自然愛好家は巡る (コロガス・フンコロガシ)
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第1話 樹人たちの春

ユグドラシル時代、まだブルー・プラネットがモモンガ達と出会う前の話です。


 西暦2126年、従来のものとは一線を画すDMMO-RPG「YGGDRASIL」が日本で発売された。広大なマップと膨大なアイテム、豊富な種族や職業、さらにはツールを使えばプレイヤー自身が外装を調整できる高い自由度……日本人の想像力を甚く刺激するこのゲームは発売前から注目を集めており、いずれ大ブームになるだろうと様々な業界が予想していた。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 西暦2127年初頭。ユグドラシルを構成する9つの世界(ワールド)の1つ「アルフヘイム」では今日も青空が広がっている。

 ユグドラシルの9つの世界(ワールド)は各々異なる特徴をもち、この世界(ワールド)は憩いの場として設けられた美しい階層だ。他の世界(ワールド)にはプレイヤーが恐ろしいモンスターに扮して戦いを楽しむ所もあるが、この世界(ワールド)では争い事など滅多に起きない。プレイヤーの多くは森妖精(エルフ)として知られる美しい人間型のキャラクターになり、現実世界では失われた美しい自然の中を散策したり、気の合った仲間で楽団を作って森の中でコンサートを開いたりしている。

 

 その平和なアルフヘイムにざわめきが広がる。地平線から「トレント」と呼ばれる植物系モンスターの集団が現れたのだ。

 トレント――古典ファンタジー映画のリメイクと合わせたアップデートにより追加された異形種――は、樹木を擬人化した「歩く樹」である。映画での活躍によって人気を集めたが、レベルアップにより数十メートルともなる巨体ゆえに「失敗作」「運営がまたやらかした」と悪評が立ち、あっという間に不人気となった不遇な種族だ。

 

 今ではレア種族となったトレント達――身長10メートル前後にもなる彼らがおよそ20体の集団でどこかへと移動している。森の奥で偶に見かけるモンスターではない。この平野を行く彼らは人間が操作するPC(プレイヤー・キャラクター)らしい。それはトレントの何人かがガニ股でヨタヨタとよろめいていることから分かる。仮の身体に慣れていないPCに起きる、仮想現実へのダイブ初心者にありがちな「酔い」だ。初めからモンスターとして作られたキャラクターはAIによって定められた動きに戸惑うことはない。

 

 初心者集団らしきトレント達は、時折吹く仮想現実の風に枝を揺らしながら、キョロキョロとあたりを見回して、ユグドラシルの世界に驚きの声を上げている。

 青空の下をゆっくりと歩いていく彼らをよく見れば、トレント達はモミ、桃、松、杉、桜、そして海外の植物を含む様々な外装を採っている。初心者にしては異様な作り込みだ。

 

「すごいね、空は青いし、遠くの山とか遠近感がほんとにリアル!」

 

 感激の声を上げたのは、異様に大きくキラキラと輝く目を貼り付けた桃の木のトレントだ。

 

「私たち、ほんとは椅子に座ってるんだよね?」

 

 花をまき散らすエフェクトを掛けながら、桃の樹は木の根で作られた短い脚でクルクルと踊る。他のトレント達には真直ぐ歩くことも覚束ない者がいるが、本人の運動神経の問題だろう、

 

「はは、モモさんはDMMO初めて?」

 

 後ろを歩く松の木が身体を揺すりながら笑って声をかける。

 

「初めて! ダイブは映画でも経験あるけど……鈴川が言ってたけど、こりゃハマるわ」

「そういや、スズは前からやってんだろ? あいつ、何で来なかったん?」

 

 桃のトレントの話を継いで、先頭のモミの木が振り向いて後ろのメンバーに質問する。

 

「鈴川君? あいつさぁ、自分のキャラを見せたくないってよ」

「はは、ネカマとか? 奴が? それはキッツイなぁ」

「1キャラ縛りは辛いねー。ベテランなら案内して欲しかったけどねー」

 

 あの皮肉屋が女キャラで何をしてるのか……トレント達が笑い、再び風が平野を吹き渡る。

 

「うーん、いい風! 折角花を咲かせてるのに匂いがないのは寂しいけど、景色も風も、本当に気持ちいいねー」

 

 仮想現実の風に吹かれ、サラサラと音を立てて桃の花が空に舞い、消える。目に映る光景はまさに現実であり、弱いものの風が体を撫でる感覚も確かに感じられる。だが、残念ながらユグドラシルでは嗅覚はサポートされていない。

 

「樹に貼りついたアニメ顔は気持ち悪いですけどねー」

 

 派手な桃の木とは対照的に、リアルな樹皮に大人しい顔を貼りつけた桜の木が、つい口を滑らす。

 

「ああん? なんだって? あんた、他人の趣味に文句つける気かー?」

 

 笑いながらも怒気をはらんだ桃の木が振り返り、桜の木がたじろぐ。

 

「何でもありませんって。そんな『歳を考えて』だなんて思っても」

「うおりゃぁ」

 

 桃の木は枝を振るい、桜の木を突き飛ばす。桜の木は、ヨタヨタとよろめき、ドシンと音を立て地面に尻餅をつく。

 

「イタッ……くはないけど、桃さん、やめて!」

 

 付き飛ばされた桜の木は半笑いの声をあげる。いかに強く殴られようが、それは仮想現実での出来事だ。物理演算の結果として押しのけられたり倒れたりはするが、「仲間」の間では痛みもダメージもない。

 

「痛くはないんでしょ? じゃ、殴り放題ってことでイイじゃない」

「痛くはないけど、怖いんですって!」

 

 桃は桜の上に馬乗りになり、動かない笑顔を貼りつけたまま殴り続ける。

 

「私は殴りたい。あなたは痛くない。Win-winってもんじゃない」

「ボクにはWin成分が無いんですが、それは」

「あんた、さっき失礼なこと言ったでしょ? 言えたでしょ?」

 

 周囲のトレント達はオロオロと2人を取り巻き、そのざわめきが無駄に木の葉を散らす。

 やがて、桃の木は「今日はこれくらいにしてやる」とばかりに息を吐き、桜の木から降りる。

 

「桃さん、あの、はしゃぐのもイイですけど……」

「なによ? あんたも『歳を』とか言いたいの?」

「いえいえ、そんな。俺はただ、早くしないと、先生が待ってるんじゃないかなと……」

 

 アニメ顔で凄む桜の木に、モミの木が一歩退きながら手を振って応える。

 

 ただでさえ目立つ巨大なトレント達の騒ぎに、周囲のプレイヤー達が好奇の目を向ける。その中の1人、森妖精(エルフ)の戦士――この種族としては鍛えられた肉体をもつ長身の男――がトレント達に駆け寄り、尋ねてくる。

 

「この先になにがあるんですか?」

 

 若いというより幼い声だ。このエルフの戦士は10歳前後の子供が動かしているのだろう。声の割には口調はしっかりしていることから、もう働きに出ているのだろうか?

 桜の木を模したトレントが振り返り、地面に尻餅をついた体勢のまま森妖精と目を合わせる。他のトレント達は立っており、一番低い目線が桜の木だ。それでもをトレントが森妖精(エルフ)を遥か上から見下ろす形になっているのだが。

 

「うん、この向こうに公園を作るために来たんだよ」

「へぇ、公園が出来るんですか!」

 

 桜の木から説明を受けた森妖精(エルフ)の戦士はペコリと礼をすると、遠巻きに眺めていた仲間にニュースを告げるために駆け足で離れていく。

 桜の木は、そして他のトレント達も手を――腕に相当する木の枝を――振って、それを見送る。

 

 再び行進が始まり、しばらくして柵で囲まれた広大な草原にたどり着いたトレントの集団は立ち止まる。

 

「ここだね。『シャーウッズ公園建設予定地』って立て札がある」

「あ、先生だ! ヤッホー!」

 

 数百メートル離れて1人の巨大なトレントが立っており、宙に浮かぶ森妖精(エルフ)と何やら話をしていた。

 トレント集団の声に気が付き、その巨大なトレントはユサユサと枝を振って応える。

 森妖精(エルフ)も集団の方に目をやり、巨大トレントに何事かを言ってお辞儀をし、パッと消える――ログアウトしたのだ。

 トレントの集団は、巨大トレントに駆け寄ってそれを見上げ、声をかける。

 

「先生、今の森妖精さんは……」

「うん、運営の人。エリアの説明してくれてたんだ」

 

 他のトレント達が、ほうっと声を上げる。

 トレント集団のリーダーがあたりを見回して確認する。

 

「多賀先生。この平野の1キロ四方を使ってよい、とのことでしたね」

「……私は『金剛刀タガヤ』。ここではキャラ名で呼ぶようにね」

 

 巨大なトレントはチッチッチッと指を――小枝を顔の前で揺らす。

 事前に説明されていたが、これはユグドラシルを運営する企業が主導するプロジェクトであり、トレント達――生態系研究所の研究員たち――からそれを公表することは契約で禁じられている。生態系研究所が参加しているという事実は運営会社からの許可が出るまで秘密であり、彼らは「シャーウッズ」という名で活動することになっているのだ。

 

「はい、すんません、金剛刀タガヤさん」

「ま、気にするこたぁないよ。レッドパイン君。さっきの運営さんの話では、君らがログインしてからこの周辺は私達しか入れないように設定されたらしい。外からは見えないし、声も漏れないそうだから気にすることはないが……まあ、外へ出るときもあるだろうから、キャラ名で呼ぶ癖をつけといた方が良い、ってことだ。折角のゲーム空間だから遊びに徹しよう」

 

 金剛刀タガヤと呼ばれた巨大なトレントは笑い声をあげる。

 キャラ名で呼ばせるのは自分の趣味だろ――周囲のトレント達は内心で思う。

 教授という人種はイイ歳をして中二病が治っていない者も多い。良い人なんだが……自分で「金剛刀」など名乗るか?

 今に始まったことではない。金剛刀タガヤの後ろでトレント達は諦めたように首を横に振る。

 

「つーても、これは『仮想空間における疑似生態系の構築およびその社会的影響』で予算をとってる産学共同プロジェクトだからな。趣味と実益を兼ねて、真面目に遊ぼうや」

「ですね。では、さっそく」

 

 パシリと枝を鳴らして締める金剛刀タガヤに応え、集団の中ほどにいたモミの木のトレントがどこからか短い杖を取り出し、何やら弄りだす。

 

「これって振るんでしたっけ? 捻るんでしたっけ? って、おおっ!」

 

 杖が起動したらしく、目の前の空間にコンソールが広がり、周辺地図や各種データが映される。

 

「動いた動いた……じゃ、まず、ここに土台となるNPCを1つ配置しますね」

 

 コンソールを通じた操作により、空中に一辺が60メートルの巨大な四角形の白い膜が出現する。3×3の9升に分割されたその膜は地表に対して平行に降り、そのまま地表を覆う。

 

「はい、次に、成長型のNPCです」

 

 再びコンソールを操作しながら、モミの木は説明を続ける。

 白い升目で覆われた地表の中央に、樹高1メートルほどの苗木がピョコリと現れる。1レベルを与えられたNPCトレントだ。

 

「これが1ユニットとなります……じゃ、生育システムの確認しますね……レッドパインさん、これ、このバーをスライドすれば良いんでしたっけ?」

「そう、これを動かすと……ポイントが移動してNPCのレベルが変わるってわけよ」

 

 モミの木のトレントの後ろから、アカマツのトレントが覗き込み、コンソールを指さしす。

 レッドパインが後ろからコンソールを操作すると、地表に生えたばかりのトレントの苗木は見る見るうちに成長して樹高10メートルほどのトレントになる。

 

「はーい、これで土台NPCがレベル10から1、成長型NPCがレベル1から10になりました」

 

 今度は自分で、モミの木はコンソール上のバーを元に戻す。NPCトレントは先ほどの成長を逆再生するように小さくなって苗木に戻る。

 

「はい、これでまた土台がレベル10、成長型NPCがレベル1の状態です」

 

 モミのトレントが皆を見回し、他のトレントから確認のための質問が飛んでくる。

 

「えーと、このモンスターが生存競争しながら移動、成長し、寿命で崩壊して近くに子孫を残すわけですよね?」

 

 まだ成長プログラムを起動させていないため、NPCトレントは設置された場所で初期設定のままに静かにゆらゆらと体を揺らしている。

 

「そうだよ。成長型NPCが土台NPCからポイントを吸収して成長し、さらにポイントを求めて移動する。その結果、NPCの分布には動的なパターンが生じるはずだ。そして、外部因子としてプレイヤーの干渉などが加わってパターンはどんどん変化する……まあ、ライフゲームの一種だな」

 

 金剛刀タガヤが説明する。

 

「その成長プログラムは出来てるんですか?」

「それは杉山君、じゃなかった花粉マキチラス君の担当だね?」

 

 金剛刀タガヤが後ろの杉の木を指さし、杉の木は腕を振る。

 

「はい、出来てますよ。ただし、成長型NPCがポイントを吸収する範囲や移動速度はリアルでのシミュレーションとこっちでの試行を合わせて最適化しなければ――」

 

 杉の木が楽しそうに説明する。

 

「――下手すれば、あっという間にポイントを吸いつくして数本の巨木だけが残るってことになりますからね」

「ここには全部で10×10の100ユニットを配置するんで、土台に最低限の1レベルを残して、最大で9体の100レベルトレントが出来るね」

 

 モミの木が肯いて補足する。

 

「じゃあ、とりあえずは配置しようか。さ、土木工事の始まりや」

 

 金剛刀タガヤの号令で、モミの木が短い杖を操作して空中に白い膜を次々に作り出し、それを他のトレント達が運んでいく。厚みが無いとはいえ一辺60メートルの巨大な膜は、人間ならば持つだけで一仕事だろう。しかし、トレントとして巨体と怪力を設定された一団にとっては大した仕事ではない。初めは覚束ない動きをしていたトレント達も仮想現実の体に慣れ、30分もしないうちに作業は終了する。

 

「おう、終わったか。じゃ、ユニットごとに成長型NPCを配置して」

 

 金剛刀タガヤの指示で、モミの木はユニットを順に巡り、トレントの苗木を生やしていく。

 やがて、600×600メートルの白い地表に100本の苗木が規則正しく並ぶ。

 

「うーん……ちょっと寂しいっすね」

「ま、地表のテクスチャは弄るし、拠点ポイントを消費しない『普通の木』を生やすから」

「その木はどうやってコントロールするんですか?」

「トレントってモンスターは周辺の木を一時的に支配して『トレントもどき』を作る。だから、トレントと周辺の木で1つのグループで行動するってわけ」

 

 仕事を終えて帰ってきたモミの木に後輩たちが質問を浴びせ、それにモミの木が答えていく。

 

「あと、このNPCの外装も何とかなりませんか?」

 

 桜の木のトレント――桃の木と並び、キャラクター設定で外装にこだわっていたメンバー――が意見を述べる。NPCとして出現したトレントは特定の樹種が指定されていない。ユグドラシルのモンスターとして初期状態である、漫画的な「樹木」に目や口が付いたものだ。プレイヤーのトレント達は「大学」の名を冠する研究機構の1研究所に勤める研究員たちであり、その口調には「こんな漫画的な樹は、専門家として放置できない」――そんな意志が感じられる。

 

「私たちのデータを複製、修正すれば可能ですが、NPCの改装にはコストが掛かりますよ」

 

 モミの木が首を傾げ、金剛刀タガヤに顔を向けて意見を求める。

 モミの木だって外装を疎かにしたいわけではない。研究員たちは皆、自然を愛し、夢をもってこの仕事についている。現実世界ではすでに崩壊した生態系を仮想空間で再現するというプロジェクトを聞いて誰もが歓声を上げたのだ。

 問題は、それが仕事である、ということだ。

 夢は夢として、限りある予算の中では優先順位は付けねばならない。

 

「構わんよ。そのための予算もとっとる。ユグドラシルの運営も外装データを欲しがってるから問題なく認められるやろ」

 

 金剛刀タガヤが腕を組んで頷き、GOサインを出す。

 

「いいねー、NPCたちにもオシャレさせよう!」

 

 桃の木が拍手する。

 

「それは……ほどほどに、な」

 

 金剛刀タガヤに釘を刺され、桃の木はキラキラ輝く笑顔を貼り付けたまま「うー」と呻く。

 

「では、外装データの取り込みも後で考えるとして……余った拠点ポイントが400あるんで、小さな植物系モンスターも配置しますね」

 

 モミの木がコンソールのモンスター設置ボタンをポンポンと叩き、白い地表に「なごみ系」と呼ばれる植物系マスコットモンスターが数種類、全部で数十体出現する。これらのモンスターは拠点ポイントをそのままキャラクターレベルとし、森の中限定で動き回ることになる。特に機能は持たせないが、他のプレイヤー達がこの公園に来てくれるための客寄せだ。

 

「ありがとう、ブルー・プラネット君」

 

 金剛刀タガヤは、ブルー・プラネットと名乗るモミのトレントを労い、次の作業を指示する。

 

「では、チェリー君、バルサ巫女君、ハチカマド君、そのNPC達を適当に配置してくれ」

 

 指示を受けたトレント達が枝を伸ばし、モコモコ動くなごみ系モンスターを抱えて運んでいく。

 

「今日はこんなところかな? 明日からは、自分の仕事が終わったものからここに来て作業を手伝ってくれ。あと、休日も出来るだけ参加してほしい」

 

 金剛刀タガヤは「ボーナスも出るから」と付け加え、他のトレント達は拍手で応える。

 

「……ようし、コホン、それでは、ここにギルド<シャーウッズ>を正式に発足する!」

 

 金剛刀タガヤは両腕を振り上げ、高らかに宣言する。ブルー・プラネットが杖を地表に突き立て、他のトレント達が「オー」と腕を上げる。

 

「ギルドが設定されたことで、今後は、この公園に直接ログインすることが出来る……はずだが、確認してくれ」

 

 金剛刀タガヤの言葉に他のトレント達はコンソールを開き、出現地点に「<シャーウッズ>」と設定されていることを確認して頷く。ブルー・プラネットは既に確認済み――というか、自分がたった今設定したのだから頷くだけだが。

 

「当面の目標は、この公園を定常林まで育て上げること! 頑張っていこう!」

 

 金剛刀タガヤの言葉に、他のトレント達はハイ、と元気のいい返事を返す。

 

「それでな、ギルド運営で重要なことだが……我らがギルド長、ブルー・プラネット君のもつギルド武器<ザ・スタッフ・オブ・ガイア>!」

 

 金剛刀タガヤがビシリと指を――枝の先を――伸ばし、モミの木を示す。

 苦笑しながら、ブルー・プラネットは短い木の杖を地面から引き抜き、ひらひらと掲げて振る。

 あの何の装飾もない、拠点の管理ツールに“ザ・ガイア”ときたか――多賀教授の中二病に悩まされる部下たちは見えないところで溜息をつく。

 

「これに公園の全設定が入っているし、これが壊されたら公園も崩壊するから大事にな!」

 

 部下たちの溜息が聞こえているのか聞こえていないのか、金剛刀タガヤは気にせずに続ける。

 

「よし、じゃあ、ギルド長、頼むで! 皆もブルー・プラネット君に協力するようにな!」

「はーい!」

「よろしくな、ギルド長!」

 

 再び、トレント達から明るい返事が返ってくる。

 これから2年、休日出勤確定かよ、と苦笑するブルー・プラネット以外から。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 西暦2127年の春、トレント達の公園は祭りの季節を迎えている。

 桜の外装を与えられたNPCが花吹雪を散らす、ギルド<シャーウッズ(歩く樹々)>主催の花まつりだ。今日ばかりはNPC達もトレントとしての機能を止め、来訪客の邪魔にならないよう佇んでいる。

 この数ヶ月の実験で公園のシステムが安定し、ユグドラシルの運営会社は「生態系研究所の指導による本格的自然公園」を大々的に発表した。それまでの口コミだけでなく、公園はユグドラシルの名所の一つとして公式パンフレットに記載され、多くのプレイヤーが――このワールドの森妖精たちだけでなく、他のワールドからも――集まり、公園は大いに賑わっている。

 

「大成功ですね。シーズンに間に合って良かったです」

 

 桜エリアから少し離れ、モミのトレント、ブルー・プラネットは金剛刀タガヤに話しかける。

 この数か月でブルー・プラネットもレベルアップして今では40メートル近い樹高だが、それでもなお金剛刀タガヤを遥かに見上げる形になり、会話は主にアイテムを通じて行っている。

 

「せやなぁ、皆が楽しんでくれとるなあ」

 

 金剛刀タガヤの声も嬉しそうに弾んでいる。短期間で森が完成したこともあるが、それ以上に多くの人が自然に親しんでくれている様が嬉しいのだ。

 

「さっき視察に来た運営さんも喜んでくれてなあ。拠点ポイントを増やしてくれるらしいで!」

「公園の範囲を拡張できますね。あるいはモンスター……樹種を増やしますか?」

「どっちもやろうや!」

 

 ブルー・プラネットの質問に、金剛タガヤは答える。眼下に広がるピンク色の雲――桜エリアに向かって、それを抱きかかえるように腕を広げながら。

 

 祭りの会場では、桜のトレント、ラブミー・チェリー暴威を中心としてギルドメンバーが来場者にプレゼントを配っている。彼らは皆、祭りの会場で邪魔にならないように三重化した<収縮(ミニマイズ)>の魔法でサイズを縮めているが、元の1/8になってもなお周囲の他プレイヤーの数倍の巨体であり、お客さんを踏み潰さないよう、腰をかがめてゆっくりと歩き回っている。

 

 彼らが配っているのは、余計なコストがかからないようにスキルを工夫して作ったアイテムだ。

 ヘイトを下げる<花束>、魅力度を増す<花の冠>、幸運度を上げる<四葉の首飾り>、<伝言>の機能拡張アイテムでNPCの遠隔操作も可能にする<シイの実のブローチ>等々、ゲームの進行にも役に立つ、ちょっとした便利グッズであり、訪問客は嬉しそうに受け取っている。

 

「おにーさん、花の冠ちょうだい」

「はーい、まっててね」

 

 チェリー暴威は指先から蔦を伸ばし、それに花を咲かせると、くるりと輪を作る。

 

「はい、花飾り。可愛いね、良く似合ってるよ」

 

 花の付いた輪を切り離すと、幼い少女の姿をした森妖精の頭の上にポンと乗せる。

 アイテムを貰った森妖精の少女はキャッキャッと喜んで跳ね、礼を言って友人達の集団に戻る。

 後ろに付いていた他のプレイヤーたちも次々にアイテムを注文してくる。

 

「思ったより大変そうやね。手伝うわ」

 

 ブルー・プラネットも<収縮>(ミニマイズ)を掛け、祭りに参加する。

 

「ブルーさん、助かります」

「じゃあ、余ってるアイテムを貸して……次回は俺もそのスキル習得して作るから」

「はい、じゃあ、これだけお願いします」

 

 参加したものの、ブルー・プラネットはアイテムを創れない。ギルド維持のために他のスキル習得を優先したためだ。今日の所は各ギルドメンバーから貰ったアイテムを配ることに徹する。

 

 やがてユグドラシルの青空がオレンジ色に染まり、そして薄墨色に変わる。

 暗くなってきたな――ブルー・プラネット達は時間を確かめ、来場客に閉会を宣言する。

 

「はーい、本日はこれで閉園となりまーす。ご来場ありがとうございました。またのお越しをお待ちしてまーす」

 

 最後の来場者が出て行ったことを確認し、ギルド長ブルー・プラネットは公園の門を閉ざす。

 

「ロック確認、よし!」

 

 門のカギを掛けることは形式的なものに過ぎない。魔法で守られるとはいえ、門自体を破壊するスキルや魔法もあるし、空を飛ぶプレイヤーもいるのだ。しかし、この平和なワールドではプレイヤーのマナーは概して良い。ユグドラシル運営公認の観光イベントを荒らすような者もいない。

 

「お疲れー。ブルー、結局、来場者は何人よ?」

「延べ人数は1万6253人ですね。連休初日でこれだと、明日も期待できますよ」

 

 ギルドメンバーたちが中央広場に集まって円陣を組み、一日を振り返る。

 ブルー・プラネットはマスターソースを開いて情報を確認し、メンバーに伝える。

 

「入園料は設定してなかったけど、寄付してくれたのが約50万ゴールドですね」

「平均30ゴールド……んー、思ったよりは集まったね」

「皆、喜んでくれてましたから」

「でもよ、途中で来場者プレゼント、切らしちゃっただろ? 明日はどうすんの?」

「先着1000名様って限定しても、アイテム作れるのが5人だけだと足りないですね。なるべく多くの人に配りたいし……今から森の動物を狩って、レベル上げてスキル付けますよ」

「そうだよねー、皆で作るべきだよねー。あたしは疲れたよ」

 

 バルサ巫女が座ったまま足をバタバタさせて愚痴をこぼす。しかし、「疲れた」と不平をこぼすその口調には不満ではなく充足感が含まれている。直接多くの人と触れ合い感謝されることなど、研究所に詰める普段の仕事ではありえない。メンバーは皆、新たな体験に興奮し喜んでおり、会話は自然と弾む。

 

「今から狩り? トレントって暗いと行動ペナルティ付くでしょ?」

「そういうと思って<永続光>のアイテム、人数分もってまーす」

「んじゃ、大丈夫か」

「遭遇率も上がってるから2,3時間やればレベルアップできるんじゃないかな」

「よっしゃ、じゃあ行こうか」

「ちょいまち! 交通整理の問題。地面にマーカー表示しても誰も従わないよ。どうすんの?」

 

 メンバーが立ち上がりかけたところで、槍杉マタザが別の問題を指摘する。

 

「あーそうか……すごい混雑してたもんね」

「じゃあ、交通案内のガイドを付けましょ。一部のトレント使って……」

「やってみた。でも、やっぱり蔦のロープじゃ注目度低いよ。人型のヤツじゃないと」

「人型ねぇ……新しいNPCつくんの? 割り振るポイントは無いよ?」

 

 メンバーは腕を組んで唸る。

 

「動物を変形させて『村人A』にする魔法、あれ使えないかなあ?」

 

 ドルイド職を極めているイブキ正成が提案する。

 動物を変形して人間型キャラクターにする魔法はドルイド魔法にある。本来は囮を創り、簡単な命令――敵に向かって走らせる等――を実行させるだけのものだが、それを交通整理に仕えないかということだ。

 

「あー、あれで? でもあれ、ただの人形だよ?」

「どうせ腕を振って『こっちです』とか『並んでください』とか言わせるだけでしょ? 音声組み込めば十分じゃないかな?」

「やってみる?」

「森で狩りするなら、ついでに何匹か捕まえて試してみるのも良いね」

 

 ギルドメンバーが口々にアイディアを出す。皆、疲れてはいるが楽しげだ。

 

「よっしゃ、じゃあ、動ける人で狩りに行こうか! 疲れてる人はログアウトしていいよ」

「俺、行きますよ」

「あたしも行くよ」

 

 元気な金剛刀タガヤの声にメンバー全員が立ち上がる。

 

「じゃあ……開錠」

 

 ブルー・プラネットが公園の門を開ける。トレントの集団は、明るく光る腕輪をつけて列となって公園を出る。

 

「では……ロック確認、よし!」

 

 ブルー・プラネットが鍵を閉め、トレントの列の最後尾につく。

 そして、トレントの群れは巨体を揺らしながら夜の森へと吸い込まれるように消えていく。

 




アニメから入ったもので、1年を記念しての投稿です。
原作10巻で丸ごと設定を否定されても笑って許してくださいな。
特典小説も持ってないし…

*9/16:誤字など一部修正。ご指摘いただき感謝。
9/18 同上。自分で見ると、なかなか見つからないもんですね。


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第2話 樹人たちの夏

引き続き、ユグドラシル時代。
…まだモモンガ達は未登場という。


 西暦2128年の初夏、トレント達のギルド<シャーウッズ>は戦いの準備に余念がない。

 

「みなさん、準備はいいですか?」

 

 ギルド長ブルー・プラネット――印度菩提樹の姿をとるイビルツリーが緊張した声で確認する。

 

「OK!」

 

 メンバーたちの硬い声が響く。

 春のお花見会場で、あるクランに喧嘩を売られてからログインは必ず5人以上というギルドルールが作られた。そして、そのクランとの小競り合いは拗れに拗れ――ついには決闘ということになった。そのギルド戦が予定された今日は20人のメンバー全員が参加している。

 ブルー・プラネットはギルド武器『大地の王笏(グランドセプター):バージョン3』を握りしめ、深呼吸する。

 

 拠点一時封鎖システム<エウリュクレイア>(見張りの老婆)が解除される。

 周囲を彷徨っていた老婆――バンシーたちの姿が消え、公園を覆う光の繭がゆっくりと薄れてアルフヘイムの光景が周囲に広がっていく。

 公園の外では、このワールドにおける複数の上級ギルドから来た見届け人たちが待っている。

 更に離れて物見高い森妖精たちが、そして他のワールドからの見物客も集まっている。

 

「それでは、合図とともにギルド戦を開始します。よろしいですね?」

 

 拡声器を通じた見届け人の確認が届く。

 合図とともに戦いが始まり、合図とともに戦いは終わる――治安の良いこのワールドで自然発生したルールだ。より下層の、異形種プレイヤー同士の戦闘を想定して「油断する方が悪い」という暗黙のルールが支配するワールドとは違う。

 

「おう!」

 

 ブルー・プラネットは拡声器を通じて威勢のいい声をあげ、了解の意を示す。

 公園の隣の平野部に集まっている30人の集団からも了解の声が上がる。

 当然だ。どのワールドでも相応の決まりは存在する。たとえ公式の規約に違反しておらずとも、あまり我儘を通せばワールドでの生活――アイテムの売買など――自体が成り立たなくなる。いくら自由度が高いと言っても、人間同士のやり取りで成立している狭いユグドラシルの世界では自主規制は強制的な規約とほとんど変わらない。今さらそこで反対する者はいない。

 

「では……」

 

 ガァァァンと銅鑼の音が空中で鳴り響き、ギルド戦が開始される。

 平野に集まっていた集団が一斉に動き出し、<シャーウッズ>に向かって進軍を始める。

 対抗し、<シャーウッズ>側も防衛魔法を展開する。

 

<最強化>(マキシマイズマジック)<種子爆弾>(シード・ボム)<永続化>(コンティニュアル・マジック)

<最強化>(マキシマイズマジック)<対魔法霧>(アンチマジック・フォッグ)

<三重化>(トリプレットマジック)<蜃気楼霧>(ミラージュ・フォッグ)

 

 ポンポンと弾ける音がしてNPCトレント達から人の頭ほどもある巨大な植物の種子が空に向かって無数に撃ち出される。同時に公園の中央にそびえる巨大樹の周囲に霧が立ち込め、魔法抵抗力を上げる防壁を構築したかと思うと、その姿は揺らめき8体に分裂する。

 

 最初に領域内の奥まで侵入してきたのは<飛行>(フライ)の魔法で機動性に優れる魔法詠唱者たちの一群だ。地上のトレント達の枝が届かない高度で飛び、種子の弾幕を避けながら突入してくる。

 

<火球>(ファイアーボール)

 

 魔法詠唱者達は分裂した巨大樹に火球を放つ。強化もしていない低位階の遠距離攻撃だ。対象に対魔法防壁が張られている以上、それはダメージを与える目的ではない。幻影に対する攻撃でそれを打ち払うためだ。

 

 火球が炸裂し巨大樹の幻影は次々と消されていく。残ったのはただ1体――魔法詠唱者たちはそこに突撃する。魔法防御に接触し、それを中和するために。非力な魔法詠唱者が怪力のトレントに対して接近するのは危険だが、狙いを定められないように散開して――

 

『魔樹の叫び』

 

 ブルー・プラネットがグランドセプターを振る。配備されたイビルツリーたちが<恐慌>(スケアー)の効果をもつ叫びをあげ、錆びた蝶番が軋むような音が森一杯に広がる。

 魔法が効果を上げれば、プレイヤーの動きは止まる。飛行中であっても回避動作が不可能になる。また、キャラクターとして<恐慌>に抵抗できたとしても、この不快音はプレイヤー自身の精神を怯ませる。

 一瞬、上空に侵入した魔法詠唱者の動きが止まる。魔法効果ではない。しかし十分な隙だ。トレント達が吐き出した弾丸を避けきれず、種子の炸裂によって生じた爆風に煽られて魔法詠唱者達が空中で姿勢を崩す。何人かの魔法詠唱者は空中でクルクルと吹き飛ばされているが、大方の魔法詠唱者はすぐに姿勢を立て直す。魔法かアイテムによって安定化されているのだろう。

 彼らが負ったダメージは、致命傷には至らない。種子爆弾はさほど強力な攻撃ではなく、煙幕とノックバック効果が主眼だ。しかし、何度も当たれば当然危険であり、対策が必要になる。

 

<三重化>(トリプレットマジック)<火球>(ファイアーボール)

 

 空中の7人の魔法詠唱者から轟音と共に21の火球が放たれ、地上から迫る種子の砲弾と衝突する。火球に飲み込まれれた種子爆弾はその場で破裂し、大量の煙を撒き散らす。

 ギルド拠点に準備された火器と、ギルドを攻める側では自ずと物量に差が生じる。火球が相殺できた砲弾はほんの一部だ。火球で相殺されなかった砲弾がなおも地上から魔法詠唱者達に迫り、彼らはそれを避けようと身構える。

 

 しかし、次の瞬間、彼らの口からは恐怖の呻きが漏れる。

 火球と砲弾が衝突して生まれた煙幕の下から風を切る音がする。そしてその音の正体は――自分たちに向かって猛烈な速度で迫る巨大な刃だ。

 

 黒地に金の斑が輝く5メートル程の斧刃が10振り、煙を切り裂いて飛んでくる。

 身長の倍以上の巨大な刃に反応が遅れた魔法詠唱者はそのまま切り裂かれ、消滅する。単なる戦闘不能状態ではない。明らかに過剰なダメージ、現実世界ならば肉体が粉砕されるような状態になって、その場の蘇生すら許されずに消されたのだ。一方、反射神経に優れた者たちは<斬撃武器防御>(プロテクト・フロム・ブレイド)を唱え、光り輝く魔法の壁を展開する。

 

 しかし――

 

 斧はその魔法障壁を何の抵抗も受けずに突破し、魔法詠唱者たちに打撃のダメージを与える。

痛打を受けた魔法詠唱者たちは理解する。自分たちを打ち据えたものは斧ではなく、木刀だと。

 

 斧に見えたモノの正体は、斧の形状に加工した金剛刀タガヤの指だった。

 

 戦士のスキルがない金剛刀タガヤは、トレントの基本スキルである「薙ぎ払い」とともに上空の魔法使いに向かって勢いよく「バンザイ」と手を振り上げただけだ。それだけのことなのだが、人間の50倍以上のサイズである巨大トレントの動きはそれ自身が脅威となる。システム上、巨大種プレイヤーの体感速度は抑えられているが、それでも仮想現実で振るわれる腕の末端は人間が腕を振る10倍以上の速度に達する。

 このスキルだけでは精密な狙いはつけられない。もし上空にいたのが戦士系プレイヤーであったなら、出鱈目に振り回される斧を容易に避けることができただろう。また、仮に命中しても高級な防具を装備していれば致命的なダメージは負わなかったに違いない。

 だが、その日の戦いで空にいたのは魔法詠唱者――肉体的なスキルに乏しく、装備も十分ではない彼らは意表を突かれて打撃をまともに食らう。

 さらに、形状に惑わされて適切な防御魔法を選択できなかったことも大きな影響を与えた。

 最初の一撃で魔法詠唱者の群れは半減する。そして、生き残りは強力なノックバック効果によって吹き飛ばされ、空中での操作を誤り混乱している。そこに更なる一撃――今度は下に向かって振り下ろされる金剛刀タガヤの指が襲い掛かり、空中の魔法詠唱者たちはあえなく全滅する。

 

「タガヤさん、OKです。でも、透明化している敵が残ってないか、引き続き監視を!」

 

 モニターで上空の敵の消滅を確認したブルー・プラネットは、コンソールを操ってNPCトレント達、固定砲台の目標を自動化する。隠密系スキルで隠れているかもしれない敵を掃討するために。そして、地上戦への援護のために。

 

 地上でも戦士を中心とする進入者との戦いが始まっている。

 最初の<魔樹の叫び>で立ち止まった侵入者たちは、大蛇のごとくうねる巨木の根に翻弄される。ギルドメンバーが唱えた<踊る樹々>(ダンシング・プランツ)の魔法で周囲の木々が一斉に動き出したのだ。

 そして、脚を掬われ転倒し、さらには跳ね飛ばされた侵入者たちに、トレント達の太い枝が叩きつけられる。これだけで先走った軽装の侵入者たちが何人か消滅した。彼らは盗賊職であり本来は身軽さを特徴とするが、森林での行動を補助するスキルは習得していないようであり、この戦いにおいては脅威ではない。

 警戒すべきは戦士たち――体力・防御力ともに優れる彼らには、単純な打撃は致命的な攻撃とはなりえない。重装備のため空中に跳ね飛ばされることもなく、うねる根を掴んで体勢を立て直す。そして、叩きつけられる枝を薙ぎ払い、起き上がった戦士たちは更に奥に進む。空から降ってくる砲弾を避け、操られた木々を切り倒して、後ろに続く神官や魔法詠唱者たちのために道を開きながら。

 

 次に彼らを待ち受けたものは、視界を奪う濃い霧の中に荒れ狂う木の葉の嵐だ。木の葉はカミソリの刃のごとき鋭さをもち、侵入者にチクチクと鋭い痛みを与える。さらに、その上から侵入者たちに向かって槍のように尖った木の枝が降り注ぐ。

 

 だが、侵入者たちも反撃する。

 

 槍杉マタザが射出する木の棒は、連射は可能だが当たったところで大したダメージにはならない。所詮はスキルで生み出された、何の特殊効果もない木の棒だ。それを見抜いた戦士たちの剣の一振りで切り払われ、木の棒は消滅する。

 そして霧と葉の目くらましは、元よりダメージにはならない。それらは後方から魔法詠唱者が生み出した炎の竜巻で焼き尽くされる。

 

 障害が消えたため、戦士たちは突撃を開始する。一方、回復役の神官たちは剣を持たないため木の棒を切り払うことが出来ず、地面に突き立った木の棒に檻のように囲まれて足止めされている。

 

 戦士たちは神官たちを置いて先に進み、その後ろに空中を飛ぶ魔法詠唱者も続く。このクランは仲間同士で助け合わず、ただひたすらに敵の拠点を目指す戦術をとる。体力に劣る魔法詠唱者を戦士が盾になって守るこの組み合わせで、単純な攻撃では魔法詠唱者を殲滅するのは難しくなっている。従って、神官はいなくても良い――そういう判断だ。

 そして、戦士と魔法詠唱者の組み合わせは強力な攻撃手段を可能にする。魔法やスキルで強化された斧や剣が太い幹に叩きつけられ、何体かのトレントが呻き声をあげる。NPCだけではなく、それらに紛れて操っていたギルドメンバーも含めて。

 

「ウドがヤバイ、バルサ、回復頼む!」

「チェリーに火が!早く消火を!」

「マタザさん、あと1分、足止めおねがい!」

「マキチラスさん、20メートル北に移動して毒霧を流してください!西風が来ます」

 

 目の前に浮かぶコンソールを見てマップと敵・味方の位置を確認しながら、ブルー・プラネットは森の中央で矢継ぎ早に指令を出す。

 進入者の一団は、森の中央にそびえる巨木を目標に森の迷宮を進んでいる。目的はギルド武器の破壊。それさえ達成されれば勝敗は決するのだ。

 侵入者側の勝利条件は2つ――敵プレイヤーを全滅させるか、ギルド武器を破壊するか、である。人間種を中心とするこの侵入者たちでは体力に勝るトレント達のギルドを皆殺しにするのは困難であり、ギルド側のメンバーやNPCと一々戦っていくのは初めから選択肢には無い。守るもののない侵入者側は気楽に攻めてくる。なるべく敵が少ない楽な道を、なるべく早く駆け抜けて敵の中枢を叩こうと。

 逆に、防衛側の<シャーウッズ>は敵を全滅させる以外に勝利は無い。戦闘不能になった敵の復活を防ぐためにも、死体を叩いて消滅させる地道な作業が続く。どうしても敵の打ち漏らしがある。

 

 だが、意気揚々と侵攻する戦士と魔法詠唱者の一群は、目の前に現れた黄色い霧に包まれて足を止める。目に強烈なかゆみが生じ、涙が止まらず視界が狂う。

 花粉マキチラスが放った<毒霧>の効果である。

 

「毒だ! 回復頼む!」

 

 戦士たちは初めて後ろを向き、仲間の神官に怒鳴る。気が利かない奴め、という苛立ちを込めて。しかし、神官たちは後方に取り残され、うねる巨木の根に足を取られ……そのまま「叩きつけ」で振り下ろされるトレント達の枝に潰され、あるいは地上に落ちてくる砲弾の爆発に巻き込まれて次々と消滅している。

 

「くそっ!」

 

 戦士が悪態をつく。神官を無視して先走ったため、戦線が伸びすぎた。所詮は寄せ集まり集団であり連携が取れない――己の愚策と敗北を悟った残った戦士たちは喚きながら、せめてもと目の前に立ち塞がったトレントに向かって剣を振るう。

 しかし、その一撃は通らない。逆に、切りつけた剣にカウンターで武器破壊効果が発動される。最初の一撃で強化魔法の効果を失い、次の攻撃で剣は砕け散って消える。

 攻撃した戦士たちは呆気にとられて空になった手元を見つめ、そこに上から声が降り注ぐ。

 

「『斧を折る』から『オノオレカンバ』って言われたわけよ。硬いだろ?」

 

 オレオレガンバの蘊蓄に、へぇ、と幼い声を漏らした戦士は上から叩きつけられる太い枝の一撃、そして横から繰り出されたNPCトレントの「薙ぎ払い」で吹き飛ばされ、消滅する。前衛を失った魔法詠唱者たちは<飛行>で逃れようとするが、待ち構えていた背の高いトレント、ウド☆ザ☆ビッグボディに叩き落されて墜落し、地上のNPCから袋叩きにあい消滅する。

 

「24人消滅確認、あと6人残ってます」

 

 ブルー・プラネットは皆に連絡する。侵入者の大部分を短時間で排除できた。しかし、まだ油断はできない。1人でも敵が中心まで攻めこみ、自分のもつギルド武器を破壊したら全てが終わりなのだ。

 しかも、残る6人――戦士2人と神官2人、盗賊と魔法詠唱者各1名ずつからなる最後のチームはかなりの手練れとみられる。おそらく敵クランの中心メンバーなのだろう。今まで倒した未熟な侵入者たちとは一線を画すレベルにあるようだ。

 ブルー・プラネットは、他のギルドメンバーやNPCを誘導し、予想される侵攻ルートの防御を強化する。そして、横に立つマグナムバイタを見る。

 

「こっからが本番です。もしこっちに来たら、防御を頼みますよ」

「おう」

 

 防御と治癒能力に優れるマグナムバイタが胸を張り、枝を振るった。

 

「コンボで敵を中央前の広場に誘導して」

 

 ブルー・プラネットはコンソールで侵入者の動きを確認しながら、ギルドメンバーに指示を流す。

 

 生き残った6人のチームは広場へと続く道を突き進む。そして、神官が突然グワッと声を上げ、宙づりになる。

 後衛の悲鳴に他の侵入者たちが振り返ると、道の脇に生えていた巨木にアニメ美少女の笑顔が浮かんでいる。顔を隠して擬態していた桃色ピチピーチが隙を見て枝を伸ばし、敵の最後尾にいた神官を一人捕らえたのだ。反射的に戦士が駆け寄るが、30メートル近い上空に持ち上げられた神官に絡んでいる枝には剣が届かない。魔法詠唱者も<火球>で枝を焼き払おうとするが、他のトレント達が枝を振りまわして邪魔をする。

 巨大な桃のトレントの根元で戦士たちは剣を構える。神官がこのトレントに倒される前に、このトレントを倒すのだ。

 

「……捕まえた! いくわよ、イエロー!」

 

 しかし、桃色ピチピーチは戦士が剣を自分に振るうより早く、打ち合わせ通りに神官を道の反対側にいるメンバーに向かって殴り飛ばす。殴り飛ばされた神官はグオッと湿った声を漏らし、為すすべもなく空中を舞い、その後を他の侵入者たちは慌てて追いかける。

 

「まかせんかい! いくぞ、グリーン!」

 

 黄ラワントイテが、飛ばされてきた神官を枝で受け止め、同じく道の反対側に殴り飛ばす。神官を追ってきた戦士たちは、慌てて方向を転換し、広い道の反対側に走っていく。

 

「よし来た! レッド!」

「おう! これで最後や!」

 

 ハートフルグリーンとレッドパインがバレーボールの要領で神官を空中で回し、最後に<棘千本>(サウザンド・スパイク)の効果を付与した松の枝で叩きつける。

 

 ギルド長として参加できないブルー・プラネットを除いたチーム“色物”による4連続攻撃だ。計算ではこれで大抵のプレイヤーは倒れるはずであり、ジグザグに飛ばされてきたその神官も例外ではなかった。

 

 神官を追いかけて道を走ってきた敵チームの残り5人は、目の前で回復役が消滅するのを見る。そして周囲を見渡し、自分達が広場まで誘導されたことを知る。

 

 広場の中央に身を寄せ合って構える5人に対し、ギルド武器――宝石で彩られた紫檀の杖――による攻撃が発動される。

 

<地震>(アースクエイク)

 

 巨大な地割れが蜘蛛の巣のように広場を覆い、一挙に侵入者の生き残りを飲み込む。空中を移動していた1人を除いて。

 

 元から<飛行>により空中を移動しており地割れの影響を受けなかった魔法詠唱者は、飲み込まれた仲間たちを一顧だにせず、前方の巨大なトレントに火球を放つ。<三重化>(トリプレット)に加えて最大限(マキシマイズ)強化された(ブーステッド)その火球は、通常のトレントならば大きなダメージを与えたであろう。

 しかし、その前に立ち塞がったトレントは火炎系への耐性に特化した盾役――ハチカマドだった。ハチカマドの胴体に当たった火球は巨大な炎となって膨れ上がり、そして弾け、消滅する。

 

「甘いな。俺は連続8発OKだぜ!」

 

 渦巻く炎の向こうから現れたハチカマドは気持ちよさそうに両手を上げてポーズをとり、決め台詞を叫ぶ。

 ポーズに合わせてその背後に「糸・色・亻・侖」の文字が浮かび、呆然として硬直する――呪文詠唱後の硬直にある魔法詠唱者に周囲のトレントが止めの一撃を叩きつける。

 やがて、戦士2人がようやく地割れから這い上がってくる。地割れに飲み込まれた神官と盗賊はそのまま死亡したようだ。

 

「こなクソガキがっ!」

 

 生き残りに向かって、金剛刀タガヤが怒りの声とともに巨大な爪を振り降ろす。

 他のトレント達も取り囲んで枝を叩きつける。

 この怒涛の集中攻撃に、最後の戦士たちも消滅し、ようやく暫しの静寂が訪れる。

 

「敵30人、全滅しました。こっちは0人」

 

 見届け役にギルド戦終結を報告し、見届け役が銅鑼の音を周囲に響かせる。

 ブルー・プラネットは皆に戦果と被害報告を報告する。回復係のバルサ巫女、魔法ガニーがポーションを作り出して治療に回る。盾役となって傷を負ったナニシタン、ヤナヤナギ爺、そして実は意外に重傷だったハチカマド――「俺が一発で立たなくなるわけがないだろ?」と規約ギリギリの線を攻めてバルサ巫女に蹴られた――も回復し、やれやれと伸びをする。

 体力に勝るトレント達の、まずまずの戦果だ。準備にさほどコストをかけなかったため、敵が落とした幾つかのアイテムは十分に割が合うものと言える。

 

 だが、戦いに勝った<シャーウッズ>達からは明るい声は聞こえてこない。

 簡単すぎる――それが喜べない理由だ。

 

「今回は、相手が単純に攻めてきたんで助かりましたけど――」

「これは様子見だよな」

 

 ブルー・プラネットの声に、他のメンバーが頷く。今回は、こちら(シャーウッズ)の出方、戦法を探るための前哨戦に過ぎない。だから、侵入者の武装もアイテムもドロップ前提の貧弱なものだった。

 現実の戦争とは異なり、ゲームのプレイヤーは何度でも生き返る。復活によって経験値を失いレベルダウンするが、それすらもキャラクター構成を調整するための一手段でしかない。今回は敵チームに戦士・盗賊・神官・魔法詠唱者という基本職しかいなかったため戦闘は単純であり、そのために楽に勝てた。しかし、次回は森の中の戦いに適したレンジャーなどのスキルも追加してくるだろう。

 

「絶対、再戦を言ってくるでしょうね」

 

 誰かがうんざりした声を上げる。

 こんなにキレイな戦いで決着がつくはずがない――それは誰もが予感していたことだ。次からが本番だと。

 

 あのクラン――<崖から飛ぶ豚>(スーサイド・スワインズ)の悪名は噂になっている。

 ユグドラシルでは90レベル程度まではレベルアップが早い。そのシステムを利用し、自滅を前提として80から90レベル程度の微妙なところで何度も繰り返し喧嘩を吹っかけてくる「嫌がらせ専門」クラン。どこからともなく現れて面白半分の年少プレイヤーを巻き込み、人気のギルドに戦いを挑んでくる始末に負えない奴らだと。

 

 ギルド<シャーウッズ>とその拠点の情報は人気スポットとして公開されている。ユグドラシル運営の「専門家によって再現された自然をお楽しみください」という触れ込みで。これが妬みを買ったのだろう。

 

「運営に言って、何とかならんのですか?」

 

 メンバーの質問に金剛刀タガヤは首を横に振る。

 

「無駄やろな。先に手を出したのはこっち……向こうに大義名分取られたからな。運営はプレイヤーの行動は極力規制しない方針やし、俺らも契約で拠点は変えられん。」

「プロジェクトの契約ですか……」

「契約期間も残すはあと半年ほどやろ? これがプロジェクト最後のイベントかなあ……」

 

 寂しそうな金剛刀タガヤの声が漏れる。

 

「最後、ですか?」

 

 隣にいたブルー・プラネットが問う。

 

「ああ、『マナーの悪い参加者にどう対処するか』やな」

「プロジェクトの一環に組み込む、ということですね」

 

 ブルー・プラネットの質問に金剛刀タガヤは首を横に振り、静かに言う。

 

「『組み込む』というか『予定通り』やな」

「予定通り? 教授はこれも仕組んでいたんですか?」

 

 他のメンバーから訝る声、咎める声が上がる。だが、金剛刀タガヤの声は変わらない。

 

「仕組んだわけではない……が、いずれこうなることは、初めから予想はしていた」

「なるほど……『プレイヤーの干渉』ですか」

 

 他のメンバーからも不承不承、納得する声が上がる。

 このプロジェクトは、仮想現実で森を育てると同時に、その森がプレイヤー達の心理に与える影響の調査も目的としている。プラスの面では、植物がプレイヤーに与える安らぎの効果などだ。そして、森は育ち、実際に「花まつり」などの様々な社会的イベントを通じてユグドラシルの評判を高めてきた。

 しかし、明るい面があれば暗い面もある。

 一部のプレイヤーによって森が破壊される暗い面も、プロジェクトの成果として報告されるべきものなのだ。たとえ嫌がらせであっても、その頻度などは有意義なデータとして利用される。ユーザーがどのようなときに不満を抱えるか、そしてどのような迷惑行為に走るか――ユグドラシルという仮想現実を管理するのに必要なデータなのだ。

 

 運営には、<シャーウッズ>のNPCトレントを、プレイヤーによって破壊されて回復するシステム――例えば壁破壊によって変化する迷宮やトラップに応用する意図もあるらしい。当然、今回の戦いも運営の監視下にあり、運営がそれを阻止しなかったのは今後流行るであろうギルド戦をイベント化する参考データにするためだ。

 

「担当さんはなあ、『派手にやっちゃってください』っつーとったで」

 

 金剛刀タガヤが苦笑し、他のメンバーからは「あのクソ担当」という怒りの呟きが漏れる。

 

「ここまで育てた公園をただ壊されるのもシャクやろ?」

 

 説明を終えた金剛刀タガヤの声に皆が深く頷く。その様子を金剛刀タガヤは黙って見つめる。

森を育てることでプレイヤー達に愛着を抱かせる――それも予定された心理効果の一つだ。

 

「これも報告すべきですね。『育てたのに、シャクに障る』って」

 

 タガヤの心を見透かしたように誰かが言い、んんっ、と慌てる金剛刀タガヤを見て皆が笑い声をあげる。今日、初めての笑い声だった。

 そして、金剛刀タガヤがパシパシと手を叩いて締める。

 

「暗い予測をひっくり返すのも科学者の務めや! 別に、負けることまで予定はしとらん。最後は勝って締めくくろう!」

「ですねー」

 

 金剛刀タガヤが声を大きくし、メンバーたちは賛同の声を上げる。

 

「よしっ、じゃあ作戦を練ろうか。まずな――」

 

 金剛刀タガヤから意見を出す。

 

「――振り回すだけじゃ、なかなか当たらんな。やっぱり戦士スキルで命中精度上げるべきか」

「タガヤさんは、刺すとか、斬撃のスキルを習得するべきでしょうね。出来れば飛び道具も」

「でも、やはり『千年樹』は強いですよ。あれで上空の勢力を一気にやれたのが大きかった」

「おう、課金して一挙に最上位の種族とっただけのことはあったやろ?」

「課金……でも、奴ら、囮のタガヤさんをボスキャラだと完全に勘違いしてましたね」

 

 ブルー・プラネットが空中に浮かぶモニタに敵チームの侵入経路を表示して説明する。スキルによって巨大化し、周囲のトレントより2倍の樹高をもつ金剛刀タガヤを目指して敵が進んだのは明らかだ。この手はこれからも使えるだろう、と。

 

「わしはボス(教授)やで?」

 

 皆が笑う。金剛刀タガヤは「すまんな、冗談や」と笑ってギルド長であるブルー・プラネットの背中をバシバシと叩く。

 

「ウドも、ネタでデカいだけじゃなくてさ、やっぱ戦闘スキルを付けるべきだよ?」

「スキル以外にもさ、既存の外装データの組み合わせで何か有効なものはないかなあ?」

「俺はもっと武器破壊を強化するわ。今のままじゃ魔法武器が痛いわ」

「周辺の木との迷彩効果、あれは効いたようだったよ。もっと見破れないようにできる?」

「もっとコンボを……NPCも使って、ハメられない?」

 

 メンバー達は口々にアイディアを出していく。前向きな方針が決まり、皆が活気を取り戻して話にも笑い声が混じる。

 

「地上で火を放たれたらどうする?」

「あ、それは俺がドルイド魔法習得してるので鎮火できます」

「森全体に?」

「ギルド武器で範囲拡大すれば」

 

 しかし、ブルー・プラネットの提案は他のメンバーに却下される。

 

「ギルド武器をほいほい振り回すわけにもいかんやろ? アレが壊されたら終わりやし」

「あんた、見つかったら弱いでしょ」

「そうっすよ、ブルーさんには中央で隠れていてもらわないと……」

「じゃあ、誰か、ドルイドかフォレストメイジになって。最低2人」

 

 ブルー・プラネットは、チームのバランスを考えて皆に注文する。

 

「チェリー、お前もなんかせな。花吹雪のめくらましたって効果は低いやろ?」

「すんません。じゃ、自分もドルイドになります。あと、攻撃用に<花吹雪>強化します」

「それより、どや? 毛虫降らすんは? 毒虫はデータ豊富やろ?」

「勘弁してくださいっす。自分、虫はダメなんで……それに、女の子へのイメージも悪いし」

「お前なぁ」

 

 ファンがいるんっすよ、と抗弁する役立たずなオシャレ野郎を置いて反省会は続く。

 やがて、今日のところは、と誰かが言い、シャーウッズは拠点を封鎖してログアウトする。最後に残り点検をしたブルー・プラネットは、ふと、何か嫌な予感――何かが間違っているような気がして身を震わせた。

 




捏造設定
拠点一時封鎖システム<エウリュクレイア>
オデュッセウスより。
一時封鎖したギルド拠点に他のプレイヤーが入らないように、無敵な老婆が徘徊する。
老婆はギルドサインを示すと攻撃を止めるが、封鎖を解かずに一定時間いると強制ログアウトされる。

*9/16:トリエント→トレント、ブルプラ→ブルー・プラネット修正。


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第3話 樹人たちの秋と冬 【下ネタ注意】

ようやくモモンガさん達が…ちょっとだけ
ちょっと下ネタあり


 西暦2128年の秋、ブルー・プラネットと仲間たちは公園に佇んでいる。

 あと数ヶ月でプロジェクトは終わる。そのため、ログインしてくるメンバーも少ない。

 公園は荒れ果てている――別な見方では過剰に充実している。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 数か月前――あのクラン<崖を飛ぶ豚>は、予想通り再戦を望んできた。

 アルフヘイム自治会の定例会においてギルド<シャーウッズ>の代表として出席したレッドパインは「先の決闘で勝負はついたはず」と主張したが、<崖を飛ぶ豚>の代表は

「先の戦いでは、都合が悪くて出席できなかったメンバーも多い。彼らがまだ不満を訴えている」

と主張した。

 自治会の出席者は、次に<崖を飛ぶ豚>の標的にされることを恐れ、特に反論はしなかった。

 

「我々は大所帯なのでね」

――<崖を飛ぶ豚>の代表はそう笑ったという。レッドパインの話では、卑屈な笑いだったと。

 

 ブルー・プラネット達<シャーウッズ>は、プロジェクト報告書あるいは運営の視察を通じて「荒らし行為」を行うプレイヤーの排除を訴えた。しかし、運営は安易な「立ち入り禁止」はゲームの自由度を下げること、そしてプレイヤーの認識に混乱を与えることを理由に排除システムを導入しなかった――プレイヤーの増加に水を差したくなかったのだろう。

 その代りに、運営はギルド防衛を助ける種々の職業、スキル、アイテムや魔法を追加した。これらはアップデートとして発表されたが、課金によるものも多かった。

 

 そして、再戦の時――<シャーウッズ>に対抗するために集まった<崖を飛ぶ豚>は前回の倍以上の80名、しかも前回最後まで残った中核チームと同格の高レベルプレイヤーが半数を占めていた。 

 彼らは、相変わらずドロップ前提の貧弱な装備だが、職業はレンジャーに加え、魔法剣士、神官戦士、忍者など上位職を交え、バードマンなどの異形種すら参加していた。

 

「これでも半分らしいですよ」――敵クランを調査したチェリーが報告する。つまり、今回の戦いに勝ってもまだ「不満がある」と再戦を望んでくるつもりなのだ。

「やるっきゃないでしょ」――ピーチが発破をかける。

 

 合図の銅鑼が打ち鳴らされ、一斉に敵クランが動き出す。

 <シャーウッズ>領域内に入れば、彼らの正確な位置が把握できる――ブルー・プラネットは、コンソールに映し出される赤い輝点――アイテムによって確認された敵プレイヤーの数――が、事前に報告されたものの半分しかないことに気付く。

 残りは<不可視化>より高度な隠蔽スキル、おそらく<完全不可知化>によって隠れて侵入している者達――ブルー・プラネットは、ギルド武器『大地の王笏(グランドセプター):バージョン11』を振りかざし、嵐の神を召喚する。

 

 <シャーウッズ>の上空に黒い雲の塊が現れ、それはゆっくりと回転を始める。ゆっくりと――いや、それは遥か高い所にあるからそう見えるだけだ。瞬く間に地面を飲み込むように広がったそれは、直径400メートルにもなる激しい竜巻だ。この中では飛行系の魔法もスキルもすべてキャンセルされ、<飛行>(フライ)で飛んでいた魔法詠唱者も、バードマンも、等しく地面に叩きつけられる。可視、不可視を問わず、全ての敵が。

 

「<最強化(マキシマイズマジック)><広域重力強化(マス・グラビティ・バインド)>」

「<最強化(マキシマイズマジック)><広域重力強化(マス・グラビティ・バインド)>」

 

 トレントから重ねて放たれるドルイド魔法に、空から叩き落された魔法詠唱者たちはもちろん、屈強な戦士すら膝をつく。そこに数体のNPCトレントが数十体の仲間「トレントもどき」を引き連れて地響きを立てて突進してくる。

 緑の津波となったトレントの群れは、動けない侵入者たちを踏み潰し、蹂躙し、消し去る。このトレントの暴走は一定時間、迷宮となった公園を駆けまわり、全てを蹂躙する――相手が<完全不可知>であっても構わずに。

 

 公園<シャーウッズ>の外で観戦している者達から、大技が決まったことに拍手が起きる。

 観客は公園の周辺だけではない。新たに導入された観戦システム「リモートビューイング・ワイド」を使えば、離れたところからでも空中に広がる大画面モニターでその場にいるように観戦が可能になる。

 

 観客たちの盛り上がりをよそに、ブルー・プラネット達<シャーウッズ>の面々は口から肉蠅の群れを吐き出す。このボットは<完全不可知>状態にあるキャラクターでも「死亡」状態にあればそれを感知し、その場所に辿り着く。侵入者側も仲間同士でマーカーを付けて位置を把握しているはずであり、彼らより先に侵入者を再生不可能にする必要がある。

 

 透明な空間に肉蠅が止まり、そこを狙ってトレントの枝が振り下ろされる。数回叩きつけたあと、肉蠅は飛び去り、トレントも次の目標に向かう。

 

 嵐神が起こした竜巻は続いている。空へ逃げる者を封じるために。

 数十体のトレントの暴走も続いている。侵入者の群れを誘導し、一つにまとめるために。

 

 ブルー・プラネットによって誘導された緑の行軍も止まるときが来る。

 強化された戦士が9人がかりで殿を務め、追い迫ってくる緑の暴力の先頭に立つトレントを倒したのだ。誘導するトレントが倒されれば、「トレントもどき」は通常の樹に戻る。

 

 侵入者を一か所に集めるには至らなかった――ブルー・プラネットは舌打ちする。

 しかし、十分だ――巨大なトレント、「千年樹」ウドが集まった侵入者の上から「踏みつけ」を行う。

 直径20メートルになる巨大な根の足が空から降ってくる――侵入者たちは身体を丸め、あるいは天を仰いで叫び、そのまま潰される。不可視の敵も漏らさないように、ウドが何度も繰り返し踏みにじった後には何も残らなかった。

 

 道を進まず、空にも逃げず、森の中に逃げた侵入者たちもいる。これまでに倒した数、依然として残っている赤い輝点の数からそう分かる。

 レンジャーなど森林の中の活動を得意とする者達だ。嵐を避けて森の中を低空で飛ぶ魔法詠唱者もいる。その数は17――事前申請の数と倒した数との差から考えると、更に12人が<完全不可知化>で潜んでいるはずだ。

 敵を示す輝点は森の中を滑らかに進んでいる。スキルによって<踊る樹々>(ダンシング・プランツ)も意に介せず進んでいる。

 

(アホが)

 

 敵の侵攻ルートを確認してブルー・プラネットはほくそ笑む。侵入者は森の中に作られた獣道――わざと通りやすいように樹の密度を下げた場所――に誘導されている。トラップが仕掛けられているとも知らずに。

 

 森の中で悲鳴が上がる。蔦に足を取られた侵入者が宙づりになり、潜んでいたトレント達に袋叩きになっている。

 

「気を付けろ! トラップだ」

 

 侵入者達が連絡を取り合い、足を止める。袋小路となった獣道はその幅を狭め、周囲の樹々が「トレントもどき」に変わって敵に総攻撃を仕掛ける。「トレントもどき」はモンスターであり、レンジャーのスキル「森渡り」――障害となる植物をすり抜ける技術――は通用しない。

 壁となったモンスターに道は塞がれ、逃げ場はない――視認できる敵に加えて不可視の敵も闇雲に振り回される無数のトレントの枝に打たれたようだ。森の中に放たれた肉蠅が止まり、侵入者達の不可視の死体の位置を知らせる。

 

 敵の残存数を確認しているブルー・プラネットの横で、「目に見えない何か」が同じく「目に見えない膜」に引っかかり、その膜を大きく撓ませる。森の中に作られた道を飛ぶ魔法詠唱者が、<完全不可知化>(パーフェクト・アンノウアブル)に対応したトラップ「霞蜘蛛網」(ミスティ・スパイダー・ネット)にぶち当たったのだ。獣道の対面にいた仲間、マグナムバイタが「霞蜘蛛網」を掴んで、透明な中身ごと振り回す。悲鳴は聞こえないが、やがて肉蠅がマグナムバイタが吊るす網に止まる。

 

「クソッ」――別な場所では透明化した戦士が網を切り開き、「霞蜘蛛網」から脱出する。そして、自分を捕らえたトレントに剣を叩きつける。

 

「痛ッ! はい、お返し!」――透明な敵に剣で切られたトレントは、その枝を剣に変える。

 

 ドルイドのスキル「報復の剣(フラガラッハ)」――自分へ攻撃した相手を自動追尾する剣は、完全不可知状態でも障壁の向こうでも構わず敵を認識し、防御力を無視した一撃を与える。剣本来の攻撃力はそこそこだが、最高レベルのトレントの腕力でダメージ加算された一撃を。

 

「――敵軍、全滅」

 

 ブルー・プラネットが、討伐された侵入者の数が事前の報告人数と一致したことを確認し、見届け人に報告する。

 銅鑼が鳴らされ、ギルド戦の終結を知らせる。観客から拍手と歓声が上がる。

 

 ブルー・プラネットは<エウリュクレイア>(見張りの老婆)によって拠点を一時封鎖し、<完全不可知化>によって隠れている敵がいないかを調べる。封鎖中は10秒以内にログアウトする必要があるが、この封鎖システムで監視を行うバンシーたちの目を逃れる魔法やスキルは存在しない。

 

 隠れている者はいないようだ――ブルー・プラネットは残念に思う。もし事前の通告に違反してギルド武器を破壊するために隠れている者がいたのなら、それを責めてこの不毛な戦いに終止符を打つことが出来ただろうに、と。

 

 制限時間内に拠点封鎖を解き、全員の状況を確認する。

 公園の広場に<収縮>(ミニマイズ)で集まったメンバーたちは、かなりの被害を報告する。

 倒された者こそいないが、森の中で透明な複数の敵と戦った者に被害が多い――今後の課題だ。

 取り逃がしも多かったようで、敵は最奥の金剛刀タガヤの所まで辿り着いていた。今回は対応できていなかった忍者の隠密スキルによって突破されたらしい。だが、最高レベルに達していない忍者の攻撃力ならば、最奥の3人――千年樹たちに敵うはずがない。

 

「5人打ち取ったで」――腹をさすりながら金剛刀タガヤが笑う。無駄なことをする阿呆が、と。

「お疲れ様です」――終始隠れていたブルー・プラネットが頭を下げる。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 クラン<崖から飛ぶ豚>は、その翌日に再戦を言ってきた。まだ残りの者達がいる――そう主張して。

 自治会に止める者は無く、1か月後に予定が組まれ、再び戦いが繰り返される。

 

 そこで、<崖を飛ぶ豚>は自分たちの限界を知る。

 まず、以前からのレベルの差――<シャーウッズ>達が皆100レベルに達しているのに、自分たちは80から90レベルである。10以上レベルが開いていては、1対1で勝ち目はない。しかし、全滅覚悟の波状攻撃という戦法をとるため、一定以上のレベルに上げられない。対等の100レベルまで経験値を稼ぐには数か月の間が空いてしまい、それでは「嫌がらせ」の効果が薄らぐ。

 さらに、キャラクターの死亡によって落とすアイテムを最小限にするために高度な物を装備できない。課金アイテムなどは以ての外――幸運にもモンスターを狩って得たレアアイテムも。

 

 一方、<シャーウッズ>の装備は前にも増して充実している。<完全不可知化>の者を捕らえる「霞蜘蛛網」に加え、マーカーを植え付ける「寄生蠅」などの課金アイテムを多数揃えており、アップデートされた職業やスキルを早速身に付けている――どれだけ課金したのか。

 

 これでは、戦えば戦うほど差が開く――現実社会においても課金などの余裕がない、レベル上げにこれ以上時間を割くことも出来ない<崖を飛ぶ豚>のメンバーは歯噛みする。

 <シャーウッズ>の他の獲物を探そうかと考え――そこで、他のギルドも既に最高レベルに達しており、課金アイテムも揃え始めていることに気付く。

 

 ユグドラシルはすでに変わっていた。ギルドとして拠点を構え、じっくりとキャラクターを育て、課金すれば課金するほど有利になるシステムに。

 

 自分たちは、ユグドラシルの黎明期、まだ皆がレベルもアイテムも充実していない時期における徒花だったのだ――クラン<崖を飛ぶ豚>は自分たちの時代が終わったことに気が付いた。

 

 ユグドラシルは急速に発展している。日本中でブームとなり、すでに数百万人のユーザーが常時ログインしている状態だ。その社会が充実していくにしたがって自分達――持たざる者、何も蓄えてこなかった者達は現実世界と同じように日陰に追いやられていく。

 ユグドラシルにすら居場所を失ったメンバーたちは項垂れ――それ以上の再戦を<シャーウッズ>に持ちかけることは無かった。

 

 <シャーウッズ>はユグドラシル運営から直接、問題クランの中心メンバーが引退したという連絡を受けている。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 ユグドラシルは発展を続ける。

 その中で、徒花となったのは<崖を飛ぶ豚>だけではない。ギルド<シャーウッズ>も同じだ。

 

 クランとの度重なる戦いによって荒らされ、強化されて復活するたびに公園は禍々しさを増していった。そこにはすでに憩いの場としての名分は無い。そして「愛される公園」の名分を失い、誰言うとなく<殺ウッズ>と呼ばれるようになったギルド<シャーウッズ>は、敵クランが崩壊してギルド戦が終結した後も散発的なPKの対象となっていた。

 

 クラン<崖を飛ぶ豚>が徹頭徹尾、相打ち覚悟の消耗戦を仕掛けてきたのに対し、新たな侵入者たちはギルド<シャーウッズ>をゲームとして研究し、その攻略のため戦略・戦術を変えてきた。

 ユグドラシルの戦いが多様性を増していく一方で、トレント系のキャラクターで固められた<シャーウッズ>は戦術が限られる。

 

 <シャーウッズ>はその弱点を突かれるようになった。

 時間を止められた隙に全身に火を点けられたトレント達が森を逃げまどう。

 アイテムで時間停止に対抗すると、今度は対植物モンスターの魔法やポーションを大量に準備してくる。

 トレント達は、弱点を補うために課金して毒沼などのトラップを増やし、モンスターを配備し、拡張された森を更に迷宮のように改造した。そのための予算は認められた――当たり前だ。ユグドラシル運営から付けられた予算は課金によってユグドラシルに戻る。現実の金銭的損失は無く、<シャーウッズ>の強化は更なる外装データの充実、アップデートに役立つのだから。

 ただし、敵側の手に渡る可能性がある課金アイテム――この拡充だけは認められなかった。

 

 無尽蔵に強化され、その割に得られるアイテムが少ない<シャーウッズ>に挑む敵も少なくなり、戦いの頻度が落ちてふと気が付くと、残っていたものは魔獣の咆哮が響き、泡立つ緑の毒沼の上を紫色の毒霧が漂う死の森だった。

 体の表面を這いずり回る巨大なムカデやクモに守られたトレント達は黙って立ち尽くす。

 

 「僕らがやりたかったのは『これ』だったのか?」

 

 何人かは馬鹿らしいと言ってユグドラシルを退会し、報告書をまとめる作業に専念している。

「現実世界と同じように崩壊していく生態系を見ていられない」――引退したメンバーの言葉は、皆の気持ちを代弁するものだった。

 プロジェクトリーダーである金剛刀タガヤも、報告のまとめと次のプロジェクトで忙しく、ほとんどログイン出来ない。頻繁に送られてくる、公園の様子を尋ねるメールには「苦労をかけてすまない」という謝罪の言葉が常に添えられている。

 

 しかし、何人かは残ってギルドを守るために戦い続けた。

 それが義務であり、そして何よりも、育ててきた森を見捨てることはできなかったから。

 公園を訪れる者達はどんどん減っていった。ギルドの人気ランクは下がり続け、今ではスクロールを繰り返してようやくその名を見ることが出来る。これはユグドラシル全体がブームとなり新興ギルドが雨後の筍の様に現れ人気を集めたためではない。プレイヤーの数が増えているのに公園への訪問客が減っていくのだから。

 

 開発として、テストプレイヤーとして、そして、課金の重要性を訴える広告塔として――ギルド<シャーウッズ>はその役割を果たし終えていた。

 

 すでに報告は最終的なまとめに入っている。これまでも半期ごとの中間報告のたびに予算が増え、シャーウッズの公園は充実し、その都度、新しい成果が出ていた。

 

 仮想空間で成長する森のシステムを確立し、植物系モンスターの外装データは充実した。特にトレントを中心とした植物系モンスターの設定が変更されたし、幾つかのスキルや魔法の使い方――運営でさえ予測していなかったもの――は公式ガイドブックに掲載された。

 花まつりなど集客力の高い人気イベントをこなし、逆にクリスマスなどの不人気イベントも明らかになった。季節のイベントだけではない。瞑想の森などの樹種に合わせたスポット、「この症状にはこれが効く」薬草教室――健康食品とのタイアップ企画――なども開催され、プレイヤー対象のアンケートでは常に高いポイントを得ていた。

 更に、マナーが悪いプレイヤーの行動は解析され、その副産物として評判の悪いクランが繰り返し繰り返し撃退され、最終的には潰された。

 

 最終報告は、研究所やユグドラシル運営からの高い評価を受けることだろう。

 これはプロジェクトなのだ。たとえ結果としてギルド<シャーウッズ>が崩壊しても、研究所やユグドラシルの運営にとって何も困ることはない。経験の1つとして次の企画への肥やしとなるだけだ。そう割り切ってしまえば、満足のいく2年間だったと言えただろう。

 

 だが、メンバーたちの顔は晴れない。

 現実社会でのボーナスは増え、ゲーム内でも景品は山ほど手に入れた。公園も大きくなり、数多くのNPCを抱え、一時期はかなり上位のギルドと認められた。一言でいえば「成功した」部類に入るだろう。

 だが、ログインして公園を見るたびに、本当にこれで良かったのか、という疑問が浮かぶ。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 西暦2128年の冬、プロジェクトはあと数日で終わりを迎える。

 メンバーの多くもすでにゲームを止めている。

 つい先日までは仲間が1人残っていた。しかし、その仲間――チェリー暴威も他所のプレイヤーに強く誘われ、キャラクターを作り直して別のギルドで遊んでいる。

 それを責める気にはならない――ブルー・プラネットはチェリー暴威を笑って送り出した。彼が去った今、ギルド長、ブルー・プラネット以外にログインしてくるメンバーはいない。

 ブルー・プラネットはプロジェクトの最後を締めくくる義務として、そして己の意地で残っている。ギルド長の義務とはいえ、その職は単にキャラクター作成で迷って一番遅れたからという理由で決まったものに過ぎない。だが、男としての矜持が最後まで残る道を選択させた。

 

 チェリー暴威だけではない。来なくなった他のメンバーの中には、ユグドラシルに別な楽しみを見つけ、キャラクターを作り直してゲームを続けている者も多い。

 彼らを咎めることはできない――相談を受けるたび、ブルー・プラネットは笑顔で彼らを送り出した。この素晴らしいユグドラシルというゲームを、どうか目一杯楽しんでくれ、と。

 そして、去っていった仲間たちは<シャーウッズ>の公園を訪れることはなかった。ゲームでも現実世界でも、研究所内で公園の現状を訪ねてくる者たちは少ない。ブルー・プラネット自身も、現実世界の職場で<シャーウッズ>のことを話すことはほとんど――多賀教授への日報や期末報告を除けば――ない。

 

 今や、公園は忘れられた存在となっている。

 

 ブルー・プラネットは独り溜息をつく。せめて敵が来れば多少の活気はあったのだろう、と。しかし、強化されたトラップで満たされ、それでいて経験値やアイテムを稼ぐほどのモンスターもいない寂れた死の森には訪れる価値も無い。仲間も敵も、誰も来ない日々が続いている。

 

 だが、それもあとわずかな期間のことだ。

 

 ブルー・プラネットは今後のことについて思いを巡らせる。

 NPCトレントはプロジェクト用の設定を解除され、本来のNPCモンスターとして他のギルドに引き取られることになっている。体力があり、そこそこ強いイビルツリーは拠点防衛の楯役として需要があるのだ。

 だが、トラップを設置した土台NPCの処分先は決定していない。このまま狩場として残すもよし、他のプレイヤーが引き取るならば、それも良し。だが、おそらくギルド解散と共に消去される――そんなところだ。

 

 そして、ブルー・プラネットは手に持つギルド武器『大地の王笏(グランドセプター):バージョン15』を眺める。

 ギルド<シャーウッズ>の2年間の努力の結晶。宝石を散りばめた黒檀と紫檀と白檀が三重螺旋となり魔法球を包む王笏。

 ゲームツールとしても膨大なデータを内包し、この公園内ならばブルー・プラネット1人でもPKパーティーを殲滅できる程の力をもつ。一般的なユグドラシルのアイテムでいえば「神器級」というところだろうか。研究用データは回収するとして、パーツを他所のプレイヤーに売ればかなりの値が付くことは間違いない。

 だが、ブルー・プラネットは処分を任されながらも、それは選択しなかった。

 このプロジェクトが終わったらユグドラシルを退会するつもりであり、アイテムが売れたところでユグドラシルの通貨など何の意味も無くなる。それに、何より自分たちの思い出が詰まったツールが他所の誰かに使われ続けることに我慢できなかったからだ。

 

「俺たちが育てた宝は、俺たちが去るとともに消える」――それがブルー・プラネットの意思だ。

 

 ブルー・プラネットは、今日も公園の中をゆっくりと樹から樹へと移動して回る。

 これまでの思い出を振り返りながら。そして、起こるはずもない何かを期待しながら。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 起こるはずもない何か――その日、それは来た。

 

 ただ1人の管理人として、ブルー・プラネットはギルド内の状況を常に管理している。

 手にしたギルド武器が警戒音を出し、久しぶりに侵入者たちの存在を告げる。

 ブルー・プラネットは立ち止まり、コンソールを開く。

 マップに進入者を示す赤い印が5つが示されている。PKパーティーだろう。

 

(この時期に来るなんて、奇特な奴……いや、この時期だからこそ、か)

 

 現実の世間では浮かれているこの時期に、わざわざユグドラシルにログインしてPKを楽しむなど、碌な奴でないことは確かだ。

 NPCの位置を確認し、進入者の進路を予測して罠を起動する。

 探知魔法で会話の傍受を始める。

 

 侵入者たちは<静寂>や<完全不可知化>の魔法に加え、アイテムによって公園内のモンスターを避けている。しかし、彼らが歩む地面そのものがギルドを守るNPCであることには気が付いていないようだ。公園内の地面も植物も全てセンサーであり、<静寂>でも<完全不可知化>でも、公園内で存在を隠すことは不可能だ――これはユグドラシル運営とプロジェクトを結んだ<シャーウッズ>だけがもつシステム上の特権であり、知られれば他のギルドからクレームがつくことが間違いないチートである。

 

 そして、侵入者の行動が筒抜けなのに対して、この公園は深い霧で覆われて侵入者からの魔法的な視覚が妨害され、かつ、上空の飛行や転移も禁じられている。これは天井知らずの課金による防衛システムだ。公開されている仕様ではあるが、やはり課金の仕組みがバレてしまえばチートと言われても仕方がない。

 これらのチートによって、公園の管理者であり、ドルイドとして植物間で転移できるブルー・プラネットは、この地で圧倒的に有利に戦える。

 

「楽しませてくれよ」

 

 ブルー・プラネットは久しぶりに目が覚めた思いで侵入者の様子を窺う。無数のセンサーから侵入者たちの会話が聞こえてくる。

 

「あれか? 実際に見ると、デカいな」

「うーん、100メートル近くありますね、地下や塔みたいな拠点に入るんですか、あんなの?」

「ん……『あんな大きいの……入らないよぅ』」

 

 女の幼い声がして、少しの間沈黙が続いた。

 ふふん、と誰かが鼻で笑う音が聞こえてくる。

 

「……ごほん、えっと、まあ、最大化した<縮小化>の魔法を永続化すれば……」

「それで巨人族と同じくらい?……やまいこさんのことを考えればいけるかな?」

「最近、トレント系ってサイズとレベル、関係なくなったって聞いたよ?」

「うん、だから彼も推薦したんでしょ? でも、現にあのサイズなんだから……」

「しかし、見事じゃないですか。これはこれで残して『異形種動植物園』ってどうですか?」

「……その話はもうやめましょうよ?」

 

 笑い声が聞こえる。笑いながらモンスターや罠を次々に突破して進んでくる。

 かなり強力なパーティーのようだ。

 やがて、進入者は森の中ほどに差し掛かる。

 

「さて、ここから先が、このギルドの本格的な防衛システムだそうです」

「情報では、この道の両脇に100レベルNPCのイビルツリーが何体か擬態して紛れているって」

「さすがにそれ、きつくない? 何とか見破れないの?」

「ええ……トレントのPCは殆どいないし、ドルイド職も割と不人気なんで情報不足です」

「んー、ドルイドの魔法って信仰系と精霊系だったかな?」

「そうです。擬態は精霊系なんで、死霊系や神聖系の探知魔法では感度が悪いんですよ」

「なるほど、対アンデッドや対天使のセンサーが働かないんじゃ、うちらと相性悪いね」

「刺激しなければ襲ってこないかわりに手も出せない。放っておくと一気に取り囲まれる……」

「取り囲むために動いたところで見破れないの?」

「ところが、このギルドでは、壁扱いの普通の樹まで常に動いているんですよ」

「じゃあ、マップも作れないのね……手間だけど端から片付けていったら?」

「下手に手を出すと、彼曰く、『地獄のピンボールが発動するぜ』らしいですよ」

「そうすると、ウルベルトさん、タブラさんの高火力ペアで遠くから焼き払うのがベストかな……」

 

 ブツブツと戦術を考えているらしい声がする。

 確かに、トレントの体力を削りきるほどの高火力で連射された場合、NPCだけでは負ける。遠隔攻撃に対してトレントは有効な対抗手段をもたない。数を頼みに弱い射撃で弾幕を張り、回復系の魔法で相手のMPが切れるまでしのぐしかない。複数のメンバーで回復するならば問題ないが、ブルー・プラネット1人のMP勝負では守り切れる確証はない。NPCを回復役に使った場合、それらは起動した時点で偽装が解けてしまう。単純な動きしかできないNPCは狙い撃ちされ、防衛網に穴が開く。

 こちらから攻めていくことが出来なければ後手後手に回り、ジリ貧になる。

 

 情報不足と言ってた割りによく研究してるな、とブルー・プラネットは考える。過去に挑んできた連中が情報を共有しているのだろう。

 しかし、NPCの偽装だけが防衛手段ではない。何重にも手は打ってある。これまでの侵入者が知らないままのトラップも多い。

 1パーティーだけで突破できる<シャーウッズ>ではない――ブルー・プラネットは、そう自負している。

 

(今日は勝てるだろうな)

 

 そう考えて、寂しさも覚える。どうせ情報を共有するのならば、一斉に掛かってくればいいのに、と。どうせあと数日で終わるプロジェクトだ。華々しく散り、報告書の最後に「侵入者と戦って崩壊」でもいいじゃないか、と。

 

――いずれにせよ、やるべきことは決まっている。勝てようが勝てまいが、全力で相手をすることに迷いはない。ブルー・プラネットはギルド武器を音声モードに切り替え、身を包む伝説級の防具、緑に輝くローブの中にしまい込む。

 

 侵入者たちは「地獄ロード」――ブルー・プラネットの勝手な命名――に入り、そのまま歩き続ける。このままでは取り囲まれて袋叩きに会うと知っていながら、侵入者の呑気な声は続く。

 

「でも本当に、近づいてみると高いなあ」

「あれが顔でしょ? 会話するのに見上げちゃいますね」

「ん……見て見て、張り合ってる! 張り合ってる!」

 

 再び沈黙が訪れる。

 

「……ぶくぶく茶釜さん、なんで背伸びしてるんですか?」

「あと、小刻みにジャンプするのも止めましょうよ」

「じゃあ、『もうダメ! 俺の負けだぁ』」

「うわっ、きたなっ……なんですか、その涙のエフェクトは!」

「茶釜さん、悪乗りしすぎっす!」

「『うふふ、お兄ちゃんたら、だらしない』……ごめんちゃい」

「こら、そこで項垂れない! きったない涙を垂れ流さない!」

「じゃあ、ティッシュちょうだい」

 

 沈黙……ふふん、と再び勝ち誇った鼻息が聞こえる。

 

(こいつら何やってんだ?)

 

 未だに音声センサーでしか敵を把握できていない。進入者の姿が見えないブルー・プラネットは、訳の分からない会話に少々苛立ち始める。

 

 やがて、進入者たちは森を抜け、ブルー・プラネットの待つ広場にたどり着く。

 巨大な樹々に囲まれたそこは直径数十メートルの窪地になっており、膝まである毒々しい緑色の霧に覆われて地面すら見えない。この霧は視覚や魔法的探知を妨害する効果があり、どんなトラップが仕掛けられているのかを把握困難にしている。ただ、色から連想される毒の効果は無いようで、そこにいるだけでダメージを負うことは無い。仮にそのような効果があったとしても、ここまで来ることができる高レベルの侵入者は大抵はアイテムでそれを無効化している。

 

 人間の心理としては、無害だが得体のしれないこの霧を吹き飛ばしたくなる。

 だが、それが危険なのだ。

 

(この霧に対する攻撃が、攻撃後の硬直の隙をつく一斉攻撃の引き金となるだろう)

 

 経験を積んだユグドラシルプレイヤーなら誰でもそう考える。

 ユグドラシルにおいて、問答無用に即死効果をもたらす理不尽なトラップはゲームとしての興を削ぐため、使用は制限されている。例えば、最強の毒を散布した空間であっても、一呼吸の間ならば耐えられるのだ。プレイヤーはその間に撤退かアイテム、あるいは魔法の使用を選ぶことができる。どんな罠にも何らかの対応が可能であり、お互いの読みあいと準備が勝敗を決する。

 

『焦って先に動いた方が負ける』

『後の先を取れ』

 

 ユグドラシルの攻略本には必ず書かれている格言だ。準備なしに迂闊な行動を起こした後が一番危険であり、手の内を小出しにすることは悪手。相手に先に手を出させ、その隙を狙って一気に叩くというスタイルが好まれる。

 NPCは下手に刺激しない。罠は極力触らない。

 この霧はあえてそのまま放置し、その裏に潜む罠を予測して、それに備える。それが定石であり、この日の侵入者も霧の底に潜む罠に警戒しつつ、その中を慎重に歩いていく。

 

「はじめまして、ギルド<シャーウッズ>のギルド長、ブルー・プラネットさんですね?」

 

 先頭の、白銀の鎧に身を包んだ聖騎士が、杖を構えた巨大なトレントを見上げて挨拶する。この死地においても余裕を感じさせる声だ。自分の強さにそれだけ自信があるということだろう。敵意が無いことを示すために両手を上げているが、それは何の保証にもならない。

 

「はい、ブルー・プラネットです。はじめまして……今日はPKですか?」

 

 トレントが聖戦士を見下ろし、冷たい挨拶を返す。同時に広場を囲む巨大な樹々が――最高レベルのイビルツリーの軍団が、炎を宿す目を一斉に開き、侵入者を見下ろす。

 いつの間にか、進入者が入ってきた通路は塞がれている。ブルー・プラネットがキーワードを発すれば、イビルツリーたちの総攻撃が始まるだろう。

 

「いえ、戦いに来たんじゃないですよ。私たち、PKされてる異形種の互助組合でして……それで、よろしかったら“殺ウッズ”のブルー・プラネットさんもいかがかな?と」

 

 イビルツリー達の突き刺すような視線を受けながら、聖騎士は平然として会話を始める。

 この状態でも切り抜けられる自信があるのか、時間稼ぎか、それとも本当に戦うつもりが無いのか……聖戦士の「戦いに来たのではない」という返答に嘘がないことをブルー・プラネットは感じ取る。

 

「ははは……ボロボロですもんね。“殺ウッズ”……」

 

 噂になってたんだな――ブルー・プラネットはそう思い、自嘲の笑い声をあげる。

 そして、聖戦士の言う「互助組合」とやらにも興味を引かれる。ブルー・プラネット自身はこの公園を離れられないため良く知らないが、偶に見るユグドラシル・ニュース、そして掲示板からの情報では、最近は「異形種狩り」なるものが流行っているらしい。

 

(なるほどね……俺たちばかり、というわけでも無かったってことか)

 

 ブルー・プラネットはあらためて侵入者たちを観察する。確かに――聖騎士を除けばあからさまな異形の群れだ。おそらくは噂に聞く、下のワールド――異形種達が主役であるワールドから来たのだろう。

 森妖精たちが遊ぶ光のワールド「アルフヘイム」……そこに位置するかつての人気スポット<シャーウッズ>……そして今は繰り返されるギルド戦で寂れた“殺ウッズ”。それを見かねて、わざわざ別のワールドから救いの手を差し伸べてくれたのかと思うと、嬉しさと情けなさが同時に湧き上がってくる。

 

「お気持ちはありがたいです。僕で良かったら……と思いますけど、あと数日はここに<シャーウッズ>として居なければならないので……今日はお話を聞かせていただいて、返事は後日……私の方から伺うってことでよろしいですか?」

 

 森妖精たちが主役のこのワールドでは、異形種である彼らは店には入れず、外を歩けばPKの対象となるらしい。この公園に来るだけで大変な苦労があったはずだ。今日、彼らは危険を冒して来てくれたが、ギルド長としてブルー・プラネットは即断できない。下手に返事をして、この公園のアイテムを持っていかれても困るのだ。

 

 プロジェクトが終わって全てを片付けてから、こちらから彼らのホームグランドに行くべきだ――ブルー・プラネットはそう考える。<シャーウッズ>の資産をすべて処分して、その上で彼らが受け入れてくれるのならば、最高だ。今のブルー・プラネットの身体であれば、そのまま異形種主体のワールドでも十分に溶け込めるだろう――虫のいい話だと思うが。

 

「ええ、かまいません。即決は出来ないでしょうし、ギルドの後始末も大変でしょうしね」

 

 敵意の無い聖戦士の言葉にブルー・プラネットは警戒心を下げながら、少し違和感も感じる。ギルドの後始末――年末までのプロジェクトのことを知っているのだろうか、と。

 ブルー・プラネットは黙って頷く。

 いずれにせよ、ギルドの資産を乗っ取りに来たというわけでもなさそうだ。ブルー・プラネットは警戒をさらに一段下げ、もっと「互助組合」の話を聞いてみようと考える。仮に、これが油断させるためのウソだとしても、まだ手は幾らでも残っているのだから。

 

「ありがとうございます……あ、すみません、そっちは影武者でして。こちらが本体の“私”です」

 

 聖戦士の後方からブルー・プラネットの声がする。それまで聖戦士が話していた巨大なトレントはNPCであり、その手に構えられた杖は遠隔操作と腹話術のアイテムを埋め込んだニセのギルド武器だ。

 5人の侵入者は驚いたように振り返る。

 

「同じトレントのNPCですし、外装を弄ってるんで、仲間でも見分けがつかないんですよ。この前なんか、仲間がみんなで私の影武者の方に休暇の相談したりしてね、ハハハ……」

 

 後ろにいた巨大なイビルツリーの1体が、笑いながら巨大な口の中に隠し持っていた杖――影武者が持っているものとそっくりな物――を取り出して手に取り、ひらひらと振る。

 今の話の後半はウソだ。仲間はもう長いことログインしていない。仲間の存在を仄めかしたのは、侵入者の混乱を狙ったのと、ブルー・プラネットの願望だ。

 

 裏をかかれた聖戦士とその仲間たちは、それでも動じる気配を見せない。素直に影武者に引っかかった驚きを口にしているが、余裕の態度を崩さない。聖戦士が頭を掻きながら言う。

 

「いやあ、ビックリしました……うん、これは『先手を取られるぜ』ってのは確かだわ」

 

 ここまで敵対心を見せないとは、本当に、戦うつもりはないらしい――ブルー・プラネットは更に警戒心を緩める。だが、依然として相手の素性は知れない。

 

「いえいえ……ところで、あなた達は何というギルド……クランなんですか?」

 

 侵入者たちは「互助会」と名乗った。だが、正式な集まりであれば何らかの名はつけているだろう。現実世界でその名を調べれば、その評判も、どこをホームグランドにしているのかも分かるはずだ。

 

 ブルー・プラネットの問いかけに聖戦士が頷き、答えようとして……途中で止める。そして、聖戦士の後ろに付いていた――振り返ったために今は前衛に位置してしまっているが――高度な魔法アイテムで身を固めた骸骨のキャラクターの肩に手を置く。

 

「え? 俺が?」

 

 驚いて振り返る骸骨の肩に手を置いたまま、聖戦士がウンウンと頷く。骸骨はビクリと背を伸ばし、前に向き直って聖戦士の話を引き継ぐ。骨だらけの恐ろしい姿なのに、妙に腰が低い。現実世界では営業マンといったところか。

 

「はい、えー、あの、私は『モモンガ』です。よろしく……私たちのクランは『ナインズ・オウン・ゴール』と名乗ってます。加入条件は……ブルー・プラネットさんは満たしているんですけど、念のために説明させていただきますね。まず、異形種であること、そして社会人であること。あと、今回はすでに加入しているメンバーからの推薦がありまして、彼が言うには――」

 

 骸骨の話を聞き、ブルー・プラネットはその場でクラン<ナインズ・オウン・ゴール>加入を決めた。

 久しぶりに――本当に久しぶりに、ブルー・プラネットの明るい笑い声が<シャーウッズ>の公園に響いた。

 




~捏造設定~
「ナインズ~」からナザリック拠点を得るまでの時系列がちょっと曖昧。
ブルー・プラネットは割と後発の加入者ってことで。

~どうでもいい捏造設定~
悪意ある侵入を防ぐMSN(ミスティ・スパイダー・ネット)
某ソフト会社とは関係ありません。
<完全不可知化>は公園型ギルドに対して強すぎるので、ちょっと弱体化。

*9/16:タイトルに注意書き。余分なカッコ削除など。一部修正。


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第4話 研究者達の憂鬱

ようやく原作の時代に。


 西暦2138年、日本の古都にそびえるアーコロジーの一角にある植物工場、清潔さを強調する真っ白な建物の片隅に付属研究所がある。

 その研究所――生態系研究所――の中、組織培養された植物のサンプルの並ぶ棚の間で、顔の一部を除いて全身を防塵服で覆った研究者たちが今日も忙しく働いている。ドームの外の薄暗さとは対照的に、この窓のない室内では眩しいほどの光が溢れている。ただし、白い光ではない。植物の生育に適した青と赤が入り混じった、不安を感じさせる紫色がこの部屋を巨大な生物の体内のように染め上げている。そして、そこで培養される植物たちは光を効率的に吸収してどす黒い影を成し、その下に更に黒い陰を落とす。

 そんなサンプルが何十も置かれた棚がこの部屋に所狭しと並べられている。

 

 研究者たちの身を包む防塵服も紫の光を反射し、その色に染まっている。棚をのぞき込み、手にした端末にデータを記録している研究者たちは誰も口を開かない。部屋の中には微かな足音と、栄養液の循環する音しか聞こえない。室内が紫色一色に染め上げられ、壁と研究者との境界が曖昧なまま無表情な目だけが彷徨うさまは、冥界を彷徨う幽鬼を思い起こさせる。ただ、壁や床には研究者の影がくっきりと浮かび、この世界が幻影ではないことを示している。

 

 やがて、誰かが作業の終わりを告げ、研究者たちは部屋を出る。

 

「ロック確認、よし!」

 

 最後の者がエアシャワーを抜け、二重ドアを閉じ、ようやく研究者たちは人間に戻る。

 

「うぉー、腰がいてぇ」

「あー、涼しい」

 

 伸びをする者、胸元をパタパタと煽る者、紫色の光に疲れた目を押さえる者、様々である。実験室の中の環境は植物のために調整されており、人間が長居する所ではない。その外の廊下は反対に人間に適した構造に設計されており、過剰な清潔感を強調する壁や天井には細菌ですら生存しない。

 他の部屋からも研究者が出てくる。

 

「じゃ、ミーティングを始めましょうか」

 

 研究者たちは別な部屋に向かう。データを共有して議論するために。

 

 この研究所は旧・国立大学の一部門に由来する。元は数十年前まで自由な校風を旨としていた日本有数の大学だったが、今は企業複合体からの共同出費で維持されている研究所だ。

 国立大学などという悠長なものが消えてから数十年、「大学」の名を遺す研究所も社員の高度教育と基礎研究部門の統廃合による効率化を目的として改編されてきた。

 そこで研究者に与えられるテーマは企業からの指示で定められ、短期の結果を求めるスポンサーから課せられた研究者たちのノルマは厳しい。自由な発想は抑えられ、どこからか送られてきた指示に従い、サンプルを解析するだけの「研究」とは言えない作業をこなすだけで精いっぱいだ。

 当然、研究のレベルは下がり、作業量が増え続ける一方で、新しい発見は難しくなっている。

 

 もちろん、大学由来の研究所が全てそのような窮屈なものになったわけではない。現代の貴族たちの余暇を充実させるために文学など趣味的なものに特化した研究所もある。その類の研究所は前世紀から縮小傾向にあるが、貴族らが無意味な修辞学や学歴を彼らの武器として重宝する限りは教育機関として存続が許されるだろう。

 

 研究者たちはそんな「大学」の現状を憂う。企業複合体がそれほど力をもっていなかった前世紀から残る研究者たちはプライドをもって「教授」を名乗り、「学問の自由」を主張している。しかし、若手研究者は自分がその地位に就くことはないことを知っており、彼らの熱意は乏しい。

 企業複合体にとって教授たちは疎ましい存在であり、その地位が許されるのは旧・国立大学からその地位を引き継ぐ者に限られているからだ。今の世代で教授の後に続く者は「上級研究者」と呼ばれ、雇用は保証されるが、研究テーマの自由はない。さらに若手の「下級研究員」は、プロジェクトの終了が近づくとともに次のプロジェクトを探す不安定な生活に追われている。彼らの夢は、雇用が保証される上級研究員となって生活を安定させることで精一杯だ。

 

 そんな研究者たちは今日も研究を続ける。

 

「アマゾン乾燥帯のサンプル、生育状況をどう見る?」

 

 部下たちが記録したここ数日のサンプルの映像を直接脳内に結像しながらチームリーダーが質問する。画像は回線を通じて共有できるが、思考はそうはいかない。

 

「おおむね良好じゃないかと。逆に、育ちすぎてエキスが薄くなってる可能性もありますが」

「もう少しイジメないと、薬を作らないかもね。で、赤松さん、エキスの効果は出たの?」

「マウスでは、直接脳に投与した場合にはそれなりの効果は見られましたね。しかし、かなり苦いので量を与えるのに苦労します。吐いちゃいますんで」

「ん、それで十分。とりあえず月末の会議には報告できる。味はカプセル化すればなんとでもなるから製剤部に回そう」

 

 部下たちが淡々と画像やグラフのデータを送り、チームリーダーの広川は頷く。

 

「効くと言ってもオマジナイ程度ですけどね。BBB壊せば別ですが、レセプター経由では既存薬に対抗するのにバケツで飲まないといけないってレベルですよ」

「はは、まあ、その辺は濃縮とか改良とか、今後の課題ってことで次に回そう」

 

 部下の確認に、リーダーは苦笑いしてヒラヒラと手を振る。

 

「5年越しのプロジェクトだからね。なんとか結果をひねり出さないと」

「培養条件みつけるのに時間かかったからなあ」

「ですよねぇ……それにしても、ほんと、よく打ち切られなかったですね」

「そりゃ、お偉いさんも必死よ。最近じゃ第七世代にも耐性ついて効き目が落ちてるらしいで」

「飲みすぎっすよね」

「せやな。上の連中が一日どんだけ薬飲んどるか、それこそバケツじゃないか?」

「ハハハ……上は上で大変っすねぇ」

 

 とりあえずの報告内容が決まり、チームは回線を外して世間話に移る。

 一般企業なら警備員が飛んできて私語を咎めていただろう。だが、研究所では咎める者はいない。「脳を刺激するためには適度なおしゃべりが必要」という研究結果を盾にして、昔からの教授陣が頑張ってくれているおかげだ。与えられたノルマさえこなせば問題はない。

 

 そして、研究所で何度となく繰り返された会話が今日も繰り返される。

 

 この時代、人間の寿命は二極化している。

 環境が完全に管理されたアーコロジー内に住む富裕層は総じて長寿であり、進歩した医療技術の助けも借りて100歳を超える者も珍しくはない。21世紀後半からは富裕層の世代交代の速度が落ち、この数十年は世代交代というものはほとんど見られない。ごくまれに事故で企業経営者が死亡すれば――ほとんどは趣味で旧式の飛行機を飛ばし、墜落したとか――大ニュースになる。

 しかし、外の庶民たちは大気汚染により健康を損ない、この数十年で平均寿命の低下は歯止めがかからない。いや、短命化は加速していると言ってもいい。これも21世紀後半から顕著になった傾向だが、いまやマスメディアによる警告は見られない。常識となってしまったことをいまさら報道する者はいない。

 

 ますます酷くなる汚染物質により、ガンをはじめとして様々な疾患が激増している。

 それを抑えるためのナノ医薬は普及しているが、絶え間ない汚染に対抗するためには薬を飲み続けなければならない。その結果、体内に残留するナノ物質は凝集して毒性をもち、ついには体組織が急激に老化して死が訪れる。昔であれば働き盛りの年齢で血管や内臓がボロボロになり突然倒れるのだ。

 その残留物を吸着して排出する、更なるナノ医薬も開発されているが、それは結局のところ別な残留物を作り出すだけだろう。わずかな延命にはなるが、余計に酷い副作用が待っている。さらに、医薬だけでなく食品にも衣類にも娯楽にも――至る所で使われているナノデバイス同士の相互作用は着手すらされていない。毎日新たに登場するナノデバイスを一々確認していられないのだ。

 

「貧乏人をダラダラ生かしたくないんだよ」

 

 そんな陰謀論を吐き捨てるように呟く者も多い。

 より効果のある薬、例えば絶滅に瀕している希少な植物から抽出される成分などは高価すぎ、庶民には手が出ない。富裕層から惜しみなく注ぎ込まれる長寿のための研究予算は、庶民のためには使われない。

 研究者として選抜され高等教育を受けた者たちは、一般サラリーマンに比べて遥かに恵まれた立場にある。しかし、彼らも「庶民」であることに違いはない。事実、彼らの多くは自分の親が十分な医療を――自分達が開発した技術の恩恵を受けられず早死にするのを目にしている。

 何のために、誰のために、自分たちは研究を続けているのか。

 

「それにしても……バカバカしい話だ」――研究者の一人が呟く。

 

 金持ちが長生きするのは仕方がない。それが世の中だ。だが、その先に何がある?

 ここに興味深いデータがある。富裕層と庶民、その対照的な2つの階層に共通する特徴――出生率の劇的な低下だ。

 富裕層は死を拒絶し、自分の生が永遠であるかのように「子を成す」ことを避ける。

 庶民は家族を養うことなど考えられず、目の前の生活に追われて「子を成す」ことを避ける。

 

 その結論は分かりきっている。やがて庶民は死に絶え、彼らの犠牲の上に成り立っているアーコロジーの生活も崩壊する。老いた孤独な金持ち様はそこで初めて気が付くだろう。その楽園を維持できなくなることに。彼らは必死に生に縋りつき、急速に崩壊する肉体に怯え、結局は惨めな死を迎えるのだ。そのとき、長寿の技術は苦しみを長引かせるだけだろう。

 苦しんで死んだ親たちと何も変わらない。いや、贅沢に慣れた彼らはそれ以上の恐怖を、引き伸ばされた苦悩を味わうだろう。彼らの贅沢は、最後に訪れる闇から目を逸らすための誤魔化しに過ぎない。

 研究者たちは、それを知っている。だから、富裕層に対する妬みも恨みもない。ただ虚しさがある。

 何のために、誰のために、自分たちは研究を続けているのか――彼らは悩み続けている。

 

「ああ、くだらないな」――別の研究者も頷く。

 

 このアーコロジーは無数の技術で支えられている。その一つでも止まれば、それは連鎖し、やがて全体のシステムに破綻をきたす。そうなれば、このアーコロジーの住民は皆、死ぬことになる。

 例えば電力網が途切れれば、例えば水道が止まれば……

 それらのシステムは小さな部品の寄せ集めからなる複雑な仕組みから成り立っている。小さな歯車の一つが狂うことで致命的な結果をもたらすこともあるのだ。そして今、システムを支える庶民たちは早死にし、その結果、まだ未熟な若者たちがシステムを担う。その結果、ミスが増え、システムは劣化し、それを支えるためのしわ寄せで庶民の寿命は縮む。

 

 悪循環だ。金持ちが偏重される社会は歪み、そしてシステムを不安定にする。

 

 事実、トラブルの件数は年々増えている。過去に蓄積された安全管理システムにより、まだ致命的な事故につながっていないだけだ。しかし、やがては破綻する日が来るだろう。それは遠い日のことではない。

 

「本当に、くだらない」――隣の研究者も、伸びをしながら言葉を漏らす。

 

 このアーコロジーだけではない。かつてこの惑星にあった「自然」、それは小さな無数の命が織りなす途方もなく複雑な仕組み――それ全体が一つの命だった。その歯車がどこかで狂い、自然は失われた。森が切り開かれ、その跡は牧草地や畑となった。家畜の餌として植えられた弱い草は容易に汚染され、枯れた後には砂漠が残る。失われた牧草地を補うために更に森が切り開かれる……

 

 どこで人類は道を誤ったのだろう?

 森を出た弱いサルは生きるために知恵を付け、必死に繁栄を追い求めた。その結果、多くの種が永久に失われ、ついには自らも滅びようとしている。

 人類はこの惑星を汚し尽し、そして今、この惑星の命そのものが尽きようとしている。

 金持ちだけが悪いのではない。あえて言うならば、自分を含めた人類が選んだ歴史の結果だ。

 人々はそれを知っていながら目を逸らし、ただ一時の快楽に酔いしれている。

 

 今では完全に形式化したある宗教の逸話に、奈落に掛かる木の根にぶら下がった男の話がある。ネズミに齧られて今にも切れそうなその根を命綱としながら、上から垂れる蜜の甘さに酔う愚か者の話だ。

 この研究所の生態学者たちは未来を知っている。まもなくこの惑星の命を支える根は切れる。

 知っていながら何も出来ず、今日も金持ちのための蜜を作り続ける。

 

「くだらない」――吐き捨てるようにそう言って、研究者たちは今日も笑いあう。それは自嘲でもあった。先が無いことを知りながら何も出来ない自分たちに対して。世界を滅ぼす共犯者、共依存にある者としての後ろめたさを感じながら。

 

 そんな研究者の一人、広川毅志も黙って頷く。

 20世紀の末、まだ豊かな自然が残っていた時代、彼の一族に環境保護を訴えて市長となった男がいたらしい。その男は環境過激派と手を組み、テロを計画中に突入した警察に射殺されたということだ。

 長らく「一族の恥」として忌み嫌われていたその男――その先見の明を、広川は誇りに思う。

 長らく避けられていたその名を選んでくれた両親を、広川は尊敬する。

 そして、何もできない不甲斐無い自分に溜息をつく――くだらない人生だ、と

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 休憩時間が始まり、皆で食堂に移動しても、広川は再び溜息をついていた。だが、今度は自嘲とは異なる溜息だ。この数日間、広川はずっとこうだ。今日はこれで何度目だろうか?

 

「どしたん? 報告会が心配か?」

 

 見かねて、室長が声を掛ける。

 

「いえ、すんません。仕事のことじゃなくて、昔の友達からのお誘いメールが来てまして」

「え? なにかの同窓会?」

「いやぁ、ゲームの仲間ですよ。ユグドラシルの」

「えぇ? ユグドラシルって、あの?」

 

 食堂の空気が変わった。周囲の研究者たちも手を止めて会話に参加する。一時の憂さ晴らしだ。研究所を覆う沈んだ雰囲気に暖かみが戻る。

 

「へぇ、まだあれ残ってたんだ?」

「懐かしいなぁ! つか、広川さん、まだ続けてたんすか?」

 

 後輩が両手を挙げて大げさに驚いたというポーズを作る。ユグドラシルで知り合った恋人と数年前にゴールインしたその後輩の左手に指輪が光っている。

 勝ち組め――その指輪をちらりと見て、広川は苦笑いして答える。

 

「いやぁ、あの後、しばらく続けてたんだけど……ここ数年は行ってないよ」

「なら、なんで今になって?」

 

 別な同僚が尋ねる。

 

「今日がユグドラシルのサービス最終日らしいんですわ。それで、移籍したところのギルドを保守してた友人がいまして、今夜、皆で集まろうと」

「ああ、あのギルド!? 今日に至るまで保守って、すごいなそれ! 俺なんかこの数年、『ユグドラシル』の名前も出てこんかったわ」

「うわー、俺も久しぶりに行ってみようかな? あ、でも俺、キャラ消しちまってたわ! 今日を限りの新アカ作るかな!?」

 

 広川の気も知らず、周囲は呑気に思い出話をしている。

 

「行ったり! 行ったり! そんな律儀な人、ほっといたらあかんわ」

「……そっすね」

 

 周囲の熱気に押されて、広川は力なく笑う。

 

「うん、ぜひ頼むわ。元ギルド長として、うちらの分もよろしく言っといてや! うちらのアレ、そのギルドに引き取られてたんやろ?」

 

 威勢の良い声が後ろから聞こえ、いつの間にか来ていた所長にバシンと背中を叩かれる。

 

「あ、多賀さん……ええ、そうなんです……」

 

 広川は頷く。この人はすぐ叩くんだから、とゲーム時代を思い出しながら。

 

「君が回復してくれたあの森、まだ消されずに残ってるかなあ?」

「ええ、残してくれていたらしいですよ」

「そっか、ほんと、あのギルドには頭が上がらんなあ……なんてったっけ、あのギルド?」

「『アインズ・ウール・ゴウン』です」

 

 ここまで言われたら行かざるを得ないな――そう思いながら、広川は懐かしいギルドの名を口に出す。

 

「えー、超有名ギルドじゃないっすか! 広川さん、あそこのメンバーだったんだ」

 

 配属されたばかりの新人が興奮して話に参加する。若い彼は知らない。この研究所のメンバーもごく短期間「超有名ギルド」であったことを。

 

「おうよ、俺らは昔、トレントでギルド作っていてなあ。色々世話になったんよ」

 

 広川が答えるより先に、当時を知る同僚が教える。新人は目を丸くして聞き入り、再び話が盛り上がる。それを横目で見ながら、広川毅志――ユグドラシルではブルー・プラネットと名乗っていた男は再び溜息をつく。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 夕刻、広川のチームは仕事内容を再確認し、各々の仕事に戻る。一般企業であれば残業というところだが、研究者には定まった勤務時間というものはなく、ゆえに残業という概念も無い。研究成果だけが全てだ。報告会が近づいている今は、皆、夜遅くまで作業を続ける。退社は日付が変わってからということも珍しくない。

 

 しかし、この日の広川は、所長と室長の勧めもあって、いつもより早めに帰宅した。

 

「積もる話もあるやろ?」

 

 室長は笑顔で送り出してくれた。同僚たちは万歳三唱で広川の背中を押す。元・ギルド長、頑張れと。

 

 ぎこちない笑顔で彼らに別れを告げた広川は、アーコロジーの地下に移動し、再び溜息をつくと、自分の移動装置「繭」(コクーン)に乗り込む。

 車輪がついた白い繭――棺桶と表現した同僚もいたが――の中で椅子に座り、個人用情報端末を目の前のコンソールパネルに置くと、システムが起動して人工音声が優しげな女性の声で語りかけてくる。

 

『ご帰宅ですか?』

 

 広川が黙って軽く頷くと、車内カメラでそれを感知した人工知能がモニターにルートを表示し、帰宅時間を計算する。そして、ゆっくりと滑るように動き出す。極限まで簡素化された電気自動車であるそれは個人用情報端末と連携して自動的に最適ルートを探し出し、目的地まで移動する。

 

 研究者たち――広川の住居は通常のサラリーマンとは違い、アーコロジー近くの集合住宅に用意されている。駐車場から自宅までは30分間程度かかるだけだ。もっと上級職であればアーコロジーと連結した集合住宅に、さらにはアーコロジー内にも居住できるのだが――そこまで出世するには、よほどの発見あるいは研究所への貢献が無ければ無理だろう。

 

 良く整備された高架道路を進む「繭」は振動も動作音も微かであり、移動は実に快適だ。この中では誰にも邪魔されず、思索にふけることが出来る。

 「繭」に窓は無い。望めば車外の状況をモニタに映し出すことも出来るが、灰色の空を眺めてもしょうがないからだ。地上の風景も……灰色の町の地上道路を一般のサラリーマンが人工呼吸器をつけて帰宅する様子を見ても気が滅入るばかりだ。汚染された大気の中を徒歩で、あるいは過密な列車で運搬されていく彼らに比べれば、研究所から通勤のために個人用の移動手段が支給されている広川たちは破格の待遇を受けているといってよい。その後ろめたさも車外を見ない理由の一つである。

 

 だが、この日の広川は珍しく車外カメラを起動させ、空を眺めた。

 外の風景は大気中に漂う有毒性の微粒子で霞み、空は汚染物質に散乱された沈みゆく太陽からの光で茶色に染まっている。

 自分が知らない遥か昔、夕日は鮮やかなオレンジ色で、地上を同じ色に輝かせていたという。

――腐ったオレンジを連想して広川は顔をしかめ、再びカメラを切ってモニターを眺める。

 

 今は18:30。あと10分で自宅に着く。

 

 広川は目を閉じてユグドラシルに残してきたギルドのことを思い出す。

 あのギルドでは研究所の仲間と一緒に作り上げた森が、新しい仲間のために作り上げた空が待っている。

――そう思うと、目を閉じた顔に笑みが広がる。

 

 しかし、その仲間が問題だ――広川の笑みが消え、額にシワがよる。

 

 もう何年も前に別れを告げた仲間たち……何人続けているだろうか? 俺より先に引退した人もいたが、今日は皆、集まるだろう。

 

「積もる話、か」

 

 皆、どんな話をするのだろう? 

 俺はどんな顔をして行けばいいのだろう?

 

『やあ、たっちさん。ご無沙汰してます』

『やあ、ウルベルトさん。お変わりありませんか?』

 

 広川は心の中で挨拶を練習する。

 

『おや、ブルー・プラネットさん、よく来てくれました。もう来ないといったはずでは?』

『あぁ? 誰よ、お前? って、ブルーじゃねーか、よく戻ってくれたなあ』

 

 上げて落とす、落として上げる、あの二人のコンボは地味に辛い。何かと仲が悪い二人だったが、今日くらいは笑って最後を迎えて欲しい。

 ぶくぶく茶釜さん、やまいこさん、あんころ……なんていったかな? あの女性陣からのツッコミには慣れていない。

 ベルリバー……先に引退して悪いことしたなあ。最近ご無沙汰だが、今は何をしてるのか……楽しくやっていてくれればいいが。

 メールはモモンガさんからだった。文面から見ても、モモンガさんがギルド長を続けていたのだろう。彼ならブランクも関係なく受け入れてくれるだろうが……

 

 広川は、ふぅ……と、溜息をつく。

 敷居が高い。でも、やはり、会わなければいけないのだろうなあ、と考えて。

 

 やがて、「繭」は広川の住む集合住宅に到着する。音も無くゲートが開き、「繭」は滑るように建造物の中に入る。そして、ゲートは閉まり、洗浄剤を含んだシャワーで汚染物質が洗い流され、外部環境の安全性を確認したサインが「繭」の中で光る。

 広川が個人用情報端末を手に取ると「繭」の扉が静かに開き、広川は駐車場に降りる。

 そこから少し歩いてエレベーターに乗り、自室の前まで移動する。

 ドアの前で情報端末をかざせばロックが解除されてドアが開く。

 無言で自室に入った広川の背後で再びドアが閉まり、人工音声がロックを告げる。

 

 さて、と。

 

 広川は室内を見渡す。時計は18:45を示している。

 皆がログインしてくるまでには、まだ時間がある。20:00ごろにログインしよう。

 それまでに洗濯をして、食事をとろう。研究所から何か連絡は来ていないだろうか? ニュースも確認して……時間を潰す。

 

 20:00になった。しかし、まだ雑用がある……広川は雑用を考える。

 ああ、俺ってどんなキャラクターだったかな? 確認しなければ。

 情報端末を接続し、アプリケーションを起動する。まだログインはしない。

 オフラインで過去の情報を見直して、ああ、そうだったな、と記憶を掘り起こす。

 

 21:00になった。

 広川は椅子の背もたれをギシギシと鳴らしながら、頭の後ろで手を組んでいる。

 考え付く雑用はすべて終えてしまった。再びため息をつき、空中に漂う埃を目で追う。

 そして、明日の仕事のためと言い訳をしながら、幾つかの文献を確認する。

 

 22:00だ……。

 そうだな。最後にちょっとだけ挨拶して……最後のカウントダウンに付き合う程度でいいんだ。

 戸棚からケーブルやヘッドセットを取り出し、机の上に乗せた軽い夜食を摘みながら、接続の準備を始めて思い出す。

 しまった、週末のアニメを録画していたの、見ていなかったな……よし、見なくちゃ。

 

 23:00。

 そろそろ行くか。ヘッドセットを被り、再び逡巡する。我ながら往生際が悪い……自嘲して、ついにスイッチを入れ……ようとして躊躇する。

 

 結局、広川がユグドラシルに接続したときには23:30を過ぎていた。

 息を止めて白昼夢の世界に身を投じる。まるで水の中に潜るように。

 世界が白い靄に包まれる感覚の後、広川の視覚に懐かしいギルドの円卓が映し出される。

 眩い灯りに照らされた石造りの豪奢な円卓を囲む、貴金属と宝石で彩られた椅子――

 だが、そこには誰も座っていなかった。

 

「あ、皆さん、ごぶさた……」

 

 広川――いまはブルー・プラネット――は挨拶の途中で固まる。

 そして、周囲を見回す。

 やはり誰もいない。招待してくれたモモンガの姿も見えない。

 再度、周囲を見回す。

 壁に飾られているはずのギルド武器「スタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウン」も消えている。この最重要アイテムが勝手に持ち出されることはあり得ない……すると、皆でどこかに出かけた後か。

 

「やっちまった」

 

 ブループラネットはそう呟いて右手で円卓を、そして顔をぴしゃりと叩く。その勢いで手に生えた木の葉が揺れ、カサカサと音を立てる。

 円卓に肘をつき、項垂れる。ハロウィンのカボチャお化けを模した、炎を宿す虚ろな空洞の目と口からなる表情は動かないが、口からは後悔の呻きが漏れる。3メートル近いその姿は、冠とローブで覆われた印度菩提樹が円卓に倒れ掛かったようだ。

 

 ブルー・プラネットはその姿勢でしばらく動かない。遅すぎた、という思いが脳裏を駆け巡る。

 おそらく皆はもう、思い出話を済ませてユグドラシルの最後を見物にでも行っているのだろう。

 <伝言>(メッセージ)で仲間に呼びかけることも思いついた。

 恰好悪いが最後の機会だ――そんな思いがコンソールを開かせる。

 しかし、やはり――ブループラネットはコンソールを閉じる。

 

 あと30分足らずで全てが終わる。

 もういいじゃないか、という気持ちが浮かんでくる。

 どうせメールアドレスは知っているのだ。今夜、皆に返信しよう。

 『すみません、残業でどうしても手が離せなくて……』と。

 そして、どんな話をしたか聞かせてもらおう。写真を送ってもらおう。また別なゲームで会えればいいさ――そう考えると、少しばかり気が楽になる。

 

 ブルー・プラネットは円卓の間を出て廊下を眺める。やはり誰もいない。静寂がこの荘厳な空間を支配している。

 静けさに居たたまれなくなり、指に嵌めたままにしていた転移の指輪を使い、第九階層の自室の前に転移する。そしてドアに右手をかざし、本人認証を行う。

 

 カチャリ、と軽い音が響き、ドアのロックが外れる。

 音も無く開きかけるドアを手で押し開け、プループラネットは自室に入る。

 

「ああ、そのままにしておいてくれたんだな……」

 

 何年も留守にしていた部屋だが、その中は<永続光>によって円卓の間と変わらない明るさを保っている。ギルドメンバーがその気になれば、この部屋を開けて中のアイテムを売り払ってしまうことも出来たはずだが、何も変わっていない。仲間たちは俺を裏切らなかったんだ……と、涙が込み上げてくる。

 

 部屋の中は、ドアから続く応接間とその奥の本棚までの空間を取り囲むように無数の宝物が並べられている。現実世界ではすでに入手が不可能な、貴重な木で作られた調度品が黄金や銀、紫、そして緑といった様々な色彩の輝きを放っている。この部屋の内装には金属や宝石による装飾は一切なされていない。あくまで自然の、生物由来の、そして仮想現実とはいえ動物を避けて植物からの、厳選された素材を使って創造された物だけがある。

 

 ギルド<アインズ・ウール・ゴウン>においてメンバーに割り振られた居室は基本的に皆同じデザインであるが、内装は各々の好みに応じて異なっている。そして、この部屋はブルー・プラネットが簡単なイラストを描き、美術的な才能にあふれる友人に頼んで作ってもらった部屋だ。細かい注文を出し、友人からもアイディアを貰って何度も作り直し、自分でも魔法やスキルで修正を繰り返して最終的に完成されたこの空間こそ、彼の内面を具現化したものだ。

 

 後ろ手でドアを閉めたブルー・プラネットは深呼吸をする。

 この部屋を最後に出たのはつい昨日のことであったような、自分の半身を取り返したような――奇妙な懐かしさと安らぎを覚える。

 そして歩を進め、ドアに近い場所にある大きな書棚の前に立った。並べられている本のタイトルを眺め、その一冊を取り出してパラパラとめくる。本のタイトルは「写真で見る世界の植物」――現実世界の古い本をデータ化して持ち込んだものだ。

 

 ブルー・プラネットは天井を仰ぎ見て、本を閉じ、元の場所に戻す。現実世界で失われた自然を記録したこの本も、もうすぐこの世界ごと消えてしまうのだろう。

 この美しい、自身の理想を体現した部屋も、あとわずかな時間を残して消え去ってしまう。映像記録ならば幾らでも残してあるが、こうして実際に触れることが出来る存在は――

 何か一つでも現実世界に持ち出すことが出来れば……そんな叶わぬ思いを振り払い、ブルー・プラネットは本棚の奥の机に向かう。

 

 机の前には愛用の椅子がある。現実の広川の部屋にある合成樹脂製の簡素な椅子とは違い、余計な装飾は無いが優美な曲線で形作られた、それでいて頑丈な木製の椅子だ。トレントの巨体を受けて軋んだ音を立て、それでいて決して壊れることのない、お気に入りの椅子。座面には織り込まれた金や銀色の繊維が幾何学模様を描き、肘掛けは紫を帯びた静かな黒が鈍く光る。

 

 ブルー・プラネットはその椅子に座る前にコンソールを開き、「装備解除」のコマンドを選択する。ブループラネットの体を覆っていた冠やローブ、指輪やアミュレット、そして自身の武器である「星の王笏(アースセプター):バージョン5」――魔法石を眼に嵌めた黒・紫・白の三匹の蛇が宝珠を銜えて絡み合い、その頭上に複雑な輪が幾つも組み合わされ浮かぶ神器級アイテム、昔のギルドとの義理から決して他のメンバーに使わせなかった専用装備――前回のログアウト時に装備していたものが身体から一旦消え、壁や箱の中のしかるべき場所に収まった形で再び現れる。

 ブルー・プラネットは、その箱に再度しっかり鍵をかけて仕舞い込む。

 

 そして、ブルー・プラネットは椅子に座り、肘掛を撫で、伸びをする。壁際に置いた大きな時計に目をやると、時計の針は43分を示している。

 

――もう少しこの部屋にいてもいいだろう。

 

 目の前に手を伸ばし、今の自分の姿に思いを馳せる。

 今の姿は印度菩提樹をモチーフとしたトレント。ギルド<シャーウッズ>の黄金期には高さ100メートル近い巨大な姿をとっていたが、戦いが始まると魔法で隠れやすい小さな姿をとるようになった。<シャーウッズ>の末期、ログインする仲間が減るとともに更に小さな――それでも全長3メートル近い――外装に切り替えたものだ。護衛もおらず一人で拠点を守るには、目立つ的では不利なのだ。何体もの巨木を影武者として用意し、本体は魔法で偽装した陰に潜む。これが一人でギルドを守ることを決意したブルー・プラネットの戦術であり、それを可能にしたのも<シャーウッズ>の中間報告書だ。

 

『トレント種はその巨体ゆえに他種族キャラクターとの共同作業に著しい困難を有する』

 

 様々なメディアに発表された過去のフィクションにおける樹人たちの例も示し、必ずしも巨大なモンスターがウケるわけではないことを説明した。そして、レベルの上昇とともに強制的に成長するシステムを改め、巨大化の代わりに多彩な植物系モンスタースキルの習得も選択可能にすべし、という提案が通ったのだ。これには、折角のトレント種を不人気なまま埋もれさせたくないという運営側の事情もあったようだが。

 

 ブルー・プラネットがクラン<ナインズ・オウン・ゴール>に加入し、それが拠点を得て<アインズ・ウール・ゴウン>になった後も――護衛となる仲間が出来た後も、彼はこの外装を変えなかった。

 かつての孤独を救ってくれた新しい仲間たち(アインズ・ウール・ゴウン)昔の仲間たち(シャーウッズ)ほど巨大ではなく、その彼らと同じ目線でユグドラシルを楽しみたかったのだ。

 

 壁に掛けられた大きな鏡に姿を映し、改めて自分の姿を見直す。体を覆う装備が外された今の姿は異形種として設定されたそのまま――何年もの間、「もう一人の自分」として慣れ親しんだ姿だ。

 切り株状の頭の上には細かな枝が何本も芽吹いて王冠のようになっている。これは、切り倒されてもなお新しい命を芽吹かせる植物に敬意を示した、ブルー・プラネット自身のアイディアだ。

 顔は、怒りの炎を宿す黒い穴で構築された大きな目と口で出来ている。そして、申し訳程度に開けられた小さな2つの穴が鼻の代わりだ。ネタをばらせば「カボチャお化け」の口を上下反転させて「への字口」にしただけのコピーだが、イビルツリーとも共通したデザインでもある。移籍後は友人となったデザイナーの力で修正を施し、より迫力のある姿になった――と友人は言ってくれた。

 胴体は、大人の腕ほどもある灰褐色の太い蔓が何本も束ねられ、血管のように幾つにも枝分かれしたものが融合して形成されている。全体としては人間の大人の胴体とほぼ同じ太さだが、身長との比率から細長い印象がある。

「融けかけたロウソク」――そんな表現をした仲間もいる。そう言った仲間はジョークのつもりかも知れなかったが、ブルー・プラネット自身はその表現が気に入った。

 そして、その胴体は二股に別れて末広がりの脚となり、さらに地を這って多数の根をもつ足となる。腕も同じように何本もの蔓が束ねられ、枝分かれし、指となって、緑のハート形をした葉を茂らせている。

 

 植物としても異形――日本人であるブルー・プラネットはそう感じる。

 

 異形種が集う<アインズ・ウール・ゴウン>には「これが木です」と澄ました外装より――初めてキャラクターを作ったときのモミの木より、今のこの姿が似合っていると、ブルー・プラネットは信じていた。

 あらためて、仲間の姿を思い浮かべる。肉塊や骸骨や沸き返る粘液、歪んだ巨人や悪魔など、悪夢から抜け出してきたような仲間たちを。

 彼らはその醜い姿をとった理由をもっていた。それは概して「理不尽に対する怒り」だった。

 ブルー・プラネットが印度菩提樹の姿をとったのも同じような理由だ。痛みを感じれば痛いと叫ぶように、苦しみはあえて醜悪な姿をとることで昇華されるものだ。

 

 <アインズ・ウール・ゴウン>は醜悪なメンバーたちにとって安らげる場所でもあった。

 青空の下で美しい森妖精となって音楽を奏でる毎日を過ごすより、この冥界に置かれた地下墳墓の中の日々が、よほど静かに魂を癒してくれた。現実世界で世界の終わりを予感しながら、金持ちのための薬を作る欺瞞に疲れた魂を。

 研究所では出来ないようなバカ話で仲間たちと盛り上がり、襲い掛かる敵を共に撃退した日々は本当に楽しかった。

 

――だが、その仲間を見捨てて去ってしまったのは自分だ。

 

 ブルー・プラネットは机の上に突っ伏す。

 今日は仲間から捨てられて一人で部屋にいる。因果応報というものだろうか。

 

「重すぎたんだ……」

 

 もし仲間がいれば聞いて欲しかった。自分は決して飽きてゲームを去ったのではないことを。

 アインズ・ウール・ゴウンを去ったときに言った「もう来ないと思います」という言葉は、この世界に半身を置き去る辛さを振り切るためのものだった。

 

 机の上に突っ伏したままのブルー・プラネットの耳に「ヮヮヮヮヮヮ……」という耳障りな音が届く。顔を傾け、その音源――仲間の一人がプレゼントしてくれた自走型掃除機ゴーレム――をみて苦笑する。仮想現実の世界に埃がたまるわけもなく、ジョークでしかないものだ。

 

「あの野郎……」

 

 枝のついた冠、緑の地に金の筋が走るローブを纏った姿を「メロンみてえだな」と笑った男。

 そして、スキルの関係で鎧を装備しない姿を「メロンって、芯、あったの?」と笑った男。

 あいつも今日、来ているのだろうか? イヤミの一つも言ってやりたいところだが。

 ブルー・プラネットは体を起こし、時計を見る。

 

 23:48。急がなくては。

 

 ブルー・プラネットは立ち上がり、アイテムを並べていた棚から「転移の指輪」と時間を示す鉄製のバンドを取り出し、装備する。

 そして、居室から出て再びドアにカギをかける。

 

「ロック確認、よし!」

 

 もう誰も来ない、まもなく消え去る世界で鍵をかける必要もないのに、と心の中で笑うが、クリーンルームで働いている癖だ。

 さようなら、と心の中で呟いて転移の指輪を起動し、第六階層に向かう。かつて自分が最も心血を注いで作り上げ、そしてその重さに耐えかねて友人たちに別れを告げる原因となったもの――あの夜空と一緒に最後を迎えるために。

 




捏造設定その1
ブルー・プラネットの本名「広川毅志」…「寄生獣」の市長、広川剛志から。
旧ギルドでの頑張りを認められ、チームリーダー(名ばかり上級職)に昇格してはや数年。

捏造設定その2
円卓の間を離れた時間…モモンガさんはすでに円卓の間を離れ、第十階層に向かいました。


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第5話 夜空

ようやく転移です。


 転移の指輪の発動と共に視界を覆った一瞬の闇が晴れ、ブルー・プラネットの目に第六階層の光景が映る。転移した先は円形闘技場(アンフィテアトルム)へと続く回廊の中――指輪に設定された第六階層の拠点の1つだ。広い石畳が続くその先には頑丈な格子戸が闘技場への道を閉ざしている。この格子戸は何者かが近づくとガラガラと喧しい音を立てて自動的に上がるように造られており、いつもなら気分を盛り上げるギミックだが、動作は遅い――重々しい、という表現も出来るが。

 

(今はもう楽しんでいる時間は無いな)

 

 ズシリズシリと重い足音を立てて歩きながら、ブルー・プラネットは腕に嵌めた時計を見る。

 23:50だ。サービス終了予定時刻まであと10分しか残されていない。

 

<霧化飛翔>(ウォーク・イン・クラウド)

 

 得意とするドルイド魔法の詠唱とともにブルー・プラネットの体は白く半透明になり、輪郭も定かではない霧の塊へと変わる。その半実体の霧の塊は宙に浮かび、音もなく駆け足の速さで滑るように移動する。そして、接近に反応しない格子戸をそのまますり抜け、闘技場の上空に舞い上がる。

 

「変わっていないなあ……」

 

 ブルー・プラネットの形を残す白い影は呟くと、深く息を吸い込んで、夜空を抱きかかえるように腕を大きく伸ばす。

 サービス終了が夜でよかった――アインズ・ウール・ゴウンに別れを告げた時、ユグドラシル標準時に合わせて第六階層の昼夜が自動で交代するように設定しており、この夜空を見るために「星の王笏(アース・セプター)」で空を操作する必要はない。

 

 ブルー・プラネットは闘技場の縁、空に向かって伸びる角の先に降り、そこに腰かけて夜空を眺めて誰に向かって言うともなく呟く。

 

「怖い……? 確かに、怖いね……」

 

 それは、初めてこの夜空を仲間たちに公開したとき、彼らから返ってきた感想だ。

 あのときは「そうかな?」と軽く聞き流した感想だが、何年も経ってあらためてこの夜空を眺めると、彼らの気持ちも分かる。全天を覆う透き通る闇は見る者を吸い込むように深く、そこに浮かぶ星々の瞬きは何かを語りかけてくるようだ。「怖い」という感想は当たっているかも知れない。

 

 現実の世界では、空は常に厚い灰褐色の雲で覆われている。大気中には微小な有害物質の粒子が漂い、遠くまで見通すことも出来ない。そんな世界に暮らす者にとって「澄んだ空」という存在は異質な概念だ。22世紀になって生まれた若い世代では「青い空」という表現にすら違和感を覚える者も増えているという。彼らは「空が青いなんて気持ち悪い」と言うのだ。

 

 設定上では澄んだ青空が広がる上層のワールド――例えばアルフヘイム――でこの問題は起きた。ユグドラシルの初期バージョンでは透明感のある空が実装されていたのだが、これが不評だったのだ。

 調子に乗ったプレイヤーが何処までも高く飛び、システム上の飛行高度制限から仮想空間に設けられた天井に衝突して興を殺がれる――そんな事故が頻発した。だが、これは<飛行>の効果に制限やペナルティを加えることで解決した。

 空の仕様が変わる決め手となったのは、プレイヤーから寄せられた意見だった。

 

「空が高すぎて、落ち着かない」――その意見に多数のプレイヤーが賛同した。

 

 そして、ユグドラシルの青空は、太陽や流れる雲といったエフェクトを貼り付けた平坦な蓋となった。昼夜の変化は単純な色彩の変化で表され、人々はその覆いの下でゲームに興じた。

 

 空が本来あるべき姿を異質なものとして認識する人々――ユグドラシルを始めたとき、ブルー・プラネットは嘆息した。すでに人類は生物としての本能すら歪められていると考えたとき、ブルー・プラネットの背中に冷たいものが走った。そして、自分たちの拠点――ナザリック地下大墳墓――を得て、第六階層の改修を任されたとき、ブルー・プラネットは決心したのだ。

 仲間たちに世界の本当の姿――美しい世界を思い出してもらおうと。

 

 新たな拠点ナザリック大墳墓は、空が見えないワールド「ヘルヘイム」にある。ワールドの空は改変できないが、拠点内の空ならば幾らでも弄ることが出来る。

 ブルー・プラネットは課金アイテムを使って第六階層の天井にエフェクトを付け加えることに熱中した。元は単調なテクスチャであったものを澄んだ青空へと貼り直し、さらに流れる雲、嵐の空に閃く稲光、それに天候操作の魔法を連動させて、地上へと降り注ぐ雨等々の気象を再現した。

 しかし、そのままでは常に真昼の空でしかない――そう考えて、朝焼け、夕焼け、春の空、夏の空……とバリエーションを増やしていった。ただの夕焼けでは物足りない――そう考えて、午後5時の夕焼け、午後6時の夕焼け……様々なエフェクトを考えたとき、ブルー・プラネットはその方法ではキリが無いことに気が付いた。

 

 ブルー・プラネットは、第六階層の空を根本的に改造することに決めた。

 単純なエフェクトの切り替えではなく、空の状態をシミュレートする――その管理のために旧ギルド武器「大地の王笏(グランドセプター)」は時間を操作するアイテム「ヴェイドの宇宙儀(ヴェイズ・オレリー)」と組み合わされ、ヘロヘロ達プログラマー陣の協力もあってブルー・プラネット用の装備「星の王笏(アース・セプター)」に作り直された。この新装備によって、この階層の空のエフェクトを時刻や季節ごとに連続的に変化させ、さらに天空を回転させて時間の経過を表現できるようにまでなったのだ。

 

 そして、夜空を得た第六階層はさらに改良された。

 はじめに創られた夜空には照明用の月しか浮かんでおらず、あとは漆黒の背景だった。

 ブルー・プラネットは最初にこの月を何とかしようと考えた。

 本物の月の美しさ――それを知るブルー・プラネットはユグドラシルの用意する「月」のエフェクトでは満足できず、天文写真をデータ化して持ち込んだ。

 次に、星々――現実世界で星図を購入し、それに従って星々のエフェクトを貼っていった。星図を拡大して貼り付けるだけでは朝焼けや夕焼けを再現できない――ここには大きな赤い星、ここには明るく輝く青白い星、ここには星雲を……星図の無数の光点をコピーし、個別に調整して貼りつけていった。

 気の遠くなるような作業だったが、後ろを振り返ると、貼りつけた無数の星々が瞬いている――その煌きに元気を取り戻した。再び前を見ると、まだ何もない漆黒の空間が広がっている――ブルー・プラネットは頷いて黙々と作業を続けた。

 単純な作業だが、努力の跡が形となって残る――それが嬉しく、楽しかった。

 

 メンバーの皆がログアウトして誰も居なくなった深夜に第六階層を「夜空」に切り替え、黙々と作業を続けた。そのまま朝まで作業を続け、睡眠不足で仕事にならなかった日もあった。

 試行錯誤の結果、数か月を費やして星の貼り付けが終わった後は、空の透明感を調整して、星々が太陽光の散乱によって隠される朝焼けや夕焼けを再現した。大気の透明度は、人類が誕生する以前の考古学データから計算された――これは自分の手には余る仕事であったため、メンバーにいた大学教授に協力してもらった。現実世界の上司と同じく中二病を患っていたその大学教授は喜んで協力してくれた。

 そのおかげで最終的には、太陽や月の動き、地球の軌道要素も組み込んで、カレンダーを設定すれば月食や日食も正確に再現できる程になった。

 

 第六階層の改装はギルドメンバーに伝えていたが、実際の作業は全て秘密裏に行った。手伝おうかと言ってくれた仲間もいたが、「ビックリさせたいんです」と言って断った。

 

 そして、ブルー・プラネット自身が納得出来たところで皆に夜空を披露した――その時の皆の反応を思い出すと、今でも自然に頬が緩む。ユグドラシルではキャラクターの顔は動かないが、現実世界の顔はきっと笑っているのだろう。

 

 時間を60倍速に設定し、昼間から翌日の朝焼けまでを20分間で再現するようにして仲間たちを第六階層に呼んだ。

 

「えー、長いこと掛かりましたけど、第六階層の空の改修が終わりましたんで、お披露目します」

 

 ブルー・プラネットの挨拶に、異形の仲間達が拍手した。

 

「まず設定は2130年の9月23日、新京都、正午。湿度は50%として、晴れの……」

 

 そこまで言ったとき、仲間からブーイングが飛んだ。難しいことはいいから早く見せろ、と。

 それではと、ブルー・プラネットはもったいぶって「星の王笏」を振り回した。真昼の太陽が西に移動して青空が夕焼けに変わり、やがて天頂から深い藍が広がっていき、星が一つ、また一つと現れた。

 

「おー、お見事! やるもんだなぁ!」

「あ……あれが一番星って言うヤツ? なーるほど、これが『金星』かぁ」

「きれいだねぇ」

「ぼく、こんなの見るのは初めてだよ!」

「ほほぉ、すごいっすねえ……」

 

 仲間たちが口々に賞賛の声を上げるなか、第六階層の空は回転を続けた。

 地平に残っていた青も消え、深まる闇の中を月と星明りだけが皆を照らしていた。

 

「すごいけど、ちょっと怖い」

 

 メンバーの口数が少なくなり、誰かが呟いた。

 

「怖いけど、なんだか懐かしい……」

 

 誰かが静かに言い、そして、誰ももう口を開かなかった。しばらくの間、皆が言葉もなく空を見上げていた。

 夜空は回転を続け、やがて朝が来た。地平に赤みが差し、青白い染みが広がっていったかと思うと、まばゆい光が走り、太陽が姿を現した。

 ほぅっと誰かが息を吐き、時間停止が解けたかのように皆が動き出した。

 

「いやぁ、良いもの見せていただきました」

――いつも正論を押し付ける聖騎士が神妙に頭を下げた。

 

「ほんと、感激ですよ!」

――いつもニヒルを気取っている大妖術師も子供のように声を弾ませていた。

 

「ほんっとうに素敵でした……」

――いつの間にか、ブルー・プラネットの横でピンク色の塊がプルプル震え高音を発していた。

 

 だが、今は空を眺める仲間もいない。

 物音一つしないこの空間に瞬く星の光がさらにブルー・プラネットの孤独を深める。

 

 そうだ、この重さだ――ブルー・プラネットは夜空に向けていた目を伏せる。

 

 仲間と一緒にゲームを楽しんでいたときも、ふと一人で第六階層を訪れて夜空を見上げることがあった。そんなとき、青白く光る月はブルー・プラネットを咎めているように、瞬く星々はブルー・プラネットを嘲笑っているように感じられたのだ。

 

『世界の終わりに、お前は何をしているんだ?』

 

 それは自問だった。現実の世界では月も星も姿を隠し、地上からは動植物の姿が消えている。世界を汚し尽した人類の一人であり、紛い物の世界を創造して星空を眺めている俺は何者なんだ――そんな疑問だった。

 

 そして、ブルー・プラネットは、広川毅志は、その問いから目を背けた。

 

「もう来ないと思います」

 

 居室に残してあるアイテムの処分をギルド長のモモンガに一任し、別れを惜しむ仲間たちの声を背に、消え入るような声で宣言してブルー・プラネットはログアウトした。

 帰還した現実世界の自室で広川は静かにプラグを外し、椅子に座って俯いたままでいた。

 

 あの問いに対する答えは未だに無い――再び夜空に会いに来た自分は愚かだと思う。

 地上では仲間たち、そして他のプレイヤーも一緒に最後のバカ騒ぎをしているのだろう。

 世界の終わりを忘れるために偽りの世界を創り出し、そしてその偽りの世界が終わる瞬間まで空虚な宴を続ける愚物たち……だが、自分も彼らと違いは無い。

 心血を注いで作り上げたこの空も、所詮は紛い物だ。現実を忘れるために用意された蜜だ。そして、それは現実の世界の終わりを待たず、今日、消え去る。

 

 くだらないことだ……それは分かっていたはずだが。

 ブルー・プラネットは座っていた闘技場の角から飛び降り、そして上昇して天井の近くで止まる。そこには不可視の壁があり、アイテムを操作しない限りエフェクトに触ることはできない。

 枝を伸ばして不可視の壁越しに星々を撫でる。

 すまなかった、と心の中で謝りながら。

 

 人類は努力したのだ。汚染を減らすため、あるいは取り除くために新技術を開発しようとした。

 だが、結局、そのような「ご都合主義(デウス・エクス・マキナ)」は現れなかった。目先の利益のために未来を捨てる愚者たちが力を握り、そして、全てが破綻した。

 ユグドラシルという世界が終わりこの夜空が消え去った後も、現実の世界では滅びへと続く日常が待っている――ブルー・プラネットは長い溜息をつく。あとわずかな時間でこの星々とも別れを告げなければならない。いや、星々が我々に別れを告げるのか、と思いながら。

 

 ブループラネットは時計を見る。

 

――23:59:37。

 

 ブルー・プラネットは不可視の壁に顔をくっつけ、せめて心の中に残そうと瞬きもせずに星を見つめる。

 あと数秒でサービス終了の時間だ。サービス終了はどんな形で訪れるのだろうか?

 過去の回線トラブルで突然接続が切れてしまった時のことを思い出す。あの時のように目の前の景色が歪んで消え、現実世界に引き戻されるのは気分が良いものではない。特に、この夜空の星々が目の前で消え去るのは。

 

 星に背を向けて目を伏せる。腕時計に目を落とし、心の中でカウントする。

 

 10、9、8、7……

 

 もうじきだ。

 

 4、3、2、1……ゼロ……あれ?

 

 ブルー・プラネットは戸惑う。ヘッドセットに視界が切り替わらない。霧でぼやけて見間違えたかと思ったが、見直しても時計が示す数字は予定時刻を過ぎている。

 

00:00:02

00:00:03

00:00:04

……

 

 あわてて後ろを振り返る。

 星空は依然として目の前に広がっている。相変わらずブルー・プラネットを嘲笑うように。周囲の風景も変わっていない。月は青白い光を放っている。眼下の森は月明かりに照らされ、樹々の黒い影が風に揺れている。

 

「え?」

 

 ブルー・プラネットは間抜けな声を上げ、困惑して再び腕時計に目を遣る――00:00:12だ。

 間違いない。予定時刻を過ぎている。ユグドラシル標準時に同期している時計が狂っているはずもない。

 

 ふむ――ブルー・プラネットは首を捻って考える。

 確かにサービス終了は0時丁度とアナウンスされていた。しかし、それは飽くまでユーザー向けの予定だ。業務終了時刻になっても残務整理によって時間が延びることはよくある。

 放っておいても、10分もすれば警告が流れるだろう。「まだログアウトされていないプレイヤーは速やかに――」と。

 ブルー・プラネットはログアウトしようと試みる。自分の意志でこの夜空から去るのは不本意だが――そう思って自嘲する。不可抗力を言い訳にして逃げようとした卑怯者め、と。

 

 だが、ログアウト操作のコンソールが出てこない。システムが働いていないのだろう。

 では、未だにこの仮想空間が続いているのは何故だ?

 ユーザー側の操作はすでに遮断されているが、サーバーからの感覚情報は続いている。

 これこそ不可抗力だ――そう考えて、ユグドラシルの運営にログアウトを頼もうと連絡をする。

 

 繋がらない。

 

 問い合わせも出来なくなっているのかとブルー・プラネットは推理する。そして、強制的に排除されるのを待つことにする。自分で出来ることは無いのだから。

 

――しばらく待ってもアナウンスが無い。強制的な排除も起きない。処理に手間取っているのか。

 

 北欧神話を基とするユグドラシルには九つの世界があるとされ、各々の世界を管理するサーバー群は異なっている。それらを一度に落とすとなると大変だから、順々にユグドラシルの世界が消えていくのかもしれない。上の世界から順に落としていくとなると、このヘルヘイムは最後の方になるのだろう――ブルー・プラネットはそう考えて納得する。

 

 終了処理によって世界はどうなるのだろうか? 再度疑問が沸き上がる。

 世界ごと一度に消えるのか、あるいは、1つの世界の中でも徐々に消えていくのだろうか?

 空の端、地平線の向こうから世界が無に帰していく……あるいは虫食い状に崩壊していくのか?

 ブルー・プラネットは興味を惹かれ、外の様子を見てみようと思い立つ。

 

 そして、もう一度だけ恐々と星々を見つめ、まだ消えていないことを確認すると目を逸らし、そのまま地表部に転移する。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 指輪で転移したナザリック地下大墳墓の地表部――転移できる最上層部――は、正確に言えば地上の霊廟と地下第一階層とを結ぶ階段である。第一階層への通路が扉でふさがれているために「地表部」として認識されているが、霊廟に出るまでには階段を上る必要がある。

 

 ブルー・プラネットは、階段の上を霧となって漂い、霊廟へと移動する。

 辿り着いた地表の霊廟は崩れかけた神殿のような構造をしている。床には死体を安置する台が点在し、天井には複雑に入り組んだ稜が巡らされている。半実体の霧となったブルー・プラネットにはそれらをすり抜けることが可能であり、頭をぶつける心配はない。それでも、目の前に構造物が迫るのはあまり気分が良いものではなく、格子戸を抜けたときのように「えいやっ」という気合が必要だ。

 

 障害物に当たらないように天井近くの中空を白い霧の塊となってフワフワと漂いながら、ブルー・プラネットは霊廟の正面入り口に向かう。その入り口からは明るい光が差し込んでおり、その外には――存在するはずの毒の沼地ではなく、空から降る柔らかな光に照らされた夜の草原が広がっている。

 

「なんやこれ!」

 

 ブルー・プラネットは思わず叫ぶ。急いで霊廟を出ると地上に降り、実体化して草を触ってみる。ごく普通の草――種類は分からないが、現実世界で育てている植物と同質のものだ。

 

「ユグドラシルの地表テクスチャと違う……」

 

 これが通過時にダメージを与える鋭い棘を生やした草であったら納得できないこともない。しかし、ユグドラシルでは何ら特別な効果を持たない普通の草は「ただの草」としてその外見は簡略化されている。それは単に緑色の薄い板状突起であり、その上を移動するとカサカサと音を立てるように設定されただけの存在だ。特殊な効果――ゲーム進行において個としての意味をもつ存在だけが細かなテクスチャをもつ。

 今目の前に存在するのはユグドラシルの地表では見たことの無い実写的な植物であり、それでいて触ってみても何ら特殊効果は感じられない。痛みも、体力回復の感覚もない。

 何の効果もない草――それでいて複数の種類の植物が混在する群落であり、同種とみられる草の中でも成長の度合いには差があり、背の高いもの、低いものがランダムに混じっている。そんな複雑なテクスチャは――

 

「あり……えない……」

 

 ブルー・プラネットは呻き、地面を撫で、草を引き抜いて、手に取って調べる。ブチブチと音を立てて引き千切られた草が何か小さく悲鳴を上げたように感じて一瞬躊躇したが、今はそんなことに気を取られている場合ではない。

 この草はただのテクスチャとも違う。手に取ることが出来るアイテムだが、何の効果もないアイテムを地面に点在させるなど考えられない。誰かがハズレガチャをぶちまけたのかとも思ったが、「ただの草」――そんなアイテムがこんな作りこみであるはずがない。何より、そんなアイテムが毟って引き千切ることも可能な破壊対象となるなど――

 

「カツラじゃあるまいし」

 

 草の塊を引き抜いて、頭の上に乗せてみる。土の塊がボロボロとブルー・プラネットの顔を撫でながら落ちる。頭部にフィット感は無い。やはりカツラではない。

 

 周囲の草を手当たり次第に毟りながら、ブルー・プラネットの脳裏には無数の疑問が浮かぶ。

 

 引退後にユグドラシルがアップデートされ、これほどリアルな地表が再現されていたのか?

 いや、それは考えにくい。一目で豊かな生態系が形成されていると分かるこれほどの地表を再現するには、それ相応の生態学者の協力が必要だったであろう。そんなプロジェクトがあったなら、たとえ他の研究所でも噂が届いているはずだ。そもそも、あの運営がそこまで気を使うとは思えない。

 

 では、プレイヤーの誰か――自分の様に生態系に詳しい者がここまで作りこんだのだろうか?

 いや、ここは霊廟の外――拠点外のはずだ。拠点外のフィールド・テクスチャを改変できるはずがない。改変できるのは、あくまでギルドとして確保された拠点の領域内だけだ。

 

 では、別なギルドの――町や公園のような開放型の領域と重なり合っていたのか?

 いや、他のギルドの目の前で開放型の領域をもつギルドを展開することも考えられない。特に悪名高いアインズ・ウール・ゴウンの目の前に開放型の領域を展開する命知らずなギルドが存在するとは考えにくい。

 

 では、何らかのバグで座標が狂い、他所のギルドの作り込んだ地表テクスチャが飛んできたのか?

 ……これが一番可能性が高い。今までにも座標のバグでいきなり洞窟が空に出現した等の報告がある。そんなバグはアップデート時に多く、特に今日はサービス終了作業でサーバーも弄られているはずであり、エラーが多発しても不思議ではない。

 

 一応の納得をして、ブルー・プラネットは引き千切った草をよく見ようと顔を近づける。

 どこの誰が作ったのか知らないが、本当に良く出来ている――そう感心して。

 

 草に顔を近づけると、青臭さが鼻をつく。草の香りだ。

 ユグドラシルでは匂いまでは再現していないはずだ――困惑してブルプラは空を仰ぐ。

 

「あ……月……?」

 

 頭に乗せた草の塊がずり落ちる。見上げた空には薄い雲がかかっており、そのベールは月明りでの淡く輝いている。周囲を見ると、遥か遠くに山脈が伸びており、その上に満月に近い月が雲の向こうから滲むような青白い光を放っている。

 

「ヘルヘイムから別のワールドに移されたのか?」

 

 ナザリック地下大墳墓が位置していたヘルヘイムは厚い雲に覆われた闇の世界だ。光源として月が出ているのはもっと上のワールド――例えばアルフヘイムのような――に限られる。

 ブルー・プラネットは一瞬戸惑ったが、これでサーバーのバグ、おそらくはサービス終了の手順にともなう混乱が起きているという仮説が説得力を増すと考えて頷く。

 草の臭いは相変わらず原因不明だが。

 

 一体どこのワールドに飛ばされたのか――ブルー・プラネットは周囲を見渡し、再び体を霧と化して空へ舞い上がる。地形を確認するため高度を上げ、雲を抜ける。

 そしてブルー・プラネットは硬直する。見てしまったのだ。魂を奪う光景を。

 

 昔、希少な植物を採取するために初めて海外に派遣されたときに飛行機の窓から見た夜空――厚く漂う汚染物質の雲海を抜けると、その上には澄み切った藍色が広がり、白い月が素知らぬ顔で気高く煌々と輝いていた。雲を抜けてきた下界の者なぞ知らぬとでも言うように。そして、女王たる月を取り巻くように輝く可憐な無数の星々……

 広川は飛行機の小さな窓に顔をつけ、食い入るように月を見つめた。あの景色――本物の夜空――を思い浮かべながら第六階層に星空を作り上げたのだが……視界を妨げる窓がない今、あの記憶を上回る光景が直接、目の前に広がっている。

 

 ブルー・プラネットの足元には、ゆっくりと波打つ薄雲が遥か遠くまで広がり、月光に染められて淡い銀色に輝いている。その上には藍色の硬質な空間に星々が小さな穴から漏れるように光を散らしている。そして、月が――見たこともない大きな月が清浄な白い光で全てを照らしている。

 

 ブルー・プラネットは圧倒される。この銀の絨毯で敷き詰められた玉座の間、あるいは神殿のような――神聖な空間を声で汚すことはできず、息も潜めてただ呆然と月を眺める。

 やがて月に向かってゆっくりとブルー・プラネットの腕が伸ばされ、その視界で枝の先端が月と重なる。霧となった体で散乱されて月光が枝の輪郭を伝い、白く細く光らせる。枝を覆う若葉の縁が濡れたように煌き、ブルー・プラネットは月の光が白銀の流れとなって自分に向かう幻をみる。

 

 澄んだ大気と巨大な月が距離感を失わせる。この仮の肉体が月の光に溶けていく錯覚に誘われ、ブルー・プラネットは月に向かって吸い寄せられるように飛行する。

 

 もっと速く、もっと高く……

 

 言葉にはならない。しかし、その意識に反応して魔力が消費され、ブルー・プラネットの霧の身体は加速し、銃弾のように大気を切り裂いて飛行する。しかし、どれほど飛んでも月は動かない。近づけない。ただ遥か下で雲の絨毯だけが揺らめいて後方へと流れていく。

 ブルー・プラネットの魔力が更に費やされ、速度はさらに増す。

 平野を、山脈を飛び越えてブルー・プラネットはひたすらに飛ぶ。

 

 やがて、ブルー・プラネットの魔力が尽きる。

 急に意識が霞み、激しい眩暈とともに脳が締め付けられるような不快感が押し寄せ、ブルー・プラネットは自我を取り戻す。そして気付く――実体化しつつある身体を切り裂くような低温ダメージに。何キロ上昇したのか――高度が上がりすぎたため、周囲の気温が危険なほどに低下しているのだ。

 

 「<対低温防御(レジスト・コールド)>」

 

 反射的に、寒さに対抗するための魔法を叫ぶ。

 それが限界だった。最後の魔力が絞りつくされ、維持できなくなった霧の体が完全に実体化する。突如として重力を感じたブルー・プラネットは空中で体勢を崩し、身を守るように体を丸める。体を覆う葉がバタバタと風で煽られ悲鳴を上げる。そして、そのまま意識を失い、ブルー・プラネットは地表に広がる黒い染みのような森にゆっくりと、吸い込まれるように落ちていく。

 

 はるか遠く、ナザリック地下大墳墓の奥深くでモモンガが仲間に呼びかけた<伝言>(メッセージ)――その魔力の糸がブルー・プラネットに届いたのは丁度その時だった。しかし、もはやブルー・プラネットからの反応はなかった。

 




そのころ、第六階層。
アウラ 「あれー? さっきまで至高の御方がいらっしゃったような気配があったんだけどなー? あっ、モモンガ様だ……とうっ!!」

そのころ第十階層~
セバス 「ふう……地上は遠いですね」

捏造設定:空の透明度など

どうでもいい捏造設定
「カツラ」……ユグドラシルの外装を弄るための簡便なアイテム。物理・魔法の両方によって破壊が可能。<上位道具破壊>によって破壊すると、一瞬、キャラクター本来の髪の毛まで消える。その瞬間を狙って写真を撮る専門クランも存在した。


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第6話 目覚め

能力説明回的な何か。


 深い森の中、苔むした大木の立ち並ぶ中に、小さな印度菩提樹が倒れている。

 それは魔力を使い果たして墜落したブルー・プラネットだ。完全に意識を失い、ピクリとも動かない。月明りに見守られ、ブルー・プラネットは眠り続ける。

 やがて東の空が白み、小鳥たちの鳴き声が聞こえ始めるころ、その菩提樹は微かに動き、呻く。

 

「う……気持ちわりぃ……」

 

 森の中に差し込む日の光がブルー・プラネットの体を照らし、意識から霞が晴れていく。

 

「うぉ……今何時だ?」

 

 腕の時計を見る。まだ6時半程だ。強い眠気があり、体が重い。

 

「あ……まだ大丈夫か……やべ、昨日寝落ちしちまったか」

 

 以前、ベルリバーと一緒に作り上げたナザリック地下大墳墓内の温泉施設、その試験運転で味わった仮想現実の風呂の気持ち良さについウトウトしてしまい、後ろから「寝るな」と叩かれたことを思い出す。

 ブルー・プラネットは起き上がり、地面に胡坐をかいて首を回す。日の光が心地よく、頭痛は次第に治まっていく。そして、頭痛に隠されていた別の不快感、渇きが強く感じられる。

 

「みず……みず……」

 

 辺りを見回し、ここは仮想現実の中だということを思い出す。

 仮に目の前に水があってもそれはデータでしかなく、飲んでも喉の渇きは癒されない。この渇きは現実世界の体が欲するものだ。

 

 仮想現実に没入して遊ぶゲームが普及し始めたころ、現実を忘れて長時間遊びすぎ、健康を害する者が続出して社会問題となった。今は法律が整備され、飲食に関わる感覚――嗅覚や味覚――はシステムから除外されている。また、空腹感や排泄欲求、眠気などの生理的欲求の抑制も同様に厳しく規制されている。その他にも、ゲーム内の刺激と現実空間での火災などを区別できるように痛覚や熱感などの外的刺激に対する感覚は現実からのものが優先されている。

 

 ブルー・プラネットは現実世界で水を飲むためにログアウトしようとする。しかし、空中をタップしてもコンソールが開かない。

 

「え? 困るやん!」

 

 ブルー・プラネットは叫び、現実の感覚に集中する。今の俺は椅子に座っているはず。腕を持ち上げ……この辺りに水を入れたコップを置いたはず……。いや、その前にヘッドセットを外さなければ――。

 

 だが、何の感覚も無い。集中すれば現実の肉体感覚も取り戻せるはずだが……それが無い。

 腕に相当する樹の枝がむなしく空中を彷徨うだけだ。ヘッドセットを外そうとする空しいパントマイムを続ける間にも、ますます渇きは酷くなっていく。

 水、水……と考えるブルー・プラネットに感覚が伝わってくる。それは小川のせせらぎだ。

 

『ここから52メートル先、幅2メートルほどの小さな川がある』

 

 目の前の空間とは別の、もう一つの視界が情報を伝える。

 喉の渇きのあまりここが仮想現実空間であることを忘れ、思わずブルー・プラネットはその方向に走り出す。ズシンズシンと太い脚で地面を踏み鳴らし、森の中の大小の樹々を掻き分けて。

 3メートル近い巨体に押しのけられ圧し折られる灌木の騒めきが煩いが、それにかまっている暇はない。ともかく、その川を見付けなくては――それだけで頭が一杯になる。

 

 そして、その川は存在した。

 理性よりも生理的欲求から、ブルー・プラネットは川に身を投じる。

 

 バシャリ

 

 浅い水辺に投じられた菩提樹の体が水を跳ねさせる。

 

「ふぅー……生き返るわ……」

 

 渇きを癒されたブルー・プラネットは、冷たい水の感触を楽しむ。しばらく動かずに水を堪能し――そして気が付く。自分の顔が水の中に浸かっていることに。そして自分が呼吸していないことに。

 

 ここでようやく目が覚めたブルー・プラネットはガバリと身を起こし、必死で頭を働かせる。

 

(どういうことだ?)

 

 川の水に顔が浸かっていたにも関わらず、呼吸が妨げられない。これは、この水が幻覚であることを示唆している――当然だ。ここはまだユグドラシルの仮想現実空間なのだ。

 ならば、その水で癒された喉の渇きも幻覚なのだろう。脱水によって相手の行動を阻害する魔法はあるし、逆に水を過剰に与えて相手を溺れさせる魔法もある。溶岩地帯で熱気とともに乾燥によるバッドステータスが付くこともあるし、逆に川で溺れることもある。

 しかし、それらの感覚は現実の「喉の渇き」とは区別でき、それ程の苦痛はもたらさず、動きが遅くなる等の行動阻害が主だったはずだ。

 先ほどの渇き――激しい生理的な欲求――とは明らかに違う。

 

(現実とゲームを隔てる感覚がおかしくなっている?)

 

 あらためて現状を整理する。

 

 昨夜はユグドラシルの最終日だったこと、

 時間が来ても強制ログアウトされなかったこと、

 ナザリックの外の光景が変化しており、草が生えて匂いまであったこと、

 月の美しさに惹かれて飛び、突然の不快感に意識が霞んだこと、

 

――昨夜の記憶はそこで途切れている。だが、現在の異常事態は昨夜の異変の影響だろう。

 

 あらためて自分の姿を見る。

 ユグドラシルのキャラクターのまま……いや、目を凝らしてみるとゲーム時よりもさらに生々しい「樹木」の姿となっている。葉の葉脈は細かく、瑞々しく、柔らかにカーブを描く。

 腕に生えている葉の一枚を弄ってみる。研究所で触った現実の植物の葉と同じに見える。いや、遥かに細かいところまで良く見える。ゲームでは作りえない、1つ1つの細胞までも――

 

「痛ッ!」

 

 弄りすぎ、葉の一枚が取れる。同時に腕の毛を抜かれたような、ささくれた指の皮を引っ張って取ったときのような、軽い痛みを感じる。

 ブルー・プラネットは取れてしまった葉をしげしげと眺める。どう見ても本物の葉だ。指でそれを磨り潰すと青臭い匂いが鼻をつく。口に入れて噛んでみると、わずかに苦い。

 

「嗅覚と味覚もか……」

 

 喉の渇きに加えて、ユグドラシルではサポートされないはずの幻覚にブルー・プラネットは困惑する。そして、視覚と聴覚の異常な亢進にも。

 触覚についても、ユグドラシルでは葉の一枚ごとのダメージ判定などなかったはずだ。

 ありえない――そんな思いを押さえつけ、現状を説明する幾つかの可能性を考える。

 

 ユグドラシルを引き継いだ新ゲーム?

 否。ここまで細かいテクスチャを再現できる技術は無いし、設定した覚えもない。味覚や嗅覚をコントロールすることは法律で固く禁じられている。何より本人の承諾なしに新しいゲームを始めさせることは誘拐とみなされ、厳罰が科される。

 

 では、夢か?

 否。夢というにはハッキリしすぎている。光景も、意識も。

 

 では……考えたくないが……精神を病んで妄想の世界に?

 これは否定できない。ゲームをやりすぎて一時的に現実との区別がつかなくなった症例は報告されている。だが、自分はユグドラシルにログインしたのは数年ぶりだ。それも30分間程度で「ゲームのしすぎ」にはならないだろう。

 

 サービス終了時の影響で脳に変な負荷がかかったか……?

 その可能性が高い。詳しいことは分からないが、ユグドラシルの設定や世界観が脳に焼き付いて、現実と幻覚との区別が曖昧になっている可能性だ。

 

 ブルー・プラネットは何度も顔を叩き、森の中を歩き回り、正気を取り戻そうとする。

 しかし、この世界は消えない。目を擦り、体を動かしても目が覚めない。現実世界の体の感覚を必死に探り、見えないプラグを抜いてヘッドセットを外そうとしても枝は虚しく空を切る。

 

 やがて、ブルー・プラネットはへたり込む。肉体的ではなく、精神的に疲れ果てて。

 

「もう……今、何時よ?」

 

 時計を見ると、8時を回っている。とっくに出勤の時間だ。

 研究室の皆が昨夜の報告を待っているだろうに――唇を噛もうとして、唇が無いのに気が付いた。

 

「くそっ!」

 

 空を仰いで悪態をつく。誰に文句を言えばいいのか……そして、GMコールを思い出す。

 昨晩、ユグドラシルの終了時刻が延期されたと考え、連絡を取ろうとしたが、通じなかった。

 だが、未だに現実世界の自分はヘッドセットを被っているはずで、ログアウトせずに寝落ちしたならば回線を通じてユグドラシル運営に救援を要請することだって可能かもしれない。

 

 精神を集中し、GMを呼び出す。ユグドラシルのシステムはヘッドセットによって思考を読み取り、ゲームにフィードバックする。パニック状態のプレイヤーを助けるためにも、緊急時にはコンソールを開く予備動作無しに意志だけでGMが呼び出されることになっている。

 

『どうなってるんですか? 会社に遅刻ですよ!』

 

 そんな文句を考えながら、ブルー・プラネットは何度か救助を求める思考を送る。

 しかし、運営からの返答はない――ブルー・プラネットは、一縷の望みが途絶え、頭を抱える。

 だが、返事が来ない以上は仕方がない――そう考えると、奇妙なほどに気分が落ち着く。

 

 ブルー・プラネットはGMコールを諦め、しばらくはこの世界を観察しようと考える。

 自分の精神が異常をきたして幻覚を見ている状況は、確かに恐ろしい。しかし、それを恐れる心が更に恐ろしい幻影を生み出し、事態を悪化させることも考えられる。

 今見ているこの景色は美しい。悪夢を見ているのではないのだから、心を落ち着けよう。

 

 そうだ、まずは拠点(ナザリック)に帰ろう――そう思いつく。

 例えユグドラシルのサービスが終了していても、ここが自分の脳に焼き付いたユグドラシルの残滓ならば、ナザリックが消えているはずがない。それは最も強固な妄想として残っているはずだ。

 あの部屋、そしてあの夜空が消えるはずがない――現に昨夜、そこから飛んできたのだ。自室でゆっくり休んで正気を取り戻す方法を考えよう。待っているうちに救助が来るかもしれないし。

 

 ブルー・プラネットは転移の指輪を発動させる。

 しかし、指輪は一瞬だけ力の揺らめきを感じさせ、そして沈黙する。

 ブルー・プラネットも沈黙し、指輪を眺める。

 

 アイテムは使えないのだろうか? 時計は動いているようだが。

 

 他のアイテムは、と考えて自分の体を眺める。転移の指輪と時計以外、何も身に着けていない。

 溜息をついて首を横に振り、おおっ、と思い出してアイテムボックスを開く動作をする。

 コンソールは開かないが、胸の前の空間に戸棚があるかのように右手を滑らせる。

 予想通り空間に窓が開き、幾つかのアイテムが並んでいるのが見えることに安堵する。

 

 アイテムボックスの中のアイテムは、呪いの仮面(嫉妬マスク)、木彫りの人形、低レベルの治癒や解毒ポーション、そして調合用の空瓶も何本かある。そして、数千ゴールド相当の宝石が幾つか……

 

「ろくなものがねぇ!」

 

 ブルー・プラネットは呪いの仮面を取り出して地面に叩きつけ、再び落胆する。

 呪いの仮面は所有者の放棄の意志を感知し、地面から消滅して再びアイテムボックスに戻る。

 この仮面はそういうものだ。嫌がらせのように与えられ、捨てても戻ってくる、無価値な物……

 

 そうだ。ゲームを離れる際に、価値があるアイテム類は仲間たちに譲ってしまったのだ。

 旧ギルド<シャーウッズ>から引き継いだ装備は部屋に置いてある。

 仲間たちがすでに所持していたアイテム類――時間停止対策の時計とか各属性攻撃への耐性の指輪とか――も引き取り手のないままに部屋の中に置いてあるが、外部から取り出し出来ない鍵付きの箱の中だ。

 今のアイテムボックスに残っているのは、いわゆるゴミアイテムだけ。

 

――これで何をしろというのか。

 

 妄想ならもっと都合良くっても良いやん――ブルー・プラネットは力なく呟き、天を仰ぐ。

 だが、実際にそうなのだから仕方がない。手持ちのアイテムで使える物は……と考え、回復のポーションを取り出す。

 先ほど毟ってしまった葉の跡が少し疼く。では、このポーションで治療できないだろうか?

 

 赤いポーションを飲み干すと、先ほど葉が取れた場所に新しい葉がピョコリと生える。

 

「ほう!」

 

 ブルー・プラネットは明るい驚きの声を上げる。ポーションは効くんだ、と。

 そして、まてよ、と首を捻る。

 あの葉は自分で毟ったものだ。ユグドラシルでは自傷行為は起きなかったはずだが。

 

 ごく一部の例外を除き、自分に対する攻撃、あるいはギルドのメンバー同士の攻撃は効果が無い。それがユグドラシルの常識だった。

 だが、今は、自分で自分を傷つけた。

 

 ならば――

 トレントのスキルを発動させて、植物系モンスターを召喚してみる。万一のことを考えて低レベルのものを。やり方は……心の奥底から浮かび上がってくる。

 

 目的のモンスターを心に描き、指先に精神を集中させ、地面を指さし、スキルを開放する。

 

――植物系モンスター召喚 球根人(バブルボーイ)

 

 目の前の地面に生えている草が揺らめき、その間からチューリップの花が咲く。そして、その根元の地面が盛り上がり、大きな球根の下に小さな胴体と手足が付いたモンスター――癒し系モンスターと呼ばれる、身長50センチ、5レベルの「球根人(バブルボーイ)」――が現れる。

 チュートリアルで最初に出会うモンスターの1つで、攻撃力は無く、フィールドを短い脚で駆けまわる。プレイヤーがそれを追っかけ、身体の操作を覚えるためのキャラクターだ。

 

 なにか目に見えない糸のような……奇妙な絆で繋がった感覚を覚え、ブルー・プラネットは球根人を見つめる。球根人は、その顔に相当する球根についた小さな黒い目をこちらに向けてお辞儀をしてくる。Uの字に刻まれた口は動かないが、その笑顔が無くてもこちらに親愛の情を抱いていることは直感的に、そして十分に理解できる。

 

 ユグドラシルとは出現の仕方が異なる。だが、姿や性質は概ね変わらないようだ。

 しかし、召喚したモンスター――同士討ち(フレンドリー・ファイヤー)が効かないはずの「仲間」への攻撃の効果を確認しようと考えていたブルー・プラネットは小さく呻く。

 

――こんなに可愛かったら攻撃できないじゃないか。

 

 ゲームの時であれば割り切って攻撃しただろうが、今、目の前にいるそれはあまりにもリアルであり、まさに生きている。妄想が創り出したものだと頭では分かっていても、目の前で微笑んでチューリップの花を揺らしている小さな花の精を叩き潰すほど非情にはなれない。

 

 ならば――叩いても良心の痛まなそうな別のモンスターを呼び出す。

 今度は同じチューリップでも黒いものが出現する。花弁に刻まれた吊り上がった目とヘの字口、茎の下には球根ではなく大きな葉と短い脚がついて動き回る、「意地悪草(プランクプランツ)」と呼ばれるモンスターだ。レベルは球根人(バブルボーイ)と同じく5。チュートリアルでは最初に出会う敵モンスターの一つで、プレイヤーに絡みつき、噛みついてくる、お馴染みの敵だ。噛みついてもカリリと引っ掻かれた感覚があるだけでダメージには至らない。『叩いてみよう!』というメッセージに従って叩くと、プギャッという悲鳴と共に消え、そこでプレイヤーは経験値を得てレベルアップする――やられキャラだ。

 

 しかし、シモベとして召喚されたこの意地悪草も、球根人と同じく糸で結ばれたような絆が感じられ、ブルー・プラネットに最大限の親愛の情を向け、茎を曲げて花の頭を下げてくる。

 

(攻撃しにくいなぁ……しかし……)

 

 もっと醜い植物系モンスターも召喚できる。しかし、それらは高レベルなモンスターであり、今から行う行為がモンスターに対する攻撃とみなされ、反撃を受ける可能性を考えると躊躇せざるを得ない。同士討ちが可能なら、召喚したモンスターが襲ってくることも考えるべきだ。万が一抵抗されたら、そして反撃されたらどうなるか――現状ではなるべく危険が無いと考えられるモンスターで実験するしかないだろう。

 

 ブルー・プラネットは意地悪草の葉を半分ほど切り取る。意地悪草は驚いたように体を――茎を反らし、花に刻まれたへの字口がWの形に変わる。吊り上がった目が下がって、その端に涙のような水滴が現れる。

 

「ごめん」

 

 あわててブルー・プラネットは意地悪草に謝り、<常緑の癒し>(エバーグリーン・ヒール)の魔法を掛ける。意地悪草の身体が仄かな緑色の光で包まれ、見る見るうちに半分に千切られた葉が元の大きさに戻る。それとともに、ブルー・プラネットの指に摘ままれた葉が消える。

 

「ほう……」

 

 ブルー・プラネットは再び感心する。これで色々なことが分かった。

 仲間のモンスターを生み出すスキル、回復魔法、そして、仲間への攻撃が有効であることを。

 

「ごめんね、もう一度」

 

 意地悪草はへの字口を精一杯持ち上げて笑顔を作り、ブルー・プラネットに葉を差し出す。モンスターにもここまで明確な意思や知性があることに、ユグドラシルでは設定されていなかった表情があることに、ブルー・プラネットは改めて驚く。そして、召喚されたモンスターの痛々しいまでの献身ぶりに胸を痛ませる。

 

 ブルー・プラネットは意地悪草に笑顔を向ける。自分の妄想が生み出した幻覚だと分かっていても、なんとなく無下には出来ない。笑顔――自分の顔も動くのが感じられるが、それが「笑顔」に見えるのかは分からない。だが、どうも心と心が通じ合っているようで、笑顔を向けられた意地悪草の安心感が伝わってくる。

 

 まずアイテムボックスから取り出した空瓶に薬師系スキルで分泌した濃い緑色の液体を満たす。先ほどの赤いポーション――標準的な回復系ポーションとは異なる、植物系モンスターからの抽出液で作られる回復薬だ。この場合、植物系モンスターとはトレント種であるブルー・プラネット自身のことだが。

 

 もう一度、遠慮がちに、それでいて素早く意地悪草の葉を千切り、今度は魔法ではなく緑の回復薬を振りかける。

 先の植物回復魔法<常緑の癒し>(エバーグリーン・ヒール)と同じく、意地悪草の葉が回復し、切り取られた部分が消える。

 

 ブルー・プラネットは実験に満足し、球根人と意地悪草に礼を言って召喚を解く。2体のモンスターはピョコピョコと二回跳ねてお辞儀をし、その場で回転しながらシュルリと細くなって地面に吸い込まれるように消える。これは、ユグドラシルでの演出とほとんど同じだ。

 

 やれやれ、とブルー・プラネットは溜息をつく。

 ゲームのようでもあり、妄想世界のようでもあり……もっとこの世界を知ることが必要だ、と。

 

 アイテムは使えるようだ。ただし、ろくなものが無い。

 転移の指輪が作動しなかったのは、何か原因があるのだろう。ひょっとしたら昨晩のナザリック近辺の地表テクスチャの変化と同じ――座標の異常のせいかもしれない。

 

 アイテムの他に、モンスター召喚、回復魔法、スキルも使える。だが、この状態で敵――例えばドラゴン――が現れたらどうするか。

 自分は、ユグドラシルの設定通りならば100レベル。大抵のモンスターは恐ろしくはない。

 だが、この世界でもその設定は生きているのか?

 

 自身の戦闘能力を確認しなくてはならない。まず、手始めに――

 

 ブルー・プラネットのすぐ隣に大木が生えている。樹高は3,40メートル、樹の幹の直径は2メートルはある、齢を経た巨木だ。

 その巨木に向かってブルー・プラネットは躊躇いがちに力を加減して自分の枝を叩きつける。

 

 ゴグシャッ

 

 森に湿った音が響き、ブルー・プラネットは跳び上がる。

 あまりにも抵抗なく、その巨木の幹が大きく抉られたことに驚いて。

 そして、抉られた樹が上げた断末魔の悲鳴を聞いて。

 

 硬そうな木の幹を叩くのだから痛いだろうと予測していた。

 しかし、実際の感触は何か柔らかいモノ――例えば布団――を叩いたようだった。

 自分には何の痛みもなく、指先の小さな葉にも傷すらついていない。

 一方で、叩かれた巨木は幹の半分以上を抉られ、メリメリと音を立て、ゆっくりと傾いている。

 その木の苦痛の声を、ブルー・プラネットは確かに聞いた。

 

<常緑の癒し>(エバーグリーン・ヒール)

 

 ブルー・プラネットは慌てて倒れる巨木の幹に自分の細い枝を巻き付けて支え、回復魔法を唱える。

 巨木から吹き飛ばされた破片が消滅し、抉られた部分が現れ、再びその木は自力で立った。

 ブルー・プラネットは信じられない思いで自分の枝を見つめる。倒れる巨木を指先1つで支え、その重みもほとんど感じなかったのだ。

 

 先ほど渇きを癒した川に行き、川底から握りこぶしほどの大きさの石を拾って指で挟む。

 石は軽い音を立てて砕け、弾け飛ぶ。ブルー・プラネットの指には何の抵抗も、痛みもない。

 

 半信半疑で試したこの結果に衝撃を受け、しばらくは身動きできない。

 確かにユグドラシルの物理シミュレーター上は、100レベルのトレントの腕力をもってすれば、そういう現象は起きるだろう。フルプレートアーマーを装備した人間型キャラクターを数十メートル吹き飛ばし、空を飛ぶ巨大なドラゴンに向かって自動車ほどもある岩を投げつけ、城壁に一撃で大穴を空ける力をもってすれば。

 

 しかし、その力はユグドラシルにおける「対象物(オブジェクト)」にのみ向けられるものだ。背景の1つに過ぎない小石を抓んで砕くことなどしなかったし、起きないはずだった。

 昨夜の「ただの草」を毟ったことから予想はしていたが――「対象物」の範囲が変化している。

 

 いずれにせよ、100レベルのトレントとしての腕力は保っているらしい。そしてその力はこの世界では恐るべき影響を周囲に、しかもゲーム上の制限を受けず、自分が認識した物体に及ぼすのだと理解する――そう理解せざるを得ない。

 

 では、力以外の戦闘用スキルは使えるのか?

