はたらく狩人さま! (DOMDOM)
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プロローグ
狩人、現代に降り立つ


息抜きで書いてみました。しがないブラッドボーン好きの作品ですが、良ければどうぞ。




「嫌だもう就活したくない」

 

 

 六畳一間の空間にTシャツ姿で寝転ぶ男が一人そう呟いた。いや、一人ではない。それを眺めながら台所で食器洗浄をしている影がもう一つ。

 

 

「なあ、人形よ。俺はどうすればいいんだ?かれこれ就活続けて5カ月半ば……なぜ俺は未だ就職できていない!?」

 

「それはひとえに狩人様のお考えに問題があるのかと」

 

 

 表情を一切変えずそう言い切った『人形』と呼ばれた女は、雪の様な白い手で洗い物を続けた。その言動を聞いて『狩人』と呼ばれた男は突然跳ね起きた。

 

 

「何が問題なんだ!? 日本語を完璧にマスターし、今の世界情勢さえも完璧に把握している俺が、どんな企業にも取られないんだぞ!? むしろ問題あるのは企業側の人事部だろ絶対!!」

 

 

 小さなちゃぶ台をバンバン叩きながら自分勝手な糾弾する『狩人』という男。それに対して食器洗浄している手をぴたりと止め、無機質な目を向けたままに口を開いた。

 

 

「では申し上げますがそもそも狩人様の思想は大きすぎるのです。貴方様の最終目標である宇宙の支配は確かに重要なことだと存じ上げています。ですが、ここは日本なのですよ? その思想を面接中に口にしたところで何を馬鹿なと思われるだけです。ひと月ほど前、電気屋のテレビで政見放送でとある無所属の方が仰っていることに対して狩人様は『そんな大それたことを言って人が集まるわけあるか』と仰っていましたが、ご自分の立場がその方と全く同じであることにお気づきですか? 政見放送にいる人ならまだしも狩人様は履歴書の内容は真っ白、さらには外国人であるという立場から既に不利極まりない状況であることもお忘れではありませんか? 私にはもう少しご自身を客観的に見ることと今は一人の人間であるということを改めてご自覚なさったほうがいいと思います」

 

「ぐほぉあッッ!!!?」

 

 

 この間僅か約10秒。人間とは思えないほどの恐るべき滑舌。ぐうの音も出ない程に打ちのめされた男は胸を抑えたまま机に突っ伏した。

 

 

「に、人形よ……最近、切に思うんだが……」

 

 

 わなわなと顔を上げ、決して血色の良くない顔でジト目を作る男。再度口を開き、言い放った言葉というのは――。

 

 

 

 

 

 

 

 

「――最近、接し方キツくない?」

 

「いいえ、別にそんなことは」

 

 

 「嘘だ!」と心中で叫びながらも男は溜息をついて再度机に突っ伏し、女は再度食器洗いを再開した。こんなことになってしまったのは、そう5カ月前の忘れもしないあの日――。

 

 

 

 あんな事さえ、考えなければ――。

 

 

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ 

 

 

 

 

 

 

 

「暇だ……やることが無い……」

 

 

 そう呟いて墓標の前で寝っ転がる男が一人、そしてそれを眺める女が一人。ちょうど先ほどの状況とそっくりである。

 そう、ここは狩人の夢、そして彼は狩人だ。正確に言えば幼年期をある程度過ぎ、自身の容姿を自由に変えれる程度の力は蓄えている上位者狩人である。その姿は上位者以前の時と変わらず、五体満足の人間のままだ。本人曰く「二足歩行は進化の証」らしく、そちらの方が気に入っている模様。そして、ここまで言えば、隣にいる人影と言うのは既にお察しであろう。

 

 

「狩人様……異世界で狩人を狩ることがお楽しみではなかったのですか?」

 

「なんというか、それも飽きたんだよ……嫌いじゃないんだが、新しい発見がもうほとんど無くてなぁ」

 

 

 今や、彼のお付となってしまった人形が「そういうものでしょうか」と首を傾げた。

 相手を支配することが存在意義である上位者にとって、他世界の狩人を蹂躙することは数少ない愉悦のひとつ。だが、それ以上に今は知識を欲している。上位者になった彼は人間からは遠く及ばない思考力を持っており、数億年以上の月日でもを掛けない限り到達し得ない知識を容易に理解が可能。故に自分にはそれがないことに気付いた彼は地球上で起きている事柄では物足りなさを感じていたのだ。

 

 

「では『未来』というのはどうでしょうか」

 

「未来?」

 

 

 その提案は、人形がふと言ったものだった。刹那、狩人に電撃が走った。

 

 

「ふむ……確かに面白そうだな。今後、人がどんな進化を遂げ、どんな世界を築いていくのかは聊か興味がある」

 

 

 それはとある上位者が、上位者と人間の子に興味を持ったのことと同じ感覚。つまり、単なる好奇心がその答えに行きついた。元は人であった身から、人間に親近感がないわけでもない。新しい人間の世界に興味も湧く。

 

 

「お気に召したのなら何よりです……そうなさるのであれば――?」

 

「ああ、少しの間眠ることにする。そうだな……小手調べに100年程度の時が経ったら目覚めるとしよう」

 

 

 そう言うとさっさと睡眠を始める狩人。大樹の下で大の字となり、一瞬で眠りに付いた。それを見届けると人形は眠る狩人の横に座り、自らの膝を枕として貸した。ちなみにこの人形、体は人間そのものである。というのも狩人がそうなるように研究し、彼女に肉体を与えたのだ。本人は「人の温かさを知って体が人形なのは納得がいかない」とのこと。上位者と言えど人間の情がある故の『良心』というものだろうか。

 

 

「人の身になってから……私には一日が長く感じるのです……狩人様」

 

 

 そう呟くが、夢には狩人と人形の2人しかいない。よって、この言葉は誰にも伝わらない。ついでに言うと使者もいるのだが、彼女曰く、当初狩人を慕う同属として親近感が湧き、可愛いと思っていたのだが、人の身となってから見た目が形容しがたく受け付なくなってきているらしい。そのため、彼女本人が彼らに対して「今後はできるだけ近づかないでほしい」と忠告している。故に、この場には狩人と人形しかいないのだ。それが「生理的に無理」という感情ということに気付くのは、100年たった後の話。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ 

 

 

 

 

 

「……はあ」

 

 

 そうして100年後。狩人たちは現代の日本へとやってきた。そこには見たことも無い建造物が立ち並び、人が着る衣服も今とは異なり、話す言葉もまったく違っていた。期待に胸を躍らせ、新たな知識を得るがために世界を探索しようと思った矢先、事件は起こった。

 

 

「なぜ、体が人間に戻ったのか。力さえあれば就活なんてしないで済んだのに……」

 

 

 初め、彼は何かの間違いであると思っていた。だが事実、上位者としての力は失われ、体はただの人間へと戻っていた。しかし、全ての力を失ったわけではない。微力ながら人間には扱えない力が残っていることに気付いた。脳の方は上位者としての力を有しており、今の世界の事を理解することにそう長くは掛からなかった。

 

 

「泣き言を言っても仕方ありません。とにかく、今は生活を立てることを重視したほうがいいかと」

 

「んなこと分かってるよ……そもそも、なんでお前は人間のままなんだ」

 

「知りません。そんなことより早く就職してください。話はそれからです」

 

「やっぱ最近キツいよね人形さん!?」

 

 

 人間としての心を忘れかけていたところに人間性が戻り、主従関係の崩壊に半泣きの狩人。主人が寝ている間にいつの間にか自立し、主人を尻に敷く人形。こんな光景、誰が予想できただろうか。憐れ狩人、まったくもって憐れなり。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――ピンポーン

 

 

 

 そんな混沌とした六畳一間に呼び鈴が鳴り響いた。魂の抜けた様な顔で再起不能になっている役立たずの代わりに応えるべく人形が動く。ちなみに、手は身に着けているエプロンでさっと拭いた。

 

 

「はい、どちらさまでしょうか」

 

「あっはい、こちらゲールマン・ルースさん宅ですか? 郵便ですー」

 

「ええ、合っていますよ。配達、ご苦労様です」

 

「い、いえいえ~」

 

 

 そう言って笑顔で返す姿は、まるで天使の様。現に若い配達員は労いの言葉を掛けられて、鼻の下が伸びている。実際、人形の美貌が相当なのは周知の事実。あのマリアがモデルとして作られているのだ、当たり前である。そんな美貌を持った彼女に人間らしく微笑みかけられることを想像してほしい。大抵の男は一発で落ちる。

 

 

「……どうかしましたか?」

 

「……ハッ、す、すいません!それじゃ、失礼します~!」

 

 

 我に返り、足早に去る配達員。なんだったのだろうと首を傾げ、人形はその背中を見送った。そして、郵便物を手に、再び部屋へと戻った。ちなみに、ゲールマンというのは戸籍上の狩人の氏名である。思いつく名前が他になかったらしい。

 

 

「狩人様、郵便です。見たところ、何かの通知の様ですが……」

 

「どうせ、また企業から不採用の通知だろ。もう何件貰ったかすら憶えてない」

 

「いいですから、早く現実を受け入れてください。そうして無気力に何もしていない方が時間の無駄です」

 

「配達員との差がひでぇ……」

 

 

 しぶしぶ目の前にある『現実』に目をやる狩人。それは確かに企業からの通知だったが、少々今までと異なる点があることに気付く。

 

 

「ん、幡ヶ谷?そんな遠いところまで足伸ばして面接受けに行った覚えはねーぞ?」

 

 

 不採用通知の数は憶えていなくとも、自分の受けた企業ぐらいは憶えている。流石に現在住んでいる八王子から徒歩で行ける距離ではない。電車や自転車を使えばいいと思うかもしれないが、当の狩人が職に就けず、日雇いのバイトの募集を探す日々。しかも、ハロワや面接の時間を考慮しなければならないため、不定期な感覚でバイトをしなければならない。故に一ヶ月の間に稼げる金額は12~3万円程度。さらに家賃が5万、光熱費が2万、食費が6万で残る手取りはほぼゼロ。毎日がギリギリなのだ、当然通勤の足を買うような余裕はない。

 

 

「なんだこれ、手紙?」

 

 

開封してみればそこに通知書らしきものは入っておらず、ただ一枚の紙が添えてあるだけであった。何が何やら分からないまま、その紙を広げてみる。

 

 

「えー、『拝啓、ゲールマン・ルース様――

―(以下時世の句)……先日、当社は貴殿を不採用に致しました』ってなんだこれ、企業を挙げての嫌がらせか!?」

 

 

 憤慨しながらも、読み進めていく狩人。読めば読むほど嫌な思い出がにじみ出るように蘇る。とうとう、苛立ちが頂点に達し、手紙を破り捨てようとした――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……は?」

 

 

 その一文を目にした瞬間、狩人の動きが止まった。すべての時間が停止したようにも思えた。それほどまでに、その手紙には信じがたいことが書かれていたのだ。

 

 

「お、おい、人形……人形!!」

 

「いかがなされました狩人様? 夜なのですから、あまり大きな声を出すとご迷惑に――」

 

「これ、こいつを見てくれッ!!」

 

 

 普段なら無理やり発言を遮るようなことはしない狩人が慌てて、『それ』を差し出す。それは開封した手紙だった。今や、狩人が強く握りしめるせいで、くしゃくしゃになっているが。

 

 

「一体どうしたのです……その手紙がどうなされたんですか?」

 

「こ、ここを読んでくれ……信じ難い……」

 

「なんでしょうか……ふむ、『慎重且つ厳粛な選考の結果、当社は貴殿を――』……え?」

 

 

 そこで、人形の声が止まった。そして、手を口を押えて目を見開いた。

 

 

「『貴殿をマグロナルド幡ヶ谷駅前店で採用することに決定いたしました』……やったぞ、俺はついになったんだ……念願の正社員になったんだぁぁ――――ッッッ!!!!」

 

 

 戸惑う人形に代わって狩人が読み上げ、雄叫びを挙げた。その紙には確かに「採用」と書かれており、まさしくそれは採用通知書そのものであった。だが、分からないことがいくつかある。一つ目は、確かに面接は受けたが、それは『八王子店』であり、幡ヶ谷ではないということ。二つ目は、一度は不採用にした人間をなぜ採用にしたのか。この二点が非常に気になるところである。

 

 

「『詳しい内容は○月×日午前6:00、幡ヶ谷店内でご説明します。今後ともよろしくお願いします。』ってちょっと待て、これ明後日じゃねーか!? こっから徒歩で何時間掛かるか分かんねーし……とりあえず、今からでも出発してあっち着いたらホテルにでも……って、え? に、人形?」

 

 

 採用通知を見てから何も話さなくなった人形に視線を向けると、そこには顔を両手で覆い、肩を震わせている彼女の姿があった。

 

 

「お、おい!どうした!?なんか具合でも悪いのか!?」

 

「い、いえ、何でもありません。ただ、嬉しいのです……嬉しいはずなのに、涙が……止まらないのです」

 

「そ、そうか。いや、その、なんか……すまん」

 

 

 唐突に女性に泣かれて慰めるほどの器用さなんて、彼は持っていない。それが上位者だったせいなのか、はたまた元からだったのか……それは分からない。ただ一つ言えることは、一人の人間としてはヘタレであるということだけである。

 

 

「とにかくです。ご就職おめでとうございます、狩人様。こうしてはいられませんね。さ、これをお持ちください」

 

