DEVIL SURVIVOR 2  You changed my world. (ルーチェ)
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Prologue 平穏の土曜日 -1-



「デビルサバイバー2」の二次小説です。
ニンテンドーDSソフト「デビルサバイバー2」
TVアニメーション「DEVIL SURVIVOR2 the ANIMATION」
アース・スターコミックス「デビルサバイバー2 Show Your Free Will 」
Gファンタジーコミックス「DEVIL SURVIVOR2 the ANIMATION」
上記4作品を自分の中で消化し、新たな物語として再構成したものになります。

登場人物はほぼ原作通りですが、オリキャラを主人公にしたため、うさみみフードの少年は出てきません。
悪魔使いは13人という数が相応しく、またうさみみ少年が活躍する機会がないからです。

物語の中でヒロインが語ることは、作者自身の気持ちです。
ゲームをプレイした時はまず実力主義ルートでクリアしたのですが、「これじゃない」感があって、全ルートクリアしてみました。
ですがそれでも納得できるものがなく、ならば自分で別の形のエンディングを作ってしまおうということになった訳です。

ヒロインはかなりのチートキャラですが、それについてはご勘弁を。
でも才能があって、子供の頃から訓練を受けていればビャッコくらいは召喚できるはずとして、彼女は初期から大活躍する設定です。
また峰津院家に引き取られて教育を与えられているため、普通の17歳より知識や学力はるかに上です。しかし未熟な部分もあります。

また物語の流れの上で、ヤマトの父親の名前を出さざるをえなくなったため、「峰津院瑞穂(ほうついんみずほ)」と勝手に命名してしまいました。国の守護者としての名前なので、命名に苦労しました。またヤマトの母親は彼が生まれてすぐに亡くなったということにしています。

登場人物のセリフの中で原作(上記4作品)で使用されたものと同じものも含まれますが、それはパクリではなく、自分の言葉に置き換えようと十分に考えた末に、その言葉がもっとも相応しいと考えて使用しています。

ヒナコとケイタの関西弁に関してはかなり怪しいです。ネイティブの方からすると「ちゃうやん」と思える部分もあるでしょう。これもご勘弁を。


以上、注意点。続いて、主人公設定。

名前:紫塚雅(しづかみやび)
年齢:17歳
誕生日:11月9日
外見:腰まで届く黒髪を後ろでひとつに束ねている
特技:速読、美味しいお茶を淹れること
趣味:読書(特に好きなジャンルはなし。興味があればなんでも読む)

7歳の時にジプス局員だった両親を事故で亡くし、峰津院家に引き取られた。
使用人(見習い)として働き、将来の戦力として教育される。
ある出来事がきっかけでヤマトに認められ、専属の使用人(という名目の学友)となり、彼と同じ学問を身につけていった。
14歳でジプスに入局。一般局員を経て、局長補佐となる。
そして《審判の日》の半月前に東京支局長に就任した。





 

朝から秋らしい青空が広がり、峰津院家の庭のイチョウは鮮やかな黄色の葉を散らしていた。

この時期にしては少し肌寒いが、落ち葉の絨毯が柔らかい午後の日差しを反射している。

この穏やかで静かな日常が今日で終わりとなることを知る者は数少ない。

 

《古よりの盟約》に記された《審判の日》が明日に迫っていた。

国民の殆どは明日に訪れる有史以来最悪の大災害のことを知らないでいる。

哀れだがこれは仕方のないことである。

仮にそのことを国民に告げればどうなるかは火を見るより明らかだ。

もっと悲惨な結果を迎えるとわかっているからこそ、政府は国民には公表しないと決めた。

これは当然の処置である。

人類は神 ── ポラリスの審判など受けずとも自滅する。それほど人類とは愚かで儚い存在なのだ。

 

そんなことを考えながら、紫塚雅(しづかみやび)は主のもとへと向かって歩いていた。

彼女の主とは峰津院大和(ほうついんやまと)のこと。

平安時代から続く名家の嫡男である彼は、2年前の15歳の誕生日に父親の峰津院瑞穂(ほうついんみずほ)から当主の座を受け継ぎ、同時にジプス局長に就任した。

ジプス(JP’s)とは「Japan Meteorological Agency, Prescribed Geomagnetism research Department」の略で、気象庁指定地磁気調査部という名称が正式なものである。

《古よりの盟約》に記された《審判の日》に備え、ジプスの創始者である峰津院の血脈を持つ者が代々局長を歴任してきた。

ジプスは国の組織であるが、その実態を知る者は政府のごく一部の人間だけである。

ジプスの活動内容が国家機密に属する以上、その存在理由や任務内容等については公にできるものではないのだ。

そのジプスのトップに君臨する17歳の青年 ── 実年齢よりはるかに大人びていて少年とは言い難い ── はジプスの最高権力者として多忙な毎日を送っていた。

その補佐をするのがミヤビの役目である。

朝から局長補佐として官公庁の関連部署との最終調整やジプスのパトロンである代議士や大臣らとの連絡など、ヤマトに言わせると「愚民どもに関わる雑事」という仕事を半日かけて終わらせたばかりだ。

峰津院家の本宅は京都にあるが、それは長い間日本の都が京都であったからである。

そのためジプスの本局も大阪にある。

それが明治維新後に東京が首都となったため、峰津院家は屋敷を東京にかまえることとなった。

日本の政治の中心が関西から関東に移ったことで、ジプスの中枢も移動せざるをえなかったからだ。

東京支局が永田町の国会議事堂の地下深くにあるのも、ジプスのパトロンである政治家らが峰津院の人間を自分たちの手元に置きたがったためで、よって東京支局が実質的な本拠となり、ヤマトも通常は東京支局で采配を振るっている。

ヤマトにとってもっとも忌み嫌う人種 ── 彼の言葉を借りるなら「俗世の毒に染まり切っている無能」── に頼らざるをえない状況は、彼にとってもっとも不本意なものであろう。

しかし国の守護という目的のためにはやむなしと、彼は割り切って己の務めを果たしている。

この国でジプスの果たしてきた役割は大きい。

ジプスはこの国の霊的防衛を司ってきた組織で、国の中枢への影響力も計りしれないものがあったが、峰津院の名が歴史の表に出ることはなかった。

峰津院の人間がこれまで世の中で認められることがなかったのは、彼らが偽りの強者によってその存在を隠ぺいされ、影の存在であることを強制されてきたからであった。

力あるゆえに時代の為政者によって恐れられ、不遇な立場に甘んじるしかなかった。

それでも峰津院一族が綿綿と国防を担ってきたのは一途にこの国を憂い、愛してきたからである。

つまり峰津院一族の犠牲によって今の我々の暮らしがあるといえるのだ。

 

 

 

 

ミヤビはヤマトの私室の前で深呼吸をし、自分の服装のチェックをした。

ヤマトは厳しい人間である。

峰津院家は国内有数の名家であり、彼は幼い頃からその当主として相応しい教育やしつけをされてきた。

よって自分に厳しく、他人にも同等のものを求めようとする。

もっとも完璧を求めるのは無理だと本人が一番良く知っているので無茶な要求はしないのだが。

だからこそ些細なことで注意を受けぬよう、ミヤビは常に心がけていた。

ミヤビはドアをノックする。すると中から穏やかだが威厳のある返事がした。

 

「入れ」

 

ヤマトの許しを得て、彼女はドアを開けた。

 

そこは峰津院家当主が日常の激務から解放される唯一の空間である。

高級ホテルのスイートルームと見紛うほどの広さがあり、かなりの年代物とわかるアンティーク家具が鎮座している。

そして部屋の主は窓際にある安楽椅子にゆったりと腰を掛けていた。

 

「関係官庁との擦り合せ、及びジプス本局並びに各支局との最終確認は完了いたしました。なお詳細については ── 」

 

ミヤビが詳細の書かれた書類を渡そうとしたが、ヤマトは軽く手を挙げてそれを遮った。

 

「ご苦労だった。お前の仕事は常に迅速、丁寧かつ完璧だ。確認するまでもなく、その成果は承知している」

 

「恐れ入ります」

 

ミヤビは恭しく頭を下げた。

 

「おかげでチェスを一局楽しむくらいの時間ができた。相手をしろ」

 

「はい。ではその前にお茶をお淹れいたします」

 

そう答えたミヤビはアンティークな部屋に似つかわしくない唯一の家電であるIHコンロで湯を沸かし、緑茶を淹れる支度を始めた。

そのてきぱきとした仕事の様子をヤマトは横目で見ながら思った。

 

(いつもながら手際が良いな。ひとつひとつの所作も無駄がなく洗練されている)

 

そんな感想を抱きながらチェス盤に視線を戻す。

 

(こうしてミヤビとチェスを楽しむのもこれが最後になるか否か。それはあいつ次第だな…フッ)

 

ヤマトはほくそ笑むと駒を並べ始めた。

 

「ヤマト様、何か良いことでもございましたか?」

 

ミヤビは湯呑茶碗を載せた盆を持ったまま、ヤマトに訊いた。

 

「いや、そういうわけではない。…だが、なぜそう思う?」

 

「微笑んでいらっしゃるから。ヤマト様のそのような表情を見たのはしばらくぶりでしたので、何か嬉しいことでもあったのかと思ったんです」

 

「まあ…嬉しいといえば嬉しい、か。なにしろ長年にわたる峰津院家の悲願が叶う時がとうとう来たのだ、これほど喜ばしいことはない。その勝利の美酒を共に味わう相手のことを考えていたのだからな」

 

「そうですか…。その方がどなたなのかわかりませんが、ヤマト様の隣にいらっしゃるのですから、さぞかし素晴らしい方なのでしょうね」

 

「ああ。しかし本人が自分の価値をどれだけ知っているのか疑問だがな。さあ、始めるぞ」

 

「はい」

 

ミヤビは湯呑茶碗を盤の脇に置くと、ヤマトの向かい側の椅子に腰掛けた。

 

 

 

 

「チェックメイト」

 

ヤマトの黒のルークがミヤビの白のキングを追い詰めている。

ミヤビは自分のキングを倒して言った。

 

「リザイン(投了)です。さすがはヤマト様ですね」

 

ミヤビの言葉に、ヤマトは少し呆れたような言い方をした。

 

「ここまで私を追い詰めておいて良く言うな」

 

事実、盤の上ではほぼ互角の勝負のように見える。

 

「しかし詰めが甘い。それとも私に花を持たせようとして手を抜いたか?」

 

「いいえ、そんなことはございません。全力を尽くした結果がこれです。どんな場合においても手を抜けばヤマト様に軽蔑されてしまいます。この結果が示すのは、わたしの腕前がまだヤマト様の域には達していないということ。これがわたしの本気の限界です」

 

「フム…たしかにお前の戦い方を見るに戦略面では優れているのだが、戦術面で劣る部分があるのは否めない。特にコンビネーションに関しては度胸がないというか、甘い手が目立つぞ」

 

コンビネーションとは駒の犠牲を払って優位な形やチェックメイトを狙うものである。

チェスにおいては相手より駒が多いか少ないかが重要な意味をもつ。

駒の価値は一般に、ポーン=1点、ナイト=3点、ビショップ=3点強、ルーク=5点、クイーン=9点とされ、合計点数が1点でも違うと大きな差となる。

戦略面で重要なポイントであるためミヤビは深く考えすぎてしまい、甘い手と言われても仕方がない結果となってしまったのだ。

 

「しかしこの私と互角に戦えるだけの力はある。誇っても良い」

 

「はい、ありがとうございます」

 

ミヤビは最高の賛辞に身が震えた。

ヤマトは滅多に他人を褒めない。

そんな彼が褒めるということは、その言葉どおり誇っても良いということだ。

ヤマトの自分に厳しく他人にも厳しい態度は仕事においてさらに顕著に表れる。

例えばジプス局員が任務でミスをした場合、彼の反応は2種類ある。

局員に対して厳罰を与える場合と、何のお咎めもない場合だ。

任務内容の重要性とか、ミスの度合いなどで反応が変わるのではない。

彼が叱るのはその局員に伸び代がある場合のみで、そうでないと叱りもしない。

つまり叱らないというのはその局員に対して何も期待していないという証拠である。

ミヤビもジプスに入局したばかりの頃には慣れない仕事でミスを繰り返していた。

毎日のようにヤマトに叱咤されていたが、彼女はそれをヤマトの期待の大きさであると理解して歯を食いしばってきたのだ。

そのおかげで彼女は東京支局長兼局長補佐という役割を完璧に勤めている。

当初は経験の浅い少女に対してベテラン局員は彼女を軽んじていたが、彼女が実力を見せつけて局員を納得させた。

そこまで成長した彼女のことをヤマトは頼もしく、そして好ましく思っている。

その”好ましい”という気持ちがミヤビにはしっかりと伝わっているのだが、それゆえに彼女は複雑な気持ちも抱いていた。

 

ミヤビはポケットに手を入れて、中から父親の形見の懐中時計を取り出した。

 

「あと30分ほどでお迎えの車がまいります。お支度をなさってお待ちくださいませ」

 

「わかった。後は頼む」

 

ヤマトはそう答えると、寝室のドアを開けて中へ消えていった。

彼の背中を見送ったミヤビは湯呑茶碗を片付けると、部屋をゆっくりと見渡した。

 

(わたしがこの部屋へ初めて入ったのは5年前。ヤマト様にお仕えすることに決まって、メイド頭に連れて来られた日のことを今でもしっかりと覚えているわ)

 

彼女は微笑みながら昔を懐かしむ。

 

(ヤマト様はわたしを単なる使用人としてだけでなく、ひとりの人間として認めてくださった。さらに同じ学問を与えてくださったおかげで、わたしはあの方のお仕事をサポートできるようになった。だからわたしはこの命を賭してでも、あの方のために働かなければならないのよ)

 

彼女の視線が書棚にある1冊の本の背表紙で止まった。

 

「これって…」

 

ミヤビは『Ecce homo』というラテン語のタイトルの書かれた革張りの本を取り出す。

『Ecce homo』とはフリードリヒ・ニーチェが1887年の秋に書いた自伝で、邦題は『この人を見よ』である。

彼女はページをパラパラとめくり、ヤマトとニーチェについて語り合った時のことを思い出した。

 

 

ミヤビが郵便物を届けるためにヤマトの私室を訪ねた時のこと、彼はソファーに腰掛けて革張りの本を読んでいた。

ジプス局長に就任する約2ヶ月前、ヤマトはその準備をするために毎日多忙で睡眠時間も十分でなかった。

しかしそんな彼が休憩時間に読書をしており、それを見せられたミヤビは感心するというよりも尊敬してしまった。

 

「ん? 何だ、ミヤビ?」

 

ミヤビが側にいたことに気が付き、ヤマトが彼女に声をかけた。

 

「お邪魔してしまい申し訳ございません。郵便物をお届けにまいりましたら、お忙しいヤマト様の僅かな時間でも無駄にせず、さらに自らを高めるという姿を目にして感銘を受けていました」

 

そう言うと、ヤマトがいつも眉間に寄せているシワが一瞬消えたようにミヤビには見えた。

 

「そこに座れ」

 

ヤマトが自分の向かい側の席をミヤビに勧め、本を閉じてテーブルの上に載せた。

その時、ミヤビには『Ecce homo』という本のタイトルが見えて、つい顔がほころんでしまった。

 

「何がおかしい?」

 

ヤマトにそう聞かれてミヤビは我に返る。

 

「いえ、いかにもヤマト様らしい選択だと思ったものですから。…たしかそれには『善悪において一個の創造者になろうとするものは、まず破壊者でなければならない。そして、一切の価値を粉砕せねばならない』という言葉があった気がします」

 

「良く知っているな」

 

「ヤマト様のように原文で読むことはできませんが、書庫にある邦語訳版で読みました。ニーチェの思想には共感する部分があり、印象深い言葉は記憶に残っています」

 

「ほう…。ならば好きな言葉はあるか?」

 

「はい。『怪物と戦う者は、自分も怪物にならないよう注意せよ。深淵を覗き込むとき、深淵もまたお前を覗き込む』と『悪とは何か? 弱さから生じるすべてのものだ』です。これは特に深く考えさせられた言葉で、胸に深く刻まれています」

 

「では強者と弱者についてお前はどう考える?」

 

そう問われ、ミヤビは少し考えてから言葉を選んで答えた。

 

「弱者とは『みんながそう言うから』といって自分で良し悪しを決められない人のことであり、強者とは自分で決められる心を持つ人のことを指していると考えます」

 

そう答えると、彼は声を上げて笑った。

 

「ハハハ…さすがだ。お前が哲学にも造詣があったとは想定外だった。お前はまだまだ私を驚かせてくれるようだな」

 

「恐れ入ります」

 

「…そうなると、ポラリスによる審判は地球が病を患っていることが原因なのだろうな」

 

「『ツァラトゥストラはかく語りき』の『地球は皮膚を持っている。そしてその皮膚はさまざまな病気も持っている。その病気のひとつが人間である』ですね」

 

「ああ、そうだ」

 

ヤマトはミヤビが自分の問いにポンポンと答えを返してくれるのを心地良く感じていた。

ヤマトにとって同世代の人間といえば彼女だけで、あとは父親を含めた大人ばかりである。

大学から呼び寄せた教授や博士といった大人たちとしか交流のない彼にとって、ミヤビの存在は特別なものといえる。

そんな彼女が自分と対等に会話できるのだから楽しいに決まっている。

彼女は使用人という身分であったが、自分と同じ教育を与えようとしたのもそれが理由である。

おかげでまだ14歳であり見た目は少女であるが、その辺の大人よりずっと聡明で洗練された思考を持つに至った。

賢くて向上心の強い彼女がヤマトのお気に入りなのは当然である。

 

「お前の成長には目を見張るものがある」

 

ヤマトは感慨深げに言う。

 

「来るべき審判の日に、お前の力は不可欠だ。これからもずっと私の側にいろ。私を失望させることなく、更なる高みを目指せ」

 

「はい。他人によって運ばれるのではなく、自分の足を使って高く登ります」

 

ミヤビはニーチェの言葉「高く登ろうと思うなら、自分の足を使うことだ! 高いところへは、他人によって運ばれてはならない。人の背中や頭に乗ってはならない!」を引用して答えた。

するとヤマトは満足そうな笑みを浮かべて頷いたのだった。

 

 

 

 

(ヤマト様はわたしを信頼してくださっている。今のわたしがあるのはあの方のおかげだもの。あの方のためならどんなことだってできるわ)

 

ミヤビは書棚に本を戻しながら、心の中で呟く。そして続けた。

 

(…でもきっとわたしがやろうとしていることはあの方が望んでいることとは違う。それはあの方の信頼を裏切ることになるのでしょうね。それでもわたしは迷うことなく進むわ。わたしは5年前の誓いを守る。そう決めたんだもの)

 

その言葉どおりミヤビの瞳に迷いはない。

彼女はこれまでにいくつもの重要な場面で正しい選択をしてきたという自信があるからだ。

それはヤマトから与えられた学ぶ機会と、彼女自身の向学心や価値観といった様々な条件によって培われたものである。

再びミヤビは部屋をぐるりと見渡した。

彼女にはもう二度とここへ戻って来ることはないという確信がある。

だから思い出の場所を目に焼き付けておこうということなのだ。

といってもいつまでも感慨に耽っている時間はない。

名残惜しげに部屋を出ると、自分の部屋へと足を向けた。

 

 

 

 

ミヤビは自室でジプスの制服に着替えた。

ジプスでは一般局員は黄色を基調とした制服で、上級局員になるとそれが黒色のものになる。

彼女も入局してからずっと黄色の制服を着用していた。

しかし東京支局長というポストを与えられた ── ヤマトに言わせればミヤビ自身が実力で勝ち取った ── ことにより、幹部用のものを着用するようになった。

シャツとネクタイ、膝上20センチのミニスカート、ニーハイブーツ、そして幹部のみが着用を許されるロングコート…と全部が黒で統一されている。

鏡に全身を映して自分の姿を確認するミヤビ。

乱れがないかの確認と同時に、ヤマトと同じ制服を着ていることの責任の重さを視覚によって自分に深く刻み付けるためである。

これは彼女が”出陣”する際の儀式のようなものだ。

東京支局長に就任して半月、彼女は毎日この儀式を繰り返してきたが、この日ばかりは少し違っていた。

 

(明日に迫った神の審判によって世界は大きく変化する。これまでの怠惰な日常が消え、新たな秩序による新世界を創造するための破壊が始まるわ。ヤマト様が考える理想の新世界はすべての人間が容易に受け入れられるものではない。多くの人間があの方の考えが真理とわかっていても、それを認めないから。優れたものを認めるのは、すなわち己が劣っていることを認めることと同義。そんなこと誰だってしたくないもの。だからあの方を否定し、邪魔者となる者が多く現れることでしょう。わたしはその邪魔者を排除し、あの方の盾となり矛となることを改めてここに誓うわ)

 

そしてひとつ深呼吸をする。

 

(そして峰津院家の血の呪縛から解き放ち、あの方の魂を救ってみせる。そのためにジプス局員としての正義と、自分自身の正義が相反することもあるでしょう。その時は己の魂を削り、血を吐くような苦しみに合うかもしれない。でも最終的にわたしは自分自身の正義を貫き、それが正しかったことをあの方に証明してみせる。それが償いとなれば良いのだけど…)

 

一瞬だけ哀しげな目をしたが、すぐに彼女はジプス東京支局長としての顔に戻った。

人類の最後の砦となるジプスの幹部としての責任を果たすためには、敬愛する男性のことをだけを考えてはいられないのだ。

 

 

携帯電話のアラームが一六五〇時 ── ジプスでは軍隊のようにこう呼ぶ ── を報せる。

常に5分前行動をするミヤビにとってそれは癖となっていて不可欠な存在だ。

彼女はアラームを止めると部屋を出るとヤマトの私室へと向かった。

今度はブーツを履いているためにコツコツという足音が静かな館内に響く。

朝までは何人もの使用人が働いていたために、どこかしらに人の温もりとざわめきがあったものだ。

しかし明日の《審判の日》を迎えるにあたって、ミヤビ以外の者は今日の午前いっぱいで解雇となっている。

長きに渡って峰津院家に仕えてきた使用人たちは《審判の日》について知らされていた。

彼らは自分の身を守る手段、つまり悪魔使い(デビルサマナー)としての能力を持つ者たちだ。

本来ならこれまでの功績で安全な場所に避難させてやるべきだが、ヤマトはそうさせなかった。

この試練を乗り越えられないようでは生きる価値がないというのが彼の考えだ。

逆に言えばここで生き残ることができるよう鍛えられた者たちなのだから、自力で生き残れという意味である。

ミヤビもその考えに異論はなかった。

 

短い秋の日は沈み、静かな闇が辺りを包み込んでいく。

薄暗い廊下を歩いていると、ミヤビは玄関に一台のリムジンが止まっているのを確認した。

ジプスからの迎えの車が到着したのだ。

ミヤビはヤマトの私室の前で彼を待ち、出て来た彼からアタッシュケースを受け取ると大事そうに抱える。

そして一歩下がって、ヤマトの斜め後ろを歩いて行った。

玄関の重厚なドアを開くと、そこには東京支局の戦闘隊長である迫真琴(さこまこと)が敬礼をして立っている。

 

「局長、お迎えにまいりました」

 

凛とした声と鍛えられた美しい肢体、現場での総指揮を任されるほどの才能と人望を持つ26歳の女性。

彼女はミヤビにとって憧れの存在で姉と慕い、歳は離れているものの唯一友人と呼べる存在でもある。

かつてシンクロナイズドスイミングの日本代表候補であったが、交通事故の怪我で引退し、その失意の中でジプスにスカウトされたという経歴を持つ。

自分の居場所、存在目的を与えてくれたのが局長に就任する少し前のヤマトだった。

そのため彼に対する忠誠心はミヤビのそれに遜色なく、ヤマトのマコトに寄せる信頼も絶大なものである。

 

「迫、ご苦労」

 

ヤマトはマコトに労う言葉をかけるが、ミヤビに見せるような表情はしない。

あくまでジプス局長とその部下という関係でしかなく、個人的な感情を持っていないのだ。

そしてヤマトは黙って後部座席に腰掛け、ミヤビはその隣に座る。

マコトが助手席に座ってドアを閉めると、リムジンはさっと発車した。

 

 

 





《審判の日》の前日、ヤマトとオリ主であるミヤビの日常が少しだけ出てきます。
たぶんこのふたりがチェスをやったら結果はこうなるはず。
哲学的な会話もしていそうです。
ミヤビの行動原理が「すべてはヤマトのため」である理由は、これから少しずつ出てきます。




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Prologue 平穏の土曜日 -2-

夜の帳が落ちた街の中を車は走っていく。

その流れゆく景色を眺めながら、ミヤビは考えていた。

 

(いつもと変わらない平穏な日常。しかし明日の今頃はすでにポラリスによる審判は始まっていて、人間に限らずすべての生物は力のないものから消えていく…。力のあるものが生き残り、力のないものが死んでいくというのは自然の摂理だけど、感情というものを持つ人間にとってはそれを素直に受け止めることは難しい。そもそも知恵や技術で補ってはいるものの、肉体的に劣る人間が生態ピラミッドの頂点に君臨することが摂理に反するものだわ。だからポラリスは人間を滅ぼしてしまおうというのかしら…?)

 

ミヤビは何気なく隣のヤマトを見た。

ヤマトはぼんやりと車窓の景色を眺めているようだ。

その視線の先には秋祭りの屋台とたくさんの客が楽しそうに歩いている光景がある。

大きな飾り熊手を抱えている者もおり、場所と時期から察するに新宿花園神社の大酉祭であろうと彼女は判断した。

 

(ヤマト様の目にはこの景色がどのように映っていらっしゃるのでしょうか? あなたの目にはくだらないちっぽけな人間たちが群れているようにしか見えないのかも知れませんね…)

 

ヤマトの脳裏にあるのは強者のみによって形作られる実力主義の世界。

彼の掲げる実力主義とは年齢や性別、容姿、学歴などを一切考慮せず、その実力によってのみ人を評価するもの。

適度な実力主義は組織内や集団における切磋琢磨や望ましい競争を誘引するが、ヤマトは「弱者は生きるに値しない」という苛烈極まりない思想の持ち主だ。

もし彼の意に沿った世界が生まれたなら、彼の目に止まることすらないような大多数の人間は、日々を生きることすら難しくなるだろう。

ヤマトの目の前を過ぎていく人々は、彼にとって救う価値のない者である。

事実、視線は車窓に向けられていても、彼の意識はそこになく、新世界の創造へと思いを馳せていた。

 

帰宅ラッシュ時と重なり、道路は混雑していた。

さらに信号によって車は何度も一時停車する。

それを忌々しいといった感じでヤマトは眉を顰める。

しかし車の横を通り過ぎた若い男女、正確には男性の持つ経木の箱に視線が注がれた。

まるで宝でも見つけたかのように目を大きく見開き、僅かだが身を乗り出している。

それが気になったミヤビはヤマトに声をかけた。

 

「ヤマト様、いかがされましたか?」

 

するとヤマトは自分が不自然な行動をしていることに気づき、悟られないように身を正した。

 

「いや、何でもない。…ところであの男が食べているものは何か知っているか?」

 

興味はないのだが、つい目に入ったので気になったという素振りでミヤビに訊いた。

 

「あれはタコ焼きという庶民の食べ物です」

 

「タコ焼き?」

 

「はい。小麦粉に卵やだし汁などを加えた生地に小さく切ったタコを入れ、特別な形状の鉄板で丸く焼いた料理です。関西、特に大阪では日常的に食するようですが、その他の地域ではお祭りなど特別なイベントの屋台で供されます。神社のお祭りで屋台もたくさん出ていますから、そこで購入したものでしょう」

 

「ほう…。しかし歩きながら食べるというのはいかにも下賤の者どもの料理だな」

 

馬鹿にしたような言い方だ。

彼のような上流階級のお坊ちゃんであれば、歩きながら物を食べるなど下品で許しがたいものなのだろう。

 

「そう思われても仕方がありませんが、こういう雰囲気で食べるからこその醍醐味というのもあります。それに案外美味しいものですよ。わたしは好きです」

 

ミヤビが肯定する料理であることもあって、ヤマトはタコ焼きにますます興味を抱いた。

 

「お前は食べたことがあるのか?」

 

「はい。わたしが峰津院のお屋敷に引き取られる少し前のことです。まだ健在だった両親と一緒にこのようなお祭りへ出かけ、屋台で買ったタコ焼きを食べました。…ただ、わたしにとってタコ焼きの味は両親との最後の思い出と重なって、特別な思い入れがあるものですから余計に美味しいものだという記憶になっているのかも知れません」

 

ヤマトの知らないものを一方的に賛美するのも憚られ、ミヤビはそう答えて寂しげに微笑んだ。

彼女の両親が事故で他界したのはその翌月のことで、それから10年以上経った今でも鮮明に思い出されるのだ。

 

信号が青に変わって車が動き出した。

祭りの屋台や客らの姿はあっという間に後方へ過ぎ去って行く。

それに合わせてミヤビも過去の記憶を胸の奥に押しやり、今の状況について整理した。

 

(夕方のラッシュは考慮していたけど、祭りのせいで道が混雑することに気がつかなかったのはわたしのミスだわ。このままだと到着が予定より10分以上も遅れてしまいそう。ヤマト様の貴重な時間をわたしのせいで無駄にはできない。えっと…今いるのはここだから…)

 

ミヤビはタブレット型端末で地図を表示し、新たなルートの検索を始めた。

そして新たなルートを選ぶと、それを運転手に指示する。

その間ヤマトは何も言わずに彼女の様子を横目で見ていた。

 

(相変わらず指示しなくとも自ら考え、即座に行動する。ミヤビは私の望むことをいち早く察知し、完璧な形で実践する。私の手駒の中では最高の駒だ。あの事故がなければ彼女は才能を開花させることもなく、朽ち果ててしまったことだろう。あの事故はまさに天啓であったのだな…)

 

ヤマトは10年前の事故と、それに続くミヤビとの出会い、そして彼女が初めて悪魔召喚した時のこと思い出していた。

 

 

 

 

峰津院家の管理する龍脈施設は全国各地にあるが、東京・大阪・名古屋の各タワーに龍脈を供給する主たる施設が富士山麓にある。

古くから信仰の対象となってきた富士山だが、それは日本という国の霊的守護の最重要地点であるからだ。

その富士山の急所とも言うべき場所に楔を打ち込み、各地へ流れる龍脈の量を調整している。

重要な地点であるからここを管理するためのジプス局員は特に霊力が高く、過酷な環境にも耐えうる強靭な体力と精神力を要求される。

ミヤビの両親はその資格を有しており、先代のジプス局長であったヤマトの父親に見出された。

優秀な局員であり、局長から期待されていたふたりであったから、もっとも重要な任務を与えられていたのだが、それがアダになってしまった。

事故というのは想定外の悪魔の出現によるものであった。

地震によって封印が解かれた土地から悪魔が地上に出てしまったのだ。

ミヤビの両親は技術者でありながら同時に優れた悪魔使いでもあった。

彼らは戦闘中に負傷し、さらに悪魔の攻撃によって暴走したシステムを回復するために命を賭したのだった。

両親そろって殉職したという悲劇に見舞われたミヤビは孤児となってしまったのだが、幼い彼女を引き取って育ててくれる縁者はいなかった。

なにしろジプスが極秘組織であるため、局員は親兄弟にも自分の仕事内容や住所を教えることはできない。

そういった理由で親族とは疎遠になり、結婚したことも電話で伝えただけであった。

もちろんミヤビが生まれたことも電話で伝えただけだから、祖父母にとって可愛いはずの孫娘は赤の他人に等しい存在である。

彼らは突然現れた孫を育てようとするはずもなく、ミヤビは孤児院に預けられることとなった。

そんな彼女を峰津院家で引き取ることに決めたのが当主のミズホであった。

ミヤビが両親に似て高い霊力を有していたという理由から、将来のジプスの戦力にするつもりで引き取ったのだが、ミズホの心の中に彼女に対して罪の意識があったのも事実である。

その証拠に立場上使用人という身分としながらも屋敷の母屋に部屋を与え、欲するものは可能な限り与えていた。

峰津院家の事情ゆえに同世代の子供のように学校へ通うことは許されなかったが、彼女はそれ以上のものを得ることができた。

なにしろ10歳で高等学校卒業程度認定試験に合格するレベルの学力と、神獣ビャッコを召喚するだけの力を備えるに至ったのだから。

そして“あの”ヤマトが唯一認めた人間がミヤビであり、そのきっかけとなった出来事が起きたのは7年前のことである。

 

その出来事というのはとある深夜に起きた。

珍しく寝つけずにいたヤマトは本でも読もうかと書庫へ向かったところ、薄暗い廊下の床に一筋の光が見えた。

それは書庫のドアの隙間から漏れたものだとすぐわかり、彼は足音を立てずにそっと近づいた。

夜更けに書庫の明かりが灯っているというのは、掃除をした使用人が点けっぱなしにしたか、もしくは不審者の侵入のどちらかである。

前者である可能性が高いが、後者であることも考えての慎重な行動だ。

そしてドアの隙間から中を覗き込むと、床に座りながら懐中電灯の明かりを頼りに本のページをめくっているミヤビの姿が確認できた。

不審者ではないことはわかったが、なぜ深夜に書庫で本を読んでいるのか疑問に思い、ヤマトはドアを開けた。

ドアの開く音に驚き、さらに姿を現したのがヤマトであったことで、ミヤビは心臓が止まってしまうかというほど驚いた。

そして反射的に床に頭を擦りつけるようにして土下座をした。

 

「そこで何をしていた?」

 

特に怒っているのではないのでヤマトの声は普段と同じなのだが、ミヤビにとっては自分の人生がここで終焉を迎えるのだと言わんばかりに謝った。

 

「申し訳ございません、ヤマト様!」

 

「勘違いするな。別にお前を叱っているのではない。私はお前がこんな時間に書庫で何をしていたのか訊いているのだ」

 

その言葉にミヤビは土下座したままで答えた。

 

「本を読んでおりました。使用人が夜間に仕事以外で自室を出ることを禁止されていることは知っておりますが、読みかけの本がありまして、つい規則を破ってしまいました」

 

「使用人が深夜に~」という規則はヤマト自身も知っている。

もちろんミヤビが使用人であることも。

本来なら彼女に罰を与えるものなのだが、ヤマトは規則違反をしてまで読みたかったという本の内容が気になった。

 

「規則違反については私が決めたものではないので咎めはしない。ところで何の本を読んでいたのだ? ここには子供の読むような本はないはずだが」

 

そう訊くと、ミヤビは本を閉じて表紙を見せながら答えた。

 

「ゲーテの『ファウスト』です」

 

学問を究めた男ファウストが「結局何もわからない」と人生に悲観し、自殺しようとする場面から『ファウスト』の物語は始まる。

ファウストは悪魔メフィストフェレスに出会った。

「広い世界を全て経験させてやる」とメフィストは約束し、代わりに幸福の絶頂の言葉をファウストが発した(=満足した)時、その魂をいただく契約を交わす。

ファウストは魔法で若い頃の自分になり、少女グレートヒェンに一目惚れし、罠にかけ、たぶらかし、身ごもらせてしまった。

グレートフェンはファウストと逢い引きする為に母に飲ませた睡眠薬の分量を誤り、母を死なせてしまう。

彼女の恋愛に怒った兄はファウストと決闘するが、メフィストの手助けにより殺されてしまう。

やがてファウストは金に目がくらみ彼女を捨てるが、子を産んだ彼女は悲しみのあまり気が狂ってその子を殺し、死刑囚として牢獄につながれる。

当のファウストは、そんなこととは露知らず、酔いしれていた。

しかし、そこで彼は苦しむ彼女の幻を見る。

そしてメフィストの力を借りて彼女を助け出そうとするが、彼女は悪魔と手を結んだ彼の助けを拒み、牢獄にとどまりそして死ぬ。

第二部に入るとメフィストの手助けにより絶世の美女やすべての富を手に入れたりするが、年をとらない彼の前では、女性の美しさなど一瞬のもので、富も意味をなさないことを知る。

後に残ったのは、年をとらないが故の永遠の苦しみだけだった。

ある日、波に洗われる荒涼とした海辺の土地を眺めながら、民とともに荒れた地を整え、世界を作り治すことを思いつく。

この天地創造にも似た事業に生き甲斐を見いだしたファウストは、「日々、自由と生活のために戦うものこそ、自由と生活を享受するにふさわしい」と悟り、ついに「この瞬間よ、止まれ、おまえはいかにも美しい」と叫び、“満足”することができた。

賭に勝ったメフィストフェレスは彼の魂を地獄へ連れ去ろうとするが、天国から来たグレートヒェンの願いが聞き入れられ、ファウストは天使たちにより天国に導かれる。

 

大人でも難解なストーリーを理解できる者は多くない。

まして10歳の子供にはこの哲学的な内容を把握できるはずがないのだ。

だからヤマトはミヤビが嘘をついていると思った。

何か他のことをしていてそれを誤魔化すために適当な本を差し出したに違いないと考え、意地悪な質問をしてやろうとほくそ笑んだ。

 

「『ファウスト』とは恐れ入ったな。それでお前はどこまで読んだ?」

 

「第二部の途中です。海辺の土地の干拓事業に乗り出すところまで読みました」

 

読んでいたというのは嘘ではなかったようで、それも半分以上は読み終わっているらしい。

しかし読んだといっても理解していないのでは意味はない。

 

「ほう…ではそこまでのストーリーの中で印象深いシーンは何だ?」

 

「それは…」

 

そう言ってミヤビは口を閉ざした。

案の定、理解していないのだとヤマトは思ったが、それが自分の思い違いであることにすぐ気づかされた。

 

「牢獄に繋がれたグレートヒェンが悪魔と手を結んだファウストの助けを拒み、自らの罪を死によって贖い、清らかな魂となって天国へ迎えられるという第一部の最後の部分です。悪魔の手を借りて生き長らえるよりも、清い心のままで死んでいくというのはいかにも素晴らしく見えますが、わたしにとっては共感できるものはありません。彼女は罪人だから死ぬのが当然であるといえばそれまでです。しかし彼女には何もなかったから、容易に死を受け入れられただけだとわたしは考えます。むしろ生きる目的を持たなかったゆえに、死が魅力的なものに感じたのかも知れません。例えば扶養すべき肉親がいるとか、また果たすべき志がある等の理由があるのなら絶対に死ねません。生きなければならない理由があれば、ファウストと共に逃げて生き延びようとするはずです。彼女に罪があるというのなら、それは母親や嬰児を殺してしまったことより、自ら生きることを拒否したことにあるとわたしは思います。そういった理由からこのグレートヒェンという女性は、わたしには愚かでつまらない人間に感じました。わたしならこんな無様な生き方、そして死に方は絶対にしたくはありません」

 

ミヤビの言葉にヤマトは目を見張った。

自分と同じレベルで物事を考えられる人間がすぐそばにいたこと、それが自分と同じ10歳の少女であったことに愕然としたのだった。

普通の人間ならグレートヒェンの行動を賛美し、悲劇のヒロインの姿に感動したと答えるだろう。

しかし彼女はそれを否定し、大義のためにはあらゆる犠牲も厭わず、自らの魂を悪魔に売り渡してでも成し遂げる覚悟を持っていることを暗に匂わせた。

ヤマトは他人に無関心であったが、生まれて初めて”面白い”と思える人間と出会った。

それがヤマトとミヤビの人生を大きく変える出会いになるとは両名とも知る由もなかった。

しかしこの出会いがなければミヤビは峰津院家にとって都合の良い道具にしかならなかっただろうし、ヤマトも自分のために命を賭してまで行動できる有能な側近を得られなかったはずなのだ。

 

ヤマトは少し考えて、ミヤビに課題を与えた。

 

「最後まで読み終えたところで、お前がこの作品から何を得たのかを私に説明してみろ。私が満足できる内容であれば、今後お前がいつでも自由に本を読めるようにしてやる。どうだ?」

 

ミヤビはすぐに首を縦に振って返事をした。

 

「はい、承知いたしました!」

 

彼女にとって本が読むということは新たな知識を得ることと同時に、友人のいない寂しさを埋めるものであった。

これからは日中の自由時間だけでなく夜間にも読めるようになるというのだから張り切らないわけがない。

しかしヤマトには彼女の心中を察することなどできないから、彼女の態度が不思議で仕方がない。

 

「そんなに嬉しいのか?」

 

「もちろんです。わたしはすべてにおいて貪欲なものですから、得られるものは何でも取り込みたい。知識、知恵、経験…このお屋敷でたくさんのことを学ばせていただいておりますが、それだけでは満足できずにいます」

 

「フッ…お前は面白い奴だな。それで得られたものをどうするつもりだ?」

 

「それはわたしを引き取ってくださった旦那様と次期当主のヤマト様のために使います。旦那様はわたしに期待なさっています。その期待にお応えできないようでは、わたしは生きている価値などないのです。わたしはグレートヒェンのようにすべてを失い、死ぬことによって救われるなどという生き方をするのはゴメンです。わたしには成すべきことがあります。わたしは悪魔と契約しても、峰津院のために生きる覚悟ですから」

 

ヤマトは初対面に近い彼女に期待をしている自分に驚いていた。

さっきの言葉から彼女の価値観を感じ取ったが、本人の口からはっきりと聞かされ確信した。

彼女が欲するものを与え続ければ峰津院への忠誠心は高まり、彼女の成長を促せば峰津院の宿願を叶えるための最強の駒になるだろうと。

3年前に父親が部下の子供を引き取って特別扱いしていたことに疑問を感じていたが、これでその理由がわかった。

彼女は来るべき《審判の日》を迎えるにあたって欠かせない駒のひとつに成りうると考えたからなのだと。

普通の子供が3年間で自分に影響を与える存在になったのは単に特別な教育を与えたからだけでなく、本人にそれを受け止めることができるだけの器があったから。

そしてその器は限りなく大きくて深い。注げば注いだだけいくらでも受け止めることだろう。

ヤマトは読書をするよりも充実した時間を過ごし、その夜は気持ちの良い睡眠を得られたのだった。

 

そして翌日の午後、ヤマトが午後のティータイムを楽しんでいるとミヤビが訪ねて来た。

目的は昨夜の課題の”提出”だが、それにしては早過ぎると訝しむが、ヤマトは彼女が普通の少女ではないことを思い出して部屋の中へ招いた。

彼女は午前中に家庭教師による授業、午後は2時間ほど礼儀作法や霊力の調整などを学ぶのが日課となっている。

つまり午後の課題を終えて真っ先にやって来たのだ。

 

「ずいぶんと早かったが、全部読み終えたのだろうな?」

 

ヤマトは教師が生徒に質問するように訊いた。

 

「はい。朝食の片付けの後と午前中の授業の合間の15分間で読み終えてしまいましたから」

 

「何だと? まだ残りはずいぶんとあったはずだが」

 

「でも全部読み終えました。そして昼食の間に考えをまとめ、ヤマト様に無様だと思われないような感想を言えるように準備は万全にしてあります」

 

「ほう…自信たっぷりだな。ならばさっそく私を納得させてみろ」

 

ヤマトは自分の向かい側にあるソファーを彼女に勧め、ミヤビは腰掛けると深呼吸をしてから口を開いた。

 

「まず『ファウスト』という作品が難解だという理由は内容が難しいからというのではなく、単にファウストがメフィストにあちこち連れ回されているために、読者が迷路に入り込んでしまったかのように迷ってしまうだけのことです。どんなに複雑な迷路でも道はひとつだけですから、惑わされずにいれば内容はそれほど難しくないことに気がつくはずです」

 

「なるほどな。それはもっともな話だ。それで?」

 

「これは神と悪魔のゲームに巻き込まれたファウストという人間のトラジコメディ(悲喜劇)であり、人間は聖人君子にはなれないけど、快楽や欲望に飲み込まれても良いというものでもないというごく当たり前のことを、無駄に壮大なスケールで描いた作品と言えましょう。ファウストは悪人ではありませんが、彼の行動によって周囲の人間が次々に不幸になっていきます。そしてメフィストの思惑のまま、彼は享楽に耽っていきます。それなのに最終的には地獄行きにはならず、天国へ迎えられるというハッピーエンドを迎えることとなりました。ファウストは敬虔な、神の意にかなう生涯を送ったから救われたのではなく、また自分の中の誘惑と闘いそれにうち勝ったわけでもありません。ただグレートヒェンという過去に因縁のあった女性の魂に救われる、つまりエンディングが愛とか恩寵といったものであるということに不満を持ちました。そもそもファウストはメフィストの与えた快楽に対して『時よ止まれ』と言ったのではありません。その言葉は自らが思い描いた理想の社会に対して願いを込めて言ったものですから、メフィストには魂を奪う権利があるでしょうか? まあそれは良しとしても、この物語のラストがあまりに安っぽいものであったことにわたしは失望しました。もっと高尚で哲学的なものになると想像していたのですが、期待はずれでした」

 

ミヤビは自分が感じたことについて正直に話した。

彼女はまだ10歳だ。

その歳でこれだけの感想を持つことができること自体凄いことなのだが、ヤマトは自分を基準 ── 彼はすでに大学レベルの学力を身につけている ── にして彼女を判断しようとしていた。

そんな彼が満足げな笑みを浮かべた。

 

「私も1年ほど前に『ファウスト』を読んだが、お前とほぼ同じ感想を持った」

 

「え?」

 

「好き勝手をして、最後には自分に都合の良い妄想で自己満足して、その代価に魂をファウストに奪われるはずが、神の愛によって救われるなどという安易な結末には納得できないものがあった。…まあ、これは我々が日本人であり、キリスト教の価値観とはそぐわないことによる違和感にすぎないと言ってしまえばそれでおしまいだがな。そして人間はまもなくやってくる神の審判とやらで滅ぼされてしまうことになっている」

 

「…」

 

「キリスト教の救いの教理の定義は『神の恵みによる罪の永遠の罰からの解放であり、神による悔い改めの条件と主イエスにある信仰を、信仰によって受け入れた者に無償で与えられるものである』といったところだろう。しかし現実の”神”は人間に対して何も与えず、永遠の罪から解放などしてはくれない。それどころか己の思い通りにならないという勝手な理由で滅ぼそうとする”敵”である。だからこそ我々は悪魔と契約してでも神に抗い、勝利して新たな世界を創造する道を選んだのだ」

 

「おっしゃるとおりです。神に救いを求めるのは魂が弱い証拠。この作品から教えられた唯一の真理は『強者でありたいなら自分を失わずに未来を見据えろ』ということ。学ぶものは少なかったですが、この真理を得たことで時間の無駄にはならなかったと安堵しています」

 

ミヤビが安堵していたのはそれだけではない。

ヤマトが自分の話を真摯に聞き、同じ考えを持っていると言ってくれたからだ。

自信のない人間の言葉では説得力がないと考え、自信を持つために十分に考えをまとめて言葉を選んだ。

とはいえ相手がヤマトであるから少なからず緊張し、全力を出し切ったとは言えない状態だった。

しかしヤマトは彼女の出した答えに十分満足しているようで、普段は見せない笑顔を見せて彼女を喜ばせる言葉を告げた。

 

「約束どおりお前がいつでも自由に読書ができるよう父上に頼んでおこう。…ああ、お前なら書庫から本の持ち出しも許してやってもいいだろう。ただし睡眠時間を削って日常生活に支障があってはならぬ。よいな?」

 

「はい! ありがとうございます!」

 

ミヤビはまるで洞窟の奥で宝物を見つけた冒険者のように目を輝かせ、全身から嬉しさが伝わってくるほどの笑顔を見せた。

屋敷の外へ出ることもなく、ただ黙々と勉強と悪魔使いになるための訓練、そして使用人としての仕事をすることが今の彼女のすべてである。

それが読書の時間が増えることによって彼女の世界は広がっていく。

乾いた大地に雨水が染み込んでいくがごとく彼女は知識を吸収し、それが心地良くてたまらないのだ。

ミヤビが引き取られて3年経つが、ヤマトは彼女のことを殆ど知らなかった。

しかしこれがきっかけとなり、彼女のことを常に気にかけるようになったのだった。

そしてそれからひと月後に彼女が悪魔使いとして目覚める場に立ち会うこととなった。

 

ジプスの霊力開発機関で訓練を受けていたミヤビが悪魔召喚可能であるという報告を受けたヤマトは、彼女に悪魔召喚をさせることにした。

悪魔召喚は命に関わることなので成人に限って行われる。

未成年で悪魔召喚を試みたのは6歳の時のヤマトが唯一の例であった。

彼はレベル56の魔獣ケルベロスという高位の悪魔を召喚し、周囲の大人たちを震撼させた。

峰津院の血を引く彼だからこそできた快挙であるが、そのヤマトがミヤビの才能を”可能”だと判断した。

ヤマトはミヤビの持つ霊質だと神獣・龍王・霊鳥などが召喚しやすいので、レベル13の神獣ヘケトやレベル14の龍王マカラ、レベル16の霊鳥モー・ショボーあたりを召喚するだろうと考えていた。

ジプス局員の多くは1年から1年半ほどかけて霊力を鍛える訓練をし、それでいてやっとレベル10から15程度の悪魔召喚が可能になる。

彼女はまだ1年には満たないが十分に訓練を受けているので彼らと同レベルの悪魔を召喚できるだろうと考えたのだ。

しかしミヤビは良い意味でヤマトを裏切った。

彼女はいきなりレベル53の神獣ビャッコを召喚したのだ。

悪魔との契約は呼び出した者と呼び出された悪魔が直接戦い、それに勝つことで主従契約を結ぶ。

悪魔に対し人間が力でねじ伏せるというものだ。

しかしそれはレベルの低い悪魔に限ってである。

レベル50を超える高位の悪魔になると簡単には召喚できない上に、戦って力を見せるという手順を踏むことができない。

呼び出された悪魔の意思によるものが大きいのだ。

つまり悪魔自身が召喚者を自分の主に相応しいかどうか決めることになる。

通常、ジプスの召喚システムで悪魔使いが悪魔を召喚する場合、本人の霊力レベルより悪魔のレベルが一段階か二段階下のものを呼び出すよう調整されている。

悪魔よりも力が弱ければ殺されてしまうから、悪魔使い本人の方のレベルが高いのは当然の処置である。

もちろんまれに本人よりもレベルの高い悪魔を呼び出してしまうケースもある。

だからヤマトは焦った。

ビャッコが彼女を主として認めなければ、まだ防御魔法が満足に使えない彼女はビャッコに喰われてしまうしかないのだから。

ヤマトはこの想定外の事態に対処すべく魔獣ケルベロスを召喚し、ビャッコが彼女に牙をむく前に片付けようとかまえた。

しかし流れはさらに彼の想定外のものとなった。

ミヤビはビャッコに怯えることもなく対峙し、数分間の睨み合いの後にビャッコが彼女に屈したのだ。

それはヤマトがケルベロスを屈服させた時と同じで、ビャッコはミヤビの足元に近づくと頭を下げた。

その光景はその場に居合わせたヤマトや研究員たちの時間を止めた。

青白く光を放つ魔法陣の中央でビャッコがミヤビに頭を垂れ、彼女はその頭を優しくなでる。

その神々しい姿にヤマトたちは心を奪われてしまった。

ビャッコは四神のひと柱である。

すなわち彼女は生まれつき神を従えるだけの力を持っていたという証明がされたということになる。

 

そして後に詳細な検査と調査をした結果、彼女の悪魔使いとしてのレベルはすでに60にまで達していたことも判明したのだった。

ここでヤマトは愕然とした。

悪魔召喚の訓練を受けたとはいえ、それは1年足らずのこと。

それでビャッコという自分とほぼ同レベルの悪魔を召喚できるほど、ミヤビは強い霊力を有していた。

賢く、年齢以上の高い学力も身につけた。

彼女は生まれつきの強者であったのだ。

 

ヤマトは思った。

 

(ミヤビは両親の事故さえなければ私と出会うことはなく、出会うことがあったとしてもそれはずっと先のことだろう。そうなると誰も彼女が強者であることに気づきもせず、彼女の才能は市井の中で埋もれてしまった可能性が高い。また偽りの強者によって利用されるか、その力を恐れた者によって才能を握り潰される恐れすらあった。私は運命や神の導きなど信じぬが、こればかりはそうとも言えぬ。敵である“神”などに感謝する気はないが、何かに礼を言いたい気分だ)

 

そしてヤマトは身震いした。発展途上である彼女の才能を生かすも殺すも自分次第。

たぶん彼女以上の悪魔使いにめぐり合うことはまずないだろう。

この最強の駒となる逸材をどう扱うかが神との戦いに大きく影響する。

それを考えるだけで身体の底からフツフツと何か熱いものが沸き上がってくるのをヤマトは感じていたのだった。

 

 

 

 

(ミヤビは私の期待を裏切らない。それは7年前から変わらず、これからも変わることはないだろう。神の審判を経て新世界を創造した後も、こうして私の隣にいるのは…)

 

そう考えながらふと無意識に隣に座っているミヤビの顔を見てしまうヤマト。

彼女は真っ直ぐに前を見つめていた。

知的で端正な顔立ちをしているミヤビ。

峰津院家で身につけた高度な学問や上流階級の立ち居振る舞いが、生まれ持った彼女の資質を極限にまで磨き上げたと言って良いだろう。

「優れたものは美しく、愚かしいものは醜い」という価値観を持つヤマトがこれまでの人生で”美しい”と感じたのはミヤビの存在だけであった。

しかし彼女をクイーンの駒として完成させたものの、所詮捨て駒のひとつであることに変わりはない。

最悪の場合は彼女を犠牲にしても自分の野望を完成させるという覚悟もある。

ただその覚悟が揺らぐ瞬間があるのは否めない。

 

(ミヤビがいない新世界において私はファウストのように「この瞬間よ、止まれ」と叫ぶことができるだろうか…)

 

そんな不安が頭をよぎり、その心の変化が表情に現れてしまった。

僅かに眉を顰めただけなのだが、それをミヤビに気づかれた。

 

「ヤマト様、何かございましたか?」

 

「あ、いや…」

 

「予定より5分ほど遅れていますが、もうまもなく議事堂の正門です」

 

「あ、ああ…わかった」

 

そう答えてヤマトは視線を窓の外に移す。

ミヤビに見とれて意味のないことを考えていたことを悟られずに済み、ヤマトは安堵した。

 

(今は余計なことを考えずに我が一族の宿願を叶えるのみ。そのための犠牲ならばすべて背負ってみせるさ)

 

総理官邸を右に見ながら、ヤマトほくそ笑みながら思った。

 

(貴様らが国の中枢で好き勝手していられるのもあと数時間。それまで泡沫の夢を見ているといい…)

 





オリジナルの逸話を入れてみました。
10歳の子供にゲーテの『ファウスト』は難しすぎますが、7歳から峰津院家での教育を受けており、読書が好きな彼女なら読もうという気になると考えたからです。
(実際、作者自身も子供の時から難しい本を読んでいたので、できないことはないと思います)
ヤマトとタコ焼きネタは切り離せないものなので、ここで入れてみました。後でも「重要なアイテム」として出てきます。




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Prologue 平穏の土曜日 -3-

車は衆議院南門の角を左折し、正門で衛視のチェックを受けた後に議事堂を約半周する形で裏側へ回る。

衆議院側の裏にジプス東京支局へ続く秘密通路があるのだ。

ジプス東京支局の出入り口はいくつかあるが、平時は議事堂裏口にある専用エレベーターのみを使用する。

他の出入り口の使用は緊急時に限られたもので、使用できる人間も一部のジプスの局員だけである。

マコトがエレベーター脇の認証システムにIDカードをかざすと、すぐにエレベーターの箱が地上階へやって来た。

レトロな鳥かご風の箱に3人で乗り込むと、一気に地下深くまで降りて行く。

専用エレベーターを降りて薄暗い通路を歩いて行くと、突如として明るくて広い空間へ出た。

眼前に広がるのは壮麗な円形のエントランスで、正面には大きな金色の時計が正確な時刻を刻んでいる。

壁面は図書館のように書棚が並び、本がびっしりと収められていた。

そのまま真っ直ぐに行くと司令室である。

広く吹き抜けの構造になっている司令室の天井は円形のガラス張りで、ヨーロッパの古いターミナルを彷彿とさせる。

ここの壁も書棚で、一生かかっても読みきれないほどの本で埋め尽くされている。

さらに目を引くのは大きさがバラバラな7つの時計で、縦一列並んでいる。

不思議なことにこの時計はそれぞれが特定の時間を示したままで止まっていた。

深い意味があるのだが、その意味を知っているのは局長のヤマトだけである。

司令室では内勤の局員たちがコンソールへ向かいながら、日々の業務をこなしていた。

明日が《審判の日》であることから、彼らはいつにも増して忙しそうだ。

さらにその奥には居住区がアリの巣のように広がっている。

ヤマトとミヤビ以外のジプス局員はこの地下の居住区に部屋を与えられている。

これなら緊急事態に備えてすぐに対処できるので非常に便利である。

かつてミヤビも両親と一緒に富士山にある龍脈施設内の居住区に部屋を与えられて暮らしていた。

とはいっても幼かった彼女にその時の記憶はあまりない。

居住区の中でも司令室にほど近く、限られた局員しか立ち入りが許されていない特別エリアに局長が寝起きする私室がある。

局長室というものも別にあり、日中はそこを執務室として使用している。

局長の私室の中がどのようになっているかは謎で、一部の局員たちの間ではその部屋は魔界に通じていて、ヤマトが魔界を統べているなどとふざけた噂が流れていた。

部屋の中は峰津院家の屋敷の彼の私室とさほど変わらない内装で、違うところは天井の低さと窓がないことくらいである。

もちろん魔界へ通じてはいない。

 

ヤマトは自分の留守中に起きた出来事をマコトに報告をさせた。

報告内容はほぼ問題ないのだが、転送ターミナルの調整が8割までしか済んでおらず、それだけが予定外のことであった。

それも担当者の菅野史(かんのふみ)が最優先で作業しており、徹夜で行えば明日の《神の審判》にはギリギリ間に合うだろうということだ。

転送ターミナルというのは人体を構成するすべての情報をデータに換算し、送信先で再構成することで人を瞬時に移動させる転移装置である。

詳しいところは製作者であるフミですら把握できていないシロモノだ。

これは峰津院家に代々伝わるオーパーツがその技術を可能にしている。

ジプスの本局と各支局及び龍脈関連施設への移動をスムーズに行うための装置であり、使用不可能となれば業務に支障が出るのは否めない。

ただし東京・名古屋・大阪間の往来はジプス専用の高速鉄道によって移動できるため、現在のところ計画の遅延や変更といった問題は起きていない。

ひとまずジプスの機能は順調に回っている。

あとは万全の体制で《審判の日》を迎えるだけとなっていた。

 

 

「ミヤビ、上のクズどもに会いに行くぞ。お前もついて来い」

 

ヤマトは自室で待機していたミヤビを呼び出すと、彼女を従えてエレベーターホールへと向かって歩いて行く。

ヤマトの言うクズというのは直上にある伏魔殿の住人たちのことだ。

ジプスのパトロンであるからヤマトも彼らを邪険にはできず最低限の接触に留めておいたが、さすがに前日の夜の呼び出しを無視するわけにはいかない。

 

「バカバカしいだろうが、これも仕事だ。我慢してつき合え」

 

ヤマトは苛立っていた。

ただでさえ忙しいというのに、意味のない会食に貴重な時間を割くのは腹立たしい。

さらに空席であった東京支局長にミヤビという若い女性が就任していたことを聞きつけ、興味本位で呼び出したのだからイライラするのも無理はない。

 

「しかしこれも最初で最後だ。まもなく世界は変わる。連中が傲慢に振舞っていられるのも今日までだ。私の目指す新世界にあのような輩は無用だからな」

 

「はい。これまでに積もり積もった汚泥のような社会悪を一掃することができる時が来て、わたしも期待に胸を弾ませております」

 

「フッ、やはりお前は私が見込んだだけある。長年務めた局員ですら明日という日を迎えて気持ちが畏縮しているというのに、お前はいつもと変わらず平然としている。堂々としたものだ」

 

「有史以来の大災害に見舞われるであろうという局面を迎え、不安がないわけではありません。上に立つ者として周囲に動揺を与えたり不安にさせたりするようなことがあってはならないと身を引き締めているだけです。堂々としているように見えるのはハッタリをかましているだけで、内心では他の人たちと同じく震え上がっております」

 

「そうなのか? だとすればお前の演技力はなかなかのものだ。これから会う連中は同じ空気を吸うのも我慢ならない賎劣な輩ばかりだが、お前なら上手く振る舞えるだろう。どうせあと僅かの命だ、連中には好きにさせてやるさ」

 

「…」

 

ミヤビは表情を変えなかったが心を痛めていた。

 

(たしかに今の政治は腐っているけど、だからといってあの人たちが死ぬことを望むなんて…。現役から退かせ、二度と政治の表舞台に立てなくするくらいで良いはず。どうせ新世界においてはあのような連中は自滅していくんだもの。いくら悪党であっても命は軽んじるものではないわ。しかしヤマト様は価値のない人間は死んでもかまわないと考えている。いくらクズのような人間といえど、命を軽ろんじてはいけない。どんな人間にも等しく生きる権利はあるのだから…)

 

ミヤビはヤマトに対して自分の意見を述べることも、彼の考えを否定するようなことも口にはしない。

それは峰津院に仕える人間として当然のことだ。

しかしこのままヤマトの理想とする新世界が現実となると、彼がひとりで共業(ぐうごう) ── 全人類の業を背負うことになってしまう。

それだけはさせまいと、ミヤビは思い悩んだ末に、すべてを失う覚悟で”最善の選択”をすることに決めた。

それが自分の身を滅ぼすことになるとわかっていても、ヤマトのためなら笑顔で最期を迎えられると信じているからだ。

 

 

 

 

ミヤビが連れて来られた部屋は議事堂の一角にあるVIP専用のラウンジだった。

クラシカルな内装は大正時代の貴族の館を思わせた。

そして中央にある丸テーブルの周りにはミヤビもテレビで見たことのある顔ぶれが並んでいた。

与党第一党である自明党の幹事長、内閣官房長官、外務省、国交省、防衛省、財務省、内閣府防災担当の各大臣という錚々たる面々だ。

彼らは食事中のようで、各人が伊万里焼の皿に載ったシャトーブリアンステーキと、ボトルのエチケット(ラベル)にロマネ・コンティと書かれている赤ワインを味わいながら歓談していた。

 

「お待たせしました」

 

ヤマトの声で、話し声が止んだ。

そして列席者の中でもっとも高齢で上座にいた老人 ── 自明党の幹事長が彼に声をかけた。

自明党の幹事長は首相を影から操る永田町のボスと囁かれている。つまりこの国の頂点に立つ男である。

 

「峰津院君、遅かったではないか。先に始めさせてもらっていたよ。…ところでその可愛いお嬢さんは君のガールフレンドかね? 公務中にデートとは君も隅に置けないな」

 

ヤマトの後ろに立っていたミヤビを目ざとく見つけて、下卑た視線を送ってきた。もちろんデート云々というのは冗談なのだが、今のヤマトには冗談は通じない。

 

(自分が東京支局長であるミヤビを連れて来いと命令したくせに、それを茶化すようなことを言うとは下衆な男だ)

 

ヤマトは苛立つ気持ちを抑え、努めて冷静に言った。

 

「彼女が東京支局長に任命した局員です」

 

老獪で醜悪な代議士たちの好奇な視線に怯まず、ミヤビは一歩前に出てお辞儀をする。

 

「紫塚雅と申します。お見知りおきの程、よろしくお願いいたします」

 

挨拶をすると、財務大臣がニヤニヤしながら訊いてきた。

 

「若いコとは聞いていたがずいぶんと若いねえ。君、いくつ?」

 

「17歳です」

 

「ほう、峰津院君と同い年か。最近の若いコは発育が良いねえ。さすがに18歳未満のコに手を出すわけにはいかないな、ハッハッハ…」

 

あからさまにセクハラ発言をする男にミヤビはムカついたが、ここは上手くかわすことにした。

作り笑いをしながら愛らしい少女の表情で言う。

 

「1年後、わたしのことを覚えていらっしゃったら、その時にはご連絡くださいませ。ここの下におりますので、すぐに御前に参りますから」

 

その答えが気に入ったのか、財務大臣は目尻を下げて気持ちの悪いうすら笑いをした。

その体型といい、顔といい、まるでガマガエルのようだ。

 

「では後で携帯の番号を教えてくれ。メアドも一緒にな。それから ── 」

 

セクハラオヤジがそこまで言いかけた時だった。

ヤマトの全身から氷のように冷たいオーラが発せられた。

ミヤビには斜め前にいる彼の表情はわからないが、機嫌がとても悪いことには間違いないと感じた。

 

「…と、とりあえずこの話はここまでにしておこう。我々も忙しい身なのでな」

 

セクハラ財務大臣はそう言って身をすくめる。

すると自明党幹事長がヤマトに向かって言った。

 

「君を呼んだのは他でもない。我々はこれまで峰津院家を庇護してきた。それは君たち一族に期待を寄せているからだ。その期待を裏切るようなことはしないでくれ」

 

「ご安心を」

 

ヤマトは申し訳程度の恭しさを添えてそう答えた。

自明党幹事長はさらに釘を刺す。

 

「我々がいる限り、峰津院家は影の支配者でいられるのだ。そのことを忘れるな」

 

「もちろんです」

 

ヤマトの真意を読み取れない愚鈍な永田町のボスは気を良くしてニヤリと笑った。

 

「それで良い。…ところで君たちも一緒に食事をどうかね? 君たちには我々のために働いてもらわねばならぬからな。すぐに用意させよう」

 

「いいえ、謹んでご遠慮申し上げます。明日という日を控え、まだ残っている雑務がございますので、長居するわけにはまいりません」

 

ヤマトはそう言って食事を辞退した。

雑務などないのだが、彼はなによりもこういった互いの利害関係だけで繋がっている連中との会食を嫌っている。

だからこういう切り返しで断るのは当然だ。

 

「そうか…それは残念だ。ではすべてが終わった後に、改めて祝いの席を設けよう」

 

「では失礼いたします」

 

そう言ってヤマトはミヤビを促して部屋を出て行った。

そしてドアを閉めたとたんに言った。

 

「フン…クズどもが。…行くぞ、ミヤビ」

 

赤い絨毯の敷かれた廊下を歩きながら、ヤマトはミヤビに言う。

 

「なかなかの演技だったぞ。あのセクハラに対しての冷静な対応はさすがだ。タダの小娘ならああはいくまい。それともあのような男のあしらいには慣れているのか?」

 

「ご冗談を。ジプスの肩書きを外せばわたしはタダの小娘にすぎません。それよりもヤマト様のご苦労が身に染みました。あの連中は未来永劫、自分たちだけは安泰でいられると信じきっております。ヤマト様の目指す実力主義社会では真っ先に不要とされる存在であるとも知らず、自分こそが強者であると思い込んでいます。まったく、勘違いも甚だしいことです」

 

「そのとおりだ。しかしこの腐った世界も私の手によって浄化される。強者のみによって形作られた美しい世界がこの手の届くところにまで迫っているのだ。…今に見ていろ。世界の理は私が書き換えてやる。有能な人間が正しく力を発揮できる世界こそが、この世界の本来歩むべき姿なのだ。ハハハ…」

 

そう言って魔王のような笑みを浮かべた。

 

「ところでお前も夕食はまだのはずだ。私はこれから出かけるが、お前もどうだ?」

 

ミヤビはヤマトの提案に驚いた。

ヤマトは食事の際に他人を同席させない。

ミヤビが知る限り、彼が誰かを誘って会食をしたという話は聞いたことがないのだ。

彼は幼い頃から常にひとりで食事をきてきたから、他人と食事を楽しむということを知らない。

ミヤビ自身もこれまで一度もヤマトと食事をしたことはなく、この提案には心の底から驚いた。

もちろんそんな素振りは見せず、平静を装って訊いてみる。

 

「それは食事をヤマト様とご一緒させていただくという意味でしょうか?」

 

「ああ、そのとおりだが。それがどうかしたのか?」

 

「いえ…ヤマト様と一緒に食事をするというのは初めてのことで、少し意外な感じがしたものですから」

 

驚いたとは言えず、想定外のことだったという言い方で誤魔化した。

 

「そういえばそうだな…。私は他人と食事をしたいと思ったことは一度もない。まあ雑事につき合わせた詫びのつもりだということにしておけ」

 

ヤマトの心境の変化は本人にすらわからないとのこと。

ならば深く考えることもないと、ミヤビは即座に答えた。

 

「職務の延長ということならお断りするわけにはまいりません。ご同行させていただきます」

 

これはミヤビにとって当然の答えであり、その言葉に特別な意味はなかった。

ヤマトの命令に従うのは彼女にとって呼吸をするのと同じく自然な行為で、そこには微塵の悪意などなかったのだ。

しかしヤマトにはその当然の返事に胸が少しだけ痛んだ。

その理由がわからず、彼はその理由のわからない腹立たしさについ感情を表に出してしまう。

 

「いや、気が変わった。私はひとりで行く。お前はこのまま支局へ戻れ」

 

態度の急変に驚くミヤビだが、ヤマトの命令は絶対だ。

 

「承知いたしました。ではお車を玄関へ回す手配をします」

 

ミヤビは携帯電話で運転手を呼び出し、配車の手配をした。

 

「ではこれで失礼させていただきます」

 

ヤマトにお辞儀をすると、ミヤビはひとりでエレベーターホールへと歩いて行く。

ヤマトはその後ろ姿を見ながら、理由のわからぬモヤモヤを抱えていたのだった。

 

 

 

 

支局内の食堂で夕食を済ませたミヤビは自室で寛いでいた。

ゆっくりできるのも今日限りで、明日からは命懸けの戦いが続くかと思うと気持ちが高ぶる。

それを抑えるためにお気に入りの紅茶を淹れると、それを飲みながら峰津院の屋敷から持ち出した『ファウスト』を開いた。

 

(この本がわたしの運命を大きく変えてくれたのよね…)

 

感慨深げにページをめくるミヤビ。

 

(それまでもミズホ様はわたしに欲しいものを与えてくれた。でもヤマト様からはもっと多くのものを与えてもらった。それもこの本のおかげだわ)

 

深夜に書庫でこっそりと読書をしていたのを発見され、叱られるどころか許しを得て自由に本が読めるようになった。

そのおかげで彼女の読書欲はほぼ満たされ、それに伴い知識の幅も広がっていった。

当時でさえ家庭教師が彼女の学力に舌を巻いていたというのに、日々目に見えて成長していく彼女に手が余るようになった。

そこでヤマトは彼女が12歳になったのを機に自分専属の使用人にし、自分の授業に彼女を立ち会わせることにした。

同席させることで、同じ学問を与えようとしたのだ。

ヤマトは生まれついて王の器を有していた。

物心ついてすぐに著名な大学教授や学者などを屋敷に招いて講義をさせ、普通の子供が読み書きを覚える小学校入学の頃には高校レベルの学力や知識を得ていた。

さらに6歳の時に生まれて初めて悪魔召喚を試み、魔獣ケルベロスを召喚させたという天性の霊力の強さも示した。

そんなヤマトが認め、自分の側に置きたいと考えたのだから、ミヤビはヤマト同様に幼い頃から強者の片鱗を見せていたことになる。

ヤマトという伯楽に見出されたミヤビはまさに千里を駆ける名馬であったのだ。

ヤマトにとって大のお気に入りのミヤビであったから、常に自分の目の届く場所にいさせた。

別々に行動するのは睡眠・入浴と食事の時のみである。

睡眠と入浴という究極のプライベートに同席させないのは当然だが、なぜか食事にもミヤビを同席させることはなかった。

そんな彼が食事に誘ったのだから、ミヤビが驚くのも無理はない。

 

(ヤマト様はなぜあんなことを言い出したのかしら? いくらバカバカしい仕事であったといっても、あれは東京支局長としての仕事だもの、気を遣うことなんてないのに。だけどお詫びだといっても、どうして食事を一緒にしようという気になったのかわからないわ。彼にとって食事はひとりでするものであって、他人を同席させないプライベートな時間だというのに…)

 

そんなことを考えながら大きくため息をついた。

 

(あの方の気まぐれであっても、食事に誘ってもらえたのは光栄なことだった。それなのに急に気が変わってしまった。もしかしたらわたしの態度がお気に召さなかったのかしら? わたしは仕事ならどんなことだってする。それはあの方だって良く知っているはずよ)

 

それからミヤビは自分の知っている峰津院大和という人物を思い浮かべた。

 

(ヤマト様はジプスの長に相応しい人物だわ。ジプス局員はヤマト様とわたし以外は全員成人で、その年長者が若い局長に従って任務を遂行している。もし局長が単に峰津院家の人間だからという世襲のみで選ばれたのであれば納得できない局員も出るでしょう。しかしそんな気配はない。すべての局員があの方のカリスマ性に惹かれているのね。わたしもあの方のことを尊敬している。あの方のことを良く知らない人は横柄とか尊大、高慢とか不遜だと言うけど、それはすべてあの方の優れた部分を認めており、自分が敵わないと思うからこそ口から出る負け惜しみでしかないのよ。それだけあの方は偉大な存在なんだわ。あの方は馴れ合いを嫌い、孤高であり続けることで自己を保っているように見るのはわたしの勘違いではないはず。あの方の一番近くにいるからわかるの。ヤマト様に一番必要なのは優秀な人材ではなく、あの方のことを心から愛し、彼をプライベートで支えて一緒に未来を築ける人。…そういえば午後のティータイムの時、あの方は楽しそうに誰かのことを考えていらしたわ。新世界創造の後に勝利の美酒を共に味わう相手と言っていたっけ。わたしが心配なんかしなくても、あの方には大切な人がいらっしゃるんだわ。きっとその方は今頃安全な場所ですべてが終わるのを待っているんでしょうね。その方に心当たりはないけど、ヤマト様が選んだ人なのだから、素晴らしい人に違いない。だからわたしはヤマト様のために正しいと思うことをするだけ。わたしにできるのはそれだけしかないんだもの)

 

ヤマトに心酔しきっているミヤビには、彼の頭の中にある人物が自分だということに気がついていない。

自分は側近といえども所詮使用人であり、峰津院のためにすべてを捧げることこそが使命であると教育されて、それだけの価値しかないと信じているからだ。

 

エントランスの大時計が二三〇〇時を報せる鐘を鳴らした。

今から翌朝の〇六〇〇時までは一部を除く局員全員が休みを取ることとなる。

司令室は静寂を取り戻し、館内の照明も一段階落とした明るさになった。

まさに嵐の前の静けさといったといったところだ。

各々が最後の平穏な時間を過ごすことになる。

ミヤビも東京支局長としてできることは全部やり終えている。

大阪本局のターミナル調整は突貫作業で行われ、明日の正午頃には完了するだろうという報告を受けているので、そちらも心配はない。

あとは局員たちの心構えだけである。

ヤマトが自ら選んだ精鋭ばかりなので明日を迎えるにあたって覚悟はできているだろう。

問題は各支局の人員が約30名という少なさだ。

これは歴代の為政者が峰津院家の力を恐れて規模を縮小したせいである。

ヤマトに言わせればジプスの局員は《神の審判》を生き残ることができる者たちだけで構成されているということだが、間違いなく犠牲者は出る。

ヤマトは犠牲を伴うのは当然であり、局員の命を惜しんでいては人類が滅びの道を辿るだけだと言うが、それをいかに少なくするかが自分に与えられた命題であるとミヤビは考えている。

ヤマトの命令に忠実に従うだけでは犠牲が大きい時、もっとも犠牲を出さずに済む道を即座に探さなければならない。

それが自分にできるかどうか…それを彼女は憂いていた。

 

 

 

 

その頃、ヤマトもまた憂いていた。さっきのミヤビとの一件が原因である。

 

(なぜ私はあのようなことを言ったのだろうか? 私が他人を食事に誘うなどありえないことだ。たしかに雑事につき合わせた詫びの気持ちであったが、食事でなくとも別のことで埋め合わせをしてやるということもできた。それにあれは彼女にとって仕事の一環であり、気分を害しただろうと私が気遣ってやることはないのだ)

 

同じことを何度も繰り返し、自分の気持ちを落ちつかせようとするが、胸の奥に妙な引っ掛かりがあってすっきりしない。

 

(そして彼女は同行すると言ったのに、私自身でそれを断った。彼女の職務の延長だから断れないという言葉を聞き、なぜか胸が痛んだ。当然のことだというのに、どうしてそんな気持ちになるというのだ? 私は彼女を喜ばせたかったのか? それを仕事だから命令に従うという彼女の態度に腹が立ったというのか?そもそもなぜ私は彼女と食事したいと思ったのだ…?)

 

ヤマトには自分の理由のわからない言動が不愉快で、腹立たしいというか、何かに八つ当たりしたくなるような感情が湧き上がってくることがある。

 

(私がこうして混乱する時は決まってミヤビが関わっている。彼女は大事な駒だ、手放すわけにはいかない。彼女が私に混乱をもたらすといえど、彼女にはポラリスとの謁見に至る道を拓くのに不可欠な存在なのだからな。そして新世界でも私の側にいてもらわねばならぬ)

 

ヤマトはミヤビのことを駒扱いしているが、他人とは一線を画する扱いをしている。

それが個人的感情によるものだと本人は気がついていない。

その証拠にミヤビのことだけを名前で呼び、他の人間は姓でしか呼ばない。

たしかにミヤビは誰よりも優秀で忠実な部下であるが、彼はそれだけで特別扱いするような人間ではない。

ヤマトとミヤビは人格形成される成長期にごく限られた人間とだけしか接触がなく、誰もが壁にぶつかる思春期の悩みや苦しみを知らずに育ってしまった。

頭脳は並の大人以上のものになったが、心の成長は未熟であることに本人たちは気づいていない。

教えてくれる大人がいなかったのが彼らにとって不幸だといえよう。

もしふたりに道を指し示す大人がいたならば、ヤマトは思い悩むことはなかっただろうし、ミヤビも悲愴な覚悟をせずとも済んだかもしれないのだから。

 

 

 

 

そしてもうひとり憂いている者がいた。

”それ”は見た目こそ人間と同じだが、性別や年齢がはっきりせず、なんとも形容しがたい不思議な雰囲気を醸し出している。

東京タワーの鉄骨に腰掛けながら、人類の繁栄の象徴ともいうべき夜景を眺めていた。

そして十数分前にミヤビと交わした会話を思い出す。

 

 

「ミヤビ…輝く者よ。やはり君はヤマトと同じ道を進もうと言うのだね?」

 

「はい。あの方があってのわたしですから。今までずっとそうだったように、これからも同じ。わたしの進むべき道に変更はありません」

 

「君はヤマトの考えが正しいと本当に思っているのかい?」

 

「いまさら何を言うんですか? わたしがヤマト様の専属使用人となって以来、ずっとあの方と共にあり、行動を見守ってきました。わたしがあの方に従うのは自分の意思。誰に強制されたものではありません。そしてわたしの選択は間違っていないと自信持って言えます。わたしは最後まであの方と共にあり、あの方のために全てを捧げる覚悟です」

 

「そこまで言うのなら私が何を言っても意思を曲げることはないね?」

 

「もちろんです」

 

「私は君と…輝く者とは戦いたくはない。しかし君がヤマトと同じ道を進むというのなら、私は全力で止めるだろう」

 

「その覚悟もできています。あなたがセプテントリオンである以上、戦いを避けて通れるとは思っていませんから。…ところであなたはわたしを輝く者と呼びますが、ヤマト様こそがシリウス、輝く者です。わたしはその伴星にすぎません」

 

「シリウスとは人間が言うおおいぬ座アルファ星のことだね? あの星は太陽を除けば地上から見えるもっとも明るい恒星だ。それに例えるなんて、面白いね」

 

「それもあなたが人間に与えてくれた知恵や知識のおかげです。わたしはあなたが人間を…人間の文化を育ててくれたことについてはとても感謝しています。だからその感謝の気持ちを込めて、全力で人間の強い意思を示してあげましょう。あなたが慈しみ、育てた人間が神に抗う様子を見ていてください、アルコル」

 

「そうか…。それならもうしばらくはタダの監視者として君たち人間を見守っているよ」

 

 

アルコルは寂しげな笑みを浮かべた。

 

(私が育てた人間たちが神に逆らうとはね…。私もポラリスが下した裁定には疑問を感じている。君たちなら摂理に逆らって自分たちで未来を切り開くことができるかもしれないと信じていた。…だけどヤマトが創ろうとしている世界は私が望むものではないよ。ミヤビ…君は本当にヤマトの考えが正しいと信じているのかい?)

