英雄譚まとめ 著:博士 (甲斐太郎)
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英雄目録第一項『あずまの地の英雄』
【千年】
この期間を長いと見るか、短いと見るかは人によりけりだろう。少なくとも僕は短いと思う。鎮められ黒煙となって虚空へ消え行く餓鬼の群れを見届け、頬と自身が得意とする武器である双剣にこびりついていた血を布で拭う。周囲を見渡せば、火と黒煙が立ち込め、人々の悲鳴が木霊している。道の端には鬼に喰われ、命を落とした民の遺体が無造作に放置されているが、誰も彼も自身のことで精一杯であるため他人のことに構う余裕など微塵もない。
僕は目を閉じて、すっと深呼吸をする。先の見えぬ戦いであり、助けてくれる仲間もいない孤立無援であるが故に節約して使ってきたタマフリも心許なくなってきている。戦えてあと数度の邂逅かと思ったところで苦笑いが自然と零れた。自分の名前すら忘れてしまった僕を拾って、モノノフの精鋭の1人として数えられるまで鍛えて、心もこうまで強くしてくれた恩人の憮然とした表情が頭に浮かんだからだ。
僕は閉じていた瞼を開く。建物が揺れ傾くような地響きが聞こえる。邪魔な建物を押しのけ、踏み潰しながら何の警戒もせずに悠然とこちらに向かってくる赤く大きな影。
天を突き刺さんと大きく太い双角、盛り上がった筋肉という鎧、爬虫類のような長い尾の先には鋭く尖った槍のような棘が幾数本も生えている。
その赤い巨体の鬼の周囲には小型の鬼は勿論のことだが、カゼキリやミフチといった中型の鬼も存在している。あれが鬼の群れの“指揮官”と見て間違いがなさそうだ。
僕は唇を噛み締める。自分の手足が強く自制しているにも関わらず震えあがる。通常、連隊を組んで戦うような鬼たちに対してたった1人で立ち向かわなければならない現実に僕の弱い部分が悲鳴を上げているようだった。
だが、
【臆するな、主よ。我こと九郎義経が共にあることを忘れるな!】
我が身に宿るミタマの声が響き、今にも逃げ出しそうであった自分の身体は落ち着きを取り戻した。それと同時に武器を構える。そして、呟くように謝辞を述べる。
「ありがとう。恩に切る、義経」
【逃げ惑う民を見て、即座に鬼の群れと戦うことを選んだ主だったからこそだ。私の魂を燃やし尽くしても構わない。戦え、鬼を討つモノノフよ。主が望む限り力を貸そう!】
力強い義経の宣言を聞き、双剣の柄を握る僕の手に力が篭る。鬼の群れも僕という存在に気付いた様子で、咆哮を上げたり、鋭い牙を剝き出しにして威嚇したりしている。小型の鬼たちに至ってはこちらに向かってきているが、もう怖くない。
僕の心にはミタマになってこそいるものの源氏の武者である源義経がいる。義経のタマフリである【軍神招来】と【渾身】、【吸生】が同時に発動。近寄ってきていた小型の鬼たちの首を双剣で刎ね飛ばしながら、僕は指揮官らしき赤鬼に向かって駆けた。
□□□
誰かの呼ばれたような気がして瞼を開けると、古い家屋の天井が見えた。相当な年季の入った大黒柱は黒く滲んでしまっている。パチパチと弾けるような音に釣られ、視線を横に逸らすと囲炉裏の中に火が見えた。身体を起こせば全身の至る所に包帯が巻かれている。誰かが治療をしてくれたのだろうかと周囲を見渡すと、家屋の入り口に小さな人型の置物が立っていた。案山子か何かだろうかと思っていたら、その置物から渋い男の声が発せられる。
「よぉ、起きたようだな」
「…………」
僕は無言で周囲を見渡す。誰かが僕を嵌めようとしているのではないかと注意深く観察するが、誰の気配も感じない。つまり、今の渋い男性の声を発したのは目の前にいるこの置物に違いない訳であるが、ミタマである義経を身に宿した時はそういうものと納得していたから驚きはなかったけれど、これはちょっと……ないでしょ。
「まだ寝ぼけてんのか?つか、よく生きていたな、お前。お前を背負おうとしたらいきなり腕が変な方向に曲がるし、背中の肉は大きく抉れているしよ。ギリギリ死んでないというだけで、生き延びる確立はかなり低かったんだぞ」
置物の話を聞いた僕は両手両足がちゃんと動かせるか確認をする。問題なく動くということは、かなり念密に治療が施されたということなのだろうか。処置をしてくれた医療に携わる人達には感謝しきれないな。そう思いながら、僕は気を失う前の光景を脳裏に描き、淡々と呟く。
「ああ……。さすがに赤鬼とカゼキリ4体とミフチとマフチの番とヒノマガドリとクエヤマと小型の鬼の大群相手に大立ち回りは無謀だったよ。けど、僕が戦った意味はあった。鬼の指揮官らしき赤鬼の目に僕の武器の片方をぶっ刺して撤退させたし、逃げていった民たちの中に、強い意思を宿した瞳を持った少女がいたから、きっといいモノノフになる」
「……おい、手前。大型の鬼9体と小型の鬼の大群を1人で相手し切れる訳がねぇだろ。嘘をつくならもう少し、マシなのにしな」
置物は僕の話を聞いて少し考えた後で笑い飛ばした。どうやら冗談の類と思われたらしい。確かに彼の気持ちも分からないでもない。重傷を負って運び込まれた人間が起き抜けにそんなことを言っても妄想の類と断じられても仕方がないことだ。こればっかりは実際に見てもらうしか、方法はない。
「背負おうとしたってことは、貴方が助けてくれたんですか?」
「おう、この村の近くで倒れていたお前を俺と博士で見つけてここまで運んでやったのは俺だ」
「……村の近く?」
耳を澄ますと家屋の外から聞こえる喧騒が、彼の言うそれが事実であることの裏づけになる。僕は咄嗟に両手で頭を抱える。思えばおかしいことだらけだ。
横浜の港近くで戦っていたら、空に見たこともない鬼が現れて、“空に吸い込まれる”なんていう奇妙な体験をしたかと思えば、炎と黒煙が上がる街中に移動していて逃げ惑う民を貪り食う鬼たちの所業に怒り、後先考えずに戦いを挑み重傷を負って倒れた。武器であった双剣は赤鬼の左目に2本ともくれてやったから、自刃することも出来ずに、あとは喰われるだけだと思っていた。だが、こうして僕は生きている。
「……えらく混乱しているようだな。とりあえず、俺と一緒にいた博士って奴に会いに行け。元はと言えばそいつがお前を助けろって言ったんだしな。この家から出て北の方に、ヘンテコな建物が立っている。そこに行ってみろ」
そう言うと人型の置物はテクテクと歩いて入り口から出て行ってしまった。残された僕は家の中を見渡し、身に纏う物を見つけ出すとそれを着て外に出る。
「らっしゃい!いらっしゃい!」
「よう、元気か?」
「おかーさん、あれなーに?」
そこにあったのは普通の光景だった。店の商人が客に物を売り、親子らしき者たちが手をつないで家路につく。客を呼び込む者もいれば、足早に歩き去る者もいる。
僕は人型の置物の彼が言っていたヘンテコな建物を探すために視線を左右に動かし、水車のようなものがついている上に尖がった赤い屋根のある建物を見つけた。視界にそれが映った瞬間に「アレ」だと分かってしまった自分に何ともいえない気持ちになったが、その気持ちを押し留め歩き出す。多少違和感があるものの、普通に動く分には特に問題ないように思える。そうやって僕は細部まで身体を確認しつつ、目的地であるヘンテコな建物の前に立って、入り口の前から建物全体を見上げる。
「……やっぱり、横浜の外国人居留地にあったものに似ている。ということはあの置物の彼が言っていた博士というのは外国人なのだろうか。外国の言葉など微塵もわからないのに困ったな」
僕が途方に暮れていると、その横を誰かが通り過ぎる。茶色の髪を左右の肩に流した女性だった。彼女は僕に目もくれず建物の中に入ろうとしている。僕は咄嗟に声を掛けていた。
「あ、すみません」
「なんだ、私は忙しい。……ん、お前は」
「あの人型の置物っぽい姿の彼からここにいる博士に会いに行って来いと言われたんですけれど」
茶髪の女性は振り返りながら僕の顔をじっと眺め、納得がいったのか頷きながら応える。
「ああ、私が博士だ」
「よかった。えっと、まずは助けてくれてありがとうございました」
「別に。大したことはしていないさ。そんなことよりもとりあえず話を聞こうじゃないか?どうしてあんな所で倒れていたのかを…な?」
そう言った博士は悪戯っこのようなニヤリとした笑みを浮かべるのだった。
「まず言わせてくれ。お前は馬鹿か?」
辛辣な一言に僕の心はあっさりと砕かれた。砕け散った心の破片をミタマの義経が拾い集めて形にしてくれているような感覚に身悶えしながら、博士と呼ばれる彼女の話に耳を傾ける。
「横浜で鬼と戦っていたら、空に吸い込まれて別の場所に飛ばされ。その先で状況も分からぬまま、鬼に襲われる民を救うために大型の鬼共と乱戦なんてしたら、そんな怪我を負うのも当然だろう。しかも己の武器を鬼にくれてやって、喰われるのを待っていたらいつの間にかここにいたと?そこに何故いたのかも覚えていないとはな」
博士と僕は机を挟んで向かい合って座っているため、彼女の表情が分かる。なんとも阿呆な奴を助けてしまったと言わんばかりに大きくため息を吐いた。
「もう一度言う。お前は馬鹿だ」
「ぐふぅっ!?」
まだ物事の善悪も分かっていない幼子に分かりやすく説明するように、淡々と事実を突きつけるように博士が放った言葉は鋭利な刃物となってミタマの義経の手で修復されたばかりの僕の心を切り刻んだ。細切れになった心の破片を見て、義経はやれやれと首を振っている。
「まぁいい。それで、なにかそれ以外で覚えていることはないのか?」
「自分の名前と僕を拾ってくれてモノノフとして戦えるほどに鍛えてくれた恩人の名前くらいしか覚えていない。それ以前のことは何も」
「記憶がないのか……。それは厄介だな」
「すみません」
「記憶のないお前に言っても仕方のないことかもしれないが、ここはマホロバの里。横浜から遥か西、出雲国の近くにある。直線距離で百五十里近い。易々と移動できる距離じゃない。それと、先ほどお前が話していたことが事実であるならば、お前が横浜からまず転移したのはここだ」
博士が指差したのはマホロバの里でもなく、横浜でもない。列島の中央付近であった。僕が首を傾げていると、彼女は説明を始める。
「オオマガドキの際、鬼の大群によってありとあらゆる国や里が滅んだ。だが国や里が滅んでも生きようとする人々はいるものだ。だが、そんな彼らに鬼の大群が迫ってきていた。政府軍や表の舞台に現れたモノノフたちの助けもなく民衆の誰もが諦めかけたその時、漆黒の鎧を身に纏った双剣を持ったモノノフが現れた。彼は民衆に襲い掛かろうとしていた鬼たちを瞬く間に駆逐すると、民衆を一瞥し走り去った。その漆黒のモノノフが向かった先には口に出すのも恐ろしいほど巨体で恐ろしい鬼たちが待ち構えていた。だが、逃げる民衆を追ってくる鬼は一匹もおらず、彼らは無事にあずまの地に辿りついたらしい」
博士はあずまの地の出身者が語り継ぐ誇り高い英雄の話だと苦笑いしながら告げた。
「……誰ですか、その英雄は?」
「状況的にお前だろう?オオマガドキの時、ありとあらゆるモノノフは自分が所属する国や里を守るのに手いっぱいで逃げ惑う外様の者たちを助ける余裕はなかった。モノノフのエリートである霊山直轄の百鬼隊は当然霊山を守っていたしな。ただただ逃げ惑う民衆を、鬼に襲われていたから助けるなんてお人よしの馬鹿はお前だけだ」
博士はそう言うと立ち上がった。すると入り口から誰かが入ってきた。
「そいつの身元は分かったか?」
その声がしたところにいたのは僕が寝かせられていた家に来た人型の置物だった。
「よう、また会ったな。どうした、さっき見た時よりも元気がないようだが?」
「過去にやった行為が過大評価されていて、微妙に居た堪れなくて」
「はぁ?意味がわからねぇんだが?」
「いや、むしろ逆だな。ちょうど興味深い話を聞いていたところだ」
僕は死んだ目で彼女を見ていたが、博士は心底面白そうなものを見つけた子供のような純粋な瞳で僕を見ている。あれはいかん。僕の意思は完全に無視して何かをさせようとしているに違いない。何か理由を見つけてここから離れないといけないと思ったその瞬間、甲高い聞き覚えのある音が聞こえてきた。
「……鬼?」
「その通りだ。あれは鬼の襲撃を知らせる警鐘だ。この里の周旋は鬼の住む異界だからな。なに心配するな。結界がある以上簡単には侵入できないさ」
博士は鬼の襲撃と言った。僕にとって鬼に襲われるというと誰かが命を落とすということと同義であるのだが、彼女からは微塵もそんな気がしない。それだけこのマホロバの里の結界は良質なものなのだろう。だが、結界は絶対ではない。僕は椅子から立ち上がって建物から出ようとする。しかし、背後から肩を掴まれる。
「待て、どこに行くつもりだ!」
「結界は絶対ではない。鬼が近くに来ているのであれば、モノノフである僕がするべきことはひとつだ」
僕は肩を掴んでいた博士の手を振りほどくと入り口から出る。建物から出た僕はまず人の流れを見る。逃げる者、戦いの準備をする者、守るべき者のところへ行く者。その全てを視界に捉える。
「おい、ちょっと待て!丸腰でどうするつもりだ!」
「武器なんてそこらに転がっている。僕に苦手な武器なんてない」
「無茶苦茶だな、お前。だが、悪くねぇ、俺も付き合うぜ」
僕と彼は頷き合い、人が集まりだしている場所に向かって走り出そうとして後頭部を思い切り殴られた。激痛でちかちかする頭を抱えた僕に向かって、博士は怒鳴る。
「武器も防具もろくに装備しないで戦場に出る馬鹿があるか!お前らはよくても他の者たちが驚くだろうが!ええい、私の家にあった双つ刀だ。それと【鬼の手】を持って行け!」
「「鬼の手?」」
僕と彼の声が重なった。
「さっき完成したばかりのカラクリだ」
そう言った博士は僕と人型の置物の彼の手に装着し始める。程なく付け終わったのだが、装着している最中に博士が呟いた言葉が妙に耳に残っている。「実験段階だが、私だから大丈夫」っていう不安を煽る言葉。僕と彼は自身の左手に装着された新型のカラクリとやらを見て、博士の顔を見る。すると彼女はペロっと舌を出した。
「おいおい!嫌な予感しかしねぇぞ!?」
「……これって、爆発とかしませんよね」
「……♪~」
口笛を吹きながら視線を逸らす博士。
「「おいっ!?」」
こんなところに立ち止まらずにさっさと逃げ出せばよかった。この手のものは無理に外そうとするとやばいことになるのがセオリーだと本で読んだことがある。僕が早々と諦めたのを見て、博士は背負っていた銃を掲げた。
「さて、使い方は実戦で教える。それを覚えろ。さぁ、いくぞ!鬼を討つ」
「って、えぇ!?博士も来るんですか?」
「あぁ、そういえば言っていなかったな。私も、そこで張り切っているのもお前と同じモノノフ。……鬼を討つ鬼だよ」
人型の置物な彼は発言からしてそうなんだろうなとは思っていたけれど、まさか博士もモノノフだったとは思いもよらなかった。よく見れば彼女の手にも鬼の手が装着されている。
「まぁ、そう言うこった。おっと、そういや名前を言っていなかったな。俺は時継。お前は?」
「僕は綾時(あやとき)。よろしくお願いします」
「自己紹介は鬼を討った後にしろ。……くくくっ、そうだ、綾時。あずまの地の者たちが称える“英雄”の力を私たちに見せてくれ」
「いやぁああああああ!?他人の前でそんなことを言わないで下さいぃいいいいい!!」
「あずまの地の英雄?おい、いったい何の話なんだ?」
「くくく。その話も帰ったら教えてやる。さぁ、鬼退治の時間だ!」
「後生ですから、その話を広めるのは止めてくださいぃいいいいいい!!」
僕の嘆きの声は博士には聞こえないようで、ずんずんと向かっていく彼女の後を追いかける他に僕が取れる行動はなかったのでした。終始、時継は首を傾げていたのだけれど……。
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2ページ目
オオマガドキの際、鬼の襲撃のあった横浜で鬼と対峙し戦闘を行い、別の場所に転移した先でも鬼に襲われる民衆のためにその力を大いに奮ったという若いモノノフの青年・綾時。
首に向日葵や蒲公英といった花と同じ色をした長い首巻をしているところ以外は特に目立ったところはない。そう思っていた。
「アイツ、すげぇ奴だな」
「時継が素直に褒めるということは、腕利きと見て違いなさそうだな」
鬼の襲撃を知らせる警鐘を聞き、里の入り口から出た私たちの前に現れたのは鬼の中でも最弱の部類に属する餓鬼の群れであった。ただし数は軽く見積もっても30は越える。
すでに戦っていたモノノフたちもいて、里の前は乱戦状態でもあったのだが、私たちと違って綾時は立ち止まることなく戦闘に介入していった。
彼が餓鬼とすれ違う瞬間に、幾筋かの剣閃が見えたが、腕が振るわれた回数と宙に刎ねあがった餓鬼の首の数が合わないことに気付き、私は舌打ちをして時継は感嘆の声を上げたのである。
綾時が扱う双刀はその名の通り、2本の短い刀を使い連続して攻撃を行ってダメージを与えていく武器だ。地上と空中を自在に移動でき、空中での攻撃が多彩で威力が高く手数も増えるが、扱うにはそれ相応の身体能力とセンスが要求される。それに武器のリーチが短いということは必然的に鬼との距離が近くになり、下手をすればモロに攻撃を受けるリスクが高まる。よほどの腕利きもしくはリスクを省みない馬鹿野郎が扱う武器だと思っていたのだが、綾時を見ているとその認識は間違っていたと思える。
綾時の剣閃は鋭くて迅い。まるで長刀で行う抜刀術のようなキレを持ち合わせている。白い剣閃の筋が見えた後、血飛沫が舞っていることから、餓鬼の骨ごと断ち切っているようだ。そこらへんのモノノフでは相手が最弱の鬼であっても肉を削ぐのに手一杯なのに。
面白い逸材が私の手元に転がってきたものだと自然と舌なめずりしてしまう。
「うへぇ、博士が意味深な笑みを浮かべてやがる。綾時、手前もただ働き確定だな」
私の隣で銃を扱い餓鬼を減らしていた時継がそんなことを言った。色々と聞きたいことがあるのだが、それは置いておいて私は自身が作り上げたカラクリの説明をするために声を張り上げた。
□□□
「おい、お前たち。そろそろ《鬼の手》について教えておこう。それは言わば思いを具現化する装置だ。思い浮かべるには何かを掴む大きな手だ。それを現実でも出すように想像しろ!」
「綾時も大概だが、無茶苦茶言うなぁ、おい!」
「大きな手で掴む?」
博士の抽象的な説明に首を傾げる。
説明された内容を自分なりに解釈し考える。つまり左手の甲につけられた博士が作ったカラクリは想像を具現化する装置っていうことなのだろう。《鬼の手》と名づけられていることから、博士的には《鬼を捕まえるための手》と言ったところか。
僕が覚えている大きな鬼の手といったら、間違いなくあの恐ろしく強かった赤鬼の手だ。あいつは味方もろとも僕を殺すために握り締めただけで凶器となるその拳を何の躊躇いもなく振り下ろして来ていた。僕があいつの左目を奪った時なんて暴れまくって酷かったっけ。
そんな先日の激闘を思い浮かべた後で、気付いたらカラクリがつけられた僕の左手は謎の青い光に包まれていた。里の入り口の方にいるとある人物からすごく好奇の眼差しが向けられている気がする。けれど振り返って確認したら拙い気がして、僕は新たに出現した餓鬼に向かって左手を突き出した。
左手が纏っていた謎の青い光は巨大な異形の手を形取り餓鬼の全身を掴む。青い異形の手の指の間から頭を出す形になった餓鬼は苦悶の声を上げている。僕はその異形の手ごと餓鬼を自分の方へ引っ張ろうとしたのだが、先に拳を握り締めるイメージが浮かんだ。
