日常にひとさじの魔法を (センセンシャル!!)
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プロローグ 新しい日常の始まり

 憂鬱だ。

 何はともあれそう思う。ため息こそ出なかったものの、吐きたくはあった。

 

「やっぱり陸上部がいいんじゃないか? お前、意外と体格はいいから、いい記録狙えると思うんだが」

 

 目の前で椅子に座っているジャージ姿でひげ面の中年男性。僕のクラスの担任が、自分が顧問を務める運動部を懲りもせず勧めてくる。

 辟易としながら、出来るだけそれは表情には出さず、首を横に振る。向こうはため息を隠さずについた。ずるい。

 

「あれもダメ、これもダメじゃ、出来る部活動がないじゃないか。そんなんじゃ社会に出たあと苦労するぞ」

「……無所属じゃダメなんですか」

「最初に説明しただろ? 部活動所属は校則だ。嫌なら生徒会長になって校則を変えろ」

 

 僕が入学した「雲谷東高校(もやひがしこうこう)」は、一年生のクラブ活動が義務付けられている。二年以降になれば無所属も可能らしいけど、あいにく僕はピカピカの高校一年生だ。

 今は5月。入部届の締切はとっくに過ぎており、いまだに帰宅部を続けている僕は、こうして教員室まで呼び出しを喰らってしまった。

 部活動をやりたくないから帰宅部をしているのに、どうしてこんな校則があるんだ。意味が分からない。

 

「何でですか」

「何年か前の生徒会長が決めたからだよ。「顔見知りの少ない一年が円滑に交流を取るため」ってお題目だけど、意義は人それぞれだ。自分で考えろ」

 

 だったら尚更僕には必要ない。僕はそもそも人と関わりたくないんだ。全くの交流なしは無理だけど、それでも出来るだけ一人でいたい。

 だけどこんなことを担任に伝えても「バカか」って返されるのは分かってる。だから何も言わない。

 

「あー、そんなに運動部は嫌か? お前ならどこ入っても活躍できそうでもったいないんだけどなぁ」

「……好きで体を鍛えてるわけじゃありません。どうしても入らなきゃいけないなら、出来れば文化部でお願いします」

 

 僕が体を鍛えているのは……そうしなきゃいけないから。自分の肉体だけで何とか出来なきゃいけないから。過去の失敗を繰り返すわけにはいかないからだ。

 別に運動が好きというわけではないし、むしろ嫌いだ。何で好き好んで自分から疲れなきゃいけないのか分からない。運動部はマゾヒストの集まりだ(大いなる偏見)

 僕らの担任は「しょうがねえなぁ……」と不満そうにつぶやく。こっちこそ、運動部の一点押し(特に陸上部)に不満たらたらだ。見た目で判断しないでほしい。

 

「文化部で大きいところっつったら、料理部、手芸部、美術部、吹奏楽部、軽音楽部、こんぐらいかね」

「……この学校は、魔術部が一番大きいんじゃないんですか? 入学案内にも書いてましたけど」

「お前、魔術部に入る気か? やめとけやめとけ。あんな部に入ったってろくなことねえよ。無駄にプライド高い奴らばっかで、何も身にならねえ。根暗が加速するだけだ」

 

 「臭う」とでも言わんばかりに手をパタパタさせて顔をしかめる担任。よっぽど魔術部が嫌いらしい。……そういえば、うちのクラスに魔術部所属はいなかったっけ。先生のせいだな。

 

 この世界には大きく分けて三つの「魔法」――正式な呼び方は「非科学的技術能力」――が存在するとされている。魔術部はその名の通り、「魔術」という分類の魔法を研究する文化部だ。

 魔術の定義は「儀式によって意図した結果を得る非科学技術の総称」。一定の手順を踏むことで科学的な法則に縛られない現象を生み出す技術だ。

 儀式と言っても種類や規模は様々で、口頭のみで行う簡易儀式(一般的には呪文と呼ばれる。僕はこれしか見たことがない)もあれば、数人がかりで祭壇を囲む大儀式なんかもあるそうだ。

 特徴は「理論上誰でも習得が可能」ということ。他の魔法と違って、先天的要因が技能行使に及ぼす影響が非常に小さい。儀式を正確に理解できれば、生後間もない赤子や動物にだって使える。理論上は、だけど。

 世の中そう上手くは出来ておらず、魔術習得には儀式を理解するための知能が必要になる。これが結構難しいらしくて、簡単な口頭儀式ですら高校数学程度の難易度があると言われている。

 だからなのか何なのか、魔術を扱える人っていうのはどうにも知識自慢が多い。先生の魔術部嫌いも珍しい反応というわけではない。……教師としてそういう差別はどうなんだろうと思うけど。

 

 雲谷東高校は、私立としてはそこまでレベルが高い学校ではない。だけど魔術部の規模が比較的大きくて、それ目当てに入学する生徒もいるって話だ。

 先生の反応からして、やっぱり魔術部が一番大きい文化部なんだろうな。……入る気はないけど。

 

「偏見で物を言われては困りますね、羽山(はるやま)先生」

「……出たな、万年引きこもりインケンオタクメガネ野郎」

 

 スラッとした体格にスタイリッシュな眼鏡で、元々キツい顔つきがよりキツく感じる数学教師。隣のクラス担任でもある、魔術部顧問の先生だ。

 彼の登場に僕らの担任は「ケッ」と吐き捨てるように悪態をついた。

 

「冬木(ふゆき)です。偏見と私怨に満ちた不愉快な呼び名で呼ばないでいただけますか?」

「うっせ、事実だろ。薄暗い部屋に閉じこもって毎日毎日アヤシゲな儀式やってんだ。少しは日の光浴びて健康になりやがれ、もやし男」

「やれやれ、魔術の高尚さを理解出来ない男が教師をやっているという事実に頭痛がします。……君はそうではないですよね、坂上(さかがみ)君」

 

 名を呼ばれ、反応に困る。多分精一杯にこやかな顔で勧誘しているつもりなんだろうけど、元の見た目がキツ過ぎて威圧感がある。

 

「我々魔術部は、初心者だからと蔑むことはありません。同じ目標、魔術の向上を目指す同志として、暖かく迎えますよ」

「あの、僕は……」

「おうこらオタメガネ。こいつはうちの生徒だ。他所のクラスに介入してくるんじゃねえよ」

「坂上君は魔術部に興味を持っているようですが。ならばあなたではなく、魔術部顧問である私が話をするべきなのでは?」

「こいつはンなこと一言も言ってねえだろうが。自分の都合のいいように考えてんじゃねえぞ、魔術オタク」

 

 一触即発。間に挟まれた僕は居心地が悪くて仕方がない。二人の間にどんな因縁があるのか知らないけど、他所でやってほしい。

 ……話の腰が折れてしまったし、もういいよね。これ以上僕がここにいる理由はないはずだ。

 

「あの、やっぱりまだ決められないので! 今日はこの辺で失礼します!」

「あ、ちょ、こら坂上! まーだ話は終わってねえぞ!」

「坂上君、君達の担任に遠慮することはありません。魔術部は君を待っていますよ!」

 

 僕は出来る限り速やかに担任用教員室を脱出した。決して、決して逃げたわけではない。いる理由がなかった、ただそれだけだ。

 

 

 

 

 

 坂上透(さかがみとおる)、高校一年生。特技なし趣味なし、ごく個人的な事情で体は鍛えるようにしているだけの、平凡極まりない何処にでもいるような男子。それが僕だ。

 中学でも特に部活動には所属せず、友達もいなかった。いや、作らないようにしてた。なるべく一人でいたかったから。

 おかげで今ではすっかり根暗キャラが板についてしまい、高校に上がってから今まで、クラスメイトとまともな会話をしたことはない。別にそれでいいんだけど。

 そんな僕だから、陸上にも魔術にも興味はない。羽山先生が勧めた部活動のどれにも興味をそそられない。……興味があっても、人が多いような部には所属したくない。

 先生のあの様子じゃ、僕が部に所属するまで毎日呼び出しをかけるだろう。ぶっきらぼうな物言いの人だけど、生徒のことは本気で思ってる。一ヶ月の付き合いでそれぐらいのことは分かってる。

 だけど……やっぱり、部活はしたくない。出来るだけ人とは関わらず、授業が終わったら真っ直ぐ家に帰りたい。先生には悪いと思うけど。

 

「……幽霊部員できそうなのは、文芸部かな」

 

 中学のときも帰宅部連中が「部活に所属しています」という体を出すためだけに所属していた部の筆頭。まさか僕がこの手を使う日が来るとは、夢にも思っていなかった。

 真面目に活動してる文芸部員からしたら噴飯ものだろうけど、やっぱり文芸部は隠れ蓑としてはうってつけだと思う。実績が分かりにくいから、実際に活動してなくても分からない。

 この学校にも文芸部はある。あまり話題に上ってないから、活発な部ではないんだろう。それなら多分、幽霊部員も通用するはずだ。

 とはいえ、活動状況は見ておいた方がいいかな。もし安易に所属して、実は毎日出席が必要でしたってなったら意味がない。僕は一人でいたいんだから。

 

「部室って何処だろ……図書館かな?」

 

 また独り言。こうなる前は結構話をするのが好きだったせいか、周りに誰もいなくてもつい口に出してしまう。これもまた、僕が根暗キャラたる所以だった。

 何はともあれ図書館に行って調べよう。活動場所がそこじゃなくても、部室の場所ぐらいは分かるだろう。

 そう思って、再び歩き出す。

 

 

 

「見つけた! 見つけたわよ、坂上君!」

 

 "彼女"から声をかけられたのは、ちょうどそんなタイミングだった。

 振り返ると、見るからに活発だと分かる、茶色みがかった髪をポニーテールにした女子生徒の姿。走って来たのか、膝に手をついて息を切らせている。

 知った顔だった。僕のクラスメイト。話をしたことはないが、いつも明るく笑っている、人の輪の中心にいるような子だ。……意図的に人を遠ざけている僕とは対極だな。

 

「……何か用、大西さん」

 

 僕は彼女――大西明音(おおにしあかね)さんに、問いを投げる。努めて感情が乗らないように、平坦に。プラスもマイナスもないように。

 だけど彼女は、そんなことは関係ないとばかりに明るい笑顔。運動直後で流れた汗が、爽やかにきらめく。

 

「そろそろ先生との話終わったかなーと思って職員室行ったらいなくなってるし! 探すのに苦労したわよ、まったく!」

「……僕は「何か用」って聞いたんだけど」

 

 マイペースな子だった。それも不愉快な感じじゃなくて、僕の気分を上げるためにあえてそうしてる感じ……だと思う。もしかしたら素なのかもしれない。

 だけど、それに乗っちゃいけない。僕は、出来るだけ関わりたくないんだ。彼女とも。

 

「あ、ごめんね。あたしってばついつい自分のことばっかりしゃべっちゃって、人の話を聞きなさいっていつも怒られててさ。気分悪くしたらごめんね?」

「別にいいよ。……そろそろ質問に答えてほしいんだけど」

 

 「そうだった!」と手を叩く大西さん。……彼女みたいな人気者が、僕みたいな根暗野郎に、一体どんな用事だろうか。それは純粋に気になった。

 気になったけど、表に出さない。気にしちゃいけないし、気にされちゃいけない。ただ遠くから観測するように、僕は彼女の先を待った。

 

「えーっと、そうね。まず確認なんだけど、坂上君ってまだどこの部にも入ってないのよね?」

「……そうだよ。今日もその件で呼び出されたんだし」

「で、決めちゃった?」

「……まだだよ。文芸部あたりにしようかなって考えてはいるけど」

 

 察するに部員勧誘か。けど、奇妙な違和感がある。なんで一年生の彼女が、ほとんどの生徒が所属を終えたこの時期に、わざわざ僕を勧誘しに来てるんだろう。

 そもそも、彼女は何処の部に所属してるんだろう。彼女自身は運動部っぽいけど、この時間に制服姿なら運動部ということはなさそうだし、ちょっと想像がつかない。

 僕の答えを聞いて、彼女はずいっと一歩前に出た。……気恥ずかしくなって、彼女から目線を逸らす。もちろん、悟られないようなるべく自然に。

 

「つまり、まだ無所属ってことよね?」

「……そうだって言ってるだろ。それが何?」

「だったら! 文芸部の前にあたしの話を聞いて! お願い、このとーり!」

 

 パシッと両手を顔の前に合わせ、深々と頭を下げる大西さん。そこまでしなくても、話を聞くぐらいはする。もちろん、どんな内容でも断るつもりだけど。

 彼女の熱心な様子からして、どう考えても幽霊部員は無理だ。活動内容が何であれ、人と関わってしまう時点で僕は所属出来ない。

 

「……聞くだけなら、別にいいよ。多分、所属はしないけど」

「ありがと! 聞いたら絶対、坂上君も入りたくなるから!」

 

 顔を上げ、大西さんはパッと表情を輝かせた。……可愛い女の子はずるいと思う。

 踏み込んでいた彼女は、一歩下がってからコホンと咳払いをする。そして、説明を始めた。

 

「あたしは今、新しい部……っていうか同好会を立ち上げようと思って、一緒にやってくれる人を探してたの。まあ、誰もいなかったんだけどね」

 

 彼女は「たはは」と笑って頬をかく。彼女のような人気者が声をかけて人が集まらないなんてことが……と思ったけど、人間なんてそんなものかとも思う。

 どんなに綺麗事を述べたところで、誰だって自分が一番なんだ。僕がそうしているみたいに。皆、自分のやりたいことを最優先にしただけだ。

 続きを聞く。

 

「あたしは、魔法を研究しようと思ってるの。魔術を覚えられない人でも、「感応」の才能がない人でも使えるような、画期的な魔法を」

「……、……出来ると思う? めちゃくちゃ言ってるよ、それ」

「うん、あたしもそう思う。だけど、出来ないとも限らない。だったら、あたしはやりたい。だからやる」

 

 酷く真面目な表情で、勝気な笑みを浮かべたまま、彼女はそう断言した。……こりゃ確かに、誰もついていけないわけだ。余程奇特な人間でもない限り、こんな無謀についていけるわけがない。

 だけど彼女はとても自信に満ち溢れていて、折れることなんかなさそうで。少し、眩しかった。

 

「あたし一人じゃ無理だよ。魔術も理解できない、かと言って感応も使えないあたしじゃ、多分魔法に届くことすら出来ない。だけど誰かと一緒なら、出来るかもしれないって思ってる」

「……それ、僕じゃなくてもいいよね。むしろ同好会なんか作らなくても、魔術部に入ればいいじゃないか」

「あはは、門前払い。キザメガネな先輩に「バカはいらない」って言われちゃった」

 

 悪いことを聞いてしまった。「ごめん」と謝る。大西さんは気にしなかった。……顧問は「誰でも歓迎」みたいに言ってたけど、部員もそうとは限らないんだな。

 「それに」と彼女は続ける。

 

「坂上君は「誰でもいい」って言ったけど、そんなことない。あたしは、坂上君がいいと思った。坂上君と一緒じゃなきゃ嫌だ」

「……今日の今まで僕のことは知らなかったのに、よくそんなことが言えるね」

「あはは、そうだねー。けど、話しててそう思ったんだよ。この人と同好会作れたら、きっと楽しいだろうなって」

 

 どうしてそう思うのだろうか。こんな見るからに根暗そうな、特徴らしい特徴もない男子に対して。

 

「坂上君は、あたしの夢を笑わなかった。真面目に聞いてくれた。「出来ると思うか」とは聞いたけど、「無理だ」とは言わなかった。だから、そう思った」

「……お人好しだね、君は。こんなの、ただ興味がないだけだよ」

「本当に興味がないなら、わざわざそんなことは言わない。やっぱり坂上君はあたしの見込んだ通りだ!」

 

 なんかもう色々とめちゃくちゃだった。彼女の活動には、本当に興味がないんだけど。

 だけど彼女にとってそんなものは関係なくて、あり余るエネルギーで僕のことを巻き込もうとする。不思議と、嫌な感じはしなかった。

 そして彼女は頭を下げ、僕に言った。

 

 

 

「お願いします、坂上君。あたしの同好会……「幻想魔法研究同好会」に入ってください!」

 

 ――歯車がかみ合う音が聞こえた。ギシギシと音を立てて、さび付いた車軸が回り出す。新しい日常の扉が開き、眩しい光が差し込んでくる。

 そんな感じがした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いやです……」

「なんで!?」

 

 まあ、ただの妄想なんだけどね。




今回の語録
「いやです……」「なんで?(殺意)」



・簡単な世界観まとめ
基本的には現代地球。その中に我々にとっての異能がごく一般的に存在する。
異能は三種類あり、総称して「非科学的技術能力」、通称「魔法」と呼ぶ。
特別に魔法が重要視されることはなく、社会基盤は科学技術を中心に据えている。
魔法はどれも個人依存度が非常に高いため、産業として考えると不安定な技能である。

主人公たちが通っているのは普通科の高校。それなりの私立ではある。


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同好会設立編
一話 坂上透の一日


 ……あのあと、大西さんに追い掛け回されてしつこく入会を迫られ続けた。印象通り、彼女は非常に運動神経に優れていて、中々撒くことが出来なかった。

 ただ、おつむの方はちょっと残念らしくて、角を曲がった直後に物陰に隠れることで簡単にやり過ごすことが出来た。……最初からそうしておくんだったと思う。無駄に疲れさせられた。

 時刻は4時過ぎ。授業が終わったのが3時で、先生との面談に30分ほどかかった。30分もあちこち走り回っていたことになる。今も彼女は僕を探し回っているんだろうか。凄い体力だ。

 

「あれだけ体力があるなら、それこそ陸上部に入ればいいのに。何で魔法研究の同好会なんだろ」

 

 独り言。はっきり言って彼女に研究はイメージが合わない。外で走り回っている方が余程似合っている。あの健康的な肢体でユニフォームを着れば……ストップ。こういうのはよくない。

 そりゃ僕だって年頃の男だ。"そういうこと"だって考える。大西さんみたいにスタイル抜群な美少女に迫られたら、よからぬ想像だってしてしまう。

 だからと言って想像の中でクラスメイトの女の子を辱めていいわけではない。紳士的じゃない。そういうことはちゃんとしたお付き合いを経てから、お互いの同意の下、現実でするべきだ。僕がするわけじゃないけど。

 ……彼女と付き合える男性は、幸せ者だろうな。あの子は間違いなくいい子だ。僕みたいなクラスの輪から外れた奴とも普通に会話してくれた。蔑むでも憐れむでもなく、普通にだ。

 ちょっと猪突猛進のところはあるけれど、それもまた彼女の魅力に転化されるのだろう。何で大西さんがクラスの輪の中心にいるのか、よく分かる気がする。

 

「新しい魔法、「幻想魔法」か。どんなものを考えてるのか」

 

 なんだか随分大仰なことを言っていた。「魔術を覚えられなくても、感応の才能がなくても使える、画期的な魔法」だったっけ。

 

 「感応」――魔術の対極に位置する、三つの魔法の一つ。儀式を覚えれば誰でも習得できる魔術と違って、完全に才能に依存する「個人能力」だ。古い言い方をすれば「超能力」のことを指す。

 精神を現実世界に作用させる。想像で現実を塗り替える。現実を屈服させる。色々言われているが、ともかく「精神活動によって特定の現象を引き起こせる能力」だ。

 オーソドックスなものでは念動力。変わり種では発火能力。凄いものだと瞬間移動など、種類はさまざまだ。だが、魔術とは違って「使える物しか使えない」し「使えない人には使えない」。

 たとえば念動力しか使えない人は念動力だけ。瞬間移動しかできない人は念動力を使えないなど、個人差が非常に激しい魔法だ。

 感応自体は珍しいものではない。全人類の約半分は何かしらの感応を持って生まれてくると言われているし、後天的に覚醒する人も中にはいるらしい。

 また、魔術より手軽ではあるが便利というほどのものでもない。先の例で行くと、ほとんどの念動力使いは自分の周囲数十cmの範囲で石ころを拾うぐらいしか出来ない。痒いところに若干手が届かないぐらいのものだ。

 

 僕は、感応という魔法が嫌いだ。正直この言葉自体、あまり聞きたいものではない。思い出したくないことを……絶対に忘れてはいけないことを思い出してしまう。

 ……彼女に反応を返すとき、だから一瞬言葉に詰まってしまった。大西さんは気付いてなかったみたいだけど。

 彼女は感応に特別な興味を持っているというわけではないはずだ。気にし過ぎる必要はない。

 

「そんなことより、図書館だよ図書館。文芸部が活動してればいいんだけど。……いや、してない方がいいのか?」

 

 自分で言って、ちょっとよく分からなくなった。文芸部が活動していないことには実態が分からないけど、真面目に活動されると幽霊部員しづらくなる。

 世の中都合よくは出来てないなぁと思いながら、僕は図書館に歩を進めた。

 

 

 

 図書館は、主に黄色の校章を着けた生徒、つまり三年生でいっぱいだった(一年は赤で、二年は青だ)。参考書片手に鉛筆を動かしているから、どう見ても文芸部の活動じゃない。ただの受験勉強だ。

 ということは、ここは文芸部の活動場所ではない。外れだったみたいだ。ちょっとした落胆を覚える。

 さて……次は文芸部の活動場所を調べなきゃならない。資料に溢れる図書館なら何か分かるだろうと思って来たけど、何を調べればいいかまでは分からない。そこまで深くは考えていなかったな。

 かと言って、図書委員の人に聞くのも憚られる……というか、ぶっちゃけ嫌だ。人と関わりたくなくて文芸部を探しているのに、どうして人に聞かなきゃいけないんだ。

 というわけで自力で探し当てることにする。多分、学校関係の資料に載ってると思うけど……。

 

「キャッ!?」

 

 余所見をして歩いていたら誰かにぶつかってしまった。ぶつかった相手は女子のようで、持っていた本があたりに散らばり、彼女自身は尻もちをついていた。

 

「……ごめんなさい、拾います」

 

 確認もそこそこに、僕は散らばった本を回収し始めた。人に関わりたくないからと言って、人としての礼儀まで捨てた覚えはない。こうするのは当然のことだ。

 

「あ、ありがとうございます……、同じクラスの、坂上君?」

 

 彼女は僕のことを見てそう言った。同じクラスの子だったのか。……失礼かもしれないけど、地味な見た目のせいであんまり見覚えがなかった。

 三つ編みとめがね。絵に描いたような文学少女だ。名前は、やっぱり思い出せない。

 

「……これで、全部ですか?」

「あ、はい。あの、ありがとうございます、坂上君。話すのは初めてだけど、親切なんですね」

「……いや、別に。ではこれで……」

「あの、何かお探しですか? 今のお礼ってわけじゃないけど、私で何かお力になれないでしょうか」

 

 どっちが親切なんだろうか。最低限の礼儀を果たしただけの僕に対し、名も知らぬ彼女はニコっと笑って提案した。

 僕は努めて表情を変えない。この交流はこの場限りにしなければならないのだ。……大西さんは明日も僕を追い回してくるんだろうか。そう考えると、若干萎える。

 

「……お構いなく。大したことではないので」

「だったら、なおさら協力させてください。受けた恩を返せなかったら、伊藤家の名折れですっ!」

 

 どうやらこの子は「伊藤」さんと言うらしい。良家のご令嬢なのだろうか? ……ただの冗談、かな。

 こうまで言われて断るのは、そっちの方が失礼か。いや、同じクラスの彼女を知らなかった時点で今更ではあるけど。

 

「……文芸部の場所を、調べてるんだけど」

 

 僕の言葉に、伊藤さんはキョトンとした表情を見せた。直感的に思った。これ、失敗したやつだ。

 

「文芸部なら私が案内できますよ。何せ、私は文芸部員ですから!」

 

 やっぱりか。いや見た目がそのまんま文学少女なんだから可能性は十分にあったわけだけど。っていうか何で馬鹿正直に答えた、僕。

 彼女が同じクラスである時点で、幽霊文芸部員路線は廃案直行だ。同じクラスに同じ部の部員がいるのに、どうやって幽霊部員をやれというんだ。

 いや待て。実は彼女も幽霊部員である可能性が……ないな、こりゃ。どう見ても真面目に活動してる文芸部員だ。望みが絶たれた。

 

「ちょっと待っててくださいね、この本借りてきますんで。そうですね、入口のところで待っててください」

 

 そう言って伊藤さんは、軽やかな足取りで貸出カウンターへと向かった。一人本棚コーナーに残った僕は、深くため息をついた。

 

 

 

 結局、伊藤さんが借りた本を半分持ちながら、文芸部の活動場所であるという「第三小教室」まで行くことになった。どうしてこうなった……。

 

「ありがとうございます、結局手伝ってもらっちゃって。ぶつかった時も思いましたけど、坂上君って結構力持ちなんですね」

「……いえ、別に」

 

 文学少女然とした見た目とは裏腹に、彼女は結構饒舌だった。裏腹、というのはちょっと先入観持ち過ぎかもしれない。文学少女だって、しゃべるときはしゃべるだろう。

 ただ、思ったよりも話好きだったというのは事実だ。僕は大した内容を返さずほとんど相槌だけだというのに、色々と話しかけてくる。

 

「坂上君は、本はお好きですか? もっと早くにお話すればよかったですね」

「……そういうわけじゃ、ないけど」

「そうなんですか? 坂上君は文芸部にどんな御用ですか?」

「……ちょっと、見学を」

「あ、ひょっとして入部希望ですか? そういえば坂上君、まだ部活入ってませんでしたね。帰りのホームルームで先生に呼び出されてましたし」

 

 何でこの子、僕にこんな親しげに話しかけて来るんだろう。言っちゃなんだけど、僕って見るからに根暗野郎だよ。

 髪はボサボサで目が隠れてるし、愛想がいいわけでもない。声もギリギリ届くぐらいの大きさでしかしゃべってない。抑揚もなるべくつけないようにしてる。

 そういう振る舞いをすることで、わざわざ人を遠ざけてるっていうのに。もしかして、大人しそうな見た目からは想像出来ないけど、実は怖いもの知らずなのか?

 

「……入部は、まだ考えてないです。出来れば部活はやりたくない」

「それはもったいないですよ! クラブ活動は学生の間しか出来ない、青春の一ページなんですから!」

 

 そもそも校則で決まってるから無所属は出来ないんだけど、伊藤さんにとってはそういう理屈じゃなかったみたいだ。言ってることは分かるけどね。

 青春、か。……もしそれを享受することが僕にも出来るっていうなら、嬉しいけど。

 

「……間に合ってます」

 

 人と関わらなきゃいけないなら、論外だ。それなら僕は、憐れまれても蔑まれても、一人でいる方がいい。

 伊藤さんは不完全燃焼な様子だったけど、この件についてそれ以上立ち入ることはなかった。他人のことを慮れる、大西さんとは別方面でいい子みたいだ。

 そうこうしてる間に、僕達は目的の第三小教室の前に着いた。普段は英会話なんかの授業に使われる教室だけど、放課後は文芸部の活動場所になってたんだな。

 僕は持っていた本を伊藤さんに返し、踵を返した。

 

「あの、坂上君。見学していかないんですか?」

「……やめとく。やる気ない奴が入っても、迷惑だろうから」

 

 同じクラスの伊藤さんが文芸部だった時点で、僕が文芸部に入るという案は却下されている。もっと早く言えばよかったんだけど、言うタイミングを逃してしまった。

 とりあえず、今日はもう帰ろう。部活探しは別に明日でもいいんだ。また先生に呼び出されるかもだけど。

 

「そんなことないですよ! 坂上君も、活動を見れば気が変わるかもしれませんし!」

「……気が変わらないうちに、帰ることにするよ」

「坂上くんっ!」

 

 伊藤さんが呼び止めるのも聞かず、僕は下駄箱の方に向けて歩き始め……一つだけ彼女に伝えなければならないことを思い出した。

 

「伊藤さん。もう僕に話しかけてこないで。……迷惑だから」

 

 少しだけ振り返り放った言葉で、彼女はショックを受けて立ち尽くした。これで、いいんだ。

 今度こそ、僕は振り返らず、帰るためにその場を去った。

 

「……、坂上君……」

 

 

 

 

 

 家に帰りつき、晩御飯の支度をしているお母さんに「ただいま」と言ってから自室にこもる。鞄を置き、上着を脱ぎ、ベッドに倒れ込んでため息をついた。

 

「疲れた……」

 

 体も心も、本当に疲れる一日だった。大西さんが諦めない限り、明日も体は疲れることになるだろうけど。

 伊藤さん……酷い事を言っちゃったけど、引きずらないでくれるといいな。早めに僕のことを切り捨ててくれればいい。なかったことにしてくれるのが、一番ありがたい。

 彼女が悪人なら楽だったのにと、思ってもいないことを考える。彼女の人格が好ましかったことで、不愉快な思いをしたわけじゃないのだから。

 大西さんも同様に。同好会を作りたいだけなら、僕以外の誰かを誘えばいいだけなんだ。僕みたいな奴が力になれるわけがない。そのことに、早く気が付いてほしい。

 

「……日課やろ」

 

 余計なことを考えないように、ベッドの下からダンベルを取り出す。重さは一つ5kg。体を鍛えるのは中学から続けている僕の日課だ。

 好きで始めたわけじゃない。必要にかられてやらざるを得なかった。最初はただただ苦痛だったけど、今はもう慣れた。何も考えず、体が勝手に動いてくれる。

 僕の立ち振る舞いは反感を生みやすいと知っている。相手が力自慢や能力自慢の場合、直接的な方法に訴えてくることがある。そうなったときに体を使えないと、自衛することが出来ない。

 自衛が出来なかったら……また、繰り返してしまう。小学生の頃の忌まわしい失敗を。それだけは絶対に避けたいから、僕は一人でいたい。

 

「っ、ふっ。腹筋終わり。次、胸筋」

 

 こんなときでも独り言が出てしまう。いや、これはプレルーチンなのだと心の中で言い訳をする。実際、言葉にすることで順番を間違えたときに気付くこともある。順番にやる意味はないんだけど。

 筋肉を使っている間は体がそれに集中しているから、余計な思考は働かないで済む。……ある意味僕は、筋トレの中に救いを求めているのかもしれない。

 無心になろうとして無心になれるものではない。無心になるために何かをすることで、人は初めて無心になれるのだ。無心無心、ムシンムシン……。

 

「……暑い、ムシムシしてきた」

 

 余計なことを考えたせいで無心じゃなくなったらしい。我ながらアホなことをやっている。

 それもこれも全て、部活所属必須とかいう妙な校則のせいだ。本当にそんな校則あるんだろうか? 気になったので、ダンベルをベッドの上に放り出して鞄の中から生徒手帳を取り出す。

 

「学校生活の項、第3条。本校生徒は一年の間、クラブ活動または同好会に所属し、円満な人間関係を築くことに尽力しなければならない。知らないよそんなの……」

 

 消沈して、何年か前の生徒会長さんに向けて文句を呟く。結局は独り言なんだけど。

 いや待て、これは解釈次第で上手く誤魔化せないか? 「所属しなければならない」じゃなくて「尽力しなければならない」だ。それらしい姿勢を見せてさえいればいいんじゃないか?

