学戦都市アスタリスク【六花に浮かぶ月と幻想】 (観月(旧はくろ〜))
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迷い人編
〜プロローグ〜再び迷い込んだ狩人〜


ども、ハクロウです。

今回はずっと書きたかったアスタリスクの二次創作に挑戦してみました! モンハンと東方とアスタリスクが混ざるとどうなるか…どうなるんでしょうねこれ。

あと、私の執筆しているもう一つの物語(東方二次創作)のネタバレを含みます。気合でなんとかして下さい。ごめんなさいそちらも読んでくれているという数少ない読者の方々にはご迷惑をかけます。


三度迷い込んだ狩人の物語、これにて始まり。




――いやいや、この状況は何だよマジで。

 

目の前には近未来的なデカい都市。ここはどう見たって俺の住んでいる世界でも……ましてや、幻想郷やハンターの世界でもない。

 

 

 

そう、ここは―――学戦都市アスタリスク。

 

 

 

何故そう言い切れるか? 俺が元の世界で読んでいたラノベであって――いや、それ以前に、何故か頭の中に情報が流れ込んでくるからだ。それによると、どうやら俺は星導館学園に特待生として呼ばれ、今日が転入初日らしい。

 

 

だが……おかしいな。そういう情報は入ってくるし、ラノベの内容も覚えているはずなのに……どういう訳か、ストーリーをまったく思い出せない。勿論、登場人物が誰なのかも。

 

 

――まあいい。それより、異世界に迷い込んだのはもう三度目。だから、あえて言わせてもらおう。

 

 

 

「どうしてこうなった……」

 

 

そう呟いて、俺━━月影聖夜(つきかげせいや)は静かに頭を抱えた。

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

事の発端はつい先程の出来事……だと思われる。

 

白玉楼に遊びに行った帰り、いつぞやのように紫のスキマを使って帰ろうとしたのだが……ちょっと気を抜いていたからか、一旦消してあった自分の能力を戻してしまったのだ。『属性を司る程度の能力』で使える属性の一つである龍属性によって他者の能力の影響を受けなくなった俺はスキマの中にいられなくなり、様々な境界から境界へと飛ばされまくって……で、気付いたらこれだ。

 

「ったく……どうすっかなあ」

 

とりあえず自分の状態を確認。最初に気付いたのは、今までのように体に霊力らしきものが通っている事。……なるほど、これが星辰力(プラーナ)か。星脈世代(ジェネステラ)だけが持っている力、これを一箇所に集中させる事で攻撃力や防御力を底上げすることが可能らしい……が、そのあたりはおいおい分かってくるだろう。

 

そして、どうやら魔術師(ダンテ)では無いらしい。いつものようにイメージしても、何も起こらない。

 

 

あとは武器……確か、アスタリスクでは煌式武装(ルークス)純星煌式武装(オーガルクス)と呼ばれる物を使われているはず。なら、初期装備として何か無いものだろうか。

 

そう思いつつ腰のホルダーに手を突っ込み中にあった物を取り出すと、何やら青白く輝く宝石のような物が出てきた。これは……煌式武装のコアか。でも、煌式武装のコアには色が着いてないんじゃ無かったっけ。――色の着いたコア、ということは、これさ純星煌式武装なのか。冷静に考えてみれば、初期装備が純星煌式武装というのは……私有の純星煌式武装とは原作にあっただろうか。

 

まあ、考えるのは後で良いだろう。とりあえず発動体にしてみることにする。一応、周囲に人がいないことを確認してから、恐らくのしかかってくる重さに心の準備をして、起動。

 

「よっ、と………ああ、やっぱりな」

 

そう呟いた俺の手元に現れたのは、やはりと言うべきか何と言うべきか、幾度となく戦闘を共にした『王牙大剣(おうがたいけん)黒雷(くろいかづち)】』だった。

 

 

――良かった、使い慣れた武器で。それに、こいつなら純星煌式武装特有の特殊能力もなんとなく分かる。多分こいつは雷を、それに雷極龍の素材も組み込んであるから磁力だって操るだろう。能力を使う時にどれだけ星辰力を消費するかまでは分からないが、頼もしいことに変わりはない。

 

しかし、今までの能力は使えないのか……となれば、久し振りに初心に戻らなければ。ここには強い奴がわんさか居るだろうし、鍛錬にはもってこいだと前向きに考えるべきか。

 

 

 

 

と、そんな事を何となく考えつつ、街を抜け正門をくぐり、星導館の敷地を散策していると、不意に突風が吹き、目の前に帽子が飛んできた。白っぽい、可愛らしい帽子だ。

 

「む、どこからだ?」

 

飛んできた方向を見ると、すぐ近くの建物の一階の部屋の窓が開いている。その側に帽子立てが置いてあるのを見るに、どうやらこれはその部屋の住人のものらしい。

 

「うーん……届けた方が良いかな」

 

デザインを見た感じ女子の物っぽいが……渡しに行くか。困ってたりでもしたらそれこそアレだ。多少のリスクは仕方ないと割り切ろう。

 

そう意を決して、俺は開いた窓まで歩いて行く。外から軽く声をかければ気付いてもらえるだろう。なんてことはない、それで終わるはず。

 

 

――しかし、それがいけなかった。せめてここがどんな所なのか確認してからとか、素直に入り口から行くとかすればよかったのだ。少なくとも、帽子立てが置いてある時点で、そこが誰かの私室であるという考えに至るべきだった。

 

「すみませーん、この帽子が飛んできたんですが……」

「っ、覗き!?」

「あっぶねえ!」

 

幻想郷でそういった部分の意識がおろそかになっていたのであろう自分が完全に悪いのだが、中に居た少女と目が合った瞬間、なにか誤解を受けたようで雷撃が飛んできた。俺はそれを背中を反らし間一髪で回避、そのままバク転して距離を取る。

 

「……見ない顔ね。覗きに来るなんて良い度胸してるじゃない」

 

開いた窓から、金髪の美少女が顔を覗かせた。何やらとんでもない勘違いをされているらしく、慌てて弁解する。

 

「いや違う違う、この帽子が飛んできたから返しに来ただけだって!」

「本当かしら?」

 

そう言って、少女はこちらを睨みつけながら窓を乗り越えてきた。

 

……さて、この状況どうするべきか。大きな誤解を受けているので、まずはそれを解かなければならないわけだが。

 

「まあ、帽子が飛んで行ったのは事実みたいだし、届けようとしてくれたのには感謝しないこともないけど……ここは女子寮よ? 男が近付いて良い場所じゃないわ」

「そうだったのか……」

 

おうふ、さっきの案内板をしっかり読んでおけば良かった話じゃないですか……。しかし、後悔先に立たずである。

 

「それに、覗かれたのも事実だし。アンタを叩き潰さないと気が済まないわ」

 

物騒だなおい。っていうか目がマジだ。

 

「……もし断ったら?」

「それなら別の奴に引き渡すだけね。女子寮に入った男子生徒には、それはもうキツいお仕置きがあるらしいし」

 

彼女の放った「お仕置き」という言葉に戦慄する。

 

 

……絶対ヤバいやつだろ。そんな感じの事が原作にも書かれていた気がする。

 

「で、どうするの? お仕置きを受けるか、それとも序列六位の私と決闘するか。私としては決闘を受けて欲しいのだけど」

 

あ、詰みましたわ。相手はまさかの序列入り生徒、しかも『冒頭の十二人(ページ・ワン)』の一人だ。決闘を受けたって入学したての俺が敵うわけないだろうし、受けなければ拷問である。

 

仕方ない、こうなれば腹を括るまでだ。

 

「――分かったよ。どれだけ保つか分からないが、その決闘、受けて立つ」

「そう。――私はセレナ・リースフェルトよ。後悔しないようにね?」

 

そう言い残し、彼女は俺を連れて広い場所を目指して移動する。しばしそれに着いていき、到着した中庭で彼女が高らかに決闘申請の宣言をすると、周りにいた生徒達が一斉に俺らを取り囲んだ。

 

――無理もない。序列六位の決闘なんてそうそう見れるものじゃ無いんだろう。俺だって、観衆の立場であったなら恐らく野次馬に回っている。

 

 

そんな事より決闘のルールを思いだせ。確か意識消失か校章破損で負け。……よし、大丈夫。単純なルールだから忘れる訳ない。校章は、左胸の位置。ここは絶対に守らなければならないということだ。

 

手持ち無沙汰に待つ彼女を視界に入れつつ、俺も決闘を受諾する宣言をする。そうして、晴れて初めての決闘が幕を開けた。

 

 

――といっても、最初はお互いに動かない。様子見といったところだ。

 

「あら、もしかして武器は持ってないの?」

「まさか。……ただ、最初は素手でいこうかと思ってるだけさ」

「ふーん……まあいいわ。ただ、そんなので『魔女(ストレガ)』に敵うと思わない事ね!」

 

細剣型の煌式武装を持ったセレナは、そう言うやいなや結構な量の雷撃を放ってきた。雷鳴と共にそれらが迫る。

 

だが、思っていたよりも緩い。幻想郷の方々に比べたら特に。……まあ、あれと比べちゃダメか、と俺は飛んで来た雷撃をしっかりと見切り、ステップを踏んで回避した。

 

星辰力の使い方も意外と上手くいっている。左腕に集めて雷撃を弾いたり、足に集めて一時的に身体能力を上げたり……霊力と同じ様に使えるからだろうか。

 

 

ともかく全部捌き切った俺は、驚いた様子のセレナに向けて一言。

 

「改めて言うが、俺は月影聖夜。星導館学園に転入してきた特待生だ。……そう簡単にはくたばらないつもりだよ」

 

そう言った瞬間に少し沸き立つギャラリー。驚嘆や呆れ……様々な感情が含まれているが、そんなの気にしない。虚勢でも何でもいい、余裕を見せつける。

 

 

へえ、と勝ち気な笑みを向けられた。

 

「――なるほど、特待生だったのね」

「ああ、そうだ」

「なら……もう少し本気でいかせて貰うわ!」

 

その言葉通り、先程よりも星辰力を高めた彼女は雷撃と共に突撃してくる。序列六位の名に違わず、近接と雷撃を上手く組み合わせてきた攻撃に俺は舌を巻いた。とりあえず近接は余裕を持って捌けるものの、その間にも絶え間ない雷撃が俺を襲い続ける。近接戦闘の技術においては俺の方が圧倒的に勝っているのだが、如何せん少しでも隙を見せてはならないのだ。……こりゃ、本格的にキツくなってきたな。

 

 

堪らず、距離を取るべくバックジャンプをして着地した俺の足下に、今度は巨大な魔法陣が展開された。そうして気付く、彼女の誘導に嵌った事に。

 

これは―――設置型の能力。

 

 

「かかったわね……そのまま焦げなさい!」

 

 

魔法陣に降り注ぐ雷撃。地面が砕け、煙が舞い上がる。ギャラリーが歓声を上げた。

 

恐らく、彼女はそれで仕留めたと思ったのだろう。その証拠に、爆煙が晴れて俺が彼女の姿を捉えた時、その表情が不敵な笑みから驚嘆の色に変わるのを見た。

 

 

「――ま、流石に手を抜いてちゃ負けるわな」

 

俺は青白くスパークする大剣を盾に、先程の攻撃を防いでいた。それを見てなのか、ギャラリーが一気にどよめく。きっと、編入したばかりの特待生がどうして純星煌式武装を持っているのかという驚きが大半だろう。出来ればもう少し隠しておきたかったのだが……出し惜しみをして負けたのでは話にならない。これは、勝てない勝負じゃない。

 

「えっ、まさか純星煌式武装!?」

「まあな。さて……こちらも全力で足掻かせて貰うとするか」

 

言い切るのと同時に、星辰力をブーストにして一気に距離を詰め、全身を使って三連撃。セレナは最初の二発を辛うじて避け、最後の一閃を煌式武装で受け止めようとしたが、打ち合っただけで刀身にヒビが入った。……まあ、圧倒的物量の大剣をレイピアで受け止めればそうなるな。寧ろ壊れなかった事に驚きだ。

 

「くっ、これじゃ避けるしかないわね……」

 

苦々しくそう言ったセレナは大きく後ろに跳んで距離を取り、雷撃メインの遠距離戦を仕掛けてきた。

 

 

うん、これ結構厄介。ある程度距離を置いていれば避ける事は造作もない事なのだが、迂闊に前に出ようとすれば即座に高密度の雷撃に撃ち抜かれそうになる。今度ばかりは彼女も本気なようで、普通に弾幕ごっこクラスだ。魅せる、という要素が無い分、下手すればあっちより厄介かもしれない。

 

攻めの糸口を掴めず、俺はじりじりと押されていった。能力が使えないだけでこんなに辛くなるとは、少し予想外だった。

 

 

と、そこでふと思い出す。

 

(そういや、初めて弾幕ごっこをした時もこんな感じだったっけ……)

 

そう。パチュリーと戦ったあの時も、同じ様に大剣を持って遠距離相手に挑んだ。

 

 

――でも、あの時とは根本的に違う事。それは、校章を破壊されたら負けるという事だ。あの時みたいに多少のダメージを覚悟で突撃しようものなら、即座に校章を撃ち抜かれて終わりだ。

 

そしてもう一つ、迂闊に全力を出せないということも、簡単に攻められない原因である。これは言い訳でも何でもなく、いくら星辰力で防御出来る星脈世代といえど、こちらの全力を彼女が防ぎ切れなかった場合は殺してしまう可能性もあるのだ。自分で言うのもあれだが、こちらはハンターとして鍛えられている身だ。星脈世代の身体は常人よりも頑丈だとはいえ、星辰力による防御が間に合わなければ妖怪のそれには及ばないだろう。危険時には星辰力は無意識的に身体を守るように作用することを考えても、だ。

 

しかも自分で電力を生み出す事が出来ないから、王牙大剣の超帯電状態での自己強化も難しい。彼女の雷撃をガードしつつ吸収しているが、それでも超帯電するには足りない。それさえできれば、彼女が捉えきれないほどのスピードで翻弄しつつ、素早く校章を狩り取れるはずなのだが。

 

 

そんな事を考えていた俺の足下に再び魔法陣が展開されたが、その程度は織り込み済みだ。彼女の星辰力を媒介にして万応素が雷撃に変わった瞬間、俺はその魔法陣に大剣を突き刺し電力を余すことなくチャージしていく。

 

でもまあこのままいけば、いずれ帯電は出来そうだ。そうすれば、そこからは短期決戦で勝負出来る。相手に何をさせる間もなく終わらせられるはず。

 

 

だが、彼女は予想外の隠し玉を持っていた。

 

「埒が明かないわね……これで決めてあげる!」

 

そう言って彼女は両手を前に構える。そこに電力が集中していくのを見て、嫌な予感が全身を駆け巡った。これ、メタルギアとかで見た事あるぞ……!

 

(……レールガン!!)

 

正確に言えばレールガンに似た何かである。本物は金属製の何かを放つものだし。……合ってるよな? どこぞの学園都市の御方はコインぶっ飛ばしてたはず。

 

……じゃなくて。これはヤバい、色々とヤバい。ランスならともかく大剣のガードじゃ受け切れずに吹っ飛ばされて終了、だからといって避けられる気もまるでしない。仮に直撃だけは免れたとしても、余波だけでそれなりのダメージは確定だ。流石に死ぬことはないだろうが、意識が飛ぶ可能性も高い。そうなれば負けだ。

 

まったく、もう少しで超帯電出来たんだが、悠長な事は言っていられないようだ。星辰力と、そして溜めた電力を大量に消費するだろうが、こちらも内に秘めし雷極龍の磁力を利用して電磁ビームを放ち、彼女のレールガンを相殺する。恐らく、最善手はそれだ。

 

 

俺は半身になって剣を真っ直ぐ前に構え、高速で電力を収束させていく。それは、俺の方が少しだけ速い。

 

果たして、俺と彼女のチャージが完了したのはほぼ同時だった。放たれる碧と金の光筋。

 

 

「なっ……!?」

「っ……!」

 

 

超高速の雷撃がお互いの間でぶつかり合い、途方もない衝撃波が広がる。セレナは自分の技が相殺された事に唖然としていたが、俺は予想以上の星辰力の消費にふらついてしまった。そこに少し、隙が出来てしまう。

 

流石に、いくら驚いていたとはいえそんな隙を序列六位である彼女が見逃すわけも無い。すぐに体制を整えた彼女が放った雷撃が、寸分の狂いも無く俺の校章を貫く……。

 

「はあっ!」

「……っ!」

 

直前、突如として俺の前を通った黒い一閃が雷撃を弾く。そのまま俺の前に着地した()()()を持った少女は、星導館の制服を着ていたものの俺のよく知った人物で……。

 

「聖夜、大丈夫?」

「……時雨?」

 

風に艷やかな黒髪をなびかせ立っていたのは、先の異変の元凶であり、今は仲の良い同じ幻想郷の住人『風鳴時雨(かざなりしぐれ)』だった。

 

 




はい、いかがでしたか?

プロローグから完全にネタバレ入りましたね…。仕方無いね。

あと、この物語にはしっかり綾斗達も出てきます。アスタリスクにもう一人主人公がいたらどうなるか、それをこの物語で書けたらなと思います。
今更ですけど、初期装備が純星煌式武装とかチート過ぎましたね。

それと、オリキャラを出すに当たって序列がおかしい事になっています。原作の設定だと序列六位は別の人なのに、この物語ではセレナというオリキャラが入っている…とまあ、こんな感じの事がこれからも起きます、というか起こしますがご了承下さい。

それでは、また次回。及び、影月夜で。


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第一話~Let's 新生活~





 

 

「で、何でまたこうも邪魔したわけ? ……『影刻の魔女(シャドウプリンセス)』」

「そっちこそ、どうして聖夜に手を出してるのかしら。 『雷華の魔女(フリエンブリッツ)』さん?」

 

そう言って睨み合う二人。もっとも、聖夜としては助かったことに変わりはないので御の字であるのだが。

 

(いや……どういうことなの?)

 

一応、時雨に止めた理由を、彼は視線を飛ばしてそれとなく尋ねてみる。すると、彼女は「そうだった」と呟き、

 

「すっかり忘れてた。――赤蓮の副総代たる権限をもって、セレナ・リースフェルトと月影聖夜の決闘を破棄する」

 

突然彼女がそう告げたかと思うと、光り輝いていた聖夜とセレナの校章がその光を失った。どういう事か未だ理解出来てない聖夜だったが、それは対面の少女も同じだったらしい。

 

「っ! ……ねえ、それは職権乱用なんじゃないの?」

「いいえ。そもそも、この決闘は最初から無効なのよ。聖夜は最低限の手続きこそ終わっているから校章が認識してしまったようだけど、実際には手続きはまだ残ってる。つまりそういう事……そうよね、クローディア?」

 

「ええ、そうですね」

 

時雨が滔々と述べ、そして不意に後ろを向けば、別の女性の声が一つ。聖夜も釣られてその声のした方に向いてみれば、その先にはしとやかな金髪をなびかせながらこちらに歩いてくる美少女がいた。そして、その後ろには辺りを見回している一人の男子生徒。

 

「ふうん……納得いかないけれど、まあそれなら仕方ないか」

 

その様子を見たセレナは未だに納得してなかった様子だったが、とりあえずこの場は諦めることにしたらしい。わざとらしい溜め息を吐き、レイピア型の煌式武装をホルダーに戻していた。

 

そして、それを横目で確認しながら、聖夜は時雨に感謝を告げた。

 

「っはー……助かった。ありがとな」

「どういたしまして。――なんて、本気じゃなかったんでしょ?」

 

くすくすと含み笑いをして、彼女は聖夜を悪戯っぽい目で見る。彼女の言いたいことを聖夜は何となく察したが、あえて自分からはそれに触れないことにして。

 

「なんでそう言えるんだ?」

「だって、本気だったらあいつが無事なわけないもの」

 

恐らくセレナにも聞こえるように言ったのだろうそれに、聖夜はピシッと空気が固まるのを感じた。

 

(あーもー、いらん挑発しないの……)

 

無意識にこめかみをおさえながら、聖夜は努めて平静に言った。

 

「そんな事無いって。さっきのは正真正銘の本気」

 

少なくとも今の俺にとっては、そう弁解してから彼は時雨の耳元に顔を近付け、

 

「実は今、能力が使えないんだ」

 

そう囁く。しかし、それでも時雨は涼しい顔で、

 

「それでも、本気の聖夜に敵うはずが無いでしょ。私でも、そして多分クローディアでも勝てないわよ」

「いや、買い被り過ぎだって。さっきの戦いだって助けて貰ってなきゃ危なかったんだし」

 

実際、あの状況から抜け出す方法はほとんどなかっただろう。このままだと面倒なことになる、と聖夜の勘が告げるが、彼が口を開く前に、クローディアと呼ばれた金髪の少女が聖夜に話しかけた。

 

「あらあら、それは本当ですか? 随分と凄い生徒を呼んでしまいましたね」

「いや、だから全然凄くないんですってば。……それを言うならそこの男子生徒の方が強いと思いますよ」

 

話題の矛先を変えるため、聖夜は彼女の後ろにいた男子生徒を示しつつ言った。そしてその生徒の前まで歩いていき、微笑みながら手を差し出す。

 

「始めまして、俺は月影聖夜だ。よろしくな」

「ああ、こちらこそよろしく。俺は天霧綾斗っていうんだ」

 

お互いに自己紹介して、握手をする。そうして、綾斗と名乗ったその少年は、不思議そうな視線を聖夜に向けながら。

 

「でも、なんで俺が強いって言えるんだい?」

「うーん……なんというか、身体の重心にブレがないし、身のこなしにも隙が無い。相当鍛錬を積んでいるんじゃないかと思って」

 

強者は、普段の立ち振る舞いからして違う。少なくとも、聖夜から見た限りでは、目の前の少年の自然体には隙がほとんど感じられなかった。

 

「ありがとう。でも、それなら聖夜もじゃないの?」

「……いやまあ、それなりには鍛えているけどさ」

 

嘘吐き、と時雨が微笑みながら呟いたのが聞こえたので、彼は思わず苦笑しつつ。

 

「そういえば、貴女の名前は?」

「クローディア・エンフィールドです。生徒会の会長をしています」

 

彼がおもむろに問えば、見た目に恥じない優雅な一礼。時雨も続いた。

 

「一応私も。風鳴時雨といいます。同じく副会長をしているわ」

 

生徒会のツートップである。さぞ実力も高いのだろうと聖夜は考えたが、どうやらそれが顔に出ていたらしい。たおやかにクローディアが微笑む。

 

「実は、時雨は序列八位なんですよ。押しも押されもしない実力者です」

「いやいや何言ってんの、クローディアなんて序列二位じゃない」

 

おっとこれは想像以上だった、と聖夜は心の中で驚く。

 

「貴女が本気でやればもっと上にいけるでしょうに」

「私はある程度融通が効けばそれで良いの。でも、聖夜が来ちゃったならこの座も危ないかなあ」

「いやいや、流石に無理かと」

 

ふと話題の方向性が自分へ向いたのに気付いて、聖夜は慌てて否定の言葉を口にした。

 

しかし、まさかこんな短時間に三人もの『冒頭の十二人(ページ・ワン)』に会えるなんて、と。時雨はもちろんのこと、先ほど闘ったセレナという少女も、目の前のクローディアも、そして綾斗も、相当な実力者であるということが見て取れる。

 

これは面白くなりそうだ、と聖夜は小さく呟き、クローディアの方へ向き直った。

 

「それで、最後の手続きっていうのは?」

「そうそう、忘れていました。今からご案内します」

「オッケー。――あっ、その前に」

 

そう言って、聖夜は不意にセレナに頭を下げる。突然の事に不思議そうにこちらを見るセレナに、聖夜は真面目な様子で口を開く。

 

「先程は誤解を招くような事をしてすまなかった。このとおりだ」

「……いいわよ。紛らわしかったとはいえ、善意で届けてくれただけなんだから」

 

ばつが悪そうにそう言って、セレナは女子寮に戻っていってしまった。思いもよらなかった反応に聖夜が唖然とする中、クローディアが困ったように言った。

 

「相変わらず素直じゃないですね、彼女は」

「本当、難儀な性格よね」

「……いやまあ、時雨も最初はそうだったけどな。だいぶ面倒だったけど」

 

うるさいなあ、と文句を言いつつも、時雨はまるで猫のように聖夜へ引っ付いた。聖夜もやれやれという顔をしながら、それを振りほどこうとはしない。それを見たクローディアがからかうように言った。

 

「ふふっ、随分と仲が良いのですね」

「あー……まあ確かに、仲は良いからな」

「聖夜は大事な人だものー」

 

へえ、と聖夜は顔をほころばせ。

 

「そりゃありがとよ。ほーれよしよし」

「……♪」

 

つい癖で聖夜が時雨の頭を撫でると、クローディアが困ったように、しかしどこか面白そうに微笑んでいた。

 

「……二人共、仲睦まじいのは良い事ですが、周りの生徒が見ていますよ?」

「別に構わないもんねー。……あでも、新聞部の奴ら、この事を記事になんかした時には覚悟しときなさいよ?」

 

笑顔のまま群衆にそう言い放った時雨と、その言葉にあからさまに挙動不審になる何人かの生徒達。ぜひ止めてくれよ、と聖夜も心の中でお祈りをする。暴れ出した時雨を止めるのは本当に面倒なのだ。

 

そんな様子を間近でみたクローディアは、信じられないといった様子で口を開いた。

 

「貴女、本当に時雨ですか?」

「そうよ。……大丈夫、こんなに甘えることなんて滅多に無いから」

 

確かに、時雨がここまで引っ付いてくるのは久し振りだ。寂しかったのかな、と聖夜はなんとなく考えながらも、このままだと話が進まないと判断し、彼は時雨を引き剥がしにかかった。

 

「はいもうここまで。綾斗も退屈だろうし、早く案内してくれ、時雨」

「失礼しました、時雨の様子が面白くって」

「むー……後で続きね」

「やめてね」

 

いらない誤解は招きたくない。……もう手遅れな気もするが、気にしてはいけない。

 

むくれる時雨をどうにか宥めながら、聖夜はクローディアと綾斗の後に付いて校舎に入った。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

道すがら、聖夜の耳に授業をしている教師の声が聞こえたのだが、どうやら歴史のようだった。『落星雨(インベルティア)』、『星脈世代(ジェネステラ)』……聖夜にとっては聞きなれない言葉だ。

 

すると急に、時雨がひそひそと聖夜に話しかけてくる。

 

「ねえ聖夜、どうやってここに来たの?」

「スキマの中で龍属性を出した。後は察してくれ」

 

それだけで彼女は文字通り察してくれた。

 

「つまり事故ったって事ね。……ここ、アスタリスクに関する知識はどれくらいある?」

 

聖夜は簡潔に答える。

 

「世界観については大体。……そういう時雨こそ、どうしてここに?」

 

彼女には、自分のように能力の影響で世界を渡ってしまうようなことは起こらないはず。そう考えての問いだったが、時雨の答えは要領を得ないものだった。

 

「気付いたら、としか言えないわ。何故か私の存在は、始めからこの世界にあったようだけど」

 

内緒話が故、互いの言葉は簡潔だ。だが、今の言葉に聖夜は興味を惹かれた。

 

「そりゃまたどういう事だ?」

「こっちにも同じように『風鳴家』があるし、私を小さい頃から知っているって人もいるの。多分、あなたも同じだと思う」

「ふーむ………」

 

(迷い込んだ先の世界に、なぜ元から自分の存在があるんだ?)

 

聖夜がかつて迷い込んだ世界では、彼は完全に余所者だった。それがこの世界では違う。戸籍も、人々の記憶にも、『月影聖夜』という存在がきちんといる。

 

(あのときとは何かが違う……?)

 

思考の沼に嵌りそうになって、聖夜は小さく首を振った。とりあえず、考えても意味のないことは後回しだ。聖夜には聞きたいことがあるのだから。

 

「……話は変わるけど、こっちに来てからどれくらい経ってる?」

「えっ? えーと……半年くらいね」

 

半年か、と聖夜は聞き流そうとして、しかし大きな違和感に気付いた。

 

「ん? 待て、俺が最後に時雨と会ったのは一昨日だから……まさかこの世界、時間軸がずれてる?」

 

聖夜には確かに、一昨日時雨と学校で会い、言葉を交わした記憶がある。時雨も深い思案顔で。

 

「もしそうだとしたら……こっちの約半年は向こうの一日に該当するってことかしら」

 

なんとも不思議な話だ、と聖夜は思う。こんなことは今までなかった。

 

……ともあれ、何の根拠もない話だ。考えるのをやめて、聖夜はおどけるように言った。

 

「ま、それなら向こうで長時間行方不明でしたーっていうオチは無いかな」

「ああ。面倒だもんね、あれ」

 

経験者同士二人で頷いていると、どうやら前を行くクローディア達にその内緒話を気付かれてしまったようだ。

 

「二人共、どうかしましたか?」

「ああ、ちょっと愛の告白をね」

「あら……別に受けても構わないけど?」

「……頼むからボケ殺しだけはやめてくれ」

 

三人の驚く顔が見たかったのに、その本命が潰してくるとは。聖夜は渾身のボケが潰されて不服そうだったが、その様子を見たクローディアは笑っていた。

 

「ふふ、まるで夫婦のようですね」

「またまたご冗談を。時雨が妻だったら楽しいんだろうけど大変そうだ、色々と」

「聖夜、どういう意味かな?」

「ああ、それは……って痛いんですけど!?」

 

もちろん冗談だ。それでも時雨は聖夜に容赦しなかった。グリグリと、彼の足の甲を踵で踏み付ける。

 

「だから冗談だってばー!」

「仕方無いわね、許したげる」

 

そのやり取りの後、どちらからともなく吹き出す彼らを、クローディアと綾斗は困ったように見ていた。コホン、と。

 

「はい、着きましたよ」

 

そう言ったクローディアの声で聖夜が我に返ると、『生徒会室』と書かれた扉が目の前にあった。その扉のロックをクローディアが解除し、その中へ案内された聖夜と綾斗は驚きのあまり呆然とする。

 

「ねえクローディア、ここは本当に生徒会室なのかい?」

 

綾斗の疑問は尤もだ。なにせ、一流企業の社長室と言われても信じてしまうような部屋だったのだから。聖夜がたまに出向くような、お偉方の部屋と比べてもなんら遜色ない。

 

しかし、時雨は平然と言う。

 

「アスタリスクっていうのはこういう所よ」

「そりゃまた……」

 

驚きだ、と言おうとして、聖夜は思い出す。一瞬だけ見てしまったあのセレナの部屋も、学生が暮らすにしてはあまりにも豪華だったことを。

 

「それでは、そこへ」

 

言われるがまま、彼らはソファに腰掛け、残った二人の少女は奥に二つある一人掛けの椅子へ。それに座った彼女達は、さながら一流企業の敏腕秘書、あるいはやり手の女社長といったところか。

 

「ようこそ、アスタリスクへ。私達は貴方達を歓迎します」

「そして、私達が求めるのはただ一つ『勝利』。ガラードワースに打ち勝ち、アルルカントを下し、界龍(ジェロン)を退け、レヴォルフを破り、クイーンヴェールを倒すこと。即ち星武祭(フェスタ)の優勝。そうすれば、貴方達の望みを叶えるわ」

 

「近年、星武祭における我々星導館学園の成績は芳しいとは言えません。前のシーズンでは総合五位。ですから、一人でも優秀な人材が欲しいのです。その点においては、お二人が特待を受けてくださったのには感謝しなくてはなりません」

 

クローディアの言葉に、聖夜はふと綾斗の表情に浮かんだものに気付いた。。

 

「まあ、俺は断る理由が無かったけど……どうやら、綾斗は違ったみたいだな」

「ああ、何回か断ってたんだけど……」

 

そう言うと綾斗は一旦口を止め、再び。

 

「……探し物が出来たんだ」

 

その真剣な口調から、あまり深く詮索してはいけない類のものだと聖夜は直感的に理解した。

 

「……そうか。月並みのことしか言えないけど、頑張ってくれ」

「ありがとう。……まあ、星武祭では敵同士だけどね」

「まあそうだけど、ねえ? にしても、望みか……」

 

まともな望み無くして星武祭に出たところで、綾斗のような生徒と聖夜ではその覚悟が違う。それでは、この学園が求める『勝利』を掴むことはできないだろう。聖夜としても、負けることはできればしたくない。

 

まるで聖夜のそんな考えを見通したかのように、時雨が打って変わって柔らかく言った。

 

「別に今すぐ決める必要は無いわ。ここで学園生活を送って、その過程で気付けば良い」

 

なるほどね、と聖夜は微笑む。

 

(その通りだな。本物の願いはすぐに見つかるものじゃないってことだ)

 

至極当然のことだ。願いを追い求めることへの覚悟も大切だが、かといって中途半端な願いではいずれ躓いてしまうだろう。今はそれに気付けただけ上々、と聖夜が結論付けたところで、綾斗が思い出したように言った。

 

「そういえば、最後の手続きっていうのは?」

 

綾斗もそう言われていたのか、と聖夜は驚いた。てっきり、助けるための口実だとばかり。

 

「ええ、それは……」

 

そう言って、時雨とクローディアは何かを躊躇うかのようにお互い顔を見合わせる。そして、意を決したのか再び聖夜達の方を向き、

 

「二人共、目を瞑ってくれませんか?」

「えっ? 別に構わないけど……」

 

綾斗がそう答えて目を閉じたのを見て、聖夜もとりあえずそれを真似する。何故手続きに目を閉じる必要があるのかは分からないが、まあ命を取られるわけでもなし。

 

暗闇の中で、二人が席を立った気配。そして、そのまま聖夜達の方へとゆっくり歩を進めているようだ。

 

一体何をされるのかと聖夜は身構えていたが、襲ってきたのは予想の遥か斜め上をいった柔らかい感触と、そして確かな温かみ。慌てて聖夜が目を開けると、時雨がぎゅっと抱き着いてきていた。

 

「あの……時雨さん?」

「………」

 

こんな事は今まで無かったのでどう対処したら良いかまったく分からず、とりあえず聖夜は綾斗の方を見やってみる。するとそちらでも、クローディアがこちらと同じような状況で綾斗に抱き着いていた。綾斗はこういうのに耐性が無いのか、その体制のまま固まっている。

 

男子二人には何がなんだか分からないまま、しばしそんな状況が続いて。

 

「ふふっ、なんて……可愛らしい反応ですね」

「からかわないでよ、クローディア……」

「すみません、つい」

 

不意に悪戯っぽくそう言って、クローディアが綾斗から離れていった。そしてそれを見た時雨も、心なしか名残惜しそうに聖夜から離れていく。今のは一体、と聖夜は未だこんがらがっている頭で考えながら。

 

「……で、今のが最終手続きなのか?」

「いいえ、違います」

「え。……じゃ、何が手続きなんです?」

「……なーんにも」

「はい?」

「えっ?」

「ですから、手続きなんて残ってません。決闘を止める為の嘘です」

 

やっぱりそうだったのか、と聖夜は大きな溜め息を吐いた。だったらそうと言ってくれれば早かったのだが、まさかからかうためだけにこんなことをされるとは。彼が呆れた視線を時雨に向ければ、彼女はてへっと小さく下を出して笑った。

 

ふっと表情を真面目なものに変えて、クローディアが口を開く。

 

「さて、ここからは真面目な話に変わりますが……純星煌式武装(オーガルクス)の適性検査についてです」

「それって確か、ウルム=マナダイトっていうのを使った強力な煌式武装(ルークス)の事だよね?」

「ええ。二人は特待生ですから、適性検査を受ける権利があります。……といっても、聖夜は既に使っているようですが」

 

まあ、と彼は笑う。でも、この話を綾斗だけでなく聖夜にもしたということは、つまり

 

「純星煌式武装って複数使っても構わないのか?」

「使用に当たって、数の制限はありません。ただ、複数使おうとしても適合率が合格の値まで上がらないのが普通です」

「ふむ……そんじゃまあ、見に行くだけってとこかな」

 

ならば、聖夜にとってはあわよくば、という感じだ。期待しないで行くべきだろう。

 

――と、時雨がおもむろに立ち上がり、気が抜けた様子で伸びをしながら言った。

 

「はーい、それじゃこれで終了よ。二人共、お疲れさま」

「では、これから教室の方に行っていただきます。早く慣れると良いですね」

 

全くだな、と聖夜は独りごちる。入学早々、序列上位者と決闘を繰り広げたのだから、せめてこれ以上は何もないことを願いたい。

 

生徒会室を出てクローディアと綾斗とも別れて、聖夜は時雨の後ろに着いていた。

 

「じゃあ聖夜、私達はこっちよ」

「おうよ。そういや、時雨はどのクラスなんだ?」

「廊下から見て、あなたの教室の左側。残念ながら同じじゃないの」

「うーんそうか、それは残念」

 

もっとも、聖夜としても、何もかも時雨に頼りきりというのは避けたいところだったので、ちょうどよいのかもしれない。知り合いがいるとなると、やはり何かと頼ってしまいそうだ。

 

その後も聖夜が時雨と軽く雑談していると、どうやら彼の教室に着いたようだ。

 

「ここよ」

「ほうほう……よし覚えた。ありがとな」

「どういたしまして。それじゃ、純星煌式武装の申請書類はまた後日持ってくるから……新学園生活、ファイト!」

 

時雨の激励と共に、聖夜も静かに気合を入れた。

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「……はい、今日からこのクラスに入る転入生です。自己紹介を」

「月影聖夜です。よろしくお願いします」

 

こういうのは第一印象が大切だということを身に沁みて理解している聖夜は、物腰をできるだけ柔らかくしてクラスメイトへの挨拶を済ませる。その甲斐あってか、大半の生徒は好意的に受け取ってくれたようだった。

 

ただ、一人を除いて。

 

「席は……リースフェルトさんの隣ですね」

「……まさかアンタがこのクラスに来るなんてね」

「はは、いや同感だね……」

 

厳しい視線を聖夜に向けるのは、つい先ほど刃を交わしたばかりのセレナと言う少女だった。教師が出て行った後、彼女はふい、と顔を逸して。

 

「……いい? さっきは勘違いで決闘を吹っかけてしまったし、結果的にアンタは帽子を返そうとしてくれた。つまり借りが出来たから一度だけは力を貸すけど、それ以外では馴れ合うつもりは無いわ。よく覚えておいて」

 

強気な態度でそうまくし立てられた聖夜だったが、その言葉はどうやら聖夜のささやかな嗜虐心を突いてしまったらしかった。

 

「あらら、それは残念。転入早々フラれるとは、ついてなかったなー」

「な、アンタ何を……!」

「冗談冗談」

 

初心(うぶ)いなあと思いつつ、聖夜は顔を赤くしたセレナをおかしそうに眺める。やがて不貞腐れたように顔を背けたセレナだったが、そんな様子が面白かったのか、聖夜は後ろの男子生徒が必死に笑いを堪えていたのに気付いた。その生徒も聖夜の視線に気付き、肩をバンバン叩きながら声をかけてくる。

 

「お前やるなあ、お姫様相手に。面白いやつー」

「そりゃどうも。……まあ、とりあえず名前を頼む。なんて呼べばいいのか分からん」

「ああ悪い。俺は新羅 錬(しんられん)ってんだ」

「そうか、よろしく錬。……確か、さっきの決闘も見てたよな?」

「お、まさか気付かれてるとは思って無かったぜ」

「目にはそれなりに自信があるんだ」

 

先ほど、野次馬の中に紛れていたことに聖夜は気付いていた。へえ、と面白そうに錬は、品定めするような目で聖夜を眺める。

 

「さーて……じゃ、質問タイムといこうか」

「……何についてだ?」

「色々あるぜ。お姫様と互角に闘ってたこと、純星煌式武装のこと、あとは副会長との関係だな」

 

最初の二つはさておき、聖夜からすれば、最後のは厄ネタ以外の何物でもない。言葉を濁す。

 

「最後のは答えないでおくよ。校内大量殺人は起こさせたくないんでね」

「つまりそういう関係だと?」

「消されても文句は言わせないぞ。一種特別な関係だというのは認めるけどさ」

「っし、良いネタ貰ったぜ!」

「ネタって…お前は記者か何かか?」

「ああ、新聞部員だからな」

 

ガッツポーズをしながらメモを取る錬に、アスタリスクの各学園にある記者クラブは、時として学生の枠に留まらないほどの活動をしているということを聖夜はふと思い出して真顔になった。火消しが面倒な記事にならなければいいが。

 

その後も聖夜は錬だけでなく色々な生徒に質問されたが、印象が悪くならないように気を付けながらもそのほとんどを適当にはぐらかした。迂闊に手の内は晒さない方が良いという判断の為である。

 

 

そうして、初めての授業が始まった。

 

 







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第二話〜バランスブレイカー〜

「……転入初日からこんなに疲れるとは」

 

放課後、俺は大きく溜息をつき机に突っ伏した。錬が面白半分に肩を突いてくる。

 

「ははっ、かなり疲れた様子だな」

「当たり前だ。少なくとも、決闘に関しちゃ俺の隣に聞きゃ良いのに」

「それが出来たら苦労しないさ」

 

まあ、あれじゃお近付きになるどころか、話しかけることすら高難度だけど。

 

「はぁ……そういえば、なんでセレナは『お姫様』なんて呼ばれてるんだ?」

「ん? ああ、知らないのか。ヨーロッパの王室名鑑にも載ってる生粋のお姫様だぜ?」

「……マジで?」

 

本物の王室の人間とか聞いてないぞ。いくら月影家の人間とはいえ、一国の王女様に喧嘩売って大丈夫なのだろうか……。

 

「まあでも、これでしばらくは記事ネタに困らねえなあ。特待生様々だぜ」

「……頼むから変な記事にすんなよ? まず間違い無く消されるからな、物理的に」

 

誰に、とは言わなくても分かるだろう。どこぞの影遣いの少女である。

 

もちろん錬にも伝わったようで、彼はおどけながら言った。

 

「流石に副会長は敵に回さないって。影に飲み込まれるっていう噂もあるし」

「あー、時雨の能力の事か? それ、噂じゃなくて本当の話だぞ」

「……は?」

「確か、相手の足元に影溜まりを出現させて飲み込む技だった気がする」

 

一度それで助けてもらったからな。一種の異世界……つまり紫のスキマと似たようなものなのかどうかは知らんが、ともかくあの中に居る時は誰にもバレなかった。外からは一切遮断されてたけど。……そうか、龍属性が無い今あれを使われたら助からない。こりゃマジで怒らせちゃいけないな。

 

「うっわ……副会長おっかねえ」

「ま、そんな無闇に使わないだろ」

 

初めの頃こそ能力に振り回されていたが、今はもう使いこなせている。能力を使用すべき場面だってきちんとわきまえているはずだ。

 

そんな会話をしていると、急に錬の端末が着信を知らせた。

 

「げっ、先輩……」

 

空間ウィンドウに写ったボブカットの女性は、どうやら新聞部における彼の先輩らしい。話を聞くに、どうやら部活に早く来いとのこと。

 

その通話を切って、錬は慌ただしく荷物をまとめながら。

 

「って事で、急用が出来ちまった。じゃあな」

「おうよ。あっそうだ、連絡先交換してもいいか?」

「後でお願いするぜ、どうせルームメイトなんだからな」

「えっ、そうだったのか。確認しとこ。……じゃ、部活頑張ってこいよ」

 

おう、と返事した錬が早足で教室を出て行き、教室には俺一人だけ。

 

「ふいー……とりあえず上々かな」

 

すると、そんな独り言が零れた。言うまでもなくこのクラス……ひいてはこの学園についてだ。始めこそ慣れるかどうか不安だったが、割と上手くいっている方ではないだろうか。……ああ、セレナだけは例外。彼女とも仲良くしたいんだけど、少し厳しいかもしれない。

 

ま、とりあえず今日のところは寮に撤収しますかね、と。そう思って校舎から出た矢先に、ふと気付く。

 

「……どこだ、寮?」

 

本当はさっきの錬との会話中にそれとなく携帯端末の詳しい操作方法を教えてもらう予定だったのだが、それができていない今は検索も使えない。敷地内の案内板を探すなどしなければならないようだ。

 

その案内板を探している途中、諍いの声が聞こえてきた。ふとそちらを見やると、どうやら向こうの方にある四阿(あずまや)かららしい。もっとも、普段であればそれきり無視するのだが……諍いの中の一人の声に聞き覚えがあった。

 

「あーらら……随分と剣呑な雰囲気じゃねーか」

 

視線の先にあったのは、男三人が二人の少女に突っかかってる光景だった。もっと具体的に言うなら、一人の大男が、金髪の少女━━セレナの事だ━━と薔薇色の髪をした少女に詰め寄っている。

 

ふともう一人分の気配を感じてそちらを見ると、少し離れた所に綾斗がいた。彼もこの状況に気付いており、どうやら介入するタイミングを見計らっているらしい。

 

向こうと目が合った。俺は自然に溶け込むように気配を薄め、しゃがみ歩きで静かに、且つ素早く綾斗の元へ向かう。

 

「あっ、聖夜。……あれ、止めた方が良いよね?」

「まあ、な。二人で止めに行くか?」

「そうしようか」

 

向こうを見ると、薔薇髪の少女が何か言い返してセレナと共に立ち去ろうとし、その肩を大男が掴もうとしている所だった。……よし、今。

 

「やあユリス、奇遇だね」

「おっすセレナ、さっき振りだな」

 

綾斗と共に、いかにもな様子で声をかける。しかしやはりわざとらしさは隠しきれなかったのか、向けられた視線は怪訝なものばかりだった。

 

「……お前、なぜここに」

「アンタ、こんなとこで何してんの?」

「なんだ、てめぇらは?」

 

そう言って睨んできた大男の視線を綾斗は受け流し、俺は無視をする。すると、傍らに控えていた小太りの男が急に声を上げ、

 

「ああっ! レスター、こいつら例の転入生だよ!」

「なんだと?」

 

男の睨む視線が一層強くなる。綾斗はそれを変わらず受け流しながら、

 

「それでユリス、こちらは?」

「――レスター・マクフェイル。うちの序列九位だ」

「へえー、君も『冒頭の十二人(ページ・ワン)』なんだ」

 

素直に感心したような綾斗。しかし、それを見るレスターという男の視線は依然厳しい。

 

「あっ、俺は天霧綾斗っていうんだ。よろしく」

 

そう言って綾斗が手を差し出しても、大男は睨んだままだ。

 

「こんな小僧共とは闘っておいて、俺とは闘えないだと……?」

 

憎々しげに言い放ったレスターは、今度はセレナの胸倉を掴もうとする。まあ、セレナは強いし問題は無いのだろうが……小僧共て、もうちょっとなんかあるだろう。ムカつく男だ。

 

そう思った俺は素早く二人の間に割り込み、レスターの腕を掴む。

 

「女性に手をあげるとは、いただけないね」

「……ああ?」

 

おお、面白いくらいに乗ってくれた。僕、満足。

 

「とりあえず、その猪みたいな性格をどうにかした方が良いんじゃねえの? 見苦しいったらありゃしない」

「なっ、てめえ……!」

 

予想通り俺の挑発に乗り、俺の手を振り解こうとする大男。ただ、身体能力ならこっちだって負けちゃいない。

 

「そういうところだよ。……まあ文句があるなら、このままこの腕へし折ってもいいんだけど」

 

最近出来るようになった威圧感のコントロール、それも交えて今度は威嚇する。――ちなみにこの威圧感、自分で言うのもあれだが、幻想郷の大妖怪である方々をも一瞬怯ませるほどのものらしい。具体的に言えば、全力なら多分モンスターと相対した時くらいのレベルじゃなかろうか。もちろん、そう長く続けられるものではないが。

 

なので、いくら『冒頭の十二人』といえども怯まないはずがない。証拠に、俺が直接敵意を向けているわけじゃない綾斗達も若干冷や汗かいてるし。

 

その予想通り、レスターも怯んで後退りしようとする。だが、俺が掴む力を強くしていくと、それが彼の意識を戻したのか、ついに渾身の力で振り解かれた。

 

(ふむ、まさか解かれるとは……)

 

流石は『冒頭の十二人』の一人というべきか。見るからにパワータイプだし、これくらいはやれるらしい。

 

「くそっ…覚えてやがれ!」

 

そう捨て台詞を吐き、彼は取り巻き二人を連れて去って行った。

 

それを何となく目で追ってから、綾斗は薔薇髪の少女に声をかけた。

 

「ユリス、大丈夫だったかい?」

「あのくらい大した事はない。むしろ、お前らのせいで余計絡まれたではないか」

 

あんまりな言い方ではあったが、綾斗は気にしていないようだ。ならばこっちも気にしないでおこう。軽い態度でこちらも答える。

 

「すまなかったね、薔薇髪のお嬢さん。ただ、あいつの態度にちょっと腹立っちゃったものだから、お許しいただけると助かるよ」

「……ふん、まあいい。セレナ、こいつが今朝の決闘相手か?」

「そうよ。ユリス、そっちの男もそうでしょ?」

「まあな。……そうだ、今朝の事について聞きたい事があるんだが」

 

ユリスと呼ばれていた彼女と綾斗が話し始める。なんか意外と仲良さげじゃん、と彼らを見ていると、セレナもまた俺に声を掛けてきた。

 

「ねえ、私もアンタに聞きたい事があるんだけど……」

「ん、どした?」

 

なにやら真面目そうな話だ。セレナは一瞬溜めを作って、俺に問うた。

 

「――今朝の決闘、私に勝てる自信はあった?」

 

ふむ。なるほど、まったく意図が読めない。とりあえず思うままに答える。

 

「いや、無かったな。言い訳はしたくないけど……まだ星辰力の扱い方にも慣れてなかったし、武器も小回りの効かないものだったし」

 

そんな状態でいきなり古龍の力を引き出せばふらつきもする。幻想郷に居た時だって、古龍の力を使う時は属性力と霊力をごっそり持っていかれたのだ。元々、人に扱いきれるような力ではないのだから、それも当然だが。

 

それに、俺の星辰力の量も少ない気がする。元々持っている霊力自体、大して多くないが、下手するとそれと同じくらいかそれよりちょっと多いくらい。能力発動の際に使っていた属性力は考慮されていないのだろうか。

 

……いやー、それってかなりキツイな。比較的消費量が少ない結界くらいしか使えないって事になるし、あまり純星煌式武装の力に頼ってたらいざという時に痛い目見そう。ハンター稼業で鍛えた身体能力と、月影流の技の数々の出番だ。

 

――でも、一応スペルカードは作っとこう。あれはあって損は無いものだということは身に沁みて理解している。

 

 

「じゃあ、慣れさえすれば私に勝てるの?」

「さあ? 勝負は時の運って言うし……少なくとも、俺の勝率はゼロでは無いと思うけどな」

「……ふうん。ま、良いわ」

 

そんな感じで話していると、不意にユリスが俺達に、

 

「そういえば、なんでお前らはこんな所に?」

「あはは……ちょっと道に迷っちゃって。聖夜は?」

 

おっと、仲間を発見しました。

 

「恥ずかしながら、俺もそうなんだ……」

「まさかあっちのゲートが閉じてるなんてね……このままだと、寮に繋がるところも閉じるのかな?」

 

お互い力なく笑っていると、ユリスとセレナは同時に吹き出す。

 

「ぷっ……あははは! なんだ、案内図なりを見なかったのか?」

「はは……」

「いや、俺はそれを探してる途中だったんだけど……」

 

どうやら綾斗は探してすらいなかったらしい。一応俺はちゃんと探していたんですよ?

 

「心配しなくても平気よ。高等部の寮に繋がるゲートは夜も開いてるから」

「あ、なんだ。そうだったのか」

 

ゲートが云々というのを綾斗が言っていたので一瞬不安になったが、どうやら杞憂だったようだ。

 

すると、綾斗が困り顔のまま言った。

 

「でも、やっぱり知らないままなのは困るし……あっ、そうだユリス、今度この学園を案内してくれないかな?ほら、借りがあるって言ってたし」

 

あらま、そちらにも。そういえばセレナも借りがあるとかなんとか言っていたような。

 

「あっ、じゃあセレナ、俺もそうしてもらいたいんだけど」

 

綾斗に続いて頼んでみる。すると、ユリスが呆れたような驚いたような表情で答えた。

 

「別に構わないが、そんなので良いのか? 例えば、『冒頭の十二人』である私達の力を借りるとか、もっと他にも……」

「んー……それって、戦力としてって事か? 悪いけど、そっちは俺には必要無いかなー」

「俺も、特には。最初はここを知るのが一番だろうし」

 

生憎と俺は戦力を必要としていないし、それは綾斗も同じようだ。確かに、『冒頭の十二人』という実力者相手に頼むことでも無いような気はするが、実際に必要としていることがそれなのだから仕方無い。時雨に頼むと高くついてしまいそうで怖いし。

 

「……よく分からないわね、アンタ達は」

「変わり者だとはよく言われるよ」

 

俺が苦笑すると、不意に綾斗がユリスに言った。

 

「そういえば……朝クローディアが言ってたけど、鳳凰星武祭(フェニクス)のパートナーは決まったのかい?」

 

鳳凰星武祭。確か、ペアで出場する星武祭(フェスタ)だったか。どうやらユリスはそのペアが未だに決まっていないらしい。

 

問われた彼女は痛いところを突かれたように呟く。

 

「う……まだだ。セレナはどうなんだ?」

「私もまだ……やっぱり理想が高いのかしら」

 

そしてそれはセレナも同様。理想が高いかもと自覚しているとは相当だが、一体どれほどなのだろうか。

 

「……一応聞きたいんだけど、どんな人をお望みで?」

「そうだな……私達と同程度の実力者というのは望み過ぎなので、せめて『冒頭の十二人』クラスの戦闘力を持ち、清廉潔白で頭が良く、強い意志と高潔な精神を持った騎士のごとき者だな」

 

おっと、これは予想以上。条件てんこ盛りである。

 

「いや、理想が高いとかそういうレベルじゃないでしょそれ……」

「……そうかしら。これでも結構甘めなんだけど」

 

冗談、では無さそうだ。そんな人そうそう居ないでしょうよ。

 

「てかさ、それなら君ら二人で組めば良いんじゃねーの? 実力的にも申し分ないだろうし」

 

もっとも、それが出来るならここまで悩んでなどいないだろう。予想通り、ユリスは腕を組みながら、

 

「それは出来ない。同じようなタイプの魔女(ストレガ)が二人だとバランスが悪いからな。途中で苦戦する可能性がある」

「まあ、そりゃそうだけどさ。にしても、鳳凰星武祭か……面白そうだな」

 

星武祭(フェスタ)とは、アスタリスクの学生が三回まで出場できる……まあ、簡潔に言えばバトルエンターテイメントだ。タッグ戦の鳳凰星武祭、チーム戦の獅鷲星武祭(グリプス)、個人戦の王竜星武祭(リンドブルス)に分かれており、一年目に鳳凰星武祭、二年目に獅鷲星武祭、三年目に王竜星武祭といった感じでワンセット。三年を一区切りに、これを繰り返すのだ。優勝すれば望みを叶えてもらえるらしく、基本的にはそれ目当てで参加するのだろう。

 

「でもそろそろエントリーの期限だし、贅沢な事も言ってられないわよね」

「そうだな。いい加減見つけなければ……」

「……まあ、そこは頑張れとしか言いようがないな」

 

一応俺も誰か誘ってみるか……とか思っていると、

 

「ごめんユリス、寮ってどっちにあるのか、そろそろ教えてもらえないかな?」

「ん? ああ、あっちの道を行けば寮はある」

 

ユリスが指した方に目を向ける綾斗。しかし、直後に彼女に襟を掴まれ近道の方へ向き直されて。

 

「だが、こっちの方が近道だぞ」

 

首が締まる格好となった綾斗は苦笑しながら振り向き、言う。

 

「……もう少し優しくお願いできないかな」

「それは条件に無かったので却下だ」

 

そんな綾斗に対して可笑しそうに笑うユリス。そして、その光景を見てセレナも可愛らしく吹き出した。

 

 

 

……ふと、その様子を見て思った事を口にしてみる。

 

「――やっぱり可愛いらしいな、セレナって」

 

普段なら、さして仲良くもない女子にこんなことは言わない。ただ、この場合は何となく口に出しても大丈夫なような気がした。

 

案の定、セレナは酷く驚いたように飛び退き、叫ぶ。

 

「なっ……何よ急に! なんか怖いわよ!?」

「いやなに、普段からそんな表情してればいいんじゃないかって思ってさ。無愛想なのは損だぞ、中にはそういうの好きな奴もいるけども」

「……余計なお世話よ」

 

そう言ってはいるが、傍から見ても分かる程に顔が赤くなっている。やはり初心(うぶ)いなあと微笑みながら、

 

「まあ、気に障ったなら謝る」

「……別に良いわ。そういうわけじゃないから」

 

ふーむ、まあ多少は話せるようになったかな? 何となくだった思い付きに感謝である。

 

「まあいいか。……じゃあ案内の事なんだけど、いつなら空いてる?」

「そうね……早い方が良いし、明日の放課後はどうかしら?」

「ああ。……じゃ、よろしく頼む」

 

その後少しだけ話をして、俺らは別れる。そうしてユリスという少女が言っていた近道とやらへと足を進めることしばし、ふと後ろから足音が聞こえ、綾斗も来ているのに気付いた。

 

「おう。話し込んでたみたいだけど、何かあったのか?」

「いや、案内の件を言い忘れちゃってて」

「そうだったのか。……にしてもこの学校、かなり凄くないか? 色々な意味でだけど」

「新入生には優しくないけどね……」

「……全くだな」

 

苦笑していると、ふと綾斗の方は朝何があったのか気になってきた。

 

「そういやさ、綾斗は朝どんな目に遭ったんだ? ……その顔を見る限り、結構酷い目に遭ったみたいだけど」

「ああ、まあね……ユリスのハンカチが落ちてきてそれを届けようとしたんだけど、結果覗きみたいになっちゃって」

「……なんか、俺と同じ目に遭ってたんだな」

「聖夜も?」

「ああ。俺が届けたのは帽子だけどな」

 

ふーむ……こんな事もあるんだな。流石原作ラノベだ。ご都合主義に塗れている。

 

「そういえば、あの生徒会長さんとはどんな関係なんだ? すごい仲良かったように見えたんだけどさ」

 

そうしてもう一つの疑問もぶつける。あのスタイルの良い美人生徒会長との関係についてだ。あんなに抱きつかれていたのだし、何か浅からぬ縁があるのだろう。

 

「どんなもなにも、今日が初対面だったんだけど」

 

――と思っていたが、全然そんな事はなかった。えっ何どういうこと羨ましいなおい。

 

「……は? いやいや、じゃあなんであんなスキンシップを?」

「俺もよく分からないんだよね……聖夜こそ、副会長さんとは知り合いなの?」

「ああ、まあ……昔からの顔馴染み、かな」

 

どう答えるべきか迷った挙句、こう言うしかなかった。……ほらまあ、俺と時雨の出会いと経緯は結構複雑だし。一回殺されかけたんだぜー、とか言えるわけないじゃん?

 

「そうなんだ。いいなあ、顔馴染みが居るっていうのは」

「まあ、過ごしやすくはなるかな。分からない事も聞けるし」

「そうだよね。……でも、それじゃなんで案内をそっちに頼まなかったんだい?」

「んー、セレナと仲良くなりたいな……と思っただけかな」

 

半分は嘘だ。彼女に頼むと、後でどれほど面倒な対価を要求されるか分からないからである。

 

「そうだよね。俺もユリスと仲良くなれれば良いけど……」

「いけると思うぜ。俺には自然体で話し合ってるように見えたしな」

「それを言うなら聖夜もだけどね」

 

そんな感じで話していたら、いつの間にか寮に着いていた。俺と綾斗は部屋の階が違ったのでロビーで別れ、俺は自分にあてられた部屋に向かう。

 

「ただいま戻りましたよーっと」

「おーう、おかえり」

「ああ、お前がルームメイトだってこと忘れてたわ」

「おうおう、そりゃ酷いぜ」

 

椅子に座り何か作業をしていた錬に冗談を言いつつ、俺は自分の机周りに置いてある段ボールに目をやる。……ほー、色々あるな。ああ、俺の愛刀『夜桜』もあるじゃん。これで戦うのもありか。

 

……ん? これは、煌式武装のケースか?

 

「どれどれ………」

 

他にどんな武器があるのかというのはどうにも気になる。何気なくそのケースを覗いて、

 

「なっ、」

 

――その中を見た俺は思わず声を上げてしまった。錬が不思議そうにこちらを見てくる。

 

「なんかあったのか?」

「えっ? あ、いや、何でもない」

 

急いでケースを閉める。……流石にこれを見せるのはマズい。錬は新聞部だと言っていたし、そうでなくともこれが広められるのは避けたい。

 

俺が言っているこれとは何か? それは……煌式武装のケースに入っていた()()()の純星煌式武装のコアである。――もう一度言おう。十四個である。今持ってる王牙大剣と合わせると、俺が持っている純星煌式武装は十五個。どう考えてもおかしいだろ、これ。

 

いやまあ、大剣を含めて今まで主に使っていた十五種類の武器が揃ってる、と考えれば一応筋は通る。だけどなあ……クローディアが言ってなかったっけ、複数の純星煌式武装を使おうとしても適合率が出ないって。

 

 

いや本当に……これどうなってんの?

 

 



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第三話〜麗水の狩人(メレアヴィーネ)

――――月明かりが煌々と辺りを照らす、そんな真夜中の湖のほとり。佇む聖夜の側にいるのは、はたして誰なのか。

 

「―――は、どうしたいの?」

 

問いかけてくる声に、彼はぼんやりとした頭でしばし考え込んで―――。

 

 

 

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━━━━━━

 

 

 

 

 

(……まさか、あっちの光景を夢に見るとは)

 

朝の五時頃。いつもの癖で早く目覚めた俺は、先程見た夢を思い出す。

 

(どうしたい、か)

 

夢の中、誰がそばに立っていたのか、それはよく分からない。ただ、問いかけの内容だけは、不思議とはっきり覚えていた。素早く目覚めた頭でそのことを考えていると、不意にもう一方のベッドから声が聞こえてくる。

 

「ふああ……んあ? まだ五時か。お前さん、結構早起きだな」

「ん、悪い。起こしちまったか?」

「いんや、ちょっと前から目が覚めてはいたからな。夢現だったけど」

 

寝たままでそこまで言った錬は、向こう側に寝返りをうちながら。

 

「しかし寝言が多かったな。気になるものもあったし、こりゃ面白い記事になるかもなー」

「おい待て、俺が何を言っていたか教えるんだ今すぐに」

 

少なくともこちらの身に覚えはないが、何かまずいことを本当に言っていたのだとしたら問題である。広められた際のダメージは計り知れない。

 

含み笑いをした錬は、再びこちらへ振り向き、にやりと笑みを浮かべた。

 

「どうしてもって言うなら、条件付きでどうだ? 今日の朝飯、お前さんの奢りでよろしく頼むぜ」

 

さあどうするか。ただ単にからかわれているという可能性もある。錬はなかなかに苦学生らしく、お金に悩むところも度々見ているこちらにとっては、その可能性を疑ってしまうというもの。

 

――が、しかし。覚えていない問題発言というリスクを考えれば、それくらいで済むならば安いだろう。

 

「……オッケー、それで手打ちだ」

「っし! じゃあ……」

「ただし」

 

発言の中で、何か嫌な予感がした俺は錬の言葉を止める。

 

「上限は千円までだ」

「くっそー、先に言われちまったか。四千円くらい奢ってもらおうと思ってたんだけどな」

「アホかお前。学生に払わせる金額じゃ無いからな」

 

朝飯で四千円て……どんな飯だよ。そんなの食う気にはなれない。別に払えるけど。

 

「じゃ、よろしく頼むぜ。俺は寝る」

「そのまま起きなくて良いぞ。飯代が浮くから」

「しっかり起こしてくれよ、頼むぜ」

「……はいはい。ホームルームには遅れないようにするさ」

 

二度寝し始めた錬にそう声を掛けつつ、俺は愛刀の『夜桜』を持って、素振りが出来そうな所を探し求めに行くのだった。

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

寮にほど近い、良さそうな場所を見つけて早速素振りを始めた俺だったが、程なくして誰かの足音が聞こえてきたので、一旦手を休める。その音の主は、同じ転入生の綾斗。

 

「おっす、朝練か?」

「まあね。そういう聖夜も?」

「ああ。なんか癖で早起きしちゃってさ」

「分かるよ。俺もそうなんだよね」

 

綾斗も同じような理由らしいので、そのまま俺らは各々の練習をし始める。

 

そして俺が月影流の練習をしていた時、不意に綾斗が声を掛けてきた。

 

「そういえば、聖夜って刀も使うんだね」

「ああ、まあな。煌式武装(ルークス)は持ってないし、朝っぱらから純星煌式武装(オーガルクス)を振り回すわけにもいかないから。結構使いやすいし」

 

そう言って、俺は『夜桜』を軽く掲げる。こいつは家に代々伝わってきた家宝の一つである名刀だが、魔力の塊みたいな石━━━名前は覚えていない。知り合いの魔女が何か言ってたような━━━を香霖堂という古物商店でこいつに組み込んでもらった結果、魔力が宿るマジックアイテムとなった刀だ。こいつに宿っている魔力は、形を変えてこのアスタリスクでもしっかり残っている。つまり、そんじゃそこらの刀など言うに及ばず、名刀と呼ばれる刀達よりも耐久力や切れ味が良い。もっと具体的に言えば、頑張ればハンターが使う武具とタメを張れる。

 

「でも、そういう綾斗だって剣の腕は並大抵じゃないと見た」

「まあ、それなりに自信はあるけど……」

「謙遜すんなって。……そうだ、ちょっと打ち合いをしてみないか?」

「構わないけど、何故だい?」

「強い人と戦ってみたい、という純粋な興味から。いやまあ、もちろん本気ではやらないけどさ。綾斗は煌式武装持ってるみたいだし、軽くなら良いだろ?」

「あまり期待しないでよ?」

 

とか言いつつも、俺から少し離れた位置に移動してくれる綾斗。一歩踏み込めばお互いの間合いに入るかという距離だ。

 

「ありがとな。じゃ、軽ーくやりますか」

「よろしく頼むよ」

 

そう言ってお互いが少し微笑んだ刹那、同時に踏み込んで一閃。軽くとはいえ、十分な鋭さを持った斬撃は幾度となくぶつかり合い、火花を散らす。

 

そうして、相手の動きを探りつつ斬撃を放つ事しばし。不意に視線を感じてどちらからともなく攻撃を止めた。

 

「なんだ? ……あっ」

 

その視線の、いや視線達の先を辿ると、カメラを構えた複数の生徒が。

 

いや、考えてみれば当たり前の事だ。こんな朝っぱらから、しかも寮に比較的近い所から武器を打ち合う音が聞こえてくれば、誰だって興味本位で探しに来るだろう。そして、そこで武器を振るっていたのは昨日転入してきたばかりの生徒二人。

 

そりゃ撮りたくもなるわ。まあ、お互い本気を出していたわけでは無いから、実力が他にバレたりなんかはしなかったと思うが。

 

……とはいえ、隠し撮りされるのは好きじゃない。俺はその生徒達の方を、続けて少し離れた所へと興味なさ気に視線を移して。

 

「!?」

 

一気に彼らの背後へと移動すれば、向こうは驚いた表情。……言っておくが、決して大したことをしたわけではない。一種のブラフというか、わざと視線を外すことによって相手の意識をそちらに向けさせたのだ。こうすることで予備動作を悟られなくなり、不意を突くことができるのである。

 

とまあ、改めて見てみれば……昨日ギャラリーだった人達ばっかりだな。……ま、とりあえずだ。俺は軽く微笑みながらこう言い放った。

 

「……さっきの映像とあなた方の存在、どちらを消しましょう?」

 

そんな俺の言葉に冷や汗を流すギャラリー。……まあ無理もないな。刀を片手に近付いてきた男が、急にそんな脅しめいた事を言ったのだから。

 

……なんか、あいつは狂人(チャッキー)だ、とかそういう噂が流れそうだ。俺は狂人(チャッキー)なんかじゃなくて狂人(ルナティック)の方が近いんだけどな。二つの何が違うかって? 狂人(ルナティック)のほうが格好良いだろ、ニュアンス的に。意味変わらんけど。どっちもただのヤバい奴だけど。

 

ともかく、そんな噂が流れては少々困るので態度を変えつつ、

 

「まあ、冗談ですが。くれぐれも、映像は消しといてくださいよ」

 

そう言い残し、俺は同じように高速移動で元の場所へ戻る。そうしてふと綾斗を見ると、彼は苦笑いしていた。

 

「……凄いなあ。今のは瞬間移動なのかい?」

「いや、ただの高速移動。慣れれば誰でも出来るんじゃないかな、星脈世代(ジェネステラ)だったら」

 

別段難しい事でもないし。……少なくとも、高速移動だけならば。ブラフに関しては独自の鍛錬を積まないとなかなか実践レベルにはならないが。

 

「それより、今日はもう終わりにするかな。これ以上撮られるのも嫌だし」

「そうだね。じゃあまた」

「おうよ、またな」

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

しばらく後、校舎と寮を繋ぐ道にて。

 

「……お前さん、もう少し早く起こしてくれよ」

「いや知らねえよ。二度寝した方が悪いだろ」

「そう言われりゃそうだけどさ……飯食いそびれちまったぜ」

「俺はバッチリ食ってきたけどな。自主練の帰りに」

「くっそー、薄情者め」

 

そんな事を話しながら教室に入る。まだホームルームまで結構時間があるというのに、そこには多くの生徒が居た。そして自分の席に向かった俺は、ごく自然に隣のセレナに挨拶する。

 

「やあセレナ、おはよう」

「……ええ、おはよう」

 

そうしてセレナも挨拶を返した瞬間、教室が静まりかえった。

 

 

――そして。

 

「「「はあぁぁぁぁ!?」」」

 

クラス中で大絶叫が。君たち仲良いね。

 

「あいつ、魔法でも使ったのか!?」

「あのお姫様が挨拶を返すなんて……」

「なっ……し、失礼ね! 私だって挨拶くらい返すわよ!」

 

驚くクラスメート達と、顔を真っ赤にして反論するセレナ。……うん、これを見るだけでセレナが普段どんな態度を取っているか分かるな。

 

とか何とか思ってると、突如として後ろから威圧的な声を掛けられる。

 

「……おい、てめえが例の転入生か?」

 

おん? と振り向いた俺は、いつの間にやら後ろに立っていた男を見て、一目で直感する。……絶対タチ悪いなこいつ、と。やはり、その男は相変わらず威圧的な態度を崩さず、

 

「あまり調子に乗るんじゃねえぞ」

「……えーっと。頭湧いてない? 大丈夫?」

「あ? てめえ……」

 

あー、思わず煽ってしまった。こういうタイプって面倒臭いんだよな。……まあ面白そうだし、もう少しやってみるけども。

 

「で、何なの? 急に失礼極まりない事言ってくれちゃって」

「……お前ごときがお姫様に挨拶されたくらいで調子乗んなって事だ。いっぺんぶっ飛ばされねえと分からねえか?」

 

ほう、ほうほう。流石にカチン、ときた。初対面の奴にここまで言われたのだから、誰だってそうなるだろうけど。

 

という事で、久し振りに威圧感全開放。俺の周りに、身動きするのも憚られる程の緊張感が走る。騒いでいた教室が静まり返る。

 

もちろん、それは目の前の男も例外ではない。先程までとは打って変わって、目を見開いたまま動こうともしない。

 

「まあ、俺をぶっ飛ばしたいってんなら別に構わないけど……命の一つくらいは覚悟して来てもらわないと、ちょっとね」

 

俺はあんたが思ってるほど弱くないからねえ、と、そこまで言って、威圧感を解除する。はっと正気を取り戻した男は、俺の事を強く睨みつけ、

 

「ちっ、絶対叩き潰すからな……!」

「はいはいはーい、どうぞご勝手に」

 

もう相手するのも面倒になってきたので適当にあしらった。そして忌々しげにそいつが教室から去っていった後、俺は後ろの席に居る錬の方を向いて、

 

「で、あいつは何なんだ? 昨日見た時から感じ悪そうだなとは思ってたけど」

「ああ、あいつは丸木裕二(まるきゆうじ)。ちょくちょく他クラスに行ってはいびり散らす奴だが、一応うちの序列三十五位だ」

「へえ、あんなんでも序列入りしてるのか」

「まあでも、お前さんなら余裕で勝てると思うけどな」

 

それからも少し話していると、ふと錬の隣の席が空いてるのを見て、昨日の事を思い出した。昨日もここの席の人いなかったな……と。

 

「なあ錬。お前の隣って誰なんだ? 昨日もいなかったみたいだけどさ」

「ん? ああ、昨日は何か用事が入ってたみたいでな。……時間的にそろそろ来るだろうから、その時紹介するぜ」

「ふーん……」

 

どんな人なんだろうなと軽く考えていると、三人の女子が教室に入ってきた。その中心にいた深紅色の髪の美少女とふと目が合い……。

 

 

――瞬間、お互いが硬直する。

 

「お前さん、どうした?」

 

そんな錬の言葉もまるで聞こえず、俺は無意識的に席を立っていた。――やはり間違い無い。俺の視線の先にいるのは…あの少女。

 

「茜?」

「……えっ、聖夜? まさか本当に聖夜……なの?」

「やっぱり茜か……久し振りだな」

「聖夜っ……!」

 

そう叫ぶやいなや飛びつくように抱き着いてきた彼女を受け止める。

 

「まさか会えるなんて! 元気だった!?」

「上々だよ。茜も元気そうで何よりだ」

「何だあ? お前ら、知り合いだったのか?」

「まあ、そんなところでね」

 

彼女の名前は羽澄 茜(はねすみ あかね)。ハンター時代の俺がよく一緒に狩りに行っていた、もはや家族とも言えるような間柄の人物だ。

 

「にしても、こんな所で会えるなんてな……まるで奇跡だな」

「うんっ! 本当に奇跡!」

 

心底嬉しそうに満面の笑みを浮かべる茜。こういう感情豊かなところは昔から変わっていないようだ。

 

すると、またクラスメートがざわめきだす。

 

「なっ……あの『麗水の狩人(メレアヴィーネ)』が男とあんなに仲良さそうに!?」

「あの転入生、本当に何者だ!?」

 

まあ、そんなざわめきは無視して。

 

「ふーん、『麗水の狩人』……ね。そんな二つ名が付いてるってことは、かなり強いんだな」

「それなりにはね。一応、これでも序列十位だから」

 

おっと、お前もか。

 

冒頭の十二人(ページ・ワン)か。流石だな。武器は何を使ってるんだ?」

「今は弓型の純星煌式武装。ほら、タマミツネの」

「あー、あれか。茜のお気に入りだったもんな」

 

ガンナーなのも変わってないんだな……と思っていると、急に何か腑に落ちた事があったかのような表情になる茜。

 

「あっ! もしかして、昨日リースフェルトと戦ったっていう転入生って聖夜の事だったの?」

「まあな。負けちゃったけど」

「えっ、聖夜が負けた?」

 

目をみはる茜。ちょっとだけ不甲斐なさを感じながら。

 

「ああ。どうにも慣れていなくてな……」

「うーん……何か納得いかないなあ。聖夜が本気出したら私だって敵わないのに……」

「いやいや、それは無いって。茜だって腕を上げてるんだろうし」

 

しかし、茜の発言で俺を見るクラスメートの目がますます訝しげになってきているのに気付き、俺は手早く話を切り上げようとした。

 

……が、聞かなければならないことがある。俺は茜の耳元に顔を近付けて囁いた。

 

「――茜、お前はこの世界の人間じゃないよな?」

 

俺の予想通りなら、この一言で伝わるはずだ。茜の顔が途端に真剣味を帯びる。

 

「……うん。聖夜もでしょ? さっきカマを掛けてみたけど引っ掛からなかったし」

「『タマミツネ』、か」

「うん。あれが分かるなら、あなたは私の知っている聖夜ってことだから」

 

そりゃそうだよな、と零す。ハンター以外が知るはずのないモンスターの名前なのだから。

 

「まあそういうことなら、ちょっと話したいことがあるんだけど……」

 

 

言いかけた、まさにその時だった。廊下の方から発せられている不穏なオーラに気付いたのは。

 

「ねえ聖夜、なにイチャイチャしてるの?」

 

鈴のような透き通る、しかしとんでもなく冷たい声。とても聞き覚えのあるその声に慌ててそちらを振り向くと、その先にはすこぶる不機嫌そうな時雨の姿があった。彼女はそのままこちらへと足を進めて俺の元へ。

 

「へえー……ちょっと、『麗水の狩人』とどんな関係?」

「……はい? いや、えっと、どんなって言われましても…」

 

時雨が何故不機嫌なのかが分からず答えあぐねていると、今度は茜も何故か訝しげな目でこちらを見てくる。

 

「ねえ、この女と知り合いなの?」

「えっ? ああ、まあ……」

「ふーん……どんな関係?」

 

お前もか。

 

なんとか誤魔化そうとは思うのだが、半端な答えで許される雰囲気では無い。何でこうなったんだろ、と無駄なことを考えつつ、諦めて正直に答える。

 

「いや、どんな関係って言われても……どっちも大切な人としか答えようがないな」

 

そう言って二人の頭をぽんぽんと軽く叩く。この二人を宥めるにはこうするのが得策なのだ。

 

証拠に、未だ納得していない様子ではあったものの、時雨は矛を収めてくれた。茜はどこか嬉しそうに撫でられている。

 

「むぅ……分かったわ。恋人とかそういうのじゃないのよね?」

「何を言うか、俺なんかに恋人なんぞ出来る自信がないとあれほど。……というか時雨、そろそろ戻った方が良いんじゃね?」

 

そろそろ始業の時間である。ってかこの面倒事を早くどうにかしたいのも含めて、彼女に問いかけた。

 

幸いにも、時雨はちゃんと聞いてくれたようで。

 

「あっ、確かにそうね。じゃあまた後で」

「おうよ」

 

そう言って小走りで去っていった時雨を見送ってから、俺と茜も席に戻る。それを見るクラスメートの視線が気になるが……こりゃあれだ、また質問攻めに遭うパターンだ。

 

「……なんで朝から面倒事に巻き込まれなきゃならないんだ」

「お疲れさん。にしても、副会長と知り合いってだけでも驚いたのに、まさか羽澄とも知り合いなんてなー」

「俺もびっくりだよ、まさか知り合いが二人も居るなんて」

 

そう言った俺は茜を見て、

 

「そういえば、あの子も居るのか?」

「ううん。今も頑張ってると思う」

「そうか。……強くなってるんだろうな」

 

きっと、俺がいなくなってからも茜とあの子は鍛錬を止めなかったのだろう。あの子はもうとっくに俺の手を離れたんだな……。

 

「でもまあ、茜の実力も見てみたいかな」

「じゃあ決闘する? 勝てる気がまるでしないけどね」

「いや、止めておくよ。こっちだって勝てる気しないから」

 

『冒頭の十二人』に喧嘩は売らない、これ大事。……レスター? 知らない人ですね。

 

「ふーん……羽澄がここまで言うってこたあ、お前さんかなり強いんだなあ」

「ま、それなりだよそれなり」

 

そうして、俺と茜はホームルームが始まる直前まで、聞かれても問題無い範囲で思い出話に花を咲かせたのだった。それにしても、隣のセレナが何やら面白くなさそうな表情をしていたのだが……何だったのだろうか。

 

 

 

 

 



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第四話〜学園案内ツアー〜







「……これでよし」

 

放課後、セレナはトイレの鏡の前で身だしなみを整えていた。無論、これから聖夜を案内するからだ。

 

(ちょっと気合入り過ぎたかしら? でも、少しでも可愛いと思ってもらうためには……って、何考えてるのよ私!)

