ヘロヘロの残滓が遺したのは《完結》 (メロンアイス)
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プロローグ

 体感型。

 専用の器具を利用して、虚構を現実に錯覚させる娯楽品。

 自宅にいながら地球の反対側の観光地を堪能したり、トッププロレベルの身体能力でスポーツをしたりすることもできる素晴らしい人類の発明。

 特にD M M O R P Gのようなファンタジーを現実に落とし込んだ体感型は老若男女問わず人々を夢中にさせていた。

 

 かくいう僕もユグドラシルというゲームで廃人と言われる程度にはやりこんでいた。上位ギルドの初期メンバーだったのは密かな自慢だ。

 だから体感型を使った治療を行うと言われたときは驚いたものの、ヴァーチャル・リアリティという技術自体がそもそも精神的に不安定な患者の気持ちを和らげるセラピー・ツールとしての利用を提唱されていたらしい。

 それを聞いたとき、すんなり理解した。だって、僕がいたギルドでMMO自体を引退したメンバーのほとんどはリアルが充足しているのが傍目にも分かるような人達ばかりだったから。そしてゲームにのめり込むのは暗い情熱を宿した人ばかりだったから。

 僕も強制的に入院をさせられなければ間違いなく、最終日の今日までユグドラシルにしがみついていたはずだ。

 

―――目の前のギルド長のように。

 

 ナザリック大地下墳墓、その奥深く。ギルメン以外のプレイヤーが誰も到達できなかった円卓に佇むオーバーロード。

 異形種のみで構成された社会人ギルド『アインズ・ウール・ゴウン』のギルドマスターのモモンガさん。

 悪役ロールをしていて、攻略wikiにPK方法を書かれるぐらい嫌われているけど41人の誰よりも優しく常識人だった彼。

 あの無茶苦茶濃い面子が集まったギルドが空中分解ではなく自然消滅に落ち着いたのは間違いなく彼の功績だろう。

 ギルド長がいなければ最終日にかつてのメンバーの一部と会うことすら叶わなかったはずだ。

 

 それを分かっているからこそ、僕は他愛もない作り話を最後にすることにした。

 ユグドラシルを捨てることができないぐらいに追い詰められたリアルを生きているギルド長にこれ以上心理的負荷をかけたくなかったから。

 転職なんてしていないし、きっと再就職は無理だろう。

 ある意味デスマーチだ。僕はあとどれくらい生きられるのだろう。

 体はボロボロなんてもんじゃない。現実では満足に体すら動かせない。踊るように体を動かす感覚なんてもはや仮想現実でしか味わえない。

 けれども楽しかった。この時間が永遠に続けばいいと思うぐらいには楽しかった。身体を壊す決定的な原因になった会社の愚痴すらも話のタネになって嬉しかった。

 しかし、もうそんな時間も終わり。DMMORPGを病室で特別にプレイする許可を貰ったものの、使えるのは消灯時間までである。

 出来れば終わるその瞬間までユグドラシルにいたかったがこうして最終日にログイン出来ただけでもよしとしよう。

 眠いという当たり障りのないログアウト理由を述べて別れの挨拶をする。

 

「……今までありがとうございました、モモンガさん。このゲームをこれだけ楽しめたのは貴方がギルド長だったからだと思います」

 

 これは本当に心から思っている。目の前で大げさなジェスチャーをして否定する彼のようなムードメーカーがいたからアインズ・ウール・ゴウンというギルドは素晴らしい場所だったのだ。

 願わくば、貴方のリアルが救われんことを。決して本人には言えないけれども、そう思わずにはいられなかった。

 僕の勝手な思い込みかもしれないけど、ログアウトする直前のオーバーロードはとても悲しそうだったから。

 

 白い壁に囲まれたリアルに戻ったというのに僕は先ほどのギルド長が脳裏にこびりつき、まるでそれを振り払うかのように首をふった。

 これで終わり。僕が生きたユグドラシルは終わりなのだ。

 僕は体をいじくり回してただ生きてるだけのリアルと向き合わなければならないし、ギルド長も苦しいリアルを迎えなければならないのだ。

 人は空想の世界では生きられない。それは子供でも分かる当たり前のことなのに……。

 

 僕は回想する。アインズ・ウール・ゴウンにいたかつての日々を。

 僕は空想する。ユグドラシルが終わらなかったパラレルワールドを。

 僕は妄想する。エルダー・ブラック・ウーズとして異世界を生きる自分を。

 かつての仲間を中二病と笑っていたが僕の方がよっぽど重症だ。あまりにも馬鹿馬鹿しい夢を本気で願っている。救えないにも程がある。

 グルグルと、そんな非生産的なことをいつまでも考えて気づけば日付は変わっていた。

 この時間ならユグドラシルのサーバーも停止だ。……なんて呆気ない。

 

 あれほど流行ったゲームですらこれだ。なら僕は?

 僕は遠くない未来死ぬ。明日か。一ヶ月後か。一年後か。分からないけれどもそう遠くない未来、この病室で一人で死ぬ。

 何も為せないまま誰にも気にも留められず死んだ次の日には忘れ去られるような人生で終わる。それがどうしようもなく悲しくて空しくてたまらない。

 

「嫌だ、死にたくない。このまま死にたくないッ!」

 

 死にたくない、死にたくないとうわ言のように僕は繰り返す。

 懇願じみた嘆きをみっともなく涙を流し、鼻水を垂らしながら繰り返す。最後の方にはもはや言葉にもならない叫びになっている。

 そうして喉も涙も枯らし、心が死人のようになり、防衛機制が働いてようやく眠りにつくのだ。

 嫌な現実から逃げるようにして。

 

 そして夢見る間もなくすぐに朝がやってくる。まぶたを閉じていても光に照らされる感覚ですぐ分かる。

 ただ、いつもと違ってなんだか光が暖かいような気がする。新しい人工灯だろうか?

 それに地面が固くて、顔の辺りがガサガサする。まるで地面に寝ているようだ。

 そして。

 目を醒ませば。

 筆舌に尽くし難い美しい異世界が眼前に広がっていた。

 

「…………へ?」




原案はコメディでした


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第一話

 ヘッケラン・ターマイトがカトーに出会ったのは今から一年と少し前。

 彼自身がリーダーを勤めるワーカーチーム『フォーサイト』がミスリル級冒険者に匹敵すると噂になり始めたときのことだ。

 

 ヘッケラン達は四人全員でワーカーの仕事にしてはまっとうな、秘境での採取依頼で遂行中であった。ただ、あくまでワーカーの仕事にしてはであり、冒険者組合には間違いなく拒否される後ろ暗い内容ではある。

 

 どうして冒険者の実力で言えばミスリル級に値する彼らが世間からドロップアウトしたならず者の掃き溜めと認知されているワーカーに身をやつしてるかといえば、金銭のため。

 

 ヘッケランもイミーナもロバーデイクもアルシェも。フォーサイトの面々は目的が違えど多額の金銭を求めていた。

 ミスリル級の冒険者とミスリル級のワーカーでは後者の方がはるかに稼げるのだ。

 

 最もそんなシビアな利害関係で成立していたのは最初だけで、今は切迫した状況にいる妹分の力になってやろうと一致団結するぐらいの絆を深めたチームである。いや、そんな彼らだからこそワーカーの中でも一段飛び抜けたチームになれたのかもしれない。

 

 なので、ようやく見つけた秘境の奥地にある群生地付近で大切な妹分アルシェ・イーブ・リイル・フルトが第三位階のスペルキャスターに相応する魔力を探知したと述べたとき、警戒を最大限していた。

 後から思えばそれは全く杞憂であったのだが、変わった服装をしている衰弱した黒髪黒目の異国の人間を発見したときは第三位階のスペルキャスターがこのような事態になる異常事態と戦慄していたのである。

 彼を見捨てて撤退という意見もあったが薄水色の南方のユカタという服に似た薄着以外何も持っていない軽装でどうしてこんな秘境にいるのかがあまりにも不可解であったため、知るために介抱という選択をした。

 

 それはフォーサイトというチーム最大の分岐点となる。

 

 容態が安定したカトーと名乗った彼は礼を言うとここが何処だか教えて欲しいと訪ねてきた。どうやら何も知らずにここに迷い混んだらしい。

 イミーナが「アゼルリシア山脈の山中よ。帝国よりは評議国に近いかしら?」と、禁制品の群生地であることをぼかして答えると反応が悪い。

 何を言っているのか分からない、そんな反応だった。

 

 記憶喪失か、と思い様々な質問をすると驚くべきことに魔法という技術がなく、モンスターが全くいないニホンという国から何らかの事故で転移して来た人間らしいということが分かった。

 本人も「まさか、本当にトリップするなんて……」と想定外の事態に混乱している様子であった。

 

 ただ、魔法の知識は『ユグドラシル』という場所で聞いたことがあったらしく、アルシェから第三位階を使えるスペルキャスター並の魔力を備えていると聞かされると「僕にも《フライ/飛行》や《ディメンジョナル・ムーブ/次元の移動》が使えるのか!?」と非常に食いついていた。

 

 魔法の知識が十分にあり、一流の才能もあるのに魔法使いではないというのは奇妙であったが「君たちは全員第十位階魔法は使えるのか?」などと真面目な顔をして言うのだから少なくともカトーは本当に魔法とは縁のない生活をしていたのだろうと一同は納得した。

 

 帝国最高の魔法使いフールーダ・パラダインが扱う魔法ですら第六位階が限度なのだからその辺の冒険者の誰もが第十位階魔法の使い手なんてどんな魔境だというのだ、という反応をするとカトーはなんとも言えない顔をした。

 無知を晒したのが恥ずかしかったのかもしれないな、とヘッケランはナンパで間違った知識をドヤ顔で披露して嘲笑された過去の自分に重ねた。

 

 お互いの状況をある程度把握して一段落した所ででカトーは「一つ、僕に雇われないか?」といった。

 だが、フォーサイトは当然いい顔をしない。無害であるのは分かったがお荷物を抱えてこの山脈を下りるのは不可能ではないが並大抵の苦労ではないのを分かっているから。更に身一つで迷い混んだ何処の大陸にあるかも分からない異邦人からの報酬は期待できない、というのも大きかった。

 冷たいが彼らはワーカーを伊達や酔狂でやってる訳ではないのだ。

 

 すまないが、とヘッケランが代表して断ろうとしたとき、カトーは胸元から非常に精工なとんでもない価値を秘めているのが素人目にも分かる金貨を取り出した。

 あり得ない。確かに彼は何も持っていなかった。介抱をするときにあんな金貨は、なかったはずだ。何処から出したんだ。

 そんなヘッケランにカトーは「報酬はこの金貨と君の疑問に答えることだ」とにこやかに笑って答えた。

 それですまないが、なんだって?と続けてカトーは言う。

 

「すまないが、この依頼受けてもいいよな皆!」

 

 異国の未知の技術に美術品のような金貨が報酬。

 仲間から反対の意見が出るはずなんてなかった。

 フォーサイトとカトーのファーストコンタクトはこのようにして終えたのだ。

 

 この後、彼らは物語にすると小説一冊ぐらいになるちょっとした絆を深めることになった事件に巻き込まれつつも、無事にバハルス帝国の帝都アーウィンタールにあるフォーサイトの拠点である歌う林檎亭につく。

 

 酒場兼宿屋であるそこでヘッケランお気に入りの旨い飯に舌つづみながらカトーは約束通り、金貨を渡して、ヘッケランの疑問に答えとして一つの袋を見せた。

 

 名を〈無限の 背負い袋/インフィニティ・ハヴァザック〉というそれは500キロまで物を収納できる規格外の便利アイテム。

 魔法もないのにそんな技術を確立してるなんて、とアルシェは呻く。これほどのものを――恐らくそれなりに高価ではあるだろうが――無造作に持つぐらいに普及してるなら、成る程魔法使いなどいないわけだと半信半疑だったカトーの身の上を完全に信じた。

 

 カトーがフォーサイトの面々に申し訳なさそうに笑うのを見て人格者のロバーデイクは「気にすることないですよ」と返す。

 あの場で種明かしをしてしまえば、殺してでも奪われておかしくはなかった。それほどに魅力あるものだったから。

 