 

「って言ったら、間違いなく羽山先生からゲンコツ喰らうよね……」

 

 「バカ言ってんじゃねえ!」と怒鳴られるのがありありと想像出来た。うちの担任の古文の先生は、体罰禁止が謳われて久しい今の世において珍しい体罰必要論者だ。「今の世にこそ必要だ」と言ってはばからない。

 彼の主義主張はともかくとして、そんな小手先の理論武装を認めてくれるような人じゃないことは確かだ。その辺はまだ冬木先生の方が……言いくるめられて魔術部に入部させられそう。それは絶対嫌だ。

 やっぱり、僕の意志を尊重してくれる羽山先生の方がマシか。無所属でいたいという意志は尊重してくれないけど。

 

「……そういえば大西さん、「魔術部の先輩に門前払い喰らった」って言ってたっけ。その辺のことは冬木先生、ちゃんと把握してるのかな」

 

 これは僕の印象だけど、冬木先生自身は非常に常識人だ。少なくとも普段は、そこまで魔術に入れ込んでいる人でもない。「初心者でも歓迎する」っていう言葉に嘘はないと思う。

 だから、もし部員が勝手に入部希望者を選別するような真似をしていたら許さないはずだ。……冬木先生の耳に入れておいた方がいいかもしれない。

 もしそれで大西さんが魔術部に入ることが出来たなら、僕も追い回されなくなって万々歳だ。研究環境さえ提供すれば、僕のことなんか忘れてくれるだろう。

 

「まずは大西さんへの対処。それからゆっくり部活探しだね。よし、これで行こう」

 

 相変わらず僕の頭の中に「人との交流を図る」という選択肢はなかった。

 

 

 

 夕方のジョギングから帰って来ると、お父さんが玄関にいた。今まさに帰宅したところみたいだ。

 

「おかえり、お父さん。今日もお疲れ様」

「おお、透。ただいま。今日はちょっと遅かったんだな」

 

 学校の方でごちゃごちゃあったせいで、今日のジョギングはいつもよりも遅めだ。本当なら授業の復習も終わらせてからなんだけど、後回しにしている。

 

「うちの高校、一年は部活に入らなきゃいけないんだって。その件でちょっとね」

「……そうか。もう決めたのか?」

「ううん、まだ。出来れば、あんまり人と関わらない部活がいいかなって」

 

 僕の言葉を聞いて、お父さんは苦虫をかみつぶしたような、それでいて悲しそうな表情を見せた。理屈で分かっていても、納得はできないんだろうな。

 二人で並んで玄関に入る。リビングの方から、お母さんがやってきた。

 

「あなた、お帰りなさい。もうお夕飯の準備は出来てるから、二人とも着替えて手を洗ってね」

 

 お父さん、お母さん、そして僕。これで家族全員。外では人との関わりを極力避けるようにしてる僕も、さすがに家の中ではしない。するだけ無駄というやつだ。

 見ての通り、お父さんもお母さんも僕のことをしっかりと愛してくれている。たとえ僕が拒絶したところで、二人は決して諦めない。……実際にそうだったんだから。

 だから、この二人だけは例外。僕もちゃんと受け入れることにしているし、二人なら多分"大丈夫"だって思ってる。

 一旦自室に戻り、ジャージから普段着に着替える。リビングに行くと、お父さんもスーツを脱いで座っていた。

 今日の献立は、白米、ジャガイモの味噌汁、肉じゃが、緑野菜のサラダ、豆腐ステーキ、それからもやしのおひたし。

 

「透は中学から体を鍛えているし、運動部なんか活躍できそうなんだけどなぁ」

 

 お父さんはビールを片手に、僕の部活選択について話をする。うちの担任みたいなこと言うなぁ。

 

「先生からも勧められたけど、全部断った。っていうか体鍛えてるから運動出来るってわけじゃないよ」

「だけど、中学のとき体育はいつも5だったろう? 運動神経は悪くないんだから、やってるうちに身に付いていくと思うんだが」

「運動部に入ったら、きっと透ちゃんモテモテよ。彼女なんか出来ちゃうかも」

「やめてよ、お母さん。まず見た目で無理だよ。野球部のエースだって、見た目がいいからモテるんだよ。こわもてじゃキャーキャー言われないでしょ」

「大丈夫よ。透ちゃん、素材はいいもの。お母さんとお父さんの子供なんだから、自信持っていいのよ」

 

 うちのお母さんは可愛い系の美人で、お父さんはまさに出来る男って感じのビジネスマン。僕みたいな芋野郎とは似ても似つかない、美形夫婦だ。

 まあ、確かに人を遠ざけるためにあえて根暗を演出しているところはあるけど、それを除いたって大したことにはならない。せいぜい無個性フツメンが出来上がるだけだ。

 ほんと、何でこの二人から僕みたいなのが生まれたんだろう。……色んな意味で。

 

「昔は「とおるくんのおとうさん、かっこいいね」って言われて嬉しかったけど、今じゃ皮肉にしか聞こえないよ」

「自信を持つだけで一気に変わると思うけどな。……もうそろそろ、お前も自信を持ってもいい頃合いだと思うぞ」

 

 そう言ってお父さんはビールを嚥下する。自信、か。それが出来るなら、僕はとっくにこの状況を打破している。

 僕がこの世で一番信用できるのが両親だとしたら、一番信用できないのは他でもない、僕自身だ。どれだけ時間が経っても、払拭することが出来ない。

 

「……ごめんね、意気地がなくて」

「別に責めてるわけじゃない。俺も少し性急すぎたよ。透のペースで、ゆっくりでいいんだ」

「そうよ。私達はいつまででも見守るから。あ、けど孫は早めに抱かせてね?」

「まだ高校入ったばっかだよ……」

 

 お母さんの冗談(じゃないかも)に苦笑しながらもやしを噛む。そもそも僕に結婚なんて出来るんだろうかという疑問はあるけど、口には出さなかった。

 本当に……いつまで経ってもダメな息子で、ごめんね。

 

 

 

 

 

 翌日。登校して早々、大西さんに絡まれた。

 

「昨日はなんで逃げたのよ!」

 

 僕が勧誘を断り全力疾走で逃げたことに大層ご立腹の様子だ。おかげで僕の席のところに皆の視線が集中していて、非常に居心地が悪い。

 できれば無視を決め込みたいところなんだけど、そうもいかないか。

 

「……僕はちゃんと断っただろ」

「そういうことじゃないのっ! あたしの勧誘はまだ終わってないんだから!」

 

 何で僕が大西さんの勧誘に最後まで付き合わなきゃいけないんだろう。っていうか終わりなんてあるのか? 断り続けたら、いつまでも続くんじゃないだろうか。

 まあ、彼女の体力気力にだって限界はあるだろうし、そこまで耐えればいいだけの話といえばそうなんだけど。……それまでこれに耐えなきゃいけないってのはなぁ。

 

「……皆の迷惑になってるから。帰って、どうぞ」

「い・や・よ! 坂上君が「うん」って言うまで、絶対帰ってやらない!」

 

 強情な子だなぁ。印象通りではあるけど。いい加減、クラスの皆から白い目を向けられるのが辛くなってきたぞ。

 しょうがない。ちょっと早いけど、昨日考えたことを実行するか。

 

「……大西さん、魔術部に所属出来るなら、別に同好会は必要ないよね」

「? そんなこと、ないと思うけど。っていうか、門前払いだったって言ったじゃない」

「……冬木先生は、「初心者でも歓迎」みたいに言ってたよ。その先輩だかの暴走じゃないの?」

「インテリメガネ先生かー……笑顔がうさん臭くて信用できないのよね」

 

 かなり偏見が入ってるな。言いたいことは分からないでもないけど。常に腹に一物抱えてそうな印象ではある。でも、あの人だって立派な教師なんだから。

 

「……一度、直接話をしておくべきだと思うよ。少なくとも、僕よりは大西さんの力になってくれると思う」

「そう言うなら、そうしてみるけど。って、なに話逸らしてんのよ! あたしは同好会の話してるの! どーこーかい!」

 

 しつこいなぁ。何でそこまで同好会に拘るのか分からない。どう考えたって、大西さんの目的を考えたら魔術部に所属するのが最短コースのはずだ。環境が段違いなんだから。

 彼女は「自分は感応を使えない」って言ってたから、新しく開発したい魔法っていうのは必然的に魔術の派生になるはずだ。だったら、魔術について深く学べる環境である方がいいに決まってる。

 それともまさか、本当に一から「第四の魔法」を確立したいと思ってるんだろうか。それはさすがに、無謀ではなく無理だ。エジソンの時代にパソコンを発明しろって言ってるようなもんだ。

 彼女は単に、魔術部で門前払いを喰らったから躍起になってるだけだ。本来的には同好会に拘る必要なんかない。

 

「……自分がどうするべきか冷静に考えなよ。僕が言えるのはそれだけだ」

「何よ、頭よさそうなこと言っちゃって! どうするべきとかより、自分がどうしたいかでしょルォ!?」

「とっくにどうするべきかの方が大事な時間になってるぞ、大西。チャイムが聞こえんかったのか?」

 

 音もなく大西さんの後ろに立っていた羽山先生が彼女の首根っこを掴んで黙らせた。だから言ったのに。

 彼女は悔しそうにして、「また来るからね!」と言ってから自分の席に戻って行った。……厄介な子に目を付けられちゃったな、まったく。

 前を向く。……一瞬だけ、三つ編みめがねの女の子と目があった気がした。彼女も僕もすぐに視線を外したから、ほんの一瞬だけだ。だから、彼女が何を思ってるかは分からなかった。

 ああ、憂鬱だ。何はともあれそう思った。

 

 

 

 ……本当に憂鬱だ。

 

「ねー坂上クン。ちょーっと調子に乗りすぎじゃねえ? 大西チャンが気にかけてくれたってのに、態度でかいんじゃねえの?」

 

 昼休み、いつも通り中庭の外れで昼食を摂ろうと外に出たところで、三人組の男子に絡まれた。同じクラスの不良っぽい生徒達だ。

 雲谷東高校はそれなりの私立だけど、それなりでしかない。中にはこういう生徒もいる。僕の知る限り、一クラス40人のうちの男女合わせて5人ぐらいはそんな感じだ。

 今のところサボりや授業妨害のようなことは発生していないけど、休み時間に集まって無駄に大声でしゃべっていることがある。近くの生徒は迷惑そうにするけど、彼らの態度に委縮して黙ってしまうようだ。

 で、今朝の件で目立ってしまったせいで本日晴れて僕がターゲットにされてしまったというわけだ。迷惑甚だしいことこの上ない。

 金髪の男子……確か影山だっけ。彼が先頭に立ち、ニヤニヤ笑いながら僕を威圧しようとする。それに対し、僕はあくまで無言無表情。

 

「おい、ひろき君が聞いてんだから答えろや、根暗野郎。うっぜえ髪型しやがってよ」

 

 彼の後ろに控える小さい方、黒木は見るからに不機嫌そうな表情。大きい方、尾崎は無言だけど、同意なのか首を縦に振っている。

 大中小、と言わぬまでもそんな感じの三人組。なお、影山の身長は僕と同じぐらいだ。なので威圧感は尾崎がメインで出している。

 やっぱり僕は無言で、彼らの気が済むのを待っている。こういう輩は何を言ったところで悪いようにしか受け取らない。抗議するだけ時間の無駄だ。

 

「何とか言えっつってんだよ。聞こえねえのか、ぁあ゛!?」

「まーまー落ち着けよ、シュウ。そんな風に脅しちゃったら坂上クン、ビビッてしゃべれないだろ?」

「……(コクコク)」

 

 ちなみに僕の方はさっさと何処かへ行ってくれと思っているだけで、彼らに恐れを持つことはない。なんと言っても彼らは隙だらけ。いざとなれば不意をついて逃げることぐらい容易い。

 もし誰かが感応使いだったとしても、この様子ならそこまで強力でもないと思う。身体能力オンリーで十分逃げ切れる。こういうときのために体を鍛えているのだ。

 

「別にさー。俺らも好きでこんなことしてるわけじゃないのヨ。だけど、せっかく気にかけてくれた女の子にあの態度はねーよな?」

 

 大西さんは誰に対しても分け隔てなく接するような子だ。彼らに対しても同じなのだろう。だから、彼女を拒絶するように振る舞った僕に対して態度を改めろ、というのが彼らの言い分だ。

 だけどこれは、ただの建前だろう。ただ気に食わない。少なくとも黒木からはそんな意図しか感じられない。結局、標的になるなら誰だっていいのだ。それがたまたま僕だっただけの話。

 

「ビビッちゃって声出ない? そんな怖がんなヨー、取って食おうってわけじゃねえんだからサ」

 

 影山が無遠慮に近付いてきて、僕の肩に腕を回す。……さすがに不愉快に感じ、それを撥ね退けた。

 彼は僕を見て目をしばたたかせ、次の瞬間にはニヤニヤ笑いをさらに深くした。

 

「あれ、そういう態度取っちゃうんだ。そっかそっか。ならこっちも、遠慮する必要ねえよなァ?」

 

 右手で握り拳を作る不良生徒A。Bもそれに続き、尾崎は相変わらず無言で仁王立ちをしている。……失敗した。最後まで何も行動を起こさないべきだった。今更言っても後の祭りだ。

 僕は自分に出来る最善策として、反転して走ろうとした。が、それを行動に起こすことはなかった。

 

「コラーッ! お前ら何をやっとるかァーッ!」

「やっべ、ハルヤマのセンコーじゃん! シュウ、マサキ、ずらかるぞ!」

「チッ! おい根暗野郎! てめえの立場、忘れんじゃねえぞ!」

「……(ずいずい)」

 

 影山は一目散に逃げ出し、黒木は尾崎に押されて退場した。……なんで尾崎はあの二人と一緒なんだろう。彼だけはあんまり不良って感じじゃなかったけど。

 少し遅れて、羽山先生が走ってくる。彼らを追う気はないらしく、僕のところで止まった。

 

「何もされてないか、坂上」

「……大丈夫です。手は出してないし、向こうにも出させてません」

「そうか。伊藤に感謝しろよ。お前があいつらに絡まれてるって、血相を変えて知らせに来たんだからな」

 

 伊藤さんが。見れば、校舎入口のところで戸枠に手を着いて息を切らせている三つ編み女子の姿があった。……助けられてしまったか。

 彼女が僕をどう考えているかは知らないけど、少なくとも見捨てるという選択はしなかった。僕を切り捨てていないのか、はたまた彼女がそこまでお人好しなのか。

 

「……感謝はします。だけどお礼は出来ません。……彼女には、酷いことを言いました」

「まったく、お前も困った奴だよ。伊藤には俺からフォロー入れとくから、お互いあんまし引きずるなよ」

 

 そう言って羽山先生は校舎の方に戻った。引きずるな、か。それは僕よりも伊藤さんに言ってあげてほしい。

 僕はそれっきり校舎の方は振り返らず、中庭の外れ……木の陰になって見えないところまで歩いて行った。

 

 

 

 放課後はやっぱり大西さんに絡まれた。

 

「さあ坂上君! この同好会の申請書に名前を書くのよ!」

 

 「幼想麻法研究同校会」と書かれた申請書(誤字だらけ)を押し付けられる。だけど僕はそれに取り合わず、帰り支度を進めた。

 僕は今日も先生から呼び出されている。部活探しをしている意思は伝えたけど、それならと資料をまとめてくれたそうだ。この学校にある部活・同好会の一覧だそうだ。

 わざわざ呼び出さなくても帰りのホームルームで渡せばよさそうなものだ。とはいえ、こっちは用意してもらってる身なんだ。こちらから出向くのが礼儀だろう。

 ……それに、他の用事もある。大西さんが僕に付き纏っているのも、ある意味都合がよかった。まあその用事っていうのは大西さんの行動に原因があるわけだけど。

 

「……失礼します」

「お、来たな。なんだ、大西も一緒か」

「先生からも言ってくださいよー! 坂上君、あたしのこと無視するんですよ!?」

「坂上の意思なんだから、俺に言ってもしょうがないだろ。お前の意志は尊重してやりたいが、そろそろ諦めてちゃんと部活に入った方がいいぞ」

「……その件で、少々僕から。冬木先生はいらっしゃいますか」

「こんにちは、坂上君、大西さん。魔術部には興味を持ってもらえましたか?」

 

 相変わらず威圧感のある笑みを浮かべてやってくる数学教師。あれで本人はフレンドリーにしてるつもりなんだろうな、多分。

 羽山先生は昨日と同じく「ケッ」と吐き捨てる。けど、僕を止めることはしなかった。分別はある人なんだ。

 

「……その、魔術部について。こちらの大西さんが門前払いを喰らったそうです。先生はご存知ですか」

「ああ……また"彼"ですか。私が把握できた限りではフォローしたのですが、漏れてしまったみたいですね。申し訳ありません」

 

 やっぱり、先輩の暴走だったみたいだ。しかも先生の様子からして常習犯みたいだ。表情に疲れが見える。

 

「だからいつも言ってんだろ、たまには外に出て日の光を浴びろって。部屋ん中に閉じこもって研究ばっかだから、根性ひん曲がるんだよ」

「弁解したいところですが、結果がコレですからね……。しかしだからと言って、それを彼らに強制することは出来ません。彼らは「魔術を探求したい」という意志を持って入部してくるのですから」

「……えーっと?」

「ああ、すみません。大西さんの入部を断ったというのは、眼鏡をかけた二年生の男子ですよね。全体的にキツイ感じの」

「あ、はい。"嫌味"っていう字が人の形して服を着た感じの」

「彼は久我山卓哉(くがやまたくや)といって、魔術技師としては非常に優秀なんです。ただ、どうにもそれを鼻にかけているところがありまして。顧問の私が言うのもなんですが、典型的な魔術至上主義者なのですよ」

 

 「いつも言って聞かせているのですが」とため息をつく冬木先生。魔術部のエースにして問題児ってところか。なんというか、ありがちだな。

 魔術は誰にでも扱える可能性があるけど、誰でも扱えるわけではない。だから魔術を扱えること自体が優秀な知能の証明となり、それが過ぎれば慢心ともなる。

 ニュースでも時々話題になっている。魔術至上主義な上役による不当な差別というのは、昔からある社会問題だそうだ。それが学校という社会の縮図に落ちてきただけの話だった。

 

「分かりました。私の方から言っておきましょう。大西さんは、魔術部に入りたかったということですよね」

「あー、えーと……今は同好会を作ろうと思ってるんですけど。「幻想魔法研究同好会」っていうのなんですけど」

「ふむ? フィクションなどに出て来る類の魔法を研究するということでしょうか。そういった試みもなくはないですが……同好会としてやるとなると、やはり厳しいでしょうね」

 

 そうだよね。どう考えたって魔術部に入ってやるべきことだ。二人だけで出来ることじゃない。まして僕は魔術の知識なんか持ってないんだから。

 大西さんは、ちょっと俯いてふくれっ面をした。可愛い。やっぱり彼女は、ずるい。

 

「もちろん私は一教師として、あなたを応援しますよ。ただその上で、一度魔術部に顔を出してみて損はないと助言します」

「……わかりました。お願いします」

 

 渋々と言った感じではあったけど、大西さんは了承してくれた。やれやれ、これで一件落着だ。

 ――そうやって油断したところで、彼女は爆弾を落としてくれた。

 

「但し! 坂上君も一緒で! 彼も同好会設立メンバーの一人です!」

「……は?」

「そうなのですか? やはり坂上君も魔術に興味があったのですね。私の見込んだ通りですよ」

「いや、ちょっと……」

「魔術部ってとこが気に食わないが、いい機会だ。坂上、大西の面倒を見てやれ。これはお前にとってもいい機会だろ」

「何を勝手な……僕は……」

「……ダメ?」

 

 涙目の上目使いで僕を見る大西さん。……これ、素なんだろうか? 彼女の場合、単純(バカ)だから駆け引きなんてできないだろうし。素なのかなぁ……。

 はあ、とため息が漏れる。こんな表情を真正面から見せられて断れるほど、僕は薄情ではなかったようだ。だから伊藤さんのときは直接見ないようにしたのに。

 

「……分かりました。見学に伺わせてもらいます」

「二人とも、歓迎しますよ。活動内容を見れば、きっと入部したいと思ってくれることでしょう」

「ダメそうなら陸上部に来いよ。お前らなら二人とも即戦力だ」

「っ……あはは。考えときます」

 

 「陸上部」という言葉で、大西さんは明らかに辛そうな顔をした。過去に何かあったんだろうな。踏み込む気はないけど。

 明日、魔術部の活動を見学することになった。まあ、僕は絶対に入らないんだけどね。魔術に興味はないし、大勢の人と関わるなんてもっとありえない。

 とりあえず、これで大西さんに追い掛け回されなくて済む。そう考えて、明日の苦痛は必要な消耗と割り切ることにした。

 ……ああ、めんどくさい。




今回の語録
「入って、どうぞ」



・人物紹介

羽山正治(はるやましょうじ)
一年一組担任の国語教師。古文担当。陸上部の顧問もやっている。魔法は不明。
昭和の感覚を持った教師で、昨今の狡賢くなった子供にこそ体罰は必要だと考えている。とはいえ、無闇やたらと強権を振るうわけではない。非常に分別のある教師。
隣のクラスの魔術部顧問とは衝突はしているものの、同僚として仲が悪いわけではない。週末には一緒に飲みに行くぐらいではある。

冬木宣彦(ふゆきのぶひこ)
一年二組担任の数学教師。数A担当。魔術部の顧問もやっている。魔法は魔術のみ。
教育というものを論理的に考えており、罰を与えるよりも報酬を与えるべきだとしている。この点で羽山と衝突してしまうが、お互いただの主義の違いだと理解している。
見た目でうさん臭そうな雰囲気を出しているが、実際は常識人。魔術を扱う者として誇りは持っているが、過剰に依存する気はない。


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二話 魔術と感応

 翌日放課後、約束の魔術部見学の時間まですっ飛ばす。

 まあその間にあったことと言えば、日課の筋トレと家族の団らん、代わり映えのない学校生活ぐらいだ。割愛上等だろう。

 強いて違ったところを言うなら、影山達に絡まれたときに大西さんが割って入ったぐらいか。彼女の中ではすっかり僕が同志になってしまっているようだ。

 助かったから別にいいけど……だからと言って僕が流されるわけではない。そこを勘違いしてはいけないのだ。

 

「我々魔術部は、物理学実習室を活動場所としています。技術的要素の強い魔術は科学技術との相性がいいので、理科教室を使っている学校が多いのですよ」

 

 道すがら、冬木先生が解説してくれる。大西さんは一度門を叩いているはずだから、活動場所については知っていただろう。理由についてまでは知らなかったみたいだけど。

 魔術は儀式を用いて行使されるものだけど、言ってみれば科学における「実験」と等価だ。儀式道具についても、実験道具から流用できるものが結構あるそうだ。

 

「本格的に魔術をやろうとなると、どうしてもお金がかかってしまいます。だから学生は、そうやって科学の産物を上手く活用して魔術の実践を学ぶわけです」

「へー、なんかちょっと意外。中学の頃、ステッキと呪文だけで魔術使ってる子とかいたし、もっとお手軽なものだと思ってました」

「それは初歩中の初歩の簡易儀式ですね。小さな風を起こしたり明かりを作ったり、その程度のことしか出来ませんよ。本格的な魔術となったら、そうはいきません」

 

 僕の母校でも、中学生になると背伸びをして魔術を習得する人たちがいた。だけど中学生で学べるのは本当に触りの部分だけということなのだろう。

 それが高校生ともなれば、より本格的に魔術を学びたいと思う人たちが出てきて、そういう人たちが魔術部に入部するのだ。間違っても僕みたいな人との関わりを避けたい人間が行くところではない。

 僕はただの付き添いであり、今日の本命は大西さんなのだ。

 

「さて、坂上君に質問です。魔術の出力結果を大きくするためには、どうすればいいと思いますか?」

 

 だから僕に話を振らないでください、冬木先生。……出力を大きくするためには、入力を大きくする? そもそも魔術における入力ってなんだ?

 

「……儀式の規模そのものを、大きくする?」

「それも正解の一つです。坂上君は魔術の基本法則をちゃんと理解出来ているようですね」

「……はあ、どうも」

「??? 出力結果って、さっきのでいくと風だったり光だったりってことですよね。ゲームで言う魔力みたいなのを鍛えるんじゃないんですか?」

 

 大西さんの頓珍漢な解答に、冬木先生は苦笑した。僕も、まさか現実にゲームのパラメータを持ちだすとは思わなかった。

 

「魔術を漠然としか知らなかったり、あるいは触れて間もないような人だと、そのように考える人はいるみたいですね。大西さんの疑問に答えますと、魔術は感応に見られるような「個人的な力」には一切依存しません」

「それってつまり、同じ魔術だったら誰がやっても結果は一緒ってことですか?」

「理論上はそういうことになります。あくまで魔術的法則性によってのみ支配されるのが、魔術という「非科学技術」なのです。もっとも、儀式の理解には個人差があるから、全く同じというわけにはいきませんが」

 

 彼女の勘違いは、魔術と感応の違いを正確に理解していなかったが故のものだろう。感応には能力自体に個人差があるし、鍛えることで力は伸びる。それと同じように考えてしまったということだ。

 魔術は誰でも扱えるもののくせに、感応ほど身近ではない。だから魔術をよく知らない人が感応と同じように考えてしまうのは、それほど珍しいことでもないという。

 ……先生も、ゲームでたとえられるとは思わなかったみたいだけど。僕はゲームをやらないから、大西さんのたとえ方は逆に分からなかった。

 

「少々脱線しましたが、話を戻しましょう。坂上君の解答は、確かに正しい。儀式というインプットを大きくすれば、出力結果も当然大きくなります。しかし、合理的とは言えない」

「……ギブアップ。どうすればいいんですか」

「簡単なことです。儀式を効率化する。結果を増幅する儀式を組み込む。これらは科学技術でも行われていることです。魔術だからと言って、技術の基本から外れることはないのですよ」

 

 そしてこれらを追及することこそが、魔術部の活動なのだそうだ。……思ってたより、ずっと高度なことをやってるな。大西さんなんか理解がおっつかなくてはてなマークを浮かべまくっている。

 冬木先生はまた一つ苦笑をし、いつの間にか物理学実習室の前に着いていた。

 

「百聞は一見に如かずと言います。今日の見学で、二人が少しでも魔術の一端を感じてもらえたなら、魔術部の顧問として嬉しいですよ。それでは……ようこそ、魔術部へ」

 

 芝居がかった仕草で一礼をし、先生は物理学実習室――否、魔術部の部室への扉を開いた。

 

 

 

 魔術部は、文化部としては所属している生徒数が図抜けており、100人を超える。それが理由となってこの学校で一番大きい理科教室の物理学実習室を使っているんだけど、それでも全員は収まり切らないそうだ。

 だから全体を二組に分けておよそ50人ずつ、日替わり交互で部室を使う。部室を使えない半分は、その日は文献調査など実技以外の活動を行うことになっている。

 50人超。それだけの視線が、教壇に並んで立つ僕と大西さんに注がれている。……居心地が悪いことこの上ない。出来ることなら、今すぐこの場を立ち去りたいと思った。

 

「本日の活動の前にご紹介します。一年一組の坂上透君と大西明音さんです。二人はまだ特定のクラブに所属しておらず、魔術部の活動に興味があるということで見学にいらした次第です」

 

 興味があるのは大西さんだけです。心の中でそう付け足す。声には出さないし表情にも出さないんだけど。大西さんを魔術部に預けるのに、反感を買ってはまずい。

 さすがは魔術部=頭脳派の集まりであり、彼らも大きな反応は返さない。唯一はっきりと反応したのは、紹介された照れから緩い笑みを浮かべる大西さん当人のみ。

 

「とはいえ、皆さんに特別なことを求めるわけではありません。普段通りに活動し、魔術がどんなものか、その奥深さを二人に見せてくださればよろしい。決して、「いいところを見せよう」などとは思わないように」

『はい!』

 

 よく躾けられている、というのは表現が不適切かもしれないけど、そんな印象を受ける。統率がとれていると言うべきか。「魔術は技術である」ということを考えれば、当然なのかな。

 技術ということは、理路整然と手順を踏む必要がある。複数人で行う儀式ともなれば、各員の足並みを揃える必要だってあるだろう。スタンドプレーが許される環境ではない。

 ……ますます僕には適さない環境だ。僕は、協調性なんて持ってないんだから。下手に波風を立てないように、ひっそりと生きるようにしているに過ぎない。

 僕の内心での反発を他所に、冬木先生は皆に活動開始の号令を出す。部員たちはよどみない動きで、班ごとの研究活動に取り掛かり始めた。

 

「それでは私達は各班の活動を見て回りましょう。都度解説を入れますが、分からないところがあったら遠慮なく質問してください」

「分かりました」

 

 大西さんは言葉ではっきり答えたけど、僕は曖昧な感じで頷くことしか出来なかった。

 

 最初の班は一年生のグループ。10人ほどの班で、僕の知る顔は一つもない。一組に魔術部所属の生徒はいないのだから、当然か。

 彼ら彼女らは、魔術の教本とにらめっこをしながらステッキを片手にアルコールランプと対決していた。

 

「ここは魔術未経験者のグループです。今は魔術の基礎を理解するために、初歩の魔術を体得しているところです。具体的には、限定空間に熱エネルギーを発生させる魔術です」

 

 先生によれば、これは風を起こす魔術よりも簡単なものだと言う。僕にも何となく分かった。指向性のないエネルギーを発生させるだけの魔術なんだ。

 アルコールランプは、一定量のエネルギーを生み出せたことを確認するためのもの。空間に十分なエネルギーがたまれば、勝手に熱エネルギーになって発火してくれる。

 一人の女生徒の前のアルコールランプに火が点き、青い炎を揺らめかせる。それを皮切りに、他の生徒も次々とアルコールの火を灯らせた。

 大西さんが「おー」と感嘆の声を上げて拍手する。賞賛の声を浴び、彼らは照れたような表情を見せた。

 

「皆さん、だいぶ早くなりましたね。目標は10秒以内に着火すること。それが出来るようになったら、実践魔術の実習ですよ。頑張ってください」

『はい!』

 

 ここについては大西さんは質問がなかったらしく、全員もう一度滞りなく着火したのを見届けてから次の場所へと移動する。

 ……魔術についてではないけど、彼らが入学してから一ヶ月経つのに、いまだに初歩をやっていることに疑問があった。

 

「……あの、彼らは……」

「坂上君のお察しの通りです。大西さんと同じ、久我山君の入部拒否の被害者ですよ。フォローのかいあって入部していただけましたが、出遅れてしまうことまではどうしようもありません」

 

 冬木先生は苦笑する。……彼らは、どういう気持ちで入部したんだろう。久我山先輩のことを許したんだろうか。失った分の時間を、割り切ることが出来たんだろうか。

 ……僕は、そんなことが出来るかな。分かるわけがない。だって僕は、そうなるよりもずっと前に人との関わりを絶とうとしてしまうから。

 

「「魔術は難しい」とよく言われますが、ちゃんとした指導者の下で体系的に学べば、初歩を覚えるのにひと月もかかりません。だから私は指導者として、彼らがちゃんと追いつけるように指導したいと思っていますよ」

「……あたし、魔術師を誤解してたかもしれません。キザメガネ先輩みたいなのが普通なんだと思ってました。けど、皆あたしと同じなんですね」

「ふふ。声の大きい人はどうしても目立ってしまうものですからね。あと大西さん、「魔術師」じゃなくて「魔術技師」です。またゲームの引用ですか?」

「あははー……」

 

 言葉の誤用を突っ込まれて頭をかく大西さん。冬木先生に対する偏見は取れたみたいだ。問題はやっぱり、例の久我山先輩だろうな。今もキザメガネって言ってたし。

 多分、今日は久我山先輩が出席する日じゃないんだろう。先生ならそのぐらいの気は利かせそうだし、大西さんの表情も柔らかい。……一体どんな人なんだろう。怖いもの見たさなのか、少し気になった。

 

 次の場所は、またしても一年生のグループ。今度はるつぼの中に黒い何かを入れており、ステッキも構えるだけではなくリズミカルに動いている。

 

「こちらでは実践魔術の一つ「変性魔術」の実習を行っています。るつぼに入っている黒いのは酸化銅で、これを酸素と銅に還元するのが目標です」

 