 

アルコルはすっと立ち上がると足を一歩前に踏み出した。

そこには足場になるようなものは何もない。

彼は空中に浮かんで大きく腕を広げた。

 

「さあ、人間よ。神の審判はまもなくやってくる。神の与えし試練を乗り越え、人間の意思を示してみせるがいい。そのための武器は与えた。その盾と矛を使って、摂理を覆してみせてくれ!」

 

その声に呼応したかのように、街の夜景は一層輝いて見えたのだった。

 

 

 






アルコルが登場しました。
ヒロインであるミヤビはすでに彼のことをアルコルと呼んでいますので、「憂う者」という表現は今後も出てきません。




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1st Day 憂鬱の日曜日 -1-



いよいよ7日間のサバイバルが始まります。
様々な設定はゲームの公式設定資料集を参考にしていますが、足りない部分は勝手に捏造しています。
うさみみフードの少年が登場しないため、ダイチとイオの初登場シーンは原作と大きく異なり、ドゥベ戦でのダイチによるトラック特攻はありません。ジョーもまだ登場しません。




 

 

ミヤビは初めてジプス局内で朝を迎えた。

枕元の時計は〇五四七時を示している。もうすぐ大時計が〇六〇〇時の鐘を鳴らす時間だ。

ジプスでは午前6時から午後11時までの間は毎正時に鐘が鳴る。

つまり〇六〇〇時が局員の起床時間であり、二三〇〇時が消灯時間を意味する。

就業規則によると朝食は〇六三〇時から〇八〇〇時で、その間にバイキング形式で食事をすることになっている。

ちなみに昼食は一一三〇時から一三〇〇時、夕食は一八〇〇時から二〇〇〇時で、それぞれ単品料理や定食を注文できる。

もっとも今日からはそれも形式だけのものになるだろう。

 

鐘が6つ鳴ると、ミヤビは制服に着替えた。

コートを着ると局内で注目を浴びてしまうので、シャツとスカートの姿で食堂へ行くことにする。

彼女が東京支局長であることは局員の誰もが知っていることだが、根が控えめで目立つことを嫌う彼女のせめてもの抵抗である。

しかしそれでも周囲の視線は彼女に注がれる。

ジプス局員というのは比較的若い男女が多いものの未成年者は彼女とヤマト以外にはいない。

ジプスが特殊な国務機関であり、仕事の内容が危険を伴う極秘任務だから、未成年者だと親権者の承諾を得るのが難しい。

スカウトする際にもおのずと成人を選ぶこととなるわけだ。

よって成人男性の多い局内において、愛らしい少女の彼女が注目を浴びるのは仕方がないことである。

ミヤビが料理を選ぶ列に並んでいると、後ろにマコトが立った。

 

「おはよう、カナデ。早いな?」

 

「おはようございます、マコトさん」

 

かつては現場の仕事を学ぶということで、ミヤビはマコトの部隊に所属していたことがある。

しかし今は支局長と戦闘隊長という関係になり、上下関係が逆転してしまった。

普通ならマコトがヤマトに対するようにミヤビにも敬語を使うべきなのだろうが、ミヤビはそれを嫌がった。

彼女にとってマコトはジプスの先輩というだけでなく人生の先輩でもある。

自分よりも優れている者に対して謙虚な姿勢のミヤビは、マコトに敬語を使わないように頼んだ。

一方、ミヤビ自身は年長のマコトに敬語を使うのを当然と考えているので、傍からはマコトの方が上司にしか見えない。

 

マコトと相席することになったミヤビ。

彼女は普通の量だが、マコトの前には山盛りの生野菜とプレーンオムレツやベーコン、ポテトサラダといったたくさんの料理が載ったプレートが置かれている。

彼女は元シンクロナイズドスイミングの選手という体育会系の女性だから、これくらいは文字通り朝飯前なのだろう

 

「昨夜は良く眠れたのか?」

 

ミヤビのことを常に気遣ってくれるマコト。

過去の経緯からマコトはミヤビを妹のように可愛がっている。

きょうだいのいないミヤビにとっては唯一心を打ち明けられる存在だが、自分の”計画”については一切口にしていない。

彼女の口からヤマトの耳に入ることを恐れているのと、間違いなく反対されるとわかっているからだ。

 

「はい、おかげさまで」

 

笑顔で答えるミヤビ。

 

「さすがだな。他の局員はきっと今日のことで頭がいっぱいになり眠れなかったことだろう。正直言うとわたしもなかなか寝つかれなくて、明け方に少しまどろんだだけなんだよ」

 

そう言うマコトの目の下には僅かにクマが見える。

 

「わたしは…自分にやれることをやるだけです。自分の持つ器以上のものを受け止めようとしても溢れさせるだけ。その器の大きさは自分なりに弁えていますから」

 

「フッ…そういう謙虚さは支局長になった今でも変わらないな。たしかに自分にできることをやるだけという君の考えは正しい。わたしも今日という日のためにすべてを捧げてきた。やり残したこともないし、今は目の前の責務を果たすだけだ」

 

「わたしもマコトさんと同じく今日のためにできるだけのことをしてきました。ですからこの先何があっても後悔しないつもりです」

 

「わたしもそうしたいが…君のように強くないからな。だが強くなければ峰津院局長の側にはいられない。あの方のために少しでも役に立たなければ、わたしを拾ってくれた恩を返せない。だからわたしはもっと強くなりたい」

 

その言葉を聞いてミヤビは思った。

 

(マコトさんもまたわたしと同じでヤマト様に対する恩義が生きる原動力となっている。彼女があの方を裏切ることは絶対にありえない。新世界でもきっと彼女があの方の公的なサポートをしてくれるはず。だから彼女も絶対に死なせないわ)

 

「マコトさんなら大丈夫ですよ。十分強いですから。これからも今までと同じくヤマト様の支えとなって活躍しているはずです。強者でなければあのヤマト様が戦闘隊長という重責を背負わせるはずがありませんよ。自信持ってください」

 

ミヤビは自分がいなくなった後のことを任せられる人がいると思うだけで気持ちが楽になり、その表情にも余裕の笑みが浮かんだ。

それから他愛のない会話をしながら食事をし、一緒に食堂を出たのだった。

 

 

 

 

〇九〇〇時、東京支局所属の局員が司令室に全員集められた。

ここで局長の訓示と《神の審判》に向けての最終確認が行われる。

ジプス局員は《神の審判》についてヤマトから知らされていた。

局員たちは侵略者セプテントリオンをすべて倒して日常を取り戻すことがジプスの目指すものであると考えている。

しかしヤマトにとって重要なのはその先にあるポラリスという世界の管理者と邂逅することにあった。

ポラリスは万物を管理・運営し、自らが定める摂理にそぐわぬ世界に干渉する絶対的な力を持っている。

そして人間を存続に値しない種であるとの判断を下した。その結果、人間の存在を根本から消し去ることにしたのだ。

まずはポラリスによる大災害が起き、続いてセプテントリオンが襲来する。

そのセプテントリオンをすべて倒せば、人間がまだ生きる価値のある存在だとポラリスに認めさせることができるわけで、“神”との謁見が認められるという流れになる。

そこで人間が《種の意思》を示すことで世界を変革することができるというのだ。

ヤマトの計画ではその謁見に臨むのが彼自身であり、彼の意思がすべての人間の意思であるとして示される。

もし彼の理想とする実力主義の世界の創造が人間の総意として認められたならば、力のない者、また力を示す機会が与えられない者は日々生きていくことすら難しくなるだろう。

局員の多くは不安を隠せないでいるが、ヤマトだけは余裕の表情であった。

全人類の未来を背負っているプレッシャーなど感じられず、むしろこの非常事態を喜んでいるかのようだ。

それは無理もない。彼はこれを機に世界の理を書き換え、自分の望む世界を創造するつもりなのだから。

 

 

 

 

ゴゴゴゴゴゴゴ…

 

はるか昔に定められた約束の時刻、気味の悪い地鳴りと共に突如地震が発生した。

 

「来たな…!」

 

ヤマトはにやりと不敵な笑みを浮かべた。

その地震は大きな揺れではあるが、それに備えた造りになっている支局の施設はビクともしない。

発令塔で待機していたヤマトは平然と立ち続け、ミヤビもその側で揺れが収まるのを待っていた。

これがポラリスによる最初の一撃だ。

本来ならこれだけで地上のありとあらゆる生物の命は消え失せたであろうが、峰津院家の先祖が施した結界によって被害は抑えられ、結界に守られた範囲はかろうじてその存在を保っている。

 

揺れは数分続いたが、ようやく収まった。

 

「なるほど、これが始まりか…。各員、状況確認、急げ!」

 

ヤマトの命令で局員たちは自分の担当の仕事を再開した。

そしてまもなく、東京支局内に損害は殆どないことがわかった。

一方、都内の各所で地震による建物の倒壊やそれに伴う火災などが発生していた。

しかしそれはこれから起きる災厄の前奏曲でしかない。

 

「市街地に、悪魔反応!」

 

さらに数分後、地上の監視カメラとレーダーを担当している局員の声が上がった。

そしてメインモニターに映像が映し出される。

モニターには23区の地図が投影され、悪魔反応を示す赤い点滅がいくつか表示された。

その様子を見て局員がざわめくが、それを制止し、指示を出したのはマコトだ。

 

「事前に通達したとおり、我々は地上にて悪魔の殲滅及び封印箇所の再封印を行う。全員悪魔召喚の準備はいいな」

 

そう言って彼女は数名の局員を引き連れて出て行った。

これは古くから各所に封印されていた悪魔 ── 俗にいう悪魔と呼ばれる魔界の住人だけでなく妖精、神獣、天使などを含めた人ならざるものの総称 ── が地震によって封印を解かれて地上に現れたものである。

しかしそれは想定内のことであり、特に慌てることはない。

 

「ヤマト様、わたしも出ます」

 

ミヤビがヤマトに上申する。

出るというのは地上において悪魔の掃討作戦に従事するという意味だ。

東京支局長という立場である以上、現場で活動するのは本来の彼女の仕事ではない。

しかし人手が足りないのも事実。

戦力を温存して被害を拡大するのは馬鹿げていると彼女は判断したのだ。

しかしヤマトにとって彼女は切り札であり、初手から動かす駒ではないと考えていたから、この申し出は承知できなかった。

 

「お前はここの責任者だ。この場で的確な采配を振るうのがお前の役目だということを忘れたか?」

 

「お言葉ですが、今はヤマト様という最高司令官がいらっしゃいます。ですからわたしは戦力として現場に投入すべきではありませんか? 悪魔による被害を最小限に食い止めるのは、東京支局長としてのわたしの責務だと考えます」

 

ミヤビの言っていることは正論だ。

ここで悪魔の被害を拡大させては今後の行動計画に支障が出るのは明らかである。

 

「よかろう。…田村、木次、お前たちは紫塚に同行しろ」

 

ヤマトの命令でふたりの若い男性局員がミヤビと行動することになった。

彼女が新人局員であった頃に一緒に仕事をした先輩局員たちだ。

 

「紫塚支局長、我々にご命令を」

 

田村にそう言われ、ミヤビは上官として初めて部下に命令した。

 

「わたしたちも迫隊と同じく地上で悪魔の掃討に向かいます。一緒に来てください」

 

「はっ!」

 

ふたりはミヤビに向かって敬礼をする。

彼女もそれに応え、さっと身を翻してヤマトに敬礼した。

 

「行ってまいります」

 

「私の期待を裏切らぬ行動をしろ、よいな?」

 

「はい!」

 

ミヤビはふたりの部下を引き連れて司令室を後にした。

 

 

 

 

「渋谷駅付近に登録外のDケースを確認!…我々のプログラムとは違う術式で動いています」

 

計器を観測していた局員が報告すると、司令室内がざわめいた。

Dケースというのはジプスにおける悪魔絡みの事案を指す符丁だ。

普段は地下に身を隠すジプスだが、セプテントリオン襲来の際にはどうしても人目に触れざるをえない。

そんな時に会話が関係者以外の耳に入っても問題ないように、こうした符丁を用意していた。

つまり想定していなかった悪魔の出現という事態が発生したということである。

自然に発生した悪魔であればそう慌てることもないのだが、人為的に召喚されたものとなればただ事ではない。

 

ジプス局員は召喚式を使って悪魔を召喚するのだが、誰にでもできるというものではない。

召喚できるのは素質があって訓練された局員だけである。

さらにジプスが使用する召喚式は、古より峰津院家に伝わる秘術を研究の末に数値化し、プログラムとして完成させたもの。

ジプスとは無関係な人間が悪魔を召喚できる手段を持っているはずなどないのだ。

イレギュラーの出現にはさすがのヤマトも表情が強張る。

 

「どういうことだ?」

 

ヤマトが眉を顰めて観測担当局員に訊く。

 

「わかりません。…っ、さらに新宿駅、原宿駅においても同様の反応が見られます」

 

新たな悪魔が次々と出現し、ヤマトはモニターの地図を睨みながら指示を出した。

 

「迫率いる第1班を新宿駅、第2班を原宿駅へ向かわせろ。第3班及び第4班は予定通り。ミヤビの第5班を渋谷駅へ向かわせろ。以上だ」

 

「了解しました」

 

通信担当局員がすぐに回線を開いて、それぞれに連絡をした。

 

 

 

 

ヤマトの指示でミヤビたちは渋谷駅におけるDケースの担当となった。

地震の影響で地上は大混乱しているがそれは想定済みのことで、地下に張り巡らされたジプス専用通路が彼女たちの円滑な行動を可能としている。

地下通路を田村の運転する車で渋谷駅へと向かい、渋谷駅北側にある出入り口から地上に出たミヤビたちは言葉を失った。

阿鼻叫喚の図というものはこのような光景をいうのだろう。

彼女たちの目の前には無力な人間が全能の神によって弄ばれた結果の一端があった。

昨日までの日常は消え失せ、顔を背けたくなるような場面が広がっていたのだ。

聞こえるのは人々の悲鳴や怒号、緊急車両のサイレンばかり。

これが序章にすぎないことをミヤビは知っている。

知っているからこそ、これから続く神の試練を想像すると身が震えて動けないでいた。

覚悟はできていたとはいえ、生まれて初めて見る悲惨な状況に足がすくんでしまったのだ。

 

「紫塚支局長、行きましょう」

 

木次がミヤビの肩をポンと叩いて言った。

 

(そうだ、わたしは悪魔による被害を最小限に食い止めるためにここへ来たんだ)

 

ミヤビは自分の使命を思い出した。

 

「すみません。ではこれから行動を開始します。単独行動は避け、常に複数で動いてください。多少目撃されてもかまいません。Dケースと接触の場合、各個悪魔召喚及び自由な交戦を認めます。しかし周囲には十分な配慮をお願いします」

 

「「了解!」」

 

ミヤビたちは3人一緒にハチ公像のある広場へと向かった。

駅に近づくにつれて混乱している群衆は増えていく。。

陸上自衛隊の小隊が群衆の整理を行っているようだが、収拾がつかずにオロオロしている様子がうかがえた。

問題のDケースは地下ホームで発生したらしく、現場へ向かうには階段を使って降りなければならない。

しかし規制のコーションテープが張ってあって通行禁止になっている。

そこでミヤビは現場責任者と思われる2等陸尉の階級章をつけた青年に接触した。

 

「わたしたちは地下ホームに用があります。入らせてください」

 

日焼けした精悍な顔だちの2等陸尉は彼女の姿を見て怪訝そうな顔をする。

 

「ここから先は危険だ。この立ち入り禁止のテープが見えないのか? そもそも君たちは何なんだ!?」

 

そこでミヤビは身分証を見せながら言う。

 

「失礼しました。わたしたちは気象庁指定地磁気調査部、ジプスの人間です。わたしはジプス東京支局長、紫塚雅。自衛隊のみなさんには『災害措置特別法第404条』に従い、ジプスの指揮下に入ってもらいます」

 

「404条…? じゃあ、君たちは…」

 

「ご理解していただけたようですね。ならば、わたしたちを中へ入れてください」

 

「しかし…」

 

「中の状況はおおよそ把握しています。この先は自衛隊員といえど非常に危険です。わたしたちにお任せください。それとも命令に逆らって処分を受けたいと?」

 

「…わかりました」

 

権力を笠に着るのは気が引けたがこうするしかなかった。

一刻を争う事態、この方法がもっとも犠牲を減らすことができるのだとミヤビは判断したのだ。

 

「では中にいる隊員をすべて引き上げさせてください」

 

「それでは救助活動が ── 」

 

「引き上げさせてください!」

 

「り、了解!」

 

2等陸尉は慌てて部下に指示をして無線連絡をさせた。

その会話を聞きながら、ミヤビは思った。

 

(あの様子だとまだ中に入った自衛隊員は悪魔と接触はしていないみたい。生存者がいる可能性がゼロではないのだから救助活動を続けたいのでしょうけど、それでも自衛隊員を退かせるのは二次被害を出さないための処置。後はサマナーであるわたしたちの仕事よ)

 

ミヤビの指示は的確で、田村と木次は自分の上官が心強く思えていた。

 

「中にはわたしがひとりで入ります。田村さんと木次さんはここで自衛隊と警察及び消防に指示を出してください。判断はおふたりにお任せします」

 

「ですがひとりでは危険です」

 

田村が言う。

 

「大丈夫です。わたしにはとても強い相棒がいますから」

 

ミヤビがビャッコというヤマトの使役するケルベロスの次にレベルの高い悪魔を使役していることは支局の全局員が知っていることだ。

彼女ひとりでも小隊レベルの戦闘力があり、ビャッコがいれば無敵と言っても過言ではないほどである。

地下ホームは狭い。その限られた空間では少数精鋭による戦闘が効果的であることは彼らも承知している。

単独行動を避けろと言っている本人が単独行動するのだから矛盾しているが、この場合は自分ひとりの方が良いという彼女の判断は正しい。

だから田村たちも反論はなかった。

 

「あとはよろしくお願いします」

 

ミヤビはそう言い残すと、コーションテープの下をくぐって階段を降りて行った。

途中で引き返してくる自衛隊員とすれ違ったが、彼らは悪魔に襲われた様子はなくてミヤビは安心する。

いくら頑強な自衛隊員といえど、悪魔使いでない者では悪魔に太刀打ちできるものではないのだから。

救出された民間人は悪魔に襲われたのではなく、地震による建物の倒壊等による負傷のようだ。

しかしDケース反応があった以上、この先に悪魔がいるのは間違いない。

 

非常灯のみの暗いホーム内は地震で崩れ落ちた天井や壁の瓦礫で埋め尽くされていた。

そこでミヤビはビャッコを召喚した。

 

「呼んだか、主」

 

「奥まで行きたいんだけど、乗せてくれる?」

 

「もちろんだ」

 

ビャッコは背を低くして彼女を乗せた。

 

「行くぞ」

 

周囲の暗さや足場の悪さは悪魔には無関係のようで、ビャッコは瓦礫の上をピョンピョンと飛び跳ねて進んで行く。

するとホームのずっと先の方で女性の悲鳴が聞こえた。まだ年若い少女の声のようだ。

 

「ビャッコ、声のした方へ行くわよ」

 

ミヤビがたどり着いた場所はこれまでになく凄惨な事故現場であった。

暗さに目が慣れてくると、現場の状況が次第にわかってきた。

地震によって列車が脱線し、ホーム上にいたと思われる客たちの殆どは轢死していた。

さらに所々から悪魔が湧いて出ている。

一度にこれほどたくさんの悪魔が出現することは通常ありえない。

ただレベルの低い悪魔ばかりなので、ビャッコなら殲滅するのにそう時間はかからないだろうと彼女は判断した。

 

「いやぁーー!」

 

「こっちへ来るな!」

 

さっきの少女の声と、さらに少年の声が聞こえた。

ミヤビは生存者の救出を第一に考え、ビャッコに指示をする。

 

「人命救出が最優先よ。人に危害が加えられないよう、注意しながら悪魔を殲滅して。それから悪魔の発生源がわかったら、それも潰してちょうだい」

 

「承知した」

 

ビャッコは風のように素早く走って行き、闘鬼コボルトをに食らいついた。

ミヤビはその隙に少年と少女のいる場所へ向かう。

見ると少年は棒状ものを振り回して幽鬼ポルターガイストや魔獣カブソを相手にしている。

しかし悪魔たちは少年をからかうように動き回っているだけだ。

その周りには妖精ピクシーが飛び回り、そのうちの1体がしゃがみこんでいる少女に電撃〈ジオ〉を放った。

 

「きゃあっ!」

 

電撃を受けて気を失ってしまう少女。

これはマズイ状態だと、ミヤビは携帯を握った左手をピクシーの群れに向けて叫んだ。

 

「マハラギ!」

 

〈マハラギ〉は敵全体に魔法の炎でダメージを与える火炎攻撃だ。

火炎が弱点であるピクシーは一瞬にして灰となってしまった。

続いて集団で襲いかかってきたポルターガイストとカブソに攻撃する。

 

「マハジオ!」

 

電撃が弱点であるポルターガイストやカブソには効果大だ。

魔法の雷が悪魔たちをショック状態にし、それらをビャッコが蹴散らしていく。

僅かな時間で数十体いた悪魔を殲滅し、辺りには静寂が戻った。

ミヤビが携帯のアプリで確認すると、生命反応はここにいる3人の分しかない。

つまり彼女と悪魔に襲われていた少年少女のふたり以外は既に死亡していることを意味する。

地震によっての死亡者が殆どだろうが、悪魔に襲われて死んだ者もいることだろう。

とりあえず無事であった少年にミヤビは呼びかけた。

 

「大丈夫ですか? もう心配はいりませんよ」

 

「…」

 

返事がない。

近づいてみると、少年は緊張の糸が切れたのか、床にべったりと座り込んで動けずにいた。

少女の方は気を失っている。

いつまた悪魔が湧いて出るかもしれな状態でここにいるのは危険だ。

 

「ビャッコ、こっちへ来て」

 

ミヤビがビャッコを呼ぶと、少年がビャッコの姿に慌てふためく。

 

「ぎゃああああー! ば、バケモノぉーっ!」

 

「わたしのビャッコはバケモノじゃありません! 危害は加えませんから、どうか落ち着いてください!」

 

ミヤビが宥めると、少しは安心したのか叫びはしなくなった。

 

「ほ、ほんとに?」

 

「嘘は言いません。それよりここは危険ですから、早く地上へ出ましょう」

 

「あ、ああ…」

 

「それでは、そこの女の子をビャッコに乗せるので手伝ってください」

 

ミヤビは少年の手を借りて、ぐったりとしている少女の身体をビャッコの背中に乗せた。

そしてミヤビもビャッコに跨り、少女の身体を落ちないように支える。

 

「あなたも後ろに乗ってください」

 

ミヤビは少年に促すが、彼はもじもじして乗ろうとしない。

 

「乗らないと置いていくわよ!」

 

「待って! 乗る、乗る」

 

ミヤビが乱暴に言うと、少年は慌てて彼女の後ろに跨った。

 

「振り落とされないように、わたしの腰にしっかりと掴まっていてください。でもヘンなこと触ったら、さっきの悪魔みたいに焼き殺すから覚えておいてくださいね」

 

「絶対しません!」

 

「じゃ、行きますよ」

 

ミヤビは少女の身体を抱えがらビャッコの首にしがみつき、少年はミヤビの腰に両腕を回す。

その状態で、ビャッコは瓦礫を飛び越えて地下1階のフロアまで戻って来た。

そして階段の昇り口でひと休みする。

ここなら地上の光が差し込んでくるし、仮に悪魔が出現しても地上に出す前に対処可能だ。

 

「怪我はありませんか?」

 

ミヤビは少年に訊く。

 

「あ、ああ…大丈夫、みたいだ」

 

少年は自分の身体を見回したり手でポンポン叩いたりして確かめる。

 

「それは良かったです。で、そっちの女の子は…」

 

ミヤビは気を失っている少女の様子を確認した。

特に目に見える怪我はないようで、意識さえ戻れば自力で避難できそうだ。

 

「起きてください」

 

ミヤビが少女の身体を揺すって目を覚まさせようとする。

 

「うっ…ううん…」

 

少女は虚ろな目で辺りを見回し、ミヤビの顔を見て不思議そうな顔をした。

 

「あれ…? あなた…誰…?」

 

「わたしは紫塚雅。気象庁指定地磁気調査部、ジプスの人間です。おふたりは高校生ですよね? お名前を教えていただけますか?」

 

「わたしは…新田維緒(にったいお)。高校3年です」

 

「俺は志島大地(しじまだいち)。新田さんと同じ高校の3年だ。ところでさっきのバケモノは何なんだ? 俺たち、助かったのか?」

 

震えながら訊くダイチにミヤビは答えた。

 

「あなたの言うバケモノ…それを我々ジプスでは悪魔と呼んでいます。悪魔といっても俗に言う悪魔だけでなく、妖精、神獣、天使などを含めた人ならざるものの総称です。今のところ地下ホームには悪魔の反応はありませんから、ひとまず安心といったところです」

 

「なあ、その悪魔ってのが何でこんなところにいるんだよ? あの地震が何か関係しているのか?」

 

「詳しいことは説明できませんが、無関係ではないとだけ言っておきます。それではこちらからの質問です。地下で何があったのかを教えてください」

 

「ああ、いいけど。…といっても俺自身も良くわからないけどさ」

 

「では地震が起きる前から事実のみを順番に挙げてみてください」

 

「わかった」

 

そう言ってダイチは記憶の糸を辿り始めた。

 

「俺たちは模試の帰りで、偶然あのホームで会ったんだ。それで試験のこととか話をしてて、…それで新田さんと同時にメールの着信があった。それがニカイアの死に顔動画で、俺には新田さんの、新田さんには俺の死に顔動画が届いていたんだよ」

 

「そうです。わたしたちが列車の脱線事故に巻き込まれて死ぬ動画でした」

 

イオがフォローする。

しかしミヤビには彼らの言う単語が意味不明だった。

 

「ちょっと待ってください。ニカイアとか死に顔動画って何ですか?」

 

ミヤビが訊くと、ふたりは驚いたような顔をした。

 

「君、ニカイア知らないの? 中高生から20代の若者の間で流行っているサイトだよ。ここに登録しておくと、ユーザーの友達の最期の様子が動画で送られてくるんだ。こんなのちょっと悪質なジョークだってことで誰も信じちゃいなかったんだけどさ、俺たちの死に顔動画が届いた直後にあの地震が起きて…俺は死ぬはずたったんだ」

 

「死ぬはずだった、って…どういう意味ですか?」

 

「脱線した列車の下敷きになっていた時にニカイアのナビゲーターが生きるか死ぬか選べって言って、当然生きるって選んだんだ。そしたら絶対に死んでるはずなのに俺、生き返っていて、それでいつの間にか変なバケモノ…悪魔っていうの? それに囲まれていたんだ。でもって君が助けに来てくれたってわけ」

 

「わたしも同じです。わたしも生きたいって思ったから…」

 

ふたりの証言から〈ニカイア〉というサイトが彼らの死を予言するような動画を配信し、それと同じ状況が起きたこと。

さらに瀕死の状態に陥り、生きたいという意思を示したことで一命をとりとめたらしいということまではわかった。

しかし悪魔の出現に関しては不明のままだ。

 

「ダイチさん、あなたの携帯を見せてもらえますか?」

 

「ああ、いいぜ。…あれ?何かおかしなアプリがインストールされてる」

 

ダイチは怪訝な顔で携帯を操作し始めた。

 

「ん?…変だぞ。削除できねえ」

 

「ちょっと貸してください」

 

ミヤビはダイチから携帯を奪い取ると、その画面に表示された〈悪魔召喚アプリ〉という名称のアプリを起動した。

するとさっき倒したポルターガイストとカブソがリストアップされている。

レベル、耐性、弱点、HPとMPといったものが表示され、それはジプスで使用している悪魔召喚システムに似ていた。

名称と表示された内容からすると、この機能を使えばジプス以外の人間でも悪魔を召喚できるのだろうとミヤビは考えた。

これが一般に普及して悪用されるとなれば非常に危険な代物だ。

 

(ニカイアの登録者がすべてサマナーになれるとは思えないけど、こうなるとかなり多数の…ジプス局員より多くの人間が悪魔を使役できることになる。もしかしたら悪魔の異常発生はこのサイトが原因なのではないかしら?)

 

ミヤビがそんなことを考えていた時だった。

イオが彼女の背後を指差して叫んだのだ。

 

「ああっ、アレ何!?」

 

ミヤビが振り向くと、床の瓦礫の隙間が青白く光っており、そこから邪鬼オバリヨンが姿を現したのだ。

ミヤビは咄嗟に自分の携帯を構えて叫んだ。

 

「ジオ!」

 

すると彼女の手から雷撃が放たれ、オバリヨンを消し去った。

 

「何…それ…? さっきも同じことして敵を倒してたけど」

 

ダイチが目を丸くして訊いた。

 

「ああ、これは攻撃魔法のひとつです。ジプス局員はレベルの差はあれど、誰もが悪魔を使役し、魔法を使えるよう訓練を受けているんですよ」

 

「魔法…? 信じられない」

 

イオの反応は当然だ。

魔法などというものはファンタジーやゲームの世界のものであり、現実に存在するものではないと思っている人が大多数なのだから。

ミヤビはオバリヨンが出現した場所まで行ってみた。

するとそこには所有者不明の携帯が開いた状態で落ちている。

ジリジリと変な音がしており、操作もしていないのに何かをダウンロードしている様子が見られた。

そしてダウンロード完了のメッセージが表示されたと同時に、今度は幽鬼アガシオンが現れた。

 

「ブフ!」

 

氷結魔法を放つと、アガシオンは出現と同時に消えた。

ミヤビは思い切り強く踏んで携帯を破壊した。

〈ニカイア〉の〈悪魔召喚アプリ〉をダウンロードした携帯で持ち主がいないと暴走状態になって勝手に悪魔を召喚し続けるらしい。

悪魔が多数湧いて出るのはこのせいかもしれないと彼女は考えた。

 

「ところでさ、君の言った気象庁…指定…ジプス…? そんなの聞いたことないんだけど」

 

元の場所に戻って来たミヤビにダイチが訊く。

 

「無理もありません。我々は国家を陰で支える組織です。国家の非常事態が起きた時のみ、こうして表だって活動するものですから一般には認知されていなんです」

 

「非常事態ってこの地震のこと?」

 

「それも含めて、これから起きることすべてです。とにかくここはまだ安全とはいえないようですね。地上へ出ましょう」

 

ミヤビは地上へ出るにあたってビャッコを戻した。

さすがにビャッコを民間人の目に晒すのはマズイからだ。

そして何事もなかったかのような顔をして田村と木次に合流した。

 

「紫塚支局長、どうでした?」

 

尋ねる木次にミヤビは首を横に振って答えた。

 

「救出できたのは彼らだけでした。地下には生命反応はなく、出現した悪魔はいちおう殲滅しました。とはいえまだ危険な状態ですから、自衛隊にも地下へは入らないよう徹底させておいた方が良いですね。念のために地下への出入り口をすべて封印しておいた方が良いかもしれません」

 

「そうでしたか…。残念ながら仕方ありませんね。それはともかく、これからどうしますか?」

 

「まずはヤマト様の指示を仰ぎます。このふたりに関しては必要があれば支局へ連行し、わたしが尋問します。…それからわたしの不在中に何かありましたか?」

 

「はい、司令室からの報告では1班から3班までは任務完了とのこと。迫隊長と1班はK座標の再封印のためそちらに向かい、2班と3班は新たなDケースがお台場で発生したために急行したそうです」

 

田村が答えた。

 

「ありがとうございます。では、わたしはヤマト様の指示を仰ぎますので、少し待っていてください」

 

ミヤビは携帯を取り出すと、ヤマトに電話をかけた。

 

「遅かったな、ミヤビ」

 

「申し訳ございません。少々手間がかかったものですから。ですが収穫はありました。Dケース接触者2名を確保しました」

 

「それで何かわかったのか?」

 

「いいえ、詳しい尋問はこれからです。対象者は学生…高校生です。この件はわたしに任せていただけませんでしょうか?」

 

「どういう意味だ?」

 

「彼らを東京支局で保護し、身の安全を保証したところで知っていることを全部吐いてもらいます。彼らはニカイアというサイトの登録者で、そのサイトがDケース多発の原因と思われますので。なおレベルは低いながらサマナーとしての資質があり、彼らに悪意があれば危険な存在にもなりかねません。ですからジプスで保護すべきだと判断しました」

 

「わかった。ではお前はそのふたりを連れて一度戻れ。田村、木次の両名は迫の1班に合流し、迫の指示に従うよう伝えろ」

 

「了解しました」

 

ミヤビは田村と木次に迫隊に合流する旨を指示した。

そしてダイチとイオに言う。

 

「これからおふたりには我々の活動拠点へ同行してもらいます」

 

 

 






ヒロインによる主人公無双が始まりました。
しかしこれくらい強くないと、ヤマトが自分の右腕にするはずがなく、まったくの素人がビャッコを召喚するアニメ版の久世響希よりははるかにマシだと思います。




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1st Day 憂鬱の日曜日 -2-

渋谷駅の地下への出入り口をすべて封印し終えると、ミヤビたちは地下通路を使って東京支局へと向かっていた。

 

「なあ…ちょっと訊きたいことがあるんだけど、いいかな?」

 

車の後部座席に座っているダイチが口を開いた。

ミヤビには彼の訊きたいことというのは大体想像ができる。

彼女はハンドルを握ったままで振り返らずに言った。

 

「いいですよ。答えられるものにはお答えします。しかしいちおう国家公務員ですので、守秘義務というものがあります。お答えできないものもありますから、それについては勘弁してください」

 

そう答えると、ダイチは一番疑問に思っていたことをストレートに訊いてきた。

 

「紫塚さんって何者?」

 

「さっきも言ったようにわたしはジプスの人間です。それからわたしのことはミヤビと名前で呼んでください。わたしもおふたりを名前で呼ばせていただきます」

 

「わかった。で、ミヤビちゃん…そのジプスっていうのがどんな組織かわからないけど、何で君が大人の自衛隊とか警察の人たちに指図できるんだ? 君も俺たちと同じくらいの歳だろ?」

 

「災害措置特別法という法律があり、その第404条で非常時にはジプス局員は特例で自衛隊や警察・消防の人間にも命令や指示を出せるという強大な権限を行使できるようになっています。ちなみにわたしは17歳です」

 

「…」

 

驚いてぽかんと口を開けているダイチ。

続いてイオが疑問をぶつけてきた。

 

「政府の組織ということは、国があなたのような悪魔とか魔法を使える人を集めてジプスを作ったというんですか?」

 

「そうです。正しくは悪魔を使役し、魔法を使える素質を持った者を集めて訓練をして、国土の霊的防衛を担うことを目的とした組織がジプスということです。あなたは陰陽師とか宿曜師というものを知っていますか?」

 

「聞いたことはありますけど、それって平安時代とか昔の話ですよね?」

 

「ええ。ジプスの前身である組織はその頃からあり、以来特殊な能力を持った者が人知れず国家の安寧を支えてきたんです。現在ではあなたの想像する平安時代のアナログな術式を用いるのではなく、最先端のデジタル技術を用いた方法によって悪魔を管理し、使役しています」

 

信じられないといった顔だが、悪魔が出現したり、ミヤビが魔法で悪魔を退治したことを目撃しているのだから信じるしかないだろう。

 

「さっきミヤビちゃんは17歳って言ったけど、どうして支局長なんて偉い役職なの? 未成年じゃん」

 

「ジプスでは局長であるヤマト様の持論の実力主義が採用されています。年齢や性別、勤務年数などは関係なく、本人に力さえあればそれに応じた席が用意されているんです。また未成年であっても権利や義務に関しては成人とみなされています。これはジプスという組織の性質上の特例です。こうしてわたしが車の運転ができるのも、14歳で入局してすぐに免許をとったからです」

 

「へえ…」

 

ダイチは感心したと言わんばかりの顔をしている。

一方、ダイチの隣に座っているイオは不安な顔をしたままだ。

 

「それで…わたしたちはこれからどうなるんですか?」

 

イオが訊く。

 

「これから向かう先はジプス東京支局です。おふたりにはそこでジプスに協力をしてもらうことになります。内容はニカイアと悪魔召喚アプリの解析及び情報収集です。悪魔が都内各所で出現しているのはニカイアが原因である可能性が高いものですから」

 

「協力するのはいいですけど、まだ家族と連絡がつかないし、家にも帰りたいし…」

 

「イオさんの家はどこですか?」

 

「有明です」

 

有明と聞いて、ミヤビは表情を曇らせた。

 

(有明…たぶんあの地震で相当な被害を受けたはず。元が埋立地であるから地盤は弱い。それに交通機関がストップしているので徒歩移動になるけど、地上には危険な場所が多い。やはりジプスで保護した方が良いでしょうね)

 

ミヤビは包み隠さず正直に言った。

 

「こんなことを言うのは心苦しいのですが…地上の被害はジプスでもまだ全部を把握できてはいません。それほど大規模なものだということです。携帯電話・固定電話を含め通信回線はすべて不通となっています。かろうじてジプスや政府の緊急連絡用の回線だけは使用可能ですが、おふたりのご家族と連絡を取ることはできません。地震による被害はおふたりが想像しているよりはるかに甚大であると覚悟しておいてください」

 

「「…」」

 

「ですがジプスに協力をしてくれるなら、わたしは最大限の援助をします」

 

「援助?」

 

「はい。警察や自衛隊に対して特別におふたりのご家族の捜索依頼をすることは可能です。さらにご家族がいる場所が判明すれば、そこまでお送りします」

 

「ほんと!?」

 

ダイチが身を乗り出して訊いてきた。

 

「はい。それに都内でもっとも安全な場所がジプス東京支局の中です。ここなら悪魔の襲撃はありませんから、近場の避難所に行くよりずっと安全です」

 

「わかった。ミヤビちゃんがそう言うなら、俺は君に従う。…新田さんもそれでいいよな?」

 

「…ええ」

 

イオは承諾したものの、やはり不安で落ち着きがない様子でいる。

このような事態となれば、彼女ならずとも両親という自分を守ってくれる存在の懐に逃げ込みたくなるのは当然だ。

 

「支局へ戻れば被害状況の報告が逐次入ってきます。その情報をもとに、自分が何をなすべきか考えて、そして行動してください。昨日までの日常はもうどこにもないのですから」

 

そう言ってミヤビは車の速度を少し上げた。

 

 

 

 

東京支局に到着すると、ミヤビはそのことをヤマトに携帯で報告し、居住区の一室を使用する許可を得た。

ダイチとイオは並んでベッドに腰掛け、ミヤビは椅子に腰掛けて向かい合う。

 

「早速ですけど、おふたりの携帯を出してください」

 

彼らは黙って携帯をミヤビに差し出した。

操作をしてみるが圏外で通話は不可。

〈ニカイア〉のサイトにも繋がらない。

例の死に顔動画はデータフォルダに残されていて、再生してみるとそれが現実に起きた事象を撮影したものであるかのようにリアルなものだった。

さらに〈悪魔召喚アプリ〉は通話とは無関係らしく使用可能であることがわかった。

 

「アプリの解析のためにデータを抽出したいので、しばらくお借りします。もちろんそれが終わればすぐに返却しますから」

 

ミヤビは解析班の局員を呼び出すと、彼らの携帯を預けた。

 

「ではおふたりのご家族の情報を教えてもらいます」

 

それぞれの両親の氏名、年齢、住所、携帯電話の番号などの情報を教えてもらい、ミヤビはそれをメモした。

そしてまずは陸上自衛隊第1師団の師団長の携帯に電話をかける。

ミヤビは支局長に就任するにあたって自衛隊、警察庁、警視庁、消防庁などのトップの携帯電話の番号を登録させられた。

それはすなわちミヤビの持つ権限が彼らにも及ぶということだ。

ミヤビが自分の氏名と肩書きを名乗ると師団長は驚いていたが、すぐに彼女の依頼 ── ダイチとイオの両親を探すこと ── を承諾してくれた。

災害措置特別法第404条の件もあるが、これはヤマトが防衛省のお偉いさんと強いつながりを持っているおかげである。

同様に警察と消防にも同様の依頼をしておいた。

 

「さて…当面はおふたりのご家族の安否確認ができるのを待つだけとなります。それまでここにいてもらうのですが、何か必要なものはありませんか?」

 

そう訊くと、ダイチがすっと立って言った。

 

「トイレ、どこ?」

 

どうやらずっと我慢していたようで、気が緩んだとたんに尿意を覚えたらしい。

 

「ご案内しますからついて来てください」

 

ミヤビがそう言って立ち上がると、イオも立ち上がった。

 

「わたしも行きます」

 

ミヤビはふたりを連れて部屋を出た。

この一般局員用の部屋にはトイレはない。共用のものを使うしかないのだ。

個室にシャワーとトイレが付いているのは幹部用の部屋だけ。

こういう差があるのも実力主義を掲げるヤマトらしいやり方だ。

局員が全員出払っていることで、居住区は静まり返っている。

コツコツというミヤビのブーツの足音だけが妙に響いていた。

その音に混じって別の足音が聞こえてきた。こちらに近づいて来るようだ。

そして角を曲がったところで、ミヤビはもうひとつの足音の主と出会った。

 

「ここにいたか、ミヤビ。…ん? それが例のDケース接触者か?」

 

ミヤビの後ろにいたダイチたちを一瞥して、ヤマトは訊いた。

 

「はい。現在彼らの携帯を接収し、アプリの解析に入っております。渋谷駅においてのDケースの詳細については、これからヤマト様のもとへ赴いてご報告するつもりでおりました」

 

「そうか。しかしジプス施設内は民間人立ち入り禁止だ。無闇にうろつかせるな」

 

「申し訳ございません。手洗いへ行きたいと申しましたので、案内しているところです」

 

「ならばさっさと済ませて局長室へ来い」

 

「了解しました」

 

ミヤビがさっと敬礼すると、ヤマトはコートの裾を翻して立ち去った。

それを見ていたダイチが小声で言う。

 

「誰、アレ? 俺たちとあんまり変わらないくせに、ずいぶん偉そうじゃん」

 

「あの方の名は峰津院大和。わたしと同じ17歳ですが、このジプスの創始者である峰津院家の現当主であり、あの若さでジプスの全権力を握っている局長なんです」

 

「そ、そうなんだ…。俺、局長ってもっと年食ったオジサンかと思ってたよ。でも17歳にしては貫禄ありすぎだよな」

 

「たしかにそうですね。あの方は教育機関に属したことはありませんが、幼少の頃から様々な才能を開花させていましたから、実年齢以上に大人びて見えるのでしょう」

 

「教育機関に属したことはない…って、それ学校へ通ったことがないってこと?」

 

「そうです。峰津院家の嫡男は政治・経済、物理・科学、軍事、宗教・哲学といった様々な分野の専門家を屋敷に呼んで講義をさせるんです。彼は15歳で先代から当主の座を引き継ぎ、同時にジプスの局長に就任して日々激務をこなしています。彼は生まれながらにして組織のリーダーであり、彼なしでこの未曾有の大災害を乗り越えることなど考えられません。…さあ、行きましょう。ヤマト様のおっしゃったようにジプスの施設内は本来民間人の立ち入りは禁止なんです。用を済ませたら部屋に戻って待機していてください」

 

 

 

 

ダイチたちが部屋に戻ったところで、ミヤビは局長室へ急いだ。

 

「例の件の報告を頼む」

 

あまり機嫌が良くないのか、ヤマトはいつも以上に言葉少なめで事務的だ。

 

ミヤビは渋谷駅地下ホームで自分が見た光景、悪魔との戦闘、ダイチたちから聞いた話を詳細に説明した。

 

「なるほど…そのニカイアが悪魔の異常発生の原因だということだな?」

 

「はい。サイト登録者の意思にかかわらず悪魔召喚アプリがインストールされ、悪魔も勝手に出現してしまったようです。また所有者を失った携帯が暴走状態となり、携帯本体を破壊しなければ悪魔が続々と呼び出されるという状況をこの目で確認しました」

 

「暴走携帯については迫からも報告が上がっている。これは面倒なことになったな…。ニカイアが若者の間で流行しているとなれば、今後も同様のケースが発生する可能性は高いぞ」

 

そこまで言って彼は少し考え込んだ。

 

「しかし地震の直後に大発生した悪魔は局員たちによって制圧し、以後は悪魔の発生が激減している。どういうことだ?」

 

ひとり言のように呟いたヤマトに、ミヤビは自身の考えを述べた。

 

「これはわたしの推測ですが、ニカイアのサイト登録者がすべて悪魔召喚アプリをインストールした携帯を所持しているのではないと思います」

 

「どういう意味だ?」

 

「はい。志島・新田両名の証言ですと、ふたりは列車事故に巻き込まれて瀕死の状況に陥り、その際にニカイアのナビゲーターから生きる意思を問われたということです。そこで生きる覚悟を示した直後に悪魔召喚アプリが自動的にダウンロードされたというのですから、ここで生死の選択がされ、死んだ者の携帯には悪魔召喚アプリはダウンロードされなかったと思われます」

 

「しかし生きるか死ぬか選べと言われて死を選ぶとは思えぬ。したがってサイト登録者とアプリをインストールした携帯の所持者の数は大差ないのではないか?」

 

「ヤマト様のおっしゃるとおり生死を問われて死を選ぶ者はいないでしょう。ではなぜニカイアは生きる意思を問うのでしょうか?」

 

「さあな」

 

「当該Dケースの発生は列車の脱線事故の起きたいくつかの駅の地下ホームと、建物が半壊したアミューズメント施設に集中しています。共通点はニカイアに登録した若者が多くいるであろう場所ということ。そしてどちらも大勢の死者が出ていること。このふたつの事実から推測できるのは、サイト登録者に生きる意思を問い、何らかの条件を満たした者にだけ生き残るチャンスが与えられたのではないかということです。命が失われるほどの状況にならなければニカイアに生死の選択を迫られることはない。つまりニカイアに登録していても死ぬような危険に晒され、尚且つ悪魔を召喚できる最低限の霊力を持っていて、生きる強い意思を持つ者でなければ悪魔召喚アプリを手に入れることはできない。もっともどういう基準で判断しているのかは不明ですが。そして出現した悪魔を倒すことができた者、つまり契約戦で勝利した者はサマナーとなり、死亡した者の携帯は暴走して悪魔を吐き続けるのだと考えます」

 

「なるほど…」

 

「よって地震の直後に多数発生した悪魔については一時的なもので、これからはここまで多くの悪魔の出現はないと判断します。問題はこのアプリ製作者が悪魔召喚アプリを与えた理由が不明だということです。悪魔がセプテントリオンに対して唯一の武器であることを知っているのはジプス関係者のみ。ならばニカイアの運営や悪魔召喚アプリの製作者はわたしたちの比較的近くにいる者。そして死亡するはずの人間を生きながらえさせるという神のような力を持つとなれば、”彼”しかいないということになります」

 

ミヤビの考えにヤマトも納得したのか大きく頷いた。

 

「面白い考えだ。まあ、とにかくデータ解析が済むまでこの件は保留としよう。…ところでお前は私の許可を得ずに自衛隊や警察に個人的な捜索願を依頼したそうだな」

 

ミヤビはダイチたちの両親の捜索願を出したことがもうヤマトの耳に入っていると知って少し驚いた。

 

「志島・新田の両名はすすんでジプスに協力してくれましたから、その礼として東京支局長の権限において捜索願を依頼しました。彼らに悪魔を悪用するような気配は見られませんから、なるべく早く保護者を見つけて帰すのが正解かと。なにしろ相手は未成年者ですから、彼らだけで放り出すことはできません。この件についてご不満がございましたら、処分でも何でもなさってくださってけっこうです」

 

ミヤビは越権行為をしたとは思っていないので少し強気に出た。

するとヤマトはフッと笑って言った。

 

「別にお前を咎めているのではない。むしろ自身の判断で行動したことを褒めてやりたいくらいだ。私は有能な人間にはそれ相応の権限を与えるべきだと考えている。お前に支局長という責務を背負わせたのは間違いではなかったと確信したよ。逆にこのような雑事で私を煩わせるようなことになれば、それこそ訓告くらいはしていただろうな」

 

「恐れ入ります」

 

「…ではお前に問う。まもなく最初の敵が現れるが、お前はどうする?」

 

ヤマトは尋ねた。

ミヤビの答えがひとつしかないことを知っていながら。

 

「もちろん前線に立ち、先頭を切って敵に向かいます。現在の立場では愚かしいことでしょうが、わたしはこれまでこの時のために訓練を続けてきたのですから」

 

「フッ…やはりそう言うと思ったよ。ポラリスの一撃が結界で防がれた以上、セプテントリオンが襲来するのは確実だ。約束された時間まであと僅か。お前は局内で待機し、いつでも出動できる態勢でいろ。迫には引き続きDケースの処理に当たらせる。セプテントリオンはお前に任せた。良いな?」

 

「了解しました」

 

 






地震で交通障害が出ているために、地下通路を使って移動するわけですが、車を使用しないと時間的に無理が出てきます。
そこで局員は全員が運転免許を持っている設定にしました。ヒロインも入局してすぐに免許を取りました。
ジプスならそういった特例も許されるだろうと考えたからです。
もちろん飲酒と喫煙は20歳になるまで不可です。



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1st Day 憂鬱の日曜日 -3-

それは突然空から降って来た。

司令室のメインモニターに映っているのはアイスクリームのコーンの上に丸い物体が載っているような、キノコに似た形状の怪物。

それこそが第一のセプテントリオン・ドゥベである。

 

「ミヤビ、予定通りドゥベは新橋におびき寄せる。お前は新橋駅前でドゥベを待て」

 

「はい」

 

「ひとりで大丈夫だな?」

 

「もちろんです。ご期待を裏切るようなことは決してございません。…では、行ってまいります」

 

ミヤビはそう答えると、地下通路を通って新橋駅前広場へ向かった。

 

一方、ヤマトは発令塔の椅子に座ると脚を組んだ。そして両手を膝の上で組んで言う。

 

「まずは最初の敵か。どう出るかな?」

 

敵の襲来だというのに、彼の表情は楽しそうだ。

 

「上野不忍池付近に悪魔反応多数! 封印が解かれたようです」

 

計器を観測している局員が報告する。

 

「迫を向かわせろ。それからメインモニターを新橋駅前に変更。ドゥベの様子はどうだ?」

 

ヤマトの指示に従い、局員がメインモニターの映像を切り替えた。

そこには広場の上空にドゥベがゆらゆらと揺れながら降りて来る様子が映し出された。

 

 

 

 

それはミヤビが今までに見た悪魔と違い、巨大で得体のしれない不気味な存在だった。

ドゥベはゆっくりと降りて来て、彼女のいる場所から100メートルほど離れた場所の地面に接したかと思うと、傘の部分が膨張して爆発した。

半径20メートルほどが爆発に巻き込まれ、そこにあった建物の瓦礫が一瞬にして灰と化した。

しかし事前に民間人を避難させておいたことで人的被害は出ていない。

悪夢のような現実を目の当たりにするが、彼女は冷静に状況を判断した。

 

(携帯に表示される敵データによるとすべての属性に耐性があるというやっかいなヤツであることは確か。でもレベルは20という低さだわ。ポラリスは人間を甘く見ているのか、それとも初手だから様子見をしているのかしら。まあ、これは想定内のことよ。特に慌てることはないわ。わたしとビャッコならいけるはずだもの)

 

「出でよ、ビャッコ!」

 

ミヤビはビャッコを召喚した。

 

「ビャッコ、頑張ってね」

 

「承知した、主」

 

ビャッコはそう言うとドゥベに向かって駆け出した。

その間に傘の部分が新たに出現し、だんだん大きくなっていく。

今度は傘の部分から小さなミサイルのようなものがビャッコに向けて発射された。

ミサイルは動くものに反応するらしい。

しかしビャッコはそれを上手くかわして近づいて行った。

どうやら傘の部分はある程度の大きさになると爆発し、次の爆発まで数分の時間がかかるようだ。

ならばその間に本体ともいえる足の部分を破壊してしまえばいい。

そう考えたミヤビは危険を承知でドゥベに近づく。

そしてビャッコからミヤビへと標的を変えたドゥベは傘を膨らませてその爆発に彼女を巻き込もうとした。

ミヤビは爆発のタイミングを読み、とっさに近くの瓦礫の山に隠れて爆発の直撃を避ける。

 

「今よ、ビャッコ!」

 

ミヤビが叫んだ次の瞬間、ビャッコはドゥベの足の部分に噛みつき、そのまま喰いちぎって一気に核(コア)を破壊した。

するとドゥベは霧散し、跡形もなく消えてしまった。

 

「やった…」

 

ミヤビは急に足の力が抜けてその場に座り込んでしまった。

 

 

 

 

司令室のモニター越しにミヤビの活躍を見守っていたヤマトはドゥベの消滅を確認すると安堵の笑みを浮かべた。

 

(さすがだな、ミヤビ。鮮やかな手際だ。もっともドゥベごときに手こずるようでは先が思いやられるがな)

 

人間にとってファーストインパクトとなるドゥベの襲来をいとも簡単に跳ね除けたミヤビの活躍を誰もが認めざるをえない。

ヤマトが彼女に東京支局長という肩書きを与えたことを未だに不満に思っている局員もいたが、これで納得することだろう。

ヤマトはミヤビの労をねぎらおうと、自ら支局のエントランスで彼女を出迎えた。

ミヤビは思いがけぬ待遇に驚くと同時に胸が熱くなった。

ヤマトが部下の帰還に際して足を運ぶというのは異例中の異例であり、それだけ自分のことを評価してくれているとなれば嬉しいに決まっている。

 

「ご苦労だった、ミヤビ。私の期待を裏切らぬ見事な戦いだったぞ」

 

「あ、ありがとうございます!」

 

(普段から人を褒めるようなことは絶対にないヤマト様がわざわざわたしが戻って来るタイミングでエントランスまで出迎えてまで労をねぎらってくれた。言葉は少ないけど、これは最高の賛辞であると思って良いわよね。ヤマト様の言葉ひとつで疲れも一気に吹き飛んでしまったわ)

 

ミヤビは嬉しさで顔が緩むのを耐えて、深くお辞儀をした。

 

「今日は疲れているだろう。報告書は明日でかまわぬ。ゆっくり休んで、明日に備えろ。良いな?」

 

「はい、了解しました」

 

ヤマトはミヤビに労いの言葉をかけると司令室の方へ去って行った。

その後ろ姿を見つめながら、ミヤビは思った。

 

(悪魔を召喚して戦うのは体力的にかなり疲れるけど、それ以上にヤマト様は精神的に疲れているはず。それなのにそんな素振りを微塵も見せない。さすがはジプスの最高責任者だわ。そんな素晴らしい方にお仕えしているわたしはなんて果報者かしら)

 

嬉しくて胸がいっぱいになるが、自分の立場ではいつまでも感傷に浸っていることはできないと身を引き締めた。

そしてミヤビは自室に戻る前にダイチとイオの様子を見ようと、ふたりのいる部屋へ向かった。

彼らの家族はまだ見つかっておらず、良い報告ができないのを心苦しく思いながら部屋のドアを開けると、ふたりはそれぞれベッドと椅子に腰掛けてぼんやりしていた。

 

「ミヤビちゃん!」 「ミヤビさん!」

 

ふたりが同時に彼女の名を呼んだ。

 

「今までどこで何をしていたんだ? ここの人は俺たちには何も教えてくれないから、心配してたんだよ」

 

ミヤビは自分を心配してくれる人がいるということに少し驚いた。

数時間前までは赤の他人であった彼らが自分のことなど気にかけているとは思ってもいなかったからだ。

 

「申し訳ありません。ちょっと仕事で外に出ていたんです」

 

「また悪魔を退治に?」

 

「まあ、似たようなものです」

 

悪魔などおよびもつかない強大な敵などと言って彼らを怯えさせることはないと、ミヤビは曖昧な答え方をした。

それよりもミヤビはテーブルの上に置かれたままになっている食事の盆が気になった。

 

「なぜ食事していないんですか?」

 

そう訊くと、イオが答えた。

 

「さっきジプスの人が持って来てくれたんですけど、そんな気分になれなくて」

 

「でも今食べておかないと、次にいつ食事ができるかわからない状況なんです。食べられる時に食べておいてください」

 

「…わかりました」

 

わかったとは言っても食べてくれるかどうかわからない。

そこでミヤビは考えた。

 

「実はわたしも夕食がまだなんです。自分の分をここに持って来ますから、一緒に食べましょう」

 

自分が一緒にいれば、無理にでも食べてくれるだろうという意味だ。

 

(無事に家族が見つかったとしても、避難所では十分な食料の配給は受けられない。ならばここで少しでも食べておいてもらわなきゃ。せっかく生きる意思を示したのだから、最後まで生き延びてもらいたいわ)

 

ミヤビは食堂へ行くと、ダイチたちと同じA定食を頼んでそれを持ち出した。

ジプスの確保した食料にも限界がある。

そのためカロリーや栄養バランスなどが厳密に計算しつくしされたメニューが開発されている。

A定食は内勤の局員用で、戦闘部隊のようなハードワークに携わる者にはカロリーが高めの料理が加わったB定食がある。

本来なら彼女はB定食なのだが、自分だけ豪華なメニューというわけにはいかない。そこで同じものにしたのだ。

 

(足りない分は明日の朝食で補えば良いものね)

 

ダイチたちの待つ部屋に戻ると、ミヤビは努めて明るく振舞うようにした。

地上で起きている悲惨な出来事から目を逸らすことはできないが、せめて食事の時くらいは楽しい話をしたいという気遣いだ。

しかし今はどんな話をしようとも、地震や悪魔のことに触れざるをえない。

とりあえずダイチとイオが食事をしてくれたので、ミヤビは安心して自室に戻ったのだった。

 

 

 

 

その頃、ヤマトは自室で今日の出来事を思い返していた。

 

(ミヤビには現場での知識や経験を積ませてきたが、単にサマナーとしての成長だけでなく、状況判断力や洞察力といった机上では学べないものも身に付けて上手く活用している)

 

彼の手にはマコトが提出したDケースの報告書がある。

そのページをめくりながら、ミヤビの〈ニカイア〉及び〈悪魔召喚アプリ〉の仮説について考えた。

 

(やはり想定外の悪魔の出現はニカイアというサイトが原因に違いない。悪魔召喚アプリなどという怪しげなものが民間人の手に渡り、クズ共が悪魔を召喚したものの、手に負えなくて野良状態にさせてしまったようだな。まったく人手不足だというのに、余計な手間をかけさせてくれたものだ。…ニカイアが若者の間で流行しているという事実と様々な状況証拠から、ミヤビはひとつの仮説を導き出した。ニカイア登録者がすべて悪魔召喚アプリをインストールした携帯を所持しているわけではないという。ニカイアによるDケースの発生場所とその共通点から、死に直面した者にだけ生きる意思を問い、条件に見合った者にだけ悪魔召喚アプリを与えたのではないという彼女の考えは筋道が通っている。さらに悪魔がセプテントリオンに対する唯一の武器であるということから、ニカイア運営者及び悪魔召喚アプリ作者はジプスに近い者だと言っていたな)

 

ジプスに近い者…ヤマトはある人物の顔を思い浮かべた。

 

(奴ならそれだけの力を持っている。人間に肩入れしすぎた奴ならやりかねないからな。ミヤビも同じことを考えているようだから、ほぼ間違いないだろう)

 

ちょうどその時だった。ヤマトの背後から声をかける者がいた。

昨夜、ミヤビのもとに現れたアルコルだ。

 

「やあ、ヤマト」

 

「…貴様か」

 

ヤマトは客に振り向きもせずに言った。

 

「久しぶりだね」

 

「何を今更。しかし何のつもりだ? 神との戦いが始まったい以上、もはや貴様に用はない。…いや、ひとつ訊きたいことがある」

 

「何だい?」

 

「ニカイアと悪魔召喚アプリのことだ。アレは貴様の仕業なのだろ?」

 

「どうしてそう思うんだい?」

 

「貴様のような人外の者でなければできぬ芸当だ。一体何を企んでいる?」

 

「何も企んでなどいないよ。私はポラリスの下した判定に憤りを感じている。だから人間に抗う術を与えたまでだ。それより君たちは考えを変える気はないのかい?」

 

「君たち、とはどういう意味だ?」

 

「君とミヤビのふたりのことだよ。彼女は君のためなら命すら厭わないという覚悟でいるようだ」

 

「当然だ。彼女は私の理想を正しく理解しているからな。強者が弱者を支配する世界…これは真理であり、私の定める秩序に従えばポラリスも人間を滅ぼすことはなくなる」

 

「…」

 

「私がポラリスと謁見し、実力主義を根本とした新世界を創造する。貴様が私を認めようと認めまいと、私は私の信じる道を進むまでだ。ミヤビは聡明な人間だ、貴様のような人外に惑わされることはない。そもそも貴様がセプテントリオンである以上、戦いは避けられないものと覚悟している。私のやり方が気に入らぬなら、いずれ貴様とは決着をつけねばならぬだろう。もちろんその時には私だけでなくミヤビという強敵も相手にすることになるのを忘れるなよ」

 

ヤマトが挑戦状を叩きつけるように言い放つと、アルコルは哀しげな笑みを浮かべた。

 

「変わらないね、君は」

 

「貴様もな。…用がなければ早く去れ」

 

その言葉に返事をすることもなく、アルコルは姿を消した。

 

「フン、バケモノが…」

 

そう呟くと、ヤマトはソファーの背もたれに身を預けて目を瞑った。

 

 

 

 

ヤマトとアルコルの出会いは10年以上前にさかのぼる。

それはヤマトがまだミヤビと出会う前のことである。

当時のヤマトは峰津院家次期当主として厳格に育てられ、屋敷から出ることすらなかったために接する人間は父親のミズホ ── 母親は彼を出産してほどなく他界していた ── と十数人の使用人だけであった。

そのミズホも多忙で東京支局に詰めていることが多かったから、月に1・2度顔を合わすだけというもの。

家族の愛情など知らず、また友人などというものをつくることなどできようはずがなかったのだ。

もっともそれが当然という環境で育てられていたので、彼は孤独を感じることもなかった。

そんな彼の前に現れたのがアルコルだった。

ヤマトにとってアルコルは迷惑なものでしかなかったが、アルコルにはヤマトが”輝く者”として人間の未来を託せる唯一の存在として見えていた。

有り余る才能と数限りない選択肢を持つヤマトにそういう期待を持ったのは当然であろう。

彼こそが自分の慈しんだ人間をポラリスから救う存在になると信じたアルコルはヤマトに様々な情報を与えた。

元々峰津院家の次期当主として《古の盟約》について聞かされていたヤマトだったから、アルコルの持つ情報や知識は有益なものとなった。

しかしヤマトはアルコルの期待とは裏腹に、自らの進む道を早々に決めてしまった。

よって選択肢は狭まり、ひとつの考えに固執する彼に対しアルコルは興味を失っていった。

ミヤビが現れた時には、彼女がヤマトに変化を与えるだろうと期待をした。

ミヤビ自身もヤマトと同じくらい才能と可能性を秘めていたからだ。

彼女はアルコルを主の客人という程度にしか意識していなかったが、セプテントリオンでありながら人間に肩入れするアルコルに好意的に接するようになった。

ヤマトとミヤビとアルコルの関係は比較的良好なものだった。

ヤマトはアルコルを邪険にすることもなく、チェスを教えて相手をさせたり、ミヤビに茶を淹れさせて3人でティータイムを楽しむなど友好的なものだった。

しかしその関係も2年前に破綻した。

ヤマトのジプス局長就任がきっかけだった。

ヤマトが実力主義を理とした世界を創造することを宣言し、ミヤビはそれに従うとはっきりアルコルに意思を示したのだ。

それまではミヤビがヤマトを変え、ふたりで輝く者となって世界を導くと信じていたアルコルは、ミヤビすら自分の期待に沿うことはないと幻滅してしまう。

以来、アルコルはふたりの前に姿を現さなくなった。

昨日ミヤビの前に現れたのは2年ぶりで、その時にも考えが変わっていないことを改めて確認することとなった。

ヤマトもまた自身の考えを変える気はないと言う。

こうなることは想定済みのことであり、アルコルはヤマトたちではなく他の人間に自分の願いを託すしかないと考えた。

それが〈ニカイア〉と〈悪魔召喚アプリ〉という形となって不特定多数の人間にばらまかれたわけだ。

生きる強い意思を持ち、悪魔と契約してでも戦って生き残る者であれば、少なくともヤマトやミヤビにも対抗しうる存在となる。

その人物がどのような理想を持つかはわからないが、少なくともヤマトたちに影響を与える者となるだろう。

アルコルはそう考えた。

しかしヤマトが変わるかどうかは、さすがのアルコルでさえもまだわからない。

 

 

 






ヒロイン vs ドゥベ。
戦闘シーンをもっと細かく書きたかったのですが、作者の能力不足により簡単なものになってしまいました。
これからも彼女はセプテントリオンと戦いますが、あっさりめの戦闘シーンになるでしょう。

ヤマトはヒロインのことを誰よりも認め、その結果を評価しています。
ですから彼女のお出迎えくらいはしてくれそうです。

ヤマトとアルコルの過去については殆ど資料がないので、推測と想像で書いてみました。




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2nd Day 激動の月曜日 -1-



ヒロイン一行は大阪へ向かいます。
ゲーム版よりアニメ版に近い内容で物語は進んでいきます。
アニメ版の大阪本局のシステムがハッキングされていくシーンが大好きで、それを取り入れたかったからです。
でも登場人物が次々と死んでいく部分はやるせないので、最後まで誰も死なせない予定です。





 

 

〈ニカイア〉と〈悪魔召喚アプリ〉を解析した結果、〈悪魔召喚アプリ〉はジプスが使用する悪魔召喚システムよりもはるかに性能が高く、試験的にヤマトとミヤビとマコトの3人が使用することにした。

昨日は繋がらなかった〈ニカイア〉だが、なぜか今朝になって利用できるようになっていた。

地震発生によって一時的に大量の死に顔動画が配信されたためにサーバーがパンクしてしまったが、一夜明けて復旧したのだろうということになった。

そしてミヤビの推測どおり、死に直面して強い生きる意思を示さないと〈悪魔召喚アプリ〉はダウンロードできず、よってダイチたちの携帯から抽出したデータを元に〈悪魔召喚アプリ〉を複製し、それを各自の携帯にインストールした。

元々ジプスで使用していた悪魔召喚システムがあるといっても、この短い時間で正体不明のプログラムを再現したジプスの技術力は驚嘆ものである。

〈悪魔召喚アプリ〉には他にも悪魔をオークションで競り落とす機能や、スキルクラック・合体機能まで付いている。

優れたものなのだが、大きな問題があった。

それは使用者と召喚した悪魔の力関係である。

ジプスの悪魔召喚システムは使用者の霊的レベルに応じた悪魔を召喚するように調節されているので、よほどのことがないかぎりトラブルは起きない。

しかし〈悪魔召喚アプリ〉は少々面倒だ。

使用者の霊力レベルよりも出現する悪魔の方が高レベルになるという場合もありうるようだ。

契約戦で勝てずに死んでしまった者が多く、それゆえに主を持たない野良悪魔が多量に発生したという結論に達した。

昨日のダイチとイオに関しては例外と言えよう。

彼らが戦うべき悪魔をミヤビが倒してしまったことで、正確には契約戦で勝利したとはいえない。

しかし結果的に人間側の勝ちとなったために、ダイチたちに使役されるしかなかったと判断するのが妥当だ。

そして霊的素質のない者が悪魔の入った携帯に触れると暴走し、触れた者は死に至る。

これによって死亡した者も多少なりともいることだろう。

また一部の民間人が暴徒と化し、悪魔を使って窃盗やATMを破壊するなど強盗行為も行われている。

それについてはある程度想定はされてはいたが、ジプスの主たる目的がセプテントリオンを倒して人類を救うことであるため、ヤマトは対野良悪魔や治安維持のために特別に人員を割くようなことはしなかった。

ジプスの行動に邪魔となる場合のみ排除するという消極的なものでしかなく、民間人の悪魔による被害は今後増えるだろうと予測される。

しかしそれは仕方のないことである。

ジプスは時の為政者に規模を縮小され続け、最低限の人員で運営せざるをえず、イレギュラーなDケースに割ける人員がいないのが現実なのだ。

現状でわかっていることはここまでである。

なぜならそれを調べるのに適任である人物が昨日から行方不明になっているからだ。

フミは連日大阪本局で転送ターミナルの調整をしていたのだが、調整途中で突然消えてしまったという。

正午頃には見かけたという局員がおり、《神の審判》による地震の直後に消えたと思われる。

外出した形跡もなく、捜査は難航しており、彼女がいなければジプスの活動に多くの支障が出るのは誰の目にも明らかだった。

 

 

 

 

ヤマトは大阪本局で行われる幹部会議に出席することとなった。

ミヤビもヤマトに同行するのだが、会議に出席するのではない。

ヤマトはフミの捜索を彼女にさせることにした。

フミがいなければ転送ターミナルの調整だけでなく、様々なシステムの管理など不都合が発生するからだ。

もちろん大阪の局員に探させているものの成果が出ていない。

そこでミヤビに大阪市内を捜索させようと考えた。

地元の人間ですら見つけ出せない行方不明者を土地勘のない彼女に捜索させるというのは無茶なようだが、ヤマトには勝算があった。

ミヤビがタダの17歳の少女ではないことを一番良く知っているのはヤマトだ。

難度の高い問題を与えればそれだけやる気を出す彼女の性格と、これまでに蓄えた知識や技術などを駆使すれば可能であると判断したからである。

未だに大阪本局の局員はミヤビの東京支局長就任を快く思っていない。

大阪本局の責任者は局長代理という肩書きを持つ40代の男性だが、ヤマトが自分の留守を任せるだけあってそれなりの人物である。

大阪本局の局員たちも彼を尊敬しており、そのため自分たちより若い経験の少ない小娘が自分たちの上官である局長代理と同じ権限を持つことが気に入らないというのだ。

よってミヤビの実力をその目で確認させ、黙らせるには良い機会である。

 

さらにヤマトはダイチとイオには大阪の様子を視察させるという名目で同行させることにした。

真の目的は悪魔使いとしての素質がある人間に経験を積ませ、実戦投入することである。

当然、ダイチとイオは反論するが、それをヤマトは却下した。

 

「ジプスを出てどこかの避難所で膝を抱えて震えている方が良いとでも言うのか? 自ら行動せず、このまま誰かがすべて解決してくれるなどと考えているようでは生き残ることなどできぬ。今何が起きているのかをその目で確認し、自身の置かれている現状を把握することで、自分のすべきことが見えてくるはずなのだ。別に私は強制しているわけではない。自分で考え、自分で答えを出せ。自ら行動して生きる道を選ぶか、何もせずに怯えながら死を迎えるか…。出立は30分後、それまでに結論を出しておけ。お前たちの判断に任せる」

 

ヤマトはダイチとイオにそう言うと去って行った。

ヤマトの言い分はもっともである。

悪魔やセプテントリオンは人間の有する火器や武器が一切効かず、悪魔のみによって倒すことができる存在である。

だから悪魔使いとして少しでも資質があれば徴用したいというヤマトの考えは当然なのだ。

ダイチとイオは自分が未成年であり民間人であるから、正体不明の敵と闘うのはジプスに任せておけば良いと考えていた。

しかし何もせずにただ怯え、逃げ惑っているだけでは助かる可能性はゼロに近い。

ならば生きるために抗うべきである。

実際、大阪や名古屋ではダイチたちのような若い民間人がジプスに協力して悪魔と戦っていた。

彼らはヤマトに強制されたのではない。彼らは自分の意思でジプスに協力することにしたという。

それをミヤビから聞かされると、ダイチとイオは不安げな顔して考え込んでしまった。

そして考えあぐねた挙句に、ダイチがぽつりと言った。

 

「あいつの言うとおりだ。どうせ避難所にいたってやることもないし、あいつの言ってることもわからなくない」

 

「わたしも…お父さんやお母さんに会いたいけど、もし何かあったらと思うと不安でたまらない。ふたりが見つかるまで他のことをして気を紛らわせていないと、気がおかしくなって死んじゃいそう…」

 

イオの気持ちはミヤビにも良くわかった。

現実を直視するのは恐ろしい。でも見て見ぬふりもできないし、何もしないでいるとますます不安が募って居ても立ってもいられなくなる。

 

「それなら一緒に大阪へ行きましょう」

 

ミヤビはふたりに呼びかけた。

 

「ヤマト様のおっしゃったように現状を知り、様々な情報を集めて、その中で自分がすべきことを見つけて行動する。何もしないでいて後悔するよりも、やれることをやって悔やんだ方が良いはずです」

 

無言でしばらく考えた後、今度はイオが先に口を開いた。

 

「わたし、大阪へ行くわ。わたしが役に立つとは思えないけど、何もしないよりはマシだと思うから」

 

「新田さんが行くなら俺も行くよ。俺にもできることがあるかもしれないしな」

 

ダイチは頭をぽりぽりと掻きながら言う。

 

「ダイチさん、イオさん、ありがとうございます。では一緒に駅へまいりましょう。でも、その前にやっておくことがあります。こちらへ来てください」

 

ミヤビは技術班の部屋へ行き、ふたりの携帯の番号を登録し、ジプス関係者同士なら通話ができるように設定してもらった。

こうしておけばGPSによって、彼らの居場所はミヤビの携帯で確認できるという仕組みだ。

 

 

 

 

ミヤビたちは地下通路を使って新橋駅の真下にあるジプス専用駅へやって来た。

天井の高いかまぼこ型ドームの下には新幹線と同じ車両の高速列車が停車している。

ホームや天井の照明やベンチなど、明治時代の停車場の雰囲気を漂わせていて、ジプスがかなり前から非常時にも本局と支局を結ぶ手段を準備していたことがわかる。

あらゆる交通機関がマヒしているのにここだけ無事なのは、線路が龍脈の上に建設されているからだ。

ダイチとイオは物珍しそうに周囲を眺めている。

ミヤビ自身も初めて利用するので興味深げに見ているのだが、暢気に見物している時間はない。

 

「来たか…」

 

ホームの中央付近にヤマトがいた。

 

「人を待つのは何年ぶりかな」

 

棘のある言い方ではなく、なぜか楽しそうだ。

 

「お待たせして申し訳ございません。志島・新田両名とも、同行の意思を示してくれましたので、わたしの判断で彼らの携帯をジプス専用回線に登録させていただきました。その手続きで遅くなってしまいました」

 

「いや、気にするな。こいつらに大阪で迷子になられても面倒だ。お前の判断は正しい。…では出発する」

 

ミヤビたちはヤマトの後に続いて高速列車に乗り込み、一路大阪へと発ったのだった。

 

 

 

 

車中、ヤマトはミヤビを呼び寄せると幹部専用の特別車両でふたりきりになった。

それはダイチたちや他の局員に聞かせたくない話があるという意味で、ミヤビも話の内容についてなんとなく想像がついていた。

 

「ニカイアの件だが、やはり奴が犯人だった」

 

ヤマトの言う”奴”がアルコルだということを知っているミヤビはゆっくりと頷いた。

 

「やはりそうでしたか。他に思い浮かぶ人物がおりませんから、わたしもアルコルの仕業だと考えていました。彼は一昨日の夜にわたしの前に現れ、道を改めるよう説得していきました」

 

その言葉にヤマトの表情が僅かに歪んだ。

 

「あのような人外に惑わされることはなかっただろうな?」

 

「はい。ヤマト様の目指す世界と彼の望む世界は違うものですから。彼は人類にとって恩人ではありますが、だからといって彼の言いなりになる義務はありません」

 

「ああ、そのとおりだ。奴は私の前にも現れ、勝手なことをほざいて帰って行ったよ。ニカイアを使って我々に対抗する駒を作り出そうとしたようだが、愚民どもでは我々のような崇高な志を持つ人間に敵うはずがない」

 

「彼がにわか悪魔使いを増やしたところで、組織的な力を持つヤマト様に戦いを挑んで勝てるはずがありません。しかし彼がその程度の妨害だけで済ますとは思えません。やはりフミさんの行方不明には彼が関わっているとみて間違いないでしょう」

 

「お前もそう考えたか。菅野はジプスのセキュリティや召喚システムの管理を任せているからな、彼女がいなければ今後の作戦遂行にも大きな支障となる。本人の意思で消えたとは思えぬし、本局を出たという記録もない。だとすればあの人外の仕業だと考えるのが当然だ」

 

「はい。アルコルはわたしたちと戦いたくないと言っていましたから、ジプスの活動を妨害することで、ヤマト様の進む道を遮ろうとしているのでしょう」

 

「戦いたくない…か。しかし所詮セプテントリオンと人間は相容れない関係。奴がどんな手段に出ようとも、我々は全力で戦うまでだ。そのためにも菅野を探し出し、一刻も早くジプスの機能を万全なものにしなければならぬ」

 

「だからこそ東京支局をマコトさんに任せ、わたしを大阪へ向かわせるのだということは承知しております。そして次のセプテントリオンが出現する場所が大阪であるということも…」

 

ミヤビの言葉にヤマトは笑みを浮かべた。

 

「お前の洞察力にはいつも感心する。そうだ、2体目のセプテントリオンは大阪に現れる。それまでに菅野を探し出せ」

 

「了解いたしました」

 

ヤマトはミヤビの返事を心強く感じていた。

彼女が自分の期待を裏切ることのない唯一の人物だと信じているからだ。

そのせいか彼女にだけは労いの言葉をかけたくなる。

 

「大阪へ着くまでまだ時間はある。それまでゆっくりと休んでいろ。ドゥベの報告書はあとでかまわぬというのに、お前は夜遅くまでかけて書き上げたらしいな。今朝、局長室の机の上に置かれていた報告書は読ませてもらった。それにニカイアの解析にも加わっていたというではないか。徹夜明けではいざという時に困る。少し寝ておけ」

 

「はい…ありがとうございます」

 

ミヤビは立ち上げって一礼すると、少し離れたボックスの1席に腰掛けた。

そしてリクライニングシートを深く倒すと、またたく間に深い眠りの中に落ちていったのだった。

 

 

一方、ヤマトは物思いに沈んでいた。

 

(ミヤビが真面目な人間であることは私自身が一番良く知っている。報告書は急がないと言っても、彼女なら徹夜してでも書き上げるくらい容易に察することはできた。ニカイアの解析もまた然り。無理をさせたくはないが、私はミヤビに期待をせずにいられない)

 

ヤマトらしからぬ反省を促したのは、ミヤビの寝姿だった。

 

(私は知っているのだぞ。私の期待に応えるために、寝る間も惜しんで常に自分を磨き続けていることを。それは昔から全然変わらぬな)

 

目を瞑ってミヤビの姿を思い浮かべるヤマト。

 

(峰津院家への恩返しが彼女の原動力となっているようだが、どうしたらあそこまで身を削るような献身的な行動ができるというのだ?私にはそこまでする理由がわからない。訊けば教えてくれるのだろうか…?)