結果、餓鬼は青い異形の手の中で弾け飛んだ。地面にぼとりと餓鬼の首が落ち、光を映さなくなった瞳が僕をぼんやりと見ている。
「よし、次!」
「何をどうしたら餓鬼を破裂させるような恐ろしい手が生まれるんだ、手前!」
「あーっはっはっは!やはり面白いな、“英雄”さまは!」
時継の文句と博士の笑い声が聞こえてくる。僕だってこんなのが出るだなんて予想だしていない。
ただ僕の中にある鬼の手で印象に残り過ぎているのが、赤鬼の強靭かつ凶悪な拳なだけであって。僕はそんな言い訳を心の内で呟きながら、現れる餓鬼を異形の手で掴まえては破裂させるという意味不明な行為を繰り返す。
時継と博士は丁度いい塩梅の鬼の手を使い、餓鬼を捕まえて引っ張る反動で空中に浮かび上がり、姿勢を整えて銃で狙撃するという効率のいい戦い方をしている。
僕もそれに倣ってやろうとしたのだが、僕が出した青い鬼の手に掴まれた餓鬼は案の定破裂してしまう。だめだ。こんな弱い鬼じゃ、てんで話しにならない。
「なぁ、博士。俺らの鬼の手と綾時の鬼の手。どっちが博士の理想なんだ?」
「そんなの言うまでもないだろう?」
里の入り口の方で博士と時継の2人が何やら物騒な会話をしているが、ギャアギャアと餓鬼の泣き声が邪魔で聞こえない。偉そうに腰に手を当てて胸を張る博士と可哀想なものを見るような感じで僕を見てくる時継を見ればなんとなく彼らが言わんとしていることは分かる。僕は何ともいえない悲しさをぶつけるように最後に残った餓鬼も鬼の手で捻り潰した。すると今までに無く強い瘴気が集まるのを感じ、周囲を見渡す。
「気をつけろ、綾時。親玉が来るぞ!」
博士がそう声を上げ身構えている。時継も銃を構えて警戒しているのを見て、僕は鞘に納めなおしていた双つ刀を両手に構える。
鬼の親玉と聞いて、僕は昆虫の蜘蛛を象ったミフチや纏った風で周囲にあるものやモノノフの身体を切り刻むカゼキリといった鬼たちを思い浮かべた。……のだが、現れた鬼の親玉は大きな腹と長い手を持った鬼だった。
「…………」
「っち、面倒くせぇのが出てきたな」
僕は見たことのない鬼の登場に驚きと想像した鬼たちよりも随分と格下が出てきたと残念な気持ちになってしまった。
貧相でひょろ長いだけの上半身と何かを溜め込んだように大きくなった腹を見て、攻撃は長い手を鞭の様に撓らせて攻撃、移動は鈍重だろうと解析した。あとは実際に戦ってから、情報を集めるだけと僕は戦場を駆け距離を詰める。
□□□
餓鬼を殲滅した後に現れた鬼はヒダル。大きな腹と長い手をもった鬼であった。綾時にとってヒダルは初見の相手だったようで、現れた瞬間は驚いていたがすぐに興味を失ってしまったようだった。
私はそんな綾時を見て頼もしく思うと同時に危ういなと思った。
オオマガドキ以前の綾時のことは彼自身も覚えておらず、そして鮮明に残っている戦いの記憶がオオマガドキであり、あずまの地の英雄と祭り上げられることになった大型の鬼9体との死闘である。
孤立無援の状態で、死に行くような無謀な戦いなど私なら絶対にしない。その時点で綾時は壊れてしまっていると言ってしまっていい。
「博士、助太刀します」
「紅月か、最高の助っ人だ!」
時継が喜びの声を上げる。見れば私の隣に水色の服を身に纏い、長い薙刀を持ったマホロバの里でも有数の実力を持つモノノフの姿があった。彼女の視線は完全に現れたばかりのヒダル、そして綾時の姿を捉えている。
「すまんな紅月。だが、いらん世話かもしれんぞ?《鬼の手》の力は証明された。加えて、ヒダルの動きを逐一観察している綾時の情報収集が終われば、勝負は一瞬だろう」
「《鬼の手》?それに綾時というのは、彼のことでしょうか?」
「いや、博士。《鬼の手》を知らん奴に言っても分かんないだろ?それにあいつのことは俺らくらいしか知らんぞ?」
「まぁ、見れば分かるさ」
私は顎をくいっと動かしてヒダルと綾時を見るように示した。
戸惑いなら紅月は視線を私から綾時たちに向け刮目した。今まで手に持った双つ刀でヒダルの長い手による攻撃をいなしていただけであった綾時が、目を細めた瞬間にキレのある剣閃を見せた。それと同時にヒダルの両腕が肉を剥がされながら宙を舞う。
私たちが上がった視線を戻した瞬間にはヒダルの大きな腹は綾時の鬼の手につかまれており、ミチミチと肉の軋む音が聞こえてきた。
綾時の鬼の手の威力はすでに私と時継ぐは見ていたので、ヒダルの身体が餓鬼と同様に弾け飛んでも特に何も思わなかったが、初見の紅月は生唾をごくりと飲み込んだのが分かった。鬼のしぶとさを褒めるわけではないが、綾時の鬼の手に捻り潰されても息のあったヒダルを見て、彼が行った行為はヒダルを掴んだ鬼の手を振り上げること。里の入り口付近にある木々のてっぺんを越えた辺りまで振り上げられた綾時の鬼の手の中で悶え苦しむヒダル、それを確実に息の根を止めるといわんばかりに勢いよく地面に叩き付けた。
地中から大木が折れるような音が辺りに響き、大量の砂煙が舞う。里の入り口から何事かとわらわらと人の群れが出てきて、砂煙が晴れた先にいた綾時を見て息を呑む。
ヒダルを消滅させた彼が何を言うのか、全員の視線が集まった瞬間だった。
「……けふっ!?」
口と背中から血を大量に噴出しつつ前のめりに倒れこんだ綾時の姿に全員の目が点になった。そういえば、彼は重傷を負っていたんだったか。
私は綾時のうっかりに呆れていたのだが、周囲はそうでもないらしい。
時継は「衛生兵はどこだ!?」と叫び、紅月は「状況がまったく読めません。鬼の手?綾時という青年は何者なのですか!?」と私の胸倉を掴んで前後に振るし、様子を見に来た近衛を率いる八雲は「騒ぎを起こしたのはお前か、魔女め!」と耳元で怒鳴る始末だし。
しかし、収穫はあった。やはり私の目に狂いはなかった。
綾時は最高の実験材料に……じゃなかった最高の仲間になることだろう。
だが、そのためにはさっさと傷の手当をしてやらんとな。
くっくっく、床に伏せた状態でいつまで私の話に耐えられるか見物だなぁ、“あずまの地の英雄”よ。
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3ページ目
時継たちがヒダルと呼んでいた鬼を倒した直後、意識を失ってしまった僕は再び、同じ天井を眺める形で目が覚めた。気配を感じて入り口を見ると時継ではなく、活発そうな男の子とおどおどしている女の子たちが僕を見ていた。声を掛け様としたら、何かに気付いたようで入り口からいなくなってしまった。そうして子供たちと入れ替わるように現れたのは時継であった。
「おう、起きているようだな、綾時」
「ええ、またお手数をお掛けしました」
「本当だぜ。紅月や八雲を抑えるのが大変だったんだ。お前が“外様”じゃないのかってな」
「外様?」
「そういや記憶がないんだったか、お前」
時継はやれやれと手を動かしながら、僕にマホロバの里が抱えている問題を説明する。
時継の話によると現在、この里には近衛隊と呼ばれるモノノフの部隊の他にサムライ部隊と呼ばれる集団がいる。近衛隊のモノノフがマホロバの里の出身、すなわち鬼内(きない)であるのに対し、サムライ部隊はオオマガドキ以降でマホロバの里に流れてきた人々、すなわち外様(とざま)と呼ばれている。そのため、近衛隊とサムライ部隊間では諍いが絶えず、様々な問題で衝突することも多々あるという。
「ちなみに、俺や博士はそのどちらにも所属していないはぐれものだ。当然だが、綾時。お前も俺らの仲間入りは確定だ。博士の知り合いで東から来たことになっているから、尋ねられたらそう答えろよ」
東か……。横浜から来たと思えば、あながち間違った説明でもないのかもしれないけど。僕は左手に付けられたままになっているカラクリの装置を見て、時継に尋ねた。
「これって、やっぱり外せないんですかね?」
「博士に尋ねたら、手が無くなってもいいなら外せばいいと脅されたぞ」
「「……はぁ」」
僕と時継は同時に深々とため息をつくのだった。
その後、絶対安静で大人しくしているようにと厳命された僕を気遣って時継が食材を確保してきてくれたので簡単な料理を作り、清拭をして着替えを済ませた僕は早めに床に就く。
僕は布団に入ったまま、左手を天に向かって伸ばす。左手の甲につけられたカラクリが青い光を放っている。
「……これがあれば、横浜でも仲間や襲われる人々を助けることは出来たんだろうか」
その答えを知るものは誰もいない。僕は左手を布団の中に入れて、頭までかけ布団を被り、自分で呟いた言葉を忘れるようにして瞼をぎゅっと閉じた。
胸が苦しいと思って目を開けると胸の上に白い毛並みでくりくりとした瞳を持つ小動物が乗っかっていることに気付いた。胸に鎮座している小動物も僕が起きたことに気付いたのか、可愛らしく『キュン』と鳴くと地面に降り立ってトコトコと歩いていく。
僕はそんな小動物の仕草に見惚れると同時に、周囲の状態がおかしいことに気付く。マホロバの里の家屋で布団に潜り込んで寝ていたはずなのに、僕はいつのまにか草木が茂る森の中で寝ていたのである。
博士からもらった双つ刀とカラクリの鬼の手があることを確認し、もし鬼と遭遇しても何とかなることが分かってようやく僕は安堵の息をついた。
「マホロバの里の近く……なのかな?いや、マホロバの里の地理もよくわからないのに、近くも遠くも意味ないか」
僕の近くにいるのは暢気に毛づくろいをする白い毛並みの小動物のみだ。その小動物の尻尾がピンっと逆立ち、どこかへ駆けていく。他に行く当てもなかった僕は急に駆け出した小動物を追って森の中を駆けることになった。白い毛並みの小動物は小柄な体格ゆえに急かしく動いている割に距離は出ない。だが、どこかへ早く着こうとしているのは感じられる。
そうやって、小動物について走った僕が拓けた場所に出た時、凄惨たる光景が映った。
「っぐぅ……」
「がはっ……」
「…………」
猛々しい武将のような厳つい表情で、周囲にいる者すべてを威圧するような巨大な鬼。脚部に相当する器官がないので移動こそ鈍重そうだが、代わりに4本の腕を持つ異形だ。マホロバの里の前で戦ったヒダルと造形は似たものに感じるが脅威度合いは比べ物にならないだろう。
その鬼は腕の2本ずつに炎と氷を纏わせる。そして、虫の息で地に伏せたままのモノノフたちの命を刈り取ろうとしている。僕は左手の甲につけられたカラクリを通し、《鬼の手》を発動させると4本の腕を持つ鬼に向かって思い切り殴り掛かった。
□□□
伊吹さんが物見部隊の壊滅の報せを聞き、凄い勢いでウタカタの里を飛び出していってしまった。
私はお頭の命を請け、富嶽さんと初穂ちゃんを連れて後を追う。普段の彼を知る者からすれば信じられないほど、熱の篭る思い切った行動に私と初穂ちゃんは目を丸くして信じられなかったけれど、富嶽さんは彼の根の部分を知っていたようで普段からそうしていればいいものをと悪態を吐いた。
「アンタ、よくやってくれた!今、加勢するぜ!」
伊吹さんの声だと思い、富嶽さんや初穂ちゃんに目で合図を送る。走る速度を上げ、戦場にたどり着いた私たちが見たのは4本の腕を持つ巨体の鬼であった。火と氷の属性を持ち合わせているのか、戦場となっている場所の至る所に焼き焦げた跡や氷の礫が転がっている。
見れば伊吹さんは槍を使って鬼を翻弄し、もう1人のモノノフが双刀を使って地上と空中から多彩な攻撃を仕掛けている。
「陽菜、物見部隊の人たちはまだ息があるみたい!」
初穂ちゃんの報告を聞き、私も地に伏せてしまっている人たちの安否を確認する。何人かはすでに息絶えてしまっているが、ちゃんと息をし意識がはっきりしている者たちもいる。
「富嶽さん、伊吹さんたちと協力してあの鬼を叩いてください。私たちも彼らの避難が済み次第、加勢しますから!」
「応よ!まかせろ」
富嶽さんは武器である籠手を高々と掲げ、胸の前でぶつけて音を鳴らすと犬歯を剝き出しにして4本腕の鬼に向かっていった。
私は初穂ちゃんに目配せをして、息がある者たちを戦闘に巻き込まれないところまで連れて行く。あと2人で避難を終えられると安堵したその時、
「陽菜、初穂!」
伊吹さんの焦った声が聞こえた。私と初穂ちゃんが同時に振り向くと、4本腕の鬼がすぐそこまで来ていて、炎を宿した拳を私たちに向かって振り下ろしたところだった。私も初穂ちゃんも物見部隊の人たちに肩を貸していて、防御どころか逃げることも適わない。
私は恐怖から、ぎゅっと目を瞑る。しかし、いつになっても衝撃が来ない為、おそるおそる目を開けると、振り下ろそうとされていた鬼の手を“青い大きな手”が掴んで止めていた。
「「え?」」
私と初穂ちゃんの気の抜けた声が発せられると同時に4本腕の鬼は青い大きな手によって地面に引き摺り倒された。
青い大きな手の持ち主は双刀を用いて戦っていたモノノフであった。彼が天に向かって掲げた青い大きな手は、そのまま鋭利な大きな剣へと変わり、その剣は4本腕の鬼の腕を全て断ち切った。
耳を劈くような鬼の悲鳴が上がる。当然だろう、自慢の腕を4本同時に斬り飛ばされては、と少し私が同情していると伊吹さんと富嶽さんが驚愕の声を上げた。何事かと初穂ちゃんと顔を合わせて、まじまじと戦場を見ると鬼の腕が再生していないことに気付く。
普通であれば、鬼祓いをしても瘴気を象って自分の手足のように扱う鬼であるが、その瘴気で腕を再生することも出来ずにもがき苦しむ姿の鬼がいる。
「瘴気の塊である鬼の体を完全に消滅させるなんて、馬鹿げたことをどうして出来る!?」
「よくよく見れば、アンタはいったいどこのモノノフなんだ!?」
富嶽さんと伊吹さんがもう1人のモノノフに詰め寄っているが、攻撃手段の腕を失っているとはいえ鬼はまだ健在だ。
私は声を張り上げて、聞きたいことがあるならば、その鬼をどうにかする方が先だと伝える。彼らは不承不承ながらも鬼を倒すために武器を振るう。私も必要はなくなっただろうけれど、生き残りを避難させた後で戦闘に加わり、物見部隊を壊滅させた鬼の討伐に成功した。
その後、物見部隊の生き残りを守り、鬼の身体を消滅させるという離れ業を見せたモノノフに礼を言おうと思ったのだが、かのモノノフはいつの間にか姿かたちも残さずに消えてしまっていた。
この後、ウタカタの里に戻り詳細をお頭に伝えたところ、彼も鬼の体を鬼祓いもせずに消滅させることができる存在に覚えが無いということだった。
その後、命を助けられた物見部隊に属するモノノフたちが揃って口にすることによってひとつの伝説の枠組みが作られる。
『黄色い首巻をして双刀を扱い、青い大きな手や剣を作り出し、鬼を消滅させることができるモノノフ』の話は尾ひれつけて広まり、いつのまにか鬼に怯える民の間で語り継がれることになる伝説になっていったのだった。
□□□
「さて、絶対安静と告げたにも関わらず、どこかで鬼と戦ってきた綾時よ。覚悟はいいな?」
にんまりとした笑みを浮かべる博士の姿にそこはかとなく恐怖心を抱いた僕だけれども、荒縄で頑丈にまかれ蓑虫のようになってしまった僕に抵抗する術はない。ご丁寧に猿轡までされて、反論も許されないのだ。
「綾時、お前は警鐘を聞いた後、丸腰で戦場に向かおうとしたな。その時、苦手な武器はないと言っていたが、お前の得意武器は双刀で間違いないだろう。ふむふむ、その反応の仕方では間違いはなさそうだ」
博士が何を言おうとしているのかが全く分からない。僕は困惑の視線を彼女に向ける。すると博士はふっと柔らかく笑って、懐から一冊の本を取り出した。
「これは民の娯楽用に各地に伝わる英雄の話をまとめたものだ。実は先日、共に戦った紅月の名もあったのだが、本人にその項を破られてしまってなくなってしまった。だが、他の物はきちんと残っていた。例えば、『黄色い首巻をした双刀使いの英雄』の話とかな」
黄色い首巻と聞いて、僕の脳裏に先ほどの戦いが思い浮かぶ。いや、そんなまさかと目を泳がせた僕の仕草を博士は見逃さなかった。
「『黄色い首巻をした双刀使いの英雄』に関しては割りと山ほど記録に残っている。隻眼のゴウエンマとの戦いに介入してきたり、空高くから攻撃し中々地上に降りてこなかったダイマエンの羽を斬り捨てて一緒に落ちてきたりとかな。そんなおっちょこちょいな英雄の初陣は4本の腕を持つ巨体の鬼・タケイクサとの戦いだったらしいが、そのモノノフはタケイクサ自慢の4本腕を切り捨てるだけに止まらず、消滅させたらしいではないか」
「…………」
「分かっている。分かっている。それもお前たちの手に装着させたカラクリの力だ。お前が無意識に使ったのは鬼葬(おにはぶり)という鬼の部位に内蔵されている生命力ごと完全に消し去る滅闘法だ。他にも鬼の力を受け流し、引き倒す鬼返(おにかえし)という戦い方もあるし、他にもやれることはある。しかし、面白いな、綾時。これに書かれている英雄の殆んどはお前である可能性が高い。ふふふ、いい研究テーマが確保できた。これからもよろしく頼むぞ」
そう高笑いしながら博士は去って行ったのだが、ちょっと待って欲しい。
縄でぐるぐる巻きの蓑虫状態で猿轡までされている僕はこれからどうすればいいのだろうか。
誰かに助けを求めるにしたって、親しい人物など時継くらいしか思い浮かばない。
やばい、このままじゃ社会的に死ぬかもしれない。
僕は何とかそんな運命に陥らないように抵抗を開始するのであった。
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4ページ目
ネタバレ入ります。
マホロバの里の正式なモノノフとなるには現在活動しているモノノフに認めてもらう必要があると時継に教えてもらった後、僕は本部にいた紅月さんに話しかけた。僕の試験官となるのは現在マホロバの里でも有数の実力を持つ彼女。
博士や時継の話では、マホロバの里で活動しているモノノフで最強なのは紅月さんらしいけれど、彼女が戦う姿を見ていないからどうとも言えない。
ちなみに僕に課せられた試験は『素材の回収と小型の鬼の一定数の討伐』。
「鬼に関しては決まった数以上に倒しても問題ありません。素材も指定されたもの以外はすべて貴方の好きなようにされてください。今後、武器や防具を作る上で必要になるものですから」
「話に聞いていた感じと大分違うじゃねぇか、紅月。なよなよしていて、弱そ……ぐぅおおおっ、いってぇえええ!?」
「余計なことを言わない。そういう焔も最近でしょう、マホロバの里のモノノフになったのは」
僕が紅月さんのことをお淑やかな女性なんだなと思っていたら、その微笑のまま突然隣にいた男の頭を叩いた。頭の叩かれた部分を押さえて本部の床を転がる。僕に少し待つように言った紅月さんは焔と呼んだ若い男と向き合い、お話し合いを開始。こういう女性が怒ると怖いというのは万国共通みたいだ。
「私は焔や時継と共に【ムラクモの森】を抜けた先にある観測所にいますので、指定した素材の回収と鬼の討伐が済み次第、来られてください。問題がないようであれば、マホロバの里のモノノフとして認める証をお渡ししましょう」
紅月さんはそう言って時継と焔と呼んだ若い男の耳を引っ張って里の門から外へ出て行く。時継があまり待たせんなよと軽口を吐いていった。僕は防具と武器を確認し、門から出る。
切り立った崖になっている場所から景色を見ると、マホロバの里がどれだけ自然豊かな地にあるところだということが分かる。
「さてと……ムラクモの森ってどこだろう」
紅月さんはさらりと言って目的地である観測所という場所に向かったようだけれど、実のところ僕はあんまり地理に明るい方じゃない。