「……お、お前、これは!?」

 

 

 それは、封筒だった。ただの封筒ではない。現金5万相当の入っている封筒である。それを人形は自らのポケットから出し、狩人に手渡したのだ。

 

 

「3カ月ほど前から何かのためにと思い少しずつ貯めてきました『へそくり』です。旅費には十分な額なはずでしょう……どうぞ、お受け取り下さい」

 

「へそくりかよ!?」

 

「当たり前です。狩人様が計画的にお金を使うとは思えませんから」

 

「ぐぬぬ……」

 

 

 それは否定できない。狩人時代も後先考えず水銀弾や輸血液を使ってきた彼の性格上、計画的にモノを使うというのは少々無理な話だ。ついでに言えば、家事の他にも金銭面の管理も全て人形に任せっきりである。

 

 

「とにかくです。掴んだチャンスを無下にする訳にはいきません。何としてでもそこの責任者と話を付けてきて下さい」

 

「最初からそのつもりだが……でも、交通手段は徒歩だけだぞ?正社員として毎日通勤するには遠すぎる様な……」

 

「そこは私がなんとかいたします。狩人様は自身のご就職を第一に考えてください」

 

「いや、でm「よ・ろ・し・い・で・す・ね?」アッハイ」

 

 

 反論の余地はないようで、狩人は人形の気迫押し黙った。だが、彼女の言う通りである。約半年間かけてようやく掴んだチャンス。見逃すわけにはいかないのだ。

 

 

「そうと決まれば、さっそく準備して明日の朝には出発しましょう。ほら、早く支度してください」

 

「お、おう……支度つってもいつも通りだろ――」

 

 

 いつもの調子に戻った人形に急かされ、明日の準備を始める狩人。いつもの様に淡々と言葉を投げかける人形であったが、少しだけ頬が紅潮していたことを狩人自身も気付いている。だが、それを言うとまた説教されそうなのでここはあえて黙っておくことにしたらしい。

 その後、張りきった人形によってその夜は面接の基礎を叩き込まれ、最終的に熟睡ができなかったことには、ご愁傷様としか言いようがないのだが。

 

 

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……よし、じゃあ行ってくるわ」

 

 

 スーツを着込み、いつものように鞄を持つ。アメ横で1000円で売っていた腕時計を身に着け、履き慣れた革靴を履いた。何一つ身に着けているものは今までの面接と変わらない。だが心だけは、今まで以上に張りきっていた。

 

 

「忘れ物はありませんか?」

 

 

 後ろから声がする。それはいつも出掛ける前に必ず言われる言葉であった。振り向けば、人形が立っていた。ロゴの入ったTシャツにサイズぴったりのジーパン、手を前の方で組みきっちり足を揃えて立つ様はいつも通りの光景だった。だが、表情はいつもとは違う、口元が少し微笑んでいるように見えた。

 

 

「大丈夫だ。印鑑に財布、一応もらった手紙も入ってる」

 

「そうですか」

 

「おう、じゃあ行ってくるわ。留守は任せたぜ」

 

「はい……いってらしゃい、狩人様」

 

 

 いつもの挨拶を言葉にし、狩人を見送った。そして――。

 

 

 

 

 

 

 

 

「――あなたの目覚めが、有意なものでありますように」

 

 

 

 

 屈託のない、人間らしい笑顔で、そう言葉を添えたのだった。

 

 

 

 

 

 これは現代社会に生きる元狩人と、人の心を得た元人形が、現代社会に生きる魔王と勇者に出会う物語。彼らがどんな出会い迎え、どんな選択をし、どんな運命を辿るのか――。

 

 

 

――それはまだ、誰も知らない。

 

 




ほっとんど「はたらく魔王さま!」要素ありませんが、これでおしまいです。

――追記
読切のつもりで書いた駄作でしたが、数少ない「はたらく魔王さま!」原作SSの中ではそれなりの評価を頂けたようですので、続けてみることにしました。

※2/22
誤字修正しました。ご報告感謝します!



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狩人、笹塚に降り立つ

事の発端は数週間前。「ゲーマーズ!」のアニメを視聴していた時のこと。表情……もとい顔芸の作画センスがMajestic(素晴らしい)のひと言でした。

そして似通った作風のものである、この「はたらく魔王さま!」という作品を思い出したわけです。後はまた熱が戻り、創作意欲がこう沸々と――。

というわけで、何年ぶりになるか覚えていませんが、2話目投下です。真央たちとの絡みを書ける喜び3割、ただでさえ書けない地の文が凄まじいことになっていないかの不安7割で正直怯えています(真顔)。

ですので、生暖かい目で読んでいただければ幸いです。


 自身が辛酸を飲んできたのは今日この日のためだったと、狩人は切に思う。話を聞く限り、彼のフリーター生活から社会人生活への第一歩は、波乱万丈と言わざるを得ないものであった。

 

 

「マグロバーガーのセットが2つでサイズは片方がMでもう1つがLね。飲み物はどっちもマジェ・グレープで。後単品でビッグマグロバーガー1つ。以上でーす」

 

「かしこまりました。マグロバーガーのLセットがおひとつでお飲み物がマジェ・グレープ、マグロバーガーのMセットがおひとつでお飲み物がマジェ・グレープ。単品でビッグマグロバーガーがおひとつですね。店内でお召し上がりでしょうか?」

 

「そっすね」

 

「かしこまりました!」

 

 

 通知を受け取った翌日、狩人は幡ヶ谷にまで徒歩で足を延ばすことで一日を移動に消費し、マグロナルド近辺のネットカフェを宿代わりに利用した。ビジネスホテルでも良かったのだが、一泊の値段に差がないことを知ったことから、1日中パソコンを利用できる前者の方が有用だと判断したらしい。

 

 

「1260円になります」

 

「はいはい……ありゃ、万札しかないわ。悪いけどこれで」

 

「1万円からお預かりします。8740円のお返しになります」

 

 

 そして翌朝、指定の時刻に狩人はマグロバーガー幡ヶ谷駅前店へと赴いた。通されたのは応接間。これから一体どんな話をされるのか、採用後の展開など経験したことのない狩人は期待と不安で胸を膨らませていた。

 

 

「こちらの番号札を持って左のカウンター前でお待ち下さい」

 

「はい……あ、クーポン券……まぁいいや」

 

「……ふむ」

 

 

 再面接を行う可能性も視野に入れ、念には念を重ね、二日限りではあるが出来る限りの面接練習と、マグロナルドの情報を仕入れてきた。何も不安に思うことはないと再度自分に言い聞かせ、その時をただ待った。

 

 

「――お客様、良ければこちらをお持ちください」

 

「え? これマグロバーガーのクーポン……なんで?」

 

「いえ、こちらも出来ることなら再度会計したかったんですけど、現在かなり混雑していまして……今回は埋め合わせという形でこちら受け取っていただけたら幸いです」

 

 

 そんな緊張のなかで、ふと自身が上位者であったことを思い出す。そう考えれば、人間の起こす一挙一動に怯える自身はひどく滑稽にみえることだろう。生計を立てるためと躍起になっている狩人を他の狩人がみたらどう思うのだろうか。

 

 

「マジっすか。あざまーす」

 

「いえいえ、どうぞお構いなく! あ、次のお客様どうぞ!」

 

 

 このマグロナルド幡ヶ谷店『店長』である彼女が現れるまでそう時間はかからなかった。

 

「……捌ききったか」

 

「存外、早く馴染んだな。ゲール(じい)?」

 

「ええ、木崎さんの指導の賜物です。後、爺は止めてください」

 

 

 そう、腕組みしながら人を爺呼ばわりするこの女性こそ、マグロナルド幡ヶ谷駅前店の店長の木崎真弓(きさき まゆみ)である。そして、彼女の軽口を受け流しているのは当然、狩人本人だ。既に察しているだろうが、現在狩人はこのマグロナルドで働いている。面接に来たはずの彼が何故働いているのか。

 

 簡単なこと。条件を持ちかけられたのだ。1ヶ月で使えるようになるのであれば、正社員として上にはたらきかけてやると。

 

 意味の分からなさに当時の狩人は首を捻った。そもそも、元から正社員として採用されたのではなかったのか。だとして、何故そのような条件を持ちかけたのか。そして、このようなことを企てた黒幕は誰なのか。様々な思考を脳内に錯綜させるものの、僅か数秒の後、存外呆気なく真理に到達することとなる。

 

 それらの思惑は、須らく木崎の一存によるものである……と、木崎当人から打ち明けられたのだ。「理由は」と聞き返す間もなく、矢継ぎ早に狩人の欲しい情報を流す木崎に目を剥かされる。彼女曰く、狩人と履歴書と面接の情報を聞いた瞬間に、本社の方に問い合わせをしたという。「どうにも興味を惹かれる志望者がいるので、うちで預からせてほしい」と。なぜ、一支店の店長であるだけの彼女にそれを許されるだけの権限があるかは、謎であるが、とにかく1ヶ月でその人間が何かしらの成果を挙げられたのであれば、正社員として雇うこともやぶさかではないと、条件つきではあるものの交渉を成立させてきたらしい。そして、肝心要のそのワケというと――。

 

 

「研修中のプレートを引っさげて、ランチタイムの接客・調理・レジ打ちを捌ききる新人がどこにいる。指導といっても、私は業務の一通りの流れをチャート形式で2時間程度の説明をしただけだ。だというのに、MGR顔負けの業務をこなしているときた。やはり私の『勘』は間違っていなかったようだな」

 

 

 直感、だったそうだ。

 

 そんな、荒唐無稽な話には流石に狩人も耳を疑い、数分後には呆れていた。この世知辛い世の中で、自身のあてずっぽうで社員を雇うといった真似がどうしてできようか。

 が、それが狩人にとって渡りに船であることに変わりはない。勘でだろうとなんだろうと、せっかくの就職のチャンス。今日日焦がれていた職場というオアシスに手を伸ばさない程愚かではない。面食らっていたのも束の間。その話に乗ると、狩人は決意したのだ。

 

 

「それは、自分なりのリサーチというか……形式的にはバイトと同じ身分とはいえ、雇ってもらった身の上。故に(・ ・)新人が膾炙のために己が(・ ・)研鑽を積むのは至極当然でしょう。というか、結局『爺』って呼ばれる理由を教えてもらってないんですが?」

 

「ふっ……『語るに落ちる』という言葉を知っているか在日イギリス人。君の言葉選びは真面目なもの、というにはいささか丁寧に過ぎる。時たま使う言葉が若者のそれではないことを自覚することね」

 

 

 勝ち誇ったような笑みを浮かべる木崎に狩人は「……そっすか」の一言。先ほどのまでの堅苦しい話し方を忘れる程度には、観念したようだ。

 

 

「さて、冗談はこれぐらいにして、そろそろ休憩時間だ。君も昼食をとりなさい。余ってるポテトとバーガー、控室に置いてきたから」

 

「……本当に、何から何までありがとうございます」

 

「よせよせ、頭なんて客以外に早々下げるもんじゃない。3日目で既にこれだけの力量を見せる君だ。1ヶ月とは言わず、2週間でノルマなんて達成するかもしれないな」

 

 

 檄を飛ばすように語りかけた後に「それじゃ」と手をひらひらさせながら木崎は調理しているクルーのフォローに向かう。その様子を眺めつつも、客が列を成す前にレジを先輩方に引き継がせ、控室へと向かう。彼女に言われた通り、昼食を取るべくして。

 

 

「……有望株と言ってもらえるのは有り難い事なのだが、これはなぁ」

 

 

 過保護というに尽きるだろう、と内心続ける。

 

 扉を開けるとそこには到底ひとりでは食しきれない量のバーガーが机の上に積み上げられている。これだけのことで、狩人も過保護と言い切っているわけではない。ここ3日間を思い返して、そう思っているのだ。

 

 実のところ、狩人はマグロナルドに来てから自宅へ帰っていない。というのも、当然毎日八王子から歩くわけにもいかず、ホテルやネカフェ等の外泊生活をする気でいたのだ。が、木崎曰く――。

 

 

『――黙っていれば、控室に泊まってもいいぞ?』

 

 

 それは流石にどうなのかと、狩人も思った。しかし、現状の軍資金だけではどうなるのかわからない。人形がどうにかすると言っていたが、それもいつになることか。悩んだ結果、狩人はこのマグロナルドに寝泊まりしている状況である。

 

 

「まったく、平和な世の中になったもんだ」

 

 

 感謝と居たたまれなさで板挟みになりながらも、ため息を吐きながらもバーガーの包みを剥がしにかかる狩人。勿論、全部食べるつもりは毛頭ない。そのうちのいくつかは自前のナイロン袋にいれる。店長の厚意によるせっかくの賄いなのだから、貰わない方が失礼というものだ。

 

 

「また人形にどやされんだろうなぁ」

 

 

 栄養バランスを考えろと冷ややかな目で言われるのが目に見えるようだ。苦笑するも、持ち帰るものをしまう手は止めない。バランスはともかく、人の善意を無下にはできないのだ。いや、彼女も100パーセント善意で動いているわけではないだろう。何か他の、例えば店の利益に繋がるといった打算的なものの上で成り立っているはずである。それを揶揄する気は狩人にない。むしろ、利害の一致の一切を切り払って動くことの方が気味が悪いというものだ。

 

 