 一気に難易度が跳ね上がった気がする。これってつまり、いわゆる「錬金術」のことだよね。

 ――魔術は儀式を行う関係上、実行にはどうしても「人」が必要になる。これは、産業という観点から見ると「機械化できない」という弱点となる。

 だから実社会の中で魔術が使われることっていうのはほとんどないらしいけど、例外もある。その一つが錬金術、物質の変化を司る魔術を用いた製造産業だ。

 非金属を金属へ、卑金属を貴金属へ……とはいかないものの、金属の精錬や化学物質の精製などに有用であることは間違いない。科学技術ではまだ確立されていない合金や薬の製造なんかにも使われているらしい。

 そういった実用に比べれば、単純な物質の操作ではあるだろう。だけどさっきの「熱を発生させる」という魔術に比べたらはるかに高度なことをやっている。

 

「……これでもまだ、初歩なんですか」

「その通りです。坂上君には早くも魔術の奥深さを感じていただけたようですね」

「え? え? つまり、どういうことですか?」

 

 やっぱり大西さんは分かってなかった。……何となく分かってたけど、大西さんっておつむはかなり残念な人なんだね。彼女が魔術を理解出来る日は来るんだろうか。

 それでも冬木先生は、根気よく教えてくれる。雰囲気は胡散臭いし笑顔は威圧感があるけど、やっぱりこの人も教師なんだと感じた。

 

「中学の化学で、酸化銅と炭を一緒に加熱して銅にするという実験がありませんでしたか? ここではそれを魔術を用いて行っているんですよ」

「……えーっと、坂上君?」

「……化学反応だと酸化銅と炭素から銅と二酸化炭素を発生させなければいけない。魔術だと酸化銅単体で酸素と銅に分離できる。魔術すごい」

「なるほど!」

 

 僕に助けを求めないで自力で理解してほしい。僕だって魔術に詳しいわけじゃないんだから。

 実習をしている生徒達から小さな笑いが漏れる。一部は失笑に近い。まあ……しょうがないか。

 一番近い生徒のるつぼの中身が、黒から徐々に銅の赤に変化していく。それを大西さんはまじまじと見つめ、言った。

 

「えっと、けど、その……こう言うとアレだけど、結構地味ですね」

 

 ぶっちゃけた感想のせいで、見られていた男子生徒から力が抜けた。集中が途切れたことで反応も止まってしまったようだ。赤の浸食が停滞する。

 それを見て冬木先生は咳払いを一つ。

 

「今は途中で止めても問題ない魔術ですが、それが命に関わることもあります。気を付けてくださいね、五十嵐君」

「は、はい。すいません」

 

 変性魔術一つとっても、たとえば中間生成物として有毒ガスが発生するような魔術だったら、途中で止めれば命に関わるだろう。そういう危険は、魔術に限らず魔法には付き物なんだろうな。

 ……感応だって、使い方を誤れば人を傷つけてしまう。魔法は、そういうものなんだ。ポケットの中に手を入れ、耐えるように拳を握りしめた。

 

「それでは次は、もう少し見た目の派手な魔術を見ることにしましょう。こちらです、着いて来てください」

「あ、はい。その、ごめんね、いがらし君? 変なこと言っちゃって」

「ああ、いえ。お気になさらず」

 

 大西さんは、やっぱりいい子だった。魔術部に所属したら、おつむの弱さで浮いてしまうかもしれないけど、性格の良さでカバーできそうだな。そんな風に思った。

 

 

 

 それは前二つの魔術と比べずとも、明らかに本格的な儀式の準備であることが分かった。

 床に敷かれた紙に、発光する塗料で描かれた特徴的な紋様。"魔法陣"というやつだ。呪文と並んで、一般人が魔術と言われて想像するものの一つだろう。

 その上に木材でやぐらを組み、大きな鉄の皿を空中にぶら下げている。皿の上には拳大の石が何個か積まれていた。

 装置の周りを取り囲む三人は、体をすっぽりと覆うマントを被っている。恐らく、これから行う魔術から身を守るための装備だ。

 さらにその周りで五人が輪になって、計八人はステッキではなく古めかしい杖を持っていた。学年色から判断して、彼らは二年生と三年生だ。

 

「わ、なんかすごい……」

「本格的な魔術という雰囲気がするでしょう? 実際に、これは産業の現場でも使われることのある魔術です。先ほどと同じ変性魔術ではありますが……まあ、見ていてください」

 

 先生は、代表と思われる中央の三人の紅一点に指示を出す。彼女は頷き、杖を高く掲げた。それを合図に他全員も一斉に動く。儀式担当兼指揮者ということらしい。

 

「障壁、展開!」

「了解! Force、Energy、Cut、Wall!」

「Wall、Amplify、Cut!」

「Wall、Amplify、Strength!」

 

 最初に中央三人を覆うように、ドーム状の半透明バリアが出現する。順次行使された魔術によって、バリアの色が濃くなる。

 呪文の大半は分からなかったけど、分かった部分だけを切りだすと「力とエネルギーを遮断する壁」「遮断力強化」「強度強化」ということだろうか。

 展開された"障壁"の中で、メインの三人が動き出す。鉄皿の上で三つの杖が交差する。

 

「Heat、Heat、Melt!」

「Release、Vary、Purify!」

 

 それぞれの杖がそれぞれの軌道を描き、空中に紋様を描く。床の塗料が反応し、一層輝きを強くする。

 徐々に変化が現れる。鉄の皿に乗っている石が赤熱し始め、だんだんと形を崩す。あまりの高熱に溶け出したのだ。防護壁が必要になるわけだ。

 儀式は続く。マントから覗く先輩方の顔は汗だくで、しかし途中で止めるわけにはいかない。これだけのエネルギーが集まっているのだから、突然の停止は命に関わる事故を起こしかねない。

 溶けた岩石は、とうとう鉄の皿いっぱいとなった。中に含まれる不純物を排出するかのように、ボコボコと泡立っている。

 その状態になると、メインの三人は一旦動きを止める。泡を吐き出す灼熱の液体をじっと見守り、タイミングを計っているようだった。

 やがてリーダーの先輩が杖を目の前にかざし、他二人も同じようにする。この激しい儀式の終わりを予感させた。

 

『Crystalize!』

 

 最後の呪文の一節とともに、ジュッ!という音を立てて一瞬にして赤熱が止まる。鉄の皿の上には、一握りほどの透明な結晶が出来上がっていた。

 次いで"障壁"の魔術が解かれ、儀式は終了。僕は……僕も大西さんも、言葉も発することも忘れて見入っていた。

 僕達が呆けている間にも八人の魔術技師は作業を続ける。黒いゴム手袋を着けたリーダーが生成物を手に取り、光を透かしたりして出来を確認した。

 

「先生、確認をお願いします」

「分かりました。……Analize、Fast……、上出来ですね。純度99.5%以上、十分以上に合格ライン突破です」

 

 顧問のお墨付きを得て、ようやくグループリーダーの女性は表情を弛緩させた。当たり前だけど、相当気を張る儀式だったんだろうな。

 

「……それ、石英ですか?」

「ええ。その辺に転がっている石から石英の結晶を精製する変性魔術です。実は高校魔術大会では競技種目にもなっているぐらいメジャーな儀式なんですよ」

 

 全然知らなかった。魔術技師を志している人なら知ってるのかもしれないけど、僕はそもそも魔術大会の存在すら知らなかった。

 石から石英を生み出す。言葉にすれば簡単だけど、それがどれほど難しいのかは先輩方が見せた通りだ。そもそも「石」と一口に言っても種類はさまざまだ。組成を調べるところから魔術は始まっているはずだ。

 これが「魔術技師」なんだ。……初めからそんな気はなかったけど、僕じゃとてもついていけそうにない。

 

「秋山さん……この班のリーダーの彼女ですが、高校から魔術を始めたんですよ。彼女だけではありません。この班にいる全員がそうです」

「……そうなんですか?」

「それも、落ちこぼれだったわ。アルコールランプを点けるのに二ヶ月もかかっちゃった。それが悔しくて、必死に魔術を勉強して、三年になってようやくグループを任せてもらえるようになったの」

 

 マントのフードを取りながら、秋山先輩はそう言った。見るからに賢そうだけど、それでいて優しそうな女性だった。

 ……どれだけの努力を積み重ねたんだろう。皆に後れを取り、諦めずに皆を追い抜き、皆を率いるようになるまでにどれだけの苦労をしたのだろう。これだけの儀式を習得するのに、どれだけの研鑽を積んだのだろう。

 多分、先生と先輩は僕と大西さんを励ますつもりで言ったのだろう。大西さんもまた、彼女自身が望んだ「派手な魔術」に気圧されていた。

 だけど僕は、少なくとも僕は、先輩との間に余計に差を感じた。僕には……そんな気概を持って打ち込めるものすらない。

 

「誰でも努力次第で習熟出来ることが、魔術が他の魔法に最も勝っている点です。何も気負う必要はないのですよ、坂上君。大西さんもです」

 

 大西さんはちょっとの間俯いていた。だけどすぐに前を向き、はっきり言った。

 

「あたし、決めました。魔術部には入りません。あたしじゃ入れません」

 

 「せっかく見学させてもらったのに、ごめんなさい」と、彼女は頭を下げた。

 彼女の決意を聞き、秋山先輩は少し悲しそうな表情になった。

 

「あなた、久我山君が入部拒否した子の一人なのよね。あいつの言うことは気にしないでいいのよ。誰に対してもああなんだから」

「……だけど、キザメガネ先輩があたしに言ったことは正しいです。あたしは、やっぱりバカなんですよ。それは自分でも認めてます」

「そうやって自分を卑下するものじゃないわ。そんなの、努力次第でいくらでも覆せる」

「先輩は、凄く努力したんだと思います。だから先輩は凄いって、素直にそう思います。でもあたしに同じことが出来るかって、おんなじ以上に勉強出来るかって言われたら……自信、全然ないです」

 

 先輩としては、意志を持って魔術部の門を叩いた大西さんの気持ちを挫きたくはなかったようだ。だけど彼女も、僕と同じことを理解してしまったんだ。

 彼らは魔術技師を目指す「魔術を学ぶべき人達」で、僕達はそうじゃない。大西さんは「新しい魔法」のための手段としてしか考えておらず、僕に至っては大西さんの付き添いでしかない。

 決定的なまでに、致命的なまでに、方向性も熱意も違うのだ。どんなに言葉を尽くしたところで、この場で僕達が宗旨替えしない限り覆らない事実だ。

 なおも繋ぎとめようとする秋山先輩の肩に、冬木先生が手で触れ止める。彼女は悔しそうな表情で引き下がった。

 

「坂上君は、如何しますか。君も大西さんが作ろうとしている同好会のメンバーだそうですが」

「……それは大西さんが勝手に言ってることです。けど……僕も、やっぱり魔術はいいです。僕には……僕にも、出来そうにない」

「そうですか。残念です。坂上君は、きっと優秀な魔術技師になれると思ったんですが……本人の意思がないのに、強制することは出来ません」

 

 先生が僕のことを買ってくれること自体は、素直に嬉しいと思う。だけど、僕が魔術だなんて……タチの悪い冗談だよ。

 

 "壊す"ことしか出来ない僕が、"作る"ことの出来る魔術を学ぶだなんて。ほんと、タチが悪いよ。

 

 

 

 

 

 僕達の魔術部見学はそこで止め、物理学実習室を後にした。去り際に先生は、「気が変わったらいつでもいらしてください。魔術部の門は誰にでも開かれています」と言ってくれた。

 僕は……僕と大西さんは、すぐに下校せずに屋上に上がった。本当は帰りたかったけど、彼女に引っ張って連れてこられた。

 時刻は5時を過ぎている。既に日は傾き、夕焼けの赤が空を彩っていた。

 

「……帰りたいんだけど」

「ごめん、もうちょっとだけ付き合って」

 

 大西さんは屋上に着くなり、フェンスの向こうを眺めた。校庭では運動部が活動にいそしんでいる。彼女はフェンスの網を掴みながら、運動部を眺めていた。

 僕が彼女に付き合う義理はない。僕と彼女は同じクラスというだけで、それ以外の繋がりはない。同好会にしたって彼女が言っているだけの話で、僕は一度たりとも承諾していない。

 ……いや、そもそも今の彼女に同好会をやる意志があるのかも疑問だ。「本物の魔術」を見せられ、自分では到達し得ない(と彼女は思っているだろう)深淵に触れ、果たして意志は残っているだろうか。

 諦めてくれるなら、今後僕が振り回されることはない。そうなれば万々歳だ。……そのはずなんだ。

 だけど今の彼女は、見ていて不安になってくる。解放されることを素直に喜べない。だから僕は、彼女の言葉を待っている。

 

「……あたしさ。中学の間、陸上部だったの」

 

 どれだけ待ったか分からないけど、まだ日は沈んでいない。ようやく大西さんは話し始めた。

 その可能性は考えていたことだ。羽山先生の「陸上部」という言葉に大きな反応を見せていた。何らかの理由で陸上を辞めざるを得ず、それがしこりとなっているというのは、難しい推理じゃない。

 

「よくある話よ。あるところにとっても足の速い女の子がおりました。彼女は陸上部で活躍し、三年の大会で優勝を期待されていました。だけど彼女は、期待に応えることが出来ませんでした」

「……それで陸上が嫌になっちゃったの?」

「あはは、違う違う。そもそもあたしって、陸上が好きってわけじゃなかったのよ。ただ活躍できるから陸上を続けてただけ。そう、気付いちゃったんだ」

 

 そう言って彼女は、スカートの裾を少しだけめくる。右足の膝が露になり、そこには傷痕のようなものがあった。優勝できなかったのは、怪我が原因だったみたいだ。

 

「そこまで大した怪我じゃなかったから、今はもう治療も終わって本気で走れるよ。だけどあたしは、陸上部には戻れない。だって、別に陸上好きじゃないんだもん」

「……得意だからってだけでやってる人も、いると思うけど」

「そりゃそうね。だけど、あたしは無理。陸上やってる間は「あたしは走るのが好きなんだ」って思い込んでたけど、怪我で離れて気付いちゃったらもう無理。記録関係なしに走り回ってる方が、よっぽど性に合ってるわ」

 

 大西さんの自己分析は多分、正しくて正しくない。「陸上が好きというわけじゃない」というのは正しいかもしれないけど、「走るのが好き」というのは決して思い込みじゃないはずだ。

 ただ、陸上は競技だ。競技である以上順位が発生し、走ることだけに専念できない。「勝利する」という目的が発生する。彼女が煩わしく感じたのは、多分こっちの方。

 それが、怪我による自暴自棄と合わさって「陸上部の活動そのものが好きじゃない」という認識になってしまったんだと思う。……ただの推測だから、確証はないけど。

 

「……気にし過ぎだよ」

「かもね。だけど、今も陸上部を見てて思っちゃうんだ。「あたしはなんて不誠実だったんだろう」って」

 

 彼女は、真面目なんだ。確かに頭はよろしくないかもしれない、だけどそれは真面目さとは関係がない。真面目だから……気になってしまったことから、目を逸らすことが出来ない。

 

「魔術部見学も一緒だよ。先輩達の魔術、ほんと凄かった。感動するぐらい凄かったのに……あたしは思っちゃったんだよ。「あたしがやりたいのは、こういうことじゃない」って。成長なしだよね」

 

 「あはは」と力なく笑う大西さん。……彼女が魔法に、感応や魔術に漠然とした憧れを持っていることは、感じていた。「幻想魔法」なんていう都合のいい魔法を考えている時点で、それは明白だ。

 魔術は、紛れもない技術だ。技術である以上、そこには何らかの目的がある。魔術を使うことそのものではなく、使った結果に意義があるはずだ。

 これに対し大西さんは、魔法を使うことが目的となっている。あるいは、使えるようになることというべきか。行動の選択肢を増やすこと自体が目的だ。

 だから魔術部の活動との間に齟齬が発生し、気付いてしまった大西さんは目を逸らすことが出来ない。彼女は、真面目だから。

 

「……同好会は、どうするの」

「同好会かー……。どうしようね。あたしがどれだけおバカなこと考えてたかって、思い知らされちゃったし。やめちゃおっか」

 

 大西さんは軽い調子でそう言った。やめてくれるなら、予定とは違う形だけど、僕の目的は達成される。またゆっくりと幽霊部員候補先を探すことが出来る。

 僕にとってのメリットがあることなんだ。そのはずなのに……やっぱり納得が出来ない。彼女の口から、「やめる」なんて言葉を聞きたくなかった。

 向こうを見ていた大西さんは、「なんてね」と言いながらこちらを振り向いた。

 

「やめないわよ。それは間違いなく「あたしがやりたいこと」なんだから。魔術部に対して不誠実なことは出来ないけど、あたしがあたしのために作る同好会で好き勝手やるのは、問題ないでしょ?」

「……巻き込まれる側からしたら、問題しかないけどね」

「巻き込まれてくれる?」

「……だから嫌だって言ってるだろ。大西さんのやりたいことに、僕は興味ない」

 

 結局、振り出しに戻ってしまっただけのようだ。もう魔術部に期待することは出来ない。大人しく彼女に従うか、彼女のやる気が尽きるまで逃げるかの二択となってしまった。

 だけど、少しだけ気持ちが軽くなった。彼女が打ちのめされたわけではなかったことが、少しだけど嬉しかった。こっちの方が、大西さんらしいから。

 

「あ、坂上君、今ちょっと笑わなかった?」

「……笑ってないよ。呆れたんだよ、また追い掛け回されることになるのかって」

「何それー! 坂上君、ひっどーい!」

 

 ひどいと言いながらも笑う大西さん。それを見ていると、やっぱり心が軽くなるのを感じた。

 

 彼女の言いたいことは言ったようなので、これ以上僕がここにいる理由はない。僕も、十分目的を果たした。

 帰ろうとし……大西さんから呼び止められる。

 

「坂上君は、どうして魔術部を断ったの? あたしと違って、ちゃんと活動を理解出来てたよね」

「……買いかぶりだよ。僕だってほとんど分かってない。それに、興味もない」

「その割には冬木先生の質問に真面目に答えたり、魔術の内容を考えたりしてたよね。全く興味がなかったとは思えないよ」

 

 いらないところをよく見てる。確かに、全く興味をそそられなかったと言ったら嘘になる。色々と考えさせられて、感心させられることも多かった。

 だけど、そこまでだ。僕の考えを変えさせるには至っていない。僕はやっぱり、人と関わりたくなかった。本当なら、今こうして話している大西さんとも。

 

「そういえば、文芸部はどうなったの? 魔術部を見学したってことは、文芸部はダメだったんだよね。っていうか、坂上君は運動部の方がいいと思うんだけど。あたしとガチで競走出来たんだから、体力はあるはずだし」

「……いっぺんに聞かれても答えられないよ」

 

 彼女の中では相変わらず僕が同志のようだ。のみならず、内心の吐露を聞いてしまったことで距離感が狭まっている。

 これは、非常にまずい傾向だ。このままだと今後も話しかけられるようになってしまう。僕はそんなことを望んでいない。大西さんには僕のことをさっさと切り捨ててほしいと思っている。

 ……いっそ、話してしまうか。僕が人と関わりたくない理由を。いくら彼女でも、それを聞けば考えを改めてくれるだろう。

 もちろん、僕だって教えたくないことだ。知られたくない。傷つきたくない。出来ることなら、中学時代と同じように隠し通したい。知られるぐらいだったら、ただの根暗野郎でいい。

 だけどこの子は、踏みとどまってくれない。僕の何に興味を持ったのか、ぐいぐい踏み込んでくる。口先だけの理由では止まってくれなさそうだ。

 言ってしまって、本当にいいのか? 教えてしまえば、もう後戻りは出来ない。もし彼女が人に広めれば、僕はこの学校にいられなくなる。また家族を巻き込んでしまう。

 

「坂上君?」

 

 僕が急に黙り込んだことで、大西さんは心配そうに顔を覗きこんできた。既に薄暗くなってきていたが、近付かれれば活発な美貌が視界に映る。直視できずに目を逸らした。

 言うべきか、言わざるべきか。僕は二つの考えの板挟みとなって、身動きが取れなかった。

 

 

 

 それが、まずかった。

 

「ッ!? 坂上君、危ない!」

「えっ、ッァ……!?」

 

 突然、後頭部に強烈な衝撃を受けた。気が付くと僕は大西さんの腕に抱きとめられて、彼女にもたれかかっていた。……何が、起きた?

 

「ちょっとあんた、影山! いきなり何すんのよ!」

「かげ、やま……?」

 

 同じ一組の、アウトロー気取りな生徒の名前。どうやら彼が僕の後頭部を殴ったようだ。意識が飛んだのは一瞬だったから、鈍器の類は使っていないだろう。

 僕の背後から、品のない笑い声が二つ。影山と、黒木。二人がいるなら尾崎もいるんだろうな。

 

「そうカッカしないでくれヨー、大西チャン。この根暗野郎が大西チャンのこと困らせてたみたいだから、助けてあげたのサ」

「はあ!? あんた何処見てたのよ! あたし達は普通に話をしてたでしょーが!」

「まーまー。大西さんは気にしないで。……おい根暗野郎、俺らの忠告聞いてなかったのかよ、ぁあ゛!?」

 

 いつ現れたのか、全く分からなかった。薄暗かったのと、考え事に集中していたのがまずかった。あるいは、彼らの存在そのものを意識せずにいたのが悪かったのかもしれない。

 ……脳を揺さぶられたせいで気持ち悪い。目の前がグルグル回っている。思考がまとまらない。記憶も上手くつながらなかった。

 大西さんが僕を抱く腕に力がこもる。だけどそれは、すぐに乱暴に引き剥がされた。影山が僕の髪を掴み、無理矢理引っ張ったのだ。

 

「本当はサー、俺らも穏便に済ませたかったのヨ。けど、口で言っても聞かねえってんなら、体で分からせるしかねーよなァ!」

「ッ……!」

「坂上君っ! ちょ、離しなさいよデカブツ!」

「……(ふるふる)」

 

 彼女を視界に収められないためによく分からないが、どうやら尾崎に抑えられているらしい。僕は影山に胸倉をつかまれ、顔を殴られた。痛みを感じることは出来ず、衝撃と、しばらくしてから熱が広がる。

 ボディに一撃。こちらは黒木。体幹は鍛えているからそれほどダメージはない。それでも痛みはある。

 

「てめえはっ、今まで通り、教室の隅っこで、無視されてりゃよかったんだよッ! どうせ誰も気にしてねえんだからよォ!」

 

 ボディを連打してくる黒木。影山に掴まれた胸倉を引っ張られ、また顔を殴られる。執拗に殴られる。

 だんだんと痛みを感じられるようになり、心の中にどす黒い何かが湧きだす。今まで抑え込んできたものの全てが、溢れ出すように。

 ダメだ。それを表に出しちゃいけない。そうしないために、今まで耐えて来たんだ。こんなところで爆発させるな。

 必死で自分に言い聞かせ、なおも続く暴力に耐える。一発を喰らうたびに、黒い感情は加速度的に大きさを増していった。

 

「やめなさいよ、影山、黒木! 坂上君が何をしたのよ! あんた達に、何したっていうのよォ!」

 

 目の前で繰り広げられる暴力に、大西さんが涙声で抗議を上げる。それが気に食わないとばかりに、二人の男からの暴力は激しさを増す。

 

「こいつがムカつくのがいけないのサ! 態度、口調、うぜえ見た目! 忠告してやったのに聞き流したのも気に食わねェ! だから、どっちが上か躾けてやってんのサ!」

「大西さんから優しくしてもらって、当たり前みたいな顔してるのも気に入らねえ! 最底辺野郎の癖してよォオー!」

 

 何を言っているのか分からないけど、こいつらが利己的な理由で僕を殴っていることだけは分かった。それぐらいは、彼らの拳から、掴まれた胸倉から、痛みから伝わってくる。

 だから……腹が立つというなら、それは僕の方だ。結局彼らは、ストレス発散が出来るなら相手は誰でもいいんだ。それがたまたま僕だったというだけの話で。だから、非常に腹が立つ。

 僕は我慢しているのに。"壊さない"ように必死で自制しているというのに。なんでこいつらは、こんなに平然と"壊そう"とすることが出来るのだろう。

 

「やめてよ……お願いだからぁ! 坂上くんを、離してぇ!」

 

 大西さんの抗議は、もはや懇願となっていた。あの明るくて優しい女の子が泣いている。誰のせいで? 僕に暴力を加えている男二人のせい? それとも、僕のせい?

 ああ、きっと僕のせいだ。彼女はもう僕の名前しか呼んでいない。だから僕の存在が、彼女の涙の理由なんだ。僕が、全く抵抗しないから。

 ――そう考えてしまった瞬間、僕の頭の中で歯車がかみ合う。かみ合ってしまった。

 

 

 

 だったら、抑える必要なんかないじゃないか。

 

 

 

「ォヴッ!?」

 

 奇妙なうめき声をあげ、影山が吹っ飛ぶ。いや、吹っ飛ばされる。僕の体は解放され……既に足腰に力が入らなくなっていたので、"ソレ"に身を預けることにした。

 薄暗い視界の中、はるか下方にいる黒木が唖然として僕を見上げている。驚愕と、恐怖の表情で。

 

「……、なん、だ、そりゃ……」

「さかがみ、くん……?」

「……やはり、か」

 

 大西さんの呆然とした声と、尾崎の苦渋に満ちた声。……何気に尾崎の声は初めて聞いた。こんな状況だというのに、何処か呑気に思考する。

 僕は……力を抑えなくていい解放感と、「これでまた終わってしまったんだな」という思いで、涙を流した。

 

「悲しいなぁ……」

「っ、ああああああ! なめてんじゃねえぞ、この化け物野郎がアアア!」

 

 黒木が怒りか恐怖かで叫び声を上げる。それとともに彼の周囲の空間が歪み、放電を始める。電気の感応使いだったようだ。

 一筋の紫電がこちらに向けて飛んでくる。僕はそれに注意することもせず、"ソレ"を軽く振るうことで消し飛ばした。

 黒木は渾身の一撃が防がれるどころか虫のように払われたことで放心した。彼には何の感慨も抱かず、僕は三度"ソレ"を振るい、黒木の体を跳ね飛ばした。

 

「カペッ……!?」

 

 彼は影山と同じように、"ソレ"……僕の出した"半透明の巨大な触手"に弾かれ、屋上のフェンスに叩きつけられた。二人とも気を失ったようで、それっきり彼らが動くことはなかった。

 影山と黒木に対する興味は失せ、今度は大西さんと尾崎の方を見る。

 尾崎は既に大西さんを解放していた。そして大西さんはその場にへたり込み、何が起きているのか分からないという様子で僕を見上げていた。

 

「……君は、他の二人みたいにやらないの?」

「……(ふるふる)」

 

 さっきはしゃべったのに、今はもうしゃべらずに首を横に振るだけ。いい加減暗くなってきたから、声を出してくれると嬉しいんだけど。

 僕は自分の体を持ち上げていた触手を操作し、屋上に降りた。ガクンと膝が折れ、その場に倒れた。

 

「っ、坂上くん!」

 

 それで大西さんは我に返り、慌てた様子で僕に駆け寄る。ちょっと、殴られ過ぎたみたいだ。

 

「酷い怪我……! 今保健室に連れて行くから!」

「大西さん……僕のことより、あの二人を……」

「こいつらは気絶しているだけだ。人のことより、今は自分の身を案じろ」

 

 いつの間にか尾崎は仲間の二人を回収し、肩から担いでいた。結局、彼が僕にとって敵なのか味方なのか、さっぱり分からない。

 ……どっちでもいいや。僕の力を……"触手"の感応を見せた以上、もうこの学校にはいられないんだから。

 そう思ったところで限界が来て、僕は意識を手放した。




今回の語録
「悲しいなぁ……(諸行無常)」



・人物紹介

影山宏樹(かげやまひろき)
三人組のリーダー格。髪を金に染めている。一年一組所属。部活は社会科研究部で、意外と真面目に活動している。魔法は感応だが、ちょっとした念動力を使える程度。
黒木とは中学から、尾崎とは高校からの仲。人を平気で殴れる程度には不良。とはいえ、そこまで不良というわけではない(法令に触れることを進んでするわけではない)
不良というよりは手のかかる乱暴者というイメージであり、一応は彼なりの正義感に則って行動している。

黒木秀一(くろきひでかず)
三人組の小担当。一年一組所属。部活は社会科研究部で、一応は真面目に活動している。魔法は感応、電気を発生させることが可能で結構強力。
影山のことを「ひろき君」と呼び慕っており、彼からは「シュウ」と呼ばれる。影山が絶対だと思っている節がある。
透に対しては「弱いくせにいきがってる奴」という印象を持っていた。暴行に参加したのもそれが理由。彼らの身勝手な正義が、透の逆鱗に触れてしまったのである。


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三話 坂上透の懊悩

「んん……」

「っ、坂上君! よかった、気が付いたのね……」

 

 うっすらと目を開く。ぼんやりとした視界の中に飛び込んでくるのは、保健室の白い天井と、まだ心配そうだけど何処か安堵した様子の大西さんの顔。

 どうして自分がこんなところにいるのかとか、何で大西さんがいるのかとか、最初は記憶が繋がらなかった。だけど体を起こし、全身の痛みで意識がはっきりすると、だんだんと自覚する。

 ――ああ、結局僕は最後まで我慢することが出来なかったんだ。怒りに身を任せて力を振るってしまったんだと、喪失感にも似た感情を覚えた。

 

「……影山達は?」

「尾崎がどっか連れてったわ。あいつらのことなんかよりも、今は坂上君のことでしょ!?」

 

 大西さんは僕をもう一度横にならせようとしたけれど、僕がそれを拒絶する。そこまでしてもらわなくても大丈夫だし、……気を遣ってほしくない。

 

「……大西さんは、僕に何か聞きたいんじゃないの?」

「……坂上君が話したくないなら、聞かない。でも話してくれるなら、聞きたいよ」

 

 「どうして感応使いであることを黙っていたのか」。言葉はなかったけど、内容を推測することは容易かった。だって、それ以外にないだろう。

 もう黙っておく必要はない。彼女は見てしまったんだから。僕の"異形の感応"を知ってしまった。それを忘れさせるような魔法は持っていない。

 

「……元々は、普通の感応だった。出来ることもオーソドックスな念動力だけで、力も大したことはなかったんだ。平均より効果範囲が広いこと以外は、一般的な感応使いだったよ」

 

 諦念とともに、どうして僕がこんな感応を持つに至ったかを話す。と言っても、そう珍しい話ではない。

 

「僕は過去に二回、感応の「暴発事故」を起こしてる」

 

 感応は、精神活動によって発動する魔法だ。制御するのも当然精神活動であり、特に未熟な子供の期間は感応が暴発することも少なくない。

 そんな中で、普段よりも大きな力が出てしまい、人を殺傷してしまったり器物を破損してしまったりすることを「暴発事故」と呼ぶ。

 よくあること。だけど僕のときは、よくあることで済まされるレベルではなかった。特に二回目の方が。

 

「最初の一回は小学四年生のとき。原因は忘れたけど、クラスの友達と口ゲンカをしてたときだった」

 

 あの頃はまだ、僕が根暗キャラを作る前だった。当然だ。その暴発事故が原因で、僕は人を遠ざけるようになったんだから。

 口ゲンカがヒートアップして、取っ組み合いのケンカになったんだ。そんな中で、ケンカ相手だった友達――もう名前も顔も忘れてしまった――が、感応を使って攻撃してきた。

 当時の僕が何を思ったかは覚えていない。だけど、物凄く頭に来たことだけは覚えてる。

 それが、感応の暴発を引き起こした。

 

「気付いたときには、爆発が起きたみたいに人や物が散乱してた。僕がそれをやったなんて、しばらくは信じられなかったね」

 

 暴発した感応は、クラス中を吹き飛ばしてしまった。ケンカをしていた彼だけじゃなくて、見ていただけの人も、本当に無関係だった人も、皆。

 気付いたときには、僕を中心にクラス中の机がなぎ倒され、クラスメイト全員が倒れてうめき声をあげていた。無事なのは僕一人だけだった。

 当然、問題になった。被害を受けたクラスメイトの親たちが学校側に抗議をし、「こんな危険な子供は隔離しろ」と声を上げた。

 最終的には、先に相手の側が感応を使ったことと、僕の意図した結果ではなかったことから、今後暴発事故が発生しないように学校が正しい感応の使い方を指導するということで処理された。

 僕は……この時点で自分の感応が怖くなっていた。

 

「暴発だったかもしれないけど、僕の感応は簡単に人を傷つけてしまえる可能性があるってことを理解した。だから僕は、その日からほとんど感応を使わなくなった」

 

 同時に、人付き合いも徐々に減っていった。「もし暴発を起こしても、周りに人がいなければ誰も傷つけないで済む」という子供の浅知恵だ。

 それでも四年生の間は、クラスメイトが元々の僕の性格や事故の経緯なんかを知ってるから、優しくしてくれた。全てが変わってしまったのは、五年生になってクラス替えを行ってからのことだ。

 その頃には僕もあまり人としゃべらないようになっていて、知らない人間からすれば十分根暗に見えただろう。皆の方もあまり僕を気にかけることはなかった。

 そんな状況だったからか、一部の奴らは僕にちょっかいを出してきた。分かりやすく言えば、いじめにあった。四年のときの暴発事故を人伝手で聞いたらしく、怖いもの見たさみたいなものだったんだろう。

 物が隠されるのは序の口。机や椅子に悪戯を仕掛けられたり、体育の授業中に事故に見せかけた暴力を振るわれたこともあった。班を作るときに仲間外れにされることなんか日常茶飯事だった。

 それでも僕は耐えて耐えて……心の中にストレスを溜めていった。今日と同じように、ドス黒い感情を胸の内に抑え込んでいた。

 二度目の暴発事故は、六年生になってからだった。

 

「五人ぐらいだったかな。抑え込まれて、殴られたり蹴られたり、皆の前で裸にされたり。とにかく、やりたい放題だったよ」

「……ひどい」

 

 悲しそうに顔を歪ませる大西さん。彼女は優しいから、そういう反応をするだろうとは思った。だけど、彼女がそんな顔をする必要はない。僕は彼らに、もっとひどいことをしたんだから。

 僕に暴力を振るう奴らの、下卑た表情。品のない笑い声。嘲りの言葉。それが、僕の中に溜まりに溜まった負の感情を刺激した。

 そして僕は思ってしまった。「こいつらをぶっ壊してしまいたい」と。その感情が、二度目の暴発……新しい感応の覚醒を促した。

 そうして発現したのが、あの"触手"の感応だった。あれがどういうものなのかは、実は僕も分かっていない。

 

「"触手"は非常に強力だった。僕のことを取り囲んでいた連中だけを捕まえて、一人一人嬲った。感応を使える奴もいたけど……今日みたいに弾き飛ばして、やっぱり嬲った」

 

 僕の黒い感情に従って、"触手"は暴れた。これまでの全てをやり返すように。

 結果は、僕をいじめていた奴ら全員が重傷を負った。軽い奴で手足の骨折。一番酷い奴は、あちこちの骨が複雑骨折して二度と元には戻らないだろうと言われていた。

 さすがの大西さんも息を飲んだ。感応が人に大怪我をさせた。普通じゃ考えられないだろう。でも、それが僕には出来てしまった。

 

「そこまでやっちゃったら、もう学校にはいられない。だから僕は雲谷市に引っ越してきて……中学に上がるまで休学した」

 

 本当は、それっきり学校には行きたくなかった。また繰り返してしまうかもしれない。ふとしたはずみで人に大怪我をさせてしまうかもしれない。そう思って自分の殻に閉じこもった。

 だけど、お父さんとお母さんが必死で僕のことを説得したんだ。自分達に出来ることは何でもする。絶対に守るから、どうかもう一度外の世界を見てくれって。

 ほぼ一年に渡る説得で、僕はようやく中学に通えるようになって……今のように人と関わらない生活を始めた。

 

「体を鍛えたのは、またいじめの対象になったときに自衛出来るように。そして、感応に頼ることがないように。そうやって、今までは平穏にやってこれたと思う」

「……あたしが声をかけて、あいつらの目を坂上君に向けさせちゃったから……」

「大西さんのせいじゃないよ。僕の態度が好ましくないのは分かってた。今回のはただのきっかけで、遅かれ早かれこうなってたと思う」

 

 もちろん、大西さんが声をかけなければもう少し時間は稼げただろう。だけどあの手の連中が、クラスで孤立している根暗そうな生徒を適当な理由で"玩具"にすることを考えないだろうか?