 

慌ててぶんぶんと首を振る。煩悩退散。……あ、少し髪が乱れた。

 

それを丁寧に直してから教室へと戻ると、聖夜と茜が楽しそうに話していた。久しく会っていないと聞いたし、だからこそ積もる話もあるのだろうが……セレナには少し、それが気に入らなかった。

 

「えーっと……そろそろ行かない?」

「あっ、もうそんな時間か。じゃあ茜、また明日」

「うん……ってちょっと待って。聖夜、『雷華の魔女(フリエンブリッツ)』と何処かに行くの?」

「ああ、ちょっとな。学園とかの案内をしてもらうんだ」

 

そんな聖夜の返事に茜はふうん、と言いながらセレナを見据える……というより、睨みつける。

 

「……一体どういう風の吹き回し? あなたが案内をするなんて」

「どうも何も、借りを返すだけよ」

 

借り、ね……と茜は呟くと、キッと顔を上げて言った。

 

「………なら私がやる。聖夜も嫌々案内されるのは気分悪いだろうし」

「ちょっと、いきなり何よ。こっちはもう約束してるんだから、邪魔しないで」

「知らないわ。というか、それなら聖夜に決めてもらいましょ」

「おい待てちょっと落ち着け二人共」

 

二人が睨み合っているのを見かねた聖夜が、慌ててその仲裁に入ろうとする。……だが、そんな彼の腕にそっと寄り添う女性が。

 

「なら、私が一番適任じゃない?」

「おわっ……と。やっぱ気配を消すのが上手いな、時雨」

 

やれやれとでも言いたげな顔で、聖夜は時雨を見やる。

 

「で、何の用だ?」

「昨日言ってた、純星煌式武装(オーガルクス)の適正試験の事でね。明日やるから、それまでにこの書類に目を通しておいて」

 

そう言って無造作に渡される書類の束。聖夜はそれに何気なく目を通し、

 

「って、随分多いんだな。読み切れるかね……」

「ああ、適当に流して大丈夫よ。どうせ小難しい事しか書いてないんだし」

「……副会長がそれで良いのか?」

「会長だってそうだし……ねえ?」

 

本当に大丈夫なのだろうか、と聖夜は思う。純星煌式武装はかなり希少かつ、取り扱いに気を付ける必要のある物なのだから、こんな適当に済ませてしまっても問題……なかったんだろうな今までも、と聖夜は一人で完結させ、会話を続けた。

 

「ま、どうせ適合率は高く出ないだろうけどさ」

「……案外、合うのがあったりしてね」

「そりゃ、あればいいけども」

 

聖夜と時雨が呑気に会話していると、蚊帳の外状態だった茜がついに痺れを切らした。

 

「……もう我慢の限界! さっさと聖夜から離れて!」

「嫌ですー。ていうか、あんたは朝くっついてたじゃない!」

「それとこれとは話が別でしょ! 第一、あなたより私の方が聖夜の横にはふさわしいのー!」

「なんですって!?」

 

そのまま二人は聖夜を挟んで大騒ぎ。茜に続いて怒鳴ろうとしたセレナはそれに呆気に取られ、抗議の言葉を飲み込んでしまった。

 

「おーい……全く。二人共、いい加減落ち着きなって」

「「聖夜は黙ってて!」」

「……変なところで息が合うんだな」

 

苦笑いしながらそう言った聖夜は、一つため息をついて。

 

――次の瞬間、いきなり彼女達の体制が崩れ、そのまま仰向けに倒れていく……直前に、聖夜が二人の背中を支えて一言。

 

「はい、もう終わり。俺はセレナと約束したんだから、今更それを変えるつもりは無いよ」

 

一言。これには二人も反論できず。

 

「むう……まあ、聖夜が言うなら仕方ないか」

「……この体術の天才め」

「褒め言葉として受け取っておくとしよう」

 

彼女達の体制を崩したのが聖夜だとセレナが気付いたのは、この会話でようやく二人が落ち着いた頃。そして、その事実に気付いた彼女は再び驚く。

 

なにせ、この二人は星導館でもトップクラスの実力者なのだ。しかも、かたや魔女(ストレガ)、かたや弓使いでありながら、体術をも他の『冒頭の十二人(ページ・ワン)』レベルで使いこなす二人である。それなのに、こうもあっさりと体制を崩されるとは。

 

ふと、聖夜が問うた。

 

「……茜、最近体術の訓練してないだろ」

「えっ? そ、そんな事は……」

 

さっと顔を背ける茜。

 

「こら、目を逸らさない」

「……ごめんなさい。実は、弓秘伝に使う動き以外は基礎訓練しかやってなかったの」

 

しかし、聖夜の視線には勝てなかった。心なしか若干しゅんとした様子で、茜がそう打ち明ける。

 

しかし、それを聞いた彼は特段叱るようなこともなく。

 

「まあ、その気持ちも分かるけどな。……そうだな、今度また稽古をつけようか? 前みたいにさ」

「え……良いの!?」

「ああ。今は実力がほぼ同じとはいえ、茜は教え子だし」

 

教え子!? とセレナは戦慄する。麗水の狩人(メレアヴィーネ)が教え子……もしかしなくてもこの転校生、とんでもない強者なのではあるまいか。

 

そう思った彼女は、思わず口にしてしまう。自分でも言うつもりの無かった、単なる思い付きを。

 

「その……私にも教えてもらえる?」

 

そう言った瞬間しまったと感じるが、時すでに遅し。案の定、茜の鋭い視線がセレナに突き刺さる。

 

「……なんであなたが?」

「えっ、それは……私だって強くなりたいからよ」

「はあ!?」

 

苦し紛れの理由に、もちろん茜が納得するはずもなく。

 

「まあまあ、俺は別に構わないよ。でもまあ……『冒頭の十二人』なんだから、かなり厳しくやるけどな。それでも良いなら」

 

だが、当の聖夜に異論は無いようだ。渡りに船とばかりに頷くセレナ。認めないとでも言いたげに茜が言う。

 

「ちょっと待ってよ聖夜、本当に?」

「ああ。別に秘伝を教えるわけでもないし、ただ体術の基礎とコツを教えるだけだからな」

 

そんな事よりも、と聖夜は話を切って、

 

「とりあえず案内をしてもらわないとな。よろしく頼むよ」

 

そう優しく微笑みながら手を伸ばしてきた彼の姿に、セレナは思わず見惚れてしまう。

 

――だから、なのだろう。その差し出された手を彼女が反射的に握ってしまったのは。

 

「その……こちらこそよろしく」

「おっと、これは意外だな」

「えっ? ……あっ、」

 

ようやく自分が何をしているのかに気付き、慌てて手を離そうとするセレナであったが、その時教室の外から微かな物音が。

 

「っ!」

 

それを聞きつけて、聖夜と茜が素早く反応する。だが、その何者かの気配はどこかへと去っていってしまった。

 

「今のは何だったんだろ?」

「確実に誰か居たんだけど……敵じゃない、かな?」

 

時雨も茜と警戒はしているが、追いかけようとはしないようだ。聖夜もふむと思案し、

 

「……まあ、一応警戒しておくかな。それじゃ、行こうか」

「あ、うん…」

 

相変わらず聖夜と手を繋いだままだったが、あろうことかセレナはそれを忘れてしまっていた。その状態のまま、彼女は案内を始めてしまう。

 

もちろん聖夜は気付いていたが、あえて何も言わなかった。こう見えて、意外と人をからかったりするのが好きなのである。

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

星導館敷地内、中庭にて。

 

「どう? どこに何があるかくらいは分かった?」

「ああ。丁寧に教えてくれたおかげでよく分かったよ」

 

聖夜の返事を聞いてセレナは安堵する。案内なんて事は初めてやったので、内心彼女はとても不安だったのだ。

 

(よかった……)

 

すると、聖夜が悪戯っぽく笑って言う。

 

「なんだ、不安だったのか?」

「えっ!? なんで分かったの?」

「その綺麗な顔に出てたよ。分かりやすくね」

 

わざとらしいその言葉に、しかしセレナは狼狽えてしまいながら、

 

「なっ……何よ、いきなり」

「事実を言ったまでだよ。麗しいお嬢さん?」

 

同級生に面と向かって言われたのは初めての事だったので、セレナはどぎまぎしてしまう。中々言葉が出ず、それでもなんとか絞り出したのは苦し紛れの一言。

 

「……世辞は嫌いよ」

「そのつもりは全く無いんだけどな。……あとさ、さっきから注目を集めてるのには気付いてるか?」

「ええ、いつもより視線を感じるわ。なんでかしら…」

 

本当に分からないといった様子のセレナに、聖夜は驚きつつ。

 

「あー……まさか気付いてないのか」

「……何よ、視線を集めてる事くらい気付いてるって言ってるでしょ」

 

軽く睨んでくるセレナに対して、聖夜は少し言いにくそうに告げた。

 

「そうじゃなくてさ……ほらセレナ、その原因はさ、君がずっと俺の手を握りっぱなしだからじゃないかな?」

「えっ? ………あ」

 

慌てて手を離し顔を赤くするセレナを見て、聖夜は苦笑を一つ。まさかとは思っていたが、本当に気付いてなかったとは。

 

「まあ、なんだ……随分と可愛らしいじゃないか」

「忘れなさいっ! 今すぐ!」

「おっと。そんな大声出したら、もっと注目を集めちまうぞ」

 

その言葉に、セレナはぐぬぬと唸るしかない。どうやら、口は彼の方が一枚上手のようだ。

 

「別に他言はしないって。……まあ、さっきから写真撮られまくってたから意味ないだろうけど」

「もうどうにでもなれだわ……」

「うん、まあ……明日は誤解を解くのだけで終わりそうだな」

 

明日の事を考えて早くも憂鬱になり始める二人。

 

 

……だが、その時遠くで爆発音が。

 

「えっ、何!?」

「なんで爆発音がするんだよ……どうなってんだこの学校」

 

周りの生徒達もその音に気付き、既に発生源の方へと向かい始めている者もいた。もちろんセレナも動こうとするのだが、何故か聖夜は立ち止まったまま。

 

「何してるの? 一応、私達も見に行きましょう」

「いや……ちょっと待った。その方向から、何かが近付いてきてる」

「えっ?」

 

目を閉じながらそう言った聖夜に、困惑を隠しきれないセレナ。すると突然聖夜が目を開き、懐から札のようなものを取り出した。

 

「スペルカード発動……霊槍『ゲイ・ボルグ』!」

 

そう唱えた聖夜の手に純白の槍が現れるのと、近くの茂みからこちらへ矢のようなものが放たれたのはほぼ同時だった。

 

「よっと!」

 

彼はそれを槍で弾き飛ばし、お返しとばかりにそれを投擲。そして何故か後ろを向き、

 

「伏せろ!」

 

そう叫んで、彼は星辰力で作り出した光弾を四発、自分の周囲から放つ。誰も居ないかに見えた後ろの茂みからは、その弾の直撃を受けたのであろうフードを被った大男が出てきた。同じく、槍を投げた方からは煌式武装を持ったフードの男が吹き飛ばされて出てくる。

 

しかし、彼らは体制を立て直し、かたや大斧を、かたやボウガンを構えて臨戦態勢をとった。

 

聖夜はその男達を見据え、冷徹に言う。

 

「……聞こう、アンタらは何者だ?」

 

そう彼が問うても、男達は答えない。聖夜は溜め息を吐いて。

 

「口は利かない、と。……ならまあ、覚悟しろよ」

 

そう言って間合いを取り始める。だが、次の瞬間、不意に彼らは大きく飛び退いた。予想外の行動に、そしてまるでその気配が無かった事で、聖夜の反応はワンテンポ遅れてしまう。

 

「ちっ、逃げる気か……!」

「轟け、『焦乱の雷鳴(スパークノア)』!」

 

虚を突かれながら、それでも再び光弾を放とうとする聖夜より先に、セレナは十数発の不規則に飛ぶ雷撃を放つ。しかし既に距離を取られていたためにその攻撃は数発しか直撃せず、聖夜が放った光弾も避けられ、男達はそのまま逃げ去ってしまった。

 

「どうする、追う?」

「……いや、止めておこう。深追いする必要は無い」

 

そうセレナを制した聖夜は、男達が逃げた方向と爆発音が聞こえた方向を交互に見やって、

 

「あいつらは爆発音の方向から来た……だけど、何故俺らを攻撃したんだ?」

「分からないけど……とりあえず、音がした方に行ってみましょう」

「そうだな。さっき一体何が起こったのか……」

 

彼らは小走りでそちらに向かう。そしてある程度進んだところで、惨状が彼らの目に飛び込んできた。

 

「うっわ、これはまた派手にやっちまってますねえ……」

「……本当に何があったのよ、これ」

 

ほぼ全壊状態で、あちこちに水を撒き散らしている噴水。何かで抉られた周りの地面。思ってもみなかった光景に、彼らは同時に驚き呆れた。

 

「……あっ、聖夜!」

「お? って綾斗か。一体……ああ納得」

 

少し離れたところにいた綾斗に呼ばれた聖夜達は、その後ろにいた、水を被りついでにタオルも羽織っている二人の女子生徒を見て、おおよそ納得する。

 

「随分と派手にやったもんだなあ。あいつらはこれから逃げてきたのか」

「……あいつらって?」

 

傍らの、水色髪の少女が聖夜に問う。

 

「俺らを襲ってきた奴らがいたんだけど、そいつらはこっちの方向から来たから、もしやと思ってね。貴女の名前は?」

「……沙々宮紗夜。よろしく」

「こちらこそ」

 

ほとんど表情が変わらない紗夜は、そう言って聖夜と握手し、

 

「それで、あなた達を襲った奴らは、もしかしてフードを被ってなかった?」

「ああ、確かに被っていたな」

「私達もそれに襲われた。返り討ちにしたけど」

「……手加減はしたのかい?」

「……? する必要はない」

 

淡々と言い放つ紗夜。

 

「あはは……紗夜はこう見えて意外と好戦的なんだ」

「……だろうな」

 

苦笑する綾斗に聖夜は同じく苦笑で返し、改めて辺りを見渡した。

 

「にしても……これだけの大爆発を伴う攻撃を受けたってのに、あいつらは普通に動けたのか。セレナの雷撃と俺のスペルカードを直撃させても倒せなかったし……」

「聖夜達も戦ったのかい?」

「まあな。……あ、手加減はちゃんとしたからな? 殺したりしたらめんどいし。……つーか、これはヤバイだろ。始末書もんだ」

 

聖夜と綾斗が紗夜に視線を向けると、彼女は傍らのユリスを見て言った。

 

「……面倒くさいのはリースフェルトに任せる。ファイト」

「何故私に丸投げする!? お前が吹き飛ばしたのだろう!」

「はいはい、ストップストップ」

 

口論を始めかけるユリスと紗夜を制して、聖夜は難しい顔をしながら一言。

 

「今問題なのは、ユリス……貴女がまた襲われた事だ。間違いなく、犯人は貴女か……セレナが襲われた事も考えると、『冒頭の十二人』を狙っている」

 

昨日綾斗とユリスの決闘中に誰かが横槍を入れた事を、聖夜は時雨から聞いていた。

 

「とりあえず、クローディア達に報告しとかないとね」

「ああ。あとはまあ、大丈夫だとは思うけど……警戒は解かないようにしないとな」

「……次は逃さない」

「俺も同感だ。騒ぎに便乗して闇討ちする輩だからな……次会ったら、塵一つ残さず消し炭にしてくれる」

「……聖夜も割と血の気が多いんだね」

「女の子を襲う奴らは死すべし、慈悲は無い」

 

場所は選ぶけどな、と聖夜は付け足す。

 

「とはいえこんな所で立ち話もあれだし、お二人さんが風邪引いてもよくないからな。そろそろ行こうか、セレナ」

「ええ、そうね」

 

そう言って聖夜は無意識に手を差し出し、セレナもごく自然にその手を取った。それを見て、ユリスが驚いた様子で言う。

 

「……なんだ、お前達は付き合ってるのか?」

「……はあっ!? な、何よそれ!」

「いや、自然に手を繋いでたものだから、ついな……」

「……あっ」

「ああ、思わず……まあでも、お姫様をエスコートするためだから仕方ないよな」

 

聖夜は、慌てるセレナを素早くフォロー。だが、ユリスの訝しげな視線は解かれない。

 

「ふむ……ようやくセレナのパートナーが決まったのかと思ったのだが」

「ああ、鳳凰星武祭(フェニクス)のか」

「そうだ。いい加減、私も早く決めなければ……」

 

鳳凰星武祭か、と聖夜は呟く。その声にセレナが反応し、何かを期待するような目で聖夜をちらりと見るのだが……生憎彼は気付かない。

 

「うーん……俺も出てみようかな」

「パートナーはどうするんだい?」

「そうなんだよなあ……誰か一緒に戦ってくれる人居ないかな」

 

綾斗はどうするんだ? と聖夜が問うと、やはり綾斗も悩んでいるようで。

 

「……まだ俺も決めてないんだ」

「だよなあ……あ、じゃあ一緒に出ようぜ」

「ありがとう。でも……気持ちは嬉しいけど、俺じゃ力不足かも」

「それこそこっちのセリフだけどな。……ま、時間はまだあるし、もう少し悩んでみるかな」

 

結局、身近にペアを望んでいる人が居るのに気付かないまま、聖夜は綾斗達と別れて寮へと向かう。その途中、彼は自販機を発見した。

 

「セレナ、なんか飲むか?」

「えっ? ……じゃあ、これにしようかしら」

「了解、ちょっと待ってて」

 

そう言って、聖夜はセレナが指した缶の紅茶を買う。

 

「はいよ」

「あ、ありがとう……って、奢ってもらわなくても……」

「別にいいって。あ、俺はこれにしよっと」

 

セレナは申し訳なさそうにして財布を取り出そうとしたが、聖夜はそれを制止。そのまま、彼も缶コーヒーを買った。

 

「このくらい気にすんなって。デートなんだからさ、男が払わなきゃね」

「デ、デート!? ………もう!」

 

さりげなく言われた『デート』という言葉に赤面してしまうセレナだったが、直後、聖夜が笑いをこらえているのを見て、自分がからかわれたのだと気付きさらに赤くなる。

 

「いや、ごめんな。予想以上に可愛らしい反応だったもんで、つい……」

「殺すわよ!?」

「だから悪かったって。でも、時雨とかには出来なくなっちゃったからなあ……昔は初心かったのに」

 

「だからって、なんで私が弄られなきゃいけないのよ……というか、『影刻の魔女』にもそんな時があったのね」

「変わったからなあ、時雨は……あいつ今、彼氏とかいるのかな。なんか知ってる?」

 

デートとか言っときながら、他の女の話なんてして……と若干不機嫌になっていたセレナは、その疑問にも素っ気なく答える。

 

「さあ、いないんじゃない? 好きな人がいるとは言ってたけど」

「ふむ……ま、それも当然か」

 

ここは別世界だから、恋愛とかは難しいのだろう。そう判断した彼は、今度は別の女子について聞く。

 

「茜はどうなのか、なにか知ってるか?」

「また他の……まあいいわ。あいつのは聞いた事ないわね。好きな人がいるってことも」

「うーん、そうか……あいつには恋愛して欲しいんだけどなあ」

 

まるで家族を心配するかのような彼の声音に、ふとセレナは彼と『麗水の狩人』の関係が気になり始めた。

 

「……ねえ、あいつとアンタってどういう関係なの?」

「そうだな……茜は弟子。いや……それ以上、家族だな。一緒に暮らしてこともあったし」

(同棲してたの!? ……なんか悔しいわね。って、また変な事を……)

「……そういやさ」

 

ふと、聖夜が静かに呟いた。その真面目な雰囲気に、思考に耽っていたセレナも言葉の続きを待つ。

 

……だが、彼の次の言葉は、セレナも予想外のものだった。

 

「そういうセレナはどうなんだ? 彼氏とか」

「……はい?」

「いや、だから付き合ってる人とか居ないのかなって……」

 

彼の言葉は段々と尻すぼみになっていった。……まあ、それも当然だろう。彼の目の前には、怒りを通り越して呆れてしまっているセレナが居るのだから。

 

「はあ……全く、どんな真面目な話なのかと思ったらこんな事?」

「……悪い。でも、気になっちゃってさ」

「……私に居るわけないでしょ? あまり人と関わるのは好きじゃないし」

「あー……挨拶だけであんな騒ぎになったもんな」

 

聖夜は改めてセレナを見ると何かに感動したかのように、ほうと息を一つ吐いた。

 

「でもなあ……勿体無いんだよな。性格はドライだけど、こんなにも可愛くて良い奴なのに」

「え……ちょ、ちょっと、からかうのもいい加減に……」

「ああ、でも……時雨とか茜の方が胸はあるかな?」

 

その一言に、セレナの照れた表情が一瞬で固まった。恐らく、聖夜は軽口のつもりで言ったのだろう。だが、男が女性の容姿をとやかく言ってはいけないのだ。当然ともいえるがセレナは顔を真っ赤にし、彼女の周りでは抑え切れなくなった星辰力が荒れ狂い、バチバチとスパークが発生する。

 

「わ、私だって気にしてるのよ!? このバカッ!」

「うわ危ねっ!? 『結界』!」

 

セレナが怒りと羞恥心のままに撃ってしまった雷撃を、聖夜は慌てて手元に展開させた結界で弾く。そこに当たった雷撃がバチッと弾け、結界が軽くたわんだ。

 

(いてて……やっぱ強いのは展開出来ないな)

 

普段使うものよりも数段強度と範囲の落ちた結界。星辰力の少なさ、そして式を省略したために、今の聖夜にはこの程度のものしか作れなかった。手をさすりながら、彼は結界を解除。

 

「いや、本当に悪かった。異性に軽々しく言っちゃいけない事だったな」

 

もう一発飛んでくることを覚悟しながら彼はセレナの方を見るが、もう彼女は怒っておらず、聖夜を……正確に言えば、聖夜の手元をじっと見つめていた。

 

訝しげに彼女を見返す聖夜。そんな彼に、セレナは先程から気になっていた事を問う。

 

「ねえ……あんたって、もしかして『魔術師(ダンテ)』なの?」

「えっ、何でそう思うんだ?」

「今の盾みたいなやつとか、さっき襲われた時の光弾や槍は一体……」

「……ああ、そういう事か。納得したわ」

 

最初は呆気に取られていた聖夜も、彼女の言葉を聞いてようやく理解する。セレナは弾幕の事を言っているのだと。

 

「どういう事って言われてもな……星辰力を集めて、それを形にしているだけさ。それ以上でもそれ以下でもない」

「……でも、そんな事は『魔女』や『魔術師』にしか出来ないはず」

「その通り、もちろん君らみたいな威力の物は作れない。あのくらいが限界だ。でも、慣れれば誰だって出来る事だとは思うよ」

 

幻想郷では普通にやっている事である。霊力や魔力などを集めて形にし、それを撃つ……弾幕ごっこは皆、そういう風にやっているのだ。

 

「確かに理論上はそうだけど……いえ、いいわ。じゃあ次、さっきの札は何? あの槍を出した時の」

「ああ、あれは……君らが使う設置型の技、それの応用ってとこかな」

 

そう言って、彼は懐から先程と同じ札を取り出した。

 

「この札……俺は個人的にスペルカードって呼んでるけど、これにあらかじめ星辰力で技をプログラミングしておくんだ。そうすれば発動時の星辰力を抑えられるし、鮮明なイメージもほとんど要らなくなる」

「ふうん……納得は出来るけど、やっぱり不思議ね。どんな特訓したらそんな事が出来るようになるのよ?」

「とは言っても、特別何かしたわけじゃないからな……」

 

幻想郷にいるうちに自然と覚えてしまったことだ。だからこそ、難しい事だという考えが彼には無かったのだが、それはこのアスタリスクでは当てはまらないことも確かである。そんな事が出来るのは、ここでは能力者だけなのだから。

 

「……でも、凄いわね。威力だって、牽制に使うには十分過ぎる」

「いや、元は牽制用じゃないからな? ……ちっくしょー、俺が全力を出せればさっきの奴らも余裕だったのになあ」

 

目前で敵を取り逃がすというのは、ハンターとしてとんでもなく悔しい。

 

あいつらと言えば、と聖夜には少し気になる事があった。もちろん、先程の戦闘の時のことだ。ちょっと油断していたとはいえ、普通であれば相手が逃げ出そうとするのに気付けたはず。紫のスキマにも気付いた事があるので、気配察知にはそれなりの自負があった。なのに、何故?

 

答えは絞れる。相手が恐ろしく手練だったのか、人間じゃなかったかだ。

 

ただ、今回の場合、前者の可能性は著しく低い。もし大妖怪をも凌ぐレベルで気配を消すのが上手いのなら、敵に近付く際の足音も消すはずだからだ。現に、聖夜はそれで接近に気付いた。

 

なら、人間じゃなかったか……これも、そうだと一概には言えない。この世界には擬形体(パペット)という操り人形があるが、そいつらであれば近くに操り主が居たはず。しかし、そんな気配は無かった。

 

どちらにしても、奴らの頑丈さは尋常ではない……それだけは確かである。普段より威力が落ちていたとはいえ、彼のスペルカードは直撃していた。全力だったならば吸血鬼や天狗すらも吹き飛ばす技である。いくらアスタリスクといえど、あれを喰らって普通に動ける奴なんて限られているだろう。

 

(……これは、早く時雨達に知らせないとマズイかもな)

 

そんな奴らが学生を襲っているということは、すなわち相当に緊急性の高い事件であるということだ。明日は純星煌式武装のテストがあるし、その時に伝えるとしよう。早急に対策を取らないと、取り返しのつかない事になるかもしれない。

 

 

 



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第五話〜適正検査〜







星導館学園、生徒会室にて。

 

「……昨日は大変だったみたいですね、お二人とも」

 

綾斗と聖夜は純星煌式武装(オーガルクス)のテストを受けに来るついでに、昨日の件についてクローディア達と話をしていた。

 

「ああ。そんで、犯人は捕まりそうか?」

「それが……ちょっと難しいのよね。風紀委員も、本腰を入れて手がかりを探してくれてるんだけど……」

「……なにぶん、被害を受けた方達が非協力的でして」

 

困ったような笑顔でクローディアがそう言う。

 

「こちらが協力を申し出ても、皆『自分でやる』の一点張りなんですよ」

「全く、大人しく然るべき所に任せりゃ良いのに。そんなだから、不意打ちなんかで痛手を被るんだ」

「……手厳しいね、聖夜」

「そういうわけじゃないって。ただ、実力を過信している人が多いからさ」

 

実力を謙遜し過ぎる人よりも、過信する人の方がよっぽどタチが悪い。そういう人は、必ずどこかでやらかすからだ。しかも大体が周りを巻き込み、往々にして厄介なことになる。

 

「……ユリスとセレナも強情だよなあ」

「あの二人には実力がありますからね」

「まあそれは分かってんだけど……昨日だって気付いたのは俺だったから、ちょっと心配でね」

 

まあセレナに聞かれたら、「アンタに心配される必要はないわ」って一蹴されるだろうけどな、と聖夜は心の中で苦笑。

 

すると、時雨がふと聖夜に聞いた。

 

「そういえば、昨日の奴らを撃退したのは紗夜と聖夜だって聞いたけど……一体何したの?」

「何したって言われても……紗夜さんの方は知らんけど、俺はスペルカードを使っただけだよ。能力が要らない方の」

「……なんか嫌な予感しかしないんだけど、それって?」

「うん? ……『ゲイ・ボルグ』を直撃させたけど、それがどうかした?」

「ええー、全く何してんの……」

 

やれやれとこめかみをを押さえる時雨。

 

「うーん……? でもそうなると、確かに不思議なのよね。威力は落ちてただろうけど、それでも聖夜の中では高威力の部類に入る技。それを受けて逃げられたなんて……」

「……ふむ。聖夜、貴方は何者ですか?」

 

突如として真剣な表情で割り込んできたクローディア。そのただならぬ様子に、聖夜も少し真面目になる。

 

「平凡な高校生だよ。それ以上でもそれ以下でもない」

 

とは言ってみたものの、彼は直後に自身の発言がおかしいことに気付いた。このアスタリスクという場所に居る以上、『平凡な高校生』ということはありえないということを。

 

彼は内心で苦笑したが、しかし生憎とクローディアはそれを拾ってくれなかった。

 

「いえ、時雨がこう言っている以上、貴方はとんでもない実力を持っているのでしょう? そもそも、その技……『スペルカード』というものは何なのですか?」

 

詰問する……というような口調ではないものの、確かな疑念の意を持ってクローディアは彼に問う。それを受けた聖夜も、異世界人だという事はバレないように、しかし言えるところまでは事実を言おうと、得意のポーカーフェイスで答えた。

 

「なんて言うか……あれはまあ、言うなれば設置型能力の応用かな」

「どういう事ですか?」

 

「元々札か何かに技のパターンをプログラミングしておくんだ。そうすれば、発動する時の星辰力を抑えられるだろ?」

「ええ、その理論は分かりますが……何故『魔術師』でもない貴方がそんな事を?」

「昔から遊びとしてやってたからかな……元々は、『魔術師』や『魔女』と対等に戦いごっこをする為の物だったんだよ」

「ふむ……」

「星辰力を形にして弾なんかにする……それは、慣れれば出来ることだからな」

 

ここらへんは概ね事実である。『弾幕ごっこ』は遊び。それは、幻想郷の住人の共通事項だ。星辰力を形にするということも、相応の努力をすれば星脈世代ならできるようになるだろう。

 

「分かりました。ずっと疑問に思ってた事だったので……」

 

しかし、と彼女は続けて。

 

「失礼ですが、貴方の星辰力は見た感じそんなに多くはないはず……そんな技を撃っていたら、すぐ星辰力切れ(プラーナアウト)を起こしてしまうのでは?」

「ま、そりゃね。連発できないからこそ、一撃の威力を高くしてるわけだし」

 

属性力分もあればまた違うんだが……と聖夜は少し黙った後、

 

「まあ、そこは純星煌式武装に頼るって感じで」

「確かに、純星煌式武装は強力ですが。……それについても、少し質問してもよろしいですか?」

「どうぞ。ただ、これに関しては他言無用(オフレコ)で頼むよ」

「心得ています。では……あの純星煌式武装は一体どのようなものなのですか?」

 

そう聞かれた聖夜は、腰のホルダーから王牙大剣のコアを取り出す。

 

「こいつは王牙大剣って言ってね。能力としては、雷や磁力を操るってとこ。もちろん、使えば星辰力を消費する」

「ふむ……その代償は?」

「いや、あまり意識した事はないな……扱うのは純粋に難しいけど、それは代償とは言えないだろうし」

「……分かりました、ありがとうございます。生徒会長として、それは聞いておかなければならなかったので……」

「まあ、純星煌式武装は不安定だもんな」

 

聖夜の場合はまた少し違うが、基本的に純星煌式武装とはそういうものである。リスク管理を行うのは当然と言える。

 

「……まあ、今日はその適正検査なわけだけどさ。綾斗にも合うのがあると良いな」

「ありがとう。聖夜にもあると良いね」

「まあな……こう、星辰力の量を上げるやつとかあれば良いけど……」

「……一応、あるにはあるわよ」

「……マジで?」

「ええ。ただ、今まで一人しか適合者が居なかったものだけどね」

 

一体どんなものなのかと聖夜がさらに質問しようとした時、扉が荒々しく叩かれた。

 

「ああ、すみません。今日はもう一人、検査を受ける人が居まして」

 

どうぞ、とクローディアが扉の向こうへ声を掛けると……やや乱暴に扉が開けられ、綾斗と聖夜は見知った三人組の男が入って来た。

 

彼らが相対した瞬間に広がった微妙な雰囲気に、クローディア達も気付いたらしい。

 

「あら、知り合いだったのですか?」

「知り合い、ね……」

「あー、まあ何と言うか……」

「な、なんでお前らが?」

 

小太りな男……確かランディといったか……が、驚いた様子で綾斗達に問う。

 

「そちらさんと同じ要件でね」

 

聖夜はレスターをちらりと見ながら答える。それに対し、レスターはふん、と鼻を鳴らした。

 

「さっさと始めちまおうぜ。時間がもったいねえ」

「短気は損気と言いますが、確かにそうですね。では、こちらへ」

 

クローディアがさらりと毒を吐いたが、誰かがそれを咎めることも無く、連れ立って何処かへと向かう。

 

「で、何処へ?」

「地下よ。そこに検査用の施設があるの」

 

この学校地下もあんのかよ、と聖夜は驚いた。しかし、ここでは普通かと考え直して、聖夜は素直に付いていくことにした。

 

ふと彼が綾斗の方を見ると、綾斗はクローディア、レスターと何かを話していた。……あ、クローディアがまた毒吐いた。良い笑顔をしていらっしゃる。

 

聖夜も時雨と何気ない話をしていたのだが、ふと気が付くとそのテスト施設のすぐ前まできていた。ガラスが広く貼ってある部屋で、その向こうでは白衣を着た職員が慌ただしく動いている。

 

「うわ……凄いSF感」

「今更何言ってんの……」

 

……ごもっとも。

 

と、聖夜は、クローディアに何かを話しかけた時雨に代わって綾斗と話し始めていたのだが、不意にレスターの取り巻きの一人がこちらへやってきた。ランディではない、もう一人の痩せぎすの男だ。

 

「や、やあ。この前はすみませんでしたね」

 

確か……サイラスと言っただろうか、気の弱そうな笑みを浮かべている。そして、小さく頭を下げた。

 

「レスターさんもランディさんも悪い人じゃないんですが……あの調子ですから、また何か不愉快な思いをさせてしまうかもしれません。昨日も二人で何か話してたみたいで……」

「おいサイラス、何やってやがる!」

「そうだぞ、早くこい!」

「は、はいっ!」

 

突如として前から飛んできた怒声に、サイラスはもう一度綾斗達に頭を下げ、慌てた様子で戻っていった。どうやら、彼はあの中で一番下らしい。

 

その一連の様子を見て、聖夜は心の中で一つ。

 

(なーんか胡散臭いっつーか……警戒しておいた方が良いかな)

 

彼は既に、何かに勘付いていた。

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「では、こちらで検査を受けてもらいます」

「俺からやるぜ。いいな?」

「ああうん。どうぞ」

「同じく」

 

聖夜も綾斗も、特に異論はない。そのまま、レスターは純星煌式武装が入っているケースの方へと歩いて行く。そして、壁際の端末を手慣れた感じで操作し始めた。巨大な空間ウィンドウが次々と表示される。

 

「へえ、ケースって結構な意匠が施されてんだな」

「うふふ、無駄に凝ってますよね」

「無駄って……」

「そう? 私は格好良いと思うけどなあ」

 

と、レスターが取り出した純星煌式武装を見て、クローディアの顔が真剣味を帯びた。

 

「おや、『黒炉の魔剣(セル=ベレスタ)』を選びましたか。これはまた……」

「『黒炉の魔剣』?」

「ええ。かつて『触れなば溶け、刺さば大地は坩堝と化さん』と謳われ恐れられた純星煌式武装です」

「……それはまた仰々しいね」

「そのくらいの力を持っていますから。……ああいえ、私が言いたいのはそうではなく」

 

そう言うと、彼女は一旦言葉を切った。

 

「……あれが件の、データが改竄されていたという純星煌式武装なんですよ」

「あれが……」

 

驚いたようにそう言って、綾斗はその剣を見据える。

 

と、ここで聖夜にも事情が分かった。天啓のように知識が蘇る。

 

(そうだった……あれは綾斗の姉が使ってた武器だ。で、結局は……)

 

どうやら、何かそれに繋がる事を見たり、聞いたりすると小説(アスタリスク)の内容を思い出せるらしい。つまるところ今の聖夜には、あの武器の持ち主が最終的に誰になるのか分かっていた。

 

それを肯定するかのように、職員の声が響く。

 

「適合率、三十二パーセントです」

「なめるなあああぁぁぁぁ!」

 

激昂したレスターは、剣を握る力を更に強める。力でねじ伏せようとしているらしい。

 

しかし、そんなものが純星煌式武装に通じるはずもなく。

 

「ぐはぁっ!」

 

『黒炉の魔剣』は突如閃光のようなものを発し、レスターを弾き飛ばした。しかも独りでに浮いているというおまけ付きだ。

 

「拒絶されましたね」

「……あれが、純星煌式武装の意志ってやつか?」

「そうよ。……まあ、コミュニケーションとかが取れるってわけでもないんだけどね」

 

『最終的な適合率は二十八パーセントです』

「まだまだぁ!」

 

吹き飛ばされたレスターはなおも諦めず、『黒炉の魔剣』を構え直そうとする。しかしその度に、彼は壁際へと弾き飛ばされた。

 

「ああいう真っ直ぐな姿勢は嫌いではないのですが……少なくとも、あれはお気に召さないようですね」

「確かに……」

「……あんなに強引じゃ口説けないだろうさ」

 

『適合率、十七パーセントです』

 

下がり続ける適合率に、レスターはもう苛立ちを隠そうともしない。彼はもはや、魔剣に触れる事すら出来ていなかった。

 

「いいから…………俺に従えぇぇぇ!」

 

彼は激昂し、絶叫しながら再度向かっていく。……だが次の瞬間、『黒炉の魔剣』が一際強い閃光を放った。それと共に、強い熱波が部屋中に広がる。

 

『適合率、マイナス値へシフト!これ以上は危険です、すぐに中止してください!』

 

「ああいけません、本格的に機嫌を損ねてしまったようです」

 

スピーカーとクローディアの両方から焦ったような声が発せられる。

 

しかし、大変だという事は綾斗達も感じているのだ。サウナと化した室内で、聖夜以外の人達は汗をかいて熱波に耐えていた。……そう、聖夜以外は。

 

「純星煌式武装の暴走、か。これは中々大変だ」

「……全然そんな風には見えないんだけど」

「このくらいの熱ならまったく問題無いからなー」

 

涼しい顔をしてそう言う聖夜は汗一つかいていない。それもそのはず、彼は『暑さ軽減』のスキルを発動させているのだから。もとよりハンターは暑さ寒さには強いし、スキルもあれば尚の事だ。

 

『対象の熱量、急速に増大中!至急避難を!』

 

「って言われてもな……どうするよ?」

 

今の聖夜の言葉にはいくつかの意味が含まれていた。まず、この状況で逃げられるかということについて。

 

――そしてもう一つ。『黒炉の魔剣』の切っ先がいつの間にか綾斗に向いており、それをどうするのかということについて。

 

「……なんか、俺が狙われてるみたいだね」

「みたいだな。どうやら、『黒炉の魔剣(あの子)』は綾斗をダンスに誘ってるみたいだぜ? しかも、かなり情熱的にな」

「……普通のダンスならもっと良かったんだけどね」

 

聖夜と軽口を叩き合いながらも、綾斗は一歩前へ出る。それを受けて、聖夜は自分と共に他の人を下がらせた。そして、少しでも熱波を遮るために結界を展開する。

 

「……あとは見守るだけだ」

 

聖夜がそう呟いたのと同時に、綾斗の方でも動きがあった。『黒炉の魔剣』が綾斗に向かって高速で突っ込み、それを綾斗がギリギリで避ける。

 

その後も飽きることなく魔剣は綾斗に攻撃を仕掛けていき、彼もそれを避け続けていく。その攻防はまるで、何かの演舞のようだった。

 

「なるほど、よく見えてる。でもなんで体が追いついてないんだ……?」

 

聖夜がふと口にしたその言葉に、周りの人達は全員訝しげに彼を見た。だが彼はそれを気にすることなく、じっと綾斗の攻防に目を向けている。

 

すると、綾斗の制服が僅かに切り裂かれた。回避し損ねたのではない、やはり人が相手の時とは勝手が違うのだ。

 

「……これって弁償してもらえるのかな?」

「おいっ!」

 

そんなとぼけた発言に、レスターの鋭いツッコミが入る。……と思ったが、どうやらそれは警告だったらしい。『黒炉の魔剣』は綾斗の頭上へと舞い上がり、今にも上から突き刺しにいこうとしているところだったのだ。

 

「綾斗、上だ!」

「よっと!」

 

聖夜が思わず叫んだと同時に、魔剣は綾斗の脳天目掛けて鋭く落下。しかし、彼はそれを予期していたかのようにするりとかわし、激しく発熱する魔剣の柄を掴んだ。

 

「あっつ!」

 

たちまち、綾斗の掌が焼け焦げる音がする。星辰力をそこに集中させてなお、純星煌式武装の熱は防げないのだ。

 

……だが、しかし。

 

 

「しつこくされるのは嫌いなんだ。君と同じでね」

 

 

綾斗がこう言った瞬間、今まで発せられていた熱波が嘘のように掻き消えた。見れば、魔剣もすっかり大人しくなっている。

 

その場にいた全員が唖然とする中、クローディアだけが手を叩いた。

 

「流石は綾斗です。……適合率は?」

「きゅ、九十七パーセント、です……」

「お見事。……異論はありませんね、マクフェイル君?」

「……くそっ!」

 

納得していないような表情をしていたレスターだったが、ついに床を殴りつけて悔しさを表した。

 

 

 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

結界を解き、ブレザーを使って女性陣を扇ぎながら。

 

「お疲れさん。手、大丈夫か?」

「なんとかね。……それより、聖夜もやらなくていいのかい?」

 

そうだな……と彼は周りの純星煌式武装のケースを見渡す。折角だし、さっき時雨が言っていたやつでも試してみようかな、と。

 

だがその視線が一周もしていない時、謎の感覚が聖夜に走った。

 

(視線……? 一体誰の……)

 

まるでデートが何かに誘うような、そんな熱っぽい視線を彼は感じていた。では、その視線の主は一体何か。

 

(……あの純星煌式武装か?)

 

そう彼が目線を向けたのは、左斜め前の方向にあるケース。彼はそれを指差し、問う。

 

「……時雨、あのケースに入っているのはどんなやつなんだ?」

「んー、どれ? ……ああ、あれね。私がさっき言ってたやつよ」

 

そう言うと、時雨は端末を操作してそのケースを聖夜の目の前に移動させた。さっきの熱っぽい視線がますます強く感じられる。

 

そのケースを開けると、暗い金色に輝くコアが出てきた。

 

「『幻想の魔核(ファントム=レイ)』。『幻を現す魔法の力を与えしもの』と謳われている純星煌式武装よ」

「魔法……幻を、現す……」

 

その説明を聞きながら、彼はそのコアに手を伸ばす。そしてそれを掴んだ瞬間、心地良い暖かさが彼とそのコアの間に広がった。

 

「……発動体にしてみたら?」

「……っ!?」

 

言われるがままにそのコアを発動体へと切り替えた彼は、その姿を見て酷く驚くこととなった。

 

彼の手には、幻想郷で見慣れた、魔理沙という少女が普段から持っているミニ八卦炉に酷似したものがあったのだ。細かな形や色は違うが、大まかな形状はほとんど同じだ。

 

「どういう事なんだ、これ……」

 

そんな彼の呟きに、時雨は答える。

 

「この純星煌式武装は、適合者のイメージを反映して、一番最初にその姿になるらしいの。まあその後は、その姿から変わらないらしいけどね」

「うーん、分かったような分からないような……」

「つまり、貴方は多分『魔法』をイメージしたんじゃない? そこから魔理沙に繋がって、結果その形になったんじゃないかな」

「ふむ……まあ、それはなんとなく分かった。で、肝心の能力なんだけど……」

「ごめん、そこまではちょっと……何しろ、今までほとんど適合者が居なかったから、資料も少ないの」

 

ふーむ、と唸ってから、聖夜は『幻想の魔核』をまじまじと見つめる。どこからどう見てもミニ八卦炉だ。武器っぽい見た目では無いため、純星煌式武装にはこんなのもあるのか……と聖夜は興味津々である。

 

すると次の瞬間、彼の中で何かが弾けた。それと同時に、この武器の使い方がなんとなく頭の中に入ってくる。それに気付いた聖夜は、思わず独り言をこぼした。

 

「……なるほど、そういう事か」

「えっ? 急にどうしたの?」

「ああごめん、こっちの話。……そういえば、ここって的とかあるのかな?」

「ええ、ありますが……使いますか?」

 

その問いに聖夜は頷き、彼女達に背を向ける。そして、正面の何も無い空間を見据えた。

 

「どの位置に、いくつ用意しますか?」

「そうだな……五、六体をランダムで、少し遠くの方に」

 

そう彼が言うやいなや、前方に六体の人形が現れた。その距離、約二十五メートル。

 

「サンキュー。……じゃ、試し撃ちといきますか」

 

呟くと、彼は『幻想の魔核』を腰に引っ掛けた。周りがその行動に不思議そうな顔をする中、彼は懐からおもむろにスペルカードを取り出す。

 

「スペルカード発動……『天と地の領域』!」

 

そう彼が唱えた瞬間、二対の炎で象られた火竜が現れた。その竜達は四体の人形を食い破り、上に昇って急降下しながら、地面に着弾すると共に残る二体の人形を巻き込んで爆発する。それを見て、聖夜は満足そうにガッツポーズして言った。

 

「っし、上々!」

「やっぱりね……全く、派手にやり過ぎよ」

 

全員が驚愕に目をむいていたが、唯一時雨だけがそんな呆れた声を発する。彼女はなんとなく聖夜のやることを予想していた。

 

だが、聖夜はそんな時雨にニヤッと笑いかける。そしてそれを受けた時雨も、何が起きるのかまた予想出来てしまい、困ったようにこめかみの辺りを押さえた。

 

「……まだ終わらせるつもりはないんだけどな。クローディア、追加で五体、さっきと同じように頼む」

「……了解です」

 

クローディアもなんとなく察したのだろう、苦笑しながら再び的を用意した。

 

「……で? 次は何するつもり?」

「……ヒント、ミニ八卦炉とその持ち主」

「あーもう大体分かっちゃったんだけど……」

 

この二人の間でしか伝わらない会話。……さて、彼は何をするつもりなのか。

 

「スペルカードは無いから、星辰力の消費は相当だろうけど――『マスター………スパーーック』!!」

 

彼が『幻想の魔核』を正面に構えてそう叫んだ瞬間、膨大な光の奔流が目の前の空間を人形諸共呑み込んだ。周囲の驚愕の度合いがますます大きくなる。

 

この技は、幻想郷で霧雨魔理沙という少女が使うスペルカードだ。絶大な威力を誇るレーザーを狙った方向に放つ、まさに必殺技である。

 

だが、それを放った彼は少しふらついていた。

 

「あーくそ、ごっそり持ってかれた……こんなのを連発出来るなんて、あいつはどんだけ膨大な魔力を持ってんだよ……」

「貴方の霊力が少なすぎるだけでしょ……ていうか何よ、属性力使えてたじゃない」

「ああ そりゃこいつのおかげだ。これで少しはまともに戦えるだろ。……まあ、星辰力はあまり増えてないんだけどな」

「あれ? そうなんだ。一気に増えると思ってたんだけど……ちなみに、どのくらい増えた?」

「属性力一種分ほど」

「少なっ!」

 

時雨が思わず食い気味にツッコむのにも理由がある。

 

元々、聖夜は少ない霊力を補うように、自身の能力である『属性を司る程度の能力』による五つの『属性力』を駆使して戦っていた。その属性力全体の量は並の能力者の妖力や霊力、魔力と同等。よって、それらを霊力と組み合わせることで他の人達よりも長く戦う事が出来ていたのだ。

 

だが、今増えたのはその中の一種分だけだという。……どう考えても、純星煌式武装の能力の多用は出来ない。

 

だが、聖夜は意外と余裕そうだ。

 

「近接戦闘多めでやれば平気だって。腕もなまってたところだったし、ちょうどいい」

 

それより、と彼は職員の方を向いて言った。

 

「……適合率、どのくらいでした?」

「は、はい……きゅ、九十八パーセントです……!」

「よっしゃ!」

 

職員が驚きながらそう言ったのを聞いて、聖夜は大きくガッツポーズ。腰の『幻想の魔核』も、嬉しさを表現するかのように一瞬輝いた。

 

 

 

――かくして、『幻想郷の住人』は復活する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第六話〜『幻想の魔核(ファントム=レイ)』〜






「ふあぁ……激眠し」

「シャキッとしなさいな。ほら、コーヒーでも飲む?」

「おっ、サンキュー。頼むわ」

 

今俺が居るのは、女子寮の時雨の部屋だ。時刻は八時頃。こんな時間だが用事があるとかで呼ばれたので、十階のここまでクライミングしてお邪魔した次第である。言い訳の余地もなく校則違反だが、生徒会副会長の用事だというのならば問題にはならないだろう。あくまでバレなければ、だが。

 

――まあ、それは良いとして。

 

「……時雨、もうちょい何か着たらどうだ? タンクトップ一枚ってのは、どうにも目のやり場に困るんだけども」

「ふふ、気になるでしょ?」

 

そう言って、時雨は誘うように微笑む。彼女が居るシンクと俺の座っているソファーまでは少し距離があるが、思わずそれを忘れ彼女を抱き締めたくなってしまったほどには、その微笑みは可愛らしかった。

 

時雨はトレーに載せたカップを二つ、目の前のテーブルに移し、そしておもむろに隣へと座った。

 

「はい、お待たせ」

「あ、ああ。……って、近い近い」

「文句ある?」

「無いけどさ……」

 

何がとは言わないが、二つの柔らかいものが右腕に当たっているのだ。如何せんそれが気になってコーヒーを飲めそうにもないので、俺は時雨から半身分の距離を取る。しかし、彼女は素早くその間を埋めてしまった。

 

「もー、離れなくたって良いじゃない」

「……しゃーねえだろ。多少は緊張してんだよ」

「へーえ……それは意識してるってこと?」

「ええそうですよ。……甘っ、マッカンかこれ?」

 

諦めてカフェオレかと思っていた飲み物を飲んだ瞬間、むせ返るような練乳の強い甘みが口の中に広がった。まるで、俺の大好きなMAXコーヒーの味だ。思わず時雨を見ると、彼女は悪戯っぽく笑った。

 

「……上手く出来てた?」

「ああ、めっちゃ美味い。……いつの間に?」

「うん。聖夜が私の家に来てくれる日の為に、ちょっとずつね」

 

とてもありがたい話である。

 

「でもね……入ってるのは、砂糖や練乳だけじゃ無いんだよ?」

「えっ、そうなのか。じゃあ他には何が?」

「それはね…………ふふっ、とっても甘い『愛情』だよ?」

 

そう言って、彼女はニコッと笑う。そしてそれを見た俺は、無意識のままに彼女の頭へと手が伸びていた。

 

「ひゃっ……もう、急に撫でないでよ」

「すまん。つい」

「……別に良いけど」

 

なんだかんだ撫でられるのが好きな時雨は満更でもないようだ。ちなみに、俺は俺で彼女の甘い雰囲気に呑まれかけていた。

 

「あ、そうそう。あともう一つ、少し薬も混ぜてあるけど……」

「前言撤回。お前何してくれちゃってんの?」

「だって、まさか効くとは思ってなかったんだもん」

 

あーもう本当に可愛いなあ。ただし、その混ぜた薬とやら、何か嫌な予感がする。ハンターの体質上、薬は効き()()が、スキルを発動していない限り無力化は出来ないのだ。

 

「……で? 何となく予想出来てるけど、その薬とやらは何だ?」

「安心して。媚薬に似た何かだから。探すの大変だったんだよねー」

「予想の斜め上を行ったなおい。……つーか、俺に薬は効かないぞ」

「へえ……その割には、結構体温上がってきているみたいだけど?」

 

 

苦し紛れの言い訳。しかし、そう言って体を密着させてくる彼女の顔には、先程のような可愛らしい微笑みは無かった。今あるのは、全ての男を虜にする妖艶な笑み。俺がそれに惑わされている間にも、彼女の細い指は俺の首筋を這う。そして、彼女は至近距離から上目遣いで俺の顔を覗き込んだ。

 

 

「ねえ、いいでしょ……?」

 

 

そんな甘えた声が聞こえてくる。正直なところ、俺の理性は限界寸前だ。いや、もしかしたら超えているかもしれない。

 

薬のせいなのか、それとももっと違う何かのせいなのか。それは定かではないが、ともかく気付けば俺は時雨を押し倒していた。

 

 

「聖夜……」

 

 

困惑しながら、しかし期待のこもっている目で俺を見る時雨。そんな彼女の唇に、俺は自身の唇をゆっくり近付けていく。

 

 

「えっ……?」

 

 

しかし直前で軌道を変え、キスしたのは彼女の頬。……これくらい、パーティーなどではよくやる事だ。いやもちろん押し倒したりはしないが。

 

そして、俺は彼女に馬乗りになったまま顔を離す。彼女の両腕をしっかりと掴んだままで。

 

 

「……全く。俺を犯罪者に仕立て上げるつもりか?」

「……そういう事、するつもりだったの?」

「あれだけ誘われたらな。今だってやろうと思えば出来るんだぞ? この体勢なら、俺の方が有利なんだからさ」

「……良いよ。私の事、好きにして。何されても文句言わないから」

 

 

時雨は抵抗する素振りすら見せず、言葉通り為すがままになっている。そんな状況と彼女の発言に今度こそ理性が弾け飛びそうになるが、それをなんとか堪えた。俺ってマジ紳士の鑑。

 

「…………はあ、そんな事するわけないだろ?そういう関係でもないんだから」

 

そうして俺は彼女の上から退く。……しかし、不覚にもその時に気付いてしまった。

 

「お前さ……下一枚しか履いてなかったのかよ」

「う、うん……その、面と向かって言われるとすごく恥ずかしいんだけど……」

「今更だろ……ってまさか、上も……?」

「……うん。着けてないよ」

「ああもう、本格的に襲いたくなるからやめてくれ」

 

何故かこちらも恥ずかしくなり、俺は彼女から視線を逸らした。そして再びソファーに座り、俺の横を軽く叩いて時雨に座るよう促す。

 

「……話があるんじゃなかったのか?」

「そ、そうね。……こほん」

 

尚も恥ずかしそうに隣に座った時雨は、そうわざとらしく咳払いをして。

 

「……あの『幻想の魔核(ファントム=レイ)』について、少し話しておかないといけない事があるの」

「オッケー。聞くよ」

「ありがとう。……じゃあ、まず一つ目ね。あれの()()についてよ」

 

代償か……と俺は少し思案する。純星煌式武装(オーガルクス)にはそう呼ばれるものがある、というのは今日クローディアから聞いた事だ。そういったデメリットは聞いておかなければ、今後困る事もあるだろう。

 

「でも聞いた感じ、かなり危険なものだと思うわ。……その代償は『幻視・幻聴』。以前の適合者は、それで廃人になってしまったらしいの」

「廃人に……そんなに酷いのか」

「よく分からないけど、多分ね。強力になればなるほど、代償も大きなものになっていくの」

 

だから、と時雨は一旦言葉を切って、

 

「……危ないと感じたら、無理せず手放すのも一つよ。持ち主にしか危険が分からない、なんて事も多いからくれぐれも慎重にね」

「……了解。心に留めておくよ」

 

しかし、そんな事を聞かされたからか、先程の『幻想の魔核』に触れた時に感じた心地良さを思い出した。

 

「でもなあ……なんとなくだけど、上手くやっていけそうな気がするよ」

「……かもね。あんなに使いこなせてたし」

 

彼女の言う通り、俺はかなり上手く使えてたと思う。適合率も申し分なかったし……。

 

ふと時雨を見ると、改めてその蠱惑的な格好に目を奪われる。上はタンクトップ一枚、下はパンツだけ……。

 

「…………時雨、ちょっと良いか?」

「なあに? ……きゃっ!」

 

本当に突如湧いてきた感情のままに、時雨を再び押し倒す。あまりにも唐突な事だったので、彼女も驚きを隠せないようだ。

 

「ちょ、ちょっと、急にどうしたの?」

「……少しムラムラとしてきちゃってな」

 

困惑している時雨の上に跨がり、タンクトップの下、彼女のお腹へと手を這わせてみる。スベスベとして柔らかいその感触に、俺は思わず嘆息した。

 

「んっ……」

「……全然無駄な肉が付いてないんだな。こりゃモデル顔負けだ」

 

ふにふにと優しくつまんでみたり、撫でてみたり。時雨もなんだかんだ気持ち良さそうにしているので、まだまだ続けていたくなる。

 

すると、時雨が俺の右手首を掴んできた。そしてそのまま、俺の手を彼女自身の胸の上に(服越しに、だが)乗せる。

 

「あんっ……」

 

想定外の感触に、俺は思わず手を少し動かしてしまった。その瞬間、時雨は艶っぽい声をあげる。その姿に、そしてこの感触に、俺はこの右手をもっと動かしてみたい衝動に駆られるが、すんでのところで理性を取り戻した。

 

(……これ以上は流石にまずいな)

 

そう判断し、素早く彼女の上から退く。そして彼女の手を引っ張って立たせた。

 

そして、目を丸くしている彼女に背を向ける。

 

「悪かったな。じゃ、もう帰るわ」

 

立ち上がってからここまで、約十秒。そのままクールに立ち去ろうとしたのだが……。

 

「……待ちなさい」

「げほっ……こら、急に引っ張らない」

 

何やらお怒りの様子な時雨に強く襟を掴まれ、危うく首が締まりかけた。

 

「あのねえ……まだ話は終わってなかったのに、普通あんな事する? ……まあ、私もちょっとやる気になっちゃってたけど」

「あー、それはなんつーか……すまん」

「……ま、良いけどね。嫌じゃなかったし」

 

彼女はそう言い、再びソファーに座った。そして、その横をぽんぽんと叩く。――友人同士の戯れはこれで終わり、という合図か。

 

「ほら、座って?」

「はいよ。……で、まだ何かあるんだよな?」

「ええ。……じゃ、教えて? 『幻想の魔核』の能力(ちから)を」

 

俺は頷き、『幻想の魔核』のコアをホルダーから取り出した。

 

 

「『幻を現す』と言われているように、こいつの能力は『使用者の想像した攻撃等を具現化する』……だと思う。言ってしまえば、使用者が万能な『魔術師(ダンテ)』や『魔女(ストレガ)』になれるってこと」

 

「ふむふむ。……じゃあ、次。貴方は属性力も使えてたみたいだけど、あれは?」

 

「予想だけど……こいつが俺の星辰力(プラーナ)を属性力に変え、技とした……んじゃないかな」

 

「なるほど……そういえば、星辰力は属性力一種類分しか増えてないって言ってたけど」

 

「そのまんまの意味。いやまあ、もっと増やしてくれそうな雰囲気あるんだけど……その為には、まだいくつか条件があるっぽいな」

 

「条件? どういうこと?」

 

「なんつーか……もっと星辰力が欲しいなら条件がある! ……的なことをこいつが示してるんだ。詳しくは分からないけど」

 

「うーん……? よく分かんないけど……まあ、純星煌式武装っていうのはそんなものよね」

 

 

激しく同意である。実際、俺もよく分かってないのだ。分かっていることは、【技はイメージが強いほど鮮明に現れる】、【技の規模に比例して星辰力を消費する】ことくらいだ。

 

ちなみに今の状態だと、スペルカードは(種類にもよるが)一戦につき三、四枚しか発動出来ない。『幻想の魔核』の力を借りて、それでもようやく七枚くらいか。戦闘中は常に余力を残しておかないといけないから、実際に使えるのはもっと少ない。……嗚呼、自分の無力さを嘆く。

 

まあ、耐久力なんかは、ハンターボディに加えて星辰力もあるから頭一つ抜きん出てるんだろうけど……あ、スキルもあるか。『精霊の加護』や、緊急用に『絶対防御態勢』なんかを上手く使えば相当耐える事が出来そうだ。とりあえず、そっちは問題無い。

 

つまるところ、戦闘において『幻想の魔核』は今のところあくまでもサブ。メインは体術だろう。……中々面白くなりそうだ。幻想郷に居た時はあまり近接戦闘をしていなかったし、ここでそれがどこまで通用するのか興味もある。おあつらえ向きに、俺には十五の武具……もとい、純星煌式武装があるのだ。ハンターの真髄、見せてやろうではないか。

 

無論、『幻想の魔核』も使える範囲で存分に使うつもりだ。イメージした技を発動出来る……つまり、某SAO(隠すつもりは無い)のソードスキルのように、近接技の一連の動作もイメージ次第では『幻想の魔核』が補助してくれるのだ。星辰力を追加で使うが、それっぽいエフェクトを出すことも出来る……らしい。こいつが教えてくれた。

 

言ってしまえば、知っているアニメやゲームの技を真似出来るのである。このことは、技のレパートリーが増えるだけに思えるかもしれないが、実はもっと大きなアドバンテージになり得る。

 

それが何かといえば、それらはこちらの人々からしたら完全初見の技になるという事である。俺らが居た世界……すなわち元の世界で流行っていたものが、この異世界にあるわけが無いからだ。『メタルギア』シリーズのCQCの動き、前述した『SAO』のソードスキル……。

 

俺的には、『星のカービィ』シリーズも取り入れてみようかと考えている。ソードとかビームとか、あとはサーカスやリーフなんかも面白いかもしれない。あとウルトラコピー系。王牙大剣を流星闘技(メテオアーツ)で巨大化させて、ウルトラソードみたいにするとか。……何それメッチャ面白そう。

 

そして、この性質を利用した戦い方がもう一つある。俺が検査の際に魔理沙の『マスタースパーク』を撃ったのと同様に、他人の技をもコピーすることが出来るのだ。おそらく、やろうと思えば時雨の技なんかも真似出来る。……もちろん、星辰力の消費に耐えられるかは別問題であるし、使いこなせるかどうかも分からないが。

 

 

「……まあ、こんなとこだけど。大丈夫か?」

「うん、ありがと。心配だったから、なんとなくでも知れて良かったわ」

「そりゃ良かった。じゃ、俺はこれで」

「えっ……?」

 

用件は全て終わったはずなのに、俺がそう言って立ち上がると時雨は寂しそうな目でこちらを見上げてきた。

 

「もう行っちゃうの……?」

 

駄目だ、この子可愛い。しかし、俺の理性だって結構キツイのだ。さっきのだって、戯れとはいえ柄にもなくドキドキしてしまったのだから。

 

「まあ、これ以上居ると……な? そんな関係じゃないんだから、夜遅くまで男女が一緒に居るのもあれだし」

「ううー……じゃあ、また来てね? 約束よ?」

「……はいはい」

 

無論、この状況でそのお願いを断れるほど厳しいわけじゃない。またお邪魔していい口実が出来るのは悪い事ではない……はずだし。それだけ信頼してくれているということだ。

 

「……じゃあね。おやすみなさい」

「ああ、おやすみ」

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「よっと。……なんか疲れたな」

 

十階から飛び降り、なるべく音を立てないように着地した聖夜。彼はそのまま、手近な木に寄り掛かった。

 

(ほう……星、随分と綺麗だな。ここら一帯は明るいのに、珍しい)

 

ふと彼が空を見上げると、そこには満天の星空が。この時期特有の肌寒い風も相まって、思わず聖夜は幻想郷を思い出した。

 

(月も大きいしなあ……異世界ってのはどこもそうなのかね)

 

月、というのは聖夜にとって特別な意味を持つものだ。彼の身に流れている『月の一族』の血、古龍が力を発揮する『月夜』、そして彼が死にかけながらも、解決した異変『影月異変』……彼がどこに行っても、『夜』……ひいては『月』というものが関わってくるのだ。一種の運命、いや、因縁だろうか。

 

(不思議なもんだよな……運命っていう考え、俺は嫌いじゃないけど)

 

しかしながら、そういう非論理的な考え方を彼は好んでいる。こんな風に異世界に来てしまっていること自体あまりにも非論理的であるため、まあ仕方無いことではある。

 

と、彼はとりとめのない事を色々考えながら、ふと『幻想の魔核』を起動させた。それは完全なる無意識の行動だった。

 

なんとなく、本当になんとなく、彼は属性で作った五つの球体を目の前に浮かべてみる。ちょうど、紅魔館で初めて自分の能力に気付いた時のように。

 

その中でも一際目立つ、赤黒い球体。

 

(龍属性……か。本当に、この属性は何なのだろう)

 

考えたって答えがでるわけないことくらい、彼も分かっている。あくまでも、思い出に浸っているうえでの思考なのだ。

 

 

――そのまま、どのくらいそれらを見つめていたのだろうか。

 

 

「さっきから何してんのよ、そんな所で」

「……セレナか」

 

不意に後ろから聞こえてきた、呆れていながらも優しい声。彼が緩慢にそちらに振り向くと、穏やかな瞳をしたセレナが窓辺に肘を置いて彼を見ていた。……彼は、その瞳にある既視感を感じる。

 

「悪いわね、邪魔しちゃった?」

「……いや。ぼーっとしてただけだから大丈夫だ」

「そう、なら良いんだけど」

 

そう言うと、彼女はその窓辺を乗り越えてきた。マナーなど無視したその動きがあまりにも自然だったので、聖夜は思わず苦言を呈する。

 

「……おい、お姫様」

「別に良いじゃない。こないだの決闘の時にやったら意外と便利だったから、たまにこうしてるのよ」

「あ、そう……なんかごめん」

 

……思いっきり聖夜のせいであった。

 

「良いわよ。体裁なんてあまり気にしてないから」

 

しかしセレナは、そんな事を謝るなんて……と、面白そうにくすくすと笑っている。

 

そこで、ようやく彼は気付いた。

 

(そうか……さっきの視線といい、セレナはあの人に少し似てるんだ)

 

ドライなところとか、それでいて感情に割と素直なところとか。なんとなく、彼にはそう思えた。

 

「……どうしたの?」

「なんでも。そういや、いつから俺に気付いてたんだ?」

 

先程セレナが「さっきから何してんのよ」と言ったのを、聖夜は不思議に思っていたのだ。

 

「ああ、結構前からよ。……アンタが上から飛び降りてきた時くらいから、かしらね?」

「あ、や、えーと、あれはだな……」

「分かってるわよ。どうせ、『影刻の魔女(シャドウプリンセス)』の所にでも行ってたんでしょ?」

 

真上だからね、と。見事に当てられ、聖夜は諦めたように頷く。それを見て、セレナは一つため息。

 

「はあ……別に言いつけたりなんかしないわよ。あいつが自分の部屋に招き入れたんだろうし、それで何かあったわけでもないみたいだし」

「確かにそうだけどさ……」

「……まあ、これからは気を付けなさいよ。私以外の奴にバレたりしたら、その時はどうなるか分からないから」

「……ああ、肝に銘じておくよ」

 

バレたら死ぬ。これ大事。

 

「そういや、なんでセレナは少し間を置いてから俺に声かけたんだ? 見つけた時に声かけたってよかっただろうに」

「あ、えっと、それは……」

 

ふと、彼が感じた疑問。それを指摘すると、何故かセレナは途端にしどろもどろになってしまった。

 

……まあ、それもそうであろう。

 

(アンタをずっと見つめてた、なんて言えるわけないわよね……)

 

何故なら、彼女はただ聖夜に見惚れていただけだからである。正確には、彼と夜が創り出していた幻想的な雰囲気に。

 

しかし、それを正直に言ったら彼に嫌われる可能性すらある。言えない。

 

そんなわけで彼女が口を開けずにいると、幸いにも聖夜は話を変えた。言い難いことなのだろうと、彼にもなんとなく察せられたのだ。

 

「……まあ、いいか。それより、こんな時間までどうしたんだ? ……人の事言えないけどさ」

「全くね……夜空がいつも以上に綺麗だったから、つい眺めてただけよ」

「へえ……結構ロマンチストなんだな」

「悪い?」

「いいや。……ただ、やっぱり可愛いところあるんだなって思っただけさ」

 

往々にして、聖夜は『天然スケコマシ』と呼ばれることがある。その一例が、まさに今の発言だ。

 

そして、セレナはそういう事に疎いのであって。

 

「〜//!」

 

夜遅くというこの状況も相まって、それはもう顔を朱に染めてしまうのであった。

 

もちろん聖夜はそれに気付いたが、今回ばかりは追撃しない。今のはちょっと格好付け過ぎたな……と、自分でも気付いているからだ。

 

「……悪かった、話を変えよう。セレナはなんで、さっき俺に声を掛けたんだ?」

「えっ? ……あ、そうよ!」

 

聖夜にそう問われ、思い出す。

 

「アンタが浮かべてたあの球体……あれ、一体何なのかなって」

「ああ、なるほど……それを聞きたかったってわけか」

 

さてどう説明したもんか……と彼はしばらく悩み、答える。再び、五つの球体をお互いの目の前に浮かべて。

 

「これらは、俺がこの『幻想の魔核』によって使えるっていうか……得意な能力の一例……かな」

 

彼は空いている左手で一つずつ球体を指さし、

 

「これは火で、こっちは水。んでこれが雷、氷。……まあ、分かるだろ?」

「ええ。……それで、これは?」

「これは龍。……『神の天敵』の力」

「神の天敵……?」

「……まあ、ただの比喩さ」

 

龍属性については、知らない人に説明するのは難しい。そんな感じで、聖夜の言葉は少し曖昧になってしまった。

 

もちろんセレナも不思議に思ったが、追求はしない。他にも聞きたいことがあるからだ。

 

「ふーん……でもこれって、『魔術師』や『魔女』そのものよね? そういうのも『幻想の魔核』の能力?」

「まーそうだな。確かに、この雷なんかはセレナと似たようなもんだし」

 

そうして、聖夜は他を消して雷球だけを残す。すると、セレナも自分の能力で雷球を作り、目の前に浮かべた。彼らはお互いの雷球を見合い、思う。

 

「……あ、でも少し違う。アンタのは青白っぽいわね」

「本当だ。……セレナのは綺麗な黄金色だな。使い手と同じだ」

 

セレナの雷球の黄金は、彼女の金髪とも合わさりとても美しく夜景に映えている。そう思い彼がふと呟くと、セレナは再び頬をほんのり染めた。

 

「……アンタ、ブレないわね。嬉しいけど」

「いや、すまない。事実だったもんで」

「……もう。一体、アンタは何人の女性を落としてきたのかしら?」

「人聞きの悪いこと言うなって。俺じゃどんなに頑張っても落とせないよ」

 

何言ってんだか……と、彼女はため息。もう少し自信持っても良いと思うんだけど、と内心で思ってみるものの、さすがに口には出さない。

 

「……ま、いいわ。次にアンタと戦う時を楽しみにしてるから」

「おう。初見殺したくさんあるから、くれぐれも気を付けてくれよ?」

「そう簡単に負けてたまるもんですか。……それじゃあね、おやすみ」

「ああ、おやすみ」

 

 

 

 

 

 



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第七話〜序列入り生徒〜






聖夜が夜の散歩をした、その翌日。聖夜達のクラスにて。

 

「……っし。なんか人揃ってるし、訓練いくか」

「えっ? ……あっ、一昨日聖夜が言ってたやつね」

「そうそう。……ってことで、誰かトレーニングルーム使える?」

「あ、じゃあ私のとこ使えば?」

「サンキュー時雨、んじゃ行こうか。……ほら、セレナも行こうぜ」

「あっ……もう、分かったから手を引っ張んないでよ。恥ずかしいじゃない」

 

この教室に時雨が話をしに来ていたのを幸いに、聖夜は早速そう提案してみた。それに誰も異存は無いようなので、そのまま彼ら四人は時雨が持っているトレーニングルームへと向かう。

 

――はずだったが。

 

「おいお前、ちょっと待ちやがれ」

 

教室から出て行こうとしたその時、聖夜達の前に立ちはだかったのは丸木裕二であった。そんな彼に、聖夜は少し顔をしかめる。

 

「……何だ? 俺らはこれから用事があるんだが」

「知るかよ。なんだ、その用事ってのは? ……お前みたいな序列外野郎が、『冒頭の十二人(ページ・ワン)』を三人も連れてよ」

「あんたには関係無いことだろう? ……邪魔だ、どいてくれ」

 

そして、いらつきを隠すことも無く、聖夜は裕二を鋭く睨みつける。

 

まるで全てを狩り尽くすかのような獰猛な視線に裕二は一瞬怯んだが、それをかき消すかのように彼も聖夜を強く睨みつけた。そして、嘲笑しながら言う。

 

「はっ、やなこった。俺はムカつくんだよ、お前みたいな調子に乗ってる奴がな」

 

明らかな暴言。だが、聖夜本人は特に気分を害した様子は無い。少なくとも、今の言葉では。

 

むしろ、気分を害したのは時雨と茜だった。こういうことに関しては、二人は息がピッタリと合う。

 

「へえ……聖夜に随分と言ってくれるじゃない」

「……もちろん、相応の覚悟あっての発言なのよね?」

 

そう言いつつ、星辰力を練り上げていく彼女達。まさかこの二人が怒るとは思っていなかったのだろう、裕二は途端に挙動不審になり始めた。

 

「あ、いやその……これは貴女達には関係無いのでは……」

 

「はいはい、二人ともストップ」

 

しかし、裕二の言葉を遮り、二人の怒りを抑える聖夜。何故、という彼女達の鋭い視線に、彼は淡々と答える。

 

「こいつの言う通り、お前らは関係無いからな。変な問題は起こさない方が良いだろ。……で、どうすんだ? どいてくれないなら、こっちは無理矢理にでも通らせてもらうけど」

 

そんな彼の発言に、裕二は大きく声を上げて嗤った。

 

「無理矢理? ……序列外が、序列三十五位に敵うとでも?」

「あれ、言わなかったっけ? 俺はあんたが思ってる程弱くない、って。負ける気はしないんだよなあ」

「……上等だ、ならさっさと表に出やがれ!」

 

売り言葉に買い言葉。聖夜の挑発に激昂した裕二は、そう叫んで窓から中庭へと移動した。それを受けた聖夜も、面倒だな……と呟きつつその後に続く。

 

「なんだよ、決闘か? ……星武祭(フェスタ)前のこの時期に序列外とやるなんて、流石に考え無しだとしか思えないんだけど」

「何言ってんだ、俺がお前なんかに負けるわけねえだろ? 身の程をわきまえろ」

「はいはい、分かった分かった。後悔するなよ?」

 

そんな聖夜の投げやりな発言が頭にきたのか、裕二は青筋を浮かべてホルダーから煌式武装(ルークス)を取り出して起動させた。どうやらハルバード型の煌式武装のようで、かなり大型の物だ。

 

(煌式武装か……なら、純星煌式武装(オーガルクス)は使わなくても大丈夫だな。星辰力もあまり使いたくないし、戦力もあまり晒さなくてよさそうな刀でいくか)

 

そう判断した聖夜は、同じく中庭に出て来ていた時雨達の方を向いた。騒ぎを聞きつけたのか、既にギャラリーも集まり始めている。

 

「時雨ー、教室にある俺の刀取れるか? ロッカーに入ってるんだけど」

「分かったわ。よっ、と…………はい。これでしょ?」

「サンキュー。……にしても、便利な能力だなそれ」

 

聖夜の頼みを受けた時雨は、するするっと自身の能力で影の鎖を作り、教室の外から彼の愛刀である『夜桜』を取り出した。そしてそれを持ち、聖夜に歩み寄って手渡す。

 

さらに彼女はその肩を軽く叩き、それだけでは飽き足らず彼の頬をつついて可愛らしく激励した。

 

「まさか負けるとは思ってないけど、頑張ってね」

「はいよ。ありがとな」

 

そう言われた聖夜も、穏やかに微笑み返す。そして、裕二の方へと向き直った。

 

「さーて、じゃあ早速やるか」

「……お前、あの大剣は使わないのか?」

「ああ。星辰力が勿体無いし、小回りも効かないし」

 

その発言に、ますます怒りの形相になる裕二。だが、それも仕方あるまい。今の聖夜の発言は、裕二のプライドを傷付けるのには充分だったのだから。

 

その前の、聖夜と時雨のやり取りもそうだ。何故序列外の奴が、『冒頭の十二人』のうち三人からチヤホヤされているのか。しかも女子ばかりに。

 

「……ムカつくんだよ!」

「――はあっ!」

「なっ……!」

 

力には自信のある裕二が間合いを詰めて放った、強烈な縦斬り。しかし聖夜は、それを()()で受け止めてみせた。驚きに染まる裕二がいくら力を込めても、聖夜の切っ先はまるで揺るがない。

 

「うわ、早速見せてくれたわね」

「聖夜ってあんな事も出来たんだ……いくらなんでも、あんな事はあなただって出来ないんじゃないの、『影刻の魔女(シャドウプリンセス)』?」

「いえ、やろうと思えばできるけど。……ただ、あんなゴツいの相手じゃちょっと厳しいかな。膂力じゃ聖夜に勝てないし」

 

彼女達の言うとおり、聖夜はとんでもない事をやっているわけだ。迫りくる刃に対して、寸分違わず刀の突きを、その切っ先を当てる……並外れた技術、膂力、そして集中力が無ければ到底こなすことは出来ない。

 

「ふむ、単純な力だけなら思ってた以上だな。――だけど、甘い」

 

そう呟くと、聖夜は切っ先を少し上にずらした。すると、触れ合っていた煌式武装が大きく跳ね上がる。軸をずらされ、力のバランスが崩れたのだ。

 

「月影流剣術――『水無月(みなづき)』」

 

その隙をついて、聖夜は剣撃を放った。大きな弧を描く、(急所)を狙った鋭い一撃……命の危機を感じた裕二は、無意識のうちに大きく後ろへ跳んでいた。

 

が、しかし。聖夜の刀は、先程まで裕二がいた場所の寸前で止まる。

 

「――やっぱりな。良く分かった」

「な、何が分かったんだ」

 

先程の恐怖が未だ拭い切れず、距離を取ったままそう問う裕二。そんな彼に、聖夜は刀を鞘に納めつつ淡々と告げる。

 

「あんた、多少戦い慣れてはいるみたいだけど……死地に遭遇した経験は、流石に無いだろ?」

「……んなもん、あるわけねえだろ」

 

裕二には、今の質問の意味が分からなかった。

 

「で、それが何なんだ」

「そこがあんたと俺の差、ってことさ」

 

そう不遜に言い放った聖夜に、今度は裕二だけでなくギャラリーも訝しげな表情になった。例外は茜と時雨だけ。

 

「ああ、そういうことね」

「多分そうだと思う。私もよく言われたことだし」

「……一体どういう事?」

「聞いてれば分かるわよ、『雷華の魔女(フリエンブリッツ)』」

 

 

「あんたはさっきの俺の一撃に、多分危険を感じたんだろうな。それで大きく飛び退った」

「……ああ、そうだ」

「それはつまり、命のやり取りはしたことないか、あってもそこまで慣れていないか……少なくとも、自身の命を脅かされたことはないって判断できるわけだ。もしそういう経験があるのなら、たかが一撃にあんな過剰に反応したりしないからな」

 

そしてもう一つ、と彼は付け加え、

 

「あの一撃に殺気が無かったことにあんたは気付いていなかった。……それだけで、実力は大体分かるってもんだ」

 

その説明にギャラリーはどよめき、裕二は怒りに燃えた。序列入り生徒をここまで挑発する序列外、一体何者か。

 

「お前……言ってくれるじゃねえか」

「事実だからな、仕方無いだろう?」

「クソがっ! 今すぐ黙らせてやるよ!」

 

 

「あーあ、突撃しちゃった」

「これで決まり、かな」

 

時雨と茜がそう呟く中、裕二は聖夜に向かって勢い良く突っ込んでいき、そして。

 

「おらあぁぁぁ!」

 

流星闘技(メテオアーツ)でその刃を巨大化させ、袈裟がけに振り下ろした。相当大きくなったそんなものを自在に振り回せているあたり、彼も相当の力を持っているわけであって、それを以てすれば聖夜など簡単に吹き飛ばせるだろうと、そう裕二は思っていた……のだが。

 

「ふっ……!」

 

聖夜の刀が淡く輝いたかと思うと、彼は居合斬りの要領で右下から鋭く斬り上げた。二つの刃がぶつかり合い、激しく火花が散る。

 

「ッ!」

 

裕二のショックは大きかった。自分の渾身の一撃を序列外生徒の刀に受け止められたのだから。ましてや、自分より力が無いだろうと侮っていた相手に。

 

しかし、聖夜にとってはなんでもないことだ。ハンターとしての膂力に加え、星辰力での強化もあり……単純な力比べであっても、彼は裕二を超えていた。

 

しかも『夜桜』には後付けで魔力が込められている。その魔力を、星辰力を媒体に少し解放すれば、通常時以上の強度を生み出すことが出来るのだ。

 

鍔迫り合いになるも、さほど長く保たないうちに聖夜が相手を弾き飛ばす。そして、彼は腰のホルダーから『幻想の魔核(ファントム=レイ)』を出し、素早く起動させた。その動作にギャラリーが一斉にどよめいたが、聖夜はそれを気にすることなく、懐からスペルカードを取り出す。

 

「スペルカード発動……『ボルケーノブロー』!」

 

そうして、スペルカード発動の宣言と共に放たれた聖夜の右拳。その拳は、うっすらと緑色のオーラを纏っていた。

 

「ちっ……!」

「おらあっ!」

「っ!?」

 

その拳を防ごうと、裕二は咄嗟にハルバードを盾にする。しかし、ハルバードがそれを受け止めた瞬間、二人の間に派手な爆発が起きた。為す術も無く、裕二は後ろに大きく吹き飛ばされる。

 

今のスペルカードは、かつて狩った砕竜というモンスターの攻撃を真似たものだ。流石の聖夜も爆破属性までは操れないので、爆発は粘菌ではなく霊力……この世界では星辰力によるものだが、その爆発力は確かに裕二をダメージを与えていた。

 

「クソったれが……」

 

がしかし、裕二は上手く体制を立て直した。地面の上を滑りながら勢いを殺し、砂煙の先にあるはずの聖夜の姿を探す。

 

――まさに、その時だった。

 

「月影流……『時月(ときづき)』」

 

その砂煙の中から聖夜が出てきた……と裕二が判断した時には、既に彼の校章は真っ二つに斬られていた。砂煙に紛れて高速移動してきた聖夜が、すり抜けざまに裕二の校章を断ち斬ったのだ。

 

スッと、刀が納められ。

 

「――桜舞い 魂踊る 幽世(かくりよ)を 覗き込みしは 現世(うつしよ)の果て」

 

辺りが静まる中、聖夜はそう歌を詠み――。

 

校章破損(バッジブロークン)

 

無機的な声が校章の破損を告げた瞬間、ギャラリーが大歓声を上げた。最近転入してきたばかりの生徒が序列三十五位を下した……そんな光景に、彼らも驚きを隠せないのだ。

 

それと、もう一つ。

 

「お疲れ様。……にしても、随分と格好付けたじゃない。何よ、あの和歌は?」

「そんな気分だったんだよ。悪いな、センスの欠片も無くて」

「いえ、和歌自体は良かったと思うんだけど……でも、ちょっと目立ち過ぎじゃない?」

「目立つくらいが丁度良いだろ?」

 

そう言って穏やかに笑う彼が、つい先程詠んだ和歌である。あの歌に込められた意味は、この場では恐らく時雨にしか分からないだろうが。

 

時雨がやれやれと、しかし若干嬉しそうに言う。

 

「この際だから言っちゃうけど……刀を納めながら歌を詠んでたあなた、とんでもなく格好良かったのよ?」

「いやいや、まさか……流石に冗談だよな?」

「じゃあ、ギャラリーの女子を見てみなさいな」

 

そう言われるがまま、疑い深げに聖夜はギャラリーを見渡した。その中の、とある女子三人組の一人と目が合い……その瞬間、彼女達は小さく黄色い声をあげた。

 

「きゃー、こっち見てた!」

「すごい、やたらとイケメンだ……ね、サイン貰いに行かない?」

「うん、行こう行こう!」

 

――ちなみに、ハンターである聖夜にはこの会話が筒抜けだ。彼的には聞きたくなかったような、聞きたかったような、そんな微妙なラインの内容である。

 

「おっおーう……マジか、サインですか。なんか恥ずかしいんだけど」

「転入早々ここまで派手にやった生徒なんてほとんど居ないからね。ましてやいきなり序列入り……大人しく人気にあやかっとけば?」

「……ま、ありがたいことだもんな」

 

しかしまあ、と聖夜は思う。元の世界でもサインを求められる事があったにはあったし、ここアスタリスクでは序列が上げれば人気も同時に上がることは承知のうえだ。……しかし、こんなに早くこういう事になるなんていうのは予想外である。

 

と、その内の一人が声を掛けてきた。先程目が合った子で、制服を見る限りどうやら中等部の生徒らしい。

 

「あの……サインを頂いても良いですか?」

「ああ。俺で良ければ」

 

朗らかな、人懐こい笑みを浮かべて、彼は彼女達に向き直った。サインを書くのは、聖夜にとっては慣れたものだ。見事な手際で三枚分書き終え、彼女達に手渡した。

 

「あ、ありがとうございます!」

「こちらこそ。君達も頑張れよ」

 

そう言って再び微笑みかける聖夜に、三人はまたも感嘆の声を漏らした。

 

すると、時雨達が聖夜の元へ。

 

「凄いわねえ。というか、他にも居るけど……」

「これ以上はパスで。……早いとこトレーニングルームに行こうぜ。意外と時間食っちゃったし」

「そうね。……これ以上邪魔が入らないうちに行きましょうか」

「目が怖いって、目が」

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「――さてと、まずは茜の今の実力を見たいな」

 

到着早々、聖夜は準備運動をしながらそう言った。茜はといえば、こちらはあまり乗り気には見えない。

 

「えー……」

「こら、不服そうにしない。……まあ、じゃあ最初は武器有りにするか?」

「ううん、大丈夫。勝てないだろうなって思ってただけだから」

 

茜は苦笑しながらそう言うと聖夜から少し離れ、彼の正面に立つ。何だかんだ言ってても、結局やるつもりらしい。

 

「手加減はした方が良いよね?」

「お互いにな。こんな事で怪我するのもアレだし」

 

口ではそんな風に軽く言っているが、どちらも既に臨戦態勢に入っていた。どちらも構えを取るわけでは無く、あくまで自然体だ。しかし、そこに隙は無い。

 

「……じゃあ、いくわよ」

「おうよ。かかってこい」

 

刹那、鋭い蹴りが聖夜の首に迫る。手加減しているようには見えないその右脚だが、聖夜は素早く左腕を上げて防いだ。そして、彼はそのまま彼女を左腕だけで弾き飛ばす。

 

しかし、聖夜は少し痛そうに左腕をさすっていた。対する茜も驚きの表情を浮かべている。

 

「……随分強くなったな。星辰力をしっかり練ってないと、そのまま持っていかれそうだ」

「……聖夜の膂力(りょりょく)の方がやばいと思うんだけど」

「まあ、俺の左腕は何度も修羅場をくぐってるからな。それで色々と我慢強くなっただけだ」

 

斬竜に叩き斬られそうになり、妹紅の炎が直撃したこともあり、フランのスペルカードを受け止めたこともあり……そもそも彼はランスや片手剣の盾も、セオリーに反して利き手ではない左手で持つので、それのせいもあるだろう。古龍の突進も然り、である。一つ一つ挙げていてはきりがない。

 

ふと、傍から見ていたセレナがぽつりと言う。

 

「まさかこんなに凄いなんて……」

 

セレナにとって、先程の攻防は目で追いかけるのがやっとだった。状況が把握しやすい傍観でこれなのだから、実際に相対した時は、辛うじて反応できるかといったところだろう。

 

「まあそりゃね。体術で言えば、私達が束になったって互角くらいじゃない?」

「なんででしょうね、冗談だと思えなくなってきたわ……」

 

月影聖夜という人間を過小評価していた、という事をセレナは認めなければなるまい。目の前の光景の通り、彼は冒頭の十二人と互角に……否、それ以上に渡り合っているのだから。

 

このままじゃ埒が明かないと感じたのか、茜が積極的になった。力の差を補うように、速く速く……。

 

「うおっ……ギリセーフ」

「まだまだ!」

「これまた、随分と速いこって……!」

 

何発か良い一撃が聖夜に入りそうになり、その度に彼は間一髪のところで防御する。先程とは一転、傍目には茜の有利な状況だ。

 

……しかし全員が、彼が攻撃に転じていないことに気付いていた。そしてそれが分かっているからこそ、茜は攻め急いでいるのだ。

 

しのぎを削りあった攻防の末、ついに茜が聖夜の懐に入った。彼に反撃の隙を与えぬまま、彼女の右拳が聖夜の鳩尾に突き刺さ……ろうとしたまさにその時、彼女の腕が聖夜に掴まれた。彼が浮かべる、少しニヤッとした笑み。

 

 

……次の瞬間、茜の視界が回転する。投げられた、と彼女が判断した時には、その身体は想像よりも軽い衝撃と共に地面に倒れていた。

 

何故衝撃が軽かったのかは、聖夜が茜の身体を支えたからであろう。かなり近くにある聖夜の端正な顔にドキドキしながらも、茜は呟いた。

 

「……やっぱ勝てないか」

「いや、かなりイイ線いってたぞ。流石は茜だ」

 

その聖夜の言葉には、一切の世辞が感じられなくて。

 

「あ、ありがと……」

 

茜は頬を染め微妙に視線を逸らし、そう照れた返事しか出来なかった。

 

……しかし、それが聖夜には効果抜群だったらしく。

 

「……マジで可愛いなあ」

「ひゃっ……」

 

ほとんど無意識に、聖夜は茜の頭を優しく撫でていた。茜も抵抗はしない。お互い、深く信頼しあっているからである。

 

「……もう」

「悪い。ちょっと魔が差して」

 

聖夜が手を離すと、茜も少し名残惜しそうに離れた。その名残惜しさを彼女は隠さない。

 

「ねえ、もう少しやってくれても……」

「……そこまでにしとけば?」

 

突如として聞こえる冷ややかな声。それは時雨が発した声だ。

 

「……何よ、嫉妬?」

「ええ、そうですけど?」

 

場が一瞬にして険悪な雰囲気に。しかしまあ、聖夜もこの雰囲気には慣れっこだ。取るべき行動は分かっている。

 

「――よし、放置しよう」

「それ、一番やっちゃいけないやつでしょ……」

 

呆れたようにセレナが言うが、面倒な事に首を突っ込みたくないのだ。

 

「ホント、どうしてああなるんだか」

「……引き金を引いたのはアンタだけどね」

「さて、何のことやら」

 

 



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第八話〜特訓〜






 

 

「――じゃあ、次は私かな」

「だな。能力はどうする?」

「んー……まあ、無しでいいや」

 

茜と聖夜の取り組みが終わり、次は時雨の番だ。手短に聖夜と相談し、そして、彼に負けず劣らずのゲーマーである時雨が、いざ彼の正面に立って宣言した。

 

「言っておくけど、私にはさっきみたいなCQC(近接格闘)は通用しないわよ。私だってMGS(メタルギア)やってるんだから、動きくらい把握してるわ」

「あら、バレてたか。……んじゃまあ、少し趣向を変えてみますかね」

 

墓穴掘っちゃったか、と時雨は内心で苦笑い。ただでさえ聖夜の技には初見殺しが多いのに、『趣向を変える』なんて……。

 

「あはは……お手柔らかにね?」

「それはこっちのセリフだって。……よし、んじゃいくぞ」

 

軽くそう言った聖夜は、先程とは打って変わって先制を仕掛けてきた。その飛び蹴りを時雨は両手を交差させて受け止め、すかさず右側頭部へ回し蹴りを放つ。しかし聖夜はその足を掴み、今度は大きく後ろに投げた。

 

CQCでも月影流でも無い、明らかに我流のその動き……故に時雨の反応は少し遅れたが、それでも空中で体制を立て直して軽やかに着地する。

 

「いやー……やっぱり疾いね、聖夜は。星辰力(プラーナ)だってほとんど練ってないのにその動き……ちょっと自信無くしそう」

「よく言うよ……そっちだってほとんど星辰力使ってなかったじゃんか」

「てへっ、バレてた?」

「何が『てへっ』だ。……ああもう本当に可愛いなあもう」

 

ちなみに、聖夜は異性のギャップにとてつもなく弱い。そして、時雨はそれをよく知っている。

 

分かっててやっているのだ。聖夜が照れ隠しに頭を掻きながら視線を逸らしているのを見て、時雨はしてやったりと思う。

 

「……はあ。仕切り直しだな」

 

しかし、気持ちの切り替えの速さは流石だ。おちゃらけた雰囲気から一転、再び緊張感が走る。

 

「……さてと。今の動きは対応されちゃったし、次はもう少し意表を突いていくとするか」

 

そんな彼の言葉に、時雨は少し焦っていた。

 

(うーん……今のままだとちょっと厳しい、かな。こっちもどんどん仕掛けていかないと)

 

意表を突かれてからでは遅い。それより前に、勝負を決める。

 

今度は時雨から仕掛けていった。突き刺すような拳を聖夜の肩目掛けて放つ。

 

「風鳴流……『風奔(かざばしり)』!」

 

彼女が使っているのは、鋭さを重視した風鳴流の格闘術だ。聖夜も月影流を駆使して反撃を試みるが、如何せん一撃の重さを重視している月影流は風鳴流との相性が悪い。ほんのわずかな予備動作からの一撃を聖夜が放つ間に、時雨は二撃加えられる。

 

「………」

 

さて、こうなると苦しいのは聖夜の方だ。しかし、そのはずなのだが……当の聖夜は苦しい顔を見せない。

 

(やっぱり何か企んでるわね……)

 

先程彼が『隠し玉』と言っていたのを思い出す。それが何のことかは分からないが、この余裕そうな表情を見れば、きっと形勢逆転が狙えるようなものなのだということだけは分かる。

 

果たして、その予感は的中した。

 

「『雪祓(ゆきはらい)』!」

「っ!」

 

唐突に変化した聖夜の聖夜の柔らかい動きに時雨は対応しきれず、放ったハイキックを見事にいなされてしまう。

 

(雪宮流の格闘術……!)