「……やってやろうじゃあないか。どんな、試練であろうと。全ては宇宙を統べるために」

 

 

 抱いた野望を改めて唱えれば、思考が冴える。

 

 幼年期はいつまで続くのか、自身の体に変化を及ぶのはいつになることか。更なる叡智に至るためには、啓蒙を得るためにはと……「知」とつくすべてに手を伸ばしてきたがゆえの代償。それが狩人自身の現状を表す真理(こたえ)。扱いを見誤ったがために、得た知を暴発させ、失ったのだろう。

 

 安易な知的好奇心や利便に身を任せるような者は賢者ではなく愚者である。自身の能力をてらって、溺れることもまた愚かなこと。世の理に一切の無知であるがゆえに、その在り様は赤子と変わらない。言ってしまえば、現代(ココ)に来る前の狩人がそれにあたる。過分な知性に振り回され、見えなかったものが見えただけで、すべての真意を得た気になっていた幼児。

 

 赤子(かりうど)は力を失って初めて、自身が愚者であることを自覚したのだ。それを就活生活の最中、嫌というほど身に染みる羽目になった。知ある者とは、常に自問自答を繰り返した末に、究極の己を確立させたものであると。この至極単純なことさえ、能力(ちから)に飲まれ分からなくなっていたのだ。

 

 

「自分が何者であるか見つめ直すいい機会になった。完全な答えを得るためにはまだ、時間がかかるかもしれん――」

 

 

 

 

 

 

「それでも、自分がどこまでやれるか試してやる……」

 

 

 振り回されてきた血の意志に、完成した自己を叩き付ける。この体は自分のものであると証明する。狩人自身の自己の再形成。今はその準備期間だ。己が限界を知るために、自分の在り方を問い続ける。労働(コレ)もその手段の一つ。ただ、闇雲に働くわけではない。自身を磨き、本当に価値あるものを見極めるために――。

 

 

「……なんてな! カーッ、何カッコつけちゃってんのかねぇ!?」

 

 

 口で自分の台詞を一蹴するも、その眼は爛々と輝いていた。

 

 初めての就職。一般的な現代人が走るレールにやっと乗ることができた。そこには確かな喜びと興奮があったことは間違いない。彼にとって、今は本当に楽しくて仕方のないものだった。

 

 

「2週間でノルマ達成だ? おうおうやったろうじゃねーか。その果てに叶える理想のために、こんなとこで躓いていられるかよ!」

 

 

 帽子を深くかぶり直す。決意がみなぎったその心に一点の曇りはない。自分の限界を知るがために、狩人は意気揚々と立ち上がる。

 

 

「さぁて、飯食って午後のシフトだ! 見てろよ人形、必ず正社員になって幡ヶ谷駅前店を日本一……いや、宇宙一売り上げのある店にしてやるからな!」

 

「バカなこと言ってないで、早く昼食を取ってください。あなたがいつまでも休んでいたら此処の先輩方にご迷惑がかかるでしょう」

 

「ははは、違い、な……いぃぃいぃいいいぃぃぃ!?」

 

 

 

 

 

 

 

 そこには本来いるはずのない名を呼ばれた当人がいた。見れば控室のドアが開いている。中東系の黄色肌の中に混じれば、間違いなく目立つ白肌の持ち主は、自身の主人を見るなりため息を吐いていた。

 

 

「アイエエエ! ニンギョウサン!? ナンデ!?」

 

「……やはりお忘れでしたか。今日は引っ越しが済んだ後に、お迎えに上がると出かける前に言ったはずですが?」

 

「あ、そっか……って、いやいやいや。それにしても来るの早すぎだよね?まだ、シフト残ってんだけど?」

 

「本日は狩人様の上司に当たる、木崎真弓様のご挨拶に伺ったのです。一宿一飯ならぬ二宿六飯の御恩は決して軽視してはならぬものであると、私は決意したしました。ですので、先ほど木崎様にお礼を申し上げた後に、狩人様の勤務状態を確認しに来たのですが――」

 

 

 意図がつかめず、おたおたする狩人とは裏腹に、人形はそれに淡々と答える。そして一瞬の沈黙の後に目を据わらせた。

 

 

「既に1時間以上のご休憩のご様子……色々とお考えをめぐらすことは結構ですが、それは自身の職務を全うしてからすべきではありませんか?先輩方が齷齪(あくせく)と勤労に励む最中、悠々と休憩なさっていて……ねぇ、狩人様?」

 

「ヒッ!? ハイ!! スミマセンデシタァァァ!!!!」

 

「残りのシフトの3時間……客席から見学させていただきますので、今後先輩方や他のお客様を困らせる様なことがありましたら――」

 

 

 フフフと無機質に笑う彼女を直視できずに白目を剥きながらも高速で首を垂れる狩人。木崎がこの姿を見たらどう思うことだろう。

 

 

 後に、狩人は語る。初めて獣を見たときの方が幾分かマシであった、と。

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

 

「こちらです、狩人様」

 

「話には聞いていたが……これはまた――」

 

 

 そこは、凄まじいの一言だった。

 

 部屋の間取りは以前のものと然したる違いはない。だが、その外観は現代を思い浮かべるにはあまりにも無理がある。時代が昭和へ逆光したとすら思えるその風体は一種の荘厳ささえ感じさせる。

 

 

「部屋の機能性などは以前とそう変わりません。冬は少々冷え込みそうですが、着こめば問題ないでしょう。そして何よりも、私や狩人様のような身元が不確かな人物を率先して引き受けてくれている、奇特な大家様がいらっしゃるそうです。以前の大家様の様に暗示をかけて生活する必要性もありません」

 

 

 基本、荒事をたてたくないスタンスで生活をしようという趣旨のもと、現代での活動を始めた2人の前に現れた犠牲者の内のひとりが前大家である。2人は戸籍について伺われたとき、咄嗟に発狂ラインすれすれの啓蒙を与え、軽度の錯乱状態に陥れてなんとか凌いできた。異端の者なりにこの時代の規則に基づいて生活しようと試みた結果だ。多少の無茶は許容して然るべきだが、このまま生活していたら間違いなく前大家は廃人になっていただろう。

 

 

「……嫌な、事件だったね」

 

「もっとうまい具合に誤魔化せる言い訳を考えておきましょう……では、ご案内します」

 

 

 金属製の階段を上り、部屋が並ぶ廊下へと足を運ぶ。一見朽ち木かと見紛うほどのドアとは対照的に、渡された鍵は存外素直に回った。そして、ドアノブに手をかけ、そのままゆっくりと押すと――。

 

 招かれた部屋は、想像通りの部屋だった。

 

 六畳一間。窓が2つ。キッチンとトイレが備え付けの1Kルーム。それ以上でもそれ以下でもない。

 

 

「なんだ、変わり栄えしないな。ある意味有り難いが」

 

「敷金礼金ゼロ円・保証人要らず・家賃4万5千円。狩人様と私にとってこれ以上の良物件はありません」

 

「……ふん、"ヴィラ・ローザ笹塚"か」

 

 

 人形は狩人に目を向ける。そこにはニヒルな笑みを口元に浮かべる青年の顔があった。そこにある思惑はなんなのか。このときの人形には推察する術もなく、首を傾げるだけだ。

 

 

「何、今は乗ってやるさ……さて、一通り荷物整理したら銭湯行くか。汗流してとっとと布団に入りたいわ」

 

「そうですね。ですがその前に――」

 

 

 靴を揃え、玄関に立つ。そして、狩人へと向き直り、人形は頭を下げる。

 

 

 

 

 

 

「――おかえりなさい、狩人様。それでは、何なりとお申し付けください」

 

 

 

 

 

 

 ああ、こうも彼女が人間らしく笑うようになったのはいつからだったか。そんな不思議な感覚を胸に覚えながら、狩人は目を伏せる。

 

 歓喜か悲観か、今の感情を言い表す言葉を彼は持っていない。それが上位者になったが故に失ったものか、または人間へと身を堕としたが故に失ったものなのか。今の狩人には解り兼ねた。だが、改めて人形の表情を鑑みてみれば、すぐに観念することとなった。

 

 

 

 

 

 

「やっぱり、人間って意味分かんねーな」

 

 

 

 

 

口でそうは言うものの、狩人もまたすこぶる人間らしく笑うのだった。




わーいできたー(無邪気)


全然進まないけど、一応プロローグは終わりです。
多分、本章にはいったら時系列が結構飛ぶのではなかろうかと思います。

筆が遅い人間なので、次回がいつになるかは分かりませんが、気長にやっていきます。



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本章
狩人、痴話げんかに巻き込まれる ~前編~


 お気に入り件数300超え……?

 UA数が10000超え……?

 数人の方から感想を頂き、わーいやったーとか思ってひとりでほんわかしてたんですけど……



 なんかすごいことになってますね(啓蒙不足)



「何なんですか! あなたには関係ないでしょう!?」

 

 

 怒声が人通りの少ない夜の交差点に響き渡った。そこにはナイフを構えるロングヘアの女性と、自転車を盾にするように身を隠す男性、そして――。

 

 

「関係ないって……一応、彼はうちの後輩なんでね。それが傷害事件に巻き込まれそうになってる時点で、関係大アリなんですが」

 

 

 ため息交じりに頭を掻くのは、日本の大手ファストフード店であるマグロナルドの制服を着た青年だった。その体格は170センチ後半の身長を、より高く見紛わせるほどには細い。さらに、顔立ちはこの日本の地では日常的に見ることは少ないであろう白肌。細身の体格に合わせた様なシャープな輪郭に加え、顔のパーツ各々は彫が深く、東洋人にはない独特な大人っぽさが醸し出されている。今どきの若者に言葉を合わせるなら「超イケてるおにーさん」だろうか。

 

 

「……とにかく、落ち着いて。どういう状況か説明してもらえます?」

 

 

 かけた声には怒気や怯えの類は感じられない。それもそのはずだ。眉をひそめて瞼ははほぼ半目の位置に。そして、唇の中心点は若干右頬に引きつっている。その当人の顔には「メンドクサイ」と書いてあるも同然だった。

 

 

「私はその男を倒さなきゃならないのよ! あなたには分からないような恨みや怨念が死ぬほどあるんだから!」

 

「倒す……? いや、まあそれは――」

 

 

 なんとなく見ればわかる。そう続けたかったが、何を言っても火に油の様なので青年は口を閉ざした。

 

 らちが明かないので、彼はもう一人の事件の当事者である青年に目を配らせる。そこには困惑や焦燥といった感情を表情に浮かべるもう一人の青年の姿があった。男は本日2度目のため息をついた。どうやらお互いに他人が語れるような事情ではないのはその様子を見るに明らか。それ以上の言及はやめることにする。だが、この状況を放置するわけにもいかない。よって、激昂しているもう一人の当事者へと視線を戻した。

 

 

「なんにせよ、とりあえずその刃物はしまってください。落ち着いて話もできな……ってやっと来たか」

 

「え?」

 

 

 腰に手を当てながら安堵する青年。耳を澄ませばその理由は自ずと彼らに近づいてくることが分かった。

 

 

「中途半端な形となってしまい申し訳ないが、自分はまだ仕事中ですのでこれで失礼させてもらいます」

 

「へ? あ、ちょっと!?」

 

 

 二人に背を向け、来た道を戻る青年。唐突な解放に面食らう女性を他所に、もう一人の男性へと振り返り話しかけた。

 

 

「あ、そうそう。フライヤー機の件を引きずって明日の業務に支障をきたさないようにな。それとちゃんとそこの彼女さんと話を付けてくること。後、彼ら(・ ・)はお前が呼んだってことにしといたから、少し誤魔化しといてくれよ?」

 

 

 その青年の発言に対して、女性と青年の2人は返答しなかった。いや、出来なかったと言ったほうが正しい。なぜなら、既に2人のすぐ近くまでサイレン音が響いていたのだ。そして、暫しの後に彼らは2つの国家権力の影に囲まれた状態となる。

 

 その時には、青年の姿はそこにはない。ただ唯一彼らが、喧騒に紛れる前に聞き取れたのは――。

 

 

 

 

 

 

「ちゃんと元カノとの関係ぐらいスッキリさせておけよ、真奧後輩(・ ・ ・ ・)

 

 

 

 

 ――小馬鹿にしたような、それでいて愉悦に浸ったような声色だけだった。

 

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

 

 それは、初夏の入りらしい晴れた日のことであった。だが、ニュースの報道する天気予報ではすぐさま雨になるらしい。故に少々陰鬱な感情が心を曇らせる。面倒なことだ、と愚痴をこぼすも男は選んだ服に袖を通す。仕方のない事である。本日は月末の金曜日。大規模な天災でも起きない限り、自身の就職先に社会人は出勤せねばならない。

 

 

 

「財布、身分証明書類、家の鍵……うっし、全部持ったな」

 

 

 毎日行っている確認ではあるが、そこに緩みはない。最終確認を終えた男は玄関へと向かう。

 

 

「う……ん、おはよう、ございます……狩人、様?」

 

 

 狩人と呼ばれた男は振り向く。そこには重そうな瞼を擦りながら、赤が基調のチェック柄の寝巻を着崩した女性が立っていた。

 

 

「ああ、今日は早めに行って店長と打ち合わせ、それと機材のメンテがあるからな。人形、お前は朝弱いんだから無理せず寝てろ」

 

 