 彼らがそれを実行したということは、それだけの実行力があったということだ。あるいは、行動が短絡的であったということだ。それならいつかは行動に起こしていたことが予測できる。

 だからこれは僕のせい。彼らを甘く見て、油断した僕自身の責任だ。大西さんは関係ない。

 

「……ともかく、これが僕が黙っていた理由。こんな気持ち悪くて危険な感応、大っぴらに言えるわけがない」

「そんなことっ!」

「ないって、言える? 大西さんだって……怖がってたじゃないか」

 

 僕が黙っていた理由は、人を傷つけないためじゃない。僕が傷付きたくないから。人から奇異の目を向けられることで、僕の心を傷つけたくないから。とんでもない自己中だ。

 大西さんは黙ってしまう。あのとき……黒木の電撃をかき消して、彼の体を木の枝か何かのように軽々弾き飛ばしたとき、彼女は間違いなく恐怖していた。

 彼女だって分かっているんだ。僕の力が、簡単に人を"壊して"しまえることを。僕が影山と黒木の二人を、"壊して"しまえたということを。

 少し卑怯な言い方になってしまったけど、僕の言葉は厳然たる事実だ。これで……ようやく彼女は、僕を切り捨てられるだろう。

 

「……数日待ってもらえれば、僕は多分転校することになるから。それまで耐えてくれるだけでいいよ。そうすれば、僕は君の前からいなくなる」

「転、校? ど、どうして……」

「大西さんに見られた。影山と黒木と、尾崎にも。クラスに知れ渡るのも時間の問題だよ。以前の事故も調べられるだろうね。それが分かったら……誰だって、こんな危険人物と一緒にいたくはないよ」

 

 PTAから圧力をかけられたら、学校だって動かざるを得ないだろう。大多数の生徒とたった一人の生徒、どっちを守るべきかなんて火を見るよりも明らかだ。

 そうなったら、僕はこの学校にいられなくなる。自主退学、あるいは転校という形で学校を去ることになるだろう。……僕は、また一人に戻ることが出来る。それでいいんだ。

 

「そんなの、おかしいよ! 坂上君は自分の身を守っただけじゃない! 何も悪いことなんかしてない!」

「人一人の人生を滅茶苦茶にしてるんだよ。仕返しにしても、いくらなんでもやりすぎだよ。大西さんは、そうなって当然だったって思うの?」

「わかんないよ! だけど……やっぱり、おかしいよ!」

 

 何となく、彼女だったら僕を擁護するかなとは思っていた。実際その通りだった。それが表面的なものなのか、それとも本心なのかは分からない。

 いつの間にか、大西さんは涙を流していた。……また僕が原因で泣かせてしまった。極悪人だな、僕は。

 

「昔のことは、あたしがその場にいたわけじゃないし、バカだから想像も出来ないよ。だけど今日のアレは、絶対違う! 坂上君は全然悪くない!」

「悪いとか悪くないとか、もう関係ないよ。たとえ大西さんが黙ってくれても、目撃者が他にいる。大西さんは、あいつらを黙らせることが出来るの?」

「それは……」

 

 何も言えず、溢れる涙の量を増やす大西さん。こうなったら、僕はとことん悪人になってしまおう。最初からこうしておけばよかったんだ。……彼女から嫌われれば、よかったんだ。

 それが出来なかったのは、やっぱり僕は僕自身を守りたかっただけなんだろうな。彼女に嫌われたくなかったから。どこまでも救えない自己中だ。

 

「この際だから、はっきり言わせてもらうよ。君がやっていることは全部、余計なお節介だ。僕は最初から君に関わりたくなかった。「いやだ」って言ったとき、僕のことなんか切り捨ててくれればよかったんだ」

「坂上、くん……そんなのっ!」

「僕は一人でいたいんだ。誰かといると、安心できない。だから僕は、あんなに分かりやすく人を遠ざけてたのに。君はズカズカと僕のパーソナルスペースに踏み込んできた。正直、鬱陶しいんだよ」

 

 はっきりと言った言葉で、大西さんは完全に言葉を失った。もうひと押し、かな。

 

「僕の過去をどう解釈しようと君の勝手だ。だけど、もう付き纏わないでくれ。……迷惑なんだよ」

 

 パシンと頬を叩かれた。震えた彼女が、僕の頬を平手で叩いた。俯いた彼女の目から涙の粒がこぼれ、シーツに染みを作る。

 これで、彼女には僕を切り捨てる十分な理由が出来ただろう。これだけ親切心を踏みにじられれば、誰だって不愉快に感じるはずだ。

 最初からこうやって……僕が心の痛みに堪えればよかったんだ。そうすれば誰も傷つかずに済んだのに。いつまで経っても成長しないな、僕は。

 

 突然、柔らかい何かに、乱暴に包まれた。意識を内面に向けていた僕には、そうとしか表現しようがなかった。

 

「……どうしてよ。どうして、諦めちゃうのよ。そんなの間違ってるよ……」

 

 要するに僕は、大西さんにガッチリと抱きしめられたのだ。ちょうど顔が胸のところにうずめられるように。マシュマロみたいだと、非常に場違いな感想を覚えた。

 困惑する僕には構わず、大西さんは涙ながらに訴えてきた。

 

「あたし、バカだからわかんなかった。坂上君がどれだけ苦しんだとか、どれだけ悩んだとか、そういうの全然想像出来なかった。だけど、それだけは……自分を粗末にするのだけは、絶対やっちゃダメだ」

「おお、にし、さん……」

「聞いて、坂上君。あたしはこの三日間、坂上君と話してて楽しかった。あたしのバカに遠慮なく的確に突っ込んでくれて、面白かった。もっと早くお話すればよかったって思ったよ」

「……ぼくの、はなしを……」

「だからあたしは、坂上君がいなくちゃいやだ! 坂上君と一緒に同好会を作りたい! あたしと坂上君のやりたいことをやれる、そんな同好会を作りたい!」

「……」

「お願いだよ、坂上君……あたしは坂上君を切り捨てたりしないから。坂上君も、この学校にいて。転校なんてしないで。お願いだよぉ……!」

 

 もはや僕は言葉を発せなかった。そう、発することが出来なかった。何せ大西さんの大きな胸に圧迫されて、息をすることが出来なかったのだから。

 意識が遠のく。本日二度目の気絶は近かった。

 

「坂上君……さかがみくん? 返事をし、って、キャアアア!? さ、坂上くん、しっかりして!」

 

 ギリギリで大西さんが気付いてくれたので、何とか気絶を免れることは出来たのだった。

 ……大きくて柔らかかった。体を離されたとき少し残念に思ったのは……僕も健康な男なので、勘弁してもらいたい。

 

 「ごめん」と謝られ、「別にいいよ」と返す。ひと騒動あったせいで空気が壊れてしまった。……気まずい。

 

「……あたしは何を言われたって、坂上君を切り捨てないよ。だから、一緒に考えよう?」

 

 意を決したように大西さんは切り出した。ちょっと判断に苦しむところだけど、僕の目論見はバレてたってことだろうか。どっちにしても失敗なんだけど。

 

「考えようって、何を考えるのさ。さっきも言ったけど、目撃者は他にもいるんだよ。まさか口封じしろなんて言わないよね」

「そんなこと言わないわよ! 何かこう、脅してでも黙ってもらうとか、穏便な方法で……」

 

 口封じと大差ないんだよなぁ。大体、それ以前の問題も残ってる。

 

「大西さんは「切り捨てない」っていうけど、君も僕の感応に怯えた。僕が信じると思うの?」

「それは……確かに、怖かったよ。坂上君が、坂上君じゃないみたいだったから。でもあたしは、今の坂上君を怖いだなんて思わない」

 

 彼女は毅然とした態度で断言した。それでも……やっぱり僕には信じられない。

 視線を外す。しばらくお互いに無言の時間が続いた。

 

「……ねえ。坂上君の感応って、自由に使えるものなの?」

 

 大西さんがポツリと尋ねてくる。僕は言葉では答えず、首を縦に振って肯定した。確認して、彼女は続ける。

 

「今、出してくれる?」

「……危ないよ。力加減なんか、ほとんど出来ないんだ」

「じゃあ動かさないで。出してくれるだけでいいから。お願い」

 

 彼女は僕をじっと見て、視線を逸らすことはなかった。……僕の方が根負けして、一本だけ"触手"を出現させる。

 僕の背中から伸びるように現れた、半透明な"触手"。一本で人間一人分以上の大きさを持つ、巨大な"触手"。

 大西さんはしばらくの間、じっとそれを見ていた。まるで目に焼き付けるように、しっかりと覚えるように観察していた。

 やがて彼女は動き、"触手"に手で触れる。

 

「何してるの? 危ないよ」

「……大丈夫。坂上君のこと、信じてるから」

 

 それは何も大丈夫の根拠にならないと思うんだけど。僕のことを信じられたって……僕自身が、僕のことを信じられないというのに。

 僕の制止も聞かず、大西さんは"触手"にペタペタと触れる。感応で作り出したそれは、わずかながら感覚がある。少しこそばゆい感じがした。

 彼女は、さらに大胆な行動に出る。

 

「ちょ、大西さん!?」

「大丈夫。大丈夫だから……」

 

 なんと彼女は、"触手"を体全体で抱きしめたのだ。"触手"から再び大きなマシュマロの感触が伝わってくる。僕の一部分の血流が加速し、保っていた平静が崩れ始めた。

 動かさないようにしていた"触手"が微妙に動いてしまう。そのたびに大西さんが「んっ」と妙に色っぽい声(錯覚)を出すからさらに大変だ。

 

「あの、ほんとヤバいから。そろそろ離して……」

「そうなの? これ、結構楽しいのに」

 

 名残惜しそうに"触手"を離す大西さん。安堵と残念が混ざったため息をつき、僕は"触手"を消した。

 ……結局、彼女は何がしたかったんだろう。

 

「うん。やっぱりあたしは、坂上君のこと、怖くないよ」

「……どうしてそうなった」

 

 自信満々に胸を張る大西さん。豊満な胸部が非常に強調され、健康な男子高校生にとっては目の保養であると同時に毒でもあった。視線を逸らす。

 さっきから頭の中がピンクいけど、しょうがないだろう。男はどうしても反応してしまう生き物だ。悲しいサガなのだ。

 

「坂上君の感応は、確かに危ないことが出来ちゃうのかもしれないよ。だけど、あたしにはしなかった。影山達にも、大怪我はさせないようにしてた」

「……そんな趣味はないからね。だけど、出来るってことに変わりはない」

「坂上君は自分の意志でそんなことしないって信じられる。少なくともあたしはそうだよ。だから、怖くない」

 

 それは結局、都合の悪いことから目を逸らしているだけで、根拠なんか何もないんじゃないだろうか。その「怖くない」は、ほんのちょっとしたきっかけで崩れてしまうものだ。

 僕を信じられたって、そんなものは根拠にならない。僕が信じられないものを根拠にされたって、信じられるわけがない。

 だけど、やっぱり大西さんには関係がない。彼女は我を通し、勝手な言い分で僕を信じる。僕が何を言ったところで聞く耳は持たないだろう。

 そのぐらいのことは、この三日間の付き合いで分かってしまった。……本当に彼女は、ずるい女の子だ。

 

「……勝手にしなよ。それで痛い目を見たって、知らないからね」

「上等よ。そうしたら坂上君、責任とってくれるんでしょ?」

 

 「にひひ」と笑いながら、大西さんはそう言った。それはさすがに勘弁してください。

 

 

 

 話は戻る。大西さんは僕をこの学校に居続けさせたいと考えている。彼女は僕の感応を気にしないと言ったけど、それでも影山達に見られている。彼らが騒ぐ可能性はあるのだ。

 ……僕としては、騒ぎになる前に転校してしまいたいところだけど、そんなことを言っても大西さんは納得しない。かと言って、彼女にもいいアイデアはない。

 

「どうしよっか」

「少しは自分で考えてよ、君が言い出したことなんだから。……出来ることと言ったら、せいぜいが先生に話を聞いてもらうぐらいだと思う」

「あ、そっか。先生を味方に付けられれば、騒がれても抑えてくれるもんね」

 

 そんな都合よくはいかないだろうけど。羽山先生が生徒を抑えつけられるからといって、保護者にまで影響力を持つわけではない。もし保護者の方に話が漏れたら、それで終わりだ。

 だけどもし羽山先生の力で、話を生徒のうちにとどめることが出来たなら、騒ぎにはならないで済む。

 時刻は7時前。ギリギリ運動部の活動時間だから、まだ先生はいるだろう。実行に移すなら今日のうちにやっておかないと、後手に回ることになってしまう。

 

「いるとしたら、グラウンドか職員室か。とにかく探そう。……あいたた」

「あ、まだ動いちゃダメよ!」

 

 ベッドから立とうとして、痛みに耐えかねてうずくまってしまう。随分手ひどくやられたみたいだ。これ、ちゃんと家に帰りつけるんだろうか。

 だけどじっとしているわけにもいかない。大西さんを手で制し、何とか動こうとし……保健室の扉が開かれた。

 

「よう、坂上。中々派手にやられたらしいな」

「羽山先生!? どうしてここに!」

 

 現れたのは、今まさに僕達が探そうとしていた担任教師本人だった。そういえば、と気付く。今までこの部屋には僕と大西さんしかいなかった。

 この時間ならまだ部活をしている生徒もいるわけだし、養護教諭もいるべきだろう。そうでなかったということは、羽山先生を呼びに行っていたのか。

 彼は僕を見て、「案外気合入ってるじゃないか」と笑ってみせた。そうやって、暗い雰囲気にしないようにしていることが伝わってくる。

 

「保健の香坂(こうさか)先生からあらかた聞いた。あいつら、いつかはやるんじゃないかと思ってたが、まさかこんなに早く行動に出るとはな」

「そ、そうだ! 先生、坂上君は被害者なんです! 影山たちがよってたかってボコボコに!」

「大西さん、ちょっと黙ってて。僕が先生と話す」

 

 既に僕をかばう気満々だった大西さんがまくしたてるのを遮る。彼女の意向であろうと、これは僕のことだ。僕自身が対応するのが筋というものだろう。

 羽山先生はこちらまで来て、適当な丸椅子を引き寄せて座った。僕と正面から向き合う。

 先生は、茶化すことなく核心を突いた。

 

「坂上。暴発事故は、起こしたか?」

「っ。先生、知って……」

「お前の親御さんは、ちゃんと学内に味方を作っておいたんだよ。いいご両親だな」

「……はいっ」

 

 そっか。お父さんとお母さんは、先生に話しておいたんだ。彼は初めから、僕のバックグラウンドを知っていたんだ。

 少し胸が熱くなった。……ありがとう、お父さん、お母さん。

 

「今回は、暴発事故じゃありません。僕自身の意志で感応を使いました」

「せ、先生! だからそれは自衛のためで……!」

「大西、黙ってろ。……相手はどうなった?」

「三人のうち二人は気絶。残った一人によれば「気絶しただけで大きな怪我はなし」だそうです」

 

 ということだと思う。尾崎は「気絶しているだけ」としか言わなかったから、実際にどうだかは分からない。ひょっとしたら、後遺症の残る怪我をさせてしまったかもしれない。

 それが彼らの自業自得だとしても、僕は嫌だった。……"壊す"ことしか出来ない感応が、大嫌いだ。

 羽山先生は大きく頷き、立ち上がった。

 

 

 

「よくやった」

 

 

 

 そう言って、彼は僕のボサボサの頭をわしゃわしゃと撫でた。意味が分からず、ポカンと彼を見上げる。

 今、僕は褒められたのか? どうして?

 

「「どうして」って顔してるな。そりゃ簡単だ。お前は巨大すぎる感応の力を「正しく」使えた。過剰に振るうこともなく、抑え込むことも無くな」

「ただ、しく……?」

「無差別に攻撃したわけじゃない。それだけの怪我を負わされながら、気絶程度で追い打ちをしなかった。お前自身、取り返しがつかなくなるまで我慢はしなかった。適正範囲での使用だよ」

 

 あれは、正しかったのか? 抑え込んだ感情が溢れるままに感応を使っただけなのに。あれが、正しかったというのか?

 我慢できなかったのは、大西さんの涙を見た瞬間、我慢することがバカらしくなったからだ。決して自分の限界を冷静に判断したわけじゃない。

 追い打ちをしなかったのも、僕自身の意識がそれ以上保ちそうになかったから。暴発でもないのに無差別に攻撃するなんてことあるわけがない。

 「結果的に正しかった」だけであって、僕自身が正解を選べたわけじゃない。なのに、僕は褒められていた。やっぱり、わけがわからない。

 

「先生、違うんです。僕は……」

「いいんだよ、黙って褒められとけ。そうすりゃ……次は、ちゃんと自分の意志で選択できるだろ?」

 

 言葉が出ない。先生は僕に「次」があると言っているのだ。まだこの学校にいてもいいと。

 大西さんにも言われたことだったけど、彼女とは違ってちゃんとした根拠を感じる。だから、胸に響いた。

 視界がにじみ、上を向けず俯く。大西さんが慌てたような気配があったけど、僕はそれに取り合わなかった。胸がいっぱいで取り合えなかった。

 

「これまでにも大きな感応の力を持ってる生徒ってのはいた。そいつらはお前と同じで、自分の力と向き合うのに苦労してたよ。程度の差はあるけどな」

 

 僕の力は確かに大きいけど、探せばそういう人はこの世界に何人もいるだろう。僕だけが苦しんでいるわけじゃない。

 実際、これまでに先生が受け持った生徒の中にはそういう人がいたみたいだ。それでも、僕ほど強力な感応は聞いたことがないと言う。

 

「元々感応を持ってたやつが後天的発現をしちまった結果なんだろうな。俺は専門家じゃないから詳しいことはわからんが」

 

 「調べたかったらオタメガネにでも聞け」と言ってから、羽山先生は大事なことを伝えた。

 

「お前はあいつらよりももっと苦労することになると思う。ちゃんと向き合えるって保証もしてやれねえ。だけど、それをするのはお前だ。お前のことは、お前にしか何とか出来ないんだ」

 

 ……その通りだ。逃げたからといって、誰かが僕の感応を受け取ってくれるわけじゃない。現実から目を逸らしたところで、僕の感応が消えるわけでもない。

 この暴力的で冒涜的な感応を何とか出来るとしたら、それは僕以外にいない。だって、僕自身のことなんだから。他の人に任せられるわけがない。

 

「お前が自分に自信を持てないって話はご両親から聞いてる。あんな過去じゃ、自分を信用できなくなっても仕方ないとも思う。だがな、それでもお前は今日、偶然だったとしても正しい選択をすることが出来たんだよ」

 

 目から熱い滴が落ちるのを抑えられない。僕は、なんてバカだったんだろう。一人で勝手に抱え込んで、ダメだと決めつけて、現実から目を背け続けた。そんなことをしても何の解決にもならないというのに。

 僕が自分の感応を嫌うというのなら、完全に制御下に置いて組み敷くべきだったんだ。その努力もせず、ただ無気力に過ごして、時間を無駄にし続けた。

 大バカ野郎だ。大西さんのことを言えない。僕の方こそが、前を見ていないバカだったんだ。

 

「すぐに変われとは言わない、だが今日の選択を続けられる努力をしろ。そうすりゃ……少なくとも俺と大西は、お前の味方だぜ?」

「っ……はいっ!」

 

 もう一度頭をわしわしと撫でられた。力強い、恩師の手。胸のうちに熱が広がった。

 涙をぬぐう。泣いてる場合じゃない。僕はこれから、無駄にした時間を取り戻さなきゃいけないんだから。涙を拭いて、顔を上げる。

 羽山先生は、ニッと笑っていた。僕は本当に素晴らしい恩師に恵まれていたんだと、今理解した。

 と、ここまで緊張していたのか、大西さんがはぁーっと大きく息を吐いた。

 

「もぉー、先生ってばもうちょっと優しくしてあげてくださいよ。坂上君泣き出しちゃうし、あたしは気が気じゃなかったですよ」

「そいつは悪かったな。だがこいつが男の世界ってもんだよ、なあ坂上?」

「いえ、それはちょっと僕にも……」

 

 「何だよノリ悪いな」とつぶやく僕らの担任。尊敬は出来るけど、運動部のノリはちょっと……。

 空気が弛緩し、ちょっと楽になって気付いた。いつの間にか、根暗キャラの仮面が外れている。いやもうバレてるわけだから繕う必要はないんだろうけども。

 

「影山達については、俺に任せとけ。つっても、あいつらも無闇に騒ぎ立てることはないと思うけどな」

「そうなんですか? ああいう連中って、真っ先に騒ぎそうな気がしますけど」

「そりゃ大西、先入観で見過ぎだよ。あいつらはあいつらで、自分が正しいと思ったからやったんだよ。「クラスの和を乱す輩に鉄槌を」ってとこだろう。短絡的ではあるがな」

「……まあ、実際に僕はクラスの和を乱しまくってたでしょうからね」

 

 黒木は分からないけど、影山と尾崎については、話し合えば意外と分かり合えるかもしれない。僕も不良っぽいと思ってたけど、行動と格好で思い込んでいただけかもしれない。

 結局彼らについても、僕が下手に拒絶したから、そのせいで刺激してしまっただけということだ。今回の件はどこまでいっても自業自得だった。反省だな。

 尾崎……そういえば僕が感応を見せたとき、おかしなことを言ってたな。記憶が正しければ、「やはり」と言っていた。彼は、僕の感応を知っていたのか?

 

「先生、尾崎の出身中学ってどこなんですか?」

「尾崎? 確か、西あずき中学校だったはずだが、それがどうした?」

「……いえ」

 

 同じ中学出身かと思ったけど、違った。そもそも僕は中学で一度も感応を使っていない。誰かに見られたということはないはずだ。

 考えても答えは出そうにない。……まあいいか、大したことじゃないし。どうしても気になるなら、あとで本人に聞けばいいんだ。

 ともかく、僕はこの学校にいてもいいんだ。もう少し、努力してみよう。

 

「もう7時過ぎだな。申請してない生徒は完全下校の時間だ。お前らも落ち着いたらとっとと帰れよ」

「はい。ありがとうございました、羽山先生」

「また明日ー」

 

 羽山先生は席を立ち、保健室を出て行った。陸上部はまだ活動を続けているんだろうか。……僕達のために時間を割いてくれて、ありがとうございます。

 

 保健室には、再び僕と大西さんが残された。とはいえ、僕達も羽山先生の言った通り帰らなければ。そろそろお母さんが心配している頃だろう。

 

「坂上君、ちゃんと帰れる?」

「心配いらない。話してるうちに痛みは引いたよ。……あてて」

「全然ダメじゃない。あ、そうだ。さっきみたいに感応で自分の体運んで……は、人目に付きすぎるね」

 

 それだけじゃなくて、本当に"触手"は力加減ができない。下手に自分の体を持ち上げようなんて考えたら、自分を締め上げることになりかねない。

 屋上のときやさっきは「動かそう」という意思がなかったから平気だったけど、ガンガンに動かそうと思ったら人間砲弾もあり得る。というわけで感応を使って帰るのは却下。

 

「大丈夫だよ、家はそんなに遠くないし。歩きで10分ぐらいだから」

「あ、ほんとに近いんだ。あたしン家はバスで20分かかるのよねー」

 

 僕が雲谷東高校を受けた最大の理由は、偏差値でも校風でもなく「近いから」。ここは雲谷東三丁目で、うちは雲谷東一丁目。目と鼻の先だ。

 大西さんが住んでいるのは北の方の「文堂町(ぶんどうちょう)」だそうで、遠くはないが近くもない。歩きで通学したら40~50分ぐらいかかってしまうだろう。

 

「それだけ近いなら、あたしが坂上君の家まで連れて行こうか? 帰りはそのままバス使えばいいし」

「いや、いいよ。バス代がもったいないでしょ。大体この怪我は僕の自業自得なんだから、大西さんには関係ないよ」

「むっ、その言い方なんかやだ! あたしだって当事者の一人だよ。だから、一蓮托生!」

 

 「決まり!」と勝手なことを言う大西さん。もう外は暗くて女の子の一人歩きは危ない時間だというのに。逆に僕が大西さんをバス停まで送るべきだろう。……無理なんだけどさ。

 

「大西さんも人のこと言えないね。もうちょっと自分を大事にしなよ。君だって一応女の子なんだから」

「一応って何よ!? あたしはバリッバリの女の子ですー!」

 

 別に大西さんが男っぽいと言う気はないけど、女の子としての自覚があるのかないのか。何の躊躇もなく胸を押しつけてくるし。あんなに無防備じゃ不安にもなる。

 ……思い出したらまた一部に血流が。鋼の精神力で自制せねば。心頭滅却、心頭滅却……。

 僕が自分の煩悩と戦っているというのに、大西さんは僕の腕を取り無理矢理肩を貸してくる。体が密着すれば、当然その「大きくて柔らかいもの」も僕の脇に当たるわけで。

 

「……大西さん、さっきからわざとやってるわけじゃないよね」

「? 何の話?」

「いや、わざとじゃないなら、別にいいんだけど」

 

 「変な坂上君」と言って、彼女は二人分の鞄を持つ。……役得とでも思えばいいんだろうか? 自分との戦いでいっぱいいっぱいだったので、ちょっと分からなかった。

 

 

 

 

 

 大西さんは、家の玄関まで僕を運んだ。その姿を両親に見られて……もちろん色々あったけど、割愛しよう。正直今日はもうお腹いっぱいだ。

 彼女はお父さんがバス停まで連れて行ってくれた。僕は状態が状態だったので、早々に二階の自室に行き、ベッドで横になった。お腹は空いてるけど、口の中が切れてるから満足に食べられそうにない。

 布団の中で、今日あったさまざまな出来事が頭を駆け巡った。魔術部見学。大西さんの過去。影山達に絡まれ、感応を使用した。そして、それを許容されたという事実。

 あまりにもあっさりしすぎていて実感がわかない。ひょっとしたら僕の防衛本能が見せた都合のいい幻覚だったんじゃないだろうかという考えが頭をもたげる。

 だけど……同時に胸の中にある熱い想いが、あれは現実だったと訴える。自分の弱さに負けるなと励ましてくる。

 

「今日の選択を続けられる努力、か」

 

 羽山先生からもらった言葉を、改めて口に出す。僕は……努力をしていなかったんだと思い知らされた。それはそうだ。僕がやってたのは、ただの対症療法なんだから。

 誰かにアドバイスを求めたことはなく、自分一人で考えた子供の浅知恵を続けて、この歳になってしまった。僕は、小学生のあのときに成長を止めてしまったんだ。

 それではいつまで経っても何も変わらない。変わることを拒んでいるんだから、当たり前の話だ。僕は自分と戦っているつもりで、両親の愛情に甘えて逃げていただけなんだ。

 

「……影山達には、ちゃんと謝らないとな。伊藤さんにも」

 

 彼らの行動が先生の言った通りだったとしたら、当たり前の行動だ。腕力に訴え過ぎな部分はあるけれど、不快の感情自体は持って当然だ。だから、僕の自業自得でもある。

 伊藤さんも、大西さんと同じで僕のことを気にかけてくれたのに……酷い言葉で拒絶した。ちゃんと謝って……許されるかどうかは分からないけど、せめて傷にならないようにしたい。

 それで、思い出した。

 