 

しまった、と時雨は唇を噛む。柔らかさを重視する雪宮流は風鳴流との相性が良く、こちらが鋭く打てば打つほど全て受け流されてしまうのだ。

 

しかし、雪宮流は月影流との相性が悪い。『柔よく剛を制す』という言葉があるが、剛が強過ぎればそれは成り立たない……まさにその通りで、月影流の技は雪宮流のそれを(ことごと)く打ち抜いてしまうのである。

 

故に、ならばこちらは月影流で対応を……と、時雨がこう思ったのは仕方の無いことなのだ。

 

それこそが聖夜の作戦だった。

 

「『朧月(おぼろづき)』……!」

「……『朧月』!」

 

時雨が右脚を横から振り抜くために力を溜めたまさにその時、聖夜もそれまでの技を中断して全く同じ動作をとった。

 

技の準備に入ったのは時雨の方が僅かに先だったが、幼い頃から月影流に慣れ親しんでいた聖夜の動作は非常に滑らかだ。時雨の動きが完成するより早く、彼の右脚が迫る。その右脚は、不思議に揺らめいて見えた。

 

「きゃっ……」

 

咄嗟に星辰力を集中させると、想像していたよりも遥かに軽い衝撃が時雨を襲った。しかし軽いとはいっても、彼女を軽く吹き飛ばすくらいの威力である。

 

危なげなく体制を整えて、時雨は苦笑しながら言った。

 

「……手加減してくれたの?」

「……もう一度言うけど、訓練で怪我してちゃ意味無いだろ?」

 

そういえば、そんな事を言っていたような気がする。集中し過ぎてたおかげですっかり忘れてた。

 

「まああれだ。時雨、お前のセンスはピカイチだけど、集中し過ぎちゃうのがネックだな。でも、あそこで咄嗟に月影流を使ったのは見事だった」

 

「……ま、上手く返されちゃったけどね」

「あの作戦は、時雨の頭が良いのを知ってたからこそのものだよ。並の人じゃ、あそこで咄嗟には月影流にシフト出来ないからな」

「あはは、ありがと。でもまあ、そこまで読まれちゃってたらね」

 

やっぱり勝てないなあ……と時雨はため息を吐く。でもまあ確かに、月影流の師範でもある聖夜にあの技を放ったのは少々軽率だったのかもしれない。『朧月』も、元はと言えば聖夜から聞いた技なのだ。

 

すると聖夜が時雨に歩み寄り、その肩をポンと叩いた。

 

「もうほとんど月影流を使いこなせてたな。俺も風鳴流を極めないとな、と思うよ」

「ふふっ……ありがと。後でまた教えたげる」

「おうよ、サンキュー」

 

そう。月影流の師範が聖夜しか居ないように、風鳴流の師範も今は時雨しか居ないのだ。この二人はお互いがお互いを教え合い、今もなお新しい技を作っている。

 

さて、と聖夜はセレナの方を見た。

 

「次はセレナだ。……いきなり体術オンリーってのは厳しいだろうから、最初は能力有りでいこうか」

「えっ? あ、うん」

 

唐突にそう言われ、セレナはあまり意識しないままにそう答えた。そして言ってから気付く。

 

「……って、能力とか使っていいの?」

「ああ。……その代わり、俺も『幻想の魔核(ファントム=レイ)』だけは使わせてもらうけどな」

「……ならいいけど」

 

セレナは、まさか彼が何の武装もしないで掛かって来るのかと思ってたのだ。そんなことをされればセレナはキレる自信がある。彼女のプライドが許さない。

 

「さてと、真っ向から能力勝負しても押し切れないだろうし……あ、煌式武装(ルークス)も使うならどうぞ」

「……そうね。アンタに体術で勝てる自信は無いもの」

 

「「……えっ?」」

 

突如として驚きの声を上げたのは時雨と茜だ。

 

「嘘……あの『雷華の魔女(フリエンブリッツ)』が、何であれ『勝てる自信無い』って……」

「プライド高いのに……あんた本当に『雷華の魔女』?」

「うっさいわね! 何よ、文句ある!?」

 

確かにこんな事は初めて言った。別に悔しくもない。聖夜にはそれほどの実力があるという事を、さっきからまざまざと見せつけられているのだから。

 

だからと言ってこの言い草は何事か。心外である。

 

まあまあ、と聖夜がセレナを宥めた。

 

「プライドが高いのは別に悪い事じゃない。あんな事が言えるくらいだから、自惚(うぬぼ)れているわけでも無いみたいだしな」

 

その時初めて、セレナは聖夜の星辰力の違いに気付いた。先程までは状況に応じて一極に集中していたのが、今は恐ろしいほどに穏やかで澄んでいる。量自体はかなり少ないものの、星辰力を完全に自信の制御下に置いているのだ。ここまで星辰力を制御出来る星脈世代(ジェネステラ)を、セレナは現役生でほとんど見た事が無い。思わず呟いた。

 

「その星辰力の質……」

 

言いたい事に気付いたのか、聖夜が笑って言う。

 

「こういうのは元々得意なんだ。意識を奥深くに委ねて、五感全てを制御し研ぎ澄ます……慣れれば、『第六感』的なものも使えるようになるぜ」

「凄いわね……」

 

多分本当のことだろう。セレナだって、『第六感』というものを少しは信じている。闘っているとそういうことがあるというのは経験で分かっている。

 

「ま、自慢話なんかしててもあれだ。まずはやってみようか」

 

そう言うなり聖夜はセレナから数歩離れ、そして振り返った。あくまで自然体な様子だが、しかしそこに隙はない。彼と相対してみて、初めて分かる。

 

「……ええ。じゃあ私から」

 

しかし、臆していても仕方がない。セレナは素早く攻撃の態勢を作り、牽制の雷撃を複数撃った。

 

牽制とはいえある程度の威力をもつそれらを、あろうことか聖夜は避けようともしない。『幻想の魔核』を腰にぶら下げて、悠然と佇んでいる。

 

見事にセレナの雷撃が命中する……まさにその瞬間、聖夜が右手を前に突き出すと、その腕に青白い雷撃が迸りセレナの雷撃を相殺する。しかし彼女もあらかじめそれを想定していたのか、別段驚く様子もなく。

 

「まあ、そう簡単にはいかないわよね」

「いくらなんでも。……しっかし、こんなんばっかやってると星辰力が無くなるからな。近接も混ぜさせてもらうよ」

 

さてどうくるかと警戒しているセレナに対し、聖夜は突き出したままの腕を右に大きくスライドさせる。すると、その軌跡をなぞるようにして氷の剣が現れた。

 

「氷……?」

「雷とはそれなりに相性良いからな。……さて、いくぞ」

 

そう言うと、彼は剣を掴んで床に突き刺した。するとセレナに向かって扇型に五筋の小さな地割れが発生し、その後を追って氷の棘が生えてくる。

 

「っ……!」

 

セレナはそれらを大きく横に跳んで回避し、続いて飛んできた光弾も雷撃で撃ち落とした。そのまま空中で華麗に体制を整えて狙いを定め、今度は一筋の高密度な雷撃を放つ。

 

「この角度……かなっ!」

 

すると聖夜は呟き一つ、剣の腹で雷撃を上斜めに受け流した。雷撃はそれなりの威力を持っていたはずなのに、氷の剣に欠けた様子などは見られない。

 

彼は剣を軽く切り払って言う。

 

「よしよし……咄嗟に昼飯意識できるようになったの偉い」

「……何言ってるの?」

 

セレナには到底意味の分からない言葉だったが、どうやら時雨には通じたようだった。

 

「まさか、ゲームで学んだ要素を持ってくるなんてね……CQCもそうだけど、よく実践する気になるわね」

「使えるもんはなんでも使わないとね……っと、今は勝負中だったな」

 

すまんすまん、と彼は申し訳なさそうに笑う。

 

「じゃあ、仕切り直しってことで」

「う、うん。別に大丈夫だよ」

 

呆気に取られていたセレナは、油断してつい昔の言葉遣いを出してしまった。直後にしまったと気付くが、案の定聖夜にも気付かれる。

 

「……お、ギャップ発見」

「今すぐ忘れてっ!」

「うおっ!? あっぶな……」

 

あまりの恥ずかしさにセレナは頬を真っ赤に染めて、聖夜目掛けて三発の雷球を放った。予備動作が無かったために聖夜の反応は若干遅れ、間一髪のところで身を躱す。

 

「あのー、今のは不可抗力というか……」

「黙りなさい」

「はいすみません」

 

どこのコントだ、と聖夜は心の中で苦笑するも、もちろん声に出さない。セレナの機嫌をこれ以上損ねたら、次は何が飛んでくるか分からないからだ。

 

「……じゃあ、今度こそ仕切り直しを」

「……そうね。じゃあまた私から」

 

瞬時に緩んだ雰囲気を霧散させ、セレナは十数発の雷撃を放った。しかし、もちろん聖夜は同じように角度を付け、受け流すようにしえ悉く弾いていく。瞬時に見切って弾くその技術には、正直セレナもかなり驚いている。

 

――だが、彼女とて何の対策も考えていないわけではないのだ。他の雷撃よりも少し遅れて進む最後の三発には、その対策がしてある。

 

その三発を残して全て弾いた聖夜は、それらも同じように防ごうとして――直前、何かに気付いたようにはっとした表情を浮かべた。

 

だが、時既に遅し。セレナの三発の雷撃は、氷剣に当たった瞬間激しく弾けた。

 

「おわっ……!?」

 

聖夜は咄嗟にガードの姿勢を作ったが、いささか不安定だったようで受けきれずに吹き飛ばされる。すぐさま受け身を取って体制を立て直すものの、彼の手にある氷剣は少し欠けていた。ちら、とそれを見やり、苦笑しながら。

 

「榴弾……? そうか、こう対策されることもあるんだな」

「……?」

「いや、何でもない」

 

ひとしきり意味の分からないことを言って、聖夜は氷剣に左手を這わせる。すると、瞬く間に剣が修復されていった。

 

しかし、彼の意識が一瞬自分から逸れたのを見逃すセレナではない。複数の雷球と共にレイピアを構えて突撃する。

 

「余所見はしない方が良いわよ!」

「してないさ!」

 

しかし、聖夜だって相手から完全に意識を外すわけがない。気配でちゃんと分かっているのだ。

 

「はぁっ!」

 

彼が裂帛の気合と共に氷剣を振るう。すると氷剣が()()()()、その炎が雷球を全て絡めとった。動きを封じられ、雷球は聖夜に届かず炸裂する。

 

「何よそれ……!」

 

目の前で起こっている超常的な現象にセレナは驚いたが、それに怯まず彼にレイピアを振るった。攻撃後の隙を狙った、校章を壊すことは出来なくともダメージは与えられるはずの一撃。

 

しかし、聖夜の身体能力は彼女の予想を遥かに超えていた。

 

「よっ……と!」

「っ!」

 

かなり無理な体制から彼は蹴りを放ち、彼女のレイピアを受け止める。……が、セレナが驚いたのはそこではない。

 

彼女が驚いたのは、レイピアを受け止めているその左脚に、星辰力が普段通りにしか練られていないということだ。それでいて大して血も出ておらず、聖夜の表情も崩れない。

 

「どれだけ頑丈なのよ、アンタ……!」

「ははっ、俺の脚は並の鍛え方してないもんでね!」

 

そう不敵に笑い、聖夜は渾身の力でレイピアをセレナの手から弾き飛ばした。彼女の右手は無意識にそちらへと伸びたが、途中ではっと気付いて左手に雷を纏い、勢い良く聖夜へと突き出す。しかし彼はそこから放たれた雷撃の下をくぐり抜け懐に潜り込み、居合斬りの要領で彼女の校章に氷剣を突き付けた。

 

しばしの沈黙。だが、聖夜が氷剣を引いて言葉を発したことで、その沈黙は破られる。

 

「……っし、勝負ありだな」

「……そっか。負けた、のね」

 

そんなセレナの呟きが、不思議なくらい自然に彼女自身の胸に落ちた。悔しいことには悔しいが、何故だか納得出来る勝負だったような気がする。

 

「……凄いわね、本当に。まさか負けるとは思ってなかったわ」

「サンキュ。……まあやっと一勝一敗、とりあえずチャラだな」

「まさか……あの勝負、気にしてたの?」

「当たり前だって。最初の決闘だったんだからさ」

 

ふう、と彼はため息を吐いた。だいぶお疲れの様子である。

 

「しかしまあ、遠距離攻撃はああやって弾いたほうが楽だな。斬る、弾くを臨機応変に判断出来るように、もうちょっと鍛錬を積むか」

「本当にね……随分、ゲームから着想を得てるみたいね?」

 

呆れたように時雨が声を掛けた。我ながら、とでも言いたげな表情で聖夜も彼女に振り向く。

 

「まだまだ、使えそうなものはいくつかあるからな。楽しみに―――っと」

 

そこまで言いかけて、聖夜は不意にふらついた。慌てて氷剣を床に突き刺し、彼はそこに寄りかかる。

 

茜が心配そうに駆け寄った。

 

「聖夜、大丈夫?」

「大丈夫……倦怠感がすごいけど、多分星辰力を使い過ぎただけだと思うから」

 

そう言うと、彼は重いため息を吐いた。

 

星辰力切れ(プラーナアウト)の三歩手前ってとこかな……まあ、確かにはっちゃけ過ぎた」

それだけ疲れるって……まだ星辰力に慣れてない?」

「本格的に戦闘に使い始めたのがここ最近のことだからな……つーか、だるい。そして眠い」

 

相当疲れているのか、はたまたこの症状に慣れていないのか、彼は立っているのも大儀そうだ。そんな様子を見て、茜が提案した。

 

「横になったほうが楽なんじゃない? ……膝枕、してあげようか?」

 

えっ、と驚いたのは時雨とセレナだけ。聖夜は疑問にも思わず、ふむと考えてから言う。

 

「……じゃあ、お言葉に甘えて。今日は俺ギブアップだ」

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「……確かに、横になってたほうが楽だな。サンキュー茜」

「どういたしまして。寝心地はどう?」

「冗談抜きで最高。……つーか、この角度だと胸が目立つな」

「っ!? ……もう、急に変なこと言わないでよ」

「悪い悪い」

 

言葉とは裏腹に、全く悪びれない様子で聖夜が言う。今は全員が床に座っており、頬を微かに赤く染めている茜の膝の上に聖夜の頭は乗っていた。

 

時雨が言った。

 

「聖夜、それセクハラよ」

「大丈夫大丈夫、茜なら許してくれる」

「ふふっ……確かに許しちゃうな」

 

これといって怒る素振りも無く、茜はまだ少し頬を染めたままで聖夜を撫でる。流石にこれは聖夜も恥ずかしい……というわけでも無いようで、存分の茜の手を満喫していた。

 

「あ〜……やばい、寝そう」

「……寝てもいいよ?」

「マジで? ……うん、そこの二人の目が怖いんでやめとくわ」

 

人目をはばからずイチャつく彼らに……というより聖夜に対して、時雨とセレナの視線は冷ややかだ。

 

「……随分と神経が図太いのね」

「手痛いね、お姫様」

 

だが、当の聖夜は何を言われても涼しげにしている。からかわれることなど慣れっこ、といった様子だ。

 

「でもまあ、気持ち良いんだから仕方ないよなー。ああ、ダメになりそう……」

 

何度も命を預け合ってきた家族同然の少女の体温に、聖夜は底知れぬ安心を感じた。寝ちゃマズいよなあとは思っているものの、体が重いのも相まって、聖夜の意識は次第に薄れていった。

 

 

「……あ、寝てる」

「「……えっ」」

 

 

 

 



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第九話〜案内デート〜





すっきりと晴れ渡った、ある日曜日。

 

「悪い、待ったか?」

「いいえ、私もついさっき来たところよ」

 

星導館学園の校門付近、そんなカップルめいた会話を交わしたのは聖夜とセレナだ。

 

「……って、なんか見慣れない感じね」

「髪色ちょっと変えたのと、あと制服じゃないからだろ。セレナだって、私服だとすごい雰囲気変わってるじゃん」

「……似合う?」

「この上なく」

 

セレナはシャツに薄いカーディガンを羽織り、下は明るめのジーパンという出で立ちだ。てっきりスカートなどを履いてくると思っていた聖夜は、ある意味で意表を突かれた。しかし似合っていることに変わりはない。

 

対して聖夜は髪を黒く染め、白いシャツに地味めのパーカーを羽織り、そして踝の出ているカーキのスボンという格好だ。普通であればあまり目立たないような服装だが、聖夜が着ると不思議と様になっている。

 

「さーて……じゃあエスコートさせて頂きますよ、お姫様」

「何言ってんの、今日は私が案内するのよ」

「おっと、そうだった」

「……分かってて言ったでしょ」

 

やれやれといった表情でセレナは聖夜を見やり、ふと聞いた。

 

「……そういえば、今日は武器を持ってきてるの?」

「ああ。無粋だとは思ったけど、身の安全の方が大事だからさ」

「気にしてないわよ、私だって持ってるし。……最近は何かと物騒だから、武器は手放さない方がいいわね」

「やっぱそうだよな」

 

と言いつつ、聖夜は懐に手を入れてそこにある物を確かめる。そこにはちゃんと、十数枚のスペルカードが入っていた。純星煌式武装(オーガルクス)にスペルカード、いつ戦闘になっても大丈夫な態勢だ。

 

ちなみに、聖夜が持ってきている純星煌式武装は『幻想の魔核(ファントム=レイ)』と、天彗龍の素材を組み込んであるスラッシュアックスの『叛逆斧バラクレギオン』、そして凍王龍の素材が組み込んである太刀『雪一文字〈銀世界〉』だ。何故大剣では無いのかと聞かれれば、それは何となくである。

 

 

しかし、この何となくの判断が後に役立つこととなる。

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「ここはショッピングモールよ。大体の物が揃うから、必要ならここに来ると良いわ」

「ふむ、かなりデカイな」

「そうね。多分、この商業エリアで一番大きいんじゃないかしら」

 

彼らは今、商業エリアと呼ばれる場所に居た。

 

アスタリスクの市街地は、主に外縁居住区と中央区に分けられる。外縁居住区にはモノレールの環状線が通り、居住エリアや六学園と繋がっている。

 

それに対して中央区では、移動は基本的に地下鉄が中心だ。学生達が起こす決闘が交通網に影響しないようにするためである。

 

今彼らが居る商業エリアは中央区に位置する場所だ。様々な企業が出店している、まさになんでもござれなエリアである。

 

「何か買っていく?」

「そうだな、いくつか揃えたいものはあるけど……荷物増えるからなあ」

「なら、後で届けてもらうようにすれば良いんじゃない?」

「ほう、そんな事も出来るのか……じゃあ少し回っても良いか?」

「ええ。私も少し回りたいし」

 

……はて、これは案内ではなかったか。これではまるで、普通のデートではないか。というツッコミは野暮なので、あえて置いておこう。と、聖夜は心の中で思った。

 

「何を見たいんだ?」

「洋服をちょっと……あと、雑貨も少し」

「雑貨に洋服か……俺も見ていくかな」

 

相部屋なので派手な事は出来ないが、彼も少しインテリアを揃えたい。洋服も、彼は割とお洒落が好きな方なので興味がある。

 

「じゃあ、お昼までちょっと時間を潰しましょうか」

「おう……って、なんか趣旨変わってるような気がするけど」

「何か文句でも?」

「……なんでもないよ」

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

有名な服屋に着いた聖夜達は、二人連れ立って服を見始める。どちらも相応の知識があるらしく、その様子は楽しそうでいて割と真剣だ。

 

「セレナはスカートとか履かないのか?」

「そうね……履かないってわけじゃないけど、やっぱり今日みたいな服の方が楽だし」

「ふーん……まあそれはそれで大人っぽい感じだし、俺は好みだけどな」

「……ありがと」

 

ここで会話は一時中断。異性との交流の経験が乏しいセレナには、今のような何気ない一言にも弱いらしい。

 

そんな様子を見て、聖夜は悪戯っぽい微笑。

 

「おっ、照れてる照れてる」

「うるさいわよ。……これ、アンタに似合うんじゃない?」

「ジャケットか……結構薄手だな、これ」

「それならこの時期なら着れるでしょ?」

「確かに。……でもまあ、来シーズンまで我慢しようかな。今シーズンはもうあまり着れないし」

「まあ、そうね。……じゃあ夏物を探す?」

 

聖夜に差し出した服を丁寧にたたみ、セレナは違うものを探し始める。それを見て、ふと聖夜は疑問に思った。

 

「……なんか、張り切ってる?」

「っ!? そ、そんなわけないでしょ! 大体、何に張り切る必要があるの!?」

「いや、そんな必死にならんでも……」

 

はっと気付いてセレナは咳払い。完全に自爆であった。

 

「えっと、そろそろ移動するか?」

「……そうね。他も見に行きましょうか」

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「次に案内するところは……」

「ちょっと待った、そろそろ昼飯にしないか? 腹減っちゃってさ」

「そ、そうね。ごめんなさい、気付かなくて」

「いやいや、気にすんなよ。……さて、どこにする?」

 

そうね……とセレナは思案。

 

「……ここらへんを見て回りながら決めましょ」

「了解。じゃ、いこうか」

 

そう言って歩き始める二人。

 

……それはそうとこの二人、やはり注目を集めている。星導館学園の序列六位が、しかも男連れで居るのだから、それも当然ではあるが。

 

「……変装してきて正解だったかな」

「ちょっと迂闊だったわね……私ももう少し変装しとけば良かったわ」

「ゴシップ記事の良い的だからな……まあ、俺の正体がバレてないだけでも違うだろ」

 

スキャンダル記事になるにしても、連れの正体が割れているか否かではかなり違う。聖夜の経験談だ。元の世界(向こう)では、彼もそれなりに有名なのである。

 

「……んで、どこ行くかは決めた?」

「んー……あ、ここにするわ。良い?」

「へえ、ファストフードか。意外だけど、俺は構わないよ」

 

セレナが指差したのは有名なハンバーガー店だった。お嬢様でもこういう所なんだなと意外に思いながらも、聖夜に異存はない。連れ立って店へ入る。

 

すると、聖夜の目に留まった二人組が居た。

 

「……って、あれ綾斗達じゃん」

「えっ? ……あら、本当ね」

 

彼らも聖夜達と同じく、今日出掛けていたらしい。二人共、結構楽しげだ。

 

「ま、邪魔しないでおこうか」

「……そうね。それじゃ、私達も並びましょうか」

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

綾斗達から少し離れた二人席に聖夜達は陣取った。

 

「ほい、お先にどうぞ」

「ありがとう。……じゃあ、いただきます」

「いただきます」

 

まずはハンバーガーを一口。聖夜にとっては慣れた味である。外の世界もここも、こういうものはほとんど変わらないらしい。

 

「はむっ……やっぱり美味しいわね」

「意外だよ、お姫様でもこういうものを食べるんだな」

 

ふと聖夜が思っていた事を言うと、セレナは別段気にすることもなく。

 

「私だって学生だから。それに、この国でトップクラスの金持ちである月影家の人間に言われたくは無いわね」

「……知ってたのか?」

「当たり前でしょ。私としては、何故アンタがこの都市に居るのかが全く理解出来ないわ」

 

月影家は日本の最上流階級、それも外の世界と同じらしい。「知ってたのか?」なんて冷静に返した聖夜だが、実際にはその事実を今初めて知ったのだ。

 

とはいえ、上手く返答しなくてはなるまい。

 

「まあ、こっちにも色々な。孤独の身だし、こういう所の方が過ごしやすいのもある」

「……なるほどね」

「察してくれたようで何より」

 

はぐらかした感はあるが、様々なしがらみがあるのもまた事実だ。上流階級というものは基本的に面倒なのである。しかしそれはセレナも同じであり、だからこそ彼女は言わんとすることを察したのだろう。

 

「……そうだ。セレナ、一応言っておきたい事があるんだけど」

「ん、何かしら?」

 

唐突に話題を変えた聖夜に、セレナも乗っかった。お互いに沈黙を嫌ったのである。

 

「少し声を潜めるけど……」

 

そう言って彼が話し始めたのは、ここ最近の襲撃事件に関する憶測だった。しかし、憶測にしては妙に説得力があり、セレナは無意識のうちに彼の話に引き込まれていった。

 

言ってしまえば、聖夜には犯人の目星が付いていた。まず狙われているのは主にユリスで、セレナは恐らくその次だということ。そして、気配の無かったレスターやランディに似た襲撃犯……しかし、これだけで聖夜が犯人を絞り込んだということに彼女は驚く。

 

「……凄い推理力ね。私とユリスも何となく考えてたけど……でも、その根拠は?」

「始めから話すと……」

 

と聖夜が小声で話し出した瞬間、突如として怒鳴り声が店に響いた。二人が同時に振り向いた先は綾斗達の席だ。

 

「あれはレスター達ね……」

「白昼堂々喧嘩売ってんのか……まあユリスが何かしら言ったのもあると思うけど」

 

苦笑しながらそう言いつつも、彼は右手を前に差し出すようにしてレスターへと構えた。セレナが見れば、そこに星辰力が収束している。

 

「……アンタ、何するつもり?」

「いや、魔法式を組んだだけだ。万が一に備えてな」

「魔法式……って、何?」

「あとで説明するよ」

 

言いながらも、彼は目を離さない。注意深く騒ぎの中心を見つめている。

 

すると、レスターがテーブルを叩き割った。ユリスの言い放った一言が、どうやらレスターの怒りを呼んだらしい。

 

「あいつ……」

「あら、こりゃそろそろ手が出そうだな。こっちも一応準備出来てるけど」

 

その向こうでは、今度は綾斗とレスターが言い合っている。店内が静かになっているので、その内容が聖夜達にも聞こえてきた。今、綾斗はレスターに胸倉を掴まれている状態だ。

 

 

「おっと、あいにくだけど俺も決闘する気はないよ」

「……なんだと?」

「受ける理由がないからね」

 

綾斗がさらりとそう言ってのけ、聖夜は少なからず感心した。この状況で恐るべき冷静さである。

 

しかし、レスターにとっては我慢ならないことだということに違いない。顔を怒りに染め、綾斗を突き飛ばそうとした。

 

 

――まさにその瞬間。

 

「はっ!」

「っ!?」

 

突然聖夜が立ち上がると、その右手首を通るように六芒星の魔法陣が現れる。すると、綾斗を掴んでいたレスターの手が、何かに弾かれるようにして離れた。何が起きたか周囲の人々は理解出来ておらず、レスターもまた驚愕の声をあげた。

 

「誰だ……!」

「……騒がしいな、全く」

「なっ、お前は……」

 

周りを見渡すレスターの目に、悠然と歩いてくる聖夜が映った。そんな聖夜の立ち振る舞いは優雅かつ凛々しく、周りの注目を一瞬にして集めていた。

 

「……何をしやがった」

「なに、振動系魔法の要領で、アンタの右手に円形の衝撃波を当てたんだ。即興だったけど……『円衝(サークルブロウ)』とでも名付けようかな」

「魔法……? 何言ってやがる」

 

しかし聖夜はそれには答えず、レスターの間合いギリギリで立ち止まる。

 

ちなみに今のは、聖夜があるラノベで読んだ魔法の理論の応用だ。ラノベというものは基本的にフィクション(のはず)だが、幻想郷で学んだ魔法を応用してみたところその再現に成功したのである。

 

戦闘で使うのには、補助するマジックアイテムがないと発動速度が遅すぎて使えないが、魔法式を展開する時間さえあれば自身のサイオン……ではなく霊力や星辰力を消費していつでも発動できる。

 

レスターが聖夜を強く睨みつけながら言う。

 

「……まあいい。なら、てめえから叩き潰してやるよ。転入早々序列入りしたらしいが、その程度で調子に乗るなよ」

「ああそうそう、俺も決闘を受けるつもりはさらさら無いから」

 

レスターの発言を無視しつつ、聖夜が涼しい顔でそう言った。しかしその言葉とは裏腹に、彼は次の魔法式を構築し始めている。

 

冷ややかな声で彼は続けた。

 

「そもそもこんなとこで喧嘩吹っかけてちゃ、最近話題の襲撃犯の同類と見られてもおかしくないんだよなー。……って、同じ事を綾斗にも言われたんだろうけど」

 

そしてこの一言。レスターの怒りはさらに増したが、それをランディ達が必死に止める。流石にマズいと分かっているのだろう。

 

「お、落ち着いて! レスターの強さはみんな分かってるから! いつだって正々堂々相手を叩き潰してきたんだから、こんな奴の言うことなんて真に受けることないって!」

「そ、そうですよ! 決闘や会話の隙を伺うなんて卑怯なマネ、レスターさんがするはずありませんし!」

 

(……ふむ。『決闘や会話の隙を伺う』、ね)

 

聖夜は心の中で呟く。

 

二人の説得によって、なんとかレスターの怒りは抑えられたらしい。しばらく綾斗と聖夜を睨み続けていたが、やがて踵を返して帰っていった。

 

「ふう……ありがとう、聖夜」

「はいよ。まあ、俺が手を出さなくても大丈夫だっただろうけどな」

 

すると、ユリスとセレナが二人の傍に歩み寄った。ユリスが小声で言う。

 

「……なるほど。お前らも中々に食えない奴らだ」

「何のことかな?」

「いやはや、本当に何のことだろうな」

「全く……」

 

冗談だよ、と聖夜は笑った。

 

「まあこれで、俺の憶測はほぼ証明されたかな。綾斗もそうだろ?」

「……そうだね。さっきのあれで俺も分かった」

 

どうやら彼らの考えは同じらしい。……と、ここで周りの注目を集めていることに気付く。

 

「ちょっと派手にやり過ぎたな……外に出ようか」

 

この聖夜の言葉に三人は頷き、外に出ようとする。が、何故か聖夜は外では無く、店内のATMへと向かった。

 

「聖夜、どうしたんだい?」

「まあ、ちょっとな」

 

曖昧に答えつつ、聖夜はカードを使って金を引き出した。その額、100万。周囲がざわめく。

 

その札束を無造作に掴むと、彼はそれをカウンターに載せて言った。

 

「騒ぎを起こしてしまってすみません。これ、テーブルの修理費用と迷惑料です」

 

周りはおろか店員ですら唖然としている中、今度こそ聖夜は店を後にした。

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

店を出て早々、セレナが呆れたように言った。

 

「アンタ、何考えてるの?」

「あー、やっぱりあれじゃ少なかったか?」

 

まさかの返しをしてきた聖夜に対し、三人は驚愕の目を向ける。

 

「……聖夜、あれで少なかったと思ってるのかい?」

「いやだって、結構派手にやったし……」

「逆よ、逆。なんであんなに払ったのって聞きたいの」

 

ああ、と聖夜は納得したように頷いて言った。

 

「いやー、お詫びっていったら普通あんなもんだろ?」

「それは聖夜の感覚がおかしいだけだと思うよ……」

 

綾斗の言う通りだとでも言いたげに頷く女子二人。それを受けて、聖夜は気まずそうに頬を掻いた。

 

「あー……まあ、次からは気を付ける。それより、次の案内はどこなんだ?」

「話を逸らすのが下手ね……えっと次は」

 

そうしてセレナが話した場所を聞いて、ユリスが少し驚いたように言った。

 

「奇遇だな、私もそこを案内する予定だったのだ」

「あら、そうだったの。……じゃあこのまま一緒に行動する?」

 

セレナとユリスは、それぞれ聖夜と綾斗の方をチラッと見る。

 

「俺は構わないよ」

「同じく。元より、こっちが案内してもらう側なんだし」

 

そして、朗らかに答える二人。その笑みに彼女達はそれぞれ見惚れてしまう。

 

それに気付き、ユリスは慌てて首を振った。

 

「どうかしたの?」

「い、いや。なんでもない。それより早く行こうではないか」

「まあ、そうだな。時間もあまり無いし」

 

 

 

 

 

 



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第十話〜襲撃者〜






ユリスとセレナの案内が終わったのは、もう日も落ちかけ、夕焼けに街が赤く染まり始める頃だった。

 

「今日のところはこれくらいかしら?」

「おう、サンキューな。にしても今日は結構歩いたなあ……」

「そうだね、あちこち歩き回ったから……」

「なんだ、疲れたのか?」

 

からかうように言うユリスに、勘弁してくれと聖夜は返した。その反応に彼女達は苦笑。

 

そして、四人は帰るために地下鉄の駅へと向かう。――しかし、その駅の方が何やら騒がしい。

 

「……諍いか?」

「みたいね。ホント、迷惑……」

 

彼らは騒動の人混みを掻き分け、前に立ってその中心を覗く。見物人すら距離を置いているその騒動の原因は、どうやらどこか二つのグループの言い争いだった。

 

よくよく見てみると、双剣の校章を両グループのメンバーが着けている。

 

「あれはレヴォルフ……だな」

「どうやら、そうみたいだね」

 

粗暴な連中だ、と聖夜は思う。レヴォルフの生徒は校則の関係で血の気が多く、またガラの悪い生徒が多いというのは噂に聞いていたが、よもやここまでとは。

 

「あっ、手が出た」

 

そんな一触即発の空気の中、片方のグループのリーダー格の男が相手のリーダー格の男を殴った。

 

そうなれば当然、あれよあれよと言う間に乱闘だ。聖夜達を囲むようにそこかしこに散らばった生徒達が、各々の武器を取り出して決闘を始める。

 

そう、()()()()()()()()()、である。ユリスが忌々しげに呟いた。

 

「……マズいな、はめられた」

「えっ?」

 

綾斗の疑問に、セレナが代わりに答える。

 

「レヴォルフの連中がターゲットを襲う時によく使う手段よ。ターゲットはあくまで巻き込まれた、という体を装うわけ」

「恐らく、こいつらは正規の決闘手続きをしているだろう。警備隊に問われても言い訳が効く」

「なるほど……って、うわっ」

「よっ、と……なるほど、こういうことか」

 

彼女達の説明を聞いていた聖夜と綾斗の背後から、剣形の煌式武装(ルークス)を持った男がそれぞれ一人ずつ走ってきた。彼らはそれを避けるものの、男達はそのまま乱闘に紛れ込んでしまう。

 

周りを見てみれば、全員がなんともおざなりな戦い方だ。それでいて、時折こちらの隙を伺うように鋭い視線を向けている。

 

ふと綾斗が気付くと、聖夜が隣で獰猛な笑みを浮かべていた。その手にはいつの間にか『幻想の魔核(ファントム=レイ)』のコアが握られている。

 

「――この状況なら正当防衛は成り立つよな?」

「もちろん。それに、どうせ三下ばかりよ」

「よーし……かかってこい」

 

どうやら、セレナもユリスもその気らしい。彼女達の心象を現すように電撃が迸り、炎が渦巻く。

 

すると、再び聖夜の背後から男が襲ってきた。しかし聖夜は避けようともせず、それどころか彼は『幻想の魔核』を起動して懐から1枚の札を取り出す。

 

男が顔色を変えたが、もう遅い。

 

「スペルカード発動――『クレセントフォルテ』!」

 

そう彼が唱えた瞬間、その足元に六芒星の魔法陣が現れ、三日月型の弾幕が聖夜の頭上から周囲に向けて放たれた。聖夜に襲いかかった男はその直撃を何発か受けて吹き飛び、聖夜達を囲んでいた男達の数人も流れ弾を受け、地面を転がる。

 

倒れ伏した男達を見渡し、聖夜は不敵に嗤った。

 

「あんまり舐めない方が良い。怪我だけじゃ済まないことになるぞ?」

 

レヴォルフの生徒達が驚愕の表情を浮かべる中、今度はセレナとユリスが武器を構えながら前に出た。

 

「さて、私達もやるか」

「……ミディアムレアくらいで勘弁してあげなよ?」

「私もちょっと派手にやらせてもらおうかしらね」

「それは良いけど……頼むから巻き込まないでくれよ」

 

男子二人の苦笑を合図に、彼らは迎撃に動いた。

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

ほどなくして騒動は終わった。

 

「まあ、こんなものかしら」

「あまり俺の見せ場無かったな。流石は『冒頭の十二人(ページ・ワン)』ってとこか」

 

周りには何人ものレヴォルフの学生が倒れている。そのほとんどが、ユリスとセレナによって黒焦げにされていた。

 

中には逃げ出そうとした生徒達もおり、「あれって星導館の『冒頭の十二人』じゃねえか!」とか「そんなの聞いてねえぞ!」と口々に叫んでいた。どうやら自分達のターゲットがどんな人物かもよく知らなかったらしい。

 

ちなみに、逃げ出そうとした生徒達は回りこんでいた聖夜によって無力化された。月影流の格闘術によって的確に急所を打たれ、全員が一撃でやられている。

 

「何言ってんのよ、まったく。分かってたけど、本当に大したものね」

「サンキュ。……で、なんで綾斗はユリスに怒られてんの?」

「戦い方がお気に召さなかったみたいよ」

 

聖夜達が綾斗の方へと目を向けると、彼はユリスに何やら苦言を呈されていた。綾斗が困ったような顔をしている。

 

「そうは言っても、今の俺にはあれくらいが限界なんだ」

「……どうやら私が買いかぶり過ぎていただけのようだな」

 

がっかりした顔をしてユリスが溜め息を吐く。それに対して、綾斗は苦笑を浮かべるしかない。

 

その様子を見て、聖夜も思わず苦笑。

 

「まあ確かに、綾斗は結構危なかったけどなー」

 

実際に聖夜も間近で見ていたから分かるのだが、綾斗の戦いぶりは、彼が纏う強者の雰囲気の割にあまり強く感じられなかった。相手の動きはよく見えていたようだったが、そこに身体の動きが追い付いていないように見えたのだ。もっとも、その傾向はこの前の適性検査の時にも見られていたが。

 

「……まあいい。とりあえず、こいつらから聞き出さねばならないことがある」

 

何はともあれと、気を取り直したユリスが倒れている生徒の一人に近付いた。片方のリーダー格だったモヒカンの男だ。彼女はその胸倉を掴み、持ち上げる。

 

「おい、いつまで寝たフリをしている。早く起きないと、そのチンケな髪を毛根から焼き尽くすぞ」

「ひいっ!?」

 

ユリスの脅しに、その男は情けない声を上げて目を開けた。よほど髪が大切らしかった。

 

セレナもその男に近付き、雷撃を迸らせて威嚇する。

 

「……正直に吐きなさい。アンタ達にこんな仕事をやらせたのはどんな奴?」

「く、黒ずくめで背の高い、大柄な男だった。だから顔も見れてねえ!」

「なら、声は?」

「声? い、いや、知らねえ」

「聞き覚えが無かったという事か?」

「違う、喋らなかったんだ! 指示は全部、金と一緒に渡された紙に書いてあって……」

 

はっきりと分かるほど慌てふためいている男の言葉に、聖夜の意識は一瞬でそちらに向いた。

 

(紙? ってことは……!)

 

恐らく犯人はどこかで結果を見届けるはず。そう咄嗟に考え付いた聖夜は目を閉じ、索敵を始めた。

 

(この前襲ってきた奴等と同類だと考えると、星辰力の探知や気配察知じゃ発見は期待できない……物として探した方が確実か)

 

敵を星辰力の塊や気配として探すのではなく、一つの物体として探す……しかし聖夜はハンターという職業上、気配を探る生物探知(ソナー)は得意だが物体探知(ダウジング)は苦手だ。

 

だが、今回の場合はある程度犯人の位置が絞り込める。隠れながらも聖夜達のことが見える場所、つまり一定範囲内の物陰や建物の屋上など、視界が通る場所と仮定すればそれほど多くはない。

 

加えて、聖夜には『幻想の魔核』がある。聖夜はそれを使って、魔法の中でも苦手分野筆頭である探知魔法をアシストし自身の知覚能力を一時的に増幅させ、そして怪しい場所を集中的に探し始めた。

 

そんな彼を差し置いて、ユリス達の詰問は続く。

 

「他に何が書いてあった?」

「これは前金で、残りは見届けてから払うと……」

「見届ける……」

 

(やっぱりな……っと、ここも違うか)

 

その言葉を聞いてユリス達は考え込み、聖夜は探知にさらに意識を費やす。

 

 

 

――果たして。

 

 

「あ、あいつだ! あいつが俺達に指示を出したんだ!」

 

(見つけた……!)

 

男が目を見開いて彼らの後ろの方を指差したのと同時に、聖夜も犯人を認識した。フードを被った大男……間違いない、この前と同じ奴だ。

 

しかし、向こうも気付かれたと悟ったのか、踵を返して路地へと引っ込んでしまった。

 

「待てっ!」

「待ちなさい!」

 

ユリスとセレナが血相を変えて犯人の方へと突撃する。だが、敵の全容も分からない中でのそれは悪手だ。

 

「二人共、深追いはまずい!」

 

綾斗が咄嗟に叫んだが、もう遅い。これこそが襲撃者達の待ち望んでいた隙だった。

 

二人が路地の入り口へと着いた瞬間、待ち伏せていた大男が斧型の煌式武装(ルークス)を手に二人へ襲いかかった。

 

「なにっ!?」

「くっ……っ!」

 

その不意打ちを彼女達は見事な反射神経で避けたが、そこへさらにもう一人、アサルトライフル型の煌式武装を持った男が襲いかかる。その男から放たれた光弾を、彼女達は地面を転がりながら必死に避けていた。

 

(二人目か……!)

 

綾斗と同じく彼女達の方へ駆けながら、聖夜は舌打ちをする。どうやら、襲撃者達は素晴らしく性格の悪い輩のようだ。

 

(なら、遠慮する必要は無いし……こいつのことがバレてもこの際しょうがない!)

 

友人に手を出す輩を見逃すほど聖夜は慈悲深くない。彼は腰のホルダーに手を伸ばし、その中にあった一つのコアを取り出した。

 

「――頼むぞ、千刃竜!」

 

聖夜はそう叫ぶと、手にしている純星煌式武装(オーガルクス)を起動。瞬く間に武器が形成され、次の瞬間には彼の手にも斧が握られていた。

 

『叛逆斧バラクレギオン』。彼が持つ純星煌式武装の一つであり、千刃竜素材のスラッシュアックスだ。荒々しいその外装には、鈍い金色に輝くコアが埋め込まれている。

 

先にいる綾斗が驚いたように、しかし走りながら問うた。

 

「聖夜、それは……!?」

「俺が持ってる純星煌式武装は一つじゃないってこと。それより早く行かないと……!」

 

彼女達の反射神経は驚異的だが、体制が整っていない状態では危険なのに変わりはない。

 

だが、彼らも油断していた。襲撃者は二人だけでは無かったのだ。少し離れた左右のビルの屋上に居たもう二人の黒ずくめに、綾斗と聖夜が同時に気付く。どちらもクロスボウを構え、その引き金に指を掛けていた。

 

(まだ居たのか……!)

 

綾斗は右の方を向いた――なら、聖夜は左だ。

 

しかし彼らが状況を完全に認識したときには、襲撃者達は既にクロスボウの矢を放っていた。

 

(秘伝、嵐の型)

 

明らかに避けられないタイミング。幸い聖夜は武器を展開していたため、一瞬足を止めて、それを素早く盾にして攻撃を防ぐ。

 

しかし、綾斗は武器を展開していない。彼は咄嗟に煌式武装のコアを盾代わりにした。

 

「ぐっ……」

 

だが、コアは直接の衝撃に弱い。矢を受けたコアの破片が飛び散り、綾斗の制服を少し引き裂いた。

 

「ふう……まあ、これくらいなら大丈夫かな」

 

しかし、綾斗自体に傷は無い。それを確認して、聖夜は腰を落とし斧を後ろに構えた。

 

この場は綾斗に任せておけば問題無いだろう。そう判断した彼が斧に星辰力を送り込んでいくと、斧が仄かに紅く輝き始めた。

 

その視線の先には、未だ防戦一方のユリス達。どうやら綾斗達が襲撃されたのを見て、意識がこちらに逸れてしまったようだ。どうにかして形勢逆転を図らなければならない。

 

「いくぜ、天彗龍……天の型!」

 

そう彼が呟いた刹那、爆発的な星辰力の勢いとともに、紅い光の尾を引いて聖夜の姿が掻き消える。

 

次の瞬間、彼はセレナに振り下ろされた斧を受け止めていた。それを鍔迫り合いをするまでもなく弾くと、今度はもう一人の男がばら撒いたアサルトライフルの弾を全て斬り捨てる。いつの間にか、彼の斧は剣の形に変わっていた。スラッシュアックスの機構の一つ、変形だ。

 

聖夜は彼女達を守るように割って入ると、パーカーの裾をはためかせ、その剣を正眼に構えた。

 

「――さて、どうする?」

 

そして、冷たく言い放つ。そんな彼の言外の圧力を感じ取ったのだろうか、襲撃者達はすぐさま奥へと消えていった。

 

 

 

それを追うことはせず、彼は彼女達の方へと振り向いた。

 

「怪我……は無いみたいだけど、大丈夫か?」

「……ええ。平気よ」

「私もだ。……借りが出来てしまったな、礼を言う」

「借りなんて気にしなさんな。俺がやりたいからやったんだ」

 

何事も無くて何よりだ、と聖夜は安堵の溜め息一つ。

 

(にしても、流石は『冒頭の十二人』だな。あの状況で一発の被弾も無しか)

 

もちろん聖夜も避けられるだろうが、それは弾幕ごっこというバックボーンがあるからだ。伊達に『冒頭の十二人』という立場にいるわけでは無いということなのだろう。

 

「……そういえば、綾斗の方は」

 

ふと気付き、聖夜は綾斗の所まで戻る。その後ろから彼女達も付いてきた。

 

「……綾斗、大丈夫か?」

「ああ。……あいつらはさっき逃げたよ」

「了解。……とりあえず、全員大きな怪我が無くて良かった」

 

そう言って彼が武器を戻そうとすると、セレナが待ったをかけた。

 

「ちょっと待ちなさい。……気になってたんだけど、それって純星煌式武装でしょ?」

「ああ、そうだけど……それがどうした?」

「それがどうした、じゃないでしょ」

 

一応聖夜はとぼけてみせるが、もちろん通用しない。困ったように綾斗達の方へ顔を背けるが、彼らも似たような表情をしていたので、彼は諦めた。

 

「……まあ言ってしまえば、俺が持ってる純星煌式武装は一つじゃないってこと。複数の武器の使い手なんだ、俺は」

 

他言無用で頼むよ、と聖夜が言うと、三人は驚きながらも了承した。

 

「でも、驚いたよ……まさか、複数の純星煌式武装が使える人がいるなんて」

「こいつらの一つ一つの能力はそこまで強大じゃないからな。そのぶん代償も軽いんだ」

「へえ、そういうものなのね……」

 

そもそも軽いとかいうこと以前に、聖夜は代償を感じたことが無い。元々認められているのか、それとも何か他に理由があるのか。

 

ちなみに、『幻想の魔核』の代償である『幻視・幻聴』はしっかりと受けている。とはいえ噂ほど酷いものでは無く、夢が少しはっきりとしたものになったり、頭の中のイメージが実際に見えたりする程度だ。特に害は無い。後者にいたっては、寧ろ戦闘の補助になっているくらいだ。

 

「……それよりも綾斗、その制服はどうするんだ?」

「えっ? ……あ、これか」

 

彼らが話しているのは、先の襲撃で所々破れた綾斗の制服のことだ。

 

「どうしようかな……新しいのを注文するにしても届くのに時間かかるし、その間このままっていうわけにも……」

「うーん……どうすりゃいいのかね」

 

聖夜も一緒に悩んでみるが、良い案は思い付かない。

 

「……まあ、自分でどうにかするよ」

「そうか。すまんな、力になれなくて」

「いや、考えてくれてありがとう。……えっと、俺らはそろそろ戻るけど」

「ああ。……先に戻ってくれて構わないぞ。俺はもう少しセレナと居たいからさ」

 

えっ、と驚いた顔でセレナが聖夜を見るが、綾斗達は特に怪しんだ様子もない。

 

「そっか。じゃあ俺達はこのへんで」

「ああ。二人共、今日はありがとな」

 

そうして仲良さげに帰っていく二人。その後ろ姿を微笑ましげに見送りながら、聖夜は呟いた。

 

「……あの様子じゃ、変に気を遣う必要も無かったかな」

 

聞いて、セレナも気付く。

 

「……アンタ、細かい所まで気が利くのね」

「そんなんじゃないよ。……知り合いの恋路は応援しようかな、ってね」

 

微笑ましげな表情から一転、悪戯っぽい笑み。随分と表情が豊かなんだな、とセレナもつい釣られた。

 

「……ふふっ。それ、ユリスの前では絶対に言わないでよ?」

「まさか。暑いのは平気でも熱いのは苦手だからな、俺」

 

軽口を叩き合いながら、セレナがふと言った。

 

「……それで、さっきのは気を利かせただけの冗談?」

「え、何がだ?」

「何が、じゃなくて! ……その、私と居たいって発言のこと」

 

思わず声を荒げてしまい、慌ててその声を小さくするセレナ。

 

そういえば、と聖夜は自身の発言を思い返す。

 

(そういえばそう言ったな……じゃなくて。何で俺は一国の王女を口説いてんだ)

 

思い返して、そして恥ずかしくなる。しかしまあ、言ってしまったことは取り消せないものであり。加えて言うのであれば、もう少しセレナと居たかったというのは事実であるので。

 

「……君に時間があるなら、俺はそうさせて頂きたいな」

 

ならば、自分の発言は潔く認めようではないか。そう開き直った聖夜の芝居がかった言葉に、セレナもくすくすと笑って答えた。

 

「ええ、良いわよ。どこに行くの?」

 

そう言って彼女が浮かべた年相応の可愛らしい微笑みに、聖夜は思わず息を呑んでしてしまう。だが気を取り直して答えた。多量の冗談を込めて。

 

「そうだな……どこか、二人きりで話せる所かな」

 

聖夜自身もしっかり自覚している格好付けた発言だったが、流石にこれは効いたらしい。彼女は恥ずかしげに目を逸らした。

 

しかしセレナとて、いつまでもやられっぱなしではいられない。彼女は負けず嫌いなのである。それに、少しずつではあるが耐性も付いてきているのだ。

 

だからといって、飛び出したこの発言には明らかに問題があったのだが。

 

「……そう。なら、私の部屋なんてどう?」

 

言って、即座にしまったと気付く。

 

(って、何言ってるの私!?)

 

女子寮に男子を入れてはならないとか、そういった規則以前に大きな問題がある。女性が男性を自分の部屋へ入れるという事は、それはつまり……。

 

聖夜も驚いて言う。

 

「いやいや、それは……」

 

いくら聖夜でも、美少女の部屋に二人きりはハードルが高過ぎる。何か間違いが起きないとも限らないのだ。

 

そしてそれはセレナも同じである。というより、彼女はほんの少しだけそんな想像をしてしまった。部屋に招いた後、ベッドで彼に押し倒され……。

 

(……そ、そんな事コイツがするわけないでしょ!? 何考えてるの私は!?)

 

セレナは慌てて頭を強く振る。それを見て、聖夜がびっくりして言った。

 

「……大丈夫か?」

「え、ええっ!」

 

とはいえ、頭を振ったくらいで思考を追い出すことが出来るはずもなく、彼女は思わず食い気味に答えてしまう。

 

「な、なら良いんだけど……」

 

まあ、先程の邪な考えは聖夜には全くバレていないようだ。一先ずセレナは溜め息を吐く。

 

(あーもう、なんであんなに焦らなきゃいけなかったのよ……って、どう考えても私が悪いんだけど)

 

からかい返すなどという慣れない事はしない方が良かった。そう思うセレナであった。

 

だが、聖夜に自分の部屋へ来てほしい、という気持ちは紛れも無い本音なのである。このチャンスを逃しては、もう二度と誘えないかもしれない。

 

 

しばし気まずい沈黙が流れるが、気を取り直して聖夜が言う。

 

「……そんで、どうする? 俺としては人に聞かれたく無い話なんかもしたいんだけど……」

「そうね……でも、人に聞かれる心配の無い場所っていったら、やっぱり私の部屋が良いんじゃないの?」

 

どうしても来てほしい……という気持ちが無いというわけでは無いが、それら色々な事情はさておいても、盗み聞きされない場所が他に思い付かなかったのだ。

 

聖夜も思案顔。

 

「うーん……確かにそういう点では安全だろうけど、でもなあ……」

 

しかし、それを簡単に飲むことは聖夜には出来ないのである。これがかなり親しい、それこそ時雨のような相手ならばまだ良いが、セレナとは知り合って間もない仲でしか無い。そんな女子の部屋へ躊躇なく入れるほど、聖夜の肝は据わっていない。

 

だがセレナも、持ち前の負けず嫌いが災いして、一度言ったことを取り消すことは嫌なのだ。こうなってしまった以上、多少強引にでも。

 

「……いつまで言ってんの。ほら、行くわよ」

「えっ、いやちょっと、まだ心の準備が……」

「覚悟決めなさい」

 

焦れったくなったセレナは、未だ呟いている聖夜の手を引いて自分の部屋へと帰るのだった。

 

 

この後、自分が恥ずかしさで悶えることになるとは知らないで。

 

 

 



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第十一話〜聖夜の謎、その一部〜








 

 

「……じゃあ、ちょっと待ってて」

 

場所は女子寮の裏側。セレナは聖夜にそう言うと、小走りで女子寮の入り口へと向かう。

 

そして、それを見送った聖夜は浅く息を吐いた。

 

「……今日は疲れたな、色々と」

 

まあ、まだ終わっていないのだが。寧ろこれからが本番である。

 

 

手持ち無沙汰に、近くの木に寄りかかりながらセレナを待つことしばし。ふと気配を感じ、聖夜は顔を左に傾けた。

 

その瞬間、彼の顔があった位置に真っ黒な刃物が突き刺さる。

 

「……気を引かせる方法としては随分と物騒じゃないか」

 

苦笑しながら上の方を向く聖夜。その視線の先には、自室の窓枠に頬杖を突いている時雨が居た。今の刃物は、どうやら彼女の能力によるものだったようだ。

 

「当たらなかったし、何の問題も無いでしょ」

 

つまらなさそうな表情で時雨は聖夜を見る。

 

「……それで?」

「……?」

「リースフェルトとのデートよ。どうだったの?」

「ああ、そのことか。……うんまあ、かなり楽しかったよ。デートじゃ無いけど」

 

正直に彼が答えると、時雨は溜め息を吐いた。

 

「……そ。良かったじゃない」

「まあ、な。……時雨こそ、こんな時間にどうした?」

「ちょっとした休憩よ。……そしたら下にあなたが居たものだから、ついね」

「ここに男が居ちゃマズかったか?」

 

冗談交じりに微笑みながら聖夜がそう言うと、時雨も力を抜いてふっと笑った。

 

「いいえ。……ただ、近付き過ぎると危ないけどね」

「ああ。それは身に沁みて理解してるよ」

 

前科持ちだからな、と彼は苦笑。二度も同じ轍は踏むことはしまい。

 

時雨も微笑みながら言う。

 

「それはどうかしらね。……だって、これから女子寮に入ろうとしてるみたいだし」

「うっわ、バレてたか」

 

とは言うものの、聖夜も特別驚きはしない。ここに男が居てもおかしくは無いと先程は言ったが、傍目に見れば普通に疑われる位置だ。通常、男が近付く場所では無いのだから。

 

「……で、誰の部屋に行くつもりだったの? 『麗水の狩人(メレアヴィーネ)』の所?」

「いや、セレナのとこだけど」

 

言いかけた瞬間、時雨が固まった。

 

そして、この後のパターンは聖夜も知っている。だからこそ、彼は素早く『幻想の魔核(ファントム=レイ)』を起動し、一つの魔法式を組んだ。

 

 

つまり、何が起こるかと言えば。

 

 

「……よっ、と」

 

「はああぁぁぁっ!?」

 

 

やはり時雨は叫んだのだった。

 

なので、彼は間髪入れず準備していた振動系の魔法を放つ。時雨の叫び声とは逆位相の振動波だ。それは時雨の声を中和し、叫び声だったはずの音は僅か囁き声程度の音量になった。

 

はっと時雨が自分の口を塞ぎ、聖夜は軽く溜め息を吐く。

 

「あっぶねえ……時雨、他の女子に知られたらどうすんだよ」

「ご、ごめん……でも、本当にあのリースフェルトの所なの?」

「ああ。……信じられない、ってのは理解できるよ」

 

聖夜だって未だに半信半疑なのだ。恋愛事に全くと言っていいほど疎いセレナが、何故男を自分の部屋に入れようと思ったのか。

 

しかしその答えは出ないまま、聖夜の視界の端で一つの部屋の窓が開いた。セレナの部屋だ。見れば、セレナが手招きしている。

 

「……まあ、そういうことで」

 

聖夜は誰にも聞こえないくらいに呟き、素早くセレナの部屋へと飛び込んだ。

 

 

 

一方、時雨はと言えば。

 

 

「……どういうことよ、全く」

 

 

 

自分でも驚いてしまうくらい、不機嫌だった。

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「お邪魔しまーす」

「窓枠を乗り越えながら言う言葉じゃ無いわね……」

 

そんなお小言はさておき、聖夜はセレナの部屋を見渡す。

 

 

まず初めに感じたのは、内装が案外シンプルだということだ。可愛い感じではなく、全てお洒落な感じのインテリアに纏まっている。

 

そして、それらに調和されるように置かれた観葉植物。そこそこの数があるものの、どれも部屋に溶け込んでいる。

 

思わず、聖夜は呟いた。

 

「……良い部屋だな」

 

当の聖夜ですら意識してない発言だ。不意を突かれ、セレナは恥ずかしそうに顔を背ける。

 

「あ、ありがと……」

 

 

しばし沈黙。

 

 

だが、気まずさに耐えかねたセレナが提案する。

 

「え、えっと……とりあえず座ったら?」

「あ、ああ。サンキュ」

 

彼女が指差したソファに聖夜が座ると、セレナは急いで紅茶を淹れに行った。

 

しばらくして彼女が戻ると、聖夜は端末を使って何か調べている。

 

「はい、どうぞ。……何調べてるの?」

「さっきの騒ぎが広まっているのか調べてたんだ。……紅茶サンキューな」

 

面倒な事になった、と聖夜は苦々しげな表情で紅茶を一口すすり、そしてセレナを手招きした。彼女は躊躇うことなく聖夜の隣に座って画面を覗き込む。

 

「……って、もう広まってるの?」

「ああ。……しかも、『襲われたのは星導館の生徒』って事までな」

 

しかも、と聖夜は続けて、

 

「何より面倒なのは、セレナ達が身バレしてるっつー事だ。俺はバレずに済んだみたいだけど」

「……本当ね。アンタだけは不明扱いになってるわ」

 

今回の場合、聖夜は軽い変装をしていたし、使った純星煌式武装(オーガルクス)はいずれも聖夜が使い手だとは知られていない物だ。加えて、戦い方もこれまた世間にはほとんど知られていない月影流と弾幕主体のスタイルだったため、ネットでは全くバレていない。

 

ふと、セレナが不思議そうに言った。

 

「……でも、身元が明かされたところで別に問題は無いんじゃないの?」

 

だが、聖夜は頭を振る。

 

「いや、それは違う。……何せこんな騒ぎになっている以上、当然犯人の目にも入るだろ?」

「それはそうでしょうけど……」

 

セレナが視線で先を問うと、聖夜は静かにティーカップを持ち上げた。優雅に紅茶をすすり、そして問い返す。

 

「……襲撃が世間に知られた。なら、その犯人はどうすると思う?」

「えっ? えっと、襲撃を止める………いえ、今回の場合それはあり得ないわね。なら……」

 

セレナはしばらく考え込んでいたが、不意に顔を上げた。そこには多少の驚きが見て取れる。

 

「もしかして、早く終わらせようとする……?」

「正解……だと思う」

 

聖夜は画面を閉じると、顔だけをセレナの方に向けた。

 

「止めるどころか、犯人はこれ以上の邪魔が入らないうちに処理してしまおうとするだろう。……しかも後先考えないで、な」

「焦るから……よね」

「そう。……だから、下手をすればここ数日で何かが起こるかもしれない」

 

その言葉をセレナが否定するには、聖夜の言葉は些か確信に満ち過ぎていた。彼はまるで、答え合わせでもするかのような口振りなのだ。

 

「今までの襲撃を鑑みるに、恐らくまた姑息な手を使ってくるだろうな。……例えば、脅迫とか」

「脅迫……?」

「ああ。……まあ、具体的にどういう風にしてくるのかは分からないけど」

 

 

そこまで言うと、聖夜は再び手元の紅茶を一口。そしてセレナに微笑みかけた。

 

「何か変な事が起きたら相談すること。……そうすりゃ、俺が必ず守ってやるから」

「あ、えっ……?」

 

途端、セレナの顔がこれ以上無いくらいに赤く染まった。

 

(ま、守ってやるって、何で勘違いさせるような事言うのコイツは!? 凄く恥ずかしいじゃない……!)

 

今の言葉は、セレナの心に深く染み渡ってしまった。今まで誰かを頼ろうとしなかった彼女は、「守ってやる」なんて言われた事など無いのだ。ましてや異性になど……。

 

「……どうした?」

 

しかしどうやら、聖夜にとって今の言葉に深い意味は無かったようだ。

 

彼のそんな落ち着いた様子を見て、セレナは自分の慌てようを再認識した。とりあえず悔しかったので、まだ顔こそ向けられないものの、彼女は努めて平静な声で言う。

 

「べ、別にアンタに守ってもらうほど弱く無いわよ……」

 

彼女が言うと、聖夜はふっと表情を柔らかくした。

 

「そうだな。……でもまあ、何か力にはなれるだろうからさ」

 

再びセレナを赤面させた聖夜は、しかしそうとは知らずに残っていた紅茶をゆっくりと飲み干した。

 

「ふう……ごちそうさま。美味かったよ」

 

さて、と聖夜は一息ついて、

 

「シリアスな話はここまでにして……良ければ、今度は他愛無い話にも付き合ってくれないか?」

「……えっ?」

 

それを聞いたセレナは、先程の恥ずかしさをも忘れて聖夜の顔を凝視してしまった。

 

(半ば強引に連れて来られた側なのに、どうして帰ろうとしないの? ……もしかして、まだ私と話がしたいっていうのはコイツの本音なのかな)

 

そしてそう気付いた瞬間、何故かセレナは嬉しくなった。心の奥から暖かくなるような、そんな不思議なものを感じたのだ。

 

 

だからこそ、この言葉はごく自然に出た。

 

 

「ええ。どんな話をしてくれるの?」

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

二人寄り添って座ったまま、彼らは再び話し始めた。

 

「まあ、そんな面白い話じゃないけどな。……俺が使う純星煌式武装(オーガルクス)について、セレナには話しておこうかと」

 

彼女は再び驚愕。

 

「充分に面白い話よ、それ……というか、そんな大事なことを私に話して良いの? 誰かに広められるリスクとか……」

 

彼が複数の純星煌式武装を使っていることもそうだが、こちらも至極もっともな疑問点だ。しかし、当の聖夜はそれを気にする様子も無い。

 

「セレナなら広めたりしないだろうし……仮に知られたとしても、それで勝てなくなるほど弱くは無いからな」

 

言われて、セレナは思い出した。目の前の少年は、武器無しでも『冒頭の十二人(ページ・ワン)』とそれなりに渡り合える程の実力を持っていることに。

 

それと、もう一つ。

 

(それにコイツ、私なら広めないだろうって、何よその「お前のことは信用してる」みたいなセリフ……。そういう発言が勘違いさせるってこと、分かってるのかな)

 

聖夜の発言には人の気持ちを揺さぶるものが多過ぎるのだ。今の言葉だって、セレナの心を暖かくさせるのには充分だった。

 

しかし、その元凶たる聖夜はそんなことを自覚していないため、変わらず話を続ける。

 

「まあ、それは置いといて……はい、これ」

 

言うやいなや彼は腰のホルダーから三つのコアを取り出し、目の前のテーブルの上に載せた。セレナが見てみると、そのどれもが色付いて鮮やかに輝いている。言うまでもなく純星煌式武装のコアだ。

 

「純星煌式武装が三つ……!?」

「大剣も合わせれば四つだな。……少なくとも、俺が見せたのは」

「少なくとも……ってことは、もっとあるの?」

「……まあ、な」

 

セレナの驚いた声に、聖夜は言葉少なに答えた。

 

「具体的に言えば、自分で持っているのが十五。借りている『幻想の魔核』を合わせると十六個だ」

「じゅ、十六個!?」

 

思わずセレナは素っ頓狂な声をあげる。……しかし、今回ばかりは仕方無い。

 

「そんなに持っていられるものなの!? 適合率とか代償とか、色々と問題が……」

「まあまあ、少し落ち着きなさいな」

 

逆にどうして聖夜は落ち着いていられるのか。そこがセレナには理解出来ない。

 

「説明するから。だからまずは座り直して」

 

しかし聖夜にそう言われてしまえば、セレナも落ち着かざるを得ない。それに、自分だけ狼狽えているのは少し悔しい。

 

「……分かったわ。でも、ちゃんと説明してよ?」

「ああ。別に隠すようなことでもないしな」

 

どこから話そうか……と聖夜はしばし思案。

 

「まあ、まずは疑問に答えようか。……さっきセレナは代償や適合率がどうの、って言ってたよな」

「ええ。まずはそこから教えて」

 

了解、と聖夜は腕を組んだ。

 

「初めに断っておくけど……自分の物とは言っても、純星煌式武装には分かっていないことが多い。推測とかも交じるけど、そこは了承して欲しいな」

「……分かったわ」

 

聖夜は一つ頷くと、話し始めた。

 

 

「それじゃあまずは、複数の純星煌式武装の使い手である俺は適合率や代償の問題が無いのか、ということについて話そうか」

 

彼はテーブル上の三つのコアを手で弄びながら言う。

 

「代償についてだけど……セレナは、『幻想の魔核』の代償は何か知ってるか?」

「確か、『幻視・幻聴』……だったわよね。前の使い手はそれで廃人になったって……」

「ああ。……まあ、俺に対しては温情をかけてくれてるのか、そこまで酷くないんだけどな」

 

聖夜が『幻想の魔核』のコアを撫でるように手を置くと、『幻想の魔核』が仄かに光った。まるで嬉しそうに。人間味の強い純星煌式武装だな、とセレナは驚く。

 

「まあでも、十六個もの純星煌式武装全ての代償がこいつのようだったら、どう頑張っても人間じゃ耐えきれないだろうな。例え一つ一つの代償が少なくても」

「……そうよね。ならアンタはどうして平気なの?」

 

問われると、聖夜はふっと笑みをこぼして言った。

 

「これは推測なんだけど……恐らく、俺が持っている『幻想の魔核』以外の純星煌式武装には目立った代償が無いんだ」

 

彼は続ける。

 

「ただ、純星煌式武装は代償が大きければ大きいほど力も強大だと言われているから……言ってしまえば、俺が持っている物は各学園が所有している物と比べると、やっぱり能力面では劣るんだよな」

 

「劣るって……でも、あの大剣で電撃を操っていたじゃない」

 

「そりゃまあ、能力自体はあるよ。でも、なんというか……他の純星煌式武装――例えば『四色の魔剣』とか、それらに代表される規格外な能力は持っていない。炎、水、雷、氷、龍……汎用性は高いけどな」

 

「いくらなんでも、『四色の魔剣』と比べたらダメだと思うのだけど……」

 

あれらは規格外にも程がある。それは聖夜も同感のようで、苦笑を浮かべていた。

 

「……まあ純粋に武器として使うなら、こいつらはこの上なく信用出来る。切れ味も耐久力も、そこらの武器はおろか、下手すれば他の純星煌式武装よりも優れているからな」

 

何せハンターがモンスターに対して使う武器だ。人とは比べものにならない程の攻撃力と防御力を持つモンスターに対して、聖夜達ハンターは武器と防具に頼らざるを得ない。武具はハンター達の生命線であり、故にその頑丈さには上限が無い。

 

……とはいえ、ハンター達がモンスター相手でも無事なのは、武具の性能もさることながら、彼らの人を遥かに超えた身体能力のおかげでもあるのだが。この前の模擬戦時に聖夜がやってみせたように、G級ハンターともなれば煌式武装くらいは生身で受け止められる。

 

「……とまあ、少し話が逸れちゃったけど、代償についてはこれくらいかな。何か質問はあるか?」

「いいえ。……それじゃ、適合率についても教えて?」

 

はいよ、と聖夜は笑って言った。

 

「とは言っても、凄く単純な話なんだけどな。複数持っているのに何故適合率が落ちないのか……それは、正直俺にもよく分からない」

 

彼は曖昧な事を、しかしそうとは感じられない口調で話す。

 

「そもそも、ちゃんと適合率を測ったのだって『幻想の魔核』だけだし。……まあ、使えてるってことは大丈夫なんだろうけど」

「……えっと、それだけ? もっと不思議に思ったりしないの?」

「あー、別に? なんとなくだけど、こいつらとも上手く折り合いを付けられてるっぽいし」

 

あっけらかんと言った聖夜に対し、呆気に取られた顔で彼を見つめるセレナ。普通はもっと疑問視するべきじゃないのか、と。しかも、当事者なら尚更……。

 

しかし、聖夜は自身の感覚をそれなりに信じているのである。恐らく、武器達は自分を認めてくれているだろうという、妙に確信めいた感覚を。

 

なんにせよ、確かめようが無いのだ。使い手だろうがなんだろうが、人智を超えた物の全てが分かるなんてことは決して有りえない。

 

 

閑話休題(それはさておき)

 

 

「まあ、純星煌式武装についてはこのくらいだな。……納得出来てないって顔してるけど、そこは目を瞑って欲しいね」

「……分かったわ」

 

苦笑する聖夜に、セレナも渋々そう返す。もっとも、本人だって分からないことなのだから、聞けないのは仕方無いことではあるのだが。

 

と、聖夜は壁に掛けてある時計を見て、少し驚いたように言った。

 

「おっと、思ってた以上に時間経ってたんだな」

 

釣られてセレナも時計を確認。彼の言う通り、予想以上に時間が立っていた。

 

とはいえ、まだ外が暗くなり始めたくらいの時間だ。まだ帰らずとも問題無いだろう。

 

 

……だが、聖夜は違うのだ。というより、健全な男子ならこの場合は全員が帰ろうとするだろう。彼も例外ではない。

 

「うーん……これ以上はアレだし、そろそろ帰ろうかな」

「えっ……」

 

しかし、聖夜にとって予想外だった、悲しげな顔をセレナは浮かべた。何故だか彼に罪悪感が湧き上がる。

 

ほどなくして、彼は気付いた。

 

(……ああ、ダメだ。妙に庇護欲をそそられる)

 

マズイな、と彼は心で溜め息。聖夜はこういうのには相当弱いし、それは自覚もしている。

 

……もちろん、セレナは自覚無しだ。つい出てしまった本音の表情である。

 

「もう少し居たら? 暗くなってからの方が、他の生徒にだってバレにくいだろうし……」

「いや、そうは言ってもな……」

 

必死なセレナ、弱る聖夜。この時点でもう、聖夜が帰れるわけ無いのだが。

 

 

――そんな彼に追い打ちをかけるように、来客を告げるベルが鳴った。

 

「……誰?」

 

相手を確認すべく、セレナは玄関へ。

 

だが、聖夜は気配で分かっていた。……否、分かってしまった。

 

(女子が二人、しかもこの気配は……うわあ)

 

この時点で物凄く帰りたくなった聖夜を、誰も責めることは出来まい。

 

 

――果たして、セレナが連れて来たのは。

 

 

「……どういうことか説明してね、聖夜?」

「……そうね」

 

 

茜と時雨……見事に彼の予想通りの二人であった。

 

 




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第十二話〜二つ名命名式〜






 

 

茜と時雨――二人の来訪者によって、セレナの部屋は軽い修羅場と化していた。

 

茜が素敵な笑顔のまま、しかし低い声で言う。

 

「……で、これはどういうこと?」

「……これ、とは?」

「どういうこと?」

 

(怖っ……)

 

聖夜は試しにとぼけてみたが、茜にはまるで通じない。彼女は同じような笑みを顔に貼り付けたままだ。

 

やっべー、と聖夜は内心で焦る。こうなってしまった以上、茜はそう簡単には機嫌を直してくれない。

 

(心配だからこそ、ってことは分かってるんだけどな……毎度のことながら恐ろしい)

 

なんともまあ、過保護な友人が多いことだ。聖夜とて、知り合ってからそんなに経っていない異性と、いくらなんでも思い切った行動などしない。……部屋に入るのはどうなのだ、と言われれば、確かにこれも大胆な行動ではあるのだが。

 

(とりあえず、この状況をどうするかだな……)

 

言い訳は通用するはずが無い。また、セレナや時雨に助けを求めるのも、状況を悪化させるだけである。

 

では、真実を述べたらどうか。

 

(……まず間違い無く、変な勘繰りされて終わりだな)

 

何せ、セレナが一緒に特訓する、ということにだってあれだけ警戒心を見せていたのだ。険悪、というほどでは無いだろうが、この二人の仲はそれほど良くないのだろう。よって大惨事間違い無しである。

 

ならば、聖夜がとれる行動はかなり限られてくる。

 

(しっかし……これだと、茜の性格につけ込むような形になっちゃうんだよな。良心が痛む……)

 

とはいえ、だ。そもそも聖夜は何もやましいことなどしていないのだから、こんな風にする必要は無いのである。これもまた茜の性格のせいではあるのだ。

 

しばしの葛藤の末、聖夜は自身が纏う雰囲気を変えた。先程の焦りはどこへやら、冷たい雰囲気に変わる。

 

茜もその変化に気付いたらしい。訝しげな視線を彼に向ける。

 

「……ねえ、黙ってないで答えてよ。どういうことなの?」

 

「……別に、茜には関係無いだろ?」

 

「えっ……?」

 

突き放すような聖夜の口調に、今度は茜が戸惑いの表情を見せた。これには傍の時雨とセレナも少し驚いた様子だ。

 

だが、それも仕方が無い。聖夜自身、普段はこんな態度など取らないのだ。余程の事が無ければ。

 

そして今回は、その『余程の事』に入るというだけである。聖夜がそう判断するほど、茜はこういうことに関しては敏感なのだ。

 

「俺が誰と遊びに行こうと自由じゃないか。……俺のことが全く信用出来ない、ってことなら仕方無いけど」

 

「べ、別にそんな風に思ったりなんて……」

 

彼女がそんなことを思っていないということは聖夜だって百も承知だ。

 

茜は嫉妬しやすい。そして、聖夜のことを家族同然とまで思っている。……その結果として、彼女は聖夜が誰かに取られてしまうことを恐れている。それがこういう状況を生むことに繋がるわけだ。

 

(……ごめんな、茜)

 

ともあれ、聖夜の良心は痛みっぱなしである。早く茜が折れてくれなければ大変だ。なにせ、聖夜の演技はそう長く続けられなさそうなのだから。

 

それをなんとか隠しながら、聖夜は渾身の演技を続ける。こういう時に見られる彼の凄いところは、限界を迎えるまではそのポーカーフェイスが崩れないことだ。良心の呵責などという――今回のような――ファクターが無ければ、聖夜の演技力は恐るべきものとなる。

 

……もっとも、彼は情に流されやすいので、その演技力が完全に発揮されることはあまり多くないのだが。

 

 

何はともあれ、ある意味では聖夜に依存している茜にとって、聖夜の突き放す態度はこたえたようだ。

 

「ご、ごめんなさい……迷惑だった、よね」

 

しかし、茜の落ち込みようは聖夜の想定外だった。思わず素に戻りそうになったが、そこは強く意識して抑える。

 

「迷惑っつーか……まあ、プライベートなことはあまり詮索しないで欲しいって感じだな」

 

しかし、口調が若干柔らかくなるのは避けられなかった。聖夜も身内には結構甘いのである。

 

それを悟られないよう、彼はわざと溜め息を吐いた。

 

「……ま、この話は終わりにするか。掘り下げても良いこと無いし」

「……あなたの為にも、ね」

 

時雨のツッコミが小声で入ったが、聖夜は気にしないことにした。下手に反応すれば、それこそ良いことが無い。

 

……というより。

 

「そういや、何で二人はここに? お前らがセレナを訪ねるってのはちょっと考えられないんだけど……」

 

聖夜が今更のように言うと、茜より先に時雨が答えた。

 

「私は生徒会の副会長として、少し聖夜と話し合いたいことを思い出して……聖夜と仲良くしてる人が居るなら、その人にも聞いてもらいたかった話なんだけど」

 

彼女は一旦言葉を切り、付け加えた。

 

「……まあ、それが『雷華の魔女』だっていうのは色々と複雑なんだけどね、私的には」

「……余計なことは付け加えなくても良いわ」

 

それにセレナが素っ気無く反応する。だが、そこに険悪な雰囲気は無い。

 

(あ、この二人は仲が悪いってわけじゃないのか)

 

友人というわけでは無いようだが、別段仲が悪そうにも見えない。聖夜が思い違いをしていただけのようだ。

 

時雨が続ける。

 

「それでこの部屋に向かっていたら、途中で『麗水の狩人』と鉢合わせたのよ。……で、行く場所が同じだったから、ここまで一緒に来たってわけ」

「なるほど……その話し合いたいことってのは後にして、茜の方はどうしてここに?」

 

聖夜が茜の方に向き直り、一転明るい口調で問いかけた。さっきのは気にしなくて良い、という思いを込めて。

 

それが伝わったのか、茜もいつもの口調で(まだ若干引きずってはいたが)答える。

 

「部屋でゆっくりしてたら、『影刻の魔女』の驚きの叫び声みたいなのが聞こえて……でもその音量が不自然に小さかったから、怪しいなって思って気配を探ってみたの」

「いや、ちょっと待て。あれが聞こえたのか?」

 

少し驚いたらしい聖夜が遮った。時雨もまた、同じように驚いている。

 

だが、茜はあっけらかんと、

 

「そりゃ聞こえるよ。私だって、これでも『冒頭の十二人』なんだから」

 

当たり前のように言ってのける茜だが、実際には彼女がハンターだからであろう。聖夜の振動系魔法は完璧に近く時雨の声を相殺していたのだから、あれは当事者以外に聞き取れるものでは無かったはずなのだ。事実、同じく『冒頭の十二人』の一人である時雨は「ありえない」と首を振っていた。

 

だが、茜の実力をよく知っている聖夜にとっては、一概に不可能とは言い切れないのであり。

 

「……まあ、そういうことにしておくか。それじゃ、続きをどうぞ」

 

とりあえず続きを促すのだった。

 

「えっと、それで私は気配を探ったんだけど……そうしたら、外に聖夜らしき気配がしてね? 慌てて窓から覗こうとしたら、今度はその気配がこの女子寮に入ったみたいだったから……」

 

この時点でセレナと時雨はおろか、聖夜すらも軽く驚いている。流石はハンター、そして聖夜と長く過ごしてきた者と言うべきか。……後者が要因ならば、時雨にも案外出来てしまいそうではあるが。

 

「それで、今度はどの部屋なのかを探って……この部屋だった、って分かった時はもうびっくりしちゃって」

「そりゃまあ、確かにな……」

 

彼自身、セレナに誘われた時には酷く驚いたのだ。セレナの性格を知っていれば尚の事、驚くに違いない。

 

「私はこんな感じなんだけど……」

 

ともかく、彼女達の話は一旦終わった。……であれば、次に聞かれるのは当然、有耶無耶になっていた聖夜達のことであり。

 

「……で、聖夜こそ何故ここに? さっきは上手くはぐらかされちゃったけど」

 

時雨が二人に……というより、聖夜に向けて問う。ただ、その言葉に棘はあまり無く、あくまで冷静だ。これが茜であれば、もう少し面倒なことになっていたかな……と聖夜は若干安堵した。

 

とはいえ、馬鹿正直に答えることは出来ない。あのやり取りを話すのは、何より互いに恥ずかしいのである。

 

「……まあ、色々とな。俺がもう少しセレナと話していたかっただけだ」

「ふーん……」

 

嘘では無い。しかしまた真実でも無い。それは時雨にも分かっているようで、彼女は聖夜に訝しげな視線を向けていたが。

 

「……ま、いいや。それより聖夜、あなた何気に恥ずかしいこと言ったわよね」

「……今気付いた」

 

セレナが赤面している。かくいう聖夜も少し焦った表情だった。自分の発言が、解釈のしようによっては意味合いが変わることに気付いたのである。

 

「……えっと、そんで、時雨が話し合いたいことって何なんだ?」

 

聖夜のそれは露骨な話の逸らし方ではあったが、時雨はそれを察して、そして乗った。

 

「ほら、聖夜も序列入りしたじゃない? だから、そろそろ二つ名が要るんじゃないかなって」

「二つ名っつーと……時雨の『影刻の魔女(シャドウプリンセス)』とかのことか?」

「そうそう」

 

ふむ、と聖夜は思案。序列入りした生徒、もしくは将来有望な生徒には二つ名が付けられる、というのはアスタリスクの常識だ。この場に居る女子三人にもそれぞれ二つ名が付けられている。

 

「……あれ? でもそれって、ネットとかで勝手に広まったりするやつじゃないのか?」

「……まあ、そういうのもあるけどね」

 

時雨が空間ウインドウを開きながら言った。

 

「でも、別に本人や関係者が付けても良いのよ。幸い私は副会長だから、その二つ名を広めることも楽だし」

「なるほど……」

 

実力を認められるということなのだから、二つ名を付けられるのは悪くない。しかし、やはり不本意なものは付けられたくないものであり。

 

「そうだな……確かに、友人に考えてもらうっていうのは良いな。嫌なら嫌とも言いやすい」

「そういうこと。……この場に居る四人なら問題無いでしょ?」

「ああ、何の問題も無いな。寧ろ適任だ」

 

二人の会話を聞いていた茜とセレナもやる気を見せる。それを見た時雨は一つ頷くと、微笑みを浮かべて言った。

 

「……それじゃあ、始めましょうか」

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「そういや、何かルールっつーか……暗黙の了解、的なのはあるのか?」

 

開口一番、聖夜がそう問うた。時雨は少し考えて、

 

「そうね……まあ、『魔術師(ダンテ)』や『魔女(ストレガ)』には、その名の通り魔術師や魔女という言葉が入ることが多いわ。あとは、『騎士』なんかの西洋の言葉はガラードワースの生徒に多く使われるかな」

「ふむ、了解」

 

聞いた感じ、そこまで意識することは無さそうだ。そして聖夜以外はそれを知っている様子。

 

「しっかし、どう決めようか……やり方が分からないんだけど」

 

聖夜が零す。すると、時雨が自分の空間ウインドウを聖夜の目の前に移動させて言った。

 

「連想ゲーム。何でもいいから、思いついた語をどんどん表すの。そこから広げていけば良いのよ」

「連想ゲーム、か……作詞する時みたいな感じかな」

 

どうやら、聖夜なりに掴むものがあったらしい。彼も空間ウインドウを開き、そこに文字を打ち込み始める。

 

「そうすると、俺を連想させるような言葉は……」

 

……が、しかし、その手はすぐに止まった。

 

「……なあ、これって自分で決めるものじゃ無いだろ」

「あ、やっと気付いた」

 

聖夜が見れば、時雨が悪戯っぽい笑みを浮かべていた。セレナ達もまた、やれやれと首を降っている。

 

「そっちの二人まで……気付いてたなら言ってくれよー」

「いや、だって……ねえ?」

 

茜が苦笑しながら言う。その言わんとすることを察し、聖夜は溜め息を一つ吐いた。

 

「全く……からかわれたわけだな。まあいいけどさ」

 

仕切り直しである。

 

「まあ、これは私達三人で考えるわ。聖夜にはその審判をしてもらいたいんだけど」

「はいよ。変なのが付けられないことを祈っとくわ」

 

時雨が頷いた。

 

 

「それじゃ、何か候補はある?」

 

まず初めに、茜が控えめに手を上げる。

 

「私は、『龍』とかをイメージできるものを入れた方が良いと思う」

 

そして、ちらっと聖夜を見た。彼は微笑みながら頷き返す。

 

「『龍』か……確かに、そうかもな」

 

茜ならではの観点だ。聖夜は他のハンターと比べて古龍との戦闘経験が多く、聖夜本人としてもしっくりくるものだ。

 

すると、時雨も口を開いた。

 

「それなら、『月』って言葉も良いと思うわ。それか『夜』とか」

 

これにもまた、聖夜は同意を示した。『月』などの言葉には縁があるというのは、彼自身もついこの前考えたことだ。……とはいえ、決して良い縁ばかりではないが。

 

そんなマイナスの考えを払拭するかのように聖夜は軽く頭を振ると、考え込んでいるセレナに声をかけた。

 

「……セレナは何か思い付いたか?」

「えっ? あ、えーと……」

 

しかし、まだアイデアが纏まりきっていなかったセレナは、彼の問いかけに曖昧な返事を返すことになってしまった。何か言わなくては、と慌てた頭で判断した結果。

 

「『幻想』っていうのはどうかな……」

 

彼女は一番初めに思い付いたその言葉を呟いた。何故『幻想』なのかといえば、彼女はこの前の夜の出来事を思い出したからだ。聖夜が醸し出していた、あの幻想的な雰囲気を。

 

だが、それを聞いた三人は、揃ってぽかんとしていた。特に、聖夜にはそれが顕著だ。

 

その反応に、セレナは気まずそうに顔を背けた。

 

「……ごめん、忘れて」

「えっ? ああいや、そういう意味での反応じゃなくてだな」

 

セレナが勘違いしていることに気付き、聖夜がすぐに取り繕った。

 

「俺はただびっくりしたんだよ。まさか、セレナからそのアイデアが出るとは思わなかったもんで」

「その、って……何か心当たりでもあるの?」

 

鋭いな、と聖夜は感心しながら。

 

「それなりに、な。……まあでも、それを導き出した過程は全く違うと思うけど」

 

彼の言葉に、セレナもそうだろうなと思う。彼にどういう心当たりがあるのかは分からないが、少なくともセレナが思ったようなことでは無いだろう。

 

と、聖夜が腕を組みながら考える動作をした。

 

「一巡したけど……今のところ、どれも魅力的だな」

「ありがと。……それで、聖夜自身が欲しいのは?」

 

嬉しそうな顔をしながら時雨が問い返した。すると、聖夜は苦笑しながら、

 

「いやー……何も無い、ってわけじゃないんだけど」

「だけど?」

「……『魔術師(ダンテ)』に対抗して、『魔導師(マギカ)』とか。そんな魔法を連想させる言葉も良いよな」

 

空中に指で文字を書きながら、彼は言った。時雨も納得顔で、

 

「『魔法』……確かに、イメージにぴったりね」

 

セレナも頷く。だが、茜は首を傾げた。

 

「『魔法』……?」

 

ああ、と聖夜が補足するように口を開いた。

 

「『幻想の魔核(ファントム=レイ)』のおかげで『魔術師(ダンテ)』のような力が使えるようになったからな。それのイメージなんだ」

「あっ、こないだの特訓のやつ? あの、氷とか炎とか……」

「そういうこと。魔法っぽいかな、って思ってさ」

 

すると、彼はおもむろに『幻想の魔核』を起動させた。

 

「……ま、本物の魔法も使えるんだけど」

 

彼は自分の右手を、目の前に置いてあるカップに向けて突き出す。するとその下に魔法陣が現れ、カップが浮かび上がった。

 

茜が驚いて叫ぶ。

 

「何これ、物体操作!?」

「似たようなものだな。まあでも、俺が使う『魔法』はそこまで便利なものじゃなくて……」

 

呟きながら彼が右手をスライドさせていくと、カップもそれに沿って空中を移動し始めた。そしてそのまま、彼はカップをシンクの上まで移動させる。

 

底面すれすれにまでカップを降ろしてから、彼は魔法を解除した。カタン、という微かな音と共にカップが着地する。

 

「……こんな感じの移動にすら、四工程の魔法を必要とするんだけどな。セレナ、ごちそうさまでした」

「えっと、どういたしまして。それで、四工程って……?」

 

今度はセレナが反応した。

 

「セレナは『魔女』だからなんとなく分かるんじゃないかな……つまり、今やったような物体移動は、そういう能力者ならほとんど意識しなくても出来る事だ。少なくとも、その過程を意識したりはしないだろう」

「ええ、そうね」

 

茜も頷く。聖夜は続けて、

 

「けど、俺が『幻想の魔核』によって使える魔法は、そんな片手間に出来るようなものじゃない。例えば、今のような物体移動なら、四つの魔法が必要になる。初めに『上昇』、続いて『加速』、『減速』、そして『停止』の魔法」

 

言い切ると、彼は浅く溜め息を吐いた。

 

「……簡単に見える物体の移動すら、四つの過程(プロセス)が必要になり、結果大して効率は良くない。これが、能力者でない俺が使える『魔法』だ」

 

やれやれとでも言いたげな表情で、彼は自分の右手を見る。

 

「『幻想の魔核』によって、俺は『魔術師』のような力が使える……けど、その過程が多いから、能力の発動速度は本物の『魔術師』と比べて劣るんだよな。……でもまあ、そんなデメリットも含めて、俺は『魔法』をイメージ出来る言葉が欲しいんだけど」

 

彼は締め括った。わざわざ実演し、その不自由さをも説明してまで、自分がこの言葉を欲しがる理由を。

 

だが、そこにセレナが、聖夜の想定外だった質問を入れた。

 

「アンタの気持ちは分かったけど……一つ、聞かせて。今、アンタが言ってた四工程必要な『魔法』は、物体を移動させる時のものなのよね?」

「ああ、そうだけど……」

 

言っている意味がいまいち飲み込めず、聖夜は曖昧な返事をする。

 

「えっと……つまり、そのうちの一つか二つの工程を無くせれば、発動速度は上がるの?」

 

ここでようやく、彼は質問の意図を汲んだ。

 

「まあ、そうだな。でもそれじゃあ意味が無いんだ。さっきの例で言えば、『停止』の魔法を省くことは出来るけど、そうすればカップは割れてしまう」

「それは分かるわ。じゃなくて、私が言いたいのはね……」

 

セレナは一つの間を置き、考えを軽く纏めてから言った。

 

「……戦闘用に、例えば相手を吹き飛ばすとかであれば、一工程の魔法で足りるんでしょ?」

 

「……なるほど、それを聞きたかったのか」

 

聖夜が納得顔で呟く。彼は改めてセレナに向き直ると、

 

「その通りだよ。戦闘に使うのなら、単一工程の魔法でも事足りてしまうことが多いからな」

 

しかし、と彼は続けて、

 

「例えば人体のように、ある程度の質量体に干渉するとなると……俺の星辰力の量から、あまり多用は出来ない」

 

あっ、とセレナが気付いたように言った。

 

「結局のところ、そんなに自由には使えない……」

「ま、そういうことだ」

 

これで終わりだとでも言うように、聖夜は言葉を切る。今、彼は苦笑していた。

 

「とんでもない方向に話がずれたけど……とりあえずまあ、俺は『魔法』をイメージする語が欲しいってことだ。さて時雨、一旦纏めるか」

「無理矢理話題を切ったわね……」

 

時雨も苦笑。その理由は、聖夜にも分かる。

 

(ついつい話し過ぎたな……そこまで追求されなかったから良いものの、流石に『魔法』については話さないほうが良かった)

 

別に、セレナがこの話を広めるとは思っていない。ただ、異世界の技術を、その世界の人間が使えるようになったらどうなるのか。この世界の(ことわり)を、少しでも崩してしまうことにはならないか。それが聖夜の心配していることなのだ。

 

聖夜と時雨は良い。茜も問題無い。異世界人というそれそのものが、この世界の理に背いているのだから。それでもこの世界に居られるのだから、聖夜達がその理に縛られることは無いと思っていい。

 

しかし、この世界の人間であるセレナが、この世界にあるはずない技術を持ってしまったら。世界の理を無視するということには、想像以上に大きなリスクがあるのだ。

 

聖夜と時雨は、幻想郷で紫からそれを教わった。その世界に無い技術を使うことは、時に、その世界の理に染まった心身を深く傷付けることになる。境界を操ることのできる彼女の言葉は、強い実感を伴って彼らに伝わったのだ。

 

元より、過去に異世界へと迷い込んだ経験のある聖夜には、それが感覚的に分かっていた。別世界の技術は不用意に持ち込むべきでは無いと。

 

もちろん、この世界で聖夜達が別世界の技術を使えば、ここの科学者達がそれを解明しようとするだろう。だが、例えそれが出来たとしても、それらの技術をそっくりそのまま使うことは絶対に出来ない。あくまで()()の域に留まる。空想上のものであるはずの『現代魔法』を、聖夜が幻想郷の魔法を応用して再現したように。

 

しかし、それはあくまで『解明』――言い換えれば『解釈』という過程が入るからである。そしてそれらがされるのは、自分達の知識に無い要素を理解するためだ。そのためにこの世界の技術を使い、そして再現するのであれば、それは理に反さない。

 

つまり、この世界の人間が異世界人から直接それらのことを聞き(もしくは教わり)、使えるようになったとすれば……それは再現ではなく完全なものであり、それを使う者はこの世界の異端となってしまう。純粋なこの世界の人間がその時にどうなるのか、それが全く予想出来ないからこそ、迂闊に口を滑らせてはいけないのだ。

 

(……まあ、今のところはセーフかな。そもそも俺がちゃんと意識しとけば大丈夫なわけだし)

 

彼が思うように、聖夜達がしっかりと注意を払っておけば問題にはならない。

 

 

「……黙っちゃって、どうしたのアンタ?」

「ん? ああ、ちょっと考え事を」

 

セレナが訝しげに声を掛けたことにより、聖夜の思考は止められた。なんでもないと手を振り、彼は会話に戻った。

 

「それじゃ、決めていきたいんだけど……この四つを一つに纏めるの、結構キツくね?」

「ホントそれよ……下手したら二つか三つくらいになるかもね」

「それって良いのか?」

 

二つ名が複数あっても大丈夫なのか、と思い彼が聞くと、時雨はさも当たり前のように言う。

 

「別に大丈夫よ。呼ばれる側は大変でしょうけど」

「いやまあ、それは平気だけどさ。……ともかく、問題無いなら良いんだ」

 

少し驚いただけである。とはいえ考えてみれば、彼にも時雨にも、幻想郷では複数の異名があった。

 

「それじゃ、二つくらいにするか?」

「そうね……上手いこと纏められれば良いけど」

 

とはいえ、いざ決めるとなれば厄介極まりない。一つであればどれかを使わないという判断も出来るが、複数作れるならば出た案全てを使うことも可能であり、その分だけ組み合わせも増えるからだ。

 

 

……とはいえ、やはりこういうものは楽しいものなのである。

 

「……ま、とりあえずやってみますかね」

 

そう言った聖夜の口にも、残る女子三人の口元にも、同じような微笑が浮かんでいた。



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第十三話〜技術と魔法〜






「うっわ……あと一時間くらいで門限じゃん」

 

予想以上に議論が白熱し、聖夜が帰る頃には月が高く昇っていた。

 

(……いや、違うな。最後の一時間はセレナと話してただけだし)

 

これがまた、聖夜にとっては予想以上に安らぐものだったのだ。彼は不思議と、あの黄金髪の少女に心惹かれていた。

 

とはいえ、恋愛的な意味では無い。幻想郷で暮らしたことにより多少は恋愛事も分かるようになったが、自分がするのは別問題だ。

 

(何か放っておけない感じというか……普段はクールでちょっと無愛想だけど、どこか守ってあげたくなる)

 

この感覚を、彼は上手く言葉で表現出来ない。きっと、彼の心に響く『何か』があるのだろう。

 

(守ってあげたい、ね……)

 

自問。出会ってからそう経っていない少女に対して、彼は何故ここまで親近感を持っているのか。

 

(……ま、自分の感情すら理解出来ていない()()には、到底分かるはずもないな)

 

だがその自問はすぐに終わった。自身が抱えている一部の感受性の欠落を、彼は自覚しているからだ。

 

 

思春期真っ只中に身内を亡くした彼の精神は、襲い来る孤独から身を守るために急速に成長した。中学生にして、「まるで大人だ」と周りに言わしめるほどに。

 

しかしそのために、彼は身内の愛情を充分に受けきらないうちに「大人」になってしまった。また、独り立ちするのに必死で、恋愛などをする暇も無かった。自分の事は全て自分で決めなくてはならず、青春を楽しむ余裕など無かったのだ。また、無意識に人を疑うような見方をするようにもなってしまい、他人の悪感情には人一倍鋭くなった。

 

とはいえ、表向きは『普通に見えるように』生きてきた。他人の正の感情が分からないのは自分の性格のせいにして、嫌でも分かってしまう他人の負の感情は見ない振りをして、そうやって生きてきた。他人から向けられる好意などは、自分が知らないものなので分からない。彼は『鈍感』なのではなく、『無知』なのだ。

 

 

だから、セレナに惹かれている要因の『何か』は、聖夜には全くもって分からないのである。それが分かるようになるには、もっと時間が必要だ。

 

 

 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

そんなことを考えながらも、彼は何事もなく寮に……。

 

(……何か居るな)

 

は、戻れなかった。帰り道の途中、街路樹が茂り、多くの植え込みが道の両脇に生えているところで、彼は前後左右に何者かの気配を感じ取った。

 

もちろん、何者かが居ることには既に気付いていた。だが、彼がようやく注意を払ったのは、その気配達が剣呑な雰囲気を纏ったからだった。その気配の隠し方はそれなりに上手いものだが、聖夜の感覚は誤魔化せない。

 

だが、彼は素知らぬ振りをして、わざと囲まれる位置まで歩いていった。そして、独り言のように呟く。

 

「……で、隠れているつもりか? そこの五人」

 

声量こそ大きくなかったが、明確な敵意を持ったその声はよく響いた。今にも襲い掛かろうとしていた五人の襲撃者はハッとして思い留まる。

 

それを察したか、聖夜が口元を微かに歪めて嗤った。

 

「おいおい、たかが一人に随分と意気地無しなんだな」

 

そう不遜に言い放った聖夜は武器も出さず、如何にも無防備に見える。だが、襲撃者達はそれに油断はしなかった。各々が警戒しながら、聖夜を囲むように姿を現す。

 

(ふむ。挑発にも乗らないし、無駄な隙も見せない……まあ、そこそこってとこか)

 

一目見て、聖夜はそう判断した。弱くはないが、ただそれだけのことだと。

 

そしてその瞬間、聖夜の興味は削がれた。

 

(正体は知りたいが……まあ、無理に戦う必要も無いし。乗ってこなきゃそれで良いか)

 

彼はつまらなさそうに視線を外す。しかしその行為は、結果的に襲撃者達の警戒心をさらに煽った。彼らが更に包囲を固める。

 

(乗ってきたか……それじゃ、遠慮無く)

 

再び口元を歪め、彼は素早く腰のホルダーから『幻想の魔核(ファントム=レイ)』を取り出し、起動させた。

 

そしてその瞬間、襲撃者の一人が左側面から彼に襲い掛かった。聖夜はそれと同時に、残りの四人が援護に回ったのを確認。

 

――より詳しく言えば、彼は前側に居る二人が拳銃型の煌式武装(ルークス)を構えたのを目視し、そして後側の二人がクロスボウ型の煌式武装を起動した動きを、目を向けること無く()()で感じ取った。

 

 

一人が切り込み、相手の避ける先を四方からの射撃で封じる。悪くない連携だが、聖夜はそれとはまた別の事を考えていた。

 

(あんまり時間かけ過ぎたり、派手な事するとバレるかもしれないな……秘密裏に処理したいし、結界張るのも面倒だから素早く終わらせるか)

 

ちなみに、彼がここまで思考するのにかかった時間は僅か〇.三秒程。月影家の人間が代々得意としてきた技術『高速思考(スピードオペレイト)』を用いれば、聖夜は通常の倍近くの速さで脳内での演算処理を完成させることが出来る。何も知らない人からすれば、『高速思考』によって行われた演算は、彼の単なる直感によるものとしか思えないだろう。