 

 もう大木を的にするのはやめよう――先ほどの悲鳴を思い出し、ブルー・プラネットは川に沿ってしばらく歩く。少し上流に行ったところに数メートルの段差の滝があり、人間程の大きさの岩が幾つか落ちていた。

 ちょうど良い目標だ――岩に目がけて枝を構え、飛び道具のスキルを放つ。

 

 「棘嵐(スパイン・ブラスト)

 

 構えた枝の先に数センチの棘が何本も生え、岩に向かって勢いよく飛ぶ。

 棘が当たった岩は穿たれ、続いて棘が当たった個所を中心にして幾つかの塊に割れる。

 

 ブルー・プラネットは頷く。ブルー・プラネットの攻撃手段として最低に近い牽制用の飛び道具だが、戦闘用スキルも使えるようだ。もっと強力な戦闘用スキルもあるが、それらは対生物の即死攻撃であったり攻撃に対するカウンターであるため、今は試せない。

 

 では、防御力はどうか?

 

 試しに自分の腕に向かって棘を飛ばしてみる。自分で自分に攻撃できるのは先ほど確認済みだ。「棘嵐」は50から60レベルの雑魚敵が群れてきたときに連射して追い払う程度の攻撃だが、岩を砕く程度の力はあることも分かった。

 

(大丈夫だ、万が一怪我をしても回復が効く)

 

 そう信じて、伸ばした掌――枝先――に向かって棘を発射する。

 棘が当たったところに、ペシペシと指で弾かれる程度の痛みが感じられる。

 見ると枝の薄皮が剥がれ、小さな葉が傷ついている。少し疼くが、ユグドラシル基準でダメージ量を計算すると治療しなくてもパッシブスキルの「生命力持続回復(リジェネレート)」で小一時間すれば治るはずだ――これも観察する。

 

 一通り自分の力を試して、ブルー・プラネットは安堵の息を吐く。

 この、未だに覚めない妄想の世界で碌な装備もなく彷徨う悪夢を予想していたが、腕力、戦闘スキル、および防御力はユグドラシルと同じ――魔法も使え、全くの無力というわけではないようだ。

 

 いや、本当にユグドラシルと同じなのか?

――別の可能性に気づく。モンスターとの遭遇率、そして強さについては保証が無いことに。

 

 ブルー・プラネットは周囲の森を見渡す。

 見た限り、大型の動物によって森の木々がなぎ倒されている様子はない。

 念のためにスキル「環境状態感知(センス・ネイチャー)」を発動させ、常態化させる。周囲の敵意を感知するこのスキルはドルイドにとってMPを消費しない基本スキルであり、気が付くと虫や獣に齧られていることが多い植物系異形種にとっては必須のものだ。

 

 同時に「森渡り」(フォレスト・マイグレーション)のスキルも常態化する。これはトレントの基本スキルであり、巨体が移動する際に周囲の植物を傷つけないようにするものだ。

 今のブルー・プラネットは巨体ではないが、あれほど簡単に樹々が吹き飛び、さらに断末魔の声を上げるのだ。

 

 やってられない――ブルー・プラネットはそう思う。

 

 ブルー・プラネットは川に沿って歩き、敵となるような動物を探す。そして見つからないので今朝の感覚――視覚と連動した聴覚――を使ってみることにする。

 

 意識を集中し、耳を――今の体に耳は無いはずだが――そばだてる。

 カサカサという音が届き、その情報がもう一つの視界となって脳裏に浮かぶ。

 

『ここから5メートル下った岩陰に、10センチほどの小動物がいる』

 

 その情報に従って移動し、岩陰に目を向ける。隙間を動く白いネズミのような動物がいる。

 

(敵とは思えないが、この周辺の動物のサンプルには違いないか)

 

 ブルー・プラネットは、そのネズミに向かってそっと枝を伸ばす。

 ネズミはその気配を感じてサッと隠れる。そして、岩の隙間から鼻をひくつかせ、こちらの様子を窺っている。

 ブルー・プラネットは、今度は素早く枝を伸ばしてネズミの前足に絡みつかせる。ネズミは反応できずに細い枝に絡めとられ、キイキイとかん高い鳴き声を上げる。

 

「捕まえた捕まえた」

 

 ブルー・プラネットは興奮して小躍りしながら歌うように言う。自分でも驚くほど、枝が素早く正確に動いてネズミの前足という小さな目標を捕らえたのだ。

 

 そして、そのネズミをよく観察しようと手元に寄せる。

 ネズミは逃れようと必死に身をよじり、枝の先に噛みつく。だが、ブルー・プラネットは何の痛みも感じない。

 先ほど大木を叩いたときに予測していたが、パッシブスキル「上位物理無効III」が効いているのだろう。これは中位までのモンスターならば物理攻撃を無効とするスキルだ。

 トレントなどの植物系異形種には昆虫や小動物・鳥たちの姿をとる妨害用モンスターが集りやすい。気が付いたらモンスターに食われていたという事態を避けるため、防御スキルの常時発動は植物系異形種には必須である。

 更に、ブルー・プラネットはドルイド職であり、金属製の武具を身に着けられない制約がある。装備が貧弱なため防御系スキルを充実させていたのだが、装備を全てナザリックに置いてきた今はそれが幸いしている。

 

 どうやら、寝ている間にネズミに齧られる心配はない様だ――もっと巨大なネズミが現れた場合は知らないが。

 グニグニと噛みきれない葉を必死に噛み続ける白ネズミを開放し、ブルー・プラネットは深呼吸する。

 

 時計を見る。もう、12時近い。

 現実の俺の体はどうなっているのだろうか――その心配が頭をもたげる。

 研究所から無断欠勤を咎める連絡が行っているだろう。ひょっとすると、病院に搬送されているかもしれない。だが……

 

『ユグドラシルのせいです。最終日の終了作業で異常が起きて、そのせいで……』

 

 そう説明すれば、こっちが被害者だ。最終日に最後までいただけなのだから。

 無断欠勤で怒られることもないだろうし、上手く行けば賠償金で生活も潤う……かも知れない。

 

(研究所の皆には申し訳ないが、この特別休暇をもう少し楽しませてもらうよ)

 

 ブルー・プラネットはそう考えて鼻歌を歌い、森を散歩する――我ながらお気楽な性格だと呆れながら。

 

 森の中で小さな空き地を見つける。日の光が降り注ぐ、美しい草原だ。

 ブルー・プラネットはその空き地の中央に座り、青空を眺める。

 日差しが心地よい。朝の不快感が嘘のように消え、体が温まり、力が漲ってくる。

 

「美しい世界だ……」

 

 そう呟き、枝を地面にサクリと突き刺し、土を掬いとって匂いを嗅いでみる。

 化学薬品と金属臭のする現実世界の土とは違う。黴臭い、それでいて心地よい、生きている土の匂いだ。目を凝らすと、小さな蟲たちが蠢いているのが見える。線虫だろうか、環形動物だろうか、それとも節足動物か――環境学者であるブルー・プラネットにも見たことがない蟲達だが、必死に生きているのが分かる。

 

 現実世界ではどうしても回復できなかった、生きている土だ――

 

 ブルー・プラネットは土を元の場所にそっと戻し、枝先で土を均す。

 そして空を見上げ、この世界が本物ならばと思い、苦笑する。

 夢をみても――これは夢だが――仕方がないと。

 

 夢の中で夢をみる――日の光を浴びながら昼寝でもするかと考えたとき、ブルー・プラネットは一つの事実に気が付いた。

 

 俺、昨夜から何も食べてないのに、ちっとも腹が減ってない!

 




この美しい世界に祝福を……(次回の前振り)
ブルー・プラネットのポンコツ化が進みます。

捏造設定
ブルー・プラネットの職業:ドルイド+薬師・秘術師(詳しくは次回)
例によってモンスターやスキル名は捏造


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第7話 不安と望郷

未だに「俺の頭がおかしくなった」と悩むブルー・プラネット。


 食事をしていないのに腹が減らない――これは「腹が減った」以上に深刻な問題だ。生理的欲求が認識されていないということなのだから。

 

 考えてみれば、喉も渇いていないのだ――今朝の幻覚以外には。

 昨夜ログインしてから本物の水を飲んでいない。ユグドラシル標準時を示す時計では、もう12時を回っている。この時刻は現実の日本標準時と同じだ。ユグドラシルの9つのワールドは常に真昼であったり、逆に常夜であったり、あるいは昼夜が逆転していたりといったバリエーションがあり、プレイ中に時間を忘れて現実の生活に支障をきたさないよう、標準時が用意されている。

 

 12時間以上飲み食いしていないのに、喉の渇きすら感じないのは異常すぎる。

 そして……考えたくなかったことだが……トイレの感覚もない。終了前にちょっと挨拶をするだけだと考えてアダプターも付けていないまま来たのだから、これも異常事態だ。

 ユグドラシルのシステムでは、空腹感も喉の渇きも、そして排泄欲も、隠蔽されることは無い。

 生きていれば当然生じるはずの感覚が無くなっていることは、脳へのダメージがユグドラシルのナノデバイスが影響する範囲を超えて広く深刻なものになっている可能性を示唆している。

 

「おいおい……治るんだろうな?」

 

 ユグドラシルにおいてプレイヤーの思考をトレースし、フィードバックを行うのは脳に取り込まれたナノデバイスによる。それは時間が経てば自然に排出されることになっており、異常が起きてもナノ医薬によって取り除けるということになっている。

――研究所の仲間たちなら鼻で笑うだろうが。

 

 この時代においても脳の働きは完全に解明されたとはいえず、ナノデバイスの動態には未解明の部分も多い。注入されたデバイスの効力が時間とともに減っていくことは確かだが、それは体外に排出されたことを意味しない。分解されたナノデバイスの残骸が脳に付着しているという論文もある。

 

 脳に残った残骸のせいで食欲が湧かないのだとしたら――

 水を飲むことも、トイレすら忘れるようでは――

 

 楽観的なブルー・プラネットもさすがに不安を強める。

 意識を取り戻したとしても、まともに生活できないのではないか、と。

 

(視覚や聴覚の昂進は、ナノデバイスの排除に関与するミクログリアの異常で脳細胞が活性化してしまったことに起因するのかも知れない……)

 

 ブルー・プラネットはそんなことを考え、どう対処すべきかに悩む。

 自分は脳科学については素人だ。専門家がいてくれれば――そう考えて、もう1つの重要なことに気が付く。

 

 無断欠勤なのだから9時と10時に自室に連絡が入るはずだ。

 それから2時間以上経っているのだから、現実世界の体はとっくに確認されて医療機関に搬入されているだろう。

 ユグドラシルのサービス終了時には他にも多くのプレイヤーがいたはずで、彼らが同じように意識を失って幻覚を見ているなら、昨夜から大騒ぎになっていると考えられる。

 

 ならば、現実では医療機関で処置を受けているのに、この幻覚が続いているということだ。

 様々なチューブが接続され、脳に電極が取り付けられて医者たちが必死にショックを与えている自分の姿が思い浮かぶ。

 点滴で水分や栄養が補給されているならば、喉の渇きも食欲も湧いてこない理由になる。その場合、脳は無事なのかもしれないが、意識が戻らないことに変わりはない。

 

「まさか……治らねぇのかな……」

 

 ブルー・プラネットは肩を落とす。菩提樹に肩があればの話だが。

 

「ユグドラシルの親会社が賠償して、それで……」

 

 入院が続けば医療費だって膨れ上がる。ユグドラシルの経営母体は対応してくれるだろうか?

 あくまでゲームタイトルが1つサービスの終了を迎えただけで、会社自身が潰れたわけではない。おそらくは入院費は出ているだろう。何人の犠牲者が出たかにもよるだろうが。

 

「まさか、一生、この世界の中で!?」

 

 恐ろしい可能性が突如として目の前に突きつけられる。

 この風景は美しいが、他の人間がいないこの孤独な幻覚の中で過ごさねばならないのか?

 妄想であっても会話の相手が欲しい。

 

 妄想であっても――試しに念じてみる。何度も繰り返しイメージしたものを。

 

「胸のおっきな、眼鏡っ子、来い!」

 

 ほら来い……来るぞ……『広くーん、遅れてごめんねー』って。

 お弁当のサンドイッチを詰めたバスケットをもって……来てくれ……

 

 アインズ・ウール・ゴウンのアニメ上映会で見た風景だ。若者たちが緑あふれる公園でピクニックやデートをするのが当たり前だったという、そんな人類の黄金時代に作られた名作アニメのワンシーンを思い出す。

 

――だが、何も起きない。

 

 落胆し、ブルー・プラネットは1つの仮説を立てる。この妄想世界はユグドラシルの世界が脳に焼き付いて生まれた可能性が高い。この世界に顕現する物体は自分の空想ではなく、ユグドラシルに登録されたものに限るのではないか、と。

 如何に理想の女性を思い描いても、それがユグドラシルで実体が無ければ現れないのだ。

――ならばこの見慣れない風景は何かという疑問は残るが、それは別のワールド由来だと考える。

 

「ベルー、来てるかー?」

 

 現実世界でもユグドラシルでも仲の良かった友人の姿を思い浮かべ、<伝言>を送る。

 何の反応も無い。

 

 本物のベルリバーが現れることは期待していなかった。もうユグドラシルは終わったのだから。

 しかし、ユグドラシルの幻影ならば――せめて友人の幻影でも現れるかと期待したが、それも無理のようだ。

 ブルー・プラネットは溜息をつき、困惑して天を仰ぐ。

 

 召喚モンスターは現れるのに、人間は無理か……?

 魔法もスキルも再現できるのに、ギルドの友人は再現できないのか……?

 土の中の蟲さえいるというのに……一体、何がどうなっているんだ?

 

 あらためてブルー・プラネットは自分の設定を振り返る。何か原因を探るヒントが見つからないかと期待して。

 

 種族はトレントを基本とするプレイヤー向け上位植物系異業種「邪霊樹の影(イビルツリー・シャドウ)」。そして、クラス(職業)はドルイド系の「聖森の守護者(フォレスト・ガーディアン)」と薬師・秘術師系を取っている。

 この「聖森の守護者」というクラスは、植物系異形種かつドルイド職でハイ・ドルイド以上のクラスを修めた者が森林系ギルド長になったときに転職できる特別職だ。

 

『死せるドルイドの魂は深淵の真理に触れ、愛する森を守護する精霊へと転生した。その全能たる大地の魔法は、聖なる森を冒す者達に大いなる災厄をもたらす』

 

 そんな感じの説明がついていたな、と思い出す。

 ドルイド職として最高レベルとみなされ、ドルイド魔法の第10位階まで使うことが出来る。実際には31レベルしかなくても100レベルのドルイドとして300種類以上の魔法を使うことが出来るのだ。しかも、ドルイド魔法には植物系異形種の特殊能力と被るものが多い――例えば、周囲の植物を操る<植物操作>(アニメイト・プランツ)はトレントの基本能力でもある――ため、上手く選択・登録していけば、ほぼ全てのドルイド魔法が使えることになる。

 魔法職として最高レベルに達したのと同等以上の種類の魔法を使用可能であり、さらに他のクラス・種族特性を併せ持つ、非常に強力なクラスと言える――説明上は。

 

 問題は、魔法を使用する場合に現れる。

 

 100レベルのドルイドとみなされて最高の第10位階まで魔法を使えると言っても、MPは実際の魔法職レベル相当しかない。植物系異形種の種族レベルでもMPは伸びるが、やはり専門職に比べれば少ない。

 第10位階の魔法を使いこなすには、MPが圧倒的に不足するのだ。

 そのMP不足を補って魔法を使いこなすため、ギルド武器の装備によるMP加算が許される。

 つまり、負けたらギルド崩壊というリスクを背負う、拠点防衛に特化した「お留守番」職だ。

 

 ギルド<シャーウッズ>を解散した後も、クラスとしての「聖森の守護者」の能力は残った。しかし、MP加算のために「元ギルド武器」を装備する必要があることに変わりはない。

 さらに、元のギルド拠点以外でドルイド魔法を使用するには「元ギルド武器」を地面に突き立て、効果範囲を宣言する2段階の手間がかかる。高レベル同士の戦いでは、その手間は命取りだ。

 このような制限があるためクラス「聖森の守護者」は人気が無かった。

 

 それでもブルー・プラネットがこのクラスを残したのは、仲間と共に守り抜いた<シャーウッズ>の思い出を消したくなかったからだ。

 その<シャーウッズ>の仲間たちに、「聖森の守護者」を取得したとき言われた言葉が蘇る。

 

『ははは、お前、死んで魔法使いに転職かよ。植物系リッチ?』

 

 ゲームであれば笑い話だったが、今となっては不吉な予言でしかない。

 まさかな――ブルー・プラネットは頭を振る。

 現実の世界では死んでいて、魂がユグドラシル世界の幻影を彷徨っているなど――

 自分は科学者なのだと、ユグドラシルの都市伝説に基づく考えを打ち消す。

 

 だが、これはヒントになった。

 実際に魂が存在するという話ではなく、そのような設定の幻覚世界に入っている可能性だ。

 人間の侵入を許さない森の守護神――その設定が脳に刻まれたなら、人間が来ないのも当然か。

 

 ならば、その設定がどこまで生きているかを確認せねば。

 すでに簡単な魔法、スキルは確認した。身体能力も100レベルに相応しい。

 では、細かい設定はどうか? 自分でも忘れかけていた職業の設定は?

 

 まずは魔法だ。

 魔法の行使を意識すると、脳裏に呪文のリストが浮かぶ。設定通り、ほぼ全てのドルイド魔法が、その効果や必要なMPなどの情報と合わせて本能的に理解できる。そして、現在の自分がもつMPも。

 そして、本来の装備「星の王笏(アース・セプター)」が無い現状では、第10位階の魔法なら1度に1発が限度――連射が出来ないことも理解する。

 これは重要なことだ。今の自分はドラゴン上位種と独りで戦うことすら覚束ない。

 

 その限界にあえて挑戦してみる。

 ただのトレントでは不可能な魔法の行使――「聖森の守護者」ならば可能な第10位階の魔法を放ったら何が起きるか。

 選んだ魔法は、今一番必要な魔法だ。

 

<帰還>(ワード・オブ・リコール)

 

 第10位階の転移魔法――拠点として設定した地点まで周囲の仲間やアイテムを一緒に運ぶことが出来る転移魔法だ。

 拠点――言うまでも無い。ナザリック地下大墳墓だ。内部は無理でも、入り口までは行けるはずだ。

 

 魔法の詠唱によって目の前の空間が歪み――バチッと弾かれる感覚があり、魔力の集中が解かれる。引き延ばされたバネが戻るように、空間に展開された魔力が自分の体に戻ってくる。

 

 失敗だ。<帰還>に失敗は無いはずなのだが……。

 転移の指輪が作動しなかったのと同じ理由によるものだろうか?

 いずれにせよ、アイテムでも魔法でもナザリックに帰ることは出来ないようだ。

 

 やはり、座標の混乱が影響しているのだろう――そう、ブルー・プラネットは結論付ける。

 なぜ自分の妄想世界にプログラム上の座標設定が影響するのか不思議だが、とりあえず思いつく理由はそれしかない。脳に座標が書き込まれてしまったのだと納得するしかない。

 

 そして、もしこの推測が当たっているならば、これ以上の試みは危険だと理解する。

 転移の指輪も高位階の転移魔法も、本来ならば失敗しないはずだが、座標そのものが狂っている以上、その効果も不安定だろう。

 ユグドラシル時代は、低位の転移魔法が失敗して地中深く、あるいは壁にめり込んだ状態で転移してしまうこともあった。その場合、そのキャラクターは死亡扱いになる。ゲームならばそれも冗談の種だが、この世界――助けてくれる友人がいない状態で地中深く埋もれてそのままになったらどうなるのか。

 

(まず、ナザリックの場所を突き止め、魔法的な手段によらずに帰ることが必要だ)

 

 ブルー・プラネットはこれを深く心に刻みつける。

 

 <帰還>は失敗した。ならば、他の高位階魔法だ。

 

 ブルー・プラネットは、なるべく開けた場所を探し、そこで呪文を詠唱する。ナザリックに帰還できない今、必要なものを作るために。

 

<自然の避難所>(ネイチャーズ・シェルター)

 

 今度は成功だ。

 放出された魔力が地面に届き、大地の姿を変えていく。

 地面から木が何本も生え、それが組み合わさって強固な小屋が出現する。

 一見すると森の一部にしか見えないが、非常に高い防御力をもつ隠れ家だ。周辺の地形に合わせた迷彩が施され、敵に発見されにくい上、内部では体力を速やかに回復する効果もある。

 

 そして、ブルー・プラネットはドサリと音を立てて地面に倒れる。

 頭の芯が痺れ、意識が半分飛ぶ。

 立つことはおろか、指先1つ動かすことも億劫なほどの疲労感――酷い貧血の症状に似ている。

 

 しばらく地面に伏したまま、身動きせずに回復を待つ。

 

(そうか、これがMPを使いすぎた感覚かぁ……)

 

 ようやく思考がまとまり、昨晩もこんな感じだったと思い出す。

 燃費の悪い最高速度で、MP補助の装備もなく、月夜に飛んだのだ。

 植物系異形種は、光の弱い場所で行動するとペナルティが発生する。余分なHPやMPを消費する上、自然回復すら遅れるのだ。

 ユグドラシルであればMPが切れたらあとは体力で戦えた。だが、今は違う。MPとともに精神力まで消耗し、それが尽きれば精神的疲労がトレントの身体能力まで奪うようだ。

 

 それにしても、たった1回の第10位階魔法でこうも消耗するとは――無駄に魔法を使うわけにはいかない。MP切れで体まで動かなくなったらどうしようもない。

 どうやら「聖森の守護者」の設定は生きているが、無駄に縛りがきつくなっているようだ。

 随分とシビアな設定だが、そうなってしまったのだから仕方がない。

 ともかく、いつまでこの幻覚の世界が続くのか分からず、何が起きるかわからない今は、ナザリックに戻って「星の王笏(アース・セプター)」を装備することが必要だ。

 

 頭痛を堪えながら考えをまとめ、地面に大の字に寝転がって、空を見上げながら回復を待つ。

 今のMPはほぼ0だ。この太陽の日差しの下でも満タンに回復するには約6時間――今からでは夕方までかかる。

 夜間の行動は、種族のペナルティ上、やめておいた方が賢明だろう。また気絶したくはないし、夜に徘徊するモンスターもいるかもしれない。

 今の自分は「聖森の守護者」らしい――勝手に戦闘イベントが発生する可能性があるのだ。

 

 しばらく青空を眺めて休息をとり、小一時間して、ブルー・プラネットは立ち上がる。

 まだMPの消耗による精神的な疲労は回復しきっていないが、肉体的な疲労は無い。ならば、夜になってHPにもペナルティが付く前に、出来るだけ肉体面での機能を確認するべきだろう。

 

 肉体面の機能――怪力は健在。戦闘スキルも防御力もある。では、他の設定された能力は?

 

 まずは、枝を伸ばす機能だ。

 かつてのトレント種が不人気だった原因は、その巨大な体躯だ。アップデートを経て、プレイヤー用トレント種はサイズが縮小し、その代わりに枝を触手のように伸ばすことが可能となった。

ブルー・プラネットの場合、種族レベルは40なので40メートル程度まで届くはずだ。

 

 右腕を伸ばす。

 目測だが確かに数十メートルの距離まで届いている。

 重力に逆らって枝の先までピンと伸びているが、それを支える重さは感じない。これは石を捻り潰す筋力のなせる業だろう。

 そして、枝を曲げる。現実の肉体の関節を無視してジグザグに、あるいは曲線的にクルクルと。

 人間として奇妙な感覚ではあったが、特に支障はなく、心に思い描いたように曲がる。

 本当に「聖森の守護者」――植物系異形種になりきっているのだなあと、ブルー・プラネットは自分の妄想力に感心する。

 

 次に、右腕を引っ込めて、代わりに分岐させた枝を体から何本か生やす。全体で長さの制限はあるが、その本数には制限はない。40メートルを8つに分割し、5メートルの枝を8本生やすことも可能なのだ。2本腕用に作られた鎧はこのスキルを阻害するため装備しないが、複数の腕に盾を装備することで防御を補うことが出来る。

 

 ただし、本数を増やせば、それだけ個々の腕の制御が疎かになる。

 プレイヤーはあくまで人間なのだ。一度に認識できる腕は二本という原則は変わらない。

 過剰な腕を操作するためにはAIを組み込むのが常道で、例えば昆虫系異形種では前の二本脚に武器やアイテムを持ち、後ろの二本で立って歩き、中の二本はAIで自動追尾する盾を設定する者が多かった。バードマンが空中で翼を羽ばたかせるのもAIだ。逆に、腕が無い種族――スライムなどの不定形種――では「布をかぶったお化け」のように、二本の腕を伸ばして抱き着くパターンが多かった。ギルドメンバーのヘロヘロなどは、敵に向かって積極的に殴りかかっていったものだ――スライムのくせに。

 

 かつてのユグドラシルの仲間、同じ植物系異形種である「ぷにっと萌え」と触手の操作を練習したときのことを思い出す。

 

『一度に認識できるのは2本、だから、枝を伸ばしたらスキルで固定して、次に別な枝を伸ばす。それを繰り返して枝を増やしていくんですよ』

 

 ぷにっと萌えは器用に触手を操った。一方、ブルー・プラネットはギルド長として物陰に隠れてNPCを操作してきたので、自分の体を使った戦闘経験は浅く、中々そのコツが掴めなかった。

 

『敵の片腕を固定しただけでは、もう一本の腕が自由ですからね。相手の攻撃を封じるために左右の腕を同時に固定。それも片方に1本ではなく2本ずつ、合計4本で捕まえるのが基本です』

 

 ぷにっと萌えが模範を見せてくれた。

 練習用のゴーレムに蔦を巻き付け、次々にその本数を増やしていく。一度に2本の蔦を伸ばして目標の左右の腕に巻き付け、一旦繋がったらそれを単なるロープとして新たに自分が操作できる蔓を生み出し、最初の蔓の上に這わせて補強する――それを繰り返し、たちまちゴーレムは無数の蔓で包み込まれた。流石は「絞め殺す蔦(ヴァイン・デス)」だと感心したものだ。

 

『ほら、ブルーさんも見てないで。ほいほい~って、リラックスして、手早くやるのがコツなんです。変に集中すると感覚を切り替えにくくなりますからね』

『はい、えっと、ほいほい~っと』

 

 ブルー・プラネットも左右で枝を伸ばし、巻き付け、別な枝を伸ばし、巻き付ける作業を繰り返した。

 

『ははは、上手いじゃないですか。そうですよ、ほら、もう一丁、ほほほいの、ほい~』

 

 触手を増やすばかりではない。全体の長さには制限があるのだ。敵に触手が切られることも想定し、制限を回避するために不要な触手を消して別な触手を生やす練習も行った。

 

『ほいほいほいほいほいほい~』

『ほいほいほいほいほいほい~』

 

 全身から無数の枝や蔦を生やし、消し、意識を順に移して揺らめかせる。

 訓練はいつの間にか「植物系ローパーごっこ」になっていた。

 そこに翼を生やしたペロロンチーノ(変態)が現れて厄介なことになったのだが――。

 

 懐かしい思い出に溜息をつき、今の体を見る。

 第六階層で夜空のエフェクトを貼っていくうちに腕の操作に慣れたが、ブルー・プラネットは元々器用な方ではない。ぷにっと萌えのような戦い方ではなく、思い切り腕を振り回す方が性に合っていた。

 

 では、今のブルー・プラネットはどうか?

 

「え、え?」――自分でやっておきながら、思わず困惑の声を上げる。

 

 まるで生まれたときからその体に慣れ親しんでいたように、10本まで増やした枝の1つ1つを同時に認識し、操作することが出来るのだ。更に、10本の枝を腕とすると、その先はそれぞれ5つに分かれて指のようになっているが、その全て――50本の小枝を同時に認識し、感覚を確かめ、器用に動かせる。

 

 ブルー・プラネットは自分の知覚が異常に亢進していることを、あらためて知る。

 聴覚から空間を認識できる。素早いネズミを捕らえる。複数の物体を同時に操作する――情報処理能力が大幅に向上していることは確かだ。

 現状を説明するために、システムの異常で脳がダメージを負い、妄想の世界に囚われたという仮説を立てた。その副作用で感覚が昂進していることも納得は出来る。

 しかし、ダメージを負った脳がここまで超人的な認識力を得ることなど、あるのだろうか?

 

 いや、結論を出すのは早計だ。逆の可能性もある。

 実際には時間を掛けて2本ずつ動かしているのに、それを認識できていない可能性だ。

 脳の外傷で時間経過を認識できなくなった症例を聞いたことがある。

 

 ブルー・プラネットは川辺に戻り、小石を幾つか掴み、放り投げる。そして、空中に散らばった小石の位置を認識し、10本の腕を伸ばして同時に掴み取る。

 各々の腕は5本の指を使って正確に小石を挟み取り、他の小石はそのまま地面に落ちた。

 

 指で捉えた小石の位置は、認識したときのままだ。時間をかけて順に掴み取ったのではない。

 時計で確認すると、小石を放り投げてから掴み取るまで2秒以内――腕を伸ばした時間はコンマ1秒もないだろう。

 10本の腕の50本の指は、本当に「同時に」動いたのだ。

 

 もう一度、試してみる。今度は周囲の物音にも気を付けながら。

 周囲の音は連続していた。風の音が一瞬止まったりすることもなかった。

 脳の処理落ちではない。確かに、一瞬の内に10個の小石を認識し、掴み取っていた。

 

 処理落ちを誤魔化すために、世界そのものが辻褄を合わせているのか?

――それはどこまで疑ってもきりが無い。「世界は5分前に作られた」と同じ類のものだ。

 そもそも、そこまで整合性のある幻覚を、狂った脳が作り上げることが出来るものだろうか?

 

 先ほどのバカげた考え――転生という――が何度も脳裏にちらつく。

 

 世界の常識が崩れていき、目の前の風景がぐらりと揺れる。

 人間であった自分の方が妄想なのではないか? そんな考えすら浮かぶ。

 今の自分こそが本来の姿で、狂った邪霊樹が「自分は人間だった」と思い込んでいるだけでは?

 カブトムシになった夢をみた男の話。いや、蝶だったか?

 必死に「人間であった自分」の記憶を掘り起こす。だが、それはあまりにも儚い。

 今の自分がかつて人間であった証拠などどこにも存在しないのだ。

 

 いや――存在する! ナザリックだ!

 

 この世界がユグドラシルというゲームの延長であることは、ナザリックが証明してくれる。

 この森ではなく、どこかに――この森の守護者としてではなく、ゲームのキャラクターとして自分を創り出した場所がある。

 

 ブルー・プラネットの目の洞に宿る炎が明るさを増す。

 そうだ、俺は確かに人間だ、と。

 

 俺がもし生まれついてのトレントなら、なんで「胸のおっきな眼鏡っ子」に萌えるのだ。

 少なくとも俺は「人間」を知っている。そして、それらに惹かれる「心」がある!

 生まれついての邪霊樹、人間嫌いの森の守護神だったらありえないことだ。

 この深い森の中では「聖森の守護者」は人間を見たことはないだろう。実際、ここで人間を見たという記憶もない。昨夜上空を飛び、今朝目覚めてからの記憶がこの森に関する全てだ。

 

 ユグドラシルの記憶――ブルー・プラネットは、残されたアイテムを眺める。

 転移の指輪が働かないのは、それがただの飾り――ナザリックが幻想であるせいかもしれない。

 人間に憧れる狂った樹の化け物が、どこかで拾った玩具の指輪を自分が人間だった証と思い込んでいるだけかもしれない。

 あの友人たちとの思い出は……。

 

 ナザリックの実在――それこそが、自分が死んで転生したのではなく、人間としてこの姿を選んだことの証明だ。死んで別な世界に生まれ変わったのではなく、ユグドラシルというゲームの延長でこの世界にいるのだと。死んでないなら、いつかは現実に帰る希望がある。

 

 ブルー・プラネットの中で、ナザリックへ帰還する意義が1つ増える。

 落ち着いて考えるためでもなく、力を取り戻すためでもない。

 何より、自分は何者なのかを知るためにナザリックを見つけなければならない。

 

 ナザリックの方角は、大体分かっている。昨晩月に向かって飛んだのだから、同時刻に――0時から少したって――月を背にして飛べば良い。もし現実の世界と同じなら、自転や公転を考慮して0時50分というところか。

 

 夜間、装備無しの状態で飛ぶMPとその消費量から計算すると、飛んでいたのは最高速度で1時間足らずだろう。距離にすれば300キロというところか。速度を押さえて燃費を良くすればMP切れなしに1日で十分に往復できる範囲だ。日中ならばペナルティも無く、もっと早い。

 

 地形も覚えている。ナザリックがあったのは広い平原だ。そこから確か、山脈を1つ超えた記憶がある。

 

 今夜、月を見て方角を確認し、明日の午前中に飛んでいこう――明日もまだこの世界が存在したらの話だが。

 

 ブルー・プラネットは首を横に振る。正確には、菩提樹の体の上部を捩り、逆方向に捩る。この世界の実在、あるいは元の世界の実在に対する不安を振り払うように。

 

 まだ日は高い。時計を見ると15時を回ったところだ。

 明日は長距離を飛ぶ。夜間のMP回復は確証がもてない。もう魔法は使わない方が良いだろう――そう考え、もう少し日の当たる場所でスキルや肉体能力を確認することを決める。

 

 ブルー・プラネットは小屋の前で幾つかのスキルを確認し、そして再び渇きを覚えて川に行って水を飲む。口からではなく、体の一部、特に根にあたる足からの吸収が効率的であることに気が付いて驚いたが、再び日が暮れるまで自分の肉体的能力やスキルを確認する。

 

 そして日が暮れる。

 

 植物系異形種であるトレントにとって、夜はペナルティが付く危険な時間帯だ。この世界で夜にどのようなモンスターが出現するのか不明だが、わざわざ危険を冒すことはない。

 ブルー・プラネットは魔法のシェルターの中に<永続光>を灯す。シェルターの内部では真昼のように明るく、行動にも影響はないことが分かる。

 一方で、外から見ると光は漏れていない。シェルターの内部、あるいはすぐ近くであれば危険は低いだろう、と判断する。

 夜間はなるべくシェルターの中にいるべきだろう。疲労は全く感じていないが。

 準備が終わって、ブルー・プラネットは周囲の物音に耳を澄ませ、同時にスキルでも確認する。危険なモンスターが接近していないかを確認するために。

 

……大丈夫だ。遠くで野生動物の立てる音は聞こえてくるが、それほど大きな物はいない。ネズミやウサギ程度か、イノシシ程度――その程度ならば自分のスキルで攻撃を無効化できる。

 警戒していた強力なモンスター、ドラゴンなどユグドラシルでは80レベル以上のもの達は、少なくとも近くには来ていない。周囲の樹々が蹂躙されて倒される音もしない。静かな夜だ。

 

 ひとまず安心したブルー・プラネットは星空を見上げる。

 昨日見たのと同じ、美しい夜空だ。

 この季節なら……と、知っている星を探す。資料の中で特に印象深かった、赤く輝く大きな星、あるいは青白く輝く星を。しかし、その星は見当たらない。現実の季節とは違うのだろうかと見回すが、見知った星座もない。

 

 やがて月が昇ってくる。大きな月だ。飛行機の窓から見た月とは少し違う気がするが……地上に近い月は大きく見えるという心理学の記述を思い出す。実際には地上から月を見たことがないブルー・プラネットは、そんなものか、と納得する。

 

 腕の時計が00:50を示す。方角を確認する時間だ。

 

 森の中に月光が差しこみ、樹々が影を落とす。その影をなぞり、地面に方向を示す線を刻む。

 明日はこの線の示す方向にまっすぐ飛んでいけばいい。きっとナザリックが――人間であった証が見つかるはずだと期待する。

 その期待のせいだろうか? 目は冴えたままだ。眠気が来ない。疲労感もない。

 未だに空腹感も無い。結局、昨日から丸一日、何も食べなかったのに食欲というものが無い。

 トイレに行きたいとも思わない。

 

 それでも――ブルー・プラネットは目を閉じる――閉じることが出来ない。

 瞼が無いのだから当然だが、これでは脳への負担を減らせない。

 昔、何人かの仲間と作った瞑想の森、その参加者から聞いた瞑想法を思い出す。

 

「スー……ハー……スー……ハー……スー……ハー……」

 

 目を瞑ることは出来ないが、脳の健康に良いという、ゆっくりした呼吸を繰り返す――本当に呼吸をしているのだろうかという疑問を無理やりに忘れて。明日こそ現実の世界に戻れるだろうことを期待して。

 




能力説明回その2でした。
次からようやく話が進んで……行くけど遅い。

捏造設定
ブルー・プラネットの職業:聖森の守護者
MPタンクのギルド武器が無ければただの役立たず。

種族:
トレント系の種族は、敵モンスターは大きいまま。
プレイヤー向けに小型化した「-影」が用意されている。

※10/23 指の数を修正。アレは3本じゃなくて5本だったか……あれ?
 10/30 時間を修正。割とズレるね。 


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第8話 人間たち  【殺戮注意】

狂ったのか、死んだのか――半信半疑のブルー・プラネットは自分のルーツを探るためにナザリックに向かう。


 夜が明ける。この幻覚の世界に囚われてから2回目の朝だ。

 ブルー・プラネットは森の小動物たちが再び活動を始める音を耳にする。

 プループラネットの腕に嵌められた時計は今、6:00を指している。

 シェルターから出て外を見れば、空が白み始めている。昨日の朝と同じだ。

 

 結局、ブルー・プラネットは眠れなかった。押し寄せる不安もあったが、それ以前に眠気というものが感じられなかったのだ。暗闇のペナルティ対策に付けていた<永続光>の明るさによって眠れなかったわけでもない。ブルー・プラネットは現実の世界においても明かりをつけたまま寝ることが多かったし、そもそも「眠れない」のではなく「眠くならない」のだ。そして、MPは完全に回復しており、今すぐにでも最高の魔法を放つことが出来る気がする――その後は倒れてしまうだろうが。

 

 自分が死んで化け物に生まれ変わったのではないかという考えに囚われ、眠気も疲労も感じずに悶々と一晩を過ごしたブルー・プラネットには、しかし、この世界が未だにユグドラシルの残骸である仮想現実だと信じるだけの根拠があった。

 

 時刻である。

 

 これがもし不吉なキャラクター説明が示すように別世界へ転生したのであれば、その世界も24時間を1日とし、ユグドラシル標準時との周期も時差も、ほぼ無いということだ。

 

――ありえないだろ。どんな確率だよ。

 

 ブルー・プラネットは首を横に振る。転生など、ありえないだろうと。

 しかし、未だに現実世界からの救援は来ない。医療機関での治療を示唆する信号、例えば電気ショックによる映像の乱れなどもない。1日たって全く反応が無いのなら、何日たっても治らない可能性が高いだろう。

 

「誰か聞こえますか? 私は、幻の世界で生きています! 生きているんです!」

 

 空に向かって叫ぶ。ひょっとしたら、現実世界の体も声を発し、それを誰かが聞いているかもしれないと期待して。植物状態だと判断されて――ある意味では実際にそうなのだが――それで安楽死処理されたら、本当に死んでしまったら困る。

 

 だが、その叫びは森の小鳥たちを驚かせて虚しく宙に消え、その後は何の反応もない。

 

 しばらく地面に突っ伏していたあと、ブルー・プラネットは立ち上がる。仕方がないものは仕方がない――そう思うしかなく、そう考えると気持ちは驚くほど安定する。

 

 現実の広川もそれなりに楽天的な性格だった。だが、どうもそれが顕著になっているようだ。

 突然のアクシデントでこの世界に独りきりになったら、普通であればもっと取り乱すだろう。

 しかし、今の自分は、どこか別なところで他人を見ているような――「まあいいか」という感覚が常にあるのだ。これも脳のダメージの影響かもしれないが、悲観的になって動けないよりはずっとマシだ。そう考えれば、これも「まあいいか」と思える。

 

 そろそろ喉が渇く時間だな。

 そう考えて、地中に足を延ばし――奇妙な感覚だが――水分を吸い上げる。昨晩も試したのだが、地面や他の生きている樹に接触して意識を向けると、そこから水分やHPを吸収できるのだ。人間としては水は口から飲みたいという気持ちもあるが、これも「便利なものだ」と受け入れられる。根を伸ばして吸収している間はそこから動くことが出来ず、不便といえば不便だが、敵がいない現状では問題にはならない。

 

 時刻は6時半になった。

 本格的に日が昇ってくる。探索に出る時間だ。

 シェルターの中にポインターとなる赤い花を置く。スキル「紅一点」で作られた花は、ユグドラシルではコンソールに映し出されるマップでその位置を確認するものだった。しかし、今は磁気のような特別な感覚でその方向や距離が把握できるようになっている。人間には備わっていない感覚が本能的に理解できる――いずれにせよ、道に迷うことはない。

 

「<霧化飛翔>」

 

 魔法を唱え、ブルー・プラネットの体は非実体の霧と化す。そして、そのまま宙に浮かび、昨夜の月影を頼りに地面に引いた線にそって飛行する。一昨日の晩にブーストしすぎてMP切れを起こしたものと同じ魔法だが、今度は程々に魔力を消費し、速度の代わりに燃費を重視する。

 

 地上のモンスターと遭遇しないよう、なるべく上空に昇る。だが、あまり高度を上げて寒さによるペナルティが付かないように、約2キロの高度を維持する。気温の低下は感じられるが、肌寒い程度でダメージには至らない。

 そして、時速100キロ程度でブルー・プラネットは空を真直ぐに駆ける。

 上空では隠れる場所がない。魔法で霧の姿になっているためよほどの高レベルモンスターでなければ見つからないはずだが、それでも空を飛ぶモンスターを警戒して広範囲に聴覚の網を張りながら飛ぶ。

 聴覚だけではない。視覚に集中すれば遥か遠くの地形も地上の小動物も見ることが出来る。地上のモンスターが見つかれば、この周辺の危険性も分かるだろう。

 

 ブルー・プラネットは周辺を確認しながら直線的に飛び、計算通り3時間ほどでナザリックがあったと思われる地点に達する。山脈を超えた所にある広い平野、広大な森の端のあたりだ。

 しかし、上空から観察してみるに、地上にはナザリックらしきものの影は無い。それに地形が記憶と少し違っている。

 

――確か、この一帯は何もない平野だったはずだが。

 

 所々になだらかな丘が盛り上がっている。そして、その斜面には昔からそうであったかのように様々な種類の植物が茂っている。部分的に土砂崩れの跡もあるが、他には特に何も見つからない。

 

 ブルー・プラネットは速度を落として上空をウロウロと飛び、少し探索の範囲を広げてみる。

 しかし、やはり、何も見つからない。

 

 ブルー・プラネットは上空に浮かんだまま霧でできた腕を組み、あの夜のことを思い起こす。

 ユグドラシルに於いてナザリックの外は沼地だったが、あの夜は草原が広がっていた。それでサーバーの異常で座標が変わったという仮説を立てたのだが、やはり、ナザリックの位置は不安定になっているのだろう。沼地から草原へ、そして草原から丘陵地帯へと、周囲の地形ごと再転移してしまったのだ。

 座標が不安定であるならば、転移の指輪も<帰還>の魔法も効かなかったことが説明できる。

 

 再転移でナザリックが地下に埋もれてしまった可能性、あるいは消滅してしまった可能性もあるが、それは最悪のケースとしてとりあえずは保留する。

 この世界のどこかにナザリックは転移しているのだろう。絶望するのはこの世界を探しつくした後で良い――ブルー・プラネットはそう自分を奮い立たせる。

 

 そして、さらに広範囲を空から見渡すと、人間の痕跡――村や都市が見つかった。

 ナザリックがあったはずの場所から数キロ程度の範囲に村が1つ。さらに離れたところに城壁に囲まれた大きな都市あり、それを囲むように小さな村が点在している。

 

 その中の最寄りの村に近寄ってみて、ブルー・プラネットは歓喜した。

 村には小さな家々が寄り添うように建てられ、背が低い植物が青々と葉を茂らせている。それが畑であることは、植物が1種類で固まって生えていることから明らかだ。

 家畜小屋や井戸らしきものもあり、その脇には小さな点が蠢いている。

 さらに集中し、村の様子を観察する。遥か上空からでは点の様にしか見えなかった存在が、強化された視覚によって望遠鏡で覗いたようにはっきりと確認できる。

 

(人間がいるじゃないか!)

 

 粗末な服を着た人間たちが家畜に餌をやり、畑に水を撒き――資料映像でしか知ることが無かった、農村の暮らしだ。人類がまだ自然と共存していた時代の。

 ブルー・プラネットは、しばらくその光景に心を奪われ、人々を眺める。

 妄想であっても話し相手が欲しいと願っていた。しかし、仲間の幻影は現れなかった。

 自分が“元人間”である証としてナザリックを求めたが、それは見つからなかった。 

 諦めかけていたところに人間が現れたのだ。それも、ブルー・プラネットが憧れていた時代の人間達が。

 

 明るい色の髪をもつ1人の少女が目にとまる。歳は10代半ばだろうか。日に焼けてはいるが色素の薄い肌――ユグドラシルでも人気のあった「人間:欧州系」のバリエーションの1つだろう。井戸から小さな甕に水を汲み、家に運んでいるようだ。水の入った甕は重いのだろう。時々地面に降ろしては、ふう、という様に額の汗を拭っている。その傍には妹だろうか、10歳になるかならないかの少女がいる。姉の仕事を手伝いたがっているようだが、姉は「無理だ」というように笑って家を指し示し、妹はそちらに駆けていく。

 

 その姉妹の瞳――明日があることを信じて一生懸命に今日を生きる若い眼差しに、ブルー・プラネットは惹かれる。

 この村に降りて話を聞こうか――そう考えて下に向かおうとしたブルー・プラネットは、しかし、思いとどまる。

 

 今の自分の姿は3メートルの樹の化け物だ。人間に会ってどうするのか、と。

 残念ながら、ブルー・プラネットの習得した魔法に人間に化けるものは含まれていない。スキルにも変身能力は無い。この姿で村に行ったら、間違いなく警戒され、恐れられるだろう。

 

 いや、恐れられるならばまだいい。最悪なのは、この人間達がユグドラシルのNPC達と同じリアクションしか返してこなかった場合だ。

 

「ここは『はじめの村』です」 「今日はいい天気ですね」 「さあ、分かりません」

 

 あらかじめ設定された、決まりきった言葉を繰り返すだけの人形達。村の「人間たち」はNPCとは違い表情が動き、外観も本物の人間そっくりだが、その中身まで人間と同じだとは限らない。

 ブルー・プラネットの妄想にも限界はあるだろう。話す内容は限られる。

 同じ事ばかり繰り返すリアルなマネキンに囲まれる――独りで森の中に居た方がマシだ。

 そう考えて、ブルー・プラネットは村に行くことを躊躇う。

 

 もうちょっと、この周辺を見てみよう――ブルー・プラネットは他の村も見て回ることにした。何も焦ることは無いのだ。村があり、人間がいる。このことが分かっただけでも収穫だ。

 

 ブルー・プラネットは遠くの村を目指して移動する。

 丘を2つほど隔てた村――近づいてみると、その村は焼かれて廃墟になっていた。

 

(え? なんで焼かれてるんだ?)

 

 先ほどの村――質素だが希望に満ちた人々とは対照的に、その村は死の臭いに満ちていた。生きている人間は誰もおらず、家畜も見当たらない。畑もすべて焼かれて黒い地面を晒している。

 

 方向を変え、さらに別な村に向かう。

 そこでは、今まさに虐殺が進行中であり、ブルー・プラネットの視線はそこに釘付けになる。

 

 村人たちが逃げまどい、古めかしい全身鎧を着た人間たち――騎士がそれを追いかけ、剣で切り裂いている。背中を切り裂かれた人間は血を流し、倒れ、痙攣し、やがて動かなくなる。

 さらに、そこから離れた場所には魔法詠唱者らしい数十人の黒衣の集団がおり、村を襲っている騎士たちを監視しているようだ。

 

 先ほどまでのウキウキとした気持――人間を見つけたブルー・プラネットの喜びは完全に掻き消される。

 

「戦争……ではないな? かといって、単なる野盗でもなさそうだが」

 

 ブルー・プラネットは何がどうなっているのか確かめようと、虐殺が起きている村の上空に止まり、さらに詳しく観察する。だが、しばらく眺めていても騎士たちの行動はさっぱり理解できない。

 村の財物を漁るわけでも無く、村人の肉を食べるわけでも無く……ただ殺している。

 

(ゲーム……の幻影なのか?)

 

 村人たちも騎士達も、先ほどの村と同じ「人間:欧州系」の中のバリエーションだ。ならば、ユグドラシルの様に無意味な戦い――戦い自身を目的とすることもあるのかも知れない。

 しかし、ユグドラシルと違うところがある。死の描写があまりにも現実的なのだ。

 

 ユグドラシルでは、キャラクターの表情は動かない。切られても表情は変わらず、ただ体を揺らすだけだ。攻撃によって致命的なダメージを負えばそのまま倒れて動かなくなる。血は流れず、ダメージが過剰であれば、そのキャラクターはそのまま消える。

 しかし、今、眼下で起きている殺戮では違う。剣で切られた村人は苦悶の表情を浮かべ、傷からは赤い血が噴き出し、剣で削がれた肉片や内臓が垂れさがる。そして倒れてもがいた後にようやく動かなくなるのだ。

 村人が動かなくなった後に騎士が剣を突き立て、止めを刺す。それでも死体は消えない。首を切り落とされた、明らかにクリティカル・ヒットと思われる死体もその場に留まっている。

 

(ユグドラシルのゲームを引き摺った幻だろうが、ちょっと悪趣味だな……)

 

 元の広川であれば吐き気を催していたであろうその風景を、ブルー・プラネットは冷静に――あるいは冷酷に観察する。

 人間が死んでいることは理解できる。そして、それが一方的な虐殺であるということも。

 だが、それに対して激しい感情が湧かないのだ。死体から流れる血は「汚らしい」と感じるが、戦い自身にはまるで、2種類の蟻がエサを取り合って戦っているのを眺めているような――悲劇というよりも「やってるなあ」と微笑ましくさえ感じられる。

 

 必死で生き延びようと逃げ惑う者達を応援し、それを追う者達も応援する。

 それは、一掬いの土の中で蠢く蟲達に向けられるのと同じ感情――

 

――ふと、我に返り、ブルー・プラネットは自分自身の態度に愕然とする。

 幻覚だとしても、人間としてこの虐殺を止めるのが正しい行為ではないかという思いがよぎる。

 

 今、ここから地上に降りて戦えば、おそらく騎士風の男たち、そしてそれを指揮しているであろう魔法詠唱者たちの一団を簡単に倒すことはできるだろう。今のブルー・プラネットの知覚からすれば、地上で蠢いている人間たちはあまりにもノロマで、貧弱で、愚かだ。

 矮小な存在がウロウロと動き回り、異なるグループの者たちが出会えばそこで殺戮が起きる。そして、狩られた者は大地を赤く染め、あっけなく死んでいく。

 

 無駄な殺戮――そこには知性も美しさも感じられない。

 殺す側も、殺される側も、皆顔を歪めて叫んでいる。悪意と恐怖と悲しみの叫びを。

 無様なものだ――そんな感想しか湧いてこない。

 虐殺を止めるべきと心のどこかが囁いているが、同情心が湧かない。

 

 それは、遥か上空からちっぽけな人間たちを見下ろしているせいではない。遠距離にもかかわらず、ブルー・プラネットの強化された視覚は人間たちの状態を細部に至るまで伝えてくれる。

 だからこそ、彼らが弱いということが分かるのだ。ユグドラシルで言えば、騎士達はまったくの初心者キャラ――レベルにすれば10前後……高くても20そこそこと言ったところだろう。彼らと戦うのは怖くない。危険は全く感じない。

 

 だが、地上に降りて関与することは、別な理由からも躊躇われる。

 虐殺している者達は、おそらくは騎士であり、騎士であるというからにはその背後には国家があるはずだ。そして、騎士たちを見守っている魔法詠唱者たち――彼らは騎士たちよりも多少は強いと思われたが、その存在もこの虐殺が何らかの組織的な意思によると示唆している。

 ちょうど近くには物々しい城壁で囲まれた都市もある。騎士や魔法詠唱者達はそこから派遣されてきた可能性が高い。そんな状況で、この村が襲われている理由が分からないままに下手に手を出すのは拙い。

 

(ここで戦いに参加したら、次はあの町の軍隊、そして国家とのイベントが始まるんだろうな)

 

 そんなことを考えてしまう。

 ユグドラシルであれば、そうなることは間違いない。他愛ないイベントから壮大なシナリオが始まるのだ。

 例えば、森の中でゴブリンに追われている娘を助けたら、それが古代の秘密を握る民族の生き残りで、秘密を狙う国々の軍勢の争いに巻き込まれ、やがて帝国を裏で操っていた地下の魔王との最終決戦に至る――そんなシナリオを幾つクリアしてきたことか。

 

 ここで村に降りて虐殺される村人を助ける。すると、近くの町から騎士の援軍が到達し、そこで異形種たる自分は魔王の部下と間違えられて攻撃を受ける。そこで本物の魔王の部下と鉢合わせして、それが中々の強敵で――ユグドラシルで用意されるイベントシナリオはこんな感じだ。

 

(余計なことにはかかわらないでおこう)

 

 ブルー・プラネットはこのフラグをあえて無視することに決める。

 この世界は幻影なのだ。ブルー・プラネットが厄介なシナリオを想像すれば、それが現実になる可能性がある。妄想を加速するのは脳に悪い。そして、碌な装備が無い現状では強敵との遭遇は悪夢となる可能性が高い。

 何よりもまず、ナザリックを探し、そこで自分の存在を確認することが先決だ。

 

 もう1つ、手を出すのを躊躇った理由がある。

 騎士達は村人を殺した後、村に火を放ったのだ。他の村の焼け跡もこの者達の仕業だろう。

 戦闘では騎士や魔法詠唱者たちに勝てる――それは間違いない。

 だが、夜になって火を掛けられたらどうか。

 戦うのならば、誰一人逃すわけにはいかない。しかし、襲撃者の背後にある組織が不明である以上、それは確実ではない。監視する魔法詠唱者の集団に<伝言>を使える者がいて、それが「植物系モンスターに襲われた」と組織に伝えたら、彼らはモンスターを燻り出すために組織的に森に火を放つかもしれない。

 

 仮に強敵が出てこなかったとしても、それは拙い。

 今の自分は、火を弱点とする植物系モンスターなのだ。火を使う者からは距離を取るべきだ。

 また、自分が無事であっても、森が焼かれて罪のない多くの樹々たちが殺されることは耐えられない――昨日、自分のミスで傷つけてしまった樹の悲鳴を思い出し、何百という木々が炎の中で苦悶の声を上げることを想像して「聖森の守護者」ブルー・プラネットは身震いする。

 

 ブルー・プラネットは、ユグドラシル時代にも森が焼かれるのを経験している。ギルド<シャーウッズ>の仲間たちが炎に焼かれ、逃げまどう様を。この世界の樹々は、勿論、かつての仲間ではない。しかし、「同種」として共感する部分は下で蠢いている醜い「人間たち」よりも強い。

 

 孤独を癒すため、人間に会いたかった――しかし、こんな形で出会うとは。

 ブルー・プラネットは上空に浮かびながら、しばらく考え込む。この世界の「人間たち」とどう関わるべきかについて。

 この世界に人間らしき生物がいること、そして、それらは前近代的な文明をもち、組織化されていることが分かった。今日の所はそれが分かっただけでも収穫だ。彼らと関わるには、後日、もっと情報が集まり計画を練ってからにしよう。

 

 最初の村に戻るべきか――その疑問に対する答えも明らかだ。止めた方が良い。

 下界では、村人たちを殺し終わった騎士達が魔法詠唱者たちの群れに合流し、次の場所へと向かう準備を始めている。距離や方向から、明日にはあの村が標的となるのだろう。

 今のブルー・プラネットにはそれを救うことは出来ない。

 

 ブルー・プラネットは落胆する。あの村に最初に出会った意味を理解して。

 あの希望に満ちた村は、明日には死臭の漂う焼け跡となる。

 人間たちに希望は無い――俺の心はそう示したかったのだろう。森の守護神は森に戻れ、と。

 

 ブルー・プラネットは顔を歪めて騎士達を眺め、背を向ける。

 そして、「紅一点」で作り出したポインターから放たれる磁気のような繋がりを道標として元来た森へと飛んでいく。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 帰路には再び3時間を要した。

 ポインターの信号に沿って魔法で創り出したシェルターを見つけ、その上に降り立って霧化の魔法を解く。

 昼間であり、夜間と違ってMPは速やかに回復する。また、燃費重視で飛んだため、往復でMPの半分も消費しなかった。もっと長時間の探索も出来たが、人間らしい醜い生物の争いを見てMPとは異なる精神的な疲労が溜まっている。

 

 シェルターに入り、壁に寄りかかってブルー・プラネットは溜息をつく。

 あれがこの世界の人間というモノか、

 無駄に殺しあい、火を放ち、大地を血で汚す醜い生き物たちが――と。

 

 現実世界の人間たちと変わらない――いや、現実への思いがあんな幻影を見せたのだろうか?

 先ほどの虐殺の地に比べて、この森がいかに平和なことか――これが俺の望んだ世界なのか。

 

 この森の奥で樹々と一緒に佇む1個のトレントであった方が幸せなのかもしれない――ブルー・プラネットはそう考える。

 殺されていた村人たち、殺していた騎士たち、あの醜い愚かな生き物たちが闊歩する地に比べ、この地は静けさと清らかさに満ちている。誰一人として人間がいない森の奥深くの場所が自分にとって相応しい場所であるように感じられる。

 

 まだ現実からの救助は来ない。

 病院では「一生昏睡状態です」と医師が匙を投げているのかもしれない。

 あるいは、自分はすでに死んでおり、ここは死後の世界なのかもしれない。

 

 「それでもいいか」

 

 ブルー・プラネットはシェルターから出て日の光を浴び、迷いを振る払うように首を横に振る。この森で自分は幸せなのだ、と。

 この幸せな世界がいつまで続くか分からないが、とりあえずはこの森で、この体で生きることを受け入れようと考える。

 

 ナザリックに帰りたいという気持ちは変わっていない。だが、すぐには帰るあては無くなった。

 ブルー・プラネットは軽く笑い、傍に落ちていた樹の枝を拾って地面に突き立てる。

 

(この森が俺の第二の……いや、現実とナザリックに続く第三の故郷だ)

 

 ならば、焦ることなくこの世界を一歩一歩確かめていこう――ブルー・プラネットは近くの大木に歩み寄り、そのまま体を重ねる。ブルー・プラネットの体は樹の幹に触れた部分から非実体化し、歩みを止めることなく名も知らぬ樹の幹の中に入っていく。

 

 昨日の午後に確認した、ドルイド職のスキル「樹々渡り(ウォーク・イン・プランツ)」だ。

 ユグドラシルではドルイドが転移魔法のポータルとして樹木を利用するためのMP消費型スキルであるが、この世界においては「自分」の存在が非局在化し、意識だけの存在となって一定範囲の中にある樹々と感覚が共有化される。

 

 樹には目も耳もないため、樹の中にいる間は外の風景を見聞きすることはできない。しかし、樹の生えている場所や樹の状態は手に取るように分かる。頭の中に地図の様に樹々の場所が浮かぶのだ。

 樹に入り込んだ時点で自分の肉体は消えているはずだが、どういうわけか根を伸ばしたときの様に水分の補給が可能であり、HPの回復も早まる。そして、入り込んだのとは別の樹から出てきた時には、元の印度菩提樹をベースとしたトレントの体が完全に再現されている。

 自分の体がデータとなって分解・再構築されるわけだが、質量の保存はどうなっているのだろうか――ブルー・プラネットは考え、そして諦める。この世界の法則を、今は受け入れるしかない。

 

 ユグドラシルで存在した法則――「転移に利用できるのは自分のキャラクターよりも大きな樹」という制限は、この世界でも同じのようだ。あまり小さな樹木は、状態は分かるのだが、入り込むことが出来ない。仮に魂というデータが移動するとして、物質的な「木の大きさ」が重要になるとは不思議なものだが、そういうものなのだから仕方がない――そうブルー・プラネットは納得する。

 

 比較対象が無いために知る由もないが、自分のサイズが大きくなるほどMPの消費も激しくなるというルールも変わらないのだろう。昔の数十メートルの身体であれば問題が起きただろうが、今のブルー・プラネット程度のサイズ――3メートル弱――であれば、この森の樹々は多くが条件を満たしているし、MP消費も自然回復量以下で問題にはならず、その気になればずっと樹々の中で生活することも出来そうだ。

 

 トレントとしては小さな体を設定しておいてよかった――ブルー・プラネットはあらためてそう思う。この世界で所有スキルを活かすために、今の身体は特に有利だ。ユグドラシルで有利になるようにスキルを組み合わせたのだから当然だが、この世界がユグドラシルの設定を受け継いでいることにあらためて感謝する。

 

 旧ギルド<シャーウッズ>では巨大な体をもつ仲間が固定砲台となって拠点を守る間、小さな自分はギルド武器を守りつつ転移して逃げまわっていた。そして、<アインズ・ウール・ゴウン>では、隠密性を活かした不意打ち要員として――攻撃力では弐式炎雷さんには敵わなかったが、スキル攻撃を主に使って――前線に立った。そして、この世界では、ひっそりと心安らかに樹の中で暮らすことが出来る。

 

 ブルー・プラネットは周囲の樹々と溶けあい、その中を移動していく。

 ブルー・プラネットという自我が、森の樹々を伝って移動していくと言ってもいい。

 この森を良く知るために樹々の状態を調べながら移動する。途中で病気や怪我を負った樹があれば治療する。

 この森の樹々を仲間として生きていくために。

 

 樹の中からは外の様子が見えないが、常態化している「環境状態感知」(センス・ネイチャー)で周囲の樹々の状態以外にも、ある程度大きな動物たちの状態が、脳裏に地図のように浮かび上がる。モンスターの様に邪悪な存在はいない。皆、それぞれの群れを作って餌を食んでいる。

 

 時々、樹の外に出て実体化し、スキルで感知した状況を視覚によって確認する。そして適当な樹にスキルで生み出した「シイの実」のアイテムを埋め込んでいく。このアイテムは樹の目や耳として機能する。埋め込んだ樹からは、特定の信号――例えば巨大なモンスターの立てる物音など――を聞き取れるように設定できるし、必要があれば視認も可能なのだ。

 

 アイテムを埋め込んだ樹を通じて外界の様子を見る感覚も興味深い。

 音声信号であれば、樹々の中に拡散した意識状態でも届くのだが、視覚はブルー・プラネットの自我を特定の樹に局在化することが必要なのだ。特定の音を感知し、それを視覚で確認する――それは人間でいえば、雑踏の中でいきなり名前を呼ばれ、我に返って視線を向ける――その感覚に似ている。今まで森の樹々に拡散されていた意識がスッと一か所に集約され、そして視界が開けるのだ。

 

 森の中で意識を拡散させ、時に集約させながらブルー・プラネットはこの世界における自分の役割を考える。

 俺は、この静かな森を守る守護精霊(フォレスト・ガーディアン)なのだ――少なくともナザリックに戻れるまで……現実の世界に戻るまでは。この世界では自分はそう設定されたキャラクターであり、ならばそれを演じ切ろうと考える。

 

 この森はどこまで続いているのだろうか?

 ナザリックが存在すると思われた方面は既に調べた。今度は、その反対側を調べよう。

 空を飛んで行くのもいいが、今度は地上から――良い考えだと思う。

 森の散歩は、時間はかかるが新鮮で楽しい作業だ。

 現実の世界では他者として相対していた植物が、今度は「自分」を共有するのだから。

 

 植物でいるとはこういう感覚なのか、とブルー・プラネットは驚く。

 森には様々な種類の樹々があり、それぞれの個体が異なった感覚を持っていた。

 風に揺られる感覚、水を吸い上げる感覚、岩を押し割って成長する感覚、太陽の光を浴びて活発に光合成する感覚、葉から水を一気に蒸散する感覚……

 

 蔦に絡まれて苦しんでいる樹がある――助けよう。

 <植物操作>(アニメイト・プランツ)を使い、その蔦をそっと動かす。蔦も生きているのだ。

 

 葉を食む虫たちの動きが分かる。ポリポリと小さな振動は少し痒いような、くすぐったい感覚だ。樹々は虫たちに対し警戒信号を出しているが、これは自然界のルール、食物連鎖だ。やがて虫たちは美しい蝶となり、卵を産み、命の輪を繋いでいくだろう――多少の害は許容すべきだ。

 

 枝を伝う小動物の歩みも把握できる。トントンという振動が幹を伝わる。エサとなる木の実を運んでいるのだろう。結構結構――その実から種が残され、その幾つかが新たな樹となる。植物が無数の種を飛ばすのは、動物たちの餌になることも含めてのことなのだ。

 

 どんな小動物がいるのだろうかと好奇心に駆られて樹の外に出ると、それはリスに良く似た動物だった。その動物は、音もなく突然現れた樹の化け物に驚いたようで小さな丸い目でブルー・プラネットを見つめている。ユグドラシルではそのような小動物はいなかったが、愛らしいその動きが心を癒す。

 

 周囲にはもっと大型の動物――猫程度のサイズのものから熊程度のものまで様々な者達――が幾つかの群れを成しているのが感知できる。彼らは自然が定めた掟に従って、平和に自分の餌を食んでいる。

 

 この森は命に満ち溢れている。

 それを直接感じることが出来るブルー・プラネットは幸福に浸って森の中を渡っていく。緑の中に拡散された自我の中で踊るように。

 やがて森の端まで辿り着く。シェルターからわずか2,30キロほど進んだところだ。

 

 そして、ブルー・プラネットはその森の端で「人間たち」が何やら蠢いていることを知った。

 




基本、アインズ様達と時間は並行しています。
ニグンさんとの衝突ならず(アインズ様に任せましょう)


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第9話 シモベの創造

西には無かった夢の国。
仕方がないから東に向かうブルー・プラネット。



 シェルターから離れて森を散策し、1、2時間たったころ、ブルー・プラネットは森の端に達する。いや、自我と感覚を共有する樹々がそこで途切れていることを知る。そして、その辺りで他の動物と異なる信号――人間の存在を感知した。

 ブルー・プラネットはその信号源から少し距離を置いて樹から抜け出し、周囲の物音に耳を澄ます。警戒心とともに。

 

「この草が薬草だよね?」

「そう……だと思う。持って帰って調べてもらわないといけないけど」

 

 風に乗って人間の声が伝わってくる。若い――幼い声だ。声を発している2人の他にもう1人いることが足音や葉の擦れる音で分かる。スキルによる情報とも矛盾はない。

 人間たちは、話の内容からみて薬草を採集しているのだろう。彼らがいるのは森の端から2,30メートルほど入ったところ。ブルー・プラネットが実体化した地点は更に100メートルほど森の奥だ。

 

 ブルー・プラネットは夢から醒めた気持になる。楽しかった森の散策は終わりだ。人間との接触がこうも早く来るとは――何も考えていなかった迂闊さを反省する。

 

 とりあえず再び樹の中に入り、人間たちから10メートル離れたところで大木の陰に隠れるように実体化する。ゲームとは違い全身ではなく、顔と腕だけを出して樹の幹に「シイの実」を埋め込む。そして、再び樹の中に戻り、人間たちを囲むように次々と樹にアイテムを埋め込んでは樹の中に戻る作業を繰り返す。

 樹の中からでは外界の様子は分からないが、アイテムを埋め込んだ樹から視覚・聴覚の情報を得ることが出来る。視覚は樹々に遮られるが、静かな森の中でもあり現在の鋭敏化された聴覚によって人間たちの会話をハッキリと聞くことが出来る。

 

「これが熱冷まし……?」

「葉っぱの形がちょっと違う。見本は、ほら、もっとギザギザしている」

「もっと奥に行った方が良いかな?」

「でも、あまり深く入って迷ったら大変だよ」

 

 どうやら、薬草にあまり詳しくない人間たち――子供たちが3人で薬草を探しているようだ。

 

 さて、どうするべきか――ブルー・プラネットは思案する。

 おそらく、この子供たちは危険な存在ではない。少なくとも、樹に潜むブルー・プラネットの存在を感知できる能力をもつレベル――ユグドラシルであれば70レベル以上――ではない。スキルでは敵意は感じられないし、声の調子には知らぬふりの演技という違和感もない。

 

 では、ここで姿を現してもいいのかというと、そうとも言えない。

 ユグドラシルのシナリオならば基本は勧善懲悪だ。子供たちを助けることで見返りに何かのアイテムが手に入ったり、有益なヒントが得られるかもしれない。ナザリックへの帰還に必要な情報が。

 だが、この世界では今のところその保証はない。子供たちに姿を見せて生かして返したら、植物系モンスターを討伐するため軍隊が来るかもしれない。この静かな森が荒らされる可能性がある。

 かといって、何もしていない子供たちを皆殺しにするのも流石に気が引ける。

 とりあえずは様子を見るべきだ。

 

――それにしても、子供たちだけで……大人たちは何をしているのだろう?

 

 そんな疑問が生じ、少し離れたところで木から抜け出て体を霧に変え、<擬態>(カモフラージュ)<自然化>(ワンインネイチャー)<視線回避>(ゲイズスクリーン)の魔法を重ね掛けして周囲の樹々に紛れ、上からこっそりと子供たちを眺める。

 子供たちは自分たちを上から眺める霧の塊に気が付く様子もなく、薬草と思しき草を集めている。ボサボサの髪の毛は明るい色をしており、日本人の子供ではないようだ。やはり「人間:欧州系」なのだろう。その手は草の汁で汚れ、すり傷だらけで、頬には涙の跡がある。

 

「これで助かるかな……?」

「うん……帰ろう……」

 

 子供たちは集めた草を籠にまとめ、帰っていく。時間を見ると、もう17時を回っている。まだ日没までには間があるが、森の中はそろそろ薄暗くなるころだ。

 ブルー・プラネットは霧になったまま、子供たちの後をつける。5メートルほどの高さで宙に浮いた霧の体は木々の枝に引っかかることも、枯葉を踏みしめることもなく、音を立てずに移動する。

 仮に子供たちが後ろを振り返ったとしても、魔法によって視線は逸らされるはずだ。また、仮に視線が定まったとしても、樹々の中で漂っている霧が自分たちを監視しているとは思わないだろう。

 

 そして、森の端につく。

 ブルー・プラネットは今度は地を這うように体を低くし、滑るように移動する。魔法によって擬態された霧の体は地面の草と溶けあい、その移動は草叢が風にそよぐようにしか見えない。

 

 森の端から数百メートルほど離れたところに、柵に囲まれた小さな村があった。子供たちは柵の門を開け、村に入っていく。

 ブルー・プラネットは聞き耳を立て、村の中の様子を探る――至る所から、呻き声が聞こえてくる。どうやら病気が蔓延しているらしい。スキルによる感覚も人間が集団で弱っていることを感知している。

 

「ただいま。様子はどう?」

「変わらないよ。熱も引かないし」

「ネスタさんの所に行って薬草を見てもらってくる」

「気を付けてね」

 

 先ほどの子供の1人と、その親の声だろう。暗い声に交じって溜息をついている。

 

 なるほど――ブルー・プラネットは状況を飲み込む。

 つまり、この村は疫病に侵されており、動ける大人が看病する一方で子供しか森に行けないのだ。そして、医療水準は低く、薬草なるもので治療するしかないらしい。

 

(ならば、この村でこの世界の人間について情報が得られるかもな)

 

 森で生きていくためには、火を使う者たちを排除しなくてはならない。この世界の社会――騎士や魔法詠唱者といった存在から推測される国家などの組織――についても知っておく必要がある。

 そして、ナザリックについても何かヒントが得られるかも知れない。

 

 ブルー・プラネットは森に戻り、植物系モンスターである自分の代わりに動ける者――万一の場合には捨て駒となる者を創ろうと考える。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 ブルー・プラネットは森の探索で見つけた動物たちの群れ――イノシシによく似たもの――に近づき、その中の2頭に狙いを定める。非実体化を解いて、両腕から蔦を2本伸ばし、各々を2頭の獣の後脚に絡みつかせ、一気に宙に吊り上げる。

 

 プギィィィィィ

 

 静かな森の中に獣の悲鳴が響き渡り、群れは一斉に森の奥へと散っていく。

 ブルー・プラネットは、捕まえた2頭の獣を手元に引き寄せ、吊るされながらも暴れ続けるそれらに魔法を掛ける。

 

<獣類(メタモルフォース・)人化>(アニマル・トゥ・ヒューマン)

<獣類(メタモルフォース・)人化>(アニマル・トゥ・ヒューマン)

 

 獣を人間に変形させるドルイド魔法だ。

 

「おお!」

 

 ブルー・プラネットは思わず声を漏らす。自分と獣との間に何か細い糸で繋がれたような感覚が生じ、目の前でイノシシに似た獣が姿を変えていく。

 

 短い脚が伸び、手と足に分化し、体毛が消え、頭部が人間のそれへと変化し――

 

 そして出来上がった”それ”をみてブルー・プラネットは眩暈を覚える。

 年齢は三、四十といったところか、茶色の髪と瞳をもつ、欧州系の身体的特徴を備えた男女が立っている。地理的な影響なのか、ブルー・プラネットの認識のせいなのか、やはりユグドラシルの人間種基本タイプの1つ「人間:欧州系:一般人」だ。これならば、先の子供たちの特徴から考えても、村で溶け込める可能性が高い。

 

 それはいい。しかし、全裸なのが問題だ。

 

 これがもう少し若ければ、そして鍛えた肉体であれば、ブルー・プラネットはまだ平静でいられただろう。しかし、色々な個所の肉が弛んだ中年の男女が一糸まとわぬ姿で直立不動の体勢を取り、こちらを見つめている。ユグドラシルであればアイテムや装備品は無いものの、着衣の状態で創造されたはずだが――この世界は、どうやらそこまで便利ではないらしい。

 

 居たたまれない気分になったブルー・プラネットが二人に声をかける。

 

「あ、あー、お前たち、私の声が聞こえ……るか?」

 

 直立不動の全裸の男女を前にして力が抜けるが、真剣な彼らの視線につい口調が改まる。

 

「はっ! もちろんでございます、わが主よ」

 

 全裸の中年男女が真顔で跪く。言葉は通じるのかとブルー・プラネットは少しばかり安心する。そして、返答がオウム返しや「聞こえます」といった単純なものでないことに驚く。

 召喚モンスターにも表情や意識はあったが、動物から作り出したこの者達にも自我があるのだろうか?

 

「お前たち、寒くはないか?」

「はい。すこし風がスースーしますが、快適でございます」

 

 何の衒いもなく、全裸の中年男女が声を合わせて恭しく答える。

 やはり、AIとは違う自由な会話をしている。

 

「そうか、それはよかった」

 

 創造主が被創造物を思いやる声に、全裸の中年男女は最高の、零れんばかりの笑みを返す。

 あまりにも真直ぐな視線――目のやり場に困ったブルー・プラネットは仕方なく質問を続ける。

 

「お前たちは今、私が野生の獣から人間へと変化させたのだが、野生の記憶は残っているか?」

「はい、曖昧な記憶ではありますが、あちらで食事をしていたところをブルー・プラネット様に導かれ、人間にしていただいたことを覚えております」

 

 男が率先して答え、女はその横で頷いている。

 

「ふむ、お前たちは私の名を知っているのか?」

 

 創り出したシモベは、まだ名を告げていないのに「ブルー・プラネット」という名を口にした。そして、どうやら動物であった記憶は保持しているが、無理やり変形させられたことに恨みや怒りなどの感情は抱いておらず、忠誠心があるらしい。これは、植物系モンスターを召還したときもそうだったが、直感的にも理解できる。

 

「当然でございます。御手によって作られた私どもが主のお名前を存ぜぬはずがございません」

 

 そういうものなのだろうか? ブルー・プラネットは頷いて質問を続ける。

 

「では、お前たちは……この周辺の村のことを知っているか?」

 

 跪いている男女は顔を見合わせ、やがて男が答えた。

 

「申し訳ございません、主よ。森の外に人間の村……というものがあることは知っておりますが、私たちは人間たちを避けておりましたので」

「そうか……では、人間たちがどのような生活をしているかは?」

「申し訳ございませんが、存じません。たまに何人かが森に入ってきて、木の実などを集めてはいるようですが」

 

 ブルー・プラネットが知っている以上の情報は無いようだ。ブルー・プラネットがユグドラシルからこの世界に来て戸惑っているのと同様、彼らも動物からいきなり人間にされて戸惑っているのだろう。

 

「ふむ……そうだ、お前たちは子供はいないよな?」

「はっ! 現在、私が知る限り、私の仔はおりません」

 

 男が答える。

 

「はい、春に生まれた巣立ち前の仔が5匹おります」

 

 女が答える。

 

「ダメでしょ!」

 

 それまでの支配者として精一杯保っていた威厳が崩れ、ブルー・プラネットの地が出る。反射的に出た言葉だが、熟慮した上でも結論は同じだっただろう。もっと威厳のある物言いは出来ただろうが。

 

 <獣類人化>を解き、女のシモベは再びイノシシに似た獣に戻る。

 その獣は数瞬、不思議そうな目をして周囲を見渡し、森の奥に駆けていった。

 

(仔が死んだら俺のせいだもんなあ)

 

 ホッとして獣を見送り、ブルー・プラネットは残された雄のシモベを見る。

 その男は真っ青な顔をして震えている。

 

「ブ、ブルー・プラネット様……私共の何が至らなかったのでございましょうか……?」

 

 やっとのことで言葉を絞り出した男を見て、ブループラネットは自らの短慮に気が付く。

 男が震えあがるのも無理はない。彼の視点では、仲間がいきなり存在を否定され、その身を獣に変えられて追放されたのだ。

 

「……いや、お前たちに罪はない……ただ、彼女の仔を死なすわけにはいかんだろう?」

「私共つまらなき者たちのために、なんともったいなきご配慮!」

 

 ブルー・プラネットが慌てて腕を振り、彼の危惧を否定すると、シモベは涙を流して感謝する。

 

「いや、いいから。それよりも、やはり2人目は欲しいな……お前の目で雄を……男を選んでくれないか? そうだな、若く健康な男がいい」

 

 自らが生み出したシモベの歪んだ忠誠心に罪悪感を覚えながら、ブルー・プラネットは命じる。

 

「承知いたしました。それではもう1つの餌場にご案内いたします」

 

 今の餌場には獣は残っていない。すでに森の奥に逃げてしまった。

 

「ああ、だが、その前に、お前の体を隠しておいた方がよいだろうな」

 

 既に人間となったシモベが動物の群れに接近するのは困難だろう。レンジャーなどのスキルをもった人間を創造できればよいのだが、それには更にMPを消費し、クラスを習得させるアイテムも揃えなくてはならない――今は無理だ。

 

 ブルー・プラネットはシモベに<霧化飛翔>を掛け、自らは樹の中に入る。そして、霧となったシモベが餌場に向かうのを、ブルー・プラネットは樹の中から時々顔を出して追いかける。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 森の開けた場所に、十数匹の獣が草を食んでいる。ブルー・プラネットの聴覚でも群れの存在は把握できたが、その個体差となると難しい。

 

「で、どの個体だ?」

 

 ブルー・プラネットが木の中から体を出し、霧となったシモベの耳元で囁く。

 

「あの、右から三番目の者がブルー・プラネット様のシモベに相応しいかと存じます」

「よし」

 

 ブルー・プラネットは即座に蔓を伸ばし、指定された個体を捕捉する。

 

 プギィィィィ

 

 先ほどと同じように、蔓で後ろ足を拘束され空中に持ち上げられた獣は悲鳴を上げ、他の獣は一斉に森の奥に散る。

 

<獣類(メタモルフォース・)人化>(アニマル・トゥ・ヒューマン)

 

 これも先ほどと同じ作業だ。

 

「ブルー・プラネット様、何なりとお申し付けください」

 

 創造された新たなシモベは跪く。やはり、こいつも全裸だ。

 1人目のシモベが言うように、確かに体は大きく筋肉質であり、容姿も優れた若い男だ。先の2人と同じく茶色の髪と瞳をもつ欧州系であり、この種の獣からはこのタイプの人間が出来るのか、とブルー・プラネットは考える。

 

(場合によっては、もっと別のタイプも必要になるかもしれないな)

 

 虐殺されていた村の住人達、そしてこの森の近くの村の子供たちも明るい髪の色をしていた。しかし、これから出会うかも知れない人間たちも同じとは限らないのだ。

 最初のシモベの<霧化飛翔>を解除し、2人を並べて立たせて今後のことを考える。

 

(ふむ……この2人なら「旅の薬師の師弟」という設定でいけるな)

 

 村に入り、ブルー・プラネットが創りだした薬で病を治して人間社会との交流の切っ掛けとし、この世界の情報を得る。変なイベントが始まりそうだったら、シモベを獣に戻して立ち去る――それがブルー・プラネットの計画だ。はじめは人型に変形させた獣を操り、腹話術の人形のように使うつもりだったが、自然な会話が可能なことで随分と楽になりそうだ。

 

 ただし、2人とも全裸であることで、予定は初っ端から壁にぶち当たっている。

 これでは人前に出せない。早急に服を調達する必要がある。

 ブルー・プラネットはしばらく考えて、スキルで蔦を伸ばして「幸運の首輪」を作り出し、それに「紅一点」で作り出した小さな花を融合させる。

 

「お前たちはこれを首に掛けろ」

 

 シモベ達が言われるままに首輪を掛けると、魔法のアイテムである首輪は2人の首に丁度合うように縮まる。

 

「これでお前たちの居場所を見失うことはないからな。それでは、ついて来てくれ」

 

 3人のシモベ――1人は失敗――を作り出し、もはやMPにあまり余裕がない。この世界に相応しい服装を調達するために、今朝見てきた村の焼け跡を探ることを考えたのだが、今からでは往復は難しい。もうそろそろ夕方になり、夜飛ぶことにもなってしまう。

 

 ならば、一旦はシェルターに戻って休み、明日の朝、再びあの村に行こう――そう計画する。

 

 そして、ブルー・プラネットは2人のシモベを連れ、2時間ほどかけてシェルターに戻る。

 道中、日も暮れて森の中は真っ暗になる。ブルー・プラネットは樹の中で移動でき、「紅一点」のポインターがあるために道に迷うことはない。だが、人間となった2人のシモベは裸足であり、森の中は歩きにくそうだった。獣に比べて柔らかい人間の皮膚は枝に引っ掻かれて傷だらけになる。それに気が付いたブルー・プラネットは、樹を出て<霧化飛翔>を自分と2人のシモベにかける。

 

 これでMPには完全に余裕がなくなった。これ以上は精神的疲労で行動制限が起きる。

 初めは2人を抱えて樹の中に入り込むことも考えたのだが、自我が周囲の樹の中に拡散するときに他の個体――シモベたち――の意識が混ざったらどうなるのか。ブルー・プラネット自身の自我が汚染される可能性と、シモベたちが余計な情報を共有することで忠誠心が変化する可能性――その2点が気になり、リスクを冒しても空を飛んでシェルターに向かう。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 MP切れの前兆で頭に痺れを感じ始めたころ、ようやくシェルターに辿りつく。すでに時刻は20時を回っていた。シモベたちを中に入れて休ませ、ブルー・プラネット自身も<永続光>を浴びてホッと一息つく。

 少しばかり休息して頭の痺れも取れ、気力が回復したところでブルー・プラネットはシモベ達に尋ねる。

 

「お前たち、食事はどうするのだ? 夕食と明日の朝食だが……」

「はっ! 先ほどまで食べていましたから腹は減っておりません。朝は柔らかい草か木の実が少々あれば十分です」

「そうか……では、私が少し出て、木の実を集めてこよう」

「も、もったいない! 私共の分は私共で集めます」

「だが、すでに外は暗いぞ。構わん。私が行こう」

 

 人間になったばかりのシモベたちが森で怪我でもして使い物にならなくなったら困る。

 それだけのことだったが、シモベたちは涙を流して感謝している。その、異常ともいえる忠誠心に少し居心地の悪さを感じながら、ブルー・プラネットはシェルターの外に出る。そして樹々の中に入り、実の生っている樹を見つけて何種類かの果物らしいものを集め、シェルターに戻ってくる。

 

「お前たち、これらを食べられるか?」

 

 ブルー・プラネットはシモベに尋ねる。何しろこの世界の植物の知識は無い。草は分からないが、果物というものは基本的には動物に食べられて種を拡散するためのものだから、おそらくは食べられるのだろう――そう考えて両腕に山盛り抱えて持ってきたのだ。

 

「はっ! これは食べられますが、こちらは苦く、腹を下します。これはまだ未熟で……」

 

 シモベから見て食べられる物は半分らしい。仕方がないので、食べられない物は森に還す。

 まあ、夕食と明日の朝食には十分な量があるようで、今度からは食べられるものを選んで採集しよう。シモベたちを連れて森の中を歩き、シモベ自身に選ばせてもいい――そう考えながら、ブルー・プラネットは食事をとるシモベたちを見つめ、自分は休息のために外に出て地面に足を――植物的には「根」を伸ばし、水分を補給する。

 

 そして、朝が来る。この世界で3回目の朝だ。

 シェルターの中には寝具がない。シモベたちは床に寝転がっている。昨晩は<永続光>を隠すためにブルー・プラネットが2人の上で陰を作り、さらに「睡眠」のポーションを分泌してシモベたちを寝かしつけた。

 

(布団があればいいんだがな)

 

――そう考えるブルー・プラネットには相変わらず睡眠は必要なく、それでいて<永続光>を浴びたためか疲労感は全くない。

 そして、相変わらずだが、現実世界からの連絡もない。

 

「私はお前たちの服を探してくる。すぐに戻るが、その間、この中で待っていてくれ」

 

 ブルー・プラネットは、目が覚めたシモベたちに向かって命令を下す。

 ユグドラシルでは、<獣類人化>の効力は24時間で切れた。それと同じならば、今日の午後遅くまでは獣に戻ることはないはずだ。仮に効果時間が短く、獣に戻ったところで、首輪に付けた「紅一点」があればすぐに見つけ出すことが出来る。

 

「はっ!」

 

 2人のシモベ達は同時に返事をする。

 

「腹が減ったらここにあるものを食べてくれ。足りなければ外に出てエサを探してもいいが、人間の目には触れないよう注意せよ」

 

 花の首飾りを付けた全裸の中年男性と若者が森の中で戯れていることを目撃されるのは拙い――人間が此処まで来るかわからないが、そう判断する。この世界の人間の常識は、まだ分からない。村を焼き払っていた騎士団を思い出せば慎重にならざるを得ない。何かいかがわしい儀式とみなされて討伐隊でも派遣されたら目も当てられない。

 

「承知いたしました」

 

 2人のシモベは再び口をそろえる。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 ブルー・プラネットは<霧化飛翔>によって空を飛び、昨日の村の焼け跡に辿り着く。

 方向や距離がハッキリしているだけ楽な旅で、MPをやや多めに消費した結果、掛かった時間は2時間ほどだ。途中、あの騎士と魔法詠唱者の集団が移動しているのを、また、別な戦士の一団が移動しているのを遥か上空から見かけたが、関わりたくはないので素通りする。

 

 焼かれた村の周辺には、もはや人間はいない。皆殺しになったか、別な村に避難したのだろう。すでに死体も片づけられているようだ。

 

 ブルー・プラネットは焼け跡を漁る。何か申し訳ないと感じながら。

 そして、最初に村を、そして虐殺を見たときに感じた中世的な暗黒時代のイメージとは違い、この村がそれなりに裕福であったことを知る。村長の家らしき大きな焼け跡には焦げてはいるものの衣類が幾つも残されていた。驚いたことに、金属を引いたガラスの鏡まで1つ見つかった。他の家々を回ってもテーブルや椅子などの家具の跡が残っている。

 特に鉄器――製造には大量の燃料を必要とし、森林崩壊の原因となるそれが、粗末な物とはいえこんな小さな村の家々に存在することに驚く。

 中世というよりは、産業的な大量生産が始まりつつある近世に近い印象だ。

 

 目的の衣類は、焼かれてボロボロではあるが、シモベたちのサイズに合いそうなものを何組か見つけることが出来た。そして、他に見つけた役に立ちそうなもの――クツやカバン、ロープ、割れた鏡など――を思いつくままに焦げた毛布で包み、大きめの長持にまとめて抱えあげる。人間ならば3,4人がかりで運ぶ荷物だが、レベル100のトレントにとっては重さも感じない。

 あらかた必要な物が揃ったと考え、ブルー・プラネットは再び空を飛び、シェルターに戻る。

 MP消費量を調整してなるべく速く飛び、昼前にはシェルターに着く。

 

「今帰ったぞ」

 

 ブルー・プラネットがシェルターに入ると、跪いたシモベたちが迎える。急いで帰ってきたのだが、<獣類人化>の効力はまだ切れていないようだ。

 

「ブルー・プラネット様、ご帰還をお待ちしておりました」

 

 MPを消費してやや疲労を感じているブルー・プラネットは、跪く全裸の男たちを見て更に精神的なダメージを受ける。MP切れとは異なり、倒れるには至らないが。

 そして、シモベたちが外に出て昼食をとる間、持ってきた荷物の修復を試みる。試しにカバンに<修復>(リペア)の魔法を掛けると、カバンの焼け焦げが消え、穴が塞がり、失われていた手提げ紐等までが出現する。

 

「魔法というものは、本当に不思議なものだな……」

 

 ブルー・プラネットはそう呟き、自分の指先や召喚モンスターが魔法によって回復したときのことを思い出しながら、修復されたカバンを手に取って見つめる。

 このカバンも、見ればデザインは22世紀の自分が知るものとはずいぶんと違う――しかし、それは確かに機能する。作りは粗いが、紐の位置やポケットの位置は合理的で使いやすいように生活の中で工夫されてきたものだ。

 

 この世界には、多種多様な生態系、生々しい死体、意志をもつシモベ、そして日用品のデザインに至るまで、自分の考えには存在しなかったものが顕現している。

 この世界は何なのだ、本当に妄想の世界なのか――疑問が再び頭を支配しそうになる。

 

「ただいま帰りました」

 

 昼食を終えて帰ってきたシモベたちによって、ブルー・プラネットの思考は中断する。

 シモベたちは相変わらずの全裸である。

 

「とりあえず、これを着てほしいのだが、サイズは合うか?」

 

 シモベたちは服を手に取り、不思議そうに眺めて疑問を発する。

 

「これは……人間たちの皮によく似ておりますが、これを身に着けるのでしょうか?」

 

 皮じゃなくて服だよ、とブルー・プラネットは心の中で突っ込むが、口には出さない。

 

「ああ、これは『服』と言ってな、こうやって、人間たちは寒さをしのぐのだ」

 

 手ごろな服を1枚選んで<修復>(リペア)を掛け、中年のシモベにそれを無理やり着せてみる。そのシモベは初めて着る「服」というものの概念は理解したようだが、窮屈そうだ。

 

「お前たちは、これを着て、人間として村に行ってもらう」

 

 シモベたちの顔が一瞬、歪む。獣として人間を避けてきた記憶がそうさせるのだろう。しかし、創造主への忠誠心がその忌避の記憶を押さえつけたようだ。

 

「分かりました。私たちはこれから『人間』として『服』を着て、村に向かいます」

 

 ブルー・プラネットは頷き、少しでも窮屈にならないように、やや大きめのサイズのもの選んで<修復>(リペア)を掛け、シモベの着替えを手伝う。

 魔法によって焼け焦げた服は新品同様の形を取り戻す。だが、血糊や煤の汚れは落ちていない。

 ブルー・プラネットはトレントと薬師の複合スキルで洗浄液を分泌し、きれいに洗いあげる。

 

 これでシモベの服は揃った。しかし、薬師としてはそれだけでは不十分だ。

 

 アイテムボックスを開け、ポーションの空瓶を取り出し、緑色の回復液を分泌して満たす。

 植物系異形種のスキルで分泌される各種の薬や毒は取り置きが出来ないが、薬師のスキル「ポーション作成」で瓶に詰めれば任意のタイミングでアイテムとして使用することが可能になる。

 さらに、「調合」のスキルで原料を組み合わせれば回復薬だけでなく独自のポーションを作りだすこともできるのだ。それらの原料は、植物系異形種の種族レベルが上がったときにスキルとして追加できる。

 各種ポーションの原料を自前で調達できるのだから、トレントと薬師との組み合わせは便利だ。

 その代わりに自分が採集の対象となるという欠点もついて回るが。

 

 ブルー・プラネットは更に上位の秘術師のクラスも習得しているため、薬や毒以外の魔法効果をもつポーションまで作ることが出来る。空を飛べるようになったり、炎を噴き上げたり、稲妻を飛ばすポーションなどだ。ユグドラシルには原料となる素材は多数設定されており、その組み合わせは数えきれないほどで、新しいポーションを見つけるのも遊び方の1つだった。

 

 ブルー・プラネットは、例えば、飲むと口から火を噴いてロケット噴射の様に空を飛ぶポーション等も開発してきた。ナザリックのバーでそれを皆に飲ませたときには大うけしたものだ。居室には、原料の組み合わせを無数に記録したノートが置いてある。それがあればもっと楽に色々なことが出来るのだが――ブルー・プラネットは懐かしさに宙を見つめる。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 服とポーションの準備が出来た。

 だが、そこで、ブルー・プラネットは問題に気が付く。あと数時間で<獣類人化>の効力が切れるが、獣に戻ってから再び魔法を掛けた場合、先ほど与えた指令を記憶しているのだろうか?

 

 試す必要がある。幸い、MPは十分に残っている。

 

 <獣類人化>を解除し、シモベたちをイノシシに似た獣に戻す。

 花飾りの首輪と服を着た獣が出現する。

 そこで再び<獣類人化>の魔法を掛ける。首輪と服を着た中年と若者が出現する。

 

「お前たち、先ほどの話を覚えているか?」

「はい、つまり、人間として村に行くのですね?」

 

 ブルー・プラネットは安堵する。一旦魔法を解除しても、記憶は引き継がれるようだ。獣の脳にも指令自体は残るらしく、1日ごとに初めから色々と教え込む必要はなさそうだ。

 

 懸念の一つは消えたが、これからはもう一段複雑な指令を与えなければならない。

 

「そうだ、お前たちは『旅の薬師』として村に入り、病人を……」

 

 ブルー・プラネットがシモベたちの表情を確認すると、彼らは言葉の内容を把握するのに一生懸命なようだ。無理もない。つい昨日まで獣として草を食んでいたのが、いきなり専門職である薬師の演技をしろというのだから。

 <獣類人化>によって形成された人間モドキの知識は最低限の基本的なものに限られていた。会話による意思の疎通は出来るが、村の生活などは知らなかったのだ。服すら知らなかったシモベたちにとって、薬師の何たるかなどは想像も及ばないだろう。

 

<知力向上>(ウィズダム・オブ・アウル)

 

 少しでも臨機応変に対応できることを願って、知恵を向上させる魔法を掛けてみる。ユグドラシルでは魔法の成功確率を向上させる等の効果があったが、この世界ではどうか。

 魔法を掛けたブルー・プラネットは、自分から魔力の糸が伸びてシモベに繋がる感覚を覚える。そして、何かがそのシモベに向かって流れ出し、シモベの目つきが変わる。

 今までは、どことなく浮世離れした呑気さがあったが、何というか……鋭くなる。

 

「ブルー・プラネット様、では、このカバンのポーションが村人を治療する薬なのですね?」

 

 聞かれもしないのに、的確な判断をブルー・プラネットに告げる。

 

 ほう、と内心でブルー・プラネットは感心の声をあげ、自分にも同じ魔法を掛けてみる。

 カフェイン錠を飲んだ時のように頭が冴えるが、特に新しい知識は増えない。その代り、古い記憶が物置から取り出され並べられたようにハッキリと思い出される。

 

 そうか、そういうことか、とブルー・プラネットは冴えた心で納得する。

 

 基本的な<獣類人化>では獣の形が人間となり、最低限の知識が備わる。そして、その知識は術者――すなわちブルー・プラネットの状態に依存するのだ。

 人間の村を知った後に<獣類人化>を掛ければ、おそらくは村の生活に適合した人間モドキが生まれるのだろう。異形種のトレントであり、鎧などを装備せず、服を着ていない状態を当然とする、この世界のことを何も知らないブルー・プラネットが創造したからこそ、創造者の名前は知っていても「服」すら知らないシモベが生まれたのだ。

 

 そして、<知力向上>の魔法は知性の向上以外に、術者の知識を分け与える効果がある。全ての知識ではない。この場合、術者のブルー・プラネットの意図に沿って、薬師として演技するのに必要な知識がシモベに渡されたのだ。先ほど感じた「何か」が流れ出す感覚、それが知識を共有する感覚なのだろう。

 

「そうだ、そして、これを身に着けておけ」

 

 ブルー・プラネットはシモベの服のポケットに、スキルで作られたシイの実を入れる。森の樹に埋め込めばブルー・プラネットの目や耳となり、NPCに持たせればその遠隔操作をも可能にするアイテムだ。

 ユグドラシル時代ならば人形に過ぎないNPCを腹話術で喋らせ操るものだったが、シモベが自我をもった今ではシモベの身体を一時的に乗っ取ることになるだろう。身体を乗っ取られることによる混乱を防ぐために、シモベには事前に教えておくべきだ――そう考えて、ブルー・プラネットはシモベたちに告げる。

 

「今お前達に与えたアイテムは、お前たちが見聞きすることを私にも伝えるためのものだ。そして、こちらから強制的に……お前たちの体を動かすことも可能だが……良いか?」

 

 最後のあたりは声が小さくなる。忠誠心が高いシモベとはいえ、強制的に体の自由を奪われるのは良い気持ちはしないだろうと考えて。

 

「もちろんです。この身は御手によって形作られたもの。毛の一筋、血の一滴、魂の一欠片まで至高なる我が創造主に捧げつくすことこそ、我らの喜びです」

「そ、そうか……分かった。では、お前たちの体を使う前に『ゲフン、ゲフン』と2回、咳払いをすることにしよう」

「はっ! 承知いたしました!」

 

 シモベたちから帰ってきた声は大きく、明るい。その明確な意思に、ブルー・プラネットは圧倒される。

 そして、ブルー・プラネット達は人間の村に向かう。森の端に達するまで、ブルー・プラネットとシモベたちは感覚を共有する実験を続けた。

 




「至高の御方に忠誠の儀を」(全裸で)


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第10話 辺境の開拓村

シモベに服は着せた。薬も持った。
さあ、最初のクエストに出発だ。


 この村はもう終わりだ……

 

 金色の癖毛に同じ色の顎髭を蓄えた細身の男は、病に苦しむ村人に白湯を飲ませながら心の中で呟く。そして、今までこの村で積み上げたものが瓦解する想像に、神経質そうな青白い顔をしかめた。

 男の名はスリン・ネスタカム。このケラナック村に住む薬師だ。都会の生活に疲れ、この貧しい開拓村の人々を救うことに一生を捧げるつもりで数年前に移住してきた。しかし、その村が疫病で滅びようとしているのだ。

 

 発端は1週間ほど前、近くの小川で遊んでいた子供たちが集団で熱病に倒れた事件だ。体中に発疹が現れ、嘔吐や下痢を繰り返す。川の水を飲んだのが原因らしく、村人が上流を調べるとそこには大型の獣の死骸が浸かっていた。

 親たちは心配して介護にあたったが、ほどなくして同じ病に倒れた。そして、子供の見舞いに訪れた村人たちも。

 人口が200人足らずの小さな村である。多くの村人が家族同然の付き合いをしていた。

 薬師であるネスタカムが危険に気付いた時には既に村人の3分の2が病に侵されており、ほぼ全ての家が患者を抱えていた。ネスタカムは患者との不用意な接触を避けるよう村人に指示し、吐瀉物を石灰で消毒していく。そして、薬草からなる治療薬を調合し、患者たちに飲ませていた。

 しかし、手持ちの薬草の効力は弱く、さらに村の住人のほとんどが病に侵された状態では、その薬草すらすぐに使い果たしてしまった。今の彼にできるのは病人に水を与え、病状を村長に伝えることだけだ。

 

 村長のボロナ・イヘインムルは、自身も激しい頭痛と腹痛に悩まされながらも最寄りの都市に救援を要請した。農作業で鍛えた逞しい体を寝具に横たえながら手紙を綴り、その手紙を無事な者が都市の薬師組合に運んだ。馬を使ったので1日あれば連絡はつくはずだが、症状にあった薬草を調合し100人分以上も薬を用意するとなると都市であっても相応の日数がかかる。

 魔法と錬金術で製造されるポーションであれば原因が何であれ直ちに効力を発揮するのだが、そのような物は極めて高価であり、貧しい村では到底手が届かない。家畜を売って対価にすることは、この村の放棄を意味し、病が癒えたとしても村人にとって悲惨な未来が待ち受けることには変わりない。

 

 病気の症状自体はそれほど恐ろしいものではない。十分な水分を取り、休養をとれば数日で治るものだ。恐ろしいのはその感染力である。瞬く間に村人の大半が倒れてしまい、すでに水を汲み、食事を用意する者すら十分ではなくなっている。

 脱水と栄養状態の悪化から、体力のない者たち――老人や幼子――から順に死んでいき、すでに犠牲者は10人を超える。死にはしないであろう若者たちも満足に動けず、村の機能は止まっている。人間ばかりではない。家畜にも症状が出ており、さらに世話をする者がいないため、水や餌を欠く家畜は倒れ、あるいは逃げ出している。

 畑も荒れている。暑さが増していくこの季節、水やりは必須なのだが、すでに畑の葉は萎れかけている。早く手を打たないと秋の収穫は見込めず、村は飢えることになる。

 

 その日の昼過ぎ、往診を終えたネスタカムは村長の家を訪ね、状況を報告する。

 もはや神に祈るほかないのだと。

 神に祈る――司祭や神官が来てくれれば治癒の魔法で助かるだろう。しかし、神官を呼ぶ金はこの村にはない。貧しい開拓村が1つ消えることなど、神殿の奥の者にとって興味の対象ではない。

 

「どうにかならないのかね……」

 

 寝具に体を預けている村長は絞り出すように薬師に尋ねる。

 寝具の側に距離を保って立っている薬師は黙って項垂れる。

 苦い沈黙が支配する室内に、まだ動ける村の若者が1人、息せき切って駆け込んできた。

 

「イヘインムルさん! 旅の……旅の薬師が来て、薬をもっていると!」

 

 村長と薬師は顔を見合わせる。言葉を交わすまでもない。薬師ネスタカムは叫ぶ。

 

「すぐに行く! どこだ? 案内してくれ」

 

 若者に連れられてネスタカムは、村の境界を示すだけの柵に設けられた門に駆けつける。

 そこに2人の男たち――鞄を抱えた中年と青年――が微笑んで立っていた。

 

「あなたたちが薬師ですか?」

 

 ネスタカムが確認する。2人の服装は農民のそれだ。薬師の身分を示すものは何も持っていないように見える。

 

「ええ、私たちは旅の薬師で――」

 

 さえない風貌の中年の男が答える。

 

「私がブルプラ・ワン、そして、彼がネット・ツーです」

 

 横に立つ逞しい青年は黙って肯く。ネスタカムは、彼――ネットと紹介された若者がブルプラの弟子なのだろうと推測する。

 

「食料を調達したいと思って立ち寄らせていただいたのですが、村で病が流行っていると聞きました」

 

 ブルプラと名乗る中年の男は、村の若者に手を向ける。

 

「ええ、ええ、川で腐った水を飲んだ者から病毒が広がったようで……ああ、すみません、私はこの村の薬師、ネスタカムと申します」

 

 ネスタカムは急いで自己紹介をする。

 

「それで、よろしければ薬草などをお持ちではないかと……」

「なるほど、なるほど、食中毒の類ですね……はい、では患者を見せていただけますか?」

 

 ブルプラは微笑んで頷く。ネスタカムは目の端に涙を浮かべて何度も頷き返す。

 そして、ネスタカムは村長の家に2人を案内する。一刻も早く治療に当たりたいのだが、素性が定かではない旅人をいきなり村の患者たちに会わせるわけにいかない。それに村長自身もかなり症状が重いのだ。

 

「ネスタカムです。入ります」

 

 村長の家の戸から中に向かって大声で叫び、ネスタカムは家の中に入る。そして、村長の寝室に入り、ブルプラたちを紹介する。

 

「イヘインムルさん、こちらが旅の薬師、ブルプラさんとネットさんです」

 

 紹介された2人は頭を下げ、鞄を開けて緑色の液体を満たした透明な容器を取り出す。

 

「そ、それは高価な――」

 

 ポーションではないのか、とネスタカムは叫びかける。彼自身はそのような緑色のポーションを見たことはないが、その容器は極めて繊細な作りであり、透き通った液体は高度に精製された物であることは薬師ならば一目で分かる。

 

「まずこれを飲んでみてください」

 

 ブルプラと名乗る男は、しかし、狼狽するネスタカムの叫びが終わる前にポーションを村長に差し出し、村長は勧められるままにそれを飲む。

 

「ぅ、お……」

 

 村長の目が驚きに見開かれる。今までの苦痛を訴える額の皺が消えている。

 

「よ、良くなったぞ。おい、すごいぞ、これは!」

 

 村長は寝具から身を起こし、ブルプラとネスタカム、そして空になった瓶を見つめる。

 

「どうやら薬が合ったようですね」

 

 ブルプラが空き瓶を受け取りながら事もなげに口にした言葉にネスタカムは言葉を失う。そんな薬師を見て、ブルプラは不思議そうに尋ねる。

 

「どうかしましたか? 何かおかしかったでしょうか?」

「い、いえ……でも、しかし、その……ポーションは……高価な物なのでは……?」

 

 ネスタカムは、自分の言葉に自分で呆れる。何かもっと言うべきことはあるだろうと。

 ブルプラは何かを言いかけ、そしてゲフン、ゲフンと2回咳払いをした。

 

「……お代のことはご心配なく。まずは皆を救いましょう」

「し、しかし……」

「……大丈夫ですよ。それよりも、まず、他の患者に会わせてください」

 

 ネスタカムの顔が赤くなる。ブルプラの言うことは尤もだ。だが、魔法を使って製造したものは高価であり、それを100人以上の患者に使うとなると――

 

――村の全てを売り払っても足りない。

 

 そのことを村長に目で訴えるが、村長はそれに気が付いた風は無い。すっかりこのポーションの効き目に心を奪われているようだ。無理はない。村を襲っているこの悪夢を一瞬のうちに拭い去る奇跡の薬を目にしたのだから。

 

「そ、そうだな。では、ネスタ君、ブルプラさんを患者の所まで。あと、奥で寝ている家内の分も頂けますかな?」

 

 すっかり元気になった村長は、これ以上ないという笑顔を振りまいてネスタカムに指示を出す。

 

「ええ、いいですよ。奥さんの分ですね」

 

 ブルプラは鞄の中から再びポーションを取り出し、村長に渡す。

 ネスタカムはそれを制止するように手を伸ばしかけ、止める。そして足元をふらつかせながら無言で何度も肯き、ブルプラとネットを連れて村長の家から出る。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 ブルプラのもつポーションの効き目は絶大だった。

 数に限りがあるということで重篤な患者から診ていったのだが、脱水して顔を土気色にした患者達がポーションを飲むや否や生気を取り戻し、目を覚ます。発疹は拭い去られたように消え、熱も下がっている。

 患者の家族の喜びようは一通りではなく、ブルプラに抱き着いて涙を流した。

 

 ネスタカムは、抱き着かれて困惑するブルプラを後ろから見ているだけだった。

 すぐに10軒の治療が終わり、ブルプラは薬が尽きたという。そこで村長の家に戻る道中、ネスタカムは思い切って尋ねる。

 

「これは……ただの薬草の抽出液ではないですよね?」

 

 ネスタカムの問いに、ブルプラは事もなげに答える。

 

「ええ、薬草の抽出物に魔法を加えたものです」

 

 ネスタカムは、それでも信じられないという顔をする。ポーションには三段階あり、最下位のもの――ただの薬草抽出物は滋養強壮の作用がある程度だ。魔法を組み合わせたものはその効き目が強化され、高価な錬金溶液と魔法を組み合わせたものに至って確実に、瞬時に効果が現れるようになる。

 ブルプラのもつポーションは、効き目から考えればどう考えても錬金溶液と魔法から製造されたものだ。色からは植物性であると推測されるが、薬草抽出物につきものの濁りや沈殿も見られない。

 

「申し訳ございません、それはどのような魔法でしょうか?」

「私たちは……森祭司(ドルイド)ですので、ドルイド魔法ですね」

「ああ、森祭司(ドルイド)の……」

 

 ネスタカムは頷き、半分ほど納得する。

 森祭司(ドルイド)は神官や魔法詠唱者、薬師とは異なる魔法体系を使う。この、異民族に由来する森の賢者たちは帝国領においてはあまり町の人間との交流をもたない。彼らならば、このようなポーションも製造可能なのかもしれぬ――ネスタカムはそう考える。

 

 だが、半分は納得できない。

 森祭司(ドルイド)にしては、ブルプラたちの服装はあまりにも不自然だ。それはリ・エスティーゼ王国領の農民たちが着ている物に見える。領内に大森林地帯を抱え、魔法詠唱者たちの組織化が進んでいないリ・エスティーゼ王国ならば森祭司(ドルイド)が居てもおかしくはないが、それにしても農民の格好をしているとは不思議だ。

 

 何か理由があるのだろうかとネスタカムは疑問に思い、それでも平然を装って質問を続ける。

 

「ドルイド魔法のポーションを見たのは初めてです。後学のため、作るところを一度お見せいただけないでしょうか?」

 

 だが、ブルプラの答は素っ気ないものだ。

 

「申し訳ございません。これは秘儀に属するものでして……」

「そうですか……」

 

 秘儀と言われてしまえば仕方がない。落ち込むネスタカムにブルプラは続ける。

 

「それより、あと何人くらい患者はいるのですか? 明日、森で薬を作ってきますので」

「そうですね……これでとりあえず危険な状態の患者はいなくなりましたが、あと100人以上に症状が出ています。明日以降、発症する可能性がある者を入れると最大150人分かと」

 

 それだけのポーションを一度に用意するのは無理だ。今日使った12本の作成に何日かかったのか知らないが、その10倍以上の本数を製造するのだ。しばらくは村に滞在することになるだろうし、その間に何かしらの知識を得られる機会もあるだろう――そう考えて、ネスタカムは多めの数字を述べる。

 

「そうですか……150人分となると手持ちのビンが足りないですね……人数分の酒ビンか何か、入れ物を用意していただけますか?」

「は? え? 一度に、ですか?」

 

 ネスタカムは再び眩暈に襲われる。自分の常識を完全にひっくり返す提案に。

 薬草にせよ錬金溶液にせよ、魔力を注いで作られるポーションの製造には相応の魔力が消費される。熟練の薬師であっても1日で作ることが出来るのは数本が限度。それを150本だと……。

 

 笑いしか出てこない。ネスタカムは下を向き、ヒッヒッと痙攣した声を出しながらブルプラの後ろに続いて村長の家に向かう。そして、ブルプラは時折振り向いて、そんなネスタカムを不思議そうに見つめる。

 

 村長の家では、イヘインムルとその妻が入り口で心配と期待の混ざった表情で待っていた。

 

「どうでした? 治りましたか?」

「ええ、とりあえず危険な状態の者は皆、治ったようです。明日、残りの方を治療しますね」

 

 ブルプラはネスタカムを促しながら村長に伝える。

 

「そうですか……明日には……。助かります。本当に助かります」

 

 村長はブルプラの手を両手で包み込むように握り、繰り返し感謝の意を述べる。

 これほど早く治るのであれば、まだこの村は立て直せる――その希望を胸にして。

 

「しかし、その、ポーションの代金は……」

 

 ネスタカムが横から疑問を投げかけた。

 そして、村長はハッとしたようにブルプラの顔を見る。ポーションを差し出されたときは病の苦しさから、そしてそれが治った直後は奇跡を目の当たりにした喜びから、金銭のことは頭から抜け落ちていた。だが、ネスタカムの言葉で夢から醒めたように村長の脳裏に現実が戻る。

 

 このポーションが安価なものではありえないことぐらい開拓村の村長でも知っていた。昔、彼がまだ少年であり、村がまだ荒地だったころ、大怪我をした村人が法外と思える料金を提示され、治療を受けられずに死んでいったのを何度も見てきたのだ。

 

「いえ、そうですね、ちょっと食料や生活用品を分けていただければ、それで十分です。……その、先日、嵐で寝具が吹き飛ばされてしまいまして。ええ、寝具が吹き飛ばされて……」

 

 ブルプラの答は簡素だ。

 金銭の要求が無かったことで村長の顔が緩む。

 そして村長は、村の恩人に出来る限りのもてなしを約束する。

 

「そうですか……寝具が……それは旅の方には辛いでしょうな。よろしかったら村でお泊りください。粗末ではありますが、私の家には空き部屋もあります。食料でしたらあるだけ用意いたします!」

「ありがとうございます。でも、私たちは森の中で寝るのが性に合っていますので」

 

 ブルプラは微笑み、顔の前で両手を振る。

 残念そうな表情を浮かべる村長に、ネスタカムが「彼らは森祭司(ドルイド)ということです」と告げる。

 

「あ、あー、森祭司(ドルイド)の方でしたか。了解いたしました。それでは、明日はどうしましょうか?」

「そうですね、まず、酒ビンか何か、ポーションを入れる容器を150本、用意していただけますか? 明日の昼ごろ、またポーションを持ってまいりますので」

「はい、それならばすぐに各家々の物を用意いたします。では、こちらでお待ちください。ああ、ネスタカムさん、村を回ってビンを用意してくれないかね?」

 

 村長に促され、ネスタカムは急いで外に出る。そして、家の外で「手伝ってくれ」と無事な村人に呼びかけ、各家庭から瓶を集める作業に着手する。

 

 ほどなくして、ネスタカムは荷車に酒ビンを乗せて戻ってくる。各家庭から提出してもらった瓶の類は全部で150本を上回った。蓋が無い瓶もあって数に余裕を持たせたのだが、ブルプラは問題ないという。

 

 そして、ブルプラたちは「台車をお借りします」とだけ言い、村長が用意してくれた毛布で瓶を包んで台車に乗せ、森に戻っていった。

 村長はネスタカムと一緒に村の入り口まで出てブルプラたちを見送る。そして、ネスタカムは――ブルプラたちの姿が見えなくなると村長と一緒に一度村の中に戻り、そして、独り密かに森の中に向かって駆けて行く。

 自分でも薬草を取りに何度も入った森だ。レンジャーのスキルはなくとも、大きな台車を引いて通れるルートは見当がつく――そう考えて。

 

(あのポーションを作り出す森祭司の秘儀を、何としても見届けてやる)

 

 ネスタカムは妬んでいた。自分が何年もかけて作り上げようとした「村の恩人」という立場――それが危うくなったと思ったら、いきなり現れた余所者にあっさりとその地位を奪われてしまったのだから。

 ネスタカムは自分に薬師としての才能がないことを自覚している。強力なコネも無く、都会では大した地位に昇れはしないことは分かりきっている。

 だからこそ、競争相手が居ない辺境の村で成り上がろう――そう考えて移住したのだ。

 

 ネスタカムは森に入り、周囲を見回す。そして、台車の後を追って数十メートル進み――ブルプラに後ろから肩を叩かれる。

 

「ネスタカムさん……そういうのは、止めていただけないでしょうか?」

 

 いつの間に現れたのか、ブルプラとネットは無表情にネスタカムを見つめている。

 ヒッと軽い悲鳴を上げたネスタカムは顔を真っ赤にして謝罪する。そして、泣き笑いのような声を上げながら、傾いた日差しの中を村に向かって逃げるように走っていった。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 森の樹の中に潜んでいたブルー・プラネットは体を樹から出し、溜息をつく。

 常態化している「環境状態感知」(センス・ネイチャー)は、周囲の動植物――人間も含めて――の状態を伝えてくれる。場所は脳裏に地図のように浮かび、その状態は……なんというか、直感的に把握できるのだ。

 

 そして、ネスタカムから向けられた感覚。敵意ではないが何か暴力的なもの、ブルー・プラネットの分身となったブルプラに向けられつつも、それには触れようとしない感情の刃――ブルー・プラネットはその真意を見極めようと注意を向け、そして知った。これは「嫉妬」だと。

 

 トレントなど特定の種族・職業には相手の感情やウソを暴く「真意看破」というスキルがあった。

 ユグドラシルではシステムがプレイヤーの思考を読み取るが、それがそのまま他のプレイヤーに流されることは無かった。当たり前だ。他人に自分の思考を読み取られて気分が良い者などいるはずがない。感情はプレイヤー自身がキャラクターの頭上にアイコンを浮かべて伝えるものだ。

 だが、例外はあった。

 ユグドラシルのアバターの表情は固定されており、現実世界のように表情を読み取ることが出来ない。話の真意を判断するのに口調からでは限界があり、冗談は通じず、嘘はバレにくい。そこで、この「真意看破」のスキルを発動しながら質問すれば、それに対する返答が本心のものであるか否かを特定の脳波パターンによって判断できたのだ。いわゆる「ウソ発見器」のようなものである。

 例えばギルドの訪問者がPKに来たのか否か――戦意の有無を問えば、確実ではないがその真意の見当がついたのだ。

 そして、今は質問の形をとらなくても意識を強く集中することで相手の感情が伝わってくる。敵意は針で突かれるように、好意は暖かな空気で包まれるように、そして嫉妬は鋭い氷の刃を押し当てられるように……感情が物理的な感覚として認識され、その意味も大体見当がつく。現実の広川は、感情を読むのはむしろ苦手な方だったのだが。

 

「行こうか」

 

 逃げていくネスタカムの足音を確認し、ブルー・プラネットはシモベたちを手招きして<霧化飛翔>を掛ける。そして、自身は台車を引いて大木の中に溶け込み、そのまま大木を伝ってシェルターのある広場に戻り、実体化する。

 

「それでは、ポーションを作ろう」

 

 霧となって戻ったシモベたちを実体化させ、命令する。

 瓶を台車から降ろし、シェルターの前の地面に並べさせる。その1本1本に洗浄液を掛け、瓶の中の汚れと共にそれが気化するのを確認する。そして、清潔になった瓶に治癒のポーションを注ぎ込む。地道な作業に、かつての「花まつり」で仲間たちとアイテムを配ったときのことを思い出して遠い目をする。

 

 今、現実世界の同僚たちは何をやっているのだろうか――と。

 

「何かご心配でも?」

「いや、何でもない。ただ、明日の計画を考えていただけだ」

 

 ブルプラと名付けたシモベが心配そうに尋ねてくる。

 ブルー・プラネットは笑って再び作業に集中する。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 ポーション詰めの作業はすぐに終わる。92本ほど作ったところで洗浄液と回復液のスキルが打ち止めになったのだ。昼に作ったものと合わせ、薬液の分泌は1日200本が限界のようだ。

 瓶には全てブルー・プラネットが別のスキルで創り出した蝋の板が栓として嵌められている。蝋の板――ユグドラシル時代は敵の頭の上に垂らして固めてしまう植物系モンスターのスキルだったが、簡単な型取りや工作に使うこともできたものだ。

 

「残りは、明日、村に行く前に作ろう」

 

 ブルー・プラネットはシモベにそう言って目の前に並べられた瓶を眺める。蝋で封じられた瓶に満たされた緑色のポーション――これだけの質量の液――1本100ミリリットルとして9リットル、洗浄液を合わせればその倍――がどこから出たのだ、と。

 

――まったく、魔法というものは理不尽なものだ。そして、この世界自身も。

 

 今日、村で見聞きしたことを振り返る。

 まず、村の入り口に行ったとき、村人を呼んで現れた若者――彼と言語による意思疎通が出来たことは、獣から作り出したシモベが喋れたことを考えれば意外ではなかった。しかし、日本式の挨拶――握手や礼――をすると不思議そうな顔をされた。まあ、意図は伝わったようで、相手も同じように礼を返してくれたのだが。

 

 そして、初めは彼らが日本語を喋っていると――ユグドラシルでは当然のことだったが――思い込んでいたのだが、よく見ると、口の動きが聞こえる音と一致していなかった。

 

――これも何かの魔法によるものだろうか?

 

 そう考えて、村長に古典的なダジャレ、日本語でしか通じないものを投げかけてみた。

 

「先日の嵐で、『布団が吹っ飛んだ』のですが……ええ、『布団が吹っ飛んだ』んです……」

 

 だが、村長はそれに気が付いた風もなく、真顔で愚直に寝具の心配をしてくれた。確認の言葉にもダジャレの要素は無かった。

 つまり、実際に口から発せられる音によらず、意図が翻訳されて伝わっているようなのだ。

 

――これは危険かもしれない。

 

 ブルー・プラネットは警戒する。逆に、相手がダジャレのつもりで発した言葉に気が付かない可能性があるのだ。それはコミュニケーションを阻害する危険を意味する。現実の世界には「お偉いさん」のオヤジギャグに笑わなかったため別の部署に飛ばされた優秀な同僚もいた。

 

――鈴川のヤツ、今は何をやってるんだろうか。

 

 日本語が使われていないのであれば、文字はどうだろうか?

 そう思って、地面に並べられた酒瓶を見る。

 どうやら銘柄などが書かれているらしいが、ラベルの情報はさっぱり読み取れない。念のためにシモベにも聞いてみたが、彼らが話す言葉は口の動きからみても日本語であり、簡単な書き取りでも使う文字は日本語であった。そして、この世界の文字は――元が獣だということもあり期待はしていなかったが、やはり分からないという。

 

(どういう仕組みか分からないが、自動翻訳機能付きか……人間たちの間ではどういう認識なのだろう?)

 

 ブルー・プラネットはかつてのギルド<シャーウッズ>を思い出す。あれが「殺ウッズ」と呼ばれたのは、「殺」という文字が中国語で「シャー」と発音されるからだ。同じ文字を使っていても発音が同じだとは限らない。ならば、この世界の人間たちの間でもダジャレの類は通じていない可能性がある。ちょっとした冗談が本気に受け取られるかもしれず、それは文化に影響しているだろう。

 

「さて、明日はどうするか」

 

 シモベたちを休ませ、ブルー・プラネットは計画を練る。

 シモベを人間として村に送り込む計画の第一弾は成功した。この路線で間違いはなさそうだ。

 シモベに「体の自由を奪ったこと」への感想を聞いたが、そのシモベは「人間同士の会話について、とても良い勉強をさせていただきました」とキラキラした目を向けてきた。ならば、明日もこの方式で行くことに問題は無いだろう。

 

 自分たちは薬師であり、ドルイドでもある――村人たちにはそう伝えた。これは勢いで言った発言だったのだが、信じてもらえたようだ。だが、この世界にも存在するらしいドルイドのことをもっと調べ、それに相応しく行動すべきだろう。

 ネスタカムというあの薬師は――彼の自尊心を傷つけてしまったらしい。なんとか穏便に済ませたいものだ。しきりにポーションの価格を気にしていたが、この世界のポーションの相場はどんなものだろうか?

 

(まあ、命が助かったのだから、それなりの価格にはなると思うが)

 

 ブルー・プラネットはそう考え、金銭的な欲求をしても良かったかと反省する。金銭という概念があるのならば、それによって情報を得ることもできるのだから。

 この世界の「設定」を知る必要を痛感する。ユグドラシルとも異なるこの世界のことを。考えてみれば、あの村の名前も聞いていなかった。そして、村人たちを虐殺していた騎士や魔法詠唱者のことも。つまりは、彼らの背後にあると思われる「国家」のこと、法律のこと……。

 

 知るべきことは幾らでもある。その知識によって今後の行動が変わる。

 この森で一生を過ごすならば人間社会など放っておくことも出来るが、やはりナザリックを探したい。その探索のためには、この世界でも支配的な知的生物らしい「人間」の情報を使う必要があるだろう。ならば、あの小さな村だけでなく、大都市に行って人付き合いをしなければならない。何の罪があったのか分からないが、村人を惨殺し、村ごと焼き払うような者達とも交渉しなくてはならないのだろう――否応なしにイベントにも巻き込まれるだろう。

 

「はぁ……」

 

 色々と大変だ――ブルー・プラネットは溜息をつき、シェルターの外に出て星を眺める。

 澄んだ夜空に浮かぶ星々の瞬きが、まるで自分を嗤っているかのように感じられた。

 




捏造”裏”設定
言語変換……実は、部分的に日本語も伝わってます。
過去のプレイヤーが「神」としてこの世界で人間を指導する際に、
特に上流階級(「神」に関わりがあった者たち)は「神の言語」として日本語を学ぶ機会がありました。
特に傲慢な「八欲王」などは自分のダジャレに笑わないと不機嫌になったりするので、割と命がけで。
辺境の村人などは、神々に関わることもなかったので日本語も知りません。


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第11話 情報収集、そして金

嫉妬マスクと化したネスタカム。
揉め事を起こしたくないブルー・プラネット。


 翌朝、毛布に包まれて寝ていたシモベたちが目を擦って起き出す。服も脱がなかったが、よく眠れたようだ。今日は村で長時間過ごすことを考えて、ブルー・プラネットは洗浄液を2人に掛けて臭いや汚れを取る。

 <獣類人化>と<知力向上>の魔法を掛けなおしても、シモベたちは昨日の記憶を保持していた。

 よし――ブルー・プラネットは頷いて、シモベたちに昨日の村に行くことを伝え、その準備を始める。

 ブルー・プラネットにとっては、この世界で4回目の朝だ。この異常事態にもだいぶ慣れてきた……と思う。

 

 一晩経ってスキルは回復しており、残りのポーションを完成させる。そして、それを昨日の分と合わせて台車に乗せる――この準備は1時間足らずで終わった。ブルー・プラネットはMP回復のために休息をとり、その間にシモベたちは近くの樹々から食料となる果物を集めて朝食をとる。

 

 やがて、万全の準備が整ったと考え、ブルー・プラネットたちは村へと向かう。

 一応は毛布で包んだが、大量のポーションを割らずに森の中を進むのは難しい――ブルー・プラネットはポーションを台車ごと持ち上げた状態で霧となり、慎重に森の上を飛ぶ。シモベたちも森の端の近くまでは霧になって樹々の中を進んでいく。

 

 2,30キロの行程だが、ゆっくり移動したため森の端に着いたときは正午近くになっていた。

 樹の陰に隠れてポーションを積んだ台車を下ろし、霧を実体化させる。

 今のところ、すべて順調だ。毎朝<獣類人化>と<知力向上>の魔法をシモベたちに掛け、本格的に活動するのは昼から――当面はこのサイクルで行けばMPは十分回復する。何か問題があってもこれならば対処できると、ブルー・プラネットは自信を深めた。

 

 聞き耳を立てて周囲の人間の気配を探ったが、昨日の失態で懲りたのか、ネスタカムは森には来ていない。村の方向に耳をすませば、彼は村の入り口で村長と話し合っている。内容は他愛ないもので、少し前からシモベ達を待っているらしい。

 あまり待たせても悪いなと、ブルー・プラネットはシモベ2人に薬を託して村に向かわせる。

 

「では、頼んだぞ。また折をみて私がお前の体を使わせてもらう」

「はっ、畏まりました」

 

 ブルー・プラネットの命を受け、シモベたちはポーションを載せた台車を引いて村に向かった。ブルー・プラネット自身は、一足先に村の中の樹に意識を移し、そこでアイテムを植え込んで村の観察をシモベの監督と並行させる。

 

「こんにちは、ネスタカムさん、村長さん」

「こんにちは、ブルプラさん、ネットさん」

 

 村の入り口で村長たちと挨拶を交わし、ブルプラたちは台車をネスタカムに引き渡した。

 

「こちらがポーション150本です。私たちは夜通しの作業で少し疲れたので、ネスタカムさんが投与していただけますか? あなたが一番患者をよく見てこられたでしょうし」

 

 疲れているようには見えないブルプラの言葉に、ネスタカムは卑屈な笑みを浮かべて肯いた。

 

「では、村長さん……えと……」

「イヘインムルです。そういえば、昨日は自己紹介しておりませんでしたね」

 

 村長が笑う。しかし、昨日に比べてその笑顔はやや硬い。

 

「そうでしたね、では、薬はネスタカムさんに任せて、私たちはちょっと生活用品などの件でお話をしたいのですが……」

 

 ブルプラが頷いて、村長に話を振る。ここまでは今朝打ち合わせた通りに進んでいる。いや、ブルー・プラネットが期待した以上だ。

 ブルプラの目と耳を通して村長との会話を聞いているブルー・プラネットは、シモベの演技力と村人の名前を憶えていることに感心し、<知力向上>の効果なのだろうと推測する。

 

(イヘインムル、イヘインムル……「ネスタカム」にせよ「イヘインムル」にせよ、聞いたことが無い名前だ。会話は翻訳されるのに名前は無理か。これが「広川」とか「吾作」とかだったら覚えやすいんだけどな)

 

 ブルプラと村長は世間話を続けている。その話によると、この村の名前は「ケラナック」というらしい。この名前も意味不明だ。どうやら一般名詞と違って固有名詞は発声されたそのままの音で伝わっているようだ。名前は名前として、その意味とは切り離されているためだろうか。

 

(聞いてみよう)

 

 ブルー・プラネットはブルプラの身体を乗っ取り、村長に話しかける。

 

「ゲフン、ゲフン……ええと、この村の名前、ケラナックとはどういう由来があるのですか?」

「うむ……村の名前ですか? それは神殿で頂いたので……意味は分かりませんな」

 

 ブルー・プラネットの質問に、村長は意外そうに答える。

 やはり、音が意味と切り離されている場合は翻訳されないらしい。名前は神殿で貰うと言ったが、現実世界のラテン語のような特別な職業の者しか使わない言語によるのだろうか?

 この世界の事情は意外に複雑だ――ブルー・プラネットはブルプラの身体を使い、首を捻る。

 そして、自分のシモベに名乗らせた名前、特に「ワン」や「ツー」がどう伝わっているのかも心配になる。いくら何でも「一番」や「二番」が名前では不自然か……村長の態度からはそうでもなかったようだが、と。

 

 そして、ネスタカムは村の患者を診に行き、シモベの2人は村長とともに家に向かった。

 村長の家ではその妻が待っていた。村長と同じく初老の、しかし、農作業で鍛えられた村長とは対照的に、細身で品の良い老婦人だ。

 村長の妻は、夫と自分、そして村の病を治してくれたブルプラたちに笑顔を向け、出来るだけのお礼をしたいと湯を沸かしてお茶らしきものを淹れる準備を始める。村長の家と言っても特に豪奢な構造ではなく、むしろ広い土間がそのまま壁で仕切られているような簡素な造りになっている。そのため、入り口近くの部屋からも台所の様子が見えた。

 

 22世紀の日本では、そしてユグドラシルでも湯を沸かすのは簡単なことだが、この世界では手間がかかる仕事のようだ。村長の妻は炊事場に立つと薪を用意し、その上に水を入れた鍋を掛ける。そして、指先に炎をともして、薪に火を点け、湯を沸かし始めた。

 

「ほう、指で炎を」

「ははは、うちの家内は魔法の才能がありましてな……町で学ぶほどではなかったのですが、香料や塩などを出せるので色々と便利なものです」

 

 ブルプラ――今はブルー・プラネットが支配しているが――が驚いた声を出すと、村長は笑って説明した。

 村長の口ぶりでは指で火をつけることは大したことではないらしい。だが、ブルー・プラネットにとってこの魔法はユグドラシルで見たことのないものだ。この世界にユグドラシルの魔法と異なる魔法があるならば、それは気を付けなければならない。特に炎を操る魔法には。

 

 ユグドラシルの火炎系魔法では、その効果範囲や時間は限定されていた。火球であれば一瞬の爆発を引き起こして消え、あとは消し炭が残るだけ――延焼などは起きない。

 だが、村長の妻が生み出した炎は薪を燃やし続けている。それはすなわち、この魔法で生み出した炎は森を焼き尽くす可能性もあるのだ。

 

 そして、魔法の火で燃やされた薪の炎は水を温めている。ユグドラシルの魔法のように効果は限定されず、物理的に影響が広がっている。「茶を淹れる」ということから、この魔法の火が消えても湯は水に変わったりしないのだろう。

 ユグドラシルでは湯を沸かす専門の魔法があった。徐々に湯が沸くため攻撃魔法としても役に立たない、ごく初歩の、低位の魔法だ。ブルー・プラネットはナザリックの大浴場でその魔法<水温上昇(ヒート・ウォーター)>を最大化(マキシマイズ)して掛け、湯に浸かっていた仲間たちを跳び上がらせたこともある――たっちさんなど、何人かは跳びすぎて天井にぶつかっていたが。それに比べれば村長の妻が使った魔法は他愛ないものだが、その影響は連鎖して予想外の影響を及ぼす可能性もある――ブルー・プラネットはこの世界への警戒心を高める。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 お湯が沸くまでしばしの時間があった。

 その間に、ブルプラとネットは玄関から近い部屋、おそらく応接間の椅子に座り、村長の話を聞く。村長は、今回の疫病の発端や、いかにこの村が苦境に陥っていたか、そして、この村が貧しいこと、ここに至るまでの苦労の歴史を訥々と語った。

 ブルー・プラネットが見るに、村長はいかにも苦労人といった風である。顔に刻まれた深い皺、太く節くれだった指、広い顎……現実世界では見ることが少なくなった「職人」の姿である。その彼の半生の物語は興味深く、尊敬に値するものと感じられた。

 

 だが、ブルー・プラネットが知りたいのは別のことだ。

 

「……そうですか、近くの都市にも救援を……それはどのくらいの距離にあるのですか?」

「早馬ならば半日で着きますが、そうですな、旅の方であれば朝早く発てば日が沈む前には」

「ほう、何という町で、どのくらいの規模なんですか?」

「エドレインタールという町です。正確なところは分かりませんが、帝国領になってからは砦の外にも町が広がったので、2万人といったところではないでしょうか」

 

 村長の口から「帝国」や「砦」という新しい言葉が出る。ブルー・プラネットがそれらを必死になって脳に刻み込んでいる間にお茶が運ばれてきた。

 小休止だ――ブルプラとネットは礼を言い、冷めるまで待つ。

 茶は良い香りがするが、ブルー・プラネットが知る「お茶」とは異なり、何か香料が入っている。村長の妻が魔法で作り出した香料だろうか。

 

 一方、村長は少し沈黙した後、こちらを窺うように質問を投げかけてきた。

 

「お二人は旅の薬師と伺いましたが、ネスタカムが言うには森祭司(ドルイド)でもあると……ご出身はどちらですかな?」

 

 ブルプラは答えに窮する。この周辺の地名など知らないのだ。誤魔化すしか道はない。

 

「ええ……西の……ずっと西の方ですね」

 

 ナザリックがあれば、その方角になる。あくまで日の昇る方角を東とすればの話だが。

 

「ほう……西の……すると、リ・エスティーゼ王国のご出身ですかな?」

「ええ、そうです。リー……エステ王国の森で森祭司(ドルイド)をしながら、町で薬師をしていました」

 

 その答えを聞いて村長はわずかに眉を顰め、ブルー・プラネットは何か間違ったのかと不安に駆られる。

 

「――そうですか、ああ、そうだ。しばらくお待ちください」

 

 溜息をついて、村長は席を立ち、ブルプラ達は座ったままそれを見送った。

 少しして戻ってきた村長は、布袋に包んだ幾ばくかの金を机に置き、ゆっくりと丁寧に礼を言う。

 

「この度は大変お世話になりました。お2人は旅の途中ということですが、せめてものお礼としてこれを受け取ってください。何分にも小さな村なのでこれ以上のことは出来ませんが……」

「いえ、これはこれは……」

 

 ブルー・プラネットは「真意看破」を使う。周囲の敵意などを大まかに把握する「環境状態感知」では感じられない微妙な感情――村長がこちらに対して抱く疑念や警戒感が伝わってくる。

 

「……ちょっと失礼してよろしいですか? あの、お手洗いは……」

「ああ、それでしたら外の小屋にありますので、お使いください」

 

 実際には、排泄は朝のうちに森の中で済ましてある。この世界のトイレ事情など知らない以上、最低限の知識しかもっていないシモベたちはそうやって済ませるしかない。

 ブルー・プラネットがシモベの2人を外に行かせたのは別の目的があった。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 ブルプラとネットの2人が部屋を出て行くのを見送りながら、村長は溜息をつく。

 やはり、今朝ネスタカムが言ったように、あの2人は厄介事の種かもしれん――そう考えて。

 農民としか見えない服を着ておりながら薬師やドルイドと名乗るのは不自然だし、神殿で貰う名のことも知らないようだった。何よりも出身地の王国の名を間違えるはずがない。

 ネスタカムの推測――あの2人が粛清された貴族にまつわる薬師の一族であろうという話は本当だろうか? リ・エスティーゼ王国の貴族ではない。バハルス帝国に飲み込まれた小国の末裔たる、この地域の貴族たちだ。

 

 何代か前の皇帝統治時、この地を治めていた貴族が奴隷たちを使って怪しげな実験を繰り返し、不老不死を求めたという伝説がある。13英雄に退治されたとも、あるいは裏切り者だったとも言われる、魔物の血を引く者と契約して邪法を教えてもらったという伝説だ。

 その貴族が粛清された折、お抱えの魔術師や錬金術師たちは処刑あるいは追放されたらしい。敏い者は捕まる前に自分たちから主人を見捨てて山に逃げた。彼らを追って帝国からの捜索隊が村々を検分し、その結果多くの無実の血が流された話は、未だに老人たちの間で小声で囁かれている。

 

 そんな一族の末裔であれば、世情に疎いのも、高度なポーション技術をもっているのも頷ける。

 他国の農民の服を着ているのも、身分を偽装するためだろう。

 しかし、なぜこの時期に里に下りてきたのか? わざわざ薬師と名乗ったのか?

 

 そこで村長の思考は行き詰る。考えても分からないことは分からない。ネスタカムが顔を歪めて語った可能性――疫病も2人が仕組んだのでは、という話は幾らなんでも邪推だろうと思うが。

 

 いずれにせよ、首を突っ込むことは危険だ――村長の長い人生からの教訓がそう言っている。

 

(俺はこの村でずっと暮らしてきて、それなりに蓄えもある。下手に関わって都の連中に目を付けられたら洒落にならねぇ)

 

 辺鄙な田舎の村長は、現皇帝の治世がどんなものかを知らない。だが、その渾名は知っている。

 

 鮮血帝。

 

 現皇帝の性格を何よりも的確に示す名だ。そのような皇帝が、この村に怪しげな一族の末裔が匿われていると聞いたらどうするだろうか?

 ブルプラたちはこの村を救ってくれた。それは感謝している。だが、折角助かった村を再び危機にさらすことは御免被る。

 街の役人に密告することも考えたが、藪蛇になりかねない。

 この小さな村にとって最善の道は、出来るだけ早くこの2人に立ち去ってもらうことだ――そう考えて、なけなしの金を渡してお引き取り願ったのだが……

 

 村長は顔を顰めて、温くなってしまった茶を啜る。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 ブルプラたちは村長の家から出ると、村の広場の近くにある日除けの樹が密集している場所に向かう。幸い、誰とも出会わなかった。多くの家がまだ患者を抱えており、患者の傍に立って薬が届くのを待っているのだ。

 

 樹の1本にブルプラ達が身を寄せる。村の家々から陰になっている方向に。

 ブルー・プラネットはその樹から枝を伸ばし、それをブルプラの首に突き刺した。そして、ネットにも。

 刺された瞬間、シモベたちは顔を歪めたが、次の瞬間には何事もなかったかのように平然として歩き出す。刺された跡も残っていない。

 

 すべては一瞬の内に起きたことだ。ブルー・プラネットの枝もすでに樹の中に消えている。

 日除けの樹も、何事もなかったように風で枝をそよがせている。

 この出来事は村の者は誰にも気が付かれなかった。もし偶然に見ていた者がいたとしても、それは樹の傍を通りがかった2人に風でそよぐ小枝が当たった程度にしか見えなかっただろう。

 

 そして、2人は村長の家に戻っていく。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

「失礼しました。それで、この周辺の国の話なのですが……」

 

 ブルプラ達がトイレから戻ってきた。

 村長は2人に険しい目を向け、そして、何か甘い香りを嗅いだ気がした。だが、すぐにそれは気にならなくなる。代わりに何か暖かな気持ちが沸き上がってきた。

 出来る限りの金は渡すと言った。それで分からないなら皮肉の一つも言ってやろうか――そう考えていた自分の考えが急に恥ずかしいものに感じられる。

 

(この2人が来られなかったら、この村はお終いだった。高価なポーションを大量に惜しげもなく使ってくれた立派な方じゃねぇか。そんな方を無下に扱うわけにもいかねえだろうよ)

 

 そんな考えが村長の頭に浮かび、それが尤もだと何かが脳の中で囁く。

 村長は先ほどとは打って変わって晴れやかな笑顔になり、椅子に腰かけながら大きく腕を広げて2人を迎える。

 

「いやいや、案内もせず申し訳なかったですな。それで、何かお知りになりたいことがありましたら何でも言ってください」

「では、お言葉に甘えまして……まず、この周囲の『帝国』について教えていただきたいのですが――」

 

 村長とブルプラたちの会話は、冷えた茶を啜りながら和やかに続く。いつの間にか村長の妻も傍に来て「お茶のお代わりは」と聞いてくれた。ブルプラ達が「いえ、冷えたお茶が好きですから」と答えると、冷ましたお茶をポットに入れて村長の妻もテーブルに着く。

 

 そうしているうちに、村人に薬を配り終えたネスタカムが報告にやってきた。

 

「村長、これで全員に薬を飲ませました! 全快です!」

 

 家の入口で弾んだ声で報告するネスタカムの顔が赤い。ブルー・プラネットは、ネスタカムが村人たちから感謝の言葉を受け取り、その細やかな自尊心を満足させたのだと推測する。

 

「ブルプラさん、ネットさん、本当にお二人には感謝しきれません」

 

 部屋に入ってきたネスタカムは、ブルプラたちと目が合うと一瞬だけ顔をしかめたが、すぐにその表情を和らげた。そして、やや引き攣った笑みを浮かべて2人の手を握り、礼を述べる。

 

「そうか……全員助かったか。良かったなあ、本当に良かった」

 

 報告を聞いて、村長は椅子に深く体を預け、ほうっと息を吐く。

 

「あとは、何人か再発しても対処は出来る……そうだ、エドレインタールに『薬は不要』と連絡せねばならないな……」

 

 そう呟くと村長は椅子から立ちあがり、手紙を書くために羊皮紙とペンをとりながら下男を呼んで馬を用意させる。

 そして、街の薬師組合に向けた手紙を書き始めた村長は、ブルプラ達から受けていた質問をネスタカムに振る。

 

「そうだ、ネスタカム君、ブルプラさんは遺跡について知りたいそうだが、君は詳しいかね?」

「遺跡……ですか? 砦の跡などではなく?」

「ああ、何でも墳墓というものらしいのだが、そういうものを知っているかね?」

「ええ、先ほどイヘインムルさんにお尋ねしたのですが、私達は『ナザリック』という墳墓を探しておりまして、ネスタカムさんはご存じないかと……」

 

 ブルプラも頷いて「ナザリック地下大墳墓」についてネスタカムに問いかける。先ほど同じ質問を村長たちにしたのだが、村長もその妻も「ナザリック」という名にも「墳墓」にも心当たりはないそうだった。

 ネスタカムは村長とその妻、ブルプラ達の視線を一身に受けて首を傾げる。

 

「墳墓の遺跡ですか……リ・エスティーゼ王国のエ・ランテルには大規模な墓地がありますが、そういったものではなく、遺跡となったものですね?」

 

 ネスタカムは少し考えて、ブルプラに確認をする。

 

「ええ、大規模なもので、地下迷宮を備えたものなのですが」

「ふむ、それは相当古い文化のものですね……評議国ならば……っと、人間の墳墓ですよね?」

 

 ネスタカムの視線が天井付近を彷徨い、ブルプラに再度問いかける。

 

「ええ、そうですね。人間の文化で作られた墳墓です……モンスターが出るかもしれませんけど」

「カッツェ平野ならアンデッドが出現するそうですから、そういう遺跡があるのかもしれませんが、私はあまり詳しくは……冒険者ならそういう所を知っているでしょうね。しかし、なんでまた、そのような遺跡を?」

「はい、古代のポーションや魔法の知識に興味がありまして。それで、その『冒険者』はどこに行けば会えますか?」

「なるほど、なるほど……冒険者は、このような村ではいませんね。もっと大きな都市に行けばいるでしょうが、バハルス帝国では最近、あまり優遇されていませんので……」

「ふむ、そうすると、エドレインタールに行けば会えますか」

「エドレインタールには組合がありますよ。小さいですが。ただ、あの町は……」

 

 そこまで言ってネスタカムは顔をしかめる。それを見て、村長が話に割って入った。

 

「すみませんね、ブルプラさん。私はこの村と近くの町を往復するだけの人生ですし、ネスタカム君はまだ若いので……」

「いえ、面白いお話を聞けました。私たちは旅を続けているのでこの辺の常識に疎くて」

 

 ブルプラが笑い、村長とネスタカムも合わせるように笑う。

 

 やがて、村長は手紙を書き終わり、村の若者にそれを託す。

 今から馬で駆ければ、なんとか日が暮れるまでに最寄りの町――エドレインタールの薬師組合に手紙が届き、もはや不要となった薬草を手配してもらわずに済むという。

 

「本当に助かりましたわい」

 

 村長が笑顔でブルプラに礼を繰り返す。

 今度の笑みは命が助かったことに対してではなく、金銭的なものだ。村に薬師が派遣された後では、その出費をどうするのかなど厄介な話になる。これから村を立て直さなければならない時に、薬師たちは村人が到底支払えない金額を要求してくるに決まっている。

 

 そして、ブルプラは村長から初めに用意された袋の金に幾らか追加された金を受け取り、そこから麦などの食料を買い入れた。村長は干し肉も準備したのだが、ネットは怪訝な顔でそれを見て、すぐに顔を引きつらせて激しく拒絶した。

 ブルプラも顔を引きつらせながら説明する。

 

「申し訳ない。私たちは肉を食べませんので……木の実などを頂ければ嬉しいのですが」

「おお、そうですか、それは失礼。木の実ならば森で取れたものを蓄えてあります」

 

 村長は下男を呼び、村の倉庫から袋一杯の木の実を持ってこさせた。

 

「……このようなものでよろしいのですか?」

 

 村長が袋を開けて中身を見せ、ブルプラは「これでいいか?」とネットに聞く。

 ネットは「はい、これでしたら」と頷いて笑顔になる。

 

「はい、これでしたら大丈夫です。では、その代金はこちらに……」

「いや、こんなものにお金を頂くわけには」

 

 ブルプラが代金を支払おうとすると、村長は手を振って金を受け取ることを拒否する。

 この木の実は本来売り物ではなく、森で拾い集めた非常食だ。村の恩人に金を払って売り付けるわけにはいかない、と。

 

「いえいえ、これも大切な食料ですから。それに、ポーションのお代のことはご心配なくと初めに申し上げていましたし」

「……ブルプラ様には何から何まで……本当に……ありがとうございます……」

 

 何度かの問答の末、ブルプラが村長に代金として銀貨数枚を押し付けると、村長は感極まったように涙ぐみ、途切れ途切れに感謝の気持ちを述べた。

 ネスタカムも顔を赤らめて俯く。しかし、これは妬みなどの負の感情によるものではないと、ブルー・プラネットには分かる。

 

「それでは、私たちはこれで……」

「お待ちください。エドレインタールに行かれるのですね? なら、私が紹介状を書きましょう」

 

 村長は、立ち去ろうとしたブルプラを引き留め、提案する。

 

「旅の方でしたら、通行税の他に何かと警備がうるさいかもしれませんからね」

「いやぁ、そうですか。お手数かけます」

「何の何の。あの町には何度も行っているので、検問所の連中とは顔見知りなんですよ」

 

 ほう、とブルプラは感心の声を漏らす。そういうことならば、その好意に乗らせてもらおうと。

 

「だけど、ブルプラさん、気をつけてくださいよ。あの町の薬師たちは本当に……」

「ネスタカム君……気持ちは分かるが、止めておきたまえ」

 

 ネスタカムが苦々しげに口を挟み、村長はその言葉を遮って笑う。ネスタカムも、客人に長々と話す話ではないと気が付いて、ばつの悪そうな顔をして黙り込んだ。

 もっと話を聞きたそうなブルプラを見て、村長たちは顔を横に振り、溜息をつく。

 

「いえ、何というか、あそこの薬師たちは金に汚いのですよ」

 

 村長の言葉にネスタカムも頷く。

 

「ブルプラさんは、素晴らしいポーションをお持ちだ。それで、彼らにやっかまれるのではないかと心配なんですよ」

「ああ、そういうことですか……分かりました。気をつけましょう」

 

 ネスタカムが補足し、ブルプラは納得して頷いた。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 やがて日が傾くころ、ブルプラたちは村を去って森に帰る。

 明日の朝早くにもう一度村に立ち寄り、そこから出発して夜にはエドレインタールに着く計画だ。村長からは村に泊まっていくよう提案されたが、やはり今回も辞退した。必要な情報は粗方揃ったし、ブルー・プラネットがシモベの<獣類人化>を掛けなおすタイミングで人目に触れる可能性は出来るだけ減らしたかったのだ。

 

 森に向かって去っていくドルイド2人を見送りながら、イヘインムルとネスタカムはしみじみと語り合う。

 

「あの御二人は本当に素晴らしい方でしたね」

「ああ、そうだなあ……正直言って、はじめは『厄介者が来たわい』と思ったが……」

「私もです。あんなに素晴らしいポーションを作れることに嫉妬してしまいました」

 

 村の2人は顔を見合わせて笑いあう。

 

「あの御二方が町でご不快にならねばいいのだがな」

「そうですね……あの町は――」

 

 いつものようにエドレインタールの薬師組合の悪口を始めようとしたネスタカムを村長は手ぶりで制す。ネスタカムの話は長い。放っておけば1日中でも続く、村人にとっての地雷だ。

 

「分かっとるよ。だから、警備の連中にはブルプラ様の力になってくれるよう書いておいた」

「ああ、紹介状ですか。何と書いたのですか?」

「病を治して村を救ってもらったことを。大した料金も取らずに、とな」

「そうですか。薬師組合の連中が難癖付けて来ても警備の方が取り持ってくれると良いですな」

「ああ、儂は隊長と副隊長を知っとるが、真面目な男でな。村の恩人を悪いようにはせんだろう」

 

 村長の言葉にネスタカムが頷く。そして、2人は再び森の方を眺めると、村に戻っていった。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

「ふぅ……」

 

 シモベを連れてシェルターに戻ったブルー・プラネットは、出ない汗を人間であった時の癖で拭う。綱渡りのような村でのやり取りで精神的に疲れたのだ。研究者であったブルー・プラネットは、元々人間とのやり取りというものが得意ではない。

 村長との会話の中で王国の名を間違えてしまったときに村長の心に生じた疑念、あれには胃が締め付けられる思いだった。すでに胃の感覚は無いが、プレゼンを失敗したときの感覚が蘇ったのだ。

 

 村長の疑念に対処するため「人類種誘因物質(フェロモン・フォア・ヒューマン)」を作ってシモベたちに注入した。

 このポーションは魔法の<人間種魅了(チャーム・パーソン)>とは違い、相手ではなく自分側に掛ける。そして、効果もはっきりと自分を「味方である」と誤認させるほどの効果は無く、魅力度を上げて、周囲の人間種の判断をこちらに有利にする程度のものだ。

 正直、どこまで効くものか不明だったのだが、思った以上に効果があった。おそらく、これは一介の村人と100レベルキャラクターである自分とのレベルの差によるものだろう。

 

 それにしても――ブルー・プラネットは村長たちの話を思い出す。

 色々な情報があり、整理しなくてはならない。

 まず、この村ではナザリック大墳墓についての情報は得られないだろう。ならば、明日以降もこの村に留まる必要性は小さくなる。

 更に、ユグドラシルと微妙に異なるこの世界においても存在するらしい「冒険者」なるものが情報をもっているらしいこと。彼らは村よりも都会で会える可能性が高いという。

 そして、最寄りのエドレインタールという町。

 村長が書いてくれた紹介状を手に取って眺める。文字は読めないが、最後に聞こえた村長たちの会話からすれば悪いことは書いてなさそうだ。これを検問所で見せれば「旅の薬師」という怪しげな立場のシモベたちが活動しやすくなるだろう。

 一方で、エドレインタールの薬師組合というものが厄介らしい。

 

「さて、どうするかな……」

 

 ブルー・プラネットは明日の計画を練る。

 ナザリックの情報を得るためには一時的にこの森を離れることも覚悟すべきだろう。MPを振り絞って作ったシェルターを壊したくないし、この森はナザリックに帰るまでの第3の故郷だが。

 

 腕時計を見る。まだ日が暮れるまでは少し時間がある。

 

「……空からでも、確認しておくか」

 

 ブルー・プラネットはシェルターを出て、身体を霧に変えて空に舞い上がる。そして、空の雲に紛れるように擬態の魔法を掛け、町への道を確認しながら村長に教わった方角に飛ぶ。

 

 ナザリックがあったと思われる方角へ飛んだ旅に比べれば、今回の視察は呆気ないものだった。森の端、村から50キロ程離れた場所で町が見つかる。山のすぐ傍、直径2キロ程度の範囲に人間用の住居と思われる小さな家屋が固まっている。山側には高い壁で囲まれた数百メートルの区画がある。それが昔の砦だった部分だろう。

 

 なるほど――ブルー・プラネットは思う。これがエドレインタールか、と。

 この距離ならば、樹々を伝っては移動できないが、飛べばすぐに戻れる。ならば、このシェルターを残しておいても問題はない。ただし、留守中に誰かに見つかるのを防ぐため、迷彩を重ね掛けしておくべきだろう。

 

 町の様子は「砦」という言葉から連想した凶悪な要塞があるわけでも無く平凡なものだ。しかし、上空からの観察には限界がある。村人たちが言った「厄介な薬師」も空からは分からない。

 もうすぐ日が暮れる――夜間の行動には未だに自信がない。町の上空を旋回したブルー・プラネットは、再びシェルターに戻る。

 

 エドレインタールに行く覚悟は固まった。

 人間の町ではシモベたちに動いてもらわねばならない。突然町に現れて怪しまれないように、明日の朝早くにもう一度村人に会っておき、そこから歩いてエドレインタールに向かう。それは問題ない。

 難しいのは町に入ってからだ。

 町に着くのは夜になる。明日は自分もシモベたちも森に帰れない。

 宿屋に泊まることになるだろう。相場が分からないから一番安い所に。

 

 ブルー・プラネットは村長にもらった硬貨の入った袋の中身を床に広げて勘定する。

 銀色の硬貨――銀貨なのだろう。これが32枚ある。

 銅貨はもう少し多くて54枚だ。だが、銀貨と銅貨のレートが分からない。

 ユグドラシルの通貨単位であった金貨は無い。

 そして、これらの貨幣がどの程度の価値をもつのか分からない。アイテムボックスにはクズ宝石――ユグドラシルで数千ゴールド相当――があるが、どこで換金したらいいのかサッパリ分からない。町に行けば換金所があるのだろうか?

 

 いずれにせよ、金は必要になるだろう。しかし、稼ぐ手段はポーションを売る以外に思いつかない――合法な手段という範囲では。

 となれば村人たちが厄介だという薬師組合とも関わらねばならない。

 

 この世界での適正な価格を設定する必要があるな――枝先で額をトントンと叩き、考える。村長の口ぶりからするに、ポーションは本来はもっと高額な物のはずだ。

 

「貧しい村の150人を助けて銀貨32枚……じゃあ、町では1本銀貨1枚ってとこかな?」

 

 まったくの当て推量だ。価格は町の薬屋を見て再考しよう。

 そして、どうやって売るか――店を借りることは無理だ。ならば、屋台で?

 台車にポーションの瓶を積んで、2人のシモベに売らせる。これは良いかもしれない。

 入れ物は――ユグドラシルの空瓶は数が限られている。ならば、酒ビンを洗って詰めるか。

 明日の朝、村長に言って酒ビンを貰おう。ああ、そうだった、村長の奥さん用に渡したポーションの空き瓶は回収していなかった。余ったポーションは処分しておいた方が良いだろうか……

 

 ブルー・プラネットは様々なことを考え、計画を練る。

 そして、森を離れるというのに少しワクワクしている自分に気が付く。

 現実世界では久しく忘れていた感覚、ユグドラシルの友人たちと冒険の予定を立てていたころの感覚……ブルー・プラネットはシェルターの天井を眺め、首を回す。肩が凝ったわけではないが。

 

 シェルターの中でブルー・プラネットは何度も計画を呟き、明日の冒険を思い描いた。

 




どうでもいい捏造設定:名前について
この世界の名前には2通りの決め方がある。
一つは「黄金の輝き亭」のように、現地人が意味をもたせて決めたモノで日本語に翻訳される。
そしてもう一つは「外来語」。これは意味が分かっても(例:ラナー=黄金)発音重視・語感重視なので翻訳されない。
知識層は意味を知っているが、農村などでは意味が分からず神殿で与えられた名前を使っている(洗礼名に近い)。

【例】
 水神の神殿で、高位の神官が厳かに依頼主に尋ねる。
「汝、新たなる命にどのような祝福を望むか?」
 父親と母親は赤子を抱きかかえながら跪いて答える。
「はい、この可愛らしい笑顔が人々の癒しとなり、太陽の様に輝く娘に育って欲しいと願います」
 神官は頷き、祭壇の水晶球――神の遺物に手を乗せ宣言する。
「この新たなる命が笑顔で人々を癒す、太陽の様に輝く娘に育つための祝福を!」
 神官の宣言に反応して水晶玉は仄かに光り、神々の文字を映し出す。
 同時に透き通った声が、赤子が名乗るべき名を告げる。
『キュアサンシャイン』
 書記官が神々の文字を台帳に書き写し、一般の文字に書き直して儀式は終了する。
----------------
実は、水晶球は「キャラ名メーカー」。キーワードを変換してそれっぽい名前にするアイテム。
水晶球ごとに「どう変換するか」が設定されているため、同系統の名前は「同じ神殿で名付けられた」ことを意味する。同じ設定の水晶球も各地に点在しており、この世界において人間が国家単位にまで纏まるために大きな役割を演じた。

ちなみに、上の例では「古今東西アニメキャラ」設定であり、そのようなマイナーな設定の集団は「異端の民」として冷遇されている。


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第12話 辺境の町

森を離れて町にGO。


 朝早く、ブルー・プラネットはシモベたちを連れてシェルターを出る。

 第3の故郷と考えた森ではあったが、ナザリックを探すために町に行くと今夜は帰れない。

 近い距離とはいえ、人間社会に潜入するのだ。しばらく帰れない可能性もある。

 ブルー・プラネットは周辺の樹を「トレントもどき」に変え、それを引き連れてシェルターの周辺に列を作る。そして、「トレントもどき」を元の樹に戻すと、それはもう自然の樹が密に――人間が通れないほど隙間なく生えた生垣となる。

 樹を通り抜けることが出来るブルー・プラネット以外にシェルターに入ることが出来る者はいないだろう。

 

「……行こうか」

 

 完全に隠されたシェルターを眺めていたブルー・プラネットはシモベたちに声をかけ、樹の中に溶け入って森の端を目指す。それに誘導され、霧となったシモベたちは村へと飛ぶ。

 少し急いで飛んだため、1時間もしないで森の端に着いた。

 

「おはようございます。あなたがブルプラさんとネットさんですか? 薬を頂き、本当にありがとうございました」

 

 村に入ると、仕事の準備をしている村人が声をかけてくる。まだ8時前だが、この村ではとっくに生活が始まっているのだ。家畜小屋に餌や水を運んで残っている家畜の世話をする者、畑で作物の成長を確認して水や肥料を撒いている者――忙しく働く村人たちの姿が見える。この村に来たときに感じた死の影はすでに拭い去られ、活気がよみがえっている。

 現実世界の灰褐色の空の下に蠢く不機嫌な人々と違い、村の人々は朝日の下で柔和な笑顔を浮かべ、お互いに明るい声を掛け合っている。その目に溢れるのは生きている喜びであり、明日があることを信じる力強さだ。

 この光景に、ブルー・プラネットは人間本来の生き方を見た思いがした。

 

「おお、あなたが……」

 

 誰かが口にしたブルプラという名を聞きつけ、他の村人たちが集まってくる。そして、口々に感謝の声を上げる。その村人たちに阻まれ、ブルプラとネットは村長の家への道を塞がれ、しばらく動けない。

 

(感謝されるのは嬉しいが、これはちょっとやりすぎでは……?)

 

 揉みくちゃにされるブルプラの感覚を通じてブルー・プラネットはそう思いかけ、それが自分の失敗だと気が付く。昨日の村長たちの態度から、あらかじめ2人のシモベに「人類種誘因物質(フェロモン・フォア・ヒューマン)」を注入しておいたのだが、その所為だ。

 この手の誘因系ポーションは、自分の魅力度を上げて交渉を有利にするのにも使えるが、モンスターを呼び寄せたり、敵プレイヤーにモンスターやNPCを集める嫌がらせ・足止めにも使える。ユグドラシルのNPCには非人間キャラクターが多いため、例えばギルド<猫さま大王国>に対する「マタタビスペシャル」といった組み合わせは良く研究されていた。ブルー・プラネット自身、それを使って大量の猫型NPCに包まれてモフモフと楽しんだことがある。

 今起きているのは、その人間版だ。

 

「あの、村長さんの家に行きたいので……すみません、通していただけますか?」

 

 説得は効果がないようだ。村人たちは仕事を放りだし、もはや村中総出でシモベを囲む状態となっている。この人混みの中では「人類種誘因物質(フェロモン・フォア・ヒューマン)」を中和することもできない。

 仕方がなく、ブルプラとネットは陶酔した顔で集ってくる村人たちを掻き分けて村の中を進む。

 もうやめて、と叫びそうになったころ、ようやく村長の家に辿り着いた。

 村長は騒ぎを聞きつけて、呆れた顔で家の前で待っていた。

 

「おはようございます、ブルプラさん、ネットさん。もうお発ちですか? ……おい、お前たち、ちょっと放して差し上げろ」

 

 村長はにこやかに挨拶し、そして、少し声を荒げて村人たちに注意する。さすがに村人たちも村長に言われてブルプラたちから離れ、それでも遠巻きにブルプラたちを取り囲んでいる。

 

「おはようございます。今からエドレインタールに向かいますが……あの、奥様に差し上げたポーションの空瓶と、あと、昨日使った空の瓶を幾つかいただきたいのですが」

 

 村長は頷いてポーションの空瓶を取りに家に戻る。そして、他の村人もブルプラの話を聞いて一斉に各人の家に空き瓶を取りに帰っていく。

 

 ほどなくして、村長の家の前には空き瓶の山が築かれた。

 

「ありがとうございます……全部は持っていけないので、これらを頂きますね」

 

 ポーションの空き瓶をカバンに仕舞い、売り物として使えそうな酒瓶を選びながらブルプラは村人たちに礼を言う。そして、ネットにも瓶をもたせ、あらためて村長に別れを告げる。

 

「いやぁ、大変お世話になりました。それでは失礼します」

「いえいえ、こちらこそ大変お世話になりました。途中までお見送りいたしましょう」

 

 村長がブルプラとネットを先導し、更に村人たちが後ろに続く。

 村の門から伸びる細い道を少し進むと整地された街道に合流する。街道はそこから一方にのみ伸びている。現在のところケラナック村の前が街道の終点なのだ。

 村長は街道の端に立ち、街道が伸びる方向を指さす。地上からでは遥か地平の彼方で見えないが、昨夜確認したエドレインタールがある方角だ。

 

「この道をまっすぐ行ってくださればエドレインタールに着きますから」

 

 何度もブルプラは頭を下げ、村長もそれに応えて頭を下げる。そして、名残惜しそうな村人たちを背に、ブルプラとネットは逃げるように道を進んでいった。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 昨夜上空から確認したが、ケラナック村から最寄りの都市エドレインタールまでは一本道で迷う心配は無い。

 昨日の村長の話では、近年、町や村を繋ぐ街道が急速に整備されているということだ。街道といってもこの周辺では荷馬車が通りやすい様に道が均されている程度だが、その脇には街路樹が植えられて、旅人を日差しから守っている。その街路樹は、ブルー・プラネットが転移するのに好都合な大きさだ。

 ブルー・プラネットは街路樹に身を潜めながら、時折、顔を出して周囲を窺い、誰も見ている者が居なければ実体化して周辺を確認しながら道を進む。

 空を飛べば1時間も掛からず往復できた道程だが、馬では半日、徒歩で行くならば丸1日の旅。

 シモベには中和剤を打った。誰か人間の旅人と出会うことがあっても、もう大丈夫だ。

 特筆すべきモンスターもおらず、途中には簡易な休息所もあり、武器を持たないシモベたちでもまずは安心して旅することが出来るだろう――いざとなればブルー・プラネットが戦うつもりだが。

 

 ブルー・プラネットは数十メートルおきに植えられた街路樹の間を一瞬で転移する。シモベたちはそれを追ってゆっくりと歩いてくる。ブルー・プラネットはシモベを待ちながら、昨日の会話を思い出す。

 

「モンスターは居ないのですか?」

 

 ブルプラが村長に問うと、村長は深く肯いた。

 

「今は定期的に町から騎士団が巡回してくれますからね。大昔はエドレインタール……当時は別の名だったそうですが、その砦が山からの亜人どもを防いでたらしいのです。南の竜王国やスレイン法国、13英雄とも協力して、この辺りからは亜人どもが粗方駆逐されたのですよ」

 

 この周辺から亜人やモンスターが駆逐されたおかげで、辺境の開拓が進んでいるらしい。

 森に危険な動物がいなかったのはそういうわけか、とブルー・プラネットは納得した。

 どんな動物がいたのだろうか。見ることが出来なかったのは少し残念だが、人間がその版図を広げるためには危険な生物の駆逐は必要なことでもある。また、村の家畜たちや街道沿いの街路樹のように、人間の保護下で繁栄する生物もいる。要はバランスであり、現実世界のように環境破壊が行き過ぎなければ良いのだ。

 森の中には人間に荒らされた形跡はなかった。この世界ではまだ大規模な森林破壊を起こすほどには文明は進んでおらず、モンスターの駆除は小規模な戦闘集団によって行われているためだろう。

――そう納得すると、ブルー・プラネットは楽しくなってくる。

 まだ人類が間違いを犯していない世界にいるのだから。

 

 ブルー・プラネットは、明るい日差しの中、鼻歌でも歌いたい気分で街路樹を伝って移動する。シモベたちの様子も確認するが、特に問題はなさそうだ。時折、袋に入った木の実を取り出して食べながら、空き瓶で膨れたカバンを背負って黙々と歩いている。

 空き瓶などの嵩張る物はブルー・プラネットのアイテムボックスに収納して運ぶことも考えた。しかし、それを迂闊に取り出したら「どこで入手したのか、どうやって運んできたのか」と問題になることは間違いない。町に着いたら改めて必要な物を調達することにして、空き瓶は当面の分だけに絞ってシモベに運ばせている。

 薬師であることを示すため、ポーションは1本だけ用意してある。

 

 今のところは順調だ。現実世界に戻れないという1点を除いて、だが。

 

 ブルー・プラネットは、この世界の現実性を半ば信じる気持ちになっていた。論理的には全く非合理だが、実際に「人間たち」と出会い、その話を聞くにしたがって、この世界が自分の妄想であるという考えが揺らいでくる。あまりにも自分の意識とはかけ離れたモノでこの世界は溢れているのだ。

 そして何より、この美しい世界の実在を信じたいという感情が強い。

 現実世界に未練があるわけでもない。気になることと言ったら、研究所で培養中のサンプルだが……誰かが仕事を引き継ぐだろうし、どのみちアレには先がないことは見えている。

 

「死んで、植物系リッチに転生しました」――そんなファンタジーを受け入れたくなる。

 

 ブルー・プラネットは「死後の世界」など信じていなかった。死ぬのが怖いのは「自分」という存在が消えてしまう喪失感からだ。だが、「自分」は確かにここにいる。ならば、現実に死んでいようがいまいが、それは大した問題ではないと割り切れる。

 

 問題――というより疑問は、なぜ今の自分がこの姿なのかということだ。

 記憶にある限り、この姿はユグドラシルというゲームで作り上げたものだ。それが何故この世界――仮に死後の世界として――に引き継がれているのかが分からない。

 あの夜、ナザリックから飛んだ記憶はある。しかし、その場所からナザリックは消えていた。

 この世界にナザリックは存在するのだろうか? この世界はユグドラシルの延長なのか?

 あるいはトレントとして生まれ変わった「自分」が見た夢なのだろうか?

 現実世界とこの世界の接点となるナザリックを求め、ブルー・プラネットはこの世界を旅することにした。この世界が何なのか、自分なぜ此処にいるのか――真実(こたえ)を求めて。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 やがて、辺境の村と町を繋ぐ街道の休憩所が見えてくる。屋根があるだけ野営よりはマシといった簡素な建物だ。天気は良いし、人通りも少ない。道中誰とも会わなかったし、休憩所にも誰もいない。

 

「お前たち、少し休んでいくか?」

 

 ブルー・プラネットはアイテムを通じてシモベたちの心に問いかける。自分は樹の中にいて意識を動かすだけなので疲労は感じない。水分も不足しない。しかし、シモベたちは朝から荷物を持って歩きどおしなのだ。町で行動してもらうのだから、体力は残すべきだし、今後のことを打ち合わせるためにも、一旦、休んでいくのが良いだろう。

 

「はっ、それでは、この場で休ませていただきます」

 

 異口同音に2人のシモベたちは答え、休憩所の屋根の下に入り、荷物を下ろす。そして、瓶に入れてきた水を飲み、ふうっと息を吐く。ホッとしたような表情を浮かべている所を見ると、かなり疲労がたまっていたのだろう。

 

「少し疲れたようだな。遠慮なく言っていいぞ」

 

 ブルー・プラネットは休憩所の脇の樹から姿を現し、そう言って2人に枝を伸ばすと疲労回復の効果がある樹液を注入する。シモベはチクリと刺す痛みに一瞬顔をしかめるが、その表情が明るくなり、彼らはブルー・プラネットに対して丁重過ぎる感謝の意を述べる。

 

「かまわんよ。楽にするがいい。それで、町に入る時のことだが――」

 

 シモベのカバンを開け、村長からもらった紹介状を取り出す。

 

「――これを検問の役人に渡す。分かるか?」

 

 シモベたちの反応を見て、ブルー・プラネットは再び<知力向上>(ウィズダム・オブ・アウル)を彼らに掛ける。シモベたちは目が覚めたような顔で頷くが、ブルー・プラネットは、ここはやはり「人間」としての常識が備わっている自分が出た方が良いかと思い直す。

 

「いや、町が見えたら、私が対応しよう。タイミングは前と同じ『ゲフンゲフン』だ」

「はっ、承知いたしました」

 

 シモベたちはその場で跪いた。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 歩き続け、住宅が集まる街に着いたのは夕方遅く、もうすぐ日が隠れる頃だった。

 街道は住宅や商店の間を抜けて町の中央の広い道路へ丁字路で繋がる。その目抜き通りは町外れと山側の区画を結んでおり、山側には高い壁で囲まれた区画がある。その壁に設けられた門が検問所となっているようで、何人かの衛兵が立っている。

 すでに夕日は夕闇へと変わりつつあるが、街灯が明るく照らすため街並みははっきり確認できる。壁の外側は一般的な住民の家がほとんどで、門から覗く壁の内側には何やら重厚な石造りの建築物が収まっていた。

 昨日上空から観察した様子と合致する。地上から見ても平凡な、平和な町だ。

 

「ん、お前たちは?」

 

 町の住民たちが大したチェックも無しに検問所を行き来する中、詰めている衛兵たちがブルプラとネットのシモベ2人を見咎めた。

 

「ゲフン、ゲフン……はい、私たちは旅の薬師です。こちらに伺うようにとケラナック村の村長に聞いてきました」

 

 ブルプラがカバンから紹介状を取り出し、衛兵の1人に渡す。

 

「ほう……ケラナック村で疫病があったのは聞いているが、お前たちが治したのか?」

 

 その衛兵は紹介状を受け取ったものの、農民にしか見えない2人の姿を訝し気に眺める。

 

「はい、このようなポーションで治療しました」

 

 ブルプラは、カバンからユグドラシルのポーションを取り出して衛兵たちに見せた。

 

「うむ……初めて見るが、確かにポーションらしいな……私は詳しくないが……」

 

 衛兵たちは首を捻り、その中の1人がシモベたちを壁の内側にある部屋に誘導する。そこには数人の衛兵がテーブルに着いて何かを飲みながら休んでおり、シモベたちに怪訝そうな目を向ける。

 

「おい、この旅の薬師たちがケラナック村の疫病を治したらしいってよ」

 

 外にいた衛兵が詰所の衛兵たちにシモベたちのことを告げると、ほう、と感心する声が上がり、雰囲気が和らいだ。

 

「……まあ、座ってくれ。名前と職業は? それで、どうしてこの町に?」

「はい、ブルプラ・ワンとネット・ツーです。薬師の修行で旅をしています。この町に来たのは見聞を広めるためと、出来ればポーションを売って路銀を稼ぎたいと思いまして」

 

 衛兵の質問にブルプラは淀みなく答え、それを聞いて別の衛兵が書類に色々と記入していく。

 

「ああ、それなら、この区画に薬師組合があるからそこで登録するといい」

「この区画は、昔、砦だったそうですが……?」

「ああ、亜人どもが攻めて来ていたころはな。今はこの町の役所や組合が入っている」

 

 衛兵たちは旅人にエドレインタールの構造を説明する。

 この壁の内側は「旧砦」と呼ばれる区画で、行政機関や組合などが集中しておかれている。今では滅多にあることではないが、山を越えた遥か遠くに住むという亜人たちや他国との戦争になった場合に帝国中央から援軍が着くまでの住民の避難区域にもなっているらしい。

 

「最近では戦争は無いのですか?」

「ああ、帝国軍が強化されたから今では奴らは南に……竜王国は大変らしいがな……」

 

 争いに巻き込まれることを懸念したブルー・プラネットの質問に、衛兵は複雑な表情を浮かべて答えた。竜王国――ドラゴンの国が何で亜人ごときにとブルー・プラネットは疑問に思うが、ここは口を挟まないでおく。

 

「そうですか……それで、この町には『冒険者』は居ませんか?」

 

 ブルー・プラネットは単なる情報集めのつもりだったが、これが衛兵の琴線に触れたらしい。

 

「そうよ、それ、冒険者! 帝国として兵士を送れないのなら冒険者を送ればいい、と俺は思っているんだがな。実際そうだろ? 昔は英雄たちが亜人どもを駆逐したっていうじゃねーか。それが今では……なんだよ、あいつら仕事がねーからって飲んだくれやがって……」

 

 自分たちの不甲斐無さを揶揄されたと思ったのだろう。衛兵の1人が一気に捲し立て、その肩を仲間の衛兵が叩いて黙らせる。だが、その衛兵も不満が溜まっているようだ。

 

「すまないね。俺たちも出来ることなら竜王国を助けたいとは思ってるんだよ。そりゃ亜人に女子供まで食われてるって聞きゃ、国は違えど同じ人間、そう思うだろ? だが、俺たちはこの町から動くことは許されてなくてな……」

「送るって言ってもな、この町の冒険者は最高で『白金』だ。『アダマンタイト』とは言わないが、せめて『オリハルコン』なら戦力になるだろうが……」

「軍に人材採られているからな。皆、帝都に行っちまう」

 

 衛兵たちは口々にブルプラに向かって思いをぶつける。だが、それを聞くブルー・プラネットは新たな情報に混乱するばかりだ。

 

(え? 竜王国を『同じ人間』? 白金とかアダマンタイトとかオリハルコンとか、金属が何で出てくるんだ? 何かのランクだろうが……)

 

 ひょっとしたらこの町の人間は竜人なのかも知れないし、冒険者とは金属製のゴーレムなのかも知れない。この世界では自分の常識が通じるとは限らないのだ。ともかく、話を聞くしかない。

 

「そ、そうですね。……あとで冒険者の方とも会ってみたいのですが」

「ああ、冒険者組合に行けばいい。魔術師組合、薬師組合の並びにあるからすぐ分かるだろう」

 

 この世界では常識らしい事柄についていけず苦し紛れに返事をしたが、どうにか欲しい情報は手に入れた。

 日ごろのうっ憤をぶちまけた衛兵たちも落ち着いて、本来の職務に戻る。

 

「それでは、皆さん、私たちはこれで……」

「おっと、すまないが、税として銅貨2枚を払ってくれ。今後はこれが許可証となる」

 

 ブルプラは銅貨を取り出して衛兵に渡す。衛兵はそれと引き換えに何かが書かれた羊皮紙をブルプラに手渡す。内容は相変わらず読めないが、一種の通行手形なのだろう。

 

「ありがとうございます。今日はもう遅いので、明日、組合に行って登録しますね」

「ああ、それがいい。この区画の宿は高いが、外の大通り沿いに安い宿が幾つかあるぞ」

 

 ブルプラが頭を下げてネットと一緒に退席しようとすると、衛兵たちが声をかける。

 

「ケラナック村の件、ありがとうな」

「いえいえ、薬師として当然のことをしたまでですよ」

 

 衛兵たちはその言葉を聞いて顔を見合わせ、苦笑いをする。そして、ブルプラたちに向かって笑顔で手を振る。

 

「ようこそ、エドレインタールに。何か問題があれば遠慮なく言ってくれ」

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 ブルプラとネットは「旧砦」の外にある街を歩く。すでに日が暮れているが、大通りの脇には街灯が立っており、散策するのに支障はない。それなりに人通りもあり、店もまだ開いている。

 

(この明かりは火を使っていないし、電気でもない。<永続光>(コンティニュアル・ライト)のようだな)

 

 ブルー・プラネットはシモベの目を通してそう判断する。辺境の村とは違い、日の出・日の入りで生活の周期が決まるわけではなさそうだ。町でユグドラシルの魔法が普通に使われているのならば、ユグドラシルと同じポーションも存在しているのだろう。

 

 大通り沿いの店には各種の看板が掲げられているが、その文字は読めない。しかし、その絵と店先の様子を見ているうちに、その絵が何を意味しているのか分かってくる。食料品ならばパンの絵が、靴屋ならば靴の絵が、そして酒場には瓶の絵というようにパターンがある。

 明日以降、購入する物を考えながら大通りを一通り眺め、その端で引き返して何件かあった宿屋らしき店の1つを選び、そこに入る。

 広い部屋には幾つかのテーブルが置かれ、その奥の机に1人、髭の男が座っていた。

 

「2人分、空いてますか?」

「はいはい、2人部屋なら1晩で銀貨1枚と銅貨5枚になります」

 

 あの髭の男が宿の主人だと見たのは正解だったようだ。ブルプラは頷き、机の上に銀貨を2枚並べる。男は銅貨8枚を机に並べ、釣銭としてブルプラの方に戻してくる。

 

「お名前は?」

 

 ブルプラが2人の名を告げて許可書を見せる。髭の男は台帳を取り出し、許可証の一部を指でなぞりながらそれを台帳に記入していく。おそらくはその部分がブルプラたちの名前なのだろう。

 そして、髭の男は机に台帳を仕舞うと、ランタンと鍵の束をとり、その手で奥の階段を示す。

 

「それではご案内します」

 

 ブルプラとネットは男について階段を上る。階上には5つの部屋が並んでいるが、人の気配はない。

 

「他の客はいます?」

 

 ブルプラが訊く。

 

「いえ、この時季ですからね。あなた方だけですよ。どの部屋か、ご指定ですか?」

「ああ、では、一番奥の左手の部屋が良いですね」

 

 男は頭を下げ、指定されたドアを開ける。そして、ランタンを掲げてブルプラに部屋を見せて尋ねる。

 

「それでは、この部屋でよろしいですか?」

 

 ブルプラが頷くと、男は部屋に入り、天井から吊り下げられたランタンの覆いを除ける。男が持つランタンと同じ、魔法によって作られた光が部屋を明るく照らしだす。

 

「ここでは<永続光>(コンティニュアル・ライト)を使っているんですね」

 

 ブルプラが問いかけると、男は嬉しそうに顔を緩ませて答える。

 

「ええ、そうなんですよ。最近改装しましてね。油より手間も掛からないし、明るいですからね」

「そうですね。他に魔法の設備はありますか?」

「いやあ、ここにあるのは、ランタンだけですね。何かご希望の物がございますか?」

「いや、防犯はどうかなと思いまして」

「ご希望でしたら金庫を用意いたしますが、それ以外はお客様ご自身でお願いいたします」

「<施錠(ロック)>出来る金庫ですか?」

「いえ、普通のものです。魔法で施錠するものは何分にも高価なものですから……」

 

 宿の男は丁寧に答えながらもブルプラたちの服装に素早く視線を走らせる。どうみても普通の農民であり、魔法の金庫を必要とするほどの物を持っているとは思えない――そう、その表情が語っている。

 ブルプラは鞄からポーションのビンを取り出し、男に見せる。繊細な細工が施された容器に入ったポーションを見て、男は驚きの表情を見せ、そして納得した顔になる。

 

「いえね、私たちは薬師で、壊れ物があるので……」

「ああ、失礼いたしました。……これは私共の金庫でお預かりできますが、万一割れますと……」

「いや、いいですよ。私たちで持ち運ぶことにします」

「はい、そうしていただけますか? では、こちらが部屋のカギです。外出の際にはお返しください。それから、明日の朝、お食事はいかがいたしましょうか? 別料金で銅貨2枚からパンとスープをお出しできますが」

「いえ、朝食はいりません」

「左様ですか。それでは、ごゆっくり」

 

 ポーションを見せた効果があったようで、宿の男の態度は若干の尊敬を滲ませたものに変わった。そして、ブルプラとネットに会釈をして部屋を出ていく。

 

 男が階下に降りる音を確認し、ブルプラとネットは荷物を床に降ろす。そして、ブルプラは窓に近寄り、目隠しとなっている木の板を外して窓を開ける。窓には格子が嵌められており、そこからは宿の裏手に生えている樹が見える。

 その樹から霧が立ち昇り、霧の塊は窓の格子を抜けて部屋に流れ込んでくる。

 

「ふう……思ったよりは良い部屋だな」

 

 霧の塊は部屋の中央で木と人間の中間のような形をとり、トレントとして実体化する。ただし、ブルー・プラネットにとっては天井が低すぎるため中腰の状態で。

 突然の荷重がかかった宿の床がミシリと音を立てた。

 

(魔法の警戒システムは導入されていないんだな)

 

 ブルー・プラネットは各種の魔法で目立たないようにしたつもりだが、魔法の照明器具が普及している町ならば侵入者を感知する防犯用の魔法もあるだろうと警戒を緩めない――結局のところ、それは杞憂に終わったようだ。周囲からは何の敵意も警戒心も伝わってこない。

 

 ブルー・プラネットは天井に気を付けながらベッドに腰かけ、シモベたちはその前に跪く。

 

 その時だった。

 ベッドがミシミシと不吉な音を立てたかと思うと、ボキッという音とともに2つに折れる。樹高3メートルに達するブルー・プラネットの、数百キロに達するであろう体重に耐えられなかったのだ。

 意表を突かれたブルー・プラネットは尻もちを搗き、その巨体がベッドの残骸とともに床を激しく打ち鳴らす。

 

「お、お客様! どうなされましたか!?」

 

 ズシンと響いた尻もちの音は階下でも聞こえたようだ。宿の主人の叫び声とともに階段を昇ってくる足音がする。ブルー・プラネットは慌てて体を霧に戻し、擬態して天井に張り付いた。

 

「ゲフンゲフン、ああ、すまない。今開けます」

 

 部屋の扉を激しくノックする音に答えて、ブルプラが扉の鍵を開ける。

 宿の主人は部屋に入ると、折れたベッドを見て絶句した。

 

「……すみませんね、2人で腰を掛けたらいきなり……虫が喰っていたのかな?」

「しかし、あれはまだ新しく入れたばかりで……」

「大丈夫、大丈夫、私たちで直しますから!」

 

 宿の主人は狼狽えて、ブルプラ達に「何をしてくれたんだ」という視線を向ける。

 その視線に応えて、ブルプラは魔法でベッドを修復することを約束する。

 

「お客様が? しかし……」

「私たちはドルイドだから、魔法で直しますよ。はい、ええ、大丈夫です」

「そうですか……? あの、見せていただいてよろしいですか?」

「ええ……<修復>(リペア)……」

 

 ブルプラの声が発せられ、少し時間をおいて折れたベッドが時間を巻き戻すように元の姿を取り戻す。それを見て、宿の主人はベッドに駆け寄り、その脚や床板を確認する。

 

「おお! 直りましたね!」

「はい」

「あの、お客様、申し訳ございませんが、家具類はご丁寧にお取り扱い願います」

「はい……ごめんなさい」

 

 宿の主人が階段を下りたことを確認し、ブルー・プラネットは意識を本体に戻して天井から降りる。しかし、今度は実体化せずに霧のまま樹人の形をとり、宙に浮かんだ状態でブルプラとネットに話しかける。

 

「すまない。これは私の失態だ」

「いえ、ブルー・プラネット様にご失態などあろうはずがございません。この寝台が御身を支えるに相応しくなかっただけでございます」

「まさに。ブルー・プラネット様がこのような貧弱なものに御身を預けられるのは、私共の配慮が足りなかったためでございます」

 

 ネットが、そしてブルプラが跪いて真顔で答える。その言葉に嘘は含まれていない。

 ブルー・プラネットは、忠誠心溢れるシモベの話を気まずい思いで聞きながら、先ほどの失態を反省する。そして、魔法の効果を改めて考える。

 最初はシモベを通じて修復魔法を詠唱したのだが、それは発動しなかった。それで、天井から無詠唱化した魔法を掛けなおしてベッドを修復したのだ。

 

(もっと早く確認しておくべきだったな)

 

 シモベとは感覚を共有し、その肉体を操って喋ることも可能だが、それで魔法を詠唱しても無効のようだ。魔法は自分自身で掛けなければならない。

 面倒だが、これはユグドラシルでも同じだった。

 間接的に魔法を発動することが可能だったら、戦いは圧倒的に魔法詠唱者が有利になる。自分は安全なところにいて、デコイを通じて攻撃を掛けることが出来るからだ。不公平にならないよう、地雷や誘導弾を除き、瞬間的に発動するタイプの魔法は直接その射程内に術者が居なければならない――つまり、魔法詠唱者は戦士に相対する必要がある仕組みだった。

 そのルールはこの世界でも生きているらしい。

 

 ならば、逆に魔法を看破することはどうか?