「そういえば、大西さんにも謝ってなかったな。運んでくれたのに「ありがとう」も言ってないや」

 

 なんかもう色々ダメダメだな、僕は。明日から本気出そう。失敗フラグの常套句だけど、もう今日は終わりだからしょうがない。

 大西さんと言えば、途中から同好会のことはすっかり忘れていた。明日になったらまた追い回されるんだろうか。拒む理由はもうないけど、やっぱり興味もないんだよな。

 謝罪と感謝は伝えるにしても、何とか同好会のことは切り離して考えたい。……大西さんの魔の手(勧誘)から、僕は逃れることが出来るのだろうか。

 連鎖的に思い出してしまう。胸とか胸とか、胸の感触とか。何で彼女はあんなに無防備なんだろう。自分の魅力に気付いていないんだろうか。それはそれでタチが悪い。

 顔が熱くなり、一部分が怒張する。ええい、心頭滅却、心頭滅却……。

 

 今後も付き纏われたとして、僕の自制心はいつまで持つだろうか。これまでとはまた違った意味で、自分の中の獣が信用できない僕だった。




今回の語録
「ホモの魔の手からは絶対に逃れられない!」



・簡単な世界観まとめ

この世界には三種類の魔法が存在するが、作中ではこれまでに二つの魔法に触れられている。

「魔術」は「儀式によって意図した結果を得る非科学技術の総称」。儀式さえ正確に理解すれば誰でも習得可能だが、簡単な儀式でさえ高校数学程度の難易度を持つ。
インプットが完全に儀式のみに依存しているため、いわゆる魔力のような概念は存在しない。結果の差は技師の儀式理解度と正確さの差によって現れる。
魔術を習得し行使できる者のことを「魔術技師」と呼ぶ。普及率は全人口に対して30%程度だが、本格的に魔術を学んでいるのは5%に満たない。

「感応」は「精神活動によって特定の現象を引き起こす非科学能力の総称」。完全に個人能力に依存しており、能力を持たない人には行使不能。古くは「超能力」と呼ばれた。
行使すると精神的に疲労する、努力次第で能力を伸ばすことが出来るなど、魔術とは違って「個人的な力」に依存している。また、起こせる現象も人によって様々である。
感応を持って生まれた人間のことを「感応使い」と呼び、全体の半数以上が感応使いである。但しほとんどは大した力を持たず、黒木ですら上位数%に含まれる使い手となる。


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四話 変わりゆく日常

ガバガバな設定とぐだぐだな日常が本領発揮する小説、はぁじまぁるよー。


 翌日登校すると、教室内が一瞬静まった。僕の顔が傷だらけの絆創膏だらけだったからだろう。あれだけやられたんだから、むしろこの程度で済んでラッキーだった。

 今まで教室の隅で一人だった奴が、いきなり傷だらけで登校してきた。誰だって何事かと思うだろう。僕は構わず自分の席に着く。……って、それじゃダメなんだってば。

 

「……おはよう(超小声)」

 

 自分の席についてから誰に向けてでもなく挨拶をする。誰にも聞こえないぐらいの大きさだったので、当然返って来るものはない。僕は小さくため息をついた。

 昨日、これまでのやり方を改める決意をした。それはいい。改めてすぐに改善できるわけではない。これも分かっている。

 だけどそもそもどうすればいいか分からないというのは、完全に想定外だった。根暗キャラは作りものだったわけだけど、じゃあどうやってその仮面をはがせばいいか、これが分からない。

 結局僕は、意識せずとも根暗キャラになってしまうぐらい定着してしまっているのだった。ため息の一つも出よう。こんなんで本当に改善していけるのだろうか。

 そんな僕の小さな不安は、ここ数日行動を共にすることになった女の子によって一蹴される。

 

「坂上くん、おっはよーう!」

「あっだぁ!?」

 

 バッチーンと背中を叩かれる。やったのが誰かなんて、確認するまでもない。この学校で僕にこんなことをするのは、現状では一人しかいないのだ。

 

「大西さん……僕、怪我人なんだけど……」

「うえ!? あ、ご、ごめん坂上君! つい……」

 

 影山に殴られたのは主に顔だから、胴体はそこまで怪我をしていない。それでも昨日はまともに動けないぐらいに痛かったのだ。女子とは言え、力いっぱい叩かれればむせる。

 だけど、大西さんらしいと思う。痛みで顔を伏せながら、ちょっぴり笑えた。

 

「……影山達は?」

「ん、今日はまだ来てないみたい。朝イチで文句言ってやろうと思ったのに、ちょっと拍子抜け」

 

 ということは、羽山先生が早速動いてくれているんだろう。本当に信頼できる先生だ。昨日のことを思い出すと涙腺が緩みそうになってしまう。

 そんな風に僕がちょっと感動していると、大西さんは色々と台無しにしてくれる。

 

「じゃあ、ここにサインお願いね!」

「……突拍子がないね。僕はまだ「やる」とは言ってないんだけど」

 

 彼女が突き付けたのは、やっぱり同好会申請書。僕が指摘したために誤字は直っており、「幻想魔法研究同好会」の下に「会長・大西明音」の文字。さらに下は「副会長」と役職のみが書いてあり、氏名は空欄だった。

 平会員でいいのに……っていうかそもそも入る気はないんだってば。

 

「なんでよー! 昨日色々話してあげたじゃないよー!」

「それとこれとは別問題。応援はするけど、泥船に乗る趣味はないから」

「泥船って言った!? 今あたしの同好会を泥船って言ったわね!?」

 

 大西さんを弄って遊ぶ。彼女とだったら普通に会話をすることが出来るみたいだ。……強制的に慣らされたからかな。

 昨日も一昨日もこんな光景が展開されていたため、いい加減クラスメイトも慣れたのか、僕に集まっていた視線が散っていくのを感じる。……伊藤さんは、相変わらずじっと僕を見ていた。

 それで思い出した。大西さんに、これまでの態度の謝罪と、昨日家まで運んでくれたことの感謝を伝えなければ。

 

「えっと、大西さん。昨日のことなんだけど……」

 

 切り出そうとして、気付く。家まで肩を貸してくれたことに感謝を伝えるということは、「大西さんが僕の家まで来た」ということを明示することになる。

 これが男子同士、女子同士なら問題ないだろう。だけど男子と女子では、面倒な噂の種になりかねない。こんな衆目に晒される場所で言うことじゃなかった。危ない危ない。

 

「……やめとく。あとでね」

「何遠慮してんのよ。言いたいことがあるなら言っちゃいなさいって。坂上君のお父さんからも、「透と仲良くしてやってくれ」って言われてるんだから」

 

 

 

 ガタガタガタっと、何人かが席を立つ音がした。……何でそういうこと言っちゃうかなぁ。しかも大西さん、まるで気付いてないし。

 僕が隠しても、大西さんが「僕の家族と会った」という話をしてしまっては意味がない。暗に「僕の家に来た」と言っているようなもんだ。

 

「あれ? どしたの坂上君。何か顔色悪いけど」

「……別に。どこかの誰かさんの不用意な発言のせいで、この後のことを考えると気が重いだけだよ」

 

 大西さんは、やっぱり意味が分かってなかった。この子には直球じゃないと伝わらないようだ。知ってた。

 ……問題の先送りでしかないけど、ここは戦略的撤退と行こうじゃないか。

 

「大西さん……あとは任せた!」

「え、ちょ、坂上くん!? 待ってよ、何処行くの!?」

「お、大西さん! 坂上の父親に会ったってどういうことなんですか!? あいつとどういう関係なんですか!?」

「最近のあかねちゃん、いつも坂上君と一緒にいたけど、そういうことだったの!?」

「ええ!? なになに、皆いきなりどうしたのよ!?」

「おい、坂上を逃がすな! って速っ!?」

 

 大西さんを生贄にして、スタートダッシュでクラスメイトを振り切った僕は、ホームルームが始まるまで適当な場所で時間を潰すことにした。

 謝罪と感謝はまたあとで。

 

 

 

 

 

「む……」

「あ……」

 

 そうやって中庭に続く廊下を歩いていると、思いがけない顔に出くわした。

 影山。後ろには表情を険しくした黒木もいる。尾崎はいないみたいだ。いつも三人セットってわけじゃないらしい。……当たり前か。

 影山の顔には、困惑。昨日暴力を振るい、そして手痛い反撃を喰らった相手に対し、どう接するか決めあぐねている様子だ。

 彼が動かないからか、黒木がずんずん僕の前に進み出て来る。

 

「てめえ、よくもまあノコノコと学校に顔出せたな、この化け物野郎が!」

「やめろ、シュウ! 羽山のオッサンにも言われたばっかだろうが!」

 

 黒木の肩を掴んで影山が止める。職員室帰りみたいだ。力関係としては影山の方が上らしく、黒木は納得いかない表情ながらも引き下がった。

 改めて、影山は僕の前に立つ。彼は僕と同じぐらいの身長だから、真正面から向き合うことになる。相変わらず、僕の目は髪で隠れていた。

 

「……センコーから大体聞いた。こっちの都合押し付けて、悪かったナ」

「……いいよ、僕の態度が最悪だったことは自覚してるから。影山は、そういうのが気に入らなかったんだよね」

「まあな。始まりは、お前が伊藤チャンに冷たく当たってるのを見てからだヨ。三日前、文芸部の部室前で言い合ってたろ?」

 

 見られてたのか。……そういえば、影山は何部なんだろう。見た目はあんまり部活とかやりそうな感じじゃないけど、一年は所属必須。そして彼が呼び出されていないということは、どこかには所属しているはずだ。

 

「俺ら、社会科研究部なんだヨ。活動場所があの近くでな」

「そういうことか。……先生の言った通り、影山は影山で、正しいと思ってやったんだね」

「すぐに腕力に頼るなって怒られたけどナ。で、一昨日も大西チャンのこと軽くあしらってただろ? それで何様だこいつってなって、忠告することにしたんだヨ」

 

 それが中庭での一件だ。彼らが僕に注意するきっかけとなった伊藤さんが羽山先生を呼んで止めたというのは、皮肉な話だな。

 そこで僕は彼らを無視し、影山の腕を振り払った。それが、決定的となった。

 

「こいつは一回痛い目を見せないと分からねえって思ったのよ。で、ああなった」

「そっか。……尾崎は気絶してるだけって言ってたけど、怪我はしなかった?」

「おいおい、そりゃ俺らの方が気にすることだろ。途中から熱くなって手加減なしになっちまったからヨ」

「それでも……僕の感応は、簡単に"壊せて"しまう。僕の方が、よっぽど危険だよ」

「そうだ化け物野郎! てめえなんかが学校に来てんじゃねベッ!?」

 

 黒木が騒ぎ出したところで、影山が頭に拳を叩き込んで黙らせた。彼らの間にも温度差はあるみたいだ。

 

「悪いな、こいつの言うことは気にしないでくれ。大西チャンが最近お前に付きっ切りだから、妬いてんだヨ」

「な、バ、違ぇよ!? ひろき君、何言ってんだよ!」

「ああ、そういう……」

「納得してんじゃねえよ、化け物野郎!」

 

 顔を真っ赤にした黒木の態度が全てを物語っていた。別に不思議なことでもないか。大西さんは魅力的な女の子だから。そういう男子だって、少なからずいるだろう。

 なおも騒ごうとする黒木を、影山が「だ・ま・れ」と言って締め上げる。黒木は静かになった。

 

「……影山は、怖くないの? 僕の感応がどういうものか、聞いたんだよね」

「あー、ソッコーでやられたから見てはいないんだよな。それが逆によかったのかもナ」

 

 それもまた、影山と黒木の温度差の理由かもしれない。黒木は自分の感応を消し飛ばされ、自分を殴り飛ばした"触手"を見ている。あのとき彼は、間違いなく恐怖していた。今も僕を「化け物野郎」と呼んでいる。

 "触手"は、力の凶悪さもさることながら見た目も悪い。大西さんは色々(エロエロ)やってたけど、見た目だけで生理的嫌悪を感じる人だっているだろう。

 だからと言って、影山に見せて確認する気はないけど。少ないとはいえ、人目はあるのだ。

 彼は、不敵に笑った。

 

「ま、ちょっとやそっとでビビッたりはしねえヨ。俺がそんなタマに見えるか?」

「……だね。すぐ暴力に訴えるような人だし、心配はいらなかったかな」

「……お前、結構毒舌だよな。大西チャンはよく付き合えるゼ」

 

 そうなんだろうか。長い事一人でいたせいで、自分が本当はどういうキャラクターなのか分からない。

 ……これから理解していこう。僕はもう、逃げないんだから。

 

「影山。色々気にさせてしまったことと、感応でぶっ飛ばした件。ごめんね」

「……かと思ったらこれだ。よく分かんねえナ、お前。こっちこそ、都合を押しつけた上にぶん殴って悪かった」

 

 結局、黒木はともかくとして、影山は自分の"正義"に従って行動したのだ。僕が"善かれ"と思って人を遠ざけていたことと差はない。そんな彼を、僕が責められるわけがなかった。

 影山とは、今後友好的な人間関係を築いていきたいと思えた。ちゃんと、そう思えた。……黒木はまだ分からないけど。彼はまだ伸びている。

 

「そういえば、尾崎はどうしたの?」

「あン? 別に一緒じゃねえヨ。あいつはセンコーからの呼び出しなしだからな。大西チャンが巻き込まれないように抑えてただけだろ?」

 

 そういえばそうだった。彼は一切手を出さず、大西さんを"守って"くれていたんだ。冷静に思い出すことで、初めて気付いた。

 やっぱり彼は、最初から僕の味方をするつもりで……それだったら影山達の暴走も止めるよな。彼の真意が何処にあるのか、さっぱり分からない。

 

「なんだよ、マサキがどうかしたのか?」

「いや……僕の感応を見たとき、尾崎が「やはり」って言ってたのが気になって」

「向こうは知ってたんじゃねえの? 中学が一緒だったとかでサ」

「いや、僕は東一中だから……って、影山は同じ中学じゃなかったの?」

「俺らは文堂二中だよ。マサキとつるんだのは高校からだゼ」

 

 ますます尾崎の行動が分からなくなってきた。彼は何故影山達とつるみ、何故僕の感応を知っていて、何故彼らの暴走を止めなかったのか。行動のラインが繋がらない。

 やっぱり、一度彼とも話をする必要があるな。同じクラスなんだから、そう難しいことではないだろう。

 

「そっか、ありがとう。本人から直接聞いてみることにするよ」

「おう。あんまり力になれなくて悪いナ。……しかし、なんだなァ」

 

 いまだ戻って来ない黒木の首根っこを掴んだまま、影山は僕をマジマジ見た。ニヤニヤ笑いは彼のニュートラルの表情みたいだ。

 

「坂上って、意外と話し好きなんだな。こっちが素か?」

「……まあね。長い事一人でいたから、まだ一部の人としか話せないけど」

 

 影山と普通にしゃべれるのは、お互いに殴り合ったからだろうね。あとは、影山が「意外とイイ奴」だったから。何でこんな不良っぽい見た目をしてるんだろう。

 ――後に聞いたら、「高校生活を目いっぱい楽しむため」だそうな。感性は中々ファンキーみたいだ。

 話が一段落したところで予鈴が鳴った。そろそろ教室に戻った方がいいな。

 

「黒木、起こした方がいいんじゃない?」

「そだナ。おら、シュウ。いつまでも伸びてんじゃねえぞ!」

「……ハッ!?」

 

 影山によってゆすり起こされた黒木は、やっぱり僕を目の仇にした。そしてまた影山にやり込められる。これは時間をかけてどうにかするしかなさそうだ。

 ともあれ僕達は本鈴前に教室に戻れるよう、走って移動した。そして羽山先生に見つかり、「廊下を走るな」と出席簿で頭を叩かれた。

 何でもない学校生活の一幕。今まで放棄してきたその中に僕がいるということが何だかおかしくて、人知れず笑った。

 

 

 

 

 

 ホームルーム開始ギリギリに戻ってきたためか、それとも大西さんがあらかた話したからか、僕が教室に戻ってから問い詰められることはなかった。

 代わりに、大西さんから恨みがましい視線を受けた。不用意な発言をしたのは彼女なので、自業自得ということでスルーさせてもらおう。

 その後、一限の授業を受けながら考えた。伊藤さんに謝罪するにしても、どのタイミングですればいいだろうか。

 一部の人と話せるようになったとは言え、僕はまだまだクラスの中で根暗キャラという認識のはずだ。大西さんのように向こうから来るならともかく、僕から行ったんじゃ迷惑にならないだろうかと考えてしまう。

 かと言って謝罪をしないという選択肢はない。僕は彼女に酷い事を言った。客観的に見てもそれは事実であると影山達が証明してくれた。

 彼女には謝罪し、説明しなければならないだろう。……僕が、何故あんな行動をとったのか。つまり、僕の感応について話さなければならない。

 これもまた、抵抗感の原因になっている。確かに一部の人が知るところにはなったけど、大っぴらにしたいことでもない。出来ることなら、伊藤さんにも感応抜きで説明をしたい。

 それが出来ないなら、せめて周りに人がいないときに謝りたい。だけど、学校生活の中でそんなタイミングが早々あるわけじゃない。どのタイミングで切り出すか……難しいところだ。

 僕は伊藤さんを詳しく知っているわけじゃない。たった一回話をしただけ。行動パターンだとか交友関係だとか、そういったものは分からない。

 だけど、一つだけ分かっていることがある。彼女が文芸部であることと、活動のために図書館で本を借りるということ。そして図書館なら、あまり人目につかずに済む。

 彼女が今日も図書館に来るかはわからないけど、放課後まで待たなければならないということだ。……そのぐらいなら、大した待ち時間でもない。

 放課後に動く。そう決めて視線を前に向けた。だいぶ考え込んでいたようで、板書がかなり進んでいた。

 

「……ここの証明を誰かにやってもらいましょう。前回の授業で最後に当たったのは小宮山さんでしたね。では坂上君、お願いします」

 

 そしてよりにもよってこのタイミングで指名された。木曜一限は冬木先生の数学Aの授業だ。現在は「集合」の範囲をやっている。

 証明する例題は、「とある二通りの条件で指定された整数X、Yの集合が同一であることを証明せよ」というものだ。ええと、まず条件を数式で書き表して……。

 

「おや、坂上君。一日で随分イメージチェンジしましたね。どうしたんですか?」

「……階段で転びました」

 

 バカ正直に影山達とケンカしたと言うわけにもいかず、適当な話をでっち上げた。冬木先生は「そうですか、気を付けてくださいね」と言ったけど……何かを察した様子だった。

 冬木先生も隣のクラスを受け持っているわけだから、うちの担任から何か話がいっているのかもしれない。だからどうしたということもないけど。

 あまり気にせず、問題に集中する。集合が同一ということは、条件Aが条件Bの部分集合であることとその逆を証明すればいい。そのための式展開は……ああもう、ややこしい問題だなぁ。

 

「ところで坂上君、魔術部への入部は考えていただけましたか?」

「……だから、僕には出来ませんってば。こんな問題で躓いてるようじゃ、魔術なんて夢のまた夢でしょう」

「そうでもないと思いますよ。それ、今やってるところから3ページ先の問題ですから」

 

 ……どおりで難しいわけだ。問題を解く手を止めて、冬木先生の方を見た。彼は相変わらず圧迫感のある笑みを浮かべていた。

 

「予習が出来ていて大変結構なことですが、授業にはちゃんと集中しましょうね、坂上君」

「……失礼しました」

 

 どうやら僕が考え事をしていたのはバレバレだったようだ。クラスメイト達から小さな笑い声が聞こえてきた。影山も、伊藤さんも笑っていた。

 問題は最後まで解いて、自分の席に戻った。僕の解答は特に問題なかったようで、解説にも使われた。

 その後はちゃんと集中して授業を受けたので、一限は何事もなく終わった。

 

 

 

 四限、体育。男子はグラウンドでサッカー、女子は体育館でバレーボールをやっている。

 最初はインサイドキックでのパス練習。せっかくなので、僕は影山と組むことにした(そもそも男子でまともに会話出来るのは影山しかいない)。黒木がまた僕を睨んでいたけど、尾崎によって連れていかれた。

 

「お前、魔術部に誘われてたんか。羽山のオッサンがうるさくねえか?」

「根性曲がるからやめとけって言われたよ。僕自身、魔術部に入る気はないんだけどね。昨日見学したけど、とてもじゃないけど着いていけそうになかったよ」

 

 一対一で向き合うため、非常に話がしやすい。一限での冬木先生とのやり取りについて聞かれた。

 

「魔術、ねえ。大西チャンがやろうとしてる同好会って、魔術絡みなんか?」

「僕もちょっと分かんない。大西さん曰く、「魔術でも感応でもない画期的な魔法」を考えてるらしいよ」

「魔術でも感応でもって、それ「霊能」のことじゃねえの?」

 

 「霊能」。この世界にある三つの魔法の最後の一つであり、原初の魔法であるとも言われている技能だ。感応・魔術両方の性質を合わせ持ち、ここから二つの魔法に派生したとする説があるそうだ。

 定義としては「精神存在に作用する非科学技能」らしいんだけど、はっきり言って本当に存在するのかすら疑わしい魔法だ。それ故に、僕は今まで思考に上らせることすらしてこなかった。

 人口の半数が持つ感応や、誰でも習得可能な魔術と違い、とにかく使い手が少ないのだ。普通に生活していて、感応使いや魔術技師もどきを見ることはあっても、霊能力者だけは僕も見たことがない。

 そもそも出来ることが「精神存在への作用」なせいで、特殊な才能がないと確認することが出来ない。だから感応使いや魔術技師と違って、魔法行使を見ても霊能力者であると判断するのが非常に難しいというのもある。

 実際、テレビなんかで「自称」霊能力者が出ていたりするけど、魔術や感応を使ってそれっぽく見せている、あるいはCGか何かでの演出だったりするらしい。

 それでも一応は魔法の一つに数えられているので、世間一般には認知されている。……実在するものとしてか、それともただの迷信としてかは定かでないけど。

 

「いや、それはないと思う。大西さんが求めてるのって、「派手な魔法」のはずだから」

「あー、霊能じゃ派手さはないわな。んじゃ、やっぱ魔術か?」

「うーん……昨日の魔術部見学では、「魔術は違う」って思ったらしいけど」

 

 だけどそれは、魔術部が研究している魔術が違うだけであって、やっぱり魔術に含まれるものかもしれない。僕も全ての魔術を知っているわけじゃない。

 ……っていうか影山、随分興味津々だな。

 

「もし実現出来るなら、俺も使ってみたいからナ。ゲームみたいで面白いじゃん」

「そういうもんなのかな。僕は自分の感応をどうにかするので手いっぱいだよ」

「お前はそうかもな。俺も感応は持ってるけど、しょっぱい念動力だけだヨ」

 

 「ほれ」と言って影山は、ボールを蹴らずにこっちに飛ばした。足で飛ばしたときに比べて随分軽かった。彼は感応よりも身体能力の方が優れているみたいだ。

 影山はいつものニヤニヤ笑いを浮かべて、クイッと手招きした。……僕にも感応を使えと言っているのだろうか。さすがにそれはまずい。

 

「人目に付くところでは使えないよ。目立つし、危ないし」

「何だヨ、つまんねーの」

 

 そもそも今は体育の授業時間なんだから、感応を使うのはあまりよろしくないだろう。体を育むと書いて体育なのだから。

 再びボールを蹴り合い、話題は移り変わる。

 

「ところで、マサキとは話したのか?」

「……いや、まだ。タイミングなかったし、何話せばいいかもよく分からないし」

 

 尾崎に聞きたいことは一つ。僕の感応を見たときの「やはり」とは何だったのか。だけど、いきなりそれだけを聞くというのもおかしな話で、導入の話題は必要だ。

 だけど長年根暗キャラを続けてきた僕に、自然な会話の切り出し方などという高等技能は備わっていない。他にもやることがある現在は、彼に割けるリソースが足らなさ過ぎる。

 

「影山や大西さんみたいに話し上手なら、僕も上手く話せるんだけど」

「そりゃマサキには期待できねえナ。あいつ、ほとんどジェスチャーでしか会話しねえから」

 

 無口キャラと根暗キャラ。どちらからも話を始められず、ひたすら無言が続きそうだ。とはいえ、こんなことで誰かの助力を請うというのも憚られる。

 今のところ、彼については後回しということで考えている。僕が今、何よりも優先すべきなのは……。

 

「いい加減、僕も部活決めなきゃいけないしね。まずはそこからだよ」

「お前、結構ガタイいいし、陸上部でいいんじゃねえノ?」

 

 影山も運動部推しで、ため息が出た。だから僕は自分から疲れる趣味はないんだってば。

 

 

 

 昼休み。昼食を摂り、午後の授業と放課後の活動に備えて心身の休息をとる時間だ。授業毎の休み時間が10分であるのに対し、昼休みが40分も与えられているのは、その目的のためだろう。

 休息の方法は人それぞれだ。自分の席でゆっくりする。あるいは逆に、校庭に出て体を動かす。会話好きなら、くだらない話に花を咲かせるのもいいだろう。

 だが、昼食を摂ることも出来ずひたすら校内を逃げ回るというのは、昼休みの在り方として絶対に間違っていると思う。

 

「ぜえ、ぜえ……坂上君、署名……」

「だから、入らないって、言ってるだろ……」

 

 男子更衣室で着替えを終えて教室に戻る途中、同好会申請書を手に僕に迫る大西さんから逃げ出し、いつの間にか屋上に出ていた。二人とも体力の限界で、これ以上走れなかった。

 何が悲しくて体育の授業後、しかもエネルギー補給もままならない状態で全力疾走しなきゃいけないのか。

 

「朝、あたしを見捨てて、逃げたんだから、入って当然でしょ……」

「そんな当然は、ない。あと、あれは大西さんの、自業自得」

 

 ようやく息が整ってきた。日陰になっている段差に腰掛け、大きく息を吐き出した。屋上は五月の日差しが容赦なく照りつけており、非常に暑かった。

 大西さんはよろよろした動きで、僕の隣に腰掛ける。……ナチュラルに隣に来ないでほしい。彼女にはパーソナルスペースというものがないように思える。何のためらいもなく距離を詰めてくる。

 

「……誰にでもそうするの?」

「何の話よ。ともかく、坂上君は同好会に入会するの。これはもう決定事項よ!」

「勝手に決めないでよ。僕の自由意思は何処行ったのさ」

「坂上君、入りたい部活ってあるの?」

 

 ……ないけど。いやでも、これからの部活見学でやりたいことが見つかるかもしれないし、少なくとも現時点で大西さんの同好会に興味はない。

 

「影山は、大西さんの活動に興味あるみたいだったよ」

「やだ! あいつ、坂上君のことボコボコにしたじゃない。そんな奴を誘うなんて、絶対無理!」

 

 僕は気にしてないのに。やられた側と見ていた側では感覚が違うのかもしれない。まあ、そもそもあいつは社会科研究部だから、同好会所属は無理だろうけど。

 ちょっとフォローしておくか。

 

「少なくとも影山は、悪い奴じゃなかったよ。ちょっと行動が乱暴だっただけで。あんまり嫌わないであげてよ」

「……坂上君、心広過ぎ。何でそんな簡単に許せるのよ。あいつ、ひどい事したのよ!?」

「僕の態度にも問題はあったからね。お互いに謝って水に流したんだから、必要以上に引きずることはないよ」

 

 むしろ、彼には感謝している部分もある。彼が性急な行動に出たおかげで、僕は自分の振る舞いを見直す機会を得られたのだ。あれがなければ、いまだに過去に囚われたまま動き出せていなかった。

 そう考えれば、「どちらが正しかったか」は明白だ。僕の消極的な考えは、彼の積極性により塗り替えられたのだから。

 

「僕も、今後は影山と仲良くしていきたいと思ってる。だから大西さんも、あいつのことは許してあげてよ」

「……しょうがないわね。で・も! 同好会に誘うのは無理! これはもう決定だから!」

 

 それは別に構わない。大西さんが考える無茶に影山が力になれるとは思えないし。僕も同じだけど。

 ……他のクラスに都合よく魔術に精通してる部活無所属の一年生がいたりしないかなぁ。そうすれば僕が追い回されることもなくなるのに。

 

「大体、なんで僕なのさ。僕が大西さんのやりたいことの力になれないなんて、もう分かってるでしょ?」

「そんなことないと思うけど。坂上君、すっごい感応持ってるじゃない」

「……、感応じゃダメでしょ。大西さん、感応は使えないんだから」

 

 向き合うとは決めたけど、そう簡単に受け入れられるものじゃない。反応がちょっと遅れてしまった。大西さんが気付いた様子はないけど。

 僕のもっともな意見は、大西さんにとっては説得される根拠にならなかったようで、彼女は僕との距離をずいと詰める。

 

「それに! あたしが坂上君と一緒にやりたいんだもん。理屈じゃないよ」

「近い近い。……それがよくわからないんだよ。僕の何をそんなに気に入ったのさ。自分で言うのもなんだけど、地味の中の地味だよ」

「だから、理屈じゃないの。なんかこう、坂上君といると楽しいんだもん」

 

 気恥ずかしくなって視線を外す。なんでこう直球なのかね、この子は。……僕も、大西さんといると退屈はしないけど。それが楽しいのかどうかは、自分でもよく分からない。

 視線を外した僕を、大西さんはじっと見ている。どう反応を返せばいいんだろうか。

 

「……とにかく、僕はまだ入るとは決めてません。せめて僕が自分の意志で入るかどうか決めるまで待ってよ」

「うーん……しょうがないわね。今はそれで許してあげる」

 

 許された。いつの間にか僕は糾弾されていたようだ。勧誘を断るのって、そこまで責められることだったのか。なんてこった。

 とりあえず、大西さんを落ち着かせることは出来たみたいだ。これで今後はゆっくり部活見学が出来そうだ。

 ……と、そうだった。周りに人はいないし、ちょうどいいタイミングだ。

 

「大西さん。昨日まで邪険にしてたことと、家まで運んでくれたこと。ごめんね、ありがとう」

「いいわよ、別に。友達でしょ」

 

 友達。それは、小学四年生の事故以来、僕が作ることを放棄してきたものだった。いつの間に僕と大西さんが友達になったのかは知らないけど……嬉しかった。

 ニカッと笑う彼女につられ、僕もちょっとだけ笑った。

 

 そのタイミングで予鈴がなった。昼休みの終わりを告げる予鈴。あと5分で午後の授業が始まる。そして僕達は、午前の授業終了後に直接ここまで走ってきた。

 つまり、僕も大西さんも昼食はまだ。大西さんの笑顔が凍りついた。

 

「……急いで戻れば、ちょっとぐらいは時間あるかな」

「は、走るわよ坂上君! このままじゃあたし、飢え死にしちゃう!」

 

 慌てた様子で大西さんが走り出す。やれやれとため息を一つつき、僕も彼女に続いて屋上を後にした。

 なお、教室に戻ったらすぐに授業が始まってしまったため、昼食を食べる時間はなかったことを記しておく。……ひもじい。

 

 

 

 

 

 五限と六限の間の休み時間に昼食をかきこみ、満腹による睡魔との戦いを終えて放課後。僕は図書館へとやってきた。数日前と変わらず、気の早い受験生が勉強に精を出している。

 本棚コーナーを回り、伊藤さんの姿を探す。ホームルームの後、彼女が図書館の方に移動したのは確認している。多分いると思うんだけど。

 

「借りたい本でもあるの? 部活見学しないなら、同好会に入ってよ」

「……後でするよ。ここにいるはずの人に用事があるんだ」

 

 ちなみに、何故か大西さんも一緒だ。

 誰かが同好会に入らない限り、彼女も同好会活動をすることは出来ない。この学校では、同好会の設立には二人以上のメンバーが必要らしい。今のところ、彼女はやることがないのだ。

