A remnant of the past (速水亜希)
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Chain of reprisal

 

「……久しぶりだな」

 

 薄暗い地下鉄の跡地に出来た、グッドネイバー唯一の“娯楽施設”ことサード・レールはその狭い店内に隠れるようにして常連客がちびちびと酒を嗜む店であった。所狭しと置かれたソファーやカウチに座っている客は、地下鉄の階段を降りて来る者に必ずと言っていいほど一瞥をくれてから、再び顔を伏せるようにして酒を飲み続けていた。隠れ家というより、関わりを持ちたくない者達が集まっているようなこの場所が、決して居心地のいい場所ではないことは分かっている。が──俺はかつて、サード・レールに足繁く通っていた。この場所の雰囲気が、何処と無く自分の肌に合っていたからかもしれない。

 

 下界と関わるのを可能な限り避け、日陰に生き続ける……持たざる者達の中に埋もれて誰も知らない、知りたいとも思われない自分を慰めるには格好の場所だったから。

 

「ああ、あんたかい。随分久しぶりじゃないか」

 

 機械の発する声にしてはやや人間味に臭い言い方をする目の前のMr,ハンディ型のバーテンダー、通称ホワイトチャペル・チャーリーが抑揚の無い声をかけてくる。ハンディ型と言ったが、目前に居るチャーリーはどちらかと言うと戦闘に特化したMr.ガッツィーの声に似ていた。好戦的で敵を煽って来る意地の悪い声。

 

 と思いながらもさすがに意地悪い声とは言わずに、

 

「そういや随分ここには立ち寄ってなかったな。……前は頻繁にここに来てたのに、すまないな」

 

 謝るつもりもない口調で言うと、所々錆に浮いている丸い頭と、その頭の三方から突き出た丸い瞳の役割をするアイセンサーが一斉にこちらを凝視し、「らしくもない事を言っても全く心に響かないぞ。……もっとも俺には心なぞないがな。──で? 酒を飲んでいくんだろう? 違うか?」

 

 勿論頂くよ、と言って俺はチャーリーからビール瓶二本分のキャップを受け取り、瓶を二つ受け取るとそれを傍らで突っ立っていたマクレディに投げて寄越した。

 

「っと。突然投げてくるなよ──危ないぞ」

 

 マクレディが悪態をつくが、彼の表情は怒ってもおらずむしろ嬉しそうなそれだった。そういうやりとりを黙ってみていたチャーリーは驚いた様子なぞ微塵も見せず、「何だ、あんた今マクレディと行動してるのか?」と言ってくる。

 

「あぁ、そうだけど」言いながら俺は親指でビール瓶のキャップを外し、飛びかけたそれをうまく人差し指と中指でキャッチした。そのまま躊躇いもせずくい、と瓶の口を自らの口へ押し込み傾けて、入った琥珀色の液体を喉へと押し流す。酒というには薄すぎるが炭酸の僅かな感触が舌に伝わってきて、気持ちがいい。

 

「そうか……道理で最近姿が見えないと思った訳だ。あんたと一緒に居たとはね。──そういやここ数ヶ月の間、数日おきにお前を探してるって奴がここに何回も顔を見せてるんだが、お前知らないか、マクレディ」

 

 マクレディを探している? と俺が言うより早く、「俺を探してる奴って?」と彼の方がチャーリーに返事をしていた。

 

「身なりはいたってそこらじゅうに居る、普通の男だ。ただ……変な事を言ってたな、お前に借りがあるだの、返すものがあるだの──ここには暫く帰って来てないって言ってるのに何度も来てるから今日も来るかもしれんぞ、その時直接言えばいいんじゃないのか?」

 

 ふぅん、と返事を濁すマクレディ。それ以上何も言わず黙って瓶を口に傾けるだけになったので、「もし俺達がここを去った後にまた姿を現したら、旅に出てるって伝えてやってくれないか、チャーリー」

 

「そりゃ構わないさ、誰にとは言わないでおくよ。……おっと、始まるようだぜ」

 

 と、チャーリーがアイセンサーをウィィ、と機械音と共に右手に移す。その姿につられて俺も見ると、薄暗い店内の端だけ煌々と明りが灯されており、それがスポットライトの代わりとなっているのか赤いスパンコールのドレスをキラキラさせながら、一人の女性がマイクに手を掛けてポーズを取っていた。──マグノリア。場末の酒場に降り立った歌姫。

 

 久しぶりに見る彼女は相変わらず濃いアイシャドーと、印象付けにはぴったりの紅いルージュを唇にひいている。スパンコールのドレスに負けず劣らずといった感じだが、何せ化粧品なぞこの世界では貴重品以上価値のあるものだ。自分が生きていた時代には当たり前だったものが無い故に彼女の顔は貧相ではあったが、それでも惜しげもなく晒しだしている肌の色は白くスポットライトに当てられて艶めき、紅いルージュはさらに色気を醸し出すには十分すぎるものだった。

 

 ちら、と僅かに一瞬、彼女の視線と自分のそれが絡み合う。来てくれたのね、とは言葉に出さずとも伝わってきた。俺は黙って頷いて見せると、彼女は安心したように音楽に乗り声を出す。色気と妖しさをまぶした声に、俺はたまらずうっとりとしてしまう。周りの客も彼女の出す声に引き寄せられるように、俯いていた顔をめいめい上げては声を出す彼女に視線を奪われていった。

 

「ふん、何だよジュリアン……あんなに鼻の下伸ばしやがって」

 

 つい悪態をついてしまう。おかしい、何で俺はこうも機嫌が悪いのだろう。

 

 周りの客は全員彼女──マグノリアの方だ──に目を奪われている。それなのに、俺はというと、サード・レールの壁に寄りかかって、恍惚とした表情で彼女を見ているジュリアンの横顔をじっと見ているだけだ。時折、笑顔を向けて頷いていたりするあたり、俺には見えない何かをマグノリアと送り合っているのだろう。……だからだろうか、余計に面白くない。……って、だから、何で俺は面白くないんだ? 

 

「俺がマグノリアに惚れてる訳ないしなぁ……」

 

 歌っている彼女の姿は、以前──ジュリアンと旅をする前の話だ──ガンナー連中とこちらから手を切って、流れるようにこの場所に行き着いてからずっとここで身を寄せていたのもあって、何度も見てきたし何度もその歌唱力には感心してきた。

 

 でも、それだけだ。それ以上何の感情も沸いて来ない。

 

 それなのに、マグノリアに鼻を伸ばしているジュリアンを見るのは苛々する。苛立ちの出所はどうやら彼で間違いない……らしい。理由は分からないが。

 

「頭でもおかしくなっちまったのかなぁ、俺」

 

 一人ごちても、誰も彼もが歌に酔いしれているだけで、自分の独白なぞ誰の耳にも届いてはいない。仕方なく、黙ってビール瓶を傾けてみたものの、肝心の中身をとっくに飲み干している事に気づき、ばつが悪い顔をしてしまう。

 

 もう一本買おうにも、俺の財布にはキャップが一枚も無かった。……そうだった、いつもジュリアンが買って、俺に寄越してくれていたのもあって、すっかり自分の手持ちなぞ出したことが無い事実にこれまた気付かされる。その手持ちが0だという事実にも。

 

 つまり俺は彼と別れたりした場合、0キャップで連邦を彷徨う羽目になるのか。考えただけでも末恐ろしいな──

 

 などと考えながら、そんな事ある筈がないと……ふふっ、と口元を歪めて一人笑っている時だった。

 

「よぉ、……あんた、マクレディだな?」

 

「え?」

 

 突如背後──というより、寄りかかっている壁のすぐ左手にはサード・レールと地上に繋がる階段があるだけだから、その階段の方から俺を呼ぶ声がしたので、ふと声を掛けられた方向に俺が顔を向けるのと、何者かに左手を突如掴まれ、そのまま捻るように自分の背中に押し付けられたのはほぼ同時だった。

 

「ぐっ…、あぁ…! な、何者……だ!」

 

 利き腕でない左手が、不自然に歪められているせいでぎりぎりと激痛が走る。押し殺したうめき声を上げても、歌姫に夢中になっている客は俺を襲ってきた背後の奴に気付いた様子はない。

 

 腕を掴む手を跳ね除けようと右手を振りかぶって掴みかかろうとした時、

 

「動くな。動けばあんたの仲間であるあの男を撃つ」

 

 自分の左腕を掴んだまま、男の右手に握られている何かが俺の右頬にぴたり、と押し付けられた。──視線をずらしてみても、押し付けられているものがどういった物かは分からないが、俺の腕を掴んだまま右手のみで扱えるものといえば小型の銃しかない──10mmピストルではないだろう。恐らくマグナムか、改造した小型の銃火器か──

 

 しまった、と思った──常連や客は全てマグノリアに集中している。そして、ジュリアンも。

 

 彼女の声は店内に響き渡っている。今発砲したところで、その音に気付く奴は居ないかもしれない。そしてここに居るのは酔漢ばかり。

 

 圧倒的に不利な立場だった。抵抗すればジュリアンは撃たれ、俺の腕を掴んでる奴は逃げて俺にその罪を擦り付けるかもしれない。……いや、ジュリアンじゃなくても、客の一人にでも致命傷を負わせたら、それこそ俺の身の破滅だ。逃げてもいいだろう。けどそうすれば俺は二度と……。

 

「……もしかしてあんた、俺を探してたって言う奴か? 借りがあるとか言ってたそうだが、その借りってのがこれか?」

 

 抵抗をしない代わりに、こちらから鎌を掛けてみる。男は狼狽した様子も見せなかったが、背後で僅かに何か動く気配があった。……まさか俺を撃つつもりじゃ、と背中がひやりとする。返事の代わりに鉛の弾を撃ち込むつもりか──

 

「……そうだ」

 

 と、ぽつりと背後の男がそう言った──直後、突然俺の右腕をがしっと掴んでくる。先程まで右手に持っていた銃はどうしたのかとそんな事考える余裕も与えず、振り払う事すらかなわず俺の右手を目前に突き出す形にすると、

 

「借りを返すぞ」

 

 今度は掴んだままだった俺の左腕を離す、と──その腕を自分の右腕同様に俺の目前に突き出した。その手に握られていたのは──注射器だった。

 

「……!」

 

 何をするか嫌でも分かる。何度も右腕を振りほどこうと動かすも男の手はぎゅっとこちらの腕を掴み、離そうとしない。腕に跡が残るじゃないか、とこの状況とは場違いの文句が頭に浮かんでくる。

 

 捻るように背中に押し付けられていた左手は力なく垂れ下がっており、注射器を持つ男の左腕を制止する事も叶わず──ダスターコートを捲った部分に男の握られている注射器の針がぶすりと刺される光景を嫌でも見せ付けられる形になった。

 

「やめろぉぉ──!」

 

 刺さったと同時に激痛が走る。叫びながら、体当たりするように相手の左腕を突き飛ばし、腰に帯びている近接攻撃用の10mmピストルを右手でホルダーから引き抜くと、くるりと踵でターンしながら背後に立つ男の心臓付近をパァン、と乾いた音を響かせながら至近距離で弾を発射させた。

 

 撃たれた男は避けようともせず──こちらを見ていた。その表情はにやついていた。してやったり、といわんばかりの笑顔で。……まさか。

 

「最初から、死ぬ気だっ────……」

 

 その直後、目の前がぐらり、と回った。世界が二つに分かれる感覚。上下に同じ景色が見える。周りの客がざわめき、店から出て行く者が視界に飛び込んでくる。──そんな俺の視界を覆うようにして、近づいてくる者。

 

 ジュリアンだった──ような気がする。世界は幾重にも分裂していて、彼の表情すら見分けがつかない。

 

 ──そして、闇が訪れた。

 

 パァン! と、乾いた銃声と共に、客の一人が悲鳴を上げた。

 

 その悲鳴の方向を見ると、10mmピストルを持ったマクレディが、至近距離で相手──見かけない奴だ──を撃っていた。擦り切れたジーンズに所々つぎはぎのあたった、やや身体のサイズに合ってない服を着ていた男は、マクレディの放った銃弾を避ける事すら叶わず、胸から鮮血を溢れさせ倒れていく。

 

 その光景が酷くスローモーションに見えた。何が起きているのか分からなかった。その僅かな静寂の後、客が悲鳴を上げてサード・レールから次々と出て行くのにはっと我に返り、

 

「マクレディ!」

 

 慌てて彼に駆け寄る。が──マクレディは手にした銃を地面に落とし、焦点が合ってない目を見開いたまま、がくっ、と膝を地面についた。そのまま床に倒れるのを慌てて俺が腕で抱きとめる。

 

「マクレディ、おい、しっかりしろ、マクレディ!」

 

 頬を叩きながら彼を起こそうにも、マクレディは目を閉じてしまい、苦悶の表情を浮かべている。一体何が起きた? 何があったんだ?

 

「出てってもらおうか」

 

 ──と、背後からホワイトチャペル・チャーリーの苛立った声が耳に飛び込んできた。確実に営業妨害されたと言わんばかりの態度だった。

 

「ちょ、ちょっと待ってくれ、一体何が起きたのか──」

 

「それはこっちも同じだよ、けどなジュリアン。死人を出して、それでも飽き足らず客を全員追い出すとはいただけない話だ。いくらあんたやマクレディとは付き合いが長いからって、客商売を上がったりにするのは話は別だ。今すぐ出てってくれ」

 

 チャーリーのいう事はもっともだった。けどここで──俺がマグノリアに見とれていた間に、マクレディに何があったのかを知らないと。何かがおかしい。

 

 マクレディをそっと床に寝かせ、俺はチャーリーの声を無視して死んでいる男の身なりを確かめた。一件、何処もおかしな所はない。銃を所持していたが、然程威力が高いとは思えない38口径のパイプピストル一丁だけだった。

 

 お世辞にも身体のサイズに合っているとは言い難い、シャツを脱がせて上半身をあらわにする。マクレディが至近距離で撃った銃弾が左胸、心臓のやや下辺りを貫通し、貫通した穴を覆うように皮膚がうっすらと焦げていた。至近距離で撃ったために高圧ガスや火薬残渣が当たって焦げたのだ。

 

 それはいいのだが、この男、居住者やウェイストランド人とは思えない精悍な体つきに違和感を覚える。ジーンズのポケットを探ってみたが、これといった物証は見つからない。──と、こつ、と膝に何かがぶつかった。

 

「なんだこれは……注射器?」

 

 拾い上げてみると、よく医者が使うそれと同じものだった。針の先端部分に血が付着しているのと、注射器の中にはまだ液体が僅かながら残っている事以外は。

 

 マクレディの腕を見ると──あった。右腕に小さい穴が開いている。血が転々と飛び散って腕についているあたり、無理やり注射器を引き抜こうとしたようだった。針が体内で折れなくて良かったぜ、と内心ほっとする。

 

「さあ、もういいだろう。それとマクレディを持ってとっとと出てってくれ」

 

 背後でチャーリーが苛立ちを隠せない口調でまくし立ててくるので、ざっと検分は済んだし退くことにした。これ以上迷惑を掛けるわけにはいかない。

 

「ジュリアン、遺体はこっちで始末しておくから、気にしないで」

 

 マクレディを肩にかつぎしな、マグノリアが青ざめた顔ながらもそう言ってくれたので、ありがとうとお礼を述べる。

 

「ああ、……すまない。あんたのステージ中にこんな事になっちまって」

 

「いいのよ、それより彼を何とかしてあげた方がいい。Dr.アマリの所に行けば何か分かるかもしれないわ」

 

 その手があったか。俺は再度お礼を言って、マクレディを担いだままサード・レールを後にすると、そのまま左手にあるメモリー・デンへ向かう。

 

 前から何度かお世話になっているDr.アマリはそこにいる筈だった。

 

 そしてこれが、俺をマクレディの記憶の世界へ誘う第一歩の始まりだった──



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れっつ・りたーん

 連邦の、一番光が当たっているところといえば、誰もが同じ事を言い、誰もが同じ場所を指差すだろう。

 ダイヤモンド・シティ。又の名をグリーン・ジュエルとも云う。連邦に住む者達はそのスポットライトの如く照らされる安寧の場所を求め、一時は誰もがその地に足を踏み入れる。他の居住地とは違う、ありとあらゆる物を扱う店や食べ物に困らない環境に羨望し、憧れを抱き、その地に骨を埋めたいと思う者は少なくない。が──その輝く場所は何もかもがスポットライトに浴びせられてしまう。美しいもの、富める者も──醜い者も、貧しい者も。

 やがてこういう声があちこちで出てくる──同じスポットライトに当たる場所に、貧しい者や醜い者が居るのは許せない、と。

 そうして格差が生まれ、やがてそれは人々の心にふつふつと広がり始め──いつしかそれを払拭出来る事すら出来なくなった頃、ダイヤモンド・シティの中からフェラル・グールや、持たざる者達の姿は徐々に消えていった。現市長のマクドナウが率先して排除を行ったともいうが、それ以前から球状の輝くライトに照らされて生きるのが適わない者達はひっそりとその輝きの陰に姿を眩ましていくしかなかったのだ。

 向かう場所も、安住の場所も見つからない者達は、散り散りになったかと思いきや、やがて一つ所に向かうようになった。

 日の当たる場所を追い出された者、輝く場所を忌み嫌う者、そういう者達が各々自活できるように力を貸してくれる、一人の市長の元を頼って──グッドネイバーという街へ。

 

 グッドネイバーにはいくつか店もあれば酒場もあり、ハンコック市長の執務室兼住居となっている旧州議事堂や、かつては明光風靡を語ったであろうレクスフォード・ホテルなど、ダイヤモンド・シティでは見られない施設もあったりと、一見観光で赴く人が居てもなんらおかしくないだろう──物々しい自警団が辺りを徘徊し、皮膚を放射能で焼かれ、フェラルとなった者達が生活する場所に足を踏み入れる覚悟があるなら、だが。

 しかしそんなグッドネイバーの数ある施設の中でも、とりわけ異彩を放っている建物があるのを、初めて訪れる者なら気付かない筈がない。

 紅い照明に入り口を照らされ、その入り口の扉もまた、赤いペンキで塗りたくられている。その上に、その建物の名前らしき看板が掲げられていた。誰もがそれを目にし、その中に何があるのか想像するだろう──メモリー・デン。

 それは、人々の脳内にある記憶を写し、それを自身に見せる事が出来る“記憶シミュレーター”がある唯一の場所。

 自身の懐かしい記憶に浸り、生きる糧を再び得る為、もしくは懐かしい誰かと記憶の中で出会う為──人は大量のキャップを握り締め、その場所に向かう。現実に直面する力を失ったものは、そこで再び活力を得られるのか──その結果は自分にしか分からない。

 結果でどうあろうが、人が途絶えることは無かった──それほど“現実”は厳しいのだ。目を覆いたくなるような世界に背中を向けてしまう事もあるだろう……俺にはわからないけれど。

 そしてその施設の中でシミュレーターを扱うことに出来る唯一の人物がDr.アマリだった。

 彼女はその日も忙しそうに機器の点検を行っていた。メモリー・デンには複数の記憶シミュレーターがあったが、一般客に使われるシミュレーターは主に一階、オーナーのイルマが座っている場所に数台置かれている。全てのメンテナンスはDr.アマリ一人だけで行っているため、不具合が起きると全て彼女にその始末を任される有様だった。オーナーであるイルマはただのんびり座って、客がシミュレーターの中で時折見せる表情をぼんやり見ているだけである。

 しかしDr.アマリはそれに対して反論するつもりは無かった。シミュレーターを設置して資金を得、残った分は自分に返ってくるから決して悪い事ではない。それにここの施設の地下まで借りて、記憶シミュレーターを向上させるための実験をしていても文句の一つも言ってこないのだから、研究者としてはこんな場所を提供してもらえるだけでも御の字だった。

 だから普段どおり、彼女は一般客用のメンテナンスをしつつ、自身の研究に勤しんでいたのだった。ばん、と荒々しく扉が開く音の直後、床を鳴らしながら歩いてくる者が目の前に現れるまでは。

 

 旧州議事堂の建物の地下にあるサード・レールへ続く扉を開いた頃には、外はしんと静まりかえっていた。逃げていった客の姿は既に見えず、奇妙なことに、辺りを徘徊している自警団の姿も無い。

 何処に行ったのか、と思うと同時にぴんときた。サード・レールから一斉に客が出てきた事に訝しまない奴などいない。恐らく客の誰かをとっ捕まえるか何かして、中で何が起きたか聞いている可能性が高い。

 だとすると、ここに居るのは相当まずい可能性があるな。

 俺は肩に担いでいるマクレディを再度担ぎなおし、辺りを気にしながら小走りでメモリー・デンに向かった。時刻は既に夕闇に包まれた19時過ぎ。グッドネイバーはダイヤモンド・シティと違って球場のライトに照らされている訳でもないから、通りも薄暗く人に気付かれにくいのが幸いだった。

 スニークスキルが高いおかげもあって、小走りながらも辺りに居る居住者には気付かれる様子もなく、突っ込むように扉をばん、と大きく開くと同時に身を滑り込ませ、そのまま背中を押し付けるようにして扉を閉める。ほんの数メートル走っただけなのに、息が上がっている自分に驚く。

 マクレディが重い訳ではない。緊張しているせいだ。何故緊張しているかって──その理由は分からない。ただ、ものすごく不安だった。自分が見ていない間、マクレディに何が起きたのか分からない事、彼が無防備の人を撃った事、そして撃たれて死んだ相手の素性が分からない事──ああ、くそ。分からない事だらけだ。

 俺の肩に担がれたまま、マクレディはぜぃぜぃと息を喘がせ苦悶の表情を浮かべていた。顔は蒼白で、見る限り危険な状態だと窺わせる。

 急がなくてはいけない。俺は彼の腕をぎゅっと握り、担いだままメモリー・デンの広間に向かった。二人分の加重のせいで、床がみしみしと軋む音を立てる。

 広間にはいつもどおり、数台の記憶シミュレーターと、囲むようにして置かれているそれの中心に建屋のオーナーであるイルマが鎮座していた。鎮座しているといったほうがいいだろう。いつも彼女はそうしている。二人は座れるソファーに腰をくねらせるように大胆に座り、気だるげな表情で、ねっとりとした視線を俺に送ってくるので、俺は極力その視線から逃げるようにしていた。が、今はそんな事を言ってる暇はない。

「あらあら、いらっしゃい。たしかミスター・バレンタインのお目に適った探偵さんだったわよね?」

 ニックの名前を久しぶりに聞いた気がした。

「あぁ。……Dr.アマリは何処に?」

「いつも同じところ。地下室にいるわ。そこでいつも同じ事してる。……研究してる時は機嫌悪いときもあるから、気をつけてね。……ところで担いでいる人はどうしたのかしら? 気分が悪いようだけど」

 あまり無駄話をしている暇はないのと、自分自身も良く分かっていないせいもあって、俺は適当に挨拶を述べてから逃げるようにして階下へ向かう階段がある廊下へと出た。

 動かされて気分が悪いのか、うぅ、とマクレディが苦しそうに呻く。果たしてアマリはマクレディがこうなった原因が分かるだろうか。

 階段を降りてすぐ青い扉が視界に入る。その向こう側に彼女は居る筈だ。俺はドアノブに手を掛け、一気に開いた。

 彼女は試験・実験用におかれてある二台の記憶シミュレーターを行ったり来たりしていたが、扉の開いた音と同時に立ち止まり、ふっとこっちに振り向いて──

「ジュリアン? ……どうしたの? その人は?」

 俺と、俺の腕に抱えられているマクレディを交互に一瞥しながら、彼女は当然の質問を発した。

「その事で来たんだ。──マクレディを助けてくれないか。頼む」

 

 横にする場所もないため、ひとまずマクレディを記憶シミュレーターの座椅子に座らせた後、俺は今までの経緯を語った。サード・レールで飲んでいた事。俺がマグノリアに目を奪われていた最中、マクレディが見知らぬ男に注射を打たれ、今のような状況に陥った事。

「その注射を打った男はどうなったの?」

「マクレディが撃って殺しちまった。……おかげでサード・レールは大混乱だ。客が全員逃げちまったからな。ホワイトチャペル・チャーリーが俺達を出入り禁止にしなきゃいいんだが」

 軽くあしらうつもりで言ったのだが、アマリは表情を曇らせた。

「……てことは、いずれここにあんた達を探しに自警団がやってくるかもしれないわね。一応、グッドネイバーはハンコック市長を筆頭に、自警団を組織してこの街を守っているのは知っているでしょう? 彼らはギャングの抗争みたいなものなら知らん振りだけど、一般人のいる場所で発砲事件となると黙っちゃおかないと思うわ。厄介な事にならなきゃいいんだけど」

 それに対してこちらが何か言うより前に、Dr.アマリがひらひらと手を振って見せ、「大丈夫よ、あなたにはいくつも貸しがあるから、二人は居ないって誤魔化しておく。……それよりも彼の方よね。マクレディ、だったわね」

 やや面食らいながらもああ、と短く答えると、アマリは彼を撃った相手の男の素性を詳しく教えてくれと言ってきた。

「身なりは普通の……そこら中に居る居住者と同じ。擦り切れたジーンズと、……やたら身体に合わないシャツを羽織ってたな。身体はやや屈強。マクレディより腕力は強かったのかもしれない。抵抗も出来ないまま腕に注射針を刺されている辺り。

 所持していたのは38口径のパイプピストルと──これだ」と、俺は大事に腰のポーチに入れておいた注射器を彼女に手渡した。アマリはその注射針の中に残されていた液体にすぐ気付いた様子で、手袋を嵌めてあちこち慎重に検分し始める、かと思うと今度はマクレディの右腕をしげしげと見つめていた。針の太さと刺した部位を見ているのだろう。

「……相当抵抗したみたいね。彼の腕に相手の腕の跡がはっきり残っているわ。掴んだ形からして、どうやら背後から襲われたみたい」

 背後──そうだ。マクレディは俺の居る方と逆、背を向けて相手に10mmピストルを向け発砲していた事に今更ながら気付かされる。その後相手は──心なしか、にやついていた気がするのだが──鮮血を胸から溢れさせて絶命したんだった。

「……けど、これ以上は手を貸せそうにないわ。知ってるでしょ、私が専門としているのは医学じゃないって事を」

 突然そんな事を言ってきたので、思わずこちらも反射的に「そ……そんな事言わないでくれ、あんたしかここでは頼れないってのに」と弱音を吐いてしまった。

「分かってる。けど……私は機械工学と人造人間関連の僅かな知識しかないのよ。インスティチュートが何を企んでるかまでは知らないけど。医学の方は殆どと言っていいほど専門外。彼が何を打たれたまで特定するのは──」

「そうは言っても、マクレディがこのままで良い訳ないだろう? 彼を助けるにはあんたの力が」必要だ、と言い続けようとした俺をDr.アマリがすっと手のひらをこちらに向けた。黙っていろ、という合図だろうか? 言い続けてもよかったが、彼女を怒らせればますますこちらの分が悪くなるだけなので、ぐっと言葉を堪え、押し黙ることにする。

 Dr.アマリは注射針に残っていた僅かな液体をじっと見ていた。先程から何度か見ていたのだが、何か変わった点でも見つけたのだろうか。……僅かな沈黙の後、

「……さっき、これを所持していたのは身なりからして普通の居住者風じゃない男、って言ってたわよね」

 神妙な顔つきで言ってくるので、こちらもつい「……ああ」と神妙に応じてしまう。しかし次に彼女が発した言葉には耳を疑った。

「もしかして、その男──ガンナーじゃないかしら。いや、ガンナーじゃないとおかしいの。そんな感じしなかった?」

 ガンナーだって? 