 実は狩人、マグロナルドで働き始め1年が経過。現在の立場は、マグロナルドの正式な社員である。その手腕は見事の一言。新人や従業員の仕事のフォローをはじめとして、今では店長の行うシフト管理や帳簿も多少任されている。本人曰くそれらは対して問題ないとのこと。むしろ細心の注意を払っているのは別の所だという。

 

 

「むぅ……れすが、働いている狩人様を尻目に私だけ寝てる訳にはいかないのれす!」

 

 

 口元を結び、ピシッと姿勢を正す女性、もとい人形なわけであるが、全力で目を見開いているつもりのようだが、現実は無常である。実際は半分も開いていない。しかも呂律が回っていないので説得力は皆無だ。

 

 

「いやいいって。後で俺に醜態晒したことに気づいて不機嫌になられんのはダルいんだよ。そら、布団に戻った戻った」

 

「うぅ、えへへ……今日はお優しいのれすね?」

 

「は!? 何言って……ってああ、ほとんど寝ぼけてんのか。はいはいどっこいせ」

 

 

 普段の人形が絶対に言わないような単語が口から飛び出した。身の毛がよだつような感覚が狩人の全身を駆け巡った。

 

 すぐさま、狩人は人形に近づくと、細身の体からは想像できない程軽々と人形を持ち上げる。いわゆるお姫様抱っこ状態である。美男美女故に絵にはなるのだが、残念ながら狩人の頭はそんなお花畑状態ではない。むしろ、寝ぼけて記憶のないうちにさっさお暇しなければと、身の安全以外は考えていないのである。

 

 

「はあ、そんじゃま行ってきます」

 

 

 とっとと下ろしたところで早々に部屋から退散する。ドアの閉まるタイミングと同時に、向こう越しに「いってらっしゃいませぇ……」という声が聞こえた。律儀なことだと内心呟き、頭を掻きつつ外階段を降りていく。そして、原付にまたがったところでふとあることを思い出した。

 

 

「あ、やっべ……レインコート忘れた」

 

 

 が、夜には雨は止むことを思い出し、まあいいかとエンジンを入れる。狩人が目下畏れるのは、無駄な出費が人形にばれることである。上位者狩りの狩人にしては情けないことこの上がない。しかし、それもまた致し方ない事。

 

 

 彼も今は、ただの「人間」なのだから。

 

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

 

 

 狩人はマグロナルドの正社員である。故にアルバイトやパートの従業員の仕事をフォローする事が大きな役割のひとつである。だが時に、違った形のフォローの仕方もしなければならない。

 

 

「佐々木さん、その、あんまり落ち込まないでくれ。誰にでも間違いはあるからさ」

 

「でも、ルース先輩ぃ~……今月で6回目なんですよぉ? ポテト床にばらまいたの……このままじゃ、床からお芋が生えちゃいます!?」

 

 

 それは、従業員の心のケア。ありていに言ってしまえば、カウンセリングのそれである。もちろん、業務内容として盛り込まれているものではない。ただ、狩人自身が必要不可欠である感じているから実行しているのである。

 

 休憩室で彼の向かい隣りに座り、机に突っ伏している少女はこのマグロナルドの新人アルバイター。佐々木千穂である。素直な心の持ち主で、仕事にも真摯に取り組むこの幡ヶ谷駅前店の"スター"候補のひとり。が、本人の話す通り少々そそっかしい所が玉に瑕なのが悩ましい点だ。

 

 

「向き不向きは誰にでもあるからさ。佐々木さん、今月と先月でさ、うちの客層で多いの『学校帰りの男子学生』とか『仕事帰りのリーマン』って知ってた?」

 

「へ? 確かに多い気はしますけど、それって普通のことじゃないですか?」

 

 

 千穂はきょとんとした表情のまま返答するが、狩人は首を横に振る。

 

 

「いや、確かに普通だけど、前にも増して多くなってるんだよ。これって実は、佐々木さんがアルバイト始めてから、じわじわと増え続けたんだ」

 

「そう、なんですか……?」

 

「うん。多分、佐々木さんの真摯な接客が男たちのハートを掴んでるんだよ。学生だったら可愛い子いるなとか、リーマンは娘ぐらいの子が頑張ってるなとか思って再来店してくれてるんじゃないかな?だからさ、佐々木さんがここでバイトしてくれて、店的にはすごくプラスになってると思う」

 

 

 データに基づいた内容を話しているのだ。そこに虚偽の一切は存在しない。確かに、千穂は他の従業員に比べればミスも多いかもしれない。だが、入って半年も経っていない新人に完璧を求める方が酷というものである。むしろ、オカシイのは1年半ばで正社員、しかも店長の仕事に口出しできる程度の立場まで上り詰めた狩人の方なのだ。

 

 

「てなわけで安心して! 2日にいっぺんはばら撒かれる芋の単価より、佐々木さんが出している利益の方が大きいから!」

 

「フォローになってないですよ!?」

 

 

 そうツッコみを入れるも、気づけば千穂が浮かべる表情は明るい。それは心に余裕ができた証拠。狩人もそれを確認し「大丈夫そうだな」と笑った後に、小休止を終えることにする。

 

 が、狩人は同時に気を引き締めた。時間にして午後6時。従来通りであれば、店が混み始める時間帯だ。そう、従来通りであればだ。

 

 

「さて、新ポテト地区売り上げ一位を目指すように木崎さんからも言われているからな。月末の金曜、つまり給料日で財布の紐が緩くなっている今がチャンス。佐々木さんも、なるたけお客さんにオススメしてね」

 

 

 そう、尋常ではなく混むのだ。毎月のことでこの時期はしこたま忙しくなるのだが、それは嬉しい悲鳴でもある。

 

 この幡ヶ谷駅前店、クルーの仕事に対する意識はすこぶる高い。あの店長を見ていればそれは一目瞭然。通常であれば、上からのノルマ達成を請う通達はスタッフのモチベーションを下げやすい。だが、木崎の場合は違う。口では常日頃のサービス向上を口ずさむようにクルーに言い聞かせている。それでいて、彼らの士気は落ちないのだ。容姿、言葉遣い、気配りなどあらゆる要素がクルーを奮い立たせる。人はそれを「カリスマ」と呼ぶ。

 

 故に、マグロナルド幡ヶ谷駅前店スタッフ一同は常に売り上げに貢献しようと、至極真面目に働くのだ。無論狩人もその一人である。ただ、狩人の場合は採用してくれた恩を返す意味合いの方が強い面、一概には括れないが。

 

 

「はい! 真奧さんもやってましたし、私も模倣して頑張ります!」

 

「そーだよねー。佐々木さんは真奧後輩に(・ ・ ・ ・ ・)褒められたいんだもんねー」

 

「うぇっ!? ち、違い……違くはないですけど! めっちゃ褒められたいですけど!! あくまでも、お店のためを想っても頑張ってますよ~ッ!」

 

「……そこは絶対譲らないんだね」

 

 

 慌てながらも、自分の確固たる意志を崩さずに弁明をする千穂に生暖かいような目で見守る狩人。この調子であれば、業務に支障はきたさないだろうと想った刹那であった。

 

 そのほのぼのとした光景は一瞬にして消し去られることとなる。

 

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ 

 

 

 

 

 

 

 

「フライヤーが故障!?」

 

 

 その声は決して大きくはなかったが、周りのクルーへ伝わるには確かな声量だった。

 

 

「ああ、急に動かなくなったらしい。メンテナンスでは問題なかったんだよな?」

 

 

 そう問われて、狩人は唇を噛みしめるしかなかった。狩人自身、朝のメンテナンスでは細心の注意を払っていたはず。だが、完全に分解して器具を調査したわけではないのだ。確かに長い間使ってきたフライヤーだったのだから、何かしらの不具合で動かなくなっても不思議ではない。しかし、なぜ今なのか。売り上げがかかった時期故に、全員がひどく動揺していた。

 

 

「動作テストに問題は無かったはず……いや、違うな。木崎さん、業者の方に連絡は?」

 

「今しがた済ませたばかりだ。30分程で着くらしい」

 

「30分……修理を含めて2時間程度ってところか」

 

 

 少し考えるように、顎を手で撫でる狩人。その様子は木崎も含め、その場にいたクルー全員が固唾を飲んで見守っていた。レジや商品を運搬しているクルーもこちらの様子を伺うように目を配らせている。狩人は、数秒の後に口を開いた。

 

 

「――皆さんは通常通りに業務を行ってください。木崎さんは業者がすぐにでも修理に取り掛かれるよう、準備をお願いします」

 

「「「「わかりました!」」」」

 

 

 指示した瞬間に、クルーのほとんどが業務へと戻る。そこに一切の余念はなく、全員が狩人の指示を聞き入れたのだ。理由を問う者はいなかった。そんなことは不要であると全員が知っているから。なぜなら――。

 

  

「君はどうするんだ? ゲール爺」

 

「決まってるじゃないですか、木崎さん」

 

 

 それは、窮地に陥った人間の表情ではなかった。口角は吊り上がり、瞳は爛々と輝いている。まるで、新しい玩具を見つけた幼子のそれだ。

 

 仕方のない奴だと言わんばかりに首を振り、木崎はスマホを耳に添えつつその場を後にした。そして、残された狩人は列を成す客を見つめ、宣言する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――ポテトは、俺が繋ぎます」

 

 

 

 

 狩人は駆ける。売り上げ一位(エ モ ノ)を狩り取るために――。

 

 

 




 ちょっと短いですが、本編の第1話です。微妙なところで終わりましたが、ご了承ください。キリがよかったのです、はい。

 時系列はアニメ第一話まで飛ばし、やっと狩人が主要キャラと絡みました。
 
 人形の朝が弱い設定は、勝手に付け足しました。これからもオリジナル設定を組み込むことになるとは思いますが「なんだそれ」と思った折には「人間になったんだしそういうこともあるか」程度に考えて頂ければ幸いです。

 実は私、マグロナルドのようなファストフード店でバイトしたこと無いので、ネットから拾い上げた実情などをもとに書いています。極力矛盾がないよう書いているつもりですので、少々おかしい点などはスルーして頂ければと思います……。

 最後になりますが、たくさんの評価・お気に入り登録、ありがとうございます!
 引き続き、うちの狩人と人形をよろしくお願いいたします!

※2/24
誤字修正しました。報告感謝いたします。


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狩人、痴話げんかに巻き込まれる ~後編~

 めっちゃ時間が経ってしもうた……ギリギリ一ヶ月以内とはいえ先が思いやられますわ……。

 書こうとすればするほど、自分の無知が心に刺さります。ファストフード店の厨房の状況とか取材させてほしいですねホント……。

 というか日刊ランキング4位って(白目)。この小説まだ3話しか書いてないんですけど。

 そんでお気に入り900以上(感血涙)


 ありがとうブラボと読者の皆様。本当に………本当に……

 「ありがとう」…それしかいう言葉が見つからない…



 お待たせしてしまい申し訳ありません。今回ちょっとだけ(1000文字程度)長めです。


 大手ファストフード店・マグロナルド。日本におけるその総店舗数は2500軒を超える。都内だけでも約350軒あり、都民は見掛けないことの方が珍しい。自宅から徒歩数分の距離、通勤・通学路の途中、職場と同じビルの他階層、駅内……多岐にわたる店の在り方は、この狭い日本という土地が創り上げた一種の文化体といえる。

 

 都内の人口数を考えればそれだけの店舗があることに違和感はないだろう。店数が多ければ、多くの客は足を遠くへ運ぶ必要もない。顧客にとって「不便」と思える点はないように見える。

 

 だが、それは「客」側の話だ。渋谷区だけに絞ったとしても、その店舗数は10軒以上。それだけの店があれば、当然顧客は最寄りの場所へと足を運ぶ。「客」にとっての利便が、「店」の視点では何を意味するか。その解に行き当たるのは、逆説による当然の理だ。

 

 

 

 "顧客"の分散、それはすなわち一店舗ごとの"売上"の分散である。

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ 

 

 

 

 

 

「ハピネスセット2! ドリンク・ポテト共にM! 持ち帰りです!」

 

「了解!」

 

「まだビッグマッグできてないぞ! はやく仕上げろ!」

 

「は、はい!」

 

 

 レジにてオーダーを受けつつ、頼まれたドリンクと仕上がったポテトをトレーに乗せる者。ひたすらにバーガーを仕上げる者。次々と完成する商品に追いつけず、配膳を繰り返す者。飛ばされる檄は客が不快にならないよう配慮のされた声量で、厨房内を駆け巡る。

 

 だが、そこにマイナスの感情は一切ない。体はほのかに熱を帯び、それが程よい高揚を感じさせる。俗に充実感と呼ばれるソレは留まることを知らない。

 

 理由は自ずと見えてくる。啓蒙無き俗人でも、店内を見渡せばそこに介在する異質なモノが――。

 

 

「お待たせいたしました。他のご注文の商品が仕上がりましたら、こちらの番号札が鳴りますので少々お待ちください!」

 

「あ、はーい」

 

「ママ―、ポテトは先に食べててもいーの?」

 

「いいわよ。でも全部は食べちゃダメね?」

 

「ハーイ!」

 

 

 その光景は、至極自然だ。それを証拠づけるかのごとく、客は商品の乗ったトレーを受け取り、列から席へと外れていく。ポテトの調理は揚げて、調味料等を振りかけるだけ。先に商品として客の手に渡ることに違和感はない。客席ではポテトを手に取り、団欒に興じる母親と幼子の様子が伺える。ごく一般的な感性を持った者であれば微笑ましいと思うことだろう。

 

 彼らだけではない。皆一様に談笑を交えつつ、ポテトをつまんでいる。地区売上の追い込みを考えれば、店としてはありがたい。ありがたいことではあるのだが――。

 

 

 

 

 8割の人間がポテトのみを食している。これを異常と言わずして何と言うか。

 

 

 

 

「あの、あれどうやって……いや、どうなってるんですか?」

 

「知らないわよ。とにかく今は口じゃなく手と足動かして!」

 

「それはわかってます……わかってますけどぉ!」

 

 

 どう考えても可笑しいですよね!?