 

ヤマトにはわかるはずはないのだ。

ミヤビは自分の命のピリオドを定めており、それまでの間にやらなければならないことがたくさんある。

その強い意思が今の彼女を動かしているのだということを。

 

 

 

 

「お帰りなさいませ、峰津院局長!」

 

出迎えた大阪本局の局員たちが一斉にヤマトに敬礼をする。

その一糸乱れぬ行動が、本局局員の意識の高さというか、彼らのプライドの表れであるとミヤビには感じられた。

そして彼女が想像していたとおり、局員の冷ややかな視線が彼女に向けられた。

その視線に耐えながら、ミヤビはヤマトの斜め後ろの定位置で指示を待つ。

 

「ミヤビ、志島と新田を連れて菅野の捜索にあたれ。会議は15時には終わるだろう、それまでに本局へ戻って来い」

 

「了解しました」

 

「ああ、念のために大阪での案内人を用意させた。…どこにいる?」

 

ヤマトは大阪本局の男性局員に訊いた。

 

「もう来ているはずなのですが…。どこへ行ったんだ?」

 

男性局員はホームの周辺をキョロキョロと見回す。

すると彼は視線の先に目的の人物を見つけた。

15・6歳くらいの少年で鋭い目つきをしており、両手をポケットに入れ仁王立ちになっている。

 

「和久井、遅いじゃないか」

 

「さっきからおったわ、このボケ」

 

年上の人間にボケと言い放つ少年。彼は民間人協力者のひとりらしい。

なんだか扱いが難しそうなタイプだとミヤビは思った。

男性局員の方は怒りもせず、やれやれといった顔で言う。

 

「じゃあ、和久井、後は頼んだ」

 

「…ああ」

 

ひと安心とは言いがたい状況だが、ミヤビは自分たちのために案内人を用意してくれたヤマトに感謝した。

 

 

ヤマトたちが去ったホームにはミヤビとダイチとイオ、そしてと和久井少年が残された。

気まずい雰囲気が漂う中、ミヤビが挨拶をした。

 

「わたしは東京支局の支局長の紫塚雅です。あなたのお名前は?」

 

「俺は和久井啓太(わくいけいた)。よぉ覚えとけ」

 

そしてぷいと横を向き、自己紹介しようとしたダイチたちを無視し、さらにミヤビたちを残して歩いて行く。

 

「ああ、待ってください!」

 

ケイタを追いかけながらミヤビが言う。

 

「街を案内してくれるんじゃないんですか?」

 

するとケイタは振り向きもせずに答えた。

 

「悪いがヒマやない。お前らと群れる義理もないわ。俺は悪魔を殺せるからジプスに協力してるだけや」

 

「…」

 

「大阪は東京みたいにややこしい街やない。視察したかったら自分らでせぇや。ジプスのおエライさんなら本局の場所くらい知っておるやろ? もしわからんかったら14時半にビッグマン前に来たら連れてったるわ。ほなな。まぁ、悪魔には気ぃつけや」

 

そしてケイタは行ってしまった。唖然とするミヤビたちを残して。

 

 

 

 

大阪も東京と同じく地震と悪魔の出現によって街は壊滅状態となっていた。

たぶん名古屋や福岡・札幌といった都市も同様の惨状を呈していることだろう。

瓦礫の山と化した街も、昨日までは大勢の人々で賑わっていたはずだ。

しかし今は人影が殆どなく、きっとどこかの避難所で身を潜めていると思われる。

悪魔が出現して人を襲っているのは東京の状況と変わらないということだ。

 

しばらく歩いているとミヤビたちの前方に大きく傾いた大阪城が現れた。

このまま行くと大阪城公園に着くらしい。

ミヤビがそんなことを考えていた時、突然彼女たちの数十メートル前方の道をものすごい勢いで駆け抜けて行くものがあった。

 

「悪魔!?」

 

それは人型をしてはいるものの、間違いなく悪魔だ。

ミヤビはとっさに携帯をかまえ、ビャッコを召喚する。

 

「出でよ、ビャッコ!」

 

魔方陣の中から現れたビャッコにミヤビはさっきの悪魔を倒すように命じる…つもりだった。

しかし標的の悪魔はビャッコが魔方陣から出る前に霧散してしまったのだ。

消える前にはるか前方で悪魔召喚の際の青白い光が発せられ、翼のある人型の悪魔が召喚された。その翼のある悪魔が倒したのだ。

つまりそこには悪魔を召喚し使役できる人間、悪魔使いがいるということになる。

 

「行ってみましょう!」

 

ビャッコを従えたミヤビが走り出すと、それを追ってダイチとイオも走り出した。

すると翼のある女性のような姿の悪魔 ── 鬼女リリムが確認でき、その隣には露出度の高い衣装に白い布を纏ったポニーテールの女性がいた。

携帯を握っているところを見ると、彼女がリリムを使役する悪魔使いであろう。

 

「その服…あんた、ジプスの人なん?」

 

先にポニーテールの女性がミヤビに声をかけてきた。

 

「はい。ジプス東京支局長、紫塚雅です」

 

そう答えた。

すると彼女は大袈裟に言う。

 

「支局長!? そやからそないなえらいもんを使役しとるんやねぇ」

 

”そないなえらいもん”とはビャッコのことだ。

昨日まで悪魔の存在など知らなかった民間人であっても、悪魔使いとなった今ならビャッコが高位の悪魔であると理解し、それを使役するミヤビに一目置くのは当然である。

 

「ところであなたのお名前は?」

 

「ウチ、九条緋那子(くじょうひなこ)っていうねん」

 

「九条さんもニカイアで悪魔召喚アプリを手に入れた口ですか?」

 

ミヤビがそう訊くと、彼女は笑顔で答えた。

 

「そうや。あ、ウチのことはヒナコでええねん。年、そう違わないはずやから」

 

ミヤビは彼女のナイスバディと度胸からマコトと同じくらいの20代半ばだと思っていたのだったが現実は違っていた。

 

「ウチ、19や。あんたらは高校生くらいやろ?」

 

「はい。わたしは17歳で、こっちのふたりは18歳です」

 

そこでダイチとイオもヒナコと挨拶をした。

ヒナコは非常に人懐っこくて社交的だ。

おかげでミヤビたちはすぐにうち解けた。

 

「ミヤビちゃん、ウチをジプスに連れてってくれへん?」

 

突然ヒナコが言い出した。

 

「ミヤビちゃんほどやないけど、ウチもそれなりに戦力になると思うんや」

 

「ええ、レベル18のリリムを使役しているほどのサマナーならジプスでも歓迎してくれると思います。しかしここ大阪ではわたしの人事に関する権限は及びません。15時までに本局へ行くことになっていますから、一緒にいらっしゃいますか?」

 

「もちろんや。でもまだ約束の時間には早いな。せっかく大阪へ来てくれたんやさかい、いろいろ案内するわ」

 

「でしたらお願いがあります。実はわたしたち、人を探しているんです」

 

ミヤビが事情を説明する。

 

「ようわかったで。ほな、行こか」

 

ヒナコに案内されて、ミヤビたちはフミの捜索を再開した。

 

 

 

 

「さて、会議を始めよう」

 

ヤマトの一声で会議が始まった。

出席者は局長であるヤマトの他は大阪本局の局長代理、名古屋支局長、大阪本局で現場の統括をしている戦闘隊長と、そして技術班の局員。

彼は責任者であるフミが不在のために駆り出されたのだった。

また移動手段のない福岡支局長と札幌支局長はモニターによる参加となっている。

東京支局長のミヤビがいないことに顔を顰める者もいるが、それはヤマトの判断によるものなのであからさまな非難はない。

まずは各支局の状況、そして〈悪魔召喚アプリ〉悪用者と対処と民間人協力者の対応についてである。

各支局がある都市はかなりの打撃を受けて壊滅状態であり、〈悪魔召喚アプリ〉悪用者の影響もあってかかなり混沌とした状況である。

さらに〈悪魔召喚アプリ〉によって悪魔を召喚する者はいても、その殆どは呼び出した悪魔と契約できずに死亡し、悪魔は野良悪魔となって人々を襲っている。

気になるのは名古屋の報告で、こちらは悪用者というよりは暴徒であるということだ。

医療品や食料品をジプスが独占していることが気に食わないと言って、ひとりの青年が暴徒をまとめているという情報が入っている。

そしてフミは依然として見つかってない。

 

光明の見えない、その時だった。けたたましく非常警戒のサイレンが鳴った。

会議に出席していた幹部局員たちは慌てるが、ヤマトだけは落ち着いている。

こうなることを予測していたようで、冷静な口調で言った。

 

「何事だ?」

 

彼の問いに司令室の女性局員が答える。

 

「何者かによってサイバー攻撃を受けています! 外部からの結界システムへのハッキングです!」

 

「急いでサーバーのある地点を確認しろ」

 

ヤマトの指示で局員たちは個々に動き始めた。

彼も立ち上がると会議室を出て司令室へと向かった。

 

(ジプスの回線には考えうるあらゆるプロテクト技術の他に魔術による防御が施されている。こんなことができるのは奴のみ。フッ…奴は我々の心臓を止めに来たということか。面白い、受けて立ってやろう)

 

司令室では防御プログラムをフル稼働させ、さらに侵入経路ネットワークの逆探知をしてハッカーの居場所を探索していた。

しかし状況は悪化の一途を辿っている。

第1層を突破され、魔術式による暗号も解読されていく。さらに第2層もと第3層も突破されてしまった。

数分後、ヤマトが司令室に到着するやいなや、男性局員が探査結果を報告した。

 

「サーバー特定、浪速区・フェスティバルゲート跡地内部です! 直ちに現場に向かいます!」

 

数名の戦闘班の局員が現場に向かおうとするが、それをヤマトが制止する。

 

「待て。ミヤビを向かわせる」

 

そう言って携帯を取り出すとミヤビを呼び出した。

 

 

 






ケイタとヒナコが登場しました。
ケイタはすでにジプスに協力する民間人ですが、ヒナコはゲーム版のように大阪の街の中で出会うようにしました。




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2nd Day 激動の月曜日 -2-

「ミヤビ、今どこにいる?」

 

「大阪城公園付近です。悪魔の顕現反応でもありましたか?」

 

「いや、ジプスがサイバー攻撃を受けている。そのサーバーが浪速区にあるフェスティバルゲート跡地内部だと判明した。直ちにハッカーの身柄を確保しろ。たぶんハッカーは菅野だ」

 

「やはりそうきましたか。では急いで現場へ向かいます」

 

携帯を切ると、ミヤビはヒナコに訊いた。

 

「浪速区のフェスティバルゲート跡地ってどこですか?」

 

「それやったら通天閣の300メートルくらい南、天王寺公園の近くや。せやけど何があったん?」

 

「ジプスがサイバー攻撃を受けているそうです。そのサーバーがフェスティバルゲートにあるらしく、わたしが対処することになりました」

 

「そやったら急がんとあかんな」

 

その時だった。ミヤビたちの携帯にメールの着信を告げるメッセージが流れた。

 

「新着の死に顔動画がアップされたよ☆」

 

届いたメールに添付された動画を開くとそこにはケイタの死に顔動画が届いていた。

急いで再生すると、彼が悪魔に襲われて絶命している様子が映し出される。

 

「死に顔動画やて?」

 

ミヤビの携帯を覗き込んだヒナコが眉をひそめて訊く。

 

「つまりこの子がもうじき死ぬってこと?」

 

「そうですが…わかっているなら死を回避することだってできるはずです。ヒナコさん、この動画の背景を見て、ここがどこだかわかりますか?」

 

ミヤビはヒナコに携帯を手渡した。

彼女は何度も動画を再生し、断言した。

 

「この建物内のジェットコースター…、間違いなくフェスティバルゲートや!」

 

偶然にもミヤビたちが向かおうとしている先が問題の場所だった。

一刻を争う事態だが、ここからフェスティバルゲート跡地まで直線距離でも3キロメートル以上あり、瓦礫の中を歩いて行くとなるとどれだけ時間がかかるかわからない。

 

「ビャッコ、わたしたちを乗せて飛べる?」

 

ミヤビは一緒に歩いていたビャッコに訊いた。

 

「お安い御用だ、主」

 

そう言って身体を屈めてくれた。

しかしビャッコに4人は無理だ。

そこでミヤビは悪魔をもう1体召喚した。

 

「出でよ、セイリュウ!」

 

龍王セイリュウはビャッコと同じく四神のひと柱である。

ビャッコにミヤビとヒナコ、セイリュウにダイチとイオが跨った。

 

「しっかり掴まっていてください! 振り落とされたらおしまいですから! さあ、ビャッコ、セイリュウ、行くわよ!」

 

そう叫ぶと、ビャッコとセイリュウは瓦礫の山を軽々と飛び越えて行ったのだった。

 

 

 

 

フェスティバルゲート跡地到着したミヤビたち。

ケイタを探し出して彼の死の回避をすることと、ジプスをハッキングしているハッカーを探して確保すること…それが彼女たちの目的だ。

どちらも緊急を要するものであり、手分けをすることにした。

ダイチとイオとヒナコはケイタを探し、ミヤビはひとりでハッカーを探すこととなる。

戦力を考えるとこうするしかないからだ。

なにしろ雑魚ではあるが牛や馬の頭をした悪魔 ── 闘鬼ゴズキとメズキがうろついていて、それらとの戦いは避けられない。

ゴズキとメズキはそれぞれレベルが18と25であり、ヒナコのリリムだけでは心許ないので、ミヤビはもう1体自分の使役している悪魔・龍王ゲンブを召喚した。

 

「出でよ、ゲンブ!」

 

ミヤビの命令でゲンブが現れた。

彼女はビャッコを主力とし、セイリュウとゲンブを控えとして使っている。

控えといってもセイリュウはレベル51だし、ゲンブもレベル38だから十分役立ってくれることだろう。

 

「ヒナコさんたちに協力して、襲いかかってくる悪魔を倒しなさい」

 

「「承知した、主」」

 

セイリュウとゲンブに命令を与えると、二手に分かれた。

ミヤビはさっそくヤマトに連絡をする。

 

「フェスティバルゲート跡地に到着しました。しかしここはとても広くて、こちらでは詳しい場所は把握できません。そちらで誘導をお願いします」

 

「ああ。まずは正面入口を入り、アトリウム中央にあるエスカレーターを昇って3階フロアまで行け」

 

「了解しました」

 

ここは数年前に廃業したとのことで、地震による人的被害はなかった。

頑丈な建物だったので施設の損壊も目立ったものはない。

しかし悪魔の出現によってここに避難していた人々に多くの犠牲が出たようだ。

そして現在では無人となっている。

 

3階に着いたところでヤマトからミヤビに連絡が入った。

 

「問題のハッカーは2時の方向、約30メートルの位置に潜んでいる」

 

「ここからはわたしの判断に任せてください。よろしいですね?」

 

「好きにやってみろ。結果を出せばお前のやり方でかまわない」

 

そう言ってヤマトは電話を切った。

ヤマトにはミヤビが自分の期待以上の結果を出すという確信がある。

本局の司令室にいるヤマトでは現場の様子はわかりにくい。

ならばミヤビの現場で培った判断能力を信じることが最適な手段に違いないのだ。

 

ミヤビはビャッコと共に足音を立てずにハッカーに近づいて行く。

その途中で相手の顔を目視し、それが行方不明となっていたフミであることを確認した。

ヤマトとミヤビの想像は悪い意味で当たってしまったことになる。

フミはジプスのシステムを構築した張本人で、そんな彼女がサイバー攻撃をかけてきたのだから防ぎようがない。

これがアルコルの仕組んだ妨害工作であることは明らかだ。

もちろんフミ本人の意思による工作であるという可能性も捨てきれないが、彼女の様子からすぐにそれが杞憂であることがわかった。

フミは目の焦点が合っておらず、ただひたすらにキーボード打ち続けている。

まるで何者かに操られているようだ。

そのせいでミヤビの気配に気づいていない。

これなら取り押さえるのはそう難しいことではなさそうだと判断したミヤビは慎重にフミの背後から近づいて行った。

しかし手が届きそうだというところまで近づいたところで、ミヤビは背後に悪魔の気配を感じて振り返った。

 

「!?」

 

目の前の悪魔は大蛇のような身体に鋭い2本の牙と角、両手に剣を持っている。ミヤビは咄嗟に携帯をかまえて敵のステイタスを調べた。

 

(堕天使ボティス…レベル37、か。電撃が効かないとなるとちょっと苦戦するかもしれないけど、ビャッコの物理攻撃なら大丈夫ね)

 

ミヤビを庇うようにしてビャッコがボティスとの間に割って入った。

ビャッコは唸り声を上げて威嚇しながら、攻撃するタイミングを見計らっているようだ。

ボティスはビャッコに対して力の差を感じたのか、闘おうともせずにさっと姿を消した。

しかし次の瞬間、ホールの下の方から悲鳴が聞こえた。

 

(もしこのボティスがケイタさんを襲う悪魔だとしたら…。そしてダイチさんたちと合流していなくて、自分が死ぬということを知らないでいたら、死に顔動画は現実となってしまう。場所はこのすぐ近くだもの、今から駆けつければまだ間に合うはずよ)

 

ミヤビはビャッコを連れてケイタを探そうとしたが、それを妨げるものがあった。

バッドタイミングでヤマトからの連絡が入ったのだ。

さすがのミヤビもこれには慌てた。

 

「ミヤビ、ハッカーの身柄は確保できたのか?」

 

「それどころではありません! ケイタさんが危ないんです。今から彼を助けに行きます」

 

「余計なことをするな。さっさと菅野を捕まえろ。それがお前の任務だ」

 

「そのとおりですが、放っておけば彼はボティスに殺されてしまいます」

 

「かまわん。当然ありうる犠牲だ」

 

「何ですって!?」

 

犠牲を皆無にすることは不可能だが、自分の行動如何によってはその数を減らすことができるとミヤビは信じている。

目的のためなら人命を軽視するヤマトのやり方に納得ができず、彼女は初めてヤマトの命令に逆らった。

 

「好きにやってみろとおっしゃったのはヤマト様です。納得する結果を出せば文句ないはず。わたしのやりたいようにやらせてください!」

 

 

 

 

「好きにやってみろとおっしゃったのはヤマト様です。納得する結果を出せば文句ないはず。わたしのやりたいようにやらせてください!」

 

そう啖呵を切ってミヤビは電話を一方的に切ってしまった。

ヤマトは携帯を握りしめたまま口の端を僅かに歪めた。

 

(納得する結果を出せば文句ないはず、か。…ったく、この程度のことで命を落とすような奴では私の創る実力主義世界に生きる価値などないというのにな)

 

ヤマトは心の中で呟くと、部下に訊いた。

 

「現在の状況は?」

 

「第6層を突破されました!」

 

「こちらからの攻撃プログラムは?」

 

「依然効果ありません! すべて無効化されています!」

 

「チッ…仕方がない。…アルマデルを使え」

 

アルマデルとはフミが開発していたウィルスプログラムの名称だ。

未完成のため彼女がいないまま使用するのは危険だが、背に腹は代えられぬということなのだろう。

 

「アルマデル、起動します!」

 

局員の操作でアルマデルが起動する。

するとフェスティバルゲートでダイチやヒナコたちを苦しめていたゴズキとメズキの動きが鈍った。

これらの悪魔は洗脳されたフミのPCの悪魔召喚プログラムによって呼び出されていたもので、アルマデルが彼女のPCを逆ハッキングしたために一時的ながら行動を制御したというわけだ。

 

(これは単なる時間稼ぎに過ぎない。後はお前の手腕にかかっている。私の期待を裏切るなよ、ミヤビ)

 

モニター画面の向こう側にいるミヤビにヤマトは心の中で呼びかけたのだった。

 

 

 

 

ミヤビが駆けつけた時にはすでにケイタの闘鬼ベルセルクとボティスが闘っていた。

ダイチたちとは合流できていないようだ。

 

「ケイタさん!」

 

「ミヤビ!? なんや! 何しに来た!? 待ち合わせはビッグマンって言うたやろ」

 

ミヤビの登場にケイタは驚いている。

 

「わたしも加勢します」

 

「大きなお世話や!」

 

「そんなこと言っている場合じゃありません! あなたの死に顔動画が届いたんです」

 

「え…?」

 

自分の死に顔動画と聞き、ケイタは勢いを失くす。

 

「とにかくその悪魔をやっつけてしまいますよ!」

 

「あ、ああ…」

 

ベルセルクとボティスはほぼ同レベルだ。

ならばビャッコの参入でこちらが圧倒的に有利となる。

 

(ひとりでフミさんを捕まえるより、ここでボティスを始末して彼とふたりで取り押さえた方が良いに決まっている。またさっきみたいにこいつに邪魔されたら面倒だもの)

 

ミヤビはそう判断した。それにケイタの命を犠牲にして得られる勝利など無価値だと信じているからだ。

 

「同時に仕掛けます、いいですね?」

 

「あ? 何、俺に命令しとんねん?」

 

「命令じゃありません。仲間に同意を求めているだけですよ。…ね、おねがいします」

 

ミヤビが微笑みながら言うと、ケイタは顔を赤らめ、視線を逸らせて答えた。

 

「…しゃーないな。一撃で決めるで」

 

「ウチにまかせとき」

 

ミヤビがおどけてそう言うと、それまでつっけんどんな態度だった彼がにやりと笑った。

 

「奴は電撃や魔力が効かん。そやから俺のベルセルクの大剣で叩っ斬る」

 

「じゃ、ビャッコを囮にして、その隙を狙うっていう作戦はどうかしら?」

 

「ああ。…よっしゃ、行くぞ!」

 

ケイタの合図でミヤビはビャッコをボティスにけしかけた。

 

「行け、ビャッコ!」

 

するとビャッコは目にも止まらぬ速さでボティスに襲いかかった。

体毛に電流を蓄積して一気に雷電を放つが、当然ボティスには効かない。

ボティスはビャッコに魔法攻撃を仕掛けようとする。

 

「そっちは囮や!」

 

ボティスの背後からベルセルクが大剣を振り降ろして右腕を落とした。

 

「やった!」

 

ミヤビとケイタの連携により、ボティスに大ダメージを与えた。

これでいけると思った次の瞬間、ボティスがすっと姿を消した。

 

「チッ、逃げよったか」

 

苦々しく舌うちするケイタにミヤビは呼びかける。

 

「この上にジプスのシステムをハッキングしているハッカーがいるんです。捕まえるのを手伝ってください」

 

ミヤビたちはフミのいる部屋へ引き返すと、大型コンピューターの陰に隠れた。

 

「あ、その前にコンピューターをぶっ壊しましょう。これがトラブルの元凶ですから」

 

「それは俺がやったる」

 

ケイタはベルセルクに命じて近くにあったコンピューターを叩き壊した。

 

 

 

 

その頃、ジプス大阪本局司令室に詰める局員たちの間には悲壮感が漂い始めていた。

 

「第9層突破されました! 最終防衛ライン、アザトースに達します!」

 

「侵攻率のカウントダウン、入ります!」

 

局員の切羽詰まった声にさすがのヤマトの顔にも焦りの色が浮かんでいる。

 

「侵攻率92…93%」

 

カウントする局員の声に、他の局員たちは互いに自分の不安や不満を吐露し始めた。

 

「このままでは完全に侵攻されてしまうわ…」

 

「霊的防御がないまま侵略者が現れてみろ、無防備で太刀打ちなんかできるのか?」

 

「こんな状態だというのに局長はどうしてあんな奴に任せっ切りなんだ?」

 

「ああ、それは僕も同感だ。そういやぁ、さっきの紫塚雅っていう子、東京支局長だっていうじゃないか。何で局長はあんな子を支局長にしたんだろう?」

 

「東京の人間が局長の命令に従わず、この大阪で勝手なことをされちゃ、こっちが困るんだけどな」

 

その時だった。侵攻率のカウントをしていた局員が震える声で告げた。

 

「侵攻率95…と、止まりました!」

 

一瞬の沈黙の後、「Fire Wall Damage 95.14%」と表示されたままストップしているモニター画面に全局員の視線が向けられた。

 

「おおっ!」

 

「やったぞ!」

 

互いに肩を抱き合って喜ぶ局員たち。

しかしヤマトだけは違っていた。

 

(奴がこの程度で退くはずがない)

 

険しい顔でモニターを凝視しながら、ひとり呟いた。

 

「次はどう出る…アルコル」

 

 

 

 

コンピューターを破壊したところ、フミの手も止まった。

 

「終いや。そいつを取り押さえろ」

 

ケイタがベルセルクに命じる。

無抵抗…というより糸の切れた操り人形のようなフミはいとも簡単に拘束できた。

 

「これで任務完了…ですね」

 

ミヤビはそう呟くと、吹き抜けになっているホールの1階を見下ろした。

そこには雑魚悪魔を一掃したダイチたちの姿が見える。

 

「そっちは大丈夫ですか~!?」

 

声をかけると、ダイチとイオが大きく手を振って応えた。

その直後だった。ミヤビの背後に禍々しいオーラを放つ何かが出現した。

 

「ぬか喜びをさせてしまったようだ」

 

その声に振り向くと、そこにはボティスがいた。

宙空に浮かんでおり、ミヤビを見下ろしている。

 

「人間は詰めが甘い」

 

逃げたと思っていたのは彼女の勘違いだった。

彼女が油断するのを待ち、その隙を狙っていたのだ。

 

「あかん! 逃げろ、ミヤビ!」

 

ミヤビは横から飛び出して来たケイタによって力いっぱい弾き飛ばされた。

次の瞬間、ケイタと彼を庇うようにして立ち塞がるベルセルクに向けてボティスは電撃を喰らわせた。

その光景は死に顔動画の映像と同じもので、ケイタとベルセルクは勢いよく弾かれて3階から1階へと落下していく。

 

「セイリュウ!!」

 

ミヤビは渾身の力を込めてセイリュウの名を呼んだ。

するとセイリュウは主の意思を察し、ケイタの落下地点でとぐろを巻くようにして床に伏した。

そして落下してくるケイタをとぐろの中心でキャッチする。

それを見ていたヒナコたちは歓声を上げた。

 

一方、3階ではミヤビを守るようにビャッコが立ちはだかり、ボティスに向けて唸り声を上げていた。

しかしボティスは彼女に攻撃をしかけようとはしてこない。

彼女を見下ろしたままで動かず、まるで品定めしているかのようで、彼女はそれを薄気味悪いと感じていた。

 

「かかってきなさい!」

 

ミヤビは弱みを見せまいとして仁王立ちになって叫ぶ。

するとボティスは左手を彼女に向け、その手のひらから閃光が放たれた。

 

「うっ…」

 

突然の強烈な光にミヤビは目を眩ませてしまい、数秒だが視覚を失った。

しかしボティスは彼女に止めを刺そうとはせず、彼女が目を開けた時にはその姿はなかった。

 

 

 

 

ミヤビの前から姿を消したボティスはフミの側にいた。

いつの間にかフミの拘束は解かれている。

 

「菅野史…ご苦労だった。…では、最後の仕事だ」

 

ボティスの呼びかけにフミはPCに「T、Z、A、B、A、O、T、H」とパスワードを打ち込む。

そして打ち込み終えると、彼女は机の上に突っ伏した。

 

それと同時に大阪本局の司令室では想定外の事態に騒然となった。

 

「アルマデル、再起動!」

 

男性局員の叫ぶような声に、さすがのヤマトの表情にも焦りの色が浮かんだ。

 

「どういうことだ!? これは何の命令コードだ?」

 

モニターいっぱいに表示される「T Z A B A O T H」の文字の羅列。

 

「アルマデルが本局のシステムを侵食しています! これは使用者が自分の形跡を消すためのシステム破壊コードです!」

 

それまで停止していた侵攻率のカウントダウンが再開し、ファイアウォール完全消滅と同時に第10層まですべて突破されてしまった。

 

「システムダウン…。通天閣の防御結界が…消滅しました…!」

 

モニターを見つめていた局員が震える声で目の前の事実を告げる。

それは大阪の霊的防御機能がゼロとなったことを意味し、局員たちの顔は青ざめ、言葉を失った。

 

そして十数秒の沈黙の後、ひとりの女性局員が叫んだ。

 

「大阪に…セプテントリオン、出現しました…!」

 

メインモニターに映し出されたセプテントリオンを見たヤマトは呟いた。

 

「メラク…このタイミングで出現するとは…。やはり奴の仕業か…」

 

大阪湾に出現した青い翼のような第2のセプテントリオン ── メラクはまっすぐに通天閣を目指していた。

 

 

 

 

フミを保護し、ケイタの死を回避することができた。

ミヤビにとってはもっとも理想的な結果となったことで、自然と笑みが漏れる。

そして全員で互いの無事を喜んでいる時に、その気分をぶち壊すように彼女の携帯にヤマトからの連絡が入った。

 

「ミヤビ、菅野はどうした?」

 

「無事に保護しました。意識はありませんが、見える範囲に怪我はないと思われます」

 

「良くやった。しかしそれで終わりではない。セプテントリオンが現れた」

 

「何ですって!?」

 

「次の指示を与える。本局の局員を迎えにやった。詳細は彼らから聞きたまえ」

 

「了解しました…」

 

ミヤビはヤマトからの連絡を皆に伝え、その直後に彼女たちを迎えに来たジプスの車に乗る。

しかしミヤビだけひとりで別の車に乗せられた。

ヤマトの指示であるが、その意図は彼女にすらわからない。

同乗する女性局員から事情を聞いたミヤビは、自分の行動がジプスという組織と局員の人命を危機に晒してしまったことを知った。

そして大阪の霊的防御機能がゼロとなった隙を狙ってのメラク襲来。

ヤマトの妨害をするためにアルコルがフミを利用したのは明確となったわけだが、それは今さらどうでも良いことだ。

そしてボティスがミヤビを殺さなかったのも、アルコルの使役する悪魔であったなら納得がいく。

 

メラクは大阪湾上空に出現し、真っ直ぐに通天閣を目指していた。

 

(神の目から見たら人間なんて愚かでくだらない生き物なのでしょうけど、だからといって勝手に滅ぼそうとするなんて許せない。人間には生きる価値なんてないのだろうけど、生きてさえいればやり直すことだってできるはずよ。管理者だか何だか知らないけど、わたしたちは全力で抗ってみせるわ!)

 

ミヤビは車窓の景色に目をやりながら、改めて自分のなすべきことを強く心に誓ったのだった。

 

 

 






大阪本局のシステムがハッキングされていくシーンの緊張感や局員たちの悲壮感などを表現したかったのですが、やはり上手くいきませんでした。これが限界です。


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2nd Day 激動の月曜日 -3-

「戦車隊、壊滅…」

 

「セプテントリオン・メラク、新大阪より南に向かって進行中」

 

司令室の局員たちが現在の状況を淡々と告げていく様子を車内のモニター越しで見つめていたミヤビは愕然とした。

十三大橋には自衛隊の戦車がずらりと並んで迎撃態勢をとっていたがメラクにはその強力な砲は効かず、逆にメラクが撒き散らす爆弾のようなものによってあっという間に全滅してしまったのだ。

これでセプテントリオンには通常の攻撃ではまったく効果がないことがはっきり証明されたわけだ。

そしてセプテントリオンに対して唯一対抗しうる力が悪魔使いたちの召喚する悪魔だけだということを印象づけられることになるだろう。

 

「くだらぬ政治はここまでだ。これよりジプスの戦力で敵を殲滅する。…始めろ」

 

ヤマトの命令によって作戦が開始された。

どうやら政府の一部の人間はジプスの力を信じずに自分たちの戦力、つまり自衛隊によってメラクを倒すことができると高を括っていたようだ。

おかげで犠牲者は増えてしまった。

今頃ヤマトは“無能な連中”のことをあざ笑っているに違いない。

 

「霊的防御を失ったため、敵は万全の状態で出現した。戦力は想定していたものの恐らく10倍以上…。メラクの目的は大阪の結界・通天閣。これを失えば大阪が消えることとなる。サマナーの小隊をメラク進行ルートに配置。大阪本局の全戦力をもって迎撃する」

 

車内モニターの映像がメラクの姿から大阪の地図に変わる。

そしてその上には「新大阪防衛ライン」「梅田防衛ライン」「大阪市庁舎防衛ライン」「瓦町防衛ライン」「中央通り防衛ライン」「難波防衛ライン」「最終防衛ライン」と通天閣に向かって来るメラクを7段階に分けて迎撃するという作戦が表示された。

すでに新大阪防衛ラインの位置には「通信途絶」と表示されているから、あと6つの防衛ラインでメラクを迎え撃つことになる。

民間人協力者もジプス局員と共にメラクと戦うことになり、ミヤビは最終防衛ラインに配置されることとなった。

 

 

 

 

ミヤビと同行していた民間人の悪魔使いたちを、ヤマトはメラク迎撃のための防衛ラインに配置した。

ヒナコは瓦町、ケイタは難波。そしてミヤビのいる最終防衛ラインはなんばパークス屋上で、ここが決戦の地となる。

一方、戦闘能力が低すぎるということでダイチは救護班に回され、そしてイオは本局内で待機となっている。

これはヤマトが判断した各悪魔使いの能力と“役割”によるもの。

新大阪防衛ラインを突破され、まもなく梅田防衛ラインでの迎撃が開始される状況で有能な悪魔使いを後ろに置いて温存するには理由がある。

梅田や大阪市庁舎に配置したジプス局員たちと戦わせてメラクの能力を得ようという算段なのだ。

ヤマトにとって自分の部下は捨て駒のひとつでしかなく、局員たちも自分の存在意義をわきまえている。

だからこそ混乱は起きず、ただ淡々と目の前の敵に対して戦いを挑んでいた。

 

「う、梅田防衛ライン…全滅…」

 

モニターには「梅田防衛ライン生存率0%」、そして参戦していたジプス局員の名と「DEAD」の文字が表示されている。

それは司令室のモニターだけでなく、各防衛ラインの責任者の持つタブレット端末にも転送されていた。

次の防衛ラインの大阪市庁舎で待機する局員たちに緊張が走った。

状況は圧倒的に不利だがヤマトにはまだ余裕があった。彼には勝算があったのだ。

しかし次のメラクの攻撃を目の当たりにし、さすがの彼も焦りの色が見え始めた。

なにしろメラクが放った冷凍ビーム〈周極の巨砲〉はビルの間を抜けて、通天閣を掠めたのだから。

その破壊力はけた外れに大きく、防御壁を張っていた地下祭壇の呪者に犠牲者が出るほど激しいものだったのだ。

掠めただけでも多大な被害が出たこの攻撃が通天閣に直撃すれば大阪の街は一瞬で消え去ることだろう。

さらに状況は悪化し、大阪市庁舎防衛ラインも沈黙した。

さすがにこの状態を静観していられなくなったミヤビはヤマトに呼びかけた。

 

「わたしを前線に出してください! ビャッコなら戦えるはずです!」

 

ヤマトが現場に出て来ない以上、最強の悪魔はビャッコであり、その悪魔使いである自分が最前線に出れば犠牲は減らせるはず。

そう考えた彼女はヤマトに上申した。

 

「それは許可できない。お前はそこで私の指示を待て」

 

ヤマトの声は大勢の部下を失ったというのに冷静だ。いや冷静というより冷酷と言っていいだろう。

 

「わたしが最前線に出れば無意味な犠牲は減ります。どうかわたしを ── 」

 

「敵の能力は想定以上、不確定要素の多い状態だ。無策でお前をぶつけることはできぬ」

 

「だからといってじっと見ているだけなんてできません!」

 

「ならば目を瞑り、耳を塞いでいろ」

 

こうなるとミヤビも後には退けない。

ここにいれば残りの防衛ラインが突破される様子を、指を咥えて見ているしかできないのだ。

それは各防衛ラインにいるヒナコやケイタを見殺しにするのと同義で、目を瞑って耳を塞いでいたら彼女たちを喪うことは避けられない。

 

「命令違反を承知で、好きにさせていただきます!」

 

ミヤビは電話を切ると、すぐさまビャッコを召喚した。すると周りにいた局員たちが彼女を囲む。

 

「勝手なことをされては困ります。おとなしく局長の指示に従ってください」

 

最終防衛ラインのリーダーの男性局員が彼女の前に立ち塞がった。

 

「いいえ、わたしは行きます」

 

「それでは我々が局長に叱られます」

 

「でもあなたたちもこれ以上仲間が死ぬのは見たくないでしょ?」

 

「…」

 

死ぬ覚悟はできていても、彼らは死にたいわけではない。

仲間を失いたくはないのはミヤビだけではなく、彼らもまた同じ気持ちなのだ。

 

「わたしは自分にできることをやるだけです。犬死なんてするつもりはありません。結果を出し、生きて帰って、ヤマト様に釈明をするつもりですから」

 

そう言い残してミヤビはビャッコに跨ると宙空へ躍り出たのだった。

 

 

 

 

ミヤビが瓦町防衛ラインに近づくと、そこではジプス局員たちの召喚したエンジェルがメラクに攻撃していた。

しかしメラクから発射されるミサイルによって次々に消滅させられる。

上空から見る限り、ヒナコと局員たちにはまだ犠牲者は出ていないようだった。

ミヤビが彼女たちのいる場所へ降下しようとした次の瞬間、メラクが彼女たちに向けてミサイルを発射した。

 

「ビャッコ、ジオダインよ!」

 

ミヤビはビャッコに〈ジオダイン〉を放つよう命じた。

するとミサイルは上空で爆破し、ヒナコたちへの直撃は免れた。

 

「大丈夫ですか!?」

 

ビャッコが地上へ降り立つやいなや、ミヤビは爆風で吹き飛ばされたヒナコに駆け寄った。

 

「ミヤビちゃん!? あんた、しんがりやないの!?」

 

「みなさんを見殺しにはできません!」

 

「何言ってんの! すぐ戻り!」

 

ヒナコはヤマトの作戦を知っており、ミヤビに戻れと言う。

しかしミヤビは首を横に振った。

 

「ここでわたしがメラクの進撃を食い止めます。…ビャッコ!」

 

ビャッコはメラク本体に〈ジオダイン〉を放つが、ミサイルと違ってまったく効果はなかった。

そしてメラクは再びミサイルを発射した。

その数は数十を数え、再度召喚されたエンジェルたちを吹き飛ばす。

そしてミサイルのいくつかはエンジェルたちの防御壁を越えてミヤビたちの方に飛んで来た。

 

「あかん、ミヤビちゃん!」

 

そう叫んだヒナコはミヤビの上に覆いかぶさった。

ミヤビを守ろうとしたビャッコによってミサイルは破壊されたが、間近であったために爆風とミサイルの破片が彼女たちを襲う。

爆風によって巻き上げられた砂塵で何も見えないが、ミヤビには自分の上に覆いかぶさって血を流しているヒナコの苦しそうな顔だけが見えた。

 

「ヒナコさん!」

 

ミヤビは起き上がると彼女のぐったりとした身体を抱きしめた。

 

「しっかりして、ヒナコさん!」

 

声をかけると、彼女はうっすらと目を開けた。

 

「ミヤビ…ちゃん…こそ…大丈夫…なん…?」

 

今にも消えそうな声でミヤビの安否を気にするヒナコ。

 

「わたしはヒナコさんのおかげで無傷です。すぐに人を呼びますのでしっかりしてください。…誰か来てください! 誰か、早く!」

 

ミヤビの声に反応する者はいなかった。

砂煙が落ち着いて周囲の様子が見えるようになり、彼女は愕然とした。

そこには十数名の局員たちがいたはずなのだが今は誰もいない。

いや、そうではなかった。彼らは爆風によって吹き飛ばされ、十数メートル離れた場所で倒れていたのだ。

ミヤビは急いで救護班の派遣を依頼すると、メラクの後を追うためにビャッコを呼び寄せた。

するとビャッコは彼女の背後の何かに向かって唸り声を上げ始めた。

 

「どうしたの、ビャッコ?」

 

振り向きざま、彼女は数メートル離れた場所に人の姿を見つけた。

 

「アルコル…!?」

 

その人物はアルコルだった。

 

「大丈夫かい? 常人よりはるかに高い霊力を持つおかげで君だけは無事だったみたいだね」

 

彼は微笑みながらミヤビに言う。

 

「何を言っているんですか!? こうなったのもあなたのせいじゃありませんか! あなたがフミさんを誘拐して、ジプスのシステムに侵入して霊的防御機能をストップさせたんですよね?」

 

「まあね。私はヤマトの創ろうとしている世界を肯定できないから」

 

「だからといってこんなことをすれば人間そのものが消えてしまう。人間のことが好きだなどと言っても、あなたは所詮セプテントリオンなんですね。こうして無駄話をしてわたしの時間を奪おうというのでしょうがそうはいきません。わたしは戦わなければならないんです!」

 

「そうだね…。早く行かないと」

 

アルコルは通天閣の方を見ながら言う。

 

「あの子は今、戦おうとしている」

 

「あの子…?」

 

「君と一緒に来た人間だよ。君の代わりに最終防衛ラインに配置されたようだね」

 

「まさか…」

 

ミヤビの脳裏にイオの顔が浮かんだ。

 

「ダメ…彼女じゃ勝てるはずがない」

 

「でもそれは君の選択の結果だよ」

 

「え…?」

 

「君が持ち場を離れたから、ヤマトは彼女を最終防衛ラインに投入した。もしかしたら君が勝手な行動をするかもしれないと睨んで、ヤマトは彼女を待機させておいたのかな。なにしろフェスティバルゲートでも君はヤマトの命令に逆らったのだからね」

 

「…」

 

「ミヤビ、君の選択は友人たちを危険な目に合わせている。現にこの人間も君を庇って負傷した。それでも君は自分の判断を正しいと信じて行動するのかい?」

 

ミヤビは心臓をぎゅっと掴まれた気がした。

 

(自分がいなければヒナコさんはこんな大怪我を負わずにいたかもしれない。だとするとわたしの行動は仲間たちを危険に晒しているようなもの。このままイオさんのいる最終防衛ラインにわたしが向うのは正しいことなの?…わたしの選択が大勢の人の運命を左右するのよ、冷静になって考えなさい!)

 

 

 

 

ミヤビが迷っていた頃、イオは最終防衛ラインに到着していた。

詳しい説明もなくヤマトに指示されただけなので、彼女は戸惑っている。

おまけに最終防衛ラインにいるはずのミヤビがいないのだから不安にもなる。

 

「あの…ミヤビさんは…?」

 

携帯の向こうにいるヤマトに訊くイオ。

 

「彼女は別の場所にいる。お前は戦闘に集中しろ。…通天閣を守れ」

 

「はい!」

 

イオは逃げ出したい気持ちを奮い立たせて視界に入って来たメラクを睨みつける。

 

(怖い…。けど、わたしがやらなきゃ。ミヤビさんばかりに危険なことをさせちゃダメだよね。…それに地下鉄の事故の時に助けられて、まだお礼もしていないんだもの)

 

彼女の両側にジプス局員たちが一列に並ぶ。

 

「戦闘開始!」

 

ジプスの悪魔使いたちは一斉に悪魔を呼び出した。幻魔ジャンバヴァンだ。

錫杖を右手に持つ熊の姿をしたジャンバヴァンが一列に並んでいる様子は壮観である。

しかしレベル13の悪魔では数があってもメラクを倒すことは不可能だ。

本人たちはそれを重々承知しているが、それでも戦わなければならない。

それが自分たちの役目である以上、やらなければならないのだ。

そんな悲壮感漂う局員たちの間で、イオは覚悟を決めた。

 

(峰津院さんがわたしを使うってことは、わたしにそれだけの力があるってこと。頑張らなきゃ!)

 

イオは携帯を構えて叫んだ。

 

「キクリヒメ!」

 

彼女の声と共に出現したのは女神キクリヒメ。

その姿を見た局員たちは驚きの声を上げた。

 

「キクリヒメだと…!?」

 

「我々の使役している悪魔の倍以上のレベルだぞ!」

 

キクリヒメのレベルは27。

長期にわたる訓練によって召喚が可能となった悪魔よりはるかにレベルの高い悪魔を民間人が呼び出したのだから驚くのは当然だ。

キクリヒメは大阪へ来る際の列車の中で彼女が〈悪魔召喚アプリ〉の機能のひとつである悪魔オークション〈デビオク〉を試してみて入手したものだが、これはすなわち彼女がレベル27の悪魔を使役できるだけの霊力と強い意思を持つに至った証拠でもある。

ちなみにダイチは神獣ヘケト、レベル13の悪魔を使役できるようになっていた。

ジプス局員と同レベルの悪魔を召喚できるようになったというのに戦力外通告をされたのだから、ダイチは不満げであった。

 

「キクリヒメ、お願い!」

 

イオが命じると、キクリヒメはビルの谷間をジャンプしながらメラクに迫って行く。

メラクからはミサイルが発射されるが、それを華麗にかわし〈万魔の乱舞〉でメラク本体を攻撃した。

 

「キクリヒメを援護しろ! ここで落とすぞ!」

 

ジャンバヴァンの軍勢は一斉に錫杖を地面に打ち付け〈アギ〉を放つ。

キリクヒメの〈万魔の乱舞〉とジャンバヴァンの〈アギ〉の同時攻撃はかなりの効果があったようだ。

メラクは“脱皮”し、進撃の足を止めた。

しかし〈周極の巨砲〉を撃つべく放電管を伸ばしていく。

通天閣はすぐ側で、ここからなら直撃は免れないだろう。

その間にもキリクヒメとジャンバヴァンの攻撃は続くが、決定的なダメージを与えることはできずにいた。

このままではメラクは最後の力を振り絞って〈周極の巨砲〉を撃つことだろう。

局員たちの顔に焦りと恐怖の色が浮かんだ。

メラクの放電管が完全に伸びきったその時だった。

 

「いやぁー!」

 

悲鳴を上げて目を瞑ってしまうイオ。

しかしメラクの攻撃はなく、地上から聞き覚えのある凛とした力強い声が響いた。

 

「ザンダイン!」

 

〈ザンダイン〉はメラクの弱点である衝撃属性の魔法攻撃である。

声の主はミヤビで、メラクは放電管を伸ばしたままユラユラと左右に揺れた。

 

「貫け、ビャッコ!」

 

ミヤビの命令と同時にビャッコは弱体化したメラクの胴体を貫き、コアを破壊されたメラクの身体はギギギ、と不快な音を発して霧散していった。

 

 

 

 

「メラク…沈黙。反応が消失していきます」

 

大阪本局の司令室ではヤマトたちがメラクの消えていく様子をモニター越しに確認していた。

 

「やったぞ!」

 

「良かった…」

 

緊張感から解放され、無事を喜ぶ局員たちの姿がある。

ヤマトもまた強張らせていた表情を緩めた。

しかしそれで終わりではなかった。

司令室に警報が鳴り響き、そしてメインモニターには「WARNING」の文字が点滅している。

 

「名古屋支局が何者かに占拠されました!」

 

名古屋ではジプスのやり方に反対する暴徒が食料品や医療品の略奪を繰り返していたが、とうとうジプスの支局が占拠されるという事態に陥ってしまったのだ。

今朝〇八〇〇時の段階で東京、大阪、名古屋、札幌、福岡、別府…この6つの都市は被害があったのものの連絡は取れた。

しかし会議を待たずして別府との連絡は途絶え、メラク出現とほぼ同時期に福岡との連絡は途絶えていた。

通信が途絶えたというのは、このふたつの都市が消失したという意味である。

これで名古屋まで失うとなると、ジプスの機能は著しく低下するのは明らかだ。

 

「状況確認、急げ!」

 

ヤマトの指示で端末を操作する局員のひとりが叫ぶ。

 

「わかりました!…首謀者は…元ジプス局員、栗木ロナウドです!」

 

「なんだと…?」

 

ヤマトにはその名に覚えがあった。

父親が日本人で母親がブラジル人というハーフで、ジプスに入局する前は刑事であった男だ。

刑事時代の先輩という人物がジプスと峰津院家を調べていたが失踪したという事件があった。

それをヤマトの謀略だとして、またヤマトのやり方にも意を唱え、ジプスを抜けたという過去がある。

そしてヤマトに個人的な恨みを抱き、民間人を扇動して名古屋支局を強襲した。

しかしその失踪事件についてはヤマト及びジプスは関与していない。

危険を感じた刑事が自ら姿を消したに過ぎないのだ。だからロナウドの逆恨みである。

たぶんそれを説明してもロナウドには言い訳にしか聞こえないことだろう。

そしてヤマトは彼に弁明する気はさらさらない。よって全面対決となるのは自然な流れだ。

 

「ただちに名古屋支局の暴徒を取り押さえろ!」

 

 

 

 

ザクッ!

 

ギギギギ…

 

斬撃の音と、続いて半分ほど消滅したメラクの断末魔の悲鳴が聞こえ、驚いたミヤビが振り返ると英雄ハゲネが立っていた。

レベル39のその悪魔は漆黒の鎧に身を包み、マスクで顔を隠している。

長剣を鞘に戻したところで、その悪魔使いらしき青年がミヤビに近寄って来た。

ラテン系のハーフらしく浅黒く彫の深い顔立ちをしている。

青年の目つきは鋭く、彼女をキッと睨みつけた。

 

「最後まで気を許すな! 俺があと一歩遅ければ、君は奴に殺られていたぞ」

 

青年の言葉で、ミヤビはメラクが最後の力を振り絞って自分を殺そうとしていたのだと察した。

メラクは彼女が油断して背を向けたところを狙い、その危機をこの青年が助けてくれたということになる。

 

「あなたは…?」

 

「俺は栗木ロナウド(くりきろなうど)。ジプスに仇なす者だ」

 

「…お礼だけは言っておきます。ありがとうございました。しかし栗木ロナウドという名前には心当たりがあります。半年ほど前にヤマト様のやり方に異を唱えて退職したジプス局員ですが、あなたはそのロナウドさんでしょうか?」

 

ミヤビはロナウドの名前は知っていたが、顔を合わすのは初めてだった。

 

「ああ、そうだ。ジプス…峰津院大和はセプテントリオンの出現を予見していたというのに国民には何も知せず、我々を見捨てた」

 

ロナウドはミヤビを見下ろしながら、冷たい口調で言う。

それにミヤビは反論した。

 

「知せなかったのは理由があります。すべてを国民に話し、それなりの準備と心構えをするということもできたでしょう。しかしそれが最善の方法だと言えるでしょうか? 1億を超える国民が一糸乱れぬ行動をとれるとは思えません。人類の有する最新鋭の兵器ですら効果のない得体のしれない強敵が襲来すると知れば、心の弱い者は発狂してしまうでしょう。自ら死を選ぶ者も現れるかもしれませんし、自棄になった連中が暴動を起こす可能性もあります。むしろ知せないでおいたことは正解だったとわたしは考えます」

 

ミヤビの言葉にロナウドは小さく頷いた。

 

「それも一理ある。しかしジプスの倉庫には非常用の食料や医薬品が山と積まれているというのに、被災者に一切配ろうともしないというのはどうだ? こうなることを予測できたジプスなら、民間人のための物資を備蓄することもできたはずだ。それを自分たちの分だけしか用意せず、民間人に分け与えないというのは、初めから民間人を見捨てるつもりだったとしか考えられない。だから俺と俺の同志は立ち上がった。現在、我々レジスタンスは名古屋支局占拠している」

 

「なんですって!?」

 

「名古屋支局を占拠したのは局員を人質とするためであり、目的は局長である峰津院を倒すことだ。だから局員たちには危害を加えるつもりはない。安心しろ」

 

「…そうなるとジプスの幹部であるわたしを助けたのは単に人命尊重という理由だけではないということですね?」

 

「もちろん君を利用させてもらうのさ。東京支局長である君を人質にすれば、さすがの奴も俺たちの要求を飲まざるをえないだろうからな」

 

ミヤビが東京支局長になったのは半月前のこと。

それを知っており、さらに居場所をピンポイントで見つけ出したのだから、このロナウドという人物は侮れないとミヤビは感じた。

 

「そう簡単にいくでしょうか? ヤマト様は目的のためなら犠牲を恐れません。それにあなたのやろうとしていることはわからなくはありませんが、だからといってこの状況下で人間同士が争い合っても無意味だと思います」

 

「でもこのままあの男の思い通りにさせておいたら、この世界は弱者が生きることのできない世界になっちまうんだぜ」

 

ミヤビの背後で別の男性の声がした。

彼女が振り向くとスーツ姿にハンチング帽をかぶった青年が立っている。

 

「俺の名は秋江譲(あきえゆずる)。ジョーって呼んでくれ。…で、君は考えたことあるかな? 社会的弱者の立場ってヤツ。貧富の差とか人種とか病気とか。そういう人たちがみんなと同じように幸せになるのって、社会の支援が大きいんだよねぇ。でもあの男はそういう人間を役に立たないからといって切り捨てようとする。実力主義っていうのは切り捨てられる側のことを考えたことのないエリートの男らしい考えだと思わないか?」

 

「…」

 

「まあ、君は奴にとって今のところ役に立つ駒だから優遇されているが、不用となれば切り捨てられる可能性もある。だったらそんなことになる前に俺たちと共に戦おう…と考えてもらえないかな?君はドゥベとメラクを倒したサマナーだ、味方になってくれたら心強い」

 

ロナウドがミヤビに手を差し出した。

しかしミヤビははっきりと答えた。

 

「わたしはジプスの人間です。ジプスと敵対するあなたたちに協力する気はありません」

 

するとロナウドはミヤビを小馬鹿にしたように鼻で笑った。

 

「フッ…君はもっと賢い人間だと思っていたのだがな。…ジョー」

 

ロナウドがジョーの名を小さく呼んだ時、ミヤビの背後からジョーが彼女を羽交い締めにした。

 

「何をするんですか!?」

 

「君には来てもらわないと困るんだよねぇ」

 

「力ずくでも従わせようって、ってことですか? こんな乱暴なやり方ではいくら正論を掲げても説得力ないですよ」

 

「俺たちはもう形振りかまっていられないんだ。あまり暴れないでくれよ。女の子に手荒なことはしたくないんでね」

 

「もうやってるじゃないですか!」

 

ミヤビは足をばたつかせて拘束から逃れようとするが、大人の男性の力には敵わない。

突然のことなのでビャッコを再び召喚する間もなかった。

 

「しばらく静かにしていてもらおう」

 

ロナウドはポケットからハンカチを取り出すと、それでミヤビの鼻と口を押さえた。

 

「うっ…」

 

ミヤビは小さくうめき声を上げると、そのまま意識を失ってしまった。

 

 

 

 

ヤマトの元に「ミヤビ行方不明」の報が届けられたのは、彼女が拉致されてから1時間近く経ってからだった。

 

「それはどういうことだ!? なぜもっと早く報告しなかった!?」

 

報告をした女性局員は頭ごなしに怒鳴られて今にも泣きそうな顔をしている。

 

「そ、それは…」

 

「彼女がジプスにとってどれだけ重要な人間かわかっているはずだ! それがいなくなりました、だと!? それで済むと思っているのか!?」

 

「も、申し訳ありません!…現場は混乱しており、怪我人が大勢いて…彼女ならビャッコがいますから危険はないと…それで…」

 

「…」

 

「姿が見えないとわかってすぐに手の空いている局員を総動員して周囲を探しましたが…」

 

「見つからなかった、か」

 

「…はい。でも、付近の監視カメラ等の映像をすべてチェックしています」

 

「当然だ。名古屋の暴徒とミヤビの失踪、か…」

 

忌々しいといった顔のヤマトが呟くように言う。

 

「ミヤビが自分の意思で消えたはずがない。ならば…奴か…?」

 

ヤマトがアルコルの顔を思い浮かべた時、別の局員からの報告が上がった。

 

「局長、わかりました! 栗木ロナウドです! 奴が紫塚雅に接触し、拉致した模様」

 

「なんだと?」

 

「しかし以降の足取りは掴めません。どうやら監視カメラの位置を把握しており、その死角を選んで逃走したと思われます」

 

「くそっ…!」

 

ヤマトは側にあった机に拳を思い切り叩きつけた。

名古屋支局の占拠だけでなくミヤビを拉致するとまでは想像していなかったのだ。

こうなれば一刻も早くロナウドたちから名古屋支局を奪還し、同時にミヤビを取り返さねばならない。

 

(私自ら現場で指揮を取り、暴徒たちから名古屋支局を奪い返してやりたいものだが、通天閣の機能が半減している今、この私が大阪を離れることは本局を放棄することと同義だ。くそっ…忌々しい)

 

ヤマトはもう一度机を強く殴りつけたのだった。

 

 

 






メラク戦でのサマナー配置について、アニメ版と異なる部分があります。
「瓦町防衛ライン」と「中央通り防衛ライン」の順を入れ替えています。
地図を見ると、瓦町の方が中央通りよりも北にあるようです。
そうなると、メラクは先に瓦町を通過するはずで、よって瓦町防衛ラインを先にしました。
あまり大阪の地理に詳しくないので、もし間違っていたらごめんなさい。

文章の中で「悪魔使い」と「サマナー」というふたつが出てきます。
地の文では「悪魔使い」、個人のセリフでは「サマナー」と使い分けています。
意味があって使い分けをしているのであって、間違いではありませんので。あしからず。

最後にヒロインがロナウドたちに誘拐されてしまいました。
アニメ版では自らの意思で名古屋へ行く主人公でしたが、この物語では拉致されます。
ジプス局員であり、ヤマトのために行動している彼女ですから、ロナウドたちに従うはずがありませんから。

次回は作者自身の考え方や理想がヒロインの口から語られます。




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3rd Day 不穏の火曜日 -1-



ロナウドたちに誘拐されたヒロインは自分なりの方法で彼らに名古屋支局から手を引かせようとします。
峰津院家の人間(特にヤマト)にとって都合が良いように教育されてきた彼女ですが、多くの知識や知恵を与えられていくうちに自分の意思というものを持ってしまいました。

ヒロインは理屈っぽい子ですけど、話を聞いてあげてください。





 

 

ミヤビはそこが倉庫のようなコンクリート打ちっ放しの部屋であることに気づいた。

マットは敷いてあるものの、毛布1枚だけでは晩秋の寒さに耐えられるものではない。

意識を取り戻したというより、空腹と寒さで目が覚めたようなものだ。

 

(そう…わたしはロナウドさんとジョーさんに捕まって麻酔薬のようなものを嗅がされたんだっけ。そして意識を失い、知らぬ間にどこかに運ばれた。これから彼らはわたしを人質にしてヤマト様に要求を突きつけるんでしょうね)

 

ミヤビは現状を把握するために身を起こした。

ひとつしかないドアには外からカギがかかっており、逃げ出すことは不可能。

携帯も取り上げられてしまっていて、ビャッコを呼び出すこともできない。

ただ身体は縛られていないので部屋の中なら自由に歩き回れた。

 

(〇一四七時…。明日…いいえ、正確には今日になるけど、第3のセプテントリオンが襲来する。それまでにここを脱出しなければならない。わたしが戦線に戻らなければまたダイチさんやイオさんが命を危険に晒すことになるもの。ヤマト様は勝利のためなら彼らを犠牲にすることを平然とやってのける人だから、わたしが戦わなければいけない。これ以上あの方に業を背負わせるわけにはいかないわ)

 

十分に睡眠をとって体力を温存し、来るべき時に備えようと、ミヤビは再び硬い床の上に身を横たえた。

 

 

 

 

大阪の霊的防御能力の低下、ロナウドを頭目とした暴徒による名古屋支局占拠、ミヤビの拉致といったさまざまな問題を抱えたヤマトは一睡もできないままに長い夜を過ごしていた。

 

「〇五四五時、か。まもなく3日目の朝がやってくる…」

 

ソファーに深く腰掛けながらヤマトはそう呟いた。そして思い巡らす。

 

(どうしてこの私がミヤビのためにここまで悩まなければならないというのだ? いくら有能な人間だといっても所詮は私の野望実現のための駒のひとつでしかないはずだ)

 

ヤマトの脳裏にメラク戦での彼女とのやり取りを思い浮かべた。

 

(自ら危険な場所に飛び込んで行くなど愚かにも程がある。私の命令に従っていれば拉致などされずに済んだものを…)

 

調査によって、昨夜のうちにミヤビはジプス名古屋支局内に囚われていることが判明している。

そこで暴徒たちからの名古屋支局奪還とミヤビの救出は同時進行で行われることとなった。

作戦とは名古屋支局長を指揮者とし、名古屋支局所属の民間人協力者2名と東京支局の局員で構成した部隊を潜入させて隠密裡に制圧するというもの。

できるかぎり被害を出したくはないが、局員に多少の犠牲は出るだろう。

しかしそれも名古屋支局とミヤビ奪還のためには当然ありうるものだとヤマトは考えている。

 

(問題は志島と新田だ。ミヤビが拉致されたと知り、躍起になっている。しかしあのふたり、特に志島では戦力にならないどころか足手まといにしかならん。もっともあいつらに何かできるものではない。大阪でおとなしくしていてもらおう。…それにしても奴のことも気になる)

 

彼は“奴”の顔を思い浮かべた。

 

(アルコル…奴のことだ、次なる手を打っているに決まっている。奴が栗木ロナウドごときと手を組むとは思えぬが、場所が場所だけに用心すべきだろうな)

 

3体目のセプテントリオンの出現場所は名古屋だと知っているヤマト。

だからこそ一層警戒を怠ることはできない。

 

大時計が6時の鐘を打った。

 

「今日もまた長い一日が始まるのか…」

 

ヤマトはそう呟くと、緩めていたネクタイを締め直してコートを羽織った。

 

「来るなら来い…。私の行く手を阻むものは、この手ですべて叩き潰してやる!」

 

 

 

 

同時刻、大阪本局の倉庫ではダイチとイオが段ボール箱の中に忍び込もうとしていた。

保安部員の目を盗んで自室から逃げ出し、ここまで辿り着いたのだ。

 

「志島君、本当に大丈夫かしら?」

 

不安そうなイオがダイチに訊く。

 

「ああ。ここの荷物が名古屋支局に送られるってのは確かだからな」

 

「でも見つかったら…」

 

「そん時にはそん時さ。ミヤビちゃんが名古屋で捕まっているっていうのに、俺たちが助けに行かないでどうする?」

 

「そうよね! いつも助けてもらってばかりだもの、こういう時に頑張らなきゃ」

 

イオがガッツポーズをする。

 

「…おっ、この箱なんてちょうどいいかも」

 

ダイチは大きめの段ボール箱のひとつを開けた。

そして中に入っていた毛布の束を全部出して、それを倉庫の隅に隠しておく。

 

「さあ、この中に入って」

 

「う、うん…」

 

イオを段ボール箱に入らせて封をすると、自分用の箱を探すダイチ。

そして適当な箱を見つけると同様に中身を出して、代わりに自分が入って身を潜めた。

それからしばらくして局員たちが台車を使って荷物を運び出した。

その中にはダイチとイオが潜んでいる2つの箱もある。

作業をしている局員たちは不審に思わず、名古屋行き高速列車の貨物車にそれらを運び入れた。

もちろんそんなことが起きているとはヤマトは想像もしておらず、彼の頭の中はロナウドたち暴徒の制圧とミヤビのことだけであった。

 

 

 

 

ミヤビは眠ろうと思っても空腹で眠ることができず、結局朝方までうとうとするだけだった。

 

(〇六三〇時、か…。そろそろロナウドさんたちが何らかの行動を開始する頃でしょうね)

 

ミヤビがそんなことを考えていると、さっそくジョーがやって来た。

 

「グッモーニン、ミヤビちゃん。よく眠れたかな?」

 

彼の飄々とした物腰で大人らしくない大人といったところは平時なら好感が持てるのだろうが、こういう事態では癇に障るだけだ。

ミヤビも眉間にシワを寄せて嫌味っぽく言った。

 

「昨日はお昼ごはんも食べずに悪魔やセプテントリオンと戦って、夕食前にあなたたちに拉致されたせいでものすごく空腹なんです。眠れるわけがないじゃありませんか。おまけにものすごく寒いし」

 

「あ~、お姫様はご機嫌斜めだねぇ。…と思ってご馳走を持って来たよ」

 

そう言ってジョーが背中の後ろに隠していたトレーをミヤビの前に置いた。

トレーにはジプスが備蓄していた非常用食料の缶詰とアルファ米のおにぎり、そしてインスタントの味噌汁が載っている。

名古屋支局を占拠したことで、ここの倉庫にあった食料品や医薬品はロナウドたちレジスタンスグループの管理下にあるのだ。

 

「いただきます」

 

ミヤビはさっそく缶詰を開けた。

中身は豚肉の角煮で、少しだがお腹に物を入れたことで、彼女の表情から刺々しさが消えた。

 

「お気に召してもらえたようで光栄だ」

 

ジョーはそう言って続けた。

 

「食べながらでいいから聞いてくれ。…俺たちは君を苦しめたくてこんなことをしているんじゃない。ジプスが物資を被災者に分け与えてくれるなら、俺たちだってこんな無茶なマネはしないさ。それに俺たちには時間がない。今日だって第3のセプテントリオンが襲来するんだ。それを倒すためには優秀なサマナーをひとりでも多く味方につけるしかないってことはわかるだろ? だからミヤビちゃんにも協力してもらいたいんだよ」

 

「理解はできますが、納得できません。いくら高尚な正義を掲げていても、自分たちの要求が呑めないからといって相手を力でねじ伏せるやり方は犯罪です。これは刑法224条の未成年略取及び誘拐罪、並びに同225条の営利目的等略取及び誘拐罪に抵触する行為になります。ロナウドさんは元刑事ですもの、それを知らないはずがありません。承知の上での行動ですから余計にタチが悪いです」

 

「…」

 

ぐうの音も出ないとはこういうことを言うのだろう。正論なのでジョーは言い返せない。

 

「わたしは自分の行動に責任を持っています。わたしは自分の正しいと思う道を、正しいと思える方法で進むことを主義としていますから、あなたたちの行動を否定するしかありません。つまりこのままでは協力を求めても、わたしはNOと答えるだけです」

 

言葉では丁寧に受け答えしているが、ミヤビの腹の中は煮えくり返っていた。

するとジョーはやれやれといった顔でお手上げポーズをとるが、それが余計に彼女を苛立たせる。

ミヤビは食事を終えると、彼を睨みつけながら言った。

 

「そもそもあなたたちはどのような理想を掲げて戦っているのでしょうか? 単にヤマト様のやり方に反対だというだけで自分たちの考えというものがなければ、いくらわたしに仲間になってくれと誘っても時間の無駄ですよ」

 

その言葉に反応し、ジョーはゆっくりと立ち上がると言った。

 

「わかった。ちょっと待っててくれ」

 

それから5分ほどして険しい顔のロナウドがジョーと共にやって来た。

ジョーは自分ではミヤビを説得できないとわかり、ロナウドを頼って連れて来たというわけだ。

 

「ミヤビ君、君の考えを変えるためには俺が説得するしかないようだな。ならば俺の話を聞いてくれ」

 

「わかりました。あなたの正義をわたしに示してください」

 

ミヤビはそう言って姿勢を正した。

ロナウドも真剣な眼差しで彼女を見つめ、それに動じない彼女に語りかけるように話し出した。

 

「俺は子供の頃から自分より弱い者を見ると助けてやりたいとか守ってやりたいと思っていて、それが高じて刑事になった。別に正義の味方になりたいとか、悪を滅ぼしたいなどという大層なものではない。そしてその時の先輩刑事が峰津院家とジプスについて調べている途中で行方不明となってしまった。単なる失踪ということで片付けられたが、間違いなく峰津院大和とジプスが絡んでいると確信している。だから俺は先輩の意思を継いでいろいろと調べ上げ、その結果が反ジプスの旗を掲げて戦う道になったということさ。諸悪の根源は峰津院大和だ。ジプスが物資を独占し、優遇された立場であることは、政府機密機関としての機能を維持するために必要なことかもしれない。しかしだからといって民間人が飢えてかまわないということにはならない。そうは思わないか?」

 

「ええ。避難所では多くの民間人が助けを求めています。彼らは一昨日まで平和でつつましやかな生活を送ってきた人ばかりです。そういった人たちが飢えて苦しむ姿は見たくありませんし、手助けできることがあれば精一杯のことをしてあげたいとわたしも思います」

 

ミヤビがそう答えると、ロナウドの表情がぱっと明るくなった。

 

「ならば俺たちに協力してくれると ── 」

 

「いいえ。早合点しないでください。これだけの話でわたしはあなたたちに協力する気になどなれません。それにまだあなたが理想とする世界については説明がありません。あなたはどのような世界を望んでいるんですか?」

 

「あ、ああ…すまない。気が急いてしまった。…俺はすべての人間が平等であるべきだと考えている。人は自分の意思によって生まれる家を選ぶことはできない。俺のように庶民の、それも最下層の家に生まれた人間は、人並みの暮らしをするだけでも相当な苦労があるんだ。おまけにハーフで、この浅黒い肌の色のせいでいろいろと差別的な扱いも受けてきた。だからこそ出自や肩書で生活格差が生じるような現状を打破し、みんなが手を取り合うことのできる平等な社会を創りたいと考えている。強き者が弱き者に手を差し伸べ、誰もが互いに相手の人権を尊重し合えば争いも起こるはずがないんだ」

 

彼はそう言うとミヤビの目をじっと見つめた。

 

「自分の命を顧みず友人を助けようとする君ならわかってくれるはずだ。峰津院大和は自分が新世界の王になりたいと、その特権を己の野望の実現のみに利用している。奴が王になってみろ、奴のやり方に同調する連中だけが美味い汁を吸い、弱者が虐げられる世界になってしまうだろう。この世界には弱者と呼ばれる人たちが大勢いる。貧しい者、病気や怪我をしている者、障害を持って生まれた者、人種や出身部落によって差別的な扱いを受ける者…、彼らは奴の創る世界ではこれまで以上に生きていくことが困難になるだろう。しかし俺はそんなことは絶対にさせない。生命はみな平等で、身分の上下や貧富の差など一切なく、互いに無償で助け合うことを当然と考える世界。俺はそんな世界を目指して戦っているんだ」

 

ロナウドは自分の考えこそが人類全ての理想の世界であるというかのごとく自信満々で言った。

しかしミヤビの反応は冷淡だった。

 

「なるほど…それは人類が何度も夢見た理想郷そのものですね。でも残念ながらわたしはそんな絵空事に同調することはありません。なにしろこの世界には命の重さ以外に平等というのもは存在しませんから」

 

ミヤビの言葉にロナウドさんが眉を顰めた。

 

「平等が存在しない? それは強者が弱者を虐げているからであり、ポラリスと謁見して世界の理を変えてしまえばそんなこともなくなる。強者が弱者に手を差し伸べることで、格差がなくなり誰もが平等になれるとは思わないのか?」

 

「いいえ。そういう意味ではなく、人間が個というものを持っている以上、全ての人間が平等であることは不可能だと言いたいんです。命の重さが平等であってもそれを持つ個体がそれぞれ違うんですから、すべての人間が平等になれるという考えは浅はかであるとしか言えません」

 

ミヤビの言っている意味がわからず、ジョーが口を挟んだ。

 

「俺ってバカだからさ、君の言っていることが良くわからないんだ。わかりやすく説明してもらえる?」

 

ミヤビは少し考えて、子供の頃に覚えた知識で例え話をすることにした。

 

「では、ひとつクイズを出します。避難所に幼稚園児の男の子と20代の青年と70代の老人男性がいたとします。3人全員とてもお腹を空かせていますが十分にお腹を満たすだけの食料はありません。どのように食料を配分しますか?」

 

するとジョーが当然といった顔で答える。

 

「そりゃ20代の若者には少し我慢してもらって子供や老人に大目にやるに決まってる。若者なら2・3日食べなくても大丈夫だろうけど、子供や年寄りに我慢させるのは可哀想でしょ?」

 

「俺もジョーの意見に賛成だ。弱い者にこそ手厚い援助が必要だ」

 

ミヤビはあまりにも想像どおりの答えに苦笑してしまった。

それを見たロナウドが渋い顔をする。

 

「何がおかしいんだ?」

 

「だって想像どおりだったからです。おふたりの言う平等は単なる思い込みと自己満足であると自ら断言したようなものなんですもの」

 

「どういうことだ?」

 

「おふたりは平等を謳っていながら、実は平等ではないということに気づいていません。まず人間というのは日常生活を送るのに必要なエネルギーというものがあるということをご存知ですか? まずは基礎代謝です。基礎代謝とは何もせずじっとしていても生命活動を維持するために生体で自動的に行われている活動で必要なエネルギーのこと。心臓を動かしたり、呼吸をするだけでもエネルギーが必要ですからね。そして平均的な基礎代謝量は基礎代謝基準値×体重で求められ、この場合それぞれを平均的な体重で計算すると、幼稚園児は約890キロカロリー、20代男性で約1500キロカロリー、70代男性で約1280キロカロリーとなります。さらに基礎代謝量に身体活動レベルを掛けたものが一日のエネルギー必要量となります。ここまではおわかりですか?」

 

「ああ」

 

「う~ん…なんとなく」

 

ロナウドは理解できているようだが、ジョーはここまでの話で精一杯という感じだ。

ミヤビはジョーにかまわず続けた。

 

「避難所で何もせずにじっとしている子供や年寄りでしたら活動レベルが低く、荷物を運んだり、おふたりのように悪魔と戦ったりする若者の活動レベルは高くなります。つまり20代男性は他の幼稚園児や70代の老人よりもずっと多くのカロリーを必要とするわけです。それなのに若者であるという理由で我慢を強いるというのですから、それこそ差別ではありませんか。年齢という本人にとってどうにもならないものによって差別をしています。平等であろうというのなら、20代男性にも我慢させずに食料を与えるべきです。といっても元の量が少ないのですからその分け方が重要です。仮に”平等”に分けるのであれば、3人とも同じ量になるはずです。1000グラムのご飯があったら、それぞれ約333グラムずつ分けることになりますね。でもあなたたちはきっと子供に400グラム、青年に200グラム、老人に400グラムといった感じで分けるべきだと考えているのでしょう。しかしそれでは”平等”にはなりません。ここで”平等”に333グラムずつ分け、その後に青年が子供や老人に自分の分を分け与えるのであれば、それは個人の自由意思によるものであって問題はありませんけど。あなたたちは子供や老人に多くを与えることを当然と考えているでしょうが、すべての人間がその考えに賛同するとはかぎりません。あなたたちの思想をすべての人間に強制することは正義とは言えるでしょうか? 個人の意思を強制的に捻じ曲げる…世界の理を書き換えるというのはそういうことです」

 

「「…」」

 

ロナウドとジョーは黙りこくってしまった。

ロナウドは自分の思想を完全に否定され、それに反論する余地もなく、ジョーについては話をまったく理解できていないようなのだ。

彼らの考える平等は誰もが求める理想的なものではないことを理解してもらうために、ミヤビはもっと簡単に説明をすることにした。

 

「それでは別の例でご説明します。さっきの話と同じ3人がいます。ですが今度は十分に食料がある設定です。彼らには平等に子供用の茶碗に1杯ずつのご飯を与えます。この場合、3人とも同じ量の食料を得られたのですから、問題はないと思えますけど、実際はどうでしょうか? 子供は満足できるでしょうけど、青年や老人には量が足りなかったはずです」

 

「うん…まあ、小さな茶碗1杯だけじゃお腹いっぱいにはならないからな」

 

「では、今度は大きな茶碗…丼の器に山盛りのご飯を盛って3人にご飯を与えます。これなら青年でもお腹いっぱいになるでしょう。…でも子供や老人には量が多すぎて食べきれないと思います」

 

「そりゃそうだ。丼いっぱいのご飯なんて子供でも余程の大食いでなきゃ無理さ」

 

「それがわかっていらっしゃるなら、わたしの言いたいこともわかるはずです。誰にでも同じ量…つまり平等にものを与えたとしても、個人の年齢が違っただけでも満足度が違ってくるということです。そうならないためには、その個人に適した量を与える必要があるということです。すべて平等にすれば解決するというものではないということがおわかりいただけましたか?」

 

「う~ん…いちおう」

 

曖昧な答え方をするジョー。

さらにミヤビは続けた。

 

「ここでわたしは『平等』ではなく『公平』という概念を用います」

 

「公平…? それって平等と同じじゃないの?何か違うの?」

 

ジョーが首を傾げた。

 

「似てはいますが、両者には大きな違いがあります。平等とは個人の資質、能力、努力、成果に関係なく一定の規則通りに遇するシステムとなっていること。そして公平とはすべての人に対し、機会が均等に与えられており、成果を上げた者が評価され、報われるシステムとなっていることです。歴史の流れの中で『すべての人間は平等でなければいけない』と共産主義という考え方が生まれ、かなりの数の国で『平等実験』が行われました。結果、それらの国すべての経済体制が破綻し、人間は平等という考え方で集団をつくると殆どの人が『最も低い能力の者に合わせた力を発揮する集団』になるということが証明されました。考えてみれば当然でしょう。たくさんと働いても少ししか働かなくても報酬が同じならば、多くの人間はだんだん働かなくなる方向へ行くのは目に見えています。人間とは愚かな生き物ですから、楽ができるとわかればその流れに乗ってしまうものです。これに対して資本主義では、働きの良い者と悪い者の報酬には格差があります。この格差があるからこそ人は『自分ももう少し頑張って報酬を増やそう』と考え、社会システム全体が進歩してきました。人間社会、いいえ生物の社会では格差が生じるのは当然のことであり、むしろ格差が社会を進歩させる原動力となるわけです」

 

「「…」」

 

ロナウドは黙って聞いているが、その表情はとても不満げだ。

ジョーは相変わらずミヤビの説明に追いついていけない様子である。

 

「では資本主義こそが理想の社会であるといえるでしょうか? いいえ、違います。現在の日本が良い証拠です。富める者はますます富み、貧困に喘ぐ者はいつまで経っても生活は苦しいまま。狡賢い人間が得をするような社会になっています。わたしの理想は人種、国籍、家柄、性別、健康等による活動制限を合理的ルールで極力取り除き、成果があればきちんと評価される社会。わたしのこの考えの基本が公平という概念なのです。合理的ルールを作るといっても簡単なことではないと重々承知しています。でも単純に『みんなで仲良く平等に』なんていう社会では、きっとわたしは生きていけない。自分の努力が誰にも認めてもらえない社会なんて絶対に嫌だから!」

 

最後の言葉はミヤビの心からの叫びである。

ヤマトのために人知れず努力を続け、今の自分があるのだという自負を持っているからだ。

 

「わたしはジプスの幹部です。わたしのような若輩者が東京支局長という肩書きを持っているのは、それだけの力を有しているからだとおわかりになりますよね? あのヤマト様が実力のない者に重要な仕事を任せるはずがありません。生まれつき霊力は高かったのですが、それだけでビャッコを使役できるでしょうか? 自慢するわけではありませんが、わたしは誰にも負けないほどの努力を積み重ねてきました。7歳の時に両親を喪い、親類縁者からは見放されてしまい孤児になったという身の上のわたしは、きっとあなたたちから見れば社会的弱者という立場になると思います。ですが峰津院の旦那様に拾われ、使用人として働くこととなりました。そして旦那様はわたしに生きる糧だけでなく学問も与えてくださいました。旦那様はわたしに強者となるチャンスを与えてくださったことになります。だからわたしはそのチャンスを最大限に活かし、この結果を生み出すことになりました。これは機会が与えられ、本人が努力することによって強者になりうるという実例です。もし努力もせずに同じものを与えらえる人間を見たら、わたしは不公平だと嘆くでしょう。そしてわたしは努力などせず、与えられることに満足するだけのタダの弱者となってしまうかもしれません。人間とは楽な方へと流されてしまう生き物ですから」

 

ここで自分が感情的になってしまったことに気づいたミヤビは大きく深呼吸をして冷静さを取り戻そうとした。

 

「先ほどの食料の配分のクイズに戻りますが、公平な分け方をするのであれば按分、つまり基準になる数量に比例してものを分けることになります。必要なエネルギー量を基準とすると子供が250グラム、青年が400グラム、老人が350グラムという分け方になります。またもうひとつの話の方ですと、子供には子供用の茶碗、青年には丼の器、老人には普通のサイズの茶碗でご飯を与えれば、量こそ平等ではありませんがそれぞれが満足できる形で収まるわけです。これが平等と公平の違いです」

 

「「…」」

 

「そして公平に配分した後は個人の自由です。子供や年寄りに自分の食料を分ける者、自分の分だからといって全部食べてしまう者…、その人たちの行動に関して他人がとやかく言う権利はありません。もちろん他人から食料を奪い取ろうとするような輩にはそれ相応の制裁は必要ですけどね」

 

「もちろん他人から~」の部分はジプスから物資を力ずくで奪おうとするロナウドたちに対しての嫌味を含めた忠告を意味している。

 

ミヤビの説明に口を挟むことができないロナウドとジョー。

さらにミヤビは強く出た。

 

「それでもあなたたちは自分の思想こそ正しく、平等主義こそ人類の理想であると言いますか? まだ言い張るならばあなたたち若いサマナーは自分の食料を子供や年寄りにあげて、空腹状態で悪魔と戦えばいいんです。そして悪魔に負けて、残された人たちも悪魔に殺されてジ・エンド。名古屋は人間が滅亡した死の街になるでしょうね。弱者救済と叫んでいながら他者を巻き込んで、自分の理想を最後まで主張して滅んでいくのがあなたたちの進む道だというのなら勝手になさい。わたしから見れば、あなたたちの幼稚な理想よりも、ヤマト様の実力主義の考えの方がずっと大人で理路整然としているとはっきり言えます」

 

「何だと!?」

 

ロナウドは自分がヤマトと比べられ、それに劣ると言われたことで激高した。

 

「だってそうじゃないですか。人間は個というものを持っている以上、序列というものができあがってしまうのは仕方がないことです。格差をゼロにすることはできませんが、正常な範囲内に収めることは可能です。社会的弱者を救済したいというあなたたちの気持ちは理解できます。しかしあなたたちの考えは、強者を引きずり下ろすことで、弱者の立場を相対的に引き上げるというもの。強者が弱者に手を差し伸べるなどという耳に心地良い言葉で誤魔化してはいますが、結果的には強者に負担を強いることになり、真に弱者を救済することにはならないんです。あなたたちの考えは根本的なところが間違っています。もし社会的弱者を救いたいと言うのなら、純粋に弱者の立場を引き上げる方法を模索すべきだとわたしは考えます。もちろんそれは簡単なことではありません。それくらい百も承知です。そしてわたしはあなたたちの他人を思い遣る気持ちを否定しません。ただ考え方が幼稚で、手段が強引だと言うだけです」

 

「ならば峰津院の考えが正しいと言うのか!?」

 

その言葉にミヤビは首を横に振った。

 

「誰が正しくて、誰が間違っているのかを判断できるのは今を生きるわたしたちではなく、未来の人間です。現在のわたしたちの行動は今すぐに結果の出るものではありません。結果が出るのが1年先なのか、10年先か、または100年先か…、それはわかりません。わたしたちができるのは、未来の人間がわたしたちの行動を正しかったと評価してくれるよう努力するだけ。自分の子孫に恥じない行動をすることが重要となります。つまりわたしは自分が正しいと思うことをしているだけで、その判断が正しいのかどうかは今のわたしにはわかりません。ただ少なくともヤマト様の実力主義には根拠があり、確固たるルールがあります。あの方のやり方には乱暴な部分はあるものの、この国のことを憂う気持ちは誰にも負けません。峰津院家の人間が千年以上も身を削るようにしてこの国のために尽くしてきたことを、自分が王になりたいからだという言葉で片付けられるでしょうか? そもそも峰津院家の人間が本気で王になろうと考えたら、はるか昔にこの国は峰津院一族による独裁国家になっていたことでしょう。そうならなかったのは、彼らがひとえにこの国と国民を愛し、自分が王になるよりも、国民が豊かで平和な生活ができるようになることを選んだ結果なのです。ヤマト様の行動もこの国のためになると信じているがゆえのものです。つまりあなたが平等主義こそが正義だと盲目的に信じ込んでいるのと同じです。それについてはわたしもあの方の行動をすべて肯定しているわけではありません」

 

「「…」」

 

「自分の考えだけが正しいなどと盲信せず、他人の意見に耳を貸すことが必要です。ですからわたしはあなたたちの意見を聞きました。ヤマト様はそういうことができない人間ですけど、あの方が実力主義を唱える以上、戦って勝てば聞く耳を持つに違いありません。人間同士戦うことが不毛なことだとわかっていますが、あの方に自分の考えを聞かせようとするなら力でねじ伏せて聞かせるしかないでしょうね」

 

そこまで言うと、ジョーが口を開いた。

 

「若い君がそこまで真剣に社会問題について考えていたとは、正直驚いたね。…君の言うように強者を引きずり下ろすのではなく、弱者の立場を引き上げる方法を探すべきなんだろうけど、方法が見つからない間に弱者は次々に社会から抹殺されてしまうんだよ。俺の恋人は生まれつき病気がちでさ、今も入院中で苦しんでいるんだ。そういう人たちって君の言う公平な機会が与えられても、それを生かすことなんてできないんだよ」

 

ジョーの恋人を大切にしたいという気持ちはミヤビにもわかるが、しかしそれとこれは別だ。

 

「ではそのカノジョさんにとって何が必要だと思いますか?」

 

「そ、それは…もちろん十分な医療、かな?」

 

ジョーは予想外の質問に慌てて答えた。

 

「あなたのカノジョさんは病院に入院し、適切な治療を受けているのではないんですか?」

 

「たしかに治療は受けているけど、これが難しい病気でさ、なかなか良くならないんだ。完全な治療法がない、不治の病ってやつ?」

 

「ならば現状では十分な医療は受けていると言えますね。ただ現代の医療技術では現状維持しかできないというだけのことです。問題があるとすればそれは現在の医療システムにあります。医大に入学するには多額の入学金や授業料がかかります。優秀な人間であってもお金がないから医師になれない。お金さえあれば多少人間に問題があっても医師になれる。そういう世の中のシステムが間違っているんです」

 

「そ、そのとおりだ! だからさ、平等な社会が必要なんだよ。お金がなくても医者になれるというのなら、きっと医学界はもっと発展するはず。不治の病でも治療法が見つかるかもしれないだろ?」

 

ジョーは僅かに活路が見えたと言わんばかりに身を乗り出して言うが、ミヤビには通用しない。

 

「そうでしょうか? 仮にあなたたちの目指す平等な世界になったとして、カノジョさんの病気が治るかどうか怪しいものです。むしろ治る可能性が低くなるとわたしは思います」

 

「それ、どういうこと? 意味がわからん」

 

「つまりですね…純粋に人助けがしたくて医師になろうという人もいますが、医師が高給を得られる職種であるからという人が大多数であるのは否定できません。お金がなくても希望者は平等に医大に入学できるようになったとしましょう。必死で勉強して医師になって身を粉にして働いても、特殊な技術や高い学歴が不要な…例えばコンビニやファストフード店の店員と平等な扱い、つまり同じ給料しか貰えないなら、医師になろうとする人が減るのは目に見えています。お金がすべてではありませんが、労働にはそれに見合う対価を支払うのが当然で、努力した分の見返りがないのではモチベーションはダダ下がりです。その状態で医学界は発展していくでしょうか? それとも医師になるような人…つまり強者には社会的弱者のために犠牲を強いてもかまわないとか?」

 

「そんなことは ── 」

 

「ああ、だからあなたたちは世の中の理を強制的に書き換えてしまおうと言うんですね? 個人の意思を無視し、自分を犠牲にしてもひたすら公共の…弱者のために尽くす人形を造るのがあなたたちの目的であると。だとすれば、あなたたちこそヤマト様よりはるかに傲慢であり、自らを神だと言わんばかりの行為に走ろうとしているように思えます」

 

ミヤビはロナウドたちを挑発し、冷静さを失わせていく。

その挑発にロナウドが乗った。

 

「そんなことはない! 俺たちは峰津院のような支配者になるつもりは毛頭ない。…たしかに世の中の理を強制的に書き換えるというのは個人の意思を無視していることになるだろう。しかし人間を自分たちの都合の良い人形に造り変えるなんてことは考えたこともないぞ。ただ俺は人間が誰もが助け合えることができればより良い世界になるとだな…」

 

「平等だとか助け合い、手を差し伸べるなどという美辞麗句をいくら並べ立ててもわたしには通用しませんよ。…ところで『One for all , all for one』という言葉はご存知ですか?」

 

「ああ、もちろんだとも。それこそ俺たちの行動理念だからな。『ひとりはみんなのために、みんなはひとりのために』…まさに平等主義の大原則だ」

 

ロナウドが目を輝かせて言う。この言葉は彼にとっての座右の銘なのだろう。

しかしミヤビは苦笑を禁じえない。

 

「これはアレクサンドル・デュマが書いた『三銃士』に登場する有名な言葉です。あなたが言ったように『ひとりはみんなのために、みんなはひとりのために』と訳されていますが、これはとんでもない違訳だということまではご存知ではないようですね」

 

「どういうことだ?」

 

「『ひとりはみんなのために』という部分は合っているのですが問題は後半部分です。『みんなはひとりのために』というと助け合いのような感じがして聞こえは良いのですが、結局はお互いが助け合わないといけない馴れ合いの状態、つまり相互依存状態を指すことになってしまいます」

 

「それではいけないのか?」

 

「はい、わたしはそう思います。それにこれは本来の意味が間違っているんです。この場合、後半の”one”は勝利とか目的と訳すべきと言われています。つまり『ひとりはみんなのために、みんなは勝利のために』が正解ということになります。ですから『ひとりひとりが全員のために責任を果たす人間になる。そしてそんな個人が集まって全員で勝利向けて一丸となって進んでいく』というのが本来の意味になります。よってチームの一員たる個人は最低限の責任を果たす人間であるべきです。弱者救済は大事ですが、その弱者が弱者に甘んじた状況を自ら改善しないで、誰かの援助に頼りっぱなしというのではいけません」

 

「…」

 

「あなたが平等主義の理想を掲げて戦うのは自由ですが、すべての人間が平等な世界を望んでいるとは限りません。仮に世界の半数がそれを望んでいても、残りの半数は自分の意思を捻じ曲げられてしまうということになります。ですから良く考えてください。自分が逆の立場だったらどうしますか? 自分の意思を強制的に書き換えられてしまうということは、それまでの自分を完全に否定されてなかったことにされてしまうのと同義です。もしヤマト様の望む実力主義の世界になって『力が全てである』という理に書き換えられてしまったら、平等という概念さえ消え失せてしまうかもしれません」

 

「そんなことは俺が絶対にさせないぞ!」

 

冷静さを失って立ち上がるロナウドに、ミヤビは宥めるように言った。

 

「落ち着いてください、ロナウドさん。わたしが言いたいのは簡単に理を書き換えるなどという考えは捨ててくださいということです。本人の意思を無視して強制的に考え方を変えさせるのではなく、説得と理解によって他人の心を変えることが重要だとわたしは考えます。そのためなら、わたしはどんな苦労も厭いません」

 

そしてミヤビはロナウドたちにトドメを刺すつもりで言った。

 

「ロナウドさん、あなたは障害の多い人生だったでしょうが、自身の努力によって警察官になり、刑事となったはずです。刑事になるには相当な苦労があったと思われます。でもそれを乗り越えられたのはすべてあなたの努力の結果。あなたは自身の力で現在の自分を手に入れたわけです。ならば努力しても認められない世界、頑張っても頑張らなくても同じ結果しか得られない世界を肯定できますか? あなたは楽な方へ流されずに自分を維持できるという自信がありますか?」

 

「…」

 

「ジョーさん、あなたはカノジョさんのために何かをしてあげましたか? きっと何もしてくれない社会を恨み、誰かが助けてくれることを期待しているだけでしょう。自分が医学を志してカノジョさんを救いたいとほんの少しだけでも考えたことありますか? 自分にはそんな才能はない。端から無理だと決めつけて何もしていないのでは? あなたは世の中が悪いと嘆き、逃げているだけなんです。自分は何もしないでいて他人に求めてばかりの人間が、弱者を救うために立ち上がっただなんておこがましいと思いませんか? わたしには病気と戦っているカノジョさんよりもあなたの方が弱者に思えます」

 

「…」

 

「一般的には社会的に恵まれている者を強者、そうでないものを弱者と呼ぶことが多く、おふたりもその考えで行動していますね。しかしわたしは強者と弱者というものをこう考えています。弱者とは自分の不幸な境遇を嘆くだけで努力をしない者であり、その中から自力で這い上がってきた者は強者だと。その意味でいうとわたし自身は強者とは言えません。今はまだ強者になろうと足掻いているタダの人間です。ですが少なくともこのジプスの制服を着ている以上、弱者ではないことは確かです。ヤマト様に言わせると『この制服は私が与えたものではなく、お前自身が自分の力で手に入れたもの』だそうですから」

 

しかしミヤビがそこまで言ってもロナウドにはわかってはもらえなかったようだ。

 

「君の言いたいことはわかった。しかし俺たちには暢気に話し合いなどしている暇はない。セプテントリオンが襲来し、今日だって新たなセプテントリオンが攻めて来る。食料が足りなくて飢える者たちを悪魔が容赦なく襲うのだ。ならば俺たちが今やるべきことは、それが犯罪であっても目の前にある物資を奪い、被災者に配ることだ。そして悪魔やセプテントリオンと戦い、勝つしかない」

 

「元刑事のあなたが犯罪と承知で実行するのですから、説得によってここから出て行ってもらうのは無理そうですね」

 

「当然だ。君が俺たちに協力しないのであれば、予定どおり君を人質にして峰津院にこちらの要求を飲ませるだけだ。なにしろ君は奴の大切な駒のようだからな、君の命がかかっているとなれば負けを認めざるをえないだろう」

 

「いいえ、あなたはヤマト様には勝てません。あの方はゲームに勝つためならクイーンの駒であっても容赦なく切り捨てる人ですから」

 

「まさか、そんなことはあるまい」

 

「あの方はあなたたちに頭を下げるくらいなら、わたしを見捨てて勝者となる道を選ぶでしょう。クイーンを失ったところで、最終的に敵のキングを追い詰めれば勝利者となれるのですから。あの方はわたしに固執して戦局を見誤るようなことは絶対にありません」

 

断言するミヤビにロナウドが訊いた。

 

「君は死ぬことが怖くないのか?」

 

するとミヤビは真剣な眼差しで答えた。

 

「死ぬことが怖くない人間なんていませんよ。でもわたしには死ぬことよりも怖いことがあるんです」

 

「死ぬことより怖いことって?」

 

ジョーが訊く。しかしミヤビは首を横に振った。

 

「ひ・み・つ・です。対立する相手に自分の弱みを教えるはずがないでしょ」

 

彼女が少女っぽい笑みを浮かべたのを見て、ジョーは少し動揺した。

それまで大人である自分やロナウドを相手に一歩も退かない強い態度でいた彼女が年相応の少女であり、そんな彼女が自分でも考えの及ばぬ理想を抱えて戦っているのだと知ってしまったのだから。

一方、ミヤビはこの状況を改善するために何らかの手を打たなければいけないと考えていた。

 

その時だった。

突如局内の警報が鳴り、司令室にいたレジスタンスメンバーからロナウドに連絡が入る。

 

「ロナウド、大変だ! 荒子川公園で原因不明の爆発が起きてレギオンが発生し、市民が襲われていると仲間からのSOSが入った。早く来てくれ!」

 

「よし、わかった」

 

ロナウドがジョーを連れて倉庫を出ようとしたところを、ミヤビが呼び止めた。

 

「待ってください! わたしも連れて行ってください」

 

彼女の頼みにジョーが答える。

 

「人質の君を出すわけにはいかないよ。ここでおとなしくしていてちょーだい」

 

このような状態でもお気楽なジョーの態度に腹を立てるミヤビ。

しかしそんなことにかまってはいられない。

 

「そんなことを言っている場合ですか!? 邪鬼レギオンはレベル39の悪魔です。ロナウドさんのハゲネと同レベルの悪魔を使役できる人がどれだけいるんですか?」

 

「うっ…」

 

「犠牲者をひとりでも減らすためには敵とか味方とか言っている余裕なんてありません。わたしが逃げ出すのを恐れているんでしょうけど、この状況で民間人を放って逃げるほどわたしは卑怯者ではありません。一緒に戦わせてください! 事態が沈静化したら、あなたたちの指示に従いますから」

 

ミヤビの勢いにジョーは気圧された。

そしてロナウドが言う。

 

「わかった。君を信じよう」

 

ロナウドは上着のポケットからミヤビの携帯を取り出して彼女に返却した。

 

ミヤビはロナウドたちの後を追って司令室へとやって来た。

司令室のメインモニターは荒子川公園の様子を映し出している。

公園内のグラウンドはテントがいくつも並んだ避難所となっており、レギオンは不気味な声を上げながら飛び回り、逃げ惑う被災者を襲っていた。

 

「マズイぞ、これは…。よし、全サマナーは荒子川公園へ出動! 全力を挙げて市民を守るぞ!」

 

ロナウドはレジスタンスメンバーに指示を出す。

そしてミヤビに向かって言った。

 

「荒子川公園はここから南南西約7キロの場所だ。俺が案内す ── 」

 

「それだけわかれば十分です! じゃあ、お先に!」

 

ミヤビはビャッコを召喚するやいなや、ビャッコに跨ると名古屋支局を飛び出して、風のように駆けて行ったのだった。

 

 

 






長々とした文章を最後まで読んでいただきありがとうございました。

できるだけ簡潔にしようと努力したのですが、「平等主義こそ正義」と考えるロナウドたちを説得するには言葉が多くなるのは仕方がないんです。




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3rd Day 不穏の火曜日 -2-

荒子川公園に近づくと、レギオンの群れがミヤビの視界に入ってきた。

その下には救援を求めてきたレジスタンスメンバーの悪魔使いと、彼らが召喚した悪魔がいる。

しかし召喚したのはレベル16の霊鳥モー・ショボーやレベル20の鬼神ウルベリなどの弱い悪魔なので、レベル39のレギオンには敵わない。

おまけに数も圧倒的にレギオンが多い上に、地上には妖獣ガルムや堕天使フラロウスといったレベル20を超える悪魔も数多くいるので、焼け石に水といったところだ。

このままでは民間人の犠牲は増える一方で、ロナウドたち援軍が到着するまでに被害はさらに拡大してしまうだろう。

 

(少しでも犠牲は減らしたい! 誰も危険に晒したくない! これ以上誰も死なせたくない!そのための力が欲しい!)