 なんでその事を──と思うと同時に胸にすとんと落ちるものがあった──サード・レールでホワイトチャペル・チャーリーが発した言葉──

“そういやここ数ヶ月の間、数日おきにお前を探してるって奴がここに何回も顔を見せてるんだが、お前知らないか、マクレディ”──

 その探していた人物が──殺した奴だとしたら。

 着てる服は窮屈そうだった──身なりを隠す程度の変装だったのかもしれない。

 所持していたのは38口径のパイプピストルのみ──これまた居住者を装う程度の僅かな武装をしただけかもしれない。

 けど解せないのは三つある、──何故Dr.アマリはガンナーと判別できたのだ? マクレディがかつてガンナーと手を組んでいた事を知っている筈は無い。彼女の口ぶりからして、マクレディを見るのは今回が初めての態度だったからだ。

 もう一つ。防具を装備をしていなかったこと。背後からマクレディを掴むという、振り切られれば至近距離から撃たれる可能性を持ちながら、敢えて武装をしなかった理由。

 そして、マクレディに刺した注射器。……ここからDr.アマリはガンナーの言葉を口にした。注射器に別段、変なところは無かった。となると、中に入っている液体の原因が分かったのか?

「何故、彼らだと……?」

 呻くようにに声を出す俺を無視して、彼女は一度奥の部屋に引っ込んでからすぐ戻ってきた。手に何かの瓶を持って。

「これ。何か分かる?」手にした瓶を俺に差し出す。──蓋がしっかりと閉じられ、中には透明の液体が入っていた。瓶には何か書かれたシールが貼られているが、何と書いてあるかは判別できない。

「……水、じゃないよな」

「恐らく、注射針に入っていたものと同じ薬剤よ。今からそれを証明してみるけど……出来ればこれじゃ無い事を願いたいわね」

 何だって? と言いたかったが、Dr.アマリは黙って瓶の蓋を開け、スポイトでそれを幾らか抽出してから、試験管に注ぎ入れた。……黙って見ていた方がいいだろう。しかしさっきまで自分は助けにならないとか言っておきながら、次の瞬間にはマクレディが打たれた薬を特定するとか、科学者ってのは掴み所が無い奴ばかりだな、と内心ぼやくに留めておいた。

 一つの試験管に液体を入れると、今度は俺が手渡した注射器のピストン部分を引き抜いてから、残っていた液体を別の試験管に全部注ぎこむ。その後、別のスポイトで何らかの薬を両方の試験管に入れ、コルクで出来た蓋を閉めると両方の試験管を一つずつ持ちながら両手で管を振り始めた。

 何をしているのか──と黙ったまま見ていると、両手に持った試験管の中の液体がにわかににごり始めた。透明だった液体がみるみるうちに白濁のそれに変わっていく。片方ではない、両方共、だ。

「Dr.アマリ、それは──」

 ぽつりと言葉を漏らしてしまった。無視されるかと思ったが、彼女は答えてくれた──酷く疲れた口調で。

「まさかと思ったけど……間違いない。でも、これで何を打たれたかは分かったわ」

 試験管を振るのを止めて、ケースに両方とも置いてから。彼女は俺と、俺の横でシミュレーターに座ったまま時々呻いているマクレディを見ながら口を開いた。

「何を打たれたかは分かった。──人造人間用の薬剤を打たれたの。それを開発したのはガンナー一派の何処かの組織、としか分かってない。私はそれを──あなたも知ってるでしょう、レイルロードの一員であるグローリーから受け取ったの。こういう薬を開発している連中がいる、って」

 

 人造人間用の薬剤……

 得体の知れない薬をマクレディは打たれたというのか。先程、この薬じゃない事を願いたいと言ったDr.アマリの言い方からして、相当危険な部類の薬なのは間違いない。

「……経緯を話してくれ。その薬を手にした経緯と、治療法を」

 促すと、アマリは黙って首肯してから、重そうな口を開いた。

「あなたも知ってるでしょう、インスティチュートのコーサーに、逃げた人造人間を戻す仕事を引き受けているガンナー連中が居るって。前にそういう人造人間を助けた事があったわよね。……そこで、ガンナー連中の中に居る頭の切れる奴が、人造人間に効く薬を開発したらしいの。

 それは人造人間の記憶中枢を瞬時に破壊し、何の役にも立たなくさせる劇薬──連中はそれを『アンハッピーターン』と呼び、コーサーとの交渉が決裂しそうな時それを使って脅すらしいのよ。最もそれに応じるコーサーが居るかどうかは分からないけど……。

 グローリーに話を聞いたとき、この薬の一部を手に入れたから持っていて欲しい、って言われて受け取ったのよ。レイルロードのDr.キャリントンも持っていて、この薬の治療薬を作るために四苦八苦してるみたいだけど──芳しくないみたい」

「ちょっと待て、人造人間に薬剤が効くのか?」当然の質問をしてみたが、彼女はこれまた黙って首肯して見せてから、「第三世代の人造人間はほぼヒトと変わらない構造をしているから、人間と同じ薬を飲んでも同様に効果を発揮するわ。ニック・バレンタインや戦闘兵として街中で見かける人造人間には効かないでしょうけど。

 そして勿論、それはヒトにも効くのは……言わずとも分かるわね」言いながらちらりと苦しい表情で息を弾ませるマクレディを見る。苦しい表情で息も絶え絶えの彼を。

「つまり……つまり、マクレディは、助からない……と?」

 絶望の淵に落とされた気分だった。──薬は判別できたのに。信じたくなくて、俺は目前に座っている彼女の顔をじっと見てしまう。

 Dr.アマリは俺の視線を受け止められず、すっと視線を落とす。……無理なのか、マクレディを助けることは、もう──

 けど、彼女の答えは違った。

 ふぅ、とため息を一つついたのち──「……あまりあなたに希望を持たせたくはないのだけど──」

 え。「何か方法があるなら言ってくれ。俺に手伝えることがあるなら──」

 おかしなことに、この時俺は相当狼狽していた。何故狼狽していたのかは分からない。分からない事だらけの中で、マクレディを失うことだけは嫌だという強い意志だけが自分を突き動かしていた。

 Dr.アマリは俺の剣幕にやや圧倒されながら、落ち着いてと何度もこちらをなだめつつ、

「……さっき言ったわよね、“人造人間がこの薬を打たれると、記憶中枢を瞬時に破壊され、何の役にも立たなくさせる”って」

「ああ」間髪を入れずに相槌を入れる。

「薬を打たれてから、1時間は経ってるでしょう。それなのにマクレディはまだ死んでないわよね。……私はそこにヒントがあると思う。

 何故人造人間の記憶が瞬時に破壊されるかって、それは恐らく、人造人間が持たされた“かつての生前の人物”の記憶の一部しか持っていないからと思うわ。

 人造人間は所詮彼らのコピーであって、彼らの記憶を全て受け継いでいる訳じゃない。だからすぐ記憶を破壊できる。……でも、ヒトは違う。

 ヒトは生きてきてからの経験、記憶、出来事を脳の海馬という部分に記憶している。それは人造人間のそれとは比較にならないほど膨大なもの──だから瞬時に記憶を破壊する事なんて出来ない。即ち、まだ猶予があるってことよ」

 猶予がある……その言葉に一瞬救われかけたが、結局のところ、治療薬がない以上どうやって?

「ジュリアン、前以上に厳しい事になるかもしれない。……それでも行くなら、私はあなたに“道”を授けることが出来ると思う。

 マクレディを助けるのには、彼の記憶を破壊するもの──アンハッピーターンの影響を除去できれば、彼を救うことが出来るかもしれない。その影響がどういうものかはわからないけど──それでも彼の脳の中に行くというなら、道を授けることが出来る。どうする?」

 この時ばかりは、Dr.アマリが神の如く後光を放つ者に見えた──というのは誇大広告すぎるが、実際彼女の差し出した手を受け取るしかマクレディを救う方法は見つからないのだ。……つまり、かつてケロッグの記憶チップを辿って彼の脳の中に入ったのと同じ事を再びするという事。

 すぅ、と息を吸い、俺ははっきりと答えた。

「勿論、行くさ。行くに決まってるだろ」

 

 実験用の記憶シミュレーターを二台起動すると、Dr.アマリはあわただしく動き始めた。

 マクレディの帽子を取って「失礼するわね」といいながら、彼の頭に脳波検査で使うような電極をぺたぺたと貼り付け始める。

「そんな装置で彼の脳内に入れるのか?」

 頼りないと思った訳ではないが、ニックの時と違って今回は生きている人間の脳内に侵入するという事だけに、頭に電極をつけただけで大丈夫なのかと不安になる。

「あなたがニックの身体を使って、ケロッグの記憶中枢に入った後から私が何もしてないと思ってるんじゃないでしょうね? 色々研究して開発してきたのよ。ヒトの記憶の中にも侵入することが可能かどうか、って──でも、これはまだ実験段階で、試験もしてないから成功確率は五分、ってところね。上手く行く事を願うしかない」

 話ながら、ぺたぺたとマクレディの頭を敷き詰めるようにして電極を貼り付けると、「ああ、あれを渡さないと」とアマリはぱたぱた走って一旦奥まで引っ込み──すぐさま戻ってくると、はいと言いながら手を伸ばしてくるので、つられてこちらも伸ばすと、手のひらに二つ、輪っかのようなものが落ちた。──指輪か?

「何だ、これ」

「それを、あなたとマクレディの左手の薬指に嵌めて」とDr.アマリは平然と言ってくるので俺は目を丸くしてしまう。──左手の、薬、指。

「おい、それって──」

「言いたいことは分かる。戦前の人間は結婚するとした者同士で指輪を左手の薬指に嵌めるという話。私も知らない訳じゃないの。

 けど、それにはちゃんとした理由があるのを知っているでしょう? 左手の薬指に指輪を嵌める意味が何か。そしてこれからあなたはマクレディの脳内に入る、その為に道を作らなくてはいけない。その為に必要なものなの。

 その指輪には微弱な静電気を発する装置が組み込まれてあるわ。その静電気があなたとマクレディに一時的な“道”を作る標になる。ジュリアンはマクレディと血縁関係でもなければ婚姻してる訳でもない。その為マクレディの記憶があなたを拒否する可能性も出てくる。それを防ぐものだと思っていればいいわ」

 ……よく分からないが、必要なものだといわれれば仕方がない。俺は立ち上がり、シミュレーターの椅子にほぼ横たわる形で伏せているマクレディの左手を取り、すっと指輪を嵌めてやった。

 なんだかとてもおかしな気分だな、と自嘲してしまう。普通男が男に指輪を嵌める行為なぞやるか? 意識がある時にマクレディにしてやったらどういう反応をするのか見てみたい気もするが。

「嵌めておいた。他にやることは?」

 自分の指にも同じものを嵌めてから質問を投げかけると、「無いわ。こっちも準備できてる。……ああ、でもちょっと待って」と言ってから、Dr.あまりは記憶シミュレーターを扱う機器から離れてこちらに近づいてきた。

「どうした?」

「いえ、……一応聴いておかなきゃって思って」と言いながら、Dr.アマリはもじもじとしていた。──言いたい事はわかっている。

「……なぁ。もし俺が、マクレディの頭の中から戻らなかったら──」

 こちらから水を向けてやると、彼女ははっとした表情を浮かべ、次にはぶんぶんと首を横に振っていた。

「そんな事はさせないわ。ケロッグの時と同様、私があなたを最大限サポートする。あなたがマクレディの記憶の中の何処にいるかちゃんと突き止めて──」

「分かっているよ。あんたには感謝している。いつも無茶なお願いばかりして、申し訳ないと思う位だ。サポートを宜しく頼むよ。

 ……でももし、万が一、マクレディが目覚めても俺が戻らなかったりしたら──彼に一言、伝えて欲しい事があるんだ。さっき申し訳ないと言ったばかりで失礼とは思うんだが、頼まれてくれないか」

 Dr.アマリは渋々ながら応じてくれた。自分が必ず助けるというつもりでやってくれているからこそ、万一なぞ考えたくないのだろう。

 けど、最悪の事態を想定しないつもりで俺も危険な道に向かうつもりは無い。だからこそ──俺は彼女に、その言葉を伝えた。

 それを聞いたDr.アマリは目を丸くして、「……本当にそれだけでいいの?」と問い返してくる。

「ああ。あんたならそんな事しないだろうと踏んでの事だ。信用しているからこそ伝えたんだからな。宜しく頼んだぜ」

 にやりと笑みを浮かべてみせると、当惑したようにアマリは目を伏せて、うんうんと何度も頷いて見せた。

 シミュレーターに向かう前に、俺はマクレディをじっと見つめた。時折苦しそうに呻き声を上げている。彼の手をぎゅっと握ると、いつもと変わらぬ体温で、熱もないのに彼の頭の中では破壊が繰り広げられているのかと思うと、胸にこみ上げてくるものがあった。

 ──疑ってかかるべきだった。彼を探しているという奴がどういう素性の奴ぐらい分かりそうなものなのに、俺は既にガンナー連中からのマクレディに対する報復は終わったとばかりに高を括っていたのだ。そのせいでこんな事になるなんて誰が予想しただろうか。俺がマグノリアの歌に夢中になっていたばかりに。

 ──けど、今からお前を助けに行くよ。待ってろ、マクレディ。

「急いでジュリアン、打たれた時間から逆算しても、数時間しか残されてない筈」

 Dr.アマリの声にああ、と応じながら俺は彼の手から自分のそれを離した。次その手を握るときは必ず来ると信じて。

 シミュレーターに入り、背もたれを倒したような格好で座ると、ゆっくりとした動作でカプセル型の蓋が閉まった。透明の蓋には中型のスクリーンがくっついており、その映像を覗き込む形で、人は自らの記憶と対面するという仕組みになっているのだが、今回は前回同様、他人の記憶の世界を歩くという事だから出だしからどうなるか想像もつかない。

「カウントダウンが始まるわ。──ジュリアン、気をつけてね」

「ああ」

 ケース越しではあるがはっきりとした声でそう答え、俺はスクリーンのほうをじっと見た。やがて映し出されている映像が僅かに動き始めると、10.9.……とカウントダウンを始めていく。

 色んな事が頭に浮かび、消えていった。マクレディと出会った時の事、彼と話したありとあらゆる事──

 彼の記憶の中が今どうなっているのかは想像もつかなかった。けど俺のやることは一つだけ。打たれた薬の影響を止めさせる。それだけ。

 3.2.1──0。

 カウントダウンが0になったと同時に、画面がぱあぁ、とまばゆいばかりの白い光に覆われた。

「ぐぁっ……!」

 目が焼かれる感覚に思わず瞼を閉じる──と同時に、身体と意識が分離する感覚に襲われた。強く白い輝きが俺を引っ張り出そうとしている。肉体から──

「意識を強く持ってジュリアン! ここで気を失っちゃだめよ──」

 Dr.アマリの声が耳元でした──ような気がしたが、その時俺の意識は肉体を離れ、輝く白い光に吸い込まれていた。

 なんだこれ……ケロッグの時とは違う。違いすぎる。

 それでもやがて目が光に慣れてきて恐る恐る目を開くと、とんでもない光景が視界に飛び込んできた。

 記憶の渦、といったほうがいいだろうか。白く輝く光を遮るように、時折ふっと何かがよぎる。全く知らない人物の姿、見たことの無い場所、あらゆる事象が写真のような四角く切り取られている断片となって、渦を作り出していた。

 渦に逆らうことなど出来ず、俺は断片にもみくちゃにされながら身を投じる形で落ちていく。

「うわあぁぁああああぁ?!」

 情けない声を上げてしまう。──と同時に、突然渦の中から身を脱したかのように記憶の断片が消えたかと思うかみなかで、どかっ、と顔に鋭い痛みと、衝撃で目に火花が走った。意識の中にいるせいで、上下の感覚が全く分からないせいでしばし、頭の中が混乱する。

「いったぁ~~……ったく、何だってんだ……」

 頭を振りながら、立ち上がる。──辺りを見回してみると、岩盤に囲まれた殺風景な場所だった。薄暗く、しかし完全な闇ではない。ごつごつとした岩肌に、いくつか天井や壁に打ち付けるようにして照明が点々と灯されてある。

 自分が叩きつけられるようにして落ちてきたのはどうやら通路の一角のようだった。……洞窟の中だろうか。

 とりあえず俺はマクレディの記憶の中に侵入は出来たらしい。……らしいのだが、Dr.アマリの声はまだこちらには届いていない。俺が何処に落とされたのか判別できていないのだろう。

 とりあえず進んでみるしかないだろう。自分の記憶には、こんな岩だらけの場所なんて見た覚えがない。即ちここは彼の記憶の中──なら、マクレディがどこかに居る筈だ。

 薄暗いため、Pip-boyの明りをつけてみると、意識の中でもちゃんと装置は光を灯してくれた。今は俺の意識でしか動いていない筈なのに、身なりも、腕につけているPip-boyもちゃんとそこにある。無意識に認識しているせいだろうか。

 進んでいくと、やがて開けた場所に出た。いくつも連なった電球が天井にぶら下がっており、その先に、大きな板と、間仕切りのようにいくつかトタン板や木材を無造作に打ちつけて出来たバリケードがあった。大きな板には何か文字が書かれてあるが、所々煤けているせいで判別が出来ない。

 何処からか拾ってきたのか、STOPの看板が丁度バリケードと通路の間に置かれている。何で止まらなきゃいけないんだと思いながらも、俺は無視してバリケードの方へ歩いていく。──と、頭上──バリケードの上部辺りからか、突然けたたましい声が耳に飛び込んできた。

「それ以上近づくな、ムンゴ! ここはお前のような大人が来るような場所じゃない」

 誰だ? と──辺りを伺ってみるが、薄暗いせいで人の姿は見えない。……というか、ムンゴって何だ?

 止まれと言われても埒があかないので、無視して近づこうとすると再び、

「それ以上近づくなと言ってるだろうが! これは警告だぞ、聞こえないのかムンゴ!」と罵声──にしては甲高い声だが──が飛んでくるので、ついこちらも言い返してやる。

「俺はムンゴなんて名前じゃない。さっきから人のことをそう呼ばわりする奴は誰だ? 姿を現してみろ!」

 大人気ないと思いながらも内心苛立ちながら叫ぶと、バリケードの上部の僅かな間から、顔を覗かせたのは一人の──子供だった。頭には兵士が被るような深緑色の円形ヘルメットを被り、手にはアサルト・ライフルを手にして、睨むようにじっとこちらを見据えているのは──二つの青い瞳。

 その目を見た瞬間、全てを悟った。相手が名乗らなくても分かった。この場所が何処で、俺を見る子供は誰なのか。

 

“小さかった頃、リトル・ランプライトって所に住んでいたんだ。そこで長を勤めてた事だってあるんだぜ。

 そこは岩だらけの場所で──時々恋しくなるよ。岩だらけの天井がある場所を。16までその場所にいたせいかな、もう戻れない場所だとしても、時々ふと、そう思う事があるんだ”──

 

「……お前、マクレディか?」

 それは間違いなく、彼の記憶の中にいる“マクレディ”そのものだった。

 記憶の中の世界しか会う事の出来ない、交わらない時間軸を埋め合わせるかのような出会いと共に──その記憶を蝕みつつある黒い影が近づいてきているのを、俺はまだ知らなかった。




長い上に解説ばかりです、ごめんなさい。
続きものんびり書いていくのでどうぞよろしくです。


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Re:union

「お前……マクレディか?」

 言ってからしまった、と思ったが時既に遅し。バリケードの向こう側に居る彼の目はこちらを値踏みするようなそれをこちらに向け、

「……何故俺の名前を知ってる? 俺はお前なんか知らないぞ」

 至極当然の質問を返してきた。今のが誘導尋問だったら確実に彼は引っかかっていただろうな、まだまだ考えが幼い──などと思ってしまう。

 相手の口調からして、こちらを警戒しているのは間違いない。とりあえず何でも話してきっかけを作って、彼の居るバリケードの向こう側に行かないと──

「……まぁ、お前は知らないだろうがな、俺はお前を知ってるんだよ、マクレディ。とてもよく、と言った方がいいかな」

 言ってみて随分とまあ、相手の神経を逆撫でするような事を口走っちまったもんだ、と内心自嘲してしまう。只でさえ警戒されているというのに。

「ふん、どうせ大方、ビッグ・タウンに向かった連中の誰かが口を滑らせたんだろうな。俺の悪口か何かを。……あんたもそれにつられて来たって言うならお門違いもいいとこだし、少なくともムンゴに利いてやる口なんて持ち合わせちゃいない。俺の気が変わらないうちにさっさと失せな」

 にべもない言葉に少々顔がひきつる。……マクレディは確かに口が悪い。悪いのは今まで付き合ってきたし、そういう性格だってのは知っている……が! こんな幼い時代からこんな口の利き方してたなんて知らないぜ?

「ちょ、ちょっと待てよ、マクレディ」

「うるさい。……それ以上俺を引きとめようとしてみろ、あんたの額にデカイ穴開けても知らないぞ」

 言いながら、幼いマクレディは手にしたままのアサルト・ライフルの銃口をこちらに仕向けてくる。脅すつもりなのだろうが、こちらだって形振り構ってられない。彼自身の記憶を破壊している薬の影響を失くすまでは──けど、その影響って一体どこでどうやって見分ればいいのだろう? ……まさか、今向き合ってる幼いマクレディは既に薬にやられてるって事は……ないよな。

「待てよ。……そういや俺、まだ名乗ってなかったよな。……俺の名前はジュリアンだ。宜しくな、マクレディ」

 名乗りながら、にかっと笑ってみせた──やや顔が引きつっていたかもしれない──が、肝心のマクレディは何も言わず、黙ってこちらを凝視していた。時折眉間に皺を寄せて、こちらをじっと見つめている。どうしたんだ?

「……“ジュリアン”?」

 俺の名前を反芻しながら、何かを思い出している様子だった。記憶の中に俺の名前があるのだろうか? ……でも、本来この時間軸に俺は存在しない。この頃の俺は、まだ連邦のVault111で眠らされ続けていたのだから──

「ああ。……思い出してくれたか?」

 言ってる最中、思い出すも何も俺の名前を知らないだろうに……と内心ぼやいていたのだが、次の瞬間彼の口から出た言葉に俺は目を丸くした。

「……よく、思い出せない……何でだろう? 確か、Vault101に居たとか言ってた……」

 Vault101……!

 思わずあっ、と声を出してしまう。──そうだ。思い出した。俺が初めて、マクレディとサード・レールのVIPルームで出会った時。

マクレディは自分を雇えと言ってきて……そして俺はあいつと交渉して値切って200キャップで彼を雇ったんだった。

 前払いだとぬかすので200キャップが入った袋を差し出して、俺は自分の名前を名乗った後──

 

『俺の名前はジュリアンだ。宜しく』

『えっ……ジュリアン? あんた、ジュリアンなのか? 

 俺を覚えてないか? リトル・ランプライトで市長をやってた頃の俺に、一度会っているだろう?』

 

 あの時、マクレディは俺と同じ名前の別人と勘違いしていた。(※)

 彼が幼い頃、リトル・ランプライトの市長をやってて、その際俺と同じ名前のVault居住者が訪れたとかなんとか……

 その記憶の中のジュリアンと俺が混同しているのだろうか? ──けど、この混同は逆に使えるかもしれない。“Vault101のジュリアン”は、マクレディと会っていたという事実は聞いているのだから。

「……そうだ。俺は、Vault101から来た“ジュリアン”だ。俺を忘れちまったのか、マクレディ?」

 話を合わせようと言ってみたものの、彼の表情は優れない。時折頭を数回、横に振りながら目を細める仕草は、必死で何かを振り払おうとしているようにも見えた。……おかしなことに、その動きと重なって、世界がざざっ、とアンテナ受信がし難い古いテレビのように世界が僅かに砂嵐に変わったりする。──彼の記憶の中の世界が躍動している。揺らぎには不安も恐怖も感じない。不思議なことに、この得体の知れない世界の中で俺はそう感じていた。

「──どことなく変な気がするが……最初からそう言えばいいのに」

 落ち着きを取り戻したらしいマクレディがやれやれと言った様子でこちらに声を投げかけてくる。どうやら俺を記憶の中のジュリアンと俺を認識したみたいだった。

「そう言う前に手にした銃を向けてきたのはそっちだろ」

 言ってから、ああ、まるで俺はいつもの姿の彼に言う口調と変わってないじゃないかと毒づく。──その時、脳裏に言葉が飛び込んできた。

『ジュリアン! ようやく見つけた!』

 Dr.アマリの声だった。……どうやらマクレディの脳内から俺を見つけてくれたらしい。ほっとする。導き手である彼女が居るのと居ないのとでは大違いだ。

『よかった。……マクレディの記憶領域に一部反応があったから、それを辿ってみたらあなたに行き着いたのよ。ケロッグの時とは違って、破壊されて読み込めない箇所と、されてない箇所は半々といったところだから、見つけるのにかなり手間取ったけど──あなた何か彼の記憶に反応を示すような事をした?』

 反応? ──そういや、さっきこの世界が砂嵐のようになったりしたな。あれが反応というものなら、そうなのかもしれない。

『……とりあえず無事にマクレディの脳内に侵入は出来た。ちょっと離れた場所にマクレディも居る。この場所は何処だか分かるか? 

