当たったら、か?」

 

「ッ……」

 

「恭子、お前は降りる為に麻雀打ってんのか?」

 

「そんなことッ!……ありませんよ」

 

 強く無いとは言えない、事実恭子はずっと降りる選択肢をチラつかせていた。赤木は何も降りる選択肢を咎めている訳では無い、自分の信じた道へ足を踏み出そうとしない恭子の打ち筋を咎めていた。

 

 何かを掴むと意気込んでいたが、掴む所か逆に自分の手から様々なものが零れ落ちていく。自分は後何歩暗闇を歩かなければならないのか。この半荘が終わるまで、この日が終わるまで、インターハイが終わるまで――。

 

(分からん……頭が回らん……けど、此処で立ち止まったら本当の凡人や)

 

 暗闇の中、歩みを止めてしまえば奈落へと引き摺り込まれてしまう。懸命にもがき足を動かすが、光明は見えて来ない。

 

 

 

 東四局、まだ東場なのかと目眩がする。赤木からほぼ配牌と変わらない手牌を引き継いだ恭子は、懸命に意識を卓へ移す。この手は鳴くか、否か、卓上と睨めっこしていた恭子だったがその実、身が入りきれていない。

 卓上の牌だけを見て打つのならコンピュータ戦となんら変わらない、しかし今の恭子は他者を気にする余裕など到底無かった。

 

 

 そして、照と智葉の両名がそんな恭子の隙を見逃す筈も無い。

 

 

 ポン、と。手牌を進めるために置いた白。

 

 

 

 

「ロン」

 

 

 

 再び聞こえた対面からの発声に、胃はきゅっと持ち上がり、心臓は鷲掴みにされた。

 

 

 智葉の倒した手牌が目に入る。それは点数計算など要らない、文句無しの混一満貫手。

 

 

「あ――」

 

 声すら上がらない、ただ自分が此処で終わったと言う事実だけが全てを支配する。

 まだ半荘すら終わっていない、まだ和了ってすらない、まだ何も掴んで――。

 

 

 

 

 

 

 

「なーに話進めとんねん」

 

 そんな中、洋榎の声だけは鮮明に耳へ届いた。

 

「ロン、頭ハネや。七対子のみ」

 

 洋榎が倒していたのは七対子の白。白に嫌な予感を感じていたのに加え、恭子が振った時の保険として待っていたのが功を奏した。

 辺りをぐるっと見渡した洋榎は、オーバーリアクション気味に右手の人差し指を智葉へ突き出すと、左手の親指で自身を指す。

 

 

「ええか?ウチらの大将は簡単にとらせへんで」

 

 



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東西決戦 其の四

 

 首の皮が一枚繋がった――。恭子は人目憚らず雀卓の縁に両手を突くと、大きく項垂れた。洋榎はああ言ったが、あんな神業のような援護が毎局出来る訳では無い。しかし、それでも仲間に命を救われた。

 そんな恭子の様子を淡々と見ていた照は、この場で赤木とひろゆきのみが考えていたある事を思案していた。それを成す為には、もう少し恭子の点数が減っておいて貰わないと困る。

 

 親が流れ南入、ようやく南一局となったその場は、残り半分程となった各々のツモ番から始まる。照は出和了りなど眼中に無く、眼前にあるノミ手を一直線に育てようと、安牌残しなど気にせず字牌を切り出して行く。

 手成りに進んだその局、三巡目、恭子のツモは残り二回。急所をこれでもかと引き続け、三巡目の早い聴牌。そう言えば聞こえは良いが手役は一切絡んでおらず、完全なリーチのみの凡手。

 照は少し手を止め、手牌の浮いた二筒暗刻を見下ろす。そして場を見渡し、二筒が出ていないことを確認すると、九萬を切り出し牌を曲げた。

 

「リーチ」

 

 恭子の肩がピクッと震えた。このリーチに打点的な意味はあるかと言われれば、一切ない。唯一の満貫と言えばこの二筒暗刻に裏ドラが丸乗りするか、二筒を四枚重ねての新ドラ期待。