恩人の部隊で戦っていた頃は遊撃部隊として単独で戦っていたけれど、実は極度の方向音痴で苦肉の策だって九葉さまも苦笑いしていたっけ。
「時継は里の門から出て“西”へ向かえば観測所だって言っていたし。よし、“右”に行くか」
視線を向けた先には洞窟がある。指定された素材は鉄鉱石だったし、丁度いいと足を踏み入れた。
□
ムラクモの森を抜けた先にある観測所にて、俺らは綾時が来るのを待っているが一向に来ねぇ。ヒダルを一瞬で屠る実力を持つ綾時がまさか、素材集めや小型の鬼の討伐に手間取っているとも考え難いし、どうしたもんかと考えていると観測所の正面にある丘の地面から蜘蛛の姿をした鬼であるミフチが顔を出した。
「珍しいですね、何の前触れもなくミフチが現れるなんて。焔」
「わぁーってるよ!あの野郎が来るまでの暇つぶしに丁度いい……って、紅月。あのミフチ、身体の半分がねぇんだけどよ」
「なっ!?なんですか、あの姿は」
ミフチは明かり照らされる俺らの存在に気付き、逃げ出そうと前足をバタバタと動かす。しかし、身体の後ろ半分がないため思うように動けないでいる。しかも、次の瞬間には夕闇を摺り抜けるように青く巨大な手が伸びてきてミフチの残っていた前半分の身体を掴む。見覚えのある光景に俺と紅月の頬が引き攣った。
「うおっ!?なんだぁ、あれは!」
初見である焔が興奮したように叫んだ。一端の大型の鬼に分類されるミフチにどんだけ恐怖心を植えつけたら、あんな必死の形相で逃げ出そうとするんだ、と俺は心の中で悪態をつくと同時に綾時に目を付けられたことを憐れに思った。
甲高い悲鳴のような叫びを上げたミフチだったが、青い手が握りこぶしを作ると同時に身体の部位が弾け跳んだ。相も変わらず恐ろしい光景である。俺は観測所の近くまで転がってきたミフチの頭部に向かって合掌すると、静かに鬼祓いをしてやる。
「あ、時継がいるっていうことは、ここが観測所?よかったー。やっとついたよ」
暢気なことを言いながら歩いてくる綾時の姿に俺は冷ややかな視線を送るしかない。
紅月がどうしてこんなにも時間が掛かったのかを尋ねると、綾時はどうやらマホロバ丘陵地全体を歩き回ったらしいというのが分かった。クロガネ鉱山跡でヒダルと餓鬼の群れに襲われていた物資補給隊を助け、サキモリ砦で白金のオーラを纏ったオニビを倒して里の民を助け、蜘蛛の巣に引っかかって食われるのを待つだけであった若い女性のモノノフを助け出し、戦っているうちに逃げ出したミフチを追って来たのがここだったと。手に入れた素材がそのまま綾時の行動を証明する証拠となるので嘘は言っていないのは分かる。
報告を聞くうちに遠い目をし出した紅月は頬を引き攣らせながら綾時にマホロバの里でモノノフとして任務につくために必要な証を手渡す。元々、マホロバの里の前で綾時が戦う姿を見て、渡すことが決まっていたので形式だけだったのだが、まさかこんなことになるなんて誰が思いついただろう。
『くひーっひっひっひ。綾時の行く先々に助けを求める者がいるなんて、こいつは間違いなくそういう星の下に生まれたんだ。あいつの何気ない行動が英雄と呼ばれるようになる訳だ』
「うぉっ……博士か?」
『ああ、そうだ。鬼の手を通して、お前に話をしているぞ。くっくっく……綾時の方向音痴っぷりにも笑ったが、それがいい方向に働いた。クロガネ鉱山跡で襲われていた物資補給隊は6人の非戦闘員を守る護衛が2人で8人。サキモリ砦で見えない鬼に襲われていたマホロバの里の民が4人、ミフチに襲われていた若いモノノフは八雲のところの近衛兵だ。どうだ、時継?お前たちが暢気に観測所で綾時を待っている間、あいつは13人の命を救ったぞ』
俺は紅月と話をしている綾時を見る。
今頃、博士は研究所のベッドで寝転がりながらあの英雄譚を胸に抱いていることだろう。博士の考察によれば、綾時は自分では与り知らぬ能力で過去の時間軸に跳んでしまうことがあるらしい。その都度、今日のような感じで困っている人々を救うなんて行為をしていれば、自然と英雄と呼ばれるようになるのは必然だろう。
俺とは違う。勇敢なる者、『勇者』を自称している俺とは。
「いや、待てよ。……あの時、俺が仕留めそこなった鬼たちを代わりに討伐してくれた若いモノノフって……、くくくっ、まさかな……」
俺は反応しなくなった鬼の手を振ると、綾時の行動を褒めればいいのか怒ればいいのかを迷っている紅月に話しかける。
「深く考える必要はねぇぞ、紅月。綾時は当然のことをしただけだ、そうだろ?」
「え、ええ。……そうですね。では一度、マホロバの里に戻りましょう。そして、手に入れた素材をやりくりして、防具や武器を揃えるのです」
「分かりました」
紅月と焔がマホロバの里に向かって歩き始める。そんな中、綾時は俺のほうへ寄ってきて、すぐに話しかけてきた。
「時継、助け舟を出してくれてありがとう」
「なに、いいってことよ。俺らは同じ博士の助手同士じゃねぇか」
俺が笑いながら告げると綾時も笑って返す。すると突然、表情を曇らせて腕を組んだ。
「そういえば、鬼の手を通して博士の声が聞こえてきたんだけれど、僕の居場所を聞くたびに笑い転げる音が聞こえて通信が切れたんだよね。失礼だと思わない?」
ま、博士の傍若無人ぶりは今に始まったことじゃねぇからなと伝えると綾時は納得が行かないと言わんばかりに頬を膨らませる。それよりも俺が気になるのは、
「つーか、方向音痴なら先に言えよな!さすがにその可能性は思いつかなかったぞ」
「僕は方向音痴じゃないよ。今回だって、ちゃんと辿り着いたし」
綾時、それって方向音痴がさらに悪くなる言い訳って気付いているか?いないんだろうなぁ……。
俺は頼もしいやら、ほっとけないやらで、目を離す事が出来ない息子を見るような気持ちで綾時を見るようになった。
マホロバの里の正式なモノノフとなった綾時は、本部にて里の住人の依頼や鬼の動向を注視し、その強さに見合ったモノノフに依頼を出す部署の責任者である主計殿と仲良くしているようで、ちょいちょい本部で見かけることが多い。
マホロバの里の住人が出す依頼は正直な話、俺たちモノノフの利になることは少ない。だから、後回しにされがちなのだが、綾時は率先して請け負っているようだ。しかも達成率が高いので、久音の小料理屋で度々行われる小さな宴には勿論呼ばれるようになり、1人暮らししている綾時を気遣っておかずが差し入れられることも多くなったようだ。
おかげで近衛や侍の連中が若い奴らに住人の依頼を達成するように指示をする場面を何度か見ることになった。ならず者の象徴である博士の助手のモノノフが人気になれば、それは奴らにとってつまらない展開のはずだ。綾時にそんな意図はなくとも。
「今日も何かの依頼か、綾時?」
「いや、裏の通りに住んでいる伍輔や理穂の父親たちが安の領域から物資を運んで帰ってくるから、様子を見てきてってお願いされたからね。散歩がてら様子を見てこようと思って」
「散歩がてらって……。お前を1人で行かせたら、確実にそいつらとすれ違うわ!はぁ……俺も今日は博士の手伝いもないし、一緒に行ってやるよ」
そう言って綾時と一緒に行動して分かったのは、こいつの感覚がかなり研ぎ澄まされたものだってことだった。俺には聞こえない音を、嗅ぎ取ることが出来ない臭いを、感じ取ることが出来ない不確かなものを、綾時は何となく察することが出来るらしい。おかげで安の領域と繋がっている観測所に行くまでに、何組かの劣勢だったモノノフを助ける羽目になっちまった。しかも、綾時に助けられたのが2度目や3度目の者もおり、俺は『本部で修行しなおせ!』と蹴りをいれてやった。
「ちっ、柄にもねぇことしちまった」
「彼らもこれで懲りてくれるといいんだけれどね」
笑い事じゃねぇんだよ、綾時。
俺たちは鬼を討つ鬼のモノノフだが、相手は無尽蔵に増える鬼の群れ。それに対抗できるモノノフの数はあまりに少な過ぎる。危機に陥っても助けられるのが当たり前になっちまったモノノフに未来は無い。奴らが本当のモノノフになることが出来るかは、これが最後のチャンスだろう。
俺がそんなことを考えていると、綾時は安の領域から戻ってきた隊商の隊長に話しかけていた。そして、俺のところに戻ってくる。
「時継、彼らが補給物資を運ぶ隊列みたいだ。伍輔や理穂の父親も無事みたいだし任務完了だよ。付き合ってくれてありがとう」
「なんてことはねぇよ。博士の無茶振りを1回だけ、代わってくれるだけでいいぜ」
「うげっ!?これは高くついたなぁ」
俺と綾時は顔を見合わせて笑う。
こんなにも気の合う仲間をもう一度もてるなんて、思っていなかった。悪くない、悪くないぜ、綾時。お前と一緒ならきっと何でもやれるはずだ。そんな風に笑い合いながら、俺たちがマホロバの里に戻ると同時に緊急事態が起きた。
安の領域にて近衛の部隊が壊滅したという知らせが舞い込んだのである。
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5ページ目
俺は綾時のことを見誤っていたかもしれない。
マホロバの里のモノノフとして活動しはじめた綾時の印象はお人よしそのものだった。鬼に対しては見かけたら必ず殺していたが、普段の奴の様子といえばマホロバの里の子どもたちと一緒に遊んだり、おかずを差し入れに来た女性たちと話をしたり、住民の男たちと宴会で一緒に酒を飲んだりしている姿。どこにでもいそうな素朴で普通な1人の青年だった。
それがどうだ。今の綾時は俺がマホロバの里へ運んだ時から現在に至るまでに見たことのない表情を浮かべている。普段はどこか抜けたような朗らかな笑みを浮かべている奴が、眉をキリッとさせ、薄い空色の瞳をスッと細め、いつも微笑みを携えている口元はキュッと引き締まった真剣な表情。そして、一番違うのはその行動だ。普段はあっちらこっちら行ってしまう綾時の方向音痴は鳴りを潜め、確たる意思を持ってまっすぐ移動している。隠れている鬼や痕跡を探すのに使う鬼の目は使っているようには見えないが、時折何もいない空間に双剣を振ったかと思えば、白銀色のノヅチが首元から黒い血を噴き出しながら倒れ出てきたのを見た時は、こいつとんでもねぇなと素直に思った。
「僕の邪魔をするな、どけぇええ!!」
進路方向に現れた蜘蛛のような身体と獅子の顔を持つミフチはすれ違いざまに足をすべて断ち切られ、頭と胴体だけの達磨にされた後、綾時の鬼の手で掴まれた。いつものことであるが、違ったのは彼の鬼の手が普段の青色ではなく、燃え盛る焔のように赤色を放っていたことである。そして、威力も段違いだった。いくら綾時でも万全な状態の大型の鬼を鬼の手で握りつぶすことは出来なかったはずなのに、いつか見たガキの時のように掴まれただけで弾け飛んだミフチを見て、俺は乾いた笑い声しか出せなかった。
綾時は消滅させたミフチが黒い瘴気となって消える姿を見ることなく、周囲を見渡すとある一点を睨みつけ、小さく「あそこか」と呟くとまた走り出した。ちなみに現在の俺だが、愛用の銃を片手に綾時が首に巻いている黄色の布に必死に掴まっている。彼に置いて行かれないように必死にくっついている状態だ。
「だから、博士。俺っちは今、碌な返事が出来る状態じゃないんだー……」
『なるほど、鬼の手は装着した人物の思いの強さに応じて、鬼の手も変化するということだな。しかし、今までの戦いも綾時は手を抜いているようには見えなかったが、まだ一段階上があったか。恐らく今の綾時の状態が伝説となった『あずまの地の英雄』の姿なのだろう。自分ではない誰かの命が掛かっている場における、あの決断力。まさに英雄の器だ。自身が負傷しながらも必死に戻ってきて仲間の救援を求める近衛の手を綾時が迷わず取った時、私は思わず震えたぞ』
「確かに。綾時の本部でのやり取りは燃えたな。……八雲と紅月には酷だったかもしれんが、正直あの2人が救助を求める近衛の手を取らなかったことに俺はがっかりした」
『八雲も紅月もおいそれと動ける立場にないからな。まぁ、紅月は万が一のことがあった時のための引継ぎを終わらせ焔を連れてお前たちの後を追っているぞ。八雲は爪が食い込んで血が滴るほど拳を握りしめて、本部の壁を殴るくらい自責の念に駆られているな』
博士の見たことをそのまま伝えてくるようなカラクリを使った通信内容に俺は苦笑いを浮かべる。
『ところで時継。連続して聞こえてくる『ガガッ』っていう音は何なんだ?』
「ああ、博士。綾時は今、地面じゃなくて大きな木々を蹴って移動しているんだ。綾時の鬼の手では木々を掴めないから、落ちそうになったら地面に思いきりぶつけて、その反動で浮いている状態だな。ガキとかノヅチなどの鬼が問答無用で押し花にされる姿を見るのはある意味で圧巻だぞ」
そうこうしている内に綾時は開けた場所に蹲る複数の人影を発見し降り立った。すでに事切れている近衛の人間たちの冥福を祈りつつ、息のある者たちを介抱する。俺もようやく綾時の首巻から手を放して、近衛の者たちへ声を掛けていく。その時、近衛の1人が微かな声で告げた。
「気をつけろ……。鬼は、複数……いる」
その言葉を最後に眠るようにして気を失った近衛を横にした俺は、袋小路になっている広場の唯一出入口を見た。そこを塞ぐように現れた鬼はオヌホウコの群れだった。マホロバの里付近に出てくる鬼たちとは比べ物にならない硬い外角と巨大な爪を持つ、蟲のような姿の大型の鬼。それが5体も現れやがった。鬼たちにとって袋小路の奥に運び込まれた近衛たちは新たな餌を呼び寄せる囮だったのだ。
俺は銃に弾丸を込めて構える。背中には最悪な状況でも諦めずに命を繋いだ者たちがいる。彼らを救うために、守るために、俺や綾時はここまで来たのだ。カラクリとなった自分の身体のどこに心があるのか分からないが、魂が震え、燃え滾る激情が渦巻いているのを自覚する。
「時継、援護は任せる」
「応よ!って、俺っちがいたこと気づいていたのか、お前」
「悪いけど、軽口に付き合っているほど余裕ないんだ。……時継、戦闘後のことは全部任せる」
「は?それはどういう意味……」
『戦闘後のこと』とは何かを聞こうとした俺の目の前にいた綾時が首に巻いていた黄色の首巻を右手で摘まんで鼻と口元を覆った。目元しか見えなくなった綾時は一瞬だけ死神を思わせるようなゾッとする表情を浮かべると同時に5体のオヌホウコに向かって駆けた。綾時から溢れ出る死の気配にオヌホウコたちは一斉に金切り声を上げて襲い掛かる。綾時はオヌホウコからの攻撃を紙一重で避けつつ、双剣で斬り付け、俺や近衛に向かおうとするオヌホウコへ向けて赤色の鬼の手を放つ。荒々しくも的確な攻撃を繰り出す綾時。自身を省みることのない捨て身の攻撃でありながら、長く戦えるように周囲への気配りを忘れない。
「いったいどんな戦場を渡り歩いてきたんだ、綾時!けどな、ここにはお前の味方である俺っちがいるんだよ!!」
俺は銃を構え、背後から綾時を狙っていたオヌホウコの左目を撃ち抜く。恨みがましい視線を俺に送ってきたオヌホウコだったが、そんな隙を見逃すような綾時ではない。自分の周囲にいたオヌホウコを足場にして空中へ跳び上がった綾時は鬼の手を大きな剣状に変えて、俺へと視線を向けていたオヌホウコの首を断ち切った。そのついでといわんばかりに綾時は鬼の手で作った大剣を縦横無尽に振り回し、周囲にいたオヌホウコたちの大きな爪や多脚を撥ねた。普通であれば尋常ではない生命力で再生するはずの手足が再生しないことに戸惑う鬼の姿なんて、珍しいものを見れた。
しかし、それと同時に綾時から放たれていたプレッシャーが大分、和らいでしまっている。そもそも綾時は万全な状態ではない。裏通りに住む子らの父親の安否を確認しに里の外へ出て、少なくとも100体近い大小様々な鬼を倒した後だ。
綾時がどんなに強くても、彼は鬼ではない。ただの人間だ。怪我もするし、疲れもする。今までは壊滅状態となった近衛の者たちを救わなければならないという思いで多くの鬼たちを屠りながらここまで来たが、綾時の体力も限界が近い。
「あ、だから綾時は『戦闘後のことは全部任せる』って言ったのか」
端から体力を残そうなんて考えは綾時にはなかったんだ。俺がいたから。
「なんだよ。援護射撃にもならねぇ、援護しか出来てねぇ俺っちを綾時、てめえ頼りにしてたのか」
俺がそんなことを考えている間も綾時は1人で数が減ったオヌホウコを相手に大立ち回りを繰り広げている。
「つかよ、俺の体躯でお前と近衛3人も運べるかよ!紅月と焔が向かって来ていることを知らなかったら途方に暮れていたぞ!!」
俺はそう言いながらも心から溢れ出てくる笑いに小刻みに身体を揺らす。見ればオヌホウコは残り1体まで数を減らしていた。綾時がマホロバの里に来た時、初めて会話したのは俺だった。あの時は起きて早々に『大型の鬼9体と大立ち回りした』って聞いて、こいつは「ほら吹き野郎だな」って思っちまったが、なんてことはない。あれは紛れもない事実だったんだ。少なくとも俺には出来ない。
その時、ふと元の身体の最期の光景が脳裏によぎる。無数の鬼を蹴散らしたが、瀕死の致命傷を負い倒れた俺っちに見向きもせずにマホロバの里へ向かおうとしている鬼の群れ。友との約束を守るために、立ち上がろうとするも力が入らない。亡き友へ謝罪の言葉を口にしようとした俺の前に突然現れたのは双剣を持つ黄色い首巻をした青年だった。彼は俺を背中越しに一瞥すると、瞬く間にマホロバの里へ向かおうとした鬼の群れを駆逐しちまった。あまりの隔絶した強さに嫉妬してしまった俺だったが、首巻をした青年は俺の前に片膝をついて口を開いた。
『また会える日を待ってる、【相棒】』
そう呟いた青年は俺の前に現れた時のように突然消えた。相棒なんて呼ばれことは一度もねぇと気を失った俺は、その直後に通りかかった博士に命を救われた。ただ肉体をカラクリの身体に移す際に色んな記憶が欠けちまったようで、こんな大事なことも今まで思い出せなかった。
「……【相棒】か。俺っちと綾時の今の関係じゃないな。将来、もっと強くなるだろう綾時にそうやって呼ばれる日がくんのかなぁ。やべぇ、楽しみになってきたぜ」
俺は愛用の銃を操作し空薬莢を抜き取り、新たな弾丸を込める。直後、連続で発砲してオヌホウコの両目と脚の関節部位を撃ち抜いた。そこへ走り込んでくる影があった。他のモノノフへ引継ぎを終わらせてきた紅月と無理やり連れてこられた焔の2人組だ。紅月は焔に綾時の加勢を指示すると、彼女はまっすぐ俺のいる方向へやってきた。
「時継、状況説明をお願いいたします」
「近衛の部隊は構成員8名中5名死亡、3名の生存確認。敵はオヌホウコ5体、だがすでに4体は討伐済だ」
「それが本当だと、綾時がいなければ私たちも返り討ちに合っていた可能性がありますね」
「そうだな。ただし、あのオヌホウコを倒したら綾時も恐らく戦闘不能になる。帰りはその戦力を期待すんなよ」
「無論です。遅れた分は必ず働きで応じてみせます」
甲高い断末魔が森の中に響き渡った。力なく崩れ落ちたオヌホウコだったものは生命力をすべて失い、物言わぬ骸となり綾時と焔のタマフリで影も残さずに消滅した。そして宣言通り、オヌホウコとの戦闘を終えた綾時はその場で大の字に寝転がると、そのまま声を上げることなく瞼を閉じた。直後に聞こえてくるのは豪快な寝息だ。
「ぐー……かー……すぴー……」
「おいおい、こいつ寝ちまったぞ!?」
「今まで戦闘続きだったんだ。そのまま寝かせてやれ。という訳で、綾時は俺が引き摺って行くから紅月と焔は近衛の奴らを頼むな」
俺は綾時の武器を仕舞うと彼の両脇に手を突っ込み、引き摺って移動を始める。紅月と焔から「それでいいのか?」と言わんばかりの視線を受けたが、特に問題はない。気を失っている間の綾時は岩にぶつかろうが、水たまりに突入して濡れようが、絶対に起きないしな。どうせ戦闘で服は汚れているし、特に問題はない。大事なことなので2回言ったぞ。
