逃げ水の鎮守府-艦隊りこれくしょん- (坂下郁)
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Mission-1 追いかける男
01. メイド服と元提督


失くした物を取り返すには、得た時の何倍もの努力が必要になる。それでもそうせずにはいられない、一人の元提督と艦娘の物語。


 防波堤に腰掛ける一人の少女。その横には幾匹かの魚が入った、フタのついた大きな黒い飯盒がバケツ代わりにされている。慣れている、とは到底言えないおっかなびっくりな手つきで餌をつけ、ひょいっと釣り糸を海へと投げ入れる。

 

 「はぁ…急になめろうが食べたいとか言い出すなんて。でも、こうやっていそいそと釣りに来ちゃう私も私ですね」

 

 なめろうとは、房総半島沿岸に伝わる郷土料理でたたきの一種。青魚の三枚おろしを捌いた上に味付けの味噌・日本酒とネギ・シソ・ショウガなどを乗せ、そのまままな板の上などで、包丁を使って粘り気が出るまで細かく叩く、漁師料理が原型ともいえる料理だ。その調理法から、使う魚の鮮度が命とも言える。

 

 釣りをしている彼女は、依頼したであろう人物について愚痴をこぼしながらも、クスクス微笑み始める。まんざら悪い気もしないのだろう。おそらくはなめろうに舌鼓を打つ依頼主の姿でも想像したのか、紅い瞳が嬉しそうな形に変わり、長い桃花色の髪の毛を頭の左側で片括りにしたサイドテールが揺れる。

 

 白露型駆逐艦五番艦 春雨。

 

 その服装はおなじみのセーラー服を模した制服ではない。頭にホワイトブリムをつけ、フリルで飾られた白いエプロンを付けた、いわゆるメイド服だ。バレンタインデーにも着たことがある格好だが、今は季節が違う。半袖にフリルのついたミニスカート仕様だ。すらりと伸びる脚は膝上まである黒いストッキングで覆われているが、その形の良さは隠しようがない。いずれにせよ釣りに似つかわしくないのは確かだが、本人は気にしていないようだ。

 

 「これだけあれば十分ですね、はい」

 

 それでも5匹目の魚を釣り上げ、悪戦苦闘しながら釣り針を外しバケツに放り込もうと体をひねると、妙なものが視界に飛び込んできた。

 

 「にゃあ…にゃあ!…にゃ?…にゃぉん!?」

 

 四つん這いで近づいてきた少女が、魚を盗もうとしている。緑色の襟がついたセーラーの上着にホットパンツ、薄い紫色の髪、どうみても猫ではない。

 

 目が合う。

 

 「猫です。多摩じゃないにゃ」

 「や、やめて~!」

 

 どこから見ても球磨型軽巡洋艦二番艦の多摩である。確かにこの防波堤は鎮守府に近く、野良多摩が出没しても不思議はない。

 

 慌てた春雨がバケツ代わりの飯盒を抱きかかえるように盗難を防ごうとした拍子に、手にしていた魚が手を離れ海へと放たれてしまった。魚の行方を目で追っていた多摩は、つられて海へ向かって飛び込んでいった。

 

 派手な水音を背に、春雨は釣り道具を片づけると、魚が4匹入った飯盒を携え、防波堤を後にし、鎮守府とは反対の方向へと歩いてゆく。

 

 

 

 歩くこと15分、さびれた港の商店街を抜けると、木々に囲まれた小さな寂れた神社がある。神職が不在になり随分経つのだろう、至る所が荒れている。春雨は神様の通り道の真ん中を避けて鳥居をくぐり、玉砂利の敷かれた参道を歩き拝殿へと進む。なめろうの依頼人は拝殿の廊下にだらしなく横になっていた。

 

 「戻りましたよ南洲(ナンシュー)、…罰当たりな格好ですね、あなたは」

 呆れたように春雨が言う。拝殿の廊下に斜めになって横になり、片足は廊下の縁からだらんとおろし、もう片足はブーツのまま廊下に置かれている。自分の右手を枕にし、気だるそうに首だけを動かし春雨の方を見る。姿勢のことをさておけば、短く揃えられた髪型にサングラス、大柄で筋肉質な体型と日に焼けた浅黒い肌は、モルスキンのカーゴパンツとレザーのライダースジャケットと合わせ、精悍な印象を与える。

 

 「気にすんな春雨(ハル)。この神社はとっくに廃れてる。神様御不在ってやつだ」

 

 春雨は肩をすくめてやれやれという表情を浮かべる。

 

 「すぐに用意しますので待っててくださいね」

 境内に勝手に乗り入れたハンヴィーから調理道具を取り出す春雨。まだ生きている手水場(ちょうずば)へと魚を持っていき、そこで捌きはじめる。釣りとは対照的に、慣れた手つきで鱗を落としゼイゴを取る。内臓もきれいに取り除き、手水場の湧水で魚を洗う。この二人、どちらも確実に罰当たりだ。

 

 「神様に怒られるよりも、私は南洲がお腹を空かせてる方が嫌ですから」

 

 なめろうの調理自体は難しくない。とんとんとんと魚を叩く音が境内に響く。

 

 「さぁできましたよ、私も一緒にいただいてもいいですか」

 日本料理は目でも楽しむというが、せっかくのなめろうが盛られているのは軍支給のアルミ皿だ。実に味気ない。南洲と呼ばれた男は、体を起こすと、あごで車を指す。春雨がいそいそと車に行き、日本酒と、これまたアルミのカップを持ってくる。が、渡さない。

 

 「…飲みすぎないって約束してくださいますか?」

 背中に酒瓶とコップを隠し、じっと南洲を見つめる春雨。

 

 「…結局飲むのに、毎度毎度このやりとり必要か? お前は俺の嫁かよ…まぁいいや、約束するよ」

 言いながら手を差し出し催促する南洲。『俺の嫁』の言葉で、春雨はむしろ顔を赤くしながらお酌を始める。

 

 時ならぬ神社での宴。拝殿の廊下に膝を開いた横座りで座るミニスカメイド服の春雨と相変わらず寝そべっている南洲。二人の中央にはなめろうと日本酒が置かれている。春雨のその姿勢では、南洲からミニスカートの中が見えそうだが、うまい位置に置かれた日本酒の四合瓶が南洲の視線を遮る。

 

 

 槇原 南洲(まきはら よしくに)、通称ナンシュー(そう呼ぶのは春雨だけだが)。

 

 彼はかつて泊地はおろか警備府にも届かない、小さな前線基地の司令官だった。統治期間の前半は春雨、時雨、白露、村雨、青葉などを中心とする部隊、後半は扶桑、妙高、羽黒、飛龍、蒼龍を中核とする部隊がそれぞれ配備され、作戦目標となる渾作戦遂行のため、前線基地にしては過剰ともいえる戦力が配備されていた。戦況は日に日に激しさを増す中、それは起きた。

 

 その夜、彼の基地は急襲された。既に深夜であり混乱の中反撃もままならず南洲自身も瀕死の重傷を負い、多くの艦娘が犠牲となった。深海棲艦の攻撃か、それとも事件か事故か、あるいは艦娘の反乱か…原因は判明せず、結局謎は謎のまま、体面を重んじる艦隊本部の命により南洲のいた基地は閉鎖された。

 

 

 死の淵から生還した南洲は、軍の諜報・特殊任務群と呼ばれる特務部隊に所属することとなった。表に出ない()()の遂行と、技術本部の開発した新兵装の試験で機能効果の検証を行う。南洲は汚れ仕事を請け負う『狗』として、春雨を唯一のパートナーに、いつ終わるとも知れない殺し合いの日々を送る。

 

 自分たちを襲った敵を追い求め復讐を果たし、生き残った艦娘のためもう一度安住の場を取り戻すこと、それだけを心の支えにして。



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02. 狗の仕事

南洲と春雨の『仕事』が始まる。


 『狗』。

 

 小さな犬、卑しいもの、取るに足らないもの。

 

 槇原南洲(ナンシュー)は特務大尉の肩書を持つが、多くの人から『狗』と呼ばれる。叶うかどうかも分からない提督への復帰、その願いを捨てきれず利用され、色々ある()()の中でも、誘拐、脅迫、などの汚い仕事-もちろん暗殺も含まれる-を押し付けられ、生と死の瀬戸際にいることが多い。彼自身、かつて自分の基地を襲った敵の情報、それも表に出ないものを集めるため特務部隊に属することを良しとしており、その意味ではお互いの利害が一致しているとも言える。

 

 南洲は()()をしくじったことはない。彼自身の()()()能力に負うところも大きいが、彼を支える春雨の存在が大きい-それが部隊内での一致した見方だ。

 

 人の身とは異なる艦娘、その能力そのままに、特務部隊への異動後に春雨が身に着けた刀術と体術。人間に比べはるかに高い身体能力を持つ艦娘とはいえ、もとより穏やかな性格をしている彼女にとって決して楽なことではなかったが、ひた向きなまでに努力を重ねるとすぐさま結果に現れる。わずか1年も経たず、彼女の技量は教官を追い抜き、部内でも指折りのものに昇華された。

 

 そうなると、南洲から春雨を取り上げ自分のパートナー(仕事道具)に、という者も出てくる。そういう輩は少なくはなかったが春雨が頑として首を縦に振らない。ある時、春雨に目を付けた少佐がいた。それにしてもこの少佐はしつこく、役割以上に春雨に対し劣情の目を向けていたのは明らかだった。春雨と南洲が暮らす宿舎の部屋までわざわざ押しかけ、執拗に自分と組めと迫る。春雨は、招かれざる客に相対するためドアを少しだけ開けてすり抜けるように外に出る。紅の瞳に昏い陰を宿しながら、誰に言うともなく発した言葉は---。

 

 「私は、司令官を…南洲を…今度こそ護るんです。なんで邪魔をするのですか…?」

 

 そう言い放ち、腰の後ろに隠し持っていた短剣を抜き少佐を刺殺しようとした。古来より確実を期すなら斬より突、そう言われる。肉を切るだけに終わる怖れもある斬撃より、内臓を確実に貫き死に至らしめる刺突-つまり春雨には一切のためらいが無かった。

 

 初撃は躱された。少佐が優れていたのではない、来客かと南洲がドアを開け、春雨が体勢を崩したからだ。間髪入れずに少佐が走って逃げだし、無言のまま春雨がそれを追いかける。

 

 南洲はすぐさま事態を把握し、突進する春雨を追いかけ追い越し、少佐との間に割って入る。

 

 背後から少佐を引き倒した勢いで体を回転させ向きを変え、左の掌を短剣に刺させる。そのまま刃は掌を貫通し、勢い余って体ごとぶつかってきた春雨を抱き止める。この間わずか数瞬。南洲がいなければ、この少佐は命を落としていただろう。

 

 「どうして邪魔をするんですか、南洲?」

 「お前にこんなくだらないものを斬ってほしくないんだ、春雨(ハル)

 「斬りません、刺すんです。確実に仕留めなきゃ、あなたを護れない…」

 

 

 騒ぎを聞き駆けつけた人々が目にしたものは、腰を抜かし失禁している少佐に目もくれず、無理矢理刺突を素手で食い止め血まみれになった南洲の左掌を愛おしそうに頬に当て、流れ落ちる血で自らを濡らす春雨の姿だった。

 

 「忠誠も度が過ぎれば狂気と変わらぬ。狗にふさわしい狂犬ぶりよ」

 

 それ以来、南洲と春雨のコンビに口を挟む者はなくなった。もとより南洲と春雨は、例の閉鎖された基地以来の上司部下であり、美しく言えば一心同体、有態に言えば共依存とも言える関係である。半端な考えで他者がこの二人の間に割り込むことは血を見る、周囲にそう訴えるのに十分な出来事だった。

 

 

 

 話を戻そう。

 

 気配に気づいた春雨が、いつでも飛びだせるよう腰溜めに身をかがめる。なめろうをつまみに酒を啜る南洲は、わずかに眉を動かし、春雨を制止する。南洲は起き上がると、拝殿の廊下に座り直す。手には日本酒の瓶がある。

 

 「ちっ…切れたか。よう、そこに隠れてるヤツ。できれば辛口の純米酒でも持ってねーかな?」

 

 

 隠れている気配に気づいている事、とりあえずはこちらに戦う意思がない事、それらを暗に伝え、向こうの茂みに隠れている誰かに、姿を現すよう促す。

 

 がざがさと茂みが揺れ、一人の長身の女性が現れる。長い金髪に引き締まった体躯、それでいて女性らしい曲線やふくらみも十二分に併せ持つ彼女が、凛とした表情を崩さずに近寄ってくる。それを見た春雨は素早く拝殿の廊下を下り、近づく女性と南洲の間に立つ。

 

 「私はビールかワインなの、残念ね。手土産にと思ってプリンツレゲンテントルテを持参したけど、嫌とは言わないわよね?」

 

 ビスマルク級超弩級戦艦のネームシップ、ビスマルクだ。持参した土産を見せるように、ひょいと紙包みを持ち上げながら、じゃりじゃりと玉砂利を鳴らしながらこちらに近づいてくる。

 

 「へぇ…ドイツ娘の私服姿というのもなかなか新鮮だな」

 南洲が軽口を叩きながら話しかける。

 

 「さすがにあの格好(艤装)で街中を歩けないでしょう? …おかしいかしら、プリンツに頼んで選んでもらったんだけど?」

 自分で自分の体をチェックするように、右に左に顔を動かし自分の服を眺めるビスマルク。その間も歩みは止めず、拝殿すぐのところまでやってきた。

 

 「生憎俺は服よりも()()にしか興味が無くてね」

 平然と言い放つ南洲。これではプリンツも服を選んだ甲斐がない、ビスマルクも春雨も苦笑する。

 

 「へぇ…貴方のパルトナーは春雨なの? とても強そうには見えないけど…。まぁ、メイド服(そういう姿)も悪くないわね、可憐だわ。ねぇ、ハグしてもいい?」

 「ハグ、ねぇ………まあいいけど。コイツ、可愛い顔してるけど、噛むぜ」

 

 -ピクリ

 春雨の肩が動く。も、もう一度言ってくれませんか、南洲?

 

 南洲の言った『可愛い顔』の言葉に反応してしまった春雨は反応が遅れた。その間、するすると近づいてきたビスマルクに、春雨は身をかわす暇もなく正面から抱きかかえられそうになった。

 

 「そのようね。こんな立派な牙を隠しているから、いつ飛び掛かられるかとヒヤヒヤしていたのよ」

 

 ビスマルクは春雨を抱きしめるような仕草をしながら、後ろ手に短刀の柄を握る春雨の右手を左手で掴み、勝ち誇った笑顔のままぎりぎりと手に力を込める。

 

 「ドイツ人が初見の相手にハグなんかする訳ねーだろ。だが、春雨がこうも簡単にあしらわれたのは初めて見たよ。さすが友邦ドイツの誇る歴戦の戦艦様、というところか。けどよ、その辺にしといてくれねーかな、俺もいつまでも笑ってられないからさ」

 楽しそうにしゃべる口調とは裏腹に、南洲の左手に握られた拳銃は、ビスマルクの頭部に狙いを定めている。

 

 「誰のせいだと思ってるのですか、全く。こういう場面で私を褒めないでください…その…反応してしまいますから」

 赤い顔をしながら、ビスマルクなど眼中にないかのように南洲に視線を送る春雨。そう言いながら、左手に持った別な短刀をビスマルクの顎に突き付けていた。

 

 ビスマルクは一向に怯むことなく、むしろ感嘆したような面持ちを見せる。さすがにもう春雨から手を離し、少し距離を取る。餞別と言わんばかりに、持参したプリンツレゲンテントルテに結んだ手持ちの紐が、春雨の右手の短刀の柄に掛けられている。

 

 「凄いのね、二人とも。特に大尉が拳銃を抜いたのには全く気付かなかったわ。…まぁ、それが艦娘相手に役に立つかどうかは別だけど、見事なクイックドロウね」

 

 南洲はそれに答えず、銃を腰のガンホルダーに仕舞う。ビスマルクから距離を取り短刀を仕舞った春雨は、改めてその手に短刀を握り、ビスマルクをけん制している。

 

 「そろそろ本題にはいろうぜ、ビスマルクさんよ」

 円満にお互いの力試しが終わって気が済んだだろ、さっさと本題に入れ-南洲はビスマルクを急かす。ビスマルクは動じることもなく、顎に手をあてながら意味ありげに思案するような表情を浮かべ、話を切り出す。

 

 

 「それもそうね。既に依頼内容は知っていると思うけど、私たちの鎮守府の提督と秘書艦を殺してちょうだい。私がその手助けをするわ」

 



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03. 狂気と驚喜

ビスマルクの語る鎮守府の闇。南洲と春雨のコンビが狂気と驚喜に揺れる。


 提督の暗殺-それが今回、南洲と春雨に与えられた()()だ。特務部隊のいかすけない責任者からの話を南洲は思い出す。

 

 『今回の作戦目標は対象者の抹殺、その過程で大尉が()()()()()()()()()()()()得た情報について、我々は一切関知しませんよ。仲間殺しは手慣れたものでしょう? …とは言いながら、大尉も随分働いてくれてますからね、それに免じて一つだけ助言してあげましょう。復讐と復権、望むのはどちらか一つにするべきですね』

 

 

 

 「ビスマルク、確実な仕事には確実な『準備』が必要だ。そのためにわざわざ顔を出してくれたんだろ?」

 南洲は空になった四合瓶を引っくり返し、いじましく底に残った滴を味わおうとしながら問いかける。

 

 そんな南洲の姿を内心浅ましいと嫌悪感を覚えつつ、ビスマルクは、表面上平静を装って答える。

 

 「それもそうね。まずZielscheibe(標的)は、提督よ。この男が諸悪の根源ね。このScheiße(クソッタレ)は、酒に酔うと艦娘を部屋に呼びつけて朝まで弄ぶ性癖の持ち主。私たちにだって痛みを感じる体と守るべき誇りはあるのよ…。それよりも…毎日午前5回の演習、こっちの方がより深刻ね。これで何人の艦娘が轟沈したことか…」

 

 「…演習で艦娘が死ぬ? どういうことだ」

 話の前半部分に不快感を覚えながら、南洲はビスマルクに対し後半部分への疑問を口にする。そうしながら、四合瓶に見切りをつけその辺に放り投げる。ビスマルクは肩をすくめながら答え始める。

 

 「…そうね、あなたの疑問は正しいわ、大尉。でもこのverrückt(イかれた男)は違う。実戦感覚を研ぎ澄ます、とか言って実弾でしか演習を認めないのよ。当然、命中すれば最悪沈むわ。だからみんな相手を沈めないギリギリで時間切れ大破になるよう、必死に殺意を装って頑張ってる。それでも上手くいかない時もある…悲劇よね…。敗残の艦娘には様々な罰が待っているけど死ぬよりはマシだし…。そして秘書艦は、夜伽(ヨトーギ)…? の手配、実弾演習の部隊編成、嫌がる艦娘への脅迫、負けて生き残った艦娘への懲罰など、見事に一心同体で鎮守府を運営しているのよ」

 

 「同じ嗜好なのか、恐怖に縛られているのか、洗脳されているのか…何にしてもイヤな一心同体だな」

 拝殿に寄りかかりながら、サングラスの位置を直す南洲とその横に立つ春雨。

 

 ビスマルクの話が熱を帯びてくる。

 

 「…私たちドイツ艦隊の指揮権が日本海軍に移譲された途端、やつの態度は豹変したわ。真っ先にこの私にヨトーギを命じてきたのよ。もちろん私たちは誇り高きKriegsmarine(ドイツ海軍)、卑劣な命令に従う訳がないでしょう。そして今、プリンツの安全、マックスとレーベを演習で殺し合わせることを盾に取って私に言うことを聞かせようとしている…! 大尉、これがサムライの国のやり方なのっ!? ブシドーっていうのは昔話なのっ!?」

 

 忌々しそうな表情を隠そうともせず、右の拳を左の掌に叩きつけ、南洲と春雨を睨みつけ叫ぶビスマルク。それに対し、口元を歪めた冷笑を浮かべ、南洲が彼女の悲鳴にも似た激情を斬って捨てる。

 

 「どこの国にも、どこの軍にもクズはいる。ただそれだけのことだ。そんなに悔しいなら、ご自慢の38cm連装砲でその提督を撃ち殺せばいいんだ。諦めることも抗うこともできず、俺達のような部外者に泣きついたくせに誇りだなんだとご立派なことで。お前みたいなやつを…なんだっけ…LIAM(負け犬)って言うんだろ?」

 

 その言葉を聞いた瞬間、ビスマルクの感情は爆発した。春雨の存在などお構いなしに南洲に一気に詰め寄り、胸倉を掴み持ち上げる。185cmある南洲の体が宙に浮く。一瞬とはいえ油断した先ほどと違い、あまりの速さに春雨が全く反応できなかった。

 

 「なんですってぇーーーっ!! あなたね、 言っていいことと悪いことがあるのよっ!! ………な、なによ…そんな言い方しなくても…」

 

 そこまで言うと、力なく南洲から手を離し、地面に座り込む。そしてぐすぐすと泣きはじめ、最後にはわんわんと大泣きしているビスマルク。凛とした見た目とは裏腹に、繊細な少女の心は南洲の情け容赦ない言葉に耐えられなかった。

 

 

 「…南洲、言い過ぎですよ」

 春雨がぼそりとつぶやき、責めるような目を南洲に向ける。サングラスをかける南洲の表情はよく分からないが、はぁっとため息をつき、首を二、三度横に振った。自分の失敗を認めたようだ。

 

 「まだ必要な情報を聞きだせていないのに、泣かせてしまって…」

 自分たちの仕事に有益な情報を取れなかったことで南洲を責める春雨。南洲の言葉は確かに厳しいが真実である。それに、ビスマルクを傷つけたというなら、それは南洲ではなくその提督だ。ある意味では、南洲はビスマルクが鬱屈とため込んでいた感情を吐き出させる機会を与えたとも言える。ただそのやり方が乱暴だったのは否めない。

 

 春雨はビスマルクに近づくと、儚げな表情を浮かべ地面に座り込む彼女に目線を合わせるようにしゃがみ込む。

 

 「ビスマルクさん、私にはあなたの気持ちが全部分かるとは言えません。でもあなたはそんなことを望んでいないかもしれませんね。だってあなたが私たちに頼ったのは、自分のことじゃなく、他の艦娘のためなんですよね? あなたはどこまでも誇り高い方です、はい」

 

 自分より大柄のビスマルクを、前からそっと抱きしめる春雨。春雨の言葉にハッとしたような表情を見せ、先ほどとは違う種類の涙を流し続けるビスマルクの表情が徐々に穏やかなものになってゆく。が、ふと目が合った南洲に対しては思いっきり舌を出しベーッという顔をする。

 

 「…Danke schön(ありがとう)、春雨。それがあなたの強さなのね、さっきは失礼なことを言ってごめんね…。あなたは、そこに突っ立っている unverschämter Kerl (無礼者)にはもったいないわ」

 

 所々混じり込むドイツはよく分からないが、少なくとも好意的な言葉でない事だけはニュアンスで分かる。だがどうでもいい。唇の片側だけを軽く上げ笑う南洲は、脱線を続ける話を本題へ戻そうとする。

 

 「…もう少し具体的な情報をくれ。その場にいるヤツしか分からない、生きた話だ。何でもいい、それが役に立つかどうかは俺達が判断する」

 

 先ほどよりは多少マシになったが、腕を組みながら切り口上でビスマルクに問いかける南洲。きれいな形の顎に指を当て、色々思い返すビスマルクから提督の生活リズム、好みの酒やたばこの種類、キレるポイント…些細だが様々な情報が齎される。

 

 「そういえば、なんだっけ…そう、マスオ式マリッジ? ケッコンを機に相手の姓を名乗り始めたって。この鎮守府に着任した時だっていう話だけど、以前は確か…ツジマサって名字のはず。秘書艦は…生え抜きじゃないわね、割と拠点を転々としてる娘…重巡洋艦のハグロよ」

 

 南洲と春雨、二人の顔色が変わる。先に口を開いたのは春雨。複雑そうな表情で南洲のレザージャケットの右袖を掴み、躊躇いがちの口調で呼びかける。

 

 「南洲、辻柾って…」

 

 南洲は春雨の言葉に答えず、こみ上げる何かを耐えるように肩を震わせながら、ビスマルクに問い返す。

 

 「ツジマサだと? 辻柾伸彦(つじまさ のぶひこ)のことか?」

 「え、ええ…。下の名前はノブヒコって言ってたわよ」

 「…ククッ、そういうことかよ。こんな所に隠れていたとはね」

 「何、もしかして知り合いなの? 今さら降りるなんて言わないでしょうね?」

 

 立ち上がったビスマルクは、腰に両手を当て少し前屈みになり、やや不機嫌そうに南洲の顔を覗き込むと、すぐにそれを後悔した。こんな不愉快な笑顔を見たことがない。驚喜と狂気で歪んだ顔。サングラス越しの目が赤く光ったような気さえした。

 

 「…分かった、ビスマルク、お前にも協力してもらう。作戦開始はマルマルマルマル、提督とその秘書艦の()()に当る。言っておくが、何が起きても後悔するなよ」

 

 提督のあまりの非道ぶりに、駐日ドイツ武官のツテでたどり着いた特務部隊に助けを求めたのは確かにビスマルク自身だ。だが、嬉しそうに胸の前で小さく手を叩く春雨と、歪んだ笑みを浮かべる南洲を交互に見やり、ひょっとしてこの依頼自体が間違いだったのではないか、そんな悪寒にビスマルクは襲われた。



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04. せめて私だけでも

作戦開始直前。南洲と春雨、2人のつかの間の時間。そして、南洲の過去と能力が少しずつ明らかになる。


 いわゆる()()が無い時、南洲と春雨は大本営内の諜報・特務任務群の棟内か宿舎にいるが、任務が始まるとその終了まで独立した動きを取る。1日で終わる任務もあれば数週間に渡る任務もあり、作戦活動中の自己完結能力確保のため、南洲はM997(野戦救急車型)M998(兵員貨物輸送型)の中間的な設備を持つハンヴィーを移動拠点として使用する。6人から8人の輸送収納が可能な広さを有するこの軍用車両は、二人にとって第二の住処ともいえる。そして今回も、廃れた神社の境内に乗り入れたハンヴィーがベースキャンプとなっている。

 

 「はい、どうぞ。春雨特製、麻婆春雨。たっ、食べて!」

 

 時刻は1900(ヒトキュウマルマル)、ビスマルクは既に鎮守府に戻っている。今は南洲と春雨、二人だけの時間であり、夕食の時間だ。自分の名前が含まれるメニューを敢えて作り、意味深な言い方で出来立ての麻婆春雨と炊き立ての白米を南洲に差し出す春雨。

 

 「ん、さんきゅ。じゃぁ遠慮なく()()()()食べるとするか?」

 日は暮れ、森に囲まれた神社の境内は南洲たちが起こした焚火以外に灯りはない。南洲もすでにサングラスを外し、昼間ビスマルクに接していたのとは打って変った優しい目付きになり、くだけた口調で春雨に応じている。

 

 作戦活動中の軍人の食事と言えばレーションと相場が決まっているが、これについては春雨がよほどのことがなければ認めない。あくまでも自分が作った食事を三食南洲に用意すること、それが春雨にとって大事なルールとなっている。

 

 「も、もう、南洲ったら…」

 焚火に照らされているので顔色の変化は分からないが、それでも春雨が恥ずかしそうな嬉しそうな表情をしているのは誰の目にも明らかだろう。メイド服を着た桃花色の長い髪の少女は、自分が作った食事を黙々と、それでいて健啖に食べ進む体格のいい軍人を満足そうに眺めながら、自分も箸を進め出す。

 

 

 

 「ねぇ南洲、本部からの指示は対象者(提督)の暗殺でしたよね? ビスマルクさんの話とは少し食い違いがありましたけど?」

 食後に用意したジャスミンティーの入ったマグカップを膝に置き、春雨は南洲に話しかける。ビスマルクが依頼した提督と秘書艦の暗殺に対し、本部からの指示は提督の暗殺。その違いを春雨は指摘する。

 

 「女の敵は女、ってやつじゃねーの? 指揮命令権上明確に上位にある提督からの無理難題と、秘書艦とはいえ本来同じ立場にある艦娘に強制されるそれでは、受け取る側の感情がまるで違うんだろう…。本部にとってもあのイカれた辻柾の行動は看過できないが、戦果は挙げているようだしなかなか手を出せなかった。そこでビスマルクの願いを聞き届ける態で暗殺が指示された、ってところか。艦娘同士の事は艦娘同士で勝手にしろ、ということだろうな」

 ビスマルク、というよりは鎮守府内の他の艦娘達の心理を忖度しながら、南洲もジャスミンティーを飲みつつ答える。

 

 後部ハッチを開け放ったハンヴィーのカーゴルームに隣り合って腰掛ける二人。その距離を少しずつ春雨が縮めてゆく。それに気づいていても南洲は何も言わず、春雨のしたいようにさせている。

 

 春雨が南洲の左肩に頭をつける。残念ながら南洲との身長差が大きく、春雨が望むような、肩に頭を預ける、という訳にはいかないのが、彼女にとって悩みの種でもある。

 

 「要は二人が鎮守府からいなくなればいいんだ。抹殺も排除も結果としては同じことだ。羽黒があの羽黒なら回収する。そもそも俺の部下なんだしな。辻柾には俺の知りたいことをどんな手を使ってでも全て吐いてもらう。その後? …お前が気にすることはないさ」

 

 羽黒を自分の部下、と言った南洲の言葉に悲しそうに目を伏せる春雨。どれだけ時間が経っても、南洲(この人)の心は過去に縛られている。ふとした時に見せる優しさ、彼の本質はあの頃と何も変わってない。けれど、とっくに全ては変わっているのに。(春雨)自身も同じではない。そんな優しい南洲が自分自身を傷つけながら戦いに身を投じるなら、せめて私だけでも傍にいよう―――。

 

 春雨は頭を南洲の肩に付けたまま、彼の腕に強くしがみ付く。

 

 

 かつて『渾作戦』と呼ばれる、深海棲艦の勢力下にある海域での強行輸送作戦が企図され、作戦遂行およびそれにより生起する海戦の勝利、事後の海域支配のため設置された前進基地があった。今はもう存在しないその前進基地こそ南洲が率いていた場所であり、羽黒はその主力を成す高練度の重巡であった。

 

 春雨の暖かさを左腕に感じながら、南洲はその視線を消えかけている焚火へと彷徨わせている。今回の目標は、すでに南洲にとって鎮守府の提督ではない。ある日突如として行方を眩ませた作戦参謀の辻柾信彦。この男には、何が何でも確認しなければならないことがある。

 

 

 

 -2330(フタサンサンマル)

 

 鎮守府の西側に広がる森林の中。鬱蒼と茂る木立の間を抜け、南洲と春雨は身を潜めながら前進を続ける。もう少しで、鎮守府の正門が窺える位置まで進出できる。

 

 春雨は、昼間の服装とは微妙に異なり、戦闘に備え肌の露出を避けた長袖と膝丈のメイド服を着ている。動きにくいだろうに、との指摘もあるだろうが、艦娘の運動能力を考えれば大きな問題ではないのだろう。既に艤装を展開している春雨の姿は、彼女を艦娘だと知らなければ異様なものだ。深夜の森を行く、背中に大きなHトップの煙突を背負い、左手には砲塔を備え、右手には肩に巻かれた鎖から繋がる白い棘鉄球(モーニングスター)を持つメイド服の少女。状況に応じて飯盒や鎖で繋いだドラム缶を打撃や投擲に用いる春雨だが、今日は本気の装備だ。

 

 その春雨の後方から南洲が進む。さすがに夜間の今、サングラスは勿論つけていない。昼間とは異なる、NWUパターンのMCCUU(海兵隊コンバットユニフォーム)を少し改造した戦闘服にタクティカルベストとヘッドギアをまとい、左腰に吊るしたガンホルスター以外は目立った武装は装備していない。

 

 「さあ春雨(ハル)2355(フタサンゴーゴー)になったらビスマルクが合図をする。それと同時に、正門から突入だ。鎮守府の平面図は頭に入っているな? 正面入り口から廊下を直進した後、階段を上がり2階奥の提督室を目指す。辻柾と羽黒は発見し次第拘束し連行。邪魔する奴は全て倒せ。30分以内に全て片づけるぞ、いいな?」

 

 春雨が無言でうなずきながら、エプロンのポケットから液体の入ったアンプルを2つ取り出し、パキッと先端を折る。その傍らで南洲は、右袖を肩で留めている4か所のボタンを外し、袖を外す。夜目にも鮮やかな白い右腕がむき出しになり、その肩は厚手の包帯のような布で幾重にも巻かれている。

 

 「南洲」

 

 春雨はアンプルの一つを南洲に渡し、自分も残った一つを飲み干す。南洲は少しの間だけアンプルを眺めると、嫌そうな表情で飲み干す。反応速度に運動能力や筋力、そして感覚を強化し、戦闘能力を一時的に大幅に向上させる。そして何より―――。

 

 「ったく、何で必要ないのにお前までアンプルを飲むんだよ? 止めろって何度も言ってるだろうに…」

 

 艦娘である春雨は、混合薬物(カクテル)のアンプルを口にする必要は本来ないし効果もない。南洲を守るためでも、汚れ仕事に手を染めるには彼女の性向は穏やか過ぎ、思いやりや理性から生じる躊躇を少しでも振り切るための自己暗示(プラシーボ効果)に過ぎない。またその優しい性格ゆえ、苦しみながら戦い続ける南洲を見るたびに、少しでもその痛みを代わりたい、代われないなら同じ痛みを分け合いたいという純粋な思慕が、彼女をそうさせる。

 

 現実逃避と愛情が綯い交ぜになった複雑な感情に、春雨もまた深く飲まれてゆく。

 

 そんな春雨の姿に悲しそうな視線を向ける南洲の両目は、赤く輝く右目と漆黒の左目から成っていた。昼間にビスマルクが感じた、サングラス越しに赤く光る南洲の目。それは単なる感覚ではなく事実だった。

 

 「ご武運を」

 

 春雨が言葉を掛ける。それをきっかけに、南洲が自らの右肩に巻かれている厚手の包帯のような布を、浅黒くゴツゴツした左手で乱暴に引きはがす。右肩から先、指先に至るまでの右腕全体は真白く、まるで他の誰かの腕を接ぎ木したような違和感を見せる。そしてその白い右腕は、夜目にもはっきり分かるほど輝き始めた。



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05. 侵入者二人

鎮守府に突入する南洲と春雨。ビスマルクの計画は既に漏れていた。待ち伏せを受け、春雨は南洲を守るため戦闘を開始する。


 -2355(フタサンゴーゴー)

 

 突如、鎮守府の裏手から打ち上げ花火が立て続けに打ち上げられる。これがビスマルクのいう合図―――。

 

 『鎮守府慰問会の名目で、連れだせるだけ多くの艦娘と兵士を花火に参加させるわ。アトミラールと羽黒は常に一緒にいるから、真っ直ぐ提督室を目指せばいいわ。大丈夫、これを取引材料にして夜伽(ヨトーギ)に応じる、と言ってあるからツジマサはNein(ノー)とは言わないはずよ。…あなた方には絶対作戦を成功してもらわないと、とんでもないことになるんだからねっ! と、とにかく、頼んだわよっ!!』

 

 春雨が疾走する。陸上と言えども、人間の視覚では容易に捉えられないスピードであっという間に正門に迫る。普段であれば鋭い警戒の視線を周囲に配っているであろう2名の衛兵も、夜空に開く大輪の花火をぼんやりと見上げている。その隙を見逃すはずもなく、春雨の右腕がしなると、金属の擦れあう音が鳴り、白い棘鉄球(モーニングスター)が唸りを上げ衛兵の一人目がけ放たれる。

 

 「ぐっ」

 

 腹部に鉄球の直撃を受けた衛兵は弾き飛ばされ、一言だけ発するとそのまま悶絶した。瞬間何が起きたか分からなかったもう一人の衛兵は、すぐさま銃を構え春雨に狙いを定める。

 

 「何者だ貴様っ」

 

 春雨に銃が向いた瞬間、その背後から黒い影が飛び出す。姿勢を低くし春雨の陰に隠れるように疾走していた南洲だ。突如現れたもう一人の敵に混乱し衛兵が銃口を上下させる間に、春雨のモーニングスターが再び(はし)る。こちらの衛兵も腹部に直撃を受け、弾き飛ばされる。

 

 南洲は悶絶している衛兵に無言で近寄ると、銃を抜こうとする。それを見た春雨が慌てて駆け寄り、丁寧に猿轡をかました上で衛兵たちを拘束する。

 

 「さ、お邪魔するか」

 

 首を二、三度動かし、右肩を回す南洲。軽く助走をつけ、鎮守府を囲むように建てられた高さ3mほどのコンクリート製の壁を軽々と飛び越え、静かに着地する。振り返ると、花火に照らされながら黒いメイド服の春雨が同じように跳び越えてくる。跳躍の頂点から自由落下に移り、風を受けたスカートが大きくめくれあがると白い太ももが露わになる。着地点で待つ南洲の視線を気にし、慌ててスカートを押さえようとして空中で体勢を崩す。

 

 ぽすん、とお姫様抱っこで南洲に抱き止められる春雨。

 

 「いまさら照れるような仲でもないだろうに…お前は変わらねぇな、春雨(ハル)…」

 

 そっと春雨を地面に降ろすと、南洲は何とも言えない表情をする。春雨の心優しい性格を誰よりも知りながら、そんな彼女を自分の殺し合いに巻き込んでいることに罪悪感は確かにある。

 

 だが、この扉の向こうに、探し求めた相手がいる-南洲は血腥い凶相と言える表情に変わり、鎮守府の正面玄関目がけ突進する。春雨は南洲の左斜め後ろを遅れずに疾走する。施錠されている正面の鉄扉を気にすることなく、南洲は速度を落とさない。南洲の左横を奔る白い棘鉄球が、大きな音を立てながら扉に衝突し、内側に押し込むように大きく変形させる。既に歪み、壁から外れかかり内部が見通せるようになった扉に、突進の勢いそのままに足蹴りを加え、歪んだ扉を蹴り飛ばし、南洲は建物の中に飛び込む。

 

 「ここから先は時間との勝負だ。さぁ、いくぞ」

 花火の音で誤魔化すにも限界があるし、監視役の兵までのんびり花火見物ということもないだろう。とにかく迎撃の部隊が異変を察知して駆けつける前に片を付けねば。南洲は左手で腰のホルスターから銃を引き抜く。現用拳銃と比較すれば、デザートイーグル.AE50に似た形状だが、細部が異なる。

 

 再び疾走を始める2人。一直線に廊下を進み階段を駆け上がる。中央部が吹き抜けになり、左右に通路が分かれた回廊状の作りになっている2階。二人は右側へと進む。

 

 先を行く南洲の背中を守るように走る春雨だが、危険な気配を感じ大きく飛びのく。同時にそれまで春雨がいた位置に薙刀が振り下ろされた。スカートの後ろ側が、太ももと膝の間くらいから切り裂かれている。飛び退きながら体をひねり体勢を立て直し、背後の相手に正対する。

 

 「あらぁ~意外~。仕留めたと思ったのに~。護衛のあなたさえ片づければ、あとは人間一人、どうにでもできるから、ねぇ?」

 

 暗がりにぼんやりと光る輪上の光球を頭上に載せた、胸元を強調したような白いブラウスと黒いワンピースの艦娘が薙刀を構えながらのんびりした口調でこちらに話しかけている。口調とは裏腹に隙のない立ち居振る舞いに、春雨はこの艦娘を倒さねば南洲に追いつくことはできないと瞬時に理解した。

 

 「右手と左手、どちらを落せば大人しくなるのかしらぁ~。それとも両方かしら?」

 紫がかった黒のセミロングヘアーと同色の瞳、天龍型軽巡洋艦二番艦の龍田が妖艶とも言える微笑みを浮かべながら、春雨に対峙する。春雨は体を斜めに構え、自分が最も信頼している武装の棘鉄球(モーニングスター)を右手からだらりと下げ、ゆらゆらと揺らし始める。

 

 明らかな待ち伏せ。

 

 ビスマルクの話では、鎮守府にいる者のほとんどは花火見物に参加しているはずで、この回廊に守備役が待ち構えているなどとは聞いていない。だが実際にはビスマルクの計画は漏れていた、そう思わざるを得ない。

 

 事実、南洲と春雨の知らない事だが、左右に分かれた2階の回廊には10名から成る分隊(左側廊下)と2名の艦娘(左右廊下に各1名)が配置され、南洲と春雨を待ち構えていた。そして二人が進んだ右側の廊下に潜んでいたのが龍田だった。

 

 先を行った南洲に早く追いつかないと―――春雨は焦り、一瞬注意を龍田から逸らしてしまった。

 

 「隙あり~」

 春雨はぎょっとした。南洲に意識を向けた隙を見逃さず、龍田が急接近し、逆袈裟に薙刀を振り上げてきた。これだけ距離を詰められるとモーニングスターを振り回すことができない。大きくのけぞりながらそのまま後方に二度三度回転しながら飛び退くが、そのまま龍田は斬りかかってくる。斬りつけられメイド服のあちこちが切り裂かれたものの、体は今の所ほぼ無傷だ。

 

 「ひゃうっ!」

 

 春雨は堪らず龍田を振り払うように、薙刀を回避しながら左手でエプロンのフリルに隠した小刀を投げ、距離を取ろうとする。

 

 「あははっ♪ こんなので私を倒せる…とっ!!」

 

 今度は龍田がぎょっとする番だった。苦も無く飛来する小刀を薙刀で払いのけたが、まったく同じ軌道でもう一本の小刀が現れた。最初に投げた小刀を囮にし、それを払いのける瞬間を狙った時間差の攻撃。慌てた龍田が体勢を崩す間に、十分な距離を取った春雨はモーニングスターに十分な遠心力を与えるため体の横で振り回し、一気に奔らせる。

 

 

 「まさかコレで勝ったつもりでいるの~?」

 

 すぐさま体勢を立て直した龍田は、迫りくる鉄球を薙刀で両断しようとする。艦娘の力で振るわれるモーニングスターは確かに脅威だが、所詮ただの物理的な破壊力に過ぎず、艦娘にとっては牽制以上の効果は期待できない。なのになぜ目の前の艦娘は、そんな武器に頼るのか―――?

 

 薙刀を振り下ろした瞬間、龍田は自分の負けを悟った。刃が両断しようとする寸前、鉄球が意志を持つかのように急角度で軌道を変え、自分の背後に回り込んできた。それでも何とか躱そうと無理矢理体をひねる。そして目にした。あれはただの棘付の白い鉄球ではない、通称タコヤキと呼ばれる()()()()()()()()だ。理解した瞬間、大きく開いた口にしたたかに右脇腹を噛み砕かれ、短い悲鳴と共に龍田はたまらず床に倒れ込んだ。

 

 「あ~あ。なんかボロボロ~…。というか…もう立てないみたい…。まさか駆逐艦に負けるなんて、私もヤキが回ったのかしら…」

 タコヤキ(モーニングスター)を手元に回収し、ほうっと大きなため息をついている春雨に、いつもと変わらぬ口調ながら諦めたように話しかける龍田。何とか体を起こし壁に寄りかかりながら床に座り込み、出血を止めるかのように両手で傷口を押さえている。春雨がゆっくりとした足取りで近づいてくるのが見える。

 

 出来れば一撃で、苦しまないように()ってほしい-そんなことを思いながら龍田が目を閉じる。ややあって違和感を覚えた龍田の目に入ったのは、止血用のパッドを自分の傷口に貼りつけている春雨の姿だった。その上で、どこから取り出したのか、春雨は予備のモーニングスター用チェーンで龍田を雁字搦めに拘束する。

 

 「…すみません、でも…春雨には護りたい人がいるの…です、はい」

 そう言い、ぺこりと頭を下げ、南洲の元へと走り出す春雨の後ろ姿を見送る龍田は、笑いを浮かべながらつぶやく。

 

 「すみません、かぁ~。そんなことを言うなら、こんなことしなきゃいいのにぃ~」



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06. 乱舞

南洲に施された実験、それは人間が艦娘の力を振るうための生体融合。超弩級戦艦・扶桑の力を解放し荒れ狂う南洲。



 南洲は春雨が自分の後ろを走っていないことにすぐ気が付いた。耳に届くのは、間延びし、それでいてどこか甘ったるい女の声と、長い刃物が風を切る音。背後から襲撃され、春雨が迎撃している―――すぐに状況を把握した南洲は、同時にビスマルクの計画が漏れている事、この先にも敵が待ち構えているだろうことを理解し、長い廊下を走る脚に急ブレーキをかける。明らかに作戦は破綻しているが、だからと言って今さら逃げる訳にも行かない。

 

 「はぁ…まさかこんな所で使う羽目になるとはな…」

 

 既にアンプルは飲んでいる、あとは()()()()()()()だけー南洲は左手の薬指にしている銀色の指輪に重ねるようにもう一つの指輪を付ける。その行為がトリガーとなる。

 

 

 「出てこい、()()

 

 

 ぼそりと呟いた南洲だが、すぐに頭を押さえよろめきながら、苦しそうな声を漏らす。ぜえぜえと荒い息のまま体勢を立て直すと、腰にマウントされた基部から伸びる可動式アームに据えられた二連装の主砲が現れた。黒鉄に鈍く光る35.6cm連装砲が、その動作を確認するかのように旋回し、砲身が上下に動く。

 

 左右で異なる赤と黒の瞳、別物のように白い右腕…南洲の右上半身の多くは、かつて彼の基地に所属し、事実上の妻として戦い続けた扶桑から移植されたものだ。間断なく襲う頭痛に耐え青白い顔色をしながら、南洲は再び歩を進め始めた。

 

 

 

 かつて南洲の基地が襲撃を受けた後、残されたのは破壊され灰塵に帰した施設群、至る所に横たわる亡骸、呻き声しか上げられない重傷の艦娘、そして瀕死の重傷を負った彼自身だった。右腕を失い、右目は失明しながらも、彼は狂ったように叫び声を上げ、生き残りの艦娘を当て所無く探し求めた。

 

 失血多量で意識を失った南洲は、パラオ泊地に緊急搬送され応急処置を受けた後、大本営の技術本部に移送された。何とか一命を取り留めたとはいえ、その体では最早軍人としての任務を果たすことは不可能だった。

 

 その後生き残った数名の艦娘はいったん艦隊本部に集められ、その後各地の拠点に再配属されていった。春雨もそんな惨状の中を生き残った数少ない艦娘の一人である。誰しもあの惨劇から目を逸らし、記憶に蓋をして新たな生活を求めたが、唯一春雨は南洲の帰還を待ち続けた。

 

 そして3ヵ月ほど経ち、春雨の前に()()()()()南洲が現れた。

 

 扶桑型超弩級戦艦一番艦の扶桑もまた、あの惨劇の夜に犠牲となった艦娘の一人だ。彼女の体は、右腕全体と右眼を喪い、いくつかの内臓に損傷を受けた南洲に移植され、彼は再び立ち上がった。左右で異なる瞳の色と、まさに()()()()()()()()()肌の色も形状も違う右腕は、あの日の出来事が事実であったと語り、南洲の感情を黒く塗りつぶしてゆく。自分の基地を襲った相手を突き止め復讐を果たすため、南洲は手段を選ばなかった。

 

 この世界の艦娘は、いわばバイオテクノロジーとオカルトが融合した生体兵器、と定義される。生体兵器として開発された人工生命体に、霊子科学により召喚されたかつての軍艦の船魂と、共に散った軍人の魂を仮初めの魂として宿す存在。当時の兵装も鉄や油等を依代にし、威力はそのままに人型で扱えるサイズで召喚される。

 

 そのテクノロジーを生身の人間に持ち込む代償として、()()を無理矢理体に繋いだ南洲は免疫抑制剤を常に服用し、肩の繋ぎ目は右腕に宿る扶桑の魂が暴走しないよう呪式の施された拘束帯で厳重に保護する。作戦時にはその拘束帯を解放し、艦娘同様の反応速度を得て艤装を運用するため興奮剤ほか身体機能を一時的に向上させる混合薬物(カクテル)を服用する。

 

 そこまでしても、南洲が艤装を展開して戦えるのは約1時間。それ以上は彼に過大な負荷をかけ、目覚めた扶桑の魂からの侵食を抑えられなくなる。一つの体に二つの魂は受け入れられず、この場合、より大きな容量を持つ扶桑の魂と記憶に南洲は塗りつぶされ、自我を保てなくなってしまう。

 

 

 人間が艦娘同様に艤装を展開するための実験台-それこそが技術本部が南洲に施した、人が禁断の領域にまで踏み込んだ歪んだ技術であり、倫理を別とすれば南洲は貴重な成功作と言える。

 

 

 

 ゆらりと人影が廊下の角を曲がる。暗がりに光る赤い輝く何かが、待ち構える兵士たちに侵入者の存在を告げる。そこからは提督室まで一直線であり、ここに何者かが現れたということは、右翼の龍田が敗北したことを意味する。緊張する分隊にインカム越しの号令が飛ぶ。

 

 「目標確認、斉射っ!!」

 

 スタングレネード等非殺傷型制圧兵器に備え、保護材で耳を庇うタイプのヘルメットを着用し偏光バイザーで目も保護している部隊は、一斉射撃を開始する。一丁当りの銃音はさほどではないが十丁まとめての連射ではかなりの轟音となる。立ちこめる硝煙はすぐにたなびいて消え、そこに現れた()()に、全員が目を奪われた。

 

 巨大な砲塔が侵入者の前面に盾のように立ちふさがり、銃弾のほとんどは弾かれ侵入者の体には2、3のかすり傷しか与えられていない。35.6cm連装砲の装甲天蓋に小銃弾程度、まして人間用の武器が通用するはずがない。分隊の兵士が思わず隊長を仰ぎ見て無意識に指示を仰ぐ。撤退、できればそう言ってほしいというような目で。

 

 ゆっくりと砲塔が近づき始める。よく見ればその脇から人間の腕が突きだされ、その手には大型の拳銃が握られている。デザートイーグルに似たこの拳銃は、扶桑の残した副砲を鋳潰して製造されたワンオフの銃と弾丸である。人間相手でも50口径相当の威力を有し、艦娘相手なら四十一式15cm砲と同等の威力を発揮する。駆逐艦・軽巡洋艦なら数発で行動不能に陥れ、重巡洋艦以上でもやり方次第では相応の戦闘力を発揮する。

 

 それが火を噴いた。

 

 頭を吹き飛ばされた()分隊長は、そのまま後ろに倒れ、敷き詰められた絨毯に大きな血のシミを作る。続けざまに二発目、三発目が撃たれ、同じく()兵士の肉塊が横たわる。四発目が放たれもう一つの肉塊ができたところで、鈍い音がした。左腕の腕力だけに頼って無理な射撃姿勢で反動の強い大型拳銃を連射した南洲の肩の骨が外れた音だ。

 

 南洲は顔を歪めながら、右手で左肩を支えると壁に体を叩きつけ、無理矢理に肩の骨を嵌める。

 

 「う…うわぁああああーーーーっ!!」

 悲鳴と共に、再び残り6名の兵士が斉射を開始するが、自ら意志を持つように35.6cm連装砲の砲塔は南洲を庇い、先ほどと同じように砲塔天蓋で弾丸は全て弾かれる。その背後で肩を回しながら骨の嵌り具合を確かめる南洲。取りあえず大丈夫なのだろう、無言のまま射撃を再開し3人を斃した。これで弾倉(マガジン)は空になり、予備の装填済みマガジンに交換する。

 

 「下がっているにゃ。あれは人間(お前たち)の手に負えるシロモノじゃないにゃ」

 

 残り3人になった兵士たちの前に、一人の艦娘が進み出てきた。緑色の襟がついたセーラーの上着にホットパンツ、薄い紫色の髪、そして背後にある艤装に接続された単装砲を肩に載せるように構えている。球磨型軽巡洋艦二番艦の多摩であり、昼間港で春雨が出会っているが、南洲は勿論それを知らない。

 

 目が合う。

 

 「………猫か」

 「多摩です、猫じゃないにゃ。お前こそ、人間かにゃ?」

 

 短い会話をきっかけに、多摩の姿が南洲の視界から消えた。次の瞬間に多摩は、南洲が体の前に構えた35.6cm砲の砲塔の上に立ち、頭上で14cm単装砲を構える。瞬時に身を沈めた南洲は、同時に砲塔を動かし、壁に叩きつけるようにして多摩を追い払う。

 

 激しい音とともに廊下の壁が叩き壊され、破片が飛び散り埃の舞う廊下。その頃すでに多摩は南洲から十分な距離を取っている。

 

 「チッ…」

 南洲が忌々しそうな顔で歯噛みし、既に遠のいた多摩を鋭く睨みつける。

 

 多摩は、同じ球磨型の中でも、破格の攻撃力を誇る重雷装型の大井北上木曾とも、軽巡最強の一角を成す球磨とも異なり、性能面では標準的と言われているが、それはあくまでも艦娘同士の比較の話だ。艦娘が本気で人間に対峙した時、駆逐艦でさえ人間を遥かに凌駕する驚異的な能力を発揮する。実際、扶桑の目を持つ南洲でさえ、多摩の動きを捉えきれなかった。



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07. 待ち伏せ・奇襲・罠

多摩の猛攻を春雨とともに退け、再び提督室を目指す南洲。そこに待ち受けるものは。


 無表情のまま、とーんとーんとリズムを刻むように軽くステップを踏んでいる多摩に、南洲は意識を集中する。扶桑の目が一層赤く輝き、ゆらめくようなオーラを帯びる。

 

 ゆらり。

 

 多摩の上体がわずかに動いたのを見逃さず南洲は銃を構えるが、狙いを定める暇もない。辛うじて捉えた多摩の動きは、跳躍し壁を蹴ると天井へ、天井から反対側の壁へと、立体的に高速で移動しながら迫ってくる。できれば砲塔を破壊、最悪でも脚を狙い撃ち機動力を奪い無力化したいのだが、多摩のスピードでは確実にそれができるか覚束ない。無差別に撃てば最悪多摩の命を奪ってしまうかもしれない、その恐れが南洲を躊躇わせる。

 

 「春雨(ハル)に『邪魔する奴は全て倒せ』って言ったのは誰だっけな」

 そう独り言をつぶやく南洲。口でいろいろ言う割には、艦娘に対しては非情になり切れない自分を忌々しく思う。自分を黒く塗りつぶせ、邪魔する奴は全て倒せ―――。

 

 南洲は迷わず廊下の右側の壁に背を預けしゃがみ込むと、多摩の進行方向に対しやや斜めに砲塔を構えその下に入るようにして盾とする。これで少なくとも攻撃を受ける方向を限定できる。残る左側だけを警戒し、少しでも気配を感じたら迷わず撃つ。だが、南洲の読みは外れた。

 

 大型の砲塔は強力な防盾になる反面、南洲の視界を遮る。多摩の進行方向に砲身を向け砲塔で体を庇っていた南洲の真正面に着地した多摩は、艤装を格納しヘッドスライディングの要領で、二連装の砲身の隙間を潜るようにして、上体を無理矢理に南洲の体と砲塔の間に通してきた。素手でも人間の首など容易にへし折る膂力に物を言わせ、多摩は直接攻撃を試みる。

 

 「無理矢理狭い所に入り込みやがって、やっぱり猫じゃねーかっ!!」

 

 たまらず砲塔を大きく上に動かし、後ろに大きく跳びながら、左腕を伸ばし多摩を撃とうとする南洲。が、目の前に多摩の姿はなかった。慌てて視線を動かすと、跳ね上げた砲塔の下部に両手両足でしがみ付いた多摩が再び艤装を展開し、単装砲をこちらに向けている。砲塔を振り回し多摩を振り払おうとするが上手くいかず、頭上を抑えられたままだ。

 

 -やべえな、さすがに。

 

 撃つしかないのか。お互いこの至近距離では外しようがない。あとは撃たれる前に撃たなければ。

 

 このわずかな間に起きた目まぐるしい戦闘の最中、南洲の体のすぐそばを猛烈な勢いで奔るチェーンが金属音を立てる。白い棘鉄球(モーニングスター)が多摩を襲ったが間一髪で躱された。ついに春雨が南洲に追いついてきた。着地と同時に体勢を整え廊下の中央に立つと、35.6cm連装砲を肩の位置まで動かし射撃体勢を取る南洲は、振り向かず背後の春雨に警戒を促す。

 

 「春雨(ハル)、手ごわいぞっ!」

 

 視線の先には、廊下の中央に蹲る多摩がいる。猛獣が獲物を前にし、四肢に力を込めながら襲撃の機会を窺っているのに似ている。春雨の奇襲も躱したってのかよ…南洲が苛立ってくる。こんな所で時間を使っている間に自分の稼働時間はどんどん減ってゆき、何より辻柾を逃がしてしまう。南洲が苦い顔をしながら砲塔を動かし多摩に照準を合わせる。

 

 そして多摩は、そのまま廊下に力なく俯せに横たわる。

 

 

 「お腹空いてもう動けないにゃ…。あの時の魚さえ食べてればにゃあ…」

 

 あの時の魚とは、今朝方春雨が南洲のために釣り上げていたものを、多摩がこっそり盗ろうとしていた時の話だ。どうやらビスマルクの言う敗残の艦娘への懲罰には食事抜きも含まれているのか、南洲が不愉快そうに顔をしかめる。廊下に伸びている多摩を助け起こすため、春雨が駆け出してゆく。その後ろ姿を見送る南洲はため息をつきながらも、春雨に任せることにした。

 

 「し、しっかりしてください~。あっ、これ食べますか?」

 明らかにエプロンのポケットの容量を超えた白い紙包みを取り出し、食べ物を多摩に勧める春雨。左手の銃をホルスターに仕舞いながら、その光景を遠巻きに見ながら南洲は思う。いったいどういう仕組みになっているのだろうか、と。

 

 「うにゃっ!?」

 多摩は甘い匂いに堪えきれないように、乱暴に紙包みを開け中に入っている洋菓子をガツガツと食べ始める。一心不乱に食べ続ける多摩を優しい目で見守りながら、春雨はすっと立ち上がる。その姿を不思議そうに見上げる多摩の様子が急変する。

 

 「う゛にゃっ!? …し、びれるにゃ…」

 多摩を見つめる春雨の表情には少しだけ申し訳なさそうな色も含まれる。だがその手は止まることなく、予備のモーニングスターのチェーンで多摩を雁字搦めに拘束してゆく。再び南洲は思う。だからそれを一体どこに格納しているのだ、と。

 

 「…何をした?」

 「ビスマルクさんから頂いたお菓子に、艦娘でも痺れるようなお薬を()()()()()()、はい」

 「ちょっとだけ、ねぇ…」

 

 致死量じゃ無ければちょっとですよ、とにっこりほほ笑む春雨の頭に、南洲は左手を載せるとそのまま自分の方に軽く抱き寄せる。

 「…正直、助かった。あとは三式弾で薙ぎ払うしかないと思ってた所だ」

 

 

 

 艦娘の機能を部分的とはいえ身に付けた南洲。35.6cm二連装砲の生む強大な破壊力と長距離攻撃、銃の形に再構成された副砲による近距離攻撃、薬物と移植された扶桑の生体機能により強化された運動能力と反射速度は、人間を大きく超える力を彼に与えた。

 

 だが、無敵とは程遠い。約1時間しかない稼働時間、艦娘とは異なり水上移動ができない、“素体”である南洲の心身の状態で性能が左右される等数々の制約に加え、運用上の重大な問題は、防御面では生身の人間そのままであることだ。艤装の展開時には、移植された扶桑の生体機能の恩恵で少々の傷はその場で修復されるが、修復能力を超える傷を負えばそこまでだ。

 

 そんなアンバランスな矛である南洲がその()()を最大に発揮するには、パートナーの春雨を前衛にして自分は火力を活かし後方支援に徹するのが理に適っている。だが南洲は常に春雨の前に出る。こんなこと(殺し合い)に巻き込んでしまった春雨へせめてもの誠意として。

 

 自分の頭に手をやり照れた表情で頬を赤らめる春雨に何事かを伝える。春雨は心配そうに何度も振り返りながら元来た道を引き返して行き、南洲は艤装を展開したまま目的の提督室まで歩を進める。

 

 

 

 「ここか…」

 

 重厚な作りの扉を前に呟く南洲。蝶番のある側の壁に身を寄せ、ホルスターから銃を抜きドアノブを撃ち抜く。がきんという金属音とともに火花が散ったかと思うと、ドアノブは跡形もなく消し飛び大きな穴が空いている。これで侵入者がここまでたどり着いたことが、室内にいるだろう相手には伝わる。室内からの攻撃はない。こちらが部屋に踏み込むのを待っているのか-? さらに牽制のため、静かに35.6cm連装砲の砲塔を動かし、砲身でドアを内側へと三分の一ほど押しやる。いまだ室内からの攻撃はない。

 

 逃げられたか…砲塔に身を隠しながら、南洲は室内が見える位置まで進む。見た目よりもかなり奥行のある執務室が広がり、部屋の中央部には豪奢な作りの執務机がある。

 

 そこに軍帽を被った誰かが座っている。

 

 銃を構えながらそのまま室内へ踏み込むと、砲塔がぶつかった扉が大きく開く。ぷつん、と何かが切れた音がした。極細のワイヤーが扉の上部から垂れている。ブービートラップ!? 襲い来るのは銃弾か刃物か爆発か-身構える南洲だが、警戒していたようなことは何も起きず、代わりに、室内に煌々と明かりがともる。

 

 南洲は中央にある執務机まで一気に跳躍すると、執務机に俯いたまま座っている誰かの顔を起こそうとする。見覚えのある豊かな金髪。これは---。

 

 

 ギャグボールを口に嵌められ、整った顔を苦痛に歪ませるビスマルクが、喉を潰されるようなくぐもった声しか上げられないながらも、必死に何かを言おうとしている。見れば鋼鉄製の首輪を架せられ、そこに溶接された鎖は椅子の脚に一切の遊びなく直線的に繋がれている。これでは首を動かそうにも動かせない。

 

 「やれやれ…こんな所でお前に会うようじゃ、作戦は完全に失敗だな」

 南洲は皮肉交じりに言いながら、それこそ縫糸をちぎるような気安さで、扶桑の右腕で苦も無く椅子に繋がれた鎖を引きちぎり、ギャグボールをビスマルクの口から外してやる。

 

 顔にはきつく縛られた革紐の跡が痛々しく残るビスマルクが間髪入れずに叫ぶ。

 

 「大尉っ、罠よっ!! ごめんなさ―――」

 

 

 ビスマルクの言葉が終わらぬうちに、執務室に外から砲撃が加えられた。



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08. マリオネット

ビスマルクとともに鎮守府を脱出し春雨との合流を急ぐ南洲。この鎮守府で起きていたことの黒幕が明らかになる。


 「…全弾命中、です」

 

 港にほど近い鎮守府の東約2km地点に立つ、艤装を展開している一人の艦娘。沈んだ声で攻撃成功の通信を行うのはこの鎮守府の秘書艦であり、南洲のかつての部下である妙高型重巡洋艦四番艦の羽黒だ。通信の相手から指示が返ってくる。

 

 「貴様は港まで移動した後海上進出、()()に合流しろ」

 

 その通信相手こそ、この鎮守府の提督であり、南洲が追い求める戸越 伸彦(とごし のぶひこ)少将-本名 辻柾伸彦その人であった。

 

 戸越(辻柾)は、大本営作戦部にあって大成功か大失敗の二択になる作戦参謀として有名であった。作戦をギャンブルと思っているような男ではあるが、上に取り入る術には長け、巧みに責任を回避し続け出世まで成し遂げた。最もこの出世は態の良い厄介払いでもあったようで、これ以上この男に作戦立案を任せておくと碌な事にならない・現場で最前線の苦労を味わえば少しはマシになるだろう、そういう意図だったようだ。

 

 果たして現場着任からほどなく、辻柾は本性をむき出しにし始めた。この男の獣欲と加虐的性向の赴くまま、多くの艦娘が被害者となった一方で、酷烈な管理が艦娘を恐怖で縛る督戦隊的な役割を果たした部分もあり、鎮守府としての戦果は決して悪くはなかった。

 

 大本営としても頭を抱える事態であり、そんな中ドイツの駐日武官経由で寄せられたビスマルクの訴えは渡りに船だった。上手くいけばそれでよし、失敗すればドイツ艦の反乱で事を収める。諜報・特殊作戦群に”仕事“の依頼が入った背景は、まさに南洲の読み通りであった。

 

 

 

 羽黒の4基8門の12.7cm連装高角砲で集中砲撃を受けた提督室は跡形もなく破壊されていた。被害は提督室に留まらず、ロの字型をした鎮守府、上空から見て正門側を下辺とすれば奥にある上辺にあたる部分は半壊状態だった。

 

 ビスマルクの拘束を解いている最中の着弾。35.6cm連装砲の装甲天蓋にも二、三発の直撃を受けたが苦も無く弾き返せた所を見ると小口径砲か高角砲と言ったところか。それでも部屋を破壊し()()()()()を殺傷するには十分すぎる威力を発揮する。着弾の衝撃や爆風で提督室を中心とする二階部分は破壊され尽くしあっという間に崩落、南洲とビスマルクも瓦礫ともども一階部分へと落下してゆく。そんな中で南洲は砲塔と自分の体の間にビスマルクを挟むことに成功した。何とか着地したものの衝撃を逃がし切れず、南洲は体勢を大きく崩し床に倒れこみ、その上から降り注いだ瓦礫であっという間に生き埋めになってしまった。

 

 「………い、大尉? しっかりしなさいよっ!! ねぇ、聞こえてるのっ!?」

 「うるせえな、耳元で叫ぶんじゃねーよ」

 

 自分の顔のすぐ真横にビスマルクの顔がある。仰向けの南洲に覆いかぶさるように俯せのビスマルク、その上に二人を覆う35.6cm

連装砲砲塔。そして周囲は瓦礫で埋まっている。

 

 「それより大丈夫かっ、ケガはしてないか? …おいっ、落下してからどれくらい経った!?」

 ビスマルクの身を案じる南洲だが、言いながら一瞬意識が途切れていたことに気付いた。いろいろな理由でこれはマズい。自分の稼働時間、辻柾の逃亡、敵部隊の集結…どれをとってもグズグズしている暇はない。

 

 「多分10分、15分は経っていないかしら。…大尉がクッションになってくれたから私は大丈夫よ…あ、ありがとう。それより…あなた、一体何者なの? 艦娘、という訳じゃなさそうだけど」

 

 人間が艤装を展開できるなど聞いたことがない。そして目の前にいるのは明らかに人間の男性であり、艦娘ではない。だが現実に巨大な二連装砲を操り、常人離れした筋力と運動能力を見せられた。

 

 「…体の四分の一位は、艦娘の生体機能を組み込まれている、まぁそういうことだ。それよりビスマルク、頼みがある。お前の左脚で、そこに突き出てる角材、蹴り折ってくれないか?」

 

 ビスマルクは上体を反らすようにして頭を動かし後方を覗き見る。確かに折れた角材が見える。

 

 「お安いご用よ。せーのっ!!」

 

 南洲に覆いかぶさるようにしているビスマルクが、左膝を曲げながら太ももを自分の体に引き寄せ、そのまま一気に伸ばす。軽い音を立て折られた角材は遠くに飛んでゆく。

 

 「ぐぁあっっっ!!」

 「え?えっ? ど、どうしたの、大尉!?」

 

 突然の南洲の悲鳴に慌てるビスマルクが、改めて後方を覗き見ると、南洲の脹脛から血が噴き出しているのが見えた。自分が蹴り折ったのが南洲の脚に刺さっていた角材と分かり、何をさせるのよと文句を言う。脂汗をかきながら、続けて南洲はビスマルクに指示を出す。

 

 「き、気にするな。それよりも、そのままお前の左脚を俺の右脚に絡めて、その刺さっているヤツから引き抜いてくれ。…ああもう、耳元でごちゃごちゃ言うな。言う通りにしてくれ」

 

 しぶしぶ、といった態でビスマルクは南洲に言われた通りにする。脚を絡ませ、左の足だけで南洲の右脚を持ち上げる。角材が刺さった脚は抵抗が大きく、ビスマルクは南洲にきつく抱き付き左脚だけにゆっくり力を込める。

 

 「んんっ…………はぁ……んーーーーーーっ、ああっ」

 

 不意に抵抗が軽くなり、嫌な音とともに南洲の右脚が自由になる。うっすら額に汗をかいたビスマルクは安堵の表情を浮かべる。

 

 「さんきゅ…ダンケシェーン。助かったよ」

 「クス…ひどい発音ね。まぁいいわ、今度ゆっくりドイツ語を教えてあげてもいいのよ?」

 「…それにしても、お前…結構大きいんだな」

 「?………!!」

 

 みるみる顔を赤くするビスマルク。南洲が何を言ってるのか一拍遅れて理解した。左脚に力を入れるため、南洲にきつく抱き付いていた。結果としてそれは自分の豊かな胸を押し当てていたことであり、南洲はそれをからかっているのだと気が付いた。

 

 「なっ!! し、仕方ないでしょうっ!? まったく、このへんたいへんたいへんたいっ!」

 「男は大体こんなもんだ。さぁ、脱出するか。こんな所でお前と抱き合っていたなんて春雨に知られたら…後で何をされるか分かったもんじゃないしな」

 

 言いながら35.6cm連装砲を動かそうとする南洲。周囲の瓦礫からぱらぱらと破片が散らばるがなかなか動かない。

 

 「ちいっ。…おい、ビスマルク、()()()

 

 言うや否や、連装砲が轟音とともに火を噴き、砲撃とそれに伴う爆風で周辺の瓦礫を吹き飛ばす。

 

 多くの兵士や艦娘が右往左往しながらも消火活動や状況の把握に忙しく動き回る中、瓦礫の下から爆発音が響き、瓦礫と土が猛烈な勢いでまき散らされた。何らかの爆発物に引火したのか、と兵士や艦娘が退避する中、二つの人影がゆらりと立ち上る。ビスマルクと南洲が、混乱を利用し立ち込める土煙の中を移動しながら鎮守府から脱出を図る。

 

 

 

 ビスマルクに肩を貸され、右脚を引きずる南洲は港へと向かう。混乱する鎮守府を首尾よく抜け出し、提督室へ向かう直前に二手に分かれ先行した春雨との合流を目指す。脚にケガを負った南洲の走るペースは上がらないが、それでも鎮守府を抜け出した時点より速度が上がっていることにビスマルクは疑問を感じ始めた。

 

 「…ねぇ大尉…脚、いいえ、あなたの体は一体どうなっているの?」

 「あと数分もあれば取りあえず何とかなると思うが…すこし修復の時間を取るか」

 

 南洲はそう言い、ビスマルクの肩から自分の左腕を降ろし、少しだけ足を引きずりながら、手近にある木の根元に座り込む。腕を組みながら南洲を見下ろすビスマルクの視線は、角材で貫かれたはずの脹脛に注がれる。

 

 「…気になるのか? というか、気になるよな」

 言いながら血で汚れたMCCUUのパンツの裾をめくる南洲。ビスマルクが不快そうな表情に変わる。

 

 「………何よ、それは。あなた、本当に人間なの?」

 「このくらいの損傷なら、何とか、な。痛くない訳じゃないぞ、念のため言っておくが」

 

 ビスマルクの視線の先にはすでに穴がふさがりかけた脹脛がある。人間に艦娘の組織を融合したという南洲の話は、未だに半信半疑だ。少なくともこれまでの自分の常識とはかけ離れすぎている。だが目の前にある『事実』を否定するほどビスマルクは頑迷ではなかった。それでも、目の前にいる南洲から目を逸らすように軍帽を目深にかぶり直し、大きくため息をつきながら話を変える。

 

 「…はぁ…まぁいいわ。それよりも大尉、すっかり騙されてたわ。羽黒はSchaufensterpuppe(身代わりの人形)に過ぎなかった。この鎮守府で起きていた事を裏から糸を引いていたのは別な艦娘で、そいつが私を不意打ちしてあんな目に合わせたのよっ! そいつは…練習巡洋艦の鹿島は、すでにアトミラールと一緒に鎮守府を脱出しているわっ!!」



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09. 迷える艦娘たち

過去に縛られ流される羽黒、非情な手段で未来を求める鹿島、真っ直ぐに現在に向き合うビスマルク。


 港へと向かう道をとぼとぼと俯きながら歩く羽黒。どうしてこんなことになったんだろう、いつも同じ思いが渦巻いている。

 

 突然の砲撃に襲われたかつての基地。燃え盛る炎の中を避難しながら、目にした当時の司令官の無残な姿が目に焼き付いて離れない。その姿が、艦娘という人型に生まれ変わった自分に恐怖を覚えさせ、人型の相手に砲を向けることができず、砲を向けられることに耐えられない。

 

 人型をした深海棲艦の上位種と戦えない高練度の重巡…いくつかの拠点を転々とすることになった。そんな私を引き取ってくれたのが今の司令官だったが、噂と違い不思議と彼は私には手を出さなかった。その価値もないということなのね…なのになぜか秘書艦という名誉ある地位を与えられた。ここで失敗するともう行き場がない、そう()()に言われ必死に命令を遂行し続け、言われるがまま仲間を窮地に追い込み続けた。

 

 今も流されるように命じられたまま提督達たちに合流する自分を、つくづく疎ましく思う。

 

 

 鎮守府東方沖20km・船上―――。

 

 各拠点には責任者の専用艇としてPG艇が配備されている。緊急時には44ノットの最大速力でいち早く離脱し指揮命令系統の保全を図ることを目的とするこの艇は、航行だけなら秘書艦だけでも操船が可能である。

 

 「あの感じですと全弾命中…侵入者は殲滅、ですね、提督さん! ふふっ♪」

 

 甲板に立ち、双眼鏡で鎮守府の方角を覗いていた艦娘が、ツインテールの銀髪を揺らしながら妖艶な目付きで後ろに控える提督を振り返る。

 

 練習巡洋艦 鹿島―自覚の有無はさておきフェロモンを振りまくことで有名だが、彼女こそビスマルクを不意打ちで拘束し、羽黒を表の秘書艦に仕立てた、この鎮守府を提督と共に運営している存在だ。

 

 「鹿島、貴様は他の艦娘と違いよく弁えている。だから大目に見ていたが、最後の一線は頑として許さないな」

 辻柾が後ろから鹿島に近づく。ほとんど息のかかるような距離、というより首筋に息をかけている。

 

 くすぐったそうにしながら、鹿島がすっと距離を取り、甘やかな声で答える。

 「うふふ♪ この鎮守府から提督に逆らう艦娘がいなくなってから…そう約束したじゃないですか」

 「ビスマルクごと侵入者は羽黒が片付けた。これ以上私に逆らう者は…」

 言いながら強引に距離を詰め、辻柾は鹿島を逃がさないとばかりに強引に抱きすくめ、首筋を舐め始める。

 

 観念したように鹿島も、辻柾を抱きしめるように両手を彼の背中に回すが、その右手には制服の袖の中に隠されていたナイフが握られている。

 

 「そう…逆らう者は、あとは貴様だけだ。おい、やれ」

 

 その言葉に鹿島は硬直し、陰に隠れていた羽黒が瞬時に跳躍、手刀で鹿島の右手を打ち据える。

 

 「きゃあーっ! やだっ…」

 ナイフは鹿島の手を離れ甲板に落ちる。素早く羽黒がそれを遠くに蹴り飛ばすと、思わずしゃがみ込んだ鹿島を後ろ手にして立ち上がらせる。鹿島の耳元で辻柾に聞こえないように、ごめんなさい、と囁く羽黒。

 

 「一応理由など聞いてみようか」

 辻柾は鹿島の顎をくいっと持ち上げ、下卑た笑みを浮かべながら静かに詰問する。何とか羽黒から逃れようと身をよじりながら、鹿島はキッとした目で辻柾を睨み返す。

 

 「…練習巡洋艦の私の役割は、みんなを少しでも強くして、少しでも生きて帰って来られる可能性を高めることですっ。なのに貴方は…なぜ鎮守府内の演習で実弾なんか使うんですかっ!! 安心して過ごせるはずの鎮守府で、なぜみんな怯えて暮らさなければならないんですかっ!! 貴方の望む様な下種な方法で信用を得て、やっと好機を見つけたのに…。みんなに犠牲を強いてでも、そこまでしても貴方を排除したかったっ!! それがどんなに辛かったか、貴方なんかに分かるはずがないでしょうっ!!」

 

 言いながら鹿島は大粒の涙をぼろぼろ溢す。後ろで鹿島を拘束している羽黒はショックを受けている。そんな二人の姿を見て辻柾は心底おかしいという態で笑い出す。

 「最初から艦娘など信用する訳がないだろう。どうせ碌でもない事を企んでいるとは思ったが、そこまでくだらないこととは思わなかったぞ。いいか、生死の限界を超えてこそ人も艦娘も強くなる。その限界を超えられない奴は、所詮そこまでだ。…羽黒、()れ」

 

 夜風だけが甲板を渡る。羽黒は鹿島の言葉を反芻していた。皆に犠牲を強い、自分を隠れ蓑に使い、ビスマルクを囮にし、そうすることで自分の心から血を流しながら、それでも皆のためにこの男を排除する機会を引き寄せようとした鹿島。そしてその機会は自分の手で失われようとしている。

 

 「…どうした羽黒、貴様も、か? まあいい、護衛の連中がそろそろ到着する頃だ。貴様らの処分は追って伝える」

 

 

 

 「あと少しで羽黒さんに追いつけたのに…ううっ、ごめんなさい」

 ビスマルクの計画が漏れていたことが分かった時点で、南洲は春雨を港に先行させ、まだ港にPG艇が係留されていた場合の破壊を命じていた。港に向かう途中で、春雨は遥か先を行く羽黒の背中を見つけ全力で追いかけたものの、寸での所で海上に脱出されてしまった。港で合流した3人は善後策を練る。

 

 「ところで南洲、ビスマルクさんと随分仲良くなったようですけど…?」

 春雨は南洲との再会を喜び胸に飛び込むように抱き付きながら、上目づかいに不平を鳴らす。そんな春雨に優しく視線を返し薄く微笑みながら、左手で頭を撫でる南洲。

 

 その光景を腕組みしながら遠巻きに見ていたビスマルクが呟く。

 

 「………大尉は、あんな顔もできるのね。私だけ部外者、っていうのも面白くないわね…」

 

 初めて会った神社の境内では昼間から酒を飲んでいる口の悪いイヤな男、提督室では砲撃に晒されながらケガを顧みず自分を庇った勇敢な男、そして今目にしているのは自分の部下(?)を受け止める優しい男。一体どれがこの男の本当の顔なのか…この短時間で、南洲に対するビスマルクの興味はあっという間に深くなった。

 

 ねぇ…と二人に話しかけようとした矢先、ビスマルクの表情が変わる。複数の主機が海上を走る音、さらに遠くから微かに届く言い争いの声が耳に入った。

 

 -そういうことね。

 

 ビスマルクは軍帽のつばに軽く手を添え静かに微笑む。すると背後の基部ユニットの両側から艦首を分割したような装甲が腰の両脇を覆う。その側面に主砲が一基ずつ、さらにジョイントアームに接続される主砲が一基ずつ肩の横に、計4基の38cm連装砲が現れた。ドイツの誇る超弩級戦艦の魂を現界させた艦娘がその真の姿を明らかにした。

 

 「大尉、感動の再会に水を差して悪いんだけど、複数の艦娘が展開中で、PG艇(向こう)もモメてるみたいだけど?」

 

 ビスマルクの言葉に、南洲と春雨も暗い夜の海の視線を向け、そしてお互いの目を見ながら頷きあう。

 

 「また二人の世界に入っちゃって…。せっかく艤装を展開してあげたんだから、何か私に言うことはないの、大尉?」

 不機嫌そうにビスマルクが南洲と春雨に向かって声を掛ける。再び視線を合わせた南洲と春雨だが、春雨の次の行動はビスマルクの予想を裏切るものだった。

 

 春雨は着ているメイド服を脱ぎ始めた。ホワイトブリムを頭から外し、エプロンを外し、ワンピーススカートをたくし上げ、そのまま上に持ち上げる。

 

 「わーーーーっ、な、何をしてるのよ春雨っ。ああもうっ、大尉も Mädchen(女の子)の着替えを見ちゃダメなんだからっ!!」

 慌てて南洲に近づくと、彼の目の前で春雨を隠そうと両手をわたわたと振るビスマルク。南洲はそんなビスマルクの右往左往ぶりが新鮮で、つい微笑みかける。瞬間、ビスマルクの頬がさっと赤くなる。真っ白な肌に差した朱の色は夜目にも美しく、彼女の美貌を引き立たせる。

 

 「夜戦、突入させていただきます」

 

 その声にビスマルクが振り返ると、春雨は白露型駆逐艦のシリーズ前半の艦に共通の黒いセーラー服姿になっていた。どうやらメイド服の下に着ていたようだ。あっけに取られているビスマルクに南洲が声を掛ける。

 

 「なぁビスマルク、俺にはどうしても辻柾を確保しなければならない理由がある。お前が必要だ、力を貸してくれないか?」

 真っ直ぐに目を見ながら、ビスマルクに助力を求める南洲。言われるまでもなく、もちろんビスマルクはその気だ。ただ、南洲から言葉にしてほしかった。満足げに頷きながら、力強く宣言する。

 

 「Gut, mein admiral、指揮を取らせてあげてもいいわよ。ビスマルクの戦い、見せてあげるわ!」



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10. ダークネス

南洲、ついに辻柾を捉える。彼の抱えるもう一つの姿も明らかに。

※この回は残酷な描写がありますので、気になる方はブラウザバック推奨。


 左舷方向からのエンジン音に最初に気が付いたのは羽黒だった。やや遅れて口論に夢中になっていた鹿島と辻柾もその轟音に気付く。水面を水切りの石のように跳ねながら急速に接近してくるLCAC-1、その挙動から見ればほぼ空荷の最大速度は出ているだろう。辻柾の座乗するPG艇は緊急脱出用とはいえ、後部に主武装となる対艦ミサイル、前部に76mm速射砲を備えるミサイル艇である。深海棲艦相手には気休め程度にしかならないが、現用兵器には十二分に対抗でき、この場合も即座に迎撃態勢に入らねばならない。とはいえ、提督と秘書艦だけでは操船しかできず、今は単なる飾りにしか過ぎない。

 

 あっという間に視認可能な距離まで接近してきたLCAC-1は速度を落とさずPG艇の寸前で右へ急転舵するが、大きく傾きながら船底に相当するエアクッション部を露出させたまま遠心力でPG艇に衝突した。その直前にLCAC-1から3つの人影が飛び出したことには辻柾を始め誰も気づいてはいない。

 

 LCAC-1の衝突程度で沈む様なPG艇ではないが、その衝撃で艇は大きく揺らされた。

 

 「うぉっっっ!」

 「きゃぁっ!」

 

 全員が甲板に倒れ込み体を甲板に打ち付ける羽目になり、それぞれに痛む箇所を押さえながらよろよろと立ちあがる。その3人が目にした()()は、76mm速射砲の砲身を止まり木のようにして四肢で留まる、月明かりを背に受けた黒い影だった。背中に負った月光が逆光になり表情等は良く分からないが、鹿島と辻柾、そして羽黒を見下ろすようにしている赤く光る両目だけがやけに目立つ。

 

 

 「あのLCAC、あなたたちのモノなの?」

 「潜入時には予め複数の脱出路を確保しなきゃ、ですから、はい」

 転舵により浮き上がった船体を陰にしながら海に出て艤装を展開したビスマルクと春雨は、それぞれ右舷と左舷からPG艇を挟むような位置に立ち、喫水線に砲口を向ける。右舷からちらりと船上に視線を向けたビスマルクがボソリとつぶやく。

 

 「…さっさと済ませなさいよ、アトミラール。事情は後でゆっくりと聞かせてもらうんだからね」

 

 

 

 時間は少し遡る―――。

 

 春雨の22号対水上電探改四が捕捉したのは、PG艇を目指し進む軽巡洋艦2、駆逐艦2。これに辻柾に合流していると思われる羽黒が加わると立派な水雷戦隊の完成だ。

 

 当初ビスマルクは現在地からの砲撃を主張した。ビスマルクの38cm連装砲4基と南洲の35.6cm連装砲1基、計5基10門の主砲にとって好適な砲戦距離であり、こちら側に被害を出さす一方的に叩くことができる。

 

 だがこれには、辻柾と羽黒の確保を優先するとして南洲が反対した。南洲とビスマルクの間に不穏な空気が流れたが、春雨の次の言葉でビスマルクもしぶしぶ納得した。

 

 「ビスマルクさん、南洲は確保するとは言いましたが、()()()()とは言っていませんよ?」

 

 ビスマルクと南洲がにらみ合ってるうちに、春雨は港の外れに偽装して隠していたLCAC-1を回航してきた。本来は脱出用に準備していたものだが、状況が変わった今、最も有用な道具となった。空疎重量なら最大70ノットもの高速を発揮するこの上陸用舟艇なら、10分以内にPG艇まで到着可能だ。そして南洲がPG艇に乗り込み辻柾を確保する間、ビスマルクと春雨は護衛部隊をけん制する。彼我の位置関係からして護衛部隊より10分ほど早く到着できる。

 

 

 一方左舷に陣取る春雨は不安な表情を隠せずにいる。

 

 人の身でありながら、部分的とはいえ艦娘の能力を振るう南洲だが、その稼働時間はおよそ1時間。これまでの作戦では制限時間を超えずに済んでいたが、今回ついにそれを大幅に超えてしまった。予め聞かされているリスクはあるものの、実際にどうなるのかは南洲にも春雨にも未体験である。事情を聞けばやむを得なかった部分もある。南洲と春雨が分かれた後、砲撃で崩落した建物に生き埋めになった南洲は、右の脹脛だけでなく、あちこちに傷や骨折を負っており、その修復のために艤装を展開しておく必要があった。

 

 だが、LCAC内で、明らかに南洲の様子は通常とは異なっていた。どうやら怪我の修復は概ね出来ているようなので35.6cm連装砲は格納させたものの、何を話しかけてもぼんやりと上の空。身体的にも右眼に加え左目までも赤くなり、浅黒いはずの肌の色も白っぽく変わっている。心なし…いや、明らかに髪までも長く伸びている。

 

 「南洲…どうすればあなたを止められるのでしょう?」

 左舷からちらりと船上に視線を向けた春雨が小さくつぶやく。

 

 

 

 「な…なんだ貴様は?」

 絞り出すように乾いた声で辻柾が目の前のモノに問いかける。言葉の代わりに、砲身からふわりと飛び降りてくるものの姿を見て、ようやくそれが人間の形をしていると理解するに至った。同じようにそれを見ていた羽黒は衝撃を受けた。

 

 「ふ…そう…さん?」

 

 かつての基地で砲火に倒れたはずの秘書艦が突如現れれば、羽黒でなくとも驚くに違いない。白く嫋やかな巫女服様の衣装に長い黒髪がトレードマークの扶桑だが、今目の前にいるのは、NWUパターンのMCCUU(海兵隊コンバットユニフォーム)を少し改造した戦闘服にタクティカルベストをまとった、現代的な出で立ち。流し目から送られる涼しげな視線は妖艶さと殺意の両方を振りまいている。

 

 一方鹿島も月明かりに照らされ優雅とも言える動きで甲板に降り立つ扶桑の姿を、美しいとさえ感じながらぼんやりと見ていた。

 

 

 「久しぶりですね、辻柾大佐。いえ、今は戸越少将でしたか? まぁどっちでもいいですね。獣のような貴方の魂の臭いは名を変えたくらいでは消せませんから。それよりお忘れですか、貴方が南洲にしたことを? 私、妻として、今でもどうしても許せなくて…こんな機会なので無理を承知で()()出てきました」

 

 一時間という制約時間を超えた時に何が起きるのか、その答えが今、辻柾大佐の目の前に立っている。結論から言うと、南洲の内側に()()()()()封じられていた扶桑の分霊が主導権を奪い、()()()()()()()()()扶桑として現界した、そういう事象となる。

 

 かつて南洲が率いていた基地の二代目秘書艦にして、南洲の事実上のケッコンカッコカリの相手、基地が襲撃された際の戦闘で命を落としたはずの艦娘。大抵の損傷なら入渠により回復できる艦娘の数少ない例外が、頭か心臓を一撃で破壊されること。生体機能を司るこの2つの部位が停止すればいくら艦娘と言えどもその修復は行えない。扶桑の場合、心臓部の過半を破壊されていた。瀕死の重傷を負った南洲と扶桑…この二人を技術本部は融合させた。

 

 「…南洲? 扶桑? ウェダ基地の生き残りかっ!? いや…そんなはずは…この手で確かに…」

 

 にっこりと笑いながら右手を差し出して近寄ってくる南洲(扶桑)に、辻柾は恐怖を感じ後ずさりを始める。扶桑はごく自然に、それでいて人間の目では追えない速さでそのまま辻柾に近寄り、正面から辻柾の首を掴むと高々と持ち上げる。

 

 「…それでも私、あなたには感謝しているのよ? 私と南洲は、文字通り一心同体になれたのですから。でも、()が前に出過ぎると、どうやら南洲にはよくないようなので…。妻は三歩下がって夫の影を踏まず、と言いますし、仕方ないでしょうか。ですが…あなたに感謝することとあなたを許すことは別です」

 

 一つの体を共有する二つの魂。より強い扶桑の想念を抑えるための制限時間が1時間であり、それを大幅に超えた今、南洲の意識は扶桑のそれに侵食されていた。そしてそれが南洲という『個』の消失であることを、扶桑自身も理解しているようだ。右手に力がこもり、辻柾の顔が真っ赤になり必死に自分の首を絞めている手を外そうともがく。そのもがきを満足そうな微笑みを浮かべながら見つめる南洲(扶桑)は、さらに言葉を重ねる。

 

 「南洲はあなたに何か聞きたいようですが、夫が傷つくと分かっていながら、妻としてそれを見過ごす訳にはいきません」

 

 辻柾の首を絞める手にさらに力がこもる。もがいていた辻柾の手がだらんと力なく落ち、腰に吊るす拳銃に触れる。破れかぶれに銃を抜いた辻柾は発砲し銃弾は扶桑の左肩に命中した。辻柾を空中に吊るしていた力が無くなり、その体は甲板へと落ちる。撃たれた扶桑も弾き飛ばされた。咽こみながらひゅーひゅーと少しでも肺に空気を送り込もうと必死の辻柾と、甲板に体を横たえぴくりとも動かない扶桑。

 

 先に次の行動に先に入ったのは()()だった。長い黒髪は元の長さに戻り、肌の色も彼自身の浅黒い色に戻っている。左腰に吊るした銃を右手で何とか取り出し手の中で向きを変えると、そのまま撃つ。辻柾の絶叫が夜の海に響き渡る。

 

 「痛ぇなこの野郎、何しやがる。まぁいい、ウェダの元司令官が会いに来た、と言えば思い出すこともあるか?」

 銃撃を受けた衝撃で扶桑と入れ替わるように意識を取り戻した南洲が、自分の言葉で辻柾に相対する。溢れる血を止めるように、辻柾は右手で銃創と呼ぶには大きすぎる左肘の傷口を必死に抑えている。自分には理解できない物に触れた純粋な恐怖で支配された辻柾の目には涙が浮かんでいる。

 

 「簡潔に答えろ。誰の指示でウェダ基地の攻略作戦を立てた? 作戦参謀と言うだけあってあの作戦は見事だったが、誰が何の目的で攻撃を仕掛けた?」

 

 いやいやをするように辻柾は首を横に振り続け、その仕草が南洲の感情を爆発させた。続けざまに響く銃声と途切れない辻柾の悲鳴。それは海上で警戒を続けるビスマルクと春雨の耳にも届いていた。

 

 早く終わってほしい、と言いたげな辛そうな表情で頭を振りながら耳を塞ぐビスマルクと、まだ続けるのですか、と言いたげな悲しそうな表情で船上を見つめ続ける春雨。

 

 

 月明かりに照らされた暗い夜は、まだ終わらない。



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11. 心の叫び

護衛部隊、そう辻柾が呼んでいた艦隊の正体は深海棲艦だった。すぐさま迎撃に向かう春雨とビスマルク。一方PG艇の甲板では、南洲と羽黒、そして鹿島の思いが交錯する。

(20160928 改題)


 「護衛部隊の距離10,000まで接近…ビスマルクさん、直ちに砲戦開始っ! 相手は深海棲艦ですっ」

 「はぁっ!? ちょっと春雨、一体どういうことなのっ!? てっきり鎮守府から誰かが接近してきてるのだと…」

 「春雨に聞かれても分かりません。でも、お話合いができる相手ではないことは確かです、はい」

 

 春雨とビスマルクが忙しく通信を交わしながら行動に移り、月と星が見守る黒い海面に突如沸き起こる轟音とブラストが砲戦の開始を告げる。南洲のいるPG艇に敵を接近させないため、加速に優れる春雨が先陣を切り、牽制の全門斉射を加えた後にビスマルクが疾走を始める。

 

 

 PG艇の甲板上では、血だまりで激痛にのたうつ辻柾相手に、笑みを浮かべた南洲がよろめきながら近寄る。撃たれた左肩からの出血は止まらない。

 

 「そろそろ俺の質問に答える気になったか? もう一度聞くぞ、誰の指示でウェダの攻略作戦を立てた? 誰が何の目的で攻撃を仕掛けた?」

 

 息も絶え絶えな辻柾が口をパクパクと動かすが言葉にならない。目の前にいる男の赤く光る右眼を見ると、先ほどまでの異様な光景が思い出される。さっきまでは艦娘の扶桑だった。それが今は筋骨逞しい男。言葉にすればただの気持ち悪いジョークだが、そんなものが突然海から現れ自分の首を絞めてきた。扶桑? 南洲? ウェダ基地での()()を思い出し、今さらながら激しい後悔に苛まれる。

 

 自分の立てた作戦の結果をどうしても見届けたい、そんな理由で現地に乗り込み陣頭指揮を取った。一部想定外の事態が起きたようだが、それを除けば攻略部隊は順調に作戦を遂行し、残るは目的としていた艦娘の回収と司令官の死亡を確認するだけだった。そこに司令官の奪還のため襲いかかって来たのが扶桑である。戦線は大混乱となり多くの犠牲者を出したが、辛くも鎮圧した。辻柾は、本気で荒れ狂う艦娘の姿を見たのはその時が初めてであり、正直に言ってビビった。遅れて来た別働隊が扶桑を取り押さえている間に、這々の体で逃げ出した。最後まで見届けずにその場を立ち去ったから今自分はこんな目に合っているー辻柾の後悔は “作戦を細部まで完遂させずに終了させたこと”に向けられていた。

 

 甲板に体育座りで膝を抱える羽黒は、悪い夢でも見ているような気分で、その光景をぼんやりと眺めていた。海から突如現れたかつての司令官。前後の脈絡など思いつかず、自分をこの牢獄にも似た生活から助け出しに来てくれた、一瞬目を輝かせもした。だが、目の前に立つソレは、自分が見知った男の形をしているが中身はまるで異質な何か、そう思わざるを得ない。

 

 槇原南洲という司令官は、いたずらっ子のような無邪気な笑顔の似合うどこまでも陽性の青年士官だった。どの艦娘にも分け隔てなく接する公正さと堅実な部隊運用を是とし、頼りになる長として多くの艦娘が南洲に上官への敬愛の念を超えた想いを寄せ、羽黒自身も淡いながらその気持ちを自覚した時は彼の顔をまともに見られなくなったものだ。

 

 その思い出と自分の目の前に広がる血腥い光景がまったくつながらない。自分の知る南洲は、嬉々として人間に銃弾を撃ち込むような男ではない。見た目の異質さよりも、その歪んだ言動が何より心に刺さる。これでは今の司令官と何も変わらない、むしろより酷い。幾度目かの辻柾の悲鳴が、自分の考えに逃げ込んでいた羽黒を現実に引き戻した。

 

 「も、もう止めてくださいっ!! 司令官、どうしてこんなことをするんですかっ!?」

 南洲と辻柾、二人がその声に反応する。一人は恐怖に怯えた涙目で、一人は狂気に濁った赤い目で、自分に向けて視線を送る。

 

 「た、たす、助けて…。わた、私が悪かった…」

 「待ってろ、もう少しで終わる。つーかそんな所に座ってないでお前も手伝え」

 

 

ゆらり。

 

 どちらの声に呼応したのか、立ち上がる。ふらふらと歩き辻柾が手放した銃を拾い上げると、再び南洲と辻柾の元へと方向を変える。

 

すてん。

 

 血で濡れた甲板は滑りやすく、思わず転んでしまった。

 

 制服の白い上着が赤く染まるのを気にせず、鹿島は立ち上がると、辻柾を挟んで南洲と向かい合わせの位置に立つ。銀髪のツインテールにやや釣り目の青い瞳、白い頬には転んだ時に付いたのだろう、跳ねた血が筋を作っている。これがビスマルクの言っていた、鹿島という艦娘か-南洲は二重の意味で怪訝な表情を浮かべる。一つは情報でしかこの艦娘を知らない、もう一つは、その知らない艦娘がなぜ銃を持って自分に相対しているのか? まさか辻柾を助ける気だとすれば、この艦娘も倒さねばならない。南洲の顔が苦くゆがむ。

 

 「お、おい…」

 戸惑いながら鹿島に声を掛ける南洲だが、鹿島の返事に慄然とさせられた。

 

 「…ぇへへ♪ やっと来てくれたんですね、私の提督さん。…血まみれでも鹿島には王子様です、うふふっ。え、あ、な、何でも無いです! それよりも、()()を撃てばいいんですね。私、人間の銃なんて撃ったことがないから、上手く撃てるかしら」

 

 -正気じゃない、のか?

 

 血で汚れた頬を赤く染める鹿島は、少し釣り目の目を微笑みの形に変えながら、銃を構える。本人の言う通り拳銃での射撃経験はないのだろう、必要以上に腰を引いた何とも言えない格好で銃口を辻柾に向けている。

 

 鹿島自身も気づいていないが、彼女は限界寸前の心を抱えながら日々を送っていた。辻柾の排除を決心して以来、なかなか隙を見せないこの男を油断させるため、あらゆる手段、それも仲間である艦娘達がいかに苦痛に思うか、それだけを考え進言し、同類と思い込ませることに腐心しながらもその裏で艦娘達を励まし勇気づけてきた。仲間を右手で殴り左手で撫でるような、矛盾した行為に鹿島は自らの心を苛まれながら、自分を解放してくれる存在がきっと現れると信じること、それだけに縋る様になっていた。

 

 それはたった今訪れた。海から突然現れたかと思うと、大きな拳銃を振るい、自分を、仲間を傷つけてきた敵に苛烈な懲罰を加える背の高い赤い目の男。鹿島の目には、最早南洲しか映っていなかった。

 

 

 その南洲の目が遠くにブラストを捉えた。黒い塊が夜空を切り裂きながらぐんぐん迫ってきたと思うと、離れた左右に大きな水柱が立ち、PG艇が揺らされる。鹿島は悲鳴を上げながら甲板に倒れ込み、羽黒は自分の体を抱えるようにして動こうとしない。南洲も体勢を大きく崩す。

 

『南洲、ザザッ洲、聞こえますか? あぁ、やっとつなザーッた、早く脱出してザザザッツいっ。深海棲艦4、ザザッ中ですっ!』

 

 突如飛び込んできた春雨からのノイズ交じりの通信。南洲がつけているヘッドギアに内蔵されているインカムだが、これまでの戦闘でどうやらほぼ使い物にならなくなっていたようだ。だが通信が無くとも状況は分かる。4対2では、敵が懐に入るのを抑えきれないのだろう。ここにいては、二人は自分を守りながらの戦いで思う様に動けない。

 

 仕方ない、二度手間だが辻柾と羽黒と鹿島を連れて脱出するか-そう思い周囲を見回した南洲の目に、銃を持った鹿島が辻柾によろよろと近づいてゆく姿が飛び込んできた。

 

 「おいっ、止めろっ」

 艦娘が人間に危害を加えた際には極刑、この場合は解体処分しか用意されていない。ここには南洲と羽黒以外に目撃者はおらず、辻柾のこれまでの行いを考えれば止める必要もない。だが、人を殺すということは自分の心を殺すことでもある。情報を聞き出すことなどすっかり忘れ、南洲の心持ちは在りし日の司令官のそれに戻っていた。

 

 一気に鹿島に駆け寄ると、手にした銃を取り上げようとし、もみ合いになる。最中、銃声が二発響く。一発は南洲の右わき腹に、もう一発は辻柾の胸部に、それぞれ命中した。ぐっと短い声を発し、一瞬だけ体を跳ねさせ、辻柾はそのまま動かなくなった。硝煙を上げる銃口を上に向けるようにして鹿島の手を抑える南洲も堪らず蹲る。自分が何を撃ったのか理解した鹿島は青白い顔でガタガタ震え出し、『あ…あ…』と震える声しか出せずにいる。

 

 「心配するな鹿島、ただの事故だ、これは。お前は揺れる船の上で()()()()()()()()。ただそれだけだ、いいな?」

 さすがに血の気を失い青ざめた表情のまま、南洲は無理矢理笑顔を作り鹿島に言い聞かせる。ゆっくりと鹿島も甲板に膝をつき、震える手を南洲に伸ばしてくる。

 

 「で、でも…私、あなたと戸越提t-」

 「辻柾はすでに死んでいた。俺がさんざん撃ったからな。お前のせいじゃない」

 真っ直ぐに手を伸ばした南洲は、やや乱暴に鹿島の頭をくしゃっと撫で、弱々しいが、それでも再び笑顔を見せる。それを見た鹿島はぺたんと甲板に座り込み、ぼろぼろと泣き出しながら、一気にまくしたてる。

 

 「も、もう…みんなを実弾演習に駆り出したり、ひどい懲罰を考えたり、え…えっちな命令を強要したりしなくていいの? 羽黒さんにイヤな役を押し付けなくていいの? わ、私…私…」

 

ぐいっ。

 

 そのまま鹿島を自分の方に抱き寄せた南洲が、優しい声で一言だけ告げる。

 「もう、お前が自分の心を傷つける必要はない。いいな?」

 

 

 そしてゆらりと立ち上った南洲は、甲板の隅で身を守るように自分の体を抱いている羽黒に歩み寄る。膝をついて目線の高さを合わせ優しく話しかけると、羽黒の肩がびくっと大きく震えた。

 

 「羽黒…俺h――」

 「いやぁぁぁーーーっ、来ないでぇーーーっ!!」

 

 羽黒の甲高い絶叫が、南洲を拒絶した。

 



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12. ごめんな

 春雨・ビスマルクVS深海棲艦4体。羽黒の心に南洲の思いは届くのか。


 「は、羽黒…俺が分からないのか…?」

 思いがけず羽黒に拒絶された南洲は、戸惑いながらももう一歩羽黒に向け歩き出す。その彼に対し伏せていた顔を上げ、羽黒が初めて見るような人に向けるような視線で問いはじめる。

 

 「あなたは一体誰なんですか? 私の知っている司令官は、人を平然と傷つけたり、そんなことに私を参加させようとするような人ではありません。それに…その右腕と右眼…一体…」

 

 血の気の失せた南洲の顔色がさらに青ざめ、ぐらりと体が揺れる。確かに抵抗を排除した上で相手に銃弾を撃ち込み、その所業に羽黒を参加させようとした、客観的に見ればそう言われても反論できない。羽黒との距離が無意識に遠ざかる。

 

 「辻柾は…復讐の鍵…だったが…。今も無事な艦娘達を取り戻して…もう一度…みんなでウェダに…帰ろう」

 その辻柾は鹿島の手にかかり、必要な事は結局聞き出せなかった。体の限界か気持ちの限界か、途切れ途切れの言葉を絞り出す南洲に、羽黒は心底不思議そうな表情で問い返す。

 

 「帰るって…何を言ってるんですか? ウェダはもう…ただの廃墟ですよ? 一体何がしたいんですか?」

 

 いつどうやって自分は基地司令官に復帰するのか-あえて考えないようにしていた事を羽黒に指摘され、今度こそ南洲は沈黙した。二発の銃弾を受けている南洲は、普通ならいつ意識を失っていてもおかしくない。遅れてやって来た鹿島が背中から支えるように寄り添う。

 

 「は…ははっ、ははははははっ!」

 身を震わせながら唐突に哄笑する南洲を、他人事のように見るともなく見る羽黒。人が集い安住の場所ができるのか、安住の場所があるから人が集うのか、いずれにせよ南洲もまた何かに縋っていた。

 

 

 

 すでに春雨とビスマルクは、軽巡洋艦2駆逐艦2から成る深海棲艦の艦隊との戦闘に突入していた。ビスマルクが牽制のために放った斉射を確認するや否や、単縦陣を散開させ魚雷を斉射しこちらに突入してきた。命中を期待したものではなさそうだが、回避運動を余儀なくされた春雨とビスマルクは方角距離とも大きく離れ、様相が異なる2対1の戦いをそれぞれ強いられることになった。

 

 距離を保ちながら砲戦で相手を仕留めたいビスマルクは、回避運動を取りながら測距を続け、徐々に弾着を修正してゆく。それに対し敵部隊は、38cm連装砲により林立する巨大な水柱を陰にしながら徐々に距離を詰めてくる。

 

 敵弾を躱しながら主機の回転を上げ一定の距離を維持しようするビスマルクだが、頭の中は疑問符が飛び交っていた。傍受した辻柾の通信では確かに『護衛の連中』と言っていた。だがここにいるのは深海棲艦だ。その事実が導く可能性は二つ、一つは艦娘部隊を殲滅した深海勢との遭遇戦。目の前の敵は明らかにPG艇を攻撃目標とし、そのために自分と春雨を排除しようとしていることを考えれば納得がいく。そしてもう一つの可能性…辻柾が呼び寄せた部隊そのものが深海棲艦であること。だがそんなことがあり得るのか? 集中力を欠いたビスマルクの単調な回避行動を見逃さずに放たれた、敵軽巡の6inch連装速射砲の砲弾がDora(第四砲塔)を直撃した。

 

 6inch砲程度では38cm連装砲の装甲天蓋は貫通できず、弾き返され砲弾はあらぬところで水柱を立てた。だが激しい衝撃を受け体勢を崩したビスマルクのドイツ軍将校帽が海面に落ちる。一瞬だけ残念そうな目を向けたビスマルクだが、夜目にも美しく輝く長い金髪を手でかき上げると、接近してくる敵部隊に闘志に燃えた目で不敵な視線を送る。

 

 「やるわね…! でもおかげで目が覚めたわ。ツジマサのことはアトミラールに任せて、私は目の前の連中を叩かないとね、Feuer!」

 

 Anton(第一砲塔)Bruno(第二砲塔)が軽巡ヘ級flagshipに、Caesar(第三砲塔)、そして直撃を受け多少の凹みと傷が見られるDora(第四砲塔)が駆逐ニ級に、それぞれ斉射を繰り返すビスマルク。轟音と衝撃波が海面を渡り、砲口から立ち上る炎が一瞬夜を白く照らし、砲煙がそれを覆い隠す。それらが収まった時、敵と呼ばれるものは既に存在していなかった。

 

 「こっちは終わったわ! そっちはどうなの、春雨?」

 

 

 

 一方春雨は、巧みな位置取りから十字砲火で砲撃を浴びせてくる相手に対し、急加速と急減速を織り交ぜた大小様々なスラロームで敵弾を躱しながら肉薄しようとする。それでも駆逐艦に近づけば軽巡が、軽巡に近づけば駆逐艦が、それぞれを庇い合う様にして春雨をけん制するためなかなかチャンスは訪れないものの、その距離は徐々に縮まってきた。

 

 春雨は軽巡に狙いを絞った。その分ニ級からの攻撃に晒されるが、少なくとも同じ駆逐艦同士の砲撃なら多少は耐えることができる-覚悟を決めた春雨は、敵魚雷に細心の注意を払いつつ、膝溜めの姿勢から一気に主機を全開にして急加速する。敵の攻撃を乱すのに、春雨の行うストップ&ゴーは身体や艤装への負担も大きいが極めて有効だ。果たして春雨は、軽巡ヘ級flagshipの予測した散布界をすでに駆け抜け、その懐に飛び込んでいる。この位置では射線が重なるため駆逐艦からの砲雷撃は同士討ちとなる。

 

 「南洲を守りきります!」

 そう言うと左手に装備した12.7cm連装砲B型改二を、ヘ級の人間のような上半身に向け連射する。いくら至近距離とはいえ、春雨の砲戦能力で一撃轟沈は望めないが、炎上したへ級は金属をこすり合わせたような不快な悲鳴を上げ堪らず離脱を始める。悲鳴を背にしながら春雨は移動し、今度は太腿に装備した61cm四連装酸素魚雷を駆逐ニ級に向け一斉に放つ。ロングランスとも呼ばれ長距離雷撃も可能な帝国海軍の至宝が、この近距離で外れる訳がない。直撃までの短い間を経て轟音と複数の水柱が立ち上り、二級を海へと還すことに成功した。

 

 「やるわね春雨、あんな機動初めて見たわ」

 「ビスマルクさんもすごかったですよー。まさに一撃必殺、そんな感じでした、はいっ!」

 ビスマルクが春雨の元に合流し、春雨の戦闘に興奮を隠せない様子であれこれ尋ねはじめ、ビスマルクの冷静沈着な精度の高い砲撃に舌を巻いていた春雨もまたその思いを素直に伝える。途端にビスマルクの目が輝き、ふふんと自慢げに胸を張りながら嬉しそうに答える。

 「何言ってるの、あたりまえじゃない。さぁ、アトミラールにも褒めさせてあげないと」

 

 目の端にブラストが見えたかと思うと、二人の周囲に水柱が立つ。装甲の薄い春雨を庇うようにビスマルクが前面に立つ。水柱が収まり二人が目にしたものは、離脱したと思っていたへ級が、炎上しながらもPG艇へ向け突撃している姿だった。

 

 射線上にヘ級とPG艇がいるため主砲や魚雷での攻撃はできない。慌ててビスマルクが3.7cm FlaK M42対空機銃で水平射撃するが、へ級の脚を止めるには至らない。知らせようにもPG艇にいる南洲のインカムは損傷している。

 

 「南洲―――っ!」

 「アトミラールッ!!」

 声を限りに春雨とビスマルクは叫び、へ級を物理的に取り押さえるため必死に追跡を開始する。

 

 

 

 再びPG艇甲板に話は戻る。

 

 海に響く叫び声が、南洲を現実に引き戻した。春雨の砲撃で炎上した敵艦がこちらに突進してきている。

 

 「敵? 敵なの? 戦うしかありませんっ! 見ていてくださいね、提督さん。うふふ♪」

 鹿島が立ち上がり艤装を展開する。その声を聞いた羽黒は一層怯えた表情となり震えはじめる。鹿島は練習巡洋艦とはいえ、相応の攻撃力を有している。14cm連装砲を背負い、支持部には12.7cm連装高角砲と探照灯をセットにした大型ユニットが設置される。炎上しながら接近してくる敵艦は自らを暴露しており、鹿島は右手の双眼鏡で敵位置を確認するとすぐさま射撃を開始する。複数回の斉射の後、鹿島の悲鳴が上がる。

 

 「命中、敵艦さらに炎上、速力低下っ! で、でも…止まりませんっ!! さらに接近してきますっ!」

 

 彼我共に軽巡であり一撃で仕留めきれなかった。後方からは春雨とビスマルク、前方からは鹿島の砲撃、へ級にはPG艇を道連れにする以外の選択肢はなく、ますます接近を続けてくる。

 

 南洲は、どこかすっきりとしたような表情で怯える羽黒に近寄ると、その黒髪をくしゃっと撫でる。

 

 「よく今まで耐えてきた………ごめんな」

 南洲が謝ることなど何一つない。それでも羽黒をこんな想いをさせてしてしまったのは自分だと、南洲は羽黒に詫びる。昔と変わらない笑顔を羽黒に残し、南洲はよろよろとPG艇の甲板先端へと向かい歩きだす。それを見た羽黒の心がざわめき、何か言おうと動きかけた口は、見送るその背中がぼんやりと白く光っていることに気が付き、そのまま言葉を飲みこんだ。

 

 

 「扶桑、もう一度力を貸せ。砲戦用意っ!」

 

 既に心身とも限界を超えている南洲だが、静かな声で宣すると右眼が赤いオーラを帯び始め、腰の基部から伸びるアームとその先端に35.6cm連装砲が現れる。だが黒鉄色の砲塔は半透明にも見えるぼんやりとしたものだ。体中の力を吸い取られるような感覚に耐えながら南洲は砲撃位置に砲塔を動かす。14cm砲で止められないなら、35.6cm砲で―――。

 

 「主砲、撃てぇっ!!」

 

 南洲の声と同時に発砲炎が甲板の二か所で起きる。放たれた砲弾は吸い込まれるように軽巡ヘ級に命中し爆散させた。一つは、前甲板中ほどに意を決した表情で立つ羽黒が電探射撃で正確に撃ちこんだ20.3cm2号連装砲。

 

 

 そしてもう一つは、発砲直前に自壊した35.6cm連装砲が上げた炎。南洲はそのまま甲板に倒れ込んだ。

 



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間章 りこれくしょん-1
13. 秘密


登場人物たちに焦点を当てた幕間章。

作戦終了から二週間、未だ面会謝絶の南洲と苛立ちが募る三人の艦娘。


 「はい、確かに報告書は受領しました。最終的に鹿島さんと羽黒さんに仕上げていただいて本当に助かりました。大尉はあの状態、仮に元気だとしても書類仕事はとにかくルーズだし、春雨さんのは絵日記のようだし、ビスマルクさんのは全部ドイツ語でしたし…。とにかく、久しぶりにちゃんとした報告書を読んだ様な気がします。それにしても…はぁ…」

 

 目の前に居並ぶ艦娘達-褒められてニコニコしている鹿島と照れくさそうな羽黒、可愛いく描けたのにと残念そうな春雨、何が悪いのよと頬を膨らませ不機嫌そうなビスマルク-を見ながら、大淀は項垂れながら額に手を当て、比喩ではなく頭痛を堪えていた。

 

 大淀は管理官として諜報・特殊作戦群を陰から支える存在であり、今回も作戦終了から今日に至るまでに生じた事態の収拾に全力を挙げていた。潜入しての暗殺どころか、陸海で派手な砲撃戦をやられると当然隠蔽は難しく、諜報・特殊作戦群の名に懸けて全力で情報操作をしている。そして今、さんざん待たされた()()()()作戦報告書とともに、その当事者たちが揃いも揃って管理棟に現れたのだから頭痛も無理もないことだ。

 

 

 「ビスマルクさん、何か言いたそうですね」

 大淀の間に目線で不可視の火花が散り、ビスマルクはカウンターにバンッと両手を付き、身を乗り出して食って掛かる。

 

 「いつになったらアトミラールに面会できる訳? もう二週間よ? 病室どころか病棟にも近づけないって一体どういうことなの? 電話じゃ埒が明かないから、直接来てあげたの。分かった?」

 

 不満を隠そうとしないビスマルクだが、鹿島も羽黒も表に出さないだけで気持ちは同じだ。この中でただ一人、病室まで入室を許可されている春雨は気まずそうな表情を浮かべている。他の皆もそれは知っているが、南洲と春雨の間の特別な関係も感じており、それに関して不平等だと言うつもりはない。ただ、自分たちはいつ面会できるのか? 大本営の一角にある宿舎に軟禁され続けるストレスも手伝い、全員で大淀の元に押し掛けた。

 

 「基本的に病棟は完全看護ですし、それ以外のことは春雨さん一人いれば十分なはずです。何よりまだ大尉は十分に回復していません。用事がそれだけなら、お引き取り下さい。私も暇ではありませんので」

 

 大淀は眼鏡をクイッと直しながら、冷めた表情でそう言い捨てるとクルリと背を向け、奥の執務スペースへと引っ込んでしまい、ビスマルクがいくら叫んでもそれきり誰も出てこなかった。

 

 

 

 すっきりしない気持ちを抱えながら四人は宿舎への帰り道を進む中、何事か考えていた鹿島が唐突に口を開く。

 

 「提督さん、ほんとうに大丈夫なのかしら…。やっぱり鹿島が傍にいた方が…。そうすれば…うふふ♪」

 何を想像したのか、鹿島は朱がさした両頬に手を添えながらクネクネと身悶える。体の動きに合わせその大きさを主張するように揺れる鹿島の胸を見て、羽黒と春雨が思わず自分のそれに視線を落とす。

 

 「形は悪くないと思うんですが…」

 「白露型は駆逐艦の中では大きい方なんですけど…はい…」

 

 瞳から若干ハイライトが消えた二人を気にすることなく、両手を腰に当て前かがみになりビスマルクは春雨の顔を覗き込む。ああ、この人もバインバインなんですね…瞳からさらにハイライトを消しながら春雨がぼんやり考えていると、唐突に真剣な口調で質問を受けた。

 「ねえ春雨(ハル)、アトミラールの容態は実際どうなの? それほど重態なの? 貴女しか知らないのよ?」

 

 その質問には真っ直ぐに答えず、春雨は質問で返す。

 

 「なぜビスマルクさんと鹿島さんはそんなにまで南洲のことを気にかけるのでしょう? ついこの間会ったばかりですよね?」

 

 顎に細い人差し指を当てながら春雨が問い返す。

 

 「提督さんは、鹿島の王子様ですからっ! うふふ♪血塗れになりながら、鹿島の事を救ってくれたんですよ」

 恍惚とした表情で、胸の前で手を組みながら迷いなく応える鹿島に対し、頬を赤らめながら挙動不審な振る舞いでワタワタしながらビスマルクも釣られて口を開く。

 「そ、それは…結果的に命を助けてもらったわけだし、は、初めての相手だし…って何を言わせるのよっ!!」

 

 軽くため息をつき、そんな二人を呆れたような表情で見ながら春雨は一気に説明をする。

 「…まぁいいです。今の所、南洲の意識はまだ完全には戻ってません。たまに目を覚ましますが、その度に錯乱するので鎮静剤で寝かせる、その繰り返しです。右脹脛の貫通刺創、左肩と右わき腹の銃創、複雑骨折は肋骨三本と左鎖骨、微細骨折は多数、右肩から背中にかけての火傷、右耳鼓膜損傷、一部内臓と頭部にもダメージがあるようです。これだけの重傷を負ってから二週間―――」

 

 春雨を除く三人が二週間前のあの夜の事を思い返す―――。

 

 

 

 ともかく四体の深海棲艦を撃破しPG艇に乗りこんだ春雨とビスマルクが目にしたものは、血に濡れた甲板、動かなくなった辻柾、そして横たわる南洲に必死に呼びかける鹿島と羽黒の姿だった。凄惨とも言える光景に棒立ちになったビスマルクと対照的に、春雨は迷わず南洲の元へ駆け寄る。

 

 「どいてくださいっ!! 南洲、私です、春雨(ハル)ですっ」

 鹿島と羽黒を押しのけ、あらゆる所に傷を負い意識を失っている南洲に、すぐさま脈や呼吸の有無、出血箇所の確認などを手際よく行う春雨。その姿を見ながら、こういう事態は春雨にとって初めてではない、ビスマルクはそう直感した。

 

 「早くハンヴィーに戻って手当しないとっ!」

 大柄な南洲を抱きかかえる春雨は甲板から海面へと飛び降り、そのまま港へと疾走する。残りの三人も同じように海面に降り立ち後を追う。港から鎮守府に向かい、途中から森を抜け神社の境内に停めたハンヴィーまで一気に駆け抜ける四人の艦娘。たどり着いた神社の境内で、春雨は一刻を争いながら対応を始める。

 

 訓練だけでは得られない手際の良さで、春雨がハンヴィーのカーゴルームに積載されている野戦救急セットを組み立てると、ビスマルクが南洲を簡易ベッドに横たえる。

 

 自発呼吸があることは確認できている。点滴を施し、体の各所の傷を洗いながら状態を確認し応急処置を続けると、不意に南洲が目を覚ました。両目とも赤く、唐突に上体を起こすと右手を春雨に伸ばしその細い首を握り、力を込める。だが流石にこれだけの怪我を負っているため、勢いほどに力はなく弱々しいものだった。

 

 「ちょ、ちょっと、アトミラールッ!? それは春雨よ、ツジマサじゃないっ!! 戦いはもう終わったの、分かる?」

 呼びかける声に南洲は反応せず、春雨の首を掴む手に必死に力を込めようとしている。

 

 咄嗟に首と南洲の手の間に自分の手を挟み気道を確保した春雨は、ビスマルクに視線を送り対応を冷静に指示する。

 「ビスマルクさん、そこの棚にある注射器で南洲に静脈注射を…」

 

 「分かったわ…って、そんなのしたことないわよっ!!」

 「なら…いつも通りにします、はい。春雨の制服のポッケに、青いアンプルがあります…」

 この程度で絞め落とされる心配はないが、さりとて振り解くには力が要りそうな首の締め付けに、春雨は不愉快そうな表情になる。その表情を苦悶と理解したビスマルクは慌てて春雨のポケットを探りアンプルを取り出すと、言われる通りに行動する。

 

 「先端を折って」

 ぱきっ。

 

 「中身を口に含んで」

 こくり。

 

 「南洲に口移しで飲ませてください」

 !?

 

 口に液体を含んでいるので声を出せないが、両腕をわたわた動かし動揺を示すビスマルクだが、すぐに気を取り直したようだ。

 (えっ!? ちょ、そんな………。仕方ないわね、アトミラール…ビスマルクの()()()なんだから、光栄に思いなさいよ)

 

 真っ赤な顔をしながら、ビスマルクは春雨と南洲の間に強引に体を割り込ませ、体重をかけて無理矢理南洲をベッドに押さえつけると、そのまま唇を重ねる。舌を使って南洲の唇を強引に割り、口の中の液体を流し込む。しばらく暴れていた南洲だが、やがて大人しくなりそのまま眠りに落ちた。

 

 「ふう…ハッ だ、大丈夫、春雨ぇ? …な、何これ、何で急に目眩が…あれ?」

 「少し飲んじゃいましたか? こういう時に使う経口鎮静剤ですけど…」

 南洲の手から解放され床に座り込み、肩でする荒い息を整えながら春雨がビスマルクに説明する。

 

 

 先に言ってよ、との言葉が終わるか終らぬうちに、ビスマルクも南洲の胸に倒れ込みそのまま眠ってしまった。騒ぎを聞きつけハンヴィーに乗り込んできた鹿島と羽黒がその光景を呆然と眺める。

 

 「はぁ…面倒なのでこのまま拘束しちゃいます、はい。鹿島さん、車の運転できますよね? 春雨の背ではこの車大きすぎて…」

 

 そこまで言うと春雨はくるりと羽黒の方を向く。反射的にビクッとなった羽黒だが、それに続く春雨の何気ない言葉で顔面蒼白になった。

 

 「久しぶりですね、羽黒ちゃん」

 

 久しぶり、という経過した時間の以前に共有していた何かがある事を指す言葉。そんな時間を共に過ごした春雨を、羽黒は一人しか知らない。

 

 ーウェダの春雨ちゃん!? そんな訳が…だって…。

 

 羽黒と協力して南洲とビスマルクをまとめて拘束帯で拘束した春雨は、鹿島に本部へ帰還するため運転を依頼し終えると、さすがに疲れたように床に転がり、そのまま寝てしまった。

 

 

 

 「…なので、皆さんには面会をもう少し待ってほしいのです、はい」

 納得した様子を見せる鹿島と羽黒に対し、ビスマルクは何か言いたげな目で、メイド服姿で微笑む春雨をじっと見つめる。

 

 -お前が扶桑を…

 薬で落ちる直前、アトミラールはそう言った。一体この二人にはどんな秘密が隠されているの…?