 しかし、照の目的は雌雄を決する鬼手和了りでは無い。次巡、一発がならなかった事に無表情のまま残念がり、ツモ牌を切り出した。

 

 背後で待機していた咲は、むむむと唸りながら照の打牌について考えていた。現在の親番は残りツモの少ない恭子、確かに恭子からすればどんなリーチだろうと満貫一発で終わりな身だ、牌を曲げられただけで恐ろしいだろう。と言っても自分の手は二の次でベタ降りを決めたならば、恭子からは先ず出ない。

 案の定恭子は照の現物を抜き打っており、先程の教訓を生かす為か他家にも気を配っている。結局照のツモが成る事は無く、咲は照が座っていた座布団へ腰を降ろすと下家で胡坐を掻いている赤木に目を移す。

 

(赤木君……。あ、でも……末原さんが降りたから、赤木君に手を作る隙は無いんじゃ……)

 

 ポン、と。心の中で拳を手の平に当てる。

 もしかしてこれは赤木の手を縛る為のリーチでは無いだろうか。恭子はリーチが掛かったら、ライオンが徘徊する縄張りに取り残されたシマウマのように、警戒を最大限に引き上げるであろう。そうなれば先ず現物が弾き出される。

 そして恭子のツモが残り少ないと言うのもミソだ。後二巡凌げば点数に余裕のある赤木に交代となる。もし交代までツモが丸残りしているのなら、開き直る選択肢も生まれただろう。しかし、あの状況ならば間違いなく恭子は降りる。

 事実抜き打たれたその手牌は、流石の赤木でもどうしようもない。向聴数が三から五へと下がった上に照のリーチ、そして五巡目と言う中盤へ差し掛かる所。

 

「……ホンマ、すんません」

 

「構わねえさ。まずは生きな」

 

 本当に今日は謝ってばかりだな、と自己嫌悪は程々に恭子は頬を両手で叩く。

 咲の読みは正解だった、だがそれ以上にもう一つ、照は恭子の点数をツモでも飛ぶデッドラインまで削っておきたいと考えていた。そうなれば手はもっと縮こまり、同卓する赤木の手はもっと制限される。

 この手はあわよくばツモ。そう考えていた咲だったが、交代して三巡後、対面の憩は元気良く声を上げるとツモ牌を叩き付け、手牌を倒す。

 

「これが洋榎さんとウチの……友情ツモやぁー!」

 

「……ツモのみやけどな」

 

 場がただ回るだけのツモのみ、照がリー棒を出しているので実質的には此方が千点削られたと考えるべきだろうか。

 恭子のベタ降りからして赤木の手は死んだ、そして対面宮永照の何やら不気味なリーチ。場を回すノミ手に考慮はいらなかった。

 

 

 

 その後も膠着状態が続き、大きな動きを見せたのはオーラスの南四局、咲の親番、ドラ表示牌は一萬。

 点数を振り返ってみると、恭子が一番凹んだ7000点。次点で一番削られているのは赤木だが、その点数は20000点。他の面々はリー棒やツモで二、三千点削られているものの、まだまだ安全圏といった所だった。

 手牌を開ける前、咲は自分の肩がトントンと叩かれた事に気付き体を後ろへ向ける。照は右手を咲の耳に当て、相手には絶対に聞こえない声量で呟く。

 

「私にツモらせて」

 

 十文字に満たないその言葉に、咲は舞い上がっていた。

 それはそうだろう、あの宮永照にアシストを求められたのだ。麻雀に於いて和了ると言う行為はその全てと言っても過言では無い、華だ。無論照が目立ちたい、達成感を味わいたい、そんな目的でこんな発言をした訳では無いのは百も承知である。ならば自分は全力でその頼みを聞き入れる。

 

「奴さん、何か企んどるで」

 

「怖いなーぁ」

 

 

 ツモらせて欲しい。簡単に言うがその実難易度はかなり高い。聴牌しても照がツモる前にしこたま和了り牌を引いてしまえば、何をやっているのか分からなくなる。故にリーチも難しい。

 だが咲に限り、和了りを保留しながら照に回すと言う裏ワザ染みた事が可能だった。

 

 開いた手牌、四枚ある二索を確認すると、ただ一つ浮いた字牌の北に手を伸ばす、が。

 