 

ミヤビがそう強く願った次の瞬間、携帯がメールの着信を報せる。

 

「新しい悪魔が届いたよ☆」

 

ニカイアのナビゲーター・ティコがミヤビに告げた。

どういうことだろうかと携帯の画面を見ると、悪魔リストに霊鳥スザクが追加登録されていた。

スザクは炎による攻撃魔法を得意とする悪魔だ。

彼女にはどうしてスザクが?…などと考えている余裕はない。

 

「出でよ、スザク!」

 

ミヤビはスザクを召喚すると、空を舞うスザクに命令した。

 

「レギオンを焼き尽くせ!」

 

するとスザクは「承知した」とばかりにコウとひと声啼き、数十を超えるレギオンを一気に焼き払った。

さらに地上ではビャッコが活躍し悪魔の数を徐々に減らしていく。

ミヤビも〈万魔の乱舞〉を放ち、雑魚悪魔を蹴散らした。

その場にいた民間人はビャッコとスザクの出現及びレギオンの消滅を茫然と見ていた。

しかしこれで終わったわけではない。

まだレギオンは発生し続けていた。

スザクに乗って上空から見てみると、公園の各所から湧いて出ているのが確認できた。

どうやら暴走携帯がレギオンを吐き続けているらしい。

ミヤビは発生するレギオンの対処で手がいっぱいでいたが、そこにロナウドたち援軍が到着した。

 

「ロナウドさんたちは地上の悪魔と暴走携帯の処理をお願いします。わたしはスザクで上空のレギオンを始末しますから」

 

「おう、任せておけ!」

 

ロナウドに指示をすると、ミヤビはスザクと空中を飛び回ってレギオンを殲滅した。

地上も援軍の数が功を奏し、暴走携帯をすべて破壊したことで、悪魔の出現は止まったのだった。

 

民間人の人的被害は深刻なものだった。

悪魔に追われて逃げ遅れたのは老人や幼い子供とその母親が殆どで、彼らは見るも無残な姿で横たわっている。

生き残った者も目の前で起きた惨劇で心神喪失状態に陥り、生きる意思を失った者は虚ろな目をしていた。

これはこの公園だけで起きた現象ではない。

日本の各地で同様のことが起きていることは事実で、何も打つ手がなく失われた命の数は数万に及ぶことだろう。

しかしそれをいつまでも悲しんでいることはできない。

生き残った人間はこれから先も生き延び、戦い続けなければならないのだ。

ミヤビはレジスタンスメンバーに後始末と被災者の心のケアについて依頼すると名古屋支局へと戻ったのだった。

 

 

 

 

荒子川公園から戻ったミヤビが名古屋支局の司令室で休んでいると、彼女の側へロナウドとジョーが近寄って来た。

ロナウドは紙袋を持っている。

 

「君の分だ」

 

ロナウドはそう言ってミヤビに紙袋を手渡した。

 

「これは?」

 

「昼飯だ。腹を減らしたままでは、いざという時に困るだろ? 俺は無学だから基礎代謝量だとか身体活動レベルがどうとか良くわからないが、少なくとも悪魔と戦った君にはそれ相応の食料を渡さなければフェアではないからな。俺も鬼じゃないから昼飯抜きで悪魔と戦わせるようなことはしないさ」

 

ミヤビが中を覗くと、おにぎりがふたつ、筑前煮の缶詰、ペットボトルのお茶が入っている。

 

「それからミヤビちゃんには荒子川で活躍した分のご褒美。あ、これはジプスから奪ったんじゃなくて、前に俺がパチスロで手に入れたやつだから」

 

ジョーはそう言って、ポケットから箱入りのチョコレートを出して紙袋の中に入れた。

 

「あ、ありがとう…ございます」

 

思いがけないことが起きたものだから、ミヤビは戸惑ってしまう。

 

「ロナウドさんたちもちゃんと食事をするんですよね?」

 

ミヤビは訊いてみた。

 

「ああ、もちろんだとも。サマナーである俺たちが戦わなければ、もっと多くの人間が危険に晒されるからな。…たしかに君の言うとおりに戦ったり作業をする連中には十分とは言えないまでも多めに食料を分け与えるべきだと感じた。食料が足りないなら、子供も年寄りもみんなで同じくらいずつ我慢しよう、ということで良いのだろ?」

 

「はい、そうです! わかってもらえて嬉しいです」

 

ミヤビは自分の努力が無駄ではなかったと感じていた。

賛同してくれなくても、他人の意見に耳を貸し、理解をしてくれるということがわかってとても嬉しかった。

 

「だが、それならジプス…峰津院大和にも同じように我慢してもらわねば公平ではない」

 

「つまり物資を渡せ…ということですね?」

 

「そうだ」

 

やはりロナウドはミヤビを使ってヤマトと取引をするという計画は変更しないようだ。

 

「…仮に物資を手に入れたとして、それをあなたは被災者に全部配布してしまうつもりですか?」

 

ミヤビがロナウドに訊く。

 

「当然だ。必要としている被災者が大勢いるんだぞ。ジプス局員だけに物資を独占させるものか」

 

その答えにミヤビはため息をついた。

 

「物資の中にはジプスの活動に必要ではないと思われるものがいくつもあったということに気がついていないようですね?」

 

「何だと?」

 

「食料品や医薬品の他に居住性の高いテントやプレハブ住宅の資材が地下の一番広い倉庫に山と積んであったはずです」

 

「ああ、そういえばあったな。悪魔やセプテントリオンとの戦いに使うにしては妙だと思っていたが…。しかしそれが何だというのだ?」

 

「この戦いの後に訪れる世界…それがどのような世界かわかりませんが、普通の生活に戻るまでには想像もつかないほどの時間がかかるでしょう。そして生きていく上で必要なのは衣・食・住。衣はともかく、食と住を欠かすことはできません」

 

そこまで言うと、やっとロナウドは気がついたようだ。

ジプス局員だけで消費するよりはるかに多い物資。

それはこの試練を乗り越えて生き残った者がさらに生きていくために必要なものが保管されていたということなのだ。

 

「しかし今この時に食糧を求めている被災者が大勢いるんだ。後のことは後で考えれば良い」

 

「そうでしょうか? わたしはこう考えます。ここで物資を全部分けてしまえば100人生き延びられるとしましょう。ですがその100人はこの先どれだけ生き残ることができるかわかりません。後で考えれば良いなどと言っていて、何も手に入れることができなければ100人全員が死んでしまいます。ですがジプスに保管されている物資を温存したことで20人しか生き延びることができなかったとしても、その20人は必ず生き残ることができる。すべての人間を救うことができない以上、最大限に効果のある方法をとるのが当然ではありませんか」

 

「しかし死んでいく80人と生き残る20人をどう選別するんだ? 弱者には生き残る資格などないというのか?」

 

ロナウドの語調が強くなる。

 

「弱者に生き残る資格はないとは言いませんが、その弱者を生かすために誰かが犠牲になるのは明らかです。すでに億単位の人間が死んでしまったことでしょう。世界は滅びに向かって進んでいますが、それを防ぐのがジプスの使命。そして生き延びた者たちの命を繋ぎ、困難を乗り越えて行かなければならない人類を導くのもジプスの役割なんです。セプテントリオンとの戦いが終わってからが大事なのだとわかっているからこそ、あなたたち恨まれ、狙われるほどの大量の物資を保管しなければなりませんでした。なにしろ日本国土の中でもっとも安全な場所がジプスの本局と支局です。ここにはどんな災害でも耐えうる措置がしてありますから、セプテントリオンとの戦いの後に生き延びた人のための物資を蓄えておけるわけなんです。そもそもセプテントリオンとの戦いの間に被災者に配布する物資は自衛隊で確保していたんですが、ニカイアによる想定外の悪魔の出現によって予定が大幅に狂ってしまいました。ニカイアによって悪魔と戦う手段を得たのは良いのですが、おかげで物資の多くが悪魔の襲撃によって失われ、被災者に十分な物資が配給できなくなってしまったんです。はじめから民間人を飢えさせよとしていたのではないんですよ」

 

「…」

 

「生きる者と死ぬ者を選別することなど人間には誰にもできません。ポラリスによるこの試練に耐えて生き延びた者こそ、新たな世界で生きていく資格を得られるのだとわたしは考えます。これまで生物はすべて様々な状況において淘汰されて、その中で生き残った個体によって進化をしてきました。たとえばキリンは首の長い個体がより多くの餌を得られ、短い個体は餌が十分に得られずに消えていきました。だから現在のキリンはあのようにとても長い首を持つに至ったわけです。サバンナに棲む草食動物は肉食動物に襲われても走って逃げられるほどのスピードを持つ個体が生き残り、また肉食動物も足の早い草食動物を上回るスピードを持つ個体や、知恵や技術を使って狩りのできる個体は生き残り、できないものは消えていきました。人間も同じです。力を持つ者が生き残り、そうでないものは消えていく。それが自然の摂理というものです」

 

「君の言っていることは正論だ。しかし君には人情というものがないのか? それとも自分が生き残る側の人間だと確信しているからか?」

 

「わたしが生き残る側の人間だとはかぎりません。むしろセプテントリオンとの戦いにおいて最前線で戦っているのですから、避難所にいる被災者よりも死ぬ確率は高いはずです。ですが生きようとする意思は誰よりも強く、その意思の力が生きる力になるのだと信じています。何もしないで嘆いているだけの人間にはこの試練を乗り越えて生き残ることなど不可能。逆に自分の持つ力や知恵を活かして行動すれば生き残ることができる可能性は生まれます。死んでいく80人と生き残る20人のどちらになるかは本人次第ということです」

 

ミヤビの巧みな論述についていけないジョーはずっと黙ったままで、ロナウドも反論するのだが逆に彼女に丸め込まれそうになっていた。

そこでロナウドは主導権を取り返すべく言った。

 

「君の言いたいことはわかった。ジプスの隠匿物資にもそれなりの理由があることもだ。しかし俺たちは当初の予定どおり大阪の峰津院と交渉し、名古屋だけでなく東京と大阪の物資も被災者支援に回すよう要求するつもりだ」

 

「…」

 

「まあ、そんなわけだから、食事をしたら俺たちにつき合ってもらうよ」

 

ジョーに言われ、ミヤビはおとなしく従うことにした。

それが彼らとの約束なのだから。

 

 

 

 

ロナウドとヤマトがモニター越しに睨み合っていた。

ロナウドの隣にはミヤビの姿がある。

わざとらしく彼女に猿轡を噛ませ、身体もロープで縛って身動きできないようにしてある。

こんな馬鹿げた演出をしたのはジョーだ。

 

「貴様の要求は何だ?」

 

低く怖ろしい声でヤマトが訊く。

それと同じくらい凄みのある声でロナウドが返した。

 

「我々の望みはお前の野望をぶっ潰すこと。…だが、とりあえず被災者に配る食料品・医薬品及び生活必需品だ。貴様の大事な駒と引き換えにジプスの倉庫に眠っている物資の半分をいただこうか。全部と言いたいところだが、お前らの事情も考慮すればそんなものだろ」

 

居丈高な態度で言い放つロナウド。

ミヤビから保管物資に関する話を聞いていたため、半分は残してやる気になっていたのだ。

しかしヤマトは顔色ひとつ変えずに平然と言った。

 

「フッ…そんなことができると思うのか?」

 

「できるさ。紫塚雅…彼女はタダの局員ではない。ドゥベとメラクを倒したビャッコのサマナーだ。おまけに霊鳥スザクまで召喚したのだからな。そんな彼女を失うことはお前にとってどれだけ大きな損失になるのか…それと比べれば物資の半分など物の数ではないだろ?」

 

「笑止。交渉は決裂だ。名古屋支局は我々の手で取り戻す。以上だ」

 

ヤマトは一方的に通信を切るが、その直前に指をパチンと鳴らした。

それを合図にして司令室にジプス局員たちが十数名なだれ込んできた。

想像もしていなかったロナウドたちは慌て、あっという間に一網打尽となってしまう。

そしてミヤビは東京支局の男性局員によって救出された。

 

「これはいったい…!?」

 

状況が掴めないミヤビに男性局員が説明した。

 

「これは局長の作戦です。我々は局長の指示で朝のうちに名古屋支局に潜入し、隠密行動をしていたんです」

 

「隠密行動?」

 

「はい。暴徒たちをひとりずつ潰していき、一気に司令室へ攻め込む計画でしたが、少しシナリオが狂いました」

 

「シナリオが狂ったというのはどういう意味ですか?」

 

「予定外の悪魔の出現です。暴徒たちは戦力外の数名を残して全員が出動してしまいました。おかげで局内の鎮圧は滞りなく済み、あなたの無事が確認されたものですから、局長の合図で最終行動に出たというわけです」

 

「…」

 

ミヤビは自慢げに説明する局員の顔を直視できなかった。

 

(この人が悪いわけじゃない。彼はヤマト様の決めた作戦に従っただけだもの。でも…荒子川に出現したレギオンをレジスタンス任せにして、自分たちは作戦を遂行していたなんて酷い。全員とは言わないまでも一部の局員が出撃してくれたなら、民間人の被害を少しでも減らせたかもしれないのに…)

 

誰が悪いわけではない。各々が必死になって自分のなすべきことをしただけなのだから。

しかし結果が悲しいものとなってしまった事実は変えられない。

そんなことを考えていると、ダイチとイオが司令室に飛び込んで来た。

 

「ミヤビちゃん!」

 

「ミヤビさん!」

 

ふたりはミヤビの名を呼びながら駆けて来る。

 

「ど、どうしてこんな場所にいるんですか!?」

 

ミヤビはそう言ってからすぐに気がついた。

自分がロナウドたちに捕まったことを聞いて、助けるために来てくれたのだということを。

 

「助けに来たに決まってんだろ?」

 

そう言うダイチにイオもそうだと言わんばかりに首を縦に振る。

 

「ありがとうございます。でもこうして無事に解放されましたから安心してください」

 

ミヤビは笑顔で答えたが、ダイチたちは明らかに動揺したままだ。

 

「違うんだ! これを見てよ。今さっき届いたんだ」

 

ダイチが携帯をミヤビに見せた。

 

「…」

 

ミヤビは絶句した。

ダイチの携帯には彼女の死に顔動画が届いていたのだ。

再生するとミヤビがセプテントリオンらしき怪物にビームで貫かれて息絶えていた。

イオの携帯にも同じものが届いている。

背景からするとこの名古屋支局の司令室であることは間違いない。

つまり次のセプテントリオンはこの場所に現れ、そしてミヤビを殺すということだ。

 

ミヤビは逡巡していた。

 

(セプテントリオンがここに出現するとなれば、名古屋支局の機能は完全に失われる。それは名古屋という街が消え、人類がまた一歩滅びの道を進むことになるという意味を持つ。ここから避難すればわたしは死を回避できるけど、ロナウドさんたちにだけ戦わせてわたしだけ逃げるなんてことはできない)

 

ミヤビは自分が死ぬという現実に恐怖を覚えた。

しかしそれ以上に自分が何もなさないままに死ぬことが悔しくて我慢ならない。

 

「早くここから逃げよう。そうすれば助かるんだ」

 

そんなダイチの言葉にミヤビの心は動いたが、大きく首を横に振った。

 

「…うん、そうですね。でもわたしは逃げません。ここでセプテントリオンを迎え撃ちます」

 

「ダメよ! そんなことをしたらミヤビさんは死んじゃう」

 

イオはミヤビの身を案じてくれて必死になって止めようとする。

 

「大丈夫です。こうして死に顔動画を見せてもらったことで、覚悟ができました。死に顔動画は回避できます。たとえこの場所にいても死なずに済む方法はあるはずです」

 

ミヤビに迷っている時間はなかった。

死に顔動画は死の直前に送られてくるもの。

ならばまもなく第3のセプテントリオンがここに現れる。

まずは局内の非戦闘員の避難と悪魔使いによる迎撃の準備だ。

当然のことながら名古屋支局長が指揮をすべきなのだが、局内にセプテントリオンが出現するという情報を耳にしたとたん、名古屋支局長は恐怖のあまり腰を抜かして使い物にならなくなってしまった。

そこで急遽ミヤビが名古屋支局の局員及びレジスタンスメンバーを取りまとめることとなり、司令室の発令塔から支局内全部に届くよう指示を出した。

 

「まもなくセプテントリオンが司令室に現れます。非戦闘員は居住エリアの安全な場所へ退避してください。レベル30以上の悪魔を使役できるジプス及び民間人サマナーは司令室へ集合。それ以外のサマナーは司令室及び居住エリアへの悪魔の侵入を防いでください。みなさんの健闘を祈ります」

 

 

 

 

「ゲームはまだ始まったばかりだ…アルコル」

 

名古屋支局奪還作戦完了の報告を受けたヤマトは局長室でしばしの休憩をしていた。

彼は背後に現れたアルコルに背を向けたまま言い放つ。

 

「そうだね。でもここにはもう輝く者はいない」

 

アルコルはヤマトの背中に呼びかけるが、やはりヤマトは背を向けたままで答える。

 

「貴様の望むそんな概念は端から存在しない」

 

「どういうことだい?」

 

「世界を形作るのは強さだ。能力に長けた者が支配すればいい」

 

少し寂しそうに見えるアルコル。

 

「他の可能性はないのかい?」

 

「ない。それを証明してやろう」

 

ヤマトは振り返ると、挑戦的な顔でアルコルに宣言した。

 

「…ヤマトは変わらないな」

 

昔、幼いヤマトと出会った頃のことを思い出したのか、アルコルは微笑みがら言う。

 

「貴様も呆れるほどに」

 

ヤマトも同様に答えた。

 

「もうすぐ時間だね」

 

「そうだな。…ん?」

 

メールの着信音を耳にしたヤマトはポケットから携帯を取り出した。

 

「友達の死に顔動画が届きました」

 

執事風のナビゲーター・ティコがアナウンスする。

 

「友達…だと?」

 

有用であるということから〈ニカイア〉に登録しただけであり、自分に死に顔動画など届くはずがないと訝しむヤマト。

しかし念のために確認しようとメールフォルダを開くと、そこには『死に顔@紫塚雅』の文字が並んでいた。

 

「何…!?」

 

急いで再生すると、名古屋支局の司令室でミヤビがセプテントリオンのビームで貫かれてしまい、真っ赤な血の海の中に横たわり絶命している動画が流れた。

ダイチやイオに届いたものと同じ動画だ。

 

「アルコル、これはどういう…!?」

 

ヤマトは顔を上げるが、そこにはもう誰もいなかった。

 

 

 

 

アルコルはヤマトの前から姿を消すと、名古屋のテレビ塔の鉄骨に腰掛けて沈みゆく太陽を眺めていた。

 

(すべてが運命の歯車によって定められているというのなら、なぜ人は考える意思を持ってしまったのだろう。…哀しいね)

 

 

 






ヒロインの死に顔動画がヤマトの携帯に届きました。
ヤマトにとって彼女の存在はどういうものなのでしょうか?

前回に続き、ヒロインの正論口撃にお付き合いいただきありがとうございました。





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3rd Day 不穏の火曜日 -3-

名古屋支局内に警報が鳴り響く中、第3のセプテントリオン・フェクダが現れた。

ドゥベやメラクはまだ生物らしき姿であったが、このフェクダはその形状からして生物には見えない。

ふたつの重なり合う輪の本体に水晶かそれに類似する鉱石のようなものがぐるっと囲んでいるのだ。

しかしそれは紛れもなく7体の神の先兵のひとつである。

ミヤビのスザクとロナウドのハゲネが最前線に立ち、さらに名古屋支局奪還作戦のために来ていた民間人協力者である鳥居純吾(とりいじゅんご)と伴亜衣梨(ばんあいり)が参戦。

東京・名古屋のジプス局員の共同戦線によって立ち向かうが、フェクダはぐるぐると回転し、内円と外円を合体・分離しながらさまざまな攻撃をしかけてくる。

おまけに合体時には人間側の攻撃は受け付けないという強敵だ。

次第に人間側の戦力は削られ、ジプス局員たちは次々と倒れていった。

ジュンゴの英雄ネコショウグンとアイリの魔獣ケットシーは奮戦するが、彼らは明らかに疲弊している。

ロナウドも死力を尽くして戦うが、悪魔だけでなく悪魔使い本人たちも体力を消耗していった

 

「このままじゃこっちが消耗するばかり。奴の力を削ぐ方法はないのかしら…?」

 

ミヤビとスザクもかなり疲れている。頭の回転も鈍り、フェクダの攻撃をかわすだけで精一杯だ。

 

ほんの一瞬だった。

ミヤビの脳裏に僅かに「もしダメだったら」という不安が掠めた次の瞬間、スザクがフェクダの放つビームに貫かれてしまったのだ。

断末魔の悲鳴のような声を上げたスザクは消えてしまう。

そして携帯の中で「修復中」という表示が悪魔リストのスザクの上に現れた。

スザクが使えなくなったことで、人間側の戦意はガタ落ちだ。でもまだビャッコがいる。

 

「ビャッコ、頑張って」

 

ミヤビはビャッコの頭を撫でると、ビャッコは「承知した」とばかりにフェクダに襲いかかって行った。

しかし物理攻撃・魔法攻撃とも受け付けないフェクダにはまったく効果がない。

有効な方法は見つからず、仲間たちは次々に倒れていく。

 

その時だった。新たな悪魔が現れたのだ。

それと同時に若い女性の声がミヤビの耳に届いた。

 

「わたしに任せて!」

 

声の主は柳谷乙女(やなぎやおとめ)、ジプスの医療スタッフだ。

名古屋支局が占拠された時に人質になっていた局員のひとりで、本来なら彼女は司令室の外で悪魔の侵入を防いでいるはずだった。

彼女の使役している悪魔は女神サラスヴァティでレベルは19。

ミヤビたちが手こずるフェクダに対して戦闘力の低いサラスヴァティでは敵うはずがない。

しかしサラスヴァティは予想以上の力を発揮した。

サラスヴァティが手にした琵琶をかき鳴らすとフェクダの力が弱まっていったのだ。

 

「わたしのサラスヴァティには吸魔のスキルを覚えさせておいたのよ」

 

オトメは自信満々の顔で言った。

たしかにどんな攻撃も利かない相手だが、弱体化すれば人間側の攻撃も届くようになる。

しかしフェクダも必死であり、力が残っているうちにと次々にビームを発射した。

ハゲネ、ネコショウグン、ケットシーと順に消滅していき、最後に残ったのはビャッコとサラスヴァティだ。

そしてフェクダはサラスヴァティを消滅させた次の瞬間、ミヤビと彼女の前に立ち塞がるビャッコに照準を向けた。

ビャッコは弱体化したフェクダの息の根を止めようと飛びかかるが、ビームで打ち抜かれてしまった。

ミヤビは急いでセイリュウとゲンブを召喚したが、それも時間稼ぎにすらならない。

ミヤビ自身の霊力が底を尽いてしまったのだ。

これで人間側の悪魔はすべてフェクダに全滅させられてしまった。

すべて修復中となり、再び召喚できるようになるまで時間がかかる。

フェクダも虫の息だが、人間側に攻撃手段がないとなればどうしようもない。

そのフェクダは最後の一撃として、ミヤビに照準を向けた。

 

「ミヤビ君、逃げろ!」

 

ロナウドの悲痛な叫びが耳に届いた。

しかしミヤビは意外にも冷静でいた。

死を目前にしながら、彼女は驚くほど平常心でいる。

 

(ああ、そうか…これがあの死に顔動画のシーンなんだわ。わたしの力が及ばなかったということは、それが定められたものであり、わたしにそれを覆すだけの力がなかったのね。悔しいけど後悔はない。やれるだけのことはやったもの…)

 

静かに目を閉じようとした時、ミヤビとフェクダの間の床に魔方陣が浮き上がり、その中からケルベロスが現れた。

 

「ケルベロス…!?」

 

この名古屋支局に現れるはずのないケロベロスが出現したのだ。

その場にいた全員がありえないといった顔をし、ある一点に視線が集中した。

それはフェクダのビームによって天井が破壊されて地上に大きな穴ができている場所。

日が完全に沈み、空には青白い大きな月が昇っている。

その月をバックにして立つ人影はヤマトだ。

 

「どういうこと…? どうしてヤマト様がここにいるの…?」

 

大阪本局にいるはずのヤマトが目の前にいた。

ミヤビはそんな疑問を抱くが、今はそれどころではない。

最強の助っ人が現れたことで、周囲の空気が一変した。

フェクダは攻撃目標をケルベロスに変更し、ビームを発射する。

しかしケルベロスは軽くかわし、さらにヤマトは自分の魔力をケルベロスに与え、力の上書きまでしたのだった。

 

「峰津院の血がなせる技か…」

 

ロナウドは呟くような小さな声で言うが、それはヤマトの耳に届いていた。

 

「違うな。私の力だ」

 

ヤマトによってパワーアップしたケルベロスは〈万魔の乱舞〉を繰り出し、フェクダを完全に消滅させた。

いくら弱っていたとはいえ、ミヤビたちが何人もかかって倒せないセプテントリオンをたったひとりで倒してしまうヤマトにその場にいた全員が驚愕した。

 

ミヤビがヤマトを見上げると、彼と視線が合った。

 

「余計な手間をかけさせるな、ミヤビ」

 

冷淡だが、その中にミヤビが無事であったという安堵感が込められた言葉だった。

ヤマトはそれだけ言って踵を返す。

 

「待ってください、ヤマト様!」 「待て、峰津院大和!」

 

ミヤビとロナウドが同時にヤマトを呼び止めた。

しかし彼は用などないとばかりに背を向けたままだ。

 

「どうしてヤマト様がここにいらっしゃるんですか?」

 

ミヤビの問いにヤマトは答えず、やはり振り向きもしない。

すると彼女の疑問に答えるように背後から声がした。

 

「ミヤビ、ヤマトはね、君の死に顔動画を見たから、ここへ来たんだよ」

 

ミヤビは声のした方を振り返った。そこにいたのはアルコルだ。

 

「ヤマト様が…わたしの死に顔動画、を…?」

 

「そうだよ。ヤマトは君を死なせたくなかったんだ」

 

「ほざけ」

 

ヤマトぱっと振り返ると、アルコルを睨みつけた。

アルコルの言うことを信じるとすれば、ヤマトはミヤビのことを友人と認めているということになる。

死に顔動画は友人にしか送られてこないものなのだから。

肯定はしないが否定もしていないところを見ると、アルコルの言っていることは嘘ではないとミヤビは確信した。

 

「ミヤビ、お前には話がある。ついて来い」

 

ヤマトはその場から離れようとするが、ミヤビが呼び止めた。

 

「お待ちください。どんな処分であろうとも厳粛に受け止めますが、その前にやらなければならないことがあります」

 

「また私に逆らうのか?」

 

「そうではありません。名古屋支局をこのままにしてはおけません。最優先は負傷者の手当と支局の復旧です。人員が足りませんから、わたしも作業に加わりたいんです」

 

「…好きにしろ」

 

少し考えてからそう言い放つと、ヤマトはひとりで立ち去ってしまった。

 

 

 

 

ロナウドたちレジスタンスメンバーの手を借りて支局の復旧作業を進めるが、戦場となった司令室の復旧の目処は立たない。

末端のシステムまでやられており、かなりの時間を要するようだ。

幸いだったのはフェクダ戦のさなか、市内に悪魔の出現はなく、民間人の被害がなかったこと。

それだけでもミヤビの気持ちは楽になった。

 

一方、名古屋支局の復旧の遅さにヤマトは苛立っていた。

 

「やはりクズはクズか」

 

司令室の復旧作業の進捗状況を見に来た彼はそう呟いてすぐに戻ってしまった。

ヤマトはすぐに大阪へ帰らず、名古屋支局の機能がある程度まで回復するまで滞在することにした。

しかし彼の機嫌は悪く、さらに人手が足らずレジスタンス側の人間に作業を手伝ってもらっている状態なので余計にヤマトの機嫌は悪くなる。

おまけに彼の不機嫌さが周囲の人間にも伝染して空気が非常に悪くなっていて、これ以上彼の機嫌を損ねたくないと、ミヤビは作業の合間を見計らって支局長室にいるヤマトにお茶を淹れて持って行くことにした。

 

「ヤマト様、入ってもよろしいでしょうか?」

 

ドア越しにミヤビがそう呼びかけると、ヤマトは不機嫌そうな声で返事をする。

 

「何か用か?」

 

「お茶を淹れましたけど、いかがでしょうか?」

 

「入れ」

 

ミヤビが中へ入ると、彼は読みかけの報告書を閉じて彼女の方を振り向いた。

そしてミヤビはお茶をヤマトの前に置くと、深くお辞儀をした。

 

「先ほどはどうもありがとうございました」

 

命を助けられたのだから礼を言うのは当たり前。だから彼女はまず先にお礼をした。

しかし彼の反応は相変わらずだ。

 

「フッ…礼を言われるまでもない。セプテントリオンを倒さねば人類に未来はないのだからな」

 

続いてもっと深く頭を下げて謝罪をした。

 

「この度は命令違反ならびに多大なご迷惑をおかけし、大変申し訳ございませんでした」

 

詫びる彼女に対し、ヤマトの態度は冷淡だ。

 

「命令違反をした挙句に暴徒どもに誘拐されるなどお前らしくない失態だ」

 

「はい…」

 

「これまで私の指示に対しお前は完璧なまでに遂行していた。いや、私の期待を上回る結果を出すのがお前だった。だというのに昨日の行動は何だ? 将として兵を気遣うのは悪くない。しかしそのせいで自分が危険な目に合い、さらに大阪本局並びに局員の生命を危険に晒すこととなった」

 

「…それにつきましては弁解の余地はありません。すべてわたしの判断によるものです。どのような処分であろうと覚悟しております」

 

ミヤビはジプスをクビになることも覚悟していた。

 

(たとえヤマト様にお暇を出されようとも、別の方法で主に忠誠を尽くすつもり。お側にいられないのは悲しいけど、これは自業自得だもの。それに後悔はしていない。わたしは正しい選択をしたと堂々と言えるわ)

 

頭を下げたままでヤマトの言い渡す処分を待つミヤビ。

しかしヤマトは意外な言葉を発した。

 

「命令違反については不問に処す」

 

「え?」

 

ミヤビは驚いて顔を上げた。

 

「聞こえなかったのか? お前の処分はせいぜい戒告で十分だ。…おや、疑わしいといった顔をしているな? どうせ停職や免職になるとでも思っていたというところだろうな」

 

「はい…。わたしはそれくらいのことをしたのですから」

 

「しかしお前は私が満足する結果を出した。シナリオに多少の誤差はあったが、お前は最小限の犠牲で最大の結果を出したのだ、何を咎める必要があると言うのだ?」

 

「ですが…」

 

納得がいかないミヤビ。

そんな彼女を横目に茶を飲みながらヤマトは言った。

 

「お前をクビすれば、今後これだけ美味い茶が飲めなくなる。詫びる気持ちがあるなら、これまで以上に私のために働いてくれ。良いな?」

 

「はい。わたしはこれまでも、そしてこれからもヤマト様のために生きるつもりです。ここにお約束いたします」

 

ミヤビの言葉に満足したのか、ヤマトの表情はようやく穏やかなものとなった。

 

「そう…お前はずっと私の側で私の指示に従っていれば良いのだ」

 

ミヤビは静かに目を伏せた。

ヤマトに嘘はついていないが、彼の望みどおりにはならないことは事実なのだ。

心の底にある決意は誰にも知られてはならず、彼女は無理やり笑顔をつくって見せた。

そしてずっと気がかりであったことを訊く。

 

「お伺いしたいことがあるのですが…よろしいでしょうか?」

 

「何だ?」

 

「ヤマト様のもとへわたしの死に顔動画が届いたというのは本当ですか?」

 

ミヤビの問いにヤマトは掴んでいた湯飲み茶碗を落としそうになる。

 

「アルコルの言ったことは忘れろ! 私はお前のことなど心配などしてはいない! あ、あれはだな…」

 

ヤマトは明らかに動揺していた。

沈着冷静でセプテントリオンの襲来の際にも顔色ひとつ変えない彼にしては意外な反応だ。

しかしすぐにいつもの自分を取り戻した。

咳払いをひとつすると、いつものように淡々と言う。

 

「…そうだ、お前の死に顔動画が届いたのは事実だ。しかし私がお前を友人だと認めた覚えはない」

 

「はい、承知しております。ヤマト様とわたしは主従関係にあり、対等な立場にないのですから友人となることは不可能です。わたしも身の程というものを弁えておりますから、迷妄することはありません」

 

「それで良い」

 

「身の程というものを弁えておりますが、ひとつ言わせていただきます」

 

ミヤビは姿勢を正してヤマトを正面から見た。

 

「フェクダの出現の直前まで大阪本局にいらっしゃったヤマト様があのタイミングで名古屋に現れたのは、転送ターミナルを使ったということですよね?」

 

「ああ」

 

平然と答えるヤマトにミヤビは声を荒らげた。

 

「フミさんから伺いましたが、ターミナルは調整が終了したばかりで、テストをせずに起動させたそうではありませんか。あの装置は人間を分子の単位にまで分解し、目的地で再構成するというもの。一歩間違えれば分子化した肉体が元に戻らずに死んでいたんですよ。いくらセプテントリオンを倒すためといっても、ご自分の命を危険に晒すようなことはおやめください」

 

「そうは言うが、菅野は99.9%大丈夫だと保証してくれたぞ。とにかく多少の犠牲はあったが、名古屋支局を取り返し、セプテントリオンも倒した。結果を出したのだから文句はないはずだ」

 

「…」

 

自分が散々言ってきた「結果を出せば文句はないはず」を逆に利用されては、ミヤビも反論のしようがない。

 

「ぐうの音も出ないようだな。私はお前のように感情のままに動くようなことはせぬ。すべては勝算あってのことだ」

 

「返す言葉もございません」

 

「ところで、栗木ロナウドから何か聞いているか?」

 

ヤマトの問いの意図はわからないが、ミヤビはすべてを包み隠さずに答えた。

 

「ほう…それでお前は私がその先輩刑事とやらを謀殺したと思っているのか?」

 

「とんでもありません。ヤマト様がそのようなことをなさるはずがありません」

 

「その根拠は? まさかこの私が善人であるから…などと思っているのではあるまいな?」

 

「いいえ。ヤマト様が善人であろうと悪人であろうと関係はありません。わたしはヤマト様ならこう言うだろうと思っただけです。『ネズミが1匹動いたところでジプスの屋台骨はビクともしない』と」

 

するとヤマトはにやりと笑う。

 

「惜しいな。正解は『小魚1匹が飛び跳ねたところで川の流れは変わらない』だ」

 

それを聞いて、ミヤビも頬が緩んだ。

こういう会話ができるのも、ふたりの間にある信頼関係が揺るぎないものであるからだ。

 

「それはそうと、栗木ロナウドらレジスタンスの処遇なんですが、わたしに良い案がございます」

 

ヤマトはロナウドたちに二度と邪魔をされないよう”処分”するつもりでいた。

しかしミヤビに良い案があると言われ興味を示す。

 

「どうするつもりだ?」

 

「この名古屋支局の管理を任せるんです」

 

ミヤビがこともなげに言うものだから、ヤマトは眉をしかめた。

 

「バカなことを言うな。連中にここを任せるだと? フェクダに殺されそうになって気でも狂れたか?」

 

「わたしは冷静に考えて申し上げているんです。なにしろこの3日間におけるジプス局員の被害は甚大で、現在活動可能な局員を全員集めても僅か40人ほど。それを3つに分けてしまえばそれぞれの活動が滞ることになります。さらにひとりひとりの負担が増え、これまで以上に苦しい事態に陥ることでしょう。ですからこの名古屋支局をレジスタンスメンバーに任せ、局員は大阪と東京の2ヶ所に集約させるべきだという意味です」

 

「つまり苦労して奪い返した名古屋支局を、あの暴徒どもに返すということか?」

 

「はい。ヤマト様のお気持ちはお察しいたしますが、名を捨てて実を取るということはできないでしょうか? それにここを明け渡しても彼らにはジプスやヤマト様に歯向かうことはできません。栗木ロナウドが元局員である以上、ここを落とされたら名古屋という都市が一瞬にして消えるということくらい理解できています。高速鉄道や転送ターミナルを勝手に利用できないようにすれば大阪や東京で騒ぎを起こすこともできません。それに名古屋支局に備蓄されていた物資の殆どは被災者に配布されてしまい残りは僅かです。支局維持のための最低限の活動しかできません。今は彼らに自分たちの勝利だと思わせておけば良いんです。実際はこちらが彼らを利用するのだとも知らずに働いてくれるでしょう」

 

ミヤビの提案は異論を挟む余地などないほど完璧なものである。

ヤマトも局員の減少や施設の維持管理には頭を悩ませていたから、彼女の一石二鳥となる名案を採用しない理由はない。

 

「良かろう。ならばお前には名古屋支局の支局長を兼務してもらうぞ」

 

「は?」

 

「報告によるとフェクダ戦を前にして名古屋支局長が敵前逃亡したという話ではないか」

 

「いえ、敵前逃亡というのではなく…少し及び腰になり、的確な指示が不可能だとわたしが判断して、それで僭越ではございましたが ── 」

 

「ジプスに役立たずは不要だ。それにお前が名古屋の全権を持つとなれば、栗木たちもおとなしくなるのではないか? どうやら連中もお前には一目置いているようだからな」

 

「ですが局員の…特に名古屋支局の局員の心象は良いものではないはずです」

 

「文句のある奴にはお前の働き以上の結果を出させれば良い。それだけのことだ」

 

ヤマトのワンマン運営は今に始まったことではない。

それも彼の独断と偏見によるものではなく、確かな根拠があってのことだから局員たちも従っている。

ミヤビも自分がNOと言ってもヤマトが一度言い出したことを撤回することがないとわかっているので不承不承ながら引き受けた。

 

「了解いたしました。そうとなれば全力で任務に望む所存です。その手始めとして復旧作業に戻らせていただきますが、いかがでしょうか?」

 

「いや、お前はフェクダ戦で霊力を使い尽くしたのだ、休んで回復に努めろ。明日もまた厳しい戦いになるのだ、少しは自愛しろ」

 

「はい、承知いたしました」

 

ヤマトの言う「自愛」には自分の健康状態に気をつけろという意味と、自分の行動を慎めというダブルミーニングであることに、聡明なミヤビはちゃんと気づいていた。

 

 

 

 

談話室で休憩していたミヤビの目の前に陶器の茶碗が差し出された。

 

「これ」

 

見上げると帽子を目深にかぶった青年がいた。名古屋支局所属の民間人協力者だ。

一緒に戦った仲だが、直接口を利くのはこれが初めてだった。

 

「ええと、あなたは…」

 

「鳥居純吾。ジュンゴでいい」

 

「わたしは紫塚雅です。名古屋の協力者の方ですね。どうもお疲れさまでした」

 

「うん。ミヤビたちがいてくれて、助った」

 

ジュンゴが笑う。

 

「これ、食べて。茶碗蒸し」

 

「ジュンゴさんが作ったんですか?」

 

「うん。食べたら、元気出る」

 

そう言われてミヤビはひと口食べてみた。

峰津院家の食事で舌の肥えている彼女にもその味は満足できるものだった。

材料はあり合わせのものではあるが、ひとつひとつの作業が丁寧に行われていて、料理人の真心が伝わってくる気がした。

 

「美味しいです」

 

「よかった」

 

ジュンゴがとても嬉しそうにしていると、小柄な少女がやって来た。

彼女もまた名古屋の民間人協力者だ。

 

「あ、ジュンゴ!…と、誰?」

 

「ミヤビ」

 

ミヤビが名乗る前にジュンゴが少女に名を教える。

 

「紫塚雅です」

 

そう言うと、少女は不審そうな目でミヤビを見る。

 

「その格好ってジプスの人ってことだよね?」

 

「はい。東京支局長を務めています。今日からは名古屋支局長も兼任することになりました」

 

「ふーん…偉い人なんだ。あたしは伴亜衣梨。ミヤビ、手が空いてるならこっち手伝ってほしいの。ジュンゴもほら」

 

ミヤビとジュンゴはアイリに連れて行かれ、復旧作業を再開した。

 

 

 

 

数時間後、日付が変わる前に司令室は最低限の業務ができるほどには復旧した。

ヤマトも後始末に駆け回ったらしく、心なしか疲れているようだ。

ミヤビを呼び戻すと東京へ帰る手配をさせた。

そして突然言い出した。

 

「明日、東京支局で健康診断を行う」

 

「健康診断、ですか?」

 

「そうだ。対象は全局員並びに民間人サマナーだ。例のレジスタンスどもにも受けさせろ。連絡はお前に任せる。…それから20分後に東京行きの列車を出す。その5分前に地下ホームに集合だ」

 

「了解しました」

 

ミヤビは健康診断と称して個人の霊力を計測し、作戦に利用するのだと考えた。

これまでよりさらに強力なセプテントリオンの襲来が予想される以上、悪魔使いとして才能ある者を前線に投入して戦闘経験を積ませようという趣旨である。

それは理解できるのだが、民間人の手も借りなければならない事態を彼女は憂いていた。

ミヤビはダイチとイオに連絡を取ろうとしてポケットから携帯を取り出すとメールが届いていた。

 

「あれ…メールが届いている。誰かしら?」

 

送信者の名は栗木ロナウド。

何か用事でもあるのかと、彼女はメールを開いた。

 

『お疲れさん。君の活躍には目を見張るものがある。しかし俺たちと君とは考え方が大きく違う。俺は平等という概念がないと思わない。だから君が俺たちの前に立ちはだかるなら容赦なく叩き潰すだろうし、俺たちの理念に賛同してくれるならいつでも受け入れよう』

 

ミヤビはロナウドの真っ直ぐな気持ちや信念に基づいた情熱といったものは認めている。

彼女たちは信じるものが違うために戦っており、それゆえに対立してしまうだけなのだ。

 

自分が名古屋支局長となったこととフェクダ戦での礼を伝えようとした時だった、ミヤビは背後に人の気配を感じた。

 

「やあ」

 

声の主はアルコルだった。

 

「栗木ロナウドという人間も君に期待をしているようだね?」

 

「他人のメールを盗み見るなんて悪趣味ですよ。それに“も”ってことは他にも誰かわたしに期待をしているということですか?」

 

相変わらず不思議な微笑みを浮かべているアルコルにミヤビは訊いた。

 

「うん。私も君に期待しているから」

 

「それはおかしいですね。わたしがヤマト様に従って動いていることに不満を持って、わたしのことを見限ったのだとばかり思っていました」

 

嫌味を込めて言うと、アルコルは苦笑しながら答えた。

 

「私も君のことを諦めようとした。だけど君の戦う様子を見ているうちに、君の輝きは失われていないことに気づいたんだ」

 

「それはわたしがまだ輝く者だという意味ですか?」

 

「そうだね」

 

あっけらかんと答えるアルコルに、ミヤビは彼が人間の基準では判断できない存在であることを改めて思い知らされた。

 

「あなたは何者なんですか?」

 

「私が何者か?…私も知りたいと考えている。少なくとも、敵対者ではないつもりだが」

 

「それなら敵ではないのにジプスのシステムをハッキングしたのはどうしてですか?」

 

「あれは人間への試練だよ。あれくらいで人間が滅びるなら、人間は生きる価値のない存在だってことさ。現に君たちはあの状態でもメラクを倒した。人間の可能性は計りしれないね」

 

「計りしれないのはあなたです。ニカイアとか悪魔召喚アプリなどを与える一方、ジプスの邪魔をして人間を危険な目に合わせているんですもの。今後も試練と称して人間に対し様々な苦難を強いるのでしょうけど、わたしたちは絶対に負けませんから」

 

ミヤビが語気を強めて言うと、アルコルは嬉しそうに微笑んだ。

 

「やはり君の輝きは失われていない。いや、以前よりも一段と輝いているように見えるよ。ヤマトと同じ道を進んでいるというのに、どうして君だけが輝いているのだろうね?」

 

「さあ、なぜでしょう。…それはともかく、いつまでもここにいると誰かに見つかってしまいますよ。特にヤマト様に見つかったら困るのはわたしです。機嫌がますます悪くなって、フォローするわたしの身にもなってください」

 

「わかったよ。じゃ、またね」

 

アルコルはそう言うと音もなく消え去ったのだった。

 

 

 






フェクダ戦で危機一髪だったヒロインですが、ヤマトによって一命を取り留めました。
ヤマトに恩義を感じていた彼女ですから、これから一層ヤマトに対して忠誠を尽くすことになるでしょう。

ところで、アニメ版を見て疑問に思ったことがひとつ。
ポラリスによって制空権を奪われ、移動手段がジプスの高速鉄道しかない状態で、ロナウドたちはどうやって名古屋と大阪を移動したのでしょうか?
気になっていたのですが、解決方法が見つからずに、本作もその部分は触れないことにしてしまいました。
自分の力で解決させたかったのですが…残念です。




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4th Day 変容の水曜日 -1-



メインとなる悪魔使いが13人揃いました。
それぞれ思うところがあり、一丸となってセプテントリオンに挑む…ということにはなりませんが、ここから佳境へと入っていきます。





 

 

ジプスの全局員と民間人協力者、そしてロナウドたちのレジスタンスグループ全員が東京支局に集合して一緒に健康診断を受けていた。

昨夜のフェクダ戦から一時休戦となっているが、両陣営が同じ場所で整然と健康診断を受けている光景はなんともいえず不思議なものだ。

両者ともセプテントリオンを倒して人類を救うという目的は同じなのだから協力し合うのは良いことである。

しかしそれぞれが目指す世界が違う。

そのせいでロナウドは隙あらばヤマトを倒そうとしているし、ヤマトも目障りなロナウドを排除したいと考えているのは誰の目にもわかる。

そのふたりが同じ場所にいるのだから周囲の人間が緊張しているかと思うとそうではない。

意外と和やかな雰囲気の中で、健康診断は滞りなく進んでいた。

 

所用を済ませたミヤビが健康診断の会場に入ると、フミが笑顔で迎えてくれた。

 

「やー、お疲れさん」

 

「フミさん、身体の具合はいかがですか?」

 

「んー、別になんともないかな。悪魔に操られていたってことだから、脳波とか精密検査しなきゃいけないかもしれないけど」

 

「ともかくご無事でなによりです。でも無理はなさらないでくださいね」

 

フェスティバルゲートでの記憶はまったくないようで、フミは相変わらずマイペースを保っている。

そんな彼女にミヤビが呆れていると、そこにヒナコが現れた。

大阪での負傷で包帯を巻かれている姿が痛々しいが、案外元気そうだ。

 

「ミヤビちゃん、おはようさん」

 

「おはようございます、ヒナコさん。お怪我は大丈夫ですか?」

 

ミヤビが訊くと、ヒナコは笑いながら答える。

 

「こんなんかすり傷や。オトメさんも無理せぇへんならみんなと一緒に戦ってもええ言うとったわ」

 

けっしてかすり傷とはいえない怪我をしているヒナコ。

その原因となったミヤビに気を遣わせたくないとやせ我慢しているのは見え見えだ。

しかし医師であるオトメから戦線復帰の許可が出ているのなら大丈夫だと、ミヤビは安堵していた。

 

そんな会話をしながらミヤビは更衣室で検査着に着替えると、他の人たち同様に検査会場に入った。

そこにも見知った顔がいて、みんな元気そうだとミヤビは安心する。

すると検査を終えたマコトがミヤビたちの方へやって来た。

 

「おはようございます、マコトさん」

 

ミヤビが声をかけると、マコトは彼女たちに気づいて笑顔で応えてくれた。

 

「おはよう。君はこれからか?」

 

「はい」

 

「そうか。ならば終わったら局長室へ行ってくれ。局長が話したいことがあると言っていた」

 

「わかりました」

 

 

 

 

「はい胸見せて。…はい、異常なし。次は口開けてね。…こっちも異常なし、と。見事なくらいの健康体ね」

 

血液採取、心電図、レントゲン、身長・体重測定に視力と聴力検査まで行い、最後にオトメの問診というフルコースでの健康診断である。

 

「健康だけが取り柄ですから」

 

ミヤビが笑って答えると、オトメもつられて笑った。

 

「そうね、人間健康が一番よ。さて、これでおしまい。女性陣はミヤビちゃんで最後かしら?」

 

「はい、そのようです。…どうもありがとうございました」

 

ミヤビがお礼を言って更衣室へ戻ると、微妙な空気が漂っていた。

アイリがフミを見て固まっている。正確に言うと彼女の胸を見て固まっているのだ。

 

「あ、なるほど…」

 

ミヤビは納得した。

フミは検査着を着ておらず、下半身はショーツのみで、上半身はジプスのコートを羽織っているだけ。

胸の大事な部分は隠れているが、谷間は丸見えなのだ。平均以上の大きさがある胸は形も見事である。

アイリは自分と彼女を比べた末にショックで固まってしまったというわけだ。

 

「ミヤビちゃん…着痩せするタイプなん?」

 

冷静に状況把握をしていたミヤビに、ヒナコがそっと近寄って来て後ろから彼女の胸を掴んだ。

 

「うわっ…!」

 

いきなり身体に触れられたものだから、ミヤビは驚いて飛び跳ねてしまった。

 

「ちゃんと引き締まってるやん。しかもスタイルのバランスええし」

 

身体を無遠慮に触られて、ミヤビは涙目で身体を捩らせた。

完全無欠に見える彼女でも「くすぐりに弱い」という弱点があったのだ。

 

「く、くすぐったい…。やめて、ください!」

 

「え、くすぐり弱いん?」

 

ミヤビとヒナコの様子を見ていたアイリがふざけて参戦する。

羽交い締めされているような姿のミヤビの脇腹を思い切りくすぐった。

 

「どうだ!」

 

「ちょっ、アイリさん、やめて、あははは!」

 

「おー、姦しいねぇ」

 

女子校のノリでふざけ合っているヒナコとアイリ。フミはそれをニヤニヤしながら傍観している。

一方、ミヤビは息も絶え絶えな状態でやられるままになっているが、誰も助けようとする気配はない。

そこにイオとマコトがやって来た。その様子を見てふたりは驚くというよりは半ば呆れた状態だ。

 

「ふたりとも、やめた方が…」

 

「やめないか、ふたりとも」

 

イオとマコトは止めようとするが効果はない。

ますます女子校の教室のようになってきた。

平和な日常の光景に見えるが、ミヤビ本人にとってはセプテントリオンとの戦いと同じくらい必死である。

 

「こらこら、早く服着ないと風邪ひいちゃうわよ」

 

そこへオトメがやって来て苦笑する。

 

しかしそんな中、ドアの向こう側の小さな声がミヤビの耳に届いた。

 

「待って! 今、外で男の人の声が!」

 

ミヤビがそう叫んだことで更衣室の空気が一瞬で冷たくなり、声を潜めて辺りをうかがう。

しかし人の気配は感じられない。

 

「声なんてした? 気のせいじゃない?」

 

アイリが小さな声で訊く。

そんな彼女にミヤビが首を横に振った。

 

「いいえ、います。それもひとりだけじゃありません」

 

外にいた男性の声がミヤビにだけ聞こえたのは、どんな僅かな気配でも気がつくように訓練されていた彼女だからこそである。

女性陣が心配する中、ミヤビはとっさに履いていたスリッパをドアに向かって投げつけた。

 

「そこ!」

 

スリッパはドアにぶつかって床に落ちた。

 

「どうしたん?」

 

「ドアが少し開いています」

 

「もしかして覗き!?」

 

そうアイリが言った瞬間、ドアの向こう側の廊下で男性の声と、続いてドタバタという足音がした。

 

「何者だ!」

 

マコトが勢い良く外へ飛び出して行った。

ミヤビも後を追おうとしたが、検査着のままであることに気がつく。

急いで着替えようとした時、突如地震が発生。

そこに館内の警報が鳴り響き、その騒ぎによってノゾキ魔を捕まえることはできなかったのだった。

 

 

 

 

地震発生の数分前、女子更衣室前の廊下ではジョーとダイチがドアの隙間から中の様子をこっそりと伺っていた。

 

「おおっ…すげぇ…」

 

異性に興味津々のダイチはフミの胸に釘づけになっていた。

 

「ダイチ君は心身ともに健康な青少年だねぇ。大きな胸は母性の証。魅かれるのも無理はない」

 

ジョーもひとりごとを呟きながら、ドアの隙間から中を覗き込む。

 

「ま、大人の俺としてはこの両手にしっくりとくるくらいの大きさがベストだな。大きすぎず、小さすぎず、抱いた時にこう…」

 

「ミヤビちゃんだ」

 

ミヤビがフミたちに近寄って来たところをダイチが目ざとく見つける。

さらに彼女がヒナコに悪戯され、アイリまでもが加わって苛められている姿に興奮し、ダイチは生唾を飲み込んだ。

普段は黒いコートに身を包んでいる彼女が薄い検査着だけになっている。

たしかに彼女は着痩せするタイプだ。

それにフミやヒナコほどではないが、バランスのとれた肢体は少女のものから大人の女性へと変わりつつある。

恋人がいるジョーですらミヤビの姿に目が眩んだ。

そのせいで周囲を警戒していたのも忘れて彼女に見とれてしまった。

ミヤビの検査着の裾が捲れ上げられ、彼女の白いショーツが男性陣の視界に入った瞬間、彼らの背後から声をかける者がいた。

 

「おい、お前たち何やってんだ?」

 

声の主はロナウドで、偶然通りかかったところ不審な行動をしているジョーたちを見つけて声をかけたのだ。

その声が聞こえたのか、女性陣の様子が一瞬で凍りついた。

続いてミヤビの投げたスリッパが飛んで来た。幸いドアにぶつかって落ちただけ。

しかし長居してはバレてしまう。

 

「やべっ…、逃げるぞ」

 

ジョーはダイチの首根っこを掴むと全力でダッシュする。

 

「な、何があったんだ?」

 

事情が理解できないロナウドはその場でおろおろするが、ジョーに急かされる。

 

「逃げろ、クリッキー! 死にたくなきゃ、全力で走れ!」

 

「お、おう」

 

ジョーたちのあとを追って、わけがわからないうちにロナウドも全力疾走を開始した。

そして彼らにとって幸運だったのはセプテントリオンの襲撃があったこと。

この騒ぎのせいで覗きの件はバレることがなかったのだから。

 

 

 

 

第4のセプテントリオン・メグレズは突如東京湾の海中に出現した。

メグレズは地上に現れる気配はないようで、これではジプスも手の出しようがない。

しかし芽のようなものを射出し、地上に被害を与えている。

とりあえずミヤビたちは〈芽〉を処理するだけしかできず、現状待機ということになった。

またロナウドとジョーは名古屋へ戻ってしまった。

被災者支援のためという名目だが、実際は長居して覗きの件がバレるのを恐れたジョーがロナウドを誘って逃げただけである。

ヤマトは彼らを引き留めもしなかった。

名古屋支局の維持管理を任せているという理由もあるが、ヤマトにとってロナウドたちがもはや脅威ではなくなったと判断したからであった。

 

 

 

 

ひとまずはメグレズの出方待ちとなったので、ミヤビは自分の戦力増強のために〈デビオク〉を試すことにした。

悪魔を使役することで得られるポイント、通称〈マッカ〉で自らの能力に応じた悪魔を落札できるオークションに参加できるというものだ。

彼女は本人自身のレベルがすでに80を超えており、マッカも数十万に達していた。

ここ数日の実戦によって急激にレベルアップしていったのだ。

まずレベル54の幻魔カンギテンとレベル56堕天使デカラビア、レベル64の邪鬼グレンデルとレベル66の龍王ヤマタノオロチを落札し、さらに〈悪魔合体〉という機能を利用してそれぞれを合体させる。

〈悪魔合体〉とは〈悪魔召喚アプリ〉の機能のひとつで、文字どおり悪魔同士を合体させてさらに強力な悪魔を作り上げるものだ。

そしてレベル61魔王ロキとレベル74の天使メタトロンができあがった。

これでとりあえずの手駒は揃ったと考えたミヤビは、続いて自分の霊力をさらに高める訓練を始めた。

普通の悪魔使いが同時に使役する悪魔は1体か2体だ。

それ以上になると悪魔をコントロールできなくなるためである。

特に高位の悪魔だと彼らの意思が強くて従ってくれない。

しかしミヤビは同時に3体まで使役できるように訓練を受け、大阪のフェスティバルゲートの時のようにビャッコ、セイリュウ、ゲンブを同時に召喚した。

もっともセイリュウとゲンブには「敵対する悪魔を倒せ」という単純な命令しかできなくて、ゴズキとメズキを相手に少々苦戦したのが現状だ。

それをさらに1体増やし、尚且つそれぞれに別の命令を与えることができるまでに霊力レベルを上げようというのだ。

ミヤビは東京支局の一角にある訓練場へ向かうと魔法陣の中心で瞑想に入った。

 

 

 

 

メグレズ討伐作戦会議で東京支局の司令室には見慣れた面子が集まった。

ミヤビも瞑想し始めて僅か15分で呼び出され、ヤマトの隣の席でメインモニターを見つめている。

メグレズは東京湾の海中にいるはずだったのだが、急に動きを見せ始めたのだ。

 

「状況が変わった。計測によると、メグレズは徐々に移動している。まもなく海面へと浮上するだろう」

 

事実を淡々と述べるヤマト。

 

「さらにメグレズは3体いることがわかった。同時に動き出したようだな。座標は東京・名古屋・大阪。浮上の後、タワーを目指して侵攻するだろう」

 

ダイチやアイリたちの「またタワー?」「どうしてタワーばかりを?」というざわめきをヤマトは視線で一蹴する。

余計なことに時間を割くような余裕はないという意味である。

 

「厄介なことにこのメグレズは互いを補完する性質を持っている。…つまり同時に倒さないと奴らは再生するということだ」

 

ここでヤマトは声を張り上げた。

 

「良いか、我々は部隊を3つに分けて3体のメグレズを同時攻撃する!」

 

そして編成が発表された。

大阪はミヤビ、ダイチ、イオ、ケイタ、ヒナコ。

名古屋はロナウドとジョーの先発隊に加えてオトメ、フミ、アイリ、ジュンゴ。

そして東京は…

 

「私ひとりで十分だ」

 

ということで、ヤマトがひとりで迎え撃つということになった。

そしてマコトが東京支局の司令室で3部隊の連携を見守る役目を負う。

 

「3体同時に倒さなければ意味がない。各都市との連絡を怠らずに必ず撃破しろ」

 

ヤマトの指示で悪魔使いたちは大阪と名古屋へ散って行った。

 

 

 






ゲーム版・アニメ版ともに登場する「健康診断」ネタは外せません。
シリアスな話ばかりなので、少し息抜きになるようなエピソードは必要ですから。

ヒロインが戦力増強のためにデビオクに手を出します。
天使メタトロンと魔王ロキとなれば、最終的にどうなるかはご存知の方は多いはず。
最終決戦では”アレ”を登場させます。




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4th Day 変容の水曜日 -2-

ミヤビたちは大阪港に到着するが、メグレズの姿はまだない。

 

「まだ来てへんのか」

 

ケイタは早く戦いたいのか不服そうだ。

イライラしている様子で、両手をズボンのポケットに突っ込んだまま、足元にあった石を海の中に蹴り込んだ。

 

「みんなで力を合わせてがんばりましょうね!」

 

ミヤビがギスギスした空気を変えようとして明るく振る舞うと、ヒナコもそれに合わせてくれた。

 

「そやな。しっかりやらんとあの局長さんに雷落とされそうやわ」

 

しかしケイタは周囲の空気など気にせず、トゲトゲしい態度は変わらない。

 

「志島、俺の邪魔すんな。自分、弱い悪魔しか呼び出せんのやからな」

 

ケイタが手持ち無沙汰でうろうろしていたダイチに忠告する。

ケイタは一匹狼のようなタイプで仲間に打ち解ける気配はない。

ヤマトと同じように強い者が偉いという考えを持っており、ビャッコを使役するミヤビには一目置いているが、レベルの低い悪魔しか召喚できないダイチは眼中にないといった態度だ。

たしかにベルセルクを使役するケイタとアガシオンやヘケトのダイチではドーベルマンとチワワくらいの差がある。

今度はうなだれているダイチにミヤビが声をかけた。

 

「ダイチさんは後方にいてください」

 

「俺だって戦いたいよ。俺だっていちおうサマナーなんだからさ」

 

戦力外通告されたのだと落ち込むダイチ。

しかし自分が弱い悪魔しか使役できないとわかっており、それ以上強くは言えないでいる。

ミヤビはしょげている彼に言った。

 

「ダイチさんにはダイチさんらしい戦い方というものがあるとわたしは思います」

 

「どういうこと?」

 

「あなたの仲間を想う気持ちはとても強い。それはあなたとイオさんが名古屋までわたしを助けに来てくれたことで証明済です。ですからまた何かあっても必ず助けてもらえるとわたしは信じています。今は弱い悪魔しか召喚できないかもしれませんが、いつか強い悪魔を使役できるようになるはずです。わたしの勘ってけっこう当たるんですよ」

 

そう言ってミヤビはウィンクした。

これは単に彼を励ますだけのものではない。

彼女は悪魔のレベルというものが、個人の戦う意思や信念の強さに比例しているという仮説を持っていた。

もちろん生まれつきの身体能力や訓練の有り無しにも関係するだろうが、最終的には生きる意思の強さだと思っているのだ。

その根拠は彼女が名古屋でスザクを使役できるようになったこと。力が欲しいと心から願った時にスザクが届いた。

そうなればこの仮説も根拠のないものとは言えず、ダイチの「生きたい」「仲間を守りたい」という気持ちが今以上に強くなれば、きっと強い悪魔を召喚できるようになるだろうと励ましたわけだ。

 

「そうかな…?…たぶんそうだ。いや、絶対にそうだ! ミヤビちゃんの言うことなら、俺、信じられる!」

 

「そう! その調子ですよ!…たぶんメグレズだけじゃなくて悪魔も出現するはず。その時はわたしたちの背後をよろしくお願いします」

 

「ああ、任せろ!」

 

元気を取り戻したダイチの姿をイオとヒナコが離れた場所から微笑みながら見守っていた。

 

 

 

 

前触れもなく海から衝撃音がしてメグレズが浮上した。

 

「うわっ、デカッ!」

 

ヒナコが思わず声を上げる。

巨大な球体のところどころに棘のような芽が生えているような形で、その〈芽〉を射出して攻撃をしてくる。

さらに大量の雑魚悪魔の群れが湧いて出て来た。

 

「みなさん、行きますよ!」

 

「よっしゃ、いくで!」

 

「おう」

 

「はい!」

 

「雑魚は俺に任せろ!」

 

ミヤビの合図で、全員が手持ちの悪魔を召喚した。

まずはメグレズまで辿り着かなければならず、二手に分かれることになった。

 

「雑魚悪魔はわたしとダイチさんで片付けますから、みなさんはメグレズを!」

 

ミヤビはスザクを従えて雑魚悪魔を焼き払っていく。

ダイチもヘケトで奮闘中だ。

その隙にヒナコたちはメグレズまで辿り着き、攻撃を開始した。

 

激しい攻撃を加えると、メグレズが震え出して移動を始める。

 

「ミヤビちゃん、そっち行ったで!」

 

「はい、任せてください!」

 

ヒナコの声を聞いて、ミヤビは目標を雑魚悪魔からメグレズに変更する。

雑魚悪魔はほぼ片付いていたので、後はダイチに任せることにした。

一方、メグレズへの攻撃に一段落ついたヒナコは状況確認のために携帯で話をしている。

話の内容だと東京のマコトに確認をしているらしい。

続いてミヤビの携帯が鳴った。

 

「こちら、ミヤビです!」

 

「やっほ~」

 

ミヤビへの電話はフミからだった。

戦闘中だというのにマイペースを崩さない彼女に、ミヤビは苦笑する。

 

「こっちはなんとかやってるけど、そっちはどう?」

 

「メグレズが移動を始めて、今からわたしが攻撃するところです」

 

「そっか、気をつけて。あいつの衝撃属性の攻撃は強いからさ」

 

「はい、それではまた」

 

フミと会話をしながら、ミヤビはメグレズの眼前までやってきた。

 

「行くわよ!」

 

ミヤビはビャッコを召喚した。

ビャッコ、スザク、そしてミヤビの3方向からの攻撃でメグレズが震え出す。

その時嵐が巻き起こった。

 

「きゃっ!」

 

強風で吹き飛ばされたミヤビを、スザクが咄嗟に掴んで上空へと舞い上がったので、彼女はダメージを受けることがなかった。

 

「大丈夫か、主?」

 

「ありがとう、スザク」

 

ミヤビが礼を言うと、スザクはゆっくりと地面に着地して彼女を下ろした。

そして再びメグレズが動き出し、同時に〈芽〉を射出した。

 

「芽は俺がやる。本体は任せた!」

 

ケイタはそう言って芽まで走って行く。

ミヤビは再びメグレズを追うが、先にヒナコとイオが攻撃していた。

リリムとキクリヒメが〈芽〉を避けながら空中を飛ぶ姿はまるで天女が舞いを舞っているかのようだ。

そこにスザクが加わり、〈芽〉を一気に焼き払った。

 

「…止まった?」

 

そしてようやくメグレズの動きが止まったところでミヤビの携帯が鳴る。今度はアイリからだ。

 

「ミヤビ、大阪はどう!?」

 

「今メグレズの動きが止まりました」

 

「名古屋も同じ。東京はどうかしら?」

 

ここでヤマトからの一斉通信が割り込んできた。

 

「準備は整ったようだな。各員ご苦労。…奴の息の根を止めろ!」

 

一気に畳み掛けた総攻撃に、メグレズは霧散した。

静まり返る現場に、ヤマトの声が告げる。

 

「作戦終了…」

 

戦いが終わったことを知り、悪魔使いたちは一斉に歓声を上げた。

 

「みなさん、お疲れさまです。さあ、凱旋しましょう」

 

ミヤビがそう言うと、大阪組は皆で勝利を喜びながら全員で大阪本局へ帰還したのだった。

 

 

 

 

ミヤビたちが大阪に到着したほぼ同時刻、名古屋ではフミたちがロナウドのグループに合流していた。

アイリとジュンゴはロナウドたちをあまり快く思ってはいない。

フェクダ戦では共闘したものの、両者の間には互いに相容れないものがあるのだ。

とはいえ目下の目的はメグレズを倒すことであり、それは誰もが心得ている。

 

「ふん、別にあんたの部下になったわけじゃないけど、協力はしてあげてもいいわよ!」

 

アイリのツンデレっぽいセリフにオトメとフミは苦笑しながら、そしてジュンゴは相変わらず無表情のままで見つめている。

ロナウドとジョーは大人らしく、「金持ち喧嘩せず」という態度だ。

彼女だってこんなことさえなければ普通の女子高生として友人たちと楽しい学校生活を送っていたのだと思うと、ロナウドたちは彼女が哀れに思えてきてしまうのだ。

 

「今は互いの確執など忘れ、目の前の敵にだけ集中しろ。俺たちは自分の身を守るだけで精一杯だ。自分の身は自分で守れ。いいな?」

 

「言われなくてもわかってるわよ!…あたしは余裕があったら、あんたたちが危ない時に助けてあげてもいいけど」

 

「フッ…それはありがたいな」

 

ロナウドがにやりと笑うと、アイリも明るく微笑んだ。

 

それから間もなくメグレズが現れ、ロナウドのハゲネとアイリのケットシーとジュンゴのネコショウグンを前衛、ジョーのオーカスとオトメのサラスヴァティを後衛に布陣。

フミは全体の把握並びに大阪・東京との連絡役を買って出た。

大阪湾に出現した個体と同じくミサイル状の〈芽〉を乱射し、同時に雑魚悪魔が市内各所で湧いて街を攻撃していく。

市内の雑魚悪魔はレジスタンスの悪魔使いが対応しているが、いくら雑魚とはいえ数が多すぎて対処しきれないでいた。

すると一部の悪魔が「芸術劇場」というコンサートホールを攻撃し始めた。

その光景を見たアイリの様子が一変する。

そこは彼女にとって思い入れの深い場所であった。

ピアニストを目指す彼女が何度もコンクールで演奏した場所であり、また自分の家族や友人の住んでいた街でもある。

それを破壊する悪魔に彼女は叫んだ。

 

「神だろうが悪魔だろうが、そんなことはさせない! みんなを殺すなんて、あたしは絶対許さないから!」

 

次の瞬間、彼女の前に魔方陣が出現し、新しい悪魔が現れた。

その名は妖精ローレライ、彼女の怒りのパワーが新しい悪魔を召喚したのだ。

 

「行け、ローレライ!」

 

ローレライは彼女の命令で飛んで行くと、あっという間に雑魚悪魔を片付けてしまった。

そして戻って来ると、今度はメグレズに攻撃を加える。

 

「ブフダイン!」

 

地上から無数のつららが出現し、メグレズを串刺しにする。

すると外皮が破壊され、コアが剥き出しになった。

致命傷を与えられたメグレズは沈黙した。

 

 

 

 

そして東京。

東京タワーの前ではヤマトがひとりでメグレズの出現を待っていた。

司令室にいるマコトから大阪と名古屋の状況が逐一届けられている。

現在のところ大阪も名古屋も善戦していた。

 

「フッ…ここまでは予定通りだな」

 

ひとりほくそ笑むヤマトの携帯にマコトの連絡が入る。

 

「まもなくメグレズが上陸、侵入経路は変わらず。このままのスピードですと、180秒後にミサイルの射程距離に入ります」

 

「了解した。あとはこちらに任せろ。一気に片付けてやる」

 

ヤマトは手袋をきちんと嵌め直すと、メグレズが現れる方角をきっと睨みつける。

そしてケルベロスを召喚した。

 

「準備は整ったようだな。各員ご苦労。…奴の息の根を止めろ!」

 

ヤマトの号令で3体のメグレズは同時にコアを攻撃されて霧散した。

 

「東京、大阪、名古屋のメグレズの反応、消失していきます。作戦成功です!」

 

司令室ではマコトの報告と同時に局員たちの歓声が上がる。

 

「作戦終了…」

 

ヤマトが作戦終了を宣言し、メグレズ戦も人間側の勝利で終わった。

とはいえまだセプテントリオンの侵略は続くのだ、手放しで喜んではいられない。

 

(ここまではシナリオ通りに進んでいるが、本当の戦いは明日からだ)

 

脇で控えているケルベロスの頭を撫でながらヤマトは西の空を仰いだ。

 

(やはり勝利への鍵はビャッコとスザク、そしてミヤビのサマナーとしての能力だ。明日からの戦略は彼女をいかに上手く使うかにかかっているといって良い。これからは常に私の目の届く場所に置き、不測の事態にも備えなければならぬな。もう二度と勝手なことはさせぬぞ…)

 

 

 

 

ロナウドとジョーは名古屋に残り、他の悪魔使いたちはすべて東京支局に戻った。

明日のセプテントリオン戦に備えるためだ。

そしてミヤビはヤマトに呼び出され、大阪で手に入れたお土産を持って彼の私室へと向かっている。

その途中、廊下でフミに出会った。

 

「お疲れさまです」

 

「ミヤビもお疲れさん。で、どこへ行くの?」

 

「ヤマト様のお部屋です。用事があるらしく、呼び出されました。たぶんお茶を淹れてほしいのだと思います」

 

「そうか…。そういえばあんたってジプスに入る前は峰津院家の使用人だったっけ」

 

「はい。入局後もお屋敷ではヤマト様のお世話をさせていただいていました」

 

「いろいろ大変だね。セプテントリオンと連戦の上に、さらに名古屋支局の面倒まで見なきゃならないって。身体がいくつあっても足りないんじゃない?」

 

「慣れていますから平気です」

 

明るく振舞うミヤビにフミは彼女が無理をしていると感じていた。

 

「ところでさ…局長の作戦についてどう思う?」

 

「はい?」

 

「素人同然の民間人まで使ってやっと生き残っているっていう現実。正直なところあんたはどう思ってる?」

 

ミヤビがヤマトを否定するようなことを言うはずがないと知りながら、フミは続ける。

 

「大阪で局長の命令に逆らったのも、局員や民間人サマナーの犠牲者を出したくなかったからじゃない? このままだといつか犠牲者が出るんじゃないかなぁ…」

 

フミの問いにミヤビは言葉を慎重に選びながら答えた。

 

「ヤマト様のやり方はたくさんの犠牲を出しているように思えますが、結果的には最小限の犠牲で済んでいます。1万の犠牲を出さずに済むなら、10や20の犠牲は仕方がない。わたしもこれまではそう自分に言い聞かせてきました。でも10や20のであっても犠牲を出さずに済む方法もあるはずで、その時の状況を冷静に判断し、選択肢の中から最善だと思える答えを選んでわたしは行動しているつもりです。メラク戦ではわたしが最前線に出ることをヤマト様は無策で投入できないとおっしゃいました。ですがあの時はそんなことを言っている余裕なんてありませんでしたから、わたしは自分の力を信じ、あの方の命令に背きました。逆らうと言うより、より良い選択肢があって、それを選んだだけです」

 

「まあ、結果的にメラクは倒せたし、あんたも無事だったんだから良かったけど、いつでも同じように勝てるって確証はないんだからね。自分の力を信じるのもいいけど、もっと自重しないとダメだよ」

 

「はい。重々承知しております。あの…お話はこれだけでしょうか? そろそろヤマト様の部屋へ行かないとご機嫌を損ねることになってしまいますので」

 

ミヤビは話を切り上げようとすると、フミが何かを思い出したようにミヤビの頭をポンポンと軽く叩いた。

 

「え?」

 

「助けてくれてありがと。…大阪でのこと、お礼言うの忘れてたから」

 

フミはそう言ってさっさと立ち去って行ったのだった。

 

 

 






メグレズ戦も無事終了。

戦いの合間にはいろいろな人間ドラマが繰り広げられます。
それは次回へ。




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4th Day 変容の水曜日 -3-

「誰だ?」

 

ミヤビがドアをノックすると、中から不機嫌そうなヤマトの声がした。

 

「ミヤビです。入ってもよろしいでしょうか?」

 

「入れ」

 

少しだけ声のトーンが変わった。

訪問者がミヤビだとわかったからだろう。

ミヤビがドアを開けて中へ入ると、ヤマトはソファーに腰掛けて書類のチェックをしていた。

 

「さっそくだが茶を淹れてくれ」

 

「はい」

 

ミヤビはそう返事をするとお湯を沸かし始めた。

 

(宇治茶、か…。被災者が食べるものもなくて難儀しているというのに、ヤマト様は贅沢をなさっている。もちろんヤマト様は重責を背負っているのですから、これくらいのことは許されるでしょう。でも…ほんの少しだけでも市井に生きる人たちのことを考えてくだされば、ロナウドさんたちのようなジプスに反感を持つ人を減らせるというのに)

 

ジプスの存在が政府によって隠蔽されていたことで、局員たちの血の滲むような活動は民間人に知られることはなかった。

悪魔とセプテントリオンの襲来によって民間人の目に止まるようになったものの、ジプスの活動が自衛隊や消防のような被災者支援ではないために評価されることはないのだ。

おまけにジプスには隠匿物資が山ほどあるといって、ロナウドたちのように暴徒がジプスの施設を襲撃するという事件も発生した。

しかし大阪でのメグレズ戦の後、僅かだが希望が見えてきた出来事があり、ミヤビはそれを早くヤマトに報告したいとウズウズしていた。

 

湯が沸くと、ミヤビはもっとも香りと味が楽しめるタイミングで茶を湯呑茶碗に注いだ。

 

「どうぞ召し上がれ。あと、これは大阪のお土産です。ヤマト様にはぜひ召し上がっていただきたいと思い、持ち帰って来ました」

 

ミヤビは彼の前に湯呑茶碗を置き、土産の箱を開いた。

 

「何だこれは?」

 

「タコ焼きです。食堂のウォーターオーブンで温めてきましたから、熱いうちにお召し上がりください。出来立てには敵いませんが、十分にご賞味いただける味のはずです」

 

ミヤビはヤマトにタコ焼きを勧めるが、彼は渋い顔をしたままだ。

 

「美味しいですよ。これは大阪の地元民の間でとても人気のある店のタコ焼きです。店主がメグレズを退治したわたしたちに感謝の気持ちを示したいといって、少ない食料の中からわざわざ作ってくれたものです。民間人の中にもジプスの活動を認めてくれる人もいます。ですからヤマト様はジプスの長として、これを受け取る義務があるはずです」

 

「妙な理屈だな。まあ、理由はどうであれ、このような得体の知れぬものを口にする気はない」

 

そう言ってヤマトは再び書類に視線を戻した。

 

「…たしかにヤマト様のように最高の食材を使った豪華な料理しか召し上がったことのない方にはお気に召さないかもしれませんね。でも食わず嫌いだなんて勿体ないです。では、わたしがジプスの代表としていただきます。…パクっ」

 

ミヤビはタコ焼きを口に入れた。

見た目は普通のタコ焼きなのだが、大阪らしく皮はパリッとしていて、中身はトロっとしている。

大きめのタコの身が存在感を出し、生地に味がついているのでソースなしでも十分美味しい。

ソース味のものしか食べたことがなかったミヤビは新鮮な感動を覚えた。

 

「美味しい…♡」

 

ここ数日は保存食か作り置きを温めただけの料理がメインの食事だったせいか、ミヤビにはこのタコ焼きが至上の美味に感じられた。

その感動が表情に出たのか、ヤマトが怪訝そうな顔をする。

 

「こんな庶民料理で喜ぶとは、やはりお前も庶民でしかないということか」

 

「庶民であることは認めますが、これは本当に美味しいんです」

 

ミヤビはもうひとつ口に入れた。

 

「う~ん…やっぱり名店の味だわ。あの店主、強面だったけど、タコ焼きの腕はピカイチね。あ、もうひとつ ── 」

 

ミヤビが3つ目を食べようとした瞬間、ヤマトが慌てて彼女を制止した。

 

「待て。お前がそこまで言うなら、試してみなくもない。ひとつよこせ。…どうせこのようなものは大した味ではないだろうが、これも見識を広めるためだ」

 

ミヤビが絶賛するものだから、ヤマトは試してみる気になった。

以前、若者がタコ焼きを食べている様子を見かけて以来、少なからず興味はあったのだ。

ヤマトは爪楊枝をつまむと、タコ焼きを恐る恐る口に入れた。

 

「…!」

 

彼が初めて口にしたタコ焼きの美味さに感動したことは、その表情だけではっきりとわかる。

黙ってモグモグしているが、その顔がなんだか子供っぽくていつもの彼らしくないとミヤビは思った。

 

(そういえば、ヤマト様が食事をしている様子を見るのって初めてかも…)

 

珍しい光景なので、つい見入ってしまったミヤビ。

ヤマトの方は食べるのに夢中になり、そんな彼女の様子にも気づかないでいる。

 

「いかがでしたか?」

 

ヤマトが食べ終えるのを待って感想を訊いてみた。

 

「悪くはない。このタイプなら仕事が忙しい時でも手軽に食べることができる。それが気に入った」

 

そう言ってヤマトは残りのタコ焼きを全部食べてしまった。

素直に美味しいと言えば良いものを、そう言えない彼の育った環境に思いを馳せると寂しいものがある。

腹がくちて気持ちが穏やかになったせいか、ヤマトは表情も穏やかなものとなった。

 

「ミヤビ…お前にはいろいろと驚かされることばかりだ」

 

「え?」

 

突然自分のことを話題に持ち出され、ミヤビは片付けの手を止めた。

 

「私は物心ついてからほとんど屋敷を出たことはなかった。お前も7歳で我が家へ来てからジプス入局まで外へ出たことはなかったというのに、お前は私の知らないこともまるで当然のごとく知っている。これはどういうことだ?」

 

素朴な疑問にミヤビは微笑みながら答えた。

 

「10歳の時、ヤマト様がわたしに自由を与えてくださったからです。夜間に書庫で本を読むことをお許しくださっただけでなく、屋敷内では自由に行動しても良いというお墨付きをくださいました。おかげでわたしは書籍や家庭教師から学ぶ知識の他に、使用人の先輩たちや出入り業者の人たちから多くを学ぶ機会を得たんです」

 

「それで?」

 

「時間の余裕があれば厨房へ行ってシェフに料理を学び、またメイド頭に裁縫を、お茶については執事長からヤマト様のお好みどおりに淹れられるよう仕込まれました。出入り業者の若者には巷で流行しているスポーツや芸能、サブカルチャーなどの情報を教えてもらいました。まあ、これについては特に興味のないものが多かったんですけど」

 

ミヤビが苦笑する。

それを見ていたヤマトが渋い顔になった。

 

「そうやって私の知らぬ場所で…。その意気込みは認めるが…いや、何でもない」

 

ヤマトは自分がこれまでにない感情が湧いてきたことに気づいた。

その感情が何かわからず、怒りが原因となったミヤビに向けられた。

 

「出て行け、ミヤビ。用事はもうない」

 

ついさっきまで機嫌が良かったヤマトの様子が急変し、ミヤビは戸惑うが素直に引き下がることにした。

 

「失礼いたします」

 

そう言うと、肩を落とした姿で部屋を出て行ったのだった。

 

 

 

 

フミが向かった先はマコトの部屋だった。

 

「見つかったよ…ルーグに捧げる生贄」

 

感情のない声でフミは言う。

そしてマコトに1枚の紙を手渡した。

 

「これは…!?」

 

そこにはイオの顔写真と共に、彼女の生体データが詳細に記されていた。

それを見たマコトの顔が青ざめる。

健康診断というのは魔人ルーグに対して生贄となる適合者を探すためのものであったのだという真実を知らされたからだ。

 

「ホントのことを言うと、この子が最適ってわけじゃないんだよね。1番は他の子で、この子は2番目。だけど局長がその子はダメだってさ。他に使い道があるからって」

 

「…ミヤビ、か」

 

「そう。もともとあの子はこういう時のために、子供の頃から峰津院家で育てられたっていう事情があったんだけど、知ってた?」

 

「前局長が彼女を引き取ったという経緯についてはわたしも知っている。彼女のご両親が優秀なサマナーであり、その霊力を彼女も引き継いているとも。そしてそれは彼女自身が証明してみせた」

 

「そうだね。でも…局長ってあの子にはサマナーとしての期待だけじゃなくて、特別な感情を抱いているんじゃないかって思う時があるんだ」

 

「特別な感情?」

 

「ま、あたしの直感だけどさ。…それよりこの子に残酷なことを告げるっていう嫌な役目をあんたに押しつけることになるけど、勘弁してよ」

 

「…ああ、わかっている。これもわたしの役目だからな」

 

マコトはイオの写真に視線を落とし、大きくため息をついた。

 

「彼女に死の宣告をするより、ミヤビがこの事実を知った時の方がわたしには辛い。それに最悪の場合、局長にとって彼女はセプテントリオン以上の脅威となるかもしれない。それだけの存在だからな」

 

「そうだろうね…。じゃ、あたしは行くよ。明日の準備がまだ残っているから」

 

そう言ってフミはマコトの部屋を後にした。

 

 

 

 

自室に戻ったミヤビはヤマトの態度が変わったことについて悩んでいた。

原因が自分にあることはわかるが、理由がわからないからだ。

 

(わたしはただヤマト様のお役に立ちたくてどんなことでもできるようになりたかっただけ。料理や裁縫といった使用人として当然の技術を身につけるのは当然だもの。それをあの方はくだらないことだとお考えなのかしら?)