ヘッケランは思う。彼が欲しい、と。

 彼の持つ〈無限の 背負い袋/インフィニティ・ハヴァザック〉や道中のアルシェの簡単な教えで《フライ/飛行》を覚えた天才的魔法センスも魅力的だが、詐欺紛いの揉め事の際に発揮された非常に洗練された対人交渉術は常々ヘッケランが求めてやまなかったものだったからだ。

 

 ワーカーはルールに縛られない自由な職だ。だからこそ冒険者組合のように仕事を与えてくれる場所はなく、自分達で売りこまなければならない。

 商人の四男で貴族から貧民街まで幅広いコネを持つヘッケランが騙し騙し仕事を持ってきていたがいい加減限界だ。そもそも交渉術に優れていたら家業を今もしていただろう。

 

 だからヘッケランは「よかったら、フォーサイトに入らないか。行くところないんだろ?」と何気なくいった。三人は一瞬驚いたものの、すぐにカトーなら歓迎すると嬉しそうな賛同をする。だがカトーをみるとすぐにその歓喜を凍らせた。

 カトーは今まで見せたこともなかった泣いてるのか後悔してるのか色々な苦しみをない交ぜた表情を見せたのだ。

 

 ヘッケランは慌てて「そんなに嫌だったらいいんだぞ!?」と返すがカトーは「そうじゃない、そうじゃないんだ。……ただ、懐かしかったんだ」と寂しげな顔を右手の中指につけた深紅の宝石の指輪に向けたきり黙りこんだ。

 

 思えばカトーのいた場所については聞いたがカトーが過去、何をしていたかというのは全く聞かされていなかったことにフォーサイトの面々は今更気づく。きっと、あまりいい思い出ではないから喋らなかったのだというのも察した。

 

 まるで通夜のような雰囲気になったことに気付いたカトーがハッとして「すまない。前の仲間を思い出してさ。こんな僕でよかったら喜んで仲間に入れてくれるかな?」といった。

 カトーを加えた新生フォーサイトは新たな仲間を迎え入れ、日が変わるまで騒いだ。彼の苦しみを忘れさせるように。

 

 カトーはフォーサイトに入ったものの、モンスター退治といった荒事に参加はしなかった。

 というのも、彼は補助魔法に特化しているようで《フライ/飛行》は出来ても《ライトニング/電撃》のような攻撃魔法はまるで覚えられない。なんと、基本的な攻撃魔法である《マジック・アロー/魔法の矢》まで使えなかったのだ。

 

 決定的だったのは怪我をした際にアルシェの《ライト・ヒーリング/軽傷治癒》が効かなかったことだ。このことから、カトーにはあらゆる回復手段が効かないタレント持ちでは、という可能性が浮上した。

 カトーも「チートのバグはメリットばかりじゃないか」と納得しており、心当たりがあるようだった。

 

 いくら第三位階の使い手でも自衛手段も回復手段もない者をパートナーには出来ない。しかし、カトーは残念がることなく「僕はサポート要員として頑張るよ。体力もないしね」というカトーにヘッケランはただ頭を下げた。

 

 しかし、そのサポートが凄まじかった。ブラックキギョーなるもので鍛えた彼の交渉術と事務処理能力は素晴らしく、数組ワーカーを集い円滑に依頼を行う仕組みを考案すると、瞬く間に巨大化したのだ。

 

 そうなると、フォーサイトの面々も依頼ではなくカトーの築き上げたシステムの運営を切り盛りするようになった。

 ヘッケランとイミーナは各商会に人材を派遣する業務を担当し、アルシェとロバーデイクは魔法使いや神官への依頼を師であるフールーダ・パラダインの全面協力の元、簡単に行えるネットワークを構築した。

 フールーダが関わり帝国公認の一大事業となったおかげで帝国と王国の間で行われる人材斡旋業にまで成長し、冒険者組合と対等な提携をするぐらいには大成功を収めていた。

 

 その過程でアルシェの家庭問題も円満解決したのだから、カトーに戦闘能力がなくてよかった、とアルシェの妹であるクーデリカとウレイリカは受付のマスコットとして元気にしているのを見ながらロバーデイクは感じた。

 

 全ては順調だったのだ。

 二週間前、カトーがフォーサイトを抜けるというまでは。

 理由は「もう僕がここにいる理由はないから」だとのことだった。

 全員がそんなことはないと反論した。しかし、彼はいいんだ、というだけ。

 

 だからアルシェは賭けにでた。大事な話があると。カトーはそんなアルシェに根負けした様子を見せ、「明日、新月の夜に話そう」といった。

 

 そうして、新月の晩。

 アルシェは逆プロポーズまでしてカトー必死にひき止めようとした。

 彼女が恥も外聞もなく押し隠した恋心を吐露した結果、「……君が僕のことを好きだというのなら本当のことを言おうと思う」といって滔々と語りだした。

 

 あらゆる回復手段が効かない男は手の施しようのない死病に犯されていたのだと。

 

 アルシェは震える声で「いつから……?」といった。カトーは穏やかな声で「最初からだ」といった。

 カトーは秘境に迷いこんで衰弱したのではない。病に伏していたから衰弱していたのだと。でも、信じたくなかった。

 

「この一年、ずっと元気だったじゃない! 魔法だってあんなに使ってた! 私を諦めさせるための嘘なんでしょう!?」

 

 アルシェの言葉に「嘘だったらよかったのにな」といってカトーは自分がもう助からないということを肯定する台詞を再び言う。

 

 「僕は恐らく、魔法に適応できるように――」

 

 彼女は聞きたくなかった。

 

「――バグ――――が――――――だと、」

 

 彼女はカトーの言葉の意味が理解できないし理解したくなかった。

 幼子のようにいやいやいや!と泣き叫ぶアルシェ。彼女は狂いかけていた。

 だからカトーは言いたくなかった。大切な妹分。可愛いアルシェ。君のことはこの異世界で一番気にかけていたから。

 

 だからカトーは誰にも話さなかった真のタレントを今から使う。

 新月の夜限定に発動する世界の十指の指に入るそのタレントの効果は――――

 

「……《コントロール・アムネジア/記憶操作》」

 

 かつてユグドラシルでエルダー・ブラック・ウーズと呼ばれた化け物になること。

 その副産物で攻撃魔法を普段は使えない、あらゆる回復手段が効かないというデメリットがあるものの、相手の記憶を思い通りにする第十位階という神話の域の魔法すら扱うことができる化け物になる代償としてはあまりにも安すぎて。

 死にかけの、好きな女の記憶を消してしまうような男が持つにはあまりにも重すぎる力だった。

 

 そうして今。

 カトーはフォーサイト最後の仕事をしにエ・ランテルの冒険者組合にやってきていた。

 フォーサイトの業務を完全に引き継ぎを終えた挨拶を組合長であるプルトン・アインザックにしにきていたのだ。

 最後に「ヘッケランをよろしくお願い致します」といって部屋を退出する。

 これから何処にいこうかと考えながら建物からも出ようとすると受付で何やら揉めているのが目についた。

 どうやら銅になったばかりの新人が簡単な依頼しか受けられなくて不満らしい。

 取るに足りないどうでもいいことであったがカトーの足は自然にそちらへ向かう。

 もうフォーサイトではない。だがまだフォーサイトでいたいという未練が勝手に口を動かし、彼に話しかけた。

 

「なら、難しい依頼を受けますか?」

 

 漆黒の鎧をした冒険者、モモン。

 それがヘロヘロであった彼を知るかつての仲間だとも知らずに。

 




ヘロヘロ「ヘッケランをよろしく!」をやりたかっただけの長い前フリ


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第二話

 気紛れに話しかけた漆黒の全身鎧の冒険者は僕の方を向くなり、まるで《タイム・ストップ/時間停止》にでもかけられたかのように動かない。

 ユグドラシルだったら「おいおい、時間停止対策は基本だぞ?」みたいな軽口の一つでも言えるのだがこのユグドラシルに似て非なる異世界ではまずこのジョークを分かってくれる相手がいないのがもどかしい。

 

 とりあえず、このままでは埒が明かないのでリアクションを促すために「あの…」といいかけたとき、漆黒の鎧の冒険者の影から突如メイドが現れ、こちらに接近してきた。あっという間に間合いを完全に詰められるとそのまま組伏せられ、手刀を首に突きつけられる。

 彼女はその状態で僕に熱を感じさせない声音でそっと、こう耳打ちした。

 

下等生物(アリンコ)ごときがモモンさーんの発言を催促するんじゃありません」

 

 反論したらどうなるか分かっているよな、と言いたげだった。というか今この状態ですら彼女が殺すのを抑えているのだろう。尋常ではない殺意が向けられているのを肌で感じる。

 

「は、はい。すみません」

 

 決して命が惜しいわけではないが、中々個性豊かな性格をしているのと、僕が知っているミスリル級の実力者の面々をはるかに超えるであろう人外じみた身体能力をした彼女が組合で暴れたら大変なことになるのは簡単に予測できたので、僕は刺激させないようただただ彼女を見つめてコクコクと肯定した。

 

(すごい美人なのにおっかないな。この世界はそんな美女しかいないのか)

 

 フォーサイトのアルシェやかつて一緒にある事件を奔走した蒼い薔薇の呪われた魔剣の持ち主を思い出す。多分、おっかない女性の例として出したことを本人たちが知ったら殺されるだろうが今は置いといて。

 彼女たちもべらぼうに美しい女性であった。しかし、何というか目の前の黒髪ポニーテール毒舌メイドはまた別種の美しさがあった。

 そう、例えるなら初めからそうあるかのように創造されたような完成された美しさ。この世界で生きている彼女には失礼な感想かもしれないが僕がAIを担当したユグドラシルのNPCが現実にいたらこんな感じだったのだろうな、と身動きの取れないままの僕はちょっと現実逃避をしていた。

 

 ざわめく周囲で一番早く正気にかえったのは石像となっていたモモンさんで「すぐに離すんだナーベ!」と怒鳴る。

 キリリとしたクールなメイドのナーベさんは一転して顔を青ざめあわわとして僕をさっと離す。

 

「も、申し訳ありません!」

 

 ひたすら全身鎧に平謝りしている。彼によほど頭が上がらないのだろう。

 全身鎧の冒険者モモンさんはそんな彼女に「何、次から気を付ければいい」とフォローし励ますとこちらに軽く会釈して一言。

 

「連れが申し訳ない」

 

 謝り方にしては随分尊大であったが猪突猛進で浮き沈みの激しい従者の手前、それが精一杯なのだろう。後ろで僕に謝ってる姿をみただけでこの世の終わりみたいな顔をしているのだ。地面に頭を擦り付けるぐらいの勢いの謝罪をモモンさんがしたら自責の念で自害しそうである。

 すかさず、僕もフォローする。営業で相手に不快な思いをさせたままなんて社会人失格だ。

 

「いえ。気にしてませんよ。それにしても、いい従者をお持ちのようだ。少なくともヘッケランのやつでは相手になりませんね」

 

 僕が言外にメイドの実力をミスリル級以上だと告げたことで周りが再びざわめく。

 そしてモモンさんはこの明け透けたおべっかに対し「私の自慢の仲間ですから当然です」と有無を言わせない断定で返した。

 

「モモンさーん……!」

 

 メイドさんは感涙していた。周りはモモンの発言で殺気だっていたが全く二人は気にしていない。

 大した胆力をしている。もしかしたら、名を隠しているどこかの大物なのかもしれない。

 

「いやはや、参ったな。貴方たち二人なら竜退治の依頼もいいかもしれませんね」

「銅の我々でもそんな依頼を受けられるものなのですか?」

 

 意外そうにモモンさんが問う。最下位の竜種ですらオリハルコン級が複数チームを組んだりアダマンタイト級冒険者が相対しても決死を覚悟する相手である。

 銅なんかには冒険者組合は絶対受理させないし、蒼の薔薇ですら多大な人災が予測されなければすすんで依頼を受けようとはしないだろう。

 

 だというのに、もう竜退治に彼は乗り気である。

 メイドですらあれなのだ。背中に背負った二本のグレートソードは決して伊達ではないということか。

 

「ワーカーに貴賤はありませんから」

「ワーカー? 冒険者ではなくて?」

「ああ! 組合で話しかけられたらそう思いますよね!」

 