 



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14. 悲しい嘘

三週間経ち、やっと南洲との面会許可が下りるがビスマルクは勝負に負ける。鹿島と羽黒は、それぞれの気持ちを南洲にぶつける。


 作戦終了から三週間、ついに南洲との面会許可が下りた。

 

 すぐにでも病室へ駆けつけたいが、春雨・ビスマルク・鹿島・羽黒の四人に対し、面会枠は朝昼晩の三つ。それぞれにそれぞれの思いがあり、南洲を独占できる時間を欲しがったことと面会時間の制約の結果、誰がどの時間帯になるかジャンケンで勝負をつけることになった。

 

 「「「「じゃーんけーん、ぽいっ!!」」」」

 

 結果、ビスマルクは一抜けで敗北し、残り三人は今度は順番決めのジャンケンに夢中になっている。涙目になりながらそれでも強がるビスマルクは気にしていないような風を装う。

 

 「ふ、ふん。元気そうならそれでいいじゃないっ。私は医者や看護婦じゃないんだから。いいのよ、別に…グス。私にはやることもあるし、アトミラールの事ばかり考えていられないのよっ」

 

 裏を返せば、やることがなければ南洲の事ばかり考えている、そう言っているようなもので、他の三人は何も言わずに苦笑を浮かべる。

 

 

 

 春雨以外は知らないことだが、本部に帰還した南洲が担ぎ込まれたのは病院ではなく大本営の技術本部である。そこでの集中治療を経て、やっと大本営の敷地内にある海軍病院に移送された。そして面会が解禁になり、最初に訪れたのが鹿島だった。

 

 

 鹿島は元気に話しかけているが、南洲はぼんやりと天井を見上げ深く考え込んでいる。()()()になった際に、技術本部の気取った技官と、何と言ったっけ…霊子工学の権威とやらに念を押された事-扶桑の魂を現界させ艤装を展開できるのは約一時間。そして今回、その制限を大幅に超えた結果、記憶の部分的な欠落、生体修復機能の低下、挙句に艤装は自壊した。

 

 「はい、提督さん、出来ましたよ♪」

 八等分された皮つきリンゴが皿に盛られ、鹿島はその一つを取り上げる。

 

 南洲が徐ろに鹿島の方に頭を動かす。視線の先には、確かにリンゴがある。そしてそのすぐ後ろには目を閉じた鹿島の顔もある。要するに、口移しでリンゴあ〜ん、である。

 

 「分かりませんか? …ほら、これ」

 薄目を開け南洲の反応を見て、急かすように体を小さくゆする鹿島。本気か冗談か定かではないが、不意に動き出した南洲が一口でリンゴの中程までを咥えた拍子に、鹿島はビックリしてリンゴを齧ってしまった。

 

 「慣れない挑発はやめとけよ。じゃないと、泣くことになるぞ」

 口に広がる甘酸っぱい果汁と程よい歯ごたえ…南洲はリンゴをもごもご食べながら鹿島を窘め、じろりと視線を送る。

 

 「…なら、リンゴなしでも鹿島のこと、味わってくれますか?」

 「お前ね…」

 

 思わずリンゴを噴き出しそうになった南洲に、鹿島は口元を緩く握った手で隠すようにクスクスと笑いながら、安心したような表情を浮かべ南洲を見つめる。

 「やっぱり提督さんは、鹿島の王子様ですね」

 

 鹿島の熱い視線に気付いた南洲は、無理矢理ベッドの上で上体を起こし、鹿島の方に体を向ける。

 「…こんな血生臭い日陰者の王子がいるわけないだろうが。まぁ何だ、気を遣わせて。ありがとうな」

 自然な笑顔で南洲が礼を言うと、鹿島は顔を赤らめながら、ベッドの空いたスペースに移動してきた。そして南洲を柔らかく抱きしめ耳元で囁くように言葉を続ける。

 

 「提督さん、私…あの夜、月明かりに照らされた提督さんの姿が忘れられないんです。みんなを傷つけてばかりの私を救うために来てくれた王子様…。血塗れでも硝煙臭くても構いません。私、鹿島は貴方の傍にいたいです。でも、これからどうすればいいんでしょう…?」

 

 今の南洲は特務大尉に過ぎない。かつての基地は無く、あとどれだけ()()をこなせば提督に戻れるのかも分からない。寄り添う鹿島を安心させる言葉一つかけられず、南洲はもどかしさに唇を噛む。

 

 一方の鹿島も、どうすればいいのか、そう言いながら実は分かっている。南洲は自分が辻柾を殺した、そう優しい嘘を付いてくれた。南洲の元にいたい、その気持ちに嘘はないけれど、これ以上迷惑はかけられない-鹿島は、報告書にあの夜起きたありのままを書き、処分を待っていた。今さら元の鎮守府には戻れず、さりとて自分の受入れを表明する他の鎮守府がある筈もない。残る道は…人間を手に掛けた艦娘として解体処分だろう。

 

 「…ごめんなさい、提督さん。困らせちゃいましたね。早く元気になってください、また来ます。うふふ♪」

 ベッドから軽く跳ねるように降りると、くるっと南洲の方を振り向き、すばやく触れるだけの軽いキスをする。

 

 「…来れたら、ですけど」

 病室を立ち去る鹿島の小さく呟きと、目に涙を浮かぶ涙を南洲は見逃さなかったが、同時にかける言葉が見つからなかった。

 

 

 

-コンコン

 

 昼食後、おずおずと羽黒が入室してきた。南洲はゆっくりと上体を起こそうとするが、駆け寄ってきた羽黒に再び寝かされる。

 

 「だ、ダメですよ司令官っ。ちゃんと体を休めてください。お願いですから…」

 「は、羽黒…」

 南洲の両肩をベッドに押さえつけながら発した言葉の最後は消え入るように小さくなり、うつむきながら小さく体を震わせていた羽黒だが、自分の名を呼ぶ南洲の言葉で我に返る。南洲の体に触れていることに気いた羽黒は、真っ赤な顔で慌ててベッドサイドの丸椅子に移動する。

 

 

 「あ、あの…ごめんなさいっ!!」

 小さくなりながら必要のない謝罪をする羽黒に、南洲は微笑みだけで答える。

 

 「そ、その…私、ここで本を読んでますから、必要なことがあったら何でも言ってくださいね」

 

 南洲は取りあえず窓を開けて空気を入れ替えてくれるよう羽黒に頼み、後はまた何かあれば、と言ったきり、沈黙が訪れた。

 

 

 窓から入る風がカーテンを揺らす微かな衣擦れの音と本のページが捲られる音だけがする部屋の中、ぽつりぽつりと声が掛けられる。

 

 「司令官、ご存知ですか…」

 「ああ…」

 

 羽黒は本を読んだまま視線を合わせず、生き残った数少ないかつての仲間たちの消息を教えてくれる。諜報・特殊作戦群に身を置く南洲の方がより詳しく知ってたが、それは口には出さす曖昧に返事を続ける。やがて羽黒の声が徐々に震えてくる。

 

 「私は…司令官が炎の中を彷徨っている姿を見て以来、人型をしている相手が怖くて砲が撃てなくて…色んな拠点を転々としました」

 「………」

 「砲の撃てない重巡洋艦なんて必要としてもらえず、あの鎮守府で、みんなにイヤな事を押し付けてまで生き延びていました」

 「…羽黒」

 「本当に辛くて、何度解体を申請しようと思ったか分かりません。でも、そういう時に限って、司令官の笑顔を思い出すんです…あと一度だけ、昔みたいに頭を撫でてもらえたら、もうそれで諦めがつく、いつもそんなことを思っていました」

 

 羽黒が読んでいた本をテーブルに置くと、腰掛けたまま椅子をずるずる引き摺りながら、南洲のベッドのすぐ脇に近づいてきた。

 

 「どうして私たちの前からいなくなったんですか? やっと会えたと思ったら、血まみれの笑顔で人を平然と撃っていて…。一体何があったんですか? 私、あの時本当に貴方が怖かった。でも、やっぱり昔と変わらない笑顔を見て、あんなに傷ついても敵と戦おうとする貴方の背中を見ていたら、不思議と怖くなくなって…。分かったんです、私、あなたの背中を守るために砲が撃てたんですっ! お願いですから、もう二度と私の前からいなくならないでください…でないと私…」

 

 そこまで言うのが精いっぱいだったのだろう、枕元に顔を埋め激しく嗚咽を続ける羽黒の髪を、南洲は何も言わずに優しくなで続けている。いつしか小さな寝息が聞こえ、羽黒が泣きながら眠りに落ちたことを知らせるが、南洲は頭を撫でる手を止めなかった。

 

 いなくならないで欲しいという羽黒の気持ちは痛いほど伝わってきたが、どこからいなくなるというのか? 今の()()()には帰る場所はない。それは羽黒も分かっているはずだが、それでもそう言わずにはいられなかったのだろう。

 

 辻柾を含め、艦娘を色々な形で傷つける輩は少なくはない。特に艦娘の場合比喩ではなく体の傷はどんな物でも癒えるといって良い。だが心の傷は残り続け何時までも血を流す。それを分かっているのだろうか? そこまで考えた南洲は歪んだ笑みを浮かべていた。そんなことが分かる連中なら、あんなことをする筈がないし、だからこそ自分は自分の基地を襲撃した連中を許すことが出来ないのだろう、と。

 

 艦娘の想いは、人間が思うより遥かに濃やかだ。だがそれは今の俺を弱くする…南洲は色の違う両手を眺めながら、いかすけない上官の言った『復讐か復権か』の言葉を思い返していた。

 

 

-コンコン

 

 すでに外は夕暮れになり、差し込む日の光はオレンジ色に変わっていた。ドアをノックする音に跳ね起きた羽黒は、すぐに自分がどういう状態だったのかを悟り、真っ赤になりながら南洲に繰り返し詫びていた。返事を待たずに部屋に入ってきた春雨は、羽黒の表情を見て何かを感じたのだろう、優しく微笑みかけながら傍に寄り添い、頭をぽんぽんとする。そして南洲に言付ける。

 

 「南洲、お客様をお連れしましたよ」



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15. 謎

誰のための復権か-羽黒と鹿島は涙し、いつまで復讐に縋るのか-春雨は憂い、何のための実験か-ビスマルクは訝しむ。


 来客、と訝しむ南洲の前に、鹿島とビスマルクが現れた。

 

 ビスマルクと鹿島は病室の入り口近くの壁に凭れたまま、何も言わず立っている。手を後ろ手にする鹿島と胸の前で腕を組むビスマルク。春雨はベッドを挟んだ反対側にある丸椅子に腰かけると、羽黒がしていたのと同じように、南洲の枕元に顔を埋める。ベッドに広がる桃花色の髪を不思議そうに眺める南洲だが、我に返ったように春雨に呼びかける。

 

 「お、おい…」

 「はぁ…南洲の匂いがします…。本当なら、今は私の時間枠ですが、ビスマルクさんも鹿島さんも涙目のままなので、仕方ないから連れてきちゃいました」

 

 ベッドから上体を起こすと、春雨は鹿島に室内灯を点けるように頼む。LEDの灯りが室内を照らす。

 

 「みなさんが気になっていることは色々あると思いますが、南洲の状態について、共有したいです」

 

 唐突に春雨が口を開き、全員の視線が集まる。それを気にするそぶりもなく、春雨は南洲の目を見ながら、いいですよね、と許可を求める。南洲は苦笑いしながら、春雨の頭を撫でると、それに答える。

 

 「まぁ、いいさ。それに今回のことは、俺自身もよく分かっていないんだ。むしろ教えてくれ、春雨(ハル)

 

 こくりと頷いた春雨は、そもそもですね、と話を切り出し始める。

 

 

 

 「なっ! ってことは…アトミラールは既婚者だったっていうのっ!?」

 「そんな…鹿島の王子様が…」

 ビスマルクと鹿島が血相を変え、南洲のベッドの周りに駆け寄ってきたと思うと、鹿島はベッドの足元で南洲の脚に取り縋る様にしている。

 「でも大丈夫ですよ、最初は二号さんからでも、鹿島は構いません。うふふ♪」

 

 一方ビスマルクは羽黒を押しのけて南洲の胸倉を掴む。

 

 「あ、あなたねぇーっ、ここまで人の気持ちをかき乱して置いて、実は既婚者ですってどういうことよっ!!」

 「な、何がだ!? 話が全く見えないんだが…」

 

 まだ話はほとんど進んでおらず、かつて南洲が渾作戦を遂行するため南方に設置された前進基地の長であったこと、春雨と羽黒はその頃からの部下であること、そして南洲は扶桑と事実上の婚姻関係、そこまでしか春雨は語っていないのにこの有様である。

 

 「ビ、ビスマルクさん、司令官は怪我人ですからっ! 落ち着いてくださーいっ」

 南洲の上体をがんがん揺するビスマルクを必死に止めようとする羽黒。その姿を見て春雨が笑いはじめる。

 

 「実は私もその辺の詳しいことは知らないのです、はい…。むしろ羽黒さんの方がケッコンカッコカリの話は詳しいかも、です」

 「と、とにかくっ。私は既婚者なんてごめんだわっ」

 「ならその心配はありませんよ、ビスマルクさん」

 

 笑顔のままやや昏い眼で、春雨はぽつりとこぼす。ビスマルクに揺さぶられふらふらしていた南洲も、落ち着きを取り戻し、その表情が苦い物に変わる。

 

 「扶桑はもういない…というか…あの基地にいたほとんどの艦娘は戦没してしまった」

 ビスマルクと鹿島の表情が変わったが、南洲は淡々と話を続ける。

 

 「ある日の深夜の事だ。俺の治めていたウェダ基地は急襲を受け潰滅した。何が目的なのか、誰が実行犯なのか、いまだに分からない。たくみに計画されたもので、最初の攻撃で多くの者が斃れ、その後も続く戦闘…とは言えないな、一方的な虐殺で一人また一人と斃されていった。そして扶桑はその時に…。俺もほとんど死にかけの重傷を負ったが春雨に助けられた。羽黒は運よく大した怪我もなく生き延びてくれた。基地は廃止され、生き残った数少ない連中は各地に再配属されている」

 

 病室を沈黙が支配していたが、ビスマルクがそれを破る。

 「アトミラール、貴方はあの時、貴方の体の『四分の一は艦娘』だって言ったわよね? それってもしかして…」

 「そうだ、死にかけの俺は九死に一生を得た。あの重傷から五体満足で復帰できたのはありがたいが、繋がれた右腕と右眼が扶桑のものだと知った時は、冗談じゃなく気が狂うかと思った。技本…技術本部には感謝もするがそれ以上に反吐が出そうだがな。だが、俺は俺の基地を襲った連中を許す気はないし、そのために()は大きいほうがいい。俺と春雨は、軍の命令で()()を続けながら黒幕を洗い続けている。仕事と言っても、それこそこの前のような作戦も含め、だいたいは汚れ仕事だがな」

 

 

 

 「どうやら大尉の容態は安定しているようですね。でも右腕と右眼を失い、春雨さんに助けられた…大尉はそう()()しているんですか…」

 管理棟の一室で、病室を監視するモニターを見つめる二人。管理官を務める大淀と―――。

 

 「彼のその理解は基本的に間違いではないよ。でも興味深いよね、最も深刻な損傷を受けていたのが()で、自分の記憶に欠落があったり操作を施されていると知ったら、彼は本当に気が狂ってしまうかもしれないね。それは春雨も同じ…いや、彼女は違うか。むしろ羽黒が春雨に疑問を持っているようだね。いやぁ、色々心配だな」

 

 とてもそのように聞こえない口調で大淀に話しかるスーツ姿の細身の男-南洲の言う『いかすけない』上官である、遠藤 仁(えんどう ひとし)大佐。完全に職業病だろう、隙のない微笑みを浮かべている。再び大淀が問う。

 「彼は…大尉は、今後どうなるんでしょう?」

 「んー、身体機能強化と生体修復と攻撃を同時に、しかも制限時間を遥かに超えて行っていたからね。霊子工学部門からの報告では、扶桑の分霊は接続を拒否してるんだってさ。完全に物質化させた副砲(拳銃)は引き続き使えるのと、右腕を核とする強化された身体能力はそれなりに、生体修復機能は多少機能しているようだけど、艤装の展開は不可…簡単に言えば、普通の人間より多少強力な特務隊員だねぇ。でも、彼を特別な存在にしていた多くの要素は失われた、あるいは使えなくなったから、さてどうしようかな」

 

 背もたれに体を預け頭の後ろで手を組み、椅子に座ったままくるくると回る遠藤大佐。大淀は、言葉ほどこの大佐が困っていないことを長年の付き合いで知っている。十中八九、遠藤大佐は大尉を切り捨てるつもりだ…管理官として()()()()()()()()()()()()()彼の出す命令に従わなければならない。時には知らなかった方がいいこともあるのよね…大淀は言葉にしないが、南洲がこれまで辿ってきた道を思い返し、暗澹とした気持ちになる。それにこの大佐は、絶対に何かを隠している…それを見つけ出し、()()()()()()()()にしかるべき報告を上げなければ…。

 

 

 

 再び病室へ話は戻る―――。

 

 「そんなことが…」

 それ以上の言葉が継げず羽黒は絶句してしまった。基地の潰滅後、自分は立ち止まってしまい、望まぬ形で転々とし解体まで考えるほど思いつめた。だが南洲は、自分の意志で炎の中に留まり、今もその身を焼き続けている。それは再び拠点長として返り咲き、自分を含む生き残った数少ない艦娘を迎えるため-それがどれほど辛い事なのか容易に想像がつく。そして、離れていてもどれほど南洲が自分のことを考えていたのか、それに思いが至り、羽黒は涙を止めることができなかった。

 

 そんな羽黒を慰めるように背中からそっと鹿島が抱きしめている。それに気づいた羽黒も、自分を抱きしめる鹿島の手をそっと握り返す。同じ鎮守府で、お互いに傷つき傷つけ合いながら、何とかここまで生き延びてきた。命がけ、と口で言うのは簡単だが、それを本当に行動する南洲がどれほど得難い物か。もっと早くこの人に出会えていたら…と繰り返し鹿島は思うが、今さらどうなるものでもない。南洲(この人)しかいない、との思いと同時に、羽黒への羨ましさの両方を感じながら、鹿島はふと正面にいる春雨に視線を向け、ただ無表情に自分たちを見つめている春雨に気づき、思わず身震いしてしまった。

 

 「…でも南洲、扶桑さんの()は、多分もう…」

 言葉こそ沈んでいるが、その表情には嬉しそうな色が滲む春雨が、南洲の手を取りながら訴えかける。あの力があるからこそ、南洲は身の危険を顧みず復讐という考えを捨てない。それを果たす力があるからだ。南洲の願うことは全て叶えたいと思う反面、その願いが南洲自身を破滅へと誘っているように春雨は感じていた。共に堕ちる、それも構わないが、それ以外の道がもし選べるなら-。南洲も困ったような表情でため息をつきながら口を開く。

 

 「まぁ、な。何となく分かってはいる。意識が戻ってから何回か扶桑にアクセスしようとしたが、まったく繋がっている感じがしない。一時的なものだとは思いたいが、技本の連中の話からすると、あまり期待はできそうにないな」

 

 不愉快そうな表情で唐突にビスマルクが口を挟んできた。

 

 「客観的に言って、アトミラールに施された実験は意味が分からないわ。砲は撃てても海に出れない、戦えるのは一時間、強化されているのは攻撃力だけで防御力は元のまま…何なのこれ、少なくとも深海棲艦とは戦えないわよ、こんなんじゃ」

 

 

 

 管理棟でモニターを引き続き眺めていた遠藤大佐が慌ただしく動き始める。

 「大淀、私はちょっと大尉の所に行ってくるから。君はもう帰っていいよ」



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16. Home

本日二本目、前半部分の締めくくりです。

利用価値なしと見切られた南洲と四人の艦娘達。この苦境を跳ね返すべく、ビスマルクが立ち上がる。



 「みなさん、面会時間は終わりです。速やかに宿舎へ戻ってください」

 唐突にスピーカーから流れる声がビスマルクの話の腰を折る。答えがあるはずがないと知りつつ、スピーカーに毒付くと、返事が返ってきた。

 

 「今そちらに遠藤大佐が向かっています。失礼のないように」

 大淀の声だが、これで全員が瞬時に理解した。この部屋は監視されている。ということは、春雨の話は公知の事実または聞かれていることが知られても困らない程度の内容だった、そしてビスマルクの話こそ、南洲に関わる大きなポイント、それゆえに介入された、そういうことだろう。

 

 「みなさん、そろそろ満足したのではありませんか? おしゃべりはそこまでにして、宿舎に帰りなさい」

 横開きのドアを半分ほど開け、遠藤大佐が微笑みながら四人に呼びかける。

 

 冷めた目で遠藤大佐を見据えるビスマルクと、不審げな表情で見つめる鹿島と羽黒。春雨だけは唯一我関せず、という態で南洲の傍にいる。彼女達の視線を意に介することなく、笑みを崩さずに遠藤大佐が一言だけ言い残し、そのまま立ち去ってしまった。

 

 「あと一週間もすればあなた方の処遇も決まります。今のうちに悔いのないようお過ごしください。そうそう、大尉も『あなた方』の中に含まれていますので、お忘れなく」

 

 五人の視線が病室内で交錯するが、その前途は決して明るい物とは言えないようだ。暗く沈んだ空気を跳ね返すように、ビスマルクが宣する。

 

 「ふんっ、あんな奴の思い通りになってたまるもんですかっ!!」

 

 

 

 技術本部から海軍病院に移ってから一週間、ついに南洲が退院する。病院の門の先には仏頂面のビスマルクが立っている。

 

 「あの怪我から1ヵ月で復帰するなんて、違う意味でイカれているわ、アトミラール」

 都合四週間での復帰ーケガの程度を考えれば驚異的とも言える回復力だが、南洲にとってはかなり時間がかったことになる。

 

 「ちょっと時間を頂戴」

 それだけ言うとビスマルクは南洲に付いてくるように促す。

 

 

 

 艦隊本部には各種の施設棟が林立するが、無機質なだけの施設ではない。この海軍病院の裏手には元々あった小川をそのまま残した公園が広がり、この季節は様々な花で彩られる。

 

 「病み上がりなんだから、座ったらどうなの」

 花壇の中にある木でできた長いベンチ、その中央あたりにビスマルクが座るのを見て、南洲は左端に腰掛ける。

 「なんでそんな所に………きゃぁっ!」

 「うぉっ!」

 言いながら南洲の方へとずいっと近づくビスマルクだが、ベンチの片側に重量が一気にかかり、ひっくりかえってしまった。

 

 

 「いてて…」

 満面に咲く一面の花の中に倒れ込んだ南洲は、自分の胸に寄り添うようにビスマルクが倒れ込んいるのにすぐ気が付き、起き上がろうとしたが、鋭い声で静止された。

 「動かないでっ! …そのままでいなさいよ」

 

 しばらく時間が流れ、やがてビスマルクが口を開き始めた。

 

 「ねぇ、アトミラール。こないだの話だけど…」

 それは病室での話の続きだとすぐに分かったが、この先ビスマルクが何を言おうとしているのか分からず、南洲は無言のまま話の続きを待っている。

 

 「貴方は私の命を助けてくれた。そのお礼をしないと、貴方とは対等の関係ではいられないわ。アトミラール、プリンツとレーベ、マックスはドイツに帰るの。貴方も一緒に行くなら…し、仕方ないから私も行ってあげてもいいわよっ。だから…その…ドイツで私たちのアトミラールにならない? それに、希望するなら春雨(ハル)たちだって連れて行っても…。ほ、ほら、貴方のヘタクソなドイツ語だとパンの一つも買えないし、ドイツ語を教えてあげるって言ったでしょ」

 

 豊かに輝く金髪を見下ろしながら、きっとビスマルクは顔を真っ赤にしてるんだろうな、と南洲は考える。自分の胸に乗っている頬がさっきよりずいぶん熱い。見えないのは承知だが、南洲は柔らかく微笑む。

 

 「な、なんとか言いなさいよっ。…このまま今の部署にいても貴方のためにはならないわよ。ただ利用され使い捨てられる、そんなの許せるわけがないじゃない…」

 

 使い捨て、か…。そうはっきり言われるとな…南洲は苦笑せざるを得なかった。ビスマルクはゆっくりと上体を起こすと、南洲のそばに横座りで寄り添いながら真剣な表情で見つめている。

 

 「アトミラール、私は真剣に話しているの。過去は忘れるべきだわ。新しい土地で、新しい仲間と…私と一緒に生きていきましょうよ………ダメ?」

 

 ビスマルクの白い頬が朱に染まり、うるんだ青い瞳が真剣に訴えかけている。南洲も上体を起こすと胡坐を組み、肩で大きく息をして、ビスマルクを見つめ返し、答える。

 

 「そこまで考えてくれて、本当にありがとう。きっとお前の言う通りにすれば…いや、そう出来たならどれほどいいだろう。けれど…俺はまだあの日々を過去に出来ない、少なくとも今は。不思議と遠藤の野郎は何も言って来ないが、遅かれ早かれ処分は下るだろう。俺の事はまだしも、お前達に理不尽な処分を下すようなら…」

 

 続く言葉を飲み込んだ南洲だが、抜き難い覚悟は既に決めているようだ。しばらくの間南洲から視線を逸らさず見つめていたビスマルクだが、諦めるかのようにわざとらしいため息をつく。

 

 「…多分そう言うんじゃないか、って思っていたけど…。あぁもうっ、仕方ないわね、最後まで付き合うわよ。忘れたとは言わせないわよ、アトミラール。貴方は私に『お前が必要だ』って言ったんだからね」

 

 言いながらビスマルクは立ち上がり、南洲へと手を伸ばす。その手を掴み、南洲も立ち上がる。

 

 「どっちに話が転んでも良いように、必要な手はすべて打ってあるわ。私を誰だと思ってるの? ドイツの誇るビスマルク級超弩級戦艦のネームシップよ? 私に手を出すってことは、全ドイツ海軍、ひいてはドイツの威信に泥を塗るってことを、この国の海軍と政府は理解すべきよ」

 

 

 ビスマルクのいう必要な手-それは駐日ドイツ武官経由で、これまでのことを全て本国ドイツにぶちまけることだった。辻柾の非道ぶり、ビスマルクの命を救う英雄的な活躍をした一人の男とその仲間の艦娘達の存在、そのチームが命令違反の責を問われ苦境に立たされている 等の内容に必要に応じた脚色を加えた上で伝えてある。ビスマルクの本国への要望はシンプルで、自分を救った英雄が希望するならドイツで受け入れてほしい。自分が日本に残るなら、その英雄への処分が撤回されるよう働きかけてほしい。そのいずれかだった。

 

 日本に派遣されたドイツ艦隊に齎されたあまりの理不尽ぶりに激怒したのがドイツ海軍でありドイツ政府、中でも全権力を一手に握る総統(ヒューラー)と呼ばれる男の怒り方は尋常ではなく、一も二もなくビスマルクの要望を受け入れた。海上護衛網整備と艦娘運用のノウハウ開示と引き換えに、世界の最先端を行くドイツの素材技術や電子戦技術の移転を行うはずが、その全てを破棄する、と日本との断交まで示唆し強い抗議を行ってきたのだ。さらに辻柾の行っていた艦娘への性的暴力を全世界に公表し、日本は女性の人権を踏みにじる野蛮な国家であると喧伝する、とまで恫喝してきた。

 

 戦争の勝利に必要な先端技術を入手できず、挙句に国家イメージが著しく損なわれるとすれば踏んだり蹴ったりである。日本政府と海軍は慌てに慌て、ドイツ側の言い分をほぼ丸のみする形で今回の件の幕引きが図られた。

 

 

 

 「…という訳で、不幸な過去を乗り越え、今なお日本海軍との懸け橋にならんと希望してくれるビスマルク君の安全に万全を期すため、専属の護衛部隊を編成しこれに充てるものとする。同時にこの部隊は、全ての艦娘の権利を守るための即応部隊も兼ねるものとする。大尉、君への現任務を解き、当該部隊の隊長を任じ、隊員には春雨君、羽黒君、鹿島君、そして本人の強い希望でビスマルク君とする―――」

 

 ドイツ側の要望と日本側のメンツを両立する方法が様々に検討された。大本営も一枚岩ではなく、様々な派閥が権力闘争を繰り広げている中で、今回の辻柾の一件で明らかになった、いわゆるブラック鎮守府の問題は格好の政治的なカードになった。大本営も一連の問題を座視していた訳ではないが、責任を押し付け合うだけで一向に解決に向かっていなかったのが実情だ。

 

 このため諜報・特殊任務群内に艦娘を中心とするタスクフォースが設置されることとなり、ここでドイツ側の要望を入れる形で、南洲を筆頭に()()()()()艦娘がそこに属することとなった。余談ではあるがこの過程で組織内の人事は一新され、遠藤大佐とそれに連なる一派は失脚し、南洲の上司も新しくなった。

 

 

 

 「私にかかればざっとこんなものよ、アトミラール。まぁ、当たり前だけど、褒めてもいいのよ?」

 新たに与えられた隊専用のガンルーム。南洲の前に立つビスマルクは目をキラキラとさせながら、期待に満ちた表情をしている。鹿島と羽黒は感無量、という表情でお互いの手を取り涙ぐみ、春雨は真新しい設備を興味深そうに眺めている。

 

 南洲は微笑みながらすっと手を伸ばし、ビスマルクの頭をくしゃくしゃと撫でる。何か口を開けば泣いてしまいそうで、それしかできなかった。満足そうな表情を浮かべたビスマルクだが、頭に置かれた南洲の手を握ると、もう一方の手で彼の頭を抱えそのまま自分に引き寄せ、唇を重ね始めた。口づけは長く続き、唖然とする他三名の耳には二人が交わらせる水音が響いていた。

 

 「…ま、まぁ一度も二度も一緒だし。それに…こんなサービス、滅多にしないんだからねっ」




ここまでお付き合い頂きました皆様、ありがとうございます。これで前半部分がひとまず終わり、次章からは後半部分になります。ただですね、次の展開に入るまで少し間が空いてしまうかも知れません。リアルが忙しくなってきて、ちょっと色々集中しなきゃという状況になりまして。また帰って来ますので、どうか忘れないで頂ければと思います。


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Mission-2 向き合う男
17. 新たな任務


新設部隊の隊長となった南洲が新たに向かう先はトラック泊地。


 早朝、南洲は宿舎裏に広がる芝生で剣を振るい汗を流す。

 

 往時の軍人同様、この時代の軍人も近接戦闘に備え剣道か柔道のいずれかを必修科目として士官学校時代に叩き込まれる。南洲は剣道を選び、古流に属する無外流を学んだ。剣禅一如とか活人剣とか不殺(ころさず)、そんな甘い話ではなく、いかに人間を殺すため合理的に凶器を振るうのか、軍人にとって剣を学ぶのはそういうことである。達人なら鉄兜をも両断すると言われる日本刀だが、艦娘や深海棲艦を相手に効果は期待できない。だが扶桑の力を振るえない今、少しでも縋る何かを求め、南洲は再び剣を取った。

 

 唐突に拍手が背後から起きた。

 

 「アトミラールはサムラーイだったのね。見事な剣捌きだったわよ」

 

 言いながらビスマルクが近寄ってくる。こんな早い時間に一体どうしたのか、と問う南洲に対し、肩を少しすくめながら当たり前のような返事が返ってくる。

 

 「あら、私は意外と早起きなのよ。…目が覚めて外を見ていたら、貴方が外に出て行くのが見えたから、追いかけてきただけよ」

 

 剣を鞘に納めベンチに置くと、南洲はTシャツを脱ぎ上半身を露わにする。ビスマルクの視線は、がっしりした体躯に割れた腹筋や厚みのある腕の筋肉、そして至るところの大小さまざまな傷跡を彷徨うが、右肩の付け根から先、色の違う右腕あたりで目を伏せた。それこそが、南洲の体が常人とは異なることを如実に語る。

 

 「ちょ、ちょっとっ!! レディーの前で何をしてるのよっ!」

 真っ赤になり慌てて背中を向けるビスマルクに苦笑だけを残し、南洲は近くにある水道で水を浴び、汗を流す。

 「ふう…気持ちいいな。ビスマルク、お前もどうだ?」

 上半身裸でタオルを首にかけた南洲がいたずらな表情でビスマルクに呼びかける。

 

 「はぁっ!? わ、私にもふ、服を脱げって言ってるの!? むぅ…このへんたいへんたいへんたいっ!!」

 

 そんなビスマルクの姿を見ながら、南洲は苦笑ではなく本当に楽しそうに笑い声を上げる。新たな部隊の発足後、南洲は少なくとも彼の艦娘達の前では、屈託なく笑うことが増えてきた。

 

 

 

 南洲を隊長とする新設部隊-辻柾提督の一件によりドイツ政府及び同海軍からの強力な圧力を受けた日本政府と日本海軍が設立した、艦娘運用拠点の適法的統治のための監査部隊。査察権と逮捕権、艦娘の保護に関する事案(及び作戦行動中の深海棲艦との遭遇戦)のみ専断的な交戦権を有する。軍警察である憲兵隊との違いは、艦娘が関わること以外には権限が及ばないことと、隊員に艦娘が属していること、そして依然として軍の()()を遂行することにある。

 

 日本政府と大本営の上層部は、この部隊に対し『()()()()()』という意味深な激励を送っている。対外的な建前で設立したお飾りの部隊なのだからあまり波風を立てるな、言外にそう牽制しているのは明らかだ。そもそも大本営内には、南洲が所属する諜報・特殊作戦群と似た性質の組織がいくつもある。深海棲艦との戦争という非常事態ながら、人間の性なのか常に大本営内では権力闘争が繰り広げられ、権力者と呼ばれる者達は、己の子飼いとなる部隊を内容性質の重複を度外視して作りたがる。人によっては理想の実現、人によっては欲望の成就など動機は様々だが、今度は外圧と言う、ある種現場のニーズとは関わりのない決定として、南洲率いる部隊が上乗せされた訳だ。

 

 だがこの部隊の責任者であり南洲の新たな上司となった宇佐美照市(うさみ しょういち)少将は、元トラック泊地の提督として勇名を馳せた現場の叩き上げで、艦娘たちに対する理解や造詣も深い人物だ。そんな人物が通り一遍の監査でお茶を濁すはずもなく、事実南洲に対し『責任は全て自分が持つ、艦娘達のため全力で事に当れ』と指示している。

 

 かくして、少佐に昇進した槇原南洲を隊長とし、現在の隊員は筆頭秘書艦の春雨以下ビスマルク、羽黒、鹿島が属する。これには、様々な理由で引き受け手のない艦娘を敢えてメンバーとし、次に問題が起きればすぐさま監督不行届により部隊を閉鎖する意図も隠されている。そんな外の思惑はともかく、部隊の活動開始以来、艦娘から受理した訴えや部隊による独自調査の結果、複数の拠点に強制監査を行い、結果将官クラスを含む拠点長を不法行為で捕縛し着実に実績を上げているのが現状だ。

 

 

 

 「新たな任務としてだな…その、トラック泊地の監査を頼みたいと思うのだが…なんだ…」

 

 大本営艦隊本部にある将官室。宇佐美少将は南洲を呼び出し、珍しく歯切れ悪く話を切り出した。用意されたお茶をすすりながら、南洲は無言で宇佐美少将を見やる。トラックはこの人がかつて着任していた場所のはず…後任者の不正等なら烈火のごとく怒りを露わにするはずだが、この言い淀み様からすると艦娘が絡んでいるのか?

 

 南洲の視線と意図に気付いた宇佐美少将は無言のまま何度か頷き、重い口を開き任務の説明を始める。

 「…トラックの様子がおかしい。遠征系の任務と海域の哨戒は確実にこなすが、編成系と出撃系の任務の遂行が極端に少ない。なぁ少佐、遠征系と編成出撃系の任務にある違いが分かるか?」

 

 南洲と宇佐美少将、二人の元司令官にとって言わずもがなだが、敢えて言葉にしようとしている。気にすることもなく南洲は答える。

 「…提督の関与度合いの差でしょう。遠征任務は事前に決めたことの遂行だが、出撃任務は提督による作戦立案と会敵後の状況把握と作戦遂行判断を要し、編成任務は内容に応じて提督の建造指示または特定の艦娘の船魂のドロップが見込める海域への作戦展開が必要となり、出撃任務と重なる部分がある」

 

 南洲と同じように茶碗をぐいっと呷る宇佐美少将だが、ふわりと酒精の香りが漂う。どうやら中身は別なもののようだ。

 

 「満点だ、少佐。トラックでは今、提督を関与させずに艦娘による自治のような形で泊地が運営されている可能性が濃厚だ」

 宇佐美少将は再び茶碗を呷る。先ほどより酒精の香りが強くなる。その表情は苦りきったものに変わっている。

 

 「だが、まったく解せぬ。俺の後任で送り込んだ男は、見た目は優男だが芯のしっかりしたいい男だ。トラックの娘達もよく知っているが皆いい娘ばかりだ。だが…いや…それにしても…」

 宇佐美少将が情に厚い人物なのは知っている。だが、そうであってほしいという願望とそうである現実の間に感情など入り込む余地はない-南洲は冷たく言い放ち、出撃準備のため席を立つ。

 「人は変わる生き物だ。俺達はそれを確かめ、適切な対処を行うのが仕事だ。必要な追加装備や人員の希望があればあとで大淀に連絡しておく」

 

 「少佐っ!! …できれば、誰も傷つけずに…」

 「その『誰も』にはアンタも含まれているのか? だとすれば保証はできない」

 

 

 

 今回南洲は潜入作戦ではなく、変化球ながら正面からトラック泊地に乗り込むこととした。建前は『欧州艦の太平洋海域における凌波性確認試験のためトラック泊地を利用』-要するにビスマルクの試験、という理由づけで一週間ほど滞在を申し入れ、その通りに受理された。

 

 残る問題は、本土からトラック泊地まで約3,400kmの距離を、深海棲艦との遭遇戦を避けながら進むことだ。宇佐美少将から貸与されたLST-4001おおすみで約4日かけての航海を支えるため、この任務限定で一人の艦娘が臨時配属されている。

 

 「少佐~、どこにも敵艦敵機ともに見つからんでー、安心してやー。対潜哨戒は一応続けとくけどな。にしてもや………」

 

 RJこと龍驤型軽空母一番艦の龍驤である。そして彼女が何に憤慨しているのかというと―――。

 

 

 「ねぇアトミラール、背中に日焼け止め塗ってくれない? 太平洋の日差しはキツ過ぎるわ」

 すでにトップスを外し、黒いビキニ姿でデッキチェアに俯せになるビスマルク。南洲を呼ぶため少し上体を起こす様にしているため、たわわな何かが見えそうになっているが、豊かに流れる金髪が辛うじてそれを隠している。

 

 「南洲、こんな強い日差しです、こっちで涼んでください、はい」

 胸元にリボンをあしらったパステルピンクのビキニを着ている春雨が、女の子座りをしながらサンシェードの中でカクテルを用意して南洲を呼ぶ。

 

 「あのっ、あのっ…司令官、よかったら一緒に…その………やっぱりだめぇ、見ないでくださいっ」

 「うふふ♪羽黒ちゃんも結構ナイスバディなんですよぉ、提督さん。ね、一緒にスイカ割りしません?」

 一見ワンピースタイプに見えるが、バックは大胆に肌を見せるセパレート風の白いワンピースを着て思わせぶりに微笑む鹿島と、フラワープリントを施したガーリーなフレアビスチェビキニを着て真っ赤な顔をしながら鹿島の背中に隠れる羽黒。

 

 

 「キミら作戦行動中ってこと忘れてへんかーっ!? ウチかてなぁ…ウチかてなぁ…キミらくらいアレがアレやったらイケてる水着でブイブイ言わせたいんやーっ!!」

 

 

 血を吐くようなRJの叫び、それはおおすみの全通甲板上で繰り広げられる、さながら夏の砂浜を彷彿とさせる気ままな四人の艦娘の姿に向けられていた。一方、どこに合流しても角が立ちそうだと本能的に悟った南洲は、色々アレなソレを見ないように目を伏せながらRJの元へと進んでゆく。

 

 「おお少佐、なんや~。ははーん、さてはウチのことが気になるっちゅーことかな?」

まんざらでもなさそうにRJこと龍驤がにやりと笑みを浮かべ、他の四人に勝ち誇ったような視線を向ける。

 

 「ん、まぁ…気になるというか、余計なことを気にしなくて済むかな」

 「なっ…どーゆことやっ、それはっ!!」

 

 艦娘達の悲喜交々を乗せ、船は一路トラック泊地へとその足を進めてゆく。

 



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18. 色々縺れた糸

トラック泊地まで3,400km。経由地のグアムを出航した一行は、一撃離脱の奇襲を受ける。


 本州を出航してから三日、龍驤の入念な哨戒のおかげで深海棲艦と遭遇することなく南洲達一行を乗せたLST-4001おおすみは無事グアム島に入港した。ここからトラック島まで残り約1,000km、一日強の航程となる。グアム島を午前四時ごろ出航し、翌朝トラック泊地へと乗り入れる。

 

 20ノットで静かに進むおおすみ。日は昇りやがて暮れ、満天の星々が照らす太平洋。航跡を辿る様に夜光虫が光を放つ幻想的な光景の中、その全通甲板上、艦橋に背を預けぼんやりと海を眺める二つの影-南洲と春雨。

 

 「綺麗ですね…。私、戦いが無ければどんな海も好きです。でも南洲と一緒なら血の海でも構いません、はい」

 南国とはいえ夜はそれなりに冷える。ミニスカメイド服の肩にストールを巻いた春雨は、両腕でしっかりと南洲の左腕にしがみつき、うっとりとした表情で物騒なことを告げる。

 

 誰の目から見ても、この二人の関係は理解しがたい。結びつきの強さから見てケッコンカッコカリなのかと問えば両名とも違うと言う。ならその手前、いわゆる恋人関係なのかと問えば、南洲は『春雨(ハル)は特別だ』、春雨は『南洲は私の全てです』と、これまた分かりにくい回答。そのくせ同じ宿舎で一緒に暮らし、春雨は何くれとなく南洲の世話を焼く。二人の関係には余人では立ち入れない何かがあるのは確かな様だ。

 

 「南洲、あの時とは顔ぶれが違いますけど、また仲間が増えましたね。もう、忘れませ…ん…」

 春雨の言う『あの時』-かつて南洲が提督だった南方鎮守府のこととだが、南洲は最後まで言わせずに、春雨の唇に指を立て塞ぐ。春雨は寂しげに微笑むとそのまま南洲の手を取り、目を閉じてさらに爪先立ちをし、南洲に何かをねだる。優しい目をしながら春雨の桃花色の髪を撫でる南洲が体をかがめたところで―――。

 

 

 「敵襲っ―――!! 南南西より駆逐艦2急速接近、距離20,000m !! ビスマルクさん、春雨さんは緊急発艦、哨戒中の鹿島さんに合流してくださいっ! 羽黒もすぐに出ます! おおすみは艦娘発艦後緊急退避をお願いしますっ!!」

 

 夜間哨戒に出ていた鹿島の電探が敵の接近を捉えおおすみに通報、緊迫した羽黒の声が緊急放送に乗り夜の闇を切り裂く。春雨は名残惜しそうな表情をしながらも、すぐに走り出し艦後部のウェルドックへと向かう。南洲も艦橋内へと走り出す。機械音と共に開放された門扉部が着水すると、三名の艦娘が次々と海へと飛び出し、海面を疾走してゆく。おおすみの現用兵器用レーダーでは深海棲艦は捉えられず、刻々と入る展開中の艦娘の部隊からの情報だけが頼りになるが、それでもできることはある。

 

 「距離10,000m、敵魚雷斉射っ!! 位置特定、北緯10度、東経147度を32ノットで航行中っ!!」

 「おおすみ、照明弾射出後回避運動開始っ」

 鹿島からの通信に合わせ南洲は照明弾の発射を命ずる。どうせ捕捉され敵の雷撃を受けているのだ、艦娘達を守るためにも、とことんこちらに引き付ける。真夜中の太平洋の一部が真っ白な光に照らされ、敵の所在が四名の目に晒される。

 

 「え」

 「あ」

 「はぁっ!?」

 「あれって…!」

 

 白々と光る空と漆黒の海の間に立つ二つの人影は、白露型駆逐艦四番艦の夕立と九番艦の江風。いずれも第二次改装を終えた姿であり、かなりの高練度であることが窺える。奇襲に失敗したと悟った二名は即座に変針しそのまま南南西の方向へと逃走しその姿を消した。

 

 一方で夜間雷撃であることが皮肉にもおおすみを助けた。本来航跡をほとんど残さない酸素魚雷だが、魚雷の航跡に群がる夜光虫がその所在を明らかにしてくれた。青白い光を残しながら接近する航跡は幻想的だが、回避する側にとってはこの上なく分かり易い目印になる。10,000mの長射程戦術で放たれた16本の酸素魚雷の到達まで約6分、おおすみにとって十分に回避可能だった。

 

 通信を行おうとする羽黒を春雨が制し、首を無言で横に振る。味方であるはずの艦娘からの奇襲雷撃、このことが齎す余波の大きさは容易に想像がつく。いったん帰還し南洲の指示を仰ぐ、そう言外に春雨は伝えていた。

 

 

 

 トラック泊地まで約600kmの地点で深海棲艦の襲撃を受けた(と思っている)おおすみの艦長はグアムへの帰投を強行に主張、南洲達との議論の末、LCAC(エルキャック)の高速走行時の航続距離ギリギリの400km地点まで部隊を送り届けることで妥協に至った。LCACは40ノットで約370km、35ノットで約555kmの航続距離で、400kmの距離なら何とか敵を振り切れる速度を維持したままの上陸が可能となる。数字上の航続距離は十分だが太平洋の荒波を越え進まねばならず、さらに黎明になり航空戦力が展開された場合は龍驤が対抗するしかない。

 

 

 「ほな行ってみよーっ!!」

 後部ゲートから着水したLCACは、龍驤の陽気な声を合図に、艇の後部に配置された4翅の推進用シュラウド付大型プロペラが全力運転を開始する。艇の右側前部にある操縦席には南洲と龍驤が、左側前部の見張所下層の船室には残り四名が、それぞれ乗艇する。

 

 「なあ少佐、聞いたで。夕立と江風が奇襲を仕掛けてきたんやって?」

 合成風とガスタービンエンジンの騒音に負けないよう、龍驤が南洲の耳元で大きな声で叫ぶ。夕立と江風、ともにトラック泊地に所属する艦娘である。その二名が独断で大本営の派遣した船舶に攻撃をしかける訳がない。明確にトラック泊地の意志として理解する必要がある。

 

 「…トラック泊地の問題は、想像以上に深刻なようだな」

 同じく南洲も大声で怒鳴る様に龍驤に返事をする。南洲はここまでの道中で、宇佐美少将から渡されたトラック泊地についてのファイル、そして部隊独自に行った調査結果のファイルは熟読していた。大本営の上層部を不快にさせないため弥縫的に提出された()()と、現場で現実に起きていた()()には大きな落差があり、南洲は半ば納得していた。

 

 -南海の閉ざされた泊地で()()()()()()が起きれば、艦娘が結束し大本営に対抗しても不思議ではない。

 

 時速75kmで深夜の海を波を超えるたび飛び石のように跳ねながら疾走するLCALは、おおすみと別れてから約6時間、乗艇している全員に多大な疲労と緊張を残し、夜明けとともにトラック泊地へと到着した。

 

 

 

 

 かつてのトラック島は、環礁によって隔離された広大な内海という泊地能力の高さから “太平洋のジブラルタル”とも呼ばれ、帝国海軍の一大拠点が建設された。そして今も、マリアナ沖海域の要衝として、かつての帝国海軍軍艦に代わり艦娘達が海を守る。そこに事前通告もなくLCACが哨戒線を破る様に突入してきた。内海に入ると、南洲は最大速度である70ノットに増速し、一気に泊地司令部まで突き進む。当然多くの艦娘が拿捕または迎撃のために抜錨してきたものの、倍以上の速度差がある相手(LCAC)の捕捉は容易ではなく、そのまま侵入を許すこととなった。

 

 警戒のサイレンが鳴り響き空を攻撃隊の大編隊が埋め尽くす頃には、LCACは港湾施設を迂回し、その脇に広がる砂浜へと上陸を成功させていた。

 

 

 「あっかーん…ウチ酔っ払ってしもーた。ひっどい操縦やなぁ、少佐…」

 「ちょっとアトミラールッ、レディが乗船しているのを忘れた訳っ!? ひどい操縦ねっ」

 「南洲…さすがに気持ち悪いです…」

 LCACの全通式車両甲板に次々と姿を現した五人は口々に不平を言う。海面を跳ねるように70ノットもの高速で疾走、さらに拿捕や迎撃に向かってきた艦娘達を躱すため左右にスラローム、上下左右に揺すられ続けた五人はほぼ船酔いになっていた。

 

 一人けろりとしている南洲は舷側から砂浜へと飛び降り、周囲を警戒している。どうせすぐにここの艦娘達が駆けつけてくるだろう、平然とした顔で出迎えてやるか―――そう考え南洲は艇上の五名に早く上陸するよう促す。

 

 「はい…南洲…」

 小さな声と同時に、春雨がふわりとLCACの舷側から南洲目がけて飛び降りる。慌てて抱き止める南洲の首に両腕を回し、満足そうに頬ずりをする。南洲は春雨の髪をくしゃりとひと撫でし、砂浜へと降ろす。

 

 それを見たビスマルクと鹿島は、次は自分だと言わんばかりに、()()()南洲目がけて飛び降りた。いや、ほとんど飛び掛かる、という方が正解だろう。それぞれに奇妙な声を上げながら、南洲を下敷きに奇妙なオブジェが砂浜に形づくられることとなった。ちなみに羽黒は出遅れ、一瞬後悔した表情になったが、砂煙の後に現れたオブジェを見て、苦笑いを浮かべながら、春雨の手を借りながら無言で艇を下りる。

 

 「…アホやな、この()ら…。はぁー、よいしょっと」

 ビスマルクと鹿島に呆れた視線を送りながら、やや年寄臭い掛け声とともに、龍驤が一番最後に春雨と羽黒の手を借り艇を下りる。

 

 「あーしんど。おおきに二人とも。あめちゃんあげよか? そやけど、こんだけ仰山おったらあめちゃん足るかな?」

 

 不敵な笑みを浮かべながら龍驤が周囲を見渡す。南洲達がようやく立ち上がり体中の砂を払っている頃には、艤装を展開した艦娘達が地上と海上から挟撃するように陣取り、呆れたような表情で南洲達を眺めていた。

 




念のため。おおすみの実艦に照明弾は装備されていません。


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19. 凌波性試験の罠

上陸を果たした南洲たち一行に威圧的な態度を崩さないトラック泊地の艦娘達。泊地査察の名目にした凌波性試験が、事態を動かし始める。


 「あぁ、トラック泊地の諸君。出迎えご苦労。我々は大本営艦隊本部付査察部隊、通称MIGO、自分は隊長の槇原南洲少佐だ」

 

 MIGO-inspection group for Military Governance-、元々外圧で立ち上げられた経緯もあり、対外的な説明のためこの部隊には横文字の名称も付与されている。日本語で言えば適法的拠点統治のための査察部隊、といった所か。南洲は、艤装を展開し自分たちを取り囲む艦娘達の威圧をあえて()()()と言い、その威圧に効果がないと態度で押し返す。

 

 一方のトラック泊地の艦娘達も、敵意はあるもののそれ以上に虚を突かれていた。強襲上陸用のホバークラフトが哨戒網を突破し司令部施設のある島へ強硬上陸、武装した兵士の一群でも降りてきたかと警戒感が一気に高まったが、目にしたのは砂浜でいちゃつく大柄の男と艦娘達。大本営から派遣された査察部隊がやって来るのは既に知らされていたが、まさかこんな連中とは―――。地上に陣取る艦娘の一群から、リーダー格と思われる一人の艦娘が歩み出てきた。

 

 「あなたが査察官なの? …事前通告もなく哨戒網を突破してくるなんて、大概にしてほしいものね。当泊地への攻撃として撃沈されても文句は言えないわよ」

 無表情のまま静かな口調に怒りを滲ませながら、加賀型正規空母一番艦の加賀が切り口上で南洲に迫る。こいつは秘書艦ではないはず-内心そう思いながら、南洲も怯まない。

 

 「航海の途中で()()()()の奇襲を受けたものでね。幸い被害はなかったが一刻も早く泊地入りしなければ危険だった。それに、LCACから()()()()()()()()()()()()()()()()()()が、まさか聞いていないのか?」

 

 -この査察官は気づいている。

 

 一瞬だけ表情を歪めたものの加賀は感情を表に出さない。だが、他の艦娘の多くには明らかに動揺の色が浮かぶ。深海棲艦に見せかけた一撃離脱の襲撃を行い、トラック島へ近づく艦艇を追い払う。粘られたらやむを得ず中破程度まで攻撃を続行することもあるが、これまではそれで上手く行っていた。だが母艦を帰して強襲揚陸艇で長駆侵入してくるとは。それに加えて、おそらくは我々が()()()()()()()()()()()()提督直通の専用回線を利用するとは―――。

 

 「そう…だから? 査察官とはいえ、我々の提督は佐官の来島などを気に留めるほど暇な方ではありません」

 やや視線を逸らしながら、言い負けない理由を無理矢理作るかのように、加賀は明らかに南洲を見下した発言をする。それを聞いた南洲の背後の四人の顔色が変わる。特に春雨の様子は尋常ではない。唯一艤装を展開済の龍驤は、なぜか波打ち際で蟹と戯れている。

 

 「…南洲を恫喝した挙句に、何ですか、その見下したような口調は? 今すぐ取り消してください」

 ハッキリとした口調で春雨が加賀に激しく反応する。羽黒も鹿島も険しい表情を崩さない。ビスマルクだけは春雨のある変化に気付き眉を顰めた。だが確信も持てず些細なことだったので、そのまま口に出さずに済ませた。長い金髪を左手で後ろに送ると、ビスマルクは加賀のすぐ眼前まで進み、挑発するように胸を張る。

 

 「あなた方がどう思うと、私たちは大本営から派遣された部隊、しかも、この私の技術試験の場所に選ばれたんだから光栄に思いなさいっ。それともよほど後ろ暗い事でもあるって言うの、この泊地には」

 「頭にきました」

 

 短く一言だけ答えると、加賀もさらに前に出て、ビスマルクとの間に視線で不可視の火花を散らせる。身長はビスマルクの方が高いが、ほとんどくっつきそうになっている双方の胸の大きさは互角か、むしろ加賀の方が若干だけ大きいようにも見える。

 

 「そこまでにしておけ、ビスマルク。しばらく世話になる場所だ、いきなり事を荒立てるな」

 「加賀も落ち着け。理由はどうあれ少佐からの通信を受信できなかった我々の落ち度だ」

 

 南洲ともう一人の艦娘が二人に割って入る。南洲はその艦娘に視線を送ると、相手も不敵な表情で笑い返す。通常の球磨型の制服の上に黒いマントを羽織り、折り返しの付いたグローブとブーツを身に付けた艦娘だ。金の格子状の装飾が施された右目の眼帯と右手に携える軍刀-球磨型五番艦にして重雷装巡洋艦の木曾。

 

 「ほお、査察官もオッドアイなのか。腰の刀といい、俺と一緒だな。ひょっとしてお前も重雷装型か? …はははっ冗談だ」

 依然として南洲の右眼は赤い。以前は鮮やかな紅玉(ルビー)、現在は赤銅(カッパ―レッド)でぱっと見は双眸とも黒に見えなくもない。旧知の友人であるかのように軽口を叩きながら南洲の肩を組む木曾は他の艦娘達に呼びかける。

 

 「誤解は解けただろう、みんな。さっさと艤装を仕舞えっ。査察官殿は今回凌波性試験での来島だ。なぁ、そうだろ?」

 

 木曾は南洲の方を見ながらニカッと笑う。言外にそれ以外の事をするな、という圧力とも取れるし、他の艦娘達を抑えるための口実とも取れる。その言葉をきっかけに、トラック泊地の艦娘達は艤装を収納し始めたが、蟹と戯れていたはずの龍驤の言葉に凍りついた。

 

 「ほなウチも艦載機たちを仕舞うで。こんだけ密集しておったら撃ち漏らしはないやろーけど、平和が一番っちゅーことで、みんなごくろーさん」

 

 いつの間に展開していたのか、直上から舞い降りてきた艦爆隊が龍驤の手元に到着すると式神に戻ってゆく。心なし逃げるかのような急ぎ足で、トラックの艦娘達は南洲達に目もくれず司令部施設に向かい歩きだす。南洲も龍驤の手際の良さに内心舌を巻いていた。

 

 砂浜に残されたのは南洲たち一行と木曾、そして案内役(という名の監視役)を任じられた秋月。

 

 「よし、査察官殿ご一行の宿舎はこっちだ、着いて来てくれ」

 すたすたと歩きだす木曾に、南洲達はとりあえず着いてゆく。

 

 

 

 

 「アトミラールッ、えいっ!」

 

ぽよん。

 

 ビーチボールが南洲の頭に当り弾んでゆく。ボールを返さない自分に向かい、腰に両手を当て頬をぷうっと膨らませるビスマルクを見ながら、南洲は今自分が何をしているのか真剣に考えていた。案内された宿舎のクリーニング(盗聴器の発見・除去)を行った後、せっかく来たんだから凌波性試験をするわよ、と言うビスマルクに従って白い砂浜の小さなビーチに来た。ここから沖合に出るのか、と思いきや、ビスマルクは一生懸命ぷうぷうとビーチボールを膨らませると、パーカーを脱ぎ捨て波打ち際へと駆けていった。

 

 「ノリが悪いわよ、アトミラール。せっかくこんないい女とビーチにいるっていうのに、楽しくないわけ!?」

 

ばしゃばしゃ。

 

 今度は波打ち際で上体をかがめ両手で水をかけてくる。長い金髪をハーフアップにし、白いビキニを着たビスマルクはひどく楽しそうだ。彼女が体を動かすたび、豊かな胸がたゆんたゆんと揺れる。

 

ぱしゃっ。

 

 反応の薄い南洲に、少し拗ねたように伸ばした足先で水を小さく蹴り、ビスマルクはつぶやく。

 「アトミラール、あなたは笑顔の方が似合うわよ。以前よりマシだけど、それでも気が付くと難しい顔をしてるわ。…ねぇ、MIGOは、私たちはあなたのFamilie(家族)にはなれないの?」

 

 

ぶくぶくぶく。

 

 そんなビスマルクと南洲を沖合から見つめる二つの影-伊19(イク)伊26(ニム)の潜水艦娘。海面から頭を半分ほど出していたが、飽きたように浮上し酸素魚雷を模した艤装に跨るようにしている。

 

 「ねえねえねえ、何を話してるのかな? …それにしても凌波性試験ってあれのこと?」

 「波打ち際でぱしゃぱしゃやってるから、波と言えば波なのね…でもそうじゃないのねーっ!!」

 

 南洲がトラック泊地を訪れる表向きの理由はビスマルクの凌波性試験。欧州生まれの彼女が太平洋の荒波でどのような挙動を示すのかの確認のはずである。それを狙い撃つため、イクとニムは沖合で待機していた。だが…目の前の光景は、照れてる彼氏をいたずらっぽくからかっている積極的な彼女にしか見えない。

 

 「…待つの?」

 「…待つのね」

 

 手ぶらで帰る訳には行かない。ビスマルクには恨みもないし悪いとは思うが、この泊地を守るためには仕方ない。あの無愛想な査察官を追い込むにはどうしても犠牲が必要になる。

 

 

 「鹿島の対潜哨戒も見事やなー、ビンゴや。いやぁーごくろーさん。キミら、こんなところで何をやってるのかなぁ? ちょーっち詳しく聞かせてもろてもいーかな?」

 

 イクとニムが咄嗟に声の方を振り向くと、バイザーの鍔を指でひょいと押し上げ、龍驤がニヤリと笑い腕を組んで海面に立っている。緊急潜航しようとする二人が軽い口調で警告を受ける。

 

 「あー止めとき止めとき。ウチの艦載機はバリバリやから、下手に動くと二度と浮上できへんようになるで」

 その言葉通り、二人をけん制するように九十七式艦攻の一群が水面すれすれを翔け抜けてゆく。

 

 罠に嵌った。

 

 凌波性試験を利用してビスマルクを罠にはめるつもりが、それ自体がトラックの艦娘に手を出させるための罠。イクとニムはそう理解し、悔しそうに唇を噛み締める。二人が顔を見合わせた瞬間、風切音と金属のすれ合う音がしたかと思うと、あっという間に白い棘鉄球の鎖で拘束された。龍驤の後ろからひょいっと顔を出した春雨が笑顔で二人に話しかける。

 

 「こんにちは、イクさんニムさん。お近づきの印に色々お話し合いをしようと思いまして、はい」

 




えっとですね、右手を傷めちゃいまして。キーボード叩くと痛くて泣きそうです。治るまでぼちぼちやらせていただきますので何卒ご容赦のほどを…。


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20. 真相に近づく

何をしているか、ではなく、何故そうしているのか-?
南洲の疑問はイクとニムに向けられる。そこにもう一人現れる艦娘が、トラックの秘書艦を明らかにする。


ざざーん。

 

 規則正しく打ち寄せる波の音とたまに聞こえる海鳥の声以外、砂浜を沈黙が支配する。

 

 棘鉄球(モーニングスター)のチェーンで二人仲良く縛り上げられ不機嫌なイクとニム。水着に無理矢理収めた胸、さらにその上下を鎖が締め上げるような格好になり、サイズがことさら強調されている。白いビキニに収まり切らない、たわわに実ったドイツ産の果実を押し付けるように南洲に寄り添うビスマルクも、イクとニムの目的を知らされ不機嫌な顔。さらに南洲とビスマルクの2ショットを目にした春雨は不機嫌な顔。ばいんばいん×3名プラス十分ぽよんぽよんなボリュームの一人と、自分のある部分を比較し不機嫌な顔の龍驤。要するにここにいる艦娘全員が不機嫌な顔で砂浜に陣取っている。

 

 「こりゃマズいでぇ…いっそのこと攻撃隊を発艦させて…」

 

 ハイライトが軽く消えた目で物騒なことをぶつぶつ呟く龍驤を、ビスマルクが何とか宥めようとして声を掛ける。

 「ちょ、ちょっと龍驤? ほら、レディーの魅力はそこだけじゃないでしょっ。バランスのとれたシルエットの方が大切よ」

 

 「そうやね、ウチ、独特なシルエットやからね…」

 

 「ビスマルクさん~、そんな追撃したら…」

 春雨が天然に止めを刺し、龍驤はハイライトがさらに消えた目で、指先に『勅令』の文字が浮かび上がったオレンジ色の火の玉を浮かばせている。

 

 そんな光景を余所に、唯一南洲だけが意味ありげな表情でイクとニムを眺めている。その視線が癇に障ったのか、イクが噛みつきはじめる。その声に騒がしくしていた三名も一斉にイクの方を見る。

 

 「何よっ! 言いたいことがあれば言えばいいのねっ! それともイク達にイヤラシイことをしようって…」

 イクの言葉に思わず不安そうな表情を投げかけるニム。

 「う~ん、えっとぉ…そういうのは好きな人としかしたくないって言うか…」

 

 南洲は苦笑交じりに頭をぽりぽり掻きながら二人に近づくと、目線を合わせるようにしゃがみ込む。

 「悪いな、そういうのは間に合ってんだよ」

 

 その言葉をきっかけに、ビスマルクと春雨の間で視線が複雑に絡みあい、にやにやしながらそれを眺める龍驤の間で、気忙しく視線が交錯する。頭上の騒がしさを気にせず、南洲は二人に話しかける。

 

 「大本営から派遣された部隊、しかも査察部隊の艦娘を襲撃しようとした。これだけでも制圧部隊の派遣を要請するのに十分な理由になる。どれほど戦力が充実していようが、あくまでもここは一泊地だ。大本営が本気を出せばどうにでもできる。そこまで考えていたのか、お前たちは?」

 

 悔しそうに唇を噛むイクと不安そうなニム。さらに南洲が言葉を重ねる。

 

 「俺が気になるのは、お前たちの行動そのものよりも、何がお前たちにそこまでさせるのか、ということだ」

 

 そのまま俯いてしまった二人の潜水艦娘に労わる様な視線を向けながら、南洲は言葉を続ける。

 「イク、そしてニム。これでも俺も査察官なんでね、ここに来る前に一応の事は確認してある。だが、不可解な事が多い。前回の査察の前後で、お前たちの行動は急変した。一体何が起きた? なぜ秘書艦は提督を刺すような事をしたんだ?」

 

 これには龍驤が顔色を変え、南洲とイクとニムを見つめる。一方、南洲の言葉を聞いた途端イクの顔色が変わり、明らかに侮蔑の表情を南洲に向ける。

 

 「ふーん…大本営の報告書でも読んで鵜呑みにしたのねー。それに、確認したって言ってもその程度しか知らないんじゃ何も知らないのと同じ、話にならないのねー…。貴方も前に来た査察官と同じなのね…。いいのね、イクのこと弄んでも。でもニムには絶対に手を出さないでっ。…その代わり、それで大本営に帰ってほしいのね」

 

 「そこだ」

 辛辣な言葉を気にする様子もなく、腕組みを解き、イクを指さす南洲。

 

 「辻褄が合わないんだよ。まず前回の査察官の報告書によれば、『鎮守府は提督の指揮のもとよく統率され、艦娘は士気旺盛で練度充実、異常なし』とある。それがこの有様だ。そして俺の部署が独自に調べた結果、ここの提督と秘書艦はケッコンカッコカリ目前、それも形だけじゃなく相思相愛だったようだな。なのに秘書艦が提督を刺したという。そしてそれっぽく振舞っているが加賀は秘書艦じゃない、そうだろ? 何かが意図的に歪められている。俺はそれを確かめ、判断する」

 

 「ねえねえねぇ…判断して、それからどうするの?」

 おずおずとニムが口を挟んでくる。頭の両サイドでツーアップにしたオレンジ色の髪が揺れ、同じオレンジ色の瞳が不安そうな視線で南洲を見つめる。南洲は軽く微笑みながらニムの頭を撫でると、そのまま立ち上がり軽く屈伸をして背筋を伸ばす。

 

 「相手が誰であれ、正すべきは正す。ただそれだけだ」

 まるで誰を相手とすべきか既に分かっている、そう言わんばかりの南洲に、イクは食い下がる。依然として春雨の棘鉄球(モーニングスター)のチェーンで縛られているが無理矢理体を動かし逃れようとする。その度にトリプルテールの長い青紫色の髪とリボン、そして胸が大きく揺れる。 自由に動けるなら、間違いなく南洲の胸倉を掴みあげそうな勢いだ。

 

 「…本気で言ってるの!? 相手が誰であっても? 本気で言ってるの、ねえ? …そこまで言うなら、教えてあげるのね」

 

 一方ビスマルクと春雨は、南洲達のやり取りにあまり興味が無いような様子で、ビーチボールを使いバレーボールを続けている。

 

ぽーん

 

 「実際にやっちゃったんだ。まぁ…私も南洲に提督の排除を依頼したくらいだから、気持ちは分からなくもないけど…」

 軽くジャンプしながらトスを上げるようにしてビーチボールを春雨の方へ送るビスマルク。体の上下動に合わせ胸も揺れる。

 

ぽーん

 

 「南洲のような提督ならよかったのに。それなら艦娘は幸せなのです、はい」

 同じようにトスを上げるようにビーチボールをビスマルクへ返す春雨。軽くジャンプしたので、いつものミニスカメイド服のスカートがひらりと揺れる。

 

ぱーんっ。

 

 射撃音が響き突如空中でビーチボールが弾ける。と同時にビスマルクと春雨が元いた場所から素早く飛びのく。

 

 

 「いけませんっ、イクさんっ!」

 

 ビーチへつながる道の奥から一人の艦娘が現れ、大きな声でイクを制止する。すでに艤装は展開しており、砲身からはうっすら砲煙が立ち上っている。ビーチボールは警告なのだろう。南洲がゆらりと立ち上がり、声の方に視線を向ける。ポニーテールにまとめられたダークブラウンの髪、すらっとした頭身のため一見軽巡艦にも見えるが、頭には「第六十一駆逐隊」と書かれたペンネントが巻かれている。この特徴的な出で立ちは秋月型駆逐艦一番艦の秋月のものだ。

 

 ビスマルク、春雨、龍驤の三名は艤装を展開しながら、南洲を庇いながら攻勢に出られる体勢を取ろうと一斉に動き出す。秋月はあくまでも照準を南洲に合わせながら、他の三名には動かぬよう警告を放つ。

 

 「みなさん、あんまり暴れないでくださいっ。さもないと…その方を…撃ちますっ!」

 少しだけ迷いのある目をしながらも、それでいて決然とした表情で言い放つ秋月の言葉に、春雨の表情が変わる。

 「…その言葉、許さないのです、はい」

 

 「まあまあ春ちゃん、あんまり怒らんとき。可愛い顔が台無しやで。駆逐艦一隻くらいウチに任しとき。移動中の雷撃からこっち、色々舐めたマネされた挙句にこれやろ、ハラワタ煮えくり返ってるちゅーねん」

 凄味のある、微笑みというには攻撃的過ぎる笑みを浮かべながら、再び指先にオレンジ色の火の玉を浮かばせている。先ほどとは違い、今度は本気だ。腕を上に振り上げたところで、不意に南洲が制止する。

 

 「やめとけ龍驤、いくらお前の艦載機が腕利きと言っても、防空駆逐艦に真正面から突入させれば手痛い目に遭うぞ」

 

 防空駆逐艦、の言葉に龍驤がぴくっと眉を動かす。知識としては知っているがこういう形で対戦したことはない。経験に裏付けられた龍驤の感覚が、南洲の言葉に素直に従わせた。

 

 1942年6月にネームシップの秋月が竣工した秋月型は、長10cm砲を備えた乙型と呼ばれる対空駆逐艦である。今南洲達の目の前にいる秋月はカビエン沖の対空戦闘で、僚艦3隻と共同ながら13機以上もの米軍機を叩き落とすという大戦果を挙げ、妹の照月は4基8門の同砲で米駆逐艦カッシングを大破させ他艦にも被害を与える等、強力な武装を有する。南洲の言葉通り不用意に航空機を接近させればいくら歴戦の龍驤航空隊と言えどもタダでは済まない。

 

 「それよりも、だ。秋月、お前さんが姿を現してくれたおかげで、秘書艦殿の正体が掴めたよ。過去の戦い同様、お前が体を張って守る相手は決まっている…瑞鶴、だな」

 

 言いながら南洲は右脇に吊るしたガンホルダーから銃を引き抜き、秋月に向ける。



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21. 事実と真実

イクと秋月の語る事実に、南洲はどんな真実を見出そうとするのか。


 「な…何をしているのですか? 人間用の銃(そんなもの)で艦娘を止められると…う、動かないでっ!」

 

 秋月が戸惑いを露わにしながら南洲を制止しようとする。あひる口の付いた長10cm砲ちゃんと呼ばれる自律機動型の艤装も軽く跳ねたりしながら警戒の視線を送ってきている。

 

 近づきながら、南洲は秋月が撃ってこないことを確信している。目の前の秋月は威嚇するだけで精一杯なのだろう。そしてそれが上手くいかず、どうしていいか分からず動揺しているようだ。

 

 人間への加害禁止というルール以前に、人間を撃つには秋月の目は()()()()()()-声の震え、落ち着かない視線、気忙しく位置を確かめるよう動かしている足、少し震えながら艤装をぎゅっと握る手、その全てが対人戦闘の経験がなく、そもそもそんな発想さえなかったことを如実に語っている。

 

 「無駄な事はしない性質(たち)なんでね。秋月、瑞鶴はどこにいる? 確かに艦娘が人間に危害を加えるのは極刑と定められているが、情状酌量の余地がない訳じゃない。そのためにも、何が起きたのかを俺は知りたいんだ」

 

 大本営の艦隊本部に提出されていた前回の査察記録、あの内容が正しければ査察後に何かが起き、瑞鶴がトラックの提督を刺したことになる。その場合、ケッコンカッコカリは瑞鶴本人の意に染まない強制されたものだった可能性もあり得る。だが、査察記録自体がねつ造されたものなら―――? 以前よりこの鎮守府で何かが起きていて、その隠蔽に艦隊本部も関与していることになる。

 

 結果として、南洲の推測は半分正しく半分間違っていたが、それが分かるのはもう少し後のことになる。

 

 

 

 「ちょ、ちょっと隊長…なにしてんのっ!?…春ちゃんにビス子も、早う止めんとっ」

 「な、何よビス子って!? そんな呼び方しないでよっ!!」

 龍驤は顔色を変えて南洲を制止しようとし、ビスマルクはいかにも日本流に付けられたあだ名に戸惑っている。その間にも南洲はゆっくりとした足取りで秋月に近づいてゆく。

 

 龍驤、そして秋月が知らない事-南洲の持つ銃は銃であって銃ではない。銃の形をした()()だ。生体機能の約四分の一が艦娘の組織に置換されている南洲だから使えるものであり、もともと扶桑型戦艦の四十一式15cm砲を鋳潰して製造されたワンオフの銃と弾丸で、駆逐艦・軽巡洋艦なら数発で行動不能に陥れるものだ。つまり軽巡に迫る大きさとはいえ駆逐艦の秋月が無防備に連射を受ければ大破、最悪轟沈もあり得る。

 

 南洲は無言のまま左手の銃を長10cm砲ちゃんに向ける。自律機動型という枠を超え、豊かな感情表現を示すこの艤装は、なかばバカにしたような表情を浮かべ、『ほら、ここを撃ってご覧』と言わんばかりに艤装を小さな手で指し示す。

 

 -やりたくはないが、ショック療法も必要だろう。すまんな。

 

 内心詫びながら、南洲は無表情で引き金を引く。轟音が響き、吹き飛ばされ小破した長10cm砲ちゃんが砂浜に伸びている。できるだけ損傷を局限できるような角度を狙った南洲だが、なんとかイメージに近いようになったようだ。

 

 一瞬何が起きたか分からずに自分の艤装をまじまじと眺める秋月。すぐに一基の長10cm砲ちゃんが損害を受けたことに気づき恐慌をきたした。こんなことはありえない。人間が艦娘の艤装を傷つけることがどうして可能なのか-そのまま腰が抜けたように砂浜にぺたんと座り込んでしまった。

 

がちゃ。

 

 重い金属音がし、秋月の頭部に銃口が向けられる。目線だけを動かし南洲を見上げる秋月だが、逆光でその表情はあまり定かではない。けれど、勝ち誇っている訳でも、嗜虐的な訳でもない、ただ辛そうな表情に見える。

 

 「もういいだろう秋月、それ以上抵抗しないでくれ。お前が、いやトラックの艦娘達が瑞鶴を守ろうとしているのは分かった。だがな、俺の部隊にも、不可抗力だが提督を手に掛けてしまった艦娘がいる。紆余曲折はあったが、極刑にはならないことだってあるんだ」

 

 名前は出さないが鹿島の事に触れ、なんとか秋月を安心させようとする南洲だが、秋月はぼんやりとした視線を南洲に送るだけで、南洲の言葉に力なく頭を振る。近寄ってきた春雨がポニーテールを乱暴に掴みあげながら秋月を拘束する。『南洲を撃つ』といった秋月の言葉を根に持っているようだ。目線だけでほどほどにな、と南洲は春雨に訴える。

 

 「だから言ってるのっ! あなたは分かっていないのねっ!!」

 

 遠くからイクの叫ぶ声がする。目の前の秋月が未だ艤装を展開しているため、南洲は振り返ることなくイクの話を背中で聞いている。

 

 「瑞鶴が提督を刺す訳がないでしょっ!! 提督を刺したのは前に来た査察官よっ!! 提督は今でも寝たきりで、おかげで瑞鶴は………。査察官、それでもアナタはさっきと同じことが言えるのっ!?」

 最早涙声になり始めたイクが指摘するのは、南洲がつぶやいた一言。本当にその覚悟があるのか、それを問うている。

 

 再び春雨に目で合図をすると、南洲はイクの方を振り返る。

 

 「もう一度言うぞ、『相手が誰であれ、正すべきは正す。ただそれだけだ』」

 

 その言葉を聞いて、それぞれ目の端に涙を浮かべたイクとニムがお互いの顔を見て頷きあう。やっと、やっとアイツに痛い目を合わせてやれるんだねと、依然として拘束されているため制限された動きながら喜びを分かち合おうとする二人。

 

 「イクの代わりにあの()()()()にビンタしてやってほしいのね」

 「じゃぁじゃぁ、ニムの分として、その銃で吹っ飛ばしてやってね」

 「………前回の監査官は、()()()()じゃないのか?」

 

 一瞬の沈黙の後、そんなはずはないのねー、いやいやいやどうなってるのー、とイクとニムが騒ぎ出す。話を良く聞けば、その人物の特徴はかつての自分の上司だった遠藤大佐以外の何者でもない。嫌そうな顔をしながら、南洲は前任者の事を思い返す。遠藤大佐は、常に笑顔を絶やさす軽妙な口調で人の気を逸らさない会話を続け、多くの人がそれに魅了される。だが、南洲は彼を非常に警戒していた。人を安心させる表情と計算された会話で、絶対に本音を掴ませない。笑顔の裏で刃を研ぐ、という言葉があるが、あいつは刺した後に無言で微笑むタイプだ、南洲は遠藤大佐のことをそう捉えている。

 

 「なるほどな、ますます瑞鶴に話を聞かないと事が進まなさそうだな」

 

 その言葉にイクとニムの動きが止まり、みるみる表情が沈んでゆく。南洲は改めて秋月の方を振り返ると、既に艤装は格納され、春雨に後手に拘束され無理矢理立たされている。ほどほどにしろって言ったろうが…南洲は一途過ぎる春雨に頭を抱えながら、拘束を解くように伝える。とんっと背中を押されよろ付きながら前に歩き出す秋月と、その彼女に向かい歩き出す南洲。

 

 「査察官は、正義のためにトラックまで来てくれたんですか?」

 「正義を名乗るほど俺の手は綺麗じゃない。ただ、守るべき物は、必ずある」

 「何を見ても、何を聞いても取り乱さないでくれますか?」

 「最大限努力はする」

 「査察官は、本当に瑞鶴さんを助けたいと思ってくれていますか?」

 「ああ」

 

 

 秋月は大きく息を吸うと、自分で自分の顔をぺしぺしと叩き、気持ちを切り替えようとする。次に顔を上げ南洲の目を見たときには、すでに決心が固まったような表情になっていた。

 

 

 「瑞鶴さんは、半ば深海棲艦化しています。今は艦娘と深海棲艦の間を行ったり来たりしていますが、感情が高ぶった時は、一気に深海棲艦側に飲まれてしまいます。トラックを封鎖しているのは、ここに外部の人たちを近づけないことももちろんですが、ここから瑞鶴さんが逃げ出さないようにするためです。深海棲艦化した時の瑞鶴さんは、提督を刺して重傷を負わせた遠藤大佐への復讐しか考えられなくなり、敵も味方も関係なく攻撃を…」

 

 

 事情を知るイクとニムを除く、南洲達の受けた衝撃は極めて大きなものだった。そもそも違う査察官の名前で作成された偽りの報告書が裁可を受けていること自体が異常この上ない。報告書に記載のあった『異常なし』どころか、査察官がトラック泊地の提督に重傷を負わせるなど前代未聞だ。トラックの艦娘が艦隊本部に敵対的になるのも頷ける。挙句に秘書艦が深海棲艦化を起こし、その逃走を防ぐため艦娘達が必死に泊地を守っているなどと、誰が想像しただろう。

 

 「瑞鶴が提督を刺した、というのは…?」

 南洲は絞り出すような声で、パズルのピースをさらに集めようとする。

 

 「執務室に倒れている提督を発見したのは瑞鶴さんです。気が動転した彼女は、提督に深々と刺さっているナイフを抜いてしまったんです。叫び声で駆け付けた私たちが目にしたのは、ナイフを握りしめながら提督の血を浴びて全身を真っ赤に染めた瑞鶴さんの姿でした」



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22. 裏の裏の裏を読む

トラックで起きている事態の全容は概ね把握された。鍵を握る瑞鶴の元へと向かう南洲達一行。対する加賀を中心とするトラック勢もその迎撃を準備する。


 堕天(フォールダウン)、か…。南洲は最近艦隊本部内で認知され始めた言葉を思いだし、思わず秋月から視線を逸らしてしまう。フォールダウンを端的に言えば艦娘が深海棲艦化することを指す。実際、深海棲艦の鬼級・姫級と艦娘の類似点について多く語られ、その関係性についても大本営内の技術本部主導で解析が進み、ある程度のことが判明している。

 

 艦娘達の魂は、愛する人を、国を守りたい、というかつての船魂と共に戦い没した軍人たちの純化された想いの結晶といえる。その純化と定着のプロセスこそが霊子工学として体系化され、艦娘という生体兵器足らしめている訳だが、一方で、その魂が純粋であるがゆえに、怒りや恨み、悲しみに呑み込まれてしまうと属性反転を起し、深海棲艦化を引き起こす。その現象に堕天(フォールダウン)の用語が用いられ、それが最近増加傾向にあることが認められる。

 

 「つまり、前回のニセ査察官の問題を解決するだけじゃ足らず、瑞鶴を正気に戻さなあかん、そーゆーこっちゃな」

 考え込むように腕組みをしながら龍驤が話をまとめる。南洲を除く全員が深く頷く。春雨はイクとニムの拘束を解き、ビスマルクはどれだけ日本の海軍は腐っているの、と怒りを露わにしている。南洲はイクとニムが立ちあがるのに手を貸しながら考え込んでいる。その様子に気づいたニムが声を掛ける。

 

 「ねえねえねえ、一体どうしたの?」

 後ろで手を組みながら、下から覗き込むように顔を見上げるニムに生返事をする南洲の頭は一つの疑問で占められている。

 

 -なぜ遠藤は、トラックの提督に手を出す必要があったのか?

 

 その一点だけがすっきりしない。まとわりつくニムを手で制し、南洲は秋月に声を掛ける。

 

 「秋月、瑞鶴はどこにいるんだ? できれば穏便に事を運びたいが…加賀の反応を見る限りまず無理だろうな」

 「そうですね…。ご指摘の通り、加賀さん赤城さん、それに霧島さんが艦隊本部との一戦を厭わない強硬派の中心です。そして彼女達のグループが警護する管理棟奥の提督室に提督と瑞鶴さんはいます。少佐の部隊を襲撃し、ビスマルクさんを狙ったのは、加賀さん達に従う水雷戦隊と潜水艦隊のグループで、トラックに接近してくる艦艇や他根拠地の艦娘の排除を積極的に行っています。…なので納得させるのは容易ではないと思います」

 

 イクとニムが気まずそうな表情で、ビスマルクに深々と頭を下げている。不承不承(ふしょうぶしょう)、といった面持ちで謝罪を受け入れながら、ビスマルクは秋月に質問する。

 

 「ということは、違う考えを持っている艦娘達もいるっていうこと?」

 

 「瑞鶴さんを守りたい、という根っこの所は全員同じです。ですが、その方法は何がいいのか、誰も分かっていません。こうやって艦隊本部と対立したりトラックに籠っていても何も変わらないです。皆、何とかしたいと思っていますが、どうすればいいのか…先が見えなくて、雰囲気もどんどん悪くなるし…」

 

 そこまで言うと秋月は顔を覆い、肩を震わせながら泣き始めた。秋月だけではなく、気持ちの限界が近づいている艦娘も多そうだな、と南洲は考え始める。

 

 「春雨、鹿島と羽黒と連絡を取ってくれ。30分後に宿舎で合流だ。秋月、イク、ニム、お前らも一緒に来てくれ。作戦会議を始める」

 

 

 

 秋月を先頭に宿舎へと進む一行の背中を眺めながら、南洲と龍驤は最後尾を歩く。

 

 「…なあ隊長、聞いてええか? 『艦隊本部が本気を出せばどうにでもできる』ってゆーてたやろ? せやけどこの泊地の戦力は決して侮れんで。どうするつもりや?」

 頭の後ろに手を組み、歩幅の違う南洲に追いつくことを諦めのんびり歩く龍驤が南洲に問いかける。

 

 「やりようはいくらでもある」

 龍驤の方に横顔だけを見せるように振り向きながら、左の拳を右の掌に叩きつけた南洲は醒めた目で答える。

 

 「グアム・ラバウル・エニウェクトの各拠点から一斉に空襲、パラオ・ラバウル・ショートランドの各艦隊が接近し包囲戦を開始。その間に艦隊本部の連合艦隊が接近し、南北から挟撃する…まぁそんな所かな。時間をかけていいなら海上封鎖で済む。トラックがいくら強力でも所詮は一泊地、各種補給を外部に依存している以上、いずれ備蓄している資材資源は尽きる。完全放置していれば勝手に自滅する」

 

 「…隊長、ひょっとして怒ってんの?」

 「…まぁ、な。こんなことをしても意味がない、と加賀もおそらく分かっている。彼女が考えているのは、艦隊本部との間に戦闘を誘発させることで世間の耳目をトラックに集め、事の真相を世に問うことだ。そのためにもできるだけ派手に死ぬつもりだろう。だが、その過程でどれだけの艦娘が巻き込まれると思ってるんだ?」

 

 南洲はふと歩みを止め、龍驤の方に完全に向きなおる。

 

 「ほんとうは加賀(あのバカ)をひっぱたいて説教してやりたいところだが、まずは瑞鶴の状態を確認するのが先だ。龍驤、お前は今回の作戦のために参加してくれた艦娘だ。おそらくは俺達の監視も兼ねているんだろう? だがな、俺はこんな事で艦娘達に傷ついてほしくないんだよ。()()()力を貸してくれないか?」

 

 一瞬きょとんとした顔をした龍驤は、バイザーで顔を隠すようにしながら、小さな声で敵わんなぁホンマに、と呟く。南洲の指摘通り、大本営の艦隊本部から派遣された龍驤は部隊のサポートと同時に監視も兼ねている。どう言っても、問題児だらけの部隊なのだ。これがトラック泊地の艦娘と意気投合し合流でもされたら、問題がさらに大きくなる。だが目の前の南洲は本気でトラックの艦娘達の身を案じている。向けられた本気の思いを誤魔化すほどに、龍驤は冷めた気質ではなかった。むしろ昔気質というか、まっすぐな艦娘である。

 

 龍驤は無言で右の拳を差し出す。そして今度は聞こえるようにはっきりとした声で言う。

 「敵わんなぁホンマに。ウチのこと(そそのか)すなんて悪い隊長や…いざとなったら、責任とってぇな」

 

 差し出された拳に、南洲は左の拳を指し出し軽くぶつける。そしてお互いニヤっと笑い合う。

 

 

 

 「全員作戦は了解したな? なるべく派手にやってくれた方が助かる」

 

 南洲は宿舎で行われた作戦会議をこう締めくくった。割り当てられた宿舎の各部屋には当然のごとく盗聴器が取り付けられていた。クリーニングと称する作業でそれは当然発見され無人の部屋に集められていたが、南洲は敢えてその一つを、作戦会議を行う部屋に戻し、盗聴を行っている相手に作戦を暴露した。

 

 -さて、相手はどうでてくるか?

 

 この宿舎から司令部施設までは、北回りと南回りの2通りの経路がある。距離は短いが目標とする提督室まで司令部施設を通り抜けなければならない南側ルートと、遠回りだが司令部施設の背後に出る北側ルート。打ち合わせは南側ルートを行く少数の陽動部隊が迎撃の艦娘を集めているうちに、北側ルートを本隊が行く、と決定した。だが実際の作戦決定は筆談で行われていた。

 

 -部隊の過半を投入した南側ルートで陽動を兼ね強行突破する一方で、南洲とサポートの艦娘が北側を進み提督室を目指す。

 

 全員が声を出さずに静かに頷き、文字に起こされた様々な情報を見落としがないよう食い入るように見つめている。

 

 

 

 「加賀さん、聞こえましたか? 北側に兵力を重点配備し、私と比叡、それに一航戦のお二人、それに重巡部隊で一斉に叩きましょう。『査察部隊が瑞鶴さんの抹殺を決めた』と言えば中間派の艦娘達も参加してくれるはずです」

 

 司令部施設の一角にある一室に、複数の艦娘が集まっている。盗聴器から齎された情報を聞くと、すぐさま策を立て眼鏡を光らせたのが金剛型戦艦四番艦の霧島。その主張に同意するように、赤城型航空母艦一番艦の赤城も深く頷く。

 

 一方で強硬派の中心となる加賀は、サイドテールの毛先を指先でいじりながら、何も答えずに深く考え込んでいる。

 

 -あの査察官と部隊はむしろ修羅場慣れしていると見て間違いないはず。そんな連中が私たちの仕掛けた盗聴器を見過ごすことがあるかしら。むしろそれを利用しようとするはず。

 

 部屋に集まった一同は加賀に注目し、その言葉を待っている。自身に集まる視線を気に留めず、いつも通りの無表情で加賀は南洲達を迎え撃つための布陣を伝える。

 

 「いいえ霧島さん、それこそが罠です。南側に私と赤城さん、それに霧島さんと比叡さんを中心とする迎撃部隊を配置します。北側には」

 「俺が行こう」

 

 部屋の隅に陣取り、壁に凭れるようにして立つ一人の艦娘、木曾が声を上げた。今度は注目が木曾に集まったが、加賀の返事を待たずにすたすた歩きだしていった。

 

 「どこへ行くの、木曾さん? 私の話はまだ終わっていないわ」

 ニヤッとした笑みを浮かべ振り返った木曾は、ひらひら手を振りながら歩みを止めずに加賀に答える。

 

 「こういう時に俺の勘は外れた事がないんだよ。部隊全体の動向は知らないが、あの査察官は北側から来るはずだ。お前らは南側に部隊を縦深配置しておくんだな。間違っても戦力の逐次投入なんてするなよ」

 



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23. 翻弄

南洲の作戦を読み迎撃態勢に入ろうとする加賀達トラックの強硬派。南洲達はどのようにして瑞鶴まで近づくのか。


 「行ってくるっぽい~」

 返事がないのは知っているが、つい夕立は埠頭を振り返りながら出撃の挨拶をする。提督が元気な時は、いつも見送ってくれったぽい…心の中で愚痴を零しながら、同じ部隊の5名に目を配る。風は微風で波は穏やか、順調な航海になりそうっぽい…足元の乱れに気を取られる心配はなく、夕立は海面を疾走しながら考え事を始める。

 

 夕暮れから抜錨する夜間哨戒、深海棲艦と遭遇すれば当然戦闘だが、むしろ警戒しているのは同じ海軍の艦艇や艦娘。彼らがトラック泊地の哨戒圏に入る前に、深海棲艦を装った威嚇攻撃を行い追い払うこと、それが駆逐艦と軽巡洋艦を主体とした哨戒部隊の役割。今日もいつも通りに抜錨し、今泊地に残っているのは空母勢と戦艦・重巡勢と一部の駆逐艦だけだ。

 

 泊地に大本営からの査察部隊が来ていることは勿論知っている。自分と江風で攻撃を仕掛けたのだから。加賀達強硬派は査察部隊と一戦を交えてでも、瑞鶴を守ろうとしている。漏れ聞く話ではそれは近々起きるようだ。本当にそれが正しいのか自分には分からない。考えても答えが出ないなら、心を無にして命令に従っている方が楽だ。

 

 「それに陸上での戦いになると夕立たちはあんまり活躍できないっぽいー。加賀さんにそう言われちゃったし」

 つまらなさそうな表情で、夕立は両腕を上げ背筋を思いっきり伸ばす。

 

 “艦娘”と言われているが、海上の活動がその能力を最大限発揮できるだけで、陸上でも行動は可能だ。ただ攻撃方法の問題から、雷撃が主体の駆逐艦と軽巡洋艦の多く、潜水艦は陸上で活動させる意義が薄い。そもそも魚雷はバブルパルス(水中衝撃波)による船体圧潰で相手を破壊する兵器で、水中で威力を発揮するよう爆速より猛度が大きくなる火薬を用いる。ゆえに空気中で起爆させるのには不向きだ。まして旧海軍の魚雷は安定性を重視した低感度火薬を使用しており、その傾向はさらに強くなる。

 

 

 

 「そろそろ偵察機の収容をしないと」

 時刻は薄暮、すぐに日が暮れはじめる。加賀は左腕を伸ばし装備した飛行甲板への着艦に備える。同時に探照灯の準備をするよう赤城に頼む。相手が来るなら夜陰に乗じた侵入、少数部隊である以上それ以外に手がないはず―――その加賀の読みは、司令部の敷地内で連続して起きた爆発により裏切られた。

 

 「そんな…攻撃隊も砲撃もないのに…事故?」

 「加賀さんっ、これは一体っ!?」

 猛然と立ち上る黒煙を抜け、霧島が呆然とする加賀に駆け寄ってくる。遅れて他の三名も集まってくる。加賀の指示を受けて探照灯の準備を手配していた赤城も血相を変えてやって来る。

 

 「っ!! いけない、密集しないでっ!!」

 緊迫した表情で空を見上げた加賀が叫ぶ。真っ赤な夕陽の眩しさに細めた目に映るのは、逆落しで突っ込んでくる九十九式艦爆と護衛の零式艦上戦闘機五二型。

 

 「慢心は…二度とっ!」

 赤城が素早く矢を番えて弓を引き絞ると直掩機を発艦させる。優位からの攻撃を受けているが、岩本隊なら何とか初撃を躱し有利な空戦に持ち込めるはず、赤城にはその目算があった。が、それも裏切られる。相手は五二型だが、凄まじいほどの腕の冴えを見せ、岩本隊でさえ完全に押されている。その間に余裕をもって投弾体勢を整えた艦爆隊は、偵察機の収容体勢に入っていた加賀の飛行甲板を滅多撃ちにし、霧島と比叡にも若干の損害が出た。何とか僚艦の援護を、と焦る赤城だが岩本隊が全機撃墜されていることに気づき衝撃を受ける。

 

 「そ、そんな…虎徹が…」

 

 呆然と呟く赤城、飛行甲板を庇うようしてうずくまる加賀、加賀を守るように上空を警戒する他の四名に、鋭い声が飛ぶ。

 

 「赤城も加賀も舐めとんのか? この程度で一航戦を名乗るとはいー度胸やなぁ。なあ、松っちゃん?」

 

 松っちゃんこと赤松中尉は、総撃墜数350機(自己申告)とも言われ、この場にいる三人の空母全てに配属経験のある最古参であり、かつ太平洋戦争を生き抜いたパイロットだ。大本営の艦隊本部に所属する艦娘が他根拠地に比べ優位にあるのは、練度のみならずこの赤松隊のように先鋭的で実験的な装備が独占配備されることにも起因する。

 

 

 その場にいる全員がぎょっとした。なぜここに龍驤がいるのか? いつの間に侵入された?

 

 

 飛行甲板を模した巻物と式神を背後にまとい、体の前には『勅令』の文字が浮かび上がったオレンジ色の火の玉を浮かばせた龍驤は、腕を組み凄味のある笑みを浮かべながら対峙する。すっと右手を挙げ、振り下ろすと、背後に浮かぶ式神が再び零戦五二型に代わり、加賀たち六人に機銃掃射を行う。六人が身を庇った一瞬の間に龍驤は走り出し、司令部敷地内の建物の陰にさっと入り行方をくらます。

 

 「か、加賀さん…」

 呆然自失の態で、無防備に赤城が自分に近づこうとする。加賀が懸命に押しとどめようとするが間に合わなかった。敷地内に林立する建物の陰から砲撃が起こり、小中口径砲の直撃を受けた赤城は弾き飛ばされ、右肩に装備していた飛行甲板が破壊された。古鷹と比叡が間髪入れずに赤城の盾となり、キレた霧島と加古が砲撃地点に施設への被害などお構いなしに応射する。轟音と黒煙で満たされた司令部は、もはや完全に戦場となっている。

 

 

 「うふふ♪ ご命令の通りにできましたっ!」

 建物の陰に隠れながら小さくガッツポーズをする鹿島。攻撃力こそ 低いが、練習巡洋艦、すなわち教官の名に恥じず精度の高い攻撃で赤城の飛行甲板に命中弾を与えた。

 

 「司令官の指揮じゃなければ、こんなこと…私。でも、司令官のためなら…」

 別な建物の陰に隠れながらそっと様子を窺う羽黒。装甲の厚い戦艦勢と重巡勢を狙った砲撃で巧みに動きを封じる。

 

 「霧島さんと加古さんもやりますね。あの調子で砲撃を続けられると隠れる場所がなくなっちゃいます」

 さらに別な建物の陰に隠れながら零すのは、先行して潜入し各所に爆薬を仕掛けていた春雨。南洲と共に汚れ仕事をこなしてきた彼女ゆえの働きだ。

 

 

 

 加賀は自分の判断を後悔している。結論から言って、自分は踊らされている。

 

 相手の部隊長の作戦を読んだつもりでいた。盗聴により齎された情報は、南側が少数の陽動で北側が本隊。相手が盗聴の事を知っている前提に立てば、当然その逆を付いてくると加賀は考え、南側に自分を含めた6名-赤城、霧島、比叡、古鷹、加古を配置し、この方面から来るであろう()()の迎撃を準備した。人間の部隊長を含む総勢六名、仮に総がかりで来られても十分対抗できる―――はずだった。だが、()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 複数の爆弾を仕掛け、その爆発で目を引き、さらに夕暮れになり艦載機の収容時を狙い攻撃を開始する。司令部に林立する建物を巧みに利用して死角から死角へと移動しながら攻勢を取り、着実に前進を続ける部隊-春雨、鹿島、羽黒、ビスマルク、龍驤の5名に加え、さらに増援らしき艦娘の姿も見える。

 

 

 「ううう~バレたら折檻なのね、間違いなく。…でもこんな恥ずかしい格好させるなんて…あの隊長、ヘンタイなのね…」

 

 加賀が増援と思っているのはイクである。そのままのスク水と特徴的な髪の色では正体がばれてしまうので、春雨達から借りたフード付きパーカーを着てミニスカートを穿くという、要するに普通の格好で走り回っているのだが、本人は水着よりも恥ずかしいらしい。

 

 

 

 

ごとっ。

 

 重いコンクリート製の蓋が地下から持ち上げられる。先に地上に出た大柄の男が、後に続くポニーテールの少女に手を貸し地上に引き上げる。すでに時間は夜だが、司令部の南側は煌々と炎に照らされ、黒煙が上がっているのが見える。

 

 「みなさん、ご無事でしょうか?」

 「あの程度でやられるほど連中はヤワじゃない。むしろやりすぎないようにして欲しいくらいだ。…あの様子だと加賀は見事に引っかかってくれたようだし、あとはニムが大丈夫だと良いんだが。夜道が怖い、とか言ってたからなぁ…」

 

 心配そうな表情の秋月と周囲を警戒する南洲。この二人こそが本隊であり、北側の経路の途中から地下に入り()から提督室のある管理棟にほど近い場所に姿を現した。ちなみに北側の経路は、ニムが一人で夜の散歩をしている。

 

 

 北か南か-加賀はそこにこだわっていたが、完全に気づかなかったポイントが二つある。

 

 一つは『前任者』。ここトラック泊地は、南洲の上司である宇佐美少将が長年統治していた泊地であり、その施設設備は右も左も上も下も把握されている。その彼が南洲に与えた情報の一つに、司令部敷地内各所、さらに提督室のある管理棟に続く秘密の地下避難経路の存在がある。

 

 そしてもう一つが『時間』。加賀達が盗聴した内容は、南洲達が事前に話し合っていたものの録音だった。宿舎に残ったニムが夕刻を待って盗聴器に向かい再生する。加賀たちが録音内容をリアルタイムでの会話と思い込んでいた頃、陽動部隊はすでに件の地下経路を使って司令部敷地内に展開済みで、龍驤の作戦開始の合図を待つだけとなっていた。

 

 「さぁいくぞ、秋月」

 「おいおい、そんなに急ぐなよ。まあゆっくりしていってくれ」

 

 

先を急ごうとする南洲の前に、不敵な笑みを浮かべた木曾が立ちはだかる。



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24. 透き通った思い

立ちはだかる木曾と激闘を繰り広げる南洲は苦戦を強いられる。追い込まれながらも、南洲は自分自身に深く向き合う。


 地下の緊急避難経路から地上に出ると提督室のある管理棟は目と鼻の先だ。だが今、南洲と秋月は、管理棟の前にある、左右を建物に挟まれた少し広めの踊り場で木曾と対峙している。

 

 木曾は重雷装巡洋艦のはずだが…南洲は鋭い目で木曾を見つめる。白黒の虎縞模様に塗装された右舷の単装砲と腰に巻いた弾帯以外に目立った装備はなく、その性質を特徴づける五連装魚雷発射管がどこにも見当たらない。南洲の視線に気づいた木曾は、静かに微笑みながら左腰に佩びた刀を抜き、ついっとごく自然に踏み出してくる。

 

 

 「陸上で雷撃戦をするほど酔狂じゃないんだ。魚雷発射管があると、とにかく重くて自由に動けなくてさ。それよりもこれなら俺もお前も楽しめる、そうだろ?」

 

 -強い。

 

 自然だが隙のない動きだけで木曾の技量の程は十分に伝わってきた。南洲は無意識に秋月を庇うような位置取りを取る。

 

 秋月もここで木曾に会うとは予想外だった。南洲達に協力していることが知られれば、自分はただでは済まないだろう。けれど今の加賀のやり方では誰も幸せになれない…南洲の広い背中に思わず縋るようにしてしまった自分に気づき顔を赤らめる。

 

 南洲は右脇のホルスターから左手で銃を抜く。自分も日本刀を佩いているが、あくまでも人間を斬るための物だ。おそらく木曾の刀は艤装の一部だろう、そんなものをまともに受けたら一撃で叩き折られる。南洲は秋月を振り返り二、三耳元で囁く。コクコクと頷いた秋月はたっと軽く駆け出し南洲から離れる。

 

 「…引いてくれって言っても引かないんだろ、まぁいいさ。そうだ、秋月は俺に脅されてここに来ただけだ、いいな?」

 「いいねぇ、そういうの。心意気に腕が見合ってればもっといいがなっ」

 

 南洲の視界は一瞬で低い姿勢で懐に入り込んでくる影を捉えた。裂帛の左逆袈裟で木曾の刀が閃く。

 

 「ちいっ」

 短く声を上げた南洲は間一髪で大きくステップバックしながら銃を構える。だがそのまま木曾は距離を詰め南洲に銃を撃つ暇を与えない。二撃三撃と刀が振るわれ、下がりながら躱し続ける南洲にみるみる傷が増え、あっという間に壁際近くまで追い込まれた。秋月は声も出せず見守るしかできずにいる。

 

 「どうした査察官、そんなもんかっ!? 期待外れだぞっ」

 さらに迫る木曾に対し、南洲はさらに大きく下がり距離を取る。ただし真後ろではなく斜め上に跳ぶようにし、壁を蹴る反動で斜め前方に跳びあがると、木曾の頭上を越えながら体をひねり彼女の脚を狙って銃を撃つ。

 

 勢いがつき急に止まれない木曾が何とか踏みとどまるが、壁と自分の間にある空間では刀を構え直すのに十分ではなく、左足を無理矢理外向きに踏み込み力を流す方向を変え、その流れに沿うように壁と並行に側転し銃撃を躱し切った。

 

 「いいぞっ! やるじゃないかっ!! さぁ、もっとだっ!」

 歓喜に耐えない表情で南洲の方に刀を構え直した木曾だが、ふと構えを解く。

 

 

 「…ちっ、完全にクセになってやがる」

 またしても無理な姿勢で大型拳銃を撃った南洲は、左肩にかかった反動を逃がし切れず再び脱臼し、苦い表情のままそれを右腕で無理矢理嵌めていた。銃撃音で我に返った秋月が慌てて南洲に駆け寄ると、艤装を展開し四基八門の長10cm砲を木曾に向け威嚇する。

 

 「秋月、お前脅されてるんだろう、一応? まぁそういう事にしておくけど…。それよりもだ、査察官」

 苦笑いを浮かべながら刀の峰で肩をとんとんと叩く木曾が、まるで世間話でもするように口を開く。

 

 「目的以外のことはするなよ、って言っただろ? だから俺がこんなことをする羽目になったんだ、少しは反省しろよな」

 そこまで言うとニカッと歯を見せて笑いかけてくる。まるで敵意は感じられない、だが何故木曾は戦う? 南洲は左肩を回しながら再び秋月の前に出る。

 

 「査察官の目的が査察以外にあるかよ。瑞鶴の一件には、裏がある。それもトラックだけに留まらない何かが。ここに来て俺はそれを確信した。俺は遠藤大佐を起訴する。そのために瑞鶴には協力してほしい」

 「なるほどな…そういうことなら、ここはやっぱり通せないな」

 

 少しだけ残念そうな表情を浮かべた木曾は、再び刀を構える。これは…南洲の背中に冷や汗が流れる。先ほどまでとは打って変った殺気を帯びた木曾の姿。さっきのはあれでまだ本気じゃなかったってことか…。

 

 「…これ以上瑞鶴を傷つけるな。俺は死にたがりの加賀に付きあうのはごめんでね、瑞鶴を連れてその地下通路から逃げるつもりだったのさ。やっとの思いで見つけた経路だってのに、お前ときたらあっさり侵入しやがって…。なあ査察官、人の手で造られ、人のために戦い、人の手で傷つけられ、そして人の裁きに付き合わされる艦娘(俺達)…お前たち人間は一体何がしたいんだ?」

 

 南洲の視界から、文字通り木曾が消えた。本能か経験か、いずれにせよ真正面から斬り込んできた木曾の刀を、間一髪銃身で受け止めた南洲だが、そのまま力で押される。銃身との間で金属音を立てながら滑り落ちる刃は、銃を持つ左手の親指と人差し指の間の肉にそのまま食い込んだ。

 

 咄嗟に銃を離すと右脚の上段蹴りで木曾の顎を狙う南洲だが、木曾に苦も無く躱される。双方ともにいったん距離を取るが、南洲の左手からの出血は止まらない。

 

 「…人の身でよくここまで戦ったな、査察官。感動すら覚えるぞ。秋月に今手当させれば大事には至らないはずだ、早く引き揚げろ。ここで止めても恥ではないぞ」

 初めて見せた優しそうな表情で、木曾は南洲を諭すように語りかける。秋月はおろおろしながらも自分の頭に巻いたペンネントを解くと、南洲の左手にぐるぐる巻きつけ止血を試みる。銃を拾いに行く猶予を木曾は与えてくれないだろう。なら今自分が使えるのは…南洲は腰に佩いた刀に目をやる。

 

 

 「…逃げ出した先には何もない、あるのは後悔だけだ。あいにくだが、俺はもうこれ以上艦娘が傷つくのを見たくない。だから瑞鶴を、加賀を、お前たちを追い込んだ連中こそ止めなきゃならないんだ」

 

 秋月の手当のおかげで多少はマシになったが、依然として血は止まらない。それでも南洲は、右脚を前に出しわずかに重心を前に掛ける。そして左手を鞘に、右手を刀の柄に掛け端然とした表情で集中する。

 

 「立居合か…いいだろう、受けてやるぞ」

 木曾はゾクゾクとした表情を浮かべ、頬をやや紅潮させている。まともに戦えば人間に勝ち目がない艦娘との戦い。それでも目の前の男は逃げるどころか全身全霊を尽くし立ち向かってくる。

 

 「嬉しいぞ、お前のような相手と戦えたことが。そして悲しいぞ、その相手を失うことが」

 正眼に刀を構え、木曾が南洲に正対する。

 

 南洲は集中の度合いを深める。人間の限界を超えた速度での抜刀で斬り伏せ攻撃力を奪う。そのために扶桑の力があれば-その力を利用してでも復讐に凝り固まっていたかつての自分。だが、その力の過半を失ったことで、初めて自分の無力さに、そしてその力とは裏腹に艦娘は人間以上に純粋で、それゆえに傷つきやすい存在であることに気が付いた。

 

 それでも、いや、だからこそ、力が欲しい。

 

 壊す力ではない。春雨を、鹿島を、羽黒を、ビスマルクを、そして瑞鶴、目に映る全ての艦娘を傷付ける連中を倒すための、守る力。

 

 -扶桑、もし聞こえていたなら、もう一度力を貸してくれないか。

 

 自分自身と対話するような深い呼びかけに答はない。だが、まるで自分の手を誰かが支えてくれているような感覚に南洲は包まれていた。

 

 秋月が自分の目を疑う様にぱちぱちと瞬きを繰り返し、木曾が唖然としたような顔をする。

 

 「ハ…ハハハッ。面白いぞ、査察官、それが貴様の力という訳か……いくぞっ」

 

 二人の艦娘の目には、半透明の姿で、南洲と二重写しになるように立居合の姿勢を取る、凛々しい表情の扶桑の姿が映っていた。

 

 

 万が一の時は…撃ちます、と腹をくくり用心深く注視していた秋月でさえ捉えられない、閃光の速さで踏込み距離を一気に潰すと正眼の構えから突きを放つ木曾。同時に踏み込むと鞘走りを利用し紫電の速さで抜刀した二人(南洲と扶桑)

 

 甲高い金属音が鳴り響き、折れた刀身がくるくると宙を舞い、地面に刺さる。

 

 南洲の刀は単装砲に阻まれ木曾の体には届かず刀身を折られてしまった。そして木曾の刀は切っ先が南洲の喉元あと数ミリの所で止まっている。

 

 

 「…俺の負けだ。艤装を動かさなきゃ今頃俺はそこに倒れていたろうよ。それにしてもお前は一体…」

 

 視線で地面を指すと、さばさばした表情で木曾が言い、刀を鞘に納める。がっくりと膝をついた南洲を庇うように秋月が二人の間に割って入り、木曾を警戒する視線で睨みつける。木曾は両手を軽く上げおどけながら秋月に対する。

 

 「おいおい、俺の負けだって言っただろう? それとも何か、そんなにそいつの事が大事なのか、秋月?」

 

 真っ赤な顔で反論しようとする秋月の言葉を遮るように砲撃音が続き、瑞鶴のいる管理棟に至近弾が落ちる。



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25. 私にしかできない事

ついに瑞鶴が姿を見せます。


 秋月に肩を貸されながら立ち上がる南洲。木曾を含め全員の視線は管理棟に集中するが、どうやら致命的な被害は出ていないようだ。全員が安どのため息を漏らし、木曾はふと昔を懐かしむような表情で南洲に語りかける。

 

 「…かつて俺はマニラ湾で大破着底したんだ。あの時、俺に動ける足と戦える手があれば、どこまでも往時の軍人(アイツら)と一緒に行けたのに…。だからこの姿に生まれ変わった以上、今後こそ最後まで全てを護り続ける…そう思っていた。だが、目の前にある物を守るだけじゃなく、元から正すべきこともあるってことだな。礼を言うぞ、査察官」

 

 往時の記憶を色濃く残す木曾にとって、手にした刀は思いの象徴なのだろうか…そんなことを思いながら、南洲は木曾を誘いかける。

 

 「瑞鶴の所に行く。お前も一緒に来てくれないか?」

 

 木曾は無言のままで秋月が支える左側と反対の右側に回り、南洲に肩を貸す。秋月が不満そうな表情を浮かべるが、木曾は一向に気にしない。

 

 「ふっ…水臭い、俺とお前の仲じゃないか! 刀で語り合った以上、もう俺達は莫逆の友だ。お前、名前は何と言うんだ? いつまでも査察官というのも変だしな。なに…ふむ、分かった。よし、行くぞ、南洲っ!」

 豪快に笑いながら、とにかく嬉しそうな木曾。一方秋月は真剣な顔で何かをぶつぶつ呟いている。

 「南洲さんですか…照れずに呼ぶ練習をしなければなりませんね…」

 

 そして管理棟から、唐突に悲鳴とも嗚咽ともつかない、人の心を不安させるような叫び声が響く。

 

 

 

 時間は司令部施設の南側で加賀たちと春雨たちとの戦いが続いていた頃まで戻る―――。

 

 飛行甲板を破壊された自分たちは、この場面で足手まといになるーそう割り切った加賀は、霧島に作戦指揮を任せ、南洲達の部隊を分断するように囮として赤城と共に走り出す。それを追う龍驤、春雨、鹿島。

 

 加賀と赤城を建物越しに左右から挟むように並走するのが龍驤と春雨。すでに日は完全に暮れ、さすがの龍驤も夜間着艦になるため艦載機の運用は考慮に入れてない。鹿島はいったん別な建物の上にあがり、二人の『目』として屋上から屋上へと跳躍を続ける。

 

 元々が巡洋戦艦天城を改装した赤城、加賀型戦艦一番艦としての開発から改装された加賀は、並の空母を超えるタフネスさと火力を有する。二人は囮として走りながら、隙あらば空母に有るまじき砲戦をしかけようと虎視眈々と狙っていた。一方鹿島からもたらされる情報を元に、春雨と龍驤は最短距離を走り加賀と赤城に接近する。

 

 建物と建物の間に一瞬だけ姿を現した赤城を捉え、春雨が棘鉄球(モーニングスター)を地面すれすれに放つ。本気仕様の今は、白い深海棲艦機を鉄球の代わりに装備している。春雨の投擲による運動エネルギーに深海棲艦機の速力が上乗せされ、矢のように突き進むモーニングスター。いったん赤城の足元を通り過ぎ、鎖が両脚を絡め取る。文字通り突如足元を掬われた赤城はなす術なく地面をごろごろと転がってゆく。

 

 赤城の悲鳴で思わず足を止めた加賀の背後で龍驤の声がする。自分の頭に砲口を突き付けられているのが分かる。いくら小中口径砲とはいえ、頭部に至近距離から直撃を受ければ致命傷だ。加賀はため息をつくと、両腕を上げ、抵抗の意がないことを示す。

 

 「げーむせっと、やな。ごくろーさん。にしても鹿島の誘導はほんま的確やな、助かったでー」

 「どういたしまして、龍驤さん♪」

 屋上から降りてきた鹿島が駆け寄ってくる。大漁大漁と言わんばかりにずるずると赤城を引きずってくる春雨も合流し、加賀と合わせて雁字搦めに縛り上げる。

 

 「さて、アンタらにはこの泊地に残っている艦娘達に武装解除の指示をだしてもらおーか」

 「………軍法会議にかけなさい。私は解体処分になるでしょうが、裁判の場でこの泊地で起きた事を白日の下に晒すことができるなら悔いはないわ」

 身動きができないようモーニングスターのチェーンで縛り上げられた加賀は、静かに自らの主張を述べる。その言葉を聞いた龍驤の様子が変わり、突如加賀の背後に回った。

 

 「…加賀ぁ、随分と偉くなったもんやなー。お前さん一人の処分で軍が変わるとでも(おも)とんのか? 冗談は乳だけにしときっ!!」

 

 徐に加賀の弓道着の袷に手を突っ込んだ龍驤は、これでもかと言わんばかりに加賀の豊かな胸を上下左右にたぷたぷたぷたぷし続ける。

 

 「なっ…何をっ! アン こ、こんなこと… アァッ や、やめて…」

 加賀の困惑と懇願を龍驤は気にすることなく、このバルジが、モノホンやないか、とうわ言のように言いながら手の動きを止めない。しばらく経ち、ぐったりした加賀と次は自分の番かと警戒する赤城とドン引きしている春雨と鹿島の間に沈黙が訪れる。その沈黙を、手をわきわきさせオヤジくさい笑みを浮かべた龍驤が破る。

 

 「まぁなんや、ウチが言いたいのは、こーんな狭い世界で悶々と思いつめてたらロクな事を考えへん、ちゅーことや。ウチらの隊長は頼りになるで、後でゆっくり話しーや。何なら赤城もどうや、発散するか?」

 

 

 

 龍驤がセクハラに夢中になっていた頃、羽黒は建物の陰から建物の陰へ、時にはいったん地下通路に退避しまた地上に現れる等、砲戦部隊の霧島・比叡・古鷹・加古を翻弄し続けていた。四人はたった一隻の重巡を捕捉し切れないことに苛立ちを強め、知らず知らずのうちに動きが単調になる。

 

「さあ、やっと私の出番ねっ!! 私の砲声()を聞けぇ―――っ!! Feuer!!」

 

 交戦を開始した地点と目標の管理棟の中間地点にある建物の屋上で、ビスマルクが見栄を切り、Anton(第一砲塔)Bruno(第二砲塔)Caesar(第三砲塔)Dora(第四砲塔)が一斉に火を吹く。羽黒の目的は、ビスマルクの主砲の弾着散布界に四人を誘導することにあり、それは見事に成功した。

 

 この場にいる全員が思わず砲撃の元であるビスマルクを見上げるほどの激しい轟音が響き、着弾点には朦々と土煙と黒煙、その奥には一部火災も見える。誰かが被弾したのは確実だ。ビスマルクが警戒の視線を送り続けるうちに、猛煙が薄まり、その奥から発砲炎が光る。

 

 「舐めるなぁーっ!!」

 加古大破、古鷹中破、古鷹を庇った比叡大破、唯一残った霧島も大破に近い中破。しかしその闘志には衰えは見えず、損傷を物ともせず応射を敢行してきた。ビスマルクがいた建物を中心に無差別に続けられる砲撃が次々と司令部内の建物を破壊し、やがて一発の流れ弾がよりによって管理棟への至近弾として着弾した。

 

 状況に気付いた霧島が慌てて砲撃を中止する。砲煙が晴れ、管理棟そのものに大きな損害がないことに胸を撫で下ろしたのもつかの間、管理棟から、唐突に悲鳴とも嗚咽ともつかない、人の心を不安させるような叫び声が響く。

 

 

 

 断続的に続く衝撃に揺れる管理棟。一際大きな衝撃で部屋の中に飾られた品々が床に落ちる。

 

ぱりーん。

 

 写真立てが床に落ち、ガラスが割れる。白く細い指が伸び写真立ての中の写真を取り上げる。感情のこもらない赤い目で写真を眺めながら、ぽつりとつぶやく。

 

 「敵ガ来タノネ…。テイトクサン…大丈夫、モウ二度ト貴方ヲ傷ツケサセタリシナイカラネ」

 

 銀のロングヘアーをツインテールにまとめる。黒い肩出しのニットワンピースのような衣装にひざから下がかなりゴツいサイハイブーツを履いた少女が、窓越しに戦場と化した司令部の敷地に目を向ける。

 

 「翔鶴姉ェ…格好ダケデモオ姉チャンニ似セテタケド…ドウカナ? サア、稼働機、全機発艦! ヤッチャッテ!」

 

 壁ごと砲撃で吹き飛ばし、室内には砲煙が満ちる。そして悲鳴とも嗚咽ともつかない、人の心を不安させるような叫び声を上げ、瑞鶴は艦載機を発進させ始めた。白い球体に大きく開いた赤い口、通称タコヤキとも呼ばれる艦上戦闘機と艦上爆撃機が大量に発進し、司令部の空を埋め尽くす。

 

 

 「な…なによアレは…」

 

 接近する艦載機群を見上げるビスマルク。位置を入れ替えるような形になり、管理棟に最も近い場所にいる彼女が最初の標的になった。攻防ともに高い水準の能力を誇る超弩級戦艦のビスマルクだが、設計思想上近距離砲戦を念頭に置き堅牢な垂直装甲を備える一方で、長距離砲戦や航空攻撃への防御に影響する水平装甲は薄く、また設計年次の関係から対空兵装も脆弱である。何より、太平洋戦域での日米海軍の猛烈な航空攻撃の記憶を欧州生まれの彼女は持たず、対応が遅れてしまった。それがどれほどの危機を齎すか知らずに。

 

 ビスマルクは猛烈な急降下爆撃に晒される。必死に回避を続けるが次々と命中弾が増え、爆炎と煙にその姿が隠されてしまった。

 

 「テイトクサンヲ守ルノハ、翔鶴姉ェノ恨ミヲ晴ラスノハ…私ニシカ出来ナインダカラネッ」



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26. 心の痛みの忘れ方

トラック泊地司令部に大きな被害を出した後、海へと向かう瑞鶴を追いかける南洲。トラックで起きた事件の真相が加賀と赤城の口から語られる。

(20161025 一部表現変更)


 「南洲、南洲っ!?」

 インカムから飛び込んでくる春雨の声。作戦漏洩を防止するため無線封鎖していたが、最早そんな状況でもなさそうだ。

 

 「こっちはあと少しで瑞鶴と提督のいる管理棟だ」

 「こちらは猛爆撃を受けていますっ! トラック勢は砲戦部隊中大破四名捕縛、赤城さん加賀さんは捕縛の上せくはら、他損害多数っ。私たちはビスマルクさん大破、羽黒ちゃん中破で現在退避中です。龍驤さんが無理矢理艦載機を夜間発艦させ応戦していますが、数が違いすぎて…」

 一部含まれていた意味不明な内容はあえて無視する南洲。

 

 「春雨(ハル)、無事なトラックのヤツに緊急避難放送を流させろ。その上で鹿島と二人で地下通路を使って全員の避難誘導に当れっ! …死ぬなよ、絶対に」

 

 ふと視線に気づくと、ニヤニヤした顔の木曾とむぅっとした顔の秋月が南洲の方を見ている。

 

 「『死ぬなよ、絶対に』かー、嫁艦か、おい?」

 このこの、と言わんばかりに肘で突いてくる木曾。

 「………………(左手の手当てをした時、指輪はしてませんでしたよね……ハッ、私何を!?)」

 無言のまま表情をくるくる変えている秋月。

 

 

 管理棟の入り口の扉が、内側から爆ぜる。鉄製の頑丈な扉がひしゃげ吹っ飛ばされ、中から銀髪をツインテールにした、黒い衣装の少女が現れる。夜の帳に赤く光る目が禍々しい。

 