 だからなのか何なのか、僕の部活見学に付き合うというのだ。勧誘を止めることは出来たけど、結局付き纏われている。以前よりはマシだけど、これもどうなんだろう。

 まあ、伊藤さんに話をするときに大西さんがいることは問題ないだろう。周りに人がいてほしくない理由は僕の感応絡みの話だからであり、既に知っている大西さんなら気にすることはない。

 図書館に慣れていないのか、大西さんは落ち着きなくあっちへ行ったりこっちへ行ったりしている。仮にも魔法の研究をしようと言うのだから、本に囲まれる雰囲気には慣れておくべきではないだろうか。

 ……と、三つ編みと眼鏡の文学少女を見つけた。僕の探していた人だ。

 

「伊藤さん」

「っ! ……坂上君」

 

 突然名を呼ばれ、びっくりして振り返る伊藤さん。表情は固く、僕に対して思うところがあるとはっきり分かった。この間の件を引きずっているみたいだ。

 そりゃそうか。僕の方で意識が変化するイベントがあったからと言って、それが伊藤さんに関係あるわけじゃない。彼女にとっては、僕に拒絶されたままなのだから。

 

「この間は、ごめんなさい。親切にしてくれたのに、無下にするようなことを言っちゃって」

「えっ!? あ、その……こちらこそ、無理に勧誘するような真似をして、ごめんなさいでした。あんなの、迷惑ですよね……」

 

 彼女は自分の行いが悪かったと考えているようだ。……本当にいい子だな。誰がどう考えたって、僕の態度に問題があったに決まっているだろう。伊藤さんに落ち度はなかった。

 

「そんなことはないよ。こっちの都合で勧誘を受けられなかったってだけだから。伊藤さんが気に病むようなことじゃないよ」

「……いえ、私がいけないんです。坂上君がもっとクラスに馴染めたらいいなって、余計なお節介を焼いてしまって……坂上君の事情も考えないで、勝手なことをしたんです。本当にごめんなさいっ!」

「いや、だからそれは僕の態度が悪かったわけで……キリがなさそうだから結論を言っちゃうけど、僕は色んなものから逃げてただけなんだ。それを伊藤さんにも押し付けてしまったんだ」

 

 伊藤さんは今にも泣きそうだったので、前振りなしで詳細を説明する。僕が感応使いであること、小学校のときに暴発事故を起こしたこと、それが原因で人を遠ざけていたこと。

 二度目の説明だからか、大西さんにしたときよりも端的に説明出来たと思う。伊藤さんは、黙って僕の語る過去の事実を聞いてくれた。

 

「……それで昨日、先生に言われて気付いたんだ。人を遠ざけて感応から目を背けても、何も変わらないんだって。僕は……ただ努力することを怠ってただけなんだって、気付かされたんだ」

「坂上君……」

「だから僕が伊藤さんに酷いことを言ったのは、八つ当たりみたいなものでしかなかったんだよ。……本当にごめんね」

「あ、謝らないでください! 私、坂上君にそんな事情があることも知らないで、あんな軽率なことを……こちらこそ、本当にごめんなさい!」

 

 結局謝ってくる伊藤さん。いい子なんだけど、ちょっと責任感が強過ぎる。大西さんの無責任さを見習うぐらいでちょうどいいんだけど。

 そんなことを思ったら、いつの間にか迷子になってた大西さんがやっと合流した。

 

「坂上君、やっと見つけた……って、何さつきちゃん泣かせてるのよ!」

「え!? あ、いや、これは話の流れというか……」

「うぅ、大西さん……私、ダメな子なんですぅ!」

「女の子泣かせちゃダメでしょーが! おーよしよし、あたしの胸で泣きなよ、さつきちゃん」

「あの、二人とも……ここ図書館……」

 

 図書館では静かにしましょう。そんなわけで騒がしくしてしまった僕達は、三人そろって図書館を追い出され、イエローカードを喰らってしまった。レッドカードで一学期間出入り禁止だそうだ。

 僕達はともかくとして、伊藤さんには手痛いダメージを喰わせてしまった。……いや、これについては彼女の自業自得だな。僕は止めたんだから。

 

 

 

「なるほどねー。そんなことがあったんだ」

「泣いちゃったりしてごめんなさい……恥ずかしい……」

 

 場所を移して、中庭ベンチ。グラウンドを使わせてもらえない運動部の一年が走り込みをさせられているのを横目に、僕達は大西さんに事情を説明した。

 伊藤さん(フルネームは伊藤皐月さんというらしい、今知った)は僕の話を聞いて、これまでの苦労なんかを想像して悲しくなってしまったそうだ。さすが文芸部、感受性豊かだ。

 そんなに気にしないでもらいたいものだけど。乗り越えた……とはまだ言えないけど、それでもようやく向き合おうという気にはなったんだから。彼女が気にするようなことじゃないはずだ。

 

「あたしだけじゃなくて、さつきちゃんにも「迷惑」なんて言ってたのね。坂上君ってば毒舌なんだから」

「……影山にも言われたけど、僕ってそんなに毒舌?」

「そ、そんなことないですよ? ただ、言葉選びが容赦ないっていうか、あえて攻撃力の高い言葉を選ぶっていうか……」

 

 それが毒舌っていうんじゃないかなぁ。僕はそんなつもりなかったんだけど。……もう覚えていない小学四年生のときの口ゲンカも、もしかしたらそれが原因だったりするのかも。

 考えれば考えるほど、色々と自業自得過ぎて埋まりそうだ。深く考えない方がいいかもしれない。

 

「……でも、大西さんはそれでも挫けなかったんですね。私なんか、声もかけられなくて……」

「伊藤さんは繊細なんだよ。大西さんみたいなガサツとは違うんだから、比べたって仕方ないよ」

「ほらー! やっぱり毒舌じゃない!」

 

 これは毒舌じゃなくて、ただの大西さん弄りです。兼、伊藤さんへの励まし。タイプは違うけど、二人ともいい子なんだ。こんなことで落ち込む必要はない。

 僕の攻撃的な冗談で、ようやく伊藤さんはクスリと笑ってくれた。

 

「あの……私、また坂上君と、お話してもいいんですよね?」

「……うん、まあ、その……お手柔らかに」

「なに日和ってんのよ。坂上君も、根暗直すんでしょ? こう言ってくれてるんだから、協力してもらいなさいよ」

 

 そうなんだけど。……人から「根暗を直す」って言われると、なんかクるな。芯まで根暗のつもりはないからかな。

 

「僕なんかと話して楽しいことなんてないと思うけど……それでよかったら、お願いするよ」

「とんでもないです! 坂上君とお話するの、楽しいですよ! 大西さんもそう思いますよね!」

「うんうん。さつきちゃんは分かってるね。自信持ちなって、坂上君」

 

 女子二人が揃って持ち上げてくる。こんなことで嘘をつくような人たちではないけど、僕の何がそんなに面白いんだろうか。ちょっとよく分からない。

 ……まあいっか。褒められて嬉しくないわけじゃないし。二人にとっては意味のあることなんだと、素直に受け止めておこう。

 

「僕からは以上なんだけど……伊藤さん、そろそろ文芸部の活動に行った方がいいんじゃないの?」

「あ、そうですね。……あの、坂上君。せっかくだし、この間は出来なかった文芸部の見学、していきませんか?」

 

 伊藤さんは、ちょっと控えめな感じで提案した。確かに、今はもう見学を断る理由がない。もし僕が文芸部に興味を持てるなら、入部するのも選択肢としてありだ。

 見学する部活はまだ決めていなかったわけだし、渡りに船だ。

 

「そうだね。迷惑じゃなかったら、お邪魔させてもらうよ。大西さんも来るの?」

「もちろん! 同好会の会長として、副会長候補をしっかり見張っておかないとね!」

「クスッ。それじゃ、お二人ともご案内しますね。坂上君に入部してもらえるように、私頑張りますから!」

 

 そうして僕達は、文芸部の活動場所である第三小教室へと向かった。

 

 見学した文芸部の活動は、本の論評を行うというものだった。僕達が見たのは発表形式のものだったけど、普段は執筆形式で行っているそうだ。

 他にも資料をもとに随筆を書いたり、小説を書く人もいるらしい。過去に執筆されたものを読んでみたけど、中々読み応えのありそうなものだった。

 ただ、やっぱり大西さんには退屈だったようで、発表の途中で寝てしまった。見学としては失礼なことだけど、部員は皆穏やかな人たちだったから、笑って許してくれた。

 僕の感想としては、多少興味はそそられたけど出来るかどうかは分からないという感じだ。伊藤さんや部長さんは「活動していくうちに出来るようになる」と言ってたけど……まあ、保留だね。

 見学を終えて小教室を出た後、大西さんから「入部しちゃダメだからね!?」とすがられた。この世の終わりみたいな大げさな表情だったので、ついつい笑ってしまった。

 

 

 

 

 

 まだまだ少しずつだけど、それでも確かに、僕の日常が変わっていくのを感じた。




今回の語録
「だ↑ま→れ↓」

・人物紹介

大西明音(おおにしあかね)
透のクラスメイトの女子。裏表のない性格で、男女問わず人気がある。明るい茶髪をポニーテールにしている。3サイズはB89、W62、H90と、かなりグラマラス。エロい。
元陸上部だが、そこまで陸上が好きではない。体を動かすのは好き。競う意味が分からないらしい。魔法への憧れから「幻想魔法研究同好会」を立ち上げようとしている。
自身の魅力に無頓着であり、パーソナルスペースが非常に狭い。その豊満なボディにどぎまぎさせられた男子が多数いる。本作メインヒロイン。

伊藤皐月(いとうさつき)
透のクラスメイトの女子。黒髪で三つ編み眼鏡と、見るからに文学少女である。性格は割とアグレッシブ。3サイズはB76、W60、H82。文芸部所属。
図書館でばったり出会った透に何かを感じ入った少女。初めは冷たくあしらわれてしまったが、今も彼と仲良くしたいと思っているようだ。最近まで透に認識されていなかった。
本作サブヒロインの立ち位置ではあるが、状況次第ではメインヒロインに取って代われるポジション。がんばれ♡がんばれ♡


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五話 同好会結成

 一週間が経過した。五月も下旬に入り、気温と湿度がだんだん上昇している。もうすぐ蒸し暑い日本の夏がやってくる時期だ。

 感応使いの中には「低温化」という物体の温度を下げる魔法を使える人がいるのだが、彼らが重宝される時期……というわけにもいかない。

 実際に中学のときに低温化を使える人がいて、その能力を行使したことがあった。しかし彼らに出来るのは「温度を下げる」だけであって、「湿度を下げる」ことはできない。これに対し、日本の夏は高温多湿なのだ。

 結果、教室のあちこちで結露が発生し、酷い場合は教科書がビチャビチャに濡れて使い物にならなくなる人が出た。飽和水蒸気量という概念を知らない中学生ならではの失敗だ。

 そして人は改めて実感するのだ。冷房と除湿を同時にこなせるエアコンは偉大な発明であったと。

 ……そんな夏の風物詩は置いておいて、部活見学について。一週間、(何故か)大西さんを引き連れて色々なところを回った。文化部だけでなく、運動部も見た。

 とりあえず言えるのは、運動部だけはない。これから暑くなっていくにも関わらず、強烈な日差しの中で運動をしなければならないのだ。やっぱりマゾヒストじゃないか(大いなる偏見)

 僕は体を鍛える一貫で毎日ジョギングをしているけど、それは日が沈んでからの話だ。日が照ってる時間は、授業の復習と予習に当てている。日差しには慣れていない。

 では文化部はどうかというと、今のところ文芸部ほど興味をそそられた部活はない。影山達がいる社会科研究部も見てみたが、僕は歴史や地理などにそこまで興味を持てなかった。

 どちらかというと、活動内容よりも部員の格好に驚かされた。影山みたいに髪を染めていたり、改造制服を着ていたりと、割とやりたい放題だった。

 部長さん(こわもてのモヒカン頭だった)が言うことには「自由と規制の境界が何処にあるのかを知る」ということらしいんだけど……変な風習だ。人格は皆さん普通に穏やかだった(黒木除く)。

 当然のように女子部員はいない。大西さんでさえ僕を盾にして警戒してたし、しょうがないよね。……彼女の場合、影山と黒木に対する警戒もあったのかもしれない。黒木はともかく、影山は警戒する必要ないんだけど。

 さて、影山のグループの最後の一人である尾崎なんだけど、彼は社会科研究部ではなく料理部にいた。正直、部活見学で一番驚かされたのは彼だ。

 料理部はどうしても女子が多く、今年の男子部員は彼一人だという。そんな環境なので、身長180cm以上ある彼は非常に浮いて見えた。

 だが部員は皆彼に一目置いている。見学ではマドレーヌ作りを見せてもらったんだけど、一年の中では一番手際がよかった。

 寡黙ではあるけど、教え方も丁寧だ。ヘルプを求めた他の一年生部員に、生地作りの工程を見せながら、注意すべき点はしっかり伝える。彼が信頼されるのも納得だった。

 尾崎の意外な一面に驚かされ、何処か懐かしさも感じた。彼の持つ物静かな雰囲気の成せる業だろうか?

 それはともかくとして、僕は料理にそこまで興味がなかったので、入部は遠慮することにした。その際に尾崎が残念そうに肩を落としていたのが、ちょっとおかしかった。

 大西さんは……マドレーヌを食べるだけ食べて満足してた。部活見学に付き合っている体なんだから、もうちょっとちゃんと見学しようよ。

 

 朝、坂上家リビング。家族三人そろって朝食中だ。献立はご飯、味海苔、納豆、焼き魚に玉子焼き、それともやし炒め。

 お父さんから最近の学校について聞かれたので、部活見学の経過を伝えた。

 

「そうか。ちゃんと部活見学は出来ているんだな」

「うん。自分がやりたいかどうかで見てる。……どれもあんまり興味を惹かれないんだけどね」

「うーん、運動部は全滅かー。残念ね、透ちゃんの活躍を楽しみにしてたのに」

 

 頬に手を当てため息をつくお母さん。期待を裏切って悪いとは思うけど、僕がやりたくないんだからしょうがない。それにスポーツ未経験者がこのタイミングで入部して、活躍できるとは思えないし。

 だけど、それでもお母さんは嬉しそうだ。お父さんも、顔には穏やかな笑みが浮かんでいる。

 

「俺としては、透がちゃんと前を向けただけで十分だよ。大西さんには感謝しないとな」

「いや、これ大西さんあんまり関係ないよ? きっかけは羽山先生の言葉だったし」

「けど、明音ちゃんが透ちゃんを同好会に誘ったから、そういうことになったんでしょ? それならやっぱり感謝しないと」

 

 うーん、どうなんだろう。影山達の行動の発端は、大西さんじゃなくて伊藤さんだし。確かに大西さんは僕の感応を受け入れてくれたけど、それを言ったら先生や影山も一緒だ。……尾崎もかな。

 ……友達だって言ってくれたのは、嬉しかったけど。そこは感謝してもいいのかな。

 

「今度はお休みの日に連れていらっしゃい。私も、明音ちゃんと色々お話したいもの」

「いやそれは……同級生の女子を男子の家に招くって、どうなんだろ」

「別に構うことはないだろう。彼女なんだろ?」

 

 違います。ニヤニヤ笑うお父さんの言葉に、胡乱な表情で返す。「照れることはない」と言われたけど、照れているわけでもない。純然たる事実として、大西さんとそんな関係ではないのだ。

 

「僕をからかうだけならともかく、それは大西さんに失礼だよ。彼女だって、そんな風に思われるのは不本意でしょ」

「そうかしら? 何とも思っていない相手に、肩を貸して家まで運ぶなんてこと、普通はしないんじゃないかしら」

「お母さんまで! 普通はそんなことしないかもしれないけど、大西さんならやるんだよ。深く考えないで行動する人なんだから」

 

 彼女の直情性というか、行動の考えなしっぷりはいい加減身に染みた。魔術部でも文芸部でも料理部でも、あるいは通常の授業中でもやらかすのだから。

 ……この間返ってきた中間テストの結果も赤点スレスレだったらしい。僕はちゃんと復習していたので、全科目90点以上だった。

 僕の反駁に、しかしお父さんは笑いながらお母さんの説を支持する。

 

「それでも、大西さんがお前のことを気にしていることは間違いないと思うぞ。この間バス停まで送ったとき、透が家で普段どうしているのかとか聞かれたからな」

「あら、脈ありじゃない。頑張って、透ちゃん。あなたならきっと明音ちゃんのハートを射止められるわ!」

「勝手なこと言わないでよ。ともかく、僕も大西さんもそんなつもりはありません」

 

 ピシャリと話を切り、「ごちそうさま」と言って席を立つ。まったく、息子を弄って遊ばないでもらいたいものだ。

 ……僕が大西さんと、か。ちょっと想像できないや。そもそも僕の方が、大西さんにそんな感情は持っていないんだから。

 いや、全くないとは言えないけど。そりゃ僕だって健康的な高校生男子だ。可愛い女の子と付き合えたらって思うところは少なからずある。

 だからと言って、それを大西さんに……僕のことを友達だと言ってくれた彼女に当てはめるなんて、失礼にも程がある。いくら彼女が無防備だったとしても、僕が欲望に身を任せることがあってはならない。

 それに僕にはやることがある。自分の感応に向き合って、完全な制御下に置くこと。それが出来るようになるまでは、色恋なんて言っている場合じゃない。

 

「お母さん、補助お願い」

「はいはい、分かりました」

 

 感応を発動させ、一本だけ"触手"を出す。半透明なそれを操作し、円の形に巻き付けて「お盆」を作る。お母さんが少し離れたところから念動力で食器を乗せてくれた。

 それを流しまで運ぶ。力を出し過ぎないように、慎重に。緊張で体に力が入り、呼吸も忘れるほど集中して、ようやくこの程度だ。

 "触手"が発現したことによって、普通の念動力は消えてしまった。元々あった念動力が変化したものなんだろう。感応が発動すると、否応なしにこの危険な"触手"が出現することになる。

 だから僕はまず、"触手"の力加減を覚えなければならない。突発的に感応が発動しても、人に怪我をさせず物も壊さないで済むように。そのための訓練がこれだ。

 非常な努力で力を抑え込みながら、ようやく「お盆」が流しに到達する。お母さんが念動力で食器を下ろしてから、僕は"触手"を消し、大きく息を吐き出した。

 

「はあーーー……お父さん、何分かかった?」

「1分20秒。最初のときよりだいぶ早くなったな。偉いぞ、透」

 

 くしゃくしゃと頭を撫でてくるお父さん。最初は3分もかかっていた。それに比べれば、確かに随分上達しただろう。

 だけど、まだまだ遅い。全力で集中してこれじゃ、制御出来てるなんて言えない。"触手"を見ないでもこのぐらいのことは出来なければ。

 先は長い。でも、一歩一歩確実に進めている。二つの感覚が、僕の中で釣り合いを取っていた。

 

「ありがとう、お父さん、お母さん。それじゃ、行ってきます」

「行ってらっしゃい。今日こそ部活動決められるといいわね」

「俺もそろそろ出なくては。行ってらっしゃい、透」

 

 そうして今日もまた、昨日とは違う一日が始まる。

 

 

 

 

 

「坂上君、おはよ。同好会」

「おはよう、大西さん。まだ見学中でしょ」

 

 昨日と同じやり取りで学校生活が始まる。「所属する部活は自分で決める」と約束してから追い回されることはなくなったけど、サブリミナルのごとく「同好会」を連呼するようになった大西さんだった。

 確かに彼女の活動に協力するという選択肢を選ぶ可能性がゼロというわけではない。今のところ一番興味を持った文芸部も決定的というわけではなかった。誤差の範囲と言ってしまえる。

 だけどこう毎日言われると、さすがに嫌気が差してくるというか、変化がなくて息苦しさに似たものを感じる。閉塞感というほどではないんだけど。

 

「大西さんも、真面目に部活見学しなよ。僕が同好会に入らなかったら、大西さんもどこかの部には入らなきゃダメでしょ」

「あ、それは平気。そのときは坂上君と同じ部活に入るから」

 

 えー……。それはいくらなんでも適当過ぎじゃないかな。僕と大西さんの趣向は違うんだから、僕と同じことをやっても大西さんは楽しめないと思うんだけど。

 それとも、「僕と一緒なら何をやっても楽しい」とでも言う気なんだろうか。そんな、口説き文句みたいな……両親との会話を思い出し、思考を振り払う。

 

「それ、仮に僕が陸上部に入るって言ったら、大西さんも陸上部ってことだよ。それでいいの?」

「いーのいーの、坂上君専属のマネージャーやるから。選手やらないなら問題なし!」

「……陸上部はなしだな。皆から恨まれそう」

 

 大西さんを専属マネージャーにしたら、確実に男子生徒から妬まれる。現に黒木は毎日僕に恨みのこもった視線を向けて来ているのだ。そのたびに影山に叩かれてるけど。

 残念なおつむと遠慮のない言動で忘れがちだけど、大西さんはスタイル抜群の美少女なのだ。そんな彼女を、360°どこから見ても地味メンである僕が侍らす。周囲がどう思うかなんて、考えるまでもない。

 っていうか、専属マネージャーなんて出来るんだろうか? 運動部のマネージャーになったら、皆平等に接さなきゃいけないと思うんだけど。

 僕と大西さんが最近お決まりの会話をしていると、もう一人女生徒が会話に入ってくる。伊藤さんだ。

 

「おはようございます、坂上君。まだ部活は決まりませんか?」

「おはよう、伊藤さん。まだだね。あと三つほど見学するつもりの部が残ってるんだけど」

「手芸部と新聞部と……何処だっけ?」

 

 漫画研究部。前二つに比べて規模が小さいため、存在を忘れがちだ。僕自身ほとんど興味を惹かれないため、最後まで残ってしまった。

 ……それなら別に見学しなくてもいいかなとも思うけど、先生がくれたリストには載ってたし。見るぐらいはしておくべきだろう

 

「僕は漫画よりも小説の方が好きだな。全く読まないわけじゃないけど、特に少年誌はバトル展開が多くてどうにも馴染めないんだよね」

「ふうん? あたしは結構少年漫画も好きだけど。戦いの中で芽生える友情って、なんかいいじゃん」

「ふふっ。坂上君は、実際に影山君とそんなことをしたんですよね」

 

 そういうことになるのかな。あれは単にお互いの思惑がすれ違ってて、先生の手助けで正面から向き合えただけだから、戦いの中で芽生えた友情とはまた違うと思うけど。

 僕が少年誌特有のバトル展開が苦手なのは、僕の持つ感応のせいだろう。ああいう漫画では"特別な能力"を持った主人公が活躍することが多いわけだけど……世の中そう簡単ではないことを実体験として知っている。

 だから、見ていて辛いと感じることが多々ある。その点小説は、心情心理の描写に力を注いでいるものが結構多い。それはそれで重いこともあるけど、僕にとってはバトル展開より楽だ。

 

「とはいえ、本自体そこまで読まないんだけどね。今まで趣味らしい趣味ってなかったし」

「それなら、私のお勧めの本を色々ご紹介しますよ。これを機に是非読書の楽しさに目覚めてください」

「むっ。さつきちゃん、さりげなく文芸部を勧めない! 坂上君は、うちの同好会の副会長になるんだからね!」

 

 大西さんが伊藤さんにじゃれ付き、伊藤さんも困ったような笑顔で受け止めた。微笑ましい光景で、自然と頬が緩む。

 ……見目麗しい女子がじゃれ合うすぐ近くにいる僕には、クラスの男子から嫉妬のような視線が注がれる。僕は関係な……くはないけど、そんな目で見られても困る。

 居心地が悪くなったので、「ちょっと飲み物でも買ってくる」と言って、予鈴まで席を外すことにした。

 

 スポーツドリンクを片手に一息つくと、後ろから乱暴に肩を組まれた。影山だ。

 

「ヨっ。お兄さん、モテモテだねー」

「勘弁してよ。謂れのない嫉妬を受ける身にもなってほしい」

 

 あの日以降、影山ともよく会話をするようになった。……男子では影山としか会話出来ていないというべきか。どうやら僕は「自分から話しかける」ということが苦手なようだ。

 影山のように積極的に話しかけてくれるなら、僕も普通に会話が出来る。だけど今のところ、こうやって僕に話しかけてくれる男子は彼だけだ。まだ何処か腫物扱いされている気がする。

 

「だけど大西チャンも伊藤チャンも、お前のことをよく思ってくれてんだろ?」

「多分ね。二人にとっては、僕からマイナスイオンが出てるらしいよ」

「毒舌癒し系キャラってか? 似合わねー」

 

 まったくだ。二人は僕と話すと楽しいと言っていたけど、当人である僕にはまるで理解できない感覚だ。大西さんは「理屈じゃない」って言ってたけど。

 

「影山は、僕と話してて面白い?」

「なんだよ急に。面白くなかったら、こんな風に話しかけたりしてねえヨ」

「……ずっと人との関わりを放棄してたから、そこまで上手く会話出来てるとは思えないんだよ。現に、影山以外の男子とはまともに会話出来てないし」

 

 黒木は相変わらず目の仇にしてくるから会話が成立しないし、尾崎は尾崎でだんまりだから会話にならないし。他の男子は、先述の通りだ。

 話し始めれば、転がすことぐらいは出来る。だけど会話を盛り上げられているかと言われると、まるで自信がなかった。

 影山は「そんなことか」と呆れた様子だ。

 

「お前にゃお前の面白みがあるんだヨ。誰彼かまわず話しかけるお前とか、想像するだけで気持ちわりい。ちょっと根暗っぽいぐらいでちょうどいいんだよ」

「……やっぱり根暗っぽいのか、僕は」

 

 客観的に見て、そのキャラクターが定着しているということなのだろう。人から言われると若干凹む。

 だけど影山は「それでいい」とばかりに笑う。

 

「根暗っぽいのが、話してみたら意外と饒舌だから、ギャップが面白いんだヨ。二人がどうなのかはわかんねーけど、俺はそんな感じだゼ」

「じゃあ、僕が根暗キャラを卒業したら、面白みはなくなるんじゃない?」

「そんときゃまた別の面白さを見つけるさ。お前なら、探せば探すだけ見つかりそうじゃん?」

 

 結局分かったことは、影山はやっぱり「イイ奴」であるということだった。思わず苦笑してしまう。「何笑ってんだヨ」と締められる。

 

「つーか、根暗卒業したいならまず見た目だろ。この鬱陶しい髪型を変えたらどうだ?」

「い、いいよ。髪型変えるとか、難しそうだし」

 

 僕のぼさぼさ頭と目隠れは、根暗演出のためでありながら、怠慢の結果でもあった。癖っ毛だから、手入れをしないとどうしてもこうなってしまう。

 

「なーに言ってんだヨ、大したことねえって。よし、俺が何とかしてやる!」

「だからいいってば! ほら、予鈴鳴ってるよ! そろそろ教室戻らないと!」

「……チッ。この話は次に持ち越しだな。忘れんじゃねーぞ!」

 

 影山のヘッドロックから解放され、空になったペットボトルを捨てる。そして二人で教室まで走り、羽山先生に「廊下を走るなっつってんだろ!」と叩かれた。

 

 

 

 

 

 何の変哲もない高校生活。僕がこんな他愛のない日々を送れるなんて、一週間前までは考えもしなかった。一歩を踏み出してみれば、実にあっけないものだ。

 それだけ僕が変化を拒絶してきたという証左でもある。受け入れてしまえば、世間というものは無慈悲なまでに変容を続ける。昨日と今日で同じものは何一つとしてない。

 今日の僕は昨日の僕ではないし、明日の僕は今日の僕より一歩先を行く。そうやって変化し続けて行けば、いずれ僕も自分を乗り越えることが出来るのだろうか。……それはまだ分からないけど。

 今の僕は、この変化を好ましく思っている。元々「変わりたい」とは思っていたわけで、きっかけさえあれば以前の僕でも同じだっただろう。そのきっかけを見つけられなかっただけの話だ。

 最大のきっかけとなったのは、僕らの担任の言葉。「偶然の正解を続けられる努力をしろ」という激励だ。だけどそれは、あの出来事があったからこそ僕の胸に響いた。あれがなければ、この言葉自体なかっただろう。

 そう考えれば、お父さんとお母さんの意見も的外れとは言えない。連鎖した出来事の一番最初には、大西さんがいた。彼女が僕を同好会に誘ったのが全ての始まりだ。

 これこそが僕が大西さんの無謀な同好会を候補から外せない理由でもある。彼女といればまた変化のきっかけをもらえるかもしれないという、浅ましい願望だ。

 友達だからとか、見捨てないでくれた恩だとか、そういう理由の方がまだマシだろう。やっぱり僕は、どうあがいても自己中みたいだ。

 大西さんとは違う。彼女は「不誠実だから」という理由で、魔術部という優良な環境を自ら除外した。僕は不誠実だろうがなんだろうが、使えるものは使うべきだと考えてしまう。

 この考えは、いつか変えられるんだろうか。……変えたいとも思うし、変えるべきではないとも思う。今の僕にはまだ答えが出せなかった。

 

 文芸部の活動にはわずかな興味を持てた。「楽しそう」というのとはまた違うけど、僕の中で何かが引っかかったのは事実だ。

 もしかしたら、「自己表現の練習の場」として文芸部を見ていたのかもしれない。伊藤さんの言う通り活動を続けていくことで、僕も自分から意見を言えるようになるかもしれない、と。

 だとしたらやっぱり「不誠実」だろう。文芸部の活動そのものに興味を持っているのではなく、結局は自分自身のことしか考えていない。事実として、僕に文芸部への思い入れはない。

 伊藤さんは文芸部の活動を本心から楽しんでいる。彼女だけじゃない、部長さんも、他の部員もだ。でなくて、あれだけ熱心に意見を交わすことが出来るだろうか。

 そんな中に僕みたいな不誠実なやつが入り込めば、確実に温度差が発生するだろう。軋轢を生みかねない。彼女達の楽しみに水を差す真似はしたくない。

 もちろんこんなものは僕の想像でしかなく、実際に文芸部に入れば僕も楽しく活動を出来るかもしれない。だけど……そんな想像をしてしまう自分が嫌だ。人はそう簡単には変われない。

 僕のやりたいことは何なのか。そう考えて部活見学をしても、やりたいことは見つからない。そもそも僕はまだ趣味と言えるほどのものを持っていないのだ。

 

「……手芸部は合わないみたいです。手先、器用じゃないですし」

「残念。男子部員獲得なるかと思ったのに」

 

 髪をハーフアップにして丸眼鏡をかけた二年の先輩は、苦笑しながらため息をついた。彼女が手芸部の部長さんだ。

 言葉通り、手芸部には男子部員が皆無だった。その時点で僕にはアウェー感が半端ではなく(料理部でも似たようなものだった)、活動内容で印象が覆されることもなかった。編み物とか絶対無理。

 そんな僕と比べて、大西さんは意外と興味津々だった。意外と、と言ったら失礼かもしれないけど、こういうチマチマしたことは苦手そうなイメージだから。

 

「えー、やってみようよ坂上君。やってるうちに慣れるって」

「大西さん、同好会作る話はどうなったの?」

「……はっ!? あ、危ない危ない。うっかり手芸部に入っちゃうところだったよ」

「ふふ、愉快な彼女さんね」

「違います」

 

 ドキッパリ断言する。すると、何故か不満そうな顔をする大西さん。恋人に見られた方がよかったんだろうか。

 

「そんなキッパリ言われたら、女としてのプライドが傷つくの。少しぐらい残念そうにしてよ」

「大西さんが手芸部に入ってくれなくて残念だよ。これで解放されると思ったのに」

「そっちじゃないわよ!」

「ふふふ。私は、あなた達ならお似合いのカップルになれると思うんだけど。息ぴったりじゃない」

 