 

余談だが、同じように風鳴家に伝わってきた技術も存在する。現状、時雨にしか適性が無いその技術は『多重思考(マルチオペレイト)』と呼ばれており、これは通常の思考速度のままでありながら二つ三つの演算を同時に処理出来るものだ。

 

 

さて、と聖夜が切り込んでくる一人に意識を向け直した時、その耳に小さなインカムが嵌めてあるのに気付いた。これはつまり、仲間内で連携しているか、もしくはどこかから指示を受けているということである。そして今回の場合は、襲撃者達が声を発していない以上、後者の可能性が極めて高い。

 

(おっと、それは良くないな)

 

攻撃の前に、まず彼は雷属性を使って一定範囲に電磁バリアを張った。無駄な手間を一切排除した、質量体を止めたりするものではなく、あくまで相手の電波を妨害するだけのものである。この状態で更に魔法を使えば、恐らく電波の傍受も可能だが、相手にそれを悟られるリスクを冒してまでやることでは無いと彼は判断した。

 

果たして、襲撃者達が訝しげな表情を見せた。とはいえ、耳から入ってくる音が突如ノイズだらけになったのだから、この反応は当然のものである。

 

だが、それが彼らにとっては致命的な隙に、聖夜にとっては絶好のチャンスとなった。

 

 

切り込んできた一人に対して彼も踏み出し、避けざまに()()()()。予想外のことが立て続けに起こったために対応しきれず、その男は聖夜に背中を押され仲間の一人に突っ込んでいった。

 

そして、残る三人も状況を把握しきれていない。その一人に、聖夜が音もなく距離を詰めた。

 

その勢いのまま、彼は鳩尾に掌打を放つ。間に合わなかった不完全な星辰力の防御を容易く貫かれ、男が膝から崩れ落ちた。

 

次、と彼が振り向くと、今度は二人が接近してきていた。今の攻防を見て、遠距離でも決して安全ではないと判断したためだ。確かに、得物を持っているならば、素手の人間相手には近距離で有利だと考えてもおかしくない。

 

しかし、聖夜は冷静に分析した。

 

(普通にやれば星辰力での防御が間に合っちゃうだろうし、意表を突くのも手間がかかりそうだな。かといって本気でやっちゃうと星辰力に関係なく殺しかねないし、星辰力をある程度貫けて、かつ確実に一撃で無力化する方法は……)

 

内心で笑う。技術と魔法でもって、防御など無視出来る攻撃をすれば良い。

 

切りかかってきた二つの刃にはそれぞれ身を躱し、そのまま大した勢いも付けずに、彼は片方の男に向けて右手を差し出す。

 

その男はそれに気付くと、すぐさま星辰力を集めて防御しようとした。もし聖夜の攻撃が打撃であったなら、勢いが無いのも相まって、それで問題無く防げたはずだ。

 

 

……しかし、現実はそうならなかった。

 

「……?」

 

聖夜は攻撃するのではなく、相手の体に軽く触れただけだったのだ。何事かと男の反応が遅れたのも、決して無理はない。

 

そして、それが命取りだった。

 

「ほいっ、と」

 

聖夜が男を軽く押す……と同時に慣性加速魔法を発動。押された分の小さな慣性を極大化され、男が強く吹き飛ばされる。そのまま近くの街路樹にぶつかり、男は呆気なく意識を手放した。

 

これで二人目。もう一人の男が切り返してきた鋭い一撃を、彼は今度こそ左腕で受け止める。両手持ちの剣であるが故に無防備になった男の側頭部に、聖夜はさして威力も無い平手打ちを放った。

 

ポン、という音とともに、男が横に倒れる。たかが平手打ち、しかも星辰力の防御が間に合っていたはずの男は、しかし既に意識を無くしていた。

 

聖夜がやったことはそこまで不思議なことではない。掌を窪ませて空気を溜め、その状態の平手打ちを相手の耳に当てることで、相手の鼓膜を破って無力化したのだ。

 

 

三人目を倒したところで、もつれ合っていた残りの二人がようやく復帰した。だが突撃はしない。それどころか、三人を容易く無力化した相手には敵わないと判断し、男達は逃げを図った。

 

 

 

しかし、それはただの愚行でしか無かった。

 

 

聖夜がその頭上を跳び越え、先回りする。逃げ切れないと悟ったのか、男の一人が切りかかってきたが、そんなヤケクソの攻撃に当たってやるほど聖夜は優しくない。

 

避けると同時に、彼は二人の頭に手を当てる。

 

 

……そして次の瞬間、彼らは崩れ落ちていた。

 

 

「ふう、これで全部か?」

 

 

手を払った聖夜は、念の為に周囲を確認。やはり、これで終わりのようだ。

 

聖夜が屈み、足元に倒れている一人の首元に指を当てる。加減を間違えていなかったかの確認だったが、そこは弱々しいながらもしっかりと脈打っていた。

 

(加減が必要な魔法の連続使用はそんなに練習してなかったから、ちょっと心配だったけど……ともかく、殺してないなら問題無い)

 

聖夜は最後の二人を倒すために、相手の脳を振動系魔法で揺さぶり脳震盪を引き起こしたのだ。

 

魔法の同時使用は失敗のリスクが高いために使えず、よって彼は魔法の連続使用(右手ののち左手)を選択したのだが、脳処理を素早く切り替えられなければならないためにそれはそれで難しい技術なのだ。後の魔法を発動する際の切り替えが綺麗に出来ず加減を少し間違えただけで、無力化出来ないかあるいは殺してしまうからである。

 

そして、それをほぼぶっつけ本番で成功させたことは、聖夜にとって多少の自信になった。

 

 

(さて、こいつらをどうしようか。ここで尋問して終わらせても良いんだが、でもこいつらは黒幕から隔離しておいた方が良いと思うんだよな……)

 

 

悩んだ挙句、彼は通信端末を取り出した。

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「……これはまた、随分と」

「うわー、全員意識飛んでる……」

 

聖夜に呼び出され、クローディアと時雨が急いでやって来ると、そこには五人の男が倒れていた。そして、その真ん中辺りに居るのが、呼び出した当人である。

 

「いや、悪いな。こんな遅くに呼び出したりして」

「いえ、それは別に構わないのですが……」

 

クローディアが転がる男達をチラと見て、苦笑しながら言った。

 

「これは、一体どういうことなんですか?」

「ああ、えっと……」

 

聖夜が詳しく説明する。襲われた事、ほとんど時間をかけずに倒した事。

 

「……分かりました。それで、どうしますか?」

「どうするか、とは?」

「こいつらの処置よ。私達としては懲罰室にぶち込んでおきたいけど……まあ、聖夜が決めてくれて構わないわ」

 

いや、と彼は首を振った。

 

「是非そうしてくれ。尋問もそこでした方が良いだろうし」

「尋問?」

 

時雨とクローディアの疑問に、聖夜は倒れている一人の耳からインカムを外した。

 

「こんなものを着けている時点で、誰かからの指示があったことはほぼ確定だからな。途中で電波遮断してやったから、詳しいことは何も漏れてないとは思うけど」

 

そう言うと、彼はそのインカムを自分の耳に当てた。だが、そこからは何の音も聞こえてこない。

 

「……ふむ、まあ及第点かな。もうひと工夫あればなお良かったけど、それは仕方ないか」

 

聖夜が呟いたのは黒幕に対してだ。無論、そいつに聞こえているはずも無いが。もし聞こえてたとすれば、聖夜の上から目線に大層腹を立てているだろう。

 

そのインカムをポケットに仕舞うと、彼は彼女達に振り向いて言った。

 

「それじゃ、速やかに運んでしまおう。時雨、能力でこいつらを縛ってくれるか?」

「了解。手首だけで良いの?」

「ああ。……クローディアには校舎に入るための手続きなんかをしてもらいたいんだけど、良いかな?」

「ええ、構いませんよ」

「ありがとう。それじゃ、俺は周りの掃除をしないと」

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

三人は自分の仕事を迅速に終わらせた。時雨が男達を影の鎖で縛って一箇所に集め、クローディアが複数の空間ウインドウを慣れた手つきで操作し、聖夜が能力と魔法を駆使して戦闘の跡を消す。

 

ちなみに、こういう使い方をされても、『幻想の魔核』は特に不満を示さなかった。

 

「それで、こいつらはどうやって運ぶの?」

「このまま引き摺って……いきたいけど、それだと跡が残るから面倒だな」

 

少し考える素振りを見せた後、彼は男達の方へ右手を差し出した。瞬間、彼らの身体が、()()()()()()()()()かのようにほんの少しだけ浮かび上がる。

 

「……これは?」

「こいつらの下に対物障壁を作り出して、それを電磁浮遊させてるんだ。こうすれば跡は残らないし、運ぶのも楽になるし」

 

彼は男達を縛っているところから伸びていた鎖を持ち、言った。

 

「それじゃ二人共、先導を頼むよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――無事、男達を懲罰室にぶち込んだ彼らは、帰りがけに昇降口付近で話していた。

 

「いやー、本当にごめんな。こんな遅くに」

「気にしなくて良いってば。学園内での襲撃事件なんて、生徒会として見逃すわけにもいかないんだし」

「ええ。寧ろ、伝えてくれて感謝していますよ」

「そっか。ありがとな」

 

ふわっ、と。そんな擬音が付いてしまうような微笑みを聖夜は浮かべた。元々顔が整っている彼のことだから、余計にその微笑みの効果は抜群だった。普段の彼からはまるで想像もつかない表情に、時雨はもちろんクローディアまでもが思わず視線を逸らしてしまったほどである。

 

「……どうした?」

「えっ? あっ、えっと、別に大したことじゃないのよ。うん」

 

訝しげな聖夜の問いかけに、時雨が慌ててクローディアと顔を見合わせた。

 

「それなら良いんだけどさ」

 

さして気にしてもいない様子の彼は、もういつもの調子に戻っている。いまさっきのあれは、どうやら彼自身も自覚していないものであったらしい。

 

急に態度がおかしくなった(と聖夜は思っている)彼女達の調子が戻るのを待ってから、聖夜が口を開いた。

 

「クローディア。突然で悪いんだけど、トレーニングルームって今から一晩借りられる?」

「今から、ですか? それはちょっと厳しいですね……」

 

クローディアの申し訳無さそうな返答に、聖夜は特に落胆もせず頷いた。駄目元のお願いだったのだから、通らずとも仕方ない。彼女が悪いわけではないのだ。

 

だが、時雨が予想外の助け舟を出した。

 

「大丈夫なんじゃない? 一応は襲撃の被害者なんだし、安全な学校に泊まりたいって言っても別に不思議じゃないよ」

 

一応は、という言葉が非常に気になった聖夜だったが、そこには触れないでおくことにした。

 

「……そうですね、建前としては充分です。そういうことであれば例外として対応出来ますからね」

「建前って……そういうことを生徒会長が堂々と言うのはどうかと思うよ、俺は」

「ふふっ、すみません」

 

三人が笑う。建前であるということをよく理解している上での冗談だ。

 

事実として、聖夜が残りたいと言ったのは身の安全のためでは決して無い。学校に、しかもわざわざトレーニングルームにと言ったのは、先程の戦いの最中にふと思い付いた技術を試したくなったからだ。欲を言えば、この一晩で完成まで持っていきたいと彼は考えている。

 

時雨が空間ウインドウを開き、聖夜に見せた。

 

「はい。どこにする?」

「ここで。……疲れきって寝てるかもしれないから、もしそうだったら起こしに来てくれると助かる」

「分かったわ。……って言っても、あなたが寝オチするとは思えないけどね」

 

 

 

聖夜は二人を見送り、彼自身も校舎の闇へ消えていった。

 




想像以上に主人公のスペックが高くなっとる……。



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第十四話〜守るために〜

魔法科要素いっぱい(錯乱)




綾斗達が、そして聖夜個人も襲撃された日から二日後。

 

生徒会室の扉を開けた聖夜は丁寧に腰を折って、自らの来訪を告げた。

 

「失礼します。……って、時雨だけ?」

「ええ。クローディアは忙しいらしいわ」

 

他のメンバーは、とはどちらも言わなかった。聖夜は先の襲撃事件に関することで来ているのであり、そのことは聖夜、時雨、クローディアの三人しか知らないからだ。聖夜が時雨に連絡を入れた時点で、彼女は巧みに他の生徒会メンバーの席を外させたのだろう。もしくは強制的に帰らせた可能性もある。

 

時雨が立ち上がり、言った。

 

「それで、具体的にはどんな用事なの?」

「面会の要求にね。俺を襲った奴らとの」

 

さらりと言ってのけた聖夜に、時雨は特に驚きもなく彼の発言を繰り返した。

 

「了解。()()()()()()()奴らとの面会、ね」

「何か意図を感じる言い換え方だな……」

 

字面を見ただけでは同じような意味だが、彼女はそのまま繰り返したわけでは無かったようだ。ニュアンスが明らかに変わっている。

 

「だって、ただの面会じゃないんでしょ?」

 

だが、時雨は聖夜の目を、続いて腰のホルダーを見て、意味ありげに笑った。聖夜も溜め息を吐き、彼女の発言を渋々認める。

 

「……まあ、そうだな。正確には『尋問』だ」

「そんなことだろうと思ってたわ。……確認なんだけど、本当に『尋問』の域は超えない?」

 

探るような目を向ける時雨に、聖夜は苦笑して答えた。

 

「いくらなんでも、肉体は傷付けたりしないよ」

「肉体()?」

 

意味ありげに繰り返す時雨に、聖夜は表情を少し硬くして。

 

「……精神干渉は行う。加減は間違えないつもりだけど、想像以上に耐性が無い可能性もあるし、そっちはちょっと保証出来ない」

「なるほどね……」

 

納得顔で彼女が頷く。そこに懸念の感情は無い。

 

聖夜が問うた。

 

「……あいつらも一応ここの生徒なんだけど、精神崩壊のリスク有りでも大丈夫なのか?」

「別にー? 自業自得だし、あんなの心配する価値も無いでしょ」

 

返ってきた答えは辛辣だ。しかし事実としてはその通りなので、聖夜は特に何も言わなかった。

 

 

 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

教室からはかなり離れた場所に、星導館学園の懲罰室は存在する。

 

その名の通り、そこには何かしらの問題行為(大体は暴力事件)を起こした生徒が勾留されている。そして、それ故に、そこら辺りの雰囲気は悪い。普通の生徒ならばまず躊躇ってしまうに違いない。

 

しかし生憎と、聖夜と時雨はその程度の雰囲気に影響を受けるような人間では無かった。

 

 

「ここよ」

 

聖夜が案内されたのは、複数ある懲罰室の一つだった。

 

「サンキュー。……五人纏めて収容してるのか?」

「いいえ、一人ずつ分けてるわ。元々広い部屋でも無いし」

 

そうか、と彼は頷いて扉を開ける。

 

 

その瞬間、中で蹲っていた男が素早く顔を上げ、聖夜を強く睨み付けた。

 

「お前……!」

 

激しい敵意。だが、聖夜はそれをまるで意に介さず、それどころか無防備にその男へ近づいて行く。もっとも、男は拘束されているため、無防備でもなんら問題は無いのだが。

 

 

だが、その後の行動には時雨も驚いた。彼はその男の前に屈み込むと、男の左耳に手を差し出したのだ。

 

その男は、聖夜に鼓膜を破られて無力化された、()()()の制服を着た生徒だった。

 

「治るまで時間かかるよな。すまない、流石にやり過ぎた」

 

聖夜が優しく声を掛ける。突然のことに、その少年からは言葉も出てこない。

 

 

彼は続けた。

 

「でも、どうしてあんな事をしたんだ? 裏事情は深く聞かないから、理由だけでも教えてくれ」

 

その言葉遣いはまるで諭すように。初めは身構えていた少年だったが、予想外の柔らかい態度に思わず口を開いてしまった。

 

……言っておくが、これは聖夜の誘導尋問では無い。彼はそんなことなど微塵も考えておらず、ただ自分より年下の少年が何故襲撃なんて事をしたのか、それを純粋に知りたかっただけなのだ。

 

「俺は、その…………実はお金に困っていて……」

 

零れた本音。だが、それだけの理由で、退学する恐れすらある行為に手を染められるものだろうか。

 

「そうしたら、二つ上の先輩が声を掛けてきて、『上手くいけば報酬を払う』って……」

 

しかし、その口調から、彼が金に相当困っているのだということが伺える。これはアスタリスクに存在するいくつかの闇の一つだ。

 

そして、少年はその依頼主の名前を出すことを躊躇っている。脅しをかけられたか、報復を恐れているのか。もしくは、単に名前を聞かされていないだけなのかもしれないが。

 

聖夜はそれを聞かなかった。少年をこれ以上の危険に晒したくなかったし、何より少年自身が『二つ上の先輩』とあえて言ったことから、少年自身もどうにかして伝えようという意志を持っている、ということをしっかりと感じ取ったからだ。名前は出せなくとも、なるべく情報は伝えたいという意志を。

 

聞いたところ、少年は中等部二年。この時点で、犯人は聖夜の同級生だと判断出来る。あとは、この少年以外の四人から聞き出すなりすれば良い。

 

聖夜は立ち上がり、優しげな口調で。

 

「……そっか。ありがとう、有益な情報だった」

 

えっ、と驚きの目で少年が聖夜を見た。年相応の、あどけない表情だった。

 

「………怒らないんですか?」

 

思わず聖夜は微笑んでしまった。言葉遣いもちゃんとしているし、何より罪の自覚と反省の色がある。この少年は、根は全くもって悪くないのだ。

 

故に、彼は聞き返した。

 

「ふふ、怒ってほしいのか?」

 

相変わらず微笑んだままに問われ、少年は口篭ってしまう。ちょっと意地悪だったかな、と聖夜は表情を苦笑に変えて。

 

「怒らないよ、俺は。確かに最初は思うところもあったけど、君はどうやっても悪人には見えないからな」

 

再び屈み込み、聖夜は視線を合わせる。

 

「それに、君はちゃんと反省している。自分のやった事、これからやるべき事が分かっているのなら、俺が怒る必要は無い」

 

この一言で、少年の表情が変わった。それを確認した聖夜は満足げに頷き、少年の頭をくしゃっと少し乱暴に撫でてから立ち上がる。

 

戻る途中、彼は振り向いて言った。

 

「明日には解放してもらえるようにしとくから、まずは治療院で耳を治してもらうと良い。費用は俺が持とう」

 

あまりにも唐突に告げられ、少年は驚きよりも申し訳無さが勝った。

 

「いくらなんでも、それは……」

 

だが、その言葉は時雨に遮られる。

 

「好意は素直に受け取っておきなさい? ……私も君が悪人には見えないし、釈放の手続きはこっちで進めておくわ」

「助かる、時雨。正直なところ、どうやって口説き落とすかなって思ってたんだけど……」

 

聖夜が感謝を口にすると、時雨は悪戯っぽく微笑んで言った。

 

「ふーん……それじゃ、今度二人で遊びに行くついでに何か奢ってちょうだい? それで手を打ってあげる」

「なんだよ対価有りなのかよ……まあ、そのくらいなら良いけどさ」

 

呆れた表情の聖夜は、しかしどこか楽しそうで。この二人は恋人同士なのか、と少年は場違いな感想を思い浮かべずにはいられなかった。

 

それが表情にも出ていたのだろう。聖夜が咳払いをして、話を戻した。

 

「えっと、まあ気を取り直して……まずは明日、治療院に行くこと。そして、これ以上こっちの調査には協力しないこと。この二つを守ってくれるか?」

 

少年は頷く。元より不利益など何も無い。ただ、これ以上協力出来ないということだけは悔しく感じた。

 

「よし、オッケー。……おっと、これも渡しといた方が良いかな」

 

思い出したように聖夜がペンを取り出し、メモに何かを書いていく。彼はそれをちぎって少年に渡した。

 

「俺の連絡先だ。明日、治療院に行った後にでも連絡をくれ」

 

直接会うのはあまりにもリスクが高いからである。双方、それはよく分かっていた。

 

「それじゃ、またな」

 

聖夜が踵を返し、時雨と共に部屋を出て行く。その姿を、少年は尊敬の目で見送った。

 

 

 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

残る四人とも面会を終え、聖夜達は生徒会室へと戻ってきた。

 

「結局、あとの四人は尋問かー」

「情状酌量の余地あり、って思ったのはあの子だけだったな」

 

時雨が溜め息を吐き、言った。

 

「本当に面倒ね……ま、聖夜のおかげで多少楽にはなりそうだけど」

「あの調子なら、そう遠くないうちに自白すると思うぞ。予想以上に上手く効いたみたいだし」

 

聖夜が腰のホルダーを軽く叩いた。その中に入っているのは『幻想の魔核(ファントム=レイ)』である。

 

「そうよ。気になってたんだけど、あれって精神干渉系魔法でしょ?」

「あー……まあ片方はそうだけど、もう一つは違うんだよな」

「えっ、二つも魔法使ってたの?」

 

こてんと首を傾げた時雨に、何それ可愛いなと聖夜は内心で思いつつも、自分の使った魔法の解説を始めた。

 

「オリジナルの音波振動系魔法、『テラー・ノイズ』。複数地点から異なる音波を発して不協和音とし、対象に聞かせることで潜在的恐怖を引き起こす魔法だ」

 

頷く彼女を確認して。

 

「これが一つ目。でもそれだけじゃ自白剤にはならないから、その後に精神干渉系魔法『ルナ・ストライク』を使った」

 

何故か、星脈世代(ジェネステラ)には精神干渉の類が効きにくい。『ルナ・ストライク』のような魔法もその例外ではなく、余程の高出力でなければ大した効果が出ないのだ。

 

それに対して、『テラー・ノイズ』は音を使う振動系魔法。精神に効果を与えるものではあるが、それに至る過程(プロセス)はあくまで物理現象によるものだ。聴覚さえ遮断されていなければ、等しく効果を発揮する。

 

とはいえ、音波のみでは精神を弱らせただけで終わってしまう。そこで精神干渉系魔法の出番だ。対象の精神が乱れた状態であれば、精神干渉は星脈世代相手にも効くようになるため、それによって恐怖心をさらに増長させたのである。

 

 

それら諸々のことは時雨も理解出来ているようで、一旦は納得の顔を見せた。だがすぐに不思議そうな表情に戻して、

 

「あれ? でも聖夜って、オリジナルの精神干渉系魔法も作ってなかったっけ」

「あー……偶然の産物というか、まあ確かに一つあるけど」

 

彼は言葉を切ると、苦笑ともとれる笑みを浮かべた。

 

「あれはまだ実験段階というか……割とヤバい威力のくせに、コントロールが完璧じゃないんだ。あれ使われたら、星脈世代だろうと間違い無く精神壊れるだろうな。俺も、壊してしまう自信がある」

 

へえ、と時雨は驚いて言う。

 

「そんなに恐ろしいんだ……」

「作った本人が言うのもあれだけど、かなり。……それに副作用もあるし」

「……副作用?」

 

 

微かに表情を曇らせた時雨に、聖夜は安心させるような微笑に変えて、

 

「そんな酷いものじゃないって。……その副作用ってのは、『対象が受ける影響を自分も味わう』こと」

「えっ、それって……」

 

彼女の表情が明らかに変化した。恐らく、その意味を察したのだろう。

 

「――つまり、聖夜も相手と同じ苦痛を受ける、ってこと……?」

「まあ………そうなるな」

 

わざとぼかした『苦痛』という言葉を言い当てられ、聖夜はきまり悪く目を逸らそうとする。

 

だが、時雨はそれをさせなかった。

 

「酷くない、なんて嘘でしょ。どうしてそんな風に誤魔化すの?」

 

心配していながらも、彼女の口調はあくまで優しい。そして、それを前に黙秘を続けられるほどの気概は彼に無い。

 

だが、彼だって時雨を心配させたくないのだ。真剣な態度ではあえて答えない。

 

「正直に言ったら、絶対にそれを使わせてもらえなくなるだろ? よしんば使ったとしても、その後こっぴどく叱られるだろうし、」

「当たり前でしょう。そんなリスクの大きい技なんて……」

 

畳み掛けるように言葉を発する時雨に、聖夜は緩く溜め息を吐いて。

 

「―――でも、必要になる時が来るかもしれない」

 

心配させまいという努力を諦め、声のトーンを一瞬で落とした。時雨は思わず口を噤んでしまう。

 

「いざという時、俺が使える技の中で、星脈世代のトップクラスを迅速に無力化できるものはそう多くない。現状で可能性があるのは、スペルカードの『白き月の幻想曲(ファンタジア)』と『ネクロポリス・バースト』、そして今話した精神干渉系魔法『狂月(くるいづき)』」

 

時雨の返事を待たず、彼は続けた。

 

「もちろん、これらは星武祭(フェスタ)で使えるような――いや、そもそも、人に向けて使うことが許されるような技じゃない。だけど、今回のような襲撃事件がもっとエスカレートしたものに巻き込まれたり、『翡翠の黄昏』のような大規模なテロに遭遇したり、そういった状況が今後ありえないとは言い切れないだろ? そしてその時、相手側にどんな実力者が居るかなんて分からない」

 

『翡翠の黄昏』という言葉に動揺しなかったのは、この二人が異世界人だからだろうか。

 

「副作用や反動があったとしても、どんな実力者でも無力化出来る技があれば、そういう時に必ず展開を変えられる。例え自分の身に何かがあろうとも、やらなければならないことだってあるからね」

 

あの時のように、と聖夜が言うと、時雨がハッとした表情で彼を見返した。そのまま、無意識に彼の右脇腹へ手を伸ばす。そこには、かつて時雨が彼に付けてしまった刀の傷跡がある。

 

だが、その左腕を聖夜は優しく掴んで止めた。

 

「俺は、友人を巻き込みたくない。自分一人でも周りを守れるようにしたい。こう言うと怒られるかもしれないけど、俺は自分がどうなろうとも構わないんだ。……元々、そうやって生きてきたし」

 

聖夜の考えに反して、時雨は反論しなかった。彼女は自分の腕を聖夜の手からゆっくりと引き、両手で彼の手を包み込んだ。

 

「……怒らないわ。私だってそう考えてるから」

 

でも、と俯いていた顔を上げた時雨は、聖夜の目をしっかりと見て。

 

「私はやっぱり、聖夜に傷付くことはさせたくない。もしそれで守ってもらったとしても、自分が許せなくなっちゃうに決まってるから」

「……確かにな。俺だって、時雨にそんなことはして欲しくない」

「ふふっ……結局、自分のワガママなのよね」

 

浮かべた自嘲は、どちらも同じものだったに違いない。

 

「自分だけが傷付けば終わり……なんて、そんな簡単に終わるものじゃないのに。周りにいる誰かがきっと心を痛めるはずだって、理屈では分かっているつもりなんだけどな」

「人間、そう簡単には変わらないよ。……だから、俺は時雨のことを止めることは出来ない」

 

その言葉に、時雨は聖夜の手をギュッと強く握った。

 

「ううん、その時は止めて。私だってあなたを止める。それは間違ってるって。……一人でやる必要は無いんだって」

 

彼はすぐにその意味を理解した。

 

「……分かったよ。俺だって仲間は信頼しているからな」

「私もそうだけど、あなたの仲間ならきっと全員が協力してくれるわよ。それこそ、自分のことなんて考えないで」

 

聖夜は苦笑したが、何も言わなかった。彼も、自身がその立場であればそうするだろうと思ったからだ。

 

時雨がふっと笑った。

 

「私達も、これからは仲間を頼れるようにならないとね」

「耳が痛いな……」

 

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

その翌日、昼過ぎに聖夜はメールを受け取った。

 

 

『月影聖夜様

 

 

先日の無礼な行為にも関わらず、このようなご厚意には感謝しかありません。償いをしたいのですが、今回のことに協力することも出来ず、心苦しい限りです。

 

ですが、先輩が仰るのであれば、俺は全てに替えてもそのご指示に従います。

 

是非、もう一度先輩とお話をしてみたいです。この件が終わりましたらご連絡いただけませんか?

 

 

ご健闘をお祈りしています。

 

 

古河(こが)勝海(かつみ)

 

 

 

その文面を一目見て、聖夜は思わず吹き出しそうになってしまった。昼食を食べていた時だったので、中々危なかった。

 

「どうしたの?」

 

今はちょうど昼休み。彼の様子を見て茜が不思議そうに首を傾げたが、聖夜は「何でもない」とはぐらかした。

 

 

それにしても。

 

(なんかすげえ礼儀正しいな、これ。俺はこんな丁寧に書いてもらえるような人間じゃないぞ)

 

一人称が『俺』になってしまっているあたり、こういった書き方には慣れていないのが分かる。だがそれ以上に、この文面に書かれていることは全て本音であることも伝わってきた。

 

ともかくすぐに返信しようと、聖夜はキーボードを打ち始めた。とはいえ食事しながらなので、打つのは左手オンリーである。

 

「……アンタ、打つの速いわね」

「まあ、慣れてるからな」

 

だが、その速度がおかしい。左手だけのはずなのに、セレナ達女性陣――この場には他に時雨が居る――が両手を使って打ち込むより速い。

 

それを見て、時雨が言った。

 

「聖夜、あなた来期の生徒会メンバーね。書記か会計として」

「俺の意思は無視ですか。というか、勝手に決めて良いのか、それって?」

 

相変わらず文字を打ちながら、しかし明らかに苦笑して聖夜は問うた。

 

「生徒会推薦枠があるから、それを使わせてもらうわ。……あっ、異論反論拒否権は一切認めないから」

「そういう情報を付け加える必要は無いからな?」

 

しかし、彼はそれほど嫌がっていない。聖夜だって嫌なことはちゃんと断るし、時雨もそういうことを無理に押し付けたりはしないのだ。

 

もっとも、聖夜が時雨の『お願い』に慣れてしまったというのもあるが。

 

「まあ、それくらいなら構わんよ。貴重な枠を潰してしまうことにはちょっと抵抗あるけど」

「誰も反対しないわよ。……ああ、うちは風紀委員的な仕事も兼ねてるから、なんならそっちメインでも良いし」

「風紀、ねえ……難しそうだな。傷付けずに無力化するのはそんな得意じゃないんだけど」

 

とかなんとか言いつつも、聖夜は返信を書き終えた。

 

 

『連絡ありがとう。一つ聞きたいんだけど、君のようにやむを得ない事情を持ってた人は他にいたか?』

 

内容は、ざっとこんな感じである。実際にはもう少し余計なことも書いている。

 

「誰かにメール?」

 

茜が再び不思議そうに聞いた。聖夜は無言で頷く。

 

彼は片付けを終えると、立ち上がって言った。

 

「んじゃ、午後の授業も頑張りますか。そんでその後、俺のトレーニングルームに来れる?」

 

転入早々に序列入りしたことと、その時に見せた実力によって、彼は個人のトレーニングルーム使用権を与えられている。

 

セレナ、時雨、茜が同時に頷いた。

 

「オッケー。俺は先にやってるから、勝手に入ってきていいからな」

 

 

 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「アルスライトフレア!」

 

 

授業が全て終わり、彼女達が揃って聖夜のトレーニングルームの扉を開けた瞬間、燃え盛る炎が彼女達の視界一杯に映った。

 

思わず声を掛けるタイミングを失ってしまった三人に、聖夜はゆっくりと振り向いて微笑む。

 

「や、驚かせてごめん。新しい技を試してたんだ」

 

腰には『幻想の魔核(ファントム=レイ)』、手には何かの札を持っている彼に、時雨が気付いて言った。

 

「それは……呪符?」

「ご明察。これは陰陽師が使う発火の呪符だ」

「……ってことは、さっきの技は能力とか魔法じゃないの?」

 

それにしては火力が強過ぎるけど……と時雨が呟いたのに、聖夜は律儀に答えた。

 

「いや、魔法と能力との合わせ技。……まあ見せながら説明するよ」

 

彼は再び前を向いた。腰の『幻想の魔核』に右手で軽く触れ、そのまま前に差し出す。

 

すると、弱い電撃が聖夜の周りを走り、続いてトレーニングルームの中に風が吹いた。

 

「まずは雷属性で空気中の水分を電気分解し、発生した酸素と水素を気体操作の魔法で別々に集める。この時、対象の周りに水素、それより手前に酸素を集めておいて」

 

そこまで言うと、彼は呪符を放つ。その呪符は途中で激しく燃え、そして、

 

 

 

―――目の前の空間が紅蓮に染まった。

 

 

強い熱波が、離れているはずの彼女達にも襲いかかる。思わず、彼女達は自分の顔を腕でかばった。

 

だが、炎はそれほど長く続かなかった。聖夜が溜めた水素は二秒弱で全て燃焼し、炎は唐突に消える。

 

 

二回連続で発生した炎によって温度が上がった室内を気流操作で換気しつつ、聖夜がまた振り向いて言った。

 

「自分で言うのもあれだけど、結構強い技だろ? 過程がちょっと長いけど、俺の中では最高のコンビネーション魔法だ」

 

驚きに包まれた中で、時雨が呟く。

 

「酸素によって呪符を激しく燃焼させ、水素に燃え移らせて大規模な炎を起こす……あくまで物理法則に則った技ね」

「ああ。電気分解と火種の用意も魔法で行えるけど、そうするとさらに過程が増えるから、能力と陰陽術で代用してるんだ」

 

彼の再現した現代魔法は、元々複雑な過程を持つものである。『高速思考(スピードオペレイト)』という技術があるとはいえ、過程が増えるほど発動までの時間は遅くなるし、魔法の連続行使は多かれ少なかれ術者の脳に負担を掛ける。聖夜の中では『アルスライトフレア』は星武祭で使うことを前提とした技であり、戦闘に悪影響を及ぼす要素は極力省きたいのだ。

 

だが、この『全行程を魔法で行える』というのは強みでもある。何らかの理由で純星煌式武装が使えない状況であっても、発動速度は落ちるものの魔法の行使自体は可能なため、戦闘の幅を広げることが出来るのだ。近接戦闘では不利な相手でも、互角に立ち回ることが可能となる。

 

ましてや、この『アルスライトフレア』は強力な技だ。純星煌式武装その他が無くてもそれを使えるというならば、それ以上の贅沢は言えないだろう。

 

 

「ま、この話はもういいか。……それよりも、今日は何をする?」

 

言うと同時に、彼は二回手を叩いた。話題を変えるというよりは、思考に耽っている三人を我に返らせるという意味合いが強い。

 

その思惑通り、彼女達はハッと顔を上げた。

 

「あー、そうね……とりあえず実戦形式で良いんじゃない?」

「了解。そんじゃやるぞ」

 

 

軽い準備運動をし始める聖夜に、彼女達も慌てて続いた。



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第十五話〜太陽と月〜

受験期に入ってしまったので、更新は遅れ気味になるかもです……スマヌ




ある日の朝、聖夜はいつものように教室へ入り、いつものように隣の席へ挨拶をした。

 

「おはよう、セレナ」

「……えっ? ええ、おはよう」

 

だが、返ってきた挨拶はいつも通りではなかった。

 

 

……セレナの態度が、どことなくぼんやりしていて、そしてよそよそしい。

 

しかし、昨日まではいたって普通だったはず。この豹変ぶりに、聖夜は生憎と心当たりが無かった。

 

(俺、何かやらかしたか?)

 

だが、彼女が机の下で何かを隠したのを見て、彼は自分が(少なくとも直接的な)原因ではないと分かった。何故なら、その原因と思われるのは手紙のような物だったからだ。

 

(俺に……いや、誰にも見せたくないのか。そして恐らく、セレナにとっても良くない物らしい)

 

それにしても、浮かない表情が気になる。聖夜は口を開こうとして……だが、踏みとどまってしまった。

 

彼女とは友人であると思っているが、そこまで親しい間柄では無いのだ。そんな考えが聖夜の意思を鈍らせてしまい、結局深く詮索することは出来なかった。

 

 

 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

授業を最後の一限だけ休ませてもらい、聖夜は懲罰室の方へと向かっていた。

 

(早めに口を割らせないと……)

 

虫の知らせ、とでも言うのだろうか、彼はなんとなく嫌な予感を覚えていた。無論セレナのことである。

 

用事があると告げて彼が教室を出た時、セレナは不安そうな視線を彼に向けたのだ。聖夜は気付かない振りを通したが、これではもはや疑いを持たざるを得ない。

 

(襲撃事件に関してのことじゃ無ければ良いんだが……)

 

だが、これは希望的観測に過ぎない。それは彼自身も分かっていた。本来なら授業を休んでまでやることではないのに、こうしてここまで足を運んでいるのは、ひとえに彼が焦燥を感じているからだった。

 

未だに核心に迫ることは聞き出せていない。犯人の目星が付いているとはいえ、確定的な情報が無ければまともに動けないままだ。

 

 

考えているうちに、目的の場所に近付いていた。

 

(……仕方ない。ちょっと強引になるけど、今日は何がなんでも情報を引きずり出す)

 

肉体的に損傷はさせないが、それ以外なら多少は目を瞑ってもらう。そう決意を固くして、彼は静かに『幻想の魔核(ファントム=レイ)』を起動した。

 

 

 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「……ふむ、なるほどな。感謝する」

 

 

聖夜が話を切り上げると、目の前の男は安堵の表情を見せた。だが彼が一瞥するなり、再び強張った表情となる。精神干渉と威圧感のせいで、男は()()()()()()の聖夜に激しい恐怖を感じていた。

 

しかし、そんなことは聖夜には関係無い。精神崩壊しなかっただけマシだろ、と彼は内心で考えていたくらいだ。その一歩手前まで持っていったのは他ならぬ彼だが。

 

 

 

彼は踵を返し、その部屋を出る。ふと時間を見ると、既に最後の授業が終わっている時間だった。

 

(……この時間なら、あの二人は生徒会室に居るはず)

 

クローディアと時雨は、仕事が無くとも生徒会室に居ることが多い。それはリサーチ済みだ。

 

……今回の尋問で、聴取した四人から聞いた同じ名前。これによって彼の予想は裏付けされた。そしてそれさえあれば、証拠としては充分だ。

 

(生徒会長に許可を取り、俺の手であれを捕まえる)

 

静かに意気込む彼だったが、しかしこの後、生徒会室での急展開に遭遇するとは欠片も想像していなかった。

 

 

 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

「良いわよ。入って」

 

聖夜が軽くノックをすると、中から少し早口な声で返事が聞こえてきた。とはいえ、それだけならば偶然だとも捉えることが出来たのだが、彼はその声から多少の緊張をも読み取ってしまった。

 

半ば無意識に部屋の中の気配を探ると、予想通りの二人と、もう一人……これは恐らく綾斗だ。

 

何か良くないことが起きた。そう直感的に判断したときには、彼は既に扉を開けていた。

 

「あっ、聖夜」

 

気配に違わず、まず綾斗が聖夜に声を掛けてきた。だが、彼の声にも緊張が含まれている。

 

聖夜は軽く手を挙げてそれに応じると、すぐに改まって問うた。

 

「……何があった?」

 

彼の中では「何かが起こった」ということは確定事項であり、それについて三人も特に疑問を持たなかった。彼らの中で、それは共通の考えだった。

 

綾斗がなんとも言えないような顔で答える。

 

「俺は昨日の襲撃について報告しに来たんだけど……」

「……ちょうど今、ユリスの様子がおかしかったとの話を聞きまして」

 

クローディアが言葉を引き継いだ。それに一抹の不安を抱えながら、聖夜は更に問う。

 

「どんな風におかしかったんだ?」

「何かの手紙を見てたのは確認したんだけど、その後は素っ気無くされちゃって」

「……おいおい、マジかよ」

 

『一抹の不安』が形を持った不安に変わった。襲撃される可能性が最も高い二人が、揃って似たような行動を取っている。どう考えても嫌な予感しかしない。

 

聖夜は早口に綾斗へ尋ねる。

 

「綾斗、ユリスと犯人についての話はしたか?」

 

綾斗は少し間を置いてから答えた。

 

「話はしてない、けど……多分気付いていると思う」

「そりゃそうだよな……でなきゃあの発言は出来ないし」

 

あの襲撃された日の昼、ファストフード店でユリスの言った「食えない奴らだ」の意味を、この二人はしっかりと理解していた。

 

と、ここまで静観していた時雨が口を挟む。

 

「聖夜、あなたの方は何かあったの?」

 

それで彼は、自身が何のためにここに来たのかを思い出した。懐から端末を取り出しつつ、言葉少なに答える。

 

「……襲撃事件の犯人が確定した」

 

聖夜は端末の録音・再生機能を立ち上げ、先程録音したばかりの音声データを再生した。

 

 

 

30秒ほどのデータを四本。それらを聞き終えた時には、綾斗達三人の表情は変わっていた。

 

「……これはどうやって手に入れたんだい?」

 

「どこで」、ではなく、「どうやって」。何故かは知らないが、綾斗も聖夜襲撃の件を知っているらしい。今の彼の口調は、そうとしか捉えられないものだった。

 

そして当然、聖夜もそんなことは全く気にしない。気にしている場合でもない。

 

「尋問しただけだよ。……ちょっとだけ、『幻想の魔核(ファントム=レイ)』の力を借りたけどな」

 

聖夜は一瞬だけ子供っぽい微笑を浮かべたが、すぐにそれを真剣なものに戻した。

 

「……というわけで、俺と綾斗が動く理由は確立された。だけど、あの二人のことも心配だ」

 

懸念を隠そうともせず、聖夜は続ける。

 

「あの二人が受け取った手紙は、多分、やつから届いたものだと思う。そしてこれも推測になるけど、恐らくその内容は……」

「まさか、呼び出しか……?」

 

綾斗が言葉を途中で引き取った。その表情にも懸念が浮かんでいる。

 

「そんなところだろうな。もっとも、何故それに応じたのかは分からないけど……もし彼女達が学園の外に出ていたら、この推測は残念ながら当たっていることになる」

 

言葉を切ると、彼は懐から一束の、人の形を模した紙切れを取り出した。

 

「校舎の外、星導館の敷地内を探してこい。五分で戻ってくること」

 

聖夜がその紙切れ――人形(ひとがた)と呼ばれる式神に星辰力を送り込むと、総勢百体ほどの式神は開いていた窓から外に飛び立っていった。

 

彼が何をしたか分かっている時雨はいたって冷静だったが、クローディアと綾斗はかなり驚いていた。それでも、辛うじてクローディアは口を聞く。

 

「……今のは?」

「最近作ったばっかりの式神。外はあれに任せておけば大丈夫だろう」

「式神? 聖夜、貴方は一体……」

 

クローディアの言葉を彼は最後まで聞かず、今度は『幻想の魔核』を起動させ、祈るように両手を合わせた。今回ばかりは時雨も何をするか分からないようで、綾斗達と共に首を傾げている。

 

それにしても、美少女二人はともかく、何故綾斗にまで首傾げの動作が似合うのだろうか。自分だったら絶対にこうはいかない……と、そんな益体も無いことをふと考えた聖夜だったが、気を取り直して手に星辰力を集め始め、意識を集中させる。

 

かつて興味本位で学んだいくつかの魔法の一つ、探知魔法。建物内にいる人間の中から、聖夜は、セレナの存在と、黒幕であろうある男の存在を探す。

 

だが、見つからない。式神が戻ってくるまであと二十秒弱、聖夜は組んでいた両手を解き、険しい表情を浮かべた。

 

「校舎内には居ない、な」

「本当ですか?」

 

おもむろに口を開いた聖夜に対し、クローディアが驚愕を押し殺して聞き返す。彼女の中で、驚きや好奇心よりも危機感が勝ったのだ。彼女が生徒会長としてしっかりとした意識を持っている表れだったが、聖夜にそれを指摘する余裕はなかった。

 

「ああ。……そんで多分、奴も居ない」

「……となると、かなりヤバいわね」

 

だが、それは時雨においても同じことで、彼女の切り替えもまた早かった。思考しながら、無意識に呟く。

 

「この分だと、敷地内に居る可能性も……」

「……正直、期待しない方が良いな」

 

律儀に答えを返して、彼が開いた窓に顔を向けた瞬間、式神が一斉に彼の元へ戻ってきた。それらは空中で整列し、聖夜の前でぴたりと止まる。全ての式神を完璧に統制している証だ。

 

それを一目見るなり、彼は先程の推測が不幸にも当たったことを知った。

 

「ちっ……やっぱり居なかったか」

 

彼は式神を放つ際に、「見つけたら円を描くように動け」という指示を出していた。にも関わらず、式神はきちんと整列したままだ。だが、この数の式神が、五分もかかって敷地内を探しきれなかったとも考えられない。

 

聖夜は式神を集めつつ、早口にクローディアへ問うた。

 

「学園外で、且つ人目に付きにくいのはどういう所になる?」

 

見つからなかったことをすぐさま察し、彼女は怪しい場所を頭の中で素早くリストアップする。

 

「……再開発エリアが一番有力だと思います」

「再開発エリアか……だけど、そうは言ってもまだ広いな。もう少し絞りこめれば、あるいは」

 

確かに、再開発エリアならば、多少の戦闘があろうとも大して目立たない。日頃から不良達がたむろしており、小競り合いなど日常茶飯事、大きな騒ぎも割とよくあることだからだ。しかし、それだけの情報では、まだ探すのには足りない。

 

と、その時、不意に着信音が響いた。その出処は綾斗だ。

 

「ごめん、ちょっと……」

 

彼は一言断りを入れてから空間ウインドウを開く。すると、そこに映ったのは水色の髪を持つ少女だった。

 

「紗夜? どうしたんだい、こんな時間に」

 

その画面がふと視界に入り、聖夜は内心で驚いた。何故かは分からないが、画面の向こうの少女が居るのは、どうやら再開発エリアらしき場所だったからだ。

 

しかし、一体綾斗に何の用なのだろうか。他の三人はもちろん、綾斗にも心当たりが無い。

 

『……迷った。助けて綾斗』

「えっ? あ、いや、そういうことか……」

 

だが、続く言葉で彼は納得した。紗夜が筋金入りの方向音痴だったことに思い至ったのだ。

 

「でも、どうしようか……ユリス達の方もあるし」

 

しかし、こちらもまた非常事態なのである。迷子の彼女を助けることも大切だが、ユリスとセレナが危険な目に遭っているかもしれないのだ。

 

だが紗夜は、綾斗の言葉を聞き漏らさなかった。

 

『……リースフェルトなら、さっき見たような』

 

思い出したかのような顔をして彼女が呟く。ただ、その乏しい表情変化に気付いたのは、幼馴染である綾斗と内面観察が得意な聖夜だけだった。故に、その呟きを真っ先に聞き取ったのもこの二人。

 

「えっ、本当かい?」

「えっ、マジか」

 

二人の声が被る。まさかの人物からのまさかの手掛かりに、二人は呆気に取られていた。それでも、聖夜の表情が一切変わらなかったのは、流石の演技力と言うべきか。

 

そのため、彼らより一拍遅れて紗夜の言葉を理解したクローディアと時雨の方が、この場において最適な行動を取った。

 

「沙々宮さん、周りの景色を映してもらえませんか?」

『エンフィールド? ……分かった』

 

端末のカメラを反対側に向けたらしく、彼女の顔がフェードアウトし、寂れたビル街が画面に映った。

 

(やはり、再開発エリア……)

 

それらしい表情はまるで見せず、聖夜は内心で呟く。恐らく、この場の全員が同じことを考えているはずだ。

 

案の定、クローディアと時雨が、同時に自身の端末を操作し始める。紗夜が映している場所の特定をしているのだろう。

 

「……時雨、恐らくここ辺りです」

「そうね、間違いないと思う」

 

それが早くも終わったらしく、彼女達は男子二人の方へ振り向いた。

 

「端末を出していただけますか?」

 

言葉少なに問うたクローディアに、二人は無言で頷き端末を差し出す。

 

するとすぐに、彼らの端末に地図データが送られてきた。

 

「……再開発エリアの端か」

 

そこに示された範囲は、再開発エリアの一部を広く覆っている。

 

しかし、と聖夜は思う。ここまで絞りこんでくれたことは大変ありがたいのだが、これでもまだ少し広い。もっとも、様々な術を使えば、星辰力こそ辛いものの探しきれるとは思うが、果たしてそれで間に合うかどうか……。

 

すると、その懸念が顔に出ていたか、時雨が慌てた様子で言った。

 

「クローディア。これ、もっとポイントを絞った方が良いかも」

「……そうですね。確かに、これではユリス達を助けに行くのは大変でしょう」

 

再び作業に戻る二人。それと同時に、今まで黙っていた紗夜が口を開いた。

 

『……私も助けて欲しいんだけど』

「あっ、そうか……」

 

すっかり忘れてしまっていたが、そういえば彼女は迷子であった。どうしようか、と綾斗が再び悩み始めると、クローディアがすぐさま言う。

 

「沙々宮さんの方には、こちらから人を手配しましょう」

「……ありがとう、助かるよ」

 

そのやり取りに、紗夜がやや不満そうながらも頷くのを綾斗が確認した時、映像が途絶えた。

 

その間にも、クローディアと時雨は次々とめぼしい場所をピックアップしていく。本当に目を見張る速さだ。

 

 

 

……しかし、ふと、聖夜が呟く。

 

 

「……信頼は、してもらえてなかったのかな」

 

ぽつり、と。誰に問いかけるわけでもなく、独り言を。

 

「相談してくれって、やっぱり無理があったのか」

 

その声は、誰かを責めるようなものでもなければ、悲哀の滲むものでもない。淡々と、自分の考えを口に出しているだけのよう。

 

しかし、その言葉は、綾斗が感じていたことそのままであった。彼も思わず、口を開く。

 

「……まだ、信用されてなかったのかな」

 

 

 

「……逆だと思いますよ」

 

「逆?」

 

だが、クローディアは二人の呟きを否定した。視線は手元の端末に向いたままだったが、口調は真剣そのもの。そして、苦笑の表情だ。

 

「以前綾斗には言ったと思いますが、あの二人――ユリスとセレナは、それぞれの手の中のものを守るのに必死なんです。きっと、綾斗と聖夜もその中に入ってしまったのでしょう」

 

綾斗と聖夜は、共に驚愕した。出会って間もない、かたや飄々とした、かたや軽口を叩いてばかりいた人間を、彼女達は守ろうとしてくれているのだ。

 

他者を守ろうだなんて、とは、どちらも思わなかった。二人が感じたのは憧憬。そして、かたや太陽のように、かたや月のように輝く少女の、気高い姿だった。

 

 

 

……瞬間、綾斗の頭の中で、何かが繋がった。

 

「……まさか、こんなに早く見つかるなんてね」

 

綾斗が、アスタリスク(ここ)で見つけたかったもの。それは確かに、誰かの力になりたい、というもの。

 

 

「……できました!」

「……よし、できた!」

 

クローディアと時雨が同時に声を上げた。そして、綾斗達の端末に、いくつかのマーカーが付けられた新しい地図データが送られてくる。

 

それを確認し、二人はすぐさま走り出そうとした。だが、その背中を、クローディアが止める。

 

 

二人が振り向くと、それはもう美しい笑みを浮かべた――まるで戦の女神のような――クローディアが立っていた。

 

 

 

「綾斗、あれの準備が出来ています。……どうぞ持っていって下さい」

 



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第十六話〜危機〜


原作コピペにならないように書いてたら、いつの間にか二ヶ月……。


お待たせしました。





――再開発エリアの端、とある廃ビルを訪れた二人の少女。それぞれ薔薇色と黄金色の髪をなびかせ、無言でその奥へと歩いて行く。

 

夕暮れ時でありながら、そこは薄闇に覆われていた。解体工事中であるビルは随所に廃材が積まれており、死角を数多く作り出している。加えて、壁や床もところどころ傷んでおり、それら全てが陰気な雰囲気を醸し出していた。

 

 

しかし、そんなことは気にも留めず、彼女達は奥の区画へと足を踏み入れる。……瞬間、吹き抜けになっている天井から無数の廃材が落ちてきた。いくら星脈世代(ジェネステラ)といえど、少女二人を押し潰すのには充分な量だ。

 

 

「……咲き誇れ、隔絶の赤傘花(レッドクラウン)

 

「……迸れ、花冠の閃雷(フラウ・エクレール)

 

 

だが、この二人はただの少女ではない。彼女達は頭上を見ることなく、それぞれが炎と電撃で廃材を弾き飛ばした。床に落ちた廃材が響かせるけたたましい音と、舞い上がる砂埃。

 

険しい顔をして、ユリスが言う。

 

「……こんな手紙まで寄越して私達を呼び出したんだ。小細工は止めて、腹を括って出て来い。サイラス・ノーマン」

 

二人が睨みつける前方から、足音を響かせて、一人の少年が姿を現した。

 

「これは失礼。ちょっとした余興にでもと思ったのですが」

 

妙に芝居がかった仕草で一礼したサイラスに、セレナが冷たい目を向ける。

 

「……ホント、最悪の男ね。奇襲しか能が無いのかしら」

 

「まさか。……それにしても、僕が犯人だとよく分かりましたね」

 

今度はユリスが嘲笑する番だった。

 

「気付いてなかったのか? 愚かな奴だ。何日か前、お前が自分で語ったではないか」

 

「……そんな記憶はありませんが」

 

一瞬、不愉快そうに顔を顰めたが、それでも余裕のある態度でサイラスは問い返す。

 

対して、ユリスは無感情に告げた。

 

「商業エリアでレスターが絡んできた時、天霧と月影があいつを挑発しただろう? その際、お前はレスターを止めるためにこう言った。『レスターさんは、決闘や会話の隙を伺うような卑怯なマネはしない』と」

 

一つ聞くぞ、と彼女は指を立て、

 

「……何故、襲撃者が決闘の隙を突いたと知っていた?」

 

綾斗とユリスの決闘。それ自体はともかく、第三者からの襲撃があったことは知られていない。それを知っているのはおかしいと彼女は言ったのだ。

 

「でも、二回目の襲撃はニュースになっていたじゃないですか。僕も見ましたよ」

 

「そうだな、確かに報道されていた。私が襲撃者を返り討ちにしたとな」

 

だが、とユリスは言うと、

 

「あの時に私が会話をしていたというのはおろか、沙々宮があの場にいたことすら報道されなかった。返り討ちにしたのは沙々宮の方だというのにも関わらずな」

 

そこで、今度はセレナが言葉を引き継ぎ、口を開く。

 

「なのにアンタは『会話の隙』と言った。……襲撃者かその関係者しか知り得ない情報を、どうして知っていたのかしらね? 実に不思議だわ」

 

淡々と告げたユリスに対して、セレナの口調は多分に煽りを含んでいた。

 

こういう話術に関しては、セレナはアスタリスクの中でもかなり優秀な部類に入る。……聖夜はそんな彼女よりもさらに一枚上手だが、それは彼がおかしいくらいに慣れているだけだ。

 

 

サイラスは再び不機嫌な表情を見せた。が、すぐにそれを消して言う。

 

「なるほど、そういうことでしたか。僕としたことが迂闊でした。……とすると、あの時、彼らがレスターさんを挑発したのもわざとですか」

 

「だろうな。あれくらいのことは簡単にやってのける奴らだ」

「優秀だからね、あいつらは」

 

何故か、ユリスとセレナは自慢げに胸を張った。

 

……だが、サイラスの言った次の言葉には、二人も態度を険悪なものに戻した。

 

「……となると、彼らに狙いを変えたのは正解でしたね。あなた方を狙う上で、彼らは邪魔な存在ですから」

 

「貴様……!」

 

セレナは無言で、ユリスは声を荒げながら、それぞれサイラスを睨みつける。

 

だが、事実として、彼の作戦は成功していた。綾斗達が狙われていると分かったからこそ、彼女達はこの場に現れたのだ。

 

「そんな怖い顔をしないで下さい。それを阻止するために、あなた方はここに来たのでしょう?」

 

神経を逆撫でするようなサイラスの口調に、彼女達の怒りは増す。

 

今朝、二人の元に届いた手紙。そこには、『これからは周囲の人間を狙う。それが嫌ならこの場所に来い』といった旨が書かれていた。

 

「……なら、さっさと済ませましょうか」

 

「まあまあ、そう焦らないで下さい。僕としては、話し合いで済むのならそれに越した事はないと思っています」

 

あくまでも軽薄な口調でサイラスは言う。元はといえば、そのために彼女達を呼び出したのだ。

 

「何をほざいている。今更、話し合いで終わると思っているのか?」

 

「ですから、話し合いで済むのならそれに越した事は無いと言っているじゃありませんか。僕としても、真っ向からあなた方と戦いたくはないので」

 

星辰力(プラーナ)を高めて威嚇する彼女達に対して、サイラスは余裕を見せたままだ。

 

二人は考える。この前襲ってきたのは四人。一人がサイラスだとしても、最低でも他に三人の仲間が居ることになる。

 

一旦、この場は様子見をした方が良い。二人は顔を見合わせ、頷いた。

 

「……よかろう。話だけは聞いてやる」

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「くだらんな。寝言は寝て言え」

 

そして、話を聞いたあとのユリスの言葉がこれだ。セレナも同様に、はっさり切り捨てるような口調で言う。

 

「私達の安全の保証と引き換えにアンタの正体を言わない、だっけ? そんなもの、この場でアンタを焦がせば済む話だわ」

「それに、仮に私達が黙っていたとしても、生徒会はとっくに貴様に辿り着いているはずだぞ」

 

生徒会長と副会長がアレだから、と彼女達は内心で笑う。基本的に彼女達はあの二人を苦手としているが、その優秀さはよく知っているし、認めている。

 

だが、それを聞いても、サイラスの余裕は崩れない。

 

「そっちはどうとでもなりますよ。僕がやったという証拠はありませんからね」

 

「大層な自信だな」

 

「事実ですから」

 

涼しげな顔でサイラスが言った、まさにその時。

 

 

「……これは一体どういうことだ、サイラスっ!」

 

低い声音に怒りを含ませて現れた一人の大男。彼女達が見覚えのあるその姿は、確かにレスター・マクフェイルだった。

 

「レスター?」

 

二人は思わず身構えたが、彼の怒りはサイラスに向いている。

 

「やあ、お待ちしていましたよ、レスターさん」

 

相変わらず余裕ぶったサイラスに対して、レスターの怒りは烈火の如く激しい。

 

「ユリス達が決闘を受けたと聞いて来てみれば……今の話は本当か? 手前が襲撃の犯人だったのか?」

 

どうやら、サイラスの話を聞いていたらしい。タイミングが良いのか悪いのか。

 

しかし、その怒気を受けても、サイラスの態度は変わらなかった。

 

「ええ、そうですが……それが何か?」

「何でそんな真似をしやがった!?」

 

レスターがさらに詰め寄る。

 

「何でと言われましても……依頼されたから、としか答えようがありませんね」

 

「依頼だと?」

 

怒り、驚き、そして混乱と、目まぐるしく表情を変えるレスターに対して、セレナはつまらなさそうに説明した。

 

「こいつ、どこぞの学園に内通して、『鳳凰星武祭(フェニクス)』にエントリーしていた有力候補を襲ってたのよ。……ま、知らなかったのでしょうけど」

 

言葉も出ない様子のレスターだが、彼女達はその態度を当然の事として受け取った。もし彼が知っていたのであれば、いの一番にサイラスに殴りかかっているだろう。レスターとは、そういう男だ。

 

そんな彼に、サイラスは嘲るように肩をすくめて言った。

 

「僕はあなた方と違って、馬鹿正直に真正面からぶつかり合うような愚かな真似はごめんなんですよ。もっと安全、かつスマートな方法があるならそちらを選択するのが普通でしょう?」

 

「それが同じ学園の仲間を売ることであってもか?」

 

「仲間? ご冗談を」

 

サイラスは愉快そうに笑った。

 

「ここにいる者は全員が敵同士ではありませんか。チーム戦やタッグ戦で一時的に手を組むことがあるとはいえ、基本的には誰かを蹴落として這い上がろうとする。あなた方序列上位の方はそれをよく知っているでしょう? 血と汗を流してそれなりの地位を掴んでも、今度はその立場を付け狙われる。僕はそのような煩わしい生活、ごめんなんですよ。同じくらい稼げる方法があるなら、目立たずひっそりとやれるほうが余程賢い。そうは思いませんか?」

 

長い台詞を滔々と延べた彼に、ユリスは言葉を返す。

 

「……まあ、貴様の言うことも一つの真理だな。確かに我々は同じ学園に所属しているとはいえ、仲良しこよしのグループではないし、名前が知れ渡れば鬱陶しいのが湧いてくるのも事実だ」

 

「おい、ユリス……!」

 

予想外の言葉だったからか、それとも単に心当たりがあるだけなのか、レスターが顔を顰めた。

 

しかし、彼女の発言はそれで終わりでは無かった。

 

「だが……決してそれだけではない」

 

「おや、これは意外。てっきり、あなた方は僕と同じだと思っていましたが」

 

今度はユリスとセレナが顔を顰める番だった。心底不愉快そうに、

 

「ほざけ。貴様のような下衆と一緒にするな」

「ふざけないで。アンタみたいなクズと一緒にされたくない」

 

そうして、睨みつける。レスターもそれに加わり、言った。

 

「ぶちのめす前に一つ聞いておくぜ、サイラス。何でこの場に俺様を呼び出した? まさか、俺様が味方をすると思っているほど手前は馬鹿じゃないはずだ。何が目的だ?」

 

「あなたは保険ですよ、レスターさん。もしこの二人との交渉が決裂したら、誰かに犯人役をやってもらう必要がありますからね」

 

レスターが呆れたように嘲笑した。

 

「……手前、頭でも打って馬鹿になったのか? 俺様がはいそうですか、なんて受けるわけねえだろ」

 

「心配ご無用。三人揃って喋らなくなれば、あとは適当に筋書きをこしらえれば良いのですから。そうですね……決闘と言うのは無理がありますが、ともかく三人仲良く共倒れ、というのが無難でしょうか」

 

その台詞でレスターは完全にキレたらしい。

 

「面白ぇ……手前のお粗末な能力で俺様を黙らせられるっていうなら、是非ともやってもらおうじゃねえか」

 

言いながら、彼はホルダーから煌式武装(ルークス)を取り出して起動させた。レスターの巨体に負けず劣らずのサイズを誇る大斧、『ヴァルディッシュ=レオ』だ。

 

ユリスが注意を飛ばす。

 

「レスター、迂闊に仕掛けるなよ。奴も魔術師(ダンテ)なのだろう? 何をしてくるか分からんぞ」

 

だが、レスターは、

 

「あいつの能力は物体操作だ。そこらの鉄骨を振り回すのが関の山だろうよ。……そっちこそ、手を出すんじゃねえぞ!」

 

言うやいなや、彼は強く地を蹴る。またたく間にサイラスに肉薄し、その手にある巨大な光刃を振り下ろした。

 

「くたばりやがれっ!」

 

しかし、その刃がサイラスに届く瞬間。

 

「何っ!?」

 

何の前触れもなく吹き抜けから降ってきた大男が間に割って入ると、レスターの一撃を受け止めたのだ。しかも素手で。

 

「何だ、こいつは!?」

 

驚くべきことに、レスターが渾身の力を込めているにも関わらず、大男はびくともしないのだ。力なら星導館随一と自負しているレスターにとっては衝撃的であったし、それを知っている彼女達も目を見張った。

 

驚愕の表情を浮かべながら、それでもレスターは一度大きく距離を取ることに成功する。

 

「……なるほど、それがご自慢のお仲間か!」

 

「仲間? いえいえ、違いますよ」

 

サイラスが指を鳴らした。すると、大男に続いて二人が姿を現す。

 

「こいつらは僕の可愛い人形です」

 

そして、男達が服を脱ぎ捨てた。果たして、その下にあったのは、確かに人形と呼ぶべき造形のものであった。顔は双眸に位置する場所にだけ窪みがあり、そこ以外は完全にのっぺらぼうだ。関節部分は球体で繋がっており、強いて言うならばマネキンに近い。

 

「人形……なるほどね。それがアンタの本当の能力ってわけか」

 

この前の騒動で、何故この襲撃者達の気配をギリギリまで感じ取れなかったか。それはこれらが人形だったからだ。元々生物でないのだから、気配なぞ感じ取りようが無い。

 

「手前、隠していやがったのか!? 自分じゃナイフを操るのが関の山だとほざいてたくせに……!」

 

「まさかそれを信じていたのですか? 冷静に考えて下さいよ、わざわざ手の内を明かす馬鹿がどこに居るんです?」

 

出来の悪い生徒を諭すかのようにサイラスは言う。

 

「レスターさんの言うとおり、僕の能力は印を刻んだ物体に万能素(マナ)で干渉して操作すること。それが無機物である以上、どんなに複雑な構造をしていても自在に操ることが可能です。……まあ、このことを知っている人間はこの学園にいませんがね」

 

サイラスの、自分が犯人だとバレない自信の根拠。ユリスにもそれが理解出来た。

 

「ターゲットを人形共に襲わせていたか。確かに、貴様の能力のことを知らなければ、誰も貴様に辿り着く事は出来ないな」

 

綾斗の話を思い出す。サイラスには完璧なアリバイがあり、襲撃することは不可能だったと。しかし、この能力があるのなら話は別だ。どれ程の距離まで能力が有効かは分からないが、状況さえ掴んでいれば現場にいる必要はない。人形にカメラを仕込んでいればどうとでもなる。

 

「くだらねぇ! そんなもん、この場で手前をぶちのめして風紀委員なり警備隊なりに突き出せばそれで終わりだ!」

 

「それはあなた方がここを無事に出られればの話でしょう?」

 

「いいぜ、次は本気でいかせてもらう……!」

 

レスターが星辰力を高めると、『ヴァルディッシュ=レオ』の刃が二倍ほどに膨れ上がった。ユリスにも見覚えがある。レスターの流星闘技(メテオアーツ)だ。

 

「ぶっ飛べ! 『ブラストネメア』!」

 

裂帛の咆哮と共に放たれた一撃は人形三体を纏めて吹き飛ばした。豪快な破砕音を上げて柱に激突し、人形と柱の破片が散らばり、砂埃が舞い上がる。そして、人形三対を受け止めた柱には幾つもの亀裂が走っている。

 

『ブラストネメア』を受け、人形の内二体は完全に壊れたようだ。手足が千切れ、あり得ない方向に捻じ曲がっている。もしこれが人間なら相当悲惨な光景になっていただろう。

 

そんな中、大男型の人形は何事もなかったかのように柱から体を引き剥がし、レスターと相対した。ボディにヒビこそ走っているが、それ以外のダメージは無さそうだ。

 

「ほう、丈夫な奴もいるみてぇだな」

 

レスターは戦斧を肩に担ぎながらにやりと笑う。

 

「そいつは対レスターさん用に用意した重量型ですからね。そんなにやわじゃありませんよ。体格も武器もあなたに合わせてあります」

 

「いざって時、俺様に罪を着せるためか。ってことは、そっちの人形にはクロスボウを持たせてランディに仕立てるつもりだな」

 

「まあ、そんなところですね」

 

あくまで余裕ぶって答えるサイラスに、

 

「そいつはご苦労なこった。でも、残念だったな。そいつは無駄になるぜ!」

 

レスターは再び距離を詰め、重量型にもう一撃、

 

「っ!?」

 

加えようとしたのだが、その瞬間クロスボウ型の煌式武装を構えた人形二体が新たに現れ、レスターに光弾の雨を浴びせた。

 

「ぐあああああっっ!」

 

「レスター!」

「マズイわね……!」

 

このまま傍観しているわけにもいかず、ユリスとセレナは走り出す。しかし、彼女達の道を阻むかのように、またも人形が二体飛び出してきた。

 

「あなた方はそこで大人しくしててください。……そうそう、そいつらも特別仕様でしてね。あなた方用に耐熱・絶縁仕様にしているんですよ」

 

さらに、彼女達を包囲するように、三体の人形が追加で現れる。その手にも剣型の煌式武装が握られていたため、彼女達も自身の細剣型煌式武装『アスペラ・スピーナ』を起動させざるを得なかった。

 

「ぐっ……汚え不意打ちしか出来ねえみたいだな」

 

一方、レスターは苦しげな表情でサイラスを睨んでいた。星辰力を防御に回したのだろう、致命傷だけは免れたようだ。その闘志は未だに衰えていない。

 

「こんな木偶の坊共が何体かかってこようが、俺様の敵じゃ」

 

 

「やれやれ……レスターさん、あなたは何も分かっていない」

 

しかし、サイラスが芝居がかった仕草で首を横に振ると、吹き抜けから次々と人形が飛び降りてきた。最初は忌々しげにそれを見ていたレスターだったが、人形が一体、また一体と数を増やすうちに、その表情は驚愕、そして恐怖へと変わっていった。

 

それは、彼女達も例外ではない。

 

「こいつら、何体居るんだ……」

「これは、一体……」

 

夥しい数の人形を従え、サイラスは言う。

 

「何体かかってきても? なら、望み通りにしてあげましょう。……僕が操れる最大数、百二十六体でね」

 

「ひゃく、にじゅう……」

 

絶望の表情を浮かべるレスターを見下ろしながら、サイラスは満足そうに頷いた。

 

「そうそう、あなたのそういう表情が見たかった。……では、ごきげんよう」

 

サイラスが腕を振る。その動きに合わせ、人形達はレスターに殺到した。

 

「止めろ!」

 

酷薄な笑みを浮かべるサイラスの背後で、レスターのくぐもった悲鳴が聞こえる。ユリスとセレナは強引に囲みを突破しようとするが、しかし数の差がそれを許さなかった。一対一ならともかく、連携されてしまうと後手に回らざるを得ない。

 

「ご安心を。もうしばらく息をしていてもらわないといけませんからね。相打ちということにするのですから、適当に火種を、」

 

「咲き誇れ、呑竜の咬焔花(アンテリナム・マジェス)!」

 

「咲き誇れ、翼竜の翔雷花(エルトナム・ヴェルサ)!」

 

悲鳴も聞こえなくなったレスターの方を見つつ、口を開いたサイラス。その言葉を遮り、彼女達は細剣で魔法陣を刻んだ。

 

それを突き破って現れるのは、焔と雷で象られた二体の竜。

 

「その技は初めて見ますね」

 

サイラスの呟きなど意に介さず、彼女達は細剣を振って竜を動かす。焔竜は圧倒的な火力で、雷竜は圧倒的な速力でもって、進行方向の人形をまとめて噛み砕いた。

 

「おおっ!?」

 

耐熱性も絶縁性も、竜達の前には無意味であった。

 

「これは大したものですね。序列五位と六位の名は伊達ではない、ということですか……!」

 

それでも、サイラスは慌てずに距離を取り、再び指を鳴らした。

 

「しかし、多勢に無勢であることに変わりは無い!」

 

竜を躱した人形が五体、二人に襲いかかる。彼女達も反撃を試みるが、発動中の技の制御に思考のリソースを割いているため、その動きは普段より鈍い。

 

「舐めないで!」

 

それでも、セレナの動きは以前とは違った。たった数回とはいえ、聖夜達との特訓をしたおかげだ。

 

雷竜を暴れさせつつ、彼女はそれぞれ自分とユリスに飛びかかってきた二体の人形を蹴り飛ばし、鋭く一声。

 

「ユリス、後ろ!」

「ああ、分かっている!」

 

背後から迫ってきていた、これまた二体の人形の腹を、ユリスとセレナはそれぞれ突き刺した。

 

だが、人形は止まらなかった。その攻撃を無視し、彼女達にしがみつく。

 

「捨て身か!?」

 

「人間ではありませんからね。普段と同じように戦っていると足下をすくわれますよ!」

 

サイラスが再び手を振った。それと同時に、彼の前に並ぶ人形達が一斉に銃を構える。

 

「くっ……!」

 

彼女達は竜を盾にすべく呼び戻したが、相手の方が一歩早かった。太腿を撃ち抜かれた痛みに彼女達が膝を着くと、間髪入れずに四体の人形がその両脇を抱え、壁に押さえつける。

 

サイラスはその前へ歩いていき、嘲笑を浮かべながら言った。

 

「あなた方の能力は確かに強力ですが、ご自分の視界まで妨げてしまうのが難点ですね」

 

「……流石によく見ているではないか」

 

そして、彼女達もまた、痛みに顔を引き攣らせながらも笑みを浮かべてサイラスを見た。

 

「だが、こっちにも分かったことがある」

 

「何です?」

 

「貴様の背後にいるのはアルルカントだということだ」

 

瞬間、サイラスの顔から笑みが消えた。

 

セレナが言葉を引き継ぐ。

 

「この人形達、特別仕様とか言ったっけ? よくこんな代物が手に入ったわね。しかも大量に。……今の技術力じゃ、アルルカントにしか用意出来ない物だと思うんだけど?」

 

「……ご明察。ですが、そこまで知られては見逃すわけにいきませんね」

 

「元々、そんなつもりは無いくせによく言うわね」

 

それには答えず、サイラスは無言で彼女達の太腿の傷を蹴りつけた。

 

「ぐぅぅぅっ!」

「うぐっ……!」

 

「……レスターさんと同じようにもう少し嬲ろうかと思ってましたが、気が変わりました。さっさと終わらせるとしましょう」

 

ユリスとセレナは悲鳴を漏らさないよう歯を食い縛る。そんな二人に背を向け、サイラスは片手を上げた。それに合わせて、二体の巨大な人形が手に持った戦斧を振り上げる。

 

反射的に、彼女達は目を瞑った。しかしそれでも分かってしまう、人形が戦斧を振り下ろそうとする気配、

 

 

 

 

 

 

 

 

―――まさに、その時。

 

 

 

 

 

「スペルカード発動、『相克の螺旋階段』」

 

 

静かに響いた声と共に、赤と青の弾幕が巨大人形達に直撃し、

 

 

「頼むよ、綾斗」

「ああ、了解」

 

 

続いて一陣の風が奔ったかと思えば、その瞬間には、彼女達を押さえつけていた人形は残らず両断された。

 

 

ふらり、と倒れ込む彼女達を、何者かが抱き留める。

 

 

―――彼女達が見たのは、二人を覗き込む夜色と亜麻色の瞳だった。

 

 

「やあ、助けに来たよ」

 

「お疲れ。よく頑張ったな」

 

 

天霧綾斗と、月影聖夜。彼女達の窮地を救ったのは、二人が信頼していた少年だった。



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第十七話〜恐るべき二人の剣士〜

読者の皆様、お待たせしました。原作1巻の山場だと作者が勝手に思っているシーンです。

とはいえ、聖夜が居るために、相対的に綾斗の活躍が上手く書けませんでした。書けませんでしたが、ちゃんと無双しています。

次の投稿は、まだ目処が立っておりません。ご了承下さいませ。


それでは十七話、どうぞ!




 

「それにしても、『冒頭の十二人(ページ・ワン)』っていうのは大変だな。こんなのに絡まれるんだから」

 

乱入してきた新たな敵に絶句しているサイラスをよそに、果たして本音かどうか判断できない口調で聖夜が言った。と同時に、腕の中のセレナをさらに近くへ抱き寄せる。

 

嬉しさと恥ずかしさで頬が染まってしまったセレナは、自身の感情に困惑しながらも聖夜に問うた。

 

「な、なんでここに……?」

 

対して、聖夜は安心させるように笑いかける。

 

「沙々宮さんとクローディアと時雨のおかげ。……だよな、綾斗?」

「聖夜のおかげでもあるんじゃないかな?」

 

聖夜と綾斗とのいかにも軽いやり取りを聞き、ふとセレナはユリスの方を見る。彼女もまた、綾斗に抱き寄せられて顔を赤くしていたのが確認できて、セレナは改めて状況を確認する余裕を得た。

 

ユリスを抱えた綾斗は右手に純白の刀身を持つ剣を持っており、視線を下に向ければ、聖夜の右腰には『幻想の魔核(ファントム=レイ)』が下がっている。となると、綾斗のあの武器は、噂の『黒炉の魔剣(セル=ベレスタ)』だろうか。『魔』の名を冠する純星煌式武装(オーガルクス)が二つ、同じ場所に存在している。希少な光景だ。

 

そして今更ながらに気付いたのは、綾斗の星辰力(プラーナ)の量だ。彼の周囲がうっすらと光って見えるほどに、桁外れな量の星辰力が溢れ出ている。

 

辺りを見れば、彼女達の動きを封じていた人形達は全てが綺麗に両断されており、戦斧を構えていた二体は四肢部分が千切れ飛んだ状態で奥に吹き飛ばされていた。一体どれほどの威力の攻撃が放たれたのか、セレナには想像しきれない。

 

そして、一度冷静になれば、どうしても言わなければならないことを思い出す。

 

 

「……まさか、私を助けに来たなんて言わないわよね」

 

「まさか、私を助けに来たなんて言わないだろうな?」

 

 

奇しくも、ユリスとセレナは同じことを口にした。本来なら、彼女達こそが彼らの身を守ろうとしていた側だったから。その思いは、どちらも確固たるものだったのに。

 

そして、彼らもまた、同時に口を開く。セレナに聞こえたのは聖夜の声だけだった。

 

「いいや、ただの我儘だよ。セレナが傷付きでもしたら、俺はきっと後悔するからな。俺のために、って思ってくれたセレナには感謝してるけど、それでも俺は、自分のためにその気持ちを無視したんだ。……俺ってさ、本当に自分勝手なんだよ」

 

だから、と彼は優しく続けて、

 

「何も気にせず休んでて。ただ、やりたい事をやるためだけに、俺はここに来たんだから」

 

そう言って前を見据える彼の表情を、セレナは純粋に格好良いと思った。セレナが隠していたことをまるで責めることなく、それどころか「気にするな」とまで言ってくれた。口では自分のためだと言っていたが、まさか先程の言葉が彼の本音だとはセレナも思っていない。彼との交流を何度もしているおかげで、彼女にも聖夜のことが何となく分かってきている。

 

ともかく、何であれ、セレナにとっては自分を助けてくれた存在に変わりは無い。聖夜の優しさは、彼女の心に深く染み込んでいった。

 

だから、彼がセレナのスカートのポケットに手を入れてきても彼女は何とも思わなかった。

 

彼が取り出したのは、セレナが受け取った脅迫状。

 

「『これからは周囲の人間を狙う』、ね……全く、どの口が言うんだか」

 

呆れたようにため息を吐くと、聖夜はサイラスを冷たく睨んだ。その目にサイラスは一瞬怯んだが、それでも尚、芝居がかった仕草で肩を竦めて言う。

 

「これはこれは、思わぬ飛び込みゲストですね。月影聖夜君に天霧綾斗君」

 

その声に、ユリスと話していた綾斗もサイラスを見据えた。対して聖夜は、つまらなさそうにもう一つため息。

 

「アンタがつまらないミスをしてくれたおかげで、簡単に証拠が集まったんだ。だけどそれを予想することもなく、思わぬゲスト、とはね……笑わせる」

 

サイラスは表情を険しくしたが、聖夜はあくまで淡々と。

 

「あの夜に俺を襲ったあいつらは、アンタと()の差し金だろう? ……詳しく言えば、一連の襲撃事件で俺に疑われてると危惧したアンタは奴の提案に乗り、あえて人間を使ったんだ。それなら、能力から足を付けられることもないと考えて」

 

サイラスの表情が僅かに揺らぐ。

 

「だけど、人間は人形と違って口があるからな。捕まえて情報を聞き出せばそれで解決する。幸いと言うべきか、尋問の手段はいくつか持っているわけだし。……つまるところ、アンタ達の手駒は敗れて捕まった結果、逆に正体がバレる羽目になったというわけだ」

 

さて、と彼は口角を上げて。

 

「俺の推理に間違いがあったら教えてくれ。……見るも可笑しき役者さん?」

 

サイラスは図星を突かれたようで、何も言わなかった。だが、その顔は怒りに染まっている。

 

「っ……その通りです。ですが、この場を切り抜けられなければ、その推理は意味を成しませんよ」

 

しかし、言葉を発することで怒りが収まってきたらしい。彼の態度は、再び仰々しいものに戻っていく。

 

「あなた方の戦いは何度か拝見しました。それなりにやるようですが、はっきり言って、その程度の実力者はいくらでも居ます。その純星煌式武装だって強力ですが、宝の持ち腐れでしょう。……先程は奇襲が上手く決まったようですが、真っ向から戦って、百体を超える僕の軍団に何が出来るというのですか?」

 

 

 

「黙れ。奇襲しかできないのはあなたの方だろう、サイラス・ノーマン」

 

 

突如として横から聞こえてきた冷たい声に、聖夜は開きかけていた口を閉じ、面白そうにそちらを――綾斗を見る。綾斗の視線は刺すように鋭く、サイラスは気圧されていた。

 

だが、サイラスは自分が怯んでいたことに気付き、忌々しげに首を振った。

 

「……っ、言ってくれますね。しかし、実力すらわきまえず挑発するのは滑稽を通り越して哀れで、」

 

「おや、果たしてそうかな?」

 

次は聖夜だ。今度こそサイラスの発言に割り込んだ彼は、手に持つ脅迫状をひらひらと振った。

 

「俺から言わせれば、アンタの方がよほど哀れだ。実力をわきまえていないのは果たしてどちらだろうね?」

 

聖夜が脅迫状から手を放す。紙は重力に従い、ひらりと舞い落ちて――発火し、瞬く間に灰となった。

 

 

「なっ……!」

 

「―――アンタは、俺達の実力を知らない」

 

 

彼は空いた手でホルダーから碧色のコアを取り出す。起動するは、蒼雷を纏う大剣。ごく自然に、純星煌式武装の()()使()()という離れ業を見せつけ、聖夜は宣言した。

 

「かかってきなよ、滑稽な人形遣い。勝てると思うのならな」

 

 

 

「――やれるものならやってみるが良い!」

 

怒りに頬を紅潮させ、サイラスが指を鳴らす。人形達が一斉に得物を綾斗達に向けた。

 

「たった二人で、僕の軍団をどうにかできるものか!」

 

次の瞬間、四方八方から光弾の雨が降り注ぎ、近接の人形が襲い掛かってくる。ユリス、セレナ、レスターを追い詰めた物量が、今度は二人に牙を剥く。

 

 

――しかし、襲い掛かった人形は、刹那の内にバラバラにされていた。

 

「…………は?」

 

呆然としながらサイラスが見ている場所には、既に彼らの姿は無かった。そこにあるのは、高温に晒され赤熱化した切り口をもつ人形と、圧倒的質量に叩き斬られた人形の残骸だけ。

 

「いくらなんでも、この程度じゃ話にならないな」

 

「なっ、」

 

背後から聞こえてきた呆れたような声に、サイラスは不意を突かれて振り返る。そこに居たのは、右手に剣を、左手に少女を抱えた綾斗と聖夜だった。彼らはサイラスが知覚出来ない速度で――綾斗は星辰力のブーストで、聖夜は『王牙大剣【黒雷】』の生み出した電磁力を利用して、それぞれ人形を切り裂きながら移動したのだ。

 

だが、サイラスは勿論、その動きはユリスにも認識できなかった。対してセレナには、自身の能力特性に似た何かを聖夜がやった、ということが少しだけ理解できていたが、突然のことに驚いたのは同じだ。

 

「な、な、な……」

 

「悪いけど、ここまでだよ」

 

青ざめ後ずさるサイラスに、綾斗が言う。聖夜も大剣を担ぎ、獰猛に笑った。

 

 

ここでユリスが我に返り、綾斗の肩を慌てて掴む。

 

「それよりも私を下ろせ! 足手まといになるつもりは無いし、それは片手で扱えるようなものでもないだろう!」

「大丈夫だよ。これ、意外と軽いし」

 

ユリスの声色とは反対に、随分と余裕を含んだ綾斗の声。そんなやり取りを聞いて口角が緩みそうになるのを感じながら、ふとセレナも聖夜に問うた。

 

「私も下ろして良いわよ。その武器だって軽くはないんでしょう?」

「……まあ、強がりたいけど、そんな軽さじゃないのは事実かな」

「だったら、」

 

しかし、聖夜は軽く首を横に振って、

 

「心配無用。重さなんて、身体全体の動きで補ってやればいいだけだ。そのくらいは叩き込んである」

 

ふっ、と笑う。

 

「それに、今セレナを下ろせば、あいつは間違い無く狙ってくる。離れられちゃ俺も守れないからな」

 

その笑みは小さく、しかし不思議と頼もしかった。

 

「気にするな、って言っただろ? 必ず君を守ると誓おう、麗しきお姫様(プリンセス)

 

聖夜の芝居がかったセリフ。セレナは、それを嫌だとは思わなかった。

 

むしろ嬉しかった。自分は絶対に安全なのだと、確信にも近い予感を抱いた。

 

 

聖夜と綾斗が視線を向け直す。その先に居るのは、平静を装いきれていないサイラス。

 

「ふ、ふん。少しはやるようですね。ならばこちらも本気を出すとしましょう……!」

 

サイラスが手を振る。すると、今まで綾斗達を囲むように動いていた人形達が、整然と隊列を組み始めた。

 

前衛には近接の人形、その隙間を埋めるように後衛には遠距離型。さらにその後ろに陣取るサイラスは、さながら指揮官の如く。

 

「これぞ我が『無慈悲なる軍団(メルツェルコープス)』の精髄! 一個中隊にも等しい戦闘能力! やれるものならやってみせろ!」

 

高らかな宣言を合図に、前衛の人形が殺到した。セレナの視界から綾斗とユリスの姿が見えなくなる。

 

「……『集中』するか」

 

そんな呟きが聞こえ、セレナは聖夜に声をかけようとした。しかし、その時には既に、彼は一歩踏み出していた。

 

無造作に大剣を振り上げ、左から右へと袈裟懸けに振り抜き煌式武装ごと二体を両断。その直後に飛んできた光弾を確認すると、今度は一声、

 

「『結界』!」

 

と唱えると、その声に呼応して、彼の懐から四枚の札が飛び出す。そして、札を頂点とした正方形の結界が、聖夜の前方に展開された。

 

いつぞやセレナの雷撃を防ぐのに使った簡易版ではなく、きちんと儀式を施した札を使用したそれは、まるで揺らぐことなく、衝撃の余波すら届かせることなく全てを防いだ。

 

しかし、息つく暇もなく、今度は剣持ちの人形が何体も突っ込んでくる。

 

「なるほどね……」

 

意味深に呟いた聖夜はその刃を最小限の動きで躱すと、大剣を振って回り込んでいた後方の人形を牽制した。と同時に、右足に星辰力を集めていく。

 

「『纏依(まとい)(ほむら)】』―――」

 

次の瞬間、『幻想の魔核』が淡く光ったかと思うと、聖夜の右足が炎を纏った。彼は前方の人形に狙いを定めて、

 

「―――『御神楽(みかぐら)』!」

 

大剣を振った反動を利用して、その右足で強烈な回し蹴りを放った。月影流の中でも破壊力に長け、さらに炎撃が追加されたその蹴りは、直撃した人形を強く吹き飛ばす。そうして砲弾のように飛んでいった人形は、次の砲撃に備えていた後衛の人形達をも巻き込み、共に転がっていった。

 

その隙に、聖夜は後ろに跳んで距離を取る。

 

「……火傷はしてないか?」

「えっ? あ、うん……」

 

唐突に声をかけられ、ようやくセレナは一息つくことが出来た。目の前の戦闘に、そして抱きかかえられて守られるという初めての経験に、セレナは知らないうちに緊張していたのだ。

 

「……さっきのは狙ってやったの?」

 

とはいえ、先程の攻防を近くで見ていて、気になることもあった。今尋ねたのは、蹴り飛ばした人形を飛び道具としたことについてだ。

 

主語がない問いだったが、聖夜は意図をすぐに察した。

 

「もちろん。意表を突けるし、リカバリーするのにも時間かかるだろうから」

 

事も無げに言った彼に、そこまで考えてたの、とセレナは純粋に驚嘆した。恐るべき洞察力である。

 

しかし、サイラスは自分が有利になったと思っているようだ。見れば、綾斗達も距離を取ったところだった。

 

「ふ、ふふふ、よく避けますね。ですが、そのような体たらくで僕に敵うとでも?」

 

まだ多少は引き攣っているものの、挑発的な笑みを浮かべるサイラス。そんな彼に、聖夜はつまらなさそうに言う。

 

「追撃を妨害された奴が言えたセリフじゃないな。……ああ、無駄だよ。その人形はもう動かない」

 

サイラスが先程の人形を動かそうと苦心しているのを、聖夜は見逃していなかった。サイラスの余裕が崩れる。

 

「な、なぜ……」

「やろうとしてることくらい、星辰力と万応素(マナ)()()()()()分かる」

 

にわかに信じ難いことをさらっと言ってのけた聖夜に、まさか聞き間違いではないかと、セレナは思わず問うてしまう。

 

「ど、どういうこと?」

「ん? ああ、そのままの意味だよ。星辰力や万応素の動き、そして生物の気配を、俺は『音』という概念として捉えることが出来るんだ」

 

さっぱり分からないのはセレナだけでは無いだろう。この話を聞いて、すぐ理解が追いつく者は果たして居るのだろうか。

 

「つーか、アルルカントの技術力も大したものじゃないな。耐熱性と耐衝性くらい両立させとけよ」

 

相変わらず退屈そうな様子で独りごちた聖夜だったが、「まあ、それよりも」と自ら話題を転換し、

 

「綾斗も、あいつの能力の底には気付いただろ?」

「そうだね、今ので大体見えてきた」

 

 

「……見えた?」

 

訝しげなサイラスの呟きに、聖夜は頷いて言った。

 

「その能力の限界だよ。アンタ、自在に動かせる人形は六種類が限界だろう?」

 

はあ、とサイラスは怪訝な視線を向ける。それはセレナとユリスも同じだった。

 

「何を言い出すかと思えば……あなたの目は節穴ですか? 現に、僕はこうして百体を超える人形を動かして、」

「自在に、って言ったろ。その耳は飾りか?」

 

遮り、聖夜が嘲笑うように言った。後半の言葉は、サイラスに対する当てつけか。

 

「戦力として数えられるくらい動かせているのは六種類だけ。あとはパターン化された動きをこなしているだけだ。……まあ、それが出来ているのも十六体くらいで、残りは突っ立って引き金を引いたり腕を振ったり、簡単なパターンを繰り返しているだけに過ぎない」

 

聖夜の口調は、さながら答え合わせのようだった。

 

「脳の演算能力が足りていないんだ。その程度なら――」

 

ふと、聖夜は隣に視線を向けた。その先にいる綾斗は頷き、言葉を引き継ぐ。

 

「その能力はハッタリにしかならないよ。どうしてあなたが奇襲や搦め手に徹していたのか……それは、このことが暴かれるのを阻止するためだったんだろう?」

 

顔を青くし、小刻みに震えているサイラスに対して、聖夜は愉しげに口を歪めた。なかなかどうして、敵には容赦の無い男である。

 

「何も言い返してこないところを見るに、当たりだな。……ああ、もしかして、イメージはあれか」

「チェス、だね」

 

「六種類、十六体……なるほど、そういうことか」

 

ユリスとセレナが納得したように頷いた。

 

通常、魔術師(ダンテ)魔女(ストレガ)は能力を使用するときは、発現しやすいよう、何かしらイメージを構築していることが多い。ユリスやセレナのそれが『花』であるように(もっともセレナは他のイメージもあるが)、サイラスのイメージは『チェス』なのだろう。

 

「イメージは重要だからな。俺だと、『音』とか『自然』とか、まあ色々あるけど、ともかく能力者にとっては生命線とも言える」

 

独り言のように言い、聖夜が笑う。その真意は誰にも分からなかったが。

 

それよりも、セレナは彼らの観察眼に驚いていた。

 

(あれだけの攻防で見抜いたなんて……これじゃ、心配する必要も無かったわね)

 

全てにおいてサイラスは彼らに敵わない。文字通り、大人と子供の喧嘩だ。

 

「でも、その大袈裟な仕草は止めた方が良いんじゃないか? ゲームプレイヤーのイメージなんだろうけど、取って付けた感が半端ないし、何より似合ってないからな」

 

「ゲームプレイヤーだとしたら、ただの三流だね。聖夜の言う通り、確かに似合ってない」

 

 

「くそったれがああああああっ!!!!!」

 

二人の言葉がよほど頭にきたのか、サイラスは今までの余裕をかなぐり捨て、吠えた。

 

「お前ら如きに僕が負けるはずないんだあああ!!!!」

 

同時に、前衛の人形が再び襲い掛かってくる。聖夜は肩を竦めて言った。

 

「……訂正、感情的なプレイヤーは三流以下だ」

 

おもむろに、彼は一歩踏み出す。大剣は構えずに、しかし薄い笑みを浮かべて。

 

――次の瞬間、彼の懐から一枚の札が飛び出した。烈しく美しい雷撃の弾幕、その術式を秘めた、幻想の地で生み出されたカードを眼前に浮かばせ、聖夜は大剣を振り上げる。

 

「スペルカード発動―――」

 

宣言と共に、彼はそれを両断した。刹那、迸った雷撃が『王牙大剣』に纏わり付き、そして。

 

「―――『月下雷鳴』!」

 

彼が大剣を天に掲げた瞬間、彼の周囲に無数の雷が降り注いだ。天地を焦がす、妖怪をもってして「反則寸前」と言わしめた無慈悲な速度の弾幕が、人形達を蹂躙する。

 

時間にして、僅か数秒。聖夜の周囲に巻き上がっていた砂埃が晴れたとき、そこには五、六体の人形の残骸が転がっていた。

 

「個々が大して強くない上に、動きが単純だ。だから、この程度の範囲でもこれだけ巻き込める」

 

退屈極まりないといった表情と声音で聖夜はサイラスに言い、次いで感心したように綾斗の方に視線を向ける。そこでは、綾斗が華麗な剣捌きでまとわりつく人形達を迎撃していた。

 

綾斗に襲い掛かった人形が『黒炉の魔剣』によってバラバラにされたのは、それからすぐ後のことだった。

 

「まったく、その『黒炉の魔剣』もそうだけど、恐ろしいくらいに冴えた剣術だな」

 

「そう言う聖夜こそ、いろんな技を使いこなしてるじゃないか。聖夜も『幻想の魔核』も、どっちも凄いんだろうね」

 

「お、嬉しいね。……それじゃ、これ以上長引かせてもつまらないし、半分もらうぞ?」

 

「了解、邪魔にならないようにしておくよ」

 

「そりゃあこっちの台詞だな」

 

短い会話を終えると、二人は自ら人形の群れに突っ込んでいった。焦ったサイラスはどうにかして彼らに攻撃を当てようとするが、圧倒的な星辰力を誇る綾斗と、圧倒的な身体能力を誇る聖夜の迅雷の如き動きには、到底対応出来ない。避けることは出来ず、運良く武器がかち合ったとしても、魔剣と大剣相手では鍔迫り合いすら許されなかった。

 

遮蔽物越しに狙撃しようとしていた人形も、『黒炉の魔剣』に遮蔽物ごと切断され、あるいは『幻想の魔核』による弾幕に掃射され、砂埃と共に見えなくなる。

 

(凄い……)

 

底知れぬ星辰力をもって魔剣を使いこなす綾斗と、二つの純星煌式武装と巧みな体術で多彩な技を繰り出す聖夜。その動きは、サイラスとは次元が違った。

 

(一体、どんな生き方をすればこんな力を持てるの……?)