 「…瑞鶴かっ!? おい、俺だ! 木曾だっ! あぁもう…まったく、何やってんだか」

 安堵した表情を浮かべ瑞鶴へと手を差し伸べ歩み寄ろうとする木曾に対し、瑞鶴は無言のまま、体を中心にしてハの字に広がった飛行甲板から艦載機を発進させてくる。真正面から突入してきた艦爆が急上昇しながら爆弾のロックを外す。滑り落ちるように落下してくる爆撃をまともに受けた木曾はそのまま膝をつき崩れ落ちる。木曾を一顧だにせず、すたすたと歩き続ける瑞鶴は、南洲を庇うように両手を広げ立ちはだかる秋月を押しのけ、南洲の顔を覗き込む。

 

 -ヤバいな、これは。

 物理的にも勿論だが、瑞鶴の危うさを一目で感じた南洲は木曾と相対した時とは違う冷や汗を感じていた。赤い瞳と目が合うが、自分を見ているようで見ていない。視線を逸らしたくとも、逸らすとそれをきっかけに瑞鶴が取るだろう行動がまったく読めない。

 

 「…エンドウ…? イイエ、貴方ダレ? マタテイトクサンヲ傷ツケニ…!?」

 「ず…瑞鶴さんっ! 私です、秋月ですっ! お、落ち着いてください、この人は」

 「秋月…秋ヅキ……アキヅキ? フウン…」

 秋月を興味無さそうに一瞥した瑞鶴だが、南洲にはにっこりほほ笑むと、袖口にフリルのついた黒いアームカバーに覆われた腕の先、黒いグローブに守られた指先でその頬に触れる。

 「貴方ハ何ナノ? 人間ノクセニ艦娘ノ匂イガスル…? …マァイイヤ、秋月ニ免ジテ見逃スネ。デモ…邪魔シナイデネ」

 

 すいっと水面に降りたつような軽い足取りで海へと向かう道を進む瑞鶴を呆然と見送る南洲と秋月。木曾の声が二人を現実に引き戻す。

 

 「南洲っ!!」

 

 声と共に鞘ごと木曾の刀が放物線を描き山なりに飛んできた。

 

 「いててて…油断しちまったな。悪いが俺は動けそうにない。俺の刀(そいつ)を持って行け、お守り代わりだ。…南洲、瑞鶴を止めてくれ…頼む」

 今にも泣き出しそうな表情で見つめる木曾に、南洲は決然とした表情のまま無言で深く頷く。正直に言えば、瑞鶴の纏う狂気めいた空気に飲まれていた。もしあのまま瑞鶴が攻撃に入っていたら一撃で倒されていただろう。まともに戦ったとしても、航空攻撃を主体とする空母と近接戦闘しかできない自分との相性は最悪の部類だ。まして今の瑞鶴には言葉が届きそうにない。

 

 -それでも止めなきゃ、な。

 

 後を追う様に走り出そうとする南洲のジャケットを秋月が掴む。

 

 「今の瑞鶴さんは…危険です。…私も行きますっ! この秋月の高射装置と長10cm砲が健在な限り、な…南洲さんをやらせはしません!」

 

 

 

 「ふえ~。何とかしのぎ切ったけど、もうこんなんコリゴリや」

 殿(しんがり)を務めた龍驤が、地下の避難通路に飛び込んでくる。あちこちに被弾の跡が見られ、制服も至る所が破け焦げている。まさに無差別攻撃、瑞鶴の航空隊はトラック勢も南洲達も施設設備も一切の考慮なく爆撃と機銃掃射を加えた。司令部敷地南側で大規模戦闘発生の報を受け、北側に展開していた艦娘達が現場に到着した時は、まさに瑞鶴の航空隊が猛威を振るっていた最中で、損害を増やすために駆け付けたようなものだった。南側で唯一健在の空母は龍驤だけで、着艦に困難を抱えながらも直掩機を夜間発進させ退避中の艦娘達を必死に守り続けていた。

 

 地下通路を見渡せば無傷な艦娘は春雨と鹿島だけで、後は程度の差はあれみな損傷を負っている。龍驤が善後策を考えていると、春雨が南洲に呼びかけているのが聞こえてきた。

 

 「南洲、南洲っ!? どうかしたんですかっ!?」

 管理棟から瑞鶴が現れたことで中断された会話に、春雨は必死に呼びかけ続けている。そして唐突に再開された会話は、南洲の短い一言で幕が引かれた。

 

「…木曾が倒された。中破程度か。俺と秋月は瑞鶴を追う」

 

 居ても立ってもいられない、という表情で春雨が元来た道を引き返し地上に出ようとする。春雨の両肩を押さえながら慌てて引き止める鹿島。自分にもっと戦う力があれば…その思いがあるものの、今できることをするのも南洲のためだと自分自身と春雨の両方に言い聞かせようとしている。

 

 「それは鹿島さんにお任せします。私は…南洲と一緒じゃないとダメなんです、はい」

 

 花が咲くような可愛らしい笑顔と裏腹に、乱暴に鹿島の手を振りほどくと、春雨はそのまま駆けて行ってしまった。

 

 龍驤が頬をぽりぽり掻きながら、加賀と赤城の前まで行くと、目線を合わせるようにしゃがみ込む。

 「一航戦、力貸しーや。南洲と春雨(あの二人)を死なせる訳にはいかんやろ。はぁ…、瑞鶴もなんでまた深海棲艦化なんて…」

 

 「…あなた方に何が分かるっ」

 赤城が龍驤に食って掛かる。見れば他の艦娘達も怒りや蔑みなど、不快感を露わにして鋭い視線を送ってきた。目線で皆を抑えるようにし、加賀が重い口を開き始める。

 

 「……宇佐美少将の跡を継いだ提督に五航戦は想いを寄せていました。そう、()()()…瑞鶴だけでなく翔鶴も…。翔鶴はああいう性格なので、提督と瑞鶴を見守りながら自分の気持ちを抑えようとしていた。けれど、前回の査察官…遠藤大佐が…」

 

 加賀はそこまで言うと肩を震わせこみ上げる怒りを堪えるようにしている。その後を赤城が引取り話を続ける。

 「如才なく査察を済ませた遠藤大佐は、なぜか予定よりも長くトラックに留まりました。そして自分を抑えながらも寂しさを堪えきれない翔鶴の心の隙間に忍び込みました。瑞鶴を殺せば提督が手に入る、と。妹を思う気持ちと提督を慕う気持ちと嫉妬心に苛まれた翔鶴こそが、最初に深海棲艦化(フォールダウン)したんです」

 

 その後の話は、心に痛いものだった。フォールダウンした翔鶴を最終的に倒したのは瑞鶴である事、翔鶴が瑞鶴のために身を引いていた事を遠藤大佐が瑞鶴に知らせた事、それを問い詰めた提督が逆に刺された事、そして全てに耐えきれなくなった瑞鶴がフォールダウンを起こし暴走を始めた事。多くの損害を出しながら何とか瑞鶴を取り押さえ管理棟に幽閉した事、それがトラック泊地で起きていた真相だった。

 

 「瑞鶴はあれ以来ツインテールを止め、銀色に変わった髪を翔鶴のように降ろしていたわ。あの三人の間にどんな想いがあるのか、私達には分からない。けれど、何で遠藤大佐はあんな残酷な事を…」

 

 思いをそれぞれに呑み込みながら地下通路を黙々と進む。先頭を行く鹿島が足を止め、くるりと振り返り思いの丈を言葉にする。

 

 「……私は、前任地の提督さんを撃ちました。本来なら解体処分しか道がない所を、提督さんに救われたんです。私と瑞鶴さんの事情は同じではありません。けれど提督さんなら、きっと何か考えてくれるはずです。だからこそ、瑞鶴さんをなんとか正気に戻して、遠藤大佐を公の場で裁かなきゃっ!! でないと、また違う誰かが私たちと同じ思いをすることに…」

 

 

 

 「…ソウネ、今コソ全テヲ終ワラセル季節(トキ)。私ハソウ思ッテルンダ」

 

 その言葉は誰に向けた物か。南洲と秋月が追いついてきたことを察知した瑞鶴は、振り返りもせずぽつりとつぶやくと艦載機を発艦させた。急上昇から一転、急降下で一直線に襲い掛かる艦上爆撃機の一群に対し、秋月が立ちはだかる。

 

 「大丈夫、秋月がお守りしますっ!」

 

 高射装置付10cm連装高角砲に13号対空電探改を組合わせた秋月は防空駆逐艦の名に恥じず、夜間にも関わらず的確に次々と襲い来る艦爆を叩き落とす。夜を照らす砲炎と響く射撃音が新たな戦いのゴングとなった。



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27. 誰のために

トラック泊地編、完結。善悪を超え、全員が誰かを思い、死力を尽くした先にあるものとは。


 後方で連続して響く高角砲の射撃音に瑞鶴は足を止め振り返る。海まではあと少しだが、人差し指を口元に当て少し考え込んだ様な表情を見せ、そして宣する。

 

 「…『邪魔シナイデネ』ッテ言ッタヨネ? 全機爆装、準備出来次第発艦! 目標、駆逐艦1…ト、アレ何ダッケ? マァイイヤ、ヤッチャッテ!」

 

 左右の飛行甲板から次々と艦載機が発艦し、それが終わると背後に背負った単装砲二基と連装砲一基で無造作に砲撃を開始する。当たればそれでよし、だが砲戦そのもので秋月を仕留めようという意図はない。回避運動を強制し、対空射撃を自由に行えないようにしている。

 

 その効果は覿面に現れた。もとより南洲を庇いながらの戦闘を余儀なくされている秋月が、さらにその行動に制約が加わったのだ。必死に対空射撃を続ける秋月への被弾が増え始め、目に見えて動きが鈍くなってきた。

 

 「くっ! まだ行けます!」

 

 必死の形相で戦い続ける秋月だが、特に背部に被害が集中し、その制服は破れ、背中から腰にかけての素肌が露出してしまっている。

 

 -どうする? これ以上秋月の被弾は危険だ。だが、瑞鶴(アイツ)を黙らせる決め手がない。

 

 ここまで南洲は出番がなく、むしろ秋月の足を引っ張っている。南洲が悔しそうに唇を噛む。

 

 「被弾!? 誘爆を防がなきゃ! まだ……まだ大丈夫!」

 

 気丈に振舞う秋月にも疲労の色は隠せず、被害は広がり、何故と思うほど丈の短いミニスカートまで破れ始めた。

 

 

 瑞鶴は気が付いた。一機の白い艦戦が自分を目がけ飛んでくる。緊急着艦にしては飛行甲板への針路ではなく、明らかに自分に向かっている。制御不能? と訝しげに見た次の瞬間に、艦戦は口を大きく開け自分の首筋目がけ猛進してくる。一歩下がりその攻撃を躱す瑞鶴がその動きを追いながら頭を動かす。旋回する艦戦の姿を捉えたが、頭を動かしたせいで、自分の首元を走る鎖の存在に気付かなかった。

 

 「グッ!!」

 喉を潰される痛みに、咄嗟に両手を鎖にかけ引きはがそうとする。司令部から海へと続く道、司令部側から見ると右手に広がる小高い防風林の中から一つの影が飛び降り、喉への締め付けはさらにきつくなった。

 

 「南洲っ!!」

 瑞鶴が見た艦戦は、春雨が放った棘鉄球(モーニングスター)であり、主に相手の拘束に用いていたこれまでとは違い、首を締め上げる、すなわち殺すことを念頭に置いた投擲を見せた。ミニスカメイド服のスカートにふわりと風をはらみながら着地した春雨が南洲を呼ぶ。一瞬の遅れなく南洲が走り出す。左手にはいつもの大型拳銃-艦娘や深海棲艦相手なら四十一式15cm砲と同等の威力を発揮する。

 

 -ぐいっ

 

 瑞鶴の動きを止めようとさらにモーニングスターのチェーンを手元に引き寄せる春雨だが、ぴくりとも動かない。むしろずるずると瑞鶴の方へと引き寄せられる。春雨の約四倍の出力を誇る瑞鶴が右腕でモーニングスターのチェーンを無理矢理引き上げると、小柄な春雨が宙に舞い、驚きの小さな声が上がる。

 

 春雨は冷静に空中で射撃姿勢を取り左手の12.7cm連装砲B型改二を頭部に集中して連射する。剥き出しになった春雨の殺意の現れ。瑞鶴にチェーンを振り回されたため着地姿勢が取れず、地面に叩き付けられる。

 

 着弾、爆発、くぐもった悲鳴。黒煙が晴れた中から瑞鶴が現れる。一連の攻防の間に走り込んできた南洲は手にした銃を瑞鶴に向ける―――そして機銃掃射の初撃を行った瞬間に爆散する艦戦。爆散する機体の破片と爆風で吹き飛ばされる南洲。

 

 「冗談ジャナイワ!!」

 「やらせませんっ!!」

 瑞鶴と秋月から同時に声が上がる。司令部では龍驤の頑強な抵抗に合い、ここでは防空駆逐艦の名に恥じない秋月の奮戦により、瑞鶴の航空戦力は想定外の大打撃を受けた。そして今また、こそこそ忍び寄る南洲(ネズミ)の排除も思い通りにできなかった。瑞鶴の苛立ちは頂点に達したが、大きく深呼吸をして気持ちを落ち着ける。

 

 秋月には最早戦力にならないほどのダメージを与えた。残るは春雨と…人間? 春雨さえ排除すればそれでいい―――瑞鶴の意識が完全に春雨に集中した。残った航空戦力は多くなく、これはエンドウを殺すために温存したい。痛みで自由に動けない春雨に瑞鶴は自身の砲を向ける。

 

 瑞鶴を挟む様な位置にいる南洲と春雨。ふらふらと立ちあがった南洲に春雨の視線が届く。

 

 

 『南洲、逃げて』

 

 

 唇が動き、春雨が微笑む。南洲は決然と抜刀し、一気に飛び込む。フラッシュバックする、炎に包まれ燃え上がる基地、敵に追われ逃げる春雨、片腕を失いさまよう自分。

 

 「…邪魔だ、手前(てめえ)。そこを…どけぇぇぇっ!」

 

 肺腑を絞る様な叫びと共に、飛燕の迅さで南洲は上段から瑞鶴に斬りかかる。木曽と戦った時と同様、南洲を後押しするように、二重写しで南洲を背後から覆うように重なる半透明の扶桑。瑞鶴を斬り伏せることはできなかったが、黒い装甲の一部を、斬るというよりは叩き割ることに成功した。

 

 

 だが、そこまでだった。

 

 瑞鶴が無造作に動かした左腕でのラリアットをまともに喰らい、体がバラバラになるような衝撃を受け、南洲は春雨のいる方へと弾き飛ばされた。口から血を流しながらも、それでも南洲は春雨を守るように立ちはだかり、刀を瑞鶴に向ける。春雨も必死に立ち上がり、南洲の前に出ようとするが南洲に阻まれる。

 

 

 二人の様子を無言で見ていた瑞鶴は、不意に向きを変え、海の方へと再び歩き出す。

 

 「オ願イダカラ、二度ト私ノ前ニ現レナイデ。バカナ人間…ダケド、エンドウトハ違ウミタイダカラ」

 

 

 

 その道が行き止まりになる頃、左側に深い入り江が広がる。内側を外海から守る様に左右から複雑な形状の岩場が広がり、外界へと通じるのはその間に開けた空間だけである。

 

 「翔鶴姉ェ、ゴメンネ…。私、全然翔鶴姉ェノ気持チヲ知ラナクテ。テイトクサンモ本当は翔鶴姉ェノコト…。エンドウハ必ズ私ガ殺スネ。ソウスレバ、テイトクサンモ元気ニナッテ、翔鶴姉ェモ意識ヲ取リ戻シテクレル…ヨネ?」

 

 静かに海へ降り立つ瑞鶴。腰から下が全て海水に浸かる頃、瑞鶴は何かに腰掛けるような姿勢に変わる。海中から、艦首にあたる部分に大きな口を持つ空母型の艤装が浮上してきた。静かに海を行く瑞鶴が入り江の中ほどまでたどり着いた時に、無線を通して一つの指示が下る。

 

 

 「全艦突撃、雷撃戦開始してください」

 

 

 左右の岩場の陰から三人ずつ駆逐艦が機関を全開にして突入を開始する。直進する瑞鶴の鼻先を四五度の角度で交差して駆けぬけると、左右から魚雷を一斉に放つ。完全に不意を突かれた瑞鶴は、成すすべなく複数の魚雷の直撃を受け、大破することとなった。

 

 

 「提督さん、鹿島、やりました、うふふ♪」

 

 

 

 地下通路での鹿島の訴えは、トラック勢の心理に変化をもたらし、どうすれば瑞鶴を止められるか、少なくとも外海に出さずに済むか、真剣に議論された。だが泊地に残る戦力は皆程度の差はあれど損傷を負っている。

 

 「…夜間哨戒の部隊が展開しています」

 加賀が齎した一つの情報-トラック泊地の哨戒線警護のため展開中の無傷の水雷戦隊-。鹿島と加賀は水雷戦隊の旗艦を務める夕立に事情を説明し大至急帰投を要請、一方で春雨とも連絡を取り瑞鶴の位置を特定し、待ち伏せの体制を整えた。そして予定通り現れた瑞鶴に、作戦通りの大打撃を与えることに成功した。

 

 

 

 緩やかに寄せては返す波に身を預け、瑞鶴はゆらゆらと浜辺まで押し戻されてきた。

 

 ばしゃり。

 

 よろよろしながら、南洲が抜身の刀を持ったまま浜辺に降り立ち瑞鶴へと歩み寄る。その水音に気が付いた瑞鶴は何とか目線だけを南洲へと向ける。

 

 「二度ト私ノ前ニ現レナイデッテ、言ッタヨネ?」

 「お前はそれでいいかもしれんが、こっちはそうも行かないんだ。…遠藤大佐を捕え起訴する。お前には証人として裁判に出廷してもらいたい」

 

 「…イヤヨ、アイツヲ殺サナキャ、提督サント翔鶴姉ェハ帰ッテコナインダカラ」

 ふるふると首を横に振る瑞鶴は、明確な殺意を未だに保ち続けている。それに反応するように南洲の持つ木曽刀から淡い光が浮かび上がり、瑞鶴を包むように広がる。

 

 

 「木曾の刀って、何か凄い特殊能力でもあるのか?」

 右手を左右に動かし、刀をしげしげと眺める南洲。そうこうしているうちに、秋月と春雨はお互いを支え合いながら、鹿島は元気よく走って、他の艦娘達も徐々に集まり始めた。気を取られた一瞬に響いた水音に、南洲は警戒感を示す。

 

 瑞鶴が立ちあがっている。髪も目も元通りの色に戻り、大破はしているものの、いつも通りの装束に戻っている。本人が何より自分の姿に驚いているようだ。

 

 

 「………扶桑さんが…あんなことしちゃダメだって、叱ってくれたの…」

 

 

 瑞鶴が言葉を紡ぐ。南洲の視線の先には、瑞鶴の横に立つ、月の光を集めたように儚い、半透明よりもさらに薄い扶桑の姿しか目に入っていなかった。

 

 「貴方の心が黒く塗りつぶされている間は、私は35.6cm連装砲(焼き払う力)としてしか現界できず、むしろ貴方を蝕むことしかできませんでした」

 

 心に直接響くような声で、扶桑が南洲に語りかける。それは他の艦娘達にも同じように響いているようだ。

 

 「貴方が自分の心を取り戻した今、私も私でいられます。…けれど、瑞鶴さんを堕天から引き戻したので、あんまり力は残っていません。せめてこれからは、その刀の魂として貴方を守りますね。もう会えないでしょうが、いつもおそばにいますから」

 

 口元に手を当て、小さく笑う扶桑だが、その眼は涙で濡れている。そして光はさらに淡くなり、消えていった。

 

 

 鞘に納めた刀を抱きしめながら、最後に囁くように残した扶桑の言葉を噛み締め、南洲はいつまでも動けずにいた。

 

 

 -短い間でも、例え仮初めだとしても、貴方の妻でいられて嬉しかったんですよ、私



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間章 りこれくしょん-2
28. だからその手を離して


トラック査察の後日談。部隊の増員に難色を示す南洲。


 「おお南洲、ご苦労さん。まあ座れ」

 大本営の管理棟にある将官室。南洲は上司である宇佐美少将に呼び出されて、トラック泊地での顛末、特に報告書の行間に滲む事柄について情報の共有を図ることとなった。

 

 トラック泊地は中部太平洋の要衝にも関わらず、()()()()により半ば海上封鎖を受けたような様相を呈し、周辺海域の航行は迂回を余儀なくされる状況が続いていた。そんな中トラックで起きた大規模戦闘は周囲の耳目を集めるのに十分だっだ。

 

 断続的に入る周辺拠点からの安否確認等を黙殺していると指揮機能の喪失と見做され、各拠点が威力斥候を派遣してきても不思議ではない。

 

 そのため南洲は、深海棲艦の強襲を受け大規模戦闘が発生、トラックの提督と翔鶴、瑞鶴が負傷したものの、査察中の特務少佐が指揮を代行し敵の攻撃を退けることに成功、という形で話をまとめた。こじつけだが仕方ない、前後のつじつま合わせと()()()時系列を操作するしかなかった。

 

 

 

 そんな南洲達がトラックを出立した日のこと-。

 

 「南洲、その刀はもうお前のものだ。あとはこれを持って行け、俺とお前の友情の証だ」

 木曾は言いながら肩のあたりの留め具を外し、羽織っているマントを南洲に差し出す。

 「な、南洲さん、そのペンネント…つ、次に会えるときまで大切にしてくださいっ」

 負傷した南洲の左手の手当に、自らのペンネントを止血帯代わりに使った秋月。湯気が出そうなほど真っ赤な顔をして、そのまま持っていてくれるよう南洲に頼み込む。

 

 「じとー」

 「じとー」

 「じとー」

 「………」

 「ほっほぉー」

 

 わざわざ効果音を口に出しながらジト目でその光景に刺さるような視線を送るのが春雨、ビスマルク、鹿島。無言で見つめているのが羽黒、それを面白そうに眺めているのが龍驤。

 

 「せやけど隊長、真面目な話、秋月には転属してもろた方がええんちゃう? ウチが見る限り、隊長のチームは対空戦闘に難ありやで。あとはそうやな、イキのいい航空母艦でもおればバランス良くなるんちゃうか?」

 

 

ぴくっ。

 

 今度は視線が一斉に龍驤に集まる。自分から売り込むっていう訳? でも確かに龍驤さん大活躍でしたし、などの声が飛び交うが、自然と全員の視線が龍驤と自分たちの部分比較を素早く始め、『ないない』と否定の意味を込め顔の前で手を横に動かす。

 

 音が聞こえそうなほど肩を震わせながら龍驤が爆発する。

 「何や君らっ!! この部隊の決め手はソコだけっちゅーのかっ!?」

 

 「おーい、何やってんだ? そろそろだぞ」

 グアムから南洲達を迎えにきたLST-4001おおすみは、ウェルドック内にLCACの収容を終え、後はグアム経由で大本営に戻る人員の乗船を待つのみとなっていた。

 

 きいきい。

 

 車椅子に乗るトラックの提督が現れた。遠藤大佐の刺突は複数個所に及び、その結果身体に麻痺を残している。もう一台はストレッチャーに乗せられた翔鶴。身体機能の修復は完了しているが意識だけが戻らない状態が続いている。二人は大本営の技術本部での治療を試みることが決定した。そしてもう一人―――。

 

 「おまたせっ」

 トラックの提督が乗る車椅子を押すのは瑞鶴である。明るく振舞ってはいるが、自分がトラック泊地でしてきたことは鮮明に記憶に残っている。それでも前を向き、南洲達への協力を申し出た。だが経緯が経緯なので、その身柄は大本営の艦隊本部の管理下に置くこととなり、事情聴取と技術本部での検査を経た後、遠藤大佐の捕縛後に行われる裁判では重要参考人として出廷する。

 

 「…少佐、お待ちください」

 南洲が振り向くと、そこには加賀が立っていた。

 「どうした、お前からそんな風に呼ばれるとはね」

 からかう様に南洲が言うと、加賀はぐっと詰まるような表情になり、それでも言葉を続ける。

 「…随分と貴方には失礼なことをしたような気がするので、一応はお詫びを、と。それと………良い作戦指揮でした。貴方となら、また一緒に出撃したいものです」

 

 南洲は苦笑しながら、機会があれば、と言い残し、そのまま船上の人となった。

 

 

 「まさか査察の報告書が偽造されているとはな。これも官僚主義と言うやつかもしれんが、そこまでは考えもしなかった。いずれにせよお前さんには迷惑をかけた」

 言いながら南洲に向かい頭を下げる宇佐美少将に南洲が答える。

 「そういうの、止めてくれるかいダンナ。こっちがどうしていいか分からない」

 

 宇佐美少将は頭を上げ南洲に向き直るとほろ苦い笑みを浮かべ、話を切り出す。

 「それでな、お前の部隊の話だ。出撃するたびに隊長直々に近接戦闘を行い、満身創痍で帰還するのは見過ごせなくてな。戦力を増強することに決定した」

 

 黙って話を聞いていた南洲の表情が変わり、以前同様の激しい目で宇佐美少将を見やる。復讐を果たすために、『狗』と呼ばれながらも手を血で汚してきた。自分だけならまだいい、春雨までも巻き込んできた-それでもそうせざるを得なかった事に対し、罪悪感と怒りを抱えているのが南洲である。

 

 「それじゃぁ…だめなんだよ。俺は既に春雨(ハル)を俺の都合に巻き込んでいる。あんなに優しいヤツなのに、望まない殺し合いに文句も言わずついて来てくれる。春雨だけじゃない、あと三人も抱えちまった。これ以上、こんなことに付き合わされるヤツを増やしたくない。それにダンナ、俺が遠藤に対しどんな思いを抱いてるか、分かってるんだろう?」

 

 複雑な表情を隠さない南洲の顔を宇佐美少将はまじまじと眺めている。部隊としての戦力増強に嘘はない、だがそれ以上に心の安住を得られない限り、目の前のこの男は遠からず破滅する、ある種の親心もあって宇佐美は動いている。

 

 「小なりとはいえ、お前も今や戦隊司令に返り咲いたんだ、余計なことを考えず、指揮と管理に集中しろ」

 

 ケッコンカッコカリを控えた舞鶴鎮守府提督への取材、それが大本営広報部に転属した遠藤大佐の仕事だ。遠藤大佐に手を出すな、暗に釘を刺す宇佐美少将。相手の動向は既に掴んでいるが、現時点では遠藤大佐に対する逮捕権を南洲は有しない。トラックの一件は証言はあっても物証がない現状、報告書の偽造でさえ彼が改ざんを行った証拠を掴まない限り、むしろ被害者としての振る舞いさえ許しかねない。

 

 

 南洲の右目が赤く光る。普段は一見すると両目とも黒に見えるが、感情が高ぶると右眼だけが赤く光る。危険な兆候だな…内心の憂慮を隠し、あえてからかうような口調で場の空気を変える。

 

 「カッコつけて言ってるが、要するに惚れた女に危ない橋を渡らせたくない、そういうことか。噂に反して色々“熱い”男だな、お前さん。俺は嫌いじゃないぞ、そういうの。ああ、一つ訂正な、お前が抱えるのは最終的に六名、二名の増員だ。まず一人目、本人の強い希望で、秋月はお前の部隊に配属となった」

 

 反論しようとした南洲を手で制し、宇佐美少将はにやにやしながら手で制する。

 「いやいや、皆まで言うな。よし、祝杯だ。お前も付き合え。大淀、お前もだぞ」

 

 手でクイッと酒を飲む仕草をしながら、秘蔵の日本酒を持ってくるよう少将は大淀に言いつける。

 

 

 

 「トラック泊地の提督な、あいつはリハビリが半年以上必要だろうが、何とか復帰できそうだ。それに翔鶴も意識を取り戻した。得体の知れない連中だが、こういう時は技術本部(技本)も役に立つ。

 

 技本の言葉に、南洲の肩がぴくっと動く。技本が艦娘に関する技術開発の総本山であることは事実だが、自分に扶桑の生体組織を移植、それにとどまらず一つの体に二つの魂を封じるようなことをした連中だ。トラックの二人に何もせずに済ませるのだろうか? 漠然とした疑問を腹に残しながら、南洲は別の事を宇佐美少将に訊ねる。

 

 「…六人目は誰なんだ、ダンナ」

 ぐびっとぐい飲みを呷りながら、普段と変わらない様子で南洲が尋ねる。床には大淀の性格を示すように、きちんと並べられた四合瓶が八本。その大淀はすでに「酔ってしまいました」と自室へと下がっている。宇佐美少将と南洲は、普段の様子と全く変わらず、水を飲むように杯を空け続ける。

 

 「まず翔鶴が着任を希望している。トラックの提督と瑞鶴を救ってくれた恩返しなんだとよ。あとは瑞鶴。色々事情が複雑だから時間はかかるだろうが、こっちは罪滅ぼしだそうだ。さらに…加賀も気分が高揚してるんだと。回りくどいが転属希望ってことだ。おっと、忘れる所だった、龍驤のやつは既に自室の片づけを始めてこっちの宿舎に移るつもりらしいぞ…モテるなぁ、おい?」

 

 酔いも手伝い少しイヤらしい笑みを浮かべる宇佐美少将に対し、南洲は何も答えず考え込んでいたが、ふと席を立つ。

 

 「空母、ねぇ…。じゃぁ、俺はそろそろ宿舎に戻るよ。こんなに遅くなるとも飲んでくるとも春雨(ハル)に言ってなかったんでね。明日も早いしほどほどにしないと」

 

 「何だ南洲、尻に敷かれてんのか? …まぁその方がいい、お前は一人だと碌なことをしないからな」

 

 南洲がふと足を止め、振り返ると告げる。

 

 「ああそうだ、宇佐美のダンナ。前から言ってる通り明日から不在だ、みんなによろしく言っておいてくれ」

 「そういうことは自分で言え。…おい、必ず帰ってくるんだぞ、いいな」

 

 宇佐美少将の言葉に返事はなく、ドアの閉まる音だけが部屋に響く。



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29. 待つ人の元へ

一人で敵を追いかける決心をした南洲。そんな彼を彼を慕う艦娘達はどう受け止めるのか。

(20161117 サブタイトル変更)


 「槇原少佐はあの雨の中宿舎に帰らずそのまま出立したようです。春雨さん達が騒いでます…よろしかったのですか?」

 胸のあたりにファイルを左手で抱えた大淀がやや疲れたような表情で宇佐美少将のもとに現れた。

 

 休暇を取った南洲は今、舞鶴へと向かっている。そして遠藤大佐は今日舞鶴鎮守府を訪れる。

 

 「…なぁ大淀、お前の目から南洲はどう見える?」

 宇佐美少将はようやく書類から目を離し、大淀を見る。大淀は軽いため息をつきながら、ウェダ基地時代のことは知りませんが、と前置きし言葉を探しながら答え始める。

 

 「…感傷的な人だと思います。彼の元に集う艦娘達がいるのに、選択肢がある毎に一人になろうとする。逆にそんな人なので、女性として言うなら、彼から目が離せなくなる艦娘が出ても不思議はないと思います。ただ、今のあの人を私は自分の上官にはしたくないです」

 

 手厳しいな、と肩をすくめながら、少将は半ば南洲に同情、半ば大淀の意見に同意しているようだ。

 「ケリを付けなきゃ先に行けない過去もある、それは確かだ。けどな、それでも人は前を向かなきゃならん。とにかく、()()()()()()()()()()()()と良いんだがな…」

 大淀は深くシートに身を預け腕組みをする少将の背後に回ると、ふわりと後ろから抱きしめる。

 

 「ふふっ、あなたも感傷的で熱い方ですから。…でも少佐が戻ってくると信じておられるんですよね」

 

 

 

 早朝に舞鶴入りした南洲は、すでに目的の場所で身を潜めていた。

 

 -しばらく待ち時間はありそうだな

 

 南洲は自らの考えに入り込んでゆく。

 

 

 瀕死の重傷を負った自分に組み込まれた、かつてのケッコンカッコカリの相手だった扶桑。自分の体の四分の一は扶桑の生体機能に置き換えられ、挙句に彼女の魂の分霊まで封じられた。人の身でありながら、部分的とはいえ艦娘の艤装を展開できる能力と、自分の心や記憶が自分のものではないような感覚にもいつしか慣れていった。度重なる()()()()で心身ともに傷ついてゆく自分を救う様に、扶桑は分霊になっても自分をすり減らし、今では南洲の使う武装-副砲を鋳直した銃と、木曾から譲られた刀に霊力として宿る魂、それだけが名残だ。扶桑の面影が薄まるほどに、自分の心を覆う霧が少しずつ晴れてきたような気がする―――我ながらひどい男だ、南洲は自分自身を蔑むように歪んだ笑みを浮かべる。

 

 

 -短い間でも、例え仮初めだとしても、貴方の妻でいられて嬉しかったんですよ、私

 

 

 仮初め、か…南洲は扶桑の最後の言葉を繰り返す。南方鎮守府―渾作戦とその後に続く海域支配のためハルマヘラ島ウェダに作られた前進基地を、将来への夢と少しのジョークを込め勝手にそう呼んでいた。あの日々は、今となっては遠くに揺らぐ蜃気楼のようなものに思える。あの頃、俺も扶桑も、一人では立っていられなかった。俺は渾作戦の途上で春雨を失ったことに耐えられず、過去から逃れた扶桑は新たに手に入れた日々を失うのを怖れ、お互いに縋っていた。人は傷のなめ合いと言うかも知れない、だが俺達にしか分からないものは確かにあった。

 

 

 

 

失った? 誰が誰を?

 

 

 

 

 頭の中が明滅するような感覚と激しい頭痛に襲われ、南洲は思わず頭を抱える。しばらくの間そうしていたが、やがて何事も無かったように元の姿勢に戻る。

 

 「そうだ、俺は蒼龍を守らなきゃならない。せめてあいつだけでも…」

 

 

 ウェダ基地(南方鎮守府)の数少ない生き残りの一人が蒼龍であり、転属先の舞鶴鎮守府の提督とのケッコンカッコカリを控えている。そしてそこに向かう遠藤。トラックで起きたことを考えれば、手段はともかく何を目的にしているか推測はつく。

 

 

 

 舞鶴鎮守府は、東舞鶴港に広がる施設群の総称で、旧自衛隊の航空基地をはじめとする各種施設を併合した一大拠点である。情報によれば、遠藤大佐は舞鶴航空基地に空路で降り立ち、東舞鶴港の奥に位置する司令部施設へと車で向かう。

 

 -来た。

 

 航空基地から1kmほどの所にある、信号のない大きな交差点。道の脇から飛び出した南洲は交差点内に進入し、それを避けようとした遠藤大佐を乗せた黒いセダンは慌てて急ハンドルを右に切り、スピンアウトするようにしてようやく止まった。怒った表情で車から降りてきた運転手の動きが、南洲が手にした銃を見て止まる。南洲はつかつかと近寄ると、運転手に手錠をかけ拘束する。そして後部座席のドアを開ける。中には組んだ足の膝に肘をつき、目線だけをこちらに向けてくる遠藤大佐がいた。南洲は銃を突きつけながら同じように大佐を拘束する。運転席に座った南洲は、車を動かし海側に曲がる道へと進んでゆく。

 

 「おやおや、犬は捨てられても飼い主の元に戻ると言いますが、()は噛みつきに戻ってくるんですね」

 

 遠藤が後席から投げる皮肉を無視し、南洲は車を走らせる。

 

 

 

 「…そろそろ答えろ。お前がここに来た目的は、舞鶴の提督に危害を加え、秘書艦を精神的に追い詰めるため、そうだろ?」

 

 森には何度目かの悲鳴が響き、血しぶきが至る所に飛び散っている。鎮守府からは低山が、航空基地からはそれ自身の設備が、それぞれ陰となる死角までやって来ると、二人を車から降ろし森へと入ってゆく。その後に始まった陰惨な光景に、ドライバー兼SPは完全に凍り付いている。

 

 「い、いち少佐風情がっ…。宇佐美少将に気に入られたくらいで、いい気にならないことで………ぎゃぁあっ! も、もう止めてくれっ!! 分かった、分かったからっ。そこの、舞鶴の秘書艦をフォールダウンさせる指示を三上大将から…。深海棲艦化させ、中臣(なかとみ)様に貢献さ…」

 

 安全な場所から南洲に汚れ仕事を押し付けていた男が、南洲の()()に耐えられるはずもなく、ついに遠藤は落ちた。だがそこで隣に転がしていたはずの運転手が体を震わせ始めたと思うと、唐突に大佐の首筋に深々と噛みつき、食いちぎった。噴水のように血を噴き出す遠藤は間もなく絶命、当の運転手も舌を噛み切り同じく絶命。

 

 「………何なんだ、一体…。だが手がかりは増えた、か…」

 

 SPを兼ねていた運転手は後催眠-三上大将とフォールダウン、そして中臣、この三つが同じ文脈に現れた時、相手を殺し自分も死ぬこと-による操作を受けていたと、南洲は後に知ることとなる。

 

 

 森を出て道沿いに出ようとした南洲は、目にした光景に心臓が止まるほど驚き、そのまま森に留まる。

 

 

 「な、なんでこんな所に…?」

 

 

 汗に濡れたTシャツ、ハーフパンツにウォーキングシューズ、手にはペットボトルを持つ少女-蒼龍。ケッコンカッコカリを間近に控え、少しでも痩せてウェディングドレスが似合う様にと、蒼龍が毎日この海沿いをウォーキングをしてることなど知る由もない南洲だが、その姿を忘れるはずも見間違うはずもなかった。

 

 躊躇いがちに手を伸ばし声が喉まで出かかったが、南洲は唇を噛み締め俯いていた。

 

 

 -ああ、俺はコイツが幸せになろうとしているのを見たかったんだ。誰か一人でもいい、触れれば消えてしまうような儚さではなく、血塗れで泥に這いつくばる俺と違い、しっかりと前を向いている誰かを。

 

 

 何も言わず南洲はただ微笑み、ふと自分の頬を手で拭い、それが赤黒く染まったことに気づきぎょっとする。

 

 -ああ、こんな血の匂いにも気づかなくなるほど麻痺していたんだな、俺は…。

 

 

 「さよなら、元気でな」

 

 

 -これでいいんだ。俺がいなければ、皆前に歩き出せる。もっと早くからこうすればよかったんだ、春雨(ハル)達のことは宇佐美少将がきっと悪いようにはしないだろう。血に塗れるのは、俺だけでいい。待ってろよ、三上。

 

 

 

 「あれは…ハンヴィー?」

 交差点まで戻ると、見慣れた一台の車が近くの空き地に停まっているのが見えた。車のまわりには4人の艦娘がいる。ハンヴィーに寄りかかる様にして立つ春雨、ボンネットに仰向けで寝そべるビスマルク、後部ゲートを開け腰掛けているのが羽黒と鹿島。そうこうしているうちに、羽黒が駆け寄ってきた。

 

 -ぱぁん

 

 南洲の頬が高くなる。一瞬何が起きたか分からなかったが、すぐに羽黒に平手打ちをされたと気づいた。ボロボロと大粒の涙を流しながら、羽黒には珍しく感情を露わにする。

 「あ、あなたは、また私を置いていく気だったんですかっ!? なら何で助けたりしたのっ!?」

 

 遅れてきた鹿島もまた南洲の反対側の頬を張ると、自分を落ち着けるように大きく深呼吸をする。一転、イタズラな笑顔を浮かべ、指を立てると南洲に諭すように言う。

 「いいですか、外出する時は必ず教官の許可を得てくださいね。そして必ず帰ってくること。約束ですよ」

 

 金髪を夕陽に照らしながら、ゆっくりとビスマルクが近づいてくる。南洲の手を取ると、不安そうな表情を浮かべ潤んだ瞳で訴えかけ、そのままぽすんと頭を胸に預ける。

 「もうこんなことしないで、お願いだから…。私たち、家族じゃないの…?」

 

 視線の先にもう一人、いつものメイド服ではなく、濃紺のセーラー服にピンク色のコートを着た春雨が近づいてくる。夕陽に照らされた表情は、泣くような笑うような、不思議な色を浮かべているが、その目の端には涙が浮かんでいる。

 

 「…おかえりなさい、南洲。し、心配したんで…す、よ」

 

 そこまで言うのが限界だったのだろう、顔を覆うようにして激しく嗚咽を始めた。

 

 

 

 「大淀、アイツらに何を言ったんだ?」

 将官室で宇佐美少将が尋ねる。

 

 「特に何も…。ただ、帰ってこないなら迎えに行けば?、と言っただけです」

 眼鏡をくいっと持ち上げながら、しれっとした顔で言う大淀。

 

 「なるほどな、どうりで誰もいない訳だ」

 「何かご用事でもあったのですか?」

 

 「二つ程な。一つは、新人の受入れ二名分、用意しとけよ、って話だ。もう一つは…まぁこれは南洲が帰ってきてからの方がいいか。次の任務の話だ。南洲達には大坂鎮守府に向かってもらうことになりそうだ」

 




 次回からは、とある作者様とのコラボ回になります。シリアス&ギャグ&カオスで人気の、ファンの方も多い作品なので、坂下はかなり緊張しています。ですが、せっかくご快諾いただいた機会なので、思い切って楽しもうと思っています。


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Mission-3i 灰色の男 (『大本営第二特務課の日常』コラボ)
30. 虚像


今話から新章が始まります。

前話後書きで少し触れましたが、この章はzero-45様の作品世界とコラボレートしたお話です。内容としては互いの世界観を崩さず、更に作品世界の物語を絡ませつつも、今まで続いている連載の中に自然な形として組み込む話を目指しております。

zero-45様 連載
【大本営第二特務課の日常】
https://novel.syosetu.org/80139/

(※)御注意
コラボ作はちょっと苦手、こういった形での内容に興味が無い、趣味趣向が合わない方がおられましたらブラウザバック推奨です。

(20161104 サブタイ変更)


 査察はするかしないか、それ以上でもそれ以下でもないはずだ。しかし、大坂鎮守府の話にきまり悪そうな表情を浮かべる宇佐美少将を、南洲は珍しいと感じている。この少将がこんなに歯切れが悪いのは初めて見る。

 

 「まぁこれを見ろ。はっきり言えば大坂は特異な鎮守府だ」

 

 宇佐美少将から渡されたタブレットの画面をスワイプしながら資料に目を通す南洲。グレー…黒でも白でもない。その言葉通りだと、色々な意味で南洲も考え込んでしまった。

 

 大坂鎮守府は国内五か所目の鎮守府である。後方支援艦隊かつ教導艦隊(アグレッサー)とのことだが、各拠点で勇名を馳せた二つ名を持つ歴戦の艦娘が多く揃い、今も続々と戦力が拡充されている。ここまではいい。

 

 だがそこに複数の深海棲艦、それも姫級鬼級が所属しているという。そしてそれは二つの可能性を示唆する。一つは公式に伝えられる話どおり、深海棲艦の投降や鹵獲によって自軍に組み込んだ場合。もう一つは、これまでの査察の結果を考慮に入れると、公式の裏に別な()()があり、組織的なフォールダウンにより艦娘を深海棲艦にしている場合だ。

 

 

 引き続き画面をスワイプする南洲。次の画面には、鎮守府裏掲示板と呼ばれるサイトへのリンクが示された。タップすると―――。

 

【益荒男降臨】大坂鎮守府総合Part147【鎮守府総嫁】

991: 重婚さんいらっしゃい@大坂鎮守府:2016/11/00(※) 16:24:09 HOST: OOOO -XXXXX kure.Navy.ne.jp

 ご休憩施設完成間近ってホント? 益荒男クン、漲ってるね

 

992: 重婚さんいらっしゃい@大坂鎮守府:2016/11/00(※) 16:28:41 HOST: OOOO -XXXXX. sasebo.Navy.ne.jp

 もぅー、司令官も好きなんだから…

 

993: 重婚さんいらっしゃい@大坂鎮守府:2016/11/00(※) 16:39:32 HOST: OOOO -XXXXX. oosaka.Navy.ne.jp

  ナニ作っちゃってくれてんの!? どういう事なのぉぉぉ!!

 

 南洲は無言で画面をスワイプする。大坂鎮守府の長は、益荒男と綽名される吉野三郎大佐。所属全艦娘(予約含む)だけでは飽き足らず非戦闘艦の間宮や伊良湖ともケッコンカッコカリを果たした有名人である。しかもほぼ全員にメイド服を着用させイメージなクラブ的に鎮守府を運営しているとの話もある。これをもし強要しているなら艦娘へのセクシャルハラスメント、実情によってはそれ以上の罪状として立件しなければならない。

 

 

 フォールダウン疑惑とセクハラ疑惑、それに加え不透明な資金や資材の流れ-白なら白の方がいい。だが黒なら、必ず物証を見つけ吉野大佐を捕縛しなければならない。例え相手が軍令部総長を務める大隅(おおすみ)大将と近しい間柄だとしてもだ。

 

 「かなり厄介な相手だな…」

 

 

 南洲は席を立つと、軽くため息をついて将官室を後にする。後に残された宇佐美少将は、さらに考え込んでいる。

 

 『君も軍部と深海棲艦の繋がりを調べていたのではなかったかな? ここは一つ、ご自慢の部隊で査察に乗り出してはどうかね? いや、是非そうすべきだな、うん』

 

 そもそもこの話を持ち込んできた張本人-大本営艦隊司令本部統括として武官の頂点に立つ三上源三(みかみげんぞう)大将。軍令部総長であり強大な諜報機関を持つ大隅大将に一方的な敵愾心を抱き、その失脚を目論んでいると専らの噂だ。そんな男が情報をリークしてくる以上必ず裏があるが、大坂鎮守府に纏わる噂が悪い方に真実なら看過できない-宇佐美少将は火中の栗を拾う覚悟を固めていた。

 

 

 

 「漣クン、提督は『ほとぼりが冷めてから、それとな~く』って言ったと思いマス。これだけ情報を集めちゃうと、相手にも勘づかれる可能性が十分あるよねぇ」

 

 所変わって大坂鎮守府。

 

 この拠点の長・吉野大佐(本妻はドクペと主張したい28歳重婚)は、提出されていた報告書を読むと、執務室の隣にある情報部を訪れ、室長の漣を問いただし始めた。

 

 ほとぼりが冷めるまで、とは言ったが吉野自身何もしていなかった訳ではなく、個人的な(ツテ)を利用し、トラックの一件とそれに関与した部隊について間接的に情報を集めていた。その過程で、槇原南洲少佐率いる査察部隊が大阪鎮守府を内偵中であることが判明した。だが漣が報告してきたのは、明らかに"それとな~く"の範囲を超える情報量だった。

 

 機材のクーリングのため冷房の効いた室内で、昼間だというのに布団から出ない漣。吉野の引きつった笑みを見ると、ふぁ、と軽い生あくびをし、掛布団をひょいと持ち上げオイデオイデと吉野を誘う。

 

 「ご主人様、なんですか?…あ、情報?…真面目~♪ で、例の槇原少佐、ちょっとだけちょっかいだしてみたら、前歴に関してはガッチガッチにセキュリティが固めてありまして。これはもう漣への挑戦と見做し、ちょーっと本気出しちゃったというか? でも全部のデータは抜けなかったでござる…。しかも自己進化型攻勢防御なんてメシマズなプログラムで応戦してきた訳ですよ」

 

 漣の話を聞きながら、吉野は情報室の変化に気が付いた。情報室の設備は開設時の巨大なフルタワーパソコンに加えあと二台ほど大型機を追加したはず。だが今目の前にあるのは、上部が赤・下部が白で塗り分けられたさらに巨大な筐体一台と初雪用の一台だ。吉野の視線に気付いた漣は、少しバツが悪そうな表情で言い訳を始める。

 

 「いやぁ~、送りオオカミって言うの? こっちの進入ルートを追跡されて逆襲くらっちゃいまして。こっちのシステムもダメージ受けたというか?」

 

 「な、ちょ、こっちの情報も抜かれたってこと?」

 流石に平静を保てなくなった吉野は、漣の枕元に滑り込むように正座をし、矢継ぎ早に質問を続ける。

 

 「システム破壊が主目的の結構ヤバ目のやつでしたけど撃退済ナリ。データ類は、腹いせのように、嫁艦共有フォルダを中心に被害を受けています。ご主人様の入浴中や就寝中を中心とした画像と音声、あとは脈拍、オムツ、体温、心拍数、ピー音(自主規制)のデータなどなどなど。やっぱ嫁艦としては知っておきたいじゃん?」

 

 「真顔でなんてこと言うのイチゴパンツぅっ! それ提督のセンシティブすぎる個人情報っ!! てか何やってんンの君ぃぃぃっ!!」

 

 ぜぇぜぇと肩で荒い息をしながら、それでも吉野の頭脳はフル回転していた。諜報戦電脳戦のエキスパート漣に全容を掴ませず、挙句にカウンターハッキングを仕掛けてくるとは―――。

 

 

 「かなり厄介な相手だねぇ…」

 

 

 それで代替機なのか、と吉野は納得した。漣が頷きながら布団の中から『ジャパ○ットアカシ』の文字が表紙に踊るカタログを取り出すと、角を折ったページを見せてくる。目の前にあるものと同じ、上下で赤白に塗り分けられた大型のパソコンが掲載されている。先ほどまでとはまた違った種類の冷や汗が吉野の背中を伝う。

 

 「えっと漣クン、提督にも分かるように教えてほしいんだけど、この紅白でおめでたい感じのパソコン、なぁに?」

 「パソコンじゃありません、ご主人様。これはスーパーコンピューターです。次は完勝しないと気が済まないので。そこのは雰囲気づくりで空の筐体を置いてあるんです。本体は地下にありますカラ☆」

 「………いつの間にそんなもの購入したんデスカ? てかおいくら万円?」

 「んーマルチラックモデルはラック数次第なのでカタログには『ASK』だけでした。明石さんに希望を伝えたら大淀さんと打ち合わせしてすぐに納品してくれたからいいんじゃないですか?」

 

 吉野が目にしているのは、かつて『二番じゃだめなんですか』と言われたスーパーコンピューターの後継機種で、最大23.3PFLOPS(ペタフロップス)の理論演算性能を実現可能なシロモノだ。

 

 吉野は携帯を取り出すと、奪う様にカタログを取り上げ表紙に書かれたフリーダイヤルに電話する。

 

 「あ〜ジャ○ネットアカシ? あ、妖精さん? 提督の吉野だけど、うんうん、あのさ明石居る? え、留守? …そっか、知ってたら教えてほしいんだけど、漣が買ったスパコンって…え? 最小構成の1ラックで5000万円っ!? Oh淀が予算組んでる? あそう、そうなんだ…」

 

 「…注文したラック数とPFLOPS数は?」

 「もちろん1,024ラックで23.3PFLOPSっ!!。え? いいのいいの! 早いぐらいがいいんだって! えへっ」

 

 南洲に対する警戒感を高めた吉野と漣だが、実の所そのカウンターを仕掛けたのは南洲ではなく、背後にある問題を知るのはもう少し後の事になる。いずれにせよ、内から予算問題、外から得体の知れない査察部隊の両面攻撃により、吉野の毛根に深刻なダメージが加算されたのは言うまでもない。

 

 

 

 「大阪のおうどん、鹿島好きですよ」

 

 舞鶴の一件以来、南洲が外出する際には必ず誰か一人が同行することになった。今日は鹿島が南洲に同行し、宇佐美少将の部屋の前で用事が済むのを待っていた。

 

 管理棟を後にし、宿舎へと戻る道を行く南洲と鹿島。両脇に銀杏の樹が並ぶ道を、鹿島が少し先を歩く。折々振り返りながら、明るく話しかけてくる鹿島だが、話が大坂鎮守府の吉野大佐に及ぶと、苦笑いのような表情を見せ始める。

 

 「うーん、いろいろ判断に困りますね、その吉野大佐さんは。でも、鎮守府総嫁かぁ…」

 

 考え事をしながら立ち止まった鹿島は、ふと両手で何かを捕まえたような仕草を見せる。

 

 

 「捕まえました」

 

 両手を顔の前あたりまで上げ、目線で南洲に近づくよう訴える鹿島。身長差のある二人なので、南洲は近づくと腰をかがめ鹿島の手の中を覗きこむようにする。

 

 

 「提督さんを、です」

 

 

 手の中には何もなく、南洲の頬が両側から挟まれると、少しだけ背伸びをした鹿島が口づける。頬を赤らめながら、小首を傾げてニコッと笑う鹿島だが、すぐに視線を落とし呟く。

 

 「鹿島は、扶桑さんに敵わないのは分かっています。でも全員がお嫁さんになったら、同じように愛してもらえるのかな、って…。ごめんなさい、不謹慎でしたね。さぁ、帰りましょう、うふふ♪」

 

 小走りに走り出す鹿島の後ろ姿を見送りながら、南洲は再び大坂鎮守府の事を考えるも妙案は浮かばず、苦い表情のまま歩きはじめる。



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31. 標的

zero-45様『大本営第二特務課の日常』とのコラボ第二回。

吉野大佐率いる大坂鎮守府側も、すでに南洲の査察部隊が乗り込んでくることを事前に察知。所属艦娘に警鐘を鳴らしつつ、南洲の真の狙いを探る。

(※)御注意

○この章はzero-45様の作品世界とコラボレートしたお話ですので、コラボ作はちょっと苦手、こういった形での内容に興味が無い、趣味趣向が合わない方がおられましたらブラウザバック推奨です。

○拙作と先様の両方をお読みいただけますと、より楽しんでいただけます。

zero-45様 連載
【大本営第二特務課の日常】
https://novel.syosetu.org/80139/

○内容としては互いの世界観を崩さず、更に作品世界の物語を絡ませつつも、今まで続いている連載の中に自然な形として組み込む話を目指しております。


 大坂鎮守府第一講義室。

 

 かつてこの部屋で、大坂鎮守府の発足にあたり吉野大佐が演説を行い、艦隊総旗艦の長門が所属全艦娘を代表しそれに応えた。『菊水の契り』として後世の士官学校の教本にも名を残す、艦娘を率いる提督の心構えとそれに魂を賭けて応じる艦娘の意気の全てが凝縮された魂のやり取り。命を賭けさせる側が賭ける側に何をもって報いるのか、命を賭ける側が何を誇りとして死に赴きながら生を誓うのかを余すことなく伝える名演説であった。

 

 

 そして今、同じ部屋に再び集められた艦娘達。

 

 教導艦隊の根拠地らしく演壇を兼ねた教壇には、全ての艦娘が菊水の紋のもと心を一つにしたあの日と同じく、吉野三郎大佐が立つ。あの日を境に、全員が吉野三郎というただ一人の男を、主と、司令官と、強さと、友と、夫と定めて全てを委ねた。

 

 『自分は君達の命を貰う、その代わり自分は君達と共に在り、共に死ぬ、力無き者であるが共に往こう、それが今の自分が君達に確約出来る唯一の契約だ。自分は確かにそう言った』

 

 それは大阪鎮守府の発足宣言を結んだ吉野の言葉であり、今日の話はその引用から始まった。

 

 

 教壇に立つ吉野を挟む様に、左右には時雨と(潜水棲姫)が侍り、正面の席には艦隊総旗艦の長門が座る。いつもと違うのは、情報室から出てきた漣が演台近くの端末を操作している事だ。荘厳な曲調でBGMが流れ始める。『ワルキューレの騎行』、誰が言うともなく、自然と部隊を体現する曲として用いられることが増えた。

 

 「そしてその契約を守るため、諸君たちにも協力してほしい」

 

 集まった艦娘達の表情が引き締まる。吉野の口から重要な事が語られるようとしている。

 

 「大本営は、まだ我々、大本営麾下独立艦隊第二特務課に不信があるらしく、査察部隊を送り込んでくるようだ。時期は未定、というより査察である以上事前告知はないものと思われる。自分は、我々のあるがままを、しっかり見せたいと考えている。しかし相手にも思惑がある、これがセレモニーで終わるか、新たな試練となるか、全て我々にかかっている」

 

 そこまで言うと吉野はいったん言葉を切り、演台脇の椅子に腰かけ、全員に視線を投げかける。

 

 吉野自身が収集した情報、そして既存システムに損害を出しながらも漣のハッキングで手に入れた情報、それらを総合すると、間違いなく大本営から査察部隊が派遣されてくる。

 

槇原南洲特務少佐率いる六名の艦娘から成るチーム、通称MIGO(ミーゴ)。すでに複数拠点で提督の不法行為を摘発しているが、吉野にとっての問題は、この特務少佐こそトラック泊地で代理指揮を取り深海棲艦の強襲を退けたとされる人物であることだ。そして報告書の裏にある事実も相応に掴んだ。提督の負傷と秘書艦の深海棲艦化、艦娘による泊地封鎖、この少佐はトラック泊地に乗り込み事態を収拾し、その秘書艦を大本営に連行した。なら槇原少佐が今回照準を合わせているのは---。

 

 

 「一体何故査察部隊に目を付けられるようなことになったのでしょう?」

 おずおずと手を上げながら朝潮が生真面目な表情をやや青ざめさせ質問する。

 

 「それはですね…」

 先ほどより砕けた口調になった吉野がやや言いよどみながら、それでも意を決したように口を開く。

 

 

 「提督はせくはらを疑われちゃってるんです」

 

 

 その場にいる全ての艦娘の目が鋭く光り、自分以外の全員に素早く視線を送り合う。せくはら…折り目正しい紳士に有るまじき下種の振る舞いにして、由緒正しき変態紳士にとって息をするより自然な振る舞い。だが艦娘全員は考えていた。誰がそんな浦山怪しからん事をしてもらっているのか、と。夜毎のお布団潜り込み案件でさえ、金縛りにあっているが如く頑なに何もしてこない。益荒男どころか植物プランクトンのような男をどうやってそんな気にさせたのか?

 

 榛名が発言の許可を求める。

 

 「何もしてもらえないことを『せくはら』と呼ぶなら、その査察官に報告すれば提督に何かしてもらえるんでしょうか? あ、でも、放置プレイとか言い張られちゃう…? むぅ…榛名、頑張りますっ!」

 

 「その手がありましたかっ!」

 妙高がぽんっと手を打ちながらウンウンと頷く。他の艦娘もざわざわとしだした。

 

 唐突にBGMが切り替わる。荘厳な騎行曲から一転し、巫女とナースが繰り返し連呼される元祖電波ソングと呼ばれる曲が講義室に鳴り響く。漣が珍しく慌てて多少端末を操作していたが、気持ちのこもらない感じで軽く詫びる。

 

 「あっちゃー、このパソもシステムクラック受けてたとは。サブちゃんごめん、BGMこのままで」

 

 吉野が堪らずに力説する。

 

 「この場面でエ○ゲ曲とかヤメテお願いだから。ただでさえ提督せくはら嫌疑掛けられてるのにぃぃぃっ!。だいたいみんながアレです、色とりどりのメイド服とか網タイツのピンヒールとか、バ○ガールとか、画面の向こうの提督さん達のリビドーを煽りまくるような恰好で鎮守府を闊歩するからこんなことになったのっ!! なんか提督が無理矢理みんなにそんな恰好させてるみたいな空気になってるのよ!?」

 

 最前列に座る長門は半ばあきれ顔で吉野を眺める。長門の目には、着席した瞬間にごく自然にグラーフが背後に回ったかと思えば頭を胸の置台にされ、右手は時雨とつなぎ、左手で(潜水棲姫)の頭を撫でている吉野の姿があった。

 

 

 

 「…改めまして、査察対策会議を行いたいと思いマス」

 所変わって執務室で、疲れた表情で会議の開催を宣する吉野。今この場にいるのは漣、長門、朔夜(防空棲姫)の三人だ。

 

 「提督よ、なぜこの三人だけを残したのだ」

 壁に寄りかかり腕を組む長門が疑問を口にする。艦隊総旗艦の長門、深海棲艦部隊の頭といえる朔夜(防空棲姫)、そして情報室室長の漣、大坂鎮守府の中心メンバーともいえる。

 

 自席に座りデスクに肘を付きながら顔の前で手を組む、いわゆるゲンドウのポーズで、吉野は()()の査察対策を話し始める。

 

 「んー、さっきの『せくはら』の話も本当なんだけど、あれは口実だと提督は疑ってます。今度の査察部隊、多くのケースで当該拠点での戦闘行為、提督の死亡や重傷、それと深海棲艦の関与があるんだよねぇ」

 

 多言無用、の前置きをしながら、吉野と漣は、トラックの件も含めこれまでに集まった情報を整理して他の二人と共有する。

 

 「へぇ…確かに胡散臭い査察官ね。まさか私たちに喧嘩売りに来るって訳?」

 「トラック泊地の秘書艦は瑞鶴か。まさかそんなことが起きていたとはな」

 「ご主人様が大隅大将配下の諜報部隊(インテリジェントコープス)なら、この槇原少佐は三上大将配下の強襲部隊(アサルトフォース)、うんにゃ、暗殺部隊(アサシネーションチーム)って感じにしか思えないナリ」

 

 朔夜と長門がそれぞれに感想をもらし、漣が自分の端末を操作して画像を各自のタブレットで閲覧できるようにする。

 

 「む」

 「あら」

 「おいイチゴパンツ」

 

 送られてきた画像、そこには入浴直前と思われる、たれ○んだのトランクスに手をかける吉野の裸形が写っていた。

 

 「こいつは失礼、てへっ☆」

 ウインクしながら自分で自分の頭をコツンとする漣。入れ替わりに槇原南洲少佐と彼のチームの画像が表示される。だが吉野は、先ほどの自分のマジで脱いじゃう5秒前の写真が、艦娘達の持つ()()()()()()で共有され、しかも『会員制コミュニティ入会受付中・特典は提督のマル秘写真(添付よりピー(放送禁止)なやつ♡)』のメッセージまで送られていた事を知る由もなかった。なお漣、確信犯の模様。

 

 「じゃぁ提督は、コイツらの狙いは何だと思ってる訳?」

 「万が一提督の命を狙うような輩なら、この身に代えても長門が許さぬ」

 

 視線が吉野に集まる。そしてその吉野の視線はデスクの下へ向かう。デスクの下からは見上げる時雨の視線がある。

 

 「えっと時雨サン? どうしてそんな所にいるのかな?」

 「デキる秘書はご主人様が会議中、机の下に潜ってご奉仕するものだって聞いたからだけど?」

 「………明石?」

 こくりと頷く時雨。条件反射的に吉野は叫ぶ。

 「あかしぃぃぃぃいいいっ! (以下略)」

 

 激情に駆られても瞬時に素に戻るのが吉野のいいところである。いまだ机の下から上目遣いで見上げる時雨の頭を撫でながら、他の三名を見据えながら鷹揚に言葉を紡ぐ。

 

 「うーん、確証を持つには情報が少ないんだけどね、時雨サンが狙いだと思わせたいんじゃないかなぁと提督は思いマス」

 

 

 

 南洲たち一行を乗せた部隊の専用艇PG829しらたかは呉を出航し瀬戸内海を東へと向かう。波静かな瀬戸内海の海面は鏡のように日の光を反射して煌めき、夕暮れ時ともなれば島々により生まれる陰影と相まって絵画のような美しさだ。

 

 そんな詩的な光景に目をくれることもなく、南洲と六名の艦娘-春雨、羽黒、ビスマルク、鹿島、秋月、龍驤-は作戦準備に余念がない。

 

 

 「時雨という秘書艦を大本営に連れてゆく、それが狙いだと思ってるだろうな」

 

 

 吉野三郎大佐-知れば知るほど厄介な相手だと思う。大隅大将を後ろ盾に持つ、元諜報部員にして現提督。後ろ盾がどうこうという輩はこれまでも沢山いたし、南洲はその手のことを気にするタイプではない。むしろ吉野大佐の経歴自体が南洲に警鐘を鳴らす。“影法師”と呼ばれ、大隅大将の()()()()を処理し続けてきた諜報部員にして、卓越した狙撃スキルの持ち主。

 

 「ん、時雨狙いちゃうんか?」

 龍驤が疑問を投げかける。どこまで本当か分からない話が多く転がる大坂鎮守府だが、この時雨にしても艦娘と深海棲艦の中間的な存在で、戦闘時には通常の能力を遥かに超える戦闘力を発揮するということだ。この艦娘を抑えさえすれば、吉野大佐が何をしているのかを白日の下に晒すことができる。だが―――。

 

 「それ以外にも複数の深海棲艦が所属している。公式話では鹵獲や投降受入とあるが、果たして…所属艦娘をフォールダウンさせた可能性もゼロではない。この線から当ろうと思う。大坂鎮守府近辺海域で、まずは()()()()()()()()()でもしようと思ってる」

 



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32. 強行

zero-45様『大本営第二特務課の日常』コラボ第三回。

吉野大佐の策に嵌った南洲は、大坂鎮守府近海で深海棲艦勢との戦闘に突入する。

(※)御注意

○この章はzero-45様の作品世界とコラボレートしたお話ですので、コラボ作はちょっと苦手、こういった形での内容に興味が無い、趣味趣向が合わない方がおられましたらブラウザバック推奨です。

○拙作と先様の両方をお読みいただけますと、より楽しんでいただけます。

zero-45様 連載
【大本営第二特務課の日常】
https://novel.syosetu.org/80139/

○内容としては互いの世界観を崩さず、更に作品世界の物語を絡ませつつも、今まで続いている連載の中に自然な形として組み込む話を目指しております。


 議論は続く中、長門が端的に話をまとめる。これまでの情報を整理しながら、彼女なりに得心がいったのだろう。

 

 「査察などと考えるから分からなくなるのだ、これは時雨を標的に見せかけた、我々の哨戒線への奇襲攻撃だ。そう考えれば全てすっきりする」

 

 吉野は長門の意見に同意するように深く頷き、自分の見解を述べる。

 「今の時点で、時間の主導権は相手さんにあるから、まずはそれを取り上げて、ついでに場所もこっちで決めちゃおう。そのために…そうだねぇ、夜間哨戒の計画を少し見直してリークしてみようか。もし喰いつくようなら、軽―く相手しちゃってくれるかい、朔夜(防空棲姫)サン。これで相手の狙いも色々見えてくるんじゃないかな」

 

 軽い口調のまま策を立てた吉野。 “影法師”と呼ばれた狙撃手が、自分が優位に立つ時間と場所に標的を誘う姿を垣間見た長門は、頼もしさと酷薄さの両方を覚え軽く身を震わす。一方で戦場にあるかの如く朔夜(防空棲姫)の表情が楽しげに歪むのを見て、茫洋とした表情で吉野が釘を刺す。

 「ああ、言っておくけど沈めるのは厳禁。大坂鎮守府近海で査察部隊が沈められたとなると、相手にしたらそれこそ最高の口実だからね。まぁ、そんな『捨て艦』まがいの手は使ってこないとは思うけど」

 

 「我々はどうすればいい、提督よ」

 暗に自分達の出番はないのか、と腕を撫しながら長門が問う。

 「そうだねぇ、彼らが乗り込んできた時にもてなしてあげて?」

 

 後に吉野は自分のこの言葉を激しく後悔することとなるが、それは後の話である。

 

 

 

 南洲達は大坂鎮守府まで約30km、六甲アイランドの陰に隠れ相手側からはこちらの様子を窺えない港湾警備拠点の阪神基地に滞在し、通信傍受と解析、作戦立案にあたっていた。阪神基地は、かつて大阪湾や紀伊水道等海域の防衛及び警備を任務としていた旧海上自衛隊の基地であったが、深海棲艦との緒戦、わけても()大阪鎮守府防衛戦で壊滅の憂き目に合った場所でもある。

 

 そして今夜、南洲達が動き出すのだが、結論から言えば吉野の術中に嵌ったことになる。

 

 

 六甲アイランドの前面に進出したPG829を守る様に、鹿島と龍驤が展開する。部隊の『目』として電探とソナーを備える鹿島は早期警戒・管制艦の役割を担い、技本による新しい試作装備を先行実装した龍驤は夜間索敵と今回に限っては威嚇攻撃を担う。二人を追い越すように他の四名が大阪鎮守府北西15km地点、戦艦レ級が担当する哨戒海域を目指し駆け抜けてゆく。

 

 そんな四人を見送りながら鹿島の方を見やる龍驤は、チームに本格的に合流して初めて分かったこともある、そう思っていた。龍驤も勿論南洲のことは隊長としては信頼している。秋月もそうだろう。だが部隊の初期メンバー四名は完全に『槇原南洲』という一個人への感情で動いている。その傾向が特に強いのが春雨と鹿島、ついで羽黒。ビスマルクもそうだが非常にウブな感じがする。

 

 -あやういチームやな…。

 

 「なぁ鹿島、ちょっとええか…」

 龍驤は鹿島へと近づくが、鹿島は思いつめたような表情をして両手で龍驤を突き飛ばし、三式爆雷を投下する。

 

 

 そして次の瞬間に鹿島は水柱に飲まれ、龍驤が立ち上がった時にはその姿は消えていた。

 

 

 「おやびんの指示通り、やっつけた。けど、危なかった」

 暗い海面に目元まで顔を出し、水面に白い髪を広げながら様子を窺う(潜水棲姫)。彼女もまた鹿島同様、大坂鎮守府部隊の『目』として警戒を続けていた。ほぼ同時にお互いを発見し攻撃に入ったが、龍驤を庇った分碧の雷撃が先に届いた。鹿島を案じながらも警戒態勢を崩さない龍驤を見ていた碧だが、ふと何かを思い出したように潜航を始め、そのまま海域を後にした。

 

 -お腹空いた、お握り食べたい。それに指示、守る。

 

 吉野が(潜水棲姫)に与えた指示はシンプルなもの。南洲の部隊の『目と耳』-鹿島を沈めずに退けることだった。

 

 

 

 

 「話が違うじゃない? まぁいいわ、深海棲艦には違いないもの。ねぇそこのアナタ、ちょっと色々お話ししたいんだけど、いいかしら」

 

 平静を装い、いつも通りの強気な物言いで目の前にいる深海棲艦に話しかけるビスマルクだが、内心は早鐘のように鼓動が高まり、最高度の警戒サイレンが心中で鳴り響いていた。

 

 -こいつら…防空棲姫に戦艦棲姫二体(ダブルダイソン)か、マズい状況ね。アトミラール、裏をかかれてるわよ。

 

 「………貴様如キニ『深海ノ姫』ガ耳ヲ貸ス価値ノアル話ガデキルトハ思エナイガ…?」

 吉野の言いつけもある、朔夜(防空棲姫)は査察部隊と邂逅したら、相応の警告を与え追い返すつもりで尋常ならざる我慢を自分に強いている。

 

 気だるげな戦艦棲姫、ヤマシロと“姉”は、朔夜の左右でやる気無さそうに佇んでいる。なお姉の方の個体名はフソウと思われるが、頑なに姉である。

 

 「ヤマシロ、青いはずの空がこんなに暗く……あ、流れ星」

 「姉様いまは夜ですよ。嗚呼……ホントなら暖かい布団の中でぬくぬくしているはずだったのに……不幸だわ」

 

 -片方がヤマシロ、もう片方がその姉…ということは…?

 春雨の様子が明らかに変わったことに誰も気づかず、朔夜とビスマルクがにらみ合う中、唐突にそれは起きた。

 

 「…ヤマシロ、ほら、白い流れ星が…こんなに近くぅぅうううっ!!」

 

 “姉”がもんどり打って海面を転がってゆく。“姉”が流れ星と見た物は、春雨が渾身の力で投じた棘鉄球(モーニングスター)の直撃だった。普段の春雨とは異なる好戦的な行動に皆驚くものの、これが開戦のゴングとなった。

 

 「ハハハッ、ソウイウツモリナラ遠慮ハイラナイワネッ」

 -殺シハシナイワヨ。ケレド相手ガ弱ケレバ死ヌカモネ。提督、悪イケドソコマデ責任持テナイワヨ。

 

 一気に事態が動き出す。朔夜(防空棲姫)が叫び、ビスマルクが身構え、春雨が疾走し、姉が現実逃避し、ヤマシロが不幸を嘆く。秋月が四基八門の長10cm砲を一斉射撃でヤマシロを捉えるが、その左右に侍る巨大な艤装の手で阻まれた。

 

 「ビスマルクさんっ!!」

 普段ならここで間髪入れずにビスマルクか羽黒、あるいは両方から一斉砲撃が加えられるタイミングである。だが、今回は春雨の暴走のせいで作戦自体が破たんしている。秋月の目には、急速接近して距離を潰し、ビスマルクに超至近での殴り合いを仕掛けている朔夜(防空棲姫)の姿が映っていた。

 

 ビスマルクは朔夜を突き放すことができず、春雨もモーニングスターを振り回して“姉”を追い回しており、理由は違えど近接戦闘中の二組に支援砲撃を行えず、羽黒はヤマシロを抑える秋月の支援を行うために方向を変えている最中で、南洲隊としては最も避けたかった個別戦闘に自ら陥ったことになる。

 

 「さっさと引きぃっ! ウチら嵌められてとるでっ!! 鹿島がやられたっ」

 龍驤から緊急通信が入り、闇夜を切り裂いて急降下爆撃隊が朔夜たちに迫る。

 「深海勢は動くなっ! アンタらはうまいこと避けぇーやっ!!」

 

 先行実装された新しい試作装備-空母系艦娘に夜間攻撃能力を付与する航空戦力、彗星艦爆で構成される美濃部隊、またの名を芙蓉部隊。沖縄戦前後、全軍特攻の風潮の中それに抗い、夜襲戦法により成果を上げ続けた稀有な存在として今もその名が知られる。

 

 それでも相手が悪かった。

 

 戦艦棲姫への集中爆撃で、春雨と秋月の退路確保には成功したが、ビスマルクが相手取っているのは選りによって朔夜、本来の名は防空棲姫である。

 

 「面白イコトシテクレルジャナイ。…サテ、私タチニチョッカイヲ出ス愚カナ人間ニ挨拶シヨウカシラ」

 

 多少の被弾を受けたが、自分に突入してきた美濃部隊を全機撃墜し、涼しい顔で嘯く朔夜。右手で掴んでいるビスマルクを無造作にヤマシロに投げ渡す。春雨と秋月の退路を死守しようと、一人で戦艦棲姫二体を相手取った羽黒はすでに鹵獲されている。

 

 

 

 逃走を続ける春雨と秋月を追う朔夜の目がPG829を捉えた。速度を上げ距離を詰めるうちに、奇妙な物が視界に飛び込んできた。駆逐艦達と入れ替わる様に突進してくる一人の艦娘-龍驤の姿だ。

 

 「無傷なのはウチだけやし、美濃部の仇も取らんと尻尾巻く訳にはいかへんしな。隊長、さっさと逃げーや」

 

 タックルをするように朔夜の腰にしがみ付き、動きを止めようとする龍驤だが、容易く組み止められ、無防備な背中に集中砲撃を受け沈黙。軽いため息をつき顔を上げた朔夜めがけ、突如PG829から探照灯が照射される。まともにそれを見た朔夜の視界が回復した頃には、南洲達を乗せた母艦ははるか遠くに立ち去っていた。

 

 

 

 「…えっと朔夜サン、『軽―く相手しちゃった』結果がコレぇ? 提督ワケガワカリマセンケド」

 

 執務室の吉野の目の前には、ディアンドル風ミニスカートドレス、要するにオクトーバーフェストの格好をさせられたビスマルク、コルセット状の腰回りになったハイウエストスカートに白いブラウス、いわゆる童貞を殺す服姿の鹿島、超ミニスカ仕様以外はシンプルなデザインのメイド服姿の羽黒が、器用にもキッコーな感じで縛り上げられている。そしてもう一人、水色のスモックにミニスカートと黄色い帽子という園児服を着せられた龍驤が後手に縛り上げられている。

 

【挿絵表示】

 

 

【挿絵表示】

 

(提供:たんぺい画伯)

 

 「感謝してよね、テイトク。誰も沈めてないし、入渠させて新しい服まで着せてやったんだからね」

 「おやびん、指示通りにした。褒めて」

 

 バ○ガール姿の朔夜(防空棲姫)と黒いメイド服姿の(潜水棲姫)が全身でアピールしてくるので、吉野は取りあえず両手でそれぞれの頭を撫でてやる。

 

 「コイツら、強いけど綺麗な戦い方だから、怖くはないね。けどウチで鍛えればいい線いくんじゃない?」

 

 滅多な事で相手をほめない朔夜(防空棲姫)がここまで言うのは珍しい。だが一連の事態について報告を受けた吉野は、さらに頭を抱え、毛根の心配をする羽目となった。経緯はどうであれ、公式に通知のあった大本営の査察部隊を拉致したと言われても反論の余地がなく、奪還のため大兵力を送り込まれても不思議ではない状態に一気に陥った吉野は、先手を打たねばならない、と珍しく焦りの色を表に出していた。

 

 「漣サン?」

 「ほいさっさー」

 

 漣はどこかに通信を行うと、右手でOKサインを作る。漣のデスクに近寄ると、ヘッドセットを頭に付ける吉野。通信先はPG829しらたか、応対した相手は言うまでもなく―――。

 

 「…誰だ」

 聞きなれない男の声がヘッドフォンから聞こえてくる。

 「あー…、こちらは大坂鎮守府で、自分は司令官をしている吉野三郎大佐ですけど、そちらは…?」

 「こちらから名乗らせたいってか。まぁいい…大本営艦隊本部付査察部隊、隊長の槇原南洲少佐だ」

 

 

 様々な思惑の結果、本来交わらない人達が誤解を深めたまま初めて触れ合った瞬間である。印象は最悪の物だとしても。

 

 

 「あーやっぱりねぇ…。いえ、現在こちらで、そちらの所属と思われる艦娘四名を()()しましてね。事後について貴見を先に聞くべきだと思いまして」

 「………………………ご配慮ありがたいね。明日迎えに行くよ。だから…首を洗って待っていてくれ」

 

 ヘッドセットを漣に返し自席へと戻ると、喰いつきそうな目つきでこちらを睨みあげるビスマルク達四名を見て、深々とため息をつきながら吉野は椅子に深々と身を預ける。

 

 

 「んー、厄介な人を完全に怒らせちゃったみたいだねぇ、どうしようかな」




なんと支援絵を頂くという! ありがたいことです。


『無能転生 ~提督に、『無能』がなったようです~』
https://novel.syosetu.org/83197/

の作者たんぺい様からの贈り物です。


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33. 邂逅

zero-45様『大本営第二特務課の日常』コラボ第四回。

南洲、大坂鎮守府入り。吉野大佐とついに邂逅する。

(※)御注意

○この章はzero-45様の作品世界とコラボレートしたお話ですので、コラボ作はちょっと苦手、こういった形での内容に興味が無い、趣味趣向が合わない方がおられましたらブラウザバック推奨です。

○拙作と先様の両方をお読みいただけますと、より楽しんでいただけます。

zero-45様 連載
【大本営第二特務課の日常】
https://novel.syosetu.org/80139/

○内容としては互いの世界観を崩さず、更に作品世界の物語を絡ませつつも、今まで続いている連載の中に自然な形として組み込む話を目指しております。


 「うーん、ついに到着しちゃったねぇ。どうしようかな」

 鼻と上唇の間にペンを挟み、やる気無さそうにしているのがこの鎮守府の長・吉野三郎大佐(最近通常の制服に物足りなさを覚え始めた自分が怖い28歳重婚)である。到着した相手は大本営艦隊本部付査察部隊、その出迎えと執務室への案内は艦隊総旗艦である長門に一任していた。

 

 「提督、やっぱり僕らも出迎えに行った方がいいんじゃないかな? 心証、っていうのも大事だろうし」

 吉野大佐は少し考えると、ふむ、と頷き立ち上がり、秘書艦の時雨が発した『心証』の言葉で昨夜の執務室での一件を思い出す。報告書を持参した長門と共に打ち合わせをしていた所に現れた、榛名に担がれた三名と引率されてきた一名―――。

 

 

 

 「えーっと…、ビスマルクさんに羽黒さんに鹿島さんに龍驤さん、ドウモ初めまして。自分は大坂鎮守府の長を務める吉野三郎大佐です。何と言うかアレです、()()()()()()()()()()()、こういうことになったのは不本意ですが、鎮守府内での戦闘行為もアレなので、拘束させてもらっています」

 

 「ふん、『こういうこと』っていうのは、私たちにこんなえ、えっちな格好をさせていることかしら? このへんたいへんたいへんたいっ!!」

 ビスマルクがぎゃんぎゃんと噛みついてくる。自由に動けない状態で無理に動こうとするのでディアンドル風の衣装で強調された胸がばいんと揺れる。

 

 「吉野大佐は艦娘を着せ替え人形さんのように扱う方なんですね。でもこの服可愛いし、 南洲(ナンシュー)さんはこういうの好きかな? うふふ」

 一瞬吉野を蔑むような目で見た後は、何事もなかったように通称『童貞を殺す服』と呼ばれるハイウエストスカートにまんざらでもなさそうな表情を見せる鹿島。やはり自由に動けない状態で腰をひねり背中側を確認しようとして胸をたぷんと揺らす。

 

 それらを見ながら自分の青いスモックに視線を落とし、『 園児 (この年齢)から牛乳飲めばええんやろか』と、帰らぬ昨日を振り返る龍驤。

 

 

 「あの、みなさん、それは誤解というか…。提督はそういうことを命じる方ではなくてですね。やはり既成事実を作る(その気になってもらう)ためと言いますか…」

 世にも稀なビキニメイドスタイルの榛名が善意からの言葉で事態を悪化させると、やれやれ、という態で長門が首を横に振りながら、話を途中から引き取る。

 

 「よせ榛名。その辺は部外者に話をしても分からんだろう。我々には我々の絆というものがある。なあ、提督?」

 武人然とした雰囲気から発せられた長門の言葉には、相応の説得力があったかもしれない。ピンクのキラキラしたミニスカメイド服でさえなければ。

 

 「あー………」

 吉野はこれらの衣装が完全に自分の指示と思われたのが想像以上にショックで、ぁぁぁあかしぃぃぃぃっと叫びたい所だった。が、ソレをした所で何の解決にもならないことが分かってる以上ぐっとこらえ、自席を立ち上がり南洲隊の方へ向かおうとする。

 

 

 -びくっ

 それを見た羽黒が怯えはじめる。大坂の誰が悪い訳ではない。だが、羽黒がかつていた鎮守府の事まで吉野が調べていれば、それは防ぎ得ただろう。あるいは衣装(メイド服)だけならまだ良かったかも知れない。だがそこに近づく男性が加わると―――お飾りの秘書艦として羽黒が目にしてきたもの、南洲の手で葬られた元提督・辻柾が夜伽と称し艦娘を扇情的な衣装に着替えさせて行う屈辱的な行為を、羽黒は思い出す。

 

 「い……いやぁぁぁぁっ、こ、来ないでぇぇぇっ!!」

 記憶がフラッシュバックした羽黒は、泣きながらこの場にいない南洲に助けを求める。すぐさま鹿島が、ビスマルクが立ちはだかり、事情を知らない他の面々は唖然とするよりできなかった。とにかく羽黒がこんな状態では事情聴取もできず、長門と榛名が南洲隊の四名を退室させ、執務室には吉野だけが残された。

 

 「ナンシューさん…傷ついた艦娘を集めた特務部隊の長、か。闇が深そうだねぇ…」

 

 

 そして朝が来てすでに昼に近い時間になった。

 

 指定された大坂鎮守府南側のコンテナヤードに接岸したPG829しらたか。補給物資の搬入を済ませたであろう中型タンカーが入れ替わりに出航してゆく。大阪鎮守府の母艦が外洋展開も可能な強襲揚陸艦なのに対し、南洲の部隊は高速一撃離脱のミサイル艇。ここからして部隊の性格が如実に現れている。昨夜から今に至るまで時間は十分ではなかったが、南洲は非常の決心で大阪鎮守府に乗り込む準備を整え、春雨と秋月とともに大坂の地に足を踏み入れた。

 

 

 「気が付けば守るものが増えていたんだな」

 表情は普段通りだが右眼が赤い。感情が高ぶっている証だ。春雨はそう呟く南洲をじっと見つめ続け、思いを馳せる。

 

 鎮守府の長に戻る-南洲はよくそう言っていた。それは地位や権力の話ではなく、艦娘達との絆を指していた。そう願いながらも、潰滅したウェダ基地で失われた命は戻らず、二度と失いたくないから新たな絆を拒み、選択肢がある度に南洲は一人を選ぼうとしていた。

 

 矛盾のうちに心を閉ざしてた南洲が、いつの間にか春雨(自分)だけでなく、気が付けば総勢六名のチームを受け入れていた。そして今この地に四人の部下が拘束されている-南洲の葛藤を常に傍で見続けてきた春雨には、その心中が手に取る様に分かる。

 

 

 

 しばらくして見えてきた大阪鎮守府の正門。門の両脇から斜めに列を二つ作り、艤装を展開した艦娘達が整列している。その中央、門の正面に立つ、秘書艦らしき艦娘を二名連れた細身の男性。なぜか微妙というか苦い表情を浮かべているがおそらく吉野大佐だろう。やや離れてその前に立つ二名の艦娘。

 

 その中から自分を呼ぶビスマルクが涙声で駆け寄ってくる。泣きじゃくる羽黒の肩を抱きながら進む鹿島、憮然とした表情の龍驤が次々と自分の元にやってきた。だがお前らその服装は何だ、と南洲の眉根には不審さを示すしわが刻まれる。

 

 「アトミラール、ごめんね…」

 胸に飛び込んできたディアンドル風のビスマルクは、上目遣いの涙目で南洲を見上げる。

 

 「隊長さん、頼むから似合うとか言わんといてな…」

 ハイライトオフした目で呟く園児龍驤。

 

 「南洲さん、似合います、これ? でも…羽黒さんが」

 浮かない表情のハイウエストスカート姿の鹿島。

 

 南洲は立ち止まり泣きじゃくっている羽黒を見て何かを察し、労わるように軽く抱きしめる。

 

 

 「南洲さんっ!!」

 秋月が短く叫び、南洲がそれを手で制する。正面に立つ二人の艦娘のうち、榛名がさっと手を前に振り出し、各艦娘の砲塔から装填音が響く。一糸乱れぬ統制の取れた動き。

 

 「大本営艦隊本部付査察部隊を歓迎し、礼砲放てっ!!」

 艦隊総旗艦を務める長門の号令一下、空砲が一斉に撃たれ、轟雷に似た砲声が蒼天に響き渡る。

 

 

 あれだけの砲が一斉にこちらに向け放たれていたら-秋月は強張った表情で南洲のジャケットの裾を掴み、春雨は表情こそ変えないが顔色は蒼白になった。南洲は最悪の事も想定し、PG829しらたかには四発のSSM-1B(艦対艦誘導弾)に加え、5トンを超えるComposition C-4(軍用プラスチック爆薬)が艇内各所に積載してある。南洲の生体信号が消失した時点で起爆するよう設定されたそれらは、大坂鎮守府の港湾機能を破壊するに十分な威力を発揮する。そして自分達が戻らなければ宇佐美少将が動く。

 

 だが。

 

 南洲は目の前に居並ぶ全ての艦娘に対し違和感を拭えずにいる。そして吉野もまた激しく後悔していた。なぜ自分は長門に『もてなしてくれ』などと頼んだのか。それが彼の苦い表情の理由だった。

 

 「うむ、分かった。威儀を正して全員で迎えるとしよう」

 

 その言葉通りに、正面に立つ長門はピンクのキラキラしたミニスカメイド服、その横にいる榛名に至っては水着かメイド服か理解に苦しむ格好。その他にも青や黄色のメイド服にバ○ガールなど、コスプレ見本市のような様相を呈している正門前。春雨もメイド服姿だが、これは公式でもある。

 

無造作に、ごく自然な足取りで近づいてゆく南洲と、長門と榛名の間に生じた隙間。

 

 

 視界に吉野大佐を捉えた瞬間、南洲は抜刀し跳んだ。

 

 『縮地』とも呼ばれる、瞬時に間合いを詰め、相手の死角に入り込む体捌き。狙撃の技術は別として、吉野の身体能力は標準的な成年男性のそれである。剣の技を磨き体技を鍛え、さらに身体の四分の一を扶桑の生体機能に置き換えられた南洲の動きを捉えることはできなかった。まして今日の南洲は、混合薬物(カクテル)を服用している。不意を突かれた周囲の艦娘も、ほとんどがその動きを捉えられず、唯一朔夜(防空棲姫)だけはその目に南洲を捉えていたが、何もしなかった。

 

 -怒気と殺気は別だからね。

 

 吉野の喉元数ミリの所に突き立てられた南洲の剣先。吉野の横に立つ時雨でさえ対応できず、今の状態ではむしろ動く訳にはいかない。一拍遅れて飛び込んできた春雨は(潜水棲姫)を拘束している。それと同時に残り五名が南洲を守る様に壁を作り、龍驤は艦載機を発艦させている。その周囲は、今度は実弾を装填した艦娘に包囲されている一触即発の状態。

 

 

 「答えろ。羽黒に何をした?」

 吉野から視線をそらさず、南洲が問いかける。

 

 「…何も、と言いたい所だけど、彼女の心の内にある何かに触れちゃったみたいなんでねぇ。知らなかった事を言い訳にするほど傲岸じゃない、衷心より謝罪申し上げる」

 

 首を動かせない吉野だが、まぶたを閉じながら微かに頭を下げる。本来吉野が謝る筋合いなどどこにもない。だがこの男なりに羽黒に心を砕いている、南洲はそう理解し、剣を収めると黙礼、激情に駆られ剣を向けた事を謝罪した。その上で南洲は宣する。

 

 「大本営艦隊本部付査察部隊隊長、槇原南洲特務少佐である。今回、当方は軍権に基づき貴鎮守府の全面査察を行うものとする。責任者の吉野大佐以下所属全艦娘はこれに全面協力せよ。抵抗がある場合はこれを排除、実力を持って所定の目的を完遂するものとする」

 

 「大坂鎮守府司令官、吉野三郎大佐、査察の受け入れ及び協力を承知する」

 

 無言のまま南洲が手を差しだし吉野がそれを握り返す。蟠りは残るものの戦闘は避けられ、ようやく南洲の部隊と大坂の艦娘たちの緊張が解け始める。

 

 

 「こんにちは。僕は時雨だよ。提督の秘書で、君たちの案内役かな」

 「こんにちは。私は春雨です。隊長のパートナーです、はい」

 

 他人行儀な挨拶を真面目な表情で交わす時雨と春雨だが、一瞬の間の後、二人同時にクスッと笑い、手を取り合いながらぴょんぴょん跳ねて出会いを喜び合っている。水色のミニスカメイド服に白のニーハイを穿いた、絶対領域の眩しい時雨が跳ねるたびにスカートがひらひら動き、ちらちらと見えてしまう。黒いミニスカメイド服に合わせた黒のニーハイを穿いた、絶対領域の眩しい春雨のスカートも同様で、こちらもちらちらと見えてしまう。

 

 「「………駆逐艦にああいう格好をさせるのが、趣味とはねぇ」」

 南洲と吉野が同時に呟き、お互いを見る。同時にそれに気づき、やはり同時に苦笑いを浮かべる。



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34. 作為

zero-45様『大本営第二特務課の日常』コラボ第五回。

不自然な事態の推移で南洲は奇妙な戦闘に巻き込まれ、大坂と査察部隊の艦娘の間には険悪な空気が流れる。陰にあるものが徐々に姿を現し始める。

(20161109 一部内容変更、誤字修正)

(※)御注意

○この章はzero-45様の作品世界とコラボレートしたお話ですので、コラボ作はちょっと苦手、こういった形での内容に興味が無い、趣味趣向が合わない方がおられましたらブラウザバック推奨です。

○拙作と先様の両方をお読みいただけますと、より楽しんでいただけます。

zero-45様 連載
【大本営第二特務課の日常】
https://novel.syosetu.org/80139/

○内容としては互いの世界観を崩さず、更に作品世界の物語を絡ませつつも、今まで続いている連載の中に自然な形として組み込む話を目指しております。


 激突は何とか回避され、南洲たち一行は大坂鎮守府の中を進む。先を行く時雨と春雨は談笑し、南洲と吉野は微妙な緊張感を残しながら歩いてゆく。その周囲は色とりどりの艦娘たちが囲み、前後左右どこを見てもカスタムメイド服という、軍事施設での出来事とは思えない華やかなパレードになっていた。

 

 一方ビスマルクと龍驤、羽黒は着替えのためいったんPG829まで戻ると強く主張していた。胸を強調した衣装(メイド服)を羽黒は恥ずかしがり、小声で見ないで見ないでと呟いている。ビスマルクに至っては強調どころか胸がはみ出でそうであり、こちらも顔を真っ赤にしている。強調する部分がないことを強調されている龍驤が最も着替えたがっていたが、対照的に鹿島はこのお洋服可愛いからそのままでも構いませんよ、と余裕の笑みを浮かべる。

 

 「着替えちゃうんですかぁ? 似合ってるのにもったいないですねー」

 

 自分たちの提督に刀を突き付けられ、しかもそれを止められなかった大坂鎮守府の艦娘たちの心中は穏やかではない。だが中には南洲を始めとする査察部隊の実力を目の当たりにし興味津々の艦娘もいる。そんな微妙な空気を気にすることなく、まさに他人事で声を掛けてきたのが夕張。その周りには黒い妖精さんがふよふよと飛び回っている。

 

 「でもどうしても着替えるなら、皆様の宿舎としてご提供する予定の新築施設へどうぞ。ほらあれです」

 

 大坂鎮守府の内部は、ズラッと並んだ赤煉瓦の建物群、その周りには芝生が敷き詰められ遊歩道や公園も整備され、その脇には東屋が設置されるなど全体的にモダンレトロな雰囲気で統一されたデザインが美しい。ある一角では背中が丸出しの割烹着を着た女性が大量の搬入物資のチェックをし、その手伝いをするようにここでも黒い妖精さんがふよふよと舞っている。見れば『間宮』と青地に白抜きで染め上げられた暖簾がかかっている。

 

 だが何より目を引くのは、それら統一感のあるデザインを台無しにする存在感を放つ、西洋の童話に出てくるお城を模したような、それでいて背徳感あふれる雰囲気を醸し出す建物。それこそが夕張が指し示す施設である。

 

 「…メロン子、あれ何? 提督知りませんけど?」

 「ええ~っ!? 大阪鎮守府スレにご本人降臨してツッコんでたじゃないですかぁ。全嫁艦の願いをカタチにした御休憩施設『夜のスナイパー』、堂々完成ですっ!」

 

 「メロン子ぉぉぉぉっ! 査察部隊の前でラ○ホお披露目!? なにしてくれてんのぉぉぉぉっ!! しかもネーミングぅぅぅっ!」

 「………ラブ○? 鎮守府に?」

 ぷるぷる震える吉野とぷいっと横を向く夕張、それをすうっと細めた目で凝視する南洲。また始まった、と言わんばかりに総スルーの大坂の艦娘達と、○ブホの言葉だけで反応し顔を赤らめる南洲隊の艦娘達。

 

 ざわめきの中、不意に夕張が南洲に近づき話しかける。

 「その刀って、トラックの木曾さんの刀ですよね? 人間が艦娘の艤装を使えるってすごいですねっ! 興味あるなー」

 細めた目のまま夕張に視線を送る南洲。自分の装備品に必要以上の興味を示されて喜ぶ軍人はあまりおらず、南洲もその例外ではない。

 

 「………そうだ。だが何故?」

 何故そんなことを聞く、と問い返す南洲を質問責にする夕張。気づけば前を進む一群との距離が開いていた。少し早足で追いかけようとする南洲を夕張が引き止め、自分に付いてくるよう必死にせがむ。

 

 「大坂の秘密を知りたいんですよね? いいものありますよ」

 

 あからさまに嘘くさいとは思う。だが表敬訪問ではない以上、少しでも手がかりは多い方がいい。罠だとしても乗ってみるか-南洲はそう考え、夕張に付いてゆく。いくつも連なる赤煉瓦造りの建物、その一つの角を曲がり、一瞬夕張が南洲の視界から消える。やや遅れて角を曲がった南洲が目にしたものは、細い通路に立ちはだかる異様な物体だった。

 

 

 車がそのまま逆立ちし、そこから手足が生えてバケツを置いた様な、レトロな雰囲気のバタ臭いロボが、ガッツポーズを取りつつ『ガオー』とバケツ然とした頭に埋め込まれたスピーカーから雄叫びを轟かせる。

 

-ラウンドワン、ファイッ!

 

 唐突に試合開始を告げる合成音声が響くと、吉野の愛車をベースに夕張が魔改造を加えた拠点防衛用ロボのスプーが襲い掛かってきた。

 

 「スプー、パンチだ」

 通路の奥、スプーの向こうには制御用と思われるコントローラーを操作する夕張がいる。

 

 緩慢ともいえる動作で大ぶりのパンチを繰り出すスプー。細長い通路のため左右に動けない南洲はステップバックしそれを躱す。

 

 「スプー、キックだ…あ、コマンド間違った。も一度、スプー、キックだ」

 夕張の声とは裏腹に、突如艤装を展開するスプー。41cm連装砲が唸りを上げ動き出し南洲に照準を合わせようとする。咄嗟に前に出て一気に距離を詰める南洲は、銃を抜き砲身の下を走り潜るが、二度目のキックとタイミングが合ってしまい蹴り飛ばされた。

 

-ユー、ウィン

 

 再び合成音声が響き、スプーの勝利、南洲の敗北を告げる。音数の少ないチープな曲が流れ、スプーが前後に小さなステップを刻む。ベースとなった車両だけで1.5トン、その重量を乗せたキックをカウンター気味に受けた南洲は、口の端から血を流しながらゆらりと立ち上る。

 

-ラウンドツー、ファイッ!

 

 「おい、冗談のつもりなら今すぐ止めろ」

 スプーの奥にいる夕張を威嚇する南洲だが、返事はない。先ほどは違い、スプーが積極的に前に出てくる。三歩進む度にガッツポーツを取りガオーッと叫ぶため、意気込み程の速度はなく緩慢に近づいてくる。南洲は左手に銃を握ったまま、三角蹴りの要領で壁を蹴りながら跳躍する。スプーの頭上を飛び越え、一気に夕張を抑えようとするが、ガッツポーズのため振り上げられた腕に邪魔され、スプーの両肩、車でいえばリアバンパー上に降り立つこととなった。眼下に高速修復剤のバケツを流用したと思われる頭部を眺める南洲は、無言のまま銃を連射し、スプーの頭部や脚部を破壊した。

 

-ユー、ルーズ

 

 

 鎮守府内を案内する途中で査察官が消えていた。単独で潜入調査を開始したのか、と長門は苦い顔をして手分けして発見するよう指示を出す。南洲隊の面々も、舞鶴の一件を思い出し動揺が広がる。取りあえず、捜索に動員する以外の人員はいったん間宮を拠点として集まるという事になり、時ならぬ盛況ぶりを見せていた。

 

 誰かがTVを付けると、南洲が蹴り飛ばされる瞬間が映しだされた。誰もが唖然とすると、画像が切り替わり南洲視点となり、今度はスプーが映し出される。事情は分からないが、査察官とスプーが戦っている。一部の艦娘達はこれってやばくない?、と懸念を示すが、スプーが戦っている事が分かるとむしろ今朝方の蟠りが再燃し、多くの艦娘が一気に盛り上がり始めた。南洲隊は完全にアウェーの空気感の中、今自分達が南洲を探しに動き出せば個別撃破されるかもしれない、その警戒感もあり、動くに動けず止むを得ず画面越しに南洲を見守る。

 

 「いいそスプーッ! 査察官なんてやっつけちゃえ!!」

 「南洲、あぶないっ!!」

 

 スプーの勝利を告げる合成音声に続き始まったラウンド2は南洲が勝利した。スプーの頭部が破壊された事で映像が途絶し、間宮には失望のため息と、わずかな歓声が入り混じり広がる。だが音声だけは中継が続いている。

 

-ファイナルラウンド、ファイッ

 

 

 「いけ、スプー!! サイ○クラッシャーアタックだっ!」

 それは路上で戦う人達をモチーフにした格ゲーに登場する悪の秘密結社シャ○ルー総統の必殺技。

 

 脚部を破壊され片膝を付くような格好になったスプーは、車の状態に戻る。ツインターボのエンジン音が響き渡り、後輪からは激しいスキール音と白煙が上がったかと思うと、南洲に向かい急発進し加速してきた。

 

 ここでついに南洲がキレた。

 

 「ただの暴走車じゃねーかっ!!」

 

 マガジンを交換し、エンジン部を集中して銃撃すると、南洲は前に出てボンネットに自ら乗りあげ、フロントガラスに衝突しルーフを超え、ついにスプーの後方までたどり着いた。南洲の背後では、制御を失ったスプーが赤煉瓦の建物に衝突し廃車となっていた。

 

 よろよろと立ち上がる南洲だが、流石に無傷とはいかず、あちこちから出血し、軽く足を引きずってる。目の前には、頭の後あたりに黒い妖精さんをふよふよ漂わせた夕張が無表情のままで立っている。南洲はそのまま近づくとポニーテールを掴み捻りあげる。その際偶然だが妖精さんも一緒に握り込んでしまうと、地面には破れた人形(ひとがた)の紙がひらりと落ち、妖精さんは姿を消した。

 

 「おい」

 「ひゃ、ひゃい…。あの、いつものオシオキですよね?」

 

 急に我に返ったかのように、プルプルと震え涙目になる夕張は、なぜか地面にしゃがむと自分からシリをぺろんと出しはじめた。

 

 

 

 ロマン装備の開発で夕張が暴走した際に吉野が加えるオシオキ・生尻ぺんぺん。

 

 夕張がハッと気付くと、激オコの査察官とその背後に破壊されたスプーが目に飛び込んできた。きっとスプーが暴走し査察官に危害を加えた、そう瞬時に解釈した夕張は、混乱のあまり事態の収拾として吉野にオシオキされるのと同じように行動した。そしてそれがさらに波紋を生むこととなる。

 

 

 

 「な、ちょっとっ!! 何やってるっぽいっ!?」

 

 間宮のTVに突如復旧した映像。その代りに音声が途絶した。そこに映っているのは破壊されたスプーをバックに、銃を持つ男がシリをぺろんとだしている夕張に近づいてゆく姿だった。これだけを見れば、南洲が立ちはだかるスプーを破壊して、夕張に不埒な所業に及ぼうとしているようにしか見えない。音声が無いのもその誤解を助長し、誰が悪役だかまったく分かったものではない。

 

 完全に空気は悪化した。

 

 南洲隊からすれば、夕張を襲う必要もないし、むしろスプーとかいう怪しいロボに襲われたのは南洲だ。大坂鎮守府側からすれば、夕張を襲うためにスプーを破壊し、何がセクハラの査察などと寝言を言うのか、と猛反発する。

 

 Oh淀や妙高が懸命に全員を宥めようとするが誰も聞く耳を持たず、どんどん険悪な雰囲気になってゆく。

 

 

 「グラーフ君、何かおかしいと思わないかい? 誰かがどうしても自分たちと査察部隊を戦わせたい、そんな臭いがするよねぇ」

 

 騒ぎを冷静に見続けていた吉野は、不自然な事態の推移に第三者の介入の影を感じ始めていた。



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35. 黒幕

zero-45様『大本営第二特務課の日常』コラボ第六回。

大坂査察の裏に潜む影が表に現れ、さらに混迷を加える第三の男も。和解したかに思えた大坂と査察部隊の艦娘は、倒れた南洲を巡りついにぶつかる。


(※)御注意

○この章はzero-45様の作品世界とコラボレートしたお話ですので、コラボ作はちょっと苦手、こういった形での内容に興味が無い、趣味趣向が合わない方がおられましたらブラウザバック推奨です。

○拙作と先様の両方をお読みいただけますと、より楽しんでいただけます。

zero-45様 連載
【大本営第二特務課の日常】
https://novel.syosetu.org/80139/

○内容としては互いの世界観を崩さず、更に作品世界の物語を絡ませつつも、今まで続いている連載の中に自然な形として組み込む話を目指しております。


 そもそも大坂鎮守府の査察には意味がない。現地に纏わる奇矯な噂は色々聞くが、鎮守府名を見れば『アイツの所か…』で終わる話だった。だがその噂を利用しない手はない、そう思ったのだが―――三上源三(みかみ げんぞう)大将は、大本営技術本部地下の最奥部に向かいながらそう考えていた。

 

 大本営艦隊司令本部統括であり、武官の頂点に立つ彼の影響下にない軍人は広い意味ではおらず、誰にとっても無視できない影響力を発揮する。そんな彼が、宇佐美少将を誘導し南洲を大阪の査察に送り込ませたのは、彼自身の意趣返しと目的が合致したからだ。

 

 辻柾や遠藤を含む自分の手勢を殺害・捕縛しつづける槇原南洲。間接的とは言え自分の元部下であり、生体実験の材料として生かしてやった恩も忘れ刃向ってくる忌々しい男。

 

 もう一人の忌々しい男が吉野三郎大佐。たかが重巡(摩耶)一人を庇うため、自分が下した異動命令に真っ向から異議を申し立てた大坂鎮守府の長。更迭したかったが、後ろ盾となる大隅大将の横槍もあり、これ以上の出世を許さないことと、その男が主導していた大規模作戦を中止に追い込むことでその場の溜飲を下げたが、許したわけではない。

 

 自分に逆らう者同士争うがいい、残った方は改めて自分が手を下す―――暗い愉悦に三上の顔が歪む。

 

 

 

 技術本部の地下深くにあるこの場所はいつ来ても異様だと、三上は寒気を覚える。暗い洞窟と足元に広がる水場、通路として設けられた飛び石の両脇に並ぶ石灯籠、その奥にある拝殿。その中に目的の人物はいる。

 

 「大本営艦隊本部統括、大将三上源三、大坂の状況についてご報告いたしたき儀がございます」

 拝殿の前に広がる白州に平伏しながら返事を待つが答はなく、三上は仕方なく説明を始める。

 

 拝殿の中で顎鬚を撫でながら無言で三上の話を聞くこの男は、艦娘の開発における二大分野-生体工学分野と霊子工学分野-のうち、後者を司る中臣 由門(なかとみ よしかど)浄階(じょうかい)。古神道に道教の陰陽五行思想や、密教などの秘儀を習合し魂の在り方を極めた神職の最高位、そしてエンジニアとして魂の神秘に技術として利用可能な再現性を持たせ艦娘の戦力化に道を拓いた、この国のオカルトロジーの頂点に立つ存在である。

 

 中臣浄階により体系化された技術で定着させられる、かつての戦を戦った軍船や軍人の魂。付喪神や魂返りと解釈もできるが、いずれにせよそれが艦娘や艤装の核となる。

 

 平伏し相手の言葉を待ちながらも、三上は緊張と恐怖の両方から止まらぬ汗をぬぐう。ややあって平伏する目の前に、拝殿の奥から紙でできた小さな人形(ひとがた)が銅の鏡を運んできた。

 

 「じょ、浄階様、これは一体…?」

 「送り込んだ式神の『目』を通した大坂の情景よ」

 

 一体どうやって、との三上の問いに、中臣はつまらなさそうに答える。

 「洋上の城たる大坂でも、燃料弾薬食料、平時の物資は大本営から船で搬入される。そこに儂が小さな式神(紙切れ)を混ぜても誰が気づくかの。今回の船には何故か銃を携えた胡乱な男も積んでおったようじゃが、ともあれ」

 

 中臣浄階が送り込んだ式神、それが夕張や間宮の周りをふよふよ飛んでいた黒い妖精さんである。だが三上は中臣の言葉の中に違和感を覚えた。銃を携えた胡乱な男? 無論自分の手の者ではない。

 

 「大坂の吉野(城主)は存外敵が多いものよ。ふむ、状況が混沌としてきたの。三上、戯れに貴様に手を貸してやろう。以前技本に電脳経由で潜りこんできた鼠がおってな。鼠の割には鋭い歯があったが、すでに儂の手の内にある。これを使役するのも一興。南洲(傀儡)を弑いて、彼奴の艦娘(絡繰)を絶望で塗り潰すとするか」

 

 中臣の言う『鼠』とは、南洲の情報を得るためハッキングを仕掛けた大阪鎮守府情報室長の漣である。艦娘随一と言われる諜報戦・電脳戦のエキスパートを籠絡したというのか-思わず三上が顔を上げ問い返す。

 

 「じょ、浄階様が電脳戦(サイバーウォー)を―――?」

 「プログラムやコードなど、魂の神秘を電脳世界で模倣するために文字数字で組んだ簡素な呪式よ。儂を防いだと悦に入ってようが、彼奴は文字列での我が暗示に晒され続けた。三上よ、魂の在り様を、貴様らのテクノロジーに合わせ使役し得るよう調えてやったのは誰か、よもや忘れたか」

 

 自らの手を伸ばした中臣浄階、現地で対立し始めた大坂鎮守府と査察部隊の艦娘、そして大坂への潜入を目論む第三の男…事態は自分の思惑を超え制御不能、それだけは分かり、今度こそ三上は白州に額を擦り付けるほどに平伏するしかできなかった。

 

 

 技本の深奥で虚空を見やる中臣の目に一体何が映っているのか、それは本人にしか分からず、再び舞台は大坂鎮守府へと戻る―――。

 

 

 

 Oh淀他数名の理性的な艦娘が、大坂鎮守府勢と査察部隊の間に体を張って割り込み、物理的に衝突を止めている。そんな緊迫した光景の中、吉野はとあるものに気付き、自分の頭に胸を乗せているグラーフ・ツェッペリンに問いかける。

 

 「ところでグラーフ君、マミーヤさんの周りをふよふよ飛んでいる白い人形(ひとがた)の紙は?」

 「何を言ってるのかよく分からんが、マミーヤの周りには黒いツナギの妖精が飛んでいるだけだぞ」

 「んんん?」

 「???」

 

 お互い何を言っているのか、という表情でお互いを見やる。中臣浄階の送り込んだ式神、それは魂の相を妖精さんに似せた人形である。魂の相を観る艦娘の目には、良く似た相を持つ黒ツナギの妖精さんに見え、可視光線の波長を見る人間の目には、ただの紙切れが浮遊しているように見える。南洲の目に黒い妖精さんが見えた理由は、彼の右目が扶桑のものであることに起因する。

 

 吉野は立ち上がり、全員の注目が集まる中を間宮(マミーヤ)の前まで進むと、まるで横顔を触る様に手を伸ばす。一斉に色めき立つ大坂の艦娘だが、吉野は意に介さず浮遊する紙切れを握りクシャッとする。手にした人形の紙には呪文のようなものが書かれていた。グラーフを目線で呼ぶと、その耳元で吉野は囁く。

 

 「あー、ちょっと頼みがあるんだケド。こんなのが鎮守府内をふよふよ飛んでるっていう事は、持ち込んだ輩がいるんじゃないかなぁ、と。少なくとも査察官では無さそうだし、ちょっと色々探ってくれるかな。必要ならいつ呼んでくれても構わないから」

 

 さらに視線を集める者が店に現れると、入れ替わるようにグラーフが立ち去る。

 

 

 「あー、みなさんここだったんですねー」

 南洲と、彼に肩を貸しながら夕張が間宮に現れた。騒然とする店内。すぐさま二人は引き離され、南洲はビスマルク達に、夕張は大坂勢に、それぞれ守られるような形でにらみ合いが続く。

 

 「止せよ」

 南洲が短く言うと、人ごみをかき分け吉野の元へと進む。吉野もまた南洲に向かい合う。そして二人同時に手に握っているものを見せる。破れた人形とクシャクシャの人形。

 

 「どうやら自分と査察官をどうしても戦わせたい人がいるようですねぇ」

 「そうみたいだな、手の込んだ事を…」

 

 やっと微妙な緊張感が解け、南洲と吉野は肩の力を抜くように姿勢を崩す。その一方で夕張から一連の顛末、自分が操られていたことも含めやや誇張気味に説明が入り、艦娘達同士も蟠りが解け始めたようだ。

 

 「あの変なトランス○ォーマーのせいでケガしちまった」

 「…あれ、自分の愛車だったんですヨ…」

 

 南洲が苦笑いを浮かべながら、悪かったよ、といい、席に着く。そこに黒い妖精を頭に載せた漣が飲み物を持ってきた。お盆には南洲が初めて見る清涼飲料水の缶がたくさん載せられている。ド◯ペ(ご存知王道)サ◯ケ(味覚の冒険飲料)ギャ◯クシー(色付ベニヤ板味飲料)冷や◯あめ(関西からの刺客)、そしてグラスに入った水。

 

 「…………」

 南洲の本能が危険を告げ、伸ばした手が宙をさまよう。ふと、ビキニメイド姿の高速戦艦が、お盆に乗っているのと同じ飲料を飲んでいるのが南洲の目に留まった。

 

 じるじるじるじる…ぷはぁー。

 

 幸せそうな表情を浮かべ、榛名は両手で缶を持っている。ならそれを、と南洲は手を伸ばす。

 

 じるじるじるじる…ぶほぉーっ!!

 

 衝撃の表情を浮かべ、南洲は口にした冷やし○めを噴き出す。

 

 濃厚な甘ったるさと刺さる生姜の味に咽ながら、南洲はお盆に乗っていたグラスの水に手を伸ばすとごくごくと飲み一息つく。

 

 

 そして南洲は震える手でグラスをテーブルに置くと、そのまま突っ伏し嘔吐を始め、ずるずると崩れ落ちた。

 

 

 

 「査察官の体内から高濃度の毒物が検出されています。おそらく水の入ってたグラスに混入されていたと思われますが、とにかく今は絶対安静、動かすと命の危険が―――」

 「どきなさい妙高っ!! 毒を盛った相手なんかにアトミラールを任せられる訳ないでしょうっ!!」

 

 医療施設の入り口の前では艤装を展開したビスマルクと龍驤、秋月が中に入ろうとして、妙高を始めとする大坂勢ともみ合いになっている。大坂鎮守府の地下三階にある電のラボ、その医療施設に南洲は緊急搬送され電が対応に当っている。測定の結果毒物が特定され、催嘔と胃洗浄の他、キレート剤が投与され現在加療中。

 

 

 一方、漣と間宮(マミーヤ)と伊良湖は執務室で、吉野と時雨、長門により事情聴取を受けている。

 

 漣は既に正気を取り戻し、悔しさに耐えながら全てを話す。カウンターハックの防戦中にデジタルドラッグによる暗示を受けていたこと、黒い妖精を見た途端に身体が中臣浄階にハックされ南洲のグラスに毒物を塗布したこと。そこまで話すと、突如執務室のドアが破壊された。

 

 

 「こんにちは。お願いですから邪魔をしないでほしいのです、はい」

 

 ぺこりと頭を下げ丁寧なあいさつと共に春雨が侵入してきた。目的ははっきりしている、南洲を毒殺しようとした犯人への報復、それ以外にない。

 

 「春雨っ、これは罠なんだ。僕たちを―――」

 咄嗟に長門と吉野が漣たちを庇い、時雨は春雨の前に進む何とか宥めようとする。その回答として、時雨に向けてモーニングスターが放たれる。避けきれないと判断した時雨はそれを受け止めつつ自ら後方に跳び衝撃を逃がす。だが棘鉄球を追う様に距離を詰めた春雨の蹴りにダメを押され窓に叩き付けられると、窓枠ごと二階の執務室から落下してゆく。チェーンを離さない時雨に引きずられ、春雨も窓から飛び降りてゆく。

 

 「あとでまた来ます、はい。逃げても隠れても、絶対見つけますので」

 

 

 突如二階の執務室からガラスが割れる音とともに窓枠と時雨が落ちてきた。それだけでも周囲の艦娘の耳目を集めるには十分だったが、時雨を追う様に春雨が飛び降りてきた時点で、皆事態を飲みこんだ。査察官が毒殺されそうになりキレたとしても何の不思議もない。

 

 「落ち着いてよ春雨、僕の話を聞いてっ」

 「あなたの提督が同じ目に遭ってもそう言えるか、試しましょうか?」

 

 春雨を落ち着かせようとしていた時雨だが、『試しましょうか』、すなわち吉野に危害を加えると言う春雨の言葉で顔色が変わり、愛刀の関孫六を抜くと春雨に突進を始める。春雨もカウンター気味にモーニングスターを投擲する。

 

がしっ。

 

 二人の間に割り込むと、右手で春雨のモーニングスターを受け止め、左手で時雨の手を押さえる一人の艦娘。

 

 

 日ノ本の国の銘を冠する大戦艦にして、”鉄壁”の二つ名を持つ大和の姿がそこにあった。




『無能転生 ~提督に、『無能』がなったようです~』
https://novel.syosetu.org/83197/

の作者様にして画伯のたんぺい様より再び支援絵をいただきました。
ありがたいことです。

最終シーン、再現してくれちゃってます。

【挿絵表示】




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36. 復活

zero-45様『大本営第二特務課の日常』コラボ第七回改。

※ご注意※

 コラボ先の作者であるzero-45様が執筆再開されることを受け、第三章の凍結を解除、今話より後段として投稿します。この#36は、以前投稿したお話の改訂版となりますので、その点をご理解の上ご覧いただけますようお願いいたします。

  zero-45様、お帰りなさいませ。

◇◆◇◆◇◆

○この章はzero-45様の作品世界とコラボレートしたお話ですので、コラボ作はちょっと苦手、こういった形での内容に興味が無い、趣味趣向が合わない方がおられましたらブラウザバック推奨です。

○拙作と先様の両方をお読みいただけますと、より楽しんでいただけます。

zero-45様 連載
【大本営第二特務課の日常】
https://novel.syosetu.org/80139/

○内容としては互いの世界観を崩さず、更に作品世界の物語を絡ませつつも、今まで続いている連載の中に自然な形として組み込む話を目指しております。


 時雨も春雨も大和の手を振りほどこうとするがビクともせず、しばらくの間徒労を重ねていたが、やがて二人とも諦めたかのように力を抜き、取りあえず艦娘同士でのぶつかり合いは避けられた。騒ぎを聞きつけ多くの艦娘が集まり、三人の周りを囲むように人垣を作り上げた。

 

 

 「私たちの力は盾でもあり矛でもあります。ですがそれは、信じる主と共に戦い共に生き残るためのものです。戦う相手を間違ってはいけませんっ!」

 

 静かな、それでいて凛とした、春雨と時雨、大坂の艦娘、南洲隊の全てに向けられた言葉。元大本営第一艦隊旗艦、大坂着任までは元帥の"表の秘書艦"を務めていた大和の威厳に陰りはなく、依然警戒感を隠そうとしない二人の駆逐艦を含め、三人を見守る艦娘達は考え込む様な表情になる。

 

 そもそもこの査察は何かおかしかった。言いがかりとも思えるような理由での査察、対立を煽るような出来事の連続、挙句に査察官の毒殺未遂…程度の濃淡はあれども、多くの者が違和感を覚えていた。大和の発言は正しくそこを指摘したものだった。

 

 「…分かったよ、大和さん。僕もやりすぎちゃうところだった」

 時雨は少し気まずそうに納刀し、俯いたままの春雨に目をやると、彼女の右腕に僅かに動き出すのが見える。

 

 

 

 地下三階ラボ・医療施設―――。

 

 取りあえず容態は安定したものの、ベッドに横たわる南洲を見つめる電の表情はむしろ怒りさえ浮かべている。緊急搬送され手当のため検査測定を行った結果、電はその肉体に何が施されたのかを図らずも知ることとなった

 

 「…酷過ぎるのです。これが技本のやり方…。少佐はただの人間なのに艦娘の組織を融合させるなんて…でもそのおかげで毒が効きにくく、既に回復が進んでいるから皮肉なのです」

 

 右腕と右眼、いくつかの臓器が艦娘のものに置き換えられ、脳にも一部手を入れた形跡さえ見られる。吉野もまた幼い頃に瀕死の重傷を負い、その救命のため当時研究途上にあった艦娘の開発技術を投入され、人の枠内でその命をつないだ。だが南洲の場合は、それとはまったく異なる。免疫抑制剤と混合薬物(カクテル)を投与することで維持できている『人』の形。それは南洲に常人を上回る筋力と反射速度を与え、所持する武装-艦娘の艤装を改造した銃と、艤装そのものの木曾の刀-を考えれば艦娘や深海棲艦と短時間なら戦える能力と言える。それでも、人でも艦娘や深海棲艦でもない、いわば灰色の男を作り上げたこの実験に、一体何の意味があるのか―――?

 

 

 「よく寝かせてもらった。俺は行くぞ」

 言いながら起き上る南洲。依然として顔色は悪く、ふら付きながら立ち上がると、無造作に着替えはじめる。刀と銃を確かめ歩き出した南洲は、阻むように出口をふさぐ電に言葉を掛ける。

 

 「手間かけて悪かったな、大方あの黒妖精の仕業だろ? そこどいてくれ、春雨やビスマルクがキレて暴れかねない。こんなことでどっちの艦娘にも傷ついて欲しくないんだ」

 

 南洲をじっと見つめる電が、ぽつりと口を開く。

 

 「春雨さんが暴れ続けていて、大和さんが止めようとしています。それより、少佐は…何のために戦っていて、どこに行きたいのですか? 自分の体の事、分かっているはずなのです。電は…少佐にも救われて欲しいのです」

 

 一瞬虚を突かれた表情となった南洲は、自嘲気味の笑みを浮かべ答える。

 「艦娘のためと言うほど、俺の手は綺麗じゃない。怒り…いや、恐怖かもな……これ以上失うことに、俺は耐えられそうにない。なのにまた抱えちまった。ただの身勝手な理由だ。たとえそうだとしても、それでも守りたい物は今もある」

 

 できれば全員助けたい、そのために医局を立ち上げた電の願いとは対極にある、目に映る全てを壊すための技本の生体実験の成果と言える南洲。だがそれでも、南洲はせめて自分の目に映る相手だけでも守ろうとしている。血に塗れた方法でしか、その願いが叶わないのがあまりにも痛々しい。

 

 南洲の目の奥底までを覗き込む電は、一つため息をつくと道を開けた。

 「分かったのです。電も同行するのです。サブちゃんの鎮守府で、査察隊に死人なんて出す訳にいかない、のです」

 

 「勝手はお互い様か。好きにしろよ」

 

 

 

 地上へと向かうエレベータの中では、電も南洲も無言だった。壁に寄りかかり腕を組む南洲と、白衣の前で手を重ねる電。地上まで数十秒だが、意外と密閉空間での沈黙は重くのしかかる。ちーんというややクラシカルな音と共に地上階へと到着したエレベータを降り、ラボを出る。閑静な遊歩道を進み、春雨が暴れているという執務棟前の広場まで向かう。できれば急ぎたいところだが、電の歩幅に合わせ南洲にしてはゆっくりとした歩みを続ける。そして唐突に、視界の先にある異質な存在に気付いた。南洲の様子が変わったことで電も視線を同じ方向へと向ける。

 

 

 何か重量物を収容しているようなケースを携えた黒い鎧武者。

 

 

 南洲は無言で相手の攻撃に備え、シンプルな体捌きでカウンターを取りやすい体勢を取りつつ鋭い視線を鎧武者に送る。考えてみれば、いや、考えなくとも大坂到着以来妙なロボとの人身事故を含む3セットマッチ、関東生まれの自分にとって未知の飲料水風の刺激物からの毒物混入コンボと、散々な目に合っている。そしてここに来て鎧武者の登場だ。一〇〇万歩譲って大坂に来て以来散々目にしたコスプレの一種だろうと自分を納得させることもできるが、それで納得してはいけないと自分の何かが警鐘を鳴らす。というか、あいつ誰だ? いや、またロボか?