 

 新米クルー・佐々木千穂の悲鳴が店内の喧騒に呑まれていった。客の目から離れた場所に、その元凶は厨房にいたのだ。だが、そんなことはいざ知らず。少女の瞳に写っていた異常の大元は涼しい顔で言い放った。

 

 

 

 一機のフライヤーが故障している最中

 

 

 客のオーダーのタイミングに寸分狂わず

 

 

 適量のポテトを揚げ続ける

 

 

 

 

「ポテト、揚がりました!」

 

 

 

 変  態  が  い  た。

 

 

 

 「寸分狂わず」とは何を意味するか。虚偽類いは一切介在しない。あえて飾らない言葉で語るとすれば――。

 

 

 

「あの、オーダーです! ポテト――」

 

「3内ペッパー1だっけ? 揚がってるから佐々木さんトレーに乗せてもらえる?」

 

「なんとぉ!?」

 

 

 

 

 そ の ま ん ま で あ る。

 

 

 

 その男、変態こと狩人。名をゲールマン。マグロナルド笹塚駅前店の正社員である。

 

 彼の意味不明な所業はなおも続く。矢継ぎ早に飛び交うオーダーを正確に認識できたとしても、その芸当に説明はつかない。理由は複数あるが、そもそも前述したように、手元にあるフライヤーは1機のみ。通常であれば、大量の注文は2機で並列処理できるのが基本。故にあり得ないのだ。完成が遅れることがあっても、早まることはまずあり得ない。

 

 一度に大量に揚げてストックしているのだろうか。否、店側の問題を客の食事に持ち込むなど彼にとっては愚の骨頂。仮に実行したとして、ポテトが注文される確証は?時間が空いたら冷めた商品をだすのか?ふやけた食感かつ主張の強い油分しか口内残らない芋を食したいと思う客がいるのか?そんな変態には主に血の医療が発達した古都の教会でも尋ねることをおすすめする。きっと貴公が望む以上の素敵な体験が待っているだろう。

 

 

「ノルマ越えを確認した、ゲール爺。余程のことがなければセーフラインを割ることはないはずだ」

 

 

 その声を境に、狩人の手が止まる。現在揚げているポテトのみ仕上げると、振り替えって木崎にのみ聞こえる声量で何かを伝えた。木崎は眉をひそめるものの、その行動の意を問わずただ黙して頷く。そのままレジへと足を進めた。

 

 

「私が代わるよ」

 

「え、店ちょ……木崎さん?」

 

「ご指名。せいぜい気張りなさい」

 

 

 サムズアップされた拳は彼女の後方を指し示していた。困惑していたクルーだったが、肩越しの光景を見るや否や戦慄する。事実を確認する意味合いで、そのまま木崎の顔へと視線を戻した。

 

 だが、何も彼女は語らない。返ってきたのは、慈しむような微笑だけだった。それは我が子の背中を押す母の様。それでクルーは理解してしまった。故にクルーは覚悟を決める他なかった。

 

 木崎に会釈をした後に足を踏み出す。乾燥した空気がやけに重く、全身にのしかかる。だが、今は勤務の最中。牛歩に身を委ねていられる暇などない。競歩が如く足早にその領域へと踏み込んだ。

 

 

「来たか……なんだ、木崎さんから聞いたのか?」

 

「いえ、何も……けど、何となく解りますよ」

 

「そうか、なら遠慮はいらないか」

 

 

 最後の言葉に自然と背筋が伸びるクルー。その表情に陰りはないが、適度な緊張が伺えた。互いにすでに相手の心象が読めている。当然、これから何が行われるのかも理解できていた。

 

 

「今回は俺の不始末だったから、自分で状況の対処にあたった。けど、今後は違った形で不測の事態が起きるかもしれない」

 

 

 より細やかなメンテナンスが出来ていれば、今回の件は未然に防げたかもしれない。ポテトを揚げる最中、思考の末端で留めていた想いを乗せて、狩人は言葉を紡ぐ。

 

 

「だからこそ、この技術を培ってもらいたい。さすがに一朝一夕での習得は無理だが――」

 

 

 それが、必ず役に立つ日が来る。ここの環境(アルバイト)に限ったことではない。日常生活で活かすことが出来たならば、視野と見識は格段に広がる。

 

 不測の事態など建前だった。クルーに成長してもらいたい。彼は純粋にそう思ったのだ。

 

 

「……大丈夫です。俺に出来ることなら、やらせてください」

 

 

 力強い意志が、瞳に宿る。クルーの決意に狩人も目を細めた。そこにあるのは人間性の歓喜か、上位者の侮蔑か。真意は狩人のみぞ知る。

 

 

「これからお前に、"人の行動を読む力"を養ってもらう。尋常ではない精神力を要されるだろう。努力次第である程度はモノになるが、その先は先天的なものが必要になる……まあ、間違いなくお前なら伸びるさ」

 

 

 そう言うと狩人は、占領していたフライヤー機前から数歩退ける。その動きが"始まり"であると予感したクルーはわずかに口元を緩めた。心の揺らぎを自身で認識したと同時に、打ち消すように歯を食い縛る。

 

 

「さて、始めるか。お前が"武器(チカラ)"を得るための第一歩だ。何度目の失敗(やりなおし)でモノにできるのか……全力で取り組むといい。失敗の数だけ客に迷惑がかかると思え」

 

 

 現代に降り立った人外(バケモノ)が期待し、その潜在能力を引き出したいと望むマグロナルドのクルー。その者の名を――。

 

 

「気張れ、真奥後輩。全ては正社員になるために」

 

 

 

 

 

 真奥貞夫(まおうさだお)

 

 狩人のクルー後輩であり、彼の住む"ヴィラ・ローザ笹塚"の隣人である。

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

 人間が生物である以上、定期的に行わなければ死に至る最低限の行動が3つ存在する。言わずもがなだが、それは「食事・睡眠・排泄」である。体が所要する機能として、一般的には三大欲求として括られる場合が多いが、発端は正確には解っていないがため「諸説あり」とされている。

 

 

「んぐんぐ……ぷっはぁー、体に染みわたる!」

 

 

 またそれら3つの内、特に食事は人間が自身の体を構成させるうえで最も重要なものである。三大欲求説でもこの食事が欠けていることは見られないと言ってもいい。

 

 中でも水分の補給は、体の調子を整える重要なファクターだ。飲料水などでとった水分は、腸から吸収され、血液などの「体液」になって全身をたえず循環していく。生命活動の維持には水分が必ず要される。

 

 

「ハァーー……ゲールさん、相変わらず無茶苦茶やってんな。注文に聞き耳たてながら、列なす客の会話で注文を予測しろとか人間の所業じゃねぇ」

 

 

 どこぞの変態と同じ芸当をやらされた真奥は500ml相当の水分を数秒で流し込んだ。なお、水分補給は精神を落ち着かせるためにも有効と言われている。通常であれば心労の回復などコップ一杯で事足りる。一体どれほどの心的ストレスをため込んだというのか。詳細は当事者にしかわからないだろうが、壮絶なものであったことに違いはない。

 

 

「真奧さん、お疲れ様です!」

 

「おう、ちーちゃんか。お疲れ様ー……こんな体勢で申し訳ないけど、後10分は起き上がる気になれないんだわ」

 

「あ、あはは……大変そうですね~」

 

 

 机にのべーっと張り付く真奧の姿に苦笑いする千穂。憧れの先輩でなければ、その状態を「ちょっとかわいい」とかは思わなかっただろう。恋は盲目とはよく言ったものである。

 

 

「私はもう上がりますけど……その様子だと、真奧さんはまだ帰らないんですね?」

 

「まあ、そうだね。それに一応、木崎さんに少し話があるって言われたからさ。今は待機中」

 

「ほえ~、一体何でしょうね?」

 

「わからん。地区売り上げはゲールさんが押さえてくれたし……」

 

 

 なんも思いつかないんだよなぁ、と首を捻る。

 

 この数分後、木崎よりA級クルーに昇進した言伝を受け、嬉しさのあまり自身の愛馬(ママチャリ)であるデュラハン号に跨り、颯爽と家路に――笹塚の闇に消えていった。

 

 

 

 嬉々とした感情を隠せない後姿を、追う影がいたことも知らずに。

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

「あん?」

 

 

 ふと、懐かしさを感じた。ただその懐古は決して穏やかなわけではない。誰かに向けられた小さな敵意。それだけならば、狩人も気に留めなかった。殺気なんてもの(・ ・ ・ ・ ・ ・ ・)が混じっていなければ、フライヤー機の修理明細書に目を通し続けていた。

 

 

「……すみません、木崎さん。俺ちょっと出てきます」

 

「ん、どうした?」

 

「真奥が忘れ物してたんで、ちょっと届けに」

 

「ふーん……了解。早く届けておいで」

 

 

 木崎に頭を下げ、裏口から外へ出た。服装は制服のままであるが、致し方がない。自身の家路と同じ方向へと走り出す。走る最中、競輪選手ばりの速度で自転車を漕ぎ倒す真奥の姿を思い出し、相当遠くに行っているのではないかと頭を抱える。それならそれで、何事もなく帰宅していることを願うだけだが、悪い予感というものは的中してしまうもので――。

 

 

「――て、――リア! 話せば分かる!」

 

「問答無用よ! 覚悟なさい!」

 

 

 あぁ、と肩を落とし呻いた。

 

 腰の引けた男。刃物を構える女。一触即発の雰囲気が漂う夜の交差点。

 

 

「はいストップ! 二人とも落ち着け!」

 

「「は!?」」

 

 

 赤の他人であったなら遠巻きに見ているだけだったかもしれない。ホシは存ぜぬが、今回のガイシャ候補は職場の顔見知り。ましてや同アパートを住居とする隣人を放っておくわけにもいかない。

 

 

「え、ちょ、ゲールさん……どうしたんですか?」

 

「いやそれこっちのセリフゥ!! なんでいきなり火サス現場見せられてんの俺!?」

 

 

 テレレレッテレレレッテーレー...

 

 某BGMが流れる一歩手前である。押し問答の後、崖に飛び込む図が容易に想像できる。妙な想像に行きついた脳をリセットすべく狩人はぶんぶんと物理的に脳を揺らした。

 

 いざこざが起きるとは思っていたが、凶器まで持ち出されているとは予測だにしていなかった。混沌とした現代社会であれば、朝一のニュースで流れているようななんら不思議ではない事柄。第三者の立場とはいえ、いざその場に立たされてみると存外焦る。狩人自身、殺し合いを生業としていた自分がいかに平和ボケしているかを身を持って自覚させられていた。

 

 

「……何ですかあなた。勝手に首を突っ込まないでもらえます?」

 

 

 意識が回復した事件の当事者が、仲介人に噛みついた。声量こそ小さく、荒げてもいないが、その中には確かな怒気がある。握られた果物ナイフはなお、真奧の方へと向けられている。

 

 

「誰って……まあ、立場上コイツと同じ職場の上司です。物騒なんでソレしまってくれません?」

 

 

 戦意がないことを示すように、自然と両掌を見せるように腕を女性へと向けていた。

 

 狩人は脳内をフル回転させる。今の状況を暫定的に割り出すためだ。まずは、彼が最も情報量を有している、真奧について思案し始めることとする。

 

 この数ヶ月、勤務中に真奧の人間性を見極めてきたが、決して女癖が悪いようには見えない。あやしい要素としては、少し甲斐性が強い割には案外人付き合いに関しては淡白な点。それは千穂に対する面倒見の良さと、職場仲間というスタンスを崩さない彼の立ち振る舞いから見て取れる。そこから導き出される結論は――。

 

 

 

 

 

 なるほど、修羅場か。

 

 

 

 元カノが別れに納得いってない説。それが狩人の導き出した答えだ。プラスアルファで、割とストーカー気質なのだと仮定すれば、昼から夜まで監視し続けるという行動にも合点がいく。ここからは狩人の勝手な推測となる。

 

 

「(恐らく、急な別れだったのだろう。聞けば、笹塚に来る以前、真奧は海外で過ごしていたらしい。わざわざ日本に来たということは、恐らく出稼ぎに来たのだ。何処ぞの国かは知らないが、よほど生活が苦しかったことが伺える。そして、こちらに移住してくる以前には目の前の彼女と付き合っていた。だが、真奧自身、日本への移住を強要させるのは気が引けたのだろう。恐らく、彼女が傷つかない形でと考えた結果、話もまともにしないまま別れてきてしまった。唐突に別れを切り出され海外に高飛びされた、彼女は理由も分からなかったはずだ。それでいて、相当に好いていたのだろう。結果、遊びだったのかもしれないという事実に憤慨した。故に憎悪をもって、真奧を背中を追ってきたのだろう。それがきっと、真奧なりの優しさだったということに気付けずに……)」

 

 

 うんうんと唸る狩人。何かに納得したような素振りを見せる狩人に二人は疑問符を頭上に浮かべた。数刻の後、狩人はそっと手をポケットに突っ込むと、少し目を見開いた。その眼には何かしらの決意が宿っていた。雰囲気が変わったことを女性も感じ取り、眉間にしわを寄せる。そんな少女を見据え、介入者は堂々とした態度で口を開いた――。

 

 

 

 

 

 

 

「申し訳ない。着信来たんで出ても?」

 

「………………は?」

 

 素っ頓狂な声が、交差点に小さく響いた。

 

 唐突に、会話を中断され再度呆気に取られる女性。返事は聞かんとばかりに、数十メートル離れた後にポケットからスマホを取り出す。電話が来たというのだから、何かしら通知が来ているだろうその画面に映されたのは漆黒。何もかかってきていない。そんなことにはお構いなしに手慣れた操作でロック画面を起動。そして、そのまま暗証番号を入れることなく、画面中央下部にある項目にそっと触れた。狩人が行った選択とは――。

 

 

 

 

 

 

 

「あ、もしもし警察ですか(ポリスメン)?」

 

 

 

 

 

 

 

 試合放棄。国家権力に全てをぶん投げたのだった。

 

 

 

 

 

 

 




 主人公が、真奧と、やっっっと絡みました! 今回はそれだけが満足です!!
 