「こいつに俺っちを相棒って呼ばせるには、今までカラクリの身体に不貞腐れてやってこなかった戦闘の勘を取り戻さねぇとな。自称『勇者』じゃ駄目だ。本物の『勇敢なる者』にならなきゃなんねぇ。面倒くせぇ……けど、目標があるっていいよな」
俺の独り言が聞こえていたのか分からないが、綾時の口元が弧を描いたのを近衛の生き残りを運んでいた2人が見ていたことは知りもしなかった。
□
危機に陥っている仲間の助けを求める近衛の者の訴えに誰もが応えるのを躊躇う中、人波を無理やり掻き分けてきた黄色い首巻をした若いモノノフ、先日マホロバの里のモノノフとして登録されたばかりの綾時がその手を迷わず取った。
「必ず助ける!」
「ああ……ああぁ……、よろしく……お願いします。仲間を……」
そう言って気を失った近衛の者を近くにいた者に託した綾時は来た道を引き返そうと振り返った。それと同時に人波が左右に別れ、人が1人歩けるくらいの道が開かれた。私や本部の職員、近衛の長である八雲が声を掛ける暇もなく、目つきや表情を一変させた綾時は風のように走り出した。彼の首巻の先端を掴んで離さなかったカラクリの身体を持つモノノフである時継以外は連れずに、彼は救援へと安の領域へ向かってしまった。
『ガンッ』という壁を叩く音にその場にいたすべての人の視線が発生源へと向けられる。見れば八雲が下唇を噛みしめながら肌が白くなるほど拳を握りしめて壁を殴っていた。近衛の者が八雲を心配するが、壁を殴りつけた八雲の足元にポタリポタリと血が滴っているのを私は見た。
「……焔」
「決断するのがおせぇよ。……あんたの分も用意しておいてやる」
私の様子を見て察してくれた焔が本部からモノノフの詰め所に向かう。私は本部にいたすべてのモノノフを集め、主計殿をはじめとした職員たちに指示を出す。そして戦装束を整えてきた焔から武器と防具を受け取った私は、綾時たちから遅れること半刻経ってようやく救助に向かうために里の入り口へ向かう。
「待て、紅月。焔。お前たちに選別だ」
そう言って呼び止めたのは博士だった。彼女は私たちの手の甲に鬼の手を発生させるカラクリを慣れた手つきでそれぞれ装着する。
「使い方は私がそれを通して教えてやる。綾時は私の想像の斜め上を行くから教え甲斐がなかったが、お前らの発想は普通だろうからビシバシ行くぞ。それと救助者がいる場所へは、鬼の目を使って痕跡を辿れ。恐らく、盛大な鬼の屍の山が見えるだろうよ」
その言葉通りでした。
安の領域に入ってすぐ、鬼の目を発動した焔が引き気味に言ったのです。尋常じゃない死体の山が見えた、と。それはまっすぐぶれることなく森へと続いていると。元々鬼が残した痕跡とそれを追撃する綾時と時継が残した痕跡を追って辿り着いた袋小路では、肩で息をする綾時がオヌホウコと戦っていました。時継は近衛の者たちを庇いながら援護射撃に努めている。
「なんだよ、綾時の野郎。ふらっふらじゃねぇか!加勢には俺が行くから、紅月はあっちに行け」
「分かりました。焔、無理はしないように」
焔が仕込鞭を使って跳び上がりながらオヌホウコへ攻撃を仕掛けるのを横目に、私は時継と近衛の生き残りたちの下へ向かう。そして生存者が3名いることを聞き、嬉しくもあり、悔しくもあった。今回は綾時の即座な決断があったからこそ、こうやって命を救うことが出来た。しかし、あのまま私と八雲の決断がずるずると遅れていれば、今あるこの命もまた喪われていたかもしれない。
オヌホウコとの戦闘は私が加勢するまでもなく綾時と時継、そして焔が片付けましたが、綾時たちがすでに4体のオヌホウコを討伐した後であるという事実を聞いて眩暈がしました。あの時、救助するとすぐに決断していても、今度は救出する側が犠牲になる二次被害が出ていたかもしれないという恐怖。今回の功労者を引き摺りながら里へ戻ろうとしている時継を見ながら、私は自分がどうすればよかったのかを考え、頭を悩ませるのでした。
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6ページ目
安の領域で壊滅状態となった近衛の隊の救助を終え、死んだように眠りながら帰ってきた綾時。その姿を見て民衆は最悪を想定したが、静かに寝息を立てる綾時を見て呆気に取られていた。
体力を使い果たしてどこでも構わず眠るとか、お前は子どもかと聞きたい。
とはいえ、近衛の生き残りを3名救助するだけに留まらず、安の領域の森を縄張りとしていたオヌホウコ5体の群れを駆逐するとは、やはり綾時はおもしろい逸材だ。そう、傍から見る分には良い観察対象なのだが、私は頑として言いたいことがある。
「お前の転移に私を巻き込むな」
私は丁度いいところにあった切り株に腰掛けながら、金色の髪に海色の瞳を持つ海外のモノノフだと自称する女と共に、以前文献で見たことのある姿によく似た西洋の竜の姿をした鬼と戦っている綾時に視線を送る。一応、綾時が手にする武器はオヌホウコを倒して得た素材から作った武器であるが、それを以てしても火花が散るだけの鱗を持つ鬼なんて聞いたことがないぞ。
金の髪を持つ女はある一定時間戦えば、あの白銀の竜はいなくなるという話をしてあまり刺激をしないようにと言っていた。だが、綾時は基本的に見つけた鬼は必ず殺す。武器が効かないならば鬼の手があると言わんばかりに活用してくれるのは嬉しいのだが、白銀の竜の尻尾を掴んで、付近の木々や岩、丘に叩きつける様子に金色の髪の女が完全にドン引きしているのが分からないのだろうか。
これ以上はたまらんと言わんばかりに甲高い声を上げた白銀の竜が空中に溶けるようにして消えていってはじめて、金色の髪の女が深く息を吐いてその場に座り込んだ。近くによれば、『ビャクエンを退ける猛者と出会えるなんて』と涙していた。
「ふむ……鬼の手を使えば領域に蔓延る瘴気の穴を防ぐことが出来るのか。これは面白い」
白銀の竜の姿をした鬼、その名をビャクエン。盾剣を使う自称海外のモノノフ・グウェンが使う武器に封印されていた強力な鬼ということらしいが綾時は次に現れたら必ず倒すと鼻息を荒くしていた。何か攻略法があるのかもしれん。そんなことを考えていると近くに瘴気が一段と濃い場所があったのだ。
そこには大穴が開いており、その穴からは尋常ではない量の瘴気があふれ出していた。私は咄嗟に綾時に指示を出して鬼の手で防がせたのだが、瘴気を穴から防ぐだけに留まらず、大穴自体を消滅させるとは。どれだけ精強なモノノフも瘴気に体を蝕まれれば、マホロバの里近くまで避難しなければならなかったが、こうやって大穴を塞ぎ、活動域を広げることが出来れば。
「よし、綾時。とりあえず、マホロバの里へ帰るぞ。今後は領域内にある大穴を塞ぐことを第一の目標とするが、今は碌な装備もないからな」
「分かったよ。じゃあ、マホロバの里へ行こうか!」
「おい、待て。そっちじゃない」
「「え?」」
意気揚々とした足取りで瘴気が濃い方向へ行こうとした綾時とそれに続くようにして向かおうとしていたグウェンを呼び止める。
私は改めて、メンバーを確認する。私、綾時、グウェン。綾時は生粋の方向音痴。他者の命が危機に瀕している時は五感を研ぎ澄まし、一直線で目的地に向かえるが普段のポンコツ具合は私も良く知っている。そしてグウェンは霊山に所属するモノノフであり、マホロバの里に来たことはない。彼女に地理なんてあるはずがない。
つまり、マホロバの里へ無事に帰るには私が道案内しなければならないということだ。しかも片方は見敵必殺かつ困っている人を放っておけないお人よし。
「……いつになったら帰りつけるだろうか」
私が自然と諦めの境地に達し、カラクリを使った通信が出来るようになったら時継や紅月に救援を頼もうと思ったのは自然の流れだった。
「もう!『博士と綾時が神隠しにあったのではないか?』と里中が蜂の巣を突いたような騒ぎになったのですよ!」
「いや、紅月。綾時の特異体質のことは話しただろう。今回のことは不可抗力だ」
「いいえ!そうは問屋が卸しません。『カグヤさま』も大分心配されておられました。新種の鬼のことや瘴気を生み出す大穴のことなども聞かなければなりませんから、このまま本部で話を聞かせていただきます!」
「勘弁してくれ!というかいい加減に寝かせてくれぇえええ!!」
「駄々をこねないでいきますよ!グウェンさんも私と一緒に来てください」
「ああ、分かった」
綾時は先日の功績もあるので無罪放免。しかし、私とグウェンはそのまま迎えに来た紅月に肩を掴まれて解放されずに本部でみっちり説明をしなければならず、それから解放されたのは夜中だった。
研究所に帰って寝台に倒れ込んだ私は二度と綾時と一緒に領域に出るまいと心に固く誓う。綾時の行動は本当に傍から見るから楽しいのであって、実際にやるもんじゃない。
何なんだ、あの体力お化けは。私とグウェンが瘴気による穢れでグロッキーになっている中、全然こたえていなかったぞ。どうして、綾時だけが普通のモノノフとは違う、そんな力を持っているのか。いくつもの案が浮かんでは消え、浮かんでは消えていったが、まるで『鬼のようだ』と思った瞬間、私は跳び上がるように起き上がった。
「あいつ、もしかして中味が弄られているのか?」
人間は普通であれば時間を行き来することは出来ない。しかし、強力な鬼はありとあらゆる時代を行き来し、強力な武士や歴史に名を遺す偉人たちを襲って食らい、その強力な魂を自身に押し留め、さらに強力な鬼となっていく。そんな鬼の力の一端をもしも人の身に宿らせることが出来れば。
「この世界のどこかには、そんなバカげたことをしている奴がいるっていうことか」
時間を自由に行き来しようなんて馬鹿げたことを考える奴がいい人間であることなんかあるはずがない。絶対に碌なことを考えていないだろう。綾時に過去の記憶がないというのもそれが原因かもしれない。だが、その力があったかこそ救われた命があったのも事実だ。
「結局、力を持った者の人間性に左右されるということか。綾時、お前が『お前らしくて、いい人間』で良かった」
ぼすり、と枕に頭をのせて寝台に寝転がった私は極度の疲労から来る眠気に負けて意識を微睡みに身を任せた。
翌日、綾時はまた過去に跳んだらしく、自宅の布団の上で血だらけになって転がっていたらしい。第一発見者は朝ごはんのお裾分けに来た子どもたちだったらしいから、気の毒な事この上ない。
彼を治療する中で聞いた話によると、横浜で戦う時に支給された武器をくれてやった隻眼のゴウエンマとやりあってきたらしい。その説明も掻い摘んだもので、よくわからなかった。そのため時間はたっぷりとあるからと詳しく聞くと、第二のオオマガドキを防いだ今代の英雄がいるというウタカタの里が鬼の大群によって“攻め滅ばされそうになった”時に現れた青い肌に白色の鬣を持った見上げるほど大きな鬼。
つまり、通常のゴウエンマとは隔絶たる強さを持つ上位種と戦ってきたらしい。
「……誰か周りにいなかったか?」
「カグヤさまに似た子と眼帯をつけた太刀使い、それと金砕棒を持った霊山の部隊っぽい人と、ポニーテールの薙刀使いがいたかな」
「ウタカタの里の神垣の巫女と里の長か。それに霊山の「百鬼隊」三番隊隊長に今代の英雄さまか。錚々たる顔ぶれだな」
「そうなの?太刀使いの人は神垣の巫女さまを守らないといけなくて、結局僕とその隊長さんと薙刀の子で戦ってきたんだけれど、結局そのゴウエンマは逃げ出しちゃって仕留め損ねたんだ」
のほほんとお茶を飲みつつ、次は必ず仕留めるとか言っている綾時を他所に、私は思いきりため息を吐く。私は綾時の話を聞き、これはフラグだと確信した。きっと近いうちにマホロバの里に青い肌のゴウエンマの上位種が来ると。
まぁ、そんなことよりも気になることがある。綾時は何でもない表情を浮かべているが、治療を施した医者の観点から言わせてもらうと、『お前は何故生きていられる?』になる。
頭部に一箇所、腹部に二箇所、致命傷を負った痕があった。驚くべきことに完全にとはいかないが治療できないこともないレベルにまで再生していたから、こうやって何でもないようになっているが。
綾時はかなり強力な鬼の因子をその体に刻み込まれている。今はまだ綾時は、自分の意志で動くことが出来ているが、こんな無茶を続けていけば、いずれは思考そのものが鬼と変わり果てる時が来るかもしれない。
この国には諺の中に『毒を以て毒を制す』というものがある。鬼の力を使って、鬼を討つモノノフ。
綾時が人間と鬼との境目で苦しむことになった時、私やこのマホロバの里に住む者たちは彼を殺すことが出来るのだろうか。
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7ページ目
ようやっと青いゴウエンマとの戦いで追った傷が癒えたので、久しぶりに安の領域に行こうと思い里の中で時継を探していたら、近衛の長である八雲さんと本部でばったり顔を合わせることになった。彼は僕を見た後、どこかへ行こうとしていた歩みを止めてまっすぐ向かってくる。そして、「部下の命を救ってくれたことを感謝する」「何か困ったことがあれば、1度は話を聞いてやる」と尊大な感じで告げて去っていった。
「……何あれ?」
「へぇー。八雲の野郎にあれだけ言わせたのか。まぁ、当然だよな」
「あ、おはよう。焔」
「おう!」
紅月さんと組んで行動していることが多い焔。彼に話を聞くと時継は紅月さんと一緒に博士の研究のために出かけているそうだ。焔自体は里で用事があって付き添いは断ったそうだ。しかし、時継が博士の研究の付き添いで出ているのならば、いつ帰ってくるか分からない。仕方がないから、久しぶりに単独で出撃しようかなと思っていると、焔が急に肩に腕を回して顔を近づけてくるとニヤリと笑った。
「時継を探していたってことはお前も出かけるんだろ?面白そうだ、俺も連れていけ」
「あれ、博士たちにつていかなかったのって何か用事があったからじゃないの?」
「ああん?いや、あの博士って、わけわかんねぇことばっか言うからよ。適当に用をでっちあげて逃げただけだ」
「それって、紅月さんにばれるとやばくない?」
「ばれるとやばい。つまり、お前も共犯になれば怖くない」
そう言って焔はからからと笑う。僕も彼につられて笑ってしまった。
マホロバの里から遠出する時は時継または仲の良いモノノフの誰かを連れていくことを博士に厳命されている僕。そこまで心配されるほど弱くないって伝えたんだけれど、『私が心配しているのはそっちじゃない』と鼻で笑われた。時継は声を掛けると喜んでついてきてくれるんだけれど、時継以外で親しいのはマホロバの里の民ばっかりで近衛や外様のモノノフたちとは縁がないのか、あまり話が出来ていない。
先日救助した近衛のモノノフたちとはよく会話するんだけれど、暇な時でいいから里の外への同行をお願いしたら決まって『私共の実力では貴方さまの足を引っ張る一方でございます』と丁寧に断られ続けている。
だから、正直に言って焔の同行の言葉は嬉しかった。
「で、どこに何をしに行くんだよ?」
「安の領域に点在している瘴気の穴を塞ぎに行こうと思っているんだ」
「おっと、面白うじゃねぇか!やっぱ、博士の付き添いについていかなくて正解だったぜ!」
僕の肩に回していた腕を外して里の門へと向かう焔の後に続こうとしたら、門のところに見覚えのある金色の髪を持つ女性が濃しに手を当てて仁王立ちしていた。彼女は向かってくる僕と焔を見て、にこりと笑い口を開いた。
「話は聞かせてもらった!私も同行するぞ!」
僕のパーティに焔とグウェンが強制的に加わった。こんなにも強引に割り込んでくる人は今まで僕の周囲にいなかったからある意味で新鮮だ。
安の領域についた僕たちは瘴気の穴を探しつつ、鬼を問答無用で討伐していく。その中で焔とグウェンはいつの間に意気投合したのか仲良くなっていた。僕を差し置いてずるい。
荒んだ僕の心を癒してくれたのは迷子になって蹲っていた天狐だった。残念ながら天狐と意思疎通する術を持たないので泣く泣く別れることになったのだけれど。瘴気の穴は割とすぐに見つかり、先日やった要領で瘴気の無い穏やかな世界を思い浮かべつつ、鬼の手に力を籠めると、そこにはもう瘴気がない安穏な世界が広がっていた。
□
≪焔≫
「ビャクエンとの戦いを近くで見ていたから分かっていたが、やはり綾時はマホロバの里の中でも一段と強いな。私が知る霊山のモノノフたちよりも強いのは確実だ」
「ああ。俺も色んな里を渡ってきたが、綾時ほど強いモノノフを見たことがねぇ。それこそ、第2のオオマガドキの再来を防いだ、ウタカタの里の奴らと同等なんじゃねぇか?」
俺は海外のモノノフで今は霊山にある本部に所属しているグウェンと会話し認識を共有していた。彼女の言うビャクエンという鬼は見たことがないが、博士曰く現在の俺や紅月では勝負にならない化け物らしい。
オヌホウコやオンジュボウといった大型の鬼を片手間で葬る綾時を以てしても碌な傷を負わせられずに逃がしてしまった奴だと聞いて、俺と紅月は顔を見合わせた後、考え込む羽目になっちまった。
冗談みてぇな強さを持つ綾時。
こいつがいれば俺たちが戦う必要はないんじゃねぇかと思うこともあった。だが、博士の見解では綾時をこのまま鬼と戦わせ続けると手の施しようのない事態が来るかもしれないと真面目な顔をして忠告してきた。手の施しようのない事態って何だ。綾時の事情を知っているのは博士と時継だけで、俺らが知っているのは『若いのにめちゃくちゃに強いモノノフ』ってことだけだ。俺は紅月に言われた。
「モノノフのまとめ役をしている自分よりかは、年端の近い焔の方が綾時の本音を聞けるかもしれません。それとなく探りをいれてください」
腹芸は苦手なんだが。
ああも紅月に真剣に頼まれた以上、その役目は果たさなければならないと思っていたのだが、結局のところ綾時の強さを再確認したのと、窮地に陥っている人の助けを求める声を拾う範囲がやべぇっていうのが分かった。
いきなり道なき道を進み始めたと思ったら、50を超えるガキの群れに襲われて息も絶え絶えなモノノフの小隊を見つけたり、
オヌホウコに襲われて負傷した商人を見つけたり、
物陰に身を潜めていたオンジュボウの気配を察知して先制攻撃を仕掛けたり、集中した状態の綾時の五感がやべぇ。
「なぁ、焔。商人は仕方がないとして、モノノフたちが落ち込みながら絵馬のような何かに線を入れていたのはなんなのだ?」
「……あれか。あれは里の外で他のモノノフに助けてもらった時に線を入れるための道具なんだが、あれに10回線を入れた奴は自ら教練所に行って、また一からモノノフとしてやっていくための教練を受けなければならないんだ。導入したのは時継だな」
あまりにも危機管理能力がなっていないモノノフが多すぎて、綾時と時継の2人が任務地にたどり着くまでに時間を要した挙句、結局一度装備を整えるために里に戻らざるを得なかったことが災いし、あの強制教練所行絵馬が作成された。
幸い、俺はもらったことがねぇけど。見た所、グウェンも実力はそれなりにあるほうで助ける側みたいだ。
「道理で。マホロバの里の周辺地理を把握するために散策していて、ガキやノヅチの群れと戦っているモノノフたちがいたから加勢しようとしたが、涙目で『こいつらくらい私たちで倒せます!加勢は結構です!!』と断られたのは。その時はてっきり毛色が違うからではないかとショックを受けたが、なるほどそういうことだったか」