 

ミヤビは記憶を手繰り寄せた。

 

(そうだわ…わたしがヤマト様の専属の使用人になってからは、仕事と言えばお茶の時間に緑茶を淹れることだけ。他にも洗濯や掃除など含めて身の回りのお世話はいろいろあるというのに、わたしにはさせてくれなかった。使用人とは名ばかりで、仕事の代わり自分の授業にわたしを同席させて自分と同じ学問を与えてくれた。わたしに望んだのはジプス局員になるために必要な学力や霊力というものだけだったのね。それ以外のことに夢中になっていたことを知ってお怒りになったのかも。でも勉強や霊力の訓練の手を抜いてはいないし、あの方の命令はきちんと遂行していた自信はあるわ)

 

ミヤビには自分の出した結果はヤマトを満足させるものだという自負があった。

そしてもっと役に立ちたいと、寝る間も惜しんで様々な技術も身につけたのだ。

その努力を否定され、自分の行動が無駄であったと思わせるヤマトの態度に彼女は落胆していた。

 

(自分で勝手に空回りしていただけ。あの方の心を見抜けなかった自分がバカなだけなのよ…)

 

ミヤビの頬にひとすじの涙が伝わり落ちた。

 

(涙…わたし、泣いているの? 両親を見送った時にもう絶対に泣かないと決めたのに…。あの時以来一度だって泣いたことはない。訓練がどんなに苦しくたって歯を食いしばって耐えてきたわたしがこれくらいのことで泣くの…?)

 

 

 

 

ヤマトは自分の感情をコントロールできるよう、幼い頃から教育されてきた。

したがってよほどのことがないかぎり、自分を抑えることができる。

セプテントリオンの襲来にも冷静でいられるのはそのためだ。

感情をあからさまに出すのは愚者の証だと考え、絶えず大物の風格を保ってきた彼にとって、ミヤビに対して抱いた感情はあってはならないものだった。

 

(どういうことだ? 彼女が得たものは私にとって不要なものばかりではないか。羨む理由などない。いや…違う…羨望ではない。ならばこれは…何だというのだ…?)

 

彼の中に湧き上がった感情は「嫉妬」と呼ぶものであった。

ミヤビが自分以外の人間と接触し、彼女の人格や個性を形作っていたという事実。

それが無性に悔しいというか、腹立たしくなってしまったのだ。

ヤマトはミヤビを個人として認めていたと同時に自分の所有物であるという意識があった。

自分だけのものであると信じて疑わなかった彼女が、他人と時間を共有していたことが妬ましくなってしまった。

おおげさだが、すべてが自分の思いどおりとなっていたヤマトにとってそれは敗北にも近いもので、彼女には何の非がないものの、怒りを彼女に向けることで収めようとした。つまり八つ当たりだ。

そしてもうひとつ初めて抱いた感情が「後悔」であった。

彼は自分の行動が常に正しいと信じ、悔やむようなことは一切なかった。

しかしミヤビに怒りをぶつけてしまったことに対し「悪いことをした」と反省している。

 

(ミヤビは私のために自らを高めていたにすぎない。悪意は微塵もなく、ただ様々な知識や技術を吸収することを喜びと感じる少女なのだということを、この私が一番良く知っている。それなのにあのように部屋から追い出すなど、我ながら情けない…)

 

ヤマトは冷めてしまった緑茶を口に含むと、味わうようにして飲み干した。

 

 

 






これで4日目はおしまいになるのですが、次回は5日目の物語ではありません。
「健康診断覗き見事件」と、未成年女子たちの女子会についてのお話です。




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Intermission 改心の水曜日 -1-



閑話休題。
特に本編に必要ない部分ですが、ぜひとも書きたいと思っていた部分がこれです。





 

 

ミヤビが自室で意気消沈していると、ドアをノックする音がした。

 

「ミヤビ、ちょっといい?」

 

アイリの声がしたので、何事かと思ったミヤビがドアを開けると、そこにはアイリ、ヒナコ、イオの未成年女子トリオがいた。

 

「こんな夜更けにどうしたんですか?」

 

わざわざ部屋を訪ねてくるくらいなのだから、何かトラブルでも発生したのだと思ったのだ。

しかし3人の顔は和やかで、問題があるようには見えない。

 

「みんなで女子会やろう思うてな、ミヤビちゃんを誘いに来てん。…というより、あんたの部屋を使わせてもらおう思うてな。ええやろ?」

 

こんな時だからこそ楽しいことをやって辛いことを忘れたいという彼女たちの気持ちはミヤビにも理解できる。

幸い彼女の部屋は他の局員の部屋から離れているために多少騒いだところで周囲に迷惑はかからない。

それにひとりでいても気が滅入るだけだと、ミヤビは笑顔で承諾した。

 

「もちろんです。どうぞお入りください。お茶菓子はありませんが、美味しい紅茶なら用意できますよ」

 

ヒナコたちを部屋の中へ招き入れると、ミヤビはお湯を沸かそうとIHコンロの操作をする。

 

「やっぱ支局長の部屋ってだけあって広いのね~。…あー、トイレとバスルームまである! ずるい…」

 

アイリは勝手に部屋の中を探索し始め、ヒナコは机の上に置かれている『ファウスト』を目ざとく見つけた。

 

「ミヤビちゃんって本、好きなん? ゲーテなんて難しい本、ウチ、よう読まんわ」

 

一方、イオは遠慮がちにドアの近くで立ったままでいる。

 

「イオさん、こっちに来て好きなところに座っていてください。遠慮はいりませんよ」

 

「はい…」

 

「それからヒナコさんとアイリさんはあまりジロジロと人の部屋を見ないでください。こういうの慣れていないので落ち着きませんから」

 

ミヤビがそう言うと、ヒナコとアイリは3人掛けのソファーに腰掛けた。

ヒナコの隣にイオが申し訳程度に腰掛ける。

 

「こういうの慣れてないってどういうこと?」

 

アイリがミヤビに訊く。

 

「自分の部屋に誰かが訪ねて来るということです。わたしは7歳の時から峰津院のお屋敷で暮らしていて、自分の部屋に他人が入るというと家庭教師の先生だけでしたから」

 

紅茶を淹れる作業をしながらミヤビは答えた。

 

「ミヤビってそんな昔からヤマトと一緒にいたってこと?」

 

驚くアイリにミヤビは事情を説明した。

両親がジプス局員で事故死したために、先代のジプス局長に引き取られたこと。

生まれつき霊力が高いために子供の頃から訓練を受けてきたこと。

ヤマトが高度な学問を与えてくれたこと。

そのおかげで今の自分があることなどを手短に話す。

その間に紅茶を淹れ終え、ミヤビはヒナコたちの前にティーカップを置いた。

 

「こんな時やのにミヤビちゃんは優雅やねえ。このティーカップ、ジノリやん」

 

ヒナコはティーカップに描かれたカラフルなフルーツ柄を見て言う。

 

「ジノリって何ですか?」

 

イオがヒナコに訊いた。

 

「ジノリってのはイタリアの食器のブランドや。このイタリアンフルーツの柄はけっこう有名なんやで」

 

ヒナコが答えたのを聞き、ミヤビが言う。

 

「さすがは日本舞踊の名門九条家のご令嬢。良くご存知ですね」

 

するとヒナコが驚く。

 

「なんでウチのこと知っとるん? 調べたんか?」

 

「いいえ。お名前を聞いて、その時に気がつきました。1年ほど前、東京で九条流の発表会があったことを新聞で読みましたが、その時に次期家元候補が家元のひとり娘であるヒナコさんだと書かれていたと記憶しています」

 

ヒナコが日舞の名門の跡取りだと聞いて、アイリとイオが目を丸くした。

 

「ヒナコってタダのおかしな女だと思ってたけど、本当はいいとこのお嬢様だったんだ…」

 

アイリの言葉にヒナコがカチンとくる。

 

「おかしな女はひどいやん。まあ、九条の家を飛び出して勝手なことをしとる不良娘であることは否定せえへんけど」

 

「家出…してたんですか?」

 

イオが遠慮がちに訊いた。

 

「…1週間くらい前やった。お父ちゃんと大喧嘩してな…家、飛び出してそれっきりや。まさかこないなことになるなんて想像もしてなかったさかい、ちびっと後悔しとる」

 

訊いてはいけないことを訊いてしまったといった感じで俯いてしまうイオ。

そんな彼女を見てヒナコは明るく振舞う。

 

「そないなことは気にせんと、女子会楽しもうやないの」

 

「そうです。普通だったら会うこともなかったはずの4人がこうして同じ場所にいるんです。もっと楽しい話をしましょう。まず、簡単に自己紹介でもしましょうか」

 

自分に気を遣ってくれるヒナコやミヤビに笑顔を返したイオだった。

 

 

 

 

それからお互いの自己紹介に始まり、他愛のないことを話しているうちに年頃の女の子らしく恋バナへと移っていった。

 

「で、ミヤビちゃんと局長さんってどこまで進んどるん?」

 

いきなりなヒナコの質問にアイリとイオは少し驚くが、ふたりとも興味津々といった表情でミヤビの顔を見た。

しかし本人は質問の意味を理解していないようだ。

 

「ヤマト様とどこまで進む…というのはどういう意味でしょうか?」

 

「そりゃ…ちっちゃい頃から同じ家で暮らしていた男女や、なんかあるんやないかって思うやろ?」

 

そう言われてやっとミヤビには彼女の言っている意味が理解できた。

 

「ヒナコさん、ヤマト様とわたしはあなたが想像しているような関係ではありません。わたしはあの方の使用人ですから、恋愛感情は持ち合わせていません。それにあの方には将来を約束した方がいらっしゃるようですから」

 

「ええっ!? あの偏屈な冷血動物のヤマトに?」

 

アイリが遠慮のない言い方で訊く。

そんな彼女をミヤビは軽く睨みつけた。

 

「ヤマト様の悪口は二度と言わないでください。今回のことは聞かなかったことにしておきますから。…それはそうと、あの方はこの戦いが終わった後の世界で共に生きようと考えている方がいらっしゃいます。わたしはその女性がどなたか知りませんが、ヤマト様はその方のことを考えていらっしゃる時、とても楽しそうにしていました」

 

「それがミヤビさん…ということはありませんか?」

 

イオが訊く。

 

「いいえ、それは絶対にありえません。わたしが峰津院家に引き取られた理由はセプテントリオンとの戦いにおいて強力な戦力となるからです。支局長といえども一兵士でしかなく、戦いの中で命を落とすこともありえます。誰でも一番大切なものは安全な場所に隠して守ろうとするはず。きっとあの方も一番大切な女性は安全な場所で匿っていることでしょう」

 

「そうやろか…。ウチなら大切なものは絶対に手放さないで側においておくけどな」

 

ヒナコが納得いかないという感じで呟いた。

 

「それにヤマト様はその立場上、恋愛感情というものを抱くことはありえないんです」

 

「なんで?」

 

アイリが怪訝そうな顔で訊いた。

 

「峰津院家は血筋を重要とする家系だからです。代々の当主は婚姻によってより優秀な子孫を残すことを義務付けられており、あらゆる条件を考慮してもっとも相応しいと思われる女性を配偶者とします。ですから本人の意思で結婚相手を選ぶのではなく、選ばれた女性と結婚するというのが決まりなんだそうです。あの方が峰津院家の当主である以上、個人的な感情を優先させることはありえません。ただ、ヤマト様は伴侶となられる方のことをお気に召していらっしゃるようですから、わたしはおふたりのお幸せを祈るだけです」

 

「…」

 

ヒナコたちは納得いかないという顔のままだ。

 

「納得していただけないようですけど、これは事実です。…それよりみなさんはどうなんですか? アイリさんなんてジュンゴさんと仲が良いじゃないですか」

 

話題を逸らそうとしてアイリとジュンゴの名を出す。

するとアイリが慌てた。

 

「あ、あたしとジュンゴはタダの知り合いよ! そ、そういう関係じゃなくて…、あたしはジュンゴの保護者みたいなものなの!」

 

「「「保護者!?」」」

 

アイリ以外の3人が同時に声を上げた。

それも当然だ。ジュンゴの方が年上であり、誰の目から見ても彼の方がしっかりとしている。

疑いの視線を向けると、アイリはムキになって反論した。

 

「だって、あたしの方がずっと大人だし、ジュンゴはあたしがいないと何もできないんだからぁ!…じゃ、イオちゃんはどうなのよ」

 

状況が悪いと判断したアイリは、今度はイオを自分の身代わりにしようとした。

 

「わ、わたし…ですか? わたしにはそういう人は…」

 

「ダイチとはどういう関係?」

 

ダイチとの関係を訊かれ、イオは少し安心した。

 

「志島君は同じ高校で、同級生というだけです。クラスも違います。名前は知っていましたけど、話をしたこともありません。模試の帰りに偶然同じホームにいて列車事故に巻き込まれてしまって、口を利いたのもその事故の時が初めてでした。だから彼の死に顔動画がわたしの携帯に届いたことにはすごく驚きました。『この人誰?』って感じで」

 

「う~ん…つまりこのままじゃダイチに見込みはない、ってことね?」

 

「そうやな」

 

アイリとヒナコは顔を見合わせて頷いた。

ダイチのイオに対する気持ちは周囲が容易に察するほどミエミエで、それが逆に哀れさを誘っていた。

 

「それじゃ、ヒナコさんはどうですか?」

 

イオがヒナコの名を上げる。

 

「そうよそうよ、ヒナコはどうなの?」

 

アイリはここぞとばかりにヒナコに詰め寄る。

ヒナコは少し困ったような顔をしたが、自分だけ逃げるということもできずに口を開いた。

 

「ウチなぁ…ちっちゃい頃から踊り一筋やったから、男子とつき合うたことないねん。小学校から私立の女子校やったし。そんでお父ちゃんがめっちゃ厳しい人でな、学校から帰って来てすぐにお稽古やさかい、友達もおらんかったんや」

 

「「「…」」」

 

「せやけど、ウチ、踊りが好きやねん。お稽古も嫌やないから友達おらんでも寂しゅうなかったわ」

 

「じゃあ何で家出なんかしたの? 恵まれてる環境で好きなことを好きなだけできるのに。あたしなんて家が貧乏で、ピアノを続けられなかったんだから」

 

アイリが悔しそうに言う。

 

「あたしの父さん、半年くらい前に行方不明になっちゃって、そのせいでピアニストになる夢を諦めなきゃいけなかったんだよ。それだけじゃなく悪魔とかセプテントリオンとかわけわからない奴が襲って来るし…、何であたしばっかこんな目に遭うのよ!?」

 

次第にヒステリック気味になり叫ぶアイリ。

そんな彼女にミヤビが冷たく言い放った。

 

「あなたがピアニストの夢を諦めたのは、他に理由があるのではありませんか?」

 

「どういうこと?」

 

「これはわたしの想像ですけど…、いくら練習しても思ったほど上達せず、コンクールに出ても結果はイマイチ。自分の才能に限界を感じていた時、家庭の経済的な問題が発生した。自分には才能があるけど、ピアニストになるにはお金がかかる。だから自分はピアニストへの道を諦めるんだって言い訳しているんじゃないですか?」

 

「そんなことないもん!」

 

アイリは両手の拳をぎゅっと握り締め、ミヤビを睨んだ。

ヒナコとイオはおろおろしながらアイリとミヤビを交互に見る。

 

「ひどい…。ミヤビになんてあたしの辛さがわかんないのよ!」

 

「ええ、わかりません。自分の不幸を嘆くだけの人間の気持ちなんて理解する気にもなりません。人間は誰だって多かれ少なかれ苦労しているものです。自分の不幸自慢を始めたらキリがありません」

 

「…」

 

「あなたから見て恵まれていると思えるヒナコさんだって楽な人生ではなかったはず。たぶん彼女がお父様と喧嘩をして家を出たのは、自分が敷かれたレールの上をただ走ることに疑問を持ったから。彼女は踊ることが自体好きで、日舞だけではなく他の可能性を見つけてみたかった。それなのに日舞だけを強いるお父様と意見が対立し、それで家出という強硬手段に出たのではないかとわたしは思うんですけど」

 

ミヤビの言葉にヒナコが頷く。

 

「そのとおりや。ウチはこのままお稽古を続けていれば、いずれ九条流を継ぐことになることが決まっとる。それは別に嫌やない。せやけどウチは日舞だけやのうて、どんな踊りも好きなんや。だから世界を回っていろんな踊りを踊ってみたい。そして自分の力がどこまでなんか試してみたかったんや。日舞をやめるなんて考えたこともない。ウチは日舞がいっちゃん好きやねん。…お父ちゃんには悪いことしたと思うけど、ウチの人生はウチのもんやからな」

 

ヒナコの最後の言葉の「お父ちゃんには悪いことをした」とは、父親と喧嘩して家出したことだけでなく、そのせいでこの非常時に側にいてやれないという後悔の念も含んでいた。

イオたちの両親のようにヒナコの両親の行方もまだわからないのだ。

 

「ヒナコさんは日舞の家元になりたいのではなく、純粋に踊ることが好きなんです。アイリさんはどうですか? ピアニストになりたいといっても、実際はピアノを弾くことが好きなのであって、その先にピアニストになるという夢があっただけではありませんか?」

 

ミヤビの問いにアイリは黙って小さく頷く。

 

「ピアニストになる夢を断たれても、それはピアノを捨てることにはなりません。ピアノの腕を活かす職業だってピアニストだけでなく他にもあります。演奏する場所だって音楽ホールだけでなく、路上であっても聴いてくれる人がいればそこがステージになるはず。夢が叶うことが一番ですけど、人生はなかなか思いどおりにならないものです」

 

「…」

 

「ヤマト様は峰津院家の嫡男であるために、世界を救うという重責を負わされました。わたしは自分のやりたいことを見つける前に峰津院家に引き取られたことで、ヤマト様と同じ道を歩むことを強制されました。ですがあの方もわたしもその運命を恨んだり、文句を言ったことは一度もありません。それが宿命であっても、その中で精一杯生きています。初めは敷かれたレールを走るだけでしたが、今ではもう自分の意思でその上を走っているんです。自ら決めた目的地に向かって…」

 

「…」

 

「世の中には自分の人生が生まれた瞬間に決まってしまう人がいます。自分の意思が意味を持たず、強制された人生を歩む者の気持ちを考えたら、自分のやりたいことを見つけられたあなたは自分が幸せな人間だと思えるはず。ですからあなたの人生はあなたの努力次第でどうとでもなるということを忘れないでください。自分の不幸な境遇を嘆くだけで努力をしない人間を弱者と呼び、その中から自力で這い上がってきた者を強者だとわたしは考えます。人間は生まれつきの強者などいません。人間は自分の行動しだいで強者となるか弱者に堕ちるか決まるのですから、わたしはあなたに強者であってほしいと願います」

 

アイリは心の奥にあった卑屈な自分をミヤビに見抜かれて感情的になってしまった。

ミヤビに言われたように自分の才能に限界が見えて、都合良くピアニストへの道を諦める理由ができた。

すべては社会が悪い、自分は悪くないと言い訳して逃げていたのだ。

それを出会って数日のミヤビに指摘され、自分の弱さを曝け出されたのだから、これほどの屈辱はない。

しかしミヤビの言い分は正しく、彼女の言葉には説得力があった。

ピアニストにならずともピアノを続けることはできる。

コンクールで優勝するような演奏はできなくても、自分が心から楽しいと思える演奏はいつでもどこでもできるのだ。

それを諭されてアイリは抱えていた胸のモヤモヤが晴れていく気がした。

 

「ミヤビ…っ!」

 

アイリは堪えきれなくなった涙を両目に溢れさせ、ミヤビの胸に飛び込んできた。

 

「あたし…いくら練習しても、思うように上達しなくて…、でもピアノをやめたくなくて…」

 

泣きじゃくりながら自分の気持ちを吐露するアイリの頭をミヤビは優しく撫でてやる。

 

「父さんがいなくなって…母さんもフルタイムで働いているのに…、あたしばかりお金のかかるピアノを続けるなんて…。どうしたらいいのかわかんなくて…」

 

「アイリさんは優しすぎるんです。自分の夢を追い求めようとすると、時には周りの人に迷惑かけたり心配させたりすることもあります。ヒナコさんのように親御さんと対立することだって…。もしあなたがもっと傲慢だったら、どんなことをしても我が道を貫くでしょう。でもあなたは優しいからお母様に負担をかけさせたくなかった。音楽の勉強をするにはお金がかかることをわたしも知っています。お金がなくても才能さえあれば奨学金をもらうことができて、ピアニストへの道も諦めなくても良い。でも自分のレベルでは奨学金など無理で、それでも夢を追うのは単なるワガママ。自分さえ我慢すれば丸く収まる。だけど自分が傷つくのは嫌。だから社会が悪いということにして逃げてしまう。その方が楽だから」

 

「…」

 

「でも逃げることでは問題は解決しません。だから逃げるのではなく他の可能性に賭けてみませんか? あなたの前にはいくつもの選択肢があって、そのどれを選ぶのかはあなたに委ねられています。ただしそのどれを選んでも、結果がどのようなものになっても自分の責任です。自分は悪くない、社会が悪いなんて言って責任逃れはできませんよ」

 

「うん…わかった」

 

胸の中に溜まっていた不満や苦しみを全部吐き出し、それを全部受け止めてもらえたことで、アイリの表情は晴れ晴れとしたものになっていた。

 

「ミヤビ、ありがと。言いたいこと言ってなんだかスッキリした。あんたのこと怒ったけど、それって図星突かれたからなんだよね。…あたし、やっぱりピアノが好き。好きだからやめたくない。ピアニストになれなくても音楽の先生とか、他にもできることってあるよね?」

 

「ええ、もちろんです。アイリさんなら可愛いから努力すればアイドルだって夢じゃないはずです」

 

ミヤビの言葉にアイリが笑顔になる。

 

「ホントにそう思う?」

 

「嘘なんてつきませんよ。人間には限りない可能性があるとわたしは思うんです。自分はこう生きるしかないのと諦めてしまわないで、いくつもの選択肢を用意すべきです。その中から一番良いと思えるものを選んで努力する。そうすればその途中で躓いてしまっても後悔することはないはずです。わたしはそうして生きてきました。だから今の自分があるのは自分の選択の結果。後悔なんてしたことありません。もし自分で道を決められないなら、信頼のおける友人に相談すると良いでしょう。少なくともここには3人の友人がいますから、遠慮なく相談してください。ね、ヒナコさん、イオさん?」

 

ミヤビがヒナコとイオに同意を求めると、ふたりは満面の笑みで頷いた。

 

「もちろんや」

 

「はい、もちろんです」

 

それを聞いて、アイリは嬉しそうに言った。

 

「ありがと、みんな。じゃ、みんなが悩んだり苦しんだりした時には、あたしが力になるから」

 

「ええ。期待していますよ」

 

ミヤビはそう言って微笑んだ。

 

 

 






女の子同士の会話なら絶対に恋バナが出てくるはず。
誰でもヒロインとヤマトの関係について興味を抱くでしょう。
本人は完全否定していますけど、本当にそうなのでしょうか?




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Intermission 改心の水曜日 -2-

再び少女らしい雑談を始めたミヤビたちであったが、新たな問題が発生した。

それはアイリのひと言が原因だった。

 

「最初にメグレズが現れた後に、ロナウドと秋江さんってすぐに名古屋へ帰ったでしょ? その時、ターミナルへ行くふたりの会話を聞いちゃったんだ。ロナウドが秋江さんに『二度とあんなことをするなよ』ってすごく怒ってたんだけど、『あんなこと』って何だと思う?」

 

「怒るような…あんなこと…? 何かしら?」

 

イオは真剣に考えるのだが、ヒナコは特に気にしていないようだ。

 

「そんなこと、どうでもええんとちゃう? どうせジョーがロクでもないこと…」

 

そう言って急に黙り込んだ。

 

「どうかしましたか?」

 

ミヤビが訊くと、ヒナコは険しい顔をして言った。

 

「そう言えば、今朝の健康診断の時や。みんなで更衣室にいた時、不審な気配感じてミヤビちゃんがスリッパ投げたやん? そん時、男の声が聞こえた気がしたんやけど、それがロナウドやったような…。みんな、どう思う?」

 

3人は今朝の記憶を遡る。

イオとアイリは良く覚えていないと言うが、ミヤビははっきりと答えた。

 

「はい。わたしもそこにロナウドさんがいたと思います。あの時の声は彼のものに間違いないです」

 

「じゃ、ノゾキ魔はロナウドなの!?」

 

アイリが声を上げるが、ミヤビは首を横に振った。

 

「いいえ。彼は違います。もし犯人の一味なら、声を出して女性陣に見つかるようなヘマはしないでしょう」

 

「せやな。覗きしてたんならバレるような声は出さん」

 

ヒナコが同意した。

 

「それにしてもあの状態でよく声が聞こえましたね? わたしは全然気がつきませでした」

 

イオが尊敬するような目で見るので、ミヤビは答えた。

 

「わたしはどんな場合においても冷静に周囲の状況判断ができるようにと訓練されてきましたから。まあ、あの時はこちらも必死で、冷静ではいられませんでしたけど。それでも聞こえた声の主ははっきりとわかりました。聞いたことのある声なら、だいたいは区別できます」

 

「へえ…」

 

感心する3人。

さらにミヤビは続けた。

 

「話を元に戻しますが、ロナウドさんはその性格上、覗きをすることは考えにくいです。仮に誰かに誘われたとしても、彼の正義がそれを許さないはず。彼は偶然居合わせてしまい、真犯人に注意をしたと考えるのが妥当です」

 

「それじゃ犯人は誰なんでしょうか?」

 

イオが身を乗り出して訊いた。

そこでミヤビが答える。

 

「スリッパを投げた後に聞こえた声の主が犯人だと思われるのですが、こちらはとても小さな声だったので、個人は特定できません。ですがあの場所には監視カメラが設置してありますから、保安部に頼めばVTRを見せてくれるでしょう。それで犯人がわかります」

 

「ホント?」

 

「誰やの?」

 

アイリとヒナコは乗り気だ。

 

「その様子ですと、犯人探しをして罰を与えたい…という感じですが、本当に真犯人を見つけたいですか?」

 

「ノゾキ魔に天誅下すのは当然や。バン子もイオちゃんもそう思うやろ?」

 

アイリとイオは頷いた。

 

「もし犯人を暴いて、そのせいで仲違いするようなことになってでもかまいませんか?」

 

「「「…」」」

 

ミヤビの言葉にヒナコたち3人は少し悩み始めた。

覗かれたことは腹立たしいが、そのせいで仲間同士の団結が緩むのであれば自分が我慢した方が良いのかもしれない…と考えていたのだ。

そんな彼女たちにミヤビが言った。

 

「わたしはここで白黒はっきりとさせてしまった方が良いと思います。仲間の誰かがノゾキ魔であるかもしれないなどと疑いながら戦うより、犯人にはそれなりの罰を与え、そこでスッキリさせておいた方が後々良いはずです」

 

彼女の言葉にヒナコたちは決心した。

 

「そやね。泣き寝入りするのは嫌やし、けったくそ悪い。やりまひょ」

 

「これで恨みっこなしにしようってことね?」

 

「それならわたしも賛成です」

 

と、全員一致で犯人探しをすることとなった。

 

「監視カメラの映像を見れば犯人はすぐにわかってしまいます。それでは面白くないですし、事を荒立てたくないので推理ゲームをしましょう。容疑者を絞り込んでいき、最後に残った人間が犯人となります。消去法というやつですね」

 

ミヤビはそう言って机の引き出しの中からA4サイズ数枚の書類を取り出した。

それには今日一日の東京支局内の各部署からの報告が時系列に沿って記載されている。

 

「あの健康診断は局員のシフトの都合もありましたので、男性の時間を先に、その後に女性の時間を設けました。ですからあの時点では男性局員は全て健康診断を終えて自分の仕事に就いていました。これは確認済みです。つまり局員は除外して、民間人協力者の男性が怪しいということになります」

 

「でも局員の誰かが仕事をサボってこっそり覗きに来たってことはないの?」

 

アイリが訊く。

 

「可能性がないとは言い切れませんが、限りなくゼロですね。局員の数が足りなくて困っている状況ですから、複数の人間が席を外すことは考えられませんし、他の局員に気づかれるはずです。少なくとも大阪と名古屋にいる局員ではありません。この時間に該当するターミナルの使用履歴がありませんから」

 

「複数というのはどうしてわかるんですか?」

 

イオの質問にミヤビが答えた。

 

「ふたり以上の人間が更衣室のドアの隙間から覗きをしていて、それを見つけたロナウドさんが『おい、お前たち何やってんだ?』と声をかけたという流れが自然です。この『お前たち』という言葉から複数犯と推定されます」

 

「なるほど…。もしひとりだったら『お前』ですものね。すごいです、ミヤビさん」

 

イオはミヤビの推理に目を輝かせている。

 

「また局員ではないという推理の根拠は他にもあります。ロナウドさんが声をかけただけでなく、そのまま逃走したという点がポイントです」

 

「うんうん…」

 

アイリが頷きながら身を乗り出してきた。

 

「ではなぜ犯人だけでなくロナウドさん自身もいなくなったのか…。それは犯人が自分と親しい間柄にあり、女性陣に捕まって制裁を受けたら可哀想だと思う人物であったからだと推測できます。もし犯人が自分と無関係な人間なら、元刑事の職業柄逃げる犯人を『待て!』と言って追いかけるはず。しかしその声はしなかった」

 

「犯人と一緒にこっそり逃げたということね?」

 

「ええ。もし犯人だけを逃がして自分がその場に残ったら、自分が罪を着せられる。それは嫌だし、真犯人の名前を言うこともしたくない。ならば一緒に逃げるしかない…となります」

 

「ロナウドが庇いたくなるような人間…、つまり真犯人はジョーってことやな」

 

ヒナコが言う。

 

「じゃ、『あんなこと』っていうのは覗きのことだったのね。絶対に許せない。何か罰を与えないと気が済まないわ!」

 

アイリは両手の拳をぎゅっと握って、その怒りをあらわにしている。

そこでミヤビは彼女を宥めるように言った。

 

「待ってください。ジョーさんが主犯なのはまず間違いないでしょうが、少なくともあとひとりは共犯者がいるはずです。そこで民間人協力者の男性の中から容疑者を絞っていきましょう」

 

「じゃあ、まずジュンゴはどうや?」

 

ヒナコがジュンゴの名を挙げた。

 

「彼にはアリバイがあります。彼は該当する時間に厨房にいました。厨房担当の職員が足りず、わたしが彼に手の空いている時に厨房の手伝いをしてほしいと依頼をしていたからです。メグレズ出現の警報を聞き、慌てて厨房から飛び出していったそうですから、彼が覗きをすることは不可能です。ちなみに厨房担当職員から『彼のおかげで仕事が楽になった』という報告を受けています」

 

「なるほど…。となると残りはダイチとケイタやな。どっちも怪しいな」

 

「ねえ、ヤマトはどうなのよ? ヤマトにはアリバイがあるの?」

 

ヤマトは局長室にひとりだけでいる時間が長い。アリバイ証言する者がいないのは確かだ。

彼が男子である以上、疑惑をかけられるのは仕方がない。

しかしミヤビはアイリの疑問を一刀両断にした。

 

「いいえ。ヤマト様が犯人である可能性はゼロです」

 

「どうして言い切れるんですか? 峰津院さんだって男子ですから、女子の裸に興味を ── 」

 

ミヤビはイオの言葉を遮る。

 

「あの方が覗きをしないというのではなく、あの方が誰かと一緒に行動するということがありえないということです」

 

ミヤビの言葉に3人とも頷いた。

あのヤマトがジョーと一緒に悪巧みする姿が誰にも想像できないからだ。

 

「そやね…」

 

「うん、ありえない」

 

「そうですね…」

 

3人が納得する。

そこでミヤビは次の推理に移った。

 

「今のところダイチさんとケイタさんにはアリバイがありません。ですがケイタさんは一匹狼的な行動が多く、これも複数犯であるこの状況にはそぐわないと言えます。覗きをするなら単独で行うでしょう。ジョーさんとケイタさんが親しくしているという情報もありません。一方、ダイチさんとジョーさんが連れ立って歩いているところを目撃したことは何度かあります。親しいというほどではありませが、行動を共にしているという事実に変わりはありません。ダイチさんにはアリバイがなく、更衣室には意中のイオさんがいる。ジョーさんに誘われたら断れないという精神的な弱さもあり、これらの状況から判断すると彼が共犯となった可能性は非常に大きい、ということになります。黒ではありませんが、限りなく黒に近い灰色といったところでしょう」

 

「じゃ、秋江さんとダイチを捕まえてとっちめてやりましょうよ」

 

アイリはやる気満々だ。

 

「そやけど状況証拠だけでは犯罪を立証できるとは思えへんけど」

 

「これからどうするんですか? やっぱり証拠になる写真とか手に入れるとか?」

 

イオに訊かれ、ミヤビは黒い微笑みを浮かべる。

 

「出頭してもらいます」

 

そう言って彼女は携帯を取り出した。

 

「えっと…ロナウドさんのアドレスは、と…。件名、軽犯罪法第1条23号について。…上記の件について心当たりがあるかと存じます。被疑者の逃走を見逃した貴殿には、彼らに出頭するよう勧めることを進言いたします。事を荒立てたくはありませんが、もし出頭しないようであれば、当方は証拠物件を揃え、事件を公にし、それなりの制裁をするつもりでおりますので、あしからず…っと」

 

ミヤビはそう呟きながらメールを打った。

言葉遣いは丁寧だが、それが逆に“制裁”がどのようなものになるかを想像させて恐怖心を誘う。

 

「あ、…追伸、転送ターミナルはロナウドさんとジョーさんに限って使用できるようにしておきますので…っと。これで良いわ」

 

そしてメールを送信した。

追伸でジョーの名前を出したのは、犯人が彼だとわかっているのだと匂わせるためだ。

 

「さあ、これで面白いことになるはずですよ。彼らが来るまでわたしたちは制裁の方法でも考えておきましょう」

 

とても楽しそうに言うミヤビに、ヒナコたちは少しだけ怖れを抱いた。

そして全員が思った。ヤマトがミヤビのことを一番頼りにしているのは当然で、彼女は絶対に敵に回したくない人物である、と。

 

 

 

 

それから20分ほどしてダイチとジョーとロナウドがミヤビの部屋を訪ねて来た。

3人とも憔悴しきったような顔をしており、ミヤビのメールは相当効果があったように思える。

ミヤビは彼らを部屋に招き入れ、床に正座させた。

そしてヒナコたちと一緒に彼らをぐるりと取り囲む。

一番に口を開いたのはロナウドだった。

 

「みんな、すまない。彼らのしたことは許されない行為であり、俺は犯行に加担はしていないが犯人蔵匿したのは事実だ。だからこうして謝りに来た。…ほら、お前たちも謝れ」

 

そう言ってダイチとジョーの頭を押さえつけて無理やり下げさせた。

 

「ごめんなさい! もう二度としません!」

 

「ごめんね、みんな。悪気があったわけじゃないんだ。許してよ」

 

ダイチは必死だが、ジョーは相変わらず不真面目で反省している様子が見えない。

 

「そんなんでウチらが許すと思ってんの?」

 

「あたしは許さないわ」

 

「わたしも罰は受けてもらうべきだと思います」

 

ヒナコ、アイリ、イオが腕組みをしながら、彼らを見下ろすようにしてそれぞれ言う。

そこでミヤビが居丈高に続けた。

 

「現在、ジプスは災害措置特別法第404条によって警察と同等の権限を持っております。ダイチさんとジョーさんの行為は軽犯罪法第1条23号に該当し、おふたりを拘留又は科料に処する権限がジプス東京支局長のわたしにはあります」

 

「「…」」

 

「ですが、わたしたちはおふたりを拘留したり科料を徴収する気はありません。そんなことをしても無意味だからです。そこで『ハンムラビ法典』の『目には目を、歯には歯を』を引用させていただきます」

 

「それって…どういうこと…?」

 

ミヤビの大げさな演技にビビるジョーが訊く。

 

「裸を見たものは、裸にひん剥かれる…に決まってるじゃありませんか」

 

そう言ってにっこりと微笑んだ。

彼女の背後に黒いオーラが見えたような気がしたのは惨めな男たちだけではなかったようで、ヒナコたちも少し怯えたように一歩退いた。

 

「わたしは男性の服を剥ぐという趣味は持っておりませんので、自ら裸になっていただきます。おふたりに拒否権はありませんよ。逃げようとすれば罪が重くなるだけですから、おとなしく従ってくださいね」

 

「そ、そんなことでできないよ! それに『目には目を、歯には歯を』だなんて野蛮だ! ここは現代の日本だぞ。絶対反対!」

 

ダイチが叫んで反抗しようとするが、ミヤビはピシッと言い放った。

 

「それはあなたの勉強不足です。『目には目を、歯には歯を』という言葉は『やられたら、やりかえせ』の意味で使われたり、復讐を認める野蛮な規定の典型と解されたりすることが一般的ですけど、『倍返しのような過剰な報復を禁じ、同等の懲罰に留めて報復合戦の拡大を防ぐ』という、あらかじめ犯罪に対応する刑罰の限界を定めることが本来の意味とされています。ちなみにこれを『罪刑法定主義』と呼びます」

 

「…」

 

ここでダイチは自分がミヤビに絶対に勝てないことを悟った。

しかしジョーは諦めていない。

 

「だけど俺たちは自首したんだぜ。罪一等減じてくれてもいいんじゃない?」

 

しかしここでもミヤビの完璧な理論で彼を打ち負かした。

 

「法律上の自首が成立するためには、“罪を犯した者が捜査機関に発覚する前”に自首することが必要です。しかし犯行は既に発覚し、こちらは被疑者を確定しております。よっておふたりがここへ来たことは、わたしの警告メールを見たロナウドさんによって出頭させられただけ。自ら謝罪したことで罪を認めただけですから、自首にはなりません」

 

「…」

 

ダイチとジョーは覚悟を決めたようで、シャツのボタンに手をかけた。

そして上半身だけ裸になると、恥ずかしそうに俯いた。

しかし女性陣は許してはくれない。

 

「パンツ一丁になるのが筋ってもんやないの?」

 

「あたしたちは着替えているとこを見られたのよ。そんなことだけじゃ許さないわ!」

 

ヒナコとアイリの言葉にミヤビとイオが頷く。

腕を組んで仁王立ちになっている女子4人に囲まれて、ダイチとジョーは青菜に塩の状態だ。

 

「なあ、君たち。それくらいにしてやってくれないか…」

 

ロナウドが助け舟を出そうとするが、ミヤビに睨まれた。

 

「お得意の弱者救済ですか? ここで懲罰をやめることはできますが、それではここにいる女性たちの気が収まりません。明日以降も悪魔やセプテントリオンが襲来します。その時に覗きの件のわだかまりが残っていて協力し合えなかったらどうなりますか? 想像してみてください…みなさんが悪魔の集団にボコられている時、女性陣の助けが一切なかったらどうなるでしょうね。わたしは助ける気はありませんけど、ヒナコさんたちはどうですか?」

 

ミヤビがヒナコたちに訊くと、それぞれが答えた。

 

「あたしは絶対に助けない。ノゾキ魔なんて悪魔よりタチが悪いもの」

 

「同感や」

 

「わたしもです」

 

「ご覧のとおりです。ならばむしろここですっきりさせてしまった方が良いとは考えられませんか? わたしたちはジョーさんとダイチさんを辱めたいのではありません。女性が裸を見られるということがどれだけ恥ずかしいか、またそれが心の傷になるのかを身をもって知っていただきたいだけです」

 

「そうや。女子が裸見られたんやで。どんなに傷ついてしもたかわからんやろ?」

 

「そーよ、そーよ」

 

ヒナコとアイリが口々に言い、最後にイオが止めを刺した。

 

「志島君…あなたがそんな卑怯で弱虫な人だったなんて…幻滅しました」

 

「新田…さん…」

 

イオに気のあるダイチにとってこのひと言は心臓をえぐるだけの効果があったらしく、がっくりとうなだれてしまっている。

それを見たミヤビはヒナコたちに言った。

 

「ダイチさんはこのくらいにしておきましょう。深く反省しているようですし、なにしろ未成年です。彼はジョーさんという悪い大人に唆されただけでしょうから」

 

「そやね」

 

ヒナコの言葉にアイリとイオも頷く。

そして視線をジョーに向けた。

 

「な、何する気だ!?」

 

「別にウチらはあんたのきしょい裸なんて見とうない。そやけど『目には目を、歯には歯を』ゆうたら他に方法はあらへん」

 

「そーよ。男なら根性出して脱いじゃいなさい。できないならあたしたちが脱がしてあげるわ」

 

「乱暴なことはしたくありませんけど、自分でやらないなら仕方がありませんね」

 

ヒナコたちはジョーを追い詰めるが、ここでミヤビが女性陣を制止した。

 

「ちょっと待ってください、みなさん」

 

「へ?」

 

ジョーが唖然とする。

これまでずっと自分を責めてきたミヤビが守ってくれようとしているからだ。

しかしそんなはずがあるわけない。

 

「ジョーさんは自分の犯した罪が裸になるという程度で許されるようなものではないと考えているのかもしれません。彼はすべての弱者を救い、平等な世界を創ろうとして奔走しているほどの人物です。きっと自らにもっと重い罰を与え、それによって贖罪としようと考えているのでしょう。彼自身が罪の重さに相応しい罰を自らに与えるのを、わたしたちは生暖かい目で見守りませんか?」

 

ミヤビの言葉は慈悲深いものに聞こえるが、その言葉の裏には「これだけで済まそうなんて思ってないわよね? わたしたちが納得しないと、相応の報復をするから承知しておいて」という意味が含まれている。

さすがのジョーも彼女の氷のオーラに怯え、慌ててスラックスを脱ぎだした。

そしてトランクス1枚になって土下座をする。

これ以上彼女を怒らせたら、裸になる以上にとんでもない罰を与えられると察したからだ。

 

「ごめんなさい! もう二度としませんからお許し下さい!」

 

大の男がチワワのようにプルプル震えている姿は滑稽だ。

もうこれくらいで勘弁してやろうと、ミヤビがヒナコたちに目配せした。

 

「もうこれくらいで結構ですよ」

 

「ホント?」

 

ジョーがミヤビを見上げた。

 

「これで手打ちにしましょう。わたしたちはジョーさん、ダイチさん、ロナウドさんに対してこの件を根に持って嫌ったりしませんから、ご安心ください♡」

 

ミヤビがこれ以上ないというくらいの作り笑顔で微笑むと、ダイチとジョーは顔面蒼白となり、脱いだ服を抱えて脱兎のごとく部屋から飛び出して行った。

それをロナウドが追いかけて行く。

その様子を見たミヤビが不機嫌な顔で言った。

 

「まるでセプテントリオンに遭遇したみたいな顔をして逃げて行きましたね。失礼だと思いませんか、ね、みなさん?」

 

するとヒナコが答えた。

 

「そ、そうやね…。さて、もう夜も遅いし、帰ろか?」

 

「そうだね。早く帰って寝よ」

 

「ええ。ミヤビさん、遅くまでお邪魔してすみませんでした。おやすみなさい」

 

女子3人も逃げるように部屋を出て行った。

そしてミヤビがひとり取り残される。

 

(何か気に障ることでもあったのかしら?でも楽しい女子会ができて良かった。良い気分転換になったもの♡)

 

ヒナコたちの真実をミヤビは知る由もなかった。

 

 

 






「健康診断覗き見事件」は犯人も見つかり、改心したようなのでいちおう大団円ということになります。

ヒロインが黒いオーラを出しまくっていますが、本人はまったくの無自覚です。
けっして悪い子ではありません。誤解しないでやってください。




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5th Day 驚愕の木曜日 -1-



再びシリアスパートになります。
原作でもアリオト戦は好きです。
アイリとカーマの、またヤマトとカーマのやり取りは、本人(特にカーマ)が大真面目なだけあって面白いと思います。

しかしこの日から仲間たちの確執や分裂が表立ってきます。
それをヒロインがどういう選択をするのか、どう立ち回るのかが見所になってくるでしょう。





 

 

朝食を終えたミヤビは地上へ出た。

特に深い意味はなく、単に気分転換に外の空気を吸いたいと思ったからだ。

しかし地上で目にしたものは、気分転換になるどころか恐怖で身が竦むものだった。

 

「空が…ない…!?」

 

東の空からは日が昇っているのだが、南の空は闇のように暗いのだ。

ミヤビはスザクを呼び出すと、その背中に飛び乗って空へ舞い上がった。

そして東京湾上空へやって来た時、彼女はそこにあるはずのものがないことに気づいた。

東京湾の向こうにある房総半島の南側の部分が見当たらない。三浦半島の先の部分も消えている。

まるで漆黒の闇に飲まれてしまったかのようで、彼女はその光景に恐怖した。

これが〈無〉なのだ。

ヤマトから聞かされてはいたが、彼女が実際に〈無〉を目にしたのは初めてのこと。

セプテントリオンと対峙した時よりも恐ろしいと感じていた。

ギリギリまで近づいて調べようと思うが、危険を知らせる本能が彼女を行かせようとはしなかった。

 

(無 ── すべての存在、概念そのものが消されてしまうということ。これまで築き上げてきた人類の過去、現在、未来…そのすべてが消えてしまう。ポラリスは徹底的に人類を滅ぼしたいらしい。その存在を完璧なまでに消し去ろうというのね)

 

この無の侵食を食い止めているのがジプスの本局及び支局のある都市の各タワーである。

そのタワーを使って龍脈を吸い上げ、その力で結界を張っている。

現在、ジプスの支局がある別府と福岡の両都市とは連絡が途絶えていて、札幌はかろうじてジプスとタワーの機能だけは生きている。

タワーのない場所はすでに無に飲まれていて、跡形もなく消えてしまっていた。

つまり国土の殆どがすでに”ない”ということである。

 

無の侵食という恐ろしい現実を知っているのはジプス局員のみ。

民間人協力者には知らされていない。

知る必要はなく、知ったところで何もできないのだからというヤマトの方針であった。

たしかに無用な混乱を招くよりは何も知らせないでおいた方が士気の低下を防ぐことはできるだろう。

しかし事実を知った時、民間人協力者たちはヤマトのやり方を容認できるものだろうか…

 

 

 

 

「ヤマト様、無の侵食が進んでいるようです。すでに房総半島が半分近く消えていました」

 

ミヤビはすぐに局長室へ向かうと、ヤマトに見てきたことを報告した。

 

「そうか…しかしそれも想定内のことだ。無の侵食はこれ以上手の打ちようがないが、東京タワーの機能が無事である限り、結界が我々と東京という街を守ってくれる。それよりも今はセプテントリオンとの戦いに専念しろ」

 

「はい」

 

「これを見ろ。本日未明より東京都西部から中央部にかけての地域で神経毒による死亡者が発生しているとの報告があった」

 

ヤマトは手元にあった書面をミヤビに手渡した。

 

「これは…!?」

 

報告のあった地点は西から東に一直線になっており、都心部に向かっているのは明白だった。

 

「おそらくセプテントリオン…アリオトの仕業なのだろうが姿が見えない」

 

「どういうことですか?」

 

「推測だが、奴は空にいる」

 

「空?」

 

「ああ。そして奴は東京タワーを目指して真っ直ぐに向かって来ている」

 

「つまり大阪のメラクのように直にタワーを破壊して、結界を無効化しようということですね?」

 

「そのとおりだ。…東京タワーへ向かうぞ」

 

「了解しました」

 

ミヤビはヤマトの後を追って地上へと向かった。

 

 

 

 

芝公園でヤマトとミヤビが共に空を眺めていると、マコトがジプス局員やダイチたちを引き連れてやって来た。

ヤマトがアリオトについて説明を始めたが、しばらくすると突然空から何か落ちて来た。

落下物は毒々しい色をした塊で、ひとりの男性局員が調べることになったが、触れたとたんにそれは爆発した。

男性局員は急いで支局の医務室に運ばれたが、一命を取り留めるかどうかは不明だ。

しかし彼のおかげで重要な情報が手に入った。

これまでの神経毒による死亡事件の原因はこの毒素の塊であることはまず間違いない。

 

「各自戦闘態勢! 私は敵の所在を把握するために座標を観測する」

 

ヤマトの一声で、ミヤビとマコトたちは戦闘態勢に入った。

より正確な観測のためにヤマトは複数の座標を調べなければならず、その間彼は無防備となる。

さらにあの毒素が再び落ちて来る可能性もある上に、悪魔の出現もありうる。

毒素の塊が落ちて来た場合は毒が散布される前に破壊しなければならない。

 

「私の護衛はミヤビに任せる。他の者は迫の指示に従え」

 

ヤマトが指示を出した次の瞬間、すぐ近くに毒素の塊が落ちて来た。

 

作戦が始まった。

ヤマトに迫る悪魔はビャッコの雷撃とミヤビの魔法で、落下してくる毒素の塊は空中でスザクが焼き払う。

 

「毒素はさすがに厄介だな」

 

観測しながらヤマトがふと呟いた。

それを悪魔と戦いながらも彼の一挙一動をつぶさに観察しているミヤビは聞き逃さなかった。

 

「大丈夫ですか?」

 

「問題ない。次に向かうぞ」

 

公園内に落下した毒素の塊はマコトの的確な指示で民間人協力者たちが撃破し、散布を未然に防いでいる。

悪魔の群れもここ数日で急成長した悪魔使いたちの前になすすべがない。

 

そしてヤマトの観測は無事終了し、全員が再び芝公園広場に集合した。

 

「データ入力完了、座標算出、スキャン開始…出るぞ」

 

ヤマトが観測で得られたデータを携帯端末に入力すると、アリオトの正体が明らかになった。

モニターに映ったのは巨大な躯体である。

雲に隠れて姿は見えないが渋谷の上空にいるらしい。

そしてこちらへ真っ直ぐ向かって来ている。

 

「…まずいですね」

 

ミヤビが呟くと同時に、ヤマトはすぐに司令室にいる局員に連絡した。

 

「タワーの電源を切れ! 結界を一時凍結する」

 

ミヤビは驚いたがすぐにその意図を理解した。

アリオトの目的はタワーの破壊。

ここで電源を切って結界を凍結すればアリオトは攻撃目標を見失って東京タワーを素通りする。

多少の被害は出るが破壊されるよりずっとマシだ。

しかし通信回線に障害が出ていて司令室への連絡がつかない。

このままでは東京タワーが攻撃を受け、結界を失った東京は無防備の状態でアリオトの攻撃を受けることになるだろう。

ミヤビは神に祈った。どうか無事タワーの電源を落とせますように、と。

しかしその神 ── 管理者ポラリスこそが彼女たちに試練を与えている元凶なのだ。

 

すぐに通信は復旧し、東京タワーの電源も無事に落とすことができた。

おかげでアリオトは東京タワーを素通りし、今度は北上し始めた。

現在稼働しているタワーは大阪、名古屋、東京、そして札幌。

アリオトは次の標的を札幌に変えたのだ。

このまま放っておくとアリオトは確実に札幌のテレビ塔を破壊するだろう。

東京タワーの電源もいつまでも切っておけない。

先にアリオトを倒さないとまた舞い戻って来るはずだ。

そして大きな問題が判明した。アリオトの高度が悪魔の使役範囲を超えているのだ。

そこで手の空いている局員と民間人協力者は各々アリオトを撃ち落とす方法を探すことになった。

そしてミヤビはヤマトと共に大阪本局の書庫で参考になりそうな文献を漁ることにした。

 

 

 

 

ヤマトとミヤビは書庫で神話や伝説などの本を中心に様々な分野のものを読み漁っていた。

床に直に座り、夢中でページをめくっていたが、なかなか良い方法が見つからないでいる。

しばらくして集中力が途切れると、ミヤビは彼女らしくなくぼやいた。

 

「…ったく、とんでもないチートキャラが出てきたわね。まだ5体目じゃないの」

 

するとそれを聞いていたヤマトが怪訝そうな顔で訊いてきた。

 

「チート…イカサマのことか?」

 

「いいえ、少し違います。ヤマト様のおっしゃるように本来の意味はイカサマとか騙すというものですが、そこから転じて家庭用ゲーム機等におけるデータを不正に改造する意味の言葉として使われるそうです。実際にチートしていないものでも、強力すぎる性能を持つキャラクター・アイテム・必殺技などを揶揄してチートと呼ぶのだと、ダイチさんに教えてもらいました」

 

「つまり『ずるいほど強い』ということだな?」

 

「そのとおりです。セプテントリオンに対する唯一の武器が悪魔であり、その悪魔の使役範囲を超えているというのですから、ずるいと言うしかありません」

 

「ふむ…俗世では面白い言葉を使っているのだな。たしかに核兵器すら効かぬというのだ、このままでは我々人類は手も足も出せぬ」

 

「もっとも核兵器に効果があるとしても、日本に核兵器は存在しないということになっていますから使えませんけど。…本当のところはどうなんでしょうね?」

 

「フッ…さあな」

 

そんな無駄話をしながら、ミヤビは書棚からインド神話の本を抜き出して床に座り直した。

彼女の横にはギリシア神話や北欧神話について書かれた本が積み重ねられている。

彼女は巨人が登場する伝説を中心に読んでいた。高度が足りないならその分を悪魔の大きさで補うという考えなのだ。

ヒンドゥー教の叙事詩「ラーマーヤナ」にはクンバカルナという巨人が登場する。

彼女はそれに期待をして読んでいくが、どうやら使い物にはなりそうもなかったらしく、ため息をついてしまった。

 

それから数分ほどしてミヤビの目はある神の名の上で止まった。

 

「シヴァ…」

 

彼女の口から思わず声が漏れる。

シヴァとはヒンドゥー教における三大最高神のひとりで、世界の破壊と創造を司る神だ。

 

「ヤマト様、パスパタはどうでしょうか!?」

 

「…なるほどな」

 

ヤマトにはミヤビの提案がすぐに理解できた。

破壊神シヴァと愛欲の神カーマとのエピソードは有名だ。

シヴァがカイラス山で瞑想をしていた時のことである。カーマはインドラ神の命を受け、シヴァを瞑想から覚まし、女神パールヴァティと結びつけるために欲望の矢をシヴァに向けて射った。カーマの矢は見事シヴァに突き刺さり、シヴァは瞑想から目を覚ましたのだが、修行を邪魔されたことに激怒したシヴァは、第三の目から炎の槍(=パスパタ)を放ち、カーマを焼き殺してしまったというもの。その神話を現代の日本で再現しようというのだ。

幸いパスパタに必要な悪魔であるシヴァとカーマはジプス東京支局に封印されていた。

問題は呼び出すための人材だが、ヤマトには名案があった。

ヒナコにシヴァを、アイリにカーマを召喚させるというのだ。

舞いを好むシヴァの召喚にヒナコが適任なのはわかるが、カーマの召喚になぜアイリが採用されるのかミヤビには不可解だった。

 

「九条流次期家元候補のヒナコさんならシヴァの召喚は適任ですが、カーマに対してアイリさんでは役不足じゃないでしょうか? 色気ならフミさんとかマコトさんの方が適任のような気がしますけど」

 

ミヤビが正直な気持ちを言った。

 

(カーマは若い娘を好むというけど、アイリさんは若いというよりまだ子供じゃないの。若いと幼いは意味が違う気がするけど。…まさか20代半ばのマコトさんはともかく、前半のフミさんでさえもう年増だというの? カーマってロリコンなの!?)

 

などと考えていると、ヤマトがにやりと笑って言う。

 

「カーマなら問題はない。ああ、九条と伴の説得はお前に任せる。九条は問題ないだろうが、もし伴が使えないのであればカーマの召喚はお前がやれ。菅野のようにチャイナドレスを着るとか、水着になるとか…、とにかくお前のやりたいようにやってかまわぬ。結果さえ出せばな」

 

そう言ってヤマトは意味深な笑みを浮かべた。

 

「絶対にアイリさんを説得して、カーマ召喚を成功させてみせます!」

 

ミヤビは両手をぎゅっと握って力強く宣言した。

 

 

 

 

シヴァの召喚は首尾よく成功した。

さすがは日舞の名門九条流次期家元候補の舞、シヴァも大満足のようだった。

しかしカーマ召喚についてはいろいろと問題があり、少々手間取ることなった。

まずは嫌がるアイリに対して、ミヤビは彼女の好物である小倉トーストとチーズハンバーグを昼食に用意することで承知させた。

それでも不安は残り、ミヤビは最悪の状況を考慮してチャイナドレスと水着を用意しておいた。

彼女がそれらを使用せずに済むか否かはアイリの腕(?)次第だ。

 

召喚の準備ができたところで、アイリが彼女なりの”色気”でカーマを呼び出そうとするのだが、その努力も虚しくナシのつぶてであった。

その場に居合わせたジプス局員たちの間には不穏な空気が漂い、彼らの視線はミヤビに向けられた。

その視線の意味は「色気ならアイリよりミヤビの方がイイんじゃね?」というものだ。

ミヤビはその視線に対してブンブンと首を横に振ったが、すぐに自分の果たすべき責務を思い出した。

しぶしぶ用意したチャイナドレスを取り出そうとした時だった。

アイリが最後の手段とばかりに服を脱ごうとして、セーラー服の上着に手をかけた。

すると彼女のヘソがチラリと見え、それに呼応するかのように魔法陣の中からカーマが現れた。

カーマ曰く「おヘソは永遠の輝き」とかで、アイリはカーマ好みのヘソをしており、意外にも適任だったということが判明したのだ。

ただしカーマが容姿や色気でなくヘソにしか興味がなかったということにアイリは腹が立ったようだ。

 

さらにカーマが召喚できたことでひと安心したのも束の間、シヴァに矢を射ることを頼まれると態度が急変した。

かつてシヴァにパスパタを撃たれたことが相当なトラウマになっているようで、いくら頼んでも協力を渋っている。

おまけに逃げ出そうとしたものだから、アイリを筆頭に局員全員でカーマを取り押さえてボコボコにした。

龍脈を利用した鎖でカーマを拘束し、後はジプス局員に任せることにして、ミヤビはご機嫌ななめのアイリを宥める役を買って出た。

 

「ああもう…カーマの奴…ムカつく!」

 

プンプンしているアイリに近づき、ミヤビが優しく言った。

 

「カーマのことはもう忘れましょう。芸術の神アテナや音楽の神ミューズなら、アイリさんの才能やセンスを理解できるでしょうけど、ヘソフェチの変態悪魔にアイリさんの真の良さがわかるはずないんです」

 

「そう…そうよね!? あたしはアーティストだもの、本来ならお色気で男の気を引くなんて下品なことしないのよ。あたしはヒナコと違うんだから。そういうことだから、あんなエロいことはもう絶対にお断り。いい?」

 

「はい。もちろん今回限りです。もう二度とこんなことをお願いしません。ありがとう、アイリさん。おかげでアリオト対策はこれで完璧です」

 

「…うん。良かった」

 

ミヤビに愚痴を言ったことでスッキリしたアイリはやっと笑顔を取り戻した。

そんな彼女にミヤビは礼を言う。

 

「あと個人的にもお礼を言わせてください。ありがとうございました」

 

「どういうこと?」

 

「アイリさんが頑張ってくれたおかげで、わたしがチャイナドレスや水着を着ないで済みましたから」

 

ミヤビがそう言うと、アイリは哀れみの視線で言った。

チャイナドレス云々は本人の意思ではなく、ヤマトの命令なのだろうと容易に察せられたからだ。

 

「…ミヤビもいろいろと大変なんだね」

 

「ええ」

 

ミヤビは本気で安堵していた。しかしひとつ疑問が生じた。

 

(なぜヤマト様はカーマがヘソフェチであること、さらにアイリさんのおへそがカーマ好みのものであることを知っていらっしゃったのかしら? 仮にカーマのことは伝承にあったとしても、アイリさんのおへそのことはわからないはず。…まさか更衣室に監視カメラがあって、その映像をチェックしていたとでもいうのかしら? アイリさんを指名したのはヤマト様。根拠もなくこんな大切な作戦に彼女を投入するはずもないわ。そうなると、ヤマト様は更衣室内の映像を見ていたと考えるしかないわよね…)

 

そんな考えが浮かんだ途端、彼女のヤマトに対する絶対的な信頼が僅かに崩れた。

しかしそれもほんの一瞬のことだった。

 

(で、でもそれはジョーさんやダイチさんのようなスケベ心による痴漢行為ではなく、作戦遂行のための立派なお仕事だったのよ! そう、あのヤマト様が不純な気持ちで女性の裸を見るはずがないもの!)

 

ヤマトが更衣室の映像を見ていたのは事実である。

もちろん女性陣の裸が見たいわけではなく、自分の心の中の大部分を占めるひとりの少女の行動が気になっていて、館内の監視カメラの映像を時間が許す限りチェックしていただけだ。

その中でアイリがカーマ召喚に適任だということを知った。つまり偶然の産物である。

ヤマトのミヤビに対するストーカー的な行動が運良く功を奏したというのが真相であった。

もちろんこの真実をミヤビ本人が知ることはない永遠にない。

 

その後、ヤマトはカーマを連れて札幌へ向い、ミヤビはシヴァをセッティングした後に札幌入りした。

 

 

 

 

札幌・大通公園でヤマトがミヤビを待っていた。

札幌はすでに冬の様相で、東京に比べてかなり肌寒い。

厚い雪雲が頭上を覆い、上空の様子はまったくわからない。

ミヤビはジプスのコートが初めて役に立ったと感じ、白い息を吐きながらヤマトのもとへ駆け寄った。

 

「お待たせしました、ヤマト様」

 

「シヴァの方は問題ないな?」

 

「はい、完璧です」

 

現在、札幌にヤマトたちジプス関係者以外の人間はない。既に死の街と化してしまっているのだ。

ポラリスの一撃による大地震は全国各地に大きな被害をもたらした。

悪魔の出現や暴動などは他の地域も同じことが起きているのだが、札幌だけは少し違っていた。

《審判の日》当日、大通公園でひとりの男が「間もなく人類が絶滅する」と叫んだ。

もちろん誰も信じなかったが、その直後に大地震が起きた。

混乱する市民にその男は、「この災害は日本国政府の陰謀だ」と喧伝し、市民の暴動が発生したのだ。

その暴動を制圧しようとした自衛隊と警察、及び数百人の市民が無駄な血を流した。

さらに悪魔の出現を神の怒りだとして、謎の宗教家が市民にデマを吹聴。

絶望した市民は自ら命を絶つという最悪の事態に陥ってしまったのだった。

それだけで札幌市の人口の約半分が消え、残りの半分は悪魔による襲撃によって消えていったという経緯がある。

なぜ男が《神の審判》のことを知っていたのかはわからないが、もしセプテントリオンの侵略やジプスの存在が事前に知られていたら、全国規模で同様の悲劇が起きていたことだろう。

そのことを思うと胸が押し潰されるように苦しいが、それ以上に残った命をひとつでも無駄にできないと、ミヤビは身を引き締めた。

 

 

 

 

「さて、そろそろ撃墜作戦を開始するか」

 

ヤマトがシヴァ側にいるマコトに連絡を取り、シヴァの準備をさせていた。

ヒナコが召喚した時のように日舞を踊り、シヴァのご機嫌取りをする。

問題はヤマトたちの眼前にいるカーマだった。

龍脈の力を封じた戒めの鎖で身体を縛り、身動きできないよう固定されている。

ヤマトは身動きできないカーマに言う。

 

「さて、わかっているな? 貴様の役目は ── 」

 

「ヤ~ダ、なのネ~。シヴァなんか撃ったら、こっちが殺されちまうのネ~!」

 

ここまできてもまだカーマは協力を渋っていた。

 

「…」

 

ヤマトが無言でポケットから携帯を出すと、周りを囲んでいたジプス局員が一斉に携帯をかまえた。

それに反応してカーマは逃げようとして暴れるがまったく効果はない。

そんなカーマにヤマトが黒い笑みを浮かべて言った。

 

「失礼した。状況が見えなければ改めて説明するが…」

 

「ちょっ…待て! 待つのネ、人の子よ! 貴様は悪魔なのネ~!」

 

悪魔に悪魔と言われては世話ない。

可哀想だとは思うが、他に手段がない以上勘弁してもらうしかないのだ。

ミヤビはそう思いながら黙って状況を見守っている。

 

「交渉する気はない。さて、どうする? 選ぶのはお前だ」

 

「う~…なのネ。…ひ、ひとつだけ確認っ! シヴァたぶん怒るのネ、そしたら貴様カーマを守るか、なのネ~」

 

「無論だ。貴様が私の役に立つのなら、それなりの礼儀で接するさ」

 

(ヤマト様も人が悪い)

 

ミヤビは心の中で苦笑した。

彼女はこの作戦内容を知っており、カーマがどうなるかわかっているからだ。

シヴァのパスパタが放たれたと同時にカーマを上空へ放ち、アリオトのコア付近に到達した瞬間に射抜かれる。

そしてパスパタはアリオトのコアをも同時に射抜くことになるのだ。

 

しばらくしてカーマは渋々だが承知した。

 

「う~…よし、やるのネ。どうせやるなら、潔くなのネ」

 

「期待しているぞ」

 

ヤマトはにやりと笑うと作戦開始の号令を発した。

 

「作戦開始!」

 

作戦が開始された。

まずカーマが矢を放つ。

続いて「着弾まで30秒」という報告の次の瞬間、ヤマトはジプス局員たちに退避を告げた。

 

「総員、退避!」

 

「や、約束が違うのネ!?」

 

ヤマトたちが逃げようとしているのを見て、カーマが慌てる。

 

「いや、違わない。貴様亡き後の日本は必ず守る。この国の礎になることを誇りに思いたまえ」

 

ヤマトが地面に固定していたカーマを解き放った。

戒めを解かれたカーマは勢い良く上昇していく。

それを見上げながらミヤビは心の中で呟いた。

 

(ヤマト様がおっしゃったようにあなたの犠牲には、わたしたちがより良い社会を創ることで報いますから)

 

数秒後、上空から轟音が響いた。

カーマの断末魔の悲鳴はそれにかき消されてしまったようで地上には届かなかった。

様子は見えないが、気配で成功したことは地上からでもわかった。

 

「うまくいったようだな。急いで避難するぞ」

 

「はい」

 

最後までその場で状況を確認していたヤマトとミヤビも急いで札幌支局まで退避したのだった。

 

ヤマトとミヤビ、及びジプス局員全員が転送ターミナルまで避難した直後、アリオト本体の落下で大きな地響きが起きた。

アリオトは撃墜できたのだが、落下の衝撃によって外殻が破壊され、地上は毒素が蔓延していた。

とはいえ分析の結果、毒素の成分はごく弱いもので時間が経てば人が活動できる程度になるということだ。

 

「残るコアを討ち、トドメを刺すぞ」

 

「了解です。…それで、解毒剤の方は?」

 

「もう用意してある」

 

アリオトと戦うのに必要不可欠といえる解毒剤。毒素の塊を壊しながらでは作戦に支障が出るため、東京に落ちた毒素の成分を分析して急遽解毒剤を作製しておいたのだ。

 

「では作戦の指揮はわたしに任せてください」

 

ミヤビはアリオト戦では何の役にも立てなかったと、自らすすんで最後の後始末を引き受けることにした。

ダイチ、イオ、ジュンゴ、ケイタを札幌へ呼び寄せ、無事にアリオトコアを撃破した。

しかし全長50キロメートルという巨大な本体が地上に落下したことで、人的被害はゼロであったが、札幌の街は灰燼に帰したのだった。

 

 

 






アリオトが札幌の街に落下した光景は、東京支局の司令室で全員が目撃していました。
そのことでヤマトと民間人協力者たちの間には軋轢が生じます。

悪魔やセプテントリオンとの戦闘よりも、人間同士の対立や心情を描く方が難しいけど楽ですね。




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5th Day 驚愕の木曜日 -2-

夜、ヤマトは招集を断ったロナウドとジョーを除いた局員・民間人協力者たちと共に、東京支局において晩餐会を開いた。

ヤマトとフミは豪勢な料理に普通に手をつけているが、他のメンバーは食事などできる気分ではなかった。

特にこれまで燻っていた両者の対立が本格化することを危惧していたミヤビにとっては食欲が湧くどころか胃がキリキリと痛んでくるのを感じるほどだ。

 

「これはどういう趣旨の集まりなの?」

 

アイリが訊くと、ヤマトはさも当然という顔で答える。

 

「諸君らの働きで第5のセプテントリオンまで倒すことができた。その慰労を兼ねた晩餐だ」

 

「食料にも困ってる人がたくさんいるのに、こんな豪華な料理、よく出せるよね」

 

アイリの言葉はみんなの気持ちでもあった。

災厄の発生から5日目ではまださすがに餓死する人は出ていないだろうが、多くの被災者が十分な食料を得られずに空腹に耐えかねているはずなのだ。

ロナウドがこの光景を見たら激昂するのは間違いない。

 

「我々の働きからすればこの程度は当然の権利だ。気が向かないなら食べなくてもかまわぬ。残飯として処理するだけだ」

 

ヤマトの言葉に誰もがカチンときているのはわかるが、彼に口ごたえして勝てる自信がないのかみんな黙ってしまった。

しかしひとりだけヤマトに喰ってかかった者がいた。ヒナコだ。

 

「局長さん、説明はせぇへんの?」

 

「説明? 何のだ?」

 

「アリオトの件や。札幌があんなんなるやて、ウチらはひと言も聞ぃとらへん」

 

「ああ、言わなかったからな」

 

ヤマトの言い方は他人の気持ちを逆撫ですることが多い。

わざとやっているわけではないのだが、もう少し口の利きようというものがあるはずだ。

無用な軋轢をなくすためにも態度を改めてほしいとミヤビは思うのだが、口に出すことはないのでその気持ちがヤマトに伝わることはない。

 

「初めから札幌を犠牲にする気やったな?」

 

「どうせ計画を明かせば無駄な議論が生じる。だから伝えなかっただけだ」

 

「札幌の人たちが生きるか死ぬかの問題が無駄やて!?」

 

「セプテントリオンの殲滅は時間との勝負だ。遅れれば遅れるほど被害は拡大する。先の戦いで判断を躊躇していれば、札幌はアリオトの爆撃を受け、どのみち被害を受けていた。…それに札幌はあの時点で無人だった」

 

「無人って、どういうことやねん?」

 

「言葉のままだ。意味を説明するまでもない」

 

「…」

 

そう…説明する必要などないのだ。

その場にいた全員が札幌で起きた悲劇について悟った。その証拠に表情が強張る。

 

「感情は捨て、大局を見ろ」

 

そう言ってヤマトは部下を呼んでモニターを用意させた。

 

「これを見ろ。これは一昨日に福岡市内で撮影されたものだ」

 

モニターには倒壊した福岡タワーと、〈無〉に侵食された市街地の様子が映し出されている。

誰もがこの怖ろしい光景に息を呑んだ。

 

「貴様らは結界で守られた区域にいるため、目の当たりにしたことはないだろうが、この世界の大半はすでに福岡のように無に飲まれ、その存在は消失している」

 

「消失って、どういうことだよ?」

 

ダイチが訊く。

 

「言葉のとおり消えたのだよ。…志島、結界は何から街を守っていたと思う? 悪魔か? 災害か?」

 

「…」

 

「悪魔や災害で破壊されたものは人の手で再建できる。だが存在が消えたものを、どう甦らせる?」

 

「俺にわかるかよ」

 

「フッ…簡単だ。新たな形で世界を再興する」

 

「世界を…再興?…新たな形って…何をするつもりなんや?」

 

妙な胸騒ぎを覚えたヒナコが身を乗り出してヤマトに訊いた。

 

「世界に新たな秩序を与え、生まれ変わらせるのだよ。これまでの秩序など取り戻す必要などない。知恵、知識、力、その全てを持つ優秀な個体にのみ生きる資格がある。つまり優れた者が正しく統治する実力主義の社会を創造するのだ」

 

「何やて!?」

 

ここでヤマトは突然立ち上がった。

 

「私はここに、実力主義を根源とする世界の創造を宣言する! 無理に従えとは言わぬ。誰ひとり従わずとも、私は私の目的を遂行するまでだ。…また私の邪魔になる者は全力で排除する」

 

水を打ったように静まり返る中、ヤマトは席を離れた。

 

「私は失礼する。諸君らは晩餐を楽しみたまえ。そして正しい選択は何か、ゆっくり考えるのだな。ああ、詳しいことを知りたいならミヤビに訊くと良い。彼女にはすべてを話してある」

 

つけ加えるように言い放ち、姿を消した。

 

ヤマトの口からミヤビの名が出たことで、その場にいたすべての人間の視線が彼女に一斉に注がれる。

 

「ミヤビ、君は知っていたのか?」

 

マコトがミヤビに問いかけた。

マコトの様子から判断すると、ヤマトの信頼が厚いとっても彼の野望については聞かされていなかったのだ。

 

「…申し訳ありません。隠すつもりはなかったんです。結果的に内緒にしていたことになりますから謝罪しますが、悪意で隠していたのではありません」

 

「それはわかっている。たぶん君のことだから仲間たちにいらぬ動揺を与えて、セプテントリオンとの戦いに影響を与えたくないと考えていたのだろ?」

 

「…」

 

ミヤビは黙って頷いた。

この事実を知れば誰もがヤマトに真相を訊こうとするはず。

彼の言うようにセプテントリオンとの戦いは一刻を争うもので、ヤマトがジプス局員にすら話さない内容を民間人相手に話すことはありえない。

ダイチやヒナコたちの言葉に対して耳を貸すどころか「クズは生きる価値などない」などと暴言を吐くかもしれない。

ミヤビはそう考えた結果、教えない方が無難だと判断したのだ。

 

「事情はどうであれ、君がわたしたちに隠し事をしていたことに変わりはない」

 

「…はい」

 

ミヤビは子供の頃からヤマトが掲げる実力主義の思想が唯一絶対のものであると教え込まれてきた。

しかし彼女は聡明で、市井の人間とも交流があったこともあり多様な価値観を得ることとなった。

だからヤマトの考えを盲信しているわけではない。

強者が弱者の上に立つことを否定せず、正しいルールに基づいた競争原理に従って「努力して結果を出した者が報われ」、「個人の価値は優れた者ひとりだけの判断ではなく、多くの人間が認めるか否かが重要」であるという考えに至った。

しかしこれもヤマトが掲げる実力主義の思想に含まれるものであり、ロナウドのように「全ての人間が平等でなければならない」と考える人間には受け入れがたいものである。

時間をかけて説明すればわかってもらえるかもしれないのだが、如何せん今は時間がない。

そこで彼女はできうる限り仲間たちと交流し、互いの絆を強固なものにすることに専念した。

仲間たちと交流し、徐々に信頼を築いていった。

それが真実を隠していたということで崩れ去っていくのだと、ミヤビは感じていた。

 

(でもわたしは後悔していない。これが最善の選択だという自信があるから。もし自分以外のすべてが敵となるとしても、わたしはヤマト様のために自分の信じた道を行くだけよ)

 

覚悟を決めたミヤビの肩をマコトがポンと軽く叩いた。

 

「苦しかっただろ?」

 

「え?」

 

「君の性格上、隠し事をするのは辛かったはずだ。これからはひとりで抱え込まずにわたしたちに打ち明けてくれ」

 

「マコトさん…」

 

「そうや。嬉しいことも哀しいことも、そして辛いことも全部分かち合ってこその仲間やないの」

 

そう言いながらヒナコがミヤビの後から抱きついて来た。

他のメンバーもそれぞれミヤビの周りを囲んで笑顔を見せる。

 

「みなさん…」

 

その気持ちが嬉しくて、ミヤビはつい涙ぐんでしまった。

 

「どうぞ、使ってください」

 

イオの差し出してくれたハンカチで頬を拭うと、ミヤビは自分の知っていることを包み隠さず話すことにした。

そこで彼女は名古屋にいるロナウドとジョーを東京支局まで来てくれるように電話で頼んだ。

 

「何を企んでいる?」

 

ロナウドはミヤビがヤマトの手先となり、誘き出そうと考えているのだ。

 

「何も企んでなどいません。これからわたしたちは自分がどうすべきかを考えることになり、いくつかある選択肢のひとつとしてあなたの考えをみなさんの前で披露してもらいたいんです。あなたの思想や行動理念については詳しく聞いていますからわたしの口から話すこともできますが、本人から直接聞く方が公平だと思うから来ていただきたいとお願いしているんです」

 

「なるほどな。君らしい考えだ。わかった、今からそちらへ行こう。30分待ってくれ」

 

ロナウドとジョーが到着するまで少し時間がある。

その間に食事を済ませてしまおうとミヤビは考えた。

しかしそこにある豪華な料理に手をつけようとする者はいない。

そこで彼女は言った。

 

「わたしたちは悪魔と戦う力を手に入れました。それは自分の望む望まないとは無関係なもので、不本意だと考えている方もいらっしゃるでしょう。ですがこの場にいる以上、戦うことは避けられません。わたしたちはこれまでに多くの人を喪いました。その人たちの無念に報いるため、そしてこれから失われようとする人命をひとつでも減らすためにわたしたちは戦うんです。この料理はただの料理ではありません。これはわたしたちが大勢の人たちの命や未来を託されている証だと思ってください。避難所で飢えている人たちに我慢をさせ、自分たちだけが豪華な食事をするというのに抵抗はあるでしょう。ですがその分を戦って、恩返しをすると思えば食べられます。いいえ、食べなければいけません。わたしたちはそれだけ重い責任を負っているんですから」

 

ミヤビの言葉はその場にいた全員の心を動かした。

彼女は正義感が強く、仲間のことを親身になって思いやり、けっして挫けない強い魂を持っているのだということをこの数日で誰もが知ることとなった。

嘘偽りのない彼女の真摯な言葉に仲間たちの心は揺り動かされ、自然に自分の席についた。そして食事を始める。

料理はヤマトが厳選した食材を専属のシェフに作らせたものだから味は抜群だ。

それぞれが今までに味わったことのない美味を堪能し、名古屋からやって来たロナウドとジョーを含めた悪魔使いたち ── ヤマトとフミはミヤビの召集に応えなかった ── は会議室に集合した。

 

 

 






次回ではロナウドの平等主義、ヤマトの実力主義のふたつの思想が提示されます。
そしてそれを聞いた仲間たちは自分がどうすべきなのかを考え始めます。

またヒロインの理屈っぽい演説が始まりますが、今度は火曜日の名古屋でのものより短いです。
短いですけど、ヤマトの側にいた彼女だからこそヤマトの目指すものをきちんと理解していて、それを説明できるわけです。




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5th Day 驚愕の木曜日 -3-

「ミヤビ君、俺はあれからいろいろ考えてみた」

 

ロナウドが真っ先にミヤビに話しかけた。

 

「たしかに君の意見には頷けるものがある。しかしいくらすべての人間に対して公平にチャンスが与えられたとしても、そのチャンスを生かすことができない者もいるのが現実だ。やはり俺はこれまでどおりに平等主義を貫くよ」

 

「ええ。それでかまわないと思います。だからこそわざわざ東京まで来てもらったんです。ここには自分がどうすべきか悩んでいる仲間たちがいます。だからあなたの考えをここで披露し、それを聞いた人がどう受け止めるか見極めてください」

 

「ああ。…俺にもチャンスを与えてくれてありがとう」

 

そう言って彼は人懐っこい笑顔を見せた。

そしてロナウドは声高らかに自らが理想とする平等主義を謳い、次いでミヤビがヤマトの考える実力主義について説明をした。

 

「ヤマト様の目指す世界というのは、知恵・力・技術などに長けた者にこそ権利が発生し、弱者は淘汰されるというものです。それだけ聞くとまるで彼が新世界の王となり、彼が支配する世界を創るのだと思ってしまうのは無理もありません」

 

そう言うと、誰もがうんうんと小さく頷いている。

 

「しかし彼は世界の支配者になりたいのではありません。彼はこの薄汚れた世界を改革し、真に力のある者の手による秩序ある美しい世界を創りたいだけなんです。これは峰津院家の人間が抱えていた苦悩と、堕落した現実を真に憂いてるからこそ至った考えであると言えます」

 

「ヤマト様は常におっしゃっていました。『現在の政治の中枢にいる連中は俗世の毒に染まり切った無能たちばかりだ。そいつらが官僚たちと手を組んで私腹を肥やし、どれだけこの国を食いものにしてきたか。奴らは一般に弱者と呼ばれる国民を虐げてきたが、決して強者といえる存在ではない。強者とは出自、年齢、性別などに関わらず、本人自身の持つ純粋な力のある者のことをいうのだ』と。ヤマト様の言い分には正当な理由があります。本来国民の代表として政に携わるべき人間が私利私欲に走り、政治の才能のない二世三世議員が世に溢れている。財界の人間も政界の連中と癒着して互いに甘い汁を吸い合っている。国民から吸い上げた血税を自分たちのために湯水のように使い、国民の奉仕者であるべき者たちが国民を虐げるようなマネをしていることは隠しようのない事実です」

 

「わたしも常々考えていました。この上にある議事堂はロクでもない人間の巣窟となり果てている。政の才能のないバカな連中がもっとバカな有権者を騙して国の中枢に潜り込む。選挙運動中は腰を低くして何度も頭を下げていたというのに、代議士になったとたんにその反動よろしく踏ん反り返っている。国民の生活には無関心で、己の保身と金儲けに走り、その腐った連中がこの国を腐らせていく。しかしそんな連中を選んだのは愚かな有権者。政治が自分の生活に密接しているというのにすべて他人任せ。不満があれば自分は何もせずに文句を言うだけで、改善をしようという努力もしない怠惰な者ばかりです。みなさんの中にも心当たりのある方はいらっしゃるのではありませんか?…そして正常とは言えない格差が生まれ、裕福な者はより豊かに、貧しい者はますます生活が苦しくなっていく。そんな負のスパイラルを断ち切らなければこの国に未来はありません。弱い個体が強い個体の糧となり、劣るものが優れたものに淘汰されていくのは自然界のルールです。本来なら人間もこのルールの中で生きていくはずですが、歪んだ力関係が人間の世界を捻じ曲げてしまいました。それがポラリスによる粛清を招いたのかもしれません」

 

「ヤマト様は今の世の中に幻滅しています。彼は峰津院家に生まれたことで、否応なく人間の醜い部分をたくさん見せられてきました。ですから今の世界に守る価値などないと考えていて、ポラリスに謁見して自分の理想の新世界を創ろうとしています。彼は自分が…峰津院家の人間が守るに値する世界を創りたいだけなのです。そこで純粋に力ある者が弱者の上に立つことが当然であるという理に書き換えるつもりでいます。しかし勘違いしてはいけないのは、彼もまたその理の中に存在し、自らが弱者となる可能性を秘めていて、弱者となった場合には自分も淘汰されるということです。いくらヤマト様でも永遠に強者でいられるわけではありません。彼は自分が弱者となった場合の覚悟もできています。覚悟がなければこれだけ強く実力主義を唱えることはできません」

 

「しかし峰津院のやり方で政治の腐敗を拭うことはできるのか? 峰津院家自体が腐った連中と手を組んでいたのは紛れもない事実だ」

 

ロナウドが言う。

それに同調してジョーも頷いた。

 

「たしかにジプスという組織を維持するために薄汚れた代議士や官僚と手を組んでいました。しかしそれを是としていたのではありません。自らの高潔な理想のためにあえて汚泥に身を沈め、この時をじっと待っていたんです。千年以上の屈辱に耐え、やっと峰津院が陰の存在から光の中へ姿を現わすことが許される機会がやって来たんですから、ヤマト様がなりふりかまわず峰津院の宿願を叶えようとするのは当然ではありませんか?…ただし、彼の考えややり方がすべて正しくて、何をやっても許されるものではない…とわたしは考えています」

 

ミヤビの最後の言葉に観衆は強く反応した。

ヤマトのイエスマンである彼女がヤマトのやり方を全面的に支持していないのだから。

さらに彼女は続けた。

 