 俺の名前を名乗ったら……何か思い出すような事をしたな。どうも昔、俺と同じ名前のVault居住者と会った事があるみたいで──』

 アマリの声はこちらの脳裏に直接響いてくるため、バリケードの向こう側に居るマクレディには聞こえていない。……こちらの声が聞き取れるかは分からないが、とりあえず俺は返事を声に出さず、頭の中に思うようにして返答してみた。

『大丈夫。ちゃんと聞き取れてる。……今あなたが居る場所はマクレディの脳内でいうと第12セクターの領域内。現在22歳みたいだから、およそ10年前ね。私は年代別にセクター分けしているからこう呼んでるけど。

 アンハッピーターンの影響が少なからず及ぼし始めている領域よ。既にいくつかのセクターからは反応が無くなってるのもある。思った以上に薬の影響が強いみたい。急いだほうがいいわ』

『急いだほうがいいっていうけど……俺は実際この世界、いやマクレディの頭の中で何をすればいいんだ?』

 当たり前だが大切な質問をしてみる。彼女は返答に窮しているのか、しばし間が空いた後──

『正直なところ、分からない。どうすれば薬の影響を消し去る事が出来るかは私にも分からないの。ただ……記憶を破壊するものは確実に居る。それは彼の記憶の中で実体化をしているのは間違いない……筈よ。終わりの無い悪夢を延々と見せられると思ってもらったほうがいいかしら。

 彼の記憶には居ない、もしくは居ても何かしら記憶と違う存在が必ず現れる。それを何とかして打ち破れば、薬の影響は徐々に威力を失い、無効化されていく筈。……科学者のくせして、仮定ばかりの話でごめんなさいね。けど……こんな事私も初めてだから』

 元々第三者の記憶領域に入れるようになった事だって驚きなのに、それ以上のことを聞いてもそりゃ、知らない事に返事を窮するのは当たり前だ。要するに、倒せばいい。

 俺の無い頭を絞ってもいい知恵なぞアマリ以上に出てくる筈がなかろう。元軍人として、マクレディの相棒として、やるべき事は悪夢の存在を倒せばいいという事だけだ。

『Dr.アマリ、その悪夢……アンハッピーターンの存在が分かるか? もし検知出来るようなら教えてほしい。あとはこっちで何とかしてみる』

『わ、分かったわ。何とかやってみる。とりあえずマクレディの近くに居れば、必ず影響が現れるはずよ。気をつけて』

 よし、と──思った直後、ごぅん、と音を立てて目の前のバリケードとして成っていた巨大な一枚板が装置か何かによって持ち上げられた。いきなり大きな音が立った為か、先程の話の事もあって薬の影響が現れたのかとびくっとしてしまう。……が、そうではなかった。

 バリケードの向こう側、明りの灯された岩肌むきだしの広間の真ん中に、マクレディがぽつんと突っ立っている。どうやら彼が開けてくれたらしい。気が変わらないうちに走ってバリケードをくぐり、マクレディの目前に立った。

 ……思った以上にマクレディは小さかった。頭一つ分大きいヘルメットにゴーグルをつけたものを被り、あまりに大きいそれがずり落ちないように工夫しているのか、頭とヘルメットの間には白いスカーフを首元まで伸ばし、マフラーのように結んで垂らしてある。その代わり、ヘルメットと首を固定するベルトは結わずに耳元で垂れ下がっていた。

 帽子と同じ色の深緑の分厚いジャケットを羽織り、サスペンダーのように両肩に引っ掛けたベルトで固定してある。先程まで手にしていたアサルト・ライフルは背中に背負っていた。……どうやら彼の攻撃対象から外れたようだな。

「入れてくれてありがとう、マクレディ」

 にこやかに挨拶をきめてみたが、当の本人はじろり、とこちらを見据え、

「俺を呼び捨てにするな。いくらあんたでも呼び捨てにしていいなんて言った覚えはないぞ。もう忘れたのか? 俺の事は“マクレディ市長”と呼べ、って」

 つっけんどんな物言いに顔が再び引きつる。……しかしここで怒っても仕方が無い。だけどこういったあしらいをされてきたであろう、Vault101のジュリアンは内心どう思って対処してきたんだろうな……と心の中で不安になった。

「あ、ああ、すまないなマクレディ市長。俺の言い方が悪かった」

 素直に謝ると、彼はふん、と鼻を鳴らしてすたすたと歩いていってしまう。慌てて俺は彼の後を追ってみたものの、「着いてくるな」の一点張り。

「そうは言っても……ここはリトル・ランプライトなんだろ?」

「当たり前な事をもっともらしく言わないでもらおうか。市長は忙しいんだ」言いながら奥へとどんどん歩いていくので、俺は彼の行く先を封じるかのように走って目の前に立ってみる。

「……どういうつもりだ?」と、苛立ちを隠せない表情でマクレディが呟いた。ガキの癖に凄みだけは一級品だな、──けどそんなの俺には通用しないぜ、マクレディ。

「ここの中を案内してくれよ。市長なんだからこの洞窟内の事なんて知り尽くしてるだろ?」

 変わらずにこやかに言う俺と対照的に、これまた変わらずマクレディは上背が彼の頭一つ半高い俺を睨み付けながら、「断る」ときっぱり言ってくる。……かわいくねー奴。

「ああ、そうかい。……じゃあそれでもいいさ。俺はお前の傍から離れないからな」

 と言ってのけるとさすがに変だと感じたのか、

「は? 何寝ぼけた事を言ってるんだ、あんた? 俺の腰巾着にでもなろうって魂胆か?」

 腰巾着? ガキに──といっても12歳だが──似合わない言葉が出たと思うとおかしくて、思わずぷっと噴出してしまった。そんな俺をマクレディは憮然とした表情で見上げてくる。

「はは、おかしなことを言う奴だな、……そうじゃないよ。言うなれば、俺はお前の護衛を務めるみたいなもんさ。俺の事は気にしないでリトル・ランプライトを見回ればいい。ただし俺はお前の後ろをついて離れないからな。……ん? という事はやっぱり俺はお前の腰巾着みたいなもんか?」

 にやにやしている俺を他所に、マクレディは俺の脇を通ってさっさと先に歩いていってしまう。ついていけない、といった態度に、不思議と親しみを覚えた。ショーンが大きくなったらあんな姿になるのかな──でもあいつみたいな酷い口答えをするような少年には育って欲しくない。

「待てよ、マクレディ」

 踵を返し、彼の歩く方向に声をかける。黙って歩いて行ってしまうかと思いきや──つ、と彼の足が僅かな間、歩みを止めてくれた。こちらには顔を向けず、けど背後から近づいてくるであろう俺の足音を確認した後に再び歩き出す。

 何だ、素直じゃない奴だな──にやにやしてしまう。思えば彼はこういう性格だったよな。ガンナー連中と手を切るために手を貸した時だって、こちらから言わなければ彼は水を向けてはこなかった。

 苦しんでる時、助けが欲しい時、手を差し伸べてくれる人がいればどれだけ有り難いかをこの時の彼はまだ知らなかったのだろうか。

 

 リトル・ランプライトの中を歩いていくうち、辺り一面岩肌だらけの世界の中で居住施設や商品を売るお土産屋などの建物が点在するのには驚いた。時折記憶がテレビに映る砂嵐のようにぶれ続けたりするものの、マクレディの記憶の中に存在するリトル・ランプライトの世界に俺は感心していた。……どうやらここは観光地だったようだ。しかしどうして子供だけの世界を作る事になったのかは分からないままだが──

 その岩肌ひしめく広大な洞窟の中で、見かけた人物は一人も居なかった。……いや、俺だけが見えていないと言った方がいいかもしれない。

 先頭を歩くマクレディは時折、顔を動かしてはその方向に居るであろう誰かに話している仕草を見せるのだが、俺が見てもそちらには誰の姿も見えなかった。……何故だ?

『Dr.アマリ、どうして俺には見えないんだろう? 記憶が侵食されているせいか?』

 問いかけると、彼女はすぐに応じてくれる。傍にいるという証が心強い。 

『……まだその辺りにおかしな変化は見られないわ。恐らく、単に彼の記憶の中にインプットされて無いだけじゃないかしらね。それを忘却と云うけど』

 なるほど。そういう事も考えられるな。けど建物とか風景は記憶が鮮明に残っているらしい。戻れない故郷を鮮明に記憶に焼き付けようとしたのか、そういう経緯があったのかもしれないと思うと感慨深いものがあった。

「さっきから何をじろじろと見てるんだ?」

 辺りをきょろきょろしてたのが癇に障ったのか、こちらを振り向いてマクレディが声をかけてくる。俺の一挙一動が目につくのだろう。そりゃまぁ、記憶の中のVault101のジュリアンと俺は違うからな。どんなもんかと見てみたくなるのは当然さ。

「いやなに、ここがお前の故郷なのかと思うと、見ておきたくなってさ」

「……? 何訳が分からない事をぬかす? ここが俺の故郷だとしても、それがあんたに何の関係がある?」

 言われてみればその通りだ。でも……

「知っておきたいんだ。……お前はまだ、この場所でどういう事があって、どういう生き方をしてきたのか、俺に話してないからな」

 こんな事言ったらますます混乱するだけだろう──けど実際、マクレディはこの場所の事をあまり話してくれないのは事実だった。話したくない理由も分かっている。

 本来、俺がやっている事は彼にとっては決して有り難い事ではないのかもしれない。自分の記憶を第三者に曝け出しているも同然なのだ。知られたくない事があったら尚更隠すものだろう。──けど俺はマクレディを助けたいから来た。その行為が結果として彼にとっては身を切るような出来事だったとしても、俺は彼の辿ってきた歴史というには短すぎる生涯を、決して馬鹿にしたり卑下したりはしない。

「俺がそう言う事をぺらぺらと話すような奴に見えるのか、お前には?」

 鼻で笑いながらマクレディは言った。嘲笑に近いものだったが。

「ははっ、……まさか」手をひらひらさせながら言いつつ、「──だから自分なりに記憶に留めておくんだ。“頭上に岩だらけの天井があった方が居心地がいい”とか、ここに住んでた住人の話とか、言うだけ言っておいてお前はその背景を一切話しちゃくれないしな」

「……俺じゃない誰かの話をしているんじゃないか? それとも俺をからかってるのか?」怪訝な表情でマクレディが呟く。俺は小さいマクレディに近づき、彼の肩にぽんと手を置いた。……心なしか、あたたかみを感じる。

「マクレディ……市長、あんたにとって、ここは居心地のいい場所だったか?」

 手を振り払われるかな、と思ったが、マクレディはそんな事をせず、相変わらずこちらをじろりと睨み付け、「だから、なんでそんな事を聞いてくる? さっきも言ったが、お前に何の関係がある?」

 それは俺が、お前の事を知りたいからだ──と、返事を返そうとした時だった。

『ジュリアン!』頭の中に響くDr.アマリの声。

 突然金切り声のように響いてきたもんだから思わずびくっとしてしまい、それが肩に手を置いているマクレディにも伝わったらしく「おい、どうした?」と顔を上げて疑問を口にしてくる。

『おい、どうしたってんだ? 今マクレディと話を──』

 しかし、こちらの返事を最後まで聞くつもりはないのか、再びDr.アマリの声が脳裏に飛び込んできた。

『近づいてきてる。アンハッピーターンの影響がすぐ近くまで。……ああもう、さすがに何処からとは分からないけど、あなたの傍に居るマクレディを狙っているのは間違いない。用心して!』

 くそっ、と思わず声に漏らしたのをマクレディが耳ざとく聞きつけ、

「は? 誰がクソだって?」勘違いしたような事をぬかしてくる。……今はそんな事で言い合ってる暇はない。俺は辺りを見渡しつつ、

「マクレディ、俺の傍を離れるな」

 肩においていた手をずらし、彼の手を握る。突然手を握られて何をしでかすのかと彼は一抹の不安でも覚えたのか、

「おい、なんだこの手は! 離せ!」彼は言いながらぶんぶん手を振ってくる振り払おうとしてくるではないか。

「静かにしろ!」と──マクレディに一喝したと同時に世界が一段階、暗くなったような気がした。……先程まで煌々と照らしていた豆電球の明りが奇妙な事に明滅し始めている。……近づいてきているのだ。薬の効果が。

 と──辺りが暗くなった事で気をとられていた隙を狙ったのか、マクレディが力いっぱい振り払ったせいで思わず握っていた彼の手を離してしまった。──まずい!

「こちらの気が緩んだ隙に、俺をパラダイス・フォールズにでも連れて行くつもりだったのか? そうやって俺達を攫っては奴隷商人に叩き売るムンゴを何人も見てきたからな!」

 叫びながらマクレディは俺から距離を取ろうと小走りで向こう側──どんどん暗くなっている方向へと走っていってしまう。くそっ、彼の手を離しちゃまずかったのに!

「マクレディ、誤解だ! ……というかそっちに行くな!」

 こちらも走って彼の後を追いかける。

 パラダイス・フォールズという地名は知らなかったが、奴隷商人という言葉でなんとなく察しはつく。キャピタル・ウェイストランドにはあるんだな……そういった奴隷を扱う商人の町が。

 走っていくと、マクレディがかなり先で突っ立っている。辺りの電球は明滅を繰り返しており、暗がりのほうが分配が強くなってきている。早く行かないと彼の姿が闇に飲まれてしまいそうで──はぁはぁと息を荒がせながら走った。狭い洞窟内で走るのは危険だったが、形振りなぞ構っていられない。

「……マクレディ、そこから、動く、な」

 息も絶え絶えで彼の傍まで走っていくものの、先程のように走って逃げようともしない彼の態度に違和感を覚え──視線の先に目を向けてみると、最初俺が入ってきたものとは別のバリケードが作られてあった。それはいいのだが──そのバリケードのこちら側に人が立っている。──背の小さい、膝丈まであるピンク色のワンピースを着た少女だった。

 髪は短く、ヘアバンドをしており、こんな洞窟の中で住んでいる割には小奇麗な感じに見えただろう……彼女の周りを覆うようにして蠢いている黒い霧のようなものさえなかったら、だが。

「な……なんだ」

 俺の声に反応したのか、マクレディが仰ぎ見ながら「くそ、お前、まだ俺の事を──」と言ってくるが、おかしなことにマクレディはその場から動けない様子……動けない?

 ばっと彼の足元を見ると、黒い霧状のものがマクレディの両足を覆っているではないか。……まさか、あれが──

《マクレディ、あんた、何やってる訳?》

 異質な声が響いてくる。どうみても人間の声じゃない──ノイズ混じりの、抑揚のない機械音声のような声が、少女の口から発せられたものだと気付くまでに僅かばかり時間を要した。

「なにをやってるか、だと……」マクレディは足を動かそうとするも、黒い霧がまとわりついているせいか、その場に立ち尽くすしかない格好になっている。辺りの電球は激しく明滅を繰り返し、闇と光を交互に繰り返しながら、明りが灯る度に少女が音も無く近づいてきている事に俺は若干戦慄した。

 今まで実体している他人を見ていない。マクレディはこの記憶の保持者、俺はそこに入り込んだ異質な存在。そしてそれ以外の存在といったら……アンハッピーターンの影響しか考えられない。彼女はマクレディの記憶の中に居る人物を借りた悪夢そのものだ──

 音も無く近づいてきた少女はマクレディの目前でひたりと止まると、ぎろりと俺を睨み付けてびっ、と左手の人差し指を突きつけ、

《やってるじゃない。ムンゴをこの中に入れるなんて、あんた頭どうかしてるの? 市長として自覚ある?》

「自覚だと? 少なくとも俺はプリンセス、お前みたいな無茶な提案を市民に要求したりはしていない。お前のほうが余程──」

 プリンセスと呼ばれた少女──恐らくあだ名だろうが──は、俺に向けた指下ろすとにたりと君の悪い笑みを浮かべ、マクレディの胸倉を突然ぐっと掴んだ。マクレディが息を詰まらせる音を立てる。

「おい! 何やってるんだ──」

 マクレディを掴む彼女の手を掴もうとした自分の手だったが──すっ、と、彼女の腕を貫通し空を切った。えっ、と考える余裕も与えず、何の手ごたえも与えず、空を切ったのだ。……どうして?

「プリンセス、俺に掴みかかるとはいい度胸してるな、もう一度殴られたいのか? 5分で政権交代させたあの時と同じように?」

 変わらない口調でマクレディがプリンセスと対峙している最中も、俺はなんとか彼女の腕を引き剥がそうと躍起していた。が、虚空を切るだけで何もつかめない。黒い霧がどんどん強くなってきているのに。

《ああ、そうだったねぇ、あんた、私を殴ったんだったっけねぇ。

 じゃあ何倍にも返してやるよ。そうすれば、皆目が覚めるでしょ。……あんたがどんだけ軟弱者か、ってね!》

 言うが否や──プリンセスは空いていたもう片方の右手で、次の瞬間にはマクレディの左頬にグーパンチをめり込ませていた。

 止める余裕もなかった。マクレディは成す術なく吹っ飛ばされ、岩肌に背中を叩きつけられて倒れてしまう。──明らかに少女の力ではない。悪夢そのものとDr.アマリが言ったのはあながち間違いじゃないのかもしれない。

「マクレディ!」

 慌てて駆け寄り、身を起こしながら彼の頬を叩く。うぅ、とうめき声をあげながらも彼は何とか意識は保っていたが朦朧としているらしく頭がくらくらしている様子だった。

『Dr.アマリ! どうすればいい? 俺じゃ彼女──違う、アンハッピーターンの影響を止められない! 俺はその影響に触れるどころか、攻撃すら出来ないんだ!』

 呼びかけると、これまた慌てた様子のDr.アマリの声が響いてくる。

『そうだったわね……その可能性を捨ててたわ。彼の脳内にとって、彼と、現在影響を及ぼしている薬の効果以外触れられるものはないって……あら? でも、ジュリアンはマクレディに触れたのよね?』

『触れるも何も、今も彼の身体を抱えているが?』呼びかけに応えつつ、俺は彼の身体を抱えこみ、プリンセスの居るほうを向く。彼女はにたにた笑いながら、音も無くこちらに近づいてきていた。

『……ああそうか、ジュリアンは今マクレディと一時的とはいえ“道”が繋がっているからなのね。なら、影響に攻撃を与える事も出来るようになる筈よ。

 繋がりを強く認識するの。彼に触れていたほうがいいかもしれないわ。そうすれば多分──』

 強く認識ったってな──けど、このままじゃマクレディがやられるのを黙って見てるだけになっちまう。手段はあるんだ。彼を助ける希望の光は。

 手探り状態の俺を他所に、音も無く近づいてきたプリンセス──いや、すでに黒い霧と同化しており見分けがつかない──が、赤い口を開いてにやりと笑ってこちらを見据え、

《そいつを寄越せ》

「断る」

 言い切ると同時に、黒い霧がぶわっ、と自分に襲い掛かった。マクレディの足についたもの同様、四肢にまとわりつこうとするも霧は俺の足を通り過ぎてしまう。

《何故だ! 何故お前は影響を受けない!》

 蠢く霧が、相変わらずノイズ混じりの機械音声で叫ぶ。そりゃ俺は彼の記憶の中の存在じゃないから、薬の影響は一切受けないだろう。

「あんたの影響なんかこれっぽっちも受けないさ。俺はマクレディを助けに外からやってきたんだ! 彼の記憶を是正するためにな!」

 叫びながらそうだ、と確信した。俺はマクレディを助けに来た。それだけに意識を集中すればいいんだ。何を難しく考えていたんだ? 俺。

 黒い霧からマクレディを遮りながら一つだけ願った──この黒い霧から彼を守るために俺は来た。──そのための力を俺に与えてくれ。

 思うと同時に、右手に何かが具現化しはじめた。すぐにそれが俺がいつも愛用しているコンバットライフルだと気付く。重さを感じないそれは、小さなマクレディを抱える俺の手でも扱えるものだった。

「う、っ……」マクレディが呻きながら朦朧とした意識から回復した様子で、頭を振りしな、薄ら目を開けてくる。

「よぅ市長、立てるか?」彼の顔を覗き込みながら言うと、瞬間びくっと身体を震わせたマクレディが、次には自分が相手に抱えられているものだと悟り、

「なっ……何を馬鹿な事をしてるんだ、さっさと下ろせ!」変わらず悪態を吐いてくる。やれやれ、威勢だけは一丁前だな。

「下ろすのはいいが、決して俺から離れるなよ。いいな?」念を押しつつ、俺は彼を開放してやった。立ち上がった彼は辺りを覆う黒い霧の先を見て、再び身体を震わせた。

「あれは……プリンセス?」

 既に霧で覆いつくされた黒い物体を凝視している。まだプリンセスの実体を得ているのだろうか? 俺には黒い霧の塊にしか見えないのだが──

 彼にとっては、彼女もまたリトル・ランプライトの市民だ、本来ならば彼の眼前で彼女を撃つのは気が退ける──またも誤解を受けるかもしれない。けど、倒さなくては彼の記憶はいずれ蝕まれてしまうのは間違いない。──誤解なぞ、後で幾らでも弁明できるさ。

 身を屈めて片膝で立ちながら、俺は照準を彼女──もとい、アンハッピーターンに合わせた。マクレディは黒い塊を見て畏怖したのか、俺の背後に後じさりしていく。

 彼の爪先が、俺のブーツの踵に触れているのが唯一、彼と触れている箇所ではあった。そこだけ不思議と温かみを感じるのだ。

 俺は躊躇わずに引き金を引いた──ぱしゅっ、とサイレンサーつきの影響もあって、僅かな空気音のみで発射した弾は照準から違うことなく霧にぶちあたった直後、ぎゃっ、とうめき声と同時に銃弾を受けた場所からまばゆい光が一筋零れ出てきた。

 それがきっかけとなり、黒い霧を貫くようにいくつも光の筋が溢れていき──やがてばんっ、と四散するような音を立てて……霧は消えた。

 明滅を繰り返してた電球は何も変わらず、岩肌だけのリトル・ランプライトを煌々と照らしている。──不思議と辺りの温度があったかくなった感じに思えた。

「な……なんだったんだ、今のは?」

 マクレディがぽつりと漏らす。俺は立ち上がり、コンバット・ライフルを背中に背負ったホルダーに掛けると、振り向いて再度腰を屈め、彼の目をじっと見た。

 脳裏でDr.アマリが『やったのね? 薬の影響が消えてるわ!』などと叫んでいたが俺は返事を返さず、マクレディの双肩に両手を置いた。

「もう大丈夫だ。脅威は居なくなった」

「脅威って……さっきまであった黒い何かか?」

 そうだと答える。俺はそれからお前を救いにここに来たのだ、ともくっつけて。

「よく分からないが……あのプリンセスのパンチはきつかった。腫れたら暫く口が開きにくくなるかもしれないな」

 またしても噴出してしまう。やれやれ、お前は随分とタフガイなんだな。まぁ、だからここでも、キャピタル・ウェイストランドでも、そして連邦でも生き残ってこれたのだろう。

「マクレディ、……さっきは誤解させるような事を言ったりして悪かったな。

 でもこれで分かっただろ? お前の傍を離れないって言った意味が」

 にやりと笑ってみせると、気持ち悪いとでも思ったのだろうか、彼は俺の手を丁寧に肩から下ろすと、「……離れたくないなら好きにすればいい」とだけ言い捨ててさっさと広間の方へと戻っていってしまう。やれやれ、全く素直じゃないな。

 俺も立ち上がり、彼の歩いて行った方向に足を一歩踏み出そうとした瞬間──突如その足元が消えた。ぱっ、と、何の前触れもなく。

 えっ、と思う余裕すらなく、引力に逆らえず俺の身体が落ちていった。自らの制御が利かないまま落ちていくと、やがてぼぅ……とにわかに周りが明るくなったと同時に、再びあの記憶の欠片がまとわりついてきた。

「またこれかよぉぉ?!」

 叫びながら上を見上げると、先程まで自分が立って居た世界がぴかっと輝き、同時に一枚の記憶の欠片となって辺りを漂い始める。やがてそれは集まり旋風のように、俺の身体をもみくちゃにしていく。

 今度は何処だ? 何処に飛ばされるんだ──!

 纏わりついてきた記憶の欠片が、最初に見た時同様ふっ……と消えたかと同時に、再びあの衝撃が顔全体に広がった。ばん! と叩きつけられるようにして顔を地面にめり込ませている自分。……だから、何でこうなる?

「いっ、いて、ててて……」

 めり込んだ顔を持ち上げ、腰を上げて辺りを見渡すと──外の世界だった。とはいえ、あたりは真っ暗で、明り一つ見えない。荒野の真ん中で地面に叩きつけられるとは、なんとも情けない話だが、生憎誰の姿も気配も感じなかった。

「道理で土臭い訳だ……」

 顔についたものを手で払うと、簡単にそれが落ちる。長い間雨が降っていないのか、ぱさぱさで水分を含んでいなかった。落ちやすくてありがたいが、とても不安になるものだな。──けど、ここは何処だろう?