「ッ―――」

 

(……これだ)

 

 咲は北へ伸ばした手を引っ込めると、代わりに拾い上げた一索を右端へと置く。

 一連の動作を見ていた赤木は、内心不味いと思いつつ手を辺張へ寄せていく。あの東西戦でもあった、いや、このルールで戦う時、一人の弱者が居たならばその料理方法は間違いなくそうなってしまう。

 そしてその嘗ての弱者、ひろゆきは今の恭子の心境が痛い程分かった。恐ろしい事に宮永照は高校生でその道を躊躇い無く選んだのだ。

 

 生殺し、原田克美率いる西軍にそう決定されたひろゆきは、トバされる場面で何度もそれを実行されなかった。ひろゆきと言う弱者が、赤木しげるの闘牌の毒となる。事実ひろゆきは義憤に駆られ奮闘するが、強者の前では成す術もない。そして自身の弱さが招いたと言う嫌悪感に苛まれていた。

 

 今も同じだ、宮永照は赤木の怖さを知っている。だから恭子にはもっと赤木の足を引っ張っていて欲しい。

 

「チー!」

 

 やはりか、と。この場は簡単に願望を実現出来る程、甘い場でも無い。憩は赤木から出た四萬を拾い上げ、二三萬と共に場へ晒す。それはそうだ、何か企んでいるなら何もさせずに和了ってしまえば良い。

 憩は恐らく喰いタンのノミ手、そして赤木はチャンタへ向かい、その溢れ牌は憩に拾われる間の悪さ。そうなれば交代どころか後二、三巡で決着は付くかもしれない。

 しかし、当人の咲は対岸の火事と言った様子で落胆を見せる素振りは無い。五六七八と並んだ筒子を見つめ続けた咲は、静かに息を深く吸い込み、ゆっくりと吐き出していく。

 

(自分の読みと、信じた道を――)

 

 咲は五筒を摘み上げると、場へ叩き付ける。

 セオリーで言えば五六七八筒から削っていくのは八筒だ。しかし咲はわざわざ五筒を選び、対面の憩を見据える。

 

「ポンっ!」

 

 待ってましたと言わんばかりに憩は五筒の対子を場へ晒し、咲の五筒を拾い上げる。これで二副露、赤木は一瞬の隙が命取りになると考え、憩を押し上げる方向へ切り替える。出来面子になっていた七八九筒の並びだが、躊躇い無く七筒を切り飛ばす。

 

「チーっ!」

 

 更に駄目押しと六八筒を場へ晒し、七筒を拾う。これで三副露、三索頭の三六萬聴牌。赤木の手には三萬がある、これを憩へ差し込めばこの局は終戦、また次局へと――。

 

(柔軟に……それでいて強く!)

 

「カンッ!」

 

 咲は照へ手渡すバトンとしていた二索の槓子を場へ倒す。嘗ての自分なら、どうしていたのだろうか――。

 

 王牌へ手を伸ばし、掴んだ嶺上牌はやはり北。だが本命は二の矢、本来なら流れるであろう局へ架けた橋、その新ドラ。咲の人差し指によって捲られた牌は四筒、つまりは憩の晒した五筒に丸乗りする形となった。

 

「うっそぉー!」

 

 断ヤオドラ一の手が、断ヤオドラ四へと化けてしまった。これで差し込みと言う選択肢を潰された憩は、自力で三六萬を山から探り当てなければならない。咲としては、後は嶺上開花で和了るのみ、と言うバトンを手渡したかったのだが、そうも言ってられない。そこで何時しか経験した苦い思い出を反芻し、柔軟な対応を見せた。

 晒した二索、六七八筒に、六索の暗刻、七萬の頭、そして重ねた北。裏ドラまでは分からないが、姉ならば此処からこの手を化かす事も可能だろう。

 

(……ありがとう、咲)

 

 渡されたバトンは、確かに受け取った、と。心の中で感謝しながら、最後のツモ番を終えた咲と交代する。

 

 本当に、頼れる妹だ。

 

 