 

自分と同い年の少年だとは、セレナには到底思えなかった。元々、どこか大人びているところがあるとは感じていたのだが、それは実力の面でもそうだったらしい。

 

 

――雰囲気からして、まるで違う。

 

 

「そうだ、アルルカントに伝えといてくれよ、サイラス・ノーマン」

 

聖夜側の人形が残り十体ほどになった時、彼はおもむろに口を開いた。と、同時に、彼の周囲の温度が徐々に下がっていく。

 

その足元に現れるは、昔ながらの六芒星。彼が『魔法』と呼ぶ技を発動する時に展開されるもの。

 

大剣を振り抜き、不敵に笑った。

 

 

「耐凍性も備えとけ、ってな」

 

 

 

――瞬間、彼の周囲が凍りついた。人形のみならず床までもが凍てつき、聖夜とセレナの元に冷気が吹き込む。

 

振動減速系広域魔法『ニブルヘイム』。空気中の分子の熱運動を減速・停止させ、凍結させる魔法。

 

 

「う、そ……」

 

自身の周囲が氷結地獄と化したのを見て、セレナは絶句するしかなかった。『幻想の魔核』の力もさることながら、技の威力と範囲、そしてそれを可能にした聖夜の星辰力操作の完璧さに、ただ驚き、戦慄した。

 

そして、否応無しに理解した。『幻想の魔核』使用時の聖夜は、アスタリスクでもトップクラスの能力者となる、と。

 

 

時間にして、僅か数分。それぞれ、聖夜が凍らせ、綾斗が焼き切って、それを最後に動いている人形は居なくなった。

 

「そんな、バカな……こんなことありえない、何かの間違いだ……」

 

よほど信じられない光景だったのだろう、顔面蒼白なサイラスはぶつぶつとうわ言のように呟いていた。しかし、綾斗と聖夜が一歩近付くと、甲高い悲鳴を上げてへたり込んでしまった。

 

「おいおい、情けないな。現実逃避するくらいならさっさと斬られた方が楽だぞ」

 

あながち冗談でもなさそうに言い放ち、聖夜は威圧感を強めた。それに呼応するように、『王牙大剣』と『幻想の魔核』のコアも静かに輝きを増す。

 

それに続いて、綾斗も冷たく言った。

 

「サイラス・ノーマン。あなたは欲望のために大勢の夢を踏み躙った。当然、自分がそうなる覚悟も出来ているんだろう?」

 

すると、サイラスは何かを思い出したかのように跳ね起き、叫んだ。

 

「……まっ、まだ終わってない! 僕には切り札がある!」

 

切り札? と綾斗達が怪訝な視線を向けるなか、サイラスは両手を大きく掲げる。

 

――瞬間、サイラスの後方にあった瓦礫の山が二つ、派手な音と共に弾けた。そこから現れたのは、先程までの人形とは五倍ほども違うであろう二体の巨大人形。

 

「へえ……なるほど」

「また、随分と大きいね」

 

その大きさに、彼らは少しの驚きを見せた。ここが吹き抜けではなく、天井があったとすれば、それを容易に突き破っていただろう巨躯。腕や足はビルの柱と同じくらい太く、その形状は、一見するとゴリラのようだった。

 

しかし、驚いたのは一瞬だけで、すぐに彼らのその表情は退屈なものに戻る。

 

「だけど、まあ……デカいだけだな。構造も材質も変わってないみたいだし、切り札って言えるほど大層な物じゃないだろ、これ」

「うーん、確かに……何というか、能力と同じくらい底が浅いように思えるね」

 

 

「クイーン、キング、その男達を潰せぇぇぇ!」

 

二人の言い分に今度こそキレたのか、サイラスが絶叫を放つ。それに従い、その巨躯に似合わぬ俊敏な動きで、人形達が二人に襲い掛かってきた。その身に煌式武装やその他武器の類は無い。しかし、武器が無くとも、その巨大な拳で殴られれば、例え星脈世代だとしても無事では済まないだろうことは想像に難くない。

 

にも関わらず、二人の様子は至って平静だった。

 

「こっち、貰うぞ」

「了解」

 

この二人からすれば、人形達の俊敏さは()()()()()()()()()()だけであって、決して速くは無い。それこそ、どうにでも対処できる。彼らは目配せを交わし、互いの意思を確認した。

 

 

 

――仕留める。

 

 

 

 

頷き合って、聖夜は人形に意識を戻す。迫り来る巨躯。しかし、そこに威圧感は感じられない。

 

この程度では、彼を倒すことなど決して出来ない。

 

(さて、やりますか)

 

これから行う動きに備えるため、彼はセレナをさらに強く抱き寄せる。何かを予期したのだろう、今度ばかりは彼女も、恥じらうことなく聖夜に身を預けた。

 

人形までもう距離は無い。しかし、聖夜は相手の腕の振りかぶりに合わせて、自らも一歩踏み込む。

 

人形が放った拳が聖夜に直撃する、まさにその刹那。

 

「はッ!」

 

彼は前方に跳びながら一回転し、さらに着地際に相手の拳を踏みつけ、人形の頭上を超える大ジャンプをした。抱かれていたセレナにとっては、あまりにも突飛で奇想天外な行動。少しでもタイミングを誤れば間違いなくダメージを貰っていたであろう、高い技術力と慣れが必要なはずの行動。

 

 

彼女が知る由もない技術だ。相手を踏み台にして空中に跳び上がる、聖夜ら狩人が使う狩猟スタイルの一つ。

 

――そして、大剣の場合、重力も乗った超高威力の溜め斬りこそ、その真髄。

 

 

「終わりだ」

 

 

空中で反転しながら、彼は大剣を振り上げる。片手ながらも充分に溜められたその一撃は、人形を見事に頭から両断した。

 

しかし、その勢いそのままに着地すれば、廃ビルの脆い床など簡単に崩してしまう。巨大な人形が真っ二つに切り裂かれる目の前の光景に驚愕しながらも、咄嗟にそう悟ったセレナは、満足な効果は得られないのを承知で、聖夜の足元に電磁浮遊の術式を発動させた。

 

(即興だけど、何もしないよりは……)

 

彼女が覚悟を決めたその時、大剣のコアが輝き、周囲の万応素が動いた。まるでセレナの術式を助けるように。それを直に感じて、彼女は遅まきながら理解した。

 

――この少年が、そこまで予想していないはずが無かった、と。

 

「ありがとな」

 

それなのに、完璧に機能した術式によってふわりと着地した聖夜は、彼女に感謝を述べた。

 

「星辰力には、もう余裕がなくてね。セレナのおかげで浪費せずに済んだ」

 

言われて、今更のように思い出す。彼の星辰力は決して多くないことを。

 

ここまでサイラスを翻弄してきた聖夜だったが、純星煌式武装の同時使用や様々な技、さらにはその前の捜索による消費も合わさり、星辰力の量は残り少なくなっていた。それこそ、自分の放った一撃の勢いを中和することにすら、星辰力の使用量を考えなければならなかったほどに。それ故に、彼にとっては、セレナの行為は大変ありがたいものだったのだ。

 

 

 

ともあれ、人形二体の残骸が崩れ落ちる音を以て、戦闘は終わった。

 

 

「……さて、そろそろ大人しくしてくれないか。面倒なのはもういい」

 

もう言葉すら出なくなり、馬鹿みたいに口を開けていたサイラスだったが、聖夜達が近付いていくと情けない悲鳴を上げながら逃げ出した。もっとも、ほとんど腰が抜けているような状態であるため、決して速くは無い。

 

「往生際が悪いなあ……あっ」

 

だが、二人が何かに気付き走り出すより先に、サイラスが人形の残骸に縋り付く。そして、それはまるで意思を持っているかのように浮かび上がり、速度を上げて吹き抜けを飛んで行った。

 

うわ、と聖夜が顔を顰める。

 

「星辰力が残ってれば撃ち落とせるのに……」

「俺が行くよ。ごめんユリス、ちょっと追いかけてくる」

 

腕の中のユリスが問いかけた。

 

「それは構わないが……間に合うのか?」

「うーん、それは微妙かな……」

「まあ、間に合わなきゃ後で捕まえるだけだけどさ」

 

サイラスは既に最上階付近を飛んでいる。このままでは、逃がすのは時間の問題だ。

 

すると、得意げな顔をして彼女達は言う。

 

「なら、私の出番だな」

「それなら私の出番ね」

 

えっ、と顔を見合わせる綾斗達に、ユリスとセレナは不敵に笑ってみせた。

 

「言っただろう、足手まといになる気はないと」

「それに、やられっぱなしっていうのも癪だし」

 

星辰力を集中させ、彼女達は言葉を紡ぐ。

 

「咲き誇れ、極楽鳥の燈翼(ストレリーティア)!」

「咲き纏え、金糸雀の麗幕(リヴェールティア)!」

 

瞬間、彼らの周囲に万応素が集まったかと思うと、綾斗の背に美しき炎の翼が現れ、聖夜の全身を麗しき電撃のベールが覆った。それはさながら、優雅に空を舞う鳥の如く。

 

「おお、綺麗……これで飛ぶのか?」

「凄い……これで飛べるのかい?」

 

驚く彼らに対して、ユリスとセレナは意気揚々と言った。

 

「ええ、そうよ。あいつに一泡吹かせてやりましょ!」

「操作は私達がやる。今度こそ止めを刺してやれ!」

 

あはは……と綾斗は苦笑。

 

「……随分とハイテンションなお姫様達だこと」

 

聖夜もまた困ったように言うと、完全に操作を任せた綾斗とは反対に、セレナの術式に再び自分を割り込ませた。黄金色のベールに碧色が加わり、さらに幻想的な色合いとなって、揺れる。

 

他者の術への介入、そして補助。あまりにも難易度の高いその技術に遅まきながら驚くセレナだったが、聖夜は事も無げに微笑んだ。

 

「飛んだ経験ならあるし、操作は任せて。……もっとも、操作するくらいしか出来ないから、術式の大部分は頼む」

 

星辰力がね……という呟きが聞こえたかと思うと、彼の両足が静かに床を離れる。

 

「いいね。綺麗な術式だ」

 

そう感嘆し、彼は綾斗達の方を見た。彼らも準備万端のようだ。一つ頷き、言った。

 

「それじゃ、三流役者の仮面を叩き斬りに行こうか」

「了解。終わらせに行こう」

 

翼を羽ばたかせ、ベールをなびかせ、彼らは圧倒的な加速力で以て飛び立った。

 

「あそこよ!」

 

吹き抜けから上空へと飛び出した綾斗と聖夜は、夕焼け空を背景にして逃げ去って行くサイラスを捕捉する。向こうから攻撃を仕掛けてくる様子はなく、どうやら逃げることしか考えていないらしい。

 

とはいえ、人形の残骸程度では、星導館トップクラスの魔女(ストレガ)二人の能力から逃れられるはずもなく。ましてや、綾斗と聖夜が居るおかげで、彼女達は普段以上の力を発揮しているのであって。

 

「なっ……!」

 

そして、追い抜き反転した純星煌式武装(オーガルクス)使い二人の、その刃を防ぐこともまた、サイラスには出来るはずもなく。

 

「これで終わりだよ」

「さあ、チェッカーフラッグだ」

 

 

「や、やめろぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!」

 

 

悲鳴とも絶叫ともいえる声を上げたサイラスに、容赦無く魔剣と大剣が叩き込まれた。自身が乗っていた人形の残骸を――聖夜には身体をも――すれ違いざまに斬られ、苦悶の表情を浮かべて彼は眼下の廃ビル街へと落下していく。

 

とはいえ、サイラスも星脈世代だ。いくら手負いの状態でこの高さから落下したとしても、大怪我こそすれ死ぬことはないだろう。

 

「あれじゃ、そう遠くには逃げられない。あとは生徒会長と副会長に任せよう」

 

聖夜は大剣に付いた血を払い落とし、「お疲れ様」と三人に声をかけた。

 

「ああ……流石に疲れたぞ」

「ホントにね。やっと終わった、って感じ」

 

腕の中の少女達がそう言って溜め息を吐けば、綾斗も釣られて苦笑を浮かべる。

 

「そうだね。……でも、ほら」

 

しかし、綾斗が視線を向けながらそう示した先には、見事な夕焼け空と赤く染まった学戦都市が広がっていた。

 

見渡す限り、全てに朱色が落ちている。あまりにも美しいその光景に、絶景は見慣れている聖夜も感嘆の声をあげた。

 

「はー……なんかもう、見事としか言えない」

 

こんな景色は聖夜も初めてだ。近未来都市と夕焼けの組み合わせは言うまでもなく幻想的であるが、どこか不思議な懐かしさを感じさせる。ユリスと綾斗、セレナと聖夜が、どちらからともなく微笑みを交わした。

 

 

――綾斗の周囲の万応素が何の前触れもなく動いたのは、まさにその時だった。

 

「うぐっ!」

 

「っ、どうした!?」

 

万応素の不自然な揺らぎに感付いた聖夜が真っ先に、そして綾斗の苦しげな声を聞いてユリスとセレナが、それぞれ彼に起きた異変に気付く。

 

綾斗の身体に、無数の魔法陣が纏わり付いていた。

 

「これが……」

 

それを見て、聖夜はここに来るときに綾斗から聞いた話を思い出していた。曰く、その昔、彼の力は姉の能力によって封印されたと。そして、全力を出すためにはその封印を無理矢理破らなければならず、解放後に再び封印が戻った際には強い反動が襲ってくると。

 

まさに、今の状況がそれなのだ。

 

「うあああああああぁぁぁぁぁ!!」

 

魔法陣から鎖が現れ、綾斗の身体に巻き付く。そして、彼が一際大きく叫んだと同時に、一斉に綾斗を締め付けた。

 

鎖が消える。綾斗の意識は、既に無い。

 

「お、おい! しっかりしろ!」

 

落ちまいと慌てて綾斗にしがみ付きつつ、ユリスが呼ぶ。ともかくどうにかしなければと、聖夜もそちらへ移動しようとして、

 

(あ、れ……?)

 

ふらり、と。突然、意識が遠のいていく。視界が徐々にぼやけていく中、彼はさして苦労することなくその原因を理解した。考えるまでもなかった。

 

(ああ……星辰力、か)

 

単純な話だ。すなわち、星辰力切れ(プラーナアウト)

 

(甘かった、ここで切れるなんて……)

 

様子がおかしいことに気付いたのだろう、セレナが驚いたように何かを言っている。しかし、その声を脳が処理できない。必然、何を言っているのかも分からない。

 

そして、思考能力すら呑み込まれていく。それでも辛うじて一声、

 

「……あと、任せた」

 

それを最後に、聖夜の意識は消えた。

 

 

 

さて、ここで困るのはユリスとセレナの二人である。特にセレナは、『金糸雀の麗幕』の操作を任せていた聖夜の意識消失と共に彼からの星辰力の供給が途絶えた結果、何の前触れもなく術の全制御を行わなくてはならなくなり、高度を少し落としてしまっていた。

 

「セレナ、大丈夫か!?」

「ええ……それより、そっちは任せたわよ!」

 

しかしすぐにリカバリーした彼女は、上から飛んできた声に返事をし、近くにある廃ビルの屋上を目指して翔ける。ユリスも「ああ!」と返し、どこか違う屋上に向かって羽ばたいていった。

 

 

「「全く、頼りになるのかならないのか……!」」

 

 

 

 

 



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第十八話〜少女の想い〜



今年の抱負は? ――こ、更新速度の上昇で(汗)





 

―――全身に広がる、嫌になるくらいの倦怠感。何故こんな状態の時に目覚めてしまったのかと、聖夜は己を呪いながら薄目を開ける。

 

ぼんやりとしか映らない視界、その中に美しい金色がちらついた。

 

(あれ、この色は……)

 

満足に回らない頭を働かせようと試みると、そのおかげか徐々に感覚が戻ってきた。

 

肌を撫でるようにそよ風が吹いている。後頭部が何か柔らかい物の上に乗っているようだ。心地良い感触が眠気を誘う。

 

声が聞こえる。優しく綺麗に響く声。だが、焦りを含んでいる。

 

「―――夜! 聖夜! 大丈夫なの?」

 

「……セレナ?」

 

その声に気付いた瞬間、眠気は吹き飛び意識は覚醒し、視界が一瞬にして鮮明になった。

 

こちらを覗き込んでいたセレナと目が合う。彼女がホッと表情を和らげた。

 

「良かった。気が付いた?」

「……ああ。ごめん、心配かけて」

 

口を動かすのも億劫だったが、とにかく安心させなければと微笑みかけながら答え、そして聖夜は今の状況を確認した。

 

真っ先に気付いたのは、セレナに膝枕されているということだ。先程から妙に後頭部が幸せだと思っていたが、納得した。

 

視線を横に逸らせば、相変わらず見事な夕焼け空が目に飛び込んでくる。意識を失ってからまだそれほど経っていなかったようだ。

 

とりあえずそこまで把握し、聖夜は腕を支えにまず頭を起こしかける。が、思うように力が入らず、彼の頭は再びセレナの膝に落ちてしまった。

 

優しい声とともに、その額に手が置かれる。

 

「まだ休んでいなさい。体温も低いし、無理はダメよ」

「……悪い、サンキュ」

 

本当にしんどいため、彼はその言葉に甘えることにした。全身の力を抜き、深呼吸をして、徐々に身体を目覚めさせていく。

 

途中、聖夜は気になっていたことを聞いた。

 

「そういや、さっき『聖夜』って呼んでくれたよな。どうしたんだ、突然?」

 

何気ない質問のつもりだった。しかし、セレナは気まずげに言いよどんでしまう。

 

「えっ、それは、その……いつも、名前で呼んでもらってるし……」

 

頬を微かに染め、ぷいっと顔を逸らされた。恐らく恥ずかしかったからなのだろうが、しかしそれは聖夜も同じだった。

 

(可愛いらしいな、おい……)

 

少しの沈黙。不安そうな声で、セレナがそれを破った。

 

「……これからも、そう呼んで良い?」

「もちろん。……それじゃ、こっちも遠慮なく呼ばせてもらうよ、セレナ」

 

元より断る理由は無い。即答し、気恥ずかしさを吹き飛ばすためにも彼女の名前をわざと呼んでみる。すると、セレナは柔らかく微笑み、聖夜の額に置いた手を撫でるように動かし始めた。

 

「ふふっ……本当にズルいのね」

「何だよ、急に」

「独り言よ。気にしないで」

 

「そうか」と呟き、聖夜はセレナの温もりを感じながら再び眼を閉じる。普段なら気になっていたはずの彼女の言い方も、記憶には残りこそしたものの追及する気にはならなかった。この感覚に甘えることの方が大事だった。

 

しばし撫でられるがままに任せていると、今度はセレナから話しかけてきた。

 

「……ねえ、どうしてここまでしてくれるの?」

「ん、どういうことだ?」

 

聖夜がその意図を掴みかねて問い返すと、彼女は気遣わしげに言った。

 

「私は、アンタに守ってもらえるような人間じゃ無いのに。容姿は人並みだとしても、無愛想だし、友達付き合いも悪いし……何より、私はアンタに何もしてあげられてない」

 

なのにどうして、と言いかけるセレナを、聖夜は強引に遮った。

 

「俺は、何かをしてもらったから、なんて理由で人を助けたりしないよ。助けられるのなら助ける。例えそれが誰であっても、自分の手が届く範囲なら」

「でも、それは無理をして……例えば、星辰力を使い切ってまですること?」

「いや、流石にそこまではしないかな」

 

えっ、という驚きの声を聞いて、聖夜は眼を閉じたまま笑った。

 

「それほどまでに俺が入れ込むのは、誰か大切な人が関係している時だけだ。時雨然り、茜然り……今回はセレナがそうだった」

 

聖夜が瞼を開けると、覗き込んでいたセレナと眼が合った。彼女の瞳が揺れる。

 

「大切な、人……?」

「ああ。美しくて気高くて、少し不器用だけど優しいセレナを、俺は守りたいと思ったんだ」

 

聖夜は不意に、左手をセレナの頬へ伸ばした。

 

「つーかそもそも、俺がセレナに何もしてもらっていない、なんてことは無いんだよ。何せこっちに来てからの初めての友人だし、色々と助けてもらってるし」

 

「聖夜……」

 

セレナが瞳を潤ませて伸ばされた左手を握る。再び気恥ずかしくなり、彼は照れ隠しに続けた。

 

「それに、こんな絶世の美少女だしな」

 

冗談交じりに笑う。それに釣られて、セレナも幽かに口元を綻ばせた。

 

「……嬉しいことを言ってくれるのね」

「可愛いじゃないか、実際。見た目だけじゃなくて内面的な部分もさ」

 

聖夜が嘘偽りなくそう褒めると、彼女はほんのりと頬を赤く染め、聖夜の手を握っていない左手でおもむろに彼の眼を塞いだ。

 

「どうした?」

「恥ずかしいってこと、察してよ……」

「……なんかゴメン」

 

沈黙が続く。が、さして経たない内に、セレナがぽつりと呟いた。

 

「……私だって、アンタのことは大切だと思ってる。だから今日も、アンタには何も知らせなかったの」

 

彼女自身、言い訳がましくなっていることには気付いていた。しかし、聖夜は何も言わずに小さく頷いただけだったので、幸いにして言葉が止まることはなかった。

 

「私もユリスも、自分達でどうにかできると思ってた。犯人もほとんど分かっていたし、実力に対する驕りもあったんだと思う。結局、私達は手酷くやられて、とどめを刺されそうになって、でもその時にアンタ達が来てくれた。……正直、すごく安心したし、嬉しかったわ。守るべき人達に守られた、っていうのにね」

 

視界を塞がれている聖夜には何も見えない。それでも、彼女がどんな表情で話しているのか、それは見えずとも分かった。

 

「アンタは強いってよく分かっていたはずなのに、守ってあげようなんて変な気を起こして、結局迷惑をかけて。……こんなどうしようもない人間を、それでも大切だと思ってくれるの?」

 

 

「当たり前だ」

 

 

自嘲気味な言葉を遮り、聖夜が言った。その口調は、セレナは思わず怯んでしまうほど強かった。

 

「迷惑上等。さっきも言ったけど、俺はセレナを守りたいと思ったからここに来たんだ」

 

聖夜はセレナの手を顔から優しく離れさせ、幾分か力が戻った様子で上体を起こす。そして、セレナの心配そうな視線をよそに、彼女に向かい合うようにして座った。

 

「セレナが俺のことを思って黙っていたのはよく知っているし、理解もしている」

 

真っ直ぐな瞳で、続ける。

 

「だから、俺はそのことを責めたりはしない。……それに、今回は俺も当事者だ」

「……えっ?」

 

驚きというより、何を言っているのか分からないといった表情でセレナが声を上げた。

 

聖夜が問う。

 

「戦闘前に俺がサイラス・ノーマンに言った事を覚えているか?」

 

だが、セレナは首を横に振らざるを得なかった。とはいえ、緊張状態から一転、圧倒的なまでの安心感に包まれていたその時の詳細を思い出すことは、例え彼女でなくとも不可能だっただろう。

 

聖夜にとっても、答えを期待した問いでは無かった。

 

「いや、それも当然だ。あの状況でわざわざ会話を記憶しようとは思わないからな。……話を戻そうか」

 

セレナとしっかり眼を合わせ、聖夜は言った。

 

「俺はあいつを挑発した後、こう言ったんだ。『あの夜に俺を襲ったあいつらは、アンタと奴の差し金だろう?』ってな」

 

「実は、俺も襲撃を受けたんだ。セレナに街を案内してもらった、あの日の夜に」

 

「相手は五人。それぞれ耳にインカムをはめていて、何者かから指示を受けていたことは明白だった」

 

「もちろん、適当に無力化して背後関係を尋問した。ただ、思ったより時間がかかってね……全てが分かったのは、今からほんの数時間前のことだ」

 

「こちらの予想通り、裏に居たのはサイラス・ノーマンと、そして()()()()。そっちは俺が始末をつけにいくつもりだから、それまでは秘密にさせてもらうけど……」

 

話が逸れたな、と聖夜は少し間を置いて、

 

「……つまり、隠し事をしていたのはなにもセレナだけじゃないってことだ。俺だって、余計な心配をかけたくないって理由で襲撃を黙っていたんだから。その件に関しちゃ、俺らはお互い様だな」

 

セレナは驚きを隠せなかった。その事実もさることながら、何よりそんな素振りを全く見せなかった聖夜に。

 

しかし、セレナは首を軽く振って、呟いた。

 

「……お互い様。そうね」

「ああ。そうだ」

 

気付いたのだ。聖夜がこのことをわざわざ話してくれたのは、ひとえにセレナへの心遣いからだったのだと。

 

「セレナこそ、こんな自己中心的な奴の心配をしてくれるのか?」 

 

その証拠に、聖夜はわざとらしくそう言ったのだから。

 

返す言葉は決まっていた。

 

「するに決まってるでしょ。……大切な人なんだから」

「……そうか。光栄だよ」

 

今度は聖夜の方が恥ずかしかったらしい。少々泳ぎ気味な彼の視線を、セレナはどこか微笑ましく思った。

 

聖夜が一つ咳払いをする。

 

「ともかく、今回のことは……黙っていたことについては何も言わない。ただ、一つだけ言わせて欲しいことがあるんだ」

 

そう言った聖夜の目は、確かな意志を宿していた。

 

「困ったら、頼れ。迷惑なんて気にするな。……全てを一人で抱え込む必要なんてない」

 

ああ、とセレナは完全に理解した。彼が言いたかったのはこの事だったのだ。何も遠慮する必要などない、頼ってくれと。

 

(……そういえば、私の部屋でも同じことを言ってた)

 

 

―――何か変な事が起きたら相談すること。そうすりゃ、俺が必ず守ってやるから。

 

 

あれほど嬉しかったその言葉を、セレナは一時も忘れたことがない。……だからこそ、今回の件だって、黙っていようと決めるのに何度も葛藤したのだ。相談するべきじゃないのか、ああ言ってくれたのに。そう考える度に、心が揺らいだ。

 

だが、その葛藤は全く無意味なものだったらしい。そのことに、落胆や後悔の気持ち……は、彼女には何故か起こらなかった。

 

 

――むしろ。

 

「ありがとう。間違いを教えてくれて」

 

自分の考え方が間違っていたことに、彼は気付かせてくれたのだ。そのことに対する感謝。

 

 

そして、もう一つ。

 

 

「許してくれて、ありがとう」

 

 

その間違いをも許容してくれた聖夜に対する、感謝。

 

謝罪はしない。もし謝ってしまったら、先程の彼の心遣いを無駄にしてしまうから。

 

それで良かった。聖夜も優しく微笑み、言った。

 

「こっちこそ。……俺の事を考えてくれて、ありがとな」

 

本当にズルい、とセレナは思う。こんなことを微笑みながら言われては、大概の女子は程度の差こそあれ惹かれてしまうに違いない。

 

というより、彼女はもう認めていた。聖夜のことは()()()()()大切に想っていると。――恋をしてしまっている、ということを。

 

 

いつからだったのか、それは彼女自身にも分からない。自然とそうなっていた、というのが正しいのだろう。だから、従姉妹であるユリスにそう指摘された時、彼女は酷く驚いたのだ。

 

セレナとて恋愛という概念を知らなかったわけでは無い。恋愛初心者でこそあるが、知識としてはよく分かっていたつもりだった。

 

しかし、恋愛は自覚することが難しいという事実を甘く見ていた。指摘された際、そんなはずは無いとすぐさま反論しようとしたセレナは、しかし否定することが出来なかった。

 

 

聖夜と一緒に居る時は心地良い。けれど少し鼓動が速くなる。一緒に居ない時、彼の事をよく思い出す。彼が他の女性と居るのを見た時は、何かモヤモヤしたものを感じる。―――気付いたのだ。これらは全て、恋をしている時の症状だと。

 

自覚してしまった後も大変だった。聖夜と顔を合わせるのがとてつもなく恥ずかしくなり、何気ない態度を取るのに四苦八苦した。この気持ちを悟られないために、彼女は必死になった。

 

だが、恋というものはどうしようもなかった。バレたくないのに、離れたくない。悟られたくないのに、伝えたくなる。こうして座っていても、できもしないのに彼の顔を見つめたくなる。

 

だが、その彼は一体どうなのだろうか。聖夜は女子と話す時にはしっかりと目を見るし、軽いスキンシップも平然と行う。それはセレナが相手でも同じだ。それはつまり、セレナのことを特別意識しているわけではない、ということなのではないか。

 

恋を自覚し始めたら、聖夜に関する様々な事がセレナの頭に浮かんで離れなくなってしまった。

 

 

(ホント、どうしてくれるのよ……)

 

 

甘酸っぱいだけではない、ほろ苦さもある本当の恋を、セレナは初めて経験している。

 

 

 

 



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第十九話〜『なり損ない』〜

最近、PS4でPSO2始めました。2鯖でのんびりやっているので、フレンドになっても良いよって方がもし居ましたらツイッターのDMなんかで教えてください。フレンド一人も居ないんで寂しいんです……。


……で、はい。なんでこんな話をしたのかと言うと、主が想像以上にPSO2にハマってしまったからなんですよね。

つまり、この作品にPSO2要素が増えるかもというわけでして……本当に誰得?

なるべく詳しい描写をして、知らない人も困らないように致しますので、どうかよろしくお願いします。……あ! 今回は出てきませんのでご安心下さい。


それでは、どうぞ。





 

 

『丑三つ時、庭の四阿へ来られませ。

 

姿をお見せにならなかった場合、人形遣いの悪事を広めることと致します。勿論、その関係者のことも含めて。

 

 

 

―――最高の敗北を、教えて差し上げましょう。』

 

 

 

 

 

 

 

 

その手紙は、男が読み終わった瞬間に燃え尽きた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

 

「遅かったな。寮を抜け出すのに手間取ったか?」

 

午前二時。近付いてくる足音を聞き、聖夜は木に寄りかかり腕を組んだままそう言った。

 

返ってきた言葉は冷静だった。

 

「……二時を少し回った程度だ。遅れではないと思うが?」

「地球にはこんな言葉がある。……五分前行動、ってな」

 

聖夜がくつくつと笑うと、歩いてきた男は不愉快そうに顔を歪めた。

 

「呼び出しておいて何を言う。来てやったんだ、遅れたって文句は無いだろう」

「来ざるを得なかった、の間違いじゃないか? 別に無視したって良かったんだからな」

 

そう言っておきながら、それが出来ない状況だったということは聖夜もよく理解している。でなければ、あの手紙の脅迫は意味を成さなかった。

 

「貴様……!」

「アンタが怒る筋合いは無いと思うけどなあ」

 

もっとも、だからといって聖夜の挑発が緩むことはあり得ない。口元を不敵に歪めたまま、寄りかかっていた木からようやく離れる。

 

「むしろ感謝してほしいくらいだ。こうやって、口封じのチャンスを与えたんだから」

「……ああ、それに関しては有難く思っているよ。俺を舐めていたことを後悔させてやれるからな」

 

ふうん、と聖夜は面白がった。

 

「一回負けてるのに余裕そうだな。この前とは態度も随分違うし、何か策でもあるのか? ……なあ、丸木裕二サン?」

 

月明かりに照らされ、顔がはっきりと現れた男……裕二はハン、と鼻で笑う。

 

「あれが本気だったと思ってもらっちゃ困る。序列三十五位の地位だって、ある程度融通が利いて、尚且つ目立ち過ぎないようにした結果なわけだからな」

「そうか? 序列入り生徒って響きだけでも、俺からしてみれば結構目立つように感じるけど」

 

アンタとは違うのかな、と聖夜はわざとらしく付け加える。だが、裕二はこの挑発には乗らなかった。

 

「お前は目立っても良いんだろうが、俺は違う。目立たないからこそ、色々やって稼げるのさ」

 

滔々と述べる裕二。それを聞いて、聖夜はつまらなさそうに首を横に振った。

 

「実力があるなら裏でコソコソしなくても稼げるだろう。アンタの本気が大したものじゃないってことの証明にはなるかもしれないが、目立たないからこそ良いってのは基本的に言い訳だぞ」

「どうでもいいな、そんなこと。結果が出れば何だって構わない」

 

結果さえあれば、その過程で何をしようと気にしない。裕二が自分に対して、そして人に何かさせる時に求めるのがこの考え方だ。

 

だが、聖夜はこの考え方が好きではなかった。

 

「結果が全てって言う奴も、実力をしっかり備えているんだったらいいけど、そうじゃない半端者は総じて失敗するだけなんだよな。ひどく残念な事に、どこでも通じる摂理だ」

「――何が言いたい」

「アンタごときが持つには些か崇高な考え方だ、ってことさ」

 

過程なくして結果はない。それが分からず、ただ結果だけを追い求めて取り返しのつかないことに見舞われた人々を、聖夜はハンター生活の中で何人も見てきた。若手は言うに及ばず、時にはベテランでさえも。

 

とはいえ、それを理由に、聖夜が裕二を欠片でも心配しているかと言えば全くあり得ないことだ。ここに彼が来た以上、あとは仕留めれば良いだけなのだから。

 

「ま、今更言う事でもないか。どうせもう平穏に終わることはできないんだ、せめて今後の教訓にでもしてくれればいい」

 

「………」

 

裕二が無言でハルバード型煌式武装を展開する。それとほぼ同時に聖夜も懐から呪符の束を抜き、そして人形(ひとがた)を周囲に浮かべた。

 

 

 

―――敵を見据え、宣言する。

 

 

「名乗ろう。今宵の俺は陰陽師、月影聖夜(なり)

 

 

星導館の生徒ではなく、一人の陰陽師――そして、一人の人間として。

 

 

「――古式の術で以て、敗北を教えてやる」

 

 

友人に危害を加えた者を、始末する。

 

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

聖夜の宣言を聞くや否や、裕二は一気に距離を詰めた。相手が何をしてくるのかは分からないが、純星煌式武装など、それらしい武装を出していないのは事実。ならば、何か仕掛けてくる前に終わらせれば良い。

 

その動きは、以前の決闘の時とは大きく違う。本気ではなかった、という言葉の通り、裕二は実力を隠していた。この前見せたような力任せの突進ではなく、いかに素早く自分の間合いへ持ち込むかに特化した飛び込み。この手で、彼は油断していた相手を何度も下してきた。ましてやこの前の決闘で先入観を持っているであろう聖夜は、何かをする暇もなく倒されるだけのはず。

 

 

――そのはずだったのだ。

 

 

「なっ、」

 

 

だからこそ、視界の先にいる聖夜が口端を幽かに歪めたことの意味が分からなかったし、唐突に頭上から降ってきた()()()に対する反応も遅れた。

 

「くっ……」

 

とはいえ、それでやられるわけでも無かった。ギリギリのところで攻撃の気配を察し、足に無理をさせながらも横に跳んで、そのまま地面を転がって追撃の雷撃も回避する。

 

しかし、体勢を立て直そうとした裕二の先には、聖夜が使役する人形が五体、獲物が誘い込まれるのを待っていた。

 

聖夜が唱える。

 

「『凰火(おうか)』!」

 

聖夜から人形へと星辰力が伝えられ、火と風の術が発動。裕二の前方で炎が生み出され、それを旋風が呑み込み、小規模ながら強烈な火焔の竜巻が発生する。

 

「うぐあっ!」

 

無論、姿勢を崩していた裕二に避けられるはずもなく、炎が身体の表面を舐める嫌な熱さと痛みを感じたかと思えば、次の瞬間には大きく吹き飛ばされ近くの樹に衝突していた。しかし、さらなる追撃の可能性に思い至り、痛みを堪えながら、そのまま素早く起き上がって防御の姿勢を取る。

 

 

―――だが、追撃は無かった。ふっ、と笑う声が聞こえる。

 

 

「少し、見くびってたかな。ここまで動けるなんて」

 

裕二が見れば、聖夜は先程から一歩も動いていなかった。そのことに戦慄を感じながら、裕二は声を絞り出す。

 

「……お前、まさか『魔術師(ダンテ)』なのか?」

「まさか。だとしたらもっと上手く術の行使が出来るだろうよ」

 

 

この陰陽術は、聖夜が持っている――もっとも、こちらの世界では『幻想の魔核(ファントム=レイ)』起動時にしか使えないが――『属性を司る程度の能力』とは全く関係がない。能力に気付いた後、月影家に遺されていた文献や資料を漁り、努力の末にようやく身に付けたものだ。

 

だが、いかに陰陽師の血を引く聖夜であっても、もちろんそのための訓練など受けていたわけではない。それこそ、陰陽術が盛んであった時代に比べれば、聖夜の術式の発動速度は平均にも届かないだろう。

 

しかし、及ばないのはあくまで速度の話。聖夜は元々妖怪退治で使うために陰陽術を学ぶことを決めたが、そもそもそういった戦闘においては、既に自身の能力による攻撃と武具の使用がメインだったこともあって、牽制或いはとどめの一撃として、陰陽術を火力や多様性に特化させるという選択肢があったのだ。陰陽術は事前に呪符の用意をしておけば霊力消費が少なく済むということもあり、また火力を上げるのは彼にとって発動を速めるより簡単だったため、聖夜の陰陽術における火力はかなり高い。

 

それに加えて、聖夜は能力の都合上、様々な技を同時に制御する技術にも長けていた。そのため、水や風といった特定の属性に偏ることなく術を行使するのはもちろん、式神を多数使役したり結界を複数展開することに対する適性もあった。文献の豊富さも含め、一カ月と少しという普通ではあり得ないペースで陰陽師としての基礎を身に付けることが出来た理由はそれだ。

 

 

――しかし、結局のところ、聖夜は陰陽術を後天的に、自ら学ぶことで手に入れただけ。その点で大多数の『魔術師(ダンテ)』や『魔女(ストレガ)』とは違う。この陰陽術だって、いくら火力や多様性に長けているとはいえ、似たような技術を持つ界龍(ジェロン)道士(タオシー)と総合的に比べても見劣りするのは間違いない。陰陽術だけで勝負しようとすれば、どうやっても不利なのは聖夜だ。

 

こちらの世界で使える弾幕だってそう。やっていることは能力者じみているが、実際は自身の星辰力をそのまま使用しているに過ぎないので、能力者と比べて効率が悪く、かつて幻想の地に居た頃と同じ威力を出すことは叶わない。

 

 

――つまり、あえて言うとすれば。

 

 

「俺は『魔術師』のなり損ないみたいなものさ」

 

 

星辰力を弾幕という形に具現化することは出来ても、純星煌式武装(オーガルクス)抜きでは万応素(マナ)に干渉することが難しい。そもそも、その星辰力にしたって、総量は非常に少ない。『魔術師』のように能力を意のままに発動する力は、この世界の理に縛られてしまった。

 

『なり損ない』。誰が定義したというわけではないが、きっとそれが今の聖夜を指すのにちょうどいい言葉なのだろう。もっとも、こうして裕二を圧倒している通り、戦闘における強さまでが『なり損ない』というわけではない。技術も経験も、アスタリスクの学生レベルはとっくに超えているのが聖夜だ。

 

 

「――さて、無駄話はこれくらいにしとこうか」

 

 

その聖夜が再び呪符を構える。ただし、今度はそのまま術を発動するのではなく。

 

「纏依【(いかずち)】――」

 

両足に呪符を纏わせ、電撃を発生させて。

 

「――こんな技もあってね。アンタは受け切れるかな?」

 

 

一閃。

 

 

 

振り抜かれた右足に裕二が反応できたのは奇跡に近かった。気付けば目前に迫っていた聖夜に対し、ほとんど反射でハルバードを持ち上げ、辛うじて直撃を免れる。

 

しかし、その威力は圧倒的だった。蹴りはもとより、そこに電撃による衝撃も加わるのだ。裕二は再び大きく吹き飛ばされ、そのまま中庭から飛び出す――直前で、透明な障壁に叩き付けられた。

 

「う、く……」

 

「ああそうだ。言い忘れてたけど、一定範囲に結界を張ってるから外には出られないよ」

 

聖夜の言葉が世間話のような気軽さで聞こえてくる。それに構う余裕のない裕二は、自身を妨げた結界に向かって武器を振り下ろした。しかし強固な結界はまるで揺るがない。

 

「だから無駄だって。俺が自分の意思で解除しない限りは、ね」

 

背後から気配。裕二が急いで振り向くと、何かが()()を通り過ぎた。

 

「遅いな。――『光月(みつづき)(かえし)』」

 

咄嗟に振り向き直した裕二の胸部に、綺麗な円弧を描く踵落としが直撃する。予想外の攻撃に対応することが出来ず、彼は息を詰まらせながら後ろへ飛ばされた。

 

「かはッ、」

 

今度は受け身すら取れなかった。勢いそのままに地面を転がる裕二を、聖夜は悠々と歩きながら追う。

 

「くっ……」

 

――と、裕二が制服の内側に手を入れた。そこから取り出したのは、一見すると何の変哲もなさそうなハンドガン型の煌式武装。

 

聖夜の心臓に素早く狙いを定め、一発。裕二の奥の手である、実は内部に様々なカスタムが施されたその煌式武装は、ハンドガン型だとは思えないほどの威力と弾速の光弾を放つ。星脈世代であっても、普段通りに星辰力を防御に回しただけでは貫通してしまうような、ただ殺傷するための弾。

 

 

しかし、そんな渾身の不意打ちにすら、聖夜は対応してしまった。

 

「命を無くす恐怖に慣れてない、そう指摘したはずなんだけどな」

 

光弾が放たれたと同時に、聖夜は左手の人差し指を突き出す。その指先には、彼の星辰力が一切の無駄なく高密度に集まっていた。彼の並外れた星辰力操作能力がなければ実現不可能な芸当だ。

 

 

――光弾が、聖夜の指で弾ける。

 

 

「な、んだと……?」

 

 

裕二からすれば、それはあたかも、聖夜が何も特別なことをせずに指一本で高威力の光弾を防いだように見えた。

 

 

………何もかも、通用しない。

 

 

「バケモノかよ……」

 

「狙う相手を間違えたんだよ」

 

 

光弾を防いだ指で、聖夜はおもむろに裕二を指す。

 

 

「チェッカーだ」

 

 

 

 

 

次の瞬間、水針が裕二の背部を貫き、風の刃が彼を正面から切り刻んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

 

「あらら。殺してないよね?」

 

「当たり前のように結界を越えないでくれない? ……致命傷になり得る臓器は外した。死なないと思うよ、多分」

 

 

血の海の中で裕二が意識を失ってすぐ、一人の少女が聖夜の傍らに飛び降りてきた。そんな少女に、聖夜は呆れ声をかける。

 

「……で? ()()()()見てたんだ?」

「そこの樹の上。……あなたが踵落としを決めた辺りからかな」

 

聖夜の質問に含まれていた意味を取り違えることなく、少女は聖夜が求めていた通りのことを答えた。

 

「そうか。……じゃ、これの後始末をしないと。もちろん手伝ってくれるんだろう?」

「ええ。こっちで処理させて欲しいからね。良いでしょ?」

 

聖夜は頷く。元より、この少女に任せておいた方が何かと都合が良い。彼女ならば、聖夜が多少の無理を言っても聞いてくれるだろう。

 

「治療はどうする?」

「あ、それはこっちで適当にやっとく。別に死ななきゃ問題無いからね」

 

靴の裏が血で汚れるのも厭わず、少女は倒れ伏している裕二に近付いた。

 

「なんか腹立ってきたなあ……私もちょっとやっていい?」

「程々にしとけよ。本当に死ぬぞ」

 

冗談冗談、と笑いながら少女が右手を軽く振り下ろす。小さな黒い刃が倒れ伏す影に突き刺さるのを、聖夜はやれやれとでも言いたげな視線で見ていた。

 

 

 

 

 




ワールドにPSO2にDIVAにグランツーリスモに……PS4楽し過ぎる。




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鳳凰星武祭編
第二十話〜月影聖夜のひととき〜


なぜこの話に二ヶ月近くかけてしまったのか、それが分からない……。





――とある昼休み。星導館学園の学食『北斗食堂』に向かう道にて。

 

「はー……面倒事はしばらくいいや」

 

その道すがら、三人の少女と歩いていた聖夜がふと独り言を零した。

 

すると、そのすぐ後ろに居た茜が彼の横に素早く駆け寄る。

 

「この二人から色々と聞いたよ。お疲れさま」

「ああ。……って、えっ? なんで知ってんの?」

 

不思議そうに振り向く聖夜に、茜は呆れたように答えた。

 

「だから、この二人に聞いたんだってば」

「いや、だからそれがおかしいと思ってだな」

 

そう。この前集まった時の様子を見た限りでは、茜は時雨、セレナと仲が良くなかったはず。

 

(……あ、でもさっき普通に会話してたっけか)

 

だが、先程集合した時は確かに三人で話していた。集合時間に遅れそうになって急いでいたためか、彼はそれを今の今まであまり意識していなかったのだ。

 

そして、ひとたびそのことを意識し始めれば、その異常さにどうしたって驚いてしまう。

 

「え、なに。いつの間にか仲良くなってたの?」

 

くすっ、と二人のやり取りを見ていた時雨が笑った。

 

「私達ね、たまに集まって話すようになったの。いわば女子会って感じで。……あ、ちなみに提案したのは私よ」

「時雨が?」

 

意外だった。行動力は高い彼女であるが、それにしても、どうしてわざわざそんな提案をしたのだろうか。

 

「……何か企んでるのか?」

「酷くない? 別に腹黒女ってわけじゃないんですけどー」

 

時雨が冗談めかしてむくれてみせる。しかし、聖夜は首を振った。

 

「そういうわけじゃないけど、なーんか妙でさ。普通に考えて、時雨がそんなことをする理由はないはずだろ?」

 

何か目的が無ければ、急に仲良くしようとは思わないはず。そう思っての発言だった。

 

んー、と時雨は考える素振りを見せる。

 

「まあ……そうね、聖夜に迷惑をかけたくないっていうのが一つ。私達が会う度にいがみ合ってたら、それこそ面倒だろうからね。だったら仲良くしちゃおうかなと」

 

聖夜がさりげなく茜とセレナに視線を飛ばすと、二人は小さく頷いていた。どうやら事実らしいと確認し、彼は時雨に視線を戻す。

 

「『一つ』ってことは、他にも?」

 

だが、そう問いかけた途端、時雨はそっと目を逸らした。

 

「……こら、目を合わせなさい」

「えっと、言わなくても良いかなーって……」

 

そんなにやましいことなのかと聖夜は胡乱げな目を向ける。しばしの沈黙の後、時雨がやっと口を開いた。

 

「……あなたの行動とかその他情報を共有するっていうのが、もう一つ」

「それってもう監視じゃねーか……さっきの感心を返してくれ」

 

しかし、なるほど確かに、そういう理由なら言い難そうにするのも納得である。半ば呆れたように聖夜が後ろの二人へ再び視線を向ければ、茜は時雨同様に目を逸らし、セレナは肩を竦めてみせた。

 

「……一応、理由はあるのよ」

「無かったらドン引きだよ……」

 

時雨が慌ててセレナの言葉を引き取る。

 

「そ、そうよ。あなたの行動に注意を払うのには相応の理由があるの」

「……認めたな?」

 

聖夜が苦笑しながら言うのを、時雨は聞こえないふりをして話を進めた。

 

「コホン。……いい? あなたは今、色々な意味で注目を集めているわ。星導館の生徒達から、序列上位者達から、そして私達生徒会からもね」

 

茜が付け加える。

 

「序列上位者達の警戒具合は特に凄いね。詳細の分からない『幻想の魔核(ファントム=レイ)』だけじゃなく私有の純星煌式武装も使いこなし、剣術や体術も並じゃない。試合映像だって、参考にするには短過ぎるものが二回分しかないし、対策をしようにも出来ないっていうのが現状かな」

 

「へえ……そりゃまた、随分と買ってもらえているようで」

 

もっとも、警戒するならしてもらった方が、聖夜にとっては都合が良い。既存の技に対応しようとすればするほど、初見の技に引っかかりやすくなってくれる。

 

時雨が話を戻した。

 

「生徒会は別の意味で注目……というよりも注意しているわね。私があなたの情報を共有したいのもそれよ」

「ふむ……どういう理由だ?」

 

「いくつかあるけど、一番はあなたがトラブルに巻き込まれやすいということ。……私から言わせれば、あなたはいつも自分から巻き込まれに行くだけなんだけどね」

「酷い言われようだな。……ってか、別にそういうつもりはないんだけど」

 

聖夜が心外そうに言うと、時雨は呆れを隠そうともせずに言い返した。

 

「本気で言ってるの? 今回だって、騒ぎの中心人物を二人とも倒しているのに?」

「あれはまあ、成り行きというか」

「違うでしょ? 丸木裕二は自分から誘い出していたじゃない。あの手紙、こっちでちゃんと回収しているのよ」

 

えっ、と言う声が二人分聞こえた。ばつが悪そうに、聖夜は頬を掻きながら。

 

「ちゃんと燃やしといたはずなんだけどなあ……」

「あなた文字書くのにも陰陽術使ったでしょ。燃え残しから内容の復元するくらいなら、私にだってできます」

 

はぐらかすことは許さないと、時雨はぴしゃりと言い放つ。そして、声のトーンを落として、訥々と告げた。

 

「あなたは前からそう。私の時だって、別にあなたがやる必要は無かったのに、わざわざ傷付いてまで……」

 

耳が痛いな、と聖夜は内心で苦笑。あの時に聖夜が行動する必要は確かに無かった。聖夜でなくとも、異変を解決するだけなら、他に適任がいただろう。しかし、あれを聖夜がやらなかったとすれば、傷付くことを恐れずに時雨の心を救おうとしなかったとすれば、今ここに時雨は居なかったはずだ。

 

そしてもちろん、時雨もそれは痛いほど分かっていた。分かっていながら、それでも、自ら進んで事件に飛び込んでいく聖夜が心配でならないのだ。

 

「大丈夫さ」

 

そして、そんな時雨の想いを察していながら、聖夜もこんな事を言うのである。

 

「守れるものも守れないようじゃ、俺は俺じゃなくなってしまう。……でも、ちゃんとこの前の約束は覚えているよ。だから大丈夫」

 

時雨に向かって力強く頷き。

 

「そんなつもりはない、ってのは訂正だ。それが原因で注意を払われるのも仕方ない。……けど、俺はこのやり方を変えるつもりも無いから、生徒会には迷惑をかけるかもな」

 

ふっ、と笑って。

 

「俺を監視するのも構わない。……けど、本当に動かなければならない時は、俺はお前ら三人だって出し抜いてみせるよ」

 

だからまあ、精々頑張って――と、冗談めかして聖夜が締め括る。時雨が呆気に取られているなか、茜がやれやれとでも言いたげに首を振った。

 

「よく分からないけど……まあ、聖夜は聖夜ってことか」

 

この場において、最も的を射た発言だった。

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「――あっ、そうだ」

 

生徒の列に並び、いざ食券を買おうとしたその時、聖夜が思い出したように言った。

 

「セレナ、今日のトレーニングで新しい技に挑戦しても良いか?」

 

セレナは振り返り、首を傾げる。

 

「構わないけど、別に確認なんて取らなくても……」

「いや、今回はセレナに合わせる必要がある技だからさ」

「そうなの?」

 

食券機の上部にあるメニューに目を通しつつ、聖夜は頷いた。

 

「下準備に時間がかかるものでね……でもその分、火力は相応にあると思う。上手く決まればそれだけで一試合終えられるくらいに」

「……ふうん、それは面白そうね」

 

どうやらセレナの興味を引いたらしく、彼女は聖夜の方へ顔だけ向ける。

 

……が、しかし、それが悲劇を招いた。セレナの指が、彼女が押すはずだったボタンの僅か下に逸れ、違うメニューを押してしまったのだ。

 

「あっ、」

 

しかもそれは、この食堂名物の激辛カレー。

 

「あー、やっちまったな……」

 

俺が食べようか? と喉元まで出てきていた言葉を、聖夜は飲み込む。ここでそれを言ったところで、変なところで意地を張るセレナが聞くわけもないからだ。

 

うわあ……と頭を抱えている彼女はとりあえず放っておいて、聖夜も食券を買う。押したのは、自分が食べたかったものではなくセレナがよく食べている洋食のセットだった。

 

そして、セレナが間違って買ってしまった食券を、そして茜と時雨の食券をも()()()()()()、一言。

 

「全部取ってくるから、席は決めといてくれるか?」

 

呆気に取られているセレナ達をよそに、彼はさっさと歩き去ってしまった。

 

 

女性陣は首を傾げる。

 

「……急にどうしたんだろ?」

「さあ……聖夜なりの慰め、とか?」

「もしそうだったら余計に辛いんだけど、私……というか、全部ってどうやって持ってくるつもりなのかしら」

「うーん……コツとかあるのかな」

「指の力だけで持つ……とかも出来そうだけどね、聖夜なら」

 

 

しかし、残念ながら彼女達の予想は外れていた。結界をお盆のように展開して四人分の料理を運んできた聖夜は、セレナの目の前にカレーではなく洋食セットを置いたのだ。

 

「悪い、ちょっとこのカレー食いたくなってきちゃって。こっちでも良いかな?」

「えっ、ちょっと……正気?」

 

セレナがそう言ったのも無理はない。そのカレーは、彼女の想像していたより色も匂いも凄まじかった。

 

しかし、聖夜はあっけらかんと。

 

「もちろん。大丈夫だよ、完食出来るから」

「嘘でしょ……?」

 

聖夜が気を遣ってくれているのは確かだが、どうやら無理をしているわけでもないらしい。それが分かってしまったセレナは絶句するしかなかった。

 

時雨もまた、信じられないものを見るかのような表情で言う。

 

「うっわあ、これはヤバいわね……というか、結界はそういう使い方しちゃダメでしょ。私達は一応陰陽師の血筋なんだから」

「いやまあ、最初は氷を使おうと思ったんだけど、こんな所で『幻想の魔核(ファントム=レイ)』を出すのもなあって。だからといって浮遊系の術式とか障壁はまだ下手くそだし、でも全部持ってくって言っちゃたし……って思ってたらちょうど手元に札があって、それでこうなったわけ」

 

元々、結界は空間を区切り隔離するためのものであった。それは結界に、簡単に言えば『霊的・物理的問わず、術者の決めたモノを通さない』性質があるからだ。

 

その用途の関係上、人間は古くから結界を魔性の者の退治や侵入防止に使ってきた。そして古の人々は、魔を防ぐ結界は神あるいは仏の力だと考えた。それは時代を追うにつれて間違っていたとされてきた――そもそも現代では過去の陰陽師などのそういった能力すら科学が否定しようとしている――が、陰陽師や神主、巫女や法師の間に深く根ざしたその考え方はそう易々と覆るものでもない。時雨もその例に漏れず、聖夜の安易な結界の使用に小言を零したのだ。

 

もちろん聖夜も最初はそのように考えていた。しかし、彼はハンターでもあった。その場にあるものは何でも使う生き方をしてきた彼は、ほどなくして陰陽術を日常でも使い始めるようになった。宗教に関わるものであるとは聖夜自身も分かっているので、たまに使う程度で済んでいるが。

 

 

時雨とて、そこまで細かく言うつもりでもなかった。

 

「まあ……いっか。持ってきてくれたんだから、あれこれ文句を言うのもね」

 

結局のところ、そういった術の類は手段に過ぎない。それがよほど禁忌に触れるようなもの――死霊術(ネクロマンシー)や血を贄とする術など――でもない限り、個人がどう使おうと自由だ。

 

この話題は終わり、とでも言いたげに時雨が手を合わせ、いただきますと口にする。残る三人もそれに続いて手を合わせ、それぞれ箸(及びスプーン)を動かし始めた。

 

再び時雨が問いかける。

 

「そうそう、ちょっと聞きたいことがあるんだけど」

「ん、なんだ?」

 

カレーを事も無げに口へ運んでいる聖夜を軽い戦慄の目で見つつ、時雨は続けた。

 

「……えっと、『アルスライトフレア』だっけ? こないだ見せてくれた技についてなんだけど」

「っと、もしかして説明不足だったか?」

 

いいえ、と時雨は首を振った。

 

「そういうことじゃないけど、ちょっと思ったことがあって。どうせ空気中の水分を酸素と水素に分けることが必要なら、あんな回りくどいことをしなくても、その二つを酸水素ガスとして結合させて点火すればもっと威力のある技になるんじゃないの?」

 

時雨本人としてはなかなか自信のある提案だった。しかし聖夜は笑って首を振り、彼女の案を否定する。

 

「『アルスライトフレア』に必要な程度の酸素と水素じゃ、星脈世代に効果のある威力の爆発は起こせない。もっと大規模な術式で気体の量を増やすか、術式を複数展開して酸水素ガスを多数配置するなりすれば別だろうけど……」

 

一つ、と指を折る。

 

「大規模な術式はそもそも準備に時間がかかる。使い勝手は極めて悪いとしか言えない。遠くから時間をかけて発動出来るならともかく、ね」

 

もう一つ、と。

 

「術式を複数用意するのはそれよりもさらに困難だ。確かにガスを連鎖爆発させれば相当な火力を生み出せるけど、俺の技量じゃ『気体成分の分離』を行う術式をそんな大量に展開することは出来ないんだ。恐らく、時雨は魔法科の……」

 

言いかけて、聖夜は言葉を変える。

 

「……まあ、いわば水素爆弾のようにすれば良いと思ったんだろうけど、そのレベルの魔法を使いこなせるようになるには相当な研鑽が必要になる。いくら『幻想の魔核』があるとはいえ、ちょっと実用性に欠けるかな」

 

長くなったけど、と締め括り、聖夜はカレーを再び口に運んだ。スパイシーなどという言葉では到底生ぬるい香辛料の匂いと、味を意識する間もなく痛覚を刺激してくる強烈な辛さを感じ――しかし特に反応を見せることもなく、淡々と食べ進めていく。

 

茜が興味津々といった様子で聞いた。

 

「ねえ聖夜、それってどのくらいの辛さなの?」

「んー……このまま寒冷地に行っても大丈夫そうなくらいだな。美味しいとか不味いとか関係無いし分からないレベルの辛さ」

 

それを聞いた茜は大きく身を乗り出す。

 

「つまり、私にも食べられるってことね?」

 

そして当然のように目を瞑り口を開けた彼女に、聖夜は苦笑。

 

「平気だとは思うけど……それをする必要性はないんじゃないか?」

 

とか言いつつも、彼は嫌がる様子もなくスプーンを彼女の口元へ持っていく。

 

「はい、あーん」

「んー……」

 

いつの間にか周囲の生徒達から(色々な意味で)注目を集めていることは気にも留めず、茜は聖夜のスプーンを咥えた。

 

――そして。

 

「……あー、確かに味は分からないかも。頭おかしいよ、この辛さ」

 

聖夜のように淡々と言ってのけた彼女に、時雨は呆れることすら出来なくなったようだった。

 

「そうは見えないんだけど……」

 

一方、セレナはセレナでまた別の思考に囚われていた。

 

(今のって間接キス、よね? あんなに何気なく出来るなんて……!)

 

辛さや匂いにどうして反応しないでいられるのかとか、そういったことよりも彼女は『間接キス』という概念に思考を奪われていた。

 

間接キス。恋愛初心者のセレナからすれば、考えただけでも頬が熱を帯びてしまう。

 

(うー……私もしてみたい、けど自分から誘うのは恥ずかしいし、どうすればいいかな……)

 

別に無理してやらなくても、というのは、セレナの意地が許さなかった。恥ずかしいからやらないというのは、何か負けたような感じがして嫌だった。

 

とはいえ、自然な流れでやってもらうためにはどうしたら良いかも分からない。

 

 

――そうやって悩んでいたのが、果たして吉と出たのか凶と出たのか。

 

「……聖夜先輩、ちょっといいですか?」

「ん? って勝海君か。どうした?」

 

彼らの元に、この間の騒動で聖夜に救われた勝海が現れたことで、セレナはついに行動を起こせなかった。しかし、それを悔やむ反面、知らない後輩に恥を晒さずに済んだことに対する安堵の気持ちもあった。

 

そんなセレナの心情は露知らず、勝海は初対面の女性陣に礼儀正しく頭を下げ、会話を続ける。

 

「はい。今日の特訓について、少しご相談がありまして」

「そうか。……いや、ちょっと待っててくれ。すぐに食うから」

 

そこまでして頂かなくても……という勝海の呟きを無視し、聖夜は半分ほど残っていたカレーを一気に流し込む。傍から見ればとても正気の沙汰とは思えない行為だったが、依然として聖夜は反応を示さなかった。

 

「……っし、待たせてごめんな。それじゃ行こうか」

「いえ、こちらこそ申し訳ありません……」

 

また後で、と女性陣に手を振り、聖夜は勝海と一緒に去っていく。その後ろ姿を見送って、セレナは無意識的に深いため息を吐いた。

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

聖夜が連れて来られたのは中等部の教室だった。

 

「俺のクラスです」

 

そう告げて、勝海は教室の中へ入って行った。どうやら誰かを呼んでくるらしい。周りの生徒達から送られる奇異と興味の視線を軽く受け流しながら、聖夜は勝海を待つ。

 

さほど時間はかからなかった。戻ってきた勝海は、サイドアップにしたダークブロンドの髪が美しい、緊張した面持ちの少女を傍らに連れていた。

 

「あれ、君は確か……」

 

聖夜はその少女に見覚えがあった。聖夜が序列入りしたあの決闘の時、サインを貰いに来た子達。その一人だったはず。

 

どうやら正解だったらしく、少女の顔に喜びの表情が浮かんだ。

 

「まさか覚えていてくださったなんて……」

「あはは、大げさだよ。あの時はありがとな。……君の名前は?」

 

聖夜が聞くと、少女は居住まいを正して答えた。

 

「オリヴィア・ルーゼンベルグと申します。どうぞお見知りおきを」

「おや、わざわざご丁寧に」

 

一つ頷いて、聖夜は手を差し出した。自分の紹介はしない。わざわざ言わなくても、彼女はこちらの名前を知っている。

 

二人が握手を交わしたのを見計らって、勝海が本題に入った。

 

「実は、オリヴィアさんも特訓に参加したいって言ってて……もし良ければ、どうですか?」

「ああ、なるほど。それで来てくれたのか」

 

ふふ、と小さく笑い、聖夜はオリヴィアの目を見つめる。オリヴィアは少し驚いた様子を見せたが、それでも臆せずに聖夜の目を真っ直ぐ見つめ返した。

 

「……うん、良い眼をしているな。強い意志を持った綺麗な眼だ」

 

不意に、聖夜が言った。その意味がよく分からなかったオリヴィアが首を傾げると、聖夜は「なんでもない」と手を振って、

 

「まあ、参加したいっていうことなら俺は大歓迎だよ。……ただ、守って欲しいことが一つだけある」

 

今度は勝海も首を傾げた。このことは彼も聞かされていなかった。

 

「特訓という形ではあるけど、その中で俺が君達に教えるようなこともあるはずだ。というか、二人共それが目的だろう?」

 

二人が頷く。

 

「もちろん、俺も出来る限り指導する。――でも、俺の言う事を聞くだけじゃダメだよ。何か意見があったら遠慮なく言いなさい」

 

えっ、と二人は聖夜の目をまじまじと見返した。彼らはむしろ逆のことを言われると思っていたのだ。

 

彼らが言わんとしていることは、聖夜にも手に取るように分かった。思わず笑みが零れてしまう。

 

「俺はそんな自信家じゃないよ。至らないところばかりだし、君達が期待するほどの強さだって無いかもしれない」

 

人に何かを教えるのは嫌いではないが、人に教えられるほどの器が自分にあるとは聖夜も思っていない。

 

――それでも、彼らが望むのなら、全力で応えてあげたいとも思うわけで。

 

「そんな奴でも良いと言うのなら、俺も自分が教えられる事の全てを君達に教えたい。……だからこそ、君達には様々な意見を言って欲しいんだ。意見を交わしていく中で、君達に相性の良い教え方が見つかっていくはずだから」

 

言い終わり、聖夜は二人の頭をぽんぽんと軽く叩いた。それは、後輩相手にしては似つかわしくない、とても優しすぎるものであって。

 

「それじゃ、これから頑張ろうな」

 

ふわりと微笑んだ聖夜のことを、勝海とオリヴィアが「兄のようだ」と思ったのは無理のないことだった。




次回は聖夜と後輩達の特訓です。



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第二十一話〜魔術師(ダンテ)魔女(ストレガ)と月影聖夜と〜

大学、まじ、やばい


……すみません。失踪疑惑すら持たれてるんじゃないかとヒヤヒヤしています、ハクロウ改め『はくろ〜』です。完全に自業自得ですが。


三ヶ月近く遅れたにも関わらず、文字数はちょっと長めで四話分くらいです。……本当に申し訳ございません、新生活に翻弄されてました(言い訳)。








特訓の参加者が一人増えた、その日の放課後。

 

勝海とオリヴィアに案内したのは、もはや聖夜にとって馴染み深いものとなった彼のトレーニングルーム。何故か、時雨も茜もセレナも自分の所を使わずに聖夜の所へ集まるようになったため、最近では来ていない日の方が少ない。ちなみに、今日もこの二人との特訓を終えた後にセレナとの練習が控えている。

 

入って早々、勝海が驚きの声をあげた。

 

「うわ、広い……序列入りしたらこんな部屋が使えるんですか?」

 

残念ながら、と聖夜は首を振る。

 

「通常、『冒頭の十二人(ページ・ワン)』以外にこういう部屋が与えられることはないらしい。俺はこれでも特待生だし、しかも早々に序列入りしたっていうのもあるけど……まあ、うちの副会長のワガママを学校側も聞くしかなかったんじゃないかな」

 

時雨の反感を買うようなことがあれば不利になる、と上が考えたとしても不思議ではない。時雨は優秀であり、それ以上に強いからだ。仮に統合企業財体が時雨に刺客を送る事態になったとして、彼女ならその全てを返り討ちに出来るだろうし、必要があれば命だって奪うだろう。――もっとも、それは聖夜も茜も同じであるが。

 

要するに、彼女の影響力は大きいのだ。月影家と並ぶ日本の名家、風鳴家の数少ない生き残りであり、星導館の生徒会副会長で序列八位。統合企業財体とて下手には扱えない。

 

それ以外にも、時雨は謎の多い生徒としていくつも噂が流れている。未だに本気をだしていないとか、星導館の諜報機関『影星』をも凌ぐ諜報能力を単独で有しているとか、影を操る能力を以て人すら消すことが出来るとか、そういった類の噂だ。普通なら「まさか」と思ってしまうようなものばかりだが、生憎と聖夜はそのどれもが本当だと知っている。

 

そんなことを考えて苦笑すると、勝海もなんとなく察したのだろう。

 

「やっぱり凄いんですね、『影刻の魔女(シャドウプリンセス)』って……まあ、そんな人と仲の良い聖夜先輩も凄いんですけど。しかも、昼に声をかけに行った時だって、彼女以外に『麗水の狩人(メレアヴィーネ)』と『雷華の魔女(スレイブリッツ)』の二人も居ましたし」

 

緊張したなあ……と零した勝海に、聖夜は優しく笑った。彼にとってあの三人は未知の存在だ。しかも、茜とセレナに至っては異性と仲良くしている姿を見たことがないとまで言われるほど。その中に混じっている聖夜に話しかけるのには、それはもう勇気がいることだっただろう。

 

――と、オリヴィアが「あっ」と何かに気付いたように。

 

「そういえば、月影先輩の二つ名が広まっていましたけど……」

「あ、それ俺も聞きました。でも三つくらいあって……どれが本物なんですか?」

 

二つ名が三つ。冷静に考えればおかしいのだが、これは全て正しい。

 

「三つとも本物だよ。……うん、言いたい事はよーく分かる」

 

しかし、彼らからすればそうではない。何か言いたそうにする勝海を制して、聖夜は軽い準備運動をしながら説明をすることにした。

 

「そうだな……まず、二人が知っているのを教えてくれるか?」

 

聖夜に続いて準備運動を始めた二人は瞬時に視線を交わし、その結果として勝海が口を開いた。

 

「えーっと、確か……『龍征の狩人(ミルスヴァーナ)』、『宵月を詠む魔導師(リュンヌ・マギカ)』、『幻創人(ファントム)』の三つです。……合ってるよね、オリヴィアさん?」

「うん。大丈夫だよ」

 

聖夜も頷く。やはり、あの時決めたものがちゃんと広まっているようだ。

 

「実は、それを作ったのも広めたのも、時雨の――うちの生徒会副会長の提案によるものでね。ちなみに『宵月を詠む魔導師』っていうのは当の時雨が、『龍征の狩人』っていうのは茜が、『幻創人』っていうのはセレナが考えてくれたんだ」

 

オリヴィアが口を両手で押さえて――恐らく素の行動だ――驚愕を露わにして言った。

 

「それはまた、豪華なメンバーと言いますか……星導館でもトップクラスの方達が名付けられたとは思いませんでした」

「俺もそう思うよ。ホント、序列三十五位にはもったいないよな」

 

そう言って聖夜はからからと笑ったが、しかし勝海とオリヴィアは笑わなかった。なにせ、『冒頭の十二人』のうち三人が彼に二つ名を与えたのだ。それが表すのは、つまり聖夜の実力を彼女達が認めているということ。そう考えれば、尊敬こそすれ笑えるようなものではなかった。

 

二人から、特にオリヴィアから向けられる視線の質が変わったのに気付き、聖夜は準備運動の締めに大きく腕を伸ばして言った。

 

「それじゃ、ちょっと闘ってみようか。一対一でも一対ニでも、君達の好きな方で良いよ」

 

これは意地の悪い質問だったかもしれない。聖夜が途轍もなく強いのではないかと気付いてしまった彼らにこの聞き方をすれば、間違いなく「二対一のほうが良いかな」と思うだろう。

 

しかし、二対一だからといって有利になるとは限らない。連携が未熟な状態で闘えば、むしろ一人で闘うよりも勝率は低くなる。

 

 

――と、普通ならそう聖夜が思ったようになるはずだったのだが、この二人は違った。タッグを組んで闘うリスクにちゃんと気付き、互いに目配せした上で選んだのは。

 

「それじゃあ、組んでもいいですか?」

 

聖夜にとっては意外なことに、二対一の希望だった。

 

(へえ……単純に考えたというわけじゃなさそうだ。何かアイデアがあるのかな、この子達には)

 

何を見せてくれるやら、と早速楽しみになっているのは表に出さないようにして、聖夜は頷いた。

 

「ん、構わないよ。準備が出来たら言ってくれ」

「いえ、こちらは大丈夫ですから、先輩の好きな時に始めてもらえれば……」

 

直後、勝海が急に顔を曇らせ、聖夜に頭を下げる。一体どうしたのかと訝しく思う聖夜だったが、

 

「……すみません。生意気な言い方をしてしまいました」

 

それを聞いて、彼はむしろ驚いた。

 

「えっ? あ、いや、別に今のが生意気だったとは全く思ってないけど……というか、先輩って言ってもたかだか二つしか変わらないんだし、そんな遠慮する必要は無いんだよ?」

 

このくらいで気を害するほど聖夜は狭量ではない。というよりも、あれを失礼だと思う人のほうが稀だろう。

 

だが、勝海にとってはそう簡単に割り切れるものでもないようで。

 

「いえ、そういうわけには……」

 

どうやら勝海は生真面目過ぎるきらいがあるようだった。こういう性格なんだろうし仕方ないか、と聖夜は苦笑し、この話題を終わらせることにした。

 

「ま、そうだよな。徐々に慣れてくれればいいさ」

 

そして、すぐに話題を変える……というより、戻す。

 

「それよりも、こっちの武器はどうしたらいい? 純星煌式武装(オーガルクス)は使っていいのか、使うにしても一つなのか二つなのか、君達に決めてもらいたい」

 

これもまた、今後彼らを教えていくのに大切なことだ。自分の力をどれだけ正確に知っているのか、自分で決めた条件だからといって油断しないで闘えるか――彼ら自身に聖夜の戦闘の条件を付けさせるというのは、聖夜の中では必要事項だった。

 

今度ばかりは二人も困惑した様子を見せ、相談を始める。

 

「えっ、と……どうしようか、勝海君?」

「うーん、こっちが二人とはいえ、先輩は相当強いし……純星煌式武装は無しにしてもらう?」

 

その様子を、聖夜は軽く頷きながら見ていた。

 

(そうそう、しっかり悩みなさい。どんなことであれ自分で考える、ということが大事なんだ)

 

戸惑いながらもすぐさま二人で意見を交わした彼らに、聖夜は自分の中での評価をさらに上げる。今のところ、彼らは聖夜の期待をすべて上回ってきているので、聖夜の評価は上がる一方だ。

 

――さて、聖夜が数パターンの戦法を考えているうちに、二人の意見も決まったようだった。

 

「先輩、純星煌式武装は一つでお願いします」

「はいよー、了解。……それじゃ、そろそろ始めようか」

 

二人から離れた場所まで歩いて行った聖夜は、そうして一つの純星煌式武装を取り出した。透き通るような青色に光るそれは、勝海とオリヴィアが見たことの無いもので。

 

「まさか、三つ目の……!?」

「ふふ、驚いてもらえたかな?」

 

聖夜が複数の純星煌式武装を所有しているという事実は、ほんの数名を除いて知られていない。そもそも二つの純星煌式武装を使えるということ自体珍しく、それだけでも所有者の実力がどれほど高いか分かるもの。だというのに、聖夜は事も無げに別のものを出してみせた。初めから聖夜の実力を非常に高いものとして見ていた勝海とオリヴィアだったが、こうなるとまでは予想できていなかった。

 

もっとも、聖夜にとっては、この二人の反応は狙っていたものだった。想定外の、まったく対策していないことが起きても、きちんと自分達の闘いが出来るかどうか――これも立派な確認事項だ。ちょっと驚かせてみようかな、という悪戯心があったのも否定はしないが。

 

「まあ、俺は君達の闘い方を知らないからね。こっちも君達が知らないであろう戦法を使わせてもらおうかと」

 

言って、聖夜はその純星煌式武装を起動させる。紺青の鞘に収まった太刀が、収まりきらない冷気を伴って現れる。

 

「『雪一文字【銀世界】』。それがこの太刀の名前だ」

 

彼はそれを背中へと回し、鞘の紐で固定した。

 

その瞬間、場の雰囲気が引き締まったのを、勝海とオリヴィアは確かに感じた。二人も自分の武器を――勝海はハンドガン型と片手剣型の煌式武装(ルークス)を、オリヴィアは本のようなものをそれぞれ取り出し、聖夜に相対する。

 

「へえ、何かの本みたいだけど、まさかただの書物ってわけでもないよな。しかも勝海君の方は一刀一丁流か。……うん、どっちも面白そうだ」

 

聖夜も刃を抜き、腰を軽く落として横に構える。聖夜対勝海・オリヴィアのペア。互いの準備が整った。

 

ふっと口端を上げ、聖夜が宣言する。

 

 

「さあ、始めようか!」

 

 

それを合図に二人は動いた。勝海はハンドガンから光弾を次々と放ち、オリヴィアは手に持つ本を開いて術の詠唱を始める。

 

聖夜はオリヴィアが持つそれに、彼女の詠唱という行動に、そして彼女の周りに展開されていく魔法陣に既視感を覚えた。

 

(あれは、まさか魔導書? まるで西洋魔術の……)

 

光弾を軽やかなステップで避けつつ、聖夜はオリヴィアに意識を向ける。この世界では見慣れない術に、つい興味が向いてしまう。

 

その隙を、勝海は見逃さなかった。

 

「ここだっ……!」

 

勝海が射撃を止め、右手に持った剣を高く掲げる。彼の周囲の万応素(マナ)が動き、何かを形作ろうとしているのを聖夜は確かに感じ取った。

 

(『魔術師』か!)

 

勝海が剣を振り下ろす。その動きに合わせて、彼の周囲から目には見えない何かが聖夜目掛けて飛んできた。

 

気配を頼りに太刀を振り抜き、その何かを迎撃する。重い手応えの後に彼が感じたのは、顔の横を流れていく空気の乱れだった。

 

空気弾(エアブリッド)……風か気体操作の能力)

 

続々と飛んでくる空気弾を弾き飛ばしつつ、聖夜はそう分析する。――と、その全てを防ぎ、いざ攻勢に転じようとした矢先、視界の端に彼を狙う半透明の刃物が複数映った。聖夜の直感が、これを受けるのは危険だと知らせる。

 

(っ、なるほど……)

 

それが一斉に襲い掛かってくると同時に、聖夜は後方宙返りで身を躱す。それでようやく見えた刃物の全数は、およそ三十にも届こうかといった数だった。それだけの刃物が、先程まで彼が居た空間を狂いなく貫き、そして溶けるように消えていった。

 

(今のは恐らく、述式による生成物……やっぱり魔術にしか見えないな。となるとあの子も能力者か)

 

それにしても、少々本気を出し過ぎではないだろうか。聖夜としてはただの手合わせ程度のつもりなのだが、彼らはまるで正式な試合に臨むかのような真面目さだ。今の攻撃だって、まともに受けていたら聖夜でもそれなりのダメージを負っていただろう。つまり、普通の生徒が相手だったら今ので勝ちが決まっていたかもしれないということだ。

 

(連携が出来ている。さては練習してたな?)

 

明らかに着地の隙を狙っていた、足元をすくうように飛んできた空気の塊を氷の盾で防ぎつつ、聖夜はそう確信する。

 

事実、その通りだった。勝海が聖夜に特訓をつけてもらうことが決まってすぐ――つまりオリヴィアの参加希望はまだ聖夜に伝えられていない時から、二人は密かに練習をしていた。自分達の能力が他人にバレないよう、人目に付かないような場所や時間を選び、聖夜相手に少しでも善戦するために努力を重ねた。

 

オリヴィアが飛び出す。武器らしい物は持たず、しかしまるで剣でも持つかのように両手を振りかぶって。

 

「――断ち斬れ、『グラム』!」

 

彼女がそう唱えると、その手に彼女の背丈ほどもある巨大な剣が現れる。相当精緻なイメージが出来ているのだろう、細かい所にまで装飾が施された、粗が無い立派な剣だ。

 

その剣が道を阻む氷の盾へと振り抜かれる。自身の氷によって視界が妨げられていた聖夜の目に飛び込んできたのは、澄んだ音を響かせて砕け散る氷と、二撃目を繰り出そうと踏み込んでくるオリヴィアの姿だった。

 

「やぁっ!」

「させるか!」

 

とはいえ、聖夜は視界が利かない程度でどうにかなるような人間ではない。素早く太刀を向け、オリヴィアを迎え撃つ。

 

刃と刃がぶつかり合う。オリヴィアが創り出した剣は決して負けておらず、崩壊することもなく聖夜の太刀を正面から受け止めてみせた。

 

(おっと、一応こっちは純星煌式武装なんだけどな……)

 

オリヴィアの術者としての力量、及びそのイメージの強固さに、聖夜は内心で舌を巻く。しかし、いかに彼女の剣が強力でも、聖夜とオリヴィアの間には決定的な膂力の差があった。

 

「っ……!」

 

鍔迫り合いを押し切り、流れるような動きでオリヴィアを剣ごと蹴り飛ばす。そして、聖夜は間髪入れずに、次の術の準備をしている勝海へ接近戦を挑みにかかった。

 

だが、聖夜が近付いてくるにも関わらず、勝海は術の発動を止めようとしない。なかなか肝が据わっている、と聖夜が感心しつつ斬りかかろうとしたその時、勝海の術式が完成した。

 

「そこっ!」

 

強烈な下降気流――というより気体そのものが聖夜の頭上から吹き付けた。少しひんやりとした空気に上から押さえ付けられるような形になり、止まりこそしなかったものの、意表を突かれた聖夜の動きは少し鈍る。

 

勝海はまさにそれを狙っていたのだ。気体の塊を叩き付けて、ダメージを与えるのではなく相手の動きを制限し、その隙に素早く校章を破壊する。能力がよく知られていないからこそ、相手の対応も間に合わない。

 

――相手が聖夜でなければ、きっとそうなっていただろう。

 

「……それなら、こうしようか」

 

聖夜が微笑を浮かべてそう呟いた瞬間、彼の周囲一帯が凍りつく。もちろん、勝海が操っていた気体も、その冷気からは逃れられなかった。

 

『雪一文字【銀世界】』の純星煌式武装としての能力、『氷属性の顕現と操作』。今の聖夜は『幻想の魔核(ファントム=レイ)』を使っていないため、氷属性しか使うことができない。しかしそれは、逆に言えば氷属性のみに専念できるということ。他の属性にリソースを割かなくて良い分、空間を凍らせたり強固な氷を顕現させたり、そういった能力を普段以上に上手く使える状態にある。

 

当然、勝海の思惑は外れた。操っていたはずの気体を自身の制御下から奪われ、彼は小さくない焦りを覚える。

 

(こんな簡単に……!)

 

しかし、彼は怯まなかった。例え対応されてしまったとしても、策はこれだけではないのだ。ちらと右後方に視線を向ければ、受け身を取っていたらしいオリヴィアが既に詠唱を開始している。勝海に聖夜と互角に切り結べる自信はないが、オリヴィアの援護があれば流れを取り戻すことくらいはできるはずだ。

 

巻き込むことは気にせず援護して、と彼女には既に伝えている。勝海は能力の関係で、周囲の物体や生物の気配を人より敏感に感じ取ることができるため、仮に接近戦になってもオリヴィアの援護は機能するからだ。

 

だが、それにはオリヴィアの心持ちも重要だ。大丈夫だと頭では分かっていても、いざそうなった場合、実績がなければ当然のことながら躊躇いが生まれてしまう。実際、練習を始めたばかりだった頃のオリヴィアは、巻き込みを恐れて充分な援護を行えなかった。そもそも、自信のあるなしに関わらず、激しく動く味方を遠距離から援護するのには高い技量が必要なのだ。

 

しかし、勝海の能力と、それを使いこなす実力を見ているうちに、彼女は信頼にも似た感情を覚えた。きっと彼は避けてくれる、むしろ臆してしまう方が助けにならないと分かり、次第に本来の動きが出来るようになっていったのだ。勝海の方も、オリヴィアが遠慮なく援護をしてくれるようになって、却って安心感が生まれた。

 

 

――今の二人は、鳳凰星武祭(フェニクス)に出場しても通用するほど、互いが互いを信頼している良いペアになっていた。

 

「いきます!」

 

突っ込んでくる聖夜に対し、勝海も自分から踏み込みつつハンドガンから光弾を放つ。最小限の動きでそれは躱されてしまうが、勝海が予測したとおり、そのおかげで聖夜が取れる経路は限定された。

 

そこへ、オリヴィアの()()が的確に叩き込まれる。先程のようなナイフだけではなく、そこそこの大きさを持つ火球や、折れないように強化され操られている無数の紙片が、避けられないタイミングで聖夜に殺到する。

 

聖夜は驚嘆を禁じ得なかった。

 

(この世界に魔法みたいな技術があること自体思ってもみなかったけど、まさかここまで汎用性に富んでいるなんてな……)

 

これはあくまで聖夜の推測だが、もしかすると西洋にはそういった術が昔から存在していて、それを教える場所もあるのではないか。一人の能力者が努力してここまでの多様性を身に着けたというよりも、そう考えた方がよほど自然だ。大陸発祥の、主に黄龍(ジェロン)の生徒が使う星仙術という技術体系もあることだし、不思議な話ではない。

 

 

――とはいえ、聖夜にとっては見慣れている技術だというのも事実だ。術の発動媒体も発動プロセスも、彼が知っている魔法に酷似している。

 

特に注意すべきは、述式によって生成されたらしい、どこか小洒落た感じのする短剣だ。こんな小さい飛び道具の形状も凝っているあたりにオリヴィアの繊細さと少女らしさが伺えるが、その威力はおよそ似つかわしくないほどに強力なものだろう。先程見せられた剣に関してもそうだが、イメージが細部まで及んでいるということは、つまりその術が彼女の得意なものだということを表している。あの剣が聖夜の純星煌式武装を相手に打ち合うことができたのだから、同じように生成されたこの短剣だって、ハンターとして鍛えられた聖夜の肌さえ容易に切り裂くだろう。

 

逆に、火球と紙片は短剣と比べると危険度は下がる。紙片を操作する述式は恐らく純星煌式武装の氷属性には敵わないし、火球はそもそもハンターである聖夜との相性が良くない。威力は申し分ないと思われるが、聖夜に有効かどうかはまた別の話である。

 

ともあれ、聖夜は短期決戦で終わらせることにした。この二人は手強い、長引かせて色々見たい気持ちも確かにあるが、それをすると(主に星辰力が無くなってしまって)後に控えているセレナとの特訓が満足に行えなくなってしまいそうだった。

 

 

「……それじゃ、終わらせようか」

 

 

雰囲気が変わった。そう二人が気付いた時には、既にオリヴィアの操る紙片は凄まじい冷気によって速度を奪われていた。火球もまた、冷気を突破することこそ出来たものの、無駄なく星辰力が集められた聖夜の腕に弾き飛ばされてしまう。

 

しかし、短剣だけはオリヴィアが狙った通りに聖夜へと飛んでいった。――妨害は、一切無かった。

 

(えっ、どうして……!?)

 

聖夜がそれを警戒していることはオリヴィアも察していた。故に、何かしら対策を講じてくると思っていたし、実際に紙片(カード)と火球は簡単に防がれてしまった。

 

にも関わらず、短剣は聖夜に殺到している。もっとも対応しなければならないもののはずなのに、なぜ。

 

 

――その答えは、聖夜がとった行動にあった。

 

「……」

 

短剣の群れを相手に、聖夜が太刀を向ける。避けようとする素振りは無い。それどころか、軽く笑みを浮かべてすらいる。

 

不意に、彼の周囲に煌めく軌跡が現れる。それが太刀の剣戟だとオリヴィアが気付いた時には、凍てつくその刃が、聖夜に直撃するもの、当たれば大きなダメージになるであろうものだけを次々と打ち落としていた。

 

……そう、直撃するもの()()だ。足や腕を掠める軌道で飛んでくる短剣を、聖夜は迎撃しようとしていなかった。

 

はっきりと、オリヴィアは驚愕を感じた。

 

(どうして全て打ち落とさないの……!?)

 

聖夜の剣閃の速さからすれば、短剣を一つ残らず落とすことも可能なはずだ。視線はしっかりと向けられているので、まさか気付いていないというわけでもないだろう。

 

オリヴィアの疑念は解消されないまま、相手にされなかった短剣達が聖夜を襲う。術者の高い技量を示すかのように、その軌道には一切の狂いもない。

 

 

それらが掠める直前、聖夜は再びふっと口角を上げた。一体何を考えているのかと、オリヴィアのみならず勝海までもが不可解な表情を浮かべた、その時。

 

(本当に何もしなかった……!)