 Pip-boyの明かりはリトル・ランプライトに居た時からつけっぱなしだったが、何故か見てみたら消えていた。明りをつけつつ、今居る場所が何処なのか分かるかと操作して地図を表示させようにも、画面は何の反応も示してはくれない。

 所詮意識で作っているだけあって、本物と変わらぬ動きなどする訳ないか──やれやれと漏らしながら、何処に行こうかと辺りを見渡した瞬間、遠くの方でちらっ、と人影が動いたような気がした。

「……誰だ?」

 アマリに呼びかけてもまた俺を見失ったのか、反応がない。どうやらあの人影を頼って行くしかなさそうだった。一人ではなかった気がしたが。

 人影は建物の一角に消えたようだった。その中に入ったのだろう。月の無い夜の荒野を走っていくと、やがてその建物が見えてきた。エスカレーターが4台位並列してあり、その下、踊り場を経て扉、というかフェンスで作られたそれが一つあるだけ。勿論エスカレーターはどれも動いておらず、辺りは静まり返っている。

 入り口脇につけられてある看板を見ると──どうやらここは、地下鉄の駅のようだった。

 




※の箇所について、これは中の人のみの設定ですが、FO3の主人公(Vault101のアイツ)も同じ名前(ジュリアン)でプレイしていたため、敢えて同じ名前の人とマクレディは10年前に会っていた、という独自設定をつけています。ここらへんの流れは中の人のメインブログ
(http://skyrimjulian.blog-rpg.com/fallout4%E3%80%80%E4%BA%8C%E6%AC%A1%E5%89%B5%E4%BD%9C/quirk%20of%20fate)
にあるのでそちらも参照していただければ。


 次の話が中の人が最も書きたかった話になりますね。この話を書くためにこの物語を作ったといっても過言じゃないです。
 楽しんでいただけたら幸いです。毎回長くてすいません;;


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Euphoric night

「アマリ。話を聞いて飛んできたよ。……ったく、外は大騒ぎだな。これも、今回の原因あってのことか?」

 地下室の扉を開いて入ってきたのは、定期的にここを訪れてくれるレイルロードのエージェント・グローリーと、本部でしかお目にかかる事の出来ないドクター・キャリントンだった。突然の来訪ではない。アマリがグローリーを介してキャリントンを連れてやってきただけのこと。グローリーは定期的にDr.アマリの居るこのメモリー・デンに足繁く通っているのは誰しも知っていたし、連絡手段を密に行っている事もあって、グローリーはジュリアンと、その連れであるマクレディの窮状をアマリから聞いて大急ぎでキャリントンを連れ戻ってきただけの事である。

「ああ、Dr.キャリントン。待ってたわ。私一人じゃ医療の心得がないから心配で。……って外が大騒ぎって、どういう事?」

 機器の画面の前から離れず、顔だけを扉に向けてアマリは出迎えただけだったが、キャリントンの言葉に引っかかりを覚えたのか聞いてくるので、

「例の……そこにいる男が殺した奴が一般人さながらの格好だったせいか、ジュリアンとこの男を自警団が探し回ってる。ここには居ない、と上に居るオーナーのイルマが対処しているおかげでここはひとまず安全だろう。……けど何度もちらちら見られながらここに入るのはいささか気分がいいものではないな」

 そこは自分の番だといわんばかりにグローリーが引き取って喋ってくれた。顎でしゃくるようにマクレディを指しながら。

「……まぁ、外の事はひとまず安心だろう。薬を盛られたのはこの男だね? ……マクレディ君だとか」

 言いながらキャリントンはシミュレーターの一台に近づき、手にした鞄を地面に落として聴診器を取り出すと耳にかけ、その先をマクレディの心臓付近に当てた。

「……特に変化はないな」とぶつぶつ言いながらあちこち当てて音を確かめている。

「見たところ、命に別状をはなさそう。薬の影響は脳内でしか起こってないみたい。それでも何かあるか分からないからあなたを呼んだのだけど……」

 アマリが自信なさげに言う。彼女の得意分野は機械工学故に人間の身体についての知識は僅かしかない。薬の影響が脳以外に影響を及ぼさないとも限らないため、キャリントンを呼んだのだ。万一、薬の影響を止められなかった場合と、今も単身、彼の脳内に入っているジュリアンの身を案じての事だった。

 キャリントンは聴診器を外しながらこちらを見て頷き、

「分かった。とりあえず私に出来る事をやろう。我々の大切なエージェントを一人失う訳にもいかないからな。君はエージェントのサポートをしているのだろう?」

 アマリは画面を見ながら頷く。「ええ、薬の影響が人体にどういうものを及ぼすかはまだ分かってないけど、少なくとも止めるにはその人物の脳内に入るしかないと思ったの。ジュリアンにそう提案したら即答で行くと言って……何があるか分からないのに」

「奴は猪突猛進だからな」グローリーがぽつりと言う。

「ええ、……けどまた連絡が途絶えたの。何処に飛ばされたのか……何かしらマクレディの頭の中に反応があればいいんだけど……」

 カタカタと記憶シミュレーターに繋がっているターミナルのキーボードを叩きながらアマリは毒づいた。人の脳なんて戦前の科学を持っても解明されてないものだ。その中に飛び込んだジュリアンをサポートしなければどうなるか分かったものではない。

 アマリはマクレディの頭につながれている電極の僅かな信号を見逃すまいと、装置を食い入るように見つめていた。

 

「……地下鉄か」

 見かけない地下鉄の駅だった。地下鉄の構内に繋がるエスカレーターと、雨風から防ぐためプラスティック製の巨大なドーム型の屋根に覆われている。エスカレーター脇に立てかけられている看板は僅かに地下鉄と判別できたもののそれ以上は読めず、行き先がどこかは皆目見当がつかない。

 それ以外何か建物は、と見回すも、建物だった残骸があちこちにあるだけで、殆どが荒れた大地が続くだけ。まさか荒野の真ん中に地下鉄の駅がある筈ないだろうから、かつてはここも栄えた町の一角だったのだろう。……今では見る影も無いが。

 となると、人影が入っていったのはここしかないという訳だ。かつては電気で動いていたであろう、今ではぴくりとも動かないエスカレーターをかん、かんと音を立てながら一段ずつ降りていく。近づくにつれ、下にはフェンスで囲まれた入り口らしきものが見えてきた。そこから先は立ち入り禁止とまでに、フェンスで頑丈に仕切られている。……その一箇所、フェンスの扉が僅かに動いているのが視界に入ってくる。間違いなく誰かがここに入っていったのだ。

 エスカレーターを降りると、僅かな踊り場と、その先の侵入を阻むためのフェンスの先には通路が見えた。隠密状態になると暗いところでは暗視能力がつく力を持っているせいで、目を凝らさなくともその先が地下鉄のプラットフォームに続いているのは分かる。手前には改札機があり、人を通す僅かな間には仕切るように横から板が降りていた。無人の駅でも切符ないし定期券を持たない者を阻んでいるように見えて、それが酷く物悲しく感じる。

 先程誰かが入ったであろう、フェンスの扉をくぐって地下鉄構内に侵入すると、ひんやりとした空気と、黴と長年人の手の入っていないなんともいえない匂いが肌と鼻にまとわりつく。嫌な匂いだ。俺がVault111で目覚めた時を思い出させる、あのなんともいえない──皆死んでしまい、生きているのは俺一人──そんな絶望と心細さを思い出させてくれた。時の概念が無い世界。そう、まさにこの地下鉄は長年ほったらかしにされた、人の目にも手にも触れない、孤独に打ち捨てられた世界そのものだ。……こんな所に一体、誰が入っていったのだろう。

 身を屈め、夜目が利く状態を常に維持しながら、そろりそろりと構内を歩く。途中、ヌカ・コーラの自販機が目に付いて思わず中身を確かめようとしたが、俺の知っている自販機と形状が違っていた。

 ここがもしキャピタル・ウェイストランドだとしたら、外にいる時点でマクレディは16歳以上なのは間違いない。けど……今のところ彼の姿が見えないのは確かだ。追っている人影がマクレディであればいいのだが。

 自販機から離れ、仕切り板が降りっ放しの改札機をジャンプして抜ける。そこから先はあちこち土砂が崩れて通路が塞がれてあったものの、一箇所、プラットフォームに通じる階段があるのを発見した。他に行く先はない。となると──人影もここを降りていった筈だ。

 音を立てずにゆっくりと階段を降りていくと、……何かが耳に入ってくる。微かではあるが、誰かともう一人が話し合っている。会話のようだった。

 やはり一人ではなかったようだ──マクレディだとしたらもう一人は誰だ? 

 気になりながらも、俺は努めてゆっくりと近づいていく。……と、かしっ、かしっ、と何かと何かが擦り合う音が数回立ち、ぼぅ……と光が僅かに辺りを照らす。どうやら火打石か何かで火を熾したのだろう。

 その光で、俺はその人物を見ることが出来た。……一人は女性。暗がりでよく見えないが、薄茶色の長い髪、僅かにカールしてる辺り天然だろうか。目鼻立ちの整った、美人といえる女性だった。隣にいる、火を熾した奴に何か話しかけている。小声のせいか、その声は全く聞き取れない。

 そして隣に座っている──火打石をポケットに入れながら、女性の方に顔を向けて返事を返した時、その顔がはっきりと見えた。帽子は被っておらず、茶色い髪が短く切り揃えられている。口髭はまだそれほど伸びておらず、僅かに生えているのみ。──見紛う事などなかった。マクレディだ。

 隣の女性と何か話して微かに笑っている。その表情は楽しげで、こんな無人の地下鉄のプラットフォームでは酷く場違いに思えた。……となると、あの女性は、まえに話で聞いた……

『ジュリアン! やっと見つけたわ』

 突然脳裏に響いてきたDr.アマリの声に再びびくっとしてしまう。……やれやれ。人が少しだけ感傷に浸っているのに。

『……アマリか』

 心なしか、不機嫌に聞こえてしまったかもしれないがそう答えると、彼女は当然のようにそうだと付け加え、

『Dr.キャリントンが来てくれてるのよ。そこであなたの脳波の信号を追えば見つけやすいって聞いて試したら間違いなかったわ。……さっきの場所からは大分飛ばされたみたいね』

『ああ、そうらしい。……俺は今何処のセクターにいるんだ?』

 聞くと、現在第18セクターに居るとの事。つまり18歳。……16歳でリトル・ランプライトから追い出されると前に言ってたな。やはりこの先に居るのはマクレディで間違いないのだ。

『マクレディは見つかった?』

『ああ、今俺の目前……といってもかなり離れてるけどな。で奥さんと一緒に居るよ。何か話してるみたいだ。──ここらに薬の影響は?』

 彼女は何かを操作しているのか僅かな間の後、『……このセクターも殆ど侵食されてる。今居る場所も影響はすぐそこまで来ているのは確かよ。ただまだ実体化や悪化させるほどではないみたい、いずれ変化を起こすとも限らないから気をつけて』

 わかった、と言って一度会話を切る。薬の影響は思った以上に早いみたいだ。マクレディの近くに居たほうがいいのは間違いなさそうだった。

 相手に気取られないように、そこらに散乱している木の板や壁だった残骸に身を隠しながら近づいていくと、マクレディと彼の妻──確か、ルーシーと言ったか──の会話が耳に飛び込んできた。

「……今夜一晩中ここでやり過ごすの?」

「ああ。そのほうがいいだろう。上は危険だ……といってもここが危険じゃない保証は何処にもないけど」

「うん、でも、火をつけても何も襲ってこないみたいだし、大丈夫じゃないかしら」

 ぱちぱちと爆ぜる音と共に、彼らの会話を嫌でも聞いてしまう形になる。とはいえ──俺の姿をここで晒すのも分が悪い気がした。

 マクレディと妻のルーシーはプラットフォームに続く階段のすぐ下、開けた場所に出てすぐの所の壁に寄りかかるようにして座っていた。俺はというと、改札のある階とホームに続く階段の踊り場の反対側の壁によりかかってマクレディとその妻を見ている。……と、先程まで気がつかなかったが、彼女の両手には抱えるようにして何かを持っているのに気がついた。彼女は時折、それを見ながら撫でるような仕草を見せている。……まさか。

「はは、こんな時でもこいつは無邪気に眠ってるな」

 マクレディが笑いながら、彼女の手に抱かれているものにそっと触れる。その表情は俺が見たことがない程、穏やかでやさしそうなそれだった。──あんな顔をするのか。

「ふふっ、そうね。この子は恐らくパパ以上に強い子になるに違いないわ。こんな時でも泣き言言わずにしっかり眠ってくれてるんだもの」

「そうだな。……ダンカンお前、ひょっとして俺より強い奴になるんじゃないか? パパより強い奴になって、大きくなったら母さんを守ってやるんだぞ」

「ちょっと、駄目よ。あなたも入ってないと駄目じゃないの」くすくす笑いながらマクレディの肩を叩くルーシー。

 産着に入っているであろう、小さな命は何も言わず母親の腕の中で寝ているようだった。……あれがダンカンか。1歳前後といったところか。その姿に思わず、俺は自分の息子、ショーンの姿とダブらせてしまう。そして……妻、ノーラ。

 頭を数回振り払って思い出そうとする行為を追い出した。今はそんな記憶に思いを馳せている場合じゃない。……彼らはどうして夜にこんな地下鉄の跡地にやってきたのだろう? 何かに追われてるのだろうか。

 その時、記憶の中で何かが引っかかるような気がした。……地下鉄、駅、夜……この話、何処かで……

「もう夜も遅い。お前も休んでていいよ、ルーシー」

 マクレディの声に考えを中断し、思わず耳を欹ててしまう自分が居た。その返事に対して彼女──ルーシーは、大丈夫と言いながら手をひらひらと振って見せる。

「あなた一人で寝ずの番をさせるわけにはいかないもの。私も手伝う」

「大丈夫さ。ここは長い間誰も入ってないみたいだ。レイダー共の気配も無い、俺が守ってるから安心して寝ていいから」

 マクレディはそう言うものの、彼女は食い下がろうとはせず、起きているの一点張りだった。随分気が強い女性だな、と内心ぼやくと、マクレディがふっと笑ってみせながら、彼女の方へと身を近づけていく。

 キスでもするのか、と思ったがそうではなかった。彼は彼女の──ルーシーの肩に身を凭れかけたのだ。その動作は自然で甘えるように、そして彼女もまた彼の身体を受け止めながら背中に手を回す。

「……ルーシー、俺はそんなに頼りないように見えるか?」

「まさか。私にとって、あなたは最高の兵士よ。……人々を守ってくれる、正義の兵士さん」

 その刹那記憶が脳裏によみがえった。

 そうだ、マクレディはあの時そう話していた──ある夜の事を。

 

『どれだけ状況が悪化しようと、いつも傍に居て、肩に寄りかからせてくれた。

 それが…その、強く前進するために必要な勇気をくれた……決して諦めないための』

 

『けど……もうどうでもいい事だ。彼女は数年前に死んだんだ。

 ある夜、地下鉄の駅に身を隠したが、それが間違いだった──』

 

 まさか、まさか、まさか。

 思わず俺は背中に背負ったコンバットライフルを手にしていた。その直後、

『ジュリアン? どうしたの? 心拍数が上がってる。脳波に乱れがあるわ。Dr.キャリントンが何かあったんじゃないかって言ってる。どうしたの?』

 Dr.アマリの声が脳に直接響いてきた。が、俺はそんな呼びかけに正直、応じたくなかった。いつ自分の目の前で──彼の愛した最愛の妻が殺されてしまうのかが不安で、恐怖で、それを見たくなくて。

『……アマリ。俺はこの記憶の行く末を知ってる』

『え?』

 銃弾の装填を確かめながら応じると、何のことだか分からないといった様子の返答。

『知ってるんだ。この記憶の中でマクレディの大切な──奥さんが殺されるっていう結末を。だから俺が──』

『どういう事? 今あなたが見ている彼の記憶の世界をあなたは知ってるというの?』

 ああ。知っているんだ。俺があの時──Vault111で冷却ポッドの中で、成す術無くむざむざとノーラが殺され、ショーンを奪われていく様を見せ付けられたようにな。

『せめて記憶の中だけでも、助けてあげないと──』

 そう返事を返ししな、突然Dr.アマリは強い口調で『だめ!』と言ってきたので思わず身をびくっと竦ませてしまった。しまった、ばれてないだろうか?

 ちらりとマクレディの方を見ると、彼はまだルーシーの肩に凭れかかっていたので、ほっとする。……駄目って何が駄目なんだよ。

『何で駄目なんだよ、アマリ』

『彼の頭をおかしくさせたいの? 実際あった記憶を捻じ曲げてはいけない。そんな事をすれば彼の記憶に齟齬が生じてしまい、記憶障害を引き起こすきっかけになりかねないわ。目覚めた時、彼は妻を生きているものと信じて探し回るかもしれない。記憶の先と今の現状に差異があることに気付きながら、どうしてそうなったか分からず混乱してしまうかもしれない。──そうなれば、彼は連邦で生きられない身体になるかもしれないのよ』

 まさか、と思ったが──マクレディの脳内で記憶を捻じ曲げれる事が彼にどういうった後遺症を残すのかなんて、俺にわかる筈もなければ──そんな事をしていい理由にもならないのは間違いなかった。けど……頭でそれが分かっていても、感情はそれを許さなかった。

『……Dr.アマリ、俺には辛すぎる! こんなの俺は見たくてここに来たんじゃないのに!』

 自分に出来ることは何もないのか。俺と同じ事を──そうだ、俺とマクレディは似ていた。互いに結婚し、互いに相手が居たのに、互いにどちらも妻に先立たれてしまう事実──それを彼の分まで見なければならないなんて。

『ジュリアン。──見届けてあげて。正しい記憶に手を出す事は許されない。記憶がここにあなたを飛ばしたのなら、ここにはアンハッピーターンがいて、あなたはそれを倒すためだけにそこに飛ばされただけ。

 自分が記憶を是正できると思ってはいけないわ。正しい記憶ならともかく、ありのまま起きた事を捻じ曲げるのは彼にとっても辛い事よ。現実に目を背けてしまう事と同じだもの。

 見届けて、そして悪夢の存在を見つけ出して倒す──それだけがあなたがそこにいる理由。忘れないで』

 忘れないさ。忘れる訳がないだろう。自分がノーラを殺された瞬間を。ケロッグの手で銃に打たれ、力なく倒れていく彼女を。

 もし自分が今のマクレディの立場だとしたら、その記憶が勝手に捻じ曲げられる事だ。けど現実にはノーラはもう居ない。それを認めることが出来ない人間になっちまう。

 それを第三者が勝手に捻じ曲げたとしたらどう思う? ……許さないだろう。それがあなたの為によかったと思うからやったんだって言われても、俺はちっとも嬉しくなんか無い。

 だから──俺は黙って銃をホルダーに戻した。

 アマリは何も言ってこなかった。分かっているんだろうと思い、こちらからは敢えて何も言わず、身を屈めたままじっと階下の先に居るマクレディを見る。

「最高の兵士、か」

 マクレディはルーシーの肩に寄りかかったまま、力なく笑った。ルーシーはうんうんと頷きながら、彼の背中をぽんぽんと叩く。

「そう。だから私はあなたの傍に居ると安心するの。……でもここはなんだか嫌な予感がする。だからどうしても眠れなくて」

 神経を研ぎ澄まして辺りに気を配るが、特に何の気配も感じない。が、最初にこの駅構内に入った時の、ひんやりとした空気と黴臭い匂いは慣れそうになかった。リトル・ランプライトに居た時みたいな、あたたかさを全く感じないのだ。

「大丈夫だよ。……ダンカンは俺が抱いてるから、少し眠っておけって」

 凭れていた身体を上げ、マクレディはルーシーの膝に抱いていたダンカンを受け取った。彼女は渋々といった様子で分かったわ、というと、焚き火に近づいて身を横たえた。

 すぐに寝息を立てて眠ってしまう彼女を見て、マクレディはほっと一息をつくと、暗い辺りに目を配らせ始める。片手にはダンカンを抱き、もう片手にはアサルト・ライフルを持っている。リトル・ランプライトで持っていたものと同じものだった。

 すると、突然むくりとルーシーが起き上がったので、マクレディはびっくりした様子で、

「どうした? 寝てなきゃ駄目じゃないか」

 そう言うも、彼女は従うどころか首を横に振って、「……何か聞こえない?」と言ってくる。

 何か聞こえない、だって……?

 階段の途中で身を隠しているのもあって、俺には何も聞こえてはこない。が──ルーシーはしきりに辺りに目をやっている、何も見つからない様子だったが。

「何か聞こえないかって、何がだ?」とマクレディ。

「こう……何かを引きずるような音。寝てて気付いたんだけど、床を通して何かが音を立ててるのは間違いないわ。……ねぇマクレディ、私怖い」

 そう言われて気になったのか、マクレディは立ち上がり、アサルト・ライフルの銃口を向けながら辺りにしきりに目を配らせ始めた。

 何か近づいているのか、と思った矢先──俺にはそれが目に入った。

 隠密状態だと夜目が利くようになっているせいで、マクレディよりも先にそれを見つけることが出来たのだ──フェラル・グールの群れを。

 彼らは線路の上をよたよたとした足取りで、光──即ち、焚き火の明りに向かって歩いてきている。焚き火をしてから随分たっているから、プラットフォームから僅かに遠い場所で寝転がってでも居たのだろうか、焚き火の明りに集まるようにまっすぐ向かってきていた。

 マクレディはまだ気付いておらず、その場を動かずせわしなく辺りに目をやっているばかり。……歯痒かった。これが見届けるというものなのか? いまだアンハッピーターンの影響が近づいているという知らせがないのも腹立つ。今だったらその影響さえ、彼の辛い記憶を見せ付けられるより幾分かマシに思えるというのに──!

「……何の気配も感じないけどな」

 マクレディがそう言って、再び座りなおした時。──ふっ、と、にわかに焚き火の火がゆらいだかと思うと、その炎が瞬時に消えたのだ。

 瞬時にあたりが暗闇に包まれる。きゃっと短い悲鳴を上げながらルーシーがマクレディに飛びついた。

「くそ、なんで消えちまうんだよ、もう一回つけなきゃならないじゃないか……」

 慌ててマクレディが再度火打石を取り出して火を熾そうとするも、ショーンを抱えていてはそれも出来ない。仕方なく、怯えながらマクレディに寄り添っていたルーシーに、

「すまない、ダンカンを抱いててくれ」

 と彼が言ったのと──フェラルが数体襲い掛かってきたのはほぼ、同時だった。

 

「きゃぁっ!」

 闇から伸びる幾数の手。抵抗する事も叶わずルーシーはその手に掴みかかられ、身体ごとマクレディから引き剥がされる。

「?! ルーシー!」

 アサルト・ライフルを持っていた手を銃から離し彼女のほうへ手を伸ばす。伸ばした先に掴んだのは──彼女の髪の毛。豊かな髪がなびくように動きながら彼とダンカンの傍から離れていく。

 離すまいとしっかり握って引っ張ると──いともそれは簡単に、ぶちぶちと音を立てて引き剥がされた。

「え、っ……」

 手にした毛を持ちながら呆然と立ち尽くすマクレディに、

「助けて! 助けてマクレディ!」

 叫ぶルーシーの声。……その声は後半、彼の名前を呼ぶ頃には喉を食いちぎられていたのか、ひゅうひゅうと息の通る音しか聞き取れなかったのだが。

 フェラルが数体、ルーシーの身体を囲み、柔肌を引き裂き、眼球を抉り取っては口に含み、そのほか言葉に言い表せないほど残酷な“食事”を行っていた。マクレディはその場でがたがたと震えている。逃げるという行為を忘れたかのようだった。

 くそっ──これ以上見届けるなんて俺には、俺には出来ない!

「マクレディ!!」

 声を張り上げる。名を呼ばれて反射的に彼はこちらを仰ぎ見──目を丸くした。何であんたがここにいるんだ、といわんばかりの表情だった。

 俺は一気に階段を下りると彼の手を握り締め、

「お前も食われたくなかったら逃げるんだ! いくぞ!!」

 空いている片方の手を握り締め、一気に階段を駆け上がる。その音に反応して数体、フェラルが階段を上がってこようとしたが追ってこれないと判断したのか、改札機を出る頃には誰も追ってはこなかった。

 そのまま一気にフェンスを開けて外に出て、エスカレーターを駆け上がり月が出る荒野に出てから、俺達はようやく走るのを止めた。マクレディから手を離し、はぁはぁと息を切らして手を膝についてしまう。

 あの時分かっていた。火が消えた事も。フェラルの群れが歩く音は殆ど聞き取れないが、彼らは獲物に飛び掛る時、一気に走って間合いをつめて飛び掛ってくる。その風で焚き火の火が消えたのだ。それを見ていても、俺は手を出す事を許されなかった。けど、……けど、辛すぎるぜ、これは。

「あ、あんた……」

 ふと見ると、マクレディがこちらを凝視していた。……しまった。俺の事なんてまだこの時代には知る由もないのに。

 今も若いが、月の光に照らされて改めてマクレディを見ると、口髭は先程言ったとおりだが、まだそんなに薄汚れた感じがしない。手も汚れてはおらず比較的きれいなほうで、服装は俺が知ってるダスターコートを着た彼ではなく、合成皮革の黒いジャンパーの上にこれまた皮製の硬くした肩当てがついている井出達だった。

「はぁ、はぁ……よう、マクレディ」

 思わずいつもどおりの返答をしてしまった。走り続けていたせいで考える事を放棄していたのだ。

「……ジュリアン、だよな? Vault101の?」

 えっ? と思わず耳を疑った。まさかさっきの12歳の記憶が反映されてるんじゃないだろうな、と思ったがそれもおかしな話だ。……しょうがない、また演じてやるか。

「……そうだよ、立派な大人になったじゃねぇか、マクレディ」

 話をあわせてみると、やっぱり、と言いながら彼は何処か身体を震わせていた。文字通り、ぶるぶると。

「あんたを……探してたんだ。ずっと、リトル・ランプライトを出てからずっとあんたの事を探していたのに、まさ……まさか、こんな所で会うなんて。

 ルーシー、彼がジュリアンだ。俺が探してたVault101のジュリアン。覚えているだろ? 彼の話を何度もしてやっただろ?」

 言いながら彼は傍らを見る。……勿論そこにルーシーは居ない。

「あれ……おかしいな。ルーシー? 何処に言ったんだ?」

 片手にダンカンを抱きつつ、身体を震わせながら彼はきょろきょろと周りを見やる。……居たたまれなかった。かつての自分を見ているようだった。

「ルーシー? ……そうだ、俺さっき、彼女の髪を──」

 言いながら、ずっと握り締めていた──右手に握られていたものを見る。髪の毛の束が数十本、その手中にあった。毛先には毛根だけではなく、剥がれ落ちた皮膚がいくつも見受けられる。……見ていられず、俺は目を背けた。

「そうだ、さっき……奪わせやしない、って……掴んだのが、これだけで……ルーシーは……ルーシーは……」

 身体を震わせながら、マクレディの目から涙が溢れた。とめどなく溢れるそれを止める事など俺には出来ず、黙って目を閉じた。

「ルーシー……嘘だろ、嘘だって……違うんだよな、ルーシー……ルーシー……!」

 嗚咽を漏らしながら、彼は月夜に吼えるようにして泣き崩れた。ダンカンをその手に抱きしめながら、助けられなかった妻を思い、助ける事が出来なかった自分を恨み。

「どうして、どうして……どうして彼女が死ななければ……どうして俺じゃなくて、ルーシーなんだよ……!」

 くそっ! 俺は思わず地べたに膝をつき、涙を流すマクレディの両肩を掴んだ。

「マクレディ! 馬鹿な事を言うな!」

 それだけ言うのが精一杯だった。ちくしょう。情けない事に、俺も涙を流していた。もらい泣きかもしれないが、あまりにも見ているのが辛く、そしてそれ以上に彼を──マクレディを放っておくことなど出来ないからだった。