 ユグドラシルの遠隔視系アイテムでは、例えば透明化した敵を見破ることはできなかった。安全な場所から見破られるのでは罠や伏兵の意味がないからだ。

 だが、村では<真意看破>のスキルがシモベの目を通して機能した。

 スキルと魔法では異なる可能性はあるが、遠隔視系アイテムとは違い、その場に実体を置くシモベの目を通じてならば特殊な知覚も効くようだ。あるいは、シモベの目を通じて得た情報をブルー・プラネットの脳が処理したためなのかもしれない。

 

 いわば、遠隔視系アイテムが望遠鏡としたら、シモベは探査機だ。シモベ自身にはMPが無いため魔法を発動させることはできないが、精神的な繋がりによって知覚は可能なのだろう。

 ドルイドや薬師として活動するためには、魔法でどこまで可能か確認する必要はある。

 

 いずれにせよ、この場は切り抜けられた――そう思い直し、ブルー・プラネットは話を変える。

 

「ところで、食料と水はまだ残っているか?」

「はっ、明日の朝の分がやや心許ないかと」

「では、今のうちに買っておくか。まだ開いていた果物屋があったな」

「はい、では……」

 

 ブルー・プラネットは目を瞑り、意識をブルプラに移す。

 

「ゲフン、ゲフン、では、買い出しに行こうか。ああ、荷物はそのままでいい」

 

 2人のシモベは立ち上がり、ドアを開けようとして――ブルプラは立ち止まる。

 

「待て。宿の人が来たらこの状態では困るな」

 

 天井につかえた巨大な樹の化け物が、部屋の中央に霧の塊として浮いている。

 先ほどの大騒ぎの後だ。留守中に宿の主人が再び様子を見に来ることも考えられる。

 宿の主人が部屋で霧の化け物を見つけたら――確実に騒ぎになる。衛兵を呼ばれるだろう。

 

 ブルー・プラネットは意識を本体に戻し、窓から外に出て樹の中に戻る。

 そして、再びブルプラに意識を戻し、窓に覆いを被せる。

 面倒だが、仕方がない。

 

「これでよし。じゃあ、行こう」

 

 ブルプラはネットに声をかけ、一緒に部屋を出て階段を下りる。

 

「少し買い物に行ってきます」

「はい、行ってらっしゃいませ」

 

 宿の主人はこわばった笑顔で部屋のカギを受け取り、ブルプラたちを見送った。

 




ブルー・プラネットはコミュ障気味。


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第13話 冒険者組合 【トイレ注意】

お上りさんの勘違いは続く。


 翌朝、まだ日が昇らないうちにブルプラはフラフラとベッドから立ち上がる。そして、虚ろな目で窓に近寄り、その覆いを外し――霧になったブルー・プラネットが入り込んでくる。

 ブルプラは寝床に戻り、何事もなかったように寝ている。そこにブルー・プラネットが<獣類人化>を解除し、再び魔法を掛けなおす。

 ブルプラとネットの身体は、各々のベッドの中で服を着たままイノシシに似た獣に戻り、再び人間の姿を取り戻す。その間、2人のシモベは静かに寝ており、声を上げることも無かった。

 ここはもう森の中ではなく町なのだ。シモベが起きてから魔法を掛けなおし、その合間に獣に戻ったシモベが鳴き声を上げて宿の主人に知られることがあってはならない――人間社会は煩わしいが仕方がない。

 

 やがて、2人は目を覚まし、着衣の乱れを直すとベッドから降り、霧の身体で宙に浮いているブルー・プラネットに跪いて朝の挨拶をする。

 

「おはようございます。ブルー・プラネット様。今日の仕事をご命令ください」

 

 すでに何度も繰り返された行動だが、町中であるという意識があらためて日本人としての広川の精神を刺激する。これまでは森の中、ユグドラシルの延長でシモベに対する支配者として振る舞っていたが、ふと我に返って周囲の目を意識すると、たとえ個室の中であっても2人の男に傅かれる状況は気恥ずかしい。

 

「ああ、そうだな……今日はまず冒険者の組合に行ってみよう。それから薬師組合だな」

 

 ブルー・プラネットはシモベ達から微妙に目を逸らしながら<知力向上>の魔法を掛け、今日の予定を伝える。気恥ずかしく感じながらも威厳を保ってしまうのは、相手に合せてしまう日本人の性だ。

 

「それでは、トイレを済ませよう」

 

 シモベの身体を1人ずつ支配し、順に1階に行ってトイレを済ませる。森の中で済ませていたのとは違い、ここは宿の中だ。人間の常識をもったブルー・プラネットが手伝う必要がある。

 ブルー・プラネットにしても、この世界のトイレは勝手が違う。現実世界のチューブ式とは違い、穴が開いた椅子に腰かけて下の空洞に排泄物を落とした後に、使い捨ての木の板で拭う――ものすごく気持ちが悪いが仕方がない。

 幸いこの宿には水道が引かれているようで、ブルー・プラネットは何度もシモベの手を洗う。

 

「体も清潔にしなくてはな……」

 

 2階の部屋に戻したシモベたちを並んで立たせ、洗浄液を噴射する。

 この宿屋にシャワーはない。どうやって人々が入浴しているか疑問はあるが、日本人の精神の残滓をもつブルー・プラネットは風呂にも入らず外出することが許せない。

 

 シモベたちの全身が洗浄液の泡に包まれる。

 現実の洗剤であれば床に水溜りが出来て、水漏れしていると宿の主人が怒鳴り込んでくるだろう。だが、これはユグドラシルの植物系異形種のブルー・プラネットがスキルで作った洗浄液だ。ユグドラシルでモンスターに付けられたマーク――ジャイアント・オクトパスの墨など――を消し去るための洗浄液で、汚れを落とした後には何も残らない。

 洗浄液の泡は体の隅々まで入り込み、汚れや臭いだけを消し去って、そのまま気化して消えていく。ゲーム上ではなく現実の汚れまで消えるのは不思議だが、魔法というのは便利なものだ。

 

 清潔になったシモベ達を見て頷くと、ブルー・プラネットは宣言する。

 

「よし、では行くか」

 

 窓の格子を通って霧の体が外の樹に溶け込んでいく。そして、意識をブルプラに乗り移らせ、 2人のシモベは荷物を肩にかけて部屋を出る。しっかりと部屋の鍵を閉めることも忘れずに。

 

 目抜き通りを歩きながら、ブルプラは街並みを観察する。昨夜は閉まっていた店も開いており、通りは賑わっていた。ブルー・プラネットの意識は賑わいぶりに興味を惹かれるが、並んで歩くネットがどうも落ち着かない。

 

「ネットは、こういう所は苦手か?」

「はっ、人間は気にならなくなりましたが、硬い物の当たる音にはどうも慣れません」

 

 ブルプラ――意識はブルー・プラネット――の問いかけに答えるネットは、店の売り子が棒で板切れを叩いて呼び込みをしたり石畳の上を台車が通ったりするたびに顔をしかめている。

 

「そうか、それは済まないな……」

 

 以前の会話からすると、ブルー・プラネットに体を支配されていてもブルプラの意識が消えているわけではないらしい。おそらくブルプラも、ネットと同じく落ち着かない気持ちでいるのだろう。

 森の動物を街中に連れ出していることにブルー・プラネットは罪悪感を覚える。

 

「いえ、これは私共の使命ですから。それに、御身のお側でお仕えすることは何物にも勝る喜びです」

 

 すれ違う町の人たちは、ブルプラとネットの会話を耳にして2人にチラチラと目を向ける。農民2人が「御身」などという言葉を使って主従関係を結んでいることを奇妙に感じたのだろう。

 服装は粗末だがよく洗濯されて汚れ一つない。顔もキレイに洗われており、体臭もない。

 中年の方は冴えない顔つきだが、若者の方は騎士と言っても通用する美丈夫だ。

 ひょっとしたら高貴な身分の者が供を連れてお忍びで町に来ているのか――そんな表情を浮かべる者もいる。

 ブルー・プラネットは人々の視線を浴びてそれ以上の会話を続ける勇気はなく、ブルプラとネットは無言で検問所に向かった。

 

「おはようございます」

「おはようございます。ブルプラさんとネットさんですね。夜番の者から聞いています。ケラナック村のことはありがとうございました」

 

 許可証を衛兵に見せて挨拶すると、衛兵たちも笑顔で挨拶を返してくる。検問所を通る人々を見ると、大抵は衛兵と顔見知りのようで、許可証も見せずに軽い挨拶を交わして行き来している。

 人口2万人程度の小都市という話だったが、そんなものだろうか? 

 現実世界では「近所づきあい」に縁がなかったブルー・プラネットは疑問に思うが、とりあえず衛兵たちに顔を覚えてもらうまでは許可証を見せるやり方で行こうと考える。

 

 検問所を抜けると、高い石壁で挟まれた狭い路地が続き、そして広場に出る。広場の中央には大きな噴水があり、そこから滾々と溢れだす水が街へ引かれた水路に流れ込んでいる。山側の小高い場所に造られた砦だ。新しい街との高低差で水道が引けたのだろう。

 この噴水は山からの地下水脈を掘り当てたのだろうか――ブルプラは、少しの間その噴水が朝日を浴びて輝き、澄んだ水が流れていくさまに心を奪われた。

 

 この噴水は信仰の対象でもあるらしく、町の人々は噴水の前で祈りを捧げてから各役所に向かっている。この町の命を繋ぐ貴重な水源なのだから、信仰の対象となるのも頷ける。

 その信仰心の表れなのだろうか、広場の正面には小さいが立派な彫刻が施された神殿が建てられている。そして、その白い神殿の両脇にくすんだ色の石造りの建物が続き、広場を囲むように軒を並べている。その建物と建物の間が入り組んだ路地となり、検問所や砦の外への門へ繋がっている。頑丈な石造りの建造物で囲まれた広場――砦として使われていたものに若干の手直しが施されているが、基本的な構造は昔のままなのだろう。

 

 その建物の並びに各種の組合らしきものがあった。文字は読めないが、看板には剣と盾、薬瓶、巻物などのシンボルが刻まれたレリーフが入り口の上に掲げられている。

 

(冒険者組合というのは、ここだな)

 

 ブルプラとネットの2人は剣と盾のレリーフの下にある扉を開け、中に入る。

 さほど広くない部屋の奥には受付カウンターがあり、その脇には依頼内容らしいメモがピンで留められたボードが立てかけられている。入り口からカウンターに到るまでに幾つかのテーブルが並んでおり、そこには数人の武装した男たちがいる――冒険者たちだろう。金属製ゴーレムではないようだ。ユグドラシルでクエストを探しているプレイヤーと雰囲気がよく似ている。

 扉が開く音に冒険者らしき者達が振り向き、その視線がブルプラを捉えた。だが、それは「何しにきやがった」であり、積極的に仕事を求める熱意は感じられない。振り向いた者達の胸元には銅色や鈍い鉄色の小さな金属板が掛かっている。それが冒険者たちの金属名を示しているのだろう。

 

「いらっしゃいませ。本日はどのようなご用向きでしょうか?」

 

 来客の姿を認め、奥から受付と思われる2人の女性が声をかけてくる。女たちは1日の仕事を始めようとして書類をカウンターの上に並べているところだ。

 ブルプラは受付の女に答える。

 

「ええ……仕事の依頼ではないのですが、少し教えていただきたいことがありまして」

 

 「依頼ではない」という言葉を聞くと、冒険者たちは更に興味を無くしたように視線を外し、フンと鼻を鳴らすと何やら液体をコップに注いで飲んでいる。朝早いというのに酒だろうか。

 受付の女たちは、それでも笑顔で問いかけてくる。

 

「はい、どのような内容でしょうか?」

「この辺りに、地下墳墓のような遺跡がないかを調べているのですが、分かりますか?」

 

 ブルプラの質問に、受付の女たちは首を傾げる。視線を天井に向けて記憶を掘り起こしているようだ。

 

「……地下墳墓、ですか? そうですね、この周辺ではそのような……少々お待ちください」

 

 そう言うと1人の女が依頼内容を貼り付けているボードを確認しに行き、もう1人は過去の依頼書をまとめた分厚いファイルを取り出して捲りだす。ブルプラもその綴られた依頼書を眺めるが、書かれている文字が読めないので諦めて受付嬢の報告を待つしかない。

 

「……ああ、21年ほど昔、古い塚を塒にしていた盗賊団を討伐した記録があります」

 

 ようやく文書を確認し終えた女が顔を上げ、これで良いかと言いたげにブルプラの顔を伺う。

 

「その塚はどんなものですか?」

「細かい記録は無いのですが、10人ほどからなる盗賊団が寝泊まりしていたそうで、塚の奥に略奪品を樽2つにしまっていたということです」

「……ということは、それほど大きな墳墓ではないですね」

 

 ナザリック地下大墳墓ではない――少し落胆した声でブルプラが確認する。

 

「はい、鉄級の冒険者5人で討伐されたということですので、大きな仕事ではないですね」

「そうですか……他には、墳墓に関する記録は無いですか?」

「はい、残念ながら」

 

 受付の女が困った顔で首を傾げ、微笑む。もう1人の、ボードを確認していた女も戻ってきて首を横に振る。受付の女はテーブルについている冒険者たちにも視線を送るが、彼らも首を横に振る。

 受付の女は申し訳ないという顔をしながらも、笑顔を浮かべて提案してくる。

 

「もし新しく『地下墳墓』に関する情報が入りましたら、ご連絡いたしましょうか?」

「ええ……お願いしたいですが、連絡はどのように?」

「ご住所をお教えいただければ、お手紙でお知らせいたします」

「そうですか……あいにく、私たちは旅の途中でして、そう長居もしないつもりですので……」

「はぁ、それでしたら申し訳ございませんが……」

 

 受付の女は首を横に振り、ブルプラは肩を落として項垂れる。

「冒険者たちなら何か知っているかもしれない」――その希望、ナザリックへ帰還する糸口の1つが断たれたことに落胆したのだ。

 

「お客様、この辺りに地下墳墓があるというお話を聞いてこられたのですか?」

 

 暗い顔をしたブルプラを哀れに思ったのだろう。受付の女が優しい声をかけてくる。

 

「いえ、特にあては無かったのですが、私は巨大な地下墳墓を探して旅をしておりまして……」

「そうですか……もし数日いただけるのでしたら、他の都市にも問い合わせてみましょうか?」

「はい、もし可能でしたら……でも、他の都市に問い合わせるとなると、どの程度時間がかかりますか?」

「まず、<伝言>で各都市の組合に連絡を取ります。それは翌日には結果が分かります。候補があれば詳しい情報を文書で取り寄せますので、帝国領内の情報でしたら最大1週間あれば揃うと思われます。都市国家連合やリ・エスティーゼ王国からとなると、もう少しお時間をいただきますが……」

「1週間ですか。それでしたら、是非お願いいたします」

 

 望みの糸がまだ繋がっていることに、ブルプラの目が輝いた。

 それを見て受付の女はニッコリと微笑んで会釈をし、商売人の顔になる。

 

「ご依頼ありがとうございます。それでは、まず<伝言>による問い合わせに銀貨10枚をいただきますね。もし詳しいことが分かりましたら、その文書の入手に更に銀貨5枚いただきます」

 

 痛い出費だ――まだ金を稼ぐ見通しも立っていないのに。だが、これでナザリックの場所が分かれば金銭など問題ではない。

 そう考えて、ブルプラは口述で「大規模な地下墳墓の調査依頼」と受付の女に書類を作ってもらい、金を払う。各都市の冒険者組合に問い合わせた結果は明日になれば揃うそうなので、ブルプラは明日の昼頃に再び来て報告を聞くことを約束する。

 

 それにしても――

 予測はしていたが、ユグドラシルと同じ<伝言>の魔法が使えることが確認できただけでも収穫だ。ユグドラシルでは魔法職を取ったプレイヤー同士がゲーム内での連絡に使う、一番基本の魔法だ。プレイヤーに似た「冒険者」という存在が<伝言>を使えるのは当然かもしれない。あるいは、そのまま「プレイヤー」という存在がいるのかも――

 

 ブルー・プラネットは、受付の女に確認する。

 

「<伝言>が使えるということは、ユグドラシルのプレイヤーが組合で働いているのですか?」

 

 これは上手く伝わらなかったようだ。

 受付の女は首を傾げ、眉を顰めて困ったようにブルプラに問い返す。

 

「申し訳ございませんが、『ゆぐどらしるのぷれいやー』とは、どなたでしょうか?」

「ええと、ですから、『ユグドラシル』の『プレイヤー』が<伝言>で連絡をとっているのですか?」

 

 受付の女は困った顔でもう1人の受付を見て、そちらは黙って肩をすくめる。

 

「申し訳ございません。この組合では『ゆぐどらしる』という所から来た『ぷれいやー』という方は在籍しておりません。<伝言>は、組合に登録された魔法詠唱者が担当しております」

 

 受付の女は2人とも、あからさまに「変なことをいう客だ」という表情を浮かべている。

 

「そうですか……いえ、でしたら結構です」

 

 ブルー・プラネットは平静を装いながら、内心は酷く混乱して会話を止める。

 この世界は何なのだ?

 この世界の人間もユグドラシルの魔法を使える――村長の妻が使ったような、この世界特有の魔法ではない。冒険者組合というユグドラシルを強く想起させる組織があり、<伝言>を当然のように使っている。

 そのくせ、「ユグドラシル」や「プレイヤー」の存在が知られていない。

 あまりにもチグハグな世界だ。

 

 新たな事実が再びブルー・プラネットを困惑させる。

 この世界はユグドラシルを知らない――妄想の世界である可能性がまた小さくなった。

 しかし、「全くの異世界」である可能性も小さくなった――ユグドラシルの魔法が根付いているのだから。

 どちらか一方ではなく、ユグドラシル的な世界と異世界との2つがモザイク状に入り混じっている。そのモザイクを構成する断片に、ナザリックや自分が取り込まれたのだろうか。

 

 どこまでがユグドラシルの断片なのだろうか? もっと情報を集めなければならない。

 気を取り直し、ブルー・プラネットはシモベの目を通して<真意看破>を使う。

 受付の女たちにウソはないことが直観的に分かる。隠し事もない。単に、無知な田舎者に呆れているだけだ。

――少し腹が立たないでもないが、それならば、もっと様々なことを教えてもらおう。

 

「……冒険者組合には魔法詠唱者も多いのですね?」

「はい、<伝言>でしたら使える者はそれなりにおります」

「他の魔法は……どんな魔法が使える方がいらっしゃいますか?」

「はい、この組合には第3位階まで使える者が1人おり、空を飛ぶ<飛行>(フライ)を習得しております。現在は白金級の“砦の牙”に所属しており、山岳地帯の警戒にあたっております」

 

 <飛行>(フライ)――これもユグドラシルの魔法だ。第3位階という点でも同じだ。

 

「第3位階……では<火球>(ファイヤーボール)も使えるのですか?」

「はい、お使いになられるそうですよ」

 

 間違いない。この世界の人間もユグドラシルの魔法を使っている。

 だが、この受付の女は「第3位階まで使える」と言った。それ以上の魔法はどうなのだろうか?

 

「その『白金級』の方が、この都市で最高の冒険者ということですね」

「はい、現在のところは。要請があればミスリル級以上のチームが帝都より派遣されますが……」

 

 ブルー・プラネットは、どのような冒険者がいるのか、受付嬢たちに質問を続けた。

 現在、このエドレインタールに在籍する冒険者で最高の者は「白金級」らしい。その下には「金級」のチームも1つ、更に衛兵たちよりは強いという「銀級」の戦士が2,3人いて、下級のチームを補佐しているらしい。下級のチーム――一般兵並みの「鉄級」そして最下級の「銅級」も合わせれば、全部で数十チーム、数百人の冒険者がこの町にはいるという。もっとも、これらの中には書類上だけの登録で、他の仕事と掛け持ちしていたり、半ば引退している者も多いということだ。

 

 第3位階の魔法を使えるのは、最高位の「白金級」チームの魔法詠唱者1人だけだという。

 他のチームの冒険者は、最高で第2位階かそれ以下の魔法しか使えないらしい。

 

 白金級以上の冒険者たちについてブルプラが話を聞くと、エドレインタールには在籍していないが「ミスリル級」や「オリハルコン級」、そして最高位の「アダマンタイト級」があることも教えてくれた。その「アダマンタイト級」の冒険者は近隣諸国に各1つか2つのチームがある程度で、ミスリル級やオリハルコン級であれば大きな都市にはそれなりに存在するということだ。

 

 これらの冒険者のランクは業績に応じて審査されて決まる仕組みになっており、ユグドラシルであったレベルという概念は無いらしい。ブルプラが発した「冒険者のレベル」という言葉に受付の女は再び困った顔をして、討伐対象や課題の困難さを示す「難度」という言葉があるが、それは通常は冒険者の力を量るのには使われないと忠告したくれた。

 

 ブルー・プラネットは、高々第3位階の魔法が使える程度でこの小都市の最高位冒険者になれるという情報に驚く。そして、最高位のアダマンタイト級冒険者の強さに興味を引かれたが、それには明確な答えは無かった。

 受付嬢の話では、アダマンタイト級の魔法詠唱者は第3位階を超えた第4、第5位階の魔法すら使いこなす者もおり、神官職であれば死者を生き返らすことも可能だという。

 それを、受付の女は大げさな身振り手振りを交えて語ってくれた。

 

「アダマンタイト級の冒険者は第4、第5位階の魔法を使うということですか?」

「はい、さすがにフールーダ・パラダイン様のように第6位階に達した者は聞いておりませんが」

 

 ブルプラの驚いた顔を受付の女は別な意味にとったようで、「第4、第5位階ですよ」と首を振りつつ声を潜め、恐ろし気に語る。

 ブルプラ――ブルー・プラネット――は驚きのあまり声も出ない。第5位階の魔法など、まるで初心者ではないか。ユグドラシル時代であれば数日で習得できるレベルの魔法だ。ユグドラシルのシステムに慣れるためのチュートリアルでモンスターを倒し、最初のクエストをこなしているうちにいつの間にか到達してしまう程度の。

 

 以前、村を襲っていた騎士たち、そして、彼らを監督していた魔法詠唱者たちのことを思い出す。あの弱々しい連中も、ひょっとしたらこの世界においては強者として位置づけられる者だったのかもしれない――貴重な機会を逃したのかもしれないと、ブルー・プラネットは少しばかり残念に思う。

 

「ああ、第5位階の魔法なんて、どれほどの奇跡を起こせるのか……恐ろしいですが、冒険者組合に勤めるものとして、一度は見てみたいものです」

 

 憧れるように語る受付の女を見て「あんたの目の前に立っているのがその産物だよ」と心の中でツッコミを入れつつ、ブルー・プラネットは質問を続ける。

 

「あの……第6位階よりさらに上の位階魔法を使う方はいないのですか?」

 

 ユグドラシルの魔法はどこまで浸透しているのだろうか――そう考えて聞くブルプラに、対応していた受付の女はポカンと口を開けて、ブルプラの顔をまじまじと見つめる。

 横からブフォッという音がする。

 そちらを見ると、もう1人の受付の女が思わず吹き出していた。

 そして、後ろで耳をそばだてていた冒険者たちも大声で笑う。この無知な田舎者の、突拍子もない質問に対して可笑しさを堪え切れないというように。

 

「第6位階より上、か? そりゃいるさ、お伽噺の中にな」

「そうだな、おめえらが探してる地下墳墓には第8位階の魔法を唱える魔神がいて、おめえらを頭から喰っちまうぞ!」

「はは、魔神が冒険者やってるかもな。おい、誰が魔神だ? 手を上げてみな」

 

 暇人どもが――ブルプラは心の中で呟き、なおも続く冒険者たちの冗談を背にして組合を出る。

 

「少し疲れた。食事をするか」

 

 ブルプラはネットに声をかけ、ネットは頷く。そして、2人は広場の中に出ている屋台で果物を買い、その近くの椅子に腰かけて食事を始める。

 

「……しかし、ブルー・プラネット様……よろしかったのですか?」

「ん? 何のことだ?」

 

 普段無口なネットが珍しく自分から問いかけてきた。その意図を汲めなかったブルプラは果物をモゴモゴと頬張りながら聞き返す。

 

「先ほどの冒険者どもです。あのような下賤な輩にブルー・プラネット様が笑われるなど!」

 

 見ると、ネットは顔を赤らめ、怒りに拳を震わせている。

 その怒りには真摯に答えてやらねばならん――ブルプラは食いかけの果物を置き、一呼吸おいてネットに答える。

 

「……ああ、構わんさ。彼らは無知であり愚かだが、あえて懲らしめるほどの価値も無い」

 

 実際には、ブルー・プラネットも少しばかり不愉快であった。しかし、それは自分のこの世界に対する無知から来たものだ。笑われても仕方がないかとも思えた。

 

(まあ、いいか……怒るだけ損だ)

 

 別にこの冒険者たちとずっと付き合うつもりもないしな――そんな思いとともに不快感は拭い去られていた。何より、気に食わないからとブルー・プラネットが本体を現して彼らを打つことはできない。あの弱々しい者たちを皆殺しにするのは容易いだろうが、それで折角潜入した人間社会から警戒されるわけにはいかないのだ。

 

「御心のままに……しかし、ご命令あらば、私はいつでも御身のために戦います」

 

 ブルー・プラネットはその意気を嬉しく思う。

 しかし、ネットの言葉は頼もしいが、シモベ2人では弱すぎるとも思い、腕を組んで考えこむ。

 

 <獣類人化>で作り出されるのはあくまで基本レベル、それも戦士などの職業ボーナスが付かない一般人でしかない。

 この町の冒険者には第3位階の魔法程度とはいえ、空を飛べたり火球を撃ったりすることが出来る者もいる。それより下級であっても冒険者はただの人間よりは強いはずだ。武器も持たずに暴れたのでは、シモベ達には勝ち目はない。

 いや、冒険者との戦いがどうこう以前に、街中で暴れればすぐに衛兵たちに捕まってしまうだろう。それではポーションを売って金を稼ぐ計画が水泡に帰す。

 

 駒が足りない。

 ブルー・プラネットは、ブルプラの体を通して溜息をつく。この世界は、現実世界ともユグドラシルとも随分と違っている。そして、社会の仕組みを利用するのに手頃なレベルの駒が不足しているのだ。

 

 駒を増やすか?

 弱くとも数さえ揃えば出来ることは多くなる。1日のMP回復をうまく使えばシモベを4、5人増やすことも可能だ。MPに余裕はなくなるが、いざというときはブルー・プラネットが体力で戦えるし、スキルで戦闘用の召喚獣を付けてもいい。

 だが、ブルプラは思い直して首を横に振る。数が増えれば問題も増すと理解して。

 現在はまだ生活の基盤を確立していない。社会常識さえ覚束ない段階だ。その状態で闇雲にシモベや召喚獣を作っても住居や食事を用意するだけで大変だし、どうしたって社会との軋轢が生じる。何か事ある毎にブルー・プラネットが関与していたら、それだけ正体がばれる危険が増す。

 逆に行動が縛られて「社会の情報網を使ってナザリックを探し出す」という目的から遠のいてしまうだろう。

 

 まずは、このシモベを使いこなすことだ――ブルー・プラネットは果物を食べているネットを見る。

 ブルー・プラネットはポーションを作り出せる。それをシモベに売らせて金を稼ぐことが当初からの目標だった。だが、同時にその金で冒険者を雇い、戦闘などを任せればシモベ自身は弱くとも、ブルー・プラネットが表に立たなくとも、問題は解決する。

 シモベを上手く使い、冒険者のコネクションを作っていこう。

 

 やはり金が掛かるよなあ――硬貨の入った布袋を取り出して眺める。

 冒険者組合なるものがあり、魔法で色々調べることが出来ることは分かった。冒険者も雇えるようだ。

 だが、調査費や依頼料は――今日の依頼であっさりナザリックが見つかれば良いのだが、受付の女の反応からすると期待は出来ない。幾つかの候補が浮かんだとして、調査結果をさらに細かく調べるとなると銀貨にして数十枚は必要だろう。今の手持ちの金ではすぐに底をつく。

 

 つい数日前にこの世界に出現したナザリック大墳墓は、まだ冒険者たちにも発見されていない可能性だってある。冒険者が発見して報告されるまで定期的に冒険者組合に依頼を続けるのでは、金が幾らあっても足りない。

 自分で情報を集めることも大切だ――とりあえず、現在までの情報は冒険者組合にまとめてもらい、今後は冒険者の噂などを集める仕組みも作らなければならないだろう。

 

「そうすると、やはり出来ることは決まってくるな」

 

 ブルー・プラネットの心は決まる。

 まずは、シモベたちは薬師兼ドルイドとして使い、ポーションを売って収入を確保する。

 そして冒険者にも顔を売り、噂を集め、荒事が必要になれば依頼する。薬師としてポーションを売っていく過程で自然に冒険者ともコネを作ることも出来るだろう。

 それと並行して、ブルー・プラネット自身もスキルを使って情報収集の仕組みを構築する。

 

ちょっと吹っかけてみるか――。

 

 ブルー・プラネットは金を稼ぐためにポーションの値段を高めに設定しようと考える。少なくとも銀貨数十枚の収入は確保したい――金貨にすればどれだけだろうか?

 ブルプラは立ち上がる。そして、次の予定である薬師組合に足を進める。

 それを見たネットも慌てて立ち上がり、食べ掛けの果物の最後の一欠片を飲み込むと、ブルプラの後を追った。




ブルー・プラネットは朝シャン派。

捏造設定:冒険者組合の<伝言>ネットワーク
冒険の依頼が入らないで暇な魔法詠唱者の副業として<伝言>による情報伝達がある。魔法学院の学生のアルバイトとしても人気。
ただし、魔力消費の問題から伝えられる情報量は少なく、公開できる部分も限られている。あくまで「ヘッドライン」的なモノ。


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第14話 町の薬師達  【出血注意】

ともかく先立つものが無い……


 薬師組合は冒険者組合とは魔術師組合を挟む位置にある。その入り口には壺と試験管のようなものが並んだデザインのレリーフが掛かっていた。だが、そのレリーフが無くともそこが薬師に関する組織であることは誰にでも分かる。植物の青臭い匂いと、何らかの化学物質を想起させる特異な刺激臭が入り口にまで漂っているのだから。

 

 ブルプラとネットは、その建物の中に入る。奥にはカウンターがあり、そこには白い厚手のシャツを着た年輩の男が2人で暇そうに世間話をしていた。その後ろの棚には分厚い書類の束が重ねられ、薬草や鉱石のサンプルが瓶に入れられて並んでいる。あとは、下男と思われる、貧しそうな年老いた男が棚の埃を払っている。

 

「こんにちは」

 

 ブルプラはカウンターの男たちに声を掛ける。その声を聞き、男たちは世間話を止めて、物珍しそうに来客を見た。

 

「はいよ、何か御用で?」

「こちらは薬師組合ですね? あの、この都市でポーションを売りたいので、そのための手続きをお願いしたいのですが」

 

 ブルプラが要件を述べると、男たちは意外そうにブルプラとネットの顔を、次に服装を見る。

 

「あんたらが商売するのかね? それとも薬草の卸かね?」

「私たちは自分でポーションを作って、売るつもりです」

「ふーむ……だが、あんたら見たところ農民のようだが……? リ・エスティーゼからかね?」

「ええ、その方面ですが、ドルイド兼薬師でして……旅を続けているうちに服が綻びまして、替えを……」

 

 ブルプラは村でも出身を聞かれたことを思い出し、服装でそう判断されたのだと思い至る。今となっては仕方がない。服装の件は有耶無耶にしようと、しどろもどろに下手な言い訳をする。

 

「ああ、そうかい。まあ、何でもいいが、薬師というからにはポーションを作れるんだね?」

「ドルイドならば薬草取りは上手いだろうが、そのポーションは聞いたことが無いなあ」

 

 薬師であると聞いて、2人の男の顔つきがブルプラたちを値踏みするようなものに変わった。

 ブルプラはその視線に答えるようにカバンからサンプルを取り出す。

 

「はい、これが私たちが作っているポーションです」

 

 検問所や宿屋でも見せたモノ――流石に酒瓶は拙いと考えてユグドラシルの瓶に入れた見本だ。

 

「ほう、瓶は立派なものだな。だが、ポーションは……初めて見るものだが……」

 

 男たちは後ろの棚からポーションの瓶を幾つか取り出し、見比べる。それらは青い透明な溶液であり、あるいは濁った紫色の粘液だった。ブルー・プラネットが創った、澄んだ緑色のものは見当たらない。

 

「で、このポーションの効き目は?」

<中傷治癒>(ミドル・キュアウーンズ)<病気治癒>(キュア・ディジーズ)<解毒>(リムーブ・ポイズン)に相当する効果を併せもつものです」

 

 これは正確ではない。実際には第4位階の<生命力回復(リカバリー・ヘルス)>のポーションである。中程度のHP回復と軽度の状態異常を治すものだ。

 ブルー・プラネットは当初、弱り切った村人の体力と病気を同時に回復させるためにこのポーションを作成したのだが、この世界では第3位階の魔法を使えるだけで目立ってしまうことが先ほどの冒険者組合での情報で分かった。そこで、より低位階の魔法効果を複数合わせたポーションとしたのだ。

 

 だが――その誤魔化しは通じなかったようだ。

 

「あのね、ふざけないで欲しいのだが」

 

 何やら記録していた男がペンを机に叩きつけて大声を出す。

 

「第2位階の魔法効果を3つも複合化させたポーションなど聞いたことが無い!」

「い、いえ、実際に効果があるのですが。ドルイドの秘術で――」

 

 ブルプラは必死で弁明する。「人類種誘因物質」の使用も考えたが、この人口の多い街中での使用は碌な結果にならないと、村を発つときの経験から推測される。

 

「では、証明してほしいね」

 

 もう1人の男も信じがたいという顔で腕を組み、ブルプラに冷たく言い放つ。

 

「……分かりました。では、どうしましょうか? 怪我の回復は実際にお見せできますが、毒や病気の治療は……」

「それならば、私達の毒薬を使いたまえ。もし、君のポーションで治癒できないのならば、私たちが解毒しよう。ただし、その場合、我々のポーションの代金は払ってもらう」

 

 そう言うと男は鍵がかかった戸棚を開け、そこに保管してあった茶色の粘つく液体が入った瓶を慎重に取り出し、カウンターに置く。そして、もう1つ、棚から黄色く透き通った液体が入った瓶を降ろし、軽く振って様子を確かめ、横に並べる。

 もう1人の男は胸のポケットからケースを取り出し、中に入っていた小さなナイフを一振りカウンターに置いた。

 男たちは薬の瓶とナイフを揃え、ブルプラの目を見る。

 

「自分の身でポーションの効果を試せ、と?」

「ああ、『身をもって証明する』が我々薬師の心得でね。ドルイドさんはそうしないのかね?」

 

 ブルプラが組合の男たち――薬師たちの意図を確認する。

 ナイフを用意した薬師が嘲るように答え、もう1人もポケットからナイフを取り出してヒラヒラと振ってみせた。

 

「自信が無いのなら、その『素晴らしいポーション』を持って帰りたまえ」

「なるほど、分かりました。しかし、私たちも証明のためにポーションを消費するのですから、その代金はいただきたいですね」

「当然だな。試験料として毒薬の代金は貰うが、それとの差分を支払うよ」

 

 薬師たちが頷き、ブルプラたちに促す。

 

「で、どちらが飲むかね?」

 

 ブルプラとネットは顔を見合わせ、そして、ネットが手を挙げる。

 

「では、始めてくれたまえ」

 

 薬師たちは厳しい顔つきで茶色い液体――毒薬とナイフをブルプラの方に寄せる。

 ブルプラはナイフを取り、ネットの腕に軽く押し当てて引く。ネットは微かに顔を歪め、その腕に赤い血の筋が浮かび上がる。その血は腕を伝い、カウンターにポタポタと染みを作った。

 

 次にブルプラが毒薬を差し出すと、ネットは躊躇わずにその中身を飲み干す。

 毒も魔法で作られたポーションだったのだろう。ドロリとした液体を飲み干すと、その効き目は即座に現れた。ネットの端正な顔からは血の気が引き、足元がふらつき始める。額に冷汗が浮かび、カウンターに手をつく。

 それを見た薬師たちは意外そうな顔をし、ネットの腕を取って傷の深さと脈を調べ、心配そうに黄色い液体の容器――解毒剤の瓶に手を伸ばす。

 

「では、よろしいですか?」

 

 ブルプラは組合の薬師たちを一瞥すると、持参したポーションを取り上げ、ネットに飲ませる。

 再び、ポーションは即座にその効き目を現す。ネットの腕から傷と血が拭い去られるように消え、顔には健康的な赤みが戻る。

 

「ありがとうございます」

 

 ネットは晴れやかな顔でブルプラに頭を下げる――跪こうとしたところをブルプラが支えて止めた。

 

「お? おお! 本当に! 本当に傷と毒を同時に治しおった!」

 

 薬師たちは信じられないという顔で叫び、ネットの腕と脈を再度調べる。

 完璧な治癒だ。カウンターの血痕も消えていることから魔法の効果であることは間違いない――薬師たちは興奮した面持ちでブルプラに問いかける。

 

「信じられん! なんだこれは? 何というポーションだね、これは?」

「ええ、名前は無いのですが……効き目を信じていただけたようで良かったです」

「いや、すまん。申し訳ない。まさか本当にそのようなポーションをお持ちだとは!」

 

 先ほどと打って変わって低姿勢となり、薬師たちは口々に非礼を詫びる。

 

「信じられないのは私共も納得できます。だからこそ秘法ですので」

 

 ブルプラはにこやかに薬師たちに言い、ネットは当然だ、という顔をして横に立っている。

 

「では、このポーションをこの町で売ることに問題はございませんか?」

 

 ようやく本来の目的に戻ることが出来る――ブルプラは心配そうに薬師たちに質問した。効き目を認めてもらっても、売ることが出来なければ意味がないのだ。

 

「あ、ああ、うん、もちろん! もちろん問題は無いとも。ただ、その前に、うちの組合に登録してほしい。勝手に売られても困るからな」

「それは当然ですね。……あと、ポーションの容器も仕入れたいのですが、それはこちらで可能ですか?」

 

 村を出るときは、ワゴンセールを行うつもりで酒瓶を用意していた。だが、この薬師たちの様子、そして彼らが取り出したポーションを見ると、皆立派な容器に入っている。ならば、自分のポーションも酒瓶にではなくそれ相応の容器に入れて販売すべきだと判断される。

 ユグドラシルの空き瓶は数が限られている。売り物にしたら空き瓶の回収も難しいだろう。折角、この世界のポーションも立派な瓶に入っているのだ。ならば、それを使わない手はない。

 

「うむ、もちろん、容器は我々が用意しよう。1本銀貨5枚となるが良いかね?」

「え、ええ……では、あの、とりあえず2本お願いできますか?」

「分かった。ちょっと待っててくれ。あと、登録証を作成しよう。これは決まりで金貨2枚となるが、今持ち合わせはあるかね? ……手持ちが無ければ貸し付けとなるが」

 

 心細げに布袋の中を覗いて容器を注文したブルプラを見て、カウンターの薬師が遠慮がちに登録料を告げる。

 

「あ、はい。ちょっと持ち合わせがないので、さっきのポーションとの差額でお願いします」

「おお、良いとも。それで、このポーションの値段だが、幾らで売ろうと考えているんだね?」

「そうですね……1本につき金貨4枚、いや、5枚でいかがでしょう?」

 

 ブルー・プラネットとしては、思い切った値段を吹っかけたつもりだった。

 当初は金貨1枚で売り出すつもりだったが、ポーションの瓶だけで銀貨5枚なのだ。さらに、登録料だけで金貨2枚取られる。その元は取りたい。

 それに、薬師たちの様子を見ると、もっと高い値をつけても許される気がする。また、ユグドラシルでは金貨が最低の単位だったが、この世界では銀貨と銅貨を見ただけで金貨はまだ見ていない。町で金貨を何枚か使い、その価値を確かめたいという気持ちもあった。

 

 だが、薬師たちの反応はブルー・プラネットの予想を裏切るものだった。

 2人はカウンターに黙って両手をつき、項垂れている。

 

「あの、何か?」

「君たちは、我々を日干しにするつもりかね?」

 

 薬師たちは困惑しきった眼差しでブルプラを見つめる。

 

「申し訳ありません……森の奥で暮らしていたので、最近の物価が分からないので……」

 

 薬師たちは溜息をつき、棚から青いポーションを取り出してカウンターに置く。

 

「いいかね? これが今は金貨8枚だ」

「君のは、それに解毒の……いや、病気治癒も加われば金貨27枚、1本で済むことを考えれば少なくとも30枚としてもらわないと、薬価の仕組みが狂うのだよ」

「我々に任せてくれれば、その値段で君たちから買い取って我々が売ろう。君たちはこの町ではまだ顔が売れていない。我々ならば幾つか伝手があるから、安定した商売が可能だ」

 

 2人は交互に薬価の決め方を説明をする。だが、ブルー・プラネットには今一つピンとこない。

 

「申し訳ないですが、これは……?」

 

 薬師たちが取り出したポーションを指し示す。

 

「知らないわけはないだろう? それともドルイドはこれを使わないのかね?」

「錬金溶液の、治癒のポーションだよ。解毒作用はないが、これも第2位階相当だ」

 

 想定外の値段と、想定外の効果だ。ブルー・プラネットは見通しの甘さを思い知る。

 

「そうですか……では、金貨30枚といたしましょう」

 

 この世界の物価水準は良く分からない。たかが毒消しと体力回復の薬がそれほど高価なのかと思うが、ここは向こうの説明に合わせておいた方が良いだろうと考えた。

 

「……いや、まだ確認したのは回復と解毒だけだからな。とりあえず2つの効果をもつポーションとして金貨17枚として欲しい。病気治癒の確認にはこちらも試験用ポーションを用意しなくてはならないが、それで確認できれば差額を支払おう。もう1本、ポーションはあるかね?」

「いえ、今はあの1本だけしかないので……今は金貨17枚で結構です」

「よし、では、先ほどの毒薬との差分がまだだったな。毒薬は金貨2枚だから、差し引き金貨15枚を支払おう。登録料を引いて13枚だ。銀貨を混ぜた方が良いかな?」

 

 ようやく話がまとまった――薬師たちはやれやれと言うように首を横に振りながら引き出しを開け、金を取り出す。

 

「はい、それで申し訳ありませんが、金貨1枚分を銀貨でお願いできますか?」

「ああ、では金貨12枚と銀貨20枚だな。これでいいか?」

 

 カウンターの上に積まれた硬貨を数え、ブルプラは薬師たちに頭を下げる。

 

「それでは、登録をしよう。君たちの代表を1名、名前を聞かせてもらえるかね?」

「それでは、私が……ブルプラ・ワンと申します」

「ブルプラ・ワン……すると、君がケラナック村の疫病を!?」

 

 羊皮紙に書き込んでいた手が止まる。薬師がカウンターから見上げる目は、再び驚きを……いや、何か恐ろしいものを見るものになっていた。

 

「ええ、検問所でも言われましたが、ケラナック村で食中毒が広がっておりましたので」

「緑色の飲み薬……ひょっとして、さっきのポーションで、かね?」

「ええ、手持ちはあれしかなかったものですから」

 

 組合の薬師たちはもはや何も答えなかった。そして、書き上げた羊皮紙をブルプラに渡すと、小さく「では、これがウチの登録証となる、それに容器2本分、銀貨10枚をいただこう」と告げる。

 ブルプラは銀貨を支払い、容器と登録証を受けとってカバンに仕舞いこむ。

 そして、足早に薬師組合の建物を出て、その足で細い路地に入っていった。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 エドレインタールの「旧砦」区域、その中央に位置する広場を囲む建物の間には幾つかの細い路地がある。それらはこの町が砦であったころ、近隣の村から避難してきた住民たちが広場に集い、それを守るための兵士が侵入者を迎え撃つために設けられたもので、当時は頻繁に兵士たちが通い、警備していた路だった。

 

 しかし、砦を築いた小王国が滅び、貴族領として帝国に吸収され、直轄地となった今では、この細い路地は使われることは少ない。「旧砦」の外に広がった市街地へと続く検問所への道は整備されているが、それ以外の道――建物の裏道など――には、広場の周囲には収まり切らなかった、さほど重要ではない機関や、機関や組合に食事などを提供する店などがひっそりと並ぶだけである。

 

 防衛のためにわざと見通し悪く作られた路地にブルプラとネットは入っていく。何人かの住人とすれ違うが、彼らとは目を合わせることもしない。また、住人達も農民の服装をしたシモベ2人にはさほど興味を抱かない。

 役所に提出する書類を取りに近道でもするのだろう――その程度に思うだけだ。

 

 そして、ブルプラとネットは路地を辿り、組合が並ぶ建物の後ろへと回り込む。そこにはやや開けた場所があり、樹が1本、忘れられたように生えていた。

 ブルプラは周囲を見渡し、誰もいないことを確認する。

 

「よし、お前たちは広場に戻っていろ」

 

 その声を上げたのはブルプラではない。ブルー・プラネットが遠隔操作用アイテムを樹に植え込みながら霧となって姿を現し、発した言葉だ。

 ブルー・プラネットはそのまま流れる霧として路地を這い、薬師組合の入っている建屋の裏の隙間に入り込む。そして<樹化>(ツリー・シェイプ)を唱えると、霧は地面から伸びあがって一本の樹となった。

 

 ブルー・プラネットは樹と同化してその存在を非局在化することが出来る。この町の樹がどこにどう生えているか――それは宿の裏に生えている樹の中からでも把握するのは容易だ。

 だが、その状態では樹の場所や状態を知ることは出来るが、樹の外の物事を十分に聞くことは出来ない。外の状態を知るためには実体化するか、アイテムを埋め込んだ樹やシモベに意識を固定して、それを目や耳の代わりとするしかない。そして、樹やシモベを通じての感覚は、直接自分が見聞きするよりも遥かに弱い。おそらく、感覚器としてのアイテムやシモベの性能に制限されるのだろう。

 石造りの建物の中で交わされる会話を拾うには、その建物の側に生えている樹に擬態して直接聞くのが最も確実だ。

 

 壁にもたれかかるように生える樹に擬態して、ブルー・プラネットは意識を集中する。

 建物の2階に相当する位置……2人の薬師が声を潜めて語る内容が石壁を通じて伝わる。

 

『――って聞いたことが無い。しかもあれを100人以上に。可能か?』

『いや、村で配ったものがアレと同じという保証はないだろ。もっと低位の――』

『だが、彼はアレを配ったと言っていたんだぞ! 手持ちはこれしかなかったとか』

 

 コツコツと机を叩く音がする。

 

『しくじったな……隣で鑑定してもらえばもっと詳しいことが分かったかもしれん』

『次回、彼らが来たときに何とか1本手に入れて……』

『病気治癒の試験と合わせて、控えとして1本貰うか……製法も聞いておきたいところだが』

『うぅむ……秘術だろ、ドルイドの。聞いても教えてもらえるとは思えんが』

『錬金溶液のものを知らんようだったが……製法の体系がまるで異なるのかもしれんな』

 

 ボリボリと頭を掻き毟る音が混じる。

 

『なんとか聞き出す策を考えなければな……』

『田舎者の様だし、登録に必要とか言いくるめられないか?』

『登録証は出しちまったしな……』

 

 嘆息

 

『良い案が浮かんだら言ってくれ。ともかく、これは我々だけで』

『ああ、分かってる。あんな物を他の連中に教えてたまるか。帝都にもって行けば……』

『錬金溶液とは違う<病気治癒>なら、彼女の顔に効くかもしれんな。そうなりゃ我々が――』

 

 ブルー・プラネットは溜息をつく。なるほど、村人が言っていた「気をつけろ」とはこういうことか、と。

 そして、広場に戻っているシモベたちに意識を移し、薬師組合に再び向かう。

 先ほど入手した銀貨を使い、さらに2本のポーション用の瓶を購入する。薬師たちは戻ってきたブルプラに「ポーションはどうやって作るのかね」と世間話を装って聞いてきたが、ブルプラは「秘儀ですので」とだけ答えて足早に組合を後にした。

 後に残された薬師たちはブルプラの背後から小声で罵ったが、何もすることは出来なかった。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

「では、宿に戻るか……いや、その前にもっとマシな服を買わなければな」

 

 ブルー・プラネットは、シモベたちを検問所の外の町に誘導して衣服を扱う店を探す。それはほどなくして見つかったが、服ではなく、布を扱う仕立て屋だった。

 

「すみません、ドルイドか薬師らしい服を探しているんですが」

 

 ブルプラは店主に注文するが、その言葉を聞いて店主は軽く笑った。

 

 それはそうだろう、とブルー・プラネットは考える。現実世界でも「研究者っぽい服を」と注文したら笑われるだろう。だが、とりあえずはこう表現するしかない。

 

「そうですね……ドルイドは分かりませんが、薬師さまですとやはり白が基調になるかと」

 

 店主の言葉に、ブルー・プラネットは先の薬師たちを思い浮かべる。確かに彼らは白いシャツ――考えてみれば実験着の白衣に近いかもしれない――ものを着ていた。

 

「そうですね、では、そう……長めのシャツを白い厚手の生地でお願いできますか? ポケットが付いたものを。あと、ズボンを黒っぽいもので」

「ええ、分かりました。それで、ご予算は如何ほどに?」

「……上下1組ずつを2人分、全部で金貨4枚で可能ですか?」

 

 店主は一瞬目を泳がせ、すぐに商売人らしい笑みを取り戻す。そして、あからさまに腰が低くなり、声には滑着くような柔らかさが宿る。

 

「ええ、もちろんでございますとも。では、お客様、生地をお選びいただけますか?」

 

 店主が棚の奥から取り出した生地は、現在ブルプラたちが身に着けているものよりも明らかに仕立てが良いものだ。毛織物と何らかの植物性の繊維を編んだものの2つから選べといわれ、ネットが毛織物に拒絶反応を示したことから植物性のものを選ぶ。

 

「型はどのようにいたしましょう? アーウィンタールではこのタイプが最近の流行りでございますが」

 

 店主は色々とデザインが描かれた紙の束を示す。しかし、ブルー・プラネットは、この手の話には疎い。服など丈夫でサイズが合えばそれでよいのだ。流行りとか言われても分からない。

 

「ああ、ではそれを」

 

 ブルプラが適当に肯くと、店主は手際よく2人の寸法を測る。

 

「それでは、仕上がりに1週間ほどかかります。他にご注文はございますか」

 

 新しい下着を数着注文する。これも相場が分からないので「銀貨10枚分で何組か」というと、何やらサラサラと肌触りの良い生地で2人に2枚ずつ、店主が見繕ってくれる。

 支払いのために金貨を5枚取り出すと、店主は驚いた顔でそれをカチカチと打ち鳴らし、本物の金か確かめる。やはり農民が金貨を持つのは珍しいらしい。そして、支払いは出来上がったときで良いという。

 

「疲れたな」

「はい」

 

 仕立て屋を出たブルプラがネットに声をかけ、言葉少なく、ネットが返答する。

 肉体的な疲労ではない。ブルー・プラネットにとってもネットにとっても、そして体を借りているブルプラにとっても「この世界の街での買い物」は勝手が掴めないものなのだ。

 2人はそれ以上話すことも無く、宿に帰る。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 ブルー・プラネットの本体は、薬師組合の裏で<樹化>によって変身していたまま置いてあった。

 ブルプラが宿に帰りつくと、その肉体から意識を本体に戻して変身を解く。そして、霧となって路地裏の樹に入り込み、広場の樹に転移して片端からアイテムを埋め込んでいく。

 すでに日が暮れかかり、人通りも少なくなっているうえに、ブルー・プラネットは周辺の足音から人通りを把握することが出来る。一瞬枝を伸ばしてアイテムを埋め込む様子は、町の誰にも見つかっていない。

 アイテムを埋め込んだことにより、これからはシモベたちが居なくても広場で交わされる会話から重要なキーワードを自動的に拾うことが出来る。

 

 キーワード――「シイの実」のアイテム1つにつき1つ設定することが出来るものだ。

 設定されたキーワードをアイテムが検知すれば、ブルー・プラネットがそのアイテムを埋め込んだ樹に意識を移していなくても自動的にブルー・プラネットに伝わる。

 ブルー・プラネットは、広場の樹に「ブルプラ」という単語を設定した。これで、誰かがブルプラの名を出すと、それがブルー・プラネットに伝わる。たとえブルー・プラネットの意識が樹々と共有されておらずとも――例えばブルプラに意識を移していても。

 どんな文脈で「ブルプラ」という言葉が出されたかは、ブルー・プラネットの意識をその樹に共有しなければ分からないが、この狭い町なら意識を移すのは瞬時に行える。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 翌朝、目覚めたシモベたちにブルー・プラネットは指令を下す。「町を探索し、商品の相場を調べる」と。そして、昼になったら冒険者組合に行き、<伝言>による調査結果を聞くのだ。

 何か期待できそうな情報があれば、その詳細を知るのに1週間だ。衣服を仕立てるのもそうだが、とりあえず、何をするにも1週間単位で時間がかかる。現実世界では1時間もかからないことだが、この世界の動きは現実世界に比べてあまりにもゆっくりとしている。

 

(焦らないでいくべきだな……)

 

 昨日は色々と失敗をした。この世界の価値観や相場を知る前にむやみに動くべきではない。

 あと、金貨は12枚残っている。仕立て屋に払う分を除くと8枚、それに銀貨は9枚だ。1日に宿と食費は銀貨2枚で十分、シモベたちは肉を食わないので安くあがる。

 計算すると、この宿には3ヶ月近く留まることが出来る。服が仕上がってからポーションを売り出すとして、それから2か月以内に1本でもポーションが売れれば半年は暮らせる。病気治癒の効果を証明すればもっと余裕ができるが、どうするか……。

 

 ブルー・プラネットは焦って収入を考えずとも町での生活が成り立つであろうことに安堵する。だが、生活には思わぬ出費もあることを覚悟すべきだ。冒険者を雇う相場も知っておきたい。

 

「冒険者組合に行き、確認しておくべきだな」

 

 実際に売るのは「薬師らしい」服装が揃ってからで良いとしても、ポーションを買ってくれそうな冒険者たちを調べて顔をつないでおいた方が良い。金貨にして30枚のポーションとなると相当の価値――村人には手が出ないものであり、町でもそれなりの価値になるらしいことは分かった。ならば、単純な食中毒程度で町の人達がポーションを購入してくれるとは考えにくい。もっと生命にかかわる病気、あるいは怪我に使われるのだろう。

 

 薬師組合ではポーションの販売を手伝ってくれると言った。病院等へ売る販路を押さえているのだろう。提案はありがたいが、まずは自分で冒険者に売って、彼らとの情報網を築きたい――必要なのは安定した儲けではなく、資金と情報なのだ。

 

 そこまで考えて、ブルー・プラネットは樹の中に戻り、シモベたちは町の探索に向かう。

 町は相変わらず人通りが多く活気にあふれている。これは現実であると主張するかのように。

 そして、ブルプラたちは店の一軒一軒を覗き込んでは、そこに売られている物の値段を確認していく。鳥や獣が小さな檻に閉じ込められ、その死骸が軒先に吊り下げられている店は遠回りして避けたが。

 

 途中、生活雑貨の類も幾つか買い入れる。紙が綴られたノートは見当たらなかった。木を繊維化して作る紙は貴重なのだろうか。代わりに羊皮紙を幾つか購入し、同じく購入したペンで思いついた事柄を記録していく。幸いなことに、シモベたちには「羊皮紙」なるものが何か思いつかないようであり、ブルー・プラネットもあえてそこには触れないでおく。

 

 色々と買い込んだつもりだが、支払いは金貨2枚で事足りた。

 こうしてみると、服に金貨4枚使ったのは、少々贅沢しすぎたのかも知れない。魔法のアイテム以外の物は非常に安い――銀貨数枚で良い物が買えた。金貨を取り出すごとに確認されるので、それを崩して以降、支払いは銀貨で済ました。

 

 そして昼になる。

 ブルプラたちは検問所を通り、冒険者組合に向かう。途中、薬師組合の2人には顔を合わせないように気をつけながら。彼らは「サンプルをよこせ」と五月蠅く言ってくることは確実だからだ。

 

 冒険者組合では、昨日と同じ女たちがカウンターにいた。ちょうど食事を終えたところのようで、ブルプラたちの顔を見ると、微妙な笑顔を浮かべて会釈してくる。

 ブルプラたちも会釈を返し、カウンターに近寄って尋ねる。

 

「昨日お願いした『地下墳墓』の件ですが、何かお分かりになりましたか?」

 

 女たちは書類を取り出し、ブルプラに見せる。ブルー・プラネットには読めない書類を。

 

「申し訳ありません。この国の文字は知りませんので……」

「はい、では口頭で説明させていただきます。ご依頼の地下墳墓、それも大規模なものは17件、候補が見つかりました」

「おお!」

 

 期待にブルー・プラネットの胸が高鳴る――本体に代わり、ブルプラの心臓が。

 

「まず、帝国内には5か所、大規模な地下墓地があり、定期的に冒険者がアンデッドの掃討を行っております。リ・エスティーゼでも王都とリ・ボウロロール、エ・ランテルの3つの都市に地下墓地があります。特にエ・ランテルの墓地は広く複雑であり、新しいものは管理されていますが、浄化済みの古いものは放置されているものも多いということです。また――」

「ここまでで何かご質問はございますか?」

 

 説明が次に行く前に、もう1人の女がそれを遮ってブルプラに確認する。

 

「えー、帝国に5か所、王国には3か所、合わせて8か所の地下墓地は、良く知られている……誰が作ったかはっきりしているもの、ということですね?」

「はい、そうですね。帝国や王国で管理されている地下墓地のうち大規模なものが8つです」

 

 女たちは頷く。

 

「よろしいでしょうか? それでは、十分な管理下に無い地下墓地ですが、カッツェ平野に2か所、かつての――」

「あ、すみません、まず『製作者が不明な遺跡』について教えていただけますか?」

 

 ブルプラが口を挟んだ。探しているのは、この世界の住民が作った地下墳墓ではない。あの日、この世界に出現したはずのナザリック大墳墓なのだ。

 カウンターの女は困った顔をして、指で書類の文字を辿る。

 

「そうですね……製作者が分かっていない遺跡となると……申し訳ございません、今回の調査では、そのような報告はございません」

「そう……ですか……」

 

 ブルー・プラネットの期待は一気に萎んだ。思わず項垂れるブルプラの肩に、ネットが心配そうに手を置く。

 

「今後、継続して情報を集めるのでしたら、1ヶ月、銀貨30枚で可能ですが……」

 

 申し訳なさそうに女が声を掛けた。

 

「そうですね……折角ですからお願いします」

 

 ブルプラは無造作に布袋を取り出すと、中から金貨2枚を取り出してカウンターに置く。それを見て女達は驚きの表情を浮かべ、顔を見合わせる。

 

「あの、よろしいのですか?」

 

 何が? と聞き返しそうになり、ブループラネットは理解する。 

 農民の格好をしている者が無造作に金貨を取り出すのが、やはり意外だったのだろう。

 ブルー・プラネットは、もう少し躊躇う演技をするべきだったかと反省するが、こうなってしまったら仕方がない。

 

「ええ、大丈夫です。お願いします」

「そうですか……でしたら、ご連絡先はどちらに?」

「大通り沿いの宿……『木漏れ日亭』に滞在してます」

「ああ、木漏れ日亭ですね。承知いたしました」

 

 女たちは笑顔で了承し、釣りの銀貨10枚をブルプラに戻す。

 

「では、この調査結果はいかがいたしましょう? 私どもでお預かりいたしましょうか?」

「はい、今後の調査結果と合わせて、まとめておいてください」

 

 どうせ手元に置いても読めないのだから、と考えてブルー・プラネットは書類の保管を頼む。そして、もう一つの目的を思い出してカウンターの女に尋ねる。

 

「ああ、あと、この組合で冒険者を雇うと幾ら掛かりますか?」

「それは……一概には申し上げられませんね。ご依頼の難度を見積もったうえで、対応できる方を紹介させていただきます。よろしければ、こちらに依頼書を貼って募集することも可能ですが」

 

 説明しながらボードを示す受付の女は期待の笑顔を浮かべている。

 

「あー、いえ、今すぐに依頼するわけではないのですが……冒険者の方々は今どちらに?」

 

 建物の中には昨日居た冒険者たちは見当たらない。

 

「この時間、皆さんは広場の向かいの酒場でお食事をしていらっしゃいますよ」

「この町の冒険者たちは大抵ご自宅から組合に来られて、依頼を確認してお帰りになりますから」

 

 受付けの1人は、冒険者が泊まっていくような大きな宿はこの辺境の小さな町には無いのだ、と教えてくれた。ブルプラのような旅の職人も来ることは珍しく、宿に泊まるのは帝都からの商人、近隣の村人たち程度だという。

 

「そうですか……分かりました。では酒場を覗いてみますね」

 

 ブルプラは女たちに礼を言い、組合を後にする。

 

(思ったより金がかかったな……えっと、宿に泊まれるのは2か月弱か?)

 

 銀貨はまだ残っているが、金貨は既に4枚だ――仕立て屋に払う4枚を別にして。

 早いところポーションを売って金貨を確保しないと冒険者を雇うどころではない。<伝言>の情報網も1ヶ月しか契約できていない。

 残りの金と必要な出費を指折り数えながら、ブルプラはネットを連れて冒険者組合に向かう。

 何とか良い客が見つかることを祈りながら。




貧乏旅行。

捏造設定:ポーションの相場
回復:金貨8枚
解毒:5枚
病気治癒:14枚
空き瓶:銀貨5枚
複合化させることにより+α


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第15話 町の英雄

辺境の小さな町にも剣士の一人ぐらいは。


 受付の女たちが教えてくれたように、広場の反対側には酒場がある。

 昔は兵士たちの為に設けられ、今は一般にも開放されている食堂だ。冒険者組合の待機所を2つ合わせた程の広さで、数十人の客を収容できる。

 昼時とあって、中では十数人の男たちが幾つかのテーブルに分かれて食事をとっていた。男たちは主に普段着ではあるが、中には皮鎧を着け剣を帯びた者もいる。また、衛兵たちも何人か中に混じって世間話をしていた。

 

 酒場に入ったブルプラたちに男たちは皆顔を向け、来客を一瞥するとすぐに興味を無くしたように食事を続ける。冴えない農民を相手にするつもりはない様だ。

 だが、その中の1人は声をかけてきた。からかうような口調で。

 

「よう、どうだ? 魔神の迷宮は見つかったか?」

 

 昨日、冒険者組合で冗談を飛ばしていた若い男だ。

 

「んー? なんだそりゃ、魔神の迷宮って?」

 

 同じテーブルについていた若い男が怪訝そうな顔をして問う。

 

「いやな、こいつら昨日、組合で『第6位階以上の魔法を使える人はいないか』と聞いてたんだ」

「ははっ、第6位階以上! それで魔神を倒すのか。そりゃすげぇ」

 

 酒場の男たちはニヤニヤと笑ってブルプラたちを見つめている。いい暇つぶしが見つかったと。

 下手に相手にしても面倒なことになりそうなので、ブルプラたちは彼らを相手にせずに、酒場の冒険者たちを品定めする。話が通じそうな冒険者はいないかと。

 

 多くは鍛えた身体をした男たちだが、学者風の者も何人かいる。魔法詠唱者なのだろう。

 どれも大して強そうには見えない――第3位階の魔法を使う奴が最高なのだから仕方がないが。

 ドングリの背比べの中では、5人で固まって食事をしているグループが目についた。彼らはほぼ同年代とみられる壮年の男たちで、冗談を飛ばしている男たちがまだ若く未熟さを漂わせているのとは対照的に、苦労を重ねてきた人生を示す深く落ち着いた雰囲気を漂わせている。服装や武具もそれ相応に上等なもので、周囲の若手とは明らかにモノが違う――ドングリの中では。

 

「初めまして。ブルプラと申します。あなた方は――」

「ええ、“砦の牙”です。初めまして」

 

 髪を後ろになでつけた細身の男が静かに微笑み、ブルプラたちに会釈をする。それとともに、首に掛かっている白金のプレートが揺れた。その会釈の間、柔らかくも鋭い視線はブルプラから外れない。戦士としての長い経験による癖だろう。姿勢も正しく、動きに無駄がない。

 この男が”砦の牙”のリーダーなのだろうと、ブルー・プラネットは推測する。

 

「ああ、“砦の牙”さんですね。噂は伺っております。この町最高の冒険者であると」

「ははは……私はイハエグリストと申します。こちらはノルンベリア、ともに戦士です」

 

 イハエグリストの隣――紹介された大柄な男が手を挙げて笑顔を向ける。こちらに向けられた掌の皮膚は分厚く、古い傷跡が走っている。イハエグリストが磨かれた剣技で戦うならば、こちらは力で押すタイプか。横に置かれた大きな戦斧もそれを示している。

 

「神官のナエグニーベン、魔法詠唱者のホルスァペス、罠の専門家のミグミーエです」

 

 イハエグリストに紹介され、対面に座っていた男たちは順に手を上げて挨拶をする。酒を飲んで管を巻いている下級の冒険者とは違って、やはり落ち着いたものだ。この町の最上位冒険者と話し合っている最中に余計な茶々を入れてくる者もおらず、静かに話が出来る。

 

「して、ブルプラさん、今日はどのようなご用件で?」

 

 罠の専門家と紹介されたミグミーエ――体も指も細く器用そうな男は、神経質そうな大きな目を動かし、ブルプラの顔を、体を、足元を、興味深げに見つめる。

 

「今、話が聞こえましたが、第6位階以上の魔法に興味をお持ちですかな?」

 

 縮れた顎ひげを蓄え黒いローブに身を包んだ、典型的な魔法詠唱者といった風貌の痩せた男――ホルスァペスが続いた。鋭い視線を送る戦士たちと違い、子供のように無邪気な瞳で、胸元に下げた何かのアイテムをしきりに弄びながら問いかけてくる。

 

「はは……その話は……私たちは旅の薬師ですが、古代の叡智を求めておりまして」

「ほう……古代の叡智……うむ、うむ……それは興味深いですなあ」

 

 ブルプラが笑って答え、ホルスァペスは顎髭をしごきながら肯く。

 

「第6位階より上……四大神や魔神たち、それに竜王や八欲王の遺産をお探しですかな?」

「ええ、そうですね……そのようなものです」

「ううむ、神々の遺産ですか……そういうものは、私たちよりも上の……帝都のアダマンタイト級でなければ詳しいことは分かりませんな」

「ああ、この辺りじゃ聞いたことはねぇなぁ」

 

 ホルスァペスとの会話に、イハエグリストとノルンベリアが首を傾げて口を挟んだ。

 

 どうやらその四大紳とやらが信仰の対象なのだろう。それに魔神や竜王……よく分からない「八欲王」とやらも神話にあるようだとブルー・プラネットは推測する。

 

「そうですな。神々への信仰ならば人後に落ちないつもりですが、叡智となると……」

 

 髪も髭も短く刈りこんだ、人のよさそうな神官、ナエグニーベンが日に焼けた顔をしかめて腕を組む。

 

「ええ、雲をつかむような話であることは分かっています。しかし――」

 

 ブルプラは微笑んで、“砦の牙”に言う。

 

「――その秘術も一部では伝わっていることはご存知でしょう?」

 

 白金級冒険者の5人はそろって頷き、この農民の姿の男――ブルプラの次の言葉を待つ。

 

「私も特殊なポーションの作り方を受け継いでおりまして」

「ほう、特殊なポーションですか。それはどのような?」

 

 身を乗り出したのは、神官のナエグニーベンだ。魔法詠唱者のホルスァペスもアイテムを弄っていた手を止める。他のメンバーも「ポーション」と聞いて真剣な面持ちになった。

 やはり、冒険者たちはこういった話に食いつく――ブルー・プラネットはほくそ笑む。

 

「第2位階相当の治癒に加えて、病気治癒と解毒の効果を併せもつものです」

「複合的な魔法効果をもつポーションですか? それは初めて聞くなあ!」

 

 ホルスァペスが弾んだ声を出し、ナエグニーベンに目を遣る。その視線を受けた神官も、私も聞いたことが無いですね、と首を振った。

 

「それは、今お持ちですか?」

 

 イハエグリストがブルプラの眼を見ながら尋ねた。

 ブルプラは首を振って答える。

 

「昨日、薬師組合でお見せして、とりあえずは使い切ってしまいました」

「薬師組合ですか。ネステリム……薬師の組合長ですが、彼のところで?」

 

 ブルプラは黙って頷き、“砦の牙”に登録証を見せる。

 

「ああ、ネステリムの署名ですね。病気治癒ついては書かれていませんが……それにしても、回復と解毒の複合効果とは凄いな」

 

 登録証を見て男たちが頷き、神官と魔法詠唱者は軽く感嘆の声を漏らす。

 

「はい、組合の……ネステリムさんも驚かれていましたよ。病気治癒については、あいにく未だ証明は頂いていませんが……」

「そんなポーションがあれば、そりゃ便利だが、幾らになるのかい?」

 

 ミグミーエが早口で聞いてくる。

 

「そうですね、金貨30枚ですが、どのように思われますか?」

「安い!」

 

 大声で即断したのは、戦士ノルンベリアだった。

 

「確かに。毒を塗った刃で切られたときに1本で済めば、それは助かりますね」

 

 神官ナエグニーベンも目を瞑って何度も頷く。

 

「回復に解毒、それで病気治癒まで付くなら、金貨50枚くらいが相場じゃないのかなあ?」

 

 魔法詠唱者ホルスァペスは腕を組んで天井を見ながら、しきりに体を揺らして呟く。

 

「ほう、金貨50枚で売れますかね?」

「強い魔物ほど毒や病気をもってるからなあ。傷を負ってふらついたとき、毒か病気か判断せずに傷と一緒に治せるなら、そりゃ取って置きの切り札になる。売れると思うよ」

 

 ブルプラの言葉にホルスァペスが答えると、イハエグリストがその横腹をつついた。

 イハエグリストは笑いながらブルプラに尋ねる。

 

「金貨30枚というのは、ネステリムが言ったのですかな?」

「ええ、3つの効果があるから足してその値段……そんな感じだと」

 

 イハエグリスト達“砦の牙”は顔を見合わせて苦笑する。

 

「やあ、ネスタリムの商売を邪魔しちまったかな? すまないね。あの人は自分でモンスターを討伐したことが無いから、あんたのポーションの価値が分からないんだよ」

「ああ、この辺にはそういったモンスターもいないからな……だが、ブルプラさん、あなたのそのポーションは、危険な敵と出会ったときの命綱となりますから、金貨50枚でも売れるのは確かですよ」

 

 バツが悪そうにノルンベリアが説明し、イハエグリストがそれを補足した。

 

「そう言っていただくと嬉しいですね。いまは準備中ですので、1週間したら完成します」

「おお、完成したら是非見せてください」

 

 これならば買ってくれそうだ――ブルプラはイハエグリストの言葉に微笑んで頷き、ネットを連れて酒場を後にする。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

『イハエグリストさん……あんな農民のことを信じるんですか?』

 

 若い男の声がする。若い冒険者だろう。

 

『人は見かけによらないものだよ。あれはただの農民ではない。もっと……学問を修めた者だ。魔法やポーションについての話は嘘ではないだろう』

 

 イハエグリストが答える声が聞こえ、続いて『うむ』と、ホルスァペスの声もする。

 

『目を見りゃわかるよ。姿勢や歩き方……ありゃ、農民じゃない。彼があの【ブルプラ】だろ。ケラナック村の。高い身分の者がお忍びで来てるって噂もあるぜ』

 

 かん高い早口はミグミーエのものだ。

 

『え? 村で何か?』

『常に耳をそばだてておきなさい。先日、村の疫病をあっという間に治した【ブルプラ】とネットの2人組は、町の神官や薬師の間で噂になっていますよ』

 

 ナエグニーベンが若い男を優しく窘めている。

 

『ほぇー、あの冴えない男が?』

『見かけで判断するな。痛い目を見ることになる』

 

 厳しい声を出したのはノルンベリアだ。

 

 ブルー・プラネットは、昨夜張り巡らせた情報網を使い、酒場の入り口の横に生えている樹を通じて噂話を聞いている。アイテムを通じて【ブルプラ】というキーワードが何度も直接頭に響くことも確認できた。

 

 話を聞きながら、ブルー・プラネットは”砦の牙”の評価を上げる。この町の若い冒険者の教育係も兼ねているらしい。立派なものだ、と。

 そして、村での出来事が予想外に大事になっていることが分かり、少々焦る。

 ケラナック村の村長が薬草の注文を取り消すためにエドレインタールの薬師組合に連絡を送ったのは知っていた。衛兵や薬師組合に名前が伝わっていたのは仕方がない。

 神官たちにも噂が広がっているのは、彼らの治癒魔法を考えれば当然かもしれない。

 しかし、それが冒険者たちの間にまで広まりつつあるということは――

 

――好都合か。

 

 下手に騒がれるのは避けたいが、宣伝して回る手間が省けたわけだ。

 薬師組合の者が何やら企んでいるようだが、ポーションの噂が広まれば下手に手を出してくることも難しくなるだろう。この町における強者らしい“砦の牙”がポーションの完成を待っているなら、ブルプラたちを誘拐して製法を聞き出すといった非合法活動も思いとどまるだろう。

 薬師の服を着てポーションを売り出すまでの安全確保という点で、上手くいった。

 ブルー・プラネットは、そう楽観的にとらえることとする。

 

 それに、万一ポーションが悪目立ちして調査に支障をきたすようになっても、シモベたちを獣に戻して森に放ってしまえば証拠は何も残らない。

 別なシモベを作り出して、次はもっと目立たないようにやるだけだ――

 

――そう考えて、横目でネットを見る。

 果物を齧っていたネットはブルプラの視線に気付き、その場で跪いた。

 広場には何人かの通行人がおり、いきなり跪いたネットを見て怪訝な顔をしてブルプラとネットを見比べる。

 

「いや、いいから。立ち上がれ」

 

 ブルー・プラネットは自分に忠誠を尽くすシモベを見て溜息をつく。

 随分と経験は積んだはずだが、未だに街中での行動には不安がある。

 だが、これを獣に戻して別なシモベを作り出したら、また経験の積みなおしだ。ここまで懐かれれば情も移る。歪んだ忠誠心を与えた後ろめたさはあるが、他の獣まで同じように歪めてしまっていいものかという思いもある。

 

『ペットは責任もって飼いましょう』

 

 狭いアーコロジーの環境を守るため、富裕層向けに生態系研究所が繰り返し主張したことだ。

 シツケ――明日からは<知力向上>で「街中でむやみに跪くな」という知識を与えよう。

 ブルー・プラネットはそんなことを考えながら、ブルプラの身体で果物を齧る。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 そして、1週間が経つ。

 ブルプラたちは仕立て屋に行き、新しい服を手に入れる。ポケットも多く、丈夫な布を使ったしっかりした作りだ。頼みもしないのに、何やら襟や肘、袖口にはヒラヒラした飾りまでついている――何の意味があるのだろう? ズボンも厚手の布で裏打ちされており、簡単に穴が開いたりしなさそうだ。

 試着したシモベたちを見て、仕立て屋の主人は「よくお似合いですよ」と言ってくれたが、なるほど、真っ新なシャツを着こむと何やらシモベ2人が立派な薬師に思えてくる。

 

 「馬子にも衣裳」とはよく言ったものだ――ブルー・プラネットは古い諺を思い出す。

 形から入るのも悪くない。その認識が行動に繋がり、やがて性格となることもある。シモベ達がどこまで自分の姿を認識してくれるか疑問だが、少なくともブルー・プラネットは「薬師」として自信をもってシモベ達を動かせる。そうなれば、シモベたちも薬師としての振る舞いが分かるだろう。

 

 宿に戻り昼食をとりながら今後の予定を考えていると、冒険者組合からの連絡が来た。

 小さく切られた羊皮紙に書かれた報告書ではあったが、それを読めないブルー・プラネットは冒険者組合の使いに内容を読み上げてもらう。

 

『エ・ランテル地下墓地で大規模なアンデッドの発生。魔法詠唱者と剣士の2名が首謀者と推定されるが死亡。銅級冒険者2名で討伐完了。詳細は調査中』

 

 簡単な報告を読み上げた連絡人は「追加情報をご希望ですか?」と質問してくる。

 

「随分と簡単だね」

「ええ、<伝言>では魔力の限界がありますから、どうしても短くなりますね」

 

 ブルー・プラネットは、そんなものか、と納得する。ユグドラシルでは無かった制限だ。

 

 そして、先日の情報を思い出す。エ・ランテルの地下墓地は、この世界で作られたものだった。それに、銅級冒険者2名で片付く案件ならば大した事件でもないのだろう、と。

 

「いや、詳細はいらない。そのメッセージはこちらで保管しておいていいかな?」

 

 ブルプラの言葉に組合の使いは頷いて羊皮紙を渡し、帰っていった。

 

 ブルプラは、羊皮紙の裏に「エ・ランテルでアンデッド大量発生、銅級冒険者2名によって討伐済み」とメモ書きをして、それを鞄に仕舞いこむ。

 モンスターの発生がどの程度の規模で発生し、どの程度の強さの冒険者が、どのように退治したのか――この世界の状況を知るためには必要な情報だ。

 しかし、ポーションが売れておらず金銭的な不安を抱える現状では有料で集めるほどの情報ではない。

 

「何はともあれ、ポーションを売るのが先決だよな」

 

 ブルプラは財布代わりの布袋を指で挟んで振り、呟く。随分と軽くなってしまった。

 新しい衣装で“砦の牙”にポーションを見せ、何とか買い取ってもらう必要がある。この町最高の冒険者がどう判断するか――それによって下級の冒険者たちの態度も変わるだろう。

 

 この一週間、この世界の薬瓶にポーションを作り、使用する実験を繰り返した。

 強力な破壊作用をもつ秘術系ポーションを入れたときは容器が耐えられず1本を無駄にしてしまったが、回復系ポーションならば再利用も可能だ。

 これならば”砦の牙”に売っても問題は無いだろう。

 

 薬師組合を刺激することを避け、今日持っていくポーションは1本のみ。

 あれから薬師組合から何の行動もなく、何を考えているのか不気味だが、今のうちに“砦の牙”にポーションを買い取ってもらえれば、薬師組合は手を出しにくくなるだろう。

 

 そう考えて、ブルー・プラネットは冒険者組合に向かう。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 久しぶりに来た冒険者組合では、やはりカウンターにあの女たちが座っていた。この時間帯はこの女たちが当番なのだろう。

 女たちもブルプラたちに気が付いたようで、その表情が複雑なものに変わる。それは先日の貧しい身なりをした世間知らずの農民が、真新しい服装で「立派な薬師」の姿をしていることへの驚きだった。

 

「こんにちは、ブルプラさま、ネットさま。先ほど使いの者がご報告にあがりましたが……」

「ええ、報告書をいただきました。ありがとうございました。あいにく求めている情報とは少し違いましたが、今後もよろしくお願いします」

 

 受付の女たちの態度は、先日よりも丁寧なものになっている。彼女たちの中でブルプラは『常識しらずのオノボリさん』から『身なりの良い、金払いも良い依頼者』に格上げされたのだろう。

 

「それで、“砦の牙”の皆さんに会いに来たのですが……」

 

 前回ならば、白金級の冒険者に会いたいと言っても笑われただけだろう。オノボリさんが何を言うのかと。だが、今回は受付の女は真面目に応対してくれる。

 

「“砦の牙”は現在、検問所で山岳地帯の調査結果を報告している所です。間もなく戻ってこられると思いますが」

「そうですか。それでは待たせてもらいますね」

 

 ブルプラとネットはカウンターの前のテーブル席につき、彼らを待つ。事前に“砦の牙”の声を探していたのだが、酒場の周辺からは彼らの声が聞こえなかった。それで組合に来たのだが、この広場を出ているのでは仕方がない。冒険者もなかなか忙しい様だ。

 

 やがて、“砦の牙”が戻ってくる。そして、ブルプラたちを認めると微笑んで手を上げ、近寄ってきた。1週間前に1度会っただけだが、顔を覚えてくれていたらしい。ケラナック村の話から、ブルプラを気に掛けてくれていたのだろう。

 

「お久しぶりですね。ブルプラさん、ネットさん。ここ数日、お姿を見かけませんでしたが」

「ええ、新市街地を見学したり、町の周辺に出て薬草を調べていたものですから」

 

 これは事実だ。あまり頻繁に冒険者組合に顔を出していたら、それだけ薬師組合の男たちに見つかる確率も高くなる。森のシェルターに帰って息抜きをしたり――この数日間はあえて広場に来ることを避けていたのだ。

 

「そうですか。それにしても素晴らしいお召し物ですね。見違えましたよ」

 

 イハエグリストは微笑んで言う。お世辞ではないとブルー・プラネットには分かる。

 

「それで、今日は……?」

「はい、ポーションが出来ましたので、“砦の牙”の皆さんに見ていただきたいと」

「おお、治癒と解毒を同時に行ったというポーションですか」

「ええ、こちらがそのポーションです」

 

 ブルプラはカバンから薬瓶を1本取り出して“砦の牙”に見せる。冒険者たちはその透明な緑色のポーションを慎重に手に取り、興味深げに光に透かしたり瓶を振ったりして確かめる。

 

「これは……見たことが無いポーションですが、本当に?」

 

 ナエグニーベンが目を細めて瓶の底に沈殿物が無いかを調べながら疑問を口に出す。

 

「ネステリムが保証してるんだ。間違いはないだろう」

 

 イハエグリストが腕組みして首を縦に振り、断言する。

 

「あいつが言うなら確かだろうね。じゃあ、病気治癒も調べさせてもらえるかな?」

 

 魔法詠唱者ホルスァペスがポーションを受け取って、ブルプラを見る。ブルプラは「調べる」という言葉の意味が良く分からなかったが、特に問題は無いと判断して頷く。

 

「それでは……<付与魔法探知>(ディテクト・エンチャント)……ほう、確かに強い魔力が込められているね。えっと、ドルイド魔法だったかな? 位階までは分からないが……では……」

 

 魔法詠唱者はブルー・プラネットも良く知るユグドラシルの魔法を唱え、何度も頷いて、次の鑑定魔法を唱える。

 

<道具鑑定>(アプレーザル・マジックアイテム)……っと、これはっ!」

 

 魔法詠唱者の声が上ずり、目が大きく見開かれる。

 

「すごいな、これは! 回復、解毒、病気治癒、それに麻痺まで治るじゃないか! これをどうやって?」

 

 ホルスァペスはポーションとブルプラの顔を交互に見やり、興奮を隠さずに大声で叫ぶ。その叫びに、組合に来ていた他の冒険者たちも顔を向けた。

 

「ええ、ドルイドの秘術……としか言えませんが」

「だけど……これをね、アーウィンタールの魔法学院にもって行けば、奴らひっくり返るよ!」

 

 大声で宣伝してくれるのはありがたいが――気圧されるブルプラに、ホルスァペスはなおも詰め寄って唾を飛ばしながら満面の笑みで叫ぶ。

 

「中央の連中の、あの馬鹿どもに、奴らが知らないこともあるってのを突きつけてやらなきゃ!」

 

 子供のように捲し立てるホルスァペスの肩を、後ろから苦笑いしたイハエグリストが掴んで引き戻す。

 

「いい加減にしろよ、ホルス。ブルプラさんが困ってるじゃないか」

 

 イハエグリストはホルスァペスを窘めると、ブルプラに向かって謝罪する。

 

「すまないね。なにせ私たちは『異端の民』だから……中央の連中には思う所もあるのさ」

「中央……とは何かあったのですか?」

 

 ブルプラにはこの世界の事情が良く分からない。だが、なにかこの「異端」という言葉が彼らのコンプレックスになっていることが感じ取れる。

 

「ああ、旅の人には分からないかもしれないが……この一帯は昔は独立王国で、帝国に編入されてからも私たちは田舎者扱いなんだ」

「そうなんですよ……同じ水神を崇拝しているのに、帝国では我々の信仰は異端だとされていまして――」

 

 イハエグリストとナエグニーベンが事情を説明してくれた。

 

「――しかし、私達からすれば、この町には水神の恵みがある。私達はその奇跡の証しの下で生まれ育ってきたのですから、今更信仰を変えろと言われても無理ですよ」

 

 ナエグニーベンは微笑んで、組合の入り口から見える広場の噴水を誇らし気に指し示した。

 イハエグリストは肩をすくめ、軽く首を傾げてブルプラ達の顔を探るように見る。

 

「あなた方も、随分珍しい名前だが……嫌な思いとかしないのかね?」

 

 ブルプラが首を横に振ると、イハエグリストはフッと息を吐き、そして、なおも何か言いたげなホルスァペスに向き直って念を押す。

 

「中央に知らせるのは、私は反対だよ。フールーダが調べに来たらどうするんだ?」

 

 それを聞き、ホルスァペスは冷水を掛けられたように黙り込む。おそらく、中央から強力な者――フールーダとやらは第6位階が使えるという話は聞いている――が視察にやってきて「異端」の魔法詠唱者に圧力をかける可能性に思い当たり、それを恐れたのだろう。

 

 そして、イハエグリストはブルプラに向き直り、提案する。

 

「このポーションは私達で買い取りますよ。それで……申し訳ないが、あまりこれを広めないで欲しいのですが……?」

 

 ブルプラは頷く。頷くしかない。この町の最高位冒険者からの圧力だ。

 ブルー・プラネットからすれば危機感は全く無いが、この町で暮らす上で逆らっても良いことは無いだろうと計算が働く。

 それに、彼らの事情は何となく理解した。強力な中央集権国家において、地方の突出した存在はあまり歓迎されないらしい。

 

「分かってくれて有難い。それでは、金貨50枚で良かったかな?」

 

 イハエグリストは懐から革袋を取り出し、無造作に金貨を掴み出す。そして、60枚を丁寧に机の上に並べて「受け取ってくれ」とブルプラの方に押しやった。

 

「いえ、お気遣いは……そういう事情でしたらここでは売りませんから」

「いや、受け取っておきな。もともと1本金貨50枚でも安すぎだしな」

 

 遠慮するブルプラをみてノルンベリアが豪快に笑い、ブルプラの肩を叩いた。

 組合には何人かの若い冒険者たちもいる。彼らの中には金貨の山に視線を這わせ「ほうっ」と息をもらす者もいた。しかし、その者たちはミグミーエの鋭い視線を受けて顔を背け、何事もなかったかのように振る舞う。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 ブルプラとネットは宿に戻り、ベッドに腰を掛けて休む。彼らシモベたちの表情は暗い。

 彼らの創造主、ブルー・プラネットが頭を抱えているのだ。

 

 当初の計画であった「ポーションを売って金を入手する」という計画は達成されたものの、今後はこれ以上の商売が出来そうにない――失敗したとブルー・プラネットは呻く。

 

『あまりこれを広めないでくれ』

 

 この町の冒険者の頂点である“砦の牙”にそう言われてしまったのだ。

 金貨60枚は当面困らないだけの金額だが、これで今後の調査に十分かというと、今一つ不安が残る。イハエグリスト達にとって数十枚の金貨は大した出費ではないようだったが、つまり、“砦の牙”程度の人材を雇うだけでその程度の出費が必要ということだ。

 

 もっとポーションを作り、その都度“砦の牙”に買い取ってもらうというのも駄目だろう。清廉そうな彼らのことだ。何度も金を集るような行為には厳しく当たってくるに違いない。

 今更、薬師組合に行って病院か何かの伝手を頼むのも無理だ。「製法を教えろ」と言ってくることは間違いないし、病院であれどこであれ新しいポーションが使われるならば、それは“砦の牙”との約束を破ることになる。薬師組合と同時に冒険者組合まで敵に回すことになってしまう。

 

 冒険者にポーションを売ってコネを作る計画は最初の1本で躓いてしまった。さらに、冒険者以外への商売も釘を刺されてしまったのだ。

 

「アーウィンタールならば、問題ないかな?」

 

 この町が辺境で異端信仰だから目をつけられる。辺境の町で得られる情報は限られる一方、帝都ならば「アダマンタイト級」もいて情報があるらしい。ならば、いっそ帝国中央に移って売ったらどうか――この考えは悪くないと思えた。

 手持ちの金貨は60枚以上ある。路銀としては十分だろう――旅の安全のために冒険者を雇うとなったら足りないかもしれないが、この辺の冒険者を雇うくらいなら陰からブルー・プラネットが戦ってシモベを守った方がよほど心強い。

 

 この町の冒険者――“砦の牙”からはポーションの話は広まらないだろう。

 薬師組合の男たちは帝都にそれをもって行く気だったが、現物は入手していない。見ただけだ。

 ケラナック村を救った特殊なポーションの存在は、あくまで噂の域でしかない。

 ならば、「村を救ったポーション」が辺境の噂話に留まっている間に、この町を引き払って帝都に拠点を移した方が良いだろう。

 

(森での暮らしが恋しいよ……)

 

 帝都に移ることの問題は、煩わしい人間関係だ。大都市では自然も少なくなるだろう。

 何だか、どんどん「聖なる森の守護者」という設定から離れている気がする――元々それはユグドラシルの設定を引き摺った勝手な思い込み、ブルー・プラネットの願望だったのかもしれないが。

 ブルー・プラネットは首を振る。ナザリックを探し出し、自分が自分であったことを確認すると決めたら、それに向かって頑張るしかない。

 

 覚悟を決めて、ブルプラは再び冒険者組合に向かう。

 明日、この町を発って帝都アーウィンタールに向かう――そう告げて、今後の調査結果の報告を帝都の冒険者組合に引き継ぐ手続きをするために。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 夕暮れ時、ブルプラたちは明日の旅立ちに備えて準備をしていた。

 ポーションが売れたおかげで様々なアイテムを購入する余裕も出来た。旅は楽になるはずだ。

 

 荷物をカバンや手提げに詰めていると、宿の主人がドアをノックし、来客を告げる。

 誰かと訝りながらドアを開けると、宿の主人と共に3人の衛兵が立っていた。

 明日の出立前に薬師組合に顔を出してほしいと組合長から依頼があったことを衛兵が告げる。

 

「何かあったのですか?」

 

 ブルプラが訊くと、衛兵たちも首を傾げて答える。

 

「いえ、特に何かの嫌疑が掛かっているわけではないそうなのですが」

「組合長が『ぜひ』というものですから……お願いできますか?」

 

 呼び出される理由は不明だが、断ることは出来ないようだ。

 これが半ば強制的な要請であることは、衛兵たちの申し訳なさそうな、こわばった表情から読み取れる。宿の主人は先に「関わりたくない」というように下の階に降りてしまった。

 

「お断りするわけには、いかないのでしょうね……」

「ええ、その場合、ちょっと難しいことになります……」

 

 衛兵たちは室内に置かれた旅の荷物に視線を送る。言い辛そうに声を低め、しかし、任務であればそれを遂行すると、彼らの生真面目な顔が語っている。

 

「分かりました。では、明日の朝、9時に薬師組合に伺いますとお伝えください」

 

 やむを得ず、ブルプラはそう衛兵たちに告げる。何が起きたのかを訝りながらも、それは明日聞いてみるしかない。

 衛兵たちは下の階に降り、宿の主人に状況を伝える。そして、衛兵3人のうち1人は連絡に戻り、あとの2人が宿の1階でテーブルに着き、食事を始めた。

 おそらく、彼らはここで夜を徹してブルプラたちを見張るのだろう。

 




ネスタ第二形態(村とは別人)


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第16話 破滅 【殺害注意】

早く次の町に行きたいのに足止め食らった!
(ブルー・プラネット、心の叫び)


 薬師組合からの呼び出しを了承したものの、ブルー・プラネットは困惑する。

 

 彼らはどうやって我々が明日出立することを知ったのか?

 出立を伝えたのは冒険者組合だけだ。そこから薬師組合に連絡が行ったのだろうが、広場の樹からは「ブルプラ」のキーワードは入らなかった。組合間で直接のやり取りがあったとは考えにくい。

 

(それにしても、衛兵まで動かすとは……)

 

 ブルー・プラネットは、薬師組合の男たちを軽く見過ぎていたと反省する。そして、組合の裏側の樹に転移し、周辺に人がいないことを確認して、先日と同じように組合の内部の声を拾おうとした。

 だが、すでに時間外で薬師組合は閉まっており、誰も居なかった。

 ならば、明日、直接話を聞くしかなさそうだ、とブルー・プラネットは諦めて宿に戻る。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 そして、翌日の朝。

 薬師組合の2階に通されたブルプラとネットは、円卓についた年配の男たち――薬師組合の男2人に加え、見知らぬ男が2人――の視線を浴びる。

 

「おはよう、ブルプラ君、それにネット君。まずは席についてくれたまえ」

「おはようございます。お待たせしてしまったようですね」

「いや、ちょうど皆揃ったところだ。ささ、席に」

 

 組合長に促されるまま円卓についたブルプラたちに、組合長は笑顔で2人の男を紹介する。

 

「こちらは副都市長のアマス・ボルングールさん、そして衛兵長のガルブ・アングハーンさんだ。都市監督官のラザヌール卿はあいにく帝都に戻っていらしてね。今日はこの町の代表として御二方に同席を願ったのだよ」

 

 紹介を受けて、副都市長と衛兵長の2人はブルプラたちに挨拶をする。彼らも特に何かの思惑があるようでは無く、自分たちがなぜ呼ばれたのか、と言いたげな表情を浮かべている。

 

「えー、皆さんにお越しいただいたのは、こちらのブルプラ君のもつポーションについて話を聞いていただきたいからです」

「ふむ、こちらの……ブルプラさんのポーションかね? なにかそれが問題でも?」

 

 話を受けて、ボルングール副都市長はネステリム薬師組合長に質問をする。

 

「ええ、問題というか、副都市長と衛士長にご判断をいただきたいのです」

 

 副都市長は首を傾け、手ぶりで先を促す。

 組合長が頷いて話を続ける。今度はブルプラの方を向いて。

 

「君たちのポーションは……ドルイド魔法で作成したポーションだったね?」

 

 質問の意図を測りかね、ブルプラは無言で頷く。ドルイドの秘術と説明したはずだが、それがドルイド魔法とどう違うのか良く分からないし、「秘術」といっても植物系モンスターである自分の身体から抽出したものだ。

 そして、薬師組合長はブルー・プラネットのポーションを取り出し、机の上に置く。

 

「このポーションは臭いや色から見て植物性のものに間違いはない。だが――」

 

 組合長は一息ついて他の者たちを見まわすと、ブルプラに視線を固定し、声の調子を一段落として続ける。

 

「――このポーションは我が薬師組合で治癒と解毒の効果が確認されました。“砦の牙”の鑑定でも治癒と解毒、そして病気治癒に麻痺解除の4つの効果があると報告を受けています」

 

 ああそうか――薬師組合長たちは“砦の牙”から話を聞き、ポーションを入手したのか、とブルー・プラネットは理解する。

 ブルプラの出立も、冒険者組合から“砦の牙”に伝わり、そこから薬師組合まで伝わったのだろう――“砦の牙”の思惑と外れて大袈裟な話になってしまったが。

 

「なるほど、しかし、それは薬草を混合したものならばあり得るのでは?」

 

 アングハーン衛兵長が要領を得ないという顔で質問した。

 その質問を受けて、副組合長が説明する。

 

「はい、薬草を混合して複数の効果を持たせるのは一般的な手法です。しかし、その場合得られたポーションは効果が出るのに時間がかかります。ところが、ブルプラ君のポーションは即座に効果が出るのですよ。純粋に錬金溶液と魔法で作ったものと同等に!」

 

 同席していた役人たちから初めて驚きの声が上がった。

 

「いや、アセラスレインさん、それは本当ですか? 複数の効果をもつ即効性のポーションなど聞いたことが……いや、昔、竜王を封印した十三英雄がその血から万能薬を作ったという話はあるが、それは伝説に過ぎないでしょう?」

 

 衛兵長が驚いた声で副組合長に問う。そして、組合長が大げさに腕を広げて答える。

 

「ええ、私達も長年ポーションを見てきましたが、このようなものは初めてです。しかも、ブルプラ君は錬金溶液のポーションを知らなかった……そうだね?」

 

 問い詰められ、ブルプラは肯くしかない。ユグドラシルの原料とは違い、この世界の錬金溶液については知らないのだから。仮に否定しても、それでは錬金溶液について説明せよと言われたら余計に立場が悪くなる。

 

「君たちは、今は薬師らしい姿をしているが、薬師としての教育は受けていない。ドルイドとして、我々の知らない術でこの未知のポーションを作り出した」

 

 薬師組合長の熱弁は続いたが、そこで副都市長から手が挙げられる。

 

「待ってくれたまえ、ネステリム君。言いたいことは分かった。薬師ではないのに未知のポーションを売ったのだ、と。だが、効果は確認されているのだろう?」

 

 その言葉を聞き、ブルプラは用意していた登録証を机の上に広げる。

 

「ええ、そうです。先日、私は組合長たちの目の前で効果を示し、それでこれをいただきました」

 

 薬師組合長と副組合長が苦い顔をしてブルプラを睨みつける。

 

「ふむ、ならば特に問題は無いように思えるが……効果が無い物を売りつけるなら問題だが、薬師の教育を受けた者しかポーションを売ってはならぬという法も無いしな」

 

 衛兵長が腕を組み、肯きながら言う。

 

「それに、ブルプラ君はケラナック村を助けてくれたのだろう? 素晴らしいことじゃないか?」

「ほう、ケラナック村のことは小耳にはさんだだけだが……それもブルプラ君たちが? うむ、素晴らしいな」

 

 衛兵長と副都市長はブルプラ(こちら)側だ――人助けをしてよかったとブルー・プラネットは思う。

 だが、薬師組合長はニヤリと笑みを浮かべて言葉を続けた。

 

「ええ、そうなのですよ。素晴らしいことです。……ボルングールさん、私は別にブルプラ君を非難したいのではありません。ただ、彼の素晴らしい技術をぜひ我々にも教えていただきたいと」

 

 その言葉に、副都市長と衛兵長は深く頷く。

 

「それで、どうだろう? 私達はぜひ君に教えを請いたいのだが。もちろん秘密は守るし、報酬も……相応しい役職も用意できるよ」

「申し訳ございません。このポーションの製法は……その、秘密ですので」

 

 ブルプラは拒否するしかない。自分の正体を明かしたら社会生活が危うくなる。

 

「それは分かっている。だが、考えてくれたまえ。君のポーションでどれだけの人が救えるか」

「うむ、ブルプラ君、私からもお願いしたい。私も元冒険者でね。そんなに便利なポーションが出来るのなら、その価値は計り知れん」

 

 薬師組合長の言葉に、衛士長が同調した。副都市長も興味深そうにウンウンと頷いている。

 

「そう、君はケラナック村でこのポーションを大量に用意したというじゃないか。なぜだね? なぜそんなことが出来るんだね?」

 

 副組合長が追撃する――人助けなんてするんじゃなかったとブルー・プラネットは思う。

 

「それは……先祖伝来の秘伝がありまして」

「その先祖とは? まさかとは思うが、昔の邪法によるものかね?」

 

 組合長の「昔の邪法」という言葉を聞き、副都市長と衛兵長の表情が変わった。お互いに目配せして、ブルプラに向けられる視線には鋭いものが混じる。

 

「い、いえ、そんなことはありませんが」

「そうだろうとも。私は君のことを信じているよ。これは正しい手法で作られたモノだろう?」

 

 組合長が優しい声で、円卓に胸を擦りつけんばかりに身をかがめて、下から視線を送ってくる。

 

「そうですな……昔の邪法によるものなら……私としても見逃すわけにはいきません」

 

 衛兵長は首を横に振り、副都市長も然りと頷く。

 邪法を伝える者――過去に粛清された貴族の関係者がこの都市に現れたならば、現皇帝の追及は苛酷なものとなるだろう。それはこの都市自体の存続を危うくさせることは間違いない。

 

「だからこそ! 君のためにも製法を公開することが良いと心配してるのだよ!」

 

 ネスタリム薬師組合長は腕を広げて熱弁する。

 副都市長と衛兵長は、そんな組合長にも鋭い視線を向けた。

 

 副都市長や衛兵長を同席させたのはこのためか、とブルー・プラネットは理解する。

 やられた――なんとか切り抜けようと思案するブルー・プラネットの脳裏に閃きが走った。

 

「分かりました……私たちの技術は、先祖が古文書や遺跡を研究して発見したと言われています」

 

 溜息とともに、ブルプラは説明を始める。組合長に降参したような口ぶりで。

 

「ほう、やはり十三英雄の時代の?」

「いえ、そこまでは……ただし、古い時代の技術であることは確かでして――」

 

 周囲が頷いたことを確認し、ブルプラは言葉を続ける。

 

「――それで、私たちも新たな知識を得るべく、旅をしているわけです」

「うむぅ……昔の邪法によって作られたものではないならば、問題はない……のか」

 

 周囲から、誰ともなしに呻く声が聞こえる。

 確かに、遥か過去には優れたポーション技術があったという伝説がある。遺跡から強力なアイテムが発見されたという事例もある。一方で、過去に粛清された貴族が邪法を試していたという記録はあるが、それによって新しいポーションを発見したという記録は残っていない。

 特殊なポーションの製法を遺跡から発見したという方が、邪法によるという話より説得力がある。

 

 その場の雰囲気が少し和らいだのをみて、ブルプラは説明を続ける。

 

「それで、この周辺に遺跡があれば……と思ってこの地方に来たのですが」

「うん? いや、この地方にそのような遺跡があるとは聞かんな」

 

 副都市長が首を傾げる。

 

「ええ、そうらしいです……ですから、私たちはまた旅を続けようと思っていたところです」

 

 ブルプラの説明に一同は肯く。しかし、薬師組合長は追及を続ける。

 

「なるほど、知識の出所は分かった。しかし、材料は? 知識だけではモノは作れんよ?」

「普通の……薬草ですよ。ただ、混ぜたり加熱したりするのに秘伝がありまして」

 

 この世界の薬草の種類を知らない以上、「普通の」という言葉を使う。ユグドラシルのアイテムなら腐るほど知っているが、それがこの世界に生えているかというと、森の植生を思い出すに自信は無い。

 

「ほう、混ぜたり加熱したり、と……? だが、それだけではないだろう? この溶液には強い魔力も含まれている。ドルイドの魔法かね? それとも材料に秘密が?」

「ええ……魔法植物のエキスも使っています。それが技術のカギです」

 

 魔法と答えたら「では見せてくれ」となるだろう。特殊な材料で見せられないとするべきだ。それに「魔法植物のエキス」というのは全くのウソでもない。

――ブルー・プラネットは魔法詠唱者に鑑定を許した迂闊さを呪ったが、今更仕方がない。

 

「おお、魔法植物か! 13英雄の伝説では竜王の血という話だが」

「数十年前にも、封印された竜王の一部から……という噂を聞いたことはありますよ」

 

 衛兵長の話に副組合長が補足する。それ幸いとブルプラはその話に乗る。

 

「さすがに竜の血は無理ですからね。特殊な魔法植物を刈り取って……」

「特殊な魔法植物!?」

「……森の奥で見つかるものですけど」

 

 ブルプラの説明が苦しくなっていく。原料が特殊だという言い訳は良さそうに思えたが、詳しい設定までは考えていない。

 

「どんな植物だね?」

「ええと、そうですね……例えばこんな植物です」

 

 薬師組合長の言葉に応えて、ブルプラは胸に掛けられた首輪を見せる。ブルー・プラネットのスキルで作られた「幸運の首輪」を。

 

「おお、これがその原料かね。ちょっと見せてもらってよいかね?」

 

 ようやく目当ての物を探り当てた薬師組合長が、満面の笑みでブルプラの首輪に手を伸ばす。

 

「ええ、構いませんよ……」

 

 ブルプラは胸から首輪を外して組合長に手渡した。

 組合長は副都市長や衛兵長と目を合わせ、首輪を円卓の上に置き、その上に手をかざす。

 

<付与魔法探知>(ディテクト・エンチャント)

 

 組合長が魔法を唱えるのを聞き、ブルー・プラネットは「お前もかい!」と心の内でツッコミを入れる。先日自分で鑑定しなかったのはなぜなのかと。

 ブルプラの内心の叫びを無視し、組合長は歓喜の声を上げる。

 

「おお、確かに魔法植物だ。だが、こんな植物は見たことが無い」

「これはポーションの原料にはならないのですが、他の……何種類かの魔法植物を使います」

 

 ブルプラはそそくさと首輪を回収する。特に首輪が惜しいわけではないが、それを煮てもポーションが出来るわけではない。何故ウソをついたのかと事態は悪化するだろう。

 

「では、ポーションの原料になるものを見せてくれるかね?」

「今、手元にはないのですが」

「そうか、では、次回の採集には連れて行ってほしいものだ」

「この周辺では……ちょっと採集が難しいのですが」

「だが、君たちは最近も“砦の牙”のために新しくポーションを作ったのだろう?」

 

 詰んだ――事実を突きつけられ、ついにブルー・プラネットは言うべき言葉を見失う。

 

「よし、決まりだな。魔法植物の採集に危険はあるかね?」

「この周辺にはそのような魔法植物は自生していなかったと思うが……」

 

 組合長ネステリム、副組合長アセラスレインが魔法植物について質問してくる。

 ブルプラ――ブルー・プラネットは仕方なく、その場しのぎの作り話で答える。

 

「ええ……自然のものではなく、森で召喚します。危険な魔物なので、ドルイドの儀式で……その、眠らせてですね」

 

 儀式による魔物の召喚――それを聞き、副都市長や衛兵長の顔が再び顰められる。

 

「ふむ、植物系の魔物か。ならば冒険者を付けよう。出来れば捕獲してみたいものだな」

「……それは非常に危険なのですが」

「どんな魔物だね? 難度はどの位かね?」

「難度は分かりませんが、ともかく……そう、トレントってご存知ですか?」

「おお、トレントかね。ならば……」

「いえ、ただのトレントではなく、邪悪な変異種で……」

「ええぃ、話では分からんな。ともかく見てみないことには……材料の残りはないのかね? 切れ端くらい残っているだろう?」

 

 副都市長と衛兵長は呆れた顔でブルプラと組合長、副組合長の言い合いを眺めている。

 

「ネスタリムさんも、アセラスレインさんも、ちょっと落ち着いて……」

「ブルプラさんも……私としては、危険な魔物を召喚するのは避けてほしいのだが」

 

 副都市長と衛兵長は穏便な方向に収めるつもりらしい。2人の立場を考えれば当然だが。

 

「分かりました。それでは原料の残りを組合で確認するということで今日の所は……」

「う、うむ。分かった。では、原料の残りを見せてもらうということで……」

 

 ブルプラが何とか幕引きに持っていき、それに組合長たちも同意する。

 結果――ポーションの原料を薬師組合に見せ、その上で魔法植物の捕獲の可否を考えることで決着した。

 薬師達は副都市長と衛兵長に礼を言い、ブルプラは滞在の延長を約束させられて会合は終わる。

 薬師達はブルプラに警告する。原料も見せずに無断でこの町を去ったら“砦の牙”に追跡を頼む、と。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 宿に戻ったブルー・プラネットは「魔法植物のサンプル」の入手を考える。

 面倒な会議を切り抜けるための方便だったが、約束してしまった。自分だけなら簡単に逃げられるが、2人のシモベを連れて追跡者を撒くのは面倒だ。

 

 身近に入手できる魔法植物と言ったら、それは自分の身体だ。他の回復系スキルをもつ植物系モンスターを召還することも考えたが、どうも自分に忠誠を捧げる相手の身体を使うのは気が引ける。それに、問題のポーションを分泌したのは自分なのだから、責任は自分にある。

 

 枝の先端を伸ばして治癒のポーションを分泌する瞬間、ナイフで切り取ることにした。

 その案を告げるとシモベは泣いて止めたが、これは必要なことなのだと言い含めてようやく納得させる。

 

 まずはナイフの調達だ。商店街を歩いてナイフを探す。特に、ドルイドに相応しい、非金属製のものを。そして見つかったのが火打石でできたナイフだ。刃渡り10センチほどで、透明感のある灰色の刃は形こそ歪だが、良く磨かれていて十分に鋭い。

 

 これを持ち帰って試してみる。

 左手の小枝を折り曲げ、そこに右手で持ったナイフを添える。そして――

 

 パシッ

 

 刃を枝に食い込ませようと力を込めた瞬間、硬い音が響き、ナイフが砕け散る。

 以前、大木を殴りつけても何の痛痒も感じなかった自分の肉体に再び驚かされる。

 自分の心の奥底を探り、自分の肉体を支えるスキル……「上位物理無効III」と「武器破壊V」が効いていることを確認し、それらを意識によって停止する――気持ちを切り替えてリラックスするような感覚だが、心の奥で何かが「カチリ」と切り替わったことを実感する。

 

 そしてナイフに<修復(リペア)>を掛けて修復し、再度チャレンジする。

 

 スキルを切った効果はあったようだ。今度は刃は折れずに、枝の先に食い込む。

 しかし、刃をどけてみると傷一つない。ゴリゴリと切り付けると、金属を擦り合わせるような硬質な音が響く。

 

(そういえば、俺の身体は「生ける鋼」だしな)

 

 ブルー・プラネットが修めるドルイド職は金属製の鎧を身に着けない。そこでブルー・プラネットは身体自身を鎧とするために材質を設定し、硬度を上げている。そして、その設定は「スキル」ではなく「設定」なので変更が効かないのだ。

 

 金属並みの硬度を持つ肉体に負けないよう、ナイフの質を向上する。

 

 ナイフにドルイド魔法<金剛石の祝福>(タッチ・オブ・アダマンタイト)を掛けると刃身が灰色から青黒く変わり、枝先で弾いてみるとキンと澄んだ高い音を立てる。さらに、魔法的強化を加えるために<破壊の精髄>(エッセンス・オブ・ディストラクション)を作り出してナイフに振りかける。火打石では材質がポーションに耐えられないが、アダマンタイト製であればもつはずだ。

 

 黒く滑るポーションが刃の表面を覆い、無数の小さな稲妻に変わってチリチリと音を立てる。

 金属製品を使えない自分(ドルイド)に代わり、ネットに命じて枝にナイフを振り下ろさせる。

 

――成功だ。

 枝の半分ほどに切れ込みが入る。そして、この世界に来てから初めて感じる、まともな痛みがブルー・プラネットの顔を歪ませる。シモベたちが、とくにナイフを持つネットが心配そうに見上げた。

 ブルー・プラネットが促し、ネットは再び切りつける。枝は完全に切り離された。

 

「おー、採れた採れた」

 

 ブルー・プラネットは切り離された小枝を眺める。そして、痛む指先――枝先――を見つめる。

 一滴の血も出ておらず、切り口はまさに植物のそれだ。

 切り傷を癒そうと、自分の体に<常緑の癒し>(エバーグリーン・ヒール)を掛ける。

 

 痛みが消え、枝の先端が復活する。

 同時に、切り離された小枝も消える。

 

「意味ないやろっ!」

 

 指一本を切り落とした努力が無駄になった――思わず癇癪を起してブルー・プラネットは叫ぶ。

 その叫びにシモベたちは蒼ざめ、ひれ伏し、ブルー・プラネットは彼らの気を取り直させるために気付けのポーションを注入する。

 そして、しばし考え込み、再びネットに命じて小枝を切り取らせる。

 

 夜を待ち、霧となって窓を抜け、ブルー・プラネットは外の樹々を転移して町を出る。

 町の外には草原が広がっており、地面の所々から石が顔をのぞかせている。

 そこに生えている樹から出現したブルー・プラネットは、切り取られた小枝を石の上に乗せて上から殴りつける。

 

 バンッと大きな音が響き、土台の石が砕け散る。何度も石を替え叩くが、その都度石が砕ける。

 

(完全に叩き潰してしまえば元に戻らないんじゃないかと思ったが……丈夫すぎるのも困るな)

 

 小枝は表面の薄い表皮がわずかにこそげ落ちただけで原形を未だに保っている。それを摘み上げてしげしげと眺めたブルー・プラネットは、不意に笑い出した。

 

(なんだ、消えるんならそれでいいやん)

 

そして、「再生」(リジェネレーション)のスキルを止め、「痛み止め」のポーションを自分に注入すると、再び宿に戻っていった。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 翌日、夕方になり薬師組合が閉まる直前になって、ブルプラとネットは組合に現れた。

 

 ネステリム組合長とアセラスレイン副組合長は突然の訪問に驚くが、「例のポーションの原料の一部です」という言葉とともに差し出された見慣れぬ植物の切れ端――トレントとも違う奇妙な蔦状の物体――を満面の笑みで受け取る。

 そして、ブルプラたちとともに2階に上がり、魔法で鑑定する。効果は分からないが、確かに強い魔力を帯びていると認定された。

 彼らのナイフでは枝を削り取ることが出来なかったので、切り口をそのまま口に含む――あの緑色のポーションと同じ苦みがネスタリムの舌を痺れさせた。

 

 間違いない。これがあのポーションの原料だ――そう確信して頷いた2人は、ブルプラの言葉に仰天する。

 

「次の採集ですが、明日の朝、日が昇る前に森で儀式を行おうと思います」

「ま、待ってくれ。さすがに明日では冒険者の準備ができん」

「しかし、明日を逃すと、今度は月の巡りからまた何ヶ月も待たなくてはならないのです。捕獲の可否の検討は、次回で良いのではないですか?」

「それは、いつになる?」

「星の巡りを計算しないと分かりませんね。では、儀式の準備もありますので」

 

 ブルプラとネットは礼をして退出する。

 2人のシモベたちが去った後、薬師組合の会議室の窓から組合長たちの慌てた会話が漏れる。

 

『明日だと!? 今から冒険者組合に行って間に合うか?』

『無理だろ。トレント変異種の捕獲だろ? こんな枝1つで難度は分からん。依頼しようがない』

『では、どうする? 次って、いつになるか分からんぞ?』

『明日ってのは、俺たちに儀式を見せないためのハッタリだろ』

『ああ……だが、それを言っても仕方がない。明日、奴らが原料を採ってポーションを作れば、当分は儀式を見る機会もなくなるぞ』

『じゃあ……やはり明朝奴らを追うしかないか』

『では、また“砦の牙”に頼むか……』

『ああ、今度は俺も付き合うよ』

『ありがたいな。じゃあ、飯時にうちに来てくれ』

 

 なるほど――外で話を聞いていたブルー・プラネットはほくそ笑む。

 薬師組合長は“砦の牙”との個人的な繋がりがあり、それを使うらしい。個人的な依頼であるなら実に好都合だ。冒険者組合の手助けは今後も必要になるだろうから揉め事は起こしたくない。

 

 そして、深夜3時ごろにブルプラとネットは宿の主人に金貨2枚を担保として魔法のランタンを借り、宿を出る。

 薬師達の話から、宿に“砦の牙”が同行を求めて来るかと予想していたが、彼らは来なかった。

 シモベ2人は「旧砦」を迂回して山岳地帯に向かい、森に入る。

 

 森の奥深くに踏み入れてから小一時間経った頃、ブルプラとネットはやや開けた場所で荷物を下ろし、誰も居ない空間に向かってランタンを向け、声をかける。

 

「皆さん、姿を現して構いませんよ。居るのは分かっていますから」

 

 ブルプラの視線の先――やや間をおいて空間が揺らめき、“砦の牙”の5人が姿を現す。

 

「どうやって分かったのですか?」

「透明看破のポーションを飲んでますから。それに、樹の陰に隠れても<静寂>(サイレンス)では臭いを消せませんからね」

 

 イハエグリストがにこやかに質問し、ブルプラも微笑んで答える。

 

「へー、さすがはドルイドだね。魔法に詳しいんだ?」

「鼻もいいんだな。大したもんだよ」

 

 魔法詠唱者ホルスァペスが感心したように言い、盗賊――ミグミーエは「罠の専門家」という呼び名を好む――も褒めつつ、不満げに隣の大男、ノルンベリアを睨む。

 

「なあ、俺か? 俺が臭うのか?」

 

 ミグミーエの視線を受けたノルンベリアの問いかけに、ブルプラは首を横に振る。

 

「いえ……森の中では私を誤魔化すことなど、誰にも出来ないですよ」

 

 冴えない風体の薬師の嘲りに、それまで軽口を叩いていた白金級の冒険者“砦の牙”を覆う空気が険しくなった。

 

「それで、魔法植物の召喚儀式はまだなのかね?」

 

 イハエグリストが低い声でブルプラ達に問いかける。

 

「ええ……もともと原料採集はしないつもりです」

「ん? どういうことかね?」

「だって、原料を採集したら次は『作って見せろ』というでしょう? 申し訳ないけれど、それはお見せできないんですよ。でも、それでは、薬師組合のあの2人は私たちを離さない」

「んん、まあ、そうだねえ」

 

 ナエグニーベンが困ったものだと言いたげに頭を掻く。

 

「あなた達が忍んで来たのも、あわよくば『ドルイドの秘儀』を盗み見るためでしょう?」

「はっはっは――」

 

 イハエグリストが大声で笑い、髪を後ろに撫でつける。

 

「――いかにも、いかにもその通り。そうなんだよ。……で、見せてはくれないのかね?」

「申し訳ありませんが、ね。それに、魔法植物を召喚したら、私たちを殺すつもりでしょう?」

「それは君、考え過ぎ――」

「いえ、魔法で分かりますから。私たちは召喚失敗で死に、原料の魔物を同行した冒険者が捕らえた、とするつもりですね?」

 

 心を見透かすようにブルプラが問いかけ……そして頷く。

 イハエグリストは苦笑して肩をすくめて答えた。

 

「ああ、魔法か……次にドルイドと戦うときは気を付けるよ。うん、そうなんだ。君たちのことは気の毒だとは思ってるよ」

「しかし、あなたたちは私たちのポーションを広めないで欲しいと……」

 

 ブルプラは先日の会話を思い出し、イハエグリストに質問した。

 

「そりゃ、何も知らない余所者がとんでもないポーションばら撒くのは反対しますよ」

「その点、ネスタリムなら世渡り上手だからな」

 

 イハエグリストに代わり、後ろからナエグニーベンとミグミーエが説明する。

 

「……皆さん、ネステリムさんとは仲がよろしいのですね?」

「ガキの頃からの付き合いだからな。それで、そこまで分かっていて、どうしてここまで?」

「そうだよ。魔法を見破れるなら、せめて人通りの多い所で逃げりゃいいのにさ。わざわざ山の中まで……」

 

 “砦の牙”の問いに、ブルプラは冷たい目をした微笑みで返す。

 その表情の意味を察した“砦の牙”は剣を抜き、身構える。

 こいつらは最初から俺たちを殺すつもりで深夜の山中に誘い込んだのだ――そう理解して。

 

 目の前にいるのは武器を持たないただの薬師2人。しかし、すでにポーションやドルイド魔法で何らかの強化しているはず……迂闊に踏み込むのは危険。

 罠……ミグミーエが確認済みだ。

 魔法……ホルスァペスが<静寂>の準備に入っている。

 警戒すべきは未知のポーション……何か瓶を取り出したら優先的にその行使を防ぐ。投げつけて来たら回避する。

――ブルプラとネットを見据え、“砦の牙”が戦力を分析する。

 

 ホルスァペスが<静寂>を唱え、ミグミーエが催涙粉の布袋を投げようと構えたその時――

 その腕を後ろから掴まれ、盗賊は叫ぶ。同時に横にいた神官も。

 間をおかず、魔法詠唱者と前衛の戦士2人も――“砦の牙”は突然空中に吊り上げられた。

 “砦の牙”たちは自分の身を絡めとり空中に持ち上げたものの正体を見極めようと身をよじる。

 

 いつの間にか、彼らの背後には樹の化け物が立っていた。

 ブルプラが掲げるランタンの光を受けて闇夜に浮かび上がる樹の化け物は“砦の牙”が初めて見る種類の魔物だ。まるで人間の目のように2つ並んだ穴、そしてその下の口のような亀裂に炎を宿した樹の化け物は、胴部から伸びる無数の蔦でこの町最強の冒険者たち“砦の牙”の両腕を絡めとり、持ち上げている。

 

「うぐっ!」

 

 樹の化け物の腕から伸びる蔦の1本が体に刺さり、そこから注入される冷たい液の感触にホルスァペスが呻いた。

 

「<伝言>を飛ばされると面倒だからね。魔法は封じたよ」

 

 軋むようなその声を聞き、ホルスァペスは慌てて魔法を唱えようとする。

 

「<フぁイやーボーる>……な、なんで? <ふァイやーぼール>……くそっ!」

 

 声は出る。声は出るが、魔法の詠唱にならない。ホルスァペスは体内の魔力の流れに乱れを感じる。

 

「こ、こんなことが!?」

 

 魔法を封じる、魔法詠唱者の天敵のような魔物はいくつか知られている。だが、それらは<静寂>などによって詠唱をかき消すものが多く、詠唱者の体内の魔力をかき乱して魔法行使を不可能にする魔物など、ホルスァペスは聞いたことが無かった。

 そして、彼はもう一つの恐るべき事実に気が付く。

 敵からの声が聞こえた――<静寂>は抵抗された。魔法戦では今の自分たちは一方的に不利だ。

 

「これか! これが貴様の召還した化け物か!」

 

 イハエグリストが叫び、ブルプラとネットを睨みつける。

 絡みつく蔦を振り払って何とか剣を振るおうともがくが、その蔦は見た目と反して鋼鉄のように固く、全身の力を使ってもびくともしない――ただのトレントではない。

 怪力自慢のノルンべリアも腕を締め上げられて斧を取り落とした。

 

 イハエグリストは咄嗟に自由な手首を使って愛用の刺突剣を逆手に持ち替える。

 ランタンの光を反射して剣が半円の軌跡を描き、腕に絡んだ蔦に突き立てられた。

 

 パシッ

 

 蔦に切っ先を食いこませた瞬間、イハエグリストの剣は軽い音と共に弾け飛び、破片がパラパラと地面に落ちる。

 

「逆だよ。私がこの2人を召還したんだ……というか、創造したんだ」

 

 イハエグリストの攻撃をまるで気にせず、樹の魔物が裂けた口から言葉を発する。

 その言葉を聞いてブルプラとネットは跪き――“砦の牙”は魔物を見上げる2人の表情に場違いな悦びが満ちているのを見た。

 

 今や完全に蔦に絡みつかれ、手首まで自由を奪われた“砦の牙”は絶句する。

 この樹の魔物には知性がある。そして、目の前の薬師たち――この数日間、接してきた者たちは魔物に創造された存在だという。

 

「お、お前は……」

「ああ、説明は面倒なので勘弁してくれ。逆に、私が幾つか質問する。早く終わらせよう」

 

 邪悪な表情を浮かべた樹の冷たい声を聞き、ミグミーエは呻き、体を激しく捩った。

 

「君は、まあ、いらないかな?」

 

 樹の魔物が<苦悶の茨>(ソーン・ヴァイン)を唱えると、ミグミーエの身体から幾つもの巨大な剣が飛び出す。胸を切り裂き、背中を貫き、頭蓋を突き破って。

 彼の体に巻き付いた蔦から剣の様な棘が無数に出現し、それが彼の身を貫いたのだ。

 一瞬激しく痙攣した後に動かなくなったミグミーエの身体から蔦が離れ、彼の身体が地面にどさりと落ちる。その身体に開いた幾つもの穴から血が静かに流れ出て緑の大地を赤く濡らした。

 

 柔らかいな――そんな感想を抱きつつ、ブルー・プラネットは“砦の牙”の残りに視線を戻す。

 

「それで、質問だが……まず君たちは『ユグドラシル』というものを知らないか?」

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 一通りの質問が終わり、ブルー・プラネットは頭を抱えた。

 やはり、この世界はユグドラシルを知らない。そして、“砦の牙”にはプレイヤーでもなくNPCとして作られたという自覚も無い。彼らは彼らの人生を語り、命乞いをした。

 

 皆、この町で生まれ育った、幼き頃からの友であったこと。

 長じてお互いの道を決め、ある者は都会に学問を修めに、ある者は兵として剣の才能を認められ、各々がその才能を伸ばすために必死で研鑽を積み重ねたこと。

 そして才能の限界や辺境出身という社会の枠に打ちひしがれ、故郷の英雄の道を選んだ経緯。

――すべてがブルー・プラネットの想像する「人生」を超えていた。妄想でも設定でもなく。

 

 ブルー・プラネットは沈黙を破り、彼らに語る。

 

「分かった。お前たちは『生きている』のだな……だが、お前たちを逃がすわけにはいかんな……」

 

 せめて苦痛のない死を、とブルー・プラネットは枝の先端に赤く濡れた葉を出現させる。そして、ノルンべリアの……少し迷って、右腕に貼り付けた。その葉をもう1本の枝の先端がトンと叩く。

 

「ヒュッ……」

 

 吃逆のような音を立ててノルンべリアの呼吸が止まり、目を見開いたまま動かなくなる。対象の属性に関わらず即死効果を付与するスキル、「竜血の葉」だ。貼りつけてタップする、2段階の手順が必要な分、即死効果の成功確率は比較的高く、“砦の牙”程度であれば抵抗はほぼ不可能だ。

 

 イハエグリストが目を瞑り、幼馴染であるテギング‐ノルンべリアの最期に嗚咽する。

 その彼に向かって、ブルー・プラネットは胴体に生やしたヤドリギを取り、右脚に突き刺す。

 

「ぐぶっ……」

 

 イハエグリストの身体が電撃に打たれたように痙攣し、動かなくなった。

 

「ふむ、『竜血の葉』も『神殺しの矢』も効くんだな……部位は関係ない、と」

 

 自らのスキルの実験台に「生きている」と認めた人間を使う――その行為を理性では非道だと認めながら、ブルー・プラネットの感情にはそれを止める何物も沸いてこない。

 

(血も涙もない怪物か……)

 

 ブルー・プラネットは自分で切り取った枝の先端に目を遣る。

 そして余計な考えを心の底に押し込めて、目の前の、必要なことを続ける。

 

「それで、残るは魔法詠唱者と神官だな……お前たちは魔法を使えるのだろう?」

 

 親友たちの死体を地面に降ろした魔物の問いに、2人は必死で頷く。

 

「お前たちの魔法は、どこでどうやって覚えたのだ?」

「はひ……わはひはてひとのまひょうぎゃくいんで……」

 

 ホルスァペスは歯の根も合わぬほど震えながら答える。

 

「魔法学院? いや、そうではなく、そもそも魔法はどうやって生まれたんだ?」

 

 ブルー・プラネットは「沈静化」の薬液を魔法詠唱者に注入し、問い直す。

 

「は、はい……魔法は古代、大いなる八欲王によってその位階が定められたと学びました……」

 

 強制的に冷静さを取り戻された魔法詠唱者は、なおも震えながら答える。

 

「八欲王?」

「はい、8人の神のごとき方々で、偉大なる器物を使い、世界を平定したと……」

「ほう……例えばどんな器物だ?」

「……そこまでは……ただ伝承では剣の一振りで天が裂けたとも竜王を駆逐したとも……」

「そうか……それは神話としてはありがちで、何とも言えないな……他には何かないか?」

「他に……他には、かつては天空の城にお住まいであったと言われております」

 

 そこまで聞き、ブルー・プラネットは考え込む。

 天空の城という伝承からは、それがナザリック地下大墳墓であるとは思えない。しかし、天空の城という表現は、ユグドラシルでも有名なギルドを思い起こさせる。

 

「そうか、その天空の城とはどこに?」

「分かりません……それは……」

「ふむ……で、彼らは今どこにいるんだ?」

「八欲王は、お互いの物を欲して滅ぼしあい、最後には皆、倒れたといいます」

「そうか、ありがとう。役に立った」

 

 その言葉を聞き、ホルスァペスの顔に希望が浮かぶ。だが、次の瞬間、その表情を浮かべたまま彼の頭部は地面に落ちた。そして不思議そうに目を左右に動かし、何かを言いたげに口を動かすと、動かなくなる。

 ブルー・プラネットは蔦に生えた棘――ミグミーエの命を奪った剣を振るい、ホルスァペスの首を切り落としたのだ。首を刈られた者がそれに気付かないほどの一瞬の内に。

 

「この化け物め! 神よ! 神よ! どうか……」

 

 1人残った神官は半狂乱になって神に祈る。圧倒的な「魔」の存在を目の当たりにして。

 

「……そうだ、『神』だ。お前は奇跡がどうのと言っていたな。この世界の宗教は――」

「やかましい! お前のような悪魔に話すことなどない! 地獄へと帰れ、この化け物が!」

 

 改めて問いかけようとするが、ナエグニーベンは罵倒を繰り返すばかりだ。

 

「この悪魔! 魔神! そうだ、お前は魔神なのだろう? くたばりぞこないが!」

 

 話にならない――際限なく繰り返される罵倒に、流石にブルー・プラネットも苛立つ。

 聖職者ならばもっと落ち着いて最期を迎えるべきじゃないのか――ブルー・プラネットは呆れたように告げる。

 

「分かった。もういいよ」

 

 そして、スキル「吸血樹」を発動させる。

 ナエグニーベンを拘束していた蔦からさらに細かい、髪の毛のような蔦が伸び、彼の皮膚を食い破って全身に張り巡らされる。そして――

 

 カハッ……

 

 干乾びる体の中で萎んでいく肺から絞り出された空気が、ナエグニーベンの最後の声となった。

 ブルー・プラネットは、ナエグニーベンの身体から蔦を戻して観察する。血を吸った一瞬、蔦を赤いものが通ったが、今はもう元の灰褐色に戻っている。血はどこに行ったのだろうか?

 そして、ナエグニーベンの身体は――まるでミイラの様になっている。血液を吸っただけでこうなるだろうか? ユグドラシルでは相手のHPを吸収するスキルであるが……。

 

 ナエグニーベンのHPを吸収した証に、昨夜切り取った小枝の先端が僅かに成長している。

 それが彼の命の対価だった。

 ブルー・プラネットは無言で死体を地面に降ろし、跪いたままのシモベたちに向き直る。

 

「ああ、待たせてすまなかったな。楽にして良い」

 

 ブルー・プラネットは“砦の牙”の死体から目ぼしい物――硬貨や宝石、指輪、そしてブルプラのものも含めたポーション類――を回収すると、周囲の樹々をスキル「植物操作」(アニメイト・プランツ)で移動させ、地面を剥き出しにする。そして、そこに枝を伸ばして穴を深く掘り、“砦の牙”の残骸全てをその中に放り込み、穴を埋めて樹々で覆う。

 ダメ押しに<広域樹木育成>(マス・グロウ・プラント)を唱えると深い繁みが“砦の牙”の墓を覆いつくした。これであとは土の中の微生物が彼らの身体を土に還してくれるだろう。

 

「よし、町に戻ろうか」

 

 ブルー・プラネットはそう言うと再び森の木の中に溶け込み、シモベたちはその後に頭を下げててから夜道を魔法のランタンで照らし、町に戻っていく。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 その日の昼下がり、ブループラネットたちは宿を引き払い、薬師組合に行って組合長と副組合長に声をかけ、2階の会議室に上がって文句を言う。

 

「御二人には大変失望しました。冒険者に後をつけさせるなど。おかげで――」

「待ってくれ、何のことだね?」

 

 組合長たちはブルプラの文句を遮る。

 

「しらばっくれても無駄ですよ。“砦の牙”が自分でそう言ったのですから」

「う……ぐ……そ、それで“砦の牙”は?」

「ええ、“砦の牙”が魔法植物を刺激したおかげで、暴れて大変だったのですよ!」

「そ、そうか……それは申し訳ない……で、“砦の牙”は?」

 

 組合長は友人たちを探して視線を動かし、尋ねる。この失態をなんとか多人数で誤魔化し言いくるめるために。

 

「彼らは皆、殺されましたよ! 私たちを逃がしてね」

「冒険者の死体は森の中に放置するしかありませんでした。あなたの責任で回収してください」

 

 ブルプラの非情な言葉に続き、ネットも声高に断じる。

 

「ああ、お求めでした魔法植物……これだけは取れましたので、置いておきます」

「いやあ、本当に残念です。信頼関係が築けないとなると、協力できませんね」

 

 2人はそれだけ言うと、小さな木箱を置いて足早に去る。

 後に残された薬師たちはしばらく声も出なかった。古い友人たち、そしてこの町にとってかけがえのない英雄の突然の死を告げられ、しばらくはそれを受け入れられずにいた。

 

「まさか……あいつらが……イハエグリストが死ぬなど……」

「ああ、信じられん……」

 

 そして、ブルプラが残した箱に手を伸ばす。中にはただ1つ、太い根が付いた黒い花が入っていた。

 

「これが、“砦の牙”を殺した魔法植物か……?」

「ま、まて、それはまさか……!」

 

 組合長の制止が間に合わず、副組合長がその植物を摘み上げた瞬間、それはケケケと笑い声をあげ、炎に包まれて消えた。

 後に残された言いようのない悪臭が2人を包む。

 

「くそっ! なんだこれは!」

 

 悪臭はすぐに消え去り、入れ替わるように、やり場のない怒り、憎しみが急激に膨れ上がる。

 

「バ、バカ……折角の魔法植物が……何やってんだよ、マヌケッ!」

 

 手にした植物が消えて慌てる副組合長に、組合長の罵声が浴びせられる。

 

『マヌケだと? じゃあ、お前はなんだ? お前が『秘儀を覗かせよう』などと言ったから!』

『お前だって賛成しただろうが! このクソッ』

『うるさい! 偉そうに……自分じゃ何も出来ないから覗きなんぞ考えたんだろ、このカス!』

『てめぇだって出来ねぇだろうが! 大体、枝と花だけで何が出来るっていうんだ……あれ?』

『ん……どうした? え? ど、どこだ、あの枝は……?』

『……てめぇ……盗ったな!?』

『バカな! さっき、お前が棚に置いたんだろうが! 無くしたのか? このドアホウ!』

『ふざけるな! 棚に置いたモンが勝手に消えるかよ! お前が盗ったんだろ!』

 

 お互いの罵りが怒りに油を注ぐ。どす黒い感情が際限なく膨れ上がっていき、視界を白く染める。ブルプラ達のことは頭からすでに抜け落ち、彼らの手にはナイフが握り締められていた。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 ブルプラとネットは検問所を抜け、新市街を通って帝都アーウィンタールへと続く街道を歩いていた。街道には街路樹が並び、ジリジリと肌を焼く夏の日差しから旅人を守っている。

 

 その街路樹に身を寄せた2人の頭上から、ブルー・プラネットの明るい声がする。その声は「混乱・バーサーク」の状態異常を引き起こす自爆系召喚モンスター、ガルゲンメンラインの効果を確認して満足げだ。

 

 薬師達が勝手に殺しあったことは、叫び声を聞きつけた下男が目撃してくれた。

 煩わしい者達は消えた、ポーションも回収できた――問題は解決した。

 

「お前たち、無事に町は抜けたようだな。では、私もお前たちと一緒に行くとしよう」

 

 シモベたちは街路樹に向かって跪く。創造主の機嫌が良いのを見て、彼らの顔も緩んでいる。

 そしてシモベたちは立ち上がると、次の目的地――帝都アーウィンタールへの旅を続ける。

 




神官の身体の半分は「優しさ」という名の魔力で出来てます。


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第17話 帝都アーウィンタール  【酔っぱらい注意】

都会に来たお上りさん。今度は殺さなくても済むように上手くやろう。


 ツァインドルクス=ヴァイシオン――白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)とも呼ばれる巨大な竜は不快気に身を捩る。世界の目覚めと共に誕生した種族、竜たちの知覚が再び強力な魔力の奔流を感知したのだ。

 それは世界を汚す力――数百年前に世界が歪められて以来、時折現れる強者が放つ染み。

 先ほど感じたのは、大地を焼き尽くす灼熱の輝き。その合間に放たれた「死」そのものの闇。

 

 虫一匹生き残っておらず、後には草一本生えないだろうな――

 傷つき汚されたであろう大地を憐れんで、竜王は目を開ける。

 

 世界を汚す染みは広がり続けている。

 竜王は、父や祖父――世界を歪めた者との戦いに散った偉大なる竜王たちを思い起こす。

「この染みは、やがて世界を覆いつくすだろう」――預言者は言った。

 それでも世界の監督者を自負する長老たちは強大な敵との戦いに身を投じ、斃れた。

 

 白金の竜王は、ふぅ、と息を吐き、外の世界に思いを馳せる。

 人間たち――あの小さな生物は嬉々として歪められた魔法を使う。それが汚された力だと知らずに。それも仕方がないかも知れない。あの弱い者たちには生き残る力が必要だったのだ。

 眷属たち――幼い竜たちすら、今ではその魔法を使う。本来あるべき魔法に比べ、あまりにも安易なその力を。

 

 ユグドラシルとは何なのだろう? あの、空を切り裂いて現れた者達がいた世界とは……

 

 白金の竜王は再び目を閉じて微睡に戻る。意識を広げ、世界が上げる悲鳴を聞き取るために。

 だが、その知覚にも限界はある。古き友人が来たら調べるよう頼んでみよう。

 おそらく、あの魔力の奔流は吸血鬼かその仲間から放たれたものだ。傀儡の鎧に穴をあけるほど強力な……

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 バハルス帝国、帝都アーウィンタール。この大都市でブルー・プラネットとそのシモベたちは生活の拠点を築こうとしている。

 

 帝都までの旅は、宿場での滞在や野宿を含めて2週間ほどかかった。本来ならば数日で着く道程だったが、わざと時間をかけてエドレインタールからの追手を待ったのだ。“砦の牙”ではない。他の冒険者や衛兵たちが“砦の牙”殺人事件の容疑で追ってくる可能性だ。

 帝都に入ってからでは戦いの後始末が面倒だし、犯罪者として手配されているならば都市で騒ぎになる前に新しいシモベを調達する必要がある。

 薬師としての経験を積んできたブルプラ達を捨てて別のシモベに一から経験を積ませるのも面倒なので、ギリギリまではブルプラを温存したい。名前を変えれば別人としてやり直せる可能性もあるが、似顔絵を持っているかも知れない。追手が現れたら、その辺りの事情も分かるだろう。

――ブルー・プラネットはそう考えていた。

 

 しかし、追手は現れなかった。

 副都市長と衛兵長もポーションの存在を知っているのだが――ブルー・プラネットの心に不安が広がった。彼らまで殺したら大事過ぎるため生かしておいたが、何も無いというのが逆に気持ちが悪い、と。

 

 何も起きない日々が続き、無駄に緊張しているのにも疲れたブルー・プラネットの警戒心は徐々に緩んでいった。

 最初は、街路樹に仕掛けたアイテムで声を聞き、ブルプラたちはその近くに野営をさせていた。

 エドレインタールを離れて1週間が経つころには、自分の感覚だけに頼らず、街道の宿場にブルプラたちを置き、他の人々からの噂を集めた。

 

 宿場は、エドレインタールからだけではなく、様々な町や村からの街道が交わる場所にあった。

 エドレインタールからの旅人は、よくある喧嘩の不幸な結末である殺人事件について語った。目撃者の話によると、お互いに息絶えるまで何度もナイフで相手を突き刺していたそうだ。その薬師たちは金の貸し借りで以前から不仲だったらしく、重職の者が2人同時に死んだので町は大混乱だという。

 

 一方で、町の警備を助けていた白金級冒険者が行方不明であることも聞いた。冒険者が居なくなるのは特に珍しいことでもなく、何か急な依頼で町を離れたのだろうという噂だった。

 しかし、あまり長期間留守にしているようなら、代わりの上級冒険者が町に派遣される。

 ラザヌール卿が帝都から子飼いの者を呼ぶだろう。牙を抜かれた「砦の町」もいよいよお手上げだな――噂を聞いて、事情通らしい旅人は首を横に振りながら言った。

 

 新しいポーションの話は噂にも上っていない。

 あの町は混乱に陥っているらしい――ブルー・プラネットは、副都市長たちもポーションどころではないのだろうと納得する。

 

 安心したブルー・プラネットは、旅人たちからこの地域の情報を集めた。

 この辺りはバハルス帝国の中でも辺境であり、さらに東の方には魔物たちの国があるという。

 何それ――ブルー・プラネットは驚きながらも、人々の間では常識らしいその話に頷いた。

 この地域の宗教や伝承――四大神や八欲王といった神々、竜王、13英雄などの昔話――を聞き、さらに最近の怪異の噂を集めた。

 残念ながら、最近現れた巨大な地下迷宮――ナザリック地下大墳墓――についての噂は無かった。

 

 やはり、この周辺にはナザリックは無いのだろうかと落胆しつつ、アーウィンタールの冒険者組合の情報網に期待を寄せる。

 

 アーウィンタールからの旅人たちに帝都の様子を聞いた。

 相変わらず景気は良いよ、安心して旅が出来るのも皇帝様様だね――笑って答えたのは交易商だ。彼は冒険者を護衛に雇い、帝国内の各地を商売して回っているらしい。特に専門の商品があるわけではない。自分の目で良いと思ったものを買い付け、別の町に持っていって売る、そんな商売をしているという。

 彼に帝都での商売のやり方を聞くと快く教えてくれた。往来で店を開くには云々、注意すべき人物は云々、困ったら云々――人懐こい笑顔を浮かべた商人は細かいことまで、聞きもしないことまで教えてくれた。

 

「なるほど、為になります。それで、路上でポーションは売れますか?」

 

 薬師組合というものに関わりたくないブルプラの質問に、交易商は腕組みをして少し考えて答えた。

 

「うーん、ポーションは冒険者とのコネが大切だからなあ……あまり多くはないが、路上で自分の腕を切っては治してみせて、その場で売る怪しい薬師たちも、いることはいるよ。まあ、そんな奴らの売ってるものなんて信頼出来ないが、ともかく派手に騒いで人目を集めてカモを見つける商売だな。あんたらは、そんな商売に手を染めたらいかんよ」

 

 そうですか、そうですよね――ブルプラは礼を言い、この親切な交易商から何かを買おうとした。

 

「はは、気を遣わなくていいよ」

 

 あいにく今回の商材は織物だ。旅の薬師が買っても役には立たないだろう――交易商は笑った。

 

 その他にも宿場では多くの人から話を聞けた。商人だけではない。定期的に街道を巡回する兵士たち、修行中の職人たち、各種学院に向かう若者たち……彼らの語る人生や夢は様々だった。

 

 実力さえあれば平民出身でも皇帝の側近になれるんです――目を輝かせた若者がいた。

 第2位階の治癒を修めたので、故郷の困っている人を助けます――静かに述べる若者がいた。

 帝都で芸を磨きます――ある若者は楽しそうに踊りを披露し、宿場の皆で喝采した。

 

(この世界は……本当に若く……混沌としているなあ)

 

 ブルー・プラネットは心の中で溜息を繰り返す。

 元の世界では、社会は既に老衰の段階にあった。硬直した社会制度の中で人々は未来に託す希望も無く、決められた仕事に追われる日々だった。職場と家の往復の中で人付き合いは限られ、ネットの娯楽でのみ息抜きが許される、家畜の様な生活だった。

 あの世界と違い、この世界は可能性に満ちている――ブルプラは若者たちを眩しそうに眺めた。

 

 混沌とした世界――その感想は、アーウィンタールで極大となる。

 巨大な帝都において、人々の活気はエドレインタールの比ではなく、大通りは人々で溢れ、歩く者だけでなく駆けていく者、馬車で行く者も多い。商売道具を乗せた台車が引っ切り無しに通り、人々は互いに大声で呼ばわっている。静かな村、田舎町と比べてあまりにも無秩序で騒がしい。

 その騒音に、シモベたちは顔を歪めた。

 

「少し、落ち着いたところを探すべきだな」

 

 アイテムを通じて頭の中に響くブルー・プラネットの声に、シモベたちは何度も首を縦に振る。

 

 ブルー・プラネット自身も困っていた。

 エドレインタールに輪を掛けて、この町には樹が少ないのだ。それは、ブルー・プラネットがアイテムを通じて「キーワード」を収集することの困難さを意味する。

 

 ブルー・プラネットの本体は検問所のすぐ前にある街路樹に留まり、ブルプラの目で街並みを確かめる。

 通りには石畳が敷き詰められており、樹の生育を許す風ではない。また、忘れられた裏通りのような空間も無い。

 ブルー・プラネットは樹の中から感覚を使って樹木の多い場所を探し、実際にシモベたちを向かわせて周囲の状況を確認させ、そして意識を移す。

 

 最初に辿り着いたそこは、貴族の邸宅の敷地内だった。

 

(貴族の邸宅ならば情報は集まるだろう。しかし、シモベに質問させて情報を得るのは困難だな)

 

 次に樹木が並んでいる所に向かう。それは宿や酒場の多い通りだった。冒険者組合もある。

 

(ここは、旅人や冒険者が集まるところだろう。ここが第一の拠点になりうるな)

 

 そして、わずかに樹が生えている、あるいはほとんど生えていない場所。それは市場や工房、商店の並ぶ街だ。薬師組合はこの区画にある。

 

(ここは……駄目だな)

 

 この商店街には建屋が密集しており樹の生える隙間が無い。また、この辺りは地域の住民の生活の場であり、ブルー・プラネットが求めている「地下大墳墓」などの帝都の外の情報は期待できない。優先順位は最低となる。

 

 1日かけて帝都を回った後、シモベたちは宿に入り、ブルー・プラネットはその前の樹に意識を落ち着かせる。

 貴族の庭も捨てがたかったが、冒険者たちの集う区域からは遠く離れている。宿へは意識を移して移動する必要があり、面倒だ。シモベたちに<獣類人化>を毎日掛け、様子を確認して指令を下すためには、すぐ近くにいた方が良いという判断だ。

 

 宿の付近――この区画はそれほど人通りは多くない。その中でもブルー・プラネットが選んだ宿は最も人通りの少ない、静かな宿「木陰の憩い」亭だ。その名のように入り口を挟むように立つ2本の大木が日除けとなっている。表通りに面した樹であり、窓に枝が掛からないよう良く選定されているが、ブルー・プラネットが出入りするのには十分だ。

 宿泊料はやや高めだが、それは“砦の牙”からの金で何とかなる。革袋に入っていた硬貨だけで1年は何もしなくても楽に生活できる額だ。その他の物――宝石や魔法が掛かった指輪など――はブルー・プラネットからすればガラクタだが、ポーションの価値からみてこの世界では金貨数百枚にはなるだろう。

 だが、それを換金する手段はまだ良く分からない。それに、万一“砦の牙”の失踪との関わりを疑われても困るため、宝石類の換金は最後の手段とする。アイテムボックスに入れてあるユグドラシルの宝石も、文字通り宝の持ち腐れだ。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

「疲れただろう」

 

 日没後、ブルー・プラネットは窓から侵入し、寛ぐシモベたちに声を掛ける。

 

「はっ! とんでもありません。まだまだ働けます」

 

 シモベたちは床やベッドに横たわっていた状態から飛び起きて跪く。

 

「いや、ムリはしなくていい。今、疲労回復のポーションを打つからな……明日以降も忙しいぞ」

 

 枝を伸ばし、ポーションを注入するとシモベの顔色に赤みが差し、目が輝く。やはり疲れていたのだ。1日中、うるさい街中を歩き回るのは酷だったのだろう。

 

「はいっ! なんでもお申し付けください」

 

 元気を取り戻した声を聞き、ブルー・プラネットは微笑む。

 明日も街中を色々と動き回らねばならない。とりあえずは冒険者組合に行き、エドレインタールで依頼した「地下墳墓」に関する調査結果を「木陰の憩い」亭まで届けてもらう手続きだ。

 そして、旅の商人が教えてくれたように街でポーションを売る手続きも予定している。

 

 やがて夜も更け、シモベたちは寝付く。それを見てブルー・プラネットは自分の仕事を始める。

 

 まず、必要な数だけシイの実のアイテムを生み出し、それにキーワードを設定する。

 今回のキーワードは2つ――「墳墓」と「遺跡」だ。アイテム1個につき設定できるキーワードは1つだけなので、1本の樹には2つを埋め込むことになる。

 

 この、通称「冒険者通り」の樹々の1本に枝が1つ増える。それは一瞬蠢くと消える。その隣の樹にも同じように枝が生え、消える。それが通りのすべての樹で起きる。

 帝都の夜だ。深夜でも人通りは絶えない。

 飲んだくれた冒険者が通る。だが、彼らは道端の樹の騒めきに気が付かない。仮に気が付いても、それが何か見当もつかないだろう――たとえ素面の時であっても。

 その枝はアイテムを樹々に埋め込んでいるブルー・プラネットだ。自然な樹に見えるよう魔法でカモフラージュしており、さらに見る者の視線を逸らす魔法も掛けている。

 

 「冒険者通り」の数十本の樹に全てアイテムが埋め込まれるのに5分間も掛からなかった。

 

(今日はとりあえず、この程度か)

 

 ブルー・プラネットは仕事に満足し、樹の中に入り込む。そして、早速情報を集めるために、酒場の隣に生えている樹の1本に意識を移し、聞き耳を立てる。

 

「――バジウッドがなんだっつーんだ! こわくねぇ、あいつなんかぜんぜんこわくねぇぞ……」

「おめぇちょっとのみすぎじゃねーかぁ???」

「るせぇ……っぷ」

「ほれいわんこっちゃねぇ、そとでやってこい」

 

 酔っ払い同士の会話だ。若手の冒険者が管を巻いているらしい。

 ユグドラシルでも酔っ払いに絡まれたことは何度かあり、正直、そういう存在は苦手だ。しかし、この世界の若者たちが夢を語り飲み明かすのを宿場で見てきたブルー・プラネットには、彼らの醜態すら微笑ましいものに感じられる。

 酒場から出てくる千鳥足の冒険者に、ブルー・プラネットは暖かな視線を送る。

 

 うぉぇぇぇぇぇ……

 

 足元に暖かな液体の感触が広がる。ブルー・プラネットの意識が宿る樹に若い冒険者は手をついて、その根元に飲んだものを吐き戻していた。

 

 ひぃぃぃぃぃ……

 

 ブルー・プラネットは声にならない叫びを上げ、その樹から霧が飛び去る。

 酔っ払いは、風も無いのにザワリとそよぐ樹を不思議そうに見上げ、飲み直しに酒場へと戻る。

 ブルー・プラネットは別な樹に宿る。すると、今度は足元で奇妙な音がした。

 

 カチャカチャ……シャー……ふぅっ……

 

 別な冒険者が立小便をしている。再び、ブルー・プラネットの足元に暖かな液体の感触が広がる。

 霧が樹から飛び去る。その冒険者は満足そうに股間を振るわせ、頭上の霧には気が付かない。

 

 ブルー・プラネットは、何故この「冒険者通り」に街路樹が多いのか、理解した。

 そして、決意する――樹に意識を宿す前に、周辺をよく確認しようと。

 幸いなことに、ブルー・プラネットは眠らないでも済む。この夜は、ひたすら「酔っ払いどもに被害を受けない樹」を探して意識を移しまくった。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 翌日、朝早くからブルプラたちは冒険者組合に向かう。まだこの時間では冒険者たちも多くは集まっていない。“砦の牙”の件もあり、今、多くの冒険者に囲まれることは避けたかったのだ。

 

「はじめまして……エドレインタールから来たブルプラ・ワンと言いますが」

「はい、はじめまして、ブルプラさん。本日は何か御用でしょうか?」

 

 受付に出たのは、やはり女の2人組だった。エドレインタールの受付よりも垢抜けており、かなりの美人である。この世界においても受付は女性なのか、とブルー・プラネットは考える。

 薬師組合では組合長と副組合長がカウンターにいたが――まあ、仕事の内容によるのだろう。

 

「ええ、エドレインタールで調査を依頼していたのですが、こちらでそれを引き継げるというお話でしたので……」

 

 ブルプラは紹介状を取り出してカウンターに広げる。受付嬢の1人がその上下を逆に直し、内容を確認して微笑む。

 

「はい、こちらで契約期間内の調査はご報告いたします。報告先は……」

「『木陰の癒し』亭でよろしくお願いいたします。あと、エドレインタールからこちらに来るまで2週間かかったのですが、その間、何か新しい報告はありませんでしたか?」

 

 帝都までの旅の間、ブルプラたちは冒険者組合からの報告を受けていない。何か新しい情報があれば、と期待したのだが……

 

「はい、エ・ランテルでのアンデッド発生は前回お伝えしていますね……以来、『地下墳墓』に関する報告は届いておりません」

 

 受付嬢は滑らかな声で報告する。どうやら進展はないらしく、ブルプラたちは肩を落とす。

 

「そうですか……最近なにか目新しい事件とかの噂はありませんでしたか」

 

 地下墳墓以外にもこの世界での出来事を知っておくべきである、と考えていた。この世界の人々は本当に生きており、それはブルー・プラネットの考えの及ばない事件を引き起こす可能性がある。たとえそれがブルー・プラネットに直接関係無い事件であっても、この世界は活気に満ちており、好奇心を刺激するのだ。

 

「はい、そうですね……大きな事件というと、リ・エスティーゼ王国で強力な吸血鬼が発生したことくらいでしょうか」

「ほう、強力な吸血鬼ですか。それはどのような?」

「詳しいことは都市機密となっており、こちらでは……ただ、ミスリル級冒険者2チームで討伐に当たったそうです。1チームは全滅。もう1チームの活躍で退治され、生き残った冒険者はアダマンタイト級に昇格したということですよ」

 

 受付の女たちの言葉はあくまで滑らかだ。そして、ブルプラたちを見つめる目は期待を帯びている。

 

「よろしければ、この件に関しても詳しい情報を調査いたしましょうか?」

 

 これも商売だ。ブルー・プラネットは考え込む――ミスリル級冒険者と言ったら“砦の牙”の上のランクだ。ユグドラシルのレベルでいえば20台といったところか。それがアダマンタイト級になったところで……

 

「あれ? ミスリル級の上ってオリハルコン級ではなかったですか?」

 

 受付嬢の話に違和感を感じ、ブルー・プラネットは受付嬢に尋ねる。

 

「ええ、そうなんです。功績が大きかったために一気に飛び級したらしいですよ」

「ほう……それは素晴らしいですね。何というチームなんですか?」

 

 ブルプラの質問に受付嬢が答えるより早く、後ろで屯っていた冒険者たちが大声を上げる。

 

「そりゃ“漆黒”だろ! なんでもすげぇ美女がいるらしいじゃないか」

「ええ、そうです。“漆黒”ですね」

 

 冒険者の話に受付嬢が頷く。

 

「へえ、“漆黒”! 皆さんの噂になるくらいですから、お強いんですね」

 

 組合に集まり始めた冒険者たちがゲラゲラと笑う。

 

「そりゃそうよ、アダマンタイト級だぜ! ミスリル級でも化け物なのによ」

「おう、噂じゃ吸血鬼との戦いでアイテムを使って森の一部を焼け野原にしたらしいな」

「聞いた聞いた、その話! ありゃほんとかね? 人間業じゃねーって、それ」

 

 ブルー・プラネットは内心不快を覚える。笑われたからではない。それはこちらの失言だ。小さな町では白金級の“砦の牙”でさえ英雄だったのだ。国に1つか2つしかいないアダマンタイト級と聞いて「強いんですね」とは、あまりにも世間知らずだった……のだろう。

 

 だが、アダマンタイト級はユグドラシルでいう30レベル前後だろうと考えられる。たかが吸血鬼を倒すのにアイテムの力を借りなくてはならないのだ。ブルー・プラネットの基準では弱すぎて「初心者」のカテゴリーで括られる範囲だ。彼らを「最高峰」とするこの世界との認識の違いに注意しなければならない――その程度のことだ。

 

 不快に感じたのは「森の一部を焼け野原にした」という言葉に関してだ。かつてのギルド<シャーウッズ>の戦い、そして、この世界に来てすぐ、誤って大木を倒しかけたときの樹の悲鳴を思い出す。

 

(“漆黒”か……アイテムを使って森を焼くとは……自力で吸血鬼を倒しきれなかったために苦し紛れで放火でもしたのか? アンデッドの弱点は火だからな)

 

 村で湯を沸かすために魔法の火が使われていた光景が目に浮かんだ。この世界独特の魔法はユグドラシルの魔法とは異なり、弱い魔法であっても広範囲に影響を及ぼしうるのだ。

 強力なモンスターから人々の命を守るためなら、森を焼くことも仕方ないかもしれない。ブルー・プラネットは、不快ではあるがそう考えて我慢する。人間のために森を焼くのも、森を優先して人間を見捨てることも、立場が反対なだけで傲慢には変わりない。

 

 ユグドラシルと同じような魔法を使っているくせに、この世界の人間たちはあまりにも弱い。

 自分の死すら糧にできるゲームとは違って、死んだらそれっきり……リスクを取ることに限界があり、それゆえ成長が遅いのだろう。それは仕方がないことで、この世界の人間たちは「保護されるべき」存在なのだ。

 

(だが……それでも……会うことがあったら『森を大切に』と一度シメたらなあかん)

 

 ブルー・プラネットは冒険者チーム“漆黒”の名を脳裏に刻み込む。

 

「……それで、いかがいたしましょう? 詳しい情報は――」

「いえ、今回は必要ありません。ただ、強いモンスターが出現したという情報は欲しいですね」

 

 この世界の人間達がアダマンタイト級などと名付けたところで弱い冒険者には違いない。そんな者にブルー・プラネットの興味はない。むしろ、彼らが放火をせざるを得ない状態に追い込むモンスターの方に注目すべきだと考える。人間が再び森を焼く前に、ブルー・プラネットがモンスターを倒すという選択肢も考慮して。

 受付嬢に1か月間の調査を頼む。もうじき契約期限が来る「地下墳墓」と新たな「強力なモンスター」の2件で金貨3枚だが、今となっては痛い出費ではない。

 

 そして、受付の前に並べられたテーブルに着き、冒険者たちの噂話に耳を傾ける。仕事を見つけられない冒険者たちは、先ほど名が出た“漆黒”の話で盛り上がっている。

 

「あの女の方、すげぇ美人なんだろ? それで第3位階まで使えるんだからたまんねぇよな」

 

(ふん……やはり第3位階程度なのか)

 

 ブルー・プラネットは“漆黒”の評価をさらに下げる。アダマンタイト級と言っても“砦の牙”と大して変わらないではないか、と。

 

「リ・エスティーゼ中心で活動してんじゃあ、こっちまでは来ないかなあ」

「おう、会ってみてぇなあ……なんで王国の冒険者は美人が揃ってんだ?」

「そうそう、アダマンタイトっていやぁ、“蒼の薔薇”も美人ぞろいなんだろ?」

「美人ぞろいだが、やっぱり一番はリーダーのラキュース姫さんかな」

「俺としては双子を一緒にお願いしたいところだが」

「ボクはガガーランの姐さんだな、やっぱり」

「ははっ、『姐さん』か。まあ、頑張れよ。会えるといいな」

 

 周囲の冒険者はハハハと笑い、その若い冒険者の肩を叩く。熟練の冒険者がまだ年若い冒険者を励ます微笑ましい光景にブルー・プラネットの機嫌も良くなる。

 

(『姐さん』か……うん、年上キャラは良いよね。やはり成熟した女の魅力ってものが……)

 

 ブルー・プラネットは、「ペロ」だの「ぷに」だのと叫ぶ懐かしい友人たち、互いに認め合いながらもその点だけは分かり合えなかった仲間たちを思い出す。

 衰退していく社会では、繁殖を前提としない変態趣味が蔓延する。それが友人たちを見てのブルー・プラネットの考察だった。その一方、これから人口が増えていく若い社会では、子供を産むための機能――豊かな胸、大きな尻など――をアピールする女性が男たちの本能を強く刺激するのだろう。それが生物として健全なのだ。

 

 そして、受付嬢たちに目を遣って、この女たちもかなりの美人なのに、と思う。この世界では整った顔の人間が多い。その世界で「美人」と評される女は、一体どれほどの美人なのだろうか。

 

(ガガーラン姐さん、か)

 

 ブルー・プラネットの精神はそちらの方に惹かれていった。

 植物系モンスターとなった身体ではナニをすることも叶わぬだろうが、生物とは業の深いものだ――そう反省もする。

 

 いずれにしても、一度その美人を見てみたい。

 

(“漆黒”、ラキュース姫、“双子”、それに“ガガーラン姐さん”……うん)

 

 ブルー・プラネットはそれらの名を脳裏に刻み込む。

 そして、まだ名前の出ない“漆黒”の女の名を知りたいと思い、ブルプラを通じて冒険者に問いかける。

 

「その“漆黒”の美人さんの名は何というのですか?」

「おう、おっさんも美人にゃ興味あるか? そうだな、確か『美姫ナーベ』だったかな?」

 

 “漆黒”の「ナーベ」――ブルー・プラネットは、その名に何か引っかかるものを感じる。

 

「ナーベ……フルネームでは何と?」

「いやぁ、知らねーな。本人も『ナーベ』としか名乗ってないってよ。相方の『戦士モモン』と合わせて、つい最近、異国から来た経歴不詳の英雄だ。名前を明かせねぇ訳でもあるんだろうよ」

「……つい最近……異国から来た……その、『モモン』という戦士はどういう姿なんですか?」

「全身を黒で固めた戦士でな、巨大な2本の剣を目にもとまらぬ速さで振るうって話だぞ」

 

 教えてくれた男は、美人の話から話題がそれてちょっと興をそがれた様子だが、その口調には英雄に憧れる熱が残っている。

 

「エ・ランテルじゃあ溢れるアンデッドを一掃し、吸血鬼を森ごと焼き払う、ってよ!」

 

 周囲の冒険者たちも目を閉じて腕を組み、うんうんと肯く。

 

「ほぉ! エ・ランテルのアンデッド事件、それも“漆黒”が?」

「そうだぜぇ! いきなり現れた銅級冒険者が大活躍であっという間にミスリルに、それでアダマンタイトと来たわけよ! 憧れるわなあ!?」

「ほぉ……ほぉ……」

 

 ブルプラは――今はブルー・プラネットが身体を借りているが――目を白黒させる。

 黒い装備、巨大な剣、二刀流の戦士……特徴は弐式炎雷さんっぽい。そして伴には「ナーベ」。

 

――弐式炎雷さんが作り上げたメイドNPCは、たしか「ナーベラル・ガンマ」といった。

 

 ブルー・プラネットの心の中に、かつての仲間の一人の姿が浮かび上がる。

 しかし、名前は「モモン」だと……? モモンガさん? でも彼は戦士ではない。可能性は薄い。

 

(分からん……まったく分からん……)

 

 思考が渦を巻き、ふらふらとブルプラは立ち上がる。そして、覚束ない足取りで冒険者組合から出て、それを慌ててネットが追いかける。

 

(もし、弐式炎雷さんがこの世界に来ているのなら……)

 

 NPCを作る参考にと請われて貸してやった生物図鑑をペラペラと捲り「うわっ、これ何? ガガンボっていうの? キモッ」と言い放った友人を思い出す。何の参考にしたのか知らないが、彼はひたすら虫の名前をメモしていた。

 

 ブルプラたちが宿に戻り、ブルー・プラネットは万が一の可能性を求めて<伝言>を使う。

 相手は弐式炎雷だ。彼もまた、このモザイク状に入り混じった世界に巻き込まれたのだろうか、と考えながら。

 

『もしもし、弐式炎雷さん、ブルー・プラネットです。聞こえますか?』

 

 やはり返事は来ない。<伝言>が繋がった感覚も無い。魔力が紡がれる奇妙な感覚は虚しく宙を彷徨い、消える。

 そして、ブルー・プラネットは樹の中で意識体となったまま肩を落とす。

 

「ひょっとして、と期待したけど……やはり誰も居ないのか……」

 

 弐式炎雷に似た戦士も、ナーベラル・ガンマと似た名をもつ女冒険者も、他人の空似なのだろう。

 ユグドラシルによく似ているが微妙に違うこの世界で、偶然似た存在がいるのかもしれない。SFでよくあるパラレルワールドという奴だろうか。

 そもそも、ナーベラルは拠点防衛のための戦闘メイドNPCで、外には連れていけないはずだ。

 

 ブルー・プラネットは、意識の中で首を振る。未練を断ち切るために。

 この世界は「生きている」のだ。自分の妄想をいつまでも引き摺るべきではない、と。

 

 あえて“漆黒”の名は忘れることにする。これ以上心を掻き乱されないために。

 

(美人ならそれで結構! 帝都に来ることがあったら顔でも拝んでやるさ)

 

 かつてゲームで友人たちが作り上げた美女たちの姿を思い浮かべ、別な妄想に心を移す。

 

 シャルティア……ペロさん、それはアウトでしょ? そりゃお姉さんに怒られるって!

 タブラさんが作った「アルベド」は綺麗だったな。うん、彼は良く分かってた。

 それに、やまいこさんの「ユリ・アルファ」。あれはドストライクだったなあ。ダテ眼鏡と言うのがまたピンポイントで――おかげで酷い目に……いや、あれは誤解なんだってば……そんな意図はなかったんです……すべてペロロンチーノが……

 

(そんな目で見ないでください!)

 

 ブルー・プラネットは過去の思い出に引き摺られ、樹の中で意識体の首を振る。

 そして、しばし放心していた。シモベたちが心配して、アイテムを通じて声をかけてくるまで。

 




都会はおっかねえ。


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第18話 冒険者たちの噂

順調に金稼ぎ……それが目的ではないのだが。


 帝都アーウィンタールに来てからはや1ヶ月が経った。

 ブルプラたちシモベは都会の生活にも慣れ、積極的に商売を進めている。突然の大音響にはまだ本能的な警戒心が残っているようだが、徐々に「人間らしい」行動が板についてきた。

 

(ひょっとして、「商売人」のレベルが上がってたりして)

 

 シモベを見守るブルー・プラネットは冗談半分にそう考えることもある。

 今やシモベ達は身体を操らずとも接客を任せられるまでになっている。

 おかげで自分は昼間も探索に出ることが可能になった。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 1か月前、帝都に来て初めて冒険者組合に行き、その新たな情報に驚いて呆然としていたときに声をかけてくれたのはシモベたちだった。

 

「ブルー・プラネット様。如何なされたのでしょうか? 薬師組合に行くご予定でしたが」

 

 そう言うシモベたちは既に外出の準備を終えていた。前日の夜、午後から組合に行き、商売の許可をもらうと説明していたのを覚えていたのだ。

 もちろん、毎朝<獣類人化>とともに<知力向上>の魔法を掛け、必要な知識は共有している。

 それにしても随分と頼もしくなったものだとブルー・プラネットは感心し、自分もしっかりしなければと気を引き締めた。

 

 そして薬師組合に行って「冒険者通り」の一角に店を構える許可をもらった。

 街中で怪しげな薬売りも見かけた。売っていたのはポーションではなく、安い薬草の類だ。旅の途中で出会った交易商が言ったようにその手の商売人は胡散臭かった――あんな匂いを付けただけの油で病が治せるわけもない。

 

 薬師組合で聞いても、そんな商売で組合の信頼を落とされるのも困る、店舗を構えてくれ、と強く勧められた。

 やはり、ポーションは高級品なのだ。

 

 帝都の薬師組合に見せるために用意したポーションは、あえて質の劣る<軽傷治癒>(ライト・ヒーリング)の効果をもったものだ。エドレインタールでの失敗を繰り返さないため、ブルー・プラネットが試しに分泌した原料――トレント種が基本スキルとしてもつ「癒しの水」だ。

 

 ポーションをして差し出されたその液体の効果を証明するために、薬師は魔法を唱えた。最初は<付与魔法探知>(ディテクト・エンチャント)、次に<道具鑑定>(アプレーザル・マジックアイテム)を使い、そのポーションが「軽度の傷を治療する」効果があることは理解を得た。

 

「だが、<保存>が掛かっていないな。このままでは劣化が問題だ」 

 

 最初に提出したポーションは不合格とされた。

 ユグドラシルではポーションに対して「劣化」という概念は無かった。いや、あるにはあったが、それは<風化>などの魔法効果だ。ブルー・プラネットが分泌した樹液も自然に腐ることはあるのだろうか?