 僕としたことがうっかりしていた。組合で聞けば銅の冒険者でも難しい依頼を受けられる裏技があるように聞こえるに決まっている。

 

「大変申し訳ありません。僕はワーカー人材斡旋『フォーサイト』のカトーと言います」

 

 握手をするために右手を差し出す。しかし、一向に返しが来ない。先のやり取りからそういう態度の人とは思わなかったので不思議に思い、モモンさんを見る。

 彼は僕の右手を凝視していた。どうやら指輪が気になって固まっていたらしい。この指輪に見覚えがある人間なんて絶対いないはずなのだが。

 

「この指輪が、どうしました?」

「っ……いえ、見事な指輪だな、と思いまして。大切なものなんですか?」

 

 なるほど。彼はコレクター気質なのだろう。

 この世界ではユグドラシルでゴミ扱いされるアイテムですら非常に高い価値を持つ。

 例え、この世界では全く効果を為さない無駄なアイテムですら美術品としての価値で相当の財になるのだ。

 

 現にユグドラシル金貨は馬鹿みたいな取引額になった。

 だから、見事な装飾の指輪を見て一目惚れし、譲ってくれといった商人は過去に何人もいた。

 

「ええ。大切なものです。遠い場所にいる仲間との唯一の繋がりですから」

 

 僕はそのとき、決まって絶対に譲らない意志を今みたいに告げてきた。

 

「お、おお……っ! ……そうでしたか。不躾な質問をして申し訳ない」

 

 モモンさんは大袈裟にリアクションした後に無感情な台詞を付け足した。ナーベさんも口を抑え、プルプルと顔を俯かせた。

 どうやら、ちょっと勘違いさせてしまったようだ。

 

「別に死んだとかじゃなくて、ちゃんと生きてはいるんですよ? 単に会うのがちょっと難しいというだけで」

「ああ、いえ! ……私達が冒険者になった目的の一つに何処にいるのかも分からないかつての仲間を探すというのがありましてね」

 

 そういって青ざめた顔で口を抑える彼女を抱き寄せるモモン。

 

「……私達にも少し思うところがあったのですよ」

「なるほど。そうでしたか」

 

 これ以上は追求しない。冒険者の過去の詮索は何よりも御法度だから。

 ナーベさんが慌てて「ア、モモンさーん!!?」といって顔を赤くしている様子をみて、これ以上聞いたら吐きそうなくらい熱い二人の惚気になりそうだと思ったからでは断じてない。

 絶対過去の話なんか聞いてやらないぞ、畜生。

 

「それで、依頼を受けるなら込み入った話をしたいので場所を移してもいいですか?」

 

 しんみりとした空気をぶったぎり仕事の話をする。

 いい加減、組合でワーカーの仕事の話は不味いだろう。これでさえ、グレーなのに。

 

「構いませんよ。私も同じことを思っていました」

 

 モモンさんの賛同も得て、そのまま僕らは組合を後にしたのだが、あろうことか黄金の輝き亭のスイートルームを商談の場所で借りるなんて思わなかった。

 

 一泊が僕の給料一ヶ月分より高いというのにモモンさんはそんな法外な値段に気にした様子もなく、更にチップを重ねて「大事な話をするので誰も近づけないでほしい」といった。

 ナーベさんにも部屋の外で見張りを頼む徹底ぶりだ。

 

「頼んだぞ、ナーベ!」

「分かりました! モモンさーん!」

 

 そんな戦場に行く前の様子の二人に若干ついていけない。確かに竜退治依頼するかも、といったが初依頼でそんなものは流石に僕も渡せない。

 危険な依頼を受けたからといって、すぐに大金が貰えないことを暗に告げると「お金には別に困ってませんから」と返された。

 過去は詮索しない、といったが正直滅茶苦茶気になる。

 

「さて、では大事な、大事な話をしましょう。……長い話になるでしょうしね」

「ま、お互いまだ会ったばかりですから仕方ありませんよ」

「……私は初めましてじゃありませんよ。もちろん、貴方もです」

 

 確信めいたモモンさんの台詞にあいにく覚えがない。漆黒の全身鎧とメイドなんて組み合わせは一度でも見かけたら忘れないと思う。

 

「何処かでお会いしましたっけ? すいません。記憶には自信があったのですがどうも出てこなくて……」

「気付かないのは無理もありません。私も本当に会えるとは夢にも思いませんでしたから」

 

 そういって、彼は右腕の籠手となっていた魔法を解除して鎧の中身の一部を露出した。

 出てきたのは白骨した右手。

 僕は先ほどのモモンさんのように右手を凝視して硬直した。

 白骨した指を見てではない、それに填められた真紅の宝石の指輪に釘付けになったのだ。

 それは見間違えようのない僕が所属したギルドのメンバーしか持っていない証。僕の持つ指輪と全く同じ由来のアイテム。

 まさか、まさかまさかまさかそんなまさか!?

 

「リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウン……!?」

 

 ……僕の目は曇っていたらしい。ここまでヒントを出されなきゃ彼が誰だか分からなかっただなんて!

 

「偽名がモモンだなんて。相変わらずネーミングセンスが安直ですね。……ギルド長!」

「感動の異世界での再会一言目がその台詞もないんじゃないですか、ヘロヘロさん?」

 

 ああ。確かに今夜は長くなる。

 自分の死期が差し迫った最期の最期でこんな奇跡が起こるなんて僕はなんて幸せなのだろう。

 ありがとう。神様。

 あのリアルで現実を憎悪して生きていた僕は柄にもなく、神様に感謝した。




逆算して後、五話で完結予定。


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第三話

 ナザリック地下十層、大広間。

 玉座の間の手前にある最終防衛ラインは正にその名に相応しい戦力が集結していた。

 希少金属を素材にした強力な六七のゴーレム。

 守護者統括に五人の階層守護者というレベル100NPCと第一から第八階層の配下たち。

 同じくレベル100の執事に連れられたプレアデスと使用人たち。

 見渡す限りに蠢く異形種モンスターの群れ。

 しかし、神話の一幕にでも登場しそうな錚々たる百鬼夜行は防衛のためにここにいる訳ではない。

 

「すまない。待たせたな、お前たち」

 

 扉の向こうから現れた偉大なる死の支配者アインズ・ウール・ゴウンが訪れるのをただ待っていたのだ。

 待たされたことに文句を言うはずのない心酔したシモベたちに形式上の謝罪をすると、矢継ぎ早に本題を口にした。

 

「さて。諸君らを急遽集めた理由だが、悠長な前置きは止めて結論から言おう。───ヘロヘロさんがナザリックに帰還する」

 

 衝撃的な言葉に驚き、動揺が集団に瞬く間に伝播するがアインズの「静かにせよ」という一言ですぐに静寂を取り戻す。

 

「ただまあ、お前たちが驚くのは無理もない。私もこの転移はナザリックのみで起きた事象だとばかり思っていたのだからな。しかし、こうなると原因不明の転移はギルド全体を対象にしたものかもしれん」

 

 配下への気遣いを述べた後に彼が思わず付け足した一文はシモベたちに希望を見出だせた。

 ナザリック一の叡智を持つ守護者は瞬時に導きだした答えが間違っていないか感極まるように声を震わせながら訊ねようとする。

 

「そ、それはつまり」

「うむ。他のメンバーもこの世界に飛ばされている可能性が非常に高い」

 

 歓声が爆発した。お隠れになった至高の方々が再び帰ってくる。それはシモベにとってもアインズにとっても素晴らしく甘美な出来事。

 

「ソレデ、ヘロヘロ様ハ何処ニオラレルノデスカ、アインズ様?」

 

 第五階層守護者がこの話の主役であるヘロヘロがいないことを疑問に思い率直に告げると空気が死んだ。

 彼の放つ冷気のせいではない。アインズが《絶望のオーラⅠ》を反射的に発動してしまったのだ。

 原理の分からぬシモベたちはアインズから突如発生した威圧感に平伏しまくる。

 

「そのことなんだが。非常に嘆かわしいが彼は至高の一人として帰還することをよしとしなかった」

 

 悲鳴悲哀があちらこちらから響く中、ただ一人至高の支配者達が戻ってくるのをよしとしていない守護者統括は冷静に愛しのアインズ・ウール・ゴウンに彼があえて省いたことを聞き出す。

 

「……ヘロヘロ様はどのような状態なのですか?」

 

 確かにヘロヘロが帰還すると最初にいった。しかし、彼は至高の一人として帰還しないというのは何故か。

 守護者統括としてはナザリックを捨て、目の前のオーバーロードの命に背いている時点で万死に値するがアインズの次にナザリックに残っていたメンバーである。

 何か理由があるはずだ、と自身でもよく分かっていない愛憎入り交じった複雑な思いを内に秘めていた。

 

 聡い質問に鷹揚に頷くとアインズは「流石だなアルベドよ」といって彼女をくふー!と興奮させる。すぐに愛憎を忘れたゴリラ。所詮はアインズ以外どうでもよかった。

 そんな彼女の目まぐるしい心境の変遷を全く理解はしていなかったがアインズはそのまま説明をした。

 

「ヘロヘロさんは単独転移時の障害としてレベル20前後のスペックに弱体化した上に彼の種族は人間になっている。おまけに至高の気配も消失しているのをナーベラルと八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)から裏をとった」

 

 そうだろう?とナーベラルに問うと真っ青な顔で「は、はい。アインズ様の言う通りです」といったきり俯く。先日の件がまだ堪えているようだった。

 至高の一人に罵倒して攻撃までしたのだ。それだけのことを仕出かして自害しないだけまだ状態は良好と言える。

 

 最初アインズが何を言っているか理解できなかったシモベたちはナーベラルの様子に段々、理解の色を示し始めた。そして、戻ることが出来ないというのも納得は決してしないが捨てたわけではないのだ、と安心をした。

 

「決して、決してナザリックを捨てたわけではないのだ。むしろ大事に思っているからこそ、至高として上に立つ力もギルドメンバーとしての資格も失ったために一度はナザリックに来ることも拒んだのだ」

 

 そんな安堵の空気が居たたまれなくなったアインズは優しい嘘をつく。

 本当はナザリックが自分をヘロヘロの力を持った人間としてしか認識出来ず己を襲うのか不安だからナザリックには行けないとアインズに吐露したことを。

 自分たちが作り上げた悪のギルドだからこそ現実になったのを見るのが恐ろしいと罪人のように告白したことを。

 アインズ・ウール・ゴウンと名乗るまでの自分も同じようなことを思い不安だったため共感してしまったことを決して、決して告げることはない。

 今の彼にとってもはやナザリックは大事な家族なのだから。

 

「アインズ様。一つ、いいでありんすか?」

「申してみよ。シャルティア」

「差し出がましいでありんすが人であることと弱体化は宝物殿のアイテムでは何とかならなかったのでありんすか?」

 

 ナザリックの門番。最上層の守護者である美しき幼い吸血鬼はヘロヘロが至高の宝物では何とかならなかったかを知りたかった。

 馬鹿な自分でも思い付くようなことを神のごとき知恵を持つ至高のお方は当然試したであろうし、自分では思い付かない深遠なる方法を幾通りも行ったはずであるが疑問を出さねば理解した、と受け止められてしまう。だから、彼女は自分の想像の限界をあえて告げて教えを乞うのだ。

 

「……私もそう、ヘロヘロさんに言ったらこれを譲り受けたよ」

 

 アインズが虚空から出現させた黄金の杯。アインズに負けず劣らずの圧倒的な存在感。

 それは間違いなく。

 

「ワールドアイテム……!」

 

 ギルド、アインズ・ウール・ゴウンですら十一種類しか所有できなかった恐るべきアイテムの一つであった。

 

「そうだ。名を聖なる杯(ホーリーグレイル)。キャラデータの改変において、少なくともユグドラシルでは右に出るものがないアイテムだ」

 

 その効果はあらゆる状態異常やステータスを回復させることは当然として、システム上正常なデータの範囲であるならあらゆる条理を覆して結果を出すデータ改変力。

 別種族になるのやレベルの調整は勿論、正規の手段を行わずに敗者の烙印を消してしまうことや、かの 聖者殺しの槍(ロンギヌス)で存在を抹消されたとしても復活できるという代物である。