「お前の腕に居る子はどうする? ダンカンのためにも、あんたは生きなければ駄目だろう! この子の為にも、あんたは生きろ。どんな事をしてでも生き延びるんだ。それが、ルーシーへの手向けになるだろう? そうだろう?」

 腕に居る、と聞いて彼は一瞬我に返ったのか、ダンカンを見た。こんな状況でも静かに寝ているのは……所詮は記憶の中の世界だからだろう。普通なら目を覚まして泣きじゃくってもおかしくないからな。

「ダンカン……ルーシー……!」

 僅か数分前に生きていた人が、次の瞬間には死んで居なくなっている──認めるまでに時間はかかるだろう。けどマクレディ、お前は一人じゃない。腕に抱いているあんたとルーシーの間に出来た子なんだ。その子のために、お前は生きなきゃならないんだ。

 うわあああ、と叫びながら再び顔をくしゃくしゃにして慟哭するマクレディ。掴んでいた肩から俺は腕を背中に回し、ぎゅっと抱きしめた。ふわっと暖かさが全身に伝わる。ああ、そうだ。この暖かさ。躍動する彼の命の息吹が伝わってくるようで、ほっとする。

「大丈夫だ、俺がついてるから」

 不思議とそんな言葉が口から出たのに自分でも驚いた。女性でもないマクレディは男性なのに。……そう思いながらも、頭の中では何となく分かっていた。マクレディは俺と同じ境遇を体験しているからこそ、放っておけないのだ。俺より数年も若く、それなのに俺より辛い事を何度も経験している、放って置けない──だから彼をつれて旅をしているのだ。

「……ジュリアン」

 ぐすぐすと洟を啜っていたマクレディがぽつりと俺の名前を呼んだ。

「ん、大丈夫か?」

 腕をほどくと、彼は名残惜しそうな表情を浮かべつつ、黙って頷いてみせたので俺は彼から離れた。表情は落ち着いていたが、泣き腫らした目は腫れぼったく、重そうに見える。

「あんたが……来てくれなかったら、俺もどうなっていたか」

 言葉を選んで言ってる様子だった。

「さっき、俺を探してたっていってたよな」

「……ああ」言いながら彼は伏目がちに頷いてみせた。「あんたの噂は聞いていたし、外に出たらあんたを探して、出来たら傘下に入れてもらえないか、って言うつもりだった。けど何処を探してもあんたは見つからなかった。メガトン、リベット・シティ、カンタベリー・コモンズまで行ったけど、あんたの話は沢山聞くのに、全然見つけられなかった。……だから俺は探すのを諦めて、一人で生きようとした。そんな矢先にルーシーと会ったんだ。……あんたの話も沢山したんだぜ。彼女もあんたの名前は知ってたんだけどさ」

「……そうか」生きているうちにルーシーと会話をしたかった──と言おうとした矢先だった。

『ジュリアン! ジュリアン、聞こえる?』アマリの声が脳裏に響く。相変わらず甲高い声に俺は意味もなく耳を塞いでしまう。……もう少し音量調整できないものか。

『どうしたアマリ、俺は今──』

『そっちにアンハッピーターンの影響が向かってるのよ! 何がくるかは分からないけど用心して!』

 一方的にまくしたてたアマリの声は緊迫感そのものが出ており、否応にもこちらもあたりを警戒せざるを得なくなる。

 背中に背負ったコンバットライフルを手にして、身構える俺を見てマクレディが怪訝そうに「どうした? まさかさっきのフェラルが来てるのか?」聞いてくる。

「……そうだ。お前は俺から離れるな。今戦闘できる状況じゃないだろ?」

 何が来るか分かってないがそう伝えておいたほうが話が早いだろうと判断しての事だった。マクレディはダンカンを両手で抱え、俺の背後に立った。──と、何処からか微かに声が聞こえてきた。

「……ィ……マク……ディ」

 辺りは月光に照らされ、夜だというのに見通しはいい。……そんな中、声が聞こえてきたのだ。方角は恐らく、俺達が逃げてきた地下鉄のほうから。徐々に大きく、はっきりと聞こえてくる。……マクレディを呼ぶ声だった。

「ん? この声……どこかで」

 銃を向けながら、耳に入る声は聞いたことのあるそれだった。……女性の声。ルーシーの。

「ルーシー? 居るのか?」

 彼が一歩踏み出そうとするのを俺が手で制する。

「やめろ。あんな状況を見て、彼女が生きてる訳ないって分かってるだろう?」

「け、けど……」

 逡巡するマクレディを他所に、俺は内心焦っていた。畜生、嫌なものに寄生していたって訳か。道理で……彼女の姿がはっきり見えた訳だ。フェラルの群れも。

 つまりそれらは、アンハッピーターンが寄生して出来た悪夢の具現化した姿だったのか。ルーシーが最初から薬に寄生された存在だったかは分からないが、彼を苦しみ、打ちのめすには最高の材料だっただろう。

 雲ひとつない月夜が、徐々に黒い霞に覆われて光が届かなくなっていく。近づいてきているのは自明の理だった。──と、駅の方から歩いてくる人影。それらに蠢くようにして纏わりつく黒い霞。

「……ルーシーだ! ルーシー!」

 マクレディが手を振った。ああ、くそっ。黙っていろと口に物でも詰め込みたい気分だった。あれがルーシーだと?

「マクレディ、こんなところにいたのね」

 にっこり笑いながら近づいてくる、かつて“ルーシー”だった者。マクレディは近づこうにも俺の手で制されているため彼女に駆け寄る事が出来ない。

「ああ、本当にすまない。俺とダンカンだけ逃げてしまっ──」

 謝るマクレディを見て、霞をまとったルーシーはにやり、と笑みを浮かべた。生前の笑顔とは似ても似つかない、醜く得体の知れない笑顔──思わずぞくり、と背筋が凍る。

「何当たり前のこと言ってるの? 私を襲ったフェラルを倒そうともせず、あんただけ一人で勝手に逃げちゃってさ、おかげで私がどうなったか見てみる?」

 言いながら、彼女はけたけたと笑い──その“身体”を動かしてこちらに見せた。歩いているときは普通に五体満足の身体だったルーシーのそれが、みるみるうちに血にまみれ、あちこちが欠損し、食いちぎられた跡がいくつも見受けられる“躯”そのものへと変化していったのだ。

「う、うあああああ!」

 マクレディが悲鳴を上げる。見るも無残、とはよく言ったもので──いやいや、彼女の身体はそれを超えていた。眼球は両目とも抉られ、美人だった顔立ちは歯形と血でまみれているのだ。悪夢そのものだった。

「あんたが逃げたせいで、私はこうなったんだ!」

 霞が蠢いたと思ったかみなかで、俺とマクレディ両方に襲い掛かってきた。それが彼の首に纏わりつき、ぐっと首を絞める。俺はというと……相変わらず黒い霞はこちらの身体を通り抜けていくだけだった。

「ぐ、ぐぁ……」

 マクレディが呻く。相手を倒すより彼を解放しないと命が危ない。……しかし銃だけではちょっとな。……切り刻むモノが必要だ。

 念じると、ぱぁぁ、とまばゆい光と同時にそれが現れた。──炎を纏った刃シシケバブ。念じるとは慣れると便利なものだな。と内心感心した。

「マクレディ、目を伏せてろ!」

 言うと彼は目を閉じ──俺は手にしたシシケバブを振りかぶって、炎を纏った刃を彼の首を絞める霞に当てた。じゃっ、という燃えるような音を立ててそれは消えていく。開放されたマクレディは地面に手をつき、げほげほと咳き込んだ。

《貴様、我の邪魔をするのか!》

 かつてルーシーだった、今ではただの肉塊となったモノがその独特の声を発してきた──リトル・ランプライトでも聞いた。アンハッピーターンの声。

「マクレディをあんたに殺させる訳にはいかねぇんだ!」

 こちらが言ってる間にも霧が何度も襲ってくる。マクレディを再度捕まらせまいと、俺は彼の目前に立ち、その霞からの攻撃をたたっ斬っていた。霞は何度も何度も襲ってくるため、きりがない。

「マクレディ、俺の肩に手を掛けていてくれ」

 咳き込みながら立ち上がったマクレディに、相手のほうを向いたままそう言うと、彼はえっ、と言いながらも俺の左肩に手を載せた。……温かみが感じられる。彼と俺の繋がりが温度となって伝わってくる。

《くそっ! 貴様、この者の記憶にある存在ではないな!》

「ああ、俺はマクレディをあんたから助けるために外から来たんだ」シシケバブを脇に収め、俺は背中に背負ったコンバットライフルを手にし、照準を定める。「マクレディから出て行け、彼をこれ以上苦しめるんじゃねぇ!」

 照準器で狙いを定め、躊躇いもせずそのまま引き金を引いた。弾奏から送り出された銃弾が勢いをつけ一気に狙った相手──かつてルーシーだったもの──の頭頂部に見事にヒットした。

《ぐあぁぁぁぁあああ!》

 叫ぶ。が、しかしまだ倒れない。──しぶといな。薬の影響がマクレディの体を蝕んでいるせいだろうか。

『アマリ、こいつ一発じゃ倒れそうにない。前回と違うのはどうしてだ?』

 頭の中で呼びかけると、彼女はすぐに応じてみせた。

『……前回より規模が大きいのは確かよ。薬はいくつも分裂し、幾重にも姿を変えて記憶を侵食しているけど、どうやらこいつは十代後半から二十代初頭の記憶を侵食していたせいか、力をつけているのは間違いないわね。でも倒せば薬の影響の殆どを開放出来る筈よ。負けないで、ジュリアン』

 どうやって分析しているのか気になるが、それは帰ってからの方がいいだろう。……と、黒い霞が再びこちらに襲い掛かってきた。

「マクレディ! 飛ぶぞ!」

「あ、ああ!」

 助走もつけず、その場から瞬時に右へ飛んだ。不思議な事に──マクレディも殆ど俺と変わらず速さで同じ方向へ飛んでいる。息がぴったり、というより、彼が俺に合わせているような気さえした。気のせいだろうか。

「いいぞ、マクレディ」

 僅かに顔を後ろに向けてそう言って見せる。彼は照れくさそうに顔を俯かせた。

《ええい、ちょこまかと!》

 再び霞が襲ってくるがこれをシシケバブで応戦すると、相手は一瞬怯んで見せた。……どうやら炎に弱いらしい。なら接近戦で一気に片をつけるか。

「マクレディ、一気に突っ込んで片をつけてやる。俺と一緒に走るんだ。……いいな」

「りょ、了解」

 その言い方がいつもの彼とそっくりで、不思議と胸が高鳴った。……ああ、そうだよな。

 どんな事があろうと、俺はこいつと一緒に居たい。マクレディと一緒に居たい。

 ぐっとシシケバブを握り締め、一気に走り出した。間合いを詰めてくるこちらに対し、自ら飛び込んできたかと勘違いしたのか、アンハッピーターンは一四方に黒い霞の触手を伸ばしてきた。……このときを待っていた!

「飛ぶぞマクレディ!」

 同時にたん、と地面を蹴り、相手めがけていっきに飛び込む。霞の触手は僅差で俺とマクレディを掴み損ねていた。

「うおぉおおおおおお!」

 刃を垂直に持ち、重力に倣って相手の脳天めがけて一気に刃を突きたてる。肉を突き刺す感触と共に、切っ先から炎が溢れ、その全身を燃やしていく。

《ぎゃああああああああ!》

 突き刺した刃は真っ二つにその身を斬り落とし──霞の内側から光が溢れたかと思えば、やがてばんっ、と音を立てて四散した。それと同時に辺り一面に漂っていた黒い霞も消え、夜空には再び月が顔をのぞかせていた。

「ふぅ、……これでよし、と」

 シシケバブを腰に収め、俺はマクレディの方を振り向いた。彼は抱きしめているダンカンを見ていたが、こちらの視線に気付いて、ふっと笑顔を見せた。

「……よく分からないが、あんたのおかげで助かったのかな」

「ああ、そう思ってくれて構わない。……と、と」

 不意に足がぐらつき、こけそうになったのを留まる。何かに躓いたのかと思ったが──その時、俺は自分の目がおかしくなったのかと思った。俺の足が透けていたのだ。足元が透けて、その先の地面が見えている。

 おかしいな、と思って手を見ると、驚いた事に俺の両手の指先もうっすら透けていた。何だこれは?

「なぁ、ジュリアン」

 呼ばれたので、俺は考える事を止め「何だ?」と応じると、彼はもじもじとした態度──男がそういう態度をするのはあまり見てて気持ちのいいものではないが──の後、

「あ、あのさ。お、俺と、よかったら、」

「うん? よかったら?」

 鸚鵡返しに問い返すと、彼はがりがりと照れくさそうに頭髪をしごきつつ、

「俺と、よかったら……一緒に来て欲しい、んだ。

 ああ、いや、あんたがクソ忙しいのは分かってる。あんたは誰にでも必要とされてる存在だもんな。けど……ほんの僅かな間でもいい。俺と、ダンカンが、一緒にちゃんと生活できるようになるまで、その……見届けてほしい」

 何だ、そんな事か。──勿論俺ははっきりと頷いて見せた。「ああ、構わないよ。俺もあんたとこのまま別れたんじゃ、気になって仕方がないからな。俺でよければ力になる」

 返答を聞いて、マクレディは目を潤ませて喜んだ。……心なしか、胸が痛む。本来の俺はこの時まだ連邦で冷却ポッドに入れられて眠っているのに。

 このときの俺はまだ、お前を見届ける事は出来ない、けど──連邦に来たときは必ず、お前の事を──

 世界はうっすら東から白んできていた。夜明けが近いようだった。長い夜がようやく終わりを告げているようにも思えて、ほっとする。

「夜明けだ。……とりあえず、どっか居住地に向かおう。腹ぺこもいいところだ」

 そう言うマクレディは力なく笑っていた。彼はさっさと歩き始めている。何処へ向かうかは分からないが、恐らく知っている居住地があるのだろう。

 ああ、と返事を返しながら一歩、歩き出そうとした時──今度は足が落ちるのではなく、一瞬にして世界が切り取られた。

 切り取られた、というのは言葉では言い表せないが──一一枚の巨大なガラスの板で仕切られてしまった、と言った方がいいかもしれない。えっ、というまもなく、今までいた世界はガラスの向こう側に四角く切り取られ、ぴかっと光ったかと思うと何度も見ているあの、記憶の欠片となっていずこかへ消えていく。

 今度はどうやら落ちたりしないらしい。立っている感覚もある。自分の視界がぐるぐる回ったりもしない。しかし、辺りは真っ暗で、自分が立っている場所は果たしていいのだろうか……と不安になってきた。

「今度は何処に連れて行くんだ? 薬の影響があるなら、何処へでも行ってやる」

 と──頭上がにわかに輝き始めた。記憶の欠片は殆ど見かけないが、頭上の光はやがて大きくなり、俺を包み込むかのように降りてきた。──暖かい。

 その暖かさに、俺の両手両足は不思議と同化するように徐々に色、輪郭を奪っていくのに気づいたのはその後だった。

 

 いつの間にか閉じていたのだろうか、俺は目を開けた。

 ──見覚えのある場所だった。地下鉄のプラットフォームを改築した店内。あちこちにはテーブルがしつらえ、客がめいめい酒を口に運んでいる。中央奥にはカウンターがあり、そこには忙しそうに動いているであろうMr.ハンディ型のロボット、通称ホワイトチャペル・チャーリーが左右に動いている──筈だった。

 サード・レール。グッドネイバーの旧州議事堂の地下にある酒場。 

 その世界は何もかもが止まっていた。人の姿はあるのに、誰も動いていない。いつも見るマグノリアの姿をある立ち台に目をやると、彼女の輪郭だけが作られたモノが置かれてあるだけだった。

「サード・レール……22歳のマクレディが」

 そこにいるのか──俺の視線の先、彼と初めて出会ったVIPルームがあった。




18歳のマクレディと、その妻ルーシーの容貌と装備は想像です。


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We Need Each Other

大変遅くなりました。昨年から続くシリーズの最終章です。
今までの倍くらい文章量が多いので休みながら読んでくださいー


 薄暗く、狭い店内。

 常夜灯のような赤黒い光が点々と辺りを照らすだけの世界。

 人々の姿を象った石像のようなものが、あるべき場所にあるだけの、無機質で──ぞっとするような静寂。酒場には似つかわしくないほどの静寂。

 その中で俺は一人ぽつんと突っ立っていた。どの人型の像を見ても、顔の輪郭がぼんやり彫られた彫像のようだった。記憶の中でその輪郭が留められてないことを象徴するかのように。

 ホワイトチャペルとマグノリアは在るべき場所で在るべき事をしている最中、時間というものが奪われたかのように動作の途中で止まっていた。マグノリアはマイクスタンドを片手に添えるような形で、もう片方の手を腰に当てて。ホワイトチャペルはグラスを磨いているようで、挟める二本のアームでグラスを持ち上げていたまま、動きを停止していた。

 普段以上に薄暗い店内を、常夜灯のみが照らす中を見渡しながら、俺はつ、と首と体をそちらへ向ける。

 鉄製の扉がつけられていたであろう枠の上にある壁に、どっかからか持ってきた木の板を組み合わせて「VIP」の文字がでかでかと書かれてある。この先はVIPルームだ、といわんばかりの主張だ。……もっとも俺はこの先の部屋にVIPが待ち構えてたり、なんて見たことがなかった。

 この先に居たのは──口が悪く、所々煤けて裾がぼろぼろに破れたダスター・コートを纏った、軍用帽子を目深に被る男一人だけだった。……いや、初めて見たときはそいつともう二人ほど居たか。そいつが元々身を寄せていたガンナー一派の頭二人。

 この場所に導かれた以上、マクレディが居るのはそこしかない──突っ立ったままの足を一歩、VIPルームへ向けて踏み出すと同時に足元がぐらり、とふらつく。何だ、と思うより前に足元に目をやると──さっき、18歳のマクレディを助けた後に見た時よりも足元の輪郭が消えかかっていた。足元を透けた地面が目に入ってくる。

「……何がおきてるんだ?」

 言いながら両手を見ると、さっきは指先がうっすら消えていただけだったのが、指先は既に輪郭を失っているばかりか、手のひらまでぼんやりした半透明の状態になっているではないか。──明らかにさっきより消えかかっている。それも、徐々に。

『アマリ、Dr.アマリ、聞こえるか?』

 原因が何か分かるかもと彼女に呼びかけてみるものの、何も頭に飛び込んでこない。──また移動したせいで彼女の声が届かなくなっちまったのか。肝心のときに役にたたないもんだ。……今は自分の事はほっとこう。マクレディを助けないと。

 輪郭を失い、透明になった状態でも地面を歩く感触はする。見えなくなっているだけの事じゃないか、と自分に言い聞かせながら──俺はVIPルームへ続く続く扉をくぐった。

 扉の枠をくぐると、狭い入り口とはうってかわって大の男二人が並んで歩いても肩がぶつからない程度の広く短い通路に出る。通路脇の壁と天井の当たる場所に引っかかるように釘で打ちつけ、その下をくぐらせるようにして引っかかっている常夜灯の鈍く赤い光が妖しげに通路と、その先の部屋を煌々と照らしていた。元々は地下鉄の待合室だったのだろう、通路には戦前に貼られた、くたびれたように所々よれよれになったポスターが見受けられる。

 かつっ、と音を立てながらタイル状にしきつめられた床を歩いていく。──が、すぐに違和感を覚えた。VIPルームまでは歩いて数歩の距離しかないのに、歩いても歩いても部屋に辿り着けない。

 見えないランニングマシーンを延々一人で歩いている感覚といえばいいか、……いや、歩いている。実際通路を進んでいる感覚はする。背景も流れている。それなのに通路の先に辿り着けないのだ。

 何者かに阻まれているのだろうか? ──後ろを振り返っても、さっき通った入り口の枠が見えるだけ。一人通路の真ん中で立ち往生しているかのようだった。こんな感覚は今までの記憶の中ですら感じたことがないのに。

「くそっ……何が起きてるんだ」

 拒絶、という言葉がふいに浮かんだ。──拒絶だと? 何でマクレディが俺を拒絶する必要がある? 第一俺は彼の記憶の外──マクレディの記憶の中から生み出された存在じゃない。

 だから拒絶されるのか? それだと今までやってきた事の理由にならないじゃないか。俺はマクレディを助けてきた。ここにだって彼の記憶から導かれて来たんだ。拒絶される理由なんて無い。……と、なると。

「マクレディ!」

 声を張り上げた。俺だということを認識してもらうためだった。──もしこれが、拒絶の意味なら。彼の脳が彼自身を防護するために行っている「防御反応」だとしたら?

「この先にお前が居るのは分かってる。だから俺を通せ。俺はお前を殺しに来たんじゃない、助けにきたんだ! 助かりたいなら俺を受け入れろ、ここから進ませろ!」

 叫んで届くかは分からなかったが、こんな場所で立ち往生している余裕はなさそうだった。どんどん自分の手足が消えている。その理由だって分からないのにマクレディ自身に拒絶されるなんてあほらしい。一発殴っても気がすまない位だ。

 と、叫びが通じたのかわからないが──辺りがざざっ、と砂嵐のようにぶれた。リトル・ランプライトで見た時と同じだ。彼の記憶が躍動する感覚。──もしや、と思って足を踏み出す。違和感なく進める。先ほどまで延々歩いても辿り着けなかったVIPルームの入り口に難なく辿り着くことが出来た。

 部屋を見渡す。──VIPルームといってもせいぜい10坪程度のこぢんまりとした室内に、ちょっとした調度品や棚、椅子が無造作に置かれているだけの殺風景な部屋だ。壁にはどっかから拾ってきた風景画の絵画が額縁に嵌められた状態でこれまた無造作にかけられている。傾いていたりするのはご愛嬌だろう。

 通路同様、四方の壁を囲むように赤い常夜灯が電飾のように括り付けられてあった。──そんな赤い光の室内の真ん中、壁に寄りかかるようにしておかれている一人用の椅子を囲むように、二人の人物が視界を遮っている。心なしか、人物の大きさが大きく感じられるのは、記憶の中の世界のせいか、それとも……。

 この状況、覚えている。俺が初めて彼と会った時。

 彼は声を荒げた状態で、相手を罵っていた。罵りながら、その声に怯えが若干、含まれていた事も覚えている。それでも虚勢を張って怒声を張り上げていた。そうでもしないと自分が潰されてしまいかねなかったのだろう──恐怖という感情に。

「マ……」

 名前を呼ぼうとした時だった。声が飛んできたのだ。……俺に向けてではない、二人の姿の先、恐らくマクレディが座っている椅子に向かって。

「お前は嘘つきだ」

「弱虫だ」

「誰もお前を必要としない」

「お前はいつも一人。親しい相手は皆お前と関わると身を滅ぼす」

「誰からも必要とされない、哀れな奴だ」

 ……聞いたことのある声だった。おかしなことに、声は一人分の声しか耳に入ってこない。目の前には二人──ウィンロックとバーンズ──が立っているのにも関わらず。

「おい、やめろ!」

 俺がウィンロックであろう人物の方に手をかける、と同時に触れた部分からぴしっ、と相手の身体に亀裂が走った。──えっ?

「なっ、何だ?」

 亀裂が走った部分はどんどん広がり、やがて身体を二分するまで達したと同時にがらがらと音を立てて床に崩れ落ちていく。──先ほどサード・レールの中で見たホワイトチャペルや客と同じだ。輪郭がぼんやりと施されただけの彫像。

 バーンズであろう人物にも触れてみると、同じように音を立てて崩れ落ちていった。──僅かにたつ煙に混じってその先、一人の男が突っ立っている。その正面、向かうように椅子に座って膝を抱えるように身を屈めているのは──見紛う事なきマクレディだった。

「マクレディ!」

 近づこうとする、が──不思議な事に、見えない壁に阻まれているようで、彼に触れる事も出来なければ、その座っている椅子に近づくことも出来ない。

 どうやらそれは彼の正面に突っ立っている男も同様で、相変わらず彼に対してぶつぶつと酷い事──というより子供だましの悪言にしか聞こえないのだが──をつぶやいている。もしやこいつがアンハッピーターンの影響で具現化した姿か?

「やめろって言ってるだろう!」

 荒々しく、ぐいと肩に手をかけると今度は亀裂が走ることはしなかったが──ふ、とこちらを振り向いた姿に俺は目を剥いた。

 肌はやや褐色、髪の色は山吹色で、口には下卑たにやにや笑いを含ませ、凝視するようにぎょろりと目線をこちらに向けた。──ぞくっとする。こんなにも嫌らしい顔つきが出来るのか、俺って奴は?