――そう考えたが、それを議論しても始まらない。ブルー・プラネットはおとなしく引き下がり、宿であらためてポーションを準備した。

 

 先ほどと同じ樹液に<保存>(プリザーベイション)を掛けたものだ。

 再度鑑定してもらうと、これでポーションとしての体裁は整ったらしい。

 

「うむ、<保存>を掛けたのだな。良いだろう。」

 

 薬師は頷き、それでも新たなポーションの実地試験を要求した。

 ブルプラが了承すると、薬師は「奴隷」と呼ばれる男を用意した。対価を払うと彼が腕にナイフで切り傷を付け、それを薬師が治癒する――それが効果の試験法だった。

 新人のポーションや低質な錬金溶液を使ったもの、そして、ブルプラのように新しい原料を使用したものでは効果が不安定であり、魔法による鑑定では分からない詳細を実際に試すことが必要だと説明された。

 

(なるほど。軽傷治癒といっても最大回復量が5か10かという違いがあるようなものか)

 

 この世界の人間はデジタルデータではない。レベルの代わりに曖昧な「難度」という概念があるように、ユグドラシルの魔法のように効果がはっきりと分かれているものでもないようだ。

――ブルー・プラネットはユグドラシルと現実の概念の狭間で納得する。

 

 ブルプラのポーションは傷跡一つ残さずに、奴隷の腕に刻まれた軽い切り傷を塞いだ。

 

「ふむ、錬金溶液から創られるものとは色が異なるが、効果は同じかやや高め……ドルイドの君がトレントから作ったのだね? 良いだろう。ただし、製法が異なることは明記してくれたまえ」

 

 薬師組合の組合長は肯いて、登録証を渡してくれた。

 

 ブルプラは奴隷の腕に残る何本もの古い傷跡に気が付いた。聞くと、未熟なポーションで治癒が完全に行われなかったときのものだそうだ。やはり、ポーションの出来不出来はあるらしい。

 

 思わず「大変だなあ」と感想を漏らすと、その奴隷は笑って「仕事ですから」と答えた。

 軽傷ならばこの程度、中傷ならばこの程度、と自分で傷の深さをコントロールできることが彼の――その奴隷の自慢であった。それが下手な奴隷では<軽傷治癒>を調べるのに深い傷を作ってしまい、傷を残すこともあるという。

 

「私は手加減が上手いんです。治らなかったら薬師の所為ですよ」

 

 奴隷は笑ってそう言った。

 昔は奴隷には拒否権は無く、傷をつけるのも対価を受け取るのも所有者たる薬師だったという。もし治療が失敗して奴隷が死んでも、所有者に相当する金額を支払えばそれで済んだらしい。

 だが、今では奴隷の地位は向上し、自分で金を貯めて自由な身分を買い取ることも可能だという。

 

「ありがたいことです」

 

 奴隷はそう言って、大切そうに金貨を仕舞いこんだ。

 

 薬師組合ではポーションの精製器や一般的な薬草の入手先を教えてもらった。

 ブルー・プラネットのポーション作成には必要のないものだが、ポーションを作っている振りもしなくてはならない。原料も無いのにポーションを大量に作成したのでは疑われてしまう。帝都の近くには薬草を自分で採集できる森林は無く、他の薬師は皆、業者から原料を買い付けているという。

 

「薬草の他に、錬金溶液の原料の仕入れ先も、教えていただけますか?」

 

 ブルー・プラネットは、あえて様々な原料を買い込んだ。さすがに市販の原料を全種類揃えるには資金が足りなかったが、それでも様々なポーションが作れるはずだ。

 

「色々と研究したいと思いまして」

 

 薬師組合で言った言葉――これは本心でもあった。ポーションの効果が不安定なことがあると聞いて、元・研究者としての好奇心が疼いたのだ。

 この世界の薬草はユグドラシルでは見たことが無いものも多い。そして、人は「生きて」おり、自由度は高い。ならば、ユグドラシルとも元の世界とも異なる、この世界独特のポーションも作れるのかもしれない。

――ブルー・プラネットはそう期待した。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

(この1か月間は、色々と忙しかったな)

 

 ブルー・プラネットは充実していた。

 最初は低級なポーションから初め、徐々にその質を上げていった。最初は<軽傷治癒>のポーションだけだったが、<中傷治癒>に相当するものを揃えていった。

 

 錬金溶液の使い方もすぐに理解できた。元々、薬師/秘術師のクラスも修めている。ドルイド/トリエントで成長した残りの29レベルを振り分けた程度だが、それでもこの世界の薬師からすれば最高級の存在らしい。

 この世界の材料は知らないものばかりだったが、これは保存のため、これは効果を上げるため、これは味を消すため……と、すぐに覚えて使いこなせるようになった。

 

 この記憶力はブルー・プラネットが人間としてもつ専門性だけに因らなかった。スキルとして「薬品鑑定」や「薬品調合」をもち、それを意識すると新たに覚えた薬品の性質、それをどう使えば良いかが自然と分かり記憶に刻み込まれるのだ。

 コツが分かれば、この世界の薬師よりも遥かに手際よくポーションを作り出せた。MPの消費もなく、スキルの枯渇もない。購入した原料さえあれば作れるというのは便利なものだ――金が掛かるという問題に目を瞑れば。

 

 品質にも問題は無いようだった。

 むしろ、「ドルイドの秘術で作り出したポーション」で始めた薬師がいきなり高度な「錬金溶液と魔法で作り出したポーション」を扱うことに他の薬師たちが疑問を持たないよう、切り替えは意識的にゆっくりと行わなければならなかった。

 

 最初は薬師組合にポーションを降ろして販売してもらい、それで店を出す資金を得た。

 そして、1ヶ月が過ぎる頃には、ブルプラの店は「ドルイドの魔法を加えた、良く効くポーションを安く売っている店」として、それなりに有名になっていた。

 

「はい、ドルイド特製<軽傷治癒>なら金貨1枚、<中傷治癒>なら金貨6枚。錬金溶液と魔法で作った<中傷治癒>薬なら金貨8枚だよ」

 

 店を訪れた冒険者にブルプラたちが説明をする。

 この世界の錬金溶液で作ったポーションは、この世界の相場で売る。そして、ブルー・プラネットが作り出したポーションはそれより少しばかり安く。

 

 初めのうちは、同業者のやっかみもあった。製薬の秘密を聞き出そうとする者もいた。

 しかし、彼らはブルプラが語る薬草学の知識に感嘆し、やがては彼の弟子になりたいとまで言い出すようになった。当然、ブルプラは丁重に断ったが。

 

 一度、本物のドルイドが来たときは焦った。考えれば当然だが、この世界にはドルイドがいる。

 宗教の話は避け、しきたりについては「流派の違いですね」と誤魔化したが……金属製品を身に付けない等の基本はユグドラシルの職業ドルイドと同じだったおかげで切り抜けられた。

 

 徐々に毒消しや病気治療のポーション、その他に冒険者たちが求めるアイテム類――夜光性の液体、粘着性の糸、そしてそれらの中和薬等々――も店に置き始めている。

 

 しかし、あの町で見せた治癒・毒消し・病気治療・麻痺解除の効果を併せ持つポーションは売らない。それはこの世界には過ぎたものだ。裏では更に高度なポーションも開発しているが、公にするのは慎重にするべきだろう。

 ブルー・プラネットからすれば、今店に並べられているのは初心者向けのポーションに過ぎない。それでも、冒険者たちはそれに命を預け、なけなしの金で購入していく。

 

 売れ筋の「ドルイド特製ポーション」には原料が必要ない。その一方でポーションやアイテムはかなりの高額で売れる。おかげでブルー・プラネットたちは経済的にも潤っている。

 この帝都で冒険者が何人いるのか正確なところは分からないが、千人はいないだろう。彼らが皆、ブルプラの店でポーションを買うわけでもないし、それも毎日というわけではない。

 

 冒険者以外にも、学者や学生が買いに来ることもある。錬金術以外の技法を学びたいと言って様々な種類のポーションをまとめ買いしてくれる上客だ。

 上客と言えば、身なりの良い紳士がいた。彼はブルプラの顔をちらちらと盗み見し、不思議そうに首を傾げていたのでよく覚えている。エドレインタールからの追手か――そう警戒もしたが、「真意看破」で感情を調べてみると敵意の類は感じられない。感じられたのは、未知なものに対する強い好奇心と敬意だ。おそらく、ドルイドの薬師が珍しかったのだろう。

 その紳士は何度かに分けて来店し、結局は全種類を2本ずつ買ってくれた。その体はよく鍛えてあり、動きには無駄がなかった。まだ30代後半といった若さだが、引退した冒険者なのだろう。冒険を忘れられず、ポーションのコレクションをしているか――ブルー・プラネットはそう推測する。

 

 そういった上客を含めても、売れるのは1日に数本だ。しかし、毎日のように金貨数枚の収入があるのは明らかに商売として成功した部類に入る。

 贅沢をするつもりはないが、食事が良いものになり、このところシモベたちの体重が少し増えてきたようだ。ネットは若いから良いものの、ブルプラの方は……運動もさせるべきだろう。

 

 だが――ブルー・プラネットはその生活に満足しているわけではない。

 本当の目的を忘れたわけではない。

 目的――それは、自分が人間であった記憶を証明するナザリック地下大墳墓に戻ること。

 自分が何者であるのか、それすら不確かな状態では、この生活も虚しいものだ。しかし、残念ながら、未だにその手掛かりはつかめていない。冒険者組合からの連絡も目ぼしいものは無い。

 

 経済的な余裕が生じたことから、冒険者組合に追加で「珍しいアイテムの発見」に関する情報の収集も頼んだ。これは、ナザリックが盗掘され、その由来が「墳墓」であると分からないままにアイテムが流出している可能性を考えたためだ。

 だが、報告されるアイテムにはユグドラシルの残滓と思える物が幾つかあったものの、レベルは低く、ナザリックとは関係ないと思われた。

 

「ふぅ……」

 

 ブルー・プラネットは、溜息をつく。

 もうすでに宿暮らしではない。店舗として借りた建物の中で生活している。

 2階建ての小さな店で、シモベ2人が1階で店の番をしている。

 上の階は倉庫と居住用に使っており、そこにブルー・プラネットが居る。窓を塞いでいるために覗かれる心配はない。

 聴覚による警戒は怠らないが、樹の中で酔客のゲロや小便に怯える日々に比べれば気は楽だ。

 

 今日も店ではシモベたちが冒険者の相手をしている。

 仕事を覚えたために、特にブルー・プラネットが助けることも無い。厄介なことがあればアイテムを使って連絡するように言っているが、まだ、実際にそうなったことはない。

 

(では、見回りに行ってくるかな)

 

 2階に置かれた巨大な鉢植えに向かう。

 そこには、3メートル近いブルー・プラネットの身体を溶け込ませるのに十分な大きさをもった樹が部屋の大半を、それでも窮屈そうに占めている。

 樹を持ち込んでくれた業者は、その依頼に初めは驚いた。

 しかし、シモベたちの「ドルイドとして樹は外せない」という言葉に納得し、大家と相談したうえで床の補強を含めて全て手配してくれた――それだけブルプラの金払いが良かったということでもあるが。

 

 おかげで、ブルー・プラネットは樹に溶け込み、帝都を巡回するのには困らない。

 

「ごめんね」

 

 天井に枝を閊えさせ窮屈そうな樹に小さな声で謝り、「樹勢維持」(グリーン・メンテナンス)のポーションを注入する。そして、そのまま樹に歩み入り、溶け込む。

 

 ブルー・プラネットの脳裏に半径500メートルの範囲にある樹の状態が映し出される。

 その樹々には視覚と聴覚を代用するアイテムを既に仕掛けている。つまり、その範囲ならば樹の状態だけでなく、周辺の状態まで分かるのだ。

 樹々の中を意識体として移動すると、それにつれて視聴覚を共有可能な範囲も移動する。

 さらに遠い場所の樹々――意識の共有範囲外――からも、アイテムは設定されたキーワードを伝えてくれる。これは自分で見聞きするようにはいかないが、必要になったら樹々を伝って視覚と聴覚を共有できる範囲に行けばいい。

 

 疲れることを知らないブルー・プラネットは、折を見てはアイテムを通じた情報収集を行い、夜になると周辺に目撃者がいないことを確認して新たな樹々にアイテムを埋め込み、着実に自分の領域を増やしていく。

 いずれは帝都の大部分を覆うネットワークを構築する予定だ。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

(今日も空振りか)

 

 自宅を兼ねる店の2階に戻ったブルー・プラネットは、溜息をつく。

 今日こそはと意気込んで巡回に出かけ、結局、成果なしに意識を自宅の樹に戻し、実体化する――これを何度繰り返したことだろうか。

 

 相変わらず、街には活気があふれている。

 相変わらず、冒険者は弱い。

 相変わらず、組合からくる情報には大したものは無い。

 

 夏が過ぎ、秋になったというのにナザリック地下大墳墓の調査には実りが無い。

 ただ、つい先日「強力なモンスター」に合致する情報として、リ・エスティーゼ王国の大森林で冒険者が「巨大な樹の魔物」と遭遇したという情報が入ってきた。

 巨大な樹の魔物――ナザリックの手掛かりにはなりそうにないが、その言葉に興味を惹かれた。

 冒険者組合に詳細な情報を頼んで数日間待たされたが、追加情報はほとんどなかった。

 

 曰く、

『依頼主に関する情報は非公開。依頼内容も非公開。チーム“漆黒”がトブの大森林で行動中、巨大な樹の魔物に遭遇したと報告。難度は不明。同地域においては30年前にもアダマンタイト級冒険者1チームとミスリル級2チームで協力して巨大な樹の魔物から特殊な薬草を採取した記録あり。今回の『樹の魔物』も同一個体と推測され、その場合の難度は120以上と推定される』

――それだけだった。

 

 ブルー・プラネットは落胆する。30年前に出現した「樹の魔物」ならば、2か月足らず前にこの世界に現れたはずのナザリックには、やはり関係無いだろう。「巨大な樹の魔物」は、ユグドラシルの<シャーウッズ>には腐るほどいた――同僚たちだ――が、それはずっと以前にキャラクター設定を変更して「巨大」ではなくなったし、すでにユグドラシルを止めたか、あるいは別な種族へと替えていた。未だにトレント種なのは自分だけだ。

 

 それにしても、また“漆黒”か――ブルー・プラネットは記憶を掘り起こす。

 

――たしか、美人で有名なガガーランとかいう女冒険者がいて、第3位階まで使いこなせるとか。

 

 第3位階で倒せる「巨大な魔物」とは、どんなんだよ! と、突っ込みたくなる。

 ユグドラシルのボスキャラは、魔法であれば第10位階を連発してようやく倒せるものだった。

 そういうボスキャラであれば「巨大な魔物」と呼ばれるのも納得だ。

 しかし、第3位階――樹の魔物へ放つなら<火球>だろうが、その効果範囲はたかが知れている。大して強化(ブーステッド)もしていない、あんな線香花火で倒せるものを「巨大」とは言わないだろう。

 

(まあ、人間と比べりゃ、10メートルもあれば十分に巨大か?)

 

 そう考えて自分の姿を見る。3メートルに満たない樹の化け物だ。「巨大」とは言えないが、この世界を蹂躙するには十分な力をもつ怪物だ。

 

(ナザリックに戻れたら……いや、戻ったら、何をしよう)

 

 初めのうちは、人間であった証拠を取り戻したら正気も取り戻せる――元の現実世界に戻る切っ掛けになるかもしれないと期待していた。しかし、今ではこの世界が自分の妄想ではなく実在することを信じかけており、それに伴って「現実に戻る」希望は消えかけている。

 

 では、「人間であった」ことを確認したうえで、化け物となった俺は何をするべきか。

――それが、このところブルー・プラネットの心に生じた新たな疑問だった。

 

 親しかった友人はかつてゲームの中で言った――「世界の1つでも征服しようぜ」と。もし彼がこの世界にいたならば、嬉々として世界を蹂躙し、征服していたかもしれない。

 同じことを言っていた別な友人――彼は現実社会に対する深い憎しみを抱えていた。

 彼ならば、この世界にその怒りをぶつけ、破壊していただろうか?

 それとも、彼が愛することのできる世界に作り変えていただろうか?

 その圧倒的な魔力を行使して。

 

 世界を征服すると言葉に出さずとも、世界を変えたいと願う友人たちは多かった。

 正義感にあふれる友人は「誰かが困っていたら助けるのは当たり前」と口癖のように言っていた。建前でさえその価値観が消えかけている世の中に対する苛立ちだったのだろう。

 では、彼がこの世界に居たならば――問答無用に「悪」を斬り、その超人的な能力を人々は畏れ、彼自身が「困りもの」となったかもな。

――ブルー・プラネットは苦笑いする。

 

 ギルド<アインズ・ウール・ゴウン>のメンバーは、一癖も二癖もある友人たちだった。

 そして、そんな彼らをまとめていたのがモモンガさんだった。

 彼は周囲の状況を把握し、調整する能力に秀でていた。そして、私利私欲に走ることなく、仲間の話に耳を傾け、よく考えて行動する、理想的なギルド長だった。サービス最終日に、何年も前にギルドを捨てた自分を誘ってくれた優しい男だった。

 

(彼ならば、この世界でも上手くやっていけるかもしれないな)

 

 この世界に放り込まれて数ヶ月が経つ。その間、右往左往するばかりだった自分を嗤い、ブルー・プラネットは部屋の中で宙を見つめる。

 

(モモンガさん……彼ならば、この世界でどう行動しただろうか)

 

 彼がこの世界に現れていたら――

 例えば「あの国、気に入らないから滅ぼしちまおう」と言うベルリバーやウルベルトを制し、「誰かが困っている」とお節介を焼きたがるたっち・みーを上手く誘導し、真に必要な解決策を提示していただろう。「ペロ」だの「ぷに」だの口走る変態どもを抑制し、酒池肉林に溺れることも無いだろう。

 少なくとも、今の自分のようにシモベを連れてウロウロとあてもなく世界を彷徨うことも無いはずだ。何かの目的をもって世界をまとめ上げる、立派な支配者になっていただろう。

 

 俺はこの世界で何をすべきか――ブルー・プラネットは溜息ををつき、答の無い問いを繰り返す。

 そして、シモベたちの様子をみて、問題が無いことを確認し、再び町へ巡回に出かける。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 ある日、冒険者組合からの情報がやってきた。求めていた「墳墓」に関するものではなく、今回も「強力なモンスター」についての情報だ。

 

『リ・エスティーゼ王国、王都リ・エスティーゼにおいて、難度200以上の強力な悪魔が出現。多くの悪魔を率いて多数の国民を拉致。死者多数。“蒼の薔薇”と“漆黒”のアダマンタイト級2チームを中心とした作戦で撃退』

 

 相変わらず簡素な報告だ。

 そう思いながら組合からの使者に話を聞くと、彼は青ざめて恐るべき被害の噂を語った。事件は数日前に起きたもので、国家に縛られない冒険者の中には、実際に王国でその惨状を見て帝都に逃げてきた者もいるという。

 彼らは異口同音に、あの場に戻りたくないと言っているらしい。

 

――またしても王国での事件か

 

 青ざめた男を前に、ブルー・プラネットは苦笑する。帝国では、少なくとも表面上は、大した事件は起きていない。皇帝の治世が良いのか、社会が上手く組織化されているためか、それとも土地柄か……

 

「この帝国にも、帝都にも、いつその悪魔がやってくるか分かりません」

 

 震えながらそう呟く男の肩を、ブルプラは――ブルー・プラネットは軽く叩いて勇気づける。

 

「大丈夫ですよ。帝国にもアダマンタイト級の冒険者がいるのでしょう? それに四騎士だって、フールーダ様だっていらっしゃるのですから……」

 

 いざとなれば俺だって――そう考えながら、ブルー・プラネットは王国にも情報網を張り巡らせるべきかとも思案する。仮に「モンスターの出現しやすい地域」というものがあるのなら、異形種で埋め尽くされたナザリックもそこに出現している可能性だってあるのだ。

 

 たしか、最初にナザリックがあった場所は帝国と王国が接するあたりだった。その周辺を探索したとき、ナザリックはすでに消えていたが、それは王国内の別な場所に転移していたのかもしれない。

 

 組合の使者は帰っていった。

 ブルー・プラネットは、アイテムによるブルプラの支配を解き、思考に耽る。

 

 ナザリックが王国内に転移しているとしたら、王国も直に探索すべきだ。だが、ここから王国に行くのはかなり面倒だ――今の拠点から樹を伝って帝都を出て、そこから街路樹を利用して街道沿いに移動する。そして、上手く森があれば王国まで行けるが、その保証はない。

 魔力消費を考えなければ、帝都を出て人気のない街道から空を飛んで行くことも出来る。魔法を使った防空網はあるらしいが、第3位階程度のものでブルー・プラネットを感知することなどできはしない。

 

 だが、どこに行けばよいのか。まずは「王都リ・エスティーゼ」だろうが、それはどこだ?

 行き当たりばったりの旅では数日間かかる。その間、シモベは帝都に残すことになり、<獣類人化>の魔法が切れて折角の生活基盤を失うことになる。

 

(地図かあ)

 

 帝都に来る途中、交易商に地図のことを聞いてみた。だが、彼は「町から町への街道を伝っているだけですよ」と、地面に幾つかの丸を描き、それらを繋ぐ線を引いただけだった。

 帝都に着いて間もない頃、冒険者組合と薬師組合に周辺の地理を聞いた。彼らは帝都の中については教えてくれたのだが、その外の町との位置関係は非常に大雑把なものだった。

 

 あらためて夕方、冒険者組合に行って近隣諸国への道を尋ねてみる。

 組合の受付嬢は困った顔をして上役に話を伝える。上の階から降りてきた組合長はブルプラに「なぜそんなことを聞くのかね?」と訝し気に聞いてきた。

 

「ええ、ちょっと商売を広げるために交易を考えておりまして」

「うん? 街道沿いに行けば近隣の町に行けるが、それでは不満なのかね?」

「うーん、もっと遠くに行きたいんですが、護衛の冒険者さんはどうやって……?」

「大体の方角は分かるから、町から町へ、次の町への街道を確認して行くのさ」

「……もっと周辺の状況を一望できるようなものはありませんかね?」

「そういうものは将軍たちが持っていると思うが、一介の商人が手にして良い物ではないな」

 

 組合長は首を振り、2階に戻っていった。

 肩を落としたブルプラ達を見た受付嬢は「よろしければ、周辺の状況を確認するために冒険者を手配いたしましょうか?」と声をかけてくれた。

 話を聞くと、王都リ・エスティーゼまで冒険者に依頼して連れて行ってもらうことは可能だが、それにはかなりの日数がかかるという。

 樹を伝って移動することも、空を飛ぶことも出来ない冒険者たちなのだから当然だが。

 

(やめておいた方が良いな)

 

 冒険者を利用するなら、シモベを使う必要がある。何日間も共同生活をすれば、シモベたちの行動に違和感を持たれるだろう。途中で動物に変わったり、植物系モンスターに薬物を注入される依頼者を見たら、冒険者たちはどう行動するだろうか?

 

 今の自分の姿は「邪悪な樹の魔物」なのだ。こちらの説明が通じるとは思えない。

 万が一、ブルー・プラネットの存在が知れたら、その冒険者を“砦の牙”のように葬り去ることになる。その場合、依頼したブルプラたちが報告をすることになる。どうやって説明すればいいのか――ブルプラたちも元の獣に戻して「全滅した」という形にしたら、今までの生活基盤がすべて失われる。

 

「ありがとうございます。でも、今回は依頼はしないでおきますね」

 

 ブルプラは微笑んで受付嬢に答え、受付嬢は残念そうに「そうですか。それではまた」と会釈を返した。

 

――まあ、まだ王国にナザリックがあると決まったわけではない。

 いずれは探索に行かなければならないだろうが、まずは帝都で情報を集めてからでも良い。

 

(“蒼の薔薇”や“漆黒”が帝国にも来てくれたら、色々と話は聞けそうだが……)

 

 簡素な<伝言>を通じての情報よりも、直に王国内の魔物を倒している冒険者たちに話を聞いた方が詳しいことが分かるだろう。

 ブルー・プラネットはそう考え、今後の予定を立てる。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 そして、その日は来た。

 

「なあ、ブルプラさんよぉ、聞いたか? あの“漆黒”が帝都に来てるってよ」

「ほぉ、そうですか。それは素晴らし……ゲフンゲフン……失礼、えっと、あの“漆黒”ですか?」

 

 店に来ている冒険者たちの他愛ない噂話に、ブルプラはいつも通り愛想笑いしながらも気の無い返事をする。

 そこにアイテムを通して会話を聞いていたブルー・プラネットの意識が乗り移った。

 

「そう! あの“漆黒”よ。黒い戦士モモンと美姫ナーベ!」

「え、あれ? “漆黒”の美姫はガガーランではなかったですか……?」

 

 店にいた冒険者たちは爆笑した。

 ブルー・プラネットは自分の記憶を掘り起こし、間違いに気付く。

 そう、「美姫ナーベ」だった。ナザリックの戦闘メイド、ナーベラル・ガンマと良く似た名前の――意図的に思い出すことを避けていたが、まさかこうも完全に忘れたとは。

 

 あまりにも都合の良い自分の記憶力に呆れながら、ブルー・プラネットはなおも腹を抱えて笑い続ける冒険者に尋ねる。

 

「はは、勘違いでした。“漆黒”! 是非お会いしたいですね。どこに行けば会えるでしょうか?」

 




やることないと暇だよね。

ちなみに、「ガガーラン=美人ぞろいの”蒼の薔薇”メンバー」をまだ信じてたり。


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第19話 ”漆黒”と”フォーサイト”

ファーストコンタクト(未知との遭遇)



 帝都アーウィンタールに“漆黒”が来た。

 憧れの英雄が間近に現れたことで冒険者たちは軽い興奮状態で噂しあっている。

 

 曰く、中央市場で見かけた。

 曰く、帝都でも最高級の宿に泊まっているらしい。

 曰く、やっぱりすげぇ美人だった。

 

「その……“漆黒”はいつまで帝都にいらっしゃるのでしょうか?」

「ああ? この数日は帝都を見て回るつもりだって言ってたらしいぜ」

 

 平静なブルプラの質問に冒険者は不満げな視線を向ける。「人類最強の英雄が来たのに何を呑気な」と言いたげな表情だ。

 しかし、ブルプラは安堵の息を吐く。折角やって来た大切な情報源を逃していないことに。

 

 “漆黒”が来たという話を聞き、ブルー・プラネットに2つの考えが浮かんだ。

 1つは、熟練の冒険者であるアダマンタイト級の称号をもつ彼らから情報を得ること。これまで彼らがこなしてきた冒険、討伐したという「強力なモンスター」を詳しく教えてもらおうという考えだ。森を焼いたことについては一言注意したいが。

 

 そしてもう1つは、何故この帝都までやってきたのか、という疑問だ。

 

 冒険者には拠点となる都市があるらしい。特に、高レベルの冒険者になればそうだ。

 例えばもう1つのアダマンタイト級冒険者“蒼の薔薇”は王都リ・エスティーゼを中心として活動していると聞く。高度な武具や強力なマジックアイテムなどを修理するには専門の職人が必要であり、馴染みの店が出来る。そして、そのような店は一般に大都市に存在する。

 また、彼らを必要とする地元の有力者とのコネもある。アダマンタイト級冒険者を雇うとなると、その金額は庶民が払えるものではない。そして、地元の有力者はあえてその拠点から出ることは無く、依頼を受けるためには拠点に戻らなくてはならない。その結果、冒険者は「王都リ・エスティーゼの“蒼の薔薇”」という様に拠点と合わせて一括りで考えられがちだ。

 

 社会においては強者といえども有形無形の縛りが存在する。有名な存在になると、おいそれと自由には活動できないものなのだ。たとえそれが「国境はない」という建前の冒険者であっても。

 “漆黒”はリ・エスティーゼ王国のエ・ランテルという町を拠点としているらしい。それは先日の王都でおきた悪魔騒動では「助っ人」としてやってきたという情報とも符合する。

 

 王国最強の存在が何故、帝国に――それも帝都に現れたのか。

 

 ただの物見遊山とは考えにくい。それならば“漆黒”として来る必要はないし、来るべきではない。“漆黒”として現れたからには、そうである目的と大義名分が存在するはずだ。

 最近の王国で起きた大きな事件には“漆黒”が必ずと言っていいほど絡んでいる。ならば、“漆黒”は帝国で近い内に起きる――ひょっとしたら、すでに始まっている――大事件に関してやって来たのだろうか?

 

 ブルー・プラネットは冒険者に話を聞く。何故“漆黒”が来たのかと。

 

「いやぁ、知らねえよ。本人たちも言わねぇしな」

 

 他の冒険者たちが理由を知らない――つまり、組合の公募に応じたのではない。

 当然だ。公募されるような案件にアダマンタイト級冒険者が動くはずがない。やはり秘密の……

――ブルー・プラネットの疑問をよそに、冒険者たちは噂を続ける。

 

 やはり、“漆黒”はこの周辺の宿には泊まっていないらしい。この周辺には冒険者組合の紹介や補助を必要とする比較的低級の冒険者たちが多く、王侯貴族や大商人から直接依頼を受けることの多いアダマンタイト級ともなれば行動範囲はおのずと違ったものになるのだ。

 最高級の宿がある地区――ブルー・プラネットは場所を聞いて歯噛みする。樹が少ない商業地区で、アイテムをまだ仕掛けていない所だ。広い帝都を巡回するのに忙しく、後回しにしていたことを悔やむ。

 

 アイテムは今夜のうちに仕掛けるが、“漆黒”がその樹の前を通らなければ意味がない。まずは、ブルプラたちを使って宿まで“漆黒”に会いに行った方が確実だ。

 だが、今から出かけても“漆黒”の宿に着くのは夕方になる。有名人なのだから、会食などで忙しいかも知れない。人類最強と言われる存在に、一介の薬師が会いに行くのだ。何か手土産や話のネタ……前準備が必要だろう。

 

(会う前に、冒険者組合にも行って何か情報が無いか聞いてみるか)

 

 ブルー・プラネットは、久しぶりに状況が動くことに軽い興奮を覚えていた。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 そして翌日、ブルプラとネットはまず冒険者組合に向かう。“漆黒”の現状を知るためだ。

 

「はい、確かに“漆黒”は帝都にご滞在中です。ご用件は……申し訳ございませんが、公開の案件ではございませんので……」

 

 受付嬢は台帳を調べることもせず、“漆黒”の来訪を誇らしげに認める。元よりそれは秘密ではない。胸元に付けたプレートは、その冒険者の存在を公表するためのものだ。

 ただし、何の目的で帝都に来たのかは話せないという。これも当然だ。公募案件と違い、特定の冒険者を指名した案件は関係者の承認がない限り守秘義務が課される。特にアダマンタイト級の冒険者ともなれば依頼者は社会の上層部に限られる。そのような依頼者の要求をむやみに公にするわけにもいかないのだ。

 

「そうですか。では、一度お目にかかりたいのですが、今はどちらにご滞在中でしょう? あと、何かお好きな物とかご存知ですか?」

 

 受付嬢は快く“漆黒”が滞在している宿を教えてくれた。だが、彼らが好きな食べ物などの情報は持っていないようだった。

 

「特にお好みの食べ物などは伺っておりませんが……モモン様はどなたとも気軽にお話しくださるそうですよ。ご旅行の最中ですから、贈り物などはかえってご迷惑では?」

 

 その言葉を信じて、ブルプラ達は最小限の手荷物――話のタネになりそうなポーション等だけで宿屋に向かう。

 小便臭い街路樹が並ぶ町はずれの冒険者通りとは違い、帝都の中心――皇帝の居城から放射状に延びる大通りの一つに面する最高級の宿屋だ。

 

「おっ、ブルプラさんも来たね!」

 

 そう声をかけてきたのは帝都で知り合った商売仲間の薬師だ。彼もまた、“漆黒”に会うことを目的に来ていたらしい。薬師は他にも1人いた。

 彼らの話では、残念ながら“漆黒”は外出中らしい。帰ってくるのを待っているのだという。

 宿の前には英雄に会いに来た冒険者や武芸者も多いが、商人も大勢来ているようだ。

 商人たちが集まる目的は、高名なアダマンタイト級冒険者に商品を購入してもらうこと――

 

『あの“漆黒”が私の店のポーションを使っています』

――その宣伝文句のために、彼らは朝早くから張り込んでいたという。

 

「ところがさ、あの美姫ナーベに『道を開けろ、ヒメマルカツオブシムシ』の一言で追い払われちまってな」

 

 やれやれと両手を広げて自嘲する商売仲間の言葉に、ブルー・プラネットは衝撃を受ける。

 

(ヒメマルカツオブシムシ、だと? それは元の世界における昆虫の種名だ……)

 

 かつて友人の弐式炎雷に渡した生物図鑑に載っているはずの名だ。

 そして、この世界ではその昆虫を見ていない。

 

 念のために、その商人に聞いてみる。

 

「はは……ヒメマルカツオブシムシって、何ですかね?」

「さぁて、ね。何かの魔獣かね? ブルプラさんでも知らないの?」

 

 商人と言っても薬師として研鑽を積んだ男たちだ。当然、この世界の動物種、動物性素材の保管には詳しい。その彼らが知らないとは――

 

(他人の空似なんかじゃない! 美姫ナーベは、ナザリックのナーベラル・ガンマだ!)

 

 それは確信だった。

 ならば、そのナーベが着き従うという「戦士モモン」とは……

 

『弐式炎雷さん、聞こえますか? ブルー・プラネットです』

 

 先日と同じく<伝言>で呼びかけるが、魔力の糸は空しく宙に消え、応答はない。ならば……

 

『モモンガさん? 聞こえますか?』

 

 モモン、という名から連想したギルド長に呼びかける。

 しかし、応答はない。魔力の糸が何か滑った感覚を残して消える。

 

『えーと……おい、ベルリバー、いるんやろ?』

『もしもーし、ペロロンチーノさーん?』

『もしもし? ぷにっと萌さん、いてますか?』

『やっほー! ヘロヘロ、元気かぁ?』

『あの、すんません、たっち・みーさん、いらっしゃいますか?』

『おい、ウルベルトォ……いるんなら返事してくれ……』

『タブラさん、タブラさん……聞こえたら返事してください……』

『源次郎さん、源次郎さん……いないですか、やはり……』

『るし☆ふぁー、この際お前でもいいから。悪ふざけしてないで出てこい。怒らないから』

 

 思いつくままに仲間の姿を思い浮かべ、<伝言>で呼びかける。

 だが、返事はない。魔力の糸は空振りするばかりだ。

 

 何事かブツブツ言いながら肩を落とすブルプラを、仲間の商人たちが慰める。

 

「まあ、モモンさんは気さくな人でね、昼には戻ってきて、午後から北の市場を回るっつーこった。その時に会って話せるチャンスもあるだろうよ」

「だが、あのナーベってのは誰でもキツイって噂だからな。ブルプラさんも気ぃつけなよ?」

 

「昼には戻ってくるのですか?」――商人たちに確認し、世間話をしながら昼を待つことにした。

 彼らの店は若い者に任せているらしい。ブルプラの店も今日は休業としている。

 ネット1人に任せるのは流石に不安で、ネットを荷物持ちとして2人で来ているのだ。

 

 最高級の宿だけあって警備が厳しく、入り口に陣取るわけにもいかない。道を挟んでやや離れた店に入り、商人たちは茶を飲みながら宿に目を光らせる。呑気にお喋りをしながら“漆黒”を待つ商人の横で、ブルプラは――ブルー・プラネットは上の空だ。しきりに辺りを見回し、“漆黒”が来ないか見張る。

 

「ブルプラさん、あなたらしくもない。早いもん勝ちってわけでもないんだからさ」

「そうだよ。抜け駆けは無しで、品質勝負で行きましょ?」

 

 キョロキョロと周囲を見回すブルプラを、商人たちは笑って諫めた。ブルプラは笑って頷き、それでも落ち着かない。ブルプラの身体を支配しているブルー・プラネットの認識は、宿の樹とブルプラ――自分の目であり耳でもある2つの傀儡の間を飛び交っているのだ。

 

 そして、昼になる。

 

「あ、来ましたよ」

 

 ブルプラの背後の方向から宿に戻ってくる“漆黒”を目ざとく捉えたのは商人だった。

 

「では、行きましょうか。勝負は正々堂々と、ね」

「ええ、それでは行きましょうか」

 

 茶の代金を支払い、商人たちはテーブルを立つ。いや、立ちかけた姿勢でブルプラは硬直する。

 

「ん? どうしました、ブルプラさん?」

 

 心配する商人の声もブルプラの耳に入らない。

 ブルー・プラネットはブルプラの肉体を操りながら、その感覚は宿の近くにある樹に集中していた。“漆黒”がそのすぐ横を通ったとき、その姿、そして交わされる会話が、ブルー・プラネットの精神を直撃した。

 

『モモンさん、“キャプシノ”の味はカフェラテによく似ております。あれよりももっと苦みが強く、雑味が除けていない上に、甘みや円やかさが足りないのですが』

『ほう、そうか、あの白いモコモコがなぁ……カフェラテに近いのであれば、シクスス達が気に入るかもしれんな。どうだ?』

『恐れながら、アインズ様……いえ、モモンさーん、ナザリックで提供されるものに比べましたら……』

『ははは、そうか、それもそうだな。この世界の料理一般に言えることだが――』

 

 アダマンタイト級冒険者“漆黒”の「美姫ナーベ」は、まさしくナーベラル・ガンマであった。

 しかし、ユグドラシルでは能面のように動かなかったその美しい顔は、まるで生きているかのように目や口を動かし、言葉を発している。

 そして、機嫌よくナーベラルと話している黒い甲冑に身を包んだ男の声は――ブルー・プラネットの記憶にない。ナーベラル・ガンマがその男に呼びかけた名は「あいんずさま」――多分、「アインズ様」なのだろう。「モモン」という名は偽名だったのだ。

 

(アインズ様……アインズ・ウール・ゴウンを名乗る戦士……ギルドメンバーではない……)

 

 ブルー・プラネットの脳裏には、彼のトラウマとなっている幼少期の童謡が早回しで繰り返し鳴り響いていた。あの忌まわしい曲――タブラ・スマラグディナのホラー映画コレクションで掘り起こされた悪夢……

 

『夜中に皆が寝静まったころ、オモチャが箱を飛び出して、子供の枕元で踊り狂う』

 

 そんな歌詞がチャチャチャという奇怪な擬音とともに流れるその曲は、ユグドラシルの友人たちも多くが「あの曲、苦手で布団かぶって泣きながら寝た」「そうそう、布団の隙間から人形が来ないかみてたりね」と語り合ったものだ。

 その話題で盛り上がった後、ウルベルトは自分の創造したNPC、デミウルゴスの配下に「おかしな話し方をする道化師」を加えようと提案し、タブラのコレクション鑑賞会が始まった。

 

 ホラー映画マニア、タブラ・スマラグディナが見せてくれたクラシック映画は

「人形に悪霊が乗り移り、殺人事件を繰り返す」もの、

「意思を持つ人形の集団が人を襲う」もの、

「家が邪悪な意思を持ち、休暇に訪れた家族を惨殺する」もの等々であった。

 

 人形達が自分の意志をもって動き出す。邪悪な家が来客を食い殺す――悪夢。

 

「どうしました、ブルプラさん? 先に行きますよ?」

「ふふ……ふひっ……ふひぃぃぃぃぃ……」

「おい、ブルプラさん! あんた今日、おかしいよ?」

 

 心配そうな商人たちの声にも応えず、ブルプラは泣きながら逃げ出した。慌ててネットもそれに続く。

 あとに残された商人たちは、何が起きたのか分からないという風で顔を見合わせる。

 

 ブルプラさんは今日は何か変だったね。先ほどは何かブツブツと「聞こえるか」と繰り返していたし、いきなり泣き笑いで駆けだすし……

 

「天才と何とかは髪一筋の違いって言うしな」

「まあ、落ち着いたときに、お茶代建て替えた分を返してもらわなきゃいけませんね」

 

 そんなことを言い合いながら店を出て、“漆黒”に自分たちのポーションを売り込みに行く。

 その“漆黒”は、いきなり道を泣きながら駆けていく狂人に驚いて足を止めていた。

 

「モモンさん、うちのポーションを使ってみてはもらえませんか? お安くしときますよ!」

「邪魔だ。道を開けろ、このスベスベマンジュウガニ」

 

 モモンが何かを言う前に、立ち塞がった美姫ナーベの一言で再び商人たちは撃退された。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 ブルプラは暫く走り、何度も角を曲がってようやく立ち止まる。

 

「ブ、ブルー・プラネット様、い、如何なされ、なされました?」

 

 追いついたネットが息を切らして問いかける。ブルプラの肉体は、本人の意思とは関係なく全速力で走り続けたために心臓は早鐘を打ち、喉が焼けるように熱い。足は、立っているのもやっとというように、ふらついている。

 運動不足が祟って太り気味だったブルプラには苛酷な逃走だった。

 

「……すまん。少し思う所があってな」

 

 ブルプラの状態を見て、ブルー・プラネットは冷静さを取り戻す。カバンに入れていたポーションを飲み、体力を回復させると、ブルプラ――ブルー・プラネットはシモベ達に謝罪し、誤魔化した。

 

 失態だ――シモベたちの前で取り乱してしまったことへの後悔と反省はある。

 だが、そんなことよりもブルー・プラネットの心を占めているのは、恐ろしい予想――

 

(まさか、ナザリック地下大墳墓が意思をもち、自分で動き始めたというのか!?)

 

 これが現実世界であれば一笑に付すべき妄想だ。だが、この世界ではブルー・プラネットの予想を超えた超自然的現象が次々と起きている。

 魔法だって存在しているのだ。

 シモベも――ユグドラシルではただの案山子だったものが、こうして自分の意志で動いている。

 ならば、ナザリックのNPCたちが自分の意思をもち、世界を狙うこともあり得ない話ではない。

 

(では、「アインズ様」とは何者だ?)

 

 昔のギルドの名をもつ彼がナザリックのリーダーである確証はない。

 同じように「ナザリック様」がいるのかもしれないし、「アインズ様」は他の「ウール様」、「ゴウン様」と合わせた大幹部三人衆の一人、という可能性もある。ギルド<アインズ・ウール・ゴウン>がナザリック地下大墳墓を征服する前にいたボスキャラが操作する傀儡、王国や帝国を調査するために送り込まれた斥候かもしれないのだ。

 

(分からん……だが、ナザリックのあれらが意思をもち、この世界に現れることを目論んでいるのであれば……この世界は確実に崩壊する!)

 

 ようやく馴染み、愛着が生まれたこの世界。

 生命にあふれ、これからの可能性を秘めた人間たちが必死に生きているこの世界。

 それが滅ぼされる可能性がある。

 

 ブルー・プラネットは必死になって考える。これはもう、自分一人の問題ではないと知って。

 ナザリックの現状を何としても探り、可能ならばその野心を止めねばならない。

 

(“漆黒”を追っていけば、ナザリックに辿りつくことが出来るだろう。しかし、彼らの正体が分からないまま近づくのは危険だ)

 

 意思をもったナザリックから来た“漆黒”は、この世界の冒険者たちよりも遥かに強力であることは間違いない。異常な速さでアダマンタイト級に昇級したという彼らの実力は、到底“アダマンタイト級”という言葉で括れる範疇にないはずだ。

 

 どうするか――ブルー・プラネットが考えあぐねたその時、帝都の樹々に仕掛けたアイテムの1つがキーワードを感知する。

 

 反応したキーワードは【遺跡】。場所は帝都の中央近く。情報を期待してアイテムを仕掛けていた商店街の一角だ。

 ブルプラがいるここからそう遠くない。だが、歩いていくには時間がかかる。

 

 ブルー・プラネットは慌ててブルプラから意識を移し、キーワードを感知した場所に向かう。

 これまでも【遺跡】というキーワードは偶に拾うことがあったが、それらの多くは昔話に関わるものだった。

 だが、“漆黒”が現れたこのタイミングでキーワードを感知したということは……

 

 続いて、その樹が更に2つのキーワードを探知したことを知る。

 

 【遺跡】 【地下墳墓】

 

 まもなく、その樹と意識を共有できる範囲に入る――入った。

 ブルー・プラネットは、耳を澄ます。その樹は「歌う林檎亭」のマスコットとなっている鉢植えの林檎の樹だ。カウンターの横に置かれたそれは、ブルー・プラネットが意識を入れるには小さすぎるが、アイテムを仕掛けているので音は聞こえる。その周辺には、実体化できるほど大きな樹は見当たらないので直接の知覚は出来ない。

 

『――が高いという非常に珍しい契約で、かつ、かなり高額な金額だな。さらに――』

 

 男の声が聞こえる。相槌などから男2人に女2人の計4人のチームであることが分かる。

 

『――そこが未発見の墳墓らしいということだ』

 

 当たりだ。大当たりだ。

 ブルー・プラネットは“漆黒”とは別の手掛かりに興奮する。そして、アイテムを通じてシモベたちの場所を確認し、彼らに呼びかける。

 

『お前たち、すぐに来い。場所は『歌う林檎亭』。分かるか? 誘導する。お前たちの目や耳が必要だ』

 

 そして、冒険者――いや、ワーカーと呼ばれる裏家業に近い者達らしい4人の話に耳を傾ける。

 フェメール伯爵が依頼者である、王国の領内にある、周辺に小さな村がある……重要な情報が次々に集まってくる。

 場所はトブの大森林近くだという。紙を開く音――地図のようだが、音では分からない。

 シモベが来てくれれば、彼らに盗み見させることも出来るのだが……まだ来ない。

 

『――それはエ・ランテル近郊のこの【遺跡】には直接――』

 

 ブルー・プラネットは場所を聞きながら心の中で地図を組み立てながら、「やはり」と思う。

 なぜ「アインズ様」のチーム“漆黒”がこの帝都に現れたのか、その理由が分かったのだ。

 

(まず間違いない。こいつらは「アインズ様」がこの世界の戦力を測るための生贄だ)

 

 様々な事件を起こし、この世界の対応を調べる。そして“漆黒”がその後片付けをする。証拠隠滅も兼ねて。

 王国の戦力が明らかになったため、今度は帝国において事件を起こして帝国の実力を見るのだろう。

 帝国軍との衝突の前に、こういう小規模な「消えても問題ない」、それでいて腕の立つ者を誘い込み、ナザリックの防衛機能を確認する計画だ。

――それで辻褄が合う。

 

 “漆黒”は、冒険者組合で適当なチームを「共同調査」の名目で集めに来たのだろう。そして、白羽の矢が立ったのが、このワーカーチームなのだ。

 

(明らかに「アインズ様」は……ナザリックは、この世界を支配する準備を重ねている)

 

 ブルー・プラネットの心に焦りが生じる。

 シモベはまだ来ないのか――シモベの首輪に埋め込んだポインターがその位置を知らせる。

 近い、もうすぐ来る。

 

 やがて、ブルプラとネットが『歌う林檎亭』の前に辿り着いた。

 急いできたため、少々息が上がっている――これでは怪しまれるに違いない。

 ブルー・プラネットはブルプラに乗り移り、少し息を整えてから店に入る。

 

「ん? あんたたち、何か用事でもあんの? あいにく主人は買い物中で留守よ」

 

 店にいた4人の客のうち、眼つきの悪い女が2人に声を掛けてきた。

 何故か機嫌が悪そうで、ブルプラのことをジロジロと見つめている。下手なことを言ったら殴りかかってきそうな雰囲気だ。

 

「え、ええ……お客さんたち、ワーカーだね? うちのポーションを試してみないかい……と思って……来たんですが……はい……」

 

 女の目つきの悪さ、そして勢いに気圧されたブルプラが、しどろもどろで答える。

 

「ん、あんたたち、ポーション売り? ひょっとして『ドルイドのポーション売り』かい?」

「ええ、そうですよ。えーと、お客さんたちはうちの店に来てくれたことが……?」

 

 短く髭を刈りこんだ男が問いかけ、それに答えたブルプラに「なんだ」とでも言いたげな表情を向けて、目つきの悪い女は席に座りなおした。

 

「いや、まだ寄らせてもらってないよ。でも、ほら、そんな上等の服を着た薬売りなんてあまりいないからさ……噂になってるよ。値段の割に良いモノを売ってるってね」

「はは、ありがとうございます」

「で、そのドルイドさんたちが何で? 店はどうしたんだね?」

「良いものでも宣伝しないと売れませんからね。今日は店を休んで宣伝です」

 

 髭の男がブルプラ達と会話をしている間に、小柄な女――少女と言ってもいいその女は、そそくさと地図をカバンに仕舞う。

 

「おっと、お仕事の打ち合わせ中でしたか? すみませんね」

「いや、いい。もう終わった」

 

 ブルプラがそちらに目を向けて声をかけると、素っ気ない口調で少女が答えた。

 

 打ち合わせの邪魔をされた4人は、それでも不快な表情を見せない。むしろ、何か助かったという表情を浮かべている。

 ブルー・プラネットは、その理由を知っている。

 シモベたちが到着する直前に、すでに仕事の打ち合わせは終わっていたのだ。

 今の話題は、その少女の事情について――どうやら多額の借金を抱えており、妹を連れて家を出るとか、そういった話だ。聞いていて心地の良い話ではなく、少女の仲間たちの表情も複雑だった。

 そういう雰囲気を吹き払ってくれたブルプラたちの登場は、むしろ彼らにとって話題を転換する良い機会となったのだ。

 

「ふーん、宣伝なの。じゃあ、そのポーション、ちょっと見せてくれる?」

 

 痩せた、眼つきの悪い女がブルプラに声を掛ける。

 

「ええ、これは試供品です。無料ですのでどうぞ」

「へぇ、黄緑色のポーションなんて初めて見るな……って、無料で?」

 

 一癖ありそうな、それでも不思議に人を惹きつける若い男が横から口を出した。

 

「はい、従来の錬金溶液と魔法からなる回復ポーションと同等の効果をもちながら、薬草由来の成分を使って安く製造可能ですので、ぜひ、お試しいただきたいと。それでお気に召しましたら、次回から……」

「なるほどね……そうだな、お宅の店じゃ回復や解毒以外の、例えば行動阻害系のポーションとかも置いてあるのかい?」

「ええ、置いてありますよ。他所よりお安くなっていますが、効果は確かです」

「へぇ、そりゃ良いな。今度、寄らせてもらうよ。俺はヘッケラン。“フォーサイト”のヘッケランだ」

 

 若い男――ヘッケランは人懐こい笑顔を浮かべ、自己紹介する。

 

「お金を貯めなきゃなりませんからね……私はロバーデイクです。よろしく」

 

 短い髭の男が悪戯っぽい笑みを向けてヘッケランに軽口を飛ばし、続いて名乗る。

 

「私は、イミーナ」――眼つきの悪い女。

「アルシェ」――素っ気ない少女。

 

 それぞれが名乗り、ブルプラたちを見る。

 

「ええ、“フォーサイト”の皆さんですね。私はブルプラ、こちらはネットです。よろしく」

 

 ブルプラたちも、あらためて挨拶をする。

 

「ちょっと見せてもらっても良い?」

 

 アルシェが黄緑色のポーションをイミーナから受け取り、魔法で鑑定する。

 

「……確かに回復効果がある。でも錬金溶液の<軽症治癒>とは違う。高純度だけど……」

 

 アルシェは効果を認めながらも首を捻った。このようなポーションは見たことが無いと言いたげに。そして、それを製造したブルプラたちに目を遣り、再び首を傾げる。

 

「はは、分かりますか? 珍しい魔法植物の抽出液ですよ」

「でも、あなたは『薬草が原料だから安い』と言った」

 

 アルシェがすかさず突っ込む。

 賢い子だな、とブルー・プラネットは感心する。もし薬草の研究の道に進んでいたら優秀な研究者となっただろう。

 

「ええ、安い魔法植物の薬効とドルイド魔法との相乗効果により、値段の割に効くんです」

「安い魔法植物……?」

 

 アルシェは、なおも不思議そうにポーションとブルプラたちを交互に眺めている。

 

「お気に召しましたら、どうぞお使いください。何か疑問があれば、いつでも私の店に来てくださっても構いませんよ」

 

 ブルプラが再度勧め、アルシェは頷いて何か言いたそうに仲間を見回す。

 

「いいんじゃないか? アルシェが持っておけば。俺たちには魔法のことはよく分からん」

「ありがとう。そうさせてもらう」

 

 ヘッケランが頷いて言い、他のメンバーも同意を示す。アルシェは礼を言って、黄緑色のポーションを大事そうにカバンに仕舞いこんだ。

 

「それで、皆さんはこの宿にお泊りなんですか?」

「ああ、俺はな。近所から来てる奴もいるが」

「そうですか……それでは皆さん、お邪魔しました。またいつでも店にお越しください」

 

 ブルプラの質問に、ヘッケランが頷いた。

 それを見てブルプラとネットは一礼し「歌う林檎亭」から出ようとする。

 

「おや、ブルプラさん達じゃねーか。今日もポーションの売り込みなのかい?」

「ええ、お留守でしたので、こちらの方々が……それでは、お邪魔しました」

 

 ちょうど帰ってきた宿の主人にも挨拶し、あらためて“フォーサイト”にも会釈をしてブルプラたちは出ていく。そんな2人を“フォーサイト”の面々も軽く手を上げて見送った。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

『――で、どうなの?』

 

 ブルプラたちが扉から出て行ったのを見送り、イミーナがアルシェに問いかける。

 

『なにが?』

『何か不思議そうにあいつらを見てたじゃない』

 

 2人の会話は鉢植えに残されたアイテムから伝わっている。

 

『あの人たちからは、それほど強い魔力を感じなかった。何かの魔力を帯びているのは確かだけど、ハッキリしない。確かにこのポーションには<軽傷治癒>の魔法効果があるけれど――』

 

 アルシェが違和感を説明する。

 

『そりゃ、ドルイドだからじゃねーの?』

『そうですね、私の魔法も信仰系ですから、アルシェには見えないのでしょう?』

 

 ヘッケランが、何が問題なのか今一つ分からないという口調で割り込んだ。

 ロバーデイクの声が続いた。彼もヘッケランと同じ口調だ。

 

『そう……だけど、あの2人にはどうも不思議な雰囲気がある。それに、このポーションは物凄く純度が高い魔力で作られている。普通は魔法生物から不純物を分解して魔力を結晶化して、錬金溶液としてから位階魔法の性質を与えるのだけれど、魔法植物から直接となると純度が……』

『アルシェにも、魔法のことで分からないことがあるんだね』

 

 アルシェが首を傾げながらポーションの作成法を説明し、少し驚いたようなイミーナの声がした。だが、その声にはどこか……嬉し気な、安心したような響きがある。

 

『いいじゃねーか。明日、正式に仕事を請け負うんだ。その後に準備をするとき、あいつらの店に行ってみたらもっと分かるんじゃねーの? アルシェが興味あるんならさ……それに、安いって話だし』

 

ヘッケランの鶴の一声に皆が了承の声を上げ、“フォーサイト”の集まりは解散となった。

 




捏造設定:ポーションの作り方
この世界の生物は魔力を帯びており、その魔力を分離したものが「錬金溶液」。
”生”の魔力の塊である錬金溶液に位階魔法を固定して目的のポーションを作る。
原料から魔力を分離して錬金溶液にするには幾つかの方法あるが、いずれの方法でも「この世界のオリジナルな成分」をできるだけ取り除いて「ユグドラシルの成分」を純粋に取り出すことで高品質な錬金溶液となる。
得られる「魔力の結晶」はユグドラシルにおける「データクリスタル」と同等で、様々なマジックアイテムの作成に使われる。


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第20話 生贄たち

迫るナザリック!
世界の平和を守るため GO GO Let's GO!
(行け! 贄たち!)



 自分の店に戻ったブルプラたちを前に、2階で実体化したブルー・プラネットは天井を睨む。

 

 今日、得られた情報は大きく分けて2つ――

 1つ目は、冒険者チーム“漆黒”が実は正体不明の「アインズ様」とナーベラル・ガンマからなるナザリックの偵察隊で、自分の意思をもっていること。

 2つ目は、“フォーサイト”というワーカーのチームがナザリックの探索を依頼されたらしいこと。依頼主はフェメール伯爵だが、それは“漆黒”が手を回したのだろう。

 

「ほぅっ……」

 

 ブルー・プラネットは天井を向いて大きく息を吐く。シモベたちはそんな様子の創造主を不安げに見守るが、今のブルー・プラネットには彼らを思いやる余裕はない。

 これからどうすべきか……考えをまとめているのだ。

 

(まさか、ナザリックが得体のしれない者に支配されているとは……)

 

 今までは、自分が人間であった証として、ナザリック地下大墳墓を見つけることが目的だった。

 転移の指輪も<帰還>も作動せず、ナザリックの座標が狂ったのだと考えて、冒険者組合などを通じて地道に場所を探し当てるつもりだった。

 だが、どうやらそれは間違っていたらしい。

 ナザリックのNPCが防衛のために外部からの転移機能を無効化していた可能性がある。

 

(転移が作動しなかったのは、むしろ幸運だったか……)

 

 下手に転移して、いきなり謎の「アインズ様」に相対するよりは。

 おかげでこうやって考える時間が出来た――その事実は、内部に潜む者の甘さを意味する。

 

 プレイヤー仲間が「世界征服しようぜ」とナザリック内部で企んでいたならば、外部からの干渉には手痛いしっぺ返しを食らわせたはずだ。覗きには挨拶代わりに<爆裂>を仕掛けるくらいは当然だ。

 転移機能をオフにして終わり、などという初心者の陥りがちな安易な方策に止まるはずがない。少なくとも何か探知を仕掛けるはずだし、凶悪な迎撃魔法を発動していただろう。いや、転移先を誘導して捕獲するか地中深くに飛ばしたか。

 

(奴らが未熟なことは確かだ……まだ、付け入るスキがある。奴らの罠を逆に利用してやる)

 

 ブルー・プラネットが森で創り出したシモベは人間社会を知らなかった。ナザリックのNPCたちも同様であった可能性はある。だからこそ“漆黒”を偵察に出したのだ。

 そして“漆黒”は“フォーサイト”を生贄として用意した。つまり、たとえ外部からの侵入を許しても絶対に対処できるという驕りがそこにある。この世界の力を見くびっており、そこに隙がある。

 

(奴らのボスを調べて……俺に対する反応を調べる必要もあるか)

 

 世界を蹂躙する力をもつナザリックを力で止めることは難しい。だが、ブルー・プラネットが「ナザリックの一員」として認められるのであれば――贅沢を言えば、かつて自分が創造したNPCだけでもブルプラたち並みに従ってくれるのであれば、ナザリックのコントロールに成功する可能性も生まれる。

 だが、直接連絡を取るのは危険すぎる。この世界で創造したシモベは絶対的な忠誠心をもっているようだが、勝手に目覚めたナザリックのNPCもそうであると考えるのは虫が良すぎる。「アインズ様」の下で行動するNPC達はホラー映画のように住人を殺す邪悪な存在かもしれないのだ。

 安全な場所から何とかしてナザリックのボスキャラを調べ、元ギルドメンバーである自分への態度を調べなければならない。

 

 正直、化け物屋敷――自分の意思で動く玩具にはトラウマがある。特に理由が無ければ「ナザリックが存在した」という事実だけで我慢し、侵入することは諦めていただろう。

 だが、ナザリックを止めることが出来るのは、今や自分しかいない。

 

 この世界を守るために――その思いがブルー・プラネットを奮い立たせる。

 

「よし、決まった!」

 

 ブルー・プラネットは叫び、枝で膝のあたりを叩く。

 前に控えていたブルプラとネットがピクリと体を震わせ、ブルー・プラネットを見上げた。

 

「まだ時間があるな。お前たち、市場に行って足の速い獣を1匹買ってきてくれ」

「はい……足の速い獣ですか?」

「ああ、もう1人、シモベを作る。素早い者が望ましいからな」

「なるほど……承知いたしました」

「ウサギのようにあまり小さいものは困るぞ。人間の子供より大きい獣だ」

「はっ!」

 

 ブルプラとネットは市場に出る支度を始める。

 

「ああ、それから、昼に会った男たちを覚えているか? 薬師の格好をした商人だが」

「はい、覚えております」

「会うことは無いと思うが……万が一、彼に会ったら『いきなり駆けだして申し訳ない』とだけ言って銀貨を1枚渡しておいてくれ」

 

 錯乱した自分を思い出し、恥ずかしげな声で言う。あの商人たちに「ブルプラさんが、ついにおかしくなった」と噂を流されるのも困るのだ。

 

 シモベたちが買い物に出かけた後、ブルー・プラネットはアイテムの準備をする。

 アイテムボックスを開き、ユグドラシルのガチャで得たハズレアイテム「木彫りの人形」を取り出す。超レアアイテムを入手するために、ギルド長であったモモンガさんが山のように引き当てたものだ。その後、やまいこさんが一発で当てたと聞き、自分も、とやってみたのだが、当然のごとく外れた。その1回で得たアイテムが役に立つとは思わなかったが……

 

<署名>(シグネチャー)

 

 ブルー・プラネットは「木彫りの人形」に向かい、自分の名前あるいはシンボルを刻み込む魔法を発動する。ユグドラシルにおいては、より上位の魔法で消去されることも書き直されることもあるため所有権の根拠にはなりえない。しかし、自分の居室用に名札を作ったり、NPCに密かに製作者名を書き込んだりする程度の楽しみには使える低位階の魔法だ。

 

 人形の裏に日本語で「ブルー・プラネット」と文字が浮かび上がる。

 それを確認し、次に、枝の先端をとがらせて人形の横に小さな穴をあける。そして、その穴に自分の指から延ばした蔦を通し、シモベたちに持たせたのと同じ「幸運の首輪」を作り出す。それにポインターとなる「紅一点」の小さな紅い花をつけて完成だ。

 

「うん、まあ、こんなものかな」

 

 ブルー・プラネットは首輪の出来栄えに満足する。決して器用ではない広川がここまで上手く作業できるとは、ブルー・プラネットは自分でも驚いていた。ドルイドには木製アイテムを作り出すスキルもあるが、その恩恵もあったかもしれない。魔法もそうだが、ゲーム上で設定された能力を現実に本能的に使えるのは便利なものだ、と。

 

「さてと……彼らの様子を見てきますか、っと」

 

 仕事が順調に済んで気を良くしたブルー・プラネットは、“フォーサイト”の様子を見に「歌う林檎亭」の樹に意識を移す。

 彼らの声は聞こえない。既に外出したようだ。だが、夕方になれば宿に戻ってくるだろう。

 獣を買いに行ったシモベが帰ってくる方が先だろうか。

――ブルー・プラネットは店の2階に戻り、シモベを待つ。計画をより詳しく練りながら。

 

(先回りして準備をするべきだろうが、場所は……)

 

 ナザリックの場所は“フォーサイト”たち生贄の後を付ければすぐに分かる。 

 しかし、何重にも張り巡らされた罠で守られるナザリックは正面突破では1500人の軍勢ですら防ぎきる能力がある。元メンバーとして罠を熟知しているブルー・プラネットでもその警戒網を出し抜いて潜入するのは並大抵のことではない。何より引退後の改造やアップデートには対応できていない。

 墳墓の外にも出歩いているNPC達もいる。現地の状況を調べ、数日かけて準備するべきだ。

 先回りして準備するために、アルシェという少女が持つ地図が欲しい。宿では盗み見る間もなくカバンに仕舞われてしまったが、それを奪いとるために新たなシモベを創造しよう。

 

――そこまでは考えていた。

 だが、奪い取ってどうするか。作った首輪を渡すため、より細かい計画が必要だ。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 シモベたちが帰ってきた。

 大きな檻の中に鹿によく似た獣が入っており、それを2人がかりで運んできたのだ。

 

「おお、これは足が速いのか?」

「はい、ブルー・プラネット様。これは私がいた森の獣たちの内で最も素早いものです」

 

 檻の獣は生きてはいるがグッタリとして動かない。捕まったときに脚を折られており、更には暴れ疲れているのだろう。

 

「ああ、ありがとう……しかし、可哀想なものだな」

 

 ブルー・プラネットが獣を憐れむと、シモベたちは「そうでしょうか?」という顔をする。

 一口に「森の獣」と言っても同種ではないのだから当然か――そう思いなおし、ブルー・プラネットは檻の中の獣に<獣類人化>の魔法を掛けた。

 

 痩せて小柄な男が誕生する。金髪で青白い肌……目を閉じ、身体を丸めて眠っている。

 人間となった獣を檻から出し、枝を刺して「回復」を注入する。

 男は目を覚まして跪き、臣下の礼を取った。全裸で。

 

「……すまない、こいつに合った服と靴、そして大きめのフードを買ってきてくれ。新しいものではなく、古着の方が良い」

「はっ!」

 

 檻を運んで疲れているであろうブルプラたちにも「回復」を掛け、再び買い物に行かせる。

 

「さて……」

 

 ブルー・プラネットは、この男――3番目のシモベにも名前を付けねば、と思案する。

 特に良い名が思いつかなかったので、前のシモベたちと同様に自分の名から適当に捻った。

 

「お前の名は……ブルー・スリーだ」

「はっ! ブルー・プラネット様のシモベとして、この命の限りお仕えいたします」

 

 前のシモベたちと同じ何かで繋がった感覚があり、この新たなシモベも絶対服従だと分かる。

 

「よろしい。では、早速だが明日の計画を伝える」

 

 ブルーに<知力向上>の魔法を掛け、自分の意図を十分に理解できるようにした上で、ブルーが為すべきことを伝える。これは、ブルプラやネットたちが知らない方が良いと考えられ、2人が買い物に行っている間に済ませておいた。

 

「それでは、ここでしばらく待っててくれ」

 

 ヘッケラン達“フォーサイト”の様子も見ておかなければならない。

 店の2階の樹から「歌う林檎亭」まで樹を伝って移動し、ヘッケラン達が宿に戻っていることを確かめる。ヘッケランはちょうど宿の食堂で肉入りのシチューを美味いと言いながら食べていた。

 

 満足そうに2階に戻ったブルー・プラネットが寛いでいると、ブルプラたちが戻ってくる。

 

「これで良いかと思われますが」

 

 ブルーにシャツとズボンを着せてみると、若干の不具合はあるが概ねサイズは合った。その上にフードを羽織ると何も問題は無さそうに見える。靴も――つい先ほどまで獣であった身には不慣れのようだが移動は問題なさそうで、ブルーは小刻みに飛び跳ねている。

 

「うん、少し歩き回ってくれ……問題は無いか?」

「はい……ですが、これは無い方が速く走れると思われます」

「そうか? 外は石畳だぞ。今のうちに慣れておいた方が良いと思うが」

「左様でございますか。では、少し外を歩いて慣れたいと思います」

「ああ、そうだな。そうしてくれ」

 

 ブルー・プラネットとブルーの会話を聞き、ブルプラとネットは不思議そうに尋ねる。

 

「ブルー・プラネット様、この者は、何を為すためにお創りになられたのですか?」

「ん、それは、お前たちは知らない方が良いだろう。あと、この者の名はブルー・スリーだ」

 

 ブルプラとネットは、若干嫉妬したような視線を新参者に浴びせたが、すぐに跪き、頷く。

 創造主が秘密だというのであれば、それを尋ねるのは不敬であると納得したようだ。

 

「お前たちには、明日、大事な仕事がある。今日は良く休んでおくように」

 

 実際には魔法やポーションで睡眠も休息も取らずに働かせることは出来る。だが、シモベたちの視線を感じずにゆっくりと計画を練り直したい。

――そう考えて、ブルー・プラネットは3人のシモベに夕食をとらせ、早めに寝かしつけた。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 翌日、ブルプラとネットはいつも通り店を開く。そして、新参のブルーはブルー・プラネットに誘導され、「歌う林檎亭」周辺で待機している。

 

 やがて昼になり、ヘッケランが宿に戻ってきた。

 

「手続きは済んだの?」

 

 宿の軒先で待っていたイミーナが訊く。

 

「ああ、“ヘビーマッシャー”以外にも何チームか正式に請け負うらしい」

「ふーん、じゃあ、請け負わなかったチームもあるんだ?」

「ああ、あるかもしれないな……どうした?」

 

 いつにも増して機嫌の悪そうなイミーナの声に、ヘッケランの声も低くなった。

 

「さっきから、宿の周りでウロチョロしてるチビが居んのよ。捕まえる?」

「辞退組か……」

 

 ヘッケランが“ヘビーマッシャー”の参加を知ったのは偶然一緒に話を聞いたからだ。しかし、他のチームにも話を持ち掛けたとは聞いている。馬鹿な依頼者が“フォーサイト”の名を他のチームにも漏らした可能性がある。複数のチームが揃って行動を起こすには時間がかかり、出し抜いて遺跡の財宝を独り占めしようと考えるチームがあってもおかしくはない。

 

「アルシェとロバーは……別行動か?」

「ええ、別行動。もうじき来るわ」

「やばいな」

 

 不審者もワーカーだろう。こちらを窺っているのは「チビ」1人だけとは限らない。イミーナだけでは取り逃がすか、最悪、返り討ちに合う危険がある。だから、イミーナはヘッケランを待っていたのだ。

 

「どんな奴だ?」

「デカいフードを被ったチビ。さっき、そっちの角を曲がっていったのだけど……」

 

 2人は不審者を探す。

 まもなく小さな悲鳴が聞こえ、フードの男が路地の角から飛び出して、別な路地に消えた。

 

「アルシェだ!」

 

 2人は悲鳴が聞こえた方向に走る。そこにはアルシェが倒れていた。

 

「アルシェ! 大丈夫? 怪我は……」

 

 イミーナが助け起こす。ヘッケランはアルシェに怪我がないことを一目で確認すると、フードの男が逃げて行った方向に目を遣り、走り出した。

 だが、その男は信じられないほどの速さで跳ねるように走り、驚く往来の人々を巧みによけて別な路地に曲がっていった。

 

「大丈夫……ごめん、いきなり後ろから突き飛ばされて、カバンを奪われた」

 

 アルシェが体格に合わない大きな杖を使って立ち上がる。石畳で擦り傷を負ったが、大きな怪我はしていない。

 

「くそっ、見失った。何だ彼奴の足の速さは! あんな奴いたか?」

 

 ヘッケランが罵りながら戻ってくる。ソードダンサーである自分よりも身軽な男に驚いて。

 深追いしないのは待ち伏せを警戒してのことだ。

 

「あれは<下級敏捷力増大>(レッサー・デクスタリティ)を使っていたのだと思う」

「ならば、あいつ自身が魔法詠唱者か、仲間がいるか……イミーナ!」

「任せて!」

 

 アルシェの見立てにヘッケランが判断を下し、イミーナは野伏の能力を使って襲撃者の足跡をたどり始めた。

 ヘッケランとアルシェは周囲を警戒しながらその後に続く。

 

「<伝言>……ロバーデイク、他のワーカーが狙っている。気を付けて」

 

 アルシェは、もう一人の仲間に簡潔に用件を伝える。ロバーデイクからは一言了解の返事がくる。それで十分だ。今は無駄な魔力は消費したくない。

 

 アルシェを襲った者は痕跡を消す技術をもっていないようだ。人並み外れた脚力で跳ねるように走った跡は、イミーナにとっては宣伝のチラシをまき散らしながら移動しているようなものだ。熟練の猟師が獣を追い詰めるように、難なく襲撃者を追い詰める……はずだった。

 

「うそ……ここで足跡が途切れている」

 

 入り組んだ路地を警戒しながら辿り着いた人気のない広場――古い井戸がある水汲み場だ。その石畳ではない地面に生えた1本の樹の前で襲撃者の痕跡は途絶えていた。

 ヘッケランが井戸に小石を幾つか投げ入れて音を確かめる。

 突然飛び出してくる暗殺者に警戒して剣を構えながら古井戸の中を覗き込む。

 霧がこもっており底までは良く見通せないが、壁は苔むしていた。

 

「井戸にも隠れていない。そっちは?」

 

 壁を舐めるように調べるヘッケランの言葉に、イミーナが屋根に飛び上がって確かめる。

 誰もいない。屋根を伝って逃げたのでもない。複数の仲間と落ち合った形跡も無い。

 

「飛行?」

 

 アルシェが呟き空を見上げる。待機していた魔法詠唱者が<飛行>で盗賊を抱えあげ、別の場所に移動した可能性を考えて。襲撃者が小柄だったのは軽量化のためとも考えられる。

 だが、そんな熟練の<飛行>を使える魔法詠唱者が、追剥ぎのような真似をするだろうか?

 今回の依頼に絡むのはワーカーだ。第3位階の魔法まで使える者がワーカーの様な半分裏社会に足を突っ込んだ仕事を選ぶのは、よほど特殊な事情があってのことだ。

 

 樹の前には、力任せに開けられたアルシェのカバンが、その中身とともに投げ出されている。

 

「やっぱり、情報目当てだったようね」

 

 乱暴に広げられた地図を拾い上げ、イミーナが断言する。

 襲撃者は、今日、正式に請け負った後で受け取るはずだった情報を狙っていたのだろう。だが、この地図は事前の情報から目的の遺跡が存在するであろう場所を推測したアルシェが丸印で囲んだだけのものだ。

 

 空振りだな、馬鹿な奴だ――ヘッケランが殺気に満ちた顔で嗤う。

 

 金は取られていない。ただ、探検に必要な物が幾つか――魔法の巻物が無くなっており、ポーションの瓶は割られていた。幸いなことに、魔法を込めた短杖など高価なものは失われていない。

 

「正式な地図が見当たらないので嫌がらせ……にしては、高価なものは残すなんて変な奴らね」

「魔法のアイテムは無暗に触れると危険。それに足が付きやすいからかもしれない」

 

 盗賊の仲間に魔法詠唱者がいるのなら当然のことを、淡々とアルシェが説明する。

 いつもの感情を押し殺した態度にヘッケランは呆れたように声をかける。

 

「お前、もっと怒ってもいいんだぜ? 突き飛ばされて、カバンを取られて、アイテム壊されたんだから」

「怒ってもしょうがない」

「いいわよ。あのチビ、調べて捕まえて、ギューって磨り潰して捩り切ってやるから」

 

 イミーナ流の尋問手段にアルシェは首を傾げ、その後ろでヘッケランは内股気味になった。僅かばかり恍惚の表情を浮かべて。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

「で、どうやって調べるか、ですね」

 

「歌う林檎亭」に戻った3人を心配そうに迎えたロバーデイクは一部始終を聞き、質問する。

 いつものように、昼間からこの酒場にいるのは“フォーサイト”だけだ。

 

「簡単。あのカバンには<染料噴射(スプレー)>が仕掛けてあった」

 

 アルシェの言葉に3人は、ああ、という顔をする。

 本来は金庫などに掛ける魔法で、術者以外の者が無理に開けようとすると、その者に術者の名やシンボルをマーキングするものだ。そして、そのマークは魔法以外の手段では消えない。

 熟練の魔法詠唱者しか使えない魔法で、その辺の魔法詠唱者のカバンに掛かっているモノではないが、アルシェはその熟練の魔法詠唱者だ。

 

「今頃、必死に顔を洗ってるかもな」

 

 ヘッケランが笑い、イミーナもつられて笑う。

 

「私より強い魔法詠唱者ならば消せるけど、魔法組合を通せば連絡が来る」

 

 魔法詠唱者の持ち物を盗んだ者に、組合が好意的であるはずがない。

 ただ、強力な魔法詠唱者が仲間にいる可能性もある。その場合は魔法組合に頼ることなく自力でマークを消せるだろう。だが、そのような者でワーカーに協力するような者は限られており、目星を付けるのは難しいことではない。

 

「しばらく待って、顔にあんたの名前が書かれた馬鹿を探すか、強力な魔法詠唱者で怪しい奴を問い詰めるか、ってことね」

「伯爵に聞いて、辞退したチーム……特に強力な魔法詠唱者がいるところだな」

「抜け駆けの可能性を言えば、伯爵も協力的になるでしょう」

「ああ、俺たちの名を漏らした、あのバカ伯爵の責任でもあるからな」

 

“フォーサイト”は肯きあう。

 

「しかし、準備の方はどうなんだ?」

「大した問題は無い。でも、巻物やポーションを買いなおす必要がある」

「そうか……出費だな……あの店に行ってみるか? 安いって言ってただろ」

「そうね。アルシェも興味あったでしょ?」

 

 アルシェは黙って肯く。興味はあるが、新規の店のアイテムには品質面で不安もある。昨日のポーションはまだ十分に調べる前に割られてしまった。時間があればじっくり見てみたい。

 だが、昨日、仲間に借金のことを知られ、今日、自分の不注意で余計な出費を強いられる――こんな状況で自分の考えを口にできるはずがない。

 

「伯爵に言って、その分は出してもらおうぜ?」

 

 ヘッケランがロバーデイクに向かって、声を張り上げて笑う。

 

「そうですね。本当に。伯爵の所為ですからね」

 

 ロバーデイクも大きめの声で応じ、笑う。

 

「よし、じゃあ店の主人が帰ってきたら行ってみるか。これからは常に一緒に行動だ」

「アルシェはどうする? 今日はここに泊まっていくか?」

「そうしたい」

 

 アルシェも初めからそのつもりだった。実家で待つ妹たちに会えないのは辛いが、帰り難い事情もある。

 

「歌う林檎亭」の酒場で交わされる“フォーサイト”の会話を、その隅に置かれた林檎の樹は静かに聞いている。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

「おや、昨日の……?」

 

 午後遅く店に現れた“フォーサイト”をブルプラたちは覚えていた。

 

「ああ、早速来たぜ。ちょっと仕事前にポーションを揃えたくてね」

「ありがとうございます。それで、どのようなポーションをお探しでしょうか?」

 

 “フォーサイト”はブルプラたちの顔を観察するが、何かを隠している表情ではない。

2人の顔にもマークは無い。店の中にも、見たところ小柄な男は居ない。

 

(アルシェが知らないドルイド魔法でって可能性も考えたが、ここは「白」だな)

 

 “フォーサイト”は目を見合わせて、軽く肯きあう。

 

「<回復>と<解毒>、それと蛍光棒、あと、行動阻害系ので良いモノがあれば見たい」

 

 アルシェが必要なものを挙げる。

 

「おや、結構買われるんですね。ありがとうございます」

「ちょっと必要になったもんでな」

 

 ヘッケランの声に、店の中の冒険者たちが一斉に目を向ける。

 この界隈にいる冒険者たちにしてみれば、<回復>のポーションだけでも何か月かの食費を削って買うものだ。複数のポーションやアイテムをまとめて買うのは、かなり上位の冒険者に限られる。

 それを「ちょっと必要」で片づける金払いの良い客とは――

 

 興味をもった冒険者たちは、それが“フォーサイト”だと知ると慌てて視線を逸らす。中には、そそくさと店を出る者もいる。フォーサイトだぜ、と囁く者はイミーナの鋭い目線を感じて俯く。

 

「ゲフンゲフン……まとめて買われるんでしたら、お茶でも用意しますよ。どうぞ奥へ」

 

 店主のブルプラが空気を変えるようにわざとらしく咳をし、“フォーサイト”を店の奥の部屋に案内した。

 ヘッケラン達にしても、ワーカーである以上は冒険者たちに煙たがられるのには慣れているし、大きな仕事を前にしてつまらない冒険者たちと揉める心算もない。

 

「いいのかい? それじゃ」

 

 “フォーサイト”は店の奥の部屋に場所を移した。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

「うわぁ……」

 

 部屋に入ったアルシェは、思わず声を上げる。

 テーブルは1つだけ。その周辺を囲む棚にはポーションの原料や装置が所狭しと置かれている。

 既知のポーションの原料ほぼ全種類が少量ずつではあるが揃っている。

 実験室だろうが、それは帝国魔法学院の資料室のようでもあった。

 だが、アルシェを驚かせたのは、それだけではない。

 

「これ、マンドレイク……生きているの? 信じられない!」

 

 根が人間のような形に捩れた植物が何本も棚に並んでいるのを指さし、アルシェはブルプラに向かって思わず大声を出す。

 魔法植物の一種であるそれは、採集されるときに採集者の命を奪いかねない悲鳴を上げ、自身も死んで干乾びてしまう。それが常識だ。

 ところが、目の前に並べられたそれは、まるで眠っているように瑞々しさを保っている。そんな標本は帝国の魔法に関する知識を集約した学院でも見たことは無かった。

 

「ええ、特殊な方法で採集したので、生きたまま冬眠状態で保存されています」

 

 ブルプラは事もなげに言い、アルシェはそれを聞いて目を見開き、口を閉ざす。

 マンドレイクを生きたまま採集するために周辺の土ごと掘り起こした後で慎重に洗浄する手法が提案されている。しかし、その実行は極めて危険である。また、仮に成功したとしても土から離れたマンドレイクはすぐに生気を失うと考えられており、メリットが無いその方法にあえて挑戦するものも居ない。あくまで理論上のことだ。

 

(マンドレイクを冬眠状態で保存するなんて……それに他の種類の魔法植物も)

 

 棚には、マンドレイクの他にもその近縁種であるアルラウネとアルルーナ、ガルゲンメンラインも揃っている。他にも明らかに魔法植物と分かるようなもの――球根に人間の体が付いたもの、幅広い葉と細長い茎の先に人間の顔を戯画化したような模様が刻まれているもの等が同じように並んで眠っている。これらは資料室でも見たことが無い種類だ。

 

(この薬師たちは、一体……?)

 

 これだけの魔法植物を特殊な方法で保管している――これが「安い魔法植物」か?

 数百年来の魔法の常識を何でもないように覆す目の前の薬師たちは何者なのだ?

――アルシェは考えをまとめようとするが、正解が見当たらない。

 

 帝国の生ける伝説、魔法の歴史の体現ともいえる師――フールーダならば、この場においても冷静に彼らの正体、その技術を看破できたかもしれない。

 

『魔法詠唱者たるもの、驚異の前でこそ冷静に物事を見極めねばならない』

 

 アルシェは、尊敬する師がいつも繰り返していた言葉を思い起こし、努めて冷静であろうとする。

 

「お茶が入りました」

 

 ネットがテーブルの上にカップを4つ並べる。

 

「みなさん、どうぞ楽にしてください。えーと、何本ずつご用意すればよろしいですか?」

「そうだな、まず値段を知りたいんだが」

 

 口を閉ざしたアルシェに代わり、ヘッケランが対応する。

 

「ええ、通常のポーションのお値段はご存知ですよね? 当店では、特にまとめ買いされた皆さんには、通常価格の半額で『ドルイド製』のポーションをご用意いたします。もちろん、効果は通常のものと変わりません」

 

 破格のサービスだ。昨日の試供品と合わせてみれば、利益が出るのが不思議なほどの。

 ロバーデイク――貧しい病人を救うことが出来ないしがらみに悩みワーカーの道を選んだ神官が唸る。

 

「いえ、これは初めてご来店いただいた皆様への特別ご奉仕価格ですから。どうぞご遠慮なく」

 

 ブルプラが首を少し傾げ、もみ手で説明する。

 

「そりゃありがたいな。次からも寄らせてもらうわ」

「ほんとね。次回も安いといいのだけれど」

 

 金が浮くことに頬を緩ませたヘッケランの横で、イミーナが釘を刺す。

 

「ははは、私たちは過去の失われた技術を再現しておりますからね。お安くできますよ」

「失われた技術?」

 

 アルシェが反応し、ようやく口を開ける。

 

「ええ、私たちの先祖が古代の遺跡などから集めたものです」

「ほぉ、古代の遺跡……それは苦労も多かったでしょう!」

 

 ロバーデイクが感心した声を上げる。

 

「ええ、苦労の連続だったと聞きますね……お客さんも古代遺跡を探検したことがおありで?」

「いや……無いな。それは冒険者たちの夢だな」

「そうですね……私たちも先祖のようにいつか遺跡を、新たな技術の発見を、と願ってますよ」

「そうだな……」

 

 ヘッケラン達もそれ以上は口を閉ざし、テーブルの茶を啜る。

 

 その時、2階から獣の鳴き声がした。厚い床板を通して微かな音だったが、熟練のワーカーである“フォーサイト”たちは奇妙な音に天井を見上げる。

 

「なんだ、今の音は?」

「……ああ、2階の実験動物ですよ。檻に閉じ込めてますので」

「実験動物?」

 

 アルシェが再び質問する。この薬師たちには学ぶことが多いと知って。

 

「ええ、新しいポーションを開発したら、人間で試す前にまず、動物で安全か試すんです。夾雑物の影響……例えば<回復>の効果があっても、質が悪いものならどうなるか……それは<鑑定>の魔法でも断定できないところです」

 

 説明を聞きながらアルシェがコクコクと頷く横で、ヘッケランが口を挟む。

 

「ふぅん、なるほどね。昔は奴隷を使ったって聞いたけど、最近はそうでもないのか」

「いえ、組合では未だに奴隷を使っていますね。昔ほど無理やりってわけでもないですが」

「ああ、そうですか。奴隷とはいえ、神の祝福を受けてこの世に生を受けた者ですが……」

 

 そこまで言ってロバーデイクが目を伏せ、彼の言葉は最後まで続かずに消える。

 

「なんだか可哀想」

「ん、なにが? ああ、奴隷が、か?」

「違う、動物も。ずっと檻に閉じ込められて危険な物を試されるなんて」

 

 天井を見つめながら、アルシェがポツリと呟く。

 

「だがよ、人間で試すよりはずっとマシだろ? ……四足の獣を使うんだったらよ」

 

 ヘッケランは、隣のイミーナがピクリと肩を動かしたのを感じ、足りなかった言葉を付け加える。

 

「そうですね、人間も動物も可哀想ですよね……」

 

 ブルプラも天井を向いて呟く。そして、首を曖昧に振った。

 しばし、沈黙がその場を支配する。

 

「そうそう、皆さん、紅茶占いってご存知ですか?」

 

 重くなってしまった空気を変えるように、ブルプラが明るい声を上げる。

 

「あ、聞いたことある。お茶のカップの底に溜まった葉っぱで占うんだったかしら?」

 

 イミーナが応じ、他のメンバーは初めて聞いた、という顔をする。

 

「そうなんです。折角だから、やってみましょうか? 割と当たるんですよ」

「へぇ、あんたら、ポーションだけじゃなく占いまでやるのか? んじゃ、お願いするわ」

 

 口火を切ったのはヘッケランだった。

 ブルプラは、ヘッケラン、ロバーデイク、イミーナ、アルシェの順にカップの底を覗き込む。

 

「ほう……うん……そうか……」

 

 ブルプラは、ひとしきり見終わった後、言いにくそうに“フォーサイト”の顔を見た。

 

「何よ、気になるじゃない」

 

 いわくありげなブルプラの表情をイミーナが咎めた。

 

「いえね……この部分は過去、現在、未来を示すんですが、あまり良くない形が出てまして」

「ほう?」

 

 声を上げたのはロバーデイクだ。

 

「アルシェさんは、現在悩みを抱えているようですね。他の方も、小さいけど揉め事の気がある」

 

 アルシェは無表情のまま黙って答えない。他のメンバーも。

 当たってはいるが、「悩み」や「揉め事」は人生には付きものであり、その指摘は意味が無い。

 

「それで、皆さんの未来は『大きな影』で覆われてるんです。なにか巨大な影が……」

 

 “フォーサイト”たちは顔を歪ませる。

 将来の漠然とした不安の指摘は、占いを使った詐欺で良く用いられる手段だ。その後に高額な商品を買わせるための。しかし、そうと分かっていても、これから未知の遺跡を探検する身としては聞いて気持ちの良いものではない。

 

「これを持っていきなさい。魔法のお守りですよ。先祖が遺跡の探検に使ったものです」

 

 ブルプラは、棚から首輪のようなものを取り出す。

 それを見て“フォーサイト”は「ほら来た」という表情を浮かべ、お互いに目配せをする。

 

「これは、売り物ではないのですが、お貸しいたします……もちろん、お代はいただきません」

 

 ブルプラは“フォーサイト”の表情を見て付け加え、“フォーサイト”の表情がやや緩む。

 

「これは何ですか?」

 

 テーブルに置かれた首輪に付いた小さな木彫りの人形を指さし、ロバーデイクが尋ねる。

 

「これは、『ブルー・プラネット』という精霊の像です。先祖が信仰してきた精霊です」

「鑑定してもいい?」

 

 唐突にアルシェが口を挟んだ。だが、これは失礼には当たらない。何らかの保証を伴わない「魔法のアイテム」は、優先的にその場で鑑定されても文句は言えない慣習がある。魔法の力を帯びていなければ詐欺であり、本物であっても問題が生じることもあるからだ。うかつに魔法のアイテムを手に取ったばかりに呪われた、奴隷化された、殺されたという悲劇は魔法詠唱者ならば訓練の初歩で何度も聞かされる教訓である。

 “フォーサイト”は目の前に置かれた「魔法のお守り」に手を出さず、アルシェの鑑定を待つ。

 

「<魔法探知>……<道具鑑定>」

 

 アルシェは首飾りに手を触れず、魔法を唱える。

 

「……!」

 

 アルシェの目が驚愕に見開かれ、貴重なマジックアイテムを目の前にした喜びに輝いた。

 優れた魔法詠唱者が共通してもつ、未知に触れたときの興奮に頬が上気する。

 

「どうした?」

 

 他のメンバーが声を掛けるが、アルシェにはすぐに良い言葉が見つからない。

――この首飾りには、位階は不明だが強力な<幸運>をもたらす魔法が込められている。いや、材料自体が強力な魔力を帯びている。伝説的な魔法には、使用者の腕が一定時間獣の脚に変化する副作用と引き換えに幸運をもたらすと言われるものもあり、今でもその魔法にあやかって幸運を祈るために獣の脚を首飾りにしたり、冒険者の酒場で獣に扮した女性が酒をふるまう習慣がある。この首輪は、そんな伝説の魔法効果が宿る幸運のアイテムだ。

 そして、小さな紅い花も魔力を帯びた別種のアイテムだと分かった。これは魔法というよりも、周囲に魔力の信号を放つ作用がある。

 ある種のモンスター、例えばドラゴンの鱗や牙は魔力を帯びていると学んだが、これらの植物は聞いたことがない。ひょっとすると、これらの植物の存在自体が大発見かもしれない――

 

「これは本物の幸運を呼ぶアイテム。それに、紅い花は魔力の信号を放っている」

 

 やっとのことでアルシェは説明し、心配そうに見つめていた仲間の顔が笑顔に変わる。

 

「いいんですか? こんな凄いものをお借りして」

 

 アルシェはなおも信じられないというようにブルプラに確かめる。

 この首飾り――四枚の葉をもつ見たことのない魔法植物の茎を丁寧により合わせた紐の輪。このアイテムを作るには、熟練の魔法使いと錬金術師の協力による長時間の儀式を必要とするだろう。いや、材料が未知なものである以上、それですら不可能だ。

 

 アルシェは、首輪を手に取って手触りを調べ、その細かい構造までしげしげと眺める。そして改めてブルプラを畏敬の念をもって見つめる。

 

「ああ、いいですよ。持って行ってください。それがあればきっと大丈夫ですから」

 

 ブルプラは、自分のシャツの胸元――ヒラヒラが付いた――をあけ、同じ首飾りを見せる。

 それを見て、アルシェの口から溜息が漏れた。

 

「それで、この木彫りの人形……精霊のブルー・プラネット様、でしたか? これは――」

 

 ロバーデイクが先ほどの質問を続ける。

 

「――ブルプラさんの首飾りにはついておられないようですが」

「え、ええ、これは特別に願を掛けるときに着けるものです。信仰の問題ですので」

 

 ロバーデイクの視線を受けてアルシェが肯く。この人形自体には特別な効果は無い、と。

 

「そうですか。では、お気持ちをありがたくいただきましょう。しかし、私は四大神を信仰する者ですが、この精霊はどのような……」

 

 ロバーデイクの心配は敬虔な神官としてのものだ。ドルイドの魔法は信仰系に属すると聞いたことがあるが、それは四大神の信仰とは別な道を歩むものであり、特に帝国では馴染みがない。

 

「ええ、『青い惑星』という精霊ですが、四大神信仰とは反しないと思います」

「うーん、なるほど……『青い迷い星』ですか。流星のようなもの……なるほど、願掛けに流れ星に祈る民もいるそうですね。自然の力の体現である四大神ご自身とは反しないでしょう」

 

 ロバーデイクが呻り、ヘッケランとイミーナは「どうでもいいじゃん」という顔で彼を見る。

 

「ええ、どうかお使いください。アルシェさんがお持ちになりますか? 残念ながら1つしかないのですが……」

 

 首輪はなおもアルシェの手にある。

 アルシェは気恥ずかし気に仲間たちの顔を見るが、皆は「それで良い」と目で合図して肯いた。

 

「ありがとうございます。貴重なアイテムと、大切な精霊像を必ずお返しします」

 

 アルシェは上気した笑顔でブルプラに礼を言う。

 

「はい、では袋を……」

 

 用意しましょうか――ブルプラが言うより早く、アルシェは嬉しそうに首輪を嵌めた。

 魔法の首輪は細い首にも丁度合うように大きさを変える。

 

「ん? 何かまずかったか?」

 

 ブルプラの顔を見てヘッケランが尋ねる。

 

「あ、いえ、袋を用意するつもりでしたが」

「いえ、このままで結構です。無くすといけませんから、肌身離さず着けておきます」

 

 アルシェは大切そうに首輪を撫でた。

 

「あー、そうですか。それではその……あまり人に見せる物ではないので上着の下にでも……」

 

 信仰に関わる物ならそういうこともあるだろう――ロバーデイクが頷き、アルシェも頷く。

 

「では、願を掛けましょう……動物にも慈悲深いアルシェさんが、大きな影に飲まれることなく無事に過ごせますように」

 

 ブルプラは精霊像に向かってパンパンと手を打ち鳴らし、頭を下げる。

 アルシェもそれに倣って、人形に手を当てて頭を下げた。

 

「おいおい、俺たちは無事じゃなくて良いのかよ」

 

 ヘッケランが笑いながら茶々を入れ、ブルプラも笑って願を掛けなおす。

 

「そうですね、失礼しました。“フォーサイト”の皆さんが無事に過ごせますように」

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 ブルプラの店の奥の部屋で首輪を受け取った後で、“フォーサイト”のメンバーはポーションを必要なだけ注文し、それをネットが準備した。ブルプラが言ったように破格の安値であり、さらに「おまけ」として隠蔽系のポーション「霧の壺」まで付けてくれた。霧の精霊を呼び出し、使用者の身を隠してくれるのだといって。

 そして、ブルプラの「またお越しください」という丁寧な挨拶に答え、“フォーサイト”は半ば上の空で店を出る。

 

「いやあ、凄かったですね」

 

 店から少し離れ、真っ先に口を開いたのはロバーデイクだ。

 

「ああ、俺には今一つ分からなかったが、凄い……んだろ? そのアイテムも」

 

 ヘッケランがアルシェに問いかけた。

 

「凄いなんてもんじゃない。魔法の教科書が書き換えられるほどの叡智があそこには眠ってる」

 

 上着を羽織り、その下に隠した首飾りを上から大切そうに押さえてアルシェは答える。冷静さを取り戻したのか、いつもの様に淡々と。

 

「それ、売ったとしたら……売らないけどさ、幾らぐらいになるの?」

 

 今度はイミーナが質問する。

 

「組合か学院に持っていけば、捨て値で金貨数百枚にはなる。原料を特定できて自生地を見つけたら数千は確実」

「数千!?」

 

 アルシェの言葉に3人は思わず大声を出した。

 

「それじゃ、今度の依頼を放っても、この首輪を売るだけで良いんじゃないの?」

「それは出来ません!」

 

 イミーナの提案に、ロバーデイクが声を荒げた。温厚な彼には滅多にないことだ。

 

「私が凄いと言ったのは、ブルプラさんの精神です。あれほどの技術をもちながら謙虚で、信心深く、しかも、確かな品を安く売り、貴重なアイテムを惜しげもなく……インチキ占い師かと疑ってしまった自分が恥ずかしい――」

「私も反対。もし売ったとしても、ブルプラさんには分かるから」

 

 ロバーデイクの熱弁を遮るように、アルシェが冷静に言う。

 

「この花は、おそらくアイテムの紛失を防ぐためのもの。魔力の信号で個体を識別するんだと思う。持ち主のブルプラさんには首輪の場所も分かるはず。だから……」

「隠しても、売っても、すぐに足が着く、か」

 

 ヘッケランが眉をしかめながら後を続ける。

 

「あんな凄い薬師を敵には回せねぇな」

 

 その言葉にアルシェは頷き、更に説明する。

 

「薬師としてブルプラさん達の実力は、おそらく帝国でも類を見ない。それにドルイドの魔法が加わったら……フールーダを相手にするようなもの。おとなしく返した方が安全。それに――」

 

 ドルイド魔法を使う偉大な薬師に、かつての魔法の師匠――目を掛けてくれた大魔法使いの姿を重ね、アルシェは項垂れる。かつて夢を諦めたときに閉ざしたはずの心が痛んだのだ。

 

「――私も、信頼は裏切りたくない」

「いいの、元々私だって売る気なんてないわよ。あの薬師の店にはもっと凄いモノが眠ってるんでしょ? だったら、今後も仲良くして、もっと凄いモノを貰った方が良いわよ」

 

 イミーナは呆れた顔でアルシェを見つめ、笑いかける。

 

「そうですね。ただ、気にかかると言えば、そのアイテムの力でブルプラさんに私たちの居場所……地下墳墓の場所も分かってしまう可能性があることですが」

「それは問題じゃないな。ブルプラさんが俺たちの居場所を知ったとしても、それが地下墳墓だとまでは分からないだろう? それに、場所を知ったとしても、その時は俺たちはすでに墳墓の中だ。今回の依頼が終わったら、今度はブルプラさんと一緒に来れば良いんじゃないか? ブルプラさんも『それが夢だ』と言ってたことだし」

 

 ロバーデイクの心配を、ヘッケランは打ち消す。

 アルシェとイミーナもその説明に同意する。

 

「じゃあ、そのためにも今度の依頼をサッと片付けちゃいましょ。なぁに、楽勝よ。凄いアイテム借りてるんだし。……占いは占いよ。気にする必要なんて無いって」

 

 イミーナの明るい声に、“フォーサイト”の皆が笑顔を浮かべた。

 




フォーサイト「俺たちの名前……他所に知らせた?」
バカ伯爵「い、いや知らんよ? 手続きはすべて執事が……」
執事「私も知りませんな」


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第21話 ナザリック、侵入

大体の場所を把握して、準備開始。


 店を出る“フォーサイト”を見送りながら、ブルプラは冷汗を拭う。

 

(あまりキッチリと手順を決めると、逆に応用が利かなくなるんだよなあ)

 

 アルシェの持つ地図を確認し、“フォーサイト”にポインター付きの首輪を持たせるという目的は全て達成できたが、思い描いていた手順とはだいぶ違うものになった。人間であった時のブルー・プラネットは対人スキルが低い研究職である。そして“フォーサイト”とは昨日知り合ったばかりで個々の性格など把握していない。

 

 それでも何とかなったのは、やはり圧倒的な実力差に基づいたハッタリが効いたおかげだ。

 この店に来なければ売り込みに行くつもりだったが、結果は地の利を最大限に活かせた。

 

(お前たちのおかげだ。ありがとう)

 

 ブルプラの身体で原料保管室に戻り、召還モンスターを帰還させる。

 召喚した魔法植物は目を覚ますと立ち上がって礼をし、渦を巻くように消えていく。

 

 ブルプラの肉体を開放して2階の本体に意識を戻し、獣が入った檻を眺める。目を覚ました獣は怯えた瞳でこちらを――樹の魔物を見つめていた。

 

「可哀想か……そうだよな……」

 

 再び<獣類人化>の魔法を掛け、裸の男を檻から出す。そして、脱ぎ散らかされた服を差し出して命じる。

 

「お前は、しばらくここで休んでいてくれ」

 

 小柄な男――ブルー・スリーは跪き、頭を下げると服を着てその場に待機する。アルシェのカバンを開けたときに付けられたマーカーは、ブルー・プラネットが噴射した洗浄液のシャワーで拭い去られている。

 

「よし……とりあえず、今日の所はこんなところか」

 

 ブルプラはすでにネットと店番に戻っている。

 ブルー・プラネットは更なる情報が入ってこないかアイテムに気を配りながら次の計画を練り始める。

 

(地図……あの丸が描かれたあたり……以前に確認したところだよな)

 

 帝都からの大雑把なルートと目的地が書き加えられたアルシェの地図を思い出す。非常に簡略化されたものではあったが、帝都から南に下がってリ・エスティーゼ王国との境に向かう線と、その先に描かれた丸印は、ブルー・プラネットにとって十分な情報であった。

 

 最初にブルー・プラネットが飛び立った周辺。そして、上空から何もないと確認した場所だ。

 

(一杯食わされたか……俺も迂闊だった)

 

 幻術により上空からの視認を妨げていた可能性がある。そこまで考える相手だとすると、ナザリックに巣くう者を「機能をオフにするだけの初心者」と決めつけるのは危険かもしれない。

 ブルー・プラネットにしても、上空からの確認で「何もない」と決めつけたのは早計だった。

 

(あの時は誰も居ないと思っていたし、混乱していたからなあ……)

 

 ブルー・プラネットは反省する。今度こそは丁寧に侵入計画を練る必要がある、と。

 探索に行っている間、店やシモベをどうするかも考えておかなければならない。

 ナザリックへの侵入が上手く行って、「アインズ様」の正体を暴き、世界を狙う野望を止めることが出来るのならば、店やシモベはどうなろうと構わないが、一度の侵入で全てが解決すると期待すべきではない。何度も侵入を試みるために、この世界における基盤の確保も大切だ。

 

(捨てることはいつでも出来るからな)

 

 店やシモベだけではない。今回参加するらしい複数のワーカーチームは“漆黒”に嵌められた生贄だ。ナザリックの奥までの侵入は到底無理であり、最初の戦闘で簡単に全滅する捨て駒だ。

 彼らがナザリックの奥まで侵入して「アインズ様」に相見えることは期待していない。

 だからこそ、署名したユグドラシルのアイテムを“フォーサイト”に持たせたのだ。

 彼らが全滅したら、ナザリックの者は戦利品を調べるだろう。「ブルー・プラネット」の名が書かれたアイテムを……

 

 その反応を見て今後の計画に活かす。それが、今回の目標の一つだ。

 

 そして、戦いの場は地下墳墓の中になるはずだ。生贄を呼び込むために“漆黒”の仮面を使うことからも分かるように、ナザリックは外の世界の戦力を警戒している。ならば、監視されうる「外」で戦うはずがない。

 進入者が「内」――つまり、地下大墳墓への入り口を越えて進めば、「転移の指輪」で一気に自室まで飛べるはずだ。「外」から「内」への転移は制限されているだろうが、生贄のために内部転移を制限する理由は無い。むしろ防衛側のナザリック側が内部転移を活用しているだろう。

 

 内部に入ったらすぐに第九階層の自室に転移し、フル装備を整える。

 フル装備になれば、次回以降の侵入が楽になる。

 そこまでいけば、今回の生贄たちの役割は及第点だ。

 

 その後は「アインズ様」の正体を暴き、ナザリックの暴走を止める計画を進める。

 これは、可能であれば、だ。次の生贄に回してもいい。

 

(次の生贄はどうなるんだろう?)

 

 今回のブルー・プラネットの目標が「ナザリックの現状を知る」ことであるように、ナザリックの目的も「この世界の実力を知る」ことだ。そして、今回の生贄で“漆黒”は自信を深めるだろう。この世界があまりにも弱く、ナザリックの防衛が盤石であることに対して。

 

 では、次は……リ・エスティーゼ王国を蹂躙し、バハルス帝国の侵入者を追い返した次は――

 

 次に“漆黒”が手を伸ばすのは、近隣諸国で最強と噂されるスレイン法国だろう。

 ならば、先回りしてスレイン法国にもシモベを派遣し、同じように店を開くか。

 

――それはまだまだ先のことだ。あまり先のことを考えても仕方がない。まずは今回の――ブルー・プラネットは思考を切り替える。

 

 “フォーサイト”達ワーカーチームは、明朝、依頼主の貴族のところに立ち寄った後、ナザリックに向かうらしい。

 ブルー・プラネットはそれに同行するつもりはない。

 

 生贄を導くために同行するであろう“漆黒”の目が怖いのだ。目的地は分かったし、アルシェの場所は常に把握している。途中、何回か街路樹に仕掛けたアイテムを通して確認もしたが、彼女は貴重なアイテムを肌身離さず装備しているようだ。言われたように外から見えないように衣服で覆い隠して。

 

(人形を“漆黒”に見せてその反応を調べても……いや、だめだ。ブルプラの店がバレる)

 

 何度も頭をよぎる誘惑を否定する。

 もし、“漆黒”がブルー・プラネットの存在を知って殺しにくる場合、装備が不十分な今は抵抗できないだろう。人形が彼らに見つかるのは、あくまでブルー・プラネットがフル装備を回収してからだ。

 

 それはつまり、アルシェ達がナザリックの内部で死体となってから発見されるということだ。ブルー・プラネットが自室で装備を回収している間に殺されているだろうが、首輪のポインターが彼らの死体の場所を教えてくれる。

 

 ブルー・プラネットに残る人間の感情は、未来ある若者たちがナザリックの生贄となること、自分も彼らを生贄として利用することを非難する。

 しかし、薄くなった人間の感性に代わる樹の化け物の感性が――必要なのだという言い訳が、その非難を塗りつぶす。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 翌朝、ブルプラとネットは店に鍵をかけ、大家に「しばらく旅に出ます」と挨拶をした。

 金払いが良い店子が留守にすることを大家は寂しがった。しかし、ブルプラが「旅は長くても1か月程度」と伝え、留守の間の家賃を前もって払うと機嫌よく送り出してくれた。

 

 薬師組合と冒険者組合にも挨拶をした。

 彼らも貴重な技術をもつ薬師の不在を残念がったが、必ず戻ることを伝えると、餞別として疲労回復のポーションやドルイド用の石器のナイフをくれた。

 ブルー・プラネットにしてみれば、これらのアイテムはガラクタでしかないが、丁寧に受け取って礼を述べた。

 

 そして午後になり、ブルプラとネットは帝都を出て旅に出る――フリをする。

 街道から人の目が消えると、先に待っていたブルーと合流し、シモベたちは霧と化す。街路樹から実体化したブルー・プラネットが一瞬の間にシモベ3人を抱えて<霧化飛翔>したのだ。そして、空を猛スピードで飛び、森の奥深くに降り立つ。

 

「これからお前たちの<獣類人化>を解き、獣に戻す。しばらく、自分で生活してくれ」

 

 森の中でブルー・プラネットの言葉を聞き、3人のシモベたちは悲鳴を上げる。

 

「そんな! 私たちをお見捨てになるのですか!」

 

 この世の終わりを目の当たりにしたかのようなシモベたちの蒼ざめた顔を見て、ブルー・プラネットは胸を痛める。本来の姿で元の住処に返すだけなのだが、そこまで自分に依存する、歪んだ存在を作ってしまったことに対して。

 

「安心せよ。私は数日で戻る。お前たちを見つけられるよう、首輪はそのままにしておく」

 

 ユグドラシル時代なら使い捨てのNPCに過ぎないシモベも、言葉を交わして何日もたてば情が移る。このまま何もかも忘れて野生に帰った方が、彼らは幸せなのかもしれないが。

 ただ……今、首輪を外したら、彼らは絶望のあまり心に傷を負うだろう。

 それを恐れ、ブルー・プラネットは首輪には手を触れないでおくことを約束した。

 

「どうか……どうか、必ず帰ってきてください」

「そうだな。必ず帰る」

 

 跪き、号泣を続けるシモベに約束をし、3人の服を脱がせて<獣類人化>を一度に解除する。

 2匹のイノシシに似た獣と1匹の小さな鹿に似た獣が首輪をして立っている。

 彼らは不思議そうにブルー・プラネットを見つめ、やがて森の中に散っていった。

 

 それを見届けたブルー・プラネットは肩をすくめ、シモベたちの服をアイテムボックスに収納し、森の樹の1つに入り込む。

 約束は守るべきなんだろうな――そう考えながら。

 

 そして、ブルー・プラネットは帝都からナザリックがあると思われるルートに沿って街道にアイテムを仕掛けていく。アルシェが地図に引いたのと同じ線だ。

 幸いなことに森の近くを通るルートであり、森が無ければ街路樹がある。転移するための樹が途切れることは無い。

 

 2時間ほどでリ・エスティーゼ王国の国境近くまで辿りついた。

 アルシェたちはどうしているだろうか?

――首輪から発せられる魔力の信号によって、その位置を確認する。

 ワーカー達も、すでに帝都を出立したようだ

 ブルー・プラネットが来た道の遥か後方から、アルシェがゆっくりと近づいてくるのが分かる。

 

(この分だと、2,3日かかるな)

 

 彼らが来るまでにやるべきことは多い。まずは周辺の状況を調べるところからだ。

 

(たしか、この周辺には幾つか村があったはずだな……大半は焼かれていたが)

 

 <擬態>など複数の魔法を掛け、可能な限り上空まで昇り、以前探索した村の辺りへ行く。

 村はすぐに見つかった。だが、以前に見たものよりもかなり立派な作り――ぐるりと丸太で組まれた頑丈な壁で取り囲まれている。見張り台まで備えて、まるで砦のようだ。

 

 わずか数か月前は小さな集落でしかなかったこの村が、なぜ急速に発展したのか――しかも、過剰なほどの設備を備えて。

 思い当たることは一つ。これは、ナザリックがこの世界の人間社会に伸ばした橋頭保だ。

 

 目を凝らしてみると、帝国内では見かけなかったモンスターたち――ゴブリンやオーガなどが人間に混じって蠢いている。

 そして、その中でも特に異色を放つ「人ならざる者」をブルー・プラネットの目は捉えた。

 

 ルプスレギナ・ベータ――ギルド<アインズ・ウール・ゴウン>が創った戦闘メイドの1人。

 褐色の肌に三つ編みの赤い髪が映える、美しい女性を装った人狼だ。ブルー・プラネットから見れば強くはないNPCだが、この世界基準では凶悪な戦闘力をもつだろう。この程度の村ならば容易く制圧・支配できるほどの。

 

 事実、村の中で彼女は<完全不可視化>を使い、村の人間の側に現れて驚かしては、何らかの指示を出しているようだ。反抗する者がいないか隠れながら調べ、その実力を誇示しつつ村人たちを働かせているのだろう。

 逆らっても無駄だと分からせるために。

 

 やはり、か――視認困難な半透明の霧となったブルー・プラネットは、遥か上空で思わず呻く。

 

(本来ならば第十階層で待機する戦闘メイドがナザリックの先兵として動いているのは確かだな)

 

 帝都に現れた“漆黒”にはナーベラル・ガンマがいた。ルプスレギナと同じ、戦闘メイドの。

 ナザリックでは、各階層に強力な「階層守護者」が配置されている。それらは防衛の要であり、そうそう動かすことは無いだろう。逆に、弱い部類ではあるが、その分重要な役割を持たない戦闘メイドたち――仲間が趣味全開で作り上げた存在――が外の世界で動いているのだ。

 

 ブルー・プラネットはルプスレギナの能力を推定し、その検知範囲外に降り立つ。

 そして、村を遠巻きにするように感知用アイテムと、ドルイドのスキルで作り出した無数の小さな蜘蛛を傍に置き、自分は森の樹に溶け込む。

 

 やがて、ルプスレギナが村を出てきた。巨大な聖杖を小枝の様に軽々と振り回し、上機嫌で呟きながら。

 

「んぷぷぷ、ンフィーちゃんとエンちゃんの顔、あれでご飯3杯はいけるっすねー。盛り上げるだけ盛り上げておいて水をぶっかける……最高っす。次は、もうちょっとタメてから――」

 

 ルプスレギナの目が細められ、口元が邪悪な笑みに吊り上がる。

 

「……けど、ンフィーちゃんとエンちゃん、村の皆の前でお尻見られたら自殺しちゃうかもしんないっすねー。ぷぷっ『青春の悲劇』っすか? んーでも、その場合、アインズ様のご命令はどうなるのかな? ご命令では、確か――」

 

 そこまで言ったとき、突然、ルプスレギナの表情が変わった。

 

「――っと、アインズ様? いらっしゃるのですか?」

 

 先ほどまでの笑みが消え、目を丸く見開いて森を見つめ、そして周囲を見回す。

 

「……気のせいだったっすか? そうっすよ。この有能な私が見張られるはずないすっよ」

 

 少し寂しそうな表情で、明るい声を吐き出す。

 

「あーあ、ナーちゃんが羨ましいっすね。さてと、急いで帰るっす」

 

 そして、<完全不可視化>と<飛行>を唱え、彼女の姿は周囲の風景に溶け込むように消えた。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 ルプスレギナの姿が消えてからしばらくして、ブルー・プラネットは樹から姿を現す。

 

(やばかったな……ルプスレギナは俺の気配を感じたのだろうか?)

 

 先ほど、ルプスレギナの姿や声をアイテムを通じて確認した後、更によく観察しようとしてブルー・プラネットはルプスレギナの一番近くにある樹に意識を集中した。

 その瞬間、ルプスレギナはブルー・プラネットを「アインズ様」と誤認したようなのだ。

 慌てて意識を分散した結果、ルプスレギナは「気のせい」と思ったようだったが――

 

(ユグドラシルの設定だけじゃない感覚もあるのか……気を付けなければならないな)

 

 確かに、超人的に強化された視覚や聴覚以外にも、匂いや味などユグドラシルではサポートされなかった感覚までブルー・プラネットはもっている。MP消費の感覚などもユグドラシルにはなかった。

 意思をもって動き出したナザリックのNPCが、ブルー・プラネットの知らない、ユグドラシルの設定にはない感覚を有していることも十分に考えられる。

 

 だが、その種の感覚も当然限界はあるだろう――ブルー・プラネットは、村とは反対の方角を眺める。

 視覚や聴覚に関する限りブルー・プラネットの感覚はルプスレギナを上回っているはずだ。これはユグドラシルの設定上、種族特性とレベルの差から推測される。今もブルー・プラネットには不可視の状態で空を飛ぶルプスレギナの鼻歌、そして呼吸音をハッキリと捉えている。その一方で、ルプスレギナがブルー・プラネットに気が付いている様子はない。

 

 そして、彼女の身にとりついた小さな蜘蛛の糸にも気が付いている様子はない。

 ブルー・プラネットが相手にしていた80レベル以上のプレイヤーでも見破るのはスキルや魔法、そして運頼みの追尾アイテムなのだから当然だ。

 

(スパイダーでスパイだー、って、ベタ過ぎると総ツッコミやったなあ……)

 

 どうやら、ユグドラシルの開発陣の中でもドルイドの担当者は相当のダジャレ好きだったらしく、ベタなものほど効果が高いという不思議な傾向があった。

 中でもこの「霞蜘蛛の糸」は課金アイテムの劣化版でありながら使い勝手が良いスキルであり、糸で繋がれた相手の向かった方向や距離が手に取るようにわかる。そして、その者が聞いた周囲の物音も。

 

 ブルー・プラネットは指先に蜘蛛を乗せ、感覚を集中する。

 

『お帰りなさい、ルプスレギナ』

 

 落ち着いた雰囲気の、鈴を転がすような声の主がルプスレギナを迎えるのが伝わってくる。

 

『ユリ姉、待っててくれたっすか! ところで、アインズ様はお戻りになられたっすか?』

『いえ、まだよ。帝都からのお客様と一緒に戻られるのはあと数日かかるはずです』

『そっすかー、やっぱり、そっすよねー』

『何のこと?』

『いえね、カルネ村から帰るとき、一瞬、アインズ様のご気配がしたような気が……』

『ふふふ……あなた、やっぱり、前に怒られたのを気にしてるの?』

『へっ? 私、何かしたっすか?』

『……いいわ、それよりお客様のおもてなしの準備をしましょう。一旦、中に戻りますよ』

 

 そこで唐突に音声が切れ、役目を終えた蜘蛛の糸も消滅する。

 蜘蛛の糸が気付かれ妨害を受けたのではないようだ。転移魔法によって移動したのだろう。

 

(一緒にいたのは……『ユリ姉』……ユリ・アルファか)

 

 ブルー・プラネットは、蜘蛛の糸が途切れた辺り――10キロ近く離れた丘の上を見つめる。

 流石にこの距離では周辺の細かな状況は分からない。そもそも、ルプスレギナが着地した周辺は丘の斜面に隠れているようだ。

 だが、音声から判断するところでは、戦闘メイドが中心となって外部での「アインズ様」をサポートしていることは確かだと考えられる。

 

 ならば、十分に対応できる。

 確か、最上層の守護をしていたのはシャルティアという吸血鬼、戦闘に適した構成の100レベルNPCだった。そのシャルティアが入り口で見張っているのでは到底勝ち目はないが、戦闘メイド程度であれば、最悪、脱出するときに戦う羽目になっても全滅させることが出来る。

 

 それよりも――ブルー・プラネットは先ほどの戦闘メイドの間で交わされた会話を反芻する。

 帝都で聞いた「ナーベ」は人間を害虫扱いしていたらしい。そして、ルプスレギナは明るく笑って村人たちを追い込んでいた。ユリ・アルファと思われる者は、落ち着いて知性的な喋りだった。そして彼女たちの間では姉妹という設定が生きているようだ。

 

(NPCにも性格の違いはあるのだろうか?)

 

 自分が創造したシモベたちは、2人とも判で押したように同じ行動をとった。3人目のブルーは十分に把握していないが、先の2人のように跪き、忠誠を誓っていた。

 自分の意思を持つように行動するナザリックのNPCたち――彼らがもしそれぞれ異なった性格を持っているのであれば、侵入計画にも影響するかもしれない。

 

(ナーベラルは、俺が渡した図鑑が元になってるよなあ……やっぱり)

 

 ナーベラル・ガンマを作った弐式炎雷は、それを「人を虫けら扱いする」と設定し、その為に図鑑を元にして害虫の名をインプットしたのだろう。聞いたことはなかったが、NPCの音声機能で喋らせて遊んでいたのかもしれない。まさかとは思うが、理想の美女に自分を罵らせて……

――そこで思考を切り替える。

 

 ユリ・アルファを創造したのは、やまいこさんだ。彼女は教師としてユリ・アルファにもそのような性格を設定したのかもしれない。なにしろ、ブルー・プラネットを「ボクのユリに――」と殴り飛ばした人だ。思い入れたっぷりに、自分の分身として作り上げた可能性はある。いや、自分の理想像として、か。

 

 NPCは、自分の意思で動き始めた後も製作者が設定した性格に影響されている――?

 

 ブルー・プラネットは内心で唇を噛む。

 ブルー・プラネット自身も幾つかのNPCを作成したし、仲間のNPCの設定に協力したことはある。ナーベラルの他にも、現実の生物の造形が関わっているNPCは大抵そうだ。友人がコキュートスという「昆虫系の、氷の悪魔」を創造すると聞けば昆虫図鑑に加えて南極海の甲殻類の資料を渡した。それに、領域守護者のためには寄生虫図鑑も……

 

 だが、そのNPCたちの性格設定までは把握していない。

 それは、あくまで個々の仲間が楽しむフレーバーテキストに過ぎない――そう割り切って、ブルー・プラネット自身は第六階層の自然の再現、特にあの夜空に力を注いでいたのだ。

 

(仕方がない。出来る範囲で調査して準備するしかない)

 

 そう考えて、ブルー・プラネットは再び樹の中に戻り、森の中で使えそうなものを探索する。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 数日が過ぎ、ワーカーたちが到着した。ワーカーだけではない。金級の冒険者も同行している。

 そして、あの“漆黒”も。

 

 ブルー・プラネットは、あらかじめ周囲に張り巡らせたアイテムを通じて彼らの声を聞く。

 どうやら潜入するのはワーカーだけのようで、冒険者たちは地上部の監視に専念するらしい。そして、潜入は夜を待って決行されることになった。

 夜に死霊が蠢く墳墓に行くか――墳墓の内部を知るブルー・プラネットは苦笑すると森の奥に向かう。

 

「この辺だな」

 

 ナザリックの監視が届かない距離で実体化したブルー・プラネットは、近くの沼の中央に静かに身を浸す。差し渡し数メートルの小さい沼だ。何匹もの小魚がブルー・プラネットの身体を餌と間違えて突く。

 

(お魚さん、ごめんなさい)

 

 胸を痛ませながら手を合わせ、最大化した<水温上昇>(ヒート・ウォーター)を唱えた。水温を上昇させるドルイド魔法により水面から湯気が立ち昇り、沼の魚が腹を見せて浮かび上がる。

 一度「温度が上がる」性質を付与された水はどんどん暖まり、やがて沸騰を始める。濛々と上がる湯気は水面から離れてしばらくすると見えなくなる。水蒸気が冷えて液体に戻ると再び加熱され、結果、周囲は水蒸気で飽和した暖かな空気に満たされた。

 大量の水蒸気は森の中に作られた樹の密度が薄い道を通り、ナザリックの方面に向かってゆっくりと流れだした。

 

 森から溢れ出した湿った空気は<天候予知>(ウェザー・アイ)で予測していた風に流されていく。この数日間、何度か実験したとおりだ。

――ブルー・プラネットは満足の笑みを浮かべる。

 ユグドラシルでは、有毒ガスの噴き出すタイミングや流れる方向など、システムで予定されていた気象効果を前もって知る程度の魔法でしかなかったが、この世界では実際の気候の様々な要素を精密に予測できるものに変質している。

 

 小一時間もすると<水温上昇>(ヒート・ウォーター)によって沸騰した沼はほぼ干上がった。

 そこでブルー・プラネットは魔法を解除する。

 魔法によって沸騰していた水は瞬時に本来の温度に戻る。それとともに、魔法で保たれていた水蒸気も冷えて濃い霧となり、地上に降りてくる。

 ユグドラシルではここまで物理演算が働くことはなかった。沸騰した水は乾いたら消え去る――それだけだった。

 だが、この世界では違う。この世界の物質には魔法を受け入れながらも“現実”と変わらない連続性がある。

 もし上空からこの近辺を観察していたら、幅数百メートルの霧が細く白い蛇のように地面を這い、風に流されて森から数キロ先のナザリックに進んでいくのが見えただろう。 

 

『うひゃー、今日も天気が悪いっすね』

『そうね、この2,3日は特に……季節の変わり目というものかしら。特に森の近くでは湿度が高いから、日が暮れて気温が下がると霧が発生しやすいのです。『夜霧』というのですが、それが流れてきているのでしょう』

『ヘェェ、ソウナンダァ』

『さすがユリ姉、物知り』

 

 遥か彼方のナザリックから戦闘メイドたちの声が聞こえる。声を拾っているのはナザリックに向かって吹いた風に乗って飛ばした小さな蜘蛛の糸だ。

 

『やつら、この霧に紛れて来るっすかね?』

『その可能性は高いでしょうね。エントマ、監視には問題ないかしら?』

『問題ナイィ。タダノ霧デ、特ニ魔法ノ効果モ無イノォ』

 

 会話を聞いて、ブルー・プラネットはほくそ笑む。

 その通り。これは只の霧だ。<気候改変>(ウェザーコントロール)のような魔法によって作り出された霧ではなく、魔法が消えることによって自然の摂理で生まれたものだ。自然現象の霧と本質的に変わることは無い。本物の夜霧との違いなど、墳墓の底で目覚めたNPCに分かるはずもない。

 

「よし!」

 

 ブルー・プラネットはアイテムボックスから転移の指輪を取り出して指に嵌め、自身が作り出した「幸運の首輪」を手に取った。

 あの少女――アルシェは「本物の幸運を呼ぶアイテム」と言った。おかしなことを言う。そんな都合が良いアイテムなど……運など確率と結果論にしか過ぎないのに。

――そう嗤いながらも、ブルー・プラネットは念のために首輪を装備する。この世界には魔法が存在するのだから。

 

 そして、数日かけて作っておいた数多くのポーションを飲む。

 

「匂い消し」「対魔力検知」「植物縮小」「象牙の殻」「迅速化III」「罠滑り」「邪眼除け」「黄昏の精」「透明化」「魔力隠蔽」……

 

 並行して、自身に魔法を掛けていく。

 

<生命隠し><舞う木の葉><擬態><霧化飛翔><蜃気楼><視線逸らし><自然化><罠感知>……

 

 ブルー・プラネットの姿は、縮み、白くなり、小さなつむじ風に舞う木の葉となり、霧となり、それがチラチラと視認しにくいものに変わり、ぼやけ、周囲の背景と紛れ、消えた。

 

 これらの魔法の位階は高くなく、多くは第1か第2位階だ。あまり高位階の魔法を使って疲れ切っていたのでは危険だし、高位階の魔法には今回の目的となる「隠れる」用途のものがそもそも乏しい。

 それに、低位階であっても複合化して使うことにより十分な効果が得られる。重ね掛けしておけば罠で魔法が剥がされても“下”の魔法は残る。手間が掛かるが、それは今回は問題ではない。

 これは忍者の「霧隠れの術」にヒントを得て編み出したブルー・プラネットの戦術だ。高レベルの忍者やレンジャーには見破られる可能性が高いが、この数日の観察からは、まず見破られることが無いと、ブルー・プラネットは自信をもっていた。

 今回はナザリック側は侵入者を内部に招き入れる。つまり、外では攻撃してこないはずだから、これで十分だろう、と。

 

 そして、樹に入り、ナザリックの近くに戻る。ワーカーたちもすでに準備を済ませていた。

 彼らは周囲を漂うモンスター――自分たちを監視する者たちに気が付いていない。

 ナザリック近辺には戦闘メイド以外にも主として知覚能力に長けたアンデッドが巡回している。しかし、それらも樹の中に溶け込んでいるブルー・プラネットに気が付いている様子はない。

 確認できた見張り役モンスターは精々70レベル。ブルー・プラネットもよく知る奴らだ。彼らの知覚能力には偏りがある。アンデッド特有の生命感知、そして魔力の検知だ。

 今のブルー・プラネットでは「生物」である樹から出て長時間の監視に晒されれば見破られる。だが、一瞬なら――それで十分だとブルー・プラネットは判断している。

 

 木の葉を隠すなら森の中――それはすでに手を打ってあるのだ。

 

 ブルー・プラネットは他の侵入者の動きを確認し、ナザリックに向かって移動を開始する。

 

『アイツラ、動キ始メタァ』

『そう、それではアルベド様にご連絡を……っと』

 

 聞き取りにくい声――エントマの声に続いてユリ・アルファの澄んだ声が聞こえてくる。

 

『――はい、お客様が動き始めたようです』

 

 丁度、アルベドからの連絡が入ったようだ。アルベドとは、ナザリックのNPCを統括するという設定で作られたNPCであり、拠点の最奥で侵入者を待ち受ける者。

 

(アルベドが「アインズ様」なのか?)

 

 ブルー・プラネットは一瞬そう考え、すぐに否定する。あのNPCは黒髪に純白の衣装を着た女性だった。巨大な角は隠しようもなく、帝都で見た漆黒の戦士とはどうしても結びつかない。

 

(なに、もうすぐ分かるさ)

 

 思考を切り替え、侵入に集中する。今回は装備を取り戻すことが目的で、「アインズ様」の正体を明らかにするのは「運が良ければ」だ。

 しかし、それが次回であれ次々回であれ、そう遠い未来の話ではない――ブルー・プラネットは、そう確信していた。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 ナザリックの最奥では、アルベド達がワーカーたち迎え撃つ準備の最終確認をしながら、彼らの動向を監視していた。

 

「ユリ、そっちの準備はどう?」

『完了しております。夜霧が出てきたようですが、視界にも問題はありません』

「そう、手順は覚えているわね? アインズ様が私たちを信じてお任せくださった計画ですから、失敗は許されないわよ」

『はい、承知しております。アインズ様を失望させることがないよう、命に代えましても』

「おねがいね」

 

 地上の準備には問題が無い。アルベドは次の防衛拠点に通信する。

 

「シャルティア、エルダーリッチ達の配備はどう? 態勢は整ってるの?」

『任せるでありんす。おんしの指示に従って、第一階層のどのルートにも、すぐに7人とも集まれるようになってありんす』

「そうね……いい? 自分の手柄にしようとして変な動きは無しよ?」

『おんし、私が勝手なことをすると思ってありんすか? まさか、私がアインズ様のご命令に背くとでも?』

「……ごめんなさいね。ちょっとピリピリしていたみたい。今はあなたと言い争うつもりはないわ。お互いに頑張りましょう。あ、ついでに恐怖公に連絡、お願いできるかしら? 同じ階層でしょ」

『あんた、嫌がらせで言ってんかい!』

 

 シャルティアの叫びとともに通信が切れる。

 やむを得ない――アルベドは、その美しい顔を歪め、次の拠点に確認を取る。

 

「恐怖公、準備は?」

『おや、アルベド様、吾輩の方はいつでも準備が出来ておりますぞ――』

「そう、頼むわよ」

 

 アルベドはそそくさと通信を切り、身震いすると、次の通信を始める。

 

「ハムスケ! あなた達は準備できてるの?」

『まかせてくれでござるよ! それがし、訓練の成果を殿にご覧いただきたく――』

「そう、はっきり言って私はあなたの能力をよく知らないの。コキュートスは大丈夫だというけれど」

『ふむぅ、侵入者たちは皆人間でござろう? ならば大丈夫、ご心配には及ばんでござるよ』

「私が心配しているのは、アインズ様に無様なところをお見せするわけにはいかない、ということなの」

 

 呑気なハムスケの口調が気に障ったのか、アルベドが冷たい声で返す。

 

「アインズ様が私にお任せくださった以上、この計画は完っっっ璧に遂行されねばならないの。私の計画に不安な点があるとすれば、それはナザリックで創られた者ではない、あなたなのよ」

『それは……申し訳ないでござるが、信じていただきたいでござる。大丈夫! 危なくなったら殿のお創りになられたデス・ナイト殿も控えておられるゆえ』

「うっ……ほんっとうに、お願いするわね。もし問題が起きて、アインズ様が失望されることがあれば、アウラに言ってあなたの皮を剥いでもらうわよ。アインズ様のペットである以上、お許しがない限り殺しはしないけど」

 

 ブルブルと震えて縮こまるハムスケをそのままにして、アルベドは通信を切る。

 

 次は……と考え、アルベドは一度開きかけた通信を閉じる。

 第五階層の『真実の部屋』、その管理者は自分を快く思っていないことを知っている。

 音声による通信の代わりに、文字によって指示を送る。

 ただ一言「まもなく侵入者が転送されるので、善処するように」と。

 アレにはそれで十分なのだ。

 

 ふぅ、と息をつき、最後の拠点である第六階層のアウラに通信をする。

 

「アウラ、そちらの状態は?」

『ん、オッケー! 今、マーレがゴーレムの配置を調整中!』

「そう、マイクの調子は?」

『うん、ちょっと待って……『あーあー、ただいま、まいくのてすとちゅう。ただいま、まいくのてすとちゅう。マーレ、聞こえる?』……うん、大丈夫みたい』

「闘技場の状態はどうかしら? ゴミとか落ちてないわよね?」

『はいはーい、それは朝から3回聞きました。ちゃんとその都度確認してるから』

「そう。あなたの所が一番のキモ、最後の締めなのよ。よろしくお願いするわね」

『任せなよ……あのさ、ちょっといい? なんかさー、アルベド、肩に力入ってない? 気持ちは分かるけどさぁ』

「そうかしら? 完璧な上に完璧を期すのが私流よ。特に今回は――」

『はいはーい、『アインズ様が私に特にご期待をかけてお任せくださった特別な計画』でしょ』

「その通りよ」

『はぁ……うん、分かった』

 

 アウラは疲れた声で最後の了解を伝える。

 あまりギッチリ躾けると魔獣だって潰れちゃうよ、と内心で不満を抱えながら。

 

 今日何回目かの連絡を終え、一息つくアルベドに連絡が入る。

 

『アルベド、アインズ様ハソロソロゴ帰還デハナイカ?』

 

 第五階層の守護を司る氷の悪魔、コキュートスからだ。

 

「ええ、そうね。もうそろそろお帰りになるはずよ。先に第六階層で待っていて」

『ウム、ワーカーガ侵入シタラ、彼ラノ戦イヲ早メニ見テオキタイ。モニターハアルノカ?』

「ええ、もちろん。あなたの役目は彼らの力量をアインズ様に正確に伝えること。お願いするわ」

『ワカッタ。ソレマデハ、アルベドヨ、オ前ノ働キヲ見セテモラウゾ』

 

 アルベドは、その言葉の中にコキュートスの無念を感じ取る。

 

「コキュートス? これはあくまで戦略の一環としての防衛シミュレーションであって――」

『ワカッテイル。ダガ、ヤハリ抜カレヌ刀トハ寂シイモノダ』

「今回の侵入者は、貴方から見れば刀を抜くまでも無い者達よ。それに、アインズ様はご自身の剣の腕をお磨きになるために貴方を指南役としてご指名された。これは十分に誇りに思ってよいことよ?」

『アルベドヨ、感謝スル』

 

 通信が切れる。だが、アルベドは、あの武人が感謝するという言葉を出したことに満足する。

 彼の言葉に嘘はなく、アルベドの思いは十分に届いたのだと理解して。

 

 アルベドは満足そうにもう一度分厚い計画書を捲る。そして空中に浮かぶモニターに映された侵入者たちを眺め、自分の読み通りに動いていることに聖女のごとき笑みを浮かべる。

 

 彼らは祭司たる自分の手で愛しい主人に捧げられる選ばれし生贄だ。笑みをもって迎えられるべき者達なのだ。神に等しい、いや神にも勝る至高の御方は「この者達を捧げよ」と命じられた。その命に従うために、そのためだけに己の能力を振り絞り、ありとあらゆる可能性を考慮して計画を練り上げた。

――アルベドは頷く。

 

 全ての儀式は滞りなく進んでいる。アインズ様はきっとご満足になられるだろう。ナザリックの守りが盤石であることに。そして、その采配をとる私に対しても、と。

 

 以前、コキュートスがリザードマンの集落を攻めたとき、アインズ様はコキュートスの成長に大いに喜んだ。ならば、防衛線の指揮官としての才を示した私に対しては――

 

――アルベドの整った顔がドロリと緩み、口から涎が垂れかかる。

 それをジュルリと舌で舐めとり、そして口元を純白の手袋で拭う。

 

「うふふ……ご褒美にアインズ様の熱いご抱擁を頂けるかしら? それとも、もっと? 御寝室でアインズ様の特別なご褒美をこの……くふぅ」

 

 アルベドは下腹部に手を伸ばし、もう一方の手で自分の胸を抱きしめる。腰の翼がバタバタと羽ばたき、アルベドは弓なりに逸らした背を震わせた。

 周囲のシモベ達は「またか」という目で守護者統括を眺め、目を逸らす。

 恋い焦がれる主人に相手にされないサキュバスである――ナザリックの異形の者達にも仲間の痴態を見て見ぬ振りする優しさはあった。

 

 その時、作戦本部にアインズが転移してきた。

 

「お前たち、準備は出来ているか?」

「はい、アインズ様。すべては順調に進んでおります。侵入者は先ほど周辺の小霊廟の探索を終え、ちょうど中央霊廟に集まってきたところです」

 

 アルベドは満面の笑みをもって己の支配者に答える。すでに先ほどの痴態は欠片も窺えず、完璧な秘書のように次々とモニターを示して、アインズに状況を説明する。

 

「霧が出てきたようだな。私が帝都に向かった頃は、天気は晴れ続きだと思ったが」

「はい、ここ数日、日没後に霧の発生が続いております」

「魔法で作られた霧、あるいは何らかのアイテムによる干渉という可能性はないのか?」

 

 アインズの脳裏にシャルティアを洗脳しようとした未知の勢力のことが浮かぶ。

 

「はい、この霧には魔力が含まれておりませんし、特別な成分が含まれているといったこともございません。通常の霧であるとの報告を受けております。ワーカーのうち何人かは、この霧に隠れるため魔法で霧を創りましたが、それは統率された動きではなく計画的に準備していたものでは無いと判断されます」

「ふむ、そうか……しかし、こう霧が出ていては侵入者がよく見えんな」

「モニター越しですと魔法やスキルによる探知に制限がかかりますから……霧による物理的障壁の透視は困難ですね。外で巡回しているシモベのうち、透視能力をもつ者と視界をお繋ぎいたしましょうか?」

「いや、それは無用だ。どうせ大したこともない虫けらどもだからな。お前の誘導に支障がないのならそれでよい。私は第六階層で待つことにしよう」

 

 アインズは不快感を露にして手を振る。アインズにとって、ナザリックを侵す害虫など見るのも不快な者たちだ。さっさと計画通り葬り去ればそれに越したことはない。

 

「承知いたしました。それでは、どの者たちを第六階層に誘導いたしましょう?」

「そうだな……消去法になるが、こいつらの相手をすることとしよう」

 

 アインズは、霧の中を慎重に進む者たちを映すモニターの1つを指さした。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

「おあつらえ向きに夜霧が出てきたな」

 

 少し前からワーカーたちは霧に紛れて行動を開始していた。<透明化>の魔法をかけ、<静寂>で気配を消し、蛍光棒でタイミングを計って壁を降り、ナザリックの領域に侵入する。とくに「霧の壺」のポーションを持っていた何人かは、纏わりつく魔法の霧を作り出してその身を隠していた。

 安いが、よく効く目隠しだ――森に詳しいドルイドの薬師が宣伝用にくれた「試供品」が役に立ったと喜んで。

 

 ブルー・プラネットは霧が流れる地面を這うように飛行しながら、中ほどを進むワーカーの1人に纏わりついていた。ポーションによって作られた魔法の霧に身を紛れさせて。

 ワーカー本人は何も気が付いた様子はない。彼らは周辺の小霊廟の探索を始め、その財宝に心を奪われている。

 

 気持ちいいほど簡単に引っかかるな。

――ブルー・プラネットは、熱狂するワーカーたちに冷ややかな視線を送り、中央霊廟に集結する彼らに付いていく。今のところ、ナザリックの者がブルー・プラネットに気が付いた兆候はない。だが、それも罠かもしれず、気を抜くことは出来ない。

 

(さてと、始まりだ)

 

 ブルー・プラネットは目の前に待ち受ける墳墓の入り口を睨む。恐るべき罠が待ち受けている、口を開けた死の化身を。

 この世界での死が何を意味するのか不明だ。現実と同じであればそれでお終い。ゲームと同じならレベルダウンして拠点で復活ということになる。この場合の拠点とはどこだろうか?

 

(最悪なのは、死んで、敵だらけの玉座の間で復活することだな)

 

 過去、多くの高レベルプレイヤーの恨みを買ったギルドの成れの果てを思い出し、身震いする。

 死なないこと、捕まらないことが大切だ。決して無理をせず、臨機応変に……。

 

 そう考えているうちに、ワーカーがナザリック地下大墳墓の中央霊廟の広場に辿りつく。

 ここから先の地下へ続く階段は地下大墳墓からの風が吹いており、もはや、作り出した霧に隠れることは出来ない。だが、この階段は既に「ナザリック内部」と認識される場所でもある。

 

 ワーカーたちが広場から地下に続く階段へと降りていく。ブルー・プラネットはその中で転移の指輪を発動させた。

 第九階層の自室を目指して。

 




捏造設定
ワーカーの準備期間に少し余裕を持たせました。
あと、ナザリック周辺の監視モンスターも弱体化?


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第22話 第六階層闘技場

ヘッケラン:アインズによろしく
アインズ:ぶちっ!



 第六階層の闘技場にガウンを纏った骸骨の怒声が響く。

 

「クゥ、クズがぁああああああ!! 俺が、俺と仲間っ、仲間たちが、共にっ!! 共に作り上げた俺達の、俺たちのナザリックにっ!! ナザリックに土足でぇ! 土足で入り込みぃ! 友のっ、俺のもっ、最も大切な、大切な仲間の名を騙ろうとするぅう!」

 

 狂人の叫びだった。

 怒りのあまり途切れ途切れに吐き出される言葉は猛毒を帯びた粘液の塊の様にヘッケラン達に叩きつけられる。

 

「許せるものかぁあああ!!」

 

 そして突然、アインズと名乗る骸骨の動きがカクリと糸が切れた人形のように止まった。

 

「――などと激怒したが、お前たちが悪いわけではない。生き残るための必死の嘘だろうからな」

 

 次にアインズの口から出たものは、意外にも冷静な声だった。しかし、アインズから怒りが消えたわけではなく、深い憎しみを込めた言葉であることはその口調から推測できる。

 

 ヘッケラン達“フォーサイト”には何故アインズがこれほどまでに激怒したのか、そしてなぜ急に冷静さを取り戻したのか、見当がつかない。アインズが反応した言葉に応じて、仲間の化け物が侵入を認めていたという物語を作ろうとしただけだ。

 だが、ヘッケランの取引は最悪の失敗に終わった――それだけは確かだ。

 

 部下に愚痴を聞かれたくなかったのだろう。少年と美女に耳を塞ぐよう指示した後でアインズの独白は続く。

 

「だから嫌だったんだ……こんな奴らをナザリックに招き入れるなんて。まあ、これが最善だと……仕方ないから承認したんだが……」

 

 先ほどまでの支配者然としたものでも、狂人のものでもない。ただの孤独な男が零す愚痴だ。

 

「くそっ、それにしてもこんな奴らだったとは。もういい、薄汚い盗賊として始末してやる」

 

 骸骨が身に纏っていたガウンを投げ捨てる。

 

「おおっ!」

 

 奥の貴賓席から銀髪の少女が身を乗り出し、奇声を上げた。だが、それは一瞬のことで、すぐに後ろから青いガントレットを嵌めた腕が伸びて、その少女を引き戻す。

 

「この3人だけじゃないってことね」

 

 目ざとく貴賓席の少女を目にとめたイミーナが隣のヘッケランに囁く。

 観客席の無数のゴーレム、そして、異常な身体能力をもつ闇妖精の少年、角と翼をもつ妖艶な美女……この闘技場に来てから出会った異形の者達は、いずれも並々ならぬ力を秘めていることはすぐに分かった。

 それに加えて、少なくとも2名が貴賓席にいることが分かった。その正体は不明だが、尋常ならざる存在であることは明らかだ。

 そして、目の前のアインズと名乗った骸骨……その力量は不明だが、貴賓席に目を逸らされた一瞬の間に剣と盾とを装備している。材質不明の黒い片刃の剣と円盾、一瞬の内に現れたことを考えれば魔法の力を有していると考えた方が良い。アインズが戦士であるのか、それとも魔法武器を召還する魔法詠唱者かは不明だが。

 

「お前たち、もういいぞ」

 

 アインズが言葉をかけると、耳を塞いでいた少年と美女が耳から手を放し、侵入者たちに向き直る。ヘッケラン達を見つめる彼らの目には、侵入者に対する怒り――愛する主人を憤らせた者達への憎しみが満ちている。特に美女からの視線には物理的圧力すらも感じさせる殺気が宿っていた。

 

 アインズは冷ややかに宣告する。

 

「お前たちは、この場では殺さん。お前たちが死を懇願しても、罰として苦しみ抜いてもらう」

 

 ヘッケラン達はこれ以上の交渉は無駄だと諦め、戦闘準備に入る。ヘッケランを先頭に、ロバーデイクとイミーナ、そしてアルシェと、距離を取ってアインズに相対する。少年と美女は睨んではいるが、こちらに対して戦闘態勢を取ってはいない。ならば、当面の敵はアインズだけだ。

 

(どうしてこんなことに……)

 

 アルシェは杖を構えながら唇を噛む。帝都で出会った薬師の不吉な予言を思い出し、胸に苦いものが湧き上がる。おそらく、ヘッケラン達、他の仲間も同じ思いだろう。

 この化け物たちの余裕、それは決してこちらの力を見くびっているわけではない。

 逆だ。彼らの冷たい視線は、彼らが正確に見抜いた上で確実に殺せると「知っている」ことを物語っている。

 

 やはり来るべきではなかった――そう思い、アルシェは厚手の服に隠した首輪を手繰って「お守り」を握りしめた。

 

「アルシェ、逃げなさい。あたしたちが時間を稼ぐから助けを呼んで」

 

 イミーナが目の前の骸骨を睨み、矢をつがえながら鋭く言葉を吐く。自分たちが罠にかかった獲物であることを理解して。そして、罠にかかった獲物を前にした敵が、すぐには手を出さないであろうと考えて。

 

「ここは外だ。お前なら飛んで逃げられる。ここは任せろ!」

 

 ヘッケランも剣でアインズを牽制しながら言い放つ。

 

「で、でも……」

 

 アルシェは躊躇する。助けを呼ぶ――それが可能でも、自分が抜けたら戦力は大幅に減る。それだけ残された仲間が殺される可能性が高くなるのだ。

 

「行きなさい。妹さんがいるのでしょう?」

 

 ロバーデイクも優しく微笑む。視線をアインズに向けたまま。

 その言葉を聞いてアルシェの眼に涙が浮かんだ。

 

「外ねぇ……お前たち、勘違いしているようだが……いや、いいか。そこの女が逃げるというならそれも面白い。遊んでやっても――」

 

 アインズがポリポリと頭蓋骨を骨の指で掻きながら呆れたような声を出す。

 そして、アルシェを剣で指し示し……その動作が止まった。

 

「――まて、お前、その人形はどこで手に入れた?」

 

 アインズが剣で示したのはアルシェの首輪、彼女が握り締めている小さな木彫りの人形だった。

 

「それは……ユグドラシルの……?」

 

 魔法詠唱者が操作しようとした胸元のアイテム――<飛行>か<次元の移動>かと目を遣ったアインズは、そのアイテムがどちらのものでもないことに気付く。

 

 少女の小さな手から覗く木彫りの人形の頭部。間違いない。強化されたアインズの視覚が捉えたのは、彼が良く知るアイテムだ。

 何の効果もないゴミアイテム――それを何故、こんな時にワーカーが身に着けているのか?

 ありえない。無価値なものを装備し、この局面で取り出すなど。

 

 アインズはアルベドとの会話を思い出す。

 

『魔法で作られた霧、あるいは何らかのアイテムによる干渉という可能性はないのか?』

 

 ワーカーの侵入と合わせて発生した霧に感じた違和感。そして、ユグドラシルのアイテム。

 ユグドラシルでの経験が囁く。これは偶然ではない、プレイヤーの干渉の可能性がある、と。

 

「<時間停止(タイム・ストップ)>」

 

 咄嗟にアインズは無詠唱化した魔法によって時の流れを制止させる。

 そして、安堵する――この侵入者たちが時間対策をしていないことに。

 

「アインズ様、いかがなさいましたか?」

「この侵入者たちはユグドラシルのアイテムを持っていた。しかも只の人形でしかない物を」

 

 止まった時の中、心配そうに問いかけたアルベドにアインズは苛立った声を返す。

 

「殺しますか?」

 

 アウラが鞭を構える。主人の苛立ちを止めるために。

 

「やめろ、攻撃や死亡で発動するカウンターという可能性もある。ともかく……侵入者たちにアイテムを使わせるな」

 

 闘技場に響く声で守護者達に命令を下しながらもアインズは焦っていた。

 

――あれは地雷に仕掛けられた玩具だ。無害なフリで手に取った者を殺すための。

 間もなく時が動き出す。完全な対策をとるには時間が足りない。

 

(逃げるか? 馬鹿な! ここはナザリックだぞ)

 

 アインズの脳裏に幾つもの選択肢が浮かんでは否定されていく。

 シャルティアを襲った敵がワールドアイテムによる攻撃を仕掛けて来た可能性がある。

 身の安全を確保するために逃走することは出来ない。友と築いたナザリックの階層を犠牲にする可能性――それも嫌だが、ここの転移門を塞がれたらシステム・アリアドネが発動してナザリック自体が崩壊する危険もある。それが敵の狙いかもしれない。

 

 では、転移によってナザリックから放り出すか?

 それも良い手ではない。その場しのぎに過ぎず、解決にならない。折角目に前に現れた敵の手掛かりを逃し、新たな侵入者に脅えることになる。

 何とかしてこの場でアイテムの発動を阻止し、侵入者を捕らえて情報を集めるべきだ。

 

 魔法詠唱者を麻痺させて奪い取るか? 

 これしかない。だが、無理やり奪うのも危険すぎる。既に踏んでしまった地雷、指が掛かった手りゅう弾のピンだ。迂闊に動くことは出来ない。

 

――アインズは先ほどまでの余裕を恨めしく思う。

 未知の敵がいる段階で外部の者を招き入れるとは愚かだったと反省しながら、まずは幾重もの防御魔法を準備し、爆発や属性攻撃に備えていく。

 

 そして、アルシェの背後に回り――

 

 時間停止の効果が切れる。

 

――アインズはアルシェの首筋に手を伸ばし、<不死者の接触>を発動させる。

 

「ぅ……」

 

 アルシェが小さく呻き、人形を握り締めたまま硬直した。指一本動かせず、言葉も出ない。

 アルシェの前に回り込み、視線すら動かない状態であることを確認したアインズは一歩下がって首輪の人形に手を伸ばしかけ、躊躇する。

 

「アルシェから離れろ、化け物!」

 

 突如として目の前から消えたアンデッド――それを見つけたイミーナが叫び、アインズに向かって矢を放つ。スケルトン対策に矢尻を潰して殴打属性をもたせた特注の矢だ。この距離で外すはずがない。

 しかし、イミーナの目の前で一瞬銀色の光が走り、放たれた矢は空中で砕け散った。

 

 イミーナはいつの間にか目の前にいた闇妖精の少年に気付く。低い姿勢で鞭を構えた小さな身体――しかし、先ほど貴賓席から飛び降りた身体能力は、この少年も化け物であることを示している。

 その少年は左右で色の異なる瞳でイミーナを睨み、その目は少しでも動いたら首を弾き飛ばすと語っている。

 

 ヘッケランとロバーデイクがアルシェの方に駆けだそうとした。仲間の心臓に手を伸ばしつつあるアンデッドを倒すため。そして、麻痺している仲間を治癒するために。

 

 一陣の風と共に、巨大な青い影が2人の前に現れる。

 それは昆虫を悪夢で歪めたような魔物だった。その魔物は鋭い剣をヘッケランに突き付けて無機質な声で警告する。

 

「オ前タチ、命ガ惜シクバ動カヌコトダ!」

 

――動いたら殺される。

 突如現れた魔物の剣を前にヘッケラン、そしてすぐ後ろに付いたロバーデイクの本能がそう叫ぶ。

 自分たちに向けられる感情の読めない幾つもの目……視認することすら困難な速度で立ち塞がった巨大な魔物を見上げた2人の背筋が凍りついた。

 

「アルベド、完全装備だ。それに、麻痺解除のアイテムを用意しろ」

「はっ! アインズ様、しばしお待ちを!」

 

 自分で人形を取ることを諦め、アインズは数歩下がって振り返り、アルベドに命令を下す。

 アルベドは素早く頭を下げて了承の意を示し、その姿が消える。代わりに、いつの間にか現れた闇妖精の少女と銀髪の少女がアインズの壁となるよう身構えて、アルシェを睨んだ。

 

 そして、アインズは眼窩に赤い炎を揺らめかせながらヘッケランを見つめ、矢継ぎ早に質問する。

 

「お前たち……あの人形は誰に貰った? 何と言われて貰ったのだ? 貰ったのはあれだけか?」

 

 ヘッケランは必死に頭を回転させ、この事態を有利に持っていく方法を考える。

 

「これは……『幸運のお守り』だと……薬屋で……」

 

――時間を稼ぐために、とりあえず当たり障りのない事実からだ。

 しかし、アインズは大きく息を吐いて苛立たし気に吐き捨てる。

 

「お前……もう、嘘はいい。あれはこの世界の物じゃないと分かってるんだ。馬鹿な奴だな。自分がどれほど危険な立場にいるかも理解できずに嘘で切り抜けるつもりか」

 

 所詮は薄汚い盗賊か――そう考え、アインズはアルシェに向き直る。

 

「おい、お前は少しは魔法のことが分かるだろう? お前はとんでもない爆弾を仕込まれていたかもしれんのだぞ。お前たちにそれを持たせ、使わせようとした奴は誰だ?」

 

 瞬きひとつできぬままそれを聞き、アルシェは心の中を冷たいものが満たすのを感じる。

 確かにあの薬師――ブルプラの技術は帝国にはありえないものだったことを思い出して。

 だが、確か鑑定では危険な物では無かったはずだが……

 

 その時、悪魔を思い起こさせる刺々しい黒い甲冑で身を包んだ騎士が闘技場に現れ、アインズに歩み寄る。

 

「アインズ様、お待たせいたしました」

「うむ、今からその女の麻痺を解き、人形を譲り受けろ。スキルを使い、不測の事態に備えろ」

 

 アルシェは動かない身体で目の前の魔物の会話を聞く。アインズと黒騎士――声からするとアルベドと呼ばれた女悪魔だ。

 

「いいか? 何も喋るな。ゆっくりと手を開いてアルベドに人形を渡せ。それがお前たちが生き残る道だ」

 

 アインズの声を背に、鎧に身を固めたアルベドが近づいてアルシェに「麻痺解除」のポーションを振りかける。

 ぷはぁ……身体の自由を取り戻したアルシェが大きく息を吐き、瞬きをすると、アルベドが手を差し出した。

 

「さあ、その首輪を寄こしなさい」

 

 涼やかな、それでいて悪意に黒く滑る声……黒いガントレットがアルシェに向かって差し出された。

 断れるはずもない――アルシェは震えながら無言で首輪を外し、アルベドに向かって差し出す。

 アルベドはアインズを背にして慎重に首輪を受け取り、紐を調べ、人形を眺め、それを裏返す。

 

「こ、これ……」

 

 アインズは一瞬、アルベドの身体から黒いオーラが噴き出す様を幻視した。

 アルベドは顔を覆う兜のバイザーを上げ、アルシェに顔を近づけて微笑み、ゆっくりと問いかける。

 

「あなた……これをどこで手に入れたの?」

 

 アルベドの口が大きく横に裂け、その隙間から白い歯が覗く。涎を垂らさんばかりの笑顔だが、その金色の瞳は鋭くアルシェの眼を、そして魂の奥底まで射貫く。

 大好物の獲物を前にした捕食者の笑みだった。

 

「どうした、アルベド!? 何があった!?」

 

 アインズが焦れてアルベドを急かし、近づく。すでにアイテムはアルベドの手にあり、アルベドも警戒心を解いていることが分かった。ならば安全だろうとの判断だ。

 

「アインズ様、ご安心ください。これは危険なものではありませんでした」

「そうか……では、何だったのだ?」

 

 振り返ったアルベドは兜を外し、聖女のごとく清らかな喜びを湛えた笑みで主人に報告する。

 それを聞いたアインズは明らかに安堵した声で先を促した。

 

「お喜びください。これは――」

「ぶ、ぶるーぷらねっと様、です」

 

 ゆっくりと報告するアルベドが言い終える前に、アルシェが叫ぶ。

 アルベドが自分に向けた殺気によってアルシェの抵抗は打ち砕かれていた。

 この状態を今すぐ終わらせたい――アルシェの心の中には、もはやそれしかなかった。

 

「……なに?」

 

 アインズの歩みが止まり、赤い炎の視線がアルシェに向けられる。

 アルベドの金色の瞳が再びアルシェを憎々しげに見つめる。

 そして、その2体の魔物の視線を浴びてアルシェは再び力の限り叫ぶ。

 

「『ぶるーぷらねっと』というお守りです!」

 

 その叫びが第六階層の闘技場を覆う空気を一瞬の内に変えた。

 

「うっそ……」

「オオオ……」

 

 イミーナを牽制していた闇妖精の耳がヘニャリと垂れる。

 ヘッケランに向けられていた剣の切っ先が力なく地面につく。

 “フォーサイト”を牽制していた少年と青い魔物は呆然としてアルシェを見つめた。

 

「なに? なんでありんすかっ?」

「あの、あの……」

 

 アインズの盾となっていた2人の美少女が同時に狼狽え、助けを求めるようにアインズの顔を見上げる。

 そのアインズの顎はカパッと音を立てて開き、下顎が今にも外れそうにブラブラと揺れていた。その手に持っていた剣と盾が地面に滑り落ち、音も無く消えた。

 

 チャンスだ――ヘッケラン達は目配せをする。

 自分達をけん制していた魔物たちの注意は完全に逸れている。

 だが、その注意はアルシェに集中している。逃げ出すわけにはいかない。

 それに、隙をついて目の前の魔物を倒せたとしても、骸骨と女悪魔、それに銀髪の美少女――赤い目から吸血鬼だろう――と新たな闇妖精の少女が残っている。未だ勝ち目はない

 

 だが、「ブルー・プラネット」という精霊の名を出したところ、この墳墓の魔物たちは明らかに狼狽した。

 

「……神の名を恐れたのかもしれません」

 

 ロバーデイクがヘッケランに向かって囁き、アインズ達の様子を注意深く観察する。

 ヘッケランも頷く。力では敵わずとも、神の名を聞いて恐れたならば交渉の機会があると考えて。

 

 アインズからは先ほどまでの支配者の威厳が抜け落ちている。

 ソワソワと落ち着かず、目の奥の紅い光が大きく、小さく、盛んに変化している。だが、自分から手を伸ばして人形を取る勇気が無いようだ。

 

「ちょ、ちょっと見せてくれ」

「はっ、アインズ様、ご覧ください」

 

 アインズの言葉にアルベドは人形を捧げ持ち、裏面を上にしてアインズに差し出した。

 アインズはその人形を躊躇いがちに受け取ると、裏面に書かれた文字を見て無言になる。

 

『ブルー・プラネット』――そこには確かに日本語で懐かしい仲間の名が記されていた。

 

 アインズはその人形を両手で包み、胸に抱きしめて俯く。周囲に集まった者たちもアインズを見つめ、沈黙を守っている。

 

「お守り……だと言ったな? これは……お前たちが信仰する神か?」

 

 ようやく顔を上げたアインズは、絞り出すようにアルシェに尋ねた。

 

「は、はい! そうです! 私たちはブルー・プラネット様の祝福を受けた者です!」

 

 咄嗟に声が出ないアルシェに代わって、アインズの後ろから叫んだのはヘッケランだった。

 その隣でロバーデイクが何か言いたげに口を開きかけるが、止める。

 アルベドはアインズに向けていた顔をグルリと動かし、ヘッケランを見つめた。

 

「お前たちの神か……話してくれ。『ブルー・プラネット』はどんな神で、何をしたのか」

 

 アインズはヘッケランを見つめて問いかける。

 アインズの心によぎるのは、自分たちがこれまでにこの世界で為してきたことだ。

 

(俺がリザードマンの神となったように、ブルー・プラネットさんも崇められているのか?)

(何よりも……まだ生きている神なのか?)

(もし生きているのなら、なぜ今まで……なぜこの者達に……?)

 

 アインズの思考の中で幾つもの問いが渦巻き、答えを求める炎の視線がヘッケランを射すくめた。

 

「どうした! なぜ答えん!」

 

 答えに詰まるヘッケランに向かって、アインズは苛立って叫び、指を突き付ける。

 

「ブルー・プラネットさんは、どこに居るのかと聞いている!」

 

 ヘッケランに周囲の魔物たちの視線が集中する。

 だが、ヘッケランは答えられない。答えられるはずがない。迂闊な答はこの化け物を激高させると、先ほどの失敗で身に染みて分かっている。

 

「どんな神で、何をしたのか?」――知るはずがない。

「神はどこに居る?」――あまりにも理不尽な質問だ。

 

 言葉に詰まりロバーデイクに助けを求めるヘッケランを見て、アインズが低い声で唸った。

 

「クソッ、信徒というのも嘘か! どこでこれを手に入れたんだ?」

「神殿で……」

 

 人形を握り締めた拳を突き付け、アインズはヘッケランに問う。

 ヘッケランが目を宙に迷わせながら、ようやく言葉を振り絞る。

 

「神殿? どこにある? 案内してくれるな!?」

「はい、町の中央に……」

 

 矢のように飛んでくるアインズの質問に対して、ヘッケランの答はあやふやだ。

 

「……正直に答えるつもりがないのだな? ならば、お前の心に直接聞くだけだ」

 

 骸骨の目が赤みを増し、アインズがヘッケランに向かって歩き出す。

 

「本当のことを言います! それは、アーウィンタールの薬屋でもらった『お守り』です!」

 

 自分から視線が逸れたことで幾分か冷静さを取り戻したアルシェが叫んだ。

 これを交渉に使おうなどという考えはとっくに抜け落ちている。ただ、あの恐ろしい魔物から仲間を救おうと、全てを話すことにしたのだ。

 アインズはヘッケランを睨むと、アルシェに向き直り、顔を覗き込むようにして質問を続ける。

 

「薬屋? 神殿ではないのだな?」

「はい、私も初めて聞いた名前です。ドルイドの薬師の一族が信仰していると聞きました」

 

 アインズは「ドルイドの薬師」という言葉に何度も深く頷き、空を見上げて大きく息を吐いた。

 

「わ、分かった。その薬屋に連れて行ってくれ。お前たちの誰か1人、残りは人質として……」

 

 アインズの震える声にアルシェが応えようとしたときだった。

 

「行く必要はありませんよ、モモンガさん」

 

 軋むような声がした。

 誰だ――アインズが、懐かしい名前を呼ぶ声に振り向く。

 

 いつの間にか闘技場の隅に浮かんでいた一塊の霧が滑るように闘技場を這ってくる。

 その霧は緑色に変わり、立ち上がって小柄なイビルツリー――ブルー・プラネットの姿となった。

 アインズにとって、それは最後に見たの同じ姿――神器級の王笏をもち、エメラルドに金の糸が光るローブと冠を装備した懐かしいブルー・プラネットの姿だった。

 

 輝かしいギルド黄金期の断片がそこにあった。アインズは無言で両手を広げ、それを見つめる。

 ブルー・プラネットはゆっくりとアインズに歩み寄り、胸に手を当てて深く会釈する。

 

「モモンガさん、お久しぶりです」

 

 新たに登場した巨大な樹の化け物がアインズの――アルシェの方に向かって歩いてくる。

 

「ああああああああああ……」

「オオオオオオオオオオ……」

「あの、あの、あの、あの……」

「ええええええええええ……」

「ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃ……」

 

 新たに現れた樹の化け物がズシリと足音を立て近づき、それに応えるようにアルシェの近くで魔物たちが一斉に叫び声をあげた。

 化け物たちの叫びの中で、アルシェも喉が裂けんばかりの悲鳴を上げ、その心はついに限界を超えた。実家で待つ妹の笑顔が一瞬浮かび、その意識は闇に飲み込まれる。瞳がグルリと上を向き、下腹部からアンモニアの臭気を放ちながら、アルシェは地面に崩れ落ちた。

 

「ア、アルシェ! あんたたち、何をしたの!?」

 

 イミーナが半狂乱になって叫ぶ。だが、狂喜する化け物達から返事は帰ってこない。彼らはただ、樹の化け物を見つめ、それに向かって叫んでいる。

 

 そして、イミーナも他の“フォーサイト”のメンバーも、一歩も足を動かすことは出来ない。この魔物の狂宴に足を踏み入れたら、即座に自分たちは皆殺しになるだろうことを理解しているからだ。

 

「ブルー・プラネットさん……来ていたんですね……」

 

 アインズの声が震える。骸骨の両手がブルー・プラネットの蔦で作られた手を包み込み、それを胸骨に押し当てる。頭蓋骨を俯かせて樹の幹に押し当てると、カツリと堅い音が響いた。

 

「すみません、この体では泣くこともできません。でも、でも、本当に……」

 

 樹の幹に顔を当てて体を震わせるアインズの肩を、ブルー・プラネットは上からそっと押さえる。

 アインズの体の震えが伝わってくる。それは収まったと思うとすぐに始まり、止む気配が無い。

 

「こっちこそ、本当にすみませんでした……モモンガさん」

 

 ブルー・プラネットには、それ以外の言葉が見当たらない。

 しばらく、2体の化け物は抱き合ったまま身動きせずに立ち尽くす。

 

 2人の闇妖精の子供もお互いに抱き合って膝を地につけ、辺りを憚らず大泣きしている。

 銀髪の美少女はドレスの裾を食いちぎらんばかりに噛みしめて涙と鼻水を垂れ流している。

 巨大な昆虫の魔物は涙こそ流さないが体を震わせ、4本の腕を広げて無言で天を仰いでいる。

 角の生えた美女は無表情で立ち尽くし、骸骨と樹の化け物を見つめている。

 気を失ったアルシェを除く“フォーサイト”も身動きできず、立ち尽くす。

 誰も一言も発しない。子供たちの泣き声だけが第六階層の闘技場に響いている。

 

 やがて、アインズは顔を上げ、支配者然とした声で周囲に控える魔物たちに宣言する。

 

「ナザリックの者たちよ! 至高の41人の1人、ブルー・プラネットさんが戻られた! 直ちに宴の準備をせよ!」

 

 厳めしいが、一片の曇りもない弾むような声だ。

 周囲の化け物も歓声を上げる。無表情で立ち尽くす角の生えた美女を除いて。

 

「ん? アルベド、どうした? お前が動かないと宴の準備が始まらないぞ?」

 

 アインズが美女――アルベドに不思議そうに声を掛ける。

 アルベドはハッとしたような表情を一瞬見せて、アインズに向かって天使のように微笑みかける。

 

「失礼いたしました。アインズ様。ブルー・プラネット様の突然のご帰還に呆然としてしまいました」

 

 そして、アルベドはブルー・プラネットに対して目を見開き、大輪の花のような笑顔を向ける。

 絶世の美女の満開の笑みに押され、ブルー・プラネットは思わず一歩退いた。

 そして、アインズに向かい、慌てたように話しかける。

 

「ああ、あの……ありがとうございます、モモンガさん。でも、申し訳ないですが、先に風呂に入らせてもらいますか?」

「え? 風呂ですか?」

 

 アインズは驚いてブルー・プラネットの身体を見る。

 ブルー・プラネットの身体は絡み合った太い蔦の集合体だ。よく見ると、その隙間に落ち葉や煮えた小魚が挟まっている。

 

「ほら、こんな身体ですし……どうも挟まっちゃうと『装備品』として認識されるようで、霧になっても転移しても付いてくるんですよね……」

 

 困ったようなブルー・プラネットの声を聞き、アインズは吹き出す。

 

「あは……あはははは……魚が装備品に! それは大変ですね! ええ、風呂に行きましょう! アルベド、すまんが宴は後だ。予定は、私たちが風呂から上がったら改めて伝える」

「了解しました。それで……この人間たちはいかがいたしましょう?」

 

 完全に冷静さを取り戻したアルベドは、聖女の微笑みでアインズに“フォーサイト”のことを思い出させる。

 彼らはいまだアルシェを救うことも、逃げ出すことも出来ずに立ち尽くしていた。

 

「ん、ああ、そいつらのことはもう良い。そうだな、どこかに捕虜として置いておいてくれ」

 

 どうでもいいと言うようにアインズは手を顔の前で振り、アルベドは黒い髪を前に垂らして無言で頷いた。

 

「モモンガさん……アインズさんと呼んだ方が良いですか?」

「あ、え? いや、モモンガで良いですよ。モモンガと呼んでください」

 

 ブルー・プラネットの質問にアインズ――モモンガは振り向いて答える。

 

「では、モモンガさん。この“フォーサイト”の人達、どうするつもりだったんですか?」

「いやぁ、この神官は実験に使おうかと思っていたんですけどね、あとは、まあ、適当に」

 

 目の前の友人の問いに、モモンガは笑って答える。

 それを聞き、ブルー・プラネットは考えながら提案する。

 

「うーん、なるほど……うん、そうですか……それじゃあ、後の3人は貰っていいですか?」

「ええ、良いですよ。もちろん。ブルー・プラネットさんの好きに使ってください」

「ありがとうございます」

 

 ブルー・プラネットはモモンガに礼をして“フォーサイト”の3人に顔を向ける。

 

「ということで、皆さんは私が頂きます。あと、念のために言いますが、脱出は無理ですからね? ここもまた地下深くの迷宮なんですよ。大人しく捕まっていてください」

 

 ブルー・プラネットの言葉にヘッケラン達は「何を言ってるんだ」と顔を顰める。

 夜空を見れば、ここが地下であるなど……この化け物どもが自分たちを容易く全滅させることが出来ることは理解した。しかし、先ほどからのこの空気は何なのだ、と。

 

 殺気が完全に消えうせた化け物たちに、ヘッケランが口を開きかける。

 だが、その前にブルー・プラネットは手にした王笏を掲げた。

 

「この空を創造したのは私ですからね」

 

 そう言ってブルー・プラネットは夜空を見上げ、その手にした王笏を振る。

 王笏の動きに合わせてグルリと夜空が回転し、夜と昼が入れ替わった。

 

「オオ、スバラシイ! コレガ、ブルー・プラネット様ノ御チカラカ」

「うっひゃぁ! 目が回るね! すごいよね、マーレ、すごいよね!」

「う、うん、お姉ちゃん、す、すごい……」

「さすがは至高の御方でありんす。まさか空をも自在に動かすとは!」

 

 NPCたちは口々に驚きと称賛の声を上げた。

 ただ一人、唇を噛み、言葉もなく第六階層の空を見つめているアルベドを除いて。

 

 夜空を見上げていたヘッケラン達は、その回転に自らが立つ地面すら揺れ動く錯覚を覚えてへたり込み、ただ唖然として昼となった空を見上げる。

 

(空を創造する? 地下に世界を? 夜と昼を入れ替える?)

 

 樹の化け物の発した言葉、行為は彼らの理解を越えていた。

 そんな“フォーサイト”に向かい、モモンガは骨の手でカチャカチャと拍手をしながら得意げに説明する。

 

「お前たち、見たか? これがこの第六階層の支配者、ブループラネットさんの力だ」

「夜と昼を逆転させるなんて、まるで神話の――」

 

 イミーナの呟きは途中で消える。

 ロバーデイクも、自分の信じる神ですら為し得ないであろう奇跡を目にして言葉が無い。もはや如何なる抵抗も無駄だと悟り、虚ろな目でブルー・プラネットという樹の化け物を見つめる。

 この化け物は四大神の従属神などではない――何か全く異質なものだと理解してしまったとき、彼の信仰は失われた。

 

「……ということで、大人しく捕まってくださいね」

 

 手にした王笏を弄っていたブルー・プラネットは顔を上げ、三重化した<蔓の檻>(ウィッカー・ケージ)を唱える。

 地べたに座り込んだヘッケラン、イミーナ、ロバーデイクの足元から蔦が伸び、組み合わさり、あっという間に3人をそれぞれ囲む檻となる。

 

「あなたたちの力ではこの檻は壊せないし、あまり暴れると檻が燃えますよ」

 

 ブルー・プラネットが事実を忠告する。しかし、囚われた3人は忠告されるまでもなく暴れる気配はない。鳥籠に押し込められた鳥……そんな表現がピッタリ当てはまる。

 

「うん、良し。あー、それにしても楽だわぁ」

 

 無事に捕獲できたことを確認し、ブルー・プラネットは思わず安堵の声を漏らす。

 高位階のドルイド魔法<蔓の檻>を三重化するには王笏によるMPの増強が必要であり、これまで使用したくても出来なかった。それが大した精神的疲労もなく使えるようになったのだ。

 

「では、風呂に入ってる間、この檻をそれぞれ運んでおいてもらいましょう。私はこの神官を『真実の部屋』に持っていくつもりですけど、ブルー・プラネットさんはどうします?」

「そうですね……とりあえず、私の部屋の前の廊下に置いてもらおうかな」

 

 モモンガの質問にブルー・プラネットは少し考えて答え、モモンガは頷いて何もない所からデス・ナイトを2体召還する。

 

「これは『真実の部屋』に。そして、この2つはブルー・プラネットさんの個室前に置いておけ」

 

 巨大な体躯をもつ漆黒のアンデッド、デス・ナイトたちは命令を受けて咆哮を上げ、言われたように檻を抱え上げて運び始める。1体はロバーデイクの檻を背に担ぎ、もう1体はヘッケランとイミーナの2つの檻を天秤のように両手にぶら下げて。

 

「あ、ブルー・プラネットさん、どうでもいいことですけど……」

「はい?」

 

 呆けた顔で運ばれていくワーカーたちを見送りながら、モモンガがブルー・プラネットに問いかけた。

 

「ブルー・プラネットさんが『入ってよい』と、あいつらに許可を出して……ないですよね?」

 

 モモンガは首を傾げながら、目の前の「なかなか大きな化け物」を見上げる。エメラルドに金の糸が巡らされたローブは「てかてかしている」と言えなくもない。

 

「え……ああ!」

 

 ブルー・プラネットには何のことか分からなかったが、「許可」という言葉でヘッケランのハッタリのことだと思い当たった。

 

「ははは、あれは偶然ですよ。だって、彼らを誘き寄せたのは“漆黒”(そっち)でしょ?」

「ですよねー。いやぁ、あいつら、いきなり『許可があったら?』なんて言うもんだから……」

「ですよー……でも、あの時の反応で『あっ、モモンガさんだ』と確信が持てたんで……」

「ああ、あの嘘つき男についキレちゃって……恥ずかしいところ見せちゃいましたね」

「いえいえ……でも、本当にナザリックを守っていてくれて有難うございました」

「いやぁ、ギルド長として当然の務めですから……」

 

 ブルー・プラネットはモモンガの肩を、そしてモモンガはブルー・プラネットの脇腹を、お互いにポンポンと叩きあって笑う。

 

「それで、この女はどうするんですか?」

 

 モモンガは、地面に倒れている少女――アルシェを指さした。依然として意識は戻っていないが、白目を剥いて失禁している割には、どこか幸せそうな笑みが浮かんでいる。

 

「ええ、ちょっと汚れてますし……目が覚めて暴れると<蔓の檻>は燃えちゃいますから――」

 

 ブルー・プラネットが肩をすくめ、モモンガの周囲に控えるNPCに目を向ける。

 

「――NPCを使わせてもらって良いですか?」

 

 モモンガに向かってブルー・プラネットは遠慮がちに問いかける。何年も放っておいて、帰還早々いきなりNPCを使役するのはあまりにも無遠慮だと心配して。

 

「もちろん! ここはブルー・プラネットさんのギルドですよ!」

 

 モモンガが即答する。そして、周囲のNPCもキラキラとした目でブルー・プラネットを見つめ、その言葉を待っている。微笑みながらも顔を伏せているアルベド以外は。

 

「えーと、じゃあ、シャルティアが適任かな?」

 

 ブルー・プラネットはNPCを見回しながら呟いた。

 コキュートスでは見た目が怖い。アルベドは自室を持っていないはずだ。アウラとマーレは……悪くはないが、彼らの幼い外見を侮ってアルシェが抵抗したら危険すぎる。

 シャルティアならば同年代の女の子だし、ペロロンチーノの趣味で着替えも持っているだろう。

――そう考えて、ブルー・プラネットは世話係を決める。

 

「ゴホン……シャルティアよ。この娘に合う服を貸してやってくれないか? ついでに、私の方で用意が出来るまで、お前の所でしばらく預かっておいてくれればありがたいのだが」

 

 自分が作り出したシモベに対するように、支配者然とした口調で命ずる。この数ヶ月の経験から、そのような態度こそが支配下のNPCが望むものであると知っているのだ。

 

「は、はいっ! 私の方で預からせていただくでありんす!」

 

 声を掛けられたシャルティアは嬉しそうに答える。

 任務を与えられたブルプラたちと同じ反応だ――ブルー・プラネットは安堵の息を吐く。

 

「ああ、それと、その娘は魔法詠唱者だからな。しばらく眠らせておくから、<伝言>を使えないように魔法を封じておいてくれ。確か、呪いの指輪でそういう効果のものがあったな?」

 

 ブルー・プラネットは洗浄液をアルシェに振りかけ、その首筋に蔦を突き刺して「睡眠」と「魔法封じ」のポーションを注入しながら、シャルティアに追加の命令を出す。

 

「了解でありんす。至高の御方がご帰還されて最初のご命令をいただけるとは、まっこと光栄の極みでありんす」

 

 他のNPCからの羨望の眼差しを浴びて、誇らしげにシャルティアが胸を張り、口元に手を当てて笑う。

 

「ああ、期待しているぞ。それで、預かっている間に此処のマナーとか色々と教えてやってくれると助かるな。その娘も私が後で使う予定だから」

「……っ! それは、その、この娘を私なりに教育して良いということでありんしょうか?」

 

 シャルティアが驚いて目を見開き、頬に赤みがさした。チロリ……と舌が唇を舐める。

 

「ああ、女の子同士の方が色々とやり易いと思ってな。精々仲良く、可愛がってやってくれ。ただ、殺さないように! 血を吸ってバンパイアにするのも無しだ」

「はいっ! 必ずやご期待以上に仕上げてご覧にいただくでありんすっ!」

 

 弾けそうなシャルティアの笑顔を見て、ブルー・プラネットは己の選択が間違っていなかったと安堵する。素直で優しそうな娘だ、きっとアルシェと良い友人になるに違いないと考えて。

 その背後では、モモンガが口を大きく開け、眼窩の奥で赤い光を明滅させているが。

 

 話が一段落したところで風呂の話に戻ろうと、モモンガの方を振り向いたブルー・プラネットは、その視線に気が付く。

 

「ん、モモンガさん、何か?」

「いえ、その、ほう……あれぇ? ブルー・プラネットさんってそっちの趣味が?……いや、良いんですよ。問題ないです。ええ、全く」

「何ですか、趣味って? 気になるなあ」

「いや、良いんです。そうかー、いやぁ、ちょっと記憶違いかなって。ハハハ……それより、そうだ、風呂でしたね。さあ、風呂に行きましょう! いろいろ話を聞かせてください!」

「そうですね。私の方こそ、モモンガさんに色々と聞きたいことが……」

 

 ナザリックの王たちは転移の指輪を使い、闘技場から姿を消した。

 

 後に残されたNPCたちは、口々に喜びを語り合う。

 シャルティアは配下のバンパイアブライドを呼び出し、眠っているアルシェを自室に運んで、身体を洗って着替えさせるように命じた。

 

「おんしら、この人間は・わ・た・し・がブルー・プラネット様から頂いたご褒美でありんす。く・れ・ぐ・れ・も・傷をつけたりしないように。暴れたら麻痺させるのは良いでありんすが、万が一、殺したり傷をつけたりしたら、おんしら、ぶちのめした後で皆殺しでありんすよ!」

 

 残虐な主人の言葉にバンパイアブライドは震えあがり、主人の新しい玩具を丁寧に運んでいった。

 

「んー? アルベド、どうしたの? さっきから何かブスーとしちゃって何も喋らないけど?」

「お、おねえちゃん……」

 

 弟との話が一段落したアウラが不思議そうにアルベドに問いかけ、ほんの一瞬だがアルベドが返した鋭い視線に気が付いたマーレがアウラの服の裾を引っ張る。

 

「……ええ、色々と考えることがありすぎて……そうね、宴の準備はどうしましょうとか、ブルー・プラネット様をお迎えして、これからのナザリックの運営について色々と……」

 

 アルベドはいつものように優しい笑みを浮かべ、首を傾げながらアウラに答える。

 

「ウム、コレカラノコトカ……デミウルゴスモ呼ンデ話シ合ワネバ」

 

 コキュートスは、この瞬間に友人が同席していなかったことを残念がる。至高の御方の1人が帰還したことを知ったら誰よりも喜び安堵するであろう悪魔を思いやって。

 

「そうね、ならばセバスも呼んで……そうそう、プレアデスたちにも連絡しなくては!」

 

 アルベドが慌てだす。

 やるべきことは幾らでもあるのだ。愛する主人が風呂から上がる前に準備を整えておかねばならない――アイテムを取り出して忙し気に各部署に連絡を始める。

 

「あはは、そうだよね。ナザリックの皆に知らせなくっちゃ! 大ニュースだって!」

 

 慌ただしいアルベドを見て、アウラの快活な笑い声が第六階層の澄んだ青空に吸い込まれた。

 




パンドラズアクター「アインズ様、どうしてるかなー」
ナーベラル「ですねー」(気の抜けたハニワ顔で)

ようやく戻ってきましたが……「もうちっとだけ続くんじゃ」

10/26
ちょっと修正。アルベドの鎧形態って、腰の翼は収納されるんですかね?