 

 「…………兜割か、木曾刀ならいけるだろう。ドタマかち割って中身確かめるとするか」

 「…………はわわわわっ。待ってくださいなのですっ」

 電が慌てて鎧武者に合図を送るかのように手をブンブンと振り続ける。

 「あれはサブちゃんなのですっ。でもなんで対爆スーツ(あんな格好)なんて…」

 サブちゃん…吉野大佐のことか? 南洲は怪訝な表情のまま、それでも少しだけ警戒感を緩める。

 

 「何で自分の鎮守府(縄張り)の中であんな格好してんだか。…! 今この鎮守府で暴れてるのは春雨だ、そうだろ? となれば吉野大佐は―――」

 実際電もなぜ吉野大佐が対爆スーツを着込んで鎮守府内を闊歩しているのか、その理由は知らない。それでも南洲が考えているような理由でないことだけは確かだ。再び険しくなりかけた南洲を宥めるように、電が慌てて口から出まかせを言い放つ。

 

 「あのっ、それはですね…。サブちゃんの貞操を守るためというか…守るためなのですっ。ブラックジャックをしているだけであれこれ妄想を膨らませて執務室に突撃してバケツ正座でオシオキされる乙女達の中にいる唯一の子羊、それがサブちゃんなのですっ」

 

 あまりと言えばあまりの理由に、南洲は首を傾げながら電と鎧武者を交互に見つめていたが、何となく吉野大佐が気の毒になり警戒感を完全に解くと、やれやれ、といった態で頭をポリポリと掻く。南洲の態度が完全に軟化したことを確信した電は再び鎧武者(吉野大佐)に笑顔で手を振る。今度は鎧武者が手を挙げてそれに応え、そのまま歩き去って行った。

 

 何となくため息を付き、春雨の元へ急ごうとする南洲の右腕を電は掴み押しとどめる。違和感に振り返った南洲に、電は話しかける。

 

 

 「大坂城には貴様の他にも二組の狗が忍び込んでおる。吉野大佐(城主)は遠間の曲者…此奴の方が腕が立ちそうじゃが、自ら出馬し成敗するつもりのようじゃ。それよりも槇原南洲…貴様の役割はここで(しま)いよ」

 

 

 表情のない虚ろな目で、同じ声ながら全く異なる言葉遣いと喋り方で語り始める電。その頭には黒い妖精(式神)。掴まれていたのが左腕なら、そのまま引き千切られていただろう。それほどの膂力がかかったが右腕(扶桑の腕)は持ちこたえ張り合った。間髪入れずに内回し蹴りを上段、電の頭上をふよふよ漂う式神に放つ南洲。式神はタクティカルブーツの厚い靴底に引っかかりそのまま地面に踏みつけられ、電はくたっと脱力し地面にしゃがみ込む。南洲が拾い上げた人形(ひとがた)からは、ノイズ雑じりの声が聞こえてくる。

 

 「それにしても奇特な男よ、そこまで春雨(絡繰)にこだわるのはいかなる理由か…そうよの、貴様もまた壊れておったな。まあよい、戯れが過ぎた、これでは三上の事を言えんのぉ……今日はもう飽いた」

 「聞いたことのあるカビ臭ぇ喋り方だ、あれだろ、テメエは技本にいるジジイだろ? へぇ…三上絡みのヤツだったのか。 まぁいい、テメエが誰だろうが、これ以上ちょっかいを出すなら殺しに行ってやる」

 

 南洲は手の中の人形(ひとがた)を引きちぎる。南洲の言う『技本のジジイ』と中臣浄階はもちろん同一人物であるが、南洲がそれを知るのはまだ先の事となる。

 

 

 

 電と南洲が目的の場所へ辿りついた時、騒動はまだ続いていた。春雨が棘鉄球(モーニングスター)を振り回し攻撃を続けるが、大和は巧みにそれを回避または防御する。その繰り返しで春雨のスピードは目に見えて落ちていた。

 

 「いい加減にしろ春雨(ハル)っ。そこまでだっ」

 

 南洲の声に気付いた大和が、苦も無くモーニングスターを掴み止め視線を送る。そうしようと思えばいつでもそうできたのだろう。だが大和もまた艦娘であり、南洲を失うかもしれない不安に耐えきれない春雨の心情を痛いほど理解し、その不安を吐き出させるため敢えて攻撃を続けさせていたようだ。春雨もまた、南洲の声を聞き急停止すると、しゃがみ込み、独り言のように呟きはじめる。

 

 「あの時の…瀕死の南洲から流れる血の温かさと冷えてゆく体の怖さを、忘れ…られないんです…。渾作戦の時も、以前の()()()の時も、そして今も、南洲がいるから頑張れるんです…南洲がいるから……いなかったら私…」

 

 春雨は嗚咽を漏らしながら、南洲の名を繰り返し呼ぶ。その言葉に、大和はただ優しく頷き春雨を抱きしめる。

 

 「査察官の一件はあってはならないことであり、春雨さんの気持ちは痛いほど分かります。ですが我々の主たる吉野大佐もまた、決してこのような手を使う人ではありません。この大和、相手が誰であれ正すべきは正します。それを信じて矛を収めてもらえませんか?」

 

 南洲は、大和に抱きしめられたままの春雨の前まで行き、大和に深々と頭を下げる。

 「双方に怪我人が出なかったのは貴艦のお蔭だ。春雨の心を救ってもらったこと、心から礼を申し上げる」

 その真摯な態度に、言葉の代わりに綺麗な笑顔で大和は応え、春雨は立ち上がると涙でぐしゃぐしゃの顔のまま南洲の胸に飛び込む。ビスマルク達も南洲の周りに集まってくる。春雨の髪をくしゃくしゃと撫でながら、南洲は周囲を見渡し、すっと目を細める。

 

 -この礼をしないで大坂を立ち去る訳にはいかなさそうだな。吉野大佐は()()腕の立つ敵へ向かったとジジイは言ってた。ってことは、他にも潜伏している連中がいる、そういうことだな。

 




改めましてzero-45様、回復おめでとうございますっ!


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37. 本質

zero-45様『大本営第二特務課の日常』コラボ第八回。

南洲隊が大坂を舞台に『特務』に取り掛かる。吉野大佐を狙う第二の刺客を狩り立てるため、本気の南洲が疾る回。

(※)御注意

○今話の時間軸としてzero-45様『第二特務課』91話と同時進行で動いている裏側のお話です。

○コラボ作はちょっと苦手、こういった形での内容に興味が無い、趣味趣向が合わない方がおられましたらブラウザバック推奨です。

○拙作と先様の両方をお読みいただけますと、より楽しんでいただけます。

zero-45様 連載
【大本営第二特務課の日常】
https://novel.syosetu.org/80139/

○内容としては互いの世界観を崩さず、更に作品世界の物語を絡ませつつも、今まで続いている連載の中に自然な形として組み込む話を目指しております。


 それは吉野大佐と彼を狙う狙撃手が緊迫の中対峙している間のこと。南洲もまた戦いを始めようとしていた。吉野大佐と南洲は、お互いがしていること、しようとしていることを知らないが、それぞれ裏表の関係といえる様相の中、事態は進行してゆく―――。

 

 

 南洲と春雨を中心とし、部隊のメンバーが小さな車座を作る。南洲が六名の艦娘をじっと見渡すと、その視線が孕む色の種類に春雨は素早く、鹿島がやや遅れて気付いた。

 

 「全員聞いてくれ、()()だ。やる理由ができちまった。大坂鎮守府に外部からの侵入者がいるらしい。俺はこの排除に当たるが、広い敷地に潜伏する相手を狩り立てなきゃならん。協力してくれ」

 情報の入手経路や理由などは割愛し要点だけを伝える南洲だが、春雨が『排除』の表現に反応し青ざめる。それは南洲にとって対象者の殺害を意味する。その様子を見ていた他の艦娘達も表情が引き締まる。MIGOと通称される査察部隊が表の顔とすれば、数こそ少ないが、裏の顔とも言える南洲が手掛ける特務は依然として存在する。

 

 舞鶴での一件を経て、南洲は自分の歩む道を春雨以外にも分かち合うようになった。どのような理由でも、査察では人間のどろどろした部分に触れざるを得ないが、それでもまだ名分は立つ。だが特務は、好悪善悪に関係なく一方的にこちらの要求を力で通すようなもので、その通し方には命のやり取りまで含まれる。言えば間違いなく皆そこまで踏み込んでくるが、そんな事を繰り返せば、純粋であるがゆえに艦娘の魂は黒く歪んでしまう。だからこそ、力は借りるが彼女達の手は汚させない-南洲はその一線だけは守り続けてきた。

 

 「了解したわ、アトミラール。私たちは指定されたポイントへ急行し現場を保持、『対象者』が現れたら連携して貴方のいるポイントへ追い込めばいいのね」

 

 制服の秋月を除き、ディアンドル姿のビスマルク、メイド服姿の羽黒と春雨、ハイウエストスカートの鹿島、そして園児服の龍驤…結局一連の騒動でPG829(しらたか)へ戻る間もなく、大坂で用意された(強制お着替えの)服のまま真剣な表情で打ち合わせる南洲隊を眺める大坂の艦娘達だが、そのうち榛名がぽつりとつぶやいた。

 

 「あの人たちは…引きはがすと血の流れるほどに癒合した関係に見えますね」

 

 

 

 どさっという重い物体が地面に落ちる音、そしてどうっとさらに重い物体が倒れる音がほぼ同時にする。

 

 それを無表情に見下ろす南洲の右手には木曾刀が握られ、切っ先からは血がぽたぽたと落ち続けている。八方眼とも呼ばれる、特定の所に視点を固定せず全周の状況を観るという、武術を修める者には理想的とも言える状態で、南洲は通路の奥に陣取る相手の動きを制している。

 

 南洲にとって理想的なだけで、相手にとっては絶望的ともいえる状態、まして彼我の力量差を測ることのできる者なら尚更である。そして残念ながら、南洲に威圧されている男はそれが分かる程度には実力があった。

 

 

 大坂鎮守府に潜入したのは二組三名。単独行動の組と、二人組一つだが、だからといってこの二組、無関係ではないが連携もない状態である。吉野大佐が掴んだ情報の通り、大陸系の息が掛かった組織が潰滅直前に契約し吉野大佐を標的としたフリーランスのスナイパーが前者、そしてその潰滅した組織の裏にいる大陸系が直接手を伸ばしてきたのが後者。前者の仕事が成功した場合は、これを捕縛し拷問の上金の在り処を聞き出し殺害、手柄を自分たちのモノとして喧伝する。失敗した場合は隙を狙って吉野大佐を殺害する。どっちに転んでも酷い話だが、この辺の事情を全く知らずに、中臣浄階の言葉をもとに南洲達が追っているのは後者の二人組だ。

 

 南洲が特務に乗り出した理由、実は大和に尽きる。彼女のお陰で春雨の暴走を止めることができた。どれだけ礼を言っても足りない、その一点で、南洲は大和が信を置く吉野大佐を狙う相手の排除を専断した。査察部隊の長として、または艦娘が直接関わる事案でなければ捜査権や交戦権を有さない部隊として、これは重大な越権行為である。警察であれ軍隊であれ、交戦規定(ROE)を満たさない戦闘行為で人が死ねば無論罪に問われる。

 

 だが南洲は思う。

 

 自分の『家族』のために心を砕いてくれた相手に報いるなら、喜んでさらに手を汚そう、と。どうせ相手は()()だ、躊躇う必要などどこにもない。

 

 大坂の査察が確定した段階で、鎮守府内の詳細な地形情報は入手してある。この鎮守府で不審者が潜伏可能なポイントは数か所に絞られてくる。南洲はその数か所に自分の部隊を急行させ、発見した相手を自分のいる地点まで追い込む様指示している。

 

 さほど長く待たずに、おそらくは狙撃手と思われるブリーフケースを持つ小柄な男と、その護衛と思われるがっしりした体格の男が自分の待つポイントに逃げるように走り込んできた。こういう咄嗟の邂逅に経験は露呈する。護衛役と思われる男は、南洲に誰何(すいか)などせず拳銃を抜き躊躇わず撃ってきた。十分に場馴れしている、そう判断して差し支えない。

 

 拳銃等の銃器による攻撃を効果的に成立させる要素は二つ。一つは銃口からの延長線上に標的を確実に捕捉して攻撃する。近接戦闘において引鉄を引かれた時点で、発射された銃弾を回避することはまず困難だ。もう一つはその銃を扱う人間の技量。特に人間の機能を効率的に停止させる訓練を受けた者であればあるほど、その狙いは正確なものとなる。この男の場合もダブルタップ、最初は腹、反動で銃口が多少上がることを計算し2発目を頭、として南洲を狙ってきた。

 

 正確さを逆手に取り狙いを外しながら、引鉄を引く指先一つの動作より早く動いて斬り込む。理屈の上では可能なその動作を、瞬間的ながらも実践できる槇原南洲と言う異質な存在が相手でなければ、この銃撃は成功していたであろう。

 

 引鉄が引かれる刹那、上体を膝よりも低く倒しながら一気に間合いを潰し飛び込む南洲。艦娘の生体組織と薬物で強化された反射神経と運動能力が可能とする『縮地』により相手の懐に数歩で踏み込むまでに、走り懸かりのための重心の移動はすべて終え、最後に右足を踏み込み鞘走りを利した瞬速の逆袈裟で斬り上げる。はたして護衛役の伸ばした右腕は、下腕の中ほどから先が斬り飛ばされる。続いて左足を出したところで振りかぶり、右足を出し真っ向から眼前の男を斬り下ろす。南洲の磨かれた技量と強化された身体は、一瞬で人間を()人間に変えてしまう。

 

 銃を持った護衛役の男が、瞬き一つするか否かの間に刀で斬り伏せられた事実を、その奥にいた狙撃手は理解できない表情で見ていた。一切の澱みのない、流れるような体捌きと剣捌きは美しささえ感じられた。だが小柄な男は気が付いた。次は自分の番だと。そして恐慌をきたし逃げようとしたが体が動かない。

 

 

 

 「悪ぃな、何語か知らんがさっぱり分からん。まぁあれだ、人間、諦めが肝心な時もあるさ」

 

 意志疎通ができないのはお互い様、南洲の発した日本語(音声)で我に返った小柄な男は、悲鳴とも咆哮ともつかない言葉を叫び、一目散にくるりと背を向けて逃走を始めた。さすがにこの彼我の距離を一足飛びに潰すことはできない、そう判断した南洲は納刀し、こっちの方が痛いと思うんだけどな、と言いながら左手で銃を抜く。

 

 「提督さん、大丈夫ですかっ!?」

 

 唐突に背後から声がかかる。一瞬だけ気を取られた南洲の狙いが逸れ、デザートイーグルに似た大型の拳銃から放たれた銃弾は走り去る男の左脹脛に命中し、そこから下を吹っ飛ばした。ごろごろと地面を転がりながらも、必死に逃走を続ける小柄な男に再び照準を合わせた南洲だが、鹿島の視線を気にし、そのまま銃をホルスターに仕舞いこんだ。

 

 「…こういう所は見せたくなかったんだがな」

 「うふふ、提督さんが何をしても鹿島は平気です♪ …それに今さらですよ、私も()()()()()()()()()()()()。…提督さんはズルいです、そうやって優しくするのに応えてくれないんですから」

 「……………悪いな」

 「春雨さんが着くまでの間くらい、独り占めさせてくださいね」

 

 やむを得なかったとはいえ、辻柾を実際に撃った鹿島は、()()を超えてしまった艦娘でもある。その心の奥深い所は南洲でも理解できているかどうか…。胸元に寄り添ってくる鹿島を軽く支えながら、南洲は自分が撃った男のことを一瞬だけ考え、すぐに脳裏から消し去った。

 

 

 対象物の無力化完了、その知らせに集合する南洲の部隊。連れだって遊歩道を歩きながら、今回の査察をどう締めくくるか南洲は頭を痛めていた。結論ははっきりしている。上司の宇佐美少将を含め自分たちと大坂鎮守府の面々は、三上大将と中臣浄階の策に嵌められた。大坂鎮守府の実態は色々アレだが、当初懸念していたような事実はなく、予算や資材の不正流用疑惑はとあるメガネ筋から強烈な圧力がかかり有耶無耶のうちに調査対象外とすることになった。つまり自分たちがこれ以上ここにいる必要はない。

 

 「…帰るとするか。だが流石に黙って出て行く訳にもいかないだろう」

 

 吉野大佐の執務室へと向かい歩みを進める一行は、やがて大阪鎮守府の艦娘達が騒然とラボの方へと走ってゆく光景に出くわした。南洲はその中で見知った顔の艦娘を強引に呼び止める。

 

 「わぁっ!! 誰ですか人の襟首を掴んでっ…って査察官っ!? あ、あの…やっぱりアレですか…?」

 ぷるぷる震えながら返事をするのは軽巡の夕張。スプー戦の一件がトラウマになったのか、言いながら吉野にされるのと同じようにシリペンの体勢に入ろうとする。

 「いやそれはいいから。それよりも、吉野大佐を探してるんだが」

 

 

 

 医務室に現れた大柄の男と、ベッドに横たわる男。南洲は吉野大佐がスナイパーとの一騎打ちに勝利した代償に負傷したことを知らず、吉野もまた鎮守府に潜伏していた二人組を南洲が排除したことを知らない。ただ、何かしたんだなコイツ、というのはお互い何となく勘づいていた。怪訝な表情を浮かべる長門や時雨、興味深そうにジロジロ眺めてくる朔夜(防空棲姫)を意に介さず、南洲は吉野が横たわるベッドまで近づいてゆく。

 

 「よお、ひどい顔色じゃねーか。そんな時は軽く一杯やれば元気になるぞ。どうだ、()るかい?」

 まるで根拠のない健康法をケガ人相手に真顔で勧める南洲だが、もちろん冗談であり、別れの挨拶だけでは味気なく思い軽口を叩いたつもりだった。

 「あーいやぁ、お気持ちは嬉しいんですけどね。自分は体質的に酒がちょっと」

 吉野もまた南洲の意図を汲みつつ無難な返事をしていた。幼い頃に受けた手術の後遺症で酒を受け付けない体質になっている以上、残念な気持ちもあるが無理な物は無理だ。

 

 だが二人の指揮官は、自分たちの背後で艦娘達の空気が明らかに変わっていたことに気が付いていなかった。長門が腕組みをしながら口にした言葉で、南洲と吉野大佐は思わず顔を見合わせる。

 

 「ふむ、査察官はいける口なのか。呑める男を見るのは随分久しぶりだな」



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38. 日常

zero-45様『大本営第二特務課の日常』コラボ最終回。

大坂を後にした南洲が、めまぐるしく過ぎた時間を振り返り報告書を作成、彼もまた彼の日常へと帰ってゆく。

(※)御注意

○時間軸としてzero-45様『第二特務課』92話からの流れを受けて進行しているお話です。

○コラボ作はちょっと苦手、こういった形での内容に興味が無い、趣味趣向が合わない方がおられましたらブラウザバック推奨です。

○拙作と先様の両方をお読みいただけますと、より楽しんでいただけます。

zero-45様 連載
【大本営第二特務課の日常】
https://novel.syosetu.org/80139/

○内容としては互いの世界観を崩さず、更に作品世界の物語を絡ませつつも、今まで続いている連載の中に自然な形として組み込む話を目指しております。


 今日大坂を出立する南洲一行だが、南洲を除く面々は未だに夢の世界の住人のままである。昨夜の宴席でのはっちゃけっぷりは南洲にとっても初めて目にするものだった。南洲本人は、実は誰よりも杯を空けていたのだが、「普通こんなもんだろ、人並だぞ」とケロッとしており、酒量に関しての基準が明らかに異なることを窺わせる。

 

 全員で集まって飲んだのは、実は部隊の立ち上げ以来である。部隊の性質上『暗殺成功を祝して乾杯』ともならないため、ある意味当然とも言える。皆の楽しそうな顔を思い返し、またああいう機会があってもいいかもしれないな、と微笑みつつも、六神合体をやっとの思いで解除したのを思いだし、最終的には苦笑いになる。

 

 そんな南洲は、何となく早く目が覚めてしまい散歩を兼ね大阪鎮守府内を歩いている。やがて辿りついた、『電ガーデン』と呼ばれる透明な建材で建てられたドーム型の施設。ここは大坂の艦娘達が集う癒しの場でもあり、本来の気候帯に関わりなく、様々な種類の果実が実を結ぶ不思議空間でもある。

 

 ふと興味を惹かれ温室内を興味深げに眺めながら歩く南洲だが、やがて施設のほぼ中央に位置する半径数mの円形に整えられた芝生までやってきた。その中央には古ぼけた石塔が立っている。

 

 『大阪鎮守府戦没者慰霊の碑』-半分消えかけた状態ながらその一文が刻まれた石碑。

 

 何も言わず石碑を見つめ続ける南洲だが、ぽつりと呟く。

 「せめてあいつらにも何か作ってやれれば良かったんだがな…」

 

 背後から小さな足音が聞こえてくるが南洲は振り返らない。足音で誰かは分かる。

 「勝手に摘んでしまいました。怒られないでしょうか」

 花を両手いっぱいに抱えた春雨が南洲を追い越し、石碑の前まで進むと花を手向ける。春雨がしゃがみ込み目を閉じて手を合わせるのを見て、南洲も石碑に黙礼する。

 

 

 南洲の言う『あいつら』とは、かつて彼がハルマヘラ島ウェダに置かれた前進基地の司令官だった時に失った艦娘達のことであり、今も彼のもとにいる春雨と羽黒は、その数少ない生き残りである。

 

 

 

 大坂鎮守府南側のコンテナヤードへと向かう南洲達だが、その歩みは散漫に縦に伸びている。先頭を行くのは顔を真っ赤にした秋月と手をつなぎながら歩いている南洲。「せっかく大阪まで来たのに、ほとんど出番がありませんでした…」と秋月に涙目で訴えられ、南洲は何とも言えない表情になり、彼女のしたいようにさせている。

 

 その少し後ろを歩き二人を眺めているのが春雨と龍驤。春雨は珍しく何も言わずにそのままにさせていて、龍驤はそんな春雨をにやにやしながら見やっている。

 

 その二人からさらに離れて、どんより項垂れながら羽黒がそれに続いている。

 「うううぅ~。いくらお酒が入ってたからって……」

 羽黒は自分で気付いてはいないが、いざとなると強気というか芯はしっかりしている。パッと見は気の弱い女王様というのも存外似合っているのかも知れない。

 

さらにさらに離れて、青白い顔で二日酔いにぐぁんぐぁん揺れる頭を押さえながらゆっくり歩くのはビスマルクと鹿島。この二人が宴席で暴走していたことは敢えて言うまでもないだろう。

 

 

 そしてだらだらと続く行進の先には、母艦であるPG829しらたかと、ずらりと居並ぶ大阪鎮守府の艦娘達が待っていた。

 

 

 そういえば来た時も同じように正門の前で出迎えられたっけな―――南洲は目まぐるしく過ぎた大阪での時間を思い出す。査察に訪れた際、鎮守府の正面はピンクや青や黄色、色とりどりのコスプレ姿の艦娘達に迎えら(威嚇さ)れた。だが今、母艦へと向かう通路の中央を空け両脇に整列しながら自分たちを迎える彼女達は、本来の制服を身に纏い艤装を展開し、真剣な表情ながらもそこに険しい相はない。彼女達のもう一つの、いや本来の顔である海を護る武人としての姿である。

 

 中央には総旗艦の長門、そして朔夜(防空棲姫)が立っている。長々しい社交辞令めいた口上は不要とばかりに、長門は無言で拳を差し出し、南洲もにやっと笑いこつんと拳をぶつける。

 

 「提督から伝言よ。『片づけしなきゃなので、メンゴ☆テヘッ』…わざわざポーズを付けて声に出して読めってどんな羞恥プレイなのよ、これ」

 目の前では自らのポーズに照れながら朔夜(防空棲姫)が、F的な超時空要塞の歌姫ラ○カ・リーのキラッ☆のポーズで吉野大佐からの伝言を伝えている。

 

 「へえ…()()()じゃぁしょうがないな。…俺達は行くよ。世話になった」

 

 片づけ―――何気ないキーワードだが、南洲と吉野大佐だけに分かる暗号めいたものでもあり、納得した表情で南洲は船上の人となり、部隊ともども大坂を後にした。

 

 

 

 「報告書(こんなもん)を書けなんて奴は、自分が暇だからって他人まで暇だと思い込んでんだよ」

 上甲板レベルにある士官室に籠り、つまらなさそうな表情でラップトップに向い毒付く南洲。嫌いな書類仕事ではあるが、査察は報告書を作成し提出、その後上司の宇佐美少将との面談をもって完結する。好き嫌いはともかく、やらねば仕事が終わらないのである。

 

 所定のフォーマットファイルをダブルクリックして開き、とりあえずぽちぽちと書きはじめ要点を整理してみる。非公式とせざるを得ない事柄があまりにも多く、数少ない報告可能な事実を箇条書きで提出した結果、公式報告書として意味を成さず、結果として南洲は得意とはいえない『作文』をすることとなった。

 

 

 

査察報告書

 

1. 査察概要

対象拠点:大坂鎮守府

対象拠点責任者:吉野三郎大佐

査察担当者:槇原南洲少佐

査察隊:春雨、ビスマルク、羽黒、龍驤、秋月(順不同)

報告書作成者:査察担当者に同じ

 

秘匿名称:zero-45

査察項目:包括的査察

重点項目:以下3項目

1.艦娘に対するセクシャルハラスメントの疑い

2.艦娘に対する心身への虐待による深海棲艦化の疑い

3.資材資金の不正流用の疑い

 

具体的な事前情報が寄せられた重点項目1及び2について格段の注意を払い査察を実施。なお重点項目3については具体的な事前情報が無く、現地入りしてからの対応になった。

 

2. 重点項目に関する査察結果

 

査察項目1:艦娘に対するセクシャルハラスメントの疑い

査察結果:起訴相当の事実は発見されず

 

大坂鎮守府は、艦娘の制服に関し独自の方針を持ち運用している。艦娘の制服はそもそも生体部分の保護を主目的に装用するものであるが、その機能をバイタルパート周辺に限定し軽量化する事で、機動性運動性の向上による回避性能を追求した結果、生体部分の露出が多くなり扇情的との批判を生む土壌となっていることが推測される。

 

その形状色等については装用者の意向も反映されているため個別性が強いものの、全般的にはメイド服中心(一定範囲)の統一感のある制服となっている。それゆえに同鎮守府責任者による組織的な圧力として制服着用の強要が疑われたものと推測される。こちらについても所属艦娘への聞き取り調査の結果、艦娘自身の希望によるものと判明し、強制性は存在しないことが確認された。以下に資料として具体例を挙げるものとする。

 

長門型戦艦一番艦 長門 他数名(画像)

 ピンクのキラキラしたミニスカメイド服(同系統のデザインで色違いを着用する艦娘数名確認)

 

大和型戦艦一番艦 大和(画像1)(画像2)

 サイドに腰上まで開いたスリットが入り、ノースリーブの脇は過度に布が少なく横から横チチの見えるチャイナドレス風メイド服

 

金剛型戦艦三番艦 榛名(画像1)(画像2)(画像3)

 袖と胴部分がほぼセパレート、標準的なミニスカート丈、上着の丈が極めて短く下チチの見えるビキニドレス風メイド服

 

加賀型航空母艦一番艦 加賀(画像)

 細かなスパンコールが全体に縫い付けられた青いマイクロミニスカートメイド服

 

間宮(画像)、伊良湖(画像)

 ミニスカオープンバック割烹着

 

電(画像)、叢雲(画像)

 標準仕様メイド服にネコミミカチューシャと腰から垂れる同色の尻尾

 

(以下六(ページ)まで続く)

 

 

…何で俺があの吉野大佐(ヒョロ助)の趣味嗜好性癖をそれっぽく擁護してんだと、自分で書きながら馬鹿らしくなってきた南洲は、いったん休憩を取ることにした。

 

 

 こんこん。

 

 「空いてるぞ」

 無造作に返事をすると、秋月がお握りと沢庵、お茶をお盆に載せ入ってきた。椅子の背もたれに寄りかかりながら伸びをしていた南洲は、入室してきた秋月を見て驚きの表情を隠せない。

 

 白と薄茶の市松模様のシックな浴衣に臙脂色の帯。ただその着丈は中破したかのように太腿の中ほどまでむき出しになった超ミニ仕様。

 

 「し、失礼します」

 

 唖然として声を出せない南洲をよそに、ぺこりと一礼するとデスクにお盆を置き、片膝を着きながら南洲が床に散らかした本や制服などを拾い上げる秋月。その姿をなんとなしに見やった南洲は、口に含んだお茶を噴き出しそうになった。

 

 超ミニの着丈と妙に緩い胸元の袷から、本来見えるべきではない部分がさりげなく、それでいて確実にアピールしてくる。南洲にしてはかなり珍しく、ぼんやりと見入ってしまったが、すぐに視線に気付いた秋月が慌てて自分の体を庇うようにし、南洲も慌ててキーボードを適当に叩き報告書を作成しているふりをする。

 

 「あ、秋月…? お前、その…なんだ……どうした?」

 「そ、その……鹿島さんから提督はこういうのが好きって聞いたので…。でも私にはこれが精いっぱいで…。ご、ごめんさない、やっぱり心の準備がっ!!」

 秋月は差し入れを運んできたお盆で真っ赤になった顔を半分ほど隠しながら、逃げるように部屋から出て行った。

 

 「…続き書くか」

 ラップトップのモニターに視線を戻した南洲は呆然とする。これまで書いた報告書が消えている。Ctrl+Zを連打するがタイトルと1. 基本要件、それに無意味な文字数列の羅列しかデータが復旧されない。秋月を見ていたのを誤魔化した際、自分で書いたものをぐちゃぐちゃにした挙句その状態で保存していたことを南洲は知らなかった。軽いため息をついてあっさり気分を切り替えると30秒で書き終え、南洲は差し入れのお握りを頬張り始める。

 

 「そもそも俺に書類作成を頼む方が悪い」

 南洲が仕上げた公式査察報告書、そこにはタイトルと査察概要、そしてただ一文。

 

 

『コスっちゃう鎮守府。変わってるけれど問題なし、以上』

 

 

 とだけ記されていた。後日南洲は宇佐美少将に呼び出され、秘書艦の大淀と二人がかりで説教を受け、徹夜で報告書を書き直すことになったのは別の話である。

 

 

 

 大坂査察からしばらく経ったある日の事―――。

 

 「提督、槇原少佐から貨物と手紙が届いているよ」

 その朝、大坂鎮守府の吉野大佐のデスクに一通の手紙が届いた。いつも通り右に時雨、左に(潜水棲姫)、頭上にグラーフのばいんばいんのフォーメーション。吉野が訝しがりながらペーパーナイフで封を開けると―――。

 

 『誤った情報による査察実施で、大坂鎮守府に迷惑をかけたお詫びも兼ね、俺が壊してしまったTOYOTAスープラGA70 3.0GTターボAの程度の良い車輛を見つけたので贈らせてもらう。ぜひ受け取ってほしい』

 

 今時手紙とは古風だけど律儀な男だねぇ、と吉野の顔がほころんだのも、その後に続く文章に目をやるまでの一瞬のことだった。

 

 『そちらに電話して納品先を確認したら夕張重工とのことだったので、そのように手配しておいた』

 

 吉野は慌てて受話器を取り上げ夕張の工廠へと内線を掛けているが、何かが遅かったらしい。ぷるぷる震えながら肩を落とす吉野と対照的に、受話器越しに聞こえる『スプー弐号機、リフトオフッ』と誇らしげな夕張の声。

 

 

 様々な思惑によって一瞬だけ重なり合った、本来出会うはずのない者たちに訪れた非日常の時間。それは彼らの日常に僅かな変化を残し、終わりを告げた。




今話にて、zero-45様『大本営第二特務課の日常』とのコラボ完了となります。途中zero様が体調を崩されるなど想定外のこともありましたが、最後まで完走させることができほっとしております。

 挙動と個性がはっきりしている第二特務課のキャラを動かし、かつ自作のキャラとうまいこと絡めて行く難しさの反面、個性的な動きをするキャラたちのことを色々考える時間はとても刺激的で、今回のコラボは非常に楽しかったです。

 zero-45様、そしてコラボ作におつきあいくださいました読者の皆様、改めて感謝とお礼を申し上げます。

次回投稿分からは、第4章の後段へと場面は切り変わります。


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Mission-4 在りし日の男
39. でこぼこ道、二人で


 第4章スタートとなります。章の前半は春雨の目を通して、後半は南洲の目を通して、南方鎮守府(ウェダ基地)時代の二人の過去が語られます。

 今話は、春雨がある事をキッカケに現在から過去へと思いを巡らすお話です。


 目が覚めると、必ず横を確認する習慣がついてからどのくらい経ったのかしら。うん、ちゃんと南洲が寝ています、安心しました。もぞもぞとベッドの中を探していろいろ身に付けてパジャマ姿に戻り、上半身だけを起こして、んーっとベッドで伸びをします。私と南洲が暮らしているのは、査察隊に与えられた1LDKの宿舎です。広めのリビングダイニングと寝室、それしかお部屋はありません。査察で飛び回っている時はハンヴィーやPG829(しらたか)で過ごすことが多いので、これでも全然十分です。その代り、ちょっとだけ贅沢をしてクイーンサイズのベッドを買いました。二人で過ごす大事な場所ですから、はい。

 

 

 おはようございます、春雨です。

 

 最近、南洲は以前に比べて落ち着いているように見えます。何て言うか、重荷は重荷として背負ったまま前を向いているというか…うーん、上手く説明できません、ごめんなさいっ。前の部署(諜報・特殊任務群)から今の部署(査察部隊)に異動して少しずつ仲間が増えて、そして舞鶴の一件を境に、南洲の変化ははっきりしました。それは喜ぶべきと思う反面、私は南洲のために何ができたんだろう、そう思ってしまいます。

 

 あの時から今に至るまで、南洲とはずっと一緒です。あの事件の後も、南洲の復帰を信じて待っていました。何があっても傍にいる、それが私にできる全てでした。生き残った他のみんなが他の道を選んだことは、むしろ仕方ないと思います。ですがこれだけは言えます。南洲が死の淵から生還してから今に至るまで、その全てを見てきたのは私と、望まない形でしょうけど扶桑さんです。でも、南洲に触れられるのは私だけ…。

 

 寝ている南洲の髪を撫でベッドから抜け出て、朝ご飯の用意をしにとてとてとお台所に向かいます。何かいまいち足腰がふわふわしていて頼りないです。まったく南洲ったら…あ、いえ、これはこれで嬉しいというか…。ごほん、今日の朝ご飯は洋風の感じで攻めてみたいです。トーストとスクランブルエッグと厚切りのベーコン、それにお野菜。あとは…人差し指を顎に当て少し考えて、今日は紅茶を淹れることにしました。えっと…思い出しました、上の棚にしまっていたんでした。扉を開けると缶が見えます。

 

 んー、ちょっと手が届きません。んしょ、んしょ、軽くジャンプするようにして缶に手を伸ばしますが、むしろ触れた指先のせいで少し奥に入ってしまいました。…あと一回だけ挑戦して取れなかったら、諦めてイスを持ってきます。思いっきり背伸びしたら、バランスをくずして倒れそうになってしまいました。

 

 「きゃぁっ」

 ぽすん、と背中を預けます。背の高い誰かが厚い胸板で私を支えながら、右手を伸ばして楽々と紅茶の缶を取り出しています。誰か、とか言ってますけど南洲以外にいません。見上げると、ほら、南洲です。思わず微笑んでしまいます。Tシャツにハーフパンツということは、着替えた、というか服を着たんですね。

 

 「お、おはようっ! 起こしちゃったかな、ごめんね」

 「手の届く所にしまっとけよ、ほら」

 南洲は優しい。だからあんまり使わない物は手の届かない所にしまっておくの。そうすれば、ほら、こうやって甘えることができるから。ん、と軽く唇を突きだして目を閉じます。軽く唇同士が触れる感触、いつでも嬉しくなっちゃう。さぁ、南洲がシャワーを浴びてる間に朝ご飯つくらなきゃっ!

 

 

 

 準備ができました。テーブルを挟んで向かい合い、二人同時に両手を合わせてから、いただきます。

 

 食事中の会話は、いつも私が話しかけて話題を振って、南洲が返事をする、そんな感じです。でも私は満足しています。南洲が私の話をちゃんと聞いていなかったことは一度もないから。そうして私たちはいつも通りありふれた毎日の出来事を話しながら食事を終えました。私は食器を片づけて洗い物、南洲は第二種軍装の制服に着替えています。

 

 「じゃあ行ってくるよ」

 「…南洲、今日の予定は?」

 聞くまでもなく知ってますけど、念のため。南洲は、宇佐美少将のもとを訪れて大坂鎮守府査察の報告を行うはずです。私は南洲をじっと見つめます。

 

 「宇佐美少将(ダンナ)への報告が終わった後か? 特に決めてないけど、たまには俺が晩飯作ろうか?」

 「わっ、珍しいっ! でも南洲はいつも同じのしか作らないから、どうしようかな…」

 

 でも、とても嬉しいです、はいっ。

 

 

 「悪いな、呼び出して。ほら、焼き芋がある、食べるか?」

 私は宇佐美少将から将官室に来るように命じられました。もちろん南洲の上司ですから、私を呼び出しても全然悪くないです。ただ少将が艦娘を呼び出すのはとても珍しい事です。

 

 沈黙が流れます。

 

 宇佐美少将が頭を掻きながら、唐突に口を開きます。後ろで大淀さんが口を手で隠しながら笑っています。

 「あぁもう、俺はこういうの苦手なんだ。それより春雨」

 

 焼き芋おいしい…とはむはむしていた私の動きが止まり、少将の顔をまじまじと見つめます。

 

 「アイツはいつになったら真面目に報告書書くんだ? 今回も大坂鎮守府の査察報告書の件で俺と大淀で説教する羽目になったぞ。まぁそれはさておき、秘書艦のお前に頼みたいことがあってな。南洲の健康管理だ。かつてのあの状態から復帰しただけでも大したモンだが、今も作戦に参加するたび満身創痍で帰ってくる。今回は多少マシだったが代わりに毒なんぞ盛られやがって…。しかもだ、南洲のヤツ何度言っても健康診断に来やがらない!」

 

 やれば出来るのに書類が嫌いな南洲の報告書が適当なのはいつもの事です。でも二人がかりでのお説教とは相当適当だったのかな。まぁそれは自業自得ですね。でも、その後の話は…いけないです、はい。私が南洲の健康管理をきちんとしなきゃ。少将は私の方を向き直り、心から心配そうな表情で言います。

 

 「春雨、以後の予定はいったん白紙にして、南洲には精密検査を受けさせる。お前からも言っといてくれ。ヤツがゴネたら、モーニングスターのチェーンで縛り上げるなり、食い物(くいもん)に痺れ薬でも眠り薬でも混ぜるなりして、医局まで引っ張ってこい。ん? そうだ医局だ。いや、技本じゃない、あんな連中に任せられるか」

 

 

 宇佐美少将の部屋を後にして、お部屋に戻ります。寄り道でもしたのか、私より帰りが遅かった南洲は、執務室に籠って報告書を今日中に仕上げなきゃ、とぶつぶつ言ってました。制服から私服に着替え、多分徹夜仕事だ、ごめんな、と言い残し慌ただしく部屋を出て行きます。残された私は、ソファに座りながらクッションを抱きしめ、こてんと横になります。

 

 健康診断のこと、言えなかったな。でも昔から頑丈な人でしたよね―――これをきっかけに私は、南洲と初めて会った頃の事を振り返り始めました。

 

 

 

 ハルマヘラ島ウェダ―――。かつてここに、渾作戦遂行のため設けられた前進基地がありました。ハルマヘラ島はメナドとラジャアンパット諸島の中間で、山がちで全島を熱帯雨林に覆われている島です。島の中南部にある小さな街ウェダの少し南に作られたこの前線基地はハルマヘラ海に面し、ニューギニア島ダンピール海峡まで一直線です。

 

 渾作戦は、ニューギニア方面、特にビアク島周辺で深海棲艦と戦う味方を支援するための作戦で、竹一輸送をはじめとする輸送作戦が悉く失敗に終わったことを受け発動された強行輸送作戦です。輸送作戦が成功したらニューギニア西部からインドネシア東部にかけての海域支配を確立する二段構えの作戦でした。私は、この作戦の発動に歩調を合わせ、パラオ泊地からこの新設されたハルマヘラ島の前線基地に転属を命じられました。

 

 造り立ての小さな港の突堤には、私の到着を待っている人影がありました。第二種軍装を着こなした、綺麗な敬礼の姿勢を取る大柄の男性です。

 

 「君が白露型駆逐艦五番艦春雨か。ようこそ『南方鎮守府』へ。君が一番乗りで、他の艦娘達は明日から到着し始めると聞いている。これからよろしく頼むぞ。申し遅れた、自分は初代司令官、槇原南洲大佐だ。これから力を合わせて暁の水平線に勝利を刻んでゆこうっ!」

 

 私は背負っていたドラム缶を降ろすと、緊張しながらも敬礼の姿勢を取り、同じように自己紹介を済ませました。それが済むと、槇原大佐は私に手を差しだしてきました。私もおずおずと手を出し、握手をします。それにしても南方鎮守府? 私はウェダ基地と聞いていたのですが? 槇原大佐は、少しバツが悪そうな表情で教えてくれました。

 

 「いや、そうなんだよ。ここウェダ基地はさ、渾作戦遂行のための前線基地で、しかもまだ建設が終わってないんだ。でもな春雨、俺はこの作戦を成功させ、ここを鎮守府みたいにでっかい基地にしたいんだ。バカみたいだろ、でも結構本気なんだ。やっぱり自分の家はおっきい方がいいよな? これからどんどんいろんな艦娘が着任してくる。みんなで力を合わせて頑張っていこうっ!」

 

 熱帯雨林を突貫工事で切り開いて造成中という司令部施設。そこへ向かう道も、これまたやっつけ仕事っぽくでこぼこ。躓きそうな私に槇原大佐は手を差しだします。司令部につくまでの間、真っ赤な顔をしながら私はその手を離さず、むしろぎゅっと握っていました。

 

 南方特有の真上から降り注ぐ強い日差しは、道の左右に広がる熱帯の植物の緑を強く輝かせます。私は空いてる方の手で日差しを遮りながら、少し前を歩く槇原大佐をこっそり見上げます。今日からこの『南方鎮守府』でこの人と一緒に頑張るんだ、そう思うと自然と笑みがこぼれてきました。



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40. それは、忘れられない一日

 着任初日、完成間近の南方鎮守府で南洲のアウトドアライフに付き合う春雨。


 でこぼこ道を手を繋いだまましばらく歩くと、目の前にウェダ基地、あ、いいえ、南方鎮守府の司令部施設が見えてきました。突貫工事、って聞きましたが、ホントにそうなんですね。思わず苦笑いを浮かべてしまいました。伐採した樹木を最低限度の加工で利用したログハウス風の平屋の建物、屋根は板張りの上に椰子の葉で葺いてる…ト、トロピカルですね、はい…。施設を囲むように立てられた壁も、丸太を半分に割ったものを地面に突き立てています。でも、これでは敵の砲撃や爆撃に到底耐えられないように思えます…。さすがに不安が押し寄せてきました。ですが司令官の槇原大佐は気にする様子もなく、明るく言ってのけます。

 

 「明日予定通りに作業応援の妖精さんが来れば、取りあえず仕事ができる状態にまで仕上がるかな。支給されたコンクリートや鉄筋の量なんてたかが知れてたし、港の造営と重要施設の地下埋設化に使ったよ。万が一の時はむしろ避難を最優先に、いいね? 上物(うわもの)はどうせ丸太を組んだだけの建物、吹っ飛ばされたらまた建てればいいのさ。材料はほら、周りに無尽蔵にあるしね」

 

 周囲に広がる広大な熱帯雨林を私に紹介するようにして、槇原大佐は笑っています。話を聞いてぽかーんとしてしまいました。施設内を案内するから、と槇原大佐は言い、歩き出します。もうでこぼこ道じゃないから…さっきみたいに手を差しだしてもらえなかったことを寂しく思う自分に戸惑いながら、小走りに槇原大佐の後を付いてゆきます。私と槇原大佐の身長差は結構あります。後で聞いたら185cmだそうで、当然私と歩く速さが全然違います。歩幅と歩く速さの違いに気付いた槇原大佐は、ごめんね、とゆっくり歩いてくれます。

 

 見渡せば施設はぜーんぶログハウス、キャンプ場みたいです。

 「これが俺の執務室兼私室、あっちの建物が食堂、君たち艦娘の宿舎は向こうだ。そっちは倉庫で、渾作戦のため輸送物資の一時集積所も兼ねている。入渠施設を含めた工廠、海水淡水化設備は地下にある。万が一敵襲を受けた際に備え、島の反対側まで地下緊急避難路を貫通させる予定だ。まぁそんなの使わずに済むよう頑張っていこうな」

 

 -くぅ~

 慌ててお腹を押さえます。歩き回ってお腹が空いちゃいました。不覚です。

 「…聞こえました、よね?」

 「もうそんな時間か、なかなか正確な腹時計だな」

 「もぉ~っ!!」

 

 

 

 そして私たちは港にいます。突堤でのんびりと釣り糸を垂らす槇原大佐の背中を眺めながら、私は持参した飯盒(はんごう)でご飯を炊いてます。バケツを覗いてみるとすでに何匹かの魚が入っています。見るからに手製っぽい簡単な釣竿ですが結構いい腕の釣り人さんなんでしょうか。槇原大佐は私を振り返ると、にやっと笑いながら種明かしをしてくれます。

 

 「この辺の魚は人スレしていないんだよ。だからちょっと糸を垂らすとガンガンかかってくるんだ。春雨もやってみるか?」

 

 ちょこんと横に座り、竿の持ち方や餌の付け方を教えてもらい、釣り糸を垂らします。青く澄んだ海、色とりどりの大小のお魚さん達が踊り、海の底に広がる岩場まで見透せます。するとほとんどすぐにくんくんっと竿の先が動き始めました。

 

 「春雨っ、アタリが来てるぞ。合せなきゃっ」

 「えっ、えっ!? えいっ!」

 思いっきり竿を振り上げるようにして引っこ抜くと、反動で私もひっくり返りそうになり、槇原大佐が慌てて支えてくれました。見上げた青い空、視線の先には大きめの魚が放物線を描いて飛んでゆきました。二人で顔を見合わせて笑い合った後、飯盒を確認するとちょうどよくご飯が炊けたみたいです。蒸らしている間に、槇原大佐がナイフを取り出すと器用にお魚を捌いてゆきます。

 

 「これだけ新鮮な魚が手に入るから、やっぱりこれを作らなきゃな」

 そう言いながら近くに置いてある籠から味噌とお酒とショウガ、あとは何でしょう、現地産の葉野菜を取り出して、俎板がわりの板の上でとんとんとんとんナイフで叩いています。

 「さぁできた。本当はネギとシソがあるといいんだけど、仕方ない。南国風なめろう、ということで勘弁してくれ」

 なめろう…ですか、初めて聞くお料理です。不思議そうな表情で見ている私を余所に、槇原大佐はてきぱきと準備を進めます。海水で洗ったおっきなバナナの葉っぱによそった炊き立てご飯、その上にどっさりとなめろう、これまたそこらで手に入れた枝を加工して作ったお箸が並べられます。この人、サバイバビリティ高いですね。

 

 「「いただきまーす」」

 ん! おいしいですっ!! 新鮮なお魚とお味噌の味がよく合いますっ。私の箸が進むのを満足そうに見ていた槇原大佐も食べ始めます。

 「これはさ、俺の地元の魚料理なんだ。ん、俺の地元? 千葉の外房、太平洋に面した小さな漁師町だよ。ここみたいに白砂で透き通った青い海と空、って訳じゃなく、黒砂の浜に太平洋の荒い波、同じ海でも全然違うよ」

 

 それにしても槇原大佐は故郷を離れてずいぶん遠くまで来たんですね。ご家族は心配されていないのでしょうか?

 「オヤジは漁師でいつも海に出てて、母親は俺が随分小さい時に病気で死んだらしく、顔も覚えていないよ。出来のいいアニキと比べられて荒れてたんだよな、俺はいつもケンカばかりしててさ、性根を叩き直せってオヤジに海軍に入れられたんだよ。そうこうしてるうちに、漁に出ていたオヤジは深海棲艦に襲われ行方不明。その後アニキはどこか安全な海外へ行く、ってそれっきりだ」

 

 聞いちゃいけないことを、聞いてしまいました…。私はきっと申し訳なさそうな顔をしていたのでしょう、槇原大佐は私の横に来ると急に肩を抱き自分の方へと引き寄せますっ。きゃあっ、顔っ、近いっ!!

 

 「まぁ気にすんなそんな事、昔の話だ。それよりも、この『南方鎮守府』に来るやつはみんな俺の家族だ。だから春雨、お前は家族第一号だ、いいな?」

 

 

 

 南方鎮守府で過ごす初めての夜。満天の星空の下、焚火を挟んで槇原大佐と二人、晩御飯を済ませました。開いて陰干ししておいたお魚を焼いて食べました…美味しかったですっ。でも、お野菜が足りなくなりそうなのは注意した方がよさそうですね。明日には食堂が使えるみたいなので、次は私がご飯を用意します、そう言ったら槇原大佐は、すごく嬉しそうな表情を見せてくれました。

 

 「誰かが自分のために何かしてくれるのって、いいもんだな」

 それは私も同じですよ、槇原大佐。大がかりなキャンプ生活みたいな南方鎮守府での初日、驚くことばかりでしたけど、なんだかとても楽しいです。

 

 でも…困った問題が起きました。

 

 

 ちゃんとしたお風呂場がありませんっ!

 

 もちろんまったくケガをしてないので入渠施設は使えず、いえ、それ以前にまだお湯の配管などが工事中らしく…。今あるのはドラム缶のお風呂が一つあるだけで、シャワーはもちろん脱衣所さえないんです…。

 

 「あー、そうか…。悪ぃ、まったく何も考えてなかった。そうだよな、女の子だもんな、俺みたいに簡単じゃないよな…。明日資材と一緒に建築担当の妖精さんも来るはずだから優先してやってもらうけど、取りあえず今はこれで我慢してくれないか」

 

 え、えええぇぇぇーーーっ!!

 

 槇原大佐が困ったような申し訳なさそうな表情で私の方を見ています。いえ、その…ドラム缶のお風呂自体はいいんですよ、別に? で、でもですね、薪の火加減を調整したりするのは一人じゃできないです。それに脱衣所もないんですよ? そして今この鎮守府にいるのは私と槇原大佐だけ。今までどうしてたんですかと聞くと『熱かったら我慢、ぬるかったら我慢。熱すぎたら冷めるまで待つ』との答え。

 

 これだから男の人は…。

 

 

 

 「お願いですから、こっちを見ないでくださいねっ」

 「分かってるって」

 

 ドラム缶のお風呂から少し離れた所、焚火のそばでこちらに背を向けて体育座りをしている槇原大佐。それにしても…はぁー、気持ちいいですねー、湯加減サイコーです。ドラム缶の側面が熱くならないのは意外でした。背中をドラム缶に預け、夜空を見上げると満天の星空です。パラオの夜空も素敵でしたが、手つかずの自然が残るハルマヘラ島の空はもっと澄んでいます。

 

 ぱしゃぱしゃとお湯を揺らし、んーっと小さな声を漏らしながら目を閉じ、両手を上げて伸びをします。次に目を開けた瞬間、森の奥から野生の豚さんが走ってきたのが見えました。

 

 「きゃぁぁっ!!」

 思わず大きな声で叫ぶと豚さんは逃げてゆきましたが、槇原大佐が何事だ、とこちらを振り返り固まっています。慌てて顔をそむけながら、両手を繰り返し上から下に動かし、まるで早くしゃがめ、と言いたいような動きです。私は、豚さんにびっくりして立ち上がりかけ、上半身をそのまま槇原大佐に見せちゃっていることに気付きました。慌ててお風呂の中に戻ります。

 

 「…見えちゃいました、よね?」

 「一瞬、ほんの一瞬っ。でも、駆逐艦にしては結構立派な…」

 「もぉーっ!! わ、忘れてくださいっ!」

 もし今私の手に鈍器、例えばモーニングスターとかがあれば、槇原大佐の記憶を物理的に消すことも可能なんですが。

 

 

 明日から新しい艦娘のみんなが着任し始める予定です、こんなのんびりした時間はきっと今日だけ。でも、槇原大佐のことを色々知ることができました。いい思い出になる…かな?



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41. 求めたもの、ひとつ

 ウェダ基地に配属される艦娘達の到着が始まる。わずかな二人だけの時間に、同じ何かを求めてここにいることを分かりあう南洲と春雨。


 「お、おはようございますっ」

 「おお、おはよう。よく眠れたか?」

 

 ちょうど朝ご飯の用意ができたところでした。そんなタイミングで食堂に現れた槇原大佐、物凄く嗅覚が優れている方なんでしょうか? 昨日お風呂入ったし、私、臭くないよね? サイドポニーにした自分の長い髪を手に取りくんくん匂いを嗅いでしまいました。そんな私を不思議そうな目で眺めている槇原大佐ですが、貯蔵庫を確認しているようです。私も見ましたけど、保存のきく根菜類とか乾物が多かったです。

 

 「ご飯を用意してくれるって言ってたから様子を見に…いや、それはそうと、まずギマラス組が到着するそうだ。続いてブルネイ組。あとはトラック組がパラオ経由でやや遅れて、夕方ごろになるのかな。セレター組は天候不良のためリンガ泊地に帰港中。後は…佐世保からはるばる向かってくるのもいる」

 

 顎を支え思い出すようにしながら槇原大佐は説明してくれました。話通りならあと一時間半ほどでギマラスの人達が到着します。えーっと、じゃぁ急いで朝ご飯食べちゃわないと…あ、でもギマラスのみんなが着いてから全員で食べた方がいいのかな?

 

 「すごく美味しそうだし、冷める前に食べちゃおう。俺と二人で嫌じゃなければ、だが」

 何を言ってるんでしょう、槇原大佐は? 昨日だって二人きりでご飯食べてたじゃないですか。私は返事の代わりにご飯とお味噌汁、卵焼きと焼き魚、茹でたお芋をテーブルに並べます。ごめんなさい、こんな簡単な献立で…。

 

 「ん、味噌汁いいなぁ、好みの味だよ」

 貯蔵庫にあった干した海藻を戻したのが具の、質素なお味噌汁ですが、槇原大佐はうんうん、と嬉しそうに頷きながら、味噌汁を啜っています。そんな風に言われると私も嬉しくなっちゃいます。やっぱり派遣じゃなくて()()にして正解だったかな? こんな小さなことで気分よくなっちゃう私も私だけど、嬉しいものは嬉しいのです、はい。それに、いろいろお話しながら食べるお食事は楽しいです。けれど、気が付けばご飯を食べながらおしゃべりしながら一時間近く経っていました。楽しい時間は早く過ぎるってほんとですね。私も槇原大佐も慌てて席を立ちます。

 

 「あっ、そこに置いておいていいですから」

 槇原大佐は自分の食器を重ねて流しへ持っていこうとします。そんなの私がやるのに。これくらいはしないと、と言いながらすたすた歩いて行ってしまいました。そしてそのままお皿を洗おうとしているので、私も慌てて自分の食器を持って流しへすっ飛んで行きます。

 「ああ、そこに置いておいてくれ」

 私がやりますから、いやもう俺やってるし、などと流しであれこれ言い合ってるうちに、槇原大佐の手を握ってしまいました。

 

 「「あ………」」

 

 蛇口からちょろちょろ流れる水音だけが台所に響きます。しばらく見つめ合っちゃいました。私、何をやってるのでしょう。手を離し槇原大佐から距離を取ります。あぁもう、ダメだ。顔をぺしぺし叩きますが、やけに頬が熱いです。ちらっと槇原大佐の方を見ると、表情を変えずにお皿を洗い続けてます。むう…なんかつまらないです。よし終了、と言いながら槇原大佐は手を振って水気を払いタオルで手を拭くと、制帽を目深に被ります。

 

 「春雨、港でギマラス組を待つとするか。だが…なんだ、着替えなくていいのか? まぁ、似合ってるからいいんだが、暑くないのか?」

 私は、もちろんご飯の支度をするので、いつもの制服ではなく、頭にホワイトブリムをつけ、フリルで飾られた白いエプロンを付けた、いわゆるメイド服を着ています。暑くないか、の指摘にスカートの裾を持ち上げ、左右に軽く振ってみます。言われてみれば…あとで時間のある時に、夏国仕様に仕立て直しましょう。でも…似合っている、なんて言われると顔がにやにやしちゃいます、はい。

 

 

 

 今日もいいお天気です。太陽を遮るもののない港の突堤、日の光を避け少し離れた椰子の木陰に二人で座っています。真っ白な二種軍装が汚れないよう、私は持参した敷物を敷いてます。

 

 ぼんやり海を眺めながら、槇原大佐が私に問いかけます。

 「なぁ、聞いてもいいか? 知ってると思うけど、この基地は渾作戦のための前進基地で、着任するほとんどの艦娘は派遣、つまり指揮権が俺に一時的に委譲されただけだ。作戦が終わったら皆元の所属地に戻ってゆくだろう。けど、お前は最初から転属を希望してくれた…どうしてだ? 何かパラオで嫌なことでもあったのか?」

 

 うーん、と組んだ両手を前に伸ばしながら、私は自分の思いを口にします。

 「…パラオ泊地はとてもいい所でしたよ。司令官もしっかりした方で、先輩の艦娘の皆さんも練度が高く、東南アジア一帯を守る東方への壁です。私の着任は最近で、まだまだ練度が低くいつもお留守番か、よくて遠征です。だから、私はパラオにいてもいなくてもよかったというか…あ、いえ、もちろんそんなことを言われた事はありませんよ、はい」

 

 槇原大佐が苦い顔で私の方を振り返ったので、慌てて手を顔の前でふり、自分の言葉を打ち消します。

 

 「でも、私がそう思っていたのは確かで…。そんな時にこのウェダ基地…南方鎮守府の話を聞きました。ここでなら自分の居場所というかやりがいというか、自分にしかできない何か見つかるかなーって思って転属を志願しました…。だから、槇原大佐…いいえ、司令官と一緒に頑張りたい…です、はい! 輸送や護衛任務ならお任せ下さい…です」

 

 そうか、と一言つぶやくと司令官は立ち上がります。椰子の葉から漏れる光が白い制服の背中に陰影を作り迷彩柄のようです。

 

 「俺はさ、仲間だったり家族だったり、そういうのにこだわっている所がある。けど、現実はシビアというかドライというか、ほとんどの艦娘がいわば期限付きレンタルだ。作戦遂行のために置かれた前進基地に何を夢見てんだか、ってのは自分でも理解している。でもな、もしかしたらここには自分にしかできない何かがあって、自分のことを必要としてくれる誰かに会えるかも、なんて思ってな。だから、お前が転属を希望してくれたって聞いて、そして真っ先に駆け付けてくれて、ホントに嬉しかったんだ」

 

 笑っているような泣き出しそうな、不思議な表情を司令官は浮かべ、私に語りかけます。こんなに自分の内面、しかも繊細な部分をさらけ出してしまうのは、指揮官としてはどうなんだろう、と思います。でも、私を私として見てくれている事は、伝わってきました。この人は私と同じなのかも知れない…です。

 

 籠から自家製ライムジュースの瓶を取り出します。氷をぎゅうぎゅうに入れたのにもう溶け始まり、瓶の表面は汗をかいています。傍に行く理由を作りたかっただけですが、携帯用のアルミカップに注ぎ、司令官に渡します。今朝の食堂と同じように、また手が触れました。でも、今度は二人ともそのままにして、お互いから目を離さずにいます。

 

 

 「いっちばーん! …と思ったら…なーんだ、もう先に来てる子がいたのかぁ」

 

 何が何でも一番を主張する聞き覚えのある声が、携帯用の通信機から飛び込んできます。そのうち白露姉さんを先頭に、時雨姉さん、妹の五月雨がそれぞれ大発をけん引しながらこちらへ向かってくるのが視界に入ってきました。ギマラス泊地から派遣されてきた白露型のみんなです。

 

 「白露型駆逐艦一番艦白露、同二番艦時雨、同六番艦五月雨、渾作戦実施のためギマラス泊地より派遣され、補給物資および建築用資材と合わせ、予定通り到着いたしました。これより槇原大佐の指揮下に入ります」

 

 三人を代表して白露姉さんが綺麗な敬礼の姿勢で着任の挨拶をします。私と司令官も答礼をしますが、何でしょう、白露姉さんはにやにや、時雨姉さんはやれやれ、五月雨はてれてれ、といった表情でこちらを見ています。その様子に司令官も気が付いたのでしょう、その表情の理由を質問しますが、三人とも顔を見合わせてなかなか答えようとしません。そのうち時雨姉さんが肩をすくめながら口を開き始めました。

 

 「本当はもう少し見物、ああいや、様子を見てから連絡、って思ったんだけど、各種資材もあるから、早く入港した方がいいかな、と思って敢えて野暮なことをしたんだけど、春雨、許してくれるかい?」

 

 許すも許さないもありませんが…はい? いったい時雨姉さんは何を言ってるのでしょう? 司令官と私は思わず顔を見合わせてしまいました。それが白露姉さんを刺激するとも知らずに。

 

 「ああーもう、またイチャイチャしてるー。もう、提督と春雨はさー、私たちの出迎えに来てくれたの? それとも二人のイチャつきっぷりを見せつけにきたの? あーもう熱い熱い、ヒューヒューだよっ!」

 

 姉さん本当は年いくつですか、と突っ込みたい気持ちを抑え、やっと気が付きました。さっきから私と提督は手をつないだままでしたっ!! さすがに慌てて手を離しますが、もう時すでに遅し…です。

 

 「も、もう、私と司令官は()()そんな関係じゃありませんっ!! 」

 と言い訳する私ですが、自分でも分かるくらい頬が熱いです。説得力はないかも…です。

 「なるほど…。()()春雨の片思いの様だが、大丈夫、さっきの様子を見てると脈はあるんじゃないかな」

 冷静なツッコミを入れる時雨姉さんと、根掘り葉掘り聞きだそうとする白露姉さん。向こうでは五月雨が司令官に深々とお辞儀をしながら『春雨お姉ちゃんを末永くよろしくお願いします』と挨拶しています。や、やめてーっ!!

 

 ぐったり疲れてしまいましたが、みんなを司令部施設に案内すると、午後にはブルネイから軽巡の鬼怒さんと駆逐艦の敷波ちゃん、夕方近くになり重巡の青葉さん、駆逐艦の風雲ちゃんと朝雲ちゃんが到着し、あっという間にウェダ基地は賑やかになりました。おそらく明日から、本格的に作戦が始まるはず…です。

 



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42. 作戦、発動直前

 揃い始めた艦娘達。穏やかで、そして賑やかな日々は過ぎ、作戦開始に向けた準備が着々とはじまる。

 この物語での『渾作戦』は史実と艦これを踏まえたアレンジとなりますので予めご承知おきください。


 重巡一、軽巡一、駆逐艦は私を含め七―――これがウェダ基地、いいえ、『南方鎮守府』の現在の戦力です。もう少しすれば戦艦一、重巡二がさらに加わり、連合艦隊が編成できる数の艦娘が司令官の指揮下に入ります。秘書艦として誇らしいです、はいっ! 交代要員がいないことと、航空戦力を担う空母がいないことは心配ですが、無い袖は振れないので、今は考えないようにします。

 

 そう、私、春雨はこの南方鎮守府の秘書艦ということになりました。なっちゃったん…です。

 

 お話は昨日の夜まで遡ります。昨日は簡単な歓迎会が行われ、司令官と私でいろいろお料理を用意してみんなに振舞いました。その際、司令官が作れるお料理がなめろうとそのアレンジ系、あとは卵焼きや焼き魚など、手がかからないものに限られているのも分かりました。村雨姉さんによれば、昔から『男性のハートを掴むには胃袋から』と言うそうです、心の中でガッツポーズをしながら、私は料理を続けました。家事関係、特にお料理はちょっとだけ自信があるので………はっ、私、一体何を考えているのでしょう?

 

 ぱしゃぱしゃっ。

 

 急に眼の前で光が明滅します。なんでしょう、このシノヤーマ鬼神みたいに取り憑かれたようにシャッターを切り続ける人は。…言うまでもなく青葉さんです。

 

 「いい感じのツーショットですねー。あぁっ、どこに行くんですかぁ、春雨さん」

 思わず司令官の背中に隠れてひょこっと顔だけ出します。話には聞いていましたが、本体がカメラの艦娘という噂は本当かも知れません。司令官も困ったような声で青葉さんを嗜めています。

 「相手の承諾も得ずに写真を撮るなよ…。もう少しで準備できるから、大人しく座って待っててくれ」

 おどけるようにしてぺろっと舌を出しながら、青葉さんは一緒に着任したみんなのもとに向かいます。

 

 すぐに色々なお料理が出来上がり、テーブルに並べられます。みなさんと一緒に到着した補給物資にはお野菜やお肉も多く、作り甲斐がありました。施設設営の監督のため先に着任していた司令官が『暇だったから作ってみた』というニッパワイン(自家製のお酒)もあり、鬼怒さんと青葉さん以外はお酒を飲まないので全員ジュースですが、みんなで乾杯します。二人きりだった昨日とは打って変って賑やかな食卓に話も弾み、やがて話題が秘書艦のことへと移りました。

 

 「秘書艦(そういう役)か…考えてることはあるけど、まだ…」

 グラスを傾けながら司令官が呟きます。どうやら司令官も少し酔っているようで、動作が緩慢になっています。同じピッチで飲んでいた青葉さんはゆらゆら揺れ始め、鬼怒さんはいわゆるオニオコのポーズでがおーがおーと誰もいない所を威嚇しています。何が見えてるのでしょう?

 

 拠点の業務全てを司令官一人で処理するのは大変です。事務作業、作戦立案、装備開発や編成の補佐、身の回りのお世話のため、秘書艦が必要です、はい。経験値、情報処理能力、戦闘力、抗甚性などなどを冷静に考えると、青葉さんか、まだ到着していませんが羽黒さん、駆逐艦なら時雨姉さん、の誰かだろうと思います。ちなみに移動中の超弩級戦艦の扶桑さん、彼女も私と同じく派遣ではなく転属する方ですが、『秘書艦にならないこと』が転属の条件らしいので除外です。でも、なぜでしょう?

 

 「あー…司令官、申し訳ありませんが青葉は秘書艦にはちょっと…」

 ゆらゆら揺れながら青葉さんは立ちあがると、ポケットから一通の手紙を取り出し司令官に渡しています。それを読んだ司令官の顔が一瞬だけ曇りましたが、何事もなかったように分かった、と告げています。後で分かった事ですが、派遣元のトラックの司令官から『拠点の中枢業務に就けない事、後方警戒等安全な業務を割り当て必ず無事にトラックに帰す事』等の条件が付けられていたようです。青葉さんも申し訳なさそうな表情で、揺れながら敬礼をすると回れ右をして自分の席に戻ろうとしました。ですが、酔いのため足元が覚束ないようで、司令官の膝の上に尻餅をつくように座るとはっ!

 

 「ちょおっと酔っちゃいました…。ど、ども、恐縮です、司令官」

 謝りながらふらふらしたまま青葉さんは席に戻ってゆきました。すると、どこか思わせぶりな表情で私の方を見ながら時雨姉さんが司令官の方へと近寄ると、尻餅どころか横座りに膝に乗り、首に腕を回していますっ!! 司令官も何でされるがままなんですかっ!!

 

 「どうかな…まさか駆逐艦が秘書艦になれない、なんて言わないよね? 白露型の胸部装甲は結構いい感じなんだけどな。それに、身の回りのお世話、特に料理には自信が…」

 

 がたんっ!!

 

 イスを倒しながら立ち上がった私にみんなの注目が集まります。顔が真っ赤になっているのが自分でも分かります。

 

 「あ、あの…わた、春雨がひしょきゃ…」

 ここで噛むか自分。語尾が急速に小さくなり俯いてしまいました。それを見ていた時雨姉さんが司令官に話しかけます。

 「どうかな、本人もああ言ってる事だし、春雨を秘書艦にしたら?」

 

 え?

 

 俯いた顔を上げると、時雨姉さんは既に司令官の膝から降りていて、にやっとしながら私に話かけてきます。

 「春雨、一言でも僕は『自分が秘書艦に』って言ったかな? 料理が上手な妹をアピールしてただけさ。ん、膝に乗った理由? 司令官(この人)がどんな反応をするか試したかったし、くるくる表情を変える春雨が面白くてつい、ね」

 

 「詳しい話は明日にしたらどうかな? 三人ともほら、こんな有様だし」

 時雨姉さんの言葉で見渡せば、司令官は椅子に座ったまま、青葉さんはテーブルに突っ伏して、鬼怒さんは壁に凭れるようにして眠っていました。

 

 

 

 翌日、作戦会議の議題は、『渾作戦』の作戦目標の説明でした。司令官の執務室に集まった九名の艦娘に、リンガ泊地で天候の回復を待っている羽黒さんと妙高さんが電話会議で加わり、作戦目標の共有から話が始まります。

 

「羽黒と妙高はまだだが、諸君、よく集まってくれた。ここウェダ基地は新たに設けられた前進基地であり最前線だ。我々の作戦目標は、まずハルマヘラ島東部を南進する輸送艦隊と合流し、これを伴いながらニューギニア方面、ビアク島に展開する味方部隊に輸送物資を届け支援することだ。作戦は『渾作戦』と号する」

 

 ニューギニア方面の戦況は芳しくありません。私たち艦娘の必死の戦いで、ニューギニア東部からソロモン海、珊瑚海にかけての方面はいったん解放され、各地に拠点が設けられました。それもつかの間、再び勢力を盛り返した深海棲艦の攻勢が続き、ニューギニア東部は再び敵の手に落ちました。ポート・モレスビーには陸上型深海棲艦の港湾水鬼や飛行場姫が進出、間断ない激しい空爆により中部太平洋側の拠点と南太平洋側の拠点は分断され、ショートランド・ラバウル・ブインは無力化されました。その間にラエ、マダン、ウェワクなどの要衝が次々と陥とされ、敵の西進は止まりません。

 

 そして今、深海棲艦と私たちはニューギニア西部の要衝ビアク島を巡り激戦を繰り広げています。チェンドラワシ湾に蓋をするように横たわるビアク島は平地が多く飛行場の建設に向いています。そこに目を付けた大本営は大勢の兵隊さんを送り込み航空隊用の基地を整備しました。そして同じ目的でビアク島に目をつけた深海棲艦との間で激しい戦いが続いています。ここが敵の手に落ちると、今まで安全圏だったパラオや東部インドネシアが敵の空襲圏内に入ります。必死にビアク島を守ってる航空隊と兵隊さんを何とか助けなきゃっ。このままだと守備隊は補給さえ受けられず磨り潰されちゃいます…。

 

 「はぁーい!はいはーいっ! いっちばんにしつもーんっ!」

 座学で教官に質問するように、白露姉さんが手を大きく伸ばしています。半袖の制服から伸ばした腕、腋まで見えそうですよ、姉さん…。

 

 「この作戦がビアク島の応援なら、パラオから一直線に南下する方が早くない? なんでこんな辺鄙な島に前進基地を作ったのー?」

 

 もっともな質問と言えます、はい。うんうん、と私は頷きながら白露姉さんに答えるため、司令官に目線で許可を求めます。静かに小さく頷いたのを確認してから口を開きます。

 「現状この近辺の制空権制海権は私たちのものです。けれど目的地のビアク周辺では押され気味、さらにその東方は完全に敵の勢力圏です。パラオからビアクまでは一直線に突入できる分秘匿行動が取れず、途中で奇襲や空襲を受けても退避する場所が無いのです…はい」

 

 おぉ~という表情で白露姉さんと五月雨が感心したように私の方を見ています。ちょっと、照れますね。もちろん司令官からの受け売りです。司令官は満足そうに頷きながら私の言葉に続けるようにさらに詳しい話をしてくれます。

 「その点ウェダ(ここ)なら物資を東南アジア各地から安全に集積できる。作戦行動に入った後も、ガベ島やワイゲオ島を陰に進軍し、マノクワリまでの間はドベライ半島沿いに進むから万が一の際も退避可能な場所に事欠かない、という目算だ。この作戦を成功させた暁には、パラオが東南アジア北部を東方から守る壁を担っているのと同様に、この拠点も東南アジア南部を守る大きな拠点になる、俺はそう思っている」

 

 その後もいろいろ議論は続きましたが、大本営の強い()()もあり、扶桑さん羽黒さん妙高さんの合流を待たず、作戦は輸送艦隊と合流し次第決行されることとなりました。




ちなみにニッパワイン (地域によりランバノフ、アラックとも言う) は、ヤシの樹液を集め発酵させ砂糖を加えた東南アジアのお酒です。約10日間の発酵後、簡単に蒸留します。アルコール度数は25度程度。


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43. 閉ざした心

 渾作戦はすでに始まり、情勢は悪化の一途を辿る。そんな中ついに着任した最後の艦娘・扶桑。


 「扶桑型超弩級戦艦、姉の扶桑です。到着が遅くなりまして申し訳ございません」

 長い黒髪と真っ白な肌が印象的な扶桑さんは、深々とお辞儀をしています。佐世保鎮守府から遠路はるばる単艦で航海を続けてきた彼女は、早朝の水平線に姿を現しました。

 

 司令官は急きょ今日の出撃を中止、作戦を再検討し明日再度出撃するとの判断をしました。現地の航空隊と兵隊さん達は頑強に抵抗を続けていますが、ビアク島の情勢は悪化の一途を辿っています。そんな彼らを支援すべく、合流した輸送船団を護衛しながらビアク島を目指しました。ですが迎撃態勢を整えていた深海棲艦隊-重巡一、軽巡三、駆逐艦一四からなる部隊の待ち伏せを受け、さらにホーランジアまで進出してきた飛行場姫による空襲で、足の遅い輸送船団を伴っての作戦遂行が難しくなり、何も得る事なく引き上げました。

 

 それを受けて、大本営の判断で高速の駆逐艦だけによる輸送が指示されました。司令官は激怒し、すぐさま大本営の作戦本部に通信を開き、作戦参謀に激しく抗議していました。見ているこちらがハラハラするくらいの怒りようです。

 

 「ホーランジアに飛行場姫が展開してんだよ、知らないのか? そんな中を直掩機もなく駆逐艦たちを突入させろっていうのか? 何が『天佑を確信しろ』だ、俺にはテメエがバカだってことしか確信できないね、辻柾参謀。とにかく空母を俺たちに配備するか、ホーランジアの飛行場姫を排除しろ。こっちのことはこっちで考えて作戦を進める。余計な口出してる暇があるなら補給を滞らせるなっ」

 

 受話器さんが気の毒になるような叩き付け方で司令官は電話を終えました。そんな時に齎された扶桑さんの到着の知らせに、南方鎮守府は沸き立ちました。これで予定通りの全ての戦力が整ったことになります、はいっ!!

 

 元々は超弩級戦艦として誕生した扶桑さんですが、第一次改装を終えた今、最大35.6cm連装砲六基の砲戦能力から最大四〇機もの水上偵察爆撃機による航空攻撃まで、武装の組み合わせでその特性を大きく変える航空戦艦として多用途性を獲得しています。私たちのような部隊にとって、彼女の存在は作戦の性格を変えるほど重要なのです。

 

 

 

 「……………………」

 

 説明が長くなっちゃいました。それにしても扶桑さんはいつまでそうしているのでしょう? ずーっとお辞儀をしたまま頭を上げようとしません。こちらから見ると、艦橋のような立体的な髪飾りが目に付きます。ひょっとして、こちらから何か言うまでそうしているのでしょうか? 私はちょっと困ったように司令官に視線を送ると、司令官も同じことを考えていたようでした。

 

 「あー…扶桑、遠路はるばるよく来てくれた。こちらこそ着任を歓迎する」

 司令官がそう言葉を掛けると、やっと扶桑さんは顔をあげました。不思議さを隠せない色が赤い瞳に浮かんでいます。どこか儚げで、壊れてしまいそうな雰囲気を漂わせている、何というか、大人っぽい感じです。

 

 「あの…着任が遅れた罰は………?」

 

 今度はこちらが不思議そうな表情になる番でした。白い顔をさらに青ざめさせ強張った表情の扶桑さんに対し、司令官は『そんな事を気にしてたのか』と言わんばかりに、軽く右手を振りながら気軽そうに答えます。

 「そんなのはない。折々貰っていた連絡で状況は掴めていたしね。だいたい満足な整備もせずに出航させるなんて佐世保は何を考えてるんだか…。まず入渠、その後補給を済ませてくれ。じゃぁ扶桑を案内…そうそう、秘書艦の紹介がまだだったな、春雨だ」

 私も深々とお辞儀をします。顔を上げた私の目に入ったのは、どこか冷めたというか、醒めた表情の扶桑さんでした。

 

 「そう、ですか…。ではお言葉に甘えさせていただきます…ありがとうございます。それにしても、メイド服の駆逐艦が秘書艦…今度は()()()()()()がお好きな『上』ですか」

 言葉の後半はひとり言のような小さな呟きでした。私は再び深々とお辞儀をしている扶桑さんが顔を上げるのを待って、彼女の方へと歩き出しました。ドアを開け退出しようとする私たちを司令官が呼び止めます。

 

 「ああ扶桑、誤解がないように言っておくけど、秘書艦の役割は俺の業務補佐だ。()()()()()()を想像したか見当はつくが、うちの秘書艦にあまり無礼なことを言わないでほしい。以上だ、招集をかけるまでゆっくりしてくれ」

 

 司令官の言葉に一瞬揺らぎながらも、扶桑さんの表情は冷めたままでした。でも、扶桑さんも司令官も、いったい何が言いたかったのでしょう? そういうこととかどういうこととか、私にはよく分かりません。思わず首を傾げてしまいました。

 

 

 

 各種施設を扶桑さんに案内しながら色々な事を話し合いました。話し合ったというか、扶桑さんの質問に私が言わなくてもいいことまで喋っちゃったというか…。そんな私を、優しそうに、それでいて悲しそうな視線で見つめながら扶桑さんはぽつりとこぼします。

 

 「そう…、あなたの司令官はそういう人なのね。よかったわね、優しそうな人と両想いになれて。…あら、違うのかしら?」

 真っ赤になりながら慌てて顔の前で手をぶんぶん振る私を見て、扶桑さんは首を傾げます。ちょっとした仕草一つとっても、本当に綺麗な人です。私の方は何も違わないんです、はい…でも、ちょっと優しくされたり二人だけの思い出があるからってこの有様ではあまりにもチョロすぎるというか。そもそも、というか、私がそうでも司令官はどう思っているのか分かりません…です。いえ、それよりも。

 

 「違いますよ、扶桑さん」

 ここだけははっきりしておかないと。歩みを止め、真剣な表情で扶桑さんを見てはっきりとした口調で告げます。

 「『わたしの』司令官ではないです。『私たちの』司令官です」

 

 司令官がどんな思いでこの地にいるのか、どんな気持ちで私の事を『家族』って呼んだのか、少なくともそれだけは分かっているつもりです。扶桑さんも派遣ではなくこの地に転属になった以上、司令官との間に壁を作るような言い方は、止めてほしい…のです。私の表情から何かを感じてくれたのでしょうか。扶桑さんは何も言わず、ただ静かに微笑んでいました。

 

 「えっと、ここが入渠施設です。今の時間は誰もいないと思います、何かあれば室内のインターフォンで知らせてください」

 赤字に白抜きで『女湯』と書かれた暖簾を潜ると更衣室があり、その奥には岩風呂が広がります。ちなみに右隣には青字に白抜きで同じように『女湯』と書かれた暖簾があり、こちらは普通のお風呂です。時間帯によっては『男湯』、つまり司令官専用となるので要注意です。

 

 「ありがとう、春雨さん。ここままでいいので…。でも本当に入渠させてもらえるなんて…」

 聞き流すには妙な事を扶桑さんが言い、声を掛けようとした私は思わず息を飲んでしまいました。肩が露出した白い着物をすでに脱ぎかけている扶桑さんの胸元の迫力は…。私も決して小さいとは思いませんが、これは次元が違うというか…。こほん、とにかく超弩級の名に恥じません、はい。

 

 ですがそれ以上に目を引くのは、その白い豊かな胸元に幾筋も残る蚯蚓腫れのようなアザや傷跡です。私の視線に気が付いた扶桑さんは、なぜか薄く笑いながらこちらを向いて胸元の傷を指さします。あの、いくら女同士だからといっても、これは何と言うか、目のやり場に困ってしまいます。

 

 「秘書艦に求めることは、司令官や提督によって様々です。佐世保提督(あの人)は私に艦娘としての誇りを持たせず、女としての尊厳まで奪おうとしました。どうしても拒み続ける私が鬱陶しくなったのでしょう、佐世保での最後の出撃の後、そのままここに転属するよう命じられました」

 

 着任が遅れたのは損傷が癒えないままのギリギリの航海だったから―――。私は固まってしまいました。赤いミニスカ―トや下着までも脱いだ扶桑さんは、背中越しに言葉を残しながら、そのまま浴室へと向かって行きます。私はその背中を見送ることしかできませんでした。

 

 

 「あなたが幸せな秘書艦でよかったわ、春雨さん。でも、ここを()()()()場所と言い切る自信は、今の私にはありません…」

 

 

 入渠施設を後にして、思わず駆け出した私の頭の中は混乱していました。以前いたパラオは明確に軍事施設で、効率的に戦い戦果を挙げる事、そのために全てが整備されていました。そしてここ南方鎮守府で私は司令官に『家族』と呼ばれ、私もここを自分の家のように感じています。

 

 でも扶桑さんがいた場所は―――。

 

 とにかく司令官に会いたい、その思いしかなく、気づけば執務室のドアの前に立っていました。

 

 「どうした、春雨?この世の終わりみたいな顔をしているぞ?」

 どこかに出かけていたのか、司令官が廊下から現れました。その姿を見た瞬間に、私は堪えきれず泣き出してしまいました。

 

 「…なるほどな、そういうことだったのか」

 私は扶桑さんとの会話の全てを司令官に伝えました。そうしなければ、自分の大切な物が否定されてしまうように思えて…。泣き腫らした目のまま、私は司令官を見つめます。何か言ってください、お願いですから―――。

 

 席を立った司令官は私の方へ近づいてくると、そのまま私を抱きしめ、耳元で一言だけ言いました。

 

 「大丈夫だ、春雨」

 

 ありきたりな言葉、でも信じている人の口から出るとこれほど心にしみる言葉もありません。私はそっと司令官を抱きしめ返しました。その後は取り止めもない話をしばらくして、私は司令官の執務室を後にしました。あれだけ乱れていた気持ちが嘘のようです。執務室のドアに凭れて、自分が何をして、何をされたのかを思いだし、頭から湯気が出るほど真っ赤な顔で、ふらふらと自室に戻りました。

 

 

 

 翌朝―――。

 

 「やあおはよう。今日は僕がピンチヒッターで秘書艦をするよ。春雨は昨日の夜から顔が真っ赤で、熱っぽいんだ。作戦の前だし、大事を取って今日はお休みにさせたいけど、いいよね」

 「へぇ…艦娘でも風邪ひくのか? 分かった。今日一日よろしく頼むぞ、時雨」

 



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44. 途切れた記憶

 第4章前半最後のお話です。悪化する情勢の中で強行される渾作戦は、ついに成算の低い駆逐艦による強行輸送作戦へと局面を移す。


 春雨()の秘書艦としての日課は、体を動かして汗をかいた司令官に、ふかふかのタオルとよく冷えたライムジュースを届けることから始まります。ほら、今日もいつも通り―――。

 

 南方特有の、朝でもまとわりつくように濃密な空気を鋭い刃風が切り裂きます。もう何度目にしたでしょう、司令官の朝の日課。司令官の修めている剣術の(かた)だそうです。私には剣術の良し悪しはよく分かりませんが、まるで燕が空を舞う様に、澱みなく滑らかに朝の光を煌めかせながら刀を振り続ける司令官の姿は美しいと思います。

 

 でも今日の姿は、いつもと違います。なんかこう、荒々しいというか、剣を振ることで不安を斬り払おうとしているようにも見えます。

 

 それは、今日の夜からついに始まる、強行突入輸送作戦に纏わり付く影なのかなーーーー。

 

 

 

 渾作戦は最早その様相を変えてしまいました。ビアク島沖に遊弋する深海棲艦の艦隊が睨みを利かせ、私たちと現地は完全に分断されています。

 

 司令官にバカと言われた参謀さんは、よほど腹に据えかねたらしく、その後も執拗に強行輸送作戦の実行を迫ってきました。秘書艦として司令官と参謀のやり取りを見てきた私には、大本営、いいえ、その参謀さんの圧力が日を追うごとに高まって行ったのを知っています。ある日、司令官は諦めたような表情で作戦の実行を受諾しました。それでも突入の可否判断は現地に一任する、という線だけは死守したようです。電話を静かに置くと、私の方を振り向き、自嘲気味に言いました。

 

 「済まないな、春雨。駆逐艦による高速強行輸送、これ以上拒否するなら抗命罪で俺の首を飛ばして()()()()()()()後任を送り込むんだそうだ。こんな無理筋の作戦にお前やみんなを巻き込むことは本意ではないが、やるしかない。大本営の、いや辻柾参謀(あのバカ)の息のかかったヤツにこの基地を任せるくらいなら、俺の手で絶対にこの作戦を成功させる」

 

 司令官は立ち上がると私の左肩に手を掛けます。そうすることが自然であるかのように、私は司令官の手を自分の肩と頬で挟みすりすりと温もりを確かめます。ここに来て、結構な時間が経ちました。今でははっきり自覚しています、私は司令官の事が好きです。こんな気持ちになったのは初めてで、自分でもどうすればいいのか分かりません。思い切って時雨姉さんに相談したら、その…何と言うか、大人すぎるアドバイスをもらい、そのまま熱が出てしまったこともあります。でも司令官が望むなら私…。

 

 肩に載せられた司令官の手に力が入り、その僅かな動きを利用するように前に、つまり司令官の方へと体を預けようした瞬間、ドアがノックされました。口から心臓が飛び出そうになるというのはこういうことを言うのでしょう、そのまま勢いに任せてドアまで突進し、思い切り開くと、そこには扶桑さんが立っていました。

 

 「あの…もしかしてお邪魔でしたでしょうか?」

 申し訳なさそうな表情で私と司令官を交互に見る扶桑さんですが、雰囲気がいつもと違いますね。お着物は同じですが、長い黒髪を頭の高い位置で一本に縛る、ポニーテールみたいな感じの髪型です。ショートとかポニーは、顔の形がはっきり出るので美人さんじゃないと本当は似合わないんですが…扶桑さんはいつにも増して綺麗です。静かにほほ笑むと、私の頭をぽんぽんとして執務室の中へ進み、扶桑さんは司令官の前まで行き敬礼を取りながら報告をします。

 

 「南国の空はどうしてこんなにも青いのでしょう…。こんな日の私は……計画通り瑞雲の哨戒攻撃訓練の時間になりましたので、司令官をお呼びに参りました」

 

 そしてぱぁっと花が咲くような笑顔を司令官に見せます。わざわざタメを作ってからの訓練実施の連絡。むう…やりますね、扶桑さん。着任の日の固い青ざめた表情が嘘のようです。かつての戦場、西村艦隊で一緒に戦った時雨姉さんの存在は扶桑さんにとって大きかったようです。もう一人は青葉さん。持ち前の明るさで扶桑さんの心を巧みにほぐしてゆきました。そしてもちろん司令官。特別扱いや腫れ物扱いではなく、ごく自然に扶桑さんに接し、そうしているうちに、司令官がどのようにここを運営していて、私たち艦娘にどういう風に接しているのか、それが伝わったようで、笑顔や今日みたいな冗談が増えてきています。

 

 それだけではありません。多くのみんなが、派遣期間が終了した後もこの基地に残りたい、そう言ってくれるようになりました。羽黒さんと妙高さんはすでに派遣元の司令官さんの許可を既に取りやる気満々、時雨姉さん達や鬼怒さん達も同様です。ただ、トラックの青葉さん達だけはどうしてもダメみたいです。その分青葉さんは以前にもまして写真をたくさん撮るようになりました。この楽しい時間をずっと忘れたくないから、そう言いながらいつもカメラを片手にうろうろ被写体を物色しています。

 

 -だからこそ、今回の強行輸送作戦は成功させなきゃっ!! みんなのために、何より司令官のためにっ!

 

 両手で小さくガッツポーズをしたところを、青葉さんに撮影されちゃいました。ホントにもう、この人は…。

 

 

 

 

 一七〇〇(ヒトナナマルマル)、羽黒さんを旗艦に、以下扶桑さん、妙高さん、青葉さん、風雲ちゃんに朝雲ちゃんから成る戦闘哨戒部隊の抜錨を見送りました。低速艦の扶桑さんに合わせた18ノットの艦隊速度での航行、ワイゲオ島の東端を過ぎる夜明け頃から扶桑さんが二〇機の瑞雲による入念な哨戒で敵情を探りながら先行するそうです。

 

 そして、鬼怒さんを旗艦とし、敷波ちゃん、白露姉さん、時雨姉さん、五月雨、私から成る強行輸送隊は大発を曳航しながらの航海となります。〇一〇〇(マルヒトマルマル)の抜錨に備え、既に出航準備を終え港に待機しています。九時間の時差がある出航で、二つの部隊は一〇三〇(ヒトマルサンマル)頃ワルマンディ沖で合流することになります。そこから瑞雲隊の護衛を受けながら最大船速でビアク島に突入し、輸送物資を引き渡したらウェダに一目散に帰ります。ビアク島の航空隊が敵を何とか抑えてくれれば、損害は局限できるはずです、はい。

 

 司令官は出撃前で旗艦の鬼怒さんと打ち合わせを続けています。私たち駆逐艦六人も同じですが、身が入りません。ついつい少し離れた所にいる司令官と鬼怒さんに視線が向いてしまいます。

 

 ぱんっ。

 

 目の前で軽い音がしました。誰かが私の目の前で手を叩いたのです。時雨姉さんと白露姉さんがにやにやしながら、五月雨と敷波ちゃんがうんうん頷きながら、私の方を見ています。

 「春雨、話聞いてたかな?」

 「もうさぁ、そんなに気になるなら行けば?」

 

 瞬間的に顔が赤くなったのが分かりました。それでも…いいえ、私たちは今から戦場に行きます。迷っている暇があるなら…。私はたっと駆け出しました。

 

 

 「し、司令官っ」

 鬼怒さんとの話が終わった司令官は、少し驚いたような表情で私を見ています。司令官は朴念仁ではありません、細かな所まで気の付く優しい方です。きっと私の気持ちにも気づいている…はず。それでも自分の言葉で、伝えたいことはあります。けれど…結局私は自分の気持ちを口に出来ませんでした。いいえ、させてもらえませんでした。一瞬ですが抱きしめられ、司令官は私の耳元で一言だけ囁きました。今はもう十分…です、はい。

 

 

 「作戦が終わったら大事な話がある。必ず帰ってこい」

 

 

 月と星だけが煌々と照らす深夜の海面に、三〇ノットで一路ビアク島を目指す私たち。航跡に群がる夜光虫が淡い光の帯を描きます。

 

 

 一一〇〇(ヒトヒトマルマル)、西部ニューギニアの要衝マノクワリ西方約140kmワルマンディ沖。この海域で先行している戦闘哨戒部隊の羽黒さんたちと合流しました。合流地点(ランデブーポイント)で再会を喜びあったのもつかの間、私たちの緊張は一気に高まりました。大本営の情報、さらにそれを裏付ける扶桑さんの偵察結果で、ビアク島の守備隊は粘り強く戦っているものの、空襲は激化し強行突入などできる状態ではなかったのです。加えて敵艦隊が北方から猛烈な艦砲射撃を加えており、私たちは輸送作戦を成功させるために空と海の双方に陣取る敵を排除する必要に迫られています。

 

 「マノクワリまで進出し、時間を調整して夜間突入するべきです、はい」

 羽黒さんと鬼怒さんはワイゲオ島西方まで一時後退を主張し、司令官もそれに同意していましたが、私だけは突入を強硬に主張しました。普段はあまりこういう自己主張をしない私の見幕にみんな驚いています。情勢は…はい、分かっています。でも、この作戦を成功させないと、司令官が更迭されてしまう-――そう考えると、私には撤退の選択はできませんでした。紆余曲折の末、作戦自体を放棄する訳にいかず、マノクワリまで進出し、以後は敵情を詳細に把握して対応する、ということで議論は決着しました。

 

 

 そして私たちは、私たちを含め誰もが現地の情勢を甘く見ていた事を思い知らされることになりました。

 

 

 

 「みんな、大発を切り離してっ! 対空戦闘開始、指揮は僕が取るよっ」

 

 ワルマンディ沖を出発して約1時間、そろそろマノクワリ沖に差しかかろうと言う所で、私たちは高高度からの水平爆撃を受けました。その知らせに後方を進む戦闘哨戒部隊も慌ただしく増速し始めたようです。おそらくホーランジアを拠点とする飛行場姫が発進させたものと思われますが、かなりの数が見えます。直掩の瑞雲は一〇機、扶桑さんが搭載数の約半数を回してくれました。フロート付(ゲタバキ)とは思えない運動性能で一気に上空の敵を目指して上昇してゆきます。

 

 時雨姉さんの指揮のもと大発を切り離した私たちは輪形陣へと移行し、次々と対空射撃を行います。空の至る所に黒煙で出来た花が咲きますが、なかなか撃墜にはいたりません。全員の目が上空に釘付けになったのを見計らうように、今度は()()()()()()()()()()()()()()()()()深海解放陸爆が低空から突入してきました。ビアク島の航空隊は潰滅し、すでに飛行場は敵の手に落ちているなんて、この時は誰も知りませんでした。

 

 激しい機銃掃射で、時雨姉さんが、五月雨が、敷浪ちゃんが傷ついてゆきます。

 

 「や、やめてーっ!!」

 

 白露姉さんを狙う機との間に割り込み体を張って機銃掃射を受け止めます。私のせいだ。私が無理に突入を主張したから。こんな所で誰一人沈んでほしくないのですっ!!

 

 一機の急速接近してきた深海解放陸爆が爆弾倉のハッチを開き、そのまま投弾を始め私たちの頭上を飛び越え逃走してゆきます。はっと気が付き視線を戻すと、猛烈な勢いで四発の爆弾が水面を跳ねるようにしてこちらに向かってきます。回避っ!! 間に合ってっ!!

 

 

 

 「「きゃぁぁぁぁぁぁ―――――っ」」

 

 

 

 がばっと、ソファから起き上がります。はぁはぁと荒い息をしながら肩を大きく上下させます。びっしょりと冷や汗をかいています。まったく、なんて夢なんでしょう…。見渡せば既に部屋を沈みかけの夕陽が照らす時間です。どうやら私は昔の事を思い返しながらそのままソファで眠ってしまったようです。

 

 ぺしぺしと顔を叩き、意識をしゃっきりさせようとしますが、まだ心臓がばくばく言ってます。南洲はまだ戻っていないようです、むぅ…。私はソファから立ち上がりシャワーを浴びに浴室へと向かいます。汗でべったりとお洋服が背中に貼りついて気持ち悪いです。嫌な汗を流してすっきりしたら、お夜食を作って南洲に届けることにします。作るとしたら、やっぱり麻婆春雨(特製のアレ)しかないです、はい。

 



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45. 記録に残らない戦闘詳報

 第四章後段、本編再開です。

 報告書を書き直しながら寝落ちした南洲の見る夢、それは彼が大切にしていた日々の終わりであり、今に続く道の始まり。話の後半は視点が代わり、扶桑を中心に第一艦隊の救援に動いた第二艦隊の動きを追います。

※展開的にここから先は重くシリアスな感じなので、そういうのが苦手な方はブラウザバック推奨です


 こんこん。

 

 ノックしても返事がありません。

 

 こんこんこん。

 

 やっぱり返事がないです。いないのでしょうか…? 春雨()はいったんお盆を床に置き、ドアノブに手を掛けます。あれ、開きますね。ということは…椅子の背もたれにがっつり凭れかけて、南洲は眠っています。まったく、やればできる人なのにすっかり書類が嫌いになっちゃったんですね、はぁ…。お尻でドアを押さえながらお盆と一緒に執務室に入ります。テーブルにお盆を置くと南洲のデスクに向かい、ゆさゆさと南洲を揺すり起こします。

 

 「おぉ、春雨(ハル)か…」

 ぼんやりとした表情で南洲がこちらを見ながらゆらりと立ち上る、というか私に凭れかかってきます。もう…おうちじゃないんですよ。これでも艦娘ですから、南洲一人くらい楽々支えてソファベッドまで移動します。とりあえず座らせると、南洲は目を擦りながら、そのままソファベッドに凭れ再び寝息を立てはじめました。これはすぐに起きなさそうですね。仕方ないので南洲に寄り添うと、体の温かさと規則正しい心音で私もなんだが眠くなってきちゃいました。

 

 

 南洲はどんな夢を見てるのでしょう…?

 

 

 

 刻々と入る連絡に俺は居ても立ってもいられず、ウェダの港で一昼夜をまんじりともせず過ごした。春雨が直撃弾、時雨、五月雨、敷波は機銃掃射で小破から中破、曳航していた大発五隻とほぼ全機の瑞雲を喪失。あげくに敵の駆逐艦部隊に四時間にわたり追跡を受け、何とかこれを撃退しての撤退戦だ。

 

 聞けば聞くほどはらわたが煮えくり返る。とにかく聞かされていた情報が軒並みおかしい。敵艦隊は重巡一、軽巡三、駆逐艦は五以上。だがな、表現上正しくても、駆逐艦の数が五以上と一四じゃ意味がまるで違うんだよ。そしてホーランジアの敵航空戦力はほぼ二倍、何より、俺達を航空援護してくれるはずのビアク島航空隊はとっくに潰滅、飛行場も敵に奪取されていたとはな。

 

 これだけの状況が先に分かっていれば、同じ危ない橋を渡るにしても、もっとやり様はあった。参謀ってのは味方を危機に陥れるために作戦立ててんのかね。あの辻柾とかいう参謀め…まあいい、今はあんな奴の事を考えてる暇じゃない。やっと水平線にみんなの姿を見ることができた。少しずつ港に近づいてくる姿をじれったく思いながら、着岸する端から手を貸し突堤に引き上げる。

 「とにかく()()()()で帰ってきてくれてよかった。入渠優先度選別(トリアージ)は済んでいるな? ドックの空きの関係もある、中破以上は遠慮なく高速修復剤を使えっ。」

 

 俺は傷ついた艦娘達に指示を出す。とにかく体と心を休めてほしい。失った物資など問題じゃない、そんなものは取り返せる。どうした、なぜ泣いている? たかが一回くらいの負け、どうってことないだろ。なあ、春雨…ってどこだ?

 

 「…提督……通信を聞いてなかったのかい?」

 至る所制服が破れ、露出した白い肌に血を滲ませながら、よろめきつつ時雨が近づいてくる。ああ、聞いていたさ、春雨が直撃弾を喰らったんだろ? 急いで入渠させてやらなきゃ。俺はきょろきょろと春雨の姿を目で探し続ける。

 

 「提督っ、こっちを見てよ!!」

 時雨の鋭い声に逸らしていた視線を彼女の顔に向ける。白い頬は砲煙で煤け、瞳には涙を湛えている。その後ろでは五月雨や白露が堪えきれないように大声を上げ泣いている。羽黒も妙高の胸に縋る様に肩を震わせている。鬼怒は悄然と項垂れ、青葉は空を見上げながら震えていて、風雲と朝雲が取りすがっている。時雨は決然とした顔で俺を見据え口を開く。何だよ、お前ら、まるで…。

 

 「春雨は…敵の反跳攻撃(スキップボミング)をまともに受けて…そのままマノクワリ沖で…」

 

 思わず俺は時雨の胸倉を掴みあげた。喉が締まる苦痛に時雨の表情が歪む。

 「俺は春雨に『必ず帰ってこい』って言ったんだっ! あいつは約束を破るような奴じゃないっ!!」

 

 不意に白い手が俺の拳に重なる。

 

 「提督、時雨ちゃんもケガをしてるのですよ。お願いですから…」

 その言葉の先を見ると、扶桑がいた。赤い瞳からは止まることなく涙が流れ続けている。その言葉に我に返った俺の目に、堪えきれずぐすぐすと泣き出した時雨の姿が映った。誰も言いたくないことを、敢えて俺に伝える役を買って出たのだろう。力なく時雨から手を離すと、重ねて入渠の指示を行い、俺はふらふらと歩き出した。自分でもどこに向かっているのかよく分からないが。

 

 

 

 「凄まじい腕前ですね、提督。ですが…木々が可哀そうです」

 背後から掛けられた声に振り向きもせず冷たい声で応える。

 「…何の用だ、扶桑」

 

 執務棟、と言っても簡素な平屋建のログハウスだが、その裏手にある俺専用の場所。剣の稽古をする場所が欲しかっただけだが、春雨と一緒に整地した小さな裏庭。さらにその奥の、鬱蒼と樹々が茂ってい()中に、俺は抜身の刀を携えてゆらりと立っている。刀の届く範囲にある若木や枝は全て斬り払った。それ以外に感情のぶつけ先が見つけられなかった。形も何もあったもんじゃない、ただ力任せに自分の声とは思えない叫び声を上げ、手当たり次第に刀をぶつけた。体勢を崩し何度転んだだろう。

 

 「…羽黒さんと鬼怒さんが報告を、と…。それに大本営の辻柾参謀からも何度も連絡が…」

 躊躇いがちに口を開く扶桑に近づき、まじまじとその顔を見る。一見無表情で冷静にも見えるが、むき出しの肩は小さく震え、拳をきゅっと握りしめている。

 「私は…罰を受けに来ました。マノクワリ沖で対空戦闘をしている強行突入部隊を援護できませんでした。体が…動かなかったんです…。久しぶりの実戦で、『資源の無駄遣い』『欠陥戦艦』と罵られ続けた事を思い出し…」

 

 着任した時と同じ強張った表情の扶桑は、それ以上言葉を続けられず、嗚咽を繰り返す。なぜこの女はこんなにも内罰的なのだろう。春雨の件で扶桑なりに心を痛め思いつめているのだけは分かる。だが俺には扶桑を罰する理由などない。目の前で泣きじゃくる扶桑をどこか他人事のように眺めながら、俺は闇雲に駆けた裏庭、春雨が手入れしていた小さな花壇を蹴散らしていたことに気付いた。

 

 「春雨(アイツ)はさ、そこに花を植えてたんだ。執務室にも潤いが欲しいとか言い出してさ。ある日花束を抱えて執務室に来た時は何事かと思ったけど…。でも、俺が踏み荒らしたんだな」

 

 俺はそれ以上何も言わず、扶桑を残したまま執務室へと戻ってゆく。そこで俺を待っていた羽黒と鬼怒の戦闘報告により、事態の全容を把握することができた。

 

 

 

 「第一艦隊、対空戦闘をしつつ後退し第二艦隊と合流っ! 全員速やかに撤退しろっ!」

 

 今までに聞いたこともない、提督の厳しい声です。マノクワリ沖で空襲を受けている第一艦隊旗艦の鬼怒さんから緊急電が入り、一気に事態が緊迫しはじめます。司令官から即座に撤退の指示が入り、第二艦隊もまた騒然とし、扶桑()は思わず着物の袖をきゅっと握りしめます。第一艦隊の直掩につけた瑞雲隊からの連絡は既に途絶しています。今手元にあるのは第二艦隊(こちら)の直掩を担当している一〇機ですが、すぐさま第一艦隊の援護に差し向けます。

 

 羽黒さんが先陣を切って第一艦隊へと向かい疾走を始めると、妙高さんがそれに続きます。ちらりと振り返ると、しばらく逡巡していた青葉さんが、覚悟を決めたような表情で屈伸を始め、それに従う様に風雲さんに朝雲も準備運動をしています。トラック勢は現地司令の保全命令が優先されていたのでは?

 「進行方向にいる敵勢力と()()()()出会ったら、排除しないと流石に危ないですからね~」

 気軽そうに言いながら、主機の回転を上げ羽黒さんを追いかけはじめました。

 

 「扶桑さん、敵艦隊も動き出しているようです。最大砲戦距離に入ったら全門斉射お願いしますっ!!」

 

 皆それぞれの決意と覚悟で、空襲に見舞われている第一艦隊を救援すべく向かっています。みるみる小さくなる背中を見送りながら、私は…それでも動けませんでした。

 

 -また大破だと? 超弩級なのは修理費と消費資源だけか、まったく…。

 -時代は変わったんだよ。お前のような欠陥戦艦が生き残れる戦争じゃないんだ。

 

 かつて佐世保に提督の言われ続けた言葉が私の手足を縛ります。私だってこの国の古称を背負う超弩級戦艦です、例え速度が遅かったり防御に不安があっても、全力で戦いたかった。ですが繰り返し言われ続ける否定の言葉に、いつしか私の心は自分自身を受け入れることができなくなっていました。それでも、卑劣で破廉恥な要求だけは拒み続けました。その結果、無理な作戦に駆り出され、損傷もそのままに単艦で放り出されるように転属を命じられ、ここに辿りついたのね。

 

 『だいたい満足な整備もせずに出航させるなんて佐世保は何を考えてるんだか…。まず入渠、その後補給を済ませてくれ』

 

 当たり前のようにそう指示を出した、一人の男性の薄い笑顔が唐突に脳裏に浮かびます。そう、槇原大佐が今の私の提督。屈託のない笑顔と折々の軽口に、私もつられて笑うことが増えてきました。それに自分で気づいた時、それ以上に色々な事に気付きました。すでに私は提督の一挙手一投足を目で追う様になっていること、そしてその視界の中にはいつも春雨さんも一緒にいること、そして…私はいつもそれを見ているだけのことにも。なぜ私じゃないの―――?

 

 通信にはひっきりなしに羽黒さんや妙高さんから連絡が入りますが、耳には入っても頭には入ってきません。ですが、最後に耳に飛び込んできた言葉で、私は我に返りました。

 

 「扶桑、春雨たちを守ってくれ。全員が無事に戻ってくるのにはお前の力が必要だ…頼む」

 

 私は…何を呆けていたのでしょう。『お前の力が必要だ』-艦娘としての私がずっと待ち焦がれていたその言葉に、体中の血が湧きたつような感覚に襲われます。壊れてもいい、主機を全開以上に上げ、マノクワリ沖に向かい突撃を始めます。

 

 

 たどり着いた先に待っていたものは、第一艦隊の()()でした。私が…動けなかった、から…いえ、動かなかった…?



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46. 月下美人

 月下美人の花言葉、それは『はかない恋』。


 後にビアク島沖海戦と呼ばれた第二次渾作戦、そしてその後断続的に生起した夜戦や防空戦で、皮肉にも俺は評価を上げる結果となった。強行輸送は果たせなかったものの、当初想定を遥かに上回る優勢な敵を相手に、()()()()()()()のみで撤退戦を成功させた有能な提督だそうだ。そもそも認識が間違っている。俺は一人も喪失していない、MIA(戦闘中行方不明)が一人出ただけだ。必ず帰ってくる…言いながら自嘲してしまう。分かっているくせに…ただ認めたくないだけだ。春雨は、かつてと同じマノクワリ沖に還っていった、と。

 

 

 

 

―――呼ぶ声が遠くに聞こえる。けれど、どうして悲しそうなの?

 

 

 

 

 俺は最初の指示から第二次渾作戦の終了に至るまで、参謀本部からの指示命令、それに対する俺の反論、増援要請、敵部隊動向、戦闘詳報等、精緻な報告書を辻柾とのやりとりを記録した音声ファイルと一緒に提出した。それを見れば誰がどう判断しても現地情勢を無視して参謀本部が無謀な作戦を現場に強要したことが明白になる。だがこれで終わりじゃないぞ。

 

 辻柾を始めとして参謀本部の連中はよほど肝を冷やしたのだろう、掌を返したように俺の作戦指揮や艦娘達の奮闘を称え出し、ニューギニア西部こそ決戦海域であると狂ったように強調し始めた。そのために俺があれだけ何度要請しても黙殺されていた航空戦力の増派があっという間に決定し、他にも戦力が増強されることになった。

 

戦艦: 扶桑

正規空母: 蒼龍、飛龍

重巡: 妙高、羽黒、青葉

軽巡: 神通、能代、鬼怒

駆逐艦: 島風、朝雲、満潮、野分、山雲、白露、時雨、五月雨、白露、敷波、風雲

 

 眉唾物だが、状況次第では大和や武蔵の投入まで検討しているとか言ってたな。むしろその情報、"大物"をエサに深海棲艦隊を釣り上げようってことか。渾作戦を開始した頃に比べると、現在のウェダ基地には充実した戦力の配備が完了した。さあここで第二弾だ、俺は大本営艦隊本部に軍事法廷の開廷を上申した。結局一番悪いのは俺だ、それは誰がどう言おうと変わらない。俺が無謀な作戦を拒めずに春雨を失うことになった。だが、第二第三の春雨を生まないためにも、参謀(バカ)どもにも多くの責任があることを明らかにしてやる。

 

 そんな動きはさておき、戦況は今、ビアク島を新たな拠点とする深海勢に対し、マノクワリ沖からワルマンディ沖の海域を第一防衛線として敵の西進を食い止めるため日夜激戦を続けている。それにしても蒼龍と飛龍の二航戦コンビは強力で、あれだけ苦しめられていた敵航空戦力を見事に封じ込めた。これだけの戦力があの時あれば、春雨は…。

 

 

 

 

 

―――また今日も何かが水底に落ちてきます。あいたっ、白くて丸くて大きな口のついた…飛行機? がこつんと頭にあたりました。…何だったかな、これ…。覚えているような気もするけど、思い出せナイ。

 

 

 

 

 「ごめんなさい、起こしてしまいましたか?」

 何かが顔に触れる感触で目を覚ます。隣に寝ていたはずの女が上体を起こしぼんやり俺を見ている。長い黒髪が俺の顔にかかったのか。朝日に白い裸身を輝かせる扶桑は、俺が眠りから覚めたのに気付くと、起きるのを許さないかのように俺に覆いかぶさり唇を塞いでくる。

 

 俺と扶桑は、いつしか体を重ね合う間柄になっていた。古参の艦娘は受け入れつつも眉を顰め、特に時雨は口もきいてくれなくなったな。新たに着任した艦娘達はあたかも最初から扶桑が秘書艦であるように認識している。

 

 扶桑もまた自分を責め続けていた。彼女はあの夜俺の私室を訪れ、あふれる涙を拭おうともせず、振り絞るように自分の感情を吐露した。

 

 

 『あの時、私は動けなかったのか、それとも動けるのに動かなかったのか、今でも分かりません。ただ春雨さんが眩しくて羨ましかった…。提督…お願いです、私を轟沈するまで酷使してください。私には何も返せるものがありません、せめてあなたの矛として、春雨さんを奪った深海棲艦を一人でも多く道連れにして果てさせてください…』

 

 

 涙を指で拭い静かな微笑みを浮かべながら、自らを死地に送れと懇願するこの女を、俺は放っておけなかった。ドアを背に立ちこちらを見つめる扶桑に向かって俺は歩き出す。ほとんど密着するような距離、身長差があるから扶桑は俺を見上げるように顎を少し上げる。その細い顎をクイッと支え、壁に空いた方の手を付く。

 

 「俺達は軍人だ、死ぬ理由なんて山ほどある。むしろ生きる理由を見つけろ。どうしても見つかんねーなら、俺のために生きろ。お前が死ぬときは―――」

 それ以上の言葉を続けられなかった。扶桑の白く細い腕が俺の首に絡みつき、そのまま唇を重ね合った。

 

 

 俺達にしか分からないものは確かにあった。人は傷のなめ合いと言うかも知れない、だがそうして俺達は心の奥底に蓋をして何かを忘れながら、寄り添うことでしか前に進めなかった。

 

 

 

 

―――最近、呼ぶ声が微カニシか聞こエナイ。ドうしたノカナ…?

 

 

 

 

 参謀(バカ)どもが机の上で都合のいい青写真を描いている間にも状況は動く。奪取したビアク島を拠点に加えた深海棲艦勢は、頑強に抵抗を続ける俺達を尻目にパラオ泊地への圧力を強めてきた。ビアク島からパラオまでは一直線、ここを失陥すればマリアナまで遮るものが無い。放っておいても俺達は無力化できる。大小さまざまな拠点が縦深配置される東南アジア南部に侵攻せずとも封殺しておけば事足りる、そういうことだろう。深海側にも目端の利く奴がいるようだな、いっそ海軍の参謀どもと交代してくれないかな。

 

 だがこの局面は、ウェダ基地に別な問題を齎すこととなった。敵の主力をニューギニア西部海域へと誘引した上で、パラオ艦隊と挟撃し、さらに各地に展開する航空戦力を集中して大勝利を狙った、いわば第三次渾作戦。だが敵は西方に対しては徹底した航空攻撃でその活動を封殺し、戦力をパラオに向ける構えを見せている。

 

 つまり、戦力を集中したものの東方へ投入できなくなったのだ。しかもその基地の提督はよりによって参謀本部を被告人として軍事法廷の開廷を求めている問題児。この状況に不安と焦りと覚えるのは、一体誰なのか―――?

 

 

 

 

―――最近、海が静カ…。そういえば、私、イツカラ、ううん、どうしてコンナ所ニイルンダろう…? もしかして大切ナコト、忘れテル…?

 

 

 

 

 「扶桑?」

 シャワーを浴びた後、バスタオルで髪の毛をわしゃわしゃしながら寝室に戻ると、さっきまで嬌声を上げ続けていた女の姿はベッドになく、乱れたシーツの上に一枚の紙が残されていた。

 

 『裏庭でお客様とお話しています。すぐに戻りますので』

 

 取りあえず着替えて執務室へと向い、自家製ニッパワインをロックで用意する。デスクの後ろにある窓から裏庭を見渡してみる。月明かりに浮かぶ白い影は扶桑か。そしてお客様とやらが一人、襟元と袖口が白い黒のミニセーラー…時雨か。からん、とグラスの中の氷が音を立てる。

 

 

 「もうちょっと前を閉めた方がいいんじゃないかな」

 「あら、艦娘同士で恥ずかしがることはないでしょう?」

 かろうじて制服を着ているものの、緩く閉じられた上着の袷から扶桑の胸元はほとんど見えている。苦笑いの時雨は、三つ編みにしたお下げの髪をいじりながら少し気まずそうに訪問の目的を切り出す。

 

 「…君と提督のことは、ずっと受け入れられずにいたけど…もういいのかな、って思って。今までごめんね、扶桑。提督の事、春雨の分までよろしく頼むね」

 

 時雨だけは頑なに『提督の秘書艦は春雨』と言い続け、扶桑と南洲とはほとんど口をきかなくなっていた。そんな彼女にも思う所があったのだろうかーうっすらとした笑みを浮かべながら小さく頷くだけで、時雨の言葉に扶桑は直接答えようとはしなかった。時雨は何となく所在無げにうろうろすると、目に留まった小さな花壇の前にちょこんとしゃがみ込む。

 

 「この花壇、直したんだね。でも、花は植え替えたのかな?」

 以前春雨がいたころはピンクのチューリップが植えられていたが、今目の前にあるこの花は…? 時雨の知識の中にない花だった。扶桑は夜天に輝く満月を見上げながら、自分に言い聞かせるように呟く。

 

 「その花は月下美人っていうのよ。ねぇ時雨……月が綺麗ね」

 

 

 

 

―――思い出しタ。私には、大切ナ人ト大事ナ約束ガアッたのニ。ナノニ…誰ガ邪魔ヲシタノ? 許サナイ、ノデス。まぁいイデス、帰らナキャ…帰ラナキャ…帰ラナキャ。

 

 

 

 

 「新型っ!? 提督に緊急電っ!! マノクワリ沖に新型と思わる深海棲艦出現、艦種は…サイズからして駆逐艦かしら?」

 夜間哨戒に出ていた鬼怒を旗艦とする五月雨、白露、敷波、風雲から成る部隊は、突如現れた新型の深海棲艦に遭遇することとなり、慎重に相手を包囲しその輪を縮めてゆく。青白い肌、同じように青白い長い髪を左側で片括りにしたサイドテールは毛先だけが薄いピンク色をし、頭には角の生えた大きめの黒い帽子、そしてノースリーブのセーラー服。手には鎖で繋がれた白い深海艦戦。その深海棲艦は、包囲網が狭まるのを気にする様子もなく、夜天に輝く満月を見上げながら、誰に言うともなく呟く。

 

 

 

―――ツキガ……月が、きれい……




ピンクのチューリップの花言葉は『愛の芽生え』。


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47. 綺麗な愛じゃなくても

 夜間哨戒中に発見された新型の深海棲艦は、『帰らなきゃ』との言葉とともに一路ウェダ基地を目指す。一途な思いが引き寄せるウェダ基地崩壊の序曲。


 「提督、これは…? あっ、いえ、何でもありません…」

 執務机の上を片づけ、書類の束を整理して所定の物を所定の場所へと片づける扶桑が、疑問の声を上げ、そして沈んだ声になる。俺は応接用のソファから身を起こし、扶桑の方に視線を送る。

 

 秘書艦だけを働かせて俺はのんびりしている、という訳ではない。何もさせてもらえない、といった方が正しい。実際、扶桑は極めて優秀な秘書艦だ。作戦立案への助言、山のような書類仕事、それ以外にも俺の身の回りの世話など実に甲斐甲斐しく行ってくれる。とにかく気が回る、というのが一番正解かもしれない。聞けば『あら…そんなの当然でしょう?』と上品に口元を隠しながらくすくすと笑うが、よほど俺の事を見てないとできないと思うのだが。

 

 そんな扶桑にも言わず、引き出しの奥に隠すようにして仕舞いこんでいたものがある。だが彼女にはそんな小さな隠し事などは通用しなかったようだ。不安に揺れる瞳がこちらを見ている。

 

 ケッコンカッコカリ-艦娘の練度上限を解放するための特別なシステムであり、そのための装備が指輪となる。最初の一つだけは大本営から支給される、デザイン的にはありふれた銀の指輪で、提督が自腹さえきればいくらでも同じものを購入できる。提督側には戦力強化の一手段として捉える向きも多く艦娘側も多少はその傾向はあるようだが、最初の一人に選ばれるという事、そこに大きな意味を見出している艦娘は非常に多い。このウェダ基地にも当然支給されていた。

 

 そして今、机の奥に仕舞いこんでいたそれが発見されたってことか。あの時以来何も変わっていないから、きっと扶桑は目にしたのだろう、可愛らしい字で『予約済み』と書かれた紙が貼られた指輪の箱を。

 

 -もう潮時なのかも、な。

 

 俺は軽く反動をつけソファから起き上がると扶桑の元へと進んでゆく。近づいてくる俺から目を逸らし、どこから怯えたように体を強張らせる彼女を一瞥し、引き出しを開け指輪の箱から『予約済み』の紙を外し、くしゃりと手の中で丸める。その時の俺の表情がどうだったのか、自分ではわからないが、きっとぎこちない、下手な笑みでも浮かべてただろうな。

 

 「時が来れば貰ってくれないか?」

 

 気持ちは前を向かねばならない、例え後ろ髪を引く想いがあるとしても。こうして俺は、実質だけではなく、名分としても扶桑を妻とすることに自分を押しやった。そんな中夜間哨戒中の鬼怒から入った緊急電で、俺と扶桑は現実に引き戻される。哨戒中に発見した新型の深海棲艦を拿捕し曳航するという。ワイゲオ島沖からならあと数時間だ。俺と扶桑は思わず顔を見合わせる。

 

 

 

 「………………………」

 「………………………」

 

 

 朝日が照らす港に沈黙が流れる。

 

 

 

 「あの…すみません。それはなにか新しいコミュニケーションなのでしょうか?」

 

 突堤の付け根、基地への入口へと続く道のあたりで、俺は鎖で雁字搦めに縛り上げられた深海棲艦と向かい合っている。羽黒が恐る恐る、といった態で遠巻きに声を掛けてくる。その背後にはこわごわ、と言った態で駆逐艦勢が鈴なりになり、前の者の肩越しに顔を出しこちらを覗き込んでいる。その左右には重軽問わず巡洋艦娘が艤装を展開しこちらに照準を合わせ、二航戦(蒼龍と飛龍)は弓を構えすでに矢を番えている。

 

 

 -帰ラナキャ

 -どこへ?

 -…帰ッテコイ、ッテ

 

 鬼怒の話によれば、こちらの質問には何も答えず、それだけ言うと深海棲艦は西方に向かって進み始めたらしい。敵対行動を取る気配もないので、遠巻きに監視しながら追尾すると、ワイゲオ島を通り過ぎても一路西へと進んでゆく。この先にあるのは、自分たちの基地があるハルマヘラ島になる。慌てた鬼怒達が制止しようとした途端、急加速を始めた深海棲艦との追いかけっこを続ける事およそ一時間、数に勝る哨戒部隊は何とか拿捕に成功し、基地に連行した、というのがここまでの顛末のようだ。

 

 

 そして今、俺と深海棲艦は、羽黒の言葉通りお互いじっと見合うだけで何の言葉もない。知識や情報としては知っているが、これだけの至近距離で実物を見るのは初めてだ。相手もきょとんとした顔でこちらをまじまじと見ている。艤装や服装などの細かな点は色々と違い、肌や髪の色も違う。それでも、俺は思い出さずにはいられず、不意に口を突いて出た言葉は―――。

 

 「少し、痩せたか?」

 

 なぜそんな言葉が口から出たのか、自分でも分からない。ただ俺が思ったのは、春雨のあのぷにぷにした頬っぺたと違い、すっきりした顎のラインだな、そう思っただけだ。そしてその言葉に自分自身大きな衝撃を受けてしまった。

 

 俺は目の前の深海棲艦を『春雨』だと認識しているのか? 外見上確かに春雨を彷彿とさせるイメージはある。だがそれは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()ということを肯定することになる。我知らず大きくぐらりと体勢を崩してしまった。

 

 それを見た目の前の深海棲艦は、無表情のまま無造作に自らを縛る鎖を苦も無く引き千切ると、俺のすぐそばまで近づき、ふわっと抱き付きながら一言だけ告げた。

 

 

 

 -遅カッタ、カナ?