「ヤマト様の言うことは正論です。しかし世の中がすべて正論によって成り立つものではないことは、わたしたちは経験上知っています。そしてわたしはジプス局員である前にひとりの人間として行動しています。人として正しいと思える行動をしているつもりですが、それが本当に正しい行動であったかどうか…それを自分自身で判断することはできません。現在のわたしたちの行動はすべて未来の人間によって判断されるものですから」

 

ミヤビの演説に観衆たちは聞き入っている。

 

「わたしは基本的にはヤマト様の実力主義に賛同していますが、全面的に支持しているのではありません。彼は自分が強者であるという自負を持っています。わたしもヤマト様のことを認めています。しかし彼ひとりが強者と弱者を選別するというのなら、世界は彼にとって都合の良い世界にしかなりません。彼の目に止まらなかった者であっても強者となりうる者はいるはずです。また彼の目にはくだらないと思えることでも、他の人にとっては必要だと思える才能だってあります。例えば単に力が強いというだけならこの中ではケイタさんが一番の強者でしょう」

 

その言葉にケイタは当然とばかりに大きく頷いた。

 

「しかし人間が生きていく上で必要とされる才能を持つという面では料理の腕が抜群のジュンゴさんも強者だと言えます」

 

すると今度は全員がジュンゴの方に視線を向け、彼は恥ずかしいのか顔を赤くして俯いた。

 

「そして基本的な生活だけでなく、人の心を豊かにする才能を持つ者も強者と言って良いでしょう。ヒナコさんの日舞やアイリさんのピアノの才能は天性のものであり、本人の努力の結晶でもあります。さらに医師や刑事という職業もわたしたちが生きていく上で必要なもので、誰もがなれるものではありません。こうして見ると誰もが世の中に必要な人間であり、一個人の価値観のみによって取捨選択してはいけないものだということがわかるはずです」

 

全員が頷いた。

 

「最大の問題は一部の人間が自分の器にそぐわない立場にあることです。政治の才能がなくても親が代議士であったから世襲のように代議士になる。医師の息子が医師になるのは当たり前。そういった悪しき慣習が偽りの強者を作り、彼らがそれ以外の人間を弱者に貶めている。ヤマト様はそういう負のスパイラルを断ち切る力を持って生まれました。ただ育った環境が彼の価値観に大きく影響を与えてしまったのは事実です。わたしはずっと彼をそばで見てきたから言えるんです。ヤマト様があのような人間になってしまったのは側にいたわたしにも責任があります。だからわたしは最後まで彼の側にいて、彼が間違った道を進もうとするのであれば、それを止めるのがわたしの責務だと考えております」

 

そこまで言うと、ミヤビは大きく深呼吸をして全員を見回した。

 

「これでロナウドさんの平等主義、ヤマト様の実力主義については理解していただけたと思います。セプテントリオンとの戦いはあと2日。その後にはポラリスとの謁見が待っています。ポラリスと謁見できるのはただひとり。つまり謁見できる者の意思が人類の総意であるということになり、その人の理想とする新世界が創造されます。ですからそれまでにわたしたちは意思を統一しなければなりません。ここで示された選択肢の中から選ぶも良し、また別の考えを持つのも良いでしょう。そして自分が何をしたいのか、何をすべきなのか考えておいてください。…ただ、わたしたちには時間がありません。ゆっくりと話し合う時間がない以上、乱暴な方法で自分の意思を押し通すことになるかもしれません。それだけは覚悟はしておいてください」

 

「…」

 

その場の全員が黙りこくってしまった。

彼女が言っていることの意味を悟ったからだ。

 

「とりあえず今夜はこれで解散しましょう。気持ちの整理をする必要がありますからね。みなさんがどのような選択をするのかはわかりません。しかしひとつだけ覚えておいてください。人の数だけ想いや考えはあるものです。だから考えが違うからといって友人ではなくなるなんてことは決してありません。それに望む未来は違っても、セプテントリオンを倒すという目的は同じ。きっと明日も共に戦えるはずです」

 

「ああ」

 

「そうね」

 

「そうやな」

 

「そうだ」

 

それぞれがそう口にし、散って行ったのだった。

 

 

 

 

ミヤビたちが会議室に集まって話をしていることをヤマトは黙認していた。

ヤマトは局長室のモニターでミヤビの様子を監視し、彼女の演説に聞き入っている。

 

(やはりミヤビは私の一番の理解者だ。しかし私の理想を全面的に支持していないということまでは気づかなかった。彼女の言い分は理解できるが、あのような甘い考えでは世界を改革することなど不可能だ。私は歴史に悪名を残すことになろうともかまわない。この腐った世界を改革できるなら、それくらいの犠牲はやむをえないのだからな)

 

そう思いながらも、ミヤビが自分の想像以上に成長していたことを喜んでいた。

 

(やはりすべてが終わった後に私の隣にいるのはミヤビしかいない。だから彼女を絶対に死なせるわけにはいかぬ。菅野の報告ではルーグの生贄に適合者が見つかったという。ミヤビはこの時のために10年間かけて育て上げたのだが、いつの間にか失うのが惜しいと思えるようになっていた。他に適合者が見つかったのは幸いだ。これで私は彼女を失わずに済む…)

 

ヤマトはこれまで人間というものを「強者か弱者か」そして「役に立つか否か」という判断基準でしか見たことがなかった。

その中でミヤビは「強者」で「役に立つ」存在であるからこそ側においていた…はずだったのだ。

それなのにいつの間にかヤマトは彼女を駒でなく一個の人間として大切に思い、側にいてほしい存在であることを認識していた。

ただその気持ちが「愛」であることにはまだ気がついてはいないのだが…

 

 

 

 

ヤマトはミヤビを私室へと呼び出した。

当然彼女は自分がしたことについて尋問されるのだと考えている。

間違ったことはしていないという自信はあるが、ヤマトの機嫌を損ねたのであれば謝らなければいけないと、思いながら入室した。

 

「茶を淹れてくれ」

 

「あ、はい…」

 

いつもと同じ反応なので、ミヤビは少し拍子抜けした。

しかし茶を飲みながらの尋問であれば、長時間にわたるものになるかもしれないと考えながら湯を沸かす。

するとヤマトがミヤビの背中に声をかけてきた。

 

「栗木たちを呼んだようだな?」

 

「はい…」

 

ミヤビの緊張が伝わったらしく、ヤマトは彼女に優しく言った。

 

「安心しろ。別に私はお前を叱る気はない。お前はこの東京支局の支局長だ。私はお前を信頼してここでの全権を与えたのだからな、誰を呼ぼうと私の関知するところではない」

 

「…」

 

「それに奴らがどんな美辞麗句を並べ立て、それに賛同する者が現れたところで、こちらは痛くも痒くもない。むしろ平等主義などというものに乗せられるようなクズどもは消えてくれた方がマシだ」

 

「そのような言い方はいかがなものでしょうか? ヤマト様はわたしを含め彼らのことを自分の手足となって動く駒だとしか考えていないようですけど、人間である以上は心というものを持っています。これまでは何もわからなくて、次々と現れる悪魔やセプテントリオンのことで頭がいっぱいいっぱいでしたが、これでやっと自分が何をなすべきか自分自身で決めることができるようになったはずです。…はい、どうぞ」

 

ミヤビはヤマトの前に湯呑茶碗を置く。

 

その手を戻そうとした瞬間、ヤマトはミヤビの手を握った。

 

「や、ヤマト…さま…!?」

 

突然のことに驚くミヤビに、ヤマトは彼女の目を見つめながら言った。

 

「私はお前がいてくれるだけで十分だ。世界中の人間が私に敵対しようとも、お前だけは私の側にいろ。私を絶対に裏切るなよ」

 

それはミヤビがロナウドたちに見せた言動が気になっている故に発せられた言葉だった。

 

(ミヤビは私の考えややり方がすべて正しくて何をやっても許されるものではないと言っていた。彼女とは同じ時間を過ごし、同じ知識を得て、同じ経験を積んできたというのに、違う価値観を持ってしまった。疑いたくないがあの言葉が彼女の本心である以上、私に反旗を翻す可能性を捨てきれない。勝手をさせないよう、常に側にいてもらわねばならぬのだ)

 

ヤマトのいつもとは違う態度に戸惑ったものの、ミヤビは微笑みながら答えた。

 

「ご心配なく。わたしはいつでもヤマト様の側におります。あなたがいらっしゃったからこそ、今のわたしはあるのですから。わたしはこの命が尽きるその時まで、あなたのためにすべてを捧げる覚悟です」

 

ヤマトという人間がこれくらいで他人を信じるとは考えていないミヤビ。

しかし他に答えようがないのだ。

それでもヤマトは少し安心したらしく、握っていたミヤビの手を放した。

 

「もしお話がお済みでしたら失礼させていただきたいのが…」

 

ミヤビは手を握られたことで胸がドキドキしていた。

それは未知の敵と相対した時のものとは違い、全身に熱を帯びてくるような感覚で、一刻も早くこの場を離れなければいけないと思ったのだ。

 

「ああ、かまわぬ。…それから、明日のセプテントリオン戦だが、お前の出番はない」

 

「え?…それは、わたしはもう必要ないということでしょうか?」

 

突然戦力外通告を受け、動揺するミヤビ。

しかしヤマトは続けた。

 

「そうではない。お前が不要になることなどあろうはずがない。ただ明日のミザール戦にお前の出番はないというだけのことだ。最後のベネトナシュ戦に備えて1日ゆっくりと休めという意味なのだが、不満か?」

 

自分がヤマトにとって不要な存在だと言われたのかと思い、ミヤビはショックを受けた。

しかしそれは杞憂であり、彼女は胸をなで下ろす。

 

「ヤマト様のお気持ちはとてもありがたいです。ですがセプテントリオンに対して戦力を温存しておくことができるほどこちらには余裕はないはずです。それにわたしは休まなければならないほど体力・霊力ともに衰えてはおりません」

 

「いいや、休め。ミザールに対しては私の龍脈の力…シャッコウで挑む」

 

「龍脈ですって? それでは各地の結界が ── 」

 

ミヤビはヤマトが龍脈の力を解放することでシャッコウという龍に具現化させることができるということを知っている。

しかしそれは無の侵食から都市を守る結界の消滅を意味し、結界がなくなれば今以上に早い速度で〈無〉が迫ってくることを意味するのだ。

 

「結界が消滅しても計算上3日は問題ない。それまでにポラリスと謁見すれば良いことだ。それに龍脈を使う以外にミザールを倒す方法はない」

 

「…」

 

ヤマトが「ない」と言うのだから本当に「ない」のだろうと、ミヤビは理解した。

そしてもっとも成功率の高い作戦を組み立てた彼の頭脳を信じることにした。

 

「わかりました。お言葉に甘えてお休みをいただきます。ですがわたしの力が必要になったら必ずお呼びください」

 

「ああ、わかっている」

 

「では、これで失礼いたします」

 

ミヤビはほんの少しだけだが不安を抱え、自室に戻ったのだった。

 

 

 

 

ヤマトとミヤビが話をしていた頃、マコトはイオの部屋を訪れていた。

 

「明日の作戦が決まった。…新田維緒、君には明日、死んでもらう」

 

マコトの言葉にイオは硬直し、頭の中が真っ白になった。

 

たった4日前までは普通の女子高生であった彼女は突然人類の存亡を巡る戦いに巻き込まれてしまった。

そんな自分の置かれた状況を冷静に受け止めることができず、ヤマトの命令やその場の流れに身を任せるしかなかったイオ。

ミヤビのように強い意思を持っていたなら、そんな理不尽な命令には従えないと反論するのだろうが、イオにはそれすらできずにいた。

 

「それでみんなが…助かるんですか?」

 

「ああ、そうだ」

 

マコトの冷淡な態度に怒りすら感じず、イオは頷いた。

 

「わかりました」

 

彼女にはそう返事をするしか道はない。

そしてマコトが去ると、イオはその場で泣き崩れたのだった。

 

 

 






ヒロインの言葉は作者の気持ちです。
言いたいことを言ってスッキリしました。

しかし、わたし自身もつい最近までは「愚かで怠惰な国民」のひとりでした。
だからこそ、その反省を込めて書きました。




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6th Day 決別の金曜日 -1-



アリオト戦が終わり、ヤマトが晩餐会を開いた頃から、ヒロインはヤマトのことを「あの方」ではなく「彼」と呼ぶようになりました。
彼女のヤマトに対する気持ちの変化があった証拠です。

これまで常にヤマトの側におり、彼のために行動してきたヒロインですが、仲間たちの分裂によって、彼女もヤマトから離反することになるのでしょうか…





 

 

「おはよう、ミヤビ」

 

目覚めたばかりのぼんやりとした頭に男性の声が流れ込んできて、ミヤビは条件反射的に声のした方に顔を向けた。

すると視界の中にアルコルの姿が入り、彼女は自分の置かれた状況を一瞬で察して、慌てて飛び起きた。

 

「きゃっ! な、何であなたが、こっ、ここにいるのっ!?」

 

ミヤビの反応に対して困惑気味な顔をするアルコル。

 

「君に会うために来たんだけど…迷惑だっただろうか?」

 

「当たり前じゃないですか! 女の子の部屋に無断で侵入するだけでもマナー違反だというのに、寝込みを襲うなんて非常識です!」

 

「襲ってはいないけど」

 

「寝姿を見られただけでそういう気分なんです!」

 

「ふむ…難しいね、人間は」

 

「はあ…」

 

ミヤビは大きくため息をついた。

 

(セプテントリオンに女性のデリケートな心理を説明しても理解できるはずがないものね。…ん?)

 

どこからともなく良い匂いが漂ってきた。

ミヤビがふと視線をアルコルの横にずらしてみると、料理の皿が並んでいるワゴンテーブルがある。

 

「それ、どうしたんですか?」

 

「人間のマネをして作ってみたんだけど、どうだろうか?」

 

ミヤビは寝間着の袷を整えながらベッドを降りると、彼の作ったという料理を眺めた。

プレーンオムレツとボイルドソーセージのプレートに、バターロールのようなパンとイチゴジャム、そして鍋の蓋を開けるとコンソメスープが入っている。

 

「すごい…。でも、これって食べられるんですか?」

 

「もちろんだよ」

 

にこやかに答えるアルコルにミヤビは少しだけ不安を覚えたが、ひとまずバターロールを口にしてみた。

 

「…ん…良いじゃないですか。じゃ次は…」

 

スープの鍋にスプーンを入れて少しだけ掬って味見してみる。

 

「美味しい…。意外とイケますね、これ」

 

「そう? それはよかった」

 

ミヤビは皿に盛った料理をパクパクと食べながらふと考えた。

 

(この状況はいったい何なの? 彼が料理を作ったのは事実のようだけど、包丁を持ったり、パン生地を捏ねたりする姿がまったく想像できないわ。なによりも料理を作りたくなったという心境の変化が不可解よ)

 

気になったことをそのままにしておけない性格の彼女は訊いてみることにした。

 

「どうして料理を作る気になったんですか? それもわたしに食べさせるなんて、何か企んでいるのかしら?」

 

ミヤビが訊くと、アルコルは真面目な顔で答えた。

 

「昨日、君たちは食べるものがない人がいるのに自分たちだけ豪華なものを食べたくない、と言ってヤマトが用意した料理を食べなかったよね?」

 

「ええ」

 

「でもそれはおかしいんじゃないか? 食材が高価なものでなければ食べられたのかい?」

 

「そんなことはありません。札幌で大勢の人が犠牲になったと思っていたから、食欲どころではなかっただけです」

 

「じゃあ、なぜ人が死ぬと食欲がなくなるんだい? そもそもこれまでも多くの人間が犠牲になっていたけど、君たちは普通に食事をしていたのだから、急に心境の変化があったということだよね? 食欲は人間の欲求の最たるもの。人が死んだことで食欲がなくなるなら、君たちはとっくに飢えているはずだ。栄養分の摂取という生命活動に欠かせない行為を拒否するだけの理由に、私は思い当たる節がないんだ。…人間はわからないことが多い。だから私も人間と同じように料理を作り、それを君に食べてもらい、その感想を聞くことで人間が理解できるかと思ったんだ。食事という行為は人間にとってどのようなものなのか教えてもらえるかい?」

 

アルコルの人間に対する好奇心は尽きない。

それを知っているミヤビはこれまでも彼が納得するまでいろいろと教えてやったものだ。

 

「いいですよ。…あなたの言うように食欲というものは人間が生きる以上誰でも持っているし、空腹であればどんなものだって食べて生きようとします。でもその時の感情に左右されるのも事実です」

 

「その時の感情?」

 

「ええ。ヤマト様はマコトさんたちジプス局員や民間人サマナーの働きに対してそれ相応の評価をしています。だからこそ彼は自分なりの形で感謝の気持ちを表したんです。会食を嫌う彼があのようなセッティングをしたのですから、本心から彼らを労う気持ちがあったはずです。ですがヤマト様は人と交わった経験が乏しく、また相手の気持ちを思いやるということができませんから、言葉についてもトゲのある言い方しかできません。元々民間人サマナーたちはヤマト様の不遜な態度に反感を持っていましたし、また被災者が飢えているという事実があって、十分な食事ができるだけでも恵まれているのに、豪華な食事をするというのが申し訳ないという気持ちもあります」

 

「うん」

 

頷きながらミヤビの話の続きをアルコルは待っている。

ミヤビはさらに加えた。

 

「そして札幌での一件がありましたから、一気に怒りが爆発してしまったわけです。これまでにも民間人が大勢犠牲になりました。それも紛れもない事実で、忘れようと思っても忘れることなどできません。それでも戦うためにはその辛さを押し殺してきたんです。心を乱したままでは、いつ自分が次の犠牲者になるかわかりませんからね。そしてヤマト様やわたしたちジプス局員は札幌が無人になっていることを知っていましたが、民間人サマナーたちは知らされていません。だからアリオトの墜落でさらに大勢の人間が犠牲になったと思ったんです。思い出さないようにしてきたのに、目の前で何十万という数の人間が死んだとなれば、手を下したのが自分でなくても同じくらいの罪の意識を感じてしまうものです。だから作戦開始前に札幌が無人であり、人的被害が出ないことを伝えておけば、彼らが無用な苦しみを味わうことはなかったでしょう。ただし、札幌の悲劇を前もって知らせておけば良かったとも言い切れません。自分たちの知らないところで想像もできないようなことが起きていると知って、冷静に行動できる人間はそう多くはいませんから。…人間というのはあなたの想像以上にメンタルな部分がデリケートなんです。ほんの僅かな不安で体調を崩したり、他人から少しおだてられただけで普段以上の能力を発揮したりと、自分自身のことであってもわからない部分は多いです。だから同じ料理であってもわたしの説得の後には全員で食事をしました。それはあなたもご存知ですよね?」

 

「ああ。君が栗木ロナウドと秋江譲を呼んで、演説会をしたことも全部見ていたからね」

 

「ならばおわかりのはず。わたしはあの料理を食べることの意味を諭し、それを理解してもらえたことで食べてもらえたんです。初めのうちはあれほど拒否していた料理を美味しそうに…。心の持ちようで同じものでも変わるということです。わかってもらえましたか?」

 

ミヤビが微笑みながら訊くと、アルコルも微笑み返しながら答えた。

 

「君はいつも私の望む答えを導き出してくれるね。やっぱり君こそが輝く者だよ。君がヤマトと同じ道を進むと聞いて一度は諦めたが、その輝きは失われるどころか、さらに輝きを増している。君は自分を伴星だと言ったけど、私は違うと思う。君という星のそばにいるのがヤマトなんだ。今、はっきりとわかったよ」

 

アルコルの言葉にミヤビは戸惑うが、彼が自分の考えや行動に理解を示してくれていることを知って安堵した。

 

「ところで料理の作り方を誰から教わったんですか? あなたが料理を作っている姿が想像できないんですけど」

 

今度はミヤビの方から質問してみた。

 

「料理の作り方など誰にも教わってはいないよ。これは食材を分子の単位にまで分解し、調理された状態に再構成したんだ」

 

「それって…つまり転送ターミナルと同じ原理ですか?」

 

「うん、そうだね」

 

あっけらかんと言うアルコルに、ミヤビはそれ以上何も聞かないことにした。

 

(アルコルはやっぱりアルコルだったということね…。まあ、美味しいから良いけど)

 

パンを食べているうちに喉が渇いたミヤビは紅茶を淹れることにした。

支度をしていると、それをアルコルが興味深そうに見ている。

 

「それは緑茶ではないんだね?」

 

「ええ。これは紅茶ですよ。あなたは紅茶を飲んだことはないんですか?」

 

ミヤビがそう訊くと、彼は頷いた。

 

「うん。ヤマトは緑茶しか飲まないから」

 

「そういえばそうですね。じゃ、紅茶も飲んでみてください」

 

ミヤビはアルコルの分のカップも用意した。

カップとポットを温め、茶葉も適量を計る。そして時間を確認して、最高のタイミングでカップに注いだ。

これなら喜んでもらえるはずだと、自信満々でアルコルに勧める。

 

「さあ、どうぞ。まずはストレートで飲んでみてください」

 

するとアルコルは微笑みながらひと口飲んだ。

 

「どうですか?」

 

「うん。緑茶と違う爽やかな香りがする。ちょっと渋みがあるけど、これはこれで良いね」

 

「次は少し砂糖を入れてみてください」

 

彼は言われたとおりにスプーン1杯の砂糖を入れて飲む。

 

「これは美味しい。緑茶は砂糖なんて入れないけど、紅茶は入れて飲むと美味しくなるんだね」

 

「では、最後にミルクを入れて飲んでください。このウバという紅茶はミルクを入れることでマイルドになって最高に美味しいんです」

 

ミヤビはミルクパンで温めておいた牛乳を彼のカップに半分ほど注いでやった。

そして自分のカップに残りを全部注ぐ。

 

「これは…! とても美味しいよ。この飲み方が一番気に入った。君は私にいくつかの選択肢を与えてくれた。そのおかげで私はこんなに美味しいものがあるのだと知ることができたよ」

 

アルコルは目を見開いて喜んでいる。

大げさに思えるが、軽くカルチャーショックを受けたならその反応も当然だ。

 

「どうしてヤマトはこんなに美味しいものを拒絶して緑茶しか飲まないのだろうか?」

 

しみじみと言う彼にミヤビは教えてやった。

 

「ヤマト様も以前には飲んだことがあるらしいんですけど、その時に淹れた人が下手で、好印象が持てなかったんですって。わたしが美味しく淹れると言っても頑なに緑茶だけしかリクエストしないんですよ」

 

「ふ~ん…君が淹れた紅茶を飲めばヤマトも紅茶好きになっていただろうね、きっと」

 

「そうかも知れませんね」

 

ふたりで紅茶を飲みながら、ヤマトの顔を思い浮かべた。

 

 

 

 

食事を終えたミヤビは身支度をしようとクローゼットを開いて重大なことに気づいた。

 

「あなたはいつまでここにいるんですか?」

 

そう訊くと、アルコルはさらっと答えた。

 

「もう少し君と話がしたいな。どうせ今日は君の出番はないんだから、しばらく私につき合ってほしいんだけど」

 

「出番がないということをなぜ知っているんですか?」

 

「私は監視者だからね」

 

悪意のまったくない顔で言うものだから、ミヤビは追求するのを諦めた。

 

「それなら少し待っていてください。これからわたしはバスルームで着替えをしますから、絶対に”監視”しないでくださいよ」

 

「うん」

 

アルコルが人間の女性の着替えに興味があるとは思えないのだが、ミヤビは念の為にそう言っておいた。

何しろ人間は不可解なことが多く、アルコルにとっては興味深い玩具のようなものなのだから、何をきっかけにして”監視”を始めるかわからないのだ。

 

ミヤビは制服を持ってバスルームへ行き、着替えながら考えていた。

 

(アルコルは自分を監視者であると言っているけど、人間の文化や行動に興味を持ち、ずいぶんと人間の生活に順応してしまっている。それでは客観的に判断できないわ。…もしかしたら彼が人間に肩入れしてしまっていることもポラリスの想定内のことだとしたらどうかしら? 絶対的な力を持つポラリスなら人類なんてたった一日で滅ぼされてもおかしくない。それをわざわざ7日間かけて徐々に追い詰めていく。人間はアルコルからセプテントリオンに対する抵抗手段を得たけど、それこそがポラリスのシナリオにあった事柄なのかも。そう仮定してみればいろいろ説明できるわ。アルコルはポラリスによって人間に深く干渉するように作られていて、ポラリスは人間がどこまで抗えるのかを試している。だから問答無用で滅ぼすというのではなく、人間に僅かでも可能性を見ることができたなら、チャンスを与えるつもりでいるんじゃないかしら? その試練がセプテントリオンで、それをすべて倒すだけの力、つまり可能性があれば謁見という形で人間の総意を聞き届けるのよ、きっと。でもその総意がヤマト様の考える実力主義であってはならない。最終的にポラリスに謁見できるのはただひとりなのだから、その前に考えを改めさせなければいけないわ)

 

さらに彼女はひとつの仮説を立ててみた。

 

(ポラリスが人間を完全に見捨てていないなら、新しい世界を創るのではなくもう一度やり直すことも可能ではないかしら? ヤマト様のお話ではポラリスはアカシック・レコードの管理者だということ。そのレコードには過去の世界の記録もある。そしてポラリスがレコードを編集できる存在なら、災厄が起こる前の世界に戻せる可能性は高い。それができるなら死んだ人間も壊れた街も何もかも元通りになり、わたしたちは普通の生活に戻れるはずだわ。…でもそれには問題がある。世界を戻すということは、わたしたちはこのセプテントリオンとの戦いのことを覚えていない状態に戻るということ。つまりもう一度同じ災厄を引き起こす可能性が高いということになる。わたしたち人間が変わらなければ、ポラリスはまたセプテントリオンを送り込んで人間を滅ぼそうとするでしょう。そしてヤマト様は変わらずに実力主義社会の実現を目指すはず。彼は力のない者が治めているこの世界に絶望しているのだから。そして同じくロナウドさんは平等主義を掲げ、また人間同士が同じ戦いを繰り返すだけになる。それじゃ意味ないわ。う~ん…どうしたものかしら?)

 

結論が出ないまま、ミヤビは居室に戻って来た。

 

「ミヤビ、どうかしたのかい? 遅かったね」

 

アルコルに呼びかけられて、ミヤビは着替えをしながら考えていたことを彼に話すことにした。

 

「ちょっと考えごとをしていたんです。ポラリスの本心っていうのは何なのかな、って」

 

「ポラリスの本心?」

 

「だって人類を滅ぼしたいならこんなに時間をかけずにさっさと始末してしまえばいいのに、少しずつ試練とやらを与えて試しています。本気だったら1日に1体ずつのセプテントリオンだなんていわず、初日で全部投入してしまえば一気に片がつく。滅ぼしたくなるくらい人類に幻滅しているなら、今さらチャンスを与えることはないはずです。あなたが峰津院家の人間に様々な知識や技術を与え、民間人に悪魔召喚アプリという武器を与えてくれたこと自体がポラリスのシナリオにあったことだとしたらどうでしょう? だからポラリスがあなたを作る時に、人間に深く関わって肩入れしたくなるよう細工したのではないかと、わたしは仮定してみたんです」

 

そう言うと、アルコルは感心したという表情で言った。

 

「なるほど…そういう考え方もできるね」

 

「もしかしたらポラリスは人間を滅ぼすのが目的ではなく、人間に自分たちの在り方を改めて考えさせるためにこんな試練を与えているのではないでしょうか? もちろんポラリスが人間を認めなければ滅ぼしてしまうのでしょうけど。そして全部のセプテントリオンを倒した後にポラリスと謁見できるのはただひとり。その人の意思が人類の総意となり、その人の意思による新世界の創造が行われるということになっていますけど、わたしは少し違うんじゃないかと思うんです。わたしはすべての人間が自ら意識を変えることを求められているのではないかと考えています」

 

「それで?」

 

「ヤマト様やロナウドさんの考えでも、新しい秩序による新世界の創造で人類すべての意識が変わることにはなるでしょう。でもそれでは本人が知らないうちに強制的に書き換えられてしまうことになります。それではダメ。ひとりひとりが自分の意思で変わろうとすることが重要だとわたしは考えます。なぜなら誰かひとりの意思によって世界を創り変えるのであれば、ポラリスが幻滅した今の世界よりも狭隘なものにしかならない。だからすべての人間が自分を変革するための試練が悪魔とセプテントリオンで、その戦いの中を生き抜いた者であれば、これまでよりずっと成長していることでしょう。ならばもう一度やり直すことだってできるはずです」

 

「そして人類の意思を統一してポラリスとの謁見に望むわけですが、それが大きな問題となっています。ヤマト様は自分に逆らう者はすべて排除して自分の意思を種の意思にするつもりでいる。ロナウドさんはヤマト様の考えを真っ向から否定し、自分の理想こそが最上のものだと思い込んでいるから絶対に妥協しない。このままではいつまで経っても平行線で、いずれ双方が命をかけて戦うことになるでしょう」

 

「たぶんそうなるだろうね」

 

「ですがヤマト様とロナウドさんの思想はまったくの正反対に見えて、実は共通している部分もあるんです。ヤマト様は出自、性別、年齢等に関わらず本人の持つ力を重要視している。それは貧乏人であろうとも、出身が差別を受けるような人でも力さえあれば良いということ。でもそういう一般的に弱者と呼ばれる人たちは力を持っていても、それを示す場さえ与えられないのが現状。ロナウドさんはそういう人たちにも救いの手を差し伸べてほしいと訴えている。あなたは長い間人間の営みを傍観してきたからわかるでしょうけど、平等な社会を目指して成功した例がないことを知っていますよね。だって平等な社会は公平ではないんですから」

 

「そのとおりだ」

 

「わたしは強者が優位に立つことを否定はしません。だって自分より優れた人に対しては自然と尊敬の念を抱くものだから。他人の価値を認めることで、人は自分もそうなりたいって思うものです。そうやって人間は進歩していくのではないでしょうか? もっとも他人の才能を羨んだり妬んだりするだけのクズもいますけどね」

 

「わたしはヤマト様が新世界の頂点に立ち、彼が自分の価値観のみで人間を分け隔てるという考えには賛同できません。だって彼が認めなければ、どんなに素晴らしいものを持っていたとしても無意味なものになってしまうから。ヤマト様は凄い人だって認めざるをえませんけど、認められない部分もあります。たぶん彼もわたしのことを認める部分と、認められない部分があると考えているはず。でも彼が認めてくれない部分というのを認めてくれる誰かがいるはずです」

 

「うん」

 

「わたしはこう思います。人間というものはその人を囲む何人もの他人によって形作られているのだと。他人との関わりによって成長し、いくつもの価値観によって作り上げられる。人間がひとりでは生きていけないというのは単にひとりでは寂しいからというのではなくて、他人がいることで自分の存在を確認できるから。だって誰もない世界でたったひとり自分しかいなかったら、きっと自分というものを認識できない。比べるものがあって、初めて自分が優れているとか劣っているとかわかるわけじゃないですか。他人との関わりがあって、初めて自分が自分という存在だとわかる。つまり他人は自分を映す鏡だといえるんです」

 

ミヤビが話し終えると、アルコルは満足そうな笑みを浮かべた。

 

「君はとても面白い人間だね。ポラリスの本心などというヤマトすら考えたことのないようなことに思い巡らせ、自分なりの結論を出している。それに自分の目指すものについて明確な考えを持っていて、それをきちんと説明できる」

 

「ええ」

 

「これまで大勢の人間を見てきたけど、君のような人間に出会えたってことは、まだ人間も捨てたものじゃないということかな」

 

「そう、きっとポラリスはたったひとりでも良いから自分の意思を察してくれる人間がいるのではないかと期待をしているんじゃないでしょうか。あなたが他のセプテントリオンと違って人間の監視者となっていたのは、管理者の名代としてポラリスの意思を察する人間を探すためだと考えたら辻褄も合いますし。もちろんポラリスの意思うんぬんの話は全部わたしの仮定のものばかりです。根拠がない想像の話だから妄想とうレベルでしかない。こうやってわたしがあなたに持論を述べている様子をどこかで苦笑しながら見ているかもしれませんね」

 

「そうかもね」

 

「わたしは考えること、探し続けることをやめられない性格なんです。思考の停止は生命の停止に等しい。様々な情報をできるかぎり集めて分析して、未来をより良く生きるための手段を考えることでわたしは生きていられると言っても過言ではありません。まあ、泳ぎを止めると窒息して死んでしまうマグロみたいなものでしょうか。たくさんの選択肢を自ら用意して、その中から一番だと思えるものを選び続ける。選択肢が多いということは、それだけ多くの可能性を秘めているということにもなる。そんなところがあなたの目に止まったんでしょうね。とにかくわたしの選択が正しいか否かは必ず証明される。そして今の仮定の話もすぐに証明されるでしょう。こんなことを言うのは不謹慎なことだけど、少しだけ楽しみな気がします」

 

「私も楽しみだよ」

 

ミヤビとアルコルは紅茶を飲みながらしばらく談笑し、〇九〇〇時を報せる鐘の音を聞いたところで、アルコルは去って行ったのだった。

 

 

 






アニメ版では5日目の朝に主人公(久世響希)の部屋に現れたアルコルですが、本作では6日目に持ってきました。
理由はヤマト主催の晩餐会での出来事に、アルコルが疑問を持ったということにしたからです。

アルコルが人間に肩入れし過ぎているという事実に、ヒロインはある仮説を立てました。
あながち間違ってはいないと作者は思っていますが、読者様はいかがでしょうか?




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6th Day 決別の金曜日 -2-

ミザール戦に不参加となったミヤビだが、東京支局長という立場上何もせずにはいられない。

今は休養を取ることが最優先の任務であるといっても、おとなしくしていられる性格ではない彼女は外へ出て無の侵食の調査をすることにした。

 

スザクに跨って上空へと舞い上がると、昨日よりもさらに黒い部分 ── 無の範囲が迫って来ていた。

房総半島は半分以上が消えてしまい、三浦半島も無の侵食が進んでいる。

西の方へ視線を向けると富士山はまだ健在で、かつてミヤビの両親が働いていた龍脈の管理施設も無事のようだ。

しかしこれはまだ結界が存在しているからであり、結界が消滅すれば無の侵食は加速される。

ヤマトの話では何とかなりそうだということだが、不測の事態が生じる可能性もある。

不安は消えず、何かできることは他にないだろうかと考えながら、ミヤビは支局へ戻ろうとした。

 

スザクの向きを永田町方面へ向けた時だった、地上…新宿御苑の英国式庭園の中で銃声がした。

高度を下げると、様々な種類の悪魔が群れをなして人々に襲いかかっている光景が見える。

銃声は陸上自衛隊の小銃によるもので、新宿御苑を避難所としていた被災者を守るために自衛隊員が発砲したようだ。

 

「悪魔に人間の兵器は効果ありません!」

 

ミヤビはそう叫ぶとスザクを一気に降下させた。

そして悪魔の群れの中に飛び込んでいく。

 

「出でよ、ビャッコ! メタトロン!」

 

急いでビャッコとメタトロンを召喚した。

地上の悪魔をビャッコが、上空の悪魔をメタトロンとスザク、ミヤビ本人は自衛隊員と合流して魔法を使いながら指揮をするという作戦だ。

 

「こちらはジプスです! 悪魔の撃退はわたしに任せ、自衛隊のみなさんは民間人を避難させてください! 機銃等の武器は悪魔に効果ありません!」

 

〈万魔の乱舞〉で雑魚悪魔を蹴散らしながら自衛隊員に指示を出すミヤビ。

初日とは違ってジプスの名は周知されているらしく、制服姿の彼女を見ると敬礼してすぐに彼女の指示に従った。

 

彼女の的確な判断で悪魔の数はぐんぐんと減っていき、30分もするとひとりの悪魔使いと3体の悪魔が100体を超える悪魔を殲滅していた。

レベルが50以下の悪魔が殆どだったがレベル58の鬼女ランダやレベル61の魔人アリラトなども含まれていたから、彼女の負担はかなり大きいものになっていた。

 

ミヤビが悪魔を携帯に戻していると、三佐の階級章を付けた40代半ばくらいの隊員が駆け寄って来た。そして姿勢を正して敬礼する。

 

「どうもありがとうございました。自分は第一師団第1普通科連隊第9中隊中隊長の矢矧要一郎です」

 

「わたしはジプス東京支局支局長、紫塚雅と申します」

 

互いに挨拶をし、ミヤビは矢矧から差し出された手を握った。

 

「ジプスの東京支局長が若い女性だということはうかがっておりましたが、これほどの実力者だとは驚きました」

 

「ジプスは年齢や性別などに関わらず、純粋に力のある者にはそれ相応の役職が与えられますから。それはそうと、先程も申しましたが悪魔にはどんな武器や兵器も効果はありません。悪魔には悪魔で対抗するしかないんです」

 

ミヤビがそう言うと、矢矧は困ったような顔で答えた。

 

「はい、それは承知しております。…ここだけの話ですけど、銃の発砲は市民に対してのパフォーマンスのようなものなんですよ。効果がないとわかっていながらも我々が戦う素振りを見せなければ市民の信頼が得られません。実は我々自衛隊員の中にも少数ですがサマナーはおります。ニカイアとかいう携帯のサイトに登録していた若い連中が訳もわからないうちに悪魔を使役するようになり、急遽いくつかの避難所に該当する隊員を派遣して悪魔対策を講じております。しかし如何せん人員が少なく、ここもサマナーはたったのふたりだけでした」

 

ミヤビは戦っている間、悪魔使いの姿を見ることはなかった。

そして矢矧の言葉から推測されるのは、そのふたりの悪魔使いも殉職した可能性が高いということだ。

災害から民間人を守ることが自衛隊の仕事であるといっても、この未曾有の災害は人の手に余るもの。

ジプスのように訓練された悪魔使いではないから無理もない話だ。

彼らが奮戦したことは容易に想像がつき、それを思うとミヤビは胸が苦しくなる。

 

「そのような顔をしないでください。こちらもジプスの役目については知らされていますから。我々は持てる力を駆使し、ひとりでも多くの市民を守るだけです。まあ、相手が人外ですから手こずっていますが、市民の中にはすすんで協力してくれる方もいらっしゃって、避難所では悪魔以外での混乱はありません。それが救いです」

 

矢矧はそう言って笑った。

ミヤビの憂苦を感じ、これ以上精神的な負担を与えたくないという配慮によるものだ。

ミヤビは彼の心遣いが嬉しかった。

 

「ジプスの活動の最優先事項が国土の霊的防衛である以上、民間人の人命保護はそちらにお任せせざるをえません。お心遣い感謝いたします」

 

深く頭を下げるミヤビに矢矧は言う。

 

「いえ、本来なら大人の我々が君たち子供を守らなければならないというのに、若い君たちがもっとも重い責任を負わされているんです。感謝しなければならないのはこちらです。だから頭を上げてください」

 

矢矧の言葉にミヤビは顔を上げた。

 

「君は君自身の役目を果たしてください。我々は市民と共にこの災害を全力で乗り切る覚悟ですから」

 

「はい!」

 

ミヤビは矢矧に亡き父親の面影を重ね、笑顔で答えたのだった。

 

 

 

 

ミヤビが東京支局を離れて単独行動していることをヤマトは承知していた。

支局長が勝手に支局を離れることは本来なら問題行動なのだが、今回に限ってはヤマトにとって都合が良かった。

彼女が側にいれば作戦内容について異議を唱え、自分がやると言い出しかねないからだ。

 

第6のセプテントリオン・ミザールは攻撃をすると分裂するという特性がある。

初めのうちは小さいが、放っておくと次第に成長して大きくなる。

それが分裂してさらに成長するというものだ。

その成長速度と分裂を考えると正攻法で挑めばキリがなくなる。

そこで都庁の方陣と龍脈を使うことにした。

都庁の方陣とは峰津院家が龍脈の力を使うために東京都庁の地下深くに施したもので、それを使って龍脈を具現化させるのだ。

そして具現化した龍 ── シャッコウに無限に増殖するミザールを飲み込ませて、別次元へと飛ばすという作戦をとる。

しかし大きなリスクがあった。東京・大阪・名古屋の結界は龍脈の力によるもので、方陣を使用し、龍脈の力を消耗することは3都市の結界の消滅を意味する。

つまり龍脈の力を解放するという最終手段を使わなければならないほど切迫しているということなのだ。

都庁の方陣を使うための準備はふたつある。

まず龍脈の力を調整してタワーに送っているクサビを抜くこと。そして鍵となる悪魔の魔神ルーグを召喚することだ。

ルーグはケルト神話に出て来る神で、何代か前の峰津院家の人間がこういう場合を想定して封印したものである。

しかし問題があった。無の侵食によりルーグを封印した土地が影響を受けているのだ。

そうなると封印したルーグも無事ではない。

そこで欠けた概念は誰かが依り代になって補うしかない。

このふたつの条件さえ整えば龍脈は龍として具現化し、人類の敵に襲いかかるのだ。

ただしクサビを抜くと同時に、人類は世界の終末のタイムリミットを早めることとなる。

 

ミヤビの留守中、作戦は開始された。

クサビを抜くこと自体は無事成功した。

クサビ管理施設のある富士山が噴火するという想定外の事故があったが、作戦には特に支障はなかった。

そして次に誰かにルーグの依り代になってもらい龍脈の鍵を開けてもらうことになるのだが、依り代になるということはけっして安全ではない。

高位の悪魔を降ろすので命の保証はできないのだ。

その危険な役目をヤマトはイオにさせることにした。

彼女が適合者であることは健康診断の結果で判明している。

本人には了解を得ており、朝のうちに宮下公園の地下にある研究施設へ連れて行かれた。

イオが依り代になることはマコトとフミ以外には内密にしてある。

他の人間に知られれば作戦に支障が出ることをヤマトは承知しているからだ。

特にミヤビがこのことを知れば、作戦遂行に混乱を生じるだろうとヤマトは考えていたから、彼女の単独行動を黙認していたのだ。

当初、ミヤビはこういう場合のために存在していた。

生まれつき霊力の高い彼女は依り代として最適である。

しかし彼女がヤマトの想像をはるかに超える存在となり、いつの間にか彼女を失いたくないという気持ちになっていた。

そんな時にイオという適合者が現れたものだから、ヤマトは迷うことなくイオを依り代にすることに決めた。

彼にとってイオは失っても惜しくはない人間 ── 弱者だからだ。

 

 

 

 

「新着の死に顔動画がアップされたよ☆」

 

ミヤビの携帯にニカイアのメールが届いたのは、新宿御苑の避難所から東京支局へ戻る途中のことだった。

彼女が急いでメールボックスを開くと、イオの死に顔動画が届いていた。

彼女は何かに憑依されており、その影響で死に至るということはわかった。

しかしその場所がどこなのかわからず、またなぜそのような事態に陥ったのかもわからない。

勘の良いミヤビは自分が作戦から外されたことと、イオの死に顔動画に関連があると気づき、東京支局に戻るやいなや司令室に直行した。

 

ミヤビが到着すると、すでにダイチやヒナコといった民間人協力者がヤマトに詰め寄っていた。

彼らもまたイオの死に顔動画を見てヤマトのもとへ駆けつけたのだ。

ミヤビは彼らの間を割ってヤマトに近づいた。

 

「ヤマト様、ご説明を…お願いします」

 

彼女の声は震えていた。

言いたいことはもっとあったが、それだけ言うのが精一杯だったのだ。

ヤマトも彼女に秘密にしておくのは無理だと理解し、すべてを明かすことにした。

どうせ作戦は開始されていて、今更どうすることもできはしないのだからという気持ちがあったからだ。

 

「新田維緒がルーグの依り代に適合すると判明したのだ」

 

その言葉でミヤビは死に顔動画の意味がわかった。

イオはルーグの依り代となり、自我を失ったことで精神崩壊してしまうのだと。

そして精神崩壊をきっかけに肉体も衰弱していき、それが決定的な死となる。

それが間もなく起きようとしていて、何らかの手立てをしなければ、イオは間違いなく死亡する。

 

「イオさんは承諾したんですか?」

 

「当然だ。私が強制したのではない。新田はお前たちのために自ら犠牲となると決めたのだ」

 

「まさか…」

 

「嘘ではない。文句があるなら他の方法を直ちにこの場で示せ。ないのなら黙って見ていろ」

 

ヤマトがそう言った直後、モニターを監視していた局員が告げた。

 

「宮下公園地下施設の映像、入ります」

 

メインモニターにイオの姿が映し出された。

彼女は両手両足を固定され、まるで十字架に磔にされているかのようだ。

 

「イオさん!」

 

「新田さん!」

 

「新田ちゃん!」

 

ミヤビたちはそれぞれに彼女の名を叫ぶが、その声は彼女の耳には届いておらず、目はうつろのままで身動きひとつしない。

投薬か何かで彼女の意識を奪っているのだろう。

その横ではフミと数名の技術担当の局員たちが何かの作業をしているのが見える。

それを見ていたミヤビは我慢できなくなった。

 

「ヤマト様、わたしが依り代になります」

 

「却下だ」

 

当然だと言わんばかりの態度だ。

 

「わたしは幼い頃から訓練を受けてきました。体力・霊力ともにわたしの方が依り代として適しているはずです。わたしはこの時のために峰津院家に引き取られたのではありませんか? ヤマト様のことですから、わたしにはまだ使い道があり、イオさんなら失っても惜しくはないとお考えなのでしょう」

 

彼女の言葉を聞いてダイチたちは一斉にヤマトを睨みつけた。

 

「ああ、そうだ。お前にはまだやるべきことが残っている。ここで死なせるわけにはいかぬのだ。だからこの作戦からお前を外したというのに、お前が身代わりになるというのでは意味がない」

 

ヤマトはそう言ってポケットから携帯を取り出すと保安係を呼び出した。

あっという間にミヤビは3人の屈強な男たちに囲まれてしまう。

そして両手を後ろ手に縛られて拘束されてしまった。

 

「待て、ヤマト! ミヤビちゃんを放せ!」

 

ダイチがヤマトに掴みかかろうとしたが、ヤマトはさっと避けてケルベロスを召喚した。

ケルベロスはダイチたちに対して威嚇の唸り声を上げ、その間にミヤビは司令室から引き出されていく。

 

「しばらくおとなしくしていろ。今日の作戦が終了したら解放してやる」

 

ミヤビの背中にヤマトの冷たい声が投げかけられた。

 

 

 

 

ミヤビは保安係に懲罰房へ入れられた。

元は倉庫のひとつなのだが、ヤマトが自分に逆らう者が出た時のためにと用意したものである。

ここは結界が張ってあって悪魔を召喚することはできず、さらに魔法も使用できないようになっているので、ドアを破壊して脱走することも不可能だ。

 

「ここにいたのか…」

 

硬い寝台の上で膝を抱えていたミヤビに声をかける者がいた。

 

「こんなところで何をやっているんだい?」

 

彼女は声の主 ── アルコルの方を振り返って答えた。

 

「ヤマト様に作戦の変更を申し出たら反対されて、邪魔をしないようにって放り込まれてしまったんです。それよりもこんな場所に姿を現して大丈夫なんですか? 誰かに見つかったらマズイですよ」

 

「問題ない。ここに閉じ込めた君を見張る人間を置くほど今のジプスに余裕はないよ。少なくともこの部屋のあるフロアに誰もいないのは確認済みさ。君が絶対に逃げ出すことはできないと、ヤマトは思っているんだろうね」

 

アルコルはミヤビの隣に腰を下ろすと、哀しそうな目で見つめてきた。

 

「君が苦しむ姿を見ているとひどくここが痛くなるよ。これも私が人間に近づき過ぎたせいなのかな?」

 

そう言って彼は自分の胸に手を当てた。

 

「こんなことは今までに一度もなかったのにね。…人間はやっぱり面白いよ。特に君は。ヤマトはつまらない人間になってしまったけど」

 

「ヤマト様は人間らしい部分を捨ててしまったから。人類を救うために、彼はひとりで全部を背負い込んでしまっているんです。それはあなたも良く知っているはずですよね?」

 

「そうだったね。幼いヤマトは無限の可能性を秘めた輝く者の原石のようなものだった。君も同じだ。そして今のヤマトにはその面影はなく、君にのみ可能性…輝きが残っている。…君はあの新田維緒という人間を助けに行きたいかい?」

 

アルコルがミヤビに訊く。

 

「もちろんです。わたしは彼女を死なせたくありません」

 

アルコルがパチンと指を鳴らすと、鍵がかかっているはずの房のドアが音を立てて開いた。

 

「さあ、行っておいで。自分の選んだ道だ、好きにするといい」

 

「ありがとうございます、アルコル」

 

ミヤビは礼を言って懲罰房を飛び出した。

もう時間はない。

 

「出でよ、ビャッコ!」

 

ミヤビはビャッコの背中に飛び乗った。

急がなければイオがルーグへの生贄にされてしまう。

それに彼女が脱走したという報せはすぐにヤマトの耳に入るだろう。

ミヤビとビャッコは一気に階段を駆け上り、さらに地下道を使って宮下公園へと全速力で向かったのだった。

 

 

 

 

ミヤビが宮下公園の地下にある研究施設へ到着したのは間一髪というタイミングだった。

 

「ミヤビ、今回の作戦にあんたは参加していないはずだよね。命令違反?」

 

「はい。ルーグの依り代にはわたしがなります」

 

フミは無表情のまま続けた。

 

「依り代ってのは誰にでもできるというもんじゃないよ。適性があったのはこの子だけだって局長から聞いてないの?」

 

「イオさんが適合者だとは言っていましたけど、わたしの方が適しているはずです」

 

「なぜ?」

 

「わたしは生まれつき霊力が高く、サマナーとして役に立つようにと訓練を重ねてきました。そのわたしが一般人のイオさんに劣るとは思えません。わたしはこういう時のために用意された道具。ヤマト様もそれは認めています。しかしイレギュラーな事態が発生し、イオさんでも依り代として使えることが判明した。わたしと彼女ではわたしの方が適していても、わたしには他に使い道があるためにここで失うのは惜しい。そこでイオさんを生贄にすることに決めた。そうですよね?」

 

「正解。それなら局長の判断が正しいってことも理解しているよね?」

 

「誰かが依り代にならなければミザールを倒せないということはわかります。ですが ── 」

 

「依り代になるってことは死ぬってことだよ。あんたはこの子の身代りになって死ぬつもり?」

 

ミヤビの言葉をフミが遮る。

しかしミヤビは退かなかった。

 

「わたしは死にません。ここで死ぬつもりなんてありませんから」

 

そう答えると、フミは呆れた顔をした。

 

「この作戦はルーグっていう高位の悪魔を召喚し、自分の身体に憑依させるんだけど、生身の身体には到底耐えられないダメージを受ける。で、憑依されている間に自我を失っていく、ってわけ。自我を失えば肉体は無事でも死んだのと同じこと。わかる?」

 

「はい。つまり自我を失わずにいれば良いってことですよね? どれくらいの時間なら大丈夫なんですか?」

 

「約180秒、ってとこかな。個人差にもよるけど」

 

「それなら大丈夫です。少なくともわたしは彼女よりも健康で霊力も強い。そして生きたいという意思が誰よりも強いですから、絶対に作戦を成功させてみせます」

 

そうきっぱりと言い切ると、フミは科学者としての血が騒ぎ出したようで、にんまりと笑った。

 

「面白そうだね。それなら局長のOKが出たら選手交代だ。やってみ」

 

フミはそう言って東京支局の司令室に回線を繋いだ。

 

「ミヤビ、なぜそこにいる?」

 

いつも不機嫌にしているヤマトの顔が一層不機嫌そうに見える。

 

「わたしがここにいる理由はおわかりのはずです。早くイオさんを解放する命令を出してください」

 

「そんなことができるか、バカ者。他に手段はないのだ、私の邪魔をせずおとなしくしていろ」

 

「彼女をルーグの依り代になんて絶対にさせません! わたしが依り代になり、作戦を成功させ、必ず生還してみせます」

 

「その根拠のない自信はどこから来るのだ?」

 

ヤマトは呆れたといった顔で訊く。

 

「根拠はあります。わたしには生きて、やるべきことがまだあります。醜い姿になり、生き恥を晒すことになっても生き続けます。それだけの覚悟があるのですから、わたしは絶対に死にません!」

 

「フッ…」

 

「ああっ、鼻で笑いましたね。とにかくわたしの生きたいという意思は誰よりも強いんです。イオさんは仲間のために犠牲になるつもりでいます。死ぬ覚悟で戦おうとしていますけど、わたしは生きる覚悟で戦うんです。ならばどちらの成功率が高いか一目瞭然ではありませんか!」

 

ミヤビがそう言い放つと、ヤマトは不敵な笑みを浮かべて言った。

 

「よかろう。お前がそこまで言うのならやってみろ。お前が死んだところで、私の計画の進行に変更はないのだからな」

 

ミヤビの戦力を考慮した上での計画であるはずなのに妙な言い草だが、それでもミヤビは許可を得ることができたのだ。

 

作戦開始時間を過ぎているので、直ちにイオを降ろして、代わりにミヤビが磔にされた。

そしてフミが説明をする。

 

「ミヤビ、作戦を説明するから、良く聞いて。ミザールってのは再生を繰り返すやっかいな奴なんだ。それを龍脈の龍に喰わせ続ける。龍脈を武器にするわけだからそれを具現化させる必要があって、その鍵となる悪魔がルーグだ。ルーグは強い力と思念を持っていて、それを自分の肉体に入れるんだから相当なダメージを受けることになる。覚悟しておいてよ」

 

「はい」

 

「で、あんたはルーグを憑依させた時点で、龍脈を解放するドアを開き、そこから龍脈を取り出す。あとは局長が龍脈を具現化し、ミザールを喰わせる命令をする。わかった?」

 

「了解です!」

 

フミたち技術スタッフがいろいろな機械を操作している脇で、イオが不安そうにミヤビを見守っている。

 

「大丈夫ですよ、イオさん。わたしは必ず戻って来ますからそんな顔しないでください」

 

そう言って微笑むと、イオは泣きそうな笑顔を返した。

 

「行くよ、ミヤビ」

 

フミの合図でスイッチが入り、ミヤビのいる祭壇の上に魔方陣が浮かび上がった。

そしてその中からルーグが姿を現す。

 

「我を目覚めさせたのはお前か…?」

 

「はい。あなたの力をお借りしたくてお呼びしました」

 

「我が力をどうするつもりだ?」

 

「この世界を滅ぼそうとするセプテントリオンを倒したいんです」

 

「人の子よ、我々悪魔は世界がどうなろうといかようにも存在できる。だがお前たちは違う。この崩壊しかけた世界で生き延びることに何の意味があるというのだ?」

 

「これまでわたしたちは不可能だと思われたことを可能にしてきました。生きるということは限りない可能性を生み出すこと。つまり生きること自体に意味があり、そのためにはあなたの力が必要なんです」

 

「なるほど…。よかろう、我が力をお前に貸してやろう」

 

ルーグがそう言った次の瞬間、ミヤビは自分の身体に高温の熱の塊のようなものが飛び込んできたのを感じた。

彼女はルーグに憑依されたのだ。

 

「人の子よ、我が力をもって、神に抗ってみせよ!」

 

 

 

 

ミザールは新宿に出現していた。

ミヤビに憑依したルーグによって龍脈の力が解放され、都庁屋上にいるヤマトにより顕現させられた。

そして龍脈の龍 ── シャッコウが増殖し続けるミザールを次々に飲み込んでいく。

ミザールの増殖速度とシャッコウが飲み込む速度はほぼ同じに見えるが、僅かにシャッコウの方が早い。

しかしミヤビの精神崩壊までの残り時間は30秒を切っていた。

 

「迫、龍脈回路をすべてこちらに回せ」

 

ヤマトは司令室にいるマコトに指示を出した。

すると彼の右手に霊力が集中し、空間に魔法陣が浮かび上がる。

 

「ミヤビを援護する!」

 

ヤマトは魔方陣を楯にし、動き回るミザールの進行を抑え込む。

シャッコウは身動きできないミザールを飲み込み続け、全部飲み込んでしまうと役目を終えたと言わんばかりに姿を消した。

そして役目を終えたもうひとつの存在 ── ミヤビの姿をしたルーグもゆっくりと地上に降り立った。

ミヤビの身体の中からルーグは音もなく抜け、気を失ったままの彼女を見降ろす。

 

「お前の望む未来とやらを見せてもらうぞ、人の子よ」

 

そう言ってルーグはミヤビの携帯の中に消えたのだった。

 

 

 

 

ミヤビはジプスの医務室で意識を取り戻した。

 

「ミヤビ、目が覚めたようだな?」

 

彼女を覗き込んでいたのはマコトだった。

マコトの背後にはフミとオトメがいる。

 

「身体の調子はどうだ? 具合の悪いところはないか?」

 

心配そうに見つめるマコトにミヤビは答えた。

 

「特に問題はないようです。それよりもミザールはどうなりました? ルーグに憑依されてからの記憶がさっぱりないんです」

 

ミヤビは身体を起こして訊く。

 

「ミザールは君と局長の力によって殲滅された。そしてルーグは、ここにいる」

 

ミヤビはマコトから携帯を手渡され、アプリを起動してみた。

すると悪魔のリストの中にルーグが入っている。つまりルーグは自らミヤビに使役される道を選んだということだ。

 

「あのルーグがあんたを主と認めたっていうんだから、あんたってつくづく面白い研究素材だわ」

 

フミは興味津々といった顔でミヤビに言った。

 

「はあ…。ところでヤマト様やダイチさんたちはどうしていますか? たぶんものすごく険悪な状態になっているはずです。心配ですから様子を見に行ってきますね」

 

そう言って、ミヤビは自分の腕に取りつけられていた点滴の管と心電図を計るための誘導コードを外すために手をかけた。

しかしマコトに静止される。

 

「もう少しここで休んでいろ」

 

仲間たちの様子が気になって休んでなどいられないミヤビはそれでも起きようとする。

 

「いえ、こんなところで休んでいる状況ではないはずです」

 

「しかし君が今やるべきことは体調を万全にすることだ。…あと1体のセプテントリオンが残っている。間違いなくこれまでの中でもっとも手強い相手になるだろう」

 

「でも…」

 

「心配はいらない。局長はすでにご自分の部屋にお戻りになった。そして君のことを心配している者は廊下で待っている。少し顔を見せてやるといい」

 

オトメがドアを開けると、ダイチとイオ、ヒナコ、アイリ、ジュンゴ、ケイタがミヤビの周りに駆け寄って来た。

 

「大丈夫、ミヤビちゃん?」

 

真っ先にダイチが訊いた。

 

「ええ、大丈夫です。問題ありません」

 

「ミヤビさん、ありがとうございました」

 

半泣きの顔でイオが礼を言う。

ミヤビが彼女の泣きそうな笑顔を見るのは二度目だ。

 

「お礼を言われるようなことではありません。これがベストの判断だったと確信したからこそ、わたしは行動しただけです」

 

「よう頑張ったなぁ、ミヤビちゃん」

 

ヒナコに頭をごしごし撫でられていると、その横にいたアイリが頬を膨らませて言う。

 

「すっごく心配したんだよ。名前を呼んでも全然起きないから」

 

「ごめんなさい。でも遠くの方でわたしのことを呼ぶ声が聞こえたのは覚えています。三途の川の向こうから両親に呼ばれたのかなって思っちゃいました」

 

場の雰囲気を明るくしようとしてわざと能天気なことを言うが、ケイタに叱られた。

 

「冗談言っとる場合か、このボケ。どんだけ心配かけたと思うとるんや?」

 

「…ごめんなさい」

 

「そんな顔をしないで。ミヤビちゃんは笑顔が一番なんだから」

 

オトメの笑顔につられてミヤビも笑顔を取り戻す。

 

「オトメ先生…ありがとうございます」

 

そう言った時、はしたないことだがお腹の虫が鳴ってしまった。

それを聞き逃さなかったのがジュンゴだ。

 

「ミヤビ、食べられる?」

 

彼が差し出したのはお馴染みの茶碗蒸しだ。

器を受け取ると、それはまだ十分に温かくて、ミヤビは自分のために作ってくれたのだと思うと幸せな気分になれた。

こうやって自分のことを認めてくれる人たちがいるかぎりまだ戦える。

ミヤビはそう確信したのだった。

 

 

 






ゲーム版、アニメ版共にルーグの依り代になるのはイオでした。
ですが、本編ではヒロインが依り代になることを志願します。
自分がヤマトの道具であることを認識し、役に立ちたいと願って自らを高めてきたのですから、当然の流れです。
もちろんイオを危険な目に合わせたくなかったというのが一番の理由ですけど。

次回、とうとう仲間たちは3つのグループに分かれて対立することになります。
ヒロインの選ぶ道は…?




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6th Day 決別の金曜日 -3-

夜遅く、ヤマトは招集をかけた。

それは7番目のセプテントリオン戦を前にし、民間人協力者の間からそれぞれ自分の身の振り方を決めておこうという声が上がったからだ。

今度はロナウドとジョーもヤマトの招集に応じ、13人全員が東京支局の会議室に集合した。

まずは誰もが一番気になっていたことの説明から始まった。

 

「すべてのセプテントリオンを倒した時、ポラリスに謁見する道が示される。しかし私が知っているのはここまでだ。示される道がどのようなものかは私も把握していない」

 

「ということは、お前が抜け駆けすることはできないということだな?」

 

ヤマトの言葉にロナウドが敵意丸出しの言い方をする。

 

「そうだ。安心したか?」

 

ヤマトも刺々しい視線をロナウドに送りながら答えた。

このふたりが顔を合わせて話をするのは、名古屋支局がフェクダに襲撃された時以来だ。

あの時は時間がなかったが、今回は時間が十分にある。

誰にでもすさまじい言い争いになるだろうという予想ができ、まもなく両者の戦いは幕を開けた。

 

「俺はお前の野望など断じて認めない! お前を打ち倒し、すべての人が平等で平和に暮らせる世界を創るぞ!」

 

ロナウドはヤマトを睨みつけながら熱く叫ぶが、ヤマトはそんな彼に冷淡な視線で反論した。

 

「平等で平和だと? いかにもクズが考えそうなことだな。平等平等と声高らかに叫ぶのは弱者が強者を妬ましく思い、自らの弱さを他人のせいにしているだけだ。悔しければ自ら強者となればよい」

 

「何だと!?」

 

「平等など怠惰な人間の常套句! そんなものは社会に甘えたクズを量産するだけだ!」

 

「そんなことはない! 強者と弱者が存在するから争いが起きるのだ。すべての人間が平等となり、お互いが助け合うことで真の平和が訪れるのだということがなぜわからん!?」

 

「ふん、勝手に吠えていろ。相手にする気も起きん」

 

ここでヤマトとロナウドの舌戦にジョーが参加した。

ロナウドひとりではヤマトに太刀打ちできないので、自分が平等主義の正当性をアピールし、賛同者を増やそうというところだ。

 

「俺はロナウドの言う世界に賛成だ。弱者を切り捨てるんじゃなくて、そういう人にこそ手を差し伸べるべきじゃないのかな。みんなで他人に対して優しい気持ちを持とうよ。強い奴だけが偉いだなんて、住みにくい世の中になりそうだぜ」

 

すると彼らの意見に同意する者が現れた。アイリだ。

 

「あたし、ロナウドはあまり好きじゃないけど、…1番とか2番とか、そんなのない世界になるならそっちの方が幸せだと思う」

 

コンクールでかんばしい成績を残せないでいる彼女らしい考えだ。

彼女の言葉にオトメも頷く。

 

「わたしも共感できるかな…。自分だけでなく家族も友達もみんなが同じように幸せになってもらいたい。ううん、世界の人がすべて同じく幸せになってほしいと思う」

 

この流れだとロナウド側が有利なように見えるが、もちろんヤマトの意見に賛成する者もいる。

 

「俺はこっちやな。強いもんが偉い。シンプルや」

 

ボクシングをやっているだけあってケイタは力がすべてだという考えを持っている。

 

「ま、平等なんか、努力しないヤツの言い訳だよね」

 

フミらしい言い方だ。

彼女は努力の上に今の自分があると確信しているからそう言えるのだ。

 

そしてマコトもヤマトの側についた。

 

「わたしはジプスの人間だ。最後まで局長に従う」

 

自分の意思を示した者たちはそれぞれ自分のリーダーとなる人間の後ろに立った。

残ったのはダイチ、イオ、ヒナコ、ジュンゴ、そしてミヤビだ。

 

「俺は…仲間同士戦わずに済む道を探すべきだと思う」

 

突然、ダイチが立ち上がってそう言った。

彼はこれまですすんで何かをすることもなく、ただ言われたことを渋々やっているだけの存在だった。

そんな彼が自ら意見を言うなど誰も想像もしていなかった。

さらに想像していないことが続いた。

これまで他人の顔色ばかり伺って、自己主張のなかったイオまでもが意見を言ったのだ。

 

「わたしも同じです。峰津院さんも栗木さんも言うことが極端すぎます。だからどちらの考えにも賛成できません」

 

イオの意見にヒナコが頷く。

 

「そうや。これまで一緒に戦ってきた仲間同士が争うなんておかしいで。話し合いでなんとかならんの?」

 

「仲間が、戦う…。そんなの、ダメだ」

 

ジュンゴも加わって言った。

 

「ならば君たちの目指すものを言いたまえ」

 

ロナウドが厳しい目つきで訊く。

続いてヤマトもダイチを軽蔑するような視線を送りながら言った。

 

「ふん、所詮貴様らのような愚民に私の崇高な理想は理解できまい。そんな輩に自身の意見などあるはずもない。賛成できないからと、反対しているにすぎないのだからな」

 

「…」

 

「ほら、何も言い返せまい」

 

ヤマトはそう言うと、今度はミヤビに訊いた。

 

「ところでミヤビ、お前はどうするつもりだ? まさかこの私に反旗を翻すとは思えぬが、私はそれでもかまわぬぞ」

 

ヤマトはあえてミヤビにその意思を問う。

彼はミヤビが自分を裏切るはずがないという自信を持っている。

これまで彼は意識してミヤビが自分以外の人間から影響を受けないように努めてきた。

彼女を教育機関に預けなかったのは彼女が年齢以上に優秀だったこともあるが、同世代の人間から自分にとって都合の悪い思想を植えつけられることを危惧していたのだ。

ヤマトにとってミヤビは自分の手足となって働く優秀な駒である。

よって本人に意思などというものは邪魔なだけ。

おかげで命令に忠実で理想的な駒に仕上がったが、彼の脳裏には不安がよぎるようになっていた。

ここ数日の命令違反と自らルーグの依り代となった行動が彼に不安を抱かせたのだ。

《審判の日》以降、ミヤビはダイチやイオという同世代の人間と交流しており、少なからず影響を受けている。

その不安と疑念の気持ちが「逆らうのなら迷うことなく消す」という意味を暗に含んだ言葉になってしまった。

一方、ダイチたちはミヤビがヤマトの考え方に全面的に賛成していないことを知っている。

さらに彼女は仲間同士の絆を重要視している。

だからミヤビがヤマトともロナウドとも違う「第3の道」を自分たちに示し、自分たちの仲間になって一緒に戦ってくれるだろうという期待を持つのは至極当然のことである。

 

各人が様々な思惑を抱えている中、ミヤビは意思を示した。

 

「わたしは平等主義などという愚にもつかない理想論の肩を持つ気はまったくありませんし、この状況において話し合いで解決しようだなどという綺麗事につき合う気もありません。わたしはこれまでヤマト様のために生きてきました。ですからこれからもヤマト様と行動を共にするつもりです」

 

ミヤビがそう発言したものだから、ダイチたちは焦った。

そしてヤマトは一瞬だけ意外だという顔をしたが、すぐにニンマリと笑みを浮かべた。

逆にこのままではマズイと、ダイチの意思を支持するメンバーはそれぞれ言いたいことを言い出した。

 

「ミヤビちゃん、君はヤマトのやっていることが正しいと本気で思っているのか? 昨日はヤマトの間違いを正すって言ってたじゃないか!?」

 

「わたしを助けてくれたのも、仲間を大事にしているからですよね? その仲間と戦うんですか?」

 

「局長さんの言っとることは無茶苦茶や。そないな考えに賛同するって、あんた、見損なったわ」

 

「ミヤビ…仲間と、戦うの?」

 

ミヤビは黙って彼らの言葉に耳を貸し、その上で答えた。

 

「仲間であろうとも、戦意を向けるなら、わたしは戦うだけです」

 

こうはっきりと宣言されたなら、ダイチたちも腹をくくるしかない。

 

「…わかった。でも俺はヤマトの考えに従うことはできない。君と戦うのも嫌だ。だから無い知恵絞って戦わずに済む方法を探すよ」

 

寂しげなダイチの言葉に、ミヤビは申し訳ない気持ちになった。

しかし自分の信じた道を行くにはこうするしかないのだ。

 

「これで決まった、な」

 

ヤマトはそう言って、その場にいた全員の顔を見渡した。

 

「では明日、セプテントリオンを倒し、最終的に勝ち残った者の意思が人類の総意ということで良いな?」

 

全員が黙って頷いた。

それはセプテントリオンが出現する前に人間同士での戦いが行われる可能性を示唆している。

そして負けた者は勝った者の陣営に加わるか、もしくはこのゲームから降りるということに決まった。

このルールはヤマトが言い出したことだが、ロナウドもこれには異議を唱えずに了承した。

ヤマト陣営は大阪本局を本拠地と決めて、ミヤビたちを連れて東京支局を出て行った。

それは東京と名古屋の両支局の放棄を意味する。

3都市の結界が消えた今、本局さえあればセプテントリオンとの戦いやポラリスとの謁見に支障はないというヤマトの結論でもある。

ロナウド陣営は名古屋支局へ戻り、そしてダイチたちは主のいなくなった東京支局に残ることとなった。

 

 

 

 

大阪本局へ着くと、ミヤビはすぐにヤマトに局長室へ呼び出された。

 

「お前が私に従うのは当然のことだが、少し意外な気もした。これまでの言動から、志島や新田らと手を組んで、私に敵対する可能性も捨てきれなかったからな」

 

上機嫌の彼にミヤビは返した。

 

「わたしは正しい選択をしたまでです。今さら話し合いで何とか解決しようなどという甘い考えにはつき合いきれません」

 

「フッ…そのとおりだ。我々には時間がない。それに連中は何の取り柄もなく、サマナーとしてもたいした戦力にもならぬ。お前に切り捨てられたと知った時の志島の顔を覚えているか? あの哀れな奴の顔…弱者そのものだ」

 

「…」

 

「お前は私が見込んだとおり聡明で、何が正しくて何が間違っているのかを見極める力を持っており、自分で進む道を選ぶことのできる強者だ。これからもずっと私の側にいろ。そうすれば正しき者に導かれた清廉で高尚な世界は完成され、その頂点で思う存分己の力を発揮できるようになるぞ」

 

「わたしは別に頂点に立ちたいとは思っておりません。…ところで明日から三つ巴の戦いとなりますが、いかがいたしましょうか? わたしは東京陣営を無力化することが先決かと考えます。仲間同士が戦いたくないなどという軟弱な輩ですから、名古屋陣営に取り込まれる恐れがあります。雑魚ばかりですが、徒党を組まれると面倒です。さっさと始末しておいた方が良いでしょう」

 

「何か考えがあるようだな?」

 

「はい。東京陣営についてはわたしにお任せ下さい」

 

「よかろう、結果を出せ。以上だ」

 

「了解しました」

 

 

 

 

ミヤビは大阪本局に一室を与えられた。それは東京と同じで幹部用の部屋だ。

大阪本局には局長代理や前名古屋支局長らも集まっているが、ヤマトの真意については知らされずにいた。

ヤマトはミヤビとマコト、フミとケイタの4人以外はアテにしていないのだ。

ヤマトはこの5人以外は生き残ることはないと思っているのだろう。

いや、自分だけ生き残れば十分だと考えている。

自分さえいれば彼の理想の世界は完成されるのだから。

 

ひとりになったミヤビはこれまでのことを振り返っていた。

 

(ヤマト様はわたしの真意に気がついていない。いいえ、気がついていても、わたしを利用するだけ利用して、最後には捨てるつもりでいるのかもしれない。どちらにしてもダイチさんたちには誰にも手を出させないわ。わたしは非難したような言い方をしたけど、彼らは立派だと思う。この状況においても仲間と結んだ絆を一番大切にしているのだから。彼らにはヤマト様やロナウドさんのように具体的に目指すものはないけど、争わない世界というのは重要だと思う。人間同士が無駄な争いを繰り返す愚かな存在だからこそ、ポラリスによって粛清させられそうになっているんだもの。時間さえあれば仲間同士で戦うことなく最善の道を模索することができたでしょうに…残念だわ)

 

そうは思っても、もう後には退けない状態だ。

 

「ミヤビ、辛い道を歩むことになりそうだね?」

 

いつの間にかミヤビの側にアルコルがいた。

ミヤビは無断で部屋に侵入したことは咎めず、普通に接した。

 

「辛くてもこれが最善の道だと自信持って言えます。それに辛いといってもあと1日だけ。わたしは耐えられます」

 

彼女がそう答えた瞬間、アルコルは表情を曇らせた。

彼にはミヤビが何をしようとしているのかがわかってしまったからだ。

 

「迷いはないのかい? ヤマトはそんなことを望んではいないし、君の想いを理解してくれるかどうかもわからないというのに」

 

「いいえ、わたしはヤマト様を信じています。きっとわたしの意思を理解し、新世界は今の世界より素晴らしいものになると確信しています。そのためならこの命など惜しくはありません」

 

「わからないよ…。君がどうしてそこまでヤマトのために尽くすのか私には理解できない」

 

「あなたにはわからないでしょうね。…わたしはヤマト様が峰津院の呪縛から解放されることを願っています。彼だって人間ですから自分の気持ちを押し殺してきた部分があるのは紛れもない事実です。だから新世界ではもっと自由に生きてほしい。わたしはヤマト様が孤独な王になる世界よりも、自分の心のままに行動できる世界になってほしいんです」

 

迷いのない清々しい笑顔で答えるミヤビを見て、アルコルは彼女が輝き続ける理由がわかった気がした。

 

(彼女は金剛石の原石だったのだ。彼女は初めから輝いていたわけではない。ヤマトや他の人間と接することで磨かれ、次第に輝き出した。金剛石であるから何ものにも傷つけられることなく、輝きを失わない。いや、磨かれていくたびに輝きを増し、この地上にある数十億の石の中でもっとも強い光を放っている。いくら金剛石の原石でも磨かれなければタダの石ころにすぎない。彼女は自ら磨かれていくことを望み、努力を重ねてきた。だから私は彼女の輝きから目が離せなかったのだ)

 

そして思った。

 

(彼女は新世界でも必要とされる存在だ。そんな彼女がいない世界に価値はあるだろうか? ヤマトが彼女の意思を継いで新世界を創造しても、彼女がいなければ何の意味もない。私はこれまでずっと人間の営みに関わってきたが、個人の意思に介入することはできない。だから私には彼女の覚悟を止めることもできない。あとはヤマトたちにすべてを委ねるだけ。彼女が笑顔で迎えられる新世界になるよう私は心から祈るよ)

 

最後の言葉は人間に深く関わりすぎてしまったアルコルの悲痛な叫びでもあった。

 

 

 






やはりヒロインはヤマトと共に進む道を選択しました。
しかし様子が少し変です。

彼女はヤマトのために行動していますが、ヤマトの思い通りにはなりそうにありません。
最終的にはヤマトと戦うことになるでしょう。




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7th Day それぞれの土曜日 -1-



最後のセプテントリオンとの戦いになります。

しかし人間同士の戦いは避けられず、限られた力を集結して戦わざるをえません。

そして道を分かつことになった仲間たちに対し、ヒロインはどういう戦いを挑むことになるのでしょうか…





 

 

ミヤビは大阪本局で目を覚ました。

場所が変わってもやることは変わらない。身支度を整えると、食堂へ向かった。

ヤマトに従う者は多く、殆どのジプス関係者が大阪本局に集まっているものの、彼の強硬な実力主義に納得できずに脱落してしまった者もいる。

よって人員不足が生じていた。特に食堂の厨房部門の人間は全員辞めてしまったものだから、食事を用意することができず非常食のみとなる。

それでは局員及び民間人協力者の体力が持たないと考えたミヤビは自ら朝ご飯を作ることにした。

大阪陣営のメンバーは総勢16名。それくらいの人数ならと、彼女はひとりで食事の支度をするつもりで昨夜から準備をしていたのだ。

時間は〇五三〇時、昨夜のうちにセットしておいた米が炊けていて、彼女は味噌汁とおかずを作り始めた。

10分ほどするとマコトが厨房へ入って来た。

ミヤビが前夜に朝食の支度をしていたことを知っていて、その手伝いをしようというのだ。

 

「おはようございます、マコトさん」

 

「おはよう、ミヤビ。何か手伝おう」

 

「それではお言葉に甘えてお手伝いをお願いします。マコトさんは味噌汁の鍋の火加減を見ていてください。わたしはこちらで塩ジャケを焼いていますので」

 

「ああ、わかった」

 

ふたりで厨房に立ちながら、ミヤビはふと思った。

 

(なんだか不思議な感じだわ。本来ならこのふたり組が厨房に立つことなどなかったはずだもの。それなのに今はこうして料理をしている。これもそれぞれの価値観や思想の違いによって仲間たちが分かたれた結果ね。たぶん東京や名古屋でも同じようなことになっているでしょう。でも東京にはジュンゴさんがいるし、名古屋にはオトメ先生がいるから、食いっぱぐれることはないわね)

 

30分ほどで全員分の朝食の準備が終わった。

あとはヤマト用の食事の用意をするだけである。

彼だけは特別メニューということで、別に作らなければならないのだ。

この非常時だというのに、ヤマトだけはマイペースを貫いている。

ミヤビはメニューを厨房担当者が残していったレシピで確認した。

当然のごとく厳選された食材のみで作らなければならない。

局長専用冷蔵庫には野菜、卵、牛乳といった食材があるものの、そのどれもが○○産の△△△というブランドものばかり。

ロナウドがこのことを知ったら怒り狂うことだろう。

それはともかく、ミヤビはレシピどおりに料理を作った。

これも彼女が峰津院の屋敷で様々な知識や技術を得たおかげである。

そしてワゴンテーブルに料理を載せると、ヤマトの私室へと向かった。

 

「ヤマト様、ミヤビです。入ってもよろしいですか?」

 

声をかけると、ドアの向こう側からヤマトの声がした。

 

「かまわぬ、入れ」

 

ドアを開けると、まだネクタイを締めていないシャツとスラックスだけの姿のヤマトがいた。

ミヤビの知る彼はいつもきちんと身なりを整えた姿ばかりなので、その姿が新鮮に見えた。

 

「おはようございます。朝食をお持ちしました」

 

「ああ、すまぬ」

 

ヤマトはそう言うと、料理のワゴンを窓際のテーブルまで運ばせた。

窓といっても外が見えるわけではない。東京支局と同じで司令室に面しているだけだ。

 

(ヤマト様はいつも何を思いながらひとりで食事をしているのかしら? 会話もなくひとりで黙々と食べるだけの食事なんて味気ないものだというのに。幼い頃からそれが当たり前になってしまった彼は哀れだわ。一度くらいは一緒に楽しい会話をしながら食事してみたかったな…)

 

そんなことを考えながらミヤビは配膳をした。

 

「わたしは〇七三〇時に単身東京へ向かい、東京陣営の無力化作戦を遂行いたします。ベネトナシュと名古屋陣営の動きが気になりますので、さっさと済ませて戻ってきます」

 

そう告げて部屋を出た。

 

 

 

 

ミヤビはあえて転送ターミナルを使用せずに高速鉄道を使って東京へと戻った。

東京陣営との決着の場を新橋駅前と決めており、彼女はここにダイチたち4人を集めて、一気に片付けてしまうつもりなのだ。

 

「出でよ、スザク、ビャッコ、セイリュウ、ゲンブ!」

 

ミヤビは四神を召喚した。

彼女は昨夜密かに訓練をし、同時に5体まで召喚することができようになっていた。

複雑な命令はできないのだが、彼女には勝算があった。

そしてぶっつけ本番ではあるが実践投入するつもりでいる。

四神はそれぞれ東西南北の守護を司る神であり、スザクを南、ビャッコを西、セイリュウを東、ゲンブを北に配することでその中に結界を形成する。

この結界の中では彼女よりも強い霊力の持ち主でなければ悪魔召喚はできない。

つまりここにおびき出せば、魔法の使えない東京陣営は為すすべもなく無力化され、彼女に従わざるをえないということだ。

これは自分が懲罰房に入れられた時に、悪魔や魔法を封じられたら何も打つ手がないということで思いついた作戦である。

 

用意ができると、ミヤビは携帯でダイチを呼び出した。

案の定、彼は機嫌が悪い。

 

「ミヤビです。今、新橋駅前にいます。来ていただけませんか?」

 

「君が俺たちと話し合うというのなら応じるけど、戦うというのなら嫌だね」

 

「話し合いで終わるはずです。わたしも不要な戦闘は避けたいと思っていますので。できればみなさん一緒だと一度で済むのでありがたいですね」

 

「わかった。あと15分待ってくれ」

 

そう言ってダイチは電話を切った。

 

 

 

 

ダイチたちはミヤビにおびき出されたとも知らずに新橋駅前にやって来た。

 

「ご足労いただき申し訳ありません。ですがすぐに終わりますから」

 

ミヤビがそう言うと、ヒナコが前に出て言った。

 

「ミヤビちゃんだけやの? 局長さんたちはどこかに隠れてん?」

 

「わたしひとりでまいりました。ヤマト様たちには大阪でセプテントリオンとの戦いに備えてもらっています」

 

そう答えると、ヒナコは不機嫌そうな顔をさらに顰めた。

 

「ウチらなんてあんたひとりで十分だと判断したわけやな。舐められたもんやで」

 

「わたしはみなさんのことを舐めているのではありません。無駄な血が流れることを避けるために、あえてわたしひとりで来たんです」

 

「それって俺たちを説得するということ? 話し合いで解決するなんて綺麗事にはつき合えないと言ったのは君だぞ」

 

ダイチの問いにミヤビは頷いた。

 

「ええ。わたしはみなさんを説得する気はありません。みなさんが自ら降伏してくだされば良いだけですから」

 

「つまり無条件でゲームから降りろと言うんだな?」

 

「そのとおりです。戦いたくないのなら、それしか方法はありません」

 

「でもわたしたちは峰津院さんの考えも、栗木さんの考えも賛成できません。だから ── 」

 

「ならばイオさんはこの状況をどう打破するつもりなんですか!?」

 

ミヤビはイオの言葉を遮って強く言った。

 

「それは…」

 

急に口を噤むイオ。

彼女には、いや他の誰にも根本的な解決策などないのだ。

単に仲間と戦いたくないというだけである。

それは正しいことだが、具体的な方針、つまり判然とした《種の意思》がなければ世界が消えてなくなってしまうことを防げない。

東京陣営のメンバーはミヤビに反論できず、悔しくて携帯をぎゅっと握り締めている。

 

ミヤビは続けた。

 

「みなさんは戦いたくはないと言いながらも携帯を握り締めています。それはわたしと戦って、倒してでも自分たちの意見を通そうとしているという意味ではありませんか? 言っていることとやっていることが矛盾していますよ」

 

「そやけど…ウチらは自分の信念を曲げたりせえへん」

 

「ならばわたしも容赦しません」

 

そう言ってミヤビは携帯を握った左手を水平の高さまで上げた。

いかにも悪魔を召喚するといったポーズだ。

それを見たヒナコが真っ先に叫んだ。

 

「先手必勝! ペリ、出番や!」

 

これまでの戦闘経験によってレベルの高い悪魔を召喚できるようになっていたヒナコ。

しかしミヤビの結界の中にいるために、悪魔は呼び出せない。

 

「おかしい…どないなっとるんや!?」

 

様子がおかしいことで動揺するヒナコ。

それを見ていたダイチ、イオ、ジュンゴも慌てて悪魔を召喚しようと叫んだ。

 

「出て来い、ハヌマーン!」

 

「ハトホル、お願い!」

 

「アラハバキ!」

 

それぞれが自分の使役する悪魔の中でもっとも強いものを召喚しようとしたが、もちろん呼び出すことはできない。

 

「どういうことなんだ? どうして悪魔が召喚できないんだ?」

 

ダイチがエラーメッセージの表示されている携帯を睨みつけながら言う。

それに対してミヤビは答えた。

 

「それはこの場所に結界が張ってあり、悪魔を召喚できないようにしているからです」

 

「なんだって!?」

 

「わたしよりも霊力の強い者でなければ、ここでは悪魔を召喚したり、魔法を使うことはできません。この中で一番霊力の高いヒナコさんですらレベル38のペリ止まりですから、このわたしに敵うはずがないんです。…出でよ、ルーグ!」

 

ミヤビの手にある携帯から青白い光が発せられ、ルーグが召喚された。

それを見ていた4人は後退りする。

 