「ガキとノヅチも倒せないモノノフとか流石にいねぇだろ。大型は無理でも中型までは単独でも倒せねぇとな。そんな実力もない奴だったらいっそのこと才能がねぇって、命を喪う前にモノノフを辞めさせたが無難だぜ」
「意固地になってしまうと周りを巻き込んでしまうから、早々に諦めさせるということだな」
「まぁ、そういうことだな」
俺とグウェンがそんな会話をしている間、綾時はどこからか見つけてきた天狐と戯れていた。俺たちが瘴気の穴のことを言うと泣く泣く天狐と別れたが、そんな情けない表情をするんじゃねぇよ。なんか綾時に関してあれこれ難しく考えている俺たちが馬鹿みてぇじゃねぇか。
ちなみに天狐と別れてすぐのところに瘴気が噴き出す穴があったが、鬼の手をその穴の中に突っ込んでしばらくすると付近に漂っていた瘴気がすっきりと晴れて、重苦しさそのものが解消されていた。
「半信半疑だったが、まじか……」
「あの時は小規模な変化であったが、今回はかなり広い範囲で瘴気が薄まったようだな」
グウェンはこの現象を体験済みだったのか、その場で腕を組みうんうんと頷いている。その時、鬼の手を作り出す手の甲のカラクリがキラッと光り、そこから声が聞こえてきた。
『綾時。お前、安の領域にいるだろ』
聞こえてきたのはこのカラクリを作った張本人だった。その声色に幾分か苛立ちが含まれていること以外は特に変わった感じではない。
確か今日は研究のためにどこかへ出かけていたはずだが、この丁度の時に連絡を入れてきたってことは。そんなことを考えていると、綾時が気楽に返事をしていた。
「あ、博士。今、瘴気の穴を塞いだところです」
『「あ、博士」じゃなーいっ!!お前、一昨日治療した時に口を酸っぱくして『一週間は安静にしておけ』って言ったばかりじゃないかっ!誰だ、その重傷人をここまで連れてきた阿呆は!!』
俺とグウェンは咄嗟に自分の手で口を塞いだ。
これは拙い。非常に拙い。というか、綾時お前、重傷人だったのかよ!?いつも通りで見かけた鬼は必ず殺すから、全然気づかなかったわ!!その重傷人である綾時は俺たちが必死になって存在を消そうとしているのを見て空気を読んでくれたのか、博士に対し「ここにいるのは自分1人だ」と告げた。が、
『( ゚Д゚)ハァ?今時、「西に行く」といって「右に行く」ような方向音痴が1人で安の領域に来れる訳がないだろっ!ようし、綾時おまえはそのままその場で待機していろ。私たちも安の領域にいるから、すぐにお前を迎えに行ってやる』
八方塞がりとはこういうことを言うのだろうか。俺たちはとりあえず、長年放置され続けてボロボロになった地蔵さんの後ろに身を隠したのだが、鬼の手なんていうカラクリを作れるような頭のいい博士を撒くなんてことは出来ず、しっかりと絞るようにねちねちと説教されるのだった。
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8ページ目
それは突然のことだった。
安の領域にあった瘴気が溢れ出てくる穴を塞いだ後、「安静にしているように言ったよな?ん?」と笑みを浮かべたまま圧を掛けてくる博士にごめんなさいをした後、マホロバの里の家を掃除したり、自炊をしたりして過ごしていたのだけれど、虫の知らせというか何となく嫌な予感がしたのである。ピリピリと肌を刺すような感覚に居てもたってもいられなくなり、僕は装備を整えて夕闇に紛れ里の外へ向かった。
神垣の巫女が張る結界の外へ出るとあちこちから視線を感じる。小型の鬼の気配であるが、むやみやたらに向かってくる様子はない。むしろこちらの様子を伺っているような感じに、先ほどから僕が感じ取っているのは何かの前触れなのだろう。しかし、今の段階ではそれが起こる正確な場所が分からない。僕は移動して高台にある切り株に腰掛け、武器を砥石で磨きながら眼下の様子を見続ける。
すると空が明るくなってきたくらいに黒を基調とし青色の服でアクセントをつけた独特の装いをした集団が里の外へ出てきた。先頭を行くのは刀也さん。外様のサムライを束ねる隊長で、本人も太刀を使って前線で戦うモノノフだ。ただ近衛以上に話をする機会に恵まれず、知り合いと呼べる人がいない人たち。そうやって眺めていると、先頭にいた刀也さんの視線が僕に向けられた。この距離で気づくなんてすごいなと、見ていると興味を失ったのか隣に控えていた眼鏡を掛けた女性に促され、サムライの集団を率いてどこかへ向かっていった。ただ、彼らが進んだ方角からは嫌な感じはしない。僕は双剣をそれぞれ鞘に納めると立ち上がって振り返る。見れば里の近くにある砦の方から犇々と何か嫌な気配が近づいている。そんな感じがして、僕は小走りでそちらに向かうのだった。
□
物見からの緊急の知らせが本部に届いた。『里の南にあるサキモリ砦に向けて北側から多くの鬼の集団が向かってきている。すぐに増援を』ということだった。その知らせを受け紅月や八雲たちはマホロバの里にいるモノノフに向けて、緊急の招集をかけたのだが、こんな時に最も頼りになる奴がこない。痺れを切らしたグウェンが迎えに走っているが、こんな事態に綾時はのほほんと構えている奴じゃない。……まさか!?
「時継、綾時がどこにもいないぞ!恐らく、物見からの知らせが来る前に里の外へ出ている!」
「くそっ!やはりか」
グウェンはそのまま本部の職員にモノノフの出入り記録を確認してもらって、新たな情報を得たようで駆け足で戻ってくる。
「本部の職員の話では夜勤をしていた者が戦装束を身に纏った『それらしき人物』がただならぬ雰囲気で出ていった姿を確認している。だが、月が真上に来る頃だったと日勤の職員へ引継ぎがされていた」
「ほぼ半日前には察知したってことかよ。すげぇな」
「しかし、綾時がいるのならば多少数が多い鬼の襲撃でもあのように物見の者が慌てるはずがないのだが……」
グウェンの言うとおりだ。確かに大型の鬼が数体出てきた程度で“あの綾時”がそう簡単に音を上げるはずがない。彼の想定を遥かに越える量の鬼が押し寄せているのか、それとも綾時が引き留められるほど強力な鬼が現れたのか。
「いや、待てよ。サキモリ砦は北側と南側にそれぞれ砦がある。今回、物見が報告してきたのは北側だ。南側はどうなっている?」
近衛の長である八雲もモノノフを束ねる紅月も物見から報告があった北側にしか注意を向けていない。グウェンも俺の推測を聞いて、2方向からの挟撃である可能性を考え、顔色を青くしている。そこへ博士が苛立ちを隠さずにやってきた。
「時継。あいつは今、通信も届かないほどの濃い瘴気の中にいるようだ。私が許可するから、サキモリ砦の南側へ行ってこい。そして、あの馬鹿者を生きた状態で連れ帰ってこい!地獄すら生温いと思わせるような折檻をしてやる!」
「分かったけど、程々にしてやれよ、博士。グウェンはどうする?」
「無論だ。ここまで乗りかかった船、今更降りるつもりは毛頭ない!」
俺は壁に立てかけておいた愛用の銃を肩に担ぎ、グウェンは盾剣を背負った。その様子を見ていた焔がこっちの方が面白そうだとこちらに来ようとしたが、紅月に捕まった。彼女はそのまま俺たちに視線を向けてきたが、不意に俺たちから博士へと移す。どうやら今回は博士が俺らの代わりにサキモリ砦の北側に赴くことで話がつけられているらしい。
「それと時継。鬼の手を発動させるカラクリだ。お前の判断で使えそうな人材にそれを渡せ。出し惜しみをしている場合ではなさそうだ」
博士に渡されたカラクリは2つ。俺はそれを背負っている袋に突っ込み、じゃあ手のかかる綾時を迎えに行ってやるか意気込むと同時にグウェンに抱えられる。「へ?」と呆気に取られたような声が俺から発せられる。
「では全速力で行くぞ!時継!!」
「な、ちょっ、おろせぇえええー…………」
ちなみにグウェンの全速力はもしも俺が人間の身体だったら、口から嘔吐の滝を作ったであろうと思うくらい激しいものだった。目まぐるしく変わった視界が落ち着いたと思ったら、床石の上に降ろされる。眩暈とか吐き気とか無縁であるはずのカラクリの身体でもグウェンから降ろされた瞬間はふらついてしまった。俺のそんな気も知らず、グウェンが何故か慌ただしく動いている砦の守衛たちに話を聞く。すると、北側の鬼の侵攻に合わせて加勢に向かおうとしたら、まばらであるが南側も鬼が襲撃を掛けてくるようになったということだ。奇妙なのは襲撃を掛けてくる鬼たちが揃って疲弊していること。それでも動きの速い中型の鬼が攻めてきてヤバイと思ったらしいが、若い女性のモノノフとサムライの男が丁度訪れ、倒してくれたということだった。で、グウェンと共に2人がいるところに向かったのだが、
「異界に1人で入ろうっていうの?止めなさい、死ぬわよ!」
「……死なないさ、俺が最強ならな」
俺はグウェンと顔を合わせ、あいつらとは関わらないと決めた。女のモノノフは確か本部職員の主計の娘である椿。おかしな言動のサムライは知らないが、関わると面倒なことになるのは目に見えている。俺たちは彼女らの視界に入らないように武の領域と繋がる門へと向かったのだが、
「ちょっと、私たちを無視してどこに行こうという訳?」
「残党狩りか?俺も同行しよう」
「残党狩りって、瘴気の濃い武の領域でどうやって鬼を探すつもりよ、あんた!」
「そんなの適当にあるけば当たるだろう」
「適当!?ふざけんじゃないわよ、そして無視するなって言っているでしょ、そこの2人!!」
「はぁ。痴話喧嘩なら他所でしてくれ、私たちはお前たちに構っている暇はないんだ。わんわん」
グウェンが椿とサムライの男のやり取りを見ながら大きくため息を吐いた後、本音と共に発した犬の鳴き声。場が沈黙したのは言うまでもないが、グウェン。それはもしかして『夫婦喧嘩は犬も食わぬ』と表現したかったのか。ちなみにグウェンの奇行はなかったことにされた上で、どう言い繕っても俺とグウェン、それとサムライの男だけでは行かせられないと聞かないため、結局のところ椿も同行する形で部の領域に足を踏み入れることになった。その際、博士から預かった鬼の手を発動させるカラクリを2人に装着した。同行する以上、足手まといになられては困るからだ。
「安の領域とは比べ物にならない濃さの瘴気だな」
「だが、部分部分で濃度が薄くなっている場所がある。それに道の端の方には夥しい量のガキやノヅチなどの小型の鬼、それだけでなくミフチやオンジュボウといった大型の鬼が山積みになっている。正直、大型3体程度で増援をと喚いていた物見の奴らが平和ボケしているな」
俺とグウェンは鬼の目を発動させて綾時がどこで戦っているのかを見ようとしたのだが、いつしかの恐ろしい光景が再現されていた。椿と神無と名乗ったサムライの男が首を傾げていたのでカラクリを使った鬼の目のやり方を教えると、早速使ったみたいで無造作に積み重ねられた鬼の死体の山を見て驚いた後、いきなり椿が憤った。
「ちゃんと鬼祓いをしていきなさいよ!モノノフとして当然のことでしょ!!」
そう言って椿は自称最強の男・神無の首根っこを掴んで引き摺って行き山積みになっている鬼の死体を祓い始める。俺もグウェンと共に反対側の鬼の死体を鬼祓いしようと近づいたのだが、死んでいる鬼の大半が綾時の双剣で死んだものではないことに気づいた。この鬼たちの死体の山がただ積み重ねられたものではなく、ミフチやオンジュボウなどの鬼よりも強大な鬼との戦闘の余波で吹き飛ばされた可能性があることに気づくと俺は走り出していた。道の端に山積みとなって瘴気の温床となっていた鬼の死体の山を悠長に鬼祓いなんてしている暇なんかなかったのだ、綾時には。鬼の目を通して鬼の死体が積み重なっている方へと走っていくと、荒野に出た。ただし、その大地や風に晒されてボロボロになっている山肌を大きく抉るような亀裂が縦横無尽に走っていた。
「なんだ……これは……」
鬼祓いを途中で切り上げて走り出した俺を追ってグウェンたちがやってきたが、見渡す限り荒野が広がる大地に深々とつけられた亀裂や“斬撃”の痕を見て言葉を失っている。こんな痕跡を残す鬼がサキモリ砦に辿り着けば、人間がこしらえた強固な砦も瞬く間に瓦礫の山と化すことは明白だった。その時、上空から見たことのない巨体の鬼が降り立った。しなやかな四肢を持つ獣型の大型の鬼。頭部には鋭く尖った一本角、そして尾は鋭利な刃物が連なるような形状をしていた。
「こいつか!今回の襲撃の親玉は!」
俺は即座に銃を構えたのだが、俺たちの前に現れた鬼は軽くステップを踏むかのように俺たちの方へ跳んできた。大きく右前足を振りかぶりその爪を向けてくる。すぐに散開した俺たちがいた所に爪による斬撃が4本走った。
もし直撃していたら、四肢のどこかを欠損するだけでなく命スラ危うい威力にゾッとする。獣型の鬼は、攻撃を外したことを気にする様子はなく、その大きな目で俺たちを捕らえ、唯一体勢を崩していたグウェンに狙いを定めた鬼がその巨体に見合わぬ身軽さで連続して攻撃を仕掛けてくる。椿が槍、神無が太刀を使って攻撃しようとするも鬼の移動力についていけていない。
俺は鬼の手を発動させて、尾を掴みあわよくば引き摺り倒そうと思ったが、早々に力比べは諦めた。目の前にいる獣型の鬼は、今までマホロバの里付近に現れた大型の鬼とは確実に格が違うと確信した。
「それが噂に聞く鬼の手か!面白い、出ろ!鬼の手ぇええ!!」
「あんた、何やってんの!?」
俺が鬼の手を使って宙へ躍り出たのを見て神無が何かを叫んだ気がするが、近くにいた椿にしばかれている。カラクリを使った通信でグウェンが鬼の攻撃を捌きつつ鬼の手の使い方を教えると、椿と神無の2人も鬼の手を使って移動をすることで鬼へ攻撃が通るようになっていく。だが、俺の弾丸は弾かれ、グウェンたちの攻撃も薄皮を切るくらいの攻撃しか通らない。ただでさえ濃い瘴気の中、戦闘が長引けば長引くほど不利になるのは俺たちの方だ。どうすればいいと自身に問いかけていると、突如として辺りが暗くなった。
雲でも出てきたのかと獣型の鬼の動向を注視しつつ、視線を上へと向ける。するとクエヤマが落ちてきていた。
もう一度言う、小山のような巨体を持つクエヤマが落ちてきていた。その丁度真下には俺たちが戦っている獣型の鬼がいて、そいつは運が悪いことに空から落ちてきたクエヤマに押しつぶされた。
「こんな馬鹿げたことが出来るのは……」
「綾時だけだな」
俺とグウェンは顔を見合わせながら頷いた。初見の椿と神無は頬を引き攣らせているが、彼らの反応が普通なのだ。綾時の突飛ない行動に俺たちが毒されているだけで。見ればクエヤマが落ちてきた空から黄色い首巻をした双剣の青年が同じように落ちてきていた。しかし、彼は空中で冷静に体勢を整えると、左手の甲につけたカラクリを使って大きな鬼の手を作り出すと即座に大剣へと姿を変えさせ、突如上空へ吹き飛ばされてきたクエヤマを頭のてっぺんから股座に掛けて断ち切って消滅させた。その場から跳び退こうとした獣型の鬼の左前脚を撥ねた。俺たちが苦戦している鬼に一撃をいれた綾時は猫のようにしなやかに着地した。俺たちはそれを見て彼に声を掛けようと近づき、
「ははっ」
その生命そのものを奪うことを楽しくて楽しくてたまらないと言わんばかりの笑い声を聞いて、その場から即座に飛びのいた。
そいつは白目がない爛々と輝く緑掛かった黒色の瞳を持ち、顔は能面のように白く、口元は血のように紅い三日月型の弧が描かれていた。だが、俺たちの存在にそいつが気づいた瞬間、瞳や頬、歯は人間らしいそれに戻り……
「あれ、時継にグウェン?どうして、こんなところに?」
そこにいたのはどう見ても綾時だった。
先ほどまでの狂ったような姿は鳴りを潜めており、口元には微笑みを携えている。それに加えて疲労がどっと出たのか、肩で息をし始める。むしろ、今まではこんな酷く濃い瘴気の中でも平然と動けていた。先ほどの姿の状態を鑑みて、綾時はつまり……。
「時継、今はあの獣型の鬼の討伐を優先しよう」
「ああ。難しいことはやはり、博士を交えないとな」
「うん?」
きょとんとした表情を浮かべる綾時は自分の身体の変化に気づいていないようだ。
博士が言っていた綾時に起こるかもしれない手の施しようがない事態とは、『鬼を狩るモノノフであるアイツが鬼そのものになってしまう』という信じられないものだったのだ。
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9ページ目
今回のサキモリ砦の襲撃を率いてきたと思われる大型の獣型の鬼は私たちの想像以上に強い存在だった。
荒野を縦横無尽に駆け、鋭い爪で地面に亀裂を残し、幾重にも連なった剣状の尾での攻撃は空間ごと断ち切ると言わんばかりの巨大な太刀のようだった。鬼の攻撃は一撃必殺にも関わらず、私たちの攻撃は当たっても弾かれるか、表面に薄く線を残す程度。自身の非力をこれほどまでに恨みそうになったのははじめてだった。
里のはずれの方に居を構える博士が使ったカラクリで鬼の手を発生させることで鬼に距離を取られることなく戦えているけれど、このままではジリ貧だと思われた時、戦場に闖入者が現れた。
小山のように大きなクエヤマと呼ばれる大型の鬼だった。
クエヤマは放物線を描きながら落ちてきて、丁度真下に来る形となった獣型の鬼を押しつぶした。そして、戦場に現れたのは現在マホロバの里で話題に上らない日はないホットな新人モノノフである綾時だった。
マホロバの里の民の依頼という名のお願いを率先してやってくれる存在で、本部勤めのお父さんとも仲が良い。見かけによらずきれい好きで、彼が住んでいる平屋は私の部屋よりも広いにもかかわらず整理整頓されていて、家事能力の高さが窺える。そして、仲間思いで、他人の命を救うために自分の命をかけられる稀有な存在だ。
「時継、後ろの2人は?博士のカラクリをつけているけど?」
「ああ、そういや伝えていなかったな。これ、無理に外そうとすると爆発するらしいから」
「えぇっ!?これってそんなに危ないものだったの!?」
「通常の戦闘で壊れてないから大丈夫だと思うよ。それに誰かと思えば椿さんじゃないか。この前の飲みの席で『最近娘に、洗濯物を分けられているんだよ』って主計さんが嘆いていたよ」
「家庭状況を勝手に外に漏らさないでよ、父さーん!!」
別にお父さんのことが嫌いだから洗濯物を分けている訳じゃなくて、本部勤めで管理職の父さんは生活習慣が規則正しいから、勤務時間が不規則な私とは別になることの方が多いってだけであって。
「なぁ、一応言っておくが。私たちは戦闘中だよな?」
盾剣ネイリングを構えたグウェンさんの一言で私はハッとした。ちなみに会話に混ざってこなかった神無は鬼の手を使って獣型の鬼に対して攻勢に出ているが、相変わらず大したダメージが通っていないのが見てわかる。
「綾時、お前は今まであいつと戦っていたんじゃないのか?」
「サキモリ砦の前で近寄ってくる鬼を狩っていた時にやってきたのを迎え撃ったんだけど、僕と戦うのが面倒くさいと判断したのか、あいつ武の領域を移動しまくって、そこにいる鬼たちをけしかけてきたんだよ。あいつを倒さないと今回の襲撃は収まりつかなそうだったから、全部相手してやったけどさ。カゼキリとアマキリの2体同時の相手は疲れたし、ヒノマガトリとツチカヅキの相手は上下を気にしないといけなくてイライラしたし、タケイクサとクエヤマの相手は地面が揺れて常時跳んでいないと戦えなかったし。ミフチとマフチはもう流れ作業だったから省略するけど」
「普通のモノノフなら何回か死んでる量だぞ、それ」