 

 

 

 とにかくウェダ基地は大騒ぎとなった。深海棲艦の拿捕、しかも意思疎通が限定的ながらできるという事実。そもそも深海棲艦と意志疎通できるなど確認されていない。それが事実なら大本営は天地を引っくり返したような大騒ぎになる、それどころかこの終わりの見えない戦争を終結させる大きな一歩になるかも知れない。だがそれ以上に、多くの艦娘を震撼させた推測―ここにいるのが春雨なら、轟沈した艦娘は深海棲艦になるというのか―? 同じ沈没地点、良く似た外観と雰囲気、二言三言とはいえ言葉が通う、そしてその言動。

 

 青葉は興奮が冷めやらない様子で深海棲艦の写真をこれでもかと撮りまくり、深海棲艦はイヤな顔をしながら俺の背中に隠れようとしている。それを見た青葉がカメラのファインダーから顔を上げ、実に複雑そうな表情を浮かべる。

 

 「前と一緒ですねー。やっぱりこの深海棲艦、はる「それ以上は言うな、青葉」」

 

 青葉の言葉を遮るように、俺は思わず語気を強めた。正直に言って混乱している。背中越しに伝わる温度はひんやりとして春雨とは違う。どう見ても深海棲艦、だが、春雨であることを肯定も否定もできない。

 

 

 そしてこの光景を、さらに離れて遠くから見つめていたのが扶桑だが、混乱の極みに合った俺は彼女が騒然とする港にいないことに気付いていなかった。

 

 

 

 

 駆逐艦サイズ、人型をしているので姫級、その二つを合わせて『駆逐棲姫』ということになったこの深海棲艦の扱いを巡り、ただちに大本営に報告の上指示を仰ぐ、という至極全うな意見から、危害を加えそうな様子もないしこのままウェダの所属にしようとの意見まで、議論は揉めに揉めた。やがて俺は、会議室が静かになったことに気が付いた。

 

 「ん?」

 気付けば皆の視線が俺に集中している。正確には、俺と、俺の膝の上に乗り髪の毛を気持ちよさそうにブラッシングされている深海棲艦に、だ。だけど深海棲艦で体温が低すぎ、俺の体まで冷えてきた。

 

 「提督だけだよ、何も言ってないのは?」

 「………この深海棲艦の目的や意図がはっきりしない。それを確かめるまで当基地にて身柄を預かり、いずれ然るべき上に報告し対処を決める。以上だ」

 皆が拍子抜けした表情になる。それはそうだろう、この深海棲艦の意図や目的を確かめるまで、といった所で言葉での交流は二言三言しか成り立たない。つまり俺はこの基地に深海棲艦を匿う、と言っているようなものだ。一部の艦娘を除き、不満が澱のように溜まっているのが伝わってくる。

 

 

 

 今駆逐棲姫は、俺の執務棟で一緒に暮らしている。と言ってもベッドは別だが。なにより、彼女が俺にまとわりついて離れようとしない。 以前に比べ語彙も増え始め、喋り方もたどたどしいカタカナ語から、徐々に滑らかなものに変わってきた。話せば話すほど、彼女は春雨の生まれ変わりなのか、そう思わされる。そうだとして、俺は一体どうすればいい?

 

 俺の答えのない煩悶を余所に、詳細ともに誰かが駆逐棲姫の情報をリークしたらしい。それが誰かを特定する気はないし、ある意味で当然のことだ。以来今日に至るまで約一週間、連日大本営の艦隊本部や技術本部から引き渡しを求める執拗な連絡が来ていた。

 

 簡単に引き下がる連中とも思えないが、たまには凪の日でもいいだろう。しばらくぶりに鳴らない電話を満足そうに眺めた俺は、続いて執務室の床に目をやる。床にぺたんと座り込んだ駆逐棲姫が楽しそうな表情でこちらを見ている。

 

 「さあもう寝る時間だぞ?」

 今度ははっきりと不服そうな表情を浮かべた駆逐棲姫に苦笑いを返したところで、ドアがノックされた。

 

 このノックの音は扶桑か。この一週間、駆逐棲姫にかかりきりでロクに喋ってもいなかった。というか、彼女の方から俺の方を避けてた節もある。まぁ、分からなくもないが…。だがそんな彼女の方からやってくるとは。ドアが開くと、入れ替わる様に駆逐棲姫が部屋から出てゆく。正直に言って、彼女は扶桑のことが好きではないようだ。

 

 「…どうした」

 「あら、妻が夫を訪ねるのに理由が必要なのですか?」

 

 わざと拗ねたような表情になった扶桑は、すぐに明るい笑顔を見せると、俺の執務机の方へと進んでゆく。

 

 「大丈夫です、信じていますから。けど、たまにはこうやって形あるもので確認したくなるんです」

 そう言いながら引き出しを開け、指輪の入った小さな箱を取り出す。蓋を開け指輪を左手の薬指にそっとはめると、窓越しの月明かりに誇る様に左手を差し上げる。

 

 「きれい…。ケッコンカッコカリ、例え仮初めだとしても、私はあなたの妻になれて、本当に幸せなんですよ?」

 

 

 

 -花壇、きれい。デモ、チューリップじゃない。

 

 部屋を抜け出した駆逐棲姫は、上体を屈めるようにして裏庭の花壇を覗き込みむと、空を見上げポツリと呟く。

 

 ―月が…きれい

 

 ふと背中越しに部屋から漏れてくる光の陰影が変わる。隣の窓枠に手を掛けそっと部屋の中を覗きこむ。そこでは扶桑が指輪を指にはめ窓越しの月明かりに照らす姿と、複雑な表情を浮かべる南洲の姿があった。

 

 

 

 -ソレハ……………………ソノ人ワ…………私ノ、私ダケノモノ。

 



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48. 月夜に踊る

 参謀本部、艦隊司令本部、技術本部…軍政を司る巨大組織に抗うには、南洲はあまりにも小さな存在。三者三様の利害が一致し、ウェダ基地に迫る危機。

(20161219 一部変更)


 これは槇原南洲という灰色の男が生まれる序曲―――。

 

 

 大本営艦隊司令本部において、一際贅を尽くした将官室に座す一人の男は、目の前に立ち直立不動の姿勢を崩さない一人の参謀を冷たい目でじろりと見やる。武官の頂点に立ち、誰にとっても無視できない影響力を発揮する三上源三(みかみ げんぞう)大将。そんな彼が口をおもむろに開く。

 

 「つまり、拿捕した深海棲艦の引き渡しを拒んでいる奴も、事もあろうに参謀本部を被告とした軍事法廷の開催を求めている奴も、同じ跳ねっ返りという訳か。ウェダ基地の責任者は…槇原…南洲? 知らんな、だが佐官ではないか、何を思い上がってるのか」

 

 不愉快そうにぎいっとイスを鳴らした三上大将は顎に手をやりながら考える。艦隊司令本部の命令だけでなく、今となっては深海棲艦の確保は()()()()が興味を示している以上最優先事項だ。それを邪魔しているのがたかだか一介の佐官であると知り、苦々しい気分になった。それに目の前の辻柾参謀もまたその男に手こずっているらしい。罷免すればそれで終わりだろうと思ったもののすぐに思い直す。

 

 第三次渾作戦のための戦力集中は最早手遅れで、ニューギニア方面での深海棲艦勢力の膨張によりその活動を制限されている。結果として反抗的な責任者に、本土から遠く離れた拠点と強大な戦力を与えたことになる。しかも渾作戦の推移に関しては、どう贔屓目に見ても参謀本部の情勢分析の甘さと戦力の出し惜しみに大きな責任がある。そうなると現地側がこちらの命令を素直に聞くとは思えない。つまり反乱の恐れがある、と三上大将は警戒している。あくまでも可能性の話でしかないが、今や槇原南洲と言う男は厄介者以外の何物でもなくなってしまった。

 

 「最前線ゆえに()()()()()()()()いつ潰滅しても不思議はないだろう」

 手元のファイルをぺらぺら繰りながら、まるで明日の天気を気にする程度の気軽さで、三上大将は辻柾参謀に笑いかける。そしてこの辻柾という参謀も決して無能ではなく、言外に込められた意味を過たずに汲み取り、ただちに作戦の概要を披歴し、無駄に手回しの良い奴よ、と三上大将の苦笑を買った。この時点で辻柾参謀は三上大将を味方に付けたと言ってよいだろう。

 

 辻柾参謀が退出した後、十分な時間を取り三上大将はどこかへ外出した。そして将官室に戻ってくると、どこかへ内線を掛け始める。

 

 「ああ私だ。今回の出撃は技本の実験への協力でもある。派遣する艦隊だが連合艦隊で頼む。いや、水上打撃編成だ。作戦海域はハルマヘラ海。作戦概要は参謀本部の辻柾とかいう参謀に聞いてくれ」

 

 自らの作戦指導の失敗を隠ぺいしたい辻柾参謀は口封じのため、反乱の恐れありと一方的にレッテルを張った三上大将は彼の考える秩序維持のため、さらに技術本部は駆逐棲姫(春雨)の捕獲と技術実証の機会のため―――三者三様の利害が一致し、水上打撃編成の連合艦隊と技術本部の開発した実験装備で武装した特殊部隊を送り込み、ウェダ基地を攻略することが決定し、着々と準備が整えられた。作戦決行日、それは春雨が指輪を薬指に通す扶桑の姿を目撃した夜から二週間後のこととなる。

 

 ある意味では、南洲の行動こそがウェダ基地の命運を決したとも言えるが、そう言い切るのは流石に酷に過ぎるだろう。

 

 

 

 

 「帰って来い、って言ってたのに…」

 

 その口調は最早深海棲艦のそれではなく、春雨そのもの。ウェダ湾をほとんど出て外洋のハルマヘラ海に差し掛かる辺り、駆逐棲姫は波静かな海面に立ち、長いサイドテールを揺らしながらぼんやり月を見上げている。扶桑が指輪を薬指に通したのを目撃して以来、工廠や港近くの洞窟に隠れたり、夜になると海に出たりしていた。南洲が自分を探しているのはもちろん知っているが、南洲と顔を合わせずらく、避けるようにしている。そんな彼女の目に映るのは滲んだ大きな月と、そこを一瞬で横切る影。

 

 「鳥…? こんな時間にそんなはずない、ですよね?」

 不審げに首を傾げた春雨だが、すぐにその正体に気が付いた。九十八式水上偵察機が自分を中心に周回を繰り返している。ウェダの艦娘達はこんなことをしない。なら相手は―――? 瞬間、轟音と同時に発砲炎が光り、春雨の周囲に砲弾が高速で落下する時特有の風切音と、それらが着水し立ち上がるいくつもの水柱が突如として出現する。降り注ぐ海水の雨が収まると、春雨の目は自分に向かい六人の艦娘が突入してくるのを視界に捉えた。そして真正面から探照灯の光を浴び、完全に視界を奪われ水面で大きく体勢を崩す。

 

 「前衛艦隊、とにかく生きたまま捕獲することが目的だ。やりすぎるなよ。我々本隊も警戒態勢を取りつつ前進」

 

 三上大将が春雨の拿捕とウェダ基地攻撃のために送り込んだ連合艦隊の中心に陣取るのは旗艦である長門型戦艦一番艦の長門。長い黒髪を潮風になびかせながら腕を組み、すうっと目を細め突撃中の前衛艦隊に視線を送る。

 

 抜錨前に与えられた指示、それは『反乱部隊に占拠されたウェダ基地を艦砲射撃にて殲滅しつつ、抵抗があれば排除し新型の深海棲艦を拿捕せよ』というものだった。長門に加え同型二番艦の陸奥、高雄型重巡一番艦の高雄と二番艦の愛宕、秋月型駆逐艦二番艦の照月という重編成の部隊を本隊とし、前衛艦隊は水雷戦隊で構成される。

 

 「相手は新型と聞く。この磯風、腕が鳴るな」

 「逃がさないって言ったでしょ?」

 

 阿武隈を旗艦とする前衛艦隊は、第一水雷戦隊を拡充した陣容で、浦風、磯風、谷風、浜風、天津風が先を急ぐように駆逐棲姫(春雨)に向かい突撃を敢行する。春雨の機動を制限するため高雄と愛宕が牽制の砲撃を続けているが、阿武隈の探照灯の照射をまともに浴びた春雨は動けずにいる。駆逐艦勢の突進に慌てた阿武隈は周囲をキョロキョロする。そして既にはるか先を行く五人の駆逐艦娘の背中にむなしく呼びかける。

 

 「みなさーん、私の指示に従ってくださぃぃぃぃいぃィィィィッ!!」

 

 

 春雨の目がようやく視界を取り戻した時には、眼前まで浦風が迫っていた。

 

 「よっしゃぁーっ! ウチが一番槍じゃっ」

 

 右手に持った12.7cm連装高角砲を春雨の太腿に向け発砲する。ウェダ基地の面々ならいざ知らず、他の艦娘の目にはどう見ても深海棲艦にしか映らない春雨に対し、浦風は一切躊躇いを見せなかった。

 

 「これで逃げられんじゃろ、大人しゅうせいや」

 

 両脚の膝上あたりを撃ち抜かれた春雨は立っていられずに下半身を海中に沈めたような格好になるが、必死に沈み込みそうなる自分の体を支えようと海面を叩き続ける。

 

 「まタ…沈む…そンナの、絶対イヤッ!」

 

 再び春雨が海面に激しい水しぶきを立てながら浮上する。損傷を受けた両脚は、腿から先が深海棲艦特有の大きな口で歯をむき出ししたユニットに変容している。青白いオーラを纏い怒りに燃えた目は最早春雨の優しい瞳ではなく、くぐもった声で怒りを露わにし、浦風に対峙する。

 

 「イタイジャナイ…カ…ッ!」

 

 慌てて再び射撃体勢に入ろうとした浦風に向け、手にしていた鎖で繋がれた白い深海艦戦をまるで棘鉄球(モーニングスター)のように投擲する。右手に握っていた12.7cm連装高角砲の射撃ユニットを弾き飛ばされ隙の出来た浦風に間髪入れず5inch連装砲を連射すると、直撃を受け海面にへたり込んだ浦風を置き去りにして一気に加速し距離を取る。

 

 「浦風っ、大丈夫ですか!?」

 「てやんでい、逃がすもんかいっ!!」

 浜風が浦風の救援に向かう中、谷風が春雨を追走するがその距離は開く一方で、はるか先を行く春雨は上体を横転寸前まで左に一気に倒し急角度でUターンすると、左手の5inch連装砲と脚代わりの深海棲艦ユニットの左右に装備される四連装22inch魚雷後期型で一斉砲雷撃を加える。

 

 「オチロ! オチロッ!」

 

 回避も迎撃も間に合わず全弾の直撃を受けた谷風は一撃で大破し、意識を失い波間に漂流する。谷風を助け起こそうとする磯風をすれ違いざまにモーニングスターを放って吹き飛ばすと、射撃体勢に入っている天津風を攻撃するため急角度でターンし、再び一斉砲雷撃で沈黙させる。

 

 僅かの間に四人もの駆逐艦娘が中大破に追い込まれ、現時点で健在なのは浜風のみ。その様を呆然と見ていた阿武隈が我に返った時には、すでに春雨はウェダ基地へと向かっていた。というよりその方面にしか動けない、と言う方が正解だろう。

 

 そうはさせない、と言わんばかりに41cm連装砲の一斉射撃が加えられ、春雨の行く手を塞ぐように、先ほどとは比べ物にならない巨大な水柱が林立する。

 

 「ふむ、大人しく投降すればこの長門も鬼ではない、悪いようにはせぬ」

 「あらあらあら、どこへ行くのかしら? あなたの帰ろうとしている場所、これから焼き払わなきゃならないの、ごめんねー」

 

 春雨と前衛艦隊のハイスピードバトルの間に、口調こそ穏やかだが圧倒的な威圧感を放つ長門と、飄々としながらも冷徹に告げる陸奥を中心に、主機を全開にして前進してきた本隊が迫ってくる。

 

 「ワタシノオウチ…ヤラセハ…シナイ…ヨ……ッ!」

 

 陸奥の言葉に反応した春雨は急停止すると振り返り、迫りくる相手に敵意をむき出しにした目を向ける。ゆらりと春雨が動き、敵本隊に突入を開始しようとした瞬間、再び砲撃音が響き渡る。

 

 春雨はぽかーんとした顔で、自分の背後から飛来する中小口径弾が次々と着水し水柱を上げるのを眺めていた。中には長門や陸奥に直撃しそうな砲弾もあったが、長門は自分に迫る砲弾を無造作に右の拳で払いのけ、陸奥はさりげない最小限度の動きで綺麗に躱してしまった。

 

 「春雨、大丈夫かいっ!? 早くこっちへ………へぇ、力づくで春雨を攫いにきたん(大本営はそういうつもりなん)だ」

 

 ウェダ沖で突如始まった砲雷撃戦の砲火と轟音は、深夜のウェダ基地を驚かすのに十分であり、時雨を先頭に急行してきた数名の艦娘は、眼前に立ちはだかる長門以下の艦隊を見て事態を容易に理解した。



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49. 折れた刀-前編

 にらみ合いを続けていた扶桑達ウェダの艦娘と、長門率いる大本営の派遣艦隊。様々な思惑が交錯する中、基地が突如攻撃を受ける。第四章最終話の前編。


 「それにしても、兵器が感情を持つ、というのはどういう気分なのか…」

 

 一人きりの将官室で、椅子に深く身を預けた三上大将が腕を組みながらぽつりと呟く。三上大将にとって艦娘は兵器以外の何物でもなく、道具としての愛着はあっても愛情はない。それでも今回の技術本部の実験には酷薄な物を感じている。

 

 マノクワリ沖に没した春雨と今現界している駆逐棲姫が同一の存在とすれば、艦娘が深海棲艦に変容する可能性を示唆している。だがその変容に必要なトリガーとは―――? 三上大将さえも走狗にする、技術本部の最高責任者、中臣浄階の思惑はそこにあった。

 

 再び椅子をぎいっと揺らしながら、三上大将は先ほどと同じ言葉をつぶやく。

 

 

 

 春雨を背後に庇い長門率いる連合艦隊本隊とにらみ合う時雨、島風、青葉、朝雲、山雲、神通に、扶桑が追いつき、にらみ合いを続ける二組の間に割って入る。普段は愁いを帯びた穏やかな表情を崩さない扶桑だが、今日ばかりは不愉快さを明らかにしていた。事前通告無くウェダ基地の管理海域に進入、挙句の果てに戦闘行為。例え相手が友軍であっても明確な軍規違反であり、これを曖昧にしてはウェダ基地としての、そこを預かる南洲の沽券に関わる、そして秘書艦としてそれを許すわけにはいかない-扶桑は威儀を正し連合艦隊に凛とした声で呼びかける。

 

 「責任者は誰ですかっ!? 納得のいく説明をしてもらえるのでしょうね? それともここをウェダ基地の管理海域と知った上の狼藉ですか? 事と次第によっては実力をもって排除しますっ!!」

 大和型にも迫る巨大な艤装を背負い、長い袂を揺らしながら左手を前に振り出し見栄を切る扶桑。月明かりが左手薬指の指輪に光を残す。淡いささやかな光だが、時雨の背中で前方の様子を眺める駆逐棲姫(春雨)の目には痛いほど眩しく映った。

 

 

 -アレハ…アナタノモノジャ、ナイ

 

 

 「反乱部隊が何を偉そうに。実力をもって排除? それはこっちのセリフですっ」

長門の背後から高雄が進み出て、忌々しそうに吐き捨てる。今度はその台詞に扶桑以下ウェダの艦娘達が衝撃をうける。

 

 

 自分たちが反乱部隊?

 

 

 動揺が走りお互いの顔を見合うウェダの艦娘達に、追い打ちをかけるように陸奥が言葉を添える。左手を右ひじに添え、軽くウインクをしながら右手で何かを指摘するように人差し指を立て、気軽そうなポーズと裏腹に、話の内容はさらなる衝撃をもたらした。

 

 「あらあらあら。上手にとぼけてるけど、こちらには証人がいるのよ。ね、神通?」

 

 一斉に視線が神通に集まる。おどおどした様子で落ち着かない表情のまま、両手で自分の体を守る様に抱きしめているが、やがておずおずと前に進み出て、先頭に立つ扶桑を越え、そのまま連合艦隊に相対する。

 

 「あの…長門さん、私は深海棲艦を匿うことが軍規に反してると言っただけで…その、ウェダ基地が反乱を企てているなんて一言も…。匿っている理由だって、情状酌量の余地が十分に…」

 必死に、絞り出すように声を上げ訴える神通。姿形こそ第二次改装を終えた凛々しいものであるが、その表情は改装前のどこか頼りない感じに戻ったように怯えが混じっている。南洲の言っていた、艦隊本部に詳細な情報をリークした誰か、それは神通だった。スパイ、などということはなく、一途で真面目な彼女なりにウェダの在り方や大本営の命令を無視し続けることが齎す不利益を考え、彼女なりにウェダに心を砕いた上で、独断での()()という行動に及んだ。それ以来神通はウェダの情勢を明かす情報源として、自覚なく今回の作戦立案に重要な一役を担わされることとなった。

 

 「ふむ、秘書艦は扶桑だったな。よく聞け。ただちにその深海棲艦を我々に引き渡し、お前たちは武装解除し投降せよ。基地に残留している艦娘達には投降を呼びかけるが、応じなければ攻撃する」

 

 長門のその声に、ウェダの艦娘たちの不安そうな視線が扶桑に集中する。目を閉じ深く息を吐き、次に目を開けた扶桑には、すでに戸惑いの色は無く、白い鉢巻を締め直し着物の袷をぴしっと直すと、改めて長門達に宣する。

 

 「このように理不尽で、一方的な濡れ衣を唯々諾々と被るほどウェダ基地は軟弱ではありませんっ! ここで一戦交えて我々の力をお見せするのも構いませんが、南洲…()に言われない汚名を着せるのも本意ではありません。ウェダの名誉のために、駆逐棲姫(春雨)さんと一緒に私が艦隊本部に参り我らの潔白を証します。その間他のみんなは基地で謹慎、これが最大限の譲歩ですっ!」

 

 春雨を庇っている事、それが著しく南洲の立場を悪くしていると扶桑は判断し、独断であるがこの件の幕を引くのに次善と思われる方策を言葉にする。あくまでも対等の立場での交渉、という線を貫くため、早鐘のように高鳴る鼓動を押さえながら、あくまでも凛とした表情を崩さない。

 

 

 -ダレガ、ダレノ、オット? ダレガ、ダレト、ドコヘユク?

 

 

 鋭い視線で胸を張る扶桑の言い分に対し、長門は動じる様子もなく、だが顎に手を当て考え始める。長門の目の前に立つ扶桑には、嘘や偽りの色は見られない。反乱部隊の殲滅が命令ではあるが、その前提がおかしいのではないか、長門は疑問を覚え始めた。反乱云々がデマや誤解の類だとしても、ウェダの艦娘が深海棲艦を庇う素振りを見せているのは事実である。扶桑の交渉に乗るふりをして交渉を運べば、少なくとも艦娘同士で戦うような羽目に陥らずに済むのではないか―――。

 

 「ふむ…反乱ではない、と言うなら、そこにいる深海棲艦を引き渡してもらおうか。それが何より身の証を立てるにふさわしかろう」

 命令と言うよりは自分の言葉の裏を読んでほしい、長門はそう願い、精いっぱい思いを込めた視線を扶桑に送る。それを受けた扶桑の表情が苦しげに歪む。長門の言うことも理解できる。そして自分もそう持ちかけている。けれど、南洲の気持ちを思うと…。

 

 

 -カエッテコイ、ッテ…カエッテキタノニ…

 

 

 

 それは地上で打ち上げ花火を同時に何発も爆発させたような鮮やかさだった。

 

 突如基地から閃光と爆発音が複数回響き渡り、一気に黒煙と炎が上がる。全員がそれに気を取られたとき、それに釣られる様に連装砲の連射音がこの海域でも響く。

 

 

 背筋を逸らすようにして、扶桑が背後に斃れそうになり、辛うじて踏みとどまるが海面に膝をつく。左胸の上で鎖骨の下あたり、吹き出すように鮮血が白い着物に花を咲かせる。

 

 

 自分を庇っていた時雨を突き飛ばし、駆逐棲姫(春雨)は左手に持っていた5inch連装砲をほとんど悲鳴のように連射していた。そして南洲の名を気が狂ったように連呼しながら一気にウェダ基地へと主機を全開にする。

 

 

 一瞬の間が空き、神通を除くウェダの艦娘達は混乱の極みにいた。呆然と立ち尽くす青葉、扶桑の元に駆け寄る時雨に山雲、春雨を追走する島風と朝雲。青ざめた表情のまま扶桑はゆらりと立ち上がり、全員に基地への帰投を命じ、自分も同じ様にする。だが元々低速なのに加え重傷を負ったその体は彼女の思い通りには進まず、横合いから時雨に支えられつつ何とか蛇行しながら前進を続ける。

 

 

 長門たちも顔を見合わせる。基地で燃え盛る炎はここからでも確認できる。別動隊がいるのは知らされていた。この作戦全体において、あくまでも自分たちが主で別動隊は従だと理解していたが、どうやら逆だったようだ。ウェダの管理海域で騒ぎを起し、艦娘達を引きずり出し基地の防御を手薄にする―――それが我々の役割。つまり狙いは艦娘ではなく、ウェダ基地の責任者ということか。長門は忌々しそうに顔を歪め、右の拳を左の掌に叩き付ける。

 

 

 「姉さん、艦砲射撃をする手間が省けたわね…という話じゃないわよね、これは」

 陸奥にじろりとした視線を送ると長門はいささか不機嫌そうな表情で頷き、ウェダ基地への上陸を命じる。高雄や愛宕から異論が上がるが、長門は次の言葉で黙らせた。

 

 

 「反乱部隊がいるとすればむしろ基地だろう。海域では脱走した深海棲艦を捕えるために出撃してきた友軍には出会ったがな。それに…あれを見ろ、理由は不明だが、どう見ても攻撃を受けている。友軍を助けずしてどうする? 」

 

 春雨の攻撃で損傷を受けた艦娘には照月を護衛につけ退避させ、再編成した部隊でウェダ基地に向け、長門たちは進軍を開始した。

 

 

 

 海上を泣きながら疾走する駆逐棲姫は、完全に混乱していた。扶桑をほとんど反射的に撃ってしまった。帰るべき場所は正体不明の爆発で炎上中、自分を捕えに来た艦娘達、そんな中、唯一縋れる思い出だけが頭の全てを占めていた。槇原南洲、この人の元に帰ること、それだけが全てだった。それ以外の事は一切頭から抜け落ち、ただ純一(じゅんいつ)に想い人のことだけ、

 

 そしてウェダの港に着いた時、制服は駆逐棲姫のままの制服を除き、青白かった肌は肌色に、青みがかった髪は毛先以外薄桃色に変わり、ほとんど元の春雨の姿を取り戻していた。同時に、艦娘の姿に戻った事で、浦風に撃たれた両脚の傷は癒えないまま、よろよろと港から司令部へと続くでこぼこ道を、途中で拾った大ぶりの木の枝を杖代わりに、足を引きずりながら、転びながら、遠くに燃え盛る炎を目印に、基地の西方から断続的な砲撃音、それに続く爆発音を耳にしながら春雨は帰ってゆく。

 



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50. 折れた刀-後編

 第四章最終話。南洲の見る夢として回想されていたウェダ基地の崩壊、最終局面。

※一部痛々しい表現が含まれていますのでご注意ください。


 バネ仕掛けの人形のように比喩ではなく跳ね起きる。その勢いで俺の左腕にしがみ付くようにして眠っていた春雨も起こしてしまい、こちらをびっくりしたような目で見つめている。心臓が壊れそうなくらい鼓動が速い。背中にもびっしょりと冷や汗をかいている。あんなに鮮明に昔の事を夢に見たのは何時以来だろう…。心配そうな春雨の頭をくしゃくしゃと撫で、俺はソファベッドから立ち上がる。ふと視界に入ったのは、テーブルに置かれたラップのかかった料理。そうか、これを届けに来てくれたのか…俺は努めて明るく春雨に呼びかける。

 

 「なんだよ、麻婆春雨か。ってことは()()()()春雨から食べればいいんだ?」

 

 だが春雨は不安そうな表情でこちらを見ているだけだ。

 

 「昔のこと、夢に見てたんですか?」

 

 お見通しか…俺は苦笑いを浮かべ誤魔化すように頭を掻く。うわ、頭も冷や汗でびっしょりだな。せっかくだ、食事を取ろう。そんな俺を見続ける春雨が、口を開く。

 

 

 「南洲………どっちから食べてもいいですけど、美味しく食べてね?」

 

 目の端に何かを期待したような光を乗せながら、いたずらっぽく春雨が笑う。

 

 

 

 とにかく何とか真面目に報告書は書き直した。提出は…明日でいいや、面倒くさい。なので俺と春雨はすでに宿舎に戻っている。春雨が期限を守れとぶつぶつ言うので、耳たぶを軽くはむっとして、『今はお前が優先だ』とか言うと、案の定真っ赤になってそれ以上報告書のことは言わなくなった。

 

 「俺はシャワー浴びるよ。汗びっしょりで気持ち悪い」

 そう言うと俺はTシャツを脱ぎながら、バスルームへと向かう。洗面所にある鏡の中の自分と目が合う。かつて俺の右腕は、まさに扶桑のもの、右肩から先が白く柔らかそうな女の腕だった。だが今は、色こそ白いままだが筋肉の付き方や骨の太さなど、元々の俺の腕に見た目は近づいてきている。これが正常なのか異常なのか俺には分からないし、考えても仕方ない。

 

 

 熱いシャワーを浴びても、さっきまで見ていた夢、いや、自分の過去が頭から離れない。夢の続きのように、俺は記憶の底から甦ってくるウェダの最期の日を思い出していた。

 

 

 

 ウェダ沖で突如起きた戦闘、数名を現場に急行させ状況把握を命じたが、なぜか旗艦の扶桑と連絡が取れない。どうやら通信をオフにしているようだ…一体何が起きている? 執務棟には俺と五月雨と飛龍、そして蒼龍が詰め通信機の前で顔を寄せ合っている。

 

 「ねぇ提督、取りあえず彩雲出してみませんか? 何もしないよりはいいと思うので」

 弓道が身に付いた者特有の柔らかくも芯の通った綺麗な姿勢で、飛龍が俺の返答を待っている。彼女の方に視線を送り小さく頷くと、飛龍も頷き返して、タッと走り出す。飛龍がドアを閉めた瞬間、蒼龍と五月雨が顔を見合わせきな臭い表情を浮かべている。

 

 「ねえねえ、聞こえた…?」

 「はい…でも…どうして内陸から」

 

 不審に思った俺は問いただそうと二人の方へ歩き出した。そして直下型地震が突然起きたような轟音、衝撃、爆風に襲われ、俺は不覚にも一瞬意識を手放してしまった。

 

 

 次に目が覚めると赤く照らされる夜空が見えた。これは一体…? 頭を振るとズキズキと痛むが、改めて周囲を見渡し、俺は情けないが思考停止に陥った。多くの建物が全半壊し、あちこちで火災が起きている。明らかな攻撃、航空機の姿を捕捉していない以上、おそらくは砲撃を受けたってことか。俺のいた司令棟も半壊し、西側の壁と屋根は吹き飛ばされ、一部は火が付いている。こうやって生きている所を見ると直撃は免れたようだ。

 

 「「提督っ!!」」

 おお、蒼龍と五月雨、無事だったのか。飛龍はどうした? 俺の問いに蒼龍が首を激しく横に振る。この混乱だ、安否が掴めなくても当然か。腑抜けてられるか、と立ち上がろうとした途端、激痛が走り思わず叫び声を上げてしまった。

 

 「無理しちゃだめだよっ!! 今柱をどけるから動かないでっ」

 「待ってください蒼龍さん、提督の腕が…」

 五月雨の言葉で自分の右側を見る。ああもう、血が目に入ってうっとおしいっ。左手で乱暴に目を擦ると、べったりと血がついている。こりゃ頭に裂傷があるな。だが問題は…右腕だな。上腕部の中ほどで開放骨折、つまり骨が飛び出ていて、その先は崩れた柱で潰されている。うん、見ない方がいいな。蒼龍と五月雨がとにかく俺の腕を挟んでいる柱をどかそうとした時、連中は現れた。

 

 「…やることやってから連行するか。俺はそっちの巨乳な」

 「好みが被ってなくて良かったっす。俺は青髪ロングの方で」

 

 夜戦用カモの戦闘服、ヘルメット、アサルトライフル…とにかく二人の兵士がこちらに近づいてきた。その発言内容は、こいつらがこの襲撃の実行犯であり、そして蒼龍と五月雨に劣情を催している事を如実に示している。二人は俺に興味を示さず、蒼龍を後ろから羽交い絞めにしたり五月雨の手首を掴み押さえつけようとしている。

 

 「何のつもりだっ!! おい、そいつらに触るんじゃねぇっ!!」

 

 五月雨に手を出していた方の兵士が、彼女を押さえつけたまま、実にイヤな笑みを向け近づいてくる。

 

 「俺達が()()()()()()()()大人しく待ってろ。それから始末してやるから…よっ」

 そして俺の顔を蹴りあげると、五月雨を半壊した司令棟から連れ出していった。俺は何とか動こうとするが、やはり挟まれた右腕が邪魔で動くことができない。ふと足を伸ばせば届きそうな所に俺の刀が転がっているのが見えた。連中は蒼龍と五月雨を蹂躙しようと躍起になりこちらに注意を払っていない。俺は必死に足を伸ばし、何とか刀と脇差を引き寄せる。

 

 足で鞘を押さえ、左手で何とか脇差を抜く。骨を断つのは簡単ではないが、肉だけなら何とかなる。開放骨折している上腕部に脇差を振りおろす。何度目かで急に軽くなった体は戒めから解放された。とにかく出血を止めないと。ぶすぶすと燃え燻っている丸太に、傷口を押し当てる。肉が焼け焦げる臭いと音、あまりの痛みに獣じみた悲鳴を上げてしまった。だがこれで動ける。先ほどと同じように、今度は刀を抜き、左手に持ちよろけながら外へ向かう。

 

 五月雨を取り逃がしたようで、必死に追いかけまわす阿呆の首の後ろに刀を突き通すと、奇妙な悲鳴を短く上げ男はそのまま崩れ落ちた。異変に気付いたもう一人の阿呆が慌てて振り返るが、俺は既にそいつの喉元に刀を向けている。

 

 「俺の家族に汚ねぇ手で触りやがって」

 

 言いながら刀で喉を突き通す。幸い二人とも無事だ、なんとか間に合った。泣きながら俺に取りすがってくる二人だが、支えきれずに俺は倒れ込んだ。頭でも撫でてやりたいけど、右腕がこの有様じゃ、な。

 

 俺は蒼龍に五月雨と一緒に避難用地下通路まで急いで逃げるように伝え、司令棟を後にする。くそっ、急に片腕になると重心が狂うな。よろけながら転びながら、俺は基地内を所属している艦娘の名を呼びながらさ迷い歩き、艦娘を見つけるたびに避難を指示し、敵兵を見つけると有無を言わさず命を絶った。折々反撃を受け至る所に銃創や刀創が増えていった。

 

 炎に照らされながら、左手に刀を握りしめてさ迷い歩く血まみれの俺の姿は、すっかり羽黒を怯えさせてしまった。いかんな、意識が朦朧としてきた。

 

 

 だが解せない。陸兵か特殊部隊か知らんが、通常兵器では艦娘に有効な攻撃を行うことができないはずだ。なのにこの有様だ。多くの艦娘が程度を問わず怪我を負ってしまった。一体何が起きている…?

 

 

 「きゃぁぁぁーーーーっ」

 

 ってまだ誰か逃げ遅れてたのかよっ! とにかく悲鳴の方へ急ぐ。

 

 

 そこで目にした物。

 

 

 両脚に怪我を負ってよろよろとしか動けない春雨を、兵士が二人ががりで追い回していた。

 

 

 -………っ!!

 

 人間は心底怒ると声も出なくなる。俺は先ほどまでのふらふらした足取りが嘘のように、抜身の刀を担ぎ一気に襲い掛かる。とにかく今の俺には奇襲以外に勝ち目はない。一人目は背後からヘルメットごと頭蓋を両断することに成功した。だがここで刀が折れた。

 

 近づく俺に気が付いたもう一人が仲間もろとも俺に銃を連射してきやがった。まぁ、コイツは確かに助からない、というか死んでいるが判断良すぎだろ。右肩と右腿を撃ち抜かれ、俺は()兵士と一緒にその場に倒れ込む。そこに向かって隙のない足取りで残敵が近づいてくる。

 

 

 そこで目にしたくなかった物。

 

 

 「ワタシ…帰ッテキタンダヨ?」

 

 近づいてきた男の頭が突然爆ぜた。金属がすれ合うような音がして棘鉄球が引き戻されてゆく。俺の視線の先にいる春雨は、いつもの薄桃色と深海棲艦のように青みがかった髪が入り混じっている。元兵士の死体を弾除けにしている俺に近づくと、そのまま右拳を突きだしてきた。

 

 「流石に痛ぇぞ、おいっ!! いい加減にしろっ!!」

 春雨の貫手は盾にしていた兵士の頭を粉砕し、そのまま俺の右目に突き立てられた。左手で死体をどかし、そのまま春雨を抱き止める。腕の中で暴れる春雨を押さえようとしたが、そのまま地面に押し倒される。見上げる目は、俺に馬乗りになった春雨がぼろぼろと涙を流している姿の左半分だけを捉えていた。

 

 「ワタし、帰ッテキタんだよ? 南洲が帰ってこいッテ言うから。帰ってきたんだよ? なのに…どうして…こんなことに?」

 その後は言葉にならず、春雨は俺の胸に顔を埋めて泣きじゃくるしかできずにいた。

 

 

 

 ハルマヘラ島を上空から見ると、アルファベットのKを潰したような形をしている。そのKの縦棒の中ほどの東岸にウェダは位置する。対岸のパヤヘまで25km。東南アジア方面からの輸送路確保と緊急時の避難のため、ウェダ-パヤヘ間には地下通路が打通されている。俺はその通路を使い避難するよう艦娘達に指示を出していた。

 

 

 俺と春雨がお互いを支えながら、なんとか地下通路のウェダ側の入り口があるポイントが見える地点までたどり着いた時、機動九〇式野砲に似た三基の野戦重砲を守る一群と、ここまでたどり着いた艦娘達を拘束し地下通路へと入って行こうとしている一群が目に入った。

 

 「それにしてもこの試作重砲、艦娘相手にも効果を発揮するとは…さすが技術本部ですね」

 「艦娘の艤装を元にしているらしいからな。なんでもさらなる小型化を進めているそうだ」

 「あっ、辻柾参謀、基地司令の殺害を担当する八名、連絡途絶。砲撃再開はいつでもできますのでご指示くださいっ」

 

 

 この通路の存在を知り、それを利用して攻め込んでくるということは―――?

 

 

 

 ようやく事態を把握した。そして俺は我を忘れた。

 

 

 

 「辻柾ぁぁあああーーーーっ!!」

 

 

 折れた刀を手に絶叫しながら斬り込む俺に、敵部隊は一瞬の動揺のあと、すぐさま一斉射撃を加えてきた。糸の切れた人形のように、不自然な動きで俺は地面に崩れ落ちた。

 

 

 

 これが俺の、ウェダでの日々を締めくくる最期の記憶。

 

 

 

 その後に続いた事態―連行された艦娘達の行方、逃げ果せた数名の艦娘の存在、追いついてきた扶桑達とこの連中、さらにそれを追う様に上陸してきた長門達との間で戦闘が行われたこと-を知る由は無かった。

 

 

 

 そしてウェダは閉鎖された。今は俺と春雨の心の中にだけ、それはひっそりと存在している。追いかけても届かない逃げ水のような鎮守府として。



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間章 りこれくしょん-3
51. 思いがけない夜


 とあるクリスマスの一日。


 「…………………………………………」

 

 ぴりぴりと張り詰めた空気が玄関ホールに満ちている。ドアベルが鳴るやいなやインターフォンで相手を確認することなく、満面の笑みでドアを勢いよく開け放した春雨。開口一番の発言に来訪者たちは固まってしまった。

 

 「お帰り。食事の後に私にする? 食事の前に私にする? とにかく私にする?」

 

 どう答えても選択の余地はない。エプロン姿、しかしエプロン以外に何か着ている様子のない春雨は、すぐに自分の失敗を悟りぎこちない動きで後ずさるように部屋の中に戻り、そのままキッチンに隠れるように引っ込む。今さらのようにインターフォンで『何の御用でしょう?』とモニター越しにも伝わる凍てつく波動を予定の無い来訪者たちに向け放つものの、その対応は五者五様である。

 

 平然とした表情で胸を張り室内に入ってゆくのはビスマルクで、その手にはやや横長の箱が提げられている。いつもの黒い軍服様の制服とは違い、膝丈ほどの白いファーコートに、同じく白いファーの帽子と白いショートファーブーツ。唯一アクセントになっているのは首元にあしらわれた赤いリボンで、それを除けば元々の透けるように白い肌とシルキーな金髪と相まって雪の妖精といった風情である。

 

 対照的にニコニコと微笑みを崩さず同じく室内に入るのは鹿島。何かのボトルを大事そうに抱えている。サンタ帽に上半身は赤いサンタ服風のニットセーターにケープを羽織り、足下も赤いショートブーツ。こちらは首元に緑のリボンをあしらっている。

 

 「は、羽黒さん、やっぱり私たち場違いなのでは…」

 「う、うん…でも、今さら帰るっていう選択肢が…」

 春雨の凍てつく波動にやや涙目になりながら、抱き合う様にお互いを庇う秋月と羽黒も、普段の制服ではない。秋月はスキニージーンズにボルドーのふわふわセーター、羽黒はグレーのニットワンピにキャメルのブーツというガーリーなコーデ。共通しているのはサンタ帽である。

 

 「春雨(ハル)は、まあなんや…。にしても、ビス子と鹿島(あの二人)は気合入れすぎっちゅーか…。せやけど君らもたいがいやで。体のラインまる分かりやん、その格好。ええなあ、そういうの似合って」

 

 瞳のハイライトを消しながら二人をぐいぐい押しているのは龍驤である。裾と肘付近に白いファーが付いたサンタ服風の制服、頭のバイザーはサンタ帽に変わっている。普段の白いハイソックスの代わりに黒とオレンジのチェック柄のタイツが新鮮な印象。首の勾玉も金の鈴に変わり、背中には大きな袋を担いでいる。

 

 

 簡単に言えば、五人の浮かれたガールがクリスマスに南洲の部屋に突撃してきたという訳だ。無論南洲が春雨と一緒に住んでいることを知っての上でのことである。ビスマルクと鹿島は、南洲との間に特別な、他の人では代われない絆があると確信している。羽黒は南洲の過去と現在の両方を知る数少ない一人。秋月も龍驤も南洲に対しある種の想いを抱いているが、秋月のそれは純粋で憧れの範囲をまだ出ておらず、龍驤のそれはむしろ部隊長としての信頼感ともいえる。とはいえ、当人たちは何も言わないが、南洲と春雨の結びつきの深さ、そしてある種の歪さについては皆感じている。そして春雨と同じような形で、南洲の心に住むことは無理だろう、とも。

 

 だが、同時に思う。

 

 南洲との関係性を他者と比較するから話が複雑になる。誰かを蹴落とす必要もなければ諦める必要もない。誰がどうであれ、自分と南洲の間だけで成立する確かな何かさえあれば、それでいい。南洲は軍人だが組織上は『提督』ではなく、それが齎す制約に縛られる必要もない。指輪があろうがなかろうが関係ない。自分さえその気で、南洲もその気になれば、超えるべき一線は僅かな物。だから、クリスマスのようなイベントは最高のきっかけになる。そう決心したビスマルクと鹿島、せめてプレゼントくらい渡したいと思った羽黒と秋月、とにかく今日は楽しめればそれでいいと唯一気軽な龍驤、それぞれ密かにいろいろ準備してきたのだが、そう思っていたのは自分だけではなかったようだ―――。南洲への宿舎へ向かう道すがら、また一人、また一人と増え気づけば五人全員揃っていた、そういう絵柄である。

 

 

 そんな南洲の宿舎。春雨もビスマルクも鹿島も、それぞれに対しここまでの攻めっ気を出していることに危機感を覚えていた。それは南洲と二人きりになるためには、非常手段を取ることを躊躇ってはいけない、女の本能がそう告げる。そしてそれに完全に巻き込まれる形となった羽黒、秋月、龍驤は気の毒だが、最早何も言うまい…。

 

 

 

 当の南洲はと言うと、実は不在である。健康診断を強制受診させられることとなったのだ。当然南洲は何だかんだと理由を付けてサボろうとしたが、宇佐美少将の一喝で黙ることとなった。

 

 「やかましい、いつもサボりやがって。大淀を監視役に付けるから、必ず行って来いっ」

 

 かくして大淀に引きずられるようにして南洲は医局へと連れて行かれ、1日がかりの精密検査を受けることとなった。

 

 

 

 「…なるほど、みんなでクリスマスをお祝いしようと?」

 いつまでもエプロン一枚という事もなく、春雨はパステルピンクのタートルニットワンピに着替えている。キッチンで作業の手を止めることなく、ジト目で春雨が五人を見渡すが、皆興味深そうに覗き込んでくる。今日春雨が準備しているのはイタリア料理、前菜(アンティパスト)三種、プリモピアットにはペンネアラビアータ、セコンドピアットには舌平目のムニエル カプリ風が用意されている。さらに今日はクリスマスということで季節料理(スタジオーネ)もあり、アワビのリゾット トリュフ添えも準備万端である。他にもチーズ盛り合わせ(フォルマッジィ)やカフェ…と続く。いずれも彩り鮮やかで見るからに美味しそうな仕上がりである。

 

 …即効性の鎮静剤が混入されていなければ、だが。かつて南洲の暴走を止めるための緊急用として、ケガを負った際の治療用として用いていた残り。最近は使うことが無かったが、まさかこんな所で…いいえ、これも南洲のためです、はい。

 

 

 「おおお~、豪華なディナーやなぁ。どれどれ……ん! めっちゃ美味いやんコレ、いやぁハルはいいお嫁さんになれるで、ホンマ」

 ひょいっとポルチーニ茸のパン粉揚げを摘みあげ口にした龍驤が、ニヤニヤしながら春雨の料理を褒める。その言葉に春雨はてれてれと顔を赤くし、ビスマルクと鹿島は不機嫌そうな表情になる。

 

 「ま、まあ見た目は悪くなさそうね。でもドルチェはどうなのかしら。感謝してもいいのよハル、このビスマルク、日本生まれのあなた方のために、本物のヨーロッパの味を持ってきてあげたわっ」

 白いファーコートを脱いだビスマルクの姿は、ノースリーブの赤いレース素材の超ミニワンピースで、全員がぎょっとする。ちょっと屈んだりすれば色々見えるのは間違いない。言いながらひょいっと手に提げていた包みを持ち上げ軽くウインクするビスマルク。テーブルの上で広げられたそれは、シュトレンである。

 

 「こ…こんな贅沢なお菓子、本当にいただいてもよろしいでしょうか…?」

 ちらりと涎を口の端に浮かべながら、秋月がキラキラした目で覗き込んでいる。シュトレンはドイツとオランダでは伝統的にクリスマスに食べられるもので、ドライフルーツやナッツが練りこまれた生地を焼き上げたケーキで、真っ白くなるまで粉砂糖がまぶされる、見た目にもホワイトクリスマスを連想させる美しさである。

 

 …まぶされた粉砂糖に睡眠薬が混じっていなければ、だが。こんな手、使わずに済めばと思ったけど、今日はビスマルク()だけの時間にさせてもらうわっ!

 

 

 「わぁ~、可愛いですねー。食べるのがもったいないくらい、うふふ♪」

 

 鹿島も持参したボトルをテーブルに置く。赤ワインと白ワイン、そしてシャンパンの三本。ヨーロッパ生まれのビスマルクはワインには詳しく、そしてうるさい。鹿島の持参したワインのラベルをじっくり眺めると、ちょっと驚いたような表情に変わる。

 

 「これって…二本ともヴィンテージクラスじゃない? よく手に入ったわね。シャンパンはまあ、それなりだけど、これだって悪くはないわよ」

 肩をすくめるようにして微笑む鹿島がワインについて説明しようとしたところで、春雨の携帯が鳴り出す。

 

「あ、南洲? うん、うん。ああそうなんだ……大丈夫です、はい」

 

 春雨の表情だけで、なんとなく状況は分かった。南洲の帰りが予定より遅れる、そういう類の話だろう。他の五人も顔を見合わせる。だからと言って帰るという選択肢も取れない。さてどうしたものか、と全員の空気がやや重くなったのを吹き飛ばすように、鹿島が声を掛ける。

 

 「じゃぁ、せっかくですし、シャンパンでも飲みながら南洲さんの帰りを待ちませんか? その後の事はその後で考えるとして…うふふ♪」

 

 ぱあっと表情が明るくなった秋月、ええアイデアやと頷く龍驤とビスマルク、羽黒はグラスやオードブルの用意を始めた春雨を手伝う。女だけのパーティもたまには悪くない、そう気持ちを切り替えると、なにやら龍驤が担いでいた袋から色々取り出し始めた。

 

 「やっぱりパーリーゆーたらゲームやろ。人生ゲーム、ツイスターゲーム、後は何や…適当にその辺にあったもん突っ込んできたからよー分からんけど、まあええやろ。ほな乾杯や乾杯っ」

 

 用意されたグラスに鹿島がシャンパンを注ぎ、一つずつ丁寧にグラスのふちを拭くような素振りを見せる。黄金色の微発泡酒が注がれたグラスが全員に行き渡ると、龍驤の音頭で全員がグラスを持ち上げ軽い乾いた音が鳴る。口に含むと羽黒の表情がぱぁっと明るくなる。

 

 「こんなおいしいシャンパンを飲んだのは初めてです」

 

 …気分が高揚する怪しげなクスリが混入されていなければ、だが。鹿島はジャ○ネットアカシなるオンラインストアでそのクスリを手に入れていた。全員で訳分かんなくなっちゃえば、お酒の上の過ち、という口実を隊長さんにプレゼントできますから、うふふ♪

 

 

 結論から言えば、六人揃って訳分かんなくなって人生ゲームは異様な盛り上がりを示し、そうかと思えば急な眠気に襲われ一人また一人とリビングダイニングで雑魚寝をする羽目になった。

 

 

 

 「んー、なんかお呼びじゃなかったみたいなんでね」

 

 宇佐美少将の将官室で、南洲はおでんをツマミに日本酒を飲んでいる。無論相手は部屋の主である宇佐美少将。健康診断を終え自分の宿舎に帰ると、なぜか自分の部隊六人が全員揃い、そして揃いも揃って床で寝ている。ああ、俺の帰りが遅くなると思ってクリスマス女子会、ってことにしたのか、とあっさり納得した南洲は、クローゼットからブランケットを取り出し、全員に掛けるとまた部屋を後にした。

 

 昼間は意外と暖かかったが、やはり夜になると空気がひんやりと冷えてくる。白い息を掌に当てながら、これからどうしようかと南洲はぼんやり考える。食事は春雨が用意してくれているとばかり思っていたし、予定など特にあるはずもない。適当にぶらぶらしていると、買い物帰りの大淀に出会い、そのまま宇佐美少将の部屋までやって来た、という顛末である。

 

 「なんだおい、寂しそうな口ぶりじゃねーか。まあいいさ、お前さんも早い所腰を落ち着けるんだな。ほら、これは俺からのクリスマスプレゼントだ」

 

ひょいっと小さな箱を放り投げてくる宇佐美少将。南洲は怪訝な顔で箱を開けると、そこには指輪が二つ入っていた。

 

 「悪ぃ、いくら体の四分の一が艦娘の組織だからって、これは受け取れないな。それに俺はストレートだ」

 一気に酔いが醒めた、という表情で南洲が立ち上がろうとする。すぐさま南洲の誤解に気が付いた宇佐美少将は慌てて説明を始める。

 

 「だぁーっ!! 俺だってストレートだ! これはお前とお前の部隊にいる艦娘のための指輪だっ。提督でもないお前にケッコンカッコカリを許可させんの、大変だったんだぞ。誰に渡す気か知らんが、大切にしろよ」

 




重かった第四章のリハビリ的に、ちょい軽めのお話を入れてみました。


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52. それぞれのぬくもり

 宇佐美少将とのシブい飲み会を終え、宿舎に戻った南洲。だが彼の夜は終わらない。


 「しか大淀のヤツ、あれくらいで酔っ払うとはな。宇佐美のダンナの相手、あれで務まるのかね」

 

 ほろ酔い気分の南洲は吐き出した白い息を纏いながら帰途に着く。あれくらい、と言いながら南洲と宇佐美少将が空けたのは一升瓶四本、途中まで付き合っていた大淀だが、いつの間にかふにゃふにゃしだし宇佐美少将に甘え始めた。見てられねーな、と捨て台詞のような言葉を残した南洲は、『お前ほどじゃねーだろ』と大淀を首に抱き付かせたまま苦笑いを浮かべる宇佐美少将に見送られ席を立った。

 

 

 

 ドアを開け壁に手を付ながら自分のタクティカルブーツを脱ぐ南洲の目に色取り取りの女性用の靴が目に留まった。

 「ただいま…ってまだアイツラいるのかよ」

 

 南洲が出かけた際には、六人揃って轟沈して床に雑魚寝をしている有様だった。それがまだ続いている、ということか。やれやれ、といった表情でリビングダイニングに入った南洲だが、想像通り春雨をはじめとしてビスマルク、鹿島、羽黒、秋月、龍驤が思い思いの姿勢で床に転がっている。手近の席についた南洲は、残っている食事に目をつけ、ひょいひょいと口に運び出す。

 

 「イタリアンか……うん、美味いな」

 南洲はポルチーニ茸のパン粉揚、カルパッチョ、ペンネアラビアータなどを次々平らげてゆく。

 「へえ、ケーキもあるのか…甘い物はちょっとあれだが、こんな日くらい食べるとするか」

 目に留まった白いシュトレンの残りを、適当な大きさに切り口に運ぶ。元来スイーツの類はあまり好まない南洲は、やや顔を顰め、手近にあった白ワインをグラスに注ぐ。軽くグラスを動かし香りを確かめると満足そうに少しだけ口に含む。

 

 「気合入れて作ってくれたんだな、どれも凄え美味いよ。予定通りに帰ってこれなくて悪い事したな」

 

 

 …悪い事をしたのは南洲ではなく、料理に鎮静剤を、ケーキに睡眠薬を、飲み物に気分が高揚する薬を混入させた艦娘達である。

 

 

 一頻り満足した南洲は席を立ち、床に転がる艦娘達を避けながら寝室へと向かう。この部屋にある家具は大きめのベッド、そして枕元に立てかけられた自身の刀。日本刀のような拵えにしてトラック泊地の木曾から譲られた艤装。木曾と言う霊力の供給元から離れても武装の態を維持しているのは、扶桑の分霊が宿りこれを守護しているから。技術者でない自分にはその原理や根拠はよく分からないが、扶桑の想いがある限り、この刀は刀として働き続け、それを振るう自分を守り続けるのだろう、南洲はそう考えている。

 

 枕元に腰掛けた南洲は、ぼんやりと刀を眺めながら、ぽつぽつと囁くように刀に話しかけ始める。

 

 「…宇佐美のダンナから、指輪をもらったよ。って言ってもソッチ系じゃねーからな、念のため言っておく。新たに強い絆を結んだ艦娘にあげろ、もういい加減前に進んでもいいだろ、だとさ。なあ扶桑、こんな俺でも、何でか知らないが六人もの艦娘がついて来てくれている。拠点の艦隊司令なら複数の指輪持ちもたくさんいるが、俺はどうしても割り切れなくて、な」

 

 かつて見た様々な鎮守府の例を思い返しながら、南洲は生あくびをし、再び言葉を紡ぐ。

 

 「お前は『仮初めでも幸せだった』、そう言ってくれたが、俺が今こうやって生きているのはお前だけじゃない、ウェダの艦娘の犠牲の上に立ってのことだ。なあ扶桑、俺はもう復讐とか復権のために剣を振るうつもりはない。お前や春雨、そしてウェダの仲間達のように、誰かの思惑で命を弄ばれる艦娘を生まないため、それをお前たち艦娘に強いる阿呆どもと戦うため、そのために生かされたんだと思っている。前に進む云々は、それが済んでからだな」

 

 そこまで言うと南洲は刀の柄を、まるで誰かの頭を撫でるようにぽんぽんと軽く叩く。立ち上がって寝室を後にする南洲は、自分の背後で刀がぼんやりと白く光っていた事に気づかないまま歩き去る。

 

 

 「しかし何でこんなに眠いんだ……。だめだ、耐えられない…」

 トイレで用を足した後、とりあえず歯を磨き眠気を覚まそうとするが、南洲の眠気は醒めるどころかますます強くなり、寝室へ戻ることも覚束なくなってきた。ふらふらとした足取りでリビングまで戻ってきた南洲は、何とかソファに座り、そのまま眠りへと落ちて行った。

 

 

 

 その頃リビングの床では、静かな駆け引きが行われていた。南洲が歯を磨いているあたりで、ほとんどの艦娘が目を覚ましていた。そしてソファに南洲が座り、すぐさま寝息が聞こえ始めた。

 

 薄暗いリビングダイニングの中、やがて一つの影が長い金髪を揺らしながら立ち上がる。南洲のすぐ前まで進み膝立ちになると、愛おしそうに頬を撫でている。

 

 「そんな寝顔なのね、アナタは…」

 しばらくの間南洲を見つめていた影が、寝ている南洲に口づけようとする。

 

ごんっ。

 

 鈍い音が響き、南洲に口づけようとしていた影がずるずると崩れ落ち、南洲の左脚に凭れるような姿勢で動かなくなる。その背後にはワインボトルを逆さに持った一つの影が立っている。

 

 「そのくらいにしておいてくださいね」

 静かに言い捨てるとワインボトルを床に置き、ツインテールと幅広のミニプリーツスカートを揺らしながら最初の影と同じように南洲に近づくと、依然として眠っている南洲にしな垂れ掛かる。

 

 「いつも私から不意打ちしてばかりですね、うふふ♪」

 その指先は南洲の顎から首筋をなぞり、シャツの第三ボタンまで開けると胸元を露出させ、愛おしげに、まるで猫が目を細めるような表情ですりすりとしている。

 

がんっ。

 

 棘鉄球(モーニングスター)が振り下ろされ、南洲の厚い胸板に頬擦りしていた艦娘がずるずると崩れ落ち、南洲の右脚に凭れるような姿勢で動かなくなる。

 

 「油断も隙もあったものではありませんね」

 眠そうな表情のまま、ゆるやかに軽いウェーブのかかったサイドテールを揺らす別の影がソファに上る。絶対に離さない、そう言わんばかりに左腕にきつくしがみつき、満足そうな表情ですりすりと頬擦りをする。

 

 「いつものお返しです、はい」

 南洲の耳たぶをはむはむしたり首筋をぺろっとしたりしていたその影は、そのうち再び眠くなったのか、うつらうつらと頭が上下に揺れ始め、すやすやと眠りに落ちて行った。

 

 

 「…みんな凄すぎです。けれど、勉強になります!」

 小さなガッツポーズでふんすと気合を入れた表情で、さらにもう一つの影が立ち上がる。ごそごそと取り出した小さな包みを紐解き、何かを取り出す。手の中には二枚組でゴムの外周カバー(サイレンサー)がつくUSMCモデルに似たダブルタイプの認識票がある。一枚目の表面には南洲の名前と所属等基本情報、裏面には手彫りで薄くエッチングされた文字『この力で、艦隊を…あなたをお守りします!』が窺える。南洲の正面に立ち、悪戦苦闘しながら認識票を付けると、満足そうな表情で、震えながら南洲に口づけようと近づいてゆく。

 

 「や…やっぱり恥ずかしすぎますっ!!」

 いったん身をひるがえし、気持ちを落ち着けるようにテーブルの上のシュトレンを摘みもぐもぐと食べた後、洗面台の方へ行った方と思うと口を濯ぐ音がする。そして夜目にも分かるほど真っ赤な顔で、ポニーテールを揺らしながらソファの右側にちょこんと座り、目を閉じて触れるか触れないかの口づけをすると、やり切った感の溢れる表情を見せる。そして何故か急に訪れた眠気に逆らえず、南洲の右肩に凭れかかる様に眠りに落ちた。

 

 

 そんな一連の光景をブランケットの影からちらちらと、それでいて目を離せず真っ赤な顔で見ていたもう一人が、おずおずと起き上がる。その表情はさきほどの影同様、夜目にも明らかなほど真っ赤になっている。

 

 「もう少しで轟沈するところでした…」

 気持ち的な戦いを意味しているのだろうが、自分を落ち着かせるようにすーはーすーはーと何度も深呼吸を繰り返し、意を決したように立ち上がり、南洲の前まで進むと、くるっと向きを変えソファを回り込むようにして背後にまわり、ふわっと両腕を肩に回す。頬と頬がくっ付くような距離で、依然として真っ赤な顔のまま何かを南洲のジャケットの襟の裏側に取りつけている。普段は自分の髪を止めているカタパルトをモチーフにした髪飾り、それをピンバッチのように改造し、目立たないような位置にそっと止める。そして軽く頭を動かした南洲の唇が自分の頬に触れるのを感じ、さらに頬が熱くなるのを感じていた。

 

 「こんな私ですが、せいいっぱい頑張りますね…」

 小さくつぶやいたその影は、南洲の温もりを楽しむようにそのままの姿勢を続け、やがて小さな寝息を立てはじめた。

 

 

 「うー、変な姿勢で寝てもうたから体痛いわ。…なんやあの珍妙なオブジェは? まあええわ、ちょうどいい所が空いてるし…はあどっこらせっと」

 Cd値が良さそうな空力的に洗練されたシルエットを見せる最後の影は、大きく開いている南洲の両脚の間に白い大きなサンタ袋を運ぶと、そこにクッションソファよろしく体を横たえると、再び眠りについた。

 

 

 

 翌朝、羽黒は他の艦娘達より一足先に目を覚まし、自分がどのような姿勢で眠りに落ちていたかに気づき、ぱっと南洲から体を離した。そして南洲を中心とする光景に苦笑を浮かべながら、名残惜しそうに南洲の宿舎を後にしていた。

 

 そして目が覚めたビスマルクは、自分の記憶が途中で途切れていることが不可解だったが、それ以上に南洲の脚にしがみつくようにして、左腿を枕にして寝ていた自分に気付き顔を赤らめ、視線を動かした際に目に飛び込んできた物に驚愕した。

 

 

 茶髪のツインテールが南洲の下半身に顔を埋めている(ように見える)。

 

 「な…な…何をやってるのよーっ!!」

 

 絹を裂く絶叫と言うのは、まさにこういうことだろう。その声で一斉に全員が目を覚ます。南洲ももちろん、びっくりしたような表情でがばっと身を起こす。

 

 「何を騒いどんのや…ってこ、これは…! あかん、ウチにも心の準備が…ってなわけあるかーっ!!」

 

どごっ。

 

 「……………!!」

 

 そして龍驤はというと、仰向けで寝ていたはずが器用に一回転してうつぶせになりそのまま眠っていた。正確な位置としてはサンタ袋の端に顔を埋めていただけだが、角度によってはビスマルクが誤解した形に見えなくもない。目が覚めて突然目に飛び込んだ何かに吃驚仰天、龍驤が思わず放った綺麗な右ストレートが南洲に声にならない叫びを上げさせる。

 

 

 ぎゃあぎゃあと騒がしい艦娘達を視界の端に捉えながら、南洲はなんでこんな事になっているんだと考え、涙目で男にしか分からない痛みに一人耐えていた。

 




 ここまで物語にお付き合いくださいました皆様、本当にありがとうございます。Xマスなのでたまにはこういうお話もお許しください。

 年明けから物語は第五章に突入いたしますので、宜しければまたおつきあいいただけますと嬉しく思います。年内はもう一本連載中の方を投稿するかもしれません。

 それで皆様、一足お先によいお年を!


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Mission-5 戸惑う男
53. 北へ


 皆様あけましておめでとうございます。

 という訳で、第5章スタートとなります。新たな任務のため、大湊警備府へ向かう南洲達一行。普段とは違う特務に戸惑う南洲と、遭難した一名の艦娘の謎を中心に話が展開してゆきます。


 宇佐美少将の説明を聞きながら、南洲は複雑な表情で困惑していた。今回の任務は、少なくとも自分にとって初めて体験する類のものと言っていい。任務そのものは勿論対象拠点の大湊警備府に到着してから始まるが、聞けば聞くほど人選ミスだな、という思いが強くなってくる。南洲の視線、そこに込められた懐疑的な色を感じ取った宇佐美少将も、肩をすくめながら話を続ける。

 

 資料によれば、大湊警備府に運営上問題を感じさせる要素は現時点で分かる範囲ではどこにもなく、むしろ健全な拠点といえる。だが、その大湊に唯一陰を落とす問題が一つだけある。

 

 現任者の仁科 良典(にしな よしのり)大佐が大湊の司令官に着任してから二週間ほど経つ。彼の大湊への着任自体は、もともと病に伏していた前任の補佐として二か月以上前まで遡る。前任者となる年老いた司令官だが、半年程前から進行性の病に伏していた。おそらくは余命幾許もないと本人も理解していたのだろう、病院にいるよりは、自分の愛した海を見ながら、愛する艦娘達に囲まれながら、後任者に業務を引き継ぎながら、最後の瞬間まで司令官であり続けたい、そう願い警備府に留まり続けていた。そして残される者にとっては悲しいことながら、彼は二週間前に旅立ってしまった。

 

 「そうか、『トキ』が…。長生きすると思ってたんだが、な…」

 南洲は短く言葉を吐く。『トキ』、そう呼ばれたのは大湊警備府先任司令官の芦木 斉(あしき あきら)中将である。士官学校で長年教務を取ったのち、いわば定年前の『上り』として大湊に司令官として着任していた。南洲の士官候補生時代の教官であり、その容貌や言動が一子相伝の暗殺拳の次兄に酷似していたことでかつての学生がそう綽名し、それが歴代受け継がれ、由来も元ネタも知らない南洲達の世代の学生も当たり前のように同じく呼んでいた。跳ねっ返り気質の強い南洲は随分とトキに手間をかけ、それと同じくらい面倒を見てもらっていた。かつて南洲がウェダの司令官に着任すると決まった時は、トキは自分の事のように喜び、餞別にと大小拵えで二振りの日本刀を贈るほどだった。影に生きる以前の自分を知る人物がこの世を去ることの意味は、南洲にとって小さくはなかった。

 

 その芦木中将(トキ)の秘書艦だった艦娘は、他の艦娘達が何とか気持ちの折り合いを付けたり、心のどこかに蓋をして割り切ったりしながら仁科大佐を司令官として受け入れ始めているのと裏腹に、誰の説得にも応じず自室に閉じこもり出てこないらしい。ただ引きこもっているだけならいずれ時が解決するかも知れないが、厄介なのはトキを見送った日以来、一切食事に手を付けない状況にあることだ。すでに二週間が経過し、いくら艦娘といえども生体機能の維持に黄色信号が灯り始める。

 

 

 今回の南洲の特務、それは『大湊警備府()秘書艦の説得』。

 

 

 不法行為に手を染める拠点責任者の摘発でも、政治的な思惑に塗れた暗殺でもなく、心を閉ざした艦娘を説得し前を向かせること。それが南洲に課せられた特務である。無論赴く以上大湊警備府の査察も兼ねているが、こちらは大過なく終わることだろう。

 

 「一体俺に何の話をしろってんだよ? 説得してどうしろと? そもそもそれこそ司令官の仕事じゃないのかよ」

 反駁する南洲に対し、宇佐美少将は明確にその意見を否定する。

 

 「通常の場合ならそうだろう。だが今回の場合、仁科大佐に芦木中将の影が重なってしまうからな。大湊にとって第三者であると同時に芦木中将を知るお前こそ適任だ。相手は扶桑型戦艦二番艦の山城だ。手配の詳細は大淀に聞いてくれ」

 

 穏やかな口調で告げる宇佐美少将の言葉通り、南洲達の出発は一月四日となった。彼の大晦日、新年は慌ただしくものんびりとした空気に包まれながら過ぎていった。クリスマスの惨状を踏まえ、年越しは最初から部隊全員で過ごすことを龍驤が提案し、多数決と言う数の暴力の結果、涙目の春雨を除く圧倒的多数でその提案は艦娘達に受け入れられた。宇佐美少将が片目を瞑りながら大晦日の夜に命じた『艦艇護衛訓練』の名目で沖合に出た六名は、夜明け前に南洲の座乗するPG829(しらたか)を囲むように海上に展開し、水平線から上る朝日に照らされながら新しい年を迎えた。もっとも、その後艇内で開かれたニューイヤーパーリーはクリスマスを上回る勢いだったらしい。

 

 「それとな、大湊までの航行中、遭難艦の捜索も可能なら並行して行ってほしい。ん? 事案の発生は二週間前だ。まあそう言うな、俺の所にもさっき入った情報でな。技術本部(技本)ここ(艦隊本部)のお偉いさんが勝手に決めた事で、遭難以前に抜錨したことさえ極秘だったようだ。何のために単艦抜錨させたのかは知らんが、牡鹿半島沖で消息を絶ったらしい。現場までその話が下りてきたという事は、連中は匙を投げたということだろう。遭難発生から二週間、おそらく発見は難しいだろう、だが万が一ということもある」

 

 

 

 大淀と打ち合わせた経路通りに、PG829(しらたか)は進む。左手に眺める鹿島港を中心とするコンビナートの灯りが夜を彩る中、南洲たち一行は鹿島灘沖を順調に航行中だ。

 

 民間軍用大小を問わず幾多の船舶が行き交う東京湾を、浦賀水道を抜けるまでは指定された制限速度を守り航行を続ける。房総半島を左手に見ながら野島崎灯台を過ぎたあたりで一気にLM500-G07ガスタービンエンジンの出力を上げ30ノットまで増速する。1900(ヒトキュウマルマル)に抜錨、夜明け頃に遭難艦が消息を絶ったという牡鹿半島沖に差し掛かる。ここを中心に数時間捜索活動を行った後石巻港で給油、改めて大湊警備府へと向かう。予定通りなら1500(ヒトゴーマルマル)頃現地入りすることが可能だ。

 

 

 「綺麗ですね、南洲。やっぱり()()()()()眺める夜景は格別です、はい」

 

 同じような光景は以前もあったが、それは南洋でのこと。今は冬の太平洋を30ノットの高速で疾走するしらたかの中央部、艦橋とエンジンユニットに挟まれた出撃デッキに、脚の間に挟むようにして春雨を収め自分のジャケットの中に半ば包みながら南洲は座る。

 

 冬の冷たい潮風や海水の飛沫で体温を逃がさないよう、米海軍のN1タイプに似たデッキジャケットに身を包む春雨。それでもその頬は赤くなり、白く吐く息は風に乗り流れてゆく。南洲の予備のものを着ているため、指を伸ばしてもまだ袖があまり、着丈もジャケットというよりはハーフコートのような出で立ちになっている。無論南洲自身もデッキジャケットを着こみ十分な防寒仕様だが、それでも30ノットの速度で吹き付ける潮風は容赦なく頬を打つ。

 

 「こうやって南洲の腕の中を独占できるのは私だけですから、はい」

 言いながら体重をかけてくる春雨を南洲もまた軽く力を込めて抱きしめる。この二人の関係には余人では立ち入れない何かがあるのは確かだ。だが周囲もそれを受け入れた上で、それぞれが独自に南洲との関係を模索している。それが健全なのか不健全なのか、当事者以外には分かりえず、また口を挟む権利もない。

 

 「それよりも、健康診断の結果は…?」

 「クリスマスなんて日に受診させるから、ラボが休暇に入っていてまだ結果は受け取ってない。まあ問題ないだろ」

 

 春雨の問いに南洲はあっさりと答える。南洲から表情は見えないが春雨は不満げな表情を浮かべている。だが診断結果が出ていない以上南洲としても答えようがなく、軽く肩をすくめるしかできない。

 

 「とにかく、あんまり無理はしないでくださいね。南洲のためなら、私、何でもするから…だから、いなくならないで、ください…」

 南洲は言葉の代わりに強く抱きしめ、おどけたように言葉を続ける。

 「無理をするなと言うなら、そろそろ部屋に戻ろう。流石に冷えてきたよ」

 その言葉をきっかけに二人は立ち上がり、ぽんぽんとお尻のあたりを叩き埃を払ってから、手をつなぎ歩き出す。

 

 

 

 

 「大淀、俺はあの仁科という大佐が好かんのだよ」

 ファイルを左手に抱えた大淀は珍しそうに宇佐美少将を見やる。この人が立場を離れて人の好き嫌いをここまではっきりと口にするのは珍しい。大淀は眼鏡越しに少将を眺めると、そのまま言葉の続きを待つ。

 

 「別に悪事を働いている訳ではない。だがあそこまで上昇志向を露骨に出す奴も、な…。俺はな、今回の査察結果次第では南洲を大湊の司令官として推薦しようと考えている。以前に比べてアイツも精神的に安定してきた。春雨を始めとして所属艦娘との関係も極めて良好だ。それが本来の姿なんだろうが…。だからこそ、今みたいな根無し草じゃなく、きちんと腰を落ち着ける場所があれば、アイツもこれ以上危ない橋を渡らなくてもいいだろう。甘いか? 大淀、俺はな、南洲をどうしても放っておけないんだ」

 

 大淀も以前とは異なり、宇佐美少将と同様の見解を南洲に対して抱いている。舞鶴で何があったのかは知らない、だがあれをきっかけに南洲の言動には大きな変化が生じたように思える。それにしても、少将自身が『甘い』と自覚するほど槇原少佐に肩入れしているのが微笑ましく、つい想像の翼を広げてしまう。

 

 「ひょっとして翔鶴さんの転属は、槇原少佐の転属を見越して少将が裏で手を回したのですか?」

 「いや、それは違う。トラックから南洲が連れてきた鶴姉妹は技本ががっちり抱え込んでいてこちらにはまるで情報が入ってこなかった。その翔鶴が大湊に転属するために単艦で向かっていただなんて、こっちもびっくりしたさ」

 

 翔鶴型航空母艦一番艦 翔鶴。

 

 元トラック泊地の所属だった彼女は、深海棲艦化した末に瑞鶴との戦闘で深手を負い意識不明の状態になっていた。同地の査察終了に合わせ、南洲が治療のため大本営に連れてきたものの、その後は技術本部預かりとなり情報が一切入って来なくなった。久しぶりにその翔鶴の情報が入って来たかと思えば、大湊警備府へ移動中に遭難というものだった。



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54. 笑顔

 金華山沖に停泊し、行方不明の翔鶴の捜索を開始する南洲たち一行。
 指揮と管制のため母艦に残る南洲と鹿島、二人にある複雑な思い。
 



 「昇る朝日っていうのはいつ見ても気持ちが洗われるようね」

 

 艦橋とエンジンユニットの間に設けられたPG829(しらたか)の出撃デッキで、ビスマルクは潮風に踊る長い金髪を押さえ、朝日の眩しさに目を細めながらそれでも輝く水面から目を離そうとしない。本来であれば6.3メートル型複合型作業艇が露天係留される場所だが、艦娘を運用する南洲の部隊ニーズに合わせ、艇の左右から二本一組の出撃用カタパルトレールを最大四組同時展開できる。海面に向け滑り台のように斜めに伸ばされたカタパルトレールを利用し、加速した艦娘達は着水と同時に一気にトップスピードに近い速度で疾走する。

 

0430(マルヨンサンマル)

 

 前夜に抜錨した南洲達は、現在金華山沖に停泊している。

 

 牡鹿半島沖で消息を絶ったという翔鶴に沈没以外の可能性を考えると大破漂流となる。その場合の行き着く先、一つは親潮の支流に乗り鹿島灘を南下、さらに合流する黒潮続流に乗った末の太平洋。もう一つは、親潮の支流と黒潮、さらに津軽暖流の複雑な潮流が作る東北沖の回流帯。

 

 だがいずれにせよ、翔鶴の遭難からすでに二週間、客観的に考えれば発見の見込みは薄い。南洲は宮城から岩手にかけての沿岸部、複雑な形状を織り成すリアス式海岸の岸壁や岩場を捜索することに決めた。ひょっとしたら岩礁にはまり動けなくなっていることもあり得ない訳ではない、僅かな可能性だが広い東北沖を太平洋方面に闇雲に探すよりは現実的とも言える。

 

 

 「この辺は…ほんまに()な海域なんや。どうしてもあの時のこと思い出してまうなぁ…」

 デッキコートを羽織った龍驤が演技ではなく本気で身をぶるっと震わせる。このすぐ北方の海域で、軍艦時代の龍驤は艦橋前面を損傷する事故にあった。

 

 第四艦隊事件-三陸東方沖合で行う演習のため、無謀にも最高風速約50mという大暴風に突入した第四艦隊は、波高20mに達する巨大な三角波に遭遇した。その結果、演習参加艦艇41隻の内、約半数の19隻が何らかの損傷を受け、第四艦隊は演習の中止を余儀なくされた。翌年の友鶴事件と合わせ、帝国海軍艦艇の復元力と船体強度の不足を露呈するきっかけとなったものである。

 

 「いやあ、ほんまあん時は死ぬかと思ったで。あれ経験すれば、まあ大概の荒天じゃぁビビらんようになるな。翔鶴もなぁ…無事やとええんやけど」

 事故当時とは比べ物にはならないが、それでも現在の東北沖は波も荒く風も冷たい。右舷カタパルトレールに向かう龍驤はそばにいる羽黒に手を振ると、よっこらせ、と言いながら厚底ブーツのように嵩上げされた両足の主機を所定の位置に載せる。

 

 「ほないってみようっ! ええかみんな、ここはウチが仕切るでっ」

 

 膝をかがめ手を後ろに組んでカタパルトレールを滑り降り、着水寸前に「とうっ!!」という掛け声とともに跳びあがる龍驤。足元にスキーがあればそのままジャンパーのような姿勢を空中で取ると、空気抵抗の少ない薄型ボディは意外と飛距離が出る。

 

 「ちょっ、龍驤、捜索ってあなたが飛ぶわけっ!?」

 驚いたビスマルクが舷側から上半身を乗り出すようにして声を上げる。当の龍驤は普通に少し離れた海面に着水し沈み込みを避けるため円を描くようにターンを決め体勢を安定させる。そしてビスマルクに向かい、飛べる訳ないやろ(ヾノ・∀・`)とからかうような笑みを返すと、艦載機の発艦準備に取り掛かる。やや遅れて護衛役の秋月と春雨が出撃体勢に入っている。真剣な表情で気合を入れる秋月と、不機嫌そうに頬を膨らませる春雨、いかにも対照的である。

 

 「鹿島さんと南洲を二人きりでしらたかに残すなんて…」

 ぶつぶつ言いながら秋月と同時にカタパルトレールに乗る春雨は、名残惜しそうに艦橋を見上げると、滑る様に海面に降り立ち、龍驤を追走する。

 

 

 

 今回の龍驤の編成は偵察特化とも言えるもので、第一スロットの二式艦上偵察機一八機で濃密な捜索網を形成し翔鶴の捜索にあたる。第二スロットの熟練妖精さんが駆る零戦三二型二八機で直掩を展開、他は12.7cm連装高角砲と14号対空電探で万が一の敵襲にも抜かりなく備えている。

 

 空は薄曇りへと変わり、強い海風にあおられて鈍色のどんよりした重い波がうねる東北沖。

 

 羽黒とビスマルクはしらたかの護衛のため艇を挟むようにして海上で待機している。羽黒はデッキジャケットを着こみ両腕で体を守る様に包んでいるが、緯度で言えば樺太中央部と大差ないハンブルグで生まれ北海を主戦場としていたビスマルクはいたって平気そうに、凛とした表情で海を見つめている。それでも厚手の上着を手放したくないようである。

 

 「ド・テーラ…コ・ターツと組み合わせると至高の装備なのに。さすがに海上での単体装備だと効果は低下してしまうみたいね」

 赤茶に黄色で花柄をあしらった渋めのデザインの褞袍(どてら)を、いつもの黒い軍服様の制服に羽織って海に出たビスマルク。残念ながら彼女の期待したような効果を褞袍は発揮できなかったようだ。

 

 

 そしてもう一人―――。

 

 南洲が艦橋の艇長席に座り宇佐美少将と連絡を取りながら捜索エリアの報告など打ち合わせをしていると、コーヒーとサンドウィッチを用意した鹿島がやってきた。部隊の戦闘管制を担当する鹿島が、今回は秘書艦として南洲と共にしらたかに残っている。

 

 「なんし…あっ」

 声を掛けようとして南洲が通信中なことに気付き、途中で言葉を飲み込んだ鹿島。彼女の方を振り向くと手を顔の前に立て、『悪い、後でな』とジェスチャーをする南洲。鹿島はしばらくの間両手でトレーを持ちなら南洲の後ろに立ち、通信が終わるのを待っていた。話の内容から相手は宇佐美少将に間違いなさそうだが、捜索エリアの設定やこちらの天候、大湊の状況らしき話が断続的に続き、折々笑い声や世間話の様なものも含まれ、なかなか終わりそうにない。

 

 コーヒーも冷めちゃうし出直そうかな、と鹿島がくるりと振り返った時、南洲が手を伸ばし鹿島のジャケットの裾をくいくいと引っ張る。鹿島が改めて向き直ると、再びジェスチャーで何かを持つ手を口元に運ぶ仕草を示す南洲。

 

 鹿島はぱぁっと明るい笑顔でいそいそとポットのコーヒーをカップに注ぎ南洲に手渡す。南洲はカップを受け取ると、一口すすり再び宇佐美少将との打ち合わせを続ける。

 

 

 「悪い、思ったより時間がかかっちまった。コーヒーとサンドウィッチ、ありがとな。ちょうど腹が減ってたんだ」

 

 くつろいだ表情と姿勢で南洲は鹿島に礼を言う。鹿島も嬉しそうに微笑むと、素早く南洲の椅子の背もたれに手を掛けてくるりと回し、両脚の間にすとんとお尻を収め、腰をひねり南洲の首に両腕を回し、密着するように抱き付く。制服越しとはといえかなりのボリュームの胸部装甲を押し付け、鹿島は目を細めながら南洲に頬擦りを繰り返す。

 

 「お、おい…鹿島」

 「鹿島がこうしてたいだけなので、気にしないでくださいね、うふふ♪」

 

 南洲は、辻柾参謀を射殺した一件を引きずっている。

 

 -もっと早く自分が拘束するか殺すかしていれば、鹿島が辻柾を銃撃するような事態にはならなかった。

 

 人間を守るはずの艦娘が人間を殺すという拭えない業を負わせ、行き場を奪ってしまった、その後悔で、受け止められないまでも拒まない、そんな曖昧な距離感で鹿島と接している。

 

 

 一方で鹿島も、南洲が必要のない負い目を感じているのは理解している。理解した上で、意図的に誘うように迫るように、自分の痕跡を南洲に残そうとしている。

 

 -扶桑さんにも春雨さんにも勝てないのは分かっています。でも、私だって南洲さんが欲しいんです。

 

 いくら正当防衛としても、人間を射殺した艦娘を現実的に引き受ける先もなく、内心解体命令を覚悟していた自分を査察部隊に迎えてくれた。それだけでもどんなに嬉しかったか。けれど、一つ手に入ると次が、その次が欲しくなる。今いるこの場所を奪われたくない、誰よりもそばにいたい。負い目でも何でもいい、南洲が自分だけに感じる感情があるなら、もっと強く感じてほしい。

 

 

 二人の間に微妙な、それでいて濃密な空気が流れ始めた矢先、翔鶴を捜索中の龍驤から通信が入り一気に現実に引き戻される。

 

 「おーい、こちら龍驤―。隊長、あかんなー、こんだけ艦偵を投入したのに翔鶴のしの字も見つからんわ。これはやっぱり…」

 

 我に返った南洲が無理矢理椅子を回しながら体を逸らすと、不安定な姿勢でバランスを崩した鹿島は南洲から降りることを余儀なくされ、ぷうっとふくれっ面になる。一方南洲はこれ幸いとばかりに龍驤に応答する。

 

 「そうか…分かった。帰投してくれ龍驤。対空対潜警戒は怠るなよ」

 「まかしとき、隊長。ほなまた後で」

 

 「ビスマルクと羽黒には悪いが、三人が戻るまで警戒を続けてもらうか」

 

 南洲は二人にも連絡を取り状況を共有しつつ指示を出すと、鹿島を伴いながら甲板へと降りてゆく。21号対空電探改を装備する鹿島が周辺空域を警戒しつつ首にかけた大きな双眼鏡をのぞき込みながら残念そうに口を開くと、南洲も辛そうな表情で首を横に振る。

 

 「一二…一九……()()、東北東に二式艦偵一八機、真北に()()()()を確認。龍驤さん、直掩以外全部偵察機にしたんですね。それでも手がかりさえ見つからないという事は…」

 

 

 龍驤の第一・第三・第四スロットの合計と同数だったため見過ごされたが、このいないはずの彩雲の存在が大きな意味を持つ事を、今は誰も知らずにいる。

 

 

 

 ごうっ。

 

 

 不意に吹いた強い海風が鹿島の髪を大きく乱し、思わず庇うように風から顔をそむける。顔を上げると帰投したみんなが甲板に次々と上がってくるのが見える。鹿島の視線の先には南洲が、その彼の視線の先には春雨がいる。一瞬だけ泣き出しそうな表情になったが、鹿島はすぐに笑顔に戻る。

 

 「みなさん、お疲れ様でしたー。お風呂の準備ができてますから温まってくださいね。あ、南洲さんも一緒にどうですか? うふふ♪」



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55. ゆきのふるみなと

 大湊に到着した南洲達一行を迎える仁科大佐。



 予定よりやや遅れて1630(ヒトロクサンマル)に大湊港に入港したPG829(しらたか)。帰投した捜索隊からの報告を受けた結果、津軽海峡に入るまで、対空警戒と翔鶴の捜索を継続したため、当初予定より時間がかかってしまった。

 

 

 出撃デッキに集合した一同。帰投した捜索隊の報告を聞きながら、みるみる南洲と鹿島の表情が険しくなる。他の五人は怪訝そうな表情でそれをみていたが、翔鶴を発見できなかったことに心を痛めているのだろうと、解釈していた。そんな中南洲が龍驤に厳しい表情で再び問う。

 

 「龍驤、お前が展開していた捜索隊は、二式艦偵一八機で間違いないんだな」

 「せや。さっきも言うたやん」

 

 鹿島がとまどいながら龍驤に自分の電探が捉えていた情報を伝えると、今度は龍驤以下捜索隊が怪訝な表情になる。

 「で、でも龍驤さん? 鹿島の電探では二七機展開しているのを捕捉しました。うち九機は彩雲だったので、てっきり第一・三・四を全て索敵に当てたのかと…」

 「ちょ、ちょい待ち! 今回ウチは彩雲積んどらんでっ!! ウチの電探は…ああ、沖合は途中から結構な吹雪になってな、電気系統がワヤなってたんや…。せやけど位置的に考えて大湊のもんちゃうの? 羽黒やビス子はどないやん、護衛で洋上展開しとったんやろ?」

 珍しくかなり焦りながら龍驤がビスマルクに話を振るが、反応は似たようなものだった。ビスマルクの搭載するFuMO25 レーダーも確かに二七機の機影を捉えていたが、漠然と龍驤の偵察機だろうと詳細の確認を怠り、さらに仮に敵機だとしても、いざとなれば自分と羽黒で対処すればいい、程度に考えていた。

 

 ぎゃあぎゃあと騒ぎ立てる艦娘達を眺めている南洲の目がすうっと細くなり、腰に差している木曾刀を鞘ごと抜き、両手で柄頭を押さえながら甲板に立てる。

 

 たんっ。

 

 一瞬で艦娘達の喧騒を沈める乾いた音が響き、全員の視線が南洲に集まる。

 

 「お前ら、ちょっと腑抜けてないか? ………死にたいのか?」

 単なる確認漏れで済む話ではない、もしこれが敵性勢力のものであったなら、自分たちの部隊は先制攻撃を受けていてもおかしくない。全員の顔色が変わる中、南洲は厳しい表情のまま何も言わず目の前の五名に視線を送る。春雨と秋月、鹿島はほとんど泣きそうになり、龍驤とビスマルクは憮然した表情で、羽黒は項垂れている。

 

 「どうしろとは俺からは言わない、自分達で考えろ」

 それだけを言い残し、南洲は艇長室へと戻って行った。

 

 

 艇長室で南洲は暗然とした表情で深く考え込んでいる。大坂鎮守府の査察以来、いや舞鶴まで自分を迎えにやって来た彼女達を受け入れて以来部隊の雰囲気は変わり、有態に言えば距離感が縮まり緩くなった。例のクリスマスパーティが最たる例だ。それが悪いとまでは言わないが、任務に影響を出すようでは困る。この部隊の成り立ち、そして自分たち以外は潜在的に敵となる任務の特性上、繋がりあいながらも独立している精神構造がなければ、必ず誰かのために誰かが死ぬ日が来る。そして南洲は、そんな状態を招いたのが他ならぬ自分であり、自分こそがこの小さな部隊の六人に依存している、その事実を理解し戸惑っている。問題の本質は彼女達ではなく、自分にある、と。

 

 「隊長、よろしいですか?」

 きい、と軽い音を立て開いたドアから羽黒が顔を覗かせている。振り返り目線で返事をすると、おずおずと入室し、そのまま近づいてくると、躊躇いがちにふわっと抱き付いてくる。

「隊長のせいではありません。私たちが浮かれすぎていたのです。だから、自分を責めたり、また一人になろうとか考えないでください」

 

 -お見通しか。

 

 今さら部隊を離れようとは思っていないが、それでも一定の距離を置くべきかと南洲は考えていたところだった。大人しいけど、見てるところは見てるし、言うことは言うんだよな-羽黒に図星を突かれ南洲はほろ苦く笑うしかなかった。

 

 「同じ失敗は繰り返しません。隊長の矛として盾として、私たちは戦い続けます。だから…もっともっと私たちに踏み込んでください。曖昧にしか満たされないから、その…クリスマスみたいな(たまにああいう)ことがあると浮かれてしまうのです」

 

 羽黒の腕にわずかに力がこもる。途中間が空いた時期もあったが、数少ないウェダ時代から自分について来てくれる艦娘。大人しい性格の羽黒がここまで言うのは、相当勇気が必要だっただろう。南洲はすっと左手を上げ、羽黒の頬から髪を優しく撫でる。

 

 「まだ冷えてるな。みんなに言っておいてくれ。鹿島は操艇、羽黒(お前)はその補佐、他の連中は津軽海峡に入るまで艇上展開で警戒続行、終了後は熱い風呂に入って体を温める事。いいな?」

 

 返事の代わりに羽黒は南洲の手をきゅっと握り返すと、赤い顔を見られまいとするように足早に部屋を後にする。

 

 

 

 北国の日暮れは早く、1700(この時間)ではすでに日没間近。作業用照明や誘導灯等が雪で覆われた港と舞う小雪を照らす幻想的な光景の中、南洲達は迎えの車の到着を待っている。

 

 「問題があろうがなかろうが、歓迎されないのはいつものことだからなあ。迎えに来るって言ってるだけましか」

 到着が予定時刻より遅れることは既に警備府に連絡済みだが、指定された場所には人影一つない。警備府の司令部施設に行く以上、流石にデッキコートという訳にいかず、南洲は紺色長ジャケットの第一種軍装に金ボタンのフロックコートという普段とは違う出で立ちで、舞う雪を珍しそうに眺めている。

 

 「案外みんな寒がりなのね、意外だわ」

 ケロッとした顔で周囲を見渡すビスマルクは、空を見上げ、冷たい空気を楽しんでいるように見える。緯度で言えば樺太中央部と大差のないハンブルグで生まれ北海を主戦場に戦ってきた彼女にとって大湊くらいだと過ごしやすいのかも知れないが、真っ白いファーコートを着込んでいる。

 

 

 「あれか…この雪道をあんなんで来るとはね」

 「そうですね、南洲は刀以外はなんでもゴツくて無骨なのが好きですから」

 南洲の言う『あんなん』とは、黒塗りのストレッチリムジンのような長い車体の車である。路面の雪でゆさゆさと車体を上下させながらゆっくり近づいてくるその車が迎えなのだろう。実用主義者の南洲なら、こういう場合は迷わずハンヴィーを選ぶ。というより、どんな場面でもそうなのだが。

 「まぁそれは間違いじゃないんだが…。いつまで春雨(ハル)はそこにいるんだ?」

 南洲のフロックコートの第一第二ボタンは外され、コートの中から春雨が顔を出している。南洲を見上げる春雨は何も言わずににっこりと笑う。

 

 「ねえ南洲、大坂の時雨ちゃんのこと、覚えてますか? もしよかったら大坂に来ないか、ってお誘いがありました。内緒だそうですけど」

 「へえ……それはどういう意味なんだろうな?」

 「さあ? どんな意味でも、『南洲と一緒なら行きますよ』って言っておきました、はい」

 「まあ何だ、立場を盾にお前を転属させるようなら、斬り込んででも吉野大佐…ああ中将だっけか? と話し合わなきゃな」

 

 コートの中できゅっと南洲の左手を握る春雨の手を、南洲もまたきゅっと握り返す。

 

 

 そして車は南洲と春雨の前を通り過ぎビスマルクの前に停車する。中から急いで従兵が先に降り、後席に向け傘を差しかける。開いたドアから、雪を気にしながら降りてきた一人の将官が傘に守られながらビスマルクの前まで歩み寄る。

 

 「さすがは友邦ドイツの超弩級戦艦、その白い外套がよくお似合いですな。この度北方の門たる大湊警備府までよくおいでくださいました。秘書艦とお見受けしますが、部隊長はどちらにいらっしゃるのかな」

 ビスマルクより少し背の高い痩身の将官は慇懃無礼な口調でビスマルクに挨拶すると、彼女の手を取り手の甲に軽く口づける仕草をする。

 

 「そうね、質問に答える前に貴方が誰なのか名乗るのが先じゃないの?」

 突然の振る舞いに思わず手をひっこめながら、目の前にいる男に冷ややかに答えるビスマルクの視線の向こうでは、秋月と龍驤が雪だるまを作り、それを南洲と春雨が生温かく見守る光景があった。

 

 「おお、それは失礼しました。大湊警備府司令長官、大佐の仁科 良典(にしな よしのり)です」

 「振り返ってごらんなさい。あのスノーマンを作っている艦娘達を見守っている背の高い男が私たちの隊長、槇原南洲特務少佐、秘書艦は…ああ、コートの中にいるみたいね、春雨よ」

 ジト目で目の前の男の視線から身を庇うように体を半身にそらすビスマルクは、淡々と言葉を継ぐ。ふむ、と頷きながら南洲の元へと歩みを進める仁科大佐だが、その目に宿った南洲を見下すような色をビスマルクは見逃さず、今回の任務も前途多難そうね、と思わず白いため息をもらしてしまう。

 

 

 「雪だるまを作るほど()()()()()()ようで。槇原南洲特務少佐…と言いましたか。遠くまでご苦労ですな」

 「そうでもないさ、俺も含めて南方暮らしの長い連中の多い部隊なんでね。楽しく()()()()()()、仁科大佐」

 

 待たされることと待つことは、似ているが大きく異なる。待たされることは時間の主導権が相手にあり、自分の行動は受け身な物、ここに上下関係が生まれる。大物を気取る人物が約束の時間に遅れてくるのはこの効果を狙っての事で、仁科大佐はこの冬空に意図的に南洲たち一行を待たせていた。だがそれに対する南洲の反応は、自分の意志で約束の時間を守れない連中を待ってやったと告げるものだった。

 

 -一筋縄では行かなさそうですね、そうでなければ査察など担当できないでしょうが。

 -宇佐美のダンナは問題はない、と言っていたが、面倒臭そうなヤツじゃねーか。

 

 後手に手を組みながらやや傲然と胸を張り相対する仁科大佐に、皮肉っぽい口調で応える南洲。二人の間に不可視の視線の火花が散る。

 



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56. 日なたの氷

 リムジンの中、仁科大佐の饒舌が南洲を苛立たせる。厳重に秘匿されているはずの経歴を、なぜ知っているのか、と。さらにあり得ない場所での翔鶴との邂逅。


 僅かなエンジン音だけが車内に響き、雪による凸凹を柔らかく越える以外は震動らしい震動もない超高級車ベースのストレッチリムジン。

 

ごく当たり前のように慣れた様子で足を組むビスマルク、緊張気味の羽黒と秋月、龍驤は半分ウツラウツラとし、南洲は車窓から暗い外を眺め、春雨はその彼の左腕にしがみ付くようにして満足そうな表情を浮かべている。冷えたシャンパンとオードブルが乗せられたテーブルが設えられた車中だが、さすがに誰も口を付けようとはしない。思い思いに過ごす南洲たち一行に苦笑を浮かべつつ、少し離れた位置に座り長い脚を組む仁科大佐が口を開く。

 

 「元秘書艦のカウンセリングの真似事を依頼するのは私としては不本意なのですが、前任者の最期の願いということもあり無碍にするのも忍びなく、今回のような仕儀に至りまして…。ところで、せっかくのクリュグなので私は頂くとしましょうか。それでは、謎の特務少佐の歓迎に、そしてドイツの姫君との出会いに乾杯」

 仁科大佐は自分でシャンパンクーラーからボトルを取り上げグラスに注ぎ、一人満足そうにグラスを軽く持ち上げ口を付ける。

 

 謎の特務少佐? 龍驤と春雨を除く艦娘達が顔を見合わせる。龍驤はすっかり寝落ちしてしまい、春雨は『何を言ってるんだか』という表情で目もくれない。その気配を察したかのように、仁科大佐が話を続ける。

 

 「おもてなしの基本にして真髄は相手を深く知ることです。そのために()()調べさせてもらいましたよ。外地生まれ、米軍に範を取ったNROTC(予備役士官訓練課程)を修了した予備士官(ミジップマン)として軍歴を開始。以後セレター軍港で補佐官を経た後に参謀本部に栄転、作戦運用を担当。今はビスマルク姫の護衛を兼ねた査察部隊の部隊長に就任した特務少佐…という触れ込みのようですね。そうそう、そう言えば、インドネシアでのKIA(戦時死亡者)にも同名の司令官、千葉生まれで先任司令が教官時代の教え子、がいましたね。何が事実で何が嘘なのか、いやあ非常に興味深い。詳しく調べようにも外地、閉鎖済みの基地、大本営中枢、そして技本の情報は容易に取れませんからね、色々上手くできていると評価させてもらいますよ」

 

 「手前(てめえ)…そのよく回る舌ぁ縮めた方がいいんじゃねーか。手伝ってやってもいいぜ」

 艦娘達の注目が集まる中、南洲の表情がみるみる険しくなり、刀に手がかかる。本当に抜く気はないが、これ以上喋らせ続けるのは本意ではない。

 

 査察官としての南洲は、顔と名前と所属階級程度の情報は調べれば知ることができる。そうなると南洲の身元を洗い弱みを握って事を優位に運ぼうとする輩は必ず出てくるが、多少調べた程度では()()()()経歴に辿りつくよう情報は操作されている。仁科大佐のように徹底的に調べた者であっても、今度は経歴と氏名の不一致に眉を顰めることになる。氏名が正しいならインドネシアのハルマヘラ島で戦死したという男が浮かび上がるからだ。

 

 ウェダで起きた真相は徹底的に隠蔽されているが、基地の潰滅自体はそれなりに知られている。無論軍以外で南洲を元々知る者もいるが、戦死公報まで出ている以上その戦死を疑っていない。流石に公報の偽装を念頭に置く者もそうはいないからだ。加えて、ウェダ潰滅時に重傷を負った南洲は、元となる写真等の資料がないまま頭部や顔面の修復形成が優先され、面影は残しながらも元の顔と異なる印象の顔に形成されている。事ここに至ると敵対者は悟り、諦め始める。これは艦隊本部が主導しているものであり、これ以上の深入りは艦隊本部そのものを敵に回すとー。

 

 

 経歴、氏名、顔、その全てが繋がらない灰色の男と出会うのは基本的に一度限り、査察なら捕縛の上収監、特務なら文字通り死人に口なし。結果、戦死者の名を名乗る謎の特務少佐-槇原南洲という存在はそう認識される。本人が本名を名乗っているだけだが、今の南洲は死人が歩き回っているようなものだ。

 

 

 そんな彼について正確な情報があるのは技術本部(技本)、艦娘との生体融合実験の被験者としての詳細な記録が秘匿されている。一見接点のない戦死者と技本を繋ぎ、かつ絶望的に困難なセキュリティを突破して部分的にでも南洲の情報を手に入れたのは、これまでの所大坂鎮守府の情報室室長・電脳戦のエキスパート漣だけである。

 

 

 だが仁科大佐は、その厳重に秘匿された経歴と繋がりを知っている、と仄めかしている。

 

 

 南洲はすうっと細めた目から厳しい視線を送るが、仁科大佐は一向に意に介さない様子でにんまりとした笑みを崩さない。

 「今回の貴方の立ち位置ですが、そもそもカウンセリングは貴方の軍権に含まれません。私が寛大な心で許可しただけですから、そこは間違わないでください。それに同じ佐官同士とはいえ、私は大佐、貴方は少佐。軍人ならもう少し階級に配慮した言葉遣いをすべきですね。まったく、姫ともあろう方が、このような男を護衛にするとは嘆かわしい」

 

 大げさな手振りで天を仰ぐような素振りをする仁科大佐に、満面の不愉快さを表に出しビスマルクが反駁する。

 「…何なのよ、さっきから『姫、姫』って、気持ち悪い。私はヴィッテルスバッハ家もホーエンツォレルン家も関係ない、ハンブルグで生まれた艦娘よ。それに私は南洲のことを誇りに思ってるの、貴方に嘆いてもらう筋合いなんかないわっ」

 「その気高さこそ『姫』なのですよ、ビスマルク姫」

 陶酔したような表情で胸に手を当て一礼をする仁科大佐を見て、この男には何を言っても無駄、そう判断したビスマルクは仁科大佐のまとわりつくような視線を無視して、南洲をじっと見つめ続ける。車は程なく衛兵が警備する門を潜り、司令棟と思しきレンガ造りの二階建ての建物の前で静かに止まった。従兵が素早く車を降りドアを開け、まず仁科大佐を、つづいて南洲たち一行を下車させる。つかつかと大きな両開きの扉の前まで進んだ仁科大佐はくるりと振り返り、両手を広げて南洲達に宣する。

 

 -この男、いちいち言動が芝居じみている。

 

 南洲は苦い物でも食べたように顔を顰める。この手のタイプは好きじゃねーんだよ…無論心の声は口には出さないが、南洲の態度にはありありと出ている。どうやら他の艦娘達も同じ印象のようで、何となく身を寄せ合いながら仁科大佐から距離を取る。分けてもしつこく姫呼ばわりされたビスマルクは怒り心頭で、視線を合わせようともしない。

 

 「さあ大湊警備府に到着です。お客様は、まず大湊自慢の露天風呂に浸かって旅塵を払ってください。後程ディナーを用意させていただきます。お部屋までお届けしますので、今夜はゆっくりお寛ぎください」

 

 

 「ふうー、自慢というだけあっていい風呂だな」

 

 冷え切った冬の空気に湯気がもうもうと立ち上る露店岩風呂。時間は深夜0200(マルフタマルマル)、この岩風呂が所属の艦娘と共用と聞いた南洲は、裸で鉢合わせするのを避けるため誰も利用していないこの時間に訪れていた。

 

 司令官の仁科大佐はとにかくいかすけない男でどうしても受け付けない。部屋割り一つとっても、階級主義を感じさせる。南洲用の部屋、ビスマルク”姫”の部屋、他五人の大部屋、いったい何のつもりでアイツはビスマルクに絡むんだか…。

 

 だがまあ、風呂に罪はない、夜空を見上げながら湯につかる南洲は満足そうに目を細める。南洲は知らないが、大湊警備府のこの露天風呂は、約10km離れた矢立温泉から通された地下パイプラインを通して引き込んだ天然温泉を加熱保温している。

 

 

 -カウンセリングは貴方の軍権に含まれません。

 

 筋は通っているがいちいちムカつく野郎だ-南洲は手で顔を拭いながら、お湯のしょっぱさに驚く。矢立温泉はナトリウム塩化物強塩泉のためお湯を舐めると塩分を感じられる。仁科大佐の言葉を思い返し、水音に消される程度にぼそりと呟く南洲。それは士官学校自体の教官だった先任提督(トキ)の願いということだけでなく、南洲が大湊を訪れる決断を後押しした理由。

 

 「山城、か…。扶桑の妹だよな」

 

 -いつも『姉様姉様』って私を慕ってくれてたんですよ。私は佐世保からこのウェダに、妹の山城は大湊に、北と南で離ればなれになってしまいました。いつか南洲(あなた)にも紹介しないと。あ、でもちょっとだけシスコン気味というか、人見知りで臆病な所があるので、砲を向けられてもびっくりしないでくださいね。

 

 「こんな形で会うことになるとは、な」

 

 先任提督の死後、自室に閉じこもったきりの山城に何ができるのか? かつての扶桑の言葉を思い出しながらため息を付いた南洲は、そろそろ出るか、と立ち上がる。さあっと冷えた夜風が吹き渡り、湯気が流されてゆく。

 

 

 

 視線の先に立つ、長い銀髪をアップにまとめた真っ白な裸身の翔鶴と目が合い、二人で声も出せず固まり見つめ合うこと数秒。機械仕掛けの人形のように、南洲の視線は上下に彷徨う。翔鶴の視線もまた南洲に釣られるように上から下へゆっくり降り…ある一点で止まる。そしてみるみる真っ赤に染まる頬。

 

 

 

 再び湯気が二人の間を遮る。南洲は慌てて背を向けざばりとお湯につかったが、ハッとする。この鎮守府には翔鶴はいない、ならば俺達が捜索していた翔鶴が無事に到着していたということか? だとすれば彩雲の謎も解ける。格好が格好なので躊躇いはあるが、とにかく風呂から出て話をするように伝えなければ-南洲は意を決して声をかける。

 

 「翔鶴、落ち着いて聞いてくれ。俺は―――」

 

 

 再び夜風が吹き湯気が流れる。

 

 

 南洲の視界には、広々とした露天風呂の中ほどにある、大小の岩を組み合わせ設えた岩山と、その陰に隠れるようにしている白い肩が映っていた。



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57. 不存在証明

 経緯はどうあれ南洲は実際に翔鶴と出会った。余裕の姿勢をを崩さない仁科大佐との間に緊張が高まる中、臨検を実施したにも関わらず、大湊での翔鶴の足取りは掴めない。


 とにかく岩風呂(こんな所)で翔鶴に会うなど全く想像もしていなかった。だが、この機会は逃すべきではない。さりとて素っ裸で同じように素っ裸の艦娘に無思慮に近づけば、それこそ自分が逮捕起訴されかねない。岩風呂の中央の岩場から覗く翔鶴の肩に向かい、南洲は慎重に声を掛ける。

 

 「翔鶴、落ち着いて聞いてくれ。俺は艦隊本部から派遣された特務少佐の槇原南洲だ、決して怪しいものではない。この時間は誰も使っていないと聞いたから入浴していたのだが…。そ、それはともかく、君は二週間前に大本営を抜錨したんだろ? 遭難したと聞いていたが、無事に着任していたのか? まさかこんな所でこんな形で会うとは全くの想定外だが、事情を確認したい。ここを出て着替えて俺と話す時間をくれないか?」

 

 南洲は辛抱づよく返事を待つが、呼びかけに答えは無い。もう一度呼びかけて返事が無ければ、仕方ない、いったん先に風呂を出て入口で待つようにしよう。南洲はそう考え、改めて声を掛ける。

 

 「翔か-「二週間…ですか?」」

 

 南洲の言葉を遮る様に、翔鶴の戸惑いがちの声が聞こえてきた。南洲は内心ほっとしながら、言葉の続きを待つ。湯けむりの向こうから、途切れ途切れに困惑したような震える声が聞こえてくる。

 

 「私が…大本営を出発してから…二週間も経ってるなんて………本当なんですか?」

 「ああ、本当だ。今まで一体どこで何をしていたんだ?」

 「分かりません。そんな…。私は…この警備府への転属を命じられ、抜錨しました。牡鹿半島沖までは順調な航海で…。その後の記憶は………ぼんやりして………ますが、でも、でも、無事に到着して司令官に挨拶もしました。二週間だなんて、そんなことが…」

 

 今度は南洲が困惑する番だった。すでに到着済み? それなら大湊から大本営に一報あってしかるべきで、こんな話になるはずがない。記憶の欠落? 大湊に到着して以来、仁科大佐から翔鶴の話は一切出なかったが? 南洲の脳内が疑問符で埋め尽くされる。

 

 -あの野郎、いったいどういうつもりだ?

 

 南洲が改めて仁科大佐への不信感と不快感を高める中、翔鶴が言葉を継ぐ。ぱしゃりぱしゃりと水音が響く。

 

 「着任後は…艤装の調整や私の生体機能のメンテナンスということで、色々実験…? 検査…? をずっと受けて…いました。外に出たのは夜間訓練を実施した今日が初めてで…。全身ずぶ濡れになってしまい、とにかく体が冷え切って凍えそうだったので、お風呂をと思って…」

 

 南洲は唐突に立ち上がると歩き始める。

 「…分かった、君はゆっくり温まってから出るといい。俺は先に出て外で待っている。話はそれからゆっくり聞かせてくれ」

 「えっ? えっ?」

 ざばざばお湯を切り近づいてくる音にきょろきょろし始めた翔鶴を意に介さず、露天風呂の中央に設えられた岩場を右側から回り込むように脱衣所へと南洲は向かう。翔鶴は慌てて体の前面を隠したまま岩場に沿う様にして左側へと向かう。

 

 どちらにも悪意はない、ただついてなかっただけだ。

 

 湯けむりで視界が悪い中、足元に視線を落としつつ左手で岩場を確かめながら右回りに進む南洲と、岩場に沿って慌てて左回りに動いた翔鶴。岩場を挟んで向かい合わせでそれぞれ逆方向に動いた結果、岩場の端で、二人は唐突に出くわすことになった。

 

 ぽよん。

 

 「む?」

 

 ふにふに。

 

 「き…………きゃぁあああああーーーーっ!!」

 

 最近このパターンばっかりだよな…翔鶴の放った弧を描く左のオーバーハンドブロー(ドラゴンフィッシュ・ブロー)をまともに受けた南洲は、下に意識を集中させ首を刈り取る、か…と薄れゆく意識の中で意味のないことを考えていた。

 

 

 

 「…目は覚めましたか? と、とにかく、申し訳ありませんでしたっ! …………男性にあんなことをされたのは、生まれて初めてで、びっくりしてしまいまして…。その…不幸な事故なので、できれば忘れてほしいと言いますか…。あの、無理はせずにゆっくり休んでから起き上がってください。あの、これ、すっきりしますから」

 

 脱衣所でノビていた南洲が目を覚ますと、ベンチに座る翔鶴が目に入った。アップにした銀髪、浴衣に褞袍を羽織った姿は温泉旅行に来ている観光客に見える。そんな彼女はぱたぱたと団扇で南洲を仰ぎながら、湯上りだけではない何かも含め上気した顔で見つめている。差し出された牛乳瓶がひんやりと心地いい。慌てて南洲が起き上がると、翔鶴はベンチから立ち上がり、風のように脱衣所を出て行った。

 

 「おいっ、待ってくれっ!!」

 

 返事はなく一人取り残された南洲は翔鶴を追う様に脱衣所を飛び出し、廊下を左右に見渡すが誰の姿もなかった。

 

 つまり、俺は翔鶴に()()され、彼女は一人で俺を露天風呂から運び出して、俺の意識が戻るのを待って立ち去った-頭をガリガリ掻きながら気まり悪そうな表情を浮かべる南洲だが、目がすうっと細まる。

 

 -着任している翔鶴を隔離隠蔽しているというのは、一体どうなっている?

 

 

 

 -0800(マルハチマルマル)・大湊警備府司令官室。

 

 「…なるほど。確かにそれは貴方の軍権に属することですね。ご自由にどうぞ」

 机を挟み対峙する仁科大佐と南洲。机の上に両肘を突き、組んだ両手で口元を隠すように、やや下側からじろりと南洲を見上げる仁科大佐は、事もなげに南洲の要請を受けいれる。

 

 翔鶴型航空母艦一番艦翔鶴の不当な監禁の疑い。

 

 昨夜露天風呂で邂逅した翔鶴。さすがに詳細は伏せるが、それを元に南洲は大湊警備府の臨検を宣した。だが、仁科大佐は慌てる様子もなく嘯いている。

 

 「…へえ、ずいぶん余裕じゃねーか。ならお言葉通りに翔鶴は探させてもらう」

 

 どかっ。

 

 机の上に腰掛け、体をひねりながら皮肉っぽい笑みを浮かべながら仁科大佐を見下し、ダメ押しと言う様に言葉を重ねる南洲だが、依然として仁科大佐は姿勢も表情も変えずに答える。

 

 「…槇原少佐、先に言っておきます。この警備府に()()()いません。いない者の報告を上げることは私にはできませんし、いない者を見つけることは貴方にはできません。それでもよければどうぞ。…それよりも、元秘書艦のカウンセリングはいいのですか? 貴方がここに来たそもそもの目的でしょう?」

 

 「………………もちろん山城とは会うさ、わざわざ大佐様に許可して頂いたしな。翔鶴の捜索は俺の部隊に任せる。言葉を借りるなら、俺の軍権でありその正当な行使だ。邪魔したきゃしてもいいぞ、そうなればお前さんごと逮捕できるからな」

 

 十分に間を空けて答えることで、木で鼻をくくったような仁科大佐の返答にキレそうになった感情を堪えた南洲は、ことさら皮肉めいた言葉を残し、司令官室を後にする。

 

 

 

 「そっちはどうやった? いやー、ウチも慣れとるけど大湊の寒さは骨身にしみるで」

 

 部隊の集合場所に設定した中庭で、龍驤と秋月は他の皆を待っていた。空母系艦娘への聴取は龍驤と秋月が、それ以外の艦娘への聴取は春雨と鹿島が、設備の捜索は羽黒とビスマルクがそれぞれ担当し、中間報告としてこれまでの情報を共有するため集合時間を決めていた。

 

 そこに同じように分厚く無骨なデッキコートを着ている鹿島と春雨が現れる。成果を問いかけた龍驤は、二人の表情を見て収穫ゼロだったことを即座に理解した。アリューシャン方面での作戦経験のある龍驤だが、大げさにデッキコートの上から手をせわしなく上下させ摩擦熱で体を温めようとしている。鹿島は何となく龍驤を同情する様な目で見つめ、悪気のないクリティカルな攻撃を綺麗な形の唇から放つ。

 

 「鹿島もこれだけ厚着してても寒いんです。龍驤さんみたいに皮下脂肪が少ない(スリムな体型だ)と、寒さが直接骨に伝わっちゃうんでしょうか」

 女性らしい丸みを帯びた体型を形作る上で不可欠な適度な皮下脂肪、そして女性らしさの象徴でもある丸い胸の膨らみも中身は脂肪。それが冬の冷気から内臓を保護する役割を担う。分厚く無骨なデッキコートを着ている鹿島だがそのたぷんとした大きさは隠し切れていない。龍驤は回想する-。

 

 

 

 証言1

 「うーん、翔鶴さんですか? いいえ、見たことがありません。そもそも艦娘が勝手に配属されたりしませんよね?」

 もっともやな、祥鳳。せやけど今は冬やで、何で肩脱ぎなん? …同じ軽空母やっちゅーのに谷間強調系やな。ちゅーぶとっぷかぁ、ウチには無理やな…。

 

 証言2

 「翔鶴さんは卵焼き、甘めと出汁(だし)巻どっちが好きかなあ? あ、それより私の卵焼き、食べりゅ?」

 その卵焼きへの飽くなき執念、どこから来るんや? まあなんや、瑞鳳には親近感がわくっちゅーか…。せやけど翔鶴の好みを知らんゆー事は、まだ会ってないっちゅー事やろな。

 

 証言3

 「…マリアナ沖ですね、最後に翔鶴さんをお見かけしたのは。それ以来、お会いしてません…」

 昔の記憶、か…。龍鳳、アンタが気に病むことは何もあらへん、元気だしーや。むしろ落ち込みたいのはコッチや、あれか、元潜水母艦やとそんな立派なモチもんになるんか…。

 

 途中から事情聴取の主旨が変わっていたかもしれない、そう思いながら秋月は龍驤を生暖かく見守るしかできなかった。

 

 

 

 「あ、あはははー…。せやけど夏は谷間にあせもできたりするんやろ…」

 せめて季節を先取りしたデメリットを探そうとした龍驤だが、同時に水着姿の鹿島の姿を思い浮かべてしまった。同族ともいえる軽空母達に、そして今また仲間により齎された更なる敗北感に、龍驤の瞳のハイライトがオフになる。

 

 

 そうこうしているうちに、両手に六つの甘酒の缶を抱えた羽黒も現れた。部隊全員で手分けをして所属全艦娘に対するヒアリングと施設内の立ち入り調査を行ったが、ここまでの結果、翔鶴に関して知っている艦娘は誰一人いない、という事が判明した。

 

 

「…残念ですね。とにかくみなさん、甘酒でも飲んで温まりましょう。…あとはビスマルクさんの情報次第ですが…まだ戻ってないのでしょうか?」



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58. 無理、絶対無理!!

 部隊全員が翔鶴を捜索する中、南洲は山城の説得に臨む。一方一人招かれて仁科大佐の執務室にいるビスマルクは、予想を超える大佐のエキセントリックな言動に振り回される。


 臨検が始まり、部隊は手分けをして大湊警備府内での情報収集と捜索を開始した。施設内の捜索を受けもったのは羽黒とビスマルクである。むろん広い敷地の中を捜索するのに二人では十分ではなく、午後からは全員で施設の捜索に当ることになっている。午前担当の二人は、いわゆる“いかにも”な場所に絞り調べている…はずだったが、何故かビスマルクは司令官室で紅茶を飲んでいる。

 

 「…それよりも、どんな情報があるっていうの? 私は忙しいんだから手短にしてよね。ああ、先に言っておくけど、私の事を『姫』呼ばわりしたらその時点で席を立つから」

 

 微かな音だけを立てアンティークマイセンのティーカップを置くビスマルク。口に残るロンネフェルトの馥郁とした香りに少し郷愁を覚え、いい趣味ね、と内心感心する。無論そんな思いは表に出さす、ビスマルクは目の前の男の問いにそっけなく答え、同時に疑問を呈する。一方のその男-仁科大佐は自席に就きうんうん頷きながらビスマルクの言葉を聞いている。南洲に対した時と同じ姿勢だが、その表情は蕩けそうなくらいににやけている。

 

 「…大佐? 用が無いならこれで失礼するわ」

 ひたすら陶酔しきった表情で自分を眺め続ける仁科大佐に嫌悪感を覚え、ビスマルクは立ち去ろうとソファから腰を浮かせる。そもそも翔鶴に関して重要な情報がある、との話で司令官室に招かれたのだ。別にドイツの誇る世界的ブランドの高級紅茶を、これまた世界的に有名なドイツ製の茶器で味わうために来たわけではない。

 

 「私としたことが、美しい貴女を眺めていると時間の経つのを忘れてしまいまして…。そうそう、彷徨える航空母艦・翔鶴の話、槇原少佐にもお伝えしたのですが、そのような艦娘(フネ)は大湊にはおりません。これでよろしいですか? それでは重要な話に入ります。既に決定事項ですが、次の作戦の終了を待って私は中将に昇進します。艦娘が軍備の中核を担う今、私のような技本出身の優秀な技官は、武官文官より遥かに重要な存在として―――」

 

 話が始まるなら、と座り直したビスマルクだが、長い話に辟易して長い金髪の毛先をくるくる丸めながら聞き流していた。当の仁科大佐は天井を見上げる顔を右手で覆ったかと思うと、両手を広げやれやれといった風情で首を大きく横に振り、かと思えば執務机に肘を置きニコニコした顔の前で手を組むなど、いちいち身振り手振りが大仰だ。

 

 だが木で鼻を括ったような翔鶴に関する話にはビスマルクも唖然とし、仁科大佐の長台詞を遮って声を上げる。

 

 「はぁ? 南洲が翔鶴と会ったと言ってるのに、貴方の話を『はいそうですか』と真に受けろって言う訳? 生憎だけど、アトミラールの指示より優先するものは無いのよ。それじゃあね。取りあえず紅茶のお礼は言っておくわ」

 

 ビスマルクは今度こそ立ち上がる。貼りつけたような仁科大佐の笑顔の中で、目だけが冷ややかな色を帯びる。どこか爬虫類を想像させるその視線に、ビスマルクはこの男の本性を見たように感じ、警戒感が一気に高まった。

 

 「成程、()は私よりもあの南洲(無頼漢)の言葉に信を置くと言うのですね? 嗚呼、何と嘆かわしい。貴女ともあろう御方が…。どうしました? 貴女は立ち去ろうとしている。それならば私が貴女を姫と呼んでも呼ばなくても同じことではありませんか」

 

 立ち上がり身をよじる様にして大仰に嘆きを訴えたかと思えば、一転しこちらを威圧するように後手に手を組んだまま一歩前に出てくる。そんな仁科大佐の姿に相対するビスマルクの秀麗な顔が歪む。

 

 

 -pervertieren(キモい)

 

 

 今度は両手を広げ、微妙にくいくいと腰を入れながら自分に向かって歩みを進める仁科大佐を見て、ビスマルクの背筋いっぱいに悪寒が走る。

 

 -pervertieren(キモすぎるっ)! 無理、絶対無理っ!!