 

いとも簡単に、聖夜の四肢を短剣が切り裂いた。一拍遅れて鮮血が飛ぶ。

 

はっとオリヴィアは口を覆い、心配そうな眼差しを向ける。しかし、聖夜はまるで痛みなど感じていないかのように平然としていた。

 

 

――聖夜の狙いは、まさしくこの被弾にあった。ぱっくりと裂かれた左腕の傷をちらりと見やりながら、聖夜は考える。

 

(やっぱりヤバいな、これは……身体の頑丈さは数少ない取り柄だったんだけど)

 

この短剣が相当な威力を誇っているであろうことは、もちろん頭の中では分かっていた。分かってはいたのだが、ハンターの性とでも言おうか、聖夜はその威力を自分で体験しておきたくなってしまったのだ。もっとも、直撃してしまってはどうなるか分からないので、掠めていくものだけを選ばなければならなかったが。

 

けれども、そんな面倒なことをした意味は確かにあった。そこらの妖怪なら生身で勝負できると言われたこともあるほど強靭な聖夜の身体に、見事としか言いようの無い綺麗な傷をあっさりと負わせたという事実は、オリヴィアがどれほど強力な術者であるかを如実に表していた。

 

――しかし、強いばかりではない。欠点もあった。

 

(だけどまあ、ちょっとばかり()()()()かな……戦いっていうルールの無い場ならともかく、試合で使うならもっと加減させないと)

 

受けたのが聖夜であったからまだ良かったものの、これが他の生徒であればさらに深い傷を負っていたはず。もちろん彼女とてどんな相手にも本気で挑むわけではないだろうが、どれほどの強者であっても、それがこのアスタリスクの学生レベルであったなら、この威力は明らかに過剰だ。それこそ星武祭や決闘であれば反則を取られかねないほどに。

 

恐らく、彼女は今まで手加減が必要な戦闘をしたことがないのだろう。決闘が日常茶飯事なこのアスタリスクに居てそれはありえないように思えるが、事実として彼女の試合や決闘の映像は一つも無い。そして彼女が術を学んだときには手加減など考えられる余裕がなかったのかもしれない。それらを総合して考えれば、彼女がどのように加減をすれば良いのか分からないというのも納得出来る。

 

何にせよ、オリヴィアには手加減の仕方を教えなければならない。聖夜が被弾したときの様子からも分かる通り、彼女は戦闘中でも相手を気遣える心優しい少女だ。故に、自分でもよく分からないうちに大怪我を負わせてしまうなど、彼女にとっては悪夢のような冗談でしかないだろう。

 

踏み込む度にあふれ出し、トレーニングウェアを赤く染めていく血液は気にも留めず、聖夜は勝海に肉薄する。予想もしなかった方法で、しかもさして苦戦することなくオリヴィアの魔術を突破されたからか、勝海の反応は少し鈍かった。

 

「……」

 

無言で振り抜かれた凍てつく刃を、勝海は辛うじて煌式武装で受け止める。――否、受け止めたのだが、想像よりも遥かに重い一撃に、慌てて剣を両手で支え直した。

 

(やっ、ばい……嘘だろ!?)

 

視線が交錯する。まるで獲物を見定めるかのような聖夜の眼差しからは、しかしまだ本気ではないということが察せられた。聖夜に『龍征の狩人』という二つ名が名付けられた所以を、勝海はこの一瞬で確かに感じ取った。

 

一方、聖夜は聖夜で、勝海の胆力に感心していた。

 

(純星煌式武装が相手だと分かっていても避けようとしなかった……無意識に身体が動いてしまいそうなものなんだけどな)

 

戦い慣れているのであればいざ知らず、詳細のよく分からない純星煌式武装を受け止めようとはなかなか思わないだろう。よしんばそう思ったとしても、身体は無意識に逃げる方向へと動こうとしてしまうのが普通だ。むしろ、そう動くと聖夜は踏んでいた。

 

しかし、そうはならなかった。勝海は、聖夜の武器が純星煌式武装だと分かった上で、無意識下の動きすら抑制してその刃を受け止めてみせた。とんだ度胸と、そして意思の強さがあってこそ成せる芸当だ。

 

――しかし、純星煌式武装ばかりが強力なのではない。オリヴィアと『グラム』を吹き飛ばした聖夜自身の膂力も、他に劣らぬ立派な武器だ。

 

「ふっ!」

「おわっ、と!」

 

聖夜の太刀に弾かれ、しかしすぐさま持ち直して次の一太刀を受け止め、そして再び弾かれる。聖夜の膂力は、勝海の想定を遥かに上回っていた。

 

そして、厄介な点がもう一つ。

 

(きっつい……しかも武器狙いかよ!?)

 

そう。聖夜は勝海の校章や身体は狙わず、手に持っている剣を標的にしているのだ。そうはさせじと勝海も左手のハンドガンと能力で牽制を試みるが、その程度では聖夜は止まらない。

 

オリヴィアの援護も、先程までの勢いを失っていた。聖夜を傷付けてしまったことを気負っているのか、物量は明らかに少なくなっていたし、短剣も使っていない。飛んでくるのは紙片と、そして火球や雷撃、風などの術ばかりだ。

 

もちろん、それらは聖夜に通用しなかった。斬撃とステップ、時には強引に弾き飛ばすことでその全てに対処し、そして流れるような動きで勝海の剣を斬り上げる。

 

「うわっ……!?」

 

何度も聖夜の重い攻撃を受け止めていた勝海の手は、とうとう耐えきれずに武器を放してしまった。打ち上げられる彼の煌式武装。

 

――そして、勝海の校章に突き付けられる白銀の刃。

 

「……!」

「ふふ、勝負ありだ」

 

一瞬だけ、二人の目が合う。勝海の瞳に映った聖夜の眼差しは、決して勝ち誇ったようなものではなく、ただ限りなく優しいものだった。

 

 

――と、次の瞬間には、聖夜はオリヴィアの方へと向かっていた。太刀の切っ先を地面に擦るようにして、勝海が下されたことに驚愕していた彼女へ疾走する。

 

だが、オリヴィアも並ではない。驚愕の中にあってもすぐに我にかえり、その目で聖夜を捉える。

 

「っ、『グラム』!」

 

勢いそのままに下段から振り抜かれた太刀を、再び顕現させた『グラム』で受ける。オリヴィアが渾身の力で振り下ろしたからか、聖夜の太刀は剣にしっかりと阻まれた。

 

――が、その刃がするりと『グラム』の上を滑る。あっ、とオリヴィアが気付いた時には、彼女は柔らかく力を抜いた聖夜にいなされる形となって、前にバランスを崩していた。

 

(上手い……!)

 

続けて放たれた袈裟斬りを、なんとか姿勢を立て直してその軌道を逸らしながら、オリヴィアは改めて聖夜の強さと自身の武器の弱点を実感した。

 

魔術の原則として、術式によって創り出された物体にも重量が与えられる。もっとも、それが短剣のように小さなものであればさほど問題にはならないのだが、オリヴィアが使うような身の丈ほどもある剣ともなれば、重量というものは到底無視できるものではなくなる。大きくなればなるほど重量は増し、取り回しが利きにくくなるからだ。

 

しかし、オリヴィアにとって、『グラム』を創り出す術式は一番得意なものである。そのため彼女は何年も前から使いこなせるように努力をしてきたし、『グラム』の重量を苦だと感じたことも今までなかった。

 

 

――今、この時までは。

 

「くぅっ……!」

 

聖夜もまた彼女と同じように大振りな得物を使用しているが、その熟練度は段違いだ。加えて、その形状も太刀ゆえに細長く、少なくとも『グラム』の方が軽いということはないだろう。それが聖夜の圧倒的な膂力で振るわれるのだから、彼女の剣速では追いつけない。

 

明らかにオリヴィアは後手へと回っていた。このままではいけないと、一歩下がりながらの横薙ぎ、続いて踏み込みながらの三連撃を辛うじて捌ききり、彼女は後ろに跳んで聖夜の間合いからの脱出を試みる。

 

しかし、聖夜の連撃は終わっていなかった。着地したオリヴィアの目に映ったのは、大きく踏み込みながらの回転斬りで再び間合いへと飛び込んでくる聖夜の姿。

 

その剣閃に、オリヴィアは反応できなかった。無意識に防御しようと動いた彼女の腕と剣を躱し、凍てつく刃の腹がオリヴィアの左脇腹を撫でる。

 

「ひぁっ!?」

 

制服越しにも関わらず襲ってきた冷たさに、オリヴィアは押し殺せなかった悲鳴をあげてへたり込んでしまった。

 

――直後、羞恥に顔を赤くした彼女に、太刀を納めた聖夜が苦笑しながら手を差し伸べる。

 

「ごめんな。寸止めにしておけば良かった」

「いえ、その、こちらこそお見苦しいところをお見せしてしまって……」

 

よっぽど恥ずかしかったのか、髪の間からかすかに見える耳まで真っ赤に染まっているオリヴィアは、おっかなびっくりといった様子で聖夜の手を取る。その様子に口元を綻ばせた聖夜は彼女を優しく引っ張り上げると、彼女の服に汚れが付いていないかをさっと目視で確認し、続けて勝海を手招きした。

 

勝海が走り寄ってくるのを待って、聖夜は口を開く。

 

「お疲れさん。……さて、まずは一つ文句を言いたいんだけども」

 

その言葉に勝海とオリヴィアは身構えるが、しかし聖夜の表情はとても文句があるとは思えない、優しく柔らかいものだった。

 

「二人とも、随分と連携が上手だったな?」

 

なおも優しい表情のままそう言われ、勝海は何となくいたたまれない気持ちになった。

 

「……すみません」

 

しかし、聖夜は驚いた様子で、

 

「いやいや、なにを謝る必要がある?」

 

そして、親しみを込めた眼差しで二人の後輩を見る。

 

「ごめんごめん、ちょっと意地悪だったかな。……俺はね、感心しているんだ。俺と闘うかもしれないという仮定のもと、きちんと準備していた君達二人に」

 

あれ、と二人は不思議に思った。てっきり「隠れて練習していたとはね」と呆れられたりするものだと思っていたのに、実際にはそうではなかった。

 

そんな思いが、二人の顔にも出ていたのだろう。聖夜は「良い子達だな」と呟き、二人の頭に軽く手を置いた。

 

「正々堂々とやろうと思うことは間違いじゃない。でも、今回の場合は俺が言い出したことなんだから、君達が気に病む必要もないよ。そもそもいくら事前に練習してたとしても、俺が闘おうかと言わなければ意味がなかったわけだし」

 

それに、と聖夜は首を振って、

 

「俺の方こそズルをしたようなものだ。君達が何かしら対策してきてるなーと察した上で、俺は誰も知らないであろう太刀を使ったんだからね」

「んぅ……月影先輩、私達が先輩対策をしていたのに気付いてたんですか?」

 

聖夜に頭を撫でられ、少しくすぐったそうにしながらオリヴィアが聞き返す。

 

「何となく、だけどな。……その反応を見るに、どうやらその予感は当たっていたみたいだけど」

 

それにしても、と聖夜はようやく撫でるのを止めて、

 

「恐ろしく強いじゃないか、二人とも。まさかどっちもが能力者だとは思ってもみなかったよ」

 

本当にまさかだった。彼らの強さも、その能力も。

 

「どんな能力か当ててみたいんだけど、良いか?」

 

こくりと二人が頷いたのを確認して、聖夜は自身の推測を述べる。

 

「まずはオリヴィアちゃん……いや、ちょっと呼びにくいな。呼び捨て、いやそれだと失礼か? あだ名、いやしかしイマイチ思い付かない……んーと、どう呼んで欲しい?」

 

……が、未だにオリヴィアの呼び方を定めていなかったことに気付き、どう呼ぶべきなのかとばつが悪そうにそう言った。当のオリヴィアはキョトンと聖夜を見つめ――そして、くすっと笑う。

 

「えっと、どうした?」

「ふふ、ちょっと可笑しくって……」

 

その様子に悪意はまったく感じられないので、聖夜も不思議そうな顔をしただけだった。

 

「……いえ、すみません。しかし、呼び方なんて些細なことなんですから、先輩の好きにしていただいて構いませんよ?」

 

単に、オリヴィアは面白く感じただけだ。後輩の呼び方にさえ、相手のことをきちんと考える聖夜のことを。そして、そんな些細なことでも気まずそうにした聖夜の優しさと年相応な様子を。

 

(本当に不思議な先輩……学生らしからぬ強さと大人らしさを持ち合わせているかと思えば、こうやって年相応の顔を見せたりするんだもの)

 

まざまざと見せつけられた、次元が違うといっても過言ではない戦闘力と洞察力、勝海とオリヴィアが兄のようだと思ってしまうような大人びて優しい振る舞い。そして、それに反するような学生らしい――それこそ他人の呼び方一つに悩んだり気を遣ったりするその様子。それらが合わさって見えたとき、オリヴィアはつい微笑んでしまったのだ。

 

しかし、まさか聖夜に彼女のそんな思考が分かるはずもない。首を傾げながらも、彼は答える。

 

「そうか? なら、俺はオリヴィアって呼ばせてもらおうかな。もちろん呼び捨てがダメなら変えるけど……」

「大丈夫です。……むしろ、名前で呼んでいただいてもよろしいのでしょうか」

 

ただ、これはオリヴィアにとって予想外だった。まさか名前を、しかも呼び捨てで呼んで()()()()とは、彼女も思っていなかった。

 

「いやいや、そんな……別に偉かったりするわけでもないんだし」

 

これには聖夜も苦笑い。先程見せた年相応っぷりはどこへやら、やれやれとでも言いたげなその眼差しはまさしく兄が妹に向けるようなものだった。

 

そして、向けられるのはまだ数回目だというのに、オリヴィアはその眼差しを心地良く感じていた。向けられる度に、この人はきちんと自分を見てくれているのだと安心できた。

 

もっとも、それは勝海に対しても同じなのだが。初めて話しかけられた時から、勝海はオリヴィアのことをちゃんと見ていた。聖夜と勝海、二人の眼差しは質こそ大きく異なるが、そのどちらもオリヴィアに安心感をもたらすのだった。

 

――と、聖夜が手を叩いて言う。

 

「……まあ、話を戻すとしますか。まずはオリヴィア、君の能力は恐らく『魔術の行使』。その中でも得意としているのが召喚・生成系統の術式、次点で属性・精霊系統――さて、合ってるかな?」

 

すらすらと述べた聖夜に、オリヴィアは本当に――それこそ言葉が出なくなるくらいに驚いた。闘いの中でも薄々思っていたことだったが、もしかすると彼は。

 

「『西洋魔術』を知っているのですか……?」

 

彼女がかつて学んだ『西洋魔術』は、時代の移り変わりによって元々高くない知名度がさらに下がっている。もっとも、確かに一般の人が知るようなものではないのだが、今となっては欧州諸国出身の星脈世代でさえその大半が魔術というものを知らないくらいだ。そして、生徒が見世物にされるこのアスタリスクには、魔術を学んだ者達は絶対に来たがらない。オリヴィアが星導館に居るのは、彼女の魔術の適正が著しく偏っているからとEUSS(欧州魔術学協会)が良い扱いをしなかったために嫌になったからであって、彼女以外に魔術を使える者は間違い無くアスタリスクに存在しない。つまり、魔術を東洋出身の聖夜が知っているとすれば、それはかなり稀有なことなのだ。

 

そしてその可能性はオリヴィアに不安をもたらした。もし彼がEUSSのことまで詳しく知っているなら、このアスタリスクに居るオリヴィアがある意味で落ちこぼれだということまで分かってしまう。もちろん聖夜は、彼女のかつて友人だった者達のように彼女を馬鹿にしたり嘲ったりすることは絶対にないだろうが、それでも昔のことを思い出してオリヴィアは少し怖くなった。

 

……しかし、それは彼女の杞憂に終わった。

 

「いや、詳しいことは全然知らないよ。ただ月影家(うち)は陰陽師の家系だから、俺も古式の術には明るくてね。確か昔の文献に『魔術』というものが記されていたなってことを思い出したんだ」

 

半分の嘘と半分の真実を織り交ぜて聖夜は言った。確かに彼は古式の術に詳しい。だが、『魔術』と呼ばれるものがこの世界にあることはまったく知らなかった。

 

――そもそもとして、もしこの場に聖夜のように古式術に詳しい者が居たとすれば、聖夜の発言がおかしいことに気付いただろう。日本が他国との交流を始めたのは、古式術の進歩がほとんど止まり始めていたような時代からだ。ということはつまり、そんな時代に古式術についての文献が記されることはないということ。当然、『魔術』というものが日本の文献に記されているわけもない。

 

とはいえ、彼女の複雑そうな表情を見れば、『西洋魔術』には決して良い思い出だけがあるのではないのだろう、ということくらいは想像できた。なので、彼はその話題を掘り下げるようなことはせず、しかしそうとは悟られないよう自然に勝海の方へと向き直る。

 

「そんじゃ、次は勝海君だな。……君の能力は『気体の操作』。風や気流ではなく、周囲に存在する気体そのものを操る能力」

 

これについては聖夜も自信があった。故に、勝海が不思議そうに首を傾げたのを見たとき、聖夜は思わず表情を崩してしまった。

 

「ありゃ、もしかして間違ってた?」

「あ、いえ、間違っているというか……」

 

しかし、よく見れば勝海自身もどこか要領を得ないといった様子で。

 

「……実は、俺も自分の能力がどこまでの規模なのか、あまりよく分かってなくて」

 

それを聞いて、聖夜は納得した。

 

(温度が上下したり成分が変わったりしてたわりに術式自体はちゃんと発動してたから、制御出来ているんだか出来ていないんだかよく分からなかったかと思えば……なるほどね、そういうことだったか)

 

聖夜が勝海の能力を『気体を操る』ものだと判断したのは、例え無意識によるものだったとしても温度変化や成分変化が能力使用の際に伴っていたからだ。それ故、まだ勝海が能力に慣れていないだけなのだろうと聖夜は予測していたのだが、どうやらそれは外れていたらしい。

 

「ふーむ……どうしたものかな。多分、というかほぼ間違いなく、君の能力は『気体操作』なんだけども」

「先輩がそう言うのでしたら、そうなんでしょうけど……」

 

納得していない様子の勝海。いや、聖夜の言葉は全く疑っていないのだが、その言葉を受け入れきれていないというほうが正しいか。

 

「――勝海君、自分の能力に気付いたのはいつ頃だ?」

 

そのため、聖夜は自分から話を進めやすくしようと質問を投げかけた。

 

「これは……その、先輩と会う少し前に」

 

勝海が少々答えにくそうに言う。まあ、聖夜と勝海が初めて邂逅したのは、すなわちあの襲撃の時だったのだから、言いづらくなるのも仕方ないのだが。

 

(だからあの時は能力を使っていなかったのか)

 

だから、聖夜もそれをわざわざ気にするようなことはせず、それよりも勝海に彼の能力の()()をどう伝えたら良いかを考えた。

 

「なるほどね……それじゃ、まだその能力を使いこなしてはいない感じかな。その割には上手く戦闘に組み込めてたけど」

「いえ、そんな……使えるものは最大限に利用しただけです」

「その柔軟性は誇って良いと思うよ、俺は」

 

それはともかく、と。

 

「君の能力はね、恐らく相当な可能性に富んでいるものなんだ。……俺がちょっと実践するから、参考にしてみてほしい」

 

壁際に歩いていき、コンソールパネルを操作する。そうして現れた練習用の的に、彼は『幻想の魔核(ファントム=レイ)』を起動して向かい合った。

 

「………」

 

『幻想の魔核』に軽く手を当て、その手をゆっくり薙ぎ払う。発動術式は『ニブルヘイム』。分子運動を減速させて作り出した超低温度の空気をぶつけ、対象を凍てつかせる魔法。

 

「なっ……!」

「これって……!?」

 

勝海とオリヴィアが、それぞれ異なった驚きの表情を浮かべる。その時には既に、的は周囲の床もろとも霜に覆われ凍りついていた。

 

「ふふ、驚いてくれたかな? 勝海君の能力なら、練習さえすればこれくらいのことは出来るようになるはずだよ」

 

聖夜が推測するに、勝海の能力は万応素(マナ)から気体を作り出すのみならず、万応素を媒介として周囲を漂う空気の成分や温度までもを変化させることのできるもの。練度が上がっていけば、空気弾や気流の刃を発生させることはもちろん、超高温・低温の気体を作り出し相手を焼いたり凍りつかせることや、空気中の酸素を抜いて脱酸素症に陥らせるといったことも可能になるだろう。

 

「ま、そういうわけで……勝海君の課題はその能力に慣れることだな。俺もなんとか教えていくから、とにかく頑張ろう」

 

自身の能力に秘められたものを理解したのだろう、勝海はその言葉に強く頷いた。

 

 

さて、と聖夜は難しい顔をしているオリヴィアへと向き直り。

 

「オリヴィア、君の課題は―――」

 

『来客です。取り次ぎますか?』

 

言いかけたそれは、来客を知らせるベルと機械音声に遮られた。




突然ですが、ブログ始めました。主にクワガタのことしか書きませんが、もし興味があればぜひツイッターからどうぞ!




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第二十二話〜隠密の少女と剣の少女〜



だんだんテストが始まりだした、どうもはくろ〜です。






「――うわ、ごめん! 思ったより時間取っちゃってた!」

「気にしない気にしない。……けど、ちょっと急がせてもらおうかな。それじゃまた!」

 

星導館学園の生徒会室、手を振って見送る生徒会の面々に同じく手を振り返しつつ、月影聖夜はその扉から勢いよく飛び出していく。

 

(あっちゃー、間に合うかこれ……)

 

廊下の突き当りにある窓を開けてそこから飛び降り、受け身すら無く着地しつつ、飛び出し際に仕込んでおいた魔法で窓を閉め直す。誰も見ていないからこその行動だ。

 

何故、彼はここまで急ぐのか。それはセレナと約束している特訓の時間が迫っているからである。いくら生徒会に加入するにあたっての説明があったとはいえ、刻限に遅れたりすれば間違いなく彼女は不機嫌になる。そして特訓にも関わらず反則級の技が飛んでくる。

 

(それだけは勘弁願いたいねぇ……)

 

こういう時、空を飛べないというのは不便だ。全ての障害物を無視して最短距離を取れる空中とは違い、地上では回り道せざるを得ないことが多い。今回の場合にしたって、直線的にトレーニングルームのある校舎へ行こうとすれば、木々の間を縫って進まなければならないのだ。それならばきちんと舗装された道を進んだほうが早い。

 

それでも、多少の補助はあったほうが楽だろう――そう考えて、聖夜は走りながら腰のホルダーより『幻想の魔核(ファントム=レイ)』を取り出した。

 

 

だが、流れるようにそれを起動させた時、驚くべきことが起きた。

 

「なっ、」

 

ホルダーから目を上げた聖夜の目の前、わずかニ、三歩ほどのところに、突如として少女が現れたのだ。聖夜が『幻想の魔核』を起動させるのに視線を落としていたのはわずか二秒ほど。ましてや彼が走っている遊歩道は、多少曲がりくねってはいるもののある程度先が見通せる構造になっている。つまりはこの少女が脇の街路樹地帯から飛び出してきたりしていない限り間違いなく何度かは彼の視界に入っていたはずだが、しかし本当に飛び出してきたとしても、それはそれでその前に気配で気付いたはずだ。

 

「ひゃっ!」

 

聖夜に遅れて、少女の方も彼に気付いたらしい。彼女の方も急いでいたらしかったが、それにしても聖夜が気配を殺しながら走っていたのがいけなかった。

 

(やっべ、でも多少無茶すれば避けられる……)

 

しかし、聖夜の瞬発力があれば、直前に横へ回転回避すれば恐らくぶつからずに済む。ちょっとばかり足首を痛めるかもしれないが、衝突するよりは断然マシだ。

 

――と、彼は考えていたのだが。

 

「……っ!」

「っ、おい!」

 

何を思ったか、少女が大きく横っ飛びに回避する動きを見せたのだ。その反応速度は非常に素晴らしいものだが、明らかに聖夜以上の無理をしてしまう動きだ。脚を痛めるのはもちろん、飛び込んだ後の受け身すら取れないだろう。

 

(間に合え……!)

 

回避から一転、少女が倒れるその下に滑り込む。そして、勢いそのままに聖夜の上へ飛び込んでくる少女を、なるべく彼女への負担が少なくなるよう自分の体をクッションにして抱きとめる。

 

「くっ……」

 

だが、それはつまり、少女が受けるはずだった衝撃を聖夜が肩代わりするということ。例え聖夜が頑丈なハンターで、例え相手が小柄な少女だとしても、それなりに重い衝撃に襲われることになる。

 

それでも、聖夜が想定していたほどではなかった。少女の方も聖夜が受け止めようとしているのに気付いて、意識的かどうかはともかく、あえて全身から飛び込むようにしてくれたおかげだろう。衝撃が一点に集中せず分散し、結果的に互いの負担が減った。

 

「……っと、大丈夫?」

 

おかげで、聖夜も流れるような動きで立つことができた。鈍痛が少々体に響くが、こんなものは放置していればいずれ治るだろう。今は自分のことよりも少女のほうが大切だ。

 

至近距離で、聖夜の亜麻色の目が星空を思わせる紺青の目と合う。……といっても、少女の方は恥ずかしそうにすぐ目を逸らしてしまったが。

 

(うっわ……すげえ美少女)

 

しかし、気恥ずかしく感じたのは聖夜も同じだった。あどけなさを感じさせながらも、どちらかといえば美しいと思わせる細めの顔立ち。艷やかに輝くセミショートの黒髪。中等部の生徒らしいが、それにしては出るところはそこそこ出ていながら、締まるところは締まっている均整の取れたプロポーション。そして、目を合わせた者を吸い込んでしまいそうな煌めく瞳。周囲の美少女率が非常に高く、慣れているはずの聖夜でさえ、密着しているこの状況に思わず赤面しそうになってしまうくらいの美少女っぷりだ。

 

とはいえ、それを面に出すような迂闊な真似はしない。何事も無かったようにそっと少女を離し、再び問う。

 

「ん、驚かせてごめんな。怪我は無いか?」

 

すると少女はハッとして、聖夜に慌てて頭を下げた。

 

「すみませんでした! その、ご迷惑を……」

 

そして、何かに気付いたように聖夜をまじまじと見つめる。

 

「……私の存在が分かるのですか?」

 

それを聞いて、聖夜は内心で疑問に思った――というより訝しんだ。

 

(一体どういう……? この子、普段は周りから認識されていないのか?)

 

考えられるものとしては、彼女が隠密系の能力者か、そのような効果を持つ純星煌式武装の使い手であるということだ。さしずめ、その能力が発動していたために自分は聖夜から認識されていないと思い、先程のような無茶な回避をしたのだろう。

 

そして、少女自身「見えているのか」ではなく「存在が分かるのか」と言っていた通り、その能力は単に姿を消したりするものではないらしい。恐らく、相手(もしくは周囲の人々)に干渉して、自分の存在を認識させなくする類の能力。

 

そうであれば、聖夜が『幻想の魔核』を起動した瞬間に彼女が現れたのも納得できる。『幻想の魔核』起動時の聖夜は、意識して抑制しない限り幻想郷に居たときと同じように龍属性を宿している。彼女の能力が他者に干渉して発動するものならば、『幻想の魔核』起動の瞬間、龍属性に無効化されて初めて聖夜に認識できたのだろう。

 

……とまあ、半ば確信に近いものではあるものの、これらはあくまで聖夜の推測だ。本人に聞いてみなければ正しいことは分からない。

 

「あの、本当に申し訳ありませんでした……」

 

聖夜が無言で考えているのをどう捉えたか、少女が再び頭を下げた。

 

「や、別に気にしなくても……見えてなかった俺も悪いんだし」

 

聖夜もすぐに笑顔で返す。実際、特に被害など受けてはいないのだから、彼女が気に病む必要は無い。しかし、このままだと「こちらが悪かった」のいたちごっこになりかねないので、再び少女が口を開こうとするのを制して聖夜は質問をぶつけることにした。

 

「ただ、それにしては不自然だったな。もっと前に気付いていてもよかったんだけど……」

 

否、質問というよりは、独り言のような婉曲的な表現で言葉を投げかけた。下手な質問はそれこそ詰問のようにも取られてしまい、少女の罪悪感を助長させてしまうと考えたからだ。

 

「それは……私の能力のせいです。普段は気を付けて歩いているんですけど、今日はちょっと油断してて……」

 

(やっぱりな……)

 

少女の口から溢れた事実は、おおよそ聖夜の想像通りだった。

 

「なるほどね……っと、君は見たところ中等部の子みたいだけど、何か急ぎの用事でもあったのか?」

 

だが、再び少女が俯き気味になっていくのを見て、聖夜は慌てて話題を転換した。どうやら彼の気遣いはあまり効果が無かったらしい。

 

とはいえ、これもまた聞きたいことではあった。中等部の門限は高等部ほど緩くない。陽が傾き始めてそれなりに経っている今頃からでは、用事によっては急がなければならないのかもしれないのだ。

 

「いえ、急ぎの用というわけではないのですけど……ちょっと急がなければならない事情がありまして」

「なんか矛盾が起きてない?」

 

しかし、そうでもないようだった。彼女の言い方からして、時間が押していたりするというわけではない、ということは何となく分かるものの、やはり釈然としない。

 

聖夜のツッコミを受けて、少女は恥ずかしそうに言った。

 

「……高等部の方に行ってみたくて。最近噂になっている()()()()さん、という方を一目見てみたいなと」

 

それを聞いた瞬間、聖夜は自身の表情を取り繕うことしか考えなかった。

 

(………へっ? いや待てすっごいニヤけそうになるんだが!?)

 

美少女が「一目見てみたい」と言っている対象が、自分。ただそれだけのことが、聖夜にとってはとんでもない破壊力を持っていた。

 

とはいえ、ここで「月影聖夜ってのは俺のことなんだ」と爽やかにカミングアウトする胆力は、残念ながら聖夜は持ち合わせていない。――そこで、まずはどういった噂が流れているかを聞いてみることにした。

 

「ふーむ……その、どんな噂がされているんだ?」

 

すると、少女は尚も頬をほんのり染めたまま、手遊びを始めながら答えた。

 

「ここ最近転入してきたばかりで、とてもカッコいい方だとか。序列入りも、ついこの前されていて……映像で見ただけの人が大半ですけど、二つ名も三つほど付けられていて、すごく強い方だと噂されています」

 

あと、と少女は少し考えて、

 

「月影聖夜さんに直接特訓をつけてもらってる、っていう男の子がいるんですけど、彼曰く、

 

 

――先輩は、なんで『冒頭の十二人(ページ・ワン)』に入っていないのかなって疑問に思うくらい強いよ。二つ名だって、あの『影刻の魔女』と『麗水の狩人』と『雷華の魔女』がそれぞれ決めたらしいし、実際に戦ったけど手も足も出なかった――

 

 

とのことで、すごく嬉しそうに話していました」

 

(勝海君だよなー、それ言ったの……なんか過大評価されてるような気がするんですが)

 

どうやら、聖夜の噂は本人の預かり知らぬところで大きくなってしまっているらしい。こりゃ火消しが面倒だぞ、と照れくささ半分辟易とした気持ち半分で少女の話を聞いていると。

 

 

 

「―――っ!」

 

――突如、聖夜に強烈な敵意が叩き付けられた。それはもはや、殺気にも近いもの。

 

条件反射で身体が動く。振り向きざま、右手に氷の剣を創り出し、気配を頼りに背後から飛んでくる()()の迎撃を試みる。

 

(この子に怪我させるわけには……)

 

避けるという選択肢は無かった。仮にそうしたとすれば、少女の方が無事では済まない。害意を向けられていないらしい彼女の反応は鈍く、流れ弾を避けられるとは思えない。

 

振り向いた聖夜の目が捉えたそれは、夕日を紅く反射しながら迫る六本の剣と、その後ろに佇む一人の少女だった。

 

(って、まーた中等部の子かい……この子は全然友好的じゃないとはいえ、最近中等部と妙に縁があるな)

 

彼女の制服が中等部のものだと分かったとき、聖夜はそんな緊張感の無いことまで考えてしまった。

 

だが、油断はしない。聖夜が思わず反応してしまうほどの殺気じみた敵意を放つ相手だ。手練であることに間違いは無い。

 

迫る刃を叩き落とすように、咄嗟に作った氷剣を振り抜き、六本全てを弾き飛ばす。聖夜の予想よりもかなり頑強な攻撃だったが、氷剣は欠けることなく持ちこたえてくれた。

 

――しかし、聖夜が牽制のために接近しようと身を低くしたその時、その先に佇んでいる少女は口の端を軽く上げた。

 

(っ、ヤバい!)

 

彼の本能が警鐘を鳴らす。果たして、それは正しかった。

 

弾き飛ばされたはずの剣達が、まるで意思を持っているかのように再び聖夜を斬り付けてきたのだ。今度ばかりは先程のような余裕も無く、聖夜は加減ほとんど無しの回転斬りで再び全てを弾き飛ばす。少女の驚いたような顔。

 

――だが、氷剣が耐えられなかった。瞬く間にヒビが入り、澄んだ音が響く。

 

とはいえ、それは予想出来ていた。

 

(そりゃ無理だよな……次)

 

相手の武器が何であるにせよ、それが持ち主の操っているものである以上、次の攻撃までのタイムラグが存在するはず。その隙に陰陽術による紙剣を展開すれば、さっきまで使っていた即席の氷よりも遥かに丈夫な武器となり、攻勢に転じることも出来るだろう。

 

懐に隠れている札に星辰力を送り込む。札が飛び出し、空いている聖夜の左手に集まり始める。

 

微かに焦った表情を見れば分かる通り、少女はまだ反応しきれていない。このまま紙剣を展開しつつ近接戦闘に持ち込み、短期決戦を試みればどうにかなる。

 

 

――と、そんな聖夜の考えを嘲笑うかのように銀閃が煌めいた。

 

(なにっ!?)

 

気付いたときには、剣が再び――否、三度目の前に迫っている。あまりにも執拗な、そして全く予想出来ていなかった連撃を、聖夜は今度こそ防ぎ切れなかった。

 

苦し紛れに大きく跳んで回避しようとするも、剣の一本に右腕を引っかけられて深い切り傷を負ってしまう。奇しくも、そこはこの前オリヴィアのナイフに切らせた箇所だった。

 

それでも、跳んだ勢いのままどうにか距離を取る。そうして始めて分かったが、相手の武器はどうやら純星煌式武装(オーガルクス)らしい。加えて、相手の害意は百パーセント聖夜にしか向けられていない。――つまり、一先ず彼は自分の心配さえしていれば良いということだ。それでも一応、背後の少女を庇う動きは取るが。

 

向こうも仕切り直しをするつもりなのだろう。飛ばしていた剣を全て自分の周囲に集め、言った。

 

 

「――お嬢様から離れなさい、不届き者」

 

(お嬢様……?)

 

 

まさか、と聖夜は思った。この場で彼女が「お嬢様」と呼ぶような対象は聖夜の背後に居る少女だけ。

 

……だが、聖夜は疑った。いきなり襲い掛かってくるという、いくらアスタリスクといえど常識をまるきり無視した行為を働いた相手だ。それだけ主を大切に思う従者だという可能性もある(実際に聖夜はそういった従者を何人か知っている)が、得た情報をそのまま受け取るのは論外。そんな者はハンター失格である。

 

もっとも、騙そうとしているという可能性も、態度や表情を見る限り低そうだが……こういう場合は、あれこれ考えるよりも違う当事者に聞いたほうが早い。つまりは、彼が守っている少女だ。

 

 

ちら、と聖夜は後ろに目を向ける。しかし少女は彼と目を合わせなかった。彼女の目は、既に聖夜と相対している少女の方へと向いていたのだ。その目に戸惑いは無い。

 

(おっと、これは……)

 

聖夜の視線が外れた隙を突いたのか、再び剣が飛んでくる気配。だが、聖夜は動かなかった。彼が動く前に、背後の少女が駆け出していた。

 

 

鏡子(きょうこ)、ストップ!」

 

 

――少女は両手を広げ、逆に聖夜を庇うようにして叫んだ。





ツイッター、ブログどちらもよろしくお願いしま〜す




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第二十三話〜月影聖夜は謎だらけ〜

四ヶ月超、ホントにお待たせしました(白目

スイッチ買って遊び呆けてたバカは私です。スマブラとポケモンをやり過ぎてました、誠に申し訳ございませんでしたm(_ _)m





「お嬢様!?」

 

今までクールな態度を貫いていた少女が、ここにきて始めて明確に表情を崩した。襲い掛かってきていた剣達が聖夜達の目前でピタリと止まる。

 

それを見て、聖夜は心の中で独りごちた。

 

(なるほど……かなり忠誠心の強い従者、か)

 

先程は変に疑ったが、結局のところはそれで合っていたらしい。襲撃の原因は、従者の勘違いと主人愛からだったようだ。

 

戦闘続行の意思は無いということの表明に、聖夜は構えていた紙剣を下ろして苦笑した。

 

「えーっと……なんか勘違いしてらっしゃるみたいだから一応言っておくけど、この子とはちょっとした立ち話をしてただけだよ」

 

鏡子と呼ばれていた少女は、それを聞いて自分の主へと向き直る。

 

「……そうなのですか?」

「ええ。元はと言えば私の能力のせいなんだけどね―――」

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「本当に申し訳ございませんでしたっ!」

 

そうして、大方の経緯を聞いた鏡子は聖夜に深く頭を下げた。

 

その横で、主である少女も同じように謝罪する。

 

「私からも、誠に申し訳ございませんでした。ですが、鏡子もこの通り反省しておりますので、どうかお許しいただけないでしょうか……?」

 

しかし、美少女二人から頭を下げられている聖夜は困った様子で呟いた。

 

「あー、いや……どうすっかなこの状況」

 

何と言えばいいのか、ともかく聖夜としては特に気にしていない。殺気じみたものを向けられこそしたものの別に殺されたわけでもなし、少女がそれだけ従者に慕われていると分かった今では微笑ましさすら感じられるくらいだ。

 

彼女達が変に萎縮しないよう、彼は努めて声色を柔らかくして。

 

「まあ、そんなに気にしなくても大丈夫だよ。それよりも、そちらさんこそ怪我は無いか?」

 

そして、声と同じくらい柔らかい微笑みを向ける。それが功を奏したのか、彼女達の表情も少し緩んだ。

 

……しかし、実を言うと、聖夜の良心は痛みっぱなしだった。

 

(俺も人のこと言えないというか……まだ名前言えてないからなあ)

 

元はと言えば、聖夜が名乗れなかったことが原因だと言えないこともない。あの時、さらりとその場で言えていれば、こういう状況にならなかったかもしれない。そう考えれば、聖夜にも非があったと言える。

 

だが、こんな状況になってしまった以上、ますます名乗りづらくなってしまったのも確かである。さてどうしたものかと聖夜が考えていると、鏡子がおずおずと顔を上げて言った。

 

「私は大丈夫ですが……その、こちらこそお怪我をさせてしまって」

「へっ? ……あ、これのことか」

 

どこか気が引けているように感じられるかと思えば、どうやら聖夜に負わせてしまった腕の傷を気にしているようだった。切れている制服の袖をまくって今一度見てみれば、確かに傷口は深く割れており、血液がそれなりの勢いで腕を流れ、そして地面に小さな血溜まりを形成していた。

 

しかし、彼女には悪いが、当の聖夜はほとんど気にしていなかった。能力で水を生成して腕と地面を洗い流し、そして取り出した包帯で傷口を荒く縛りながら彼は言う。

 

「平気平気。こんな傷、縛って寝とけば一日で塞がるから」

 

実際、オリヴィアの時も一晩で止血したのだ。ハンター由来の再生能力の賜物である。

 

「一日で……?」

 

鏡子が信じられないといったような表情をしているが、聖夜は気にしなかった。その気持ちは聖夜本人にもよく分かる。彼だって、ハンターになったばかりの頃は自分の治癒能力に軽く引いたものだ。

 

と、聖夜は自分の傷を見て、鏡子が展開したままにしている剣の一本に自分の血が付いていることを思い出した。

 

「君は、序列三位の神城(かみしろ)鏡子さん……で合ってるかな?」

「ええ、そうですが……」

 

突然そう問われ、鏡子は訝しげにしながらも答える。

 

「ってことは、その武器が『輝跡の召剣(クエント=レヴィル)』か」

 

輝跡の召剣(クエント=レヴィル)』。「その主に仇なす者、剣自ら斬り刻まん」と謳われる、星導館学園所有の純星煌式武装の一つ。鈍い銀色に輝く剣身、そしてそこに埋め込まれた白銀のコアは、自身が主と認めた使い手に忠誠を誓い、敵対する者を無慈悲に殲滅するといわれている。

 

ここで特筆すべきことは、『輝跡の召剣』には自我らしきものがあるということだ。程度の差こそあれ、基本的にはどの純星煌式武装にも意思のようなものはあるが、『輝跡の召剣』のそれは他とは比べ物にならないほど強い。例え使い手の判断が間に合わなくとも、『輝跡の召剣』は自ら攻撃したり使い手を守ったりする。先程の闘いで聖夜が不意を突かれたのもこの力によるものだ。

 

 

ともあれ、聖夜には『輝跡の召剣』が気高いものに感じられた。そして、そんな気高いものが自分の血で汚れていることが、彼には何となく気になったのだ。懐から綺麗なハンカチを取り出し、血の付着している一本に近付いていく。

 

「えっ……?」

 

鏡子は聖夜の意図に気付いていたが、しかし思わず声を溢してしまった。わざわざ剣を――しかも他人の、そして自分を傷付けた剣を、どうして綺麗にしようと思うのか。それが分からなかった。

 

『輝跡の召剣』も同じ感触を抱いていたのだろう。聖夜が近付くと、まるで身構えるように切っ先を僅かに彼の方へと向ける。

 

「………」

 

だが、聖夜は全く動じなかった。剣に触れるその一歩前で立ち止まり、貴婦人に挨拶するかのように片膝を付いて。

 

「どうか、触れることを許してはもらえないか?」

 

それを見て、鏡子は絶句した。確かに純星煌式武装はただの武器ではないし、『輝跡の召剣』はその中でも特に気難しいほうだが、それにしたってこうも人間が相手のような態度で接するとは。

 

しかし、さらに驚くべきことが起きた。『輝跡の召剣』は、聖夜に刃を向けたまましばらく微動だにしなかったが――ついに切っ先を下ろし、聖夜が触れることのできる位置まで移動したのだ。

 

「うそ、でしょ……」

「わあ……」

 

これには、鏡子だけでなくその主も声をあげた。二人には、聖夜が『輝跡の召剣』をダンスかデートにでも誘うかのような、まるでそんな映画の一幕を表しているように感じられたのだ。

 

もっとも、無事に『輝跡の召剣』から許しを得られた聖夜は内心で冷や汗をかいていた。

 

(こっわ……つーか、しくじったら首飛んでたな)

 

こういう時に限って後先考えない自分の性格はどうにかしなければ、と聖夜は自分に誓いつつゆっくりと立ち上がり、そっと剣に触れる。『輝跡の召剣』の戸惑いらしきものが手を介して伝わってきたが、反発はされなかった。

 

そして、丁寧な手つきで剣に付いた自らの血を拭き取っていく。白とも黒とも違う、しかし何物にも染まらないような銀色が自分の手によって輝きを取り戻していくのは、聖夜に不思議な達成感をもたらしていた。

 

 

―――もしかしたら、『輝跡の召剣』も悪い心地ではなかったのかもしれない。聖夜が拭いている間は決して動くことはなく、のみならず拭き終わった後も自分から離れようとはしなかった。

 

「おや、お気に召していただけたのかな」

 

困ったようにも嬉しいようにも取れるような微笑みを浮かべ、聖夜は指で『輝跡の召剣』を撫で始める。それはもはや武器に対する態度ではなく、まさしく聖夜が少女に向ける態度そのものであった。

 

撫でられること数十秒。満足したのかどうなのか、ようやく『輝跡の召剣』は聖夜から離れ、再び鏡子の元へ戻った。

 

「あっ、やっと帰ってきた……」

「ふふっ……あの人のこと、随分気に入ったのね」

 

戸惑いを見せる従者をよそに、少女が微笑みながら『輝跡の召剣』へ手を置く。……そういえば彼女の名前をまだ聞いていなかった、と聖夜は今更ながらに気付いた。

 

「それはそうと、主様のお名前を伺っていなかったな。その無礼をお許し願いたい」

 

若干芝居がかった仕草で腰を折る。すると少女も何かを感じ取ったのか、同じように頭を下げて言った。

 

「いえ、家の者がご迷惑をおかけしたのに、こちらこそ名乗りもせず申し訳ありません。―――改めて、私は緋結(ひむすび)家の次期当主候補、(あや)と申します。こちらは、貴方もご存知の通り、神城鏡子と『輝跡の召剣』です」

 

改めて紹介され、鏡子が再び丁寧に頭を下げる。

 

(へえ……完璧なくらいに教養が染み付いている。若いのに凄いな、この子)

 

少し見ただけで聖夜がそう思うほどに、鏡子の所作には非の打ち所が無かった。従者としては超が付くほど優秀なのがよく分かる。

 

もっとも、『輝跡の召剣』を含めた戦闘技術もまた、とんでもなく優秀なのだが。中等部という若さで星導館学園の序列三位にいられるのだからその実力は本物。ついさっき剣を向けられた聖夜はそれを身に沁みて理解している。

 

そして、綾と名乗った少女の所作も完璧だった。それもそのはずで、『緋結家』というのは、月影家や風鳴家ほとではないにしろ遥か昔からずっと続いている由緒正しき家系だ。

 

(緋結家、か……結構前の文献にもその名前があったな。確か、忍と神職のどちらもが伝わっている家だったような)

 

聖夜こそほとんど接点は無いものの、今までに見た文献によれば何世代も前から月影家と緋結家は交流を重ねていたらしい。戦国の世などでは両家の関係はそれこそ主従のそれにも近かった、といったようなこともどこかに書かれていたはずだ。

 

 

――と、そんな風に思案していると、ついに綾が聖夜の聞かれたくないことに言及した。

 

「もしよろしければ、貴方のお名前もお聞かせ願えないでしょうか? 後日、改めてお詫びをさせていただきたいと思いますので……」

 

あちゃー、と聖夜は表情を変えずに、しかし半ば諦めたような気持ちで思考を巡らせた。

 

(やっぱこうなるよな……いや、完全に自業自得なんですけども)

 

ここまできてしまった以上、本音を言えば名乗らず去ってしまいたい。ただし、それをやった場合、確実に面倒なことになると聖夜の直感が叫んでいる。やはり、ここは話が拗れる前に名乗り、同時に謝るのがこの場においては一番良いのかもしれない。罪悪感は増しそうだが。

 

 

――などと長々と考えずに、もしくは考えるにしても高速思考(スピードオペレイト)を使っていれば、名乗るにせよ名乗らないにせよ、この後のようなことにはならなかっただろう。

 

「あら……? お嬢様は、月影さんに会うために抜け出したんですよね?」

「ええ、そうだけど……その言い方だと何か含むものを感じるから止めて頂戴な。ちゃんと許可は取ったわよ」

「でも、私の護衛は完全に無視して行きましたよね? 逢瀬の邪魔はされたくなかったのでしょうけど」

「うっ、それは……もう、意地悪ね」

 

すみません、と微かな笑みを浮かべながら鏡子は続けた。

 

「しかし、そうであればこの方のお名前は当然知っているはずでは……?」

「えっ……待って待って、どういうこと?」

 

首を傾げる綾と、それを怪訝な目で見る鏡子。鏡子の中では、聖夜はとっくに自己紹介を終えているはずだった。

 

やっべー、とついに聖夜が表情を崩してしまったのには全く気付かず、鏡子は決定的な一言を口にする。

 

「どういうことも何も……この方こそが、」

 

 

〜〜♪〜♪

 

 

「……あっ、俺のか」

 

否、口にしようとしたその時、聖夜の端末が(彼アレンジの)昔懐かしいゲーム調の曲で着信を知らせた。

 

名前を言われなくて幸運だったと思うべきか、また先延ばしになってしまったと嘆くべきか。ともかく、聖夜は彼女達に身振りで断りを入れ、空間ウインドウを展開して通話に出る。

 

「って、セレナ?」

 

そこに映ったのは、約束を違えられてしかめっ面――ではなく、心配そうな顔をしているセレナだった。

 

『聖夜!? 良かったわ……なかなか来ないから、何かあったんじゃないかって』

「ん、ああ……悪い、心配かけて」

 

『セレナ・リースフェルト』という名前がウインドウに表示されたのを見たとき、聖夜は思わず冷や汗が流れるのを感じていたのだが、予想に反して彼女は聖夜を責めることなく、それどころか彼の身を案じていた。

 

「っていうか、本当にごめん。まさかそんなに心配してくれているとは思ってなくて……感動と申し訳なさで死にそう」

 

思っていることをそのままに、表情も取り繕うことなく聖夜がそう言うと、セレナは画面の向こうで柔らかく笑った。

 

『ふふっ、大袈裟ね。大切なパートナーなんだもの、心配しないわけがないでしょ?』

 

この時、聖夜は本気でセレナが女神か何かに見えた。

 

「やばい、感動で涙が……あんなに冷たかったセレナがここまで優しさを見せてくれるなんて」

 

すると、セレナはちょっと頬を膨らませて見せて、

 

『それは忘れて。……まあ、アンタなら理由も無く約束は破らない、っていう信頼もあるから。今だって、ただ単に生徒会関係で遅れただけじゃないんでしょ?』

「あはは、ご明察。……っと、詳しい説明をする前に」

 

言葉を切って、聖夜は顔を上げる。こうなってしまった以上は仕方ない、と。

 

 

愕然とした表情で聖夜を見ている綾が、そこには居た。

 

「まさか―――月影聖夜さん、なのですか?」

 

セレナが真っ先に『聖夜』と言ったこと、そしてセレナと親しくできる男子など聖夜以外には考えられないということ。それはつまり、綾の目の前に居る男子生徒こそが、彼女が「とてもカッコいい」などと言ってしまったその本人である、ということであって。

 

「―――っ!?」

 

声なき悲鳴と共に頭を抱えてうずくまってしまった。事情を知らない鏡子と、同じく画面の向こうのセレナが驚いた様子で綾に声をかける。

 

「どうされたのですか!?」

『ちょっと、大丈夫?』

 

聖夜もなんとなく綾の心境を察して、彼女の元へと歩み寄った。

 

「……俺が説明しようか?」

 

聖夜の顔が近付き、綾は反射的にバッと顔を背けてしまう。が、それでもか細い声でやっと、

 

「お、お願いします……」

 

そして、再び俯いてしまった。

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

聖夜からおおよその話を聞くと、鏡子は顎に手を添えて言った。

 

「なるほど……しかし、それでは、お嬢様の方にも非がおありなのですね」

 

綾がこくりと頷く。対して、聖夜とセレナは驚いたような表情を鏡子に向けた。

 

「そうかな――?」

『……意外ね。自分の主を擁護するとばかり思ってたわ』

 

鏡子は軽く首を振って答える。

 

「従者たる者、正しい事を言う必要がありますから。主を思えばこそ、時には厳しい事だって言います」

 

それを聞いたセレナは一瞬、呆けたような表情を見せ――感心したように顔を綻ばせた。

 

『従者の鑑――ってことか。若いのに、星導館の生徒としても一人の人間としても強いだなんて、ちょっと羨ましいかも』

 

「う、羨ましい……ですか?」

 

今度は鏡子の方が意表を突かれる番だった。無愛想とまで噂されているセレナが見せた可憐な微笑みに、鏡子は柄にもなく動揺していた。

 

『ええ。聖夜もそう思うでしょ?』

「そうだな。……しっかし、『若いのに』って言葉選びだけはどうかと思うよ。そんなに年が離れてるわけでもないんだからさ」

 

聖夜が若干呆れたように言うと、セレナはまるで遠くを見るかのような眼差しをしてみせた。

 

『……私からすれば、中等部の子達はみんな若く見えるのよ』

「行き遅れたOLみたいなこと言うじゃん」

『なんですって?』

 

冗談だよ、と聖夜は小さく笑って、

 

「しかしまあ、それなら、俺にとってはセレナも若く見えるけどな」

 

今でこそ星導館学園高等部の一年生である聖夜だが、彼は本来、高校二年生なのである。実年齢で見れば、彼と時雨と茜は同級生達よりも年が一つ上。セレナの見解を借りるなら、聖夜から見た彼女もまた「若い」の内に入る。

 

『……? よく分からないんだけど』

「ああ、独り言だから気にしなくて良いよ」

『随分と意味深な独り言ね』

 

ふふ、と互いに顔を見合わせ笑う。その様子を、綾と鏡子は愕然とした目で見ていた。

 

「リースフェルトさんって、そんな性格だったんですか……?」

「……失礼なお話ですけど、もっと冷たい人だと思い込んでました」

 

なるほどね、と聖夜は少し嬉しそうに頷き、

 

「大丈夫大丈夫、俺も最初は相当冷たく当たられたから。思えば、かなり丸くなったよなあ」

 

すると、画面越しにも関わらず、セレナは慌てて聖夜の口を塞ごうとした。

 

『ちょっと、余計なこと言わないの!』

「へえー、後輩の前ではキャラを崩したくない感じ?」

『アンタ後で覚悟しておきなさいよ!?』

 

しかし、そんな性格だと思わなかった、というのは聖夜に対しても同じだった。聖夜について出回っている噂は、『冒頭の十二人(ページ・ワン)』であるセレナよりも圧倒的に少なく、辛うじて広まっているのも決闘や純星煌式武装に関するものがほとんどで、性格的なことは全くと言っていいほど知られていない。今目の前で、画面越しにセレナをからかっているのが彼の本当の性格なのか、綾と鏡子には分からなかった。

 

「やー、ごめんごめん。セレナは決して冷たくないんだってことが知ってもらえて、つい調子に乗っちゃってな」

『やっ、その、それはありがたいというか、だけど……』

 

しかし、このやり取りだけでも二人がすぐに分かったことがある。

 

「ふふっ、なんだか息がぴったりです」

 

まず、彼らの仲が非常に良いということ。そして、

 

「リースフェルトさんってかなり可愛い人だったのですね……」

『へっ!?』

 

――後輩の鏡子がそう零してしまうくらいには、セレナが噂とは違って非常に少女らしい少女だったということ。

 

「あっはっは! 良かったじゃん、こんな美少女に『可愛い』って言ってもらえるなんてさ」

『うぅ……他人事だからって』

 

顔を赤らめて俯くセレナに、聖夜は微笑みながら追い打ちをかける。

 

「……ま、セレナが可愛いのは当たり前のことなんだけど」

『かっ、』

 

セレナは限界を迎えた。

 

『そういうの、本当にズルいと思う……』

「そういうところが可愛いって言われる原因なんじゃないかなー」

 

微笑みをまるで隠そうともしない聖夜は「それに」と続けて、

 

「他人事、ってわけでもない。俺だってこっちの美少女に『カッコいい』とか言われてんだからな? マジで恥ずか死ぬかと思ったわ」

 

とんだ不意打ちだった。その発言のみならず、その前に聖夜に抱きとめられたことなども同時に思い出してしまい、今度は綾が赤面する番だった。

 

「つ、月影先輩……」

「ん? ……ああ、ごめん!」

 

しかし、この不意打ち()聖夜の意図していたものではなかった。珍しく慌てた様子を見せ、綾に謝罪する。

 

その様子を見て、セレナはまだ頬を染めつつも膨れっ面をして言った。

 

『……なんか、私の時とは態度が違う』

 

自分はからかわれたのに、綾には誠意のある反応をされた。自分が軽く見られているようで、それがセレナには少しばかり不満だった。

 

もちろん、それはただの勘違いなのだが。聖夜が困ったように呟く。

 

「いや……そりゃ、あんまり親しくない子をからかったりはできないって、普通。仲が良いからこそだよ」

 

色々と非常識に巻き込まれてこそいるが、聖夜とて常識はきちんと持ち合わせている。仲が良くなれば自分の本性だって多少はさらけ出すし、逆にそこまで親しくなければ基本的に『良い人』を演じてみせる。

 

ともかくとして、この場で彼が言えることといえば、自分が特別扱いしているのはむしろセレナの方だ、ということであった。

 

「ま、この学園でそれくらいに親しいやつなんて限られてるけどさ。もし嫌だったら言ってくれ」

『や、その、別に嫌ってわけじゃないけど……』

 

なら良かった、と聖夜は微笑む。

 

 

――しかし、この一連のやり取りは、綾と鏡子にはとてもとても甘く感じた。

 

「なんかこっちも恥ずかしくなってきた……」

「……お嬢様、私も同じですのでご安心ください」

 

微かに赤くなりながら、気まずそうに顔を見合わせる二人。そうして、所在なさげに彷徨った綾の視線が、鏡子が首から下げている懐中時計をふと捉えたとき。

 

「――あっ、時間!」

 

具体的な時刻こそ見えなかったが、門限が近付いているのではないかと気付いて、彼女は思わず叫んだ。

 

その声に反応し、鏡子は自分の時計を、聖夜とセレナはそれぞれ空間ウインドウの右上を見つめて。

 

「あっ、」

「あれ、これは……」

『……過ぎてる、わね』

 

三者三様の声が、いつしか照らすものが見えなくなってしまった薄暗い空間に、虚しく響いた。

 

 

 

「――えっ? いやこれどうしたら良いんだ?」

 

しかし、聖夜は素早く復帰した。取るべき行動はまったく分かっていないままではあったが。

 

『さあ、私も門限を超えたことはないし……』

 

セレナもまた、困ったように首を傾げる。どうでも良いというわけでは決してなく、彼女自身にも分からないのだ。

 

「やっ、どうしよう鏡子!?」

「お嬢様、落ち着いてください。……とは言っても、確かにどうすれば良いのか分かりませんが」

 

取り乱す綾と、反対に落ち着いた様子を見せる鏡子。主が慌てていても冷静でいられるのは優れた従者の証か。

 

だが、四人がそうしていたところで、有効な手立てがすぐに思いつくはずもなく。

 

「……うん。俺らじゃどうにもならんな、これ」

 

諦めたような表情とともに、聖夜は空間ウインドウをもう一つ展開した。

 

「出るといいけど」

 

そして、どこかへ電話をかけ始める。果たしてその相手とは。

 

『はい、もしもし?』

「もしもし、時雨か? 忙しいときに悪いな」

『ふふ、そんなことは気にしないで』

 

ほどなくして電話に出たのは、鈴の鳴るような透き通る声。星導館学園序列八位にして、生徒会副会長たる風鳴時雨の声だ。

 

『それで、どうしたの? 緊急の用事?』

「まあ、緊急っちゃ緊急だな……」

 

答えの代わりに聖夜は空間ウインドウを移動させ、時雨にも綾と鏡子が見えるようにした。

 

『あれ、中等部の子? もう門限は過ぎてるけど……』

「まさにそれだよ、相談事ってのは」

 

その時点で早くも察したらしく、時雨は頭痛でも起きているかのようにこめかみを押さえ、

 

『……もしかして、私に対処して欲しいってこと?』

「もしかしなくてもその通り。……いやいや、何の対価も無しに、なんて虫の良い話はしないって」

 

ジト目を向けてくる時雨に、聖夜は慌てて言葉を付け足した。

 

「とりあえず、それは後で話すとして……この子達のことなんだけど」

『……まあ、良いか。それで? この子達は一体どこの、』

 

と、彼女は突然言葉を切り、改めて二人の少女を見つめる。そしてため息を一つ。

 

『……やっぱり言わなくて良いわ。まさか『銀迅の冷従(サーヴルテージュ)』とその主、だったとはね』

 

序列三位の生徒を、副会長である時雨が知らないわけがなかった。しかしまあ、と彼女は続けて、

 

『それなら、却って簡単かな』

「ん、どういうことだ?」

 

ちら、と彼女は鏡子を見て言った。

 

『序列三位なら大目に見てくれるってこと。……それこそ、研鑽のためとでも言っておけば何の問題も無いでしょう?』

「はー、なるほど……前例はあるのか?」

 

即答、

 

『ええ。ついさっき、ほんの十数分前にね』

 

悪戯っぽく笑う時雨に、セレナが『あっ』と反応する。

 

『古河君達のことかしら。さっき連絡があったけど』

「へっ、あの子達今日も来るのか。飽きないな……」

『それだけ強さに貪欲なんじゃない?』

 

ほぼ毎日のように聖夜達の元を訪れる勝海とオリヴィアは、この短期間で見違えるほどに強さを増している。もう鳳凰星武祭(フェニクス)出ちゃっても良いんじゃないかな、と聖夜は内心で思っているくらいだ。間違いなく強敵にしかならないので特別勧めてはいないが。

 

それはさておき。

 

「にしても、そんな簡単に許可って出せるのか?」

『もちろん条件付きよ。寮監さんにも話は通っているけど、その子達が帰るときには必ず上級生が送ってあげること』

 

ふむ、と聖夜は一つ頷き。

 

「……となると、今回は俺とセレナが送っていけばいいのか」

『そう。……まあつまり、そこのお二人さんもそういうやり方で誤魔化せるってことね。どう?』

 

問われ、綾と鏡子は答えに窮した。時雨の提案は、綾の『聖夜と会う』という目的をさらに進展させ、門限を過ぎてしまったことも解決してくれる。なるほど、彼女達にとっては確かに都合が良い。

 

だが、都合が良すぎるのだ。そもそも、綾がこんな時間にこっそり抜け出したりしなければ何も問題は無かったし、鏡子が聖夜に問答無用で攻撃を仕掛けなければ、いくらなんでもここまで遅くならなかった。つまり、こうなってしまったのは彼女達の自業自得ということ。

 

それなのに、ある意味被害者である聖夜も、無関係であるはずの時雨やセレナも揃って力になろうとしてくれた。迷惑を掛けた側である自分達が、そんな提案を甘んじて受け入れても良いのだろうか。

 

 

 

――それが表情にも出ていたのだろう、聖夜は不意に微笑んで言った。

 

「……ま、なんであれ、この提案には乗るしかないんじゃないかな。このまま帰って怒られるのは嫌だろう?」

「うっ、それは、そうですけど……」

 

彼は畳み掛けるように続ける。

 

「なら、遠慮なく甘えてしまえばいい。先輩が力になってくれるんだったら、それを当たり前のように受け取れるのが後輩の特権だ」

 

もしかすると、それは彼の気遣いだったのかもしれない。暗に「気にするな」と、そう言ってくれているようで。

 

「さて、随分日が落ちたね。ずっと立ち話しているのもなんだし、そろそろ行こうか?」

 

有無を言わせないかのように差し出されたその両手は、その言葉は、しかし。

 

「ほら、おいで」

 

 

とても、優しかった。



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第二十四話〜彼の趣味は〜



大変お久し振りでございます、はくろ〜です。

今、日本中どころか世界中で新型コロナウイルスが脅威となっていますね。私自身、授業などはすべて映像を使ったものとなり、またサークル活動なども行えないため、人との交流が極端に減った生活をしています。

しかし、医療系を目指す立場として、こういった自粛には積極的に努め、また勧めていきたいのも事実。願わくば、この小説が誰かの暇つぶしの一端になってくれればと思います。大変な時期ですが、少しでも読者の皆様に楽しんでいただけますように。


大変長い前書きになってしまい申し訳ありません。それでは第二十四話、どうぞ!




――鳳凰星武祭(フェニクス)開催まで、あと一ヶ月あまり。

 

 

 

そんなある休日のこと、聖夜は珍しく一人で商業エリアをぶらついていた。

 

(さーて、良さげなのはあるかなー)

 

目的地は楽器屋だ。こちらの世界へ飛んできてからというもの、彼は一度も趣味であるギターやベースといった楽器に触れてこなかった。それでもこちらに来た当初は諸々忙しくて気にならなかったが、それらにも慣れ始めてきた今、なんだか無性に楽器を弾きたくなったというわけである。

 

(どうせなら、ギターやらドラムやら全部揃えちゃうか? なんかそろそろ一人部屋貰えそうな感じだし)

 

かくして、現在。彼はいくつかの楽器屋を廻りながら、自分の好みの物を探しているのであった。

 

しかし、表記されているメーカーはどれも見たことがないものばかり。どんな音をしているかもまるで分からないので、気に入ったデザインのものがあったら弾いてみる他ない。

 

「すみません、こちらのギターって試し弾きできますか?」

「はい、大丈夫ですよ。少々お待ちください」

 

店の奥へ去っていく若い店員の背中を視線で追ってから、聖夜は店内を軽く眺めてみた。

 

(へえ、だいぶ客が入ってるな。楽器屋なのに珍しい)

 

改めて感じるのは客の多さだ。語るまでもなく、楽器屋というものは『混む』という言葉からは縁遠い。音楽を趣味にしている人はさほど多くないし、そのような人だってそう高頻度で店を訪れたりはしないのだ。

 

故に、この客入り具合は、ひとえにここが商業エリアの一角にある大きな店だからなのか、はたまた別の要因があるのか。そんな益体もないことを何となく考えていると、先程の店員が戻ってきて彼に告げた。

 

「お客様、アンプには繋げますか?」

「……えっ、良いんですか?」

 

意外だった。一見である聖夜に、しかも店内には結構な数の客がいるのに、まさか音出しをさせてもらえるとは思っていなかった。

 

聖夜の言わんとすることを汲み取ったのだろう、店員が微笑んで言った。

 

「他のお客様も、思い思いにピアノを弾いたりしていますから」

 

なるほど、と聖夜は頷き、

 

「それでは、お言葉に甘えて。……ああそうだ、エフェクターも繋ぐことってできますか?」

 

店員は微笑みを絶やさぬまま言う。

 

「ええ。こちらで選びましょうか?」

「……いえ、私に選ばせていただけないでしょうか。っていうか、シールドやらアンプやらと一緒に買っちゃいたいんですけど」

 

その聖夜の言葉に、今度こそ店員は驚いたようだった。

 

「それはまた……羽振りが良いと言いますか」

「幸い、手持ちはそれなりにありますから。……エフェクターはマルチが良いんですが、案内していただけませんか?」

 

かしこまりました、と歩いていく店員の背中に直接着いていく。――どこからか向けられている視線は、最後まで気付かない振りをした。

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

かなりの時間をかけて楽器を吟味し、聖夜は満足げな顔で会計を済ませていた。

 

「やー、長く付き合わせて申し訳ありません。ありがとうございました」

「いえいえ。こちらこそ、お客様のおかげで客足も伸びましたし、良い演奏も聞かせてもらえましたし、ありがとうございます」

 

聖夜は何気なく弾いていたつもりだったのだが、どうやら店の外にまで聞こえてしまっていたらしく、気付けば周囲に人だかりが出来てしまっていた。それゆえ迷惑をかけたと思っていたが、どうやらそれは彼の杞憂だったらしい。

 

その間ずっと聖夜の案内を行い、さらにはこうして会計までこなしている店員は、柔らかく微笑んで言った。

 

「お客様はバンドを組んでいるんですか?」

「ええ、まあ……メインはボーカルですけどね」

 

おや、と向こうは首を小さく傾げ、

 

「それなのに、あれだけ楽器が上手いなんて……ライブはやっていますか? ぜひ見に行きたいんですが」

「あー、そうですね……」

 

嬉しくはあったが、同時に困った質問でもあった。彼のバンドメンバーは今、この世界にはいない。

 

「……実は、今はみんな離ればなれになってしまってて」

 

少しの間悩んだ末に、そう答える。少なくとも嘘ではない。

 

しかし、奥歯に物が挟まったような言い方をしたため、向こうは悲観的な勘違いをしてしまったようだった。心底申し訳なさそうに、

 

「あっ……すみません、そうとは知らず」

「ああいや、別に深刻な理由ではなくて。ただ、すぐには集まれないってことなんです」

 

聖夜は慌てて訂正した。――メンバーがこの世界にいないということはむしろ、向こうの勘違いの方がニュアンス的には近いのだが、それは置いておく。

 

「今は休養期間というか、修行期間というか……ですかね」

「そうなんですね……少し残念です」

 

試し弾き程度の演奏だったのだが、どうやら彼の演奏は気に入られたらしい。仄かな満足感を抱きつつ、聖夜は世間話の流れでこう零した。

 

「でも、確かにバンドやりたいんですよねー。募集とかあります?」

 

店員は苦笑し、

 

「昔ならともかく、今ではお店にそういった話を持ってくる人は少ないですねえ……」

 

ですよね、と聖夜はさして落胆する様子もない。元々、そうだろうなとは思っていた。

 

だからこそ、店員の次の言葉は完全に予想外だった。

 

「……あっ、そうだ。お客様がよければ、私のところに参加してみませんか?」

「へっ……いやそんな、確かにそうなればありがたいとは思いますが」

 

いくらなんでも唐突な話だ。そもそも、素性も知れない相手をよく誘おうと思ったものである。

 

およそこのようなことを聖夜が言うと、店員は笑って、

 

「お客様のことは知っていますよ。星導館の月影聖夜さん、ですよね?」

 

今日の聖夜は特別変装してこそいないものの、制服ではもちろんない。まだ公式序列戦にも出ていない彼のことを知っているということは、つまり。

 

「私、クインヴェールの学生なんです」

 

そういうことであった。

 

「ああ、やっぱり。なんで私の事を知ってるんだろうと思いましたけど、ここの学生だったんですね。失礼ですが、おいくつなのですか?」

「高等部三年です。お客様のことは、学園の諜報機関から聞きました」

 

聖夜は苦笑する。

 

「他学園の奴にそれ言っちゃっていいんですか? ……確か、『ベネトナーシュ』でしたか。まさか星導館以外でも危険人物認定されてるとは思っていませんでした」

「いえ、別にそういうわけでは……序列入り時の映像とともに、強さに関しては要注意と忠告されましたが」

 

どこから手に入れたんだか、と彼は感心しながら、

 

「そんな忠告を受けたということは、貴女も闘うんですね」

「はい。鳳凰星武祭にも出場しますので、もし相まみえることがあればお手柔らかにお願いしますね」

 

そんな言葉と共に微笑む彼女は、果たしてどれほどの実力者か。帰ったら調べよう、と聖夜は心の片隅にメモを取りつつ。

 

「言うほど、私も強くはないですが。……貴女のお名前、お聞きしても?」

三峯(みつみね)あずさ、といいます。これからよろしくお願いしますね」

 

これから、ということは、聖夜が彼女のバンドに入るのはいつの間にか確定していたのだろうか。とはいえ、相手が良いと言うならば、聖夜に異存は無い。

 

「こちらこそ、よろしくお願いします。バンドメンバーとしても、アスタリスクの学生としても」

 

その言葉を、にっこり笑って受け止めた彼女を見て。

 

(ふむ、良い関係が築けそうだ)

 

なんとなく、聖夜はそう思った。

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

店を出て、聖夜は唐突に小さく手招きをした。その少し先の物陰で、びくっと何者かが驚いた気配。

 

だが、聖夜がその方向へ柔らかく笑いかけると、おずおずと行った様子で一人の少女が歩み出てきた。

 

「奇遇だな、オリヴィア」

「うっ、ごめんなさい……」 

「いや別に怒ってるとかじゃないよ? ホントだよ?」

 

ちょっとしたからかい程度のつもりだったのだが、想像以上にしょんぼりされてしまったため、聖夜は慌てて弁解する。こういった何気ないコミュニケーションにおける不測の事態には、特に女性が相手の場合、彼はまだまだ慣れていない。

 

「純粋に偶然だろ? こっちこそごめんな、休日を邪魔しちゃって」

「い、いえ!」

 

とはいえ、最近になってやっとオリヴィアとの距離も縮まってきたように思う。以前は先輩と後輩という関係以上の距離を感じていたが、今はあまり感じない。もっとも聖夜としてはもっとフランクに接してくれるとなお嬉しいのだが、それにはもう少し時間が必要だろう。

 

「先輩、その……この後のご予定は?」

「ん? ああ、特には……昼食べて、あとは適当にぶらつく感じかな。今日のメインはもう終わったから」

 

こういうやり取りって良いよなあ、などと聖夜が感じていると、オリヴィアがしばし悩む様子を見せた後言った。

 

「もしよければ、ご一緒してもよろしいでしょうか」

「構わないよ。でも……良いのか? そんな楽しいものじゃないと思うけど」

 

これには聖夜も少々驚いた。真面目な性格であるオリヴィアのことだ、先輩にあたる聖夜と一緒では心が休まらないのではないだろうか。可愛い後輩に、いらぬ心労はかけたくない。

 

だが、こうして向こうから言ってくれたのだから、それを断るのも失礼といえば失礼だ。それに、美少女な後輩とぶらつくというのも、それはそれで楽しいに決まっているのだから。

 

果たして、オリヴィアは微笑んで答えた。

 

「そんなことないです。私はとても楽しみですから」

 

答えになっているのか、なっていないのか。ともあれ、彼女が特に嫌がっていないことが分かっただけよしとすべきか。

 

「ん……そうか。それなら良いんだ」

 

オリヴィアが不意にくすっと笑う。反応に困る聖夜をよそに、彼女はそのまま聖夜へと一歩距離を詰めて。

 

「それじゃあ、行きましょう?」

 

不思議な子だ、と聖夜は思う。こちらが距離を詰めようとすると慌てたり赤面したりするのに、自分から仕掛けるのは大丈夫らしい。自分のペースであれば問題無い、ということなのだろうか。

 

しかし、こういう子が相手だと悪戯心がむくむくと湧いてくる。聖夜の悪い癖だ。

 

「そうだな。……っと、忘れてた」

 

そう言って、彼もオリヴィアへと距離を詰める。打って変わって頬をさっと紅潮させる彼女の、その白磁器のように綺麗で繊細な手を優しく取りながら、聖夜は微笑み返して続けた。

 

「未熟ながら、エスコートさせてもらうよ」

 

ふぇ、と年相応のあどけない表情を浮かべるオリヴィアを見て、聖夜は頬が緩むのを禁じ得なかった。

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

聖夜が奢ったランチを食べ、その店を出た後の道すがら。

 

「――ときにオリヴィア、現在進行形で俺を監視している視線には気付いているかい?」

 

どこか物色でもするのかと思っていたところへこの問いかけだ。問われたオリヴィアは、その言葉の意味を理解するのに少々の時間を必要とした。

 

「……いえ、まったく分かりませんでした」

 

とはいえ、理解してしまえば行動は早かった。正直な答えを返しつつ、さりげなく周囲に注意を払う。このとき、バッグから手帳を取り出すのも忘れない。

 

しかし、当の聖夜に緊張感は無いようだった。

 

「なるほど、それが魔導書の代わりってことか。それだけコンパクトだと使い勝手も良さそうだな」

「え、ええ。そうなんですけど……」

 

なんで警戒しないんですか、という視線での訴えに、聖夜はふふと笑って。

 

「なに、敵意があるわけじゃないっぽいからな。そんなに警戒しなくても大丈夫なはずだ。……って言おうと思ってたんだけど、君の反応速度がちょっと優秀過ぎたもので」

 

一体誰なんだろうなー、と呟く聖夜に、ほっとオリヴィアは胸を撫で下ろす。

 

「そうだったんですか……すみません、早とちりしてしまって」

「いやいや、今の反応は本当に素晴らしかった。状況にもよるけど、警戒するなら素早いに越したことはないからな」

 

無意識に彼女の頭へと運びかけた右手を制しつつ、聖夜は続けた。

 

「あと、視線に気付けなかったことも気にすることはないよ。――どうやら結構な手練みたいだし、自分に向いていない視線なら尚のこと、感じ取るのは困難を極める」

「それは……確かに。ですが、聖夜先輩や他の先輩方ならそれも可能なんですよね?」

 

そう言うオリヴィアの表情には、僅かに無力感が見て取れた。しかし、それは単に彼女の自己評価が低いだけだ。

 

「いやー、どうだろ……オリヴィアの言う先輩方っていうのが誰かにもよるけど、仮に俺の周りの人達だとして――」

 

少し早足に歩き始めながら、しばし考えて。

 

「――茜なら気付けるだろうけど、時雨やセレナじゃ厳しいかもな。綾斗達だとしても怪しいだろうし、そうなると他の生徒は言うに及ばず、ってところか」

 

さも当たり前のようにそう言ってのける聖夜。驚きながらも慌ててついてくるオリヴィアに、彼は続ける。

 

「それだけ難しい、ってことだよ。――『冒頭の十二人(ページ・ワン)』であろうと何だろうと、アスタリスクの学生レベルじゃまず無理だろうな。それ以上の、あるいは全く別の経験を積んできた者じゃないと」

 

つまり、それに気付けるような者は、もはや学生の枠に留まるような存在では無いということだ。そのことに気付いたオリヴィアは、まさかといった様子で聖夜に問いかける。

 

「それでは、聖夜先輩なら……?」

「俺か? そうだな――」

 

いたずらっぽく笑って、彼は答えた。

 

「――まあ、多分気付けるんじゃないかな?」

 

流れるようなその言葉に、オリヴィアが絶句したその瞬間。

 

「おっと」

 

――突如として彼らの側面から飛んできた何かが、目の前で聖夜に掴み取られた。

 

(敵襲!?)

 

視線に敵意が無い、と言った聖夜の言葉を疑うつもりはまったく無かったが、それでも彼女が警戒するのには充分過ぎた。驚愕が一転、緊張感に塗り替えられる。

 

方向から捉えた気配は二人。反射的に手帳を数ページ破り、仕込まれている硬化の術式で破ったページそのものを強化しつつ、そちらの方向へ飛ばし牽制を、

 

 

――まさにその直前、術式が上書きされ、強化されたページがただの紙に戻った。

 

(っ、これって……)

 

虚を突かれたオリヴィアは、しかしすぐに顔を上げて聖夜を見る。彼の手は破られたページへと差し出されていた。

 

「びっくりしただろうけど、大丈夫だ。相も変わらず、敵意はまるで無いよ」

 

ほら、と聖夜は掴み取った何かを見せる。それは特徴的な形をした、黒っぽい色の小さな刃物だった。日本人では無いオリヴィアだが、それの形には見覚えがあった。

 

「これは……もしかして、クナイですか?」

「ご明察。――ほら、これを見てごらん」

 

その柄に結ばれていた物を解き、聖夜はそれを開いてみせた。

 

「手紙……のように見えますけど、何も書かれていませんね」

「ああ。これ、触ってみるかい?」

 

促されるまま、オリヴィアはそっと紙に触れてみる。

 

「ちょっと硬い……いえ、強い?」

「そう。これはただの紙じゃない」

 

懐から二枚の札を出しつつ、聖夜は驚くオリヴィアに言った。

 

「多分、水に浸すかあぶり出すか、ともかくそういったことをするための紙だろうね。俺が陰陽術を使えると知っているからなのか、それとも……」

 

言いながら、すぐそばの角を曲がり、細い通路へと入る。監視の視線はそれ以上追ってこなかった。

 

「……ふむ、これを渡すのが目的だったのかな。いやまあ、もっと穏便な方法があったとは思うけど」

 

なあ? と問われたオリヴィアは首を縦に振った。無駄に警戒させてくれた何者かには小言の一つでも、というのが彼女の本音だ。

 

そのような事を彼女が言うと、聖夜は苦笑。

 

「確かに。すまなかったな」

「いえ、先輩が謝ることでは……」

 

唐突に謝られオリヴィアは当惑する。確かに酷く驚いたのは事実だが、それにしたって聖夜がわざわざ謝る必要はないはず。彼のそれは冗談の類ではなく、紛れもない謝罪の意が込められていた。

 

その答えは、いつの間にか手紙を水に浸し終えていた聖夜の手にあった。

 

「……って、もうやっていたんですか。それにその器は?」

「いやー、水を溜められそうなものなんて持ち歩いてないからさ。こういう時、呪符があると便利なんだ」

 

言われて、なるほどとオリヴィアは頷く。日常でも当たり前のように術を使う人だと、そういえば勝海も言っていた。

 

そして、ほらと渡された手紙には。

 

 

『今宵の門 星の先 月の裏で』

 

そして、縦書きのその右下に、五つの丸が目立つ家紋。

 

 

「……これは、一体?」

 

その一文を見ただけでは、彼女にはまったく意味が分からなかった。困ったような表情を向けられ、聖夜は苦笑する。

 

「暗号――しかもかなり端折ってるね、これは。結構な部分を推測で埋めないといけない。読み解き方は……まあ、オリヴィアになら教えてもいいか」

 

彼は紙を再び手にし、家紋を指した。

 

「――まず、この家紋は『五十鈴(いすず)』という家のものでね。この家は、忍びとして戦国の世で月影家(うち)に仕えていたところだ」

 

つまり、聖夜とは縁のある家ということ。そう整理して、オリヴィアは次の言葉を待つ。

 

「それで、肝心の暗号だけど。この『宵の門』というのは歌などでも使われていた言葉で、妖や亡霊などの人ならざるモノが現世へと現れる時刻を指す。――つまりは丑三つ刻、午前二時のこと」

 

次、と聖夜は指を移動させて。

 

「この『星の先』という文、これだけだと意味が広すぎるんだけど……多分、ここにさっきの『門』という言葉がかかってくるんじゃないかな。『星の門の先』、つまり星導館学園の門の向く先に行け、って意味だと思う」

 

そして、と彼の指は最後の行へ移る。

 

「『月の裏で』、この場合の『月』は月影家の人間を指す。渡された相手が月影家の関係者なら、だけどね。『月の裏』、さしずめ俺の背後ってことか」

 

説明されたことを今一度整理し直して、オリヴィアは改めて濡れている文面を読んだ。

 

「――つまり、『丑三つ刻、星導館の門から続く先で、あなたの背後で待つ』という意味ですか?」

 

少し不安そうな表情で彼女は聖夜を見上げる。自分で言っておいてなんだが、これでもまだ意味が分からないところがあるように思えた。

 

「概ね正解。もっと分かりやすく言うとするなら、

 

『次の丑三つ刻、あなたが星導館の門から続く先を歩くとき、私達はその後ろに現れるでしょう』

 

って感じかな」

 

なるほど分かりやすい、とオリヴィアは頷く。こんな些細なところにも聖夜の才能が見えた気がした。

 

「……さて、改めてすまなかった。店巡り、再開するか?」

 

――と、申し訳なさそうな声が降ってくる。ふとオリヴィアが見上げると、聖夜は頬を掻きながら、

 

「迷惑をかけたし、何かお詫びの品でも……って思って。もちろん、そっちがよければだけど」

 

オリヴィアは少し意外に思った。こんな騒動があったのだから、てっきり今日はこのまま解散となるのかと思っていたのだが。

 

ともあれ、オリヴィアに断る理由は無いので、躊躇いなく頷く。ほっ、と聖夜は安堵した様子で、

 

「よかった。巻き込んでおいて終わりじゃ、さすがに申し訳が立たなかったところだ」

 

律儀な人だ、とオリヴィアは改めて思う。人間として、聖夜は間違いなく『できている』と。もちろん、そうでなければ星導館屈指の実力者達に好かれるはずもなく、またオリヴィアや勝海が兄のように慕うこともないのだが。

 

「よし、それじゃあ……どこに行きたいとか、希望はある?」

「いえ……先輩の行きたいところで構いませんよ?」

 

こういう所も、である。押しかけたのはオリヴィアの方なのに、聖夜はごく自然に相手の希望に合わせようとしてくれる。

 

「そうか? それじゃあ、変わらず適当にぶらつこうか。もとよりそのつもりだった訳だし」

「はい。仰せのままに」

 

そんな聖夜に、オリヴィアは最大限の敬意を込めて返事をする。それを理解したのかどうなのか、聖夜は柔らかく笑って彼女の手を取った。

 

 

「――本当に、君はよく出来た子だ。これなら勝海君も振り向いてくれるんじゃないかな?」

 

「っ!?」

 

ところが、ただの良い先輩では終わらせないのが聖夜という男である。

 

「ちょっと待って何で先輩がそれを知ってらっしゃるんですかあ!? 誰にも言ったことないのに……!」

 

小声で、しかし酷く慌てふためきながらオリヴィアは聖夜の口を塞ごうとする。それを、まあまあと聖夜は両手を出して宥めながら、

 

「何でって言われても、普段の二人を見てればねえ……あれだけ積極的に絡みに行ってるのを見れば大体気付くと思うよ、当の本人を除いて」

 

オリヴィアは真っ赤に熟れた顔を隠しながら俯く。まさかこの想いが他の人に気付かれていようとは、思いもよらなかった。

 

見かねたのか、聖夜が苦笑しながら言った。

 

「……まあ、肝心の本人はまったく気付いてないから。勝海君は結構鈍いみたいだし、むしろもっと積極的でも良いのかもな」

 

先輩がそれを言いますか、という言葉をオリヴィアはすんでのところで飲み込む。彼女から見れば、聖夜も勝海のことを言えないほどの鈍感人間なのだが。

 

と同時に、納得もした。人間というものは、想像しているよりもずっと、人からの好意に対して鈍いのだと。オリヴィア自身、考えてみれば、他者からそういった好意を向けられたとしても気付ける自信など無いのだから。

 

とはいえ、これ以上積極的になれというのもなかなか難しい話である。今でさえ、勝海と話す際には緊張しっぱなしなのだ。

 

「積極的に……や、やっぱり難しそうですね」

 

何となく積極的になった自分を想像してしまって、思わず恥ずかしくなる。こんな様では、まだまだ先は長そうだ。

 

話題を変えるため、オリヴィアは口を開いた。

 

「……そういえば、ちょっと聞きたいことがあるんですけど、よろしいですか?」

「ん、そんな改まることもないだろうに。どうした?」

 

先輩らしい言い回しだな、と彼女はふと思いつつ。

 

「先程、私の術式が上書きされたのは、先輩が何かしらの術を行使したからですか?」

 

すると、聖夜は軽く頷き、

 

「ああ、やっぱり『上書き』っぽく感じた?」

「えっ? ……ええ、そう感じました」

 

訝しく思うオリヴィアに対し、聖夜は悪戯っぽく笑った。

 

「実を言うとね、さっきのはただ単に万応素(マナ)の動きを阻害しただけなんだよ。もっと正確に言えば、『君の術式の周辺』というごく限定的な範囲の万応素を俺の管理下に置いて、他者からの干渉を不可能にした」

 

若干、得意げにも見える表情で彼は続ける。

 

「領域型能力からヒントを得たんだ。――何かを発現することこそ出来なくても、一定の領域内の万応素に干渉し他者からの影響を断つということは、訓練次第では能力者じゃなくても行えるようになる。なにせ、星脈世代の大半には能力者の素質があるんだから」

 

そこまで聞いて、オリヴィアはふと疑問に思った。

 

「あれ……先輩、さっきのは術式の上書きでは無かったということなんですよね?」

「ああ、そうだけど。何か気付いたのかい?」

 

はい、と彼女は思案顔をする。

 

「であれば、なぜ私のページは術前の状態に戻ってしまったんでしょうか? 先輩が万応素の動きを阻害した時には、物体硬化術式は掛け終わっていたはずなんです」

 

あの時、オリヴィアはページを飛ばすための術式を既に構築し始めていた。聖夜が万応素の動きを止めたとして、確かにその時点で構築中の術式は発動しないが、その前に掛け終わっていた術式に関しては影響が出ないはず。

 

だが、聖夜の口端が微かに歪んだのを見て、オリヴィアは自分が何か勘違いをしているのだと悟った。

 

「……えっと、やっぱり何か間違ってますよね?」

「あー、まあ……いやでも、これは能力者なら誰でも勘違いすると思うよ、うん」

 

首を傾げるオリヴィアに、聖夜は柔らかい声で教える。

 

「能力者の大半は、術式を発動する際に自分の中で最適化をしている。しかも、これは意識して行うものではなくて、基本的に無意識下で行われているんだ。ここまでは分かる?」

 

角を曲がり、人通りの多い場所へ出る。こんなに人が多かったかと何となく思いながら、オリヴィアは頷いて続きを待った。

 

「君の場合も例外じゃない……といっても例外の方が圧倒的に少ないわけだけど。恐らく自分でも知らないうちに、術式をスムーズに発動するための最適化がさっきも行われていたんだろうね。どういったものだったのか、ちょっと考えてみてごらん?」

 

そう促され、オリヴィアは思考の海に沈む。

 

(硬化の術式は元々ページ自体に仕込んであったもの、でもその後の術式は私が組み上げようとしていたものだから、後の方が妨害されたとしても前の効果は消えないはず。だけど、先輩が言う『最適化』の影響で前の術式の効果も一緒に消えてしまったというのなら、どんなことが考えられるだろう?)

 

しばし、自分の中で考えを整理しつつ。

 

(『最適化』というくらいなんだから、何かしらの改善を伴っているはずよね。術式発動の効率化? 術式効果の強化? そうだとしたら、どうやって最適化する?)