 自分自身を鏡以外で見たことなんかなかった。それも俺が知ってる俺らしい顔じゃなく、歪にゆがめられた表情は明らかに悪夢の影響を帯びて変化したそれそのものだった。──アンハッピーターンが俺の姿を模してそこに突っ立っていた。

 

「な……なんで」

 思わず漏れる言葉を他所に、“ジュリアン”は顔をさらに歪に歪ませた。怪訝そうにこちらを舐めるような視線を配り、

《……お前、誰だ? この姿を借りているのは俺だけの筈だが》

 俺の存在が分かっていない様子だった。……無理もないだろう。どの記憶の中でもアンハッピーターンは俺の存在を知ってる様子はなかったしな。

「俺はあんたみたいに他人の姿を借りてるんじゃない。あんたが借りてるその姿の張本人さ。俺はマクレディを助けに外から来た。そこを退け、ガキの悪口みたいな事をぶつぶつ言ってんじゃねーよ」

 自分に対して毒を吐くというのも変な感覚だ──が、俺の姿を模したアンハッピーターンはこちらの言い分の何が面白いのか、くすくす笑い始め、やがてあははと声を上げて笑い出す始末。自分の姿を第三者から見てるとはいえ、さすがにイラっときて、

「何がおかしい!」

 声を荒げると、相手──“ジュリアン”はぴたっと笑いを止め、すっ、と椅子に座って身を屈めているマクレディを指差した。

《……分かるか? こいつ、最後の抵抗してんだ。あんたの姿を模した状態で近づいたら一瞬許したようなそぶりを見せたのにな。また自分の殻に閉じこもっちまった。それもどこまで持つかわからんが、こんな状態でこいつを救うことなんてできねーだろ、え?》

 明らかに今まで対峙してきたアンハッピーターンとは様子が違う。……自分と対峙しているせいか? マクレディにとって俺の存在がどこまで影響を及ぼすのかは分からないが、今までは彼の記憶の存在の中から現われていた小さな少女や奥さんの姿よりも、過去よりも現在に近い存在だ。……そして、今俺は実際自分の姿をした悪夢と向き合っている。これが今までの悪夢と何が違うかもしれないし、そうじゃないかもしれない。いずれにしても、未知数の存在なのは間違いなかった。

「……出来るさ。少なくとも彼を傷つけるあんたの存在を消す事位はな」

 虚勢を張って見せる。そうでもないと、自分自身が影に取り込まれそうな、飲み込まれてしまいそうな……そんな気がした。

 これは放っておけないと思ったのか“ジュリアン”がこちらに向き直った。面倒くさそうに首をぐるりと一回転させ、すっとこちらに右手を伸ばす。

《邪魔をするな》

 言ったかみなかで手のひらから現れたのは黒い霞。何度となくあれに襲い掛かられたが、俺には全く効かないことも分かっている。

 だから相手に掴みかかろうと足を踏み出した、その時だった。ぐっ、と何か強い力に足を掴まれたのは。

 えっと声を出す間もなかった。視界に飛び込んできたのは黒い霞が、俺の脚──殆ど半透明で見えなくなっているそれ──を掴み、走った方向と反対側の壁に叩きつけられるまで、俺は自分に何が起きているのか理解できなかったのだ。

「──っ!」

 背中の衝撃と痛みで意識が僅かながら混濁する。矢継ぎ早に黒い霞が俺の身体にレーザーの光線の如く襲い掛かってくるが、不思議な事に身体の見える部分──即ち、実体がまだ確認できる顔や胴体だけは霞の影響を全く受けなかった。

《……? 身体を貫通するだと?》

 怪訝そうにごちる“ジュリアン”を他所に激痛に顔をしかめながらもよろよろと立ち上がろうとする──俺の足を、とぐろ状に絡みついた黒い霞は、開放させまいとばかりに再びぐいっと身体ごと引っ張り上げ、またしても俺はVIPルームの壁にたたきつけられた。

「ぐあぁぁっ!」

 先程よりも痛みが激しい。叩き付けられた衝撃でぱらぱらと壁のタイルなどが頭に落ちてくる。……いくら相手の攻撃が効かなくても、掴まされてこうされちゃこっちもたまったもんじゃない。先ずはこの足に絡みつく霞を切らないと。

 念じるだけでほぼ実体のない右手に炎を纏った片手剣──シシケバブ──が具現化されて俺の手に収まる、と同時に俺は脚を掴む黒い霞に向かって一気に刃を突き立てた。じゃっ、と燃える音を立てて霞が焼かれ霧散する。

 拘束が剥がれると同時に立ち上がり、俺は悪夢の姿を借りた自分に向かって一気に間合いを詰めようと地面を蹴った。霞が再び押し寄せてくるも薙ぎ払いながら相手に向かってもんどりうつように飛び込む。勢いで俺は“ジュリアン”と同時に倒れこんだ。

 頭をしたたかに打ったのか、痛そうにしかめる悪夢に向かって、

「マクレディの頭から出て行け! これ以上俺の姿で彼を傷つけるんじゃねぇ!」

 シシケバブの柄を相手の顔にめりこませた。痛みを堪えきれず呻くように低くくぐもった声を出す。もう一度、と腕を振り下ろしたが、さすがに何度も殴られる訳にはいかないとばかりにがっ、と腕を握ってくる。離そうと腕を引っ込めると同時に、どこにそんな力があるのか、相手はシシケバブを持った俺の腕を軽々と振り回す。視界が半回転したと同時に床に叩きつけられた。……何かの格闘技にこんな技があったような気がするが、一瞬何故自分のほうが床でのびてるのか理解できなかった。

 僅かに身体の自由が利かないと感じる間もなく再び襲ってくる激痛。輪郭が殆どなくなっている手の指からシシケバブが離れた。からからと音を立ててタイルの床を滑っていく。

「……くそっ」

 よろめきながらも立ち上がるより先に、相手がこちらに近づきしな右手首をがっ、と掴んできた。ぎりぎりと握力で手首を潰そうとしてくる。痛みに顔が歪む。

《手にも俺の攻撃が通じるみたいだな……こっちは、》

 言いながら彼は足を持ち上げ、蹴ろうとばかりに大きく足を振りかぶった。思わず目を瞑ってしまう……が、何も起こらない。

 薄目を開けて見ると、鳩尾を蹴り上げようとしたのか相手の膝は俺の胴体にめりこんでいた。痛みも何もなく、突き抜けている……リトルランプライトで、俺がプリンセスの手からマクレディを離そうとした時と同じだ。互いの攻撃は干渉されない──筈だった。俺の両手足の末端を除いては。

《……やはり無理か。なら手足だけでも潰せば》

 足のほうに気をとられている相手の隙を俺は見逃さなかった。──そうやられてばかりいられるか! 

 掴まれてないもう片方の手で俺の右手を掴む“ジュリアン”の手をがっ、と殴りつける。今までならさっきの相手の蹴り同様に俺の手が突き抜けていただろう攻撃も、今度は難なく相手の手にヒットし、殴られた衝撃でぱっと手を離した彼の隙をついて、俺は床に落ちてるシシケバブに向かって走り出そうとした──が。

《──逃がすか!》

 黒い霞が両足を掴んだと同時にバランスを失って倒れてしまう。立ち上がろうとするもそれだけでは終わらず、いとも簡単に俺の身体を足から持ち上げたかと思えば、ぶんと振り回しながら俺の身体を強烈に床に叩きつけた。ばん、ばん、と何度も何度も俺の脚を持ち上げては軽々と地面に叩きつける。顔の皮膚が裂け、血が飛び散るのが嫌でも分かった。

 痛みに全身が悲鳴を上げたが、何度も何度も俺は持ち上げられては床にばんばんと叩きつけられる。意識を失いそうになるのを必死に堪えた。身体はジャンプスーツで覆われているためさほど影響はなくても、血の通った身体がこんな攻撃を何度も受けていたら確実に死んでいただろう。全身打撲で。……いや、意識下でもこの痛みは耐えられそうにない。

「はぁっ……はぁっ……」

 何度も何度も叩きつけられたせいか、口の中まで切ったようでにわかに鉄の味がする。意識の中でもこんな感覚を得るなんて思いもしなかった。すぐに倒して、マクレディを開放してやらなければと思っていたのに……そうだ、マクレディ。マクレディはどうした?

 《……ちっ、こいつみたいにあいつもさっさと折れてくれりゃいいのによ》

 ぐったりとした俺を見て戦意喪失したと判断したのか、黒い霞が俺の脚をふっと開放した。支えていたものがなくなったためどさり、と身体がぼろ雑巾のように床に落ちる。痛みが全身を覆い、立ち上がることすらままならない。

 こちらを一瞥し、“ジュリアン”はふん、と鼻をならしながらマクレディの座る──正確には座ったままじっとうずくまっているだけだが──正面に立つと、掴みかからんばかりの勢いで彼の方へ両手を伸ばした──が、見えない何かに弾かれたように、それが勢いよく引っ込められる。まるで……熱いものに触れたときびくっとして手を引っ込めるような所作で。

 その時、俺は確信した。なぜ“ジュリアン”がマクレディに触れることが出来ないのか。そして──触れることが出来るのは恐らく俺だけだ、という事実を。

「そうか……あいつの最大の敗因は、俺の姿に扮したせい、って事か……っててて」

 独白を漏らすだけで切った口の皮膚から痛みが走る。──そうだった、俺と彼には道が繋がっていたんだよな。

 そしてこの場所はDr.アマリが言うように言い換えれば「第22セクター」の中のマクレディの世界。現在進行形で進む記憶の中、ごく最近の記憶の一角だ。最近の記憶の中で存在する俺が二人居たとしても、俺とマクレディを繋げる唯一の手段があるじゃないか。

 ──左手に嵌った指輪を見ようとするも、指の輪郭が薄れているせいで判別がつかないが、感触は確かにそこにある。心なしか、それが非常にありがたかった。

 左手でならあるいは──触れられるかもしれない。俺はずるずると床を這いながら、マクレディに近づこうとした。

「……マクレ、ディ」

 ほんの少し腰を浮かそうとするだけで激痛が走る。思わず目から涙が零れた。それは受けた痛みからではなく、ここまで来て助けられないなんて考えたくない、という悔しさから来たものだったのかもしれない。

 僅かに少しずつ這いながら、俺はマクレディに呼びかけた。俺の姿を模したアンハッピーターンはこちらを睨むも、最早何も出来まいと鷹を括っているのか、彼の正面でぶつぶつと先程と同じことを言い続けているに留まっている。言いながら何度も手を近づけるも、弾かれていた。……それもいつまで持つか分からない。

「……マクレディ。お前を、たす、けに、来たんだ」

 はぁはぁ息を荒げながら徐々に近づいて、なんとか椅子に触れるかみなかのところで俺は左手を伸ばした。……が、先程と同じでやはり触れることが出来ない。透明な壁に阻まれている。けど、俺は──あいつとは違う。

《いじらしい事してるけど、あんたじゃできねーと言ってるだろ》

 床に這いつくばっている俺に一瞥しながら、舌打ちを打つ“ジュリアン”。どうせ出来ないと思ってるのか、先程みたく霞で手足を掴んではこない。弱っていると見られているのが幸いだった。

「マクレディ。俺を、覚えているな? 俺は、ここで初めてお前と出会った。

 会ってすぐに、人に頼ること、なんて出来ない、と言ったな。出会った人間は、俺を騙すか、背中にナイフを突き立てようとしてきた奴ばかりだったと。

 ……そんなあんたの、凍りついた心を融解させて、今もこうしてお前を助けに、危険な旅をして来たのは誰だと思ってる? ……目の前に居る奴は、俺じゃない。再び殻に閉じこもるな。分かるだろう? マクレディ」

 這っているだけで呼吸が荒れたため、最初の方は息も絶え絶えの酷い呼びかけになってしまったが──その声に反応したのか、つっ、と、椅子に座って身を屈めたままぴくりとも動かなかったマクレディが僅かに動いたのだ。

 聞こえているんだ、マクレディ、と──呼びかけるように伸ばした俺の左手が、さっきまで見えない壁に阻まれていたのが嘘のように、彼の身体に触れたと同時に周りが瞬時に暗転した。一切の音もなく、だ。

 しかし暗いのは俺達の周りだけで、俺と彼の頭上には頭上から一筋の光がすっと落ちている。辺りが暗転した舞台の中で、俺達だけがスポットライトの当たる真ん中に突っ立っているかのようだった。不思議な事に、さっきまで彼の正面に居たアンハッピーターンの影響も見えない。

 何が起きたのか分からない俺を他所に、ずっと座っていたマクレディは膝を抱くようにしてうずくまっていた身体をゆっくりと動かしはじめた。痛みを堪えつつ、這いながら彼の座る椅子に向かうように対面した──その時初めて、俺は何でマクレディがうずくまるようにして椅子に座っているのかを知った。耳を塞いでいたのだ。

 彼は目から涙を零しながら耳を塞いでいた。が、その手をそっと耳から離すと、瞼を開けて俺を見る。酷い顔になっているであろう俺を見て、彼は涙を零しながらふふっと笑って、ぽつりと言った。「……来てくれると思っていた」

 18歳の姿の彼が泣いた時も胸潰される思いがしたが、今はそれ以上に胸が痛かった。

 俺は自然と彼に近づき、ゆっくりとその身体を抱きしめた。ふわりと全身が軽くなる感覚がする。痛みが引くのと同時に、暖かな気流が身体全体を覆った。

 不思議な事にマクレディは照れも拒否もせず、抱きしめられるに任せていた。……普段の彼なら絶対にやめろとか自分から逃げていくだろうに、と思うと同時にはたと気づいた。ここは彼の記憶の中だ、記憶の中では誤魔化しも嘘も通用しない。だから彼は逃げないのだろう。

「すまない。……ようやく俺の知ってるお前の姿が現われてほっとするよ。今までずっと俺を知る訳がないお前の記憶を辿ってきたからな」

 彼は分かっているのか、黙って数回頷いて見せた。「眠ってからずっとここに居て、ずっと繰り返し繰り返し同じ悪夢を見ていたんだ。もう駄目か、って諦めていると、あんたが記憶の中を旅しているのが分かったんだ。必ずここにも来てくれると思って、俺はずっと悪夢に耐えていたんだ。……けど悪夢もあの手この手でやってきて、最初はウィンロック達だったのが、ホワイトチャペルやマグノリア、仕舞いには……ジュリアン、あんたの姿を借りて現われたんだ。一瞬その手にやられそうになった。何とか耐えたけど……悲しくて辛くて、他の奴ならどうとでも言い返せたのに、あんただとそれが出来ないのが、すごく……情けなかった。耐えてたけど、正直もう限界だったよ。

 耳も目も塞いでたから、あんたの話は飛び込んでこない筈だったけど……心に届いたんだ。不思議だよな。血の繋がりも何もない他人同士なのに」

 洟を啜りながら笑ってみせた。「ここは悪夢から逃れるために俺が作った夢の中の世界だ。ここなら悪夢の影響は受けない。……あいつを倒せば、俺は長い悪夢から開放されるんだよな」

「ああ。……俺一人だとかなりやられたが、二人の力があれば倒せるさ」

 そうなのだ。さっきまで一人で戦っていたから俺はあんなにやられたんだ。繋がりだけを頼って外部から来た俺にとって、マクレディの協力無しにアンハッピーターンを倒せる筈がない。

「俺にやらせてくれないか、今までずっと──助けられっぱなしだったから」

 マクレディが強い口調で言った。俺の姿を慮っての事かはわからないが、そう言うなら──と俺は黙って首肯して見せ、既に指先は殆ど消え、掌までうっすらとしか見えない位消えている手をマクレディのそれにそっと添え──念じるとすぐにマクレディの手に輝く炎の剣が光と同時に現われる。彼はその炎纏う刃を呆けたように見つめていた。

「それを、目の前に突っ立ってお前に対して心ない言葉言ってる俺に向けて突き刺せばいい。それで終わる」

 彼を抱きしめただけで、さっきまで全身を覆うように訴えていた痛みも何もかも消えていた。難なく立ち上がることも出来る。マクレディは相変わらず座ったままだったが、彼は俺を仰ぎ見てふっと微笑んだ。

 俺に対してそんな顔をするのは初めてだ、と言ってもいい程の穏やかな笑顔──この顔を俺は一度見たことがある。……そう、18歳の彼が妻に向けて見せてくれたあの笑顔。

「あんたが本物だと分かっているからな、躊躇う事なく倒せるさ。……この椅子から立ち上がると、俺達は悪夢が居座るサード・レールに引き戻される。あいつが俺を襲ってくる前にこちらからやってやるさ」

 さっきまで泣いてた癖に、とからかいたくなったがやめておいた。茶化すのは目覚めてからでも遅くはない。

 マクレディはシシケバブを持ち、椅子から腰を浮かそうか、とした時に何かを思い出したかのように座りなおし、「立ち上がる前に……あんたに言っておきたい事がある」とだけぽつりと言った。心なしか照れくさそうな感じで。

「ん? 何だ?」

 促すと、マクレディは照れくさそうに左手でがりがりと頭をしごいて見せながら、「……今話してる事は多分、目覚めた俺は覚えていないと思う。悪夢を見ている状況で、目覚めたら覚えているなんてないだろうからな。

 だから、あんたが俺を助けるために頑張った事も多分……忘れてる。でも、受けた恩は必ず返すと心に深く刻んでおくよ。……ありがとう」

 正面切ってお礼をこいつ(失礼)から言われるなんて思ってもいなかった。何だろう、ものすごく気恥ずかしい。何で俺が照れなくちゃならないって思うくらい、動揺してる自分が面白く、そして情けなかった。自分から行くと言って飛び込んだのだから、礼よりも本来ならば見られたくない過去を見られて迷惑と思われても仕方ない事をしてきてるのに、ありがとうなんて言われるなんて想像すらしていなかったせいだ。

「礼なんて要らない。……だから、忘れないでくれよ」

 無茶な願いだと思いながらぽつりとそう言うだけに留めておく。マクレディは困ったように力なく笑った。

「……じゃ、始めよう」

 ぽつりと彼はそう言って──立ち上がる。と同時に暗転していた世界に光が飛び込んできた。赤い光。煌々と光る常夜灯の光。眩しさに目が眩む中、俺とマクレディの前に立ちはだかる人物の影が視界に入ってきた──俺の姿を借りた悪夢。

 “ジュリアン”は明らかに動揺していた。いきなり突っ立っている俺とマクレディが出てきたせいだろうか? それとも──彼と俺達の間に輝く炎の刃があるせいか?

 マクレディは両手でシシケバブを持っていた。手首まで消えかかっている手を再度彼の手に添えてやった。──炎の輝きがいっそう強まる。輝く炎の光に照らされながらマクレディはちら、と俺の方にその目を向けた。

 ──大丈夫だよ、マクレディ。俺はそう心の中で言うと、彼にそれが伝わったのかは知らないが、一気に刃を目前に憑き立てた。

「俺の身体から出て行けぇぇぇぇえええ!」

  悪夢は完全に隙だらけだった。身構えようともせずいとも簡単に炎の刃をその身に受ける事になるまで、何が起きてるか全く分かっていない様子だった。

 マクレディの鬨の声に押されて悪夢の“ジュリアン”が顔を歪ませる。ぐぅっ、とヒキガエルのような声を上げながら刃を引き抜こうとするも、刀身に触れるだけで手が黒い霞へと変わっていく。貫いた部分から、黒い霞が零れるように溢れだした。

《ぐっ、ぐあぁぁぁあああっ! 貴様、よくも……よくもぉぉぉっ!!》

 うめき声を上げながら、俺の方へと手を伸ばすその姿は俺の顔ではなく黒い霞へと変貌していく。自らの内側から幾重にも亀裂が現われ、そこから筋状の光が漏れていく。

 最早原形を留めなくなったところでばんっ、と音を立てて黒い霞が霧消した。──後には何も残らず、サード・レールのVIPルームは俺とマクレディだけが立っているだけになった。

「……やった」

 ぽつりと声を漏らすマクレディ。見ると、マクレディは目をきらきらさせて俺の方を見ていた。はっきりと頷いてみせ、

「お前がやったんだ。俺は何もしちゃいないさ」

 そう言いながら掌を見ると、手首から先は完全に消えていた。消えているのに感覚があるのが不思議ではあるのだが。何で消えているのか未だに原因が分からないけど……ともかく悪夢の影響は絶やす事ができたんだ。

「そんな事ない。あんたが来てくれなかったら俺はやられていたんだ。礼を言い尽くしても足りない。またあんたに命を救ってもらった。……目覚めてからも覚えていたら、必ずあんたに礼を言うよ。約束する」

 是非ともそうしてもらいたいものだ。俺がそう言うと彼はばつの悪い顔で笑った。覚えているなんて保証できないのは分かってる。……しかし、俺はこれからどうやって帰ればいいのやら。

 今までは彼の記憶が俺を導いてきたけど、正直帰り方なんて分からなかった。Dr.アマリと連絡がつかないまま悪夢を倒してしまったのも気がかりだ。心の中で彼女に向けて呼びかけてみたものの、全く応答がない。困ったな。

「……で、これから俺はどうやってお前の記憶の中から自分の身体へ戻ればいいんだ? マクレディ何か知らないか?」

 何とはなしに彼に呼びかけるのと、世界がテレビの砂嵐のようなざざっ、とノイズ混じりのようにぶれたのはほぼ同時だった。

 えっ、と辺りを見渡すと、ざざっ、ざざっ、と何度も小刻みに世界が砂嵐混じりのそれに変わっていく。嫌な予感がした。今まで全く恐怖すら感じなかったノイズ混じりの世界がひどく自分が居たらいけない場所のように思えてくる。

 マクレディ、と彼の居る方に目を向けると、彼はノイズ交じりの世界の一部分と同化していた。呼びかけても返事もしなければ、時が止まったように瞬き一つしない。何が起きたんだ──と思うと同時に救いの手ならぬ救いの声が飛び込んできた。

『ジュリアン! ジュリアン! 聞いてる?』

 アマリか! 俺はその声に即座に反応した。

『アマリ! アンハッピーターンの影響を倒したぞ、これで全部か?』

 しかしアマリは俺の返事を返そうともせず、『マクレディの意識が目覚めようとしてるの、そこにいると危険だわ。……分かってる。意識が目覚めようとしてるって事は貴方が彼を救ったという事。本当によくやったわ、ジュリアン。

 でも今はあなたをマクレディの脳内から脱出させないと。……あなたの意識を戻そうとしてるけど、おかしな事に身体があなたに対して反応を示さないのよ。いったいどうしちゃったっていうの?』

 俺の身体が反応を示さない? どういう事だかさっぱり分からなかったが──もしかして、両手足が消えかかっていることが原因だとか……ないよな。

『身体が反応を示すってどういう事だ?』分からないので聞いてみる。

 こうして問いかけている間にも、世界はどんどんノイズでまみれていく。暗いような、明るいような、見ていると目がやられる気がして俺は敢えて目を閉じた。

『んーと、端的に言えば、幽体離脱と同じ原理だと思ってくれていいわ。意識はその肉体を通して繋がっているから、帰り道は容易な筈──だと思ったんだけど、なんでかあなたの身体が意識を戻そうとする反応を示さないの。肉体との繋がりが希薄になってるみたいで』

『まさかそれって、俺の両手足が消えかけてる事と関係ない……よな? アンハッピーターンの影響と戦ってるときもさ、その両手足だけが奴の攻撃食らって、四苦八苦したけど』

 関係ないと思いたかったから言っただけだ。それは違うだろうと、何か別の原因があるのだろうと。

 しかしDr.アマリはしばし、押し黙ってしまった。まさかこの期に及んでまた通信が切れたのかと思ったが、

『ジュリアン──あなた、何をしたの?』

 ぽつりと言ってきた言葉はそれ以上に重みのある言い方だった。世界が崩れていく中でそういう口調はどんだけ心ざわつかせる原因になるだろう──何をしたって言われてもな、俺は彼を助けるため……

『……聞きたくない事を敢えて聞くけど、悪夢に犯されてない正常な記憶の中で、あなたが介入した事があるわね? 無いとは言わせないわ。あるわよね?』

 正常な記憶の中で、俺がマクレディに介入した事──考える間も与えず、一つの場面が脳裏に映し出される。

 

「マクレディ!!」

 声を張り上げる。名を呼ばれて反射的に彼はこちらを仰ぎ見──目を丸くした。何であんたがここにいるんだ、といわんばかりの表情だった。

 俺は一気に階段を下りると彼の手を握り締め、

「お前も食われたくなかったら逃げるんだ! いくぞ!!」

 空いている片方の手を握り締め──

 

『……ある』

 というと、アマリが神よ、と呟くのが聞き取れた──後。

『言ったでしょ、正常な記憶に手を出すのは許されないって! マクレディの記憶を混乱に落とすかもしれないって!』

『そうかもしれないが、見てみぬ振りなんて俺には出来なかったんだよ。……それと手足が消える事なんて言ってなかったじゃないか。何の関係があるんだ』

 おおありだ、と彼女は金切り声同然の声を響かせた。そしてとんでもない事を口にしたのだ。

『なんで身体のほうが反応示さないのかようやくわかったわ。手足がそっちに縛られているせいよ。分かる? あなたは悪夢に冒されていないマクレディの記憶に介入した、その件で彼はあなたがその場所に居た、という記憶を植えつけてしまった。──即ち、ジュリアンはマクレディの記憶の一部に溶け込んでいるの。だからアンハッピーターンの攻撃も受けたのよ』

 俺がマクレディの記憶に溶け込むだって? さすがにその言葉には背中を嫌な汗が伝うくらいぞっとした。自分の意識が第三者の記憶に埋め込まれるなんて、下手な三文SF小説じゃあるまいし。

『……ああ、もう彼の意識が目覚めようとしてる。そうなったら最後、どこに飛ばされるかわからない。最後まで諦めちゃだめよ、何とかやってみるから』

 諦めるなとか言われても……俺は消えかかっている両足と手を仰ぎ見た。足は脛部分がうっすらと見える程度まで、手は手首と肘の真ん中あたりまで消えかけていた。

 自分が蒔いた種でやられる、か。さっきはぞくりとしたが、見ず知らずの奴の意識の中で消えるよりマクレディの中に溶け込むならそれもいいかと思ってる自分がいる。目覚めようとしているとDr.アマリが言ってる辺り、悪夢の影響から脱したのだろう。即ち──彼は助かるんだ。

『アマリ』呼びかける。世界は既にノイズにまみれてサード・レールなのか何なのかすら判別がつかない。

『どうしたの?』呼びかけてくる彼女に、俺はこう言った。

『マクレディが目覚めたら、────』

 しかし、言う事は出来なかった。

 砂嵐に世界が飲み込まれ、俺もまたその嵐の中に意識を奪われていったのだ。

 

「……ちは……う?」

「だ……だ、ちっ……れない」

 遠くから漣のように声が響いてくる。……聞いた事のない声だ、とぼんやり考える。俺のよく知ってる声じゃない。

 うっすら目を開けると、自分と世界の間に、透明のプラスチックの板のようなものが仕切りのように覆っているのが分かった。ぼんやりした世界に、見慣れない室内がぼんやりと映し出される。……ここはどこだ?