 どうでもいい事かもしれませんが、狩人のスマホがXperiaで、人形がiPhoneです。それぞれの私が抱いたイメージカラー(黒と白)よりそうさせて頂きました。


 執筆速度ですが、マグロナルドの様子を描かなければ、早く仕上げられますので、5話はもう少し早めに上がるはずです。後、リアル事情が忙しくなければ何とかできるかと。ですので、更新は気長に待っていただければありがたいです……。


 最後に、沢山のご愛読・評価・お気に入り登録・誤字報告・etc...本当にありがとうございます。これからの狩人や人形の活躍(?)をお楽しみに!


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狩人、隣人に物申す

 第5話、投稿です。

 執筆を円滑に進めるために、物語の着地点をおおよそ検討つけたせいで途中経過が浮かばないという本末転倒。

 なになに? マグロナルド外の日常回なら早く書ける??

 




 寝言は寝て言え、大体1ヶ月経ってんじゃねぇか!!

 更新楽しみにして頂いた方々は本当にごめんなさい。亀更新ではありますが、地道に進めていきたいと思います。

 構想は固まってるんですけど、組み立てがままならないのが更新の遅い理由です。後、リアル多忙(覚えること多すぎ問題)。

 ……新生活舐めてました(白目) 


 ゴリゴリとそこはかとなく心地の良い音が響いた。聞く者が成人ならば、それが咀嚼音であるとすぐさま認識できる。結果として誰かが何かを食している様子が聞いて取れるだろう。だが音の大きさに反して、その食卓の模様は酷く寂しい。

 

 

「……つかぬことをお聞きしますが、よろしいでしょうか?」

 

「なんだよ」

 

 

 食卓を囲むのはふたつの影。身体的特徴から、二人とも男性であることが伺える。ひとりは笹塚駅前店のマグロナルドにアルバイトとして務める青年、真奧貞夫である。

 

 

「給料日は……私の記憶が正しければ、ほぼ丸々1ヶ月先でしたね。先日も進言いたしましたが、僭越ながらもう一度言わせて頂きます」

 

「言わんでいい。今は飯食おうぜ、飯」

 

「いいえ言わせて頂きます!」

 

 

 バンッと机に拳を叩き付け、立ち上がる青年。改めて(あらわ)になるその体躯は真奥と同様にしなやか。中東系の出で立ちを思わせる真奥とは違い、血色は薄く色白さが目立つ。身長も幾分か真奥より高く、日本における成人男性の平均身長を大きく上回っている。

 

 

「我が家の食事はこんにゃくとキュウリと牛乳のみ……昼にはハンバーガー食べているとはいえ、必要な栄養素が足りなすぎます! こんな食事を続けて体調を崩すような事態に陥ったら、どうなさるおつもりですか!」

 

 

 剣幕に釣られて立ち上がった同居人の顔を見上げる真奥。その表情は言葉に発さずとも分かるほどに、面倒だという感情が滲み出ていた。

 

 

「まあ、そうカッカすんなって。昨日も言ったが、A級クルーに昇進したんだ。これで多少は生活に余裕が出るだろ」

 

「そう仰って、昇給した後の生活が安定したことがありましたか! 金銭に余裕ができた途端に財布のひもが緩みっぱなしになるではありませんか!」

 

「べ、別に外で余計な散財なんてしてないだろ? 以前デュラハン号一括で買ったのだって、先を見据えての出費だし……」

 

「……その割には結構な頻度でご帰宅が遅い日があるようですが、何処で何をしてらっしゃるのか詳しくお聞きしたいものですね?」

 

 

 その様子はまるで熟年夫婦。しかも割とギスギスしたタイプの家庭環境を思わせる会話である。

 

 

「と・に・か・く! 今後の財政は全てこちらの裁量に任せて頂きます。よいですね、真奥様(・ ・ ・)?」

 

「はぁ?! それは流石に横暴だろ芦屋ぁ(・ ・ ・)!」

 

 

 唐突な小遣いカットの暗喩に焦る真奥。それに対し、さも当然であるといわんばかりの表情で見据える青年。

 

 彼の名を、芦屋四郎。ヴィラ・ローザ笹塚201号室の住人にして真奥の同居人である。会話を聞く限り、なにかしらの主従関係があることは間違いない。だが、言動と言葉遣いの乖離が激しいため、一見してその関係性は不明。だが、似たような事例は存外身近にあるもので――。

 

 

 

 

 ピーンポーン

 

 

 質素な居間に乾いたインターホンが鳴り響く。その音に、一触即発だった両者は同時に固まった。そして、顔面からは一斉に血の気が引いていく。

 

 二人は失念していた。ヴィラ・ローザ笹塚。見ての通り、現代のアパートやマンションに比べ、その風貌は一時代前のもの。故に、その全体の造りは有り体に言ってしまえば極端に「薄い」のである。そんなところで口論などすれば、後に起こることなど想像に易い。

 

 

「……芦屋、客だぞ」

 

「真奥様、私の計算が正しければ、私目よりも真奥様の方が幾ばくか玄関に近い。ですので、ここは効率的に考えて、真奥様が赴くべきかと」

 

「いやいやいや、普段ならお前がいつも出てんじゃん。お前が行けよ」

 

「財布の紐はまず心構えからと言いますから……わ、我々は節制を心掛けるべきなのです。よって、ここは効率性を重視で」

 

「通るかぁ! そんな屁理屈――」

 

 

ピーンポーン

 

 

「…………」

 

「…………」

 

 

 猶予などない。そう告げるように2度目の呼鈴が響き渡る。

 

 

「……財政の件、どうかご検討ください」

 

「おう……頼んだ」

 

 

 先に折れたのは芦屋であった。彼が得たものは金回りの利権。はたしてその報酬は、今より担う重責に見合うものなのか。その答えは玄関にて明かされる。

 

 

「はい……どちら様でしょうか?」

 

 

 震えぬよう沈めた声で問いかけた。

 

 返答までの一瞬が永遠のものの様にさえ感じる。こめかみから頬にかけて伝う汗は初夏に見合わない冷えきったものだ。

 

 だが、芦屋にそれを感じる余裕はない。意識は全て眼前のドアへと向けられていた。正確にはその向こうである。証拠付けるように、瞳の焦点は合わず、近場のもの全てが芦屋には二重に映っていた。

 

 そして、その者は全てを切り裂くように言葉を紡ぐ――。

 

 

 

 

 

「郵便でーす。真奥貞男さん宛のものになります~」

 

 

 瞬間、真奥は机に突っ伏し、芦屋は力なく膝を折った。

 

 

「(真奥様……!)」

 

「(あぁ……俺たちは、助かったんだ)」

 

 

 アイコンタクトで会話をする男二人。素晴らしい連携に見えるが、その内容は非常にしょーもない。

 

 深夜にバカ騒ぎしたツケが来た。そう当たりをつけた二人の直感は外れたようだ。危機感が去ったことを実感し、ほっと安堵する。落ち着いた心と連動する様に、緊張で冷えきった体には体温が戻っていった。

 

 

「あの~……真奥さんのご自宅よろしいんですよね? ドアを開けて頂けませんか~?」

 

 

 その言葉で我に帰る真奥と芦屋。郵便物を送られる顧客側ではあるものの、長く待たせるのも配達業者に悪い。芦屋は開けるべく膝を立てた。

 

 

「……ん?」

 

 

 違和感。

 

 不快ではなく違和。何かが違う。それに気付いたのは真奥だった。だが、何処の流れに異物が紛れ込んでいるかすら判らない。判断に困る嫌な気配は芦屋が動くにつれて大きくなっていく。

 

 

 

 

『真奥貞男さん宛のものに――』

 

 

 

 

 

 

 

 思考の欠片が、形を為した。

 

 真奥のなかで、全てが繋がったのだ。非常に小さな違和感。予想が外れたことに対する安堵が、その存在を薄れさせていた。刹那、引いてった悪寒が再度押し寄せてくる。思考を止め、芦屋の方に目を向けると既にドアノブに手をかけていた。

 

 

「芦屋! 待っ――」

 

 

 その声が芦屋の耳に届いたとき、既に事は詰んでいた。ドアが開くに連れて(あらわ)になっていく、配達業者の姿は――。

 

 

「ドアチェーン無しとは……感心しないな」

 

 

 真奥のよく知る、見慣れた知人で――。

 

 

お届け物(クレーム)だ、真奥後輩。着払いじゃないから安心しろ」

 

 

 身も凍るような笑顔を引っさげ、そこに佇んでいた。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ 

 

 

 

 

「「スミマセンでした……」」

 

 

 六畳一間の空間に懺悔の声が響いた。その声に生気はなく、酷く重い声色であった。そこでは、二人の男がひとりの男に頭を下げている。

 

 

「食卓の状況を直視せず、金遣いを改めない真奥後輩に業を煮やした芦屋氏が小遣いをコントロールすることを主張。それに対して真奥後輩が異議を唱え、口論になった……と」

 

「仰る通りです」

 

「ま、待ってくれ! 誤解だ!」

 

 

 異論を唱えるのは201号室の家主、真奥である。

 

 

「俺は無駄な出費なんてしてないし、自分の買い物はもらった小遣いでやりくりしてる!」

 

「ほう、ではこの貧乏を通り越して見ることも痛ましい食卓はどう説明する?」

 

「ぐっ……」

 

 

 証拠を目の前に並べられた、というより自分で並べ切っている状態で何を言っても説得力などなかった。

 

 実際に真奥自身、家事の殆どを芦屋に任せているため、預金残高の推移、及びその明細はよく知らない。下手なことを言っても、自分の立場を追い込むだけである。故に、押し黙るしかなかった。

 

 

「まあ、他人の金遣いにどうこう言うつもりはない。けどそれが原因で人様の迷惑になるのであれば別だ」

 

 

 そもそも、狩人が201号室の扉を叩いた理由はクレーム兼注意喚起。真奥家の食卓に難癖をつけにきた訳ではない。

 

 

「……事の次第によっては大家が来るかもしれん」

 

「「今後は細心の注意を払わさせて頂きます」」

 

 

 渋る姿は何処へやら、ふたりの額は既に畳の上にあった。身を伏す姿は土下座を通り越して五体投地。疑心を欠片も抱かせない見事な謝罪である。

 

 万が一、近隣の迷惑を気にした大家が駆けつけるような事態が発生するのは狩人とて避けたいのだ。それは狩人のみに当てはまる訳ではなく、真奥たちも同様である。何故、そこまで大家の到来に畏怖を抱くのか。その訳が明るみに出るのはもう少し先の話。

 

 

「分かったならいい。ところで真奥後輩、ひとつ聞きたいことがある」

 

「あっはい。なんすか?」

 

「お前戸を開ける寸前で俺だって気付いたよな。声色も変えていたはずだが……何処で分かった?」

 

「あぁ、ははは……別に大したことじゃないっすよ」

 

 

 再度向き直った真奥は頭を掻きながら苦笑する。

 

 

「ゲールさん、俺たちの事の『真奥さん(・ ・ ・ ・)』って呼びましたよね。そこに違和感を覚えたんで

す。ここに週3のペースで来ている新聞やテレビ局の勧誘ですら呼ぶときは『真奥様(・ ・ ・)』なのに……配達員が客相手に『さん付け』で確認するのはおかしいなって」

 

 

 ――"敬称"。

 

 始まりは、齟齬とも呼べない僅かな誤差だった。テレビや新聞を取る余裕が金銭面で無いことが幸い(?)して、気づくことが出来たらしい。それは言った本人である狩人も気付いていなかった。現に、説明を聞いてなるほどと頷いている。だが、この捻くれ者はそれだけでは引かなかった。

 

 

「たまたま言い間違った、とは思わなかったのか? 一応、声は若者を装っていたつもりだったが」

 

「確かに途中までは若い配達員だと思ってましたし、そこまで大きな確信はありませんでした。けど――」

 

 

 言葉を切り、一呼吸の後に答えは放たれた。

 

 

「仮に新米だとしても『戸を開けてくれませんか』なんて催促する配達員はいないと思いますよ」

 