 

 

 「貴女の事は以前から知っていましたよ。査察と貴女の警護を兼ねる部隊を設立した宇佐美少将の発想はなかなかのものでしたが、情勢は変わったのです。翔鶴の捜索に躍起になっている少佐は、行き詰まって必ず私に直接手を出そうとするでしょう。そうなれば、ジ・エンド。元々煙たがられてる存在ですから、些細な事でも軍権逸脱として少佐は更迭、部隊は廃止されるでしょうな。

 

 かつての辻柾の一件では、ドイツ政府を動かして我が国に圧力を掛けましたな。見事なお手並みと感心したものです。だがもうその手は使えない。今や艦娘を運用しているのは日本とドイツだけではありません、イタリア、イギリス、フランス、そしてアメリカ。別にドイツ政府との関係が悪化しようが我が国は困りません。むしろ困るのはあの総統閣下(ちょび髭)でしょうな。その時、貴女を誰が保護するというのか? ここまで言えばお判りでしょう、私の元においでなさい。そう、私、この私の手にっ!!」

 

 左手を胸に当て、右手をまっすぐ斜めに伸ばした姿勢、自分の言葉に酔った恍惚とした表情。全てが癇に障る-ビスマルクの苛立ちは頂点に達し、爆発した。

 

 「ふざけないでよっ、誰が貴方みたいな気持ち悪い男の元なんかにっ!! 自分の生き方は自分で決めるわっ! 誰の手も借りる必要なんてない。私は自分の意志で南洲の傍にいることを選んでるのよ、部隊があってもなくてもどうでもいいことだわ」

 

 ビスマルクは右手で長い金髪を後ろに送ると、胸を張りキッと仁科大佐を睨みつける。だが仁科大佐は動じずに演説を続ける。

 

 「ふむ…怒った表情もまた素敵ですな。さっと朱が差した白い頬、その意志の強い瞳、素晴らしいっ! 嗚呼、この気持ちを何と呼べ良いのか…そう、これこそ愛! ビスマルク…私の愛する艦娘(フネ)よ。あのような無頼漢に与していた旧罪は赦します、さあ私の手を取りなさい」

 

 

Ich liebe Bismarck(愛してる、ビスマルク)

 

 

 南洲の口から聞きたい-目の前のpervertieren(キモ過ぎる変態)はどうでもいいが、ほんの一瞬だけ自身の想い人に想いを馳せたビスマルクの動きが止まる。その隙を逃さす仁科大佐はビスマルクの眼前まで迫ると手を取り、長手袋などお構いなしに舌を手に這わせようと口を大きく開ける。

 

 

 「南洲以外が私に触れることは許さないわっ! 身も心も私は南洲のものよ、いい加減、その汚い手を離しなさいっ!!」

 

 キレたビスマルクは強引に手を振りほどくと、思わず仁科大佐を突き飛ばした。ふわっと浮き上がるように後方に跳んだ仁科大佐は自分の執務机のあたりまで戻される。そんな彼は顔を伏せ、やがてぶるぶると痙攣のように体を震わせると、感情をむき出しにした。

 

 

 「ファーック! サーック! ビーッチ!! 何という事だあっ、あのような下賤な輩に心も体も許している艦娘(フネ)だとう!? これは…これは…槇原南洲、貴様は万死に値するっ!! 貴様を成敗し穢れを取り除かねば!!」

 

 憤怒の形相で机の傍らに立てかけてあった軍刀を引っ掴むと、自分を一顧だにせずドアをけ破るような勢いで駆けだしていった仁科大佐を、ビスマルクは呆然と見送ることしかできなかった。

 

 

 「いけませんね、私としたことが。少しばかり取り乱したようです。そう言えば少佐は剣だけは一流の腕前でしたな。そんな相手に刀を持ち出すのは藪蛇、ここは潔く体一つで相対するとしましょう」

 

 先ほどの勢いが嘘のように、冷静な表情で司令官室に戻ってきた仁科大佐は、ぶつぶつと独り言を言いながら自分の軍刀を元の位置に戻し、そしてまた何事もなかったようにすたすたと歩き去ってゆく。

 

 

 ばたん。

 

 誰もいなくなった司令官室で、ドアの閉まる音で我に返ったビスマルクは、自分の両手をじっと見つめている。

 

 

 -私、()()()()()突き飛ばしたわよ。

 

 

 先に無礼な所業に及んだ仁科大佐に対し、身を守るためとはいえ思わず突き飛ばした。当然、一気に吹き飛んだり床に転げたりするとばかり思っていた。艦娘の自分が人間相手に力を振るえば過剰防衛として罪に問われるほど隔絶した差がある。だが仁科大佐(あの男)は、平然と自分の力を受け止め、余裕を持って自分から後ろに跳んで受け流した。

 

 「南洲……!」

 

 ビスマルクはとにかく南洲に合流しようと司令官室を後にして走り出した。

 

 

 

 一方、自身不在の間に完全なる敵認定された南洲はというと―――。

 

 司令官室を後にして部隊に指示を出し、その足で山城の部屋へと向かった。部隊が龍驤を中心に艦娘達への事情聴取を行い、ビスマルクが司令官室で仁科大佐のエキセントリックな言動に翻弄されていた間、南洲は山城の部屋のドアに凭れて廊下に腰を下ろし脚を投げ出している。

 

 大湊警備府では艦娘用の寮はすべて個室で一階に配置され、山城の居室はその中でも一番端、出撃用ドックまですぐの距離にある。ぐるりと建物の外周もチェックした南洲だが、規則的な配置で窓が続く中、唐突に窓のない一角が端にあった。建物の内部に戻り廊下を進む南洲の左手には同じように規則正しく等間隔でドアが並び、その突き当り、外から見た時の窓のない一角にある山城の部屋、彼女はそこに引き籠っている。

 

 

 

 「おい、聞いてんのか?」

 「…………うるさいわね、聞こえてるわよ」

 

 くぐもった弱々しい声がドアの向こうから微かに聞こえてくる。ドア越しの会話、といえば聞こえはいいが、南洲はぽつぽつと言いたい事を言い、気が向いた時だけ山城が返事をする、というやりとりが朝から途切れ途切れに続いているだけだ。

 

 「ふふふ、うふふ、ふふふふふ……。無理よ、絶対無理。だから放っておいてよ」

 「お前のためじゃない。二人ほどお前のことを心配してるのを知ってるからな。そいつらのためだ」

 

 芦木中将(トキ)、扶桑、多少荒っぽくなるが許せよ-南洲は強硬手段も止む無しか、と木曾刀に手を掛ける。



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59. 遠まわしな告白

 扉越しの会話を経て、少しずつ心の距離を縮めてゆく山城と南洲。そこに仁科大佐が現れることで事態は一変する。遅れて駆けつけたビスマルクと扉越しの山城の懇願を余所に、南洲と仁科大佐は私闘に臨む。


 南洲はゆらり、と立ち上がり、分厚い扉を叩き斬ろうと刀の柄に右手を掛ける。

 

 -説得なんて柄じゃねーんだよ、そもそも。だがまあ、取りあえず引きずり出してツラ拝んでから考えるか。

 

 かちりと鯉口を切った時、部屋の中からぐすぐすという泣き声と、先ほどよりは多少はっきりした言葉が返ってきた。南洲は刀を鞘に押し戻し、山城の声に耳を傾ける。

 

 「………艦隊本部から来た少佐…補佐官か副官って所かしら。どうせ長い物には巻かれろ、ってことで、『上』に言われてアリバイ作りで私に話しかけて、適当にお茶を濁すだけでしょ。…ふふふ、あんなの相手じゃそれしかできないか。…………はあ、不幸だわ」

 

 分厚い扉越しの会話、それもお互い淡々としゃべっているため、正しく伝わってない部分があるようだ。あるいは話を聞いていないのか。いずれにせよ山城は、南洲の事を大湊に着任した少佐だと誤認している。

 

 「やっと少し喋ったと思ったらそれか…こりゃあトキも手を焼いただろうな。まあなんだ、これだけは言っておく。お前がどう思おうと構わんが、俺は正すべきは正す。相手が誰であってもだ」

 

 

 扉を隔て沈黙が二人の間に流れる。

 

 「トキ…芦木中将(お父様)のこと、知ってるの?」

 「………お父様、か。お前がそう慕うトキは、俺の士官学校時代の教官だった。昔の話だがな」

 南洲は士官学校時代の思い出話を山城に聞かせ続ける。彼女の信用を得ようとか、そういう下心ではない。青年期特有の照れもあり言葉にしたことはなかったが、南洲もまた何くれとなく親身になってくれたトキを父親のように感じていた。結局どこに行ってもアンタは父親役かよ-その思い出と感傷、同じ温もりを感じていただろう山城への同情が、珍しく南洲を饒舌にさせていた。

 

 流れる沈黙が柔らかくなった。室内からずるずると何かを引きずるような音が聞こえ、山城の声が先ほどよりクリアになる。どん、と重い音がする。おそらく扉に凭れてるのだろうか。扉を隔てて背中合わせにもたれ合う南洲と山城。少しずつ、二人の会話が長く続くようになってゆく。

 

 

 「お父様は、いつも私に優しかった。欠陥戦艦なんて、一度も言われた事がなかったし…」

 「まあそうだろうな。トキは生徒の長所を伸ばすのが上手い教官だった。俺も部下を持って初めてトキの凄さを思い知らされた」

 「…そうなんだ。どこがあなたの長所だって、お父様は言ってたの?」

 「…………優しいんだとよ。けどその表現の仕方がヘタクソとも言われてたな」

 「ホントに優しいの?」

 「さあな、そんなの自分で分かるかよ。じゃあお前の長所はなんだって、トキは言ってたんだ?」

 「…負けず嫌い、諦めない、最後までやり遂げる…だって」

 

 「そんな長所がいっぱいあるやつが、こんな所で油売ってていいのかよ?」

 「…………私、お父様を助けられなかったし………それに…」

 「お前のせいじゃない。むしろお前に最後まで看取られて、トキは安心してたんじゃねーかな。まあ、他人の考えてた事なんざ分からんがな」

 「…………どんどん、私の腕の中で冷たくなっていったの…」

 「その分、最後までトキはお前の胸の温もりに包まれてたんだ、男としてそう悪い死に様じゃないさ」

 「あんなに…あんなに血を流して…」

 「吐血でもしたのか? トキは病死って聞いてるが、一体どういうことだ?」

 

 せっかく柔らかくなった空気が一気に冷え込み、山城は再び暗い声で言葉を継ぐ。

 

 「は………? ふふ、ふふふ……そっか、そうなんだ、()()()()()()()()()()()()()。やっぱり無理よ、絶対無理。悪い事は言わないわ、とにかく理由を見つけてこの警備府から離れて。大丈夫、あなたが来たことは黙ってるから…お父様の教え子を、死なせたくないし」

 

 南洲は軽く反動を付け背中を起こし立ち上がる。そしてドアに貼りつくようにして声を掛け続ける。

 

 「山城、知っていることがあるなら全て話してくれ。きっと力になれるはずだ。さっきも言っただろう、俺は正すべきものは正す、そのためにはお前の力がいる」

 「ねえ、さっきから気になってたんだけど、そこに誰か艦娘がいるの? どうしてかな、懐かしい気配、まるでお姉様がいるような…。ふふ、もう私も限界なのかな、もしかしてお姉様が迎えに来てくれてるとか?」

 

 南洲は思わず左腰に吊っている刀に視線を落とす。木曾刀に宿る魂として自分を守る扶桑、それはここにいる山城の姉でもある。

 

 

 「思いのほか会話が成立しているようですね。やはり()()の妹の事ですから、貴方にとっても他人事ではないのでしょう」

 

 

 ゆっくりと南洲が声の方を向く。いちいち癇に障る、どこまで俺の事を調べてやがる? 向きながら右手は刀の柄にかかり、左手は鯉口を押さえ、体捌きも終えている。一見無表情に近い八方眼の相貌、要するに南洲は本気で戦闘態勢を取っている。

 

 ぱちぱちぱちぱち。

 

 声の主はもちろん仁科大佐。感極まったような面持ちで拍手をしながら南洲に近づいてくる。

 「素晴らしい、流れるようなその動き、実に美しい。剣の達人、という噂は誇張ではないようですな。一方的に懲罰するつもりでしたが、良い物を見せていただいたお礼です、貴方にチャンスを差し上げましょう。乗るも乗らないも貴方次第」

 

 南洲は怪訝な表情で警戒感を維持しつつ仁科大佐の話を聞いている。何言ってやがる?

 

 「さて、槇原南洲特務少佐、私と勝負しなさい。これは()()です。所詮は剣の腕が立つだけの無頼漢、ドイツの姫君の心身を穢した罪を贖ってもらいます」

 仁科大佐はそう言いながら白い手袋を脱ぎ、南洲に向かい投げつけてくる。ぱすっと軽い音と共に手袋が南洲の体に触れ、床に落ちてゆく。ドイツの…? ああ、ビスマルクのことか。言う事為す事いちいち気持ち悪いんだよ、コイツ。

 

 「条件はお互い武器を持たずに戦う。…それともその刀無しでは怖いですか? 私が勝てば姫君は私の所有物とします。貴方が勝てばそこの元秘書艦を連れて行きなさい」

 

 後手に手を組み、南洲をじっと見つめる仁科大佐。その視線を正面から受けとめる南洲は、にやっと笑うと首をコキコキと鳴らす。

 「俺、と…? 自分が何言ってるのか分かってんのかね? 何のつもりか知らんがいい加減ムカついてたんだ、その話、乗ってやるよ」

 

 我が意を得たり、と言わんばかりに目を見開き、空を抱きしめるように両腕を高く上げる仁科大佐は宣する。それはぜえぜえと肩を大きく揺らし荒い息のビスマルクが駆けつけてきた時と同時だった。

 

 「よろしい。古来より騎士は高貴なる存在のために戦うことを至上の名誉としてきました。それは現代でも変わらぬはず。さあ槇原少佐、共に奏でようではありませんか、闘いのファンファーレをっ!! …よろしいですね、姫」

 「…いたのか、ビスマルク。ファンファーレ、ねえ…遠慮しとくよ。お前さんの悲鳴をBGMにするだけで十分だ」

 

 自分を巡り激突しようとする男二人を、何とか止めようとするビスマルク。正確には二人を止めたいのではなく、南洲が巻き込まれるのを避けたいだけだが、やる気満々の二人を見ると手遅れのようだ。すでに自分が勝った後の事でも想像しているのか、陶酔した表情を浮かべる仁科大佐と、素手で殴られたいらしいからな、と言いながら刀を自分に預けようと近づいてくる南洲。

 

 「ダメよ南洲っ!! そいつ、普通じゃないわっ!!」

 「ああ、知ってる。どう見ても変態だ」

 

 それはそうなんだけどそういうことじゃなくてっ-ビスマルクが声を上げようとした瞬間、仁科大佐の到着以来沈黙を守っていた山城が必死な叫びを上げる。同時に部屋のドアに何かがぶつかるような大きな音がする。

 

 「ダメよっ!! ソイツに関わっちゃダメッ!! …逃げて、早く逃げてっ!! お願いだから…」

 後は言葉にならず、山城のすすり泣く声だけが微かに扉の向こうから聞こえるだけだ。

 

 その光景を眺めていた仁科大佐が、気の毒そうな表情で南洲に語りかける。

 「これほど艦娘達に心配をかけるとは…。かつて貴方は『狗』と呼ばれていたそうですが、狗は狗でも負け犬か愛玩犬のことなんでしょうか」

 

 その場で仁科大佐に殴りかかろうとする南洲の左腕にがしっとしがみつき押しとどめるビスマルク。ふるふる頭を振り、その青い瞳には涙が浮かんでいる。しばらくの間怒りの相を露わにしていた南洲だが、やがて軽いため息を付くと、右手で頬をぽりぽり掻きながら南洲は苦笑する。

 「やれやれ…そんなに心配されるとは俺もヤキが回ったもんだな。大丈夫だビスマルク、アイツが何だろうが、お前のために俺は負けない」

 

 言いながら自分の頭をぽんぽんとする南洲の表情を見て、自分の中の不安を消そうとするビスマルク。それに、さっき自分が覚えた不安や懸念は単なる勘違いかも知れない。事実南洲のように短時間なら艦娘と伍して戦えるほどに鍛え上げている人間だっている。鍛えた人間同士なら南洲が負けるはずがない-自分を納得させるように、ビスマルクは頬を染めながら南洲に一つ頼みごとをする。

 

 「…お願い。私の言う事、繰り返してくれる?」

 「なんだよ、指切り拳万みたいなもんか? …まあいいけど」

 南洲の左手を手繰り寄せ、指を絡めて握るビスマルクが口を開き、南洲もそれに倣う。意味は分からないが、ビスマルクが納得するならそれでいいだろう。

 

 

-Du bist mein Ein und Alles.

-ドゥ ビスト マイン アイン ウント アレス

 

 

 「…相変わらず酷い発音ね。でも…ありがとう、嬉しいわ」

 小首を傾げながら微笑むビスマルク、その目に浮かんだ涙を南洲の無骨な指が拭う。

 

 「…気は済みましたか? それでは少佐、私について来てください」

 不機嫌そうな表情の仁科大佐は、くるりと背を向けるとすたすたと歩きだす。目の前を進む、自分より頭一つ半ほど背の低い、細身の男の後ろ姿を眺めながら、南洲は殺さない程度に叩きのめすにはどうすればいいか、そんなことを考えていた。



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60. 消せない記憶

 私闘に赴く南洲と仁科大佐は、一瞬目を離した間にビスマルクの前で行方を眩ませる。部隊の六名は、大湊の艦娘達の協力が得られぬまま、唯一事情を知っているであろう山城の元へと向かい、事態の打開を試みる。


 通信を通して飛び込んできた、半ば泣き出しそうなビスマルクの声。警備府内各所を調べていた部隊の五名に緊張が走る。

 「南洲を見失ったのっ! いったい…ああもう、あのpervertieren(変態)、やっぱり何か企んでっ」

 

 ビスマルクがいる司令部棟と艦娘寮を繋ぐ渡り廊下に部隊の五名が合流するには、ややしばらく時間が必要だった。五名は五名で、いつまで経っても合流しないビスマルクに業を煮やし、警備府内を方々探し回った末のことで、通信が入るや否や脱兎のごとく指定の場所に駆け付けた。

 

 難しい顔で腕を組む龍驤、不安げな秋月と羽黒、平静を装う鹿島、そして春雨の様子は明らかに普段と異なる。南洲と同じように、すうっと目を細めビスマルクを見据えている。我ながら言い訳っぽい口調になっていることはビスマルク自身も感じていたが、部隊の五名にここに至る経緯を説明を始める―――。

 

 

 

 私闘のための場所へと向かい歩きはじめた南洲と仁科大佐。その後を南洲の刀を抱きながらビスマルクはついていった。無論護衛である。

 

 無言のまま続く三人の行進。歩みを止めずに顎に右手を当てビスマルクは考える。自分の過去、秘めておきたい部分を執拗に触れられ続ければ南洲でなくとも不愉快になる。しかも自分が明らかに優位にあると言わんばかりの口ぶりで私闘の申し入れ。悪癖だとビスマルクは以前から懸念していたが、立場や権力を盾に取る相手ほど反逆的になる南洲の傾向を考えれば、一連の挑発は的を射ており、仁科大佐が南洲の性格まで把握した上でのことなら大成功だと言える。

 

 -一体何が目的だっていうの?

 

 自分に執拗なまでに執着するのも、南洲を怒らせるための演技? だとしても、見る限り身体能力で南洲の優位は揺らぐように思えない。仁科大佐が何か武術の達人だったとしても、南洲もこれまで数々の修羅場を生き残った軍人であり、暗殺者である。仁科大佐にとって有利なことなど何一つない。

 

 三人は艦娘の寮と司令部棟を繋ぐ渡り廊下に差し掛かっていたが、考え事に集中し過ぎていたビスマルクはいつの間にか足を止め、前を行く二人と距離が出来ていた。それぞれ渡り廊下の端と端。ハッとして顔を上げたビスマルクの目の前には、渡り廊下の向こうの閉ざされた扉が映った。飛ぶように一気に廊下を越え、扉を壊しかねない勢いで開けると、そこには誰もいなかった。

 

 

 

 夕方を過ぎ日が傾く頃、南洲たち一行は大湊警備府の秘書艦である不知火に面会を求め、南洲と仁科大佐の捜索への協力を申し入れたが、結果として協議は物別れに終わった。

 

 「なるほど………仁科司令に落ち度があるかのような物言い、非常に不愉快ですね。だいたい何ですか、黙って聞いていれば、それでは私たちの司令官はまるで変態ではありませんか。あの方が我々の前でそんな奇矯な言動を見せたことは一度たりともありません。ましてや司令から私闘を申し込んだなど…バカも休み休み言ってください」

 

 鋭い眼光で睨みつけ不快さを隠そうとしない不知火に、今度は部隊が唖然とする番だった。港での出迎えから今日に至るまで、一つとしてまともな言動を見たことが無い。だがここで仁科大佐の変態性の程度について議論しても意味はない。おそらくは大湊の艦娘達には徹底して見せていないか、自分たちには徹底して装ったか、いずれかだ。

 

 ビスマルクの視線の向こうでは、仁科大佐がくいくいと腰を入れて歩く姿や大げさな手振りを交えての演説を巧みに真似する龍驤に対し、不知火がこめかみに薄く青筋を立てながら引きつった笑いを浮かべている姿が見える。自分たちの司令を揶揄された事への怒りを堪えているのか龍驤のトリッキーな動きに笑いを堪えているのか、それは定かではない。その二人の間に割って入る様に春雨が進み出て、流石の不知火も顔色を変えるような事を平然と宣言する。

 

 「私たち…いいえ、私にはその仁科大佐(変態さん)のことはどうでもいいのです、はい。一刻も早く南洲を見つけたいだけですので。なので、貴方たちがどう思おうと構いません、妨害は全て排除して、私は私の必要なことをするだけです。()()()()大湊の艦娘さん達がその中に含まれていたとしても、それはそれなのでご了承ください」

 凍てつく表情で怒りを露わにする不知火に対し、花が咲くような笑顔で応えぺこりと頭を下げる春雨。だがその手には棘鉄球(モーニングスター)のチェーンが握られ、いつでも投擲できる体勢を取っている。

 

 -この子、大人しい顔してるのに、こうなると南洲以外では止められないのよね。さっさと何とかしないと、マズいわね、これは…。

 

 不穏な空気を感じ取った鹿島や羽黒がやや強引に春雨を引き戻し、龍驤が不知火を何とか宥める。その間にビスマルクは部隊に対し一つ提案を行う。

 

 「ねえ春雨(ハル)、それにみんな。取りあえず何か知ってそうな子がいるから、そこをあたりましょう」

 

 

 

 そして再び舞台は山城の部屋の前に戻る―――。

 

 南洲と仁科大佐がビスマルクを巡って緊張を高めていた時、山城もまた必死に南洲を止めようとしていた。

 

 『ダメよっ!! ソイツと戦っちゃダメッ!! …逃げて、早く逃げてっ!! お願いだから…』

 

 明らかに南洲では仁科大佐に勝てないから逃げろ、そう山城は言っていた-山城の部屋の前で起きた一連の事態の詳細を説明するビスマルクだが、秋月が珍しく妙な所に喰いついてきた。

 「つまり、南洲さんと変態大佐はビスマルクさんを巡って争いになり、ケンカで決着をつける。勝った方がビスマルクさんを手に入れる、そういう話なんですよね?」

 

 これには流石に羽黒も鹿島も目の色を変えビスマルクを凝視し、龍驤はにやにやしながら「ほっほ~」と野次馬モードに突入する。狼狽しながらも、つい頬を染めてしまったビスマルクはしどろもどろになりわたわたと手を忙しなく動かしながら言い訳を続けている。ある意味でいつもの浮かれたガールズの空気をかき消すように、部屋の中から声がする。

 

 「はあ………あなた達、人の部屋の前で何を騒いでる訳? もうお願いだから放って置いてよ。さっきの少佐、仁科大佐に連れていかれたんでしょ? だから逃げろって言ったのに…」

 

 

 どんっ。

 

 羽黒が両手で激しくドアを叩く。

 「山城さん、一体どういうことですかっ!? お願いです、ここを開けてくださいっ。私たちの司令官が行方不明なんですっ!!」

 

 「…司令官って、どういうこと? あの少佐、艦隊本部から送り込まれてきた大湊(ここ)の副官か補佐官じゃないの?」

 疑問に対し鹿島が簡潔に説明を加え、山城はようやく南洲と仁科大佐の関係性について理解したようだ。

 

 「査察部隊、かぁ。そんなのが発足していたなんて。けど芦木中将(お父様)はもう帰ってこないし、私ももう…。せっかく来たんだから、忠告してあげる。仁科大佐に関わると…いくら艦娘でもただじゃ済まないわよ。アイツのせいでお父様も私も…だからさっさと逃げなさい」

 

 

 「ただじゃ済まないのは、南洲に手を出す人と、南洲を助けられるのに動かない人です、はい」

 「へぎゃっ」

 

 金属が擦れるような音がしたかと思うと、同時に分厚いドアが中央部から叩き割られる。棘鉄球(モーニングスター)の直撃を受けたドアは内側に向かい『く』の字にひしゃげ、ドアの上部は廊下側に破片となり飛び散り、下部は辛うじて僅かにつながった蝶番だけを支えに部屋の内側に倒れ込む。間髪入れずに薄桃色の影が風を巻いて室内に飛び込み、壊れたドアの上に立ち室内を見渡す。

 

 

 「………いない? 逃げた、のですか?」

 「…ここにいるんですけど。さっさとドアから降りてくれない? ………不幸だわ」

 

 ドアに背中を持たれ両脚を投げ出すように座っていた山城は、倒れ込むドア、さらに間髪入れずそのドアの上に乗っかってきた春雨のせいで、脚を伸ばしたまま上体をべったり膝に付ける、いわゆる長座体前屈の姿勢を強いられていた。慌ててぱっとドアから飛び降りて半分になったドアの残骸をどけた春雨は、驚愕し目を見開く。一瞬の出来事に唖然とした他の五人もすぐに事態を悟り室内を覗き込み、そして顔を顰め口で手を覆う。

 

 

 窓のない部屋に充満する血の臭い。山城の両脚はめちゃめちゃに破壊されていた。程度で言えば大破寸前の中破か。無論艦娘である以上入渠すれば生体組織の修復は短時間で行えるが、それをせずこの部屋に放置、いや隔離していた、ということだ。

 

 

 「………何が『自室に引き籠った元秘書艦』よ。ふざけないでっ!! 辻柾も仁科もみんな一緒、艦娘(私たち)をなんだと思ってるのっ!! 意識は…大丈夫ね。というか、この程度の損傷だと失神もできないなんて、お互い不幸な体ね。さあ入渠しに行くわよ、ラボはどこ?」

 

 「そんなっ!? 何を言ってるんですっ? 貴方がたの仲間でしょうっ?」

 涙目の鹿島が珍しく声を荒げ、しばらく誰かと何かを言い合っていたが、諦めたように通信を終了する。そして困り果てた表情で説明を始める。

 「不知火さん、山城さんの入渠は絶対に認めないって…。どうしてっ!?」

 

 「なら…PG829(しらたか)へ戻りましょう。私たちの母艦で私たちが何をしようが誰にも文句は言わせないわっ!」

 決然とした表情で走り出したビスマルクとそれを追う部隊の四名。一人春雨だけは俯いたまま動こうとしない。普段は長い髪の毛の毛先だけが薄青いが、今は下三分の一くらいまで薄青く変わっている。やがてゆっくりと山城の部屋に向き合うと、誰もいない薄暗い部屋目がけ、再び棘鉄球(モーニングスター)を投擲する。ドアを破壊した時よりも大きな破壊音と震動、打ち抜かれた壁からは夕陽と冬の風が入り込む。

 

 「………血の臭いはウェダを思い出すので、どうしても好きになれません、はい」

 



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61. フォールダウン

 囚われの南洲-彼が何故技本の実験台になったのか、そして翔鶴の秘密に関わる技本の関与、それらの一端が明らかに。



   ドコニイル、オマエハ。

 

   イツマデマテバカエッテクルノカ。

 

 

 -第一副人格確認、春雨喪失時で思考停止した状態。以後『Hal』と呼称。ただし出現率低し。

 

 

 がきん。金属の輪で拘束された手が暴れるが、体は自由にならない。

 

 

   ヌクモリニオボレナガラ。

 

   セメテイマダケハ、フタリデオボレヨウ。

 

 

 -第二副人格確認…繊細で流されやすい天然の艦娘たらし。以後『Moĝero』と呼称。第三副人格との混交極めて強し。

 

 

 がきん、がきん。今度は手と足でもがくが、やっぱり体は自由にならない。

 

 

   ワルイユメ、ミンナキズダラケ。

 

   マモル、タオス、コロス、スベテコワレロ。

 

 

 -第三副人格確認、以後『ナンシュー』と呼称。最も支配的かつ攻撃的、常時表出。

 -ただし今検査においても主人格の発現見られず。

 

 

 がきん、がきん、がきん。いよいよ全身でもがくが、痛むだけで結局体は自由にならない。

 

 

   ソンナメデミルナ、オレヲアワレムナ。

 

   オレハダレダ、オマエハダレダ。

 

 

 目を覚ました南洲は、起き上がろうとして果たせず、自分が検査用の椅子に拘束されていることに気が付いた。多くの実験用器材に囲まれた、技本のラボを小さくしたような薄暗い地下の部屋。横を見れば誰かが座っている。

 

 「…目が覚めたようですね、槇原少佐」

 

 つくづく間抜けだった、南洲は険しい顔で歯噛みする。頭部にはヘッドギア状の機材が取り付けられ、複数のコードが隣に座っている銀髪の女に繋がっているのが分かった。頭痛を堪えながら、南洲は思い出す-山城の部屋から仁科大佐に続きしばらく歩いた。艦娘の寮から司令部棟へと続く渡り廊下を渡り切った時、自分の背後で扉が閉まった。同時に真横から頭をぶん殴られて意識を手放してしまった。薄れゆく意識の中で見た、銀の髪と黒いカバーをした腕。

 

 遠くの椅子に深く腰掛け足を組んだ男が立ちあがり、こちらに近づいてくる。…仁科大佐か。ちっ、技本関係者だったのかよ、つくづく趣味が悪い奴だ。先に隣に座る女の椅子に向かうと、手足に架していた拘束を解く。こきこきと手首や首を動かしながら、すっと立ちあがる女。

 

 「…翔鶴…いや、深海棲艦…?」

 

 無表情のまま長い銀髪の女が南洲に近づいてゆく。すいっと横合いから手首の周りに大きめのフリンジの付いた黒いレース様のアームカバーに覆われた手が伸びる。片方の手で南洲の頭を支え、もう片方の手で水を飲ませる。南洲の見上げた先、赤い瞳がこちらを覗き込んでいる。水を飲ませ終わった手は、南洲の顔にかかった自分の髪をそっと払い、繰り返し指先で頬を撫で続ける。長い銀髪に真っ白い肌、赤く光る瞳、翔鶴によく似た面持ち。そして黒一色の衣装。まるでトラック泊地で戦った堕天(フォールダウン)後の瑞鶴(空母水鬼)―――。

 

 「DIDモデルはなかなか安定しないんですよ。この翔鶴(空母水鬼)も、牡鹿半島沖で突然人格交代が起きてしばらく行方を眩ませていましてね」

 

 DIDモデル…? 一体何を言っている、こいつは?

 

 「そんなに怪訝な表情をすると、空母水鬼が傷つきますよ? いわば貴方と春雨…いや駆逐棲姫? の娘のような存在なのに。子の認知拒否は立派な心理的虐待ですよ?」

 

 何言ってやがるこの阿呆は? そして何で頬を赤らめてるんだ、そこの深海棲艦?

 

 「大湊に来る、と聞いた時は我々の計画が露見したのかと思い流石に冷や汗が流れましたが、本当にカウンセリングのためだったようで正直驚きました。それでも中臣様は貴方の事を、我々の障害になるかも知れない存在として随分と気にしておられる。大坂での活躍が余程印象に残ったようですよ。なので私も技官として、純粋に技術的な興味が湧きましてね。それに…重要な作戦が控えている中、翔鶴(空母水鬼)の不安定さはちょっと困りものでして。そこで私は思いついたのですよ、貴方の攻撃的な第三人格をエミュレートさせ水鬼を安定化―――」

 

 「手前ら、翔鶴を()()堕天(フォールダウン)させたのか? …ふざけやがってっ!! それに、俺の第三人格? 意味不明なことを言ってんじゃねーぞっ。くそっ、何でこの程度の拘束が解けないっ!?」

 

 南洲は無理矢理立ち上がろうとするが、金属製の太いベルトで拘束された手足は僅かな隙間の中を暴れるだけで、もがけばもがくほど手首と足首に傷がついてゆく。 仁科大佐の背後に立つ空母水鬼はとにかく心配そうな表情で南洲を見続けている。

 

 「取りあえずで付けて見ましたが、なるほど生体機能の約四分の一が艦娘の貴方にも効果があるのですね。…自分でしておいてなんですが、貴方のようなマッチョな男にそれは失笑ものですね」

 仁科大佐の言うそれとは、微弱電流を流し続け、生体内の活動電位にノイズを加えることで艤装の展開や身体能力の制限など艦娘の機能を劣化制御するロックチョーカー。ピンク色をしたハート型の南京錠様のヘッドをあしらったピンク色のアクセが、南洲の首にちょこんと付いている。

 

 「そ、その…案外ワルクナいというカ…、カワイイです」

 慰めるように、おずおずと空母水鬼が声を掛けてくる。見た目とは異なり、声は翔鶴のものだが、かつての春雨のように、艦娘と深海棲艦が入り混じったような喋り方になっている。

 

 「おや、また人格交代が起きたのですか? ふむ…主人格(ANP)がこう頻繁に半覚醒するとは、調整の余地大ですね」

 やれやれといった様子で掌を上に向け首を振る仁科大佐に、南洲は訳もなくイラついた。

 

 「さっきから手前は何を言ってやがるっ! まず翔鶴を元に戻せ、そして俺の拘束を解けっ! そうすれば…念入りに殺してやる」

 

 

 「春雨と駆逐棲姫の関係と同様に、翔鶴も空母水鬼もまた同一の存在、貴方と同じ解離性同一性障害(Dissociative Identity Disorder)により生じた主人格と副人格です。魂の在り様は肉体さえも変容させるのはご存知でしょう。彼女は二つですが、貴方の場合、刀に定着した扶桑の人格を除けば、主人格を含め四つの人格が貴方の中に混在しています。中でもウェダ基地の失陥により誕生した、最も強力な副人格であり極めて攻撃性の強い()()が支配的なようですね」

 

 

 「……………」

 全く想像もしていなかった話の内容に、南洲は戸惑うだけで言葉が出なかった。そんな南洲を尻目に、仁科大佐は陶酔したような表情で長口舌を振るい続ける。

 

 

 「技本(我々)は現象としての堕天(フォールダウン)に着目しその可能性を探っていました。春雨…いえ、この場合は駆逐棲姫と言うべきですか、彼女を研究することで堕天とDIDの間に極めて深い関係があることが特定できました。貴方は、戦傷により一生癒えない傷を負った。貴方とともにウェダで拘束された駆逐棲姫は、自分が研究材料となることと引き換えに、技本の技術で貴方の体を元通りにしてほしいと申し出たのです。よかったですね、健気な彼女で。

 

 同時にここで貴方の存在が脚光を浴びたのです。()()DIDを発症している()()になら、扶桑(艦娘)の船魂をインストールできるのではないか、と仮定した訳です。結果的にテストベッド程度の成果でしたが、まあ悪くはなかったですよ。つまり駆逐棲姫の研究と貴方への実験が、その後の礎となり、PTSDを起こす強烈な体験で人為的にDIDを発症させることで、管理された堕天を実用化することに寄与したのです。

 

 私は事実を伝えただけですよ、少佐。それに、なぜこのようなことをべらべらしゃべるか? 技術者という生き物は、時に自分の研究成果を喧伝したくなるのです。そして貴方にはこれから死んでもらうので、漏えいの心配もありませんし。今度は建造過程と心理的傾向の異なるドイツ艦にどのような負荷をかければDID、ひいては堕天まで誘導できるか実験する予定です。()()()()連れてきましたしね、貴方が」

 

 

 一気にしゃべり切り、満足したような表情で南洲を見つめていた仁科大佐は、翔鶴に視線を送ると、首の下で立てた親指を左から右に動かす。

 

 「…今度は空母水鬼ですか。まったく人格交代にも法則性が欲しいですね。いったい何がきっかけなのか…」

 言いながら自分の席に戻った仁科大佐はキーボードをかたかた叩きながら、複数あるモニタに表示される多種多様なデータを確認している。

 

 

 

 椅子に拘束されている南洲に跨った空母水鬼は、何故か真っ白な頬を赤く染めている。しばらくの間南洲の顔を至近距離で見つめていた彼女は、満足したような表情でその首に手を掛ける。同じ頃、データを確認していた仁科大佐の表情がみるみる険しくなり、慌てて椅子を回すと空母水鬼に悲鳴のような命令を行う。

 

 

 「は、離れなさい水鬼っ、実験は失敗ですっ!! 思考ルーチンをエミュレートする段階で、ANP(主人格)EP(副人格)の両方が少佐の情動的人格データとコンタミを起こしていますっ。これでは…」

 

 ぱきっ。

 

 小枝を折るような軽い音。南洲の首に付けられていたロックチョーカーが砕かれる。空母水鬼は、続いて手足の拘束も同様に解くと、南洲の脇の下に手を入れひょいっと椅子から持ち上げ自分の目の前に立たせる。そしてにこっと微笑んで自分の首のロックチョーカーを同じように砕くと、両腕を南洲の首に絡ませて抱き付き始めた。

 

 「ロックチョーカー(コノ程度ノオモチャ)デ、水鬼ヲ抑エラレルトデモ? 情動的人格でーた…艶ノ無イ表現ダナ。コノ男ノ過去ト思イヲアレダケ深ク共有シタンダ、ふぉーるだうんシテ(南洲ニ落トサレテ)当然ダロウ…マ、ソウイウコトサッ」

 

 空母水鬼は仁科大佐に向きなおると、背後に背負った単装砲二基で無造作に砲撃を開始した。一瞬にして砲煙と爆風に包まれる地下のラボ。躯体柱にも損害が生じたのか、メキメキと音を立て、ゆっくりと天井部分が仁科大佐の頭上から崩落し始める。空母水鬼は南洲を軽々と抱きかかえると走りだし、分厚い扉を蹴り飛ばしラボを脱出する。

 

 

 「忠誠ナド誓ワヌガ、喜ンデ愛ヲ誓オウ、()()共々ナ。サア今ノウチニ逃ゲルゾ。残念ダガアノ程度デクタバル輩デハナイカラナッ」



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62. 戦闘開始

 部隊を逃がすための、大切な『家族』を守るための戦いー南洲は一人で仁科大佐に挑もうとする。


 夜明けまであと少しの時間、突如工廠の真下で発生した砲撃音とそれに続く施設の崩落は、大湊の艦娘の耳目を驚かせるのに十分だった。直ちに駆けつけた秘書艦の不知火他数名の艦娘だが、工廠の地下にラボがあることを初めて知り、瓦礫と破壊された機材で埋もれた室内で、目の前にいる存在が理解できず思考停止状態に陥ってしまった。

 

 「ガァァァデーーームッ!! フ○ーックッ! サノバ○ィーッチィィィィ!! 貴重なデータがぁあああっ!! クソどもがあっ、許さん、許さんぞ!!」

 

 瓦礫を押しのけてその下から現れた連装砲の砲塔が、埃と血で汚れた第一種軍装を着た男の腰あたりにマウントされた基部に繋がっている。普段はびしっと整えられたオールバックの髪型が乱れ幾筋もの血で飾られた怒りの形相、口汚く誰かを罵る姿-自分の知っている仁科大佐ではない、知らない生き物を見るような感覚に不知火は襲われる。背後では夕雲や早霜、瑞鳳が怯えているのが伝わり、不知火は意を決して近づこうとする。だが仁科大佐は、無表情で制服の埃を払い、目の前の不知火を乱暴に押しのけると、空母水鬼が蹴破った扉へ視線を送る。

 

 「自分だけが特別だと思ってはいけませんよ、槇原南洲。貴方は所詮進歩を続ける技術の通過点に過ぎません。それにしても…フォールダウンを期待して山城を生かしておいたのが裏目に出ましたね。挙句に水鬼が出奔するとは…こうなったら止むを得ません、少佐と山城は必滅し、水鬼とビスマルクを回収しましょう」

 

 呆然と立ち尽くす数名の艦娘達をそれ以上気にすることもなく、ぶつぶつ言いながら仁科大佐はそのまま外に出て行った。

 

 

 

 

 

 同じ頃、PG829(しらたか)艇内も混乱していた。

 

 山城の損傷は、艇内の入渠施設で高速修復剤を併用して既に修復済みだ。ひと段落した彼女の口から語られた、仁科大佐の正体と所業を知らされるだけでも十分に衝撃的だったのに加え、夜明けまで間もないこの時間になり、()()()()が南洲を抱えてしらたかに乗り込んできたのだ。

 

 

 「………あかん、意味がまったく分からん」

 

 部隊全員に二名のゲストを加えて集合したしらたかの艇長室。出航準備中の鹿島はオペレータ席に座り、羽黒と秋月は一連の話が理解の限界を超えフリーズ状態、ビスマルクの隣で周囲を警戒し続ける山城。南洲はといえば、立ったまま壁に凭れているが、左手は涙目で絡みつくように抱き付く春雨、右腕はしがみつく空母水鬼に占拠させたままにしている。そしてその光景を頭を抱えながら見守る龍驤という図式ができている。

 

 「…意味、分カラナイ? 案外頭悪イノネ」

 空母水鬼が龍驤を揶揄し、南洲の方に視線を向けるとにっこりとほほ笑む。

 

 「ウチが言いたいのはな、これまでの話が全部ホントだとしても、肝心の全体の絵柄が見えてこーへんっちゅーことや」

 

 山城の話によれば、最初に気付いたのは芦木先任司令だったという。書類上は択捉島の単冠湾泊地が目的地だが、入手先の不明な大量の資源資材が大湊を経由して今は無人島となった新知島と色丹島に集積されているという異常事態。

 

 首謀者は言うまでもなく当時の副官、仁科大佐である。情報を掴んだ芦木先任司令は、山城に詳細を記録したデータを託し大本営に送り込もうとした。だが仁科大佐の知るところとなり、山城は()()()()()()()()()()()()()()()()()拿捕、芦木先任司令は山城の目の前で殺害、そして山城はロックチョーカーで自由を奪われた上で損傷を修復されず自室に監禁された、それが真相とのこと。いずれかの時点で、芦木先任司令が宇佐美少将に引き籠りがちな山城の将来を案じる相談をしたのは確かで、それに応えるため南洲が大湊に赴き、さらに仁科大佐がそれを利用した、ということらしい。

 

 「…私の話、疑うっていうの?」

 「仁科大佐ノ事ヲ含メ山城ハホントノ事ヲ言ッテルワヨ。ソシテ技本ノ深海棲艦部隊ハ新知島の武魯頓湾に潜ンデイルハズヨ。『本当ノ戦争』ノタメッテ言ッテタケド?」

 「そこやっ! 技本所属の深海棲艦部隊の『本当ノ戦争』? 一体何をしようっちゅーんや? それに………」

 伸ばした人差し指を空母水鬼に向ける龍驤が言葉を溜める。それに釣られて山城を除く他の全員が視線を空母水鬼に向ける。

 

 「…キミは元トラックの翔鶴なんやろ? せやけど同時に空母水鬼でもある、と。まあ、それは置いといて。せやけどな、パパが隊長でママが春雨っちゅーのはどういうことや?」

 

 龍驤は両手で何かを右から左へ動かすような手振りをすると、空母水鬼が投下した爆弾(発言)の解体作業を始めた。

 「…私ノ存在自体ニハ驚カナイノネ、ソノ方ガ驚キダワ」

 「この部隊にいれば、多少の事じゃビックリしないわよ」

 ビスマルクが軽くウインクしながら山城に笑いかける。何で自分に振るの、と山城が助けを求めるように周囲を見渡すと、『ママ』と言われ照れっぱなしの春雨を除く他の面々は南洲を見つめている。空母水鬼がやれやれ、という感じで言葉を継ぐ。

 

 「言葉ノ綾ヨ。DNA的ニ繋ガッテイル訳ナイデショウ。デモ、二人ガイナケレバ技術的ニ私ハ存在シテナイカラ、ソノ意味デハ間違イデハナイ。マ、ソウイウコト」

 

 

 喧騒を余所に、南洲は目を伏せ考え続けていた。仁科大佐がかつての自分同様艤装を展開できたとしても、自ずとその能力は砲戦系に限定できる。人間の脳には、空母系艦娘のように同時に多数の艦載機を制御する容量がないためだ。なら最大射程距離以上に離れれば無力化できる。相手は海には出れない。

 

 「今すぐ山城と空母水鬼(翔鶴)を連れて大湊を離れるぞ。後始末は宇佐美のダンナに丸投げするさ。悪いようにはしないー」

 「アラートッ!! えっ、砲撃されてるっ!? みんな伏せてーーーっ!!」

 

 南洲の言葉を遮り鹿島が悲鳴のような叫びを上げると、巨弾の着水による衝撃と巨大な水柱がPG829(しらたか)の周りに立ちあがり、艇が大きく揺さぶられる。左舷をがりがりとコンクリート製の突堤で削られ、さらに反動で艇の後部が激しく衝突する。最上部に位置する艇長室の揺れは激しく、全員が室内を左右に弾けた。

 

 「きゃああああっ!」

 「全員無事かっ? 鹿島、艇内各部状態チェック急げっ」

 南洲の言葉で鹿島がコンソールに噛り付き切迫した声で状況を報告する。

 「左舷外装亀裂と歪み多数、左舷カタパルトレール使用不能、ウォータージェットポンプ一番二番損傷っ…第二撃来ますっ!!」

 

 第二撃で再びしらたかは大きく揺らされる。そんな中を南洲は上甲板に向け走り出す。

 「…ま、黙って行かせてはくれないってことだ。仕方ない、しらたかは捨てる、お前らは俺が艇から降りたら緊急発艦、山城と翔鶴を護衛しながら離脱しろ。いいな、命令だ」

 山城は仁科大佐を立件するための、翔鶴は技本の秘密を暴くための、それぞれ生き証人だ。当然相手も遮二無二狙ってくるが守りきらねば。しらたかを潰された以上、部隊が離脱する時間を稼ぐしかない―――。

 

 

 

 「『明けない夜はない』と最初に言ったのは誰なのでしょうね。ですが、暗夜はどこまでも暗夜、そう思いませんか? さあ、改めて奏でましょう、殲滅のメロディーを!」

 

 しらたかが係留される突堤に向けゆっくりと近づいてくる異様な人影。小柄で細身の男性-仁科大佐の背中にあるのは連装砲の砲塔。腰にマウントされた基部から延びるフレキシブルアームに接続されている。

 

 「技本、復讐、査察、俺自身…そんな事は今はどうでもいい。俺の家族に手を出す奴は許さん。ウェダの二の舞にさせるか。今度こそ守る、絶対にな」

 

 艇の中央部、しらたかの出撃デッキの舷側に立ち仁科大佐を見下ろす南洲。夜戦カモのMCUUを着用し足元はタクティカルブーツ、右脇に吊ったガンホルダー。そしてその上に羽織る、かつてトラック泊地の木曾から譲られたマントが冬の潮風に激しく揺れる。

 

 -木曾刀は…ビス子に預けたままだったか。まあいいさ。仁科大佐は変態だが、剣撃に付き合ってくれるほど物好きでもないだろうしな。

 

 

 「…貴方が佩びてくれないなんて、不幸だわ…」

 

 振り返ると、両手で大切そうに木曾刀を抱きしめる山城が近づいてくる。甲板に片膝を付くと、巫女服の袂で包むようにした刀を両手で水平に保持し、頭を下げその上に捧げる。南洲が手を伸ばし、鞘の中ほどを掴むが山城も手を離さない。そして山城が顔を上げると、紅い双眸が涙に濡れている。

 

 「やまし…いや………扶桑か…」

 「はい、山城()も許してくれたので、依代(よりしろ)にさせてもらいました。口調も真似てみましたけど、どうでした? ………南洲、ご武運を。私はいつでも貴方の()にいますから」

 

 綺麗な表情で微笑む山城(扶桑)の目はひたすらに優しく、南洲はひたすらに悲しい目で見つめ返す。そして刀から手が離れ、山城は糸が切れた人形のように甲板へと崩れ落ちる。南洲は扶桑の宿る木曾刀を左腰に差し位置を整える。

 

 離脱のため出撃デッキに集まってきた艦娘全員が見守る中、大きく助走を付けた南洲は、舷側を蹴り仁科大佐に向かい跳躍する。黎明の冬空、風を纏い揺れるマントが不規則に形を変えながら、黒い影となり仁科大佐に迫る。影の中の一つの光点、赤い右目が仁科大佐(標的)を見据え、左手に構えた銃を向け発砲する。雪に覆われた地面に立ちそれを迎え撃つ異形の男は、銃撃を砲塔で弾きながら南洲に照準を合わせ砲撃体勢に入ろうとするが、慌てて体を庇うように砲塔の向きを変える。

 

 南洲と同じタイミングで、その背中に隠れるように跳躍したもう一つの影、速度と重量の違いから先に自由落下を始めた黒いメイド服姿の春雨が、左手に装備した12cm連装砲B型改を連射する。

 

 「逝く時は一緒がいいとは、どこまでも健気ですね、貴女は」

 連装砲の砲塔を盾にして春雨の斉射を防いだ仁科大佐が、砲煙の中からゆらりと姿を現し、すでに着地した南洲と春雨に対峙する。

 

 南洲は苦笑交じりに自分の背後にいた薄桃色の影に話しかける。

 「…………離脱しろ、って命令したんだがな」

 「そんな命令をするくらい分が悪いんですよね? なおさら私が一緒にいなきゃ、です」



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63. 彼女達の選択-前編

 仁科大佐の砲撃を止めようとする南洲。だが離脱を命じていた部隊は、むしろ反転攻勢に出ようとする。


 「さて、どう料理するかね。煮ても焼いても喰えなさそうだが」

 「春雨は料理大好きですけど、仁科大佐さんは美味しくないと思います、はい」

 

 南洲と春雨は仁科大佐を注視する。かつて南洲は扶桑の35.6cm連装砲を展開することができた。鉄と油を依代に現界させる艤装、ヤツは誰の力を振るっているのか? ゆらゆら揺れる連装砲が不意に仁科大佐の頭上を越え持ち上がる。砲身がゆるりと仰角を取ると、仁科大佐は両脚を広げ反動に備える。

 「山城や貴方が騒いでも怖くありませんが相手をするだけ時間の無駄、水鬼とビスマルクは…生きてさえいれば後は技本で何とかします」

 

 -あくまでもしらたかを撃つ気か。アイツら…モタモタしてる暇はねーぞ!

 

 南洲は仁科大佐を取り押さえるため突進し、春雨も遅れずに疾走を始める。仁科大佐との距離をみるみる詰めながらインカムで鹿島に全員離脱済みかどうか確認する南洲。だが、その返事は微妙なものだった。

 「はい、南洲さん♪ 全員しらたかを離脱済み、配置完了しています、うふふ♪」

 

 間近で見た仁科大佐の砲塔(それ)は、長大な砲身、砲塔と砲身の根元を塞ぐ白いカンバス、傾斜装甲で構成され全高の抑えられた砲塔―――41cm連装砲、砲塔測距儀の形状からして、コイツの『力』は陸奥か。

 

 再び砲撃が行われ、仁科大佐の周囲が爆煙で覆われる。三度目の砲撃で至近弾を受けたしらたかは、これまでに受けた損傷を含め持ちこたえられずついに轟沈し、水中で搭載火器が誘爆、船体に見合わない巨大な火柱と黒煙を上げた。

 

 「全員無事かっ!? 応答せよっ」

 「南洲さん、45秒後に応射開始します。急いで離れてくださいね、うふふ♪」

 

 インカムから鹿島の声が飛び込んでくる。南洲はその内容に不満を覚えながらも、速度を上げ、春雨と共に仁科大佐の左右を駆けぬけると一気に距離を取り防風林に飛び込むと、砲撃に備え地面に伏せる。

 「全員無事なんだな、鹿島っ!? 応射なんてしなくていいからさっさと逃げろっ!!」

 

 

 「私たちは二度と貴方を一人で戦わせません。私たちだって貴方を守れますから。これ以上一人で何もかも抱えないでくださいね、約束ですよ♪ …5…4…3…2…斉射っ」

 

 

 鹿島のカウントダウンの向こうから、Feuerとドイツ語が聞こえてくる。ビスマルクが砲撃を行うようだ。四基八門の主砲からの一斉射撃、先ほどの仁科大佐の砲撃よりも激しい轟音が響き渡る。地表が着弾の衝撃で激しく揺れ、さながら地震のようである。必死に砲塔の下に潜り砲撃をやりすごそうとする仁科大佐だが、彼を中心とする着弾点周辺は目茶目茶に地面が抉られ原型を留めていない。だが爆発に付き物の爆風や炎は上がらず、着弾位置表示用に仕込まれた発煙剤による青い煙がもうもうと立ちこめるだけ。どうやら選択したのは演習用榴弾のようだ。

 

 「流石にポアする訳はいかないので演習弾にしてみました♪ みなさん、敵は現在沈黙中、なれど警戒続行します。山城さんと翔鶴さん、聞こえますか? そのまま敵の最大射程圏外まで離脱し待機、状況によっては航空支援をお願いします。秋月さんと羽黒さんは引き続きお二人の護衛ですね。対地制圧はビスマルクさん、龍驤さんは直掩ですね。私は現在位置で湾口封鎖しつつ戦闘管制にあたりますっ」

 

 

 

 失った悲しみに耐えられず、それでも前を向いた矢先に再び守り切れず全てを失い、自分を呪い相手を呪い力を欲した-本来の性格である槇原南洲(まきはら よしくに)という人物は、軍人としては優し過ぎたのかも知れない。そんな彼がウェダの惨劇を経て、それでも戦い続けるために被った槇原南洲(まきはらなんしゅう)という復讐の仮面(ペルソナ)。この先南洲がどうなるのか、今の時点では誰にもわからない、だがこのままでいいとは思えない、それだけは確かだ。

 

 なら南洲に守られ続けてきた自分たちは、南洲のために何ができるのか。想い人一人守れず、何のための艦娘なのか―――それが空母水鬼、そして春雨の話を聞いた彼女達の想いであり、意地だった。

 

 

 

 「仁科もろとも大湊警備府を破壊するつもりかっ?」

 「大丈夫よアトミラール、あの男は私が思いっきり突き飛ばしても平気なくらい頑丈なのよ。これくらいで丁度いいわ」

 

 上空を舞う龍驤の紫電改に守られながら、インカム越しに文句を言う南洲にビスマルクがしれっと答える。これまでの仁科大佐の変態行為にやっと仕返しができた、と満足そうな表情で長い金髪を潮風に揺らす。

 

 

 抜刀した木曾刀を右手に提げる南洲は、警戒しながら仁科の元へと向かう。軽く頬を膨らませたままの春雨も棘鉄球(モーニングスター)を右手に下げそれに従う。

 「なあ…飛び出した割には俺何もしてないよな。というか春雨(ハル)、お前、俺を止める気だったんだろ?」

 「いつもいつも傷だらけにならないで…ほしい、です。今日は後衛ではなく護衛です、はい」

 

 苦笑いを浮かべた南洲だが、たどり着いた着弾点で安堵と驚愕の両方を覚えることなった。

 

 脅威だった41cm連装砲は、ビスマルクの38cm砲計八発の直撃弾や至近弾を連続で浴びせることで、破壊に至らなかったが砲塔は大きく凹み、一門の砲身は直撃を受け破断、無力化に成功している。もっとも本体の仁科が、巨弾が天蓋に直撃した衝撃をまともに受け脳震盪を起こし行動不能のためあれ以上の砲撃は無理だったようだ。至近弾での衝撃による両脚と左腕の複雑骨折等全体としては重傷だが、とにかく生きている。そして…生体修復が進行し目の前でそれらの傷が緩やかに修復されている。

 

 徹甲弾や榴弾での攻撃、あるいは三式弾で焼き払えば、連装砲はともかく、仁科自身は跡形もなく消し去ることは可能だっただろう。だが仁科を殺さずに無力化するギリギリの選択としての演習弾、南洲は鹿島の作戦指揮とビスマルクの射撃精度に感心し彼女達の成長を嬉しく思う反面、演習弾とはいえ戦艦娘の砲撃をまともに受けてなお生き延びるまでに人間を別な何かに作り替える技本の技術とその発展スピードに暗澹とした思いを抱いていた。

 

 「俺に効果があったってことはお前にもあるってことだ。………手前には似合うんだな、これ」

 刀を収めた南洲がごそごそと取り出し、仁科の首につけたそれは、ピンク色のハートをあしらったロックチョーカー。艦娘の機能や能力を制限するこのアクセは、南洲や仁科のような()()()()()()()()()()()()()者にも機能する。

 

 「大湊警備府司令官仁科良典大佐、当査察部隊への不当な攻撃の現行犯として緊急逮捕する。加えて前任司令官芦木中将殺害容疑、支配下艦娘への重暴行及び監禁容疑等、警備府資産の不正流用等貴官には余罪がある。背後関係も含めて全てを明らかにしてもらうぞ」

 

 そう宣すると後手に手錠をかけ仁科大佐を立ち上がらせる南洲。陸奥の力をロックチョーカーにより制御された仁科は、生体修復機能も停止し、苦痛にひどく顔を歪める。春雨は部隊が目標の拘束完了を受けこちらに合流のため向かっていると伝えつつ、連装砲を改めて構え直す。南洲もため息を付きながら近づく影に声を掛ける。

 

 

 「さてひと段落…と言いたいところだが……お前らは俺を邪魔しに来たのか、見届けに来たのか、どっちだ?」

 

 

 南洲も既に気づいていたその存在。南洲と春雨が伏せていた防風林と反対方向にあるそれに身を伏せていた数名が艤装を展開しながらこちらに近づいてくる。これだけの騒ぎであり、警備府の艦娘達が駆けつけない方としたらむしろその怠慢を咎められる。不知火を先頭に陽炎、霰、霞、夕雲、早霜、神通、祥鳳、瑞鳳が南洲のすぐ眼の前までやって来た。

 

 「…山城さんが脱走を試みた。前秘書艦ゆえ改心する機会を与えるために自室に拘束している…そう聞かされ信じていた」

 鋭い眼光で睨みつける不知火に、すぐさま春雨が棘鉄球(モーニングスター)を投擲しようと反応したのを、南洲は左手を上げ合図をし押しとどめる。一方で南洲の右側、後ろ手に縛り上げられた仁科大佐はつまらなさそうな表情で生あくびをしている。それを見た大湊の艦娘達の表情が険しい物に変わる。

 

 「アリューシャン方面で苦戦を続ける友軍のため、ここ大湊からの輸送支援が生命線になる。そう言われ荒天の中、単冠湾泊地や他の北方の拠点に物資を運ぶため多くの仲間達が向かい、そして帰ってこなかった。尊い犠牲、そう聞かされそう信じたかった」

 

 事実は残酷なものであった。色丹島と新知島(しむしるとう)に密かに展開中の技本の手による深海棲艦艦隊に襲われ、ことごとく輸送隊は潰滅していた。そもそもが深海棲艦部隊へ補給物資を届けるための輸送であり、帰る道など用意されていなかった。

 

 「査察部隊が不知火に協力を求めに来た時、『沈めばいいのに…』と思った。だが工廠地下の研究施設、そして司令の豹変を見て、査察官と山城さんの殺害を聞かされても………それでも信じたかった。我々は仁科司令の手で建造されたのだ」

 

 今大湊に配属されているのは、今南洲の目の前にいる艦娘達に加え他数名しかいない。相次ぐ戦没で、みな新規に建造された艦娘ばかりで、転属組で古参の神通を除けば、どの娘もまだまだ練度が低い。

 

 

 「不知火―――」

 

 不意に仁科大佐が声を上げた。無表情のまましゃべり続けていた不知火の表情に一瞬喜びの色が浮かぶ。

 

 「私は怪我をしているのです。秘書艦なら医務室の準備をしてきなさい。ああ、それと次の輸送船団の護衛は第十八駆逐隊でした。しっかり届けて欲しかったのですが」

 

 それでもまだ信じられる何かを僅かでも探していた、そんな不知火だが全てを理解せざるをえなかった。言外に仁科司令は自分の疑問を肯定した上で、その上で次に沈むはずだったのはお前だ、そう告げている―――。

 

 不知火が浮かべた僅かな笑みは消え、うっすらと涙目になる。頭をふるふると振って顔を上げた彼女は、不敵な笑みを浮かべ、肩掛け式の連装高角砲の砲口を仁科大佐に向ける。

 

 「怒らせたわね…!」

 



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64. 彼女達の選択-後編

 第五章最終話。余裕を崩さない仁科大佐の奥の手とそれに対する南洲たち一行と大湊警備府の残存部隊。


 不知火の背後にいる艦娘達も一気に騒然とし始める。艦娘が人間に危害を加えることは重罪であり、解体処分が待っている。それでも不知火の気持ちは皆痛いほど分かる、()()()一体誰だったのか、と。建造ドックの扉が開き、差し込む光に目を細め、光に目が慣れて最初に目にしたもの。白い手袋をした手は、濃紺の制服とのコントラストが鮮やかだ。そして優しそうに目を細めた笑顔の仁科大佐。ああ、私はこの人によって呼ばれ、現界したのだ―――。

 

 『ようこそ、大湊警備府へ。これからは私の後をついてくると良い。目指すべき場所へと誘おう』

 

 

 「目指すべき場所へと誘う、貴様はそう言った。それが深海棲艦の贄となるために北辺の海へ私たちを送り込むことなのかっ!!」

 

 それは怒号であり悲鳴。低くくぐもった不知火の声に、耐え切れず祥鳳と龍鳳が嗚咽を漏らし始める。

 

 「なんやなんや隊長―、深刻そうやけどどないしたん?」

 龍驤が会話に割り込んでくる。彼女なりに場の雰囲気を和らげようとしての配慮である。その背後からは続々と部隊の面々が合流してくる。空母水鬼は翔鶴の人格が表に出ているようで、普通に丈の短い朱袴と白い弓道着という、どこから見ても『翔鶴』で、南洲は内心ほっとしていた。

 

 「不知火さん、落ち着いてください、ねっ?」

 状況は一目で分かる、と鹿島がさりげなく仁科大佐と不知火の間に割って入る。かつての自分の経験を踏まえ、今の不知火に話が通じるのは自分しかいない-その思いが彼女を駆り立てる。

 

 「…邪魔をするなら、貴女も沈めますよ」

 連装砲の砲口が鹿島に向けられるが、不知火の口調はやや語尾が震えている。鹿島はにっこりとほほ笑みながらそのまま前に出て、まるで連装砲を自分の胸に抱くように押し付ける。

 「そんなことをされたら、南洲さんに会えなくなるので困っちゃいます。ここにいる私たち全員は、今に至るまで色んな事があったんです。それでも、こうやって心を預けられる人に出会って一緒にいられるようになりました。貴女にもきっと、そんな日が来ます。今それを信じるのは難しいかもしれません。けれど、だからと言って、変態さんのために貴女が魂を穢す必要はありませんよ」

 

 一瞬何か言い返すように口を開きかけた不知火は、そのまま唇を噛むように俯き、それに倣う様に連装砲の砲口も地面に向けられる。そのまま鹿島は不知火を抱きしめると、あやす様に頭を撫で続ける。

 

 「夕雲姉さんみたいですね、あの鹿島さんって練巡の方」

 「…あんなに一途に信じられる司令官なんですね。ちょっと興味あるかも」

 そんな鹿島と不知火の様子を見ながら言葉を交わす夕雲と早霜の姉妹だが、夕雲の方は鹿島の姿を通して南洲にも興味を抱いたようである。

 

 

 「槇原南洲、貴方と違って私は忙しいんです。そろそろ迎えの者も痺れを切らしているようなので。さ、行きますよ」

 

 

 「西方20kmに敵機確認、あと3分で接敵っ! 艦載機のみんな、急いで仕事や!」

 「朝比奈の早期警戒所からは何も…? と、とにかく、直掩隊発艦始めっ!」

 

 仁科大佐が口を開き誰かに呼びかけたのと、龍驤と翔鶴が声を上げたのと、そして南洲の右斜め前から、猛烈な勢いで影が迫ったのは同時だった。二歩で距離を詰め、最後に踏み込んだ左脚を軸にして繰り出される強烈な右内回し蹴り。

 

 堪らず南洲が大きくのけぞりながらそれを躱すが、その際に仁科大佐から手を離してしまった。攻撃者は南洲を追撃する代わりに、地面に投げ出され転がった仁科大佐を抱きかかえると港に向け走り出す。援護するように現れた深海棲艦の艦載機群、それは牛の首岬西方まで進出してきた技本所属の深海棲艦艦隊が突入させたものだ。空母三、防空駆逐艦一から成る艦隊は、艦娘の姿で津軽海峡から平館海峡を経て、現在地点でフォールダウンを済ませると、海岸線に沿って海面スレスレに艦載機を飛ばし電探の警戒網を潜り抜けてきた。大湊警備府からは下北半島西部の山々が影となり電探での索敵を妨げ、至近距離での突入を許してしまった。

 

 突入してきた深海棲艦艦載機の攻撃隊は、こちらの迎撃機の展開が遅れたと見るや部隊を二手に分けてきた。約四〇機の急降下爆撃機は警備府の各施設に殺到し、投弾後直掩を兼ねる戦闘爆撃機隊約四〇機は、港と司令部棟の中間あたりにいる南洲達の一群に襲い掛かってきた。

 

 「撃ち方、始めて下さーい!」

 「主砲、よく狙って、てぇーっ!」

 すぐさま秋月を中心とした防空体制が取られ、羽黒と山城が三式弾で対空弾幕を張り続ける。散弾銃のように焼夷弾子をバラまく三式弾だが、実はその命中率はあまり高いとはいえない。それでも少なくない機が焼夷弾子を叩き付けられ爆散したが、大半は方向を変え逃れることに成功した。あくまでも一時的に。

 

 「お任せくださいっ! この力、今こそ振るう時ですっ」

 

 三式弾での対空砲撃で落とせればそれでよし、だが真の目的は、敵機に回避行動を強いて秋月の射撃圏内に追い込むことにあった。秋月は言葉の通り、13号対空電探改と高射装置を組み合わせた長10cm砲による正確無比な砲撃で次々と撃墜数を増やしてゆく。そこに体勢の整った翔鶴の烈風隊が突撃を始め、散々に敵の戦闘爆撃機を追い散らしてゆく。一方、司令部施設を襲った急降下爆撃隊は、龍驤の紫電改隊と、彼女の指揮の元防空戦に参加した大湊の軽空母戦隊の加勢もあり、地上施設に大きな損害を与えたものの全機撃墜され壊滅した。

 

 

 「すごい…あんなにいた敵機があっという間に…」

 「練度が上がって改二になれば…。な、なによあれくらいっ! 私だってっ」

 ぼんやりと空を見上げる霰に対し、負けん気の強い霞は左手に装備した連装砲で対空射撃に参加しようとする。統制の取れた南洲隊に手を焼き撤退し始めた残存の戦闘爆撃隊は、鬱憤を晴らすかのように霰と霞に狙いを定め機銃掃射を行いながら突入してきた。

 

 「うあ…あ…あ………や、やめてよ、止めてったらっ!!」

 この警備府で建造され戦闘経験の少ない霞は、剥き出しの悪意を叩き付けるような急降下爆撃を受けるのは初めてである。恐怖に身が竦みながらも、それでも霰を庇うような姿勢を取り、きゅっと目をつぶる。

 

 

 轟音と爆風にさらされる。だが生きている。思わず顔を上げると厳しい声で叱責を受けた。

 「そこの子たち、ちょろちょろしないっ!! 早く避難しなさいっ」

 

 ビスマルクの38cm連装砲四基の斉射で放たれた零式通常弾。榴弾の爆散効果で霞たちに突入中の編隊二つを文字通り吹き飛ばした。呆然としていた霞は荷物のように小脇に抱えられ、腰を抜かしていた霰は背負われ、一気に防風林まで運ばれると、どさっと地面に降ろされる。

 

 「痛っ! って、何よもうっ! 私はまだやれるわっ!!」

 お尻を押さえながらの涙目で、目の前に立つ影に食って掛かろうとした霞は言葉を思わず呑み込む。右手に提げた日本刀、赤く光る右眼。

 「死にたくなけりゃここで大人しくしてろ、分かったな」

 低く、淡々とした物言い。怒鳴られた訳でもないのに、霞はこくんと頷き、素直にはい、というしかできなかった。

 

 「いい子だ」

 左手が頭に載せられ軽くくしゃくしゃとされる。思わず猫のように細めた目を開けた時には、黒い影は風を巻いて防風林を後にして疾走していた。

 

 

 

 

 「いたたた…。やっぱり鹿島はこういうの向いてないですね、えへへ…」

 南洲が急いで港に向かう最中、春雨も追いついてきた。二人がさらに走る速度を上げ港に迫ると、力なく笑う鹿島が街路樹に凭れるように体を支えていた。仁科大佐を抱えて逃走した艦娘-神通ごと取り押さえるためいち早く追走を始めた鹿島は、慣れない近接戦闘を神通との間で余儀なくされ、ほぼ一方的に打ち据えられ動けなくなっていた。痛みを堪え無理に微笑みかける鹿島を南洲はそっと支える。

 

 もう喋るな、と鹿島の耳元で囁くと、力の抜けた鹿島を春雨に預け、再び仁科大佐と神通を追おうとする。

 「南洲っ!」

 不安そうな眼差しで春雨が訴えるが、南洲は首を横に振り走り出す。

 「鹿島を頼む。連れて帰って入渠させてやってくれ…設備が生きていれば、だが」

 

 

 「仁科大佐及び軽巡洋艦娘神通、ただちに武装解除の上投降せよ。さもなくば実力をもって捕縛するっ」

 ROEに従い警告するが、最早ただの名目だ。両足の親指の付け根に力を込め、南洲は抜刀し一気に跳躍する。瞬時に間合いを詰める体捌き(縮地)。接近するまでに走り掛かりのための体重移動は終えている。悪く思うなよ-南洲は刀を返し、上段から神通に斬りかかる。峰打ちだが、南洲は神通を気絶させるつもりでいる。対する神通は、海に出るため横抱きにしていた仁科大佐を地面にそっと下し、無造作にすうっと左手を上げる。

 

 南洲の刀は、歯をむき出しにした艤装に文字通り白刃取りされた。目の前にいるのは、前髪を左右に分けた漆黒の長い黒髪で、川内型の制服に良く似た真っ黒な衣装をまとった深海棲艦。顔の上半分が両サイドを鋲で止めたフェースガードで覆われ、額から2本の太い角が生えている。魚雷発射管と融合したような生物状の艤装を構え、両腕の上にはいくつもの単装砲塔を乗せている。

 

 「コナクテイイノニ…ナンデ クルノヨォォォ!?」

 

 そう絶叫し軽巡棲姫(神通)は、力任せに南洲を放り投げる。南洲は受け身も取れずに着地点にあったコンクリートブロックに叩き付けられる。

 「痛ぇなこの野郎…肋骨左三本やっちまったか」

 放り投げられかなりの距離が開いたはずだが、数歩の踏込で一瞬にして距離を潰し軽巡棲姫(神通)が目の前まで迫り、南洲は掴みあげられる。それでも刀を握り直した南洲は、フェースガードの下から軽巡棲姫(神通)の頬を涙が伝うのを見て、動きが止まる。

 

 「アア…私ハ…私ハ…()()貴方ヲ…司令官ヲ……。コノ姿ハ…罰……」

 

 どさり、と地面に落とされた南洲の頭上を掠めるように、金属のすれ合う音がして棘鉄球(モーニングスター)がうなる。軽巡棲姫(神通)は大きく飛びのきそれを躱すと、仁科大佐を再び確保して海上に進出、一気に最大船速まで加速してみるみる遠のいて行った。

 

 

 自分を抱き起す春雨の涙声を聞きながら南洲は、痛みで朦朧としながら軽巡棲姫(神通)の言葉を思い返していた。

 -アイツ…俺を知ってるのか? 俺の知っている神通は…ウェダで……。仁科、お前は、いや技本は一体何を企んでいる…?



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間章 りこれくしょん-4
65. 外堀は埋めるためにある


 大湊での戦闘勃発に際し、いち早く動き出した宇佐美少将。警備府の再建をどう進めるか、南洲をカヤの外に様々な思惑が交錯する。


 話は大湊での戦闘中まで遡る―――。

 

  「大淀、後は頼む」

  短く言い残すとフロックコートと軍帽を手にした宇佐美少将は部屋を急ぎ足で出ようとしていた。大淀が緊急です、と息せき切りながら持ち込んできた情報は、PG829(しらたか)の信号途絶。信号が途絶することは、理由はどうでもしらたかが沈没したことを意味する。そして現地とも南洲達とも連絡が取れない。挙句に突如現れた深海棲艦の機動部隊による空襲―――。

 

 走りながら方々に携帯で連絡を取り必要な手配を整えた宇佐美少将は、自ら構内移動用のジープを駆り艦隊本部内にある港に駆け付けた。彼の乗艇を待って慌ただしく緊急離水したUS-2。太平洋側を低空で進む飛行艇の中、宇佐美少将は苛立ちを隠せず貧乏ゆすりを続ける。

 

 

 

 宇佐美少将が連絡を取った先の一つに、択捉島に位置する単冠湾泊地の石村 毅郎(いしむら たけろう)中将が含まれていた。北方海域最大の拠点として、深海棲艦に睨みを利かせるこの泊地の継戦能力を担保するため、大湊警備府は本州および北海道方面からの輸送支援及び護衛の役割を担っている。

 

 『大湊が深海棲艦機動部隊と交戦中。責任は当方が負うので部隊急派を請う』

 

 石村中将は艦娘に対しダダ甘で有名な人物であるが、艦娘可愛さに情勢の重大さを見誤る男ではない。宇佐美少将からの緊急電を受け、ただちに基地航空隊から熟練の零戦二十一型の部隊を先行投入して大湊周辺の制空権を確保、その上でCV-22B(特殊作戦型オスプレイ)により艦娘部隊を大湊に強行突入させる作戦を実行に移した。

 

 一旦下北半島東沿岸にUS-2を着水させた宇佐美少将は、択捉島の石村中将と連絡を取り状況を整理した。零戦二十一型の妖精さんからの報告-大湊所属ではない艦娘達(南洲隊)が縦横無尽に戦い、警備府と大湊の艦娘を守りながら敵を撃退中ーを受けた石村中将は驚愕したものの部隊展開は予定通りとし、CV-22Bが大湊航空隊基地に着陸したのと同じ頃、零戦部隊と合流した宇佐美少将の座乗するUS-2も、その護衛を受けながら大湊に姿を現した。

 

 

 大湊は半壊状態で通信設備も損害を受けていたため、宇佐美少将と石村中将はUS-2の通信機器を利用して協議を続けていた。宇佐美少将から齎された査察部隊に関する情報は、これまでその活動に注目していなかった石村中将を卒倒させそうになった。

 

 こと大湊に限っても、先任司令官の殺害、元秘書艦の監禁、資材資源の不正流用、深海棲艦との繫がり…軍法会議で死刑判決ものなのに、訪れた査察部隊は攻撃され部隊長は負傷し現在加療中という事態、その裏には技術本部でも先鋭的と知られる霊子工学部門が深く関与しているらしいこと。ただ、石村中将の心を最も傷つけたのは、仁科大佐が単冠湾泊地への輸送支援を名目にして大湊の艦娘達に犠牲を強いていた事だった。

 

 二人の将官は、南洲隊と大湊の艦娘達に事情聴取を済ませ再度協議、深夜になり一つの結論に至ると大本営に速やかに上申した。

 

 

 『大湊警備府司令官 仁科大佐、不祥事の発覚を受け出奔し行方不明。折悪しく深海棲艦機動部隊の空襲を受け大湊警備府は半壊。単冠湾泊地司令官 石村中将を後見役に仰ぎながら、当面は当官の指揮下にて警備府再建を遂行せんことを了承されたし』

 

 

 外地のトラックならまだしも、本州の拠点である大湊警備府での騒動は政治的に極めてまずい。自分の手で一刻も早く事態を収拾することで査察部隊、ひいては南洲に責任を押し付ける空気を作らせないこと、宇佐美少将がすぐさま動いた理由はそこにあった。

 

 

 

 翌日―――。

 

 宇佐美少将と南洲はこれまでの経緯について大湊警備府の司令官室で話し合っていた。軽巡棲姫との戦闘で負傷、左肋骨三本を骨折した南洲はコルセットを巻き、そのため第一種軍装のジャケットを肩から羽織っている。一通りの話を済ませ暫しの沈黙の後、珍しく南洲から口を開いた。

 

 「…ダンナ、俺の解離性同一性障害(DID)を知っていたんだな。だからしつこく俺の状態を…」

 「知っていながらお前を利用していたんだ、責めてくれていい。責めてくれていいが、お前の力が艦娘を守るのに必要なのは、今までもこれからも変わらない。俺に出来るのは、そんなお前の将来を一緒に考えてやるくらいだ、詭弁かも知れんが、分かってもらえると助かる」

 

 「うだうだ言う気はないよ。だが将来、か…」

 そう呟いた南洲は、つい普段の癖でソファのシートに背中を預けようとして肋骨が痛み顔を顰める。どうやら()()()()()()()()()()()()()()は本来の自分ではなく、主人格とやらの恨みや怒り、力への渇望が具現化した副人格らしい。正直、そんなことはどうでもいい。とにかく次に出会ったら仁科は問答無用で斬る。そして自ら生み出した艦娘を利用して何かを企む技本の霊子工学部門、それに噛んでいるらしい艦隊本部トップの三上大将、こいつらがどう考えても問題だ。所詮今は深海棲艦との戦争真っ只中で、綺麗事を言ってられないのも事実だ。艦娘は兵器として兵士として、俺たち人類が勝利を収めるのに必要不可欠だ。

 

 だが、戦争だからと言って、やっていい事と悪い事がある。

 

 純一な思いで現世に甦り、命を掛けて俺達人間のために戦う艦娘を利用して連中は何を企んでいる? 技本の息のかかった連中などと比べれば、艦娘の方がよほど人間らしく、一途で濃やかな感情と愛情を持つ存在なのに。

 

 『人の手で造られ、人のために戦い、人の手で傷つけられ、そして人の裁きに付き合わされる艦娘(俺達)…お前たち人間は一体何がしたいんだ?』

 

 かつてトラック泊地で出会った木曾はそう言った。まったくその通りだ。どんな意図や目的があろうとも、技本の暴走を是とするなら、俺達人間は艦娘が命を掛けるのに値しない。いっそ深海棲艦に滅ぼされればいい。

 

 

 「将来…」

 長考を経て、もう一度南洲は繰り返す。ウェダ時代は生き残るために戦った、諜報・特殊作戦群時代は殺すために戦った。そして今は、守るために戦っている。少なくともそのつもりでいる。だが、その先に何がある―――?

 

 宇佐美少将は膝を大きく打つと身を乗り出してきた。

 

 「だからよ、お前にはそろそろ腰を落ち着ける場所が必要なんだよ。よく考えろ。ああそうだ、南洲、しばらく大湊駐在な。これは石村中将も同意している。まずお前は重傷患者、傷が癒えるまで無理は禁物だ。それに俺の指示を受けてここの立て直しの陣頭指揮を執る奴が要る。今のお前は足も無いよな。PG829(しらたか)の代わりは今手配中だが、艦娘の運用ができるよう改修もしなければならん。何より………なあオイ?」

 

 ダンナが乗ってきたUS-2に同乗させてくれればいいだろう、と言いかけた南洲は、宇佐美少将のにやにや視線の先を同じように目で追いかける。閉めていたはずの司令官室のドアが僅かに開いている。そこから覗く頭-グレーのサイドテール、黒髪、緑+アホ毛、ツバ付き帽子。

 

 「腰を…落ち着ける場所…?」

 「しばらくここに駐在と言ったな」

 「重傷って、私を助けて!? …ば、バカじゃないの…」

 「なかなか面白そうな展開ね」

 

 丸聞こえなんだがな…色とりどりの髪の色が作るトーテムポールを見ていると叱る気にならず、南洲はソファの傍らに立てかけておいた木曾刀を杖代わりにして立ち上がり、ドアに近づくと内側に大きく開く。

 「用事があるならノックして入ってこい」

 

 急に支えを失い司令官室に転がり込む四人の艦娘達-霞、早霜、夕雲、霰。

 

 大の字に伸びている早霜の背中に跨る夕雲は、いたずらな視線を送りながら意味あり気に南洲に話しかける。

 「もう…あまりジロジロ見ないでね」

 「な、何よっ、言いたい事があるなら目を見て言いなさいよっ!」

 夕雲の背中におぶさるようになった霞が思わず毒付けば、トーテムポール崩壊からいち早く逃げた霰はちゃっかり自己紹介をしている。

 「霰です…んちゃ…とかは言いません…よろしく…」

 

 宇佐美少将はそんな光景を見てうんうん頷きながら言葉を継ぐ。

 

 「お前に興味津々のようだな、南洲。しばらく世話になる場所だ、お嬢ちゃん達の案内で見学でもしてこい、歩けるんだろ? 俺は単冠湾泊地の艦娘達が出発するからその見送りだ」

 

 

 

 「…では南洲さん、いいんですよ、甘えてくれて」

 夕雲はそう言うと、肋骨の痛みのため刀を杖代わりにしている南洲の右手をそっと支える。

 

 大湊の艦娘の間ではすでにある種の期待感が広まっていた。これは彼女達に質問を受けた宇佐美少将や石村中将が意味ありげに回答したことにも起因する。

 

 

 -さてどうかなあ、南洲次第だがな。

 

 

 「先に行くわよ、見てらんないったらっ! …ちょっと、ちゃんとついてくるのよっ!」

 一人ぷりぷり怒りながら先を進む霞だが、一定の距離以上には進まず立ち止まって南洲を待っている。

 

 夕雲と同じように南洲の左手を取りながらちょこちょこ歩く霰が見上げながら口を開く。

 「霞………昨日の夜……どこから案内するのか一生懸命考えてた…から…」

 向こうではワーッと叫びながら両手を上げ霰の声をかき消そうと霞が必死になっている。思わず南洲が微笑みそうになった瞬間、背筋がぞくっとする感覚に襲われ、それは起きた。

 

 

 どかぁっ!!

 

 先を行く霞と南洲達の中ほどの壁が突如吹き飛び、廊下を塞ぐようにチェーンが横たわる。金属を擦り合わせるような音がし、棘鉄球(モーニングスター)が引き戻されてゆく。

 

 「すみません、手がちょっと滑っちゃいました、はい」

 

 いつも通りの花が咲くような笑顔を浮かべ、壁の残骸を丁寧にどかしながら春雨が現れる。呆然とする一行を尻目に、春雨はさりげなく夕雲と霰の手を南洲の手から外すと、廊下を引き返す様に南洲を引きずっていった。

 

 「どう手が滑るとこうなるんだ、春雨(ハル)…」

 「医務室で診察の時間なのに来ないから、最短距離で迎えにきました」

 



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66. 求められる者

 完治まで二、三か月、それまで大湊駐在…のはずが、すでに大湊の艦娘の間では南洲が次の司令官であるかのように語られている。急な状況の変化に査察部隊の艦娘達もついていけず、自分を置き去りに進む話に南洲が苛立ちを強める。


 「はい、外用鎮痛剤も取り替えましたし、内服用のやつは必ず毎食後に飲んでくださいね。春雨さんの応急処置も適切でしたし心配はありませんから。え? そうですね、普通の…でしたら1ヵ月程度の安静期間を経て数か月で改変期、つまり完治に至るケースですが、少佐の場合()、もっと早いと思います。多分二、三か月以内に完治するのでは。少佐はその…」

 

 目の前にいる艦娘が何かを言い淀んでいる姿を見て、南洲はすぐに見当が付いた。

 

 工作艦明石-泊地修理や工廠での艤装改造、時には司令官の頭の修理までこなすエンジニアで、拠点ごとに特徴が異なるようだ。聞いた所ではジャパ○ットアカシなるショッピングサイトを運営しコングリマロット化に成功した伝説の明石や、その明石をライバル視して明石キングダム設立のため日夜スモールビジネスに勤しむ不健全な明石など、ビジネス寄りの明石が多いらしい。何度明石と連呼したか数えていないが、ここ大湊の明石はビジネスではなくメディック、つまり医官を兼ねている。

 

 

 「『回復力が()()()()()を大きく上回っています」って話だろ』

 

 春雨より濃い目のピンク色の髪が上下に揺れる。水色のシャツの上に着たセーラー服に組み合わせたミニの行燈袴。服装は標準的なものだが、今は医官らしく白衣で覆われている。

 

 「それに、『少佐()』って事は、君は仁科大佐のメンテナンスも担当していた、そういうことだろ?」

 項垂れたまま動かない明石だが、その肩は震えている。春雨は南洲が二、三か月で完治すると聞き、少し眉を顰め怪訝な表情に変わった。そんなに遅い訳がない―――これまでも南洲は何度も重傷を負い、時には死線を彷徨ったこともある。その度に驚異的な回復力を見せていた。肩を震わせ黙り込んだ明石の次の言葉を、南洲と春雨は待ち続ける。

 

 「そうです………。私は仁科大佐の着任と一緒に大湊に来ました。少佐の指摘通りです、あの人のメンテナンスがここでの主な役割でした。なので、少佐の体にどのような処置が施されているのかも理解できますし、対応もできます。けれど…」

 

 やっと顔を上げた明石の表情が不安げに曇る。そんな明石を見ながら薄く微笑む南洲が、再び言いよどんだ点を自ら確認する。

 

 「通常の人間より遥かに頑丈なのは確かなんだが、回復力が低下してる。以前ならこの程度の傷は一か月以内で完治したんだ」

 「そ、それでも、既にアルカリホスファターゼ(ALP)値の急上昇、つまり骨芽細胞が急激に活性化し初期仮骨の形成開始が確認されています。これは骨折の治癒過程の第二期にあたる現象で―――」

 「難しいことはいいんだが、それでも完治まであと二、三カ月かかる、ってことだろう? ちなみにだが、仁科ならどのくらいで治るんだ?」

 「………初期仮骨形成完了に1日、完治まで一週間以内、じゃないでしょうか」

 

 南洲と春雨は顔を見合わせる。低下した南洲の回復力と、かつてのそれを上回る仁科大佐の能力。今度は自嘲気味に微笑むと、懲りずに頭の後ろに両腕を組み、やはり肋骨の痛みに顔を歪めた南洲がむしろさばさばした表情で春雨に話しかける。

 「春雨(ハル)、どうやら俺は型遅れになっちまったようだな。仁科の奴が最新型、ってところか。だがまあ、それが分かれば手の打ちようがある。次に会った時はただじゃおかねえぞ、あの野郎」

 「変態大佐の事はともかく…。宇佐美少将のお話ですと、南洲が完治するまで大湊を動けない、ということは後二、三か月大湊に滞在なの?」

 

 今度は明石がきょとんとした顔をし、遠慮がちにそーっと右手を上げる。発言の許可を求めている、ということか。目線で南洲の合図を受けた明石は、驚くべきことを言い出し、南洲と春雨を石化させた。

 

 

 「あのですね、私たちは少佐が次の司令になって、今大湊に来ている皆さんも転属になるって聞きましたよ? だって龍驤さん、祥鳳さんと瑞鳳ちゃんと龍鳳ちゃんに朝から熱血指導してますし。霞ちゃんがキラキラしながら昨夜力説してたので、てっきりそうなんだと思ってたんですけど。違うんですかぁ?」

 

 

 

 「………………暇だな」

 

 南洲はベッドに転がりじっと天井を見つめている。

 

 『今日はとにかく安静にしていてください』と明石からきつく念押しされたこともあり、南洲のために用意された艦娘寮の一室で、何もすることもなく転がっている。仁科大佐の私室は深海棲艦の空襲で破壊され、警備府には男性である南洲が寝泊まりできる場所が残されていなかった。医務室のベッドでも宇佐美少将のUS-2でもいい、という南洲の意見は、『ダメです。ベッドでゆっくり休んでください』との春雨の意見で却下された。査察部隊の艦娘の収容も必要で、大湊の艦娘達は、他施設同様被害を受けた艦娘寮の使える部屋を振分け直し、なんとか南洲のために一部屋用意したのだった。

 

 艦隊本部では春雨と暮らす南洲だが、査察先で艦娘と同衾という訳にもいかず、それに骨折箇所が肋骨だけに寝返りさえ打てない以上、大人しく一人でじっと横になるしかなかった。

 

 「………………暇だな」

 仕方ないので円周率や元素記号をどこまで言えるか試したり、一人しりとりなどしてみたが、すぐに飽きた。

 

 「…女くさいな、この部屋」

 綺麗に整頓されているが、ワードロープ、小さなテーブル、クッション、電気ポットに多少の食器、そしてベッドだけがある飾り気のない部屋。それでも室内、そして南洲が横たわるベッドには、ふんわりとした女性特有の柔らかい香りが漂っている。

 

 「仕方ないでしょう、女なんだから」

 

 ノックもなく静かに空いたドア、そこに肘を掛けるような姿勢で立つ一人の艦娘が南洲の独り言に返事をする。膝くらいまである長い黒髪をポニーテールにまとめた赤い瞳の艦娘。ノースリーブのセーラーに赤いミニスカート、手先は白い長手袋で覆われ、左脚だけがニーソックスに覆われている。

 

 「やっと遠征から帰ってきたら警備府は半壊、自分の部屋は怪我人の病室に使われてるって言われて…まあそれはいいんだけど。貴方が槇原少佐ね、私は阿賀野型軽巡洋艦三番艦、矢矧。よろしくね」

 

 -矢矧…確か能代の妹…だったか。

 

 往時の新鋭軽巡洋艦として攻防ともに高バランスの性能を誇る阿賀野型。矢矧の軍艦時代の最期の戦いとなった坊ノ岬沖海戦では、魚雷七本、爆弾一二発に耐えるという軽巡としては驚異的な抗甚性で戦い続けた武勲艦である。

 

 「…君の部屋だったのか。悪いな、遠征帰りで疲れてるだろ」

 ゆっくりとベッドから降りようとする南洲を矢矧が押しとどめ、すたすたと部屋に入ってくる。

 「ふふっ、いたわってくれるの? そういう気配り、嫌いじゃないわ。でも肋骨を骨折してるって聞いたわよ、無理はダメ。いいのよ、私はお風呂に入るのに着替えを取りに来ただけだから」

 そう言うと矢矧はしゃがみ込みワードロープからごそごそ何かを取り出している。振り返り南洲がまだベッドに腰掛けているのに気付くと、矢矧は少しだけ怒ったような表情で南洲に近づき、そのままゆっくりとベッドに寝かしつけようとする。

 「ほら、けが人は寝てなきゃダメでしょっ! …遠慮なんていらないから、ゆっくりしなさい」

 

 

 「な、南洲さん、お加減はいかがですか? あ、あの…色々お手伝いのために来まし、た…けれど…」

 

 開け放したままのドアから一人の艦娘がひょっこり顔を出し、空中で絡み合う三人の視線。久々のジャンケンで勝利を収めた羽黒が南洲の身の周りの世話をするためにやって来たのだが、視線の先では立派な胸部装甲を持つ露出高めの制服を着た軽巡が、左手にらんじぇりーを抱えながら南洲をベッドに押し倒そうとしている、いや、そのように見えても不思議はない光景だった。

 

 「ご…ごめんなさい! …お、お邪魔でしたか……」

 羽黒が謝る必要はもちろんなく、当然誰の邪魔もしていないのだが、涙声になった羽黒はハイライトオフの瞳のまま、そのまま部屋から立ち去ってしまった。突然の事にぽかーんとして、思わず見つめ合っていた南洲と矢矧だが、すぐに矢矧が羽黒の勘違いの内容と自分の体勢に気付いた。慌てて着替え類を背中に隠すと、顔を赤らめながら南洲からぱっと離れる。

 

 「わ、私!?…っ、どうしよう…あ、あの…どうしよう…わ、私……っ」

 

 わたわたし始めた矢矧に、急に乙女になるなよ、と南洲は苦笑いを浮かべながら、ジャケットを羽織り杖代わりの木曾刀を取ると立ち上がり部屋を出ようとする。

 

 「て、提督、どこへ行くのよ? 安静にしてろと言われてるんでしょう?」

 

 北方航路海上護衛任務に出ていた矢矧を含む遠征組は、数度に渡る定時連絡で警備府とも仁科大佐とも連絡が取れず、旗艦だった矢矧の判断で急きょ大湊に帰還した経緯がある。帰還してみれば戦場となり半壊した警備府に仁科大佐の逃亡、そして見慣れない将官と南洲隊の艦娘達。一連の話をにわかに理解し納得するのは難しかったが、仁科大佐にある種の二面性を鋭く感じていた矢矧は、むしろこの一件で司令官が交替すれば大湊に新しい風が吹く、と好感していた。

 

 提督、と呼びかけられ苦笑いが苦々しい表情に変わる南洲だが、その表情は背中に呼びかけている矢矧に見えていない。そのまま振り向かず、南洲は自嘲気味に言葉を残すと羽黒を探しに歩き出した。

 

 「俺が率いる場所は、もう…。いや、何でもない。宇佐美のダンナも余計な事を…。俺に幻想を抱くのは止めておけ。俺は、君達が期待しているような男じゃない…」

 

 自分達以外の艦娘と親密に接する南洲を見た査察隊の艦娘、自分の意思と関わりなく進み始めている事態に直面した南洲、そして仄めかされた話と本人の反応の違いに驚く大湊の艦娘ー要するに全員が戸惑う状況の中、微妙にぎくしゃくした空気で大湊の日々は過ぎて行く。



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67. 誰にも分からない

 順調に回復する南洲。とある早朝、何かを始める。


 ―寒いなあ。

 

 早朝目が覚めた南洲はゆっくり警備府の中を散歩している。以前に比べ性能が低下しているとはいえ、艦娘の生体組織が体の約四分の一を占める南洲の頑丈さと回復力はやはり尋常ではない。軽巡棲姫との戦闘から七日、大湊での療養開始から五日、すでに刀を杖代わりにしなくとも歩き回れるほどに南洲は回復している。

 

 半壊した警備府の復旧は、軍事施設としての中核機能を優先して急ピッチで進んでいる。だが、逆に言えばそれ以外の施設ー厨房、食堂、艦娘寮、倉庫などは完全に後回しになっている。冬の青森にしては珍しい快晴の青空だが、空気は冷たく足元の雪も解ける気配はない。しゃりしゃり音を立てる足元の雪、(かじか)む寒さ…熱帯のウェダとはまるで違うと思いながら、目的もなく歩き続け中庭に着いた南洲の目にある物に目が留まった。

 

 「ふむ…当座しのぎだが作ってみるか」

 

 程なく厨房や食堂は復旧されるだろうが、それまでの間の繋ぎとして、南洲は簡易キッチンを中庭に組み上げることにした。要するにキャンプ場の竈である。南洲の立ち位置を巡って微妙な空気でぎくしゃくしている大湊と査察隊の艦娘達だが、共通していたのは食堂の復旧が後回しにされたため携行食(レーション)が連日続きうんざりしていた点である。

 

 -ま、一緒にメシ喰えば何かのきっかけになるだろう。

 

 艦娘寮から見渡せる中庭で右に左に動き回る南洲の姿はすぐに艦娘達の目に留まった。南洲が瓦礫を集め出したのを皆窓越しに興味深く眺めていたが、ウェダ基地開設時も同じようにアウトドアライフを短期間だが二人で過ごした春雨は、すぐに南洲が何をしているか気付き、艦娘寮から駆け出すと中庭に行き手伝い始めた。

 

 楽しそうに作業をする二人の姿を見て、陽炎がしぶる不知火の手を引きながらやって来た。

 「ねえねえ、何してるのていと…少佐さん?」

 黄色いリボンを揺らしながら興味深そうに覗き込んでる陽炎と、真面目な表情を崩さない不知火。

 

 「ちょうどいい、暇なら手伝ってくれないか」

 「もちろん! 何すればいい?」

 「ご命令とあらば勿論、何でも仰って下さい」

 対照的な返事を返す二人に南洲は苦笑いを浮かべる。

 「堅苦しい話じゃないんだがな」

 依然として背筋を伸ばし敬礼の姿勢で命令を待つ不知火を、陽炎がきょとんと見ているうちに、南洲隊と大湊のほとんどの艦娘が中庭に集まってきた。

 

 南洲は艦娘の一群の中で、頭一つ背の高い艦娘、矢矧の姿を認めると、ちょいちょいと手招きをして呼び寄せる。矢矧はぎこちない表情でやってくると、敬礼をしながら訥々と言葉を継ぐ。

 

 「な、何でしょう少佐? その…こ、こないだは…ああもう、まともに顔が見れないじゃない」

 両手で真っ赤になった頬を押さえ横を向く矢矧と、ジト目で南洲に凍てつく波動を放つ春雨と鹿島、今まで見せた事のない矢矧の仕草に戸惑う大湊の艦娘達。さわがしくなった周囲を気にすることなく、南洲は二言三言矢矧に何かを言いつける。軽く首を傾げ顎に手を当てながら矢矧が南洲の質問に答える。

 

 「どうかしら…見てみないと何とも言えないわ。でもあったとしても焦げたりしてるかも知れないけど?」

 「程度問題だが構わんさ、鹿島と羽黒…あと何人か、矢矧を手伝ってくれ。あとは龍驤、何人か連れて材料を集めてきてくれ」

 軽く手を上げて南洲に答えると、龍驤は祥鳳と龍鳳、瑞鳳を伴い矢矧達とは別な方向へと歩いてゆく。

 

 二組を見送った南洲は背伸びをして首をこきこき鳴らすと、周囲にいる艦娘達に呼びかける。

 「材料は大体集まった。後は俺と春雨の指示に従って、作るのを手伝ってくれ」

 

 南洲が慎重に位置を決め、中庭にあっという間に完成したのは数基の即席の竈。瓦礫と化しそこかしこに転がっているのは、警備府の建物を覆っていた耐火煉瓦で、竈を作るのには最適の材料だ。幸い半壊状態の警備府では焚き付けにするものには困らない。南洲は器用に火を点け、即席の竈の中に炎が踊り出す。それを見た艦娘達が集まり竈の周りで暖を取り始める。さらに南洲の足元には多少(いびつ)だが大小さまざまな鉄筋やブロック、板等が転がり、矢矧達の帰りを待って次の作業に移る。

 

 「南洲さん、ありましたよ♪」

 手ぶらで駆けてきた鹿島がにんまりしながら南洲の腕にしがみ付く。すぐに日の光を受けきらきら輝くシートを抱えた矢矧と羽黒が追いついてきた。南洲が矢矧に頼んだのは、断熱用アルミシートとテントシート。地面に板を敷き、さらにその上に断熱用アルミシートを敷き地面からの冷気を遮断、さらにテントシートを敷きその上にブロックを置いて椅子代わりにする。

 

 「お待たせしました、少佐。アレが作れそうですね」

 祥鳳と龍鳳が協力しながらお米に野菜、塩鮭、そして酒粕を運び、瑞鳳と龍驤が鍋と飯盒、食器類を運ぶ。その班分けに何らかの意図はあるのか、と頭を一瞬だけよぎった疑問を追いやり、南洲は全員に呼びかける。

 

 「よし、準備はできた。これからみんなで朝ご飯を作って食べるとしようっ」

 

 粕汁と飯盒で炊いたご飯だけのささやかな献立だが、やはり火を使った温かい食事には代えがたい魅力がある。全員で竈を囲んで朝食を取る。

 

 「あ……霞ちゃん……お寝坊……」

 霰が駆け寄ってくる霞を見つけ、ぽつりと呟く。慌てた様子で髪をサイドにまとめながら走ってきた霞に、春雨が微笑みながらほかほかの粕汁の入ったお椀を差し出す。

 「何よ補給なのっ? ……あ、あったかい…」

 

 

 そしていったん火の付いた食欲は収まらず、誰が言いだすともなく食材、最も手軽なものとして陸奥湾で魚をゲットする流れになった。これに多くの艦娘が参加を希望し、南洲に許可を求めてきた。

 

 「いや…俺は大湊(お前ら)に許可を出す立場じゃない」

 

 困った表情で答える南洲に困った表情で応える大湊の艦娘達と南洲隊。二組の艦娘の浮かべる表情は同じでも、そこに込められた意味は異なる。気まずくなりかけた雰囲気は、ひょこっと現れた宇佐美少将が助け船を出すことで何とか柔らかくなった。

 

 「あー済まないな、お嬢ちゃん達。まだ正式に辞令が出てないからな。よし、粕汁のお礼に南洲の上司の俺が許可する、頑張って大物捕まえてこいっ」

 

 全ては魚のために-どこかから取り出した大漁旗を掲げ、勇躍冬の海へと出る準備を始めた艦娘達を微笑ましく見つめている宇佐美少将に、眉根を顰め心底困ったような表情で南洲は視線を送る。

 

 

 その後南洲は、重要な話がある、と宇佐美少将のもとを訪れていた。飛行艇用のハンガーを持たない大湊警備府ではUS-2は港に係留されたままになっており、密談をするには格好の場所となっている。規則正しく寄せる波に揺られるUS-2の中、二人は話を始める。

 

 「しかしなんだ、お前もいい事考えたな。共同作業を通して打ち解けさせる、か。ま、一杯やるか」

 監視役兼被害者の大淀の目がない今、昼間から日本酒を用意した宇佐美少将はぐい飲みを満足そうに傾ける。

 「別にそんなつもりじゃなかったんだがな。肋骨の炎症も収まったらしいから、やっと俺も青森の地酒を楽しめそうだ」

 にやりと笑いながら、同じようにぐい飲みを空ける南洲。無論、青森の地酒を品評することが二人の目的ではない。取りあえず喉を潤した二人は、前置き無しに本題に斬り込む。

 

 「今までのように、問題が起きてから拠点に乗り込んで事情を解明し現場の当事者を拘束、じゃあラチが明かないだろう。三上大将と中臣浄階ってのをどうにかするしかないんじゃねーのか、ダンナ?」

 「軍組織の頂点二人だぞ…。それに、どうにかするって…南洲、何を考えている?」

 

 南洲はそれに応えずうっすら笑うと席を立つ。

 「おい、俺の話はまだある。石村中将とも相談しているが、お前にはここ―――」

 「心配してくれてるのはありがたいが…ダンナ、あんまり勝手に事を進めないでくれないか。それが俺の言いたい()()()()だ」

 

 宇佐美少将の言葉を遮り、南洲はそのままUS-2を後にする。残された宇佐美少将は、はぁっと大きなため息を付きながら頭を掻き考え込む。石村中将は大湊警備府の後見役になることは了承してくれている。それは択捉島という離島に拠点を構える関係上、後方支援拠点として大湊の安定が単冠湾泊地の安定にも繋がるからだ。だが大湊を誰に預けるのか、その点についてはまだ合意を得られておらず、連日協議が続いている。

 

 「復讐と復帰、お前はどっちに行くつもりなんだ、南洲…」

 

 それはかつて遠藤大佐が南洲に問いかけた言葉と偶然にも重なるものだった。

 

 

 

 夕方になり、続々と艦娘達が満面の笑みを浮かべながら帰投してきた。

 

 「大漁ですっ! はい、これっ!」

 南洲の目の前に差し出されたのは全長3mを超えるクロマグロ。それも一尾や二尾ではない。聞けば下北半島の先端、大間まで遠征したらしい。

 「こ、これどうしたんだ…?」

 「いやー、地引網ならぬ空引網ちゅーの? ウチの二式艦偵で魚群キャッチしてな、すかさず鳳ちゃん達(祥鳳、瑞鳳、龍鳳)の九十九式艦爆の脚に網をひっかけてな、 こう掬い上げたんや」

 両手で何かを掬うような手振りをする龍驤。その後ろではMVPの軽空母三人がキラキラした顔でこちらを見ている。無論マグロだけではなく、夕雲や早霜、陽炎や霰など多くの駆逐艦達が背負ったドラム缶には大小さまざまな魚が入れられている。

 

 「すごいなみんな、今夜は豪勢に魚介尽くしといくか。こんだけあると保存食も作らんと勿体無いな」

 

 その言葉にわあっと歓声が上がり、どんな料理が食べたいか、誰が何を担当するかなど一気に盛り上がったが、南洲はふと気づいた。

 

 「なあ、春雨はどうしたんだ?」

 「あれ? 途中まで一緒でしたけれども…? ちょっと用事があるとか言ってたから、まだ港でしょうか?」

 

 南洲はこの場に春雨がいないことを確認すると、その姿を求め港へと向かい歩き出した。



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68. リプライズ

 帰ってこない春雨を迎えに港にやって来た南洲。ウェダで初めて会った日を彷彿とさせる僅かな時間が二人に訪れる。

 前半は南洲の視点で、後半は春雨の視点で、物語は進みます。


 盛り上がる艦娘達の輪を静かに抜け、さりげなく港への道を徐々に、やがて駆け足で急ぐ南洲。自分の中の何かが自分を急き立てる、まるで自分の中に別な自分がいるような感覚。鼓動が激しくなり、嫌な汗が止まらない。いつか思い出せないが、この感覚、前にも味わったことがある。

 

 

 『春雨は…敵の反跳攻撃(スキップボミング)をまともに受けて…そのままマノクワリ沖で…』

 

 

 それは誰の言葉だったか。確か時雨だったよな。第二次渾作戦、ウェダから出発した強行突入部隊に参加した春雨は、帰ってこなかった。それ以来、暇があれば港へ出向いて当て所無く春雨の帰還を待ち続けていた日々。扶桑との関係が深くなった後でさえ、極力欠かしたことはない。

 

 

 『俺は春雨に必ず帰ってこいって言ったんだっ! あいつは約束を破るような奴じゃないっ!!』

 

 あの時の俺は、自分の気持ち以上に春雨の気持ちを理解していたと思う。確かなものなど何もなかった俺達の関係を知っていて一方的に押し付けた約束かも知れない。けれど絶対に果たされると信じていた約束。あのクソみたいな渾作戦を押し返せなかった俺だが、それでも、ただ無事に帰ってきてさえくれればいい、そう思っていた。

 

 -春雨が無事戻ってきたとして、俺はどうしたかったんだろうな。

 

 Ifはいくら重ねてもIfでしかない。それでも思わないことはない、照れ屋でちょこちょこしていて、本当は戦いが嫌いで、それでいて何に対しても一生懸命なままの春雨と、俺はずっと一緒にいられたのだろうか―――?

 

 

 夕暮れの港は、全てのものがオレンジ色に彩られている。波に揺れる海面は夕陽を眩しく照り返し、思わず目を細めずにはいられない。手で庇を作る様にして見回す港の片隅、黄色く塗られた係留柱(ビット)に腰掛ける一つの人影。薄桃色の長い髪をサイドテールにまとめた黒いメイド服を着た少女が、悴む手に息を掛け温めている。いつの間にか当たり前になっていた棘鉄球(モーニングスター)ではなく、背負い用の固定鎖を付けたドラム缶をビットの横に置き、ふうっと疲れたようなため息を付いている。

 

 「…こんなところで何を黄昏てるんだ、春雨(ハル)?」

 

 逆光で表情は良く分からないが、それでも春雨が少し泣き出しそうな表情をしているのは何となく分かった。ゆっくりと手の届く距離まで近づいてゆく。ビットに腰掛けたままの影がぽすんと頭を預けてくる。

 

 「南洲の好きなアジの群れを見つけて、追いかけてたら遅くなっちゃったんです」

 「ああ」

 「なめろう、また作ってくれますか?」

 「ああ」

 「…大湊というか、北の海は寒い、です」

 「ああ…」

 「お外でお料理するの、とても楽しかった、です」

 「…」

 「二人だけで、ご飯を炊いて、なめろうを作って…。夜は干物を焼きましたよね」

 「…」

 

 訥々と、震える声で言葉を重ねる春雨。彼女が語るのは大湊での事ではなく、今は存在しないウェダ基地の初日、未完成の基地で二人だけで過ごした日のこと。ああ、訳もなく楽しかったな。

 

 「でも、貴方には大湊でもよかったの、かな? 私にはウェダしかなかったよ?」

 「…」

 

 不意に俺の顔を見上げる春雨の顔は、大粒の涙で濡れている。俺はそっと指先で零れ落ちる涙を拭うが、涙は溢れるばかりで止まらない。ウェダ基地は潰滅した。それは春雨も知っている筈だ。それでも、俺の心の中でも、僅かに消え残る熾火がある。それはささやかでも心許せた時間。それがあるから、狂わずにいられたのかも知れない。

 

 

 「どうして、どうして私たちこんな所にいるのかな? 私の帰る場所、貴方が待っている場所って、もうないのかな? 人の嫌な所をたくさん見て、たくさん殺して殺されそうになって、貴方が身も心も傷ついて壊れていくのを見て、たどり着いたのはこんな北の海だったのかな。ここは寒い、です」

 

 俺はそのまま春雨を抱きしめ、耳元で一言だけ言った。

 

 「大丈夫だ、春雨」

 

 ありきたりな言葉、それでも届くと信じて。春雨もそっと俺を抱きしめ返してくる。泣き腫らした目のまま、春雨は俺を見つめてくる。何か言ってほしそうだな。

 

 「どうした、春雨?この世の終わりみたいな顔をしているぞ?」

 

 その言葉を聞いた瞬間に、春雨はきょとんとして、泣くような笑うような不思議な表情になる。俺、変なこと言ったか?

 

 「あの時と同じ…帰ってきたの?」

 

 あの時-初めて扶桑と会った春雨が、あまりの境遇の違いに、扶桑を受け入れる事で自分の想いを否定されてしまうように恐れ俺の元にやってきた。初めて春雨が自分の想いを俺に吐露した時だ。俺が帰ってきた? よせよ、帰ってきたのはお前だ。

 

 

 「やっと帰ってきたな、春雨(ハル)。待たせすぎだよ」

 

 

 聞き覚えのある、でも微妙に違う声のトーンに私は思わず固まります。見上げたその先にあるのは南洲の顔。でも、こんなに安心しきった表情で、優しい目を見たのは、いつ以来でしょう………!!