 

 それをアインズに渡した。

 望むならすぐにでも全盛期のヘロヘロに戻れるワールドアイテムを持っていたというのに。ナザリックを見捨てた訳でもないのに。

 つまりヘロヘロは。

 

「ありとあらゆる回復手段が通じないタレント、だそうだ。転生やタレントを剥ぎ取るというのもデメリットの消滅という回復手段に判定されるようでな。私も立ち会って抜け道を考えたが無駄骨だったよ」

 

 その言葉に暗い雰囲気になる一同。

 

「だが、何とかヘロヘロさんを説き伏せてナザリックの末席に彼がヘロヘロだと()()()()()招くということで落ち着いたのだ」

「え?でも、アインズ様。僕たちに……」

「よいのだ。マーレ。ヘロヘロさんには悪いが人間である以上お前たちの方が今は優先順位が上だ」

「勿体無きお言葉ですアインズ様……!」

 

 至高の仲間より自分たちを優先するアインズにそこまで思われていたのかと、不敬だと思いながらも感激を隠せない異形たち。

 

 

「お前たちに問う。ヘロヘロさんを迎え入れることを許容できるか?」

「それがアインズ様のお望みとあらば」

 

 アインズ・ウール・ゴウンとはもはやナザリックの神だ。彼が死ねと言えば死ぬし、どんな屈辱的なことをも耐え抜く。この場にいる誰もが持つ共通認識である。

 アインズもそんな彼らを見てヘロヘロさんに害意を与えることはきっとない、とようやく認めることが出来た。

 

「恐らく他のメンバーも来ていた場合、彼らもヘロヘロさんの例から他のメンバーも弱体化して別種族に転生或いはそれに近い症例でいると予想される」

 

 ここが正念場だ、とアインズは続けて語る。

 

「よって、お前たちがヘロヘロさんを受け入れるというのなら、ナザリックから離れないように人間にとって居心地のいい組織への方向転換に賛同してほしい」

 

 アインズが頼むのはギルドの否定だった。人間を蔑視し悪の華であったギルドの方向転換。決して許容できないものであるのは分かっている。虫一匹殺せない善人に極悪な大量殺人鬼になれというようなものだ。

 

 

「人間を蔑視するように創造されたお前たちには非常に難しく辛いことだと分かっている。この通りだ」

「アインズ様!?」

 

 けれども、深く頭を垂れることしかアインズには出来ない。シモベたちのやめてくれ!という懇願が続いてもひたすら下げ続けた。

 そんなオーバーロードの頭を上げさせたのはやはり、彼女であった。

 

我々(ナザリック)が至高のお方を受け入れない、なんてあり得ませんわ。だから頭を上げてくださいアインズ様」

「アルベド……!そうだな、そうだよな……!!」

 

 高揚した精神が鎮静化する。しかし激しい喜びは完全に燻ってはいない。静かにまだ燃えている。

 妖艶に微笑むアルベドが差し出した手を受け取り集まった家族にまた向き合った。

 

「ヘロヘロさんを頼むぞ! 我が家族よ!!」

 

 覇気に満ち足りた彼らの声が返ってきた時点で答えは聞くまでもない。彼らの忠誠心は必ずアインズの期待に応えてくれるだろう。

 時間はたっぷりある。ヘロヘロが戻るべきリアルはもうない。なら、彼をナザリックに依存させるのは難しいことではない。

 失われたあの幸福な日々をこの手に再び掴むのだと、アインズは固く誓う。

 ただ、皮肉にもアインズ・ウール・ゴウンの思いが。ナザリックの忠誠心が。ヘロヘロに悲壮な決意をさせてしまうことになる。

 




捏造設定
聖なる杯(ホーリーグレイル)
ユグドラシルのワールドアイテム。
効果は一体のキャラデータを対象にしたお願いを運営にできる、というもの。
大体の願いは他で代用できるためユグドラシル時代は聖者殺しの槍(ロンギヌス)からのデータ復活専用アイテムという位置付け。
運営が聖者殺しの槍(ロンギヌス)対策をしなかったのはこれがあったため。
誰かが必要にかられたら進行不能イベントはこれを使って何とかするだろう、と楽観視していたのだが他のプレイヤーも得をすることを自発的にするはずもなく永劫の蛇の腕輪(ウロボロス)の下位互換としてしか使われずにサービス終了を迎えた。

元ネタは原作者が設定で名前だけを出したホーリーグレイルという回復系ワールドアイテム。


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第四話

 

 ナザリックの新米使用人として働きだして二週間が過ぎたがそれも今日でおしまいだ。

 日付が変われば全てが終わる。

 僕は漆黒の全身鎧をした剣士に扮して冒険者をしていたギルド長──現アインズ・ウール・ゴウンと名乗る怪物──に出会った日にまで遡り振り返る。

 あの夜、時間も忘れて夢中で喋りこんだ。誰にも同じ価値観で話せなかった故の爆発だったのだろう。

 

 一年程前、気がつけばリアルの姿でこの異世界にいたこと。

 帝国のワーカーに拾われなければそこでの垂れ死んでいたかもしれないこと。

 

 第三位階までの魔法が使えること。攻撃魔法が使えないこと。

 得意魔法は一番使う機会が多くこれがなきゃまともに生活出来なくなるまで依存しているまでになった《リペア/修復》である事。

 

 フォーサイトとの冒険活劇や蒼の薔薇のラキュースと一緒にユグドラシルのギルド拠点廃墟らしき遺跡でワールドアイテムを見つけた事。

 その時に僕に回復手段を受けつけないタレント持ちが分かったこと。

 

 色々あってワーカー組織の運営をやっていたが自由が欲しくなってエ・ランテルの引き継ぎを最後に根無し草になること。

 

 僕が死にかけであることを黙っていたせいで虚実織り混ぜた話にはなってしまったもののおおよそのことは目の前の彼に一方的に話し込んでしまった。

 ユグドラシル時代のギルド長も聞き上手でつい話が思ったより長くなったのを思い出し、本当に懐かしかった。懐かしかったのだ、彼の話を聞くまでは。

 

 今に至るまでの過程を最後まで気持ちよく話をさせてくれたギルド長は「なら、今度は私も話さないといけませんね」と僕に会うまでの話をしてくれた。

 予想通り、最終日の最後までギルド長はログインをしていていつまでも終わらないゲームに不審を抱き調査した所、この世界にやってきたことに気づいたらしい。

 

 異形になり価値観も変容した自分。現実化したゲームシステム。自我が芽生えたNPC。見知らぬ異世界。

 

 色々と四苦八苦して今はアインズ・ウール・ゴウンと名乗っているんです、と僕同様口が軽くなっているようでポンポンと言葉が出てきていたが僕は逆に聞けば聞くほど何を言えばいいか分からなくなっていた。

 

 てっきり、彼も僕同様、ゲームシステムのバグが付随したリアルの自分をベースにした異世界トリップをしたものだとばかり思っていたのだ。

 僕も異世界にエルダー・ブラック・ウーズとして生きる妄想はしたことはあるがそれは妄想の域を出ないからこそ許されることだ。

 実際なってしまえばたった一月に一回でも自分が酷く恐ろしいというのにギルド長は在り方まで怪物になってしまったという。

 

 それはどれ程の恐怖なのか。彼が一体何をしたというんだ、と内心憤っているとギルド長は「どうかしましたか?」とこちらを気遣った。

 怪物になっても自身の不安を見せずにこちらへの配慮を第一にするギルド長に不覚にも嗚咽を漏らしそうになるのを我慢して「……いや、骸骨になって大変だったんだろうなって。僕は人間のままの価値観だからさ」という返事を何とか告げた。気丈に振る舞ってる彼への礼儀だと思ったのだ。

 

 だからこそ、そんなことないですよと大袈裟ににリアクションする彼に変わらないなと和みながらオーバーロードになったメリットの例としてカルネ村の顛末を語りだしたとき、耳を疑った。

 たっちさんの下りまではよかったまだ許容できるものだったのだ。

 問題はその後。

 

──この世界の強者は第五位階魔法一撃で死ぬ人間も入るみたいのようでですね──

──人を殺すのや殺されるのを見ても何とも思わなくなったのは悩んでいるんですけど──

──ちょっと面倒だったんで《コントロール・アムネジア/記憶操作》で処理しちゃったんですが──

 

 誰だこれは。何だこれは。僕が話しているのは本当にギルド長なのか?

 意味が分からない。いや、理解したくないのか。事前に言っていたから分かるはずだ。これがオーバーロードの価値観なのだと。

 

「────────」

 

 あまりの事態に声が出ない。

 僕は声が震えないように慎重に入念になりながらユグドラシル時代の悪役ロールならあり得そうなシチュエーションを述べる。

 

「ギルド長、皆殺しにしちゃったの? 普通、拷問して情報吐き出させるでしょ!」

 

 僕は祈った。自分の不安が外れているのを。そんなわけがない。あるはずがないんだと。きっと、ギルド長が「……ヘロヘロさん。ゲームじゃないんだから殺すとかあるわけないに決まってるじゃないですか。ノリノリで拷問とかドン引きですよ」って返しが来るに決まっている。

 けれども、目の前のオーバーロードは無情にも。

 

「いやー、ニューロニストに拷問させたんですけどね。情報吐き出せないようプロテクトかかってたみたいで駄目でした」

 

 などと宣ったのだ。

 愚かにもそのときになってようやく、僕は目の前にいる怪物を認識したのだ。

 ユグドラシルの悪の華アインズ・ウール・ゴウン。

 僕たちの描いた理想でしかなかったものは具現化し、自我を持ち、現実となってこの美しい世界にやってきた。

 それはそれは、とてつもなく素晴らしく。

 とてつもなく悍ましいことである。

 

 なので僕はどんなことを言われてもこのまま消え去るつもりだった予定を翻しオーバーロードが懇願してきたナザリックへの帰還を条件付けで了承することにした。

 自分をヘロヘロだとNPCには言わずにナザリックのシモベとして招くのが条件付きで。それが僕がナザリックでやりたいことに必要だったから。

 

 長々と語ったが死にかけの僕はこうしてナザリックの新米使用人になったのである。

 

 その次の日から今日までの二週間。

 セバス・チャン率いる男性使用人の新米としてナザリックの末席に連ねた僕は残り少ない命でなるべく多くのNPCに直に会うため得意魔法の《リペア/修復》で点検修復する仕事に従事していた。ナザリック内で魔法を使っても不自然にならないちょうどいい言い訳にもなって一石二鳥だったというのもあるが。

 

 僕たちの愛したナザリック最萌大賞を共にして、掃除が大好きな謀叛を企むペンギンを抱えナザリック中をかけ回りNPCたちと交流する日々だった。

 僕は最期に彼らを思い返す。

 

 

 ユリ・アルファ。

 セバス同様、製作者の面影を強く感じさせるメイド。僕の手伝いを申し出たのだが家事スキルを持たないプレアデスは足手まといだとペンギンに一蹴され落ち込んでいた。

 やまいこさんも家事は出来なそうな感じだったなあ。

 

 

 シズ・デルタ。

 世界観間違ってる感じがする一円シールつきメイド。

 ナザリックのギミック全てを熟知している僕がことを起こすとき、警戒すべきNPCの一体。

 

 

 第五階層守護者コキュートス。武人気質の裏表のない蟲の王。カルマ値が唯一プラスな守護者 。……ヴィクティムもギリギリカルマ値はプラスだったか。第八や宝物殿のあいつら同様会うことがないのが心残りだ。

 

 

 エントマ・ヴァシリッサ・ゼータ。

 非常に可愛らしいが恐怖公の眷属を食べながらこっちをみて「おやつでがまん。おやつでがまん」という彼女には色んな恐怖を感じた。

 

 

 第六階層守護者、アウラ・ベラ・フィオーラ。マーレ・ベロ・フィオーレ。

 製作者の歪んだ性癖が見える守護者その一。

 嘘をつくのが苦手のようだ。分かってはいたが、やはり僕の正体は周知されているのだろう。

 

 

 ナーベラル・ガンマ。

 毒舌メイド。

 無礼を働いた僕に会うのを避けていたのをルプスレギナ・ベータが無理やり連れてきて涙目で謝ってきた。

 謝りたいのは僕の方だ。ナザリックにいたままの君をプレアデス製作に関わった僕は分からなかったのだから。

 