「……なるほどなぁ」

 

 

 今度は狩人が頭を掻く番だった。慣れない駆け引きなど持ちかけ、殆どを看破された。最終的には狩人を部屋に上げてしまったのだから元も子もない。だが、改めて過程を紐解けば、違和感の穴は大量にあった。軍配は狩人に上がったが、その差は非常に僅かなもの。化かし合いには負けていたのだ。

 

 

「まあ、偉そうに語ってますけど、殆どゲールさんに教えてもらったことを実践しただけなんですけどね! 『あの訓練』受けてなかったら普通に開けていたと思います」

 

 

 未熟さを噛み締め、己を省みるだけの狩人。反省しつつも、相手を思い遣ることを忘れない真奥。少なからず立場としては先人である狩人は、自身と彼の間に明確な差があると感じていた。

 

 だが、それは優劣としてではなく、あくまで性質の違いだけだ。人の身ではない、狩人が身に付けた仮初めの人間性。腐っても上位者に身を投じた人間擬き(バケモノ)。人間と同列として扱い、比較する事事態が愚かしい。人間内で足の速さを競い合っているところに、犬を引き合いに出すようなものだ。何の証明にもなりはしない。

 

 

「あの僅かな時間にそれほどまでのお考えを巡らすとは……流石です真奥様」

 

「おう、そう思うなら財政の件を――」

 

「ダメです。それとこれとでは話が別ですので」

 

「畜生めぇ!!!」

 

 

 芦屋の意思は固い。どうやら、真奥の小遣いはどう足掻いても減る運命にあるらしい。そんなやり取りが行われる程には、堅苦しかった場の雰囲気が柔和になった。

 

 

「さて、ひとつめの用事は終わった。次の要件だ」

 

 

 場を見計らって狩人が口を開いた。その言葉にじゃれあうふたりも動きを止める。

 

 

「え、まだ何かあるんですか?」

 

「ああ、むしろこっちが本題だ」

 

 

 心当たりがまるで無いのか、ふたり揃って顔を見合わせている。そんな様子に口角を吊り上げ、不適に笑う狩人。すると、徐にゆっくりと立ち上がり、玄関まで歩を進める。

 

 

「今日は機材トラブルやお前の痴情の縺れ……慌ただしくもあったが、同時にめでたい日でもあった」

 

 

 扉へと近づく間に言葉を綴る。綴る言葉に想いは込められているのか。元が低いトーンのために推し量るのは難しい。だが、見る者が見れば直ぐ様分かる。あれは何かを企んでいる。そして、事の流暢な運びに愉悦している。

 

 ――故に予感する。何かが起こるのだと。

 

 

「よろしいのですか?」

 

「あぁ、入れ」

 

 

 この場の者ではない声が響いた。聞こえる先はドア越しの廊下。だが、その声はこの場にいる全員が聞き慣れたものだ。

 

 

 

 ギィィ……。

 

 扉の悲鳴をBGMにして、その姿は顕になる。だが、現れた人物に対する問答が始まる前に、狩人は口火を切る。

 

 

「A級への昇級おめでとう、真奥後輩……いや真奥。時間帯責任者になった君の更なる活躍に期待している。これはささやかな餞別だ」

 

 

 状況飲み込みが追い付かず、唖然とする201号室組に対し祝福の言葉とともに笑いかける狩人。そして、第3者によって、この祝福の時は更に紡がれる。

 

 

「おめでとうございます。兄共々(・ ・ ・)、此度は真奥様の昇級を祝福させていただきます。そして、これまでの間、我々ルース家と親密なご関係を続けて頂いたこと深く感謝します。僭越ながら、真奥様の仕事へのご尽力、そして芦屋様の家事運営を心より応援させていただきます」

 

 

 下げられる頭とともに束ねた髪が揺れる。数秒の後、始まりと同様にゆっくりと彼女は顔を上げた。見るだけでも上品な質感を感じさせる銀髪は美しいの一言。その髪に見合う美貌は勿論、振る舞いも優雅さを欠かない。そんな人物を真奥たちはひとりしか知らない。

 

 

「最後になりますが、今後ともゲールマン、マリア共々末永くよろしくお願い致します」

 

 

 そう言葉を締めくくり、203号室の人形(マリア)は微笑むのだった。

 

 

 

 




なにこの最終回感漂う締め。終わりませんよ?まだまだ続きますよ?


遅くなりましたが、お気に入り1000件突破しました。沢山の閲覧・感想・評価ありがとうございます!

不定期ながらも更新していきますので、どうか気長にお待ちください。

※4/22
誤字修正しました。報告感謝します!


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狩人、回想に耽る

 難産もいいとこだよホント(血涙)

 時間はかなり掛かりましたが、なんとか投稿です。

 後、この作品の木崎さんの強キャラっぷりがヤバいです。木崎真弓強化とかいう謎タグをつけなくてはならないのでは……?


 狩人は疑問を抱いていた。この現代社会に降り立ち、数ヶ月経った後に生まれた疑問だ。それ自体は難しい問題ではない。体験したことがある者も決して少なくはないのだろうか。日常のなかでそれはふとした瞬間に起きている。場合によっては人々の関係に傷を残し、何気ない笑い話で済むこともある。掴み所のないソレは、競争社会・多文化社会である現代日本では起きることに不思議は無く、むしろ必然のものだ。だが、未だに解決の糸口を人間たちは得ていない。故に狩人も目の前で起こっている事態に疑問を浮かべていた。

 

 

「……家事運営を応援するとは言いましたが、これだけは譲れません。手を放してください芦屋様」

 

「いいえ、我が真奥家ではこちらが主流なのです。ここは我らの領域……こちらの流儀に則っていただきます」

 

 

 部屋の中心、円卓の上で睨みを利かせガンを飛ばしあう影が2つ。201号室の芦屋と203号室の人形である。その光景を見てため息をつく影も2つ。然もありなん、201号室家主の真奥と203号室家主、狩人である。今、201号室の卓上では戦いの火蓋が切られようとしていた。

 

 

「ありえません! そんなことをするなど邪道極まりない所業です!」

 

「これの崇高さが理解できないとは……芦屋様はどうやら、存外啓蒙乏しき方だった様ですね」

 

 

 どうでもいいわと内心呟くものの、興味がない故に言葉にはならない。こんなにも呆れて物も言えないという言葉がしっくり来る現場は、狩人も久しぶりである。

 

 散々高説垂れるように内心説明してきたのは、皮肉っていたに過ぎない。その争いは日本人、いやもしかすると世界共通のものなのかしれない。争いの火種は多岐にわたり、どの食材が引き金になるか分からないのだ。現に、それは目の前で行われている、あえて言うなら――

 

 

 

「卵かけご飯には醤油以外あり得ません! ソースなどと……味を考えるだけでもおぞましい!」

 

「ほう、ソースを愚弄しますか。よろしいならば戦争です」

 

「どうでもいいわぁッ!!」

 

 

 「一番その料理に合う調味料討論」の勃発である。

 

 狩人の内心を、たまらず真奥が叫んだ。狩人とて、このふたりがそれなりの声量で言い合っていたならば、先のクレームに託けて注意できたのだ。が、何故かこういう時ばかりはその辺りの気遣いに抜かりはない。

 

 

「なっ……真奧様は我々『なんでも醤油派閥』の同士だったではありませんか?!」

 

「いやそんな派閥入ってねぇよ?! なんだそのなんでも鑑定するテレビ番組みたいな名前の派閥?!」

 

「ふっ、化けの皮が剥がれましたね。所詮は醤油派閥など薄い繋がりでしかないのです。その点、私と兄様は信敬なるソース教徒としての確固たる絆があります。そうですよね、兄様?」

 

「そんなカルト染みた団体に入信した覚えは一度もない」

 

 

 昔は言ったことを素直に聞いてくれていた従者は一体何処へ行ったのか。目の前で項垂れる従者に、目頭を押さえる家主ふたり。そして、いつ道を踏み外したのかと回想に耽った。

 

 先日、祝福の言葉を送った後に、明日の夕げに祝賀会を催したいという打診が人形から真奥たちへと伝えられた。祝賀会と言っても狩人家が真奥家に料理を振る舞うといったささやかなものだが、食料問題に悩む真奥たちにとっては願ってもないことだった。そのときに、これ以上世話になるのは主夫として立つ瀬がないと、芦屋は渋っていた様だが、自分がそうしたいのだという人形からの説得もあり、暫しの葛藤の後に了承したようだ。真奥が職場の先輩である狩人に敬意を向けるように、芦屋も人形には頭が上がらないのである。また、何故そのような関係に至ったのか。時間は数ヶ月前まで遡る――。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

 狩人たちがヴィラ・ローザ笹塚に移転してきて2ヶ月後、大家より近々入居者が増えるとの言伝てがあった。その時には、狩人は木崎から提示された条件をクリアし、マグロナルドにおける立場は既に正社員と同等の扱いを受けていた。この「同等」という言葉を選んだのには理由があり、幾つかの補足が必要となる。

 

 まず、本社側が未だに手続きに追われているということ。一度は不採用にした人間を雇い直すというややこしい事をしたのだから無理もない。木崎による独断に振り回された人事部はたまったものではなかっただろう。他人事ではない狩人も内心申し訳なくはあったが、尊い犠牲であったと内心合掌していた。

 

 だが、本社としてはマイナスな事ばかりではない。イレギュラーとはいえ、提示したノルマ(しかもかなりの無茶振り)を期日の1週間前に達成させるという偉業を為した人員が手に入るのだから是非もなかった。確実に金のなる木を育てないほど、本社も無能ではなかったようだ。だが、そんな慌ただしい本社に追い討ちをかけるように、木崎から爆弾発言が投下される。

 

 

 

 

「ゲールマン・ルースは今後も幡ヶ谷駅前店で預からせて欲しい」

 

 

 

 これが本社での登用手続き、社員としての教育などの諸々の準備する最中、そう提案してきたのだ。言い分としては、自分が起こした案件なのだから教育等を請け負うのは至極当然の責務。むしろ本社の面倒を省くためであり、合理的である……ということらしい。無論、相手は大手企業本社である。役職が店長とはいえ、たかが支店を任されている一社員の勝手な要望に応える道理はない。

 

 だが、実際、彼女の手腕は数ある支店の店長たちと比較しても群を抜いている。通常の支店の前日売上比の変動幅が3~4割なのに対して、笹塚駅前店は1~2割。仕入量にも無駄がなく、繰り越す品も殆どない。

 

 故に考えてしまう。彼女がそう言うのならば――。

 

 結局、本社はその案を聞き入れ、手続きを進めるという決断を下した。本来ならば短期教育の後、売上に伸び悩む支店に即時戦力として投入するつもりだったが、より優秀に育つのであれば是非もない。いずれ木崎の教育が終えたその後でも決して遅くはないだろう、そう考えたのだった。

 

 狩人自身も、その話を木崎本人から聞かされ、ようやく自分の立場が面白可笑しい状況にあることを認識する。木崎の教育が終わり、本社に赴く時を改めて想像してみた。

 

 

『君が木崎君の言っていた新人かね? こちらも散々(・ ・)準備してきたのだ。君には精々頑張ってもらいたいね』

 

 

 嫌味をつらつらと吐かれる現場が目に浮かぶようだ。表情には出さないものの、甚だ遺憾かつ面倒なことだと内心呟く。ただ、どうせ数週間か一ヶ月すればどこかへ飛ばされるのだ。元より周囲に好意を抱かれたことの方が少ない身。嫌味程度どうということはない。どこか遠い目をしながら、狩人は自身の今後を思索するのだった。だが、次の刹那、狩人は己の浅はかさを知ることとなる。

 

 

「まあ、2年はここで私の補佐をしてもらうけどね。本社の老いぼれ共に、そう易々とは私が発掘した逸材を渡さんさ」

 

 

 自らの利に傾倒しすぎた彼女の跛行は、まだ終わっていなかった。彼女は狩人の正社員としての研修過程をすっ飛ばし、SW-MGR(スウィング・マネージャー)の役割を彼に担わせた。

 

 マグロナルドには、本来CREW(クルー)を統括するMGR(マネージャー)が存在する。が、しかし1人の社員が統括する店舗が複数ある場合、不在が多くなるため、他の誰かが店員の出勤時間帯配置などの管理業務をパートやアルバイトの立場で併せて行う人員が必要とされる。それを担うのが「SW-MGR(スウィング・マネージャー)」と称される役職の者だ。

 

 本来であれば、長年その支店でパートやアルバイトを続けている者が担わされる役職である。だが、木崎は社員(候補)である狩人をそれらの職務に就かせた。一体何故そのような無茶振りを彼女は押し付けたのか。その答えは、狩人が仕事を着々とこなすに連れて明らかとなっていった。

 

 

 

 

 

 それは、人の動かし方を学ばせるためであった。

 

 元来、狩人は孤高を貫いてきた人種だ。いや、それは語弊があるものか。自らの行いを誰からも理解されず、己の内に掲げた心情だけを頼りに、血濡れた道を這いつくばるように辿ってきた。邪魔なモノは潰し、必要と思えるモノはその命ごと奪った。そして、突き進んだ果てに己が手に残ったもの。そこには長き一夜を共にした従者が佇むのみ。孤高を貫いたのではない。孤独に落ちたというだけだった。

 