 自分が起きたのに気づいたのか、誰かがプラスチックの板の向こう側からこちらを確認しているのが分かった。……これまた知ってる奴の姿じゃないのは分かる。青いジャンプスーツを着ている奴なんて、そうそうお目にかかれるものじゃないから。

「アマリ」

 自分を見ていた奴が不意に誰かを呼んだ。……アマリ? 聞いた事ある名前だ。確か……グッドネイバーの……

 呼んだ奴はそいつの声を聞き取れなかったのか、はたまた何か別の作業に追われているのか、全く気づいた様子がないため自分を見ていた奴は、仕方なくアマリという人物がいるほうへ歩いていった。……何か話し合ってる声ののち、ぱたぱたと靴音を鳴らしながら、プラスチックの板を通して覗き込んだ人物は今度は三人に増えていた。

「脳波、心拍数共に正常。バイタルもいたって正常だ。……奇跡としか言いようが無いな」

 医者らしい事を言う……男だろうか。もう二人は女性なのか、こちらに向かって呼びかけている。うぃぃん、と音を立ててプラスチックの板が視界後方へと押しやられていく。その時初めて、自分は何かの装置の中に入っていた事を知った。

 額や頭中に変な感触がある。触ってみると、なんか細い線が幾重にも束ねられたシートが貼られていた。何があったか分からないだけに、自分は今まで何をされてきたのだろう、と不安になる。

「……マクレディ君、自分が誰だかわかる? ああ、動かないでいいわ。疲弊してるのは目に見えて分かっているし、まだその頭につけた装置は外さないでいてもらいたいから」

 知らない顔が雁首そろえて並んでいるのは、どうにも居心地が悪い。俺の知ってる奴はどこにいるのだ──と首を左右に振ると、部屋の反対側、向かい合うようにして同じ装置だろうか。の中に──よく知った顔を見つけた。ジュリアンだった。目を瞑り、眠っているようにも見える。

「俺は……マクレディだ。そこにいるジュリアンと一緒に行動している。……けど、何で俺こんなところに居るんだ? ジュリアンはあんなところで寝てるし、一体何が……」

 言ってる間に、先程話しかけてきた女性は聞き終わる前に慌しく何処かへ行ってしまった。ジュリアンの名前を呼んで何かを思い出したかのように。……後に残った二人の男女は互いに顔を見合わせて、話し始める。

「初めましてが正しいかな。そこにいるジュリアンには何度も世話になっているんだ。……私はDr.キャリントン。レイルロードで医者をしている。さっき君に話しかけていたのはDr.アマリだ。こっちに居るのはレイルロードエージェントのグローリー」

 いきなりレイルロードの名前が出てきたので面食らった。なんでレイルロードの連中がここにいるんだ?

 透明プラスチックのハッチが開いたため、マクレディはゆっくりと上体を起こす。自分が横たわってるに近い状態で覗き込まれるのはいい気がしないせいだ。ましてレイルロードの医者とエージェントが居るなんて……

「キャリントン、ジュリアンの脳波を見ててちょうだい。こちらの応答に気づけば何かしら信号を送ってくるかもしれないわ!」

 装置の後方からDr.アマリの声が飛んできた。先程名乗った男はやれやれといった様子で返事を返し「詳細はグローリーから話してやってくれ」と行って後方へ歩いていく。

 グローリーと紹介された女性は、褐色の肌に目立つ銀色の髪を短く刈って分け目から片方へ受け流すようにしてある。傍から見たら女性には思えないが、小柄な身体つきからそうなんだな、と判断するに至る位か。

 役目を負わされた彼女ははぁ、とため息をつくと、

「あんた、自分が何をされたか覚えてるか?」と威圧的な態度で話し始めた。……いきなり質問形式かよ、とマクレディは内心舌打ちする。

「何をされたかって? ……ここに来るに至った原因、てことか?」

「あんたは薬を打たれた。人造人間用の薬だ。アマリから聞いたけど、サード・レールで見ず知らずの者に打たれたらしい。そこは覚えているな?」

 薬を打たれた、と言われて何かを思い出したのか、マクレディはぶるっと身震いをしながらも右腕に自然と視線を移している。覚えているんだな、とグローリーは判断した。

「その薬は人造人間の記憶中枢を瞬時に破壊する劇薬なんだ。ヒトにもその効果は発揮した。あんたの身体が身をもってそれを体感した。……ただ、ヒトの記憶は瞬時には破壊されないと踏んで、さっき自己紹介したアマリがジュリアンに提案したんだ。……あんたの頭の中に入って薬の影響を打ち破れば、助けられるかもしれない、と。

 あそこに眠ってるうちのエージェントは即座に行くと言ったそうだよ。そして、あいつはそれをやっつけた。だからあんたは目覚める事が出来たんだ……ここまで理解できる?」

 ぶっきらぼうな説明だったが、注射を打たれた後からの記憶がさっぱり無いため、その間の経緯を話してくれたのはぼんやりと理解できた。……けどジュリアンは、どこに行ったって?

「ジュリアンは……そこに居るじゃないか」

 目線で彼の方に向けると、グローリーははぁとため息をついてから「アマリ……私には荷が重過ぎる」と見た目に反して泣き言のような言葉を放った。にわかにマクレディの心はざわつく。……荷が重いって?

 急にこんな所で座っているのももどかしくなり、マクレディは腰を動かして装置から足を投げ出した。探るように足を動かすと爪先が床につく。僅かに動くだけで頭にべたべたくっついている何かの装置が引っかかりそうでひやひやしたが、とりあえず立ち上がる事はできた。……まだ足がふらつく。

「マクレディ君、まだ立ち上がらなくていいのよ、というより頭についてる装置を絶対に外さないで頂戴。あなたと彼を繋ぐものなのだから」

「俺の事はいいから、ジュリアンに何が起きてるのか教えてくれ。今そこに居るあんたが荷が重過ぎるって言った意味はなんだ?」

 顎でしゃくるようにグローリーを指しながら声高に言うと、グローリーとDr.アマリは互いに目配せするようにした後──アマリがぽつりと言った。

「……さっき彼女が話してくれたこと理解できたかしら。ジュリアンは、あなたを助けるためにあなたの脳内に入った。そこにいる彼は──眠っているように見えるけど、意識はそこには無いわ。

 結果を言えば、あなたはジュリアンの助けによって薬の影響を体内から除去し、長い悪夢から目覚める事が出来た。……でも、まだジュリアンはあなたの脳内に居る。連れ戻そうと試みてるけど、何処に居るのか分からない……あなたが目覚める少し前から反応が無いの。今は昏睡状態に陥っている。

 どうやら、少々マクレディ君の記憶の中で彼が取った行動の一部分が、結果としてあなたの脳内に取り込まれてしまう事態になってしまったみたいでね。……それがどういう記憶なのかは分からない、ジュリアンは語ってくれなかったから。

 けど、間違いなく彼は何らかの記憶の一部に干渉した。──マクレディ君はさほど混乱した様子も見受けられないから、それはほんの僅かな記憶の一部分に干渉しただけだったのかもしれない。でも、脳はそうは思わなかったみたいね。結果、脳は彼を記憶の一部と認識し、自らの中に取り込もうとした。──それに私と彼が気づいたのはあなたが目覚める直前だった。通信が取れない以上、もう彼はあなたの記憶の中に取り込まれている可能性も否定できない。

 ジュリアンの事は……私はまだ諦めてない、必ず見つけてみせる。だから──」

 話し続けるアマリの言葉は後半、マクレディの耳に入っていなかった。

 ジュリアンが俺を助けに……俺の脳内に入った? 薬を除去して俺は助かった? けど……彼は、こうしてる今も俺の中に居るという。俺の記憶の一部に干渉して俺が彼を取り込もうとした? 俺の頭の中の何処かにいるだって? ちっとも理解できない……それなのに、何でか胸がぎゅっと潰される位苦しかった。

 ──どうして? どうしてあいつはいつもこう……

「なんで……」

「え?」

 ぽつりとマクレディが漏らした言葉を神経質そうにアマリが聞きつけた。聞き返してこなければいいのに、と思ったのは感情が口を突いて飛び出てしまった後だった。

「なんであいつはこう……身勝手なんだ。なんで俺を助けになんか……勝手に一人で決めやがって、俺の事なんていつも意見を聞こうとしないし、今だって──なんだよ、即座に行くって決めたって、おかしいだろ? どうして赤の他人にそんな事出来るんだよ」

 後先考えずまくしたてるマクレディの悪態めいた言葉に、さすがに聞き捨てならないとでも思ったのか、アマリの隣で聞いていたグローリーの片眉がくいと持ち上がり、「おい、いくらなんでもその言い方は──」彼に詰め寄ろうとするも、Dr.アマリが慌ててそれを静止した。

「アマリ、何するんだ──」抱え込むように掴むアマリの腕を引き剥がそうとするグローリー。

「落ち着いてグローリー。マクレディ君は混乱してるのよ。……無理も無いわ。こんな話聞かされてすぐ信じるなんて出来やしないもの。……けどね」

 グローリーの肩を両手で掴むポーズのまま、アマリはマクレディの方へ顔を向け、

「ジュリアンはあなたを助けてほしいって、はっきり私に言ったの。自分の危険を顧みる余裕も時間も無かった。それなのにすぐ即断をしたの、それがどういう意味か分かるでしょう? 今あなたがここで会話できるのも、彼のおかげなのよ。そうでなければあなたは今頃アンハッピーターンによって脳を破壊され、死んでてもおかしくなかった。

 それにね……マクレディ君、本当は言いたくはなかったし、言うなんて考えてもいなかったけど……あなたに言伝があるの。ジュリアンから。

 あなたの脳内に入る前、私に言ってきたの。もし自分に何かあった時、あなたに伝えて欲しいって頼まれたのよ。

 彼がどういう気持ちでそれを言ったか、理解して欲しいから言うわ。彼はこう言ったのよ──」

 

 ……静かだ。

 何も……聞こえない。

 けど、瞼の裏からでも分かる。何かが……煌いている。

 瞬いていると言ってもいいだろうか。ちか、ちか、と明滅が瞼を閉じた瞳にも伝わってくるのだ。……目を開けば何が光っているか見る事が出来るだろうか。

 重たい瞼を開く。───何かが空中を舞っていた。

 おかしいな、と思う。さっきアマリと話していた時、世界はノイズだらけだった。無音のノイズに俺は飲まれて、気づいたらこんなところに来ている。……ここは何処だろう?

 アマリ、と呼びかけてみるも何の返事もない。

 瞳を開けた世界はノイズではなく、暗いようで、明るい世界だった。……言ってておかしいという事は俺だってわかっている。けどこう、暗いところをじっと見ていると目が明るくなった感じがして目を逸らしてしまう、そんな場所だった……先程まで居たマクレディの記憶の世界とも違う。

 そして、その暗く明るい世界と俺の間に舞っている、きらきらとしたものは何処からか落ちてきては、空中を漂うようにふわふわと浮いていた。

「何だろう」

 浮いているものに手を伸ばそうとした時はっとした。掴もうとする手が最早原型がないどころか、腕の殆どが消えていたのだ。

 視線を下げ、足を見ると足のほうは大腿部の半分以上が消えている。胴体部分はうっすらと消えた半透明状態だった。傍から見れば顔も半透明状態かもしれない。マクレディの記憶に溶け込んでいるってことか。

 全く落ち着き払っている自分が不思議だった。普通なら泣いたりわめいたりしてもいいはずなのに、それをすんなり受け入れてる自分に笑いそうになる。遣り残した事だってまだ沢山あるだろうに、ショーンの事、ミニッツメンの事。そして……マクレディの事も。

 でも、もうどうすることも出来ない。そういう諦めの気持ちがあるのも事実だった。せめて、俺が俺じゃなくなる前に、目覚めたマクレディに会いたかったな、それだけが気がかりだった。彼が助かってくれてるなら、俺は報われただろうに、と。

 頭を振って変な考えを追い払う仕草をし、俺は伸ばした手できらきらしたそれを一つつまんで目前に持ってくる。見てみると、四角形に切り取られた薄っぺらい板状のものだった。何とはなしにそれをじっと見ると──マクレディの姿が目に飛び込んできたので思わずおっと声を出してしまう。

 彼は何人かの男と行動を共にしていた。……すぐにその連中がガンナー一派の連中と察しがつく。何処かの居住地を襲ったのか、殺戮と略奪を楽しむ連中とはうって変わって辟易した様子でマクレディは彼らを見ている。忌々しい、そういう感情が欠片を手にした自分にも伝わってきた。

「これ、記憶の……」

 マクレディの記憶の世界を行き来する際に何度も自分の周りを渦を巻くように舞っていた記憶の欠片だ。あの時はセクター間を移動する時しか見えなかったため触れる事すら出来なかったものが、今はこうしてその一部が俺の指につままれている。別の欠片を手にしてみても、やはり記憶の一場面を目にする事が出来た。……マクレディがキャラバンと旅をしている。恐らくこれは、キャピタル・ウェイストランドからコモンウェルスへ向かう道中──

 見ているとふふっと笑ってしまう記憶もあったりと、あれこれ欠片を覗き込むのは楽しかった。が、ある一つの欠片を覗き込んだとき──背筋がぞわっとしたのだ。

 それはマクレディと彼の妻がフェラルに襲われている記憶だった。震える彼を鼓舞しようと彼自身の名前を呼び、現われたのは──俺。マクレディの手を掴み、地下鉄から脱出している──

 自分が本来居る筈のない時間軸で彼を助けた事が、記憶に埋め込まれてしまった……結果、俺はこうなってる訳だ。

「でも……俺は後悔なんかしてないさ」

 ほんの少しの干渉だった。そう思っていた。

 けどマクレディにはその存在は強すぎたのだ──まして、彼はあの時俺のことをVault101のジュリアンと思い込んでいた。その時点で違うと否定すればもしかしたら俺は助かっていたかもしれない。

 掌を見る。……確かに目前に手を突き出しているのに、それは輪郭を持たずその先の、暗く明るい世界に舞い落ちる記憶の欠片が見えているだけだった。俺もやがてあの欠片の一片になってしまうのか。もう自らの行動や意思で、記憶や思い出を作る事もできない、過去の一部分に。

 欠片はきらきらと明るく暗い部屋の光をその身に反射させながら、俺の周りを漂うようにしていた。最初受けたような渦状になったり、纏わりつくような感触もない。優しく、ゆっくりと俺の周りに漂っているだけ。……それが妙に心地よかった。

 おかげでついうとうととしてしまう。眠ったら駄目だと本能が訴えてくる。……けど、もう助かる手はなさそうだぜ。とも別の自分が本能を諭す。十分がんばったじゃないか、休んだって誰も文句は言わないさ、と。

 正直なところ、俺は疲れていた。だから本能の訴えを退けて眠りたかった。眠れば嫌な事も忘れるだろう。眠るように消えて行く方が……少なくとも心に負担はかからないだろうさ。

 再び目を閉じ、俺は意識を委ねた。さっきまで立っていたような気もするのが今は横になっているような……気もする。少しずつ自分の肉体と精神が分離しているって事なのだろうか。

 眠ろうとする前、俺はマクレディの事を思った。残された彼は今どうしているだろう。

 目覚めてから俺のことをアマリに聞いていたりするだろうか。

 泣いていたり……するだろうか。

 

「……は?」

 それしか思い当たる言葉がなかったかのように、マクレディは驚愕の表情を浮かべ──口から漏れたのはそれだけだった。……無理も無いわ、とアマリは思う。私だって聞いたときは目を疑ったんだから。

 ジュリアンはあの時こう言ったのだ──

 

『……でももし、万が一、マクレディが目覚めても俺が戻らなかったりしたら──彼に一言、伝えて欲しい事があるんだ。さっき申し訳ないと言ったばかりで失礼とは思うんだが、頼まれてくれないか』

 真剣な表情で言う彼の剣幕に圧され、Dr.アマリは渋々了承した。ありがとう、と付けたしてから彼が放った言葉は、彼女の予想を反してあっさりしたものだった。

『俺の……ここ、111のジャンプスーツと、コンバットアーマーの間に隠れた部分に』彼は言いながら、大腿部を覆うコンバットアーマーをくい、と開くように持ち上げてその裏側をアマリに見せた。『俺の全財産のキャップが入ってる。財布に入れてるのはここから取り出したごく一部ってわけだ。荷袋とかに入れてるといつ誰かに掏られるか分かったもんじゃないからな、こうやって身に着けていつも感触が分かる場所に隠しているんだ』

 アマリが覗き込む。……確かに、平べったく潰された、しかしかなり分厚い袋がコンバットアーマーの大腿部を覆う箇所に貼り付けられてあった。大体10万キャップはあるんじゃないかな、と彼は言う。ちょっとした財産だった。

『もし俺が戻らなかったら、これをマクレディに渡して欲しいんだ。……俺が居なくなったせいで、彼を一文無しで連邦に一人放り出すのは辛すぎるだろ? 

 これだけあれば少し位贅沢も出来るし、元気になったダンカンに会いに故郷のキャピタル・ウェイストランドへ戻る事だって出来る。何不自由ない生活がしばらく送れる位の額だ。戻らない俺には無用の長物さ、これを渡してやってくれ、それだけでいい』

 本当にそれだけでいいのか、とアマリが問いただす。彼は何も言わず黙って頷いただけだった。あいつはキャップが大好きだからな、とだけ付け足すように、ぽつりと言って、笑ったのだ──

 

「……そう言伝を頼まれたの。内容は今話した通りよ。

 彼はどうしてそんな事を言ったか分かる? あなたの事をそこまで考えて、自分に何かがあっても不自由しないようにしてくれた事も、理解できるかしら?」

 それ以上続けようとしたが、アマリは口を噤んだ。マクレディの身体がわなわなと震えていたからだ。

 彼はジュリアンを見ていた。記憶シミュレーターの中で目を閉じ、眠るようにして椅子にもたれかかる彼を。いつ目が覚めてもおかしくないようで、顔だって血色はいいし、呼吸も乱れていない。けど──彼はそこに居ない。

 ふと、マクレディは思い出していた。……つい半日ほど前。あの事件が起きる前のサード・レールの中だ。

 ホワイトチャペルに話しかけたジュリアンが、彼からキャップと引き換えにビール瓶を二つ受け取り、一つを俺に投げて寄越してくれた。ジュリアンはマグノリアに目を奪われていて、そんなあいつを俺はじっと見ていた。

 面白くない、そう思いながら彼を見ているとあっさりビールを飲み干してしまい、もう一つ買おうにも俺の財布にはキャップが一枚も無くて。

 その時俺はこう思ったんだった、『ジュリアンが居なければ俺は無一文で連邦を彷徨うのか、考えただけでも末恐ろしいな』──と。

 でも、それは違う。無一文で連邦を彷徨う事が恐ろしいんじゃない。

 彼が俺の目の前から居なくなるのが恐ろしいのだ。

 あれほど沢山欲しいと希ったキャップよりも、彼がこの世界から──俺の傍から、居なくなる方が、怖い。けど、俺はそれに気づいていなかった。

 当然さ、今まで一緒に居た人が突然居なくなるなんて想像も出来ないだろう? こんな事になるなんて。……自分だけが助かって、結果、ジュリアンが……居なくなってしまうなんて。

 しかも、俺の脳の中に取り込まれてしまうとかいう。記憶の一部として。

 それがどういう事か、足りない頭を使わなくたって分かる。──二度と会う事が出来ない──という事実。

 身体はそこに在るのに、彼は居ない。もう、呼びかけても返事をしてくれない。──突然、ぱたっ、と何かが手に落ちた気がして、マクレディは自分のそれを見た。……光る雫が一つ、手に落ちている。何だろう、と目線を下げるだけで、再び目からぱたぱたっ、と雫が数滴、手と服の袖に落ちて染みを作った。……それが涙の粒だと気づくまで、彼は泣いている事も気づいていないようだった。

 袖の染みがじわり、とにじむのを見ているだけで、彼は無性に悲しくなり、呼応するように涙が再び手に落ちた。染みの上に幾つも涙の粒が落ち、色を変えてどんどんそれは広がっていく。

「どうして……どうして、そんな事を、そんな事しか……」

 もっと伝えたい事はなかったのかよ、と悪態をつきたい気分なのに、それに反して涙がぼろぼろ落ちた。おかしいな、おかしいな、と思うだけで涙が頬を伝い落ちていく。

 Dr.アマリとグローリーは黙っていた。茶化しも口も挟まず、涙を流すマクレディから目を逸らしているのは、力及ばずだった自らも責めているのかもしれない。キャリントンも黙ったまま、離れた場所でターミナルを操作しつつ彼ら三人をじっと見ていた。

「もっと他に言う事は無かったのか? 息子を探す事とか、他にも……どうしてそんな事しか言い残さないんだ。どうして……そこまで俺を助けようとしたんだ。俺だけ生きて居たって仕方ないじゃないか。あんたが」

 居なければ、と口から出す寸前、マクレディは悟った。

 一人で居るなんて恐ろしくて仕方がないと素直に告白した時、ジュリアンは笑いもしなければ黙ってこちらの話を聞いていた。こいつは俺の事をからかったりしない奴だ、と思った。だから頼ったんだ。ガンナー連中の事も、ダンカンの事も。

 頼っていいんだ、と言わせる何かが彼にはあった。それにずっと甘えていた。甘えながら俺はそれがずっと続くと思っていた。だから──気づけなかったんだ。もっと早く気づいているべきだった。自分の中でそこまで存在が大きくなっていただなんて。

 涙の雫が落ちるたびに、素直じゃない部分──いつもは照れ隠ししたり、悪態をついたり、そういう部分が剥がれ落ちるように零れ落ちた。頬を伝う涙を手で拭おうと、思わず左手を顔に近づけたときだった。──指の間に何かがきらりと瞬いた。

「…………何だ、これ」

 見慣れないものが左手の指に嵌っている。……よく見ると、金色の輪っかのようなものが左手の薬指にあった。こんなもの、見た覚えがない。いつ何処で自分の指に嵌められたものなのだろう──と考えている時、あっと大きな声が部屋中にこだました。──Dr.アマリの声だった。

「マクレディ君! それを」

 えっ、と言い返す暇なく彼女はマクレディに近づき、涙で濡れた左手とその輪っかを見ると一言「──出来るかもしれない」とだけ言ってぱたぱたと狭い部屋の端に並べるように複雑な機械の並んでいる場所に戻っていく。マクレディとグローリーはそんな様子を気が抜けた表情で見ていたが、次の一言でにわかに表情が変わった。

「マクレディ君、最後の手段があったわ。これが駄目ならジュリアンはもう──あなたの記憶に取り込まれてしまったと思うしかない。けど試してみる価値はある。

 その指輪を通して信号を送るの。彼の意識に向けて。──指輪を外せ、と」

 流していた涙がぴたりと止まる。慌ててごしごしと涙の跡がついた頬を両手で擦ると、「何をすればいいんだ。俺にできる事ならなんでもする」マクレディはまっすぐ彼女を見て言った。

「……その指輪には絶えず微弱な静電気が流れているの。指輪を通して、赤の他人同士であるあなた方二人の道を一時的に繋いでいるわ。それでジュリアンはマクレディ君の脳内へ侵入できたのよ。

 指輪の電圧を上げて、彼に信号を送る。そうすればこちらから脳に直接通信が届かなくても分かるかもしれない。

 肉体から流れる電流が、肉体を通じて意識体のジュリアンに通じる事が出来たなら、それを外せばあなたとジュリアンの繋がる道が絶たれる。即ち──彼の意識があなたの中からはじき出される可能性があるってこと。それに賭けるしかない。……身体の中に電気が通るから少しつらいかもしれないけど、出来る?」

「彼の身体から直接指輪を外しても意味が無いのか?」それのほうが楽な気がしたのでマクレディは提案してみるも、それは逆効果だという。肉体同士には指輪を嵌めておかないと、意識が戻る際に身体に通じる道がなく意味が無い……という説明を受けてもマクレディには到底理解できなかった。駄目ならしょうがない。

「キャリントン、ジュリアンのバイタルを見てて頂戴。グローリーはマクレディ君を見てて。彼に何かあったら意味がないから。……マクレディ君、いいわね?」

 マクレディは再度記憶シミュレーターに座った。深くは座らず、普通に座るくらいまで腰をずらし、上背を立てた上体を保つ。「いいぞDr.アマリ! やってくれ」

 アマリの位置からマクレディを見る事は出来ないため、グローリーが彼の体調を見張る番になったわけだが、じっと見られているのは正直好きじゃないな、と彼は内心舌打ちした。ジュリアンなら別かもしれない、と思うと同時に、彼が俺の為にしてくれた事に比べたらこの位──

 考えている最中に左手の薬指がびくっと震えた。……徐々にその震えは強くなっていく。

身体の中を電気が通っているのか、雷に打たれた時はこんな感触なのかと場違いな考えが浮かんだ。

「ぐっ……ぅ」

 手の震えは収まったものの、身体が小刻みに震え始めた。収まれと思っても自分の意思で震えてる訳じゃないため、身体がぶるぶる震えるに任せるしかなかった。

「マクレディ君、もう少し電圧を上げるわ。……ああお願い、ジュリアン、気づいて」

 アマリの祈りを捧げるよりも先に、全身を貫くような電流に耐えながらマクレディは必死で呼びかけていた。

 ジュリアン、行かないでくれ。俺はまだあんたの近くに居たいんだ。あんたと一緒に居たいんだ。

 

 ふっ、と何かが耳に届いた気がした。

 何だろう? ……もう、身体もだるくて仕方がない。動きたくない。──という身体の意思に反して、俺は閉じていた瞼を開けた。

 いつの間にか俺は横たわっていたらしい。きらきらと輝く記憶の欠片は先程と変わらず、瞬くように空中をふわふわ舞っている。暗く明るい空間に、実体があるのは俺だけ……いや、その身体ももうほとんど消えている。

 身を起こそうにも、肩から伸びているであろう両腕は完全に消えている。けど腕は確かにそこにある……なのに見えないのが今では逆に奇妙だった。俺の目はまだ俺の意識として繋がっているのだろう、全てが終わればこの身体が再び目で確認する事が出来るのだろうか。

 などとぼんやり考えていると、──まただ。何かが耳に響いてくる。音か? いや、音じゃない。……何かが震動して、それが俺に伝わってきているのだ。それが音のように感じただけか。

「……震動?」

 言ってる自分が変だと思った。……だって、俺の身体は消えているのだ、消え行く身体が──いや、これは俺の身体じゃない。意識だ。俺は外の世界──俺の身体から離れて、マクレディの脳内へと侵入したんじゃないか──そんな事まで忘れてしまったのか、俺?

 頭を振る。震動音は徐々に強くなってきていた。殆ど消えかけてる身体を首を回しながら、何処か音を発している場所が分かるんじゃないだろうか、と見ていると──それはすぐ見つかった。

 左手の指の一部が光っている。金色の輝きだった。鈍く光っていたものがどんどん強くなっていく。自分の目前に左手を突き出しているのに、よくよく見なくても何も無い場所の一部が金色に光っているだけなのだが。

 こんなところに何かあったっけか? と思うより先に口から言葉が出ていた。

「指輪……そうだ、俺はここに、左手の薬指に指輪を嵌めてた」

 確か、アマリ……Dr.アマリが俺に渡してくれた指輪。

 溶け込むように自らの身体が消え行くのと同様、俺は自分に起きた記憶そのものすら徐々に忘れている事実に今頃気づかされた。マクレディの記憶に取り込まれるというのは、俺が俺じゃない記憶の欠片の一部分になるということ。意思も、行動も何一つ自分から作り出せない、枠にとらわれた世界の一部分に入ってしまう事に。

 ──けど、今まで何も起きなかった指輪が今更どうして光ったりしているのだろう?