 大西さんは話しやすいから、誰だってそうなると思う。弄るといい反応を返してくれるし、調子に乗って自爆してくれるから面白いし。

 なので僕が大西さんにとっての特別というわけではない。僕にとっては……話が出来る人自体が特別だから、また意味が変わってくる。

 ともかく、部長さんが期待するような間柄ではない。息が合うから恋人というのも単純すぎる理屈だ。

 

「見学させていただいたのに、申し訳ありませんでした」

「いいのよ、気にしないで。今度はカップルになってから遊びにいらっしゃい」

 

 だからなりませんて。

 

 

 

 新聞部は既に見学していた。常に記事のネタを探しているのか、部長さんの目が血走っていて若干恐怖を感じた。もちろん、入ろうという気にはならなかった。

 漫画研究部に至っては見学することすらできなかった。部室の外からチラッと見て「これはない」という結論で大西さんと合意した。一言で言えば、ガチ過ぎた。

 そして手芸部は先の通り。これで羽山先生からもらったリストに書いてあった部活は全て確認したことになる。

 

「結局、文芸部が一番興味を惹かれたってこと?」

 

 屋上にて、段差に腰掛け一息つくと、大西さんはそう尋ねてきた。

 

「んー……微妙。興味って言っても誤差の範囲だし。「強いてやるなら」っていうレベルでしかないよ」

「さつきちゃんは坂上君に入部してほしいって言ってたけど」

「人の意見を理由にしちゃダメでしょ。それなら何処に入ったって一緒だよ」

 

 部活動というものは部員を獲得したいと考えるものらしく、何処からも歓迎された。部員が多ければ多いほど部費も多くとれるのだから、当然だろう。

 伊藤さんだけが特別というわけではない。もちろん彼女は僕と個人的な繋がりがあるわけだから、意図は違ってくるだろうけど、僕から見て「他人の意見である」という事実に変わりはない。

 大西さんも本気で聞いたわけではなく、「それもそだね」と空を仰いだ。夏至が近づくにつれてだんだん日が長くなっており、5時を過ぎてもまだ明るい。

 

「……やりたいことを探してみたけど、そもそも僕がやりたいことが自分で分かってないから、いくら探しても見つからないんだろうね」

「ふーん。「とりあえずやってみる」程度でいいと思うけどね」

「大西さんも言ってたでしょ、「得意だからって理由じゃ出来ない」って。僕も似たようなものだよ。一歩を踏み出す明確な根拠がないと、僕は動けないんだ」

 

 人はそう簡単には変われない。前を向いて歩くことを始めた僕だけど、臆病が完治したわけじゃない。「本当にこの選択で間違っていないか」と、どうしても考えてしまう。そして、身動きが取れなくなってしまう。

 たかが部活選びに大げさかもしれない。とりあえずやってみて、合わなければ辞めればいいだけの話なんだから。それが許されているのに……僕は割り切ることが出来なかった。

 

「坂上君のやりたいこと、ねー。将来の夢もないの?」

「……分からない。ようやく前を向くことが出来たばっかりなのに、そんな先のことは考えられないよ。今はまだ、自分の足元を固める方が大事だよ」

 

 僕が人を遠ざける前……小学四年生のときには、何を願っていたっけ。色々迷走しまくってた気がするな。

 簡単な料理を覚えては料理人になりたい。電気回路を学んでは発明家になりたい。マラソン大会で上位に入れたときは、オリンピックに出たいとか考えたっけ。今から思えば無謀なことを色々と考えたものだ。

 趣味と言えるほどのものは定まっていなくて、それが定まる前に停滞してしまった。皆がそれぞれの夢を追うのを横目に、ただ突っ立っていただけだ。

 時間は二度と元に戻らない。失った中学時代は帰って来ない。……少しだけ、寂しい気持ちになった。

 

「大西さんは、どうなの? 同好会をやりたいのは分かってるけど、将来の夢って言えるほどのものじゃないよね」

「まーね。いくらあたしでも、ずっと魔法だけやってられるなんて思ってないわよ。あたしも、夢って言えるほどのものはないわね。中学の頃は陸上選手とか思ってたけど」

 

 「そんな息苦しいのは無理」と快活に笑う。考えてみれば、高校一年で将来のことまで見据えて活動している人の方が珍しいかもしれない。せいぜいが「どこそこの大学に行きたい」程度だろう。

 ふう、とため息をついて、ごろんと横になった。手足を伸ばして大の字になる。わずかに雲が出ている空は、オレンジ色に染まっていた。

 

「坂上君は難しく考えすぎなのよ。もっと楽な気持ちで決めればいいじゃない」

「……僕もそう思ってるんだけどね」

 

 言うは易し、行うは難し。大事な最初の一歩だからか、どうしても肩の力が抜けない。こうしてだらしない格好になっても、心のどこかに重石のようにのしかかっているものがあるのを感じる。

 目を閉じ、呼吸を深くする。グラウンドから聞こえる運動部の掛け声。通りを走る自動車の駆動音。古家電回収車のアナウンス。普段は意識しない色々な音が耳に届く。

 そうやって心を静かにして、自分が何を思い何を感じたかを、客観的に整理してみようとした。

 

「よい、しょっと」

「ぐふっ」

 

 なのに大西さんが何故か僕の腹の上に腰掛けたことで、思考が中断されてしまう。彼女が重いとは言わないでおくが、たとえ軽かろうとも勢いよく座られれば重みを感じる。

 

「おー、やっぱり腹筋も凄いね。カッチカチ」

「あ、あのね大西さん……鍛えてるって言っても、限度はあるからね?」

「へーきへーき、男の子でしょ?」

 

 僕の腹のあたりを手で触ってくる大西さん。こそばゆくてちょっと腹筋が痙攣した。

 落ち着いて来ると、今度は腹部から伝わる彼女のむっちりとした臀部の感触に意識が行く。……意識してはいけない。心頭滅却、心頭滅却。

 

「ねえ、坂上君。やっぱり、あたしと一緒に同好会やらない?」

 

 僕の腹に腰掛けたまま、大西さんは語りかけてきた。柔らかく、飾らず、いつも通りの彼女で。

 

「一週間前にさ、あたし言ったじゃん。「あたしと坂上君のやりたいことが出来るような、そんな同好会を作りたい」って。あのときは坂上君を引きとめたい一心だったけど……あの言葉、嘘じゃないんだよ」

「……だけど大西さんが作りたいのは、「幻想魔法研究同好会」なんでしょ?」

 

 この時点で「魔法の研究をする」という大まかな方向性は決定する。内容が魔術になるのか感応の分析になるか、影山が言ったみたいに霊能にも手を出すのかまでは分からないけど。

 僕は感応をコントロールする努力をしているけれど、それは「やりたい」からではなく「やるべき」だから。僕自身は、魔法にそれほどの興味を持っていない。

 感応を持たず、魔術を未修得な大西さんだからこそ、「誰も考えなかった魔法」を生み出したいと思ったのだ。彼女のやりたいことではあるけれど、僕のやりたいことではない。

 大西さんは、僕の考えを肯定する。彼女が「魔法の研究」をしたいと思うのも、嘘ではない。

 

「だけど、あたしにはまだ何をすればいいか分かってない。まずは探すところから。「どんな魔法を作りたいのか」から探さなきゃいけないんだ」

「そこからだったのか……」

 

 なんだか活動内容が漠然としていると思ったら、そもそもの目的が定まっていなかったようだ。ただ「魔術でも感応でもない新しい魔法を作りたい」という大まかな目標があるだけ。

 理解し、苦笑が漏れた。大西さんの語りは続く。

 

「あたしは、「やりたい魔法」を探す。坂上君は、「やりたいこと」を探す。二人で一緒にやったら、きっと楽しくなると思うんだ」

「そうかな。二人揃って迷走しそうな気もするけど」

「あたし達なら、それも楽しみに変えられるよ。そんな気がするんだ」

 

 少女は夢を見るように、優しく語る。空は徐々に夜と昼が入り交じり、紫色の不思議なコントラストに彩られる。……だからなのか何なのか、僕も大西さんの言葉がストンと胸の内に落ちた。

 彼女といることは、楽しい。彼女も僕といることが楽しいと言う。なら……少なくとも利害は一致している。

 

「そうかも、しれないね」

「でしょ? 坂上君とだったら、あたしは何処まででも突っ走れる気がするの」

「それだと迷子になるかもしれないから、ストッパー役は必要だね」

「あたしがアクセルで、坂上君がブレーキとナビ。いいコンビだと思わない?」

「僕の負担が大きいなぁ。ナビ役にもう一人と、メーター役もほしいところだね」

「じゃあ、まずは会員探しだね。あたしと坂上君と、まだ見ぬ会員二人。四人合わせて、「幻想魔法研究同好会」だよ」

 

 まだ結成してもいないのに、絵に描いた餅を膨らませる大西さん。おかしくて笑う。……それもいいかな、なんて思ってる僕がいた。

 どうなるかなんて分からない。この選択が正しいかどうかの保証なんて誰にも出来ない。そういうものなんだ。未来はいつだって不確定なんだから。

 大切なのは、一歩を踏み出す勇気。そのための勇気は、たった今大西さんがくれた。

 彼女は正しい。確かに二人でなら、何処まででも突っ走っていけそうだ。

 

「それはいいんだけど、僕はまだやるとは言ってないよ」

「えー! 今のはどう考えたって入ってくれる流れだったじゃない!」

「だから、まずは僕の上からどいてほしいんだけど。そうしないと、書くものも書けないでしょ」

 

 今まで大西さんは、ずっと僕の腹に腰掛けたまま会話をしていた。……僕の理性もいつまで保つか分からないのだ。

 「え?」と呆ける大西さんを、背中を叩くことでどかせる。ふっと息を吐き出し、僕は立ち上がった。

 

「同好会申請書、持ってるんでしょ。貸して」

「う、うん。……入って、くれるの?」

「散々勧誘しておいて、今更「嘘でした」はなしだよ。ほら」

 

 困惑しながら、大西さんは四つに折りたたまれた同好会申請書を取り出した。受け取り開くと、相変わらずの「副会長」と空白の氏名欄だった。

 僕は鞄からボールペンを取り出し、壁を下敷きにして自分の名前を書いた。

 

 

 

「幻想魔法研究同好会」

  会長 大西明音

 副会長 坂上透

 

 

 

「はい。これで先生に提出すれば、晴れて同好会成立だよ」

 

 大西さんに申請書を手渡す。彼女はいまだに信じられないようで、震えながら受け取った。

 ……僕自身、意外だったと思う。結局最後まで、僕は大西さんの考えに賛成したわけじゃない。同好会の活動内容も理解していない。

 ただ、彼女と一緒にいられるから……彼女と一緒なら前に進める気がするから。何処までも自己中心的な、他力本願極まりない理由で、同好会に入ることにしたのだ。

 僕の本音を知ったら、彼女は怒るだろうか。呆れるだろうか。彼女なら、それでも笑って受け止める気がする。僕と違って強い子だから。

 だから、今はこれでいい。この選択は、少なくとも僕は納得して行ったのだから。大西さんがどう思うかは、彼女次第だ。

 彼女は……しばらく震えてから、弾かれたように動き出した。職員室へ、ではなく、僕の方へ。

 

「っっっっありがとう、坂上君! ありがとうぅぅぅっっ!!」

「わぷっ!? ちょ、大西さん! 息が、出来な……」

 

 飛び上がり、抱き着き、そのまま抱きしめられた。またしても僕は、大西さんの豊かな胸に圧迫されることとなった。

 ……早まったかもしれない。薄れ行く意識の中で、これからも無防備な大西さんと行動を共にしなければならないことに思い至り、ちょっとだけ後悔した。

 

 

 

 

 

 翌朝、担任用教員室にて。大西さんと僕は、羽山先生に同好会申請書を提出した。先生は受理し、「幻想魔法研究同好会」は正式に発足した。

 

「……こうなることも予想はしてたけど、まさか本当に同好会を作るとはなぁ」

 

 僕と大西さんを交互に見ながら、羽山先生は苦笑してそう言った。彼としては、僕も大西さんもどこかの部活に入る可能性の方が高いと踏んでいたようだ。

 その考えは間違いではない。大西さんが考えていることは何処まで行っても無謀なことであり、賛同者が現れる可能性は低かった。僕も賛同して入会したわけではない。

 ただお互いの思惑がかみ合っただけ。客観的な事実を言えばそれだけのことだ。だけど結果は結果であり、大西さんは同好会設立のための条件を満たした。

 大西さんは僕から拒絶されながらも諦めずに話をし、見事に競り勝ったのだ。

 

「ふっふーん。あたしは諦めが悪いんですよーだ」

「ああ、参ったよ。俺個人の意見としては、お前にはもう一度陸上をやってほしかったけど……ここまで意志が固いんじゃ、どうしようもねえよな」

「先生はやっぱり、大西さんの中学時代の部活を知ってたんですね」

「何で辞めたかまでな。そんなこと気にする必要はないって言ったんだけどなぁ」

「あたしにとってはそれが大問題なんですよ。モチベーションってほんと大事なんだから」

 

 今の彼女のモチベーションは、魔法に触れることに向けられていた。陸上に一切の未練がない、とは断言できないけど、中学のときのようには出来ないんだろう。

 だから羽山先生も、潔く諦めることにしたようだ。すっぱりと陸上部の話を打ち切る。

 

「んで、顧問と活動場所はどうすんだ?」

「顧問の先生はまだ決めてませんけど、活動場所は第二小教室にしようと思ってます。あそこ、放課後は使われてないみたいですし」

「文芸部のお隣か。……伊藤の入れ知恵だな?」

 

 「あはは」と曖昧に笑って頬をかく大西さん。ちゃんと調べておいたんだ。意外と会長らしいことをやっていて感心する。

 顧問については、まだ必要ない。同好会に必須ではないし、漠然とした活動内容だけでは顧問が困ってしまうだろう。

 

「当面の活動は、目的の具体化とメンバー集めを予定しています。本格的に活動できるようになったら、顧問になってくれそうな先生を探そうと思います」

「なるほどな。……いいコンビじゃねえか。お前の選択は間違ってないぞ、坂上」

「……ありがとうございます」

 

 羽山先生からお墨付きをいただいた。大西さんはよく分かっていないようだったけど、僕は内心で達成感を感じていた。

 また一歩、踏み出せたのだ。今度こそ自分の意志で。……悪くない感覚だった。

 同好会の今後について話していると、冬木先生も会話に参加する。

 

「お二人とも、おめでとうございます。魔術部に入部していただけなかったのは残念ですが、一教師として応援させていただきますよ」

「冬木先生も、ありがとうございます。……今後の活動で、もしかしたら冬木先生にお話を伺うことがあるかもしれません。厚かましいようですけど、いいでしょうか?」

「ええ、構いません。生徒に道を示してこそ教師というもの。遠慮などせず、気軽に話しに来てくださいね」

「はいはーい! それじゃ早速ですけど、魔術に詳しいフリーの二年生っていませんか?」

 

 大西さんは早くもメンバーを集める気でいるらしく、冬木先生に質問をした。流してくれていいのに、彼は「ふむ」と顎に手を当てて考える。真面目な先生なんだよなぁ。

 

「二年に進級する際に魔術部を退部した人はいますが、勉学に集中するためか、魔術部で活動することに限界を感じたかのどちらかです。彼らが大西さんのご要望に適うとは思えませんね」

「あー……そりゃそうですよね。事情があって辞めるんだから……」

「運動部で魔術に詳しい一年はどうですか? 確か、運動部と文化部なら兼部可能でしたよね」

 

 大西さんの質問を僕が掘り下げる。僕達は同好会だけど、扱いは文化部と同じだ。兼部の条件は変わらない。

 とはいえ、冬木先生も生徒全員の魔術習得具合を把握しているわけではないだろう。魔術部ならともかく外部の、しかも運動部所属の生徒までは分からない。

 

「申し訳ありません。さすがにそこまでは分かりかねます。素養がありそうな生徒には目を付けているんですがね」

「だからって坂上を引き抜こうとすんじゃねーぞ、オタメガネ。こいつはもう大西の同好会メンバーだからな」

「冬木です。いい加減名前で呼んでください。……そんな無粋な真似はしませんよ。それに坂上君には、魔術よりもやらなければならないことがあるのでしょう?」

「……目をかけていただいたのに、申し訳ないとは思います。だけど、感応もまともにコントロール出来てないのに、魔術のことまでは考えられません」

「それについても応援しますよ。坂上君が、いつか自分の感応に胸を張れる日が来ることを」

 

 「その日が来たときには、魔術にも目を向けてくださいね」と冗談めかして付け足す冬木先生。羽山先生は「ケッ」と言いながら、表情は笑みだった。

 こうして「幻想魔法研究同好会」は、二人の教師に応援されながら発足した。……いつか、その恩に報いることが出来るだけの成果を出したいものだ。どんな形になるかは分からないけれど。

 

 

 

 放課後、第二小教室へと移動する。僕と大西さん、それからここを紹介してくれた伊藤さんも一緒だ。

 第一・第三小教室と違って、この小教室は授業でも使われていない。それぞれの教室で使う教材の物置と化している。そのため、これまで他の部や同好会に使われることがなかったのだそうだ。

 

「結構小物がいっぱいね。まずは掃除しなきゃダメかしら」

「そうだね。一応先生の許可は取ってからにしよう。動かしたらまずいものもあるだろうし」

「二人とも、ごめんなさい。もっといい場所を紹介出来ればよかったんですけど……」

 

 伊藤さんが申し訳なさそうに謝る。こちらとしては場所を紹介してくれただけで十分すぎる。

 

「へーきへーき! それに、ここならさつきちゃんとお隣でしょ? いつでも気軽に遊びに来てよ!」

「あかねちゃん……はい! それなら、文芸部にも遊びに来てくださいね!」

「うん、約束! 坂上君もいいわよね?」

「別に構わないけど……次は寝ないでよ? 文芸部の皆さんに失礼だから」

 

 棘のある言葉に大西さんは「うっ」と呻く。伊藤さんはおかしそうに小さく笑った。

 コンコンとドアがノックされる。「どうぞ」と声をかけると、僕が最近仲良くしている男子が一人、「ヨっ」と言いながら入ってきた。そういえば彼もご近所さんだな。

 

「影山っ……」

「そう邪険にしないでくれヨ、大西チャン。これ、お祝いのスコーン。マサキからの差し入れナ」

 

 彼はそう言って綺麗に袋詰めされたスコーンを取り出した。人数分よりも多く、尾崎の気合の入れようが伝わってくる。

 見た目ド金髪の不良な彼は、伊藤さんにとっては接し辛いようで、恐る恐るといった感じで受け取った。

 

「こ、こんなもので懐柔されたりしないんだからね! ムグムグ!」

「言ったそばから食べてたら説得力ないよ。っていうか教室内で飲食ってどうなんだろ」

「バレなきゃいいんだヨ。それに、んなこと言ったら弁当だって食う場所がなくなる。食べ散らかさなきゃいいだけの話だろ」

「さ、さすがは「自由と規制の境界を探る」がモットーの社会科研究部ですね……」

 

 影山の言葉に一理あり、僕もスコーンを食べた。……やはり尾崎、中々の腕前だ。無言でサムズアップをする彼の姿が頭に浮かんだ。

 それからしばし、尾崎のスコーンに舌鼓を打ちつつ、四人で談笑をした。いつの間にやら大西さんも伊藤さんも、影山への警戒は消えていた。

 

「そういうわけで、同好会は見切り発車もいいとこだよ。しばらくは資料とにらめっこの日々だろうね」

「坂上も大変だよなぁ。副会長として大西チャンの無茶振りに応えなきゃならねえんだから」

「う、うるさいわね! 坂上君はそれでいいって言ったもん!」

「今のままだと、坂上君の負担が大きそうですね。やっぱり、まずはメンバーを集めないと……」

「さつきちゃんまで!? くそぅ、会長はあたしなんだぞー!」

 

 大体は大西さん弄りに終始した。彼女は脇が甘いから、二人も弄りがいがあると感じたようだ。

 当たり前の学生生活、当たり前の日常。穏やかな時間が流れる「当たり前」の中で、僕も一緒に笑っていた。

 

 ――これが、僕の新しい日常。あの日、大西さんと出会った瞬間に始まった、新しい時間。

 歯車はしっかりとかみ合い、回り出した。車軸は錆を落とし、滑らかに回る。扉は大きく開かれ、そして僕達は新しい明日に向けて、歩き始めた。一歩一歩、確実に。

 

「二人も同好会に入りなさいよー!」

「いやぁ、俺は社会科研究部を気に入ってんだよネ。同好会は無理だわ」

「私も、文芸部がありますし。ごめんね、あかねちゃん」

「ムッキー!」

「……先行き不安だなぁ」

 

 ……時には、踏み外すこともあるけどね。




今回の語録
「やっぱり壊れてるじゃないか(憤怒)」



・人物紹介

坂上透(さかがみとおる)
本作主人公。一年一組所属。明音が設立した「幻想魔法研究同好会」の初期メンバーとして入会。役職は副会長。
感応使い。元々は効果範囲が広い念動力が使える程度だったが、過去の暴発事故によって触手のようなものを発生させる能力に変化している。
この能力は非常に強力で力加減も出来ず、それが原因となって最近まで人との関わりを極力避けるようにしていた。
元々は饒舌であり、人と関わっていなかった時期も独り言は頻繁に行っていた。現在もそれが癖になっており、脱根暗キャラは遠い。
まだまだ自分が何を成したいのか分かっていない、ごくごく普通の男子高校生。同好会活動の中で自分を探しながら、一歩ずつ成長していくことになるだろう。
彼ら全員の成長を描くことこそが、この物語の目的の一つでもある。


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幕間 休日・大西明音

今回は明音視点でお送りします。

2016/09/24 活動報告の方に第一章あとがき的なサムシングを追加しました。


「お姉ちゃん、もう8時だよ! いい加減起きて!」

 

 暖かい布団の中で惰眠をむさぼっていると、ゆさゆさとゆすり起こされた。昨日は中々寝つけなかったから、もうちょっと眠っていたかったんだけど。

 あたしを起こす妹の手ごと布団を撥ね退け、体を起こした。

 

「ふぁー……日曜日なんだからもうちょっと寝かせてよ」

「もー。お姉ちゃん陸上辞めてからたるみすぎ! 以前は6時には起きて走りに行ってたのに」

 

 恐らく既にひとっ走り終えてきたのだろう、妹の明莉(あかり)はジャージにスパッツという動きやすそうな格好だった。顔もちょっと赤い。

 あたしが怪我をして陸上を辞める前、去年の夏ぐらいまでは、休みの日はいつも妹と一緒に走ってた。今では体を動かしたいときに時々一緒するぐらいだ。

 あかりは中学一年生で、現役の陸上部員。あたしが出来なかった県大会優勝を達成するんだと意気込んでいる。その気持ちは嬉しいんだけどね。

 

「へへー。今のあたしは文化部なんだよ。もう無理して休みの日に早起きする必要はないもんねー」

「またそういうこと言う! 怪我は治ったんだから、もう一度陸上やればよかったのに……」

 

 あかりとしては、姉妹で陸上を頑張りたかったんだと思うけど……あたしにそのモチベーションがないんだからしょうがないよ。

 謝る代わりに、あかりをギュッと抱きしめた。運動直後の熱が伝わってくる。

 

「あたしの分はあかりが頑張ってくれるって信じてるから。しっかりやれよー、妹!」

「お姉ちゃ、息出来なっ……!」

 

 おっとと。力が入り過ぎたみたいであかりがジタバタしたので、体を離してやった。この間も坂上君に同じことして失敗しちゃったんだよね。

 「まったくもう」と言いながらあかりは、困ったような笑みを浮かべた。あたしの意思を大事にしてくれて、ありがとう。

 

「先に下行ってて。あたしも着替えて降りるから」

「はーい。二度寝しちゃダメだからね!」

 

 そう言ってあかりは部屋を出てドアを閉めた。あたしもすぐに出るんだから、閉める必要はないんだけど。どうせ女所帯なんだし。

 ま、あかりはあたしと違ってそういうところがマメだからね。よく出来た妹だよ。

 

「さってと。今日は何にしよっかな」

 

 歌うように洋服ダンスから着替えを取り出し、私服に着替えるべくパジャマを脱いだ。

 

 あたしの家は両親と妹の四人家族。だけどお父さんは出張が多い仕事で、よく家を空けている。今も出張期間のため、家にいるのは女三人だけ。

 だからなのか、あたしは「男性の目」というのをあまり気にしたことがない。あかりはそうでもないから、もしかしたらただの性格の問題なのかもしれないけど。

 ……お父さんが帰ってきたとき、あたしの生活態度を見て嘆くのよね。「もうちょっと女の子らしくしなさい」って。こっちは目いっぱい女の子らしくしてるっての。

 

「おはよ、ママ。朝ごはんは何?」

「やっと起きたのね。もう冷めちゃってるわよ」

 

 今日の朝ごはんは、トーストとスクランブルエッグ、野菜スープ。あかりに合わせて作ったのか、すっかり冷めてしまっていた。

 仕方ないので、スクランブルエッグとスープは電子レンジでチンする。トーストは自分で焼くから問題なし。

 トーストにバターを塗り、その上にはちみつをかけて食べる。うん、おいしい!

 

「昨日は遅くまで起きてたみたいだけど、またゲームでもやってたの?」

 

 ママはちょっと責める口調。今まで休みの前日はゲームか漫画で夜更かしすることがあったから、そう思われても仕方ない。

 だけどあたしは自信を持って反論する。今回は違うのだ!

 

「勉強よ、勉強。一昨日やっと同好会が出来たから、その活動に向けて勉強中なの」

「ああ、そういえば言ってたわね。……明音が何処まで続けられるか、不安ねぇ」

「何それー! あたしだって、やるときはやるんだからね!?」

 

 自信を持った反論は、だけどママに呆れられた。そりゃ、頭を使うことは苦手だけどさ。

 一応これでも中三の後半は勉強を頑張って高校入試を突破した実績があるんだから、もう少し信頼してほしい。

 

「だけど、魔術関係なんでしょ? 私もお父さんも魔法はからっきしなんだから、明音に出来るとは思えないのよねぇ」

「そんなのやってみなきゃわかんないでしょ。それに、あたし一人でやるわけじゃないんだから」

「「坂上」さんだっけ。なんであんな活動内容で入っちゃうかな。入らなければ、またお姉ちゃんが陸上やってくれたかもしれないのに……」

 

 ストレッチを終えたあかりがテーブルに着き、大コップになみなみと注がれた牛乳を飲む。運動の後は牛乳に限る。

 あかり的には、坂上君が余計なことをしたと思ってるみたいだ。だけどもし同好会が成立しなくても、あたしは陸上だけはやらなかった。彼を恨むのは見当はずれだ。

 

「そんな言い方しちゃダメだよ、あかり。坂上君、いい人なんだから」

「しつこい明音に付き合ってくれてるんだから、いい人には違いないでしょうけどね。あんまり迷惑かけると、いつか愛想つかされちゃうわよ」

「そんなことありませんー。坂上君だって色々言いながら楽しんでるんだから」

 

 ほんとあの子、あたしのこと弄って楽しんでるわよね。最初からそうだったけど、あたしとちゃんと話してくれるようになってからますます加速したと思う。

 あたしも、坂上君と一緒に楽しんでる。別に弄られて喜ぶMってわけじゃないけど、坂上君は面白い方向に話題を転がしてくれるから。

 まだまだ短い彼との交流を思い返し、頬が緩んだかもしれない。あたしを見ていたあかりが不機嫌そうな表情になった。

 

「あたしはまだ、その坂上って人を認めてないもん。……絶対認めないんだから!」

 

 牛乳を飲み終わったあかりは、席を立って玄関の方に向かった。

 あたしの母校・文堂第二中学校はスポーツに力を入れていて、運動部は日曜も部活がある。あかりはこれから部活の練習だ。

 あたしも朝ごはんをさっと食べ終えて、あかりを見送る。出がけにもう一度、「絶対認めないんだからね!」と言って、あかりは学校に向かった。我が妹ながら可愛い奴よのぅ。

 

「明莉も中学生になったんだし、そろそろ姉離れ出来ないと困るわねぇ」

 

 ママが言う通り、あかりはあたしが坂上君に取られたと思ってるわけだ。自分で言うのもなんだけど、あたしのこと大好きだからね、あの子。もちろん、あたしもあかりのことは大好きだ。

 

「少しずつ変わってくよ。あの子だっていつまでも子供じゃないんだからさ」

「……明音が言うとまったく説得力がないから、不思議ね」

「何でよー!?」

 

 冗談なのか本気なのか、ママは笑いながら食器を流しに持っていった。……あたしだって、ちゃんと大人になってるもん!