 

 ソリュシャン・イプシロン

 僕が一から作り上げたNPC。創造主である僕の正体を聞いてはいるるのだろうが全く僕に気づかせない。

 ああ、僕が考えた通りの素晴らしいメイドだ。何故、僕は彼女を怪物として設定してしまったんだ……。

 ホムンクルスの一般メイドはインクリメントを筆頭に生き物の名前として付けるのも不適格な仕事で使った用語をつけてしまっている。後悔ばかりだ。

 

 

 ニューロニスト・ペインキル。

 製作者の悲しみと僕たちの無邪気な悪意を詰め合わせて生まれた醜悪な拷問官。ちょっとしたジョークだった。軽いお遊びのはずだった。でも、その拷問を受けてしまった人間が現実にいる。

 五大最悪なんて当時はいったが、本当に最悪な気分にさせてくれる……。

 

 

 第一、第二、第三階層守護者。

 シャルティア・ブラッドフォールン。

 製作者の歪んだ性癖が見える守護者その二。

 ペロロンチーノを美少女にしたらこんな感じになるのか、彼の理想がこうなのかを真剣に悩んだ。

 ナザリックが大切であるのは間違いないだろうが。

 

 第七階層守護者、デミウルゴス。

 副料理長のいるバーに呼び出され他愛もない話をした。

 ただ、優れた知能を持つ設定をされた彼はもう僕が何をしようとしているか気づいているのかもしれない。

 それでも僕に敵意を抱かないで敬意を抱く彼が少し眩しく、ほんのり悲しかった。

 

 守護者統括アルベド。

 ただ一人僕に敵意と殺意を抱いてくれたNPC。

 ギルド長がサービス終了前に設定を変えてしまったそうだが、これでよかったと思う。

 少なくとも彼女の存在は僕には救いになった。

 

 

「ヘロヘロさん! 時間になりましたし、第八階層に行きましょうか!」

 

 気づけば日付は変わっていたようだ。オーバーロードが僕を呼んでいる。もうそんな時間か。

 完全なる狂騒を携えてやってきたアインズ・ウール・ゴウンは待ちきれないといった様子である。

 

「それじゃ、行きましょうか」

 

 ナザリックに来て嫌な予感は当たった。

 僕を縛りつけるために約束を破り、NPCに抱え込みをさせようとしたアインズ・ウール・ゴウン。

 それに忠実に従い、己の存在意義を簡単にねじ曲げられるNPC。

 

 危険だ。彼らはあまりにも危険だ。

 なら、僕が汚れ役をするしかないじゃないか。

 だって、僕はこの世界がリアルの全てだったユグドラシルと同じくらい大切になってしまったから。

 

 ……きっと許されることは永劫ない。

 それでも。それでもだ。

 僕たちが生み出した怪物──アインズ・ウール・ゴウンという名の妄執だけはこの命を賭して必ず道連れにしてみせる。

 

 




次話でなんでアインズ様がウキウキしてるかは補完します。


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第五話

 ヘロヘロがやって来てからというものアインズの毎日はとても充実していた。

 昼間はエ・ランテルで冒険者業をこなし、夜は書斎で彼にこの世界について教わる日々。

 特に夜の講義は有意義なものであった。

 

 簡単な世界情勢や一般知識はカルネ村の一件で頭には入っていたがポーションの差異から各地の伝承まで、ユグドラシルプレイヤー視点から見たこの世界の有り様はかつての仲間との交流であるのを差し引いても非常に興味深いものがあったのだ。

 

 セバスからヘロヘロが仕事を終えた報告の《メッセージ/伝言》が来るとさっさと冒険者の方を切り上げる程度に夢中になった頃、ヘロヘロは突然、「アインズさん。もう話すのはやめましょうか?」と言ってきてアインズは驚く。

 

 寝耳に水であったがどうやらアインズの精神作用無効化のせいで話を退屈に聞いていると思われたらしく、慌ててアインズは宝物殿にあった精神系魔法耐性を無効化するクラッカー『完全なる狂騒』を引っ張り出してそうじゃないんだと弁解し事なきを得たのだがこの一件からアインズは好んで完全なる狂騒を使うようになる。

 

 というのも完全なる狂騒はちょっとしたことで動揺させる体質にするという効果に変異していたのだが人間性の希薄化に漠然とした不安があったオーバーロードは喜怒哀楽が抑制されないこのアイテムに快楽を感じるようになったのだ。

 

 心境としては酒に溺れる人間に近いだろう。

 そして肴はアインズ・ウール・ゴウンのギルドマスターであるモモンガを深く知る者。

 たった一人でナザリック地下大墳墓を維持してきた彼にその組み合わせは麻薬じみた中毒性を発揮し、過去にいつまでもしがみついているアインズの傾倒が更に酷くなっていったのは言うまでもない。

 

 こうして、ヘロヘロと会話をするときは精神作用無効化を解除するのが常態化してしまうようになる。

 そして、支配者であるアインズ・ウール・ゴウンなら訝しむことすらろくに思考することがなくなってしまったのを見計らったようにヘロヘロはある提案をした。

 

「超位魔法の実験、ですか?」

「そそ。冷却時間(クールタイム)や魔法効果がどう変わってるか検証してみたかったんですよ。」

「あー、それは確かに気になりますね」

 

 実際、ユグドラシルの魔法は《フライ/飛行》の高度制限がなくなっていたり、オブジェクトにしか作用しなかった《リペア/修復》がマジックアイテムではない無機物ならどんなものでも使えたりなどゲーム上仕方なかった部分が取っ払われて自由度が上がっている傾向がある。

 

 アインズも《ウィッシュ・アポン・ア・スター/星に願いを》が一定の経験値消費に呼応したランダムテーブルの効果の中から選択するというものから願いの難度相応の経験値消費で大抵の願いが叶えられる魔法になっているのを確認している。

 他の超位魔法もユグドラシルと大幅に仕様が変更しているのは考えられる話だった。

 

「あ、でも《イア・シュブニグラス/黒き豊穣への貢》とか《ディザスター・オブ・アバドンズローカスト/黙示録の蝗害》辺りは検証でも使うのはやめてください死んでしまいますアインズ様!」

「やりませんよ! どこのワールドエネミーですか! ヘロヘロさんこそ二人でいるときに様呼ばわりはやめてください!!」

「つい癖で。ごめんごめん、アインズさん」

「全く。それでですけど私は―――」

 

 そのまま二人は超位魔法《終焉の大地/エンド・アース》の有効範囲や《ペレト・エム・ヘルゥ/オシリスの裁き》は果たしてカルマ値の変動だけで済むのかなど魔法談義に華を咲かせた。

 

「そう言えば《ザ・クリエイション/天地改変》のフィールド変更で地底湖凍らせられるんですかね?」

 

 ふと、ヘロヘロが言った疑問にユグドラシル時代、中二心溢れるメンバーが盛り上がり凍りついた湖の底に眠るガルガンチュアというシチュを再現しようとしてただ冷気効果だけ付与されただけに終わったエピソードを思い出すアインズ。

 

 郷愁に駆られ、今すぐにでも試したくなったアインズは「じゃ、今から試しましょうよ」と言って第四層に引き連れるとすぐさま、超位魔法《ザ・クリエイション/天地改変》を発動させた。

 結果は成功。一面の銀世界に感慨深くなるオーバーロードであったが、一方で何の前触れもなく行使された超位魔法を検知してナザリック中が大騒ぎに。

 

 動ける守護者全員が「何があったのですか、アインズ様!」と凄い形相で四層に集結してきたのを見て、事態を把握する。

 幸いにも凍結された地底湖は端から見ればガルガンチュアの封印にも見えたので、デミウルゴスが「なるほど。そういうことですか」といい勝手に上手いこと皆に説明してくれたので窮地は脱した。

 

「その通りだ。デミウルゴス」

 

 と、言いつつ助かったと安堵しているとヘロヘロから超位魔法実験に関する言い訳の案が《メッセージ/伝言》として届く。

 デミウルゴスの理由とも合致していたのでアインズはそれをそのまま守護者達に告げた。

 

「……今後を見据え超位魔法やプレイヤースキルを使った大規模な検証を現地の住民であるカトーの立ち会いの元、することになってな」

 

 アインズの言葉に緊張が入る守護者達。

 

「つまり、ガルガンチュアの封印は魔法実験中に警戒態勢と勘違いし誤作動するのを避けた暫定的な処置というわけですか」

 

 聡明な守護者統括が何故アインズが唐突に地底湖を凍らせたかを先読みして答える。

 唐突に新しい深読みをされて新たなカバーストーリーを考えなければならなくなったアインズは気取られないよう《メッセージ/伝言》でヘロヘロに依頼する。

 

「……うむ。ガルガンチュアは起動すればナザリックの外に転移してしまうからな。ガルガンチュアの暴走を危惧しているのではなく、情報の秘匿の一環と思ってくれればいい」

 

 ユグドラシルと比べればあまりにも脆弱なこの世界に対して傲ることなく警戒を万全にするアインズに感服する。

 当の感服されている本人は必死でヘロヘロのカンペを一語一句まるまる復唱を続ける。

 

 

「なお、この検証は我が真髄の最重要機密が含まれるため第八階層で行う。また、()()()()()()()()()()()()()()()()乱入及び介入は禁止とする」

 

 

 外部の、しかも人間がアインズ・ウール・ゴウンの秘奥を知るなど本来であれば全員が反対したであろうが彼らはカトーがヘロヘロだというのは知っている。

 アインズの言う最重要機密がヘロヘロと二人で忌憚ない意見で話す場を用意するための建前であることはすぐに理解した。

 名目上、彼らは知らないという風になっているのだから。

 

 アインズの言う緊急事態もまた危険はないだろう、とデミウルゴスは思う。

 超位魔法やプレイヤースキルにはHPが危険域に突入したときに発動すると強力な効果を発揮するものがある。

 恐らく、それをするから緊急事態になっても乱入するなと明言したのだ。

 

 アインズの今後を見据えた、というのはヘロヘロがもたらしたワールドアイテムやかつてやってきたユグドラシルプレイヤーやギルド拠点と激戦を広げた竜王(ドラゴンロード)なる存在との敵対であろう。

 

 アインズがそのような事態に追い込まれるとは思いたくないがそのように万が一、なってしまったときの切り札の確認は肝要であるのに口を挟めるわけがない。

 

(わざわざ第八階層でやるのは情報の秘匿以上に検証中にそのような敵を呼び寄せてしまい不幸な遭遇戦を避けるためなのでしょうね)

 

 二人きりで秘密の共同作業ということで嫉妬に駆られていたアルベドでさえもギルドメンバーであるヘロヘロがアドバイザーでいればアインズに危険はないと心の底から思っていた。

 故に「異論はあるか?」という問いかけに誰も異を唱えることなく終わってしまったのだ。

 

 そうして後日。

 日付が変わった夜にとうとう超位魔法の実験は始めることになった。

 アインズはいつものように完全なる狂騒を携え、ヘロヘロに会いに行く。

 ウキウキして楽しみであることを全身で表現しているのが傍目からも分かり「もう完全なる狂騒使ってるんですか」と呆れられる始末。

 

「この時間が楽しいんだから仕方ないじゃないですか!」

 

 そう。楽しいのだ。まるであの黄金期が戻ってきたかのように感じられる。この喜びを不躾な精神作用無効化に妨害されないのは最高の気分である。

 

 不満があるとしたら彼がエルダー・ブラック・ウーズではなく、至高に戻っていないことだがそれは些細なことだ。

 アインズが一人で過ごして絶望にくれた最終日最後の時に比べれば本当に大したことがない。

 

 そんなアインズを見て、ヘロヘロがどんな表情をして何を思っていたのか。

 アインズ・ウール・ゴウンが知る機会は永遠にない。

 

 

 

 

 あの懐かしき千五百人による侵攻を止めた第八階層。

 本物のスタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウンがある桜花聖域がある場所だが僕たちの視界は見渡すばかり荒野しかない。

 八階層のあれらも今はアインズ・ウール・ゴウンのおかげで完全に沈黙している。

 この広大なエリアでオーバーロード以外と話すことはない万全の状態だ。

 