 故に、人の感情など分かるはずもない。次元を超える進化を迎えた(瞳を得た)思考によりそれらのメカニズム自体の解釈は容易だった。しかし、納得など到底できない。ましてや、非生産的な行動を繰り返す人の行動など理解に苦しんだ。それが、人ならざる思考を持ったせいなのか。また、悪意に晒された果てに心が擦り減り、摩耗したせいなのか。はたまた、その両方か――。

 

 いずれにせよ、人並みの思考まで退化した彼にとって一度理解したはずの人間の心というものは、すっかり抜け落ちていた。現代に降り立って数週間は酷く無神経な男だったことは、彼にとって苦い記憶である。だが、彼も決して馬鹿ではない。人間としての振る舞いは程なくしてできるようになった。その方が効率的であると悟ったのだ。そして、この日本で安息の地を築くためにはどうしても先立つものが必要なことにも気付く。人としての生活に努めた結果、この地マグロナルド笹塚駅前店に辿り着いたのだった。

 

 そこまでの経験で得れたものは、紛れもなく「人としての営み」だった。だが、それは人形との2人きりの生活に限られたもの。生活を共にし、生きるために役割分担をしてきた対等な関係。狩人に「赤の他人を動かす」といった経験は一切なかった。木崎は即座にそれを見抜いた。就職活動中に数々の面接を駆け抜け、他人を目上として扱う術は身に付いてきたが、自分と対等、もしくは目下の者に相対したときの態度が酷かった。それはもう猛烈に挙動の全てが右往左往していた。「人としての物心」というものが幼過ぎたのだ。

 

 だが、木崎自身も彼に何かしらの事情があることは理解していた。学歴一切なし、出身がイギリスであること以外詳細は不明、それでいて異常なまでの資格数、数十に及ぶ企業からの不採用等々……むしろ、怪しまない方が不自然というものだ。まあ、それが彼女の興味を引いたのは彼にとって嬉しい誤算だったというべきか。

 

 ともかく、木崎からすれば狩人の「職場における良好な人付き合い」を学ばせることは急務だった。故に、彼にSW-MGRという地位を与えたのだ。それを受け、狩人もアルバイト・パートの人間と触れ合い、徐々にその手に馴染ませていった。数日過ぎたころには「持ちつ持たれつ」という関係を理解するに至る。そうして、ようやく彼のマグロナルドでの日々が始まったのだった。

 

 

 

 

 

   ・

   ・

   ・

   ・

 

 

 

 

 

 そして、数ヶ月の月日が経った。

 

 「出会いと別れは突然訪れる」と言うが、実際それは多分に正しい。特にこれといった問題もなく、狩人のマグロナルド社員生活は順風満帆と言えた。その日も、日曜で多少は忙しかったが問題なく仕事を終えた。その後、給料で買った原付に跨り、夜の街をゆっくりと駆ける。頬に感じる風と共に充実感が胸に押し寄せるのを感じた。日雇いのバイトをしていた頃の狩人であれば「充実感で腹がふくれたら飯などいらん」と一蹴していたところだろう。しかし、それらは決して体ではなく、心を満たすものであると今の彼なら理解できる。そんな考えを巡らせるうちに、身を預ける目的地はすぐそこまで迫っていた。

 

 

「ん? 灯りが……」

 

 

 頭をあげれば、その重厚な存在感を放つ木造建築が眼に映る。我らが拠点にして、住居であるヴィラ・ローザ笹塚だ。見慣れた風景であるはずだが、その日は少々状況が違った。

 

 何故か、妙に明るい。狩人たちが住む部屋は2階の最奥のため、道路から灯りが見える道理はない。では、何故か。単純なことだ。我々のものではない部屋が明るいからだ。

 

 

「……大家か?」

 

 

 そうだとすれば、少々面倒だと狩人は顔をしかめた。別に大家が何かをしてくるわけではない。ただ、非常に失礼なことではあるのだが……視覚的なダメージが大きいのだ。初の邂逅の折、狩人は思わず口走った。

 

 

『啓蒙が……いや、これは発狂……ッ!?』

 

 

 啓蒙の蓄積。脳が宇宙的な存在の理解を深め、思考のレベルが上がる現象。その蓄積はいずれその者を世界の真理に到達させる。主に世の不可解な現象に触れたとき発現されやすいが、それはその者の知性によって大きく左右される。残念ながら彼は大家との遭遇で啓蒙を得られず、精神が現象を否定し、ちいさな発狂を発露させてしまった。最も、その進歩が人間としての幸せをもたらすなど有り得るはずもなく、むしろ精神の破滅を迎える者が殆どなのだから、彼はそれで良かったのかもしれないが。

 

 ともかく、彼も大家にはある程度慣れたが、率先して会おうとは思わない。面倒事はごめん被ると、足早に階段を登った。廊下へ続く扉を開け、灯りの点いた部屋を通りすぎ、颯爽と203号室の鍵穴に鍵を差し込んだが――。

 

 

「(開いてる……?)」

 

 

 几帳面な人形が掛け忘れるとは考えにくい。自身の帰還を見越して、わざとそうしたのかと首を捻る。この物騒なご時世にそんなことを、ましてや女性が一人で留守番をしている状況下でそんな行動に出るだろうか。不審に思いつつもドアノブを捻り、手前に引く。徐々に広がっていく景色に狩人は目を見開いた。

 

 

 

 ――そこに、人影はなかった。

 

 灯りは点いたまま、机には夕食が並べられている。人間らしい営みを想起させる光景。だが、そこに響くのは人の喧騒ではなく、針が時を刻む無機質な音だけだ。視覚と聴覚が噛み合わないそれは見る者に多少なりの不快感を抱かせた。

 

 

「人形……?」

 

 

 自然と言葉が紡がれた。無意識に発せられた声は小さく反響する。それが自身の鼓膜を叩いた時、初めて自分が声を出したのだと気付いた。

 

 ただ、それまでだった。返答してくれる人間はこの空間に存在しない。十中八九そうであるとを狩人自身も察していたが、どうやら口の方が出さずにはいられなかったようだ。だが、静寂を破ったことにより、目の前の光景が幻視の類いではないことを同時に理解した。自身の口を覆うように手を当て、俯くようにして思考する。

 

 

「大した用事ではないのか、それとも――」

 

 

 何か巻き込まれたのか。そう言い切る前に、足は歩いてきた道を反対に辿っていた。そのまま、突き当たりの出口から顔を出して、外の周囲を確認する。帰宅当初は、窓の灯りと大家に気を取られ、さっさと部屋へと向かってしまった。よって、今回は目星をつけるよう、改めてアパートの敷地内を見回すが、それらしい人影は見当たらない――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Xo(クシィオ) cou(コゥ)keallc(ケウクェルク) hkujh(フュクジフ) htij(フェティ) fopan(フォパァンヌ)?」

 

Jte(ジィトェ) ij(イィ) noh(ノゥ) paliyiouj(パルィオゥジュ). Ih(イヒ) ij(イィ) mkogen(ムコォゲン) zc(ズィシィ) paviy(ペァヴィ). anx(アンクス)――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――これは、なんだ?

 

 

 

 

 全身の毛穴が膨張する(感覚を研ぎ澄ませろ)

 

 

 焦点を欲するように眼球が這いずり廻る(何処から聞こえた)

 

 

 呼吸と脈拍による循環の放棄(素晴らしいじゃないか)

 

 

 脳が慟哭と歓喜を一緒くたに認識させる(知らない、もっと聞きかせるんだ)

 

 

 我が魂が、脈動を超える(あぁ、なんと香しき智慧なのか!)――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……理性を、思考に浸透させる(黙れよ無能、恥を知れ)

 

 

 

 

 

 

「……やりやがったな」

 

 

 額に手を当て、苦々しい表情で吐き捨てる。酷い自己嫌悪に狩人は陥っていた。

 

 啓蒙を得てしまったのだ。獣狩りの夜では、日常茶飯事であった啓蒙の増加。当時の狩人の精神力ならば、何も問題無いはずだった。だが、中途半端に脳が人間のものに変化した狩人にとって、啓蒙は毒以外のものではなくなった。正確には麻薬と表現すべきか。

 

 未知に触れるという行為は、上位者にとって数少ない愉悦であり、娯楽だ。ただ、昇華された思考の前では、事象の理解は刹那的なものであり、次の瞬間には既知の事実と成り果てる。だが、今の彼にその芸当は不可能だ。許容できない未知は脳を沸騰させ、事象の全貌が見えなければ見えないほど、爆発的な多幸感に変換される。前述の通り、上位者にとって「未知」とは一瞬的な快楽に過ぎない。だが、矮小な脳にその快感が延々と続く様を想像して欲しい。通常の人間なら、その多幸感を求め生きる亡者と成り果てるだろう。

 

 

「……一体何だったんだ」

 

 

 思考が数巡し、冷静さを取り戻していく。だが、握りしめられた掌には未だ嫌な脂汗が滲んでいた。今一度、思考をゼロへと還元すべく、深呼吸で体の火照りを誤魔化す。無意識に閉じられた瞼を上げると、そこは狩人(ジブン)にとっての日常が佇んでいた。そして、冷えた頭で再度思考する。さっきの言語(アレ)は一体何だったのかと。

 

 たかが、知らない言語を聞いただけで取り乱したりはしない。何かしら宇宙的な思惑が混ざっていなければ、説明がつかないのだ。ただ、頭を捻ったところで真実を得られないことも理解している。再度、上位者に戻りでもしなければ、現状のみで理解するなど不可能だろう。そう思うと同時に、如何ともしがたい感情が湧き上がる。屈辱、恥辱、悔恨……彼にとってはどの表現も正しい認識から僅かにズレているのだろう。現に狩人自身が抱いている感情を処理できていない。理解したところで、どうにもならないことなど解っている。その事実に、苛立ちが沸々と募らせるが、既に過ぎた事。考えるだけ無駄、切り捨てろと、自身に言い聞かせるように頭を振った。

 

 だが、答えは得た。帰宅当初から勘付いていたが、201号室(この部屋)に異変が起きていることは間違いない。そして、このタイミングで唐突な従者の失踪。ここまでお膳立てされて、無関係と言い切るほど狩人も無能ではない。大家がいるという線は消え、誰かが引っ越してきたと推測するのが妥当だ。一時的に思考は乱されたものの、その分収穫もあった。

 

 廊下の扉を閉め、音を立てぬようにして、201号室前まで歩を進める。ドアの前に立ち、少し視線をずらした。視界の中心に映るのは呼鈴。これさえ鳴らしてしまえば、全てが詳らかとなる。仮に、そこに人形が関わってなくても、少なからず先ほどの事象の手掛かりは得られるはず。メリットの方が多いのだ。そして狩人には隣人挨拶という訪れるための大義名分もある。何も問題は無い。意を決して、答えへと指を伸ばしていく――。

 

 

 

Ftah(フタァフ) hte() xeliyiouj(クセェリオゥイ)!! Ih(イフ) fill(フィリ) ze(ズゥエ) xeliyiouj(クセェリオゥイ) iw(イゥワ) cou(コォウ) axx(アクスィス) htij(フティ) poke(ポォク)?!」

 

「何をするんですか?! お止めください!!」

 

 

 壁越しに、怒号が飛び交った。刹那、伸ばしていた右手を脇を締めるよう引っ込ませ、左足を軸に体を捻る。回転の勢いを殺さず、振り上げ、屈伸させた右足を正面へ。そして、溜めていた息を吐き出すと同時に、膝を瞬間的に一直線に前方へと突き出した。目の前の障害物を正面へ吹き飛ばすために繰り出された渾身の回し蹴りは、木造の扉を施錠など関係ないとばかりに突き破る。吐き切った息を再度、吸い込んだ後に、悲鳴にも似た従者の声に呼応するように狩人は叫んだ。

 

 

「おい人形(マリア)!! 一体なにが、あっ……た……?」

 

 

 最初こそ、勢いがあった。だが、自身の眼前に広がる光景を捉えた瞬間に声量が萎びていく。そして、正しくそれを認識するや否や、心に燃えていた怒りや焦燥は冷や水を浴びせられたように鎮火した。同時に、頭の中には困惑と混乱が支配し始めた。無理もない話だろう――。

 

 

 

 

 

 そこには――

 

 

 

 

 

 箸を持ったまま硬直する青年が――

 

 

 高々と醤油の容器を掲げる青年が――

 

 

 それを取り押さえようとする自分の従者が――

 

 

 

 

 

 

 全員が一様に、こちらを凝視したまま固まっていたのだから。

 

 

 

 

 




 説明パートが長すぎて疲れた……。

 今回はエンテ・イスラ語を書きたいだけの人生でした。小説版であれば、普通に二重カッコで表現されていたんですが、アニメ見たら「これは書かねば面白さが伝わらぬ!」と奮起しましたので、このように執筆させて頂きました。狩人が理解していないっていうのもありますし、どの道ではありましたが書いていて非常に楽しかったです。

 どうやら、英語でアルファベットを「AZYXEWVTISRLPNOMQKJHUGFDCB」の順に並べ替えて、英文にしたものがエンテ・イスラ語になるらしいですね。エンテ・イスラ語翻訳サイトがあったのでそちらを参考にさせて頂きました。ネタバレになっても構わないという方は、そちらの方に分を突っ込んでいただければ、今回の魔王たちの会話内容が分かるかもです。


※6/12
誤字修正しました。報告感謝します!


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