 元々才能はあったが、赤木との邂逅を経て更に強くなっていったのだろう。麻雀にも少し気弱な性格が出る場面はあった、しかし、もうそれは身を潜め一人前の麻雀選手へと変貌している。

 そんな妹から渡されたバトンパス。インハイ王者として、いや、一人の姉として、結果を残さなければ嘘になる。照は座布団に腰を降ろし、赤木の最後のツモを見届けようと目線を移す。

 ふと、そんな照と赤木の視線が合致する。

 

「…………」

 

 珍しく、と言っても麻雀での長考は誰にでもある。頻度は極稀だが無論赤木も長考する場面はあった。が、今回は今までのそれとは何か違うように照は感じた。何切りかを悩んでいる、安牌を探している、そう言った麻雀でのよくある長考とは別、何かその先を見据えているような――。

 

 それからどれ程の時間が経っただろうか、赤木から放たれた三萬によって照は現実へ一気に引き戻される。

 

 

「ッ――」

 

 何より驚いたのは差し込まれた本人荒川憩であった。その三萬、何も冗談ではないだろう。確かに暗槓をした咲の手牌へ裏ドラが乗ってしまえば、とんでもない大事故となる。

 しかしそうなる確率はどれ程薄いのか。先ず照がリーチをかけてツモ和了り、裏ドラで二索を乗せる。リーチ、ツモ、ドラ四、恭子の点数はリーチ棒を残すのみとなる。更に他の手役にドラが絡んでくれば、恭子の点数は跡形も無く消し飛ぶのに留まらず、洋榎は点数を半分に減らしてしまう。

 

 確かに己の能力や経験、センスを生かして読みを決める人間も居るが、この場に於いて裏ドラの絶対的確信など、イカサマ以外では有り得ない。ならば赤木は何となくそうなりそうだから、と言う理由だけでこの三萬を切り出したのか。

 

 

「……本当にええの?」

 

「…………」

 

 もし、裏ドラは一索などではなかったら。

 もし、咲の手は聴牌から程遠いクズ手だったら。

 もし、自分が次のツモで三六萬を引いてきたら。

 

「赤木君は夢想家って言われた事あらへん?」

 

 麻雀打ちにはロマンチストが多いのかもしれない。と言ってもド本命の牌をもし通ったならと考えながら切り出し、もし此処で裏ドラが乗ればと考える。それは取り留めなく、只の溢れ出した願望だ。

 だが、赤木の追及したそれは余りに薄く、残酷な願望であった。

 

 

 

「……やけど、こんな辛い夢想なら、付き合ったげるわ」

 

 ロン、と。憩は手牌を倒し、それを受けた赤木は八千点の点棒を吐き出す。背後で見ていた恭子には余りに理解不能な展開であった。何故わざわざ満貫へと引き上げられた憩の手牌へ差し込みに行ったのか。むしろ満貫になってくれたお陰で出和了りの八千点、ツモっても六千点を相手から引き出す事が出来る。

 

 

 

しかし、恭子の考えたそれこそ、憩の言った辛い夢想の真逆、自身に都合の良い夢想、甘美な展開。

 

 

 

 

 自動卓の中心が口を開き、牌を飲み込み始めたその瞬間、崩れた王牌からある一枚が智葉とネリーの目に入る。ドラ表示牌の根から羽ばたいた孔雀が、その姿を露わにしていた。が、やがて自動卓の中へと飲まれていく。

 その真実は智葉とネリーしか目にしていない。が、その真実一つだけで、赤木の持っている感性を垣間見たのもまた事実だった。

 

 

「さて……間を開けるぜ、ひろ」

 

「え、ええ……そうですね。半荘が終わってキリが良い。十九時半から再開と言う事にしよう」

 

 

 午後六時から始まったその半荘は既に一時間が経過しており、一呼吸を置こうと赤木は腰を上げ部屋を後にする。照もそれに続き対局前に待機していた部屋へ足を踏み出した。それに釣られ面々は部屋を後にしていく。

 こうして一回戦目の半荘は、西軍の手痛い出費のみで幕を下ろした。

 



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幕間

 