 一日かけて行われる今日の検証でアインズが選んだのは《ザ・クリエイション/天地改変》《ソード・オブ・ダモクレス/天上の剣》

《フォールンダウン/失墜する天空》《ウィッシュ・アポン・ア・スター/星に願いを》の四つ。

 

 まず、《ザ・クリエイション/天地改変》で簡易な建築物を作れるかを実験した。

 荒野に岩と土で構成された巨大な粗削りの要塞が瞬く間に出来る。

 アインズはディテールに不満があったようだがユグドラシルでは出来なかったことだ。

 検証結果としては十分な成果だろう。

 

 ユグドラシル通りの冷却時間(クールタイム)まで次の超位魔法は扱えないのが分かった所で空き時間にアンデッドをオーバーロードは創造する。

 蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)集眼の屍(アイボール・コープス)を二体ずつ。

 死の騎士(デス・ナイト)を十体、下位アンデッド創造で二十のアンデッドを創造すると要塞に設置した。

 

 完了して間もなく冷却時間(クールタイム)が終わったため、超位魔法《ソード・オブ・ダモクレス/天上の剣》をそこにぶつける。

 ユグドラシルでは建築物用破壊魔法で建築物ごと破壊されると内部のモンスターはデータ上の処理で消滅という形であったが、やはり現実に仕様変更されるとちゃんとダメージになるらしい。

 要塞跡に十体の死の騎士(デス・ナイト)がしっかりといた。

 結果に満足したアインズは《マジック・アロー/魔法の矢》による十の光球を放ち、トドメを刺した。

 

 超位魔法の連射が出来ないことが分かったので冷却時間(クールタイム)対策として《フォールンダウン/失墜する天空》を魔封じの水晶に保存することを僕は真意を悟られないようにさも今思いついたように提案した。

 アインズは疑いもせず了承。

 彼が大好きで大好きでたまらないギルド『アインズ・ウール・ゴウン』全盛期の思い出話で次の発動時間まで夢中にさせる。

 彼が水晶の存在を忘れたと確信した段階で僕はこっそりしまいこんだ。

 

 そして最後の超位魔法《ウィッシュ・アポン・ア・スター/星に願いを》を使う時間。

 今夜は月は出ない。

 僕は最期の仕上げに取りかかる。

 

「あのさ、装備全部外して《パーフェクト・ウォリアー/完璧なる戦士》の状態を《ウィッシュ・アポン・ア・スター/星に願いを》で固定化って出来ないかな。あ、《クリエイト・ グレーター・アイテム/上位道具創造》と流れ星の指輪(シューティングスター)はつけてもいいけど」

「……どうしてそんなことを?」

 

 まあ、不審に思うだろう。だからさっさと爆弾発言をして薄めることにする。

 

「いやー、実は僕もうひとつタレントあってね。それでやりたいことあるんだよ」

「はあ!?」

 

 オーバーな反応ありがとう。完全なる狂騒のおかげで衝撃的なことを聞かされるとそれで頭がいっぱいになるから助かったよ。

 使うように仕向けたのは僕なんだが。

 

 驚く骸骨に「ビックリした?」と聞けば「ビックリした?じゃなくて何で黙ってたんですか!」と叱られる。

 想定通りの返しだ。

 

「ふふーん。新月の夜にしか使えない特別な力だからね」

「あー……使える日に言いたかったってことですか」

「そういうこと!」

 

 おどけて、いかにも悪意はなかった感を演出する。僕が、ずっとこの瞬間に向けて何度も何度も思考錯誤していたのは絶対に悟らせない。

 

「で、やりたいことって何なんですか? 装備全部外して魔法職に《パーフェクト・ウォリアー/完璧なる戦士》固定化って何をやりたいのかさっぱり何ですけど」

「成功するかまだちょっと分からないんだけどね。仮に成功したらアイテムや装備についての心配は要らなくなるかな」

 

 嘘は言っていない。ただアインズが勘違いするような言い回しにしているだけ。

 

「……まさか、そのタレントってユグドラシルですぐに使えなくなったアイテム無限増殖バグですか?」

「さあ? どうだろう?」

「あームカつく! 気になるからさっさとやりましょう! やられたらどうせ分かりますしね!」

 

 そう投げやり気味に叫ぶとアインズは僕の言う通り装備を脱ぎ捨てて《クリエイト・ グレーター・アイテム/上位道具創造》と《パーフェクト・ウォリアー/完璧なる戦士》を駆使して戦士職に変わる。

 これでいい。

 

「I wish―――」

 

 全ては整った。

 



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第六話

 

 

 アインズ・ウール・ゴウンを殺すことになるのはアインズ・ウール・ゴウン自身の一撃だった。

 

 

 古き漆黒の粘体(エルダー・ブラック・ウーズ)

 ゲーム上にいたもうひとりの自分。

 この世界では無類の強さを誇る怪物。

 新月の夜にだけなれる異形の姿を目の前のオーバーロードに僕は披露した。

 

「どうだい。僕のタレントは?」

 

 もう賽は投げられたというのに未練がましくも淡い期待を込めてアインズ・ウール・ゴウンに訊ねる。

 或いはだからこそ、決心がつく決定的な言葉を聞きたかったのかもしれない。

 

「ヘロヘロさん……! サプライズすぎますって……!!」

 

 悲しむのでも嘆くのでも恐れるのでもなく。

 喜びを隠しきれない声音の返事が返ってきた。

 

 ああ、いまだに信じたくはなかった。貴方が体だけではなく心も怪物になっただなんて。

 

「……本当のサプライズはこれからだよ」

 

 え、ときょとんと首を傾げてこちらを見るオーバーロードを見据えながら《フライ/飛行》を発動。

 これから行使する魔法の有効範囲外の高度まで迷いなく移動する。

 ユグドラシルでは僕の昼食五日分に相当する課金アイテム。

 他者の超位魔法をノータイムで発動できる反則的な効果を持つ特別製の魔封じの水晶を虚空から取り出すと迷うことなく握り潰す。

 

 砕けた水晶は光り輝く魔方陣となり――

 

《フォールンダウン/失墜する天空》

 

 ――呆然と空を見上げるオーバーロードを中心に超高熱源体が即座に降り注いだ。

 

 タレントを見せる直前に完全なる狂騒で精神作用無効化を解除されたからこそ咄嗟に冷静な判断が下すことができずにまともに直撃し。

 彼の身を守るはずだった数多の装備は《パーフェクト・ウォリアー/完璧なる戦士》のときに全て外させたので火力の低い僕でも余裕を持って倒しうる域にまでダメージを受けている。

 常にパッシブスキルを切っていたおかげで状態を固定化された今は発動もままならない。

 魔法は言わずもがな。《メッセージ/伝言》で守護者への応援もないし、彼らがこの異常に対応してくることもない。

 

 残っている対抗手段もレベル100の戦士職であるというのは上位物理無効化Ⅴを持つエルダー・ブラック・ウーズには無意味だし、彼のワールドとスキルThe goal of all life is death(あらゆる生ある者の目指すところは死である)の対策はかつて同じギルドにいたのだ。抜かりなんてあるはすがない。

 僕が一番不安だった生殺与奪権は完全に掌握した。

 彼が出来る抵抗は精々、会話で多少時間を引き伸ばすだけ。

 後はギルド長が『アインズ・ウール・ゴウン』という居場所をどれだけ大切にしていたかが肝だが問題はないだろう。

 だって、

 

「ヘロヘロさん……?」

 

 溶岩地帯のように様変わりした地表に膝をつき、グレートソードの片割れを杖のようにして全身鎧の体を支えながらも当惑に満ちた呟きをしてこちらをせつなげに見つめているのだから。

 僕は思わず笑ってしまった。

 

「人に不意討ちしておいてどうして笑っていられるんですか。流石に怒りますよ……!」

 

 あまりにも優しい怒り。

 敵対ギルドに対して底冷えするような憤怒を発したことは幾度もあったというのに、仲間に対してそれを向けることは僕が覚えている限り一度もなかった。

 だから、今夜だけは本気で僕に対して負の感情を抱いてもらおう。

 

「いやー、あまりにも貴方が鈍くて笑っちゃったのさ。アインズ・ウール・ゴウン」

 

 分からないようにしていたのだから当たり前なのに。

 自嘲の響きをあたかも相手への嘲りのように見せかけた挑発をしながら下降していく。

 

「な、何を――」

「今夜で貴方とはお別れだってことだよ」

 

 ギルド長の言葉を遮り、一方的な通告をすると間髪入れずにスキルを発動。耐性無視の粘体の波が彼を襲う。

 二度目の不意討ちは流石に対応出来たようでグレートソードを盾にして難を逃れた。

 盾になった《クリエイト・ グレーター・アイテム/上位道具創造》ごときで作られたハリボテの剣はあっという間に溶けて消える。

 

 僕のあらゆるスキルに対応出来る間合いまでに仕切り直したギルド長は無言で背中にある残りの剣の柄を掴み、切っ先をこちらに向けて構えた。

 ここにきてようやくギルド長は臨戦体勢になってくれた。

 ユグドラシルの基本である超位魔法妨害か無駄撃ちをさせられる前提でいたのでいい意味で裏切られたよ。

 おかげで限りなく理想的な最期を迎えられそうだ。

 

「ヘロヘロさんやめてください! 気でも狂いましたか!?」

 

 当たれば痛いじゃ済まない波状攻撃に装備にもう後がないギルド長は何とか避けながら食らいつく。

 

 気でも狂ったかだって?

 とっくに狂っているに決まっているだろう。こんな最低最悪の解決案を実行しているというのにまともな神経をしているはずがない。

 

「今更だね。僕はあの『アインズ・ウール・ゴウン』に所属していたんだぜ? 元よりイカれているのは当たり前じゃないか」

 

 やれやれ、とウザさたっぷりのオーバーなジェスチャーを交えて肯定する。

 ユグドラシル時代、神器級(ゴッズ)伝説級(レジェンド)の装備を破壊する前はよくこうして相手の逆鱗に触れたのを思い出す。

 怒り狂った相手が放つ不用意な一撃に合わせた耐性無視の装備破壊で大切なもの(課金アイテム)を喪わせるという少なくないプレイヤーの心を折ってきた悪劣なやり口は僕に充実感を与えてきた。

 

「―――オマエ、本当にヘロヘロさんか?」

 

 果たしてスキルである絶望のオーラがなくてもこの肌を刺すような寒気を醸し出すオーバーロードが大切なものを喪う絶望は如何なるものだろうか?