「生身のみなさんに魔法や悪魔による攻撃を防ぐ手段はありません。死にたくなければ降参してください」

 

ダイチたちに選択肢はひとつしかない。

彼らはミヤビが本気であり、彼女の強さを良く知っているのだから。

うなだれているダイチたちを前に、ミヤビは言った。

 

「結果は出ましたね。勝者であるわたしの陣営に加わることができないというのであれば、みなさんにはゲームを降りてもらいます。そういうルールですから」

 

そしてつけ足した。

 

「みなさんの敗因は霊力の強さだけでなく、覚悟の強さがわたしに負けているからです。わたしは自分の信念を曲げず、どんなに卑怯な手段を講じても、また仲間を失おうとも、最後まで戦います。何もかも守ろうとしても、全部守りきることなんてできはしない。ならばどんなことをしてでも守りたいと思うただひとつのもののために、他のすべてを捨てる覚悟がなければ勝てるはずがありません。すべてを投げ打ってでも守りたいもの、成し遂げたいものがあるのか。そしてそのために自分は何ができるのか、何をしてきたのか、何をすべきなのか。それを考えたことはありますか? 考えたことがないというのなら、この機会に考えてみることをお勧めします」

 

そう言って、ミヤビは悪魔たちを全部携帯に戻した。

さすがに霊力の高い彼女であっても一度に5体の悪魔召喚は体力・霊力共に消耗する。

そのせいもあって名古屋陣営との戦いではこの方法は使えないだろうと彼女は判断した。

 

(それにロナウドさんとジョーさんにこの方法を使ったら、素手でも戦いを挑んで玉砕してしまうでしょうね。ベネトナシュ戦もあるから、多少乱暴でも一気に片付けてしまうしかなさそう…)

 

 

 

 

東京陣営の無力化が終わったことを報告しようとした矢先、第7のセプテントリオン・ベネトナシュの顕現反応を探知した。

場所は宮下公園。それは大阪本局でも察知したようで、マコト、フミ、ケイタの3人がすぐに東京へ駆けつけて来てくれた。

 

ベネトナシュは白い円錐の角を取って逆さにした、という他のセプテントリオンに比べて至ってシンプルな姿をしていた。

しかし見た目で判断できるものではない。これが最後のセプテントリオンなのだから。

それに十数体の悪魔を従えており、ミヤビを含めた精鋭メンバーとはいえ4人では苦戦するだろう。

 

「さあ、戦闘開始です!」

 

ミヤビはスザクとビャッコを召喚し、臨戦態勢となった。

しかし携帯の画面を見て困惑する。

 

「…人間不可侵? 何や、それ?」

 

ベネトナシュのスキルを見てケイタが首を傾げた。

それは悪魔の攻撃なら効果はあるが、悪魔使い自身の魔法はまったく効かないということを意味している。

こうなれば召喚できる悪魔を全部投入して戦うしかない。

ビャッコの電撃がベネトナシュを直撃したその直後、バチッと音がしてベネトナシュが召喚していた悪魔が消えていく。

しかしそれだけではなかった。

ミヤビたちが召喚していた悪魔たちも全部携帯に戻ってしまったのだ。

 

「な、何だ!? 何が起きたんだ!?」

 

マコトが慌てて携帯を見る。

ミヤビも同様に見ると「error」の文字が画面に出ていた。

どうやらこのベネトナシュは悪魔を強制帰還させることや、新たな悪魔の召喚を封じることができるらしい。

さすがのミヤビもこの状況を打破する手段が見つからず、撤退の指示を出した。

 

「ひとまず撤退しましょう!」

 

しかしベネトナシュは妨害しようと、メグレズの〈芽〉を撃ち出した。

〈芽〉が起こす地震に耐えつつ、ミヤビたちは撤退する。

人間の攻撃が効かない上に悪魔は強制的に帰還させられてしまう。

さらにこれまでのセプテントリオンと同じ方法で攻撃をしきた。

こうなるとメラクの〈周極の巨砲〉やアリオトの〈毒素の塊〉といった攻撃の可能性も捨てきれない。

ただ幸運なことに、なぜかベネトナシュはそれ以上の侵攻をせずに姿を消した。

おかげで対策を練る時間は得られたようだった。

 

 

 

 

大阪に戻ったミヤビはベネトナシュの件でフミに相談していた。

 

「ベネトナシュのあの攻撃、どう思いますか?」

 

「ん~、簡単に言うとジャミング、かなぁ」

 

フミはパソコンをいじりながら彼女の質問に答える。

 

「ジャミング…通信妨害ということですね?」

 

「そう。多分ベネトナシュは何らかの手段をで召喚アプリとの繋がりを妨害したんだと思う。だから今は悪魔使えるようになってるでしょ?」

 

「はい」

 

ミヤビの携帯はいつの間にか悪魔召喚が可能な状態に戻っていた。

それはベネトナシュの力が及ぶのはある程度の範囲までだということを意味している。

ベネトナシュに近づかなければ悪魔が強制的に帰還させられるということはないのだろうが、それではこちらの攻撃も届かない。

つまり打つ手なしということだ。

 

「対策はこっちでも探すから、ミヤビも何か考えてよ。アリオトの時みたいにさ」

 

「了解です。それにしてもとんでもない敵が現れましたね」

 

「まあ、局長の説明によるとセプテントリオンは北斗七星になぞらえているらしいから、ベネトナシュが最後ってことでしょ? これがポラリスの本気ってことじゃないのかな」

 

「そうですね。敵が段々凶悪になってくるのは想定内のことでしたけど、さすがにこれは厄介です。でもベネトナシュを倒さなければ、これまでの苦労も意味のないものになってしまいますから、どんな強敵であっても倒すしかありません。知恵を絞って倒す方法を考えてみます」

 

そう言ってミヤビはフミの部屋を出た。

ミヤビには解決しなければならない問題が他にもある。そう、名古屋陣営だ。

彼女は東京の時と同様に、名古屋に乗り込むためにひとりで出撃した。

 

 

 

 

名古屋のテレビ塔の下にロナウドとジョー、アイリとオトメ、そしてロナウドを支持するレジスタンスメンバー20名が待ちかまえていた。

ここは30分ほど前に、ロナウドからの電話で指定された場所である。

当然、ミヤビが新橋駅前に結界を張っていたように彼らが何かの仕掛けや罠を用意してある可能性は高い。

それを承知でミヤビは呼び出しに応じた。

ロナウドたちの罠くらいでたじろぐ彼女ではないのだ。

 

「来てくれたか」

 

ロナウドは開口一番に言った。

 

「俺たちに協力してくれ。そうすれば俺たちは君と争わずに済む」

 

東京陣営がミヤビに負けたことは彼らの耳にも届いていた。

戦闘に持ち込まれれば都合が悪い。よって無駄だとわかっていてもロナウドは説得を試みたのだ。

もちろんミヤビがそれに応じるはずもない。

 

「戦わずに済むのならその方が良いですけど、ロナウドさんたちの考えに賛同できるものではありません。逆にあなたが降伏するというのなら、わたしはみなさんの身の安全を保証しますけど、いかがでしょうか?」

 

「馬鹿な。俺は降伏などしない。自分たちの願いや希望を俺に託してくれている人間がいるかぎり、俺は平等な社会を創るという意思を自ら折ることはありえないのだ」

 

「それはわたしも同じことです。自分の意思を曲げることは絶対にしません」

 

「ならば仕方がないな…」

 

そう言ってロナウドは携帯を構えた。

彼らもまた能力がアップし、さらに強い悪魔を召喚できるようになっていた。

ロナウドの魔神インティはレベル45、オトメの鬼女ハリティーは46だ。

ジョーの神獣カマプアアとアイリの妖獣カイチも侮れない。

また数では圧倒的に名古屋陣営の方が有利で、一斉に攻め込めば勝てるという可能性にロナウドは賭けてみたのだった。

 

しかしミヤビのルーグの前に全員がひれ伏した。

ルーグの〈魔力開眼〉と〈デスバウンド〉のスキルは恐ろしいほど強力で、レベル50未満の悪魔では数がいても太刀打ちできるものではなかったのだ。

 

「あなたたちの負けです」

 

ミヤビは地面に膝をついたロナウドにわざと冷たく突き放した言い方をした。

 

「わたしひとりに勝てないみなさんではヤマト様に勝てるはずがありません。ポラリスと謁見するなんて端から無理なことだったんです」

 

「それでも俺は諦めないぞ。峰津院の野望を阻止するためになら、この命を捨ててもかまわないのだからな!」

 

ロナウドはインティとハゲネの両方を失いながらも、まだミヤビと戦おうとしている。それだけ彼の意思は強いのだ。

しかしミヤビは彼の行為を完全に否定した。

 

「命を捨ててもかまわないですって? あなたの掲げる平等主義は夢物語ですが、信念を曲げずに突き進む行動力は感銘に値します。しかし命よりも大切なものなどどこにもありません。命よりも矜持を大切にするという人もいますが、わたしから見れば愚か者です。人は死ねば終わり。生きているからこそ希望が、そして未来があるんです。自らその希望を断とうとする者がいくら崇高な思想を掲げても、誰が従うというのでしょうか?」

 

「くっ…」

 

「あなたが無茶な特攻で死ぬのはかまいませんが、残された者たちはどうするんですか? 弱者を助けたいと言って立ち上がったあなたが自己満足で何もかも放り出してしまうというなら、それこそ自ら愚か者であると証明したものではありませんか?」

 

「…」

 

ミヤビに負けて、もう自分には何もないと言わんばかりにうなだれているロナウドに、今度は優しく慰めるような口調でミヤビが言った。

 

「ロナウドさん、わたしはあなたに博愛という言葉を贈りましょう」

 

「博愛…?」

 

そう言ってロナウドは顔を上げた。

そんな彼にミヤビは微笑みながら続ける。

 

「わたしは人間が平等になれるとは思いませんが、博愛…すべての人を等しく愛することは可能だと思います。今のあなたがすべきことは自らの信念に殉じて死ぬことではなく、自分が生きて何を為すべきかを考えることです。もしひとりで考えても答えが得られないなら、周りにいる仲間たちと一緒に考えてみてください。きっと未来の人間が『あの時の選択は正しかった』と言ってくれる結果を見つけられるはずです」

 

そう言い残し、ミヤビは大阪本局へと帰還したのだった。

 

 

 






東京陣営と名古屋陣営のメンバーをヒロインがひとりで降参させました。
これでベネトナシュを倒して、ヤマトがポラリスとの謁見に臨むことになるわけですが…
そうならないのがこの物語です。




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7th Day それぞれの土曜日 -2-

ミヤビはヤマトに命じられ、一緒に大阪本局の書庫でベネトナシュ戦に役立ちそうなものを探していた。

先の戦闘で疲れてはいるものの、ゆっくりと休んでいる暇などないのだ。

 

「こちらには目ぼしいものはありません。ヤマト様の方はいかがですか?」

 

「こちらにもない」

 

「はあ…ポラリスも最後の最後にとんでもない怪物を送り込んできましたね。魔法を封じられたことで、こちらには悪魔しか戦う手段がなくなるというのに、その悪魔を強制帰還させてしまうという最凶のスキルを発動するんですから。アリオトよりもタチが悪いです」

 

「しかし何か手立てはあるはずだ。文句を言わずに探せ」

 

相変わらず眉間にシワを寄せて厳しいことを言うヤマト。

しかしいつまたベネトナシュが攻めて来るかわからない状態で、一分一秒とて無駄にはできないのだ。

 

ミヤビは様々な悪魔が載っている古びた本のページをめくっていたが、あるページまで来た時にその指が止まった。

 

「ヤマト様、トランペッターはいかがでしょうか?」

 

「トランペッター、だと?」

 

魔神トランペッター…それは「ヨハネの黙示録」に登場する神の遣いだ。

天使の類であり、彼らのラッパが鳴らされる時、地上に災厄が起こり、世界を破滅へと導くと言われている。

このトランペッターの発する音色は特殊な音波を持っていて、ベネトナシュが携帯電話で使用する周波数の妨害電波を発しているというのなら、トランペッターの音波によって妨害電波を相殺できるのではないかとミヤビは考えたのだ。

 

「フミさんは悪魔が強制的に帰還させられるのは、ベネトナシュがジャミングをしてアプリとの繋がりを妨害したのではないかと言っていました。ですからトランペッターの音波でベネトナシュのジャミングを阻止するという作戦です。上手くいくかどうかはフミさんに聞いていなければわかりませんが」

 

「さすがだな、ミヤビ。トランペッターなら大阪本局で管理しているはずだ。すぐに菅野に連絡を取るぞ」

 

そう言ってヤマトはフミに計画を伝える。

フミは話の内容を聞いて名案だと断言し、早速トランペッターの召喚準備に取り掛かった。

しかし電話を切ったヤマトは険しい顔をしてミヤビに言う。

 

「しかし問題点がひとつある」

 

「はい、トランペッターのラッパがベネトナシュだけに影響を及ぼすわけではないということですよね。ベネトナシュに対して効果はあるものの、こちらも悪魔が召喚できなくなる、と。リスクは高くなりますが、わたしたちならどんな困難でも乗り越えられるはずです」

 

「ああ、そうだな。お前がそう言うと安心する」

 

「では、わたしはフミさんのお手伝いに行って来ます」

 

書庫を出ようとしたミヤビをヤマトが制止した。

 

「待て」

 

「まだ何かあるのでしょうか?」

 

「トランペッターのことなら菅野に任せておけばいい。お前は私の側にいろ」

 

「…あの、もしかしたらまだ昼食を召し上がっていらっしゃらないとか? それなら急いで用意をいたします」

 

「そうではない。食事は済ませた。…お前こそどうなのだ?」

 

「はい、名古屋から戻ってすぐに済ませました。十分に休憩もしましたから、万全の状態です」

 

「そうか…それなら良い」

 

ヤマトはそう言ったきり黙ってしまった。

 

「特にご用がなければ、これで失礼させていただきます。わたしは他にやることがありますので」

 

「あ、ああ…」

 

出て行くミヤビをヤマトは黙って見送った。

 

ミヤビはヤマトの期待どおりに東京陣営と名古屋陣営を無力化した。

これでベネトナシュを倒せば自分がポラリスと謁見に望むことになるのは間違いないとヤマトは確信している。

しかしなぜか胸の中にいつまでも晴れない暗雲が立ち込めていた。

 

(ミヤビはこれまでずっと私に真摯に仕え、今も変わらぬ忠誠心で尽くしてくれている。命令違反をすることもあったが、必ず私の望む結果を出している。今もこうして側で働いてくれている。不安などないはずだというのに、なぜ私は…こんなに苦しいのだ…?)

 

その答えを教えてくれる者などいるはずもなく、ゆっくりと立ち上がると局長室へ戻ったのだった。

 

 

 

 

再度出現したベネトナシュの反応を追って、ミヤビたちは赤坂の迎賓館前に辿り着いた。

 

「頼むよ、トランペッター!」

 

「よかろう。盟約に従い、汝の願いを叶えん」

 

フミの命令でトランペッターが息を吸い込み、軽快でいて荘厳な音色を奏でた。

周囲に音は響き渡り、そして見た目には変化がないものの、ベネトナシュは間違いなくトランペッターの影響を受けていると判断された。

 

「今です、みなさん!」

 

ミヤビがそう叫ぶと、ヤマトたちは全員同時に携帯をかまえた。

 

「さっさと決着をつけるぞ。…ケルベロス、バアル、ザオウゴンゲン!」

 

「出でよ、ビャッコ、ルーグ、ロキ!」

 

それぞれが自分の使役する悪魔を次々に召喚する。

ベネトナシュに効果があるのと同時に、こちら側の悪魔もこれ以上は召喚できない。

あとはこの戦力で戦うだけだ。

 

トランペッターの奏でる音色を背に、ミヤビたちは攻撃を始めた。

しかしベネトナシュも黙ってはいない。メグレズの〈芽〉を射出して反撃する。

ヤマトの攻撃にミヤビが援護してふたりで畳み掛けると、ベネトナシュは4つに分裂した。

中身を見ると、今までに対峙したセプテントリオンの姿がある。

そして上空からアリオトの〈毒素の塊〉が降ってきた。

 

「ミヤビ、援護するよ」

 

フミがアリオト殲滅戦で使用した解毒剤を散布して〈毒素の塊〉は無効化された。

アリオトの個体の毒素攻撃は封じられたが、状況が好転したわけではない。

アリオトの個体以外の3つのうちのふたつはメグレズとフェクダの個体で、残りのひとつは真っ黒のものだ。

これがベネトナシュの本体と言ったところだろう。

ヤマトはメグレズの個体にザオウゴンゲンの〈百列突き〉で、ミヤビはフェクダの個体にロキの〈メギドラオン〉で攻撃を加えていくが、ベネトナシュの個体に邪魔をされてしまい十分な効果を出せないでいた。

 

「わかったよ。中身が真っ黒い奴の弱点は電撃属性だ」

 

戦闘に加わっていなかったフミがノートPCを操作しながら言った。

敵のデータを確認しながらの戦闘は無理だと判断したヤマト。

彼がフミを情報処理に専念させていたおかげでベネトナシュの弱点を発見できたのだ。

 

「先にベネトナシュ個体から片付けるぞ!」

 

ヤマトの号令で、ミヤビはビャッコに命令した。

 

「ビャッコ、ジオダインよ!」

 

ビャッコは体毛に電流を蓄積し、一気に電撃を放った。

するとベネトナシュの個体は大きく揺れて地上に落下した。

さらにもう一撃加えると、真っ黒な個体は音もなく霧散していった。

攻撃の邪魔をするものがなくなり、さらに〈人間不可侵〉の効果が切れたことで、人間側が圧倒的に有利となった。

メグレズ、フェクダ、アリオトの順で全員攻撃を加え、ついに7体目のセプテントリオンは崩れ落ちたのだった。

 

 

 

 

これで7体のセプテントリオンを倒したことになるのだが、特に変化は見られなかった。

ミヤビは昨夜のアルコルとのやりとりから、彼が敵となることはないと確信していた。

ならばセプテントリオンとの戦いは終わり、あとは時が満ちるのを待つだけである。

そこでミヤビはヤマトとの決着をつけるなら今しかないと考え、ヤマトに早めの夕食を届けに行った際に宣言した。

 

「ヤマト様、お暇をください。ジプスも辞めさせていただきます」

 

そう言って深々と頭を下げる。

それをヤマトは本気だとは受け止めなかった。

 

「戯言はよせ。お前らしくない」

 

「いいえ、わたしは本気です」

 

ミヤビがそう答えると、ヤマトは眉間にシワをよせる。

 

「辞めてどうする?」

 

「ヤマト様に一対一の勝負を挑みます」

 

ここまで言えばミヤビが冗談ではなく本気であることに気づいたはずだ。

その証拠に、ヤマトは乱暴に席を立った。

 

「この期に及んでこの私と戦うというのか!?」

 

「はい、そのとおりです。わたしはヤマト様のお考えに賛同することはできません。わたしはあなたを倒し、わたしの意思を種の意思として認めさせます」

 

「そうか…ならばお前には私自ら引導を渡してやろう。…では2時間後、場所は通天閣。良いな?」

 

「了解しました」

 

そう返事をすると、ミヤビは再度深く頭を下げてから部屋を出たのだった。

 

 

 

 

ミヤビの前では平静を装っていたヤマトだが、彼女の姿が消えると怒りでも悲しみでもない複雑な感情が胸の中から込み上げてきたのを感じて顔を顰めた。

 

(くっ…。最後の最後で裏切るとは…。これまで私の前では忠実な下僕のフリをし、このタイミングをずっと待っていたのだとすれば、見事な演じっぷりだ)

 

ヤマトの脳裏に浮かぶのは常に笑顔で、どんなことでも真摯に臨んでいたミヤビの姿だった。

唯一の理解者であり、心の支えでもあったミヤビが敵となることは彼の人生の中でもっともショックなことであったのだ。

 

(あの笑顔は私を騙すための手管であったのか? 私と共にあることを最大の幸福だと言った言葉は嘘だったというのか? 命ある限り私のためにあると言った言葉は偽りだったのか!?)

 

強く握り締めた拳がブルブルと震える。

その拳で机の上にあったガラスの花瓶を思い切り弾き飛ばした。

それはミヤビが「ヤマト様の気持ちをお慰めしたい」といって毎日代わる代わる花を生けていた花瓶である。

今日もその花瓶には小さな黄色い花が飾られていたが、その花も無残に散らされてしまった。

 

砕けたガラスと散らされた花びらをぼんやりと見つめていた時、ドアをノックする音がした。

 

「ミヤビか!?」

 

ヤマトはミヤビが心変わりして戻って来たのだと思い、彼女の名を叫んだ。

しかしドアの向こうからの声を聞いて落胆した。

 

「局長、入ってもよろしいでしょうか?」

 

ドアの向こうにいるのがマコトだとわかると少しだけ冷静に戻ったようで、ヤマトは何事もなかったかのように椅子に座り直すとマコトを招き入れた。

 

中へ入ったマコトは床の上で砕け散っている花瓶と花に気がついた。

 

「局長、先ほどミヤビがジプスを辞めるというメールを送ってきました。そしてわたしに後のことをよろしくと。彼女に何があったんですか? 館内を探しても見つかりませんし、携帯も電源をオフにしているらしく繋がりません」

 

ミヤビはマコトに辞めることをメールで伝えただけで出て行ったらしい。

 

「そうか…。ミヤビは私の考えに賛同することはできないと言った。そして私と戦い、私を倒して自分の意思を種の意思として認めさせるのだそうだ」

 

ヤマトの言葉にマコトは気が動転してしまった。

 

「そ、それは本当…ですか?」

 

「私が嘘をつく理由はない」

 

「…」

 

「所詮ミヤビは私の手駒のひとつ。セプテントリオンとの戦いが終わった以上、もう不要だ。彼女には私自ら引導を渡してやろうと思う。私の目指す世界が気に入らないというのなら、新世界では彼女も生き辛いだろうからな。これは長年私に仕えてくれた礼のつもりだ」

 

マコトはこれまでミヤビがヤマトのためだけに生きてきたことを知っている。

その彼女が反旗を翻したのだからよほどの理由があるのだろうと思った。

そして無意識に視線が花瓶の欠片と花に向けられた時、その意味を悟った。

 

「キンミズヒキ…か。彼女らしい」

 

マコトのつぶやきをヤマトは聞き逃さなかった。

 

「それはどういう意味だ?」

 

「この花はキンミズヒキと言います。キンミズヒキの花言葉は『謝意』。つまり彼女は局長に対して感謝の気持ちと共に、自分の反逆を詫びる気持ちを伝えたかったのでしょう。感謝の気持ちだけでしたら他に感謝の意味をもつ花がいくらでもありますからそれでもかまわないはず。この花にしたのは自分の行為に対して局長に謝罪したいという気持ちが含まれているからだとわたしは考えます。これは夏から初秋にかけて咲く花ですから、ずいぶんと前から覚悟を決めていて、わざわざこのために手間をかけて用意したのでしょうね」

 

それを聞いてヤマトは顔を歪ませた。

 

「詫びるくらいなら、初めから私に反逆などせずとも良いだろうに…。愚かな奴だ」

 

マコトは割れた花瓶を片付けながらヤマトの言葉を聞いていた。

 

(ミヤビの「後をよろしく」というのは、ジプスのことというよりも局長のことを頼むという意味なのだろうな…。もっとも信頼していた人間に裏切られるのだ、その心の傷は計りしれない。しかし局長にとって彼女は特別な存在であり、彼女の代わりを務めるなどわたしには無理だ。ならばわたしに何ができるというのだ…?)

 

いくら考えても名案が浮かばないマコト。

そこで退席すると大阪陣営のメンバーだけでなく、東京と名古屋にいる仲間たちにもこのことをメールで伝え、それに伴う行動は各自の判断に任せるとつけ加えた。

 

(さあ、これでわたしにできることはやった。後はミヤビが結んだ絆を信じるだけだ)

 

 

 






とうとうヒロインがヤマトから離反しました。
次回はふたりがガチで戦います。




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7th Day それぞれの土曜日 -3-

通天閣を背にしてヤマトはミヤビを待っていた。

ミヤビはジプスの制服を脱ぎ、私服に着替えている。

シンプルな白いワンピースだが、その白装束が彼女の覚悟の表れだと言えるだろう。

 

「来たか」

 

「はい」

 

「今ならまだ遅くはない。私に従い、私の理想の世界に生きろ。それがお前のためだ」

 

ミヤビの覚悟を変えることは不可能だということはわかっていた。

しかしヤマトの彼女に対する執心がそんな最後通告となったわけだ。

 

「わたしが一度決めたことは曲げない性分であることはご承知のはず。くだらぬ問答はせず、さっさと決着をつけましょう」

 

「…よかろう」

 

通天閣が光を放ち、ヤマトの身体が中空に浮び上がった。

通天閣を利用して僅かに残っている龍脈を活性化させているのだ。

峰津院家の人間は龍脈を使うことに長けている一族である。

龍脈の力が身体に馴染めば馴染むほど、彼の力は脅威になる。

ヤマトがこの場所を選んだ理由をミヤビは承知していたが、あえてその挑戦を受けることにしていた。

自分が絶対的な強者であると自負するヤマトであるから、徹底的に叩きのめさなければ彼が自分の負けを認めることはないだろうとミヤビは考えていた。

そのためにはヤマトがもっとも力を発揮する状況で倒さなければならない。

いくら自分に不利だとわかっていてもやるしかないのだ。

 

「出でよ、ロキ、メタトロン。…悪魔合体!」

 

ミヤビはロキとメタトロンを召喚した。

そして最後の仕上げとしてこの2体の悪魔を合体させる。

これまでの実戦経験によって彼女の悪魔使いとしてのレベルは99に達しており、最強の悪魔である魔王ルシファーの誕生を可能にさせた。

しかしヤマトはさほど驚きもしない。むしろ想定内のことだと不敵な笑みを浮かべている。

 

「さすがだな、ミヤビ。私に歯向かうのだ、そうでなければ面白くない」

 

そう言って携帯を掲げた。

 

「では私の悪魔合体を見せてやろう」

 

ヤマトは魔王アスタロトと神獣バロンで堕天使ネビロスを作り、鬼神ザオウゴンゲンと合体させて堕天使サタンを作り上げたのだ。

サタンはルシファーと同じレベル99の最強の悪魔。

人間のレベルも99同士で、もはやこの勝負の行方は悪魔使いであるふたりの意思の強さにかかっているといえるだろう。

 

「始めるぞ」

 

「はい!」

 

 

 

 

「始まったね…」

 

通天閣を正面に見るビルの屋上で、アルコルは輝く者たちの戦いを見守っていた。

 

「同じ種族同士で戦うなど、人間はなんと愚かな生き物だ」

 

アルコルの会話の相手は大阪でミヤビたちの前に立ちはだかったボティスだ。

 

「アルコル様はどうして人間なんかに生き延びるチャンスを与えたのですか?」

 

「人間は自由であるが、とても不安定な生き物だ。選択を間違い、過ちを犯すこともある。…だが思わぬ選択をして、不可能を可能にしてしまうことがある。だから人間は面白い。それを輝く者…ミヤビが私に証明してくれたからだよ」

 

アルコルの視線の先にはルシファーを従えるミヤビの姿があった。

 

「しかしあの人間はアルコル様の期待にそぐわない行動をしたのですよ」

 

「そんなことはないさ。ミヤビは私の望みを叶えてくれるよ。一時はどうなるかと心配したが、やはり彼女は私の見込んだ人間だった。私は友人の選択を尊重してやるつもりだ。それが監視者としての務めでもあるのだからね」

 

 

 

 

ミヤビはヤマトの凄さを改めて思い知らされた。

サタンを使役する彼はまさに王だ。

ミヤビも負けてはいない。その王に食らいつくだけの力はある。

さすがにヤマトもサタンを使役するのが精一杯で、ミヤビのルシファーと一対一で戦っていた。

しかしヤマトとミヤビには大きな違いがある。それは霊力の差だ。

ヤマトは龍脈を己の身体に宿し、それを利用している。

つまりエネルギーは次々に補充されていくことになるのだが、ミヤビの方は徐々に削られていくしかない。

ヤマトに攻撃を加えることができずに防御するのが精一杯で、次第に彼女の息は上がっていった。

 

「愚かだな…。龍脈の力を宿した私に敵うはずがないのだ」

 

「それでもわたしはあなたと戦って勝たなければならないんです」

 

「フン、今更理由は問うまい。…私はお前の力を認めている。だからこそ私はお前にもっとも期待をしていた。その私を裏切り、逆らうお前を許すことはできぬ。覚悟はできているだろうな」

 

「覚悟なしにこんな無茶な戦いなんてできません」

 

「よかろう」

 

そう言ってヤマトは腕を振り上げた。

 

「メギド」

 

彼の低い声が聞こえ、万能属性の炎がミヤビに直撃する。

 

「負けるもんですかっ!」

 

ミヤビは必死になって防御するが、体力と霊力のほぼ半分を失ってしまった。

 

「それで勝てるつもりか? 脆弱だな」

 

ヤマトは軽蔑の視線でミヤビを見下している。

ミヤビは姿勢を立て直し、攻撃のタイミングを計っていた。

しかしヤマトに隙はない。

いや、彼にも僅かだが変化が見られた。

龍脈の力を身体の中に取り込むのだから、肉体的なダメージは相当なものになる。

ミヤビがルーグを憑依させた時と同じような状態になっているのだ。

いくらヤマトでも不死身の肉体を持っているわけではないので、身体が強大な力に耐えられなくなるのは当然である。

それは彼自身も気づいているらしく、一気に決着をつけようという気配を見せた。

右腕を高く掲げ、手のひらに龍脈の力を集中させる。

すると青白く輝く龍の姿が現れた。

ヤマトはミザールを倒したシャッコウでミヤビに止めを刺そうというのだ。

 

「くらえっ!」

 

ヤマトは衝撃波をミヤビに向けて放ち、同時にシャッコウをぶつけてきた。

 

「私に楯突いたことをあの世で後悔するんだな!」

 

まばゆい光に包まれて、ミヤビは思わず両腕で身を庇い、目を瞑ってしまった。

そのままシャッコウに喰われてしまうものだと覚悟したが、目を開くとなぜか傷ひとつなく立っていた。

 

「ミヤビ、大丈夫か!?」

 

「マコト…さん…?」

 

マコトの声で我に返ったミヤビだが事態が飲み込めずにいた。

ミヤビをシャッコウから庇ったのはマコトの使役する女神パラスアテナの盾だった。

それだけではない。ダイチの破壊神セイテンタイセイ、イオの妖精ティターニア、ヒナコの女神イシス、ジュンゴの闘鬼オオツヌミ、ケイタの破壊神スサノオ、フミの堕天使アガレス、アイリの邪神トウテツ、オトメの女神アマテラス、ジョーの神獣ウカノミタマ、ロナウドの鬼神オメテオトルと、ミヤビと深い絆を結んだ仲間たちが勢ぞろいしていた。

それもレベル50を超える悪魔を従えながらである。

昼間に戦った時よりもさらに強い悪魔を使役できるようになったということは、彼らにとって何らかの成長があったということだ。

 

「みなさん…!?」

 

「ミヤビちゃんにだけ戦わせるなんてできないからな!」

 

「私も戦います!」

 

「一気にいくで!」

 

「絶対、勝つ!」

 

ダイチ、イオ、ヒナコ、ジュンゴがミヤビを挟んで一列に並んだ。

それを見たヤマトが人を馬鹿にしたような顔で言う。

 

「雑魚がいくらあつまろうとも所詮雑魚でしかない。貴様らもミヤビと共に消えてしまえ」

 

ヤマトが再びシャッコウをぶつけてきた。

しかしそれは直撃せず、通り過ぎるとUターンをして背後からミヤビたちを襲ってきたのだ。

 

「後ろは任せろ!」

 

ロナウドとジョー、そしてケイタがそれぞれオメテオトルとウカノミタマとスサノオをミヤビの背後に配置し、それによって龍脈の一撃は防がれた。

 

「しぶといな…これでどうだっ!」

 

ヤマトはまだシャッコウを使おうとしていた。

しかしこのままではミヤビだけでなく仲間たちとヤマト本人を含めてこの場にいる全員死んでしまい、この世界はポラリスによって滅ぼされてしまうことだろう。

 

「ヤマト様、もうやめてください! このままではあなたも死んでしまいます!」

 

ミヤビは叫ぶが、ヤマトは力を弱めない。

 

「私はこれくらいのことでは死なぬ!」

 

そして続けた。

 

「我が峰津院家は代々その命を国のために捧げることを強制されて生きてきた。だが我々はこんな腐りきった世の中のために命を懸けてきたのではない! 正しく統治される世界を構築するまたとない機会を前に、負けるわけにはいかんのだ!」

 

ヤマトの悲痛な叫びに、ミヤビは心が震えた。

力を持つ存在ゆえの孤独、己の理想とかけ離れた現実への絶望といったヤマトの強い思念が心の中にどっと流れ込んで来たのだ。

哀しくて切なくて、刃を突き立てられたかのように胸が痛んだ。

そしてついには戦意を失ってしまい、彼女はこの場でもっとも適切だと思える選択をするため、初めて自らの意思を曲げた。

 

「ヤマト様、わたしの負けでかまいません! だからこれ以上力を使わないでっ!」

 

ミヤビが負けを認めることはヤマトの理想の形の実力主義社会を認めることと同義だ。

しかし彼女の叫びはヤマトの耳には届いていなかった。

 

「世界再興の邪魔は誰にもさせんっ! 死ねぇ!」

 

ヤマトは残った龍脈の力をすべて右手に集中させ、渾身の一撃を放った。

 

次の瞬間、あたりは強烈な光と熱に包まれた。

 

 

 

 

意識を取り戻したミヤビの周りにはダイチやヒナコたちが倒れていた。

召喚した悪魔はすべて消えていて、動くものは何も見えない。

しかし砂塵の舞う広場の先に僅かに黒い人影がある。ヤマトだ。

彼は龍脈に飲み込まれず、まだ動けるだけの力が残っていたようだ。

ミヤビは安堵すると同時に、自分にはまだやらなくてはならないことがあるのだと自身を鼓舞した。

ヤマトに向けて携帯をかざすと、彼自身の保有する霊力をはるかに上回る霊力の数値が計測された。

それは霊力の暴走を意味する。身体に宿した龍脈の力が放出しきれていないのだ。

 

「ミヤビ…お前は、この私が…息の根を…止めて、やる…」

 

ヤマトはそう言いながら近づいて来た。

彼の目は焦点が合っておらず、足元もおぼつかない。

それでいながら確実にミヤビの方へ向かって歩いて来ている。

ミヤビは力を振り絞って立ち上がると、ヤマトが側まで来るのを待った。

ヤマトはミヤビの目の前に立ち、両手を伸ばすと彼女の首に手のひらを回した。

ミヤビは抵抗もせず、ヤマトに首を締め上げられる。

 

「うぐっ…」

 

呻き声を漏らすミヤビ。

そんな彼女にヤマトは哀しみに満ちた瞳で呼びかけた。

 

「お前…だけが…私の……」

 

ヤマトの言葉の最後は小さくて、ミヤビには聞き取れなかった。

しかし彼女にはヤマトの言いたいことがなんとなくわかっていた。

 

(どうせ死ぬならこのままヤマト様の手で死ぬ方が幸せかも…。これでヤマト様の気持ちが安らぐなら、このまま…)

 

そんな甘美な誘惑に囚われてしまったが、彼女は自分の使命を思い出した。

 

(ダメよ! ここでヤマト様を人殺しにしてはダメ! それに自己満足で死ぬなんて、これまでの自分を全否定すること。ヤマト様への裏切り行為と同じくらい罪深いものだわ。わたしにはまだ生きて最後の仕事をしなきゃいけないんだから!)

 

ミヤビは最後の力を振り絞り、自分の体重を利用してヤマトの身体を地面に押し倒した。

そしてバランスを崩して仰向けに倒れたヤマトの唇に自分のそれをしっかりと重ねる。

 

「!?」

 

ヤマトは何が起きたのかわからず、茫然自失といった感じで固まってしまった。

ミヤビは〈吸魔〉のスキルを発動したのだ。

〈吸魔〉とは敵単体のHPとMPを奪い、自分のHPとMPをそれぞれ回復するもの。

ヤマトの暴走しかけた霊力を吸い取り、体力を奪ったことでミヤビの方は十分動けるまでに回復した。

ヤマトも霊力の暴走による死は回避されたようだ。

 

「み、ミヤビ……、何を…し…た……?」

 

わけがわからないという顔のヤマトにミヤビは顔を赤らめながら答えた。

 

「こんなこともあるかと、吸魔のスキルを覚えたんです。本来は悪魔専用のスキルですけど、やってみれば人間でもできるみたいです。『吸う』という抽象的な行為を現実的な行動とするのに少し恥ずかしい方法になってしまいましたけど」

 

圧倒的な強さを持つ敵に対して〈吸魔〉のスキルが効果的なのはフェクダ戦で経験済みで、自分の霊力を高める訓練と同時に〈吸魔〉のスキルを覚えたのだった。

実際に使うかどうかわからずとも、念の為にというだけでマスターしていた。

何事にも努力を惜しまない彼女だからこそできたことだ。

 

「これで勝負がついたと思いますけど、まだやりますか? わたしはヤマト様の体力と霊力を吸って回復していますから、まだ戦えますよ」

 

ミヤビは腕をブンブン振って体調万全であることを示しながら言った。

 

〈吸魔〉によってミヤビは体力と霊力を回復し、ヤマトは暴走しかけた霊力を放出できた。

ふたりの戦力はほぼ均衡していると言って良い。

しかしヤマトは精神的ダメージを相当受けているようだった。

 

(負けるはずのない戦いにおいて、自分が追い詰められるなど想像もしていなかったはずだもの。動揺するのも当然だわ)

 

ミヤビはそう思っていた。

しかし実際はミヤビに突然キスされたことで、ヤマトの思考回路はオーバーヒートしてしまったのだ。

所詮ヤマトも思春期の少年で、好意を抱いている少女にいきなりキスされたのだからショックを受けるのはごく自然な反応である。

そういったことに免疫のない彼にとっては、嬉しいとか恥ずかしいというよりも脳天をいきなり殴られたような衝撃を受けたという方が正しいだろう。

 

しばらくの沈黙の後、ヤマトがようやく口を開いた。

 

「私は…負けを…認めよう」

 

ヤマトのその言葉で長かった戦いに終止符が打たれた。

最終的な勝利者はミヤビとなったが、彼女が勝ったのは彼女自身の力だけではない。

彼女の危機に駆けつけて来てくれた仲間たちのおかげである。

その仲間たちの怪我の具合を確認しようと立ち上がったミヤビの前にロナウドが近づいてきた。

 

「ロナウドさん、あなたは無事 ── 」

 

ロナウドはミヤビを無視し、冷ややかな視線と言葉をヤマトに向けた。

 

「峰津院大和…。これで最後だ」

 

彼は無言でジャケットのポケットから拳銃を取り出した。

慣れた手つきでスライド(遊底)を動かし、マガジン(弾倉)から弾薬をチェンバー(薬室)に送り込む。

そしてコッキング状態の銃口をヤマトの心臓に向けた。

 

「…そうか、貴様は元刑事だったな」

 

上半身のみ起こしたヤマトがロナウドを睨みつけた。

同様にロナウドもヤマトを睨みつける。

 

「俺はこの時を…お前を確実に仕留められる機会を待っていた」

 

「…」

 

「来るべき世界がどのようなものになろうとも、お前はそれを容認することはできないだろう。再び己の野望を果たすために暗躍するに決まっている。ならばお前をこのままにはしておけない。禍根は断たねばならないのだ! 死ね、峰津院大和!」

 

静寂の中にロナウドの声だけが響き渡っていた。

 

「撃ちたければ撃て。それが貴様の本懐なのだろう」

 

ヤマトは死を前にしながらも、臆することなく王の威厳を保ち続けていた。

ミヤビに負けたことで自分の野望は潰えた。

ならばここで命乞いをして生き恥を晒すよりも誇り高く死のうというのだ。

そこにミヤビがヤマトを庇うようにして立った。

 

「やめてください、ロナウドさん!」

 

「ミヤビ君、そこを退け」

 

ロナウドの声はいつもより低く聞えた。

退かなければ彼女ごと撃つのではないかとさえ思わせる気迫だ。

 

「退きません!」

 

ミヤビは彼の気迫に負けじと、精一杯の気力を込めて叫んだ。

 

「こいつは君を殺そうとしたんだぞ。なぜ庇う?」

 

「庇うも何もありません。あなたがヤマト様に銃口を向けるのはあなたの私怨によるもの。もっともな理由をつけても、人を殺すことが許されるはずがありません。元刑事であるあなたが法に背き、怒りにまかせて人を殺そうだなんて…。自分の感情のままに人を傷つけることがあなたの正義ですか?」

 

「そんなことはない! しかしここでやらなければ、未来の平和が脅かされるんだ。後顧の憂いをなくすためにはこうするしかない」

 

「つまりあなたの理想の世界とは、自分が邪魔だと思った人間を排除しなければ成り立たないものだというのですね?」

 

「もちろん本意ではない。しかし峰津院の命と平和を秤にかけた時、俺が守らなければならないのは平和なのだ。それは君にもわかるだろ?」

 

「いいえ、あなたの考えは間違っています。それにわたしの目指す世界にはヤマト様が必要なんです」

 

「どういうことだ?」

 

「あなたはジプスや峰津院家のことを詳しく調べ上げたようですが、その奥に隠された千年の長きにわたる峰津院一族の苦悩や哀しみを感じることはできなかったみたいですね?」

 

「どういう意味だ?」

 

「峰津院家は表舞台にこそ姿を現しませんでしたが、代々この国の守護を担ってきた家系です。力のある優れた人材を多く輩出し、国の安寧と人々の幸福を願ってきました。しかし力があるということは他人からすれば脅威となりうるもの。時代は移り、為政者が天皇から将軍に変わろうとも、ずっとそういう人間に利用され、また警戒されてきたんです。為政者のすべてが優れていたとは思えません。ただ天皇だとか将軍の息子だからという理由で跡を継ぐ。中にはまったく使えない愚鈍な為政者もいたことでしょう。でもそんな連中に峰津院家の人間は利用され続けてきた。才能を搾取されてきたと言ってもいい。それでもこの国が、民の暮らしが希望に満ちた素晴らしいものであれば、彼らの苦労も報われる。しかし歴史はそうでなかったことを証明しています。特に現代の政治の腐敗に関しては許しがたいものがあります」

 

ミヤビの周りには仲間たちが集まって来た。

 

「その腐敗を一掃することができるだけの力を持って生まれたヤマト様が、峰津院の宿願を彼の理想の形で実現しようとしたのはごく当たり前のこと。わたしはずっと彼のそばにいて苦しむ姿を見てきました。峰津院家に生まれたゆえにたくさんのものを背負わされてしまった彼を、その苦しみから解き放ちたいとわたしは願ってきました。わたしは彼のおかげで力を手にすることができたのですから、その力を使って彼に光の当たる未来を差し上げるのは当然のことです。ヤマト様とわたしは己の信念のために戦いました。そして勝敗がついたんですから、これ以上誰も血を流す必要はありません」

 

そこまで言うと、ミヤビは遠くを見つめるような眼差しでつけ加えた。

 

「わたしには彼のいない世界なんて想像もできません。峰津院大和…彼は独裁者ではなく、一方の雄として民を導いてくれるはず。彼の持つ強い力と意思は新世界に必要不可欠なものだとわたしは信じています」

 

ミヤビが話し終わってもしばらくは誰も口を開かず沈黙が続いた。

しかし誰かが拍手をし、それが伝染するように広まり、最後には大きな拍手の渦となっていった。

 

「ミヤビの言うとおりだ。わたしは側にいながら、局長の悩みや苦しみに気づくことができなかった。局長ひとりだけに人類救済という重い荷物を背負わせてしまっていたのだ」

 

マコトがミヤビの肩に手を置いて言う。

 

「それにロナウドさんはミヤビちゃんに負けたんだから、彼女のやることに反対できないでしょ?」

 

ダイチがロナウドに近づいて言った。

 

「しかし…」

 

顔を顰めるロナウドの肩をジョーが叩く。

 

「お前の負けさ、クリッキー。ミヤビちゃんには口でも力でも敵わない。それが現実だ」

 

「…」

 

まだ納得できないといった顔のロナウドにミヤビは言う。

 

「ヤマト様と戦っていた時、わたしは自分の負けでいいと叫びましたが、聞えていましたか?」

 

「あ、ああ…」

 

「あなたはさっきヤマト様の命と平和を秤にかけた時、守らなければならないのは平和だと言いました。ヤマト様と戦っている時、わたしは自分の信念と彼の命を秤にかけ、彼の命を選んだんです。彼の肉体的なダメージは明らかで、このままでは彼が龍脈の力に飲み込まれて消えてしまう。そしてここにいる全員が死んでしまうかもしれない。わたしの危機に駆けつけてくれたみなさんには申し訳ないと思ったんですけど、わたしは彼を死なせたくなかった。たとえ新世界が実力主義の世界になろうとも、わたしは彼に生きていてほしいと心から願いました。自分からヤマト様に戦いを挑んだのにおかしいと思うかも知れませんが、これがわたしの正直な気持ちです。わたしは仲間同士で戦うことは好ましいものではないと考えますが、必要なもの、避けられないことであれば否定しません。だからわたしはみなさんと戦うことにも躊躇いはありませんでした。その戦いが必要だと思うものだったからです。でもそれは命を奪い合うような戦いであってはなりません。戦うということは必ずしも相手の命を奪うことではありません。仲間を…大切な人の命を奪う戦いの果てに手に入れたものなんて何の価値もないのですから」

 

「今、わたしはヤマト様が生きていることを心から嬉しいと思っています。…ロナウドさん、わたしは彼が失望しない世界を創り上げることこそが大事なのだと考えます。彼の理想の世界を創ることはできなくても、失望させない世界を築くことならできるはずです。いいえ、そうでなければいけません。ここにいる仲間たちが同じ気持ちでいれば、きっと素晴らしい未来が開かれるとわたしは信じています」

 

そう言い終えた時、ロナウドはやっと拳銃を下ろした。

そしてミヤビに言う。

 

「俺は…自分の感情に支配されてしまっていたようだ。止めてくれて、ありがとう」

 

「いいえ、お礼を言われるようなことではありません。わたしはあなたを仲間だと思っています。その大切な仲間を殺人者にはしたくなかっただけです」

 

ミヤビはそう言って微笑んだ。

 

「君の寛容さには恐れ入ったよ。強くて優しくて…俺や峰津院が敵うはずがないわけだ」

 

ロナウドは拳銃をホルダーに戻すと、ミヤビに手を差し出した。

和解の握手をすると、周囲から拍手がわき上がる。

 

「みなさん、どうもありがとうございました。この感謝の気持ちはどんなに言葉を重ねても表しきれません。だから想いを込めてもう一度だけ言わせてください。ありがとうございました!」

 

涙が出そうになるのを堪えて顔を上げると、ミヤビをぐるりと囲んで微笑んでいる仲間たちがいた。

その中でダイチが一歩前に出た。

 

「俺たち、ミヤビちゃんの気持ちがやっと理解できるようになったんだよ。君が俺たちと敵対したのって俺たちを傷つけずに、この戦いから身を引かせたかったというのと、冷静になって自分を振り返ってみろ、って意味だったんだろ?」

 

ダイチの言葉にミヤビは頷いた。

 

「それで何かわかりましたか?…いいえ、わかったからこそこの場所にいるんですよね?」

 

「ああ。俺はこれまでずっと自分で自分のことを決められないでいたんだって気づいた。こんな騒ぎに巻き込まれて、いろんなことも経験してきたっていうのに、俺は全然成長していなかった。悪魔も弱いのしか召喚できないし、他のみんなの足を引っ張ってばかりだった。それでいて特に主義主張もなく、ただ仲間と戦いたくないって逃げに入ってた。そんな弱い俺じゃ戦いの途中で死ぬって、君は考えたんだろ? だから君がわざと俺たちの敵側について、ヤマトたちとの直接対決を回避した。罠を張って俺たちをおびき出すなんていう卑怯な手を使ったのも、俺たちを傷つけずに手を引かせる作戦だったんだろ?」

 

「はい。ヤマト様は敵対する者には容赦ありません。彼が指揮をとっての戦闘になれば、敵味方関わらず大きな被害が出たことでしょう。ですからわたしはどんな手段を使ってでもダイチさんたちに無傷で負けてもらわなければなりませんでした」

 

「それで君は俺たちに厳しいことを言ったよな? 俺たちの敗因は覚悟の強さが負けてるって。たしかに君の覚悟はここにいる誰よりも強いと思うよ。仲間を裏切るようなマネをして、仲間との絆を失ってでも、君は自分の信念のために前に進んだ。それってものすごく辛かったんじゃないかって思うんだ。でもそれを乗り越えられるだけの強い魂を持っている。君が強い悪魔を使役できるのはそういう強い心があるからなんだって気づいたよ。ただひとつ、守りたいものを守るためには他のすべてを捨てる気でいなければ無理だっていう言葉を聞いて俺は目が覚めた。俺の守りたいものは何なのか…それは自分自身と仲間の命。命以上に大切なものなんてないからね。その命を守るためには今以上に強くならなきゃならない。強くなりたい、力が欲しい…そう強く念じた時に、俺の携帯に新しい悪魔が届いたんだ。それがセイテンタイセイだった。これってレベル52の悪魔じゃん。つまり俺のレベルがそこまで達していたってこと。もちろんミヤビちゃんやヤマトに比べたらたいしたことないけど、それでも俺はこれまでよりも強くなったんだ。だったらこの力を正しく使うべきだろ? それで考えた。俺がすべきことは…やっぱり仲間を守ることしかないって。君は俺の仲間だ。だからマコトさんから連絡をもらって駆けつけたってわけ。これはヒナコさんや新田さん、ジュンゴさんも同じだよ」

 

ダイチの言葉に3人が頷いた。

 

「ウチらは仲間同士で争いたくないと言いながら、ミヤビちゃんを傷つけてでもウチらの意見を通そうとした。そやけどあんたはウチらに指一本触れずに勝敗を決めた。そないなことされたらウチらが根本的に間違っとったと反省せなあかんやろ。あんたの覚悟…言葉や態度の裏に隠された真実に気づいた時、ウチらは成長したんや」

 

「ミヤビさんはわたしたちのことを思いやって、この戦いから遠ざけようとしてくれたんでしょうけど、わたしはもう逃げたくなかったんです。弱い自分が嫌でたまらない。だから強くなりたい。強くなってみんなを守りたいって思ったら強くなれました」

 

「ジュンゴ、喧嘩するのは、嫌い。でも、仲間と、ミヤビを守りたい。そう考えたら、強くなった」

 

それぞれが自分の気持ちをミヤビに告げた。

そして最後にダイチが満面の笑みで言ったのだった。

 

「俺たちは自分で何が良くて何が悪いかを、そして今何をすべきなのか決められる心を持つことができた。だから自分の意思で行動し、君の力になれたことで、それが間違っていなかったことを確信できたんだ。お礼を言うのはこっちの方だよ。ありがとう、ミヤビちゃん」

 

すべてを吹っ切れたといった顔の彼の笑顔はとても清々しかった。もちろんヒナコとイオとジュンゴの笑顔も。

 

続いてロナウドたち名古屋陣営のメンバーもミヤビの前に立った。

 

「まずは詫びを入れさせてもらう。すまなかった」

 

ロナウドが再びミヤビの前に立ち、頭を下げて言った。

 

「俺は自分の考えに固執して他を顧みなかった。それはで君に言われたように峰津院と同じことだ。名古屋支局に君を監禁していた時、君は公平という考え方もあると教えてくれた。しかし俺は頑固だから君の考えを素直に認められなかった。公平という考え方は合理的だし、俺の考える平等と相容れないものでもない。しかし平等という俺の正義を頭から否定されたことで、俺は混乱してしまった。人間は平等になれないという君の意見を認めれば、俺自身のアイデンティティーが危ぶまれる気がしたんだ。これまでの俺は何だったんだってね。そうならないためには君の考えが間違いであり、俺の理想こそが正しいのだと主張し続けるしかない。君を倒して自分の正義を示すのだとしか考えていなかった」

 

「それだけあなたの信念が強いという表れですね」

 

「ああ。しかし信念の強さという点でも俺は君に勝てなかった。そして命よりもプライドを重んじた俺はまたもや君に諭されてしまったな。そして君から博愛という言葉を授かった時、俺は目が覚めた。俺の求めていたものはこれだったのだ。たしかに人間には個というものがあるのだから、すべてを平等にはできない。平等にしようとすればするほど歪みが出てくる。だが博愛という他人を愛する気持ちをすべての人間が持てば今よりももっと良い世界に変わっていくに違いない。人間は平等でなくても、幸福な未来を掴むことができるだろう。俺はそう信じることにしたよ。俺だけでなくみんなも同じ気持ちだ」

 

「わかってくださって嬉しいです。だから助けに来てくれたんですね?」

 

「そうだ。君は峰津院の側についた。しかしその実力主義に賛同しているとはいっても、全面的に支持しているわけではない。ならば君がいずれ奴と戦うのではないかと考えていた。峰津院に対して自分の考えを聞かせようとするなら力でねじ伏せて聞かせるしかないと君は言っていたからな。ジョーやアイリ君やオトメさんも同じだったよ。そしてどうするか相談していた時に君と峰津院が一対一で戦うと迫から連絡があった。もちろん手助けをしてくれなどとは言われていない。ただ彼女は俺たちに選択肢を与えてくれただけだ。そして俺たちは自分たちで判断して決めた。君を全力でフォローすると、ね」

 

「おかげで助かりました。やはり仲間の絆は何にも代え難い素晴らしいものです」

 

ミヤビは自分のやってきたことが無駄ではなく、それぞれが自分を見直す結果をもたらせたことが嬉しかった。

そんな彼女をヤマトが複雑な表情をして見ている。そしておもむろに言った。

 

「つまりこの勝負は私が持たず、お前が持っていた絆とやらで差がついてしまったようだな。この7日間で、お前は誰からも信頼される存在になっていた。一方、私は自分のことしか考えず、実力主義の世界を完成させるために、人間を駒としてしか見ていなかった。それが敗因だろう。私は自分と対等に渡り合える者しか人間扱いしていなかった。お前とて駒のひとつとしてしか見ていなかったのだからな」

 

「ヤマト様のおっしゃるように、わたしは仲間たちと強い絆を結びました。これは少々意見の食い違いで対立したところで失われるような脆弱なものではありません。…ただ、今のわたしがあるのはヤマト様のおかげです。駒としてでも、わたしを育て上げてくださったのはあなたです。『千里の馬は常に有れども伯楽は常には有らず』の言葉どおり、伯楽であるあなたがいなければ、わたしは今頃こうして生きていられたかどうかわかりません。あなたがわたしの才能に気づいてくれたからこそ、わたしはサマナーとして実力を発揮できました。わたしが実力主義の考えに賛同するのは、出自や年齢・性別等に関わらず結果を出せばそれを認めてもらえる世界だからです。ですからわたしは誰もが力を示すチャンスを公平に与えられ、出した結果を正しく判断してもらえる世界を望んでいます。それによって強者と弱者という差が出てしまうのは仕方がありません。ですが弱者は強者を妬まず、自分もそれ以上の結果を出したいという意欲を持って努力してほしい。強者は驕ることなく、自分の持つ力を正しく使ってほしい。みんながそういう気持ちになれば、おのずと実力主義と平等主義の双方の良い部分を合わせた世界に近づいていくのではないでしょうか?」

 

「そうだな…お前の言うとおりだ」

 

「ヤマト様に足りなかったのは人を知ろうとする努力です。育った環境が特殊なものであったために、あなたは人間を『敵か味方か』そして『利用できるか否か』という判断基準しか持ち合わせていませんでした。でもこれであなたにも仲間や友人というものがどれだけ大切なものかを知っていただけたと思います。友人とは誤った道を進もうとしている自分を身を張ってでも止めてくれる者。喜びを分かち合える者。そして同じ道を支え合いながら共に歩いてくれる者。ここにはこんなにたくさんの仲間がいます。ですからあなたはもうひとりではありません。これからはひとりで何でも抱え込まないでください。あなたが抱えている重荷の一部でも背負わせてくれるのなら、わたしは…いいえ、ここにいる仲間たちは喜んであなたと苦楽を共にするでしょう」

 

ミヤビの言葉に全員が頷いた。

 

「今ならまだ遅くはありません。あなたが手を伸ばせば必ず握り返してくれる友人がいるのです。…だから苦しみをひとりで抱えないで」

 

ミヤビはヤマトに手を伸ばした。

 

「一緒に、行きましょう」

 

「…ああ」

 

ヤマトは手袋を外し、ミヤビの手を握った。

そして彼女に見せた顔は野望が潰えたというのに悔しそうな表情ではなく、何かが吹っ切れたといった感じの清々しいものだ。

 

「ヤマト様の望む形ではありませんが、あなたが失望しない、そして峰津院が歴史の表舞台に立って堂々と力を見せつけることのできる世界を仲間たちと一緒に創りましょう」

 

ミヤビの力強い言葉に、その場にいた全員が大きく頷いたのだった。

 

 

 

 

ひとまず全員で大阪本局へ戻ることとなった。

未だに周囲に変化らしい変化は見られず、セプテントリオンをすべて倒した先のことはヤマトですら知らないことなのでどうすることもできないのだ。

そしてそれぞれが身体を休めることを優先し、1時間後に司令室に集まって今後の相談をすることに決めてから解散した。

 

ミヤビは一旦自室に戻るが、すぐに外へ出た。

周囲に人影がないことを確認し、転送ターミナル施設へと歩いて行く。

 

(これで全部終わったわ…。ヤマト様はわたしの意思を正しく継いでくれるでしょうし、マコトさんたちがそれを支えてくれる。だからもうわたしが彼のためにできることはない。あとはわたし自身の罪を償うだけ)

 

彼女はこうなることを覚悟していた。

いや、自ら望み、まもなくすべてが終わることを喜んでいる。

 

(これまでお世話になったことのお礼もせずに姿を消すなんて人として最低だけど、ヤマト様の顔を見たら決心が揺らいでしまいそうだもの。これからわたしは自分なりのやり方で罪の償いをします)

 

ミヤビは誰にも知られないように転送ターミナルを使って東京へと向かった。

そして無人の東京支局に着くと、コンピューターを操作して転送ターミナルの使用履歴を消したのだった。

 

 

 





ヤマトに考えを改めさせることに成功したヒロインですが、そのまま大団円へと進まないのがお約束。
ヒロインはすべてを清算するために東京へと向かいます。


通天閣での戦いの後にロナウドがヤマトに銃を向けるという場面は、アース・スターコミックス「デビルサバイバー2 Show Your Free Will 」から引用させていただきました。
ヤマトとロナウドの確執を終わらせるためには効果的なものですから。

ヒロインはロナウドの魂を救い、ヤマトには生きる力を与えました。

別に死ななくても良いはずなのですが、作者が彼女を死なせようとするのには訳があります。
次回は完全オリジナルで、最後の日を迎える前に片付けてしまいたいことを片付けてしまいます。




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7th Day それぞれの土曜日 -4-


Attention:
R-15的なシーンが登場します。
特に読まなくても問題はない(と思います)ので、気にする方は【Last Day 結実の日曜日】へとお進みください。

7th Day それぞれの土曜日 4と5の内容:
ヤマトに敵対したヒロインがその贖罪のために死のうとします。
でもヤマトが助けに行って、いろいろなことがあった結果、ふたりの関係は主従関係から恋愛関係へと変わります。
ラブラブなふたりは大阪へ戻り、ポラリスとの謁見に臨む前にどんな世界にしたいかを語り合います。
タコ焼きを食べながら。





 

大阪本局内には和やかな空気が流れていた。

対立していた陣営同士が司令室で一緒に寛いでいる。

それはミヤビが結びつけた強い絆によるものだ。

しかしその輪の中に彼女はいない。

そのことに真っ先に気づいたのはイオだった。

初めはミヤビがジプスの仕事でヤマトと一緒にいるのだろうと思っていたのだが、ヤマト本人がひとりで姿を見せたことで彼女が大阪本局にいないとはっきりした。

そして彼女を探そうにも携帯電話は繋がらず、GPSシステムで追跡しようとするが、彼女が自分の携帯をジプスの回線から切り離してしまったことで追うことは不可能だった。

 

「ミヤビは東京だよ」

 

フミが自分のノートPCを操作しながら言った。

 

「どういうことだ?」

 

ヤマトがフミに訊く。

 

「転送ターミナルの使用履歴を消した形跡がある。今から74分前に大阪から東京に飛んでる。使用履歴を消せば足取りを追えないと考えたんだろうけど、あたしの目は誤魔化せないよ」

 

フミの働きによってミヤビが東京へ行ったところまでは掴めた。

彼女が東京支局に戻った理由はいくつか考えられるが、個人的な理由であっても彼女がヤマトに内緒で行くはずがない。

それに追跡不可能にした理由は行方をくらますためとしか考えられず、ヤマトだけでなく全員が嫌な予感を抱いた。

ミヤビの謎の行動と居場所について話し合っていた時、その場にいた全員の携帯にメールが着信した。

 

「友達の死に顔動画が届きました」

 

「まさか…」

 

ヤマトが震える手で携帯を操作してメールボックスを開いた。

するとそこには見たことのあるタイトルのメールがある。

『死に顔@紫塚雅』── ヤマトだけでなく全員の携帯に同じタイトルのメールが届いていた。

添付された動画はミヤビが〈無〉に飲み込まれて消えていくというものだ。

 

「ミヤビ…」

 

ヤマトは携帯の小さな画面に映るミヤビの表情を凝視していた。

彼女は怯えたり逃げたりする様子もなく、まるでこうなることを覚悟していたというか、それを待っていたかのように穏やかな顔をしている。

理由はわからないが、自らの人生を終わらせるために、あえてその場で無の侵食を待っていたのだとヤマトは察した。

その間、他のメンバーは慌てふためき、探すあてもないというのに東京へ向かおうとする者も現れた。

その騒ぎを一喝したのはヤマトだ。

 

「静まれ! ミヤビは私が連れ戻す!」

 

その言葉でしんと静まり返るが、アイリの声が上がった。

 

「居場所がわかるの!?」

 

「ああ。まず間違いない」

 

映像だけでは場所を特定できるものではないが、ヤマトにはミヤビがどこにいるのかはすぐにわかった。

 

(ミヤビが死のうとしているなら、最期を迎える場所はあそこに決まっている)

 

「ここは私に任せてくれ」

 

ヤマトの力強い言葉に全員が頷いた。

そしてロナウドがヤマトに言う。

 

「わかった。ミヤビ君のことはお前に任せる。我々は彼女を失うことはできない」

 

「貴様に言われるまでもない。ミヤビこそが我々の代表としてポラリスと謁見する資格を持っているのだからな。…迫、大阪は任せた。万が一、私と彼女に何かあった場合は、彼女の意思を人類の総意としてポラリスとの謁見に望め。良いな?」

 

「了解しました。ですが、局長もミヤビを連れて必ず戻って来てください」

 

「ああ。わかっている」

 

 

 

 

その頃、ミヤビはヤマトたちの携帯に自分の死に顔動画が送られたことを知らずに峰津院家の屋敷にいた。

 

(ここへは二度と戻ることはないと思っていたけど、やっぱり最後を迎えるならここしかないわ。ヤマト様との思い出がぎっしり詰まったこのお屋敷で死ねるなんて、とても幸せ…)

 

これまで生き残ることしか考えていなかった彼女にとって死ぬことは何よりも恐ろしいことだった。

死ぬことで自分の存在が消えてしまうという恐怖心は誰もが持つものだが、彼女にとって死は目的を完遂できないという別の意味で恐ろしかったのだ。

しかし今、彼女はすべてを成し遂げたという充実感で身体は満たされている。

それが恐怖心を取り除き、さらに屋敷に戻って来たことで不思議な恍惚感すら湧き上がってきていた。

屋敷の中は地震によって荒れ果てていたが、さすがは峰津院家の屋敷といったところで建物自体はほぼ無傷であった。

しかし目的の書庫は大量の本が床一面に散らばっており、ミヤビは自分の座る場所を確保するために片付けを始めた。

 

(これはヤマト様に勧められて読んだ歴史書、…こっちはこの屋敷に来て間もない頃に読んだ自然科学の図鑑だわ)

 

ミヤビは楽しそうに本を拾っていく。

ここは彼女にとって人生を大きく変えた場所であり、なによりも心が落ち着く場所でもある。

彼女が最期の場所に定めたのも当然と言えよう。

数十冊の本を積み上げて床に座る場所をこしらえると、彼女はそこに座った。

壁に背をあずけて静かに目を瞑る。

 

(こんなに静かな時間は久しぶりね…。この7日間ずっと嵐の中にいたみたいだったもの。もう無に飲まれてしまったんじゃないかってくらい静かすぎる。でもそれがとても心地良い。痛みや苦しみを感じることもなく、このまま二度と目覚めない深い眠りにつく。ヤマト様の思い出に包まれながら消えていくなんて最高に幸せだわ)

 

窓から差し込む月の光の中、目を閉じているミヤビの表情はとても清々しい。

これまでの彼女の行動は限りなく純粋なただひとつの願い ── 峰津院の名に囚われたヤマトの魂を解放したい ── によるもので、それが叶うという確信を得た今、何も思い残すことはない。

自然と安らかな表情となるはずだ。

 

(わたしのしたことはとても罪深い。ヤマト様がお許しくださらないのは承知している。でもわたしがこの命をもって償うことで少しだけは罪が軽くなる…って、そんなことを考えてはいけないわね。こうして命を絶つことだってわたしの自己満足のようなものだもの)

 

ミヤビがそんなことを考えていると、遠くからコツコツという足音が聞こえてきた。

それは聞き慣れた音で、彼女にとっては心地良いものである。

 

(ヤマト様の足音…? 幻聴が聞こえるってことは、とうとう死を前にしておかしくなってしまったのかも。それでもかまわないわ。あの時もこうしてヤマト様がここへやって来て、わたしを見つけてくださった。そのおかげで今のわたしがある。とても感謝しています…)

 

涙が彼女の頬を流れ、ヤマトへの感謝の言葉を口にしようとした時、いきなり書庫のドアが開いた。

 

「ミヤビ!」

 

「や、ヤマト…さま…!? ど、どうして…?」

 

突然現れたヤマトの姿を目にし、ミヤビは驚いて声が上ずってしまう。

 

「やはりここにいたのだな」

 

ヤマトはミヤビに近づき、座っている彼女の前に屈むと力いっぱい彼女を抱きしめた。

 

「バカ者…私を心配させるな」

 

「…」

 

「一緒に帰るぞ」

 

これまでにないヤマトの優しい態度にミヤビは驚き、胸がギュッと押し潰されそうになるのを感じた。

 

(わたしが勝手に姿を消し、わざわざ東京まで足を運ばせたことを咎めもせずに一緒に帰ろうと言うなんて…。どういう心境の変化なの?…いえ、そんなことはどうでもいい。こんなことをされたらせっかくの決心が鈍ってしまうわ)

 

ミヤビは両手で強くヤマトの身体を押し戻し、身体が離れた隙にさっと立ち上がって逃げようとした。

 

「待て、ミヤビ! なぜ逃げる!?」

 

ヤマトはミヤビの手を掴まえると、声を荒らげた。

ミヤビもそれと同じくらいの勢いで返す。

 

「わたしのことはもう放っておいてください! わたしはもうジプスの局員ではありませんし、あなたの使用人でもありません。それよりもなぜあなたがこんな場所にいるんですか!?」

 

「ここは私の屋敷だ。主の私がいて当然ではないか」

 

「そういう意味ではありません。まもなくここは無の侵食によってすべてが消え失せてしまいます。危険ですから早くお逃げください」

 

ヤマトは首を横に振る。

 

「その危険な場所になぜお前はいる? 逃げるならお前も一緒だ」

 

今度はミヤビが首を横に振った。

 

「いいえ。わたしはここで静かに最期を迎えたいんです。どんなことをしても許されない罪を犯したわたしにはこうするしかありません」

 

「お前の犯した罪、だと?」

 

「はい。わたしは主であるヤマト様に刃を向けました。万死に値する罪というのはこういうことを言うのでしょう。ですからわたしはこうして ── 」

 

「馬鹿を言うな! 死んで詫びるというのか!?」

 

「…はい。他に償う方法が見当たりません。理由が何であっても、わたしは絶対にしてはならないことをしたんです」

 

「…」

 

「それにわたしの意思は仲間たちに受け継がれ、これからは彼らがヤマト様を支えてくれることでしょう。これでわたしがヤマト様のためにできることはすべてやり終えました。ですから静かに死なせてください」

 

ミヤビの目からは涙がポロポロとこぼれ落ち、その涙がヤマトの心を震わせた。

 

(そうか…だから…)

 

ヤマトはミヤビの真意についてやっと理解ができた。

しかしそれを許すことなどできるはずがないのだ。

 

(ミヤビの行動はすべて私を慮ってのものだった。これまで彼女が私に意見することや自分の考えを話すようなことはなかった。それは主従関係にある私たちの間で許されざることだったからな。そこで私が頑なに自分の理想とする実力主義を推し進めようとするのを止めるためにあえて敵となり、勝利することで彼女はわたしに初めて自分の気持ちを示した。こうするしか彼女は自分の気持ちを私に伝える方法がなかったのだ)

 

肩を震わせて泣くミヤビの身体をヤマトは強く抱きしめた。

 

(そして友人というものの大切さを教え、友人を持たない私に友人…仲間を与えてくれた。私に忠誠を尽くし、自分の命をかけてまで正しい道を示してくれたのは、彼女だからできたことだ。私にとって今の彼女はもうタダの使用人ではなく…いや、もうとっくに気がついていた。彼女は私にとって何にも代え難い大切な女性だ。私は彼女なしに生きてはいけない。彼女のいない世界に生きることなどできようはずがない)

 

ヤマトはミヤビを説得するために場所を変えようと考えた。

 

「ミヤビ、お前の気持ちは理解した。しかし納得できるものではない。だからこのままお前を死なせるわけにはいかぬ。場所を変えてゆっくり話をしよう」

 

「いいえ、わたしは生きていてはいけないんです。わたしは使用人であるにも関わらず主であるヤマト様に歯向かい、一歩間違えれば死なせてしまうところでした。そんなわたしがこうしてあなたと話をすることだって許されないことなんです。ここは危険ですから、わたしにかまわず早く逃げてください!」

 

ヒステリック気味に叫ぶミヤビを話のできる状態に戻すには時間を要すると判断したヤマト。

そこで強硬手段に出た。

 

「ならば私もここにいよう」

 

「え?」

 

「お前がここで死ぬというなら、私もまたここで死のう。後のことは迫に任せてきた。お前の意思を継ぐ者は他にいるのだ、問題なかろう」

 

「ダメです! ヤマト様が死んでしまったら、わたしがやってきたことが無意味なものになってしまいます」

 

ミヤビの反論にヤマトは微笑みながら言った。

 

「私の描いた新世界は、お前が私の隣にいてこそ成立する。よってお前がいない世界に私は興味などない」

 

「ですが ── 」

 

「ここでお前と共に消えるのもまた一興。これは誰に強制されたものではない。私が自ら決めたことだ。峰津院家当主でもなく、ジプス局長でもない、私の自由意思によるもの。誰にも文句は言わせぬ」

 

ミヤビの言葉を遮って、ヤマトはそう言うと彼女の隣に胡座をかいた。

自分もここで死ぬ覚悟があると言わんばかりの態度だ。

 

さすがにミヤビもこのヤマトの愚行をやめさせる方法はひとつしかないと、再び自分の意思を曲げることにした。

 

「…わかりました。ここからは離れますが、わたしの気持ちは変わりません。わたしは新世界で生きる資格がないんですから」

 

ひとまずミヤビを屋敷から連れ出すことに成功したヤマト。

しかし彼女を説得できないかぎり、死を望む彼女を止められはしないのだ。

そこでヤマトは彼女を連れてジプス東京支局へ行くことにした。

近場でもっとも安全な場所が東京支局なのだから。

 

スザクに乗って東京支局へ向かう途中、ミヤビはひと言も発しなかった。

ヤマトの背後から抱きつく形でスザクに跨っているミヤビは、声を押し殺しながら泣いていたのだ。

そしてヤマトはミヤビが生きていることを心の底から嬉しいと思う自分がいることに驚いている。

 

(いつの間にかミヤビの存在は私の心の中で大きなものとなっていった。それを何と呼ぶのか私は知らなかった。しかし今、はっきりとわかる。これが恋というものなのだと。私は彼女を愛しているという事実を認めよう。しかし恋愛などという戯言にすぎないものにこの私が心揺さぶられるなど思いもよらなかったな…)

 

ヤマトは愛しい少女の温もりを背中に感じ、彼女が側にいてくれる幸せを噛みしめていた。

 

 

 

 

東京支局に着くと、ヤマトは自室にミヤビを連れて行った。

館内は非常灯のみで薄暗いが、人類最後の砦としての機能は果たしている。

無人であるため、館内はゴーストタウンのようにひっそりとしていた。

人の気配がないということは不気味というより心細くなるものだ。

でも今のミヤビにはこの静けさが心地良く感じられた。この7日間、心安らぐことは一度もなかったのだ。

しかしベネトナシュを倒して以降は悪魔の出現はなくなり、生き延びた人たちも安らかな気持ちでいることだろう。

そう思うだけで彼女は気持ちが楽になれた。

そして〈無〉に飲み込まれることで永遠の安らぎを得られると信じている。

 

(どうしてヤマト様はわたしを死なせてくれないのかしら? もうわたしには利用価値などないのに…。もしかしたらわたしを生きながらえさせて苦しめたいほど憎いの? たしかにわたしはあなたに忠誠を誓いながら刃を向けた。許しがたいのでしょうけど、ただ死なせるだけでは我慢できないほど怒っていらっしゃるの?)

 

ミヤビはそんなことを考えながら、ヤマトに促されて部屋に入った。

 

「ここへ座れ」

 

ヤマトはソファーをポンと叩いて言う。

ミヤビは言われたとおりに、彼の隣に腰をかけた。

 

「ミヤビ、遅くなったが大阪での詫びと礼をさせてくれ。すまなかったな。そして…ありがとう」

 

「いつもと違いますね。ずいぶんと柔らかくなった感じです」

 

「遂げるべき目的がなくなったからな。心に余裕ができたのかもしれん」

 

「そうかもしれませんね。…そろそろ、早く大阪にお戻りになった方がよろしいのではありませんか?」

 

あくまでも自分は死ぬのだ、死ぬのは自分ひとりだと遠回しにミヤビは言う。

 

「ああ。ならばお前も一緒に大阪へ戻るぞ。仲間たちが待っている」

 

「いいえ、何度も言いますが、わたしは自分自身を罰し、無に身を投じることですべてを消し去ってしまいたいんです。わたしにはもうなすべきことはありません。すべてやり遂げました。ですから心静かに死を受け入れることができます」

 

「それが私に刃を向けたことに対しての贖罪だというのか?」

 

「はい」

 

俯くミヤビにヤマトは言う。

 

「お前は聡明な人間だと思っていたが、理屈の通らないことを言っていると気づかないようだな?」

 

「…おっしゃることの意味がわかりません」

 

その言葉にヤマトは大きくため息をついた。

 

「お前は使用人である自分が主の私に刃を向けたことで罪を犯したと言っているが、それが根本的に間違っている」

 

「それはどういうことでしょうか?」

 

「お前は暇をくれ、ジプスを辞めると言って出て行った。つまりその時点で私とお前の主従関係は破綻している」

 

「あ…」

 

そう言われてやっと気がつくミヤビ。

自分から主従関係の解消を申し出ておきながらすっかり失念していた。

 

「だから私と戦ったことが罪であるとは言えないのだ。罪を犯していない者が罪を償うというのは矛盾しているだろ?」

 

ミヤビはヤマトに言いくるめられそうになるが、ここで負けるわけにはいかないと、別の理由を持ち出した。

 

「いいえ、それは言葉の揚げ足取りというものです。それにわたしの罪はこれだけではありません。わたしはミズホ様から託されたご命令を遂行できませんでした」

 

「父上の命令?」

 

「はい。ミズホ様がわたしにヤマト様専属の使用人となることをご命じになった時、わたしに重要なお役目を下されたんです。どのようなことがあってもあなたを信じ、あなたを支えて生きていくように、と。ですがわたしは自分の望む世界をあなたに強要しました。ミズホ様の命令を遂行するどころか、自分の身勝手な行動によってあなたを苦しめてしまったんです。これだけでも万死に値する罪と言えます」

 

ヤマトは自分の父親がミヤビにどんなことを命令したのか聞いてはいない。

 

(たぶん本人が考えているほど深刻なことではなかったはずだ。それを真面目すぎる彼女が深く受け取りすぎてしまっただけなのだろう。彼女は私の間違いを正してくれた。私の価値観のみで強者と弱者をより分けることが正しい実力主義ではないのだと。ならば私は彼女に感謝することはあっても罰するなどできようはずがない。…いや、そんなことはどうでもいい! ミヤビにこの気持ちを伝えるのが先だ!)

 

「ミヤビ…」

 

ヤマトはこれ以上ないほどの甘く気持ちのこもった声で愛しい少女の名を呼ぶと、そのままソファーの上に押し倒した。

 

「ヤマト…さま…?」

 

「私はお前のことを愛 ── 」

 

「やめてください!」

 

ヤマトが最後まで言おうとするのを遮り、力いっぱい彼を押し戻そうとするが、ミヤビの力ではどうしようもない。

 

(これ以上何も言わないで! わたしが一番聞きたくない言葉を言わないでください!)