 右手で触れようとした時、指先にびくっと震動が伝わった。それと同時にきぃん、と全身を貫く甲高い音。間違いなくこれが震動を放っているのだ。触れるだけでじりじりと痛みも感じる。──意識なのに痛みが感じるって、おかしいな、と思ったとき、あれ? と疑問に思った。何で意識なのに痛みを感じるんだ?

 その時アマリが、この指輪を俺に渡したときの台詞を思い出した。確か彼女はこう言っていた──

 

『……その指輪には微弱な静電気を発する装置が組み込まれてあるわ。その静電気があなたとマクレディに一時的な“道”を作る標になる。ジュリアンはマクレディと血縁関係でもなければ婚姻してる訳でもない。その為マクレディの記憶があなたを拒否する可能性も出てくる。それを防ぐものだと思っていればいいわ』

 

「静電気──道……まさか」

 輪郭はなくとも、左手の薬指に嵌っていたその指輪は輝きを放っていた。──これを外せ、はずせば道が外れる……そういう事か。俺とマクレディを繋げる一時的な道が外れると言う事は、自分の身体に戻れるかもしれない──と。

 その輝きはDr.アマリの、そして──マクレディからのメッセージだった。本来微弱な静電気が通るだけのものを、こうして消えかけている俺の意識のなかでも震動となって伝わって輝いているのだから、今俺の身体とマクレディのそれには相当負担がかかる電流が流れているのだろう。

 無茶しやがって、と俺は内心呟いた。本当は嬉しかった。言葉では言い表せないくらい、俺の事を諦めてくれないDr.アマリとマクレディに感謝していた。

 なぁ、マクレディ? ……また会えるなら、話が出来るなら。俺は今まで辿って来た話をしたい。お前は過去の話なんて、と嫌がるかもしれないけど、俺はお前の記憶を辿ってきたんだ、絡み合わない時間軸を巻き戻して、年の割りに密度の濃い経験ばっかりしてきたお前を、ずっと見てきたのだから。

「帰ろう。……在るべき所に」

 右手を再度輝く指輪のある場所に触れてみた。ばちっ、と弾く感触に思わず右手ごとびくっと痙攣する。……が、諦めない。再度ぐっと右手の親指と人差し指でそれをつまみ、力を込めた。左手薬指の根元に嵌っていた指輪が少しずつではあるがその身をずらしていく。

 本来ならすっと抜けるはずなのに力が入らないせいなのか、それとも電気が体中を貫いているせいか、なかなか外れようとしない。──いや、違う。肉体はこれが嵌ったままなのに意識がそれを外そうとしているのだから、うまくいかないのだろう。無意識に認識している服やPip-boyを外そうとしても意識下では出来ないのと同じ感覚かもしれない。けど、これを外さないと俺は帰れないんだ。俺の身体に、彼らの居る場所に──

「はず、れ……ろぉっ!」

 右手の指が電流によって痙攣しながらも何とか力を込めて引っ張ると──ピィィィン! と音を立てて左手の指から一気に指輪が抜けた。引き抜こうと勢いづいていた右手の指からそれは離れていくと虚空へと姿を消してしまう。

 と同時に──本当に瞬時の事だった。指輪が抜けたと同時に俺の身体がふわっと現われたのだ。手も、足も、輪郭がはっきりどころか透けてもおらず、しっかりと血の通った身体に戻っていた。

「身体が──」

 その様子に驚いている暇はなかった。

 ついさっきまで暗く明るい世界の中を、きらきらと舞うようにしていたマクレディの記憶の欠片が、狂ったように俺を中心にして回り始めたのだ。それはどんどんスピンをかけて早く、強く、強固な渦となっていく。

「何が、何が起きるんだ?」

 口から声が漏れたと同時に思い出した。──記憶シミュレーターから俺の意識が肉体と分離した直後、俺はこの渦の中に身を投じていた。欠片が舞う渦の中をもみくちゃにされて俺は彼の記憶の中へと入っていったのだ。しかし今はもみくちゃにされないどころか、身体の回りをぐるぐると円状に回っているだけだった。

 渦はどんどん強固になっていくうち、俺はふわっと身体が浮いたのを感じた。自分では帰り道なんて分からないのに、さほど動揺していない自分が居る。この渦が導いてくれる、そんな気がしたからだ。

 どんどん上昇していくにつれ、見上げるその先、暗く明るい世界の一端に一筋の光が見える。もしかして、あれが俺の戻る道だろうか? 思うと同時に回っていた記憶の渦はふわっと俺の身体から離れていく。

 その時俺の意識はマクレディの脳内から出ていたのだろう。光に包まれた瞬間、自分の意識はそこで……途切れているから。

 

「……これ以上続けていてはマクレディ君もジュリアンも危険だわ。一旦電流を弱くするしかない」

「駄目だ! このままでいい。弱めないでくれ。弱めたら彼に伝わらなくなるかもしれないじゃないか。俺は大丈夫だ。だから続けてくれ」

 アマリの声に重なるように、マクレディが怒声を放った。既に20分以上、身体にあまりよろしくない程度の電流を流し続けている。マクレディの身体はもちろん、ジュリアンの身体も幾度と無く痙攣するため、その度にシミュレーターがぐらぐらと小刻みに揺れた。

 アマリは駄目よ、と言ってから「一度正常値に戻して、休憩したらまた再度やりましょう。そうじゃないとあなたの身体が──特に心臓が持たなくなる。そんな無茶させられないのよ。分かって頂戴」

 ターミナルを操作し、流している電流を少しずつ弱くしていくが、マクレディは再度叫んだ。「俺はどうなったっていいんだ。だから続けてくれ。ジュリアンに指輪を外せと伝えてやらなくちゃいけないんだろう? 頼む」

 アマリはマクレディの発言を無視して傍らに居るDr.キャリントンに「マクレディのバイタルは正常?」と問うと、呼ばれた彼は顔をしかめ、

「心臓に相当負担が掛かってる。殊勝な事を言っているが身体の方はもう限界だろう。たとえ心臓がよくても血管が破裂でもしたらそれだけでお陀仏だ。

 ジュリアンのほうは……相変わらずだ。脳波は脳死状態の人間と変わらず平坦脳波の状態を維持。昏睡状態のまま……脳波が一定になってからもうすぐ2時間になるな。おかげで然程電流に対する負担は見受けられないが、まぁ、こっちも同様だろう」

 と返すキャリントン。はぁ、とアマリは大きくため息をついて、電流ゲージをくい、と回して流す電量を下げた。……遅かった。もう少し早く気づいていればよかった。私が指輪の存在をすっかり忘れていたせいで、

 シミュレーターからマクレディが「おい! 何で電流を下げた! 俺は大丈夫だって言っただろう!」と声高に叫んでいる。……納得できない、だからむきになっている。分かっているのだ。事実を受け入れたくないから、自分が納得するまでやってもらいたい、そういう気持ちなのだと痛い程アマリは理解できた。

 彼女はターミナルから離れ、シミュレーターの傍に近づいた。マクレディを見張っていたグローリーは無表情のままだったが、どこと無く物悲しげだ。黙ってアマリに自分の居た場所を譲り、グローリーは部屋の端、壁に疲れた様子で凭れ掛かる。

 マクレディはアマリが近づいてきたのに気づき、座りながらきっ、と彼女を睨み付け、

「何で電気を流すの止めたんだよ。ジュリアンが助かるかもしれないなら流し続けたほうがいいに決まってるじゃないか? 何故止める?」

「分かって頂戴って言ったでしょう。あなたの身体が悪くなったら元も子も無いわ。微弱な静電気は流れ続けているから、指輪に気づけばもしかしたら……」

「気づかなかったら? ……頼むよ、あんただけが頼りなんだ。ジュリアンが戻るなら俺はどんな事だってするって言っただろう? お願いだ」

 同じだ、とアマリはぼんやり思っていた。彼も、そしてジュリアンも。助かるならどんな事でも厭わないと言っていた。失いたくない、その気持ちは分かる──けど、彼らは赤の他人同士だ。どうしてそこまで互いを求める? 恋人同士や男女ならその理由は明白だろう。けど、彼らは男性同士だ。どちらも傭兵。一人で生きていく事だって出来る能力と腕前を持っている。それなのに、どうしてこうもお互いがお互いを失う事を恐れているのだ? それほど強固な結びつきが、彼らの中にはあるのだろうか?

 その時──キャリントンが叫んだ。後にアマリは生涯、この一日を忘れないだろうと思った。奇跡と言う言葉があるのなら、この日を於いて他はないだろう、と。

「アマリ! 脳波だ、ジュリアンの脳波が戻ったぞ! なんということだ、昏睡状態から目覚めようとしている。意識が戻ったのか?」

 キャリントンを見るアマリとは対照的に、マクレディはすっと足を上げてシミュレーターから足を出すと、再度床について立ち上がった。そのまま一歩、ジュリアンの眠るそれに近づこうとするが、頭中いたるところにべたべた貼ってある装置が忌々しかった。

 一瞬、躊躇うもそれをべりっ、と額から外し、何枚も何枚も細い線が幾重に巻きついたそのシートをはがしていく。何をするんだとアマリに引き止められるかと思ったが、全くそんな事はなく──全て剥がし終えると、黙ったまま無言で、よたつく足でジュリアンの眠るシミュレーターに近づく。ほんの数歩歩いただけなのに、マクレディの身体はぜいぜいと息を弾ませ苦しがっていた。

 アマリとキャリントン、グローリーもマクレディに近づき、シミュレーターのプラスチックの覆い越しにジュリアンを覗き込む。……じっと見ていると、彼の瞼がぴくっ、と動いた。

 何度か同じように瞼を動かしたのち──すっ、と瞳が開く。寝起きで目がぼやけているのか、焦点が合ってなさそうだったが、

「………マクレディ」

 彼の名を呼んだ。彼の姿はぼやけた世界でも認識できているのだ。やはり自分には窺い知れない何かが二人の間にはあるのだとアマリは確信した。

 グローリーがハッチを開けるボタンを押し、ハッチが開く。……と、ジュリアンの手がすっと伸びて、マクレディの頬にそっと触れた。涙の跡を見ているのだ──そう思うとマクレディは急に恥ずかしくなったのか、

「寝ぼすけ。……いつまで寝てるんだ。心配かけさせやがって」

 これだけ言うのが精一杯だった。堪えた心が再び涙となって瞼から落ちそうで、そうなったら恥ずかしいどころか、もう外を大手を振って歩けなくなるかもしれないなどと場違いな考えまで沸いてしまう始末。

 そう返事を返すマクレディに、ジュリアンはふっと笑うと──頬に当てていた手が力なくぱたり、と落ちて再び目を閉じてしまう。かくん、と首が頭を支えきれなくなったようにうつむくような姿勢になった。

 まるでそれが死んだ姿にも見えて、えっとマクレディは声を出す。アマリ達も同じだったのだろう。慌ててキャリントンが聴診器を持ってジュリアンの心臓部に押し当て、

「……大丈夫だ。寝ているだけだよ。身体もそうだが意識も相当消耗したに違いない。まぁ、我々には与り知れない世界を渡って、これまた与り知れない敵と闘ってきたんだものな」

 ぽつりと付け足したキャリントンの言葉で、マクレディは不意に思い出した──俺が長い悪夢を見ていたと彼らは言っていたが、実際何を見ていたのかまでは起きたときも覚えていなかったし、覚えている訳がないとさえ思っていた。

 けど俺は確かにそこに居た。サード・レールで──ジュリアンに会った。そうだ、確かに彼を見たんだ。──ずっと待っていたんだ。助けに来る彼の姿を。そして、その姿を模した悪夢が現われた事も。

 アマリがグローリーと抱き合いながらきゃあきゃあ言っている。奇跡よ、とか、二人とも助かるなんて、とかそんな事を言いながら抱きつくアマリを他所に、グローリーはそうだなと努めて冷静に対応していた。その表情はにわかに微笑んでいる。キャリントンはターミナルに戻ってジュリアンのバイタルを確認している様子の中、マクレディはジュリアンを覗き込み、先程自分の頬に当てた手を握り、ぽつりと言った。

「……無茶しやがって」

 その目には再び涙が光っていた。

 

 ぐぅ、と音が鳴る。

 何だろう、と思いつつ無視していると、再びぐぅ、という音。身体のどこから鳴っているのかと思う前に、目を閉じながらも頭が訴えてきた。──腹が減ったと言っているのだ。

 さすがに無視できず俺は目を開けた。──薄暗い室内だった。古ぼけた天井、窓にはブラインドの代わりなのか、無味乾燥した板が窓框に無作為に打ち付けられ、そこから差し込む僅かな光が室内をぼんやり照らしている。……昼か。今何時だろう。どんくらい俺は眠っていたのだろうか。

 しかもこの場所。Dr.アマリの居るメモリー・デンではない。一ブロック先にあるホテル・レクスフォードの室内だと気づく。何度か泊まった事があるから覚えていたのだ。

 けどどうやって俺はここまで移動したのだろうか、アマリは居るのか、と思いながら身を起こそうとすると、下半身の一部、左太腿付近がなぜか重い。よじるように身を起こし、上半身を起こすとその原因がすぐ分かった。

 ベッドに上半身だけ投げ出すようにして、うつ伏せで寝ている人物が居る。被った帽子は外れかけて毛布の上に転がっている。腕を顔の上にあてがい、こちら側に顔を向け、すぅすぅと穏やかな寝息を立てていたのは──マクレディだった。

 表情は穏やかで、悪夢も見ている様子なく眠っている様子に驚きつつも……思わず笑ってしまう。右手を伸ばして彼の頬に触れると、ひんやりとした肌が眠っていたおかげで体温が上がっている指先に心地よかった。

「……誰のおかげでこんな風に穏やかに眠っていられるんだか」

 思わず頬の肉をむに、とつねってみる。痛みに反応してんん、と声を出したので慌てて手を引っ込めると、マクレディは目を覚ましたのか、あくびを一つし、身体を捻るようにして伸ばしながら、眠ってたのかと一人ごちてから俺の方を見た瞬間──その表情が固まった。

「よぅ、すっかり元気そうだな、マクレディ」

 軽く声をかけるも、マクレディはこちらを凝視したまま固まっている。おい、いくらなんでも命の恩人に向かってその態度はないだろ、と言おうとした時彼は音も無くすっと立ち上がった。

 何をするのかと思うと、俺の方へ一歩近づき、次の瞬間──ぱん、と音を立てて俺の頬を手で叩いていた。

 突然頬を打たれた事に俺はぽかんとしてしまう。ひりひりと痛みを訴える頬を片手で押さえ、叩いてきた当人の顔を見ると──なんともいえない表情を浮かべていた。口はわなわなと震え、目はぎらぎらと光っている──けど怒っているのではなく、何かを必死に堪えている様子だった。……前にもこんな顔を見た覚えがあるな。

「ば……っ、馬鹿野郎! なんで俺に勝手に黙って危険な場所に行ったりするんだ! 一つ間違えればあんたは死んでたかもしれないんだぞ! 勝手に一人で決めて、俺の意見なんて聞こうともしないで……」

 聞くも何も。「死にかけてたお前に意見も何も無理だろ。勝手に決めたのはまぁ、悪かったにしても、死んでいくお前を黙って見てろとでも?」

 そうじゃないとばかりに頭を振るマクレディ。自分でも何を言っているか分からない様子だった。ただ、言わずにはいられないのだろう。そういう性格だというのも知っている。黙って人の優しさを受け取るような奴じゃないと。

「俺は、俺はもっと……一緒に居るんじゃないか。一緒に居るのに独断で判断してもらいたくないんだ。大事な事を。何でも一人で決め付けないでさ、俺に相談してくれたって……」

 最後の方は照れくさいのか何なのか、消え入るような声で終わっていた。頬を染めてぷいとそっぽを向いてしまう。

 さっきまで威勢のいい声はどうしたと言おうとした時、こちらに近づくぱたぱたとした足音が止まると同時に扉をノックもせずに開けて入ってきたのは──Dr.アマリだった。

「マクレディ君、これジュリアンの薬。キャリントンが──って」

 そこで声を止め、俺とマクレディを交互に見た。何か話していた空気を読み取りながらも彼女は敢えてそれ無視し、

「ジュリアン! 目覚めたのね。何処もおかしなところはない? 体調はどう?」

「あ、ああ、俺は大丈夫だ。ただ……腹が減ったな」

 腹の虫の音で目が覚めたくらいだからな。……ちら、とベッド脇を見ると、マクレディが所在なさげに突っ立っていた。話の腰を折られて気分を害した様子はないが、何処と無く落ち着きがない気もする。

「ああ、もう何日も何も食べてないものね。すぐに下に行って何か買ってくる。……あれから三日も経ってるんですもの。無理ないわ」

 三日?! 我が耳を疑った。「俺は三日も寝てたのか?」

「ええ、そうよ。ホテルには一週間分宿泊代を出しておいたから心配ないわ。私はメモリー・デンと行き来してあなたの様子を見ていたのよ。Dr.キャリントンとグローリーが来てくれたおかげで、ここまであなたを運んでくれたのよ。その後はずっとマクレディ君がつきっきりであなたの看病をしてくれてたから、助かったわ」

「おい、アマリ、そんな事言わなくていいから」慌てた様子で言うマクレディ。頬を赤らめて明らかに動揺しているのは自明の理だった。

「あらいいじゃない? 実際ずっと離れなかったのよ、ジュリアン。ずーっとあなたの寝ている傍から離れずに三日も居たんだもの。Dr.キャリントンも私も助かったわ。

 ああ、先に言っておくけど、マクレディ君は目覚めてからはどこも変わったところはない。健康そのものよ。アンハッピーターンの影響は完全に抜けたみたいね。何もかもあなたのおかげだわ、ジュリアン。……本当に無事に戻ってきてくれてよかった」

 言いながら涙ぐんだのか目尻を押さえるアマリ。泣くなよ、と言いながら「あんたとマクレディが俺にメッセージを送ってくれたおかげだ。……この指輪、まだ嵌ってたんだな」

 左手を見ると、血の通った指の一つに金色の指輪が嵌っていた。ちらり、とマクレディの手を見ると、彼の指にもまた同じものが嵌っている。ああ、それね、とアマリは言いながら、

「それはあげるわ。試作品だったし、もう静電気は流れてないからただの指輪よ。今回の記念にあげる。次はもっと改良して、しっかりしたものを作って見せるわ。……でも、もう今回のような事は起きてほしくないわね」

 違いない、と言いながら俺とアマリは笑った。しかしマクレディはにこりともしない。そんな様子にただならぬ気配を察したのか、

「……何か話してたみたいだから、私は退散するわ。あとで食料持ってくるから待っててね、じゃマクレディ君、邪魔したわね」

 そう言ってアマリは部屋を辞していった。……再び部屋に俺とマクレディが取り残される。……何か話しかけてくるかと思いきや、マクレディはじっと黙っていた。

「俺の事、ずっと看病してくれていたんだってな、ありがとう」

 水を向けてやっても、マクレディは何も言ってこない。見上げると、そっぽを向いてこっちを見ようともしない。本来なら、俺は怒っていいはずだった。助けてやったのにその態度はなんだ、と。

 でも、怒る気なんてなかった──考えもしなかった。ベッドから起き上がると、俺はマクレディの隣に立った。それでもなお、彼は目を合わせようとしない。

 だから……言葉の変わりに、俺は彼の身体をぎゅっと抱きしめた。

「えっ、……えっ?」

 突然の事に動揺したマクレディの声を他所に、俺は彼の暖かさと、はっきりとした感触に浸っていた。

「生きていてよかった。お前が……生きていてよかった」

 そう言われてさすがに黙っているのは分が悪いと判断したのか、やや逡巡した様子の後、マクレディが発した言葉は俺の予想を超えるどころか外れていた。

「……思い出したよ。あんたが俺を、悪夢の中から俺を救ってくれた事を」

 今度は俺の方がえっと言う番だった。腕をほどいてマクレディの顔を見ると、彼は顔を真っ赤に染めている。さっきまでそっぽを向いていたのに、今はまっすぐと俺の方を見ているその目は涙をいっぱいに溜めていた。

「悪夢の中で……俺はジュリアンを待ってたんだ。俺の記憶を辿ってきて、あんたが悪夢を退治しているのを、俺は悪夢の中で必死に耐えていたのを。

 目が覚めてからは……覚えてなかった。どんな夢を見ていたかなんて、全く。だけどあんたが一度目覚めてから──思い出したんだ。もし覚えていたら、俺はあんたに言わなくちゃいけない言葉があるって。

 でも、俺をおいて自分勝手に危険な場所に行くなんて事がどうしても許せなかった。やむを得ない事だったと分かってても……それに、なんだよ。俺への向けた言伝がキャップの在り処だけって。おかしいだろ。……それだけしか俺に言う事はなかったのかよ」

 言いながら涙がつっと尾を引いて頬を流れ落ちた。やれやれ、泣き虫だな──なんて言う代わりに、俺はそっと涙を指で拭ってやった。触れた指に反応したのかますます彼の顔が赤くなっていく。

「だって、お前キャップが好きだろう?」笑って言ってみせたが、マクレディは憮然とした表情を浮かべた。

「そりゃ、……キャップは好きだ。けど……だからって、もっと言う事はなかったのかよって俺は言いたいんだ! 俺の、事とか……」

 また口ごもる。……まぁ、確かに本当にそれだけだったら、そう思われても仕方ないだろうな。と俺も思った。

「まぁ、……言伝なんてしたけど、俺は最初からお前と一緒に戻るつもりだったし。結果としてお互いこうして無事だから、いいじゃないか。

 悪かったよ、自分勝手に行動したことは謝る。一緒に行動してる以上、もうお前を置いていったりなんかしないよ。約束する」

 しっかり伝わるよう、ゆっくりと噛み締めるように言って聞かせる。マクレディは納得してくれたのか、僅かに首肯して見せた。

「……目覚めた時、覚えていたら、俺はあんたに言う言葉があったよな。……助けてくれて、ありがとう」

 青い瞳は涙を帯びたせいで光り、泣いているのに口元は笑っていた。本当に覚えているんだな──そう思うと一つだけ確かめたい事があった。

「なぁ、18歳のお前とその家族がフェラルに襲われたとき、誰か助けに来てくれたりしたか?」

 言っただけで察したのか、ああと返事を返しながら俺をじっと見据え、

「──あんたが助けにきてくれた。……もちろんそれが事実とは異なってるのは知ってる。けど、俺はこの記憶を大事にしていきたい。だって、ジュリアンはその場にいながら、俺とダンカンを見捨てようとしなかったんだろ? 実際はそうじゃなくても、俺は嬉しかった。だから……俺は忘れないよ」

 ふふっと笑ってみせた。それが結果として俺がお前の脳内に取り込まれる原因になったんだよ、と言うのはやめた。気づいているかもしれないし、知らないかもしれない、けど今となってはもう──どうでもいい。

 アマリが部屋にやってきた。先程とはうってかわった空気に、彼女はぽかんとしていた。俺とマクレディは互いに笑っていた。

 

 五日目に俺達はホテル・レクスフォードを出た。

 足取りはすっかり五日前のそれと変わらない。もちろん俺の傍らにはマクレディが立っている。きらきらと輝く陽光が、廃墟としたビル街の一角にあるこぢんまりとしたグッドネイバーの町並みを照らしている。

 アマリから聞いたが、例のマクレディを襲った一般人風の男は、やはりガンナー連中の一人だと判明した。グローリーがレイルロードの連中を使って調べさせたらしい。それらの情報はアマリを通してグッドネイバーの市長、ハンコックへ届けられ、サード・レールで起きた事件はガンナー連中の暴走と言う事で片付けられた。結果、マクレディには何のお咎めも無し。俺も勿論無実と言う事で──というか俺達の名前なぞ伏せられていたのは当然だが──こうしてグッドネイバーの街中を大手を振って歩いているという訳だ。

 俺達が悪夢と闘っていたことなぞ、知っているのはほんの僅かな人しか知らない。仮に知ったとしても、悪夢などという姿形もよくわからない、夢の中の世界で闘ったことなぞ御伽噺でもしているか、もしくはジェットやサイコのキメすぎだと笑われるのがおちだ。だからこれらの記憶はほんの僅かな人だけが知っているだけでいい。例の薬は未だにガンナーの連中が持っているようだが、それもいずれ入手ルートが見つかり次第、レイルロードが動くのは間違いないだろう。

 そんな暗い話とは他所に久しぶりの外は新鮮で、声を掛けてくる自警団の連中やならず者の声が、生きている実感をかみ締めさせてくれた。そのまま町を出ようとはせず、俺はマクレディを伴いながらサード・レールに入る。地下へ伸びる階段を降りると、いつもと同じ静かな空間に響くマグノリアの美声が演奏と共に流れていた。勿論、ホワイトチャペルもマグノリアも、めいめい座って酒を嗜んでいる連中も動いており、マクレディの悪夢の中で見たような世界ではない。

 階段を折りきってかつてのプラットフォームに立つ、カウンターへ近づき、

「よっ、久しぶりだな」

 声をかけるとホワイトチャペルが「ああ、あんた達か。あれから処理とか色々あって本当に参ったぜ。まぁ結果、あいつが悪いって事で片付けられたようでよかったな。──で、何か飲むか?」

 ああ、と言いながらビール瓶二本を頼むと、ホワイトチャペルはいつもと変わらぬ常温のビール瓶を二つ差し出してきた。代金を支払い、片方は俺が、そしてもう片方を──マクレディに投げて寄越す。おっと、と慌てて伸ばした手にビール瓶を受け取りしな、

「危ないって前にも言っただろう、ジュリアン……ったく」

 そんな悪態をつきつつ、キャップを指で弾き飛ばしながら笑っている。ははっと笑いながら俺も同様、キャップを外して瓶の中の液体を口に流し込んだ。いつもと変わらぬ味、いつもと変わらない場所。

 互いに笑っている俺とマクレディを怪訝そうにアイセンサーを動かすホワイトチャペルを他所に、サード・レールはいつもと変わらない緩やかな時間に包まれていた。




冬コミ受かったせいで最終章を上げるのが遅くなり本当にすいません。
なんとか最終章上げる事ができました~~ 楽しんでいただけたら幸いです!


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