時継が呆れた声色で呟く。自称最強と名乗るサムライの神無も話を聞いてギョッとした後に綾時をガン見している。聞いているだけで恐ろしくてたまらないほどの鬼のラインナップ。獣型の大型鬼がけしかけてきた大型鬼の大群を相手にしてきたにも関わらず、綾時は大した傷を負っている風には見えない。ほぼ無傷で複数の部隊で相手取るような量の鬼の大群を単独で撃破するなんて、もはや伝説となった英雄並みの実力を持っていると思わないとやっていけない。
はぁ、近衛の同僚に彼の爪の垢を煎じて飲ませてやりたいわ。近衛のベテラン兵の中には綾時の実力を疑問視する人間もいたけれど、だったらアンタが戦いなさいよって話よね。
「あいつにようやく敵として認められたみたいで僕も嬉しいよ」
綾時は首巻の黄色い布を摘まみ上げて鼻と口を覆うようにする。目を細め、鞘に納めておいた双剣を両手にそれぞれ構える。すると、ヒリヒリとした肌を刺すような雰囲気が彼から発せられる。獣型の大型鬼もまた荒野の地を踏みしめるように、前足でガツガツと蹴っている。互いの目に映るのは互いの姿だけ。荒野に一緒にいるはずの私たちの存在は眼中にないようだ。
「道理で。先ほどまで私たちはアイツに遊ばれていただけだったんだ。自分を狩る存在とは見られていなかったのだな」
「その理屈で言うと私たちは彼の足手まといになるんじゃない?」
「そう思うのならば、綾時の援護に回るぞ。恐らく死闘になる。椿が言っていた通り、綾時に鬼祓いをしている暇はない。四方に散って近寄ってくる鬼を討ちつつ、あいつらの戦闘の邪魔にならないように気掛けて鬼祓いを行い、綾時を援護するぞ」
「了解した」
「分かったわ」
「従おう」
時継の作戦案を基に私たちは荒野にそれぞれ散る。荒野は広く、武の領域の中心にあるため他のところから小型の鬼が流入してくる。私たちはそれらを狩りつつ、綾時と獣型の大型鬼との“戦闘”を見る。
剣状の尾をしならせ、連続で斬撃を放つ獣型の鬼。
綾時はその斬撃の嵐に自ら進み、紙一重で避けながら顔面に蹴りを叩き込んだり、煌めく双剣での斬撃を獣型の鬼の身に刻んだりする。
大きく鋭い一本角を前にして突進してきた獣型の鬼の股下を潜って抜け、胴体を真下から巨大な鬼の手で押し上げた。いや、巨大な拳を腹部に捩じ込んで獣型の鬼の身体をくの字にて上空へ殴り飛ばしたのだ。
綾時はその場でしゃがみ、下肢に力を籠めるとその場に亀裂が走るほどの力で地面を蹴って大きく跳躍。そして、空中で体勢を整えて、大きく前足を振り下ろしてきた獣型の鬼と空中で交差した。
地面に着地した両者。綾時の背中からは血が噴き出て、獣型の鬼は右前足と右後ろ足を失って、荒野にドスンと音と砂埃を立てながら倒れた。獣型の鬼の前足と後ろ足はそれぞれグウェンさんや神無がいるところの近くに落下し、作戦通り鬼祓いされている。
体内の生命力と付近の瘴気を使って失った身体を再生させた獣型の鬼が立ち上がる。
対して、綾時は背中から足に掛けて真っ赤に染まりつくし、足元には血溜まりが出来ている。大型の鬼をすでに複数体を無傷で討伐してきた綾時を以てしてもこれなのだ。私たちだけで接敵した時、獣型の鬼が遊び感覚でなければ、今頃躯が4つ荒野に無造作に転がっていたことだろう。
「遠いなぁ。鍛錬を怠ったことはないけれど……」
綾時は背中に負った傷のことなど気にも留めず、獣型の鬼との戦いに集中している。そして、次の瞬間には戦いの決定打となることが起きた。獣型の鬼の特徴である鋭く研ぎ澄まされた太刀のような尾による斬撃と、綾時の鬼の手を収束させて作り出した紅い大剣がぶつかり合い、獣型の鬼の尾が私の目の前に落ちてきたのだ。自慢の尾を断ち切られたことに衝撃を受けたのか、獣型の鬼の動きが止まる。綾時はその一瞬の隙を逃さず、大剣を大きく振り上げて獣型の鬼めがけて振り下ろし、両断し消滅させたのだった。
時継が頑として譲らないため、治療道具で私が軽く手当てをした綾時がずるずると引き摺られて行く様を周囲に気を配りながら見ている。綾時と獣型の大型鬼との戦闘を見届けた私たちは今、サキモリ砦の北側を目指し武の領域を移動している。
「それにしても驚いたわ、治療しようと思った矢先、綾時がいきなり目の前で消えるんだもん」
「武の領域にある瘴気の穴がある場所を見てきたと言っていたが、詳しい場所を言う前に意識を失ってしまったからな」
綾時と獣型の鬼との戦いに感銘を受けたとか言って、最強を目指すために弟子入りすると豪語している神無。その時の時継とグウェンさんの『ほら見ろ』と言わんばかりの呆れ顔に私は乾いた笑い声でしか返事することが出来なかった。ちなみに綾時本人はその時にはすでに気を失っていたので神無の迷言は聞いていなかったりする。
「綾時は時間と場所を飛び越える能力を有していると博士から聞いている。本人の意思とは関係のないところで能力が発動し、行先も完全なランダム。過去に飛ばされる場合は大抵、人類側が絶体絶命を強いられる酷い戦場らしいぞ」
「一瞬だけ羨ましいと思った自分が阿呆だったわ」
「戦闘経験は積めるだろうが、『命がいくつあっても足りない』とは綾時のためにあるような言葉だな」
「正しく、綾時のように『強くて人の良いモノノフ』に宿ったからこそ、救われる命があるような能力だ」
一歩違えば過去を改変させてしまう恐ろしい能力も、底抜けに優しく他人のために命を懸ける綾時のような人間が使えばよい能力となる。どんな力も結局は使い手次第ってこと。
「話が盛り上がっているところ悪いがこのことは他言無用だぞ。人間、誰しも変えたい過去を持っている。人の良い綾時に集ろうとするのは目に見えている。それに別の問題もあるしな」
時継の忠告に私たちは大きく頷いた。
サキモリ砦の北側へ向かうと、途中でサムライの大部隊が合流したこともあり大分鬼たちは討伐された後であった。残党狩りをするということで近衛の長である八雲の命を受け、私はそちらに加わる。神無も疲労していないことやカラクリの使い方を色々試す為と言って勝手に残党狩りに参加。時継とグウェンの2人は博士と合流した後、神妙な面持ちで砦を後にするのだった。
□
「……そうか。綾時に鬼化の兆候が出ていたか」
寝台の上で死んだように横たわりながら眠る綾時。獣型の鬼の爪で裂かれた背中の傷はすでに再生が終わり、薄皮までが形成されている。グウェンが手拭いを濡らしたものを絞り、綾時の額に乗せるのを横目に私は時継と話を進める。
「でも人間が鬼になるなんてことはあり得るのか?」
時継がそう尋ねてくる。時継は2年前にこのマホロバの里で起きたことを知らない。だから、こんなことを尋ねてくる。
「鬼の中には『人を鬼に返る力を持つ恐ろしい敵』がいた。この里もその鬼に襲撃されたよ。怖いのはその能力は鬼に近づくだけで発現してしまうことだった。強いモノノフであればあるほど、強力な鬼へと変貌する。そいつには能力の所為で近づくことも出来ず、仲間だった者が鬼へと変わり果てる姿を見せられた挙句、その鬼と延々と殺し合うことを強要された。その鬼の名はカシリ。当時現れた奴は討伐されたが、あれが1体だけとは限らないだろ」
私はちらりと綾時を見る。
「綾時の場合は強力な鬼の因子を直接身体に刻まれたことによって起きている。記憶障害もそうだし、身体の異常な早さでの回復力もそうだ。あと、他人の為に自分の命を張るという行動も綾時の心がどこか壊れている証拠だな。まぁ、その部分があるから綾時は人間でいられているっていうのもあるんだろうけれど」
「俺たちに出来ることはないのか?」
「今回のことで濃い瘴気と強い鬼との戦闘が引き金になることが分かった。後者は時継やこのマホロバの里にいるモノノフ達が強くなれば、それだけ綾時が戦う機会が減るだろうから、さっさと強くなれ。我々がすぐに取り組めるのはやはり異界の瘴気の穴を封じることだろう。そのためには綾時の力を借りなければならないというのがネックだが」
私は椅子から立ち上がり、寝台で健やかな寝息を立てて熟睡する綾時を見下ろす。引き締まった体躯に、優しい心を持った若きモノノフ。
こいつが10年前のオオマガドキから、この地に降り立ったことにはきっと意味がある。その意味を果たす前に鬼になどさせるものか。
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10ページ目
マホロバの里の外れにある博士の研究所にてこんな会話が成されていた。
「なぁ、時継」
「うん、何だ?博士」
机に向かって何やらの文献を読み進めていた博士が不意に時継へ声を掛けてきた。時継はカラクリの身体を器用に動かしながら博士に近づく。すると博士は振り向き様に『綾時』とでかでかと書かれた紙を時継に見せつつ問いかけてきた。
「綾時(あやとき)って、綾時(りょうじ)とも読めるよな?」
「……そうだな。読めないこともないが、どうしたんだ?」
時継の同意を得られた博士は愛用書でる『英雄目録』のページをめくり、イツクサの英雄の項を開いた。オオマガドキの戦にて多くの鬼を討ち滅ぼし、人々の希望そのものとなった英傑5人衆。中央・【百鬼隊隊長】相馬、東・【ウタカタの里長】大和、西・【マホロバの里】紅月、北・【シラヌイの里長】瑛歌、そして……。
「英雄目録を読んでいて気付いたんだが、イツクサの英雄の中に『“リョウジ”という名の金眼四ツ目の兜をつけた漆黒の装束をしたモノノフ』がいたんだ。武器は今で言う仕込鞭。10年前のオオマガドキ当時にそんなものはなかったから、『連結刃』と記録は残っている。あずまの地の英雄と同じく向日葵のように明るい黄色の首巻をしていたらしく、関係があるのではないかと言われているな」
「……あいつは今、オヌホウコの素材で作った双刀が折れて使い物にならなくなって、獣型の大型鬼の尾を流用した仕込鞭を使っているんだが」
「ふむ。“帰ってきたら”話を聞いてみるか」
時間転移によって過去に跳ぶことが決定づけられた綾時の命運に思わず十字を切って祈る時継であった。
□
仕込鞭の扱い方を焔から習い、なんとか鬼と戦えるまでになった僕は自宅の掃除がてら装束箪笥の整理をしていた。その際、オオマガドキの時に着ていた特務隊の装束が出てきたのだけれど、ボロボロに傷んだままになっていたので、自分で修繕することにした。
半日くらいチクチク黙々と針仕事をして、修繕を終えた特務隊の装束を久しぶりに身につける。金眼四ツ目の兜を被り、トレードマークの黄色の首巻をすれば、あの頃の僕の姿となる。武器は使い慣れない仕込鞭だけれど、鬼の討伐依頼を受けた訳でもないので一通り楽しんだら、また箪笥の奥に直そうと思っていたのに。
視界がぐらついたと思ったら、船舶が浜辺に突き刺さり、海面がうねって捻じれて、大変なことになっている地にいた。周囲を見渡せば、負傷したモノノフや“表”の政府軍の兵士たちで溢れかえっており、一目で戦場であるということが分かる。
「来たぞーっ!カゼキリだ!!ヒノマガドリもいるぞ!!」
海の上を陸地のように掛けてくるカゼキリと空中で羽ばたき滑空するように飛行するヒノマガドリ。その2体の鬼を見て恐慌状態に陥った政府軍はガトリングや大砲を使って無意味な行動を繰り返し、接近を阻止しようとするが効果はほとんどない。
モノノフたちは各々が武器を構えているが疲労痕倍なのは見れば分かる。僕は首巻を摘まむと鼻と口元を隠すように動かし、獣型の大型鬼“ダイバダチ”の尾で作った仕込鞭を構える。
そして、海の上を勢いよく走ってきたカゼキリの表面を容赦なく削いで出鼻をくじいた後、苦無を射出し捕らえると空を飛んでいるヒノマガドリに向かってカゼキリを思いきり振り回して当て、その勢いのまま地面に叩き落す。
そして、動けなくなっているところを仕込鞭での連続攻撃で再生させる暇を与えずひたすら削り続け、跡形もなく消滅させた。一息吐くと同時に視点が切り替わる。
「え……、連戦!?」
見渡す限りの荒野。地平線のように見えるすべてが鬼の群れであることが伺える。一応、背中越しに後方を確認すると数人のモノノフたちが僕に向かって陣形に戻れと言っている。
けれど、仕込鞭使用歴が1週間の僕は近くにいる人も巻き込んで攻撃してしまう可能性があり、むしろ鬼しかいない乱戦の方が、気が楽だったのでモノノフたちの引き留める声に応えずに僕は鬼の大群に向けて走り出した。
「今日は長いなぁっ!!」
3度目の転移に僕は思わず苛立ちを含んだ声を上げた。すると、左肩をポンと叩かれる。そちらに視線を向けると快活な笑みを浮かべる一本角の鉢金をつけた少年が立っていた。彼の手元にはゴツイ金砕棒がある。
「へぇ、南の。アンタ、口が利けないんじゃないんだな。孤高の【連結刃】使いの実力、見せてもらうぜ」
「連結刃?これは仕込鞭だよ」
「ほほぅ。ちょっと、振らせてもらってもいいか?」
好奇心旺盛な少年の熱意に負け、仕込鞭を渡し攻撃範囲と攻撃方法を軽く教えた。するとすぐにでも試したいということで見守っていたら、鞭という武器を扱ったことのない初心者がやってしまう失敗を少年は犯す。
鞭独特のしなりと反動によるブレを押さえ切れずに、仕込鞭を手放してしまったのである。使用者がいなくなった仕込鞭は地面を這いずり回る蛇のような動きで移動し、僕や少年の方ではなく大勢のモノノフ達がいる陣地の方へ向かっていった。
呆然と見送った少年が拙い!と言って駆けだしていって数刻後、拳骨を受けて頭部を押さえた少年と共に太刀を持った壮年の男性が僕の仕込鞭を持って現れた。これから鬼との戦いだというのに緊張感がないと僕も怒られた。
「なぁ、南の。俺は霊山にある百鬼隊の相馬っていうんだ。漢字は「互いに」とか「助ける」ていう意味がある『相』いう文字に、動物の『馬』だ。ところで、アンタの名前は何て言うんだ?」
「僕は、ななめに交差する織物の総称に使われる『綾』という漢字に、時間の『時』と書いて……」
綾時(あやとき)と伝えようとした瞬間、鬼の襲来を告げる鐘が鳴らされた。自己紹介は戦いの後でということになり、僕と相馬はその場で別れた。
無論、戦闘が終わった直後に時間転移が起こって、結局自己紹介を相馬にすることは出来なかったのだけれど。
「もう、いい加減にして」
10回連続となる時間転移に辟易としながら僕は周囲を見渡す。地面は雪が積もっており、寒さが身に染みる。鬼の咆哮と誰かが戦う音が聞こえる方へ歩みを進める。
すると、蛇の下半身を持つ女型の鬼と3人のモノノフたちが戦っているのが見えた。武器構成は薙刀が2人、金砕棒が1人。薙刀を扱っているモノノフの内、大きい方は怪我を抱えているのか動きが悪い。
相手の鬼は素早く動き回り、3人から距離を取って氷を使った遠距離攻撃を行っている。その氷の攻撃で体勢を崩したモノノフに接近し、爪や蛇の尾で攻撃を仕掛け、他のモノノフ達が近づく前に距離を取っている。
しかも、一番攻撃力が高いであろう金砕棒を使っているモノノフには例え相手が体制を崩していようとも近づこうともしていない。随分と知性のある鬼のようだ。
僕はミタマの構成を迅で揃えると、鬼疾風を発動させて3人のモノノフたちから距離を取った女型の鬼の背中に向けて跳び蹴りを放った。
□
「ギャアアアア!?」
と、劈くような悲鳴を上げて突然、うつ伏せに倒れた女型の鬼に私たちが驚いていると、相馬さんが驚愕からか目を見開いた。何事かと思えば、女型の鬼の後方に黒い装束を身に纏った赤い首巻をしたモノノフが立っていた。その手にある武器は見たことのない特殊な形状をしている。似ているのは初穂が使う鎖鎌だけれど。
「綾時(リョウジ)か!?お前、生きていたのか!」
相馬さんが嬉しそうに笑いながら告げる。
しかし、現れた黒い装束のモノノフは相馬さんに返事するのも面倒だと言わんばかりに無言を決め込んでいる。確かに恨みがましそうに己を睨みつける女型の鬼と対峙しているからではあるものの、相馬さんは特に気にしていないようで状況が一転したことを確信し、獰猛な捕食者の目をしている。彼から目を逸らし、黒い装束のモノノフへと視線を向ける。
彼と対峙している大蛇の下半身を持つ女型の鬼が宙に幾つもの氷の刃を作り出し射出しようとしたが、黒い装束のモノノフへは1発も通らず、空中で弾けた。見えたのは黒い装束のモノノフが左右に振った武器によって氷が砕け散る様。
「はっはっは!相変わらず、正確無比だな、南の!まさかこんなところでお前とまた共闘できるなんてな!」
いつの間にか相馬さんは女型の鬼の背後まで接近し、武器である金砕棒を背面に叩き込んでいた。衝撃を受け、相馬さんの接近に気づいた女型の鬼が今まで通り距離を取ろうとした時、鬼の薄い水色の羽と両腕に苦無が合わせて6本突き刺さり、鬼は胸を張るように引っ張られてその場に固定された。
そうなることが分かっていたかのように相馬さんが跳躍しており、重い金砕棒の一撃を女型の鬼の頭部に振り下ろす。何か硬いものが砕ける音と羽が引き千切れる姿を見て私と暦は思わず武器を手放して目を塞いだ。
女型の鬼の悲痛な叫びに、鬼を狩る側であるこちらも居た堪れなくなる。薄目で戦場を見ると、それはもう酷い光景だった。高威力を叩き出すが重量があって動きが鈍くなる金砕棒を扱う百鬼隊隊長の実力者である相馬さんの攻撃が面白いくらいに当たる。それを作り出しているのが相馬さんと知り合いらしい黒い装束のモノノフである。まさに変幻自在の攻撃で女型の鬼を翻弄しつつ、相馬さんが攻撃をし易いように態勢を強制的に崩させる。
女型の鬼がタマハミして氷の刃を混ぜた竜巻を発生させた時も武器を振り回して無力化した後、縦横無尽に武器を振るい、女型の鬼の表面をごっそり削っていく。鬼特有の驚異的な生命力を以てしても回復しきれないダメージを蓄積させる。
そして、女型の鬼は断末魔を上げて動かなくなった。
その時、皆の声がした。
初穂や那岐が駆け寄ってきて抱き着いてくる。暦には息吹が近づいて頭をポンと叩いた。暦は戸惑いつつも、危険を冒して迎えに来てくれた皆に対して笑みを浮かべている。
「相変わらず、突然やってきて突然いなくなる。だが、今もこうやって鬼と戦っていることを確認出来て良かった。大和殿にも伝えてやらないとな」
「うん?誰の話」
少し残念そうな表情を浮かべながら戻ってきた相馬さんの呟きに、私に抱き着いたままだった初穂が尋ねる。私も暦も同意見であったため、相馬さんに視線を送ると、彼は苦笑いした後に告げた。
「ああ、あいつは俺や大和殿の戦友だ。お前たちにはこう言った方が分かりやすいだろう。あいつの名前は綾時(リョウジ)、俺と同じ『イツクサの英雄』だ」
□
「うぼぁあー……」
久しぶりに見るマホロバの里にある自宅の天井を見ながら、僕は何かの鳴き声に聞こえなくもない声を漏らした。
布団も敷かずに大の字に寝転がる。
もう何もやりたくないー。
せっかく綺麗に洗濯し、天日干しして、鮮やかな黄色を放っていた首巻は多くの鬼の返り血を浴びてどす黒い赤色に染まってしまった。綺麗に修繕した特務隊の制服と兜はまたボロボロだ。ダイバダチの尾で作った仕込鞭は継ぎ目がガタガタでもう使えそうもない。
「修理したら使えるだろうけれど、当分の間は仕込鞭を使いたくない……」
日も高かったけれど、僕はそのまま倒れたまま過ごし、日が傾き掛けて来た頃に尋ねてきた博士と時継に可哀想なものを見るかのような視線を向けられた僕は、特務隊の制服を脱ぎ装束箪笥の奥に詰め、武器を壁に立てかけた後、部屋の隅でいじけるのだった。
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11ページ目
風に当たりに博士の研究所があるマホロバの里の高台に行くとそこには先客がいた。時折吹く冷たい風なんかには気も留めず、斜面に腰掛けて本を読んでいる。僕はその邪魔をしないように少し離れた斜め後ろに位置に座る。
すると突然、その子が口を開いた。
「今日は……風が騒がしいですね」
……え?