 対局が行われていた広間から控え室へと移った照は、テーブルに置かれていた複数の湯呑へ一直線に向かうとその一つを手に取る。マイペースな姉だなと感心半分呆れ半分で座布団へ腰を降ろした咲は、茶葉の量に苦心している姉を横目で見やる。

 備え付けてあったポットからお湯を吐き出させると、茶葉から香り立つ湯気に軽く息を吹きかける。そしてふと、最後に部屋へ入って来た智葉の名前を呼ぶ。

 

「辻垣内さん」

 

「……ん?」

 

 壁際に腰を降ろした智葉は、テーブルの中央に置かれていた和菓子へ同時に手を伸ばし、それを巡って睨めっこをし始めた咲とネリーから照へと視線を移す。

 

「勝つって、どうすれば良いと思う?」

 

「随分と難しい質問だな」

 

「相手の弱点を攻めるのは、勝つことに繋がると思う?」

 

「……なぞなぞか?」

 

「いや」

 

「それは勿論だろう、相手の弱点を攻めるのは勝負の定石だ」

 

「……お姉ちゃん?どうしたの?」

 

「つーまーり、宮永姉は末原を生殺しにするって言ってるんじゃない?宮永妹」

 

 咲から和菓子を勝ち取り、満足そうにそれを頬張ったネリーは甘さを噛み締めながら先程の試合を思い返していた。赤木が犠牲になる事で流れた局ではあったが、そのまま続行していれば恐らく照がツモ和了る。そうなれば恭子の点数は疑いようがなく、瀕死と言える地点まで落ちる。

 点数が満足にある状態であの打牌なのだ、そうなればもう手を進めるどころか足を引っ張り続けるのは明白だろう。

 

「何故かはわからないけど、向こうは末原さんを庇ってる。それもかなり重点的に」

 

「うっわ、毒舌」

 

 本人は意識していないようだが、恭子にだけは聞かせられない台詞だなと苦笑いしながら咲は次の和菓子目掛け手を伸ばす。

 

「だから、私はもっと末原さんに場残りして欲しいと思ってる」

 

「……異論はないな」

 

 辻垣内智葉は考える。先程の半荘、末原恭子はこれでもかと裏目を引き続け自滅していった。恭子を切り捨ててしまえば、赤木が満貫払いなんて愚行を犯さずに済んだだろう、そもそも恭子自身がこの場で闘えるレベルであれば、あんな事にはなっていない。

 そう考えれば非常に打算的で、現実的な話だ。それに智葉は対面の男子に嫌な予感を感じている。宮永照のお墨付きと言う事前情報しかなかった訳だが、実際に相対してみるとその不気味さは際立っていた。先ずネリーが焼き鳥と言う点だ、ネリーのプレイスタイルならばそれもあるかもしれないが、果たして。

 

「ネリーも良いよ」

 

 ネリーヴィルサラーゼは苦心した。自身の長所と短所は理解している。長所、それは機を待てると言う事。短所、機が来なければ手も足も出なくなってしまうと言う事。しかし、ハッキリ言ってしまえばこの短所の方は特に苦労する事が無かった。嘗て相対した者の中で、ネリーに機を引き渡さない者などどれ程居ただろうか。

 所詮は皆一瞬の機の中で輝き、散っていく。そうなれば散った花弁は地に落ちる事なく、再び舞い上がりネリーの頭上を彩り始める。だがどうして、奥歯を噛み締め待てども待てどもその時が来ないのだ。確かにこのルールではツモ和了りがし辛い。圧倒的なツモ連打で相手を木端微塵に吹き飛ばすネリーと照が同卓していれば、仕方の無い話かもしれない。

 だが照は気を遣ってか、あのインハイで嘗て見せたような鬼ツモ和了りを見せていない。ならば自分が行ってやろうと待ってはいるのだが、待ち人は来ず。

 

「私は……お姉ちゃんがそう言うなら……」

 

「ありがとう」

 

 宮永照は決心していた。インハイで先鋒を務める自分には点数調整の余地が無い。ツモ和了りを続けるだけ続けるだけの作業になっていたのかもしれない。実際それで相手に何もさせず飛ばした事だってある。しかしそれを決勝の卓でやれと言われればどうだろうか、流石の照でも困難を極める。何故難しいのか、それは各々がそれぞれの資質を用いて阻止してくるからだ。