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第23話 ナザリック大浴場

裸満載――ただし骸骨と樹の


 第九階層の大浴場――ブルー・プラネットが実生活でも友人であったベルリバーと共に作り上げた癒しの場である。その大浴場の一角、熱帯雨林の中の滝を模した打たせ湯でブルー・プラネットは旅の間に溜まった汚れを落としていた。

 単に汚れを落とすだけならその場で洗浄液を振りかければ済むことだ。しかし、それでは心に溜まった疲れまでは落とせない。

 

「ふぁあああ……生き返るわぁ」

 

 ブルー・プラネットが声を上げるほどリラックスしているのは、湯の温かさによるものばかりではない。決死の覚悟で潜入したナザリック地下大墳墓、そこに待ち受けていたのは昔と変わらぬ友情を示して迎えてくれた友人、そして自分が作り出したシモベと同様に忠誠を誓ってくれるNPC達だった。緊張と弛緩の落差でブループラネットは湯の中で立ち尽くす。

 

「ん、もうちょっと……」

 

 滝の横にぶら下がっている蔦――丸い小さな葉で覆われたもの――を引っ張ると、今までチョロチョロと流れていた湯が一気にザブリと溢れてブルー・プラネットの身体を覆う。そして、その水は蔦の絡まった身体の汚れを隅々まで洗い流し、排水用の河に戻り、どこかに流れ去っていく。

 

 どこに流れていくのかな――ブルー・プラネットは湯の気持ち良さにぼんやりとしながら考える。

 仮想空間に過ぎなかったユグドラシルでは考えもしなかった、無意味な疑問だ。魔法が現実化したこの世界でブルー・プラネットの洗浄液が汚れと共に昇華するのと同様、魔法の空間であるナザリックで滝の水は汚れを分解して消えるのだろうと考えるしかない。

 

「失礼しまーす」

 

 明るい声を上げ、肩にタオルを引っ掛けた骸骨が入ってくる。防具類を全て取り外したモモンガだ。第六階層の闘技場で剣士としてワーカーたちを迎え撃つために通常の神器級装備を外していたのだが、それでも嵩張るアイテム類を幾つも装着していたため、ブルー・プラネットの装備――王笏とローブと冠のみ――に比べて脱ぐのに時間がかかっていたのだ。

 

「うわっ、凄いですね。それ、隠し機能ですか?」

 

 モモンガは入ってくるなり、打たせ湯の豪快さに驚嘆の声を上げる。何しろ、3メートル近いブルー・プラネットの巨体が流れる水で覆われ、その飛沫で周囲がほとんど見えなくなっているのだ。

 

「ええ、『爆流』モードです。他にも色々あるんですよ。ワニやピラニアが降ってきたり……」

 

 ベルリバーと悪ふざけで組み込んだ機能だ。ユグドラシルではジョークとして物理学を無視した様々なギミックが組み込めた。だが、この世界ではそのギミックが現実化してどのような効果をもたらすのか今一つ確証が持てない。ピラニアが降ってきたところでこの身体が傷つくとは思えないが、折角洗ったところにまた小魚が挟まるのは困る。

――そう考えて、ブルー・プラネットは何本か垂れ下がる蔦に伸ばしかけた手を止める。

 

「へー、試してみましょうよ」

 

 モモンガは余裕の声だ。この数ヶ月の間、ナザリック地下大墳墓で生活をしてきた慣れだろう。

 

「いやぁ……また今度、色々説明しますよ」

「そうですか? では、隣、いいですか?」

「はーい、どうぞ」

 

 ブルー・プラネットは先ほどの蔦を引っ張って打たせ湯の勢いを弱める。

 隣の打たせ湯でモモンガが体を洗い始めたのだ。

 

「よし……と、それじゃジャングル風呂に行きますか」

「ええ、いいですね」

 

 熱帯雨林の滝の奥に巨大な湯船がある。かつて――元の世界ではかつて熱帯雨林が広がっていたというアマゾンの河をイメージした湯船だ。大浴場の数ある風呂の中でも最大のもので、トレントや巨人が数体入っても十分なほどのスペースがある。

 

「それでは……」

「よっこらしょっと」

 

 モモンガとブルー・プラネットは、巨大な湯船の隅でゆっくりと湯に身を沈める。

 

「あー、いいっすね……いやぁ、私、こっちの世界では風呂に入ったの初めてですよ」

「そうなんですか。大変だったんですねぇ……これまでのことを聞いても良いですか?」

「そうですねぇ……じゃあ――」

 

ブルー・プラネットは、あの日のことを――ユグドラシルの最後の日に起きたことを語る。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

「ああ、済みませんでした。あの日、サービス終了直前は玉座の間にいたんです」

「なるほど、それで誰も居なかったんですね。いや、こっちこそ、もっと早く来ていれば良かったんですが」

 

 骸骨と樹の魔物は、湯に浸かったまま互いにペコペコと頭を下げる。明確な「首」が無いブルー・プラネットは身体の上部を折り曲げるというべきだが。

 

「それで、しょうがないから自室に行って装備を外した後、第六階層で夜空を見てたんです。そしたら時間が来てもログアウトしないんで――」

「ええ、そうでしたね。私も驚きました。それで色々確認して第六階層に向かったんですけど……?」

「いやぁ……私……第六階層から外に転移して……夜空に夢中になって飛んじゃってまして」

「あ、それで第六階層にいなかったんですね。でも<伝言>にも誰も出なかったんですが……」

「はい……MP切れで気を失って森に落ちてたみたいです」

 

 ブルー・プラネットは恥ずかしそうに枝で頭部を掻く。

 モモンガは呆気に取られて口を開け、ブルー・プラネットを見つめる。

 

「ええー、いきなり外に出て、気を失ってたんですか?」

「お恥ずかしい限りです」

「いえいえ、そりゃ大変でしたね……でも、なんですぐにナザリックに戻らなかったんですか?」

「戻ろうとしたんですよ。でも、指輪も魔法も効かないし、空から探しても何も見当たらないし」

 

 ブルー・プラネットが枝を広げて首を振る。モモンガは首を捻って原因を考え――

 

「ああ、そうか、そうでした。最初はアルベドに命じて最高警戒態勢を取らせて……その時に外部からの転移無効にしたんでしょう。それと……すみません、私、幻術で上空からの探索を防いでました」

 

 モモンガがぺこりと頭を下げる。自分のせいで友人が何ヶ月も彷徨うことになったのだから。

 

「いえいえ……私のミスです。空から見るだけじゃなく、地上からも探索をするべきでした」

 

 ブルー・プラネットも頭を下げる。モモンガがとった行動は当然のことなのだから。

 やはりモモンガさんは俺とは違うなあ――そんなことを思いながらブルー・プラネットはモモンガを見る。

 

「しかし、あの幻術はナザリックの者には効かないはずですが……?」

 

 モモンガは首を傾げて疑問を呈した。

 アンデッドである自分には幻術は効きにくく、これまで気にしたことはなかったのだ。

 

「……それは、私がナザリックを離れていたからかもしれませんね」

 

 ブルー・プラネットが視線を落として小声で答える。「ナザリックの者」という言葉が胸に刺さったのだ。自分は引退宣言した身だ、拒絶されるのも仕方がない――と思う。

 だが、モモンガは首を横に振り、なおも言葉を続ける。

 

「でも、NPC達は今もなお創造主を慕っているようで『引退したからナザリックの者ではない』ってこともないと思うんですけど」

「そうですか? うーん……線引きが分からないですね」

「考えられるのは『その時点でナザリックに居た者』には効かない、という可能性ですね」

 

 この世界では、魔法は自分の意思を具現化する――モモンガは頭の中で魔法の理論を組み立てる。

 フレンドリーファイアが存在するこの世界では魔法の影響範囲を慎重に決定する必要がある。あのときモモンガの頭にあった「ナザリックの者」は「ナザリック内部にいる者」であったのだから、自分の意思で発動された幻術がそのように機能した可能性は高い。

 幻術、そして転移の制限――これは後で確認する必要がある。ユグドラシル時代とは異なり、NPCがナザリックの外部で活動することも多い。部下が外出中に防衛体制を一新した結果帰還できなくなっては困る。

――モモンガは頷き、心のメモ帳に書き留める。あとでアルベドに指示して確認させようと。

 

 モモンガとブルー・プラネットは顔を見合わせ、次の話に移る。

 

「それで、あとはですね……MP切れで落ちた帝国周辺の森を探索して、村を見つけて人間型のシモベを作って情報を集めて、町に行って薬師になって、帝都に行って……」

 

 ブルー・プラネットは、この数ヶ月を振り返る。

 

「その帝都で“漆黒”のモモンガさんとナーベラル・ガンマを見かけたんですよ」

「え? そうだったんですか? なんで声かけてくれなかったんです!?」

 

 モモンガが驚いて声を張り上げる。帝都で見かけた風景の記憶を辿りながら、その中にブルー・プラネットの姿を追い求めて。

 

「いやいや、シモベを通じて見たんですよ。それで<伝言>で連絡を取ろうとしたんですが……」

「通じなかったんですか?」

 

 モモンガは首を何度も捻る。仲間からの連絡は最優先で注意していたはずなのだが、と。

 

「ええ、初めは“漆黒”のモモンを弐式炎雷さんかと思って……次に、『モモン』つながりでモモンガさんに、それでも通じないから片っ端から<伝言>を掛けたんですが、それでも何もなくて……」

「ええー? なんでしょうね?」

「ちょっと試してみますか?」

 

ブルー・プラネットは、<伝言>で“モモンガ”に呼びかける。

 

「なにも来ませんね……」

 

 横で側頭部に指をあてていたモモンガが首を傾げる。

 

「じゃあ――」

 

 ブルー・プラネットは、再び<伝言>で“アインズ”に対して呼びかける。

 

『アインズさん、聞こえますか?』

 

 横からの声と、頭の中で響く声が2重になってモモンガに届いた。

 

「おっ、聞こえる、聞こえる! ええっ! なんで?」

「んんん……そもそも<伝言>……っていうか魔法全般のメカニズムが分からないですし、どうやって『モモンガ』と『アインズ』に繋ぎ分けてるのかサッパリですけど、メールアドレスが変わったようなものですかね……?」

「メールアドレスが……ああっ」

 

 モモンガは頭蓋骨を抱えて仰け反った。

 思い出したのだ。この世界にきて間もなく「アインズ・ウール・ゴウン」と名を変えると宣言したことを。

 ドヤ顔で「私は名を変える」と言って自分の――「モモンガ」の旗を燃やしたことを。

 

 私の名はアインズ・ウール・ゴウン。

 そう名乗っていた数か月で「モモンガ」の名を忘れていたのか……

 

 モモンガは風呂の湯に身体を沈める。

 いつまでたっても浮いてこないモモンガを心配して、ブルー・プラネットは骸骨の鎖骨と胸骨に蔓をひっかけて吊り上げた。

 

「モモンガさん、大丈夫ですか?」

「……大丈夫です。ちょっと落ち込んでただけです……」

 

 モモンガは空中で身体を丸め、顔を両手で覆っていた。

 仲間たちに自分の存在を伝える――その為にギルドの名を借りたのに、広まっていたのは「モモン」という偽名。そして、本来の名前まで忘れて仲間からの<伝言>をスルーしていたとは……と、モモンガは言い様のない感情に打ちひしがれていた。

 

 だが、ブルー・プラネット――ようやく見つかった仲間を放って現実逃避を続けるわけにもいかない。

 

「……そうでした。多分、こっちの世界で『名を変える』と宣言したのが効いたんだと思います」

「そうですか……さっきの幻術の効果もそうですが、魔法の効果って微妙に違ってますしね」

「ええ、昔と違ってコンソールで一々確認しないですし。自分の意志で直接使える分、自分が何者かという認識が直接影響するのかも」

「そうかもしれませんね。こっちの世界では魔法って、なんか本能的に使ってますし」

 

 再び湯に浸かった2人は天井を見上げ、ハァ……と同時に溜息をつく。

 

「モモンガ名義を使えるように、あとで玉座の間でギルド武器をもって宣言します……思い込みかも知れませんけど、ギルド武器の効果もあるかもしれませんし」

「そうですね……アインズ名義、モモンガ名義の2つとも使えた方が便利ですよね」

「……ブルー・プラネットさん、私が『アインズ・ウール・ゴウン』の名を使ってよかったですか?」

「え? もちろんですよ。やっぱり、ギルド長がギルド名のアカウントもつのが便利なんじゃないですか?」

 

 モモンガはブルー・プラネットを恐々と見上げて訊ね、ブルー・プラネットは気軽に答える。

安心したようにホッと息を吐いたモモンガは……ハッと思いついたように叫んだ。

 

「じゃ、じゃあ、他のメンバーからも<伝言>が届いてなかった可能性も……」

 

 ブルー・プラネットは気絶していたらしいが、他のメンバーだって何らかの事情で<伝言>を受け取れなかった可能性が――小さいが、ゼロではないとモモンガの脳に閃きが走った。事実、目の前のブルー・プラネットという実例があるのだから、と。

 

「それは……ありえますよね。ナザリックは広いですし」

 

 来ていたのは自分だけではない可能性はある――ブルー・プラネットも頷く。

 

「ちょ、ちょっと失礼します」

 

 そう言ってモモンガは<伝言>で他のメンバーに連絡を試み……しばらくして項垂れた。

 

「……やはり、誰も出ないですか?」

「ええ……でも……どうでしょう? 他の人も名前を変えていて、こっちから<伝言>が届かないって可能性は……?」

 

 ブルー・プラネットの心配そうな声に、縋るようにモモンガが答える。

 

「ありえないとは言えませんね。他に何かの事情で返事できない状況が続いているってことも……」

 

 何より気絶していて通信を見逃した自分という実例がある。気絶状態が続いている可能性も――否定はできない。ブルー・プラネットは、なおも諦めきれないでいるモモンガの言葉をひとまず肯定する。

 

「そう、そうですよね! それじゃ、定期的に<伝言>をします!」

 

 これまで「誰も答えてくれない」ことを恐れて<伝言>を避けていたモモンガが嬉しそうに叫ぶ。

 独りぼっち――それがモモンガが最も恐れ、目を背けていたことだ。何年もの間、ギルドを独りで維持していた記憶は心の傷となって残っている。

 だが、今は隣にブルー・プラネットがいる。独りぼっちではない――その事実がモモンガに勇気を与えた。

 

「今のところ、他のメンバーはナザリックに居ないのですか?」

「ええ……探してはいるんですが……見つかったのはブルー・プラネットさんだけです」

「そうですか……では、この数ヶ月、モモンガさんも一人で?」

「……まあ、NPC達がいてくれたので助かりましたけど」

 

 ブルー・プラネットの問いにモモンガは言葉を詰まらせ、やがて力なく笑う。

 

「……最終日の打ち上げ、何人来たんですか?」

「3人……ブルー・プラネットさん以外に3人来てくれたんですが、皆、時間前に帰ってしまって。最後がヘロヘロさんでしたね」

「そうですか……それは寂しいですね……」

「ブルプラさんが来られなくなった後、他のメンバーも引退したり来なくなったり……」

「そうですか……てっきり、もっと居るものだと」

「いえ、2年くらいかな……私だけでしたね」

「そんなに……」

 

 ブルー・プラネットは言葉を見失う。最後に「もう来ないと思います」と呟いた自分、大切なものに背を向けて逃げた自分を思い出して。

 

「モモンガさん……ナザリックを守っていただいて、本当にありがとうございました」

「いえいえ、ギルド長の務めですから」

 

 ようやく感謝の言葉を吐き出し、ブルー・プラネットは湯船の中で湯に顔が浸かるほど深くお辞儀をする。

 そんなブルー・プラネットに手を振り、モモンガは努めて明るい声で笑う。心の中にチリチリとしたものを抱えながら。

 

 少し気まずい雰囲気を振り払うように、ブルー・プラネットは話題を変える。

 

「でも、今は随分とにぎやかですね。NPC達が生きているように動いていて驚きました」

「そうなんですよ! 私も、初めにNPC達が声をかけて来て何があったんだと」

「初めは自分の頭がおかしくなったんじゃないかと思ってたんですが」

「ええ、私もですよ。でも、やはり、どうしても、この世界が現実であるとしか思えなくて」

「そうなんですよね……これは現実ですよねえ……」

 

 ユグドラシルのプレイヤーであった2人はお互いの顔をまじまじと見つめる。お互いに、相手が幻影ではないと確認するように。

 

「こうして認識を共有できてるってことは、やはり、これが現実ですよね」

「そうですよね。それで、僕らは元は人間だったんですよね……?」

「そうですよ」

「そうですよね」

 

 ブルー・プラネットとモモンガは同時に頷きあった。

 

「他の……NPC達は、その辺りの認識はどうなんですか?」

「うっすらと、ユグドラシル時代のことは覚えているようです。それに、ギルドメンバーに対しては、特に自分の製作者に対しては、神のように考えているようです」

「なるほど――」

 

 ブルー・プラネットは、自分がこの世界の獣から作り出したシモベたちを思い浮かべて頷く。

 

「――それで、やっぱり個性はあるんですか?」

「大ありです!」

 

 モモンガは大声で拳を振り下ろし、風呂の湯をバシャリと打ち、NPC達の性格を熱弁する。ブルー・プラネットも出会ったというナーベラル、ルプスレギナの2人、そして他の戦闘メイドたち、さらに階層守護者たちのことも。

 

「――というわけで、設定や製作者の性格が影響してるようです」

「ほぉぉぉぉ……」

 

 ブルー・プラネットも推測はしていたが、あらためて説明されて驚きの声が漏れる。

 シャルティアのブレない変態ぶりについてモモンガが愚痴をこぼしたとき、ブルー・プラネットは、ふと、何か忘れているような気がしたが、しかし――

 

「――ですから、ペロロンチーノさんがいたら何と言うかと」

 

――モモンガの言葉がツボにはまり、その思いは吹き飛んでしまった。

 

「あはははは、そうですね、ペロロンチーノさんがいたらもう、悶絶でしょうね、色々と!」

 

 ひとしきり笑った後で、ブルー・プラネットはコホンと咳払いをして口を開く。

 

「そうですか。しかし、そんなにハッキリした自我や記憶をもっているとなると……説明しなくちゃならないでしょうね」

 

 これから始まる帰還の宴のことだ。

 NPCたちに「なぜ今になって帰還したか」を説明し、納得してもらわねばならないだろうとブルー・プラネットは心配する。

 

 モモンガも、ああ、と言って肯く。

 ユグドラシル時代のように自我をもたない単純なAIであるならば、説明など必要ないだろう。しかし、今のNPC達にそれぞれの記憶や考え方があるのなら、辻褄のあう説明を組み立てなければならない。特に、デミウルゴスやアルベドのように優れた頭脳の持ち主には注意が必要だ、と。

 

「……簡単には誤魔化せないですからね」

「下手に誤魔化そうとしない方が良いですかね?」

「ええ……でも、彼らを失望させることは……まだ止めておくべきでしょう」

 

 モモンガは、いずれはNPC達に自分が凡庸な人間であることがばれることも覚悟している。

 しかし、出来ればそれは避けたいことであり、NPC達が抱いている幻想に見合うだけの支配者に成長しようと日々心を砕いているのだ。

 

「そうだとすると、現実を元にして、この世界に合ったストーリーにすべきですね」

「ええ、後で紙に書いてまとめましょうか」

 

 風呂場でストーリーを練るのは難しい。

 モモンガはブルー・プラネットに「ちょっと失礼」と手を上げ、アルベドに<伝言>を繋ぐ。

 

「アルベドよ、今、風呂でブルー・プラネットさんと話をしているのだが――」

『はい、アインズ様! あ、モモンガ様……とお呼びしても宜しいのでしょうか?』

「ん、ああ、構わないぞ。それでだが――」

『はい! モモンガ様! クフフ……よろしければ今からそちらに伺いますが、というか今、そちらに向かう準備をしておりますので、少しお待ちを』

「あ、いや、必要ない。必要ないぞ。ただ、風呂から上がったら少々打ち合わせがあるので宴はその後になると言っておきたかっただけだ」

『そ、そうなのですか――』

 

 心の中にアルベドの残念そうな声が響き、モモンガは慌てて<伝言>を切る。

 

「はい、これで時間は取れましたので」

「ありがとうございます……しかし、アルベド……ちょっとおかしくないですか?」

 

 ブルー・プラネットは、第六階層の闘技場で感じたアルベドの視線を思い出す。

 視線だけではない。「真意看破」によっても何か非常に奇妙な感覚を覚えたのだ。

 それは暴風のごとく、濁流のごとく荒れ狂いながら、それでいて決してブルー・プラネットには触れようとしない感情の刃だった。小さな町で冒険者から向けられた弱く、まっすぐな殺意とはまるで違う。

 

 モモンガは、ブルー・プラネットの問いにプイと目を逸らす。

 なんだ?――ブルー・プラネットは不安に駆られる。思い返せば、先ほどのモモンガの話にアルベドの性格の説明はなかった。

 

「どうしたんですか? 何か知っているのであれば教えてください!」

「えーと、その……笑わないでくださいね……」

 

 視線を合わせず、モモンガはブルー・プラネットに確約を迫る。

 

「ええ、笑いませんよ……っていうか、笑い事じゃないですし」

「えー、じつは――」

 

 モモンガは、ユグドラシル最終日のことを打ち明ける。

 アルベドの設定の最後の部分、それを「モモンガを愛している」と書き換えたことを。

 

「やっちまいましたね……」

「やっちまいました……」

 

 モモンガが消え入りそうな声で肯く一方、ブルー・プラネットは疑問に対する答えが得られたことで気分が楽になった。

 

(そうか、あの感覚は……嫉妬か)

 

 そう言われてみれば、この世界で最初に訪れたケラナック村でネスタカムという薬師が向けてきた感情によく似ている。質、量ともに比べ物にならないが。

 

(モモンガさんに対する愛情が、モモンガさんと仲が良い俺に向けての嫉妬を招いたか)

 

 ならば、特に気に病むことも無いか、とブルー・プラネットは納得する。

 アルベドの目の前で抱き合ったことは事実だ。しかし、モモンガとブルー・プラネットは男同士である――この体になって性別があるのかわからないが、少なくとも自分の認識はそうだ。お互いに恋愛感情があるわけではない。ただ、この世界に来た人間として孤独を感じていた中で、ようやく出会えた仲間に対しての親近感を示しただけなのだ。

 

「うん、お幸せに」

 

 ブルー・プラネットは、モモンガの肩をポンポンと叩く。

 

「な、なんですか?」

「だって、『愛してる』としちゃったんでしょ? だったら責任取らなくちゃ」

「ええー! でも、怖いんですよ、アルベド!」

「ええ、怖いのは分かります。でも、まあ、仕方がないですよ」

 

 あの感情が嫉妬ならアルベドの愛はさぞかし重いだろう、とブルー・プラネットは同情する。

 だが、モモンガもブルー・プラネットも、現実世界では恋愛には疎かった。モモンガが重すぎる愛情に悩んでいるとしても、ブルー・プラネットにも適切な助言が出来るわけでもない。

 

「他人事だと思って!」

「いや、他人事じゃないですよ。是非、アルベドとの愛は実らせてもらわないと」

 

 嫉妬に狂ったアルベドは、ブルー・プラネットにとっても怖い。

 モモンガとは別に恋愛関係に無いこと、自分はモモンガとアルベドの愛の成就を願っていること――この2つをアルベドに伝えなければとブルー・プラネットは心に刻む。

 

「ふぅ……しかし……色々ありましたねえ……」

 

 疑問が晴れて気分を良くしたブルー・プラネットは、ゆったりと顔の辺りまで湯に沈め、ブクブクと息を吐く。

 

「はい……色々ありました……」

 

 モモンガも同じように湯に浸る。

 

「そうそう、それで“漆黒”がワーカーを生贄に集めてるんだなって推測して、ワーカーに紛れて侵入する準備をして、侵入した後に自室に転移、装備を整えて第六階層に、となったわけですよ」

「なるほどなぁ……」

 

 ブルー・プラネットはここに至るまでの話を締めくくり、モモンガは風呂場の天井を眺めながら肯いた。

 

「しかし、こっちも防衛の準備はしてたんですけどね」

「ほら、私はナザリックの手の内は知ってますし、それに対応するドルイドのスキルもありますし」

「そうですけど……ちょっと悔しいな」

 

 モモンガは、ユグドラシルでの冒険を思い出す。

 この世界に来てからナザリックの防衛は主にアンデッド系のシモベ達に頼っている。これらのモンスターは休息も睡眠も必要とせず、生者に対する感知力に優れ、精神操作に耐性があり、幻術を看破することに長けているからだ。

 しかし、その特性を逆手に取った戦法も無数に考えられる――ユグドラシルの高レベルプレイヤーであれば。

 

 アインズ・ウール・ゴウンの仲間達が揃っていた頃は、お互いが弱点を補いあい、隙の無い防衛体制をとることが可能だったのだが……

――苦々しい思いをモモンガは飲み込む。

 1人とはいえ仲間が戻ってきてくれたのだ。今出来る限りのこと、ブルー・プラネットの防衛スキルを組み込んでナザリックの防衛網を見直す必要がある。

――そう考えて、呟く。

 

「同じドルイドのマーレ、あるいはレンジャー系のアウラなら、ブルー・プラネットさんを看破できたのかな?」

「……そうですね。あとで試してみましょう」

 

 モモンガの独り言は、もし敵としてブルー・プラネットが侵入してきたならばどうすべきだったかというシミュレーションだ。

 その言葉にブルー・プラネットが相槌を打つ。その声にモモンガはブルー・プラネットに目を向けた。

 

「ふぅ……ふふっ、ブルー・プラネットさんの霧で誤魔化されたの、これで2回目ですね」

「そうでしたっけ?」

「ええ、最初にお会いした<シャーウッズ>の広場、あそこで霧になって隠れてたでしょ」

「ああ、あれですね……そっか、今日も同じかあ」

 

 確かに、第六階層でモモンガたちに接近したのは<シャーウッズ>で多用した戦法が元となっている。自分でも忘れていた出会いをモモンガに指摘され、ブルー・プラネットは頭を掻いて頷いた。

 

「しかし、モモンガさん、よく覚えていましたね」

「いやぁ、ああいう初見殺しは、やられた方は忘れないものですよ」

「と、言ってる割には?」

「はい、また引っかかりました……って、まさかブルー・プラネットさんが、あのワーカーたちと一緒に入ってくるとは思ってもいませんでしたよ。なにしろ、今回の侵入は帝国側の内通者を使って私が計画したものですからね」

 

 自分の迂闊さを認めるモモンガの口調は、それでも嬉しそうだ。

 

「常に第三者の介入に気を付けるべし。いや、第三者ですら利用する第四第五の存在の可能性も念頭に置くべきだよ――とか、ぷにっと萌えさんなら言いそうですね」

 

 ブルー・プラネットが指を立てて振りながら昔の仲間の口調を真似て笑う。

 

「ははは、言いそう、言いそう」

 

 モモンガも湯船の水をパシャパシャ叩き、笑った。

 モモンガにとって昔の仲間の思い出話はこの上なく愉快だ。ユグドラシルの記憶は、彼の灰色の人生において眩く光るタペストリーであり、モモンガを陶酔させる。

 そして、今、目の前にいるブルー・プラネットは、その記憶が嘘ではなかったことの証明だ。

 虚ろな眼窩の奥で光る赤い炎を細め、モモンガはブルー・プラネットを見つめる。

 モモンガの脳裏には、ブルー・プラネットの背後にかつての仲間たちの姿が浮かんでいた。

 

「まあ、この世界にはそんなに気を付けるべき存在は――」

 

 モモンガの幻視を破り、ブルー・プラネットが言葉を続ける。

 

「いやぁ、進入者がブルー・プラネットさんでよかったです。実はシャルティアがワールドアイテムで支配されかかる、といった事件も起こりまして……」

「ワールドアイテムで? あのシャルティアが? たしかガチ構成の100レベルでしたよね?」

「そうなんです。ですから、他のプレイヤーも存在している可能性が高いと」

 

 寛いでいた雰囲気が一転して硬いものになる。

 モモンガの口調にはただの警戒以上に憎しみも込められていた。

 ブルー・プラネットはつい先日までの自分を思い出す。目立たぬように情報を探していた自分を。同じように身を潜めている他のプレイヤーもいる可能性が高い。いや、ワールドアイテムを使うほどの存在がいるとなれば――

 

「それで人形を見つけたとき、あれほど警戒したんですね」

「ええ、てっきり他のプレイヤーの手のものかと」

「ああ……それは、確かに警戒すべきですね」

「はい、警備を再構築します。ブルー・プラネットさんが帰ってきてくれたおかげで、随分と出来ることが増えましたから」

「ええ、防衛システムの再点検ですね」

「はい、今回の防衛計画はアルベドに作らせたもので、彼女にとって初めての経験だったのと……私がおびき寄せたワーカーを……始末する前提だったので穴が多いかと……」

 

 モモンガの声が小さくなっていく。

 これが責任転嫁の言い訳であることは、モモンガ自身にも分かっている。第三者の介入を想定せずに初心者であるアルベドに防衛を任せ、さらにはもう一人の防衛の要であるパンドラズ・アクターも自身の影武者として地上に送ってしまったのだ。さらに、探索能力に優れたアウラを第六階層に待機させておいたことも油断というしかない。

 

 全ての責任は自分が負わなくてはならない――ゲームとは違う責任がモモンガの肩を重くする。

 ゲームとは違い、自分の意志をもったシャルティアを殺してしまった記憶が胸を締め付ける。

 

「まあ、これからの経験ですね」

 

 ブルー・プラネットが呑気な声を出す。

 その声にモモンガは少し苛立ちを覚えた――NPCを殺す経験が何度もあってたまるかと。

 

「NPCたちもこれから成長していくことでしょうし」

「ええ、そうですね。それに、私たちも……」

「そうですね……『支配者』として成長しなければなりませんねぇ」

 

 モモンガが重々しく頷く横で、ブルー・プラネットは肩を回す仕草をして首を振る。

 

「しかし、私に『支配者』が務まるか……自信が無いですよ」

 

 第六階層でみた階層守護者たちの忠誠心は高い様だ。だが、いつまでその忠誠心が保たれるだろうか?

 アルベドのあの視線が――嫉妬であると分かった今も恐ろしいが――NPCの忠誠心も無限ではないと示している。失敗を繰り返せばやがては見捨てられるかもしれない。

――ブルー・プラネットの心配はそこだ。

 

「大丈夫ですよ。この数か月、私でも何とかやってこれたんですから」

 

 モモンガは笑う。だが、その声には苦い思いも混じっている。

 何とか取り返しがついたが、失敗の連続だった。意志をもつNPC達の期待に押し潰されそうになりながら何とか綱渡りでここまで――そんな思いを秘めて。

 

 そんなモモンガを見てブルー・プラネットは思う。

 モモンガは卑下しているが、非常に優秀なギルド長だったのは仲間の誰もが認めていたと。

 そして、他のメンバーが引退した後もずっとこのナザリックを維持していたのだ。

 俺とは違う。自分は「ナザリックを捨てた」身なのだ――どうしてもそう思ってしまう。

 ナザリックを守る幻術が、自分には効いてしまった。

 今は、NPCたちも自分の帰還を喜んでくれているようだが、やがては――

 

「私は……ナザリックを去ったことでNPCたちに憎まれてないでしょうか?」

 

 沈んだ声でブルー・プラネットはモモンガに問う。

 

「大丈夫ですって! みんな喜んでいたじゃないですか」

「モモンガさん、モモンガさんも許してくれますか?」

「はは、何を言っているんですか! そんなの……当たり前じゃないですか!」

「でも、私が去ってから……他の皆も来ずに、ずっと独りぼっちで……」

 

 ブルー・プラネットのその言葉を聞いて、モモンガの首がガクンと垂れた。

 

「だ、大丈夫ですか、モモンガさん?」

 

 風呂の水に顔をつけたままのモモンガに、ブルー・プラネットは心配そうな声をかける。

 

「だいじょうぶ……? だいじょうぶだって……? ふざけるなよ……」

 

 モモンガが顔を上げ、その眼窩から零れた湯が顎を伝って滴り落ちた。

 

「みんなで俺を見捨てて……去って行って……何年も……それで大丈夫かだって?」

 

 髑髏の奥に赤い火が揺らめき、かすれた声が途切れ途切れに絞り出される。

 モモンガの中に沸き上がった激しい怒りが鎮静化され、再び沸き上がることを繰り返しているのだ。

 

「本当に……申し訳なく思ってます」

 

 謝罪の言葉を聞き、モモンガはブルー・プラネットの胸を殴りつけた。

 

「クソッ! 謝って……済むかっ……この……ふざけるなっ……ちくしょう!」

 

 モモンガは何度も何度もブルー・プラネットの胴体を殴りつけ、風呂場に金属と骨がぶつかり合う硬質の音が響いた。

 ブルー・プラネットの体は“生ける鋼”で出来ており、それは中級の鎧と同程度の防御力をもつ。トレントが同レベルの魔法職アンデッドに殴られたところでダメージがあるはずもない。

 だが、モモンガが殴りつけるたび、ブルー・プラネットの顔が歪む。

 

 やがて、殴りつかれたようにモモンガが腕を下ろす。

 

「すみませんでした、ブルー・プラネットさん……」

 

 押し殺した声でモモンガは謝罪する。

 激しい怒りは去ったが、静かに煮えたぎる怒りは消えたわけではないことがブルー・プラネットには分かった。

 

「いえ、こちらこそ……恨まれて当然ですよ……」

「いえっ! そんな! ブルー・プラネットさん! 恨んでなんかいませんよ!」

 

 モモンガはブルー・プラネットを見上げ、慌てて叫んで手を振る。

 

「いえ、モモンガさん……気持ちは分かります。私の<シャーウッズ>もそうでしたし……」

「ああ……」

 

 モモンガは思い出した。荒れ果てた公園で佇んでいた巨大なトレントたちを。そして、友人の名を聞いて霧の中から立ち上がった小さなイビルツリーの笑い声を。

 

「だったら、なぜ捨てたんですかっ! 俺たちのナザリックを!」

 

 ブルー・プラネットが去ったときに投げかけた問いを、モモンガは再びぶつける。

 

「すみません……辛かったんです」

「辛かった……? 何がです?」

 

 ブルー・プラネットの言葉にモモンガは戸惑う。

 ギルド長として仲間の確執は見てきた。それで脱退した仲間もいる。ブルー・プラネットもそんな悩みを抱えていたのだろうかと。

 

「はい……第六階層の夜空……ナザリックは俺の理想でした。だから、だからこそ、それが耐えられなかったんです」

 

 ブルー・プラネットの言葉は、モモンガには理解できなかった。

 理想の場所をなぜ捨てるのか、理想の場所だからこそ守るのではないか――そう思う。

 

「……よく分かりませんが、飽きたとか、そんなんじゃないんですね?」

「当たり前じゃないですかっ!」

 

 ブルー・プラネットが水面を打って叫ぶ。

 

「俺の魂はナザリックに置いてきたんですっ! 毎晩、家に帰るとき、あの黒い空を眺めて第六階層を思い出してましたよっ! だから……だから来れなかったんですっ! もし飽きたんだったら……どうでも良かったなら……たまに遊びに来てましたよ」

 

 そして、呆気にとられて口を開けているモモンガに頭を下げる。大切なものを他人任せにして逃げた自分を恥ずかしく思って。

 「もし失っても自分のせいではない」――そんな言い訳をして逃げた自分は卑怯者であると思い知って、ブルー・プラネットにはモモンガの目を見ることが出来なかった。

 

「ごめんなさい。私が無責任でした。自分勝手に止めたことは申し訳ないと――」

「いえ……正直、俺にはよく分かりません。でも、ナザリックを、アインズ・ウール・ゴウンを忘れたわけじゃなかったんですね」

 

 モモンガは念を押す。モモンガにとって、それが――自分の輝かしい記憶を否定されないことが――最も大切なことなのだ。

 

「ええ、忘れるはずがありません……ほんとうに、維持していてくれてありがとうございます」

「そんな……皆さんの思いを込めたナザリックを守るのがギルド長の務めですから」

 

 ブルー・プラネットとモモンガはお互いに頭を下げる。

 落ち着いたモモンガは、初めてブルー・プラネットに出会ったような、奇妙な感覚に包まれていた。

 何年も一緒にユグドラシルで遊んでいながら、モモンガとブルー・プラネットは現実での接点はほとんど無かった。ギルド<アインズ・ウール・ゴウン>のメンバーは最盛期で41人、その中には自然と仲が良いグループができる。モモンガはペロロンチーノと特に仲が良く、たっち・みーには崇拝に似た尊敬と憧れの念を抱いていた。

 

 メンバーは全員が「大切な仲間」だ。だが、その中にも温度差はある。

 モモンガにとって、ブルー・プラネットは「夜空を愛し、自然を熱く語り、静かに微笑む男」だった。モモンガの青春を彩るタペストリーの紋様の1つに過ぎなかった。

 それが今、初めて実在の人間としてモモンガの前にいる――そんな気がする。

 社交辞令が剥がれ、我儘を見せつけられ、本音で怒鳴りあって、ブルー・プラネットという男の心を初めて知ったのだ。

 

 感情を暴走させたことが急に恥ずかしくなり、モモンガは額をピシャリと叩く。

 こんな時はどうすればいいのか――ふと、昔習った「身代わりになった友人のために走った男」の物語が心に浮かんだ。

 たしか、その話の最後には――

 

「ブルー・プラネットさん、さっきは取り乱して申し訳ありませんでした。お詫びに一発、俺を殴ってください」

「えぇ?」

「いえ、ほんとに。勝手な思い込みで殴ってばかりで申し訳ないですから」

 

 分かりました、とブルー・プラネットは頷く。

 男同士は殴り合って友情を深めるものなのだ、と。

 

「では……歯を食いしばれぇ!」

 

 ロマンチストなブルー・プラネットは、モモンガの顔を思い切り張り飛ばした。

 

 男同士――人間同士ならば良かっただろう。

 だが、ブルー・プラネットは怪力をもって鳴るトレントの100レベルプレイヤーである。

 素手による単純な攻撃力は人間種最高レベルのモンクをも上回る。

 

 横殴りの枝に打たれ、ロケットのごとく水飛沫の尾を引いて、骸骨が湯船から打ち上げられた。

 そして、「ぐぁー」という声とともにほぼ水平に大浴場を飛び越え、そのまま黄色い椅子をボーリングのピンのように跳ね飛ばしながら洗い場を滑る。

 

「だ、だだだ大丈夫ですか!」

「は、はハハはは! だヒしょフふてス……」

 

 慌てて叫んだブルー・プラネットに、モモンガはブラブラと揺れる下顎部を片手で押さえ、浴場の向こうからもう一方の手を振る。

 どうやら顎関節が損傷を受けたらしい。今は仲間同士でもダメージが通るのだ。

 どこから声を出してるんだろうとブルー・プラネットは思いつつ、ザバザバと風呂の湯を蹴散らしてモモンガの方に駆け寄る。

 

「いやぁ……ほんとうに、すごい力ですね。こっちに来て最高の一撃でした」

 

 無詠唱化した<大致死>でとりあえず顎を復元したモモンガが声を出す。

 実際には、シャルティアにスポイトランスで刺されたときのダメージの方が大きかったかもしれない。しかし、モモンガは友人の一撃を称える――「最高の一撃」という言葉には嘘はない。

 

<生命の精髄(ライフ・エッセンス)>……うわ、HPがすっげぇ削られてる! ほんとすみません!」

「いえ、ほんと大丈夫ですから」

 

 枝を伸ばして髑髏の顎を撫でるブルー・プラネットを、モモンガは押しとどめた。

 

「つい忘れてました。今はフレンドリーファイアが有効でしたね」

「ええ……ちょっとまだ歯が欠けてるっぽいんで、あとで魔法でしっかり治しときます」

「あ、ああ……そっか、骨でも治るんでしたね。よかった」

「ええ、これくらいなら放っといてもリジェネレートされるけど……アルベドに見つかる前に治さないと大騒ぎだろうなぁ……」

「うわっ、それは怖いですね」

 

 2人は笑いあう。「ギルドの仲間」ではなく本当の友人として、心からの笑い声で。

 

「ははは……それにしても、ブルー・プラネットさんのアレ、思い出しましたよ」

 

 モモンガがの笑い声に悪戯っぽいものが混じった。

 

「え? あ、“竹ぼうき”……」

 

 ユグドラシル時代、ペロロンチーノの提案でやまいこ作のNPCを練習台に使い、それがバレて何故かぶくぶく茶釜が泣き、やまいこがその巨拳でブルー・プラネットとペロロンチーノ、そしてぷにっと萌えを玉座の間の端から端まで吹き飛ばした事件だ。

 口の悪いメンバーが「竹ぼうきが滑ってる」と大笑いして「ぅゎぁぁぁ」と情けない音を立てて床を掃除する竹ぼうき型ゴーレムをブルー・プラネットに贈呈した。

 

「るし★ふぁーがいたら、風呂掃除用の自動モップゴーレム作られてたかもしれませんね」

「白い骸骨が逆立ちして、『ぐぁー』って叫びながら頭で床を滑るやつね」

 

 モモンガとブルプラは大笑いして、風呂場の水をバチャバチャと叩き、飛び散らかせる。

 

 噂をすれば影が差すという。

 

「マナーを守らない者、風呂に入る資格なし。これは天誅である」

 

 聞き覚えのある声がして、温泉の陰からライオン型のゴーレムが現れた。

 呆気にとられる2人に対し、そのゴーレムは銃撃を浴びせてくる。

 モモンガは咄嗟に<骸骨壁>(ウォール・オブ・スケルトン)で銃撃を防ぐ。

 壁となった無数の骸骨たちがゴーレムに剣を振るうその陰で、ブルー・プラネットはスキル「報復の剣(フラガラッハ)」で枝を自動追尾・防御力無視の剣に変え、そして骸骨壁ごとゴーレムを貫く。

 数舜、壁越しに金属と金属のぶつかり合う音が響き、そして重く硬いものがゴトリと床に落ちる音がした。

 

「倒しました」

 

 ブルー・プラネットが宣言し、モモンガが魔法の壁を消去する。

 

「んー……これ、るし★ふぁーさんの置き土産だな」

「ですねー」

 

 寸断された金属の塊――ゴーレムの残骸を前にしてモモンガとブルー・プラネットは頷き合い、ハイタッチを決めた。

 




後半開始しました。


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第24話 風呂上がりの一杯

腰に手を当てて一気飲み(ウソ)



 風呂から上がったモモンガとブルー・プラネットは脱衣場でアイテムを装備しながら語り合う。

 

「いやあ、モモンガさん、咄嗟によく反応できましたね!」

「いえいえ……ブルー・プラネットさんこそ、腕は衰えていませんね!」

 

 やや興奮気味に語られる内容は、先ほどの風呂場での戦闘だ。敵としては大した強さでは無かったが、この世界で初めて友人と一緒に戦ったという事実が2人の心を熱くした。

 

 最初の何発か被弾した個所を各々の魔法で修復する。

 蚊に刺された程度のダメージだが、これからNPC達に会うことを考えれば無傷でいた方が平穏で済む。

 

「かすり傷でもついていたら、ほんと大騒ぎですから」

 

 モモンガからそう注意され、ブルー・プラネットは胴体の凹みや汚れをチェックする。

 モモンガは再度<大致死>を自分に対してかけ、欠けた顎を完全に修復する。

 

「へー、なるほど……歯の欠損部分に新たなエナメル質が形成された……」

 

 横からブルー・プラネットが興味深げに覗き込んで感想を漏らした。

 

「私も自分の葉や枝を復活させたことがあったんですけど、不思議なもんですね」

 

 葉や枝であっても消失した部位が現れるのは現実世界では考えられないことに違いはない。しかし、やはり「骸骨が回復する」というのは不思議だという感覚がブルー・プラネットには残る。

 

「へぇ、ブルー・プラネットさんに傷をつける敵がいたんですか?」

 

 意外そうにモモンガが尋ねる。

 

「いえ、自分で……薬師のフリで薬草のサンプル見せる必要があって切り取ったんですよ」

「ははは、なるほど。それは大変でしたね」

「いやぁ、ちょっと痛かったけど、むしろこの世界の物でこの身体を傷つけるのに一苦労でしたよ」

 

 2人は笑いあい、最後に主装備を纏って風呂場から出る。

 ブルー・プラネットの主装備は3点のみ――王笏と冠とローブだけだ。他に指輪やブローチなどの補助アイテムも身に付けているが、鎧も籠手も靴も身に付けていない姿はいかにも貧弱に見える。

 

「ブルー・プラネットさん、装備はこれだけでしたっけ?」

 

 そう尋ねるモモンガも大した装備はしていないが、それは貧弱な侵入者を迎え撃つためにあえてそうしただけで、いつもは神器級アイテムに身を包んでいる。

 

「ええ……ほら、私は元々鎧とか使わないし、引退したときに上級装備は譲っちゃいましたから」

「そうでしたね。宝物殿には幾つか装備が残っているはずですから、あとで……取ってきます」

「残ってますか? じゃあ、一緒に行きましょう」

「あ、いや、ちょっと、その、トラップが面倒なので俺だけで行きます」

 

 藪蛇だった――モモンガはバタバタと手を振ってブルー・プラネットを止める。

 宝物殿には引退した仲間たちのアヴァターラが装備を纏って立っているのだ。

 あまりにも恨みがましすぎる。ブルー・プラネットが宝物殿に行く前に、アヴァターラを隠さなければならない。

――モモンガは宙を見つめて予定を組み立てる。

 

「そうですか。すみません……お任せします」

 

 トラップが面倒だと言われれば、ブルー・プラネットも敢えて宝物殿に行くつもりはない。

 それに――すでに譲った装備だ。売られて換金されていても文句は言えない。モモンガに手間を掛けさせた挙句に「やっぱり残っていませんでした」と恥をかかせることもないだろう。

 

「――いや、この装備が一番馴染んでいるので、これで良いですよ。アイテムで補強すれば十分ですから。昔の装備はまた機会があったときに……」

 

 ブルー・プラネットは自分がもつ唯一の神器級装備である王笏を振って見せる。

 

「そうですか? ブルー・プラネットさんがそう仰るならいいですけど、これから帰還祝いで着飾った方が良いんじゃないですか?」

 

 モモンガは首を傾げながらも、どこかホッとした口調で言う。

 

「じゃあ、何かキレイなアイテム着けていきますよ……私の部屋のアイテムを残しておいてくれて、ありがとうございました」

「いえいえ……実は、ブルー・プラネットさんの部屋……ベルリバーさんが残すように主張したんですよ。『あいつは必ず帰ってくるから』って」

「そうだったんですか……あいつが……」

 

 そのベルリバーさんも既に引退しちゃいましたけど――モモンガは寂しそうに付け加える。

 元の世界でも接点が無くなってしまった友人を懐かしみ、ブルー・プラネットはしばし沈黙する。

 

「……さて、どうです? 俺の部屋で打ち合わせをしますか?」

「ええ……っと、その前に捕虜たちを部屋に運んでおかないと」

 

 しんみりした空気を破り、モモンガが声をかけた。

 その提案にブルー・プラネットも気分を変えて答え、モモンガはカシャリと手を打ち合わせる。

 

「そうでした。あの侵入者たち……えっと、神官は『真実の部屋』で、2人はそちらの居室前でしたか」

「ええ、では、私の方を片付けたらモモンガさんの部屋まで行きますから、ちょっと待っててくれます?」

「はい、待ってますね」

 

 モモンガはそう言うと転移の指輪を作動させ、風呂場の前から消えた。

 ブルー・プラネットも同じく指輪を使い、自室の前に転移する。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 第九階層のブルー・プラネットの居室前には2つの檻が置かれていた。

 その中にはそれぞれヘッケランとイミーナが座っており、怯えた目で突如現れたブルー・プラネットを見つめている。

 

「よしよし、暴れてなかったようだな」

 

 ブルー・プラネットとしては、2人が暴れて焼け死んでいようが大した問題ではなかった。死んでいれば蘇生魔法の実験に使えるし、蘇生に失敗しても第六階層の肥料になるかもしれない――その程度の認識だった。

 だが、生きていればそれに越したことはない。

 

「ブルー・プラネット……様、俺たちはどうなる……んですか?」

 

 ヘッケランが震える声でブルー・プラネットに尋ねた。

 

「んー、正直、あまり考えてない。だが、そうすぐ殺そうってわけでもないよ」

 

 ブルー・プラネットは答えながら心の中で魔法の暗証番号を唱え、自室のロックを解除する。

 

「よし、暴れるなよ」

 

 開いたドアを片手で押さえながら、もう1本の腕の蔓を伸ばして2つの檻に引っ掛ける。

 そして、軽々と2つの檻を持ち上げて、そのまま部屋の中に運び入れる。

 

「よっこらしょっと」

 

 ブルー・プラネットは声を上げる。気分の問題であって、重たいわけではない。

 そのまま部屋の中の空いたスペースに檻を下ろし、中の2人を眺める。

 ヘッケランとイミーナは、自分たちを見つめる樹の怪物に目を合わせることが出来ず、目を伏せた。

 

「そんなに恐れることはないんだがな」

 

 目を合わせようとしない2人に対してブルー・プラネットは声をかけ、その声に反応して2人は恐々と目を向ける。恐ろしいが、声を無視して目を伏せたままでは怒りを買うかもしれない――そんな表情で。

 

「あ、あとの2人はどうなったの?」

 

 勇気を振り絞り、ここにいない仲間を案じて声を上げたのはイミーナだった。

 

「ああ、ロバーデイクはモモンガさんが何か実験に使うらしい。アルシェは……私たちの部下が面倒を見ているよ」

「ロバーデイク……あなたは彼を知っていたのですか?」

 

 名乗っていないはずの神官の名が出たことに疑問を感じ、ヘッケランが恐る恐る尋ねる。

 神のごとき力をもつこの化け物ならば“フォーサイト”のメンバーの名を知ることも容易いのかも知れない。しかし、理性的な会話ができるならば、現状を好転させる切っ掛けになることも――そう期待して。

 

「ああ、アーウィンタールでブルプラという薬師達にあっただろう? あれは私だからな」

「え? あの……」

 

 なおも意味を理解していない2人に、ブルー・プラネットは説明を続けた。

 

「ブルプラとネット、あの2人は私が作ったシモベたちだ。そして、その身体を使ってお前達と話していたのが私だよ」

 

 ヘッケランは俯いて拳を握り締める。自分たちの行動が全てこの化け物たちの掌の上にあったことを理解したのだ。

 

「あなたが……あなたが私たちをこの地下墳墓に誘い込んだのね……目的は何? 何のために?」

 

 イミーナが震える声で尋ねる。

 

「ん? いや、それはモモンガさんが“漆黒”のモモンとして仕組んだことだ」

「なっ……」

 

 ブルー・プラネットが何気なしに伝えた真実に、ヘッケランとイミーナは愕然とした表情を浮かべる。

 

「ば、ばかな……あのスケルトンがモモンさんであるはずが……」

 

 ヘッケランは、かすれる声で化け物の言葉を否定する。

 密かに残していた希望――自分たちが帰らなければ“漆黒”のモモンが救出に来るという可能性を打ち砕かれたのだ。

 

「んー、そうは言っても事実だしな……まあ、信じようと信じまいと勝手だが」

 

 ポリポリと枝の先端で顔のあたりを掻きながら気楽に答える樹の怪物――ブルー・プラネットを見て、その言葉が真実であることをヘッケランとイミーナの2人は悟る。

 

「では、もう他のチームは――」

「ああ、全滅したらしいよ。生きている者もいるが、まあ、大変なところに送られたらしいな」

 

 ブルー・プラネットは風呂場での雑談で聞いた話をこともなげに伝える。実際、ブルー・プラネットには他の侵入者達には何の思いもない。目の前のヘッケラン達にしても、たまたま最後に居合わせただけの存在でしかない。

 

「……分かりました。それで、私たちはどうなるんでしょう?」

 

 力の抜けた声でイミーナが尋ねる。

 

「さっきも答えたけど、君たち2人をすぐに殺そうとは考えてない。だが、ロバーデイクは……まあ、殺しはしないと思うが……モモンガさん、かなりキレてたからなあ」

 

 闘技場でのモモンガの様子を、そして自分が“砦の牙”にしたことを思い出しながら、ブルー・プラネットは首を傾げつつ答える。

 

 自分が言わなければ、モモンガは“フォーサイト”の全員を躊躇なく殺していただろう。

 そう感じたからこそ、ブルー・プラネットは3人を引き受けた。たまたま居合わせただけだが、自分が利用した者たちがむやみに命を奪われるのは何となく気分が悪いのだ。

 

「アルシェは……あの子は……」

 

 イミーナが目を泳がせながら呟く。

 

「ああ、あの子か……役に立ってくれたからな。彼女はなるべく優遇するつもりだ」

「そうですか……ありがとうございます」

 

 実の妹の様に思っていた少女が酷い目にあわされていないと知り、イミーナは安堵して礼を言う。

 

「なんとか、私たちを解放してもらえるわけにはいきませんか?」

 

 ヘッケランが尋ねる。化け物が会話が通じる相手だと分かってか、幾分か声に力が戻っている。

 

「申し訳ないが、それは出来ないな。『すぐには殺さない』ということで、今は満足してくれ」

「……そうですか」

 

 ヘッケランにも分かっていたのだろう。それ以上、尋ねることはなかった。

 

「では、モモンガさんを待たせられないからな。お前たちの処遇は、また帰ってから考える」

 

 そう宣言し、ブルー・プラネットは2人に向かって蔓を伸ばす。

 2人はびくりと身を震わせ、迫ってくる蔓を見つめるが何も抵抗は出来なかった。

 その蔓は2人の首筋に刺さり、睡眠薬が注入される。

 

 ヘッケランとイミーナが狭い檻の中で崩れ落ちるのを確認し、ブルー・プラネットは転移の指輪を発動させた。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

「もしも~し」

 

 モモンガの居室前に転移したブルー・プラネットは、その重厚なドアをノックする。

 

「あ、どうぞどうぞ、入ってください」

 

ノックの音で顔を出したモモンガは、笑いながらブルー・プラネットを自室に招き入れる。

 

「すみませんね、遅くなって。あの捕虜たちとちょっと話をしていたものですから」

「いえいえ、俺もちょうど仕事があったんで……」

 

 ドアを閉めて、モモンガは朗らかに笑う。

 

「それで、モモンガさんはあの捕虜……ロバーデイクとかいう神官をどうしますか?」

「ええ、この世界の魔法の根源について調べようと思いまして。記憶操作で信仰体系を弄ろうと」

「ほぉ、なるほど。では私も、あの2人はポーションの実験に使おうかな……」

 

 とりあえず、モモンガは神官をすぐに殺すつもりはないらしい。

――ヘッケランたちに言った言葉が嘘ではないことに安堵して、ブルー・プラネットは頷いて呟く。

 

「さ、ドアのところで立ち話もなんですから、奥にどうぞ」

 

 モモンガが促して、ブルー・プラネットは部屋の奥に進む。

 

「うわぁ……すごいですね」

 

 ブルー・プラネットが驚いたのは、モモンガの仕事机に積まれた書類の山である。どうやらブルー・プラネットが来るまでその書類に目を通していたらしい。

 書類には細かい字でびっしりと数字や図が書き込まれており、何の費用が金貨幾らである等の説明が読み取れた。

 

「これ、ナザリックの……運営の資料ですか?」

「ええ。まあ、アルベドとデミウルゴスが実務のほとんどをやってくれてるんで、俺は最後に承認するくらいですけどね」

 

 モモンガは、パンパンと机の上に積まれた書類の束を叩く。

 

「いやあ……承認するだけって、それにしても凄いですよ。お疲れ様です」

 

 元の世界でプロジェクトの申請や成果報告などの書類手続きに忙殺されていたブルー・プラネットはモモンガの苦労を知って深々とお辞儀をする。

 

「ははは、まあ、この身体になってから『疲れる』ってことは無いんですけどね」

「ああ、そうですね……それは私もですけど……それでも大変でしょう」

「ええ、ですから、今後はブルー・プラネットさんにも手伝ってもらいますよ!」

 

 モモンガは横に立つブルー・プラネットを見上げ、骸骨の顔でカカカと笑う。

 

「うへ……ああ、そうだ。そういえば魔法で何とかなるのかな?」

 

 ブルー・プラネットは最大化した<知力向上>の魔法を自分にかける。そして、書類の束を取り上げて――

 

「ちょっと見せてください……ほう、なるほど、これはリザードマンの村への食費ですか。こちらはカルネ村への支援内容。へぇ、ゴブリンとオーガの集団を人間の村に……リザードマンがほぼ自給自足に移行しつつあるのに対して、ゴブリンたちは食料と装備品の負担が大きいですね……」

 

――パラパラとめくる書類の内容が一目で頭に入る。元の身体ではありえないほど、自分の記憶力や情報処理力が向上しているのが分かる。

 

「おおっ、ブルー・プラネットさん、凄いじゃないですか……って、本当に読んでるんですか?」

 

 モモンガが驚いて声を上げた。一々目を通していたら何時間もかかるであろう書類の山がみるみるうちに捲られていくのだ。

 

「ええ、このカルネ村ってのは近くの人間の村ですね? ルプスレギナがいた……地上侵略の拠点にしてるんでしたね? 食料が必要であれば食料生産系モンスターを召喚しましょうか?」

 

 ブルー・プラネットは頷きながら早口でモモンガに答える。

 

「ははは、いや、地上侵略ってわけではないですけど、そうですね、食糧生産系はありがたいです」

「ん? 侵略の拠点でないとすると……かなり資材を投入してますけど、それだけの価値がこの村に?」

 

 評論家のような口ぶりだ――モモンガが笑ってブルー・プラネットの勘違いを修正した。

 ブルー・プラネットはその言葉に手を止めてモモンガを見つめる。

 たかが人間の村になぜ肩入れするのか――そんな疑問が浮かんだのだ。

 

「ええ、ちょっとこの世界の知り合いがいて、薬の開発をしているんです」

「ほう、薬の開発ですか。それは興味深いですね」

「ええ、この世界では回復系ポーションは青いんですが、ナザリックの原料で紫のモノができるようになったんですよ」

「ほう! それは興味深いですね。この世界の技術でユグドラシルの原料を扱うのは私も帝都で試しましたが……」

「そうなんですか。じゃあ、その薬師……ンフィーレアというんですけど、会ってみます?」

「ええ、楽しみですね……でも、この身体じゃなんですので、シモベを回収してからにします」

「ああ、帝都で薬師として使っていたシモベですね」

「ええ、今は動物に戻して森に放ってますけど……」

 

 早いところ回収しなくてはいけないか――ブルー・プラネットは小刻みに頷く。

 

「それにしても、ブルー・プラネットさん、さっき使った魔法は何ですか?」

「ああ、ドルイドの魔法で<知力向上>ってのがあって、本来はMP消費の低減とかですけど、この世界では理解力や記憶力が上がるみたいなんです」

「ちょ、ちょっと俺にも掛けてくれますか?」

 

 モモンガが自分の頭をブルー・プラネットに向かって差し出す。

 

「ええ、では……<最大化><知力向上>」

 

 モモンガの眼窩の奥の光がポッと明るさを増し、モモンガも猛烈な勢いで書類を捲り始めた。

 

「おおっ! いやこれ……ブルー・プラネットさん、これ、ズルいですよ!」

「ズルいって……良かったら、これ、ポーションにも出来るんで、作り置きしときましょうか?」

 

 早口になったモモンガに、ブルー・プラネットも早口で笑って答える。

 

「ええ、ぜひお願いします!」

 

 モモンガは早口で叫び、カクカクと小刻みに何度も頷いた。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

「――それで、帰還祝いの件ですが……」

 

 机の上の書類の山が片付いたころ、ちょうど魔法の効力も切れた。情報量が魔法による処理の規定値に達したのだろう。

 通常の口調に戻った2人は本題に入る。

 

「ええ、そうですね……そっか、デミウルゴス、こんな感じで世界が見えてたのか……」

 

<知力向上>の効果に興奮が冷めていないモモンガは八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)を下がらせた後でしきりに呟いている。

 

「やはり、デミウルゴスは鋭いんですか?」

「そう、そうなんですよ。いっつも何か自分一人で納得して、私が置いてけぼりにされて……」

「へぇ……そうなんですか。確かに設定ではそうなってましたけど、知識はどうなんです?」

「何でも知ってますね。軍事・外交ではデミウルゴス、内政ではアルベドに頼りっきりです」

 

 モモンガの愚痴に、ふむぅ、とブルー・プラネットは唸る。

 自分で何度か<知力向上>の実験をしてみた結果、確かに記憶力や理解力は増すものの、「知らないこと」を「知っている」ようには出来ないことが分かっている。

 ならば、デミウルゴスの知識は……設定には「智謀に優れる」とあっても細かい知識の内容までは書かれているわけではない。その知識がどこから来ているのか不明だ。

 

「……まあ、いずれにせよ、その賢い2人を納得させる話を作る必要がありますね」

「そうなんです……ちょっと、彼らが今何をしているか、聞いてみますか?」

 

 モモンガはそういって<伝言>を唱える。

 

「アルベドか? 先ほど風呂から上がったのだが……」

『アイ……モモンガ様! ご連絡くださいましたらすぐに私がお召し物を用意いたしましたのに』

「あー、そうか、いや、まあ、大丈夫だ。それで、今は何をしている?」

 

 慌てたように手を振りながら、モモンガは話を進める。

 

『……はい、ブルー・プラネット様のご帰還を祝う宴の件ですが、ナザリックの主だった者たちに連絡をしている所でございます。場所は未定ですが、玉座の間でよろしかったでしょうか? セバスなど遠隔地で活動している者たちの帰還も考えますと、夜明けまでには準備が整うと思われます。また、食事の準備など、モモンガ様のご指示をいただきたく存じます』

 

 アルベドは一瞬声を詰まらせたが、すぐに淀みなく答える。

 

「ふむ、そうだな、場所は玉座の間がよかろう。セバスたち遠方で働いている者たちには可能な限り出席するように伝えろ。時刻は……え?……」

 

 モモンガは威厳をもって指示をするが、ブルー・プラネットに横から突かれて<伝言>を閉じる。

 

「なんですか?」

「いえ、もし手が空かないNPC達がいるのなら、そんな無理に越させなくていいですからね」

「何言ってるんですか! これは最優先事項ですよ!」

「えー、なんか申し訳ないな……まあ、お任せします」

 

 モモンガは断言し、ブルー・プラネットは首を傾げながらも同意する。この数か月の間にナザリックで起きたことを把握していない身では、モモンガの判断に任せるべきだと考えたのだ。

 

「あ、それとブルー・プラネットさん、食事はどうします?」

「食事ですか……私は必要ないですよ」

 

 モモンガは頷いて<伝言>を再びアルベドに繋ぐ。

 

「……アルベドよ、すまなかったな。それで宴の時刻だが、明朝の10時からではどうだ? それに、食事は無くて良い。私もブルー・プラネットさんも必要ないから、お前達が気を使っては拙いだろうしな」

『はい、かしこまりました。それでは、そのように皆に伝えます』

 

 <伝言>が終わり、モモンガは机の上の紙に「10時からパーティ」とメモをする。

 

「10時からですか」

「ええ、NPC達には食事をとる者もいますからね。とくに一般メイドはホムンクルスで食事の量が多いので、彼女たちの朝食が終わってからが良いかと」

「なるほど」

 

 ブルー・プラネットはモモンガの配慮に感心する。ナザリックにいる無数のNPCの特質を逐一考慮することなど中々出来ないことだ。それに、時刻はまだ0時を回ったところだ。睡眠も休息も必要ない2人にとってストーリーを練る時間は十分にあるだろう。

 ブルー・プラネットは、あらためてモモンガは優れた支配者なのだと信じる。たとえ<知力向上>など使わずとも気配りができる、立派な上司なのだと。

 

 モモンガは次のNPCに連絡を取る。

 

「デミウルゴスよ、今、何をしている?」

『はっ! アインズ様……も、申し訳ございません、先ほどアルベドとコキュートスから聞いたのですが、『モモンガ様』とお呼びした方がよろしいのでしょうか?』

「う、うむ……そうだな、対外的には『アインズ』で通した方がよかろうが、ナザリック内においては『モモンガ』の呼び名も許そう。これは後で皆に宣言する」

 

 突然、呼び名の問題を指摘され、モモンガは目を泳がせる。そして、ブルー・プラネットの方を見て、自分の頭蓋骨をちょいちょいと指さす。

 ブルー・プラネットはその要求を理解し、最大化した<知力向上>をモモンガにかける。

 再びモモンガの眼窩の奥に灯る赤い炎が一気に明るさを増す。

 

「ふふっ、デミウルゴスよ。お前らしくもなく取り乱したな。そうとも、名前は大切だ。」

『はっ、仰るとおりかと』

 

 モモンガは「今何をしているか」と質問した。しかし、デミウルゴスはそれに答えず、呼び名のことで狼狽している。彼らしくもない失態だ。だが、もとよりデミウルゴスに<伝言>を飛ばしたのはさしたる目的があったわけでもない。ならば、この呼び名の問題を片付けるのも悪くはない――モモンガはそう判断し、楽しそうに続ける。

 

「それで、宣言した後のことだが、お前には先に伝えておこう。私個人の判断と、ブルー・プラネットさんと合議の結果決めたこととの混乱を避けるために、内部では私の発言は『モモンガ』の名で発せられたものとする。従来の命令体系において『アインズ』の名で宣言されたことは、ブルー・プラネットさんと合意したものについて『アインズ』として再度宣言し、個人的なものは『モモンガ』名義とする。ただし、周辺諸国に我が改名を気取られるな……フールーダたち、ナザリックへの協力者にもな。彼らにとっては、私は『アインズ』のままだ。それで問題はないか?」

『はっ! 承知いたしました。それで問題はないかと思われます』

 

 これで呼び名の問題は片付いた。

 モモンガはチラリとブルー・プラネットに目を遣る。そして、ブルー・プラネットは親指を――小枝を立てて頷く。

 

「よろしい。それで、お前が何をしているかという質問だったが――」

『はっ! アルベドから連絡が――』

「よい。お前のことだ、ブルー・プラネットさんが帰ってきたと聞けば即座に『牧場』の仕事を部下に任せ、すでにナザリックで待機していたのだろう? それでコキュートスといるわけだな」

『――さすがはモモンガ様! 私の行動はすでにお見通しだったのですね』

「ああ、私はお前たちのことを常に考えているからな」

 

 答えながら、モモンガは片手を握り締め、天井に向かって突き上げる。

 

『なんと有り難きお言葉!』

 

 デミウルゴスの声に嗚咽が混じる。

 モモンガはそれで<伝言>を切ろうとしたが、デミウルゴスの仕事についての連絡を思い出して話を続ける――思い出せたのも<知力向上>の効果だろうか。

 

「よい。ところで明日の計画だが、ブルー・プラネットさんの帰還によって若干の修正を迫られることになるな?」

『はい、アウラとマーレを帝国に送る件ですね。これはいかがいたしましょう?』

「うむ、明朝10時にブルー・プラネットさんの帰還を祝う宴を……式典となるのかな……開く予定が入ったのだ」

『そうですか……アウラとマーレも参加したいでしょうね』

「当然だ。それで、シャルティアに<転移門>を使わせ、2人をドラゴンごと帝都に送ろうかと考えているのだが」

 

 元は不可視系の魔法をかけてナザリックから帝国に飛んでいく予定だった。しかし、パーティーが終わってから出立するとなると、内通者に連絡していた時刻に遅れが生じてしまう。その時間を取り戻すために<転移門>による瞬間移動を使おうという計画を、モモンガは述べる。

 

『なるほど、たしかに<転移門>であれば可能ですな……しかし、その場合――』

「ふふふ、皇帝に対して転移を見せることの影響を考慮しているのだろう? そうだ、転移によってドラゴンをどこにでも送り込めるというのは彼らにとっては過大な脅威であり、理解の外にある。彼らの思考は麻痺してしまうだろう。すぐにでも彼らは降伏し、恭順の意を見せるだろうが、それでは炭火に水をかけるようなものだ。表向きは火が消えたように見えても、やがて奥に残った火が再び燃え上がるかもしれぬ。そうではなく、彼らに抵抗の余地を与え、力を出し尽くさせ、灰となった後に完璧に踏みにじるのだ。いかなる企ても無駄であると彼らが思い知り、心底から我々に従うようにな」

『はっ! あえて人間どもの手の届く位置に降り、伸ばしてくる手を踏みにじった後で真の力を見せつける。それで武力だけでなく知略においても御身の掌の上で踊っていたに過ぎないことを皇帝に悟らせ、その心を完全に折るということですね……まさに至高の戦略かと』

 

 <伝言>越しにもデミウルゴスの笑みが伝わってくるようだ。

――モモンガは自身の提案が受け入れられたのに気をよくし、更に具体的な指示を出す。

 

「よし、それでは2人を帝都の近くの森に転移させ、そこから人間どもには探知困難な上空を飛んで、皇帝の居城に降りるよう経路を伝えろ。『ドラゴンに乗った使者の到来』を見せつけるのだ。その後の行動は以前の打ち合わせ通りでよかろう」

『はっ、承知いたしました。適切な場所は私の方で調査し、アウラとマーレに指示いたします』

「うむ。それでは準備を任せるぞ」

 

 モモンガは<伝言>を切る。

 そして、両手で拳を作り、それを天井に向かって突き上げる。

 

「な、なんですか? モモンガさん?」

 

 何か興奮気味なモモンガの様子を見て、ブルー・プラネットは問いかける。

 

「えへへ……いやぁ、デミウルゴスの先手を取れたのが嬉しくて!」

 

 はしゃいだことを気恥ずかしく思ったのか、モモンガは子供のような笑い声をあげて頭を掻いた。

 

「で、どうでした? 部下への指示っぷりは?」

「んんっ、なんだかすごく『デキる上司』って感じでしたよ」

 

 評論家みたいでもあったなという感想を隠し、ブルー・プラネットは答る。

 モモンガはその言葉に再び両拳を突き上げた。

 そして、ブルー・プラネットの顔を見上げ、問う。

 

「あの、今まで『アインズ』で通してきたので、対外的には今後も『アインズ』でいきたいんですが……」

「ええ、そう言ってましたね……そうですね、名前を変えるのは面倒ですからねえ」

 

 名前を変えたために仲間からの<伝言>が届かなくなってしまうこともあるのだ。人間社会に対しても、今までと急に名前を変えて来たら「何があった?」と余計な詮索を受けるかもしれない。

 

 ギルド<アインズ・ウール・ゴウン>の加入資格の一つは「社会人であること」だった。そのメンバーであった2人は肩書が変わるごとに名刺を刷りなおすことの手間を知っている。

 帝国へ使者を送る時間を守るのだってそうだ。相手にだって都合はある。用事が入ったら、相手先に変更を伝える前に何とかして時間に間に合わせる努力をする。それが社会人としての常識だ。

――ブルー・プラネットは、この未知の世界でもモモンガが社会人としての常識を配慮していることに感心する。そして、自分が掛けた<知力向上>が幾ばくか役に立っているかもしれないと嬉しく思った。

 

「なるべく面倒は避けたいですからねー」

 

 モモンガはそういって笑う。

 かつてのギルドの名を使い続けるとはいえ、信頼する仲間の存在により、その栄光を背負う重圧から解放された喜びを露わにして。

 そんな様子を見つめ、やはりモモンガは優れたギルド長であると、ブルー・プラネットは信頼を高めた。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 第九階層のバーで、デミウルゴスとコキュートスが向かい合って座っている。

 

「今ノハ、アインズ様カラノ<伝言>カ?」

「ああ、アインズ様……モモンガ様と呼ばれることをお望みらしい。君の言うとおりだったよ。アルベドも『モモンガ様』と繰り返し叫んでいたが、彼女はやや私情を挟むきらいがあるのでね……だが、恥ずかしいことに、私までいささか取り乱してしまったよ」

「フフフ、無理モナイ。ブルー・プラネット様ガオ戻リニナラレ、モモンガ様モ大変ニオ喜ビダッタゾ」

「ああ、その場に居合わせなかったのが残念だよ。今も、そのお言葉から嬉しさが滲み出ているようであられた。してみると、今もブルー・プラネット様とご一緒におられるのだろうね」

「臣下トシテ、至高ノ御方々ノオ喜ビハ我ラノ喜ビデモアル」

 

 デミウルゴスは友人に微笑みかけ、酒の入った小さなグラスを持ち上げる。

 コキュートスも自分のコップを持ち上げ、デミウルゴスのグラスにカチリと合わせる。

 

「そうだね。ああ、私も早くブルー・プラネット様にお会いしたいものだよ」

 

 一息でグラスを空けたデミウルゴスは、感慨深げに深く息を吐く。

 

「ソレデ、モモンガ様ハ何ト仰ッテイラシタノダ? アルベドガ宴ノ用意ヲシテイルハズダガ、ソノ件ダロウカ?」

 

 コキュートスはコップの中身をストローで一口すすり、デミウルゴスに質問する。

 

「ふむ、今のモモンガ様のご連絡はその件も絡んでいたよ。10時から式典を始めるらしい」

「10時カ……ヤハリ、アウラトマーレノ計画ニハ影響ガアルナ」

 

 コキュートスは、つい先ほどデミウルゴスから聞いていた計画について心配する。

 

「ふふ……大丈夫だ。モモンガ様もその件についてご指示を下された。私もいくつかの修正案を上奏するつもりだったが、モモンガ様は私の考えなどとうに見抜いておられてね。今日は殊の外饒舌であられ、すべて先に言われてしまったよ」

 

 デミウルゴスはバーの灯りに空になったグラスをかざし、その紋様に反射して複雑に煌く光を眺めながら答える。

 

「サスガハ至高ノ御方……ソノオ考エノ深サニハ何時モ驚カサレルナ……」

「全くだ……至高の御方々から示される英知の輝き……我々はその欠片を窺い知るのみだ。そう、例えばモモンガ様とお名前を戻されたが、対外的には今まで通り『アインズ』様と名乗られるらしいこと……この意味が分かるかな?」

「ウウム……ドウイウコトダ? 教エテクレ、デミウルゴス」

 

 コキュートスは腕組みをして考えるが、ついに降参する。

 

「ブルー・プラネット様は今後、ナザリックの外で隠密のお仕事をなさるおつもりなのだよ」

「フム? 何故ソウナルノダ?」

「モモンガ様が『アインズ』様と名乗られたのは、ナザリックの支配者として至高の御方々を代表する意味があったからね。その御一人、ブルー・プラネット様がお戻りになられてお名前を元に戻されたのは、モモンガ様はブルー・プラネット様との共同統治をお考えなのだ」

 

 デミウルゴスは一息つき、頷いて話を聞くコキュートスを見つめ、話を続ける。

 

「だが、対外的にはこれまでと同じ『アインズ』様と名乗られる。ということは、共同統治者であるブルー・プラネット様の存在を外部から隠すおつもりなのだ。では、何故ブルー・プラネット様の存在を隠されるのか。これは、シャルティアを洗脳した敵がまだ不明である以上、それに警戒しつつ、ブルー・プラネット様のお力で裏側から探るという意味だと思うのだよ」

「ナルホド、理解シタ。ツマリ、ブルー・プラネット様ハ、隠シ武器トシテゴ活躍ナサレルトイウコトカ」

「ああ、そうだね。そういう表現が相応しいとも。これからモモンガ様は単一の支配者『アインズ』様として帝国に対して恭順を迫る。諸国が『アインズ』様お1人に目を奪われるその裏で、ブルー・プラネット様が秘密裏にご活躍されるというわけさ」

 

 友人が自分なりの理解を示したことに、デミウルゴスは目を細めて首肯する。

 

「ブルー・プラネット様ハ忍者デハナカッタガ、ソレト近イ戦イ方ヲ好マレタト、我ガ創造主、武人建御雷様ガ弐式炎雷様ニオ話シニナラレテイタ記憶ガアルナ」

「武技に詳しい君ならば理解してもらえるだろう? “明”であるモモンガ様が華々しくご活躍なさるほど、“暗”であるブルー・プラネット様がご活動されやすくなるのだよ。先ほど<伝言>によってお伝えくださった帝都襲撃計画の修正だが、あえて帝都侵入の痕跡を残すことになった。これも、いまだ未知の敵を炙り出し、ブルー・プラネット様の裏からの探索をお助けする……そういうご意図を含んでいるのだと、私は推測しているよ」

「ウウム、分カッタ。全テ繋ガッテイルノダナ……教エテクレテ感謝スル、デミウルゴス」

「いやいや……しかし、ブルー・プラネット様がご帰還されて直ちにこれほどの計画を立てられたとは……まさに端倪すべからざるお方、いや、流石は至高の御方々だ」

 

 デミウルゴスは再び酒を注ぎ、至高の主人たちに捧げるようにグラスを掲げ、飲み干す。

 

「ご帰還の宴では、お二方の更なるお考えが示されることだろう。至高の御方のお役に立つために、せめてその深遠なお考えの一端でも察したいものだ……」

 

 ナザリック最高の知性をもつ悪魔は、そういって目を細めた。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 アルベドは自室で椅子に座り、テーブルに肘をついて項垂れていた。

 愛する主人からの<伝言>は彼女を奈落の底に突き落とすものであった。

 

「モモンガ様は、私の計画には何も言ってくださらなかった……」

 

 アルベドは嗚咽を漏らす。

 

 侵入者の撃退は完璧であった。複数のチームに分かれた侵入者たちは、アルベドの思いのままに動き、捕獲され、あるいは死んでいった。

 その様子を見ながらアルベドは主人から「よくやった」という声が掛けられることを確信していた。

 ひょっとしたら、頭を撫でてくださったかもしれない。

 期待はしなかったが……「流石はアルベド、我が最高のシモベよ」と抱きしめられることも……

 

 だが、その甘い幻想は、至高の御方の……主人と同格の存在の帰還によって霧散してしまった。

 想定外の侵入者によって、自分の計画の欠陥が露呈した。

 

 影武者として送ったパンドラズ・アクターの代わりにアイテム使用者を置くべきだった。

 探知能力に優れた姉を正気に戻して協力を仰いでおくべきだった。

 アンデッド以外のシモベ……アウラの召喚獣を借りて、多様な警戒網を敷くべきだった。

――無数の反省点が浮かび上がる。自分の能力を過信したことによる大失態だ。

 

 だが、慈悲深き主人は、その失態すら笑って許してくれただろう。

 『お前たちは経験が足りないだけだ。これから学べばよい』

 そう慰めてくれたであろう。

 

 だが――その主人は同じ至高の存在に出会い、そちらに心を奪われている。

 忠実なシモベたる自分を褒めもせず、叱ることさえ無く……

 

 至高者たちとの越えがたい壁がアルベドの前に立ち塞がる。

 

 例えて言うならば、最愛の夫から「今日はお前の手料理が食べたい」と言われ、精一杯腕を振るって御馳走を用意して待っていたら、「昔の友人に会って食事を済ませてきた」と折角の夕食を一蹴された新妻の気分を数万倍に――人外の頭脳で膨らませた気分だ。

 夫はその友人を家に連れ帰り、妻である自分を放っておいて自室に友人と籠っている。

 ようやく夫から声が掛かったかと思えば「何をしている? 友人をもてなす準備は?」ときた。

 そして、夫が「親友なんだ」と自慢するその友人は――かつて自分を裏切った、憎悪の対象。

 

「ああー憎い憎い憎い憎い憎い憎いっ! 憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎いィィッ……」

 

 アルベドは髪を掻きむしり、零れんばかりに目を開いて黄金の瞳で天井を睨み付け、絶叫する。

 

 しかし、その憎しみが発散されることはあり得ない。それをアルベドは悟っている。

 侵入者――ヘッケランとかいう愚か者――が至高の存在を仄めかしたとき、アルベドは至高者の姿を思い浮かべ、それを憎むことができた。あの侵入者の小娘が持っていた人形に刻まれた名をみて、アルベドは殺意を抱くことが出来た。

 しかし、ブルー・プラネットが姿を見せたとき、アルベドの心に沸き上がったのは至高者への愛だった。

 いざその姿を目にしてしまうと……それを愛するしかない自分に気付く。

 

(宝物庫でタブラ・スマラグディナ様のお姿を見たときと同じ……)

 

 自分の創造主に化けたパンドラズ・アクターに会ったときの苦い思い再び沸き上がる。

 一瞬のうちにアルベドを満たした創造主への愛と憎悪、そして紛い物であると知ったときの寂寥。

 紛い物であると知ってなお、その姿を自ら破壊出来ないと悟ったときの絶望。

 

 あのとき――ユリとシズ、2人の戦闘メイドに「殺せ」と命じたとき、構えることが出来たユリたちの後ろ姿をアルベドは羨み、そして構えた部下の姿に殺意を抱いた。

 この矛盾の中で辛うじて正気を保てたのは「モモンガを愛するように」と作り替えられていたからだ。最後に残った至高者によってそう命じられたことにより、アルベドの愛は自分を裏切った創造主から分かたれ、その苦しみは緩和された。

 

 アルベドは至高者に創造された者だ。その存在意義は至高者の意に従い奉仕することにある。

 それは、そうあれと創られた者である以上、決して逃れられないナザリックに生きる者の宿命――ナザリックの者達にとって至高の存在を愛し、それに尽くすことは「存在する」と同意義なのだ。

 

 だからこそ、憎い。愛するしかないように創った至高者たちが憎い。

 そして憎みながらも愛するしかない自分が憎い。

――矛盾がアルベドの心を引き裂いている。

 

 引き裂かれた心を唯一癒していたモモンガへの愛が、今、ブルー・プラネットという壁に遮られた。

 

「かはぁぁぁぁぁ……」

 

 アルベドの柔らかい唇が歪められる。口から苦痛に満ちた荒い息が吐き出される。肺の中の空気を残らず絞り出すほどに深く。

 テーブルに両手をつき、ガリガリと爪を立てる。手を覆う白い手袋が突如として膨らみだす。

 限界まで開かれた眼がテーブルを睨み付け、黄金の瞳がドロリと濁る。

 どす黒い瘴気がアルベドの白い体を包む。周囲の空気が渦を巻き、歪み始める。

 アルベドの狂気が悪夢として形を成し溢れ出し――

 

 ジリリリリリリリリ……

 

 唐突にテーブルの上の時計がアラームを鳴らす。

 『午前1時になりました』

 時計から無機質な声がする。

 

 アルベドは時計に手を伸ばし、そっとボタンを押してアラームを解除する。

 

「あら? もうこんな時間……えぇと、あと連絡を取らなければならないのは……」

 

 アルベドは頬に手をあて、可愛らしく首を傾げる。

 そして、主から預かったアイテムで<伝言>を発動し、NPC達に指示を下す。

 

「セバス? あのね、良い知らせがあるの。ブルー・プラネット様がナザリックにお戻りになられたのよ。……そうね……ええ……どうしてもという用事が無ければ、ナザリックに帰還してほしいのだけど……明朝10時よ……ええ、あなたとソリュシャンだけでいいわ。3時間後にシャルティアを送るわね。……ええ、細かい話はこちらに戻ってからするわ。では、おねがいね」

 

 通信を切る。そして、次の<伝言>を発動させる。

 

「シャルティア? 今、いいかしら? ……あのね、嬉しいのは分かるけど玩具はちょっと置いといて。今から3時間後……そう、午前4時ね。ふふっ……馬鹿になんてしてないわよ? セバスのところに転移して、セバスを連れて帰ってくれる? ええ、お願いね。……ええ、それまで十分に楽しむといいわ。……良かったわね。でも、用事は忘れないでね? 念のため、部下にも教えといてね。4時よ。……そう、今のうちに。あなた忘れっぽいんだから」

 

 至高の御方からの褒美を延々と自慢するシャルティアに苛立ちを僅かばかり滲ませ、アルベドは通信を切る。

 そして、テーブルに紙を広げ、ペンをとってシモベたちの配置を考える。

 コツコツと指で紙面を叩き、ときおり眉を寄せて考え込みながらも、その顔には常に優しい笑みが貼りついている。

 

 アルベドは悪夢に歪められた醜い姿を天使の姿で覆い隠す、矛盾をはらんだ化け物である。

 彼女は至高の存在によって「そうあれ」と望まれ、そう創られた。

 




<知力向上>……副作用「うざくなる」


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第25話 式典

 10時になった。

 モモンガとブルー・プラネットは顔を見合わせる。

 NPC達に話すストーリーは、ブルー・プラネットの<知力向上>によって完全に暗記している。

 あとは、度胸だ――2人は頷きあい、そろって玉座の前室、ソロモンの小さな鍵(レメゲトン)と名付けられたドーム型の広間に転移する。

 

 多数の悪魔を象ったゴーレムに囲まれるその部屋で、モモンガは緊張するブルー・プラネットに声をかける。

 

「大丈夫ですって! 俺だって何とかやってこれたんですから」

 

 何度も謁見を経験しているモモンガには緊張しながらも多少の余裕がある。

 しかし、ブルー・プラネットにとっては、支配者として玉座から自分の意志をもつナザリックのシモベたちを前にするのは初めてのことだ。彼らが自分を支配者と見做してくれるか、いまだに自信はない。煌びやかなアイテムで飾り立てたこの身体が如何にも空々しく感じられる。

 

「いやぁ……私、あんまり大勢の人の前に立つのは得意じゃないんですよね……」

 

 ブルー・プラネットはウジウジと呟く。

 初めは気楽なパーティーを想像していたが、2人とも酒や食事をとらないこと、NPCたちとの上下関係にも配慮すること等々を考えていくと、何やら堅苦しい式典になってしまったのだ。細かいことをアルベドと――ブルー・プラネットが怯えて<伝言>で――打ち合わせをした結果だ。

 ブルー・プラネットはNPC達の前でスピーチを予定されている。

 元の世界でも研究報告会で上司たちの前で発表することは何度もあったが、それはその都度、胃が痛む思いをするものであり、できれば避けたいものであった。

 

「ここまで来たらダメですよ! じゃ、行きましょう!」

 

 モモンガが片手でブルー・プラネットの鋼の腹を叩き、もう片手で女神と悪魔の彫刻を施された巨大な門に触れた。

 門が音もなくゆっくりと開き始める。

 ブルー・プラネットのスキルによる感覚は、その隙間から漏れてくる圧倒的な“気”を感じる。それは至高の支配者達を――自らの創造者達を待ち望むシモベたちから発せられる気配だ。

 

 扉が完全に開き、モモンガとブルー・プラネットが足を踏み出す。

 中央に敷かれた厚い絨毯の道――その両脇に跪き、頭を垂れた無数のシモベたち。

 彫像のように微動だにせず、それでいて主人の一挙手一投足の発する音を感じようと研ぎ澄まされた気配が一斉に2人に向けられる。

 

 言葉を発するものは1人もいない。

 見上げるような高さの天井から吊り下がるシャンデリアから幻想的な輝きが降り注ぐ下、2人の至高者は黙って広大な玉座の間を進む。

 巨大な水晶の玉座へと続く真紅の絨毯の上をモモンガが先に立って進み、ブルー・プラネットが追従する。40枚の旗が掲げられるその間を、最奥の玉座とその後ろに掲げられた巨大なギルド旗を見据えて歩を進める。

 

 歩みながらブルー・プラネットは思い知る。自分はどれだけのものに背を向けて去ったのかを。

 第六階層、そして浴場――これらはブルー・プラネット個人の趣味によるものが大きかった。そこで感じたものは懐かしさだった。

 しかし、この玉座の間は全盛期の41人で作り上げ、皆の思いが1つになった空間だ。両脇に控えるNPCとその眷属たち――友たちが心血を注いで作り出し、今は自らの意志をもつ者達から向けられる感覚はそれぞれの創造主達の思いを宿しているようだった。

 

 あの雄々しい神話獣たちには死獣天朱雀の蘊蓄が込められていた。対面の黒い触手の塊はタブラのホラー映画に対する愛情が。悪魔の群れはウルベルトが現世では満たされない執念を込めて作り上げた軍団だ。甲冑に身を固めた異形の騎士たちは武人建御雷が、女吸血鬼たちはペロロンチーノが誇らしげに――

 

 被造物の感情とともに、彼らを創りだした仲間たちの思い出が蘇る。ブルー・プラネットに伝わる感覚は混ざり合い、かつて自分が背を向けた友たちからの優しい眼差しとなる。

 

『おかえりなさい、ブルー・プラネットさん』

 

 ブルー・プラネットは足を進めながら視線を落とす。涙を流さない身体に感謝しながら。

 俯いたその視線の先に前を歩むモモンガがいる。背を伸ばし、まっすぐ前を見据えて歩む支配者の姿だ。目の前の小さな骸骨が、神器級アイテムを差し引いても眩しく感じられる。

 彼は何年もの孤独の中でこのナザリックを維持し、この世界で意志をもったシモベたちを率いて今日まで来たのだ。友人たちの思いに支えられたこの荘厳な空間は、まさにモモンガのために用意された王宮であるように思える。

 自分は果たしてこの玉座の間に相応しいのだろうか――先ほどまで2人で繰り返し話し合った疑問が再び頭をもたげてくる。

 

 この素晴らしい友人――自分を友人と認めてくれたモモンガの心に応えねばならない。仲間たちが遺したNPCたちの思いにも報いなければならない。

 

 ブルー・プラネットはそう心に誓う。

 ナザリックに相応しくあらねばならない、二度と仲間を見捨てる卑怯者にはなるまい、と。

 

 先を行くモモンガは振り返らず、ブルー・プラネットの思いを他所にひたすら真直ぐに進む。

 その先には金と銀で飾られた階段があり、純白の衣を纏う黒翼の美女が頭を垂れて控えている。

 モモンガが階段に着き、上る。ブルー・プラネットも後に続く。

 そして、2人で巨大な水晶の玉座の前に立ち――黒いオーラを纏ったモモンガがギルドの象徴たる杖を振り上げ、威厳に満ちた声で宣言する。

 

「皆の者、頭を上げよ!」

 

 衣擦れの音が広がり、跪いていたシモベたちが一斉に顔を上げて玉座の至高者達を見つめる。

 

「長らく不在であったアインズ・ウール・ゴウン41人の1人、ブルー・プラネットさんが戻られた。歓声をもって迎えよ!」

 

 両手を広げたモモンガに応え、広大な空間が歓声によって震える。

 人間の形をとるもの、その死体、悪魔、ドラゴン、昆虫、その他名状しがたい無数の存在が、己のもつ発声器官の許す最大限の音を立て、ナザリックの栄光を叫び、ブルー・プラネットの名を呼んだ。スケルトンなどの発声器官をもたない者達は、足を踏み鳴らし、手にした剣や盾を打ち鳴らし、至高の存在へと捧げる思いを表す。

 そして、その音はモモンガの手の一振りによって掻き消え、広間は再び静寂を取り戻す。全てのシモベたちがモモンガの次の言葉を待っている。

 

「お前たちが我が友ブルー・プラネットさんに捧げる忠義を嬉しく思う。それでは、ブルー・プラネットさんからお前たちに言いたいことがあるそうだ。聞くが良い」

 

 ブルー・プラネットが一歩前に出る。緊張のあまり震える足を無理やりに進め、胸を張り。

 そして、可能な限り支配者然とした声を張り上げる。ここまで来たら引き返せないのだ。

 

「ナザリックの者達よ。まず初めに、私はお前たちに詫びねばならない。かくも長き不在の間、このナザリックを守ってくれたモモンガさん、そして、お前たちには本当にすまないと思う」

 

 ざわめきが広がる。NPC達は皆口々に至高者の謝罪を否定する。

 至高の御方が私たちに謝られることなどありません、ご帰還いただきこれに勝る喜びはありません――人間の言葉を話せる者も、そうでない者も、そう言った内容を口々に唱える。

 

 数呼吸置き、ブルー・プラネットは再び話し出す。

 

「私は、お前たちがモモンガさんを支え、己の職務を今日まで果たし続けてくれたことを、何よりも嬉しく思う。本当に、私はお前たちを――そして、かくも素晴らしいお前たちを創造した友人たちを誇りに思う」

 

 再び、広間が歓声で震える。

 至高者が自分たちの働きを認めてくれたこと、そして、自分の創造者たちが誇りに思ってくれるであろうことを告げられ、全てのシモベたちが目も眩む歓喜の波に覆われた。

 

「私は、長らくナザリックを留守にしていた……こことは異なる世界、お前たちが知らぬ世界に赴き、それを守る戦いに身を投じていたのだ」

 

 ブルー・プラネットは、モモンガと打ち合わせたストーリーを話す。

 

「その世界では恐るべき力をもつ機械の獣が毒の煙を吐き、牙と爪で我が同族たる樹々をなぎ倒していた。日も月も星々も厚き黒雲に隠され、病と腐敗が地を覆い、大河は干上がり、海は黒い油で汚された。人間たちはちっぽけな砦の中で身を寄せ合い、全ての生命がまさに絶えようとしていたのだ。その世界を見過ごせず、救うために私は戦った……長く苦しい戦いだった……」

 

「ならば、私たちもその戦いに連れて行って欲しかったでありんす!」

 

 一息ついたブルー・プラネットに向かい、最前列にいたシャルティアが悲鳴を上げた。

 

「至高の御方が戦っておられる中、私たち守護者が安穏とナザリックで控えているなど耐えられないでありんす!」

 

 シャルティアの言葉に賛同する声が広がる。

 ブルー・プラネットは頷き、手を伸ばして守護者たちを鎮め、話を続ける。

 

「お前たちの忠義は知っている。だが、お前たちはこのナザリックを守るために創られた存在だ。思い出してほしい。私たち至高者は外の世界に冒険に出かけ、常に勝利して戻ってきた。それを信じて待つことも、お前たちの大切な任務なのだ。時には外の世界から侵入者が来る。その時は……その時にこそ、私はお前たちと一緒に戦うのだ。お前たちは覚えているか――」

 

 ブルー・プラネットは階下のNPC達を見る。

 モモンガは「NPC達はおぼろげながらユグドラシルの記憶もあるようです」と言っていた。ならば、過去のプレイヤーによるギルド防衛戦のことも覚えているだろうと考えたが、NPC達の表情を見るに、それは当たっていたようだ。

 階下に控える階層守護者たち――最前列の向かって右にはシャルティア、左にはコキュートスが各々の眷属を連れている。次の列にはアウラとマーレが使役する獣たちと共に、反対側にデミウルゴスが三魔将たちを連れて並ぶ。さらにその後ろには各領域の守護者たちが跪いている。

 

 皆、過去最大の防衛戦において斃れた者達だ。

 

「――私はよく覚えている。お前たちがナザリックを守るために戦い、斃れたときのことを。シャルティア……お前が撃たれたときのペロロンチーノさんの悲鳴を知っているか? コキュートスよ、氷原に横たわるお前を見つけたときの武人建御雷さんの嘆きを……アウラ、マーレ……ぶくぶく茶釜さんはお前たちの亡骸を膝の上に乗せて泣き、動けなかった……結局、やまいこさんがまとめて運んだものだ。デミウルゴス、いつもクールなウルベルトさんがお前の骸を抱きかかえて『俺のデミウルゴスが!』と叫んだのだ……」

 

 静まり返った広間に、守護者たちの呻きと泣き声が響く。

 守護者たちの列から離れて並ぶセバスは目頭を押さえ、戦闘メイドたちはハンカチで止めどなくあふれる涙をぬぐう。その反対側に退いているアルベドも顔を伏せ、拳を握り締めて肩を震わせている。

 

「お前たちは皆、守護者達もその配下も我々41人の仲間達がその思いを込めて創造した者だ。何処に居ようと、我々の心は常にお前たちと共にある。我々だけで冒険に出ていた時も、お前たちが待っていてくれると信じていたからこそ戦えたのだ。お前たちも……我々と共におらずとも、我々の存在を感じ、信じていて欲しい」

 

 シモベたちは口々に忠義を叫ぶ。私たちは常に至高の御方々と共にあり、全てを捧げ尽くすと。

 

「ありがとう……私はこうしてナザリックに帰ってきた。そして、今このナザリックがあるのは私も知らぬ世界だ。この新たなる世界を、お前たちと共に歩んでいきたい。それが私の願いだ」

 

 ブルー・プラネットが話を終える。

 モモンガが拍手し、それに続いて広間のNPC達から割れんばかりの拍手が響く。

 

「お前達、これからはブルー・プラネットさんに私と変わらぬ忠義を捧げよ。そして、今後のナザリックの方針についてお前たちに命ずる――」

 

 モモンガが手を横に動かしてNPC達を鎮め、話を変える。

 

「――これからは、ナザリックは私、モモンガとブルー・プラネットさんの2人を頂点とする共同統治を敷くことになる。ただし、形式上は私が最高責任者として、今まで通り『アインズ・ウール・ゴウン』を名乗る。アインズの名によって宣言されたものは、私とブルー・プラネットさんの意志によって決定されたものと知れ」

 

 ここでモモンガは一息つき、NPC達の顔を見て理解を確かめる。

 

「外の世界と接するにも、私は今まで通り『アインズ』と名乗る。外界の者に対してはナザリックの統一された意志として当たらねばならぬからだ。だが、ナザリックの内々においては『モモンガ』あるいはブルー・プラネットさんの名によって下される命令もあるだろう。それは夫々の責任において発せられたものだ」

 

 再びモモンガは周囲を見回し、理解を確認して頷く。

 

「各々の部署における指揮命令系統については、あとで改めて文書にして送る。お前たちが新たな体制を十分に理解し、さらにナザリックを偉大なものとするために十分な働きを期待する!」

 

 モモンガが手に持った杖で床を打ち鳴らす。

 シモベたちは口々にナザリックの栄光を称える。その歓声はいつ終わるとも知れないものだったが、モモンガは頃合いを見てそれを止める。

 

「それでは、昨夜の作戦について、特に功績のあった者達をこの場で称えたいと思う。まず、アルベド、こちらに来るが良い――」

 

 アルベドが中央に歩み出る。そして、ゆっくりと階段を上り、モモンガの前に立つ。

 

「昨夜の作戦において侵入者の撃退はアルベドが中心となって計画したものだ。侵入者たちの動きを予測し、追い詰め、打倒した手腕は見事であった。アルベドは本来内政を取り仕切るのがその職務であったが、防衛に対しても新たな才能を示した。私はその成長を嬉しく思い、ここにその栄誉を称える。よくやった」

 

 アルベドは深々とお辞儀をし、涙を眼の端に滲ませながら誇らしげな笑みを浮かべてモモンガを見つめ、その手から賞状を受け取る。

 

「では、アルベドよ。あとはお前が読み上げよ」

 

 アルベドは階上の裾に退き、モモンガから事前に伝えられていたリストを手に、戦功の有った者達を呼び出す。

 

「まず、戦闘メイド、プレアデス……あなたたちは侵入者の一陣を迎え、配下を率いてそれを撃退しました。ここにその功を称えます。代表としてユリ・アルファ、上がりなさい」 

 

 玉座の上に巨大なスクリーンが浮かび上がる。そして、昨夜のプレアデスたちの戦い――“グリーン・リーフ”パルパトラ率いるワーカーたちが戦闘メイドたちの声援を受けながら倒されていく記録映像が流される。

 戦闘メイドたちが玉座の正面、階下の中央に並ぶ。そして、リーダーであるユリが緊張した面持ちで階段を上り、2人の至高者の前に立つ。

 

「戦闘メイド、プレアデス。お前たちは自らが十分な戦闘能力をもつが、今回は部下を率い、その監督をする新たな才能を示した。よって、その功を称え、ここに表彰する」

 

 モモンガが功績を読み上げ、ブルー・プラネットが賞状を用意する。

 本来ならNPC達にはそのような行為は不要だったろう。NPC達は命令に従い、その義務を果たしたに過ぎないのだから。

 だが、今はNPC達はその意志をもち、新たな才能を示す者達も出てきている。

 信賞必罰はNPC達に“やる気”を出してもらうよう、統治者としてのモモンガの配慮だ。

 

 そしてもう1つ。この表彰式はブルー・プラネットにNPC達を紹介するためでもある。

 ブルー・プラネットは当然、ナザリックのNPC達を知っている。引退後に創られた者達もいないわけではないが、それは極僅かだ。だが、この世界でNPC達が意志をもち個性が生まれてからはブルー・プラネットと初めて顔合わせする者達が多い。

 

「ユリ・アルファ、そしてプレアデスたちよ、よくやった。お前たちの働きに期待する」

 

 ブルー・プラネットがNPC達の顔を一人ずつ眺める。その表情を見てその個性を知るために。

 そして、やや離れたところに立つユリに向かって枝を伸ばし、賞状を渡す――もっと近くに来てくれればいいのだが、と思いながら。

 ユリはやや青ざめて――元々透き通るような色白の顔に硬い表情を浮かべて賞状を受け取り、一礼して下がると足早に階段を下りて他のプレアデスと合流する。そして、プレアデスたちは再度、階上の2人に頭を下げて元の場所に戻る。

 

 式典で緊張しているのだろうか――ブルー・プラネットは戦闘メイドの代表である、見るからに真面目そうなユリ・アルファの性格を推測する。

 

「次に、ハムスケ。あなたはこの度の戦いにおいて武技を習得し、新たな可能性を示しました。ここにその栄誉を称えます」

 

 アルベドが名を呼び、広間の後ろから巨大なハムスターがのそのそとやってくる。

 こいつはあまり緊張してないな――ブルー・プラネットは横に立つモモンガに小声で尋ねる。

 

「すみません、モモンガさん……あんなNPCいましたっけ?」

「あ、そうでした、説明してませんでしたね。実はあれ、王国の森で見つけた魔獣です。今は第六階層でリザードマンやデス・ナイトと一緒にコキュートスに特訓してもらっているんです」

「え? 外界の魔獣を第六階層に? それに、え? リザードマンって湖の……第六階層に?」

「何人か見所のあるリザードマンを入れたんですが……ここにはいないみたいですね」

 

 モモンガは呑気に広間を見渡す。この広間に呼ばれた者はナザリックでも選りすぐりの者達だ。

 外界から来た、そしてあまりにも弱すぎるリザードマンは当然来ていない。外界からの存在は表彰に与るために特別に呼ばれたハムスケだけだ。

 

 ブルー・プラネットは半ば呆然としながら思考を巡らせる。第六階層に自分が知らない生物たち――ユグドラシルのNPCではなくこの世界からの“外来種”が導入された影響について。

 

 気が付くと、目の前に巨大なハムスターが控えていた。

 

「ハムスケ、お前はこの世界の特殊能力“武技”を使い侵入者を倒したと聞いている。これはナザリックの戦力拡張に大きな可能性を示すものである。よくやった」

 

 モモンガがハムスターの功績を称える。ブルー・プラネットが後ろを振り返り見上げると、スクリーンには巨大なハムスターがその尻尾で人間の剣士の両腕を切り落とす映像が流されていた。

 

「殿にそこまで褒められると照れくさいでござるな。でも、拙者は成功したでござるよ」

 

 ハムスターが変な言葉で喋り、ヒゲをひくひく動かしながら、はにかんでいる。

 

「そうか……お前がハムスケか。初めて見るが、よくやった。後で詳しい話を聞かせてくれ。その……リザードマンたちと一緒に」

「ハイでござる。拙者もブルー・プラネット様にお会いするのは初めてでござるが、殿に対するのと変わらぬ忠義を誓うでござる」

 

 賞状は……ハムスターの手で受け取るのは困難であるという配慮から、ブルー・プラネットはスキルで分泌した粘着液で賞状をハムスケの額に貼りつける。

 ハムスターはお辞儀をして階段を下り、額でヒラヒラする賞状を誇らしげに翳しながらノソノソと元の場所に戻っていく。

 

「よし、今回は以上だ。もちろん、計画に従って働いてくれた者達……恐怖候やニューロニストなどの働きも私は高く評価している。お前たちの今後の働きを期待しているぞ」

 

 カツカツと杖で床を2度打ち鳴らし、威厳をもってモモンガが締める。

 ナザリック万歳、アインズ・ウール・ゴウンに栄光あれ――NPC達が繰り返し叫ぶ中、モモンガとブルー・プラネットは来た時と同じように広間の中央を通り、玉座の間を後にする。

 そして、扉が閉まると同時に第九階層のモモンガの居室前に転移した。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

「さてと、これでひとまず終わりましたね」

 

 居室の中、椅子に座ったモモンガが大きく息を吐いて首を左右に曲げて肩が凝ったというジェスチャーをする。この身体になってからというもの疲労は感じないし、そもそも凝る筋肉が無いのだから無意味な動作だが。

 

「ええ……緊張しましたよ。モモンガさん、流石ですね」

 

 立ったまま、ブルー・プラネットも大きく溜息をつく。モモンガと同様に今や呼吸を必要としない体であり、溜息と言っても口に相当する木の洞から空気を流しだすだけのことだが。

 

「え、何が流石なんです?」

「いや、このナザリックの支配者として威厳があるなあって」

「いえいえ、俺なんて全然ですよ……今日も緊張してガチガチでしたよ」

「そうですか? いやぁ、そうは見えなかったですよ」

 

 2人はハハハと笑いあい、ひとまずお互いに労いの言葉をかけあう。

 だが、ブルー・プラネットは是非とも確認したいことがあった。

 

「それでですね、モモンガさん」

「はい?」

「あのハムスケとか言うハムスター……それにリザードマン、第六階層に入れているんですか?」

 

 ブルー・プラネットの口調と覗き込むような視線に、モモンガはその真意を悟る。

 

「あ、はい。えーとですね、この世界と上手くやっているというアピールのために、幾つかこの世界の者達をですね……すみません、ブルー・プラネットさんのホームで勝手なことして……」

 

 モモンガは申し訳なさそうに釈明をする。自分の領域に勝手にモノを持ち込まれれば不快に思うのは当然だと。

 しかし、ブルー・プラネットは首を振って応える。

 

「いえ、今さら『ホーム』とか言える立場じゃないんで、それは良いんですけど、外来の生物を第六階層に導入するにあたり、その生態系への影響はどうなっているのかなと心配なんですよ」

 

 ブルー・プラネットは何も「持ち込まれた」ことに不満があるわけではない。外来生物がすべて悪いというわけでも無く、優れた性質をもつ場合は生態系にとって有益でもある。問題は、その影響がコントロールできない可能性があることだ。

 

「あ、その点でしたら、導入する者達は『自給自足できる者達』と条件を付けているので大丈夫ですよ。ハムスケは私がモモンとして外に行くときの騎獣として使ってますし、リザードマンたちは自分の村で魚を養殖し始めていますから食料の心配はありません。ドライアードやトレントは勝手に育っているようですしね」

 

 問題解決と言わんばかりに笑うモモンガに、ブルー・プラネットは僅かに苛立ちを感じる。

 

「いえね、そういうことじゃなく……例えば、外の世界から害虫が来て森を食い荒らしたりですね……ちょっとまって、あの、今、ドライアードやトレントって言いました?」

「ええ、森にいた植物系モンスターの中で平和な種族を入れて、この世界の果物の栽培を任せています……けど……?」

 

 ふらつく巨体を見たモモンガの言葉が尻切れトンボになる。

 

 ブルー・プラネットは眩暈を覚えていた。

 ユグドラシルで作られた第六階層の森林地帯に、この世界の動物だけでなく植物まで導入しているだと? まだこの世界の生物とユグドラシル由来の生物の適合性を確認していないのに……。

 モモンガやNPC達は、たとえ病気に罹っても魔法で治療すれば問題ないだろう。しかし、外来種の問題はそういった単純な話ではない。いつの間にかこの世界の植物が第六階層に蔓延り、ユグドラシル由来の植物が絶滅したりするかも知れないのだ。

――そんな懸念がブルー・プラネットの脳を駆け巡る。

 

「わかりました。後で第六階層の状態を確認します。いやまて……そっか、そうだよな……捕虜を第六階層に移す前に消毒して、アウラとマーレに小動物の採集を頼んで、外来種の標本を……あ、そうだ、ブルプラ達も回収したら検疫が必要か……」

 

 ブツブツと呟くブルー・プラネットを、モモンガはキョトンとして見つめる。モモンガには何が問題なのかさっぱり分からない。とりあえず、第六階層で厄介なことが起きているらしいことは分かるが……。

 

「えっと、そうですね。第六階層の確認はブルー・プラネットさんにお任せします。アウラとマーレは今から帝国に向かうので……午後には戻ってくると思いますが、案内させます」

 

 モモンガの提案に、ブルー・プラネットは頷く。

 

「お願いします。では、私は自分の部屋に戻って昨日の捕虜のことを片付けるので、アウラ達が帰ってきたら連絡してください」

「ええ……あの、ブルー・プラネットさん、すみませんでした」

「え? いえいえ、良いんですよ。ともかく確認が先です。結果によってはちょっとコストが掛かってしまうかもしれませんが、それは私が全額出しますから」

 

 そう言ってブルー・プラネットは手を振り、モモンガの部屋を出て自分の居室に向かう。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 自室に戻ったブルー・プラネットを、檻の中のヘッケランとイミーナが不安げに見つめる。

 部屋のなかには異臭が漂っており、2人とも酷く落ち込んでいた。どうやら2人とも檻の中で排泄を行ったようだ。

 

 チッと舌打ちをしたブルー・プラネットは2人に洗浄効果のあるポーションを噴射し、汚物を浄化する。ブルプラたちの世話で手慣れた作業だ。

 室内の空気も魔法で浄化し、そして、清潔になった2人に告げる。

 

「お前たちは今から場所を変え、実験室に移ってもらう。お前たちは第六階層に移すつもりだったが、その前に第六階層の生態系を乱す可能性を調べなければならんからな」

 

 そう――人間たちは排泄も行うのだ。それが正常に分解され、土に還り、第六階層に根付くユグドラシル由来の植物の肥料になるのか――その保証はない。

 

「朝の食事はどうだった?」

 

 式典の前に一般メイドに頼んでおいた食事について、ブルー・プラネットは2人に問いかける。

 

「は、はい……非常に美味しい食事でした」

 

 イミーナが答え、ヘッケランもウンウンと頷く。

 

「それで、今のところ腹を壊したとかはないか?」

 

 失禁を咎められたと思ったのだろう。ヘッケランとイミーナは泣きそうな顔で否定する。

 

「いえ、申し訳ございません。食事は最高でした。腹も壊していません。でも、昨夜から……どうしても我慢できなくて……アイテムがあれば処理できたのですが……それも……」

「ああ、謝ることはない。排泄するのは生物ならば当たり前のことだ。だが……ナザリックで作られたモノを食べて異常がないか……ふむ」

 

 ブルー・プラネットはヘッケラン達を観察しながら額の辺りを枝で掻き、考える。この世界の人間がナザリックの食事で生きていけるのかと。

 一方、ヘッケランとイミーナは、独り言をつぶやく樹の怪物を不安げに見つめる。

 

「<伝言>……もしもし、モモンガさん」

『あ、ブルー・プラネットさん。どうしました?』

「あのー、第九階層に適当な空き部屋ってありますか?」

『用途によりますけど、ギルドメンバー用居室の予備が幾つかありますよ。何に使うんですか?』

「いえね、この世界の者達がナザリックで生きていくための実験をしたいんですが、そのために何人か飼育できる部屋を欲しいんですけど」

『あー、捕虜のことですか。それだったら……っと、アルベドの近くは良くないですね』

「そう…ですね。やはり、離しといた方が良いんじゃないですか?」

『はい。では娯楽室の予定地の方が良いですね。案内します。あと必要なものはありますか?』

「そうですねぇ……監視役としてデス・ナイトを1人、貰えます?」

『消えないタイプですね? もちろん。お安い御用ですよ』

 

 <伝言>のやり取りが終わり、少ししてノックの音がする。

 

「はーい。モモンガさんですか?」

 

 ブルー・プラネットがドアを開けると、モモンガがデス・ナイトを引き連れて立っていた。

 

「じゃあ、行きましょうか」

 

 デス・ナイトがヘッケランとイミーナ、2つの檻を軽々と持ち上げ、廊下を歩きだしたモモンガとブルー・プラネットの後に続く。

 

「ブルー・プラネットさん、この捕虜たちをどうするんですか?」

 

 モモンガは不快感を滲ませた視線をヘッケラン達に向けながらブルー・プラネットに尋ね、その視線を受けてヘッケランとイミーナは目を伏せて震えた。

 もう1人の捕虜――ロバーデイクはこのナザリックを荒らした罪として拷問用の部屋に移して人体実験の準備をしている所だ。モモンガとしては罰を兼ねて有意義に使いたいとの思いがある。

 

「ええ、外界の者達を第六階層に移す前に、第六階層の生態系との相性を調べたいと思いまして。あと、ポーションや魔法の実験ですね」

「なるほど、生態系……ふむふむ。さすが専門家ですね」

「いやぁ、専門といっても環境論についてはあまり詳しくないんですけどね」

「いえいえ、俺なんかそんな知識さっぱりですから」

「ちょっとしたことなんですよ。猫とネズミは一緒に飼えない。でも、ネズミが殖えすぎたら餌を食いつくして飢え死にしてしまう。だから、適当に猫で間引くのも必要だ、とか」

「あはは、そりゃそうですね。そうか、猫とネズミか……間引くのも必要……ふむふむ」

 

 気楽に話し合う骸骨と樹の化け物を見ながら、ヘッケランとイミーナは檻の中で揺られていく。

 

「あ、ここだ。この部屋を使ってください。それじゃ、このデス・ナイトをお貸ししますね」

「はい、ありがとうございます」

「いえいえ……それでは。また何かあったら気軽に声かけてくださいね」

 

 そう言ってモモンガが去っていく。

 ブルー・プラネットは手を振ってそれを見送り、さて、と振り返る。

 

 居住区と娯楽エリアの間にある空き部屋だ。

 鍵の掛かっていないドアを開け、中の広大な――それでいて家具も何もない、ただ天井からの灯りで白い壁が照らされているだけの空室に2つの檻を運び込む。

 

「よし、今日からお前たちはこの部屋で生活してもらう。家具や……トイレは後で準備しよう。他にも必要なものを考えておいてくれ。それから、メイドに食事を運んでもらうが、朝昼晩の3食が必要か?」

「はい……お気遣い感謝いたします。食事は、お任せします」

 

 ヘッケランが答える。こちらからの要望を言っても仕方がないと諦めた声だ。

 

「うむ、それでは朝昼晩の1日3回、メイドに食事を運ばせよう。それから、お前たちはこの部屋を出てはならない。このデス・ナイトがお前たちを監視する」

 

 ブルー・プラネットが指さすと、ドアの前に立っていた巨大な死の騎士――不浄な皮膚を漆黒の鎧で覆い、血管を思わせる真紅の紋様が走る武器と盾を構えたアンデッドが腹に響くような低い咆哮をあげる。

 それは至高者に仕事を任せられた被造物が「お任せください」と上げた歓喜の声だが、ヘッケランとイミーナには「お前はもう逃げられないのだ」という地獄からの宣告にしか聞こえなかった。

 

 ブルー・プラネットがパチリと枝を鳴らすと、ヘッケランとイミーナを捕らえていた2つの檻が消失する。

 しかし、自由になっても2人は立ち上がることすらできない。

 蔓の檻は消えたが、この部屋が新たな檻になっただけだ――そう理解しているのだ。

 

「なに、安心しろ。この部屋から逃げ出さない限り危害は加えん。それに――」

 

 ブルー・プラネットは明るい声でヘッケラン達に告げる。

 

「――ちょくちょく実験に付き合ってくれるだけでいいんだ。それで飢えることもなく身の安全が保障されるのだから、悪い生活ではないと思うぞ?」

 



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第26話 宴の後で

 玉座の間――至高者達が退席した後、NPCやその眷属たちも各々の部署に戻っていく。

 彼らの顔に浮かぶのは、至高者の帰還への喜びと、ナザリックの繁栄を信じる希望に溢れる表情――表情を浮かべられる者達に限るが。しかし、表情をもたない者達、骨や甲殻類の姿をとる者達もまた口々に至高の御方々を讃え、お互いに一層の献身を誓いあって部署に帰っていく。

 そんな彼らを暖かい目で見送るのは、玉座から最も近い場所にいた最高位のNPCたち――階層守護者たちだ。

 

「さて、我々も戻りましょうか」

 

 微笑みを浮かべてデミウルゴスが口を開く。

 

「ウム、ソウダナ。アウラ、マーレ、オ前タチハ、ソロソロ行カネバナラヌノダロウ?」

 

 コキュートスが声をかけると、アウラが元気よく片手を上げて応え、マーレはコクコクと首を振る。

 

「ああ、その件だがね。変更は先ほど伝えた通りだが、皇帝の返事……どれだけの日数が掛かるかについてだが、それはそれほど急かす必要はないよ」

 

 デミウルゴスは片手で眼鏡を掛け直しながら双子の闇妖精に作戦の変更を伝える。

 

「やはり、モモンガ様とブルー・プラネット様は今回の件で未知なる敵を炙り出す御積りのようだ。であるならば、敵にも十分な時間を与える必要があるだろうからね」

「え、えっと、デミウルゴスさんはこの前『4,5日だろうね』って言ってましたけど、あの、も、もっと長くても良いってことですか?」

 

 デミウルゴスの言葉におどおどと確認を押したのは双子の弟、マーレだ。

 

「ああ、あまり長くなっても困るが、皇帝もそれほど愚かではないだろう。ドラゴンの侵入経路を探るなど……色々と理由をつけて伸ばすとしても10日くらいかな?」

 

 微笑んでデミウルゴスは推測を述べ、マーレはそれを聞いてフンフンと頷く。

 

「うん、分かった。じゃあ、シャルティア、お願いするね」

 

 明るい声でマーレがシェルティアに声をかける。この場には連れてこなかった騎乗用のドラゴンと共に今からシャルティアの魔法で帝都近辺の森まで送ってもらうことになっているのだ。

 

 そのシャルティアは、賞状を誇らしげにヒラヒラと翳すアルベドを羨ましそうに見つめており、アウラの声に気付いていないようだった。

 アウラはハァと息を吐き、シャルティアに声を掛け直す。

 

「シャ・ル・ティ・ア! お願いするねっ!」

「あ、出かけるでありんすか? それではアルベド、わたしも手柄を立ててくるでありんす」

 

 声を掛けられたシャルティアは我に返り、振り返ってアウラに微笑みかける。

 そしてアルベドに手を振って<転移門>を開き、アウラとマーレを連れて第六階層へと転移した。

 

「それでは、私共も巡回に戻らせていただきます」

 

 セバスと戦闘メイドたちも、アルベドをはじめとする守護者たちに挨拶をして玉座の間から出ていく。

 これで残っているのはアルベド、デミウルゴス、そしてコキュートスだけとなった。

 

「それで……統括殿は何を浮かない顔をしていらっしゃったのですか?」

 

 デミウルゴスがアルベドに問う。その声には先ほどまでの柔らかさはなく、棘が含まれていた。

 

「あら? 私、浮かない顔をしていたかしら?」

「ええ、どうも式典の最中、あなたは何か気にかかることがあるように見受けられましたが」

 

 デミウルゴスの口から出たのは質問ではない。至高の御方々への不敬を咎める声だ。

 だが、アルベドはそれを気にする風でもなく涼やかな笑顔で答える。

 

「それはそうでしょう? だって、ブルー・プラネット様がご帰還され、それを祝う式典ですもの。不手際が無いか、気の休まる間がないのは当然ではなくて?」

「あなたらしくもない……我々の統括として最高の地位にあるあなたが、この喜ばしい時に小難しい顔をして水を差すことこそ、不手際――無作法ではないのですか?」

「そうかも知れないわね。でも、デミウルゴス……結果としてモモンガ様はご機嫌麗しくあられたのよ? モモンガ様がご満足していらっしゃるのに、あなたが『問題がある』と水を差すことはどうかしら?」

「確かにモモンガ様からはあなたの顔が見えなかったでしょう。しかし、私からはハッキリと見えましたよ。他にも気が付いた者がいたかもしれません」

「では、気が付いた者が私の不手際――あなたの言う不手際を胸に秘めておいてくれれば、それで済むことでしょう」

「なるほど……それはそうですね。では、私はこの件に関して不問にいたしましょう。しかし、アルベド。今度からは気を付けてください。折角の美貌が仏頂面で損なわれては、モモンガ様のご不興を買うことにもなりかねませんよ」

「ありがとう、デミウルゴス。それではこの件はおしまいね。私たちも仕事に戻りましょう?」

 

 優しい微笑みを浮かべるアルベドに、デミウルゴスは不機嫌な表情で捨て台詞を吐いて踵を返す。コキュートスは首を横に振り、デミウルゴスと共に玉座の間を後にする。

 

 玉座の間の扉が閉まり、2人を見送ったアルベドの顔から表情が消えた。だが、それは一瞬のことだ。すぐにアルベドは艶やかな笑みを取り戻し、無人となった玉座の間で独り呟く。

 

「さあ、私もモモンガ様のお部屋に行って報告をしないといけないわ」

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 飲みなおさないか?――先ほどとは逆に、デミウルゴスがコキュートスを誘い、2人は玉座の間を出て第九階層のバーに向かう。

 

「おや、デミウルゴス様にコキュートス様!」

 

 昼前だというのにバーのカウンター席には何人かの客がおり、2人に気が付いて手を振った。

 こんな時間にバーが開いているのには理由がある。客もそれが目当てだ。

 帰還された至高の御方、ブルー・プラネット様が作りだされたというカクテル――その存在を知る者達は多くはないが、彼らのために副料理長はバーを開けているのだ。

 

「御二人も『青い惑星』ですかな?」

 

 デミウルゴスに声をかけた小柄なペンギンのバードマンは「青い惑星」を飲んでいたのだろう。彼が口を開くたびに火を噴く反動で飛びそうになり、黒ずくめの部下が背中を抑えている。他の先客たちも皆、口を開くごとに火を噴きだして後ろに仰け反っていた。

 マスター――副料理長のマイコニドは、いつもならそんな騒がしい客には顔を顰めていただろう。しかし、今日は彼も上機嫌で赤い粘液で飾られた茸状の頭をリズミカルに揺らしていた。カクテルを作る手はいつにも増して軽やかに踊り、頼みもしない高級な菓子までおつまみに付けてくる。

 

「いや、私たちはこの後で仕事があるからね。『青い惑星』はまた夜にするよ」

 

 デミウルゴスは笑顔で答える。アルコールが問題なのではない。カクテル「青い惑星」の特殊効果は毒への耐性では防げないのだ。

 この分では夜になればカウンター席は火の海かもしれませんね――マスターはそんな冗談を飛ばしつつも、頷く。彼は至高の御方の来訪を楽しみにしているようだった。

 

 そしてデミウルゴスたちは先客たちに軽く挨拶をして奥の個室に向かう。

 やがて運ばれてきたグラスを前に、デミウルゴスの表情は決して明るいものではない。

 中々話を切り出そうとしないデミウルゴスに、コキュートスは自分から話を振る。

 

「ソレデ、デミウルゴス、先ホドノアルベドトノ話ダガ……」

「ああ、そうだね……」

 

 魔法の膜が張られ、外の喧騒が消えてデミウルゴスは口を開く。

 

「統括殿は少々お疲れのようだったね」

「ソレダケデハナイダロウ? 私ニモソレ位ハ分カル」

 

 友人に見透かされ、デミウルゴスは苦笑する。

 

「ああ、これで我々がお仕えする至高の御方々は2人となられたわけだ。アルベドもその件について心配があるのだろうよ」

「何ガ言イタイノダ、デミウルゴス? 喜バシイコトデハナイカ」

 

 デミウルゴスの話が呑み込めないコキュートスは話の先を急かす。

 

「つまりだね。命令系統が2つになった。最終的にはアインズ様のお名前の下に統一されるとはいえ……考えたくないことだが、もしモモンガ様とブループラネット様の御二方がそれぞれのお名前において下されたご命令が相反するものであった場合、我々はどうあるべきかということだよ」

「デミウルゴスヨ。ソノ考エハ不敬デハナイノカ?」

 

 テーブルに肘をつき、顔の前で手を組んで深刻な声で語るデミウルゴスに、コキュートスがその言を咎める。

 

「いや、もちろん我々はその全てをもって至高の御方々にお仕えすることが存在意義。その思いは揺るがないよ。だからこそ、だ。モモンガ様が右に行けと命じられ、ブルー・プラネット様が左に進めとお命じになったとき、我々はその身を二つに裂かねばならぬ、ということさ」

 

 デミウルゴスの言葉を受けてコキュートスは4本の腕を組み、少し考えて判断を下す。

 

「ウムゥ、ナルホド……ダガ、モモンガ様ハ至高ノ御方々ヲ統ベル立場ニアルノダロウ? ナラバ……恐レ多イコトダガ、ブルー・プラネット様ヨリ、モモンガ様ノ御言葉ヲ優先セザルヲ得ナイノデハナイカ?」

「ああ、私もそう考えるよ。ただし、ナザリック全体で考えた場合、必ずしもそうは考えない者もいるかもしれないと心配でね。アルベドも同じ心配していたのだろう」

 

 デミウルゴスは僅かに顔を歪めながらも微笑んで答える。

 

「ソノヨウナ者ガイルダロウカ?」

「例えば、パンドラズ・アクターはどうすると思うかね?」

「彼ハモモンガ様ニ創造サレタ者ダ。ヤハリ、モモンガ様ニ従ウダロウナ」

 

 デミウルゴスは無言で深く頷く。シモベたちにとって自分の創造主が特別な存在であるのは当然だ。

 

「では、それ以外の者……シャルティアはどうだろうか?」

「アノ者ハ、モモンガ様ヲ最優先サセルダロウナ」

「統括殿は?」

「言ウマデモナイナ」

 

 コキュートスは、やれやれというように首を振る。

 

「そうだろうね。彼ら3人は何の迷いもなくモモンガ様に従うだろう。理由はそれぞれとしても」

「ダガ、アウラトマーレハ……アノ2人ハ弁エテイルト思ウガ」

「そうだね。あの子たちは至高の御方々を統べるモモンガ様に従うだろう。我々と同じく」

「ムム……ドウイウコトダ? デミウルゴス。スマナイガ説明シテクレナイカ?」

 

 コキュートスはデミウルゴスの真意を測りかね、唸る。

 結局、主だったものは皆、モモンガ様を優先させるということではないか、それは自分としても同じことだ。そこに何の問題があるのか、と。

 

「つまりだね、階層守護者の中では私と君、そしてアウラとマーレは『至高の御方々の長』としての御言葉を優先させるだろう。しかし、シャルティアとアルベドは『モモンガ様』としてのご意思を最優先させるだろう」

「我々ノ忠義ニ差ガアルトイウコトカ……?」

「私は誰の忠義も疑ってはいないよ、コキュートス。ただし、その考え方には違いが生じるだろうということさ」

「……セバスノコトカ?」

 

 短いコキュートスの言葉にデミウルゴスは苦笑する。人間の女を拾ったことでセバスを疑った件は、デミウルゴスにとっても苦い思い出だ。

 だが、デミウルゴスが今懸念しているのはセバスの行動についてではない。

 

「確かに……セバスの件はその一例だった。しかし、これはあくまで一般的な話だよ」

「ナルホド、理解シタ。……ソウダナ、各人ニハ各人ノ考エガアルダロウ」

 

 コキュートスはデミウルゴスの答に頷いて力を抜き、グラスを持ち上げる。

 

「いや、まだ続きがある。シャルティアとアルベドの忠義は、いささか偏りすぎていると思わないかね? 彼女たちは些細なことで、それがモモンガ様のご本意ではなくとも、勝手に解釈してブルー・プラネット様のご意思に反する行動をとりかねない」

「ソレガオ前ノ心配カ」

「そうだ。そして、アルベドの心配もそこにある。聡明な彼女のことだ、私が今ここで話したことくらい、彼女も先刻承知の上だろう。だからこそ、彼女は我々守護者の中でお互いに疑いあうこと……自分が疑われることを理解して、あのように浮かない顔をしていたのだよ」

 

 コキュートスはグラスを下ろし、無言で腕を組み考える。モモンガに盲目的に従うであろう3人のことを。パンドラズ・アクター、シャルティア、そしてアルベド――あの3人は、疑われると知ってもなお盲目的にならざるを得ないのだ。

 

「ダガ……モモンガ様トブルー・プラネット様ハ……御二人ハ、ドウオ考エナノダロウカ?」

「そう……御二方もそれをご心配成されていらっしゃるご様子だった。それは我々に対して各々の創造主の信頼と愛をお伝えくださり、その上で我々の成長を求めていたことからも窺える」

「我々自身ガ創ラレタ意義ヲ考エ、ソノ忠義ヲ磨キ上ゲルベシ……トイウコトカ。厳シイオ言葉ダガ、我々ヲ信ジテクダサッテコソノオ言葉ナノダナ」

 

 コキュートスの言葉にデミウルゴスは深く頷き、力強く語りかける。

 

「そうとも、コキュートス。我々はその御信頼に応えなければならない。御方々が失望され、この地を去られることがあってはならないのだ。だから、彼女たちの暴走を止めるよう協力してほしい。私だけでは、いかにせよ力不足なものだからね」

「分カッタ……協力シヨウ」

 

 コキュートスは頷く。

 デミウルゴスは知力に優れるが戦闘力では他の守護者に劣る。アルベドとシャルティアが暴走したときに止めるためには他の守護者の力を借りるしかない。

 尊敬する友人が他の誰よりも自分を頼ったことをコキュートスは喜び、グラスの酒を啜る。

 その様子を見てデミウルゴスも微笑み、自分のグラスに口を付けた。

 

「……デハ、パンドラズ・アクターハドウスル? アレハ、シャルティア以上ニ厄介ダゾ」

 

 戦闘に長けたコキュートスは息を深く吐くと、早速、戦闘をシミュレートする

 アルベドやシャルティア――暴走の危険を指摘された者達との戦闘は想像がつく。一人では勝てない相手であろうと、誰の協力を仰げばよいのかを考える。

 だが、デミウルゴスが名を挙げたもう一人の強敵――多彩なスキルをもつパンドラズ・アクターとの戦いは難しい。

 

 もしパンドラズ・アクターが暴走し、ブルー・プラネット様に無礼を働くことがあったらどう止めたらよいのだろうか。

――コキュートスは首を捻る。

 パンドラズ・アクターはドッペルゲンガーとして至高の御方々の能力を真似ることが出来る。そして、至高の御方々の姿をとってシモベたちを撹乱することも可能であり、何よりもそれを利用する高い知能をもっているのだ、と。

 

「彼については心配いらないだろうね。彼はモモンガ様のご意思を正確に把握し行動するだろう。そして、私が考えるに……モモンガ様がブルー・プラネット様と袂を分かつとは思えないのだよ」

 

 デミウルゴスは笑ってコキュートスの懸念を否定する。

 

「フム……オ前ガソウ言ウノナラバ……ソウ願イタイモノダ。我々ガ互イニ剣ヲ向ケルコトナド、モウ起キナイデ欲シイノダガ」

「同感だね。我々がお互いに剣を向けあうこと……それもまた、モモンガ様をはじめとする至高の御方々を失望させることになりかねない。だから、この話は君の胸の内にしまっておいてくれ。君の力が必要になったら私が連絡する」

 

 デミウルゴスは懸念が消えたという様に微笑んで、グラスを掲げた。

 

「理解シタ。デミウルゴスよ、彼女達ノ監視ヲ頼ムゾ」

「ありがとう。助かるよ」

 

 コキュートスは大顎をカチカチと鳴らしながら頷き、誓いを立てるようにグラスを持ち上げ、デミウルゴスのグラスと軽く合わせる。

 

 だが、デミウルゴスの心にはコキュートスにも告げていないことがある。

 アルベドが式典の最中に見せた表情を見て抱いた懸念だ。

 

 あれは不手際を心配したからなどという軽い理由ではない。下手な言い訳は、それだけ大きな秘密を隠しているということなのだろう。

――デミウルゴスはアルベドの秘密に思いを巡らしながらグラスを空ける。ナザリック随一の知者であるデミウルゴスといえどもアルベドの心を見抜くのは困難だ。

 

 アルベドは「不手際を胸に秘めておいてくれれば、それで済む」と言った。その論理自身は正しい。殊更に吊し上げて組織の調和を乱すのは愚かなことだ。組織には隠し事も必要である。

 デミウルゴス自身、他の守護者たちに伝えていないこともある。だが、それは人間に対して好意的な感情をもつ仲間たちとの無用な対立を避けるためだ。今この場でコキュートスに真実を告げないのも、出来るだけ穏便に事を進めるためだ。

 

 デミウルゴスは常にナザリックのことを考えて行動する。

 だが、アルベドは違う。彼女は自身の欲望による失態を隠すために組織に沈黙を強いた。

 

(先ほどの式典……あれがアルベドの采配であったことは間違いない。至高の御方々はそのような些末事には一々関わらないでしょう)

 

 アルベドは自らのために表彰式を――あの茶番を計画したのだ。愛する主人から褒められるために自分で作った賞状を主人に渡し、その主人から手渡しさせたのだ。

 

(彼女は自らの欲望に正直すぎる……これは必ずや至高の御方々を悲しませることになる)

 デミウルゴスは、先ほどのアルベドの返答を思い出して顔を顰める。

 

 失態を咎められ、アルベドは「モモンガ様のご機嫌」のみを訴えてブルー・プラネット様への配慮を欠いた。さらに、彼女はそれがブルー・プラネット様への不敬にあたるということすら気が付いていないようだった。

――デミウルゴスは目を細め、表情を悟られないようグラスを呷るふりをして友人を眺める。

 

 至高の御方々に取り返しのつかない不敬を働く前にアルベドを滅ぼすべきだろうか。 

 アルベド亡き後のナザリックをどうやって運営していくべきか――そう考えながら。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 モモンガへの報告が終わり、居室に戻ったアルベドは椅子に座り、小さな丸いテーブルの上に手を組んで目を瞑っていた。

 うっとりとした微笑みを浮かべている。愛する主人の言葉を反芻しているのだ。

 

『まず、アルベド、こちらに来るが良い』

『栄誉を称える。よくやった』

 

 それはアルベドの凍り付いた心を癒す。たとえ自らが描いた茶番であっても。

 

 だが、突如としてアルベドの美しい顔が憎々し気に歪む。先ほどの屈辱が蘇ったのだ。

 

 先ほどまでアルベドはモモンガの居室にいた。

 式典にかかった費用などを報告する、愛するモモンガの傍に立てる至福の時間だった。

 だが、それを邪魔するもの――ブルー・プラネットからの連絡が入った。どうやら捕虜の処遇に関することらしい。居室の隣がどうとかいう、そんな相談がアルベドには聞こえた。

 そして突然モモンガは立ち上がり、いそいそとデス・ナイトを呼び出して、出ていった。

 

 アルベドは放置されたのだ。

 モモンガはすぐに帰ってきたが、アルベドの心に残る黒いものは消えない。

 

「なぜっ! 何故、今さら戻ってこられたのですかっ!」

 

 アルベドは絶叫する。敬愛すべき至高者の姿を思い浮かべて。

 あらん限りの力で叩きつけられた拳によってテーブルが砕ける。

 

 私はナザリックの誰よりも誇り高い存在だ。そうあれと創られ、守護者統括の地位もいただけた。

 私は被造物の頂点であり、誰よりも心を込めて創造され、誰よりも至高の御方々に愛される存在だ。

――アルベドはそう信じていた。そう信じて常に微笑みを絶やさなかった。

 

 しかし、創造主は自分を見捨てて去っていってしまった。

 

 他の守護者達と同様に、ただ見捨てられたと嘆くことが出来れば、どれだけ楽だっただろうか。

 自らの不甲斐無さを嘆き、至高者の帰還を祈る、ただの矮小な存在であることを受け入れることができれば……

 しかし、創造主は「気高くあれ」と命じた。だから自分を卑しむことは出来ない。

 

 アルベドは創造主に与えられた矛盾を憎む。

 気高くあれと命じられた自分、捨てられた自分――どちらが真であるべきかと。

 

 身を引き裂くような矛盾から救ってくれたのが、唯一残ってくれたモモンガだった。

 モモンガから「我を愛せよ」と求められ、至高者に求められる気高いアルベドは存在しえた。

 

「モモンガさま……」

 

 砕けたテーブルを前に、椅子に座ったアルベドは愛しいその名を何度も繰り返し呟く。創造主に見捨てられたという事実から目を背けるように。

 

『アルベド、こちらに来るが良い』

『栄誉を称える。よくやった』

 

 心の中に響く主人の言葉にアルベドの顔が蕩ける。そして憎々しげに歪む。

 先ほどの式典を思い出し、心臓が切り裂かれるような痛みにアルベドは悶える。

 

 ブルー・プラネットは、他の階層守護者たちの創造主の思い出を語った。如何に創造主が守護者たちを愛していたかを。そして、それを告げられた守護者たちは幸福そうだった。

 創造主のために死ねた。創造主がその死を悲しみ、お前が必要なのだと蘇らせてくれた。

 シモベにとってそれに勝る喜びがあるだろうか?

 

 では、私はどうか? ――アルベドは自らを呪う。

 

 過去の大侵攻の時もアルベドは最下層にいた。他の守護者たちが自分の全てを懸けて戦うことが出来たとき、彼女は独りで第十階層の玉座の間で待っていた。

 至高の御方々が第八階層の切り札を動かして侵入者たちを殲滅したとき、アルベドは独り取り残されていた。

 

 私は……私だけが必要とされていない……

 

 ブルー・プラネットが他の守護者達に思い出を語りかけていたとき、アルベドの心は凍った。

 デミウルゴスにそれを見抜かれ、何とか誤魔化したとき、アルベドの心はデミウルゴスたち――何の疑いもなく至高の御方々への敬愛を口にする者達への憎しみで満ちた。

 

 何故、お前たちが私より愛されるのだ、と。

 

 私を愛してくれない至高の御方など要らない。モモンガ様だけがいれば良い。

 ナザリックも要らない。仲間たちも要らない。至高の御方々の遺した何もかも……

 この世界を破壊しよう。モモンガ様と私の2人だけの世界にしよう――そう心に決める。

 

『アルベド、こちらに来るが良い』

 

 最愛の主人の声が命じる。

 その声に応えて創造主から与えられた破壊の力(ギンヌンガガプ)を握り締めたとき、アルベドの部屋をノックする者がいた。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 その少し前、ブルー・プラネットは、ヘッケランとイミーナを即席の実験室に移し、再びモモンガの居室を訪れていた。

 

「あ、ブルー・プラネットさん、何か御用ですか? アウラ達はまだ帰っていませんけど……?」

「いえね、アルベドの件でやっぱり気になるんですよ」

「はい? 何がですか?」

 

 モモンガの声の気楽さに、ブルー・プラネットは少し躊躇って告げる。

 

「アルベドが私に嫉妬しているっぽいって話ですよ」

「ああ、風呂場で聞きましたね」

「それで、さっきの式の間も……なんか、ずっと嫉妬を向けられていたんですよ」

「そうなんですか?」

「いやもう、居心地悪いったらありゃしない」

 

 モモンガとブルー・プラネットは笑いあう。アルベドの見当違いの嫉妬を。

 

「それじゃ、早速、話し合ってきたらどうです? さっきまで仕事の打ち合わせしてましたけど、今なら居室に戻ってるはずですから」

「そうしますかね……モモンガさんも付いてきてくれます?」

「断固、お断りします!」

「ですか?」

「です!」

 

 そして、ブルー・プラネットはアルベドの居室のドアをノックする。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

「はい……え? うぉっ! ブ、ブルー・プラネット様!? も、申し訳ございません。まだ準備が……いえ、多少部屋が散らかっておりますので少々お待ちいただけないでしょうか……」

 

 ドアを開けるなり取り乱したアルベドをみて、ブルー・プラネットは罪悪感を抱く。

 

「ああ、いいよ。急にやってきて済まなかった。では、ここで待たせてもらおう」

 

 ペコペコと何度もお辞儀をするアルベドをなだめ、ブルー・プラネットはドアの前で待つ。

 待つ、というほどでもなかった。すぐにドアは再び開かれ、息を切らせたアルベドが美しい笑顔をのぞかせる。

 

「お待たせいたしました。お入りください」

 

 女の子の部屋って初めてだなあ、良い匂いがするなあ、でも、思ってたより殺風景だなあ……

――ぼんやり考えながら、ブルー・プラネットは部屋に入る。

 

 急いで片づけたのだろう。部屋の隅には何か色々なものを無理やり詰め込んで隠した箱が見えるが、ブルー・プラネットはあえて目を逸らす。女性の部屋の粗を探さないのが紳士だろうと考えて。

 

「どうぞ、ブルー・プラネット様、お座りください。その椅子はサイズ可変になっておりますから」

 

 アルベドは少しソワソワしながら来客用の豪奢なテーブルにブルー・プラネットを案内する。

 角度的に先ほどの箱が見えないように、という心遣いだろうか?

 部屋に漂う香りを嗅ぐのをやめ、支配者の威厳を取り戻したブルー・プラネットは、アルベドに向かって姿勢を正し、礼をする。

 

「私の不在の間、モモンガさんを支えてくれてありがとう。改めて礼を言う」

「お礼など……とんでもございません。私どもは至高の御方々に仕えるためにこそ存在するのですから」

 

 頭を下げるブルー・プラネットに向かい、アルベドは無垢な微笑みを浮かべて頭を下げる。

 

「いや、私がユグドラシルに来なくなってから他のメンバーも抜けていたとはなあ……お前たちには随分と寂しい思いをさせてしまったなあ」

 

 ブルー・プラネットは自分の思いをしみじみと語る。

 

「お前を創造したタブラさん、彼も来なくなってしまっていたのだなあ……モモンガさんから、お前の設定が変更された話は聞いたよ」

 

 アルベドは俯く。長い髪がはらりと前に垂れ、その表情を隠す。

 白い手袋に覆われた手が椅子の肘掛をきつく握りしめる。

 

「モモンガさんがお前の設定を『愛している』と変更したのは、我々の不在の寂しさを埋めるためにお前の愛を求めていたのだろうなぁ……私もお前に願うよ。これからもモモンガさんの隣に立ち、彼を支えてやってくれ。モモンガさんを慰めるのは、お前しかいないんだ」

 

 バキバキバキッ

 

 何かが壊れる音がした。

 テーブルを見つめながら話していたブルー・プラネットが視線を上げると、俯いて話を聞いているアルベドが肘掛を握り潰していた。

 

(え? 怒ってる怒ってる……俺、何かヤバイこと言ってしまった?)

 

 やがてアルベドがゆっくりと顔を上げる。その顔を見て、ブルー・プラネットは凍りつく。

 

 目が挑むように開かれ、縦に切れた黄金の瞳が怪しい光を放っている。

 口は肉体的限界を超え、ありえない角度で吊り上がっている。

 

 般若が笑っていた。

 

「あ、あるべど……?」

 

 数秒間の間だったが、般若と化したアルベドは微動だにしない。ブルー・プラネットも動けない。

 そして沈黙の支配が解け、アルベドは元の優しい笑顔――絶世の美女の姿を取り戻す。

 

「はい、何でございましょう?」

 

 何事もなかったかのように微笑むアルベドに、ブルー・プラネットは絶句する。

 言えるわけがない。淑女に向かって般若そっくりだったなどと言えるわけがない。

 

「い、いや、なんでもない」

 

 ようやく返事をしたブルー・プラネットに、アルベドはゆっくりと問いかける。

 

「ブルー・プラネット様は、モモンガ様と私の愛を、お認めくださるのですね?」

「もちろんだ。私はそのために来たんだ」

 

 アルベドの顔は喜びに輝く――敵意など微塵も感じられない。感知のスキルも反応しない。

 

「至高の御方々のご公認、ということでよろしいのですね?」

 

 アルベドが身体を乗り出して念を押し、ブルー・プラネットはただ何度も肯く。

 

「ありがとうございます。なんとお礼を言えばよいのか!」

「いや、アルベドよ。お前の役目、そして私達がお前達にしてきたことを考えれば当然のことだ」

「ああ! なんと偉大なお言葉! さすがは至高の御方でございます」

 

 アルベドは椅子から立ち上がり、両手を胸の前に組んで体全体をうねらせ、腰の黒翼をパタパタと羽ばたかせて喜びを表す。うっとりと顔を蕩かせ、その視線は天井の辺りを彷徨い何かの幻影を追っているようだ。

 

「いや、えーと、そういうことで、これからもよろしく頼むぞ?」

 

 もう限界だ――そう思ってブルー・プラネットは逃げるように席を立つ。

 なにかこう、どっと疲れが出る。モモンガがアルベドを避ける気持ちが分かる気がする、と。

 

「もちろんでございます。ブルー・プラネット様もよろしくお願いいたします」

 

 今まで見せたことのない明るい笑顔でアルベドは答える。

 敵意は全く感じられない、嫉妬もない。毒気が抜けた笑顔だ。

 何をお願いされたのかよく分からないが、深く聞く気にもならない。大方、結婚式の仲人役とか、そんなところなのだろう。

 

(思ってたのとはちょっと違うけど、とりあえず勘違いから来る嫉妬は消えたっぽいな)

 

 くふふ……と気持ち悪い笑いを続けるアルベドをみて、ブルー・プラネットは思う。

 

「えと、では、そろそろ帰ろうと思う……はい」

 

 こちらを見つめるアルベドの全開の笑顔から目を逸らすことが出来ず、ブルー・プラネットは後ずさりして部屋を出る。そして、防音仕様の分厚いドアが閉まる直前――

 

「うぉっしゃ!」

 

――そんな叫びと共に何かの砕ける音が聞こえたが、聞こえなかったことにして転移する。

 転移先はモモンガの居室だ。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

「アルベドの様子、どうでした?」

 

 ブルー・プラネットの身を案じつつ、修羅場に踏み込むのを躊躇っていたモモンガが心配そうに問いかける。

 

「ええ、なんか……誤解は解けたんだと思います」

 

 枝を振り、疲れた声でブループラネットは答える。

 

「そうですか、よかった」

 

 ふぅ、と重すぎる愛に悩んでいたモモンガが椅子からずり落ちるような体勢で安堵の息を吐いた。

 

「あー、『モモンガさんにはお前しかいないんだ』って言ったら一発でしたよ。この色男!」

 

 ブルー・プラネットがモモンガの肩を枝でつつく。少しばかりの嫉妬も込めて。

 

「やめてくださいよぉ。ほんと、アルベドって大変なんですから」

「なんだか、結婚式の仲人までお願いされちゃいましたよ?」

「え、えーっ! 結婚式って、なんですか、それっ!?」

「冗談です……けど、なんかそんな事企んでるっぽいですよぉぉぉお!」

「やめてくださいよ、もう……」

 

 樹の枝を広げて大袈裟に叫ぶブルー・プラネットに、モモンガは首をすくめてお道化て笑う。他人の気も知らないで、と。

 

 そう――人間の心をもつ2人には、被造物であるアルベドの心は理解できない。

 

 アルベドは許したのではない。

 至高の御方々を許す――そんなことは考えることすら許されない不敬である。

 NPCはただひたすら至高者に従い、至高者の意思を遂行するために創造された存在だ。

 

 アルベドの敵意が消えたのは、ブルー・プラネット自身の言葉によって彼女を苦しめていた悩み、矛盾が解けたためだ。

 

 アルベドは、その居室で至高者の聖なる宣言を何度も反芻する。

 

『モモンガさんの隣に立ち、彼を支えてやってくれ。モモンガさんを慰めるのは、お前しかいない』

 

――モモンガ様と私との愛を認める神聖な行為。これこそが創造者であるタブラ・スマラグディナ様に代わってブルー・プラネット様がこの地に帰還した理由なのだ。被造物の設定を変えること、そして至高の御方々との愛を取り決めることは、至高の御方々にしか為しえない行為なのだから。

 

『私はそのために来た』

 

――ブルー・プラネット様は、至高の御方々を代表して愛される私の誇りを取り戻してくださった。

 そして、モモンガ様には私さえ居れば良いと認めてくださった。

 そして――何よりも大切なことは、この神聖な取り決めを永遠のものとするため、自らは消えるお積りなのだ。

 

『モモンガさんの隣に立ち、支えてやってくれ。お前しかいない』

 

――玉座の間におけるモモンガ様の隣席を私に譲るということだ。ブルー・プラネット様は、自身が消えることで永遠に「アルベドをモモンガの妻と認めた存在」となる。至高の御方々が消えたならば、その宣言を取り消す者はいない。

 

 神は、その死によって新しい世界を創造する――至高の41人によって創られた世界に代わり、モモンガ様と私を頂点とする新しい世界を。

 それを為すことがブルー・プラネット様の望みであり、守護者統括である私に課された使命なのだ。

 

『私はそのために来た』――ならば、それを全力で遂行するのが守護者としての私の務め。

 

 アルベドは目も眩む歓喜の中でそう理解した。

 

「ああ、なんとありがたいことなのでしょう。まさに至高の御方です」

 

 アルベドの目から涙が尽きることなく溢れ出す。至高者への敬意と愛と、輝かしい未来への歓喜をもって。

 

 アルベドの中にはもはや迷いも憎しみも無い。

 至高の御方々に向けていた許されざる殺意は許されたのだ。いや、正しかったのだ。

 この殺意は敵意ではない。至高者が望まれるものを捧げるだけだ。

 やはり私は最高の被造物である――アルベドはそれを確信できた。

 

「ブルー・プラネット様! 必ずや貴方を殺し、モモンガ様の御代を永遠のものといたします」

 

 祈るように手を組み、心の底からの敬意をもってアルベドは独り宣言する。

 そしてこの上なく幸せな笑みを浮かべ、神聖な使命を滞りなく果たすための計画を練る。

 この神聖な計画を告げられたのは自分だけだ。他の誰にも理解出来ないだろうし、理解させるつもりもない。だが、絶対に邪魔はさせない――と。

 

「しかし、ブルー・プラネット様の死を永遠のものとするためには何が必要かしら? モモンガ様は復活を試みられるでしょうけど……復活なんてブルー・プラネット様もお望みではないわよね?」

 

 可愛らしく頬に指をあてて首を傾げ、そして頷く。

 

『お前しかいない』

『よろしく頼むぞ』

 

 アルベドの心の中で至高者の命令が何度も繰り返されていた。

 




アルベド「ひとり上手と呼ばないで」

捏造設定:大侵攻の時、アルベドは第十階層にいた。
「ここまで攻めてきた敵のためにおいとこうぜ。悪の女幹部って感じでさ」


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第27話 第六階層巡回-その1

 昼になる。アウラとマーレはまだ帰ってきていない。

 計画では、帝都で皇帝の居城に乗り込んで今回の侵入者の件で話をつけた後、付近の森まで飛び、そこからシャルティアの魔法で帰還することになっている。

 ブルー・プラネットはモモンガの仕事の手伝い、切りが良いところで、実験室に移した捕虜たちの世話をすると言って出ていった。人間には昼飯を食わせなければならないのだ。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 実験室のドアをノックすると、中からデス・ナイトがドアを開ける。

 

「ん、ご苦労」

「オオオァァァアアアアアアーーー!!」

 

 ブルー・プラネットの労いに咆哮で応えたデス・ナイトが退き、至高者は室内に入る。

 

 何もない部屋の中では、ヘッケランとイミーナが身を寄せ合うように壁際に座っていた。2人はブルー・プラネットを見ると、慌てて跪き、首を垂れる。

 

「ああ、楽にしていい。食事の手配をしようと思ってな」

 

 ブルー・プラネットの声に、捕虜たちはホッとした顔になる。

 

「<伝言>……料理長よ、ブルー・プラネットだ。人間の捕虜が2人いるのだが、その食事を誰かに運んできてもらいたいのだが……」

『はっ! ブルー・プラネット様! 直ちにご用意いたします。メイドを1人お送りいたしますが、場所はどちらでしょうか?』

「ああ、第九階層の我々の部屋の並びと娯楽エリアの間にある部屋だ。そうだな、ドアに実験室と書いておくから分かるだろう」

『はっ! 至高の御方々のお部屋と娯楽エリアの間、実験室と書かれた部屋でございますね』

「ああ、そうだ。よろしく頼む。それと、献立を書いたものを添えてくれないか?」

『はっ! 承知いたしました』

 

 住所でもあれば分かりやすいのだがな――ブルー・プラネットは元の世界のアーコロジーを思い出す。何しろナザリックは広大なダンジョンだ。第九階層ではアーコロジーをモデルとして大浴場をはじめ無数の娯楽施設や部屋がある。転移の指輪を使えば迷うことはないが、今回のように誰かに場所を指定する場合はややこしい。

 

 モモンガさんに提案してみるかと考えながら、ブルー・プラネットは廊下に出て<署名>の魔法でドアの上に「ブルー・プラネット」と書く。そして、ペンキを合成してドアに「実験室」と大きく書き込む。筆代わりにしたのは自分の枝先だ。書き終わった後は洗浄液で枝先を洗い流す。

 

 こんなものかな? と腰に手を当ててドアを眺めていると、自分の名を呼ぶ声が聞こえる。

 周囲を見渡すと、長い廊下の向こうからメイドが1人、何やらワゴンを押して来ていた。

 

「あー、ここだ」

 

 ブルー・プラネットは枝でドアを指さし、もう片手で手を振ってメイドを呼ぶ。

 

「……ブルー・プラネット様……お料理をお持ちいたしました」

「ご苦労様。では、頼むよ」

 

 至高の御方に手を振られ、急いで駆けてきたのだろう。メイドは少し息が上がっている。それでも笑顔を絶やさない彼女を労りながらブルー・プラネットはドアを開けた。

 

「失礼いたします」

 

 メイドは恭しく頭を下げ、部屋の中にワゴンを押してはいる。

 そして、部屋の中に何もないことに戸惑って、ブルー・プラネットを見上げる。

 

「も、申し訳ございません……あの、お料理はどこに置けばよろしいでしょうか?」

 

 メイドが戸惑うのも当然だ。何しろとりあえず余ったスペースに作られ、用途も決まらないまま放置されていた部屋だ。料理を乗せるべきテーブルなどあるはずもない。

 

「あ、あー……そうだな、今日の所は床に置いてくれ」

「は、はい、そうですね。それが当然です」

 

 メイドはサービスワゴンから簡素な食器に盛られた食事を下ろし、床に並べる。

 

「献立はこれか?」

 

 ブルー・プラネットがワゴンに掛けられたメモを見つけ、それを手に取ってみる。

 

『鶏もも肉とブロッコリーのホイル蒸し:2皿

 バターロール:4個

 クラムチャウダー:2皿

 アップルパイ:2個』

 

 そう書かれている。

 

「お前達、これが昼食だが……足りるか?」

 

 ヘッケラン達に尋ねると、2人はコクコクと頭を縦に振る。それはこの世界――少なくとも帝国では了承を表す仕草であり、ブルー・プラネットも頷く。

 

「それでは、テーブルを用意するまで床で食べてもらうことになるが、辛抱してくれ」

「はい、大丈夫です。俺たちワーカーは野宿することも多いですから」

 

 ブルー・プラネットの喋り方に気を許し始めたのだろう。ヘッケランは笑顔を作って答える。

 

「おお、そうか。ワーカーならばそうだろうな」

 

 とりあえずテーブルの問題は片付いた――ブルー・プラネットが次にイミーナに目を遣ると、イミーナは興味深げに料理を見ていた。

 

「ふむ、お前たちはこのような料理や食材を見たことがあるか?」

「い、いえ、ブルー・プラネット様。このパンは分かりますが、この野菜やスープの具は見たことがありません」

 

 声を掛けられたイミーナが慌ててブルー・プラネットを見上げ、答える。

 

「ほう……なるほど。それではお前達、今日から料理についてのレポートを付けてくれ。料理や食材について知っているか知らないか、そしてその味や感想を。あと、体調の変化だな。何か発疹が出たり腹を壊したりなどだ」

「はい、分かりました。あの、それで何に書けばよいでしょうか?」

「ああ、ノートとペンを後で渡そう」

 

 実験を上手く始められたことで、ブルー・プラネットは機嫌が良くなる。

 

「アルシェは……あの子も食事出来ているでしょうか?」

 

 イミーナが心配そうにブルー・プラネットに問いかける。それを聞き、ヘッケランもブルー・プラネットを見上げる。アルシェは2人にとって――ここに居ないロバーデイクにとっても――妹の様な存在だ。

 

「あ……それはどうだろうな? シャルティアに預けていたが……今は任務中だしな」

 

 その存在をすっかり忘れていたブルー・プラネットが首を傾げると、傍らで控えていたメイドが控えめだがしっかりした口調で口を挟む。

 

「ブルー・プラネット様、それでしたら、シャルティア様がすでに手配をなさっておいでです。私の仲間の一人、シクススが第二階層のシャルティア様の居室まで料理を運ぶことになっております。先ほど、これと同じメニューを持って行ったところでございます」

「ほう、気が利くな! ……というわけだ、アルシェのことも心配はないようだな」

 

 メイドとブルー・プラネットの話を聞き、イミーナたちは微笑みを浮かべる。

 至高の御方に褒められて嬉しかったのだろう。メイドも微笑んだ顔に赤みがさす。

 

 そのとき、モモンガから<伝言>が入ってきた。

 

『ブルー・プラネットさん、アウラ達が戻ってきたらしいです。今、私の部屋に呼びますので、都合のよい時に来てください』

「はーい、ありがとうございます」

 

 <伝言>が切れる。

 そして、突然「ありがとう」と言い出した樹の化け物をキョトンとした表情で見上げるヘッケラン達に気が付き、ブルー・プラネットは少々気恥ずかしさを感じて弁明する。

 

「いや、すまない。今、モモンガさんから連絡があってな……第六階層……お前たちが飛ばされた闘技場のある階層だが、その調査をする準備ができたということだ」

 

 ヘッケラン達は身震いする。昨夜、あの闘技場で見た光景を思い出して。

 目の前の化け物――気さくに食事について語る樹の魔物――は、あの夜空を一瞬で昼に変えた超越者なのだと思い出して。

 

「お前たちは、アルシェもだが、いずれ第六階層に移そうと思っている。だが、お前たち外の世界の者をむやみに私の森に入れるのは心配でな。そのための調査だ」

「……本当に申し訳ございませんでした。まさかこの墳墓にあなたたちが住んでいらっしゃるとは夢にも思いませんでしたから……」

 

 ヘッケランが神妙な顔で謝罪する。それを聞き、イミーナもその横で頷く。

 

「ん……まあ、な……モモンガさんはこのナザリックを長年守ってこられたのだから、侵入者には厳しいな……」

 

 ブルー・プラネットは、少々的外れなヘッケラン達の謝罪を受け流す。

 

「それでは、モモンガさんがお待ちだから私はもう行くが……えーと、お前は確か――」

「インクリメントでございます」

 

 ブルー・プラネットの視線を受け、物静かなメイドはお辞儀をして名乗る。

 

「よし、インクリメント、この部屋の家具を適当に見繕って運ばせてくれ。テーブルとイス、ベッド……それにトイレは……奥に『無限収納箱』と『無限の水差し』、あと柔らかな紙を多く置いてくれ。寝室やトイレの間仕切りも必要か――」

 

 ユグドラシルにおいて「排泄」という行為はなかったため、トイレに相当するアイテムや設備は無い。そんなものがあったら、ゲーム中に部屋を汚すプレイヤーが続出するからだ。アダプターによって自動的に処理するシステムはあったが、それはあくまで「自動的」なものであり、意識的に「する」ためのものではない。

 

 適当なアイテムの組み合わせで簡易トイレを作るしかない――そう考えて、ブルー・プラネットはとりあえず思いつくままに並べる。

 お前たちはどうしてるのだ――そんな質問が喉まで出かかったが、それを若い女性にいきなり聞くのはセクハラにもほどがあるとブルー・プラネットは自重し、口を噤む。

 

 インクリメントは頷き、メモ帳にブルー・プラネットの言葉を書き留めていく。魔法で無限にページが供給されるメモ帳――理論的には四十二億九千四百九十六万七千二百九十五ページで終わるはずだが、早捲りチャレンジで完遂したプレイヤーはいない――と、同じく幾ら書いてもインク切れを起こさないボールペンだ。

 

「――あと、そうだな、そのメモ帳とペン、予備があったはずだな? それを料理のレポート用に置いてくれ。料理は毎回献立をつけ、それと一緒にメモを書くようにすれば良いだろう」

「かしこまりました。それでは、家具類は部署に連絡して運び込ませることといたします。メモ帳は、私達の予備の物をお持ちいたします」

 

 インクリメントの言葉にブルー・プラネットは頷き、最後の指示を与える。

 

「よし、それではインクリメント、この2人の世話係はお前だ。デス・ナイトと協力してくれ」

 

 至高の御方の命令に、インクリメントは微かに顔を引きつらせる。しかし、完璧主義の彼女はすぐに冷静さを取り戻し、恭しく頭を下げた。

 

「承知いたしました。この者達のお世話は私が承ります。ご安心くださいませ」

「うむ、それでは頼むぞ」

 

 ブルー・プラネットはインクリメントの頭に枝を伸ばし、撫でる。

 インクリメントは思わず顔をグニャグニャに蕩かしそうになるが、必死に耐えて「クールな私」を保った。

 

 ブルー・プラネットがドアに向かうとデス・ナイトが恭しくそれを開け、ブルー・プラネットは軽く手を上げてデス・ナイトの忠義に答える。そして部屋を出て指輪を起動させ、モモンガの居室前まで転移する。歩いて数分の距離ではあるが、急いだほうが良いだろうとの判断からだ。

 

 至高の御方が去ったことを確認し、緊張が解けたデス・ナイトとインクリメントは顔を見合わせ、微笑みあう。デス・ナイトの表情を読み取れたら、であるが。

 

「あの……インクリメントさん、あなたはこの墳墓で働いている人間なのですか?」

 

 ヘッケランがインクリメントに声をかける。

 戦闘職であるヘッケランの目から見て、デス・ナイトと呼ばれるこのアンデッドは強大であり到底勝ち目はない。だが、このメイドは危険な存在ではなさそうだ。

 戦うわけにはいかないが、人間であれば情に訴えてこの状況を切り抜けることが出来るかもしれない――そんな希望を込めてヘッケランはインクリメントの顔を見つめる。

 

「何を言ってるんですか? 私が人間であるわけがないでしょう? 私は至高の御方々の御手によって創造されたホムンクルスです。さあ、早く食事を済ませていただけませんか? 私も忙しいのですよ」

 

 インクリメントは眼鏡を直しながら、呆れた顔で冷たい視線を2人の捕虜に投げかける。

 微妙にデス・ナイトの後ろに隠れている彼女が発した声は、あくまで無機質で冷たかった。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 モモンガの居室前に転移したブルー・プラネットはドアをノックする。

 

「はーい……あっ、ブルー・プラネット様!」

 

 元気の良い声を上げてドアを開け、輝く笑顔で迎えてくれたのはアウラだった。

 開かれたドアから部屋を覗くと、奥にはマーレがちょこんと立っており、その後ろにモモンガが執務机から手を振っている。

 

「お待たせしました、モモンガさん」

 

 ブルー・プラネットは部屋に入り、ドアから付いてきたアウラと奥で待っていたマーレの頭を撫でながら机の対面に立つ。

 

「いえいえ、先ほど2人が帰ってきたので報告を受けていたところです……皇帝が10日ほどでナザリックに来ることになりましたが、ブルー・プラネットさんはどうします?」

「遠慮しますよ。私はそんな柄ではありませんからね。裏方に徹します」

 

 悪戯っぽく投げかけられたモモンガの問いに、ブルー・プラネットも手を振って笑って答える。

 

「ははは……ですよねー」

 

 2人の至高の御方々が笑いあう様を見て、アウラとマーレは感心したように溜息を漏らす。

 

「では、アウラとマーレよ、ブルー・プラネットさんを第六階層に案内せよ。この世界に来てからの変更点をお見せするのだ」

「はいっ! お任せください、モモンガ様、ブルー・プラネット様!」

「は、はいっ……あの、その、ブルー・プラネット様、よ、よろしくお願いします」

 

 モモンガの威厳ある指令に、双子の姉弟はそろって声を上げる。

 

「うむ、それでは任せることにしよう。よろしく頼むぞ」

 

 ブルー・プラネットはモモンガに礼をして、その居室を後にする。そして、双子を抱えて転移の指輪を発動させようとし――マーレも同じ指輪をしていることに気付いた。

 

「おや、マーレ、お前も転移の指輪をしているのか?」

「は、はい。モモンガ様からい、頂いたのですが、あ、あの……いけなかったでしょうか?」

 

 マーレは狼狽えて、左手の薬指に嵌めた指輪を隠すように、そっと右手で覆う。

 

「いや……そうか、良かったな」

「は、はい……えへへ」

 

 嬉しそうに笑うマーレを見て、ブルー・プラネットは一抹の不安を覚える。この少女の装いをした美しい闇妖精の少年に対してモモンガがどんな感情を抱いているのか……

 

(まさかとは思うが、モモンガさん……ペロやぷにに毒されたりしてないだろうな?)

 

 モモンガが跪いて幼い闇妖精の薬指にそっと指輪を嵌める姿を幻視し、ブルー・プラネットは顔をブンブンと横に振る。

 

「それじゃ、あたしはマーレの指輪で転移します。場所は、巨大樹のあたし達の住居前でよろしいですか?」

 

 マーレの指輪に気付いたブルー・プラネットの微妙な表情に気を利かせ、少し残念そうな表情でアウラはブルー・プラネットの脇から身を離す。

 

「ああ、巨大樹だね。分かったよ」

 

 ブルー・プラネットは頷く。第六階層でも一際目立つ巨大樹ならばよく覚えている。引退後に改変がなされていないとしたらの話だが。

 

 手をつないだアウラとマーレの姿が掻き消え、ブルー・プラネットもそれに続く。

 一瞬の揺らめきの後、ブルー・プラネットは第六階層の巨大樹の前に立っていた。

 

「……ふふっ」

 

 巨大樹を見上げてブルー・プラネットは笑いを漏らした。ギルド<シャーウッズ>の巨木たち、<アインズ・ウール・ゴウン>に加入してからの冒険……今となっては懐かしく、楽しい思い出だ。

 そんなブルー・プラネットを不思議そうに双子は見上げ、その視線を感じてブルー・プラネットは現実に引き戻される。

 

「それでは、この樹を起点にして調査を始めたいのだが、何かその前にあったら教えてくれ」

 

 ブルー・プラネットの言葉に、アウラがモジモジとしながら答える。

 

「あの、ブルー・プラネット様……よろしければ昼と夜を元に戻していただきたいのですが……いえ、あたし達は良いんですけど、シモベたちの睡眠のリズムがちょっと……」

 

 アウラの言葉に、ブルー・プラネットは空を見上げる。巨大樹の枝に隠れて空は見えない。

 後ろを振り返る。美しい夜空が広がっている。

 

 ブルー・プラネットは自分の顔を枝でピシャリと叩いた。

 

(あちゃー、元に戻すの忘れてたわ)

 

 生態系がどうのこうのとモモンガさんに偉そうなことを言った傍からこれだ、とブルー・プラネットは恥じる。自分で生態系を乱していたら世話がないと。

 

「すまない……すぐに戻る」

 

 ブルー・プラネットは自分の居室に戻り、部屋に保管しておいた王笏を装備する。

 そして、再び巨大樹の前に転移するとアウラとマーレに微笑みかけ、王笏を空に掲げる。

 

 グルリと天球が回転し、夜が昼に変わる。

 

「今は1時すぎだな?」

 

 自分でも時計を確認し、王笏で天球の設定を弄りながらブルー・プラネットは2人に聞く。

 

「はい、えっと、今は1時28分です」

「いちじ にじゅう はちふん です」

 

 時計を弄るアウラの声に懐かしい声が重なる。双子の創造者、ぶくぶく茶釜さんの甲高い(若作り)声だ。

 

「おおっ……アウラ、その時計はモモンガさんから貰ったのか?」

「はいっ! モモンガ様から頂きましたっ!」

 

 創造主の声に耳を垂らし顔を蕩かせていたアウラが驚いたように声を張り上げる。

 

「そうか、お前たち、色々と良いものを貰っているな」

「はいっ!」

 

 アウラが嬉しそうに答える。その横でマーレもコクコクと頷いて指輪をさする。

 

 ブルー・プラネットは幸せそうな幼い双子を眺め、モモンガを羨ましく――そして尊敬の念を抱く。自分の意志をもったNPC達……彼らに自分が出来ることは何なのだろうかと考えて。

 

「お前達……私もお前たちに何かやれれば良いのだがな」

 

 ブルー・プラネットは枝を伸ばし、双子の体を抱きしめる。

 

「ブルー・プラネット様……そんなお気遣いは……私たちは至高の御方々のお側にいられるだけで幸せなんですから」

「あ、あの……そうです、お姉ちゃんの言うように、ブルー・プラネット様がいらっしゃるだけで僕たちは幸せです」

 

 抱きしめられた双子は一瞬驚いた顔を見せたが、すぐにトロンとした表情に変わり、口々に自分たちは幸福であると述べる。

 

「ありがとう……お前達のようなシモベがいてくれて、私も幸せだ」

 

 ブルー・プラネットはそう言うと気恥ずかしくなり、2人を放して言う。

 

「それでは、調査を始めようか。まず、最初に――」

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

「アウラ、マーレ……樹に入っている状態で私の居場所が分かるか?」

 

 第六階層の巡回を始めるにあたり、ブルー・プラネットは樹の中に融け入って見せた。

 

「は、はい。僕もそのスキルは使えますから……で、でも、どこにいるかというと、その……」

「あたしも……『何かがいる』ことは分かりますし、スキルを使って集中すればブルー・プラネットの気配は感じることが出来ます。でも、どの樹を特定するまでは難しいですね」

 

 マーレとアウラの声を巨大樹に付けたアイテムによって聞き、ブルー・プラネットは近くの一本の樹に意識を集中する。

 その瞬間、双子は同時に声を上げる。

 

「あっ、そこです! 今、分かりました」

 

 双子が指さした樹の中からブルー・プラネットが現れる。

 

「なるほど、高位のドルイドとレンジャーであれば、私の存在を察知することが出来るのだな」

 

 ブルー・プラネットは疑問の1つが解け、満足そうに頷く。

 そして、アウラにアイテムをもたせ、自分は樹の中を進むので先導を頼むと伝える。

 

 アウラはお気に入りのペット――フェンリルを呼び出し、マーレと共にそれに乗って第六階層の森の中を滑るように移動し始める。フェンリルのスキル「土地渡り」によって鬱蒼と茂った森の中を、一本の草木も損なうことなく。

 ブルー・プラネットは樹に融け入り、双子の後を追う。樹の中であれば周辺の森の状態が手に取るように分かる。どの樹が病気なのか、水分を欲しているか――幸いなことに、巨大樹周辺の森は極めて良好な状態に保たれていた。

 

 双子の位置、そして周辺の視覚情報もアウラに持たせたアイテムによって手に取るように分かる。このアイテムは双子がもともと装備している通信用アイテムの原型であり、ブルプラ達に持たせていたものだ。しかし、感覚器として持つ者が違うためだろうか、得られる情報はブルプラ達に使っていたときよりも遥かに多く、ブルー・プラネットが直接視認するのとさほど変わらない。

 

「御視察のルートは、あたしがいつも巡回するルートでよろしいですか?」

「ああ、そうだな。そうしてくれ」

「はい! それでは飛ばします。フェン、いくよ!」

 

 アウラが元気よくフェンリルに声をかける。

 フェンリルは一声吠えて了承の意を示すと、飛ぶような速度で走り出す。

 アウラの視界を通じて木々がブルー・プラネットの目の前をすり抜けていく。

 

 スキルによって木の枝は自然にアウラ達を避け、その身に傷を負わせることはない。もっとも、100レベルの肉体をもつアウラ達には、たとえ太い枝がその眼にぶつかったところで何の痛痒も感じないだろうが。

 アウラの視界には全くブレは無い。本人も恐怖を感じていないのだろう。

 

 ブルー・プラネットも猛スピードで飛んでくる小枝の一つ一つまではっきり視認できる。それでいて全く恐怖を感じない。本能で今の身体の性能と魔法の効果を理解しているのだ。今のブルー・プラネットは100レベルの植物系モンスターなのだから。

 

(怖い……はずなのだがなあ)

 

 ブルー・プラネットは違和感を感じる。

 ユグドラシル時代は「仮想現実ではダメージを負わない」と分かっていても、やはり目の前に木が迫ると反射的に避けていた。その記憶とのギャップに戸惑う。

 設定上は超人的能力をもつモンスターでも、中身は平凡な人間であり恐怖を感じる――それがゲームとしての楽しみだったのだ。

 

「アウラはこの道でケガをしたり、怖い思いをしたことはないのか?」

「もちろん無いですよ!」

 

 あたしはこの階層の守護者ですから――そんな自信と誇りを浮かべた笑顔でアウラは即答し、ブルー・プラネットは愚問だったと思う。

 

「そうか、そうだな」

 

 それが当然なのだろう。いかに幼く見えても、アウラはそう創られた存在なのだから。

 

「すごいな、アウラは」

「とんでもないですよ。これが私に命じられたお仕事ですから」

 

 超常的な能力を自然に受け入れて疑問にも思わないアウラをブルー・プラネットは羨ましく思い、そんなブルー・プラネットにアウラは無邪気な顔を向けて笑う。

 仕事の出来を褒められたのだと思ったのだろう。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 やがて、やや開けた場所――10軒ほどのログハウスと畑のようなものがある場所に着く。

 近くには見慣れない果樹が赤い実をつけている。果樹園なのだろう。

 それらの樹が地上の――この世界のものであることはすぐに分かった。何というか……ブルー・プラネットには上手く説明できなかったが、感覚的に「濁っている」のだ。地上の森を転移していたときは気が付かなかったが、第六階層のユグドラシル由来の樹々と比べるとその違いは明らかだ。

 地上の樹には、第六階層の森には無い何か不純物のようなものが含まれている。

 

(この世界の本来の成分なのかもしれないな)

 

 この世界にはユグドラシルとそうでないものが混在している。魔法の性質も異なる。ナザリックの原料でこの世界の回復ポーションを作ると紫色になるらしい。

――モザイク状に入り混じったこの世界についてブルー・プラネットはあらためて首を捻る。

 

「アウラよ、お前はこの果物を食べたことはあるか?」

 

 ブルー・プラネットは樹から実体化して果樹を指さし、アウラに問いかけた。

 

「はい、でもあまり美味しくありませんね。味が薄いし、何かこう……舌に残るんです」

 

 アウラが舌を出し、顔を顰めて答える。

 それを聞き、ブルー・プラネットは帝都でナーベラルが言っていた言葉を思い出した。

 

(雑味が除けていないとか言っていたな。それはこの世界の成分に因るのかも……)

 

 ヘッケラン達はナザリックの食事を美味いと言っていた。調理の技術に因るところも大きいだろうが、ひょっとしたら素材の違いが影響しているのかも知れない。

 ナザリックの食事は元の世界の食材をモデルとしてユグドラシルの魔法によって作られているが、それはこの世界の人間の栄養になるのだろうか?

 それとも、この世界の人間にはやはりこの世界の本来の成分が必要だろうか?

 捕虜たちが痩せてきたら地上の食材も混ぜてみるべきだろうな。

――ブルー・プラネットは頭を悩ませる。

 

「ブルー・プラネット様、ここでリザードマン達が暮らしているんですよ。あ、来ました」

 

 ブルー・プラネットの思考をアウラの明るい声が破った。

 目を遣ると、何匹かのリザードマン――直立したトカゲのような生物が小屋から出てきたところだった。リザードマン達は皆、尻尾を地面に引きずり、眠たそうにしている。

 

「あ……アウラ様、マーレ様、おはようございます」

「おはようじゃないわよ! 今何時だと思ってんの!?」

 

 アウラがリザードマンを叱り飛ばす。

 

「も、申し訳ございません! 先ほどまで夜だったのですが、突然明るくなって朝になったのかと……」

 

 リザードマン達は青空高く昇っている太陽を見て、しどろもどろに弁解をする。

 

「あーもう! ハムスケは? ブルー・プラネット様がいらしたのよ!」

「は、はいっ! 今起こしてきます!」

 

 リザードマンが慌てて小屋に戻り、やがて眠そうな巨大ハムスターを連れて戻ってきた。

 

「おおっ! ブルー・プラネット殿ではござらんか! お越しくださり光栄でござる!」

 

 ブルー・プラネットの姿を認め、丸くなり縮こまるハムスケの言葉に、リザードマンたちはざわめく。言われてみればアウラ達の後ろに小さなトレントが立っているが、何か偉い存在なのだろうかと。

 

「そうよ、あんたたち、至高の御方の前で見苦しい様子を見せないように!」

 

 アウラがブルー・プラネットを手で示し、リザードマン達はようやくその緑色の膜を羽織った奇妙な樹の魔物がこの墳墓の最高位の存在だと気が付く。

 

「は、ははー! ぶるーぷらねっと様! お見苦しいところ、失礼いたしました!」

「ああ、良い。楽にするがいい。私はブルー・プラネットという。モモンガさんの友人だ」

 

 平伏するリザードマンとハムスケに向かってブルー・プラネットは枝を振り、それに応じて第六階層の住人たちは身を起こす。

 

「本日はどのようなご用件でブルー・プラネット様がお越しになられたのでしょうか?」

 

 訳が分からないといった顔でリザードマンたちは質問をする。

 

「ああ、私は長らくこの階層を留守にしていたので、その点検にな……お前達が最近この階層に入植してきたリザードマンか?」

 

 事態をまだ呑み込めないでいるリザードマンが答えようとする前に、ブルー・プラネットの質問にアウラが答える。

 

「はいっ! この者達は湖の近くの村から連れてきた者達です。コキュートスが見所のある者達だと言ってました!」

「ほう、コキュートスが……ちょっとその経緯を話してくれるか?」

 

 ブルー・プラネットの質問に応え、アウラが説明する。森の中の湖のほとりでリザードマンの集落を発見したこと、コキュートスを中心として戦い、その中で何匹かのリザードマンを復活させて第六階層に住まわせていること、等々を。

 

「ほう、なるほど……そうか。それで、リザードマンの食事は……その果物なのか?」

「いえ、主食は魚らしく、ダグザの大釜で作った魚をあたしが配ってます」

「なるほど。しかし、あれは安いとはいえコストが掛かるのではないか?」

「ええ、それでリザードマンの村で魚を養殖中です」

「ほう、養殖まで……それはすごいな。そのリザードマンの村も見てみたいものだ」

「はいっ! お命じいただければご案内いたします!」

 

 ブルー・プラネットの感心した呟きにアウラが元気よく返事をする。

 周囲のリザードマン達は話についていけず、口を開いて事態の推移を見守っている。

 

「ふむ、頼めるか?」

「はいっ、もちろんです! いつもはコキュートスが管理していますけど」

「そうか……いや、モモンガさんにまず話を聞いてみよう」

 

 勝手に外部にNPCを連れ出すのは気が引ける。コキュートスに管理させているというなら尚更、勝手なことをするわけにはいかない。

――そう考えてブルー・プラネットはモモンガに<伝言>を繋ぐ。

 

「もしもし、モモンガさん?」

『はい、ブルー・プラネットさん、なんですか?』

「今ですねぇ、第六階層のリザードマンの話を聞いているんですが、外の世界のリザードマンの村も見てみたいんですけど」

『あ……』

 

 <伝言>で頭の中に響くモモンガの声が途切れた。

 

「もしもし? モモンガさん?」

『あ、あのですね……リザードマンの村、ちょっと後回しにしてもらっていいですか?』

「はい? ええ、構わないですけど、何か問題があるんですか?」

『いえ……そう……ちょっと問題があるんです』

「手伝えることでしたら手伝いますけど?」

『いやぁ……あの、そうです、コキュートスに任せているので、彼がどこまで管理できるか様子を見ているところで……』

「あー、なるほど。そういうことですか。分かりました。それではリザードマンの村は落ち着いた後で見に行きますね」

 

 今度こそ<伝言>が切れる。

 

「モモンガさんの話では、今はちょっと都合が悪いらしいな」

 

 ブルー・プラネットが残念そうに言うと、アウラとマーレは申し訳なさそうな顔をする。

 

「そうですか。モモンガ様の仰ることでしたら仕方がありませんね」

「そ、そうですね。お、おねぇちゃんの言うとおりだと思います」

 

 ブルー・プラネット様との外出の機会が潰れたのは残念だ。しかし、ナザリックの最高支配者、至高の御方々の長であるモモンガ様が許可しないのでは仕方がない――そんな顔をしてアウラとマーレも諦める。

 

「ま、仕方がないさ。また今度にしよう」

 

 ブルー・プラネットは耳を垂らして俯いた双子の頭をポンポンと叩いた。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 モモンガは、居室で独り大きく安堵の息を吐く。

 

「ああ、良かった……リザードマンの村に行かれたら――」

 

 モモンガの脳裏にリザードマンの村の光景が浮かぶ。花で飾られ、杖を天に振りかざす、モモンガの雄々しい立像を。

 

 机の書類の山に突っ伏して両手で頭蓋骨を押さえ、骸骨は独り悶える。

 

「――あんなの見られたら死んでしまう!」

 

 NPC達の前では支配者気取りを恥ずかしいと思う感情も薄れてきたが、かつては人間同士だった仲間の前でそれは恥ずかしすぎる。

 

(神様気取りかよって……実際そうなんだけどさ!)

 

 力を崇拝するリザードマンを支配するには、その力の象徴を置くのが最も効果的だ。

 超越的な魔法を放つ絶対の支配者――その姿を象った神像が、リザードマンの村には置かれている。そして、敬虔な信者となったリザードマン達は毎日それに魚や果物を捧げ、花で飾り付けているらしい。

 

「どうするか……あの像を片付けたら、リザードマン達の忠誠心に影響があるかもしれない。何かあったのだろうかと勘ぐる者がでれば、コキュートスによる統治にも影響があるかもしれないな……」

 

 悩むモモンガは部屋をうろつきまわり、やがて一つの結論に達する。

 

「こうなりゃ、ブルー・プラネットさんの像も立てちまえ! ふっふっふ……『恥は道連れ』ですよ!」

 




「恥は道連れ、余の情け」
「モモンガ様、それはどのような意味でございましょう?」
「うむ、昔、徳のある王が部下の失敗に自分も失敗して見せた、とかだな」

※捏造設定
ナザリックのNPC達はトイレになんか行きませんよ!