 

「やだなあギルド長。僕がニセモノだっていうのかい?」

「ああ、そうだ。本物のヘロヘロさんはこんなことしたりしないんだよ……! アインズ・ウール・ゴウン結成からずっと一緒で! 途中からは仕事が忙しくて来れないこともあったけども! アカウントも消さないで最終日もちゃんと来てくれた! 何より! あの人がアインズ・ウール・ゴウン(この場所)を貶める訳がない……!」

 

 まるで悲鳴だ。

 僕への回答に対する適切な理由にも根拠にもなっていない叫びは自分に必死で言い聞かせているだけ。

 彼も心の奥底で分かっているのだ。僕が間違いなく共にユグドラシルを駆け抜けたヘロヘロ本人であるというのが。

 

「確かにユグドラシルの僕だったらそうでしょうね」

「―――?」

 

 僕の要領を得ない肯定にピンと来ないようなので詳しく付け足す。

 

「ギルド長も悪役ロールをしていたじゃないですか? それと一緒ですよ。僕は貴方と違ってリアルの設定を社畜ということにしてギルドマスターへの接待ロールプレイをずっとしていたんです」

「―――!!」

 

 それはギルドマスターとしての自負があった彼にとって猛毒だろう。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 訂正する気は勿論ない。これが僕のやりたかったことだから。

 

「おかげで気持ちよくユグドラシルをプレイ出来たでしょ?」

「う、嘘だ……そんなプレイが何年も出来る訳が……」

「ナザリックを一人で維持し続けた廃人が言うことじゃないでしょ。世の中色んな人がいるんですよ」

 

 ギルド拠点を一人でサービス終了までギルドの資産に手をつけず維持し続けた狂人プレイよりはよほど現実的だ。

 MMOというゲームでリアルを騙ってプレイするというのは多数派ではないにしろ、さほど珍しくもないプレイスタイルなのだから。

 

「全部、全部嘘だったっていうのか……!?」

「そもそもギルド長。貴方の大切な場所からして虚構の産物じゃないですか。そんなものにリアルを捧げるほどみんな()人生終わってないんですよ」

「―――――ぅあ」

 

 さて、アインズ・ウール・ゴウンという名の妄執は決壊寸前だ。

 もはや無茶苦茶な理論で反論もままならない。

 さあ、終わりにしよう。

 

「だから僕はね、最終日別に眠くてログアウトしたわけじゃないんですギルド長」

 

「やめろ」

 

「あの日に貴方と語ったことは殆ど全部、嘘なんですよギルド長」

 

「やめろよ……」

 

「あまりに哀れであのときの貴方に聞けなかったことがあるんですが、今聞いてもいいですかギルド長」

 

「やめてくれ……!」

 

「ユグドラシルなんかにすがらなければならないほど苦しいリアルを貴方は生きていたのですか?」

 

 だとしたら悲しくて悲しくて仕方ないですギルド長、と僕は言った。どんな感情が込められていたのか僕自身、ちょっと分からない。

 分かるのは言葉に出来ない絶叫を響かせながら突進してきたオーバーロードは生者を憎むアンデッドそのものにしか見えなかったということだけ。

 

 僕は待ち望んだ殺意を込めた即死には至らない横薙ぎの一撃がどう足掻いても修正しようのない位置にまで迫るとエルダー・ブラック・ウーズから元の脆弱なリアルの姿になり―――

 

 

 アインズ・ウール・ゴウンを殺すことになるのはアインズ・ウール・ゴウン自身の一撃だった。

 

 

 ―――僕の体内にある精密機械や人工臓器が盛大にぶちまけられた。

 下半身がもう分離しているからこその浮遊感に身を任せながら愕然としているギルド長を見て微笑む。

 

 すまない、ギルド長。

 貴方には辛い役目をさせることになる。

 僕はリアルでそれが嫌で嫌で仕方なかったというのに。

 けれども。

 ギルド長に巣くうアインズ・ウール・ゴウンという名の妄執だけを殺すにはこれしか僕に出来なかったんだ。

 

 




次の二話連続更新で完結となりますが少し更新が遅れる可能性があります。


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第七話

 西暦2138年の地球は汚染されつくし、コロニーやアーコロジーといった巨大企業の資金力に物を言わせた人工のオアシスを除きまともに人が住める場所はない。

 そのため人類のほとんどはその劣悪な環境下で生活を強いられていたのだが、幸いというべきか不幸にもというべきか最新鋭の科学技術は生物が暮らしていくに適さない場所であってもなんとか生かしていくことを可能にしていた。

 空気汚染も、土壌汚染も、致死量の紫外線や放射線に塗れた土地ですら対策をして生き汚く暮らしていたが所詮は焼け石に水。

 深刻な汚染区域に居る者は遅かれ少なかれ生身ではいられなくなり、人工臓器を初めとした生命維持装置を移植せざるを得なくなる。

 

 アインズは鈴木悟の頃の知識で知ってはいたが、だとしても目の前の男の体内は終わりすぎていた。

 斬撃で露出した胴の断面は皮と血肉以外は機械と人工物ばかり。死にかけの人間というよりは壊れかけた自動人形(オートマトン)といった方がしっくりくる終末期患者の成れの果て。

 小卒の彼ですら一目で文明のバックアップなしでは到底生きることが出来ないと判断できるそれを見て。

 

「貴方は……!」

 

 精神作用安定化などしなくても。

 激情が渦巻いていようとも。

 ヘロヘロのこれまでの行動の違和感が次々とアインズの頭に浮かんでは冷静に処理していく。

 何故、ナザリックに最初戻りたがらなかったのか。

 NPCに正体を隠して彼らに触れあうことをしていたのか。

 この世界の詳細を知りうる限り余すことなく伝えていたのか。

 全て、自身がそう遠くない未来に死ぬことを予期していたからだとすれば辻褄があってしまう。

 以上のことを踏まえ、導きだされるヘロヘロが成し遂げたかったことはアインズ・ウール・ゴウンというオーバーロードの死などではなく。

 

「初めから……! 俺に……!!」

「……そうだよ。殺されるつもりだったのさ」

 

 回りくどい自殺をする気だったのだと。荒い息を整えて、オーバーロードの言葉を引き継いだ。

 青い顔でしてやったりなドヤ顔を浮かべるものの、直後に吐血するヘロヘロ。胸から下がごっそりなくなっていて人工肺は損傷が激しいのだ。とてもではないが、呑気に会話している状況ではないだろう。

 しかしアインズには「ヘロヘロさんっ!」と言って側に駆け寄ることしか出来ない。

 魔法は使えない。超位魔法も明日にならなければ使えない。NPCを呼ぶにも時間がかかりすぎるし、そもそもありとあらゆる回復手段が効かないタレントがあるヘロヘロに助かる道はない。

 手をこまねくだけの己に無力感をアインズが抱いていると「ちょっとこのままじゃゆっくり話せないな」といってヘロヘロはある魔法を唱えた。

 

「《リペア/修復》」

 

 ワールドアイテムすら効かなかったヘロヘロの命をほんの少し永らえさせたのは超位魔法でも、第十位階魔法でもなくこの世界の凡庸な魔法詠唱者にも唱えられる第一位階魔法。

 破損した人工肺と全部とはいかなかったが幾つかの機械を修復して、致死は免れないが猶予は多少増えた。

 体内にある機械類は肉体の一部として世界に認識されてないからタレントの効力はないんだよ、とヘロヘロはゲームの裏技をこっそり教えるような気安さで言う。

 

「魔法って本当に便利だよね。壊れるたびに腹を弄くる手間が要らない。これがリアルであったら僕も病室で絶対安静しなくてよかったのに」

 

 はっ、とアインズは気付く。

 彼が以前言っていた『得意魔法は一番使う機会が多くこれがなきゃまともに生活出来なくなるまで依存しているまでになった《リペア/修復》である事』という言葉の本当の意味に。

 そして、行き着く。彼がナザリックで《リペア/修復》を使用する許可を得ていた真相へ。

 

「耐久値限界か……!」

 

 718の魔法を習得し、その全てを暗記しているアインズは《リペア/修復》の修復する度に耐久の値が僅かに下がるデメリット効果があるのを記憶の片隅から引っ張り出していた。

 彼が一年も生きてこれたのは《リペア/修復》のおかげだろう。同時に一年にも及ぶ《リペア/修復》を使った応急措置による耐久値の減少はもはや恒常的に機能不全を引き起こす域に達していたのだと。

 ちょっとの情報ですぐに分かっちゃうんだもんなあ、とヘロヘロは笑いながら話すがアインズは自分が察しがよくないことを自覚している。本当に察しがよかったらこんな結末は未然に防げたはずだから。

 よって、ヘロヘロが()()()()()()()()()()()()()()()と理解させられていた。

 

「……何でこんなことをしたんですか」

 

 長く生きられない体なのは分かった。自分に殺されようと思ったのも理解した。

 だがしかし。

 鈴木悟の残滓を持っただけに過ぎないオーバーロードはエルダー・ブラック・ウーズを宿しただけの人間がどのような思考の果てでこんな凶行に及ぶことになったのかを全く解明できない。

 故に直球で問う。彼の真意を知るため。避けられない死がヘロヘロに訪れる前に。

 

「……カルネ村のことを話したとき、貴方が何を話したか覚えていますか?」

「聞いているのはそんなことじゃ―――」

「僕は覚えています」

 

 迂遠な言い回しで話を切り出したヘロヘロに思わずアインズは異を挟むが無視してそのまま語る様を見て口をつぐむ。今は一秒でも時間が惜しいから。

 

「貴方が人を殺してしまったことがショックでした。殺したことに罪悪感を感じないことを聞いて嘆きました。人の記憶を弄くりまわしたことを些事として扱い、あの残虐な拷問を躊躇いなく実行したことをなんでもなく語る変わり果てた貴方を見て、僕は恐ろしかった……!」

 

 解明できるはずがなかったのだ。鈴木悟は、モモンガは、人の心が分からない怪物(オーバーロード)になってしまったのだから。

 かつて同じゲームをした仲間が怪物になった自分をどう思うかなんて分かるわけがない。

 

「そ、そんなことで」

「ああ。そんなことなんでしょう! 今の変わり果てた貴方にとっては!」

 

 ゴホッ、ゴホッと血反吐を吐き、拳を地面に擦り付けながらヘロヘロはアインズを泣きそうな顔で睨み付ける。

 彼は選択を迫られたのだ。

 アインズ・ウール・ゴウンという思い出か、この美しき世界のどちらを取るか。

 

「ズレた倫理観で狂的な妄執を懐く怪物はきっとこの美しい世界を汚す。僕はそう感じたからこそ、アインズ・ウール・ゴウンと心中しようと思ったんです」

 

 耐性無視の攻撃を真骨頂としていたヘロヘロ。

 初め、彼はギルド拠点を崩壊させて心中しようとしていた。

 エクリプスの特殊スキルと同等の習得難易度を持つ特殊スキルで、ギルド武器スタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを破壊し、ギルド拠点を潰す、ということが実際出来るのだ。

 けれどもそれまでだ。

 ギルド拠点を失ってもNPCが消えるわけがないのだ。八欲王の再来を早めるだけで無駄死にでしかない。

 理屈ではこうだがそれ以上にヘロヘロは。

 

「でも、出来なかった……! 変わり果てた怪物と分かっていてもギルド長と話すのは嬉しくてたまらなかった。僕たちの拠点が現実になった事実は悍ましいはずなのに素晴らしく感じる自分がいた。貴方が危険だと言いながら、この世界が好きになって守りたいと思いながらも僕は今でもアインズ・ウール・ゴウンが結局一番大切で仕方ないどうしようもない狂人だった……!!」

 

 モモンガだったオーバーロードがアインズ・ウール・ゴウンが狂的にギルドメンバーへ執着していたように、ヘロヘロであった人間もアインズ・ウール・ゴウンという居場所にイカれていたのだ。

 

「だから世界をアインズ・ウール・ゴウンの脅威から守り、僕の大切なアインズ・ウール・ゴウンも傷つけないたったひとつの最悪の手段が思いつけたんです」

 

 それを語るヘロヘロは青白い顔も合わさり狂的な迫力があった。アインズは何故ヘロヘロの意図が分からなかったのかをやっと掴む。

 アインズは人の心が分からない。人であった頃の経験と知識からそれらしい反応をしているだけ。

 ならば、狂った人間の行動なんて想像の外なのだ。

 

「それが()()だっていうのか!? もっと他にもあったんじゃないのか!?」

 

 全くもって合理的ではない道筋と帰結にアインズは激昂する。

 

「いいや。これが考える限り、一番の解決法さ。素直に僕の体のことを聞けば貴方はどうした?」

「決まってます。ヘロヘロさんを救うためにあらゆる手を尽くしますよ」

 

 仲間を救いたいという一見綺麗なお題目。

 実態はそんなものでは勿論ない。

 

「だろうね。きっと貴方は僕の意志も聞かずに問答無用で凍結保存でもして、ナザリックの支配者らしい吐き気を催す外法で世界を蹂躙しながら生き永らえせる手段を必死で探すんだろうさ」

 

 二人が想定していない仮定の話になるが彼を救える手段の最有力候補に始原の魔法(ワイルド・マジック)がある。

 ユグドラシルの絶対的法則をめもすり抜けるこの世界由来の魔法はワールドアイテムですら回復出来ないヘロヘロを何とか出来る可能性が非常に高い。

 現存する始原の魔法の使い手の一人、真にして偽りの竜王ドラウディロン・オーリウクルスがその類いの魔法を習得していた場合。

 アインズ・ウール・ゴウンは躊躇いなく竜王国を治療のためのモルモットと魔法使用で大量に消耗される人間たちの牧場(ゲヘナ)へ瞬く間に変えたであろう。

 似たような未来予想図を描いていたヘロヘロはそんなのはゴメンだ、と嫌悪感を滲ませながらヘロヘロは言い捨てた。

 

 

「……確かに人間だった頃の自分には出来ないような手段で貴方を救えるなら迷いなく実行するでしょう。けど、大切な仲間を悪魔に魂を売ってでも生かしたいという思いはそんなに間違っていますか!?」

「間違ってるわけがないさ。一種の眩しさすら僕は感じる」

「なら―――!」

「そんな貴方だから僕はこんな手段をとったんだよ」

 

 最も簡単で確実な妄執の殺し方は、より醜悪で歪な新しい妄執で覆い隠してしまうこと。

 例えば、仲間を病的に大切にしていた男がその思いの重さのせいで仲間を死に追いやったとする。ならば、その仲間の死に際の言葉はきっと忘れられない十字架にならないだろうか?