 

 「南洲(よしくに)…さん?」

 

 「何だよ、改まって。時雨からお前が敵の反跳攻撃(スキップボミング)をまともに受けたって聞いてさ。なかなか帰ってこないから、俺は毎日港に迎えに来てたんだぞ。…もう、どこにも行くな、命令だ」

 

 いたずらっ子のようにニカッと笑う南洲。記憶が混交している…? そうなんですね、私が沈んだ後の貴方はそんな風に…。ああ、私は貴方の元にやっと帰ってきたんですね…。今は事情も知らず皆普通に呼ぶ『南洲(ナンシュー)』、下の名前の音読みですが、私しか知らない意味がある。

 

 技本で繰り返される検査の日々。その中で知らされた、南洲の中にいる四つの人格の事。眠り続ける元々の主人格(ヨシクニ)、私を失った日で止まっているハル、そしてみんなが南洲だと思っているナンシュー、ジゴロ的なモゲロ…。実験を終えた南洲が安定するまで、ひどい有様でした。見たこともない攻撃的なナンシューに私は戸惑い、夜になり目覚めたハルが私を探しに行こうとするのを引き止める…おそらくあの頃、南洲はろくに眠っていなかったはず。症状が酷い時は鎮静剤が欠かせず、私は南洲の喜怒哀楽の全てを受け入れ続け、ようやく安定させることができました。最終的に南洲は、技官の人の話によれば、ヨシクニとハル、ナンシューとモゲロが組み合わさって表出する形で安定したそうです。ですが、結果としてナンシューが支配的になりました。それほどウェダの惨劇は、彼の心を壊してしまったのです。

 

 私が駆逐棲姫として現界したのと同様に、貴方もまた破壊と復讐のためナンシューとして帰ってきた。私は貴方といるから『春雨』でいられる。でも貴方は私と居てもナンシューのままだった…時折、ううん、頻繁にモゲロとかいう変なのも混ざってるけど…。でも、今私の目の前にいるのは―――。

 

 「やっぱり貴方は…南洲(よしくに)さんは変わってない。それとも、()()()()()()()()。やっぱり、貴方と一緒ならどんな海でもいい、北でも南でも構わない、よ。私たちは一つです、はい…」

 

 -くぅ~

 慌ててお腹を押さえます。色々働きすぎてお腹が空いちゃいました。不覚です。

 「…聞こえました、よね?」

 「もうそんな時間か、なかなか正確な腹時計だな」

 「もぉ~っ!!」

 

 南洲はにっこり笑うと、ドラム缶の方へ進み背負おうとしますが、無理だったようです。あの…いくら鍛えてるといっても、海水とお魚でいっぱいのドラム缶は人間には無理ですよ。南洲に代わって私が背負います。私がひょいっとドラム缶を背負うのを見て、南洲は苦笑いを浮かべながら大湊の司令部棟へと歩きはじめます。

 

 

 港と司令部棟を繋ぐ道は、雪と氷で滑りやすく、背中に荷物を背負った私は及び腰でよちよち歩きます。小さく滑って声を上げる私に南洲は手を差しだします。司令部につくまでの間、真っ赤な顔をしながら私はその手を離さず、むしろぎゅっと握っていました。

 

 

 

 

 警備府に着き、皆の喧騒がする中庭へと向かってゆきます。

 

 

 「遅かったね、春雨ちゃん。心配しましたよ。…でも大丈夫みたいですね」

 羽黒ちゃんが本当に心配そうに駆け寄ってきて、私と南洲を見て「ああ…」という表情で納得し、「野暮なことをしちゃいましたね、ごめんなさい」と言いながら去ってゆきました。

 

 ごめんなさい、って…? いったい羽黒ちゃんは何を言ってるのでしょう? 南洲と私は思わず顔を見合わせてしまいました。

 

 「ああーもう、またイチャイチャしてるー。もう、隊長さんと春雨さんは、やっぱり仲良しですね。次は鹿島の番ですよ、えいっ♪」

 

 言いながら南洲の空いている方の腕にしがみ付く鹿島さんを見てやっと気が付きました。さっきから私と南洲は手をつないだままでしたっ!! さすがに慌てて手を離しますが、もう時すでに遅し…です。今度は大湊の艦娘さん達が騒ぎ出します。

 

 「あー、そういうことだったんだ」

 「なるほど、くちくかんはアリなんですね」

 「ぴゃーっ! 矢矧お姉ちゃん、ぴんちだっ!」

 

 すでに陽は暮れ、南洲が作った数基の竈には火が入ってます。煌々と灯り風に踊る炎を南洲はじっと見つめています。表情を失い、炎の照り返しで赤く染まった顔に私は不安を覚えて思わず呼びかけます。

 

 「…南洲(よしくに)、さん?」

 「………ああ、どうした春雨(ハル)?」

 

それは先ほどまでの温かい笑顔ではなく、どこか狂気を隠した笑顔が私を振り返ります。…南洲(ナンシュー)、ですね。

 

 

 私の中に、僅かに消え残る熾火がある。それはささやかでも心許せた時間。それがあるから、貴方を信じていられる。どこにいても、何をしても、どの貴方でも、私には南洲です。



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69. 違う夢を見ましょう

 一部設定紹介的なものを含みつつ、ビスマルク、決断する。


 択捉島 単冠湾泊地司令部棟―――。

 

 「司令官、暖かいココアを入れたわ。冷めちゃうから飲んでね」

 秘書艦の雷が大きめのマグカップに入ったココアを石村中将に差し出す。

 「いつも済まないな雷、本当によくできた秘書艦だよ」

 膝の上に座り足をじたじたとする雷の頭をかいぐりかいぐりする石村中将は、受け取ったマグカップを執務机に置き、机上プリンターから吐き出された書類に目を通し始める。

 

 「ふ、ん…ここまで『裏』を明かしてくるとは、宇佐美も本気で私を引き込もうという腹積もりか。だがここまで技本がおかしなことになっているとは…」

 

 それは宇佐美少将から送られた暗号化ファイルで、査察部隊がたどり着いた先にいる者、ある物を示している。

 

 『技本』―――。

 大本営技術本部の略称で、産官学に宗教、日本の総力を挙げた艦娘開発計画である『天鳥船(あまのとりふね)』プロジェクトを母体に発展した組織。『素体』と呼ばれる魂の器-人間を遥かに凌駕する強靭な人工生命体の開発運用を行う生体工学部門と、(コア)と呼ばれるかつての軍艦の船魂と軍人達の想念、さらに鉄と油を依代に艤装を召喚し、素体に宿らせる魂の秘術を準工業技術に変換した霊子工学部門から成る。両部門のバランスは相応に取られていたが、生体工学部門の長・西松教授が一線を退いてからは霊子工学部門の勢力が伸長、同部門の長・中臣由門浄階率いる先鋭的な一派が影響力を強めている。

 

 中臣由門浄階《なかおみ よしかど じょうかい》―――。

 浄階=神職の最高位にして、認知神経科学博士、認知アーキテクチャエンジニア。古神道に道教の陰陽五行思想や、密教などの秘儀を習合し魂返(たまがえ)りさせた船魂と想念を、『艦娘の人格』としてSOARモデルを進化させた高高度人工知能を通し基本部分を規格化した上で、経験値の蓄積による強化と個性の獲得という拡張性を与える等、生体工学分野の西松教授と並び称される異才にして、この国のオカルトロジーの頂点に立つ存在。式神を用いて艦娘の遠隔制御を行えるとんでもない人物だが、同時に制御できるのは一体のみ。近年、その研究実証領域が加速度的に狂気を帯びてきた。

 

 フォールダウン(堕天)―――。

 艦娘の魂が属性反転、つまり艦娘から深海棲艦へと魂の相が反転し、それに応じて機能や肉体までも変容する現象。霊子工学部門は、愛情、憎しみ、恨み、喪失感など感情面で極度の負荷を艦娘に掛ける事での人為的な深海棲艦化を達成。それをさらに発展させ、艦娘に掛ける負荷をDID発症レベルまで引き上げ魂を分化し、艦娘と深海棲艦とのコンバートを実用化するが安定化に未だ難あり。

 

 

 ここまで読み終えると、石村中将はファイルを机に置きココアを口にする。雷の頭を柔らかく撫でる手は止まることなく、雷は中将の膝の上で大きな猫のように眠りに落ちていた。

 

 

 「強い絆を結べとケッコンカッコカリを勧める一方で、その絆を失わせることで深海棲艦化を進める…そういうことを技本は陰で行っている、と…。その真相を追う査察部隊とそれを率いる槇原南洲…ウェダの亡霊か」

 

 それ以上石村中将は言葉を発することなく、深く考え込むと、やがて雷を膝に乗せたまま寝落ちしていた。

 

 

 

 大湊滞在七日目―――。

 

 

 皆で一緒に食事をして以来、目に見えて査察隊と大湊の艦娘達の距離は縮まったように思える。妙に張り切ってる龍驤はともかく、春雨や羽黒は率先して大湊の連中と交流を深め、警備府の修復にもいろいろ意見を出しているようだ。秋月もそれに加わることが多い。鹿島は相変わらずのマイペースだが折々南洲(オレ)に関わる事で矢矧をからかい、その度に矢矧が『ぐぬぬ…』という表情になっている。止めておけよ、アイツ真面目なんだから…。何にせよ、二、三か月はいることになる場所で、妙な蟠りはない方がいい。そもそも、自分や艦娘達がどう希望しようと、指揮官の人事権は当然大本営にある。なるようにしかならない、そう思いながらだが一つだけ南洲の気がかりはある。

 

 -今日はついに朝食にも来なかったな。

 

 ビスマルクが与えられた部屋に一人でいる事が増えていた。昨日の午後が警備府内で見かけた最後で、夕食はかなり遅れてやってきて、自分の分を受け取るとそのまま部屋に帰ってしまった。そして今日はついに部屋から出てこない。

 

 

 こんこん。

 

 「…俺だ、ビスマルク。いるのか?」

 

 ギッと床のきしむ音と足音がして、躊躇いがちにドアが開かれる。やや愁いを帯びた表情で顔をだしたビスマルクだが、別に不機嫌という訳でもなさそうだ。無言のまま南洲のジャケットの袖口をつまむと自分の方へと引き寄せる。部屋に入れ、ということなのだろう。

 

 ベッドに腰掛けるビスマルクと向かい合うような形で、やや離れた所にある椅子に座る南洲。依然として無言のままのビスマルクは、南洲をじっと見つめ続けながら、時折所在無げにシルクの様な長い金髪を指で弄ぶ。意外と柔らかめで沈み込みがやや大きい艦娘寮のベッドの縁に腰掛けるビスマルクは、結構お尻が沈み込んでいる上に着丈の短い制服で脚を組んでいるため南洲からはかなり色々丸見えとなる。結果、南洲は目を逸らさずにいられない。

 

 「?」

 ビスマルクが小首をかしげ不思議そうな表情になる。訪ねてきたのは南洲なのに、なぜか気まずそうに視線を合わせようとしない。南洲も現状が不自然なのは感じており、とにかく何か言おうと試みる。

 

 「あー…部屋に閉じこもり気味なんて、一体どうしたんだ? 思い返せばあの時を境に―――」

 

 ぴくっ。ビスマルクの肩が揺れ、目の前にいる男性を改めて眺める。筋肉質で大柄、やや皮肉っぽい喋り方と果断な行動。それでも注意深く見ているところは見ている人なのよね…やっぱり気づかれちゃったか-ビスマルクが口を開きかけた時に、南洲が言葉を続ける。

 

 「―――仁科大佐が出奔してから元気がないような感じだが…」

 

 前言撤回。ビスマルクがジト目に変わり南洲を睨みつける。注意深く見てるんだろうけど、一体何を見てるんだか…。だがここまでトンチンカンな誤解をされたままでは黙っていられない。プンスカという擬音をそのまま態度にしたような表情でビスマルクは南洲に食って掛かる。

 

 「あのねえーっ!! 何をどう考えたら私があんなのがいなくてさびしがってるとか思う訳っ!? 違うわよ、まったくもう…」

 

 大げさにため息を付くビスマルクに対し、気まずそうにしている南洲。確かに言えば何でもいいというもんじゃないよな、と苦笑いを浮かべ、改めて口を開く。

 

 「ならどうして、皆を避けるようにしてるんだ?」

 

 避けている訳ではない。ただ、夕陽に照らされながら現れた二つの影-南洲と春雨。その光景が無性に怖かった。そんな思いは表に出さず、何も言わずにうっすらと微笑みを浮かべたビスマルクは、一つ一つ確かめるように話を進める。それは南洲の質問に直接答えるものではなく、質問に質問を返すようなものだったが、南洲は耳を傾けている。

 

 

 「ねえ南洲、ウェダってどんなところだったの?」

 

 出し抜けに訊ねられ、きょとんとした南洲だが、どこか懐かしそうな表情を浮かべながら、何もなかったハルマヘラ島に文字通りゼロから前線基地を立ち上げ、徐々に仲間が増えていったことまでをビスマルクに語り、そこで口を閉ざす。

 

 「…貴方にとっての『黄金時代』だったのね、その時点までは。でも、ウェダの真実はむしろその後よね?」

 

 今度は南洲がぴくりと肩を動かし、表情がさすがに険しくなる。何が言いたいんだ、とビスマルクの真意を掴みかね訝しがる。ビスマルクは気にする様子もなく、掌を上に向け肩をすくめながら話を続ける。

 

 「貴方は、初めて司令官として基地を任され戦った。心を許せる艦娘達と出会い、誰かを愛した。そして全てを失った。それが今の貴方を形成したのよね。…ねえ、気づいている? ここまでの話、全部過去形なのよ。ハルはずーっと貴方の傍にいた、フソウもそう。それはきっと必要な事だったと思うわ。けれど…それでも、二人は貴方を過去へと縛り付けている、違うかしら? 貴方が復讐を成し遂げても、時計の針は元に戻らないのよ?」

 

 「………」

 

 無言の南洲を気にしないような素振りで、やや身を乗り出す様にしてビスマルクが話を続ける。どこか思いつめたような表情で、核心に斬り込もうとしている様子に窺える。

 

 「南洲、よく聞いて欲しいの。貴方は生きているのよ。生きている限り人は前に進まなきゃならない。それは私がこの体に生まれ変わって一番強く理解した事だわ。ハッキリ言うわ、あなたとハルを見ていると、とても不安で怖くなるの。あなた達二人はどこも見ていない。ただウェダという、思い出の中にしかない場所に囚われ続けている。…ハルといる限り、あなたは前を向こうとしない。前を向いてるつもりでも、心は常に後ろを見ている」

 

 長い長い沈黙の後、南洲は短い言葉をビスマルクにぶつける。片方の唇の端だけを上げた顔を歪めた笑み、そしてビスマルクが南洲と初めて会った時と同じような、昏い狂気を孕んだ目線。

 

 

 「お前に何が分かる?」

 

 

 「分かる訳ないでしょうっ!! 貴方は後ろを見ているけど、私は前を見ているの。分からない? 貴方に必要なのはウェダでも大湊でもない、真っ新な場所よ。何にも囚われない、何にも縛られない心が自由になる場所。も、もちろん、貴方がどうしても、っていうなら私が一緒にいてあげないこともない…わよ?」

 

 そこまで言うとビスマルクは俯きながらふるふると頭を振る。そしてがばっと顔を上げ、きっとした目で再び南洲を見つめるが、その頬は真っ赤に染まっている。

 

 「ああもう、私にここまで言わせるなんて…前も言ったけどもう一度言うわ。南洲、私と一緒にドイツに行きましょう。どうしてもドイツがいやなら、ドイツ語が通じる所なら有り難いけど、貴方が望む場所ならどこでもいい。私と一緒に、前を、前だけを見て生きていきましょう?」

 

 ぎっと軽くベッドが軋む。立ち上がったビスマルクは、何も答えず俯いたままの南洲に歩み寄るとその膝に跨り、上体を密着させるようにして体を預ける。

 

 

 「ねえ、南洲…前を見なさいよ…」

 




 インフルでダウンしたり、治ったかと思ったら大阪に行ったり、遅れて昨日からイベント参戦したりなどなど忙しくてやや間が空いちゃいました。

 イベはE1でざくざく掘ってます。E2もいい加減行かないと。


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70. 心の羅針盤

ビスマルク、どこまでもまっすぐです。そして大湊警備府も一旦は落ち着きそうな感じで。


 南洲が顔を上げた刹那、ビスマルクはぎゅっと南洲を抱きしめ、その豊かな胸に南洲を捉える。南洲の吐息がくすぐったく、自分でも顔が熱くなるのが分かり、恥ずかしさも相まってむしろ抱きしめる腕に力が入る。

 

 しばらくの間もがいていた南洲だが、ぷはっと顔を上げる。待ち構えていたようにビスマルクが南洲の唇を奪い、そのまま二人は唇を重ねたまま先ほどより激しくもがき合う。無論南洲は逃れようとし、ビスマルクが逃がさないようにする、そんなせめぎ合いがしばらく続いたが、先に根を上げたのはビスマルクの方だった。くたっとして南洲の左肩に上気した頬を載せ、体全体を南洲に預けるようにして抱き付いている。

 

 

 「ズルいわ、こんなの…何でそんなに上手いの…?」

 

 

 やっと拘束が弱まり動かせるようになった右手で、南洲はビスマルクの背中をぽんぽんと軽く叩く。膝から降りろ、という合図だが、ビスマルクは一向に動こうとしない。あるいは体の力が抜けて動けないのかも知れないが。

 

 「………気は済んだか?」

 

 仕方ない、という感じで南洲はビスマルクをそのままの姿勢にさせているが、その代わりに声を掛ける。口調は穏やかだが、どこか聞き分けのない子供を嗜めるようなニュアンスも含んだ言い方。ビスマルクは敏感にそれを察し、ムキになったようにがばっと体を起こし南洲に反駁しようとしたが果たせなかった。

 

 「俺に何を期待してるっていうんだ」

 

 真っ直ぐに青い瞳を覗き込みながら、南洲がビスマルクの機先を制すように唐突に口を開いた。偽らざる思いが堰を切る。

 

 「お前たち艦娘を利用して何かを企んでいる三上や中臣、こいつらを止めなきゃならん、確かにそう思っている。けどな、そう言ってる俺も人間同士の醜い争いに、春雨(ハル)を、羽黒や鹿島も、お前だってそうだ、巻き込んでるようなもんだから人の事を言えた義理じゃない。それに…そもそもお前の言う『貴方』って誰の事だ? 槇原南洲(まきはら よしくに)という男なら、いつ表に出てくるか分からんが、それでも気長に待つか?」

 

 少し悲しそうな表情でビスマルクは南洲を見つめ返す。そしてようやく南洲から降り、自分の格好に気づき慌てて着衣を直す。着丈の異様に短いビスマルクの上着は、南洲の太腿に跨る様に座っていたためすっかりずり上がってしまいその中に本来隠されるべきものがほぼ丸見えになっていた。こほん、と誤魔化す様に咳払いをすると、諭すように話し始める。

 

 「少なくとも私が出会ったのは南洲(ナンシュー)よ。()()()()のことなんか知らないわ。それに、私は自分の意志で貴方と戦っているの。『巻き込んでるようなもんだ』なんてバカにしないでっ。認めないでしょうけど、貴方を動かしているのは憎しみより怒り、怒りより悲しみ。そんな人が誰かを利用するなんて出来る訳がないでしょう」

 

 やれやれ、と言った様子で肩をすくめたビスマルクだが、再び真剣な表情に戻り話を続ける。

 「…貴方には自分の未来を求める権利があるのよ、南洲。けど今それを聞いても答えがないのも知ってるわ。だから教えてあげる。正しく前を向いている限り、私は貴方と共にある。忘れたの? 初めて会った時、貴方は私の力が必要だと言ったのよ? 私はそれに応える。貴方だけじゃない、貴方が大切にしている全て、ハルもハグロもカシマもアキヅキもRJも、あとはショーカクも増えたわね…も、もうこの際何人増えてもいいわっ、いつでも光の指す方に引っ張ってあげる。その代り約束しなさい、貴方の心の羅針盤は常に私を指す事、分かった?」

 

 胸を張り得意げな表情で軽く言ってのけるビスマルクに、南洲は流石に苦笑いを浮かべて返す。

 「簡単に言ってくれるよ…。行き過ぎた正論ってのは、時に暴力と同じなんだがな。口で言うのは…いや…そうか、お前は言葉の通りに戦い抜いたクチだったな」

 

 ふと南洲はビスマルクの軍艦時代の経歴に思いを巡らす。

 

 多くの日本海軍の艦艇が、建造時に想定外だった米軍の飽和航空攻撃の前に斃れたのと異なり、ビスマルクの生涯は戦艦として納得のいく生き様と言える。通商破壊を目的としたライン演習作戦に参加、その過程で生じたデンマーク海峡戦では妹分のプリンツ・オイゲンと共に英国の戦艦フッドを撃沈、プリンオブウェールズを戦線離脱させるなど戦果を挙げ、その復讐に燃えたロイヤルネイビーの追撃戦ではまさに孤軍奮闘、被害を受けながらもジブラルタル艦隊の空母アークロイヤルによる航空攻撃と第四駆逐隊の襲撃を退け、最後は戦艦キング・ジョージ5世およびロドニー、重巡洋艦ノーフォークおよびドーセットシャーとの熾烈な砲雷撃戦の末、その身を海に還した。

 

 「そうね………約1時間半で約400発、一対四で滅多撃ちにされたけど、それでも私は戦い抜いた。誰に恥じる事のない戦い、だから悔いはないわ。貴方も同じよ、傷だらけになっても戦い抜いたんでしょう? そんな貴方を誇りに思うわ。たまには昔を振り返ってもいいわよ、でも立ち止まったり戻ったりしないことね。…私はできない人には多くは求めないわ。貴方なら大丈夫、絶対にできるわ。私がついているのよ? って、何でここまで言わせるのよっ! ほんとにもうっ!」

 

 再び距離を詰めるビスマルクは、少し震えながらぎこちない動きのまま、ゆっくりと目を閉じながら南洲に顔を近づける。躊躇いがちに、少し震えながら伸ばされた細い指は、南洲の頬に触れ、そのままその頭を支えるようにして自分に引き寄せる。そしてその指先はそのまま南洲の首元へ、胸元へと滑り降りる。

 

 

 「一緒に前に進みましょう、南洲…」

 

 

 

 気配を殺すのには慣れている南洲だが、それでも物音を立てないよう部屋を出て、ノブの回る音にさえ立てないようにし、ドアをそっと閉める。眠っているビスマルクにはおそらく気づかれていないと思うが…ドアの前を離れ、壁に寄りかかり天井を仰ぐ。

 

 「振り返ってもいいけど、立ち止まったり戻ったりしない、か…」

 

 ビスマルクの言葉を借り、ひとり呟く南洲。朝食後に訪ねた彼女の部屋だが、今はすでに午後を回り夕方に近づこうとしている時間になってしまった。左手に持っている第一種軍装のジャケットを羽織り直し、歩きながらボタンを留める南洲。頭を巡るのはこれまでとこれから-復讐と復権のため、そう思っていた。だがいつしか艦娘のため、そう思う様になった。そのためには三上や中臣の企てを暴き止める。だがその後、その先の自分の人生に何があるのか、まったく想像もできない。

 

 「想像もできない『その先』を探す…そういう生き方も悪くないか」

 

 

-一緒に前に進みましょう

 

 

 その言葉を反芻し自分自身に言い聞かせるように、南洲は艦娘寮と指令部棟を繋ぐ渡り廊下に続く扉を開ける。冷たい風が吹き込み髪を揺らされると、自分から漂うビスマルクの移り香に気が付いた。

 

 「…風呂、入るか」

 

 幸い大湊自慢の露天岩風呂は先の空襲でも被害を受けず無事だった。この時間艦娘達は演習や遠征でいないはずだし、岩風呂を使うにはちょうどいいだろう、と南洲は入り口の暖簾を青地に白抜きの『男湯』に付け替え、貸切露天風呂と洒落込む事に決めた。

 

 「そういや何か予定があったような気がしたが………まあいいか」

 

 

 大湊所属の艦娘と南洲隊のほぼ全員を、新装開店となった間宮に集めた宇佐美少将は話を切り出す。

 

 「…いないのは南洲だけか…。ったくあのバカチンがっ。仕方ない、定刻になったので説明を開始する。槇原南洲特務少佐率いる艦隊本部付査察部隊だが、当初予定を変更、明朝俺と一緒にUS-2に同乗し大本営へ帰投することになった。これにより大湊警備府は明日0000(マルマルマルマル)を以て、石村中将の監督下に入り中将が司令官を兼任する」

 

 「なっ!! どういうこと!? 話が違うんじゃないの?」

 机をばんっと叩き真っ先に立ちあがったのは矢矧で、それに続く様に多くの艦娘達が疑問や不満の声を上げ、間宮が騒然とした空気に包まれる。深海棲艦の攻撃から自分たちを救った指揮官、という分かりやすい憧憬を引き起こすある種の狂騒を過ぎ、短い時間ながらも『素』の槇原南洲に触れたことによって、大湊の艦娘達は、改めて南洲の着任を期待するようになっていた。事実彼の上司もそのようなことを仄めかしていたにも関わらず、いざとなって梯子が外された-大湊の艦娘達の不満も当然と言える。一方の宇佐美少将はにやにやしながらその喧騒を眺めながら、いい加減不満が出尽くしたころを見計らい、次の話題を取り上げる。

 

 「人の話は最後まで聞くもんだ。これより大湊警備府は、石村中将の主導する北方海域作戦への参加準備に入る。今は亡き芦木中将が遺した情報によれば、色丹島と新知島(しむしるとう)に深海棲艦艦隊が秘密裏に展開しているとのこと。本作戦はこの捕捉殲滅を狙うものだ。査察部隊は一度艦隊本部に帰投、新装備を受領し完熟訓練の後、貴様らと合流、南洲の指揮の元で石村中将の作戦行動に参加する」

 




 次回からは次章に入ります。更新ペースが落ちてますが、引き続きぼちぼち書きますので、皆さまお暇な際には引き続きお立ち寄りいただけますと超絶嬉しいです、はい。


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断章 終わりの始まり
71. 抜錨


 第六章、開幕となります。新たな母艦、新たな艦娘を加え強化される部隊。

(20170226 サブタイ変更)


 連合艦隊相当の深海棲艦化された元艦娘部隊が北方海域に秘匿されている。元々翔鶴(空母水鬼)の単艦移動もこの部隊への合流を目的としたものであり、対象と実施時期は不明ながら中臣浄階が主導する攻撃計画の準備は完了しつつある―――。

 

 これこそが仁科大佐の残した資料やデータの解析によって判明した情勢であり、宇佐美少将と石村中将の想像を大きく超える事態だった。何より問題なのは首謀者が技術本部の頂点に立つ中臣浄階であり、さらに艦隊本部の三上大将がこの計画に利用されている事である。現状で緊急案件などど騒ぎ立てるのは愚の骨頂、彼らの介入の口実になるだけである。

 

 政治的に隔絶した権力を持つこの二人を真っ当に逮捕するには道のりが果てしなく遠い。それよりは虎の子の秘匿戦力を拿捕または無力化させる方が痛手になる。当面は単冠湾の部隊で哨戒を強化し居場所を特定し封じ込め、その間に増強した戦力で()()()()()()介入の間を与えず一気に処理する。そのためにやることは山のようにあり時間はまったく足りない。そして出先の大湊で出来る事は限られている-それが宇佐美少将が艦隊本部への帰還を急いだ理由である。

 

 この状況下で宇佐美少将が大湊の人事に口を挟む事は、敵に対するある種のメッセージになり得策ではない。むしろ北方は石村中将に任せる方がいい。当然大湊の後任司令人事は先送りにせざるを得ず、宇佐美少将は大湊の艦娘に深々と頭を下げることとなった。裏の事情を知らない大湊の艦娘達は南洲の着任を待ちわびており、そして当の本人はと言えば―――。

 

 

 「軍の人事に俺の希望なんか関係ないだろ」

 

 と意に介さない様子。とは言いながら、何かと大湊の事を気に掛け、いつの間にか矢矧や霞とLI●Eでメッセージを交換していたりする。改めてモゲロ(第二人格)の手腕に宇佐美少将が戦慄を覚えた一幕でもあるが、南洲自身何を考えているのかはっきりと口に出さない。

 

 

 

 「という訳で、これがお前たちの新たな母艦だ」

 

 これまでの母艦だったPG829(しらたか)は基準排水量200トンのミサイル艇で、部隊発足以来の愛艇として南洲たち一行とともに縦横に活躍していたものの、先の大湊防衛戦で撃沈された。そして今、甲板で宇佐美少将がドヤ顔で胸を張る新たな母艦。一方それに相対する南洲達一行七名は『またこれか』という表情で、その温度差に大淀がワタワタしている。

 

 南洲達七名と宇佐美少将と大淀が立つのは、LST4001おおすみの全通甲板上、右舷に設置されるアイランド型艦橋を背にした位置である。トラック泊地査察の際に貸与された艦そのもので、その意味では目新しいものではない。

 

 「いっそのことズムウォルト級でもアメさんから仕入れてくれてもえーんちゃう? ウチらそれくらいの働きはしてるやろ? それかアレやで、逆に退役済みの『ゆら』級とかにして、予算の差額でウチらの給料どーんとアップとか、なんかそういうのないんかなあ」

 少将のすぐ目の前まで近づいたかと思うと、後ろ手に手を組んで上目づかいに見上げる龍驤。宇佐美少将は苦笑いを浮かべながら上手く往なす。

 「まあそういうな龍驤。特別ボーナスだ、アメちゃんやるから我慢しろ」

 ぷうっと頬を膨らませながらも嬉しそうにアメを頬張る龍驤と、それを羨ましそうに指を咥えて眺める秋月。

 

 「ダンナ、このクラスの母艦が配備されたってことは俺達の部隊にも外洋展開能力を持たせるってことか? それとも次の作戦限定貸与なのか?」

 

 左腕を春雨に、右腕を翔鶴(空母水鬼)に、背中をビスマルクに、それぞれ占拠されたままの姿勢で南洲が宇佐美少将に訊ねる。基準排水量にして実に44.5倍、船体規模も約3.5倍という大型の艦艇。もちろん機動力の点ではしらたかに及ぶべくもないがそもそも目的が違う。

 

 「部隊も大きくなったしな、本当は『ひゅうが』でも引っ張って来たかったんだが、さすがに査察部隊にそこまで必要ないだろうって一蹴されちまった。だがその分おおすみ(コイツ)には金を掛けて十二分な改装をしてある。お前たちの母艦に相応しい内容だ」

 

 大柄の船体が不意に震動し、二基の16V42M-Aディーゼルエンジンが始動したと思うと、スピーカーを通して鹿島の元気な声が響く。

 「なんしゅうさーんっ、このフネの電探すごいですっ! 何ていうかこう、地の果てまで見えちゃう感じですっ! 嬉しいなあ♪」

 

 鹿島の弾んだ声を聞く限り、『新母艦と管制担当の艦娘との接続同調』は順調に推移しているようだ。

 

 そもそもLST4001(おおすみ)は輸送艦であり、自衛用火器もCIWSを二基備えるだけである。この点は艦娘の運用母艦という性質上、直掩は艦娘に任せればよい、という割り切りができる。では鹿島とおおすみを同調させる理由とは。操船は妖精さんのサポートを得ながら概ね鹿島によるワンマンオペレーションが可能となるシステムを導入しており、さらに重要なのが艤装類との同調である。

 

 鹿島の装備する22号対水上電探改と21号対空電探改は、大戦期に開発実装された帝国海軍の電子兵装としては高水準だが、現代のそれに比べるとオモチャのようなものだ。一方でおおすみが装備するOPS-28D 水上レーダーとOPS-14C 対空レーダーは高精度広範囲の索敵が可能だが、艦娘や深海棲艦を捕捉できない。つまり現用レーダーを艤装のブースターとして用いることで探知精度向上と走査距離延伸を目的とした実験兵装である。

 

 これにより、鹿島が戦闘指揮管制、龍驤と秋月が母艦防衛、他メンバーが攻撃、という役割分担がより明確になる。反面、この組立ではアタッカーがビスマルク・翔鶴・羽黒・春雨の四名となり正面戦力の低下が懸念される。

 

 「その辺は心配ないぞ、南洲。鹿島にはお前の片腕として戦闘管制官を務めてもらう事が増えるだろうが、その代わりに二名増員した。待たせたな、ほら」

 

 宇佐美少将の声を待っていたかのように、大淀が二名の艦娘を連れて現れた。一人は潤んだ黒い瞳に黒髪ロング、制服はスリットの深いチャイナドレス風、あるいは上着だけの制服の前後に長い直垂(ひたた)れを付けただけ、どちらとも言える下半身の防御はあまり考慮していないような出で立ち。横から見ると脚のラインどころか腰から下が丸出し風味である。もう一名は、襟と袖口は黒、そこに入る赤いラインというシンプルなセーラー服様の制服を纏った艦娘。一方で太腿の半ば程の丈しかないスカートからはどのような角度でも白い影が不自然にちらりと見えるなど、全体の素朴さとピンポイントのあざとさが同居した出で立ちである。

 

 「利根型二番艦、航空巡洋艦の、筑摩です。姉さんと一緒に…とは行きませんが、頑張りますね」

 「特型駆逐艦、吹雪型一番艦、吹雪! いきます! 司令官、見ていてください!」

 

 筑摩改二と吹雪改二。

 

 二人とも攻防のバランスの取れたマルチロール型で、特化型の艦娘には個々の性能で及ばない所もあるが、総合性能の高さは折り紙つきだ。

 

 敬礼の姿勢を取る二人の前には、厳しい表情で同じように敬礼の姿勢を取る南洲。左腕に春雨(駆逐艦)が絡みつき、右腕には翔鶴(正規空母)をぶら下げたまま苦も無く敬礼を行い、さらに背中にはビスマルク(高速戦艦)をしがみつかせている。三人の艦娘を纏い、揺れる船上で微動だにせず綺麗な敬礼を取るこの姿を見れば、全体として優れた筋力と平衡感覚を持つ男性であることは明らかだ。

 

 「って、そこがポイントじゃなくてーっ!! あの…宇佐美少将、これは…私もああああいうことを?」

 吹雪が戸惑ったような表情で振り返り、少将に助け船を求める。筑摩は全く意に介さない様子で、潮風に暴れる長い髪を押さえている。

 

 「まあ何だ、各部隊それぞれ個性があるってことだ。お嬢ちゃんには刺激が強かったか? 筑摩は興味無さそうだな?」

 「そうですね、私にとって世界は『利根お姉様とそれ以外』という区分ですから。風紀の乱れに私が巻き込まれなければ大丈夫です」

 

 

 「…お前ら、今すぐ俺から離れろ。さもないと俺らが査察の対象になりかねん」

 

 「………」

 無言のままぷいっと横を向く春雨。

 「ハァッ!?」

 赤い目を光らせ不満を露わにする翔鶴(空母水鬼)

 「ちゅっ」

 背後から一層きつく抱き付いて南洲の首筋に口づけるビスマルク。

 

 

 「みなさんダメですよー。いきなり新人さん達に所有権アピールなんかしちゃ。お二人とも困ってるじゃないですかー。あ、初めましてー、練習巡洋艦香取型二番艦の鹿島です。この部隊では戦闘指揮と管制に当ります。そうですね、部隊の要として南洲さんとは身も心も一つ、的な? うふふ♪」

 

 CICを出て甲板に現れた鹿島が、にこにこ微笑みながら無差別攻撃を仕掛ける。既存メンバーからは凍てつく波動を、新人二名から「うわあ…」というドン引きの視線を、それぞれ浴びているがまったく気にする様子はない。

 

 「ははははっ! まあなんだ、『仲良きことは美しき哉』とか昔の人は言ったしな、後はお前たちで上手くやってくれ。抜錨は七日後だ。それまでに鹿島はおおすみとの同調訓練、部隊は新装備受領とその慣熟訓練、南洲は検査と会議、やることは山ほどあるからな、時間を無駄にするなよ。じゃあな、俺と大淀はそろそろ行くよ」

 

 必要な事は全て伝えた、これ以上関わると碌な事にならない-機を見るに敏な宇佐美少将は引きつった笑みを浮かべつつ、大淀を伴いそのままLST4001(おおすみ)を立ち去った。

 

 

 「あー…その…なんだ。筑摩に吹雪、艦隊本部付査察部隊への配属を歓迎する。自分は部隊長の槇原南洲特務少佐だ、今後ともよろしく頼む。で、だ、今二人が見ている状況は、できればあまり気にしないでくれると…助かる」

 

肉食系の積極さを見せる春雨・ビスマルク・鹿島、そして翔鶴(空母水鬼)。出遅れて残念そうな秋月と羽黒、遠巻きににやにや見守る龍驤といういつもの光景に、それをドン引きで見つめる筑摩と吹雪を加え、南洲は新たな戦いへと踏み出してゆく。




 


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72. 終わりの始まり

 綻びは思いもよらぬ所から訪れる。敵の目的についにたどり着いた南洲。

(20170308 サブタイトル変更)


 「む」

 「あら」

 

 艦隊本部の管理棟を訪れた南洲と所用から自席に戻る途中の大淀は、廊下でばったり出くわした。手間が省けた、と南洲が差し出したレポートを受け取り、内容をぱらぱらと確認した大淀は満足そうにバインダーに紙の束を挟み胸元に抱える。新母艦と鹿島の艤装の同調訓練、龍驤への烈風改配備、新人二名との連携向上など、南洲にしては珍しくきちんとしたレポートを提出している。

 

 「慣熟訓練は順調そうですね、何よりです。それに、いざという時は私も出撃しますから安心してくださいね」

 

 大淀はバインダーを小脇に挟んだまま、ふんすと意気込みを示す。おもむろに屈伸を始め、デスクワークばかりだと体がなまっちゃって、と南洲に笑いかける。

 

 「体がなまった、ねえ…。実戦なんて危ない橋を渡らなくても、ダンナもいい加減歳だし、大淀が頑張って動いた方がいいんじゃねーの? ま、何にせよ、運動は大事ってことだ」

 一瞬きょとんとし、すぐに南洲の言う意味を理解した大淀は、真っ赤になってあうあうしながらも言い返そうとする。

 

 「せ、せくはらです、槇原少佐っ。査察部隊の長ともあろう方が…」

 

 にやっと笑みだけで返事をした南洲は、くるりと振り返り手を振りながら歩き出す。

 「じゃあな大淀。羽黒が待ってるから俺は行くよ。()()はダンナと頑張れよ」

 背中越しに大淀の『もーっ!!』という抗議の声を聞きながら、南洲は冷めた表情で呟く。

 

 

 「お前まで同族殺しに付き合う必要はねーよ」

 

 

 

 同族殺し-南洲がそう言うのには理由がある。単冠湾泊地と大湊警備府、そして南洲隊による合同作戦の相手は、択捉島から北東約150kmに位置する新知島の武魯頓(ぶろとん)湾に潜む深海棲艦部隊。それだけならまだいい。だがこの部隊は、艦娘を堕天(フォールダウン)することで生み出された存在だ。全員かどうかの確認は取れていないが、先の大湊防衛戦を振り返れば、最低でも四、五人は艦娘と深海棲艦をコンバートできると推定できる。そんな相手と戦うと知った部隊の面々の反応もやはり様々だった。

 

 「…………」

 無言のまま俯き、握った南洲の手を離さない春雨と翔鶴(空母水鬼)。彼女達もまた深海の淵から帰ってきた艦娘であり、複雑な心境は推して知るべし、という所だ。

 

 「あー………そやなあ、足腰立たんくらいブッ飛ばして縛り上げたらええんちゃう? ほら、自分らが大坂でされたみたいに。ええなあ、縄がきちんとひっかかって…」

 若干ハイライトの消えた目だが、殺さずに拿捕する方向で考えてることを窺わせる龍驤。

 

 「とにかく戦うだけです。私の使命は…な、南洲さんをお守りすることですからっ!」

 良くも悪くも普通な感性を持つ秋月は、南洲を守る、その一点に集中しようとする。

 

 「可能なら相手の無力化、あくまでも可能なら…ってところかしら。でも、最優先は貴方を守る事よ、南洲」

 長い金髪を手で背中に送りながら少し考え込み、『可能なら』の言葉にある種の覚悟を含みつつ、それでも決然と答えるビスマルク。

 

 「勝ち負けとかじゃなく、できるなら…南洲さんが鹿島を救ってくれたように…。あ、でもライバル増えちゃう? うーん…困りました」

 本当に困った表情で、それでも相手の事を常に思いやる鹿島。

 

 一方、あまりにも想像していた活動内容とかけ離れていたのだろう、吹雪は完全に思考停止に陥っている。宇佐美のダンナ、予備知識くらい教えといてくれよな。

 「え、えええっ!? ふぉ、ふぉーるだうん? 深海棲艦とコンバート? そ、そんなあ~っ!! ど、どうすればいいんですか、隊長ぉ~」

 

 対する筑摩も、ある意味で想像の域を超えない、あるいはある意味で想像を超える言葉を呟く。宇佐美のダンナ、社会常識くらい教えといてくれよな。

 「要するに深海棲艦の大部隊が相手ですね…そこに利根姉さんはいるの? いなければ隊長の命令通りに。殺せと言うなら殺します。生け捕り…はした事がありませんが、命令なら」

 

 そして羽黒は―――。

 

 「すべての戦いが終わってしまえばいいのに…」

 それは答えではないが、彼女の心からの祈りなのかもしれない。

 

 

 

 「お帰りなさい、隊長」

 管理棟の入り口脇に立つ羽黒は、南洲に気付くと笑顔で振り返る。セミロングの髪が揺れ、にっこりとした笑顔で南洲を出迎える。南洲が外出する際は、必ず誰かが一緒に行く-これは部隊の不文律で、今日はその役目を羽黒が担っている。

 

 「思ったより早かったですね」

 「途中でばったり大淀と会ってな、その場で書類提出したよ」

 このご時世、IT化は当然艦隊本部でも進んでいるが、多くの将官、位が上になればなるほど不思議とプリントアウトした書類での提出を好む傾向があり、宇佐美少将もそこに含まれる。港へと緩く続く上り坂を連れ立って歩きながら南洲と取り留めのない話をし、口元に手を当て微笑む羽黒の表情が一転、不安げな物に変わる。

 

 

 第二種警戒警報を意味するサイレンが響く。第一種は外部からの武力攻撃を意味し、第二種は内部での事故や障害が発生した事を意味する。通常であればその内容が通知されるのだが、ひたすらサイレンだけが鳴り続けている。艦隊本部は広大な大本営の敷地の一角を成し、同じ敷地内に技術本部やその他の管理棟も林立しているため、内容の通知が無ければどこで何が起きているのか分からない。だが、目的地の港の方から黒煙が上がるのが見える以上、港で何かがあったのは間違いないだろう。

 

 「隊長…」

 南洲のジャケットの袖を小さく掴み、羽黒は不安げな表情のままで少し身を寄せながらその顔を見上げる。羽黒の視線を一顧だにせず、南洲は向こう側から右に左に大きくふらつきながら近づいてくる影に集中していた。

 

 

 よろよろしながら近づいてくる、記憶に鮮明な病衣を着た金髪の白人女性。覚束ない足取りで首をほぼ真横に倒していたが、南洲と羽黒に気付くと頭を真っ直ぐに起こし、一言だけ発すると、後は何とも表現できない叫び声を上げる。

 

 「promozite mi! ■■taう■■えche△△△がaahhーーーーーっ!!」

 

 羽黒を背中に庇うようにし、南洲は無表情のまま抜刀の体勢に入ろうとするが、羽黒がそれを押しとどめて前に出てくる。

 

 「お、おい…」

 「人間…? でも深海棲艦と同じ気配…一体、どうなってるの?」

 

 南洲を庇うように前に出た羽黒は艤装を展開し、自分に言い聞かせるように大丈夫、と呟き、胸に手を当て深呼吸を繰り返す。かなり改善しているとはいえ、ウェダ時代のPTSDで『人型』の相手と戦う事に躊躇いを見せる羽黒。まして今目の前にいるのは、一応は人間…に違いない。だが羽黒は深海棲艦の気配がするという―――。

 

 南洲が状況を掴みかねている間に、羽黒が鋭く叫びながら避難を促す。

 

 「来ますっ!! 逃げてくださいっ!! …私が…守ります!」

 

 羽黒の視線の先では、件の女がさらに大きな叫び声を上げている。限界まで開いた口がさらに開き、唇の付け根が裂け始め、それでも足りないように鈍い音とともに顎が外れる。そして鳩尾から上を縦に裂き、だらりと下がった顎を砕き、黒鉄色の砲身が顔を出す。血に濡れた上半身を前に倒し、羽黒に照準を合わせようとするその姿は、大きさや装甲は異なるが、駆逐イ級の後期型を彷彿とさせる。

 

 先に艤装を展開したが逡巡する羽黒と、遅れて姿を現したが躊躇のない異形。一つだけ響いた砲声、南洲の眼前で羽黒が無防備に撃たれ、そのまま地面に座り込む。どうやら相手は小口径砲らしく、羽黒の装甲を貫くには至らないがそれでも無傷と言う訳にはいかない。制服の上着の左袖が千切れ素肌をむき出しにし、艤装を抱きしめて固く瞳を閉じる羽黒の姿に、今度は南洲が咆哮を上げ右脇に吊ったホルスターから銃を抜き異形に全弾撃ちこむ。デザートイーグルに似たこの拳銃は、扶桑の残した副砲を鋳潰して製造されたものである。人間相手でも50口径相当の威力を有し、艦娘や深海棲艦相手なら四十一式15cm砲と同等の威力を発揮する。木曾刀を譲られるまで南洲の装備と言えばこれだった。

 

 全弾命中、両腕と左脚を吹き飛ばし心臓に複数弾を撃ちこんだ結果、異形はぴくりとも動かなくなった。自分の上着を羽織らせ、見上げる羽黒の涙を南洲はそっと指で拭う。

 

 

 

 異形騒ぎの始まりは、意外な事だった。技本がチャーターした民間の輸送船に積まれる予定だった四五ft(フィート)コンテナ二本。積み込み作業中に、クレーンの作業員が操作を誤り一本のコンテナを落下させてしまった。壊れたコンテナの中から、人種国籍性別を問わず生きた人間が一人また一人と抜け出して幽鬼のように歩き回り、挙句に駆逐イ級に似た姿へと変容したのだ。警戒警報どころか戒厳令が出ても不思議ではなかった。

 

 -あの港湾作業員のせいでとんでもないことになったな。

 -逃げた女を発見し次第陸戦隊に連絡…いや、あれ見ろ、すでに片付いてるようだな。

 

 白衣を着た二名の男が手を振りながら小走りに近寄ってくる。どうやら味方と勘違いしているようだ。南洲はじろりと視線を送ると、狂気を帯びた笑みを浮かべ瞬時に抜刀し縮地で跳ぶ。自分も着せられた病衣、深海棲艦に変容する人間、その異形を追う様に駆けつけてきた白衣の男達―――。

 

 ー相変わらず技本くせえやり方だ。

 

 事態が呑み込めないという事を考える間もなく、二人は南洲の強烈な峰打ちで意識を手放した。

 

 

 

 艦隊本部地下某所―――。

 

 「ダンナ、色々分かったぜ。悪いがこれ以上の質問は無駄さ、『死人に口無し』って言うだろ。つか今日はどこ行ってたんだ?」

 血の臭いを纏いながら奥の小部屋から出てきた南洲が宇佐美少将に問いかける。飾り気のない事務机に付く宇佐美少将は、おそらく大淀には見せた事のないだろう生臭い笑顔で応える。質問という名の尋問、尋問という名の拷問、南洲に攫われた二人がそれに耐えられるはずもなく、さらに宇佐美石村の二将官が収集した情報と併せ、ついに中臣浄階の計画の全容が明らかとなった。

 

 「軍令部総長の大隅大将にちょっと挨拶にな。手土産の情報共有(世間話)で随分盛り上がっちまってな。で、お前の方の収穫はどうなんだ、南洲?」

 

 「あの二人はイ級モドキの調整役だと。色丹島にはあれがワンサカいて、アメリカ本土でのテロ要員なんだとよ。ダンナ達の仕入れた話と一体だな」

 「そうだな。もはや猶予はないぞ南洲。中臣浄階は、往時の戦争を仕切り直したいらしい。新知島に集結させた深海棲艦部隊の目的は真珠湾強襲だ」




昨日は手違いで執筆途中のものを公開してしまったという…。昨日公開分をお読みいただいた皆様、すみませんでした。


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73. 復活祭(イースター)

 アメリカを自壊させる-それが中臣浄階の狙う非対称の戦い。

 ※好みが分かれる感じの内容かも知れません、『合わないなー』と思ったらブラウザバック推奨ということで、予めご了承ください。

(20170308 サブタイトル変更)


 「しかし解せない。中臣浄階は()()戦争をやり直すことで一体何がしたいんだ? あれから何十年経ったと思っている? 今や世界の海軍力比較で一位がアメリカ海軍、二位がアメリカ海兵隊、なんて笑えない話もある。いくら艦娘のテクノロジーで日本が世界をリードしているからと言って、艦娘抜きの総合力で敵うわけがないだろう、それが現実だ」

 

 「………」

 

 「連合艦隊相当の深海棲艦と数百体の『モドキ』、それに数は不明だが仁科大佐と同じように艤装を展開できる兵士…これは実験の成功率からみて多寡の知れた数だろう。一会戦ならやっかいな戦力、だが中臣浄階の手にあるのはそれだけだ。ハワイを攻撃するなんざ正気の沙汰とは思えん。一体何をしようというんだ?」

 

 「………」

 

 「鹿島とおおすみの同調訓練も、この僅かな期間で索敵精度250%向上、索敵範囲180%拡大、十分な結果だろう。万全を期すためにアイツも配属し、LST4001(おおすみ)には最高水準のメディカルルームも用意した、が…南洲、どうした? なぜ黙り込んでいる?」

 

 「………俺が解せないのは、なぜダンナがここにいて熱弁を振るっているのか、ってことだ」

 

 新母艦LST4001(おおすみ)内の男性用の浴場。一畳ほどの長方形の浴槽の端と端に入浴している南洲と宇佐美少将。打ち合わせのためおおすみを訪れた宇佐美少将は、南洲が入浴中との知らせに「自慢の檜風呂らしいな。よし、時間の省略だ、男同士別に構わんだろ」と浴室に現れた。

 

 この南洲専用の浴場は、浴室全体だと一〇畳ほどの広さがあり、浴槽と壁の上部、天井、引き戸は総檜張り、壁の下部と床は十和田石で設えられている。中でも浴槽は、宇佐美少将の言うアイツ-大湊から技官兼医官として転属した明石の指揮の元、熟練の家具職人妖精さんが四方無地の檜材を手仕事による本実(ほんざね)加工で組み上げた逸品である。

 

 おおすみには、艦橋構造物内の第一甲板レベルに陸上拠点と比べても遜色のない入渠設備を備え、艦娘用だけではなく、人間用の手術室にICU、病床も有し、海軍でも有数の充実した医療能力を誇る。この医療施設と呼ぶには疑問符の付く檜風呂は、部隊の総意として南洲の許可を得ず拡充された経緯がある。元々男性用浴場は大きさも内容もここまでの物になる予定はなかった。だが慣熟訓練中に始まったこの工事はすぐに艦娘達の目を引き、さらに翔鶴(空母水鬼)が大湊の岩風呂で混浴した(実際は偶然鉢合わせしただけ)との告白が、彼女達のリビドー(情熱)に火を点け工事内容がどんどん拡大していった。

 

 

 『浴室は南洲と一緒に(自主規制)できる十分な広さを、浴室は南洲と快適に密着できる程度の大きさにっ!!』

 

 

 明石は内心ドン引きしながらも、龍驤と新人二名を除いた全員が目の色を変えて迫ってきた勢いに圧倒され、その要望(欲望)を全て取り入れて形にした、というのがここまでの話である―――。

 

 

 

 「中臣浄階は戦争のやり直しなんて望んでないのかもしれない」

 「どういうことだ?」

 

 ざばあっと湯を溢れさせながら南洲が浴槽を出る。目を見張るサイズの何かを隠すことなく出口に向かい歩く南洲が、宇佐美少将の声に足を止める。

 

 「ダンナが言ってた戦力を与えられ、俺ならアメリカをどう相手にするのか考えていた。最終目的次第だが、『何ができるか』で言えば…非対称戦ならかなりの事が出来るぜ。ダンナは政治的にヤツを抑えてくれ。俺はヤツの行動を追って作戦を止める。…それと、前も言ったが俺はソッチじゃないからな」

 

 がらり。

 

 浴室のドアを開くと、ぴっという軽い電子音がして照明が間接照明に切り替わる。浴室も広いが、ドレッシングルームも十分に一〇畳以上の広さがあり、こちらも無論総檜張りである。脱衣所や洗面台が右側に寄せられ、反対側にはゆっくりと回るシーリングファン、壁面にビルトインされた冷蔵庫、吸湿性に優れひんやりした籐製ソファとテーブルがある。

 

 そして無言で大きめのバスタオルを両腕で広げ南洲を迎える翔鶴(空母水鬼)

 

 何でお前がここに、と唖然とした南洲は声も出ない。そんな様子を気にすることなく、翔鶴(空母水鬼)は抱き付くようにバスタオルで南洲を包み、柔らかく拭きあげてゆく。

 「………どっちだ?」

 翔鶴なのか空母水鬼なのか、の問いに赤い瞳を妖しく輝かせて答えながら、翔鶴(空母水鬼)はゆっくり跪く。

 

 「ドッチモ…ッテ言ッタラドウスル?(どっちもって私も!? こ、心の準備が…)

 

 見下した銀髪の頭に手を添えると、何となく二重に声が聞こえたような気がする。主人格と副人格が同時に覚醒することがある極めて珍しいDID(解離性同一性障害)の翔鶴だが、主導権は副人格の空母水鬼が握っているようだ。くしゃくしゃと銀髪を撫で引き離す南洲は、そのまま体を離し手早く着替えると言葉を残しながら立ち去ってゆく。

 

「子供じゃないんだ、自分でやるよ」

 

 

 檜の床に女の子座りでぽつんとしている翔鶴の背後で、がらりと浴室のドアが開く。

 

 「あーなんだ、悪いけど全部聞こえちまってな。…せっかくだから…ってじょうd「ソウイウコトナラ…テェッ!(全航空隊、発艦始め!)

 タチの悪い宇佐美少将の冗談を最後まで聞かずに、息の合った全機発艦で応える翔鶴(空母水鬼)。さらに大淀にも報告さ(チクら)れ、厳しいオシオキを少将が受けたのはまた別の話として。

 

 

 

 艦橋部最上階にある艦長席に座り、南洲は考え込んでいた。

 

 -あの戦力で真珠湾を強襲することはできる。だがそれだけだ。人からイ級に変容するモドキ…あれを何に使う? 一体何を目的としている………?

 

 近づく甘い香りに誘われ椅子を回した南洲。そこにはお盆にマグカップを二つ載せたメイド服姿の春雨が立っていた。

 

 「考え事をしていると頭が疲れちゃいます、はい。そんな時は甘いものがいいですよ」

 

 すぐ横に来た春雨からマグカップを受け取り口を付ける南洲。

 「ホットチョコレートか」

 「バレンタインは大湊にいましたし、忙しすぎて手作りしてる暇がなかったから、はい」

 軽く苦笑いを浮かべながら肩をすくめる南洲を見て同じようにくすりとほほ笑む春雨。

 「遅くなっても、本当はみんなからそれぞれチョコを渡したかったけど、キッチンが修羅場になっちゃって…全員が用意したチョコでドリンクを作ってみたんです、はい…」

 ハイライトオフした目で視線を逸らしながら乾いた笑いをこぼす春雨。その脳裏には、湯煎したチョコに何か薬物的な物をいれようとした鹿島や、めったに料理をしないため悪戦苦闘の末チョコ塗れになったビスマルク、味見のはずがいつの間にか全部食べてしまいしょんぼりする秋月とそれを慰める羽黒の姿が思い出されていた。

 

 濃厚なチョコの味、だがその中に違う味わいがそれぞれ感じられ、これはこれで面白い味、と南洲は思いながらホットチョコを飲んでいたが、口の中で違和感を覚えて舌を出す。指先で摘みあげたそれは何かの小さな蓋。

 「ご、ごめんなさいっ! そんなのが入ってるなんて…。お鍋に残ったやつ、確認しなきゃ…」

 

 慌てて頭のホワイトブリムが落ちそうな勢いで深々と頭を下げる春雨を、気にすることもなくぶつぶつ言いながら立ち上がる南洲。その表情は驚きと困惑が入り混じり、やがてどんどん険しい顔つきになってゆく。

 

 「似ていて異なる物の混ぜ合わせ…異物…残りは全部疑う………」

 

 南洲の豹変に対し、理由が分からず春雨が困ったようにおろおろしているが、南洲は唐突に春雨の両肩を掴む。春雨は一瞬だけ「あっ」とした表情で、すぐに目を閉じて爪先立ちになる。ホットチョコに入っていた小さな蓋は、おそらく鹿島が持っていた小さな香水瓶のような『その気になる』おクスリのはず。ということは、南洲がそういう気になった、と解釈し準備万端で受け入れ態勢に入った春雨だが、結果として肩透かしを喰ってしまう。

 

 「春雨(ハル)、俺はダンナの所に行ってくるっ! 俺の勘が正しければ…うまく事を運べば意外と中臣のジジイにも勝ち目がある作戦かもしれない。後で連絡するっ」

 

 風のように艦長席を飛び出した南洲を、春雨は小さく手を振りながらぽかーんとした表情で見送る事しかできずにいた。

 

 

 

 「…あの二人の技官は、復活祭(イースター)がXデーだと言っていたな。それに合わせてモドキを調整しているとも」

 「…なるほどな、南洲。異物混入…確かにその手ならアメリカの文化的宗教的な弱点を突いた作戦、そう言わざるを得ない。それでもアメリカ自体は倒れないだろうが、相当な混乱に陥ることは間違いない」

 

 先日の大騒動は無論大本営でも座視できず、艦隊本部と軍令部が合同で調査委員会を設置し事態の究明にあたることとなった。証人と証拠の提出を求められ、これを拒否すれば臨検を行うという、これまでの治外法権的扱いを認めない断固たる姿勢に、さすがの技本もシラを切り通す事はできず、連日厳しい追及を受け続けている。

 

 そこから上がってくる膨大な情報は、宇佐美少将の元にも届けられ、その分析も進んでいる。深海棲艦との戦争勃発以来、帰国困難となり日本での滞在を余儀なくされた外国人はそれこそ山のようにいる。中臣浄階はそれらの人々の拉致を指示し、イ級後期型モドキへと作り替え少しづつアメリカに潜伏させている事。今回の騒ぎは作戦開始に合わせた最終輸送分だった事。そしてモドキはいったん変容すると限られた稼働時間を経て死に至る、等。その情報と、血相を変えて飛び込んできた南洲の推測は見事に符号した。

 

 復活祭(イースター)、キリスト教圏において最も重要な意味を持つ年中行事の日に全米で一斉に行う自爆テロ、それも昨日までの善き隣人が、その見た目から「悪魔の使い」とアメリカで忌み嫌われる深海棲艦に変容し無差別攻撃を行う。ここでモドキは全滅するだろうが、十分衝撃的なテロとなる。何より神の子が復活を遂げる大切な日に悪魔が攻めてきた、その心理的な衝撃は計り知れない。

 

 「…そこで終わらないのがこの作戦の嫌らしい所だ。モザイク国家の弱点を嫌と言うほど突こうとしている」

 

 建国以来の宿痾(しゅくあ)として、宗教や人種、文化的背景の違いに起因する差別が潜在的かつ深刻な社会問題となっているアメリカにとって、いつまた隣人が悪魔に変わり攻撃を仕掛けてくるかも知れない-自分と異なる集団に対する排他性は最高潮に高まる。不信と恐怖が差別を生み、それは憎悪に、すぐに殺意へと成長し殺し合いに発展する。中臣浄階が二の矢を放つとすれば、次は情報だろう。SNS等を通しデマを流すだけでいい。そして―――。

 

 「アメリカは内乱状態になり自壊するかも知れない。そこまで至らずとも、その状態から立ち直るには相当な時間がかかる。その時に最後まで治安が維持されそうなのが、地理的に隔絶し文化的にも大陸と異なるハワイだ。真珠湾の強襲は陽動であると同時に本命でもある、というところか」



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74. メメント・モリ

 悪役たちの破局、そして抜錨した南洲達。

 ※独自設定や解釈の多い回ですので、「違うな」と思われた方はブラウザバック推奨で。




 そもそも艦隊本部は、各拠点や各将官が独立的に管理運営する艦隊に対し命令権及び監査権を持つ唯一の部署、つまり全海軍の頂点であるはずだ。だが、三上大将(自分)の目の前に繰り広げられる光景はなんだ。大体なぜ私が合同調査委員会などに出席を求めらねばならん? 軍令部と合同、というのも癪に障る。

 

 確かに今回の技本、正確に言えば霊子工学部門の連中はやり過ぎだと思う。第二種警戒警報が発令された以上将官室で座している訳にもいかず、現場確認のため港に向かったが…あれは地獄絵図だった。壊れたコンテナから一人、また一人と湧き出てくる連中(モドキ)。落下の衝撃で手足や首が折れたまま、ぎくしゃくしながら虚ろな目で港を彷徨い歩いていた。それが突然駆逐イ級後期型に似た姿に変容する。喉を裂き顎を壊し口を貫きのぞき見える黒い砲身、始まる無差別な砲撃、響く轟音に立ち上る黒煙。幸い陸戦隊の投入により鎮圧に成功した、いや、一定時間が立つと勝手に死んでいった、という方が正解だろうが…。それにしても中臣浄階様は一体何をお考えだったのか―――?

 

 「…う、いしょう…三上大将っ! その…聞いておられるのでしょうか?」

 じろりと声の主を睨みつけ黙らせる。これで何度目だろう、入れ代わり立ち代わり現れる霊子工学部門各チームの責任者や担当者-システムソフトウェア開発、アーキテクチャ開発、アプリケーション開発、データ同化研究、大規模並列数値計算技術研究、利用高度化…ああもういい、覚えきれるかっ!

 

 「………何か?」

 「本日の事情聴取はこれで終了となりますが、三上大将より総括のお言葉はございますか?」

 

 黙れ犬が。だいたい私がこの場に出席を求められるなら、同じ大将格の大隅もここにいるべきではないのか? これではまるで私があの男の下風に立っているようではないか! じろりと声の主を睨みつけ黙らせる。

 

 「…今回の()()の背後関係、慎重に調査せねばならん。また明日、ということであろう」

 「お言葉ですが、()()と呼ぶべき案件ではないかと」

 

 空気がみるみる悪化し、むしろ召喚された霊子工学部門の調達担当次官の方がおろおろしている。これまで数日に渡り朝から晩までみっちり開催されている調査委。これまで何人の技本関係者に聞き取り調査を行い、どれほど膨大な資料を提出させたことか。そしてまだまだこの聴取は続く。

 

 

 

 技本トップに君臨する中臣浄階の指示の元、彼の企てに全面的に協力してきたのは他ならぬ自分だが、証拠を残さぬよう常に細心の注意を払っていた。

 

 「いったい浄階様は何を考えておられるのか? このままでは我らの繋がりが露呈するのも時間の問題だ」

 

 三上大将は自室で不機嫌な相貌を隠さず自席に付いていたが、ふと思い立ったように席を立つと、軍帽を目深に被り、軍刀を差し自室を後にする。

 

 

 

 何度来ても慣れる場所ではない。暗い洞窟と足元に広がる水場、通路として設けられた飛び石の両脇に並ぶ石灯籠、その奥にある拝殿。技術本部の地下深くにあるこの場所は普段は薄気味悪さの方が勝る。だが今日はそれどころではない、はっきりさせねばならぬ。そもそも自分が技本と手を組んだのは自己の権力を確かな物にするためだ。それが今、確かなもの所か下手をすれば失脚しかねない状況に近づいている。幾らなんでもしっかり釘を刺さねばならない。

 

 「大本営艦隊本部統括、大将三上源三、浄階様にお答えいただき儀がございます」

 普段なら拝殿の前に広がる白州に平伏しながら返事を待つが、そんなことは言ってられない。綺麗な波型に整えられた白州を乱暴に蹴散らし拝殿の上り端に足を掛ける。

 

 「随分と切り口上よの、三上」

 冷や水を背中に浴びせられたように、動きを止めてしまった。方向性を感じられない、つまりどこから響いてくるのか分からないが頭に刺さる様な声。間違いなく中臣浄階の声だ。

 

 「もう我慢の限界です。いったい浄階は何を考えておられるのかっ!! 艦隊本部の資金資源の流用、度を超えた人体や艦娘への実験、そして今また罪なき外国人の拉致と生体実験…このままでは私まで罪に問われてしまうではありませんかっ!!」

 

 「のう、それよりも三上、質問に答えてくれぬか」

 先ほど同様に頭に直接響いてくるような中臣浄階の声に、それでも虚勢を張る様に軍刀の柄に手を掛ける。冷や汗が頬を伝うが構わぬ、今は張り合い時だ。

 

 「浄階様、私は心底怒っておるのですっ」

 「いいから答えよ、それが貴様の知りたい事でもある。先の大戦、およそ幾人ほどが犠牲になったかの?」

 

 「…概数で軍人軍属二三〇万、民間八〇万人と記憶していますが、集計方法による増減もあり-」

 「では銃後の民八〇万人余を非道に虐殺したのは誰か?」

 「………」

 「答えぬか。それとも答えられぬか? …………アメリカよ」

 

 -一体何が言いたいのだ、このジジイは?

 

 思わずため息を付き、少し脱力する。どれほど技術的に隔絶した存在とはいえ、国際政治への理解はこの程度か、と。だが中臣浄階が長広舌で続ける話を聞くうちに、自分でも血の気が引くのが分かった。

 

 「本来であれば魂の安息を妨げる『天鳥船』プロジェクトなどに参画するのは愚の骨頂。だがな三上…儂はな、天鳥船プロジェクトに参画するはるか以前、先の戦の最中より鎮魂(たましずめ)の儀を執り行い続けてきた。魂が天道に至る(きざはし)を浄めるのが我が役割。貴様に分かりやすく言えば、必勝を祈り護国を祈った我ら神職の祈りを信じ身罷った幾十万の魂、焼かれ引き裂かれ千切られ犯され餓え病に倒れた恨み痛み嘆き悲しき怒り、それら穢れを全て我が身に受ける、我にできるのはそれだけだ。…だがの、それでは足りぬのだ。誰のせいでこのような目にあった、目に物見せてくれる…一人二人の声ではない、数十万の合唱が我が内に鳴り響くのだよ。かくして我が直霊(なおひ)曲霊(まがひ)と成り、生きながら荒御魂(あらみたま)と成り果せた。三上よ、主は計数に長けておろう、八〇万余の嘆きに見合うには、彼国の幾百万(いくよろず)の魂を人身御供に捧げればよいのか教えてくれぬか」

 

 「…狂っている、狂っているっ!! そんな、そんな事のためにアメリカに攻撃をっ………!!」

 

 広大な太平洋、その主に南西方面を中心に深海棲艦との激戦を繰り広げているのは艦娘で構成された日本海軍だ。一方でヨーロッパやアメリカでも少数の艦娘の開発に成功しているが、日本海軍ほど体系的な運用ができるほどではなく、むしろ日本海軍に自身の艦娘を派遣し運用ノウハウを習得しようとしている。

 

 だが終わらない戦争はない。勝ち負けの別はあれ、いずれどのような形であっても深海棲艦との戦争も終わりを迎える。緒戦で受けた大打撃を冷静に分析したアメリカは、来るべき『戦後』、再び太平洋の覇者となるべく、自衛以外での深海棲艦との戦いから手を引いた。主戦場に背を向け内需振興とヨーロッパとの大西洋間貿易により国家経営を維持するその様は、まるで一七世紀に戻ったようだ。技術としての艦娘の開発は継続しており、アイオワやサラトガといった成功例もある。だが彼らがむしろ強化しているのは通常戦力である。

 

 ゆえに国家として、日本は深海棲艦との戦争を管理するというのが三上の考え方だった。さもなくば戦後再び立ち上がるアメリカに、得体のしれない相手との戦争で疲弊した日本は呑み込まれる。

 

 

 そんな虎視眈々と牙を研ぐ相手に何をやらかそうとしているのか。迂闊に手を出せば他日必ずアメリカの報復を受ける事になる―――。

 

 「いちいち騒ぎ立てるのが小物の証よ、ゆえに貴様は大隅に及ばぬのだ」

 

 体中の血が逆流し沸騰したような気がした。ここまで面罵されたのは記憶にない。たまらず軍刀を抜き、拝殿を駆けのぼると御簾を切り払い初めて中へと踏み込んだ。所詮はイカれたジジイ一人、斬り捨てて全ての罪を追わせてやる。もとよりこのジジイの妄執から全ては始まっているのだ―――。

 

 踏み込んだその先、自分は一体何を見ているのだ? 刀を振りかぶったまま停止してしまった。自分の知識が確かならば、これは即身仏、白地に白紋付の袴に黒い袍を纏っているが死者だ。

 

 -技本で何度も見たアイツはなんだ? 替え玉…ということか?

 -そもそも最後にコイツの顔を見たのはいつだ…? なぜ思い出せない?

 -こんな状態、一年や二年でなるはずがない。なら今まで俺が話していたのは誰だ?

 

 「即身仏(その体)自体、式神のようなものだ。齢百歳(よわいももとせ)も超えると中々どうして体も不自由での。技本での研究過程で知り得たDID(解離性同一性障害)とやらは便利が良い。依代に使うにはあれほど丁度よいものはないのお」

 

 再び聞こえてきた中臣浄階の声に、我知らず絶叫していた。

 

 

 

 千葉県銚子沖東北東約100km―――。

 

 「まさか三上(大将様)がお縄になるとはな。だが聞いた話なら心神耗弱で起訴猶予、死ぬまで予備役じゃねーのか」

 

 LST4001(おおすみ)の全通甲板上、アイランド型艦橋構造物を背に凭れる南洲は、誰に言うともなく言葉を放つ。南洲達が海上の人になっていたこの頃、大本営はモドキの暴走に続き大きく揺れていた。何しろ技本に血相を変えて乗り込んだ三上大将が軍刀を引き抜くと、一人のシニアフェローに『死ねぇーっ、中臣ぃーっ』と叫びながら斬りかかり殺害したのだ。当然その場で取り押さえられ、憲兵隊に現行犯で逮捕され収監中である。

 

 「…しかし、伸びたな」

 「そうね南洲、私が切ってあげてもいいのよ?」

 「長い髪も素敵ですよ、南洲」

 潮風に揺れる髪を気に留め、前髪をついっと指で伸ばす。その南洲を左右から挟むように腕を取るのがビスマルクと春雨。そして春雨はむぅっと頬を膨らませながらビスマルクを見ている。春雨には一つの疑念があった。大湊の前後で明らかにビスマルクの南洲に対する態度が変わったのに、どんな理由があるのか? 元よりビスマルクが南洲に思いを寄せているのは知っていたが、何かこう…その自信に満ちたというか、妙にしっくりしっとりした雰囲気出しちゃってるのはドウイウコトデスカ? もしかして…。

 

 そんな南洲達一行-春雨、ビスマルク、羽黒、鹿島、龍驤、秋月に新たに加わった吹雪、筑摩、明石-は、新母艦LST4001(おおすみ)とともに、石村中将の指令に従い抜錨、闘いの場は北太平洋へと移り始める。

 



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Mission-6 立ち上がる女たち
75. 遥かなる海の途中で


 大本営の政治的混乱は、南洲達の作戦実施に大きな影響を与える。それでも中臣浄階の部隊に立ち向かおうとする南洲と艦娘達。

※ご注意
この章は以前コラボをさせて頂きました

zero-45様【大本営第二特務課の日常】
https://novel.syosetu.org/80139/

 と世界観のごく一部を共有している側面がありまして、たまに重なる話題や登場キャラの名前が出ることがあります。コラボというほど緊密ではなく、同じ話題にさらりと触れる時もあるんだね、という感じでご理解いただければと思います。


 「命令をよくご理解ください。 『国内鎮守府に居る将官へは待機命令が下り、現在進行中の作戦で中止可能な物は全て中止、戦力を拠点へ引き上げて整えよ』です、石村中将。あなたは外地におられ、しかも泊地司令なので待機命令は対象外ですが、作戦中止命令の対象となります」

 通信機の向こうで事無かれ主義担当者のドヤ顔が目に浮かぶようで、秘書艦の雷が怯えるほど険しい表情を浮かべる石村中将は、滔々と話し続ける通信将校を無視して通信を終了すると、にやりと意味ありげな笑みを浮かべ、雷に展開中の全部隊の撤収を命じるよう伝達する。

 

 「やれやれ、命令か。ふむ、従うとするか。一刻も早く撤収せよ。以後単冠湾泊地および大湊警備府の部隊は()()()()に戻る」

 

 そして誰に言うともなく呟く。

 

 「さて、『人在る所に人無く、人無き所に人在り』とは至言だが、槇原南洲…貴様がカギを握ることになるぞ」

 

 

 

 単冠湾の部隊が新知島の敵本隊に北方から圧力を掛れば、もとよりハワイを目指す敵艦隊は東南へと進路を取るだろう。というよりそう強要する。そして逃れた所を北上するMIGOと東進する大湊も加え三方から挟撃する―それが単冠湾泊地と大湊警備府、そして南洲率いる査察部隊MIGOの合同作戦の概要()()()

 

 だが。

 

 連続して起きた二つの事件、モドキの暴走と三上大将の収監により大本営は揺れに揺れ、国内将官の待機命令に始まり進行中作戦の中止、国内外の要人を招き行われる大坂鎮守府での緊急会談など事態は急変した。

 

 そもそも現在の情勢下で北太平洋の重要性は極めて低い。かつて起きた深海棲艦同士の数少ない抗争の結果、太平洋の北側は『無主の海』として放置されている。そうした経緯に加え、ハワイ諸島とミッドウェー島以外に利用可能な島嶼もなく波荒い広大な海が広がるだけの地勢的要因もあり、ほとんど無視されていたとも言える。

 

 その意味では、中臣浄階が北方海域を拠点に選んだのも、そこを舞台として中臣一派の戦力殲滅に出た宇佐美少将と石村中将の作戦も、戦略的価値の低さから大本営の目が向きにくい点を逆手に取ったものだった。反面、このように情勢が急変すれば優先度の低い作戦として真っ先に中止させられるリスクもあり、よりによって今回はそれが顕在化してしまった。

 

 

 そしてそんな政治的事情に関わりなく、よりしがらみの少ない方がより速く動く。

 

 三方向からの挟撃作戦は脆くも瓦解、単冠湾部隊の撤収を見届けるかのように、悠々と武魯頓(ぶろとん)湾を抜錨した深海棲艦(元艦娘)の連合艦隊は、色丹島を出発した部隊と合流し東南方向へと進路を取る。大湊の部隊との合流のため北上を続けていた南洲の部隊もまた、情勢の変化を受け進路を変更、東へと進んでゆく―――。

 

 

 

 「ふーん」

 「ふーん、って司令官っ! 大本営からのご命令ですよっ!? 『現在進行中の作戦で中止可能な物は全て中止、戦力を拠点へ引き上げろ』って…」

 「俺にはまったく関係ない話だ。()()は待機で、連中が指揮する中止可能な作戦は中止、そういうことなんだろ。ちなみに俺は佐官、覚えておけよ」

 

 プリントアウトした指令書を片手に、吹雪が血相を変えて南洲に迫るが、一方の南洲は秘匿回線経由で宇佐美少将、さらに石村中将から立て続けに連絡が入りそちらを見ようともしない。通信への返事も、なるほどね、そういう事か、だいたいあの辺かな、じゃあまたあとで、の四語しか発しない。通信が終わるのを今か今かと待ちわびる吹雪に、どこかふざけたような笑みを浮かべ相対する南洲。

 

 

 「そんなの屁理屈ですーっ! 将官は待機、全作戦は中止、そういう内容ですよ、これ。軍人たるもの命令には―――」

 「吹雪」

 

 吹雪の話を遮る南洲。声の質は一見静かだが反論を許さない空気を帯びたものに変わり、吹雪にもその緊張が伝わる。

 

 「宇佐美のダンナと大湊、石村中将と単冠湾は必ず動く。何故か分かるか? 俺達は、自分の勝手な都合で艦娘(お前たち)の尊厳を踏みにじる連中の排除のために存在しているからだ。艦娘を深海棲艦に強制的に変えるような実験を行い、あまつさえ他国への侵攻の手先にする中臣浄階…こんな大規模で組織的なテロのお先棒を艦娘に担がせてたまるかっ! お行儀良くしてる暇なんかねーんだよ」

 

 決然とした南洲の言葉に押された吹雪は、唇を真一文字に結びこくりと頷くことしかできなかった。明確な指揮命令系統に組み込まれ組織的な戦闘のために整備された鎮守府などの拠点に対し、状況によっては周囲の全てが敵となる中での活動を続けてきた査察部隊の本質の一端を見たように感じ、我知らず武者震いしていることに気が付いた。

 

 -これが査察部隊の戦いの意義…。でも、連合艦隊級の敵を私たちだけで迎え撃つなんて…。ううん、私だって、私だってやれるんだからっ!!

 

 

 

 抜錨してから約一〇日、現状の彼我の進行速度から見ればあと数日後には、ミッドウェー島西方約100kmクレ島周辺海域に自分たちがわずかに早く到着し、連中を迎え撃つことができる。そうは言っても、思いっきり不利だがな―――。

 

 南洲は母艦LST4001(おおすみ)を全通甲板上に一人立ち潮風を全身に浴びていた。遮るもののない水平線に夕陽は沈み始め、あらゆるものを赤く染め上げてゆく。誰かを待っている様子の南洲の手には缶コーヒーが二つある。

 

 戦艦一、重巡一、航巡一、練巡一、正規空母一、軽空母一、駆逐艦三。これが手元にある全戦力で、このうち鹿島は母艦の操船兼索敵要員なので、正面戦力としてはカウントできない。対する敵艦隊、武魯頓(ぶろとん)湾の監視を続けていた単冠湾部隊の報告によれば、戦艦二、重巡一、軽巡一、駆逐艦三、そして正規空母五。これに母艦と輸送船団のような部隊が随伴するらしい。

 

 -さて、どうしたもんかな。というかあの部隊、誰が指揮を執ってるんだ?

 

 絶海の太平洋で大きな戦力差の敵を迎撃する絶望的な作業。それでも引き下がるわけにはいかない。このまま敵の侵攻を放置などできないからだ。

 

 ふと南洲の横に一人の艦娘が立つ。長い黒髪を風に揺らしながら、夕日に照らされオレンジ色に染め上げられた筑摩の姿。その目には恐れや焦りの色は無く、明日の天気を尋ねるようなごく普通の口調で筑摩が問いかける。

 

 「全てが不足している戦いのようですね。どうされるおつもりですか」

 「人任せだがダンナと石村中将を信じるしか無い、って所だな。もしオレ達だけでの戦いになるなら、徹底的に逃げまくって夜戦に持ち込んでから離脱ってところか。あとはまあ、LST4001(こいつ)は図体もでかいし、いい囮になれる」

 

 右手で口元を隠すように小さく笑った筑摩は、言葉を続ける。

 

 「みんなと同じことを言うんですね。『夜戦までとにかく耐えて一撃を加える。そして敵の追撃が始まったら、全員で盾になり隊長を逃がす』って」

 

 頭をガリガリ掻きながら心底困ったような顔で筑摩を見つめる南洲。南洲が待っていたのは実は鹿島である。

 

 LST4001(おおすみ)のオペレーションの中核を成す鹿島だが、状況が悪化したらすぐに母艦を捨てて退避するよう説得するため甲板に呼び出していた。だが、偶然だろうが鹿島ではなく筑摩が現れた。筑摩は南洲から視線を外すと、暴れる長い黒髪を押さえながら不思議そうな表情で呟く。

 

 「運命、なんでしょうか。再びこの海での戦いに参加するなんて。あの時、私の偵察機は報告ミスを犯し、利根姉さんはカタパルトが不調で発進が遅れ、みすみす敵の機動部隊の跳梁を許してしまった」

 

 ここではないどこかに思いを馳せる筑摩の言葉を、南洲は何も言わずに聞いている。

 

 「隊長が私にどのような役割を課すのか分かりませんが、必ず全うします。戦力差? ふふっ、私たちは前世で有利な条件で戦った方が少ないので、あまり気にしないでください。それに、勝てばいいんですよね?」

 

 それは決意と優しさに満ちた言葉。南洲も同じように薄く笑い、筑摩に缶コーヒーを差し出し、彼女が両手でそれを受け取る。

 

 

 ごうっ。

 

 一際強い風が吹き抜け、筑摩のスカートと呼ぶには頼りない制服が大きくめくれあがった。南洲の手ごと両手で缶コーヒーを受け取った筑摩はスカートを押さえることもできず、ただ吹く風に任せている。

 

 「あっ! 強い風が…もう、このスカートだと……」

 「ちょ、おま、なんではいてな―――」

 「南洲さんっ!?」

 

 南洲の声は甲高い非難の声で遮られた。筑摩の向こうで鹿島がぷるぷる震えている。さら離れた背後にはいつの間にか甲板に集まってきた部隊の艦娘達。

 

 「南洲さんが二人きりで話をしたいっていうから…シャワーを浴びて色々準備してきたのに…。甲板でのアウトドア的なのは恥ずかしいですけどそれも新鮮というか…。でもまさか筑摩さんまで一緒に、とは思いもしませんでした。流石にそこまでは心の準備が…」

 

 ハイライトが消えかけた目でぶつぶつ言い続ける鹿島がゆらりと近づいてくる。慌てて握られたままの手を大きく動かし、筑摩と距離を取る南洲。その拍子に手にしていた缶コーヒーが甲板に落ち、肩をいからせ口をとがらせながらずいずい近づいてくる鹿島の足元まで転がってゆく。南洲しか見ていない鹿島の目には当然その物体は視界に入らず、見事なまでにすっ転び体勢を崩したまま南洲へと突入し、二人とももんどりうって甲板に倒れ込む。

 

 その光景を見ていた他の艦娘達も慌てて南洲に駆け寄ってくるが、すぐにその表情は呆れと不平に変わってゆく。

 

 「ちょっとナンシュー、何をどうしたらそんな体勢になる訳っ? ど、どこに顔を突っ込んでるのっ!? このへんたいへんたいへんたいっ!!」

 「はあ…もう私が好きな南洲はどこにもいないのでしょうか…いっそ棘鉄球(モーニングスター)で記憶をリセットしてゼロからやり直した方が…」

 「ソウイコトナラ…私モマザロウカ」

 

 ぎゃあぎゃあと騒がしいビスマルクと春雨、肩脱ぎになり出した翔鶴(空母水鬼)とそれを止める羽黒、煽る龍驤に赤面する秋月、この部隊のもう一つの面を目の当たりにした筑摩と吹雪は視線だけで会話し、頷き合う。

 

 -こんな不利な作戦でも、指揮官と部下がお互いを第一に思う…いい部隊に配属されましたね、私たち。いろいろ複雑骨折している女性関係はともかくですけど。



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76. 男なら誰でも

 ミッドウェー海域に先に展開した南洲隊。夜間哨戒中の母艦に、静かに忍び寄る影。


 ミッドウェー島北約九〇km、クレ環礁沖・夜間―――。

 

 彼我の戦力や目的、立地等を考慮すると、これはMI作戦、すなわちミッドウェー作戦の再現に近い。質量ともに圧倒的な空母機動部隊を擁した帝国海軍に対抗した劣勢のアメリカ海軍は、最終的には帝国海軍側の積み重ねたミスに乗じ戦争の転換点となる大勝利を収めた。当時を引き直すなら攻撃側はハワイを目指す深海棲艦(元艦娘)の連合艦隊、防御側は南洲隊となる。

 

 

 「さしずめ俺達は米軍側か。皮肉なもんだな。それより、少し休めよ鹿島」

 

 

 そう呟いた南洲はLST4001(おおすみ)の艦橋内の三階にあたる部分にあるCICに鹿島と共に詰めている。おおすみは鹿島によるワンマンオペレーションが齎す省力化の反面、現状では彼女にしか運用できない、という硬直性を抱えてしまった。結果として、約二週間に及ぶこの航海中、交代要員の確保できない鹿島だけは働き続けていた。

 

 「心配してくれているんですか? 嬉しいなあ♪ 大丈夫です、南洲さんのためなら、何でもできちゃいますから。鹿島は戦場ではあまりお役に立てない分、みんなの目と耳として頑張りますね」

 

 にっこり微笑みながら両手でガッツポーズを取る鹿島だが、疲れた様子を隠すことはできていない。隣の席に座る南洲は鹿島の方を向くと、悲しそうな表情でそっとその頬に左手を伸ばす。

 

 「痩せたな、お前。頼むから必要以上の無理をしないでくれ。何度も言ってるが、作戦がやばくなったら迷わず艦を離れろよ、いいな?」

 

 目を閉じた鹿島は、頬に添えられた南洲の左手を右手で包み、愛おしそうな表情を見せる。

 「はいはい、分かりましたから。もう何度も聞きましたよ、ほんとに心配症なんですね。…なら、安心させてくれていいんですよ?」

 

 薄暗く光る計器類と複数の壁掛大型モニターが取り巻く中CICの中、ぎいっと椅子が軽く音を立て鹿島が腰を浮かせると、南洲に近づきそのまま影が重なりかけた。瞬間、鹿島は動きを止め慌てて自分の席に戻り大型モニターを厳しい視線で見つめる。何となく唇を半開きにして待っていた格好の南洲だが、気まずそうな表情を一瞬だけ浮かべ、自分で自分の頬をばしんと挟むように叩く。そして立ち上がり鹿島の背後に立ち同じようにモニターに視線を送る。南の方向に複数の輝点が浮かび、何かが接近中であることを示している。例の大本営令はまだ生きていて、この海域で作戦行動中の艦娘がいるはずがない。となると自分たち以外の友軍は存在せず、モニター上の輝点が示すのは深海棲艦の部隊ということになる。

 

 「アラートッ!! 南南西二七km、反射波の大きさから見て…魚雷艇? …いいえ、これは…浮上航行中の潜水艦! 数は四…南洲さんっ」

 頭に付ける間も惜しみ、右手にヘッドセットを持ったまま鹿島が叫び、南洲に視線を送り指示を仰ぐ。

 

 -浮上航行中とはいえ、あの大きさの存在を探知するのか、すげえ精度だな…。

 

 南洲はまじまじと鹿島を見つめてしまう。艦隊の目として最も重要な役割を担う鹿島は、装備している電探を現用電子兵装に接続する技術実証のテストベッドになることを『南洲さんのためなら』と受け入れ、22号対水上電探改をOPS-28D 水上レーダに、21号対空電探改をOPS-14C 対空レーダーにぞれぞれ接続している。

 

 いまだ多くの部分がブラックボックス化されている妖精さんの技術と新たに配属された明石の技術の成果として、水上電探の探知距離は大型艦で約30-35kmから100km超へ、対空電探のそれは編隊探知で約100kmから150km超へとそれぞれ延伸、探知精度も大幅に向上した。とはいえ兵器としての体系がまるで異なる現用兵装をブースターに使うことで強制的に装備の性能を向上させるこの方法、制御を司る鹿島にとって負担も大きく、この航海が始まったころに比べると顔色は青白く少しやつれたような表情になってきた。

 

 南洲の部隊の弱点は対潜能力の低さである。所属している駆逐艦娘の総数は三名だが、防空特化の秋月にはあまり多くを期待できず、春雨と吹雪の二名がカバーするしかない。昼戦であれば軽空母の龍驤と航空巡洋艦の筑摩による航空攻撃もオプションに加わるが、残念ながら今は夜戦だ。これまで軽巡枠を兼ねていた鹿島は、今回の作戦ではLST4001(おおすみ)の管制を担う以上対潜哨戒に出る事が出来ない。三式探信儀を鹿島の装備に加えそれを現用電子兵装でブーストさせる案もあったが、鹿島の負担があまりにも大きく南洲が強硬に反対した経緯がある。

 

 「潜水艦四が浮上航行中、か…。羽黒と筑摩、聞こえているか? ただちに出撃だ。相手が呑気に月を眺めてる間に電探射撃で制圧しろ、目標位置の詳細は鹿島から送る。春雨(ハル)と吹雪、哨戒は中止して現場に急行しろ。最大船速で突入して爆雷をバラ撒いて止めを刺せ。だが深追いは絶対するなよ」

 

 警告音と共に艦はぶるっと身震いをするように震え、下ヒンジ式の艦尾門扉が上から下に向け開く。門扉の裏側には六基のカタパルトレールが設置され、最大同時展開能力としては一艦隊六名が一斉に発艦可能となる。

 

 「羽黒、出撃しますっ! せいいっぱい頑張りますね!」

 「筑摩、準備万端、出撃します」

 

 スピーカー越しの二人の声がほぼ同時に響くCICで、南洲と鹿島の表情がさらに引き締まり緊張が高まる。一方カタパルトレールで加速しながら着水した二人は左右に波を蹴立て水面を疾走する。元々艦外で夜間哨戒を行っていた春雨と吹雪はすでに遥か先を目標地点へと向かっている。

 

 羽黒は腰にマウントされた基部から延びる左右二つのジョイントアームにそれぞれ接続された、艦体の一部を模したベースユニット上の主砲を動かし射撃体勢に入る。筑摩も同じように腰にマウントされた基部につながるジョイントに接続されたベースユニット上の主砲を動かすが、こちらは右側に砲塔が集中配置されているため、半身になるように目標方向に対する。

 

 「羽黒さん筑摩さん、敵部隊E1からE4、単横陣で依然として浮上航行中、座標送りますね。今のうちに先制してくださいっ! 第二撃以降の弾着修正等射撃補正はお任せください。先行する春雨と吹雪(お二人)は、鹿島が合図したらそれぞれ左右に散開してください。羽黒さん筑摩さん、三〇秒後に撃ち方、始めっ」

 

 無駄のない的確な鹿島の指揮は、『俺、いなくてもいいんじゃね』と南洲が苦笑いを浮かべさせるのに十分なほどだった。

 

 「砲戦、始めますね」

 「これ以上、近づけさせません!」

 

 夜の海に突如響き渡る轟音と爆風、砲口から上がる発砲の炎と煙。一瞬白く照らされた夜が切り裂かれ、一〇門を超える20.3cm砲から放たれた鋼鉄の暴力が二七km先、最大射程距離すれすれだが、目標目がけ突き進んでゆく。

 

 

 

 「前方に発砲炎一〇以上確認っ! 捕捉されてる!? 着弾、四〇秒後くらいなのーっ」

 「戦闘は…あまり好きじゃないけど…」

 

 夜の水面、横一線に等間隔で浮かぶ魚雷に跨るセーラー服様のスク水姿の4人-伊19(イク)伊26(ニム)伊8(はっちゃん)、そして伊168(イムヤ)-が慌てに慌てている。自分たちの目では捕捉できなかった相手から受けた突然の砲撃、夜空を切り裂く砲弾の風切音がどんどん大きくなるのを思わず呆然と見守っていたが、我に返ったようにイムヤとニムが叫び、それをきっかけに全員が回避行動に入ろうとする。

 

 「やばっ! 急速潜行! 急いで!」

 「やだやだやだーっ! ってか敵じゃないのにーっ!!」

 

 急速潜航しても安全深度まで到達する前に着弾してしまう。四人は頭を抱えたりしながら跨っている魚雷の上に蹲り運を天に任せ目をぎゅっとつぶる。直後、前後左右に20.3cm砲の九一式徹甲弾が次々と着水し水柱を立て、時ならぬ海水の雨を降らせる。第二撃が来る前に安全深度まで潜るため四人は一斉に海面から姿を消した。

 

 「なっ、ちょっとっ! 初撃から挟叉ってどんな射撃精度なのよっ!」

 「んーと、眼鏡眼鏡…あ、あった。あれえ、駆逐艦二、もの凄い勢いで突入してきますねー」

 「緊急回線開くねー。このままだとイク達やばいのー」

 「だめだめだめーっ! 無線封鎖って言われたのにー…ってそんなこと言ってる場合じゃないか」

 

 

 イクからの緊急通信がおおすみのCICに飛び込み、南洲があわてて攻撃中止を命じなければ、初戦は同士討ちと言う洒落にならない事態になるところだった。

 

 

 「お前たちIFF(敵味方識別装置)積んでないからな…まあ何だ、無事でよかったな」

 「ひっどーいっ!! あんまりなのねーっ!えーっと、間宮羊羹一人一〇本を賠償に要求するのねっ」

 続々と艦娘が集まるおおすみの食堂は時ならぬ盛況を見せている。気まずそうな表情で頭を掻く南洲と、ぷりぷり怒っているイクをはじめとする四人の潜水艦娘。久しぶりに会うトラックの艦娘達だが、なぜこんな所をうろうろしているのか―――。

 

 唐突にスピーカーから鹿島の声が流れ、秘匿通信での緊急電が入ったので南洲にCICに戻るよう伝える。全員は顔を見合わせながらぞろぞろとCICに向かい歩き出す。

 

 

 

 「しかし鹿島の索敵能力がここまで向上しているとはなあ、いやあ驚いた。イク達は秘密裏にクレ環礁北方で哨戒線を張るはずだったんだがな」

 「…おいおい宇佐美少将(ダンナ)、いいのかよ。自分の指揮下にない部隊を勝手に動かして。命令違反にも程があるだろ」

 

 すうっと目を細めながら意図を糺す南洲と、とぼけたように鹿島の索敵を褒めちぎる宇佐美少将。だが話の内容はさらっととんでもない。イク達四人の存在は、内地将官の待機と大規模作戦の中止を命じた大本営令を完全に無視していると言われても反論できない。

 

「南洲よ、俺はなーんも違反なんかしていない。作戦活動じゃねーぞ、これ。トラック泊地の提督、ほら、ヤツだよ、あいつから『潜水艦娘の練度向上のためちょうどいい遠征先はないか』って相談を受けてな。つまりこれは()()()()()()()()()()だ。それにイク達がトラックを出発したのは…確か大本営令の出る直前だったな」

 

 「はははっ、なるほどね。作戦じゃないなら止める必要はないよな」

 「ハワイが中臣浄階の目的地だって判明したからな。まあなんだ、こんなこともあろうかと用意しといたんだ。いやー、男なら一生で一度ぐらい、ここぞって時にこの台詞言ってみてーよな、がははははっ」

 

 老獪に不敵に、通信越しだが笑い合う二人の男(宇佐美少将と南洲)の姿を、吹雪は感動したような面持ちで眺めていた。

 

 -あの時司令官は言ってました。『宇佐美少将と石村中将は必ず動く』って。こんなに厚い信頼関係、すごいですっ!

 

 

 大本営令が発令された当日、石村中将と宇佐美少将は()()()()()()()()()()として、大湊と単冠湾の艦娘を『北方海域大演習』と称し、中臣浄階の部隊を追走するようにこの海域に急行させている。そして再び鹿島が叫ぶ―――。

 

 

 「「アラートッ!! 北北東一一〇km、大艦隊発見っ! …七、八…艦隊一二、随伴艦一、小型艦艇…おそらく輸送艦かな、が六。このままの速度なら〇六〇〇(マルロクマルマル)頃にこの海域に到着する見込みですっ」



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77. 選んだ道

 政治と軍事の狭間で、南洲は決断する。そして南洲に応える艦娘達。ついに戦いのゴングが鳴る。


 「〇六〇〇(マルロクマルマル)頃、か…。あと四時間弱は時間がある訳だな。南洲、作戦目標を最終確認するぞ、いいな」

 スピーカー越しの宇佐美少将の声が緊張を帯びる。南洲はにやりと笑い、了解、と短く答える。

 

 「まず全体像だ。一つはアメリカ本土で起こす大規模同時テロ、そしてハワイ攻略。中臣浄階はこの二つを復活祭(イースター)に同時に行うはずだった。だがすでに相手の作戦は破綻している。アメリカに潜入しているモドキ…つっても変容前だから一応人間の皮は被ってるがな、これには手を打った。すでにNSA(アメリカ国家安全保障局)に現地に潜伏中のモドキ共の個人情報、元の情報と偽造後の情報の両方を開示してあるから、NSAとFBI(連邦捜査局)が摘発するだろう。方法は…まあ知らない方がいい。後は、どっちの借りでどっちに貸しになるか、たまには外務省にも仕事をさせてやろう」

 

 「へえ、相変わらず()()()()には顔が効くんだな。さすがダンナ…いや、この場合は『(みみずく)の宇佐美』って言うべきかね」

 乾いた笑い声だけで答える宇佐美少将ーかつて海軍内の憲兵にあたる特別警察隊に所属、その後警察庁へ出向し刑事局組織犯罪対策本部で国際組織犯罪対策官を務め、軍復帰後はトラック泊地の提督を務め少将に昇格、同時に査察部隊を率いることとなり現在に至る。彼の二つ名は、特別警察隊時代、相手に気取られず水面下で確実に証拠を固め一気に立件逮捕を進めるその様を、羽音を立てずに獲物を襲い狩りをする夜行性の猛禽類に準えられたのが由来である。

 

 

 「それよりも、お前たちの現在地を基準としたそれぞれの予想到着時刻だが、敵艦隊は約三時間後、単冠湾艦隊はその三時間後、日向と伊勢、そして大湊(こっち)から出向させた山城を中心とする水上打撃部隊だ。大湊艦隊はさらに四時間後の到着だが軽空母三名を中心とする機動部隊だ、夜が明け次第航空攻撃に入れる」

 

 「…つまり、俺達は最低でも後続部隊の到着まで相手を足止めしろ、ってことか」

 

 南洲の周囲がざわめく。トラック組を含め総勢一二名の艦娘はさすがにCICに入りきらず、現在食堂に集まり、鹿島が持ってきた携行用JTRS-HH(統合戦術無線システム)で受信した秘匿通信をスピーカーモードで聞いている。

 

 鹿島の探知した情報、そして後続二部隊による索敵結果、さらに宇佐美石村の両者が収集した情報、それらを照合した結果、敵艦隊の構成は、雲龍、葛城、天城、大鳳、飛龍からなる空母機動部隊を中核に、打撃部隊の主力は比叡、霧島、高雄。護衛兼水雷戦隊が神通、照月、神風、萩風。この全てが深海棲艦にコンバートすると見られる。そして旗艦と思われるDDH-144(くらま)に輸送艦六が随伴していることが判明した。

 

 「問題はこの輸送艦でな。各艦五〇合計三〇〇の()()()が積まれている。こいつらは是が非でも殲滅しないと厄介な事になる。いいか南洲、輸送艦と敵旗艦の撃沈及びモドキの殲滅を最優先、敵本隊は可能な限り拿捕、分かったな」

 

 「…ダンナ、さっきからモドキは完全にモノ扱いだな。変容しなきゃただの人間だよな? それに旗艦って、あの部隊の指揮官がいるってことだな」

 「モドキか…救い様があればただの人間と言う事も(そういう言い方も)できただろうがな。大本営の騒動で残された残骸を司法解剖したが…あれはダメだ。あの変容は死を前提としている。そして連中を変容させるトリガーは敵が握っている。DDH-144(くらま)に座乗してる指揮官は特定できていないが、この際誰でも構わん。どうせ技本の息のかかった連中だ。とにかく、この件に海軍が関わっている証拠を残されちゃあ困るんだよ。だが堕天(フォールダウン)した艦娘達は、半数程度でいい、必ず拿捕して日本に連れ帰れ」

 

 南洲の目がすうっと細くなり、右眼が赤く光る。感情が高ぶった証拠だが、それでも南洲は努めて冷静な口調を保とうとしている。そして南洲の感情の動きは、春雨、ビスマルクと鹿島には敏感に伝わる。南洲を宥めるようにそっと手を重ねる三人だが、その全てが左手に集中し、傍から見ているとまるで出陣前に気合を入れているようである。その様を見たトラックの潜水艦娘達と、それに釣られた吹雪も南洲の周りに集まり、左手を次々に重ね、気勢を上げ始める。

 

 「いや、そうじゃなくて…。ああもう、くっつくなお前らっ! …ダンナ、どういうことだ? 随分キナ臭い話じゃねーか」

 

 スク水一枚の下はモロ素肌と言う潜水艦娘達に密着されるのはさすがに南洲も気まずく、下手な場所に手を振れぬようにして押しのけながら、宇佐美少将に皮肉めいた口調で言葉を返す。そして宇佐美少将の返事は、さらに南洲を苛立たせるものだった。

 

 

 「お前は知らんだろうが、大坂で外国要人を招いた会議があってな。その席上でイギリス代表から、研究材料として堕天(フォールダウン)した艦娘の提供を求める声があがったそうだ。だが大坂の筆頭秘書艦を渡せって話に吉野中将が激昂し物別れに終わったらしい。そこでだ、今回お前たちが首尾よく敵艦隊を拿捕し、交渉の切り札にする。これで諸外国にも海軍の慎重派の連中にも恩を着せられる。というよりな、こんな状況で強硬派だ慎重派だと言ってる方がおかしいんだが、()()()()()きっかけにはもってこいだろう」

 

 

 「つまりダンナは、俺達…いや後続の部隊も含めて艦娘達に人間を殺せ、保護じゃなく外国に引き渡すために堕天(フォールダウン)した艦娘を捕まえろ、そう言ってるのか?」

 

 

 この会話が、艦娘全員に動揺を走らせる。青ざめた顔で南洲をじっと見つめるビスマルク、無表情のまま棘鉄球(モーニングスター)のチェーンをじゃらりとさせる春雨、目を伏せ南洲のジャケットの裾を震える手で掴む鹿島、両手で口を押さえ声を上げるのを押さえている羽黒。他の艦娘達の反応も大同小異で、手の中でふよふよ踊る式神に誰にも聞こえないような小声で話しかける龍驤、その横で吹雪と秋月は抱き合いながら半べそをかいている。トラックの潜水艦娘達はある程度の事を予め聞かされていたのか、南洲隊ほどの動揺は見せないがそれでも苦い表情を浮かべている。唯一筑摩だけは『姉さんが含まれていないなら、何でも構いません』と超然とした表情でうっすら微笑む。

 

 

 再び南洲の声が奔る。静かだがよく通り、そして満腔の怒りを抑えているのが伝わる声。

 

 「ダンナ、昔俺に言ったよな? 『査察部隊(この部隊)は、全ての艦娘の権利を守るための即応部隊』だと。敵…技本艦隊は、誰のせいで深海棲艦と艦娘を行ったり来たりする羽目になったんだ? 全て中臣浄階のせいだろう? モドキや敵の指揮官をどうしようとダンナの勝手だが、なぜ艦娘達が人間を手に掛けなきゃいけねーんだ。人間を守るために現界した彼女達に人間を殺せだと? ダンナ、今のあんたは一体何を守ろうとしてる?」

 

 「ひでえ事を言ってると思うか、南洲よ? お前こそ現実ってやつを見ろ。海軍も日本も綺麗事だけでやっていけねーんだ。いろんなしがらみの中で、好悪善悪関わりなく必要と思われる手を取るしかない時だってある。払う犠牲を最小にして最大限の効果を得る、それが戦争であり政治だろう? この一件が首尾よく片付けば、お前の処遇だって全然変わる。再び日の当たる道を大手を振って歩く事だってできる。納得しろとは言わん、だが理解しろ」

 

 

 沈黙が続く食堂。誰もが南洲の次の言葉を固唾を飲んで待っている。そして長い沈黙は唐突に破られる。どこか吹っ切ったような表情で南洲は話し始める。

 

 

 「 …ダンナ、良く聞いてくれ。俺は春雨(ハル)に守られ、鹿島に頼り、羽黒に助けられ、龍驤に背中を任せ、秋月に支えられ、そして今、ビスマルクが照らす道を行こうと思ってるんだ。俺はこいつらがいるから、俺でいられる。技本艦隊の連中だって、誰かが同じように手を差し伸べてやらなきゃ。ハワイ攻略は何としても防ぐ。だがそれは俺のやり方でやる。まあ何だ、抗命罪で俺を拘束する準備をして帰国を待っててくれ。ダンナ、俺は俺の心の羅針盤が指す方に進む。今まで世話になった、ありがとうな」

 

 

 そう言い通信を終了した南洲は、自分に集まる艦娘達の視線を微笑みながら受け流し、明るく、むしろ楽しそうに立て掛けていた木曾刀を掴むと立ち上がる。

 

 

 

 「なるほどなぁー、面白い作戦立てるもんやな。上手くハマればいい線いくんちゃうかな…はぁ…ぁべくしょぉんっ…って、ちくしょーっ!」

 

 LST4001(おおすみ)の全通甲板に一人立つ龍驤が一際オヤジ臭いクシャミをして、クシュクシュと鼻をこする。夜明け前、吹き渡る潮風は強く、水干風の紅色の衣装の裾は大きくはためき、背後に浮遊する飛行甲板の巻物もゆらりゆらりと揺れている。龍驤が発艦させたのは以前大坂沖戦でも投入した、彗星艦爆で構成される夜襲戦法を得意とする美濃部(みのべ)隊、またの名を芙蓉部隊。試作装備ながら、龍驤はこの部隊をいたく気に入っている。

 

 敵の電探を避けるように爆装のまま海面スレスレを飛行する彗星が一機また一機と、先行する春雨、ビスマルク、羽黒、筑摩、翔鶴、秋月を追い越してゆく。

 

 「あの高度をあの速度で…! まだ夜間なのに…」

 同じ空母系艦娘として、龍驤航空隊の技量に驚きを隠せない、という表情で、翔鶴が翔け抜ける彗星を見送る。

 「RJは歴戦の空母、この私が安心して背中を預けられる相手よ。彼女に胸と身長があればショーカクもうかうかしてられないわよ」

 海面を疾走しながら、ビスマルクが肩をすくめてこの場にいない龍驤をからかい、羽黒と秋月がくすりと笑う。唯一春雨だけは不機嫌そうな表情をしている。

 

 

 「南洲…今更選択を求めるなんて…。私は…どんな時でも貴方の傍にいるのに…」

 

 宇佐美少将との通信終了後、南洲は改めて自分と一緒に来て欲しい、深々と頭を下げそう頼んだ。客分のトラック勢、新任の吹雪と筑摩が戸惑うのを余所に、無論誰一人部隊を立ち去る者はなく、全員が南洲と運命を共にする、と固く誓ったのだが、春雨はその願い自体がひどく不満だった。

 

 -そんなこと、聞かなくても分かってるくせに…。分かってないなら鈍感にも程があります。

 

 ぷうっと頬を膨らませながら海面を疾走する春雨に、羽黒がそっと近づく。

 

 「やっぱり司令官も言葉で聞きたかったんだと思います。私達と同じように」

にこっと微笑みかける羽黒の言葉に、春雨も腑に落ちたような表情になる。

 

 

 そして―――。

 

 「敵艦隊との相対距離、三〇kmを切った。連中も慌てて砲撃してくるはずだ。全員最大船速で突入開始っ! 龍驤、爆撃体制を整えとけよっ。翔鶴、上手くやれよ。もうじき夜明けだ、艦載機も出てくる。ここからの五分、最初の勝負所だ、気合入れてけっ!」

 

 南洲から檄が飛び、それを嚆矢として部隊は戦闘に突入する。



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78. 一の矢 -強襲-

 黎明攻撃に打って出た南洲隊。開幕を担う航空戦のカギを握る龍驤。技本艦隊を沈めずに制圧する策とは。

 ※戦闘シーンでは艦娘同士が戦い、原作未登場の兵装が一部出ます。そういうのはちょっと、という方はブラウザバック推奨です。


 「技本艦隊、こちらを捕捉した模様。機動部隊を下げて水雷戦隊が前に出ようとしてますっ。陣形変更が終わるまでが勝負ですっ! 翔鶴さんと筑摩さんはすでに艦載機発艦済み確認、翔鶴さんは現在位置で待機お願いします。龍驤さん、もう少し彗星さん達を散開させてください、鹿島がナビゲートします。打撃部隊は必ず最低でも二対一で相手に当ってください…みなさん、ご武運をっ!」

 

 -結局俺はウェダ時代と何も変わっていないんだろうな、上の都合で艦娘を差し出すなんざ真っ平御免だ。だけどこの戦いは、俺の力だけではどうにもできない。こんなことに巻き込んで本当に済まないと思っている。それでも、俺にはお前が必要なんだ-

 

 出撃直前の慌ただしい時間の中、南洲と交わした短い会話。鹿島にはそれで十分だった。この人の望む事を叶える、そのためなら何でもできる―――。

 

 現用電子兵装でブーストした鹿島の電探だが、この距離までくると探知距離はもうどうでもよくなる。むしろその探知精度により、敵艦隊と敵航空隊の細かな動きまで漏らさず捕捉し、前線からのフィードバックと合わせ射撃補正用データのリアルタイム伝達と航空隊のナビゲートが重要な役割になる。単なる目標探知ではなく、FCS(射撃管制装置)をも兼ねた彼女の脳には、想像を絶する負荷がかかり続ける。事実出航前の接続試験および慣熟訓練では綺麗な顔を歪め吐き戻す事も多かった。その負荷は、慣れることはあっても減る事は無い。まして今は戦闘の真っただ中、刻々と変わる状況と情報に即応するため、鹿島は持てる能力の全てをつぎ込んでいる。

 

 その肩にそっと手を置く南洲だが、鹿島の反応はない。普段なら手を握り返したり微笑み返すなどのリアクションがあるが、オペレーションに必死でそんな余裕はないのだろう。南洲もまた緊張した表情で壁掛け式のレーダースクリーンを無言で見つめている。

 

 

 緒戦の勝負を決める五分間。この僅かな時間の攻防を経て、技本艦隊と南洲隊は乱戦へと突入する。

 

 

 

 未だ明けぬ漆黒の海と空だが、それでも水平線の色が僅かに変わり始める。夜の終わりと朝の始まりが交わるこの時間を南洲は狙い、その静寂は、対空電探からの無粋な警戒音と騒然と行動を始めた技本艦隊の艦娘達の声で破られる。

 

 「防空棲姫はまだっ!? 陣形変更なんて待ってらんないよ、とにかく発艦急いでっ!!」

 中央に日の丸をあしらった飛行甲板を模した鉢巻を巻いた艦娘が、上空をきっと睨みつけ細身の弓を引き絞る。黄橙色の上着に深緑色の丈の短い袴を履いた飛龍改二が航空隊を発艦させる。そして決然とした目で宣する。

 

 「夜間発艦を出来るのは自分たちだけだと? この海…今度こそ、今度コソ徹底的ニ叩カナキャ…!」

 

 すでに対空電探は三〇機以上の敵が上空に展開しているのを捕捉している。危険な夜間発艦を強行しこちらが防空体制を取る直前を叩こうとする南洲隊(敵艦隊)の意気に感心しつつも、甘いのよね、と飛龍はニヤリと笑う。その飛龍に続くように眠たげな金色の眼を空に向けた雲龍が、手にした錫杖で海面に静かに突く。錫杖に付けられた飛行甲板を模した幟旗、その上に鳥居のようなものが出現し、それを潜った式神が次々と艦載機に変わり急上昇してゆく。

 

 「天城、出撃致します!」

 「出撃するわっ! …って絶対見ないでよね!」

 

 二人同時に緑色の振袖を脱ぎ捨てる天城と葛城だが、対照的な行動を見せる。静かに、それでいて自信ありげに胸を張り艦載機の発艦を続ける天城に対し、両腕で胸を隠すようにしてジト目で周囲の空母娘を睨む葛城。すぐに諦めたようにこちらも艦載機を発艦させる。雲龍型は改飛龍型、天城と葛城はその雲龍の戦時量産型ともいえる系譜で、この四名は飛龍を姉とする姉妹の様なものである。が、葛城だけは陽炎型駆逐艦の機関を搭載している関係上、なぜか身体の一部のボリュームが薄く、露出の激しい雲龍型の衣装を着るとその差がさらに強調される。

 

 「海と空…ようやく私も戦エルノネ…私は、最後ノ…一航戦ダカラ」

 「本当の力、見セテアゲル!! 胸ナンテ…飾リナンダカラッ!!」

 

 そんな妹達を眺めていた雲龍は、ゆっくりと空を見上げながら、小さく呟く。

 

 「輸送任務デハナイワ、制空戦ヨ。腕ガ鳴ナルワネ…」

 

 ヨークタウンを道連れにしたものの戦争の転換点となる敗北を喫しミッドウェー沖に沈んだ飛龍、終戦間際で機動部隊として活動できず終わりを迎えた雲龍姉妹-葛城の胸への渇望(心の叫び)はともかく、それぞれの満たされぬ渇望に付け込む様に技本は彼女達をDID(解離性同一性障害)へと追い込み、それは彼女達を堕天(フォールダウン)へと誘った。発艦を済ませた今、ここにいるのはヲ級flagshipが二人、空母ヲ級改flagshipが一人、空母棲姫が一人となった。

 

 四名は一斉に砲撃を始め、対空砲火が空一面に黒煙の花を作り上げる。その狙いは上空に展開中の三五機の部隊、筑摩が発艦させた一四機の瑞雲、そして翔鶴が発艦させた二一機の熟練した零戦六二型にある。南洲隊の先陣を切るこの部隊は、いまだ防御陣形への移行を完全には終えていない四人を目がけ急降下爆撃を加えようと次々と降下を開始した。南洲の言う『最初の五分』の役割を担うのが、まさにこの部隊である。

 

 「逃ガサナイワ。直掩隊、突撃シマス」

 「サア、始メ…マス」

 「全高射砲、一機モ逃サナイデッ」

 

 投弾体勢に入った以上急な進路の変更はできず、急上昇で迫る大量の白いタコヤキ(迎撃機)を抜け、さらに濃密な対空砲火を潜り抜ける頃には、南洲隊の機はみるみる数を減らしていた。それでも少数ながら突入を成功させ、二五〇kg爆弾を叩き付ける。爆炎に辺り一面が覆われ鋭い悲鳴があがるものの、吹き抜ける潮風が黒煙を払いのけた後には、未だ健在の四人の姿がある。投弾を済ませた瑞雲と零戦六二型は再び上昇を始め、技本機動部隊の直掩機を釣り上げる。この時点でヲ級flagship(葛城と天城)が小破と中破、空母ヲ級改flagship(飛龍)が小破、空母棲姫(雲龍)は無傷。

 

 

 『技本機動部隊、全員堕天(フォールダウン)確認! 龍驤さん、今です! 周辺クリア、彼女達の注意も上空に向いています、突入の大チャンスですっ』

 

 間髪入れずに鹿島から龍驤へと指示が飛ぶ。筑摩と翔鶴の航空隊による奇襲で始まった開幕五分は過ぎ去り、入れ替わるように真打が登場する。この鍵を握っているのが龍驤の攻撃隊である。戦闘海域近辺で筑摩と翔鶴が発艦させた攻撃隊による急降下爆撃を意識させ、その間に電探を避けるため海面スレスレをゆく龍驤の攻撃隊が攻撃位置に着くのを鹿島が巧みにナビゲートする―――。

 

 

 「よっしゃぁーっ! 艦載機のみんな、お仕事お仕事っ。さすがにもう見つかっとるやろ、最大速力で突入や!!」

 

 発動機が唸りを上げ爆装で重量過多の機体をそれでも増速させる。龍驤の指示に従い高度を微調整し、技本機動部隊目がけ突入を図る二八機の彗星。爆弾倉扉が胴体内側に畳み込まれると、二五〇kg爆弾が投下され、()()()()()爆弾が次々と水面を水切りの石のように高速で跳ね、放射状に四人の深海棲艦に襲い掛かる。

 

 「どやあっ、反跳攻撃(スキップボミング)、まともに喰ろたらいくら堕天(フォールダウン)しとってもただじゃ済まんで。昇天せんようにしときーやっ!!」

 「アラート! 龍驤さん、防空棲姫と援護の編隊がっ! 五人目…指揮艦の護衛、大鳳さんですね。でも間に合わないです、私達の勝ちですっ!!」

 龍驤がLST4001(おおすみ)の全通甲板上でガッツポーツを決めるのと鹿島が警報を発したのはほぼ同時だったが、賽はすでに投げられている。大鳳が発艦させた烈風改と防空棲姫が四人の援護のため突入し、そのため多くの彗星が撃墜されたが、援護のタイミングとしては一歩遅かった。四人の周辺で次々と起こる爆発と火炎、そして朝が一瞬で訪れたほどの閃光と高音ノイズの爆音が四人を襲う。

 

 ミッドウェー作戦の真逆をいく、上空からの急降下爆撃に注意を引き付け、低空で突入する彗星による反跳攻撃(スキップボミング)―それが過去の記憶を持つ艦娘の性向を逆手に取った南洲の作戦。鹿島の的確なナビゲートと龍驤の航空隊の技量で、全弾命中とはいかなかったが、それでも多くの直撃弾や至近弾を与えることに成功した。唯一空母棲姫(雲龍)は小破に留まり戦闘継続は可能だが、他の三人は、二人が大破、残る一人も飛行甲板を損傷し艦載機の発艦はできそうにない。深海棲艦化により大幅に向上する生体機能や艤装の性能ゆえ、この攻撃でも大破止まりで轟沈に至らないのは盛込み済み。拿捕を目指すので沈まれては困るが、攻撃を受けた全員が顔を覆う様にもがき苦しみながら海面に蹲っている。

 

 

 -龍驤、緒戦で機動部隊を出来るだけ無力化することと、拿捕できる状況を作ることを両立したい。そのためにはお前とお前の航空隊の技量が必要だ。あと()()()の性質は明石に聞いてくれ。二八機中…そうだな、三割くらい積んでくれ-

 

 同じく出撃前、南洲は龍驤が緒戦のカギを握る存在として詳細に打ち合わせを行い、その腕前に全幅の信頼を置いていた。

 「隊長はん、どやっ! まあ、隊長さんにあないに頼まれたら、ウチとしてもしゃーないからなあ。そやけどこの貸し、高くつくで、イヒヒヒ」

 LST4001(おおすみ)の艦橋に向かい満面の笑みでVサインを送る龍驤の姿をモニターで見る南洲は、相手からは見えないと知りつつサムズアップで返事をする。

 

 反跳攻撃に加えたもう一つの策、それは南洲が明石に突貫工事で二五〇kg爆弾を改造させた閃光音響弾(スタングレネード)だった。閃光と超高音域の爆音で技本機動部隊の目と耳を奪い無力化する。強化された身体と感覚器の能力がかえって仇となり、この非殺傷兵器が不意打ち気味に決まり予想以上の効果を発揮したことになる。そして間髪入れず南洲が次の指示を出す。

 

 

 「ビスマルク、羽黒、筑摩、春雨(ハル)、秋月、龍驤の攻撃は成功したっ! 今のうちに機動部隊を制圧して拿捕し急いで帰還、他の連中を釣り上げろっ」



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79. 二の矢 –繚乱-

 航空戦と並行して始まった水上部隊同士の激突。龍驤の攻撃と連携し技本機動部隊を拿捕するために、立ちはだかる水雷戦隊を撃ち払い突入しようとする南洲隊。

 ※戦闘シーンでは艦娘同士が戦います。そういうのはちょっと、という方はブラウザバック推奨です。


 夜の終わりにして朝の始まりが徐々に近づく、夜戦と呼ぶには遅い時間帯。龍驤の部隊の突入を成功させるため陽動を担う攻撃隊が技本機動部隊に迫りつつある頃、海面でも別な激突が始まっていた。

 

 スタングレネードで動きを封じた機動部隊を拿捕しLST4001(おおすみ)に連行、その奪還またはこちらの殲滅に向かってくるだろう打撃部隊を迎撃し制圧する-そのためにも敵の前衛を務める水雷戦隊は一刻も早く突破せねばならず、ここで時間を掛けると残存の機動部隊が視力と聴覚を回復し航空攻撃を仕掛けてくる。春雨、秋月、羽黒、筑摩を率いた単縦陣の先頭を行くビスマルクはちらりと空を見上げながら、出撃前に南洲と言葉を交わした僅かな時間を振り返る。

 

 -これだけ派手に命令違反したんだ、宇佐美のダンナも甘い顔はしてくれねーだろう。それでも、俺は技本艦隊(あいつら)を何とかして助けたい。他人事とは思えなくてな-

 

 南洲も技本艦隊の艦娘達も、身体と心に手を加えられ、望まぬ形で戦場に立っている事では共通している。それでも南洲は自分の生きる道を見出したと言う。彼をそう(いざな)った自覚のあるビスマルクにとって、自分の想いに応えて歩き出した男が、同じ境遇の艦娘に手を差し伸べたいと願っている事に心を震わせずにはいられなかった―――私が道を照らす、そう言ったしね。

 

 

 縮まった距離は、その敵の姿を鮮明に示す。突入してくるのは顔の上半分が両サイドを鋲で止めたフェースガードで覆われ、真っ黒な衣装をまとった深海棲艦。額から生えた二本の太い角、魚雷発射管と融合したような生物状の艤装を構えたその姿は軽巡棲姫(神通)である。その左右に従う二人の艦娘、神風と萩風の姿は見る間に深海棲艦へと変容し前に出てくる。艦娘が堕天(フォールダウン)する瞬間を初めて目の当たりにした筑摩の顔色が変わる。

 

 「ナンデサ…何デ来ルノヨ」

 「何モ…何モ、見エナイママ…沈ンデイケ!」

 

 刻一刻と夜明けが近づくとはいえ未だ夜の終わりに始まる反航戦。目標とする機動部隊が陣形変更を行うため慌ただしく位置を入れ替えはじめたのを南洲隊が遠目に見たあたりで、駆逐古姫(神風)駆逐水鬼(萩風)が先制雷撃を仕掛けてきた。放射状に広がりながら急速に迫る水面下の槍が南洲隊に襲い掛かる。

 

 「この秋月が健在な限り、やらせはしません!」

 

 秋月が左手を前に振り出し両脚を肩幅より広げ砲撃の反動に備えると、腰にマウントされた長一〇cm砲ちゃんが手足をばたつかせながら砲身を海面に向ける。最大毎分一九発の発射速度を誇る連装砲が唸りを上げ、発砲により巻き上がる爆風が秋月を中心とする海面を波立たせ、長いポニーテールとミニスカートを大きく揺らす。その砲撃により撃ち抜かれた魚雷が次々と爆発し水柱を林立させる。

 

 -お前がいなきゃ俺はトラックで死んでいたかもしれん…秋月、ありがとうな。軍人として、俺の行動は間違っている。けどな、それでも譲れない…いや、譲りたくない物があるんだ-

 

 雷撃の過半を撃ち抜き、ふうっと大きく肩を上下させ安堵のため息を漏らす秋月が、出撃前の南洲の言葉を思い出しながら問い返す。

 

 「この秋月、ご期待に応えられているでしょうか。これからも必ずお守りしますから」

 

 

 回避行動から反転した南洲隊は、技本水雷戦隊同士の連携を妨げるように分断しながら攻撃に移り、三様の戦いが始まる―――。

 

 

 

 肩を上下させ安堵のため息を漏らした秋月の死角から黒い影が急速に迫る。しゃがみ込んだ姿勢から一気に突き上げるように放たれた右貫手の突きが頸動脈を狙い閃く。

 

 「―――!!」

 

 秋月が気配に気づき反応した時点ではすでに遅く、角の生えたフェースガードで隠され表情の伺えない顔がすぐ傍まで迫ったが、その刹那激しい衝撃音とともにその影は飛び退いてゆく。左腕の艤装で迫る棘鉄球(モーニングスター)を弾き、その衝撃を殺すため自ら後方に下がった軽巡棲姫は、左腕の艤装で上半身を庇い、中段で引き絞られた右の拳はいつでも突きだせるよう力を溜めている。

 

 「秋月さん、この人は私に任せてください。他の人と合流してここを突破してください」

 

 秋月の方を見ることなく、ややハイライトを落とした深紅の瞳から放たれる春雨の視線は軽巡棲姫(神通)を捉え離さない。一瞬だけ逡巡した秋月だが、すぐにくるりと振り返り、主機を全開にして仲間に合流しようと全速で海面を駆けてゆく。

 

 「こんにちは…いいえ、久しぶりです、()()さん。ウェダでも大湊でも、そして今も、貴方は南洲の邪魔しかしませんね。でも、それもこれが最後です、はい」

 ゆらゆらと棘鉄球(モーニングスター)を揺らす春雨の言葉に、軽巡棲姫がぐらりと姿勢を揺らす。かつてのウェダ基地で、悩んだ末に駆逐棲姫(春雨)の存在について艦隊本部に相談し、基地崩壊の一因を作ったのは他でもない神通である。だがそれも彼女なりに指揮官の南洲を思いやっての事だった。結果は誰も望まぬ最悪の形となり、自責を抱え続けた神通は、自ら堕天(フォールダウン)への道を進み、それを自分への罰として受け入れていた。

 

 「ソンナツモリジャ………私ハ…私ハ…アンナ事望ンデナカッタノニ…。アナタハ…アナタコソ…アナタガアアアァ!!」

 

 叫びはそのまま行動に置き換わる。激しい波の飛沫を残し突入する神通と、右腕をしならせモーニングスターを投擲する春雨。これ以上言葉で語ることはない、それだけが二人の共通認識だった。

 

 春雨のすぐ間近まで飛び込んだ軽巡棲姫(神通)は、自分の顔面に迫るモーニングスターを首をひねり受け流そうとするが、流石にフェースガードを弾き飛ばされる。だが突進の勢いは止まらず、そのまま首のひねりに従い体を回転させると水面を蹴り、回転の遠心力を利用した後ろ回し蹴りで春雨の頭蓋を叩き割ろうとする。

 

 

 

 「クッ、何デ振リ切レナイノヨ…!』

 長い白髪を揺らしながら、必死に逃げようとする駆逐水鬼(萩風)だが、徐々に、しかし確実に距離を詰めてくる目の前の艦娘。

 

 腰の左右にマウントしていた大きな両腕、戦艦棲姫のそれを彷彿とさせる艤装だがすでに魚雷発射管を備えた左腕はもう戦力にならず、自分の被害は左半身に集中している。至近弾のせいで頭部からの出血が止まらず、血が左目に入り視界が妨げられ、イライラする。

 

 自分にまとわりつくショートボブの重巡娘は、従順そうな顔立ちをしているくせに、その目は冷静に自分の状態を値踏みしている。最初に左側の艤装に与えた至近弾、そこからは常に自分の左側を占位するように巧みに動き回り、的確に砲撃を加えてくる。いくら自分が動き回り振り切ろうとしても、加速に乗る前に進路を塞がれ思う様に動けない。ならばと右腕の艤装で砲撃しようとしても、今度は自分自身の体が邪魔をして思うように左側を砲撃できない。というより、そういう無理のある姿勢での砲撃しかさせてもらえない巧みな体捌きと位置取り。相手はこちらの砲撃を無駄のない動きで躱し、いよいよ手を伸ばせば届くような距離まで近づいてきた。

 

 「羽黒さんっ、お待たせしましたっ」

 

 唐突に海原に響く綺麗な声。反射的に見てしまった。駆逐艦…あれは防空棲姫(照月)の姉か。恨まれるかな、と思いながらまだ動く右側の艤装で砲撃体勢に入る。

 

 

 「させませんよ」

 

 耳元で優しく囁く声がして背中に悪寒が走った。あっちは囮か。恐慌をきたした私は、壊れた左側の艤装を滅茶苦茶に動かす。とにかくこの場を逃れなきゃ。相手も予想外だったのだろう、腕の形をした艤装のラリアートを無防備に喰らい一瞬動きが止まった。

 

 今しかない、もう一人が近づいてくることも忘れ、右側の艤装を向け至近距離から砲撃する。同時に長一〇cm砲の集中砲撃を受け、右側の艤装も大破してしまった。けどまだやれる。今度は照月の姉に砲を向けた所で思わず絶叫してしまった。右肩を外された。間髪入れずに左肩も同じ。くっ…人型だとこういうことがあるのか。

 

 「秋月ちゃん、ありがとう。…この深海棲艦は、私が母艦まで連行しますね。大丈夫、入渠してまたすぐに戻ってくるから先に行ってて。うん? あとはほら、大坂で習った特殊な縛り方で」

 

 

 -途中間も空いたが、お前とも長い付き合いだよな。…お前が本気になれば、うちの部隊で一番強いかもしれない。けどな、無理しなくていいからな。お前自身が納得できるその時が来たら、撃てばいい-。

 

 至近距離で直撃弾を受け中破した羽黒は、拘束した駆逐水鬼(萩風)を連れて母艦に戻りながら、不利な状況でも自分を思いやってくれる南洲に支えられていることを改めて感じていた。

 

 「はい、司令官。その時は今なんだ、そう思ったらもう怖くなくなりました」

 

 

 

 「甘いわねっ!!」

 自分に向け急速に迫る複数の雷跡を、ビスマルクは不敵な笑みを浮かべながら巧みな体捌きで躱し切る。長く豊かな金髪を揺らし、水面を踊るに疾走する姿は、バレエやフィギュアスケートを彷彿とさせる。そんな美しさと裏腹に、凶悪な力をそのまま形にした四基の主砲はその間にも眼前の相手、駆逐古姫に向け斉射する体勢を取る。ここで駆逐古姫が言葉を発しなければそのまま砲撃戦へと移行していただろう。

 

 「ヤルジャナイカ、コノ駆―古姫―――、ウグアアッ、コノ音…一体何ダ!?」

 

 駆逐古姫の言葉が遮られ、一瞬だが技本機動部隊の辺りだけ朝が訪れたように眩く光り、思わず顔を顰める超高音のノイズが耳を貫く。この瞬間こそ、低空から侵攻した龍驤の航空隊が技本機動部隊に反跳爆撃(スキップボミング)を成功させ、その中に仕込んでいたスタングレネードが炸裂したタイミングである。

 

 「―――っ、あれがRJの秘密兵器って訳ね …。それよりも、せっかくの名乗りがさっきのでよく聞こえなかったわ。えっと…クチコキ、でいいのかしら?」

 

 ニヤリと頷きかけ、すぐに青ざめた顔色に一瞬で朱が差し、ぷんすか、それ以外に表現できない表情で駆逐古姫が叫ぶ。

 「口こきって…! ソンナ卑猥ナ名前デ人ヲ呼ブトハ、何ト破廉恥ナヤツダッ!」

 

 小首を傾げて考えたビスマルクだが、何事かを思い出した様子で白い頬を真っ赤に染め、やはりぷんすか、それ以外に表現できない表情で叫び返す。

 「な、何を言い出すのよ、し、失礼ねっ! でも、あれをそういう風にも言うのね、日本語は奥が深いわ…」

 

 

 真っ赤な顔で俯き無言のまま立ち尽くすビスマルクと駆逐古姫。

 

 

 この海域だけに訪れた時ならぬ凪は、左方向から突入してきた筑摩の主砲の斉射により破られ、まともに砲撃を受けた駆逐古姫は爆炎に包まれる。慌てて左腕に構えた、無数の砲身を備える大型の艤装を盾にしたが、至近距離から20.3.cm砲連装砲四基の集中砲火を浴び続け艤装は大きく破壊され、ついにその場に膝を付くように崩れ落ちる。うっすらとほほ笑んだまま近づいた筑摩は、連装砲の砲口を駆逐古姫の後頭部に押し当てる。そしてそのままの姿勢で僅かな視線をビスマルクに送り口を開く。

 

 「ビスマルクさんが隙を作ってくれたおかげで全弾命中させられました。…動かないで、命令なので死なせませんが、死なない程度には撃ちますよ」

 

 駆逐古姫の微かな動きを見逃さず、躊躇なく警告する筑摩。そこに春雨が右腕を押さえ痛みに顔を歪めながら合流してきた。

 

 「ハ…ハル? ちょ、ちょっとどうしたのよ? …って折れてるじゃないっ!!」

 ふらりと自分の胸に倒れ込んできた春雨を抱き留めたビスマルクだが、その右腕が砕かれているのを知り愕然とする。

 

 軽巡棲姫(神通)の攻撃を避けられないと判断した春雨は、右腕で頭を庇い蹴りを受け止める。嫌な音と鋭い痛みに耐え吹き飛ばされないよう必死に両脚を踏ん張る。大技を繰り出した代償に、がら空きになった軽巡棲姫(神通)の脇腹に12.7cm連装砲をほぼ零距離から撃ち込み、春雨は斉射の爆風を利用して後ろに跳ぶ。

 

 低い姿勢のまま腹部を押さえ身構えていた軽巡棲姫(神通)は、暫しのにらみ合いの後、くるりと向きを変え逃走する。春雨もまた、そこからの追撃ができず、鹿島から送られてくるナビ情報を頼りに、最寄の味方へ合流した、という経緯だった。

 

 少なくとも春雨にこのまま戦闘続行させる訳にはいかない、ビスマルクはそう判断し、反論を許さない凛とした声で春雨に、そして筑摩に宣言する。

 

 

 「…春雨(ハル)はそこのクチクコキを拿捕してLST4001(おおすみ)に帰還しなさい。そしてアカシに治療してもらうのよ。分かったわね? さあチクマ、ついてらっしゃいっ! 機動部隊の連中を捕まえるチャンスは今しかないわっ!」




 色々盛り込んだために普段より文字数が2割ほど多いという始末です。最後までお読みいただいた方、ありがとうございます。


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80. 三の矢 -矜持-

 技本機動部隊と接触した南洲隊。立ちはだかる防空棲姫と必死の反撃に出る空母棲姫との戦闘。数に劣る南洲隊は、序盤の損害が響きはじめる。

 ※戦闘シーンでは艦娘(元艦娘の深海棲艦)同士が戦います。そういうのはちょっと、という方はブラウザバック推奨です。


 「コレハ一体…ほわいとあうと…耳モ聞コエナイ…キャアッ!!」

 よろよろと立ちあがったヲ級改flagship(飛龍)だが、バランスを取れず海面に顔から突っ込む。目の前で炸裂した二五〇kg爆弾を改造した馬鹿げた閃光音響弾(スタングレネード)。未だ暗さを濃く残す夜明け前を、一瞬で太陽を直視したよりも眩しい閃光で包んだ。さらに普通の二五〇kg爆弾が次々と爆発する重低音の轟音を上書きするような、耳というか三半規管を直接揺さぶるような超高音の激しいノイズ。この攻撃で視覚に聴覚、そして平衡感覚を奪われた。敵ながらまったく容赦のない攻撃に身の毛がよだつ。この状態で敵の第二波を迎え撃つことは不可能で、自分達四人はただの的になるしかない。

 

 「シッカリシナイサイヨ、一体ドウシタッテッテイウノ…息ハアルケド…」

 遅れて護衛に駆け付けた防空棲姫(照月)フラヲ(葛城)を抱きかかえ、ゆさゆさと揺さぶるが返事が無い。身体をざっと見れば、全体としては小破程度の損傷しかなく、なのになぜここまでぐったりしているのか疑問に思う。

 

 「…スマナイワネ…コノ感触ハ…雲龍姉サン…イヤ、防空棲姫カ…」

 

 こちらの問いに応えず、なぜそんな大声を出すのか、というほどの音量でフラヲ(葛城)が叫ぶ。声量の調整ができてない…耳をやられた? そんな彼女を注意深く観察しながら、防空棲姫(照月)は大鳳と連絡を取り何事かを報告し依頼する。そしてフラヲ改(飛龍)を助け起こしながら、空母棲姫(雲龍)の元へと向かう。堕天(フォールダウン)すると三つ編みがほどけ長いウェーブヘアをそのままにした、一般的に知られる空母棲姫とは違う雰囲気になる雲龍だが、ふらふらしながら何とか海面に立っている。

 

 「アナタハ比較的軽症ナヨウネ。…マダ、ヤレル?」

 「…ソウネ、ヤルワ。私ハタマタマ…運ガ良カッタダケ…」

 三人の空母の様子を見ていた防空棲姫(照月)は、フラヲ(葛城)空母棲姫(雲龍)に渡す。そしてまさに憤怒という表情で振り返り、名乗りを上げる。

 