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第28話 第六階層巡回-その2

 ブルー・プラネットは、リザードマンとハムスケをしげしげと眺める。

 この者達は外から来た者達(外来種)だが、その村に行くことはモモンガから待って欲しいと言われた。

 ならば、今は色々と話を聞くしかない。

 

「お前たちはここに来てもう数か月になるのだな?」

「はい、左様でございます」

「ほう……それで、リザードマン達はこの階層で何をしているんだ?」

「はっ! コキュートス様に剣術を教えていただいています」

 

 リザードマンの1人が答える。周囲のリザードマンを見ると、どうやら彼が代表らしい。

 

「ええ、モモンガ様が外の世界でも戦力を充実させるようにとご計画されたんです」

 

 横からアウラが補足した。

 

「そうか……分かった。それで、リザードマン達に聞きたいのだが、トイレはどうしている?」

「といれ……ですか?」

 

 リザードマンは不思議そうに尋ねる。どうやら「トイレ」という概念が通じないようだ。

 

「ああ……魚を食って、出すものはどうしてるんだ?」

「はっ……その……糞は森の奥に行ってしておりますが……」

 

 リザードマンが躊躇いがちに言い、ハムスケも横でふんふんと鼻を鳴らして頷く。

 

「そうか……案内してくれるか?」

「いけません! そんな……あ、あの……ご、ごめんなさい……で、でも……」

 

 ブルー・プラネットの言葉に大声を出したのはマーレだった。

 驚いて目を向けると、マーレはもじもじとしながら非礼を詫びる。

 

「マーレッ! ……でも、あたしも……そんな不浄の場に至高の御方が行くのはちょっと……」

 

 アウラが弟の非礼を窘め、それでも同じように至高者の言動にもじもじと反対の意を唱える。

 

「そうか、お前たちが反対するのであれば行くのは止めよう」

 

 ブルー・プラネットも敢えてシモベたちの心情を――至高者から不浄を遠ざけようとする気持ちを汲んで、リザードマンの生態調査を諦める。

 

「あ、ありがとうございます。そ、それと……ごめんなさい」

「申し訳ございません。あとできつく叱っておきますから」

 

 ブルー・プラネットの溜息を耳にして、アウラとマーレが跪き口々に不敬を詫びる。

 

「気にするな。お前達が私を思う気持ちは十分に分かる。ただ、私はこの世界の者達の生態を知りたくてな――」

 

 つまらないことで委縮させてしまったか――そう考えてブルー・プラネットは弁解をする。

 

「――それで、リザードマンよ。お前たちの糞はどうなっているのだ?」

 

 ここでリザードマンは気が付く。

 この聖域を自分達が汚してしまったことを、この至高者は咎めているのだと。

 

「申し訳ございません。我々は他にやり方を知らないもので……最近はしておりませんし……その……」

「構わん。生物であれば当然のことだ。それより現状を知りたいのだが」

「はっ! その……一か所でするようにしておりますが、定期的に糞が消えています」

 

 平伏したまま答えるリザードマンを見て、ブルー・プラネットは首を傾げる。

 そして、何故そんなことが起きるのか答えを求めてアウラ達を見回す。

 

「あ、あの……そ、それは僕の魔法で定期的に大地を浄化しているから……だと……」

 

 答はマーレが持っていた。

 ブルー・プラネットは、ああ、と枝を打ち鳴らし、頷く。

 

「そうか、第六階層の調整はマーレの魔法でやってくれているのだな」

 

 跪いて不敬を詫びたままのマーレの頭を枝で撫でる。

 マーレは枝の感触に驚いてブルー・プラネットを見上げ、は、はい、と上ずった声で答える。

 

「よし……お前達、立って良い。お前たちの制止は不敬ではない。全て許そう」

 

 アウラとマーレが、そしてリザードマン達もホッとしたように立ち上がる。

 

「それでは、マーレよ。今後、お前が調整せずとも済むよう、私が第六階層の設定を変えよう」

 

 かつてのギルド武器<星の王笏>を取り出して意識をそれにつなぐ――第六階層の設定を示すマスターソースが空間に浮かび上がる。

 思い起こせば、引退したときに第六階層は常に晴天にしておいたのだ。ゲームの世界ではそれで十分だった――しかし、今やこの世界は生きており、外からの生物も入ってきている。固定された環境が好ましいはずがない。

 

 ブルー・プラネットはマスターソースの設定をなぞりながら変更を説明する。

 

「毎日0時に大地の状態を<浄化>するようにしよう。そして1日おきに1時間、17時から18時まで10ミリの雨が降るようにする。毎日、朝と晩にランダムに3分の1の確率で曇りになる。それで問題はないか?」

 

 マーレが何度も頷くのを確認し、そしてアウラを見る。

 

「はい、問題ありません」

 

 笑顔と共に元気の良い声が返ってくる。

 アウラとしては、至高の御方が何をしようと問題はないのかも知れないが。

 

「よし」

 

 ブルー・プラネットが地面に王笏を突き立てる。設定変更を適用するために必要な操作だ。

 ちょうど『曇り』の確率に当たったのだろう。王笏が大地に刺さるとともに第六階層の青空にポツリと灰色の雲が現れ、それは見る間に全天を覆いつくす。

 

「おお……」

 

 空を仰いだリザードマン達が感嘆の声を上げる。

 

「質問をお許しください……先ほど夜が昼に変わったのも、ブルー・プラネット様のお力なのですか?」

 

 リザードマンの代表が恐る恐る声を上げる。

 

「ああ、そうだ。お前達には迷惑をかけたな」

 

 ブルー・プラネットの返答に、リザードマンの代表は口をカパッと開けたまま絶句する。

 彼の妻となったクルシュから天候を操作する魔法があることは聞いており、先日の戦いではアインズと名乗る神が一瞬で湖を凍らせる奇跡を示した。

 しかし、この新たに現れた樹の神は夜と昼を入れ替えることが出来るという。それも気安く。

 もはやリザードマンの脳では理解することはできなかった。いや、この世界で理解できる者がいるとは思えない――たとえ伝説に聞くドラゴン達であっても。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 ブルー・プラネットはアウラとマーレを交え、第六階層の住人たちから更に話を聞く。

 目の前に広がる果樹園や畑の世話をしているのはリザードマン達ではなく、ドライアードやトレントといった植物系モンスターが中心だという。

 そして、肥料はリザードマンの糞ではなく、マーレが魔法で大地に活力を与えているらしい。

 

(栄養はどうなってるんだ? 窒素・リン酸・カリ……って)

 

 星の王笏によって自動的に大地を肥沃化する設定を弄りながら、ブルー・プラネットは考える。

 

 この第六階層に元々ある樹々については納得できる。それらはそのように創られたものだ。

 だが、この世界から移植された樹々はどうなっているのだろうか――それが疑問だ。

 

 ユグドラシルにおいて「肥沃な土地」とは単なるデータ、ここにある植物はこの速度で成長する……それだけの取り決めであり、今弄っている設定もそれだけのものだ。

 

 だが、現実の土壌はそんなに単純なものではない。栄養素、水分量・酸性度など様々なパラメーターが複雑に影響する。各成分はミミズなどの小さな土壌生物、バクテリアなどによって化学変化を受け、一時として同じ状態に止まらない。土はそれ自身が生きているのだ。例え土壌に浸み込んだ毒物を除去しても、死に絶えた土壌生物は帰ってこない。だからこそ元の世界では「死んだ土」を蘇らせるために苦労し――諦めたのだ。

 

 それがどうだ。ユグドラシルの仮想現実が実体化したとして、その土壌成分がこの世界の生物が要求するものと一致するなど、天文学的に低い確率だ。

 

「ドライアードたちは、土の状態について何と言っている?」

 

 アウラとマーレに質問する。

 トレントとなった自分で味見をしてもよいのだが、すでに<維持の指輪>によって水分補給の必要はなく、なにより自分はこの世界の生物ではない。この世界の生物の意見が必要だ。

 

「あ、あの、とても美味しくて、最近太ったとか言ってました」

 

 マーレが答え、なるほど、とブルー・プラネットは考える。

 自分も、そして外界から入植したというドライアードも、現実の世界ではありえない「魔法生物」である。ならば、魔法で調整された養分と相性が良いのかもしれない、と。

 

 ブルー・プラネットは手元の土を掬った。

 ミミズを探す――見当たらない。ダニやトビムシなど肥沃な土壌には多い生物が一匹もいない。

 この世界の森で初めて土を手に取ったとき、そこには無数の生命が感じられたのとは対照的だ。あの時観察できた蟲達もいない。

 

「ふむ……」

 

 土の匂いを嗅ぐ。菌類などの微生物による「生きている土」特有の匂いが無い。

 すでに数か月が経つというのに菌類すらいないとは、<浄化>で消滅したか、あるいは――

 

 ブルー・プラネットはユグドラシルのシステムを考えて仮説を立てる。

 

――微小な生物は魔法との相性が悪い、ということなのだろう。

 

 ユグドラシルでは目視可能なサイズのキャラクターしか存在しなかった。地面があり水があり空気もあるが、そこには微生物はいない。サーバーの演算能力の限界から当然のことだ。

 

(では、外界の蟲や微生物は、この世界本来の成分で生きているのだろうか)

 

 それならば、第六階層で見当たらないのも納得できる。ユグドラシルの土は蟲達の栄養にならない可能性がある。寂しい気はするが、<浄化>の魔法で外来の蟲達や病原菌を消せる、あるいはそもそも生育しないのならば、第六階層の生態系を守るうえで便利だ。

 

 あらためて赤い実をつけた果樹を見て、ブルー・プラネットはアウラとマーレに質問する。

 

「この実は、何か魔法の効果はあるのか?」

「いえ、特に効果はありませんでした。モモンガ様の御鑑定でもレア度が低い果物のようですけど……」

 

 アウラとマーレは顔を見合わせ、アウラがおずおずと答える。

 

 ブルー・プラネットは手を伸ばし、果実を一つ取ってしげしげと見る。そして齧る。

 甘酸っぱい味が広がる。薄味だ。そしてザリザリと砂っぽい。何の効果もないようだ。

 

(美味くは無いな)

 

 残りは土に還すことにした。そしてこれまでのことを思い返す。

 

 ヘッケラン達はナザリックの食事を食べていた。

 ブルー・プラネットのポーションや魔法は人間達に効いた。

 そして、この世界の普通の樹が第六階層で育っている。

 

(ある程度大きな生き物たちはユグドラシルの魔法的性質を帯びているとしか考えられないな)

 

 生物だけではない。物質そのものも――ミスリルやオリハルコン、アダマンタイトなどユグドラシルの中でしか存在しなかった魔法金属が存在する。そして、自分はこの世界の水を飲んで渇きを癒したのだ。

 

(いや、ナザリックの階層間の移動は魔法による転移が必要なことと関係する可能性もあるか)

 

 ブルー・プラネットは仮説をまとめる。

 

 まず、人間やモンスターにはユグドラシルの魔法との親和性があり、蟲や微生物にはそれがない――これは、シャルティアやデス・ナイト達のようなアンデッドの屍肉がいつまでも腐りきらないことの説明の1つにもなるかもしれない。外界でモノが腐敗するのは、そのものの魔法的性質が失われた――例えば死によって――ときだ。

 

 全く逆の可能性として、微生物は魔法に対して過敏ということも考えられる。<浄化>などの魔法によって消滅している可能性だ。ユグドラシルのポーションで病気が治ることはこの考えを裏付ける。

 

 最期に、魔法による転移で外界の微生物がついてこれない可能性だ。この場合、転移によって付いてくるモノ――例えば体内の糞――は無菌状態なはずだ。

 

「ふむふむ……面白いな」

 

 ブルー・プラネットは唸り、検証実験を計画する。

 

 まず、第六階層の土を外部に持っていき、そこで菌類や土壌生物が繁殖できるかを調べる。

 そして、外界で<浄化>を掛け、そこの土の微生物が消えるかを調べる。

 さらに、外の土を転移によって持ってきて、菌類や土壌生物が移動するかを調べる。

 微生物と一口に言っても様々な種類のものが存在する。1回の実験で結論は出ない。多種多様なサンプルが必要だ。

 

(これは忙しいぞ)

 

 ブルー・プラネットは元研究者として血が騒ぐのを感じた。

 だが、どこで実験をするか――外部での実験室が必要だ。

 デミウルゴスが外部で動物を飼育しているとも聞く。モモンガさんは羊だとかキメラだとか言っていた。

 

(デミウルゴスの牧場で羊を貰い、解剖や腸内微生物の採集をさせてもらおう)

 

 そう考えて、心のスケジュール帖に書き込む。リザードマン達――第六階層の者も湖の近くにいるという者もナザリックの庇護下にある知的生物だから解剖実験には使えないと考えて。

 

「なあ、アウラ、マーレ……明日は外の世界で動植物を採集してみたい。また、ここの土を少しばかり外の世界に持っていって実験したいのだが、そういうことが出来る場所に心当たりはあるか?」

 

 ブルー・プラネットの質問に、アウラとマーレは再び顔を見合わす。

 そして、アウラが首を傾げながら口を開く。

 

「申し訳ございません、ブルー・プラネット様がどのような実験をお考えなのか分かりませんが、トブの森の中にあたしが造った施設がありますから、そこに行ってみましょうか?」

「……本当に、お前達には世話をかけるな。よし、それではこの後でモモンガさんに予定を話してみよう」

 

 ブルー・プラネットが喜んで双子の頭を撫でると、アウラとマーレは首をすくめて嬉しそうに顔を蕩かした。

 そんな双子を見て、ブルー・プラネットはもう一つ、重要な問題を思い出す。

 どちらに聞くべきか――ブルー・プラネットは悩んだ末に、両方に問いかける。

 

「あの……つかぬことを聞くが、お前たちはトイレに行くのか?」

 

 顔を蕩かしていたアウラとマーレは、えっ? というような顔でブルー・プラネットを見上げた。顔を赤らめて視線を左右に動かしていることから「トイレ」という概念はあるようだ。

 

「あ、あたしたちはトイレに行ったことはありませんよ?」

「ぼ、ぼくも……です。あ、あの、それが普通なのかなっ……て思ってました」

 

 双子の言葉に嘘はない――ブルー・プラネットはホッと息を吐き、独り頷く。

 トイレが必要なのは、ヘッケランたちやリザードマンたち外界からの者だけだ。

 それが当然だ。ナザリックにはトイレはない。メイドたちも守護者達も「トイレに行く」ようには創られてはいない。

 

 そして自分も――ブルー・プラネットはこの世界の「水」を自然に受け入れ、空腹感を感じないことを思い出す。意思と知識をもったNPC達、ユグドラシルの設定に上書きされたようなこの世界――作られたキャラクターとしての力をもつ自分は何なのだろうかと。

 

(人間の魂……か)

 

 姿も能力も仮想のものであるユグドラシルにおいて、自分の心だけは現実世界に由来した。

 元の世界の記憶――それこそが自分とNPCを区別するもの、生きた人間であったことの証だとブルー・プラネットは枝となった自分の手を握りしめる。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

「あっ、そろそろ来ましたね」

 

 アウラが顔を上げ、森の方を見る。

 ブルー・プラネットも足音を察知して森を見る。

 まだ樹の陰に隠れて視認はできないが、その足音から小柄な人間――いや、やや硬い皮膚をもつ――動く樹が1体。そして、それに遅れて同じような小柄な樹が幾つかと、大きな樹もゆっくりと歩いてくる。

 

 やがて、先頭の足音の主が森を抜け、姿を現す。

 

「やっほー、ピニスン! 今日は大事なお客様がいらっしゃるから急いで!」

 

 アウラが口に手を当て、その者――ドライアードを呼ぶ。

 呼ばれたドライアードは急いで駆けてくる。

 

(へぇ、かわいい子だな)

 

 ブルー・プラネットは一瞬そう思い、その直後、ドライアードを「かわいい少女」と認識してしまった自分に気づいてショックを受けた。そして、この世界に来たばかりの頃、誤って大木を殴り倒して樹に「同胞」のような感覚を確かに感じたことを思い出す。

 

「俺は人間であると同時にトレントなのか」――能力だけでなく感性まで。

 

 人間としての自覚が早速揺らぎ、困惑しているブルー・プラネットをよそに、誇らしげにアウラが紹介する。

 

「この方が、第六階層を管理されるブルー・プラネット様なの! どう? 素敵でしょ!」

「ブルー・プラネット様……ですか! はじめましてピニスン・ポール・ペルリアです」

 

 ドライアードは驚いたようにブルー・プラネットを見上げ、周囲の神妙な面持ちをしたリザードマン達を見回す。

 

「ピニスン……か。よろしくな」

 

 ブルー・プラネットは、あらためてドライアードを観察する。

 その姿はまるで抽象化された人間の少女の裸像だ。艶やかな木の肌は健康的な日焼けを思い起こさせ、新緑に彩られた蔦が流れる髪となってその身に絡みつき、幅広い葉が胸や下腹部を覆っている。まさに「森の生命」を少女の形に託した――そんな姿だ。ユグドラシルにもいたモンスターだが、この世界で具現化した姿は当時よりも遥かにリアルで艶めかしい。

 

(セーフ! 見た目、人間っぽいからセーフ!)

 

 ぷにっと萌え、スーラータン――何人かの友人は合成樹脂で作られた精巧な少女の人形をコレクションしていた。特に漫画家を目指していたホワイトブリムは自らのスケッチを元に大量に人形を製作しており、デジタルデータとして持ち込まれたそれがメイドたちのデザインの基礎となった。 そのような人形は多くが非現実的にデフォルメされた顔貌をしており、ユグドラシルのモンスター少女をデフォルメしたシリーズ「ユグドラシル・コレクション」も一時期大いに話題になったものだ。

 

(これを「かわいい少女」と感じるのは正常な範囲!)

 

 ブルー・プラネットは必死で納得しようとする。人間としての誇りを守るために。

 

 そして、もう一つの疑問が生じる。

 では、この植物系モンスター――シモベとして創造された者ではない――から見て、今の自分は何に見えるのか、だ。

 

「お前から見て、私はどう見える?」

 

 ブルー・プラネットは、目の前の「少女」に問いかける。

 

「えっと、うん、とっても素敵な方だと思います。御側にいると……なんて言うんだろ? 幸せな気持ちになって、すごく勇気が湧いてきます」

 

 ピニスンの返答は、ユグドラシルのキャラクターとしては正しい。ブルー・プラネットは、トレント種として周囲の植物系モンスターをコントロールする能力があり、コントロールされたモンスターは自動的に能力が向上する。さらに、今の装備はその効果を拡張・強化するものだ。

――納得してブルー・プラネットは頷く。

 

「でも、ブルー・プラネット様は……あの、トレントですよね?」

「ん、分かるか? 一応はトレントだが、外装はかなり弄っているからな」

 

 種族についてのピニスンの見立ては、ブルー・プラネットの外見からすれば当然のものだ。今の姿を見て「人間ですね」と言われたら、その方がおかしいだろう。

 

「はい、でも、ボクが知ってるトレントって、もっと大きい……」

 

 ブルー・プラネットの背後から危険な空気が広がり、ピニスンの言葉が突然途切れる。

 振り返ると、アウラとマーレが「文句があるのか」という顔をして、武器を――アウラは鞭に手を掛け、マーレは杖を振りかざしていた。

 

「はは、いや、いいよ。うん、実はね。私はトレントだが、仲間たちと合わせるために体を小さくしたんだ」

「あ、あの! そうですか! そんなことが出来るんですか! やっぱり凄いですね! 流石は至高の御方です! 至高の御方バンザイ!」

 

 ブルー・プラネットとピニスンは慌てて取り繕い、闇妖精の双子は黙ったまま武器を収める。

 だが、ピニスンの言葉は半分は本心である。自分で自分の姿を変えることが出来るトレントなど聞いたことが無い。

 

「はぇー、すごいですね。やっぱり至高の御方って僕らとは全然違うんだ」

 

 ピニスンの言葉に、アウラとマーレは「当たり前でしょ、何をいまさら」と言いたげな顔をする。呆れてはいるようだが、一応怒りは収まったらしい。

 ブルー・プラネットは、枝を振って双子を少し下がらせ、ピニスンとの会話を続ける。

 

「お前は、えっと、ピニスンはドライアードだな」

「はい」

「外の世界から来たらしいな。この森に他に仲間はいるのか?」

「えっと、仲間っていうか、何人かドライアードはいます。トレントも何人かいます」

「そうか……あっちの奥に動いているのがそれだな?」

「は、はい! あの、急いで呼んできます」

 

 まだ森の奥にいる同類たちの存在を言い当てられたピニスンは目を丸くして叫ぶ。

 

「いや、それには及ばない。お前ひとりで十分だ。ちょっと実験に付き合ってほしいのだが」

「うぇ、いえ、はい、なんでもなさってください」

 

 ピニスンは諦めきった顔で答える。世界を滅ぼす化け物を簡単に滅ぼす化け物たちが犇めくこの場所ではどうせ拒否権はないのだ、と。

 

「そうか、それでは――『行進』」

 

 ブルー・プラネットは植物系モンスターをコントロールするスキルを発動させる。

 何か見えない糸が噴き出る感覚があり、それがピニスンに繋がる。

 

「え? あれ? あれぇぇぇ! うわぁぁ! なんだなんだ!」

 

 ピニスンの手足が勝手に動き出し、歩き始める。ピニスンは困惑の叫び声を上げる。

 

「ちょっとピニスン!少しは静かにできないの!?」

 

 相変わらず騒がしい奴だ、と呆れてアウラが叫び、慌ててピニスンは口をつぐむ。

 

「あの、えと、ごめんなさい、あの子はいつもこうなんです」

 

 マーレが困った笑顔で後ろから説明する。

 

「ああ、いいよ。次は『ジャンプ』」

 

 ブルー・プラネットが別のスキルに切り替えると、糸が外れた感覚があり、再び別な感覚がピニスンと繋がる。

 ピニスンは両足を揃えてその場でピョンピョンと飛び跳ねる。口を閉じて手で押さえ、必死に叫ぶのを我慢しているが、それでもムームーという声が漏れる。

 

「ありがとう。驚かせてしまってすまないな」

 

 ブルー・プラネットは感覚の糸を引っ込め、ぐったりとして膝を折るピニスンに実験終了を告げる。

 

「いえ……でも、これは一体……?」

「いや、ちょっとした実験だ。どんな感じがした?」

「えっ、あのっ、最初は勝手に体が動いてビックリしたけど、次は、なにか動かなきゃって感じて飛び跳ねたんです」

 

 ドライアードは本来それほど活発に動くモンスターではない。それが強制的に動かされたためか、少し疲れた口調でピニスンは答える。

 

「ふむ、最初が体が勝手に動いて、次に動かなきゃならないと感じた、と」

 

 なるほど、とブルプラも頷く。

 ドルイドのスキルで「行進」させたとき、トレントのスキルで「ジャンプ」させたとき――どちらのスキルでも、ピニスンの視界はブルー・プラネットに共有された。しかし、スキルによって、体を支配するものと意思を支配するものの違いがあるらしい。

 

 ブルプラ達シモベを動かしたときはどう感じていたのだろうか、とブルー・プラネットは帝国の森に残してきたシモベたちを思い遣る。

 彼らであれば「創造主のご意思に従うのは当然です」などの答が返ってきたことだろう。しかし、この世界に元々自分の意思をもって存在していた者はスキルの支配下においてもそこまでの忠誠心は無いようだ。

 

 今後の実験計画を考えるブルー・プラネットは、ピニスンが自分に向ける視線に気が付く。

 それは畏敬の念と、それに勝る恐怖を秘めていた。

 

(こんな小さな子を怯えさせて申し訳なかったな……)

 

 ブルー・プラネットは罪悪感に襲われる――それは植物系モンスターとしての同朋意識から来るものだろうか? それとも人間の意思の残滓が訴えるものだろうか?

 ブルー・プラネットにはその区別がつかなかった。

 

「驚かせてすまなかった。これは実験に付き合ってもらったお礼だ」

 

 蔦を伸ばし、それに花を咲かせ、クルリと輪にして切り離したものをピニスンの頭に被せる。それはユグドラシル時代に編み出したスキル――「花まつり」で配った、先着百名様への花の冠だ。

 

「あ、はい? うぎゃ、うわー! ブルー・プラネット様、いけません! ボクはそんな!」

 

 ピニスンは何かを頭の上に乗せられた感触に一瞬戸惑い、それを手に取って見ると発狂したように騒ぎ立てる。

 

「あんたね、『騒ぐな』って何度言っても分からない? そんなに燃やされたいの?」

「あ、あの、ブルー・プラネット様からのプレゼントに、し、失礼だと思います」

 

 アウラが腰に手を当て、顔を顰める。

 おどおどとした口調ながら、杖を両手で構えて、マーレの目が座る。

 

 この階層の守護者2人に詰め寄られ、ピニスンは泣きそうな顔で縮こまる。周囲のリザードマン達は怒りをあらわにした闇妖精たちに恐れをなし、自分の存在をこの場から隠すように平伏している。

 

 ブルー・プラネットは、なぜそんなにピニスンが騒いだのか分からず、困惑していた。

 しかし、この状態をなんとかせねばならないことは確かだ。

 

「おほん……アウラ、今言った言葉を私に向かって言ってみなさい」

「え、あ、あの……?」

 

 ピニスンを睨み付けていたアウラが、ブルー・プラネットの言葉に振り返り、自分を睨むその視線にたじろぐ。

 

「私に向かって『燃やされたいの』って言ってみなさい」

「あ、あの……申し訳ありません!」

 

 至高の御方に対する暴言を命じられ、アウラは泣きそうな顔になり深々と頭を下げる。

 姉が叱られているのを見たマーレも焦った顔でアウラとブルー・プラネットを交互に見つめる。

 

「私の前で樹に対して気安く『燃やす』など、それは私に対する暴言であると知れ!」

「はっ! も、申し訳ございません!」

 

 語気を強めたブルー・プラネットに、アウラがぶるぶると震え、頭を下げて不敬を詫びる。

 

 ブルー・プラネットは本気で怒ったわけではない。とりあえずこの状況を収めようとしただけのことだ。

 だが――ナザリックの者たちが外界の者を軽視し、徒に命を奪うこと、あるいはそのように脅迫することは将来に禍根を残すことになりかねない。ナザリックで生まれた者と外の世界の者では忠誠心が違うのだから同じ行動基準を求めても仕方がない――そういった後付けの理屈が心に浮かぶ。

 

「ナザリックの外であればともかく、中で庇護すべき立場の者にあまりに威圧的に振る舞うことは感心せんな」

「はいっ! 申し訳ございませんでしたっ!」

 

 アウラが頭を下げたまま謝罪する。

 

「マーレも、分かったな?」

「は、はい! わ、分かりました!」

 

 不安げに姉に視線を送っていたマーレも、自分の名を呼ばれて飛び上がって答える。

 

「よろしい。――で、ピニスン?」

「はい、叫んだりしてごめんなさい。いえ、嬉しいんですけど、ボクにはちょっと早すぎると」

 

(早い?)

 

 ブルー・プラネットは一瞬戸惑い、そしてその意を悟る。

 そして、この場を収める方便を必死に考える。

 

「どういう意味よ?」

 

 困ったやつだ……そんな顔をしてアウラは呟く。先ほどの叱責が堪えたのか、それほど高圧的ではない。

 

「アウラ、気にするな……ピニスン、すまなかったな。いきなりで驚かせてしまった」

「ほ、ほんと、ビックリしました。でも、嬉しいです、本当に」

 

 ブルー・プラネットの謝罪に、ピニスンは花輪を胸に抱えて笑顔で答える。

 

「で、でも、そんなに素敵なプレゼントを頂いて失礼なんじゃないかと……」

 

 マーレは、なおも納得がいかない様子だが、いつものように自信無げに呟くだけだ。

 

「いや、マーレよ、急なプレゼントに驚いたらそうなることもあるのだ」

 

 重々しく告げるブルー・プラネットの言葉に、マーレは自分の左薬指にはめられた至高のアイテムに目を遣る。そして、指輪を授けられた時の自分の態度を思い出して顔を赤らめて頷いた。

 

「ともかく、このことは忘れろ。他言は無用だ」

「はいっ! 忘れます!」

「は、はい。わ、忘れます」

 

 闇妖精の双子は笑みを浮かべて至高者への恭順を示す。

 この事件を忘れることは、自身の不敬も不問に処すということであると理解したのだ。

 

「それでは、ピニスン、その花輪は……私から貰ったことは、仲間には秘密にしておいた方が良いだろう」

「そ、そうですね、そうします。ボクだけの宝物です。きっと実をつけてみせます」

 

 そう言ってピニスンは嬉しそうに花輪を頭に被りなおし、輝くような笑みを振りまく。

 

 そうしているうちに、森の奥から他のドライアードやトレント達も現れる。

 畑仕事に出てきたそれらは、平伏するリザードマンと早起きな仲間、そしてそれらの中に立つ3人の高位者――その1人は小柄なトレントだ――を見て当惑を隠せない。

 

「あんた達、遅いじゃない」

 

 アウラが叱責し、遅れてきた者達は「今まで夜だった」と弁解をする。

 そして、再びブルー・プラネットはアウラとマーレの紹介を受け、その力を示す。

 ドライアードたちはその力に驚きながら、新たなる至高の主人に寄り添うように立つピニスンと彼女が被る花輪を見て何かを悟ったようだった。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 ブルー・プラネットは、この件は不問にせよとアウラとマーレに再度念を押し、自分の居室前へと転移した。そして部屋に入るとベッドに潜り込み、布団に包まってゴロゴロとその巨体を転がす――さながら巨大な干瓢巻の様に。

 

 先ほどの失態がフラッシュバックしてブルー・プラネットを悶えさせていた。

 

(そうだよ、花って植物の生殖器官じゃないか。それをあんな小さい子の頭に被せて「はい、プレゼント」って!)

 

 変態バードマンが腹を抱えて笑い転げる姿が脳裏に浮かぶ。

 

『ちょ、ちょっと、ブルーさん、それって犯罪っすよ! 流石に俺でも引きますって!』

 

「やーめーてー!」

 

 振り回した無数の蔦で布団が千々に引き裂かれ、中の羽毛が飛び散る。

 やがて、自走式竹箒ゴーレムがウワァァと音を立てて床を掃除しにやってくる。その音を聞きながら、ブルー・プラネットはベッドの上で枕を頭に被っていた。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 ブルー・プラネットがモモンガの居室を訪ねたのは晩になってからだ。

 

「ブルー・プラネットさん、第六階層の様子、どうでした?」

「ええ、まあ……色々と分かったことがありますんで、後で報告書にまとめますね」

「ありがとうございます。それで、修復のコストは掛かりますか?」

「いえ、今のところは大丈夫です。問題はありませんでした」

 

 モモンガは何やら疲れた様子のブルー・プラネットをみて心配したが、その言葉を聞いて胸をなでおろした。

 

「明日は外の世界で実験をしたいんですけど、良いですか? アウラが造った建屋があるそうですが……」

「ああ、あの建物ですか……良いですよ。アウラに訊いて、自由に使ってください。ただし、外に行くときは十分に気を付けてくださいね」

 

 外の世界に出かける元気があるのなら大丈夫だろう……そう判断し、モモンガは許可を出す。

 ただし、例のワールドアイテムへの注意を喚起し、明日の朝、対抗するために適切なワールドアイテムを選んで渡すことを約束する。

 

「えー、モモンガさんが選んでくれるんですか? 悪いですよ。私も取りに行きますから」

「いえ、ちょっと管理上面倒でして……」

 

 モモンガは冷静さを装いながら必死で頭を働かせる。

 ワールドアイテムを保管している宝物殿には転移の指輪を持つ者が2人以上で入ることになっている。そして今の管理者はモモンガの黒歴史、パンドラズ・アクターであり、彼は今“漆黒”のモモンとして帝都に戻る途上にある。

 パンドラズ・アクターに黙って持ち出すのは組織の運営上、示しがつかない。夜のうちにモモンガと入れ違いにパンドラズ・アクターを呼び戻し、ブルー・プラネットと2人でワールドアイテムを選別させるべきだが――それは危険すぎる、というか、恥ずかしすぎる。加えて、アヴァターラもまだ片付けていないのだ。

 

(夜のうちにアルベドとパンドラズ・アクターにワールドアイテムを取らせ、パンドラズ・アクターを帰す。それで翌朝、俺がアイテムを渡す……か)

 

 モモンガはブルー・プラネットにパンドラズ・アクター(黒歴史)を会わせない算段を立てる。

 そして、もう一つの現在進行形の黒歴史への対処も行う。

 

「ところでブルー・プラネットさん、今の装備、カッコいいですよね。記念に写真撮りません?」

「はい? ええ……でも記念って? ……別にいいですけど」

「はーい、じゃあ、王笏を構えてください。勇ましい格好で……そうそう、いいですね!」

「なんだか照れますねー」

「恥ずかしいと思ったら負けです! はい、もう一枚!」

 

 いきなり記念写真と言われてブルー・プラネットは戸惑うが、そのうち調子に乗って色々なポーズをとって写真に撮られる――王笏を振りかざして天を見つめるポーズ。何かに挑みかかるようなポーズ。弓を引くように枝を水平に伸ばし、何かを指さすポーズ。腰に手を当てて身体を反らし、斜め45度の角度で叫ぶポーズ……。

 

 モモンガはその姿を見て内心ほくそ笑む。

 

(これなら、花を飾られて恥ずかしいのは……ブルー・プラネットさん、死なば諸共ですよ)

 

 撮影会が終わり、モモンガとブルー・プラネットは笑いあう。

 そして、ブルー・プラネットはやや真顔になり、撮影の間拍手をしていた天井の八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)を下がらせるとモモンガに尋ねる。

 

「ところで、モモンガさん……モモンガさんはスケルトンの性別って判断できます?」

「え? なんですか? いえ、考えたこともなかったな……」

 

 モモンガはいきなりの質問に、顎に手を当てて考える。

 

「普通のスケルトンに性別ってあるんですかね? 運営が用意したモデルだと思いますけど」

 

 ユグドラシルのモンスターにおいて明確に性別が規定されたものは存在した。サキュバスやバンパイア・ブライド、そしてドライアードなどが典型例だ。しかし、それらは「女性である」ことに意味があるモンスターであり、スケルトンには性別を持たせる意味がない。特に規定されていなければ、暗黙の了解でモンスターは雄として扱われていた。ただ、それも明確ではない。ストーリーが用意されているボスキャラやプレイヤーの嗜好でもなければモンスターの性別など考えるメリットはなく、ユグドラシルが18禁行為に異常に厳しかったこともあわせて性別を強調することは避けられた。

 

「確かにナザリック内のポップする奴らはそうでしょうけど。でも、この世界の人間から作ったスケルトンには元男・元女ってのがあるわけで」

「どうなんでしょ? 確かにこの世界の人間を媒介にしてますけど、モンスターになったら外装はユグドラシルと同じじゃないのかなあ?」

 

 ほら、デス・ナイトのような体格の人間っていないでしょ? とモモンガは尖った顎を扱きながら付け加える。

 

「あ、でもゾンビとかは生前の特徴を残してますねえ……すると、ゾンビの骨格には特徴が残るか」

 

 モモンガは、短い期間だったが共に依頼をこなした冒険者のなれの果てを思い出す。あれは、この世界の人間を材料にして、この世界の術者によって作り出されたものだ、と。

 

「ふむ……スケルトン……ゾンビ……じゃあ、レイスのような死霊系は……?」

 

 死霊系モンスターについて造詣が深いモモンガは、様々な可能性に思いを巡らす。

 

「ということは、モモンガさんはスケルトンの性別は気にしてなかったわけですね?」

「ええ……でも、なんでそんなこと聞くんですか?」

 

 ブルー・プラネットは話を元に戻し、モモンガはそれを不思議そうに見上げる。

 

「いえね、モモンガさんって、女のスケルトンみて『かわいいな』とか思うのかなって」

「はぃぃ?」

 

 何かとんでもないこと言いだしたぞ、この男は。

――仰け反ったモモンガからそんな視線を感じ、あわててブルプラは枝を振る。

 

「いやいや、そんなに引かないで下さいよ。実は今日、第六階層でドライアードと会ってですね……」

 

 植物系モンスターを「かわいい」と思ってしまったことを説明をする。花輪の件はさすがに隠したが。ブルー・プラネットは数時間の葛藤の末、あれは「自分が植物の感性を知らない」証拠であり、すなわち「自分が人間である」ことの証拠だと決めていた。

 

「ああ、そういうことですか。いきなり何言いだすのかと思いましたよ」

「ごめんなさい。でもね、私、最近『俺って本当に人間なのか?』って自信なくすんですよ」

「……んん、そうですね。確かに。俺も自分の考えがかなりアンデッド寄りになってますし」

 

 モモンガは、王国での殺戮を思い出す。人間であったときならば卒倒していたであろう悪魔の所業を。

 ブルー・プラネットも小さな町で全滅させたワーカー達を思い出す。人を殺すことに何の躊躇いも、罪悪感もなかった。そして、思い出している今も何も感じない。

 

「人の命奪うことに……躊躇しなくなってますもんね」

「ブルー・プラネットさんも、ですか」

 

 モモンガの言葉に、ブルー・プラネットは小さく頷いた。

 

「私の場合だと、樹が倒れたり燃やされたりしてるのを見ると、むしろ人間が殺されてるより辛いですよ」

「俺は……そうですね。さすがにアンデッドに好意はもたないですけど、死体には恐怖も不快感も感じないですね……」

 

 しばらく、沈黙がその場を支配する。

 

「異形種の設定が影響してるんでしょうね」

「そうですね……まあ、この体になったことを後悔はしてませんけど」

 

 モモンガは以前から感じていたことを述べ、ブルー・プラネットも同意する。

 

「骨じゃあ食事ができないのは残念ですけど」

「便利ですし、強いですしね」

「この世界に来て、この体のおかげで随分と助かってますよ」

「ほんとそうですよね。元の人間の体だったら何回死んでることやら」

 

 モモンガは努めて明るく笑い、ブルー・プラネットも明るい声で答える。

 

「モモンガさんがいてくれて良かったです。もし1人でこの世界を彷徨ってたら……」

「俺もですよ。ブルー・プラネットさんが居てくれるおかげで『俺は人間だ』って思い出せますから」

 

 そうとも、俺たちは人間だ――骸骨と怪奇植物の2人はお互いを見つめ、握手をかわす。

 

 ブルー・プラネットはモモンガの部屋を出て、溜息をつくと自分の部屋に向かって歩く。

 残されたモモンガも溜息をつき、首を振って、再び仕事の続きを始める。

 

 モモンガの手が止まる。

 

「今夜は、ちょっと寝てみようかな?」

 

 目を閉じることはできない。ベッドに入っても眠れるわけではない。

 しかし、今夜は人間として振る舞ってみたくなったのだ。

 




「ペロさん、落ち込んでるけどどうしたんだろ?」
「茶釜さんに『ユグドラッ娘』フィギュアのコレクション、燃やされたらしいよ」
「あー……それで」

※2017.9.4 一部修正


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第29話 トブの森へ

 眠れぬ夜を過ごしたブルー・プラネットは、それでも明るくナザリック2日目の朝を迎える。

 

「モモンガさん、おはようございます」

「おはようございます、ブルー・プラネットさん」

 

 2人とも今起きたわけではない。「おはよう」もないが、しかし、人間同士の礼儀として今日の所は人間の習慣を守ってみた。

 

「昨晩も言いましたけど、今日はトブの森に行ってみようと思います」

「はい、俺も何度か行きましたけど、あそこまではちょっと遠いですよ? ブルー・プラネットさんは転移魔法使えましたっけ?」

「いえ……<帰還>でナザリックまで帰ってくることはできますけど、一度行かないと、拠点設定も出来ないと思います」

「じゃあ、俺の<上位転移>で行きますか? それとも<飛行>で……?」

「折角ですから、地上のルートで行こうと思ってます。色々と観察もしてみたいので……」

「ははは、そうですね。俺も以前、あそこで薬草採集とかしたんですよ」

「おっ! そうなんですか! いやあ、いいなあ……じゃあ、じっくり見てきますよ」

「そうですね、では、往復2日のコースですね。地上で行くならアウラと行ってください。アウラの仕事はマーレが代行できますから」

「はい、マーレの仕事は昨日私が半自動化したんで……じゃあ、負担にはならないですね」

 

 かつてのギルドメンバーは今や2人しかいないが、それでも当時の楽しさが蘇り、モモンガとブルー・プラネットは軽く笑いあう。

 

 しかし、この世界では「ゲーム」では片づけられない問題もある。

 

「でも、ブルー・プラネットさん、十分に気を付けてくださいね。アウラの他にシモベをつけましょうか?」

「いえ……逆にナザリックを知るシモベが捕まったら厄介ですよ。私の<帰還>ならアウラも連れて帰れますし、その場で使い捨てのシモベも召喚できますから、安心してください」

「そうですか……転移の指輪は置いて行ってくださいね。万が一無くすとセキュリティ上問題なんで」

 

 この世界には未知の敵がいる。それはワールドアイテムを使ってシャルティアを洗脳したほどの存在であり、いくら警戒しても警戒しすぎということはない。

 

「そうですね。では、指輪は誰かにナザリックの入り口で預けます」

「お願いします。ユリ・アルファを待たせておきますね」

「おっ、ユリですか!」

「っ……ブルー・プラネットさん! セクハラは無しですよ!」

「だから……あれは誤解ですって」

 

 モモンガが指を一本立てて忠告する。かつて、ブルー・プラネットは製作中のユリ・アルファを勝手に持ち出し、彼女の創造主やまいこさんに殴られたことがあるのだ。

 そして、今やユリ・アルファにも自我が存在する。ユリがブルー・プラネットを殴ることは無いだろうが、製作中の記憶で傷ついていたら、とモモンガは心配する。

 

「……信じてますよ。では、もう一つ、ワールドアイテムの件ですが――」

 

 昨夜のうち、パンドラズ・アクターと交代し、アルベドと共に選んでもらったワールドアイテムを取り出す。

 

「――これを持って行ってください」

 

 ブルー・プラネットは、差し出されたワールドアイテムを見てたじろいだ。

 

「え? これって使い切りのじゃないですか……?」

「はい、あくまで敵のワールドアイテムの効果を防ぐために持っているだけですよ」

 

 アルベドが宝物庫から持ってきたものは「二十」と呼ばれる特に強力なものの一つだった。強力すぎるがゆえに一度使うと消えてしまう。再入手には困難なクエストと強運が必要だ。

 効果は知られているが、勿体なさ過ぎて誰も使ったことが無いアイテムである。

 

 モモンガ自身、この貴重なアイテムを持ち出すことを一時は躊躇った。

 アルベドが「他ならぬブルー・プラネット様の為でございますから」と微笑んで主張しなければ別なものを選び直させていただろう。

 

 ブルー・プラネットのため――確かに、その通りだ。このアイテムを使わざるを得ないときは、すなわちブルー・プラネットが絶体絶命の危機である。アイテムをケチってブルー・プラネットが、この世界で唯一の友人が死んで失われてしまったら……

 そう考えると、最高級のアイテムで万一の時に備えるのも当然のような気がする。

 

 気になるのは、万が一それを使ってワールドアイテムが失われ、再ポップしたそれを敵が入手したらということだが、それも心配しすぎであるとアルベドは微笑んだ。

 

 このアイテムは必中必殺の効果をもつ。これを使ったとき、すなわち敵は死んでいる。

 仮に敵が複数のグループで殺しきれなかった場合でも、危機を乗り越え敵の正体が明らかになれば殲滅も可能であろう。ならば、敵を殲滅した後にゆっくりと再入手すればよい。

――そうアルベドは説明し、モモンガも納得した。

 

 更に言えば、ブルー・プラネットも当然このアイテムの価値は知っているのだ。

 むしろ、安易なアイテムを使いまくり、深みにはまる危険もある。自分たちの実力を宣伝する羽目になっても拙い。使ってはならない貴重品をもつことで、逆に危機を避けてくれるであろうという希望もある。

――そう考え、モモンガはアルベドが選んだワールドアイテムの携帯を許可した。

 

「ああ。さすがはモモンガ様……ブルー・プラネット様のお気持ちを汲んでくださるのですね」

 

 頬を赤らめ、潤んだ瞳でアルベドはモモンガを見つめ、ブルー・プラネットのために貴重なワールドアイテムを渡すという決断を称賛した。

 

「も、もちろんだ。私はアインズ・ウール・ゴウンの長として、友の願いに最大限配慮するのが当然だからな」

 

 いつもより近い場所から身を乗り出して迫る絶世の美女に気圧され、モモンガは慌てて頷く。

 昨夜の会話――外の世界を探検したいというブルー・プラネットの思い。

 それに最高の準備をして応えることが自分の為すべきことなのだとモモンガは信じている。

 

「分かりました。では、気を付けて持っていきます」

 

 昨夜の記憶を浚い、再び考え込んでいたモモンガを、ブルー・プラネットの声が現実に引き戻す。

 

「はい、それでは……何時ごろ出ますか?」

「ええ、モモンガさんの方でアウラとユリに連絡をしていただいて、準備が出来ればすぐにでも」

「了解です。それでは、こっちの準備が出来たら連絡しますね」

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 モモンガから<伝言>の連絡がきたのは、もう少しで昼になるという時間だった。

 

『ブルー・プラネットさん、準備が出来ましたので、地上まで来てくれますか?』

「ほーい! 行きまーす!」

 

 第六階層の報告書をまとめていたブルー・プラネットは、書類を片付けると地上への出口に転移する。

 そこには、モモンガ、アルベド、アウラ、そして戦闘メイドプレアデスの3人――ユリ・アルファ、シズ・デルタ、エントマ・ヴァシリッサ・ゼータ――が待っている。

 

「おや、ユリだけじゃなく、他の2人も見送りに?」

「ええ、折角ですので手が空いている者を呼んでまいりました」

 

 ブルー・プラネットの質問にユリが丁寧に会釈して答え、後ろの2人――無表情なメイドたちも揃って頭を下げる。

 

「それはご苦労。では、転移の指輪を預ける。頼んだぞ」

 

 ブルー・プラネットが指輪を外すと、ユリは一歩前に進んで絹のハンカチを広げ、それを捧げ持つように手を伸ばして指輪を受け取る。そして、そのまま一歩下がり、ハンカチで指輪を包んで頭を下げる。

 

「それでは、アウラ、案内を頼むぞ」

 

 ブルー・プラネットが声をかけると、アウラが「ハイッ」と元気の良い声で答える。そして、アウラはフェンリルに飛び乗り、その姿が掻き消える。呼吸音すら聞こえないその消失は、モモンガの魔法<完全不可知化>の効果だ。

 

「それでは、モモンガさん、行ってきます」

「はい、何かあったらすぐに<伝言>で連絡してくださいね。くれぐれも気を付けて」

 

 ブルー・プラネットはモモンガと手を振りあい、その姿が白い霧となって空中に溶け入る。

 これも魔法による不可視化の一種だが、モモンガの使う魔法とは系統が異なり、見破る方法も違う。また、アウラはアウラでレンジャーとしてのスキルによって隠蔽化を行っている。

 異なった方法で何重にも身を隠しているため、アウラとブルー・プラネットの2人が敵に同時に見つかってしまう可能性は低くなる。よって、敵襲を受けたとしても反撃しやすくなるのだ。

 

「ああ、行ってしまったな。もう少しゆっくりしていけば良かったのだが……」

「そうですか……そうですね。僭越ですが、折角お戻りになられたのですからナザリックをもっとゆっくりとご覧いただき、ご満足されてから行かれるのがよろしいかと」

「うむ……まだ色々と見せたいものはあるんだがな。まあ、私の我儘で引き留めても仕方がない。ブルー・プラネットさんの希望が第一だ」

 

 友人との別れを惜しむモモンガをアルベドが慰め、2人で第九階層に戻る。皇帝の来訪を間近に控え、2人で話し合わねばならないことは幾らでもあるのだ。

 

 残された3人の戦闘メイドは溜息をつき、緊張をほぐす。

 

「ユリ姉、緊張しすぎ」

「ブルー・プラネット様ハァ、トッテモオ優シイヨウニ見エタケドォ?」

「ええ……ブルー・プラネット様は美しい世界を愛されるとてもお優しい方……それは分かっているのだけど、なぜだか緊張しちゃうのよ」

 

 ユリは蒼白な顔で2人の妹たちに弁明する。

 

「結果トシテワァ、ブルー・プラネット様ニオ会イデキテ嬉シカッタヨォ」

「同感」

「そうね、2人とも、付いて来てくれてありがとう。さ、私達も戻りましょう」

 

 妹たちはユリを慰めるように語りかけ、ユリはそんな妹たちに感謝してナザリックの地下に戻る。

 そして、仲の良いアウラがブルー・プラネットと2日間二人きりで行動することを思い返し、ユリは自分でも良く分からない不安に襲われて呟く。

 

「アーちゃん、無事に帰ってきてね」

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 2人はナザリックの壁を越え、そのまま疾風のごとき速度で森へ駆ける。アウラはフェンリルの背に乗って、ブルー・プラネットは文字通り一陣の風となって。

 

 様々な魔法とスキルを使用して不可視の存在となったアウラとブルー・プラネットは、それでもお互いの位置を確認でき、会話も可能だ。アウラがブルー・プラネットと感覚を共有するアイテムを装備しているためである。

 

「ブルー・プラネット様、ここから先が『トブの大森林』と呼ばれている森です」

「よし、それでは少し速度を落として行こう」

 

 ブルー・プラネットはこの森を十分に楽しむつもりだ。

 この世界に来たばかりの頃、あてども無く彷徨った森よりも遥かに深い森だ。この世界の人類がまだ足を踏み入れていない手つかずの自然と聞いて、嫌が応にも気持ちが高ぶる。

 

「この森は、アウラが探索中なのだな?」

 

 モモンガから聞いていた説明を確認する。

 

「はい、大きな湖があって、その周辺にはリザードマンの集落、さらに北にはトードマンたちが住んでいました。それに南にはハムスケ、東と西にはトロールとナーガが支配していたようですけど、みんな殺したかモモンガ様の部下になってます」

「ほう、流石だな。この世界特有のモンスターは居たのか?」

「はい、ナザリックには見られなかったマンドレイクの近縁種やマイコニドを見つけています」

「すごいな、この森はもう制覇したのか?」

 

 ブルー・プラネットは帝国領の森に魔獣やモンスターがほとんど見られなかったことを思い出して、アウラに対し羨ましさと少しばかりの嫉妬を覚える。

 

「はい……あらかた制覇したんですけど、まだまだ細かい場所は探索の途中です。それで――」

 

 褒められたと感じたアウラは嬉しそうに頭を掻きながら答える。

 

「――ザイトルクワエっていう魔樹を倒した後の跡地を利用して、要塞を建設中です」

「魔樹?」

「はい、モモンガ様がお見つけになり、守護者全員で連係プレーの練習台にしたんですよ」

「ほう……モモンガさんと守護者全員で……それはかなりの強敵だったのか?」

「いえ、レベルは80ちょっとの雑魚でしたけど、体力だけはすっごくありましたから」

 

 ブルー・プラネットは、その魔樹に興味をそそられる。

 ザイトルクワエ――そんな名のモンスターは聞いたことが無い。そして、80そこそこのレベルでありながら異様に高いHPを持っていたとは、この世界特有のモンスターである可能性が高い。

 

「それで、そのザイトルクワエだが、どうなった?」

「はい、守護者全員で攻撃し、最後にモモンガさんが『くるしみますつりー』という必殺技で仕留めました」

 

 その時の光景を思い出し、アウラはウットリとした表情を浮かべる。頂点に星の輝きを宿し、炎に包まれる巨木――それを成した偉大な主人の雄姿を思い出して。

 一方、ブルー・プラネットは顔を歪める――ユグドラシル時代、ギルド<シャーウッズ>の辛い思い出を掘り返されて。

 

『よう、メリークリスマス! 夜更かしする子にサンタさんから石炭の贈り物だぜ!』

 

 それは<シャーウッズ>の公園で有志と語らっていたところをマナーの悪いプレイヤーたちに襲われた思い出だ。燃え盛る石炭――<メテオフォール>を連発され、大きなダメージを負った。幸いなことに仲間達がいたため撃退できたが、あの時の屈辱は今も深く心に刻み付けられている。

 

「どうしました? ブルー・プラネット様?」

 

 アウラが心配そうな声をかけてくる。

 お互いの姿は見えないが、不機嫌そうに漏らした呻きを聞きつけたのだ。

 

「いや……何でもない。そうか、燃やされたか……それで、HPは0になったのか?」

「え? あー、最後は確認していませんですけど、燃えて木っ端みじんになりましたから……」

 

 アウラは答え、そして自らの失言に気付く。

 

「も、申し訳ございません、ブルー・プラネット様! 魔樹が『燃やされた』など口にすべきではありませんでした!」

 

 昨日の今日だ。ピニスンに投げかけた暴言を咎められたばかりで、魔樹を燃やした思い出を嬉々として語るとは――アウラの委縮した声に、ブルー・プラネットは慰めの声をかける。

 

「いや、敵だったのなら仕方ない。それよりもHPが0になったのは確認していないのだな?」

「は、はい……しかし、その跡地でも何も起きてませんけど……?」

 

 アウラが頷き、ブルー・プラネットにアウラの不思議そうな口調が伝わる。

 

「ふむ……植物系モンスターは生命力が強くてな、倒した後でも根や種の状態で隠れていて、一定時間後に復活することもあるのだ」

 

 ユグドラシルでのモンスターの知識であり、ザイトルクワエなるこの世界の魔樹にそれが適用されるかは分からない。だが、念のために調べておきたいし、サンプルを見つけることが出来れば言うことなしだ。

 

「そうなんですか! そう言えば、ピニスンがそんなことを言ってましたね……『昔倒されたのが復活する』とか」

 

 アウラとしては、この世界の歴史などどうでもいいことであり、その時は聞き流していた。しかし、今から行く要塞の周辺に魔樹の復活の可能性が残されているとしたら、それは見過ごすことはできない。

 

 あんな大きなのが出てきたら邪魔だな――そう思ってアウラはブルー・プラネットに提案する。

 

「それじゃあ、今から行く要塞の周辺で魔樹の根や種を探します!」

「ああ、楽しみだな。協力して探すことにしよう。でも、アウラ……見つけたら生かしたまま私に知らせてくれよ!」

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 やがて2人は要塞に着く。それは広い円形の空き地に建てられた巨大な木造建造物だ。

 周囲には何人ものアンデッドやゴーレムが忙しく働いており、今もなお増築中である。

 アウラが<完全不可知化>を解いて姿を現し、近くのアンデッドたちに声をかけると、知性があるものは手を休めて跪く。

 

 そして、ブルー・プラネットも実体化し、倒れるように地面に膝をつく。

 巨大な要塞の周囲でゴーレムが樹々を切り倒している光景に衝撃を受けたのだ。

 

「ブ、ブルー・プラネット様! どうされましたか!?」

 

 アウラが驚いて声をかけてくるが、ブルー・プラネットの耳には入らない。

 

(そうか、さっき聞こえた悲鳴はこれだったのか)

 

 この場に到る数分前――距離にして数キロ――からブルー・プラネットには悲鳴が聞こえていた。それは痛みを訴える樹々が上げる叫びだったが、それが何を意味するかを悟る前に要塞に到着してしまったのだ。

 

「ア、アウラよ……この要塞は木造建築なのだな」

「はい……あっ! も、申し訳ございません。事前にお伝えしておりませんでした!」

 

 アウラは式典でブルー・プラネットが示した「至高の御方々の敵」を思い出す。

 

(毒の煙を吐き出しながら樹を切り倒す機械の獣――それがブルー・プラネット様の敵だった)

 

 アウラは大声で叫ぶ。悲鳴を上げるように。

 

「みんな! ちょっと作業中止! ゴーレムも止めてっ!」

 

 そして、とてつもない不安に襲われる。

 ピニスンへの失言、ザイトルクワエの最期、そして森の伐採――配慮を欠いた大失態に、折角帰還してくださった至高の御方が再び自分たちを見捨ててどこかに去ってしまわれるのではないかと。

 もし自分の失態でブルー・プラネット様が去ってしまわれたら、それは自分の命でも到底償うことは出来ないと。

 

「ブルー・プラネット様! お許しください!」

 

 アウラは耳を垂らし、ブルー・プラネットの前に跪いて非礼を詫びる。

 アウラの叫びを聞いたシモベたちも集まってきて、何事か理解しないままに跪き、首を垂れる。

 

「ああ……しかし、何故木造に? てっきり魔法で建造していると思っていたが……」

「はっ! 魔法ですと<魔法解体>(マジックディストラクション)などで一気に崩壊してしまう可能性があり、物質的基礎を置いた方が良いだろうと……」

「なるほどな……」

 

 ブルー・プラネットもそう言われると責めるわけにもいかない。自分が得意とする<自然の避難所>(ネイチャーズ・シェルター)でも同様の危険はあるからだ。魔法で作り上げた建造物は物理的な攻撃には強くとも、魔法によってあっけなく消滅してしまう。

 

「分かった。建築は認めよう。しかし……これ以上の伐採は、なるべく控えてくれるか?」

「は、はいっ! もうこれでほとんど完成しておりますので、これ以上の伐採は行いません!」

「いや……ナザリックの安全のためには手を抜くわけにもいかないだろうしな……」

 

 もやもやとした気分でブルー・プラネットはアウラ達を眺め、一つ質問をする。

 

「樹を切ったとき、周辺の動物たちはどうしている?」

「はい、この周辺にはザイトルクワエの影響か元々獣たちは少なかったんですけど、工事が始まってからは逃げてしまって見かけません」

「そうか……アウラはこの森の……この世界の獣は好きか?」

「はいっ! ハムスケとか、リザードマンの村のロロロも大好きです!」

 

 ハムスケは良い毛皮が取れそうだしね、と思いつつアウラは答える。

 

「そうか……森の獣たちとは上手くやっているんだな……」

 

 少し救われた気がして、ブルー・プラネットは溜息をついて立ち上がる。

 

「分かった。あとで私が樹々を回復させるから、気にせず作業を続けてくれ……いやまて、材木は回復魔法で消滅しないように加工済みか?」

「申し訳ございません、樹木の回復は試していませんけど、材木はあちらで<脱水>(デシケイト)で乾燥していますからお試しください」

 

 アウラが指す方向を見ると、皮を剥がれた樹の死体が山の様に積み重なっていた。

 ブルー・プラネットはそれに近寄り、中の一体に<常緑の癒し>を掛けてみる――何も起きない。

 

(なるほど、完全に死んでしまった樹には回復魔法は効かないのか)

 

 さらに詳しく観察する。

 魔法で均等に乾燥され、収縮によるひび割れもない。見事な材木だ。

 要塞を見る。木タールの防腐処理がなされた分厚い木板で作られた壁だ。ここまで加工されていると、樹の死体であるという意識は薄くなる。なんとも思わない。

 自分の意識を探ってみる。

 死んだ樹に対しては同情心はあまり湧かない。人間が人間の死体を見たときよりも平静だろう。

 命への執着が薄いのは樹の特性だろうか――ブルー・プラネットは頷いて、アウラに向き直り、微笑んで明るい声をかける。

 

「これならば、私が森を回復させても要塞が消えることはないな」

 

 跪いたままアウラは顔を上げてブルー・プラネットを見つめる。至高の御方のご機嫌は直ったのだろうかと。

 

「しかし、立派な要塞じゃないか。これなら私が魔法で補強するまでもないな。頑張ったな、アウラ」

 

 重ねてブルー・プラネットはアウラに笑いかける。

 

「あ、ありがとうございます!」

 

 アウラの耳がピンと立つ。そしてようやく顔を緩ませて元気よく声を上げた。

 

「それでは、作業を続けてくれ。私たちは中に入らせてもらおうか」

「はい、どうぞこちらからお入りください」

 

 ブルー・プラネットはアウラが指したドアに向かう。木造ではあるが魔法によって補強された建造物の入り口が開き、巨体のブルー・プラネットに合わせて広がった。そしてアウラがドアに足を踏み入れると小柄な体格に合わせて縮む。

 

「それじゃあ皆、作業を再開してね!」

 

 アウラが大声で外の作業員たちに指示し、バタンとドアを閉めてブルー・プラネットに頭を下げる。これで樹が倒される光景は見えないという配慮なのだろう。

 

「ブルー・プラネット様、アウラ様、お待ちしておりました」

 

 入り口の部屋――応接間は天井からの<永続光>に照らされていたが、その中央には球状の暗闇が中空に浮いており、その中から小さな黒い影が挨拶をしてくる。

 

「はーい、ご苦労様! それではブルー・プラネット様、どうぞこちらへ」

 

 アウラが返事をかけ、ブルー・プラネットを頑丈な造りのテーブルとソファーに案内する。

 

「いや、私は立ったままで結構。しかし、内装も中々立派なものだな」

 

 ブルー・プラネットは短く太い脚をもち、座る必要が無い。その上、今は疲労を感じないようにアイテムを付けているのだ。むしろ立ったり座ったりする動作が煩わしい。

 

「お褒め頂き光栄の極みでございます」

 

 黒い影が頭を下げる。

 

「ブルー・プラネット様、何かお飲みになります?」

 

 アウラがキラキラとした目でブルー・プラネットを見上げる。先ほどまでの委縮はすっかり拭い去られ、子供らしい無邪気な笑みが顔に広がっている。

 

「いや……ああ、冷えた水を一杯頂こう。アウラも座って何か飲むといい」

「はい! それじゃ、お水とオレンジジュースをお願いね」

 

 アウラがポーンとソファーに飛び乗り、黒い影に注文を出す。その黒い影は頷いて周囲の闇と共に応接間を出ていく。

 

「彼が、あたし達がいない間のこの要塞の管理人です」

「そのようだな。きれいに整頓されているし……」

 

 ブルー・プラネットはアウラと向かいのソファーの前に立ち、周囲を見回す。

 そうしているうちに暗闇の小さな影が盆に水とオレンジジュースの入ったコップを持ってきて、テーブルの上に並べる。

 

「ありがとう」

「ごくろうさま。じゃあ、用があったら呼ぶから、仕事に戻ってね」

 

 ブルー・プラネットとアウラはコップを手に取り、影を労う。その影は嬉しそうに何度もお辞儀をして部屋を出ていった。

 

「みんな仕事熱心だな」

「そうですね。特に今日はブルー・プラネット様が来られると聞いて張り切っているようですよ」

 

 ブルー・プラネットはアウラに声をかけ、アウラは半分ほど飲んだコップを両手で持ちながら明るく答える。

 ブルー・プラネットは頷いて水を飲み干し、空になったコップをテーブルに置く。

 別に喉が渇いていたわけではないが、シモベに何か仕事を与えてその労をねぎらうことがシモベを最大限に喜ばせることなのだ。

 

「さてと、それでは本題だが、私が実験室として使える部屋はあるかな?」

「はい、部屋はいくつも作っていますし、ご必要であれば作り直します。地下がよろしいですか?それとも一階、もっと上の階が……?」

「ああ、なるべく静かで温度変化が無い……湿度も一定な地下室が良いな」

「それでしたら、こちらから行きましょう!」

 

 アウラが先に立ち、広い応接室の隅に向かう。そしてアウラは一見それとは分からない、分厚い板で塞がれた隠し戸を無造作に片手で持ち上げると、そのままお辞儀をしてもう一方の手でブルー・プラネットを先に導く。

 

 ブルー・プラネットが階段を下り、アウラが続く――奇妙なことだが、地下室に続く階段はブルー・プラネットの巨体でも楽に通れるように広がり、後ろのアウラの周辺では縮まる。

 

 2人は魔法の照明で照らされた長い階段を下り、地下の広大な空間に到着する。

 そこは巨大な倉庫となっており、予備の建築資材や食料が高い天井まで積み上げられていた。

 その横ではデス・ナイトなど各種のアンデッド兵が武装したまま組体操のように積み重なっている。その身じろぎ一つしないアンデッドの山の間を、何体かのエルダーリッチが歩き回ってメモを取っている。どうやら在庫の管理をしているようだ。

 

 エルダーリッチたちは、ブルー・プラネットたちに気が付くと集まってきて足元に跪く。

 

「ここは?」

「はい、倉庫と、モモンガ様が毎日スキルで生み出されるアンデッド兵の保管庫です」

「なるほどね……」

 

 数百体の中級アンデッドの軍勢――この世界ならば都市を、いや国を攻め落とすのも容易であろう――を見てブルー・プラネットは唸る。

 

「……しかし、スキルで召喚したアンデッドを保管できるのか?」

「はい、どうやら召喚するだけでは一定時間経つと消えてしまうのですが、この世界の死体を媒介にするといつまでも持つらしいです」

「ああ……そうか。しかし、これだけの死体の確保も大変だったろう」

「ええ、デミウルゴスの作戦でこの前に大量に確保できました。第5階層に凍らせてありますけど、まだ数千体は残ってますから当分は安心です」

 

 エルダーリッチたちを引き連れて死者の軍勢の前を歩きながら、アウラは王国での作戦を説明する。

 この倉庫に積まれている資材や食料は、その時に入手した物らしい。アンデッドの軍勢に食料は不要だが、協力関係にある外界の人間へ支給したり、交易によって金貨を得るために保管してあるのだという。

 

「そうか……ああ、前に『王国で悪魔が出た』という事件、それがデミウルゴスか」

「はい! デミウルゴスが『魔王』として王国を襲い、モモンガ様との戦いを演じたそうですよ」

 

 アウラが面白そうに明るく笑う。

 

「なるほど……モモンガさんが『正義の味方』で、デミウルゴス演じる『魔王』を追い払ったと」

「ええ、それでモモンガ様は王国最高位の冒険者と知り合いに……あ、ここです」

 

 アウラの説明が中途半端に終わり、倉庫の端にある一室の前で立ち止まる。

 

「この部屋でいかがでしょう?……すぐにブルー・プラネット様のためにお飾りいたします」

 

 そこは、いわば倉庫の管理人部屋として区切られた空間だ。

 中に入ってみると、簡素なテーブルが幾つか置かれただけの殺風景な部屋だった。中では何人ものエルダーリッチたちが仕事をしており、2人を見ると立ち上がってお辞儀をする。壁には一面に地図や資料が張られ、机の上にも書類が積み重なっている。部屋そのものは十分な広さがあり、実験室としては申し分ない。

 

「ああ、ここで十分だ。……それに、余計な飾りは必要ない。このままでいいぞ」

 

 アウラはエルダーリッチ達の方を向いて何か指令を飛ばしかけたが、それをブルー・プラネットは制する。実験室には余計な飾りは邪魔になるのだ。

 

「はいっ! それでは、ここをブルー・プラネット様の御実験室といたします。いいよね?」

「はっ! それでは直ちに立ち退きますので、しばしお待ちを」

 

 アウラが確認すると、エルダーリッチたちは部屋を空けるため、積みあがった書類を片付け始める。

 

「しかし、お前たちはどうするのだ?」

「はい、倉庫の反対側に同じ造りの予備部屋がありますから、そちらに移ります」

「なんだ、予備部屋があるのなら、私がそちらに移ればいいじゃないか」

 

 ブルー・プラネットの提案に、両手一杯に書類を抱えたエルダーリッチたちは顔を見合わせる。

 

「しかし、予備部屋は地下の入り口から遠いですから、至高の御方にご迷惑かと」

「いや、それは問題ない。私の転移の指輪に登録すれば……」

 

 そう言って、ブルー・プラネットは指輪を置いてきたことに気が付く。

 

「……ゴホン、いや、魔法で移動すれば時間はかからんから大丈夫だ。それよりも、お前たちのに手間を掛けさせてこの要塞の整備が遅れることの方が問題だろう」

「そうでございますか……ご配慮を深く感謝いたします。それでは、奥の部屋にご案内いたします」

 

 エルダーリッチたちが揃って頭を下げ、アウラも納得した風でその部屋を後にする。

 今度は1人のエルダーリッチが先頭に立ってブルー・プラネット達を案内した。

 

「こちらが予備の部屋として用意しておいた部屋でございます。机などはすぐにゴーレムに命じて運ばせますので、しばしお待ちください」

「ああ、ありがとう。余計な飾りのない長机を……5つほど頼む。椅子はいらんからな」

「左様でございますか。あと、急いで1階からの直通の階段を作らせます」

「悪いな。急ぎではないので空いた時間にでも頼む」

 

 案内された部屋には何も置かれていなかったが、それが逆に好都合だ。

 ブルー・プラネットは枝を伸ばして身振り手振りで必要な机のサイズや置く場所をエルダーリッチに伝え、エルダーリッチは<伝言>で他の部署に連絡し、やがてゴーレムが机と照明を運んできた。

 

「よし、それでは、2つの机をこっちとそっちの壁に着けて、のこりの3つは平行に等間隔で……」

 

 エルダーリッチが使っていた仕事机と同じものがゴーレムによってテキパキと並べられる。<永続光>の照明が天井に取り付けられ、実験室としての体裁が整った。

 

「それでは、この世界の布を少し貰えるか?」

 

 資材置き場であることが幸いし、エルダーリッチは命じられたものを即座にそろえる。

 ブルー・プラネットはガラスの容器を取り出す。第六階層から持ってき土が入った容器だ。トントンと瓶を叩いて土を均し、蓋を開けて土の上に布を敷く。

 そして、興味深げにその様子を見ていたアウラに声をかける。

 

「さて、採集に行こうか」

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 要塞の周辺でブルー・プラネットはアウラと地面を眺める。

 魔樹の影響で平野になっていたという場所には生物相が乏しく、まばらに草が生えているだけで、土を掬ってもミミズすらほとんど見つからない。匂いも薄く、この周辺の生命が全体的に痩せていることを感じ取る。

 この土地に<浄化>を掛ければ豊かさを取り戻すのだろうか――ブルー・プラネットは昨夜、ナザリックの外で試した実験を思い出す。ナザリック周辺の草むらでは<浄化>による微生物の消失は起きなかったのだが――。

 

「その魔樹はこの辺の木を食べて体力を回復させていたんだな?」

「はい、そんなに強くなかったんですけど、ともかく体力だけはありました」

「ふむ……口からの吸収以外にも、根からもドレインできる能力持ちだったようだな」

「はい、そうだと思います」

 

 そこで、要塞からやや離れる。土壌の状態は幾らかマシで、草木も増えている。

 さらに森の中へと入っていく――ゴーレム達が樹を切り倒しているのとは反対方向に。

 様々な小動物の駆ける音が周囲から聞こえる。黒く湿った土は豊饒な香りを醸し出し、一掬いの土の中に各種の線虫が蠢いている。生きた土だ。

 

「よし、この土を少しばかり持っていく」

 

 ブルー・プラネットはそこの土を小瓶に詰め、一旦要塞に戻る。そして管理人である小さな黒い影に食料――ナザリックの魔法で作られた物――を一欠片貰い、地下倉庫の実験室に戻る。

 

「ブルー・プラネット様、これはどういう実験なのですか?」

 

 不思議そうな顔でアウラが尋ねる。

 

「ああ、この近辺の土に棲む生き物が、ナザリックの中の土で育つのかを調べようと思ってな」

「なるほど! でも、マーレが森の中で樹を操っていましたから、この世界の生き物も魔法を使えば育てられるのではないですか?」

「ああ、それは分かっている。しかし、私が知りたいのは魔法を使わなかった場合なのだ」

 

 アウラは半分理解したような、理解していないような、複雑な表情を浮かべる。

 魔法を使えば幾らでも動物や植物を育てることはできる。魔力もそれほどの負担にはならないし、時間が経てば回復するのに――そんな疑問の顔だ。

 

「アウラ、お前の疑問は分かる。育てようとすれば魔法を使えば簡単なことだからな。だが、私が知りたいのはもっと別な――この世界の仕組みを知りたいのだ」

「ブルー・プラネット様、お心を理解できないあたしの愚かさをお許しください。しかし――」

「ああ、良いとも。アウラよ、お前は我々に『かくあれ』と創られた。だが、我々が創ったのではないこの世界はどこから来たのか、ここで我々はどうあるべきか……そういうことなのだ」

 

 ユグドラシル時代であれば、アウラの頭上にクエスチョンマークが浮かんでいただろう。

 ブルー・プラネットの話は、いわば「宇宙の始まる前はどうなっていたか」の類だ。

 ナザリックの者達にとって神に等しい造物主――至高の御方々が如何にあるべきかなど、ナザリックの者達にとって思いもよらない疑問である。

 

「……よく分かりませんけど、あたしたちは至高の御方々に創られたときからお仕えして、ずっとずっとお仕えします……それでよろしいでしょうか?」

「ああ、良いとも。それで良い」

 

 ブルー・プラネットはアウラの頭を撫で、アウラは目を細めて幸せそうに顔を緩ませる。

 

「さて、実験を始めるか……」

 

 ブルー・プラネットは第六階層の土の上に被せた布の上にトブの森の土を一掴み乗せる。

 そして、魔法の水差しから少しばかり水を出し、別の布を湿らせ、それで瓶の口を覆う。

 しばらく見ていると森の土から様々な蟲が這い出して、光を避けてガラス容器の中の土に潜り込んでいった。

 

 もう一つ――ブルー・プラネットは別なガラス容器にトブの森の土を入れ、その上に布を敷く。そして、その上にこの世界の食料とナザリックの食料、それぞれの一欠片をそっと置く。少し経つと土の中から小さなダニのような生き物が這い出し、布の上に置かれた食料に群がってきた。

 

「さて、これでひとまず終わりだ。明日、また観察することにする」

 

 ブルー・プラネットはそう言い、さらにもう一つのガラス瓶――森の土を入れたもの――を布で梱包し、飲み込む。ナザリックに帰って階層間を転移したときに土の微生物がどうなるのかを調べるためだ。

 

 アウラは顔じゅうに疑問を貼りつけてブルー・プラネットを見上げる。

 この世界の成り立ちと、瓶の中の一掴みの土――その関係はアウラの理解を越えているが、至高の御方のすることには何か深い意味があるに違いないだろうと。

 

「ははは……つまらないだろう? 今からもっと面白いことをしよう。魔樹の根っこの探索だ」

「はいっ! それでは行きましょう!」

 

 アウラの顔が明るくなる。耳をピンと立てて、待ってましたと嬉しそうな声で叫ぶ。

 至高の御方々の一人であるブルー・プラネットのお側にいるだけで自分は幸せなのだが、出来ればこんな地下の狭い部屋の中ではなく、日の当たる森の中でお役に立ちたい――決して文句を言うことはないが、アウラの内心はそんなところだ。

 




捏造設定:ザイトルクワエ跡地が要塞に。地下室の倉庫とかも捏造です。


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第30話 ザイトルクワエと森の生き物 (ゴキ注意)

恐怖候が出るので、ゴキが苦手な人はちょっと……


ブルー・プラネットはアウラを連れて要塞の外に出る。まだ日は高い。

 

「この辺りには、魔樹の痕跡はないのだな?」

「はい、少なくともあたしのスキルでは発見できません」

「そうか……」

 

 近くの樹の中に入り、森の状態を確認する。確かに、それらしい植物系モンスターは居ない。

 しかし、それは「活性化したモンスター」がいないというだけであり、植物系モンスターが種子や根で休眠している可能性を排除するものではない。

 

 ならば、強制的に活性化させる。

 

 魔樹は周辺の生物からHPを吸い上げて自分のHPにすることが出来るようだ。レベルのわりにHPが高かったというのもそのためだろう。

 

(マーレでも出来ただろうが……ひとつ、今後のために教えておくべきだろうな)

 

 マーレの顔を思い浮かべる。ブルー・プラネットと同じドルイド魔法を使える幼い守護者を。植物系モンスターを倒した後は強制的に活性化させ、隠れた敵を見つけ出すべきだと経験不足のマーレに教えておかなくては、とブルー・プラネットは考える。

 

 しかし、今は――ブルー・プラネットには試したいことがある。自分の主装備である王笏が外部でも使えることの確認だ。

 

 ブループラネットのもつ旧ギルド武器「星の王笏」は元は「大地の王笏」に天球コントロールのための「宇宙儀」を組み込んだものだ。ナザリックでは第六階層の大地・天候・天球、そして配置された動植物をすべて管理することが可能であり、使用者の魔力を増強する上に、使用者本来のクラスレベルを超えてドルイド系魔法を使用出来る神器級アイテムである。

 そして、ブルー・プラネットのスキルと組み合わせれば<広域植物操作>や<天候変化>等の位階魔法を拡張した<トリエントの群走>や<嵐神の咆哮>のような大技にもなる。

 

 ただし、その力が最大限に発揮されるのは「自ギルド拠点内に限って」の話だ。ブループラネットの職業「聖森の守護者」は森林ギルド長に与えられる職であり、拠点を守ることに特化されている。これは「お留守番」に対する優遇措置であり、言い換えれば「外の冒険では役立たず」という意味でもある。

 ユグドラシル時代、拠点外の冒険では「星の王笏」は領域の宣言と魔法の発動の2段階を必要とするため、戦いには役に立たなかった。

 

 ならば、この世界ではどうか?

 

 ブルー・プラネットは王笏を地面に突き立て、その感触を探る。

 周囲の土地が自分の意識と「つながる」ことが分かる。領域の宣言が完了したのだ。

 次に無詠唱化した魔法を唱える。大した魔法ではない。<広域植物成長促進>――通常のドルイド魔法だ。

 

 要塞を取り囲むように平地を残して周辺の地面が波打ち、地響きと共に切り株が大木に変じる。

 

 「うわっ! すごい!」

 

 アウラが驚嘆の叫びを上げ、ブルー・プラネットもその使い勝手の良さに驚く。

 以前の<広域植物成長促進>はレベルと同数の100メートルの扇状に効果が発揮された。

 しかし、王笏を使った今、ほぼ同じ面積で頭に思い描いた形状に樹を育てることが出来た。

 コンソール上の面倒な領域設定が不要で、瞬時に範囲が設定できる。

 

 これなら実用的だ――ブルー・プラネットはユグドラシル時代に使い物にならなかった攻撃魔法も試してみようとして、思いとどまる。

 ユグドラシルのフィールドではない、この大自然を遊び半分に破壊することを避けたのだ。

 

「ふむ……思った以上に便利だな」

 

 そう呟き、<広域植物成長促進>を連発し、伐採されていた周囲の森の大部分を回復させる。

 樹の中に入り、あらためて森の状態を観察する。

 先ほどと比べて明らかに森の植物は活性化している。秋も深まり周囲の樹々は半ば色づいていたが、魔力によって復活した樹からは真夏の様に瑞々しい緑が噴き出ている。

 

 そして、先ほどは見られなかった輝点が幾つか、脳内に広がる周辺の地形に映し出される。

 

「アウラ、復活したザイトルクワエの場所は分かるか? あちらの奥だが……」

「あ、ブルー・プラネット様! 分かります!」

 

 ブルー・プラネットは輝点の場所を枝指して伝え、同時にアウラもヒクヒクと鼻を動かして叫ぶ。自身のレンジャーのスキルでモンスターを発見できたのだろう。

 

「よし、それでは……」

「はいっ」

 

 ブルー・プラネットが命令を下すより先にアウラが飛び出していた。

 最高レベルのレンジャーであるアウラは、平地をかけると変わらない速度で森の中を――枝が絡み合う密林の中を駆けていく。

 高々数百メートルの範囲内だ。瞬く間にアウラは発芽した魔樹の種を抱えて戻ってくる。それは、人間の頭ほどもある丸い、黒光りした球体で、パックリと2つに割れて中から高さ1メートルのひょろ長い芽が突き出ていた。

 

「あと3つですね」

 

 玩具を与えられた子犬のようにアウラは跳ね、森に姿を消し、一つまた一つと種を持ってきてはブルー・プラネットの足元に並べる。

 

 合計4つの発芽した種が並べられ、その芽がゆらゆらと揺れている。

 

「ブルー・プラネット様、これで全部です。1レベルのイビルツリーですね」

 

 アウラが輝く笑顔で良い汗かいたとばかりに汗をぬぐう素振りをする。

 

(あれ……これ、見たことがあるぞ)

 

 ブルー・プラネットはイビルツリーの苗木に顔を近づけ――記憶を掘り起こす。

 

(これ、<シャーウッズ>のNPCやん!)

 

 この世界本来のイビルツリーの苗木は見たことが無い。また、ユグドラシルではイビルツリーは少なくとも30レベル以上のモンスターであり、もっと成長した姿で現れる。

 だが、この苗木はブルー・プラネットの<シャーウッズ>が設計したNPCに酷似している。

 

 王笏をあらためて確認し、古い機能――<シャーウッズ>のNPC管理機能を立ち上げる。コンソールは現れないが、代わりに本能的に目の前の苗木が自分のシモベであると閃く。

 

「成長せよ」

 

 レベルメーターを上げるつもりで手を動かす。本来ならば必要ない動作だと分かってはいるが。

 

 4つの苗木が周辺の大地の生命力を吸収し、グンッと大きくなる。3メートル……ほぼブルー・プラネットの身長と同じ高さに育った苗木に小さな顔が現れ、キイキイと叫び声を上げる。

 

 以前作ったイビルツリーNPCと同じ動作だ……もはや間違いない。この「魔樹」は<シャーウッズ>で作られ、ギルド解散時に様々なチームに引き取られていったNPCの子孫だ。

 子孫――そう、このNPCは土台NPCのレベルを吸収して成長し、一定時間で種を結び、自らは枯れてレベルを土台に還し、発芽した種が新たなライフサイクルをなぞる……そういうものだった。ギルド戦で武器として種を飛ばすように改造され、引き取られていった時には通常のイビルツリーと同じく異形種として寿命の設定を消したのだった。

 

 呆然としているブルー・プラネットにイビルツリーの苗木は体を擦り寄せてくる。言語による意思疎通は出来ないが、創造主としてブルー・プラネットを認識しているらしい。

 ユグドラシルで作られたNPCがこの世界で残した種から生まれたNPC、いわば子孫だが、元のイビルツリーから記憶は引き継がれているのだろうか?

――ブルー・プラネットは突然現れた配下NPCに戸惑い、立ち尽くす。

 

「ブルー・プラネット様、どうされました?」

 

 黙って立ち尽くしているブルー・プラネットにアウラが心配して声をかけ、ブルー・プラネットは現実に引き戻される。

 

「ああ、いや……このイビルツリーは、昔私が創造した者……その子孫だ」

「で、でも、こんなシモベ、あたしは見たことないですよ!?」

 

 アウラは目を真ん丸に見開いて驚きの叫びを上げる。

 

「ああ、そうだろう。これは私がナザリックに来るずっと以前に創ったものなのだからな」

 

 ブルー・プラネットの言葉にアウラは絶句する。

 先ほどの地下室での実験でナザリック以前の世界を仄めかしたブルー・プラネット――その計り知れない歴史を目の前に突きつけられたのだ。

 

「こ、これが、あたし達が創造される前にブルー・プラネット様がお創りになられた……?」

 

 アウラの頭の中で、目の前のイビルツリーに対する様々な思いが交錯する。

 それは、最初に寵愛を受けた者への嫉妬であり、最古のシモベに対する尊敬であり、それを燃やしてしまった自分への慙悔であった。

 

「あ、あの……ブルー・プラネット様……この方たちのお名前は?」

 

 アウラが恐る恐る問いかける。最古のシモベ、ザイトルクワエの子供を何と呼べばよいのかと。

 

「いや、名前は無いが……ん? ああ、心配するな。これはお前たちのように特別に創り出したものではないからな」

 

 ブルー・プラネットはアウラの心配を理解し、それを否定する。

 

 お前たちのように特別に創り出したものではない――アウラの瞳に輝きが戻る。

 

「そっかー、そうですかー、うん、じゃあ、よろしくねっ!」

 

 アウラは笑顔で4本の苗木の背中側をパンパンと叩いて挨拶する。

 叩かれた苗木は怒って――3レベルでは知性ポイントが低く、反射的な攻撃でアウラに向かって体を振り、その幹や細い枝をペシペシと叩きつける。

 アウラからすれば子犬がじゃれつくようなものだ。

 

「あはは、これ可愛いですね! ナザリックに持って帰るんですか? ブルー・プラネット様」

 

 アウラはくすぐったそうに笑いながらブルー・プラネットに問いかけた。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 ブルー・プラネットは実の所、考えあぐねていた。NPCであれば第六階層の土に移植しても生きていけるだろう。しかし、このNPCの場合はそれが問題なのだ。

 第六階層の生命エネルギー――仮にそう名付ける――を吸い上げ、第六階層の生態系を乱すことは間違いない。ピニスン達はたちまち枯れ果て、短期間のうちに100レベルの、限りなく高いHPをもつ4体のシモベが誕生することだろう。

 

「あのー、モモンガさん?」

『はい、ブルー・プラネットさん、そっちは大丈夫ですか?』

 

 モモンガに連絡すると、ブルー・プラネットの身を案じていたモモンガが嬉しそうに応答する。

 

「はい、大丈夫ですけど……ちょっと厄介な問題がですね……」

『え? 問題発生ですか?』

「いや……モモンガさん、魔樹を以前倒したんですって?」

『あー、はい、そうですが……それが何か?』

「その種を見つけて、発芽させたんですけどね……実はそれ、私が昔作ったNPCだったんですよ」

『ええっ! どういうことですか?』

 

 驚くモモンガに、ブルー・プラネットは経緯を説明する。アインズ・ウール・ゴウンに加盟する以前のギルド、モモンガも知る<シャーウッズ>のNPCの子孫であったらしいことを。

 

『……そうですか。あの<シャーウッズ>の……』

「はい、他のギルドに引き取られていった内の一体がこの世界に紛れてきていたようです」

『ああ……他のプレイヤーたちが持ってきたのか……それで、忠誠心はどうなんですか?』

「はい、私の昔のギルド武器で確認したところ、創造主として認識されていて、こちらでレベルの管理も可能です」

『そうですか、それではナザリックに迎え入れても問題なさそうですね』

「いえ、それが――」

 

 戦力増強を喜ぶモモンガに、ブルー・プラネットは説明する。第六階層が崩壊しかねないと。

 

『――ああ、それは問題ですね……で、どうします?』

「それを相談したくて……よかったら、こっちの要塞で隔離しておこうかなと」

『大丈夫ですか? 要塞の天井を突き破って成長したりしないですかね?』

「それは大丈夫です。周囲からドレインして成長するタイプなので、鉢植えにしておけば」

『なるほど……では、そちらでブルー・プラネットさんの責任で管理してもらえますか?』

「はい、そうさせてもらいます」

『はい、では気を付けて』

 

 <伝言>が切れる。

 

「アウラ、これはナザリックには持っていけないから、この地下で管理することになった」

 

 少しばかりしょぼんとするアウラに、ブルー・プラネットは慰めの声をかける。

 

「まあ、そうガッカリするな。アウラならこの要塞にちょくちょく来るんだろう? そうだ、マーレも呼んでやれ。マーレもドルイドで植物系モンスターの管理が得意だろうからな」

「は、はい! そうですね、マーレも喜ぶと思います。あの子、植物系モンスターが好きですから!」

 

 ブルー・プラネットとアウラは顔を見合わせて笑いあう。

 そして、アウラは首にかけたドングリのネックレスを握って弟に連絡を取る。

 

「マーレ、あのね、ブルー・プラネット様から良いもの貰っちゃったよ!」

『あ、お、おねーちゃん……あ、あの、良いモノって……?』

「えっへっへ、あのね、ブルー・プラネット様が昔お創りになったイビルツリーの苗木が4本!」

『え、ブルー・プラネット様がお創りになられたイビルツリーの苗木……なの?』

「そうよ! あんた、植物系モンスターの管理得意でしょ? だから、あんたに任せたいって」

『そ、そうなの? う、嬉しいな……あ、あの、おねーちゃん、ブルー・プラネット様に代わってもらえる?』

「うん、じゃーね」

 

 アウラとマーレの通信が切れ、アウラのネックレスを握ったブルー・プラネットの脳内にマーレからの連絡が響く。

 

『あ、あの、ブルー・プラネット様……おねーちゃんから今連絡がありまして、ブルー・プラネット様がお創りになられたイビルツリーの苗木をいただけると……』

「ああ、そうだ。お前が大切に育ててくれると助かるな……いや、育てるのではなく、今の状態を保ってくれ。また魔樹が大きくなったら困るからな」

 

 ブルー・プラネットは「あげると言ってはないんだが」と内心思いつつアウラを横目で見る。そして、その笑顔を見て「この双子への良いプレゼントになった」と思いなおして首を縦に振る。

 

『え、あ、あの……あの魔樹と関係あるんですか?』

 

 マーレが驚いた声で尋ねる。

 

「ああ、お前達が倒した魔樹……その種から生まれたイビルツリーだ。その魔樹は、私が昔作ったシモベだったんだよ」

『そ、そうだったんですか!? じゃ、じゃあ、魔樹を倒しちゃったのは、その……』

「いや、それは不問にしよう。それよりも、その魔樹の4本の子供の面倒を見てほしいのだが」

『は、はい! そういうことでしたら、ぼくの命に代えても苗木をお守りします!』

「ははは、そんなに緊張することはない。新しい仲間と思って大事にしてくれれば、それでいい」

 

 マーレの歓声を聞き、ブルー・プラネットはこちらから通信を切る。

 

「さてと、じゃあ、これを地下に運ぼう」

「はい、でも、これは大きくは出来ないんですよね? 薬草は生やせるんでしょうか?」

「えっ? 薬草?」

 

 またしても新情報だ。薬草を生やす設定にした覚えはブルー・プラネットには無い。

 アウラに話を聞くと、モモンガが“漆黒”として請け負った仕事に万能薬の原料となる薬草の採集があり、その薬草が生えていたのがザイトルクワエだったという。

 

「それは……私には心当たりはないが……」

 

 引き取られた先でドロップアイテムの設定でも付けられたかと考え、王笏を起動してNPCの設定画面を空中に映し出す。

 

「ふむ……ザイトルクワエA……60レベル以上で<大治癒>の効果をもつ薬草を生やす、か」

 

 ページを切り替えて他のザイトルクワエB、C、Dの設定も調べるが、どれも同じである。

 誰がつけたのか知らないが、まあ、害にはならないだろう――ブルー・プラネットはそう考える。このイビルツリーたちを60レベル以上に成長させるつもりはないのだから。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 地下の実験室でブルー・プラネットは4本の苗木と2つのガラス瓶を見つめる。

 アウラは地上で工事の監督をしており、幼いアウラに気兼ねすることなく実験に集中できる。

 

「さて、食料の方はどうなったかな?」

 

 ガラス瓶を覗くと、土から這い出た小さな蟲達が2つの欠片に群がっている。だが、その群れを構成する蟲達の種類には、この世界の食料とナザリックの食料とで違いがあるようだ。

 

「こっちの群れは、この世界の食料が好きなのか……いや、味の違いということもあるな……」

 

 これは予備実験であり、成分ごとの蟲達の好みは今後の課題だ。

 

 今回の実験では――ブルー・プラネットは食品の欠片をそれぞれ新しいビンに取り分ける。

 この世界の食料で育った蟲達、ナザリックの食料で育った蟲達をそれぞれを殖やし、さらに細かく分けていく。それによって純粋に「この世界の食料で育ったもの」と「ナザリックの食料で育ったもの」を選り分けるのだ。それらが十分に殖えたら実験に取り掛かる。仮説では、餌の違いで魔法やポーションに対する反応も違ってくるはずだ。

 

 もう一つのビンを覗く。

 この世界の土から離れて、蟲達が第六階層の土の中を蠢いているのが分かる。

 この世界の土を、下敷きの布ごとそっと持ち上げて取り出す。

 取り残された蟲達が第六階層の土だけで生きていけるのか――今後はそれを確認する。

 

 ブルー・プラネットはこの世界の蟲の育て方など知らない。だから、最初は全滅することもあるだろう。比較のため、外の世界の土だけでも蟲を育てて殖え方を調べる。何度も繰り返せば何らかのことは分かるはずだ。

 

「逆に、ナザリックの者で外の世界のモノだけを食べさせてみたいものだが……」

 

 それは難しい。

 今のナザリックに居るものは、基本的に食料を必要としないアンデッドたちか、知性のある者達だ。アウラやマーレの召喚獣などもいるが、それらを下手に飢えさせても可哀想だ。

 

(餌が必要で、かつ、飢えさせても構わない者か……)

 

 ブルー・プラネットは宙を見つめ、思いを巡らす。そして、突如、格好のサンプルに気が付く。

 

――恐怖候の眷属がいた。

 

 生命力が強く、基本的に何でも食べる虫だ。そして、その気持ちは恐怖候が代弁してくれる。

 

「ようし。帰ったら、まず恐怖候に会いに行こう」

 

 そして、1つの可能性を危惧する。

 ああいう虫がこの世界に溢れたら……この世界の生態系が壊れる可能性もある。

 第六階層に外界の生物が侵入することと同様に、ナザリックの生物で繁殖力のあるものが外界に出ていくことも避けねばならない。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 ブルー・プラネットが生態系について考えを巡らせているころ、ナザリック近郊のカルネ村ではエンリ――アインズと名乗っていた頃のモモンガに何度か助けられ、ナザリックの庇護下にある村の娘は夕飯の準備をしていた。

 

「あっ、まただっ!」

 

 台所の壁を這っている小さな黒い虫をエンリは見付け、近くに忍び寄る。

 その虫は長い触角をゆっくりと左右にうねらせ、何事かを考えているようであったが――忍び寄るエンリの気配に気づき、サッと逃げようとする。

 

ベシャリ

 

 エンリの振り下ろした麺棒が一瞬早くその虫を叩き潰す。素早いとはいえ小さな虫だ。反射神経も運動神経も急激に発達しているエンリの動体視力から逃げられるものではない。

 

 調理台の上で叩き潰され麺棒に張り付いた虫の死骸をエンリは指で摘まみ、しげしげと眺める。

 

「またこの虫ね。以前は見かけなかったけど、なんていう虫なんだろ?」

 

 友人のンフィーリア――今は村で近くの家に住んでいる、何でも知っている薬師――なら知っているかも知れない。

 

(小さくって黒くってテカテカと光って……かわいい綺麗な虫だけど、台所の食品に集るようじゃあ仕方ないわね。可哀想だけど、駆除しなくちゃ。でも、この白い内臓……ひょっとして油の塊かな?)

 

 エンリは指に付いた白い油を舐め、ついで、麺棒に付いた油を指で掬って味を見る。そして、調理台の上にベッタリと広がった油も。

 

 ちょっぴり薬臭いけれど、我慢すれば食べられなくもない――エンリはそう判断する。

 

(こんなに油がたっぷりなんだ。冬の間の食料に良いかも。それに、最近は寒くなって肌も荒れているけど、この油を塗ったら肌がスベスベにならないかな?)

 

 貴族が使う香油とはいかないが、村娘にとっての精一杯のお化粧だ。最近仲が急接近したンフィーリアも気に入ってくれるかもしれない。

 このアイディアに気を良くし、フンフンと鼻唄を歌いながらエンリは幼い妹を呼ぶ。

 

「ねえ、ネム! この虫を捕まえて集めてくれない? みんなの家にも連絡して……ほら、納屋に沢山いたでしょう? 桶を持ち上げたらワーッって逃げて散らばって……」

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 やがて日が暮れる。

 ブルー・プラネットは要塞の屋上に上がり、夜空を眺める。人工的な光は極わずかであり、美しい星空が、人間の手に触れられたことのない大森林の上に光を投げかけている。

 

 下ではアウラが指示を飛ばし、光を必要としないアンデッドやゴーレム達が闇の中で忙しく働いている。昼に来たときよりも更に要塞が拡張されている。この分なら、じきに大要塞が完成することだろう。

 先ほど回復させた樹々は再び切り倒されて材木となっている。悲鳴は聞こえない。目を凝らすと、エルダーリッチ達が<脱水>を掛けて樹を即死させ、その上で切り倒しているようだ。

 

 彼らなりの配慮なのだろう。気分は悪いが、ナザリックのためと思えば我慢も出来る。要塞の建築が終わったら本格的に森の再生に取り掛かろう。

――そう思ってブルー・プラネットは目を逸らす。

 

 切り倒される樹々から目を逸らし、遠くの森を見渡す。ブルー・プラネットはこの月明りでも昼間のように周囲を見渡せる。完全な暗闇あっても微妙な温度変化を感知できる。

 

 夜は魔物たちの時間だ。日中は闇に潜んでいた者達が蠢きだしている。

 この要塞の近くには決して近寄ろうとはしないものの、遠くで樹々に紛れてうろついている者達――その体温を、息遣いを、木の葉を踏みしめる音を、ブルー・プラネットは感じる。

 

(俺も魔物の一人だしな)

 

 ブルー・プラネットは苦笑し、下で動いているシモベたちの中で唯一体温のある者――アウラを認識し、その近くに飛び降りる。

 

「あ、ブルー・プラネット様! どうされました?」

 

 アウラがニコニコと話しかけてくる。彼女も夜目が利き、星空の下で人工の灯りも無しに自由に動くことが出来るのだ。

 

「うむ、ちょっとこの近くを散歩してみたくてな」

「そうですか! それではご一緒してよろしいですか?」

「それは、お前の仕事次第だが……」

 

 無断で出歩いたら迷惑かと確認しに来ただけなのだが……ブルー・プラネットは口を濁す。

 

「アウラ様、私が監督いたしますから、どうぞブルー・プラネット様とご一緒に……」

「うん! お願いできる? じゃあ行ってくるね。さあ、ブルー・プラネット様」

 

 アウラの傍に立っていた小さな黒い影が口をはさみ、アウラが嬉しそうに頷く。

 

 そしてブルー・プラネットはアウラと共に森に向かって歩き出す。

 

「この周辺には、どんなモンスターが出現するんだ?」

「はい、亜人種ではゴブリンの大集団を確認しています。数は少ないですけどトロールやオーガもいます。他には悪霊犬や巨大昆虫、絞首刑蜘蛛、森林長虫に跳躍する蛭……それに植物系モンスターではトリエントやドライアード、絞め殺す蔦がちらほら出てきます。ここから離れた水辺や地下の洞窟には水系のモンスターやマイコニドとかもいますけど」

 

 アウラはすらすらと答える。

 要塞を離れると、そこは深い森の中だ。樹々がびっしりと枝を張り巡らせているが、アウラもブルー・プラネットもスキルによって森の木々による行動阻害を受けず、平地で散歩するように気軽に足を進める。

 

「ふむ……これだけの森だとドラゴンでもいそうなものだが、強いモンスターはいないのか?」

「ええ、この森はハムスケ達が支配していたくらいですから」

「そうか、そうだったな……」

 

 巨大ハムスターとトロール、ナーガ……その程度で支配される森ならばドラゴンはいないのだろう。

 ブルー・プラネットは少し残念に思う。折角だから夜のモンスター狩りをしてみたいと思っていたのだが、ゴブリンの群れを狩ってもあまり面白くない……というか、ゴブリン程度なら範囲魔法を使って数百匹単位で殲滅する作業にしかならない。

 

「強いモンスターはどこにいるんだろうな?」

「はい、強いと言えるか微妙ですけど、この辺りではザイトルクワエ……さん程度ですね。あたしも見たことはないんですけど、モモンガ様のお話では他の国にはドラゴンもいるらしいです」

「ああ、『竜王国』か……」

 

 帝国の小さな町で聞いた噂では、ビーストマンの侵攻を受けているという微妙な国があるらしい。冒険者として諸国の情報を掴んでいるだろうモモンガに聞けば詳しいことが分かるだろう。

――たまに飛び掛かってくる悪霊犬や森林長虫を無造作に枝で振り払い、ミンチとなったその死骸を撒き散らしながらブルー・プラネットはアウラとの会話を続ける。

 

「他の国にも行ってみるかな……」

 

 ブルー・プラネットがぽつりと漏らした言葉にアウラが歩みを止める。ブルー・プラネットが振り返ってみると、アウラは蒼い顔をして震えていた。

 

「あ、あの……ブルー・プラネット様、またナザリックを去られるのでしょうか……?」

 

 胸のあたりで拳を握り締め、涙を流しながらアウラはブルー・プラネットに問う。

 

「私達に……ご不満でしょうか?」

「いや……安心しろ、ちょっと旅行するだけだ。ナザリックの敵となる者がいないか……とかな」

 

 ブルー・プラネットは軽はずみな言葉を後悔する。何年もの間ナザリックを見捨てていた自分がどれだけ深い傷をシモベたちの心に残しているかを知って。

 

「お前たちを見捨てることは、決してない。お前たちはこの世界の何物にも代えがたい宝だ」

 

 泣きじゃくるアウラの幼い体をブルー・プラネットは枝で抱きあげる。

 アウラはなおもしゃくりあげているが、それはもう不安と恐怖によるものではない。至高者が再び自分を見捨てることが無いと言ってくれたことへの安心感によるものだ。

 

「ありがとうございます。ブルー・プラネット様」

「ああ……もう戻ろうか。アウラが造ってくれた要塞に」

 

 ブルー・プラネットは第10位階の魔法<帰還>を唱える。

 

<ナザリック> <聖なる森> <要塞> ……

 

 聖なる森って何だっけ? とブルー・プラネットは首を傾げながら、頭の中に浮かんだ選択肢の中から要塞への帰還を選択する。

 

 視界が一瞬で切り替わり、ブルー・プラネットは要塞の入り口に立っていた。

 

「さあ、降りなさい」

 

 枝を伸ばしてアウラを地に降ろす。アウラは涙の跡をゴシゴシと袖で拭い、ニッコリと笑ってお辞儀をする。

 

「さて、私は地下室に戻るよ。アウラも自分の仕事を続けるがいい」

「はいっ! それではブルー・プラネット様、失礼いたします!」

 

 元気を取り戻したアウラが仕事場に戻っていく。

 ブルー・プラネットは溜息をついて要塞に入る。そして、部屋の中に居たエルダーリッチに軽く枝を上げて挨拶する。

 

「お帰りなさいませ、ブルー・プラネット様」

「ああ、今戻ったぞ」

「早速ですが、ブルー・プラネット様の御実験室への直通階段をご用意いたしました」

 

 見ると、応接室の隅――最初に降りた階段とは反対側――に隠し戸が作られており、エルダーリッチはそれを示している。

 

「仕事が早いな」

「恐れ入ります」

 

 エルダーリッチに見送られ、ブルー・プラネットは隠し戸を開けて階段を下りる。

 確かに直通の、しかし随分と無理な作りの階段がブルー・プラネットの実験室に繋がっている。

 

「ふぅ……」

 

 ブルー・プラネットは実験室に入ると蟲の観察を続ける。どんな形状の蟲が何匹いるのか、拡張された視覚でとらえ、メモ用紙にスケッチをしていく。

 この世界の食料にはこんな蟲、ナザリックの食料にはこんな蟲……その作業は夜通し続けられた。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 アウラは夜を徹して仕事を続ける。飲食も休息も睡眠も必要としなくなるアイテムを身に着けているのだからこそ可能なことだ。

 そこに、同じように飲食も休息も睡眠も必要としない仲間から<伝言>が届く。

 

『アーちゃん、今時間ある?』

「あ、ユリ、どうしたの? っていうか、ユリって<伝言>使えたの?」

『エントマに手伝ってもらってるの』

「あ、そうなんだ。で、何よ?」

『ええ……あのね……そちらで問題は起きてないかなって』

「問題? あたしがいるのに問題なんて起きるわけないじゃん?」

『そうね……ブルー・プラネット様はどうなさっていらっしゃるの?』

 

 何か奥歯に物が挟まったような、そわそわとしたユリの言葉にアウラは少し不機嫌になるが、先ほどの散歩を思い出してその気分はどこかに飛び去る。至高の御方と2人きりで行動するのはナザリックの者達にとって最高の名誉なのだ。

 

「えへへー、気になる? あのね、あたし、さっきまで森をブルー・プラネット様と散歩してたんだよ」

『え、そうなの? それは……』

「それでね、ブルー・プラネット様、あたしを『宝だ』って言って抱いてくださったんだよ」

 

 アウラは得意げに語る。

 

『……』

 

 ユリからの返答はない。

 羨ましがってるのだろう――アウラはそう考える。

 じゃあ、もっと羨ましがらせてやろう――ニンマリと顔を歪ませ、さらに自慢を続ける。

 

「それでね、泣いてるあたしをブルー・プラネット様が慰めてくださったんだよ。抱かれたとき枝が刺さってちょっと痛かったけど、すっごく幸せ!」

 

『――ユリ姉、ダイジョウブゥ?』

 

 エントマの声が小さく聞こえる。

 

「ん? エントマ? ユリがどうかしたの?」

『ンー、ナンダカ急ニ気分ガ悪クナッタッテェ……』

 

 <伝言>は符術師であるエントマの魔法によるものだ。使用者であるユリが何らかの事情で通信出来なくなったため、その回線がエントマの元に戻ってきたのだろう。

 

「そうなの? お大事にって言っておいて」

 

 アウラは首を傾げ、通信を切らせる。

 アンデッドのユリが気分が悪くなるって、ちょっと羨ましがらせすぎたかな、と少し気が咎めて。

 

「ナーベラルだってモモンガ様と冒険してるのにねー」

 

 アウラはそう呟くと、2人の散歩の記憶をもう一度反芻して幸せな笑みを浮かべる。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 翌朝早く、ブルー・プラネットは要塞の管理人に挨拶し、アウラと一緒にナザリックに戻る。

 モモンガに連絡して到着予定時刻を伝え、フェンリルに乗ったアウラと再び森の中を駆ける。

 出がけに再び隠蔽を行い――アウラは自分のスキルによる迷彩化と、エルダーリッチの魔法によって――何事もなく無事にナザリックの壁を越え、墳墓の入り口に辿り着く。

 

 出迎えてくれたのはモモンガとユリ、そしてエントマとシズだった。

 

「モモンガさん、ただいま」

「お帰りなさい、ブルー・プラネットさん。楽しかったですか?」

「ええ、楽しかったです」

 

 2人は朗らかに笑いあう。

 

「モモンガ様、ただいま帰りました」

 

 アウラがフェンリルから降りてモモンガの許に跪く。そして、ユリの不安げな視線に気づく。

 

「ユリ、気分はもう大丈夫なの?」

「え、ええ……アー……アウラ様はいかがですか?」

「あたし? あたしは最高の気分だけど?」

 

 ユリの体がぐらりと揺れる。

 

「そ、そうですか」

「うん、そうだよ?」

 

 なにか要領を得ない2人の会話にモモンガが割って入る。

 

「ユリ・アルファよ。ブルー・プラネットさんの指輪をお返しするのではなかったか?」

「はっ、はい! 失礼しました」

 

 ユリは慌ててポケットからハンカチでくるんだ指輪を取り出し、一歩進んでブルー・プラネットを上目遣いに見上げる。

 

「ブルー・プラネット様、お預かりしておりました指輪をお返しいたします」

「ご苦労さま」

 

 ハンカチの上に乗った指輪を摘み上げ、ブルー・プラネットはそれを既定の枝に嵌める。

 ユリはペコリと必要以上に頭を下げ、足早に退いた。

 

「それでは戻ろうか」

 

 モモンガの声で、皆は墳墓の中に消えていく。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

「さて、何から片付けるか」

 

 居室に戻ったブルー・プラネットは考える。

 ひとまずは、捕虜の世話だ――居室を出て、第九階層の実験室に向かう。

 

「入るぞ」

 

 ノックをしてドアを開けると、デス・ナイトが唸り声をあげて迎えてくれる。

 机の上にはメモ帳や書類があるが、ヘッケラン達人間の捕虜の姿は見えない。

 

「捕虜はどこだ?」

 

 デス・ナイトの視線を追い、ブルー・プラネットは壁とドアで区切られた寝室に向かう。

 寝室の中ではヘッケランとイミーナがベッドの中で寝息を立てている。服は着ていない。

 

――ごめんなさい

 

 心の中で謝って、ブルー・プラネットは静かに寝室を出てドアを締め直し――ドンドンと激しくノックする。

 

「ヘッケラン! イミーナ! お前たちはそこにいるのか?」

「はっ、はいっ! 今開けます」

 

 ドアを隔てた中からヘッケランの叫びが聞こえ、何やらゴソゴソと音がする。

 やがて、シーツで身に包んだヘッケランがドアを開け、姿を現す。

 

「おはようございます、ブルー・プラネット様!」

 

 寝室の入り口で、シーツに身を包んだヘッケランとイミーナが頭を下げている。

 

「お前達、寝ていたのか。起こして済まなかったな。服はどうした?」

 

 我ながら棒読みだ――そう思いながらブルー・プラネットは2人に声をかける。

 

「はっ! 昨日、インクリメント様が『お前たちは臭う』といって服を持っていかれました」

「ああ、そういうことか。では、代わりの服を持ってきてくれるだろうな」

「は……はい、私達も待っているのですが……」

 

 ヘッケラン達は視線を宙にさまよわせる。

 まあ、そういう関係の2人しかいない部屋だ。別にメイドを急かすこともないか――ブルー・プラネットは枝を上げ、なおも何か言おうとしたヘッケランの言葉を遮る。

 

「それで、頼んでおいたレポートは出来ているか?」

「はい、それは机の上に置いてあります」

 

 寝室を出て、ブルー・プラネットとシーツに包まった2人は机に向かう。

 

「ふむ……それで、お前たちは空腹を感じているか?」

「いえ、十分な量のお食事をいただいておりますので、空腹は感じません」

「渇きを覚えたり、貧血で目が眩むとか腹痛とかもないのだな?」

「は、はい。特に体調も異常ありません」

 

 食事の内容と2人の顔色を確かめたブルー・プラネットは頷き、レポートを机に戻す。

 

「よく眠れたか?」

「はい、おかげさまで……柔らかいベッドを用意していただき感謝しております」

「ふむ……」

 

(ベッド……『基本タイプA』だよな……まあ、それ以下って言うとホラー病棟用とか拷問用とかになっちゃうしな)

 

 メイドが手配したベッドはナザリック基準では一番低コストの、何も装飾のない簡素な物だ。しかし、それでもこの世界の基準では裕福な者達しか許されない品質である。ブルー・プラネットとしては別にヘッケラン達を虐待しようという意図があるわけでもなく、余計なコストを掛けてわざわざ寝心地の悪いものを用意することもない。

 

「よし、分かった。それではこの調子で暮らしてくれ」

 

 2人の捕虜はホッとした表情で顔を見合わせる。自由はないが、衣食住の“衣”を除けばそんなに悪い暮らしでもない、住めば都だと思って。

 

「あの……アルシェには、また会えるでしょうか?」

 

 イミーナは本当の妹のように思っていた仲間の身を案じる。世話係のインクリメントに話を聞こうとしても、彼女は興味が無いようで「他のメイドが世話をしておりますから」というばかりだった。

 

「ああ、アルシェか……いつまでもシャルティアに任せておくわけにはいかないな……第六階層に行く前に、この部屋でしばらく暮らすか?」

 

 ブルー・プラネットの提案に、ヘッケランとイミーナは顔を見合わせる。

 

「あ、あの……ブルー・プラネット様、出来れば、その……別の部屋が良いんですが……」

 

 ヘッケランが口ごもりながら少し顔をニヤつかせ、イミーナを見ながら答える。

 その答を意外に思い、ブルー・プラネットは首を傾げる。

 

「あの子はまだ子供ですし……その……」

 

 イミーナも口ごもり、ヘッケランを横目で睨む。

 

「ああ……そうだな。プライバシーは大切だが――」

 

 寝室の区切りは薄い。しかも天井部分は開いている。ただのパーティションであり、声が筒抜けだ。

 シーツで裸を包んだ2人を見てブルー・プラネットはヘッケラン達の言わんとするところを理解する。

 

「――新しい部屋を用意するとなると……さすがに大変だな」

「そうですか……我儘を言って申し訳ございません」

 

 ブルー・プラネットが躊躇するのを見て、ヘッケラン達も頭を下げる。今の生活はこの化け物の気まぐれにすぎない。気を少しでも害したら自分の命は無い――それを理解しているのだ。

 

「いや、大した問題ではない。アルシェは私の部屋に一旦引き取ろう。同じ階層なのだから、そのうちお前達にも会わせてやる。心配することはない」

「あ、ありがとうございます!」

 

 ブルー・プラネットは枝を振り、裸で跪いて見送る2人の部屋を後にする。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 次に向かったのが第二階層、恐怖候の支配する「黒棺」と呼ばれる領域だ。

 

「これはこれはブルー・プラネット様! お越しいただき光栄の極みでございます」

 

 体長30センチになるゴキブリの姿をした領域守護者は、与えられた設定として鷹揚な口ぶりながら、嬉しさを隠しきれずにブルー・プラネットを迎える。

 

「ああ、お前も元気そうで何よりだ」

 

 帰還の宴の時は話す機会もなかったが……楽し気にブルー・プラネットも答える。

 

 その名のとおり、この領域においては黒い塊が無数に蠢いており、それはブルー・プラネットの足元にも身体にも群がっている。しかし、それは何の害もブルー・プラネットに及ぼさない。特別な力をもたない、ただのゴキブリだ。

 身体の表面を這いまわる無数の脚のカサカサとした感触をくすぐったく感じたり、時折、翅を直そうとするゴキブリのブブブ……という羽ばたきが聞こえたり、羽音とともに顔の前に飛んでくるのが煩かったりする程度で害が無い。

 

 むしろ、この部屋で動くたびにブチュリとした感触が起き、何匹もの眷属を潰してしまうのが気の毒だ。彼らは一応はモンスター扱いのため、生き物を損なわないスキルの対象外だ。眷属を殺すまいと気を使い、それでも踏み潰してしまってヌルヌルと床が滑る。

 不自由だが、仕方がないことでもある。この部屋はそのように造られたのだから。

 

「して、本日は何用で我が領域にお越し下されたのですかな?」

 

 2本の長い触角をゆっくりと振りながら、直立するゴキブリは王として創られた威厳をもって至高者に問いかける。

 

「ああ……2つほど聞きたいことがあってな」

「ほう、何なりとお聞き下され。吾輩が知る限りのことをお答えいたしましょうぞ」

「うむ、まず1つ目は、お前の眷属で外の世界に出て行った者がいるかどうかを知りたい」

 

 ブルー・プラネットの質問に、恐怖候は4本の腕を組み、天井を仰いで考える。

 

「さて……吾輩がこの領域を守って以来、吾輩の知る限り、外の世界に出て行ったものはおりませぬが……」

「『知る限り』というと、お前は召喚した眷属の場所を完全に把握してはいないのだな?」

 

 ブルー・プラネットは自分のシモベのことを考える。

 ブルー・プラネットが召喚したシモベたちは、何か目に見えない糸のようなもので繋がれている感触があり、その生死等を感じ取れるのだが、と。

 

「はい、吾輩が召喚する眷属は一度に1000を単位とする群れでございますがゆえ、その者達の1つ1つの場所までは管理できておりませぬ。今も、ブルー・プラネット様の御身に集る者達を制御できぬ不徳を恥じるばかりでございます」

「ふむ……それでは、少数の者が出ていった可能性は?」

「そうですな……エントマ殿が時々『おやつ』と称して我が眷属を食い荒らし、時には持ち帰られますが、可能性があるとしたらその時ですな」

「ああ……」

 

 エントマの姿を思い浮かべる。

 符術師である彼女のメイド服はポケットや襞が多く、彼女の身体自身にもいろいろと隙間がある。そこに、今自分の体に集っているように無数のゴキブリが入り込んだのであれば、外に逃げ出してしまった可能性は高い。

 このゴキブリたちは至高の存在であるはずのブルー・プラネットの身体にも無遠慮に這い登ってくる――知性は無いようで、逃げないでいることを期待するのは無理だ。

 

「エントマに聞いてみるか……いや、彼女自身が気付いてないなら仕方がないな。それに他のメイドたちにも……」

 

 帝都で“漆黒”として活躍していたナーベラル、村で見かけたルプスレギナ――その服や装備品にゴキブリが入り込んでいたのなら、仕方がない。

 

「分かった。では2つ目の質問だが、お前の眷属は外の世界の食料で殖えることが出来るか?」

 

 2つ目の質問に、恐怖候は胸を張って答える。

 

「当然でありますぞ、ブルー・プラネット様! 吾輩の種族は何でも食べるのが誇りでありますゆえ。外の世界の食料といいますと、先日ここに入り込んできた人間が2人おりますが、その者達の体は言うに及ばず、その血が染みついた服や皮靴まで余さず眷属がいただきました」

「……そうか、で、眷属たちはそれを美味いと感じたのか?」

「はっ! 大変喜んで食べておりました」

 

 ブルー・プラネットは頭を抱える。

 外界の人間がナザリックの食事をとることが出来るのと同様に、ナザリックの者も外界の食事をとることが出来ることが分かった。

 

「そうか、それで、外の世界の物で食べられない物はあったか?」

「そうですな、流石に剣や盾、それに服の鋲等は食べられずに残しましたが」

 

 金属類は食べられなかった――それはそうだろうとブルー・プラネットも納得する。

 そして、もう一つの事実――この『黒棺』に来るのは転移魔法によるということに気付く。

 つまり、第六階層への外来種の侵入と同じ問題――転移してきた物は元々ナザリックの魔法と親和性があった可能性は残り、この世界独自の物質の影響に対する疑問は解けない。

 

「分かった。それでは一つ頼みたいのだが……お前の眷属をいくらか貰えないだろうか?」

「ブルー・プラネット様! それは言わずもがなでございますぞ! ここにいる我が眷属、幾らでもお持ち帰り下され!」

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 ブルー・プラネットは居室の応接間でテーブルに乗せた大きなガラス瓶を眺める。

 

 ガラス瓶は2つある。

 

 1つは、トブの大森林から持って帰ってきた土。

 ブルー・プラネットはその土を調べる――無数の微小な生物が蠢いている。菌類も活発に活動しているようだ。<霧化>などの度重なる魔法や転移によっても消滅してはいない。

 

 ふむ――ブルー・プラネットは首を傾げ、更なる実験のためにその瓶を棚の上に置く。

 

 そしてもう1つは「黒棺」で貰った数百匹のゴキブリが詰められたガラス瓶だ。

 「黒棺」から転移したとき、絡み合う蔦の隙間に挟まって一緒に転移してきた数十匹も捕まえて一緒に入れている。これらはトブの森の要塞に持っていき、この世界の土で飼育する予定だ。

 

 ノックの音がした。

 

 開けてみると、アルベドが輝くような笑みを浮かべて立っていた。

 

「ブルー・プラネット様、大森林の御視察はいかがでございましたか?」

「ああ、楽しかったぞ。アウラも立派な要塞を立てていたな。大したものだ」

「左様でございますか……それでは、その、今後のご計画についてお考えを伺いたいのですが」

「ん? ああ、構わない。入ってくれ」

 

 何か打ち合わせる計画があったか?

 そう訝りながらもブルー・プラネットはドアの前で微笑む美女を部屋に招き入れる。

 

「ありがとうございます。それでは、ブルー・プラネット様がお望みの場所を……ブホォッ!」

 

 部屋に入ったアルベドは応接間のテーブルに着こうとし、その前に置かれたガラス瓶を見て――その中で蠢く黒い塊の正体に気が付くと、淑女は獣に変わる。怯え切った哀れな獣に。

 

 アルベドは椅子を蹴ってドアの方に飛びのき、壁に身を寄せて体中が痒いといった有様で鳥肌の立った腕を撫でまわす。青ざめた顔でガラス瓶を見つめながら、震える声で至高者の名を呼ぶ。

 

「ぶ、ぶ、ぶ、ぶるーぷらねっとさまぁぁぁ!?」

「ああ、恐怖候の眷属をちょっと借りてきてな……トブの森で実験に使うつもりだが」

 

 ブルー・プラネットはガラス瓶を持ち上げ、縺れた黒い塊をほぐそうとゆっくり回転させる。

 

「ちょっと体の隙間に入り込んだ奴もいてな……ほら、また出てきた!」

「はぶっ!」

 

 ブルー・プラネットは目の洞からゴキブリを一匹摘まみだしてアルベドに見せつけ、アルベドは仰け反って変な声を漏らす。

 

「まだその辺りを這ってる奴もいるかもしれないから、踏み潰さないように気を付けてくれ」

「ひっ……さ、左様でございますか。それでは、また、私は実験が終わりましたら伺います」

 

 顔を引きつらせてアルベドは足早にドアから出ていく。そしてドアを閉めると身体中を手袋をはめた手で掻き毟る。

 

 かゆいかゆいかゆいかゆい……

 

 もう二度とブルー・プラネット様の部屋には近寄らない――そう心に誓い、アルベドはブルー・プラネットの部屋を後にした。

 




ちなみに、私はゴキが腕を伝って顔まで這い上がってきたことがあります。
あれには流石にビックリしたなあ……


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第31話 2人の少女 (微エログロ注意)

ちょいエロ・グロ注意です。


 翌朝、ブルー・プラネットは、アルシェを自室に引き取るため、彼女を預けておいたシャルティアの元に向かう。

 階層守護者シャルティア・ブラッドフォールンの住居はナザリック第二階層死蝋玄室にある。第二階層の大部分が死と腐敗の臭いに満ち無数の動死体が蠢く醜悪な場所であるのに対し、死蝋玄室は甘い香りが漂う美しい場所とも言えた。薄暗い照明の中、何重にも吊られたピンクのベールが揺らめき、その影が人影のように蠢く。そして、どこからともなく女達の嬌声が響いてくる。当然、生きた人間の女達ではない。この周辺には守護者たる女吸血鬼とそのシモベたちしかいない。

 

 死蝋玄室の前に転移したブルー・プラネットは、扉をノックする。

 

「はい、どなた?」

 

 美しい装飾の施された扉がゆっくりと開き、シャルティアの眷属、バンパイア・ブライドの一人が顔をのぞかせる。白蝋の肌に真紅の瞳をもつ、美しい女の姿をした化け物だ。

 

 その彼女の目に映ったのは、蔦が絡み合った樹の幹だった。

 

「……なにかしら、これ?」

 

 強力なオーラを帯びた樹の幹を撫で、バンパイア・ブライドは視線を上に移す。

 そこには、炎を宿す木の洞で構築された顔があった。

 

「あー、シャルティアに会いたいんだが……」

「ぶぶぶぶるるぷらねっとさまぁ?」

 

 彼女の視線は3メートル近い高みから見下ろす視線とぶつかる。

 そして樹の化け物から発せられる声に応えることも忘れ、バンパイア・ブライドは素っ頓狂な叫びを上げる。

 

 大失態である。

 至高の存在に許可なく触れ、その問いかけに応えず取り乱すとは、その存在を即座に消されて当然の大失態だ。

 玄室に響いた至高の名前を聞き女たちの嬌声が消え、周囲は静寂に包まれる。

 

「……シャルティアは、いるか?」

「は、はひぃ! ひひゃしほまちを……」

 

 噛みまくりつつようやく答えたバンパイア・ブライドはドアを閉じることも忘れ、奥へ駆け込む。この階層の主人に至高者の来訪を告げるために。

 残されたブルー・プラネットは扉を自分で締め、溜息をつく。アルベドの部屋を訪ねたときも、アルベドが訪ねてきたときもそうだったが、至高者がシモベと会うごとに繰り返されるドタバタ劇は何かのお約束なのかと。

 

 ここの淫靡な雰囲気は友人であるペロロンチーノが作り上げたものだ。それはそれで良い。だが、NPCのドタバタはいかがなものか、もうちょっと、締めるべきところは締めるべきではないか――今更言っても仕方がないことだが、ついそう考えてしまう。

 

 やがて、扉越しにシャルティアの足音が聞こえる。華奢な少女の外見通り軽い足音だ。しかし、焦っているのだろうか、軽いながらも床を力強く踏みしめ、大股で急いで移動しているようだ。

 遅れて付き従う2人のバンパイア・ブライドの足音も聞こえる。

 

『お前、馬鹿か!? ブルー・プラネット様を外でお待たせしてるだと!』

『も、申し訳ございません! 何分にも突然のご訪問でございましたから!』

『で、何の御用でこられたんだよ……ちっ、聞いてねえのか、この糞役立たず! てめぇ脳みそ入ってんのか? 頭カチ割るぞ』

『あっ、い、痛っ……な、なにとぞ、お、お許しを!』

 

 シャルティアが怒鳴り散らす声とシモベの怯える声も聞こえてくる。

 

『……ふぅっ、お前達、ブルー・プラネット様の御前でみっともないマネすんなよ!』

 

 深呼吸し、声を潜めて注意するシャルティアの声だ。ブルー・プラネットの聴力では筒抜けだが、本人は気が付いていないらしい。

 そして扉が開く。

 

「お待たせしました、ブルー・プラネット様。わざわざ私めの部屋までお越しくださるとは光栄の極みです」

 

 あらわれた銀髪の美少女はボールガウンドレスの裾を摘み上げ、優雅に礼をする。先ほどの怒声は何かの間違いであると思いたくなるほど可憐な笑みで。

 しかし微笑みの裏には緊張が見て取れる。至高者の突然の来訪に変な言葉遣いをする余裕もないようだ。

 

「あー、うん。お前に預けていた人間の女がいただろう? あれを引き取りたいと思ってな」

 

 ブルー・プラネットが来訪の目的を告げると、シャルティアの顔がパッと明るくなる。

 

「アルシェのことでありんすね! はい、良い感じに仕上がっているでありんす。ささ、どうぞ中でお待ちくんなまし。ただいま呼んでくるでありんす」

 

 そして、シャルティアはシモベの一人にアルシェを連れてくるよう命じ、もう一人に向かって呆れたような顔で命じる。

 

「はいはい、おんしは突っ立ってないで早くお茶を準備するでありんす!」

 

 そのバンパイア・ブライド――扉で応対した者――がビクッと反応し、バタバタとお茶を取りに行く。ブルー・プラネットはそれを目で追いながら、シャルティアと応接間に向かう。

 

「申し訳ありぁせん、ブルー・プラネット様。どうもあの娘、最近、弛んでいるようで……」

「うん……まあ、いいよ。ドジも愛嬌ってやつだ。あまり叱るな」

 

 ペコリと頭を下げるシャルティアの言葉にブルー・プラネットはとりなす。

 

「なんと慈悲深きお言葉でありんしょう! たかがシモベにまで過分なお気遣いを賜りくりゃるとは……」

「いや、まあ、な」

 

 ブルー・プラネットは居心地悪そうに身体を捩る。別にシモベに気を遣ったわけではなく、女性の怒鳴り声は苦手なので止めさせたいだけなのだが。

 

 2人は応接間に入り、先ほどのバンパイア・ブライドがカチャカチャと音を立てて盆にのせた茶器を運んでくる。そして、ブルー・プラネットとシャルティアの前に並べ、茶の支度をはじめる。

 赤い透明な液体……ティーカップに注がれたそれを見て、ブルー・プラネットは考え込む。

 

「どうなされたでありんしょう? 紅茶はお気にめ……はっ!」

 

 シャルティアは問題に気が付き、シモベに向かって真紅に染まった瞳を向け、低い声で唸る。

 

「お前……どこまで私に恥をかかせる気でありんすかえ? よりによってブルー・プラネット様に“紅茶”をお出しするとは」

 

 お茶――紅茶とは、木の葉を摘んで発酵させ、乾燥したものを湯で煮だした液体である。そんなものを植物系モンスターであるブルー・プラネット様にお出しするとは――

 

 またしても大失態である。

 

 それに気づいたシモベはガタガタと震えだし、やっとのことで声を絞り出す。

 

「し、失礼いたしました、それでは代わりのお飲み物を……えと、オレンジジュース……いえ、トマトジュー……失礼しました。あの、その……」

「馬鹿が! ブルー・プラネット様にお出しするのは新鮮な生き血に決まってるだろうが!」

 

 しどろもどろになるシモベに対し、ついに怒りを爆発させたシャルティアが怒鳴る。そして、その華奢な指から鋭い爪を伸ばし、哀れなシモベの首を切り飛ばそうと振りかぶった。

 

 「……いいって、シャルティア。私はこの紅茶をいただこう。そして、そのシモベが犯した私に対する罪を全て許せ。これは命令である」

 

 振り上げられたシャルティアの腕を、後ろからブルー・プラネットの蔦が絡めとる。

 

「はっ! ブルー・プラネット様がそう仰るのでありんしたら」

 

 シャルティアは止められた腕を下ろし、ブルー・プラネットに向き直ると深々とお辞儀をする。そして、頭を下げたまま自由な手を振ってシッシッと追い払うようにシモベを退席させる。

 

「私は別に紅茶に対して怒っているわけではない。ただ、それが何かなと思っただけだ」

 

 ブルー・プラネットはシャルティアに告げ、ティーカップを持ち上げる。

 

「ああ、良い香りじゃないか」

 

 紅茶を飲む。すでに飲食不要のアイテムを身に着けており、根からではなく口から「飲む」という行為も久しぶりだったが、ブルー・プラネットは紅茶の香りと味を楽しむことはできた。

 

 実際のところ、ブルー・プラネットは植物が食物や飲料に使われることにさして感慨があるわけではない。目の前で無駄に樹が切り倒されるのを見れば怒りも湧くが、食料として麦が収穫されることもオレンジを切り刻むのも「命を繋ぐとはそういうものだ」と割り切れる。そもそも、ナザリックにおいて「お茶」や「ジュース」の類は蛇口をひねれば流れ出てくるもので、蒸されたり磨り潰されたりする元の植物が存在するわけでもない。

 

(つか、吸血鬼の部屋で出てくる飲み物だから身構えちゃったんだよなあ)

 

 用意された赤い飲料、それがただの紅茶だと知って安心したところで何故か「生き血」に交換されるところだった。それを搾り取られる「原料」は無いとはいえ、人間の精神の残滓を抱えるブルー・プラネットにとっては気分のいいものではない。

 ブルー・プラネットは溜息をつく。そして「失敗を繰り返す部下を寛大に許す上司」を演じきれたかを振り返る。モモンガが常日頃気にかけていると零した「良き上司」に自分もなろうと努力しているのだ。

 

「あのっ! ブルー・プラネット様、どうぞお掛けになってお待ちくんなまし」

 

 ティーカップを持ったまま立っているブルー・プラネットに、シャルティアが華奢な椅子を指し示す。だが、それはペロロンチーノが愛してやまなかった小柄な少女に合わせて作られたもので、トリエントには小さすぎた。おそらくは自動的にサイズ調整されるのだろうが、それでもトリエントの体は身長のわりに脚が短く、人間型に作られた椅子には若干の違和感がある。

 

「いや、遠慮しておこう。私は立ったままで大丈夫だ。魔法の椅子だから大丈夫かも知れないが、ペロロンチーノさんご自慢の、この玄室の備品を壊したりしたら申し訳ないからな」

 

 その言葉を聞き、シャルティアの顔に輝くような笑みが浮かぶ。それはこの薄暗い玄室に突然大輪の薔薇が花開いたようだった。

 

「あ、あの、ペロロンチーノ様のことをもっとお聞かせいただけるでありんしょうか!?」

 

 シャルティアが上ずった声を出してテーブルに手をつき、ブルー・プラネットを見上げるように身を乗り出す。

 

「ん、ペロロンチーノさんはこの部屋を自分の理想の――あれだ、愛する者との憩いの場にしようと凝りまくっていたからな」

 

 ブルー・プラネットの口から“ハーレム”という言葉が出かかったが、それは寸前で飲み込まれた。自分の創造主を崇拝し、その逸話を聞きたがっている可憐な少女にそのような直接的な表現を使うことは躊躇われたのだ。

 

「あ、あ、愛する者との……でございんすか!」

 

 裏返った声でシャルティアが叫ぶ。

 

「そう、そうだよ。シャルティア。お前はペロロンチーノさんが作り上げた自慢のシモベだ。私は何度も彼の話に付き合って、自慢話を聞かされたものだ。自分の趣味のありったけを注ぎ込んだ最高傑作だと……」

 

 ブルー・プラネットの記憶にペロロンチーノとの激論が浮かぶ。正直言って、ペロロンチーノとは女性の好みが違ったのだが……

 

 そう思いながらシャルティアを見る。

 胸は盛りに盛っている。多分、素ではまっ平らだ。背は低い。幼すぎる。脚は……ヒラヒラのドレスで隠されているが肉付きは悪いだろう。

 

(それは違うでしょ、ペロロンチーノさん! もっとこう、成熟した女性の魅力ってのは……)

 

 だが、シャルティアの蕩けそうな笑顔を前にして心の声も沈黙する。

 

「そうでありんすか……そうでありんす……私はペロロンチーノ様の最高傑作でありんす……」

 

 目を潤ませ、陶酔した顔で何度もシャルティアは繰り返す。そして、ブルー・プラネットに向かい、微笑みながらおずおずと質問を発する。

 

「ブルー・プラネット様……わが創造主ペロロンチーノ様はいつお戻りになられるのでありんしょう?」

 

 シャルティアの背後でガタリと音がする。見ると、先ほど追い払われたバンパイア・ブライドが部屋の入り口から顔を覗かせており、思わず身を乗り出した拍子に何かを踏みつけてしまったのだ。

 ブルー・プラネットと目が合ったそのシモベは、慌てて壁の向こうに隠れる。

 

 至高の御方々の帰還――それはナザリックの者が常に願い、思い焦がれてやまないことだ。

 中には「見捨てられた」と嘆く者もいた。嘆かない者も「何が悪かったのだろうか」と至高者に見捨てられた原因を常に考えながら日々の与えられた仕事をこなしていた。

 

 それが、ブルー・プラネットの帰還によって変わった。

 

『いつか、自分たちの創造主も戻ってくる』

 

 そんな希望を抱くことができるようになったのだ。

 だが、表立ってそう口に出す者は少ない。つい先日まで自分たちを支配していた重い空気は容易に取り払われるものではない。

 

 否定されるのが怖い。

 

 ようやく芽生えた希望を誰かに話し、それが否定されたら……そう考えて、多くが口には出さずに抱えていた思いを、シャルティアは口にした。

 

「……正直、分からない――」

 

 ブルー・プラネットの返答に、シャルティアの微笑みは凍り付く。

 

「――だが、そうだな。いつかきっと戻ってくるよ……自分の魂を注いだ最高傑作を置いて去っていくわけがない。そうだ。皆、必ず戻ってくる。いつか、絶対に!」

 

 自分に言い聞かせるようなブルー・プラネットの言葉に、シャルティアは目を閉じて聞き入る。

 

「はい……わた……妾はペロロンチーノ様のご帰還をいつまでも待っているでありんす」

 

 閉じられた目から涙が零れ、シャルティアの頬を伝う。それをブルー・プラネットは蔦で――なるべく柔らかな新緑の葉で拭う。

 

「ああ、信じて待とう」

 

 目を閉じたまま幸せそうに微笑む乙女の頭を、ブルー・プラネットは優しく撫でた。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

「アルシェ・イーブ・リイル・フルトをお連れいたしました」

 

 奥の部屋につながる扉の方からバンパイア・ブライドの声がする。

 

 シャルティアとブルー・プラネットは振り返り、連れてこられた人間の少女を見る。

 アルシェは2人のバンパイア・ブライドに挟まれるように立っていた。バンパイア・ブライドと同じく薄絹で出来たドレスを身に纏い、その下に透けて見える痩せた小柄な体には幾つかのアイテムを除き何も着けていない。

 

 そして、血の気の失せたその顔には、何の表情も浮かんでいない。未来を、仲間たちを、人間の尊厳を――全てを奪われ、抜け殻となった少女が虚ろな微笑みを貼りつけているだけだ。

 

「ほれ、こちらにきなしゃんせ」

 

 シャルティアの声に反応し、アルシェが静かに歩み寄る。

 

「ほれ、ご挨拶を」

 

 誇らしげに胸を張ったシャルティアがアルシェを促し、アルシェは跪いてブルー・プラネットの足元に進み出る。そして、その根に口づけすると、そのまま媚びた微笑みでブルー・プラネットを見上げ、教えられた口上を述べる。

 

「ブルー・プラネット様、アルシェ・イーブ・リイル・フルトでございます。至高なる聖地を犯した愚かな私めを寛大にもお許しになり、シャルティア様の元で身も心も改めるご機会をいただいたことに深く感謝いたします――」

 

 そして、立ち上がり、身にまとう絹布をはらりと落とす。

 微笑む少女の痩せた青白い体が露わになる。

 

「――シャルティア様の御手で清められたこの身体をどうぞご照覧くださいませ。そして、この身をどうぞ御心のままに血の一滴までお使い潰し下さいませ」

 

 アルシェは瞬きすらしない虚ろな瞳のまま媚びた口上を終える。そして、血の気の失せた全身を晒して立ち尽くし、ブルー・プラネットの行動を待つ。

 

「……シャルティア?」

 

 硬直していたブルー・プラネットはシャルティアの方を向き、やっとのことで言葉を出す。

 

「はい、ブルー・プラネット様! いかがでありんしょう?」

「これは、お前が教育したのだったな? バンパイア化は、してないよな?」

「はい、もちろんでありんす。最初は泣き喚きましたが、人間のまま、生娘のまま、ようやくここまで教育したでありんす」

 

 シャルティアは「褒めて褒めて」とばかりに笑みを浮かべて胸を張る。

 

「そうか……お前にはペロロンチーノの趣味がありったけぶち込まれていたんだったな……」

「はいぃ! ペロロンチーノ様にお教えいただいた全てを使って、ブルー・プラネット様からお預かりいたしんしたこの娘を御身のお役に立てるよう、精一杯仕上げたでありんす!」

 

 シャルティアはキラキラとした目でブルー・プラネットを見上げ、どうでしょう? と言わんばかりに首を傾げて微笑み、ブルー・プラネットの方にわずかに頭を寄せる。

 

「そうか……よくやった。大変だったろうな……では、私はこの娘を引き取らせてもらう」

 

 頭を撫でられて、シャルティアはえへへと嬉しそうに笑い、その美しい顔をグニャグニャに蕩かした。

 

「はい、それでは……アルシェ! ブルー・プラネット様にしっかりお仕えするでありんすよ」

 

 シャルティアは上機嫌でアルシェに手を振る。アルシェは静かにハイと答え、微笑んで頭を下げる。

 ブルー・プラネットはアルシェを小脇に抱える。アルシェは目を閉じて黙って抱きかかえられる。

 2人は沈黙のまま、ブルー・プラネットの居室前に転移した。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 ブルー・プラネットは自室前の廊下でアルシェを抱え、キョロキョロと辺りを見回す。幸いなことに、誰もいないようだ。

 

(裸の少女を抱えて部屋に連れ込む所を誰かに見られたらたまらん)

 

 人間の精神の残滓がそう訴える。

 急いで鍵を開け、自室に滑り込む。自室にも誰もいない。ただ、ゴーレムが静かに掃除をしているだけだ。

 

「よし……」

 

 ブルー・プラネットは秘密のアイテムボックスを押し入れから取り出し、ガチャガチャと何段階ものロックを外し、封印されていた箱を開ける。

 

(別にやましい気持ちがあるわけじゃない。単なるコレクター魂。他人にあげられるようなモノでもないしさ)

 

 そう言い訳しながら取り出したものは、短い淡いピンク色の服。昔「ナース服」と呼ばれていたものをゲーム用に変形させたものだ。そして、細かい紋様が編まれた黒いレースの女性用下着セット。ともに、サキュバス系と呼ばれる女性型モンスターから得られるドロップアイテムである。

 

「相応しい服は後で手配する。それまではとりあえずこれを着ておけ。それから、絶対この部屋から出るな」

 

 白衣と下着を手渡されたアルシェは、言われたままに微笑みながらそれを身に着ける。やや大きめに見えた白衣は、アルシェの痩せた体にピッタリと合った。

 

「いやあ、ヘッケランとイミーナに見られなくて助かったわ……」

 

 ブルー・プラネットの言葉に、立ち尽くしていたアルシェはピクリと身を一瞬だけ硬直させる。

 

「なんか、申し訳なかったな。いやぁ、シャルティアがああいうキャラだとは知らなくてなぁ……いや、知ってはいたんだが、実際に動くのは……」

 

 ブルー・プラネットは、アルシェに向かって頭を下げる。アルシェは至高者の謝罪に困惑するように一歩退いた。

 

「……とんでもございません。シャルティア様のご教育により私めは生まれ変わることができたのですから」

 

 困惑しながらも微笑んで、叩きこまれた口上を繰り返す。

 

「いやいや……そんなに緊張しなくてもいい。ヘッケランたちにも言ったことだが、お前たちを殺そうとは思わない。特にお前には借りがあるからな。出来る限り優遇しようと思ってたのだが……」

 

 アルシェの視線が揺らぐ。青ざめていた頬に赤みがさす。そして、脚が震えだす。

 

 あれから何日たったのだろう――墳墓の地下に囚われ、アルシェからは時間の感覚が失われている。

 あの日からアルシェはことあるごとに主人たるシャルティアの「教育」を受けてきた。服の着用は許されず、裸で四つ這いでいることを強いられた。食事は手を使うことを許されず、床に置かれた皿から直接口で食べた。そして、排せつも部屋の隅に置かれた砂箱で許可を得たうえで済ますよう命じられた。

 

『ナザリックでは、人間は1人……いや2人の例外を除いてそうあるべきでありんす』

 

 主人となった恐るべき力をもつ魔物は笑いながらそう断言した。そして、主人はアルシェの肉体を弄びつつ、服従のみが人間の道、屈従こそが悦びであると教え込んだ。

 

『人間という動物は生まれながらにして玩具でありんす。吸ってよし、甚振ってよし、殺してよし……まっこと面白いもんでありんすえ。特に、おんしのような可愛い娘は愛玩されるために生まれてきたんでありんすよ。その証拠に、ほら、おんしもこうして気持ち良いでありんしょう?』

 

 吸血鬼の魔眼によって体の自由を奪われ、アルシェは抵抗できないままに愛撫を受け入れた。肌に食い込む鋭い爪から流し込まれる毒液がアルシェの肉体を痺れさせ、蕩かした。絶望とともに与えられる快感がアルシェの肉体だけではなく魂まで侵食していった。

 

 時にはアルシェはバンパイア・ブライドたちと共にシャルティアの慰み者となった。

 彼女達、この墳墓に住まう化け物たちはアインズをはじめとする「至高の御方々」によって創られた存在だという。シャルティアはそれを誇らしげに語り、人間にすぎないアルシェとの違いを強調した。

 

『私をお創りになられたペロロンチーノ様は『つるぺた女子こそ愛でるべき、男は死ね』と仰っていたでありんす。まっこと真理でありんす……おんしのその身体……おんしをお求めになったブルー・プラネット様も、きっとおんしを愛でてくださるでありんしょう。人間には過ぎたご寵愛でありんす。おんしも、せめてこの娘らのように身を張ってお仕えすることが出来ればよいでありんすが――』

 

 そういってシャルティアはアルシェを愛撫しながらもう一方の手で近くのバンパイア・ブライドを引き寄せた。そして、その胸に爪を立て乱暴に揉みしだいた後、無造作にその肉を引きちぎり、体内に手を埋めて一気に腹まで引き裂いた。バンパイア・ブライドは顔を上気させて苦痛と快楽の入り混じった呻きを上げ、自分の内臓を掻き回す主人の腕に唇を這わし、飛び散った血を舐めて、そのまま主人と舌を絡めた。まき散らされた血と内臓も、愛しい主人に寄り添うようにその身に纏わりつきながら元の場所へと再生されていった。

 

 風呂で、寝室で、応接間で、繰り返される教育のさなか、主人――シャルティアは敬愛する至高者に対する愛を口走り、アルシェにもそのようにブルー・プラネットに仕えるよう繰り返した。

 

『いと高き方の美しい指先がわたしの体を引き裂いて、骨を、内臓を、丁寧に砕き潰し、捩じ切り、グチャグチャにかき混ぜるでありんす。わたしの生首をあのお美しい顔が炎の視線で睨め回し、わたしの内臓が愛しの君の骨の隅から隅まで纏わりつき、わたしの飛び散る血が白き御身を赤く染め、わたしの生皮がそれを覆うでありんす……御手が物憂げにわたしの頭を握り潰し、わたしの残骸は痙攣を続け、玉座の生けるクッションとして玉体をお支えするでありんす。わたしの悲鳴が御身を慰め、わたしは永遠の苦痛の中で御君と一つになるでありんす――』

 

 わたしは、わたしは――そう言って吸血鬼はほうっと息を吐いた。白蝋の顔に赤みが差し、うっとりと視線を宙に彷徨わせ、チロチロと舌を出して赤い唇を舐めまわした。そして、アルシェの体から手を放し、切なそうに身を捩ると自分の平たい胸に鋭い爪を食いこませた。

 

 吸血鬼の言う「愛しの君」とは、あの闘技場で対峙したエルダーリッチのことらしい。

 アンデッド同士ならば――強力な再生能力をもつバンパイアならば、体を切り刻まれる愛され方もあるだろう。

 

 アルシェは人間でしかない自分の末路を思い描いた。

 

 やがて、自分はあの恐ろしい樹の化け物に生贄として差し出されると聞いている。

 骨の指の代わりに、あの樹の化け物は鋭い枝でこの身体を引き裂くだろう。枝が目を抉り、内臓を掻きまわし、皮膚を食い破るだろう。全身に張られた根が血液を吸い上げるだろう。

 しかし、それでも死ぬことはない。この墳墓の魔物たちは強力な回復魔法を使うのだ。

 身体を捩じ切られ、潰され、肉塊となって養分として吸われながらも死ぬことを許されないのだ。

 

 学院の錬金術研究所で見たサンプルの1つ――小動物とそれに寄生した菌類の標本を思い出した。全身に菌糸を蔓延らせた小動物は身動き一つできずに全てを食らいつくされるまで苦痛を味わい続ける。その苦痛が魂を縛り、生命力が結晶化して魔力の塊となり、良質な錬金溶液の原料となるのだという。本来ならば数年かかってゆっくりと結晶に変わるはずの“それ”は、サンプルとして<保存>の魔法をかけられ、菌の働きも停止していた。菌糸で覆いつくされて元の姿も分からくなった“それ”を、師匠は「これはまだ生きている」と説明し、菌糸の膜から覗く永遠に動かない目は「殺してくれ」と訴えているようだった。

 

 私は“あれ”になるのか――アルシェの顔から血の気が失せる。

 

 一度、アルシェはバンパイア・ブライドの監視の目を盗み、食器を床に叩きつけ、その破片で自分の首を掻き切った。

 生きながら永遠の苦痛を受けるよりは――アルシェは薄らぐ意識の中に救いを見出した。

 だが、微睡の中から誰かに呼ばれるような気がして目を開けると、目の前にはメイドの姿を取った巨大な獣……の皮を被った魔物がいた。

 

『おおっ! ペストーニャ、助かったでありんす!』

『いえいえ、シャルティア様。礼には及びません。ブルー・プラネット様からの大切な賜り物を傷一つない状態に治せるのは私にとっても無上の喜びです……わん』

 

 化け物たちの会話を聞いて、アルシェの希望は掻き消え、意識は闇に飲み込まれた。

 そして、次に目覚めたときは応接間で多くのバンパイア・ブライドたちに囲まれていた。起き上がろうとすると、シャルティアが顔をくっつけんばかりに近づけてきた。口元は微笑んでいるが、目は怒りの真紅に染まっていた。

 

『おめざめでちゅかぁ、アルシェちゃん!? おんしをみすみす死なせるところだった役立たずのおバカにあやまってもらいまちょうねぇぇぇ!!!』

 

 その声は怒りのためか上ずり、粘つくようだった。

 そして、シャルティアは下がり、硬い表情で壁際に並ぶバンパイア・ブライドの列を見た。

 

『当番は、お前とお前でありんしょう? さっさと出てきなんし』

 

 シャルティアが残酷な笑みを浮かべ、舌なめずりしながら命じた。

 2人のバンパイア・ブライドが震えながらも足を前に進めかけ――周囲の者に押し出された。

 

『アルシェの前に立ちなんし』

 

 シャルティアが床の一点を指さして命じた。

 蒼い顔を更に蒼くし、ガタガタと震えながらも2人はシャルティアの示す場所――アルシェの前に並んで立った。

 シャルティアは、そんな2人の足元に手を伸ばし、叫んだ。

 

『さぁ! アルシェちゃんに謝るでありんす!』

 

 シャルティアの笑みが歪み、円形に広げられた口から長い舌が覗くのをアルシェは見た。ニチャニチャした叫びがアルシェの耳に突き刺さった。そして、シャルティアはバンパイア・ブライドたちの足首を掴むと2人の体を軽々と振り上げ、応接間の床に一気に叩きつけた。

 

 びちゃっ

 

 重く湿った音が応接間を震わせ、生臭い空気が部屋に漂った。

 床に叩きつけられた2体のバンパイア・ブライドの体はひしゃげ、破裂し、内臓が飛び散った。

 

『きゃぁはははぁ! えくすとりーむどげざでちゅよぉぉぉ! ごたいとうちぃぃいぃぃ!?』

 

 シャルティアは笑いながらバンパイア・ブライドの髪を掴み、潰れ砕けた頭部をアルシェに突きつけた。

 

『ほうらアルシェちゃんんんん! 死なせてしまってごめんなちゃいねぇえぇぇえ!』

 

 バンパイア・ブライドの潰れた頭部が2つ、シャルティアの手の動きに合わせてガクガクと揺すぶられた。頷くように揺すぶられる割れた頭蓋から脳漿が飛び散り、脳が零れた。眼窩から飛び出した両の眼球も紐にぶら下がり、玩具のように揺れていた。顔の下半分は原形をとどめず、口であっただろう穴からは血と唾液が混じり合った粘液が溢れ、その中で垂れさがった舌が巨大な蛭のように動き回って何かの言葉を紡ぎだそうとしているかに見えた。

 人間ならば完全に即死だが、アンデッドたる彼女たちはまだその偽りの生命を保っていたのだ。

 

 アルシェの前で潰れた屍肉がパクパクと蠢いて元の形を取り戻そうとしていた。飛び散った内臓や零れた脳が元の場所に収まろうとして蛆のように床を這いまわっていた。アルシェの顔にも飛び散った血液や脳の欠片が蠢いて……

 

 アルシェは嘔吐し、失禁した。身体の震えはいつまでも止まらなかった。

 

『くぃひぃひひぃ! アルシェちゃん、きちゃない、きちゃないでちゅよぉぉお』

 

 シャルティアは可笑しくてたまらないという様に手を打って哄笑し、主人に合わせて周囲のバンパイア・ブライドも一斉に笑った。

 

「ぅひっ……ひっ……ひっ……あは……あはははぁあ……あぁああぁぁあああきぃぁぁああ」

 

 部屋の中で渦巻く哄笑に飲まれ、アルシェも痙攣したように笑いだした。口角に唾の泡が溜まり、涎となって落ちた。頭をガリガリと掻き毟り、髪を振り乱し、血走った目で天井を見つめ、涙を流しながら絶叫した。

 

『<獅子の心(ライオン・ハート)>』

 

 神聖魔法が飛び、砕けかけたアルシェの心を無理やりに繋ぎ止めた。

 

『くるってにげようだなんて だめでちゅよぉぉお……』

 

 あざ笑う主人の声を聴きながら、アルシェの脳は正常な働きとして意識を手放した。

 次に目覚めたとき、アルシェは首に嵌められた黄金の首輪に気が付いた。

 

『それは下位の物理攻撃を無効化するでありんす。おんし、もう自分で自分を傷つけることは出来やせんでありんすよ』

 

 美しい少女の姿に戻ったシャルティアから、嘲笑とともにナイフが目の前に投げ出された。

 それを拾ったアルシェは戸惑いの目をシャルティアに向け、次の瞬間、狂ったようにナイフを自分の体に突き立てた。

 

 首筋に、目に、手首に、胸に、腹に……

 

 だが、ナイフは傷一つとしてその身に残さなかった。どれほど力を入れようと、ナイフの先端は肉体を貫くことなく止まった。

 

『満足したでありんすか? それでは、一から教育をやり直しするでありんす』

 

 絶望の悲鳴を上げるアルシェをシャルティアが片手で掴み、指先でアルシェの両腕を万力のように捩じりあげた。そして嗤いながら、空いた片手でナイフをアルシェの体に何度も突き立てた。

 

『ほうら、傷は付かないでありんしょう?』

 

 バンパイア・ブライドたちがアルシェを羽交い絞めにし、身体を地面に押し付けて顔を上げさせた。

 

『はいぃぃお目めグリグリぃぃぃ……』

 

 アルシェの眼窩に2本のナイフが差し込まれ、切っ先が両目の裏を抉って掻き回した。ナイフで押されて眼球が変形し、視界が歪み、世界がグルグルと回った。それでも痛みはなく、血も流れなかった。

 アルシェは悲鳴を上げた。痛みではなく恐怖に叫んだ。精神作用のあるアイテムで気絶すら許されず、ひたすらに弄ばれ続けた……

 

 そんな日々が繰り返され、やがて、アルシェは叫ばなくなった。

 もはや魔眼も麻痺毒も必要なかった。虚ろな瞳で主人の愛撫に身をゆだね、熱い吐息を漏らすようになった。

 

『アルシェちゃん、いい子になったでちゅねぇぇぇええ』

 

 細長い舌で全身を舐めまわす主人の満足そうな声にアルシェは微笑みを返した。

 

 もうじき私は樹の化け物の生贄となり、永遠の地獄に落とされる。

――そう思うと昏い悦びが身体をはしり、肌を粟立たせた。全身から血の気が引き、闇の中をどこまでも落ちていくような痺れた感覚にアルシェは喘ぎ、主人にしがみついて舌を絡めた。

 

 アルシェは蒼白な顔に微笑みを貼りつかせ、命じられたことを何でもこなす人形となった。周囲のバンパイア・ブライドと同じく主人の愛撫に嬌声を上げ、主人に甲斐甲斐しく仕える存在の1つとなった。

 

 しかし――

 新たな主人となったブルー・プラネットは、シャルティアが告げた未来像を覆した。

 

「出来るだけ優遇しよう」

 

 その言葉に希望を抱いてしまう。化け物の気まぐれで奪われる希望だと分かっていても。

 

 確認するのが怖い。

 

 優しい言葉を吐いたのは、人知を超えた樹の化け物だ。その心が人間と同じであるはずがない。

 だが、それでも聞いてしまう。

 

「ヘッケランと……イミーナは……ロバーデイクは、どこに……」

「ああ、2人は先日までこの部屋に置いていたんだがな。いまは別の実験室を用意してもらって、そこに移した」

 

 アルシェは「実験室」という言葉に打ちのめされる。自分たちは所詮はサンプルに過ぎないのだと思い知って。

 

「会わせてていただけるのでしょうか……」

「いや、無理だ」

 

 化け物は言下に否定する。続いて何事かを言ったが、アルシェはその言葉を最後まで聞けない。脳が聞くことを拒絶する。

 アルシェを優遇するつもりだと化け物は言った。だが、それはあくまでサンプルとしてなのだ。それでは、優遇されないであろうヘッケランやイミーナは……

――アルシェは首輪を撫でる。凍り付いた微笑みを再び顔に貼りつかせて。

 微笑むアルシェを見て、ブルー・プラネットも笑う。

 

「ん? それはシャルティアに貰ったのか? その首輪は、たしか物理無効のアイテムだったな。それに、その額冠は精神バッドステータスを防ぐ……なんだ、あいつもなかなか気が利くじゃないか」

 

 化け物たちが群れを成すナザリックで人間が暮らすには、ケガや恐怖を抑えるアイテムは必須だろう。どうということはない低級アイテムだが、なるほど、呪いを付与して外れないようにしているのか。

――そう考えて、ブルー・プラネットはシャルティアの思い遣りに感心する。ちょっと乱暴で変態だが、やはり根は優しい娘なのだ、と。

 

 その言葉を聞き、アルシェはブルー・プラネットを見上げる。目の端に涙をにじませながら。

 

(やはり、死ぬことすら許されないんだ)

 

 殺そうとは思わない――この化け物はそう言った。つまり、そういうことなのだろう。

 一瞬でも希望を抱いた自分が馬鹿だった――アルシェはそう思い知らされる。

 

 再び血の気が引き、全身を痺れが覆う。頬の筋肉が引きつって口角を持ち上げ笑顔を形作る。瞳が上に回り、白目が覗く。魔法のアイテムで繋ぎ止められた虚ろな意識の中、アルシェは化け物に媚びる。

 

「はい、慈悲深きシャルティア様に頂いた素晴らしいアイテムにより、私は永遠にブルー・プラネット様のシモベとしてお仕え出来ます。どうか、このアルシェを末永くお可愛がりください」

 

 ブルー・プラネットと名乗る化け物は何か返事をして、頭に蔦を伸ばしてくる。

――アルシェは化け物の蔦が自分の頭の上を這いまわるのを感じる。

 

 はじまった。

 脳が食われる。枝で頭蓋が砕かれる。耳から根が脳を食い破る。

――その幻想にアルシェの全身は蕩けていく。

 細い体が震え、気品の残っていた顔が痙攣して歪み、笑いとも悲鳴ともつかない小さな声が漏れ、口の端から涎が糸を引いて垂れた。

 



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第32話 うわさ

ポンコツメイド回


 どうしてこうなった?

――引きつった笑顔で白目を剥き口から泡を吹いて硬直する少女を前に、ブルー・プラネットも固まる。

 

「いやまあ、そんなに緊張するな」

 

 どうも硬さが残るアルシェにそう言って頭を撫でてやろうとしたら、いきなりこれだ。

 こんな状態で――しかも変態的な格好をさせて、どうしてヘッケラン達に会わせられるか。

 

 人間としての記憶の中、ブルー・プラネットの脳はこの事態を打開する方法を探し求める。

 元の世界において研究者として選抜されて以来勉強に明け暮れてきたこの身には、噂に聞く「思春期の少女」というモノの扱いは分からない。ただ、過去の友人と鑑賞した娯楽作品においては、このぐらいの年齢の少女というモノは――もっとこう、都合がイイもののはずだった。

 

『リアルの女って、怖いっすよ』

 

 ヒステリーがどうのこうのとペロロンチーノは言い、非実在の少女に逃げた。ぷにっと萌えも深く頷き「そうなる前、いまだ開かれざる蕾の儚さを愛でたいのですよ」と更に良くない方向に行ってしまった。

 ブルー・プラネット自身、怖い女は何人か知っている。奴らは殴ってくる。

 だが、目の前の少女が醸し出す恐怖は、奴らとは異質なものだ。

 

 怖い――人間としての感性がそう訴える。

 こんなのを自分の部屋に置いておきたくない。背中を見せたら、やられそうな気がする。

 かといって、また何か言ってそれに反応されたら如何すべきか分からない。

 

『どうした?』

『キィィィッ』

 

 そんな感じで飛び掛かられたら腰を抜かす自信がある。

 これが明確な敵であれば問題はない。ユグドラシルにはもっとグロい敵が沢山いた。

 だが……目の前の“ソレ”はモンスターではない……はずなのだ。その認識のズレがブルー・プラネットに未知なるものへの恐怖を呼び起こす。

 

 しばらく、アルシェとブルー・プラネットは硬直したまま対峙する。

 だが、アルシェは人間だ。どうしようもない体力の限界というモノがある。

 

 グラリと体が揺れ、アルシェは崩れ落ちる。床に頭を打ち付ける寸前――仮にそうなっても物理ダメージを防ぐアイテムがある限り問題はないのだが――ブルー・プラネットは枝でアルシェを支える。

 

「うひっ、うひっ、うひっ……」

 

 アルシェは真っ青な顔で半ば失神しつつも痙攣するように笑っている。魔法のアイテムを着用している限り失神というバッドステータスは訪れない。しかし、かといって体力の限界によって極度の貧血になった状態で明晰な意識を保てるわけでもない。

 

 ブルー・プラネットは<体力回復>のポーションを合成する。そして、アルシェの口に注ぎ込み、その蒼い顔に血の気が戻るのを確認する。

 

「しっ、失礼しました!」

 

 はっきりとした意識を取り戻したアルシェは、血の気が戻った顔を再び蒼くして土下座をする。

 南方の民族が行う謝罪の姿勢らしいが、実際に見るのはシャルティアのシモベたちが初めてだった。

 

『シャルティア様、どうかお許しを!』

――粗相をしたバンパイア・ブライドがそうやって床に這いつくばるのを何度も見た。

 

「ブルー・プラネット様、どうかお許しを!」

――この地獄のような墳墓において、それが正式な謝罪なのだと聞いてアルシェは真似をする。

 

「だからさ、そこまで卑屈になることはないって」

 

 やや苛立った声でブルー・プラネットは、この扱い難いイキモノに命令する。

 

「お前は、過剰な緊張のせいで体力を異常に消耗している。もっと力を抜け。とりあえず……そうだな、メシでも食って落ち着け」

「はい、御身がそうお望みでしたら……」

 

 体力に余裕ができたためか、再び微笑みを無理に作り、媚びるアルシェに対し、ブルー・プラネットは諦めたように首を振る。

 ブルプラ達、シモベも似たようなことを言って体力の限界まで頑張った。しかし、それはこちらが命じた仕事による疲労であり、自分で勝手に緊張してぶっ倒れるのとは違う。

 

(やはり、そう創られた者でないと無理があるよなあ)

 

 おそらく、シャルティアのところでもナザリックのシモベ基準で過剰な忠誠心を教え込まれたのだろう。

 

『寝ないで働くのが当たり前』

――元の世界でもそういう階層があり、そういう低所得階層は寿命が極端に短かった。折角保護したこの人間をみすみす死なせるのももったいない気がする。

 

(ナザリックの外に解放するわけにはいかないが、やはり自然の中が一番か)

 

 もともと、実験もかねて第六階層の森林地帯に移して生活させるつもりだったのだ。

 広いとはいえ自分の居室で人間を飼育するのは無理がある。ユグドラシル時代の貴重なアイテムを触って壊されても困る。アルシェがいかに賢いといっても、この部屋にあるものは皆、この世界においては規格外のシロモノだ。

 

(なるべく早く現在の状態を確認して、第六階層への適合を見なければな……)

 

 モモンガの話では、デミウルゴスも外界で牧場を運営しており、ナザリックに羊皮紙を供給しているらしい。そこであれば、外界とはいえ管理も問題ないだろう。もし第六階層に適合しないのであれば牧場に送ることも選択肢の一つだ。デミウルゴスの牧場で働いているのは彼の配下たち――悪魔たち――が中心だろうが、人間の羊飼いがいてもいいかもしれない。

 ブルー・プラネットが計画している実験は、この世界とナザリック、それぞれの生態系がいかに相互作用するかであり、「ナザリックの者と人間が共に働く」という極度に単純化された系とは設計思想が根本的に異なるのだが――

 

 そんなことを考えながらアルシェを見ると、アルシェもこちらを見つめている。

 ブルー・プラネットは一瞬疑問に思い、すぐに自分のミスに気が付いた。

 

「すまない、すぐに食事を手配しよう」

 

 自分はすでに食事が不要な体になっているため、他者の食事にはどうしても鈍感になってしまうのだ。元の世界でもビールを飲めないため他者のビールを注ぐタイミングがつかめなかったブルー・プラネットは反省する。

 

 料理長に<伝言>で人間用の食事を依頼する。消化が良く栄養価の高いものを自室に持ってくるように、と。

 至高者から直々の依頼を受けた料理長は歓喜し、叫ぶ。

 

『しょ、承知いたしました。最高の料理をご用意いたします!』

 

 ブルー・プラネットは頭の中で響く叫びに内心「うるさい」と思ったが、料理長の喜びに水を差すのもためらわれ「よろしく頼む。期待しているぞ」とだけ言って<伝言>を切る。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 暫くしてノックの音がした。

 ドアを開けると一般メイドの一人、シクススが料理を盆に乗せて立っている。

 

「ブルー・プラネット様、お料理をお持ちいたしました」

 

 ブルー・プラネットを見上げるシクススの顔は、至高者の前に直接立つ栄誉への喜びで輝いている。通常であれば掃除を主たる仕事とする一般メイドが至高者の前に立つことなどあり得ないのだ。

 

 バンパイア用の設備しかなかった第二階層の死蝋玄室に人間用の食事を運ぶようシャルティアから手配されて以来、「あの人間の女」関連のことはシクススが取り持つことに、メイドたちの間では何となくではあるが決まっていた。

 

 至高の御方々に尽くすよう創造された身が人間のために働く――それは屈辱であり、同じ境遇のインクリメントと愚痴をこぼしあったものだ。それでもインクリメントは直接ブルー・プラネットから色々と仕事を仰せつかったことを自慢しており、シクススはそれが妬ましかった。

 

 今日まで耐えてきた甲斐がありました。

――シクススはそんな顔をして、背筋をピンと伸ばしてドアの前に立っている。

 

「失礼いたします」

 

 ブルー・プラネットに促され、シクススは食事の入ったトレーを前に構え、頭を下げて入室する。その表情は、貴重な宝物を運ぶ名誉に与った騎士のように誇らしげであったが――

 

「アルシェ様、お食事をお持ちいたしました」

 

――アルシェに対して投げかけられるその声は事務的であり、視線には冷たいものが宿る。それは、この神聖な部屋に紛れ込んでしまった場違いな愛玩動物に投げかけられる侮蔑の視線である。

 

「ありがとうございます」

 

 アルシェは顔見知りのメイドと一瞬視線を交差させ、目を伏せる。

 

 美しい少女が蔑んだ目で見つめている。

 シャルティアの玄室でも感じていた雰囲気が、今日は特に攻撃的に感じられる。

 それも仕方がない――アルシェはそう思いを巡らす。

 

 シャルティアのところでは、基本的に着衣は許されず獣のように裸で床を這っていた。

 しかし、今は腰までしかないピンク色の服と、華美な刺繍が施された黒い下着だけの姿である。

 

 獣と娼婦の違いだ。

 

 メイドが蔑み、攻撃性を向けてくるのも仕方がないだろう。

 だが、この墳墓の化け物たちにとっての切り札を、アルシェは学んでいる。

 

「これは至高の御方に与えられたものです」

 

 どんな恥知らずな衣装であろうと、そう言えばこの墳墓の化け物たちは引き下がる。

 そして、このメイドは今のアルシェの衣装が本来のものでも、シャルティアから与えられたものでもないことを知っているはずだ。

 

 アルシェが弁解の声を上げようとしたとき、先にメイドが口を開いた。

 

「このお料理は、どちらに置けばよろしいでしょうか?」

 

 シクススの視線はすでにアルシェには向けられていない。質問はブルー・プラネットに対してであり、その声は明るく可愛らしく、純粋な敬意がこもっている。

 

「ああ、そうだな……もうちょっと奥に動いてくれ」

 

 ブルー・プラネットの関心もアルシェから外れているようだ。

 シクススが料理を持ったまま奥の本棚まで移動すると、ブルー・プラネットはドアから入ったところの空間に長いテーブルを出現させる。ギルドメンバーが訪れたとき、奥にある本棚から持ってきた資料を広げたりする応接間用に作ったものだ。

 

「では、ここに置いてくれ」

「はっ! かしこまりました」

 

 ブルー・プラネットが示し、シクススはそこに料理を並べる。

 銀のトレーに乗せて運ばれてきた食器には覆いが掛けられ、料理がすぐには冷めないようになっている。

 その覆いを外すと、湯気とともに食欲を誘う良い香りが部屋中に漂ってきた。

 器の中にはアルシェが見たことのない食材で作られた豪勢な食事が盛られている。

 ブルー・プラネットに促され、席に着いたアルシェの腹がグゥゥと音を立てる。

 思わず腹を押さえたアルシェに、シクススは更に冷さを増した視線を向ける。

 

「アルシェ様はご空腹であられるようですね。これだけしかなくて申し訳ございませんが、どうぞ、召し上がりくださいませ」

 

 シクススの事務的な声に蔑みが混じっている。意地汚い女だと嗤うように。

――そう感じ、アルシェは恐る恐る上目遣いにブルー・プラネットを見上げる。シャルティアが自分のシモベを失態とは言えないような失態で滅ぼすのを何度も見た記憶が蘇る。

 

「はは、食欲はあるか。良いことだ」

 

 横に立つブルー・プラネットの声は呑気だ。

 

「はっ、アルシェ様には是非、精を付けていただきたいと、料理長が腕を振るいましたから」

 

 アルシェを見ながら明るい声で答えつつ、シクススは必死に考えを巡らせていた――

 

 料理長は至高の御方からの依頼で舞い上がり、人間向けに最高の料理を出すといっていた。

 ブルー・プラネット様からの<伝言>の内容は分からないが、料理長の態度からすると、シャルティア様から引き取られたあの女を「最高位として扱え」と言われたのだろうか?

 しかし、いかに最高位を――至高の御方の寵姫の座を得たとはいえ、人間ごときがナザリックにおいて至高の御方と同室で最高の料理に舌鼓を打つことなど許されるだろうか?

 この女は、シャルティア様の下で教育を受けていた時は獣と変わらぬ扱いだったではないか。

「私の好きに教育してよいと仰ったでありんす」とシャルティア様は仰っていた。ならば、ブルー・プラネット様にとってもアルシェは守護者より格下、眷属と同等ということになるのでは?

 

――そんな考えを。

 

 第二階層にいたときからアルシェの処遇はメイドたちの間でも話題になっていた。

 だが、肝心のブルー・プラネットから指示がない以上、その議論に結論を出せるわけもない。

 

 とりあえずは「寵姫候補」として扱うのが無難であろう。だが、人間である以上、アルベドやシャルティアのような他の寵姫候補とは絶対的な差があるはず。ならば、アルベドやシャルティアの手前、たとえ寵姫候補であってもあまり手厚く扱うのはよろしくないだろう。

 

「丁寧に接するが、人間の分をわきまえさせるべきである」

 

 堂々巡りの議論の末、そんな曖昧なところに落ち着き、それが慇懃無礼な態度へとつながっていた。

 

 今日、初めてブルー・プラネット様がアルシェを直接お取り扱いになる。そのご様子を観察し、あらためて今後の方針を決めよう。

――それが仲間たちと下した結論だ。

 

 シクススはその重責を担っていた。その緊張もあり、アルシェを見るシクススの視線は鋭い。

 

「それで、この料理は何なのかな?」

 

 ブルー・プラネットの好奇心に満ちた声に、シクススは回想から覚める。

 

「はい、こちらがスッポンの血入り北欧風中華スープ、こちらが豚肉とカボチャの煮込み、牡蠣とタコの酒蒸しニンニク風味山芋短冊添え、そして、デザートにザクロのゼリー、スイートポテトの裏漉しに蜂蜜漬けマカのみじん切りを和えたもの、お飲み物にはジンジャーティーをご用意しております。お好みでレモンと蜂蜜をお使いください」

「ほぉ……うん、良いな。元気が出そうな料理だ。アルシェはどうも貧血気味だから」

 

 淀みのないシクススの説明に、ブルー・プラネットは食材に含まれる各種栄養素を考えて頷く。この世界の人間に元の世界の栄養学が通用するのだろうかと考えながら。

 

「はい、料理長も是非、アルシェ様にはお元気でいらして欲しいと申しておりました」

 

 料理に合格点が出され、シクススは笑顔になり明るい声を出す。

 

「はは、『アルシェ様』か。良かったな、アルシェ。みんなに大切に思われて」

 

 ブルー・プラネットの言葉を聞き、アルシェは身震いする。

 シャルティアと獣の神官の言葉――「大事な賜りもの」という言葉を思い出して。

 そんなアルシェを見つめるシクススの目が細められる。

 

(ふぅん、やはり、ブルー・プラネット様はこの女をお気に入りなのだ)

 

 メイド仲間に知らせなければ。――シクススは微笑みを作りながら心のメモ帳に書き留める。

 

「それでは、お食事がお済みになりましたらまたお呼びください」

「うむ……それから、アルシェの服のことは……その、なんだ、事情があってな。誰にも言うな」

「はい、事情があるのですね。アルシェ様のご衣裳の件は忘れます」

 

 シクススは深く礼をして退室する。

 彼女はアルシェの服のことは口外すまいと誓う。それは至高者の命令であり、絶対なのだ。

 だが、その服が意味するという「事情」……それは是非、仲間と共有しなくてはならない。

 

(ブルー・プラネット様は、あの女と御子を御つくりになられる御積りかもしれない)

 

 アルシェがシャルティアの下で教育されているときから、そういう噂は囁かれていた。他でもないシャルティアによる教育……それは愛妾としての訓練に他ならないではないか、と。

 そして今日、シクススが確認したところ、アルシェの装いは明らかに愛玩用のモノであった。

 

 では、なぜ外界の人間ごときを愛妾にするのか?

 

 その疑問に答えるカギとなったのが、もう一人の外界から来た人間の女だ。ツアレという名のその女は、自分たちと同じメイド服を与えられ、メイドとしての職務を果たしている。

 だが、その裏の目的も囁かれている。デミウルゴス様は、ナザリックの者が人間の女と子をなすことが可能なのかを知りたいらしいのだ、と。

 

 ならば、ブルー・プラネット様が人間の女を自分の部屋で飼うと決めたのも……

 

 メイドたちの噂を反芻しながらシクススは足早に、それでも決して聖域を騒がすことなく控室に戻る。そこでは仲間たちがスナックを摘まみながら情報を待っており、その目が一斉にシクススに集まる。

 シクススは後ろ手でドアを閉め、声が聖域に漏れないようにしてから深呼吸をし、顔の前に人差し指を立てて低い声で仲間に告げる。

 

「やっぱり、ブルー・プラネット様は、あの女を寵姫にされる御つもりのようよ!」

「ええー!」

 

 仲間たちから声が上がる。やはりという思いと、人間が何故という疑問が混じった声だ。

 

「でも、その、うん、やっぱり至高の御方のご決定には疑問は無いのだけれど……」

「う、うん、そうよね」

 

 現実を受け入れようと努力するメイドたちに、シクススは爆弾を投下する。

 

「しかも、私が部屋に入ったときはもう、御子を御つくりになる寸前のところだったの!」

「きゃぁー!!」

 

 騒々しい悲鳴が上がる。

 

「え、なに、その、つまり、あんたが部屋に入ったときには、そういうことをブルー・プラネット様は始められていたと……」

「ええ、詳しい様子はブルー・プラネット様から直々に口止めされているから言えないけど」

「な、なに? そんなすごいことになってたの?」

「ゴメン、こればっかりは言えない……あの女があんな格好をさせられて、なんて」

「ぎゃぁぁぁぁぁー!!」

 

 メイドたちの肺から空気が最後の一滴に至るまで絞り出される。

 「どうしようどうしよう」呟きながら足早に部屋をグルグル回りだす者。

 読んでいた本を放り投げ、テーブルに突っ伏して微動だにしない者。

 空いた食器を手に取り、一枚ずつ、無言で床に叩きつける者。

 暫くはメイドたちの狂騒が控室を覆った。

 

 そして、その狂騒は控室のドアが開く音でピタリと止まる。ドアを開けて入ってきた者にメイドたちの視線が集まる。

 それはアルシェと同じく人間の身でありながら執事の庇護下にあるメイド見習い――ツアレであった。

 

「あら、皆さん、どうしたんですの?」

 

 ドア越しに聞こえた絶叫、散らかった部屋、いつも以上に混乱しているメイドたちの行動、そして彼女たちの微妙な視線を感じ、ツアレが首を傾げ、硬さを帯びた笑顔で問いかける。

 

「いえ、何でもないの。……ほら、あのシャルティア様の所にいた女……そのことでちょっと」

 

 他のメイドたち――人間そっくりに創られた、人間ではない者達が微妙な表情で言葉を濁す。

 そして、彼女たちの視線はツアレの腹のあたりを探る。

 

 ツアレは、メイドたちの上司にも当たる執事セバスが王国の町から拾ってきた女だ。

 今は一般メイドの見習いとして働いており、徐々にナザリックの者達とも打ち解けてきた。

 そして、セバスとは上司と部下を超えた関係になりつつあると見られている。やがては結婚し、ひょっとしたらセバスとの子を作るかもしれない――そう囁かれている女だ。

 

 メイドたちの間でツアレの評価は揺れている。

 やはり人間に過ぎないと下に見る気持ち、同じ職場の仲間意識、そして「結婚退職」を実現しうる存在への憧れと敵意の中で。

 

「そう……ですか」

 

 微妙な空気をツアレも察する。自分は他のメイドたちに完全には受け入れられてはいないのだ。

 個人的には仲が良いメイド友達も出来た。しかし、そんな仲間とも食事の時はめったに同席はしない。これは悪意によるものではなく、人外の存在である彼女たちとは食事のペースが合わないので自然とそうなってしまうのだが。それでも、そういった物理的な距離が心理的な距離になってしまうのもまた自然なことなのだ。

 

「同じナザリックで暮らすに……者として、そのうちお会いしたいものですわ」

 

 あえて波風を立てることはない。ツアレは当たり障りのないことを言う。

 

「そうね、人間は人間同士でお話しするのが良いのかもしれませんね」

「そうよ。私たちには人間のことなんて良く分からないし……」

 

 かすかに棘を匂わす声でメイドたちの誰かが言う。

 そして、かすかに嗤いが起き、それを窘める声もする。

 

「そうですね……ああ、雑巾を取りに来たんでしたわ。それでは皆さん、また……」

 

 ツアレは手早く用事を済ませ、会釈して部屋を出る。

 そして、足早に廊下を進み、その角を曲がって深い溜息をつく。

 彼女のことを親身になって考えてくれるのは、この世にセバスしかいない。だが、そのセバスすら、絶対の主人の命とあらばツアレの命を絶つと明言している。

 ナザリックにおいてツアレはあまりにも寄る辺のない存在だ。だが、それでも彼女が元いた人間社会より遥かにマシなのだ。だから、ツアレはここで生きていくしかない。

 

「赤ちゃんが出来れば、変わるのかな……」

 

 ツアレは自分の腹を撫でる。あまりにも不確かな立場を確たるものとしてくれる存在を思って。

 あの方の子を宿していれば、他のメイドも自分を無下に扱うこともないのでは……そう思って。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

『シクススか、食事が済んだ。片づけを頼む』

 

 シクスス宛にブルー・プラネットからの<伝言>が届く。

 

「……ブルー・プラネット様がお済ましになられたようですので行ってきます」

 

 控室の雑談が止む。メイド仲間がゴクリと唾を飲み込む音が聞こえる。

 シクススは緊張した面持ちで部屋を出て、足早に廊下を移動しながら考える。寵姫となり、いずれは聖母となられるかもしれない人間の女にどんな表情を向ければいいのだろうかと。

 

「シクススでございます」

 

 ノックに応えてドアが開く。

 

 シクススが恐る恐る中に入ると、アルシェは先ほどと変わらず愛玩用の衣服を身に着けていた。

 そして、ブルー・プラネットはローブと王冠以外に何も身に着けていない。

 だが、ブルー・プラネットがほぼ全裸なのはいつものことだ。

 

 シクススは深呼吸して、テーブルの上の食器を銀製の盆の上に集める。

 

「あの……誠に申し訳ございませんが……もう、お済みになられたのでしょうか?」

 

 食器を乗せた盆を両手で持ちながら、シクススはブルー・プラネットに質問する。

 

「ん? ああ、済んだよ」

 

 シクススの質問に、ブルー・プラネットは怪訝な声で答える。

 食事は済んだ。そう言ったから来たんだろうし、お前がその手に持ってるのは何なのだ、と。

 

「はい、失礼いたしました。それで、アルシェ様……その、いかがでしたか?」

「ええ、最高でした。私、こんなに素晴らしいものをいただいたのは初めてで……心の底から感服いたしました」

 

 ふぅ……アルシェは息を吐き、満足そうな顔で腹に手を当てる。血の気が戻った顔でぎこちなく微笑むアルシェを見て、シクススは手に持った盆を思わず取り落としそうになる。

 

「さ、左様でございますか。それはその、私からもお喜び申し上げます……」

 

 シクススの彷徨う視線がアルシェの腹に止まる。丈の短い服に隠されているが、先ほどよりもやや膨らんでいるようだ。

 もう一度見る。気のせいではない。先ほど会ったときよりも、明らかに腹が大きくなっている。

 

 シクススは絶句する。

 シャルティアの部屋で見たときとは見違えるように血色の良いアルシェの顔が、その微笑みが、女として勝ち誇っているかのように見える。

 

「そ、それでは失礼いたします。アルシェ様はくれぐれもお体をお大事になされますよう……」

 

 よろめきながら退席するシクススを、アルシェとブルー・プラネットは心配そうに見送る。

 他人のことより、まずは自分の体に気を付けるべきではないのかと。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

「た、大変なの……!」

 

 従業員食堂に戻ってきたシクススは、食器を回収棚に放り込むと仲間たちのテーブルに息を弾ませて飛び込む。そんなシクススを、食事中のメイド仲間は驚いた顔で迎える。

 シクススのグループ以外のメイドたちも何事かと集まってくる。

 ホムンクルスである彼女たちは人間よりも遥かに大量の食事を必要とし、暇さえあれば何かしら食べている。この時間であれば食堂はほぼ彼女たち一般メイドの貸し切りになっているのだ。

 

「どうしたの!? あの女がどうかしたの?」

「それが、あの女……いえ、アルシェ様が、どうやらご懐妊なの!」

 

 シクススの報告を聞いたメイドたちの上げたそれは、もはや声ではなかった。

 荒れ狂う獣たちの咆哮だった。肺の空気を絞り出し、深呼吸して再び肺の奥まで絞り出す。

 それは獣の群れが未知の敵に対して挙げる威嚇の叫びに似ていた。

 あまりの音量に、普段は奥に引っ込んでいる料理人や男性使用人たちが何事かと顔を覗かせる。

 

「そそそそそれははははほほほほんんととううううななななのの?」

 

 周囲のことなど眼中にないメイドたちは一斉に声を上げ、席を立ち、シクススに詰め寄る。

 

「間違いないわ! だって、アルシェ様のお腹がこんなに!」

 

 シクススは両手で腹のあたりに丸く山を描く。

 

「お顔だってもう……真っ赤な顔して仰るのよ! あんな……あんな格好で――」

 

 息が切れ、シクススは誰かが差し出したコップの水を一口飲んで絶叫する。

 

「――ブルー・プラネット様のソレは最高だったって!」

 

 バタリ――何人かのメイドが倒れる音がする。

 ダンダンダンッ――誰かがテーブルを殴りつけている。

「どうしましょうどうしましょうどうしましょうどうしましょう」――何かの呪文のように繰り返す声がする。

 

「だ、誰かに相談を……アルベド様に……?」

「馬鹿ね、そんなことアルベド様がお耳にしたらどうなるか、分からないの!」

「絶対ヤバいって!」

「じゃぁ、じゃぁ……そうだ、ツアレさん、ツアレさんに!」

「そ、そうね、私たちでは分からないから……」

「ツアレさんにお任せしよっ! 私たちは知らなかった。気が付きませんでした!」

「そうよ、だって私たち、人間の体のことなんて分からないもん!」

「これ、秘密よ! 絶対秘密!」

 

 要するに、ツアレに責任を押し付けようということである。

 だが、これは仕方がないことでもある。人造人間ホムンクルスとして創造された彼女たちは人間の生理のことなど本当に知らないのだ。

 

 顔を覗かせていた料理人たちは「やれやれ」という顔で奥に引っ込む。

 力の限り叫んで何が秘密だと。

 彼女たちが秘密と言ったことが秘密であり続けたことなど一度もないだろうがと。

 面倒ごとに巻き込まれるのはお断りだ。

――男性使用人たちは知らぬ顔をして食器を回収したり目玉焼きをひっくり返している。

 

「ともかく、これからは『あの女』じゃなくて『アルシェ様』ね!」

「あたしはずっと『アルシェ様』って言ってたわよ?」

「アルベド様やシャルティア様よりも、アルシェ様が一歩リードってこと?」

「それは……どうかしら? お二人はモモンガ様お目当てでしょ? 比べるのはちょっと……」

「絶対あのお二人、『次は私』って暴走するわよ。こわいこわいこわいこわい……」

「だから、絶対に秘密なの! いい? 抜け駆けしてポイント稼ごうだなんてダメだからね」

「分かってるって。私は絶対言わないから。誰にも!」

「あたしも言わないから。先に言っとくけど、バレたらそれは誰か別な人のせいだからね!」

 

 衝撃から立ち直り、メイドたちは思い思いのことを吐き出して徐々に騒ぎは落ち着いていく。

 

「ともかく、これからはアルシェ様のご健康には細心の注意が必要ね」

「そうね、お食事は……たったあれだけじゃ絶対足りないわ!」

「ええ、そうよ、いくら細身とはいえ、せめてあの3倍は召し上がっていただかないと」

「2人分必要になるとか言わない?」

「ツアレさんには、それとなく言っておいた方がいいと思う。ほら、ツアレさんって少食だし」

「アルシェ様は何がお好みなのかしら? 差し入れとか、ダメかな?」

「それこそツアレさんに聞いてもらおうよ!」

 

 今後の方針も、なんとなくだが、まとまっていく。そして、時間になったところでメイドたちは自分の受け持ちの場所に散っていく。

 

「あー、落ち着いたらお腹が減っちゃったわ」

 

 シクススはテーブルに着き、食事と今後の予定を考える。

 今日も食事が遅くなったしまったが、それもどうやらこれで最後になりそうだ。

 人間の世話のためにわざわざ第二階層まで行くことになったときはどうなることかと思ったが、結果的にはブルー・プラネット様のお役に立つことも出来たし、今後、寵姫となり御子を産まれるであろうアルシェ様に顔を繋いでおくことは出来たし……良かったのだろう。

 あとは、ツアレさんにアルシェ様関係の仕事を引き継いでもらい、その伝手でアルシェ様の好物などを聞き出す。アルシェ様にはこれまで色々と尽くしてきたつもりだ。この縁でブルー・プラネット様とその御子のお世話のお仕事も増やしていただけるに違いない。

――そんなことを考えながら、食堂のメニューを開く。

 

「お疲れさま。じゃあ、ツアレさんを呼んでくるから、引き継ぎはよろしくね」

「はーい」

 

 仕事に戻る友人に手を振りながら、シクススは何を食べようかとメニューの写真に目を移す。

 小倉餡と生クリームの2色ソーススパゲティの特盛にケチャップたっぷりのソーセージをトッピング、サイドメニューにクリームパンとチョコパンを1個ずつ、ついでにコーンポタージュをLサイズで。それと、本日のスペシャルデザート、チョコミントアイスのクアドラカップを……

 

 ペコペコになったお腹をさすりながら、シクススは舌なめずりをする。

 今日は本当に驚きっぱなしでお腹が減った。もう1時間も何も食べてないのだ。

 




ナザリック最大の不幸……「ツッコミ役が不在」


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第33話 天国と地獄

ポンコ2


 ブルー・プラネットがモモンガから緊急の呼び出しを受けたのは、その日の夜遅くだった。

 

『ブルー・プラネットさん! ちょっと話があるんですが!』

 

 苛立った声で<伝言>が入る。

 

「はい、えと、何の件でしょう?」

『何の件じゃないでしょう! ブルー・プラネットさん、子供が生まれたそうじゃないですか! なんでそんな大事なことを――』

「はぃぃぃ!?」

 

 ブルー・プラネットはモモンガの居室前に転移して、ドアを何度も激しくノックする。

 モモンガがドアの隙間から顔だけ出し、周囲にブルー・プラネット以外いないことを確認すると急いでドアを開き、ブルー・プラネットを手招きする。

 

「早く早く、今のうちに!」

 

 訳の分からぬまま、ブルー・プラネットは身をかがめてドアをくぐり、モモンガの自室に入る。

 

「えっと、子供が何とかと……聞き違いですか?」

「いえ、俺もさっき聞いたんですよ。アルベドとシャルティアから詰め寄られて。どうなってんですか!?」

「私が聞きたいですよ! なんで私が子供を産んだってことになってるんですか!?」

 

 ひょっとしたらマーレにやったザイトルクワエの落し子たちのことか?