 だからこそ、照は決心した。和了るだけではない、知略し、葛藤し、そして強い打牌を打つ為にはその世界へ身を投じなければならないと。目指す場所はチームのプラス収支で先鋒戦を終える事では無い。決勝戦の卓で三人を飛ばせるような圧倒的な強さ。相手の力量を見極め、時にはツモり、時には計略を巡らせ策を討ち取る強かさ。

 果たしてそれを手に入れたのなら、最早そんな宮永照を止められる高校生が存在するのだろうか。

 

 

 

「……だが」

 

「?」

 

「そんな事が起こる確率の方がよっぽど低いが、それでもある。誰にでも飛翔の時は」

 

「…………」

 

「無論、こんな小休憩で何かが変わるとは到底思えない。インハイのインターバルで一皮も二皮も剥け別人と思える程強くなる人間なんて、かつては居なかった」

 

「……末原さんがそうと言いたいの?」

 

「いや、そう言う訳では無い。だがその選択をしたのならば、この事を覚えておくのも悪くは無い」

 

 

 人はどんな瞬間に変わるのだろう。

 

 

 こつこつと練習をしている時、練習の成果を試合で出した時、苦虫を何度も何度も噛み潰すような悔しい思いをした時。

 もしかしたら一瞬の内に急激な変化を見せるのかもしれない。本人も気付かない僅かなレベルで変化を見せているのかもしれない。

 

 インハイで強者と呼ばれる人間は、何も麻雀のルールを覚える前から麻雀が強かった訳では無い。既に持っている彼女達は覚えていないだろうが、必ずどこかに転機はあったのだ。

 例えばそれは――。

 

 

 

 

 

 

 

 そんな話題の渦中にいる恭子は縁側から足を放り出し、月を見上げていた。夏至が過ぎたと言ってもまだまだ夜とは言い難く、その薄い月に月見と言える程の風情はない。落胆している訳でも、現実逃避している訳でも無かった。ただ、月を見上げていた。

 こんなことで現状が打破出来る訳では無いのだが、一度心の整理は必要だろうと一人にして貰っているが、このまま休憩時間が終わればそれはただの現実逃避に化けてしまう。

 

 

「…………ウチって、何が得意なんやろ」

 

 

 自問自答。

 

「宮永照も裸足で逃げ出す圧倒的な打点!……ちゃうな」

 

「天江衣も泣いて謝る圧倒的な場の支配力!……そうやこれこれ……って……んな訳ないやないかーい」

 

 自問自答。

 

「結局……何がしたいんやろ……」

 

 恭子は上半身を支えていた両手を解放すると、背中を廊下へ押し付けその心地良い冷たさに心を奪われていた。

 

 

「……善野監督」

 

 

 

 

 

 麻雀のプレイスタイルを細分化するならば、途方も無い数の枝分かれが起きるだろう。しかし、それを二つに分けると言われれば、存外簡単に分けられてしまう。

 手役重視か、鳴き重視か。極端に言ってしまえば各々のプレイスタイルの発端はこの二つのどちらかから派生している。ならば、末原恭子はどちらに分類されるか。

 

「……鳴き重視」

 

 鳴き重視と言っても、そこから先はまだまだ枝分かれが続く。鳴いて軽めの手を作っていく速攻型か、要所で鳴きを混ぜながら打点に絡めていくバランス型か、将又場を翻弄する為に鳴きを入れる変則型か。極端に言えば咲の戦法も鳴き重視と言える。

 

「速攻型……」

 

 速効型のメリットは何だろうか。

 麻雀でよく言われる例えがある、喰いタンのみで和了るか役満を聴牌するだけのどちらが良いか、答えは喰いタンで和了る事だ。和了れぬ万点より和了れる千点。他家が全員手役重視の打ち手ならば、和了る事なく終局もあり得る。

 ではデメリットは。

 打点に絡み辛い、降りる時に安牌が少なくなる。色々あるが、恭子はこの時、ふと何時もなら考えない方向へ思考がワープした。

 

「……こわない」

 