 

「仕組まれて殺すことを強要されたとしても。自分のせいでそうなってしまった罪悪感に苛まれながら大切な仲間の最期の頼みを君は必ず承諾してずっと守り続ける。そうだろう?」

 

 全幅の信頼を置いた声音で語られたのはヘロヘロがアインズに殺されることで成立した約束。身勝手で卑怯で一方的な通告。

 アインズは折られざるを得なかった。

 

「やり方が悪劣すぎますよ……。ヘロヘロさん……」

 

 相手の大切なものを破壊して心を折るのはヘロヘロの十八番。

 今までの流れは、ただ遺言を永遠に守らせるこの瞬間のための布石だったのだ。

 ただ折れていなくても抗える訳がない。

 かつての最高の仲間が自分を信じ、命を捧げてまで願う最期の頼みなのだから。

 項垂れたオーバーロードにヘロヘロは願う。

 

「反論はないみたいだね。ギルド長。貴方にはこの世界に関わらずナザリックのNPCが危害を加えないか見張りながら、ただひっそりと生きて欲しい。僕の願いはそれだけなんだ」

「馬鹿な!? そんな願いのために!?」

「まあ、詳しいことは僕の部屋にある百科事典(エンサイクロ ペディア)に挟んだ手紙に詳細を(したた)めているんだけどさ。……約束してくれるかい?」

 

 告げられたのは、アインズ・ウール・ゴウンには命を賭ける程の重みがなく、ヘロヘロにとってはあった至極単純な内容。

 詳細をあえて省かれたのは分かった。

 もしかしたらその手紙を見て後悔するかもしれない予感はある。

 分かってはいるがオーバーロードは承諾する以外の選択肢はない。

 目の前の脆弱な人間の命の灯火は間もなく消え去るのだから。

 

「分かりました! 分かりましたから死なないでくださいよ!」

 

 ヘロヘロは力なく笑うような顔をして「すまない」と言うだけ。

 

 

「ちょっと、眠ら、せて……」

 

 呂律がろくに回っていなかった正真正銘最期の一言は当たり障りのないログアウト理由みたいな台詞。

 

「ヘロヘロさん……! ヘロヘロさん……!」

 

 アインズは名前を呼ぶ。何度も。何度も。

 返事がかえってくることなど永遠にないというのに

 これで終わり。ヘロヘロの人生は終わりなのだ。

 楽しかった日々を回想し、この結末を避けたIFを空想することも彼が最終日に残って共に支配者となる妄想で逃避なんてはしてはいけない。

 オーバーロードになったアインズは空想の中で生きられるが、そうなってしまえばNPCたちは世界を蹂躙しアインズに献上して壊れた心を癒そうとするだろうから。

 ヘロヘロの決死の遺言を不意にするなんて出来るはずがない アインズ・ウール・ゴウンはこの苦しい現実と向き合わなければならないのだ。

 

 だけれども。

 精神作用無効化を解除されている今だけは。

 願わくば、貴方の魂が救われんことを、と決して本人には届かない言葉だけれどもオーバーロードは思わずにはいられなかった。

 アインズの勝手な思い込みかもしれないけど、彼の死に顔は――――――。

 

 

 

 



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エピローグ

二話目になります。
最新話からご覧の方は一話前にお戻り下さい。


「―――カトーは虚空に浮かび上がった虹色の水晶を砕きながら言うの!『持ってくれよ……! 僕の体! ワールド・ディザスター最強の一撃をとくと味わえ! 《グランドカタストロフ/大災厄》』って!」

 

 王都にある高級宿屋の一室できゃー、と言いながらその場面のカトーの身振り手振りをつたなく再現するブロンド髪の美少女に呆れた視線をなげかける偉丈夫と双子の忍者姉妹。

 

「そのお伽噺みたいな技名の一撃でひゃくれべるのえぬぴーしーとやらを倒したんだろ」

「ここからがいいとこなのに話の腰を折らないでよガガーラン」

「鬼ボス飽きた」

「その作り話耳たこ」

「もー、ティアとティナまで!本当にあったことなんだってば! それでね―――」

 

 ガガーランは辟易とした響きと共にさっぱりとした性根の彼女らしくないわざと萎えさせる言葉を被せるが意味はなく、ジト目で端的に述べる二人の感想も気にもとめないで再び話すのを再開した。

 

(全く。最近はなかったのに、あの童貞のせいでまたしばらく聞かされるな。次会ったら絶対頂いてやる)

 

 ラキュースが遺跡の調査依頼中に帝国のワーカーと偶然ブッキングして帰ってきたときは一ヶ月飽きずに毎日のように話していたのだ。

 やっと鳴りを潜めていたというのに。

 楽しそうに話を聞いて再熱する切っ掛けを作った王国に二組しかいないアダマンタイト級冒険者である彼ら蒼い薔薇に風変わりな依頼をした男の貞操を無理矢理奪う妄想でもしなければガガーランはやってられなかった。

 

「イビルアイはどうしてんのかねぇ」

 

 コミュニケーション能力が皆無の吸血鬼が珍しく一人で彼を案内したいと積極的になった相手。

 双子は一目惚れだなんだ囃し立てていたがあの吸血鬼がそんなたまではない。

 ツアーというイビルアイの知古らしき人物の探索という依頼をしたことについて内密に色々探りたいことがあるのだろうと見当ついてはいた。

 

「ちょっと、ガガーラン聞いてる?」

「はいはい、聞いてる聞いてる。瀕死のラキュースが聖杯の奇跡で全快するとこだろ?」

「やっぱり聞いてないじゃない! 今は別れの―――」

 

 結局一冊の冒険小説みたいなラキュースの誇張が入ったであろうと三人が確信しているエピソードを聞かされた数日後。

 彼らは謎の轟音と共に更地になったカルネ村から南西十キロほどの場所への調査をすることになる。

 まさか自分たちの依頼者に関連付けられるわけもなく、組合にはただ原因不明とだけ提出した。

 しばらくして、イビルアイが帰ってきて軽くからかったのを最後に、南方風の顔をした依頼人のことも更地のことも気にすることなくアダマンタイト級冒険者としての生涯をひたすら駆け抜けていった。

 

 

 アーグランド評議国永久評議員の白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)ツァインドルクス=ヴァイシオン、通称ツアーは生を得てからちょうど今年で千年になる。

 名実共に偉大なるドラゴンの激動の竜生には常にユグドラシルプレイヤーの影があった。

 

 最初の出会いである六大神。

 彼らと直接取引したこともあったツアーは強大な力を持つ故に警戒はしていたものの別に悪感情はなかった。

 抱くようになったのはその後。六大神が没し、その従属神が堕落した魔神に成り果ててから。

 

 続けて、百年の揺り起こしでやってきた新たなプレイヤーである八欲王は同族を殺し尽くし、スルシャーナも殺害し、世界を歪めた。

 このような所行を受けて好意的に思えるはずもなく、一時はユグドラシルプレイヤーというだけで憎悪の対象であり問答無用で歴史の闇に葬りさることもあった。

 

 八欲王の来訪から三百年後に現れた十三英雄のリーダーはある意味幸運と言えたであろう。

 あまりにも弱かったため、台頭するまでユグドラシルプレイヤーとは思われず、正体が判明するまでにツアーと信頼関係を築けたから。

 結末こそ後味の悪いものとなったがツアーの精神性を大きく成長させる交流であった。

 

 そうして更に二百年後。

 死の神スルシャーナと同じオーバーロードにツアーは出会う。

 彼はツアーが出会った今までのユグドラシルプレイヤーとは一線を画した存在だった。

 隔絶した強さを持つユグドラシルプレイヤーは良くも悪くも我が強く、善と悪、どちら寄りであっても弱者にいきなり莫大な強さを与えたかのような不安定さがあった。

 けれども彼は違う。

 

「俺はユグドラシルプレイヤーだ。俺の家族がひっそりと平穏に生きるための場所をどうか提供してほしい」

 

 キーノに連れられてわざわざ本体の自分にまで会いに来た彼は異形の姿をあらわにするとそういって頭を下げると、ワールドアイテムというユグドラシルプレイヤーですら脅威を感じる宝すらも簡単に渡すと言い出す低姿勢さ。

 ツアーの知るユグドラシルプレイヤーではあり得ないことだ。

 

 ドラゴンという種族である以上、涎が出るほどの貢ぎ物であったが報酬と依頼内容があまりにも釣り合わないため不審がり、受けとるのを躊躇したのは仕方のないことだろう。

 目の前のアンデッドは間違いなく今まで見てきたユグドラシルプレイヤーでも上位に位置する化け物だ。少なくとも十三英雄のリーダーやスルシャーナよりは格上。

 拠点ごとやってきていた場合、ツアーに頼まなくても自力で領域を作りかつての八欲王のように国を興しても不思議ではない存在。

 更に目の前の黄金の杯もケイ・ セケ・コゥクのようなものであった場合目も当てられない。

 そんなツアーの心境を読んだのかオーバーロードは「安心しろ。これは所持者とその仲間のキャラデータの改変しか出来ないものだ」といって放り投げる。慌ててツアーは爪の先で器用にキャッチして睨む。

 変わっているとは思ったが、貴重なアイテムを杜撰に扱うこのアンデッドも所詮はユグドラシルプレイヤー、かと。

 

「わかった。君たちが静かに暮らしていける場所を提供しよう。ここから半径十数キロだ。問題はあるかい?」

 

 しかし、了承はした。

 ワールドアイテムとプレイヤーは野放しには出来ない。

 だから手元で監視する必要がある。

 こんな秘境へやってきた時点で予想はしていたのだろう。二つ返事でオーバーロードは「ないな」といって二人のファーストコンタクトは終えた。

 

 王国と帝国の境にあったオーバーロードのギルド拠点を何か非常な無理をしたのを窺わせる手段でツアーの領域に転移させた後、彼らは驚くべきほど静かだった。

 強いて言えばオーバーロードに付き従う何人かの強大な者たちから尋常ではない敵意を浴びせられていたがそれだけだ。

 何もせず、墓守りのように沈黙を続けて、キーノが所属していたチームメイトが老衰で死ぬほどの歳月を得てようやく己の心配が的外れであるという事実を認めた。

 

 例外は百年に一度。

 ユグドラシルから来訪した者たちが現れたときだけ。

 世界を乱す者が台頭すると直ぐ様全勢力を駆使して善なる者ならその力を振るえない環境へ。悪しき者なら討ち滅ぼした。

 ツアーは神の審判が実際にあるのならこのようなものを指すのだろう、と思う。

 

 審判の百年を幾度も繰り返し、いつしか目の前のオーバーロードとは何者よりも親しい付き合いとなっていたがツアーは彼の名前を知らない。

 以前、名前を尋ねたとき、自分はオーバーロードであって何者でもないと強調をするので追及は避けた。あまりにも根深い心理的な要因が見てとれたから。

 だが、その時に彼が思わず漏らした台詞をツアーは死ぬまで忘れない。

 彼が今こうしている原動力となっている理由を集約した万感を込めた言葉を。

 

「俺はさ、ヘロヘロ(なかま)に報いるにはこう生きるしかなかったんだ」

 

 ヘロヘロの残滓が遺したのは。

 この脆弱な世界を影から護るこれ以上ない守護者だった。

 オーバーロードがこの在り方を変えることはない。

 あまりにも満足そうに死んでいったヘロヘロの死に顔を忘れない限り。

 永遠に。




完結までお読み頂きありがとうございました。


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