 

ミヤビにはヤマトが何を言おうとしているのか直感でわかってしまった。

彼女もまたヤマトに恋心を抱いていたのだ。

しかしヤマトとミヤビは主従関係にあり、彼女が個人的な感情を主であるヤマトに向けることは禁じられている。

そして報われないことも知っており、苦しまないよう自分の心に気づかないフリをして主従関係に徹していたのだった。

 

「何も言わないでください…。わたしはもう死のうなんて考えません。新世界で罪を償いながら生きます。だからこれ以上わたしを苦しめないで…」

 

両手で顔を覆いながら涙声で言うミヤビ。

そんな彼女を見下ろしながら、ヤマトは言った。

 

「お前の罪は私の気持ちを受け入れようとしないことだ。お前は私の一番近くにいて、もっとも私を理解している。私が何を言おうとしているのかもわかっていて、それを言わせない。これは私に刃を向けるより、また父上の命令に背くことよりも罪深いことだ」

 

「…」

 

「私はお前のことを特別な存在だと認識していた。しかしその特別という意味を履き違えていた。お前は有能なサマナーだ。最高の手駒として育て上げた。だから大事にする。自分の野望の達成のために誰にも奪われたくない…そう思い込んでいた」

 

ヤマトはそう言ってミヤビの手を顔から外した。

そして彼女の目を真っ直ぐに見ながら続ける。

 

「この気持ちが恋であることに気づいたのはついさっきのことだ。お前の死に顔動画が届いた時、私は心臓が止まるかと思った。フェクダ戦の時にも死に顔動画は届いたが、その時のショックとは比べ物にならないほどだ。そしてお前の無事を確認した時の安堵感…。言葉にできぬほど嬉しかった」

 

「そして気づいたのだ。通天閣での戦いにおいて、私がお前を殺そうとしたのは私の前に立ちはだかる邪魔者であったからというのではなく、自分のものにならないのなら、殺してその骸だけでも手に入れたいという欲望の末の愚行であったと。今、私は峰津院の宿願より、私自身の願いを叶えたい。私はお前が欲しい。お前のすべてを手に入れたい。それが正直な気持ちだ」

 

「私は人として未熟であり、人を愛するという感情を知らずにいた。おまけに嫉妬などという下卑た感情も持ち合わせてはいないと思っていた。しかしお前が私の側にいないと不安になり、私以外の連中との交流を不快に思い、お前が私以外の人間に笑顔を向けるとムシャクシャする。それにアルコルがお前を輝く者だと言って近づくのが気に入らなかった。それは私よりお前を評価することが気に入らないのではなく、私以外の人間がお前に無闇に近づくのが腹立たしかったのだ。それを嫉妬というのだとやっと理解した。…私はお前が愛しくてたまらない。愛している、ミヤビ」

 

ヤマトの「愛している」という言葉を聞いた瞬間、ミヤビは心の中にあった壁のようなものが壊れていくのを感じた。

そして我慢に我慢を重ね、気づかないようずっと押し殺していた気持ちが解放されていく。

それが暖かくて柔らかいものに包まれていく感覚に身が震えた。

 

「とても嬉しいお言葉です。ですがヤマト様には伴侶となられる方がいらっしゃるはず。その方を差し置いてわたしのことを愛するだなんて…言ってはいけないことです」

 

「何を言っている? 私にはそんな者などおらぬぞ」

 

「ですが勝利の美酒を共に味わう相手がいらっしゃる、と。その方は…」

 

「お前のことに決まっている。私はこれまで一度もお前以外の女性のことなど考えたこともない。側にいるのが当然であり、側にいてほしいと願ったのはお前だけだ。それが恋愛感情によるものだとは気づいていなかったがな」

 

ミヤビの目からは絶えず涙が溢れている。

しかしそれは哀しみの涙から嬉し涙へと変わっていた。

 

「ヤマト様…わたしはずっとあなたのことをお慕いしておりました。あなたが主であり、わたしが使用人である以上、この気持ちは絶対に抱いてはいけないもの。ですから好きだという気持ちを心の中の一番奥に隠し、気づかぬフリをしてまいりました」

 

「そうか…」

 

優しい目で自分を見つめるヤマトに、ミヤビは涙の粒をポロポロとこぼしながら告白した。

 

「わたしはあなたのことが好きだというこの気持ちを我慢しなくても良いのですか?」

 

「ああ、もちろんだ。お前が私と同じ気持ちであったことが嬉しい。とても幸せだ。だから私と共に生きろ。私のために生きてくれ」

 

「はい! わたしを一生ヤマト様のお側にいさせてください」

 

その言葉に触発され、ヤマトの唇が彼女のそれに落とされる。

もうまもなく世界が消え去ろうとしているということも忘れ、互いが相手を求め合った。

しかしそれがエスカレートし、ヤマトはコートを脱ぎ捨ててネクタイを緩めると、続いてミヤビの服のボタンを外しにかかる。

それを慌てて静止するミヤビ。

経験はないとはいえ、本能でヤマトが何をしようとしているのかはわかるのだ。

 

「ま、待ってください! こんな時にこんな場所で ── 」

 

「こんな時でこんな場所だからだ。私たちには時間がないのだ。それに大阪へ戻ればふたりきりで過ごすことも憚られる。ならば今しかなかろう。幸いここは結界の中心であった場所だ。消え去るまでには十分な時間がある」

 

「で、ですがわたしたちはまだ気持ちを確かめ合ったばかり ── 」

 

「だからこそもっと愛を深める必要がある。なに、心配はいらぬ。経験はないが十分に知識はある。当主となるにあたっていろいろ教えられたからな」

 

これまでになく熱っぽい視線を向けるヤマトに、ミヤビは嬉しいのか恥ずかしいのか良くわからない複雑な気持ちになった。

 

(ヤマト様がわたしのことを欲している。こんなことになるなんて想像もしていなかったから、心の準備もできていないのに…。でも時間がないのは確か。それにわたしもヤマト様に触れたい、触れてほしい。これが夢ではないと確かめたい)

 

そんなことを考えながら潤んだ瞳でヤマトを見上げるものだから、ヤマトはもう我慢できなくなった。

身体の奥底から突き上げる「愛しい者を抱きしめたい」という気持ちをさすがの彼でも理性で押し留めることは不可能なのだ。

 

「ミヤビ…お前が欲しい。良いか?」

 

耳元で囁かれ、ミヤビはそれだけで蕩けそうになる。

彼女自身ももう限界だった。消え入るような小さな声で答えた。

 

「はい」

 

その答えに満足したヤマトは不敵な笑みを浮かべると、彼女を抱きかかえ上げて寝室へと向かったのだった。

 

 

 

 

ヤマトから「ミヤビ救出」のメールを受け取った大阪の面々は安堵の表情をしていた。

しかし彼らはなぜミヤビがひとりで東京へ向かったのか、また〈無〉に飲み込まれそうになっても逃げずにいたのかという理由を知らない。

おまけにヤマトがなかなか彼女を連れて戻って来ないものだからイライラしていた。

そして大人組と青少年組にそれぞれ分かれて話を始めた。

 

 

談話室に集まっていた大人組ではマコトがヤマトたちを迎えに行くと言い出した。

 

「局長たちが東京支局にいることはわかっている。様子を見に行こうかと思うが、どうだろうか?」

 

それをヤマトたちの帰りが遅い理由に薄々勘づいていたジョーが静止する。

 

「そんな野暮はせずに、もう少しふたりきりにさせてやったらどう?」

 

「野暮? 意味がよくわからないが、もしかしたら不測の事態に陥って身動きできないのかもしれない。ならば助けに行くべきではないか?」

 

今度はオトメが口を挟んだ。

 

「ヤマトさんとミヤビさんにはふたりきりになる時間が必要なのよ。いろいろな面でね」

 

「いろいろな面?」

 

マコトはまだわからないという顔をしている。

そんな彼女にフミが言う。

 

「局長に恋愛感情が存在するのかどうかって、ずっと前から気になっていたんだけど、これではっきりしたね」

 

「れ、恋愛…!?」

 

慌てるマコトをロナウドが落ち着かせようとした。

 

「迫、峰津院とミヤビ君は長い間共に生きてきた。主従関係ということだが、思春期の殆どの時間を共にしているふたりにそういう感情があっても不思議ではない」

 

「でも本人たちは気づいていなかっただろうけどね。…いや、ミヤビの方は気づいていながら気づかないフリをしていたかも」

 

フミが割り込んできて続けた。

 

「局長はミヤビを自分の所有物のように考えてきたし、ミヤビは局長が主だからってどんな命令にも素直に従ってきた。…というつもりなのだろうけど、局長のミヤビに対する執着心はハンパないからね。ルーグの依り代の件だって有能な部下を失いたくないっていうのはわかるけど、それとはちょっと違う気がしてたんだ。それからミヤビだけど、局長のためなら死ぬことすら厭わないっていう生き方、普通ならちょっとマネできない。アレ、たぶんあのコなりの愛の表現方法っていうか、ああいう形でしか自分の気持ちを表現できなかったんじゃないかなって思えるんだ。局長とは身分違いだから好きになってはいけないんだって自分に言い聞かせてさ」

 

ヤマトとミヤビの行動に思い当たるフシがあって、マコトもうんうんと頷いて聞いている。

 

「だからさ、あんなことがあった後だから、あのふたりにも何かしら変化が起きているって考えられるわけ。もしかしたらふたりきりでラブラブなことしてるんじゃないかな」

 

「ら、ラブラブ…って、き、局長がそ、そんなハレンチなことを…す、するはずは…」

 

まるで自分のことのように顔を真っ赤にさせて動揺するマコト。

それをジョーがからかう。

 

「あれぇ…マコトさん、何想像してるの? まさかあのふたりがあんなこととかこんなことをしている様子を想像し ── 」

 

「ち、違う! わ、わたしが言いたいのはそういうことではなく…」

 

マコトの哀れな姿を見たロナウドがジョーの肩を叩いた。

 

「やめろ、ジョー。彼女はジプス一筋で生きてきた女性だ。恋愛に不慣れな女性をからかって遊ぶなど悪趣味だぞ。彼女は年こそ26という立派な大人だが、心は思春期の少女のようにデリケートで傷つきやすいんだ」

 

「もうやめてくれ~!」

 

ロナウドは本気でマコトを庇ったつもりだったが、彼女にとどめを刺してしまったようだ。

マコトはその場にいたたまれなくなって、部屋を飛び出してしまった。

 

 

食堂に集まっていた青少年組もヤマトとミヤビの関係についていろいろ憶測を巡らせていた。

 

「ヤマトってさ、俺たちのことは全員苗字呼びだけど、ミヤビちゃんのことは下の名前で呼ぶだろ。それだけでもミヤビちゃんだけ特別扱いしているって言えるよな?」

 

ダイチがそう言うと、全員が頷いた。

 

「ミヤビさんは昔から峰津院さんにお仕えしてきたし、峰津院さんも彼女が他の人と違う大事な存在だって考えているからじゃないかしら?」

 

「イオちゃんの言うことはもっともや。でもそれだけとちゃう。局長さんってミヤビちゃんのこと、好きやないかって思うんやけど…みんなはどう思う?」

 

ヒナコの言葉にアイリが答えた。

 

「ヤマトのことは良くわかんないけど、ミヤビがヤマトのことが好きなのはまず間違いない。本人は否定してたけど、それは嘘ね。それに彼女って自分の気持ちを押し殺しちゃうタイプだし、ヤマトはそんな彼女の気持ちに気づくことのないニブチンだから、いつまで経っても進展しないんだろうってイライラしてたのよ」

 

「アイリ、良く見てるね」

 

ジュンゴがアイリに言う。

 

「当然じゃない。あたしはあのふたりよりずっとオ・ト・ナ、なのよ。…で、あのふたりがなかなか戻って来ない理由っていったら、きっとアレだわ」

 

大人ぶって断言するアイリにケイタが訊く。

 

「アレってなんや?」

 

「お子様は知らなくていいのよ」

 

そんな言い方をするものだから、ケイタは激昂してアイリに掴みかかろうとした。

 

「お子様だとぉ…! なめとんのか!? 俺は16や。ワレ、俺より年下やろ?」

 

「まあまあ、落ち着いて。とにかくふたりが無事なのは確かなんだからさ、帰って来たら質問攻めにしてやろうぜ」

 

ダイチがその場を収めようとする。それに続いてヒナコが言った。

 

「そうや。せっかくやからみんなでパーティー、しようやない? お赤飯も炊いて」

 

「それ良いですね。でもお赤飯って…。あ、セプテントリオンを倒したお祝いだからですね」

 

イオだけでなくヒナコの言う「お赤飯」の深い意味のわかる者はいなかったようで、ヒナコだけが謎めいた笑みを浮かべてパーティーの準備を始めたのだった。

 

 

 

 

ミヤビはヤマトの腕の中で安らぎに満ちたひとときを過ごしていた。

 

(ヤマト様がわたしを抱きしめてくれている。叶わぬ夢だと信じていたことがこうして現実に起きるなんて…まだ信じられない)

 

行為の後の心地良い気怠さに身をゆだね、最愛の男性の温もりを味わうミヤビ。

ヤマトも自分の想いがミヤビに届いたことと、彼女のすべてを手に入れた満足感に浸っている。

 

(ミヤビ…。全身全霊をもって私を受け入れてくれたことに感謝する。お前がいなければ私はこの幸せを知ることなく、永遠に孤独のまま生き続けることになっただろう)

 

ヤマトは感謝の意味を込めてミヤビにキスをする。

 

「ヤマト様…」

 

嬉しそうに頬を紅く染めるミヤビが愛らしくて、ヤマトは再び彼女を欲しくなってしまった。

自然と彼女を抱きしめて先に進みそうになるが、それをミヤビは押し止めた。

 

「ダメです。早く戻らないとマコトさんたちが心配します」

 

「私を死ぬほど心配させたお前が言うか?」

 

「それはそうですが…」

 

「ならば続きは大阪に戻ってからとしよう。どうせこうなったことはいずれ連中にバレるのだ、下手に隠しだてすることもない」

 

「ええっ!?」

 

「それにこれでお前に手を出そうとする馬鹿な輩も現れるまい。いろいろあったが結果良しということだな。ハハハ…」

 

ヤマトは高笑いするとベッドから降りた。

そしてシーツで胸を隠しながら固まっているミヤビに言う。

 

「ああ、それから首のキスマークが見えないよう気をつけろ。もっとも私は見られても一向にかまわぬがな」

 

”関係を持った”ことを隠そうとしないヤマトの背中にミヤビは小さな声で言った。

 

「ヤマト様のバカ…」

 

 

 





ヤマトとヒロインの心はとうとうひとつになれました。
(身体もね)
ヒロインのおかげでヤマトも人間らしさを取り戻し、めでたしめでたし。
でもまだいくつかの疑問が残っているようで、それは次回に持ち越します。




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7th Day それぞれの土曜日 -5-

ミヤビとヤマトが大阪本局へ戻って来ると、食堂がパーティー仕様に飾りつけられていた。

テーブルの上には少ない食材にもかかわらず、サンドウィッチや寿司、お赤飯のおにぎり、カナッペやチーズの盛り合わせといった料理が並んでいる。

もちろんジュンゴ特製の茶碗蒸しも人数分ある。

さらに厨房の中ではヒナコとケイタがタコ焼きを作っていた。

厨房に業務用の鉄板が置いてあったというのだ。

さすがは大阪本局だ。きっと平時にはタコ焼きが日常的に提供されていたのだろう。

 

ジプス局員全員と民間人協力者たちが食堂に集まってパーティーが始まった。

各々がこれまでの7日間の苦労を振り返り、生きていることの喜びを噛みしめ合っている。

そして明日を迎えるにあたっての不安を打ち消すように、歌を歌ったり音楽に合わせて踊ったりしている。

 

食堂の隅にヤマトとミヤビの姿があった。

ヤマトは黙々とタコ焼きを食べ、皿が空になるとミヤビが厨房に焼きたてのタコ焼きを取りに行く。

それを繰り返しながら、ふたりは仲睦まじい様子でパーティーを楽しんでいた。

 

「こうして見ていると、私が駒のひとつでしかないと考えていた者たちも、強者であったのだと思えてくるな」

 

4皿目のタコ焼きを食べ終わったところで、ヤマトが感慨深げに言い出した。

 

「この7日間を生き延びたのは紛れもなく彼らが強者であったからだ」

 

「はい。ですがわたしやヤマト様を含め、すべての人間が強者でもあり弱者でもあるのです。この世界に完全無欠な強者などいません。優れている部分もあれば、劣っている部分もある。それを互いに補い合いながら、今よりもっと成長していくことが必要なのだとわたしは思います。わたしたちはこの7日間を生き延びました。でもそれは仲間がいたからこそであり、ひとりだったら生き延びられなかったでしょう」

 

「そうだな。そしてお前が私の間違いを正してくれたおかげで、私もこの仲間の一員として迎え入れてもらえたのだ。感謝している」

 

「感謝だなんてとんでもありません。…こんなことを言うと叱られるかもしれませんけど、わたしはあなたの境遇を哀れに感じていました」

 

「どういう意味だ?」

 

「今のあなたならわかるはずです。仲間の存在が人を強くし、孤独というものがどれだけ人を弱いものにするかを。以前にアルコルと話をしたことがあります。人間というものはその人を囲む何人もの他人によって形作られている。他人との関わりによって成長し、いくつもの価値観によって作り上げられるものであると。人間がひとりでは生きていけないというのは単にひとりでは寂しいというのではなくて、他人がいるから自分の存在を確認できるから。誰もない世界でたったひとり自分しかいなかったら、自分というものを認識できない。比べるものがあって、初めて自分が優れているとか劣っているとかわかる。他人との関わりがあって、初めて自分が自分という存在だと認識することができるようになる。つまり他人は自分を映す鏡だといえるんです」

 

「なるほど…」

 

「ここにいる仲間たちは他の仲間たちと交流することにより自分で正しいかどうかを考え、自ら行動する強い意思を身につけることができました。人を成長させるのは人との交流なんです。だからいくらあなたが優れた人間であっても、他者との交わりがなければそれ以上の成長は望めません。そうは思いませんか?」

 

「ああ、そうだな。私はこれまで自分が常に強者であると信じていた。強者こそが世界を統べる資格があり、私にはその資格があると疑うことはなかったよ。そんな私がお前に破れたのだ、お前の言うことこそ真理なのだと認めよう。そして理解するために努力もしよう」

 

「ありがとうございます。…わたしはあなたが峰津院家の血に縛られていることが孤独の原因だと考えました。生まれ落ちた瞬間にあなたは国の守護者としての重責を負わされてしまったのですから。普通の子供とは違う生き方を強制され、誰かと一緒に食事をするという楽しさすら知らないで育ったあなたを寂しい人だと思ったこともありました。あなたと戦ったのは実力主義世界を阻止するためだけでなく、あなたに目を覚ましてもらいたかったから。つまりわたしは自分勝手な考えで、あなたが望んでもいないのにこの孤独から救おうとしていたんです。お節介だったかもしれませんね」

 

「いいや、そんなことはない。お前のおかげで私は救われたよ。私の周りの人間はすべて私のことを遠巻きにしており、一定の距離をおいて近づこうとしなかった。まあ、私が彼らを拒んでいたというのもあるがな。しかしお前だけは違った。私の懐に自ら飛び込み、私の価値観を揺るがせたのだ。恐ろしい女だよ、お前は」

 

「それは褒め言葉として受け止めておきますね」

 

「ああ、もちろんだ。お前は私がこれまで時間をかけて築き上げてきたものを良い意味ですべて破壊してくれた。善悪において一個の創造者になろうとするものは、まず破壊者でなければならない。そして、一切の価値を粉砕せねばならない。…まったくそのとおりだ」

 

ニーチェの言葉を引用するところがヤマトらしい。

 

「私はお前によって一切の価値を粉砕された。この責任はお前にとってもらうしかないだろうな」

 

「はい。その覚悟なしにこんなことはできません」

 

ミヤビはそう言ってからひと息おいて続けた。

 

「わたしはこう考えます。世界改変という手段で個人の意識を強制的に書き換えてしまうのは簡単です。しかしわたしはそれではダメだと思うんです。ひとりひとりが自分の意思で変わろうとすることが重要なのではないでしょうか? 自分で考え、行動し、その先に変革がある。そうしないとまたポラリスによって人間はダメだというレッテルを貼られてしまうという気がします。そこでわたしはポラリスに世界回帰をお願いするつもりです」

 

「世界回帰だと?」

 

「はい。アカシック・レコードにはすべての記録があるのですから、過去のデータをロードすれば良いと思うんです。無の侵食によって国土は無残な姿となってしまいました。残された人々も少数です。この状況で新しい世界を創造するといっても限界があります。ならば悪魔やセプテントリオンの侵略のなかった時点までレコードを巻き戻し、やり直すことができるんじゃないかと考えていました」

 

「しかしそれではこの7日間の記憶も失くなってしまうのではないか?」

 

「そうですね。記憶は消えてしまうかもしれません。でもこの心と身体に刻まれた経験は消えることはないと信じています。人間の強い意思は不可能を可能に変える力を持っています。ならば絶対に忘れたくないと思えば、きっと忘れることはないでしょう。少なくともわたしは絶対に忘れません。忘れたくありませんから」

 

「フッ…お前らしい考えだな」

 

「きっとこの7日間の経験はそれぞれの新しい生活の中で活かされるはずです。…ただ、ポラリスが管理者である以上、ポラリスが満足できない世界であれば、再びセプテントリオンの襲来の恐れがあります」

 

「ポラリスの顔色をうかがいながら生きていかねばならぬということか?」

 

「しかし人間はいつまでもポラリスに管理される生き物であってはなりません。自分自身が己を管理できるようになることで、ポラリスの管理から抜け出せるでしょう」

 

「それが難しいのだがな」

 

「ポラリスを倒して管理者を消してしまうということも考えたことがあります」

 

「なんだって!?」

 

ミヤビが突拍子もないことを言うものだから、ヤマトは彼らしからぬ反応をしてしまった。

 

「だって、管理者がいなければ二度とこのような災厄が降りかかることはありませんから」

 

「…」

 

「でもわたしはその考えを改めました。古より人間は『法』というものによって縛られることで、秩序ある世界を保ってきたという歴史があります。人間はまだ完成された生き物とはいえませんから、何らかの手段で行動を律する必要があるでしょう。その手段としてポラリスには存在してもらいます。ただ管理者ではなく、アルコルのような監視者として存在してもらいたいんですけど」

 

「見ているだけで、手は出してくれるな…ということか」

 

「そのとおりです。そのためには人間が変わる必要があります。別にポラリスに媚を売るとか、迎合するというのではありません。人間には可能性がある。今はダメでもいつかは変わるのだと認めさせるんです。人間の可能性についてはこの7日間で証明して見せました。ならばそう難しいことではないはずです。もし再び人間が滅ぼされても仕方のない生き物だということになれば、その時は遠慮なくセプテントリオンを送り込んでもらいます。そうすればまたわたしたちのような人間が現れて、戦ってくれることでしょう。それがきっかけとなり、また人間は自分の過ちに気がつき、生き方を改めるはず。そうは思いませんか?」

 

「私には及びもつかぬ考えを持っていたのだな、お前は。どうりで勝てぬわけだ」

 

ヤマトは自分の想像を超える発想に驚くと同時に、ミヤビの才気に改めて感心した。

 

「やはりお前こそがポラリスに謁見する資格がある人間だ。こうして振り返ると、私は何と矮小な考えしか持たぬ人間であったか…。きっとポラリスもお前の願いなら聞き届けてくれるだろう」

 

「そうだね。ミヤビの意思が人間の…種の意思であるなら、ポラリスも認めざるをえないよ」

 

その声の主はアルコルだった。

彼は前触れもなく突然ヤマトたちの前に現れたのだ。

 

「新手の悪魔か!?」

 

アルコルの出現に会場内は騒然とし、マコトは急いで携帯をかまえた。

アルコルは床から5センチほど宙に浮いている。

ヤマトとミヤビは見慣れているから気にならないが、誰でも怪しむに決まっている。

宙に浮くことのできる人間などいない。

人間でなければ悪魔だと思うのは当然だ。

ヤマトとミヤビ以外のメンバーもマコト同様に携帯をかまえた。

 

「あの縞々、名古屋に現れた奴よね?」

 

アイリが呟くようにジュンゴに訊いた。

フェクダ戦の時にあの現場にいた人は姿だけは見ている。

しかし彼がセプテントリオンであることは知らないのだ。

 

「待ってください、みなさん! 彼は悪魔じゃありません。彼はセプテントリオンなんです」

 

ミヤビがセプテントリオンと言った瞬間、その場の空気が一瞬で凍りついてしまった。

その中でアルコルは言った。

 

「そう…私は第8のセプテントリオン、アルコル。だけど私は君たちと戦うつもりはない。私は君たちをポラリスの元に導くためにここへ来たのだからね」

 

「それはポラリスの意思なんですか? それともアルコルというあなた自身の意思?」

 

ミヤビが訊く。

 

「もちろんこれは私の意思だよ。私は君たちを…人間を消滅させてはいけないと確信しているから」

 

「セプテントリオンである貴様がポラリスの意思に反するというのか?」

 

ヤマトの問いに、アルコルは遠い目をしながら答えた。

 

「私はポラリスの下した裁定に疑問を持っていた。…はるか昔、君たち人間に自由の可能性を見た私はポラリスによって生かされるだけの脆弱な存在だった君たちに火や文字や絵といった君たちの欲するすべてを与えてきた。そして君たちは文明を持ち、文化を育み、自らの意思で生きることを可能にした。今や人間は自由だ。生物の中で無数の生き方が選択できる稀有な存在となったんだ」

 

「しかし皮肉なことに、その自由な精神が逆に人間の心に歪みを生んだ。思い当たる節があるだろう? 君たちが暮らしていた世界がどれほど混沌としていたか。…私はわからなくなったんだ。人間は自分の意思で自由に生きるのか、それとも再び管理される存在に立ち返るのか…。どちらが幸福なのだろうかと。もしかしたら私の行動がポラリスの裁定を早めてしまったのかもしれない。だとすれば私が君たちにしたことは善なんだろうか、それとも悪だったのだろうか…?」

 

彼の問いにミヤビたちは何も答えられない。

ポラリスによる審判はアルコルによって引き起こされたと言えなくもない。

しかし彼は本気で人間のことを愛し、そして憂いているのだ。

彼に感謝すべきなのか、それとも憎むべきなのか。

それを判断できる者などいようはずがない。

 

アルコルは続けた。

 

「私は人間の可能性を見極めたかった。だから君たちに悪魔召喚の力を与え、セプテントリオンに対抗する力を身につけさせた」

 

「ということはニカイアと悪魔召喚アプリはあんたが作ったんだ?」

 

フミらしい質問だ。

 

「そう、私だ。君たちが死に顔動画と呼んでいるものは、未来を予知したものではない。ポラリスは万能の存在で、過去・現在・未来の情報をすべて管理している。私はその中から未来の情報を君たちに提供したにすぎない。つまりあの動画は来るかどうかわからない不確定な未来ではなく、来るべき未来の確定情報なんだ」

 

「でも死を回避することはできました」

 

ミヤビがそう言うと、アルコルは神秘的な微笑みを浮かべた。

 

「そうだね。君たちはその予定調和の未来を自分たち自身の力で変えてしまった。定められた道を意思の力と行動で変えてしまう君たちに、私は改めて人間の無限の可能性を感じたよ。…私は君たちに進む方向を示した。こうしてすべての困難を自らの力で乗り越えた君たちを見て、私は君たちが望む世界を創造する手助けをすることに決めたんだ。本来ならポラリスに対してセプテントリオンの私が逆らうことはできないようになっているはずなのに、私はこうして人間に味方し、ポラリスを敵に回すようなことをしている。これはポラリスのシナリオにあったことかもしれないし、人間の可能性が生み出した奇跡なのかもしれない。私は後者だと思っているけどね」

 

そう言って彼は真剣な目で全員を見渡した。

 

「君たちの望む世界はポラリスの意思に反するものだ。それを実現するためにはポラリスと戦わなければならないだろう」

 

アルコルの言うように世界回帰をすればまた同じことを繰り返すことになりかねない。

それはポラリスの意思に反する行為であることに間違いはないのだ。

 

「ポラリスと戦う覚悟はあるかい?」

 

ポラリスとの謁見に臨むということは単に人間の意思を伝えるだけでなく、戦うことによってその揺るぎない信念を示すことでもである。

ポラリスとの戦いとなれば、これまでのセプテントリオンとの戦い以上に激しいものとなることは容易に予想がつく。

しかしそれは覚悟の上で、誰ひとりとして表情を変えることはなかった。

そしてミヤビはアルコルに向かって強く頷いた。

 

「はい。人間の強い意思を示すために戦わなければならないのはこの7日間で経験済みです。相手が誰であろうとも、わたしたちは戦って必ず勝つつもりです」

 

ミヤビの言葉に今度はヤマトを含む全員が頷いた。

 

「我々は摂理さえ変える力を持っている。人間は己の手で自分たちの未来を勝ち取るさ」

 

ヤマトの力強い言葉にミヤビは励まされ、アルコルに宣言した。

 

「わたしたち人間は管理者に管理されるのではなく、自分自身で管理できるようになります。そして二度とポラリスが人間を滅ぼそうと考えることのないよう、努力していきたいと思います」

 

ミヤビの言葉を聞いたアルコルは嬉しそうに微笑むと言った。

 

「では明日正午、大阪本局のターミナルに集合してくれ。私がポラリスのいる場所まで案内しよう。ポラリスに勝てるよう、十分に休息をとり、心の準備をしてくれたまえ」

 

そう言って、彼はすっと姿を消したのだった。

 

 

 

 

パーティーは片付けを含めて3時間ほどで終わった。

時計の針は0時を過ぎており、8日目が始まっている。

みんな疲れているだろうということでパーティーはお開きにし、アルコルの忠告どおりゆっくりと休むことにした。

そしてそれぞれが思い思いのこと ── ひとりで心の整理をしたり、仲間同士で会話を楽しんだり ── に時間を費やす。

ミヤビはというと当然のようにヤマトに私室へと呼び出されていた。

 

「ヤマト様、入ります」

 

そう声をかけて部屋の中へ入ると、ヤマトはコートを脱ぎ、ネクタイを緩めた姿になってソファーで寛いでいた。

 

「待っていたぞ。こっちへ来い」

 

「でもその前にお茶を淹れますね。紅茶の茶葉の良いのを持ってきたんです。美味しい紅茶を淹れて差し上げますから、今度こそ飲んでみてください」

 

ミヤビはそう言ってお茶を淹れる準備をしようとしたが、後ろからヤマトに手首を掴まれて寝室へ連れ込まれた。

 

「な、何ですか?」

 

そしてベッドの上に押し倒され、その上にヤマトが覆いかぶさってきた。

 

「あの…これはどういう…?」

 

「今さら何を言う? 愛する者同士が愛情を深める行為に決まっている。東京での続きだ」

 

「で、でも…」

 

「私たちには時間がない。…まあ安心しろ、お前の意思を無視して無理矢理なことはしないさ」

 

「そう、ですか。安心しました」

 

そう言って、ミヤビはヤマトの顔を見上げた。

彼の表情は少し沈んでいるように見える。

 

「どうかなさいましたか?」

 

「もっと早くお前への気持ちに気づいていれば、違う未来があったかも知れぬ。お前を苦しめ、傷つけるようなことにはならなかったはずだ」

 

「…そうかも知れませんね。ですが後悔なんてヤマト様らしくありません。あなたは自分が正しいと信じる道を進み、結果こうなったんですから。わたしは今とても幸せです。そしてあなたが幸せだと感じていれば、それだけで十分ではありませんか?」

 

「ああ、そうだな。私も幸せだ。…しかし私たちに残された時間はあまりにも少ない。気づいたのが遅すぎたのは事実だ」

 

「いいえ、時間はたっぷりとあります。新しい世界でもわたしは常にあなたのお側におります。あなたのことだけを見つめ、あなたのためにこの身を捧げるという気持ちは絶対に違えることはありませんから」

 

「フッ…そうか。ならば憂うことはないな」

 

「はい」

 

そう言ってお互いに微笑んだ。

 

「もうすぐ世界が変わる。しかしまさか自分が思い描いた未来と違う方向に行くとは思わなかったよ」

 

「わたしは確信していました。ヤマト様ならきっとご自身の間違いに気づき、正しい形での実力主義の世界を創造してくださるでしょう、と」

 

「やはりお前は私の一番の理解者だ。私はお前なしには生きていくことはできそうにない」

 

「そのお言葉はわたしにとって最高の賛辞です」

 

そこまで言って、ミヤビは哀しげな目をして続けた。

 

「ですが、わたしはあなたが考えているほど善い人間ではありません」

 

「どういう意味だ?」

 

ミヤビはベッドの上に正座した。

同じようにヤマトも身体を起こして向かい合う。

 

「ヤマト様…わたしが死にたかったのは単に贖罪のためというだけではありません。あなたがわたしの手の届かない場所へ行ってしまうことに耐えられなかった。…それが真実です」

 

「…?」

 

「あなたの専属の使用人になれて、わたしはとても嬉しかった。愛情ではないけれど、あなたがわたしを必要としてくれている。あなたの側にいられる理由があればそれで十分でした。…でも人間というのは欲深いものです。側にいるだけで満足しているつもりでしたが、時が経つに連れて欲が出てきました。お慕いしている気持ちを伝えたい。できることならあなたのパートナーになって、共に未来を紡ぎたい…。叶わぬ願いとは知りながらも、溢れ出す気持ちが抑えきれませんでした。そしてあなたがミズホ様から峰津院家当主の座を譲られた時、わたしは決心しました。この命をあなたのために使う。それがわたしの愛の形であると。生きてあなたのお役に立ちたいという気持ちでいましたから、あなたに逆らうことになっても、その罪は一生かけてあなたのために働くことで償うつもりでした。その気持ちが変わってしまったのは、ある出来事がきっかけでした」

 

「きっかけ?」

 

「はい。あれは今から1年ほど前のことです、副総裁が自分の孫娘をあなたの伴侶にどうかという打診があったのを覚えていらっしゃいますか?」

 

「…良くは覚えていないが、そんなこともあったかもしれぬな」

 

「あなたにとっては些事であっても、わたしには衝撃的な出来事でしたので今でもはっきりと覚えています。あなたが結婚をするのはまだずっと先だと思っていたというのに、目の前に胸が張り裂けそうな事実を突きつけられてしまったんです。そう遠くない未来にあなたはわたし以外の誰かと結婚してしまう。そうなればあなたをお慕いする気持ちを完全に殺してしまわなければなりません。厄介だけど愛おしいこの恋心という気持ちを自ら殺して生き続ける自信はありません。そして死ねばすべての罪や苦しみから解き放たれる。気づかないようにと押さえ込んだ恋心が疼くたびに、死という永遠の安らぎを得たいという願望に囚われてしまったのです。それを死んで罪を償うなどというもっともな理由をつけて隠そうとしていました。わたしは弱い人間です」

 

膝の上でギュッと握り締められた両手をヤマトは優しく握った。

 

「自分の弱さを認められるお前は強い人間だよ。むしろ自分が強者であると信じて疑うこともなかった私の方が弱い人間だ。これは私自身の未熟さが招いたこと。お前は自分を責める必要などない。それにお前が私のことを好きだという気持ちを大事にしてくれていたと知り、天にも昇る心地だ。ますますお前のことが好きになったよ」

 

ヤマトはミヤビの手を離すと、今度は優しく彼女の身体を抱きしめた。

 

「お前のおかげで私は友人を持つことができた。しかし愛する女性はお前ひとりしかいないのだ。だから自分を大切にしろ。自分を卑下するな。なにしろお前はこの峰津院大和が欲したただひとりの人間なのだからな、誇りに思うが良い」

 

「ヤマト様…」

 

ヤマトの胸に顔を埋め、ミヤビは悲しい恋を終わらせた。

そんな彼女を労わるように、ヤマトは彼女の髪を指で梳きながら言う。

 

「こうしてお前といられるのなら、どんな世界になろうともかまわない気がしてきた。あれほど必死になって実力主義の世界を創るのだと叫んでいた自分が愚かしく感じられる」

 

「ええ、わたしもあなたと一緒なら、どんな世界であっても生きていけます」

 

「次の世界では一緒に食事をしよう。お前と会話しながらの食事なら、もっと楽しいものになるはずだ」

 

「もちろんです。お忙しいでしょうが、時間を作って一緒にお出かけもしましょう。そうです、お祭りに行って出来たての屋台のタコ焼きを食べましょう。きっとヤマト様にもお気に召していただけるはずです」

 

「ああ、約束しよう。それからお前の淹れる紅茶は新たな世界での楽しみにとっておく」

 

「はい、わかりました」

 

「それからひとつ教えてほしいことがある。お前が私に好意を抱いていて、その気持ちが行動となって現れたのだということはわかるのだが、それはいつからなんだ?」

 

ヤマトはミヤビが自分を好きになる理由やきっかけに思い当たる節がなかった。

単に身の上を哀れんで、それが恋愛感情に変わっていったというのであれば、やるせない気持ちにもなる。

別に知らなくても良いことなのだが、真実を知りたかった。

真実を知った上で、ヤマトは彼女を愛したいと思ったのだ。

ミヤビは困ったような嬉しいような複雑な表情で答えた。

 

「…好きになったというのがいつなのかと問われると難しいのですが、たぶん初めてお会いした時から好きだったような気がします」

 

「初めて、と言うと、お前が屋敷にやって来た日のことか?」

 

「そうです。あなたがわたしを見る目はとても冷たくて、少し怖かったのを記憶しています」

 

「それがなぜ好意に変わるというのだ?」

 

「わたしはあなたの氷のような瞳が忘れられませんでした。それからしばらくして怖かったというのは単純な恐怖という感情ではなく、畏怖であったということがわかりました。初対面であっても、あなたの生まれついて持っている才能やカリスマ性といったものに無意識に気がついていて、それに対し敬意を抱いていたんです。将来わたしがお仕えする人はすごい人なのだから、それに相応しい人間にならなければいけないと思い、学業により一層身を入れることになりました。…というのが半分。あなたに気に入られたいがために自らを磨いたというのが半分です。わたしの献身的な行動は好きな人に振り向いてほしいという乙女心によるもの。浮ついた気持ちがあったのだと言ったら怒りますか?」

 

「いや、怒るはずなどない。理由はともかくすべての行動が私のためであったというのだ、嬉しいに決まっている」

 

「それを聞いて安心しました」

 

「…しかしそんな昔から私のことを好きだったとは、まったく気づきもしなかった」

 

「知られてしまったら、わたしはもうあなたのお側にはいられなくなってしまいます。だから必死になって隠し通しました。そして普通に恋愛して、結婚するという幸せを掴むことができないのならばと、自分なりの形で恋を成就させようとしたんです。それはさっきお話したとおりです」

 

「苦しかったのではないか?」

 

「はい。苦しかったですが、わたしは自分の選択に自信がありましたから、後悔はしていませんでした。むしろ苦しければ苦しいほど幸せなのだという気持ちになっていったくらいです。悲劇のヒロインに酔っていた…というところでしょうか」

 

ミヤビは自分で告白していて苦笑いする。

 

「今わたしは限りなく広くて奥深い世界の中心にいて、世界が大きく変わる瞬間に立ち会おうとしています。それはわたしが峰津院大和という人間に出会えたからです。ヤマト様はわたしの世界を変えてくださいました。もしあなたに出会うことがなければ、わたしの世界は今よりずっと狭くて薄っぺらなものだったに違いありません。何も知らず、何の力も持たないちっぽけな人間のままでいて、自分が生まれてきた理由を見つけることもできずにいた。そしてわたしは人を…あなたのことを愛することもなく、存在したという痕跡すら残さずに消えていったことでしょう」

 

ミヤビがそう言うと、ヤマトは彼女の髪を愛おしそうに撫でながら言った。

 

「私がお前の世界を変えたと言うが、お前こそ私の狭隘な世界を変えてしまった。いや、私だけではなく、友人たちの世界を広げたのもお前だ。そして全人類の世界を変えようとしているのもお前なのだ」

 

「責任重大ですね」

 

「ああ。しかしお前ひとりにすべての責任を背負わすことはない。私にも背負わせてくれるのだろ?」

 

「はい、よろしくお願いします。…ああ、嬉しい。こうしてヤマト様と一緒にいて、幸せな未来を思い描くことが現実になるなんて」

 

嬉し涙を目に浮かべたミヤビはヤマトの顔を見上げた。

 

「お前の涙は美しいな。嬉し涙ならいくらでもかまわないが、哀しい涙であれば私がその原因を取り除いてやる。…と言っても、これまでの涙の原因は私が作ったものだったがな」

 

「それならこれからは嬉し涙の原因をたくさん作っていただきます」

 

「ならば今からお前を泣かせてやろう」

 

ヤマトはベッドから降りるとリビングルームに向かって歩いて行った。

そして1分もしないうちにヤマトはミヤビのもとへ戻って来た。

 

「どうかなさったんですか?」

 

「お前が喜ぶものを持ってきた」

 

怪訝そうな顔をするミヤビに、ヤマトはそれだけ言ってミヤビの横に腰掛けた。

そして小さな革製のリングケースから金の指輪を取り出す。

 

「これは…?」

 

「我が峰津院家の当主が伴侶となる相手に渡す指輪…つまり婚約指輪だ」

 

「婚約ですって!?」

 

「何を驚いているのだ。お前は新しい世界でも常に私の側にいる。私のことだけを見つめ、私のためにこの身を捧げるという気持ちを絶対に違えることはないと言ったはずだ」

 

「はい…」

 

「そして私はお前なしには生きていけないと言った。愛し合うふたりが一生を共にする、つまり結婚するという意味であろう。東京の屋敷から戻る時、これだけは持ち出さねばと思ったのでな。…異論はないな?」

 

「はい、もちろんです」

 

「ならばこれはお前のものとなる。さあ、手を出せ」

 

信じられないといった顔のミヤビ。

しかしヤマトが冗談を言ったり人をからかったりするような人間ではないことを彼女は良く知っている。

彼女は遠慮がちに左手をヤマトに預けた。

 

「私の6代前の当主が婚約者に贈った指輪がその子へと受け継がれ、代々の当主が婚約者の女性にこの指輪を贈るという習わしになっている。…ミヤビ、私はお前を峰津院家の一族に迎える。それを承諾するならば、この指輪を受け取ってほしい」

 

峰津院家の人間になるということの重さをミヤビは良く知っている。

この国の霊的防衛を担う役割の峰津院一族にとって婚姻は非常に重大な問題である。

歴代の当主はヤマトのように強い霊力を持ち、同じく霊力の強い女性を伴侶としてきた。

龍脈を使えるだけの霊力を持つ子孫を残すことがその女性の唯一絶対の責務なのだ。

単純に愛情だけで結ばれることができない一族であるから、一般人のような家庭を築くことはできない。

しかしミヤビはヤマトに劣らぬ霊力を持っている。

ふたりの間に生まれる子供なら両親に似て優秀な悪魔使いになるだろうし、ジプス局長としても立派にやっていけることだろう。

そしてふたりは愛し合い、強い絆で結ばれている。

ならば結婚をためらう理由などひとつもない。

 

「はい。お受けします」

 

ミヤビはこれ以上ないというくらい幸せそうな顔で答えた。

それを見たヤマトも満面の笑みを浮かべる。

これまで誰にも見せたことのない自然な笑顔だ。

彼を知る人間がその顔を見たら信じられないと言って目を丸くすることだろう。

なにしろミヤビですら初めて見る表情なのだから。

 

「ありがとう、ミヤビ。これで私は人生の最後に『この瞬間よ、止まれ』と叫ぶことができそうだ」

 

ミヤビの左手の薬指に鈍く輝く指輪が嵌められた。

 

人間は努力をすればその分だけ報われるのだと信じていたミヤビだったが、ヤマトの心だけは求めても絶対に得られないと諦めていた。

しかし彼女は自身の努力と誠意によって手に入れることができたのだった。

彼女は自分の生き方に間違いがなかったのだと確信し、愛しい人の名を呼んだ。

 

「ヤマト様…」

 

何度も口にした名前であったが、あまりにも感慨深くて涙が頬を伝ってこぼれ落ちた。

その涙をヤマトは唇で拭ってやる。

 

「ミヤビ…お前を愛している。だから一生側にいてくれ」

 

「はい、わたしは永遠にあなただけのものです」

 

ミヤビが微笑むと、ヤマトの顔が近づいてきた。

ミヤビが目を閉じると、唇にヤマトの唇が重ねられた。

触れるだけのものであったが、永遠に誓いを違わないという証のキスだ。

そしてふたりはひとつに溶け合ってしまいそうなほどしっかりと抱き合い、幸せな未来を夢見ながら深い眠りの中へ落ちていったのだった。

 

 

 






ヒロインは「世界回帰」をポラリスにお願いし、さらに「管理者ではなく監視者になってもらいたい」というおまけも頼むつもりです。
はたしてポラリスはそんな都合の良いお願いを聞き届けてくれるのでしょうか?

またヒロインはヤマトに死のうとした理由・その2を話します。
彼女が思い込みで勝手に空回りしているように思えますが、本人は必死です。
言いたくないことですが、自分のことを信頼し、愛してくれるヤマトに内緒にしておけなくなってしまいました。
ヤマトも自分にだけは本心を明かしてくれる彼女のことがますます好きになったことでしょう。




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Last Day 結実の日曜日



いよいよポラリスとの謁見に臨みます。

ラスボスとの戦闘シーンがメインなのですが、かなりあっさり目になっています。
というか、こってり目に書けないだけなんですけど。





 

 

アカシック・レコードに記録のない8日目の朝がやって来た。

ヤマトは局員たちにジプスの解散を告げ、ポラリスとの謁見について説明した。

世界回帰という想像もつかないことが起きようとしているというのに、彼らは案外冷静だった。

それはこの7日間でミヤビが見せた行動とその結果で、彼女に絶大な信頼を抱くようになっていたからだ。

当初は彼女を軽んじていた大阪本局の局員ですら、彼女のことを尊敬するようになっていた。

ミヤビの意思と行動が彼らを変えたのだ。

ならば回帰された世界では自分たちが周囲の人間を変えていこうという声が局員の中から上がり、ヤマトとミヤビは彼らの声援に背を押されて、転送ターミナルのある施設の最深部へと向かった。

 

ヤマトとミヤビが転送ターミナルに到着すると、すでに11人の仲間たちとアルコルが待っていた。

 

「ポラリスはこことは違う別の次元の座標に存在し、これからその場所にこの転送ターミナルを使って君たちを送る。さあ、準備をしてくれ」

 

アルコルに言われたように、ミヤビたち13人の悪魔使いは転送ターミナルの中心にひと塊になる。

ミヤビはヤマトの手を握り、ヤマトもまたミヤビの手を握り返した。

準備ができたことを確認すると、アルコルが説明をする。

 

「私が君たちを送ると言っても、重要なのは君たちの強い意思だ。私はその力を増幅させるにすぎない」

 

「我々を転送させた後、貴様はどうなる?」

 

ヤマトの問いに、アルコルは少し哀しげな目をして答えた。

 

「この力を使うと…私は今の姿を維持できなくなるだろうね」

 

「それって、死ぬってことですか?」

 

ミヤビが訊くと、アルコルは彼女を気遣って微笑みながら言った。

 

「私の精神はどこかで生き続ける。だから死という定義には当てはまらないかな」

 

「でも…」

 

「これは私がやりたくてやることだから、君たちは気にしなくていい」

 

「どうしてそこまでしてくれるんですか?」

 

「…そうだね。人間が好き、だからかな。特に君たちのことが大好きだったよ、ミヤビ、ヤマト」

 

そう言ってミヤビたちを見たアルコルの顔は今まで見た中で一番人間らしいものだった。

 

「では、はじめよう」

 

アルコルがそう言った次の瞬間、ヤマトが彼を制止した。

 

「いや、少し待て、アルコル」

 

ヤマトは転送ターミナルを出ると、アルコルの側に近づいて行った。

それをミヤビと仲間たちは何事かと黙って見守る。

 

「ヤマト、どうしたんだい?」

 

「貴様との腐れ縁もこれまでだな。貴様には世話になった」

 

ヤマトはアルコルに手を差し出した。

 

「仲違いしたままでは寝起きが悪い。人間は和解する時に握手をするものだ。…さらばだ、アルコル」

 

「うん。さよなら、ヤマト」

 

ふたりはしっかりと握手をして、ヤマトはミヤビたちのもとへ戻って来た。

 

アルコルが右手を挙げると、ターミナルが白く輝き始める。

ミヤビたちは身体が宙に浮くような感じを覚えた。

 

「さあ、強く願うんだ! 君たちが望む世界を!」

 

最後にアルコルの満足そうな笑顔を見て、ミヤビたちは真っ白な世界に包まれた。

 

「あっ…」

 

「どうした?」

 

ヤマトに訊かれ、それまで沈んでいたミヤビは笑顔を取り戻して答えた。

 

「人間には不可能を可能に変える力があるんです。悲しむことなんてないってわかったら気分がスッキリしました」

 

「どういうことだ?」

 

「それは ── 」

 

彼女が言いかけた時、13人の悪魔使いたちは白い闇に飲まれていったのだった。

 

 

 

 

ミヤビたちは不思議な空間に放り出された。

アルコルは別の次元の座標と言っていたから、この世のどこでもない場所といったところだろう。

星のようなものが線を描いて流れている様子は宇宙空間のようだ。

 

「ここに、ポラリスがいるというの…?」

 

ミヤビの声に反応するかのように、中央にある円盤が浮いて、顔のようなものが出てきた。

 

「人間よ、お前たちは試練を乗り越え、よくぞ私の前までやってきた」

 

それこそがアカシック・レコードの管理者、ポラリス。

人間は滅ぶべきだと決定し、この災厄を引き起こした張本人だ。

その声は慈愛に満ちた女性の声のようであり、厳格で冷酷な男性の声のようでもあった。

 

「では問おう。お前たちは世界に、どのような姿を望むというのか?」

 

「元に戻してください」

 

ミヤビの言葉に全員頷く。

そして彼女は続けた。

 

「人間の世界はあなたにとって愚かでくだらないものかも知れません。でもわたしたちはわたしたちなりに生きてきて、あの世界があったんです。これまでの7日間、いろいろなことがありました。それぞれ学んだことはたくさんあります。それを生かして、今度こそ世界が良き方向に進むよう頑張るつもりです」

 

「破壊前の世界を望むか。しかし世界や人間を上書きすれば、お前たちがどうなるかわからぬ」

 

「承知の上です」

 

ミヤビの言葉にポラリスが笑う。

 

「なるほど、望みはわかった。だが人間はすでに腐敗し、生きる価値を失った存在である。お前たちならそれを正しい方向へと導けると言うのか?」

 

「生きる価値を失った存在…か。たしかにそのとおりだな」

 

いつものようにヤマトは笑う。

 

「だが我々はここに辿り着いた。可能性がないとは言い切れまい?」

 

「そうか、ならば何も言うまい。お前たちの覚悟が本物か、流されることなく大衆を導く力を持っているのか、試させてもらおう」

 

ポラリスがそう言った次の瞬間、奇妙な形の白い物体が現れた。

良く見ると身体のパーツのような形をしている。

全員が携帯をかまえた。

 

「これが最後の戦いだ。…死ぬなよ、ミヤビ」

 

「はい。どんなことをしてでも必ず勝って、生き残ります」

 

ミヤビとヤマトはお互いに確認し合って、各々悪魔を召喚した。

 

「行くぞ!」

 

ヤマトの合図に合わせて全員がポラリスへと挑みかかっていった。

 

ポラリスにはあらゆる攻撃、万能属性までもが殆ど効果がなく、圧倒的な攻撃回数で戦況は徐々に押されていく。

しかしサタンとルシファーの同時攻撃によってポラリスの核らしき部分が露出し、そこ目がけてすべての悪魔たちに攻撃をさせた。

すると核にひびが入り、外側の身体を構成する部分がボロボロと剥がれ落ちていく。

 

「今です、ヤマト様!」

 

「ああ。…メギドラオン!」

 

ヤマトが万能属性の炎でポラリスを焼き尽くすが、ポラリスはまだ消えない。

そして地響きが起こり、まるで空間が変わるような錯覚をミヤビは覚えた。

 

「まだだ…こんなものでは世界を負うに足らぬ。さあ、次だ」

 

破壊した外殻の中から白い人型のものが現れた。さっきの岩状のものと比べて華奢で弱い感じに見えるが、そのオーラに威圧されてしまう。

 

「どんなに厳しい試練を与えられたとしても、これが人間の意思の力だというものをお見せしましょう」

 

 

 

 

いつの間にか辺りは真っ白な世界になっていた。

その白い世界にさっきの白い人型 ── ポラリスが姿を現す。

ミヤビは周囲を見回すが誰もおらず、彼女はポラリスと一対一で対峙した。

次の攻撃を警戒して身構えるが、予想に反してポラリスは静かに語りかけた。

 

「人の子よ…アルコルが見出した輝く者よ。お前はなぜ世界を元に戻そうというのだ? 同じことを繰り返すなど実に愚かしい」

 

「そんなことはありません。わたしたちはセプテントリオンとの戦いの中で様々な経験をし、大切なことを知りました。それを無駄にすることはありません」

 

「記憶がなくなるかもしれないのだぞ」

 

「記憶などなくても、わたしたちの心には深く刻まれています。記憶を消されても、心に刻み込まれた経験はあなたでも消すことなどできません」

 

「フッ…くだらぬな。人間とは愚かな生き物なのだよ。たとえ過去に戻ったとしても変わりはしない。歴史は繰り返される。だからここで、消えた方が人間のためなのだ」

 

「それならなぜあなたは人間を一気に滅ぼしてしまわなかったんですか?」

 

「どういう意味だ?」

 

「存在したという事実を跡形もなく消してしまいたいほど人間に幻滅しているのなら、7日間もかけるなどというまどろっこしいことをしなくても良かったのではありませんか? セプテントリオンだって初日に全部投入してしまえばあっという間に片がついたはずです。それなのにまるでわたしたちを試すように少しずつ小出しにし、そのおかげでわたしたちは成長し、ここまでたどり着くことができました。人間の生きたいという強い意思を感じたでしょう。その強い意思さえあれば、良き方向へやり直すことだってできるはずです。あなたはそれを見たくてこんなことをしたのではないんですか?」

 

「面白い人間だ。さすがアルコルが輝く者と認めただけある」

 

「そのアルコルだってあなたがあえて人間に肩入れしたくなるようにプログラミングしたセプテントリオンだったのではありませんか?」

 

「さあ…それはどうだろうか」

 

「違うというのなら、アルコルの行動は人間の可能性が起こした奇跡なのでしょう」

 

「フッ…。しかしお前はなぜ峰津院大和や栗木ロナウドのように新しい秩序による世界を望まないのだ?」

 

「わたしは誰かひとりの意思による新しい世界の創造ではなくて、すべての人間の意識の変革が求められていると考えます。ヤマト様やロナウドさんのやり方は、世界改変という手段で人類すべての意識を強制的に変えてしまおうということです。本人が知らないうちに書き換えられてしまうのでは意味がないと思います。わたしはこの7日間の経験を踏まえた上で、ひとりひとりが自分の意思で変わろうとすることが重要だという結論に達しました」

 

「…」

 

「わたしたち人間は管理者に管理されるのではなく、自身で自分を管理できるようになるべきです。それが上手くできなくてあなたに人間は生きる価値がないと判断されてしまいました。でも今のわたしたちなら今度こそ上手くできるはずです。もちろんすぐに理想の社会を創り上げるなんてことは無理ですけど、まずはわたしたち13人の人間が自分たちの意識を変えました。そしてみんながそれぞれの生活に戻り、そこで周りの人たちを変えていくでしょう。そうやって少しずつ意識の改革をし、いずれはあなたのお眼鏡にかなう世界をお見せできるはずです。だから管理者ではなく監視者として、わたしたち人間を見守っていてください」

 

そこで会話は中断した。

ポラリスは何か考えているようで、ミヤビはその審判を待った。

しばらくの無言の後に、ポラリスが言う。

 

「お前の考えは他の人間たちにも十分に浸透しているようだ」

 

「え?」

 

「彼らはお前の意思を尊重し、お前の可能性にすべてを賭けると言っている」

 

どうやらポラリスはヤマトや他の仲間たちの前にも現れて対話をし、彼らの考えを聞いていたようだ。

 

「ではお前の意思を種の意思として認め、私もまたお前の可能性に賭けてみるとしよう」

 

「本当ですか!?」

 

「ああ。しかし忘れるな、人間よ。あくまでも私はお前とその仲間たちに可能性を見たに過ぎない。世界の復元とはこれまでに定められた未来への変更を意味する。復元された世界では何が起きるか私にもわからぬぞ」

 

人間の未来は人間の手で切り開くことが許された。

しかしポラリスの言うように、記憶を失えばまたすべて繰り返される可能性もありうる。

 

「はい。それでもわたしは世界回帰、世界の復元を望みます。人間の可能性を信じていますから」

 

「よかろう…では始めるぞ」

 

そして空間が消滅した。

 

 

 

 

ミヤビは初めに放り出された空間に似た場所にいた。

無数の星の流れに乗って、空間と時間が巻き戻って行くように感じられた。

しかしどこを見渡しても誰もいない。

彼女は星の海を泳ぎながら、仲間たちを探すことにした。

 

「ダイチさんたちはどこかしら…?」

 

この空間は距離や時間など関係ないのか、それとも《種の意思》である彼女の意思が反映されるのか、ダイチがすぐ目の前に現れた。

 

「ダイチさん、ありがとうございました」

 

「アハハ…俺はお礼を言われるようなことはしてないぜ。むしろ俺たちがここまで来られたのはミヤビちゃんのおかげだよ」

 

ダイチは苦笑する。

 

「またいつか会えますよね?」

 

「ああ。その時にはまた友達になろうぜ。俺、絶対に君のことを忘れないから」

 

そう言ってダイチが離れていく。

 

そしてミヤビの前に次々と仲間たちが現れて言葉を交わしては流れていった。

 

「ミヤビちゃん、また会おうな」

 

「ミヤビ、茶碗蒸し、食べる?」

 

「わたし、あなたのおかげで少し強くなれた気がします」

 

ヒナコ、ジュンゴ、イオと続き、ケイタ、アイリ、オトメが通り過ぎていく。

 

「おおきに。ほなな」

 

「あたし、ピアノ続けるから。もう絶対に諦めたりしないわ」

 

「健康にはくれぐれも気をつけてね」

 

そしてロナウドとジョーが現れた。

 

「君には感謝している。ありがとう」

 

「局長さんと仲良くな」

 

「や~ミヤビ、次会ってもまたよろしく」

 

「ミヤビ、局長をよろしく。…また会おう」

 

フミとマコトと会話を交わし、最後にミヤビは一番会いたい人の名を呼んだ。

 

「ヤマト様!」

 

「私はここいる」

 

ヤマトは彼女の背後にいた。ミヤビはヤマトと向かい合うと嬉しそうに微笑んだ。

 

「これで良いのだな?」

 

「はい。でも世界が少しでも変わらないと意味がありませんから、これからが重要です。これは終わりではなく、始まりなんですから」

 

「そうだな。しかし不安ではないか?」

 

「不安などありません。わたしには志を同じくする仲間と、愛する人がいますから」

 

ミヤビは頬を赤く染めながら、ヤマトの耳元で囁いた。

 

「愛しています、ヤマト様」

 

「私もだ、ミヤビ。次の世界では必ずふたりで幸せになるぞ」

 

「はい。あなたを信じています」

 

ふたりは唇を重ね、抱き合いながら時の流れの中へ消えていったのだった。

 

 

 






ゲーム版のポラリスとの戦いで、選んだルートによっては、運命に対して悲観的な過去の自分と戦うというシーンがあります。
それを引用させてもらおうかとも考えましたが、ボツにしました。
なぜならヒロインには「運命に対して悲観的な過去の自分」がいないからです。
彼女は初めから前向きで、運命というものに正面から体当たりしている強い少女だからです。

次回で完結します。
回帰された世界はどんな世界になっているのでしょうか…




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Epilogue 再生の月曜日



終章は回帰された世界でのお話。
13人の悪魔使いたちはそれぞれ元の生活に戻っていますが、少しずつ変化しているようです。





 

 

── 東京・峰津院家屋敷 ──

 

ジプスの制服に身を包んだヤマトの前に、同様に制服を着たミヤビが微笑みながら立っている。

 

「ジプス局長就任、おめでとうございます」

 

「ああ。だが私が局長になった以上、お前もジプスの一員として働くことになるが、覚悟は良いか?」

 

「はい。わたしはいつでもあなたのお側におりますから」

 

「…そうだったな」

 

穏やかに笑うミヤビに、ヤマトは続ける。

 

「もちろんそれは私の伴侶になるという意味も含んでいるのだろうな?」

 

そう言われたミヤビは顔を真っ赤にする。

 

「え?…えっと、それは…」

 

「ミヤビ、私にはお前が必要だ。そもそも父上がお前を峰津院家に引き取ったのは、将来お前を私と結婚させるためであり、ゆえに共に暮らしていたのだ。昨年のお前の誕生日に婚約指輪をプレゼントしたことを忘れてはいないだろうな?」

 

その言葉にミヤビは無意識に左手薬指に嵌められた金の指輪に右手を添えた。

 

「はい。ですが結婚はヤマト様が18歳になるまではお預けですね」

 

年齢のことを言うが、すかさずヤマトが封殺する。

 

「民法第731条…か? かまわぬ、そんなものは捨て置け。峰津院大和に法などというものが通用するはずがなかろう」

 

「バカなことを言わないでください! いくらヤマト様だといっても法律を無視するなんて ── 」

 

「フッ…冗談に決まっている。もっとも法を変えるくらい雑作もないことだがな」

 

(ヤマト様って冗談をいうような性格だったかしら? たしかにヤマト様なら法律を変えることも簡単にできそうだけど…)

 

ミヤビが呆れてため息をつくと、ヤマトはミヤビの頬を両手で抱えるようにして上を向かせ、彼女の瞳を見つめた。

 

「ミヤビ…お前を愛している。だから一生側にいてくれ」

 

「はい、わたしは永遠にあなただけのものです」

 

ミヤビが微笑むと、ヤマトの顔が近づいてきた。

ミヤビが目を閉じると、唇にヤマトの唇が重ねられた。

触れるだけの軽いキスの後、ヤマトはミヤビ以外の誰にも見せたことのない笑顔で言った。

 

「…さて、そろそろ行くか」

 

「はい」

 

そしてふたりは並んで歩き出した。

 

 

 

 

── 東京・某都立高校 ──

 

イオが女友達とふたりで廊下を歩いていると、ダイチが声をかけてきた。

緊張しているせいか、顔が紅潮していて声も上ずっている。

 

「に、新田さん…よかったら放課後に、一緒に勉強…しないか? ほら、もうすぐ試験があるだろ」

 

イオはダイチと面識はあったが、こうして面と向かって話をしたことがなかったので、突然の申し込みに少し驚いた。

 

「ええ…いいですよ」

 

「いいの!? じゃ、図書館で待ち合わせってことで」

 

「わかりました」

 

勉強の約束をしてふたりは別れた。

 

ダイチはイオの姿が見えなくなった場所でガッツポーズをする。

 

(よっしゃぁー! 憧れの新田さんと勉強デートだぜ! 心臓が爆発するかと思ったが、勇気を出して声をかけてみて良かった…。やっぱり自分で考えて自分で行動しなきゃ未来は開けない。これをきっかけに猛アタックするぞぉ~!)

 

一方、イオはダイチの去った方を見ながら廊下の真ん中で立ち尽くしていた。

 

(人見知りのわたしがこんなに簡単にOKしちゃうなんて…。こうして話をするのは初めてのはずだけど、昔から友達だったような気がする…。何か不思議な感じだわ)

 

そんな彼女に一緒にいた女友達がからかうように声をかけた。

 

「イオちゃんてああいうタイプが好みだったの? 意外だわ」

 

それにイオは悪意のない笑顔で答えた。

 

「そういうのじゃないわよ。ただ何となく前から知っていた気がしたからOKしただけ。わたしたちは受験生なのよ、余計なことにかまってはいられないでしょ?」

 

「ふ~ん…」

 

「でも未来はどうなるかわからないわ。…選択肢のひとつには違いないけど。ウフッ」

 

意味深な言葉を口にしたイオは、ダイチとは反対の方へ歩いて行った。

 

 

 

 

── 名古屋・某日本料理店 ──

 

板場で料理の下ごしらえをしているジュンゴのもとにアイリがやって来た。

店の扉を開くなり、ずかずかと中へ入って来る。

 

「ジュンゴ、昨日のコンテスト、どうして見に来てくれなかったのよぉ!?」

 

彼女は優勝トロフィーが抱えながら文句を言う。

 

「昨日、仕事。…アイリ、頑張ったね」

 

ジュンゴはアイリの頭をゴシゴシと撫で回した。

 

「うん…。一生懸命練習したから。今度は絶対に来てね」

 

「わかった。…茶碗蒸し、食べる?」

 

ジュンゴの手から熱々の茶碗蒸しがアイリに手渡された。

茶碗蒸しをひと口食べると少しは落ち着いたようで、カウンターの椅子に腰掛けて足をブラブラさせながら話し出した。

 

「昨日は父さんと母さんがふたりで一緒に見に来てくれたんだ。父さんなんて仕事で忙しいのに、わざわざ有給をとって」

 

「うん」

 

「それであたしがピアノを続けたかったら音大へ行っても良いって。だけどお金の事で迷惑かけたくないから、いっぱい勉強して奨学金を貰うの。今のあたしじゃ無理かもしれないけど、やるだけやってみるわ。それで音大に入ったらピアノの講師とかのアルバイトをする予定よ」

 

「大変だね?」

 

「わかってるわよ。だけど自分で決めたことだから絶対に後悔しないつもり。…それでもあたしが悩んだり困った時には相談に乗ってよね?」

 

「うん。アイリ、応援してる」

 

そう言ってジュンゴはまたアイリの頭をゴシゴシと撫で回した。

 

 

 

 

── 京都・九条家屋敷 ──

 

ヒナコが家元である父親と言い争いをしていた。

 

「ウチは実力を試してみたいんや! 日舞が嫌いなわけやない。ただ世界中の踊りを見て、踊ってみたいだけなんや。日舞の家元になるという道しかない人生なんて嫌や。ウチには他にも可能性があるんやないかって…そんな気がするんや。ウチは自身の踊りが世界に通用するかどうか試したい。そしてウチの踊りを喜んでくれる人に見てもらいたいんや。ウチにはこれくらいしかできへんからな。…とにかく九条流を継ぐとか継がないとかは帰って来てからの話や」

 

父親の承諾を得ることができないのであれば家出をするということも考えていた。

しかし父親と諍いをしたままではそれが心残りになって修行に身が入らない。

だからこそ争うのではなく、話し合いで相手を納得させなければいけないのだと彼女は必死だ。

 

それから小一時間ほど彼女はあらゆる言葉を駆使し、自分の正直な気持ちを父親に話した。

そしてやっとのことで許しを貰った。

 

「お前の覚悟はようわかった。せやけど来年の3月19日までには一度帰って来い」

 

「3月19日…? 何でや?」

 

「お前の二十歳の誕生日の祝いくらいさせてくれ」

 

「あ…」

 

彼女は3月19日が自分の誕生日であることを思い出した。

親に逆らって勝手なことをしようとしている娘であっても、成人を祝いたいという父親の気持ちがヒナコは嬉しかった。

 

「わかったで、お父ちゃん。ウチはお父ちゃんの想像以上の踊り手になって帰って来る。期待して待っとってや」

 

そして2日後、父親に見送らえて、ヒナコは住み慣れた屋敷を出たのだった。

晴れ晴れとした気持ちを胸にして…

 

 

 

 

── 大阪・ビッグマン前 ──

 

ボクシングのグローブを肩に掛けたケイタが人混みの中を歩いていると、若い女性が駆け寄って来た。

 

「和久井啓太君ですよね? サインください!」

 

どうやら彼のファンのようだ。

 

「昨日の試合、見に行きました。チャンピオンをKOするなんて、すっごくカッコよかったですよ」

 

若い女性に褒められて満更でもないケイタ。

 

「やっぱり世界チャンピオンを目指しているんですよね?」

 

「もちろんや。俺の目標は世界チャンピオン。国内で満足するようなちっちゃい男やない。…せやけど俺が強くなりたいのは名声や金のためやないで」

 

「?」

 

「俺は仲間を守れる強い男になりたいんや」

 

ケイタはまだ見ぬ仲間に思いを馳せて言った。

 

「はい。応援してます。頑張ってください!」

 

「おおきに。…ほら、色紙よこせ。サイン、したる」

 

そう言ってたどたどしい筆運びでサインをしたのだった。

 

 

 

 

── 東京・新宿区内路上 ──

 

ジプス東京支局からの迎えの車に乗っているヤマトとミヤビ。

ミヤビは書類の整理をしているのだが、その隣にいるヤマトは手持ち無沙汰でぼんやりと車窓の景色を眺めていた。

彼の視線の先には荷物を積んだ軽トラックや、荷物の積み下ろし作業をしている人の姿がある。

 

「ミヤビ、この近くで祭りでもあるのか?」

 

ヤマトがミヤビに訊く。

 

「あ、はい…たぶん新宿花園神社の大酉祭です。明日が酉の日ですから、今夜が前夜祭で、明日が本祭になります」

 

「祭りと言えば…屋台は出るのだろうな?」

 

「はい、もちろんです」

 

ミヤビが答えると、ヤマトはしばらく黙り込んでしまった。

 

「ヤマト様、どうかなさいましたか?」

 

「…今日の夜の予定はどうなっている?」

 

いきなり無関係な話題を持ってこられ、ミヤビは慌ててタブレット型端末を操作する。

 

「えっと…一九〇〇時より自明党の幹事長との会食が ── 」

 

「キャンセルしろ」

 

「え?」

 

「会食はキャンセルだ」

 

「ええっ!? それはできません。ダメです。ジプス局長就任のお祝いを兼ねてのご招待なんですよ、それをこちらから断るなんて、いくらヤマト様の命令でもダメなものはダメです」

 

「あの男と食事などしたくはない」

 

「これもお仕事です」

 

「…」

 

口を尖らせて、あからさまに不機嫌そうな顔をするヤマト。

 

「峰津院大和とあろう者が子供みたいなわがままを言ったり、そんなふてくされた顔をするなんてありえません。もっと威厳を保ち、峰津院家当主及びジプス局長としての自覚をお持ちください。そのような顔、局員のみなさんが見たら幻滅しますよ」

 

ミヤビがため息をつきながら言うと、急にヤマトはにやりと笑ってミヤビの耳に囁いた。

 

「お前にだから見せられるのだよ」

 

甘くとろけるような声で言うものだから、ミヤビは顔を赤くした。

 

「ヤマト様…」

 

「他の連中の前ではお前の言うように威厳ある峰津院家当主及びジプス局長を上手く演じてやるさ。だから ── 」

 

「ダメです。予定は変更しません」

 

ミヤビは懐柔されそうになるが、すぐに真面目な顔できっぱりと言い切った。

しかしすぐに微笑みながら言う。

 

「お祭りは深夜の2時までやっていますから、お屋敷に戻る途中に寄り道しましょう」

 

「本当か!?」

 

「わたしはヤマト様に嘘をついたりしません。…それにわたし自身があなたとお祭りを楽しみたいですから」

 

「そうか…」

 

嬉しそうな顔のヤマトの姿を見て、ミヤビも嬉しくなる。

 

「では、それまでに支度を済ませておきますので、ご期待ください」

 

「支度? 祭りというものは行くだけであっても準備をせねばならぬのか?」

 

「当然です。まさかお祭りにジプスの制服姿でいらっしゃるおつもりですか? それに屋台ではカードが使用できませんから、ある程度の現金も用意しなければなりません」

 

「ふむ…そういうものなのか」

 

「そうです。…それにしても急にお祭りに行きたいだなんて、どういう風の吹き回しでしょうか?」

 

「一緒にタコ焼きを食べる約束をしていた。お前が言い出したことだぞ」

 

「約束…?」

 

ミヤビは首を傾げる。記憶にはないのだが、約束をした気がする。

 

「…はい、たしかにお約束していましたね。では、お仕事を済ませた後のお楽しみということで、今日一日を頑張ってくださいませ」

 

「ああ」

 

ヤマトを操縦するコツを見つけたミヤビはヤマトに見つからないようにほくそ笑んだ。

 

(ヤマト様は意外なところで子供っぽいところがあるから、そこを突っついてアメとムチを上手く使い分ければいいってことね。…それにしてもさっきのヤマト様の顔、可愛いかった♡)

 

 

 

 

── 名古屋・市民病院の病室 ──

 

ジョーが腕いっぱいのバラの花束を抱えて恋人の見舞いにやって来た。

相変わらず恋人の病状は好転していないが、ジョーが頻繁に見舞いに来てくれるために、精神的には元気いっぱいだ。

 

「ジョー、今日も来てくれたのね、ありがとう」

 

「ああ。俺には君の顔を見に来て、こうやって励ますくらいしかできないからな」

 

「ううん、それが一番嬉しいわ」

 

「俺がもっと頭良くて努力家だったら、今からでも医者になる勉強をして君を治してやるんだけどな」

 

申し訳なさそうな顔で言うジョー。

そんな彼に恋人は首を横に振って言った。

 

「そんな顔をしないで、ジョー。あなたはあなたにしかできないことをすればいいよの」

 

「俺にしかできないこと?」

 

「そう。あなたはこうやってわたしに会いに来てくれて、その時にわたしの喜ぶ言葉をいっぱい言ってくれればいいの。『好きだよ』とか『愛している』って」

 

「たったそれだけ?」

 

「それだけでわたしは十分なの。あなたがわたしのことを愛してくれているという気持ちを感じるだけで、生きる勇気が湧いてくるの。明るい幸せな未来が見えてくるのよ。わたしは医者の彼氏なんていらない。ちゃらんぽらんな性格で、時間にもルーズ。くだらない冗談ばかり言ういいかげんなあなただけど、わたしはそんなあなたが好きなんだもの」

 

それを聞いて苦笑するジョー。

 

「そう言われると嬉しいけど、褒め言葉としてはちょっと、ね」

 

「あら、褒めているつもりなんてないわ。わたしはあなたのそういう欠点を含めて全部が好きなのよ。…それでね、今度東京の有名なお医者様が来てわたしの手術をしてくださるんですって」

 

「本当かい?」

 

「ええ。この病気に関しての世界的権威だという偉いお医者様なの。でもその先生でも治る確率は半々なんですって。わたしはお願いしようと思うんだけど…、あなたは賛成してくれる?」

 

「もちろんだとも。君が元気になる可能性があるなら、俺もそれに賭けたい」

 

ジョーは恋人の手をしっかりと握って言った。

 

「君が元気になってから言うつもりだったけど、先に言っておくよ。…結婚しよう」

 

 

 

 

── 名古屋・市内某所 ──

 

人目を避け、廃ビルの裏で人を待つロナウド。

そこに怪しげな中年男が近づいて来た。

 

「ロナウドの旦那、これが例の麻薬取引現場の写真です」

 

そう言ってロナウドに一枚の写真を手渡す。

どうやらこの男はロナウドの使っている情報屋らしい。

 

「いつもすまないな。これさえあれば奴らの組織を一網打尽にできるぞ」

 

ロナウドは長い間追っていた麻薬組織の尻尾を掴み、あと一息で組織を壊滅できるところまで追い詰めたのだが証拠がなかった。

その写真には組織の幹部の顔がバッチリ写っている。これなら証拠として十分に通用し、裁判では間違いなく有罪に持ち込めるだろう。

 

「しかし旦那…どうしてそんなに熱心になれるんですかい? 旦那ひとりが頑張ったって、社会悪を一掃できるもんじゃありませんぜ」

 

情報屋が呆れたという口ぶりで言うと、ロナウドは首を横に振った。

 

「だが誰もやらなければいつまで経っても弱者が救われない。それに俺がやれば後に続く者がきっと現れるはずだ。俺は人間が好きだし、信じてもいるんだ」

 

情報屋はヤレヤレといった顔をする。

 

「お前は博愛という言葉を知っているか?」

 

ロナウドが突然そんなことを言い出したものだから、情報屋は少し面食らう。

 

「は? 何ですか、それ?」

 

「博愛とはすべての人を等しく愛すること。俺の好きな言葉なんだ。この言葉を誰に教わったのか良くは覚えていないが、なぜか心に染みるんだな、これが。とにかく俺はこういうやり方しかできない不器用者だということさ。じゃ、またよろしくな」

 

そう言ってロナウドは自嘲気味に笑い、表通りへと歩いて行った。

 

 

 

 

── ジプス名古屋支局・医務室 ──

 

オトメは怪我をした若い男性局員の手当をしていた。彼は今年入局したばかりの新人だ。

 

「いくら若いからって無茶しちゃダメよ。ご両親がこのことを知ったら、すごく心配するわ」

 

オトメに叱られて、男性局員はシュンとしてしまう。

 

「ジプスの仕事って重要なものだけど、一番大切なのは自分の身体だってことを忘れないでね」

 

そう言われ、男性局員は答えた。

 

「はい。これからは無理しない程度に頑張りたいと思います。ありがとうございました!」

 

「お大事に」

 

患者を送り出したすぐ後に、オトメの携帯に電話が入った。

 

「あ、小春?…うん、お仕事が終わったらお迎えに行くから、いい子にして待っているのよ。夕ご飯は小春の大好きなハンバーグにするから。…そう、わかったわ。じゃあね」

 

幼い娘の喜ぶ顔を想像しながら、彼女は仕事に戻ったのだった。

 

 

 

 

── ジプス大阪本局・フミの研究室 ──

 

「迫っち? 今度の週末、暇?…ああ、だったらあたしがそっち行くから、一緒にランチしない? この前、迫っちが行きたいって言ってた店、あそこの予約しておいてよ。…こっちの作業はあと2日で終了。そっちは?…そうか、今日からなんだ。じゃ、その話は今度聞かせてよ。会うの、楽しみにしてるから。じゃ、まったね~」

 

マコトへの電話を切ると、フミは愛用のノートPCのキーボードを打ち、ヤマトのデータをディスプレイに表示させた。

その内容を見ながら、彼女はにんまりと笑う。

 

「新しい局長、か…。けっこう面白そうなタイプだね」

 

さらにミヤビのデータも表示させる。

 

「こっちもなかなか…。長期にわたり峰津院家の屋敷という外界から隔絶された空間に置かれた思春期のふたりの間に何が起きたのか? そしてそれがどのような影響を及ぼしているのか…。これまで人間なんてものには全然関心なかったけど、これを機会にいろいろ研究してみようかな。いい研究素材が手に入ったからね。フフフ…」

 

 

 

── ジプス東京支局・エントランス ──

 

新局長を迎えるにあたって、マコトは少し緊張していた。

 

(1年前、シンクロナイズドスイミングの選手であった自分の前に突然現れてジプスにスカウトをしていった少年が局長だなんて…。シンクロに未練はあったものの、ジプスという人を助ける仕事に魅力を感じてわたしはスカウトを受けた。代表選手に手が届くところまで頑張ってきたというのに、それを捨ててまで入局することにした理由が今でも良くわからないところがある。このまま続ければオリンピックだって夢じゃなかったはずだ。なぜわたしがシンクロよりもジプスに惹かれるのか。その理由は局長と一緒に働いていればきっとわかるのだろうか…)

 

そんなことを考えながら待っているうちに、エレベーターホールの方からコツコツという足音がふたつ聞こえてきた。

そしてヤマトとミヤビが彼女の前に姿を現す。

マコトは姿勢を正して敬礼をした。

 

「お待ちしておりました、峰津院局長。局員一同、局長就任を心より歓迎いたします」

 

 

 

── 東京・新宿花園神社境内 ──

 

花園神社の境内は大勢の人出で賑わっていた。

境内は身動きできないほど混雑しており、秋の夜だというのに夏のような熱気で溢れている。

 

「ヤマト様、こっちです」

 

迷子にならないようにと言ってミヤビはヤマトの手を握り、人の波をかき分けるように参道を進んで行く。

 

「まだなのか?」

 

うんざりしたという顔で訊くヤマトに、ミヤビはピシッと言い放つ。

 

「まだ10メートルくらいしか歩いていないじゃないですか。それに欲しいものを手に入れるためには犠牲を払う必要があります。ほら、行きますよ」

 

酉の市だから縁起物の熊手を売る露店が多く、それをヤマトは物珍しそうに見ながら歩いていた。

 

「あのような科学的根拠のないものに群がるとは、呆れてものも言えぬわ」

 

口ではそう言うものの、実際は興味津々である。

 

「人間、特に日本人は縁起を担ぐのが好きなんです。根拠などなくても何かに頼りたいと思う気持ちはわかります」

 

「フン、所詮弱者は弱者でしかないのだな」

 

「いいえ、違います。頼る気持ちはありますが、頼ってばかりでいるのではありません。本人も努力をして願いを叶えようとしています。その目標に向かう際の心の拠り所だと言えばご理解していただけますか?」

 

これまでヤマトは誰かに頼るという気持ちを持ったことはなかった。

全部自分の力で成し遂げたという自負があるから、縁起物に頼る人間の気持ちはわからない。

 

「まあ、お前がそう言うのだ、理解できるように努力しよう」

 

「ありがとうございます、ヤマト様。…あ、あそこにタコ焼きの屋台が!」

 

ミヤビは人混みの中に見え隠れするタコ焼き屋台を見つけた。

ふたりは人をかき分けて目的の屋台に向かって突き進んだ。

 

「おじさん、ひとつください」

 

「あいよ」

 

ミヤビが注文すると、店主は舟形の経木の器に出来上がったばかりのタコ焼きを8個入れた。

 

「お嬢ちゃんは可愛いから1個おまけね」

 

愛想の良い店主はそう言ってひとつ多く入れてくれた。

 

「ありがとう、おじさん」

 

礼を言って支払いを終えたミヤビにヤマトはひどく不機嫌そうな顔をする。

そして何も言わずに彼女の手をを引っ張った。

 

「痛いです、ヤマト様。どうかなさったんですか?」

 

「…」

 

ぶすっとした顔のまま、ヤマトは人混みの中から抜け出して本殿の裏へとミヤビを連れて行った。

祭りの喧騒は聞こえるが、周りには誰もいない。

それを確認したヤマトが熱を帯びた目でミヤビを見つめる。

 

「ミヤビ…」

 

「ヤマト…様?」

 

人気のない所でふたりきりというシチュエーション。

ミヤビは少しだけラブラブな展開を期待した。

 

「そこに座れ」

 

ヤマトは近くにあった大きな石を指差し、座るように促した。

しかし期待していた展開に進む気配はない。

ミヤビはヤマトが早くタコ焼きを食べたくて急いでいたのだと察して落胆したが、笑顔でタコ焼きの器をヤマトに差し出した。

 

「さあ、どうぞ。冷めないうちに召し上がれ」

 

ソースと青海苔の良い匂いが立ち上がるタコ焼き。

まだアツアツで湯気が立っていてとても美味しそうだ。

しかしヤマトは食べようとしない。

 

「食べないんですか?」

 

「いらぬ」

 

「どうして?」

 

「あの男が作ったものなど食べる気にはならん」

 

どうやらあの店主のことが気に入らないようだ。

その理由がわかったとたん、ミヤビは苦笑した。

 

「何がおかしい?」

 

「だってヤマト様ったら子供みたいなんですもの。ヤキモチ焼いてるんですね?」

 

「ち、違う! お前こそあんなオヤジに可愛いなどと煽てられていい気になっているだろ」

 

「いい気にはなっていません」

 

「しかしニヤニヤしているぞ」

 

「これはヤマト様と一緒にタコ焼きが食べられると思うと嬉しくてたまらないからです」

 

ミヤビはタコ焼きに爪楊枝を刺して持ち上げると、フーフーと息をかけて冷まし、それをヤマトの口に近づけた。

 

「はい、あーん」

 

「は?」

 

「口を開いてください。そうしないと入らないじゃないですか」

 

ミヤビは微笑みながら言うが、ヤマトは断固として口を開けない。

 

「こんなに美味しそうなタコ焼きなのに食べないんですか?」

 

「食べたいが、お前がそのような辱めを私に与えようとするからだ」

 

恋人同士でのコミュニケーションとしては普通の「あーん」も、ヤマトにとっては辱めと感じるらしい。

大げさに残念そうな顔をしてミヤビは伸ばした手を引っ込めると、そのタコ焼きを自分の口に放り込んだ。

 

「…う~ん、美味しい♡」

 

ミヤビは口をもぐもぐさせながら顔をほころばせる。

 

「さて、もうひとつ ── 」

 

「待て、私にもよこせ」

 

ミヤビが2つ目を食べようとした瞬間、ヤマトが慌てて彼女を制止した。

爪楊枝は1本しかなく、この勢いではミヤビに全部食べられてしまうと思ったのだ。

するとミヤビは黒い笑みを浮かべ、タコ焼きを爪楊枝に刺してヤマトに向けた。

食べたいのならあーんをしろという意味だ。

この戦い、タコ焼きの主導権を握ったミヤビの勝ちは決まったも同然である。

 

「…仕方あるまい。背に腹は変えられぬ」

 

そう言ったヤマトは周囲をキョロキョロと見回し、誰もいないこと確認すると渋々口を開いた。

そこにミヤビが少し冷ましたタコ焼きを入れる。

 

「…うむ、たしかに美味い。しかし以前に食べたものはソース味ではなく生地に味がついていて…」

 

そう言ってヤマトは不可解だという顔になる。

 

「いや、タコ焼きを食べるのはこれが初めてのはずなのだが。なぜ…?」

 

「そのようなことを気にしていると、その間にわたしが食べてしまいますよ」

 

「ああ、それはダメだ。次をよこせ。…あーん」

 

ヤマトは自ら口を開いてタコ焼きを要求した。

彼のプライドはタコ焼き如きで砕け散ってしまったのだった。

それでもミヤビと一緒にいられる幸せな時間を堪能し、ミヤビはヤマトの自分にだけしか見せない素顔が見られて大満足であった。

 

 

 

 

ミヤビたちの前に、再びあの災厄が降りかかるかどうか…それは誰にもわからない。

しかし13人の仲間たちの8日間の経験は、それぞれの心と身体に深く刻み込まれた。

確かな記憶はないものの、彼女たちは少しずつ変化している。

いや、彼女たちだけでなく、すべての人間に同様のことが起きているはずだ。

そしてそれが世界を良い方向へ変えていくことだろう。

人間には大きな可能性が眠っているのだから。

 

東京タワーの鉄骨に腰掛けたアルコルは微笑みながら、13人の輝く者たちの新たな旅立ちを見守っていた。

 

You don't need these services anymore. Good luck.

 

 

 

 

 

 

 






あとがき と ご挨拶

回帰された世界での、ヒロインとヤマトの日常を書いてみたかったので、他の仲間たちの分と合わせて書いてみました。

勇気を出してイオにアタックするダイチ。
好意を寄せてはいたものの、遠くから見ているだけだった彼はイオに声をかけて、勉強デートの約束をするまでに漕ぎ着けました。
イオはダイチの誘いに対して断れなかったからではなく、自分の意思で承諾しました。
ふたりの仲が発展するかどうかはわかりません。
しかし彼女にとってダイチは選択肢のひとつになったのですから、可能性がないとは言い切れません。
あとはダイチ自身の行動と意思にかかっています。

アイリはピアニストの夢を諦めず、練習を重ねたことで、コンクールで優勝できました。
ゲーム版では行方不明になっていた父親(デラデカ)も健在で、彼女のピアニストへの夢を応援してくれています。
アイリ本人も音大進学を前提にして、未来の設計ができるまでに”精神的”に成長しています。
ジュンゴは相変わらずです。
アイリのことをずっと見守っていて、彼女に何かあった時には全力で助けてあげるはずです。
彼のことですから今後も真面目に修行を続けて、親方から暖簾分けしてもらえる頃にはアイリとの関係も変わっているでしょう。

ヒナコは父親ときちんと話し合い、父親の許しを得て修行の旅に出かけます。
家出をしたことを後悔していた彼女ですから、父親を納得させて家を出るということにこだわっていたと思います。
父親の方も娘の成長を喜んでいるのでしょうが、寂しい思いをしているはず。
だから彼女の二十歳の誕生日には家に帰って来いと言います。
彼女もそのことが嬉しくて、それまでに成長した姿を見せようと、修行に励むことでしょう。

ケイタは自分が強ければそれだけで良いと考えるような少年でした。
しかし仲間たちとの交流によって、自分の強さを他人のために役立てたいと思うようになりました。
強くなったことで、他人に優しくなれる男に成長していくはず。それが楽しみです。

ジョーの恋人は入院中ですが、彼が前向きになっていることで悲壮感はありません。
彼が恋人のために何かしたいという気持ちは、カノジョにもきちんと伝わっています。
「ちゃらんぽらんな性格で、時間にもルーズ。くだらない冗談ばかり言う」という欠点もすべて含めたジョーのことが好きだというカノジョなら、病気が完治したら素敵な家庭を築くと思います。

ロナウドは刑事を続けていて、犯罪者を追っています。
弱者を守りたいという目的に邁進するという彼の性格は変わらず、「博愛」という言葉が彼の行動を後押ししているようなので、名古屋はいつか平和で安全な街になるはずです。

オトメについてはこれといった後日談的な話が思い浮かばず、未登場だった娘の小春との母娘の会話を入れてみました。セプテントリオンの襲来がなければジプスの仕事も忙しくないでしょうから、ふたりで過ごす時間は増えるでしょう。

フミは世界回帰しても変わりません。
ですが人間に興味を持って、すすんで人と関わっていく気になったようです。
ターゲット(=研究素材)にされたヤマトとヒロインは苦労するかもしれませんが。

マコトは『ブレイクレコード』の設定にあるように、事故に遭わなかったことにしています。
事故に遭わなければシンクロを続けていて、ジプス入局はなかったはずです。
それなのにシンクロを捨ててもジプスに入局した理由は、自分の本当の居場所をヤマトに与えてもらったからだと思います。
ヤマトが局長として就任しましたから、いずれ彼女もそれに気がつくでしょう。

ヒロインとヤマトは大きく変わった部分と、まったく変わらない部分を入れてみました。
ふたりの主従関係は同じですが、ヒロインはヤマトと結婚する前提で峰津院家に引き取られたので、オフィシャルな恋人関係になっています。
ヤマトはヒロインのおかげで人間らしさを失わずに済んでいますから、たまに冗談を言ったり、彼女にだけは子供っぽい態度になったりもします。
縁起物の熊手を買い求める人を弱者扱いするシーンがあります。
ヒロインに諭されて他者の考えを理解しようとする態度は、回帰前の彼と比べてあきらかに変わってきています。
回帰前の世界でふたりは祭りの屋台のタコ焼きを食べる約束をしました。
確かな記憶はないようですが、心のどこかにそのことが深く刻まれていて、それが実現することになりました。
ヤマトの「あーん」のシーンはヒロインの天然な腹黒さを出したいと思って書きました。

アルコルを登場させて終わりにしたのですが、これは前回の転送ターミナルでヒロインが口にして途中になっていたセリフの答えです。
「悲しむことなんてない」というのは、世界回帰をすればセプテントリオンが襲来することもなくなり、よってアルコルが消えてしまう原因もなくなる。ならば悲しむことはない。またいつか会える日が来るという希望が見えたからです。
たぶんアルコルは彼女の前に姿を現すことはないでしょうが、いつまでも見守ってくれることでしょう。



最後までお付き合いいただき、誠にありがとうございました。
ネット小説に馴染みがなく、また初投稿ゆえに読みづらい部分が多かったこと、深く反省しております。
次はもっと読みやすく、読者の興味をそそるような作品を書きたいと思います。

2016.9.12



追記
9月の連載時に改行が少なくて読みづらいものになったため、意識して改行をするようにしました。
また、誤字を訂正し、言い回しを少し変えてみたところもあります。
たぶん3ヶ月前よりは進歩しているはずです。

2016.12.24




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