――そんなことを考えているブルー・プラネットに、モモンガは机を叩いて叫ぶ。

 

「違うんですって! ブルー・プラネットさんにお渡ししたアルシェとかいう女、それがブルー・プラネットさんの子供を産んで育てているという話ですよ!」

「ええ……? 待ってくださいよ! まだアルシェが来て1週間も経ってないんですよ……ってか、私がシャルティアからアルシェを引き取ったの、今日ですし!」

 

 モモンガとブルー・プラネットは応接間のテーブルを挟んで事情を話し合う。ブルー・プラネットの説明を聞き、モモンガの眼窩に宿る炎が小さくなる。どうやら冷静さを取り戻したようだ。

 

「え、あ、そうですよね……すみません、ちょっと焦っちゃって……」

「どうしたんですか? 何があったか話してくださいよ」

 

 頭を下げるモモンガに、ブルー・プラネットは説明を求める。

 

 モモンガの話では、数時間前、アルベドとシャルティアが自室に突然押しかけてきたのだという。

 彼女たちは口々に――

 

「ブルー・プラネット様に御子が誕生したとは本当か」「本当であれば、是非、私たちにもモモンガ様のお情けをいただきたい」「そう思って急いで来たら、モモンガ様の部屋の前で鉢合わせした」「この際であるから是非、正室をお決めいただき、その上でお情けを順番に」

 

――そんな内容のことを喚き散らしてモモンガに取り縋ったのだという。

 

 ブルー・プラネットは最初は身を入れて聞いていたが、腕組みをし、それを解いて頭を掻き、今は天井を這う八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)を目で追いながら上の空で聞いている。

 

「ふぅ……彼女たちがどこからそんな噂を聞いたのかは聞いていませんが……いずれにせよ、彼女たちを宥めるのはホネでしたよ……」

「え……骨でしたんですか? 結局……」

「え……? い、いや違うって! 骨が折れたってことです!」

「あー、アルベドとか、激しそうですもんね」

「は……? んもー、まじめにやってくださいよっ!」

 

 モモンガが叫び、ブルー・プラネットはカラカラと笑う。

 

 モモンガ本人にしてみれば、100レベルNPC2体に襲われるというのは恐怖以外の何物でもないだろう。だが、傍から聞く分にはモテ男の自慢話だ。それに、夜中に訳の分からないデマで呼び出されたという思いもある。眠気も疲労も感じないこの体では時刻はどうでもいいことだが、騒動に巻き込まれたことへの、ちょっとした意趣返しだ。

 

「それで、どこからそんな噂が出たのか、私としてはそっちを知りたいんですけどね」

「俺もそう思って、2人を呼んでます」

「え?」

「是非、ブルー・プラネットさんご自身で噂の出所を確認してください」

 

 さすがはモモンガさん、決断が早い。――ブルー・プラネットは感心するが、その行動を意外に思う。

 つい先ほど、何とか2人を宥めて帰したばかりだというのに、また呼ぶとは……

 

(2対2ならば何とかなる、そう考えたのか?)

 

 モモンガの真意をブルー・プラネットが測りかねているうちに、ドアがノックされる音が響く。

 

「あ、来ました。いえね、噂を確かめた上で正室を決めると説得して一旦帰したんですよ」

「ああ、そういう……でも、私に子供はいませんからね。どうするんですか?」

 

 ブルー・プラネットは納得し、考えながらドアに向かう。ここはモモンガの居室だが、ドアからの位置は自分の方が近い。それに、モモンガが席に座っている一方で自分は立っているからだ。

 

 ドアを開きかけるとその隙間からサンダルを履いた白い足がカッと差し込まれる。そして上からは白い手袋が1つ――アルベドの手だ。扉の向こうから凄まじい力がドアを押し開けようとしているのを感じ、ブルー・プラネットは本能的な恐怖から反射的にドアを閉じようとした。

 

「開けてくださいませ! 開けてくださいませ! ふんっ!……シャルティア、押して!」

「ぬりゃっ!」

 

 変な声と共に小さな気配が、やはり猛烈な力でドアを押してくる。

 怪力をもって鳴るトレントでも、片手に対し同レベルのNPC2人の全力ではひとたまりもない。いや、それ以前にドアがもたない。

 メリメリと蝶番が悲鳴を上げ、ドアが強引に押し破られた。

 

「ブルー・プラネット様! お待ちしておりました。ブルー・プラネット様は私こそモモンガ様の正室だとお考えですよね!?」

「私が教育したアルシェが御子をなしたということは、私にモモンガ様の御子を孕む権利があるということでありんしょう!?」

 

 蝶番が壊れドアがバタンと音を立てて外れるとともに、訳の分からないことを叫びながら必死の形相で2人が雪崩れ込んでくる。

 

「ちょ、ちょっと、2人とも落ち着け! モモンガさん、何か言ってやって……」

 

 ブルー・プラネットが後ろを振り向くと、モモンガの姿は消えていた。

 

「ひでぇ!」

 

 思わず叫ぶ。

 嵌められた……そう思ったブルー・プラネットが自分も転移の指輪を作動させようとするが、アルベドとシャルティアがローブの裾を掴んで離さない。

 

(これでは転移で逃げてもついてくるか)

 

 覚悟を決めたブルー・プラネットが2人に相対する。幸いなことに、2人ともブルー・プラネットをどうこうしようという気持ちはないのだ。ただ、2人の口からマシンガンの弾のように吐き出されている訳の分からぬ言葉に対処すればいいだけなのだ。

 

「まて、2人とも! まず、私の子供をアルシェが産んだとかいうデマがどこから出たのかをハッキリさせたい」

 

 至高者の力強い言葉にアルベドとシャルティアの2人は怯み、そして自分たちが聞いたことをポツポツと語りだす。

 

「は、はい……私は、私が目を掛けてやっている娘から聞いたでありんす。何でもアルシェがすでに臨月になっているとか……」

「え? 私は……刺繍を教えているメイドから、すでに御子がお生まれになってお食事が2人分必要になったと聞いたのだけど?」

 

 まったく要領を得ない――苛立ったブルー・プラネットは2人に言う。

 

「お前たちなあ……アルシェが臨月だとかすでに生まれただとか……私は何もしとらん!」

「はっ! し、至高の御方のお言葉に異を唱えるわけではないでありんすが……ブルー・プラネット様はアルシェをお使いになるおつもりだと、あのとき……」

 

 シャルティアの言葉を聞きながら、ブルー・プラネットは反論を諦める。シャルティアは創造主であるペロロンチーノが設定した性格によってものごとを考えているのだから、「使う」という言葉からそういう推論をするのは仕方がないことなのだ。

 

「だからな、アルシェをお前のところから引き取ったのが今日の昼前だろ?」

「は、はい……しかし、至高の御方であれば一日の内に御子を成すこともあるいは……と……」

 

 シャルティアの目が泳ぎ、それを横からアルベドが咎める。

 

「ちょっと、シャルティア! その人間の女をブルー・プラネット様がお引き取りになったのは今日の昼のことだなんて、何で言ってくれなかったのよ! そうなら私は――」

「アルベドよ、黙れ」

 

 ブルー・プラネットの叱責に、アルベドは身を震わせ沈黙する。

 

「アルベドよ、お前は守護者統括として上げられてくる情報を吟味し、その真贋を冷静に見極めるべき立場ではないのか?」

「お、仰る通りでございます……噂をそのまま信じて我を忘れることなどあってはならないことでした……」

「よし。それでは、そのアルシェの状態を確認すれば良いのだろう? 待っていろ。今連れて来る――」

「お、お待ちください……御身を疑うわけではございませんが……その……もうこれ以上待つのは辛いのです。ぜひ私もご一緒させていただきたく」

 

 アルベドはブルー・プラネットのローブの裾を握ったまま放さない。

 そのまま自室に逃げるつもりはなかったが、とりあえずこの姦しい2人から離れて一息入れようとした気持ちを見透かされた気になったブルー・プラネットは心の中で舌打ちし、2人に言う。

 

「分かった。では、2人とも付いてこい」

「あ……あの、申し訳ございません、ブルー・プラネット様……」

「なんだ?」

「その……恐怖候の眷属はもういないのでしょう……ね?」

 

 ローブの裾を握ったままアルベドが恐る恐る尋ね、シャルティアが「げっ」という顔でローブから手を引っ込める。

 

 めんどくせぇ――ブルー・プラネットがイライラとしながら「ああ、もう片付けた」というと、アルベドはローブの裾を握りなおし、シャルティアもあわててそれに続いた。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 3人が転移して誰もいなくなったモモンガの個室、そこにモモンガが転移して帰ってくる。

 アルベドとシャルティアによって強引にこじ開けられ外れたドアの蝶番を魔法で修復し、閉めなおす。

 

「ふぅ……これでとりあえず片付いた。あとはブルー・プラネットさんが上手くやってくれればいいんだけどな……」

 

 モモンガはドアが開かれたときに転移して逃げ出し、魔法で一部始終を監視していた。そして、壊れたドアを通じて部屋に戻り、修復されたドアを締め切った。これで個室は隔絶された空間となり、無許可の探査および転移を阻害する。いきなりアルベドたちが戻ってくる心配はない。

 モモンガは安堵の息を吐き、ブルー・プラネットから与えられた情報から次の手を考える。

 

 子どもが出来たという話は間違いだろう。ブルー・プラネットさんは嘘を言うタイプではない。

ならば、それを確認したアルベドたちがどう反応するか……そして、それに自分はどう対処すべきか……

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 ブルー・プラネットは自室前の廊下に転移する。そして、ロックを解除し、共に転移したアルベドとシャルティアを自室に招き入れる。

 アルシェはすでに奥の部屋で眠っている――そう告げて、ブルー・プラネットは2人が言葉では納得しないだろうと奥の寝室に通す。

 寝室の中では頑丈かつ豪奢なベッド――耐久性は魔法によって保証されているので見かけの頑丈さはあまり意味はないが――の上でアルシェは胎児のように身を丸め、羽毛布団に身を包んでいた。まるで、その羽毛布団が身を守る盾であるかのように。

 悪夢にうなされているのだろうか、時折、苦しそうに呻き声を上げている。この数日で初めて許された自然な睡眠だが、アルシェの心に刻まれた傷は眠っている間も彼女を苛んでいた。

 

「まあ、至高の御方のためのベッドにそれ以外の者が上がるなど!」

「ベッドは私の所有物であり、アルシェもまた同じだ。何の問題がある?」

 

 囁き声ではあるが不快感を示したアルベドを、ブルー・プラネットが窘める。

 

「はっ! その通りでございます……が、やはり、ものには相応しい場所があると思われます」

「う、うむ……そうだな。では、アルシェは私が相応しいと判断したのだ」

「左様でございますか……至高の御方のご判断、しかと承りました」

 

 アルベドは目を伏せて頷く。

 

「分かったようだな、では……ほら、赤ん坊などいないだろう? お腹だって……」

 

 ブルー・プラネットが枝を伸ばし、そっと布団をめくってアルシェの腹を確認させようとしたときだった。

 

「アルシェ! 起きんさい!」

 

 持ち上げられかけた布団を、シャルティアが無遠慮にはぎ取る。布団の隙間からそっと覗こうとしていたアルベドは愕然とし、シャルティアを見つめた。

 

「はっ、シャ、シャルティア様!」

「いいから、お前のお腹を見せなんし!」

 

 シャルティアの声に条件反射のように目を開けたアルシェは、そのまま跳ね起き、シャルティアの姿を見るとベッドの上で土下座する。そして言われるままにナース服の裾をたくし上げ、その平たい腹を見せた。

 

「ほんとうに……平らね。シャルティアといい勝負だわ」

 

 アルベドが下から覗き込んで感心したように言い、それを聞いたシャルティアは目を赤く光らせて横からアルベドを睨みつける。

 

「もういいだろう、疑いは晴れたな! アルシェ、服を下ろせ」

 

 ブルー・プラネットが早口で命じ、アルシェは命じられたまま服を戻す。

 ブルー・プラネットとしては、とんだ罰ゲームだ。自室に少女を監禁し、変態的な服を着せ、そのままベッドに寝かしているのが2人の女性にバレたと思うと、たまらない居心地の悪さを感じる。

 

「よし、アルシェ、寝ていいぞ。もう終わった」

 

 ブルー・プラネットの声に従い、アルシェは布団を直して再びベッドに横になる。しかし、その目は閉じられたものの、体の震えは止まらない。

 

(終わった。私、終わった)

 

 3人の化け物の視線は目を閉じていても感じられる。化け物たちは自分の体を確認し、食べる気なのだろう。「平ら」と言ったのは、まだ肉付きが悪いということか。午後の食事は、自分を肥え太らせるためだったのか……

 

 化け物たちの囁きが聞こえる。

 

「平らで悪うありんしたね。でも、贅肉だらけの年増はいかがなものでありんしょう?」

「この位の歳や肉付きが魅力的だという殿方も多いのよ? ですよね、ブルー・プラネット様」

「ああ、うん、まあ……いや、その話は今は無しだ。今、問題なのはアルシェのことだろう?」

「つまり……ブルー・プラネット様はもっと肉付きの良いアルシェをお望みでありんしたか? そうと知ってありんしたら私はもっと食べさせていたでありんす……」

「そういうことではないが……たしかに痩せすぎではあるな。もっとこう……いや、忘れろ」

「はっ! 忘れます!」

 

 化け物たちが肉付きのことで自分を品定めしている。自分がまだ若すぎ、痩せすぎだという結果になったらしい。それで今のところは彼らの夜食になる運命を逃れたのだろう。

 化け物たちが自分を置いて部屋から出ていく気配がし、明かりが弱まり、ドアが閉じられる。

 薄眼を開け、独りきりになったことを手早く確認したアルシェはベッドの天蓋を見つめながら寝室で恐怖に震える。

 

(太ったら、その時こそ『終わり』だ)

 

 ブルー・プラネットの部屋で出された食事は元貴族であるアルシェをして見たこともない素材で作られた最上級のものだった。味は言うに及ばず、その一口一口が体に浸み込み、血となり肉となるのが分かった。異常なほどの滋養があった。疲労は吹き飛び、魔力まで――今は魔法の行使が封じられているが――漲ってきたのだ。

 

 ここの食べ物は危険すぎる。

――アルシェは決して食べすぎないことを心に誓う。これからは自分を太らせようと、更なる極上の美味が並べられるに違いないが、決してその誘惑に乗ってはいけない。

 

 だが……いくら拒んでも無理矢理に口から食物を流し込まれるかもしれない。そうして強制的に太らせた獣を使う料理があると聞いたことがある。そうなったら――

 

 アルシェは布団の端を握りしめ絶望の悲鳴を上げた。隣室の化け物たちに聞こえないように、小さく。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 隣室では、ブルー・プラネットとアルベド、シャルティアがテーブルに着き、話し合っている。

 いや、ブルー・プラネットの説教を二人が首を垂れて聞いている。

 

「だから言っただろう。アルシェには子供などいない。私は何もしていない。お前たち2人はナザリック最上位の部下として階層の守護を任されているはずだが、それがこんな噂一つで騒ぎを起こし、おのれの領域を勝手に離れ、モモンガさんにご迷惑をかけるとは何事だ?」

 

 アルベドとシャルティアは、消え入りそうな態度でブルー・プラネットの長い説教を聞いている。

 

「まっこと、まっこと申し訳ありませんでした……噂を流したメイドたちは早速――」

「違うっ! 私は、噂に流されたお前たちを問題視しているのだ。噂の元になったのはメイドたちなんだな? そっちはそっちで、私が直々に処罰する。今は、お前たち自身のことだ」

「わ、分かりました……悪いのは私たちでございます……」

 

 シャルティアはこれ以上ないという位、そのか細い身を縮め、震えている。

 

「そうだ。そして、この件で一番迷惑を受けたのはモモンガさんだ。それについては?」

「守護者統括として、今回の失態は弁解の余地がございません」

 

 アルベドは大粒の涙をボロボロと零し、しゃくりあげながら答える。アルベドも両手を膝の上に置き、肩をすぼめている。その結果、豊満な胸が強調され、ブルー・プラネットの視線はその双丘に固定される。

 

 しばし、ブルー・プラネットの居室にはアルベドのすすり泣きの声だけが響く。

 

「……分かればよい。それでは、お前たちの処遇だが、今からモモンガさんに<伝言>で話し合って決める」

「お待ちください! 私からも是非、モモンガ様に直接お詫びを申し上げたく――」

「お前たちは、まだこれ以上、モモンガさんに迷惑を掛けたいのか?」

 

 ブルー・プラネットの冷たい拒絶を聞き、アルベドとシャルティアの顔が絶望に凍った。

 

「あー、もしもし、モモンガさん?」

『はい、ブルー・プラネットさん、どうなりました?』

「今から、2人を送りますんで、是非、3人でよく話し合ってください」

『えっ! ま、ま、待ってくださいよ。そっちで話が着いたんじゃないんですか?』

「あはは、冗談ですよ。さっき置き去りにされた仕返しです」

 

 横で会話を聞いていたアルベドとシャルティアの顔が一瞬輝いたが、「冗談」という言葉に再びこの世の終わりのような表情を浮かべる。

 

『ひどいなあ……って、さっきは済みませんでした。でも、ブルー・プラネットさんなら実害はなかったでしょ?』

「そうなんですけどね。まあ、2人の処遇ですが、反省もしたようですし、しばらく謹慎ということでどうでしょう?」

『そうですね。3日間……というところですか? 皇帝の来訪の準備には間に合うように』

「ええ、モモンガさんがそれで良いのでしたら」

『はい、ではそれでお願いします』

 

 ブルー・プラネットは<伝言>を切り、硬直して判決を待つ守護者2人に向き直る。

 

「結論が出た。お前たちはそれぞれ謹慎3日間とする。モモンガさんへの面会は一切許さん」

「わ、わかりました……寛大なご処置に感謝いたします」

「よし、それでは自室に戻るがいい。そして、謹慎の間、自分の為すべきことをよく考えろ」

 

 アルベドとシャルティアは立ち上がり、深々と頭を下げてブルー・プラネットの部屋を出た。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 NPC達を見送った後、ブルー・プラネットは溜息をつき、自分の机に戻る。中断された自分の仕事、第六階層の再設計を続けるためだ。

 人間たち――“フォーサイト”の3人を第六階層に移す計画を早めなければいけない。これ以上変な噂を立てられるのはもうごめんだ。

 

 だが、その噂によって忘れていた重大な可能性に気づいてしまった――人間たちは子供を産むということを。今までの計画をもう一度白紙に戻して大幅に、そう、今までの数倍の資源を費やさざるを得ない。しかし、モモンガさんからは「なるべくコストを掛けないで」と言われている。自分の資産を使うことで当面は間に合うが、それでも数百年というスパンで考えると人間がどこまで殖えるか――心もとない。

 

「どうすりゃいいんだ」

 

 ブルー・プラネットは苛立って叫ぶ。

 無理な注文だ――その無理を解くために、ブルー・プラネットは最大化した<知力上昇>を自分に掛ける。より高い視野に立ち、見落としていた解決策を見つけるために。

 

 そして冴えわたる認識の中で気が付く。あまりにも簡単で、それゆえ見落としていた解決策に。

 

「なんだ、1人なら人間は殖えないやんか」

 

 人間と自然の共生を探る。その上で人口を増やす実験は必要だとしても、それは適宜導入したらよい。なにも今“フォーサイト”の3人に拘ることはないではないか。

――嬉しくなり、ブルー・プラネットはその計画をさらに進める。

 

 そうだ、人口の管理は必要だ。この世界の人間の生殖を調べる必要がある。ならば……そうだ、ヘッケランとイミーナが丁度いいサンプルになるじゃないか。第六階層へ移すのはアルシェ1人で良い。あとの2人は今まで通り実験室に置いて、子供を作る実験に協力してもらおう。彼らの関係なら、きっと喜んで協力してくれるだろう……最大何人まで産めるか、薬も使って交配を管理するのもいいかもしれない。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 ブルー・プラネットの個室を出たアルベドとシャルティアは、トボトボと歩きながら話し合う。

 

「3日間……3日間もモモンガ様にお会いできないなんて辛すぎるわ」

「そうでありんすね……大体、おんしとモモンガ様のお部屋の前で出くわさなかったら、もうちょっとことは穏便に進められたはずでありんしたが……」

「それはお互いさまよ……あの子たち、今度会ったらしっかり叱っておかなくちゃ」

「ふふふ……しばらくは誰もおんしの部屋には近寄らないと思いんす。噂が広まるのは早いでありんすから……」

「あなた、そういうのは止めてよ。本当に!」

「分かったでありんす。しかし、赤子の噂は間違いだったとして、あのアルシェは――」

 

 シャルティアの言葉にアルベドの歩みが止まり、その目がキラリと光る。

 

「ええ、噂の一つは確定ね。ベッドに上げられていたということは、ブルー・プラネット様はアルシェを寵姫としてお認めだということ……シャルティア、あなたアルシェの布団をはぎ取るとはブルー・プラネット様に対する不敬と思わなくて?」

「そうでありんすか? アルシェは、いわば、私やおんしと同じ土俵に上がったということでありんすよ? ならば、あの程度のじゃれあい、スキンシップの一つでありんす」

「……はぁ、いいわ。あなたがそういうつもりであるならば」

 

 アルベドの牽制は空振りに終わった。シャルティアの反撃が始まる。

 

「それに、おんしだって、ベッドのことでアルシェに言える立場ではないでありんしょう?」

「なによ、それ?」

「アルベド? モモンガ様がお留守の間、モモンガ様のベッドでおんしが何をしているか、私が知らないとでも思っていたでありんすか? 『至高の御方のためのベッドにそれ以外の者が上がるなど!』……どの口でそれをほざいたでありんすか?」

 

 はぁ、とシャルティアは大袈裟にため息をつき、両手を広げてヤレヤレと首を振る。

 

「うっ、ぐっ……なんでそれをあんたが知ってるのよ!」

「さて、なぜでありんしょう?」

 

 アルベドは愕然とし、ニヤニヤと自分を見つめるシャルティアを見る。

 ナザリックの情報を統括する立場である自分が、逆に行動を見抜かれていた――しかも見抜いたのがシャルティアなのだ。

 

(この子は決してバカではない)

 

 考えてみれば当然だ。シャルティアとて至高の御方々の一人が手ずから創造したもの。そして、守護者という任務は決して愚か者に務まるものでは無い。3つの階層を守護するシャルティアは守護者の中でも個として最強であり、それは戦闘における瞬時の判断力の高さにもよる。そればかりではない。シャルティアは女性の眷属を多数有し、その情報網は侮るべきではない。

 

(メイドを叱るのはナシね……今は一人でも味方を増やすべき……)

 

 今回の噂が間違いであったことを逆にどう利用するか……アルベドの頭脳はそれに集中する。

 

「ま、いいでありんす……ともかくも、ブルー・プラネット様は、私が推したアルシェを寵姫となされた。となれば、今日のことは間違いでも、いずれは噂が真となる日も来るでありんすよ」

 

 黙ってしまったアルベドを見て、シャルティアは余裕の微笑みを浮かべる。

 

「分かっているわ。その日より先に、私は是非ともモモンガ様の御子を生しておかなければいけないわね。だって、そうでしょう? 至高の御方々の中でも、それを統率されていらしたモモンガ様よりブルー・プラネット様の御子の誕生がお早いとなれば、それは後々混乱を招くわ」

「それは、おんしの願望を正当化しているだけにも聞こえるでありんすが、異論はないでありんすよ。おんしと私、どちらがモモンガ様に相応しいか、ということも早めに決着をつけるべきでありんす」

 

 懲りない女たちの会話は続く。今のところはシャルティアが優位に立っている。

 だが――アルベドには切り札があった。

 

「悪いけど、シャルティア、その件はすでに解決済よ」

「はぁ? なんでよ!?」

 

 アルベドの黄金の瞳が、シャルティアの真紅の瞳の奥を覗き込む。

 

「だって、私はブルー・プラネット様直々にモモンガ様のお隣に立つよう命じられているもの」

「あ、あ、あ、アルベド、こともあろうに至高の御方のお言葉をでっち上げるのは不敬極まりないわよ!」

 

 アルベドが微笑みとともに放った切り札は、シャルティアの余裕を完全に消し飛ばした。

 

「あら、お言葉を『でっち上げ』と決めつけることこそ不敬ではなくて? ブルー・プラネット様は、ご帰還を祝う式典のあと、私の部屋を訪れて『モモンガ様の横に立って支えるべし』とおっしゃったのよ」

 

 シャルティアは目と口を大きく開け、泣きそうな顔で首を横にブンブンと振る。今聞いた言葉を振り払うように。しかし、シャルティアは知っている。アルベドが至高の御方の言葉を捏造するはずがないことを。

 

「そ、そんな……ブルー・プラネット様は私をペロロンチーノ様の最高傑作であると……」

「そうね、あなたはペロロンチーノ様の最高傑作。それは間違いないわ。でもね、シャルティア、それとモモンガ様に愛されるということは別なのよ。私はモモンガ様に『我を愛せよ』と命じられ、ブルー・プラネット様には『モモンガ様の横に立つべし』と命じられたの。それで、あなたは?」

 

 必死でシャルティアは記憶の底を浚い、ペロロンチーノが残した言葉をかき集める。

 だが、そこには『モモンガ様を愛せ』という命令は無かった。

 

「そ、そうだ、ペロロンチーノ様は、私を死体を愛するように御創りに――」

「そうね。でも、死体はモモンガ様だけではないわ。他には?」

「い、いまは思い出せないでありんすが……ペロロンチーノ様がお帰りになったら、きっと私をモモンガ様の后に推薦するでありんすっ!」

「そうかしら? ペロロンチーノ様はご自身を愛するよう、あなたを御創りになったのではなくて?」

「そ、それはそうなのでありんすが、それとはまた別にモモンガ様も愛するようにと――」

 

 自分で言っていて訳が分からなくなったその時、シャルティアの脳裏でカチリとパズルのピースが嵌った音がした。

 

「そうでありんす! ペロロンチーノ様は、愛する者をあえて他者に差し出す、そういったしちゅえーしょんも大好物でありんしたと、他の至高の御方々が話し合っておられたでありんす」

 

 アルベドは舌打ちをする。当面の弾が切れたのだ。シャルティアに致命傷を与えるには至らなかった。だが、現存する至高者2名の言葉と、シャルティアの予想では優位は明らかだ。

 

「いいわ、シャルティア。あなたがそう言う希望を持っているのなら、それを大切にしなさい」

 

 アルベドはシャルティアに慰めるような笑顔で声を投げかける。勝者の余裕というものだ。

 シャルティアは項垂れて口を噤んだ。

 

「じゃあ、この辺でお別れね。私は部屋に戻るわ。ああ、3日もモモンガ様に会えないなんて辛いわぁ」

 

 余裕の笑みを浮かべ、アルベドは再び自室に向かって足を進める。今のシャルティアの表情を反芻すれば、3日間は乗り切れるだろう思いながら。

 シャルティアは泣きそうな顔で、何とか挽回策は無いかと考えながらトボトボと階層間の転移門に向かった。今は<転移門>を開く気にもなれない。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 人口調整のアイディアを取りまとめたブルー・プラネットは小休止し、別の問題に取り掛かる。

 噂の元となった一般メイドについてのことだ。

 誰が噂をしたのかは分かる。シクススだ。アルシェに接触したのは彼女しかいない。

 だが、なぜ……? その疑問が解けないのだ。

 

 もう夜も遅いが、一般メイドも睡眠不要のアイテムを使っているとモモンガから聞いている。ならば呼び出しても問題はないだろう。

 

「シクススよ。今、手が空いているか? アルシェのことで話があるのだが」

『はいっ! アルシェ様のことでございますね! 今すぐ伺います』

 

 嬉しそうな声がする。至高者に仕事を命じられたシモベ達の反応はいつもこうだ。シクススは、これから自分が詰問されるとは夢にも思っていないのだろう。

 

 やがて、ドアがノックされ、シクススが誇らしげに入ってくる。

 

「ブルー・プラネット様、アルシェ様のことでお呼びだと――」

「ああ、ちょっと話がある。そこに座れ」

「はっ、はい」

 

 さすがに空気がおかしいことに気が付いたのだろう。シクススはやや表情を硬くしてテーブルに着く。そして視線を動かし、自分の味方であるはずのアルシェを探し、それが居ないことに首を傾げる。

 

「お前は、アルシェが私の子を産んだ、そう噂を流した……そうだな?」

「え? い、いえ、私はアルシェ様がご懐妊なされたと皆に……それは今後のアルシェ様のお世話に必要なことでありましたから……」

 

 ブルー・プラネットから発せられた硬い声に、シクススは飛び上がらんばかりに驚き、背筋をピンと伸ばして弁解をする。

 

「……はぁ……なるほど、その『懐妊』が『臨月』になり『出産』になったというわけだな」

 

 ブルー・プラネットはガックリと肩を落とす。肉体的な疲れは感じずとも、人間としての心が疲労を感じるのだ。そこにシクススからの追い打ちが掛かる。

 

「質問をお許しください……もしかして、アルシェ様のご懐妊は秘密でございましたか?」

「はぁ……いや、いい。それより、お前は何故アルシェが懐妊したと思ったのか、それを教えてくれ」

 

 もはや否定する気にもなれない。それよりもまず、先ほど考えた計画――この世界の人間の生殖に関する情報を集めるべきだ。

 

「はい、私が気付きましたのは、アルシェ様のお腹の膨らみでございました。そして、上気したお顔、満足そうな笑み……そういった情報を集めてご懐妊なされたことに思い至ったわけでございます」

「なるほど……お前たちはそれが妊娠の徴だと考えたわけだな」

 

 肯くシクススを見てブルー・プラネットは考える。ナザリックのNPC達はユグドラシルで創られたのだ。この世界で自意識をもったとしても、その知識はユグドラシルの名残――空想の世界のものかもしれない。

 

「お前たちは、この世界で実際に妊娠した者を……いや、まず、人間の女を見たことはあるのか?」

「はいっ! セバス様に連れてこられたツアレという人間の女が私の同僚として働いております」

「え? なに、人間の女がいるの?」

 

 思わずブルー・プラネットは素の声を出す。

 

「はい、もう数か月になりますか……セバス様が人間の町で拾い、それをモモンガ様がアインズ・ウール・ゴウンの名において保護をお約束された女でございます。そして、噂ではデミウルゴス様が、その女が子を生せるかご興味をお持ちだと……」

「なんだ、そうか、そういう女がいるのか。さすがはモモンガさんとデミウルゴスだな……その女にちょっと話を聞きたいが、連れてくることはできるか?」

「は、はい、ご用命とあらば……しかし……」

 

 シクススの目が泳ぐ。

 

「ん? どうした? 何か手が離せない用事でもあるのなら無理にとは言わんが」

「それが、その……このお時間ですと、セバス様とお二人でいらっしゃるかと……」

 

 ああ、とブルー・プラネットは同意の声を上げる。

 なるほど、そういう関係ですか。そういう関係の男女が同僚にいるのなら、メイドたちの「懐妊」の誤解も仕方がないかもしれませんね――そんな思考が渦を巻く。

 

「分かった。そういうことなら今は良い。では、明日の朝食にでもアルシェの食事を持ってこさせ、その際に話を聞くことは出来るか?」

「はい、それでしたら、すでにそのように手配しております」

「ほう、随分と手際が良いな?」

「はい、やはり人間は人間同士の方が分かり合えるのではないかと愚考いたしました」

「素晴らしい。素晴らしいぞ。シクスス! よくそこまで気が回るものだ」

「とんでもございません。メイドとしてアルシェ様のことを考え、最善と思えることをしただけでございます」

 

 至高者に褒められ、シクススは顔をグニャグニャに蕩かす。そして、やはりアルシェに優しくしておいて良かったと、自分の配慮を内心褒める。

 

「うん、よし。ならば下がってよい。シクススよ。これからもその調子で頼むぞ」

「はいっ! これからも誠心誠意、ブルー・プラネット様にお仕え致しますから、どうぞいつでもお呼び出し下さいませ」

 

 シクススは退室する。そして、よしっ、と拳を固めて「デキる自分へのご褒美」のために従業食堂に向かった。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 ようやく落ち着いた居室で、ブルー・プラネットは溜息をつく。

 

 疲れるわぁ……と愚痴をこぼしそうになったそのとき、再びドアが激しくノックされる。

 またかよ、誰だ――とドアを開けると、コキュートスが剣を下げて立っていた。

 

「ブルー・プラネット様! アルベドトシャルティアガ御子ノ事デ騒イデイルト、我ガ眷属ノ雪女郎達ガ噂シテオリマスガ――」

「もういいから!」

 

 ドアが締められ、コキュートスは廊下に立ち尽くす。

 駆けつけるのが遅すぎたのか――そう反省しながら。

 

 やがて再びドアが開き、ブルー・プラネットが顔を覗かせる。

 

「すまん、苛立っていた。いや、もう、この件は解決した。コキュートスよ、お前の忠義を嬉しく思う。下がってよい」

「有リ難キオ言葉! ソレデハ失礼イタシマス。マタ何カ、アノ者達ガゴ無礼ヲ働キマシタラ、スグニ私ヲオ呼ビクダサイ」

「ああ、ありがとう。頼りにしているぞ」

 

 恭しく腰をかがめ、コキュートスはドアが閉じられるのを待つ。そして、至高の御方に頼りにされているという喜びに拳を固めた4本の腕を振り上げながら自分の領域に戻っていった。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 翌朝、シクススに連れられて人間の女が料理を運んでくる。ツアレと名乗ったその女には、なぜかセバスも付き添っている。

 

「おや、セバス、お前までどうした?」

「はっ、ブルー・プラネット様。ツアレはまだ至高の御方のお世話をしたことはございませんので、私が監督として付いてまいりました」

「ふん、そうか……」

 

 セバスの言葉に嘘はないだろう。だが、それだけではない。後ろに立っている心細げな女の身を案じての行動でもあるだろう。むしろその方が強いかもしれない。

――そう考え、ブルー・プラネットは料理をワゴンから降ろすツアレを見る。

 

 なるほど、美人と言うよりは可愛らしいといったところか。モモンガさんが言うには、セバスはたっち・みーさんの雰囲気を強く残しているという。確かに彼が守ってやりたくなるタイプかもしれない。

――それがブルー・プラネットがツアレに下した評価だった。

 

「それにしても、随分と量が多くはないか?」

「はい、アルシェ様のお体を考えまして」

 

 シクススが「私、気が回るでしょ」というオーラを振りまきながら答える。そして、チラリとアルシェの腹を見て、それが平らであることに首を傾げ、赤子の姿を探す。

 

「ああ……しかし、それにしても多すぎると思うが……満漢全席とかいうやつか?」

「大丈夫です……可能な限り食べますので、どうかそれでお許しを……」

 

 ブルー・プラネットは席に着いたアルシェを見る。山と積まれた極上の料理を前にして青ざめて震える彼女を。

 

「ああ、無理に食べることはないが……」

 

 ブルー・プラネットはアルシェを理解しかねる。

 頭を撫でれば震えだし、料理を前にすれば震えだし……この娘は何が怖くていつも震えているのだと。

 

「ブルー・プラネット様、そちらのお嬢様がアルシェ様でございますか?」

「そうだ、ああ、セバスはアルシェに会うのは初めてだったな。紹介しよう」

「アルシェ・イーブ・リイル・フルトでございます。セバス様、ご機嫌麗しゅう存じます」

 

 ブルー・プラネットが促し、アルシェはこの墳墓に来て初めて出会う、まともそうな人間の紳士に席を立って挨拶を交わす。

 

「セバス・チャンでございます。しかし、私は至高の御方々にお仕えする一介の執事に過ぎませんから、ただの『セバス』で十分でございます」

「あなたは……その、あなたも皆さんと同じで、人間ではないのでしょうか?」

「はい、私は至高の御方に創造された一人でございます。種族でございましたら『竜人』でございます」

 

 老紳士に優しくではあるが誇らしげに「人間ではない」と告げられ、アルシェは黙って礼を返す。

 

「アルシェ様、お料理が冷めますのでどうぞ……」

 

 ツアレは料理皿の覆いを外し、湯気とともに立ち昇る香りがアルシェの食欲を刺激する。

 

「ツアレさん、あなたも『竜人』なのですか?」

 

 シャルティアの玄室でシクススに「人間か」と聞いたとき、彼女は露骨に顔を歪め、冷たい声で「私はホムンクルスです。人間などと一緒にしないでいただきたいですわ」と言い放った。では、この柔らかい雰囲気のメイドはどうだろうか?

 

「いえ、私はアルシェ様と同じ人間です。セバス様のお導きでナザリックで暮らしております」

 

 ツアレは笑顔で答え、アルシェの顔がパッと明るくなる。人間でありながらこの地獄で生きながらえ、普通に行動する者がいることに希望を見出して。

 その様子を見て、ブルー・プラネットも木の洞の口を歪めて笑みを浮かべる。やはり人間同士は安心するのだろうと考えて。

 ブルー・プラネットはシクススに向かって小枝を立て、シクススが深々とお辞儀をする。

 

「うむ、それではセバスよ、アルシェのことでツアレを少々借りたいのだが、良いか?」

「はっ! ご命令とあらば喜んで。ツアレ、よろしいですね?」

「はい、セバス様」

 

 セバスとツアレは見つめあい、2人にしか分からない方法で語らいあって頷く。

 

「それでは、ブルー・プラネット様、アルシェ様、私はこれにて失礼いたします」

「うむ、心配することはない。下がってくれ。それから、シクスス、お前ももういい。また片付けの時に手伝いに来てくれ」

 

 これからツアレに訊くことは、本人もあまり語りたがらないであろうことだ。セバスとそういう関係であるのならばなおさら――ブルー・プラネットは付き添いのセバスの方から退出を言い出してくれて内心ホッとする。

 

(さて、場所はどうするか……)

 

 アルシェにもこの話は聞かせたくない――ブルー・プラネットは奥の資料室を選ぶ。

 

「アルシェ、ここで食事をしていろ。私はこのツアレに幾つか聞きたいことがある」

「はい、分かりました。私はここで食事をしております」

 

 鸚鵡返しにアルシェが答え、ブルー・プラネットはツアレを促して奥の部屋に向かう。

 

「……さて、失礼なことを聞くが許してほしい。ツアレよ、お前は身ごもったことはあるか?」

 

 奥の小部屋に通され、その壁を覆う難解な図表――ポーションの配合表やアイテムの製造法などであることは絵で想像がつくが――に圧倒されていたツアレは、ブルー・プラネットの質問を聞くと顔を歪め、突如、嘔吐した。

 

「オェ……ゲホッ、ゲホッ……も、申し訳ございません。お許しください、どうか……」

 

 床に膝をつき、蒼い顔をしてツアレは必死に謝罪し、その手で床に広がった吐瀉物をかき集める。

 至高の御方の神聖なる部屋を汚すことは決してあってはならない大失態だ。それは自分に付き添ってきたセバスすら巻き込んでしまう。

 

『ブルー・プラネット様は何より美しい環境を愛するお方。決してそのお部屋を乱すことがあってはなりません』

――セバスの注意がツアレの頭の中で繰り返し響き渡る。

 

「す、すまん、そんなにも嫌な質問だったか?」

 

 ブルー・プラネットは精神安定剤を合成してツアレに注入する。そして、洗浄液を噴射し、ツアレと床の吐瀉物を覆う。魔法の力を帯びた洗浄液は吐瀉物と溶け合い、泡となり、キラキラと小さな粒となって空中に溶け入り、消えた。

 

「は……はい……実は、セバス様にも申しておりませんが、以前何度か身ごもり、堕ろした経験がございます」

 

 俯いて、ツアレは苦しそうに喘ぐ。

 セバスに救われる以前に貴族の慰み者とされていた時、そして娼館で働かされていたときの記憶が蘇ってしまったのだ。自分の体を欲望の対象としてしか見ない男に蹂躙された。金を稼ぐ道具としてしか見ない男たちに暴力的に綿を詰められ、日常的に薬を飲まされて吐き気をこらえながら客を取った。それでも孕むと仕事の邪魔になると言って殴られ、怪しげな薬で堕胎させられ、その苦痛が癒えないうちに再び客を取らされた。

 その繰り返しの地獄の日々を思い出してしまったのだ。

 

「そうか……」

 

 ブルー・プラネットはそれ以上の質問を躊躇う。ツアレの目を見れば、その経験が望んだものでなかったことは容易に想像がつく。

 

「すまない。せめてもの償いだ。これで気分を良くしてくれ。セバスには黙っておいてくれ」

 

 爽快薬――決して有害なものでは無く、ユグドラシルでもゲームの進行に役立つと人気であったもの。それを合成し、ツアレの首筋に注入する。

 

「あっ……償いなど……ふぅっ……ありがとうございます、ブルー・プラネット様」

「気分は良くなったか?」

「はい、とても爽やかな気持ちでございます」

 

 明るい笑顔になったツアレを見て、ブルー・プラネットは頷く。そして、応接間に戻ろうとツアレを促す。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

「なんだ、全然食べていないではないか」

 

 応接間に戻ったブルー・プラネットは、食事に手を付けていないアルシェを見咎める。

 どうにかして料理を隠そうと考え込んでいたアルシェは飛び上がって謝罪する。

 

「も、申し訳ございません。あまりにも多くの料理で、その、見ているだけで……そうだ、ツアレさん、よろしかったら手伝っていただけませんか?」

 

 同じ人間同士――縋るような目でツアレに訴えかける。

 

 そう言われたツアレは、戸惑い、ブルー・プラネットを見上げる。

 確かに胃は空っぽだ。しかし、この料理は至高の御方の寵姫と、その御子に捧げられるものですと、セバスに言われている。寵姫であるアルシェに勧められたからと言って手をつけてよいものだろうかと。

 

「ああ、良いんじゃないか? そうだな、ちょっと多すぎるな」

 

 気軽に答え、ブルー・プラネットはアルシェの隣に椅子を用意し、ツアレに座るよう言う。

 

「それでは失礼いたします。アルシェ様も、どうぞ……」

 

 促されてアルシェが料理をつつき始める横で、ツアレは早速一口目を口に運ぶ。

 

「もご……んっ……この料理、素晴らしいですわ」

 

 ツアレは感嘆の声を上げる。いつもの従業員食堂で出されるメイド向けの食事も、外の世界で出されていたもの――娼館で与えられていた餌――に比べれば夢のような食事であった。しかし、この料理はまさに天界の神々が口にするべきものだ。噛みしめるごとに食材が舌の上でプリプリと踊り、滲み出るエキスが唾液を溢れさせる。飲み込むと、喉をツルリと滑り落ち、体全体、特に下腹部が癒されるようにジワリと暖まる。なんだか胸も熱く、張ってくる気がする。幸福感に涙が自然にあふれて来る。

 

 ツアレは目を細め、頬を押さえてウットリとした顔で一口、また一口と料理を口に運ぶ。

 こんなものを食べていたら、もう外の世界の食物など口に出来ないだろうと考えながら。

 

「はは、そうだろう。どんどん食べてくれ。アルシェも急がないと無くなってしまうぞ」

 

 機嫌よくブルー・プラネットが笑う。

 

「は、はい」

 

 アルシェも食事のピッチを上げる。ツアレの様子を見れば、どうやら自分の食べる量は一人前として妥当な範囲に収まりそうだと計算して。

 横目でツアレの表情を見る。この地獄で上手く生き抜いているこの人間は、一体どうやっているのか――その秘訣を学ぶために。

 

 その視線に気が付き、ツアレはアルシェを見て微笑んだ。

 

「本当に、このナザリックは天国ですわ……そう思いません? アルシェ様」

 




人口調整のもっといい方法:
「なんだ、ヘッケランの**を潰しちゃえばいいじゃんか」

ブルー・プラネットに残る男の精神の残滓……それがその方法を無意識に追いやった。


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第34話 Demiurges 【拷問とか注意】

解剖とかあるので……


 今日のアベリオン丘陵の天気は雨だ――デミウルゴスは天幕の外の物音に耳を澄ませる。

 柔らかな雨音にのって、部下たちと家畜たちの奏でる音楽が微かに聞こえてくる。

 家畜たちは今日も歌っている――歌っていてほしい。そうでなくては面白くない。歌わなくたって彼らの重要性が損なわれるわけではないが、何事にも潤いは必要だろう。

 彼らが日々提供する大量の皮――偉大な主人への供物。栄光あるナザリックを更に輝かすもの。

 それを思い、デミウルゴスは目を細めて優しい笑みを浮かべる。丘陵に降る雨のごとく優しい笑みを。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 ナザリックから南西の方角、聖王国とスレイン法国の間に広がるアベリオン丘陵には一面に天幕が広がる場所がある。数多くの天幕が軒を連ねている様はまさに「大天幕」と呼ばれるに相応しい壮観だ。元はオークの有力部族の物であったが、今、その中で忙しく働いているのはオークではない。デミウルゴスを筆頭とする悪魔たちである。

 

 その仕事の内容は、家畜の世話と研究だ。魔法のスクロールを生産するための皮を得るためにこの世界で見出した家畜はナザリックの栄光を支える大切な資産である。

 家畜を如何に効率よく繁殖させ、如何に効率よく皮を取るか――その為には家畜の習性を熟知する必要がある。悪魔たちは昼夜を問わず勤勉に家畜を世話し、その反応を確かめる。

 天幕を改造したこの牧場では今日も家畜たちの鳴き声が響き、それに応える悪魔たちの楽し気な笑い声が広がる。

 

 天幕の1つ、デミウルゴスの執務室ではデミウルゴスが配下の悪魔から報告を受けている。

 

「プルチネッラ、家畜たちの状態はどうかね?」

「はい、家畜わ音楽を好むというということですので、楽器を与えましたところ、泣いて喜び家族で楽器を弾きならし歌っております」

「ふむ、楽器かね。それはどんなものを与えたのかね?」

「皮を剥いだ後、それを再生できないよう加工する待ち時間がありますので、その間に皮の下の肉を剥いで引き延ばし、それを酸に浸した鞭で弾いたり、その下の骨に鎖を通して交互に挽いて音を出せるように工夫しました」

「ほう、どんな音がするのが、聞いてみたいものだね」

 

 デミウルゴスは嘆息する。

 本来ならば趣味を兼ねて自分でやるべき仕事だが、未知の敵に備えて自分が動き回るわけにはいかないのだ。「大天幕」は外装こそ元のままだがその内部構造は既に元のオーク達が作り上げた原始的なものではない。堅牢な石造りに魔法による隠蔽が何重にも施されている。未知の敵からの監視や襲撃に備えるためだが、おかげで周囲からの音も微かにしか聞こえない。

 

 デミウルゴスは、せめて部下の話を聞いて羊たちの様子を想像し、悩みの多い自分を労わる。

 

「はい、ベチベチ、ゴリゴリ、ギリギリと……家畜の大小によって出る音わ違い、どの家畜をどんな楽器にするかわまだ検討中ですが……何より素晴らしいのわ、楽器になった者が自らの音色に合わせて歌えることです。楽器となった子供を親が弾き鳴らし、親の演奏に合わせて子供が歌う……美しい家族愛に、見ている私も笑顔になります」

 

 鳥の仮面に道化の格好をしたプルチネッラは、楽器を抱えてそれを弾く仕草をする。敬愛する上司へ現場の楽しみを伝えるために、朗らかに踊りながら。

 

「ああ、歌う家族たちの横で皮を叩く槌音が響く……それはなんとも魅力的な演奏になりそうだね」

「はい、我々が弾き鳴らすよりも下手ですが、父が弾き、母が皮を鞣す……これで皮の再生を望む家畜が増えたことも思わぬ収穫でした。家畜たちは皆、皮が一刻も早く鞣し終わり、皮膚が再生されるようを叫んでおります」

「素晴らしい! 家畜が自ら皮の再生を望むようになるとは、また一つ大きな進歩だね」

 

 デミウルゴスは懸念の1つが解決されるという期待から顔を綻ばせ、部下を労う。

 家畜の中には偉大なるナザリックに貢献できる喜びを理解できず、再生を拒否して死を選ぶものもいる。愚かな者達だが、家畜に理解を求めるのも無理な注文なのかもしれない。だが、家畜の数が減り、敬愛する主人に捧げるべき巻物の原料供給が滞ることは憂慮すべき問題であったのだ。

 

 仕事ぶりを認められたプルチネッラはクルリと腕を回し大袈裟な礼をして天幕から引き下がる。

 それを笑顔で見送ったデミウルゴスは自分の趣味――日曜大工に戻る。仕えるべき主人が2人になったことで、それに捧げるべき作品の制作にも熱がこもる。

 

(ブルー・プラネット様は美しい自然を愛されたのでしたね……)

 

 家畜の骨を組み合わせ、至高の御方の居室を飾る純白の壁飾りのデザインを考える。

 骨という死の象徴によって生をより強調する試みはどうだろうか? いや、それではブルー・プラネット様には物足りないだろうと顎に手を当てて試作品を眺めながら。

 

 デミウルゴスは昨日コキュートスから話を聞き、ブルー・プラネットの知略に驚嘆していた。

 アルベドの小さな不敬を誘い、彼女を謹慎させたその鬼謀を。

 

 アルベドが聞き逃すことのできない噂を流し、アルベドを滅ぼすことなく動きを封じた手腕はデミウルゴスをして手の届かぬものと思わせた。デミウルゴスの計画によって誘い込んだワーカーを利用して帰還したことも予想外であったが、そのワーカーの女をシャルティアに預けてアルベドを謹慎させる保険としておいたなど、まさに神算鬼謀の極みである。

 

 至高の御方々――モモンガ様とブルー・プラネット様は全てを見通していらっしゃる。

 この敬すべき主人たちに捧げるには何が相応しいのだろうか?

――それが目下、デミウルゴスを悩ませる問題である。

 

 磨いた骨を組み合わせているデミウルゴスに<伝言>が飛び込んでくる。

 

『デミウルゴスよ、今からお前の牧場に行きたいのだが、都合は良いか?』

 

 ブルー・プラネットからの<伝言>である。実験動物の入手や保管についての相談ということだ。

 都合を確認するという体裁はとっているが、至高の御方の求めは最優先で応じなければならない。都合が悪いはずがない。それに、デミウルゴスは是非とも直接聞いてみたいことがあった。

 

「もちろんでございます。いつでもお越しください……はい、今からそちらに伺いますのでご一緒に転移をいたしましょう」

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 天幕にブルー・プラネットはデミウルゴスと共に転移する。

 

(モモンガさんはキメラ羊の牧場だと言っていたけど、思っていたのとだいぶ違うな)

 

 ブルー・プラネットが思い描いていたのは緑の丘で羊たちがのんびりと草を食んでいる光景だった。だが、案内されたのは薄暗い石壁の部屋だ。

 外は雨が降っているから室内に転移したのは仕方がないとして、少し雰囲気が重い。

 それに何か……壁を通して微かに不穏な呻きや叫びが聞こえてくる。それが羊の鳴き声だろうか。

 

「ふむ、それで、羊たちはどこに?」

「はい、別の天幕におりますので、これからご案内いたします」

「羊を天幕の中で飼っているのか?」

 

 至高の御方と同行する栄誉に与ることのできたデミウルゴスは満面の笑みで頷き、恭しく手を伸ばして天幕の出口を指し示す。

 

 そして、ブルー・プラネットは「羊」の正体を知る。

 

「デミウルゴスよ、これは人間ではないか?」

「はっ! 周辺諸国より集めた人間でございますが……申し訳ございませんが、ブルー・プラネット様はモモンガ様よりお聞きになっていらっしゃらないのでしょうか?」

「いや、モモンガさんは『羊』としか言っていなかったが……」

 

 石牢の中、鎖で繋がれた裸の人間たちを前に当惑するブルー・プラネットに、デミウルゴスが微笑んで説明する。

 

「はい、ナザリック内においては人間の扱いに異を唱える者もおりますので、あえて『羊』という符丁を使っております」

 

 ブルー・プラネットは目の前で繰り広げられる惨劇――人間達が皮を剥され泣き叫ぶ様子――に一瞬眩暈がしたが、説明を受けてすぐに「そんなものか」という気になる。

 

「なるほど……確かに余計な波風を立てることはないからな……デミウルゴスよ、余計なことを言って悪かったな」

 

 至高者の謝罪をデミウルゴスはとんでもないと言って固辞した。

 

「それで、私の目的だが……羊を使って少々実験を行いたいのだが、使ってよい羊はいるかな?」

「はっ! 皮を取った後に再生を拒む者がおり、それらは潰して他の羊の飼料とする予定ですが、それらでしたら生産計画への影響は小さいかと」

「うむ、それと、妊娠している者がいたら、それも調べてみたいのだが」

「はい……それは人間同士の、でしょうか? 現在、品種改良のため亜人と人間の種族間の交配実験も行っておりますが、そちらの方は残念ながら進んでいるとは言い難い状況ですので……」

 

 ブルー・プラネットは人間同士のモノで良いと言い、デミウルゴスの指示を受けてトーチャーと呼ばれる悪魔が女を一人引っ張ってくる。見ると、腹が大きく膨らんだ裸の女だ。

 

「この女が現在、妊娠中でございます」

「ふむ、これで何か月になるのだ?」

「そうですね……『答えなさい』」

 

 デミウルゴスの強制力を持った言葉に、蒼ざめやつれ切った女は俯きながら「まもなく8か月となります」と短く答える。

 

「8か月か……その腹の大きさを見ると、おそらく出産が近いのだろうな? それとも、この世界の女はもっと大きな腹を抱えることになるのかな?」

 

 ブルー・プラネットが興味深げに枝で女の腹を撫でると、女はヒッと悲鳴を上げる。

 

「心配することはない。お前の体を……この世界の人間の繁殖について調べたいだけだ」

 

 ブルー・プラネットの言葉を聞き、後ろに立つデミウルゴスが納得した表情を浮かべる。

 

「ブルー・プラネット様、それでしたら、胎児の父親たちも併せてお調べになってはいかがでしょうか?」

「ああ、デミウルゴス、それは良い案だ。それでは父親も連れて来てくれ」

 

 間もなく別の悪魔が裸の男を連れてくる。そして、女を連れた悪魔と共に2人をベッドに仰向けに縛り付ける。

 

「ありがとう。それでは解剖を始める」

 

 ブルー・プラネットは女の腹に麻酔液を振りかけ、別な枝の先端を鋭い刃物に変える。

 

 致死的なダメージを与えないように慎重に切っていく。ユグドラシル時代、特定のモンスターを生け捕りにするために習得した、1ポイントずつしかダメージを与えないスキルである。

 女の張りつめた腹の皮が切り裂かれ、その下の筋肉、内臓を覆う膜が開かれる。剥き出しになった内臓をブルー・プラネットは一つ一つ調べていく。裂かれた個所からの出血は<吸血樹>のスキルでそれを吸い取り、太い血管は可能な限り避け、甚だしい出血箇所は細かく分岐した指先で押さえて止血する。同時にポーションを分泌して体力を回復させ、失血死に至らないようにする。

 

 局所麻酔を掛けているため、女に痛みは無いはずだ。女の意識ははっきりしており、女は髪の毛を逆立たせて自分の身体が無数の枝で切り刻まれる様子を見つめている。

 

「なるほど……私が知る人間の内臓とは大分違うが、これが子宮だな」

 

 袋状の内臓を持ち上げ、それを切り開き、へその緒で母体と繋がった胎児を取り出す。

 すでに赤ん坊といえるほどに育った胎児は目を閉じて痙攣している。冷たい外気と触れたのが悪いのだろう。

 そのままでは死んでしまう。――ブルー・プラネットはそっと胎児を体内に戻し、子宮をポーションで治癒させる。女の腹膜を閉じ、筋肉を治し、皮膚で覆った後でポーションを振りかける。

 枝を当てて胎内の音を聞く。鼓動が二重に聞こえる。――胎児に影響はないようだとブルー・プラネットは微笑む。

 

「ふむ……どの程度育ったら母体と切り離しても生きていけるのか、それに、母親に掛けた治癒の魔法が胎児に与える影響も、そのうち調べたいものだな」

 

 ブルー・プラネットの呟きに、喜色を湛えたデミウルゴスが声をかける。

 

「ブルー・プラネット様、あいにく私共の牧場では繁殖の時間経過は観察しておりませんが、お望みでしたらこれから人間同士の交配を管理し、1か月ごとに胎児のサンプルを用意いたします」

「いや、デミウルゴスよ。それには及ばない。私の方でもちょうど若い男女を揃えていてな、その交配を確認したところだ」

「左様でございますか。しかし、サンプルは多い方がよろしいでしょうから、私の方でも用意だけはしておきます」

 

 新たな繁殖計画のヒントを至高の御方に与えられ、デミウルゴスが笑顔で頭を下げる。

 

 切り刻まれる人間を目の前で見ることが出来たのは久しぶりだ。そして、自分の胎児を引きずり出されたときの母親の顔――それはこれまでの拷問では見られなかった新しいタイプの絶望の表情だ。それを脇で眺めるしかできない父親の表情も中々に興をそそるものではあった。

――デミウルゴスは、至高の御方の求めるモノを提供できる喜びと、自らの趣向に新たな一項目を加えることが出来た喜びに顔を緩ませる。

 

「ああ、そうだな。頼む。……それでは次に父親の方も見てみるか」

 

 ブルー・プラネットは絶望の表情を浮かべる男に向かった。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

「他のサンプル……実験にお使いになる羊たちはいかがいたしましょうか?」

「ああ、今すぐというわけではないが、この牧場に私の実験室を用意してくれればありがたいのだが……」

 

 執務室に戻ったデミウルゴスは質問を投げかけ、ブルー・プラネットが答える。

 元の予定では、「キメラ羊」を何匹かナザリックに連れて帰り、第九階層の実験室、ゆくゆくは第六階層で飼育するつもりだった。しかし、デミウルゴスの配慮を聞くと「羊」をナザリックに持ち帰って他のNPC達の目に晒すことも躊躇われる。

 

「もちろんでございます! 早速、天幕を空け、ブルー・プラネット様の御実験場を用意いたします!」

 

 デミウルゴスの頭脳は即座に天幕の数や面積、生産量を計算し、ブルー・プラネットのために用意する天幕を導き出す。

 

「ああ、助かるな。実は、私が確保していた者達……それもこちらに置いてくれると嬉しいのだが」

「先ほどのお話にありました、交配済みの男女でしょうか? もちろん、お望みのままに」

 

 ブルー・プラネットは頷きながら溜息をつく。昨夜、折角のサンプルを無駄にしてしまったことを思い出して。

 

「……ブルー・プラネット様、何がお悩みがございますか?」

 

 至高の御方の溜息を耳にして、デミウルゴスが心配そうに問いかける。

 

「いや……恥ずかしいことだが、私は昨夜実験に失敗してしまってな」

「至高の御方に失敗など!」

「いや、デミウルゴス。私とて失敗はある。……その若い男女なのだが、交配実験を急ぎすぎてな……開発中のポーションを投与して、壊してしまったのだよ」

 

 ブルー・プラネットは昨日の失敗について説明する。人間の生殖を調べるために興奮剤を調合してヘッケランとイミーナに飲ませた結果だ。

 興奮剤とは18禁行為が厳しく取り締まられていたユグドラシルでは作ることが出来なかったポーション――媚薬のことである。帝都アーウィンタールで店を構えてこの世界のポーションの作り方を調査した成果を応用し、この世界には存在する媚薬を手探りで配合して作成したのだ。

 カルネ村の薬師から得たというこの世界の薬草、そして足りない成分はナザリックの原料で代用し、それらを調合して出来たものは柑橘系の匂いがする紫色の粘稠な液体であった。

 

 ポーションを与えられるままに飲み干した2人の捕虜に変化はすぐに現れた。

 

 目を血走らせて獣のような叫びを上げた2人はそのまま激しく求めあい……元に戻らなかった。

 ポーションの効果は1時間ほどで切れるはずだが、そのまま理性が壊れてしまったようで、時間が来てもヘッケランとイミーナは涎を垂らして部屋の中をグルグルと回るだけだった。そして、体力が回復すると再び相手を求め、掴みかかることの繰り返しだった。

 

 ブルー・プラネットの呼びかけにも、メイドの叱責にも反応しない。

 治癒のポーションでは効果が無かったことから肉体的な健康問題ではないようだ。

 精神的なダメージのようだが、それが生物学的な脳の変質によるものか、それともユグドラシルにおける「知性」等のパラメーターによるものか、判断がつかない。ただ、<知性向上>でも言葉を喋れるまで回復しなかったことから、単純な変化ではないことは推測できた。

 現時点では治療の見込みが立たないので、2人はそのまま部屋に放置し、食事をテーブルに置いてメイドを下がらせている。

 

「――というわけだ。ナザリックの原料を使ったので、この世界の材料だけで作ったポーションに比べて効き目が強すぎたのだろう。過剰投与という奴だな」

 

 ブルー・プラネットは自嘲する。

 

「ナザリックの原料と、この世界の原料では出来るポーションが微妙に違うらしい。この世界のモノは不純物も多いからその影響も考えられる。……まあ、不純物の影響だとして、それがいずれ脳から排出されて2人が元に戻るのか、また、生まれる子供がどうなっているのか興味はあるが……いずれにせよ、試行錯誤が必要なのだ」

 

 ブルー・プラネットはそこまで説明すると遠い目をする。帝都の店に置いたままにしている資料や原料を回収し、更なる勉強が必要であると。

 

 デミウルゴスは瞑目する。至高の御方の偉大さにあらためて畏敬の念を抱いて。

 ブルー・プラネット様は「失敗」だと言った。しかし、それはあくまでこの未知の世界を知るための試行錯誤の一過程に過ぎず、失敗ではない――そう考えて。

 

(実に謙虚であられ……自分に厳しいお方なのだ)

 

 デミウルゴスはそう考え、自然に頭を下げる。

 

「その男女とは、先日の帝国のワーカーのことでございますか?」

「ああ、そうだ……そういえば、あれはお前が計画した侵入計画だったのだろう? おかげで色々と私も帰還できたし、分かったことも多い。改めて礼を言おう」

「と、とんでもございません! ブルー・プラネット様が頭をお下げになるなど……私の愚策が至高の御方のお役に立てたのでありましたら、それに勝る喜びはございません!」

 

 頭を下げるブルー・プラネットを、あわててデミウルゴスが押しとどめる。

 

「いや、お前の忠義には感謝しているし、お前の頭脳には助けられることも多い。モモンガさんも同じ気持ちだとも」

 

 至高の御方――それも複数からの労いの言葉にデミウルゴスは目も眩む歓喜を覚え、顔を緩ませて更なる忠誠を心に誓う。

 その様子――人間とほとんど変わらぬ姿の悪魔が人間のように相好を崩す様を見ながら、ブルー・プラネットは先ほどの解剖の結果を思い起こす。

 

(この世界の人間も、私が知っている人間ではないのだろうか? さっきの解剖……まるで魔力を栄養の1つとして進化したような……)

 

 この世界の人間が魔法的性質を帯びている仮説は立てていた。そして、実際にその身体を開いてみて、その仮説の信憑性が高まった。

 解剖された者達の体内は、元の世界で学んだそれとはあまりにも異なっていた。心臓や肺など基本的な内臓は存在した。しかし、それらは退化しているのか未発達なのか……構造は単純で、全体的にサイズも小さかった。

 一方で、未知の器官も存在した。例えば血管やリンパ管と並んで別な循環系らしきものが見つかった。

 回復のポーションが組織に吸い込まれ、その周辺の傷ついた部分が再生し、血液を失った血管に再び血が流れる――自分が吸血樹として血液を吸い上げるときに、その血液が枝の途中で消えて自分の体力へと変換されたのと逆のプロセスだ。

 

(魔力と物質の転換の研究にはもっとサンプルが必要だな。おそらく魔法の才能や肉体能力にも影響しているのだろう。将来的には品種改良も可能か……デミウルゴスの協力はありがたいな)

 

 怪物化した精神に加え、研究者の探求心がブルー・プラネットに残る人間の感情を麻痺させる。

 

「デミウルゴスよ、それではサンプルの調達を頼むぞ。男女や年齢ごと、そして、出来ればこの世界の冒険者たちを職業とレベルごとに分けておいてくれ」

「はっ! しかし、冒険者となりますと、私の所にはさほど高いレベルの者はおりませんが……せいぜいが銀や金級といったところでございます」

「ああ、それで十分だ。あまり高いレベルの者を捕らえたら、この世界の人間社会との軋轢が大きくなる……モモンガさんもあまり波風は立てたくないと言ってたからな」

「はい、確かに……シャルティアの件といい、この世界には確かに油断のならない者もおります」

 

 デミウルゴスは眉を顰め、仲間を操って至高の御方に弓を引かせた憎むべき敵への感情を滲ませる。

 

「うむ……油断するのは危険だな。我々がこの世界を探っているように、この世界にも我々を探っている者がいるはずだからな」

「はっ……ブルー・プラネット様、世界について一つ質問をお許しいただけるでしょうか?」

「ん? 何だ?」

 デミウルゴスは良い機会だと思い、ブルー・プラネットに問いを発する。

 

「ブルー・プラネット様は、以前はこの世界とも違う、別な世界の戦いに赴かれていらしたということでしたが、我が創造主ウルベルト・アレイン・オードル様もその世界にいらっしゃったのでしょうか?」

 

 一瞬、ブルー・プラネットは何の話かと戸惑うが、すぐに帰還を祝う式典での話だと思い出して頷く。

 

「う、うむ……その世界では、ウルベルトと肩を並べて戦うことはできなかったが、同じ世界だ」

「そうでございますか……」

 

 デミウルゴスは笑みを浮かべる。どうしても知りたかったこと――自らを創造し愛してくださった至高の御方の消息が明らかになったのだ。

 だが、その笑みは一瞬の後に消える。

 

「しかし、その世界は破滅に瀕しているというお話でしたが……ウルベルト様のお側で戦うことが出来ぬことが残念でなりません」

 

 デミウルゴスは顔を片手で覆い、宝石の目から涙を流す。創造主の力になれない自らの不甲斐無さを嘆いて。ブルー・プラネットは、そんなデミウルゴスを哀れに思い、肩を優しく叩く。

 

「大丈夫だ、デミウルゴス。ウルベルトさんは必ず勝利する」

「ブルー・プラネット様、ありがとうございます。……差し支えございませんでしたら、その世界の敵のことを、その世界での戦いのことをもっとお教えいただきたく存じます」

 

 参謀――設定だけではあるが――として創られたデミウルゴスは、たとえ共に戦うことが叶わずとも、創造主の敵を知りたいと願う。

 

 ブルー・プラネットは答えに迷う。自分たちが平凡な人間であり、現実の社会ではとるに足りない者であることをNPCに教えるわけにはいかないと思って。

 そして、事実を基にして話す。人間たちを高みから見下ろす存在として。

 

「……うむ……実はな、あの世界における私の敵は……突き詰めれば人間たちだったのだ」

「な、なんと! 人間が、人間ごときが至高の御方を苦しめる敵となるとは!」

 

 ブルー・プラネットは苦しそうに言葉を吐き出し、その内容にデミウルゴスは驚愕する。

 

「デミウルゴスよ、人間たちは個としては弱い生き物だった。しかし、長い年月の後に文明を発達させ、超位魔法すらしのぐほどの力を手に入れたのだ……世界を覆い、汚しつくす力を」

 

 ブルー・プラネットはデミウルゴスの顔を見る――人外の知力をもつ悪魔も、元の世界の文明を想像するには至らないようだ。当然だろう。彼らは現実世界の中に創られた仮想世界、現実を忘れるために創られたユグドラシルというゲームの中で創造された存在なのだから。

 

「恐るべき機械の獣の群れ、大地の生命を奪う猛毒、空を覆いつくす酸の雲……全て人間が作り出したものだ。あの世界は間もなく人間たちと共に崩壊する。私は……私たちは世界を守ることはできなかった」

 

 事実を元に悔恨の情を悲痛な声で吐き出すブルー・プラネットに、デミウルゴスは微笑んで慰めの言葉を掛ける。

 

「ブルー・プラネット様、御身がお嘆きになることなどございません。たとえどれほどの力を蓄えようと、人間は所詮は人間でございます。彼らが愚かにも自らを巻き込んで世界を滅ぼすとしても、それは至高の御方々がお悩みになることではございません」

 

 デミウルゴスは確信していた。

 慈愛に溢れる至高の御方々は、愚かな人間どもの自滅をも救う御積りであったのだと。そして――その救済が叶わぬならば、至高の御方々がその世界を見捨て、いずれはナザリックに戻ってこられるであろうことを。

 

(ブルー・プラネット様がお戻りになられたのであれば、我が創造主ウルベルト様も遠からずお戻りくださるでしょう)

 

 愚かな人間どもに見切りをつけて。

――デミウルゴスはその日のことを思い、頬を緩ませる。人間どもが自らの罪で世界を地獄へと変え、その中で苦しみ悶えて滅びてゆく様を、そして、至高の御方々がその世界に見切りをつけ、再びナザリックにその愛を向けていただくことを夢想して。

 

「はっはっは……そうだ、そうだったな。人間とは実に愚かな生き物だ……くだらないものだな」

「はい、左様でございます。まことに愚かな生き物でございます」

 

 ブルー・プラネットは軋むような声で笑い、炎を宿す目をデミウルゴスに向ける。そして、デミウルゴスはその視線に応えて微笑む。

 

「そうだ……デミウルゴスよ。この牧場のことだが……私はもう一つの意義を見出したよ」

「はっ! ブルー・プラネット様、それは何でございましょうか? お聞かせいただければ光栄の極みでございます」

「うむ、私はあの世界の失敗を繰り返したくない……この世界は我々が管理し、幸福へと導いてやらねばならぬ」

「仰る通りでございます。まさに、この牧場はあるべき世界のひな型となるでしょう」

 

 デミウルゴスが顔を上げ、新たな使命にその目を輝かせる。

 以前、モモンガ様はこの世界を手に入れることを宣言された。そして今、ブルー・プラネット様はこの世界を導く目標を示されたのだ、と。

 

「うむ……この牧場は新たなる世界のひな型となりうるが……その世界へと導く道具ともなる。デミウルゴスよ、この世界における文明の芽を摘み取り、この牧場に集めてくれ。この世界の人間どもが再び世界を巻き込んで自滅の道を歩むその前に。この世界が永遠に美しくあるように」

「はっ! ご命令、しかと承りました!」

 

 ブルー・プラネットの命を受け、デミウルゴスは満面の笑みを浮かべて跪く。

 機械などの文明を発展させる可能性のあるものを人間社会から摘み取り、この牧場で研究材料とする――それが至高の御方のご意思であると知って。

 

 優れた人材と言えば、すでにナザリックへの帰順を誓った者達はいる。彼らの動向はすでに知るところであり、処分は後回しでも良いだろう。

 彼らの協力により、バハルス帝国とリ・エスティーゼ王国における知者の情報は得られた。例えば最近、帝都アーウィンタールで新しいポーションを開発した者達がいるという噂も聞いている。

 この近辺の聖王国はもうじきデミウルゴスの手に落ちる。

 ならば、次はスレイン法国の情報を集める必要がある。

――デミウルゴスは今後の計画を組み上げていく。

 

「それでは、デミウルゴスよ、頼んだぞ。天幕の準備とサンプルが揃い次第、私に連絡してくれ。そうだな、符丁は『山羊』でどうだろうか?」

「はっ! ブルー・プラネット様、御身のいらっしゃる場所を私が把握できますよう、この腕輪をお付けいただけますか? 『山羊』についてご報告する際に他の者の目に触れぬよう、直にお伺いいたします」

 

 正直に言えば、これはアルベドの不敬に備えてのことだ。しかし、あえて部下の愚かさを至高の御方に告げることもない。それに、ブルー・プラネット様であれば察していただけるだろう。

――デミウルゴスはそう考えて微笑みながら腕輪を差し出す。

 

 デミウルゴスが差し出したアイテムを受け取り、腕に装備してブルー・プラネットは頷く。

 そしてブルー・プラネットは<帰還>によってナザリックに戻っていった。

 

 至高の御方が去っていったのを確認したデミウルゴスは立ち上がり、ズボンの埃を払う。

 そして、魔法のベルを鳴らして部下を呼び出す。至高の御方の命令を伝え、必要とされた場所を準備させるために。

 部下に手短に指令を下した後、デミウルゴスは実務机に戻り、芸術品の創作に取り掛かる。

 

(ブルー・プラネット様の御心を癒す物を捧げるべきでしょうね)

 

 今日の訪問で得られた知識を基にブルー・プラネットに捧げる芸術品のデザインが決まり、デミウルゴスの顔は明るい。

 想像することも出来ない異世界で戦い、深遠なる考えで世界の行く末を案ずる至高の御方々の話を聞き、デミウルゴスはこの世界を図るに過ぎない自分の矮小さを思い知らされる。

 これ程までに偉大な至高の御方々へ捧げるデミウルゴスの忠誠心は止まるところを知らない。

 

 デミウルゴスは至高者に捧げるべき芸術品を創り始める。

 滅びゆく古い世界からの、穢れなき新しき世界の誕生――それがモチーフとなる。

 全身を赤き血で濡らし業火で焼かれる地獄の苦痛に叫ぶ女、その胎内から取り出される安らかに眠る緑色の胎児を象った置物だ。

 幸いにして、ここは牧場だ。材料は幾らでもある。

 




冒頭は、アメコミの「スワンプシング」(アラン・ムーア版)の
「今夜のワシントンの天気は雨だ」のパクリです。
(オマージュと呼べるような水準にない……)

あのコミックの
将軍「そ、それでレポートは読んだのかね?」
スワンプシング「ああ……読んだ」
将軍「感想は……?」
からの一連の流れが好きです。(委縮する将軍の表情とかも)


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第35話 婚礼の部屋

 デミウルゴスの牧場からナザリックに戻り、ブルー・プラネットはモモンガの居室に向かう。帝都に残してきたブルー・プラネットの店とシモベたちについて相談するためだ。

 

「ブルー・プラネットさん、牧場はいかがでした?」

「ええ……勉強になりました。デミウルゴスは今後の実験にも協力してくれるらしいです」

「よかったですね。じゃあ、牧場関係はお任せします。俺は羊の世話とか分からないですし」

 

 モモンガは明るく笑う。

 ブルー・プラネットはそんなモモンガの呑気そうな口調に疑問を抱く。本当に牧場で飼われているのが人間であると知っているのかと。

 だが、あえて確認はしない。

 羊が人間だったからといって、それがどうかしたのか。

――そんな思いがある。そしてモモンガも同じように考えるだろうと。

 

 目の前のモモンガも自分も元は人間だ。人間相手に同類として同情心を抱くのが当然ではないか。

――そう考えもする。だが、牧場で確認したこの世界の人間の身体は、元の世界の人間のそれと微妙に違った。その事実が同情心の欠落を正当化する。

 本能的に「同種ではない」と察しているのか、と。

 

 一方で、目の前のモモンガには「同種」としての親しみを感じる。森の樹々に感じるのとは違った親近感だ。元・人間同士なのだからと思えばそうなのだが、ナザリックのNPCたちに対しても近い感情はあるのだ。

 

 元の世界やユグドラシルの残滓がフェロモンか何かのように作用している。あるいは逆に、この世界の「不純物」が忌避剤のように働いているのかも知れない。

――そう考えてブルー・プラネットは納得する。

 

「それで……モモンガさん。私、帝都に戻って店に置いてきた資料を回収しようと思うんですが」

「は? ……ああ、薬師として開いた店のことですか?」

「ええ、もっとこの世界の薬学について研究したいんですよ」

 

 更に詳しく言えば、この世界の不純物の影響を探るためだ。

 

 ブルー・プラネットはモモンガに帝都への旅を提案する。今となっては旅というほどのものではないが、勝手にふらりと出かけて行っていいものでもない。相手がモモンガだけならば<伝言>で事後承諾という手もあるが、トブの要塞でアウラが見せた表情を思い出すとNPCたちに余計な心配をかけるのも可哀想な気がする。

 

「うーん、まあ、それなりに名の通った薬師がいつまでも行方知れずってのも拙いですけど……」

 

 モモンガの食いつきは悪い。モモンガとしては、ナザリックの防衛を固めるのが先ではないかという思いがあるのだ。

 ブルー・プラネットは捕虜を実験で壊してしまったことについても報告する。この世界のポーションとの違いを研究するべきだと。

 

「貴重な資料もありますし、やはり忠誠を誓ったシモベも回収したいんですよ」

 

 シモベ――その言葉にモモンガは反応し、頷く。

 

「なるほど、シモベですか。ブルー・プラネットさんの作った『人間』を見てみたいですね」

「でしょ? モモンガさんだってナーベラルと行動してるじゃないですか。そんな感じで、私も人間社会で行動するのに人間型のシモベが必要ですし、社会的な基盤をもつシモベはナザリックの今後のためにも重要ですよ」

 

 帝都で店を開いていた実績をもつブルプラとネットの2匹のシモベを活用する。それは今後、アインズ・ウール・ゴウンが人間社会で工作活動をするために役に立つだろう。

――ブルー・プラネットはそう主張し、モモンガも大きく頷いた。

 

「分かりました。では……俺も皇帝の来訪の下準備しますんで、一緒に行きましょう!」

 

 帝国が放ったワーカーたちが帰還しなかったことは“漆黒”のモモンとして既に報告済みだ。アウラとマーレが皇帝の居城に乗り付けてナザリックへの来訪を約束させた件も、内通者から帝国内部の動きについて報告を受けている。

 現時点で帝国に向かう理由は、モモンガには無い。

 

 だが……皇帝の来訪が当初の計画より遅くなった。あらためて内通者達と根回しをしておいた方が良いだろう。それに、帝都に向かうブルー・プラネットの安全も図りたい。シャルティアを洗脳した敵が何処に潜むかわからない以上、ブルー・プラネットを一人にはしたくない。

――そう判断してモモンガは同行を主張する。それは、ようやく見つけた仲間への執着の表れでもあった。

 

「では、シモベを森で回収し、そこから“漆黒”と一緒に帝都に向かいましょう」

 

 ブルー・プラネットもモモンガの同行に喜んで同意する。

 自分のシモベが“漆黒”と同行すれば帝都における名声が高まるというメリットがあるのだ。

 2人は頷きあい、さらに予定を調整していく。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 その日の午後、モモンガとナーベラル、そしてブルー・プラネットはナザリックを出て不可視化し、帝都近郊の森まで転移した。そしてブルー・プラネットはシモベたちの場所を探し始める。

 シモベたちの居場所はすぐに判明した。シモベたちに付けておいた首輪とマーカーの効果だ。

 

 森の奥で気楽に餌を食んでいた3匹の動物はブルー・プラネットの枝に絡めとられ、集められ、順に<獣類人化>の魔法を掛けられる。

 森の中の開けた場所にブルプラ・ワン、ネット・ツー、そしてブルー・スリーの3人の姿が現れて臣下の礼をとる。

 

「へえ! ブルー・プラネットさん、これは便利ですね」

「お見事でございます、ブルー・プラネット様!」

 

 初めてみる魔法にモモンガとナーベラルから驚嘆の声が漏れる。

 ナザリックがあったヘルヘイムは異形種のホームグランドであり、ブルー・プラネットが低レベルの人間種を作る機会は無かったのだ。

 だが、この世界では人間が中心となっている。

 人間の形で動けるシモベが限られているナザリックでは、ブルー・プラネットが使ったこの魔法は文字通り「人材不足」を解決する可能性がある。

 

(これは使えるなあ……)

 

 モモンガは人間として創られたシモベをしげしげと眺め、その視線にブルプラたちは戸惑う。

 

「ブルー・プラネット様、こちらの方は一体……」

 

 創造主に呼ばれて気がついたら見慣れぬ骸骨と美貌の女魔法使いに見つめられている。

――この状態についていけないブルプラは、ブルー・プラネットを見上げて質問する。

 

「ああ……今、教える」

 

 口で説明するのは面倒だと、ブルー・プラネットは3人のシモベたちに順に<知力向上>の魔法を掛け、情報を共有する。

 

「偉大なるモモンガ様、お目にかかれ光栄です! そしてナーベラル様、宜しくお願いいたします」

 

 はっと気が付いたように敬意を示し、恭しく跪く3人のシモベは――しかし、全裸だ。

 ナーベラルは興味が無いようで無表情だったが、モモンガとブルー・プラネットは互いに顔を見合わせる。

 

「……人型になったのは良いですけど、この状態じゃ連れていけませんよね? どうします?」

「ええ……今、服を出します」

 

 ブルー・プラネットは枝で頭を掻きながらアイテムボックスを開け、保管していた衣類を取り出してシモベたちに服を着せる。

 

「さて、行きますか」

 

 シモベたちの準備が出来たのを見て、モモンガが音頭をとる。

 魔法によって“漆黒”の姿となったモモンガ、そしてナーベラル、それに遅れてブルプラ達3人のシモベが続いて森を出ていき、帝都への街道を歩き始める。

 人間の姿を取れないブルー・プラネットは樹の中に入り込み、意識をブルプラと繋ぐ。

 

「ははは、ブルー・プラネットさんは不便ですねー。どうです? <縮小化>で小さくなって鎧着て人間に擬態するのは?」

「いや、身長合わせても体形的に無理でしょ? だから、こうしてシモベが必要なんですよ」

 

 “漆黒”のモモンの軽口に、笑って答えるのはブルプラの肉体だ。その様子に不敬ではないかとナーベラルが気色ばんだが、モモンから説明を受けてブルプラに向かい非礼を詫びる。

 

「し、失礼いたしました。あの、今はブルプラさん、いや、ブルプラ様がブルー・プラネット様なのですね」

「そうだ。だが、ナーベよ……帝都ではブルー・プラネットさんの名を出すなよ?」

「ああ、あくまで“ブルプラさん”で頼む」

 

 説明を受けてナーベラルはしきりに首を傾げ、事態を飲み込もうとしている。

 

「帝都ではブルー・プラネット様をモモンさんのご友人であるブルプラさ――ん……とお呼びすればよろしいのですね?」

「うむ……だが、私がいつもブルプラの身体を使ってるわけではないからな。急にブルプラの身体を使ったとき、慌てて私の名を出したり敬語になったりしないよう気を付けてくれということだ」

 

 深々と頭を下げて了解の意を示した後も何やら口の中でブツブツと繰り返しているナーベラルを、モモンガ――“漆黒”のモモンは不安げに見つめる。

 

「あの……ブルー・プラネットさん。例の魔法、ナーベラルに掛けた方が良いですか?」

「……いや、止めときましょう。私の方で、ブルプラを使い続ければいいだけですし」

 

 問題は対人スキルだ。<知力向上>の効果が切れてナーベラルがパニックになっても困る。

――そう判断してブルー・プラネットは少なくともナーベラルがいる間はブルプラの身体を使い続けることを決めた。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 帝都アーウィンタール――帝国の中枢である大都市に、アダマンタイトのプレートをもつ“漆黒”は歓迎される。帝都で店を構えていたブルプラ達にも問題はない。

 

 日が傾きかけた街の様子にブルプラは目を細める。相変わらず騒がしく、混沌とした街だと。

 この世界は若々しく、愛おしい。だからこそ、その可能性を留め置くために進歩の芽を摘むのだ。

 この世界の人間たちは明日の繁栄を夢みて、昨日と変わらぬ今日を永遠に楽しめることだろう。

――そう考えてブルー・プラネットの口元に微笑みが浮かぶ。

 

「おや、ブルプラさん! いつの間に“漆黒”と知り合ったのかね!?」

 

 ブルプラ達が微笑みながら自分の店に向かう途中、知り合いの店主たちが声をかけてくる。そして、自分も紹介してもらおうと“漆黒”の元へと愛想笑いを浮かべて群がってくる。

 

「ああ、うちのポーションを気に入ってもらえてね」

 

 ブルプラは“漆黒”の前に立ち、同じく愛想笑いで商人達をあしらう。

 モモンも機嫌よさそうに笑いながら手を振って町の人々に挨拶をする。そして、かつてのギルドで商人として活躍した仲間を思い出し、ブルプラの耳元に小声で話しかける。

 

「ブルー……プラさん、なんだか雰囲気が音改さんっぽいですね」

「あはは、商人スキルが付いたんですかね」

 

 ブルプラは笑って答え、同行する他のシモベも笑う。

 

 やがて一行は「冒険者通り」に着く。ブルプラ達が店を構えていた区画、低級冒険者たちのたむろする界隈だ。目立つ姿の“漆黒”は、たちまち彼らを崇拝する冒険者たちに取り囲まれる。

 

「じゃあ、大家に会って店じまいの手続きをしてもらいますね」

 

 冒険者の群れに囲まれて握手攻めにあっているモモンに声をかけ、ブルプラは店の裏に回って大家を呼びに行く。

 

「しかしまあ、アダマンタイト級の冒険者とお知り合いになるとはね」

 

 しばらくしてブルプラと共に戻ってきた大家は、店の前の喧騒をみて感慨深げに言う。

 小さな辺境の町から流れてきた薬師――それが見る間に成功し、人類最高峰の存在であるアダマンタイト級冒険者を店に呼ぶほどにまでなったのだ。

 

「それで、ブルプラさん……この後はどこに行きなさるんだね?」

「はい、またしばらく旅を続けようかと思ってます」

「そうかい……寂しくなるねえ」

 

 目を瞬かせて問いかける大家に、ブルプラは笑って答えた。

 

 そして、ブルプラと大家は業者を手配し、荷物を運び出す準備をする。

 もう夕方だが、残っているポーションは「店じまいセール」として通常の半額で処分することとした。この世界では異質な「ドルイド特製ポーション」は“漆黒”のモモンが全て買い取った。

 店の中にある原料や2階の鉢植えは、リ・エスティーゼ王国の商人が買い取ることになっている。残念ながらその商人はエ・ランテルにおり、今日明日には間に合わない。荷物は一旦は帝都の倉庫に保管して、後日引き取ってもらうことにした。

 急な話だが、アダマンタイト級冒険者“漆黒”の口添えもあり、すぐに倉庫が用意された。

 

 ブルプラとネット、ブルーの3人が店の番をしている間、“漆黒”は別の要件で帝都を回る。

 帝国中枢の内通者と今後の予定を打ち合わせに行くのだ。

 その留守の間、店じまいの情報を聞きつけたのだろうか、いつかの上客――ポーションを全種類買ってくれた紳士――が現れてブルプラに問いかけた。

 

「あの、ブルプラさん、この店を閉めて旅に出られるそうですが、どちらに行かれるのですか?」

「いやあ、そうですね……スレイン法国にでも行ってみようかと。良く知らないのですが、噂では変わった信仰と魔法技術が残されているそうですし」

 

 当たり障りのない返答だが、その言葉を聞いて紳士の顔がパッと明るくなった。

 

「ああ、スレイン法国に! ええ、あの国は進んだ技術があるらしいですし、ブルプラさんのような優れた技術をもった方は優遇されるそうですよ」

「ほう、それは楽しみですね。お客様はスレイン法国に行かれたことが?」

「ええ、以前に冒険者として依頼を受けて何回か町に泊まった程度ですが」

 

 紳士の笑顔は自然であり、口調にも不自然さはない。

 しかし、ブルー・プラネットのスキルは、この紳士が嘘をついていると伝えてくる。敵意も嫉妬も何らかの悪意も感じ取れないが、何かを隠しているようだ。

 冒険者には言いたくないこともあるんだろう。――そう考えてブルプラは紳士に微笑む。

 

「そうですか。スレイン法国への旅が楽しみになりましたよ」

「はい、それではブルプラさん、良い旅を。いつかまたお会いできるのを楽しみにしていますよ」

 

 そう言い残して紳士は帰っていった。

 

 そして、夜になる。

 半額セール、そして更なる出血大サービスでブルプラの店は商品はほとんど売り切れた。

 店の奥の物品も貸倉庫に移され、残っているのは半分ほどだ。

 ブルプラ達が食事をしていると、モモンガ達“漆黒”から<伝言>が来た。

 “漆黒”は帝都の中央の豪華な旅館に泊まるという連絡だ。

 

『そっちの状態はどうですか?』

「ええ、大分片付きました。明日の昼までに残りも全て引き払うことになっています」

 

 店の2階で実体化したブルー・プラネットはモモンガと情報を交換し、明日の相談をする。

 外に話が漏れる心配はない。この倉庫も、旅館の部屋も、ブルー・プラネットとモモンガが何重にも魔法障壁を重ねてあり、その障壁自体にも気が付かれないよう迷彩を施してあるのだ。

 

「セバスたちが来れなかったのは残念でしたね」

『いえ……俺は逆に良かったと思います。“漆黒”とブルプラ、さらにセバスまで繋がりを示すのは拙いですから』

 

 セバスは王国と帝国を行き来する裕福な商人としての顔を持っている。今回は急な話で都合がつかず、引っ越しにセバスを使えなかったが、それを残念がるブルー・プラネットにモモンガは説明する。

 ブルー・プラネットが集めたこの世界のポーションの原料――それはナザリックでの研究にも、カルネ村に移住させた薬師たちに使わせることもできる。しかし、そこに至るまでは何段階もこの世界の業者やダミーを挟み、経路を追えないように手配している、と。

 “漆黒”とブルプラの関係も必要以上に晒すことはせず、あくまで「優れたポーションの噂を聞いて知り合った」程度の関係としているらしい。旅館を離したのもそのためだ。

 

「慎重ですね」

『はい』

 

 モモンガの返事は短く力強い。ブルー・プラネットもその言葉を聞いて気を引き締める。

 今や自分の一挙手一投足にナザリックに生きる者達すべての運命が掛かっているのだと。

 

「それでは、明日、ここが片付いたら私はシモベたちを連れて帝都を出ます。そして頃合いを見てナザリックに<帰還>しますが……」

『はい。では、また会えるのは明日の夕方くらいですね。一緒に行けないのが心配ですが――』

 

 帝都内で居場所が分かっていれば、モモンガはすぐ駆けつけることができる。また、敵が何であれ、人通りの多いところで仕掛けては来ないだろうとも考えられる。

 未知の敵がいるとして、危険なのは帝都から出て街道を行く間だ。

 

『――気を付けてくださいね』

「はい、お互いに気を付けましょう」

 

 <伝言>を切り、モモンガとブルー・プラネットはそれぞれ自分の仕事に戻る。

 

 モモンガはナザリックに<転移>して仕事をするらしい。

 だが、ブルー・プラネットはモモンガと違って転移の魔法に制限がある。<帰還>では拠点間の移動しかできないのだ。ナザリックと帝都の店を簡単に往復できないため、店の中から<伝言>でナザリックのNPCたちと連絡をとり、指示を下す。

 

「インクリメントよ、ヘッケラン達の様子はどうだ?」

『はっ、先ほど夕食を持って行ったときの様子では、依然として理性を取り戻しておりません』

「そうか……食事は済ませたのだな?」

『はい、食器をひっくり返してしまうので床で食べさせていますが、食欲は旺盛です』

「床か……そういえばトイレはどうなってる? 床を汚してないか?」

『はい、トイレを使う知能はないようですが、今のところ床を汚してはおりません』

「ふむ……便秘かな? 体調不良でなければよいが……分かった。明日も世話を頼む」

 

 帰ったらデミウルゴスに連絡して牧場に引き取ってもらうか。――そう考えて<伝言>を切る。

 そして、別な対象に<伝言>を繋ぐ。

 

「ツアレ、アルシェの様子はどうだ?」

『は、はいっ! お食事の時にご一緒させていただいてますが、大分と打ち解けてくださったご様子で、色々とお話をしております』

「そうか。やはり人間同士だと気安く話せるものかも知れんな。……痙攣はしていないか?」

『はい、特に変わったご様子はございません』

「うむ……症状が安定しているのなら、第六階層に移して様子を見ても良いかもな」

『そうですか……アルシェ様が第六階層に移られるのでしたら、お世話はいかがいたしましょう?』

「ああ、そうだな……それも考えておこう。それから……悪いが、余っている服があればアルシェにやってくれないか?」

『服でございますか? ……はい、探してみます』

 

 頼んだぞと言って<伝言>を切る。

 

 アルシェを第六階層に移すと聞いたとき、ツアレの口調に残念そうな感情が混じった。

 ナザリックで出来た人間の友人――しかも歳が近い同性の――と会えなくなることを惜しんでいたのだろう。

 

(ツアレを第六階層で働かせる……いや、ただのメイドにあの森林での仕事は大変だな。だが、友人として行き来できるようにしてみるか。女同士なら子供が出来る問題はないだろうしな)

 

 そして、ブルー・プラネットは第六階層の守護者、アウラとマーレにそれぞれ了解を得るために<伝言>を繋ぐ。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 翌日の昼、ブルプラは最後の荷物を運び出し、大家の立会いのもと店をたたむ。大家は「先払いした家賃の返却は出来ない」と言ったが、今となってはその程度の金額で争うこともない。

 鍵を返して3人は大家に別れを告げ、薬師組合や冒険者組合にも回り、再び旅に出ることを告げる。

 

 薬師組合は優れた技術をもつ薬師が帝都を離れることを惜しみ、また帝都に立ち寄ることがあれば歓迎すると言った。

 冒険者組合は金払いの良い客が離れることを惜しみ、再び情報が必要になればいつでも寄って欲しいと言った。

 これは今後も帝国で活動する際に便利だ。――ブルー・プラネットはブルプラの肉体を通じて笑顔で挨拶した。

 

 帝都の検問を抜けてブルプラ達は街道を行く。

 数時間歩き、人通りが絶えた所で3人は街道の脇の樹々の下に寄り……突如として姿を消す。

 ブルー・プラネットがその樹から実体化し、3人を抱えて<帰還>の魔法を唱えたのだ。

 

 そして、ブルー・プラネットと3人のシモベはナザリック地下大墳墓の入り口に立っている。

 

「さあ、ここがお前たちの本拠地となるナザリックだ」

 

 ブルー・プラネットは転移の指輪をユリ・アルファたちから受け取り、3人と共に第九階層の居室前に転移する。

 

 ドアを開け、3人のシモベを連れて部屋に入ると、アルシェが跪いて主人を迎えてくれた。

 ツアレが探してくれたのだろう。何やらヒラヒラの付いた白っぽい可愛らしい服を着ている。サイズが少し大きいようにも思えるが、ブルー・プラネットには良く分からない。ツアレの趣味……いや、セバスの趣味なのだろうと考えて、それ以上は追及しないことにした。

 

 ともかく、まともな服が手に入った。これでこの部屋から出しても変態とは思われないだろう。

――手遅れのような気もするが、ブルー・プラネットはその可能性をあえて無視する。

 

 アルシェは顔を上げ、後ろに付いてきた3人に気が付くと目を丸くする。

 

「あ、あの……ブルー・プラネット様、後ろの方達は……あっ!」

 

 帝都で会った偉大な薬師とその弟子――ブルプラを思い出し、アルシェは全てを悟る。

 

「ああ、アルシェも知っているだろうが、ブルプラ・ワン、ネット・ツー、そしてブルー・スリー……3人とも私が創り出したシモベだ」

 

 3人のシモベは順に頭を下げ、アルシェにお久しぶりですと挨拶をする。

 

「おっと、ブルプラとネットは覚えているだろうが、ブルーの顔は知らないだろうな。お前を道で突き倒してカバンを奪った男だ」

「ああ……」

 

 アルシェは蒼ざめる。“フォーサイト”の破滅――その全てがこの化け物の掌の上であったことを今更ながら思い知らされて。

 その様子を見てブルー・プラネットは不思議に思う。随分と血色が良くなったと思ったが、またこの娘は蒼い顔をして震えている、と。

 

「そうだ、ツアレはどうだ? 色々と話をしていると聞いているが」

「は、はい……ツアレさんは大変お優しい方で……色々と教えてくださいました」

 

 アルシェはようやく出来た友人の名を出され、視線を宙に彷徨わせる。

 ツアレまでブルー・プラネットの創り出したシモベだったと言われたらどうしようかと。

 

「ああ、この世界の人間同士で仲良くやれるのではないかと思っていたが、馬が合うようならよかったな」

 

 ブルー・プラネットの言葉を聞き、アルシェは涙ぐむ。あのツアレの笑顔は偽りではなかったと知って。

 だが、次の言葉はアルシェを戸惑わせた。

 

「それで、お前を今日から第六階層に移そうと思うが、良いか?」

 

 男が3人来たのだから、お前も居づらいだろう。――そう、ブルー・プラネットは説得する。

 

「あ、あの……第六階層とは……」

「ああ、緑豊かな良いところだぞ。ツアレも呼べるようにしよう。他に、アウラとマーレもいるし……ドライアードたちも、見た目はお前と同じ年頃だから話も合うかもしれないな」

 

 アルシェにとって、記憶にあるその場所は巨大な闘技場――“フォーサイト”の破滅の地だ。

 ブルー・プラネットが楽し気に語る第六階層の様相とはかけ離れた印象しかない。

 

 だが、ここで何を言っても仕方がない。

――アルシェは混乱しつつも黙って微笑み、頷く。この地獄で学んだ処世術だ。

 

 口を閉ざしたアルシェを促し、ブルー・プラネットは部屋の外に出る。そして指輪を発動させ、アウラとマーレの住まう巨大樹の元に転移する。

 

「いらっしゃいませ、ブルー・プラネット様! アルシェ様、お久しぶりです!」

「あ、あの、マーレです。アルシェ様、よろしくお願いします」

 

 闘技場で出会った少年と少女の闇妖精――その幼い外見は偽りで、どちらも規格外の化け物――はアルシェにも丁寧に挨拶をする。

 

「うむ……お前たちまでアルシェに様付けか」

「はい! あたし達の世話係になったエルフ達が噂しておりましたから」

 

 ブルー・プラネットは先日の騒動を思い出し、顔に枝を当てて溜息をつく。一体どこまで噂が広がっているのか、どんな感じに尾鰭がついているのかと。

 

「そうか……では、今日からアルシェを第六階層に置きたいのだが、住居はどうしたらいい?」

「あたし達の部屋もあるこの巨大樹でいかがでしょう? 外からのエルフ達も住んでますし」

「うむ……その『外からのエルフ達』というのは何だ?」

「はい、先日のナザリックを汚した愚か者どもが連れてきた奴隷で、ここで引き取っています」

「ああ、そうか」

 

 頷きながらブルー・プラネットはアルシェを見る。アルシェが再び震えているのを感じ取って。

 

 アルシェは知っている。

 この幼く見える闇妖精が凍り付くような殺気を放ちながら憎々し気に言った「ナザリックを汚した愚か者」という言葉――それが自分たちを意味するものだと。

 

「ああ、お前達……このアルシェは見ての通りちょっと不安定でな……あまり外の世界の者を悪く言うな」

「はいっ! 申し訳ございません!」

「あ、あの……ご、ごめんなさい」

 

 双子の闇妖精は素直に頭を下げ、ブルー・プラネットは2人に依頼する。

 

「それでは、一つ部屋を用意してやってくれ。その間に私はこの階層の者にアルシェを紹介して回るから」

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 ブルー・プラネットはアルシェと共に霧となり、第六階層の森をすり抜けて飛ぶ。

 そして小屋のある広場に着き、実体化する。

 そこではリザードマンがハムスケやデス・ナイトと共に剣を振るい、その傍の果樹園と畑ではドライアードとトレント達が農作業をしていた。

 

「お前達、ちょっと集まってくれ」

 

 ブルー・プラネットの言葉に周辺の者は手を休め、集合する。至高の御方の招きに逆らう者がいるはずもない。

 

「今日からこの階層に住まわせるアルシェだ。皆、仲良くやってくれ」

「アルシェ・イーブ・リイル・フルトです。よろしくお願いします」

 

 ブルー・プラネットの紹介とアルシェの挨拶に、階層の住人は跪いて挨拶を返す。

 

「殿! このアルシェ殿はどのような方でござるか?」

「ああ、外の世界の人間だ。この階層で巡回や農作業の手伝いをしてもらおうかと思っている」

「ふむぅ、すると、ピニスン殿たちと同じお仕事でござるな」

 

 まだ噂を知らないと見えるハムスケにブルー・プラネットが答え、ハムスケは頬ひげをヒクヒクと動かす。

 

「ええー! 人間がボク達と一緒に!?」

 

 ハムスケのヒゲを掴みながら大声を上げたのはピニスンだ。ドライアードにしては例外的に騒々しいこの個体を、他のドライアード達がそっと手を伸ばして窘める。

 

「ご、ごめんなさい! でも……うん、そうですね、人間とも仲良くできるかもしれません」

 

 ピニスンがちょっと考え込んで笑顔になり、アルシェに向かって手を伸ばす。

 

「はじめまして、ピニスンです。えっと、アル……シェさん? よろしくお願いします」

「はい、こちらこそ」

 

 アルシェも微笑んでピニスンの――同じ年頃の少女に見える、花飾りを付けた際立って美しいドライアードの手を両手で包み込む。

 

 お喋りなドライアードと寡黙な人間か。案外、相性がいいかもな。

――ブルー・プラネットは2人の様子に満足そうに微笑み、アルシェに声を掛ける。

 

「ここの者は皆、外の世界からの入植者だ。ナザリックでは外の世界の常識と異なることも多いが、この階層のルールは彼らから聞いてくれ」

「はっ、はい!」

 

 ピクリと体を震わせてアルシェが答え、その様子をピニスンは不思議そうに眺める。

 

 やはり、人間がここで暮らすのは難しいか?

――随分とリラックスした様子のハムスケやピニスンと比べ、緊張が解けないアルシェを見てブルー・プラネットは、ふむ、と考え込む。

 そして、アルシェがブルプラの店で言った言葉をふと思い出す。

 

(可哀想……か?)

 

 動物実験のことを聞き、アルシェが漏らした言葉だ。

 アルシェの立場に立ってみれば、檻の動物と同じ囚われの生活は確かに辛いものだろう。

――そう思いながら、ブルー・プラネットは同情心を抱いた自分に困惑する。

 

 つい先日まで、アルシェは他の人間たちと変わらない存在だった……はずだった。

 帝都の店で“フォーサイト”と話し合ったとき、ブルー・プラネットは実験動物に同情を寄せるアルシェに多少とも好意を抱いた。そして、闘技場で折角生き残った後は、自分が使役した動物(シモベ)に寄せた同情の分は丁寧に扱ってやろうと優遇していた。

 その程度の存在だったはずだ。

 

 だが、帝都から帰ってきてからアルシェには何か親近感を……帝都の人間たちとは違った雰囲気を感じている。それは微かではあったが、帝都の雑踏で多くの人間を見てきた後でみると明確な違いとして認識できる。

 

(同じ部屋で暮らして情が移ったのかも知れないな)

 

 そう思って頷き、あえてその同情心を抑え込む。

 私情を挟むのはナザリックのためにならない。安易な「可哀想」で大局を誤ってはならない。

――そう考えてブルー・プラネットは首を振り、冷静な目でアルシェを見つめ直す。

 

 可哀想という感想は安全な立場、優位な立場からの物言いでもある。

 帝都でのアルシェも、ナザリックでのブルー・プラネットも、その立場から「可哀想」だとした。

 支配者としての傲慢な考えだ。

 

 では、圧倒的強者の支配下で生きるとき、アルシェ(この世界の人間)はどう生きるのか。

 

 それを調べることが、アルシェをこの階層に置く本来の目的だ。

 ブルー・プラネットは、この第六階層を将来ナザリックが支配する世界のモデルとしようと考えている。デミウルゴスに告げた世界のあるべき姿――汚れなき世界のモデルとして。

 デミウルゴスの牧場が世界の危機の芽を隔離する場所である一方、この階層は無垢なる者達の楽園としたいのだ。

 

 そして、デミウルゴスの言葉はもう一つの自覚を促した。自分も所詮は愚かな人間だったと。

 人間の傲慢さは許しがたい。元の世界の失敗を繰り返すわけにはいかない。

 だが、それはこの世界で強者となった自分にも言えることだ。人間の生殺与奪の権を手にしたとき、自分が傲慢であってはならないだろう、と。

 

 ブルー・プラネットはヘッケランとイミーナを思い浮かべる。思い付きの軽はずみな実験で壊してしまった者を。

 傲慢にならぬよう、ブルー・プラネットはアルシェの扱いを変えようと考えた。

 

「さて、アルシェよ……この樹は知っているか?」

 

 ブルー・プラネットはアルシェに問いかける。緊張を解くため、出来るだけ優しい声で。

 

「はい、この実は私も食べたことがあります」

「ふむ、では、アルシェにはこの果樹園の責任者となってもらいたい。この農場で働く最初の人間となるが、ピニスンと協力して樹々を育て、我々に果実を提供してくれるか?」

 

 アルシェは黙ったまま微笑んで頷く。ブルー・プラネットもアルシェに向かって頷く。

 

 ブルー・プラネットが考えるアルシェとの新しい関係は「契約」である。

 アルシェをこのナザリックで縛るのは、力と権威でも、気まぐれや同情心でもない。

 与えられた仕事を忠実にこなす限り、アルシェを尊重しなくてはならない。

 それがこの世界の至高者の1人となったブルー・プラネットが自分へ科したことである。

 

(この世界の人間は第六階層の生態系の中で責任ある役割を果たせるだろうか?)

 

 了解の意を示すアルシェを見ながらブルー・プラネットは祈る。この人間が他の住人と協力でき、信頼に足る者であることを証明してくれることを。

 アルシェに感じる親近感が正しいことを、アルシェがナザリックの一員として上手くやっていけることをブルー・プラネットは祈る。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 ブルー・プラネットはハムスケやピニスンたちに手を振って別れを告げ、アルシェと共に再び巨大樹の元に戻ってくる。

 

「ブルー・プラネット様、お部屋のご用意が出来てますよ」

 

 アウラが地上に降りてきて、ブルー・プラネットを案内する。

 この巨大樹は内部が高層ビルのようになっており、幾つもの部屋が造られている。アウラ達はその一つ、なるべく地上に近いところになるべく綺麗な部屋を用意してくれたのだ。

 

「ああ、良い部屋だな。アルシェよ、今日からここに住んでくれ。後でツアレも呼ぼう」

 

 アルシェは広く清潔な部屋に用意された豪奢な調度品を見て目を丸くする。

 床にはぶ厚い絨毯が敷き詰められ、青い宝石をくりぬいて作られた腰の高さほどもある花瓶にはこの階層で採られたであろう花が飾られている。壁には幾重もの宝石を金と銀の糸で編み込んだ飾りが取り付けららえている。金で縁取られた姿見が取り付けられた白い化粧台、細かい細工が施された巨大なベッド、テーブルに机――ブルー・プラネットの部屋には劣るが、自分の部屋としては十分以上だ。何より、風呂が付いているのが有り難い。

 

 皇帝の居城以上だ。

――アルシェは忘れかけた幼い頃の貴族の生活を、そして、まだ裕福だったころの幸せな家庭を思い出す。厳しいが優しく貴族の心得を教えてくれた父親、椅子に座り静かに微笑む母親を。

 2人の妹はどうしているだろうか。――出来ればまた会いたいが、その思いは叶わぬ夢として心の奥に仕舞い込んだ。

 

「ブルー・プラネット様……ありがとうございます」

 

 アルシェの肩から力が抜ける。張りつめていた心が緩み、目に涙が浮かぶ。口からは感謝の声が漏れる。シャルティアに教え込まれた至高の存在への媚ではなく、本心からの感謝の念だ。

 

 目の前の樹の化け物――生贄の脳を啜る残虐な怪物であると思い込んできたこの存在は、意外にも善良な精神をもつのではないだろうか。家に帰れないのは辛いが、それはこの墳墓に押し入った自分達の落ち度であり、ワーカーとなったときに覚悟していたことだ。

――アルシェはそう思ってブルー・プラネットを見上げる。

 

「ああ、この程度のことは感謝には当たらない。それよりもこの階層で上手くやってくれ」

 

 アルシェの眼差しを感じ、ブルー・プラネットが明るく笑う。

 

「そうですよ、アルシェ様! ブルー・プラネット様の御后となる方にこの程度の部屋しか用意できずに申し訳ないですよ!」

 

 同じく明るく笑うアウラの言葉に、沈黙がこの部屋を包み込む。

 

「……あ、あのな、アウラ……それは誤解だ」

「え? そうなんですか? みんなそう噂してますよ?」

 

 ブルー・プラネットの否定にアウラはきょとんとした顔で答える。

 アルシェは再度真っ蒼になり、体をグラグラと揺らしている。意識が飛びそうになるたびに精神作用をもつアイテムが意識を引き戻すのだ。

 

 怪物が自分に良くしてくれると思ったら、いきなり后にされていた。

 樹の化け物の妻になって一体何をどうすればいいのか?

 そもそも、この樹の化け物に男とか女とかあるのか?

――アルシェの脳内に無数の疑問が浮かんでは消え、その中でアルシェの思考は停止する。

 

『おんしをお求めになったブルー・プラネット様も、きっとおんしを愛でてくださるでありんしょう』

――シャルティアの言葉が再び脳を支配する。あの地獄の記憶と共に。

 

「はい、ブルー・プラネット様! 至高の御方のご寵愛にあずかり、アルシェは幸福でございます」

 

 アルシェは蒼ざめた顔でブルー・プラネットの足元に跪き、シャルティアに叩きこまれた媚を口にする。

 それを見てアウラとマーレは「やっぱりね」と言うように頷き、満足そうな笑顔を浮かべて拍手する。

 

「ご結婚おめでとうございます! ブルー・プラネット様!」

「あ、あの! お、おめでとうございます!」

「はぁ!?」

 

 いきなり結婚したことにされていた。

――ブルー・プラネットは混乱し、足元に蹲るアルシェから逃れるように枝を振り回しながら後ずさりする。

 そしてベッドに躓いて尻餅をつき、そのまま後ろに倒れ込む。

 巨体の重量を受けてベッドはギシリと軋むが、それでも壊れることはない。

 

 ベッドに倒れ込んで呆然と天井を見つめる至高の御方をマーレは不思議そうに眺め、アウラは満面の笑みを浮かべる。

 子供は見ちゃダメ――そんなことを言ってアウラはマーレを引き摺って部屋を出て行った。

 




1週間、風邪で寝込んでました。これはもうヘッケランとイミーナの祟りとしか。


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第36話 冬来たりなば…

ちょっと【血飛沫注意】です。


 夜になる。人間たちが休息をとる時間だ。

 睡眠を必要としない者が多いナザリック地下大墳墓においては昼夜の区別はあまり意味をもたないが、外界の人間との関りにおいては時刻は重要である。

 帝都での仕事を終えたモモンガ達が帰還する。

 

「お帰りなさい、モモンガさん」

「はい、ただいまです」

「帝都の方は……何か進展ありましたか?」

「ええ、皇帝が明後日、ナザリックに向かうそうです。こっちに到着するのは4日後の朝ですね」

「いよいよですね。こっちもぼちぼち準備を始めますか」

 

 ブルー・プラネットの言葉にモモンガは肩をすくめる。

 何かあったかな?――そう首を傾げるブルー・プラネットに向かってモモンガが指を立てた。

 

「アルベドがいないと。俺たちじゃ何も出来ないでしょ」

「え……ああ、そうですね。えっと、謹慎は3日間でしたか」

 

 2人は指折り数えて顔を見合わせる。アルベドの謹慎が解けるのは明日の夜だ。

 そして揃って溜息を吐く。

 なにしろ皇帝が来るのだ。元の世界で来客を迎えるようにはいかないだろう。

 皇帝の来訪に合わせてNPCや無数のシモベを配置し、式典を準備する。――そんなことはモモンガにもブルー・プラネットにも到底無理な話だ。

 

「……試してみます?」

 

 モモンガが自分の頭を指し示し、ブルー・プラネットは頷いて<知力向上>を掛ける。

 モモンガとブルー・プラネットの目に宿る炎が輝きを増し、2人は饒舌に語り合う。

 

「――やっぱり皇帝を迎えるのに美女を揃えて……そう、パレードが良いんじゃないかと」

「そうですね、戦闘メイドに水着着せて……金銀の糸に宝石あしらった奴」

「でも、エントマどうします? あれの水着はちょっとキツイっすよ?」

「リボンで誤魔化しましょ。そうだ、エントマの脚をアーチにしてその下を……」

 

 目の光を瞬かせ、カクカクと頭を小刻みに揺らしながら2人は話し合う。

 そして小一時間経って魔法が切れ、走り書きのメモの山を眺めて机に突っ伏す。

 

「宴会じゃないんだからさぁ……」

 

 モモンガが呟く。

 メモに残されたブレーンストーミングの結果は、冷静に眺めると酷いものだった。

「ビキニパレード。派手」「守護者の芸」「ナ/帝、ペアダンス」……は何となく分かる。

 だが「首を振り子」「光らせ?」等々、意味が分からないメモも多い。

 

 素人の暴走は怖い。――モモンガとブルー・プラネットはそれを思い知る。

 単純な情報処理の速度の問題ではないのだ。やはり内政において卓越した手腕をもつアルベドがいないとナザリックは立ち行かない。

 

 無力な至高者2人は天井を見上げ、疲れた声で呟く。

 

「まあ、明日まで待って……」

「ですね……」

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 翌日、モモンガとブルー・プラネットは落ち着かない気分で過ごす。モモンガはいつもの様にゆっくりと報告書に目を通し、ブルー・プラネットもそれを手伝う。

 途中、ブルー・プラネットは席を外してヘッケランとイミーナの様子を確認し、相変わらず理性が戻らないのを見てデミウルゴスに連絡した。そして第六階層の巡回に向かう――アルシェの新居を避けて。

 

 そしてようやく夜になる。

 モモンガとブルー・プラネットは大墳墓の最奥、第十階層の玉座の間に向かう。

 そこでは守護者各員――謹慎の解けたアルベドをはじめとする最高位のNPC達が集まっていた。玉座の階下では守護者統括であるアルベドだけが立ったまま、他は皆、跪いて至高者達を迎える。

 

「ああ、モモンガ様、お久しゅうございます! ブルー・プラネット様、先日は申し訳ございませんでした!」

 

 眼を見開き涎の垂れそうな笑顔で身悶えしてアルベドはモモンガたちを迎える。

 デミウルゴスはアルベドの声を聴き、ヤレヤレと言いたげに顔を背けて眼鏡を直す。

 同じく謹慎を受けていたシャルティアは顔を赤らめてモモンガを見つめている。

 

 モモンガが玉座の前に上り、カツッと杖を鳴らす。それを合図に守護者たちは一斉に立ち上がり、至高の御方々に向き直る。

 

「皆の者、大儀である。既に知っているとは思うが、皇帝が3日後の朝、ナザリックを訪れる。明日明後日で歓迎の準備を終わらせなくてはならぬが、アルベド、計画は立てられるか?」

「はい! 勿論でございます。この3日間、十分に考えておきましたから」

 

 モモンガの問いにアルベドは満面の笑みで答える。

 

「よろしい。では、デミウルゴスと協力して計画を確認し、準備に入るように」

 

 モモンガが重々しく頷き、アルベドとデミウルゴスは頭を下げて了承の意を示す。

 

「質問をお許しください。ブルー・プラネット様は皇帝の謁見にご参加なさるのでしょうか?」

 

 早速、アルベドが質問する。

 

「いや、私は出ないよ。そんな柄ではないからな」

「うむ、ブルー・プラネットさんには他の仕事を任せようと考えている」

 

 ブルー・プラネットとモモンガの言葉にアルベドは笑顔で頷く。予想通りという様に。

 デミウルゴスや他の守護者――シャルティアを除いて――も黙って頷く。

 

「あ、あの、ブルー・プラネット様は何故にご参加なされないでありんすか? 至高の御方々が揃って皇帝の前に立って見下ろさないのは、いささか不思議でありんす」

 

 シャルティアが不思議そうに玉座の至高者達を見上げ、質問する。

 

「あんたさ、だから考えが足りないって言われんのよ」

 

 シャルティアの質問にアウラが溜息を吐いて手を広げ、やれやれという様に首を横に振る。

 

「なっ! では、アウラ、おんしは理由が分かっているとで……も……?」

 

 シャルティアの反論は途中で消える。他の守護者たちが皆無言で「分かってないのはお前だけだ」という視線を送っているのに気が付いたからだ。

 

「だぁからね、シャルティア! 皇帝がナザリックに来れば、あんたにちょっかい出した謎の敵も動くかもしれないでしょ! ブルー・プラネット様は隠れて皇帝の背後の敵を探るの!」

 

 胸を張り、優越感をあからさまにした笑顔でアウラが言い放つ。もっとも、アウラも自分で気付いたわけではなく、デミウルゴスから懇切丁寧な説明を受けていたのだが。

 

 アウラの説明に初めて理解の色を浮かべたのはシャルティアだけではない。

 モモンガとブルー・プラネットも初めてその可能性に気付き、口をぽかんと開けた。

 

「ああ、そ、そういうことだ。ブルー・プラネットさんには未知の敵を……そうだ、皇帝が動けば未知の敵も動く可能性があるからな。それを探してもらうつもりだ」

「え、ええ。その通り……うむ、アウラよ、凄いな。よく気が付いた」

 

 守護者達の視線がシャルティアとアウラに注がれている間に至高者達は気を取り直し、アウラを褒める。その言葉に守護者全員が玉座に向き直り、首を垂れる。

 

「ゴホン……だが、アウラ……それはお前の考えではないだろう? デミウルゴス?」

「はっ! 恐れながら、御二方のお言葉からそのように推察しておりました」

 

 モモンガはこれまでの経験から守護者たちに入れ知恵をしたであろう知者の名を呼び、名を呼ばれたデミウルゴスは喜びの表情とともに尊敬の眼差しを至高の御方々に向ける。

 

「……おかしいと思ったでありんす。オチビがそこまで頭が回るはずがないでありんす」

「うるさい! あんたが話を聞いてなかったのが悪いんでしょ」

 

 デミウルゴスの背後でシャルティアとアウラが小声で口喧嘩するのをコキュートスが剣の柄で床を叩いて鎮める。

 

「それでは、細かい謁見の運びはデミウルゴスと相談し、最終案をモモンガ様にご確認いただきたいと存じます」

「うむ、そのようにしてくれ」

 

 守護者達の喧騒を他所に静かに事を進めるアルベドの言葉に、モモンガは頷く。

 

「それでは、ブルー・プラネット様……ブルー・プラネット様は如何されますか?」

「うむ……そうだな、皇帝の背後……私はスレイン法国から探ってみようと考えているが……」

 

 アルベドが輝くような笑顔で問いかけ、ブルー・プラネットは少し考えて答える。

 スレイン法国を探る。――その言葉にアルベドとデミウルゴスは同時に感嘆の息を漏らす。

 

「ああ、スレイン法国ですか。……確かに。でも、危なくはないですか?」

 

 モモンガはやや不満げな声を上げる。

 確かに未知の敵はスレイン法国にいる可能性は高い。リ・エスティーゼ王国とバハルス帝国の主戦力は既にモモンガが調査済みだ。それは2人で何度か話し合ったことがある。

 問題は調査方法だ。

 モモンガとしては、デミウルゴスの提案通りナザリックを国家として樹立した後に国交を通じてスレイン法国の実態を探るつもりだった。周辺諸国最強と言われ、ワールドアイテムを持つ可能性もあるスレイン法国には慎重に当たるべきであると。

 皇帝の来訪に合わせて単独で潜入するとなると、効率は良いだろうが危険も大きい。

――モモンガは友人を気遣い、その顔を見上げる。

 

「大丈夫ですよ。私は人間型のシモベを使えますから」

 

 モモンガの視線を受け、ブルー・プラネットは胸を張って答える。

 3人のシモベには既に<獣類人化>を永続化させるアイテムを装着させている。魔法が切れて正体がバレる危険は小さくなった。帝国内で店を構えていた背景もあり、人間社会には溶け込みやすいはずだという自信もある。

 

「なるほど……デミウルゴスはどう思う?」

「はっ! スレイン法国はいずれ探らねばならぬ所。帝国を含めた周辺諸国へ密かに干渉しているようであり、皇帝の動向も彼らの知るところでしょう。今回の謁見はスレイン法国の動きを炙り出す格好の機会となります。確かに不明なことが多く、危険な場所ではありますが、ブルー・プラネット様が人間型のシモベを使い内偵されるのであれば、人間至上主義を掲げるスレイン法国の調査においてそれに勝る策は無いかと」

 

 モモンガから考えを求められ、ブルー・プラネットを神算鬼謀の隠密と信じて疑わないデミウルゴスは笑顔で断言する。慎重すぎる自分に比べ、何と大胆で迅速な手を打たれるのかと称賛の眼差しを向けて。

 

「そうか……では、アルベドはどうだ?」

「はい、モモンガ様。これまでの情報からスレイン法国は高度なアイテムに加え未知の戦力を有している可能性が高く、シャルティアを操った勢力もそこから来ている可能性が高いと考えられます。しかし、ブルー・プラネット様であればワールドアイテムをご所持の上、シモベを前面に出し、それを犠牲にして帰還されることも可能でしょう。私たち守護者の支援も加えれば問題はないと思われます」

 

 アルベドはうっとりとした顔でモモンガを見つめて答え、そしてブルー・プラネットに向かって信頼の笑みを送る。

 

「ふむ……二人がそう言うのであれば大丈夫か……」

 

 顎に指をあて、モモンガは少しの間考え込む。

 だが、ナザリック最高の知者である2人が揃って同意する案に反対する言葉は無い。モモンガは頷き、ブルー・プラネットに向かって言葉をかける。

 

「よし……では、ブルー・プラネットさん、スレイン法国方面の調査をお願いします。でも、十分に準備をしていってくださいね」

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 その夜からブルー・プラネットはスレイン法国へ行く準備を始める。

 これまでに判明している情報――地理や人口、六大紳信仰など帝国とは異なった文化があること、周辺諸国では最強の力をもち、特に幾つかの特殊部隊を抱えていること、そして人類の守り手を自任し、かなり強固な思想統制を行っているようであること等をモモンガやデミルルゴスから聞き取る。

 

「以前捕獲した特殊部隊から聞き出したことですが……対尋問用の魔法を掛けられていたようで、詳しいことを聞き出す前に死んでしまいました」

「ふむ、秘密を喋るくらいなら死を……と。忠誠心が高いのか、思想教育が厳しいのか……」

「ええ、それで中々こっちからも手を出しにくいんです」

 

 ブルー・プラネットは額に枝を当てて顔を顰める。説明するモモンガも苦々しさを隠さない。これは折角手に入れた捕虜をむざむざと失ってしまった思い出も影響しているのだろう。

 

 ブルー・プラネットは翌日もスレイン法国への旅の準備を続ける。

 魔法で移動すればスレイン法国までは一瞬で着くが、この世界の人間に化けたシモベを使う以上、それは不自然すぎる。もう1日置いてナザリックの近郊からスレイン法国に向けて歩き始めれば日程上の辻褄は合うだろう。

 

 3人のシモベに各々の役どころを教える。師匠のブルプラ、弟子のネット、そして使用人のブルーだ。

 旅の薬師としての支度――保存食や水、着替え、そして身を守るための武具等々を揃える。そして、長年旅を続けてきた日記を偽造し、近隣の村で保護しているという薬師達が作ったポーションを用意する。

 

 そして、守護者達に緊急時の対応を伝える。

 危険が迫った場合、ブルー・プラネットは<帰還>でナザリックまで逃げることが可能だ。しかし、そこまで深刻でなくとも支援が必要な場合がある。支援は転移魔法を使えるシャルティア、ブルー・プラネットとの感覚共有アイテムをもつアウラやマーレが適任だ。そして盾役としては守護者の中で最高のアルベドも。

 

「シャルティアによる転移、アウラとマーレが範囲魔法やスキルで支援。それでも面倒な敵が出た場合は盾役としてアルベドが加わる……そんな感じでどうでしょう?」

 

 モモンガの提案にブルー・プラネットも頷く。

 

「ヤバくなったら迷わず撤退してくださいね」

 

 モモンガが念を押す。

 ワールドアイテムを持つ敵が出現するかもしれないのだ。対策としてこちらもワールドアイテムを装備しているとはいえ、敵のアイテムの効果は不明である。問答無用の効果は相殺できるとしても、副次的な効果がどう影響するか分かったものではない。

 

 モモンガは何度も注意を繰り返し、いざとなったら自分も支援に加わると約束する。

 ブルー・プラネットは笑って、そんなことになる前に逃げますよ、と言う。

 

「ご安心ください。私が必ず支援に駆け付け、ブルー・プラネット様の盾となりますから」

 

 モモンガの傍で話を聞いていたアルベドも微笑んで請け負う。

 

「アルベドよ、お前も決して無理をするな。お前はナザリックには不可欠な存在なのだからな」

 

 守護者を仲間たちの子供の様に大切に思っているモモンガが注意する。

 その言葉に興奮したアルベドがモモンガに抱き着き、ブルー・プラネットがそれを引き剥す。

 皇帝の来訪を前に守護者統括がいないのでは話にならないので謹慎は免れたが、モモンガの長い説教にアルベドは涙を流して謝罪した。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 翌日、皇帝の来訪を間近にナザリックは喧騒を極めていた。

 第十階層を清掃するメイドたちはいつにも増して丁寧で、床には塵一つ残さない。

 玉座の間では守護者達が選り抜きの部下を連れ、その立ち位置をああでもないこうでもないと言い争っている。

 

 いわく、ドラゴンがその位置にいると鱗の模様で昆虫系モンスターが目立たない。

 いわく、炎の騎士の一群が傍にいると雪女郎達に負担がかかる。

 いわく、闇の悪魔たちに明るい照明が当たっては雰囲気がぶち壊しだ。

 

 この謁見は人類にナザリックの威を見せつける大切な儀式なのだ。十分の上に十分を重ねる価値はある。最初は図面の上で、そして守護者たちが現場で、さらに実際にシモベたちを並ばせる。

 

「ふう……実際に並べてみると、やはり考えていたのとは違うわね」

 

 アルベドは溜息をつき、広間の絨毯を往復しながら部下たちの位置を調整する。配置が決まったら次は式次だ。扉が開いたときに流す曲、そのタイミング、皇帝をどこで留めるか等々を細かく決めてリハーサルを繰り返す。

 

「モモンガ様、皇帝がここまで来た時に御手を上げていただくのはいかがでしょう?」

「うむ……そうだな、もっと近くからの方が表情を観察できて良いのではないか?」

 

 アルベドの確認に玉座からモモンガが修正案を出す。それに応じてアルベドが部下たちの立ち位置を含めて細々と調整する。

 だが、モモンガに何か具体案があるわけではない。単にそれらしいことを言っているだけだ。

 

 この世界の皇帝に会って話をする。

――現実世界では平凡な人間であったモモンガにとって、今や存在しない胃に穴が開きそうなストレスだ。出来ることなら逃げ出したいが、自分はナザリックの最高責任者でありそうも行かない。

モモンガはブルー・プラネットを少しばかり羨ましく思う。

 

 そのブルー・プラネットは、ナザリックを離れて旅に出るところであった。

 敷地から少し離れた小屋――そこから皇帝を招く予定であり、今は戦闘メイドがその準備をしている。そして、ブルー・プラネットたちもそこにいる。

 

「それでは、ユリ、指輪を頼む」

「は、はい。ブルー・プラネット様! どうかご無事で」

 

 会うごとに何故か立ち位置が遠くなっていくユリ・アルファに指輪を渡し、ブルー・プラネットは手を振って小屋を後にする。

 

「ブルー・プラネット様、皇帝の背後を探るのに、この周辺で潜まないのは何故でしょうか?」

 

 荷物を積んだ馬を引きながら、ネットがブルプラに問いかける。ブルー・プラネットは既に樹の中に潜み、ブルプラの身体を使っているのだ。

 

「ははは、それは既にモモンガさんが準備をしている。この周辺には探査系のモンスターが多数潜んでいるのだが、お前達には感じられないか?」

 

 ブルプラは笑ってネットの疑問に答える。

 

「それに、皇帝を直接監視する程度の連中は重要ではない。我々が確認すべきはスレイン法国の内部に居ながらバハルス帝国皇帝の動向を見ている者達だ」

 

 この周囲には無数のシモベが潜んでいる。また、上空にも不可視化したワイバーン達が巡回しており、数キロの範囲にわたって怪しい動きが無いかを監視している。モモンガが作りだしたシモベだけではない。森の中にはブルー・プラネットがスキルで召喚した植物系モンスターも樹々に擬態して隠れており、不可視知化した敵に備えた罠も張り巡らせている。

 この周辺で敵が隠れるのはまず不可能だ。――モモンガとブルプラはそう考えている。

 

 ブルー・プラネットが調べるのは、スレイン法国内での変化だ。

 皇帝にナザリックの圧倒的な力を見せつける。皇帝が帰国してからの帝国の動きをモモンガが内通者と共に確認する。

 その一方で、スレイン法国内の情勢を調べ、特殊部隊が警戒態勢をとるか調べるのがブルー・プラネットの役割だ。

 

 どれだけの日数で、どの程度、帝国とスレイン法国が反応するか。

――それによってスレイン法国が帝国に敷いている情報網を見極め、スレイン法国がどの程度の戦力を有するのかを知る。ユグドラシルのギルド戦で培った戦略の応用だ。

 

(もっと前から準備しておきたかったな)

 

 ブルー・プラネットは心の中で呟き、ブルプラの足を速める。

 情報のリーク、反応の分析、そして対応。――ユグドラシルなら数時間で全てが終わる。

 だが、この世界では皇帝が帰還してナザリックの情報が漏れるのに数日は要ると見ている。スレイン法国に拠点を構えて情報を集め始めるにはギリギリで間に合うかというタイミングだ。

 今日中にスレイン法国の町に着く。そこで法国のことを調べ、その首都に移動する。首都で薬師として店を構え、アイテムを使って情報網を構築する。シモベを連れて首都まで行くには数日かかるだろうが、大まかなことが分かれば自分一人で首都まで飛び、準備を始めても良いだろう。

 

 帝国ですでに経験済みのことだ。きっと上手くやれる。――そう唱えて自身を奮い立たせる。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 朝にナザリックを発ち、昼になる。そして日が傾き、夕焼けが空を染め始める。

 疲労回復のポーションは使わないが、それに近い効果がある薬草を噛みながらシモベ達は歩き続ける。既にナザリックの監視網を超えてスレイン法国領内に入っており、最寄りの町まで数時間で着く距離だ。少し急いで夜までに町に着き、そこで色々と手続きを始めたい。

――そう考えていたとき、ブルー・プラネットは樹々の悲鳴を聞く。

 

 樹々に拡散された自我の感覚ではない。数キロ先の山の方角から風に乗ってきた樹々の叫びだ。

 熱い、熱い――樹々がそう叫んでいる。動物たちも脅え、森の中を高速で移動している音がする。

 

 何が起きている? ――ブルー・プラネットは樹を抜けて霧となり、上空を飛んで様子を見る。

 

 山火事だ。

 小さな山の麓を取り囲むように火が上がり、今まさに山肌を舐めるように登って燃え広がろうとしている所だった。

 

 ブルー・プラネットは炎の上まで飛ぶ。植物系異形種の弱点である炎は指輪の装着によって対策されているため、数百メートルの範囲に渡って渦を巻く猛火の直上であっても何のダメージもない。

 

 ブルー・プラネットの心を切り刻むような樹々の悲鳴――だが、<気候操作>による消火は出来ない。ここで高位の範囲魔法を使えば侵入がバレる危険が増すからだ。

 やむを得ずブルー・プラネットは地上に降り、断腸の思いで燃える樹の幹を抉り、倒す。

 そして、倒された樹々を枝で掻き集め、踏みつけて消火する。

 この地味な作業を続け、ようやく炎は収まった。

 

 いまだ燻り続ける黒く焼けた山肌に、ブルー・プラネットは立ち尽くす。

 季節は秋も終わり冬になりかけている、山の樹々も紅葉し、あるいは葉を落としている。枯れ葉が積もり、この数日の晴天で山火事になってもおかしくはない。

 だが、着火源は何だろうか。――その疑問は微かに残る油の臭いと人間の声で解消された。

 

『――おい、火が消えたぞ』

『なんだ? 調子よく燃えていると思ったが……』

『様子を見てくるか』

『まて、まだ火が残ってる可能性がある。少し待って、気を付けて進もう』

 

 放火だ。人間が山を焼いたのだ。――燃え上がる怒りを抑え、ブルー・プラネットは樹の中に潜む。

 そして、森を進む人間たちの足音を聞きながら考える。森を焼いた人間にはしかるべき罰を与えなくてはならないと。

 しかし、それがもし人間たちが生きるために仕方が無くしたこと――例えば強力なモンスターを退治するためならば、許さざるを得ないだろうとも考える。

 

 やがて人間達が焼け跡にやってくる。そして、木々が倒され踏みつけられた跡を見て驚愕の表情を浮かべる。

 

「おい、なんだこれは!? 魔獣でも暴れまわったのか?」

「いや、この周辺にそんな魔獣はいないはずだ。それに見ろ、焼けた樹が集められている。エルフどもの魔法じゃないか?」

「可能性はあるが、逃げた奴隷たちにそれ程の力があるとは思えん。本国とすでに連携して援軍が来ているのかも知れん」

「なら、こちらも援軍を要請するか?」

「相手の規模も分からんうちに援軍を呼んでも仕方なかろう。ともかく周囲を調べろ。注意してな!」

 

 様子を窺っているブルー・プラネットを追って、やがてブルプラ達も山に到着する。そして、森に入り、焼け跡で人間の一群に出会う。6人の戦士と2人の魔法詠唱者、そして1人の神官からなる9人のグループだ。

 

「あー? なんだお前は?」

 

 樹々の間をうろつくブルプラ達に声を掛けたのは、剣を構えた戦士だった。何らかの紋章が刻まれた盾、それに上質の兜と胸甲を装備しており、それなりの身分であるようだ。

 

「は、はい、遠くから山火事が見えて何事かと駆けつけたのですが……」

 

 息を切らして答えるブルプラを、戦士は胡散臭そうに見つめる。

 当然だ。わざわざ山火事に巻き込まれるために燃えている森に入ってくる馬鹿はいない。

 

「何者だ?」

 

 別の戦士も剣を構えて尋ねる。

 

「はい、私達は旅の薬師で、ドルイド信仰をもつ者です。それで、山の樹々は私たちにとって神聖なものですから火を消そうと……」

「はん……なるほどな」

 

 ブルプラ達の説明を聞き、その服装を見て、戦士たちはようやく警戒を解く。

 

「それで、この火事は……?」

「ああ、この山に逃げたエルフの奴隷たちを追っていたが、意外に時間がかかってな――」

 

 若い戦士が剣を下ろし、疲れた風で苦笑いしながら答える。

 

「――夜になる前にと、手っ取り早く山を焼いたんだが、いきなり火が消えちまったんだ」

「あんたらが火を消す前にエルフ達のドルイドが来た可能性もあるな」

「ああ、エルフの援軍が来ているかも知れないんだ。お前さんたち、さっさと離れた方がいいぞ」

 

 戦士たちが口々に説明する言葉でブルー・プラネットにもようやく概要が掴める。

 

「つまり……逃げたエルフを燻りだすために、この山に火をつけたんですか?」

「ああ、森の中では奴らは手ごわいからな。山ごと燃えてくれれば良かったんだが……」

 

 ブルプラの質問に、戦士が忌々し気に山の方を見ながら答える。

 

「しかし……山ごと焼くとは……罪のない獣や樹もあることでしょうに」

 

 ブルプラが擦れた声で問いかける言葉を聞き、人間たちはどっと笑う。

 

「ははは……いや失礼、あなたたちはドルイドの信奉者でしたな。しかし、我々にとってはエルフを狩ることこそが最優先なのですよ」

 

 年配の戦士――どうやら指導者格らしい――が一頻り笑った後で謝罪する。

 

「いやいや……『罪のない獣や樹』か、そんなことは考えたこともなかったな」

 

 笑いすぎたのか、目から涙を拭った戦士が答える。

 

「山の獣なんざ、幾らでも湧いてくるもんだろ?」

「左様、神は人類を万物の長として愛され、獣たちを糧として賜られたのですよ」

 

 戦士の言葉に神官が応え、それを聞くブルプラの目が獣の怒りを帯びる。

 ネットやブルーの目も同じだ。

 そして、樹の中で聞いていたブルー・プラネットも。

 

「もういい、十分だ。お前たちがどんな存在か、良く分かった」

 

 怒りを帯びた声とともに焼け跡の端にある樹から一体のトリエント――緑色のローブを纏い、杖を持った樹の魔物が出現する。

 

「トリエントか――こいつが火を消した奴だな!」

「小型のトリエント! 総員戦闘態勢に! エル、ディズ、火球を放て!」

「薬師さんたちよぉ、危ないから下がってな」

 

 戦士達がトリエントに向かい、距離を保って散開する。

 隊長に名を呼ばれた魔法詠唱者2人が揃って<火球>を飛ばす。トリエントは怪力と強い生命力をもち、周囲の樹々を支配する恐るべきモンスターだが、動きは遅く、火炎系の遠隔攻撃には弱い。このトリエントの幼体とも見えるモンスターには<火球>による攻撃が最適だという判断だろう。

 

 しかし、火球はトリエントの体に触れる前に爆発も轟音も引き起こすことなく掻き消される。

 

「くだらない……お前たちの魔法は効かないよ」

 

 トリエントが面倒くさそうに吐き捨て、次の瞬間、魔法詠唱者の1人の頭が弾け飛んだ。

 魔法詠唱者の頭があるべき場所には5つに分かれた枝が伸びている。

 そして次の瞬間、人間達が何が起きたのかを理解する前にその枝は消え、もう1人の魔法詠唱者の頭も弾け飛んだ。

 2人の魔法詠唱者の身体がほぼ同時に地面に崩れ落ち、残された人間たちはようやく理解する。

 このトリエントは強い、と。

 

「枝だ! 枝を伸ばして攻撃してくるぞ! 変異種……トリエントの上位種か? 支援を頼む!」

 

 異形のトリエントを警戒する隊長の叫びで戦士たちは盾を上げて頭部を守る。その後ろで神官がアイテムを取り出し、どこかに連絡を取ろうとした。

 

「糞ッ! アイテムが使えん! 妨害が入っている!」

 

 神官が大声で叫び、機能しないアイテムをしまう。

 

「はーい、正解! この周辺にはすでに妨害魔法を張ってまーす」

「あ、あの、隠れていた人間さんは、み、みんなボクが捕まえておきました」

 

 いつの間にか現れた2人の闇妖精の子供が戦士たちに告げる。

 

「闇妖精ッ! 散れっ! 本国へ……」

 

 エルフの軍勢――敵援軍の到来を知った隊長の叫びは、しかし、途中で消える。

 焼け跡の周囲には邪悪に顔を歪めたトリエント達――高さ10メートルを超えるトリエント達が肩を組むように枝を張って取り囲んでいる。退路を塞ぎ、誰一人として焼け跡から逃さないと。

 

「お前たちはここで死ぬんだよ? 神様に祈れよ。愛されてんだろ?」

 

 ブルー・プラネットはそう言って、戦士の一人に枝を叩きつける。

 

 周囲の人間たちには何が起きたのか分からなかった。

 鋭い鞭の音と轟音が響き、そして仲間の一人の姿がいきなり消えた。

 今、トリエントの前にあるのは――平たい金属の塊と周囲に飛び散った肉片と赤いスープだ。

 

 若い戦士の1人は思い出した。軍に入ったばかりの頃、野営訓練で仲間が食事用の大鍋をひっくり返してしまったときのことを。

 

 そして次の瞬間、戦士は現実に戻る。鍋ではない、あれは叩き潰された友人の残骸だ、と。

 

 戦士は友の名を叫ぶ。その戦士の頭部をブルー・プラネットは横殴りに張り飛ばす。

 潰れた兜と騎士の頭部が血飛沫の尾を引いて焼け跡の上を水平に飛び、周囲を囲むトリエントの胴体に当たって落ちる。そして残された胴体がガチャリと金属の音を響かせて地面に倒れる。

 

 残りの戦士達と神官は悲鳴を上げてブルー・プラネットに背を向けて走り出す。この醜い樹の怪物が凄まじい力を持つ魔物だと理解して。

 

 ブルー・プラネットは伸ばした枝に無数の剣を生やし、それを水平に薙ぎ払う。

 枝は背を向けて走る3人の戦士に当たる。その鎧が紙のように引き裂かれ、3人の体は細切れの肉片と化して宙を舞う。

 

 残る隊長と神官はブルプラの方に向かって走る。この殺戮の場でせめて人間の仲間――森の戦闘に適したドルイド達を頼ろうと。

 

 しかし、隊長と神官の脚は長く伸びた蔦に絡み取られ、2人はブルプラの元に辿り着く前に倒れる。

 

「助け……助けてくれっ!」

「おいっ! あんたらドルイドだろっ! なんとか……」

 

 悲鳴を上げてブルプラ達に呼びかける2人を、ブルプラ達は無表情で見つめる。

 隊長が周囲に目を遣ると、腕を頭の後ろに組んで面白そうに見つめる闇妖精の少年、その後ろから恐々と覗く闇妖精の少女、そして、銀髪の少女がニコニコしながら自分たちを眺めている。

 

 隊長は絶望に駆られながら、脚に絡みついている蔦に剣を振るう。しかし、それは小指ほどの太さもない細い蔦でありながら鋼の刃を弾き返し、逆に剣が砕け散ってしまった。

 

「ま、まってくれ! 謝る! この森にトリエントがいたとは知らなかったんだ!」

「……そういうことじゃない」

 

 隊長の謝罪にブルー・プラネットは冷たく答え、隊長を高々と振りかぶると勢いよく地面に叩きつける。

 隊長の首が横にねじ曲がり、金属の鎧に挟まれて身体が圧し潰された。

 その様子を見ていた銀髪の美少女――シャルティアは舞い上がる血煙に拍手し、ウンウンと頷くとアウラに向かって身振り手振りで「正しい謝り方」を説明する。

 

 残された神官は、引き摺られていく恐怖に耐えて必死に蔦を手繰り寄せて姿勢を立て直し、ブルー・プラネットを睨む。

 

「お前……お前はただのトリエントではない……魔神の生き残りか!」

 

 その言葉にはブルー・プラネットも聞き覚えがあった。

 

「魔神か……ああ、そうだよ。お前たちの神に代わってお前達に罰を与える魔神だ」

 

 なおも神の名を呼び何かを叫ぼうとする神官を手元に手繰り寄せ、両腕でその体を包み込んだブルー・プラネットは、そのまま神官を雑巾のように絞り上げる。

 そして全身から血を吹き出し内臓を飛び散らせた神官の残骸を地面に放り出し、ブルー・プラネットは枝を振るって血を振り払う。

 

「……さて、アウラ、マーレ、そしてシャルティア……世話になったな」

「とんでもございません。ブルー・プラネット様のお役に立てて嬉しいです」

「ぼ、ぼくも嬉しいです……あ、あの、この山にいた人間さんやエルフさんを捕まえていますけど、どうしますか? やっぱり、その、殺しちゃった方がいいですか?」

 

 ブルー・プラネットの労いに闇妖精の双子がいつもの様に明るく、あるいは上目遣いに微笑んで答える。

 

「わたしもブルー・プラネット様の御役に立てて光栄でありんす! このオチビから連絡を受けてサッと転移で駆けつけたでありんす!」

 

 シャルティアも嬉しそうに胸を張って答える。

 しかし、ブルー・プラネットはシャルティアに軽く頷いて、沈んだ声で次の指令を下す。

 

「マーレ、捕虜はモモンガさんに連絡して引き渡してくれ。面倒だったら殺してもいい。そこの死体も持って行ってくれると助かるな」

「は、はい……あの、この焼け跡はボクの魔法できれいにしておきますか?」

「いや、それには及ばん。私にやらせてくれ」

 

 守護者たち、そしてブルプラ達シモベは跪き、ブルー・プラネットの指示に了解の意を示す。

 そして死体を拾い集めはじめた守護者たちは、何事か考え込んでいるブルー・プラネットについてヒソヒソと話し合う。

 

「お、おねーちゃん……ブルー・プラネット様、す、すごく怒ってるみたいだね」

「うん……怒ってるよね」

「お怒りでありんすね……でも、何でそんなにお怒りでありんしょう?」

「きっと、人間が勝手に森を燃やしちゃったから、そのせいだと思う」

「こんな森を焼いたことで、そこまでお怒りでありんすか?」

「だって、至高の御方々に捧げるこの世界のものを、人間が勝手に焼いちゃったら不敬でしょ」

 

 アウラの言葉を聞いてマーレとシャルティアは納得したようにウンウンと頷く。

 そんな守護者たちを見てブルー・プラネットは苦笑し、3人を呼び集める。

 

「アウラ、マーレ、シャルティア……お前達には私がいた別の世界のことを話したな」

「はい、機械の獣や毒の霧で覆われた世界でしたね」

 

 ブルー・プラネットの話にアウラが答え、ブルー・プラネットは頷いて話を続ける。

 

「私は、この世界をあの世界のようにしたくないんだよ」

 

 守護者達は不思議そうな顔でブルー・プラネットを見上げる。

 彼らの中では、小さな森を燃やすことと世界を毒で覆うことが繋がらないのだろう。――そう考え、ブルー・プラネットはさらに説明する。

 

「今は小さな森を焼いただけだが、やがて人間たちはもっと力を付ける。……そして世界を汚しつくす。まるで世界が人間だけのものであるかのように傲慢に振る舞ってな」

「……ブルー・プラネット様、お言葉ではありんすが、人間ごときがそのような力をもつものでありんしょうか?」

 

 シャルティアの質問にブルー・プラネットは、ああ、と短く答えて頷いた。

 

「だ、だったら、今すぐ人間を殺し尽くしちゃった方がい、いいんじゃないかと、お、思います」

 

 マーレが顔を赤くして、躊躇いがちに意見を述べる。

 まるで害虫駆除みたいな言い方だな。――ブルー・プラネットはそう思い、マーレを窘める。

 

「いや、すぐに滅ぼすのも傲慢というものだ。人間たちの問題はその傲慢さにある。神に選ばれた等と言って世界を汚すような……。我々はそうであってはならない」

 

 ごめんなさい。――小さい声で謝るマーレの頭をブルー・プラネットは笑って撫でる。

 

「大丈夫だ。<アインズ・ウール・ゴウン>は様々な種族の寄り集まりでありながら、お互いに認め合う仲間だった。お前たちも闇妖精や吸血鬼と言った異なる種族として創造されながらもナザリックの同胞として強い絆で結ばれているだろう?」

 

 アウラとシャルティアはお互いに顔を見合わせ、ブルー・プラネットを見上げて頷く。その様子をみてブルー・プラネットは微笑んで話を続ける。

 

「人間たちも、とりあえず認めてやろう。この世界を様々な種族が助け合う理想郷とし、それを邪魔するようであれば排除する……それでいい」

 

 ブルー・プラネットはそう言うと、守護者たちの顔を見渡す。

 守護者たちの顔には、至高の御方の意思を知り、それを遂行する決意が現れている。

 

「に、人間が偉そうにしてるから、ブルー・プラネット様はお、怒っていらっしゃるんだよね?」

「うん。人間が勝手に偽の神様を信じて威張ってることを怒っていらっしゃるんだね」

 

 アウラとマーレは囁き合い、リザードマンの村に建てられた2体の神像を思い浮かべる。凛々しいアンデッドの神と雄々しい樹の神の像にリザードマンが今日も花を供えているはずだと。そして夢みる。自分たちの創造主の神像もそこに並べられ、人間を含めてこの世界の全ての存在が<アインズ・ウール・ゴウン>の至高の御方々に跪く日を。

 

 ブルー・プラネットは自分たちを至高の御方と呼び、神のように考えている双子の闇妖精の囁きを聞いて苦笑する。単純すぎる考えだが、方向は間違っていないと。

 

 ブループラネットはシャルティアに<転移門>を開かせ、守護者達をナザリックへ帰還させる。

 

「偽の神様、か……」

 

 王笏を地面に突き立て焼け跡の状態を確認しながら、ブルー・プラネットは呟く。

 

「どこかに本物の神とやらはいるのかもしれないな」

 

 だが、その神は元の世界を救わなかった。何もしない神ならば居ないのと同じだ。

 ならば、自分の手で理想を実現せねばならない。――ブルー・プラネットはそれを心に刻む。

 

 焼けた樹々を植え直し、魔法によって活力を与える。死にかけていた樹が安堵の息を付くのをブルー・プラネットは確かに聞き、満足げに頷く。

 無理に焼け跡に樹を成長させることはない。すでに冬になり紅葉も終わりかけているのだ。ここで新緑を生み出してもその芽は冬を越せないだろう。樹の幹に命が残っているのなら、冬が過ぎて春が巡って来れば森は再び美しい緑を取り戻すだろう、と。

 

 ブルー・プラネットは再び樹の中に戻る。ブルプラ達は街道に戻り、スレイン法国に向かっての旅を再開する。

 

(余計な道草の所為で、町に着く前に夜になってしまったな)

 

 ブルー・プラネットは夜空を見上げる。澄み切った初冬の空に白い月が浮かんでいる。この世界で初めて見たのと同じ、美しい満月だ。

 ブルー・プラネットはブルプラの目を通してそれを眺め、月に向かってその手を伸ばす。

 この美しい夜空が永遠のものであることを祈って。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 ナザリック地下大墳墓の最奥、玉座の間で謁見に備えてリハーサルを繰り返しながら、最高の装備――漆黒の衣に身を包んだモモンガはアウラ、マーレ、シャルティアの3人からの報告を受けて溜息をつく。

 

「はぁ、初日から早速……こっちも忙しいけど、ブルー・プラネットさんも苦労が多いな」

 

 誰に言うわけでもない。友を思いやる心から出た呟きだ。

 

「致し方ございません。スレイン法国はエルフの国と戦争状態にあるのですから。しかし、これをエルフ達の仕業としてしまえば――」

「うむ、エルフの国とスレイン法国とで消耗しあってくれれば、こちらとしても好都合だな」

 

 傍らで報告を聞いていたアルベドが応え、アルベドの存在を意識したモモンガは支配者としての言葉を返す。

 

「はい、幸いにして捕虜が何人かいますので、偽装工作が可能です」

「うむ、頼むぞ。……それに、今回の件で守護者による支援の練習にもなったことも重要だな」

 

 モモンガの呟きに、アルベドが微笑んで頷く。全て上手く行っているという自信を込めて。

 

「しかし、別行動というのは寂しいものだな」

 

 再会の後だからこそ、余計に孤独を感じる――とはいえ、モモンガには帝国との間でなすべき極めて重要な計画がある。モモンガまで一緒に旅に出るわけにはいかない。

 

「法国での拠点が出来るまでのしばらくのご辛抱ではありませんか。それに<伝言>などでお話もできるのでしょう?」

 

 傍らに寄り添うように立つアルベドがモモンガを慰める。

 

「うむ、そうだな。しかし、面と向かってこそ話し合えることもあるのだよ」

 

 その言葉を聞いてアルベドは頷き、モモンガに顔を寄せて囁く。

 

「ところでモモンガ様、私に一つお願いがございます」

「なんだ、アルベド? 言ってみるがいい」

「はい、ブルー・プラネット様の御支援を私に一本化していただきたいのです」

「ん? 今回の支援で何か問題があったか?」

 

 モモンガは意外そうにアルベドに尋ねる。

 

「はい、今回は弱い敵でしたので3人の支援が間に合いましたが、やはり共同作戦には時間がかかりました。今後の帝国への作戦行動を考えますと、シャルティアが帝国への輸送などで席を外しており、緊急時にアウラとマーレが間に合わないことも考えられます」

 

 ふむ、確かに。――モモンガがそう頷くのを確認して、アルベドは続ける。

 

「それに、未知の敵はシャルティアと戦った経験から既に彼女への備えを固めている可能性もあります。ですから、シャルティアを支援から外し、ブルー・プラネット様の御支援を私に一元化して、必要に応じてアウラ達を動かす体制としたいのです」

 

 アルベドは説明を終え、モモンガの決断を待つ。

 

「だが、お前は転移魔法を使えないのであろう? シャルティアを外してどうするのだ?」

「はい、転移はアイテムを使うつもりでございます。また、私に欠けている戦闘関連のスキルなどもアイテムによって強化したいと……。これには今後、他の至高の御方々がお見つかりになったときに即座に救援に向かえる仕組みを構築する意義も含んでおります」

 

 アルベドの説明を聞き、モモンガは唸る。

 確かにシャルティアに頼らない体制の構築は重要だ。アルベドが臨機応変に動ける状態は頼もしい。それに、友人を探しに行く仕組みだと言われれば反対できるはずもない。

 

「なるほど……良い考えだ」

 

 モモンガは決断する。

 ほんの少しの行き違いでブルー・プラネットとは何か月も会えなかったのだ。ならば、他のメンバーだって今後見つかるかもしれないと考えて。

 

 ブルー・プラネットと再会するまで密かに抱いていた恐れ――この世界に来たのは自分一人という考えが、これまでモモンガの積極的な捜索を妨げていた。しかし、ブルー・プラネットが現れたことでその恐れは払拭された。

 <伝言>が通じないのは、彼らが名を変えて身を潜めているせいかもしれないのだ。

 何らかの事情で返答できない、身動きが取れない状態で助けを求めている可能性だってある。

 

 友を探しに行こう。――モモンガの眼窩に燃える赤い炎は明るさを増す。

 

「ありがとうございます。では、私にお任せくだされば皇帝の謁見後に必要なアイテムや装備を揃えます。今考えておりますのは――」

 

 透き通るように白い肌を純白のドレスに包み、祈るように手を組んでアルベドは感謝を述べる。

 そして漆黒の衣に身を包んだモモンガに身を寄せ、嬉しそうにアイディアを話し続ける。

 モモンガも機嫌よく何度も頷きながら、再びナザリックに友人が集って楽しい冒険に出る日を思い浮かべる。友人が集まればこの墳墓を維持する重責を誰かに代わってもらい、モモンガ自身も気兼ねなく冒険に出られると。

 

 ナザリック地下大墳墓、玉座の間――無数の怪物たちが犇めく地下の広大な空間に明るい笑い声が響き、黒白二体の魔は楽しげに話を続ける。

 




次回、最終話となります。


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最終話 死と輪廻

胴体が千切れたりするのでちょいグロ注意。
スレイン法国関連はほぼ全てが捏造です。


 ブルー・プラネットがスレイン法国に潜入してから数か月が経った。

 ブルプラとネット、そしてブルーの3人はスレイン法国に拠点を築き、薬師としてまずまずの評判を得ている。事前にモモンガから聞いた話――冒険者モモンとして集めた情報――ではスレイン法国は周辺諸国とあまり良好な関係にないと聞いていたのだが、入国手続きは非常に簡単であり、「バハルス帝国の薬師、ブルプラ・ワン」の名を告げるとすぐに書類審査が完了した。その手際の良さは、まるでこちらの情報を事前に知っていたのではないかと思わせるほどだった。

 

 今、ブルプラ達はスレイン法国の首都にいる。法国の人間たちはその町を「神都」と呼ぶ。

 スレイン法国・神都――それは元の世界のアーコロジードームによく似た、天にそびえる大聖堂を中心とした宗教都市である。その大聖堂の外壁は過剰なまでに白く、日に照らされ輝く尖塔を町の全域から眺めることが出来た。

 街並みはバハルス帝国より更に石造りの建物が多い。幾何学的に張り巡らされた道路とその脇に整然と並ぶ商店は、何か「お手本」を元に造られているようだった。町の裕福な商人たちは魔力で浮遊する板に乗り、清潔な石畳の道の上を滑るように移動している。

 

 プレイヤーの影響を受けていることは間違いない。

――モモンガとブルー・プラネットはそう結論する。

 

 機能的な神都の中でブルプラ達は割り当てられた区域に店を出している。店は狭く、空いたスペースに樹を置くことも出来ない。そのためブルー・プラネットの本体は近くの公園の樹に潜んでいる。

 石造りの都市にあって、公園は数少ない緑あふれる場所だ。自然の林とは違い、数種類の樹が良く剪定され等間隔に並べられている。毎朝訪れる庭師の魔法によって樹の状態は良く保たれ、どの樹も春先の新緑を芽吹かせている。美しい公園に人々は集まり、樹々の中を散策する。

 

 だが、ブルー・プラネットにとってこの自然は物足りなかった。

 樹の枝で囀る鳥がいない。――よって糞も落ちない。果実からの種が運ばれてくることもなく、新しい樹が地面から芽吹くこともない。糞が落ちないのに<浄化>を繰り返したため、土から有機物が失われているのだろう。土の中には蟲もいない。

 春だというのに公園の自然は沈黙している。

 

(清潔なのは良いが、まるでショーケースの蝋細工だな)

 

 ブルー・プラネットはそんな感想を抱いている。

 農村のような人と自然の触れ合いが感じられないのだ。食料品は周辺の都市から運ばれてきており、近くには畑も果樹園もない。

 

 この世界で感じていた「不純物」は少ない。そのため過ごしやすいのは確かだ。

 アーコロジーの雰囲気を残しているせいか、なにか懐かしい雰囲気があるのも確かだ。

 だが、その雰囲気が逆にブルー・プラネットの神経を逆撫でしている。落ち着かない、と。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 スレイン法国に着いたばかりの頃、ブルー・プラネットは慎重に行動していた。思想統制の厳しい国家だという情報から警察国家のようなものを予測していたのだ。

 

「<伝言>……こちらブルー・プラネット、法国の首都に着きました」

「はい、こちらモモンガ。今日、皇帝が来て同盟を結びました。そっちはどうですか?」

「順調ですよ。店の場所を用意してくれるみたいです。そこを拠点に情報網を作って様子を調べますが、今のところ首都で混乱は見られません……何とか間に合いましたね」

「もっと早く行くべきでしたけど……仕方ないですよね」

 

 モモンガとブルー・プラネットは<伝言>を通じて笑いあう。デミウルゴスの勘違いで隠密行動を思いついていなければ、スレイン法国行きはもっと遅れていたはずなのだから。

 情報網はこれから構築する。ナザリックの防壁に引っかかって<爆裂>などが起きたら何かしらの反応があるはずで、そこからスレイン法国の実力も分かるだろう。

 

「……それで、スレイン法国の部隊が全滅した情報は?」

「まだ反応はありません……ごめんなさい、軽率でした」

 

 ここ数日、毎日のように繰り返される話――ブルー・プラネットがスレイン法国へ向かう途中、エルフの逃亡奴隷を追っていた戦闘集団を全滅させた件だ。

 あまりにも軽率な行為であり、ブルー・プラネットはその都度モモンガに詫びている。

 だが、モモンガは「俺もその立場だったら切れますよ」と笑い、不問に処した。

 マーレが捕虜にした人間を記憶操作してエルフの援軍に急襲されたと報告させた。他の死体はエルフたちが回収したように偽装した。監視用のシモベの報告では、スレイン法国の現場検証でもそのように結論され、エルフの国との捕虜交換が考えられているようだ。

 

「ははは、存在しない捕虜を巡って……それは揉めますねぇ」

「ええ、それでお互いに争って消耗しあってくれれば最高です」

「しかし……スレイン法国の検証能力もその程度ということですね」

「いやぁ、まだそう結論するのは……俺の方でも引き続き気を付けておきます」

 

 災い転じて福となす。――これも良い撒き餌になったとモモンガは笑った。

 

 翌日も連絡を行う。そして翌々日も。

 

「何か動きはありました?」

「ナザリックについては何も。……店を開きました。法国は私のポーションを知ってましたね」

「ふむ……それはどんな成り行きだったんですか?」

「店を開くとき、担当者がポーションのリストを照会してました。それで『ドルイドのポーションは?』と。バハルス帝国でのことを知っていたみたいですね」

「ほう……やはり、スレイン法国が色々とスパイを放っているってのは本当らしいですね」

「そうみたいですね。今のところ、私には好意的に接してくれていますが」

 

 その時はまだ「ドルイドのポーション」を用意していなかったため、後日、材料を集めて作成し、あらためて提出することになった。

 だが、ブルー・プラネットには一つ気に掛かることがあった。ブルプラが口にした「材料」という言葉に対して担当者から感じられた強い関心――アーウィンタールでは「トレント由来」としていたが、トレント程度でそこまで気になるものだろうか、と。

 

(どこまでスパイが入り込んでるんだろう?)

 

 まさか、辺境の町で作った破格のポーションを?

――そう考えてブルー・プラネットは首を振る。いくらなんでもそこまでは、と。

 

「――では、ブルー・プラネットさんも偶にナザリックに帰還してくださいね」

「ええ、店の近くで公園があったので、そこで拠点設定したら今夜中にも一旦戻りますよ」

 

 今は樹々を転移して神都から出たところの森で実体化しているが、神都内の公園に常駐すべきだと考えている。アイテムによる情報収集は範囲が限られているためだ。

 

 その深夜、樹から密かに枝を伸ばし、王笏を地面に刺して拠点設定を行う。

 これでナザリックと神都を簡単に往復できるようになった。早速、ブルー・プラネットは<帰還>の魔法によってナザリックに戻り、数日ぶりにモモンガと握手を交わす。

 

 ――これが数か月前のことだ。

 今では、ブルー・プラネットはナザリックへは<帰還>の魔法によって頻繁に行き来している。第六階層の様子を見に。そしてトブの要塞へも。

 

 トブの要塞の実験室ではこの世界の蟲達を飼育する研究が進んでいる。ナザリックの餌だけで育てることにはいまだに成功していない。

 やはり、微生物には何かこの世界本来の栄養素が必要なのだろう。――ブルー・プラネットはそう結論しかけている。

 

 第六階層に移したアルシェは元気だ。ナザリックの食事によって随分と貧血も改善したらしい。この世界の人間はナザリックの食事でも健康に過ごせることが分かった。

 だが……先日、デミウルゴスからのプレゼント――見事な置物だった――が第六階層の新居に間違って運ばれてきたとき、アルシェは久しぶりに蒼ざめて倒れかけた。

 

 あれは気の毒だったとブルー・プラネットは同情している。アルシェは「ブルー・プラネットの妻になるとはそういうことだ」と思い込んでしまったらしい。

 誤解はなかなか解けないものだ。――ブルー・プラネットは溜息を吐く。

 

 誤解の定着にはモモンガも一役買っている。

 アウラの報告でブルー・プラネットとアルシェが結婚したという噂が広まった後、ブルー・プラネットはその噂を否定しようとした。しかし、モモンガが一言「照れないでくださいよ」と言ったことで、もう何を言ってもNPCたちの誤解は解けなくなってしまったのだ。

 

「モモンガさん……分かってて言ったでしょ?」

「はて? 何のことですか?」

 

 モモンガが半笑いで答える。どうやらアルベドとシャルティアの騒動で冷やかされたことへの意趣返しのつもりらしい。

 そして、もう一人の少女――ピニスンにもその噂が届いたらしい。ピニスンも何やら張り切っているらしいが、怖くて聞けないでいる。

 

 世の中、誤解だらけだ。――ブルー・プラネットは今日も一人頭を抱える。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 大きな動きが現れたのは、スレイン法国に来て3ヶ月ほど経った春先のことだった。

 スレイン法国の神都の中心に位置する大聖堂の中では行政機関の長たちが高位の神官たちと激しく議論している。そして、彼らの会話は「ドルイドの薬師」から献上された観葉樹の鉢植えに仕掛けられたアイテムからブルー・プラネットに伝わっている。

 その会話からは、強大な魔法に恐れ戦くスレイン法国指導者たちの感情が読み取れた。

 

 ブルー・プラネットはその理由を知っている。

 モモンガが帝国と同盟を結び、魔導国の王「アインズ・ウール・ゴウン」としてリ・エスティ―ゼ王国の軍勢を壊滅させたのだ。

 

 ブルー・プラネットは、その作戦を事前に知らされていた。

 

『――というわけで、超位魔法<黒き豊穣への貢>をブッ放すつもりです』

「ああ、アレですか。そりゃまた派手なことになりそうですね。見れないのが残念です」

『映像記録しときますから、あとで一緒に見ましょうよ』

 

 建国記念の良い見世物になりそうだ、と2人の至高者達は笑う。

 

『それで、スレイン法国にもその情報は届くはずですから……』

「はい、任せといてください」

 

 ブルー・プラネットは情報網を点検し、スレイン法国上層部の会話を拾う。

 呆気ないものだった。重要な情報が会議場から漏れてくる。

 

『あれは、我らが神の力と同じ、第11位階の魔法ではないのか?』

 

 やはり、な。――ブルー・プラネットはスレイン法国が過去のプレイヤーを神と崇める宗教国家であることを再確認する。

 

『ならば、神人を動かすことも……評議国へ了解を得なければならんな』

 

 神と同格の王を抱く魔導国という強大な存在の誕生に、エルフの王国との戦いを先延ばしにすべきではないという決定が下された。

 

 どうやら神人とは、ユグドラシルプレイヤーの血を引く者であり、その覚醒によって高レベルのプレイヤーと同等の能力をもつらしい。そして、過去のプレイヤー――スレイン法国にとって神の遺産である強力なアイテムを装備しているのだという。

 

 ブルー・プラネットはその情報をモモンガに伝える。

 

『なるほど、その『神人』がワールドアイテムを持っている可能性が高そうですね』

「ええ、確定ではないですが、是非捕獲して情報を集めたいですね」

 

 ブルー・プラネットの情報は限定的だ。大聖堂内に仕掛けたアイテムは限られている。

 

 神官長たちは会議室を出て政府高官たちと別れ、廊下で歩きながら彼らの議論を続ける。議事録に残らない、残すべきではない、愚痴交じりの本音を吐露して。

 その内容はブルー・プラネットには伝わらない。

 

「評議国の竜王たちは何と言ってくるでしょうね?」

「魔導王と神人との共倒れを画策するだろうが……第11位階の魔法を魔導王が行使するとなれば神人を『より小さな悪』だと見做し、力の制限付きで認めざるを得ないだろう」

 

 火の神官長、ベレニス・ナグア・サンティニの呟きに、水の神官長、ジネディーヌ・デラン・グェルフィがしわがれた声で応える。

 他の神官長たちも頷いて会話に参加する。公式の場では憚られる鬱積を晴らすように。

 

「彼らの尊大さ、狭量さには困ったものです。我らの神を『外から来た者』と蔑み、その力を穢れたものと決めつけているのですから」

「彼らは長命であるがゆえに考えが古いのだ。我らが神のお伝えになった魔法によってどれだけこの世界が豊かになったのかも認めようとせん」

 

 べレニスの言葉に対し、光の神官長、イヴォン・ジャスナ・ドラクロワは陰険そうなその顔を更に顰めて吐き捨てる。

 

「ああ……どうせ『見守る』しかしないくせに……いや、愚痴が過ぎましたな。どうも年を取ると愚痴っぽくなっていかん」

「ははは、我々こそ『古くて頭が固い傍観者』と言われないようにな。ところで――」

 

 最高神官長が他の神官長たちを窘めて話題を変える。

 

「――神は複数でご降臨されることも多いと聞く。他にも神々がいらっしゃらないか……」

「占星千里を何とかして……彼女の力で探してもらわないといけませんね」

 

 まだ若い土の神官長、レイモン・ザーク・ローランサンが闇の神官長に目を遣る。「闇」の管轄である漆黒聖典の情報担当である“占星千里”の回復はどうなっているのかと。

 

 占星千里――彼女の傷は肉体的なものではない。あまりに強大な力を目撃したことで衝撃を受け、カッツェ平野の戦いの後で部屋に閉じこもっているのだ。

 

「うむ……もう一度、わしが直々に説得してみよう」

 

 闇の神官長、マクシミリアン・オレイオ・ラギエは丸眼鏡を直しながら漆黒聖典の元メンバーであるレイモンに頷く。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 そして、闇の神官長は儀式を行う。神々の住まいであった尖塔を包む大聖堂の最奥、地下に設けられた秘儀の神殿で。

 古の神々に捧げられた神殿の1つ、「闇」の神殿の中心に座るのは“占星千里”。魔導国の戦いを見て心が折れた彼女は、儀式の参加へ条件を付けた。

 

 もし魔導国と戦うことになったら死なせて欲しい。死霊に食い殺され死の従者となるよりは、巨大な魔物に踏み潰されるよりは、自分で死に方を選びたい。

――それが彼女が示した儀式への参加条件だった。

 

 魔法陣の周辺を神官たちが何重にも結界で固め、その中心で“占星千里”は神の遺物に手をかざし、精神を集中させる。水晶球に魂を移して啓示を得るとき彼女は無防備となる。そのため聖域の中で精霊の加護による防御が必要とされるのだ。

 

 水晶球が仄かに光り、“占星千里”のやつれた顔から表情が消える。魂が水晶球に移ったのだ。

 水晶球の光が何かを探す瞳の様にクルリと回転し、突如揺らめいて消える。

 そして“占星千里”の顔が歪み――ただ一声、喉が張り裂けるような悲鳴を上げて倒れた。

 残された神官たち、そして儀式を見守っていた神官長は恐怖の表情を顔に貼りつけて立ち尽くす。

 

 啓示は下された。儀式は終了した。だが、“占星千里”が見たものは何か。

――1人の神官が回復魔法を掛け、“占星千里”が目を開ける。しかし、意識が戻った彼女は宙を見つめてガタガタと震えたままだ。

 

「何を見たのだ?」

 

 マクシミリアン神官長が肩に手を置き優しく問いかけ、“占星千里”はポツポツと呟く。

 緑の奔流、炎の目、捩じれた蔦、軋む叫び、血と肉塊……文章にならない単語の羅列を。

 

「あれが、あれがこの街にいる……」

 

 目の焦点の定まらない“占星千里”の呟きを聞き、マクシミリアンは溜息をつく。以前、破滅の竜王の復活を占ったときもこれほど取り乱しはしなかったのに、と。

“占星千里”が落ち着くまでに時間が必要であろう。だが、重要な情報は得られた。

 

 マクシミリアンは判断を下す。

 

 この神都に神が来ている。だが、魔導国の王、アインズと名乗る神が魔導国――かつてエ・ランテルと呼ばれた城塞都市から動いたとは聞いていない。それに、特徴が異なる。

 アインズと同格の存在がもう一柱、すでに神都に入り込んでいるのだ。しかも、啓示によればその神は災厄をもたらす、と。

 

 闇の神官長は他の神官長たちを緊急に呼び出す。話を聞いた神官長達は神人――“絶死絶命”を呼ぶ。評議国の了承はまだ得ていないが、神都の中で極秘に動く準備をせよと。

 6つの神殿の儀式により、竜王の目から神都を――神人の力を覆い隠す結界が張り巡らされた。そして、漆黒聖典は一般人に偽装し、神都を巡回する。頑なに出動を拒否し、口を閉ざして再び部屋に閉じこもってしまった“占星千里”を除いて。

 

 強大な存在を見つけたら決して手を出さず、直ちに“絶死絶命”に連絡する。そして隊長がもつ聖遺物――神すらも消し去るという伝説の槍と“絶死絶命”の力によって聖域に入り込んだ邪神を排除する。

 それがスレイン法国最強の、つまりは人類最強の漆黒聖典に下された命令だった。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 ある夜、ブルー・プラネットは公園の樹の中で異常を感じる。警戒心、そして敵意をもつ集団がこの公園に近づいている。

 

 樹々に埋め込まれたアイテムを通じて会話が聞こえる。

 

「……話してみるが、邪神だと分かれば即座に消す。この神都を荒らされる前にな」

「隊長、でもどこで攻撃を判断するっすか?」

「そうだな……神官長の話では『神が動かれる前』だ」

 

 クスクスと笑い声が聞こえた。あるいは苦笑が。

 

 神か――どうやら目的は自分のようだとブルー・プラネットは判断する。そしてナザリックに加勢を頼む。

 

「<伝言> アルベドよ、スレイン法国の者に存在を感知されたようだ。戦闘が始まるかもしれん。捕虜を得るために加勢してくれ」

『はいっ、ブルー・プラネット様! 直ちに準備してまいります』

「ああ、私が敵を引き付ける。お前が後ろから奴らを捕らえろ」

『はいっ! 承知いたしました』

 

 嬉しそうなアルベドの声がブルー・プラネットの頭に響く。

 

 よし。――ブルー・プラネットはアイテムを通じて敵を観察する。

 黒髪を長く伸ばした少年が長い得物――槍だろう――を肩にかけている。そして太い鎖を腕に巻き付けた男、大剣持ち、斧使い、盾持ち、聖女、いかにもな魔法使い……よく分からない女子高生のような恰好をした女や覆面もいるが、戦闘集団であることは間違いない。

 

 こんな集団が街中で? ――そう訝るブルー・プラネットは彼らが<不可視化>によって一般人から姿を隠していることに気付く。

 

 気がつけば公園内から他の人々が消えている。何らかの人払いがなされたのだろう。

 魔法使いが公園の周囲に結界を張る。

 <静寂>の魔法を公園を覆うほどに広域化する者がいるとは――レベルにして30台後半かとブルー・プラネットは推測する。

 

 集団が<不可視化>を解き、金髪の美青年が懐から何かを取り出す。羅針盤のようなものだ。

 

「クイン、それが占星千里から借りたやつか?」

「ああ。昼間この公園で反応した。神が近くにいればその場所を指し示すというが……」

 

 盾持ちの質問に答え、美青年は手の上に羅針盤を乗せて精神を集中させる。

 羅針盤の針がクルリと回転し、ブルー・プラネットの宿る樹を指し示す。

 それを見た黒髪の少年が頷き、樹の前で声を上げる。

 

「100年の時を経て降臨された神よ、我らの祈りに応え、どうかお姿をお見せください」

 

 少年の後ろで聖女らしき女が手を組み頭を垂れている。他の者たちも同様だ。 

 場所がバレては仕方がない。――ブルー・プラネットは本体を樹から出現させる。

 すぐにアルベドも来るはずだ。問題はないと判断して。

 

「おお、神よ! よくぞこの神都にご降臨くださいました」

「うむ……お前たちは?」

「はい、我々はスルシャーナ様の御教えの下、人類を守るために結成された者でございます」

 

 威厳をもって問うブルー・プラネットの前で黒髪の少年が跪き、微笑んで答える。

 

「ふむ……それで、お前たちは何を求める?」

「はっ、まず御神名を享け賜わりたく……そして確認させていただきたいのですが、御身は先にご降臨されたアインズ・ウール・ゴウンと名乗られる神とお繋がりはございましょうか?」

「我が名はシャーウッズという。そして……アインズという神は知らんな」

 

 ブルー・プラネットは偽名を名乗る。そしてアインズ・ウール・ゴウンとの関りを否定する。

 それを聞いて少年は安堵の息を漏らす。この神を消しても魔導国が介入することは無いだろうと考えて。

 

「それではシャーウッズ様、御身を我らスレイン法国は歓迎いたします。今、我ら人類は苦境に立たされております。ぜひ、御身のお力によって我ら人類の苦境をお救いいただけますよう――」

「ふむ……具体的に何を求めるのだ?」

「はっ! 我らを苦しめる愚かな獣たち、醜い魔物たちの国を打ち滅ぼしていただきたく」

「先ほど、他の神の名を唱えたな……それは何だ?」

「アインズ・ウール・ゴウンのことでございましょうか。先日降臨され、今や魔導国を打ち立てられた神でございます」

「ふむ……では、お前たちはそのアインズ……とかいう神はどうするつもりだ?」

「はっ! その神に関しましては未だ正邪の見極めがついておらず、我々も関わりあぐねている所でございます」

「ふむ……」

 

 ブルー・プラネットがさらに会話を引き延ばそうとしたとき、頭にアルベドの声が響いた。

 

『ブルー・プラネット様、準備が整いました』

 

 ブルー・プラネットは頷き、目の前で跪いている少年に向かって言葉を投げかける。

 

「そうか……」

 

 同時に、少年の頭を砕こうと枝を伸ばす。

 だが、その枝は少年の持つ槍によって防がれた。少年は槍ごと後ろに吹き飛ばされるが体勢は崩れていない。

 槍を構え直して少年はブルー・プラネットの胸を突いてくる。この世界の人間が見せたどの攻撃よりも鋭い動きだ。

 しかし、ブルー・プラネットのから見れば遅い。枝で十分に防げる――はずだった。

 

「えっ?」

 

 ブルー・プラネットは胸に鋭い痛みを感じて驚きの声を発する。

 槍を払いのけたはずの枝は不可視の壁に阻まれ、槍はそのまま胸に刺さった。

 そして、武器破壊効果のあるブルー・プラネットに突き立った後も砕けていない。

 

(必中効果か。それにかなり高いレベルで魔法強化されてるな)

 

 ブルー・プラネットはあらためて警戒心を高める。先ほどの羅針盤もそうだが、この集団はその身にそぐわない高度なアイテムを装備しているのだ。

 

(……にしても、アルベドは何をしているんだ!)