僕に言っているの?
気配を気づかれていたってこと?
それよりも風が騒がしいって何なのさ!?というよりも目の前にいるのって神垣の巫女のカグヤさまだよね!?もし無視して後日、近衛の八雲さんに「あいつ、不敬罪」なんて指でも差されたらマホロバの里では生きていけなくなる。目まぐるしく浮かび上がる言葉の波から選び出した僕は意を決め言葉を紡ぐ。
「でも少し……この風……泣いている気がする」
風が泣くってなんやねん!?
混乱状態で話すもんじゃない。これはさすがに引かれたんじゃなかろうかと恐る恐るカグヤさまの反応を待つ。
「それは悲しくて泣いているんじゃありません。……嬉しい時だって人間は涙が出るじゃありませんか」
「えっ?」
「急ぎましょう……風が止む前に」
カグヤさまは立ち上がるとすぐに歩き出し、僕はそのゆったりとしながらも力強く進んでいく背を目線で追って、
「何、2人して研究所の前で寸劇しているんだ?」
「「み゛ゃあ゛あ゛ぁあああああ!?」」
博士の心底不思議そうな表情と言葉で理性を取り戻して僕とカグヤさまはその場で絶叫した。
騒ぎの後、真っ赤になった顔を見られまいと両手で顔を隠しつつ、作家になるのが夢だと話すカグヤさまと少し話をしていると研究所に戻った博士が1冊の本を持って帰ってきた。
そして、そのまま博士はカグヤさまに「私の愛読書だ」とその本を手渡した。その本のタイトルは『英雄目録』。僕は素早くカグヤさまの手からそれを奪い取ろうとしたが、動きを察していた博士に鳩尾を殴られ、その場に蹲る。
「カグヤさま、私の推しは『あずまの英雄』と『イツクサの英雄』のリョウジというモノノフだ。民の為にその命を賭して戦うその姿、それこそモノノフの理想の姿だと私は思う」
「ほほう!目次を見たがこの国には多くの英雄の話があるのだな。私も負けずに色んな「をかしきこと」をまとめた本を作るぞ。博士、この書物は借りるな。……あ、紅月のことも書いてある」
「ああ、それは『布教用』に新しく取り寄せたものだから、まだ紅月には存在を知られていないんだ。それを見ると紅月は自分の項を破り捨てたくなるようだから隠して読むといい」
「なるほど!」
博士とカグヤさまが楽しそうに話をしている横で僕は当初の目的であった風に当たりながらため息を吐いた。そもそも前回の時間転移は『イツクサの英雄』として書物に名を載せてしまうほどの戦いの連続だったのだ。
その残念な気持ちを風で流してしまおうと思ってきたのに、心労が増してしまうとは、これ如何にしろというのか。
「世知辛いって、こういうことなのかなぁ」
僕の呟きは風に乗って流れて消えた。
「怪我も完治したし、戦いの勘を取り戻すのと並行して武の領域での任務に行きたいんですが、知り合いが尽く別の任務で外に出ているんです。どうにかなりませんか、主計さん」
「そうですね。博士さんからも、くれぐれも綾時さんを1人では里の外に出すなと厳命されていますし。そうですね、少々時間を頂けますか?私には、綾時さんと同行する実力のあるモノノフに当てがありますから」
「主計さんの紹介なら僕も安心です。では待ってます」
というやり取りを本部職員の主計さんとした僕は本部の入り口付近で待っている。
本部に出入りするほとんどの人が声を掛けてきてくれるのでそこまで時間を気にすることはなかったのだが、主計さんが連れてきた人員を見て、なるほどと思った。彼が連れてきたモノノフは3人。武器構成はそれぞれ槍、太刀、弓。遠近両方いる上、2人は知り合いである。
「武の領域に出るという話を聞いた。“あれ”をしに行くのだろう?なら俺を連れていけ。損はさせん」
「父さんのお願いってこともあるけれど、あの時のあれが私の強さじゃないんだからね!しっかりと見ておきなさいよ!!」
「先日は弟が世話になったな。私は真鶴、神無の姉でサムライの副長を務めている。鬼の手を使った綾時殿の活躍はこれまでも耳にしている。出来れば神無と同じように私にもカラクリを使わせてもらいたいのだが、如何様か?」
三者三様のことを言ってくる。
神無と椿さんはやる気が十分なのは分かったけれど、真鶴さんは値踏みをしているのかよくわからなかったけれど、カラクリは時継を経由して、いくつかもらっていたのですぐに真鶴さんの手にも装着した。欲しいと言ってくれるのだから、僕に断る理由がない。
僕と神無と椿さんと真鶴さんの4人で行くことになったのだけれど、周囲の人たちから見れば違和感の塊だったらしく、近衛の人は神無と真鶴さんを見て顔をしかめ、サムライの人たちは椿さんを見て顔をしかめたが、それぞれ先頭にいる僕を見て「ああ」と言わんばかりに納得したように頷いて去っていく。
「って、ちょっと待てぇ!僕を見て何で全員が納得するんだー!!」
「いや、綾時がとんでもない方向音痴なのはマホロバの里にいるみんなが知っているわよ?」
「なん……だと……」
がっくりと肩を落としていると主計さんがしゃんと僕を立たせた。さすがにみっともなかったかなと思って彼に謝ろうとしたのだが、
「綾時さん、私の話を聞いてちゃんと娘と友達になってくれていたんだね。娘には今まで1人も友達がいなかったから、父さん嬉し「やめんかぁあああ!!」」
僕の前にいた主計さんを本部の隅にものすごい速さで連れていく椿さん。
以前、飲み会の席で聞いた主計さんが奥さんを失くしてから、『娘を男手ひとつで育てた所為で男勝りなお転婆になってしまった。あれでは嫁に行き手がない』。そう言ってチラチラと僕に視線を送ってきていたけれど、残念ながら僕にはそういった伝はほとんどないので苦笑いして誤魔化した。僕の知り合いの男となると時継か焔しかいないし。
本部の受付に主計さんを押し込んできた椿さんが先頭に立って僕の手を引いて里の出入り口の門へと向かう。頬が赤みを帯びていたから、父親とのやり取りを見られて恥ずかしかったのだろう。
僕はオオマガドキ以前の記憶がないから、両親のことなど微塵も覚えていない。けれど、ふと特務隊を指揮していた九葉さんのことを思い出した。自他ともに厳しく、危険な前線に自ら赴いて指揮する軍師の九葉さんのことを。
マホロバの里から出てすぐに僕は周囲をゆっくりと見渡す。特に救援を求める声は聞こえないし、肌を刺すような差し迫った危険も感じなかったので、武の領域へと向かう3人の後をゆっくりとついていく。サキモリ砦では自分たちの窮地を救ってくれたということで椿さんと神無が歓迎を受けていたが、揃って微妙な表情を浮かべていた。真鶴さんが神無にその理由を尋ねると、『俺たちは何もできなかった』と話すのだった。
□
雰囲気が変わる瞬間を見た。
武の領域に足を踏み入れた直後、微笑みを携えていた口元が『キュッ』と引き締まり、視線を『ガッ』とある一点を睨みつけた綾時殿が急に走り出したのだ。彼の存在に気づいた鬼たちが進路上に現れたが、綾時殿が双刀を一閃した瞬間には鬼の首が胴体から切り離されて宙を舞っていた。武の領域の入り口付近に置いてけぼりにされたことに私たちが気付いたのは鬼の首が雪の上を転がって止まった後のこと。
「「はぁっ!?」」
「いかん!追うぞ、お前たち」
私は弟たちに声を掛けて、急いで走り出した。
綾時殿の後を追っていて目の辺りにしたのは、私たちと彼との間に隔たる壁のような実力差。ガキやノヅチは百歩譲って分かるが、モノノフが『1人で倒せてようやく1人前』と言われる蜘蛛のような姿をしたミフチを瞬殺している。雷撃を起こすヌエや肌を切り裂く風を起こすマフウは容赦なく山壁の染みにするように鬼の手で叩き潰し、向かってきたカゼキリを鬼の手を収束させた大剣で真っ二つに切り裂く。クエヤマを鬼の手を使って殴り殺し、ダイバダチという名を付けられた先日のサキモリ砦襲撃の親玉と同じ個体である獣型の大型鬼を相手取る姿は正に鬼神の如く。
そうして綾時殿が進んだ先にいたのは、2体のツチカヅキに挟撃されて壊滅寸前の輸送部隊と護衛のモノノフたちだった。
「はぁっ!」
地面に潜行し足の止まった輸送部隊に襲い掛かろうと地面から出てきたツチカヅキの片方を、鬼の手で殴り飛ばしながら登場した綾時殿を見て護衛をしていたモノノフたち歓声を上げる。そして、残りの一体に戦力を集中させるように陣形を整える。私も弓を構え、綾時殿が相手取っていないツチカヅキへ狙いを定め、矢を放った。しかし、当たる寸前の所で潜られてしまった。が、
「土の深くにある芋を手で思いきり引っこ抜くイメージでっ!!」
私の横を通り過ぎた赤い影。近衛に所属し、外様である我々に対し人道的な対応をしてくれている主計殿の娘である椿が、ツチカヅキが潜ったところにカラクリを装着した左手をかざした。その瞬間に飛び出た鬼の手は地面にまっすぐ突き刺さった。そして、目を瞑って集中していた椿が目を見開く。
「つっかまえた!どりゃああああ!!」
女性とは思えない野太い声を上げながら鬼の手を空に向かって突き上げる椿。すると地面を割りながら椿の鬼の手が空に向かって伸びた。その先にいるのは甲羅を掴まれ、宙で手足をバタバタさせるツチカヅキ。
その無防備なツチカヅキに向かって別の鬼の手が伸びる。そして、土の中を泳ぐように移動するために発達した前足を掴むと同時に使用者がツチカヅキの上へ移動し、持っていた太刀の切っ先をツチカヅキの首元に当てた。地面に落下すると同時に首を根元から切断した神無は衝撃によってツチカヅキから振り落とされて地面をゴロゴロと転がったものの、特に怪我はなさそうだった。
私は左手の甲に付けられたカラクリを見る。椿がツチカヅキを引っこ抜くようにしたことも、弟のように移動に使うことも私には考えつかなかった。弟も先日もらったばかりだというのに、随分とカラクリの扱い方に関して差を開けられてしまっている。しかし、戦いの最中に気を抜くなど言語道断だ。
「気を抜くな、お前たち。ツチカヅキはもう1体」
「真鶴、俺たちとアイツの実力差を見ただろ。あっちはとっくの昔に戦いを終えて、負傷している人たちの手当てをしている」
「何だと?」
神無の発言を聞いて彼の視線を追うと、すでに双刀を鞘に納めた綾時殿がうつ伏せに倒れている人を起こして肩を貸すところだった。倒したツチカヅキを鬼祓いした椿もすぐにそちらに向かって加勢しようとしている。
「真鶴、あいつは鬼内だろうが外様だろうが関係ない。そこに困っている奴がいたら、どのような相手でも助けるお人よしだ」
「そのようだな。彼が鬼内の民たちや近衛の者と仲が良いのではなく、我々外様の者が彼を近寄らせないだけなのだろう」
実際、子どもたちの仲には綾時殿にお願いをして花や鬼の素材を取ってきてもらったという者も少なくない。鬼内と外様を分け隔てなく接することが出来るマホロバの里において主計殿と同じ稀有な存在だ。そんな存在の綾時殿が突然立ち上がって振り返った。
その鬼気迫る表情を見て察した私は弟の背を押した。
「行け、綾時殿は助けを求める声を聴いたようだ。私と椿でこの者たちをサキモリ砦へ連れていく。終わったら、サキモリ砦の近くにある結界石の前に集合だ」
「分かった。無理をするなよ、真鶴」
「ふっ、愚問だな」
助けたばかりの輸送部隊と護衛のモノノフたちに別れを告げた綾時がまた走り出す。神無がその後を追ったのを確認し、私と椿は輸送部隊の者たちに『道中の鬼たちが減っている今がサキモリ砦へ行くチャンスであること』を告げる。
続いて『怪我をしているのは分かっているが、ここに留まっているよりもサキモリ砦を超える方が先であること』を示すと、外様である私の声に反論する言葉を吐くことなく彼らは動き始めた。
てっきり嫌みの一つでも言われるかと構えていた私だったが、輸送部隊の隊長がぶっきらぼうに告げた。
「我々を何度も助けてくれた綾時さんが連れているんだ、アンタも信頼できるさ」
「それは、……どうなんだ?」
「ははっ!耳がいてぇや!!」
何度も窮地に陥る度に綾時殿に救われているって、お前たちはもう少し危機感を持った方がいいのではないかという思いを込めてじっと見据えると、護衛のモノノフ達や輸送部隊の者たちは白々しくサッと視線を逸らすのだった。
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12ページ目
≪綾時≫→≪博士≫→≪綾時≫
空間を裂くように存在し禍々しい黒い瘴気を次々と溢れ出させる大穴を前に立つ。
カラクリに思いを込めて大穴に向かって鬼の手を突き刺す。同行している椿さん、神無、真鶴さんも僕と同じように瘴気を噴き出し続ける大穴に鬼の手を突き刺し、それぞれが瘴気の無い世界を思い浮かべカラクリを通して思いをはせる。何かを掴んだ感覚、空気が震える感覚、僕の中にいるミタマ達の意識がひとつになった時、世界は一変した。
「瘴気が、明らかに薄くなったな。なるほど、安の領域が活動しやすくなったのは、綾時殿をはじめとした者たちの活動の結果か」
「そうね、もしかしたらマホロバの里近くの領域から瘴気が無くなる日も近いのかも……って、綾時。何を見ているの?」
「いや、“見られている気がして”」
大穴を塞ぐと同時に瘴気が薄まった瞬間、自分に向かって突き刺さるような視線を察し、その視線を向けてくる存在の方を見るがそこには何もいなかった。その方角と向きにあるのは薄い雲が漂う空だったからだ。気のせいとして片付けるには妙に生々しい視線であったため、僕はそちらに足を踏み出そうとしたのだけれど、同行者3名の瘴気による穢れが酷いこともあり、今回の探索はこれまでとして里に戻ることになった。
「帰るって、言ってんでしょ!なんで反対方向に行くわけ!?」
「あれ?」
僕の首巻の両端をギュッと握りしめた椿さんが先頭に立ち、僕を物理的に引っ張っていく。神無はともかくサムライ部隊の副長である真鶴さんが苦笑いしながら「これが噂の手が付けられない方向音痴か」と呟いた。僕の方向音痴ってそんなにひどいかな。“最終的には”ちゃんと目的地に着くんだから、別にいいじゃない。そんなことを考えながら、僕は視線を感じた方角をじっと見据える。しかし、そこには相変わらず薄い雲が掛かる空があるだけだった。
マホロバの里に帰ってきた後、各々の任務で外出していた博士や時継たちも帰ってきていることを主計さんに教えてもらい、里のはずれにある博士の研究所へやってきた。そこには見慣れない大きな装置が置いてあり、何かを入れろと言わんばかりにぽっかりと空いた穴があった。僕は荷物の中から、特に嵩張るし売っても碌にハクにならない素材各種を容器がいっぱいになるまで注ぎ入れる。数を調整してちゃんと蓋が閉まるようにして、『押せ!』と言わんばかりに存在を主張する赤いボタンに人差し指を向ける。
「ぽちっとな」
ガタガタと動き出したソレは突如ピタッと動きを止めた。『あれ?』と首を傾げつつ僕が近づいた瞬間、それは真っ白な閃光を放つ。辺りが見えなくなるほどの発光、そして……。
□
鬼の咆哮とは比べ物にならない程の轟音と建物が揺さぶられ崩れるのではないかと心配になる程の振動によって、私は座っていた長椅子ごと後方に倒れ、後頭部を強打。手に持っていたお団子各種は放物線を描いて落下し、すでに土塗れ。
「お、おい、博士!研究所から黒煙が上がっていやがるぞ!?」
小鳥が羽ばたく青空を見ながら放心していると時継が起き上がらせてくれたのだが、彼がわなわなと震えた後に放った言葉を聞いて私は走り出した。すでに野次馬が研究所の周辺に集まっている。見れば、モクモクと今も黒煙が立ち昇り、玄関先には誰かの肘から指先までの真っ黒な右腕が無造作に転がっているのだ。
「博士、研究所にこんな爆発するようなもんあったか?」
「ああ……、まぁ、無いこともないが。使い方さえ間違えなければ安全なはず……だったんだが……」
私は野次馬たちを押しのけて研究所へ向かう。玄関先に落ちていた腕を拾い、肘から中を覗いて私は戦慄する。拾い上げる瞬間までそれは人間の手だと思っていたのにも関わらず、中身は高度なカラクリによって構成されていたのだ。私は時継を伴い、今も黒煙を上げ続ける研究所内へ足を踏み入れた。そこにいたのは予想通りの青年の姿と黒い身体を持つナニカだった。ナニカと表現したのには理由がある。全パーツがバラバラだったのだ。研究所の床に転がる腕や足、胴体に頭部、壁際には黄金色の槌が無造作に転がっている。黒煙を噴き出しているのは最近完成させたばかりの合成窯で、その正面に綾時が目をぐるぐる回して大の字に寝ころびつつ気絶している。
「バラバラ殺人事件じゃ、ねぇんだな?博士」
「ああ。俄かに信じられないが、こいつは高度な文明の力によって作られたカラクリ人形らしい。とりあえず、このカラクリ人形を組み立てるのと野次馬を解散させるか。野次馬の民衆たちには『綾時が何かやったようだ』と告げればいいだろう」