 

無意識に、右手を口元へと運びながら。

 

(強化なら、そもそも二つの術式を繋げる必要がない。それぞれの術式に、個別に意識を割いた方が合理的。――繋げる、か。効率化を目指すなら、二つの術式を一つのものとして発動するという選択肢もありね。正確さを求めるか、速さを求めるかでも変わってくるけど)

 

聖夜が興味深そうに微笑んでいることなど、全く気に掛けることもなく。

 

(さっきの状況だとしたら? 私は敵の気配を感じて、とりあえず牽制を行おうとした。なら、何より発動速度を求めたはず。……ってことは、私が行っていた『最適化』は、術式の発動を速めるために二つの術式を繋げるということだったのか)

 

それならば納得がいく。無意識に連続性を持たせてしまえばそれは大きな一つの術式となり、どのタイミングで妨害が入っても、術式が完成していない限り内包されている全ての効果は発動しないし、既に発動し終わっていた効果も消えてしまう。

 

「気付いた?」

「……はい。先輩は知っていたんですね? 私の最適化がどういうものなのかを」

 

知っていなければ、あの場面でわざわざ万応素に干渉などしないだろう。特訓をしていて分かったことだが、少ない星辰力を無駄遣いしないためなのか、聖夜は基本的に余計な術式は使わないのだから。

 

果たして、彼は一つ頷く。

 

「まあ、予想くらいはね。もし違ってたら、それとはまた違った方法で止めようと思ってた」

 

まだ他に方法があるのか、と驚愕するオリヴィアだったが、聖夜はそれについては特に何も言わず。

 

「万応素の上書き――うーん、名前決めてないから呼び辛いな。まあ、ともかくこれは、単なる妨害になるだけじゃないんだ。さてさて、それじゃもう一回シンキングタイム……と、言いたいところなんだけど」

 

不意に聖夜が立ち止まる。その視線は、近くのカフェへと向いていた。

 

そうして、子供のように微笑みながら言う。

 

「その話はまた今度にして、よければ寄っていかないか? ここのケーキは絶品でね、ぜひ知ってもらいたいんだ。あと俺自身も食べたいし」

 

オリヴィアの返事を待たずに入ってしまいそうな様子の聖夜は、どうやらこの店のスイーツがお気に入りのようだ。彼の年相応なところを垣間見て、オリヴィアは思わず笑みを零した。

 

「ふふっ……それでは、お言葉に甘えてご一緒させていただきますね。少し小腹も空いてきたところです」

「ん、ありがとう。それじゃあ行こうか!」

 

取り立てて急いでいるようには思わせないように振る舞う聖夜だったが、しかし彼の瞳は、確かに好きなものを目の前にした子供のような輝きを秘めていた。

 



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第二十五話〜五十鈴の姉妹〜

久々に早く書き終えたぞー……なんて思ってたら普通に半月以上経ってました。どれもこれもクワガタ達が可愛いのが悪い。





あと十数分も経てば、草木も眠る丑三つ時。半月が淡く照らす学戦都市は、昼間とは打って変わって静けさに包まれている。

 

――そんな月明かりのもと、星導館学園男子寮の屋上では、パーカーのフードを被った聖夜が気楽な様子で佇んでいた。

 

「この暗さだし、大した変装しなくても大丈夫だろ。……にしても、やっぱり夜は落ち着くな」

 

何となく月に手を伸ばそうとして、ふと思う。

 

(魅入られてるな、俺も……それが悪いかと言えば、別にそんなこともないんだろうけど)

 

こうも月に惹かれてしまうのは運命か、あるいは心の拠り所にしてしまっているのか。思い返せば、月というものは今まで行ったどの世界でも、変わらずその神秘を降り注がせていた。

 

「……っと、いけない。そろそろ出ないと」

 

白い輝きから視線を外し、眼下に広がる闇を見据える。寮の刻限はとっくに過ぎており、今は最低限の街灯がぽつぽつと遊歩道を照らしているのみ。聖夜の目的地は遊歩道のその先、さらに正門をも超えた先のどこかにある。

 

「さて。この高さからならちょっと補助すれば跳び超えられるはずだけど、果たしてどうかな」

 

ふっと笑う。正門付近など、学園の至る所に備えられている防犯装置は大体がパッシブセンサーのようなものが(一部機密性の高い場所はアクティブセンサーが)用いられており、それもある程度の高さまでしか機能しないのは既に時雨から聞いている。もっとも、星脈世代基準での『ある程度』なので実際には結構な高さであるし、普通に近付いて跳び超えようとすれば監視カメラに引っかかるので、充分に効果はあるらしい。

 

――とはいえ、それらの防犯装置も、流石に建物の屋上から跳ぶ者を想定してはいないだろう。それだって、普通ならいくら星脈世代でも届くわけがないのだから、そもそも想定などしない。

 

(呪符の準備、完了。星辰力も問題なし、と)

 

それは聖夜とて例外ではなく、仮に全力で跳んだとしても学園の敷地外には届かない。しかし、跳んだ直後から風の術式を使って滑空し飛距離を伸ばせば、余裕を持って学園外へ出ることができるのだ。――帰りは高い建造物など無いので、純星煌式武装(オーガルクス)の力を借りることになるが。

 

(そんじゃ、束の間の空中散歩を楽しむとしますか)

 

もっとも、眼下の景色はあまり代わり映えのないものだが、それもまた一興。パーカーのポケットから呪符を取り出し、聖夜は屋上の(へり)を力強く踏み切った。

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

舗装された夜道をのんびりと歩くこと、しばし。気配を消すことも、周囲に気を配ることも、特段意識してはいない。聖夜の想定通りの相手なら、()()()は相当な手練のはず。ならば気配を消すことに大した意味はない。

 

恐らく向こうもそれは同じなのだろう。聖夜の耳は、はるか背後から聞こえてくる二人分の小さな足音を確かに捉えていた。

 

――互いに何もアクションは起こさないまま、聖夜が時折覗く懐中時計の針だけが二時へと近付いていく。

 

(……あと十秒)

 

そうして、長針が真上を指す。と同時に聖夜がおもむろに振り向けば、そこにはクインヴェールの制服を纏った二人の少女が佇んでいた。

 

「いつの間に。……なんて尋ねるのは失礼にあたりますか?」

 

どことなく顔立ちが似ていることから、この二人は姉妹なのだろう。フードを外して笑いかけた聖夜に、少し背丈の高い方の少女が朗らかに微笑み返して言った。

 

「お褒めに預かり恐悦至極です。我がご当主様」

 

おや、と聖夜は首を傾げて。

 

「今となっては、月影家と五十鈴家の関係は主従のそれではないはずですが……」

「それでも、私にとってはあなたが当主なのです。私達の代においても陰ながら支援をしてくださっていた聖夜様こそ、私が真に慕うべきお方」

 

確かに聖夜は、親戚筋などに経済的援助を始め様々な支援を自らおこなっている。しかし、五十鈴家にだけ特別な援助をしているわけではないし、どうして彼女がそこまで慕ってくれるようになったのか、聖夜にはまだ分からない。

 

すると、少女が続けて言う。

 

「――それに、母上などもおっしゃっていました。私達一族は遥か昔から月影家の方々に助けていただいている、その恩を少しずつでも返していかなければね、と」

 

そう語る少女の瞳には確かな憧憬の色があった。だが、はいそうですかとそれを簡単には受け止められないわけで。

 

(いやいや、マジか……俺の記憶通りなら、小さい頃に何度か会っただけのほとんど知らない他人なのに、普通そこまでなるか?)

 

如何に周りから言われ続けたとしても、だ。直接的な関わりがない人間に、先祖が世話になったから恩を返そうなどと思う学生はまず居ないだろう。

 

まさかと思い、もう一人の少女に見る。――しかし、彼女の方はさほど友好的な目をしていなかった。視線を向けられたことに気付いたのか、少女は姉に耳打ちする。

 

「お姉ちゃ……姉上、この人が月影様ですか? 今の所、どこにでもいるような学生にしか見えないんですが」

「こらっ、なんてこと言うの桐花(きりか)!」

 

耳打ちとは言え、これだけ静かな夜であれば聖夜にも聞こえる。呆れも含まれていそうな妹の発言を慌てて訂正しようとする姉に、聖夜は苦笑して。

 

「お気になさらず。それが本来の評価だと思います」

 

怒りの感情などない、むしろ安心したくらいだ。聖夜は、自分にカリスマ性や威厳があるとは全く思っていない。姉と同じようなことを周囲から聞かされていたはずの妹がこの態度ということは、もしかすると。

 

「あなたも、そんな過剰に評価することはありませんよ。私はあなたに憧れや夢を見せられるような男ではありませんし、もちろん、慕われるような大層な人間でもないですから」

 

彼女はどこかで、聖夜に対して思い込みをしていたのだろう。恥ずかしい話だが、周囲の人々が話していたことは大体が聖夜を褒めるような内容だったはずだ。それに加えて、物心が付き始めて少し経ったくらいの聖夜と出会ったときの記憶が残っていたとすれば、それが美化されちょっとばかり聖夜に対する認識がズレてもおかしくない……のかもしれない。

 

どうであれ、あまり慕われることに慣れていない聖夜は、このままではどうにもやりにくいと感じていた。少なくとも、姉の方には、自分は別に上の存在では無いのだということを示さなければならない。

 

「失礼、名乗りをしていませんでした。星導館学園序列三十五位、高等部一年の月影聖夜です。以後お見知りおきを」

 

そうして、腰を折る。姉妹は呆気に取られたようだったが、はっと姉も頭を下げて言った。

 

「私達こそ、初めに名乗るべきでした。――クインヴェール女学院所属、高等部二年の五十鈴玲音(れいね)と申します」

「……同じくクインヴェール所属、中等部三年の五十鈴桐花(きりか)です」

 

姉――玲音を見て、桐花というらしい妹も軽く頭を下げる。やはり、彼女は聖夜に対しての思い入れは特に無いようだ。

 

「玲音さんに、桐花さんですね。今後もよろしくお願いします」

「桐花、で良いですよ。あなたの方が先輩なんですから」

 

少々ぶっきらぼうに桐花が付け加える。すると、慌てて玲音も口を開いた。

 

「すみません……この子、ちょっと人見知りのきらいがあって」

「そうなんですか?」

 

否定しないところを見ると、どうやら真実らしい。姉ほどではもちろんないにせよ、好感度がマイナスからスタート、というわけでも無いようだ。

 

それはそうと。

 

「クインヴェール、ですか……確かに、その端麗な容姿であれば納得ですね」

 

月明かりしかまともな光源が無い夜中でもそう思うほどに、彼女達は美少女だ。程よく引き締まっているプロポーションも、揃って鼻立ちの整った綺麗系の顔立ちも、姉の亜麻色をしたふわりと膨らんでいるミディアムヘアーと妹の青みがかった黒色で真っ直ぐ伸びているロングヘアーも。世辞抜きに、聖夜は美しいと感じた。

 

果たしてそれが伝わったのかどうか、玲音は恥ずかしそうに赤面して、桐花は少々驚いたように、それぞれ言った。

 

「あ、ありがとうございます……」

「えっと、ありがとうございます。――褒め言葉として受け取って良いんですよね?」

 

もちろん、と聖夜は頷く。すると桐花の視線がいくらか和らいだような気がした。

 

「ふーん……」

 

とはいえ、未だに値踏みするような視線は変わらない。ただ、この場でそれを気にしているのは姉の玲音だけのようだった。

 

「桐花っ、どうしてそんな態度ばかり取るの!?」

 

怒りを滲ませた声音で玲音が言う。聖夜に対して失礼だ、と感じているのだろうか。別にこっちは気にしてないんだけどな、と聖夜は彼女を宥めようとしたが、それより先に当の桐花が口を開いた。

 

「姉上、私は月影さんのことをほとんど知りません。……あの人が本当に、姉上が仕えるだけの実力を持っているのかどうかも。映像だけでは分からないこともあります」

 

なるほど、と聖夜は納得する。彼女は最初から聖夜の実力を疑っていたのだ。姉が慕い、仕えるのに相応しい強さが果たして聖夜にあるのかを。

 

思わず笑みが零れてしまった。彼女は中等部の子とは思えないほど聡明で、それでいて家族思いだ。良家の人間にありがちな、身内に対して変にドライであったり、何かを盲信するようなところは見られない。

 

「桐花、あなたは――」

「いえ、それは最もな疑問だと思いますよ」

 

妹に反論しようとした玲音の言葉を遮り、聖夜が彼女達の方へ歩みを進めた。さっと一歩身を引いた玲音にありがとうと伝え、そして堅苦しい敬語は止め、あくまで一人の先輩として言葉を紡ぐ。

 

「桐花ちゃん――馴れ馴れしい呼び方を許してもらいたいんだけど、君は俺の実力どころか、俺のことだってほとんど知らないんだろう? であれば、俺を胡散臭く思ったっておかしくない」

 

聖夜がそんな事を言うのが意外だったのか、玲音と桐花は揃ってぽかんとしていた。やっぱり似ている、と聖夜は口元を綻ばせながら、

 

「だけど、一人の男子高校生として、実力を認めて欲しいという気持ちも俺にはあるわけだ。どうだろう、どうすれば認めてもらえるかな?」

 

聖夜とて男だ、慕ってくれる女性には良いところを見せたいし、後輩の女の子に実力を認められればやはり嬉しい。

 

成り行きを見守る玲音と、自然体で返事を待つ聖夜の前で、桐花がしばし悩んだ末に言った。

 

「……なら、一つ模擬戦をしてもらえませんか。今、この場所で」

 

それを聞いて、聖夜は首肯した。単純明快、実力を試すには手合わせするのが手っ取り早いということなのだろう。聖夜からしても、その考え方は嫌いではない。

 

ちらと玲音に目を向ければ、彼女も異存は無いようだった。――いや、異存が無いというよりは、むしろ。

 

「――聖夜様がよろしいのであれば、私に異論はございません」

 

視線を向けられたことに気付いた玲音が静かに答える。彼女はあくまで聖夜の意見に従うというスタンスらしい。もっとも、その瞳には微かに桐花への非難の色があったが、聖夜への忠誠心が勝ったようだ。

 

ぽん、と手を打って。

 

「決まり。……よし、それじゃ早速始めようか。女の子をあんまり遅くまで引き止めるのも良くないからね」

 

言うやいなや、聖夜はホルダーから三つのコアを取り出し、玲音へと手渡した。

 

驚きに目を見張る玲音。

 

「っ、もしかして……!」

「――俺の大切な純星煌式武装なんです。預かっておいてもらえますか?」

 

桐花との手合わせに純星煌式武装は相応しくない。そしてそれらを玲音に預けることは、こちらの信頼を表明するという意味も含む。彼女になら、安心して預けられる。

 

はい、と玲音は満面の笑顔を咲かせた。聖夜が思わず見とれてしまうほどの美しい笑顔で、大切そうにコアを両手で包み込む。

 

――と、それを見ていた桐花が、若干不満を滲ませた口調で言った。

 

「それって、手加減するってことですか?」

 

確かに、アスタリスクで知られている聖夜の主要武器は純星煌式武装だ。それを使わないというのは手抜きだと感じるのも無理はない。

 

だが、聖夜は首を振る。

 

「ああ、そういうことじゃないよ。君は俺の実力を試したいって言ってるのに、純星煌式武装を使っちゃったら正しい実力が測れないだろう? ……俺としても、純星煌式武装無しの実力も知ってもらいたいからな」

 

だけど、とポケットから呪符の束を取り出し、

 

「流石に丸腰じゃどうにもならないから、陰陽術(これ)は使わせてもらうけど。良いかな?」

「……そうですか、それなら文句はありません。勘違いをしてすみませんでした」

 

素直に謝罪の言葉を述べた桐花は、やはり根は良い子なのだろう。中学生特有の思春期ゆえの意地と、聖夜へのちょっとした不信感が相まってこんな態度になってしまっているだけで。

 

そうと分かれば、むしろ可愛らしさすら感じる。口角が上がりそうになるのをなんとか堪えながら、聖夜は桐花から数歩離れ、呪符を剣の形へと組み上げた。

 

「………」

 

それを見た桐花も、携えていた小太刀を無言で抜き放ち、逆手に構える。

 

「小太刀か。苦無じゃないんだな」

「苦無は、どちらかといえば姉上が得意としています。私が使うのはこの小太刀と――」

 

そして懐から取り出すは、細かな色形こそ違えど、確かに聖夜が持つ物によく似た紙の束。

 

「――この札です。あなたのように多彩な術を使うことはできませんが、札に爆破の術式を仕込んで操ることくらいはできます」

 

つまりは遠距離の攻撃手段ということ。ただ、聖夜はそれを珍しく感じた。

 

「ちょっと意外だな。基本的に、忍びは幻術の類しか使わないと思っていたけど」

 

すると、今度は傍の玲音が口を開く。

 

「このように他の術をも扱える者は、五十鈴家(うち)にもほとんどおりません。ひとえに桐花の努力の賜物です」

 

桐花はくすぐったそうに微かな笑みを浮かべる。姉に褒められて嬉しいのだろう。そして、玲音の言葉が真実であるということは、聖夜にもよく分かる。

 

「なるほど……いや、本当に凄いですね。複数の、しかも系統の違う術式を扱う難しさは俺もよく知っているから、余計に恐ろしい」

 

聖夜の場合は、魔法や神道の術式に詳しい知人……というより本物の巫女や魔法使いや神様が周りに居たし、術式に関する文献も豊富にあった。しかし彼女の場合は、忍びの血を引く家系である以上、幻術以外の術式に関する資料などほとんど存在しなかっただろうし、それらを教えられる人もまず居なかっただろう。そんな状況下で、実戦に耐えうるほどのレベルにまで鍛えあげたことは驚嘆に値する。

 

「――元々気を抜くつもりなんて無かったけど、これは相当気合い入れてかないとな」

 

右手で剣を構え、左手には呪符を。そして、懐から飛び出してきた十数体の人形(ひとがた)を周囲に浮かべて、聖夜は宣言した。

 

 

「――さあ、忍びのご息女よ。私の力、存分に試し給え」

 

 

 

 

 

 

 



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第二十六話〜五十鈴の姉妹、其の弐〜

前回の話からおよそ1年、大変お待たせいたしました……。書きたいことの大筋は立っているんですが、こういった合間合間の小話となると書きなれていないせいで、こんなにお時間がかかってしまいました(という言い訳)。

1年経っても、未だにコロナの猛威が収まらないなかですが、少しでも楽しんでいただけたら幸いです。





「――お覚悟を」

 

そう呟き、桐花は闇へ溶けるようにして間合いを詰める。聖夜からは、その姿が揺らめいて見えた。

 

――彼がそう感じた瞬間には、桐花はもう間合いに居た。

 

(巧い……!)

 

左側面から逆袈裟に飛んでくる鋭い銀閃を、聖夜の呪符から展開された小さな結界が防ぐ。牽制のつもりだったのか、その一撃は彼の想像よりも軽かった。結界特有の、しゃりいん、という小気味良い音と共に、桐花の刃が弾かれる。

 

防がれたことを確認するや否や、桐花は間髪入れず聖夜の背後に回り、小太刀を順手に持ち換えて連撃に入った。そうはさせじと聖夜も身体を半回転させ、今度は剣で迎撃にかかる。

 

 

――しかし。

 

(やっぱやり辛いな……ったく!)

 

桐花の剣戟に対して剣を振るっても、その度に視覚情報から得た小太刀の軌道予想からズレが生じ、きちんと狙った所で捉えられないのだ。剣の先端や根本に近いところでかち合えば力のバランスが崩れるし、それが予想もしていないものならば当然、次の行動にすら支障が出る。戦略面でもそうだが、何より精神面での負担が辛い。思うように動けないというのはそれだけで焦りをもたらし、徐々にペースを蝕まれていく。

 

それが幻術だ。大規模でも派手でも無いが、相手を追い詰めるのにはこの上なく適している、相手にするとかなり厄介な術。

 

しかし、対策が無いわけではない。

 

(なら、これで……)

 

何度も外れた場所に打ち込まれて手が痺れるのも構わず、力任せに桐花を弾き飛ばし、呪符を構える。とりあえず誤魔化せればと、選ぶのは水の術式。水の系統は瞬間火力に優れており、咄嗟に相手の流れを崩す必要があるような展開では特に優れた効果を発揮する。

 

だが、術式を発動しようとしたその時、聖夜は嫌な気配に気付いた。その感覚に従い素早く周囲に目を走らせると、彼にとっては既視感のある物体が、使い手と同じように揺らめきながら次々と迫ってきていて。

 

(……やっべ、忘れてた)

 

彼女の幻術に気を取られて、いつの間にか札が放たれていたことに気付かなかった。迎撃しなければと剣を構え直そうとして、しかしふと思い留まる。

 

(いや、下手な対応じゃペースは取り戻せないな。ちょっと工夫してみるか)

 

ここで術を中断し迎撃したところで流れは変わらない。そう結論づけて、聖夜は予定通り術式の発動に取り掛かった。

 

とはいえ、聖夜の術式発動速度は能力者基準で見れば遅い方だ。当然、術式の完成より先に、桐花の放った札達が彼を襲い、次々に爆発する。

 

「っ――!」

 

爆風で土煙が立ち込めるなか、桐花は怪訝な表情を浮かべた。

 

(回避すらしないなんて……これはもうこっちのものでしょ)

 

あくまでサブウェポンだとしても、桐花の札は牽制目的に留まるような威力では決してない。それを何発もまともに食らったのだから、それなりのダメージになっているはずだし、次の行動も遅れるはずだ。

 

煙が晴れる前に桐花は再び距離を詰める。ここで畳み掛ければ早々にこちらが勝てると、そう判断しての行動だった。

 

そのため、煙の向こうから数体の人形(ひとがた)が飛び出してきても、彼女は咄嗟に反応出来なかった。

 

(嘘っ!?)

 

札が命中してすぐに距離を詰めた。反撃に使える時間は与えていないはず。なのに、何故。

 

考える間もなく、彼女の目の前に水の球体が生まれ、弾けた。その凄まじい威力に、防御姿勢を取ってなお吹き飛ばされた桐花は、地面を転がる前に受け身を取ってなんとか体制を立て直す。

 

 

――その視線の先、薄まっていく土煙の向こうでは、聖夜がところどころ汚れのついた制服を手で払っていた。

 

「思ったより強かったな……結界張ったのは正解だったか」

 

見たところ、制服以外に目立ったダメージは無いようだった。一方、桐花の方も、大きく距離を取られこそしたものの、戦闘に影響するようなダメージは負っていない。仕切り直しだ。

 

再び小太刀を構える桐花に対して、聖夜は構えもせず自然体のまま立っていた。しかしそこに隙はなく、得体のしれない圧すら感じられる。場違いなほど落ち着き払った聖夜を前に、桐花はなかなか動けなかった。

 

(……っ、もう一度)

 

そのプレッシャーを抑え、彼女は札を放ちつつ、同時に再度間合いに飛び込む。先程は上手く主導権を握ることができたのだ、幻術を使えば再び優位に立てるはず。

 

だが、突っ込んでくる桐花を前にして、聖夜は何故か目を閉じるという奇行に打って出た。

 

(はっ、)

 

これには桐花も驚きを隠せなかった。視覚情報を幻術で誤魔化されてしまうなら、そもそも見なければ良いとでも考えたのだろうか。しかし、それにしたって。

 

(無茶が過ぎるんじゃないの……!)

 

そんなことでどうにかなるようなら、幻術はこの時代まで残っていない。目を閉じた場合は当然、気配だけで敵を捉えなければならなくなるが、言うは易く、しかしそれを実際に行うのは、たとえ幻術下でなくとも難しい。加えて、幻術が使いこなせるような者は気配の消し方も熟知している場合が多く、そもそも捉えることへの難易度自体が高い。正直に言って、聖夜のそれはほとんど意味の無い行動だ。

 

札がすべて斬り伏せられ、そして振り抜いた刃が迎撃されるまで、桐花は本気でそう思っていた。聖夜の口元が笑みの形に歪む。

 

(なあっ……どうして!?)

 

「――『光月(みつづき)』!」

 

空に浮かぶ月のような円弧を描く反撃の刃。それをなんとか躱しながらも、桐花の表情は隠しきれない驚愕に染まっていた。まさか、相対しているこの少年は、桐花が遠く及ばないほどの実力者だというのか。幻術すら一度の攻防で攻略できてしまう、規格外の人間だというのか。

 

ともかく、今の状況はよろしくない。一度幻術を破り、相手の存在を既に捉えている者に対しては、新たに幻術を行使しても大した効果を示さない。

 

躱した勢いのまま、大きく跳んで距離を取る。追撃がこないのを訝しく思いながらも、桐花はそのまま状況の把握につとめた。

 

(確かにとんでもない実力者なのかもしれない……けど、何か絡繰があると考える方が自然よね)

 

聖夜がなんらかの術式を発動していないか、その痕跡を探る。もっとも、正直なところ、桐花には古式の術式以外を上手く見分けられる自信がなかったが、幸いな事に()()はすぐに見つけられた。

 

「まさか……結界?」

 

それも防御に使うような、通常考えられるタイプの結界ではない。三重に張り巡らされたそれは、恐らく、境界を踏み越えた者の存在を術者に伝えるもの。そういった種類のものがあると、桐花はどこかで耳にしたことがある。

 

彼女が深く考えるより先に、聖夜がおもむろに目を開けて答えを話し始めた。

 

「お見事。君の言う通り、俺の周囲には結界がいくつか展開されている。これをセンサー代わりにすることで、幻術を使用している者も捉えることができるんだ」

「なるほど……」

 

「――勉強になります」

 

すると、今まで無言で見守っていた玲音がそう呟いた。言ったかいがありました、と聖夜も玲音に笑いかける。

 

そして、桐花もまた納得していた。幻術とは術者の見え方や音の出処を欺く術であり、相手の精神に大きく干渉するものではない上、術者の存在そのものを消すわけでもない。生物の感覚は誤魔化せても、それ以外の手段で存在を捉えることができる者を欺くことはできないのだ。

 

「しかし……幻術だけではなく、忍びとしての速さもまた桐花の武器。結界で幻術を突破しようとも、目を閉じた状態で迎撃すること自体が至難の技だと感じますが、どうなのでしょう」

 

思案する桐花の代わりに問うた玲音に、聖夜は少し考える素振りを見せて。

 

「正直、そのあたりは慣れですね。多数の攻撃を同時に捌かなければいけない状況や、搦手を使う実力者を相手にする状況が何度かあれば、その度に自分の中で洗練されていくものなので」

 

何度か、などと控えめに言ってはいるが、慣れが確立するということはそれだけの経験を積んでいるという事実に他ならない。まだ高等部の学生だというのに、一体どれほどの実力を隠し持っているのか。

 

 

――少なくとも自分に勝ち目があるとは思えなくなった桐花は、札を構えていた手を静かに降ろし、そして小太刀をゆっくりと鞘へ収めた。

 

そして、それを見た聖夜も、どこか疲れたような微笑みを浮かべながら剣を呪符の束に戻して、桐花に言った。

 

「……ん、それじゃ終わりにしようか。一応、認めてもらえたってことでいいのかな?」

「まあ、はい。私じゃ勝てないと思いましたし……」

 

相変わらずぶっきらぼうだが、しかしどこか気まずそうに答える桐花。その様子の変化に玲音は訝しげな視線を向けたが、姉がそれを問う前に、妹は自ら答えを口にした。

 

「あと……すみませんでした。散々、生意気言っちゃって」

 

元々、桐花は聖夜の実力を疑い、しかもそれを直接言動に表していた。しかし、いざ蓋を開けてみれば、自分よりも圧倒的に強いのでないかという別の疑いが生まれるほどで、とてもではないが実力が無いとは言えないレベルだった。

 

そうくれば、桐花が気まずさを感じるのも仕方ないことだと言えよう。初対面の上級生にいきなり失礼なことを言ったのだから、謝りたくもなる。

 

しかし、聖夜は困ったような顔で言った。

 

「気にしなくていいよ、本当に。生意気だったなんて全然思ってないから」

 

それに、と聖夜は口を開きかけた桐花を視線で制し、続ける。

 

「勝てるかと言われれば、それも結構怪しかったわけで。――幻術にしろ呪符にしろ、幸いにも同じような戦法とやり合った経験があったからこそ凌げたけど、それだってただの小細工だったんだし」

 

これは紛れもない本音だった。かつて妖狐や巫女と戦ったという経験、そして何より弾幕ごっこというバックボーンがなければ、結界を利用した対策など思いつく事もなく、飛来する札に流れを乱された挙句、今回の手合わせは聖夜が押し切られて終わっていただろう。

 

「それに、あの小細工もそう長くは続けられなかった。あの一回だけでもだいぶ疲れていたし、もし仕切り直されていたら遠からず限界がきていたよ」

 

目を閉じた状態での迎撃など、並の集中力でこなせるものではない。ましてや結界を展開しながらのやり取りで、脳への負担も馬鹿にならない状態だった。

 

だから、どこかで一旦引いてもらえればと。

 

「俺が札の直撃をどうにか防いだ時、少し焦っていたように見えたから。もしかしたらと思って、あえて余裕を演じさせてもらったんだ」

 

それを聞いて、桐花は酷く驚いた様子で呟いた。

 

「――もしかして、あの笑みも?」

「というと、札を打ち落としたときのやつかな? 確かに、あれも半分は演技だったと思う。……結界がきちんと効果を示した、っていうことに嬉しくなったのも事実だけど」

 

変な事しててごめんね、と申し訳なさそうに言う聖夜だったが、しかし桐花は内心で舌を巻いていた。

 

(簡単に言っているけど、戦闘に組み込めるほどの演技なんて……)

 

それはもはや精神攻撃だ。攻撃に対して余裕を見せることで相手の士気を低下させ、さらに上手くいけば、相手に効かないと判断させた攻撃を封じることもできる。それらが引き起こす戦闘中の影響は決して小さくない。

 

同じようなことを考えていたのだろう、玲音が尊敬の色を隠さずに言った。

 

「私もすっかり騙されてしまいました。そういった小技までこなせてこそ、真の実力者ということなんですね」

「いやー……私のは小手先の技ばっかりですから」

 

認められるほどの者じゃない、と暗に聖夜は言う。あくまで小細工、決定打になるようなものではないからと。

 

しかし、少なくとも彼女達はそう思わなかったらしい。

 

「そう卑下する必要はないんじゃないですか。私はその小技と演技にやられたんですけど」

 

桐花にとって、策に嵌っていいようにやられたことは事実だ。聖夜が何と言おうとそれは変わらない。もちろん、勝てないと感じたことも。

 

思いがけないその言葉にしばし呆気にとられる聖夜。しかし、やがてふっと表情を崩して。

 

「そっか。……それじゃあ、今回は一応俺の勝ちってことで。ごめんな、変に気を遣わせちゃって」

「……いえ、お気になさらず」

 

どこかやり難そうな表情で桐花はふいっ、と顔を逸らす。それを見て、玲音が微笑をたたえながら妹の側へと歩み寄った。

 

「聖夜様は不思議なお方ですね。勝利したというのに、驕りがまったく見られません」

「ええ……驕れるような闘いではありませんでしたから。それに、調子に乗ると後で必ず返ってきますし」

 

慢心はしない。大自然の中で生き残るためには、自信は適度に持ちつつも常に自分を下に見るくらいの方がちょうどいいのだと、彼は幾度とない狩りの中で学んだ。

 

「まあ……とても立派なお心構えですね。貴方様の強さの一端が垣間見えるようです」

 

しかし、玲音にはそれが立派なものに感じられたらしい。向けられる尊敬の眼差しに、聖夜は少しだけ決まり悪さを感じながら。

 

「ありがとうございます。心構えに実力が負けないよう精進しなければ」

「ふふっ、それ以上強くなられては、ますます私達が勝てなくなってしまいますね」

 

そんな聖夜の気まずさを察したのだろう、打って変わって冗談めかした様子で微笑んだ玲音は、聖夜へと両手を差し出した。

 

「こちら、お返し致します」

「ああ、ありがとうございます。何か問題は起こさなかったでしょうか?」

 

受け取りながら、彼は心配を滲ませつつ問う。預けていた物が物だけに、恐らく大丈夫であると分かっていても多少の懸念があった。

 

しかし、玲音は柔らかく首肯した。

 

「はい。純星煌式武装の中には使い手以外に触れられることすら嫌う物もあると言いますが、何も問題ありませんでした」

「それなら良かった……」

 

ほっと胸を撫で下ろした聖夜は、良い子にしてたんだな、と三つのコアをそれぞれ丁寧にホルダーへと戻す。そして、パーカーのポケットから懐中時計を取り出して。

 

(……よし、そんなに経ってないな)

 

自分達が邂逅してからさほど時間が過ぎていないことを確認した彼は、顔を上げて五十鈴姉妹へと向き直った。

 

「それで、本命のご用事はどういったものでしょう?」

 

先程の模擬戦で多少時間を使ったが、あれはあくまでその場の勢いで決まったもの。彼女達の用は別にあるはずだ。

 

しかし、曖昧に微笑んだ玲音を見て、聖夜は自分の予想が正しいのかどうか自信が無くなってしまった。

 

「えーっと、まさか本当に模擬戦のためだったとか……?」

「ああ、いえ、そういうわけではないのですが……」

 

しばし、逡巡の間があって。

 

「……貴方様がアスタリスクにいらっしゃるということを知ったので、ご挨拶をしなければと思いました次第です」

 

それを聞いて、驚きのあまり聖夜は思わず聞き返してしまった。

 

「といいますと……もしかして、それだけの為にわざわざここまで?」

 

わざわざ暗号文を苦無に括りつけるなら、代わりに連絡先でも送ってくれればこちらからコンタクトを取るのに。

 

と、そう考えていた聖夜だったが、直後に自分の勘違いに気付く。

 

「――そうか、リスクを抑えるために」

「はい。家柄に関する事と言えど――いえ、だからこそ、下手に連絡を取れば学園側に目を付けられてしまいます」

 

考えてみればその通りだ。学園側からすれば、自分達のところの何か重要な情報が他校の生徒に漏れる可能性があるのだから、警戒するのは至極当前のことだと言える。

 

「情報が流れて困るのはどこも同じ……ましてや、貴方様が望むのならば、私達は本当にどんな情報でも流すつもりなのですから」

「そこまでしてもらえるとは……」

 

それほどまでに慕われているなら当主冥利に尽きるというものだが、確かに他学園所属の情報提供者は貴重だ。そして、それ故に、学園側は自校の生徒が他学園と交流することをあまり良く思わないということも理解できる。しかも今回の場合は表沙汰になるようなものではなく、密会に近いのだから尚更だ。

 

「……ですので、聖夜様には大変ご迷惑をおかけしてしまいますが、今後もこういった形でのやり取りになってしまうことをお許しくださいませ」

「いえ、お気になさらないでください。むしろ、そんな危ない橋を渡ってまでご挨拶にきてくれたことには感謝しかありません」

 

聖夜が素直にそう言うと、玲音は小さく笑った。しかし同時に、どこか居心地悪そうに彼女が身じろぎしたのが分かって、聖夜は自分が何か失礼なことをしてしまったかと不安になり、思わず尋ねてしまう。

 

「あーっと、何か不快になることをしてしまいましたでしょうか……?」

「えっ……あ、いえ、そういうことではありません!」

 

そんな彼の不安とは裏腹に、そう食い気味に答えた玲音は、「すみません」と一言謝って。

 

「あまりにも身勝手なことなのですが、その……貴方様が私に敬語を使われているということに、少々戸惑いがありまして」

「と、言いますと、敬語は使わない方がいいでしょうか。友達と話すときのような言葉遣いとか……?」

 

難しい話だ、と聖夜は悩む。玲音に対して敬語を使っているのは、ひとえに彼女が年上であり、敬意を払うべき相手であるからだ。一方、玲音は、主である聖夜が自分に敬語を使っているということに違和感を覚えている。

 

「いや、どうしたものかな。敬語を使わないのは少しばかり抵抗感が……」

「そう、ですよね……申し訳ありません、出過ぎた発言をお許しください」

「そんな、気になさらなくても……ってこういう言葉遣いがダメなのか」

 

互いに互いを敬っているゆえ、結論の見えないことで悩む二人。それを見かねて、今まで黙っていた桐花が口を開いた。

 

「――それなら、ひとつ演技をしてみるのはどうですか?」

「ん……演技?」

 

思わず聞き返した聖夜に対して、桐花は軽く頷き。

 

「戦闘にも役立てられるほどのあなたの演技力であれば、敬語でなくても違和感の無い状況を演じることができるんじゃないかと思ったんです。……例えば、近しい親戚だとすれば、互いにタメ口でも不思議ではありませんし、そこまで気を遣う相手でもありません」

「親戚、か。なるほど……」

 

それを聞いて何を考えたか、聖夜は思案する素振りを見せる。しかし、やがて思い付いたように顔を上げて、玲音はおろか桐花すら想像していなかった言葉を発した。

 

「――玲姉(れいねえ)

 

当然、虚を衝かれたように固まる二人。しかし流石は年長者というべきか、玲音がいち早く正気を取り戻して聖夜へと問う。

 

「えっと、聖夜様? その『れいねえ』というのは、私のことでしょうか……?」

 

すると、聖夜は申し訳なさそうに笑って。

 

「すみません、思い付いたものがつい口に出てしまって。俺がこんなこと言っても気持ち悪いだけですよね、忘れてください」

「あっ……いえ、決して嫌なわけではなく!」

 

自虐的な聖夜に、玲音は慌てて否定の言葉を口にした。『れいねえ』、それを聞いた瞬間に彼女の心を満たした感情はマイナスのものではなく、むしろ。

 

「演技とはいえ、そのように呼んで頂けるのですか……?」

「ええ、そっちがよければ。というより、そう呼ばせて欲しいな、って」

 

玲音にどこかきらきらした視線を向けられた聖夜は、そう言いながら気恥ずかしそうに頬を掻いて。

 

「知っての通り、私――いや、俺にはもう家族が居ないから、兄弟姉妹というものには憧れがあるんです。なので、演技云々というより、本心からそう呼ばせて欲しいというか……」

 

情けないことを言っているという自覚があるだけに、聖夜の言葉はどこか歯切れの悪いものだった。しかしながらそれは、紛れのない本音でもあって。

 

そして、玲音はそれを好意的に捉えた。ぱあっ、と彼女の顔に笑顔が咲く。

 

「ええ、是非に!」

 

玲音にとってはこの上ない幸せだった。憧れの存在である聖夜から、まさか顔合わせをしたその日にそんな親しく呼んでもらえるとは。

 

喜び故に、彼女は自分でも意識しないまま聖夜へと大きく近付き、彼の顔を煌めく瞳で見つめる。それは、傍から見ていた桐花をして「子どもみたい」と思わせるほどだった。

 

当然、聖夜はそんな玲音の行動にたじろぎつつ。

 

「えっと、本当にいいんですか?」

「はい、どうぞご遠慮なく!」

 

言って、彼女はさらに距離を詰める。二人の背丈がほとんど変わらないということもあってか、聖夜には玲音の息遣いすら聞こえてしまいそうなほどだった。

 

無論、聖夜とて一人の男子である。となれば当然、年上の美人が無防備に顔を近付けてくれば、自分の意思に関わらず反応してしまうものであって。

 

――つまり、聖夜は思わず視線を泳がせてしまい、それに気付いた玲音がはっとした様子で顔を赤らめた。

 

「あっ……す、すみません。つい」

「あ、いや……うん、気にしないで」

 

気恥ずかしさを誤魔化すように一つ息を吐いて、聖夜は一歩下がった玲音と改めて目を合わせる。

 

「――玲姉。それなら、俺のことももっと気軽に呼んでほしいな。敬語も無しで」

「へっ? えっと、ですが……」

「ダメかな?」

 

先程までとは打って変わり、多少ぎこちなさは残っているものの砕けた口調で話す聖夜に対して、明らかな戸惑いを見せる玲音。

 

しかし、聖夜にじっと見つめられては、彼女も心を決めざるを得なかった。一つ、深呼吸をして。

 

「――分かった、聖夜君。こんな感じでいい?」

「うん。ありがとう、玲姉」

 

笑いかける聖夜に、玲音も小さくはにかみ返す。その様子はあまりにも初々しく、今まで見たことのないような姉の姿を、桐花はどこか可笑しく思った。

 

「――あははっ」

 

零れ出た笑い声に、玲音が驚きながら振り向く。

 

「びっくりした……どうしたの?」

「いえ……お姉ちゃんがそんな顔するの、珍しいなって」

 

桐花が正直にそう答えると、玲音は途端に、かあっ、と顔を赤く染めた。

 

「そんな変な顔、してた……?」

「変な顔ってわけじゃないけど、珍しい顔ではあったんじゃない?」

 

少なくとも、妹である桐花が初めて見るような表情ではあった。ふえ、と情けない声をあげた玲音は、恐る恐るといった様子で聖夜にちらりと視線を向ける。

 

それを受けて、彼は微笑しながら言った。

 

「俺には普段の玲姉の顔は分からないけど、桐花ちゃんがそう言うくらいなんだし……どうやら貴重なものを見せてもらったみたいで」

「うぅ、忘れてください……」

「それはちょっと難しいかなー」

 

だいぶ慣れてきたという様子で、聖夜は軽くおどけてみせた。そして、そんな二人を見た桐花も思わず苦笑を浮かべつつ。

 

「……まあ、そんな感じで呼び合えるなら大丈夫なのでは? 人前でも、そう簡単には怪しまれないでしょう」

「そうだね。ありがとう、良い提案だった」

「いえ、お気になさらず」

 

返した言葉に、素っ気なさが幾分か和らいでいることに気が付いて、桐花は自分でも少しばかり驚いた。人見知りである自身にしては、ましてや最初はあまり好印象を持っていなかった異性相手にしては珍しいな、とどこか他人事のようにも感じながら。

 

「――あとは桐花ちゃんも、俺のことをもっと親しげに呼んでくれたら嬉しいんだけどなー」

 

ただ、その発言には桐花も動揺を隠せなかった。

 

「なっ……親しげにって、それはもしや、」

 

少し早口になった彼女の言わんとするところをいち早く察して、聖夜は慌てて言い直す。

 

「ああいや、いきなり砕けた呼び方をしろってことじゃなくてね。ただ敬語を止めるとか、そういった感じで……もちろん兄扱いされるのもそれはそれで大いにありというかむしろこっちから頼みたいくらいなんだけども」

「……何言ってるんですか?」

 

しらっとした桐花の視線に、聖夜は自分の欲望が漏れ出していたことに気付き、わざとらしく咳払いを一つ。

 

「こほん。――まあ、呼び方や話し方云々は強要するものじゃないし。好きなように呼んでくださいな」

「はあ……分かりました。では、私は月影さんと呼ばせていただきます」

「敬語はそのままかーそっかー」

 

冗談めかした言葉とは裏腹に、聖夜は見る者の心に安らぎを与えるような柔らかい笑みを浮かべた。それは桐花も例外ではなく。

 

(ふーん……何だろ、別に悪い人ではなさそうだし、実力もあるし、ちょっとは信用してみてもいいか)

 

とはいえ、それで急に態度を一変できるわけでもない。多少言葉の棘は取れただけでも上出来だ、と桐花は自分の中でそう結論づけて、玲音の方を向いた。

 

「――では姉上、そろそろお暇しましょうか」

 

妹に突然話を振られた玲音は、驚きの表情を浮かべながらも聖夜に確認を取ろうとする。

 

「えっ? ええ、構わないけど……聖夜様、」

 

しかし、玲音は彼の名前を呼びかけて、はっと口をつぐみ、ついで苦笑いを浮かべた。

 

「……聖夜君。私達はそろそろ戻ろうと思うんだけど、大丈夫?」

「ああ、もちろん。今日はわざわざありがとう、玲姉。それと桐花ちゃんも、こんな遅くまで付き合わせちゃってごめんね」

「――いえ、私こそご迷惑をおかけしました。それではまた」

 

わざわざ名前を言い直した玲音に、聖夜もちょっと苦笑して、姉妹にそれぞれ礼を述べる。そうして双方は踵を返し、深夜の邂逅はこれにてお開きとなった。

 

 

――はずだったのだが、「あっ」と聖夜が思い出したように振り向き、慌てて二人を呼び止める。

 

「ごめんごめん、一つ聞きたいことがあったんだった。二人は、クインヴェールの三峯あずささんって人のことを知ってたりする?」

 

突然呼び止められて、玲音は不思議そうな表情で振り返った。

 

「はい。知ってます、けど……コホン、どうして?」

 

どっちつかずになった言葉遣いを咳払いで誤魔化した玲音に、聖夜は再び苦笑して。

 

「実は、彼女が所属しているバンドに誘われてね。一応自分でも少し調べてみたんだけど、同じ学園の人なら詳しく知っているんじゃないかなって」

「『ジ・アエリナ』のメンバーにですか!?」

 

その言葉を聞いて強い反応を見せたのは桐花だった。それに聖夜は驚きつつも、もしやと思い彼女へと問う。

 

「桐花ちゃんは『ジ・アエリナ』のファンなの?」

「……ええ、まあ。そんなところです」

 

自分でも予想外の反応をしてしまったのだろう、少し頬を赤くしてそっぽを向く桐花に対して、聖夜は言い知れぬ可愛らしさを感じながらも、決してそれは表に出さぬようにして二人に問いかける。

 

「まあそんな感じで、ネットに流れている情報だけじゃなくて、できればもうちょっと繋がりのあるところからの情報も欲しいなと思った次第で。もちろん学年も違うだろうけど、どうだろう、もし良ければ少しでも教えてくれると助かるんだけど……」

 

そう言って聖夜が拝むようなポーズをすると、玲音は「んー」と考える素振りを見せた。

 

「喜んで……と言いたいところなんだけど、私も友人として知っていること以上はあまり分からなくて。必要なら調べてくるよ?」

 

その問いかけに、聖夜は微笑みながら(かぶり)を振った。

 

「いや、そこまではしてもらわなくて大丈夫。もとより、その人の人柄とかを軽く知りたかっただけなんだ。そういう意味では、友人視点というのはとてもありがたい」

 

正直に言ってしまえば、聖夜は少々不安に思っているのだ。メンバーにと誘われて、それを快諾したは良いものの、聖夜には誘われたあずさのこともそれ以外のメンバーのことも、調べれば誰もが分かる程度のことしか知らない。最低でも、リーダーであるあずさがどんな人なのか、といった事くらいは知っておきたい。

 

そう伝えると、玲音は一つ頷いて話し始めた。

 

「分かった。――あずさは、誰に対しても敬語で、丁寧な所作を崩さないのが特徴かな? 柔らかい物腰のまま、相手の心を開いてしまうの」

 

肯定するかのように隣で小さく頷く桐花に微笑みかけ、玲音は続ける。

 

「でも、ただ物腰が柔らかいだけじゃなくて、時折心配になってしまうような、影がさすような笑顔を浮かべることもあってね。落差とも違うけれど、それを見ると引き込まれるような感じがして、それもまた彼女の魅力の一つなのかな。音楽関係のことは――」

 

ちら、と玲音が視線を向けると、待ってましたとばかりに桐花が口を開いた。

 

「少しだけですが、私が話します。――歌っている時や楽器を弾いているときのあずささんは、曲調によって自分を自在に変えてしまえる人、だと感じます。まるで曲に入り込んでいるかのようで、それで聞いている側も曲の世界にのめり込んでしまう」

 

それから、と続けようとした桐花は、しかし聖夜のどこか納得したような表情に気付いて口を噤む。代わりに疑問の視線を向ければ、聖夜は「ごめん」と苦笑して。

 

「ちょっと知り合いのことを思い出してね。その子もとんだカリスマ性の持ち主だったから、あずささんもきっとそうなんだろうなって」

 

観衆を自分の世界に引き込んでしまう、と第三者に言わしめるほどのカリスマ性の持ち主などそうはいない。聖夜の知り合いにもアイドルやモデルなどが数名いるが、そのような影響を持っていると彼が感じたのは今までで一人、とある年下のアイドルをしている少女だけだった。

 

少しばかり、眩しく思う。聖夜も一人のバンドマンとして、観衆を多少なりとも惹き付ける何かが自分やメンバーにあると思っているが、それが決して曲の世界に引き込むまでにはいかないものであることも自覚している。努力だけでは中々届かない、高い壁の先にあるようなそれは、恐らく才能という名前のものであるのだろう。

 

「ちょっとだけ、羨ましいけど。でも、そんな凄い人と一緒に音楽ができるのは、この上なく光栄なことだ」

 

半ば自分に言い聞かせるようなその言葉に、桐花は聖夜の内にある想いを垣間見たような気がした。

 

(――この人も、羨ましいって感じることがあるんだ)

 

手合わせを経て、桐花は聖夜のことを『完璧に近い人』という勝手な判断を下していた。確かな強さと経験があるのだから、悩みなども少なく、また他人に対してもどうこう思うことなどないのだろう、と。

 

しかしそれは勘違いだった。少なくとも、先程の彼の言葉には確かな羨望と歓喜、そして多少の諦めが滲み出ていた。彼は、確かな実力者であるとしても、同時に人並みに葛藤もする一人の人間なのだ。そのことに気付いたから、桐花は言葉を発せなかった。

 

そんな沈黙をどう捉えたか、聖夜が取り繕うように言った。

 

「あっ、いや、今のに大した意味はなくて。ごめんごめん、話遮っちゃった」

「……大丈夫です、話したいことは話したので」

 

焦りを滲ませた早口でそう言う聖夜に対して、かける言葉を見つけられないまま、とりあえず桐花はそう言うしかなかった。

 

(大した意味はない、なんてきっと嘘……だけど)

 

今の発言を、姉はどう捉えたのだろうか。彼女が横に視線を向けると、玲音は困ったような微笑みこそ浮かべていたものの、口を開くことはしなかった。深く追求はしないと、そういうことなのだろうか。

 

桐花の視線に気付き、玲音は桐花へ向けて苦笑しながら聖夜に言った。

 

「じゃあ、私達はそろそろ帰らせてもらうね。今日は突然押しかけてごめんなさい」

「えっ、」

 

何も聞かないの、という言葉を桐花はすんでのところで飲み込む。玲音の言葉を聞いた聖夜が、微かに安心した表情を見せたからだ。

 

「いや……こっちこそ足止めしちゃってすまなかった。お礼に今度、食事にでもお誘いしたいから、二人の連絡先を教えてもらってもいいかな?」

 

それを聞くと、玲音は手際よく端末を取り出し、自分の連絡先を表示させた。下手に通信を利用すると傍受されるリスクがあるため、提示している玲音の端末も打ち込んでいる聖夜の端末もオフライン状態だ。

 

「桐花、貴女のも見せていい?」

 

何故、どうして、という思考に耽りながら、ぼんやりと聖夜の手早いタイピングを見ていた桐花だったが、姉の問いかけに彼女は思考の海から浮上する。どうやら彼は私達の連絡先を知りたがっているらしい、と遅まきながら判断して、彼女は小さく頷いた。

 

「ありがとう。……はい。聖夜君、これが桐花のアドレスと番号です」

「了解。ありがとね、桐花ちゃん」

「……いえ、大丈夫です」

 

連絡先を知られることに不都合はない。一連のやり取りを通して、姉の手伝い程度なら、と思うくらいには桐花も聖夜のことを信頼している。それ故の、連絡先提示の許可だった。

 

「オッケー、打ち終わった。――それじゃあ、俺の連絡先も渡しておくね」

 

桐花の連絡先も素早く打ち終えて、聖夜はズボンのポケットから一枚の小さな紙を取り出し、それを玲音に渡した。

 

「戻ったら、時間がある時に入力しといてくれると助かります。その後は適当に処分しちゃって大丈夫だから」

 

連絡先を書いた紙を用意していたということは、もとより聖夜もそのつもりで来たのだろう。それをまるで宝物を扱うかのように大切そうに受け取って、玲音は自分のポケットに仕舞った。

 

「はい……確かに。丁重に扱わせて頂きますね」

「よろしくね。それと玲姉、口調戻ってるぞー」

 

おどけたように言う聖夜に、玲音はさっと顔を赤らめて誤魔化し笑いを浮かべた。

 

「あっ……ごめんなさい、つい」

「まあ、慣れるまではね。俺も頑張るから、玲姉も頑張ろ?」

 

恥ずかしそうにこくりと頷く玲音に、聖夜もくす、と笑って。

 

「それじゃ、今度こそお別れだ。二人共、時間をくれてありがとね」

「ううん、こちらこそ急なワガママを聞いてもらっちゃってありがとう。――連絡、待ってますね」

 

そう言って玲音が控えめに、両手で胸の前に携帯端末を掲げれば、聖夜はしばし驚いた様子を見せたあと。

 

「いや可愛すぎかよ……こほん」

 

零れた言葉を誤魔化すようにひらひらと手を振って、彼は星導館学園の方へと身体を向ける。しかしその途中でふと振り返り、突然「可愛い」と言われて固まっている玲音と、そんな姉と聖夜を見て呆れている桐花に。

 

「またね。玲姉、桐花ちゃん」

「――ええ。それでは、また」

 

きちんと別れの挨拶を残す。それに桐花が返事をし、玲音も慌てて手を振り返してくれたことを確認して、聖夜は今度こそ帰り道へと歩みを進めた。

 

 

 

――そのまま数歩進んだ時、後ろから微かに草の擦れる音が聞こえて、聖夜はゆるりと振り返る。しかしそこに彼女達の姿はなく、今はもう見慣れてしまった夜の闇が、視界の先にただただ広がっているだけ。

 

(やっぱり凄いな、あの二人は。あんな俺にはもったいないくらいに良い人達が協力してくれるなんて、この上ない幸せだ)

 

無意識に口元が緩んでしまうのをどこか嬉しく思いながら、聖夜もまた、夜の闇に紛れるように駆け出していく。いつか彼女達と食事に行き、姉妹のエピソードや趣味などの様々な話を聞くことができるのを心待ちにしながら。

 

 

 

 

 



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第二十七話〜仲良しクラスメイト〜

 

「……ただいま戻りましたよーっと」

 

深夜の邂逅を終え、学園のセキュリティをも無事に乗り越えて寮の自室へ戻ってきた聖夜は、既に寝ているであろう同居人を起こしてしまわないよう静かに扉を開け、小さく呟く。

 

「おーう……随分遅かったな」

 

しかし彼の予想に反して、同居人はベッドに寝転がったまま、瞼をこすりながらそう声をかけてきた。聖夜はその声に少し驚いて、そして申し訳なさそうに。

 

「悪い、起こしたか?」

「いんやー? たまたま目が覚めたところだ」

 

嘘か真か、判断に困るその言葉に、聖夜は一応「すまん」ともう一度謝る。しかし錬は気にする様子もなく、寝返りを打って聖夜の方へと向き直り、にやりと笑った。

 

「にしても、この部屋とも今日でお別れだってのに、寝ることすらしないとはな」

「それに関しては何も言えないんだよなあ……」

 

きまり悪そうにすっと目を逸らして、聖夜は自分の机に視線を向ける。そこには今まで置いてあった荷物は何もなく、代わりに普段から学校用に使用しているカバンが一つと、そこに立て掛けてある刀が一振り。

 

「あとはそれを運ぶだけかー。思ったより荷物少なかったよな」

「そりゃまあ、まだここにきて全然経ってないし。すまんな、今日……いやもう昨日か。急だったのに運ぶの手伝ってもらっちゃって」

 

近いうちに一人部屋がもらえるだろうと楽器を購入しに行ったのが昨日の午前中。しかし、まさか帰った直後に部屋が使えるようになったとの連絡がくるとは誰が想像するだろうか。ともあれ、その日のうちに終わらせてしまおうと思い立ち、こうして深夜の約束があったにも関わらず、錬をも巻き込んで引っ越し作業を午後にやってしまった聖夜も聖夜で中々に狂っている自覚があったので、手伝ってくれたルームメイトに謝意を告げる。

 

仰向けに寝たままひらひらと手を振った錬は、引っ越しの手伝いを快諾したときと同じような、人懐っこい笑みを浮かべた。

 

「気にしなさんな。――そうそう、全然関係ないんだけど、実は『幻想の魔核(ファントム=レイ)』についてちょいとばかり聞きたいことがあるんだよなー。いやなに今回の手伝いとは本当に関係ないんだが」

「うっわ、白々しいにも程がありやがる……そんなことだろうとは思ってたけどさ」

 

聖夜としても、何か対価を払わなければならないと思っていたところだ。もっともそれがインタビューというのは、流石は新聞部というべきなのか。ともかく聖夜にとっては大した苦労にもならない。

 

「一応聞くけど、そんなものでいいのか?」

「そんなものって、お前なー……」

 

しかし、何の気無しに聖夜がそう尋ねた瞬間、錬の表情が露骨に呆れたものに変わった。まったく、と彼は体を起こして。

 

「『冒頭の十二人(ページ・ワン)』でもないのに一人部屋が貰えるほどの、新進気鋭のニューフェイスの情報なら、どんなものだって知りたいって奴は山ほどいるんだぞ? その中で独占情報を持っていることが情報屋としてどれほどのアドバンテージになるか……」

「よせやい、照れるだろ」

 

やれやれと肩を竦める錬に、聖夜は迂闊な発言を取り繕うように頬を掻きながら言った。

 

「……まあ、そういうことならインタビューで手を打ってもらうことにしようか」

「おう、よろしく。安心してくれ、変にバラしたりはしないからよ」

「それはマジで頼むぞ?」

 

もっとも、錬が不用意に人の秘密を広めたりすることはしない、ということは聖夜も知っている。もちろん、情報屋を名乗っている以上、対価があればある程度の情報は提供するだろうが、プライベートに関わることや、雑談の中でぽろっと溢してしまったようなことなど、本当に広められたくないことが今まで出回った試しはない。錬にも何かしらの線引きがあるのだろうが、何はともあれ聖夜としては、そういった意味では信頼できる友人なのである。

 

錬はベッドから出て、大きく伸びをしながら言った。

 

「お前さんもついに一人部屋か。いずれそうなるとは思っちゃいたが、随分早かったな」

「あくまで特例というか、友人達のワガママというか。『冒頭の十二人』のうち二人がゴネたからなあ……」

 

時雨と茜曰く、聖夜の実力はもっと広く知られなければならないのだそうだ。侮られるのは納得できないと、そういうことらしい。聖夜からすれば正直どちらでもよかったのだが、二人はどうしても意見を曲げてくれなかった。

 

「実力は折り紙付き、ってことだな。しかし、愛されてんねえ」

「家族みたいなもんさ、お互いに。……それに、」

 

聖夜は言葉に不自然な間を空けて、机に置いてある刀に軽く触れた後、まるで意味深な態度を作り、口元を微かに歪めて言った。

 

 

 

「―――同居人が居ない方が、そっちも好都合だろう?」

 

途端に、錬の雰囲気が変わる。目をすっと細めて、訝しげに。

 

「……どういうことだ?」

「互いに隠したいものはある。特に錬、お前には知られちゃならない秘密の任務なんかもあるだろうしな」

 

ほんの少し錬が身構えた、その様子を確認して、聖夜は刀の鞘をもてあそびながらくつくつと含み笑いをする。

 

「なあ……『影星』所属の、新羅錬さん?」

 

そして、まるで突きつけるかのように聖夜がそう言えば、錬の雰囲気はそれと分かるほど冷たいものへと変貌した。

 

「……っ、お前、それをどこで」

 

その問には答えず、聖夜は薄い笑みを崩さない。対峙する錬も、何が起きても対応できるように構えを解かず、聖夜を見据えている。放たれる気配と威圧感は、間違いなく実力者のそれだ。

 

(やっぱり、只者じゃないな。強いだろうとは最初から思ってたけど、これは結構な手練だ)

 

さて、そろそろ答え合わせをしよう、と。興味に任せてこのような雰囲気を作ってしまったのは聖夜なのだから、それを解消するのも聖夜の役割だ。

 

 

 

再び口を開く。しかし今度はあっけらかんと。

 

「いやだって、俺、明日から生徒会役員だし。誰が影星に所属しているかを知れる立場になったってだけだよ」

 

それを聞いた瞬間の錬のぽかんとした表情を、聖夜は多分忘れないだろう。数秒、互いに見つめ合う時間があり、やがて聖夜がこらえきれずに吹き出した。

 

「――あっはっは! ごめんごめん、ちょっとからかってみたくなってさ」

「はあ……?」

 

笑いが止まらない聖夜の様子に、しばらく呆気に取られていた錬だったが、事態が飲み込めたのかやがて大きな溜め息を吐いた。

 

「ったく、お前なあ……なんつー心臓に悪いことしてくれてんだ」

「あー、笑った。んで、やっぱ影星だってバレるのはまずいのか?」

「まあな……情報屋としての立場も揺らいじまうし、影星としての信頼も落ちる」

 

それより、と錬は少し身を乗り出して。

 

「明日から生徒会所属ってのは、一体どういうことだ?」

「ああ、副会長から直々にスカウトされてな。生徒会書記兼風紀担当、だそうだ」

 

生徒会の風紀担当というのは、風紀委員とはまた別に生徒会に所属して取り締まりを担う役割のことだ。風紀委員長の管轄の元、風紀委員と同じように学内の巡回を行うことはもちろん、風紀委員と生徒会の間で連絡や報告をスムーズに行うための橋渡し的な存在も兼ねていると、聖夜は時雨や他の生徒会メンバーから聞いている。

 

それを聞いた錬は興味深そうに呟いた。

 

「ほおー、兼任なんて今まで聞いたことないな。……いや、そんだけ買われてるってわけか」

「さあ? 案外、ただでこき使えるからってだけかもしれないし」

 

状態めかして聖夜は肩を竦める。もっとも、こき使われるかどうかはさておき、まさかただ事務能力だけを買われたからというわけではないだろう。聖夜をなるべく監視下に置いておきたいからという時雨の思惑があったんだろうとは、聖夜自身もなんとなく感じている。

 

(トラブル起こすなって釘刺されたしなあ……)

 

しかし、周りは誰もそう思っていないらしいが、聖夜は別に自分からトラブルに突っ込んでいっているわけではない。大体はいつの間にやら自分が何とかしなければならない状況になっているだけであって、どちらかと言えばトラブルの方からやって来ることの方が多いのだ。

 

もちろん、できることなら聖夜も平穏な生活を送りたいと思っている。しかし、こんな風に異世界にまで迷い込んでしまっている時点で、それに関しては既に諦めはついており、あとはいかに自分がこれ以上のトラブルに関わらないようにするか、なのであるが。

 

(……いや、これ以上できることないって)

 

この男、友人を始めとした他人が困っているのを放っておけない癖して、それがトラブルを呼び込む原因だということにまるで気付いていない。

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

ルームメイトとしては最後となる錬とのちょっとしたやり取りを終えて、夜もすっかり明けたあと。朝のHR前の教室で、聖夜はこれからの予定を確認していた。

 

(休み時間に生徒会室に行って巡回についての最終チェックをして、巡回後は風紀委員に報告をしに行く……あと、いつなら時間が空いてるか玲姉達にメールも送らないと。文面はそんなに丁寧過ぎないほうがいいかな)

 

空間ウインドウを小さめに開き、予定を一つ一つ指差し確認する聖夜の、その肩を軽く叩いて呼びかける生徒が一人。

 

「聖夜、考え事か?」

 

彼がおもむろに振り返れば、肩を叩いた本人であろう男子生徒がニカッと笑っていた。学生の中でも比較的ガタイがよく身長も聖夜より少しばかり高いその男子生徒に、しかし誰かが近づいてきていたことはなんとなく気配で察していたので、彼はさして驚くこともなく。

 

「なんだ、颯希(さつき)か。おはよう」

「おう」

 

聖夜も挨拶を返し、空間ウインドウをさっと消して席から立ち上がる。

 

「それで、何の用だ?」

 

返す言葉で彼が手短に問えば、颯希と呼ばれた生徒は親指でちょいちょいと背後を示した。

 

「ああ、今日の放課後空いてるかってのを聞いてこいって、後ろの女子達に言われてな。どうだ?」

 

示されたほうを聖夜が颯希の肩越しに覗き込めば、確かに三人の女子生徒が談笑していた。そして、そのそばには、颯希と同じように聖夜が転入後ほどなくして仲良くなった男子生徒が一人。

 

見覚えだけは、聖夜にもあった。

 

「ん、あの人達は……たまにお前らが話してる子達だよな」

「ああ、まあ中等部からの繋がりでな」

 

ほーん、と聖夜が覗き込んでいると、その内の一人が聖夜の視線に気付き、はにかみながら手招きした。それに聖夜も頷きを返して、颯希へと向き直る。

 

「生憎、今日の放課後は空いてないんだけど……詳しいことはあっちで聞いてもいいか? 今日じゃなくていいなら空いてる日もあるから」

「そうだな。あいつらもお前と話しがってたし、ちょうどいいと思うぜ」

「お、マジか」

 

話したがってたとはどういうことだろうと思いながら、聖夜は颯希の後ろについて、クラスメイトながらほぼ初対面であるその女子達の元へ向かう。

 

「おう、連れてきたぞー」

 

すると、男子生徒が談笑を切り上げて、申し訳なさそうに聖夜に話しかけた。

 

「ごめんね、聖夜。急に呼んじゃって」

「や、気にすんな春人(はるひと)

 

颯希とは逆に、男子としてはすらっとした細身の、まるでモデルのようなその男子生徒は、聖夜の言葉を聞いて険しかった表情を少し緩める。

 

そして、その会話が終わるのを待っていたかのように、今度は彼に手招きをした、低めのシニヨンをエメラルドグリーンのバレッタでまとめた黒髪の少女が慌てて聖夜に声をかけた。

 

「ほ、ほんとにゴメンね? 何か用事があったんじゃない……?」

 

先程の春人と同じように、彼女もまた申し訳なさそうに伏し目がちで聖夜に謝る。しかし、元より女性のそういった眼差しには弱いため、聖夜の返す言葉もずっと柔らかかった。

 

「いやいや、大丈夫。そんな急ぎの用じゃなかったからさ」

 

そこまで言って、聖夜はふと横で交わされていた話し声に意識を向ける。

 

「随分と遅かったんじゃない、颯希君? てっきり、月影君とは、あなたがそう思っているだけの一方的な友人だったんじゃないかと疑っていたところだったんだけど」

「相変わらず酷えな?」

「まあまあ、ひー君も頑張ったんだから褒めてあげなくちゃ。ほーらよしよし」

「もうそんな年じゃねえから俺……」

 

聖夜としては大変興味深いやり取りだった。ぱっと見では物静かそうな、編み込みハーフアップのやや銀色がかった髪色の少女に颯希が容赦ない言葉を浴びさせられ、その傍らにいる、明るめの茶髪も言動もふわふわとした雰囲気の少女が彼の頭を撫でようとして、しかし背が届かずに悪戦苦闘している。疲れたように溜め息を吐いた颯希と目が合った聖夜は、思わずくすりと笑った。

 

「仲、良いんだな」

「これはただの弄りなんだよ……」

 

うんざりした様子の颯希につられて聖夜もちょっと苦笑し、改めて少女達の方へと視線を向ける。すると、物静かそうな少女がそれに気付いて、丁寧な所作で軽くお辞儀をした。

 

岩瀬(いわせ)穂浪(ほなみ)よ。初めまして、月影君」

「おっと、これはご丁寧に。月影聖夜だ、改めてよろしくね」

 

ええ、と顔を上げた彼女――穂浪は、素敵な笑顔を浮かべて颯希をちらと見た。

 

「早速、お見苦しいところをお見せしちゃってごめんなさいね……颯希君が」

「だからァ!?」

 

颯希の激しいツッコミに、穂浪はくすくすと笑っている。

 

「ちょっと、変な人と知り合いなんだって思われちゃうからやめて? こういうのはファーストコンタクトが大切なんだから」

「お前が言えたことじゃねえよ……」

 

――聖夜としては大変興味深いやり取りであった。

 

傍らの、先程颯希を撫でようとしていた少女が、ほわっと柔らかく笑って言った。

 

「楽しそうだねぇ。かー君とゆめちゃんも混ざる?」

「……なるほど? 樋高(ひだか)颯希だから『ひー君』、伽羅野(からの)春人だから『かー君』なのか」

 

あだ名の由来に気付いた聖夜が呟くと、んー、とその少女はおもむろに聖夜に向き直る。

 

「そうだよー。あっ、あたしは唐渡(とわたり)明日葉(あすは)っていうの」

 

そう言っておもむろに差し出された手に、聖夜も少々驚きながらも手を差し出し返して、彼女――明日葉と握手を交わす。

 

「月影聖夜だ、よろしく」

「うん、よろしくね」

 

それにしても、いきなり握手を求められるとは聖夜も思っていなかった。しかし彼が手を離すと、特に何事も無かったように明日葉は聖夜の肩越しに「おいでー」と春人達へ声をかける。もっとも、別に春人達が離れたところにいたわけではなかったのだが、彼らもそれを受けて会話の輪に加わった。

 

「あはは……自己紹介は終わったみたいだね」

 

先程のやり取りは春人にとっていつもの事なのだろう、微かに苦笑する彼の横で、最初に聖夜へ話しかけてきた少女が慌てた様子で口を開いた。

 

「待って、うちが終わってない! ……えっと、うちは藤ヶ崎(ふじがさき)夢那(ゆめな)って言います。よろしくね、月影君」

「ああ、よろしく」

 

さてこれで自己紹介を終えたわけだが、と聖夜は颯希へと再び向き直って。

 

「そんで、颯希。俺がこのグループに呼ばれたわけを教えてくれると助かる」

「ああ、そうだった。つってもそんな大したもんじゃないんだけどな」

 

そう前置きをして、颯希はまたもやニカッと良い笑顔を浮かべた。

 

「ほら、あとひと月くらいで定期テストだろ?」

「ん? ああ、確かに」

 

このアスタリスクにおいては、各学園間での順位というものがシーズンごとに決定される。全シーズンの星導館学園の順位は5位だったといつか時雨がぼやいていたのを聖夜は聞いたことがあるが、この順位が決まる要因の多くを占めているのが星武祭(フェスタ)の成績であり、各学園が生徒の育成に力を入れているのは周知の事実だ。

 

しかし、あくまでも学校である以上、学生の本分である学業と切り離して考えることはできない。故に、定期テストというものはどこでも変わらず存在し、その成績も各学園間の順位決定に多少なりとも影響するようになっている。また学内でも定期テストの順位というものが出る以上、学園の評価などというものを抜きにしても、少しでも良い成績を取りたいというのが学生の性だ。こういったことから、各学園も学業をおろそかにすることはできず、生徒達は日々授業を受けているし、定期テストも受けさせられる。

 

しかし何故テストの話なんだ、と聖夜が訝しんでいると、颯希はさも当たり前のようにこう言った。

 

「この五人で勉強会をするつもりなんだけどさ、聖夜も一緒にどうだ?」

「勉強会……」

 

それを聞いて、聖夜はただただ驚いた。ひと月前から勉強会を開くなど、もしやこの友人達はかなり真面目な生徒達なのではないか、と。

 

「いや、凄いな。こんなに早くからテスト勉強するなんて」

「あー、まあ……テスト勉強もするし、遊びもするけどってところなんだけど」

 

歯切れの悪い様子でそう呟く颯希に、なるほど、と納得。だがそれは学生として至極当然の考えだ。

 

「よかった。あんまり真面目過ぎないほうが俺も参加しやすいから」

 

何を隠そう、聖夜はテスト勉強を一週間くらい前、下手すれば3日前になってからようやく始めるような、典型的な不真面目学生である。笑いながら彼がそう言うと、颯希はあからさまに、同族を見つけたとでも言いたげな顔をして聖夜の肩をバンバン叩いた。

 

「だよな、大体そんなもんだよな! いや、穂浪のやつが早めにやれってうるさくってさー」

「あら……颯希君の成績なら、一ヶ月前とは言わず半年前には始めておかないといけないんじゃない?」

 

そして非難するような視線を穂浪の方をちらりと向けた颯希だったが、彼女はいたって涼しい顔でそれを受け流した。「うぐっ」と颯希が言葉に詰まるのを見て、聖夜は苦笑しながら一言。

 

「颯希、お前じゃ絶対岩瀬さんには敵わないな」

「やめてくれ、こいつに負けっぱなしなんてゴメンだぜ……」

「一度も私を言い負かしたことがないくせによく言えるわね?」

 

くすくすと口を軽く押さえながら笑う穂浪に、またもや言葉を詰まらせる颯希。それを見た聖夜も面白がって笑っていたが、そこへ夢那がおずおずと声をかけた。

 

「えっと、月影君……あの、今日の放課後にもやろうかなって思ってるんだけど、どうかな。空いてる?」

 

――聖夜的にはその上目遣いが大変可愛かったのだが、それはさておき。

 

「それが、さっき颯希にも言ったんだけど、今日は予定が詰まっちゃってて。明日か明後日なら空いてるんだけど……」

「あっ、そうなんだ。うちは別に今日じゃなくても大丈夫だけど……みんなは?」

 

夢那は他の四人を見渡してそれぞれの意思を確認する。穂浪が軽く手をあげて言った。

 

「私は明日でも明後日でも構わないわ」

「あたしも大丈夫〜」

「俺もだ」

「僕も、いつでも問題ないよ」

 

穂波の言葉に続くように、三人から次々と賛成の意が唱えられる。夢那は、ほっと胸を撫で下ろして。

 

「よかったあ……それじゃあ聖夜君、明日の放課後でいい?」

「了解した。……っと、どこでやるんだ?」

「カラオケ……かなあ? いつもそうだから、今回もそのつもりなんだけど」

「カラオケ、か」

 

少し、考え込んで。

 

(こっちの曲、まだあんまり知らないんだよな……十曲くらいは有名どころを覚えておこっと)

 

聖夜は頭の中で帰宅後の予定を一つ追加する。幸いにして今日からは一人部屋だ。たとえ夜中に音楽を流しながら歌っていたとしても、誰にも迷惑はかからない。

 

すると、聖夜の思案顔を違う意味に捉えたらしく、夢那は焦った様子で口を開いた。

 

「あっ、別に歌うのを強制したりはしないからね!? 歌いたくなかったらそれでも大丈夫だから……」

 

予想だにしなかったその言葉に聖夜はぽかんとしたが、すぐに微笑みを浮かべて。

 

「お気遣いありがとう。まあ、歌う事自体は好きだから安心して。上手いかどうかは保証しないけど」

「あはは、そうなんだね。実は私もそんなに自信なくて……」

 

聖夜の言葉に同調するように眉尻を下げて笑う夢那だったが、そこに颯希が待ったをかけるように口を挟む。

 

「おいおい冗談だろ? 騙されんなよ聖夜、夢那のやつ本当はめっちゃ歌上手いからな」

「ゆめちゃん、カラオケすっごく上手で凄いよねえ」

 

ほう、と聖夜が面白がるような視線を向けると、彼女はとんでもないとでも言いたげにぶんぶんと頭を振って悲鳴をあげた。

 

「ちょっ、ハードル上げるのやめてー!」

「へえ、それは楽しみだね」

「月影君もやめて!?」

 

なかなかどうして愉快なグループだ、と聖夜は思う。ここに混ざれるならば今の日々がさらに彩られるのは間違いない。もっともこれだけ仲の良いグループに途中で混ざるのは申し訳ないという気持ちが無いわけではないが、それも向こうが良いと言ってくれているのだから、気にする方が失礼だろう。

 

ふふ、と聖夜が思わず笑みを零すと、それをどう捉えたか、穂浪も微かな苦笑を浮かべながら反応した。

 

「ごめんなさいね、騒がしくて」

「いやいや、楽しくていいことじゃないか。っと、二人の歌の腕前はいかほどなのかな?」

 

ふと気になった聖夜がそう問えば、穂浪はほぼノータイムで、その横にいた春人は少し考える素振りを見せて、それぞれ答える。

 

「聞いてて不快になるようなほど酷くはない、と思うわ。夢那と明日葉には敵わないけどね」

「僕は……あんまり自信ないかな。颯希は結構上手なんだけど」

「ふむ。その言い方だと、なんだかんだみんな上手いっぽいな」

 

今の聞き方では、例えその通りでも「上手い」とは言い辛いだろう。二人の言葉からは多少の謙遜が見て取れた。

 

(こりゃ、マジで覚えないと恥ずかしいぞー……)

 

歌うのは好きだと言ってしまった以上、ある程度のクオリティは求めたい。少なくとも、五人と比べて著しく下手であるということだけは、一応はバンドマンである聖夜の小さなプライドが許さないのはもとより、雰囲気を損なわないためにも避けるべきだろう。

 

さて、と聖夜はポケットから懐中時計を取り出す。と同時に、HR開始前の予鈴が鳴って、周りの学生達がお喋りを中断し席へと戻り始める。

 

時刻の確認が必要なくなった聖夜は持ち上げかけた右手をおもむろにポケットに戻し、言った。

 

「っし、それじゃ細かいことは後で連絡もらう感じでいいか? ちょっと返信遅れるかもしれないけど」

 

今日はこれ以降まともに時間が取れないため、メッセージで連絡を取り合う方が確実だと判断しての発言だ。それに春人がすぐ反応し、取り出した携帯端末を掲げながら言う。

 

「分かった。……ああそうだ、こっちの三人にも連絡先教えちゃっていいかい?」

「ああ。頼む」

 

聖夜からすればありがたい話だ。その提案を快諾して、彼は担任の教師がゆったりとした足取りで教室に入ってくるのを視界の端で捉えつつ、足早に自分の席へと戻った。

 

 

そうして席につき、彼がさっと今日の時間割を確認していると、その横から声がかけられる。

 

「――ねえ、随分と楽しそうだったけど。さっきあの子達と何を話してたの?」

「ん? ああ、勉強会……という名の遊びに誘われたんだ。カラオケなんだってさ」

 

何気なく返事をしながらそちらに振り向けば、声をかけてきたはずのセレナはつんとそっぽを向いていた。いつもとは少々様子の違う彼女に、聖夜はちょっと訝しげに問うた。

 

「いや……どしたん?」

「別に? 仲が良いのねって、そう思っただけ」

「女性陣とはほぼ初対面だったけどな」

 

くすくすと微笑みながらも、聖夜は思う。「そう思っただけ」なんて、彼女の表情を見ればどう考えてもそれだけのはずがない。そのくらいはもう聖夜でも分かる。

 

なんだろうと、考え付くままに一言。

 

「セレナもどこか遊びに行きたいのか?」

 

言うと、彼女の眉がぴくりと動いた。正解か、と聖夜はにやりと笑って。

 

「なんだ、それじゃセレナも誘った方が良かったな。今からでも提案しようか?」

 

だが、そう彼が言った途端、セレナの表情が再び曇る。

 

「そういうことじゃないのに……」

 

目線も合わされぬままぼそりと呟かれたその言葉に、聖夜はただ面食らうしかなかった。しかしすぐに彼女は小さく首を振り、溜め息を一つ。

 

「……ごめん、ちょっと自分勝手だったわ。嫌な思いをさせちゃった」

「ああ、いや、別に気にしちゃいないけど……本当にどうした? なんか変だぞ」

 

心当たりがあるとすれば、やはり先程の会話か。しかしどこに彼女の機嫌を損ねる要素があったのかがどうしても分からない。

 

(遊びに行きたい、ってのは間違いないと思うんだけどな……)

 

だが、別にあのグループへ誘って欲しかったわけでもないようで。さてどうしたものかと彼が悩んでいるうちに担任の話が始まり、HRの時間となってしまった。

 

ふと聖夜が横を見れば、セレナは未だにどこか浮かない表情を浮かべながらも、着々と授業の準備を進めながら話に耳を傾けていた。

 

(まあ……後で聞こう。今は話す時間じゃない)

 

セレナはきっちり学業をこなす、いわば優等生タイプだ。邪魔をするのは申し訳ないし、機嫌をますます損ねてしまうことにも繋がりかねない。聖夜も筆箱を机の上に取り出しつつ、やや諦めを覗かせてそう結論付けるのだった。

 

 

 

 

 

 




今回のように、あらかじめ何となく決めている分は割と早く(なお一ヶ月)書けるんですけどねえ……速筆さんになりたい今日この頃。あと女の子の髪型の描写って、すごく楽しいんだけど難しくもあるのがまたなんとも。髪型に限らず女性のファッションにはあんまり詳しくないのですが、必死に学んでいます。

あっ、趣味についてたまに呟いているツイッターがあるので、よろしければ是非。作者の紹介ページにリンクを載っけてあります。ご質問やただ聞いてみたいことなどありましたら、ツイッターのDMにてお待ちしております。

それでは、また次回。




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第二十八話〜初仕事には一波乱あり〜

えー………数えて2年振りにもなる次話投稿です、本当に申し訳ございませんでした。想定外のスランプでなかなか書き終えられなかったのですが、ようやくお届けできて嬉しい限りです。

ちなみに、この先5話くらいは、今の時点でかなり書き進められているので、すぐにお届けできると思います。また、投稿できていなかった期間中にも、今までの話にいくつか加筆修正を加えておりましたので、よければ思い出しがてら読み直していただけれたらとても嬉しいです。







 

 

 

 

授業の合間にある休み時間。聖夜は次の授業の準備もそこそこに、今日から始まる生徒会業務の確認のため風紀室まで足を運び、他のメンバーにも教えてもらいながら最終確認を行っていた。

 

「―――流れとしてはこんな感じかな! 月影君、いきなりだけどいけそう?」

「はい、大丈夫だと思います。……確認なのですが、何か問題が起きた時はこちらの自己判断で動いていいということでよろしかったですか?」

「うん。ただ、無理だけはしないこと! 月影君は無茶しがちだから気をつけて、って副会長さんにも言われてるからね」

 

そう言って悪戯っぽく微笑むのは、星導館学園の風紀委員長である、気さくな言動とハイソックスで強調された絶対領域が眩しい高等部三年の女生徒だ。あんにゃろ、と聖夜は心の中でここには居ない時雨に悪態をつきつつも、先輩の手前それは見せず、代わりに苦笑を返す。

 

「ええ、よく肝に銘じておきます。風紀委員の方々に迷惑はかけられませんから」

「なら良かった。まあ、月影君はしっかりしてそうだし、実力も副会長さんのお墨付きだから、あんまり心配はしてないけどね!」

 

そう言ってニコッと笑い、彼女は聖夜の他にも集まっていた三人に向けて口を開いた。

 

「みんなも、無理のない範囲で月影君を助けてあげてね」

 

はい、という三人分の返事に、聖夜も「よろしくお願いします」と頭を下げる。今回のメンバーには聖夜以外に一年生がおらず、したがって上級生への礼儀は大前提だ。少なくとも、風紀委員長を含めたこの場にいるメンバーは、聖夜のその態度を好意的に受け取った。

 

そして、風紀委員長の女生徒はぽん、と手を叩いて、朗らかに笑いながら。

 

「うん。それじゃあ、今日も頑張ろう!」

 

風紀委員の腕章を手にしたメンバーの、それぞれの「はい!」と返事が、風紀室に力強く響いた。

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

そして昼休み。いよいよ聖夜の生徒会初業務がスタートする。

 

「ああ、そういやお前さん、今日から生徒会役員だったな。仕事か?」

「おうよ。っても、今日は巡回だけだからな。そんな頻繁に何かが起きるわけでもないだろうし、まあ気楽にやってくるよ」

 

財布を持ちながら話しかけてきた、恐らく昼食を食べに行くのであろう錬に、聖夜は自分の服装に乱れがないかをさっと確認しながら言葉を返した。ちなみに、生徒会業務のため、聖夜は先程の休み時間には既に昼食をとり終わっている。本来は昼食をとってからでもいいらしいのだが、慣れないうちは早めに仕事に入っておきたいという気持ちが彼にはあった。

 

そうして刀の具合を確認しながら、思い出したかのように聖夜は声を小さくして言う。

 

「てか、別にわざわざ『お前さん』なんて呼ばなくてもいいぞ。こっちは本性知ってるんだから、もっと適当に呼んでくれ」

「うっわ、お前性格悪っ……まあ、それじゃあ遠慮なく呼ばせてもらうけどよー」

「うんうん。その方がこっちも落ち着くわ」

 

出発のついでに軽口も済ませたところで、聖夜は苦笑しながらも見送ってくれる錬にひらひらと手を振り、腕章を着けながら教室を後にする。生徒会役員として初仕事ということもあり、もちろん多少の緊張こそあるが。

 

(ま、そう気負う必要もないよな。さすがに問題を起こしそうな奴らくらい軽くいなせる……はずだし)

 

必要以上に肩肘を張ることはない、と自分に言い聞かせるように気合を入れ直し、聖夜は打ち合わせ通りのルートで巡回に入った。

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

巡回を始めて間もなく聖夜がその騒ぎの火種を見つけることができたのは、果たして初仕事中の生徒会役員として喜ぶべきか嘆くべきか。鍛えられた感覚が騒ぎの気配を敏感に感じ取り、彼がそちらに意識を向ければ、その先には一人の少女と、彼女に罵声を浴びせる壮年の男性がいた。もっとも会話の詳しい内容までは集中しないと聞こえない距離で、一体何事だと聖夜が対応に悩んでいると、不意に男性の平手打ちが少女の頬を襲う。乾いた音と共に、少女の顔が大きく揺れた。

 

(っ、おいおいマジか……!)

 

驚きしかなかった。年の差を見るに親子か、そうでなくとも、学園内で一緒にいるということから身内同士であるという線が強いか。まさか関係のない他人であるということはないだろうが、それにしたって人前でいきなり子供を殴る大人があるだろうか。しかもここは学園、周囲にいるのは当然学生であり、教育的にも非常によろしくない。止めなければ、と反射的に飛び出そうとして、しかし聖夜は自分より先にその少女の元へ駆け寄り、続く平手打ちを受け止めた人物に気付いた。

 

「――はい、そこまで」

 

見覚えのあるその男子生徒の言葉は、不思議と周囲によく響いた。青みがかった黒髪と同じように煌めく夜色の瞳が、確かな意志をもって男を真っ直ぐ見据えている。

 

(綾斗か!)