 ただ和了る事だけを考えた鳴き重視の速攻型には、怖さが無い。何故なら晒した事により自分の手は何点の手かを皆に宣言し、更に手の内を明かしているようなものだからだ。二三四の並びを三つ晒したとしよう。ドラを考慮しないのであれば、逆立ちしてもその手は満貫にならない。

 

「相性悪いねんな……早和了りしても……満貫以下はカウントせえへんし……」

 

 恭子は満貫を切り捨てるこのルールに相性が悪いと感じたが、直ぐに考えを取り消した。団体戦の大将戦は、そこで試合が決まる大一番だ。最下位の場合はどうしても打点が必要になる事はある。親ならば良いかもしれないが、親がない状況で早和了りをする意味は逆に相手を助ける事になる。

 

 

「点数は均衡……親が無い……第一打の中をポン……」

 

 

 相手からはどう見えているのだろうか。

 対面が中を一鳴き。先ずは白と發の行方を探す、三枚見えたらもう怖く無い、良くて鳴き混一。その時点でプレッシャーは霧散し相手を自由にさせてしまう。

 

「あー……もう……分からん」

 

 鳴くと言う行為は、不利なのだろうか。

 

「せやろ……点も下がるし……相手に手牌を二枚も三枚も見せるんやし……」

 

 あれ程薄かった月は既に幻想的な輝きを放ち、恭子を照らしている。

 

「相手の牌が見れたら嬉しいんかいな……」

 

 では逆に、麻雀に於いて手牌を相手に見せる事が有利になる場面は存在するのだろうか。

 

「……まあ、場合によっては」

 

 恭子の目には、月の光が何時も以上に輝いて見えていた。

 

「鳴くのって……奥が深いんやなあ……」

 

 ふと、上半身を起こした恭子は両手で作った握り拳を太腿の上に乗せると、一度月から目線を落とす。

 

「鳴きは自分を有利にする……ある意味でそれは間違いないねん、他人の牌を使って欲しいモン貰うんやから」

 

 もしかすれば、見方を変えれば全く同じ行動でも本質が変わって来るのではないか。

 

「自分を不利にする……?いやちゃう……同じ見方かも知れへんけど、鳴きは自分が不利になるんやなくて、相手が有利になるんや」

 

 鳴きは誰かが不利になる訳では無い、鳴いた本人と他家、両名が有利になる。それは同じように見えて、全く別のモノ。

 

「やったら……超速攻……」

 

 例えば自分が速攻を仕掛けよう、そうなると他家はどう思うか。

 

「普通に考えたら、皆満貫手を作りにいっとる。速攻は嫌な筈や」

 

 そして自身の手と相談するだろう、鳴いて安目を目指すか、どっしりと構えて速攻に一撃をブチ当てるか。

 場の支配、なんて言葉があると思った事がある。妬み羨み、無い物強請り。良いものだ、彼女らはただその場に座っているだけで場が思い通りになる。しかし自分にそれは無い、そんな事はとうの昔に理解している。

 

 

 だからこそ自分は腕を磨いたものだ。

 

 

 だからこそ、剛腕で場を支配するのだ。

 

 

 しかし只の超速攻を決めた所で、怯むような面子ではない。その超速攻の陰に、相手の心臓を穿つ刃が必要なのだ。

 

「その為には……チャンスを待つんか……」

 

 奇しくも、それは赤木や照が至った結論と全く同じモノであった。

 機を待つ、恭子はその本質に触れられた気がした。 

 

 

「善野監督から受け継いで、赤阪監督が買ってくれたウチの速攻……」

 

 それだけでは勝てない、だからそれを更に上のステージへと昇華させる。口で言うのは容易いが、行うは難し。

 恭子は再び月を見上げると、両手を突き腰を上げる。本当に色々あったが、どうやらここが己の分水嶺らしい。

 なにも付け焼刃で速攻を使う訳ではない、それは末原恭子の持ち味であり、唯一誇れる自分の長所だ。

 

「…………見とって下さいね、善野監督」

 

 

 

 

 

 

 案外、人が変わるのはこんな何でもない幕間の瞬間なのかもしれない。

 

 

 



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