「ついに方向音痴だけでなく、私生活における天然でポンコツな面も知れ渡るのかよ」
「家事能力は高いのに、色々と抜けているからなぁ。綾時は」
差し入れしてもらった料理を差し入れた家族に差し入れに行ったという話を聞いた時は思わず顔面に拳を叩き入れてやった。
里内で迷子になっていた子どもを肩車して両親を探し回っていたら、綾時の方向音痴が炸裂してサムライの集団に追い掛け回される形になったと聞いた時は背中に跳び蹴りを食らわせてやった。
私は綾時のポンコツ列伝を一旦、頭の外へ追いやり黒い体のカラクリ人形のパーツを集めようと研究所内を見渡す。そして、私が使っている寝台の横に頭部が落ちていたので拾い上げたら、赤い目と視線があった。気のせいかと思ったのだが、彼女は生首の状態で平然と私に声を掛けてくる。
『はじめまして、桐条エルゴノミクス研究所製対シャドウ特別制圧兵装シリーズNO.Ⅶ-ⅱ(ナンバーセブン・ツー)、メティスとお呼びください』
「頭だけでしゃべれるのか。動力はどうなっているんだか……」
『仕様であります』
「いや、あのな……まぁ、いいか。とりあえず、身体を組み立ててやるか」
『お願いするであります』
私はメティスの頭部を小脇に抱え、綾時を足蹴にして壁に寄せつつ研究所内に散らばっていた体のパーツを集めた。そして、足から組み立てていく。出来上がった胴体の上に抱えていたメティスの頭部を載せてやると彼女は体の具合を確認するようにその場で動き始める。
『おお、動けるようになったであります。良く知る魂に引っ張られたような気がしたでありましたが、まさか転生した死神だったとは思いもしなかったであります。ご助力感謝するであります、博士。つきましては、不詳このメティス。恩人である博士に報いるために働かせていただきたいと思っているであります』
「色々とツッコミを入れたいところだが、とりあえずこの散乱した部屋を片付けたい」
『では早速ゴミを掃除するであります』
そう言ってメティスは壁際で気絶中の綾時を片手で拾い上げるとそのまま窓に向かって振りかぶる。そちらの窓の先は崖だ。遮る物のない最高の景色であるが、人を落とせばどうなるのかなんて子供でも分かる。
「前世でどんな知り合いだったのか知らないが、今のそいつはこの里でいちばんのモノノフだ。そんなことをすれば、お前はこの里では生きていけなくなるぞ」
私の言葉にピタッと動きを止めたメティスは綾時を両手で抱えると寝台に横たわらせた。その後は箒と塵取りを両手に装備して、研究所の至る所を掃除してくれた。そのため、手の空いた私は爆発の原因である合成窯を開き、何故こんなことになったのか調査を開始し、綾時によって放り込まれた鬼の肉片や領域で取れる素材の中でも奇抜な類のものが山のように入れられた事実を理解した。いや、売っても碌な値段にならないことも知っているが、もう少しは考えろと言いたい。
□
「という訳で、博士の研究の補佐は当分の間、新しくできた妹分のメティスが担うことになったから、俺はいつでも綾時の任務や瘴気の穴塞ぎ活動に参加できるということだ」
「時継、僕は彼女に何かしたかな?会う度に『死神め!』って言われて睨まれるんだけれど」
「いいじゃねぇか。鬼にとっては十分な死神だろ?」
囲炉裏を挟んで僕は箱一つ分の荷物を持って引っ越してきた時継と談笑している。
博士が作った合成窯に僕が色々な素材を詰め込んで起動した結果、素材の中にあった強力な鬼の肉片が干渉し空間に歪みが発生、それによって別次元よりカラクリの肉体を持つメティスと呼ばれる兵器が召喚されてしまったのだという。元の次元に戻すために博士は試行錯誤しているらしいが、メティス本人が帰る気がなく、むしろ『この世界で自分らしく生きていくであります!』と意気込んでいる。人の手によって作り出されたカラクリ人形である彼女は立派な人の心を持っていたのだ。
「で?お前に同行した奴らが言っていたんだが、領域に出るたびに空を見上げているんだって?」
「うん、武の領域の瘴気の穴を塞いでから視線を感じるようになったんだけれど」
「目を凝らしても感じた視線の先に姿形はなく、接触もしてこねぇと。気のせいと片付けるには視線に込められた生々しいナニカが気になるってことか」
「うーん。そうなんだけれど、妙なんだよね。僕を見ているというよりも、僕をはじめとした面子が使う鬼の手そのものを見ているっていうか」
「鬼の手の有効範囲や攻撃方法を見ているっていうのか?人間……ではなさそうだな」
「うん。僕は鬼だと思っている。しかも、指揮官級の知性がある鬼だ。加えて、視線は決まって上から注がれる」
「空を飛ぶ鬼といえば、ダイマエンか、ヒノマガドリかだが、あいつらだと一点に留まって監視するなんて真似ができるはずもねぇ。つまり……」
ダイバダチと同じように人間が見たことのない鬼がマホロバの里の近くにいて、モノノフの動きを観察しているということになる。その可能性に気付いた僕と時継は立ち上がる。が、その場に座りなおした。出入口にいる怒気を纏った気配を察したためだ。
「えっと、昼の騒ぎの発端である僕を怒りに誰が来るって、時継?」
「そんなの紅月に決まっているだろ。他に適任な奴がこの里にいるか?」
「ですよねー」
僕はこの後、来訪した紅月さんにみっちりじっくりくどくどと里内で騒ぎを起こしたとして説教を受けることになる。夜が更けても続き、僕が解放される頃には空に朝陽が差し込むくらいになっていた。時継が「お疲れ」とお茶を淹れてくれたものの、行動する元気は残っておらず、僕はお茶で胃を温めた後、大人しく布団に潜り込んだのだった。
けれど、正午過ぎに僕はたたき起こされることになる。マホロバの里を直接襲撃してきた鬼の攻撃によって。
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13ページ目
≪博士≫→≪ムスヒの君≫→≪博士≫
突如として空から降り注いできた光弾によって、神垣の巫女であるカグヤさまが文字通り、命を張って掛けている結界が露になる。光弾が降り注ぐ上空を見据えると人型の赤いナニカが腕を突き出し、手のひらに光を集めている姿が映った。
結界の粗を探すように光弾をぶつける位置を変えていく赤いナニカがとある一点を見つめ、そこへ目掛けて腕を伸ばす。収束する光。その光は神垣の巫女の結界が届いていない外様の集落へと落ち、黒い煙と共に赤い焔の華を咲かせた。
「ちぃっ!綾時が言っていた視線の正体か!」
私は鬼の手を使って里の平屋の屋根の上に登り、銃を構えるも上空に浮かびながら今も攻撃を続ける鬼との距離が遠すぎて、目標が霞むのが分かった。鬼に近付こうにも里の外から鬼の攻撃を受けたということでモノノフも住人も混乱し、道は移動することも儘ならない状態になっている。
「博士、あれが鬼ですか?」
いつの間にか側に来ていたメティスが鬼を睨みつけながら言う。彼女の手には無骨な鈍器が握られており、今にも屋根からミシミシといった建物の悲鳴が聞こえてきそうだ。見れば眼下に憤怒を身に纏わせた紅月と焔がおり、今にも里の外へ打って出ようとしているが、まずやらなければならないのは上空に浮かんだまま攻撃をし続ける鬼を地面に引き摺り落とすことだ。
武器が薙刀の紅月と仕込鞭の焔では、例え鬼の真下に辿り着けても手の出しようもない。だが、その一瞬の膠着を切り裂くようにはっきりとした声が響いた。
「“合わせろ”、メティス!」
「仕方がないですね。殺す気でいくであります」
メティスがその手に握る鈍器を、腰を落としながら構えると同時に、首巻で鼻と口元を隠し、目つきを猛禽類のように鋭くした綾時が現れた。綾時の左手に装着された鬼の手は彼の思いを表すように爛々と紅く輝いている。
綾時がメティスの構える黄金の槌の面に降り立つ。その時、メティスの顔の側頭部についている機関が白い煙を上げながら高速回転をはじめる。
「オルギアモード発動」
メティスが感情を無くした淡々とした言葉を発した後、彼女が発するオーラというべきものが跳ね上がった。空気が震えていると錯覚する程。見るからに戦闘能力が桁違いに上昇したのが肌で感じるほどだ。
現にカグヤさまの結界が届かない場所へ攻撃を繰り返していた鬼の注意がメティスと綾時へと向けられた。メティスは自分が装備している槌の面にいた綾時を自分の上空へと打ち上げると、その場で回転し勢いをつけながら跳び上がり、落下してきた綾時を鬼に向かって弾き飛ばした。
メティスの一撃によって、綾時は里へ攻撃を仕掛けてきた鬼に向かって一直線に飛んでいき、役目を終えたメティスはそのまま落下してきて、私もいる平屋の屋根に大穴を開けながら地面に落ちた。その衝撃で私は浮かび上がったが、鬼の手を発動させて、近くの家屋の屋根へと移動する。
『ギィヤァアアアアッ!』
甲高い鬼の悲鳴。見れば、綾時の鬼の手によって発動した剣による一撃を受けた鬼がフラフラと領域に向かって撤退している。綾時は追撃を仕掛けようと鬼の手を伸ばすが躱され、そのまま地面に向かって落下していく。彼の命綱というべき、鬼の手は追撃を掛けた直後のため“伸びきっている”。綾時の身体は鬼の因子が埋め来られているため、普通のモノノフよりも丈夫で回復能力も高いが、あの位置からの落下で受け身がまともに取れなければ、さすがに致命傷を負う可能性も否定できない。
「あ、綾時っ!」
だが、幸か不幸か、綾時は落下の途中で青白い光を発した消えた。いつもの時間転移が起きたらしい。
▢
元々、富嶽さんが住んでいた里を襲い、彼が親しくしていた神垣の巫女や仲間たちを食らった鬼、ダイマエンが現れた。
相打ち覚悟で先にウタカタの里を出ていった富嶽さんに追いつき、ダイマエンと対峙したのだけれど、ダイマエンは私たちの攻撃が届かない遥か上空を滑るように移動し、能力を使って瓦礫を降らしてくる。頭上に振ってくる瓦礫を武器で払いつつ、攻撃する機会を伺うが一向にその機会が訪れないことに皆が苛立ち、瘴気による活動限界もあり焦りが生まれる。
「クソがぁああっ!降りてきやがれぇええ!!」
「落ち着け、富嶽。奴はこちらが痺れを切らすのを待っているんだ」
「このままだとアイツは降りてこねぇっていうなら俺が囮になって奴を引き寄せる。元々、俺はアイツと心中するつもりでここに来たんだからなっ!」
「そんなことが許されるわけないでしょ!」
桜花の説得する言葉に反論するように怒鳴った富嶽さんの言葉に初穂がすかさずキレる。助けに来た仲間がみすみす傷つけられるのを見逃せるほど、私たちの心は腐っちゃいない。だけれど、空を飛び続けるダイマエンをどうにか地面に落とさない限り、私たちが好転することはない。
私が上空にいるダイマエンを睨みつけると、ダイマエンの口元が弧を描き嘲笑っているように見えた。地に足を縫い付けられ、自らを攻撃する手段を持たない私たちを。私は下唇を噛みしめ、毅然とした態度で再度睨みつけ、
『グゥエッ!?』
己がいる高度よりも高い位置からの奇襲を受け、苦悶の叫び声を上げつつ地面に向かって落下するダイマエンを目撃した。勢いは弱まることなく、ダイマエンは重力に引き寄せられるままに落下。
凄まじい轟音と高く巻き上がった土煙、巨体が地面に落下したことによる衝撃波によって体躯が小さな初穂と体重が軽い速鳥が吹き飛ばされ、桜花と私は武器を地面に突き立てて耐えつつ、吹き飛ばされてきた初穂を抱きとめた。
「一体全体、何だって言うんだ」
武器を構えたまま息吹さんが言う。富嶽さんは籠手を構えたまま微動だせず、その場に留まっており、彼の背後には尻もちをついた那木がいるがすぐに立ち上がった。土煙が晴れると同時に見えたのは、見覚えのある黄色い首巻をつけた双刀を構えた青年の後ろ姿。
「アンタはタケイクサの時のモノノフ!?」
息吹さんが驚きながら告げるが黄色い首巻をしている青年は左手につけられた“変わった形の籠手”を双刀の柄で突き、何かおかしいのか首を傾げている。その時、怒号のような鳴き声が響き渡る。地面へと落とされたダイマエンが怒りの眼差しで、己を落下させた原因である彼へと殺意を込めた視線を送っているのだ。
しかし、彼はダイマエンなど眼中にないと言わんばかりに左手の籠手に注目している。豪胆なのか怖いもの知らずなのか、その判断をする機会はすぐに訪れた。ダイマエンが能力を使って多くの瓦礫を舞い上がらせると彼と私たちに向かって、放ってきたのである。
私と桜花は地面に突き刺していた武器を引き抜き、飛来する瓦礫を斬り払う。富嶽さんは弾き飛ばし、初穂は鎖鎌をつかって防御したり、弾いたりしている。そんな中、首巻をした青年はダイマエンに向かって“突き進んでいた”。飛来してくる瓦礫の飛んでくる軌道を完全に見切っており、まるで勝手知ったる家の中を移動するようにすいすい進んでいく。気付けばダイマエンの目の前まで移動し、唖然とするダイマエンの大きな嘴を思いきり蹴り飛ばしていた。
分が悪いと判断したのか、ダイマエンが両翼を大きく羽ばたかせ飛び上がろうとしたのだが、そんな隙を彼が見逃すはずがなかった。ダイマエンが浮かび上がるために視線を地面へと向けたその一瞬、彼は一気に距離を詰め、手に持っていた双刀をそれぞれダイマエンの両目に突き立てた。視界が完全に塞がれたダイマエンは飛翔することも忘れ、絶叫しながら地面をのたうち回る。
その際、巻き起こった暴風によって近くにいた首巻の青年は木の葉のように何の抵抗も出来ずに巻き上げられていった。ダイマエンは迷惑な暴風によって得られた安全圏で両翼の先端を目に刺さった刀へと伸ばす。しかし、彼が突き立てた双刀は深々と突き刺さっており、簡単に抜ける代物ではない様子だった。
富嶽さんを見れば、不完全燃焼とまではいわないけれど、「随分と呆気ない幕切れだな」と苦笑いしていた。視界を奪われたダイマエンに、先ほどまでの脅威は微塵も感じない。意気消沈しながらも荒れ狂う暴風を避けつつ、それぞれの武器をダイマエンに突き立てる中、初穂がキョロキョロと周囲を見渡していた。
「彼、いつの間にかいなくなっちゃったね」
「あ、そういえば」
「素性、また聞けなかったな。まぁ、それよりも……」
「彼はどこから降ってきたんだ?」
その場にいた全員で空を見上げるが、そこにあるのは暗雲に閉ざされた夕闇のみ。我々の危機にどこからともなく現れて、鬼を蹴散らす青年は一体何者なのか。その答えを得るのはずっと先の未来のことだった。
▢
時継とメティスを伴い綾時の落下予想地点へと向かう。
神垣の巫女であるカグヤさまの結界が届かなかった外様のサムライたちが住まう地は今、怒りと悲しみが渦巻いている。医者としてやれるだけのことはやった私は、こうして鬼を撤退させた後で時間転移によって落下死を免れたはずの綾時を探しているのだが、気配がまったくといってない。綾時に限って時間転移先で死んだってことはないだろうから、タイミングの問題かと切り株に腰掛ける。
「にしてもメティス、『おるぎあもーど』だったか?あれ、すげーな!」
「同型機の物と比べれば、若干出力を押さえて持続時間を伸ばした仕様でありますが、やはり使った後のオーバーヒートが怖いであります」
「しばらく動かなかったのは、その所為か」
「発動後に120秒動いて、100秒機能停止する。我ながら燃費が悪すぎるであります」
「確かに戦場のど真ん中で動かなくなられるのは困るな」
時継とメティスとの談話を聞きつつ、ぼんやりと空を眺めていると突然綾時が現れて落っこちてきた。普段であれば鬼の手や武器を使って器用に着地するのに、今回は着地失敗で全身を地面に叩きつけられた衝撃で「ひぎぃっ!?」なんて情けない悲鳴を上げてのたうち回っている。時継の介抱を受ける綾時に近づき確認すると鬼の手のコアと呼ぶべき機関が割れていた。
「結構、頑丈に作ったのだな。まぁ、綾時“の”は何もかもが規格外だったから仕方がないか」
私は綾時の左手ごとカラクリを引き寄せ調整をし始める。その間、手持ち沙汰となった綾時は時継からマホロバの里の現状を聞き、死傷者が多数出たことを聞き、強く下唇を噛みしめた。中でも主計殿が外様の子どもを庇って亡くなったと聞いた時は、綾時の頬をツツ―っと涙が一筋の線が出来た。カラクリの調整が済んだことを伝えると、綾時は早速と言わんばかりに鬼の手を発現させて近くにあった岩を握りつぶした。
「で、どうするつもりだ。綾時?」
私は『分かり切ったことだがな』と内心呟きながら、綾時に尋ねた。明確な返答は無かったが、綾時が首巻で鼻と口元を隠し鬼の手を紅く発光させる仕草を見て、私たちは一斉に武器を構え、携えながら歩き出すのだった。
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