 

聖夜は飛び出す寸前で踏みとどまり、そして周囲に気付かれないよう素知らぬ顔で腕章を外して、集まりつつあるギャラリーに気配ごと紛れ込む。この場でいきなり立場を利用して首を突っ込むよりは、一旦は綾斗に任せた方が良いのではないかと判断したからだ。

 

しばし見守りの態勢をとり、改めて視線を戻せば、腕を止められた男が不愉快な表情を浮かべているのが見えた。

 

「……なんだ、貴様は」

 

その言葉からは綾斗に対する侮蔑がありありと見てとれる。しかし彼は動じることなく、静かに返した。

 

「どんな事情かは知りませんけど、無抵抗の女の子に手を上げるのはどうかと思いますよ」

 

正論だ。しかし、男はその言葉に嘲笑を浮かべる。

 

「ふん、笑わせるな。自分の欲のために争っている貴様らが、今さらどの口でそんな綺麗事をほざくんだ?」

「俺達がやっているのは競い合いです。一方的な暴力と一緒にしないでください」

 

大の大人相手でも毅然と返す綾斗に、聖夜は素直に感心した。もとより正義感の強い人だとは思っていたが、こういった面倒事に対しても正面切って立ち向かうというのは、並の人間にできることではない。もっとも、それが災いしてしまうことも稀にあるが。

 

(さて、これは綾斗にとって吉と出るか凶とでるか……)

 

願わくば悪い結果にはならないで欲しいが、と一抹の不安を感じて、聖夜は心の中で友人を案じつつも、引き続き状況を見守ることにした。

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

どうやら、聖夜の祈りはまるで届かなかったらしい。

 

「貴様と闘うのは、()()だ」

 

綾斗との会話の中で刀藤鋼一郎と名乗ったその男が、傍らの少女を指してそう告げる。「今後一切、少女へと手を出さないと約束できるか」と綾斗が提案し、構わない、と男が躊躇なく答えた矢先の出来事だった。

 

(言いたいことがあるなら聞いてやろう、って偉そうに言ったかと思えば……)

 

結局は「決闘で勝ったらの話だがな」ときた。男の言動にほとほと呆れ果てる聖夜だったが、この場では傍聴人の一人に過ぎない彼のことなど、渦中の本人達が気にするはずもない。

 

思いもよらない言葉に絶句する綾斗だったが、それは傍らの少女も同じだったらしい。

 

「叔父様、それは……!」

「――綺凛。私に逆らうつもりか?」

 

しかし、鋼一郎の冷たい視線に射抜かれ、綺凛と呼ばれた少女はびくっと体を震わせた。

 

「いえ、そういうわけでは……」

「ならいい。それに、あの『黒炉の魔剣(セル=ベレスタ)』に勝利したとなればそれなりに箔が付く」

 

彼女が口を噤んだことに満足したのか、小気味よく鼻を鳴らして、鋼一郎は綾斗へふてぶてしく告げる。

 

「安心しろ。こちらが勝ったからといって、要求することは何もない」

 

綾斗はそれを聞き、微かに顔を顰めた。そして何かに気付いたように、慌てた様子で綺凛に視線を向けながら口を開く。

 

「待ってください、彼女の意思は――」

 

 

「……ごめんなさいです」

 

しかし彼女は、何故か、俯いたまま震える声で謝罪の言葉を口にした。

 

「えっ?」

「わたしは――天霧綾斗先輩に決闘を申請します」

 

そして、顔を上げてはっきりと宣言する。観衆がざわつき、決闘申請を受けた双方の校章がにわかに光りだすが、綾斗にとってはそれどころではなかった。

 

「えっ……いや、なんで君と闘わなきゃならないのさ!?」

「私だって闘いたくはありません。ですが――仕方ないのです」

 

どこか諦めたような、小声。傍で聞き耳を立てていた聖夜もおや、と疑問を感じたし、それは綾斗も同じだった。

 

「仕方ない……?」

「私には叶えたい望みがあります。そのためには……叔父様の言うとおりにするしかないのです」

 

そうするしかない。その言葉の割には、彼女の表情は明らかに無理をしていると分かるものだった。

 

たまらず、綾斗が口を開く。

 

「だったら、なんで……?」

「――お願いします。先輩が引いてくだされば、それで終わります」

 

少女の方は、一貫して変わらない。引いてくれればすべて収まるという姿勢のままだ。

 

しかし、綾斗のことを多少なりとも知っている聖夜には分かる。綾斗は、困っている人をそのままにして、素直に引くような人間ではない。綾斗の表情が変わるのを、聖夜は確かに捉えた。

 

「………そういうことなら、こっちも引き下がるわけにはいかないな」

 

そうして、聖夜の耳にも彼の覚悟が届く。綾斗が腰のホルダーから『黒炉の魔剣』を取り出し、ゆっくりと宣言した。

 

 

「――決闘を受諾する」

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

そうして、目の前で繰り広げられる剣戟の応酬を、聖夜は感嘆の面持ちで見守っていた。

 

(これ、は……想像以上にとんでもないものだな、序列一位ってのは)

 

その視線の先には、何の変哲もない日本刀の刃をただの一度も合わせることなく、それでいて綾斗を押してみせている綺凛の姿があった。

 

もっとも、この前起きた一連の襲撃事件で、聖夜も間近で見た通り、『黒炉の魔剣』には触れたものすべてを等しく切断する力がある。そんな純星煌式武装を相手に、ただの日本刀が打ち合おうとすれば、寸刻の間すらなく刀が使い物にならなくなるのは想像に難くない。であれば、対策として、刃同士が触れ合わないようにするというのは、理に適っていると言える。――ただし、それができるだけの技量があることが大前提だ。

 

「ふっ!」

「くっ……!」

 

なんとも恐ろしいことに、この少女はそんな馬鹿げた芸当ができてしまうだけの実力者だったらしい。彼女の刀は、確かに、『黒炉の魔剣』と触れ合う直前にその都度軌道を変え、刀身が触れ合わないように避けている。

 

もちろん、押されているとはいえ、綾斗が弱いわけではない。今もそうだが、本気を出したときの彼の実力が『冒頭の十二人』に勝るとも劣らないということは、聖夜も日々の鍛錬で、身をもってよく知っている。なのに何故、ここまで一方的なのか。

 

(得物の取り回しやすさの違いや、流派の相性が悪いってこともあるだろうが……)

 

――ひとえに、綺凛の剣術がずば抜けている。それが事実だ。様々な要因はあれど、その事実は今も揺るぎなく綾斗へ立ちはだかっている。

 

(キツいだろうな……)

 

突発的に闘うことになって、元より綾斗側はろくな対策も取れていない状態からのスタートだ。作戦が立てられるような状況だったならば、あるいはもっと善戦できるのかもしれなかったが。

 

ふと、後ろから人混みを掻き分けて迫る気配を感じて、聖夜は目の前の光景から視線を外さずに半歩右へずれる。そこから半ば押し退けるようにして前へ出てきたのは、聖夜の見知った後ろ姿だった。

 

「まったく、この時期に何を……!」

 

怒りと心配がない混ぜになった表情でそう溢したのは、正式に綾斗の鳳凰星武祭におけるパートナーとなったユリスだ。ちらと様子を伺ってみれば、ここまで慌ててやってきたのだろうか、わずかに息を切らしているのが分かる。

 

間もなく、彼女の怒りは、哀れにも近くにいた男子生徒へ向けられることとなった。

 

「夜吹、これは一体どういうことだ!」

「ちょっ、お姫様!? いや俺に聞かれても……!」

 

突然の襲来に困惑しながら、それでも自身の端末での動画撮影を継続する男子生徒の顔と、ユリスが呼んだ「夜吹」という名前に、聖夜は既視感を覚えた。ややあって、思い出す。

 

(――ああ、影星の)

 

練と同じく新聞部所属であり、かつ同様に特務機関『影星』所属エージェントでもある男子生徒だった。そういえば、クローディアが「綾斗と同じクラスでもある」と言っていたか。

 

幸いにもユリスの視野に自分は入っていないようだと、聖夜は意識を綾斗の方へ戻す。直後、どよめきが走った。

 

「……って、おお!?」

 

夜吹もまた、驚きの声をあげる。これまでよりも深く、綺凛の刀が綾斗に迫ったからだ。それはつまり、いよいよ綾斗が窮地に立たされ始めたことを意味する。

 

「っ……!」

「やっぱり得物の差がでかいのかもな。天霧のやつも持て余しているみたいだし……あいつの流派も、あれくらいのサイズは想定してないんじゃねーかな」

「持て余している……?」

 

怪訝そうに呟くユリスとは対象的に、それを漏れ聞いた聖夜は内心で頷いた。

 

(さすがエージェント、よく見えている)

 

夜吹の見立て通り、綾斗の振るう『黒炉の魔剣』のサイズは大きめの両手剣ほどもある。もっとも綾斗の方も、それをうまく扱っているように見せているし、そもそもその特殊能力が極めて強力なものであるため、サイズに関しては同格以下との闘いならあまり問題にはならない。少なくとも、特訓を含めた今までの戦闘ではそうだっただろう。

 

だが、格上相手であればそうもいかなくなる。そのうえ、月影流しかり、古流派はその成り立ちから、実用的な大きさ以上の得物は想定されていないことが多い。聖夜も天霧辰明流を詳しく知っているわけではないが、それでもいくつか技を受けてみた印象から、彼の流派でも『黒炉の魔剣』ほどの大きさは考慮されていないのだろうと思える。

 

それに、少女の使う剣技は現代流派のものだ。戦場での集団戦を想定した古流派と、成り立ちからして個人戦を想定している現代流派の決闘となれば、流派の相性一つを取ってみても綾斗側が不利なのは一目瞭然。いくら綾斗でも、格上相手にそれだけ重ねられた不利を覆すには相応の準備が必要だ。

 

「おっ、どうやら覚悟を決めたみたいだな」

 

その夜吹の言葉通り、綾斗の間合いが変わった。見てそれと分かるほど、先程よりも明らかに近付いている。勝負を決めに行った証拠だ。

 

もっとも、諸々の差を考えれば、こうして近付くことは一種の賭けに近い。それでも、綾斗は自身の刃で確実に捉えようとすることを選んだ。

 

 

――果たして、どのような結末が訪れるのか。綾斗の『黒炉の魔剣』の軌跡が先程までよりも鋭く綺凛へと迫るが、彼女の刀もまた、同様に間合い内へ深く切り込まれてゆく。もはや観衆の誰にも予測できない幕切れは、激しさを増す剣戟の中で、もうすぐそこまで迫っていた。

 

矢吹がふと零す。

 

「しっかし、天霧のやつ……大丈夫なのか?」

「どういうことだ……?」

 

ここにいる大半の生徒は、目の前の光景に夢中だ。故に、この言葉に反応を返したのはユリスだけ。

 

彼はなおも続けた。

 

「あいつ、決闘の経験なんてほとんどないだろ?」

「確かにそうだが……それが一体なんだと」

 

後ろで聞き耳を立てていた聖夜にも、矢吹の言わんとすることがいまいち理解できていなかった。『黒炉の魔剣』の全力を引き出した場合、事によっては残虐行為に相当してしまうということを言っているのかと思ったが、まさか矢吹も綾斗がそんなことをするとは思っていないだろう。だとしたら、あとは何があるだろうか。

 

 

その答えは、程無くして彼らの目の前に晒されることになった。もう幾度目かになるかも分からない剣戟の応酬、その末に、切り込んだ綺凛の刃を防ぎきれなかった綾斗が回避行動を起こす。ほとんど紙一重の差で、綾斗が自身の胸元目掛けて切り上げられた刀を避けて――。

 

 

校章破損(バッジブロークン)

 

 

――からん、という音とともに、機械音声が決闘の終了を告げた。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

聖夜も、ユリスも、驚愕に固まっていた。あの綾斗が、こうもあっさりと負けたのか、と。

 

ギャラリーもまた、目の前で繰り広げられていた熱戦の余韻にあてられていたのか、小さなざわめきが広がるに留まっていた。ただ一人、矢吹が「あちゃー」と端末から顔をあげて、独り言のように呟く。

 

「やっぱり校章のことを忘れてたか……決闘に慣れてない最初の頃にやらかすやつ、ホントに多いんだよなー」

 

それが敗北の答えだった。つまり綾斗は、決闘の勝敗に関わる校章の、わずか数ミリの厚みを考慮しないまま回避運動を取ってしまったのだ。

 

回避後の体勢のまま、機械音声を聞いて呆然と立ち尽くしている綾斗は、果たして今起こったことを完全に理解できているのだろうか。そんな彼に対して、綺凛は振り抜いた刀を素早く鞘に戻し、伏し目がちに綾斗へ一礼。

 

「……すみませんでした、先輩」

 

そうして、相変わらず仏頂面を浮かべている鋼一郎の元へと戻ろうとする。その一連の動きにすら一切の無駄がなく、綾斗も、ギャラリーも、それに置いていかれそうになって――。

 

(綾斗の勇気、無駄にするものか)

 

しかし、これで終わることを、聖夜は許さなかった。ギャラリーの壁から威風堂々と踏み出し、凛と声を張り上げた。

 

 

 

 

「―――これは一体、何事だ?」

 

 

 

 



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第二十九話〜聖夜の思惑〜

 

 

 

思ったよりも声通ったな、と聖夜は注目を浴びていることをどこか他人事のように感じながら、おもむろに綾斗の方へ歩み寄る。そうして、「おや」とあからさまに驚いたような表情を浮かべて。

 

「って、綾斗か。この騒ぎは一体? ……って本当は聞きたいところなんだけど」

 

突然の乱入者に目を丸くする綾斗に、聖夜はまるで何も知らないかのように振る舞う。もっとも、何の意味もなくこんな行動取ったわけではもちろんない。聖夜がこの場でわざわざこんな行動を取った意味は二つ。一つは、仕事中の生徒会風紀担当として、責任をもってこの騒動を収めるということ。

 

そしてもう一つは、綾斗の友人として、彼の本気には制限があるという事実を誤魔化すこと。聖夜は背後をちらと見て、くすくすとわざとらしく笑った。

 

「……まあ、まずはお姫様の機嫌をとったほうがいいかもな。随分とお怒りのご様子だ」

 

面白そうにそう言った聖夜の視線を綾斗が辿ってみれば、確かにその先にはユリスが立っていた。彼と目があったユリスは一瞬はっとなったが、すぐに表情を険しいものに戻すと、綾斗の方へ荒々しく歩を進めて、有無を言わせずその腕を掴む。

 

「えっ、ちょっとユリス!?」

「いいから来い! まったく、どうしてこんなことになったのかたっぷり聞かせてもらうからな……!」

 

そしてそのまま、ユリスは綾斗を引きずるようにしてその場を早足で離れていく。そんな彼女に綾斗が抗えるわけもなく、腕を引かれるままその背中についていくしかない。

 

「あっ、後で事情聴取しに行くからよろしくなー」

 

ギャラリーも呆気に取られている中で響いた聖夜の声は、心なしか、やけに呑気なように聞こえた。

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「――さて、と」

 

ニコニコと綾斗達を見送った聖夜は、しかしその身に纏う雰囲気をがらりと変えて、ゆったりと振り返る。その視線は、酷く冷徹に男――鋼一郎を射抜いていた。

 

「大の大人がいるというのに、この騒ぎはなんですか。説明して頂けます?」

 

事の顛末をあらかた理解した上で、聖夜は煽るようにわざとそう言う。だが、やはり男の方も只者ではないのだろう、その煽りには乗らず、フンと鼻を鳴らして。

 

「わざわざ言う義務はない。なんだ、貴様は?」

 

馬鹿にしたような言い方に、しかし聖夜はへぇ、と冷たい微笑を浮かべた。そして、左腕に巻いた腕章を控えめに主張しながら。

 

「生徒会所属風紀担当の者です。巡回をしていたら中等部と高等部の生徒同士の諍いが見えましたもので、関係者の方にお話を伺おうかと参った次第です」

 

どこまでもわざとらしく、口調も慇懃無礼に。初っ端から胸糞の悪いものを見せられたのだ、ならば相手の怒りも誘って情報を引き出すことも辞さない。

 

聖夜の態度にだんだん腹が立ってきたのか、鋼一郎の表情が苦虫を噛み潰したようなものに変化していった。

 

「……あの学生がこちらの問題に介入してきたから、決闘をおこなって勝者を決めただけのことだ。それが貴様達化け物のやり方だろう?」

 

その言葉からは、明らかな星脈世代への偏見が見てとれた。聖夜は心の中で大きな溜め息を吐く。

 

(今の、周りの生徒達にはあんまり聞かせたくなかったな……)

 

星脈世代の生徒達の前で平然とそういった差別発言をするとは、驚きや怒りを通り越してもはや呆れるしかない。それを聞いた生徒達も決して良い思いはしないだろうし、そもそもそんな発言を公然の場でしてしまう時点で、人としての器もたかが知れている。

 

とはいえ、そう言うのならば相応の言葉を返すだけだ。元々人を煽るのがそれなりに好きな聖夜は、男に抱いている侮蔑感と同じくらい、これは面白いことになったという気持ちがあった。

 

「なるほど。しかし、あの学生がなんの理由もなしに首を突っ込むとは思えませんが……何かが彼の気に触ったのでは? 心当たりがあれば教えていただきたいのですが」

「これは身内の問題だ。貴様が知る必要はない」

 

取り付く島もない鋼一郎の応答。しかし、聖夜はまるで初めから興味などなかったかのように、やる気を感じさせない態度でそっけなく返した。

 

「ああそうですか。まあどうせ素直に吐くなんて思っちゃいなかったので、もとより他の人に聞くつもりでしたが」

 

もう口調すら取り繕うことはなく、馬鹿にした様子を隠すこともしない。彼の表情が歪むのを視界の端で捉えつつも、聖夜はそれをまるで意に介することなくギャラリーの生徒達の方を見渡した。そして、撮影らしき行為をしている一人の男子生徒を見つけると、そちらへと足を進めて。

 

「……ああ、矢吹君。確か君は新聞部だったかな。私の友人がそう呼んでいた覚えがあるけど」

 

その生徒の名前は矢吹英士郎。錬と同じ新聞部所属で、綾斗のルームメイトだったはずだ。聖夜が声をかけると、彼は気さくな笑顔を浮かべて撮影している端末から顔をあげた。

 

「おうよ、そうだぜ。何か用かい?」

「ああ、その撮影している映像を見せてはもらえないだろうか。何が原因なのか分かるかもしれないからな」

 

重ねて言うが、聖夜は事の顛末を知っている。あえてそれを隠しているのは、ひとえにこの後の展開を考えてのことだ。こっちは事情が聞ければひとまずよいのだが、もし綾斗の時と同じように決闘を仕掛けられることを想定した場合、聖夜が先程の闘いを見ていたと分かれば、あちら側は戦法を切り替えてくる可能性がある。加えて、聖夜はギャラリーがいる前で無駄に多くの手札を切りたくないため、純星煌式武装は極力使わないつもりでいる。

 

相手は序列一位。その実力がどれほど末恐ろしいものか、聖夜は今さっき間近で確認したばかりだ。真っ向からの剣術では勝てる見込みが薄い以上、相手が先程と同じように、速さを武器に校章を狙う最小限の勝ち方を狙ってくることを利用して、いかに相手を欺き、自分の得意なステージに引きずり込むかにかかっている。その種は、闘いの前から蒔いておくに超したことはない。

 

頭の中で戦法を用意しながら、聖夜は英士郎の元へと歩み寄り、端末の画面を覗き込んだ。

 

「すまない、初めの方だけ見せてもらえるかな?」

「ああ、このあたりか?」

 

英士郎が撮影を一時中断し、聖夜にその動画の再生画面を見せる。そこに映っていたのは、紛れもなく聖夜が初めに見た通りの光景であった。やはり気分の良いものじゃない、と聖夜は顔を顰めつつ、呆れた目つきを作って男へと声をかける。

 

「……どう考えてもアンタが悪いじゃん。身内だからってこれは許されないだろ、時代遅れにも程がある」

 

そして、予め用意していた言葉を、冷ややかな表情で以て放つ。もはや敬語すら使わない。しっかりと鋼一郎を見据えたまま、聖夜は彼らの近くまで戻り、そして毅然とした態度で口を開いた。

 

「とりあえず、風紀担当として話は聞かせてもらうよ。再発防止のためにもね」

 

そんな聖夜の態度にいよいよ我慢ならなくなったらしく、鋼一郎は怒りを滲ませた強い口調で言った。

 

「先程の学生といい、最近の若者は随分と生意気な口を叩くものだな。どんな教育を受けてきたのか、親の顔が見てみたいものだ!」

 

それを聞いた瞬間、ひく、と聖夜の眉が僅かに動く。ギャラリーの誰にも気付かれないほど微かなそれは、しかし鋼一郎が聖夜の逆鱗に触れたということをはっきりと表していた。今は亡き、聖夜の誇りである両親。それを侮辱するというならば。

 

 

――しかし、聖夜は溢れ出しそうな悪意を、緩い溜め息ひとつで抑えた。確かに今の発言は許し難いことではあるが、後先考えずにこの場で月影家の権力をひけらかすのは得策ではない。聖夜の目的はあくまで、この騒ぎを収めることと、綾斗の意思を継いで少女への理不尽を止めること。ここで下手に権力を振りかざせば、家族を侮辱されたことへの報復はできても、肝心の少女を助ける機会を失ってしまう可能性がある。自分の都合のために少女を犠牲にするなんてことをすれば、それは目の前にいる男と同じ種類の人間になってしまうということ。そう考えついて、聖夜は怒りを内々に抑え込んだ。

 

代わりに、演じてみせる。何も感じていないのだと、観衆も、目の前にいる男も、そして自分の感情すらも欺いて、聖夜は薄く笑う。

 

「――いやー、アンタにだけは言われたくない言葉だな。少なくとも、私の父と母は理由も無く子供に手をあげるような()()()人間ではなかったけど、そこのところどう思います?」

 

そして、相手によく効くであろう言葉を、自慢の演技力できっちり返す。会話の主導権は絶対に握らせない。自分にとって都合の良い方向に話を持っていくことこそが、この場では重要だ。

 

「貴様……!」

「あらま。たかが学生の戯言に、そんな怖い顔しなくてもいいじゃないですか」

 

けらけらと笑いながら、そうして聖夜は詰めの言葉を放った。

 

「――まあ、気に入らないのなら、アンタの言う()()()()()()()()で決めても構いませんけど?」

 

すっ、と目を細めて、その視線に威圧感をこめる。そうして口元を微かに歪め、怒りを隠さない男に向かって、ふてぶてしく言葉を続けた。

 

「私はアンタ達から事情を聞いて、なんなら再発防止に努めていただきたいわけだ。しかしそっちは話したくないと言う。……ということなら、決闘という手段を取るのもやぶさかじゃないけど。もちろん、そっちが勝てばその時は素直に引きますよ」

 

かつかつと靴を鳴らして距離を取るように歩きつつ、「どうする?」と聖夜は挑発的な流し目を男に向ける。乗ってくれれば上々だが、果たして。

 

「……いいだろう。その言葉、忘れるなよ」

「当然。――で、闘うのはアンタ本人かい?」

 

からかうように聖夜が嗤えば、鋼一郎は気分を害したかのようにフンと鼻を鳴らして。

 

「誰が貴様達のような化け物と闘うか。貴様の相手をするのは()()だ」

 

そうして、綾斗に対して言い放った時と同じように、まるで人に対するものとは思えない傲慢な態度で、鋼一郎は綺凛を指し示した。

 

「へえ……なるほど、随分と強そうなお嬢さんだ。アンタの自信にも納得だな」

 

彼女をちらと見て、聖夜はいかにもわざとらしくそう言った。そして、

 

「……しかし、彼女の意思を無視するのはいかがなものかと思うけど。君は、それでいいのか?」

 

問いかければ、綺凛は一瞬だけ目を伏せ――しかし、顔を上げてはっきりと言った。

 

「――はい、構いません。私、刀藤綺凛は、月影先輩に決闘を挑みます」

 

彼女がそう宣言すると、聖夜と綺凛の校章が淡く輝き出す。それを聞いた聖夜は興味深そうに再び口元を歪めて。

 

「なるほど……既視感があると思ったら序列一位の子だったか。そりゃ見覚えあるのも納得だ」

 

聖夜は彼女の目を正面から見据え、そこに何を見たのか、やがて底冷えするような声で言った。

 

「まあ、勝てると思ってもらうのは結構なことだけど。――芯が揺らいでいる相手に易々と負けてあげるほど、私は甘くないよ」

「っ……!」

「その辺り、よく考えて闘うといい」

 

威圧感があるわけでもない。ただ若干の失望を滲ませただけのようなその声音は、しかし綺凛にとっては響く言葉だったのか、微かではあれど、確かに彼女は怯んだ。

 

その様子を知ってか知らずか、聖夜はおもむろに踵を返し、互いの間合いからほんの半歩ばかり離れた位置で振り返って、腰に下げた刀をゆらりと抜き放つ。

 

「ほら、構えなよ」

 

突然の展開に固まっている彼女の反応を待たず、聖夜はその切っ先を綺凛へ突きつけるように片手で構え、そうして酷く落ち着いた声で宣言した。

 

「星導館学園生徒会所属風紀担当として、決闘の申請を受諾する。――かかっておいで、凄腕のお嬢さん」

 

 

 

 



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第三十話〜剣士vs剣士ならざる者〜

 

 

 

「……っ、参ります!」

 

不敵に佇む聖夜から、綾斗のそれとも違うただならぬ気配を感じながらも、決闘受諾の宣言を聞いた綺凛は、素早く刀を抜いて間合いへと飛び込んだ。勢いそのままに振り抜かれた鋭い刃を、聖夜は突き付けていた切っ先をすっと引いて正面から受け止める。

 

(おっと、思ったより重いな……っ!)

 

が、しかし。剣戟の速度は言うに及ばず、腕に伝わる重量感すら一級品であることに、聖夜は改めて舌を巻いた。彼の力を持ってすら容易には弾き飛ばせないだろうと考えられるくらいのパワーが、一体彼女の小柄な身体のどこに眠っているのだろうか。

 

流れるように続く二撃、三撃目を捌いて、聖夜は綺凛の校章を狙って横薙ぎに刀を振るった。だが、それは彼女が一歩引いたことであっさり躱されてしまう。そして、その隙を縫うようにして綺凛は再び聖夜に接近し、連撃を開始する。

 

一つ一つの技がなんの滞りもなく繋がっていくそれは、月影流や、綾斗の使う天霧辰明流ともまた異なる方向性を持った流派のようだった。

 

(刀藤流、だったか)

 

連撃の間を縫うようにして放った逆袈裟をまたも容易く避けられ、その尋常ならざる速度を前に、攻撃を受ける側に逆戻りしながらも、聖夜は思考を巡らせる。

 

『刀藤流』。今や星脈世代の精神発達プログラム(ようは習い事とも言える)にも推奨されている、聖夜達が使うような古流派とはまた違った、いわゆる現代流派としての発達を遂げた剣術の流派。日本に住む星脈世代なら、ほとんどが名前くらいは聞いたことがあるだろう。その特徴は、古流派が主に戦場を舞台に発展していったのとは対照に、少人数の対人を想定しているということ。

 

――そして何より、技と技が、まるで折り紙を淀み無く折っていくかのようになめらかに繋がっていくことによる素早い連撃こそが、他にはない刀藤流の大きな特徴だ。

 

(しっかし、とんでもない疾さだ……!)

 

とはいえ。こちらに来てから、聖夜も刀藤流の使い手と思われる者の映像を何度か見たことがあるが、ここまで高いレベルで使いこなしているものはなかった。まだ中等部であるにも関わらず、刀ひとつで序列一位の座に君臨しているということはつまりそういうことなのだと、聖夜は打ち合いの中ではっきりと理解する。

 

しかし、先程から感じていた違和感はやはり拭えなかった。

 

(やっぱり、ただ勝つための剣なんだよな……)

 

打ち合ってみて初めて分かる。彼女の剣は、本当にこんなものなのだろうか、と。

 

「たあっ!」

「……っ、」

 

戦闘の流れは、ほとんど綺凛が握っているように見えた。彼女の連撃は淀み無く、聖夜はそれを凌ぎつつ時折攻勢に転じるも、その一太刀が綺凛に届くことはなく、すべて躱される。お互いに有効打が入らない中で、しかし聖夜の剣戟が綺凛の速度を捉えきれず、どころか徐々に押されているということはギャラリーの誰から見ても明らかであったし、聖夜も自覚していた。

 

(ま、当然だけ……どっ!)

 

しかし、それは始めから予想できていたことだ。あえて間合いを近くとった突きも最小の動きで躱され、息つく暇もなく飛んでくる剣閃を全身の身体捌きを利用してどうにかいなす。それでも、動きとは裏腹に焦りはなかった。

 

まず、聖夜と綺凛では剣術の練度からしてまるで違う。それは、綺凛が剣術しか使わない戦闘スタイルであるということに対して、聖夜はそもそも剣術に本格的に触れたのが比較的最近であることから、基本的に剣術のみで戦うということをしてこなかったことが原因だ。この攻防をなんとか演じることができているのも、練度で劣っている分を、彼がくぐり抜けてきた多種多様な戦闘経験が補っているからだった。

 

そしてもう一つ。決闘においての聖夜が使う月影流のような古流派は、刀藤流のような現代流派との相性が悪いのだ。天霧辰明流の綾斗もそうだったが、特にこういった一対一の状況では、戦場を舞台に発展した古流派の真価はあまり発揮できない。こうして正面きって闘っている以上、流派の優位性という利も彼女の方にある。

 

それらの理由を踏まえて、聖夜は剣術()()で闘っては絶対に勝てないということを決闘前から理解していた。だからこそ、何も知らないフリというわざわざ面倒な一芝居を打ってまで、舞台を整える準備をしたのだ。相手は序列一位、隙を見せれば瞬く間に斬り伏せられるであろう、油断など微塵も許されない相手。そんな格上に勝つつもりなら、相手の意表を突いてそのまま押し切るのが、少なくとも聖夜の考える最善の策だ。そのためなら聖夜は相手を、そして周囲の者すらも誤魔化し、欺く。演技力(強がり)は、聖夜の数少ない特技の一つだ。

 

 

――最中、ふと、聖夜はギャラリーの中に見知った顔を見つけた。暗めの美しいブロンドヘアをなびかせながら、呼吸すら忘れてしまっているのではないかと感じるほど、聖夜と綺凛の決闘を心配そうに見つめる一人の少女。恐らく無意識なのだろう、両手を組んでいるその姿は、まるで祈りを捧げているかのよう。先程までは居なかったはずなのに、いつの間に現れたのだろう。それは確かに、聖夜の、大切な友人(パートナー)の姿だった。

 

(ズルいな……そんな風に見られちゃ、下手な闘いができないじゃないか)

 

悲しいかな、聖夜とて一人の男である。仲の良い友人の前では、しかもその人が異性ともなれば、どうしたって見栄の一つも張りたくなるものだ。内心で自分の頬を引っ叩いて気合を入れ直し、そうして仕掛けに出た。情けなくても、格好悪くても、自分の思惑通りに事を運んでみせると、そう覚悟を決めて。

 

「はっ!」

「っ……!」

 

終わりの見えない連撃を、聖夜は力で半ば無理やり弾いて中断させ、大きな袈裟斬りを放つ。しかし、それすらも、綺凛は無駄のないステップでするりと躱してみせた。

 

そして、狙いすましたかのような、聖夜の校章を狙う一閃。刀を振り抜いて間もない彼は防ぐ術を持たず、身を捩って避けようとする。

 

だが足りない。校章の厚みの分だけ、聖夜の動きは間に合わない。

 

(捉えた!)

 

先程の、綾斗との決闘と同じ。聖夜は、校章の厚みというこの学園特有の弱点を失念した。綺凛の刀は、寸分違わず彼の校章を両断する。彼女はそう確信していた。

 

 

――そのはずなのに、聖夜は不意に口元を歪めた。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

このタイミングだ、と聖夜は思う。想像以上に彼女の剣技が凄まじく、おおよそ満足できるほどの観察はできなかったが、こうして仕掛けてしまった以上は、腹を括ってやるしかない。

 

(さあ、最後まで走り切れよ。ここからのペースは俺が作る……!)

 

綺凛の刃が聖夜の校章を断ち切る寸前、彼は微かに言葉を発した。

 

「――『結界』!」

 

直後、聖夜の校章を破壊するはずだった刃は、校章の寸前で何かに阻まれ、逸らされた。

 

「なっ、」

 

驚きに目を見張る綺凛。そんな彼女へ、聖夜は不敵に嗤った。

 

「――縛りプレイは、終わりだ」

 

 

 

身を翻した勢いで振り抜かれる聖夜の()()。自分の勝ちを確信し、完全に不意を突かれた綺凛は、しかし自身の側頭部に向かってくるその脚を、見事な反射神経で刃を戻し、受け止めてみせた。

 

ただし、受け止められただけ。

 

(っ、重い……!)

 

体勢が悪かったということもあるかもしれない。それでも、ここまで尽く躱し続けていた彼女が初めて受け止めた聖夜の一撃は、綺凛の腕をそのまま持っていってしまいそうな程に重かった。

 

とはいえ、凌いだということは事実。綺凛は渾身の力で聖夜の脚を上に逸し、返す刀を振り下ろす。しかし、彼は脚を跳ね上げられた勢いのまま身体を正面に戻し、右手一本で握った刀で受け止めた。激しい金属音が響く中、綺凛の目の前には、いつの間にか聖夜が放った左拳が迫っていて。

 

「くっ……!」

 

堪らず彼女は後ろへと大きなステップをし、聖夜の拳は空を切った。綺凛が刀を構え直す中、聖夜は振り抜いた拳を戻しながら感心したように、そしてどこか残念そうに苦笑しながら言う。

 

「いやいや、まさか今のが当たらないなんて。まったく末恐ろしいね……」

 

演技の中でも、それはなんら飾り気のない本音だった。しかし綺凛には、その言葉が何よりも雄弁に彼の余裕を表しているのだと思えてならなかった。一瞬の隙に揺らいだ綺凛のペースは、ここにきて聖夜の雰囲気へ完全に呑みこまれた。

 

真正面から睨み合ったのもほんの僅かの間だけ。今度は聖夜が、古流派特有の重心を低く落とした姿勢をとって綺凛へと突撃する。そうして放たれた力強い一撃を、彼女はそれを回り込むようにして躱し、攻撃の隙を突くべく反撃を試みた。先程までと同じならば、そこからは綺凛がペースを握れるはずだった。

 

「甘いッ!」

 

しかし、彼女の刃は、寸前で聖夜の左腕に阻まれる。攻撃を受ける一点だけに星辰力を集中させている彼の腕は、綺凛が今まで斬りつけた何れよりも頑強だった。

 

(なんて精度……!?)

 

聖夜の星辰力操作に関しては、そもそも決闘の回数自体が非常に少ないこともあって、彼と親しい生徒以外にはほとんど知られていない。それは綺凛も例外ではなく、鋼一郎に要注意とされた彼の映像を何度か見て、星辰力が少ないがその分操作が得意なのだろうという推測こそしていたものの、ここまでの精度で星辰力を巡らせるとは想像もしていなかった。腕全体ではなく、刃を受ける箇所だけに星辰力を集中させて少ない星辰力を無駄に浪費しない戦法など、果たしてこのアスタリスクの中でどれほどの生徒がものにできるだろうか。

 

驚愕のなか、それでも綺凛の体は反射的に、受け止められた刃を引いて連撃に入ろうとしていた。しかしそれよりも一瞬早く、聖夜は左腕を叩きつけるようにして、彼女の刀もろとも力強く振り下ろす。

 

不意を突かれて、綺凛の体勢が崩れた。

 

「っ、」

「うおらぁッ!」

 

対して聖夜は、振り下ろした反動を利用して、裂帛の気合と共に左拳を突き出した。先ほど綺凛が避けたものと同じ技、しかし今回は躱すほどの余裕がない。故に彼女は、不安定な体勢のまま、咄嗟に刀を身体の前へと戻すことで、その拳を受け止めようとした。

 

それでは不十分だった。衝撃を抑えきれず、綺凛の体は後方へ吹き飛ばされる。

 

「つうっ……!?」

 

しかし、闘い慣れしている彼女の反応は早かった。ほとんど無意識ながらも受け身をとり、さほど距離が離れないうちに、転がるようにして素早く体勢を整える。追撃に走る聖夜の姿を正面に捉え、自らも一歩踏み出して刀を、

 

 

(えっ、)

 

 

――振り抜こうとした直後、目の前にいたはずの姿が視界から消えた。彼女の頭上に一瞬影が差す。

 

 

それが意味することは、つまり。

 

 

(跳んだ!?)

 

視界の端で、聖夜が縦に一回転しながら綺凛の背後へと跳んでいくのが見える。それを追うようにして彼女が反射的に振り返れば、目の前で軽やかに着地した聖夜が刀を大きく振りかぶっていた。

 

「『水無月』ッ!」

 

横薙ぎに、己の校章へ迫るその一撃を、綺凛は完全には受けとめきれなかった。それでも一度映像で見たことがある技ということが幸いして、辛うじて刀の軌道を逸し、体勢を崩されながらも数歩分距離を取る。しかし、聖夜の方も、そんな好機をみすみす見逃すような真似はしなかった。彼女の体勢が整うよりも早く、聖夜の攻撃が襲いかかる。

 

刀による斬撃だけではなく、拳や蹴り、さらにはタックルや足払いまで交じる、まるで人が変わったのかと錯覚してしまうほどに多彩な連撃。驚異的な反射神経を駆使し、未だに有効打こそ避けてはいるものの、彼女は珍しく混乱していた。

 

(最初とはまったく闘い方が違う! それに、校章のあれは……!?)

 

校章を断ち切る直前、確かに彼女は壁のようなものに阻まれるのを感じた。しかし、聖夜が能力者であるというデータはない。もっとも純星煌式武装を使用しているならば何かしらの能力を使えるのかもしれないが、こうして闘っていれば分かる通り、今の彼は純星煌式武装はおろか煌式武装すら起動していないのだ。

 

それに加えて、聖夜の闘い方はがらりと変化している。最初に切り結んだときよりもすべての攻撃が力強く、そして苛烈だ。

 

(まさか、手加減を?)

 

二つ以上の純星煌式武装を持っているのにも関わらずそれらを使わない。しかも、闘い方が途中で激しく変化した。綺凛が序列一位だと分かっても余裕を崩さなかったということも合わせれば、手加減されていると、そう考えてしまうのも無理はなかった。

 

 

(っ!)

 

 

――深く沈み、そうして生まれたその結論は、彼女の中に焦りを生む。その様子は闘っている聖夜にも手に取るように分かった。

 

(やっとか……小細工した甲斐があったな)

 

目の前で聖夜の攻撃を凌ぎ続ける少女は、しかし彼の演技に大きく揺さぶられている。綾斗との闘いを見て、そして実際に応酬を繰り返して確信した聖夜の違和感は、確かに正しかった。

 

 

――今の彼女の剣は、叔父の指示通りに振るわれるだけのもの。天才的な技術は剣戟の中に綺羅星の如く輝き散りばめられているが、しかしそこには本人の意志がまるでない。

 

そうして振るわれる、ただ勝つための剣には、彼女が本来持っているであろう自由な柔軟性も失われている。それでも序列一位に君臨し続けているあたり尋常ではないが、その実力に裏打ちされた自信が揺らいだとき、ただ勝つことだけを求められて自由に闘うことができない今の彼女では混乱してしまうのも無理はない。本来の彼女なら、聖夜程度の相手であればすぐに戦法を切り替え、再び優位に立つことくらいは容易くこなしてみせるだろう。彼女がそれくらいの地力を持ち合わせていることくらい、聖夜にだって分かる。

 

人妖問わず、そして獣や竜とも幾度となく戦ってきた聖夜にとって、戦いの最中に見えてくる相手の意志はひどく重要なものだ。獲物を食らい尽くそうという本能じみた意志、何かを守ろうとする必死さに溢れる意志、あるいは、ただ強き者との戦いを求める飽くなき闘争心を秘めた意志。そのすべてが、目の前の相手に勝つために必要な情報であり、同時に自身の感情をも昂らせてくれる。だが、今の彼女にはそれがない。そんな相手にただ負けるというのは、聖夜にとってもあまり考えたくないことであったし、何より、そんな相手に勝ったところで何の意味があるんだという、ある種の失望もあった。

 

そもそも、ここで決闘に勝ったところで、聖夜が得られるものは、序列一位という彼にとっては鬱陶しい肩書しかないのだ。加えて、決闘前に約束を交わしていた綾斗とは違って、彼が勝っても綺凛を解放することはできないし、よしんばできたとしても、今の彼女ではその後遠からず叔父の元へ戻ってしまうのが容易に想像できる。それでは何も意味がない。

 

(とはいえ、これ以上の時間稼ぎは厳しいか……?)

 

聖夜の蹴りを躱して放たれた綺凛の剣閃を、同じく刀をあてがっていなしながら、聖夜は思考を巡らせる。当初の予定では、充分な時間をかけて観察し、頃合いを見つつ闘い方を変えて追い込み、昼休み終了の予鈴が鳴るまで粘ろうと考えていた。そうすれば、風紀担当という立場上、それを理由に決闘を止めることができるからだ。学生の本文である勉強というものは、それだけで決闘を止める充分な理由になる。勝敗もつかないため、聖夜にとってはもっとも都合が良い。

 

しかし、それは厳しそうだ。綺凛の戦闘力が聖夜の想定を超えて上であったことから、予定通りの観察時間を取ることができなかったうえ、こうして打ち合っている中でも攻撃を返される頻度が増えてきており、彼女の対応が徐々に速くなっていっているのがよく分かる。このままでは、予鈴が鳴るより先に、彼女はある程度落ち着きを取り戻すだろう。そうなれば聖夜は時間稼ぎのためにまた違う手札を切らなければならなくなるし、ギャラリーが見ている中で不用意に戦法の貯金を切り崩すことは避けたい。

 

とりわけ序列一位が相手では、いかに相手が本調子でないとはいえ、どれほどの戦法を曝け出してしまうか分からない。星武祭が控えている身としては、そうなれば大損もいいところだ。

 

現時点では、聖夜の目論見自体は、彼自身でも驚いてしまうほど完璧に嵌っている状態だ。勝とうと思えば恐らく勝てる。しかし個人的な理由で勝ちを取りに行きたくないのも事実。――ならば、選択肢はそれほど多くない。

 

(しゃーない……()()()()負けるしかないか)

 

決意し、聖夜は刀を大きく横に構えた。そうして校章めがけて振り抜かれた刃は、周囲の目には不思議と揺らめいて映る。

 

「『朧月』!」

 

変わらずペースを握られたままで、回避は間に合わないと判断した綺凛は、その一撃を同じく刀で受け止める。しかし、重く打ち据えられたそれは、弾き飛ばすほどではなくとも、多少は彼女の姿勢を崩すことに成功した。

 

だが、度重なる攻撃を受けて、綺凛の対応は確かに速くなっていた。最小の動きでぶれた体幹を安定させ、次の攻撃に備える。

 

視線の先に、聖夜の姿は無かった。

 

(っ、)

 

頭上に影が差す。強烈な既視感。素早く後ろを振り向く。綺凛の意表を突くべく、彼は再び跳んだのだ。同じ手は、二度と通用させない。

 

 

――この時、綺凛は思い付くべきだったのだ。ここまで自分を追い込んだ相手が、そんな分かりやすい手をみすみす打つはずがないということを。

 

頭上で、たんっ、と軽やかな音が微かに鳴った。

 

(今のは……!?)

 

綺凛は反射的に音が聞こえた方を見上げる。しかし、その時にはもう、聖夜の姿は綺凛の視界の上部に見切れるようにしか映らなかった。

 

つまり、綺凛はさらに裏を突かれたのだ。

 

「――『断月(たちづき)』!!」

 

何をどうしたのか空中で反転したらしい聖夜は、自身が元いた位置に再び戻るような軌道で降りながら、空中で大きく刀を振り下ろした。対して綺凛も振り向き直し、構えようとするが、当然、不意を突かれた状態で防御が間に合うはずもない。力強く振り下ろされた刀が、彼女の姿勢を上から大きく崩す。

 

(…っ、まだ!)

 

それでもなお、綺凛は食らいついた。打つことのできる手はわずかながらも、その中から勝つための手を探す。まずは牽制の一太刀を放って、体勢を整える時間を確保することからだ。幸い、聖夜は刀を勢いよく振り下ろした反動で、着地時に多少の隙ができていた。綺凛の反撃を防御することはできるだろうが、矢継ぎ早に追撃をしてくることはないはずだ。

 

実際に、それは正しかった。ただ一つ、彼女が気付いていなかったことがあったというだけで。引く体勢に入りながら、綺凛は刀を振り抜く、

 

「つうっ……!!」

「っ!?」

 

そうして放たれた綺凛の一閃を、あろうことか聖夜は左の掌を広げて受け止めた。もちろんそこに星辰力は込められているが、牽制とはいえど刃を手で正面から受けて、さしもの聖夜も表情を微かに歪める。

 

だがそれも一瞬だけ。さらに信じがたいことに、聖夜は受け止めた左手をそのまま握りこみ、刀の動きを封じにかかった。驚愕に染まる綺凛の表情を見て、彼は強がるように笑う。

 

「こんなバカ、そうそういないだろう?」

 

彼の言う通り、綺凛はもちろんのこと、ギャラリーもその突飛な行動に驚き、固まっていた。はっと我に返った綺凛は、急いで刀を彼の手から引き抜こうとするが、その力は尋常ではないほど強く、引き抜ける気配がない。そうしているうちに、刀を握っている聖夜の手から、鮮血が一つの筋となって腕を伝って流れ落ちていく。星辰力を掌に込めてなお、切れ味鋭い綺凛の刀が強く食い込み、彼の手に傷を作っているのだ。

 

それをちらと見て、聖夜は自嘲するようにふっと微笑し、そうして綺凛にギリギリ聞こえるくらいの小さな声で、ぽつりと呟いた。

 

 

「――君の刀は、本当にこんな程度なのか?」

 

 

それだけを聞けば、馬鹿にされたようにも、また挑発ともとれるだろう言葉。しかし、聖夜の眼差しは、この決闘が始まって以来綺凛が初めて見るほどに真剣だった。

 

束の間、視線を交錯させた両者の動きが止まる。綺凛は、聖夜の鋭い視線に正面から見据えられ、目を逸らすことすらできなかった。

 

「………そうか」

 

そこから何かを汲み取ったらしい聖夜は、どこかやるせない表情で緩い溜め息を一つ吐く。――そして、刀を抑えている手を今一度強く握りしめ、投げ捨てるようにして勢い良くその腕を振り上げた。

 

(っ……!)

 

聖夜の膂力に負け、刀に引っ張られるような形で綺凛は前方につんのめる。鮮血が数滴の雫となって宙を舞うなか、がら空きの胸元へ迫る聖夜の横蹴りを、彼女に凌ぐ術はなかった。

 

「くぅっ……!」

 

しかしそれでもという思いで、綺凛はせめて校章だけは守ろうと、必死に身をよじらせる。しかし、実際に蹴りが直撃したのは校章とは真反対の胸元、仮に綺凛が回避行動を取れなかったとしても問題のなかった位置だった。

 

とはいえ、まともに防ぐこともできなかった彼女は、当然、後方へ強く吹き飛ばされた。そのまま大きく地面を転がり、腕を支えにしてなんとか復帰して、滑りながら勢いを殺す。どうして、と綺凛が顔を上げれば、聖夜は追撃に走ることなく、それどころか彼女の方を向いてすらおらず、刀を納めて、おもむろにポケットへ手をやっていた。

 

そこから取り出した、古めかしい懐中時計をちらと覗き、聖夜はわざとらしく溜め息を一つ。

 

「……まあ、こんなものか」

 

ぱたん、と懐中時計の蓋を閉じて、聖夜はそれをしまい、空いた手で今度は自身の胸元にある校章を取り外しだした。今度は一体なんのつもりか、とギャラリーが何度目か分からないどよめきに包まれる。

 

しかし、聖夜はそういった反応など相変わらず意に介さない。彼は手の中にある小さな校章を軽く放り投げ、右手に持った刀を軽く振り抜く。

 

「えっ……!?」

 

「『校章破損(バッジブロークン)』」

 

そして、機械音声が()()()()()を告げた。

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

突然行われた聖夜の自滅に、綺凛はもちろんのこと、ギャラリーすら反応できないでいるようだった。からん、と小さな音を立てて、真っ二つに割れた彼の校章が地面に落ちる。しかし、当の聖夜は何の事だと言わんばかりに、おどけたように肩を竦めていた。

 

「いやー、流石の強さだ。危うく無様を晒すところだったよ」

 

それでも動けずにいるギャラリーへ、聖夜はさらに、彼らを見渡しながら、動き出すきっかけの言葉を発した。

 

「――それにしても皆さん、時間は大丈夫ですか? そろそろ次の授業が始まりますよ」

 

その言葉に、生徒達が俄にざわつき始める。時計を確認する者あり、時間割を開く者あり、ギャラリーのほぼ全員が慌ただしく動き始めるなか、聖夜は地面に落ちた真っ二つの校章を拾い上げ、呆然と立ち尽くしている綺凛に近付き、彼女にだけ聞こえるような声で、軽く笑いながら言った。

 

「願わくば、次は本当の君と闘ってみたいもんだね」

 

そうして、聖夜は少し離れたところにいた鋼一郎にも目を向け、彼が何か言うよりも先に口を開く。

 

「今回は私の負けですので、事情聴取はもう一方からするのみにいたしましょう。今後、同じようなことが起こらないことを望みます」

 

聖夜はギャラリーの中にいたセレナをちょいちょいと手招きし、あとは一切を振り返ることなくその場から立ち去る。

 

――前に、再び鋼一郎に流し目を向け、口端を微かに上げた。

 

「おっとそうだった。月影家当主に対する侮辱の言葉も今回ばかりは水に流してあげるから――ぜひ咽び泣いて感謝してくれると嬉しいね、おっさん」

 

怒りと驚愕がない混ぜになっている鋼一郎の様子を愉快そうに眺めてから、「それじゃあね」と聖夜は軽い足取りで、今度こそ場を後にした。

 

 

最後の最後まで聖夜に惑わされ、生徒達がまだ時間に余裕があるということに気付いたときには、もう彼の姿はなかった。

 

 

 

 



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第三十一話〜「事情聴取」という名の〜



書き溜めはここまで、次からはまた少し期間が空くと思います。






 

 

 

中庭を後にして歩くこと、しばし。周囲にほとんど生徒がいないことを確認してから、聖夜は溜まっていた物をすべて吐き出すように盛大な溜め息を吐いた。そのすぐ後ろから、セレナがたたっと足音を立てながら小走りでやってくる。

 

「聖夜っ、アンタいったいどうして――」

「………バカほど疲れた」

 

そうして早口で誰何したセレナは、しかし、心底しんどそうに零す彼の様子に、すぐに毒気を抜かれたようだった。出かかっていた言葉をすべて飲み込み、彼女は心配そうな表情で聖夜の顔を覗き込む。

 

「――大丈夫?」

「ああ、なんとか……ごめん、私情で騒ぎを起こしちゃって」

 

先程までの余裕ぶった態度はどこへやら、すっかり脱力して、聖夜は申し訳なさそうな顔をセレナへ向ける。対する彼女は、そんな表情を向けられてますます心配の念を強めた。

 

「何があったの? 仕事のトラブル?」

 

聖夜が今日から生徒会業務を行う、ということを彼自身から聞いていた彼女の視線が、聖夜の腕に着けられた腕章へと向く。しかし彼は、ゆるゆると頭を振った。

 

「いや、自分の都合で余計なことに首突っ込んだだけ。おかげで序列一位とやりあう羽目になったけど」

 

詳しいことは後で話すよ、と聖夜は再び歩き出す。

 

「まずは綾斗の所に……いやその前に職員室か。間に合うかな」

 

主に次の授業の欠席連絡だ。聖夜自身のことはもちろん、綾斗と、恐らくその看病をしているユリスの分も、できれば伝えたほうが良いだろう。もう一人、と聖夜は顔だけセレナの方へ向ける。

 

「セレナ、次の授業はどうするんだ? 俺はこの後、綾斗のところまで行って軽く事情を聞いてくるつもりだけど」

 

つまり授業は欠席するということ。その意味を瞬時に理解し、セレナは即答した。

 

「私も行くわ、何があったか知りたいし……手伝えることがあるかもしれないから」

「りょーかい。サンキューな」

 

その答えに対して確かな感謝を表して、聖夜は足早に職員室へと歩き出した。

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「―――はい、お手数をおかけして申し訳ございません。よろしくお願いします」

 

綾斗とユリスに事情を聞くため二人を休みとしてほしい、といったことを彼らの担任の教師に伝え、頭を下げた聖夜が次に向かったのは、彼の担任のデスクだった。

 

雰囲気怖いなあの先生……初雁(はつかり)先生、お忙しいところ失礼します」

 

声をかけられたそのデスクの主、初雁杏梨(あんり)は、次の授業に使う資料をまとめる作業をしながら、聖夜の方を向いて柔らかく微笑んだ。

 

「月影君、どうかしましたか?」

「次の授業のことなのですが……私とリースフェルトさんは欠席しますので、それをお伝えにうかがいました」

 

そして、生徒会の仕事であるということを手短に説明する。職員室の扉から半身だけ晒し、こちらを覗き込んでいるセレナにちらと目をやり、杏梨は少し考え込む素振りを見せ、やがてこう言った。

 

「わかりました。それでは、二人とも公欠にしておきましょう。――リースフェルトさんには、生徒会のお手伝いも頑張ってください、と伝えておいてもらえますか?」

 

それを聞いた聖夜は驚いたように目をしばたたかせ、やがて彼女の言わんとすることを理解して、深く頭を下げた。

 

「――お気遣いありがとうございます」

「構いませんよ。大変でしょうけど、月影君も頑張ってくださいね」

 

杏梨は立ち上がり、軽く伸びをして、そこで思い出したように聖夜へ問いかける。

 

「そういえば聞きましたよ、月影君。リースフェルトさんと鳳凰星武祭(フェニクス)に出場するとか。鍛錬のほうは順調ですか?」

 

聖夜は頬を掻きながら、苦笑するように答えた。

 

「ええ、それなりに。なにせパートナーが優秀なものですから、足を引っ張らないようにするので精一杯ですが」

「あら、ご謙遜を。『冒頭の十二人』――それも複数と対等に渡り合える生徒など、そうそういませんよ」

 

ふふ、とからかうような口調で杏梨が言うと、聖夜は少しバツが悪そうに目を逸らした。

 

「いえ、まあ……よくご存知で」

「この前、羽澄さんがうれしそうにおっしゃっていましたからね。なかなか勝てないけど楽しい、だそうで」

「ああ、そういうことですか……」

 

詳しく聞けば、茜は杏梨と仲が良い方で、生徒しか知らないようなこともよく話してくれるらしい。聖夜は茜のコミュニケーション能力と愛嬌に「相変わらずだ」と感心しつつ、そこではっと気付いたように。

 

「っと、すみません。お忙しいのにお時間を取らせてしまいました。申し訳ありませんが、よろしくお願いします」

「ええ、分かりました。気をつけて」

 

もう一度頭を下げて、聖夜が職員室を後にする。彼と、その後をぱたぱたとついて行くセレナを遠目に見送って、杏梨は資料類を抱えながら、ふっと笑みを零して呟いた。

 

「―――青春ですね。いいものです」

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

数分後、聖夜とセレナは、ユリスのトレーニングルームを訪れていた。

 

「おう綾斗、随分と羨ましい体勢じゃないの。――具合は大丈夫か?」

 

扉が空いて早々、彼らの視界に飛び込んできたのは綾斗がユリスに膝枕されている光景だった。綾斗が気まずそうに起き上がろうとするが、その動作はやはりどこか苦しそうで、聖夜は軽口を叩きながらも、気遣わしげにそれを止めた。

 

「ああごめん、無理しないで。これ、飲めるか?」

 

そうして、綾斗にスポーツドリンクを差し出す。上体だけ起こした彼は、申し訳なさそうにそれを受け取った。

 

「ありがとう。ごめん、こんな状態で」

「無理もないさ。封印解いてるのも見てたからな」

 

綾斗が自身の力を解放した後どうなるかは、聖夜もこの前の騒動で実際に見たのでよく知っている。

 

「まあでも、周りにそれがバレなくて良かった。ユリスさんがこっちに乗ってくれて助かったよ、ありがとう」

「ああ、あれはこちらとしてもありがたかったが……まさか、分かっていて私の名前を出したのか?」

「ギャラリーの中に居たのを運良く見つけられたからつい、ね」

 

悪戯っぽく笑い、聖夜も床に腰を下ろす。綾斗のものと一緒に購入していたレモンティーをセレナがユリスに手渡し、同じように腰を下ろしたのと同時に、綾斗がドリンクの蓋を開けながら聖夜に問うた。

 

「聖夜は、いったいどのタイミングから見ていたんだい? 来たばかりです、みたいな言動だったけど、封印を解いたことを知っているならそれはおかしいし……」

 

流石、綾斗は鋭い。してやったりと、聖夜は会心の笑みを浮かべた。

 

「ああ、あれ演技だったんだ。さも、私は今来ましたよー、あなた達の闘いなんて見てませんよー、ってみんなに思い込ませるためのね。実際はほぼ始めから見ていた……というか、最初に綾斗が止めてなきゃ俺が止めてた」

 

どこか得意げに語られた言葉に、綾斗とユリス、ついでにセレナまでもが絶句する。ややあって、ユリスが驚嘆もあらわに口を開いた。

 

「――いっそ感心できるな。見事に騙された」

「お褒めにあずかり恐悦至極にございます。ちなみに、もっと言えば最初からユリスさんの近くに居たんだけどね。まあ、綾斗のことが心配で仕方なかったんだろうし、気付かなかったとしてもおかしくないけど」

 

誰が心配なんか、と分かりやすく狼狽えるユリスを、セレナとともに微笑ましく見守って。

 

「……まあ、うん。それで、五分過ぎた辺りでさすがにヤバいんじゃないかと思って、何かできないかと考えた結果があれだったわけ。変に名前を利用しちゃったのはホントに申し訳ない」

 

再び、少し頭を下げる聖夜。ユリスが再度「気にするな」と言葉を続けた。

 

「しかし、あの後はどうなった? いくらお前が生徒会の一員とはいえ、まさか素直に従ったとも思えないが」

「まさにその通りだったよね。だから適当に済ませてきたけど」

 

何事もなかったような態度で気楽に話す聖夜だったが、その時、彼の左手に真新しい包帯が巻かれていることに、ふと綾斗が気付き、まさかといった顔で口を開いた。

 

「もしかして、聖夜も……?」

「ん? ……ありゃ、気付かれちゃったか」

 

苦笑しながら、聖夜は、先程セレナに有無を言わせずぐるぐる巻きにされた、ベージュの包帯を見やる。

 

「剣を交えた綾斗はよく分かっていると思うけど、さすがは序列一位って感じの強さだったよ。何発かは有効打を入れられると思ったんだけど、結果的に入ったのはたった一発だけ……もっと精進しないとね」

「あの『疾風刃雷』相手に有効打を入れただと……!?」

「一度見て戦略を立てたし、しかも散々欺いて揺さぶったうえでの一発だからね。あんまり誇れるものじゃない」

 

あれは、姑息な策がほとんど嵌ってくれたからこその有効打だ。綾斗と同じ条件で闘っていたならば負けもあり得ただろう。

 

すると、セレナが呆れ顔で言った。

 

「人が悪いわね。アンタだって純星煌式武装使ってなかったんだから、そんなに卑下することもないでしょ」

 

綾斗とユリスの視線が再び聖夜に集中して、彼は困ったようにセレナへと目線を逃した。

 

「いや、ねえ……仕事のために自分の引き出し曝け出すのもためらわれるし。ましてや星武祭もあるから、余計なものは見せたくなかったんだよ。それに、あの子相手じゃ、純星煌式武装が必ずしも有利になるとも限らなかったから」

 

綾斗が苦笑しながら、自嘲するように言った。

 

「俺はやらかしちゃったかな。星武祭前に闘うなんて、本当はするべきじゃないんだけど、どうにもね……」

「まったく……だからさっきも言っただろう。あの状況では仕方あるまい」

 

フォローするようなユリスの言葉に、聖夜も優しく頷く。

 

「ああ。ホント、勇気ある行動だったと思うよ。序列一位相手に真っ向から闘ったことも含めて、なかなかできることじゃない」

 

何の準備もなしに序列一位と相対するなど、聖夜だったら絶対にしたくない。このアスタリスクに数多いる強豪の中でも、一位という地位はやはり別格なのだ。無関係の少女を助けに行ったことも、その後臆せず闘ったことも、ひとえに綾斗が勇敢であったからだろう。

 

――と、そんな風に考えていた聖夜であったが、そこでふと、ユリスがしらっとした視線をすぐ横の綾斗に向けていることに気付いた。

 

「……えっ、何この空気」

「いや、その……実は俺、彼女が序列一位ってこと知らないまま闘ってて」

 

さしもの聖夜も、しばし呆気に取られた。信じられないものを見る目つきで、無意識に自分の頭を押さえながら言う。

 

「うっそだろお前……!?」

 

しかし、ややあって思い出すのは、いつかの会話で綾斗が序列にさほど興味を示していなかったという事実。

 

「……いや、まあ、綾斗ならあり得そうな気がしてきたけど。それにしても興味なさすぎでしょ、せめて自分のところの序列一位くらいは知っておきなよ」

 

あはは、とバツが悪そうに笑う綾斗に、ユリスが「まったく……」と溜め息を吐く。そんな二人を見たセレナが微笑ましげに顔を緩ませ、そしてふと、悪戯っぽく聖夜に言った。

 

「ふふっ、そういうアンタはちゃんと把握しているの?」

「まあ……うちの『冒頭の十二人』と、各学園の注目株くらいはそれなりに調べてるけど」

「うんうん、感心ね。少し聞かせてもらってもいい?」

 

そうして、どこか慈愛に満ちた瞳で聖夜を見据えるセレナ。どうやら、聖夜の預かり知らぬところで彼女の妙なスイッチが入ってしまったらしい。以前、勝海やオリヴィアと一緒に特訓した際にも見られたそれは、彼女が以外にも世話焼きであることを合わせて考えれば、さしずめ「お姉ちゃんスイッチ」とでも名付けられるだろうか。そんなくだらないことをぼんやりと考えながら、聖夜は「要注意なところだけを」と前置きして、こほんと居住まいを正した。

 

「じゃあ、共通の話題ってことで、まずうちの序列一位から。―――『疾風刃雷』。歴代の序列一位の中でも恐らく最年少クラスで、しかも能力者でも純星煌式武装使いでもない、刀一振りで序列一位に君臨している、才覚にあふれた子だ。かの有名な刀藤流の使い手で、二つ名に恥じない速さと淀みなく続いていく刀藤流の特徴が、ちょっととんでもないレベルで噛み合ってしまっている。……実際に闘ってみたら、ただ速いだけじゃなくてしっかりと重さも伴っていた剣だったし、まだ中等部ってことも考えると、これからどこまで強くなってしまうやら。まあ、環境のせいか、ちょっと自信なさげな様子があるし、まだまだ若いからメンタル面には課題があるみたいだけどね。そこを突ければ、さっきの俺みたいに善戦することも不可能じゃない」

 

綾斗が深く頷いていた。同じく闘った者としては実感が違うのだろう。これからの伸び代も充分見られたことだし、取り巻く環境さえ改善されれば、きっと彼女はさらなる高みへ昇っていけるはず。そのためにも今の状況をどうにかできればいいが、と聖夜は彼女の行く末を案じながら、しかし今考えても仕方ないと頭を振って、次の話題へと移った。

 

「次は、ガラードワースの『聖騎士(ペンドラゴン)』サマだ。綾斗と同じく、四色の魔剣が一振り、『白憑の魔剣(レイ=グラムス)』」の使い手で、学年で見ると今の序列一位では最年長かな? とにかく冷静で優雅、純星煌式武装の特徴を最大限利用する闘い方は、個人戦ではもちろんのこと、特にチーム戦での見事な連携を駆使するさまから、アスタリスク最高の剣士との呼び声も高い。それでいながら、外面内面ともに良好。騎士道を体現したような、まさに清廉潔白な生徒って印象だ。まずはその剣に追いつかなければ、まともな勝負すらさせてもらえないだろうな」

 

彼を始めとしたガラードワースの『冒頭の十二人』と言えば、やはり有名なのが『獅鷲星武祭(グリプス)』での活躍。序列一位から五位までと、六位から十位までがそれぞれチームを組んで出場するのが伝統となっているらしく、彼らは毎回決まって優勝候補だ。純星煌式武装の強力な特性と、それを扱いこなす彼の凄まじい剣技。チーム戦にしろ個人戦にしろ、もし闘う機会があるとするならば、いくら聖夜といえど苦戦は免れないだろう。

 

ふう、とひと呼吸置いて、再び口を開く。次に思い浮かべるは、最近顔見知りになったとある姉妹の通う学園。

 

「次は……クインヴェールの序列一位、『戦律の魔女(シグルドリーヴァ)』について。歌を媒体に様々な事象を引き起こす能力者で、世界的なアイドルとして有名だな。六学園最弱と言われているクインヴェール所属だけど、本人は『王竜星武祭(リンドブルス)』準優勝という経歴もあるかなりの実力者だ。本人の身体能力も相応に高そうなうえ、何より能力の汎用性が極めて高いから、実戦においてはどんな相手であってもある程度以上に闘えるだろうし、どんな作戦でも立てられるのが大きな強みだろう。逆に言えば、歌が能力の引き金になっている以上、彼女の歌を妨害することができれば闘いを優位に進められるかもしれないな」

 

映像を見た限りでは、彼女の能力はどんな事象でも引き起こせる可能性に満ちていたように見えた。メインで使うのは身体強化系と見られる歌と、煌式武装の攻撃力を上げる歌だが、それ以外にも多種多様な手札を持っているらしい様子がある。基本的に策を巡らせてから闘う聖夜としては、闘う機会があるかどうかは別にして、非常に厄介な相手となることは間違いない。歌を妨害する、あるいは利用するような戦法が必要となるだろう。

 

そして『王竜星武祭』といえば、その『戦律の魔女』すら下した、現役生ではアスタリスク最強と謳われている生徒がいる。

 

「――そして、忘れちゃいけないのがレヴォルフの序列一位、『孤毒の魔女(エレンシュキーガル)』。毒とも称されるほどの瘴気を操る能力者で、学生の中でも飛び抜けた実力を誇る、文句無しで現役トップクラスの………ユリスさん、どうかした?」

 

しかし、説明の途中でユリスの表情が明らかに、しかも良くない方へ変化したことで、聖夜は訝しげに話を中断した。何かを察した様子で、セレナが心配そうな眼差しを向けるが、やがてユリスはふるふると首を横に振って。

 

「――いや、すまない。続けてくれ」

 

明らかに、今の話題に対して何か思うところがあったようにしか見えないのだが、しかし本人が言いたくないようなのであれば、それを無理に聞き出すわけにもいかない。聖夜も努めて気にしない風を装って、わざと声に抑揚をつけて言った。

 

「ん、そうか。――とまあ、星武祭とかで闘う可能性のある序列一位はこんなものかな。アルルカントと界龍のところはどっちもあまり表舞台にでてこないから、今はまだ特に考える必要もないだろうし」

 

そうして、早々に話を切り上げる。聖夜達がここへ来た当初の目的である、綾斗の様子の確認も終えたことだし、あとはいくらか伝えることがあるだけだ。詳細はよく分からないものの、確かにユリスの地雷を踏んでしまった以上、この話を続けるのは得策ではない。

 

「あとは鳳凰星武祭で当たりそうな有力候補だけど……まあ、そのへんは二人も対策済みだろうから、わざわざお節介を焼くこともないね。――こんな感じのことくらいは考えてるけど、どうだろう、お眼鏡には適ったかな?」

 

ふっと笑い、聖夜がセレナに視線を向ける。突然話を振られた彼女は、ユリスへ向けていた目を丸くして、やがて取り繕うように微笑んだ。

 

「――ええ、そうね。ちゃんと考えてて偉いじゃない」

「いや母親か。ってか俺は子供か」

 

苦笑しながら聖夜も冗談を返すが、セレナがユリスのことを気にし続けていることにも、彼はちゃんと気付いていた。

 

ひとしきり苦笑した後、さて、と聖夜はおもむろに立ち上がり、軽く伸びをする。

 

「じゃあ、そろそろお暇させてもらうとするかな。担任の先生には事情を伝えてあるから、そこは心配しないでゆっくり休んでくれ」

「あっ、そうだったのか。ありがとう、聖夜」

「なあに、お安い御用さ。――ああそうだ、一応、俺は当事者に聞き取りをしに来たってことになっているから、そのあたり適当に合わせてくれると助かる」

 

じゃないとサボりになっちゃうからね、と軽く笑って。

 

「それじゃあお大事に。これからはあんまりお姫様に心配かけたらダメだぞ」

「そうね。天霧君、あまり困らせないであげて。ユリスって、こう見えて本当に心配症なんだから」

「なっ、セレナ、あまり余計なことを言うな……!」

 

目に見えて狼狽えるあたり、図星なのだろうと。どちらからともなく聖夜とセレナはくすりと笑い合って、トレーニングルームを後にした。

 

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

所変わって、聖夜のトレーニングルームにて。自分が淹れた紅茶の香りが漂うなか、彼はカップを口に運びながらセレナへ問いかけた。

 

「――ユリスさんと『孤毒の魔女』の間に、昔何かあったのか?」

「やっぱり……そう見えた?」

「そりゃ、あれだけ分かりやすければね」

 

やる事を終えたにも関わらず、セレナを連れてわざわざトレーニングルームに寄った理由はまさにそれだ。もっとも、これはただの好奇心からであって、聖夜が知らなければいけない理由はないし、言い難いようなことならば無理に聞くつもりもない。

 

「まあ、プライベートなことだから無理にとは――」

「――いえ、話しておくわ。いずれ必要になる情報かもしれないから」

「? それはどういう……」

「こうして伝えておくことが、いつかユリスのためになるかもしれないってことよ。……もし何かあったとしても、アンタが力になってくれるなら少しは安心できるから」

 

聖夜が聞き返そうとするのを視線で抑え、ティーカップに注がれた紅茶の水面を見つめながら、セレナは訥々と語り始めた。

 

 

 

「――昔、一人の小さな王女は、自分と同じように花を愛する孤児院の少女と出会いました。あまりお城の外に出る機会がなかった王女は、すぐにその少女と仲良くなりました」

 

「しかし、その孤児院にはお金がありませんでした。貧しかった孤児院は、ある統合企業財体から取引を持ちかけられ、それを承諾せざるを得ませんでした」

 

「その取引とは、孤児院の子供を一人、統合企業財体へ引き渡すというものでした。そして、その取引には、王女の友人が選ばれました」

 

「王女は何も知らなかったのです。彼女が気付いたときにはもう、少女はいなくなっていました。――友達を取り戻したくても、相手は統合企業財体です。王女には何もできませんでした」

 

「何年か経ったある時、王女は、かつての友人がアスタリスクにいると知りました。能力者でなかったはずの友人が、なぜか、強大な能力を行使しているということも、同時に知りました」

 

「そして王女は、自身もアスタリスクに行くことを望みました。―――かつての友人の身に何が起きたのか、そのすべてを知るために。そして、そんな悲しいことが二度と起こらないよう、祖国を統合企業財体の支配から解放するために、闘争の場へ身を投じたのです」

 

 

 

ゆっくりと話し終えて、セレナはどこか物憂げな瞳でゆるりと聖夜を見やる。その聖夜もまた、今しがた聞いた話に、驚きを隠せないでいた。

 

「そう、か……そんなことがあったのか」

「……私も、本人から聞いただけなんだけどね」

 

やり場のない感情を誤魔化すように、セレナはティーカップに口をつける。アールグレイの香りと温かさが染みわたって、そこでやっと、一息つくことができた。

 

「始めて知ったのは、だいぶ後だったんだけど……私も驚いたわ。同時に、ユリスがどうして統合企業財体を嫌うのかも理解したけれど」

「そりゃまあ、そんなことがあったら嫌わないってのが無理な話だよな……」

 

聞けば、彼女達の祖国であるリーゼルタニア公国は、現在では統合企業財体の意見がほぼ絶対の、いわば傀儡国家のような状態らしい。もっとも、リーゼルタニアに限らずとも、統合企業財体の影響が強い国々や組織において、統合企業財体の言葉に従わないという選択肢はそもそもありえない。そのため、ユリスが何もできなかったのも仕方の無いことではあったはずだ。

 

しかし、そうだとしても、彼女が抱くやるせなさや怒りは決して無くならない。それらがまざまざと想像できてしまって、聖夜はどうしようもなく、気付けばカップを持っていないほうの拳を握り締めていた。

 

「ユリスさんがどれだけ悔しかったか……それを提案しやがったのは、どの財体だったんだ?」

「フラウエンロープよ。目的は……分かるでしょう」

 

聖夜は微かに頷く。フラウエンロープは、六花におけるアルルカント・アカデミーの母体だ。とりわけ研究の分野で長けている学園の母体ともなれば、その目的も当然、実験体の確保であったのだろう。

 

「非能力者を能力者にする実験でもしてたってことか……?」

「いいえ、違うわ。――ユリスが言うには、出会った頃の『孤毒の魔女』は、そもそも星脈世代ですらなかったそうよ」

 

予想だにしていなかった事実に、聖夜は正しく絶句した。

 

「なっ………本当、なのか? 元は、星脈世代じゃなかったと?」

「そう。信じ難いけれど、本当のこと」

 

ということは、当時のフラウエンロープ、或いはアルルカントには、非星脈世代を星脈世代にするような、常軌を逸した実験を行う者がいたということになる。

 

「その実験は、『大博士(マグナム・オーパス)』という人物が主導していたの。――名前くらい、聞いたことあるでしょ?」

「……ああ」

 

こちらに来たばかりの聖夜でも知っているような、アルルカント所属の有名な研究者だ。――有名なのは何も研究成果だけでなく、人の心など欠片も感じられないような、非道な実験内容も含めて、だが。

 

だが、フラウエンロープで実験を受けていたのなら、『孤毒の魔女』はアルルカントに所属しているのが自然なはず。

 

「しかし、それじゃあ、なんでまたレヴォルフの序列一位になってるんだ?」

「経緯は知らないけれど、なんらかの取引があって、彼女の身柄がソルネージュに渡ったんじゃないかってユリスは言ってたわ。……私も、序列一位になった『孤毒の魔女』によって、新しい生徒会長にあの『悪辣の王(タイラント)』が指名されているあたり、何かしらあったのは間違いないと思う」

 

レヴォルフの生徒会長の決定には、独自に、序列一位による指名制がとられている。セレナの言う通り、時系列を考えると、『悪辣の王』が『孤毒の魔女』を利用したと考えられるようなタイミングでの指名だったのは事実だ。

 

ともあれ、ユリスと『孤毒の魔女』の間に浅からぬ関係があり、それをセレナがわざわざ聖夜にも伝えたということは、聖夜もある程度心構えをしておいたほうがいいということだろう。なにせ、聖夜はもうセレナのパートナーなのだ。彼女が抱える問題は、同時に彼の問題でもある。少なくとも、聖夜の方はそう解釈している。

 

カップに少しだけ残っていた紅茶をゆっくり飲み干し、彼は緩く溜め息を吐いた。

 

「なんとも嫌な話だ。――まあ、何かあれば力になることを約束するよ。その時は遠慮なく言ってくれ」

「ありがとう。――何事もないのが、一番なんだけど」

 

諦めたような、どうにもならないような、セレナのそんな口ぶりからは、いつか訪れる波乱を聖夜に予感させるには充分だった。

 

 

 

 



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第三十二話〜場違いなリゾートロケーション〜

 

「ああ、その……すまない、ちょっと副会長に呼ばれててさ。質問はまた後日に」

 

先日の決闘の際に破損してしまった校章の代わりを受け取るため、聖夜はクラスメイト他からの質問攻めをなんとか躱して、放課後の校舎を足早に歩いていた。

 

(この後遊びに行くから、できれば早めに終わらせたいけど……にしても、なんでまた、わざわざこんな所を指定されたんだか)

 

メモ代わりにしていた携帯端末に、ふと目を落とす。指定された時刻にはまだ余裕があるが、その場所が事務局の窓口ではなく、はたまた生徒会室でもなく、『プライベートルーム』となっていることに、聖夜は改めて疑問を抱いた。

 

(何代か前の会長が趣味で作らせた部屋、っていうのだけはちょっと聞いたけど……どんな部屋なのかはまるで知らないんだよなあ)

 

それに、指定してきたのが時雨であるということも聖夜にとっては懸念材料である。良からぬことを企んでるんじゃなかろうな、と一抹の不安を感じながら、聖夜は辿り着いた目的の部屋を前に緩い溜め息を吐き、ゆっくりとその扉を開いた。

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

扉を開けた聖夜がまず感じたのは、春先にしては少しばかり暖かい空気。そしてそれ以上に、「ここはどこだ」という至極単純な疑問だった。

 

「………」

 

目の前に広がるのは、南国のリゾートと例えるに相応しい雰囲気のプールと、その周辺に点在するいくつかのパラソルやサマーベッド。どう見ても相当な費用がかかっていそうな感じを受けるが、しかしいくら『プライベートルーム』とはいえ、学園内に存在するにしては、この南国感は些か違和がありすぎる。

 

――そして、さも当たり前のように水着を着用し、サマーベッドに寝そべりながら、優雅に空間ウインドウを開いている二人の少女。豊かな金髪と艷やかな黒髪をたずさえる彼女達は、言うまでもなく、現生徒会のツートップである。聖夜の姿に気付いて、時雨がサマーベッドから上体だけを起こしながら、微笑をたたえて声をかけた。

 

「――随分早かったね、聖夜」

「ああ、まあ――ちょっと質問攻めに疲れていたもんだから。お疲れさま、二人とも」

 

とりあえずの礼儀として、時雨とクローディアの双方に挨拶し、聖夜は改めて室内を見渡した。

 

「……にしても、すごいなこの部屋。これ作った代の会長、控えめに言ってバカだろ」

「まあまあ、そう言わず。使ってみると存外に快適ですよ?」

「そりゃ、息抜きには最適だろうが……」

 

それにしたって、なぜこんな部屋を学園内に作ろうと思ったのだろうか。凡人には理解できない感覚だ、と聖夜は程なくして考えるのを諦め、時雨の横にあるサマーベッドに腰掛ける。時雨が再び寝転びながらドリンクを勧めた。

 

「ジュースはご自由にどうぞ。お代わりもあっちにあるわ」

「おう、サンキュ。本題は綾斗も来てからか?」

「ええ。それでもよろしいですか?」

 

こくりと頷く。予定はあるが、かと言って時間が押しているというわけでもない。綾斗を待つ余裕は充分にあるという判断だ。

 

羽織っていたブレザーを脱ぎ、聖夜も二人の真似をしてベッドへと寝転がって、そっと目を閉じた。じんわりとした心地よさが彼を包み込む。

 

「―――なんか、こんな風にだらけるのも久々かも。悪くないな」

 

アスタリスクに来てからはもとより、それ以前にも、こんなリゾートのような場所でゆっくりする余裕は無かった。忙しない生き方をしてきたんだな、と聖夜は今更ながら自分の人生に驚きつつ、暖かな空気に身を委ねる。

 

 

そうして時間を忘れてのんびりすること、しばし。とりとめの無い雑談を繰り広げていた彼らの耳に、扉の開く音が届いた。

 

「お邪魔します。って、これは……?」

 

次いで響く明らかに困惑した声に、聖夜は先程の自分を思い出して、くすりと微笑んだ。大きく伸びをして上体を起こし、呆気にとられている綾斗へ体を向ける。

 

「生徒会のプライベートルーム、だとさ。お疲れさん」

 

同じように困惑しているのだろうな、と。ちょっと同情の念が湧いて、聖夜は真っ先に声をかけた。見知った顔を見て、綾斗の困り顔がわずかに和らぐ。

 

「あれ、聖夜も呼ばれてたのかい?」

「まあ……校章ぶっ壊したのは俺も同じだからな」

 

あなたはわざとでしょ、と時雨も起き上がりながら、しらっとした目を彼に向ける。事実ゆえ返す言葉もなく、聖夜はただ苦笑しながら、サマーベッドから立ち上がってドリンクの置いてある方へと視線を向けた。

 

「綾斗も少し休んでおきなよ。今、飲み物取ってくるからさ」

「あっ、それ私の仕事ー!」

「そんじゃ少し手伝ってくれ。クローディア、君のも持ってこようか?」

「あら、いいのですか?」

 

慌てて立ち上がった時雨が、ぱたぱたと聖夜の後を追っていくのを眺めつつ、綾斗は促された通りに空いているサマーベッドへ腰掛ける。次いで、このあまりにも場違いな南国風の部屋を見渡し、呟いた。

 

「それにしても……凄いね、この部屋」

「数代前の会長が作らせたようですよ。無駄遣いではありますが、かといって使わないのも勿体無いでしょう?」

 

クローディアもまたサマーベッドに横座りして、こてんと首を傾げながら答える。その様子が、肌色多めなビキニ姿から醸し出される妖艶な雰囲気とは、全く真逆のように可愛らしくて、綾斗は困ったように視線を逸らし、笑うしかなかった。

 

だが、クローディアはそんな綾斗を逃さない。いたずらっぽく、綾斗の方へと歩み寄って。

 

「そうそう。私のこんな姿、綾斗はどう感じますか?」

「どう、って……」

 

彼が返答に窮するのも無理からぬこと。白い肌が眩しいクローディアの姿は、その恵まれた身体つきも相まって、男子高校生には些か刺激が強かった。

 

笑顔と共に無言の圧力をかけるクローディアと、なんとかこの場を無難に切り抜けられないかと視線を合わせないようにして悪あがきする綾斗。だが、そんな一方的とも言えるような根比べは、ドリンクを持って戻ってきた聖夜によって終わりを迎えた。

 

「こらこら、男子高校生の純情を弄ぶんじゃありません」

「あら、すみません。綾斗の反応が可愛らしかったもので、つい」

 

大して悪びれる様子もなく、クローディアがころころと笑いながら綾斗から離れる。安堵のため息を吐いた綾斗に、聖夜が苦笑しながらドリンクを手渡した。

 

「大変だな、色男も」

「はは……聖夜もからかわないでよ」

「半分くらいは本音なんだけどねえ」

 

ひと息つくように、綾斗はドリンクに口を付ける。甘さの中からほんのり刺激してくる酸味、そしてドリンク自体の冷たさが、変に緊張していた彼の心身を多少ほぐしてくれた。

 

ただし、そんな綾斗の苦労を知ってか知らずか、時雨もまた、クローディアの言動から思い付いた、ちょっとしたちょっかいを男性陣にかけようとしていた。ねえねえ、と可愛らしく、彼女は綾斗と聖夜の視界に自身の身体を割り込ませて。

 

「ふっふーん。クローディアもいいけど、私もなかなかお洒落だと思わない?」

 

そうして自慢げにポーズを取りながら時雨が問いかけた。彼女の水着は水色を基調としたもので、パレオやフリルも着いていることからクローディアと比べて肌色の面積こそ少ないものの、彼女のすらっとしたプロポーションは存分に際立っている。艶のある長い黒髪も、水を含んで、まるで宝石のようにきらきらと輝いていた。

 

クローディアにくっつかれて間もなかったために動揺が残っていた綾斗だったが、それでもすぐに時雨へと(少々視線は泳ぎ気味だったものの)、今度はちゃんと顔を向けて。

 

「うん、風鳴さんもすごく似合ってるよ」

「やだー、天霧君ったらイケメン。ほらほら、聖夜も何かないの?」

 

悪戯っぽく笑いかけてくる時雨に、聖夜はふむと思案。確かにこの上なく似合っているとは思うのだが、それをそのまま言うのもどこか負けた感じがするな、と。

 

そうだな、と顔を上げ、からかうように笑った。

 

「そうやって水着の美少女が二人並んでると、やっぱりスタイルの差が目立つな」

 

そう言って、彼はわざとらしく時雨の胸元にちらと視線を向ける。その意図はすぐに彼女にも伝わったのだろう、時雨は笑顔のまま、しかしぞっとするほど底冷えする声で呟いた。

 

「へえ……いい度胸してるじゃない」

「いやいや、控えめでもいいと思うよ? 別に自分が気にしなければいいわけでむしろ……って痛い痛い」

 

膨れっ面を浮かべて、影で作った鎖をぺしぺしとぶつけ始める時雨と、苦笑しつつそれから逃げ回る聖夜。そんなコントのような光景を前に、綾斗とクローディアはどちらからともなく吹き出した。

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「―――で、本題はなんだったっけ?」

 

しばらく一方的な鬼ごっこを繰り広げていた聖夜達だったが、時雨の気が済んだであろうタイミングを見計らって、何事もなかったかのように聖夜がそう口を開いた。ああ、とクローディアも手を打って。

 

「すっかり忘れていました。校章を渡すために呼んだのでしたね」

「嘘だぞ絶対忘れてなんかなかったぞ」

「ふふ、お二人が楽しそうでしたから、つい」

「はは……」

 

どこか呆れ顔の聖夜と、苦笑する綾斗をよそに、彼らと向かい合うようにして座っていたクローディアが、水着の胸元から校章を取り出した。

 

――そう、胸元。繰り返すが、彼女の服装はビキニタイプの水着である。当然、胸元にポケット等の収納スペースはない。一体どこから取り出したのだろうか、少なくとも聖夜は、彼女が自身の胸元の谷間に指を伸ばしたところまでは意図せずして見てしまったが、反射的に目を逸らしたその後のことは努めて考えないようにすることにした。

 

差し出されたそれを受け取りながら、しかし明らかに動揺の色を隠せていない綾斗は、恐らく一部始終をほぼ見てしまったのだろう。気の毒に、とその様子を横目で見ながら、聖夜もサマーベッドに再び腰掛け――直後、まさかといったような表情で時雨の方へ顔を向けた。

 

だが、その表情が意味するところを汲み取った時雨は、彼女にしては珍しく慌てた様子で頭を振った。

 

「やっ、私はあんな事しないからね?」

「いや、まあ……それでいいんだけど、時雨って妙なところでちゃんと恥ずかしがるよな」

 

からかったり、時には大胆にも自室に誘ってみたりする癖して、なかなかどうして人並みの羞恥心はきちんと持ち合わせているらしい。もっとも確かに、今しがた見たようなクローディアの大胆さや度胸は、時雨でなくともそう簡単に真似できるものではないだろうが。

 

そんな聖夜の考えがどこかお気に召さなかったらしく、むう、と軽く唇を尖らせる時雨から校章を受け取って(ちゃんとテーブル上にあった可愛らしいポーチにしまってあった)、聖夜はそれを慣れた手つきでブレザーに取り付けつつ、再び綾斗達の方へ顔を向ける。ちょうどそのタイミングで、綾斗もクローディアへ質問をぶつけていた。

 

「そういえば――どうしてこんな部屋があるんだい?」

「そうですね……泳ぐため、あるいはリラクゼーションを目的に作ったのではないでしょうか?」

 

発言の意図を掴みかねたのだろう、クローディアが小首を傾げながらも答えると、綾斗は少し考えた後に。

 

「えっと……ほら、ここは近くに湖があるだろう? 泳いだりするなら、そっちに行けばいいだけなんじゃないかなって思って」

「ああ、そういうことですか」

 

確かに、と聖夜も綾斗の考えを肯定するように頷いたのだが、クローディアと時雨の二人は、納得したような、腑に落ちた表情を浮かべていた。ということは、湖をそういった目的に使用できない理由があるのだろうか。

 

クローディアがおもむろに立ち上がって、大きな窓の外、眼下に広がる景色を見やりながら、すぐそばのプールサイドに腰を下ろす。彼女の白磁のような長い脚が、ちゃぷん、と涼しげな音を立てて水面に沈んだ。

 

「ここの湖は遊泳禁止なんです。特に万応素(マナ)の濃度が高い場所の一つですので。それに、最近は物騒な話も増えていましてね」

「『変異体』も何体か確認されてるし、あそこはちょっとした危険地帯なの。最近だと、水中に何か巨大な影を見たとかって話も――」

 

時雨もまた、クローディアの説明を補足するように、おもむろに歩き出して――言い切る前に、やってしまったというような表情で聖夜の方へと振り向いた。その様子を訝しく思った綾斗もまた、つられるように聖夜へ視線を向けると、彼はどうしてか、まるで好物を前にした子供のようにきらきらと目を輝かせていて。

 

「『変異体』に、水中の巨大な影……なるほど、なるほど」

「ちょっと聖夜、一応言っておくけど遊泳禁止エリアだからね! 勝手に入ろうとか考えないでよ」

 

何かを察したらしい時雨が咎めるように声を飛ばしたが、聖夜はそれを薄い笑みで躱す。

 

「まあまあ。ほら、遊泳禁止っていっても、ある程度近付くことはできるわけだし。そこで怪しい生き物を見つけたとして、興味本位で、あるいは防衛本能で生態調査をする分には構わないわけだ。――その過程で偶然、たまたま、湖に入ってしまったとしても、まあそれは遊泳とは言わないし、例え禁止事項だとしても、結果的に調査が進めば喜ぶ人もいるだろうし、許してくれるだろ多分」

 

だから問題ないな、とトンデモ理論を展開する彼に、時雨は呆れたような溜め息を一つ。

 

「やっぱりこうなったかあ……迂闊なこと言っちゃったわ」

 

時雨は、聖夜が過去に『狩人』として生きていたことを、彼からの伝聞のみではあるが知っている。未知の環境や生物に対して並々ならぬ興味を抱き、果てにはその未知を解明せんとしがちな彼の性質も、共に過ごしてきたなかで理解しているつもりだ。

 

故に、こうなってしまった聖夜を止めるのは非常に困難だということも分かっていた。せめてもの抵抗として、彼女は釘を刺すように言い加える。

 

「……それなら、せめて行くときは一言ちょうだい。一応、上にも通しておいてあげるから」

「えっマジか、それ最高だわ。サンキュー!」

 

しかし、嘘偽りのない感謝を向けられ、「いつ行こっかなー」と心底楽しそうに予定を確認する聖夜の姿を前にしては、仕方ないか、と時雨も笑うしかないのだった。

 

「……二人の関係性、ますます分からなくなってしまいましたね」

 

揶揄うようなクローディアの呟きを、時雨はあえて聞かなかったことにする。下手に掘り下げられたところで、時雨と聖夜の関係性というのは、本人たちにとっても酷く曖昧で、とても言語化できるようなものではないからだ。男女の関係ではなく、さりとてただの友人関係でもない。かつて閉ざされた心を救われた者と、救い出した者。あるいは、互いの生い立ちに歪な共感と依存心を向け合い、その傷跡を舐め合うような――およそ健全とは言い難いこんな関係を表す言葉を、少なくとも時雨は持ち合わせていない。

 

もっとも、クローディアのほうも、誰もその独り言に答えようとしないと悟ったのか、そもそも最初から答えを求めていなかったのか、すぐに笑顔を浮かべて。

 

「さて、本題は済んだわけですが、折角ですので――どうでしょう、二人も少し泳いでいきませんか?」

 

こう誘った。その言葉に、聖夜はふむと思案する。

 

「そうだな、お誘いはありがたい……」

 

しかし、綾斗を見るクローディアの目に、隠しきれていない期待の色を認めた聖夜は、残り少なかったドリンクを一気に飲み干して立ち上がった。

 

「……けど、俺は遠慮しておくよ。この後、ちょっと予定があるものだから」

「あら、そうだったんですね。残念です」

「すまない。――綾斗はどうする? せっかくだからリラックスしていくのもいいと思うけど」

 

そうして、さりげなく綾斗を誘導する。もともと残ってもよいという気持ちがあったのだろう、聖夜の予想通り、綾斗は少し考えてから。

 

「そうだね。もう少しゆっくりしていくことにするよ」

「そりゃいい。それじゃ、俺はそろそろお暇させていただくけど――時雨、ちょっと話したいことがあるんだけど、どうせなら途中まで一緒に帰らないか?」

 

突然の提案に、時雨は驚きを隠せないようだった。それでも、聖夜が急にこういうことを言う時は何かしらの考えがあるのだと経験上理解している彼女は、すぐに居住まいを正して応える。

 

「えっ? まあ、いいけど……着替える時間、もらってもいい?」

「もちろん。その可愛らしい水着姿を衆目に晒したくはないからな」

「なあにそれ。あなた、そんなキャラじゃないでしょ」

 

くす、と笑いをたたえて、時雨が早歩きで更衣室へと歩いて行く。聖夜もまた、放り出していたブレザーを拾い上げ、ぱぱっと手で軽く身だしなみを整えてから、綾斗とクローディアの方に顔だけ向けて。

 

「それじゃ、今日のところは失礼する。綾斗、星武祭は互いにベストを尽くそう」

「ああ。もしどこかで当たったら、そのときはお手柔らかに」

「こちらこそ。――なるべく当たらないことを祈ってるよ」

 

冗談抜きに、彼らのペアと当たってしまったとしたらそこで終わりかねない。内心本気で「当たるなよマジで……」と唱えながらも、聖夜はそれを悟られないように背を向けて、更衣室の方へ時雨を迎えに行った。

 

 

――ちなみに、綾斗はこの後すぐに、クローディアによってプールに引っ張りこまれたようだった。綾斗の悲鳴と、クローディアの愉快そうな笑い声が、部屋から出ようとした聖夜達にも確かに聞こえてきて、二人は顔を見合わせて笑みをこぼした。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「悪いな。急がせて」

「構わないわ。……あのまま残っていても、クローディアの邪魔しちゃうだけだし」

「なんだ、分かってたのか」

 

急いで支度を整えたためか、未だ完全には乾ききっていない彼女の豊かな黒髪を、聖夜は自前のタオルを取り出して優しく拭う。慈しむような手つきに、「ありがと」と時雨も甘えるように身を委ねて、歩む速度を緩めた。

 

「クローディアって意外と乙女なの。生徒会室でも、結構な頻度で天霧君の話が出てくるくらいにはね。――私相手のときだけだとは思うけど」

「ほう? じゃあやっぱり、クローディアの想いは本物かー」

 

ここ最近の聖夜の見立て通り、やはり彼女はただ綾斗を揶揄っているだけというわけではないらしい。クローディアは、確かに綾斗への恋心を抱いているようだ。

 

「そ。だから、せめてそれを知ってる私達くらいは協力してあげないとね」

「意外と、時雨って人の色恋沙汰に敏感だよな。……人のこと言えないけどさ」

 

聖夜もまた、他人の色恋沙汰を眺めるのは好きなほうだ。特に、綾斗のような、あまりそういったことに慣れていなさそうな人物を巡る恋愛模様は、見ていて焦れったくなるようなあの感覚が実に良い。

 

――などと、思わず話が盛り上がってしまったが。聖夜には、時雨を連れ出した理由がもう一つあった。おおかた拭き終わったタイミングを見計らって、聖夜は話題を変えた。

 

「……っと、そうだった。一つ頼みがあるんだけど」

「ん、なあに?」

 

突然の話題転換に、しかし一切気分を害することなく、時雨はタオルを受け取りながら顔だけ振り向いた。髪を拭いてもらってご満悦らしく、頬が少し緩んでおり、声音も明るい。それを微笑ましく思いながら、聖夜は彼女に頼みごとを告げた。

 

「暇な時で構わないんだけど。とりあえず星武祭の前くらいまで、剣の稽古をつけてくれないか?」

 

能力、純星煌式武装等を含めた総合的な戦闘力ならともかく、剣術に関しては、聖夜と時雨には大きな差がある。彼女とは今まで幾度となく手合わせをしているが、剣同士の手合わせでは聖夜の勝率が二割にも届いていないということが何よりの証拠だ。

 

それは時雨も分かっていたのだろう。「なぜ自分に?」ではなく、「なぜこのタイミングで?」と彼女はしばし考え込み、程なくして納得した。

 

「ああ――そういうこと? ふふ、相変わらず負けず嫌いなんだから」

「……まあ、否定はしない」

 

あっさりと思惑を看破され、揶揄われた聖夜は小さく肩を落とした。

 

「あれだけ良いようにされちゃあな……駄目元だったとはいえ、自信なくすぜ」

「よく持ちこたえた、って褒めてあげたかったくらいだけどね」

 

気を落とす聖夜を慰めるように、時雨が彼に一歩近付きながら声をかける。褒めてあげたかった、というのは紛れもなく彼女の本音だ。

 

「一度見たくらいで対応できるほど、彼女の――序列一位の技は甘くない。でも、それを凌いで、きちんと逆転にまで持っていったあなたの適応力だって、ちゃんと凄まじいものなんだから」

「そう言ってくれるのはありがたいけど……」

 

もう、と優しい表情で、時雨は聖夜の頬をつついた。

 

「自信持ちなさいな。あなたの剣術はまだまだ発展途上なんだから、ね?」

「……そうだな。今回の負けを糧に、精進しなければ」

「そうそう。だからこうやって私に頼んだんでしょ? 喜んで練習相手になってあげるから」

「ありがとう」

 

率直な感謝の言葉を聞いた時雨は、たんっ、と聖夜から一歩距離を取り、そして振り向く。その顔には嬉しさからくる微笑みが浮かんでいた。

 

どうしたんだ、と視線で問う聖夜に。

 

「――ふふ、やっとワガママ言ってくれた。今までずーっと私のワガママに付き合わせちゃってたから、ちょっと申し訳なかったのよね」

「マジ? 俺は別に気にしたことなかったけど……まあ、そうさな」

 

時雨の言うところのワガママを苦に思ったことはほとんどない。今回、聖夜が柄にもなく、見返りのない頼みごとができたのは、むしろ。

 

「……仲間を頼れるようにならないと、って。ほら、言ってたからさ」

「あっ……そう、か。ちゃんと心掛けてくれているのね」

「心に刺さる言葉だったから」

 

言うのもなんだが、聖夜は人を頼ることがあまり得意ではない。というよりも、人を自分の都合に巻き込むことに抵抗感がある、という方が正しいのかもしれない。ゆえに、今しがたの頼みごと、その程度でさえ、以前の聖夜ならばできなかっただろう。

 

仲間を頼れるようにならないとね――その言葉をかけられたから、そしてその言葉にどこか感じるところがあったからこそ、聖夜は。

 

「ま、ちょっとずつだけど。これを機に、もう少し仲間を頼るようにしてみるさ」

「―――うん、そうね」

 

彼の変化は、共にいる時間の長い時雨にも分かったのだろう。彼女が浮かべた、滅多に見せないような無防備な微笑みが、聖夜の瞳にひどく美しく映った。

 

 

 



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