 

 

 

 ご飯を終えて軽く体を動かしてから、再び自室に戻った。昨晩読みながら眠ってしまったためベッドに置かれた一冊の本を手に取り、勉強机に向かう。

 本のタイトルは「猿でも分かる魔法入門」。昨日の放課後、同好会の活動の一環として坂上君と一緒に購入した魔法の解説本だ。お値段イチキュッパ。

 月々の小遣いが2,000円のあたしにはちょっとキツい出費だったけど、坂上君が「まずは魔法がどういうものかを理論的に知るべきだ」と言ったので、分かりやすそうな本を探して買った。

 彼が吟味に吟味を重ねて見つけたこの本は、あたしにも理解出来るほど分かりやすかった。メインは魔術についてだけど、三種類の魔法全部に触れており、共通する部分や違う点が大まかに書かれていた。

 ……やっぱり坂上君って、優しいよね。彼が同好会に入会を決めてくれたときのことを思いだし、思わずにやけてしまう。あれはほんとに嬉しかった。

 

 坂上君……坂上透君。あたしと同じクラスの、見た目はちょっと暗い感じの男子生徒。あまり印象に残るタイプではなく、最初の自己紹介のときも小さな声で名前を言っただけだった。

 当時はあたしも「魔術部に入って凄い魔法を覚えるぞ!」って考えで頭がいっぱいで、彼のことを意識することはなかった。それもまた、坂上君が印象に残らなかった理由だろう。

 彼のことを初めて意識したのは、部活未所属の件で羽山先生から呼び出しを受けているのを見たとき。あたしがキザメガネに門前払いを喰らって、同好会設立のための勧誘で駆けまわっていたときのことだった。

 あたしが考えた同好会は、皆に受け入れてもらえなかった。「魔術部にも負けない凄い魔法を」という目標は、皆からすれば「考えるまでもなく無理」だった。

 そんなときに部活に所属していない坂上君という存在を知った。あたしは、多分これがラストチャンスだと思った。だから坂上君を勧誘することにしたんだ。

 坂上君は……彼も無謀だとは思ったみたいだけど、それでもあたしの話はちゃんと聞いてくれた。ちゃんと正面から受け止めてくれた。流すことなく、茶化すことなく、しっかりと。

 彼は凄く真面目で、本当はとても優しい人間なんだと直感的に理解した。だからあたしは、坂上君と一緒に同好会をやりたいって、坂上君が一緒じゃなきゃ嫌だって、そう思うようになった。

 

 最初は大変だった。真面目に話を聞いて、真面目に考えた結果の坂上君の答えはノー。あたしは思わず詰め寄って、何故か校内で追いかけっこをすることになってしまった。

 あのときは散々だった。途中で坂上君には撒かれるし、校内を走っているのを羽山先生に見つかってゲンコツ落とされるし。女の子なんだから、もうちょっと手加減してほしい。

 そして翌日から坂上君への猛勧誘が始まり、何故か魔術部を見学することになって、あまりのレベルの高さに二人揃って落ち込んだりして。影山達があの事件を起こして。

 あたしは、坂上君の過去を知った。何で人を遠ざけるような真似をするのか、その理由を知った。坂上君が持つ、彼にも制御出来ない強すぎる感応を知った。

 あたしは……その話を聞いて、やっぱり坂上君は優しい人なんだと確信した。優しいから、誰かを傷つけてしまうのが辛くて、一人で背負いこんでしまう。それを素直に伝えられない、優し過ぎる人なんだって。

 だから、あたしを遠ざけようとする彼を叩いて、そんなの間違ってるって、あたしは坂上君を必要としてるって、全身で訴えた。あたしは坂上君の力になりたいんだって、必死に伝えた。

 結局、あたしの言葉が通じたのかどうかは分からない。彼が自分を省みたのは、間違いなくその後の羽山先生の言葉がきっかけだったから。……少し、悔しかった。

 そういえば、坂上君のお父さんから家での坂上君の様子を聞いたんだっけ。坂上君、家では普通にしゃべるみたいで、学校の様子も事細かに伝えてるらしい。あたしのことも何回か話題に上がったとか。

 なんか、ベタ褒めだったらしい。「大西さんは誰にでも明るく接してくれるいい子だよ」とか「いつも人の輪の中にいて話を盛り上げているから凄い」とか。聞いてて恥ずかしくなってしまった。

 いやいや、あたしみたいな自分のことしか考えてないようなバカよりも、そうやって他人のいい所を分析出来る坂上君の方がよっぽどいい子でしょうが。思わず「坂上君には負けますよ」と返してしまった。

 そうしたら坂上君のお父さんは、「今後も透と仲良くしてやってくれると嬉しい」って、安心したように言った。それがとても印象的だった。もちろん、あたしは是非もなく頷いた。

 

 それからは、坂上君と一緒に色んな部活を見て回った。さつきちゃんがいる文芸部から始まって、羽山先生にもらったリストに書いてあった部活は全て見学した。

 あたしはチラホラ興味を惹かれた部活もあったけど、坂上君はどれも大した興味を持たなかったみたい。彼は「自分のやりたいことが分からない」と言っていた。

 それを聞いて、あたしも具体的に何をしたいかまでは分かっていなかったことに気付いた。ただ漠然と「魔法に触れたい」「大きなことをしてみたい」と思ってただけだ。

 だから「一緒にやりたいことを探そう」って提案して……彼は頷いてくれた。とても自然に、あっさりと。

 あんまりにもあっさりしていたものだから、初めは彼が何を言ってるのか分からなかった。坂上君が申請書に名前を書いてくれて、それをしばらく眺めて、ようやく実感が伴った。

 あたしの気持ちは、坂上君に通じたんだ。そう思った瞬間喜びが爆発して、思わず坂上君に飛びついてしまった。タップされなかったら気絶させてしまっていたかもしれない。

 

「……んふふふー。坂上君、可愛かったなぁ」

 

 思い出して、またにやける。あたしは周りと比べてかなり胸が大きい自覚がある(陸上部時代は非常に邪魔だった)。だからなのか、あたしが抱き着くと坂上君は凄く恥ずかしがる。

 彼は目が前髪で隠れてるからパッと見だと分かりづらいけど、よくよく見れば視線が泳いで狼狽えているのがあからさまだ。それでいて必死に冷静さを保とうとしているのだから、健気で可愛らしい。

 そんな坂上君の反応を見たくて、彼に対してはついついスキンシップに走ってしまう。誰に対してもそうするわけじゃない、坂上君に対してだけだ。

 なんて言ったらいいか……ちょうどあかりに接するみたいな感じなのかな? 頼りになる弟みたいな感じ。元々人との距離が狭いと注意されるあたしだけど、坂上君に対してはもっと狭くなってしまう。

 それでも彼は迷惑がったりしないから(少なくとも表面上は)、やっぱり優しい人なんだと思う。

 最近は学校で坂上君とくだらない話をするのが楽しくて仕方ない。月曜日になるのが待ち遠しいなんて、もしかしたら初めてかもしれない。

 明日は何の話をしよう。妹の話は興味あるかな? あたしが坂上君の家には行ったけど、彼がうちには来てないし、あたしの家族のことも教えたい。同好会の時間も使って、たっぷりと。

 

「おっと、集中集中」

 

 ここ数日の出来事を思い出して少しボンヤリしていたことに気付く。今は坂上君との同好会活動に向けた勉強中。あたしが会長なんだから、しっかりやらないとね。

 

 

 

 あたしは基本的にバカだ。それは自覚してる。勉強は苦手だし、考えるよりも先に体が動いてしまう。考えたとしても、浅い理解が限界だ。この間の中間テストは赤点ギリギリでママからも渋い顔をされた。

 だけど、やるとなったらやるだけの頭は持っているはずだ。雲谷東高はあたしの通学圏内では一番の難関校で、そこの入試を突破することが出来たんだから。

 だから、「猿でも分かる」と題されたこの本ぐらいなんてことはない。……はずだ。

 

「そもそもお猿に魔法なんて使えるのー……?」

 

 考えすぎでちょっと頭が熱っぽい。確かにこの本は分かりやすいんだけど、かなり分厚い。読み終えるまでにはまだまだ時間がかかりそうだ。

 勉強を始めて一時間。そろそろ集中が切れてきた。自然と手がケータイに伸びた。

 アドレス帳を開き、スクロールする。中学時代のクラスメイトや、高校に入ってから追加されたクラスメイトの名前が並んでいる。

 だけどその中に、坂上君の名前はなかった。教えてもらえなかった……というわけじゃなくて、そもそも坂上君はケータイを持ってなかった。「今まで必要になることはなかったから」だとか。

 今一番話をしたいのは坂上君なのに。そう思い、ちょっとむくれてしまう。しょうがないことなんだけど、それでも納得できなかった。坂上君もケータイを買うべきだよ。

 

「……あっ」

 

 アドレス帳の上下を行ったり来たりしていると、一つの名前が目に止まった。高校に入ってからのクラスメイトであり、最近仲良くなった文芸部所属の友達。

 彼女の名前をタップし、通話モードを起動する。しばらくコール音が鳴った。

 

『はい、伊藤です。あかねちゃん、どうかしましたか?』

「もしもしさつきちゃん、おはよー。今日って何か予定ある?」

『今日ですか? 特にありませんけど、私に何か御用ですか?』

「用事ってほどのものじゃないんだけど、一緒に遊ばないかなーってね。日曜を魔法の勉強だけで潰すのももったいないし」

 

 「ああ……」と納得した様子のさつきちゃん。部室がご近所さんの彼女は、あたし達の活動状況をよく知っている。昨日魔法の参考書を買ったことも伝えていた。

 

『ちゃんと勉強しないとダメですよ、会長さん。せっかく坂上君が手伝ってくれてるんですから』

「そうだけどー。あたしの頭じゃ一時間も集中したら休憩挟まないと無理」

『クスッ。困った会長さんですね』

 

 さつきちゃんは上品に笑った。彼女はなんていうか、あたしにはない気品がある女の子だと思う。これが元運動部と根っからの文化部の差なのかしらん?

 

『そうですね……私はお昼に図書館に行こうかなって考えてたんですけど、あかねちゃんも御一緒にどうですか?』

「おー、文芸部って感じ。なら、あたしも図書館で何か魔法関係の資料でも借りようかな。今後いつか必要になるだろうし」

『借りっぱなしはダメですからね? でしたら、11時に萌木町(もえぎまち)駅東口で待ち合わせということでどうでしょう』

 

 萌木町駅は雲谷市唯一の駅で、市の中心からちょっと北西にある。駅の周辺は繁華街になっていて、あたしもちょくちょく利用していたりする。

 うちからだとバスで10分程度。さつきちゃんは東一丁目って言ってたから、20分ぐらいかかるはずだ。

 

「もっとそっちの近場でよくない?」

『駅の方が図書館が近いですから。それに、お昼のことも考えたら駅周辺の方が都合がいいでしょう』

「あ、それもそっか。じゃあ11時に萌木町の東口前ね!」

 

 そんな感じで、今日はさつきちゃんとお昼を食べて、その後図書館へ行くことになった。「またあとでね」と言って通話を切る。

 

「ママー。お昼は外で友達と食べることになったからー」

「あら、そうなの? てっきり今日は一日家にいるものだと思ってたけど」

「気分転換だよ。行先は図書館だし。同じクラスの文芸部の子と一緒だよ」

「……あとで買い物に行くときは傘を持っていかなきゃね」

 

 あたしが図書館に行くのがそんなに珍しいかっての。……珍しいけどさ。

 

 

 

 

 

 11時15分前に家を出てバスに乗り、待ち合わせのちょっと前に萌木町駅に到着した。さつきちゃんはもう着いてるかな。真面目そうな子だし、時間にルーズってことはないと思うけど。

 と、すぐに何だか騒がしい様子が目につく。ガラの悪い感じの男数人に、一人の女の子が絡まれて……って!

 

「いいだろぉ? ちょっとお茶に付き合ってくれるだけでいいからさぁ」

「こ、困ります! 私、お友達と待ち合わせしてるんです!」

「待たせる方が悪いって。そんな友達よりも、俺達といる方が楽しいって」

「さ、さつきちゃん!」

 

 絡まれているのは、いつもの三つ編みと眼鏡が特徴的なさつきちゃんだった。白のブラウスと淡いピンクのスカートで清純な雰囲気が強調されていて、制服姿とはまた違った印象を受ける。

 それが運悪くこのガラの悪い連中の目に留まってしまったみたいだ。あたしは急いで駆け付けて、さつきちゃんの肩を掴む男の手を払った。

 男は一瞬あたしを睨み付け、すぐにいやらしい笑みに戻った。

 

「お友達って女の子だったのか。二人とも可愛いねぇ~」

「うはっ、こっちの子おっぱいでけえ! Eぐらいあるんじゃねえ?」

「それ以上近付いたら悲鳴あげるよ。さっさと消えな」

「あ、あかねちゃん……」

「おー気ぃ強いねぇ。そういうの嫌いじゃないぜ?」

 

 こいつら……多分、西の工業高校の連中だね。あっちは治安よくないって話だし。駅前を待ち合わせ場所にしたのはまずかったか。

 当たり前だけど、あたしはケンカが強いわけじゃない。小学生時代は男子相手に大立ち回りをしたこともあるけど、中学以降はそんなこともなかった。単純な腕力じゃ、こいつらに敵うわけがない。

 だからあたしに出来るのは走って逃げることだけど、さつきちゃんも一緒だ。彼女を引っ張った状態で、どの程度走れるだろうか。

 出来ることなら最終手段――悲鳴を上げて警察を呼んでもらうことはしたくない。それをやると、事情聴取だとかで時間を取られてしまうって聞いたことがある。せっかくの休日をそんなことで潰したくはない。

 さつきちゃんを後ろに隠しながら、にじり寄ってくる男達を睨みつける。だけど男達はそんなことで止まってはくれず、逆にいやらしい目つきであたしを見る。うう、気持ち悪い……。

 一か八か、逃げるしかないか。あたしがそう決断してさつきちゃんの手を取った瞬間、男達の何人かが動き出す。

 あたし達の方へ……ではなく、上の方へ。つまり上空、地面から足が離れて宙に浮かんでるって意味だ。

 

『へっ?』

 

 思わずあたしとさつきちゃんの声がハモるぐらい呆気にとられる光景だった。男達の誰かがやったのかと思ったけど、そんなことをする意味はないだろうし、そもそもあいつらだって驚いている。

 となれば、やったのは周りの誰かってことになるけど……こんな強力な念動力を、一体誰が。

 

「ダメよ、あなた達。女の子には優しくしなくちゃ」

 

 答えとなる人物は、あたし達の後ろからやってきた。優しげな声、落ち着いた雰囲気。それはつい最近聞き覚えのある声だった。

 振り向くと、そこには穏やかな微笑みを浮かべた可愛らしい女の人が立っていた。両手いっぱいに買い物袋を提げており、その姿はまさに主婦。

 っていうか、坂上君のお母さんだった。

 

「えー……? 坂上君のお母さんって、感応使いだったんですか?」

「そうよー。こんにちは、明音ちゃん。こっちの子は初めましてかしら」

「あ、はい。伊藤皐月と申します。……坂上君のお母さん、なんですか」

 

 見た目的にはあたし達と同じかちょっと上ぐらいの可愛らしい女の人。実際はあたし達と同い年の息子がいる立派な専業主婦。そのギャップに、さつきちゃんは驚きを隠せていなかった。

 坂上君のお母さんはさつきちゃん向けに軽く自己紹介をすると、「ちょっと待っててね」と言って、いまだ宙に浮かんでもがいている男達の方へと歩み寄った。

 

「女の子はとっても繊細な生き物なのよ。あんな風に乱暴にしたら傷ついちゃうの。だから、もっと優しく接しないとダメよ?」

「あ、は、はい……」

 

 あくまで優しく諌めるように。坂上君のお母さんの深い母性の前には、荒くれ者どもも形無しだった。

 一人一人確認を取り、全員が肯定の返事を返したところで、坂上君のお母さんは拘束を解いた。やっぱりそれなりに疲れることだったらしく、大きく息を吐き出した。

 その後、男達はペコペコ謝りながらどこかへ行った。乱戦必至のあの状況から、何事もなく解決に導いてしまった。……さすがは"あの"坂上君のお母さんだ。

 

「二人とも、怪我はない?」

「あ、はい。おかげさまで。……なんていうか、パワフルお母さんですね。うちのママよりずっとお淑やかな感じなのに」

「それはもちろん。透ちゃんの母親ですもの」

 

 買い物袋を持ち上げて力瘤を作って見せる坂上君のお母さん。本当に凄いお母さんだね。坂上君が両親にだけは普通にしゃべれる理由がよく分かる気がする。

 さつきちゃんは「透、"ちゃん"……」と坂上君の家での呼ばれ方に困惑していた。……まあ、確かに"ちゃん"って感じではないよね、坂上君。

 

「坂上君のお母さんは……」

「普通に「おばさん」でいいわよ。毎回「坂上君のお母さん」だと呼び辛いでしょう?」

「あ、じゃあ「かすみさん」って呼ばせてもらいますね」

 

 坂上霞さん。お父さんの方は、坂上悟(さとる)さんという名前だ。この間、坂上君を家まで運んだときに聞いた。この外見で「おばさん」って呼ぶのは……違和感がね。

 それはともかく。

 

「かすみさんは、元々強力な感応を使えたんですか?」

「いいえ、そんなことないわよ。昔は足元に落ちた消しゴムを拾うぐらいで精一杯だったわ」

「でも、さっきは遠くから三人の男性を浮かせてましたよね。……やっぱり、坂上君みたいに?」

 

 さつきちゃんは躊躇いながら尋ねた。「暴発事故を起こしたのか」なんて、聞きづらいよね。あたしも思ったけど。

 だけどかすみさんは首を横に振る。これは訓練のたまものなんだという。

 

「もし透ちゃんがまた事故を起こしちゃったら、ちゃんと止められる人が必要でしょう? 私達は、それを人任せにはしたくなかったの。大事な息子だもの」

 

 坂上君の強力過ぎる感応を抑えるために、念動力で人を浮かせるほどに鍛え上げる。言葉にすれば単純だけど、どう考えても簡単なことじゃない。

 かすみさんはあたしが思っていたよりもずっと、凄いお母さんだったんだ。

 

「あなた達には感謝してるのよ。最近は透ちゃん、いい顔をするようになったの。以前も私達の前では笑ってくれてたけど、人との関わりを諦めてる感じだったから」

「……あたしは、何もできませんでした。坂上君が感応を使ったときも見てるだけしか出来なくて……その後のことも、あたしだけじゃどうにもなりませんでした」

「あかねちゃん……」

 

 多分あたしは、坂上君の心を動かせるだけの「根拠」を持ってなかったんだと思う。あたしが勝手に「力になりたい」って思ってただけで。それだけじゃ人の心は動かない。……あたしが陸上に戻れなかったように。

 だから、あのとき先生が坂上君に「よくやった」って言ってくれなかったら、彼はあたしに気を許してくれなかっただろう。自分の力で勝ち取れた信頼じゃないから、悔しいんだ。

 かすみさんはちょっと俯いたあたしを見て、柔らかく微笑んだ。

 

「大丈夫よ。明音ちゃんは、ちゃんと自分を省みることが出来ているでしょう? 今は無理でも、いつかは届くはずよ。私も悟さんも応援してるから、頑張ってね」

「っ、はい!」

 

 ぐっとくる激励だった。陸上をやってたときは、こんな心に響く「がんばれ」を聞いたことがなかった。あたしの判断自体は間違いじゃなかったんだって、自信を持てた。

 あたしを心配そうに見ていたさつきちゃんは、ほうっと安心したように息を吐いた。するとかすみさんが、今度はさつきちゃんに言葉をかける。

 

「あなたもね、皐月ちゃん。あなたのことも、透ちゃんから聞いてるのよ。「上品でお淑やかで素敵な女の子」だってね」

「へ!? あ、いえ、そんな……!」

 

 ……坂上君って、意外と女好きなのかな? あたしのときと同じく、さつきちゃんのこともベタ褒めみたいだ。いや坂上君は決して間違ってないんだけど。あたしも同じ感想だし。

 なんか、ちょっと納得いかなかった。さつきちゃんを見る目がジトッとしてしまったのは許してもらいたい。彼女は顔を真っ赤にして、あたしの視線を気にしてる余裕はないみたいだった。

 

「こんなに可愛い女の子達に囲まれてるなんて、透ちゃんは幸せ者ね。親として鼻が高い気分だわ」

「わ、私なんてそんな、地味ですから……!」

「純朴で清純ってことよ。卑下することなんてないわ。明音ちゃんも皐月ちゃんも、とっても可愛い女の子よ。ずっと見ていたいぐらい」

「あ、あはは。それはさすがに、照れますね……」

 

 お世辞、じゃなさそうだ。この人は本心から言ってる気がする。それが何故だか、坂上君を髣髴とさせた。

 かすみさんは買い物の帰りだ。あまり長く引き留めることは出来ず、「今度うちに遊びにいらっしゃい」と言って雲谷東行きのバスに乗った。

 

「……凄い人でしたね」

「うん、ほんと。あんな凄いなんて、知らなかったよ」

 

 二人でバスを見送りながら、あたし達は同じ感想を口にした。

 

 

 

 あたしの到着が遅かったことでさつきちゃんが絡まれてしまったことを詫びた。さつきちゃんは「私が早く着き過ぎただけですよ」と気にしないでくれた。

 まずは駅前の喫茶店に入って昼食を摂ることにする。12時になると混むけれど、11時半少し前の今ならばそれほどでもない。そのために11時集合ということにしたらしい。

 

「だけど、駅前は避けるべきでしたね。反省です」

「さつきちゃんが気にすることじゃないよ。あんなの、滅多にないでしょ。運が悪かっただけだよ」

 

 あたしも駅前は結構利用するけど、人が絡まれているということ自体初めて見た。ひょっとしたらあたしの知らないときにそういうことはあったかもしれないけど、駅周辺の治安が悪いということは聞いたことがない。

 さつきちゃんも駅前の利用が初めてというわけじゃないだろうし、これまでに絡まれたことなんてなかっただろう。あったら、もっと別の反応になってると思う。

 

「それに、おかげでかすみさんとお話出来たんだし、いいこともあったじゃない。結果オーライでいこうよ」

「……ふふっ、あかねちゃんらしいですね。分かりました、私もあまり気にしないことにします」

 

 そう言ったたところで、注文の品がやってきた。あたしは大盛りのスパゲッティミートソースで、さつきちゃんはBLTサンドと紅茶。……あたしの方、さつきちゃんの二倍ぐらいある気がするんだけど。

 

「そういえば、さつきちゃんって東一丁目なんだよね。坂上君ちの近所じゃない?」

「ええ。それどころか、実は坂上君とは中学時代に同じクラスになったこともあるんですよ。そのときはお互いに会話もしませんでしたけど」

 

 あれま、以前から知り合いだったんだ。……知り合いってわけじゃないのかな。坂上君の方はさつきちゃんと「つい最近知り合った」と思ってるみたいだし。

 この間の話からして、中学の三年間は人と関わらないようにしてたはずだから、仕方ないのかもしれない。その分、高校であたし達と一緒に思い出を作ればいいんだ。

 

「霞さんのお話じゃないですけど、私もあかねちゃんには感謝してるんです。坂上君のこと、ずっと気にしてましたから……」

「中学時代からってこと?」

「はい。坂上君、休み時間になっても誰とも話さなくて、行事のときも班の中で孤立してたみたいで……」

 

 そりゃ気になるわ。もしあたしが同じ学校だったら、間違いなく気になってる。さつきちゃん以外にも同じように思った子はいたかもしれないね。

 さつきちゃんは何とかしたいと思ったみたいなんだけど、そのとき既にクラスに浸透してた「坂上君に近寄ってはいけない」的な雰囲気で身動きが取れなかったらしい。

 そして高校に進学し偶然同じクラスになり、これまた偶然図書館で出会ったときに行動を起こし……あんなことになってしまった。

 

「私は、坂上君に「迷惑だ」って言われて、竦んじゃったんです。あかねちゃんみたいに、勇気がなかったから……」

「あー、ストップストップ。さつきちゃん、ネガ入ってるよ。ちょっと落ち着こ。ね?」

「……ごめんなさい」

 

 ちょっと時間を置いてさつきちゃんを宥める。1分ほどかけて、さつきちゃんは落ち着きを取り戻した。

 

「あたしの場合は、何も考えてないだけだよ。思ったらそのまま行動しちゃうから。あたしからすれば、考えて行動出来たさつきちゃんの方が凄いと思うよ」

「そんな、私なんて……」

「この間の中間テストも、さつきちゃん学年で3位だったでしょ? あたしなんて後ろから数えた方が早かったんだから。ね、さつきちゃんは凄い子なの」

 

 ちなみに坂上君は8位だった。さすがはインテリメガネ先生が目を付けるだけはあると思うよ。

 若干自虐の入ったあたしの励ましで、さつきちゃんは苦笑気味に笑った。ちゃんと元気付けられたみたいだ。

 

「あかねちゃんは、もうちょっと勉強も頑張るべきですよ。赤点スレスレじゃ、会長さんとして示しがつきませんよ?」

「ま、まあそこはおいおいってことで。期末は坂上君とさつきちゃんに手伝ってもらうことにするよ」

 

 自分で振った話題だけど、勉強の話になるとどうしても弱いあたしだった。

 

 服装の話など他愛のない雑談を挟んで、それぞれの部活動の話になる。

 

「私は普段、読んだ小説の論評を書いてるんですけど、この間部長さんから「小説を書いてみないか」って勧められまして……」

「えー、凄いじゃん! さつきちゃん、小説家になるの!?」

「そ、そんな大それたことじゃないですよ! 文化祭で部が発行する小冊子に載せる短編を書いてほしいって話です。でも私、物語なんか書いたことないから、ちゃんと出来るかどうか……」

「やってみなよ! あたし、さつきちゃんの書いたお話、読んでみたいよ!」

「あかねちゃん……、はい。少し、考えてみますね。なるべく前向きに検討する方向で」

 

 小説を書く。あたしみたいなバカじゃ想像もつかないほど凄い事だと感じる。そんな凄い事を任されるほど、さつきちゃんは文芸部の部長さんから信頼されてるんだろう。

 友達として誇らしくて、自分のことみたいに嬉しく感じる。……あたしもさつきちゃんが誇れるように、友達として頑張らないと。

 

「あかねちゃんは、魔法のお勉強はどんな具合ですか?」

 

 攻守交代で、今度はさつきちゃんがあたしの進行度を確認してくる。と言ってもねぇ。

 

「活動開始して、まだたったの二日だからね。そこまで進んではいないよ。せいぜい「魔術と感応はやり方が違うだけで、本質的には一緒」って分かったぐらいかな」

「それだけでも十分な進歩ですよ。あかねちゃん、魔法を漠然としか分かってなかったじゃないですか」

 

 うっ。ま、まあそうなんだけどね。そもそも魔法の正式な呼び方も曖昧だったし。今はもう間違えないわよ。

 「非科学的技術能力」、通称「魔法」。現在の科学的な手法では解析・再現が不可能な技術や能力のことで、大まかに分けて「魔術」「感応」「霊能」の三つが存在する。

 これら三つの共通点は「精神が関係していること」で、精神を持たない機械で代用することができない。魔法の行使にはどうしても人が必要になってしまい、そのため現代の高度化した産業には使いにくい。

 そして魔術と感応については、どちらも「特定の活動」がカギとなってあたし達の世界に影響を及ぼす魔法だ。そのカギが、魔術の場合は「儀式」で、感応の場合は「精神活動」という違いがあるだけ。

 だから本質的には同じものであり、「もし精神の形を自由に変えられるなら、感応も魔術と同じだけの自由度を持つことが出来るだろう」って書いてあった。そんなことは出来ないらしいけど。

 あたしが勉強の成果を説明すると、さつきちゃんはパチパチと手を打った。ちょっと照れる。

 

「凄いですよ、あかねちゃん。とても昨日まで何となくしか魔法を理解してなかったとは思えません!」

「実際その通りなんだけどね……。魔術部見学と坂上君の感応見てたから、ちょっとは理解の手助けになったかも」

 

 あたしは一切魔法を使えない。感応の才能はないし、魔術も習得していない。霊能なんてもってのほかだ。だから、感覚として魔法を理解する術がなかった。

 だけど少し前に「本格的な魔法」を見ていたから、「魔法ってこういうものなんだ」というイメージは出来上がっていた。それを言葉で説明した感じだ。

 

「さつきちゃんは、感応使える?」

「いえ、私も魔法は使えませんよ。中学時代に魔術を習ったクラスメイトが自慢げに解説してましたので」

 

 あー、文堂二中の方でもいたね、そんなの。当時は陸上に意識がいってたから、まるで気にしてなかったけど。

 

「とりあえず、こんな感じで勉強中。あたしは魔法使えないんだから、せめて知識で頼れるようにならなきゃ」

「道は険しそうですね。けど、応援します。頑張ってください、あかねちゃん」

「おうともさ!」

 

 ――坂上君の方が理解するスピードが早くて、知識についても坂上君頼りになることを知る由もないあたしだった。

 

 

 

 

 

 その後、予定通り二人で図書館に行き、さつきちゃんは小説を、あたしは魔術の参考書を探した。

 だけどあたし一人ではどれを借りればいいかが分からず(どれもこれも難しそうで取っつきづらかった)、さつきちゃんも魔術に詳しくはなかったため、結局何も借りることが出来なかった。

 ……坂上君の言う通り、魔術に詳しい会員が最低一人は必要だね。

 図書館の後は近くの公園を散策したり、駅前に戻ってウィンドウショッピングなんかをしたりして、4時まで遊んでから解散となった。

 

「とまあ、そんな感じの一日だったよ」

 

 家に帰ってから、あかりに今日の出来事を話す。晩御飯を終えてお風呂にも入り、後は寝るだけだ。

 ベッドに座るパジャマ姿のあかりは、犬のぬいぐるみを抱きしめながらふくれっ面をした。

 

「お姉ちゃんがどんどんダメになってる……」

「失敬な。文化人になってるって言いなさいよ」

「だってー!」

 

 あかりを後ろから抱っこして締め上げる。お洒落な喫茶店での小粋なトークがそんなに似合わないか。

 いやまあ、中学までのあたしを考えたら似合わないと思うけど。高校に入ってあたしは生まれ変わったのよ!

 

「ふふん、その内木陰で読書が似合う素敵なレディーになってやるわ」

「絶対似合わないと思う。お姉ちゃんは、男の子に混じってサッカーとかやってる方が似合ってるよ」

「言ったなー、このー!」

「やーめーてー!」

 

 ドスンバタンとじゃれ合っていると、下の階から「静かにしなさい!」というママの声。ちょっとうるさかったね。

 

「……お姉ちゃん、本当にもう陸上はやらないの?」

 

 ちょっと悲しそうな妹の問いかけ。……あかりをそんな気持ちにしてしまうというのは少し苦しいけど、お姉ちゃんとしてしっかり答えてあげなきゃね。

 

「うん。陸上だけは、絶対やらない。それは不誠実だから」

「誰も気にしないよ。お姉ちゃんは、何も悪いことしてないんだから」

「やる気がないのに陸上をすることが悪いことなんだよ。あたしは……それで結果を出せちゃうから」

 

 あたしは、多分陸上の才能はあるんだと思う。走ることは楽しいし、もっと速く走れるようになりたいとも思える。だけど、勝つことには全くと言っていいほど興味がない。

 だから、あたしは監督の言うことを聞かないでオーバーワークをして……大一番でヘマをした。あたしだけじゃなくて、部全体に迷惑をかけてしまった。

 もちろん皆「気にしない」と言ってくれた。「怪我はどうしようもない」とも。だけど、あたしは思う。あれは回避することが出来た怪我だ。監督の言うことを聞いておけば、あたしはちゃんと優勝出来たと思う。

 あたしは本当のところ優勝に興味がなくて、「もっと速く走りたい」という欲求を満たすためだけに走っていた。皆が囃し立てるから、調子に乗って選手の役割を引き受けただけだ。

 代表としての責任感もなく、駆けっこの延長で競技に出て、自業自得で怪我をした。そんなの、擁護できるわけがない。

 

「その点あかりは、あたしと違ってしっかりしてるから、安心だよ。……あたしは、あかりを応援する側でいいんだよ」

「お姉ちゃん……っ」

 

 体の向きを変えて、あかりはあたしの胸に顔を埋めた。肩が少し震えていた。

 あたしは、朝の失敗は繰り返さないように、あかりの体を優しく抱きしめた。

 

「あたしはちゃんと、あたしのやりたいことを、あたしの責任でやるから。あかりは何も気にしないで、思いっきり走ってよ」

「……うんっ……」

 

 妹の頭を撫でてやる。あたしと同じ、茶色みがかった髪。あかりはあたしによく似てるけど、性格は似なくてよかったって本当に思う。

 少しの間そうしていれば、あかりはすぐに落ち着いてくれた。

 

「今度は、あかりも一緒に行こうよ。さつきちゃんのこと紹介したいしね」

「文芸部の人なんだっけ。話合わなさそう……」

「だいじょーぶよ、あたしが話せてるんだから。さつきちゃん、ほんと話上手なんだから」

「それなら、まあ……っていうかお姉ちゃん、今は文化部なのにそういう発言ってどうなの?」

 

 それはそれ、これはこれって奴よ。

 さつきちゃんの話の他に、かすみさんの話もした。坂上君のお母さんということで、あかりはまたふくれっ面をしたけど、本人に会ったら180°意見が変わるだろうね。もちろん、坂上君についても。

 そのうちにあかりが船をこぎ始めたので、ベッドに寝かせる。あたしも部屋の電気を消して、自分のベッドに潜った。

 

「おやすみ、あかり」

「……おやしゅみ、お姉ひゃん……」

 

 可愛い妹だなぁ。一人笑い、あたしも目を閉じて睡魔の訪れを待った。

 

 明日は月曜日。また坂上君と一緒に、同好会を頑張ろう。




今回の語録
「うん、おいしい!」



・地域紹介

雲谷市(もやし)
透や明音が住んでいる市。海と山の両方に面しており、交通は主にバスが利用される。電車も通っているが、市外との行き来のために使われるのみである。
各地域の特徴としては、東は主に住宅街、北は主に商店街、西は主に工業地域、南は海に面している。
透達が通う雲谷東高校は東地域の北西部にある。雲谷市内なら、何処からでも比較的アクセスしやすい場所である。

萌木町駅(もえぎまちえき)
雲谷市唯一の駅。北から市の中心を通って西に抜ける形で線路が走っている。工業高校などがある西側は、ちょうど線路で切り取られる形になっている。
周辺、特に東口側は繁華街として栄えており、主婦御用達のスーパー「もやしマート」が存在する。近くには市役所もある。
駅周辺は交番もあり比較的治安はいいが、それでも時々西側からチンピラが流れ込んでくることがある。東側は東側で逞しいので、騒ぎが起きてもすぐに鎮圧される。


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