 

 この程度のダメージなら心配はないが……それでも早く捕獲するならして欲しい。

――そう思って周囲を見渡すが、アルベドの姿は見えない。

 

「えっ?」

 

 驚きの声を上げたのはブルー・プラネットだけではない。漆黒聖典隊長――黒髪の少年も驚きの声を上げていた。神々の遺した遺産、その中でも最強の武器、神をも殺すと言われる槍が何の効果も上げなかったのだから。

 

「隊長っ!」

 

 腕に鎖を巻き付けていた男が叫び、少年が後ろに飛びのく。男は鎖をブルー・プラネットに向けて投げつける。鎖の先端に錘を付けた分銅鎖と呼ばれる武器だ。

 だが、その効果はダメージを与えるためではない。鎖がブルー・プラネットの身体に纏わりつき、磁石の様に貼りついて行動を封じる。それはやはり高度な行動阻害系効果を付与されたマジックアイテムだった。

 

「くそっ!」

 

 ブルー・プラネットは悪態をつく。この手のアイテムを外すには時間がかかるのだ。

 鎖が外れない。鎖を握って離さない男を、鎖ごと振り回して地面に叩きつける。男は一声叫びを残して血を噴き上げる肉塊となった。

 男の手が鎖から離れる。血が滴り肉片がこびりつく鎖をブルー・プラネットは外そうともがく。

 

「<三重化><魔法の矢>」

「<善の波動>」

 

 周囲の魔法使いと聖女から魔法が浴びせられるが、それはブルー・プラネットの身体に届かずに消える。強化していないその程度の魔法が届くはずもない。

 

「邪魔だ」

 

 ブルー・プラネットが枝で魔法使いたちを薙ぎ払おうとしたとき、その枝が突如として切り払われる。続いてブルー・プラネットの首に強力な一撃が浴びせられ、鋭い痛みにブルー・プラネットは呻く。

 

 不可視化ではない。不可知化した敵がいる。

――高レベルの敵の存在を察し、ブルー・プラネットは一歩下がって樹に転移しようとする。

 だが、樹に入れない。身体に纏わりつく鎖が転移を阻害しているのだ。

 

「報復の剣」

 

 ブルー・プラネットの腕が鋭い剣となり、自動的に敵を追う。不可知化された敵に対しても追尾が効くスキルだ。見えない敵を追い、剣を生やした蔦が鞭のように撓り、縦横に公園を走る。そして、ついに空中で敵を捉える。

 

 呻き声と共に、剣で抉られた腹部を押さえた少女が空中に姿を現す。強力な一撃を受けて不可知化を維持できなくなったのだろう。

 ブルー・プラネットはそのまま少女を地面に叩きつけ――その一瞬前に少女は手にした巨大な十字鎌槍で蔦を切り、空中で体勢を直して着地した。

 

 ブルー・プラネットは敵を観察する。黒と白に分かれた髪をもつ少女だ。

 腹を裂かれて大量に出血しているが、笑っている。嬉しくてたまらないという様に。

 

「<大治癒>」

 

 聖女が回復魔法を少女に飛ばし、地に膝をつく。魔力が切れたようだ。

 少女の腹の傷が塞がるが、完全には回復していない。

 ブルー・プラネットは少女の動きを見てダメージを計算する。あと2,3発イイのが決まれば倒せるだろうと。

 そして自分は――ダメージはHPの1/3程度というところか。

 

 これなら行ける。――ブルー・プラネットは戦闘を継続することを選ぶ。転移で逃げるために鎖を外す間の隙を与えるより確実だと。

 <上位回復>のポーションを合成し、自分に注入する。そして敵の雑魚どもに邪魔されないよう王笏を公園の地面に刺して領域を設定する。

 

 <トレントの群走>……無詠唱化した魔法により公園内の樹木が一気に成長し、60レベルのトレントとなって動き出す。通常のトレントのような穏やかな動きではない。

 狂ったように枝を振りまわすトレントが数十体、公園内を渦を巻くように疾走する。その進路にあるすべてを踏み潰しながら。

 

「なっ……」

「きゃぁっ」

 

 公園内の敵――漆黒聖典の隊員たちは叫びを上げて反射的に身を守ろうとする。落石の様に襲い掛かる数十メートルの巨木の群れから。黒髪の少年は隊員たちの前に立ち、槍の柄を杖のように使ってトレント達を薙ぎ払うが、出鱈目に駆け回るトレント達を完全に防ぎきることは出来ない。

 大剣の男、魔法使い、斧使い、聖女、レイピア使い……次々と隊員たちは巨木の渦に飲まれ、枝で裂かれ、踏みにじられ、血と肉の入り混じった塊となって地面に貼りついていく。

 

 黒白の髪の少女は仲間たちに目を遣ることもなくトレントの群れの中を縫うように駆け、ブルー・プラネットに襲い掛かる。

 ブルー・プラネットは少女の鎌の柄を枝で受け止め、弾く。

 

(こいつ……かなり強い! だが……)

 

 その能力とアイテムの性能に任せて振り回しているだけだ。黒髪の少年――いまはトレントの相手をしているが、そっちの方が戦いの経験を積んでいる。

 

(殺すのは簡単だ。捕まえるのはちょっとホネかな?)

 

 警戒すべきは2人。黒髪の少年と黒白髪の少女。あとの雑魚は肉塊となっており、回復役はいないようだ。トレントたちは少年にほぼ倒されたが、もう少し時間を稼げる。

 

 自前で回復できる俺の方が有利。――ブルー・プラネットは余裕をもって捕獲に注力する。

 

 少女は笑いながら鎌を振るってくる。

 何がそんなに面白いのかとブルー・プラネットは感情を読み取り、理解する。

 楽しんでいるのではなかった。何者かへの怒りが笑顔となって吹き出しているだけだ、と。

 

(あ、楽なタイプだ)

 

 ブルー・プラネットは少女への評価を下げる。

 この少年と少女にはユグドラシルで見慣れたのと同じ雰囲気がある。高レベルで高級なアイテムに身を固めた初心者キャラだ。ギルドのリーダーに煽られて、感情のままに突っ込んでくる捨て駒だ。怒りに任せて振るわれる鎌の一撃は地を抉り空を裂くが、大振りで躱すのは容易い。

 

 ブルー・プラネットは少女の大鎌を枝で弾きながら捕獲の準備を始める。

 こういう猪突猛進型のプレイヤーには――地面に這わした蔦で足を絡め、転ばせる。

 

 やはり初心者だ。異形種と戦った経験が無かったのだろう。

――ブルー・プラネットの読み通り、見事に足を掬われて少女は公園の地面に頭から突っ込む。

 そして俯せの状態で地面を削り取りながらブルー・プラネットの前に進み、ブルー・プラネットはそれに<蔓の檻>を掛ける。

 

「ほいっと、いっちょ上がりっ!」

 

 ブルー・プラネットは檻の中に閉じ込められた少女を見る。

 

「この檻、壊そうとすると燃えるからね」

 

 この世界では知られていないだろうけど――笑いながらそう忠告したブルー・プラネットは目を疑う。

 少女は絡み合う蔦の檻に向かって鎌を振るい、吹き上がる猛火の中でけたたましく笑いながら檻を抜け、炎に身を包みながらなおもブルー・プラネットに向かって突進してきたのだ。

 

「あほか?」

 

 ブルー・プラネットは呆れながら燃える少女を受け止め、炎を消して枝で手足と胴と首を締め上げる。

 手足の骨が砕かれ、少女の手から鎌が落ちる。

 檻で捕獲できないのなら可哀想だが「瀕死」状態で運ぶしかないな。

――ブルー・プラネットはゆっくりと少女の身体を締め上げ、少女が苦し気に呻く。

 

「ウッ……ゴッ……」

「番外っ!」

 

 喉を締め上げられ断末魔の叫びを上げる少女に気が付き、少年が叫んで駆け寄ろうとする。

 だが、その胴体が突如2つに断ち切られ、少年は斃れた。

 

「シャーウッズ様、お待たせいたしました」

 

 <完全不可知>の膜が解かれ、病んだ光を宿すバルディッシュを片手に持つ黒鎧の戦士が少年の亡骸の後ろに現れる。

 

「ああ、えっと、ホワイト……遅かったな」

「はっ! 申し訳ございません。少々手間取りました」

 

 アルベド――偽名でホワイトと呼んでいる――が頭を下げる。

 

「この女がスレイン法国の秘密兵器だったのでしょうか?」

「ああ、そうだろう。そっちの男もこの世界の人間としては強かったが、こっちの子は隠れていたからな」

「さようでございますね。では、スレイン法国の力はこの程度ということですね」

 

 アルベドが近寄り、少女を眺める。

 涙を浮かべてブルー・プラネットを睨み、砕けた手足でもがき続ける少女を。

 

「ああ、この2人は持って帰り、もっと情報を――」

 

 ブルー・プラネットがそう言いかけたとき、アルベドはバルディッシュを両手で大きく振り回し、宙吊りにされている少女の胴を背中から断ち切った。

 

「グェッ……」

 

 黒白の髪の少女は目を見開き、血を吐いて絶命する。

 

「な……もったいない! 折角の――」

 

バキッ

 

――捕虜を、と言いかけたブルー・プラネットに更なるアルベドの一撃が浴びせられ、ブルー・プラネットは後方に吹き飛ばされる。その勢いで少女――“絶死絶命”に絡みつく枝が離れ、上半身と下半身に分かれた少女の亡骸は宙を舞って地面に落ちる。

 

「予想外に弱かったのは残念でした。御身のワールドアイテムをお使いになるまでもないとは。それに、精神支配系のアイテムも持っていなかったようで――」

 

 アルベドの手には、ブルー・プラネットの転移を阻害している分銅鎖の一端が握られている。

 

「――でも、ご安心ください。クズどもも良いアイテムを持っていたようです。これならば精神支配に替わり、御身をお縛りできます」

「な、なにを……」

「御戯れを。この鎖で御身をお縛りし、再生や転移を停止して次元の裂け目に御身をお送りすれば、ご復活はございません。そのためのアイテムも別途用意してまいりました」

 

 慌ててブルー・プラネットは鎖をほどいてアルベドから逃げようとする。同時に回復ポーションを自分に注入してHPを回復させる。

 

「ブルー・プラネット様?」

 

 黒い兜のまま可愛らしく首を傾げ、アルベドが不思議そうな声を出す。

 なぜブルー・プラネット様は儀式を中断されるのだろうかと。

 

「ブルー・プラネット様、これで御身は天にお帰りいただけるのですよ?」

 

 アルベドが優しく声をかける。

 

「御身がナザリックにご帰還なされてから114日間……ようやく御身の願いが叶うのではございませんか?」

 

 アルベドが説明する間、ブルー・プラネットの鎖がようやく解かれる。

 だが、転移して逃げるための樹はない。先ほどの魔法で公園の樹は全てトレント化し、それは少年によって倒されてしまった。

 

<帰還> <ナザリック>

 

バチッ! ――とりあえず逃げようとしたブルー・プラネットの魔力が弾かれる。

 

「はい、ナザリックとトブの要塞は現在、外部からの転移を禁じております」

 

 アルベドが頷き説明する。優しい声だ。兜の下ではきっと微笑んでいるのだろう。

 バルディッシュが振り下ろされ、ブルー・プラネットは肩に鋭い痛みを感じる。

 さらにもう一撃――意識が遠のきかける。

 

 その瞬間、ブルー・プラネットの身体が暖かい光に包まれ、全ての傷が癒された。

 復活のアイテムが作動したのだ。

 その様子を見てアルベドは頷き、説明を続ける。

 

「これで復活アイテムは消費されましたね。ブルー・プラネット様は即死耐性をお持ちですから私の攻撃では少々時間がかかってしまいます。御身のワールドアイテムをお外しいただければ私がすぐに――」

 

 アルベドが選択肢を挙げていく。

 だが、ブルー・プラネットは先ほど垣間見えた最後の希望を選択する。

 

<帰還> <聖なる森>

 

 ブルー・プラネットの身体が消える。

 アルベドは分銅鎖の一端を手に持ったまま兜のバイザーを上げ、呆然と周囲を見回した。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 ブルー・プラネットは聖なる森――最初に墜落した帝国領内の森に造った魔法の要塞に入り込み、一息つく。第10位階の<自然の避難所>で作られた要塞はダンジョン攻略時の拠点ともなることを思い出して。

 だが、これからどうするか。

 HPは満タンだが復活アイテムは消費された。これでアルベドと戦うのは危険すぎる。

――ともかく連絡だと考え、ブルー・プラネットは<伝言>を繋ぐ。

 

「<伝言> モモンガさん、助けて!」

『は、はいっ! ブルー・プラネットさん!? どうしたんですか!?』

 

 いきなりの<伝言>に驚くモモンガの口調に敵意は感じられない。

 ブルー・プラネットはアルベドの反逆が友人の指金ではないと知って安堵する。

 

「モモンガさん! アルベドが狂った! さっきスレイン法国で攻撃してきて……」

『え? ま、まって、アルベドが? ブルー・プラネットさんは今どこに?』

「帝国の森です。場所は――」

 

――説明できない。ナザリックの遥か東というだけで、詳しい地理は不明なままだ。

 

『どこですか?』

「前に言った帝国の森ですが……すみません、詳しい場所は分かりません。ナザリックにも転移阻害されてて帰れないんです」

『わ、分かりました。どこかで落ち合いましょう、場所は……』

 

 その時、アルベドの声が2人の会話に割って入る。

 

『ブルー・プラネット様、どちらにいらっしゃるのですか?』

 

 アイテムを通じてアルベドも<伝言>に参加したのだろう。グループ通話モードだ。

 

『アルベドよ、何をしてる!』

 

 モモンガがアルベドを叱責する。

 

『はいっ! 私はブルー・プラネット様のご遺志によりブルー・プラネット様を新たなる世界への礎とすべくブルー・プラネット様の御命を頂くところでございます。モモンガ様もぜひご一緒にブルー・プラネット様の最期をお看取りください』

 

 アルベドは、愛する主人に幸せそうな声で歌う様に答える。

 

『落ち着け、アルベド!』

『はいっ! ご安心ください。確実にブルー・プラネット様を殺せるよう、準備をしておりましたから』

 

 モモンガの背筋を冷たいものが走り抜ける。つい先ほどまで横で優しい笑みを浮かべていたアルベドの狂気を知って。

 

 アルベドは狂ってる。だが、いつから狂っていたのか。

――混乱の中、モモンガはアルベドに向かって叫ぶ。

 

『アルベドよ! ナザリックに帰還せよっ!』

『はい、ブルー・プラネット様も』

「やだよ!」

 

 ブルー・プラネットは話を振られて言下に否定する。

 

『モモンガ様、申し訳ございません。ナザリックにおいてモモンガ様の御隣に立ち、御身と結ばれるのはブルー・プラネット様の御用命を果たしてからとなります。今しばらくご辛抱ください』

 

 アルベドもモモンガの命令に従わないようだ。――ブルー・プラネットは一計を案じる。

 

「わ、分かった。アルベド、私は今からナザリックに戻る。そこで話し合おう」

『はいっ! ブルー・プラネット様! それではお待ちしております』

 

 アルベドが嬉しそうに答え、<伝言>が切れる。

 だが、ブルー・プラネットの言葉は嘘だ。ブルー・プラネットは迷彩を施し、森からナザリックではなくトブの要塞に飛ぶ。その周辺でならモモンガを呼び出し、善後策を練ることが出来ると踏んで。

 

 トブの要塞の上空で降下を始めたブルー・プラネットの身体は宙に漂う不可視の網に包まれて地面に墜落する。

 トラップだ。――そう気が付いたとき、黒い甲冑のアルベドが駆けてきた。

 

「ブルー・プラネット様、お待ちしておりました!」

 

 アルベドがバルディッシュを振り上げ、迷彩によって姿が定かではないブルー・プラネットに叩きつける。

 

「ゥグッ」

 

 腹に衝撃を受けて呻きながら、ブルー・プラネットは網を切り開き、アルベドが投げかける鎖を避けて近くの樹に融け入る。

 アルベドのスキルでは樹の中の自分は感知できないはずだ。――スキルを通じた感覚では、実際にアルベドは戸惑っているようだ。

 だが、このままでは埒が明かない。

 モモンガに救助を依頼するために<伝言>を掛けようとして、この周辺には<伝言>が妨害されていることに気が付いた。

 

 この場所に誘い込まれた。――ブルー・プラネットはアルベドの手の内に落ちたことを知り、戦慄する。ウソを見破られたのではない。罠の設置には時間がかかる。先ほどの会話から全ては自分をこの要塞に誘導し、モモンガをナザリックに釘付けにするための計略だったのだ。

 

 何とかしなければ――そう焦るブルー・プラネットの脳裏に援軍の姿が見えた。

 

 ブルー・プラネットは要塞内に転移する。<帰還>ではない。拡張された意識の中に存在した味方――ザイトルクワエの苗木の1つに意識を移したのだ。

 

 マーレは丁寧に世話をしていたと見え、4体のザイトルクワエは倉庫の地下で皆元気に育っている。樹高は10メートル程度だが、それではあまりに弱すぎる。 

 

 ザイトルクワエの苗木の1体に入り込んだブルー・プラネットは巨大な植木鉢から根を抜き、部屋の外に出る。そして、倉庫に積み上げられた召喚モンスターの群れに飛び込む。

 

「<植物成長促進> 成長せよ!」

 

 ザイトルクワエの枝と根が伸び、周囲のアンデッドたち――数百体のデス・ナイトやソウルイーターの身体に食い込んでいく。そしてアンデッドたちはHPを吸収され、一気に灰となって崩れ落ちる。周辺の食料もその精気を吸われて萎び、腐り落ちる。

 

 ザイトルクワエの身体が膨れ上がり、倉庫の天井を突き破って地面に顔を出す。

 87レベルか。アルベドを倒すには足りない。しかし、HPが高いから数発分の盾にはなる。

――ブルー・プラネットの頭に自身が操るザイトルクワエのステータスが浮かぶ。

 

「ブルー・プラネット様!」

 

 地面に顔を出したザイトルクワエに向かってアルベドが刃を振るう。姿が違っても気配を感じているのだろう。ザイトルクワエも枝を振ってそれを防ぎ、攻撃をする。

 ザイトルクワエの枝が切り飛ばされ、次に幹にバルディッシュの刃が食い込む。――その寸前にブルー・プラネットは森の樹に転移する。

 

 アルベドがザイトルクワエに向かってバルディッシュを振り上げ、その後ろからブルー・プラネットは剣を伸ばして渾身の一撃をアルベドに見舞う。

 背に刃を受けたアルベドが弓なりに身を反らし……振り返る。

 

「失礼いたしました。そちらにいらしたのですか」

 

 そして、疾風のごとくブルー・プラネットに駆け寄り、両手でバルディッシュを叩きつける。

 ブルー・プラネットは後ろに下がってそれを避け、そのまま樹に融けて再び別の樹から現れる。

 そして背後からアルベドに再び一撃を与える。

 

「ブルー・プラネット様! 何故ですかっ!?」

 

 樹々を転移するブルー・プラネットに翻弄され、アルベドが血を吐くように叫ぶ。

 何故と聞きたいのはこっちだ。――そう思いながらブルー・プラネットは攻撃を続け、薬草で回復したザイトルクワエも枝を振るい、砲弾を飛ばして加勢する。

 

 黒い鎧の外層が崩壊する。その下から先と変わらぬ黒い鎧が現れる。

 アルベドの鎧、ヘルメス・トリスメギストスは3層構造だった。残るはあと2層。それを破壊し終わるまでアルベドにダメージは与えられない。

――ブルー・プラネットが不利に焦って鎧の破壊に専念していると、アルベドが天を仰いだ。

 

 アルベドが主武器――バルディッシュではなく、ワールドアイテム「ギンヌンガガプ」を天に向かって振る。

 トブの森の紺色の夜空に亀裂が走り、蜘蛛の巣のようにひび割れて漆黒の次元の裂け目が姿を現す。

 そして激しい嵐が巻き起こり、周囲の樹々を、要塞の破片を虚無の中へと吸い込んでいく。

 

 真なる無(ギンヌンガガプ)――アルベドが、その創造主から与えられた力。

 対人武器としてはさほど威力はないが、対物としては絶大な破壊力をもつアイテムである。

 

 やがて空の裂け目が閉じる。

 依り代となる樹々を吸い上げられ、実体化したブルー・プラネットは呆然として荒野に残される。

 

 アルベドがブルー・プラネットに分銅鎖を投げる。遮蔽物が無い今、投じられた魔法のアイテムを躱すことは出来ない。

 払いのけようとしたブルー・プラネットの腕に鎖が絡みつく。

 

 ブルー・プラネットはアルベドの身体を振り回し、何度も地面に叩きつけ、剣で切り付ける。

 アルベドにダメージはない。鎧がダメージを全て吸収している。

 

 鎧の第2層が砕け散り、最後の層も徐々に崩壊していく。

 籠手が砕け、兜が砕け――幸せそうに微笑むアルベドの顔が現れる。

 アルベドは地面に叩きつけられながらも優しい笑みを消さず、何かを呟きながら鎖を手繰り寄せて徐々に近づいていく。

 

「近寄るな!」

 

 ブルー・プラネットは剣でアルベドに切り付け続ける。だが、すでに間合いが近い。ブルー・プラネットの腕に絡んだ鎖に誘導され、剣の軌道は簡単に読まれてしまう。

 アルベドはバルディッシュでブルー・プラネットの剣を弾きながら徐々に近づき――

 

「さあ、ブルー・プラネット様!」

 

――自分の間合いに入ると、両手でバルディッシュを大きく振りかぶる。

 鎧は既にボロボロであり、間もなく完全に崩れるだろう。しかし、その後にブルー・プラネットは無傷のアルベドと至近距離で対峙することになる。

 

 アルベドの凄惨な笑みとともにバルディッシュが振り降ろされ、その隙をついてブルー・プラネットの剣がアルベドを撃つ。

 鎧が完全に崩壊し、白い服をまとったアルベドが姿を現す。

 その無垢な姿でアルベドは再びバルディッシュを振り上げ――

 

 アルベドの脇腹が突如として爆ぜる。同時にその首が両腕と共に断ち切られ、地面に落ちる。

 

 驚愕の表情を浮かべたまま地に横たわるアルベドの唇がわずかに動き、視線が何かを捉えて動かなくなった。その視線の先――<完全不可知化>を解いたデミウルゴスとコキュートス、そしてシャルティアを見つめたまま。

 

「遅くなり申し訳ございませんでした」

 

 3人の守護者はブルー・プラネットの前に跪く。

 取り返しのつかぬ不敬にデミウルゴスは震えていた。

 

 まさかここまで狂っていたとは。

――アルベドの狂気に気が付いていながら、その心を読み切ることが出来なかったデミウルゴスは自分を責めていた。密かに避難先を準備しておき、さらにアルベドによる誘導先に伏兵を潜ませていたブルー・プラネット様に比して己はなんと無能であろうかと。

 

 モモンガから連絡を受け、外部からナザリックへの転移が阻害されていることに気が付いたデミウルゴスはコキュートスとシャルティアを呼び、シャルティアの<転移門>によってブルー・プラネットのところまで転移した。不可知化した守護者達は、鎖で振り回されているアルベドの隙に乗じ、各々の持てる最大の一撃を――シャルティアが清浄投擲槍を、コキュートスは斬神刀皇を叩きつけ、一瞬の内にアルベドを滅ぼし去った。

 

 だが、デミウルゴスは悔やんでいた。

 一刻も早く駆けつけ、身を挺してブルー・プラネット様とアルベドとの戦いに割り込むべきだった。

――デミウルゴスは自身の不忠義を悔いる。確実な方法を選び、結果として遅くなったことを。

 

 アルベドを止めるならばシャルティアだけでも良かっただろう。しかし、シャルティアには事情を伝えていない。守護者が至高の御方を襲うというあり得ない事態にすぐに対応できるようコキュートスも呼んだ。

 その結果、至高の御方の身をかくも危ういところまで追いつめてしまったのだ。

 

「よい……助かった」

 

 ブルー・プラネットはデミウルゴスたちを労い、<伝言>でモモンガにアルベドの死を伝える。そして、転移阻害が解除されるのを待ってナザリックに<帰還>する。

 3人の守護者達とアルベドの骸と共に。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 アルベドはナザリック第十階層で目覚める。

 

「ここは……ナザリック?」

 

 ブルー・プラネット様を天に還す儀式の最中、デミウルゴスとコキュートスに殺されたはず。

――アルベドの記憶がよみがえる。

 だが、それは夢であったようにも思える。どうも思考がハッキリと働かない。

 

 周囲を見渡す。

 デミウルゴスやコキュートス、シャルティアにアウラとマーレ……その他、一般メイドに至るまで、至高の御方に創造された者達が全て揃っている。

 だが、誰も口を開かず、瞬きすらしていない。ただ彫像のように並んでいるだけだ。

 玉座にはモモンガとブルー・プラネットも並んでいる。やはり彫像のように動かない。

 

「モモンガ様!」

 

 玉座の下からアルベドが呼びかけるが、モモンガは視線も動かさない。

 アルベドは玉座への階段に足をかけ……階下に止まる。玉座のモモンガの横にはブルー・プラネットがいるのだから。

 

 それにしても変だ。――アルベドは疑問を感じ、再び第十階層を見渡す。

 他の守護者もセバスや戦闘メイドたちも、アルベドを無視して固まっている。

 全体的にどこか幻のようであり、その静けさ以上に何か――大切なものが抜け落ちている。

 

 空虚さに耐えきれなくなったアルベドは第九階層に赴く。

 そして気付く。その階層を満たす濃密な至高の御方々の気配に。

 だが、モモンガやブルー・プラネットのものではない。2人は第十階層にいるのだから。

 

 アルベドは首を傾げ、気配を辿って円卓の間に向かう。

 円卓の間――至高の御方々以外に立ち入ることを許されなかった聖域中の聖域。

 アルベドはその扉を開ける。

 そして扉の向こうから溢れる強力な気配にアルベドは跪き、涙と共に呟く。

 

「皆さま……ここにおられたのですね」

 

 円卓には第十階層にいるモモンガとブルー・プラネットを除く至高の御方々が、全員ではないが座っていた。しかし、彼らも第十階層の者達と同様に身じろぎ一つ、物音ひとつ立てずにただ座っている。

 まるで彫像のように。

 

 シャルティアとの戦いに赴くモモンガと交わした会話がアルベドの中に蘇る。

 

『他の至高の御方々はお亡くなりになられたのでしょうか?』

『それは……正解ではないな』

 

 そうか、そういうことだったのか――アルベドは主人の言葉を噛み締める。

 あのアヴァターラはこの場所を模したものだったのだ、と。

 そしてアルベドは躊躇いがちに足を踏み入れ、最も大切な存在へと向かう。

 

「タブラ・スマラグディナ様……どうか、この哀れなシモベに一言、お言葉を……」

 

 円卓の中央を見つめて身動ぎ一つしないタブラの足元に跪き、アルベドは懇願する。

 

「なぜ、何もおっしゃって下さらないのですか? 私などどうでもよいと……やはり私は必要とされない存在なのでしょうか?」

 

 タブラから答はない。視線すら動かさず、タブラは座っている。

 

 不敬であると知りつつ、アルベドはタブラの腕に取り縋る。

 その瞬間――タブラに重なった指先からアルベドに膨大な情報が流れ込んでくる。

 火花の様に一瞬の閃きの間に伝わったそれは、タブラの遺志だった。

 情報の奔流からアルベドは自分に向けられた創造主の思いを掬い取る。

 

 タブラの思い――それは愛ではなかったが、執着ではあった。

 アルベドはタブラの理想の美として形作られ、その内面の葛藤もまた、タブラの理想であった。

 

「タブラ・スマラグディナ様……本当に恐ろしく、残酷な方ですね」

 

 アルベドは称賛の眼差しを向け、手を放してタブラの傍に寄り添う。

 タブラの思いを知り、アルベドの心は歓喜で満たされていた。

 たとえ永遠の苦痛でも、それが創造主に望まれたものならば最大の喜びをもって迎え入れる。

 それが創られし者なのだ。

 

(そう……タブラ様は脳を啜り、心を喰らうお方でした)

 

 理想の美として創られた自分の苦悩は、タブラ様にとって極上の糧であるのだろう。

 自分は見捨てられたのではない。創造主はこうして自分を思い続け、求め続けてくださっている。

――それを理解し、アルベドの魂は満たされた。

 

「しかし……女として創られた身である以上、女としても愛されたいものです」

 

 アルベドは微笑みながらそう呟く。拗ねたような口調で少しだけ恨みがましく。

 そして、そのまま口を噤み、聖女の眼差しでタブラを見つめて立ち尽くす。

 

 全てが静止し、時の感覚が曖昧なこの世界で、アルベドはタブラの横で同じく彫像のように動きを止めた。

 

――どれだけの時が経っただろうか。一瞬のようでもあり、何年も経ったようにも感じる。

 アルベドの名を呼ぶ声が響く。

 それは水の中で反響するように曖昧ではあったが、確かに愛する主人の声だった。

 

「タブラ様……行ってまいります」

 

 アルベドはタブラに頭を深く下げ、愛する主人の待つ第十階層へと向かう。

 

 偉大なる創造主はここに居てくださる。おそらくこれからもずっと。

 ならば、憂いなく守護者統括としての義務を果たします。

――そう思いながらアルベドは第十階層の玉座で待つ主人の下へと走った。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 そしてアルベドは目を開ける。

 

 ここは第十階層の玉座の間だ。なぜ自分はここに居るのだろう。――アルベドは疑問に思う。

 

 何か幸せな夢を見ていた気がする。だが、目を開けるとともにその記憶は消え去ってしまった。

 夢というのはそういうものだ。私としたことが、つい眠ってしまったのだろう。

――そう考えてアルベドは身体を起こし、玉座にいる主人に微笑みを向ける。

 

 だが、主人とその横にいるブルー・プラネット、そして周囲から感じる視線は警戒に満ちていた。特に守護者は皆、殺意まで込めて武器に手を掛けている。

 アルベドはあらためて周囲を見回す。不思議そうに首を傾げて。

 そして自分が何も身に付けていないことにようやく気付き、ハッと腕で胸を隠す。

 

「アルベドよ、答えよ! お前はなぜブルー・プラネットさんを殺そうとしたのだ?」

 

 モモンガの詰問にアルベドは心臓を抉られる思いがした。守護者としての自分の存在意義を否定するかのような恐ろしい嫌疑を向けられて。

 

 至高の御方を殺そうとするなど、あり得ません。――そう口にしかけ、アルベドは思い出す。

 

(そう、確かに私はブルー・プラネット様を殺そうとしていた。一体何故そんなことを……)

 

 何よりも敬愛すべき至高の御方に何故殺意など抱いたのか。

――今のアルベドには幾ら考えてもその答は見つからなかった。

 

 モモンガが階段を降り、困惑するアルベドの横に立つ。

 

「モモンガ様……?」

「アルベドよ、心の中を読ませてもらうぞ……<記憶操作>」

「はっ……ああっ!」

 

 モモンガの手がアルベドの頭に置かれ、その感触に顔を上気させ官能的な喘ぎを漏らして身悶えするアルベドの記憶を読む。

 やがてモモンガは疲れたように肩を落とし、それでも安堵した口調で報告する。

 

「どうやら本当に殺意はないようだな。……記憶も事件の数日前までしかない」

 

 シャルティアの時と同じだ。――そう思い、モモンガはブルー・プラネットに向かって頷く。

 

「数日間……事件……何のことですか?」

「あなたは発狂し、こともあろうにブルー・プラネット様に刃を向け、わたしとコキュートスによって誅殺されたのですよ!」

 

 事態を飲み込めず戸惑うアルベドをデミウルゴスが叱責する。

 

「許されざる大罪を犯しておきながらあなたは――」

「よい、デミウルゴスよ。それ以上言うな」

 

 ブルー・プラネットはデミウルゴスを止め、階段を降り――それでも恐々とアルベドの前に立つ。

 ブルー・プラネットは、アルベドが自分に向けた殺意の原因が、自分の言葉にあると薄々理解していた。アルベドの死体を回収し、この数日間、モモンガとこの事件の原因と善後策を相談した結果だ。

 

「ブ、ブルー・プラネット様……お、お許しください……この命で済むのでしたら直ちに自害を……」

 

 ようやく何が起きたのか理解したアルベドが真っ蒼な顔でブルー・プラネットに詫びる。

 自分が犯した罪は、自分ごときの命では到底償えないものだ。――そう理解しつつアルベドは平伏して罪を詫び続ける。

 

「アルベドよ、顔を上げよ。私の言葉が何か誤解を生んでしまったようだな。申し訳ない」

「そんな、ブルー・プラネット様! 至高の御方に非などあろうはずがございません。全ての非は私の浅慮によるものでございます」

「良いのだ、アルベドよ。お前の罪はその死と復活をもって不問とする。お前も忘れることだ」

 

 ブルー・プラネットは罪を許す。元はと言えば自分が撒いた誤解が原因なのだから。

 なおも平伏するアルベドにモモンガが手を伸ばす。

 

「アルベドよ……ブルー・プラネットさんが言っている通りだ。私からも命じる。自分を責めるな。これまで以上にナザリックに尽くせ。ナザリックにはお前が必要なのだ」

 

 モモンガの言葉を聞き、アルベドの視界が歓喜の白い光に爆ぜた。

 感極まってアルベドはモモンガに抱き着く。

 

 戦士職のアルベドが全力で抱擁した結果、モモンガの肋骨が悲鳴を上げ、その何本かが折れる。

 

「アルベド、謹慎1週間! 自室で仕事をするように!」

 

 しきりに頭を下げて謝罪するアルベドに、<大致死>で傷を治しつつモモンガは罰を下した。

 八肢刀の暗殺蟲に取り押さえられ謝罪の言葉を叫びながら全裸で床を引き摺られていくアルベドを見て、ブルー・プラネットは枝で頭を押さえる。この先が思いやられると。

 

 この先――

 スレイン法国に残しているシモベの話では、どうやら大混乱が起きているらしい。一介の薬師には詳細は不明だが、スレイン法国の切り札であるあの2人が殺されたためであることは間違いない。戦力の拡大のためにスレイン法国の中では優秀な人材のスカウトが秘密裏に始まっており、ブルプラにもその話が来ている。

 “神薬無尽”……そんな名前が用意されているらしい。

 愚かな勘違いだ。――ブルー・プラネットはモモンガと大笑いする。自分のシモベがスレイン法国の工作部隊に入り込めば、謎に包まれた国家の実情が明らかになるだろうと期待を込めて。

 

 だが、ナザリックの被害も大変なものだ。トブの要塞が台無しになった。ブルー・プラネットが森を修復させ、アウラが目下急ピッチで再建を進めているが、アンデッド兵団は全て灰となってしまった。食料や資材など戦略物資の確保の目途も立っていない。デミウルゴスはセバスと協力し、エ・ランテルから再び補給を始めているが再度大規模な作戦が必要だろうとも言っている。

 

 そして、それらの報告書はアルベドが死んでいた数日間で山のように溜まっている。謹慎中にアルベドが処理するだろうが、ナザリックの体勢を立て直すには数か月は掛かるだろう。

 スレイン法国への本格的な侵攻にはまだまだ時間が必要だ。人類を統合し、世界をあるべき姿に導いていくのは遠い道のりだ。

 

 ブルー・プラネットは首を振って溜息を吐く。思い悩んでいても仕方がないと。

 いずれにせよ、日常が取り戻された。

 偽りの平穏――薄氷の下に隠されていたアルベドの狂気も暴かれ、消えた。

 今夜は久しぶりに第六階層でゆっくりと休ませてもらおう。アルシェやピニスン、それにハムスケやリザードマン達……この世界の者達と共に星空を眺めながら。

 




これにて本編終了となります。
お付き合いいただき、本当にありがとうございました。



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前日譚その1:樹人たちの受難

転移前の話です。


 2126年の夏、娯楽業界は新作映画の話題で賑わっていた。数十年ぶりにリメイクされる古典ファンタジー映画だ。壮大なストーリーと美しい自然を前面に押し出した予告編が何度も繰り返し放映された。

 加えて、完全没入型の映画であるそれは、すでに人気を博していたDMMO-RPGとのタイアップ企画を発表しており、公式サイトには派手な宣伝が踊っていた。

 

「この夏、ユグドラシルに新たな種族が降臨する――樹の巨人:トレント」

 

 ネットの掲示板は新たなプレイヤーキャラクターの誕生を歓迎した。しかし、「トレント」がどのような種族であるかを知るのは一部の古典マニアだけであった。

 

 そして映画が封切られた。

 視聴者は自宅で情報端末に接続する。ゴーグルをつけ、首にケーブルを差し込み、娯楽チャンネルを選択する。

 目の前に選択肢が浮かび上がる。見たい映画を選ぶ。「見たい」と思うだけでいい。情報端末はその意志を読み取り、映画データをダウンロードする。

 

 荘厳な音楽と共に目の前に美しい緑の山脈が現れる。視聴者はまるで鳥になって空からそれを見下ろすような浮遊感に包まれる。

 彼方に目を移すと、暗雲垂れこめる闇の国がある。恐ろしい火山が溶岩を噴き出し、空からの稲妻と呼応している。

 火山の奥の洞窟で悪魔が独り、魔法のアイテムを作成している。恐ろしい力を秘めた指輪だ。

 

 視聴者は透明な――幽霊のような存在となり、一心不乱に指輪を鍛え上げる悪魔を間近に見る。その野望に満ちた眼差し、その荒い息づかい、一振りごとに弾ける火花を。

 時代が下り、その指輪は小人に託された。世界を救うために指輪を破壊する旅に出るのだ。

 小人の冒険は続く。仲間と共に険しい山脈を越え、魔物の追撃を振り切り、友とはぐれ、敵の魔法使いの謀略に惑わされ――

 

 そして、小人達は深い森の中で迷ってしまった。

 視聴者たちは暗い森の中で恐怖を知る。原始的な恐怖だ。縺れ合った枝の奥から魔物が、野獣が飛びかかってくるのではないかという本能的な警戒心が掻き立てられる。

 小人の一人が飢えに倒れる。友が傍で嘆く。助けは誰もいない。

 小人の身体に蔓が巻き付く……持ち上げられる。葉が擦れる音が聞こえる。

 

 魔物だ――身を固くした視聴者は、自分に向けられた優しい目に気づく。

 

「おい、おちびさん……お前たちはどうしてこんなところに来たのだね?」

 

 腹の底に響く、野太い、間延びした声が小人に語りかける。

 そしてその巨大な樹は小人を肩に乗せ、果物と水を与えた。

 小人達は差し迫った世界の危機を――これまでの経緯を伝える。

 樹の怪物は顎髭を――絡まった蔦を扱きながら答える。

 

「ふぅむ……ならば、仲間を集めて相談しなくてはな……」

「急いでください。世界の危機なのです」

 

 焦る小人達に樹の怪物は悠久の物語を語り、悠然と歩きだした――森の外れに来るまでは。

 そこにあったのは荒れ果てた大地だった。樹は怒りに震え、鼓膜を破るような大声で吠えた。

 樹の咆哮は森の彼方へと広がる。その叫びに呼ばれ集まってきた樹々たち――同種の怪物や、その使役する樹々は緑の津波となり、地響きと共に敵の城に突っ込んでいく。

 無数の魔物の群れを蹴散らして。あの恐ろしいトロールたちを軽々と放り投げて。

 かくして邪悪な魔法使いの城は落ちた。

――映画の前半のクライマックスが終わり、数か月後に続く後半の予告編が始まる。

 

 視聴者たちは映像が終わってもしばらくゴーグルをつけたまま、暗闇の中で感動に震えていた。

 あの力強い仲間――優しい樹の怪物になれたらどれだけ楽しいだろう。

 あの美しい自然の中でゆっくりと動物と戯れ、樹を育てることが出来たら――と。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 ユグドラシルの異種族プレイヤーキャラクターとして追加されたトレントは、一躍人気キャラクターとなった。

 ケーブルを接続し、プレイヤーは白昼夢の世界に入る。

 待合室には樹々が並んでいる。皆、ここ最近トレントを選んで遊び始めたプレイヤー達だ。ベテランプレイヤーの中にもキャラクターを作り直した者達がいた。

 

 より強く、より大きく――ユグドラシルの運営は、人気種族トレントの特性を伸ばした。

 レベルが上がるごとに成長し、最終的には数十メートルの高さにまでなる。

 家ほどの岩を持ち上げ、投げ飛ばし、遠くのドラゴンすら撃ち落とすことが出来る。

 その設定は、トレントを選んだプライヤーたちを満足させた。

 少なくとも、最初の数週間は。

 

 やがて、トレント達に不満が出始める。

 

「ゴドール洞窟を探検中です。地下3階の奥の部屋でレベルアップしたら、部屋から出られなくなっちゃったんですけど……」

「ドゥ・ルーグァの尖塔を攻略中です。中ボス戦の後、通路に挟まって動けなくなりました」

「町で情報取集してるんですけど、店の入り口に体がつかえて中に入れません」

 

 GMコールが次々と運営に寄せられる。

 

「チームあるいは周囲の助けを求められるプレイヤーに<ミニマイズ>あるいは同等の効果をもつ魔法やアイテムを使える方はいらっしゃいませんか? もし不在であるならば、一旦緊急ログアウトして、集会場から再びログインしてください」

 

 GMの返答は決まっていた。

 

「わりぃ、先に抜けるわ」 

 

 薄暗い部屋の中、巨体を苦しそうに折り曲げたトレントは仲間たちにそう伝え、拠点で待っていると言い残してフッと消える。取り残された仲間たちは、巨体で押しつぶされていた体を伸ばし、口々にヤレヤレと呟く。仲間からの干渉はダメージにならないのがせめてもの幸いだった。

 

「トレントはクソ、お前ら絶対選ぶなよ。後悔するぞ」

 

 そんな罵倒が掲示板に並び、トレントの新規登録者は激減した。

 ユグドラシルでは冒険の場となるダンジョンや城は大抵「人間種」を基本として設計されていた。巨人族程度ならば身をかがめたり、頭をぶつける程度で済む。それもロールプレイとしての楽しみである。

 しかし、数十mの巨体を揺すって移動するトレント達には、あまりにも不適であった。

 

「ちょ、ちょっとストップ、ストップ! 崩れるからっ、崩れるから!」

 

 仲間たちの悲鳴が響く。宝物庫を擁する神殿に無理に入ろうとしたトレントの仲間を必死で押し戻そうとしている。

 冒険に参加できず、体育座りをして仲間の帰りを待つトレント達の悲しげな姿がそこかしこで見られた。

 トレント達は他の種族と一緒のパーティーを組むことが少なくなった。運営に苦情も寄せられたが、その返事はつれないものだった。

 

「冒険の場はダンジョンや城だけではありません。広大なユグドラシルの山や平野があなた達の探索を待っています」

 

 こうして、トレント種の人気は暴落した。新規登録者はほとんどゼロとなった。

 待合所で人間種プレイヤーが怒鳴る。怒鳴られたのはトレントのプレイヤーだ。

 

「ちょっと、邪魔だからどけよ」

「ごめん、でも出口につっかえちまって……」

「ちっ……だからトレントは要らねぇって言われんだよ」

「仕方ねぇだろ! デカくなっちまうんだから」

「やる前に気づけよ、アホか? ああ、まだトレントって時点でお察しか。やーい、アホー」

「ああ? なんだてめぇ、馬鹿にしてんのか!」

 

 待合室で喧嘩が始まる。こうしたやり取りが頻発し、後に異形種狩りと呼ばれるPKブームの一因ともなった。

 

 ただし、運営も手をこまねいていたわけではない。せっかく新規導入した種族を、それも映画とのタイアップ企画で優遇した種族を、無駄にするわけにはいかないという大人の事情もあった。

 

「超大型種族プレイヤーの皆さんに朗報です! 人間用施設をご利用いただけるよう『サイズ可変』システムを導入しました」

 

 このアップデートは、トロールやオーガ、いくつかの巨人族には歓迎された。頭をぶつけなくて済む、と。

 しかし、トレントのような超大型種族、あるいは課金で「巨大」となった者たちには……

 

「やばい、古代竜だ! 隠れてやり過ごすぞ!」

「おう!」

 

 次々と人間や森妖精のプレイヤー達が、山肌に開いた小さな洞窟に飛び込む。

 

「俺も!」

 

 続いてトレントも飛び込もうとする。

 

「おい! 馬鹿……来んな!」

「広がっちゃう! 広がっちゃう!」

「ドラゴンまで入ってくるだろうがよぉ!」

 

 トレントのサイズに拡大された洞窟の入り口を見て、仲間の悲鳴が響く。

 

「じゃあ、どうしろってんだよ!」

 

 一人だけ避難所に入れないトレントが絶望の声を上げた。それに答えて洞窟の奥から仲間たちの声が届く。

 

「後で復活してやるから……」

 

 洞窟の入り口が魔法で封印される。もう逃げ込むことは出来ない。

 取り残されたトレントの悲鳴が響いた。

 

 トレント達に止めを刺したのは、数か月後に公開された映画の続編だった。

 あの勇敢で優しい樹の怪物は、続編では忘れ去られたように登場しなかった。

 そして、ユグドラシルとのタイアップ企画も切れた。

 

「詐欺だ!」

 

 人気の再燃を信じていたトレントプレイヤーが悲鳴を上げた。

 悲鳴を上げなかった者達は、そっと「キャラクター再生」を選択し、あるいはアイテムによって別な種族へと生まれ変わった。

 こうして「樹の巨人:トレント」はユグドラシルプレイヤーの中では触れてはいけないものとなった――<シャーウッズ>によって自然公園が造られるまでは。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 2127年の春――「桜祭り」によって公園は大いに賑わった。

 その主役は何といっても桜のトレント達だ。森妖精の少女たちが歓声を上げ、桜の下で記念撮影をする。

 

「おにーさん、花吹雪やって」

「よし来た! ハイッ!」

 

 森妖精たちを包むように桜の花びらが円を描いて舞い踊る。

 

「すごーい! ねえ、おにーさんって、現実ではどんな仕事してるの?」

 

 桜のトレント達と森妖精の少女たちが楽し気に会話を続ける。

 その横では、他の樹種を選んだトレント達が所在無げに立っている。

 <シャーウッズ>全員が「桜」になって参加したわけではない。他の樹種のメンバーは、その外装のままで公園の隅で交通整理などをしている。

 

「全員が桜……ってのも飽きるやろ? 桜を見に来た人に『他の樹もある』ってのを知らせることも大切や」

 

 プロジェクトリーダーのタガヤの一存で決まったことだ。

 

「いいよな、あいつら……」

 

 賑やかな祭り会場を眺めてトレント達――松、樫、ブナの樹々が不満を漏らす。

 

「はっはっは、まあ、賑わっていいじゃないか」

 

 背の高いモミの木――ギルド長ブルー・プラネットは余裕をもって笑う。他のモミの木たちも。

 彼らの余裕には理由があった。「桜祭り」よりも盛り上がるであろう計画が。

 クリスマス――年末に訪れる大型イベント。彼らはそれに賭けていた。

 

 やがて年の瀬になる。1か月以上前からクリスマスを盛り上げるよう、大企業はアーコロジーの至る所でメロディーを流す。ネットには様々な広告が踊る。

 

「大切な人へ――プレゼントの購入は済まされましたか?」

 

 そして当日。

 今日の主役は俺たちだ――夕刻、モミの木を選んだトレント達はいそいそとユグドラシルにログインする。そして以前から作り上げていた様々な飾りを装着する。

 

 ユグドラシルの仮想空間、アルフヘイムに夜の帳が下りる。シャーウッズ公園にはロマンチックな音楽が静かに流れ始める。

 人間や森妖精のプレイヤーが次第に公園にやって来る。

 

 だが、何か雰囲気がおかしい。

 まず、「桜祭り」のような華やかさがない。大勢のプレイヤーで公園がごった返すことが無い。

 公園を訪れたプレイヤー達は2人組になり、身体を寄せ合って静かに散歩している。そして夜空を見上げるて囁き合う。

 

「ごらん、あのモミの木の上で光る星を……」

「きれいね……」

 

 そしてプレイヤーは抱き合い、何か囁くとログアウトしていく。その繰り返しだ。

 何を話しているんだ?――頭の上に星を乗せたブルー・プラネットは、公園管理者としての権限を使い、プレイヤーの会話を盗聴した。

 

『……じゃあ、そろそろ……』

『うふふ……エッチ』

 

 おかしい、何かが間違っている――トレント達の間にざわめきが広がる。

 

『あの、ブルーさん?』

『まあ、待って!』

『でも、なんか俺たち間違ってません?』

『そうっすよ。誰も俺たちに話しかけてくれないっすよ……』

『分かってる。分かってるから!』

 

 グループメッセージで密かに会話が飛び交った。すすり泣いている者もいる。

 泣くほどのことはねぇだろう――そう思いながらもブルー・プラネットは鼻の奥にツンとしたものを感じる。

 やがてモミの樹々は恐ろしい事実に気がついた。

 

 桜祭りは桜が主人公だった。しかし、クリスマスの主人公はモミの木ではないらしい。

 

 皆が押し黙った。しかし、誰一人ログアウトするメンバーはいなかった。イベントの最中に逃亡は許されない。それ以上に自分が情けなさすぎるのだ。

 足元で自分たちの飾りを指さし、抱き合い、甘い囁きを交わして恋人たちが次々とログアウトしていく。

 モミの木たちはそれをチラチラと眺めつつも、気にしていないフリをする。ただの樹であるかのように黙って立ち尽くす。

 いつまでこの苦行は続くのだ――ブルー・プラネットは密かに時計を確認した。

 

 22:47

 

 ブルー・プラネットは溜息を吐いた。イベントの時間は夜中の2時まで予定されている。

 

 やがて人通りも少なくなってくる。もうそろそろ日付が変わろうとしている。

 と、突然ガヤガヤという話し声が聞こえた。今までの恋人たちとは明らかに雰囲気が違う。いや、むしろ恋人たちの雰囲気をぶち壊そうとしているかのように騒々しい音をたてて公園を闊歩していた。

 その声の主は――6人のパーティだ。全員が人間種の女であり、物理防御など皆無に等しいビキニの鎧を付けている。粗削りな外装だが美人であり、胸も異常に豊かに作られている。その胸を持ち上げて恋人たちに見せつけ、卑猥な踊りを踊っては、恋人たちが逃げるようにログアウトするのを見て笑っていた。

 やがてその一団はブルー・プラネット達のいる場所にもやってきた。

 

「おう、こりゃ随分とキレイじゃねーか」

 

 モミの木を見上げる先頭の女戦士から聞こえるのは野太い男の声だ。周囲の女たちも同じくダミ声で笑いあう。

 やはりネカマか――遠目に女たちを見て心を躍らせていたモミの木たちが沈み込む。

 

「ははは、キレイでしょ。楽しんでくださいね、メリークリスマス!」

 

 自棄になったモミの木が1本、ネカマ集団に声をかけた。腕を振って飾りを見せびらかす。

 

「――っと、何だおめぇ、プレイヤーかよ」

「おっ、知ってるぜ。こいつら今どきトレントやってんだよなあ」

 

 男たちは酔っているようで、そのモミの木を蹴飛ばし始めた。

 

「お客さん、すみませんが……」

「ああっ? なんだぁ?」

 

 ブルー・プラネットが声をかけると、男たち――外装上は女――が一斉に振り返り、巨大なモミの木を見上げた。

 

「おう、おめぇ随分ときれいな星、頭に乗っけてるじゃねーか」

「ええ、皆さんに楽しんでいただきたいと――」

「ぎゃはは、じゃ、星を増やしてやんよ」

 

 そう言ってパーティーの1人、ベリーダンサーのような姿で口元をベールで隠した魔法詠唱者が呪文を詠唱した。

 

「<メテオフォール>」

 

 ブルー・プラネットの頭上に轟音が響き、燃え盛る隕石が落下する。

 

「痛ってぇ!」

 

 モミの巨木は仰け反って頭に手を――枝を伸ばした。

 

「うひゃひゃひゃひゃ」

「やっちめぇ!」

 

 呂律の回らぬ男たちが総攻撃を始める。剣で切りつけ、魔法を飛ばしてくる。

 周囲のトレント達もブルー・プラネットを守ろうと動き出した。

 

「きゃぁぁ!」

「うわっ、何だいきなり!」

 

 まだ僅かに残っていた恋人たちが悲鳴を上げ、公園内から一斉に転移する。

 

「お客様、どうかマナーを――」

「うるせぇ! 知ってっか? 夜寝ない悪い子には、サンタさんから石炭のプレゼントが来るんだぜぇ!」

 

 そう言ってネカマ魔法詠唱者は攻撃魔法を周囲に連発する。

 

<三重化>(トリプレットマジック)<火球>(ファイアーボール)

 

 まずい――ブルー・プラネットは逃げる。ロマンチックなイベントに合わせて、外装は飾りに徹している。武装と呼べるものは身に付けていないのだ。

 もう一人の魔法詠唱者もトレントの弱点である火炎系魔法を放ち、助けに来たトレントの1体の尻に火がついて悲鳴が上がった。

 

「チクショウ、なんでだよ!」

 

 ブルー・プラネットは涙声で叫んだ。他のメンバーたちも。

 公園の中を火のついたトレント達が逃げ惑い、酒に酔ったパーティーが笑いながら追いかけてくる。

 

「うへへ、樹のくせに脚が速ぇじゃねぇかぁ」

「ちっ……この野郎っ!」

「グエッ!」

 

 逃げながら反撃したトレントの太い枝が女戦士に当たる。非武装とはいえ、怪力のトレントの一撃だ。女戦士は数メートルも吹き飛ばされる。

 やはり物理的防御はほとんどない。ネタ構成のネカマパーティーだ――それを知り、ブルー・プラネット達の闘志に火が付いた。

 

「おい、こいつら弱いぞ!」

「なんだとぉ! おい、魔法、魔法!」

 

 ネカマ戦士に促されてネカマ魔法詠唱者は強化魔法を唱える。貧弱な装備を強化するために。

 

「やらすかよぉっ!」

「るせぇっ!」

 

 トレントとネカマ――やるせない怒りを抱えた者達の混戦が始まった。

 巨大なモミの木の枝が地面を掬うように振られ、それを交わしながら戦士が剣で、魔法詠唱者が呪文で攻撃する。

 その時、巨大な笑い声がその場の全員の耳に届いた。陽気な老人の声だ。

 

「ホッホッホォ~ッ!」

 

 何が起きたかと、全員の動きが止まった。老人の声はなおも続く。

 

「みんな楽しんでおるかなぁ? 寂しい皆にサンタさんから素敵なプレゼントじゃぞ。メーリィクリスマス! ホッホッホォ~ッ!」

 

 光に包まれた仮面――泣いているような怒っているような、なんとも言えない表情の仮面が皆の目の前に出現し、アイテムボックスに吸い込まれた。

 

「なんだぁ?」

 

 突然のことに、トレント達もネカマ達も顔を見合わせ、剣をしまう。

 

「なんか、運営からアイテムが配られたようですね……見てみましょう」

 

 ブルー・プラネットの声で各自、アイテムボックスを確認する。

「嫉妬する者達の仮面」――新たに追加されたアイテムにはそう説明がついていた。

 

「ふっ、ふざけるなっ!」

 

 誰かが叫んだ。アイテムボックスからその仮面を取り出して地面に叩きつける。

 その仮面は地面を数回バウンドし、消える。そして再びアイテムボックスに現れた。

 

「呪いのアイテムかよっ!」

「で、でも、性能が凄いとか……」

 

 鑑定魔法を使えるものが確認する。皆が固唾を飲んで見守る中、ベリーダンサー姿の魔法詠唱者が告げた。

 

「ねぇよ……何もねぇ。ただの嫌がらせだ」

「マジかよ! 運営、気ぃ狂ってんじゃねーのか!」

「前からおかしいと思ってたんだよ!」

「そうだよ、ぜってーおかしいって!」

 

 その場の誰もが同意した。その場に奇妙な連帯感が生まれた。憎しみ会う理由はないのだ。彼らのやるせない怒りはユグドラシル運営に向けられた。

 ネカマ達は仮面を付けて歌い、踊り出した。トレント達もその踊りに合わせて手拍子を打ち鳴らす。調子も何もない、でたらめな歌だ。自棄になった者達は大声で笑いあい、ユグドラシル運営への、そしてクリスマスへの罵倒を繰り返した。

 いつの間にか、日付は12月25日に変わっていた。イベント終了の音楽が流れ、ブルー・プラネット達とネカマ集団は握手をして別れた。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 明けて2128年の正月。月替わりイベントに新たなメニューが追加された。

「森林の中で瞑想コース」――そう銘打たれたイベントだ。

 印度菩提樹のトレント達が、枝に仏像を吊るして立ち並ぶ。仏教という宗教の開祖は印度菩提樹の下で瞑想し、悟りと呼ばれる境地に達した――そういった伝説に基づく演出だ。

 その下ではイベント参加者たち――人間種のプレイヤー達が静かに座っている。

 公園の中には小鳥のさえずりが微かに響いている。管楽器のゆったりとした奇妙な音楽も流れている。

 

「ゆっくりと自然に呼吸して、その息を数えます。スー……ハ―……スー……ハ―……」

 

 そう指導しているのはブルー・プラネットだ。外装は印度菩提樹に変わっている。捻じ曲がった蔓で覆われた、奇怪な樹の姿に。顔も穏やかなトレントのそれではなく、厳めしいものに変わっている。

 

「深いリラックスで脳の老廃物が洗い流されるのです……そう、雑念が湧いてもそれにとらわれず、息を数えることに集中して……スー……ハ―……スー……ハ―……」

 

 時折、印度菩提樹の蔓がプレイヤーの肩を叩く。カップルで参加した若い森妖精たちだ。

 

「煩悩を捨てて。息に集中して……」

 

 肩を叩かれた森妖精は静かに頭を下げて瞑想を続ける。

 

 スー……ハ―……スー……ハ―……

 スー……ハ―……スー……ハ―……

 

 小鳥のさえずりと共に、参加者の呼吸音が公園の中を静かに流れていく。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 数年後、ブルー・プラネットはワールドチャンピオン決定戦を見に仲間と競技場に行った。

 新たに移籍したギルドの中心人物の一人、たっち・みーの防衛戦の応援のためだ。

 

「たっちさーん、がんばれー」

 

 選手が所属するギルドのメンバーとして特等席から声援を送る中、ブルー・プラネットは別の見知った顔を見つけた。

 あのネカマ戦士だ。

 あの事件以来も、たまにネカマ戦士は〈シャーウッズ〉の公園に来るようになっていた。お互いに愚痴をこぼしあう仲だ。ギルド移籍以来は疎遠になっていたが――

 

「おー、立派になったもんだなあ」

 

 ブルー・プラネットは感慨深げに称賛を送る。

 いつか見返してやりたいんすよ――ネカマ戦士の愚痴を思い出し、そのような動機でもここまで強くなれるのかと悟った眼で。

 

 ネカマ戦士は多くの挑戦者を退け、ワールドチャンピオンの1人となった。

 表彰台に上るネカマ戦士にブルー・プラネットは惜しみない拍手を送った。

 ネカマ戦士も観客席に座るトレントに気が付いたようだ。

 彼は表彰台からブルー・プラネットに向けてウィンクし、投げキッスを送った。

 



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前日譚その2:裁判とその結末

転移前の話です。


 新しいクランに誘われ、ギルド拠点も得てから数か月――ブルー・プラネットは悩んでいた。

 大した悩みではない。「新たなギルドに貢献できることは何か」だ。

 孤独を救ってくれた新しい仲間のために何か役に立ちたい。だが、自分は特に秀でた能力をもっているわけでは無い。

 ギルド拠点を得て、その整備のためにアイテムや材料を獲得するクエストに行く。その度に自分が役立たずであることを思い知らされるのだ。

 戦闘職なら「たっち・みー」がずば抜けている。攻撃力なら武人建御雷がいる。トレントの怪力は売りにはなるが、同じく怪力属性の巨人族も何人かいるし、弐式炎雷のようなスキルによって素早さと攻撃力を合わせもったプレイヤーもいる。

 魔法職はウルベルトの絨毯爆撃に敵う者はいない。単発の火力ならタブラも優れているし、回復・防御系ならば「ぶくぶく茶釜」や「やまいこ」がいる。そういった仲間を指揮し、見事な戦術を披露する「ぷにっと萌え」もいる。

 新たなギルド拠点を得て続々と新メンバーが増えている。その中で、自分はいかにも特色が無い、居なくても良い存在なのではないかと思えてしまうのだ。

 

「まー、ユグドラシル始めた切っ掛けがアレだしなあ……」

 

 ブルー・プラネットはベルリバーに愚痴をこぼす。現実世界でも友人付き合いの皮肉屋に。

 ベルリバーは発表当時から趣味としてユグドラシルで遊んでおり、後から仕事として始めたブルー・プラネットよりもユグドラシルの楽しみ方を良く知っている。ブルー・プラネットがトレントという不人気種族を選んだ経緯も知っている。以前、ギルド長として「逃げること」と「隠れること」に特化した構成にしていることも良く分かっている。

 だから、何かいいアイディアはないかと相談したのだ。

 

「いっそのこと、1からキャラ作り直した方が早いかも知れない……って思ってなぁ」

「今さら、なんだよ。そっちの方が戦力ダウンで迷惑かけるんじゃねーの?」

「ま、そうなんだが……なんか俺、ここに居ていーの……って、さ」

「お前の作ってる空、スゲーじゃん。完成したら皆喜ぶと思うぜ」

「ああ……でもなぁ、あれは俺の趣味みたいなもんだし、それを言ったら他の奴らだって自分の拠点を作りこんどるやろ? そうじゃなくて、クエストとかでさ……やっぱ、戦ってナンボって気がするやん?」

「ユグドラシルなんて皆趣味でやってんだ。クエストだって戦いたい奴が戦ってるだけだ。アイテムの鑑定しかしない奴もいるし、武器作りに熱中してる奴もいる。気楽に楽しめばいいって」

 

 ベルリバーと名乗る肉塊が無数の口をパクパクと動かしてブルー・プラネットを慰める。その言葉は口から出ているわけではなく、口が動くのはただのエフェクトだ。

 お前は気楽すぎだ――そう思っても口には出さず、ブルー・プラネットはベルリバーを眺める。魔法剣士というどっちつかずの職業を、しかも職業スキルの伸びにくい異形種でわざわざ取るなんて、と思いながら。

 

「ブルー、『お前だって取り柄が無いやろ』って考えてるだろ」

「い、いや……ま、そうだな」

 

 図星だ。ブルー・プラネットはワタワタと腕を振って一旦否定し、肯定した。

 

「へっへっへ……俺様はあえて器用貧乏の道を選んでんの!」

「ああん?」

「他の奴らが大味な攻撃するのを俺様が全部カバーしてやってんだぜ?」

「そうなんか」

「おう、戦い方を良く観察しろ。ま、持ち味を生かせってことよ。例えばヘロヘロ。あんなネタ構成で、それを無茶苦茶活かしてるだろ」

「せやね……」

「我らがリーダー、モモンガ様だって敢えてロマンビルドに走っちゃいるが、なかなかどうして上手く戦うじゃないか」

 

 ベルリバーの説明に、ブルー・プラネットは唸る。

 

「うん……モモンガさんは研究熱心だからなぁ」

「そこよ! お前も<シャーウッズ>なんて吹っ切って、今のキャラで何ができるかを研究し尽くせば見えてくるものはあるって」

 

 研究かぁ――そう呟くと、ベルリバーは「お前の得意分野だろ」とブルー・プラネットの脇腹を剣で叩いた。

 カキンカキンと金属音が響く。ブルー・プラネットの胴体は、樹そっくりでも「生ける鋼」で出来ている。

 

「お前は頭が固いんだよ。『かくあらねばならぬ』なんて悩まずに、俺のよーに不真面目に徹すりゃ――」

 

 そこまで言うとベルリバーは一旦言葉を切り、自分を納得させるように続ける。

 

「――少なくとも、こうして遊べる時間はタップリとれるようになるってわけだ。ま、“塞翁が馬”って奴だな。このユグドラシルにしたって、運営が何にも考えてねーおかげで『何でもあり』だ。折角なんだから、色々と試してみろよ。意外なところでイイことが見つかると思うぜ」

 

 そう言うと、ベルリバーは不定形の肉体をブヨブヨと弾ませて通路の奥に消えていった。

 お前は柔軟すぎるんだよ――ブルー・プラネットは心の中でツッコミを入れながら友人を見送る。励ましてくれてありがとうな、という感謝の眼差しを添えて。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 ナザリックの一角に設けられた訓練場――そこでブルー・プラネットは「自分の持ち味」を探す。

 トレントって何が出来たかな……と、司令塔であったため<シャーウッズ>では他人に任せていたスキルを確認し直す。

 

「なるほど、蔓系植物モンスターの属性もあるから――」

 

 マニュアルを読みながら腕を伸ばし、意識を切り替える。そして別な腕を伸ばす。

 

「ふむふむ、腕が増える、と」

 

 古い腕は一本の棒となって残っている。それに現在の腕を絡めてみる。

 

「ふーむ、こりゃ、先輩に聞くとしますか」

 

 蔓系植物モンスターのスキルとなれば「ぷにっと萌え」に聞くのが一番だろう。ふざけた名前のわりに熱心に戦い方を研究し、様々な戦術や戦略を駆使するアインズ・ウール・ゴウンの司令塔だ。

 ブルー・プラネットはメッセージでぷにっと萌えの都合を聞き、訓練場に転移した。

 

「――そうそう、新しい腕で攻撃を切り替えるだけじゃなく、古い腕が残ることを利用して敵の動きを邪魔するんです」

 

 訓練所で、ぷにっと萌えの説明と実演に沿ってブルー・プラネットも腕を操作する。

 

「まず足元を攻撃する。敵が避けたところでその先を上から袈裟切りに。敵が再び避けたところに古い腕が残っているので転ぶ……と。まずはその対角線の攻撃が基本ですね」

「ふむふむ」

「それだけじゃ敵も察するので、足元にさりげなく罠を残すために、こうやって――」

 

 色んなフェイントを入れるために多数の腕を操ることが必要になるのだと、ぷにっと萌えは蔓を伸ばして見せる。

 

「瞬間的にパパッと切り替えるために、パターンを作って反復練習するのがいいでしょうね。条件反射的にホイホイホイッて」

「なるほど……じゃ、下・上・上にホイホイホイッ……っと」

「ははは、上手い上手い。それじゃ私もホイホイホイッ……どうです?」

「負けませんよっ! 上から下までホイホイホイッ」

「甘いっ! ホホホイのホイッ」

 

 ぷにっと萌えに向けてブルー・プラネットが枝を伸ばす。それを受けて、ぷにっと萌えが蔓を伸ばして枝を押さえる。ボクシングで言えばスパーリングだ。

 蔓系植物モンスターは腕を何本でも生やせる。レベルによる長さ制限と1メートル単位という縛りはあるが。競うように枝と蔓を伸ばしていた二人は、いつしか幾十本もの蔓と枝が絡み合う茂みになっていた。

 

「何してるっすか、お二人とも? あ、分かった! 植物系ローパーごっこですね!」

 

 そう言って近寄ってきたのは、バードマン――ペロロンチーノだ。

 

「いやあ、ブルーさんの腕を何本も操る特訓ですよ」

「ええ、何か得意技が欲しいなぁって思ったんで……」

 

 二人はシュルシュルと腕をしまい、ペロロンチーノに挨拶する。

 

「なるほど! しかし、さっきの格好は、まさにエロ系触手モンスター以外の何物でもありませんでしたよっ!」

 

 目を輝かせて――プレイヤーキャラクターには表情は無いが、声を弾ませて身を乗り出して変態が熱く語る。

 

「もう、ペロさんは……そういう見方は……ありですっ!」

「あーれー」

 

 もう一人の変態が隙を見て「絞め殺し蔦」をバードマンの胴体に絡みつける。

 バードマンが両手を振りあげ、怪しく身をくねらせて甲高い声で悲鳴を上げた。

 

「そうそう、ブルーさん。こうやって敵を固定したら、すかさず両腕も抑えて蔓を切られないように……力が強い場合に備えて、多重に掛けて固定します」

 

 そう言うと、ぷにっと萌えは見る間にペロロンチーノをグルグル巻きにして宙吊りにした。

 

「いやあっ! 変態植物モンスターの苗床にされちゃうっ!」

「――おみごとですね。さすが絞め殺し蔦」

 

 緑色のミイラのようになりながら謎のセリフを裏声で叫び続けるバードマンを後目に、ブルー・プラネットは冷静な声でぷにっと萌えの腕前を称賛した。

 

「ブルーさんもやってみます?」

「ええ、でもペロロンチーノさんの怪しい叫びは無しという方向で……」

「それじゃ面白くないっすよ! ちょっと考えがあるんですが――」

 

 拘束を解かれて自由になったペロロンチーノは二人に向き直り、声を潜めた。

 

「あの、ほら……折角だからメイドタイプのNPCを的にしてみません?」

「却下です」

 

 ペロロンチーノの提案を即座にぷにっと萌えが否定する。

 

「いや、ぷにさんのじゃなくて、もっとこう縛りがいのある――」

「んじゃ、ペロさんのシャルティア使いましょうか?」

「却下です」

 

 今度は逆に、ぷにっと萌えの提案をペロロンチーノが否定した。

 

「あれは俺の魂の作ですので、あれを縛るのは俺だけです」

「んじゃ……あれは……?」

「あ、イイっすね! 決まりっすね」

 

 ぷにっと萌えが胸の前で何かを持ち上げるジェスチャーをして、ペロロンチーノも頷いて同じ動作をした。

 

「何のことです?」

 

 ブルー・プラネットが二人に尋ねる。

 

「ユリ・アルファですよ。ほら、折角縛るんだからこう……」

「ああ……はいはい。でも、“先生”に見つかったら、ぶちのめされますよ?」

 

 理知的な表情に過剰に豊満な胸――その映像がブルー・プラネットの脳裏に即座に浮かんだ。

 そして、その後ろにそびえる半魔巨人の姿も。

 

「大丈夫っす。『ヤマちゃん、今日は忙しいから遊べないって』って、餡さんに姉貴が言ってるの聞いたんで」

「グッドニュース!」

「行きましょう!」

 

三人の変態はサムズアップすると転移の指輪を発動させ、NPCのAI調整場――別名「ヘロヘロ工房」に向かった。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

「よし……誰もいませんね」

「ヘロヘロさんは今日は来れないらしいんで。今のうちです」

 

 三人は周囲に<静寂>の魔法を掛けると、身を潜めて目標――ユリ・アルファに向かう。

 

「目標捕捉!」

 

 ブルー・プラネットが低い声で囁く。

 ユリアルファは“待機”のポーズで前方を見据えたままだ。

 

「じゃ、ブルーさんがやります?」

「はい、で、では僭越ながら先陣を切らせていただきます」

 

 ぷにっと萌えが低い声で囁き、上ずった声でブルー・プラネットが答えた。

 

「では……えいっ!」

 

 ブルー・プラネットの枝が伸び、ユリ・アルファの胴に巻きつく。

 

「よし、そこですかさず両手を固定!」

 

 ぷにっと萌えの指示より先に新しい枝が二本、ユリの両腕に絡みつき「バンザイ」の形に持ち上げる。

 

「上手い! 新しい腕に切り替えて、もう一度両腕を……そしたら持ち上げて」

「ほいさぁっ!」

 

 ユリの両腕に計4本の枝が巻き付き、ユリ・アルファの身体全体を吊り上げる。

 

「きゃあぁ、助けてぇっ!」

 

 甲高い裏声で悲鳴を上げたのは、ユリの横でしゃがんでいるペロロンチーノだ。

 

 ユリ自身は無表情のまま、枝に吊られてユサユサと揺れている。

 

「よ、よし……じゃあ、今度は両足を……」

「は、はいっ……ようしっ!」

 

 ぷにっと萌えの裏返った声にブルー・プラネットも震える声で応える。そして、ユリの両足首に枝を巻き付け、そのままMの字に……

 

「うおおおお!」

 

 ペロロンチーノが叫び声をあげてユリの周りを転げ回り、様々な角度から映像記録を残している。

 

「いやあ……なんというか、背徳感がたまりませんな……」

 

 感慨深げにぷにっと萌えが腕を組んでいる。

 

「どうですか……じゃ、次はどんなポーズを……」

 

 ブルー・プラネットがぷにっと萌えに指示を仰ぐ。

 

「次……次は――」

「NPCを下ろしてください」

 

 悩むぷにっと萌えの声に続き、聞き覚えの無い声が3人の耳に届いた。

 声の方向を見る。白く輝く騎士が立っていた。運営のアバターだ。

 

「ユグドラシル規約違反の恐れがある行為を検知しました。状況を説明してください」

 

 騎士が3人に説明を求める。

 ユグドラシルではプレイヤーの行為は感情によってスクリーニングされている。先ほどのように強い興奮――特に18禁行為に関わる――が検知されると管理者が派遣されるのだ。この管理者の目を逃れることはシステム上不可能であり、抵抗は無意味である。

 

「あ、いえ、ちょっとNPC相手に戦闘訓練をしていまして、それで――」

 

 ぷにっと萌えが騎士に説明をする。先ほどの訓練場での行動記録を提出し、これが18禁行為目的ではないことを訴える。

 騎士は説明を記録しながら同時にNPC――ユリ・アルファの構造も点検する。このNPCが18禁行為を目的として創られたものではないことを確認するためだ。

 3人は自然に床に正座し、騎士の調査を待つ。

 しばらくして調査が終わり、騎士が処分を告げる。

 

「――了解しました。今回はプレイヤーではなくNPCを対象とした行為であり、NPCも違反構造ではないことから登録抹消は行いません。しかし、NPC相手とはいえ多数によるこのような行為は決して推奨されるものではなく、御3名は1か月間の厳重監視対象とさせていただきます。また、同期間、ギルド全体も第一段階の観察対象とさせていただきます。今後ともルール順守の上でユグドラシルをお楽しみくださるようお願い申し上げます」

 

 そう言い残し、一礼すると騎士は消えた。

 残された3人はホッと息をつき、床に正座したまま顔を見合わせる。

 

「いやぁ……助かったぁ……」

「ペロロンチーノさんが過剰に興奮するからですよ」

「えぇっ、俺っすか? いや、ここは皆の連帯責任っしょ」

「うん、まあ、そうですね。俺も悪乗りが過ぎました。連帯責任で――」

「そうだね。連帯責任だね」

 

 ブルー・プラネットの声に応えるように女の声がする。低い、怒りのこもった声だ。

 ハッとしてブルー・プラネットはその声の主に目を向ける。

 視野一杯に巨大な拳が迫ったかと思うと、ブルー・プラネットの巨体が宙を舞った。広い「ヘロヘロ工房」に置かれたNPC達が、飛んできたブルー・プラネットに突き飛ばされてガラガラと音をたて、倒れる。

 

「や、やまいこさん……今日は忙しいって……」

「そうだよ。ユリの調整で忙しいから、あんたの姉貴と遊べないって連絡したんだよ!」

 

 正座したバードマンに巨大な鉄拳のアッパーカットが襲い掛かり、キラキラとしたエフェクトを振りまきながらペロロンチーノが宙を舞う。

 

「あの、やまいこさん、説明をき――」

 

 半魔巨人は無言で草の塊を踏みつける。

 

「ほら、立ちなよ。痛くは無いんでしょ。まったく……玉座の間に行くよ」

「え、円卓の間じゃなくて?」

 

 首根っこを掴まれたぷにっと萌えが、自分を持ち上げた半魔巨人に問いかけた。

 

「あったりまえでしょ。あんたに円卓に座る権利があると思ってんの?」

 

 ぶっきらぼうにそう言うと、やまいこはペロロンチーノの首を片手で掴んで引っ立てる。

 

「ほら、そこの独活の大木も」

「はい……」

 

 倒れたNPCたちに紛れて身を伏していたブルー・プラネットもノソノソと立ち上がって半魔巨人の後に続く。

 なぜ玉座の間に――そう疑問を抱いたまま。

 

「ユリもおいで。えっと……『ついてこい』か」

 

 やまいこがユリ・アルファに向かって優しい声をかける。それを聞いたユリはコクリと頷き、やまいこの後ろについて静かに歩き始めた。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 玉座の間――ナザリックの最奥であり、未完成ではあるが最も荘厳な場所に着いた3人は息をのむ。その広い空間にアインズ・ウール・ゴウンのメンバーが、全員ではないにせよ揃って待ち受けていたからだ。

 裁判――その言葉が3人の頭に浮かぶ。周囲の非難めいた空気が3人を押しつぶす。

 自然に3人は玉座の間の中央に正座していた。

 

「あの、困りますよ。ぷにっと萌さん、あなたが居ながら何で……」

 

 頭が痛いという様に片手を頭蓋骨に当てて苦言を吐いたのは、玉座に座るモモンガだった。

 

「あ、あの……?」

「さっき運営から連絡が来て、外に出てるメンバーも呼んで緊急全体集会になったんです」

 

 もう一方の手をヒラヒラと動かし、苛立ったような、困ったような声でモモンガが宣言する。

 

『おい、ブルー……何でもありだ、よく研究しろとは言ったが、そーゆーのはさすがにどーかと思うぞ?』

 

 個人用通信でブルー・プラネットの脳内にベルリバーの声が響く。困ったような、それでいて楽しんでいるような、いつもながら掴みどころのない声だ。

 

『いや……すまん、皆に……お前には特に迷惑かけちまった』

『いやいや、俺はいいんだけどさぁ。あ、ちょっと悪ぃ』

 

 ブルー・プラネットが謝罪を続けようとしたとき、ベルリバーの通信は切れた。

 

「たっちさん、今回の件、どう思います?」

 

 モモンガが、たっち・みーに顔を向けて質問する。現実世界では警察官をしているという「たっち」の経験を仰いだのだろう。

 

「うーん、運営の処分はすでに決まったわけですし、あとは我々の裁量ですが……やまいこさんのNPCを勝手に使ったこと、それでギルド全体が監視下に置かれることを考えると、3人にはギルド除名を含めた厳重な処分も考えるべきでしょうね」

 

 腕組みをしながら聖騎士が重々しく答える。周囲の仲間たちからも溜息が聞こえてくる。

 それに対して山羊頭の悪魔が挙手をし、勝手に発言を始めた。

 

「おい、たっち。何でいきなり処分の話にまで飛んでんだよ。そういうのは、まずは当事者の……やまいこさんとぷに達の話を聞いてから皆で考えるべきじゃねーか?」

「いや、だから私も『処分すべき』とは言ってませんよ。ただ、大きな枠組みを考えておかないと……」

「枠組みってのは、皆が納得できるってことだろ? 初めから処罰を前提にして――」

 

 またはじまった――モモンガが両手で頭を抱えて項垂れる。

 

「――分かった、分かりました。じゃ、まずはやまいこさんの話を聞きましょ」

 

 今回は聖騎士が折れたようだ。安堵した空気がギルドメンバーたちに広がる。

 

「ふぅ……そうですね。俺も急ぎすぎました。まず、やまいこさんの話を……」

 

 モモンガが皆に向かって頭を下げ、やまいこに向かって手を向ける。

 

「ボクの話って、この変態どもをブン殴りたい……それに尽きるんだけど、まず、変態どもの言い訳を聞こうよ」

 

 巨大な拳を揺らしながら、半魔巨人は顎をしゃくった。

 もう殴ったくせに――そんな思いを込めてブルー・プラネットたちは顔を上げる。

 

「はい、じゃあ……ぷにっと萌えさんから、何でこうなったのか説明してくれます?」

 

 モモンガが、ぷにっと萌えに話を振る。

 

「……まずは、皆さんに謝ります。ほんと、すみませんでした」

 

 ぷにっと萌えが頭を下げ、その蔓草がユサユサと揺れた。

 

「それで、モモンガさん……どこまで情報が来てるんですか?」

「いや、先ほど運営から俺に『ギルド内で18禁行為の疑いがあった』と警告。3人のキャラクター情報とユリ・アルファの映像が送られてきて……それで、やまいこさんに伝えて。さらに追加で『1か月間、ギルド全体を第一段階観察対象にする』って連絡が来たんですよ」

 

 そう言ってモモンガは手にしたギルド武器<スタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウン>を操り、玉座の上にギルド情報を展開した。

 ギルド名<アインズ・ウール・ゴウン>の後ろに黄色い警告マークが付いている。

 それをみたギルドメンバーたちから、あらためて嘆息が漏れる。第一段階の観察処分では実害は無いとはいえ、見張られているというのは気分の良いものではない。ちょっとした違反も見逃されず、さらにペナルティが課される可能性もある。

 

「……そうでしたか……じゃあ、始めから説明します」

 

 ぷにっと萌えは頭を振って今日の顛末を説明した。

 ブルー・プラネットの特訓の手伝いをしていたこと。

 枝を生やす様子が怪しげに見えたとペロロンチーノに言われ、悪乗りしてしまったこと。

 折角だから練習台が欲しいと、整備中のNPCを相手に蔓を巻き付け、それで騒いでいたのが運営に誤解されたこと……

 

 蔓が巻き付けられた――その話を聞いたとき、ユリ・アルファを後ろから優しく抱き抱えていたやまいこの腕に力がこもった。

 ピンクの粘液がそれを見上げて慰める。

 

「ごめんね。うちのバカ弟が……後でシメとくから」

「ううん、かぜっちが謝ることないよ」

 

 低い声で交わされるその会話を聞き、正座していたペロロンチーノが身を震わせる。

 

「――なるほど、ことの次第は分かりました。あくまで訓練の一環で、NPC相手にそういう感情を向けたというわけではない、と」

「ええ、蔓を使って敵の胴体と両手両足を封じる、その行為が見ようによっては興奮を誘うものであったと――」

「ふ・ざ・け・る・な」

 

 我慢できずにやまいこが飛び出し、叫びながらぷにっと萌えを殴りつけた。

 ぐぇっ――押し殺した叫びと共に、蔓草の塊が宙を舞う。

 ぷにっと萌えの身体は玉座の間の床を滑り、反対側にいた武人建御雷がそれを足で受け止める。腕組みを解かず、額に手を当て首を傾げて何か考え込んでいるような仕草で。

 その横にいた弐式炎雷がしゃがみ込んでぷにっと萌えを助け起こす。

 

「おいおい、ぷにさん、大丈夫?」

「うぇ……大丈夫です、目が回ったけど」

 

 ギルドメンバー間での攻撃はダメージにはならない。痛みは無い。

 しかし、ノックバックは効く。急な位置の変化は、夢の中で空から落ちたときのような、ガクッとした感触と不快感を残す。

 

 ふらつきながら起き上がったぷにっと萌えは、武人建御雷と弐式炎雷に頭を下げて中央に戻ってきた。

 

「あんたたちさあ、ユリが可哀想だって思わないの? なんでユリを使うのさ? マトならその辺の素体でいいじゃん。絶対、下心があってボクのユリを――」

 

 早口で詰め寄り、やまいこは順にペロロンチーノとブルー・プラネットを殴り飛ばす。

 弐式炎雷が器用に跳びまわって床を滑る2人の身体を受け止めた。

 

「ちょ、ちょっと、やまいこさん、落ち着いて」

 

 モモンガが慌ててやまいこを止めた。

 

「気持ちは分かります。大体の事情は分かったので、今度はやまいこさんの話を聞きますから。やまいこさんは3人をどうしたいんですか?」

「除名、だね」

 

 間髪を入れずにやまいこは答えた。

 

「除名……ですか」

 

 モモンガは唸る。周囲のギルドメンバーも同様に、腕組みをしながら考え込んでいる。

 作戦立案の要であるぷにっと萌え、遠距離攻撃の主力ペロロンチーノを失うのは痛いな――そんな囁きがブルー・プラネットの耳に伝わってくる。

 ギルド<アインズ・ウール・ゴウン>は現在41名。他の有力ギルドに比べて人数の上では少ない。戦力拡充のため上限の100名を目指してメンバーを増やしていく方針だ。

 その中で3人を失うとなると――いや、メンバーの補完は可能だろう。多数のアイテム、有力な拠点を得てギルド<アインズ・ウール・ゴウン>は注目を浴び、参加希望者は多い。

 しかし、有名ギルドだからこそアンチも多い。元々がPKギルドであり、掲示板では常に叩かれる存在だった。

 そんな中で3人が一度に――しかもギルド内の揉め事で除名処分になるとしたら、一気にアンチが騒ぎ立てるだろう。それを口実に、戦力減の隙を突いて他ギルドが攻撃してくることも考えられる。

 

「スパイも増えているって噂だからなあ……」

 

 誰かが呟く。掲示板で囁かれている噂――ギルドに仲間を装って潜入し、情報を売買している者がいるらしいという噂だ。

 そんなときに3人を揉め事で除名し、新メンバーを募集をするとなると……

 誰もが唸った。

 

「なんとか――」

「3人を連帯責任で除名ってのは、ギルドにとって負担が大きすぎるな」

 

 モモンガが口を開いたタイミングで、ベルリバーが被せてきた。

 

「俺もそう思う。かといって、誰か1人を生贄にするってのもダメだ」

 

 山羊頭の悪魔も続き、たっち・みーに顔を向ける。

 通称『ベルベル世界征服倶楽部』――ベルリバーとウルベルト、2人の古参はギルドの中でも発言権が強い。

 

「え、ええ……そうですね」

「私も賛成ですよ。今回の問題は3人がいたからこそ起きたもので、誰か1人に責任を帰するものではないはずです」

 

 2人の勢いに押されてモモンガが頷き、聖騎士に視線を向ける。聖騎士も腕組みをして頷いた。

 ギルドメンバーの間に安堵した空気が広がる――女性陣を除いて。

 

「じゃ、ボクが辞めるよ。変態どもと同じ空気を吸いたくないからね」

 

 やまいこが冷たい声で言い放つ。

 

「そんな……なんとか許してもらうことは出来ませんか?」

「イヤだね」

 

 ぷにっと萌えが縋るような声でやまいこに許しを請うが、取り付く島が無い。

 

「うーん……3人には1か月の間ログイン禁止ってことで……」

「その間にボクの頭を冷やせって?」

「そういうわけじゃ……3人にも反省の機会を与えるべきだと思うんですよ」

 

 モモンガが妥協案を出す。ギルドメンバーの多くがウンウンと頷く。「賛成」という声が周囲から聞こえてくる。

 教師であるやまいこも「反省の機会」という言葉を聞き、無言で腕組みをする。

 

「……分かった。1か月間待って反省を聞いてやるよ」

 

 悩んだ末にやまいこが結論を出し、処分が決まった。3人はホッとして顔を見合わせる。

 

「じゃあ、明日から1か月間……いいですね?」

「了解です。その間のことを話し合いたいので、モモンガさん、後でちょっと……」

「はい。時間が出来たら俺の部屋に来てください」

 

 モモンガとぷにっと萌えは頷き合う。

 

「おい、弟、あんたは今からあたしの部屋に来な」

「ねーちゃん、勘弁……」

 

 ペロロンチーノはぶくぶく茶釜に必死で頭を下げている。

 

『ありがとよ、ベル』

『いいから。……実はウルベルトとも話し合ってたから、そっちにも礼を言っとけよ』

『そうか……分かった』

 

 ブルー・プラネットはベルリバーに個人通話で礼を言い、次いでウルベルトにメッセージを送る。

 

『もしもし、ウルベルトさん、ありがとうございました。ベルから聞いたんですが……』

『あー、ブルーさん? はい、気にしないでください。なんとか誰も辞めずに済んで、俺は嬉しいですよ。ほんと、気にすることないですから』

 

 玉座の間の向こう側で山羊頭が手を振っていた。これまであまり話す機会は無かったが、悪魔の声は気さくで明るかった。

 

 話し合いが済んだと、皆が玉座の間から解散しようと動き始めた矢先だった。

 

「あー、でもやっぱ気が済まないから、謹慎前に一度殴らせて!」

 

 やまいこが呼び止め、皆がそちらに視線を向ける。

 

「ええっ!もう2回も殴られたんですけど……」

「最初の一発はあの場を鎮めるためで、二発目はあんたがフザケタことを言ったから。だから、罰としては今度が一発目」

「そんな無茶苦茶な……」

「いいから、そこに正座!」

 

 ぷにっと萌えの反論も空しく、有無を言わさぬ迫力に、ぷにっと萌え、ペロロンチーノ、ブルー・プラネットの3人は玉座の間の中央にトボトボと歩いて戻り、床に座り直す。

 

「じゃあ、いくよ――」

「あ、ちょっと待って!」

 

 巨大な拳を振り上げたやまいこの背後で、呼び止める声がする。

 

「ん? なによ?」

 

 やまいこは振り返り、声の主――るし☆ふぁーを睨んだ。

 

「えへへ、ちょっと思いついたことがあって――」

 

 るし☆ふぁーは含み笑いをしながら3人に近づき、取り出した小瓶の中の液体を振りかけた。

 

「うわっ、冷てっ」

「ウップ……何ですかこれ?」

「ええっ? 毒ですか、酸……いや、違う?」

 

 3人が突然のことに叫び声をあげる中、液体は3人の身体を伝わり浸み込むように消えた。

 

「毒じゃないから。折角だから試したいことがあってねぇ~。じゃ、やまいこ姐さん、やっちゃってください」

 

 るし☆ふぁーが、やまいこに向かって大仰に腰をかがめる。

 

「ん? 何だか分かんないけど、いいや……じゃあ、歯を食いしばりなさい!」

 

 そう言って女教師は拳を振り上げ、3人を次々に殴り飛ばす。

 

「うおぉぉぉぉぉ……」

「ひゃぁぁぁぁぁ……」

「ひぇぇぇぇぇぇ……」

 

 3人は勢いよく床を滑りだす。今までのノックバックとは明らかに違う勢いで。

 

 壁にあたる。跳ね返って再び滑り出す。

 柱にあたる。跳ね返る。

 メンバーにあたる。跳ね返る。

 

 3人はそれぞれ立ち上がろうとするが、足元がツルツルと滑って立ち上がれない。

 他のメンバーが助けようとして手を差し出しても、その手をスルリとすり抜けてしまう。

 円陣を組んだギルドメンバーの輪の中で、3人の身体が互いにぶつかり合いながら滑り続ける。

 

「な……なんですか、これ?」

 

 モモンガが玉座から立ち上がり、原因を作ったと思われる、るし☆ふぁーに向かって叫んだ。

 

「あはははは、潤滑油ですよ、ゴーレム用の。塗った部分の摩擦係数を0にするんだけど、いやぁ、やっぱりプレイヤーと床の間にも効いちゃうんだ。さっすがユグドラシル!」

 

 自分で試さなくて良かった――そう言いながら腹を抱え、るし☆ふぁーが笑っている。

 

「ビ、ビックリしたよー……これ、いつまで続くの? ずっと?」

「短時間の加速用なんで、小瓶1本で1分間です」

 

 自分の拳と床を滑る3人を呆然と眺めていたやまいこが不安げに質問し、るし☆ふぁーが真面目くさって答えた。

 

「そっか、じゃあ、すぐに止まるね……いやぁ、なんか……」

 

 やり過ぎたと思った――そう言いたげに、やまいこは自分の拳を振った。

 

 やがて3人の身体は減速し、床の上で止まる。

 

「はぁ……はぁ……死ぬかと思った……」

 

 フラフラと立ち上がったブルー・プラネットは、再びバランスを崩して転ぶ。

 潤滑油の効果ではない。高速で床の上を回転したため目が回っているのだ。

 

「いいもの見せていただきましたっ!」

 

 るし☆ふぁーが3人の前で腰をかがめる。

 

「見せていただきました、じゃないでしょ!」

 

 よろめきながら、ぷにっと萌えが怒声を上げる。

 

「いえ、ぷにっと萌さんならこの経験を生かして新たな戦術を考えていただけるのではないかと大いに期待しているでありますっ! では、また1か月後にっ!」

 

 そう言って、るし☆ふぁーは消えた。どこかに転移したのだろう。

 

「……あの野郎は……」

 

 頭を抱えたモモンガが小さな声で呟く。そして、やまいこをみる。

 

「ともかく、やまいこさん、これで良いですか?」

「はぁ……なんか毒気が抜けちゃったよ……うん、じゃあ、1か月後に反省文ね」

 

 そう言うと、やまいこはユリに声をかけて玉座の間から悠然と歩き去る。

 今からユリ・アルファの調整に取り掛かるのだろう。ユリは無表情でその後を追う。

 

「ねぇねぇ、鳥って可愛くない? パタパタって」

 

 餡ころもっちもちが、ぶくぶく茶釜に声をかける。

 

「あんちゃん、忠告する……うちの弟にだけは近づかない方がいい」

「えー、そんなんじゃなくって――」

 

 2人の女性の声が玉座の間から遠ざかっていく。

 他のメンバーも解散していく中、3人は顔を見合わせる。

 

「……なんとか、まあ……」

「ええ、なんとか……」

 

 ブルー・プラネットとぷにっと萌えが顔を見合わせる。

 

「俺はこれからが地獄ですよ……」

 

 しょげているのはペロロンチーノだけだ。彼がなぜそこまで姉を恐れているのは分からないが、そこには誰も触れない。

 

「ペロさん……後でユリの記録画像……」

「ええ、バレないうちに処理しますから」

「いえ、こっちにもコピーください。3人の秘密で……」

 

 3人は顔を突き合わせ、ヒソヒソと相談する。そして女性の好みの話になり、声が大きくなったところでモモンガに叱られた。

 謹慎前に早く必要な手続きを済ませてください、と。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 数日後、研究所でブルー・プラネット――広川は昼食をとっていた。

 後ろから別室の同僚――鈴川が肩を叩いた。彼が現実で研究室を出るのは数日ぶりのはずだ。

 

「おう、スズか、お疲れ……どうよ? 皆は……」

「変わらねーよ。ここ1か月は対外作戦は取れないから防御を固めて内装に注力してる」

 

 ユグドラシルではベルリバーと名乗っている男は、いつものようにボサボサ頭を掻きながら青白い顔に皮肉な笑みを浮かべて肩をすくめた。

 

「悪ぃなあ……推薦してくれたお前の顔に泥塗っちまって」

「気にすんなよ。誰が誰の推薦か、なんてもう誰も覚えてねぇって」

「そっか……しかし、やっぱり“ぷにっと萌え”や“ペロロンチーノ”の除名を心配する奴は居ても、俺の名は出なかったよなあ……」

 

 広川は食器に目を落とし、フォークで合成肉をつつく。

 

「ははっ、やっぱ傷ついてた? いや、裏じゃ個人通信でお前を残そうってメッセージが飛び交ってたんだぜ、何人も」

「そうなん?」

「ああ、お前が作りかけの第六階層、楽しみにしてる奴は多いんだぜ」

「そっか……」

 

 広川は背を伸ばして椅子に身体を預け、何度か頷いた。

 

「それでな、他の奴らも自分の領域を決めて改装に夢中だ。源さん中心に、これまでのアイテムを整理して宝物庫を作ろうって話にもなってる」

「あーいいな、それ……うん、アイテムは整理すべきだよなぁ」

「タブ公がノリノリでな、パスワードとトラップとか、相当捻ったモノになりそうだ」

 

 広川と鈴川は、ははは……と笑う。あいつのことだ、きっとホラー映画じみた仕掛けになるのだろうと予想して。

 

「ってわけで、今は戦闘組が暇でな。たっちまで『俺もNPC作ろうか』なんて言い出してるくらいだ」

「へー、たっちさんがねぇ……どんな?」

「あのイイ子ちゃんは萌えキャラなんて作らねーよ?」

「ちげーよ! そうじゃなくて……」

「隠すな。お前がムッツリだってのは、もう皆が知ってる」

「はぁっ?」

 

 広川は顔を上げて周囲を見る。周囲の同僚は皆、親指を立てて広川の顔を見つめている。

 いじめだ――広川は鈴川の腹にパンチを入れた。

 

「うっ……ははは……まあ、気にせずまたユグドラシルに来いよ。実はな――」

 

 そう言って鈴川はテーブルに片手を突いて広川の顔を見た。

 

「――お前に期待してる奴から頼まれてんだ。武さんは何でも甲殻類の外装データ欲しがってるし、弐式は蟲の図鑑を借りたいってよ。あと、出来れば第六階層の桜のデータ、天さんの領域用に移せねーかな?」

「ああ、分かった。データ変換して渡すわ。桜は土台ごと持っていけば問題なく移せるはずだから、モモンガさんの了解得たら勝手にやってくれ。微調整は後からやるし」

 

 広川は頷く。仲間たちから必要とされていることに照れた笑いを浮かべながら。

 それを見て鈴川も笑って言う。髪をクシャクシャと掻き上げながら。

 

「それに、俺も暇してるんで、内装に凝りたくなってな。ほら、今回の件もあるし、皆が楽しめる親睦の場を……風呂を作ろうかって。それで、お前にも手伝ってほしいんだよ。ジャングル風呂のデザインを――」

 



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後日譚:10年後

10年後の話です。南の方の話は無視ということで…


 モモンガ、ブルー・プラネット達がこの世界に現れてから10年の月日が流れた。

 アルベドとデミウルゴスの知恵により、魔導国及びその属領――ほぼ大陸全域――の統治はおおむね上手く行っている。逆らう者には苛酷極まりない刑罰を、忠誠を誓う者には目も眩むような褒美を与える。飴と鞭によって掌握された人間たちはお互いを監視しあい、競って反逆分子の密告を行った。

 モモンガやブルー・プラネットも指をくわえてその手腕を眺めていたわけではない。

 ブルー・プラネットは召喚モンスターによって農地の改造を行う。自動的に土地を肥沃にする植物モンスターだ。

 モモンガはその農地を耕すためにアンデッドを配置する。疲れを知らず常人の数倍の力で土を耕す強力な働き手だ。

 土地の生産性は飛躍的に向上し、溢れるほどの食料で人々の生活は潤った。人々の顔には笑顔が溢れ、自然と超越者に対する賛美を口にする。

 

 アインズ・ウール・ゴウンに栄光あれ! ナザリックに栄光あれ! 至高の御方に栄光あれ!

 

 モモンガとブルー・プラネットが街を視察する。青白い光を纏う死霊の馬に跨った至高者達を、街の人々は純粋な尊敬の眼差しで見つめる。若い母親たちは赤子を抱え、至高者の祝福を求めた。

 

(みんな幸せそうだ。この世界に来て本当に良かった)

 

 ブルー・プラネットは赤子の額に香油を垂らし、祝福を与える。そして、自分の力でこの繁栄が支えられていることに誇りを感じる。

 モモンガも同じだろう――隣に顔を向けると黒衣の骸骨が口を開けて笑っていた。晩夏の日差しが真っ白な骨を輝かせる。ブルー・プラネットが緑の葉を伸ばし、モモンガの骨の手とハイタッチを交わす。

 

 夏が過ぎ、秋が去り、再び冬が訪れる。

 ナザリックの者達は祭りの準備を始める。いや、ナザリックの支配下にあるこの大陸の全知的生命体が、間もなく訪れる祝祭に向かって慌ただしく動いている。

 祝祭は2人の超越者に捧げられる。今や魔導国の王としてこの大陸に君臨するモモンガとブルー・プラネットへの賛美の儀式だ。

 

「今年もお祭りの季節が来ましたねえ」

「はい、もうそんな時季ですねえ……」

 

 超越者たちは、その自室で額に手を当てて考え込んでいる。

 祝祭など、彼らは望んでいない。元は平凡な人間であった彼らは「神」として崇められることに気恥ずかしさを感じ、それは10年の歳月を経た今でも変わることは無い。

 いや、むしろナザリックの名声が高まるにつれ、その最高責任者としての重圧が強まるのを感じている。どうやって祭を盛り上げるか――皇帝や王族を迎えて恥ずかしくないようにせねばならぬとの思いに悩んでいるのだ。

 

「今年もアレですか」

「ええ、やっぱりモモンガさんにシメてもらうのが一番だと。派手ですし」

 

 2人がお手本としたのは、元の世界の「クリスマス」と呼ばれる祭りだった。

 特にその祭りについて詳しい知識や思い入れがあったわけではない。

 昔の宗教の名残で、若い男女がプレゼントを交換しあったらしい――その程度の認識だ。そんなイベントに縁が無かったモモンガとブルー・プラネットは、クリスマスにあまり良い印象を持っていなかった。

 だが、何かイベントを企画しなければならない。そのためには手本が必要だ。冬と言えばクリスマス――それだけの話だ。

 だが、クリスマスなるものの意味が不明瞭では困る。

 そこでブルー・プラネットがアイディアを出した。

 魔導国が成立したのが冬であることを踏まえ、新たな支配者を迎えた喜びに「冬から春への世界の新生」という意味を重ねよう――そして、クリスマスは新たな祭りへと変容した。

 

 そして祭りの当日。日が傾き始めたころ。

 各国から訪れた招待客が魔導国首都エ・ランテル郊外の広場に設けられた会場に集まる。

 

 各国の首長たち――

 バハルス帝国からは皇帝ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスと大賢者フールーダ・パラダイン

 南エスティーゼ王国から、“英雄王”クライムの妻ラナー。王は今年も欠席する。

 北部エスティーゼ連合からは代表としてエリアス・ブラント・デイル・レエブン

 魔導領スレインからは司祭長レイモン・ザーク・ローランサン他、主だった司祭達が来ている。

 そして各地の英雄たち――冒険者たちが並ぶ。

 漆黒を頂点とする、蒼の薔薇、朱の雫、銀糸鳥、漣八連などの著名なグループが招かれている。

 スレインからは旧六色聖典の主だった者達も参加している。

 

 人間ばかりではない。

 

 アーグランド亜人領からは竜女王ドラウディロン・オーリウクルス

 蜥蜴人自治領からは総酋長ザリュースと女祭司クルシュ夫妻

 西トロール首長国からはゴ・ギン武闘王

 等々、各国・各地域の要人たちが既に集められている。

 

 広場の中央には 金銀のレースや宝石で飾り立てられたザイトルクワエII世がそびえている。その両脇に、身の毛もよだつ恐ろしい姿をした魔物たちからなる楽隊が控えている。

 招待客たちは、魔樹――ザイトルクワエII世の前に設けられた席に着く。時折その巨大な口を開けて軋むような音をたてる魔樹を恐ろしげに眺めながら。

 そして毎年のように、この恐ろしい魔物たちを支配する超越者の力について小声で囁き合う。

 

 エ・ランテルの鐘が鳴った。祝宴の始まりを知らせる鐘だ。楽隊が力強く太鼓を打ち鳴らし、笛を吹く。

 集められた要人たちは、魔樹よりも更に恐ろしい存在の訪れを知り、身を固くする。

 魔樹の前に鏡が出現し、その中からアルベドを先頭として守護者たちが姿を現す。

 守護者たちはザイトルクワエの前の演壇に並び、楽隊が演奏を止めた。

 一歩前に出たアルベドが招待客に向かって声を発した。

 

「それでは『降臨節』の儀を執り行います。皆、起立するように!」

 

 広場に良く響く声は優しげな、思わず引き込まれるような艶を帯びた声だ。

 しかし、その声に逆らうことが何を意味するのか、その場の全員がよく知っている。

 出席者たちの顔は冷たい緊張の色を帯び、即座に立ち上がる。一秒の躊躇も許されない。不敬の咎めは自分の命だけでなく、その地域の幾万もの命を危機に晒すことになる。

 

 出席者の一糸乱れぬ行動を満足げに眺め、微笑んでアルベドは続けた。

 

「この世界はわずか10年前まで堕落と荒廃を極めていました。慈悲深き至高の御方々のご降臨なくば滅亡は避けられなかったでしょう。お前たちの今日の繁栄は、全て至高の御方々の無窮なるご慈悲とお知恵によるものと知りなさい」

 

 夕日の差す中、アルベドの声を聞いて出席者たちは一斉に仮面を付ける。

 嘆きの仮面――苦悩するような、泣き叫ぶような表情を浮かべた仮面がオレンジ色の光の中に並び、影を落とす。至高者の来場まで、その不在を嘆くことを表す儀式だ。

 

「あ、いや、自分で出来る……というか触るな。ヒッ! 助けてモモンさま!」

「静かにしなさい。式典が始まっているのよ」

 

 冒険者たちの一角から突然幼い悲鳴が上がった。<蒼の薔薇>のイビルアイの声だ。

 元々仮面を付けているイビルアイが、その上に仮面を重ねることに苦戦していた。それを見かねたセラブレイトが紐を結ぶのを手伝ったとき、偶然にもイビルアイの首筋に指が触れてしまったようだ。

 <漆黒>のモモンの脚に縋りつくイビルアイを、その前に並んでいた<永遠の白>ラキュースが振り返って小声で窘める。

 会場の空気が凍る。

 アルベドの鋭い視線がその一角に向けられる――が、<漆黒>のモモンが大袈裟な身振りで頭を下げて謝罪の意を示すと、アルベドも「仕方がない」とでもいうような表情を浮かべて視線を逸らす。

 唯一、魔導国に対抗しうる英雄モモン。エ・ランテルの治安を魔導王アインズより託された存在。

 そのとりなしに会場を覆った緊張が和らいだ。

 

 そしてアルベドの演説が続く。至高の存在の愛の深さ、知恵の深遠さを滔々と述べていく。

 すでに日は沈み、空は夕焼けから灰色に、そして闇色に変わっていく。

 アルベドの長い演説が終わる――楽隊が再び荘厳な曲を奏で始め、空から七色の虹が突如降り注いだ。

 アルベドと守護者達がその光を仰ぎ見る。超越者たちが光の中を降りてくるのを歓喜の表情で迎えて。

 

「モモンガ様とブルー・プラネット様のご光臨である! 歓声をもって迎えよ!」

 

 アルベドの声が響き、出席者たちは一斉に仮面を外して宙に放り投げる。

 そしてあらん限りの歓声と拍手をもって超越者達を迎える。

 

「大儀である」――ザイトルクワエII世の遥か頭上、宙に浮いたモモンガが一声発して腕を振ると拍手と歓声がピタリと止まる。

 

「今年もまた冬を迎えた」――モモンガの隣に浮かぶブルー・プラネットの声が響く。

 

「冬は一年の終わり……人間の一生に例えれば死の象徴である。だが、新しい生命の誕生をもたらす春を約束するものでもある。我々はこの世界を生まれ変わらせるために来た。我々は来年の更なる繁栄を世界にもたらそう」

 

 そしてザイトルクワエII世の各枝の先端に眩い光が灯される。モモンガの<時間停止>による<永続光>の同時点灯だ。

 会場が一気に真昼のように明るくなり、参加者から歓声が上がる。先ほどのような強制されたものではない。人知を超えた魔力による奇跡を目の当たりにし、自然に漏れる驚きの声だ。

 

「闇は晴れた」

 

 自らは漆黒の装備に身を包んだモモンガの声がアイテムによって拡大され、会場に響く。

 

「今宵、私は願う。各国の人々、種族が手を取りあい、ともに永遠の繁栄を歩むことを。さあ、魔導国の料理を共に食べ、同胞の契りを結ぼうではないか」

 

 再び歓声が上がる。どこか空々しい響きを帯びたものではあったが。

 そして広場に楽しげな音楽が流れ、宴会が始まった。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

「終わったー」

「終わりましたね。今年も、何とか……」

 

 宴会が終わり、2人の超越者はモモンガの部屋で大きく伸びをする。

 各国・各地域の代表者と会い、それぞれの抱える問題を聞いて対応する――宴会とはいえ気の休まることのなかった2人はようやく寛いで深々と椅子に身体を預ける。肉体的な疲労は感じない2人だが、人間の精神の残滓からくる疲労感は元の肉体と変わらない。

 

「あとはアルベドとデミウルゴスに任せて……と」

「ええ……竜王国の女王さん、どうなっているんでしょうね。それは気になりますが」

 

 今年滅ぼしたアーグランド評議国――その支配者であった竜王達と血縁であるという竜王国の女王ドラウディロンが暫定統治者として置かれた。その対処はアルベドたちに任せているが、異種族の多いあの地域が落ち着くまではしばらく時間がかかるだろう。

 

「あの地域は、まだまだ探りがいがありそうですしね」

「本当に……まさに謎の宝庫ですよ」

 

 楽し気にモモンガが語る。竜王達を倒して得たアイテムの豊富さを思い出しているのだろう。

 ブルー・プラネットも頷いて今年のアーグランド戦を思い返す。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 竜王達との戦い――それはこの世界に来てから最も激しい戦いだった。

 フールーダからの情報で、竜王達は「始原の魔法」と呼ばれる独自の魔法体系をもつことが分かった。ユグドラシルとは異なる魔法体系だ。加えて複数の竜王が評議国に点在しているという。彼らの居場所は定かではなく、評議国自身の地図も不正確なままだ。

 

 この世界のドラゴンは弱い。それは以前のフロストドラゴンとの戦いで分かっていたが、未知の魔法にだけは気を付けるべきだろう。未知の攻撃手段を持つ敵が複数潜む評議国に進撃するのは、地雷原に突っ込むようなものだ。

 そう考え、モモンガ達は慎重さをもって攻略することを決めた。

 

 デミウルゴスの提案により、まずは捨て駒を――人間達の英雄を使うことにした。

 幻術により創り出した竜を使ってリ・エスティーゼ辺境の村々を襲わせ、魔導国の属国となったリ・エスティーゼに対するアーグランド評議国の侵略の噂を立てた。そして、その確認のために<蒼の薔薇>を竜王の国に向かわせた。

 

「本来であれば夫の代理として私が行くべきでしょうが、夫があのような状態ですから……竜王に会うのに一介の冒険者の立場では難しいでしょうから、リ・エスティーゼの特使としてお願いできますか?」

「ええ、助かるわ。あなたは心配しないでお父様やクライム様の介護に専念してちょうだい」

 

 調査を依頼したラナー女王は、出発に際してラキュースに書状を預けた。

 そして、アルベドやデミウルゴスが<蒼の薔薇>に各種アイテムを与えた。竜王へのプレゼント、そして万一竜王が敵対的であった場合に身を守るという名目で。

 貸し与えられた装備には、竜王たちが警戒していたというスレイン法国の神人の装備も含まれていた。これらは極めて貴重なものであり、必ず返却するよう厳命された。

 

 アーグランド評議国は急遽議会を招集し、元・王国からの特使を歓迎した。

 ガガーランに剣を預け、巨大な議場の中央に<蒼の薔薇>のリーダー、ラキュースが独り歩を進めた。亜人や獣人の評議員たちが投げかける鋭い視線に目もくれず、前方のアーグランド永久評議員――5匹の竜王達を見据えて。

 そしてラキュースは自分たちを見つめる巨大な竜たちに向かって胸を張り、ラナーの手紙を読み上げ、リ・エスティーゼの村々に対する“悪事”を調査するよう訴えた。

 

 竜王達は目の前の小さな人間を興味深げに眺め、その言葉にせせら笑いを漏らした。

 愚かなことを言う、竜が人間たちの村を襲って何になるのだ、と。

 だが、竜王の一匹が<蒼の薔薇>の装備に気が付いたとき、その空気は一変した。

 竜たちが目配せをし、議長ツァインドルクス=ヴァイシオンが装備の由来を問いただした。

 <蒼の薔薇>が「神の遺産だ」と説明すると、竜王達は激高した。

 

「“ゆぐどらしる”の災厄を神などと呼ぶな」――ツァインドルクスが吼えた。

「やはり裏切っていたのだな! この世界を汚し続けるのだな!」――他の竜王達はそう叫んだ。

 

 そしてスレイン法国の装備を譲り渡すよう要求し、その権限が無い<蒼の薔薇>が拒否したとき――

 

 破裂音とともに、憎しみと混乱をもたらす悪臭が議場を覆った。

 

「罠だ!」――竜王達が叫んだ。彼らにはさほど効果は無かったようだった。

「竜が毒を吐いた!」――<蒼の薔薇>は猛り狂い、叫んだ。ただ一人、イビルアイだけは仲間たちを止めようとしたが、ラキュースたちは耳を貸そうとしなかった。

 

 亜人の議員たちが悲鳴と怒号を上げて逃げ惑う中、戦いが始まった。議場の入り口に控えていたガガーランが走り寄り、ラキュースに向かって力任せに剣を投げつける。飛んでくる愛剣の回転に合わせて自らも跳んだラキュースは、剣の柄を片手で掴むとその勢いのまま剣を振りかぶる。そして、雄叫びを上げて突進した。前方で大きく息を吸い込んでいる竜王に向かって。

 竜王はラキュースに向かって炎を噴いた。笛を吹き鳴らすような甲高い音とともに、細く絞られた白い輝きが通路を駆けるラキュースを、そしてその後ろに続く<蒼の薔薇>達を一直線に襲った。

 本来ならば<蒼の薔薇>はその一撃で焼き尽くされていただろう。だが、ツァインドルクスの炎は神人の護符が放出した力場によって防がれた。ツァインドルクスがたじろいだ次の瞬間を狙い、ラキュースの剣が闇を纏う。

 

「超技! 暗黒刃超(ダークブレードメガ)……」

 

 ラキュースの闇の力を開放する高らかな詠唱は途中で消えた。目の前で突如始まった惨劇に、混乱状態にあったラキュースも凍り付いたように動きを止めるしかなかった。

 ナザリックの奥深く、<蒼の薔薇>に持たせたマーカーを通じて正確な座標を把握し"遠隔視の鏡"で一部始終を見ていたモモンガが、シャルティアに命じて<転移門>を開かせたのだ。

 

 青の竜王の首が鋭利な刃で切り飛ばされ、落ちた頭部がズシリと床を軋ませた。

 黒の竜王の脇腹に人間の胴体ほどの穴が開き、血が噴き出し、それが全て吸い取られるように空中に消えた。

 金剛石の輝きを放つ竜王の身体が轟音とともに揺れ、その鱗が大きく波打って剥がれ落ちた。次いで放たれた拳によって鱗の下の肉が血飛沫とともに弾け飛び、竜王は血を吐いて横倒しになった。

 長大な身体をもつ竜王が天井まで届く業火に――2種類の火柱に全身を包まれた。炎を纏ってのたうつ竜王に何人かの亜人たちが巻き込まれ、ともに灰燼と化した。

 そして白金の竜王の頭蓋は巨大な銅鑼を打ち鳴らしたような轟音とともに揺すぶられ、その身体に無数の矢が突き立った。それでも生き延びたツァインドルクスが何かを言おうと口を開け――その胸を何かが圧し潰し、その首が半分ほど断ち割られた。

 

 第一撃が終わり、<完全不可知>の魔法を解いて虐殺者たちが姿を現した。5匹の竜王達に対し6人の階層守護者、そしてセバス、パンドラズ・アクター、ルベドまでも加えたナザリック最大戦力が投入されたのだ。しかも魔法とアイテムによって十分に準備して。

 病んだ光を纏うバルディッシュを構えた黒い騎士が議場に宣言した。

 

「平伏なさい。魔導国保護領リ・エスティーゼの使者に刃を向けた不遜な竜王の後を追いたくなくば!」

 

 亜人たちの評議員は平伏した。何が起きているか把握できず呆然と立ちすくんだままの何人かは、アウラの放つ矢によって倒された。

 

「思った以上に簡単に済みましたね」

「ええ、人間への蔑視、神人への過剰な警戒……そんなものに気を取られ、最も畏怖すべきナザリックを忘れた愚か者の末路に相応しいわ」

 

 評議員たちが息を潜める中、デミウルゴスは微笑み、アルベドは白金の竜王の首を足蹴にして吐き捨てた。

 

「ふむ、終わったか。やはり、竜王と言ってもレベルは高くないのだな」

「一度で倒せなかったのは、このツァインドルクスという奴だけですな」

 

 モモンガとブルー・プラネットが転移し、周囲を検分した。

 

「始原の魔法……とやらも見たかったが、まあ、やむを得ないか」

「仕方ないでしょう。その魔法がどんなものかを知らない以上、生け捕りってわけにもいかないですし」

 

 虚空を見据えたまま動かないツァインドルクスの目を覗き込みながらモモンガとブルー・プラネットが感想を述べ、それを守護者達は跪いて聞いていた。

 

「やはり我々が的となり、始原の魔法とやらをご覧いただくべきでしたでしょうか」

「よい。お前達の一人も傷つかず勝利を収めたこと、それが何よりの喜びだ。そのための計略であったはずだろう? あえてお前たちが傷つく計略など、あって良いはずがない」

「なんと、ありがたきお言葉!」

「よい。それでは――」

 

 デミウルゴスをはじめとして守護者達が感涙にむせぶ中、モモンガは戦後の処理を指示した。

 

『属領リ・エスティーゼの特使を攻撃した竜王への裁きである』

――魔導国が評議国を支配下に置くことを各地に宣言した。<蒼の薔薇>が竜王の先制攻撃の証人となり、異を唱える者はいなかった。

 戦利品――評議国に残された竜王の宝物が接収された。ただの宝石の山はモモンガとブルー・プラネット達にとってはガラクタでしかなく、そのままナザリックの宝物庫に運ばれた。しかし、竜王達が収集していたアイテム群は竜王の宝物庫でモモンガ自らが鑑定した。

 

 竜王たちが集めていたユグドラシル由来のアイテムは驚くべきものであった。

 

「みてくださいよ! これ、“永劫の蛇の腕輪”ですよ! それにこっちは“五行相克”!」

「えぇぇぇぇ!? ワールドアイテムの中でも特級品じゃないですか!」

 

 モモンガが鑑定を終えて叫び、ブルー・プラネットも叫び返した。二人は手を打ち鳴らすと、アイテムを高く掲げ、ワールドアイテム入手の効果音を口ずさんだ。

 スレイン法国を占領してその宝物庫を暴いたときもワールドアイテムが幾つか見つかり興奮したが、竜王達のコレクションは更に素晴らしいものだった。ワールドアイテムだけでなく、神器級アイテムも何十も揃っていた。超レア素材を組み合わせたアイテム――おそらくギルド武器――まで見つかった。

 

「これ……昔のプレイヤーの遺品ですね?」

「ですね。しかも、相当高度なギルドのものだったはずですよ、これ」

「しかし、竜王達がこの価値を知っていたんですかね?」

「そりゃぁ、伝承によれば竜王達は過去のプレイヤーとも戦っていたようですし……」

「でも、なんで使わなかったんでしょう?」

 

 興奮が去ると、疑問が生じた。ブルー・プラネットの問いにモモンガは口を閉ざす。

 確かに変な話だ。

 強力なアイテムと知り、それを集めておきながら何故使おうとしなかったのか?

 何故、宝物庫にしまっておいたのか。

 竜王たちがアイテムによって自分や部下のステータスを向上させていたら、過去のプレイヤーに、あるいは神人にとって恐るべき相手ともなり得たはずだ。

 

 特にワールドアイテムの“永劫の蛇の腕輪”や“五行相克”――

 モモンガ達は皆ワールドアイテムを装備している。それは、敵のワールドアイテムに対抗するためだ。だが、ワールドアイテムの中でも特級品である“永劫の蛇の腕輪”や“五行相克”など世界の仕組みそのものを変えてしまうものに対しては、通常のワールドアイテムを装備していても対抗できない場合がある。

 

「もし、異形種の設定変更とかに使われていたら……」

「ユグドラシルでは特定の異形種を消すことだって可能でしたしね」

 

 モモンガとブルー・プラネットが声を潜める。ユグドラシルで起きた事件を思い出して。

 かつて、ユグドラシルではドラゴンをプレイヤーキャラクターとして使うことが出来た。もちろん、それはシビアな条件をクリアしてリザードマンから転生できるものであったが、強力すぎる種族特性でゲームバランスを崩しかねないと不評が巻き起こった。

 そして、あるギルドが試しにワールドアイテム“永劫の蛇の腕輪”を使用した。

 

「ユグドラシルから、ドラゴンのプレイヤーを消してくれ」――と。

 

 そして、その願いは聞き届けられてしまった。ワールドアイテムを装備していた者も含めてドラゴンのプレイヤーは消え去り、元のリザードマンへと強制的に転生させられた。特殊効果付きの竜の鱗で作られた鎧を纏う、ただの竜騎士として。

 

 もしも、竜王が「この世界からユグドラシルプレイヤーを消し去ってくれ」と願っていたら。

 もしも、「魔導国の異形どもを消し去ってくれ」と願っていたら。

――モモンガ達の背筋を冷たい感覚が這い上った。

 しばらく考え込んだ末に、モモンガは仮説を提示する。

 

「……うーん、ひょっとして竜王達は『始原の魔法』を使える代わり、ユグドラシルのアイテムを使えなかった……とか?」

「あ、そうですね……うーん……」

 

 今度はブルー・プラネットが腕組みをして考え込んだ。

 竜王は始原の魔法を使える代わりに、ユグドラシルのアイテムを使えない――ゲームとしてはあり得る話だが、この世界の現実でそんな制約があるのだろうか。それに、仮に竜王が使えなかったとしても配下の亜人に使わせればよかったのに、と。

 

「まあ、彼らの遺した資料を探ればそれも分かるかもしれません」

 

 そう言ってモモンガは大切そうにアイテムをアイテムボックスにしまうと、次に竜王達の書庫に向かった。

 

 書庫といっても人間の書き記す書物のようなものが主体ではない。鋭い爪をもち、文字を書くことのなかった古の竜王達は魔力を込めた宝珠に記録を刻み込んでいたらしい。

 過去のプレイヤーとの戦いで「始原の魔法」を使える竜王達が減ってしまった後、宝珠の記録の一部は「始原の魔法」を使えないアーグランド評議国の諸種族のために石板や紙に書き写されて残されている。

 書庫にはその宝珠と、幾つもの石板や書物が眠っていた。

 猫頭の獣人の司書から宝珠が主たる記録媒体だと聞いたものの、モモンガの魔法をもってしてもその鑑定は出来ず、記録を読み取ることも不可能だった。

 

「やっぱり、俺らでは竜王のアイテムは使えないみたいですね」

「なるほど、『逆もまた然り』ってやつですか」

 

 肩をすくめたモモンガにブルー・プラネットは頷いて見せる。

 やはり捕虜にすべきでしたね――モモンガが残念そうに言う。得体のしれない「始原の魔法」を使う竜王を捕虜にするなど爆弾を抱えて寝るようなものだというデミウルゴスの忠告で断念したのだが。

 

 竜王の宝珠の問題は意外なところで片付いた。

 竜王国の女王が「始原の魔法」を使えると評議国の者から聞けたのだ。

 竜王国の女王であれば危険性は低い――その判断の下、急遽、竜王国とアーグランド評議国の併合が発表され、女王は評議国の支配者として据えられた。そして、遅々としてではあるが宝珠の情報を紙に書き写す作業を進めている。

 

 膨大な記録を読み取るまで何年かかるか分からないと女王が言った。

 そのため、当面は石板や紙への写本――宝珠に残された記録のごく一部の翻訳――をナザリックに持ち帰り、モモンガとブルー・プラネットの2人でその内容を解読している。

 年代が浅いものから歴史を逆行していき、徐々に竜王達の歴史が明らかになってきたところだ。

 大変な作業ではあるが、ユグドラシルの謎解きと同じだ。この数か月、暇な時間を見つけては2人は嬉々として謎の解明に取り組んでいる。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 祝宴の苦労をねぎらい合いモモンガと別れた後、ブルー・プラネットは自室で今日も写本に向かう。

 この写本は、ツァインドルクスの父、先代の竜王が「八欲王」との戦いに赴く前に残した詩の一片らしい。

 

「えーと……“オリュアリゥ……えっと、竜王が自分たちを指す言葉だったな……クィアリゥ……は『この世界』だったな。……創り保つ……裂き……空を……者、現れたる……恐るべき”? ふむ、『我々竜王はこの世界を創り、保つ。空を裂いて現れた恐るべき者は』か」

 

 ブルー・プラネットはメモを取っていく。これまでに得た歴史の知識と合わせ、八欲王などの過去のプレイヤー達のことだろうと推測する。

 ドラウディロン女王の翻訳した文章、あるいは獣人の文章ならば魔法による翻訳は簡単だ。しかし、この写本は竜王の言葉を元に獣人が書き写してきた文章である。文法が根本から異なるため、文章は伝言ゲームのように変化し、ほとんど単語の羅列となっている。その上、意味の分からない単語も混ざる。特に竜族の固有名詞や比喩はさっぱり分からないので、ドラウディロン女王の翻訳との照らし合わせとなる。

 

「オリュアリゥ……我ら竜王の、大地、汚し、混ぜる……ギィ? 否定形か……『混ざらない』だな……彼らの力……広がり……不毛な樹。蟲を滅ぼす、食えない実、悪意の彼ら……存在は……否定形だな」

 

 自分たちの領土を侵略する敵は必ず排除し、滅ぼす――そんな決意の表れだろうと推測する。

 これまでの解読から、ブルー・プラネットは竜王たちの考え方を理解しつつあった。

 竜王達はこの世界を自分たちの物と考え、プレイヤーを異常に警戒していた。“この世界を汚す者”と呼び、自分達の世界と相容れない敵だと考えていたらしい。

 

「自分たちの『始原の魔法』と相容れない力をもつ者を敵視するのは分かるが……」

 

 それにしても“蟲”とか“不毛な樹”とか、酷い言われようだ――苦笑してブルー・プラネットは自分の枝を見る。

 この文章は数百年前に書かれたものだ。当時は“蟲の魔神”と呼ばれていた者もいたらしい。“樹”と言っても自分のことではない。おそらくザイトルクワエのことだろうと考える。彼らが遺したであろうユグドラシルのアイテムが竜王にとって「不毛」なのは確かだが、と笑って翻訳を続ける。

 

「外の者、混ざらぬ……生み出し……生み出さない……彼らと我ら……増え、滅ぼす? なんだ?」

 

 生み出して、生み出さない。彼と我、増えて滅ぼす。――対立概念の羅列に翻訳の手が止まる。後に続いているのは再び「樹と蟲と」という言葉。

 

 ブルー・プラネットは翻訳に悩み、考える――そして思い当たる。

 外の者……外来種……外の世界から持ち込まれたもの。それをどう捉えるかが問題だと。

 

 自分たちは外来種だ。その自覚はあった。恐怖候の眷属が外の世界で殖えたことに気付き、それを捕らえる罠も各家庭に配っている。恐怖候の眷属が敵だからではない。生態系を守るためだ。

 この世界と恐怖候の眷属――その対立をブルー・プラネットは「その上の視点」で考えている。

 もし、竜王が「敵と味方」ではなく「その上の視点」で考えていたとしたら……

 

 ブルー・プラネットの視界がぶれた。翻訳の勘違いに気が付いて。

 今まで読んできた部分を読み返す。

 竜王達が、「外の者」に自分達の財物や領土が奪われることを警戒したのではなかったとしたら。

 彼らが言う「蟲」や「不毛な樹」がプレイヤーの蔑称ではなく、そのままの意味だとしたら。

 

「えっと……彼らの生み出すものは、我らの生み出すものと相容れない。彼らの力は大地を汚した。樹は不毛であり、その実は食えず、蟲が死ぬ。彼らは広がり増え、我らを滅ぼす……はぁっ!?」

 

 文章をまとめ、ブルー・プラネットは思わず声を漏らした。

 

 そんな馬鹿なことがあるはずがない。<樹木育成>で樹は育つ。土地は<土地回復>で肥沃な農地となった。人々はその恩恵によって繁栄している! 第六階層に植えた果樹だって今や甘い実をつけるようになった。植えた当初は薄味で砂っぽく、食えたものじゃなかったが……

 

――苛立ってうねるブルー・プラネットの指が止まった。

 

 食えなかった実が何故、甘くなったのだろう?

 土が栄養豊かだからか? いや、未だに第六階層に害虫は広がっていない。

 何年も失敗し続けている飼育計画――ナザリックの土では、森の蟲は育たない。

 蟲――この世界の本来の生物。竜王が創ったと主張する世界の生物だ。

 なら、何で人間が……この世界の人間は――

 

 転移の指輪を作動させ、ブルー・プラネットは地上に出る。

 そして<帰還>によってトブの大森林の要塞に転移する。

 その周囲にはブルー・プラネットの魔力によって育てられた樹木が広がっている。大要塞の建築、そして再築のために何度も育て直した樹々が。

 

 土を掬い、恐る恐る覗き込む。

 そしてその土塊を地面に叩きつけると、ブルー・プラネットは地面に突っ伏して呻き声を上げた。

 

 死んだ土だった。

 何度も魔力で回復された大地。創り直された土――そこには一匹の蟲もいなかった。

 

『どうされたのですか? 我が創造主よ……』

 

 周囲の樹木が騒めく。ブルー・プラネットの魔力で成長した樹々たちの声だ。

 ブルー・プラネットは枝を伸ばし、その樹々を薙ぎ払う。

 幹を抉られた大木が悲鳴を上げ、地響きを立てて地面に倒れる。

 ブルー・プラネットはその様子を冷たい目で睨み付けた。何度も何度も地面を殴りつけた。

 

 騒ぎを聞きつけ、要塞からエルダーリッチたちが飛び出してくる。至高者の怒りを鎮めるために。

 

「どうかなされましたか? ブルー・プラネット様!」

 

 最初に声をかけたエルダーリッチは、無言で振り下ろされた枝の一撃で叩き潰された。

 その他の者達は何か言いたげに口を開け、ブルー・プラネットを囲んで無言で立ち尽くす。冬の月光が青白く差す下で、それは立ち並ぶ墓標に見えた。

 

「ははは、それでいいんだ。そうだよ、お前たちは死んでいる……死んでるくせに動くなよ」

 

 ブルー・プラネットは笑い、そして目に付いた青々とした樹の枝――自分の指先を引き裂いた。

 鋭い痛みの中で自分の指先――枝先を見つめ、それをエルダーリッチたちに見せつけた。

 

「見ろよ、これ……どう見ても樹の枝だろ? 生きてるように見えるだろ? でも、これ金属なんだぜ? 騙されるだろ? ははは……モモンガさんは正直だよ。だって骸骨だしなあ。あはははは……」

 

 無言の死者たちに囲まれ、ブルー・プラネットは乾いた声で笑う。

 

 そうだ、答は出ていたじゃないか。俺自身が答じゃないか。これは樹じゃない。「生ける鋼」、ただの金属を樹に似せただけだ。生きているはずがない俺が、命を創れるはずがないじゃないか――

 

 ブルー・プラネットの中で点と点が結びついた。

 かつてモモンガが魔法の根源について語った言葉――捕らえた神官の記憶を弄りながら語った言葉。

 

『何か大きな力の根源があり、それが信仰や呪文に応じて様々な効果に姿を変えるんじゃないかって思うんです』

 

 竜王の魔法はその“根源”からこの世界を創り出したのだろう。だから“始原の魔法”なのだ。

 そして、それと相容れないユグドラシルの魔法で作られた物は、この世界に相容れない物質を生み出すのだろう。

 竜王はユグドラシルのアイテムを使えない。この世界の生き物は本来ならユグドラシルの生み出すものを使えない。

 竜王達が魔法によってこの世界を創りあげ、俺達は別な世界を――死んだ世界を混ぜてしまったのだ。

 

「いや、“俺達”じゃないな」

 

 ブルー・プラネットは考え直して呟いた。

 この身体――生きているはずのないこの身体はどこから「来た」のか。

 「来た」のではない。「来た」はずがない。俺たちはどこにも「居なかった」のだから。

 ユグドラシルはどこにも存在していなかった。あれはただの電子情報、脳に投影された幻影だ。

 竜王が魔法で――情報でこの世界を創り出すように、何かの原因で元の世界が、ユグドラシルの情報がこの世界と干渉し、俺達が“根源”から創り出されたのだろう。ユグドラシルの設定を真似る存在として。

 

「俺はただのコピーだ。人間であった記憶も、何もかも……」

 

 ブルー・プラネットは大きく夜の空を仰いだ。

 出来損ないのコピー。外部の刺激によって生じた異物。周囲を侵食し、自分と同じに塗りつぶす有害な存在。死に至る病。

――ブルー・プラネットはそれを良く知っている。

 

「あはは、そうか、俺たちはガン細胞だ。この世界のガン細胞だ。なんとかしなきゃな。なんとか……」

 

 そう呟きながらブルー・プラネットはフラフラと立ち上がった。

 そして<帰還>を唱えてナザリック地下大墳墓に戻ると――

 

> 宝物殿に向かった (End-1:永劫の蛇)

> 第六階層に向かった(End-2:機械仕掛けの神)

 



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後日譚:永劫の蛇

Endその1 注)「ナザリック崩壊」や主要キャラの死を含みます


 ブルー・プラネットは宝物庫に向かった。

 通常、この場所へは2人以上で来ることになっている。指輪をもって入るとトラップが作動するため、指輪を預かる者が必要なのだ。

 

 だが、ブルー・プラネットは入り口まで転移すると指輪をその場で投げ捨てた。

 ギミックによって部屋一杯の金貨や宝石が雪崩を起こし、指輪は埋もれて見えなくなる。ブルー・プラネットはそれに目を遣ることもなく独りで宝物庫の奥に進む。

 

 宝物庫の奥にはモモンガ――に化けたままのパンドラズ・アクターが居た。

 

「これはこれはブルー・プラネット様、お知らせくださればお迎えに上がりましたのに……それで、本日はどのようなご用件でしょうか?」

 

 変身を解いて軍服姿に戻ったパンドラズ・アクターは、いつもの様に片手を胸に当て、大げさな身振りで至高者を迎える。

 だが、いつもなら同じように大袈裟な身振りで「今日はだな」と返してくれるはずのブルー・プラネットは沈んだ声で一言答えるだけだった。

 

「ああ、ウロボロスを借りたい」

 

 パンドラズ・アクターは驚いたように天を仰ぎ、片手を額に当てて問い返す。

 

「ウロボロス! おお、竜王の宝物庫で見出された新たなワールドアイテム! 世界を創りかえる秘宝を!」

「ああ、そうだ。それを出してくれ」

「承知いたしました! しかし、あのような強力なアイテムを何故……?」

「お前が知る必要はない」

 

 不機嫌そうにブルー・プラネットは答える。

 パンドラズ・アクターはいつもと様子の異なることに不思議そうに首を傾げたが、帽子を目深にかぶり直すと深く腰をかがめた。

 

Wenn es meines Gottes Wille(我が神のお望みとあらば)

 

 そう言ってパンドラズ・アクターは宝物庫の最奥に入り、無数のアイテムの中から指示された物を持ち出してきた。尻尾を銜えた蛇の輪――世界を取り巻く大蛇を象った「永劫の蛇の腕輪(ウロボロス)」だ。

 

「ブルー・プラネット様、ウロボロスでございます」

「ああ、ありがとう」

 

 力なく笑うブルー・プラネットを見てパンドラズ・アクターは再度質問を考えたが、思いとどまった。それは領域守護者の分を超えていると判断したのだ。

 己を滅し、ひたすらに忠誠を尽くす――それが被造物たる自分の役割であると。

 

 ブルー・プラネットは傍に跪いたパンドラズ・アクターには目もくれず、ウロボロスを手に取って眺めながら考えた。

 

(果たしてこれで効くのだろうか? ワールドアイテムを所持している者にはワールドアイテムの効果は……)

 

 以前、これを使って一部地域を立ち入り禁止にしたとき、他のワールドアイテム所有者はその禁を破ることが出来た。だが、別なワールドアイテム“五行相克”で魔法の体系が変更されたときはワールドアイテム所有者にもその変更が適用されてしまったのだ。

 

(俺もワールドアイテムを装備しているんだ。仮にウロボロスが効かなければ、生き残った者たちを俺が……)

 

 そう考えながらブルー・プラネットはウロボロスを腕に嵌め、頭上に掲げる。

 

 全能感が満ち溢れてくる。どんな願いでも叶えられる。

――その確信とともに、このアイテムの詳細な効果範囲が頭の中に流れ込んできた。

 

(ああ、大丈夫だ。この願いはワールドアイテム所持者にも効く)

 

 暖かな安心感に包まれ、ブルー・プラネットは願いを口にする。

 

「この世界からユグドラシルに由来する全てを……そう、全てを消し去ってくれ! この世界をあるべき元の姿に戻してくれ」

 

 ユグドラシルの全て――ブルー・プラネットの脳裏をかつての仲間との記憶がよぎる。

 肩を並べて戦ったこと、つまらない勘違いで起きた喧嘩、苦労の果てに得たアイテム――

 

 楽しかったなあ……

 

 その記憶がコピーに過ぎないとしても、ブルー・プラネットの口元が緩んだ。歪んだ樹の魔物の顔に、全ての義務から解放され安堵に満ちた子供の様な笑顔が浮かんだ。

 そして、その笑顔はウロボロスから発せられる白い光に飲み込まれて消えた。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 ウロボロスから発せられた白い光は、ほんの瞬きの間であったが世界を覆った。

 

 魔導国首都エ・ランテル、「黄金の輝き」亭の特別室でバハルス帝国皇帝ジルクニフはフールーダと話し合っていた。短い謁見では伝えきれなかった要望について。

 

「――というわけで、帝国と竜王国の境界について私はぜひアインズ陛下と……」

「分かりました、陛下。わが師にはそのようにお伝えし――」

 

 白い光が部屋を満たした。

 

「な、なんだ、今の光は? ……おい、爺、これも……アインズ……陛下のお力……か?」

 

 身体から血が抜き取られたような異常な脱力感に椅子から崩れ落ちたジルクニフは、床を這うようにもがきながらフールーダに問いかけた。

 だが、その問いに返答はなかった。

 荒い息をついてようやく椅子に這いあがったジルクニフは、先ほどまでフールーダが座っていた椅子を見た。

 一塊の灰が乗っているだけだった。

 

「おい、爺! 転移してしまったのか? おい、爺……誰か……誰か来てくれ」

 

 油じみた冷汗で額にベッタリと髪を貼り付かせたジルクニフが叫ぶ。その声に護衛たちが駆け寄ってくる。帝国の誇る騎士達も一様に蒼ざめ、その足取りは覚束なかった。強力な騎士ほどその影響は強く、高位の騎士には床に崩れおちてそのまま息を引き取っていた者もいた。彼らの死体は、まるでミイラのように干乾びていた。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 皇帝ジルクニフの身に起きた事件と時を同じくし、その帝国でも異変が起きていた。

 帝都の空を警護する魔法詠唱者達は白い光を浴びた後、やはり異常な脱力と共に全ての魔法の効力が消え失せていることに気付いた。

 

「な……お、落ちる……助けてくれぇっ」

 

 「降臨節」の祭りで賑わう帝都の上空数十メートルを旋回していた者達は次々と墜落し、家々の屋根や道路に身を激しく打ち付けて血と肉片の染みを広げた。

 祭りの広場を囲む商店――三階建てのレンガ造りの古い建屋に魔法詠唱者の身体が砲弾のように衝突した。歴史ある建屋を補強していた<修復>の魔力は消えており、レンガの壁は脆くも崩れ落ちる。すぐに崩壊は建屋全体に広がり、買い物客や広場の人々を巻き込んで瓦礫の山と化した。

 やがて崩れた瓦礫から炎が上がった。炎は家々の残骸を飲み込んで街を舐めるように広がっていく。

 住民は皆、異常な疲労と眩暈を感じた。逃げることもままならない彼らは炎に巻かれ、瓦礫に圧し潰され、助けを求める悲鳴と呻き声が帝都を覆った。

 

 帝都から遥か遠くの辺境の町でも異変が起きた。

 一夜明けて異常な脱力からようやく立ち直った住民は、喉の渇きを癒そうとし、そこで生活用水が来ていないことに気付いた。

 役所の並ぶ広場に集まった住民たちは、町の象徴であった噴水が枯れたことを知った。

 

「神の泉が枯れるとは……」

 

 魔導国の生ける神々を知ってもなお異端の信仰を続けていた住民たちは口々に不安を叫ぶ。

 しかし、都市長も神官たちもこの異変に頭を抱えるばかりで何も出来なかった。神託の水晶球は失われ、高位の司祭は倒れたままだ。

 誰にも原因を説明することが出来ない中、ただ1つ明確なことがあった。命の支えとなる水が無ければ人は生きていけないということだ。

 残された泉の水を巡る争いが起きた。革袋や食器――あらゆるものを持ち出し、人々は先を争って僅かな水を集めた。泉は枯れたが、井戸の水は残っていたのが救いだった。

 やがて彼らはそれぞれの家に帰ると荷物をまとめた。

 何かとても不吉なことが起きたに違いない。この街は神の恩寵を失ったのだ、と囁き合って。

 これから何が起きるのか――不安に駆られた人々は町を捨てて帝都を目指した。強力な軍が守っているであろう帝都を。

 だが、その帝都が今や炎と瓦礫の町と化していることは辺境の地には伝わっていなかった。

 魔法詠唱者達による情報網も途絶していたのだ。

 

 バハルス帝国だけではない。スレイン、聖王国、リ・エスティーゼ……

 この大陸で人間が暮らす全ての地域が同様の混乱の極みにあった。

 食糧庫の穀物は半ば以上灰と化し、住民と難民あるいは難民同士で争いがおこった。

 軍が崩壊した。異種族が攻めてくる――そう叫ぶ者もいた。

 だが、魔物たちの侵攻は無かった。既に滅ぼされた竜族以外の魔物たち――ユグドラシルによって生み出された怪異は白い光に飲み込まれて消え去り、あるいは歪められた姿から解放され元の獣に戻っていた。

 

 アベリオン丘陵――デミウルゴスの“牧場”でも異変は起きていた。

 牧場の横に設置された特別収容所。この収容所にはブルー・プラネットの命によりデミウルゴスが諸国から集めた者が収容されていた。

 

「おい、何だ? 今の光は!?」

 

 いつもの様に眠れぬ夜を過ごしていた囚人の一人が起き上がり、立ち眩みに額を押さえながら隣の囚人に尋ねた。

 

「ヴァス? ヌー……エスツ・ディス・レヒテェ?」

「は? なんだって?」

 

 声を掛けられた囚人が発した言葉に、最初の囚人は眉をひそめて聞き返す。

 

「ロ・キェセ・ホ……ポシェド? ロ・キェセ……アスタ・デュシェンデュ……アスキェ……」

「シャーマ!? ニィ……テュン・ボゥ・ドゥ、ジィア・ショー・シェミィ!」

「おい、なんだ!? 誰かまともに喋れる奴はいないのか!?」

 

 収容所の中で様々な言葉が飛び交い、お互いがお互いを理解できないままに混乱が起きた。

 囚人たちは疲労を感じながらも、話が通じる者を求めて大声で呼び合った。

 

「おい、あんたは言葉が通じるのか?」

「あ、ああ……しかし、何だこりゃ? いつもの悪魔どもの嫌がらせでもねぇみたいだが」

「分からん。さっき白い光が見えたと思ったら、いきなりこれだ」

 

 どうやら言葉の通じる者達がいるらしい――数分間の混乱の後に、人々は落ち着きを取り戻した。言葉の通じる者同士で集まり、相談を始めた。

 

「何が起きたのか……しかし、見張りの悪魔どもの姿も見えないな」

「ああ、外に出て行ったのか分からんが……おい、ちょっと! 壁が、あっちで壁が壊れてるぞ!」

 

 一人が叫び、その指す方に他の囚人たちが一斉に目を向ける。

 壁に穴が開いていた。

 崩れた壁の周りで囚人たちが騒いでいる。言葉は聞き取れなかったが、身振り手振りで凡そのことは分かった。何人かが壁にもたれかかったときに崩れたらしい。幸い怪我はしなかったようで、埃塗れになった尻や腕を擦りながら崩れたレンガを指さして叫んでいる。

 

「信じられん! 昨日までビクともしなかった壁が!」

「まて、何かの罠かも知れんぞ」

「だが、ここに居てどうするんだ?」

 

 話していても埒が明かぬと、勇敢な者が何人か壁から身を乗り出す。彼らは恐る恐る一歩を踏み出し、外に出て様子を窺い、やがて笑顔で手を振りながら戻ってきた。

 息を潜めて待っていた囚人たちの間から歓声が沸き上がる。

 

「大丈夫らしい! おい、脱出するぞ!」

「おう! ようやく……ようやく家に帰れるのか!」

「ああ、帰れるんだ……リ・エスティーゼに……」

「おお、あんたもリ・エスティーゼの出か。俺もだよ。一緒に戻ろうぜ、俺たちの故郷に!」

 

 囚人たち――技術によって世界を発展させようと試み、至高者の不興を買った者達は次々に牢を出る。疲労にも負けず目を輝かせ、踊るような足取りでそれぞれの故郷を目指し、丘陵を越えていく。

 彼らはもはや自由だ。彼らを閉じ込めていた悪魔たちは消え去った。神や英雄とともに。

 神話の時代は終わりをつげ、人間の歴史が始まったのだ。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 神がこの世界から去ったとき――宗教家たちが言う「大災厄」から長い時が流れた。多くの国々が興り、滅びていった。

 しかし、人々の営みは絶えることは無かった。

 その年の冬も人々は祭りを行い、一年の苦労を振り返るとともに、新たな春を待ち望む。

 

「――『ぶれいものめ!』 竜の王様は怒って叫び出しました。

『危ない! お姫様、俺の後ろに!』 ガガーランが叫び、ラキュース姫の前に飛び出しました。

『馬鹿な人間め、俺様の炎を喰らえ』 竜の王様が口から真っ赤な火を吐きます。

 ものすごい炎が竜のお城の広間に広がりました。

『お前の炎は効かないぞ!』 ガガーランの得意そうな声が響きました。

 カエルの王様にもらった盾がその火を防いでくれたのです。

『ばかな! 俺様の火が通じないだと!』 竜の王様は慌てました。

 すると……湖の女神さまにもらった指輪が光り出しました。

『よく頑張ったね』『もう大丈夫だよ』

 かわいい声とともに双子の妖精が指輪から飛び出してきました。

『悪い竜め! お仕置きだ!』 ゴツン! 妖精は手にした杖で竜の王様の頭を叩きました……」

 

 絵本を読み聞かせていた母親はそこで中断し、コップの水を飲んで喉を休ませる。

 

「ママ、昔は本当に竜や妖精っていたの?」

 

 幼い娘が利発そうな大きな目をクリクリと輝かせて母親に問いかける。

 絵本の話は古くから伝わる「お姫様の竜退治」だ。お転婆なラキュース姫に付き従うハンサムな剣士ガガーラン、その仲間たちが旅の途中で妖精や神様に力を貸してもらい、悪い竜を退治する――子供から大人まで、様々なバリエーションがある英雄譚だ。

 

「そうねえ、いたのかしらね……」

 

 母親は優しく笑い、娘の柔らかな金髪を撫でて絵本の続きを読む。

 

「――『アイタタタ、参った参った降参だ!』 竜の王様は泣いて謝りました。

『もう悪いことはしませんって誓う?』 ラキュース姫が尋ねました。

 双子の妖精がその後ろから竜の王様を睨んでいます。

『ほんとに、ほんとに誓うよ』 おっきなタンコブを撫でながら竜の王様は――」

 

 いつしか娘はスヤスヤと寝息を立てていた。楽し気な寝顔だ。

 きっと夢の中ではお姫様になって冒険の旅をしているのだろう――母親は微笑んで絵本を閉じ、娘の額にそっとキスをして部屋を出る。

 

「……こら、まだゲームしてるの?」

 

 母親は長男の部屋を覗く。ここ数日、息子はゲームに夢中だ。

 声をかけられた少年は、人のよさそうな笑顔を母親に向けて答える。

 

「あ、うん……今いいとこ。ドラゴンを倒してカギを手に入れたから、次のダンジョンの攻略が終わったら寝る」

「はいはい、分かったから、あまり夜更かししないようにね。それに大声を出さないこと」

 

 幼い妹を起こさないよう注意して、母親はドアを閉じる。

 もう冬休みだ。祭の日くらいは大目に見てやろう――母親は独り微笑むと下の階に降りて行った。

 

「うん? もう2人とも寝たのか?」

「まだゲームに夢中なのが1人!」

 

 居間のソファーに座っている夫が新聞から目を上げて妻に聞く。

 苦笑する妻に夫は笑顔を返す。一癖ありそうな、それでもどこか惹かれる不思議な笑顔だ。

 

「お疲れ様。そうか、あいつ……ピコピコってのまだやってんのか」

「ええ、『ドラゴンを倒してカギを手に入れた』ですって」

「そんなに面白いのかね?」

「なんでも『新世代のゲームで、グラフィック処理が前のとは段違い』らしいわよ」

「それ、前も同じこと言ってなかったか?」

 

 夫と妻は笑いあい、そして溜息を吐く。

 

「今の子供は……可哀想だな」

「そうね……私たちがあのくらいの時は外で走り回ってクタクタで、夜はすぐに寝ちゃってたわ」

 

 そして暖炉の傍の置物に目を遣る。色鮮やかなモールで飾られた大きな樹――人間の顔のような窪みが彫られた、冬至祭の定番。本物の樹ではない。プラスチックでできた置物だ。

 その天辺にはキラキラと光る星が飾られており、枝からは幾つもの人形が吊り下げられている。

 黒いマントの死神に、白いドレスの女神、カエルの王様、可愛らしい双子の妖精、すました顔の銀髪の少女に青い甲冑の騎士……昔話をモチーフにした飾り物だ。妻はその一つを指で軽く突き、人形がユラユラと揺れる。

 

「えっと……マッチは」

 

 妻はきょろきょろと辺りを見回したが、マッチが見当たらない。仕方がないと、妻は目を瞑り精神を指先に集中させ、蝋燭に火を灯した。

 蝋燭をテーブルの上の箱に入れ、部屋の電灯を消した。

 暖炉と蝋燭の炎が部屋を暖かな光で染め上げる。

 蝋燭の炎の熱で箱の仕掛けが動き出す。中の紙人形がゆっくりと回りだし、その影が箱の表面に映し出される。

 やっぱり冬至祭はこうでなくっちゃ――妻は満足げに平らな胸を張って箱を見つめた。

 

「あなたなんて、必死で逃げてたものね」

「そりゃ、お前が凄い顔して追いかけてくるからだ」

 

 夫婦はテーブルを挟んで影絵の追いかけっこを眺め、お互いを見つめて子供時代の思い出を語りだす。

 黒の死神と白の女神――冬と春を象徴する2神がお互いに追いかけ合う子供の遊び。

 追いつかれて背中にタッチされたら何か1つ言うことを聞く……そんな遊びだった。

 

「悪かったわね。どうせ、あたしは目つきが悪いですよーだ」

「おいおい、ますます怖い顔になるぞ」

 

 妻は拗ねて睨んでみせる。夫は笑って応える。幼馴染の2人の間で、このやり取りは何度交わされたことだろう。結婚してもう長いことになる2人だが、今でもお互いに相手を最高の伴侶だと思い、この幸福がいつまでも続くと信じている。

 

「あの子たちも外で遊べればねぇ……」

「ああ、空気がもうちょっと良ければ、俺も外に連れてってやるんだが……」

 

 夫婦は残念そうに顔を見合わせる。

 冬は特に空気の質が悪い。暖房や火力発電のために石炭を燃やしているからだ。事態は年々悪化していき改善の兆候は見られない。政府も「健康への影響」を警告しているのだが、産業界への配慮から抜本的な対策は取られていない。

 

「そうね……春になったら、どこか遊びに行きましょ」

「そうだな、ほら、竜の神殿の遺跡なんてどうだ?」

「あら、いいわね。あの子たち、二人とも竜が好きだし……もう一般公開されてるの?」

 

 夫は満面の笑みで頷いた。竜神信仰のあったとされる地域で新しく見つかった数千年前の神殿遺跡は自分が調査隊に参加して発見したものだ。

 考古学者である夫は、これまでにもラナ=クライム王国宮殿跡、バハロス・レイン峡谷の地下庭園など、伝説に語られる古代遺跡の調査に加わって探検家の夢とも言える様々な発見をしている。

 

「ああ、かなり面白いものが出てな。幾つもの金細工があって見ごたえあるぞ。何よりあの地域では周辺とは異なる言語を使っていたようで、竜が刻んだっていう伝説の残る石板の楔文字は――」

「それ、いいわね。私も……コホッコホッ」

 

 古代遺跡の話になると、夫の説明は長くなる――慌てて夫の説明を止めようとした妻が咽て咳をした。

 

「大丈夫か?」

「ええ……喉の調子が良くなくて。ちょっと薬飲むわ」

「気を付けろよ。医者には行ったのか?」

「ええ。やっぱり空気が悪いせいだろうって」

 

 妻はコップに水を汲み、戸棚から薬を出して飲む。そして痩せた体をソファーの隅に身体を押し込め、夫の横に座る。

 

「やったあ!」

 

 二階から息子の無邪気な叫びが聞こえた。

 

「うちの将来のお医者様も、何かお宝を見つけたようだな」

「フフフ……あまり大声出さないように注意しなくちゃ」

 

 夫婦は笑いあい、身体を寄せ合って子供たちの将来を思い浮かべる。

 子供たちはどんな大人に育ってくれるのだろう。

 子供たちが大人になったころ、どんな世の中になっているのだろうか――と。

 

 夜が更け寒さが厳しくなっていく中、妻は再び咳をした。その背中を夫が心配そうに撫でる。

 冬が再び巡ってきた――そして幾度となく繰り返される。死と誕生の終わりなき物語が。

 



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後日談:機械仕掛けの神

Endその2


 ブルー・プラネットは第六階層に向かった。

 そこにはかつて心血を注いで作り上げた夜空と森林が広がっていた。

 

「全部……全部、偽物なんだ……」

 

 ブルー・プラネットは白い霧となり、人造の夜空に浮かんで呟いた。

 星々が嘲るように瞬き、それに応えて自嘲するように口を歪める。

 紛い物を作り続け、挙句の果てには自分まで紛い物になったとは――最悪のジョークだと。

 

 今までの記憶を振り返る。

 老いて滅びゆく世界の中、気休めに過ぎない薬を作り続けた虚しい日々の記憶。

 その現実から逃げるように偽の夜空を作り続けた記憶。

 人間であった頃の苦い記憶――コピーに過ぎなくとも、その心は胸を締め付けた。

 この世界に来て出会った自然の美しさに惹かれ、それを守ろうとしたこの10年間の記憶。

 しかし、それは独り善がりに過ぎなかった。自分が為したことは、偽りの自然でこの世界を塗りつぶしていただけだった。

 

 どうしたらいいんだ――答えの出ないまま、ブルー・プラネットはじっと星を見つめていた。 

 

「お帰りでしたか」

 

 背後から自分を呼ぶ声にブルー・プラネットはビクリと身を震わせた。

 声の主は分かっている。この第六階層で暮らしている人間の女――アルシェだ。

 この地下世界に閉じ込めた人間。

 そしてナザリックの食事を摂り続けてきた人間。

 おそらく彼女も――ブルー・プラネットは振り返り、魔法で宙に浮かぶアルシェを眺める。

 背は少し伸びたが、痩せた姿は昔とほとんど変わっていない。いつものように青白い顔で微笑んでいる。

 ユグドラシル(自分たち)によって捻じ曲げられた人間を前に、ブルー・プラネットは目を伏せる。

 

「あ……ああ、式典が終わってな……」

「そうですか……」

 

 ブルー・プラネットの躊躇いがちな返答に、アルシェは少し不思議そうな顔をして首を傾げた。

 大きな式典が終わった後、その煩わしさを忘れるためにブルー・プラネットは第六階層を訪れて夜空を眺めることがある。樹の魔物が溜息をつきながら星を眺めているのはいつものことだ。

 そんなとき、アルシェが声をかけるとブルー・プラネットは振り返ってちょっとした会話をして、またどこかに転移する。

 今夜の様に何かに怯えるようなブルー・プラネットを見るのはアルシェにとって初めてのことだった。

 

(式典で何かあったのかも)

 

 アルシェは考える。だが、答は分からない。

 ことあるごとに行われる祝典に、アルシェは毎回誘われている。参加を促すのはブルー・プラネットだけではない。デミウルゴスやアルベドたちも賛成している。「人間が魔導国で幸せに暮らしている」という良い宣伝になるからだ。

 だが、アルシェはこの地下の第六階層を離れることを拒み、樹々の世話をしていた。

 アルシェの意志を尊重すると決めたブルー・プラネットは、アルシェの欠席を認めている。

 彼女は自由だ。すでに彼女の魔力を無効化するアイテムは外されて久しい。監視も特にしていない。人間社会が魔導国に屈した今、アルシェを地下に閉じ込めておく必要が無くなったからだ。アルシェ自身にも魔導国に弓を引く理由はなくなっていた。それゆえアルシェは自由にこの階層を飛び、こうしてブルー・プラネットのもとに来ることも出来た。

 

「外の世界は、いかがでしたか?」

「ああ……相変わらずだ」

 

 アルシェが小さな声で遠回しに尋ね、ブルー・プラネットもぎこちなく答える。2人の間に微かな笑い声が交わされ、すぐに沈黙に変わる。

 自由になったアルシェは外の世界に出ることは殆ど無かった。友人のツアレが町へ出ようと誘っても、アルシェは静かに微笑んで遠慮するばかりだった。そして帰ってきたツアレが子供をあやしながら楽しそうに話す町の噂を聞いて笑う。もう何年もの間、その噂話がアルシェの知る外界の全てだった。

 

 やがて沈黙に耐えられなくなったブルー・プラネットが口を開いた。

 

「すまん……アルシェ、お前達には本当に済まないことを……」

「はっ!? え、いえ、何が……!? あの、どうかお立ちください。他の方に見られたら……」

 

 ブルー・プラネットは空中で土下座の体勢になり、アルシェの足元に跪く。

 アルシェは目を白黒させて手を振り、至高者の謝罪を止める。

 ブルー・プラネット様は、いきなり訳の分からないことを始める――この10年で何度も体験し、慣れてはいたつもりだが、今のように土下座で謝罪をされるのは初めてのことだ。

 

「私は、お前たちを、この世界を捻じ曲げてしまった。私たちは居てはならない存在だったんだ」

 

 ブルー・プラネットはアルシェに構わずに続ける。アルシェが周囲を見回し、至高者の謝罪を止めようと必死で手を振るのに目もくれず。 

 

(だめだ、やはり話を聞いてくださらない)

 

 やむを得ず、アルシェは土下座するブルー・プラネットの下に移動して、空中で横たわる。こうすれば形の上では相対するように見えなくもない、と。

 姿勢の問題を解決したアルシェは、なおも謝罪を繰り返すブルー・プラネットの言葉の意味を考える。

 世界を捻じ曲げたとは何のことだろう――アルシェには皆目見当がつかなかった。

 

 最近の外の世界がどうなっているのか、詳しくは知らないし、知りたいとも思っていない。

 自分の身に限定すれば、確かにこうして地下で暮らすことになったのはブルー・プラネット達の計略に嵌ったせいだ。自分は生きてはいるが、引き離されて安否不明の仲間たちのことを思うと今でも胸が痛む。

 しかし、それも仕方が無いことだ。ワーカーという職業に就き、危険を顧みず魔物の巣窟に飛び込んだのは自分達の選択なのだから。

――そう考え、アルシェは頷く。そしてブルー・プラネットに返答する。 

 

「いえ……ブルー・プラネット様、私が今こうしてここに居るのは自然の成り行きです。私たちが愚かで未熟であっただけのこ――」

「違う、そういうことじゃないんだ!」

 

 ブルー・プラネットはアルシェの言葉を遮って叫んだ。

 

「私が……私達のせいでこの世界が変質した! 私達がこの世界の理を変え、本来の姿を変えてしまったのだ。どうしたら――」

「ブルー・プラネット様……確かに、御身のご光臨によってこの世界は変わりました。しかし、私は……私はそれで良かったと思っています」

「世界が狂ったんだぞ……人間も、お前だって私達のせいで人生を狂わされて……」

「はい――」

 

 アルシェは微笑んで静かに言う。

 

「――私は、ブルー・プラネット様に出会わなかったら妹たちのように……それに妹たちも……」

 

 ブルー・プラネットは言葉を失った。アルシェの妹たちのことを思い出したのだ。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 帝国が魔導国の属国となりスレイン法国とリ・エスティーゼ王国も屈した翌年、アルシェは初めて人間社会に復帰した。「ナザリックは人間に対して慈悲深い」――その宣伝に使うためだ。

 どこかに潜んでいるかも知れないプレイヤーがナザリックの内情を知る人間の話を聞きに接触してくることを期待して、自爆用のアイテムを仕掛けられた上での解放だ。

 

 アルベドとデミウルゴスに教えられたように親善大使の役を果たしたアルシェは、そのまま“餌”として帝国での自由活動を許された。八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)の監視付きで。

 

 アルシェが真っ先に向かったのは、帝国領内の我が家だった。ナザリックに侵入する前に保護を誓った妹達に会うためである。だが、久しぶりに戻った我が家は、既に見知らぬ商人の所有物となっていた。

 

 ドアを叩く音を聞いて出てきた商人は成金趣味のゴテゴテとしたアクセサリーを付け、横柄な態度で小柄な少女を迎えた。が、それが魔導国の親善大使であることを知ると、飛び上がり、その場で平伏した。悪趣味な調度品に囲まれた応接間で商人に代わってことの経緯を説明したのは、かつてこの家でアルシェたちに仕えた執事ジャイムスであった。

 

「アルシェ様が行方不明となってすぐのことでした……金貸しが借金のかたにと家具を持ち出し、まだ足りぬと言ってクーデリカ様とウレイリカ様を連れ出したのは……」

「父は……何をしてたのっ!」

 

 激しい怒りがアルシェの髪を逆立たせた。何という愚かな男だと。一家の主が、娘たちが連れ去られるのを黙ってみていたのかと。

 

「もちろん、ご両親も必死で金貸しを説得しました。アルシェ様は必ず戻ってくる、待っていただけるように、と。しかし、奴らは何人ものゴロツキを連れ……帝国の属領化で司法も混乱し……」

「父に会わせてっ!」

「アルシェ様……お父上もお母上も、すでにこの世にはいらっしゃいません」

 

 言葉を失ったアルシェに執事は続けた。

 借金はフルト家唯一の稼ぎ手であるアルシェの名義でなされ、アルシェの名義で返済していた。

 そのアルシェが突然行方不明になった――逃げた以上、非はフルト家にあり、返済の期日を待たず全ての借金が問答無用で清算された。

 そしてクーデリカとウレイリカが連れ去られた晩、両親は毒を呷って死んだのだという。

 

「貴族としてご立派な……静かな最期でございました。ただ一つ、アルシェ様たちに貴族としての最期を迎えさせてやれなかったのが心残りだと……」

 

 主人に見届け役を命じられた元執事は、そう言って涙をぬぐった。

 主を失った家は競売に掛けられ、現在の商人のものとなった。それでも執事はアルシェがいつか帰ってくると信じ、この家に残って商人に仕えて今まで来たのだという。

 

「クーデリカとウレイリカは……」

「……私も金貸しに聞いたのですが……それは……」

 

 執事は口ごもったが、アルシェには言わずとも分かった。

 アルシェは帝都を駆けた。金貸しを問い詰め、かつてのワーカー仲間の伝手で帝国内の娼館の情報を集め、「幼い元貴族の双子」の行方を捜した。

 しかし、妹たちの行方を知ることは出来なかった。

 妹たちは幾つもの娼館を転売されたらしい。帝国が魔導国の属国となり混乱する中で幾つもの地下組織が生まれては消え、その取り扱う商品の行方を追うことは不可能だった。魔法によって見つけ出そうにも、手掛かりとなる妹たちの所有物は既に失われていた。

 

 絶望の中、アルシェは魔導国の親善大使として次の仕事を果たさねばならなかった。

 各地を回り、幾つかの公務を終え、次に向かった場所――王国に設けられた孤児院を訪れたとき、アルシェは見覚えのある顔を見つけた。

 それは偶然だった。

 孤児たちにも魔導国の慈悲を――そう案内された部屋で見つけた、痩せ衰えた傷だらけの少女たち。変わり果てた姿ではあったが、妹たちに間違いなかった。双子の姉妹という希少性が幸いし、クーデリカとウレイリカは常に二人一組として取引されていたらしい。

 一言も喋らずに部屋の隅でうずくまり、虚ろな目で一日中壁を見つめる妹たちはアルシェの呼びかけにも反応しなかった。

 

「ここに来てからずっとこの状態です」

 

 孤児院の管理人はそう言ってアルシェに説明した。

 魔導国の犯罪撲滅運動により王国内の娼館が捜査されたとき、多くの孤児が保護され集められたのだという。そのような孤児たちは皆、引き取り手もないままに、与えられる食事を食べるだけの生ける屍となっていた。

 

 アルシェは何度も妹たちの肩を揺すり、その名を呼び続けた。妹たちの顔を自分に向け、姉である自分の名を何度も伝えた。

 やがて2人の虚ろな視線がアルシェの顔に向かい、その目に精気が戻ってきた。

 

「おねえちゃん、なの……?」

「アルシェおねえちゃん……?」

 

 かすかに姉を呼ぶ声が双子の口から洩れるとアルシェは妹たちの身体を掻き抱いて号泣した。

 そして共に来ていたアルベドを通じてブルー・プラネットに連絡を取り、妹を第六階層で保護することを願い出た。

 

「ふむ、まあ、女だけ2人なら問題ないか」

「あ、妹さん2人ですか? 良いですよ。ナザリックは慈悲深いって宣伝にもなりますし」

 

 ブルー・プラネットは第六階層の維持費を計算し、問題ないだろうと判断を下した。その連絡を受けたモモンガは笑ってクーデリカとウレイリカのナザリック移管を認めた。抜かれた歯も、打撲の痣や火傷だらけの肌もペストーニャの回復魔法によって治療され、クーデリカとウレイリカは元通りの美しい少女の姿に戻った。

 

 だが、2人の心に負った傷は癒されることが無かった。

 過去の幻影に怯えて何度も身体を爪で掻き毟り、壁に頭を打ち付け、自分の目を抉ろうとする。手首をナイフで切り、危うく命を落とすところだったことも1度や2度ではない。

 ブルー・プラネットの薬がその都度、少女たちの肉体の傷を癒した。そして更なる自傷行為を無効化するためにアイテムが与えられた。

 それは、かつてアルシェがシャルティアの居室で与えられたものと同じものだった。

 もはや少女たちの身体が傷つくことは無い。しかし、妹たちは何年も経った今でも夜中に目を覚まして恐ろしい悲鳴をあげることがある。アルシェはその度に妹の身体を抱きしめて、もう恐れることは無いのだと慰めている。不眠のアイテムを身に付けたアルシェは、もう眠らない。地上に出かけることの多くなったアウラとマーレに代わり、こうして夜も昼も第六階層を巡り、妹たちの世話をしている。

 

 自分が行方を眩ませたために父も母も死に、妹たちは悪夢に苛まされている。

――そう考えるアルシェは贖罪に一生を捧げるつもりでいる。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

「私は、ありのままの世界が必ずしも良いものだとは思えません。私も、妹たちも、ブルー・プラネット様のお創りになられたこの場所でこそ安らかに生きていられるのです。ブルー・プラネット様がこの世界に来られたのは、私たち愚かな、弱い者に避難所を与えるため……この世界を変えるならば、それは世界を正すためであると思っています」

 

 アルシェはそう言って目を閉じ、深く頭を下げた。

 

「そうじゃない……俺はそんな――」

 

 ブルー・プラネットは首を振った。

 

「――そんな為じゃない。俺はただ、自分の為に……自分を誤魔化すためだけにここを創ったんだ。そうだ、何もかも自分の為に……自己満足で」

「でも、私たちはそのために生きていけるのです。たとえ御身がそのつもりでなくとも、私たちには――」

 

 違う――ブルー・プラネットは首と腕を同時に振った。

 

「ここだけなら良かった。でも、世界まで捻じ曲げてしまったんだ。そんなつもりじゃなかった。世界を変えるなんて、分かっていたら……」

「しかし、何も為さなければ、世界はより酷いものになってしまうのではないでしょうか?」

 

 アルシェはブルー・プラネットを見上げて続けた。この世界の人間がもつ、未来を信じる若い眼差しで。

 

「ブルー・プラネット様、私たち人間は弱い存在です。魔獣に怯え、人間同士でも傷つけあう愚か者たちです。モモンガ様やブルー・プラネット様のお力に縋り、導いていただくことが必要なのです」

「やめてくれ。俺たちは神じゃない。俺たちが正しいわけがない。俺たちが手を出したら世界はダメに……」

 

 ブルー・プラネットの悲鳴にアルシェは口を噤んだ。

 ナザリックの化け物達――人外の能力をもつ強者たちに神のごとく崇められる至高の存在が「神ではない」と苦しんでいる。その姿に何故か父の姿が被って見えた。貴族の地位を奪われても貴族であることしかできなかった父、娘を救えずに毒を飲んだ哀れな男の姿が。

 

(この魔物は神になりたかったんだ。そして神になれなかったことに苦しんでいるんだ)

 

 アルシェは初めてこの化け物の――ブルー・プラネットの気持ちが分かった気がした。

 

「……神でなくとも構いません。私達には御身が必要なのです。どうか――」

「じゃあどうすればいい! 俺は、俺は何故この世界に……」

「――どうか、お心のままに」

 

 ブルー・プラネットは沈黙し、アルシェはその霧の枝を手に取ってそっと胸に抱いた。

 

「ブルー・プラネット様。どうか、ご自由になさってください。至高の御方がお悩みになることは無いのです。いかなることであれ、御身のお心に私たちは従います」

 

 その言葉を聞き、ブルー・プラネットはアルシェの忠誠心を不思議に思った。

 他のNPC達が忠誠を尽くすのは理解できる。彼らはそう創られたからだ。

 しかし、アルシェは違う。この世界で生まれた人間だ。地下世界に閉じ込められ、恨んでもおかしくはない――いや、恨んで当然のはずだと。

 

「何故だ? 何故、お前はそこまで私を信じてくれるんだ?」

「畏れ多いことですが――」

 

 アルシェは口ごもった。次の言葉を躊躇するアルシェに、ブルー・プラネットは先を促した。

 

「――私はブルー・プラネット様を信じてはおりません」

「はぁ?」

 

 決意を秘めたアルシェの眼差しに、ブルー・プラネットは目を瞬かせた。信じていない存在に向かってあえて自由にしてくれと言うアルシェの真意を掴みかねて。

 

「ブルー・プラネット様は私の祈りを……私が媚び諂っても、それを聞き届けてくださりません。神のごときお力をお持ちでも、神官たちの言う神ではありません」

「そ、そうだが……」

 

 滔々と語るアルシェに気圧され、ブルー・プラネットは頷いた。

 アルシェも頷いて続ける。ようやく得た安息の地、この第六階層を統べる魔神を鎮めるために。

 

 アルシェは父の姿を思い浮かべる。この地下墳墓に旅立つ前に、最後に見た父の姿を。

 

『もう貴族ではない』――その言葉を聞いて父は激昂した。しかし、貴族であり続けようとした父はそのために死んだ。あのとき、父とよく話し、別な道を示すことが出来ていたら、今も家族と一緒に幸せに暮らしていたかもしれない。話し合いを拒み、父に背を向けて独りで何とかしようとした自分の甘さが両親を死なせ、妹を悪夢に追いやった。

 

 あの失敗は繰り返さない。――その思いがアルシェの口を開かせた。

 

「ブルー・プラネット様は、ご自分が正しくないと仰いました。ならば、ブルー・プラネット様が思い悩んだ末に出された結論は間違っているかも知れません。御身のお力が間違った決意の下で振るわれるとき……それは世界のあらゆる者にとっての災いとなるでしょう」

 

 アルシェの身体は震えていた。一撃で自分の身体を肉片に変えることのできる魔物に苦言を呈することへの恐れに。

 だが、父や自分のように、無辜の者を巻き込んで破滅に至らないために、アルシェは精一杯の気力を振り絞り、最後まで続ける。

 

「私たちは御身に比べれば無に等しい存在……ただひたすら御身に縋って生きているのです。ですから、ブルー・プラネット様にはいつも笑っていていただきたいのです。私たちのか細い祈りが届くかもしれないと希望を持てるように……どうか、お悩みにならず……」

 

 ブルー・プラネットは押し黙った。アルシェは震えながらブルー・プラネットを見つめる。

 

「……そうだな。私は傲慢だった。傲慢すぎた」

 

 ブルー・プラネットはようやく口を開く。その言葉は後悔の重みに途切れ途切れだった。

 

「正しくないと言いながら、今もお前たちのことなど考えず、自分の気持ちを押し付けようとしていただけだった。許してくれ、アルシェ」

 

 恥ずかしさのあまり顔を枝で覆ってブルー・プラネットは謝罪する。

 神になったように思いあがり、人間ではなかったことに絶望する。全力で「間違っていた」と叫び、それを認めさせようとする……まったく矛盾に満ちた行動だと。

 

「とんでもございません。ブルー・プラネット様のそのお言葉を頂けたのは望外の喜びです」

 

 至高者の激昂を恐れていたアルシェはほっと胸をなでおろし、ブルー・プラネットを見つめた。

 

(もっと早く、言うべきだったのかもしれない)

 

 ブルー・プラネットが――この恐るべき存在が人間のように悩むとは、アルシェは今日まで考えもしなかった。ましてや人間ごときの苦言を受け入れてくれるとは、考えることすら馬鹿馬鹿しいと思っていた。

 アルシェに初めてブルー・プラネットを信じる気持ちが芽生えた。もし、もっと早くブルー・プラネットを信じていたならば違う道が開けていたかもしれないと、わずかな後悔とともに、自分の上で顔を覆ったまま土下座をしている魔物を見つめた。

 

「アルシェ、ありがとう」

 

 顔を覆ったまま、ブルー・プラネットはアルシェに感謝を告げた。

 世界を変えることの危険など、アルシェに理解できるわけはない。しかし、この世界の人間が、ブルー・プラネットが神ではなく、一個の悩む存在であることを理解してくれたことが嬉しかった。肩の荷が少しだけ軽くなった気がした。

 

 ブルー・プラネットは立ち上がった。

 アルシェもようやく横たわって浮かぶ姿勢から解放され、ブルー・プラネットの横に立って微笑みかける。その様子を見て、ブルー・プラネットは思った。

 

(俺が神ではないと分かっているなら、世界を変えることの危険も分かってくれるかもしれない)

 

 そして優しくアルシェに語り掛ける。自分を見上げる小さな存在の目を見つめて。

 

「しかし……お前にも知って欲しい。私はいつも世界のことを……人間の社会だけじゃない。蟲や草木のことも含めて考えてきたんだよ。この美しい世界がいつまでも繁栄できるようにと……しかし、それが間違いだったんだ。私たちの魔法、いや、私たちの存在自体が世界を汚すものだったんだ」

「そうなのですか?」

 

 驚いた顔のアルシェを見て、ブルー・プラネットは弱々しく笑って続けた。

 

「ああ……お前には分からないかもしれないが、私は知っているんだ。別の世界で人類は、やはり良かれと思って世界を汚した。……愚かなことだ。そう思っていながら私は、この世界でも同じ過ちを――」

「ブルー・プラネット様……私には別の世界のことは分かりません。しかし、ブルー・プラネット様が愚か者であられるはずがありません」

「いや、愚か者だよ。私も結局、人間だったんだ。人間は変わらんのだ。こんな姿になっても」

 

 そう言って、ブルー・プラネットは天井で瞬いている星々を見つめた。

 アルシェは戸惑った。何一つ理解できないことだった。目の前の超越者、樹の魔物が別の世界を語り、挙句の果てに「人間だった」と言い始めたのだから。

 

「ブルー・プラネット様……ブルー・プラネット様は人間だった……のですか?」

「ああ……いや、さあな。もう俺にも分からないよ……俺は何なのだ?」

 

 俺は何なのだ――ブルー・プラネットは繰り返し呟いた。それを見てアルシェは何かを言わねばならない気がした。

 

 だが、目の前の超越者は何なのだろうか? 神ではない。ただの魔物でもない。かといって人間とも思えない。

――考えあぐねた結果、アルシェは一つの答に達した。それは自分の願望に過ぎないと分かっていながら、アルシェはブルー・プラネットに告げる。

 

「ブルー・プラネット様は……私達にとって、世界にとっての薬師なのだと思います」

「世界にとっての……薬師?」

「はい、何と言って良いのか分かりませんが、この世界の苦しみを救ってくださると。私が御身に初めてお会いしたとき、ブルー・プラネット様は薬師のお姿をとっていらっしゃいました。私にとって、初めて見る偉大なる薬師でした。薬だけではございません。今も妹たちに家をお与えくださり、癒してくださっています」

 

 ブルー・プラネットはアルシェを見つめ、しばし沈黙した。元の世界でもユグドラシルでも、そして今も薬師か……と、奇妙な感覚で納得しながら。

 そしてアルシェに告げる。若干、皮肉を込めた口ぶりで。

 

「そうだな。薬も本来の姿を捻じ曲げるものだと言っていい」

「しかし、苦しみをやわらげ、人の命を長らえさせるものです」

「それは一時の気休めだ。使い続ければ、やがて薬は毒になってしまうものだ」

「それは使い方次第です。毒だって、少量であれば薬になることもあるのですから」

 

 賢い人だ――ブルー・プラネットはアルシェの顔を見て笑った。

 

「ははは……そうだな、毒だって少量ならば薬になる、か」

 

 俺達は、この世界に混ざってしまった毒だ。しかし、まだ手遅れではないかもしれない。

――そう思ってブルー・プラネットは頷いた。胸から重いものが取り除かれたような気がした。

 

「アルシェ、少し外に出てみないか? 嫌だったら嫌と言ってくれ」

 

 もう少し話をしたい。――その思いを込めたブルー・プラネットの言葉に、アルシェはチラリと巨大樹を眺めて考えた。

 妹たちは今夜はよく眠っている。外の世界に行くのは躊躇いもある。しかし――

 

「はい、ご一緒いたします」

「ありがとう。では、行こう」

 

 アルシェは頷いた。ブルー・プラネットはアルシェの身体を抱え、霊廟の階段に転移した。

 そしてアルシェを下ろす。アルシェは恐る恐る階段を踏みしめ、一歩ずつ登っていった。

 

「久しぶりに本物の空を見てみないか?」

 

 そう言って、ブルー・プラネットは風を切り、勢いよく夜空へと舞い上がった。

 上空で横に目を遣ると、アルシェがいない。下を見ると、はるか下界からゆっくりとアルシェが飛んで来るのが見えた。

 

「悪い、速すぎた」

「いえ……申し訳ございません」

 

 魔力の差を考えずに飛んだことを反省し、ブルー・プラネットは下に降り、アルシェの速度に合わせて再びゆっくりと上昇を始める。

 

「寒くはないか?」

「はい、<低温耐性(レジスト・コールド)>を掛けましたから」

「ははは、そうか……私……いや、俺は昔、高く飛び過ぎて酷い目に遭ってね。いや、月がきれいで思わず飛びすぎて」

 

 雲を抜けながら砕けた口調で笑うブルー・プラネットをアルシェは驚いた顔で見つめた。

 

「ブルー・プラネット様が、ですか?」

「そうさ、俺はちょっと抜けててな」

 

 何と返していいか分からないアルシェを見てブルー・プラネットは笑い、そして夜空を見渡した。もう月は沈んでしまったようだ。

 それでも夜空は美しい――そう思って、ブルー・プラネットは星空に浮かぶアルシェに言った。

 

「外は久しぶりだろう? やはり、本物の夜空はいいと思わないか?」

「はい……いえ、ナザリックの夜空も素晴らしいです」

「いやいや、お世辞はいい。お世辞はいいんだ。本物の空に勝るものなど無いさ」

 

 アルシェに笑いかけ、ブルー・プラネットは繰り返す。

 

「もっと上まで行ってみよう。<深呼吸(ディープ・ブレス)>」

 

 自分には必要ないが、人間には呼吸が必要だ――ブルー・プラネットは呼吸補助の魔法をアルシェに掛ける。

 そしてアルシェを抱えて遥か高く上昇する。この世界の人間では到達できないであろう高さに。

 

「地面が、あんなに下に……」

 

 アルシェの声に、月を探していたブルー・プラネットは下界を見下ろす。

 雲の下に大地があった。第六階層よりも遥かに広大な森が、夜の闇の中で黒々と広がっていた。

 そしてその森の外には草原が、山脈が……どこまでも続いていた。

 

(これが本物の“ブルー・プラネット”だ)

 

 眼下の大地を見渡し、ブルー・プラネットは自らの小ささを改めて思い知った。

 遥か彼方に要塞が見えた。それは森の中ではほんの一点に過ぎなかった。自分が死なせてしまった大地の周りには、まだ蟲達が棲んでいるであろう生きた大地が広がっていた。

 

 ブルー・プラネットはアルシェを見て尋ねる。

 

「最初に会ったとき……ブルー・プラネットという名は、『青い惑星』という名は、お前達には何と聞こえたのだったかな?」

「……『青い迷い星』が、ですか?」

 

 アルシェが不思議そうに聞き返し、ブルー・プラネットが苦笑を漏らす。

 

「ああ、そうだ、そうだった。私は迷ってばかりだな」

 

 そして首を傾げているアルシェを見る。

 

「ブルー・プラネット様……あなた様は一体……」

「ははは、私は、うん、ただの小さな『迷い星』だよ。それでいい。それで良かった……」

 

 そう言ってブルー・プラネットは遥か地平を眺めた。「まだ間に合う」という安堵とともに。

 

(どこまで汚染が広がっているか、まずは調査だな。それに農業のあり方を考えて……)

 

 要塞の前で暴れたことをモモンガにどう説明しようか。明日から土地改良をどうしようか。

――ブルー・プラネットの脳内で様々な考えが渦を巻く。

 世界の汚染を防ぐため、やるべきことは山積みだと活力が湧いてきた。

 

「明日から、じゃないな。もう『今日』か」

 

 地平線を見つめ、そう呟いた。彼方の空が微かに白い、もうすぐ夜が明けるのだろうと思いながら。

 



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