 「ヨクモ…ヨクモコンナ仕打チヲッ! ココカラ先ハコノ防空棲姫ガ相手ダッ!!」

 

 戦闘の結果として感覚器に損傷を負う事は勿論ある。だが相手の攻撃は最初からそれを目的としたもの―――何とか轟沈させずに拿捕を狙うためスタングレネードを用いた南洲隊の意図は、抵抗の手段を奪い嬲り殺しにするための悪辣な作戦、防空棲姫(照月)の目にはそう映り、その感情を反映するように長大な砲身を背負った生物状の四体の艤装も、大きな口を開き一斉に咆哮する。

 

 

 「…面倒なのが護衛にいます。空母勢のうち一体はすでに回復途上のようですね。ですが二体は動けない様子、最後の一体はまだノビてますね。…どうします、ビスマルクさん?」

 長い黒髪を潮風になびかせながら疾走する筑摩は先頭をゆくビスマルクに問いかける。前衛の技本水雷戦隊との戦闘では、駆逐古姫と駆逐水鬼を鹵獲したものの春雨と羽黒が負傷撤退。高速修復剤を使って入渠を済ませ次第戦列復帰するとはいえ、現時点では秋月を加えた三名で対処しなければならない。

 

 「…いいわ、私があれを何とかしている間に、二人は空母勢を三体…無理でも押さえて欲しいわね。それが済み次第全速で撤退、殿(しんがり)はこのビスマルクが務めるわ…いくわよっ!!」

 

 空には本隊から分派された直掩隊が舞い、南洲隊の第二波攻撃に備える中、夜明けの太陽が全てを明るく照らし出し、さらに戦局は動き始める。

 

 

 

 「ビスマルクさん、筑摩さん、秋月さん、敵機動部隊に接触っ、これより戦闘開始っ! 現在敵の直掩隊が技本機動部隊(第二群)上空に展開中、こちらの第二波を警戒しています。…敵の抵抗を排除するにはやや手薄です、春雨ちゃんか羽黒ちゃんか、せめてどちらがいれば…」

 

 鹿島がきゅっと唇を噛みながら俯く。物量差、特に航空戦力の差から来る面制圧を避けるため、南洲と二人で立案した奇手を混ぜ込んだ速攻。彼我の能力を考慮に入れれば、前衛艦隊突破時点で損傷はあっても撤退はない、そう見積もっていた。だが実際は二名の拿捕と引き換えにこちらも二名一時撤退を強いられ、南洲隊としては大きな痛手となった。吹雪はすでに前進を始め翔鶴に合流しようとしているが、龍驤と翔鶴の航空攻撃ではオーバーキルになり、かつ砲撃戦に参加させる訳にはいかないため、現状で投入できる戦力がないものの引くこともできない。

 

 鹿島が矢継ぎ早に指示を出す傍ら、ほとんど頬がくっつくような距離でインカムマイクに南洲も指示を出す。

 「…済んだ事を言ってもしょうがないさ。ビスマルク、三名でも行けるか? やれるだけやってこい、やばかったら撤退しても構わん。だが命令だ、戦闘継続は中破までしか許さんぞ、いいな?」

 

 オペレーター席に座る鹿島に合せて中腰になっていた南洲は背筋を伸ばし、艦外監視用のモニターに目を向ける。そこには特殊な縛り方で縛り上げた駆逐水鬼を引き連れた羽黒と、棘鉄球(モーニングスター)のチェーンでぐるぐる巻きにした駆逐古姫を引きずる春雨が映っている。

 

 「テールゲート開放、羽黒さんと春雨ちゃんを収容しますっ! 明石さん、二人とも入渠が必要ですのでよろしくお願いしますっ。あとは…()()()をどうされますか、南洲さん?」

 

 

 

 駆逐艦と呼ぶにはあまりにも暴力的な4inch連装両用砲四基による火力を誇る防空棲姫。その相手にビスマルクが選んだのは『超近接戦闘』-艤装の防御力も破格に高い攻防一体の難敵、遠距離から挟叉しそこから命中弾を重ね行動不能に追い込むには時間がかかりすぎる。その間にスタングレネードで無力化した空母勢が復活すれば自分たちは蹂躙される。ならば生体部分にダメージを与え、力ずくで黙らせる-早い話が殴り合い。

 

 スタングレネードの一件で頭に血が上っていた防空棲姫は、自分に向かいビスマルクが突入してくるのを見て、同じように突進してきた。その機を逃さず、Anton(第一砲塔)Bruno(第二砲塔)を動かし発砲体勢に入ったビスマルクだが、撃ったのは海面だった。

 

 立ち上がる巨大な水柱にそのまま突入する羽目になった防空棲姫(照月)は一瞬ビスマルクを見失い、キョロキョロしている所に左脇腹に強烈な膝蹴りを受け吹き飛ばされた。以来、手を伸ばせば触れそうな距離に密着され、超弩級戦艦の力で振るわれる肉弾戦に晒されダメージが蓄積している。距離を取り砲撃戦に移りたくても、あまりにも相手が近すぎて砲撃体勢に入れない。相打ち覚悟、そう決心してぎょっとした。この距離ではお互い外すことはない、そして砲の威力からして相打ちに分が悪いのは自分だ。いくら強固な艤装を持つとはいえ、この至近距離で三八cm連装砲四基八門を斉射され続ければ持ち堪えられない。つまりどっちに転んでも、この距離では自分が不利になる。

 

 「シツコイッ、離レロッ!!」

 呼べば聞こえる距離に見える強い意志を宿した青い瞳。臆することなく視線をぶつけてくるビスマルクに両手首をそれぞれ掴まれ、両腕を頭上まで引き上げられた防空棲姫(照月)は忌々しそうに叫ぶ。

 

 「ならそうしてあげてもいいわよ」

 ぱっと手を離すと同時に右膝が腹筋につくまで脚を斜めに持ち上げ、間髪入れずに防空棲姫(照月)の腹部に強烈な蹴りを叩き込むビスマルク。身体をクの字に曲げながら海面を後退する防空棲姫(照月)に、蹴り終わりで着水した足でさらに踏み込み距離を離されないように追いすがり、強烈な打ち下ろしの右ストレートで顎を撃ち抜き脳を揺らす。これには堪らず防空棲姫(照月)が膝を付く。

 

 

 恨めしそうに見上げる防空棲姫(照月)だが、両脚ががくがくし言う事を聞いてくれない。

 「あんまりこういうのは好みじゃないけど、たまには、ね。悪く思わないでちょうだい」

 その言葉と同時に見舞われたもう一撃のストレートで、防空棲姫(照月)は行動の自由に続き意識を奪われた。

 

 

 

 視覚はぼんやりとだが戻り始め、その眼前に繰り広げられ光景は依然として輪郭が曖昧なまま。右耳はなんとか聞こえる程度まで回復した。それでも分かるのは、天城(自分の妹)が拘束され、自分の姉とも言える飛龍が拘束されようとしている光景。そして自分のそばでノビている葛城。

 

 「…アトデ必ズ…助ケルカラ…ゴメンネ」

 

 空母棲姫(雲龍)は無理矢理全艦載機を発艦させ突入させる。満足に制御できず、空中で衝突したり海面に突っ込んだりする機が後を絶たず、つくづく感覚器は重要なのだと分かったが、今は構わない、一直線にそこにいるだろう相手に突入させ、その間に葛城を抱きかかえ、覚束ない足取りでも逃走を図る。何とか母艦までたどり着いて入渠しなきゃ…。

 

 

 「被弾っ!? まだ……まだ大丈夫!」

 予想していなかった突然の空襲、しかも近距離から無茶苦茶に突っ込んでくる敵機に虚を突かれ、秋月が至近弾を受け体勢を崩す。それでも決然と空を見上げ、唇の端に滲んだ血を拳で拭い一〇cm連装高角砲を撃ちまくり、次々と敵機を爆散させる。十三号対空電探と組み合わされた九四式高射装置で制御される高角砲の狙いは極めて正確で、自分の防空圏に入った敵機は悉く撃ち落とすことに成功した。反面、爆撃も雷撃も関係なく闇雲に突っ込んでくるため相手の挙動の予想がつかず、ほとんど特攻まがいにすれすれまで接近しそのまま海面に激突する機が後を絶たず、普段より大きく回避行動を取ることを余儀なくされ、何とか逃れようと暴れる空母二人を拘束するため悪戦苦闘している筑摩と距離がかなり開いてしまった。

 

 「アキヅキ、回避っ!! 来るわよっ」

 

 唐突に飛び込んでくるビスマルクからの通信。一瞬何の事か分からず首を傾げた秋月だが、すぐに状況を把握した。遠弾とはいえ、巨大な水柱がいくつも立ちあがる。

 

 

 空には傘型に展開する直掩隊、その傘に守られるように前進してくる戦艦二人と重巡一人、その間には母艦と思われる現用艦艇とそれに続く輸送艦、さらにその後ろに正規空母が接近してくるのが遠目に見えた。

 

 水平線に煌めく発砲炎、黒煙の量と立ち上がる水柱の高さから見て戦艦の主砲に違いない。秋月はごくりと唾を飲み込み身構える。事前に聞いていた情報からすれば、技本艦隊に最後に残った正規空母は大鳳だ。搭載機数は多くないが最新鋭機を装備しているはず。でも何が何でも撃墜する―――。

 

 「何してるのアキヅキ、ついに敵の本隊が前進してきたのよっ」

 横合いから滑り込んできたビスマルクは、水の抵抗をブレーキにして秋月の眼前でターンを決め停止する。そのままの勢いで拘束した深海棲艦を秋月に向かって放り投げるが、その目は水平線から近づいてくる敵の本隊を見据えている。諸元情報の補正ができてきたのか、敵の着弾が徐々に近づいてくるが、ビスマルクは表情一つ変えず、むしろニヤリを口の端を歪めるように笑う。

 

 「その二人を連れて全速で撤退しなさいっ! ここは私が引き受けるからっ」

 「そ、そんなのっ。いくらビスマルクさんでも一人ではっ。秋月がお供しますっ!」

 

 初めてビスマルクが秋月の方を振り返り、優しい表情で手を秋月の肩に置き諭し始める。

 「忘れたの? 私たちの作戦目標は技本艦隊の拿捕よ。彼女達を救いたい、南洲はそう言ってたわ、私達はそのために戦っている。分かるわね、アキヅキ」

 

 喉まで言葉が出かかったが、秋月はそれを飲み込み、ただビスマルクの瞳を見つめ返し、大きく一つ頷く。防空棲姫は気絶しているが拿捕する手が足りず放置、筑摩がフラヲ改(飛龍)を、秋月はフラヲ(天城)を引き連れ主機を全開にして母艦に向け疾走を始める。そして振り返って叫んだ声は、期せずして秋月と筑摩で全く同じものだった。

 

 「「すぐ戻ってきますから。それまで絶対に無事でいてくださいっ」」

 

 

 

 潮風に金髪を預け、その姿を鮮明にし始めた敵の本隊に視線を送り続けるビスマルクだが、ふっと表情を緩める。

 

 「無事で、か…。気持ちはありがたいけどちょっと難しいわよ。でも、どんなにボロボロになっても私は必ず生きて、必ず南洲の元に戻る、それが私の誇りであり勝利よ。 さあ、ビスマルクの戦い、見せてあげるわっ」

 

 Anton(第一砲塔)Bruno(第二砲塔)Caesar(第三砲塔)Dora(第四砲塔)の四基の主砲が前方に照準を合わせ砲身が仰角を取る。静かに上げたビスマルクの右手がぴたりと止まった瞬間、導かれる様に周囲を揺るがす轟音と爆炎が砲口から上がる。

 

 

「Feuer!」

 



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81. 四の矢 -覚悟-

 孤軍奮闘で技本艦隊の本隊と戦うビスマルクだが、不利な状況に追い込まれる。この戦いを切っ掛けに、機動部隊同士が牙を剥き合い、南洲と敵指揮官の覚悟がぶつかる。


 「げほっ、ごほっ…やってくれるわね…。この程度でこのビスマルクを沈められとでもっ!」

 

 汗で頬に貼りつく金髪を煩わしげに払い、血の混じった唾を吐き捨てる。制服も至る所が破れ、露出している白い肌は血と汗と砲煙に塗れたビスマルク。震える膝を拳で叩き言う事を聞かせ、再び加速するがこれまでに受けた損傷のせいで気持ちが望むほどの速度が出ない。砲戦開始からどれくらい撃ち合っただろうか、比叡、霧島、高雄は堕天(フォールダウン)せず、艦娘のままの姿で戦闘を続けている。直掩に徹している大鳳もそうだ。深海棲艦化する事で飛躍的に向上する生体機能と艤装の能力、だが砲戦を繰り広げている三名は、依然として変容する気配を見せない。

 

 「…舐められたものね、後で泣いてもしらないからね」

 

 そもそもここまで砲戦に付き合わされることになるとは想定外もいい所だ。相手の戦力を漸減させた上で頃合いを見て撤退し相手を誘引、再出撃した部隊と合流し反転攻勢に出る、という筋書きだった。

 

 だが―――。

 

 回避運動を繰り返しながら悔しさに唇を噛むビスマルクは、自分が敵の戦術に追い込まれている自覚もある。戦闘というよりは狩り、そして獲物は自分。おそらくは母艦に座乗する相手の指揮官の策か。敵三人とも三〇ノットを超える高速艦のため、自分の速度の優位が生かせない。比叡の35.6cm砲と高雄の20.3cm砲が自分の機動を制約し進路を限定する。そこに霧島の41cm砲が狙い撃ってくる、というより霧島の射界に追い込まれる。Dora(第四砲塔)は使い物にならず、Bruno(第二砲塔)も損傷を受けている。正面火力は相手が圧倒的に上、足を止めた時点でゲームセットになる。

 

 「まるで『ライン演習作戦』の繰り返し…あの時は酸素魚雷なんて厄介な物がなかったから四〇〇発まで耐えたけど、今度はどうかしらね」

 

 ちらりと自分の左脚に目を向ける。グレーのニーソは大きく引き裂かれ火傷と出血が痛々しく、足元のショートブーツ様の主機も壊れるなど受けた雷撃の威力を物語る。

 

 「また来たっ!!…この子だけは堕天(フォールダウン)してるのよね」

 

 突入してくる相手に未だ健在のAnton(第一砲塔)を向け、目視のまま無照準で砲撃する。当たり前のように躱されまた退避される。戦場を大きく弧を描くように疾走しながら、隙あらば突入し雷撃を仕掛けてくる軽巡がさらに厄介な存在。一人だけ漆黒の衣装に真新しいフェースガードを付けた軽巡棲姫(神通)が、ジョーカーとしてこの戦場を掻き回す。いったん距離をとって体勢を立て直したいが、すでに足は奪われている。

 

 

 

LST4001(おおすみ)・出撃デッキ―――。

 

 下ヒンジ式の艦尾門扉が着水し、左右にゆったりと波を作る。門扉の内側に設けられたカタパルトレールに、四名の艦娘が足を乗せ主機の回転を上げ始める。

 

 「頼むぞ」

 

 出撃する艦娘を見守る大柄の男性ー槇原南洲は、両手を刀の柄にかけたまま一言だけ呟く。返事の代わりに大きく頷いたりサムズアップで応えるのは羽黒、筑摩、秋月、そして龍驤。春雨は装備換装を済ませ吹雪の代わりに母艦防衛に回ることになった。筑摩と秋月の報告で既に状況は把握している。現状ではただビスマルクが追い詰められているに過ぎず、作戦を中断してでも絶対に救う。

 

 

 加速しながら海面に向かいそのままの勢いで一気に最大船速まで到達し北上する四人の艦娘を見送ると、南洲は出撃デッキの壁面にある内線でCICに連絡する。

 

 「鹿島、LST4001(おおすみ)も前進し翔鶴の後衛に入る、主機全開っ」

 

 

 

 「やれやれ…葛城も雲龍も人間なら重度の後遺障害を残す所でしたよ。よかったですね、艦娘…いや深海棲艦? まあどちらにせよ、これだけの重傷でも入渠で治るのですから。…なんです大鳳? そうですか、やはり第二波を送り込んできましたか。ドイツの姫君を囮に使うとは相変わらずの無頼漢振り」

 

 技本艦隊の母艦となるDDH-144(くらま)。既に退役しモスボール処理されていた艦を技本が裏から手をまわして入手、本来搭載ヘリの運用に用いるための後部甲板と格納庫は艦娘用の出撃スペースとして、艦娘の運用に必要な装備を加え母艦として運用されている。

 

 「よろしい大鳳、予想通りでしたね。あなたには敵第二波を迎え撃つ栄誉を授けましょう。さあ、私に聞かせてください、空が哭く音をっ!」

 

 DDH-144(くらま)の格納庫の上に立ち、両腕を空に向かい広げ叫ぶこの男、大湊警備府を隠れ蓑に北方海域で深海棲艦化部隊を強化し、事が露見した後も軽巡棲姫(神通)を伴い脱走、その際に南洲を負傷させた仁科大佐である。

 

 

 ビスマルクもまた異変に気付いた。自分を追い詰めていたはずの敵艦隊が慌ただしく後退し、新たに出撃した二人の堕天(フォールダウン)した空母娘を含めて輪形陣を組み始める。艦娘四と深海棲艦の歪な組み合わせながら、空母三、戦艦二、重巡一、軽巡一に守られる母艦と輸送隊、そして―――。

 

 意識を取り戻し、獣じみた咆哮とともに突進してきた防空棲姫(照月)に、至近距離から4inch連装両用砲の集中砲撃を叩き込まれ、右脇腹、つづいて右脚を撃ち抜かれた。一言短い悲鳴だけを残し堪らず海面に崩れ落ちたビスマルクは、先ほどのお返しとばかりに蹴り飛ばされる。

 

 「…………フンッ」

 

 殴られた右頬を大きく腫らしたまま吐き捨てるように一言残し、防空棲姫は本体に合流し、前衛を務めるようにやや離れた位置に立つ。

 

 その様子を双眼鏡越しに眺めていた仁科大佐は、気の毒そうな表情で胸に左手を当て、首を左右に振る。

 「哀れな姫、あのような無様な姿に…いえ、単騎でよくここまで戦ったというべきでしょうか…。私の元に来てさえいれば、DID(解離性同一性障害)発症の徹底的な実験を施したのですが。全ては夢幻、せめてもの手向けに、介錯は私がして差し上げましょう」

 

 かつての南洲も有していた能力-艦娘の艤装を部分的に使える仁科大佐は、腰にマウントされた基部から延びるフレキシブルアームに接続される、長大な砲身を備えた41cm連装砲塔を動かすと、砲身が俯角を取り、依然として動けないビスマルクに照準を合わせる。

 

 「―――これもまた愛」

 「大佐、CICにお戻りください。来ます」

 

 短い、そして緊迫した通信が大鳳から届く。一瞬だけ考え込んだ仁科大佐は、ビスマルクに目もくれず格納庫の上を端まで歩くと、ふわりと飛び降り柔らかく後部甲板に着地する。そして立ち上がると、振り返らずいつも通りくいくいと腰をいれながら歩き格納庫の中へと消えてゆく。

 

 

 

 その間にも、南洲の命令で発進した航空隊が姿を現す。翔鶴を発艦した、二一機の烈風改に守られた、村田隊長率いる三四機の天山一二型と一二機の流星改。翔鶴の航空隊は、本来敵本隊を痛撃するための切り札だった。龍驤のアウトレンジ攻撃と水上打撃部隊の反転攻勢で敵を足止めした所に叩き込む止めの刃だが、ビスマルク援護のため南洲は迷わず翔鶴に全機発艦を命じた。

 

 大破し海面に豊かな金髪を広げ仰向けで横たわるビスマルクは、次々と自分を飛び越して敵本隊へと進む航空隊をぼんやり眺めていたが、ハッとする。作戦概要は自分もよく理解している、だからこそ無理筋の状況でも引き受け、敵本隊を釣り上げようとした。だが今は、思う様に体を動かせず、弱々しい涙声で届かぬ空に呼びかける。

 

 「だめよ南洲……どうして…? …そんな…私のため、なの?」

 

このタイミングで正面から敵本隊に仕掛ける事の意味-自分を救うために作戦を変えてでも軍を動かした男への想いが溢れたせいか、自分のせいで作戦を変える事で部隊を一か八かの勝負に追いやった悔しさか、ビスマルクは両手で顔を覆いながら泣き続けていた。

 

 

 空を舞う七八機の六〇一空仕様の烈風を見送り、右手のクロスボウを撫でながら大鳳は呟く。

 

 「この編隊を見たかったの」

 「大鳳、呼びましたか?」

 

 不意に仁科大佐から入った通信に、変態違いです、と思わず途中まで口にしかかって慌てて口を塞ぐ大鳳。堕天(フォールダウン)しないのかできないのか、大鳳は依然として艦娘の姿のままだが、左手の薬指に光る指輪を見れば極めて高練度の艦娘な事は間違いなさそうだ。

 

 「おかしな子ですね。それよりも効率的に迎撃を頼みますよ。おそらく槇原南洲は先鋒にして、後続の大湊・単冠湾の二部隊の到着まで我々を足止めし出血を強要する捨石。それがここで全力攻撃に出てきたという事は、そろそろ、と言う事なのでしょう。さっさと潰して敵本隊に備えますよ。ここをしのげは我々の勝ちです。鹵獲されたDIDモデル達を取り返し、改めてハワイを目指します」

 

 宇佐美少将と石村中将、そして南洲の連携作戦に備えていた仁科大佐も只者ではないが、南洲が宇佐美少将の命令に逆らってまで技本艦隊の拿捕を目指している事はまで理解できていなかった。南洲がこのタイミングで全力攻撃に出た理由はただ一つ、ビスマルクを守る、それだけである。

 

 そんな仁科大佐ではあるが、実は内心この作戦に疑問を感じている。ハワイを押さえる事でアメリカを太平洋から締め出す…浄階様の戦略眼は時間が止まっておられる-。中臣浄階が不世出の技術者であることは疑う余地が無い、だが彼は軍人でも政治家でもない。それでも事態がここまで来た以上、道は前にしかない。

 

 「…私は自分の役割を全うする事に集中しましょう。さあ頼みましたよ、大鳳」

 

 曖昧な笑みではい、と頷く大鳳。別に変態が好みという訳ではないが、どうしても仁科大佐を放って置けず、きっとこの人を理解できるのは自分だけ、そういう気持ちになってしまう。指輪に軽く口づけてから、改めて空を見上げ右手を前方に振り出し宣言する。

 

 

 「旗艦大鳳、全艦に命じます、これより殲滅戦に入りますっ! 雲龍と葛城は敵空母と随伴部隊の殲滅、私は母艦直掩、比叡さんと防空棲姫(照月)は対空防御、霧島さんと高雄さんは対空防御に当りつつ、敵の水上部隊突入の際には軽巡棲姫を伴い迎撃をお願いしますっ!」

 

 

 

 拿捕した四人の深海棲艦は、ロックチョーカーで機能制限を加えた上で入渠ドック直行となった。空母娘二人と駆逐古姫は依然入渠中。そして今、CICの南洲宛てに明石が、古紫色のセミロングの髪を左側でサイドアップにした、白の半袖シャツだけを彼氏のやつ借りちゃった的に着て、大きく破れた胸元を気にしつつシャツの裾を押さえている金色の瞳の艦娘を伴い訪ねてきた。

 

 「………」

 何で着替えさせなかった、の意を込めて南洲は明石にじろっと視線を送る。すぐにその意図に気が付いた明石が言い訳気味にわたわたしながら説明を始める。

 「あー、えっとですね…。その駆逐水お、ああいえ、そちらの方ですが、入渠の途中で突然パニックになって走り出しちゃったんです。夜が怖い、とか言いながら…。で、追いかけて宥めて、隊長の元にお連れしたという訳です」

 

 「あの…質問してもいいでしょうか?」

 おずおずと萩風が遠慮がちに口を開く。

 

 「私は陽炎型駆逐艦一七番艦、大本営技術本部付実験艦隊所属の萩風です。その…なぜ私はこんな所にいるのでしょうか? この恰好からすると、私は中破しちゃったみたいですね…。この部隊は現在戦闘中のようですが、どちらの所属でしょう?」

 びしっと敬礼の姿勢を取る萩風だが、はっとして破れた胸元を慌てて隠す。萩風の姿は艦娘以外の何物でもなく、羽黒と戦った駆逐水鬼とは到底思えない。翔鶴とは異なり、堕天(フォールダウン)時に主人格と副人格が完全に入れ替わり、双方の記憶は共有されていないようだ。つまり、萩風は自分が深海棲艦化するということを理解していない可能性がある、

 

 「…俺達は今の所大本営艦隊本部付査察部隊、俺は隊長の槇原南洲特務少佐だ。君は戦闘行動中の本艦に保護された。申し訳ないが、戦闘が終わるまで大人しくしていてほしい。…後は明石、頼んだぞ」

 

 君は深海棲艦に堕天(フォールダウン)する艦娘で、自分たちは君の所属部隊と戦い拿捕しようとしている、とは流石に言えなかった南洲は、曖昧に回答し萩風の世話を明石に任せると、鹿島が唖然とするような事を言い出した。

 

 

 「さて、と…。鹿島、LCACの発進準備進めてくれ。俺と春雨(ハル)でビスマルクを拾ってくる」

 



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82. 私たちの戦場

 いよいよ混戦模様の技本艦隊VS南洲隊。敵の熾烈な航空攻撃に晒されながらも粘り強く戦う南洲隊だが、徐々に劣勢に追い込まれる。待つ事も司令官の役割と思い知らされた南洲は、矛盾に身を焼きながら決断する。


 艇の後部に配置された4翅の推進用シュラウド付大型プロペラは全力運転、合成風とガスタービンエンジンの齎す轟音とともにLCACは戦闘海域を高速スラロームを続ける。回避運動中の羽黒と筑摩の間を抜け、秋月と吹雪の対空砲火で撃墜され落下してくる敵機を避け、前へ前へと突き進んでゆく。

 

 艇の右側前部にある操縦席には春雨が、左側前部の見張所には萩風がそれぞれ座り、ビスマルクの元へと急行している。最大船速の70ノット近くを維持したまま、海面を跳ねるように進むLCACを春雨は巧みに操船する。大破とは言えビスマルクが今の所健在なのは確認済み、一刻も早くと気は逸るが、戦場はそれを容易に許してはくれない。

 

 『春雨さんっ、右前方から雷撃機三接近中!』

 「了解ですっ!」

 鹿島からのアラートを受け、急転舵で雷撃を躱すLCAC、シートベルトをしていても春雨の体は激しく揺らされる。特殊作戦群時代、南洲と二人だけで活動した過程で身に付けた車や小型艇の操縦の腕前は、人間を遥かに凌駕する感覚器や反射神経の恩恵で一級品とも言える。そして見張所の萩風が叫び、春雨からも緊張した声で通信が入る。

 

 「…見つけたっ! ビスマルクさん、今行きますからっ」

 「南洲、ビスマルクさんは萩風ちゃんが連れてそちらに戻ります。私は…神通さんとちょっとお話があるので、少し遅れますね」

 

 

 

 当初南洲は自ら出撃すると強行に主張していた。LCACなら、現在地点からビスマルクの位置まであっという間に到達できる。だがすでに敵の攻撃隊は展開しており、10分もあればこちらの直掩隊と戦闘が始まるだろう。幾らLCACの足が優れていても航空戦が繰り広げられる戦場を突っ切るのは自殺行為以外の何物でもない。鹿島は必死に状況を説明し南洲の出撃を引き留めようとするが、気が逸っているのかまったく聞く耳を持たない。

 

 「さて、と…。鹿島、LCACの発進準備急いでくれ。今ならまだ敵の空襲も何とかなるだろ」

 

 鹿島がさすがに大きな声を上げようとした時、その隣に座っていた春雨が立ち上がり南洲に近づく。長い薄桃色の髪を揺らしながら、修復が済んだ右腕の調子を確かめるように肩をぐるぐると回すと、にっこりと花が咲くような笑顔を浮かべながら、二人の長い関係で初めて春雨が南洲を痛烈に非難した。

 

 「…南洲、私たちは、貴方が待っている、そう思うから必ず帰ってくるんです。どんなピンチでも、貴方の事を思い出して強くなれるんです。貴方は確かに人の枠を少しだけはみ出してる存在です。でも、本気でその刀と銃だけで深海棲艦化した艦娘と渡り合えると思ってるの? 私たちの戦場には、貴方が入り込む余地なんかありませんよ。もしかして私たちの事、馬鹿にしてるのかな? それとも信用してくれてないのかな?」

 

 そこまで一気に言い募ると、春雨は俯いて肩を震わせながら大粒の涙をぽろぽろ零す。南洲はひっぱたかれた様な表情になり、ただ泣きじゃくる春雨を呆然と見ていた。そして近づいてきた鹿島がそっと春雨を抱きしめ、柔らかいが断固とした口調で南洲に告げる。

 

 「春雨さんの言う通りですよ。貴方は軍令に逆らってまでも深海棲艦化した艦娘を救いたい、そう言いました。そして私たちは貴方のためだけに戦う事を選びました。なら、その結果がどうなるのか、最後まで見届けてください。海は私たちの場所です、そして貴方という港に帰ってきますから」

 

 

 CICを沈黙が支配する中、泣き腫らした目のまま南洲を見つめる春雨と、柔らかい表情で春雨の髪を手櫛で整える鹿島。目を伏せていた南洲が再び顔を上げ、決然とした表情で静かに、そしてはっきりと言い切る。

 

 「春雨(ハル)、鹿島、済まなかった。改めて頼む、ビスマルクを連れて、必ず帰ってきてくれ。」

 

 春雨は満足そうに頷き、鹿島もほっとした表情に変わる。気持ちを切り替えたように、南洲はあれこれ指示を出していたが、ふと気配を感じ、CICの入り口を振り返る。その視線の先には、明石と萩風が立っていた。

 「隊長、どうしても萩風さんがお話があると言って聞かなくて…」

 

 躊躇いがちな口調で説明をする明石、その前にずいっと乗り出してきた萩風はすでに着替えを終えていた。部隊に陽炎型が配属されていないため予備の制服は無く、体型に合う制服、いや制服と呼んでいいのかは微妙だが、春雨のミニスカメイド服の予備を身にまとった萩風が、左手を胸に当てながら必死に訴える。

 

 「えっと、隊長とお呼びすればいいですか? こちらの部隊の方の救出が必要な状況なんですね? 助けていただいたお礼といっては何ですが、私にも協力させてくださいっ!」

 

 

 

 「翔ちゃんっ、来るでっ! こっからが正念場やっ」

 

 空母棲姫とフラヲを発進した大編隊が空を埋める中、輪形陣の中心にいる翔鶴は長い銀髪を風になびかせながら目を閉じていた。味方の攻撃隊は待ち受ける七八機もの烈風を相手に苦戦を強いられ、そして敵本隊を発進した攻撃隊がついに牙を剥きはじめる。

 

 まるで踵をきちんと納めるように、靴状の主機に覆われた足を軽く持ち上げ、とんとんと海面を爪先で叩く。左右同じように繰り返した翔鶴は、依然静かな笑みを崩さない。龍驤の直掩隊、そして秋月と吹雪を中心とし羽黒と筑摩も加わった対空砲火網は技本機動部隊の攻撃隊に損害を与えたが、全てを止められる訳ではない。輪形陣外縁が雷撃隊の侵入を防いでいる間に、急降下爆撃隊が翔鶴に迫る。

 

 「翔鶴さん、敵機直上っ! お願い、当たってください!」

 

 吹雪が必死の形相で振り返り、急降下爆撃隊に対空射撃を加えるが間に合わず、投弾を許してしまったが、その全ては海面を叩き水柱を上げるだけに終わった。続く第二第三の敵編隊も突入するが、結果は同じ。捉えられたかに見えた翔鶴は、軽やかな身のこなしで直撃弾コースの投弾を悉く躱し切る。

 

 「隊長…あんな事を男性にされたのは初めてで…。緊張しましたが、今は新しい自分になったような気持ちです」

 

 頬を紅潮させながら翔鶴が呟き、満足げに胸当てに手を添え、何かを思い出すように目を閉じる。再び目を開け、今度は自信に満ちた表情で迫りくる敵の編隊に高角砲を撃ちながらも、回避の足は一切止めない。

 

 「「「はあっ!?」」」

 

 相互リンク中の通信に乗って翔鶴の発言が一斉に部隊中に広がり緊張が走る。当の翔鶴はぽかんとした顔で言葉を重ねる。

 

 「補強増設の話なのに、どうして皆さんそんなに興奮してるのでしょう?」

 

 もう一つの南洲の手-各拠点で需要が多く四つしか集められなかった補強増設ユニット。俗に「穴を開ける」と言われるこの増設を、南洲は春雨、羽黒、ビスマルク、そして翔鶴の四名に行った。改良型艦本式タービンと新型高温高圧缶を装備した翔鶴は、航空戦力の低下を最小限に抑えつつ速度区分は『最速』となり、全艦娘最速を謳われる島風に迫る驚異的な回避性能を手に入れている。技本機動部隊の空襲は続き、翔鶴に急降下爆撃隊と雷撃隊が絶え間なく迫り、執拗に攻撃を繰り返す。だがその全ては水面を滑る様に踊る様に、長い銀髪を陽光に煌めかせる翔鶴に回避された。

 

 「ほえー…翔ちゃんやるなあ。やっぱあれか、初体験は女を変えるっちゅーしな」

 いったん収まった喧騒が龍驤の煽り文句で再燃し、収集の付かない会話を続けながらも南洲隊は粘り強く戦う。だがそれでもやはり限界はある。執拗な攻撃の前に少しずつ、確実に被害が増えてゆく。

 

 翔鶴の回避能力を隠し球に敵の航空攻撃を空振りさせる事は一定の成功を見たが、南洲としてもこんなリスキーな作戦は本意では無い。しかし相手を拿捕する大前提、組み止められた速攻、大破したビスマルクの回収…この状況で取らざるを得なかった一か八かの手だが、数的不利がいよいよ重くのし掛かってきた。

 

 

 「はい、CIC…。あ、明石さん。はい…そうなんですね。ちょ、ちょっと待ってください」

 不意に飛び込んできた工廠からの通信を鹿島が受け、戸惑い気味に南洲に伝言する。

 「あ、あの…南洲さん、拿捕した他の三名も目を覚ましたそうです。そ、それでですね、飛龍さんが妙な事を言って興奮状態のようなんです、『ウェダを守らなきゃ、槇原()()を避難させて』って…」

 南洲の顔色が変わる。その地名、そして自分のかつての階級を知ってるということは―――。

 

 血相を変え工廠に駆け出す背中を見送った鹿島は、背もたれに深く身を預けため息を付く。

 

 「はあ…思い出って美しすぎても辛すぎても、心が縛られちゃうんですよね…」

 

 

 それは昔話。ハルマヘラ島ウェダ-かつて南洲が司令官を務め、大本営の思惑により味方の手で襲撃され、惨劇とまで呼ばれる最後を迎えた基地。そこには第三次渾作戦の実施に先立ち二航戦の二人が配属されていた。蒼龍は舞鶴鎮守府の現秘書艦として、そこの司令官と手を取りあいながら未来へと向かっている。だが飛龍はウェダの惨劇以来行方不明のままだった。

 

 何年かぶりの再会をこの状況で果たした南洲と飛龍。だが、まるで今現在ウェダが襲われているかのように敵勢力や規模、避難状況などを矢継ぎ早に捲し立てる飛龍。この状態が重度の戦時性PTSDであり、堕天(フォールダウン)は、技本がそれを利用した事を語っている。

 

 -身体は艦娘と深海棲艦を、心は過去と今を行き来してるのか。それでも司令官は俺のまま…。よせ、何を考えてる?

 

 この局面で飛龍が戦列に加わる意味は大きい。同時にそれは、記憶の混乱を利用して戦わせることだ。それでも、飛龍の力があれば皆を救える…南洲は血が滲むほど唇を噛み締め俯いていたが、うっすらと涙の滲んだ眼で飛龍に語りかける。

 

 

 「航空迎撃戦の真っ最中で押され気味だ………出撃してくれないか?」

 

 飛龍は無言のまま微笑み、とんっと胸を軽く叩き鉢巻を締め直すと、甲板に向かい駆け出して行った。その背中が見えなくなると、南洲は工廠の壁を思いっ切り叩き叫ぶ。

 

 「クソがあーーーっ! 俺は中臣や仁科と何が違う? やってる事は同じじゃねーかっ!! 飛龍、春雨(ハル)…俺はお前達に何をしてやれる?」

 

 答えのない慟哭を続ける南洲を、明石は何かを伝えたいような目で見つめるしかできずにいた。

 

 

 

 「空母戦なら、おまかせ! どんな苦境でも反撃してみせます‼」

 

 LST4001(おおすみ)の全通甲板上、風を受けながら飛龍が細身の弓を引き絞る。黄橙色の上着に深緑色の丈の短い袴を履いた姿で、指矢の射法で次々と矢を放つ。敵の攻撃隊は、背後から突如現れた熟練の零戦二一型の編隊に襲撃され、恐慌を来たしながら離脱を試みる。飛龍の零戦隊と龍驤の烈風改、さらに濃密な対空砲火に挟まれた技本の攻撃隊は、壊滅に近い被害を受ける事となった。



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83. ターニングポイント

 飛龍を含む堕天した艦娘が元に戻れる可能性がある。だがそれが同時に意味することは-。一方で因縁深い春雨と神通が迎える最後の戦い、そしてこの戦闘にも転換点が訪れる。


 工廠の壁に凭れる南洲は天井を見上げながらも、どこを見る訳でもなく視線を彷徨わせていた。そんな南洲に、明石がおずおずと小さく右手を上げながら発言の許可を求める。南洲から返事は得られなかったが、明石は意を決したように話を始める。

 

 「えっとですね、隊長…大湊警備府の工廠付きだった私がこの部隊に配属されたのは宇佐美少将の強い意向があったからです。私はもともと技本のエンジニアとして、解離性同一性障害(DID)を利用した堕天(フォールダウン)後の艦娘、脳に手を入れ船魂を収納する仮想領域を作った仁科大佐のような特殊な方のメンテナンスとカウンセリングを担当していました」

 

 そこまで言うと、胸元に手を入れごそごそと動かし、首にぶら下げた医療資格者であることを示すライセンスカードを取り出し南洲に示すが、視線さえ合わせてもらえない。明石は意を決したように南洲に近づき、励ますように手を握り話し始める。

 

 「結論から言います。時間はかかりますが、解離性同一性障害(DID)は治療できます。副人格(EP)の多くはPTSDにより解離します。ならそのPTSDを寛解させることで、EPが存在する理由を消失させ主人格(ANP)への統合を緩やかに促すことが可能ですっ! その意味では、解離状態の飛龍さんを戦闘に参加させたのは英断でした。彼女は今、隊長と元の所属基地を守るつもりで戦っています。この戦闘の勝利は飛龍さんにとって物語の完結になり、上手くいけばEPがそのまま消失、またはカウンセリングが可能な状態まで改善するは―――」

 

 そこまで言い、言葉を途中で呑み込んだ明石は心底失敗した、という表情を見せ青ざめる。今自分が治療過程を力説した南洲は、他ならぬDID患者、しかも副人格である。明石は図らずも南洲がどう消失するのか、そのプロセスを解説した事実に気付き、項垂れてしまった。

 

 「勝利が特効薬、ねえ。戦場は生き物だ、勝ち負けは終わるまで分からんさ。…それでも、たとえ結果論だとしても、飛龍や他の深海棲艦化した艦娘が良くなる可能性がある、それを教えてくれたことに一応礼は言っておくよ」

 

 初めて南洲は明石の目を見据え静かに答えると、ゆっくりと握られた手を離すと歩き出し立ち去る。背中越しに呟いた明石には届かない言葉を残して。

 

 「………物語の完結で消失する副人格、このまま何かを恨み、怒り続けることだけが()の存在理由なのか」

 

 大湊で知った事実-負の情念の象徴とも言える副人格の自分。それでも一個の人格として立ち止まらず前に進もうとした。だがそれも主人格の南洲(ヨシクニ)が目覚めるまでの仮初めの生なのか? 自分の存在を確かめるように、左手を何度も握ったり開いたりしていた南洲だが、そのまま歩みを進める。

 

 

 

 場面は変わり、時間も少し遡る。

 

 上空を技本機動部隊の攻撃隊が、翔鶴を中心とする南洲隊の中核へ向かい航過してゆく眼下で、春雨と軽巡棲姫(神通)は対峙していた。軽巡棲姫は、技本艦隊の本体から離れた遊撃として、ビスマルクの救出に向かってくるであろう相手を倒すため遠巻きに周囲を警戒していた。案の定現れたLCACに攻撃を仕掛けようと急接近した所で、操縦席から飛び降り着水した薄桃色の髪のミニスカメイド服の艦娘。ぴたり、と動きを止めにらみ合いが始まる。その間に艇から降りてきたもう一名の艦娘が、ビスマルクを回収しLCACに再び乗り込むと猛スピードで立ち去っていった。艇の後部に配置された4翅の大型プロペラが巻き起こす強風で海面は激しく波立ち、一瞬だけ風に巻かれた髪が軽巡棲姫のフェースガード越しの目を塞ぐ。

 

 ほんの一瞬だけ離した視線、次に見た海面にはにらみ合いの相手は存在しなかった。軽巡棲姫は唾棄しながら、見失った相手の攻撃に備え左腕の大型の艤装で体の前面を庇いながら全周索敵を行う。

 

 -上ッ!!

 

 複数の砲門を備えた艤装で覆われた右腕をかざし砲撃する。空中でできる姿勢の制御など多寡が知れている、にやりと微笑んだ軽巡棲姫だったが、すぐにその表情が、と言ってもフェースガードから見える口元だけだが、忌々しげに歪む。空からは焼け焦げ千切れたメイド服の破片がふわりふわりと舞い降り、目の前には白い襟元と袖口、そしてスカートの裾に赤いラインをあしらった黒地のセーラー服を着た春雨が迫る。一瞬の隙に、早着替えのように脱ぎ捨てたメイド服を軽巡棲姫の頭上に舞わせ囮とし突入した春雨。バックブローのように左腕を振り大型の艤装を叩き付けようとした軽巡棲姫だが、春雨は急停止から強引に横っ飛びに左に動いたかと思うと再び突入してくる。

 

 それを先途に激しく位置を入れ替え砲撃体勢に入ろうとする二人。急減速と急加速を繰り返すストップ&ゴーで相手を翻弄し優位を占めようと激しく動く春雨に対し、その動きを読み切った様子で軽巡棲姫は最小限度の動きで常に春雨を正面に捉えようとする。

 

 「ソノ動キハ昔ウェダデ散々見マシタ。懐カシイデスネ」

 「都合のいいことだけウェダの事を思い出さないでほしいのです、はい」

 

 春雨がすうっと目を細める。その表情を見た軽巡棲姫(神通)もまた、苦い表情に変わる。

 

 -ソノ仕草、司令官トソックリ。

 

 それは南洲が真剣になった時にする表情。軽巡棲姫、いや神通の脳裏にフラッシュバックする過ぎ去った、そして取り戻せない時間-大きなキャンプ場のようだったウェダ基地、静かな美しさを湛えていた秘書艦の扶桑、時間を切り取るように写真を取り続けていた青葉、ムードメーカーの蒼龍、仲間思いの五月雨…誰のせいであの時間が永遠に失われたと思ってる? 貴方は春雨じゃない、駆逐棲姫デショウ? 自分ト同ジ側にいるベキ存在なのニッ!! ナゼ自分だけのうのうと司令官の傍に居続ケテルノッ!?

 

 神通の感情に呼応するように、左腕の艤装、四連装魚雷発射管の下にある巨大な歯を備えた口が大きく開かれ咆哮する。そして今度は神通から動く。一瞬だけ溜めを作り、左足の一歩目で距離を潰すように一気に踏み込み、続けざまに体に引き寄せた右膝、そこに溜めた力を開放する。最小限度の動きで最短距離を飛ぶように紫電の速さで迫る右前蹴り。辛うじて蹴り脚の外側に沿う様に回り込み避けた春雨だが、蹴りの衝撃で制服の上着のお腹の部分は引き裂かれ、スカートの左上部も千切れている。背中に背負った煙突型の艤装の左中央部にも真一文字に亀裂が入っている。

 

 何とか躱したもののその威力の相殺は十分にできず、そのまま弾き飛ばされる…かに思われたが、春雨は水面を水切りの石のように低い軌道で跳び、神通の背後に着水する。蹴り足を躱す刹那、棘鉄球(モーニングスター)のチェーンを神通の足に絡ませ短く保持していた春雨。蹴り脚が引き戻されるのに合わせチェーンもまた振り回され、遠心力で同じように春雨も神通の元へ高速で引き寄せられる。

 

 着水と同時に間髪入れず春雨が流れるように動く。チェーンが絡んだ右足首を引っ張り上げ、同時に左脚の膝裏に前蹴りを一撃。これでバランスを崩された神通は前のめりに海面に顔面を叩き付けそうになる。そのまま背後にのしかかる様に腰に膝蹴り、体を支えようとした右腕を捻り上げ、両足首と右手首を雁字搦めにチェーンで拘束する。

 

 「グッ、ガアアアアアッ!!」

 

 左肩を強引に外して無理矢理艤装をこちらに向け砲撃しようとする神通。その頭と腰を踏みつけて立ち上がった春雨は、左腕の12.7cm連装砲B型改をゼロ距離で弾薬が尽きるまで打ちつくし艤装を破壊する。海面に顔を押し付けられもがき続けていた神通だが、人型として現界した限界、呼吸が続かずにそのまま意識を手放すこととなった。

 

 「右腕の次は左肋骨…結構痛いです、はい。…あんな事望んでなかった、そう言いましたよね? 貴方がそうやって自分を責め続けて立ち止まっていた間、私と南洲はそれが暗闇でも歩き続けていました。神通さん、貴女だけには私や南洲の事を語ってほしくないのです、はい。…それでも、南洲は『深海棲艦化した艦娘を救いたい』、そう言いました。貴女も、その一人です」

 

 痛む左脇腹に顔を顰め、ずり落ちそうになるスカートを気にする春雨。逆海老反りの状態で両手首両足首を棘鉄球(モーニングスター)のチェーンで拘束した神通を、海面を引きずったまま全速力で母艦へと帰投する。

 

 

 

 「こちらの攻撃隊はほぼ壊滅、軽巡棲姫も拿捕…寡兵にして奇手を駆使するその戦術、なかなかどうして粘りますね、槇原南洲。私の目算が甘かったことを素直に認めましょう。大鳳、前進しますよ。砲戦で正面から押しつぶします」

 

 技本艦隊の母艦となるDDH-144(くらま)のCICで、インカムに向かい旗艦の大鳳に状況を確認するのは指揮官の仁科大佐。それを受けて大鳳が艦隊の状況を報告する。

 

 「敵攻撃隊はほぼ撃墜しましたが、当方損害は空母棲姫(雲龍)が大破、葛城と防空棲姫(照月)が中破、比叡さん小破、霧島さんと高雄さんは損害軽微。…大佐、後続が来ない所を見れば、先ほどの航空攻撃が切り札だったのでは? とすれば、敵には十分な戦力が残っていないと思われます。損傷したみんなを一旦収容し、高速修復剤を併用して入渠し再出撃すべきと意見具申致します」

 

 薄暗いCICで顎に手をあて少し考え込んだ仁科大佐は、ふむ、と一つ頷くと大鳳に返事をする。

 「いいでしょう、窮鼠猫を噛むとも言います。万全を期す、としましょう。…ところで損害報告に貴方は含まれていませんが、大鳳、大丈夫なのですか?」

 「私は…はい、大丈夫です。心配してくださってありがとうございます」

 

 

 

 技本艦隊が整備のため動きを止めたこの時間、大鳳を除く艦娘達が母艦へと戻るため集結し始める。その様子を虎視眈々と狙っている四隻の潜水艦娘達-宇佐美少将の要請で、トラック泊地の司令官が遠征名目で派遣した伊19(イク)伊26(ニム)伊8(はっちゃん)、そして伊168(イムヤ)-がこの戦場のジョーカーとなる。

 

 「狙ってくれって言ってるようなものなの!」

 

 南洲達が独自行動に入る、そう宣言した際、南洲は彼女達四名に所属基地への帰投を強く勧めていた。遠征の名を借りた現海域の哨戒が任務とのことだったが、すでに技本艦隊の動向はキャッチしている、これ以上彼女達が危険な戦場に留まる必要はない-南洲の言葉に対する彼女達の返事は明快だった。

 

 『それもそうなのね。指示に従うのね』

 

 主語が無くても成立する日本語の会話。その言葉を、南洲は自分に対する物と思い込んでいた。だが伊19(イク)達にとってはトラック泊地の司令のことであり、その背後にいる宇佐美少将の命を意味したものだった。

 

 

 そして今、四人から技本艦隊目掛け雷撃が加えられようとしている。



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84. 凪のち嵐

 独自行動を取っていたトラックの潜水艦隊の雷撃を皮切りに、ついに戦場に到達した大湊と単冠湾の部隊が牙を剥き、技本艦隊が追い詰められ始める。一方、殆どの艦娘が疲弊した南洲隊は、部隊の立て直しを余儀なくされる。


 「よしっ、多門丸、見ててくれた? 私、ウェダを守り切ったよ!」

 LST4001(おおすみ)の全通甲板に、まさに仁王立ちで空を見上げながら往時の司令官に呼びかける飛龍。細身の和弓を持つ左手を脱力したように下げ、目元にうっすら浮かんだ涙を右手の人差し指で拭う。その顔は何か抱えていた重しを手放したような、すっきりとした、落ち着いた笑顔を浮かべている。

 

 「よぉし…あれ? 私、何でこんな所に………?」

 駆け出した足がぴたりと止まる。見渡せば広がる大海原、そして自分は大きなフネの甲板に立っている。何かがおかしい。仁科大佐の指揮の元、技本機動部隊の一員として抜錨した。目標がハワイだと言う事も覚えている。黎明攻撃を受け、強引に直掩隊を発艦させたことも。でも、なぜ? なぜ他国の領土へ侵攻するのか? なぜ自分はそれを不思議に思わなかったのか? そもそも今自分はどこにいて何をしているのか?

 

 明石の指摘通り、ウェダの惨劇を契機に誕生した飛龍の副人格は、形を変えながら南洲を守り切った事に満足し消失した。そして唐突に現実に放り込まれた主人格(飛龍)は、おおすみの甲板に呆然と立ち尽すが、海風と波は何も答えてくれなかった。

 

 

 

 「全員よく聞け、今のうちに後退しておおすみに合流しろ。現況は痛み分けって所だが、正直分が悪いな。龍驤、被害状況を知らせてくれ。ああ、それとだ、ビスマルクは回収、LCACでこっちに向かっている。あとはもう一名拿捕に成功した」

 

 CICに戻ると、鹿島をそっと抱き起した南洲はインカム越しに全員に呼びかける。龍驤から返ってきた答えに、南洲は眉根にしわを寄せ苦い表情になる。大破::吹雪、秋月、中破:羽黒、龍驤、小破:翔鶴、筑摩。これに加え軽巡棲姫(神通)を激闘の末拿捕した春雨が再び中破、一人敵の本隊の足を止める奮戦を見せたビスマルクも大破。敵の第二波が来た場合の防御は翔鶴の航空隊に頼るしかない状況だが、幸い敵の攻撃が止んでいる。今のうちに、全員を一旦帰投させ入渠と補給を済ませなければ。そうこうしている間に、南洲の腕の中で、青ざめた表情の鹿島が目を覚ます。

 

 「…ご、ごめんなさい南洲さん、ちょっと疲れていただけというか…。それよりも、技本艦隊が総攻撃を受けていますっ! 奇襲雷撃、多分潜水艦だと思いますが、それを皮切りに、北西方向一二〇kmに航空隊を確認、方角から見て大湊の部隊と思われます。そして北方約五〇kmから大型艦三を中心とする単冠湾の部隊が突入しています…南洲さん、このままだと…」

 

 索敵用艤装を現用電子兵装に接続する事で無理矢理能力を上げていた鹿島は、代償として大きな負荷を脳に掛け、出航前の接続試験や慣熟訓練で綺麗な顔を歪め吐き戻す事も多かった。その負荷に耐え続け技本艦隊に劣勢ながら挑んだ戦闘、飛龍の件で南洲が席を外した時点で、ついに気力の限界を超え意識を失うまで、鹿島は全力を超えた自身の能力をつぎ込んでいた。

 

 

 翔鶴隊が直掩に回り部隊を護衛しつつおおすみへと急ぐ横を、危なっかしい操船で猛スピードのLCACが駆け抜けてゆく。

 

 「ぶわっ! 頭っから被ってもうたやん! びしょびしょやー」

 「やだっ! スカートが風で…」

 大破した秋月を支える筑摩と同じように吹雪を支える龍驤。すぐそばを駆け抜けていったLCACの生む風と波をまともに受ける事になり、それぞれびしょ濡れになりながら口をとがらせ文句を言う。一方、翔鶴と支え合う羽黒は小首を傾げ不思議そうな表情で呟く。

 

 「LCAC、誰が操縦してるのでしょう? 春雨ちゃんは軽巡棲姫と戦っていたんですよね?」

 

 

 

 南洲達が第二波を警戒しながら収容作業を急いでいた頃、技本艦隊もまた同じ考えで行動していた。ただ唯一の違いは、トラック泊地から遠征の名目で派遣された潜水艦娘達に狙われていること。母艦で整備を受けるため移動を開始した、程度の差はあれ損傷を受けている技本艦隊本隊。潜水艦の天敵・軽巡洋艦と駆逐艦はおらず、大型艦艇が無防備に集結しつつある。技本艦隊の本隊で唯一の駆逐艦は駆逐棲姫(照月)だが、防空特化仕様のためソナーを装備していない。

 

 「確実に母艦を沈めるわよ」

 「逃・が・さ・な・いー!」

 「スナイパー魂が滾るのね~」

 この四人のうち、三人は往時の戦争で輝かしい武勲を持つ生粋のスナイパーである。ミッドウェー海戦で飛龍の反撃に大破した米空母ヨークタウンに止めを刺した伊168(イムヤ)、一回の雷撃で正規空母一、駆逐艦一を撃沈、新鋭戦艦一を三か月に渡り戦線離脱させた伊19(イク)、米空母サラトガを大破させた伊26(ニム)。残る伊8(はっちゃん)は、第二次遣独潜水艦作戦に参加し唯一無事に帰国した経験を活かし、トラックからハワイまでの長距離遠征を無事成功に導いた。

 

 そして二〇本を超える酸素魚雷が技本艦隊に向かい放たれる。

 

 

 「これだけの時間第二波が来ないという事は、やはり大鳳の言う通り敵の航空戦力を潰したのかしら。私の分析でも―――」

 眼鏡をくいっと軽く持ち上げながら空を睨む霧島は、艦と大鳳の前に位置取り、言葉とは裏腹に警戒を続けている。

 

 「じゃあみんな、私先に母艦に上がります。私が手伝うから、急いで乗船してください」

 DDH-144(くらま)の後部甲板の両舷には外部昇降ラッタルが用意されている。乾舷の高いくらまに南洲隊が運用しているカタパルトレールの設置は難しく、普通にラッタルを上り下りして発進と収容を行う必要がある。損傷した四人が次々と乗船し、やっと安どの表情を浮かべた霧島がラッタルに向かおうと背を向けた瞬間、眼鏡のレンズの裏にきらりと反射光が差した。はっとして振り返ると、正確な数を数えている暇はないが一〇本に近い魚雷が水面近くを猛烈な勢いで迫ってくるのが確認できた。

 

 「大鳳っ、狙われてるぞっ!! 雷撃だっ!!」

 

 問い返すこともなく即座に反応した大鳳はクロスボウを構え空に撃ちだす。まさに奥の手として取って置いた六〇一空仕様の流星だが、この局面で躊躇わず空に放つ。

 

 「…ごめんなさい妖精さん、くらまを守るのに力を貸してっ。大佐っ、早く回避してくださいっ!」

 悔しそうに唇を噛みながら叫ぶ大鳳の目に、海面に向かい機銃掃射を続けながらそのまま魚雷目がけて突入してゆく流星の姿が焼き付く。次々と魚雷が爆発し水柱が上がる。

 

 「まだ来るっ! 時間差を付けてるのっ!? 金剛型を舐めないでっ!」

 霧島が自身の耐久力を頼りに自らの体で魚雷の射線を塞ぎ、次々と直撃を受ける。水柱と炎、爆煙が霧島を包みその姿を隠してゆく。くらまの後部甲板では海面に飛び降りようとする防空棲姫(照月)を、後ろから羽交い絞めにして高雄が押さえ込んでいる。

 

 爆煙をかき分けるように大鳳が霧島に近づき、小さな体で必死に霧島を支え母艦に戻ろうとする。

 「大鳳――――っ!!」

 後部甲板から叫ぶ比叡の声に大鳳が気づいた時には、自分のすぐそばまで魚雷が迫っていた。当る-思わず目を閉じた大鳳の体は大きく揺さぶられ、強い痛みが体に広がり霧島を支える手を思わず離しそうになったが何とか持ち堪えた。

 「不発…? た、助かったわ…」

 「フ○ーック! サーック! サノ○ビーッチ!! 水雷部隊の排除、これが真の狙いか槇原南洲ぅぅぅうううっ! 潜水艦隊の接近を助けるために、自分の部隊を囮に使ったという訳ですか。これで完全に大湊と単冠湾の部隊に追いつかれましたね。輸送隊は三隻が被雷し大破…モドキ(積荷)を健在な艦に移乗させなさい。…はっ! 大鳳、大鳳っ! 無事ですかっ、返事をしなさいっ!」

 

 南洲隊とトラックの潜水艦隊は全くの別行動だが、仁科大佐にそれを知る由もなく、連携作戦にしてやられたと激しく毒付いている。その間にもくらまは左舷に緩やかに傾いていた。母艦にまで届いた潜水艦娘達の牙だが、食いちぎる事まではできなかった。くらまの懸命の回避運動でいくつかの魚雷は躱され、一本だけが船体と水平にわずかに接触し左舷喫水線下を削っただけだった。往時の艦艇ならいざ知らず、比べれば紙のような装甲しかないくらまの船体には亀裂が入り浸水が始まったが、それでも応急処置に成功したようだ。そんな状況にも関わらず、滅多に聞かない慌てた声を上げた仁科大佐。自分の事を心配してくれている…少し目を潤ませながら、大鳳が恥ずかしそうに答える。

 「はい、大佐っ。私は無事です、魚雷一本くらいではこの大鳳、沈んだりしませんっ。で、でも…サイハイソックスとスパッツが破れてしまい、その…お尻が少しすーすーするというか…」

 

 「それはいけませんね。スパッツは私が今履いてるものを貸しましょう。早く上がって来なさい」

 

 霧島が目を点にしながら思わず大鳳を眺める。赤らめた頬を両手で挟みニヤニヤを堪える大鳳の姿に、掛ける言葉を失う霧島だが、それでも一言だけ絞り出す。

 「…嬉しいんだ、あれが…」

 

 

 「…おおっ大鳳、何という姿に…。早く入渠なさい、戦闘はまだ続きますよ」

 

 ヘリ格納庫を改修した特設工廠まで降りてきた仁科大佐は、戻ってきた艦娘達のメンテナンスの陣頭指揮に当っていた。そして一番最後に、お互いを支えるように後部甲板に上がってきた霧島と大鳳を見るなり、仁科大佐は一直線に大鳳へと近づいてゆく。

 

 見守る艦娘たちを余所に、見つめ合い手を握り合う仁科大佐と大鳳。

 

 「さあ、決戦です。入渠が済み次第順次発艦しなさい。大鳳は照月と葛城を率いて大湊の攻撃隊を迎撃、霧島は比叡と高雄を伴い単冠湾の部隊と砲雷戦です。雲龍はそちらに付けます、状況に応じて攻防いずれでも用いなさい」

 

 慌ただしく艦娘達が動き出す。すでに整備補給が済み外部昇降ラッタルへ向かう比叡と、急ぎ入渠しようとする霧島を呼び止め、仁科大佐が声を掛ける。

 「霧島に比叡、貴方がたの相手は石村中将麾下の単冠湾部隊、戦術も装備も堅実さを重視するタイプです。砲戦距離は三〇〇〇〇、くらま(母艦)との絶対距離は三五〇〇〇で相手を足止めしなさい。あなた方は十分強いですが、いざという時は…構いませんよ。出し惜しみしてる時ではないでしょう」

 

 不敵な笑みを残し、片や海へ、片やドックへ急ぐ霧島と比叡。仁科大佐のいう“出し惜しみ”が堕天(フォールダウン)を指すことは二人には暗黙の了解である。

 

 そして戦場は最終局面へと駒を進め始める。



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85. 強く儚い者たち

 偽らざる思いが生む変化、諦めにも似た覚悟が支える決意。最終局面、あくまでも査察部隊として南洲は技本艦隊に対峙する。

(20170419 サブタイ変更)


 「南洲、お前たちのお蔭でかなり優位に事を運べそうだ。何だかんだ言って俺の意図を分かってくれたようだな」

 

 ストレッチャーと共に駆けつけた明石、CICを離れる事を拒む鹿島、それを説き伏せるのに忙しかった南洲には、スピーカーから飛び込んできた声が耳障りなノイズにしか思えなかった。飛び込んできた強制通信の主は、南洲の上司でもある宇佐美少将。ハワイ攻略作戦の阻止のため同じ相手と戦いながらも、立ち位置の差が明らかになり、南洲は抗命罪覚悟で自分の信念に従った行動を取った。にも関わらず、結果的に宇佐美少将の掌で演出通りに踊らされた事を否応なしに思い知らされた。

 

 

 技本艦隊の艦娘達を拿捕し、保護したい南洲。自分の部隊の艦娘達に手を汚させないため相手の指揮官は自分が乗り込み捕縛、()()()を証拠として技本の闇を暴く。

 

 技本艦隊の艦娘達を可能な範囲で拿捕し、諸外国や大本営内の別派閥との取引材料にしたい宇佐美少将。相手の指揮官や抵抗を続ける艦娘、()()()は自軍の艦娘の手で殲滅する。

 

 

 ここに至る過程や経過に今の所大きな齟齬はない。だが最終目的が恐ろしく異なる。南洲の無言を同意と受け取ったのか、機嫌よさ気な声で宇佐美少将は話を続ける。

 

 「お前の部隊も結構な損害を受けたようだな。後は心配いらない、俺と石村中将に任せておけ。敵の指揮官もろとも残りの艦娘もモドキも殲滅する。抗命云々だが、まあ何だ、十分な戦果もある事だし、戦場での高揚感が感情的な発言に繋がったとして、この通信を以て譴責したことにしておく。だが次はないぞ、南洲……南洲? おい、聞いてるのか?」

 

 依然として返事をしない南洲に、宇佐美少将が不審げな声を掛ける。ようやく、南洲が重い口を開く。

 

 

 「なあダンナ、俺のように自分の手で人を殺した事はあるか? 命を絶つ感触…慣れないけど麻痺するんだよ。いや、忘れたいから、覚えていたくないから心が拒絶するんだ。そして人を殺すってのは自分を殺すって事だと、いつの頃か気が付いた。それでも許せないヤツはいる。こんな矛盾した俺でも、傍にいてくれる連中がいて、俺を光の指す方へ引っ張って行くなんて張り切ってるやつまでいる。笑っちゃうよな、あまりにも純粋で。守るべき人間(モノ)や仲間に手を掛ける…そんな下ろせない重荷を艦娘達に背負わせたくないんだ」

 

 肺腑を絞るような南洲の悲痛な思いであり、紆余曲折と呼ぶにはあまりにも数奇な道を辿った男がたどり着いた一つの答え。それはドロドロと生臭く、言葉尻一つで執拗に相手を追い込む様な政治周りが主戦場の宇佐美少将にとって、あれだけの血腥い経験を経ても南洲がそう言える事に対し、お前も十分純粋だがな、と思わせる言葉。それゆえに何だかんだ言いながら宇佐美少将は南洲に目を掛けていた。彼もまた、軍政を預かる将官としての計算高さと現実主義と、秘書艦の大淀が惚れる人情味の両方を使い分ける男でもある。

 

 「…南洲、よく聞け。すでに大湊の部隊による航空攻撃と単冠湾の部隊の突入が始まっている、敵艦隊との戦闘はこっちに任せておけ。敵の抵抗を無力化した後、一時間だけやる、お前とお前の部隊には敵母艦の臨検及び敵指揮官の捕縛を命じる。時間内に母艦を制圧できなければ攻撃を再開し技本艦隊を殲滅する、いいな」

 

 顔が見えないのは勿論知っている。だが南洲は驚きに満ちた目でスピーカーを見つめてしまう。再び通信が入った。

 

 「堕天(フォールダウン)した艦娘の処遇は…そうだな、複数の選択肢を検討してみるさ。誤解するなよ、最も効果的な対応を追求するだけだ。南洲、敵の司令官は前大湊警備府司令官の仁科大佐だ…心して掛かれよ」

 

 

 

 その頃、単冠湾泊地部隊-旗艦日向以下伊勢、山城、阿武隈、電、響は、技本艦隊の母艦くらままで三五km前後で足止めをされ、逆に自部隊までは約三〇kmまで接近され、技本艦隊の打撃部隊と撃ち合いを演じていた。阿武隈率いる水雷戦隊が砲撃の間を縫い懐に飛び込もうとしても、海からは中盤を支える高雄に牽制され、空からは後衛を務める雲龍が航空攻撃を仕掛けてくるため、今の位置からの前進が阻まれている。

 

 戦艦棲姫(霧島)と比叡は対照的な戦いを繰り広げる。前者は駆逐艦に屈強な腕を取り付けた巨獣のような艤装で砲撃に耐えながら、16inch三連装砲二基六門、12.5inch連装副砲の一斉射撃で単冠湾部隊を襲う。一方比叡は高速戦艦の名に恥じず巧みな機動で敵に的を絞らせず、要所で的確な射撃を加え続ける。

 

 「ふむ、指示通りの距離で上手く足止めしていますね。雲龍、位置情報を知らせなさい」

 くらまの後部甲板に立つ仁科大佐は、腰にマウントされた基部から延びるフレキシブルアームに接続される長大な砲身を備えた41cm連装砲塔を動かし、雲龍からの情報に従い照準を合わせ砲撃体勢に入る。仁科大佐が指定した三五km、それは単冠湾部隊の最大射程距離を超え自身の四一cm連装砲の射程距離の内。自身を戦力に加味したアウトレンジ戦-それが仁科大佐の戦術だった。

 

 「作戦を邪魔し、部隊を傷つけてくれたお礼をしなければなりませんね。これは霧島の分っ!!」

 山城のやや遠くに水柱が上がる。遠弾だが狙いは悪くない。

 

 「これは大鳳の分っ!」

 日向が挟叉される。旗艦が挟叉を受けた事で単冠湾部隊に緊張と混乱が走る。

 

 「そして…これはスパッツの分っ!!」

 伊勢が直撃弾を受け、交通事故にあったかのように水面を大きく転がりながら弾き飛ばされる。

 

 

 

 「…現在、大湊の航空隊と単冠湾の打撃部隊が猛攻を加えているが、技本艦隊はしっかり持ち堪えているようだな」

 「仁科大佐ヲ甘ク見ナイデクレル? アノ人ハ優秀ナ指揮官ヨ、貴方ナンカ足元ニモ及バナイワッ!」

 

 南洲が目の前に居並ぶ艦娘達に状況の説明を行い、憮然とした表情で駆逐古姫(神風)が南洲の言葉尻を捕まえて噛みつく。珍しく筑摩と秋月が顔色を変え、非難めいた視線を送る。揶揄された南洲は、唇を歪めて笑い、皮肉めいた口調で返す。

 

 「どれだけ優秀か知らんが、アイツはお前たちを実験材料にし、挙句に他国への侵攻に利用した。そんな奴の足元に及ばなくてありがたい事だな。まあいい、今のお前と議論しても始まらん。明石、悪いが頼む」

 「は、はいっ」

 

 居並ぶ艦娘達とは、部隊の面々だけではない。安定剤を投与され医務室で眠っている鹿島、入渠が長引いてるビスマルク、抵抗が激しく拘束を継続している軽巡棲姫(神通)を除き、拿捕した技本艦隊の艦娘-萩風、駆逐古姫(神風)、天城、飛龍も含め、LST4001(おおすみ)に乗艦しているほぼ全員が食堂に集まっている。明石はプロジェクターに情報を映し出す。

 

 「えっとですね、今からお見せするのは翔鶴さんの彩雲と龍驤さんの二式艦偵からの情報を3Dモデリングで表示したものです。リアルタイム処理ができないため、更新にタイムラグが出るのはご容赦ください」

 

 画面にはゲームのように簡素化されたデザインながら各艦娘や各艦、各機の特徴を捉えた3Dモデルがちょこまかと動き回っている。

 

 「現在、北西方向から突入した大湊の航空隊を大鳳さん、葛城さん、照月さんが迎撃中です。双方被害が出ていますが、技本艦隊が優勢のようです。一方で北方から突入してきた単冠湾部隊ですが、こちらは霧島さん比叡さん高雄さん、さらに雲龍さんと交戦中です」

 

 萩風と天城は視線を交し合い不安そうな表情を浮かべ、飛龍は心ここに在らずといった風情、唯一駆逐古姫(神風)だけが誇らしげな表情を浮かべている。その様子を眺めていた南洲は暗然とした表情になり、明石の話を思い出す。

 

 『入渠時に行った各種検査の結果、技術応用の多彩さが興味深い…すみません、そういう事じゃないですよね。飛龍さんや神通さんはPTSDを利用した解離性同一障害(DID)方式、萩風さんと天城さんは、MKウルトラやサイコトロニクスの発展的手法が用いられた“自分は堕天した”という強力な洗脳(マインドコントロール)です。神風さんはその混合型でしょう。情緒的説明になりますが、堕ちる度合いがより深くより強力な深海棲艦化を狙えるのがDID方式です。ですが現在は安定性と管理の容易さから洗脳方式が主流になっている事が窺えますね』

 

 「コレダケ寄ッテ集ッテ攻メ立テテモ技本艦隊(私達)ヲ沈メラレナイノ?」

 駆逐古姫の勝ち誇ったような言葉に、吹雪が席を立ち反駁する。

 「私達はそんなつもりで戦っている訳じゃありませんっ! これ以上、こんな戦闘を続けちゃいけないんですっ!」

 前のめりで反論しようとする駆逐古姫の言葉を遮り、南洲が問いかける。

 

 「…お前達、ハワイ攻略と聞かされて何の疑問も抱かなかったのか? あれから何十年経ってると思ってる?」

 

 それは、おそらくほとんど全ての艦娘が心の奥底に秘めている思い-どこからやり直せばあの国に勝てるのか? 戦後に生まれた者にすれば、どこまで遡っても勝ち目はない戦争だった。だが国と国民を護る事が存在意義だった軍艦(フネ)と軍人の想念が現界した艦娘達に、洗脳(マインドコントロール)でハワイ攻略への疑問を奪う。その刷込み(インプリンティング)は麻薬のように浸透したことだろう。自我も時間も曖昧になり、往時の渇望を下敷きにした悲しい願いに支配された。

 

 南洲の言葉に衝撃を受けたような表情を見せる技本艦隊勢。青ざめた、といっても元々青白い表情の駆逐古姫(神風)は、それでも何か言い返そうと必死に言葉を探すうちに涙目になってきた。慰めるように守るように駆逐古姫を抱きしめる萩風と天城。すっと黄橙色の上着を着た艦娘が立ちあがり南洲へと近づいてくる。

 

 

 「司令官…私は今の自分がどこの所属で、何のために北太平洋にいるのか、誰と戦った結果でここにいるのか、ぜーんぶ思い出しました。これじゃ多門丸に顔向けできません。反逆罪で解体ですよね、あはは、は、は…。でも、またいつの日か艦娘になるなら、今度は最初から槇原司令の元がいいな、う…ん」

 

 目に涙を一杯に溜めながら、それでも精一杯笑顔を南洲に見せる飛龍。我に返り自分の立ち位置を冷静に判断すると、どう考えても自分達のした事は反逆罪でしかない。それでも、捕縛されるなら南洲がいい、全てを受け入れるように飛龍は微笑み続けようとする。

 

 「飛龍さんっ」

 堪らずに羽黒が飛龍の元に駆け寄る。その声にはっとした表情で振り返る飛龍が、羽黒の顔を見て堪えきれずぼろぼろと涙を流す。この二人と春雨、そして軽巡棲姫(神通)は、元々南洲の部下としてウェダ基地で苦楽を共にしてきた。そして多くの視線が南洲に集まる。すうっと息を吸いこんだ南洲は、決然とした表情で告げる。

 

 

 「大湊と単冠湾が連中の無力化に成功した後、俺達は敵母艦の臨検及び敵指揮官の捕縛に取り掛かる。仁科大佐の数々の不法行為による()()()の多くは保護に成功した。忘れるな、俺達は全ての艦娘の権利のための即応部隊、艦隊本部付査察部隊MIGOだっ!」

 



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間章 りこれくしょん-5
86. 姉の想い、妹の決意


 間章その5-数奇な運命を辿る扶桑と、心の傷から再び立ち上がる山城。二人の心中を通して描かれる、胸に秘めた思いとは。今回は出撃する決意を固めた山城の目を通した風景。


 技本艦隊の追撃戦が開始される前まで時間は遡る―――。

 

 

 

 単冠湾泊地に期間限定で派遣され着任した私は、執務室でぽつんと待ち続けている。提督の石村中将は作戦直前で慌ただしく動き回っていて、着任の挨拶さえ満足にできなかった。『ちょっと待っててくれ』と言い残しそのまま執務室を後にしてしまい、秘書艦の雷はその中将の後をぱたぱた付いて回っている。

 

 「やっと辿りついたら待ちぼうけ………はあ………不幸だわ」

 

 ソファーに座りながら室内を見回す。大湊も冬は寒かったけど、択捉島はもっと寒いんでしょうね。二重窓で気密性の高い窓と暖炉、そして壁に付いている床暖房用の操作パネルが冬本番の寒さを物語っているようだ。きょろきょろ室内を見回していたけれど、やっぱり暇を持て余す。私は立ち上がり、提督の執務机の後ろにある窓まで歩いてゆく。薄曇りの空の下に広がる港、その先に続く鉛色の波荒い海。

 

 「…………………」

 私は無言で振り返り提督の机に視線を泳がせる。石村中将の忙しさを反映するかのように、やや乱雑に、取りあえずで整理したような机上。ふと平積されたファイルの中で、中身の紙がはみ出ている一冊に気付いた。そして、そこに書かれた名前を見た瞬間に息が止まりそうになった。

 

 「………扶桑、姉様? どういうこと?」

 いけないとは知りつつ、私は震える指先を伸ばしてファイルを机から取り上げると、最初のページから読み始める。私は知らなかったけれど、これは宇佐美少将から石村中将に送られたレポートで、技本の裏の顔や槇原少佐率いる査察部隊に関する内容らしい。

 

 

 槇原 南洲(まきはら よしくに)

 大本営艦隊本部付査察部隊隊長、階級は特務少佐。かつてニューギニア戦線で行われた渾作戦のためハルマヘラ島ウェダに設置された前線基地の元司令官。軍上層部と対立した結果、ウェダ基地は味方の手で攻め滅ぼされ、自身も右腕と右眼を失うなど瀕死の重傷を負い、艦娘の生体組織と分霊を移植する生体実験の被験者として奇跡的に生きながらえる。現場復帰後は諜報・特殊作戦群に所属し暗殺を中心とした汚れ仕事に春雨を伴い従事した。改組新設された査察部隊の隊長に就任、複数の拠点での不法行為を摘発するなど実績を上げる。凄惨な現場を生き残った代償として解離性同一性障害(DID)を発症、現在表出している人格は第三人格の『南洲(ナンシュー)』。

 

 これって、あの少佐の…。次のプロフィールへと進む。

 

 白露型駆逐艦五番艦 春雨。

 現査察部隊秘書艦役。棘鉄球(モーニングスター)を特殊装備に有する。パラオ泊地から旧ウェダ基地へと転属後、秘書艦として南洲と基地を運営する中で彼を慕う様になる。参謀本部から無謀な作戦遂行を強要され、窮地に陥った南洲のため第二次渾作戦に参加したがマノクワリ沖で戦没。その後駆逐棲姫として再び現界しウェダ基地に帰還。ウェダ戦には、大本営が派遣した連合艦隊相手に単艦で挑み駆逐艦四隻を大破させるなど大暴れ。因果関係が特定できた最初の堕天(フォールダウン)艦であり、瀕死の槇原南洲の治療を条件に技本の研究に協力、DIDによる人為的堕天の実用化に力を貸した結果となる。メイド服を着用する料理上手で駆逐艦にしてはいいモノをお持ち。

 

 最後の一文が意味不明なんですが。次のプロフィールへと進むと、表情がこわばったのが自分でも分かる。これ、姉様の…。

 

 扶桑型戦艦一番艦扶桑。

 槇原南洲に移植された艦娘。佐世保鎮守府から旧ウェダ基地へと転属。佐世保での経験で着任当初は心を閉ざしていた。南洲や他の艦娘と出会い、少しずつ心を開き明るくなり、同時に南洲への思慕を自覚する。第二次渾作戦では強行突入部隊の支援に動けず、春雨撃沈の報に接し自責の念を強める。それを契機に、お互いに依存するように南洲と関係を持つ。その後二代目秘書艦として、かつ練度の関係で正式なものではないが、南洲から指輪を受け取る。ウェダ失陥後、南洲と春雨奪還のため基地攻略部隊と交戦し大破、技本に連行される。南洲の復帰後は彼に宿る超常の力として現界していたが、現在は南洲の刀に宿る霊力としてのみ存在。愁い顔の美人で超弩級なモノをお持ち。

 

 妙に特定部位に目を向けた不思議なプロファイルね、一体誰が書いたのかしら。ここまでファイルを読み進んだ私は、それ以上先に進むのが怖くなり、元あったようにファイルを提督の机に戻す。胸に手を当て何度も深呼吸をする。呼吸に合わせて胸が大きく揺れ、当てた掌に早鐘のように鼓動が伝わる。さらっと()()()の事が触れてあるけど、あれはこんな簡単な言葉で言い現せるものじゃないわ。何となく扶桑姉様を侮辱された様な気になり、私は物言わぬファイルを厳しい視線で一瞥すると、再びソファーへと戻る。

 

 「………まだ来ない。はあ……帰ろうかしら」

 言葉でそう言ったものの、軍令で派遣された身としてはそんな勝手な事ができるはずがない。それにしても、何がそんなに忙しいのか知らないけど、ちょっと待たせすぎじゃないかしら。両手を上げ背筋を大きく伸ばす。思わず声が漏れる。

 

「 ん~~~~~~って…ひゃあああっ!!」

 

 反射的に手をおろし、体を守るように前かがみになる。誰っ!? 背中越しに私の胸を触るのはっ!! 制服をまとう細い手が私の着物の袷の中に入り込んでいる。

 

 「хорошо(ハラショー)、この胸肉は力を感じる…。けれど、そんな風にされると手が抜けなくて困ってしまうな」

 

 言うほど困ってなさそうな声ね。あっ、そこは…。私は小さな手から逃れるように、体をひねりながら立ち上がる。振り返った目の前には三人の駆逐艦娘がいた。やっぱり牛乳なのでしょうか、と思案顔の電。そこ問題じゃないから。両手をじーっと見つめながら何かを確かめるようにわきわきする響。私の着物に手を入れてきた犯人ね。だから暁も、こっそり耳打ちして「おっきかった?」とか聞かないの、見たまんまよっ。

 

 「あ、あのっ…。大変お待たせしてしまったのです、山城さん。これよりガンルームへご案内するのです」

 両手で胸を隠すようにした私は、ジト目で三人を眺める。何よ、広い場所で私を弄ぼうっていうの? はあ…ふこ…へ? ガンルームっていうことは出撃ってこと?

 

 「提督と雷は、新知島の監視から引き揚げてきた部隊の入渠と補給、装備換装の手配で忙しくてね。だから私たちが迎えにきたんだ」

 表情を変えずに響がそう告げ、すたすたと歩き出し、暁がそれを追う様に急ぐ。はわわわと私と姉妹を交互に見ていた電は、私にぺこりと頭を下げ、一緒に来てください、と手を取る。

 

 

 

 「おお山城、済まなかったな、せっかく来てくれたのにロクに相手もできず。よし、これで全員揃ったな。いいか、これより我々単冠湾部隊は、大湊警備府の部隊と演習を行う。大本営令により作戦行動は禁止されている今、我々は練度を維持すべくここに大規模演習を行う事を決定した。大湊の指揮は宇佐美少将が取り、演習海域は北太平洋、航路指定はこちらから行うが合流地点は…おそらくミッドウェー島周辺海域と見込まれる。編成は日向を旗艦とし、以下伊勢、山城、阿武隈、響、電の六名。艦隊速度は山城に合せ二四ノットとする。山城はほぼ主機全開となるが、我慢してくれ」

 

 今まで放置されたと思ったら、いきなり命令を下す石村中将。にしても、私、演習のためにわざわざ派遣されたのかしら…。きっと表情に不満とか不信とか、そういう感情が出ていたのかしら。雷を膝に乗せかいぐりかいぐりしている石村中将は、不意に表情を引き締め驚くべき事を語り出す。

 

 「…とまあ、この辺は建前でな。山城、我々は技本艦隊を追いかける。この連中こそ、お前の姉の扶桑、その指揮官であり夫でもあった槇原南洲を手に掛けた挙句に狂気の実験を行った連中だ。そしてお前が父と慕った芦木中将殺害の実行犯でもある。北方から水上打撃部隊の我々、北西から大湊の軽空母機動部隊、そしてすでにミッドウェー沖に展開中の槇原南洲率いる部隊、三方向から技本艦隊を挟撃する。山城、これはお前にとって姉と父の仇討ちでもある、しっかり頼むぞ」

 

 私以外、すでに作戦目標は伝達済み、ってことね。自分でも表情がこわばり青ざめているのが分かる。技本が扶桑姉様とお父様の仇…それは間違いない。きっと以前の私なら、この言葉に促されたかもしれない。

 

 でも…でも…違う。

 

 あれは大湊防衛戦。槇原少佐に扶桑姉様が宿る愛刀を渡すため手にした時、姉様が私に流れ込んできた。そして分かったのは、扶桑姉様は本当に槇原少佐との時間に幸せを感じていた事。そして誰も恨んでなんかいないし、むしろ少佐が復讐のため自分の全てを黒く塗りつぶしていた事に心を痛めていた事。少佐に宿る姉様の力を少佐が振るうほどに、その力が彼自身を歪めてゆく。だから姉様は少佐の呼ぶ声に心を閉ざすようになった。でも…トラック泊地での戦いで、再び少佐の声に応えた姉様は、瑞鶴を堕天(フォールダウン)から救うのと引き換えに霊力を大きく失った。少佐の刀に宿っているのは、扶桑姉様の霊力というよりは、記憶とか想い。刀に宿る、というより刀に宿る事しかできない。それでも姉様は、想い人のために在り続けようとしている。

 

 知ってしまった私は、姉の名誉のため、どうしても言わなきゃならない事がある。

 

 「扶桑姉様は…仇討なんて望んでいません。そんな理由のために、私は戦えない…そんなの…不幸だわ。でも、私は姉様とお父様の想いに応えるため、槇原少佐を守らなきゃ…だから…」

 

 

 芦木中将(お父様)の教え子でもあり、扶桑姉様に幸せをくれた人。私が心から大切にしていた二人が心から心配している人を守る、それ以上の理由は、私にはいらない。

 

 

「扶桑型戦艦山城、出撃します!」

 



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87. 折れない刀

 間章その5-数奇な運命を辿る扶桑と、心の傷から再び立ち上がる山城。二人の心中を通して描かれる、胸に秘めた思いとは。今回は扶桑の記憶を通して描かれる最後の風景と今の想い。

 ※回想の形で#50及び第4章の補完的要素を含みますので、予めご理解ください。
 


 元々海底に眠っていた船魂とかつての軍人の想念を現界させ素体に宿らせたのが艦娘の成り立ち。何かに宿る、という意味では、今の私の在り方も一応理屈は通るけれど、異質なのは確か。

 

 仮初めの体とさえ呼べない、一振りの刀。

 

 この人がトラックの木曾から譲られた、銘もなき刀の形をした艤装。そしてそこに宿る私も、やはり仮初めの存在。それでも、この人は私の事を扶桑と呼んでくれる、私がただ一人の人と心定めた槇原南洲という男性。トラックでの査察を経て以来、私は刀越しに南洲と触れあい、その目を通して世界に触れている。

 

 南洲は今、因縁深い技本の艦隊と戦うため所属の艦娘達の指揮を取っている。刻々と変わる戦局、一進一退の攻防、増える損害、そして堕ちた艦娘たちの拿捕…。

 

 「大湊と単冠湾が連中の無力化に成功した後、俺達は敵母艦の臨検及び敵指揮官の捕縛に取り掛かる。仁科大佐の数々の不法行為による被害者の多くは保護に成功した。忘れるな、俺達は全ての艦娘の権利のための即応部隊、艦隊本部付査察部隊MIGOだっ!」

 

 凛とした、迷いの無い言葉が居並ぶ艦娘達の、そして私の心を打つ。この人なりに紆余曲折を経て得た答えに、部隊は応えるように動き始める。そう…大湊も動くのね。山城も出るのかしら? 山城、道はどうあれ、あなたにも自分の意志で歩んでほしい、そう願っているのよ。もしあなたが戦うと心を決めたなら、私に自由に動く手足と体があれば、扶桑型戦艦の姉妹揃い踏み…いえ、それでも低速艦だった私達では後方からの浮き砲台として支援砲撃に当るのでしょうか。

 

 そして技本艦隊を率いる敵の指揮官の名が、私の心をざわつかせる。しかも、あの子を、陸奥をそんな風にしていたなんて…。ああ、どこまでもウェダの影はこの人に付きまとう。けれど、あの時の南洲と春雨が知らない事がある。今でも記憶に残る、冴えた月と―――。

 

 

 私は、騒然とする現在を離れ、かつての時に思いを沈めてゆく。

 

 

 それはウェダ沖海戦とそれに続く基地襲撃の後。

 

 駆逐艦の砲とはいえ、無防備に春雨(駆逐棲姫)に撃たれた私のダメージは少なくなく、時雨に支えられながら何とか基地を襲撃した部隊に追いつくことができた。ウェダから対岸のパヤヘまで二五kmを打通した、東南アジア方面からの輸送路確保と緊急時の避難のための地下通路の入り口。先行して基地に戻った四名、朝雲と山雲がすでに捕縛され、島風と青葉が通路の入り口に立ち必死に敵部隊の行く手を塞いでいる。そんな中、私の視線は、ぴくりとも動かない南洲に銃を突きつける兵士と、それを遮り今にも噛み付きそうな表情で睨みつける青白い髪と白い肌の艦娘…いえ、深海棲艦の姿に釘付けになった。

 

 ここにたどり着くまでに目にした、燃え盛る基地の残骸、折々斃れている所属不明の兵士達、虚ろな表情で焼け跡に呆然と立っていた羽黒、泣きじゃくる五月雨と蒼龍の姿を見れば、何が起きたのか容易に想像がつく。

 

 不思議と何の感情も湧かなかった。南国にしては珍しく冴え冴えとした月明かりの下、全てが現実の光景とは思えなかった。私を支える時雨は泣き腫らした目のままで、厳しい視線を相手に送っている。けれど私は、自分でも冷めた表情をしているのが分かる。むしろ薄く微笑んでいるかもしれない。人間を守るために現界した私達艦娘にとって、敵とはいえ目の前にいる人間を手に掛けるのは禁忌となる。けどそれがどうしたの? 夫を傷つけられ攫われてまで綺麗事に縋れるほど、私は()()()艦娘じゃない、なにせ欠陥戦艦ですし。あら? あなた方人間がそう呼んだのですよ?

 

 「…本当の力…見せてあげる!」

 

 南国の濃密な空気は月明かりさえ滲ませる日々が多いけれど、たまにこんな風に澄んだ空気の夜がある。冴えた月明かりが射す中、悲鳴と骨が砕ける音が響き、血煙が舞う。中破に近い損傷、それでも()()()()()相手にはハンデにもならない。敵部隊からすれば、きっと私は消えたように見えた事でしょう。敵中に踊り込んだ私は、目にする者手に触れる物、全てを破壊した。

 

 「南洲を返してっ―――」

 密集隊形の敵陣で振るわれる私の力は、必死にトンネルの入り口を守る島風と青葉と、時雨さえも呆然とさせる旋風のように荒れ狂った。

 

 半数程を斃した頃、敵の脅迫じみた叫びに、私は動きを止めざるを得なくなった。抵抗を止めた春雨(駆逐棲姫)は縛り上げられ、銃床で殴られ気絶したようね。その理由はすぐに分かった。ぐったりとしたままの南洲は膝立ちの姿勢を強いられ、前髪をわしづかみにされ無理矢理顔を起こされている。そして僅かに動く口元。

 

 声にならない声、でも口の動きは間違いなく私と…春雨の名を呼んでいる。自分に感情が湧かなかった訳じゃない。ただ、押し殺していただけだった。

 

 「あ、あなたっ!! い、生きてるのっ!?」

 

 叫びながら自分の声が涙声に歪む。口に当てた血にまみれた両手は、頬を伝う涙で洗われてゆく。その間に辻柾と呼ばれた敵の指揮官が命じ、私を目掛け野戦重砲が火を噴く。重巡の主砲並の威力ね…でも、この程度でっ!!

 

 

 「一体…何が起きているというのだ…? 陸奥っ、よせっ!!」

 「何が起きてるって、目の前で艦娘が人間を襲ってるんじゃないっ」

 

 それは私たちに追いついてきた大本営から派遣された部隊。眼前で上がる歓声と安どのため息が勘に触る。背後から急追してくる五人の艦娘。南洲に気を取られていた一瞬の隙を突かれ、私は地面を這う事になった。

 

 「あらあら。随分派手に暴れてくれたようね。これ以上姉さんを困らせないでね?」

 

 女性らしい柔らかな肌と鍛え抜かれた筋力、その二つを備える陸奥に組み敷かれた私。それでも私には、島風と青葉を拘束した高雄と愛宕が避難路を開放し、残存の敵部隊が我先にと逃げ出そうとしている姿の方が重要だった。そんな私を哀れむような眼差しで見やる長門が近づいてくる。その背後では、凄惨な光景に耐えきれず神通が泣き叫んでいる。

 

 「扶桑…やり過ぎだぞ。何があったのか知らんが、これでは何の擁護もできないではないか…」

 

 擁護ですって? 私達にここまでの非道を働き何を言うの? 陸奥に組み敷かれたまま、無理矢理頭を動かして南洲を探す。

 

 「私は…私は…あの人を取り返さなきゃ」

 

 トンネルに入ろうとする兵士達が引き摺っているのは、僅かに苦痛の声を洩らす南洲と駆逐棲姫(春雨)…あれは駆逐棲姫だと、自分に言い聞かせていた。あの子が春雨なら、南洲の心はどこに行くの? 信じているけど、どうしても指輪(形ある物)に拘っていた。でも、そんな姿になっても必死に南洲を守ろうとしたあなたは、やっぱり春雨なのね。

 

 陸奥に構わず立ち上がろうとする。彼女の狼狽が伝わってくるが構いはしない。邪魔をするなら排除します。このままなら、南洲は間に合わなくなる。

 

 「抵抗するなら…撃つわよ」

 「主砲、副砲、撃てえっ!!」

 

 恐らくは威嚇射撃で陸奥が副砲を斉射したのに対し、私は全門を斉射した。対応防御の観点で言えば、その攻撃ではお互いの装甲を撃ち抜くことはできない。だが、当たり所というものがある。陸奥の第三砲塔の付け根にある僅かな歪み、そこにゼロ距離から私の斉射を受けた彼女は膝を地面に付き、倒れ込んだ。無論、元々装甲が脆弱で、かつ中破していた私は、陸奥の副砲で受けた被害に加え、誘爆を起こした自分の砲弾により指一本動かせなくなり、仰向けに寝転がり空を見上げるしか出来なくなった。

 

 「扶桑、司令官は取り返したよっ! 早くにげ、な…」

 混乱の中敵の手から南洲を取り返し、泥だらけの笑顔で私に呼びかけた時雨が凍りつく。駆逐棲雨(春雨)、あなたも…逃げなきゃ。何のために南洲が戦ったと思っているの? 見上げた空に映る月に不意に影が差す。涙声…でもこの声は長門、ね。ああ、私、そこまでの損傷なのね。

 

 「陸奥と相打ち、か。戦船(いくさぶね)として誇れよ扶桑。だが、今のお前に何をしてやれるか、私には分からない。…念のため、何か言い残すことはないか?」

 

 

 「………あの人を…助けて…お願いだから。何でも、するから…」

 

 

 もう一つ、影が差す。見慣れない顔。その声はなぜか嬉しそうだった。

 「その有様でも一途ですな。素晴らしい、この仁科、感動しました。分かりました、その願い、叶えてあげましょう。よろしい、その男をいったんパラオに緊急搬送します。このままではその男は持たないでしょう。容態を安定させた後技本に送ります。駆逐棲姫、扶桑と陸奥は技本へ直接搬送。面白いと思いませんか? 人間と艦娘の生体融合試験―――」

 

 願いを叶える、その言葉を最後に意識を失った私は、この仁科という人が何をしたのか、後で知ることになった。

 

 

 

 ごとり。

 

 腰から外され棚に置かれた衝撃で私は現実に引き戻された。ここは…武器庫のようね。

 

 「少佐、ご用命の装備は準備しておきましたけど…本当に敵母艦に乗り込む気ですか」

 

 その声に南洲は頷くだけで言葉は発しなかった。装備を身につけ終えた南洲から感じる強い視線、ぼんやり光る赤い右眼、あれはかつての自分の目、そして伸びてくる右手、それもかつての自分の手。その手が()に触れ、腰に佩びさせる。ああ、心はすでに戦いに昂ぶっているのね。

 

 仁科大佐を中心とする技本のグループは、私の身体機能だけでなく、私の魂の一部まで南洲に埋め込んだ。人は残酷な生体実験というかも知れない。客観的に見ればそうでしょうね。

 

 でも―――。

 

 少なくとも南洲がそれにより命を繋いだ事は事実。春雨もその後のこの人をずっと支え続け、今いる艦娘達もこの人の帰る場所になってくれている。そして今の私は、この人が前に進む道を拓くための力。愛する人が前に向かい始めた歩みを支える、その助けになれるだけ私は幸せだと思う。それでも、不安は残る。

 

 

 どの貴方が、本当に望む貴方なの?

 

 

 問うても答えが無いのは知っているけど、今の状態はそう長く続かない、そう思えてならないの。南洲、貴方が何を選んでも、私は最後の瞬間までご一緒しますからね。

 

 



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Last Mission 集われる男
88. 限界突破


 本編再開。技本艦隊母艦に臨検を行うため乗り込もうとする南洲達。そしてそれを迎え撃とうとする仁科大佐。人の枠をはみ出した者同士の混沌とした局面。


 「ふむ…しつこいものですね。こうなるとお手上げです。まあ…仕方ありませんね、深く静かに潜航せよとはよく言ったものです」

 

 言葉の通り両手を顔の横まで上げ、やれやれという表情を見せる仁科大佐。いつも通り腰をくいくい入れながら、DDH144(くらま)の後部甲板を後にし、格納庫を改装した工廠へと向かい歩いてゆく。

 

 技本艦隊と大湊・単冠湾連合部隊の戦闘は唐突に幕を下ろした。宇佐美少将の戦闘停止勧告を受け入れた仁科大佐は、所属の艦娘にもその命令を下し現状での待機を命じた。

 

 今、母艦のDDH144(くらま)は雷撃体勢に入った潜水艦娘に左右から挟まれている。この海戦の後半戦の火ぶたを切って落としたトラックの潜水艦娘達は、開幕の遠距離雷撃で混乱した技本艦隊に接近、海中に身を潜めながら次のチャンスを伺っていた。激化する戦闘を利用し、まずは砲戦部隊の後衛を務めていた空母棲姫(雲龍)を中破させ、続いて防空戦の指揮を取っていた大鳳を大破させる事に成功、満を持して母艦に照準を合わせた。配置完了の知らせを受け、技本艦隊に戦闘中止を勧告する宇佐美少将。それは南洲との約束に応える一時間のためのもの。

 

 大湊の機動部隊は戦力を減じたが健在、損害を受けた単冠湾部隊では日向と響が依然戦闘可能で、技本が勧告に応じない場合、または南洲が制限時間内に所定の目的を達せられない場合、いずれでも現状の技本艦隊を沈める程度の戦力は残っている。

 

 

 艦長席に戻った仁科大佐は、なぜこのタイミングで停戦勧告なのか、必要のない事を敢えてする理由とは何か…そう考え込みながら広がる海原に視線を送っていた。その目が遠くに捉えた、直掩隊に守られながら南から接近してくる一隻の箱型の輸送船。この方角に展開している部隊は一つしかない。

 

 「…なるほど、槇原南洲、貴方が乗り込んでくる、と。いいでしょう、浄階様にはハワイ攻略と平定の鍵、と言われましたが、あれを起動させるとしましょうか。一度ならず二度までも大鳳を傷つけた代償を払わせなければ気が済みませんからね。こういう情緒的な行動は良くありませんが、どうせここまで追い詰められたのです、構わないでしょう。ですが私は槇原南洲のような無頼漢とは異なります、あくまでも紳士として戦うとしましょう」

 

 言いながら第二種軍装を脱ぎ捨てる仁科大佐。大鳳とお揃いのスパッツと足元のデッキブーツ以外は、裸。その細身の体を帯状の黒いベルトを縦横に組み合わせ格子様に覆うだけの装束。ホットリミットスーツとも言われる、露出の高すぎるボディアーマーだが着用時にどのような効果があるかは不明だ。

 

 その格好のまま艦長席を後にした仁科大佐は、CICに立ち寄りクルーに二言三言指示を出し、そのまま工廠の下層にある武器庫へと歩みを進める。

 

 

 

 LST4001(おおすみ)甲板―――。

 

 春雨の目には南洲のその姿は異様な物に映った。木曾から譲られた黒いマントを潮風に大きくたなびかせ、その内側に見える、右脇に吊ったホルスターにある大型拳銃、タクティカルベストにはいくつもの予備弾倉だけでなく、閃光音響弾(スタングレネード)も見える。ベストの空いた場所にはサバイバルナイフが二本、ブーツナイフも左右各一本ずつ、そして腰に佩びた刀。いまでは南洲の主装備となった木曾刀に加え、もう一振り、こちらは普通の日本刀に見える。狭い艦内での対人近接戦闘を意識した出で立ちである。

 

 「南洲…全身を刃で覆っているように見えますよ? 臨検捕縛と言いながら、何人斬るつもりなんですか?」

 

 その声に振り返った南洲は、にやりと笑いながら、黒いメイド服姿の春雨にまぜっかえすように声を掛ける。

 「積極的に斬る気はないが準備不足だと()()()に悪いからな。けどエプロンのフリルに何本もダガーナイフ隠してるヤツに言われたくねーよ」

 

 南洲の言うアイツとは、もちろん技本艦隊の指揮官・仁科大佐。この臨検は作戦活動の一部であると同時に、浅からぬ因縁を持つ南洲と仁科大佐の決着とも言える。小さく舌を出しながらにっこりと花が咲くような微笑みを見せる春雨、その頭をくしゃくしゃと撫でる南洲。それを見て引きつった笑いを浮かべる吹雪と龍驤。

 

 「龍驤さん、目の前のいちゃこらっぽい光景と会話の内容がまったく噛みあわないんですが…」

 「あー…あの二人はあれやからなあ。ほら、なんちゅーの、まあ、そういうことや」

 弱々しく突っ込む吹雪に、全く答えになっていない言葉を返す龍驤。その背後から艦娘達が続々と集まってくる。部隊の九名と、飛龍と駆逐棲姫(神風)。南洲もそれを目に留め、全員に整列するように伝える。

 

 一糸乱れぬ敬礼が行われ、がしゃがしゃと金属がすれ合う音を立てながら南洲も答礼し、比較的気軽そうな口調で話し始める。

 

 「あと一五分ほどか、俺達は技本艦隊母艦くらまに接舷、乗船後は指揮官の仁科大佐を捕縛する。当然相手の抵抗が予想され、それを突破しなければならない。くらまはセミオートオペレーションのようだが、それでも乗員は一〇〇名弱に上ると見込まれる。今から名を呼ぶ五名…ビスマルク、筑摩、吹雪、秋月…そして春雨(ハル)は、俺と一緒に突入してくれ。抵抗または攻撃を加えてくる人間(相手)ROE(交戦規定)に基づき排除して構わん。だが、絶対命は奪うな。その必要がある時は、俺を呼べ。よしっ、翔鶴と龍驤は艦隊防空、鹿島は引き続きおおすみのオペレーション、他の連中は待機だ」

 

 全員が一斉に返事をし気合の乗った表情へと変わるが、鹿島や龍驤、飛龍が自分も行く、と異を唱えた。南洲は左腰の木曾刀に触れ、少しだけ困ったような表情で、それでもハッキリと言い切る。

 

 「悪いな、部隊は()()、すでに決まってるからな」

 

 扶桑を含めた六名の部隊、南洲は言外にそう言っている-羽黒と飛龍は納得したように、鹿島は悲しそうに、龍驤はぽかんとした表情で、それぞれに受け止め方は違うが、南洲の意志は決まっていると明確に伝わり、それ以上の議論にはならなかった。

 

 

 

 DDH144(くらま)・工廠(旧ヘリ格納庫)下層武器庫―――。

 

 「コード処理はこれで完了しましたが…浄階様は一体何をご用意されたのか」

 

 物理的ロックと四重の電子ロックはすでに解除した。残るのは幾何学文様にも見える呪式の施された封印の帯。それが物語るのは、このコンテナの中にあるものが単なる兵器ではないということ。

 

 「エンジニアとしての浄階様は真に尊敬に値する鬼才ですが、もう一つの顔、神職と言うのは私の理解を超える世界ですね」

 言うほどの敬意が感じられない軽い手つきで、封印の帯を破いた仁科大佐の表情が変わり、青ざめる。コンテナの中から伝わってくる気配は極めて分かりやすい。虚無にして荒ぶる力、それ以上の説明が必要ない。分厚い金属音がし、コンテナの扉が内側から蹴破られたように仁科大佐目がけて飛んでゆく。何とか受け止めようとした大佐だがそのまま支えきれずに扉ごと壁まで吹き飛ばされた。その扉の影からちらりとのぞき見たその姿は、ゆらりと通路を進んでゆく。

 

 「は…は…はははっ! 浄階様も人が悪いっ! まさかこんなものを用意されていたとはっ! さすがの私も驚きました。おお、いけない、私もこんな所で遊んでいる訳にはいきません」

 

 

 

 「鹿島、手はず通り頼むぞ。頼んでおいて悪いが、おそらく形式になってしまう可能性が高いがな」

 「はい、南洲さん。でもやっぱりちゃんと手順を踏んでから臨検しないと、査察部隊じゃなくて海賊になっちゃいますからね♪」

 

 LST4001(おおすみ)は、技本艦隊の母艦DDH144(くらま)を完全に目視できる距離まで接近した。ここからならあと三分。外部スピーカーを通して鹿島のよく通る綺麗な声が響き渡る。

 

 「えっと、技本艦隊のみなさーん、こちらは艦隊本部付査察部隊MIGOですー。これからその船の臨検、および仁科大佐の逮捕を行いますので、邪魔したりせず今すぐ武器を捨てて投降してくださいね。邪魔する場合は交戦規定に則り、抵抗は排除しちゃいます、うふふ♪」

 

 警告と呼ぶにはあまりにも可愛らしい鹿島の口調に、南洲は頭を抱えてしまう。そんな南洲にビスマルクは肩をすくめ文句を言う。

 

 「だから私に名乗りを上げさせな「南洲さんっ、て、敵艦、突っ込んできますっ!!」

 

 ビスマルクの声をかき消すように鹿島が絶叫する。停止状態だったくらまが、突然猛烈な加速でおおすみに向かって突進を始めた。タービンを全開にした強烈な加速は船首が持ち上がるほどで、左右の展開する潜水艦娘達も呆気にとられ対応できなかった。

 

 「な、ちょっとっ! 何て加速なのっ」

 「やだやだやだ、射線におおすみも入っちゃうっ。これじゃあ撃てないよっ」

 

 このままだと右舷中央部にくらまの艦首が突っ込むことになる。鹿島の必死の操船により、丁字の衝突は避けられたものの、おおすみの右舷とくらまの右舷が接触し、激しい火花を散らせながら船体が軋み破壊される音が大きく響く。衝突の衝撃で全通甲板上に待機していた部隊は大きく吹き飛ばされてしまう。

 

 「クソッタレ、初っ端からやってくれるじゃねーか、変態野郎が。鹿島、全員の安否確認っ! あと宇佐美のダンナに手を出したら殺すぞ、そう言っとけ」



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89. ダークナイト

 戦闘開始。仁科大佐配下の兵士達がおおすみに乗り込み、始まった人間の兵士との近接戦闘に戸惑うビスマルクと筑摩。そして南洲が疾走する。

 ※独自設定が多い回ですので、予めご了承ください。


 「くうっ! リバースピッチ、全速後退っ。南洲さん、お怪我はないですかっ!? 春雨さんと秋月さん、吹雪さんが海面に落下、筑摩さんとビスマルクさんは、甲板左舷後方で確認できましたっ」

 乗船のため甲板に待機していたのが仇となり、軽量級の艦娘達が衝突の衝撃で海面に投げ出され、辛うじてビスマルクと筑摩は吹き飛ばされたものの甲板上に踏みとどまったようだ。幸いシートベルトで固定されていたため席から投げ出されずに済んだ鹿島が、慌てて操船を指示し状況の確認に当る。

 

 くらまがおおすみを斜め前に押す様に接触した結果、両艦は右舷同士をぶつけ削り合い、くらまの船首がおおすみの右舷後方に食い込む。互いの右舷に大きな亀裂が生じ外装の破口や破断面が複雑に絡み合い、お互いの動きを妨げるような状態になっている。後退して逃れようとするおおすみだが、八〇〇〇馬力の差を利してくらまがそのまま押し込みんできたため破口部はより複雑に絡み合い、くらまの船首は大きく破壊され、おおすみは後部門扉の開閉が行えなくなった。結果両艦とも停止を余儀なくされ一気に戦闘が動き出す。

 

 

 

 「被験者番号XCHW-0001D、貴方は私にとってそれ以上の存在ではありませんでした。ですが、部分的とはいえ貴方を被験者とした実験が成功し、その後のプロジェクトに道を拓いたのは事実です。よくここまで生き延びましたが、出番の過ぎた役者がいつまでも舞台に上がり続けるのは哀れです。槇原南洲、せめてもの慰めに引導を渡して差し上げましょう」

 

 くらまのCICまで戻ってきた仁科大佐は、計器類の光が照らす薄暗い中で複雑な表情を浮かべながら、淡々と語る。艦外監視用モニターに目を向け、おおすみの甲板にわらわらと乗員達が殺到する様子を満足げに眺めている。

 

 「ここまで近づくとお互いの対艦兵装の使用は自殺行為となります。貴方の好きな白兵戦でカタを付けて差し上げましょう。さすがの達人も一〇〇人近い相手をどうさばくのか、ゆっくり見物させていただきますよ」

 

 

 

 南洲や仁科大佐を技術的に表現するとCHW=Chemerical Humanoid-Weapon(異種配合人型兵器)、人間を核にしつつ遺伝的に異なった由来を持つ組織を加え構成される生体兵器である。艦娘の生体部分は人間と近縁種となるよう設計され、遺伝子的には異なる形質を持つ。ゆえに外見がどれだけ似ていようと人間と艦娘は全くの別種であり、生体組織の移植が本来的に成り立たない。それを免疫抑制剤や混合薬物で成り立たせているのが南洲であり、被験者番号の頭に付くXはeXperimental=実験の略称となる。その実験から得られた知見をもとにしたのが仁科大佐。この場合は融合ではなく継承、組織そのものの融合ではなく、艦娘が持つ機能を継承できるよう元の人体を遺伝子操作することで、異種融合で避けられない拒絶反応の問題を回避しようとした。より高度で無謀な実験が南洲であり、安定化を模索しながらも元の人体に手を入れた度合いが高いのが仁科大佐、とも言える。

 

 しかし一連の実験は失敗に終わった。CHWとして稼働できた艤装は砲戦装備のみで、より複雑で高度な制御を求められる空母系艦娘の艤装は現界さえさせられなかった。何より、(フネ)の記憶を持たない人間は、いくら艦娘の分霊を移植し艤装を展開できても水上機動が行えず、深海棲艦と本格戦闘を行えないという致命的な欠点が明らかになり、少数の生存例が指揮官として密かに軍組織に送り込まれた。

 

 それでも艦隊本部は満足していた。いずれ訪れる戦後、不要になった艦娘を素材として利用し、この実験を通して得られた技術を元に人間の兵士を強化する。強力な再生能力、強化された感覚器による通常兵器運用能力と限界の向上、一見普通の人間という秘匿性の高さ等、特殊部隊として理想的な能力を発揮するCHWは、深海棲艦との戦争終結後に再び諸外国との間に生じる覇権争いで優位に立つ手駒の一つとして認知された。

 

 そう発想し艦隊本部を誘導するよう三上大将を籠絡したのが、技本の霊子工学部門を率いる中臣浄階である。戦後経営という大戦略を描かせ権勢欲を刺激、かつオカルティックな能力による恐怖で屈服させ、手駒に引き込んだ。

 

 

 

 おおすみの全通甲板左舷後方まで吹き飛ばされた筑摩とビスマルクは、急いで南洲の元に駆け寄ろうとしたが、すぐに足を止める事になった。食い込んだくらまの艦首方向、前甲板に湧き出てきた兵士が次々とおおすみの甲板目がけ乗り込んできた。その数約三〇、全員屈強で大柄な兵士だが全員素手であり、どこか虚ろな目をしている。それでいてその訓練された動きは並の兵士のものではなく、ビスマルクと筑摩も表情を引き締め身構える。

 

 「大人しく投降しなさいっ! さもないと痛み目を見る…って人の話を聞きなさいっ」

 「ビスマルクさん、交戦規定(ROE)に沿ってる場合じゃないです。この人達…おかしい」

 

 警告を発するビスマルクを無視し無造作に突っ込んでくる兵士達。いくら訓練された兵士とはいえ、艦娘の動きを捉えるのは容易ではなく、振り下ろした拳や蹴り上げた足は躱され宙を切る。そして行く先を失った拳はそのまま砕けるまでおおすみの甲板を叩く。砕け血にまみれた拳を気に留めることなく攻撃を続ける兵士達にビスマルクは得体の知れない恐怖を感じ始め、徐々に及び腰になってゆく。同じように相手の攻撃をかわし続ける筑摩は、ビスマルクと対照的にうっすらと笑みを浮かべる。そして二人の脳裏に浮かんだのは全く同じ言葉であり、取った行動は全く別であった。

 

 -こんな人間はいないっ!

 

 目の前に迫る一人の兵士ににっこり微笑みかけた筑摩は、右脚を頭上より高く持ち上げる。その足は筑摩の腰めがけタックルしようとしてきた兵士の肩に振り下ろされた。突然上から加わった衝撃でタックルは潰され、そのまま右足で踏みつけられる。長い黒髪を右手で後ろに送り髪を整えるように頭を動かした筑摩が宣する。

 

 「この様子では遠慮いりませんね。利根型航空巡洋艦二番艦筑摩、隊長の命令なので命は奪いません、なので勝手に死なないでくださいね」

 

 言い終わると、自分に突っ込んできた兵士を起き上がれないよう押さえつけていた右足を踏み込み、相手の肩をそのまま砕いた。

 

 こんな人間はいない-二人の脳裏をよぎったその言葉は半分正解である。南洲や仁科大佐が指揮官とすれば率いるべき部下が必要となる。彼らに施された実験結果をもとに改造された、より短工期低コストで作れる単機能型の兵士、それがくらまのクルーである。脳に大幅に手を入れられた彼らは、強化された筋力と痛覚の遮断を受け、文字通り壊れるまで戦い続ける。その代償として複雑な脳機能は放棄され、一つの命令のみを忠実にこなす生きた操り人形となった。人の姿を保ったまま思考の多様性を失った彼らは紛い物(マガイ)と呼べるかもしれない。

 

 その間にも残りの兵士の一団は二人をめがけ突入してくる。二人の艦娘と二九人のマガイ。力と速さはビスマルクと筑摩が上、戦技と数はマガイ。いくら強いとはいえ、(フネ)同士の砲戦や機動戦を前提とする艦娘は、春雨のような例外を除けば人間相手の近接戦闘など想定もしていない。それでも単純に殺せばいいなら話は簡単だが、ビスマルクは躊躇いのため、筑摩は命令を守るため、全力で戦うことができない。そして数の差により手足を押さえられ動きを封じられ、甲板に押し倒される。

 

 「ちょ、ちょっと離しなさいっ! 気安く触らないでっ」

 豊かな金髪を甲板に広げ押し倒されたビスマルクは、それでも強気の姿勢を崩さずマガイをきっと睨みつける。対するマガイは無表情のまま、ビスマルクの豊かな胸に手を伸ばす。怒りと羞恥でさあっと頬をそめたビスマルクだが、すぐに相手の目的に気付き表情が青ざめる。必死に抵抗して逃れようとするが、複数のマガイに押さえつけられ、体が自由に動かせない。

 

 左胸に添えられた手がそのまま押し込まれようとする。劣情はおろか殺意さえもない昏い眼。艦娘の機能を停止させる方法は意外とシンプルで、脳か心臓を一撃で破壊するか、全身を焼き尽くすこと。目の前のマガイは、自分の心臓を抉り出そうとしている。向こうでは制服のあちこちを破られながらも何とか逃れた筑摩が、自分を助けようとマガイに主砲を向け照準を合わせている。その間にもマガイの手は胸に食い込んでくる。

 

 「ああ、どうすれば…い…いやあああああっ」

 

 

 黒い影が飛び込んで来たのと同時に光が弧を描き、目の前のマガイが吹き飛ばされる。上段から振り下ろされた刃は真横からマガイを両断した。後ろ半分はべたりと甲板に倒れ、前半分は蹴り飛ばされた。間髪入れずに自分の手足を抑え込んでいた四人のマガイが次々と八個の物体に変わる。

 

 おおすみの艦首側で同じように戦っていた南洲は、ビスマルクの悲鳴に素早く反応した。全長一七八mのおおすみの甲板を、風を巻いて疾走する。一気に『縮地』で距離を詰めると襲撃者を一蹴した。

 

 「悪ぃな、遅くなった。艦首側からもこいつらが乗り込んで来てな。少し手こずっちまった」

 顔に返り血を浴び、刀を肩に担ぎながらにやっと笑う南洲。話しかけながらも、近づいてきたマガイを真っ向から斬りおろす。刀勢に導かれる様に、両断されたマガイは八の字に甲板に崩れ落ちる。気付けば自分の周囲に転がる殺戮の痕跡と血だまりだが、ビスマルクは気に留める事もなく、差し出された左手を掴むと立ち上がり、そのまま南洲の胸に飛び込む。包囲を逃れた筑摩も一気に南洲の元まで駆け寄ってくる。

 

 「まるでナイトみたいな登場ね、これ以上貴方を好きになったらどうするの…もう、手遅れだけど」

 「鍛えた人間の極致を見せてもらいました、隊長。凄まじい刀捌きです。ああ…利根姉さんにも見せてあげたかった」

 

 ビスマルクを胸に抱き、筑摩に背中を預けた南洲は改めて周囲から迫るマガイを見渡し、唇を歪め笑う。

 「血まみれで手当たり次第に斬りまくるナイトがいるかよ。TVなら子供が泣くぞ。まあいい、さっさと蹴散らしてくらまに乗り込むか」

 



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90. 征く者、還帰る者

 くらまの衝突で甲板から投げ出された三名の駆逐艦娘達。敵司令官のさらなる手に立ち向かう中、春雨が南洲の援護に向かう。そしてもう一人の艦娘が立ち上がる。


 おおすみの左舷側、小さな水柱が次々と上がる。その数三つ。海面が盛り上がったと思うと全身ずぶ濡れの少女たちが水面に立ち上がる。

 

 「ホワイトブリムが潰れちゃいました、はあ…」

 「ぷはあっ。ううぅ~、制服がびしょぬれだよお~」

 

 ぶつぶつ言いながらメイド服のスカートの裾を大きく持ち上げまとめるようにして海水を絞る春雨。頭のホワイトブリムはぺったり潰れ、海水に濡れ透けた白いエプロンのフリルはその陰に隠していたダガーナイフに貼りつき形を露わにしている。吹雪はセーラー服の上着が同じように濡れ透けになり肌に貼りついている。一方で同じように海に落ちた秋月はかっちりとした型の制服のため大きく着崩れてはいないが、やはりびしょ濡れである。

 

 くらまの衝突の衝撃で甲板から海に投げ出された三人。艤装を展開していたため溺れる事は無かったが、それでもずぶ濡れになってしまった。

 

 「みなさん、無事ですか? ああ、よかったっ!!おおすみにはくらまからの兵隊さん達が突入してきましたっ。甲板上で南洲さんとビスマルクさんと筑摩さんが交戦中ですが数の差が…。みなさん、至急援護って……右舷後方が大損害でテールゲートが開かないんでした! じゃ、じゃあ前方のランプドアを開放しますので…ってもう、くらま邪魔ぁっ!! ………いえ、それどころじゃないかも知れませんね。前方に…駆逐イ級? PT小鬼群? …えっと、ひ、百以上? ああもうっ!!」

 通信越しでも鹿島が髪をわやくちゃと掻きむしっている様子が目に浮かぶ様な狼狽ぶりだが、事実くらまの衝突によりおおすみの右舷側は大きく破損、特に艦首が突き刺さった右舷後部は圧潰しテールゲートは開閉不能、当然ウェルドックも利用不可、ランプドアは言うまでもない。

 

 

 「ハワイで展開する予定でしたが後生大事に持っていても、今さらですね。さあモドキ達よ、命を燃やし尽くしなさい」

 くらまの薄暗いCICで腰を入れ右手を前に振り出しポーズを決めるボンデージ姿の男(仁科大佐)の声に呼応するように、事態がさらに動く。それは単冠湾部隊が拿捕した三隻の輸送艦で起きた異変。船腹を食い破る様に立て続けに起きた爆発、吹き飛ばされる大勢の人間、急速に沈みゆく輸送艦…辺りが黒煙で包まれる。黒煙が収まる頃、辺り一面が突如現れた駆逐イ級後期型とPT小鬼群の大群が四方八方に動き出し、大湊・単冠湾の両部隊もその対応に追われ、南洲達の援護どころではなくなった。

 

 総勢六〇〇人いたモドキも、今しがたの爆発とそれに伴う輸送艦沈没でその数を大きく減らし二〇〇強となっている。もともと変容すれば一定時間を経て死に至るモドキは、孤立状態とも言えるハワイ、その中で残存と言えば聞こえがいいが取り残されたアメリカ艦隊が籠る真珠湾に突入する、往時の特殊潜航艇と同等の役割を担っていた。

 

 だが『今』勝たねば、ハワイ攻略どころかここミッドウェー沖が自分達の死地となる-仁科大佐は正念場として全戦力を投入してきた。

 

 

 

 「えええーーーっ!! こ、こんなの、どこから湧いてきたんですかぁーっ!?」

 

 目の前には幼児のような子供の様な笑い声を立てながら迫ってくるPT小鬼群。慌てた声で落ち着きなく秋月、前方、そして春雨をきょろきょろと見渡す吹雪は、意を決したように二基四門の主砲を構える。秋月も厳しい目で前を見つめながら、四基八門の一〇cm連装高角砲を動かす。無表情のままの春雨は、じゃらりと棘鉄球(モーニングスター)のチェーンを揺らし始める。

 

 「春雨さんはおおすみに戻ってください。私たちの中で、近接戦闘の十分な訓練を受けているのは春雨さんだけです。私の分までなんしゅ…いいえ、隊長を守ってくださいっ」

 

 秋月は振り返らずに、春雨に艦内へと、南洲の元に戻るよう強い意志を込めた言葉で言う。トラック以来の仲間として一緒に過ごした秋月の気持ちを春雨も勿論知っている。それでも秋月は自分に戻れと言う。わざわざ南洲と言いたかったのを隊長と言い直してまで―――。

 

 「春雨さんは私達帝国海軍駆逐艦娘の代表ですっ! ど、ドイツの戦艦さんに負けちゃダメなんだからっ」

 

 吹雪が腕まくりしながら春雨を励ます。一瞬きょとんとした春雨がみるみる真っ赤になり、それでも言葉を返そうと口を開きかけた所に、舷窓の窓枠と一緒に羽黒が飛び降りてきた。大きな水音と水柱を立て、海面にずぶ濡れのまま立ち上がった羽黒は、懸命にずり上がってしまったミニスカートを直しながら秋月と吹雪に指示を出し始める。

 

 「話は鹿島さんから聞きましたっ! あの相手は、近づけずに時間を稼げば充分です………あの姿に変容した後は…長くは持ちません」

 

 その言葉に顔色を変える二人の駆逐艦娘。羽黒があの異様なPT小鬼群を知っていた事、変容、つまり()()()あの姿に変わったという事、その何かとは―――。戸惑いを振り切る様に、羽黒が凛とした表情で宣言する。

 

 「さあ前進ですっ! おおすみから引き離しつつ牽制射撃を加えます。大丈夫、貴方たちの背中は、私が守ります!」

 

 

 

 半壊したテールゲートを見上げながら、顎に手を当て小さくため息をつく春雨。

 「仕方ないのです…はい」

 

 右腕をしならせテールゲート上部目がけ棘鉄球(モーニングスター)を投擲する。鎖のすれ合う音と衝撃音、大きな金属の塊が落下して立てる水音と水柱、その間を縫い二投目、三投目と放たれる鉄球。すぐに大きな破口が生じたテールゲートに向けた四投目、それは破壊のためではなく、破口の一部にチェーンを絡めるため。海面の春雨もチェーンを手繰り寄せ海面に爪先立ちになりつつ、チェーンに十分なテンションがかかった事を確認する。

 

 「えいっ」

 

 ひょいっとジャンプし、春雨は体を小さく縮こまらせながらターザンのようにおおすみのテールゲートへ向かい飛んでゆく。激突しそうなる直前にゲートに着地し、チェーンを手繰りながらウォールクライミングのように垂直に壁を駆け上がり、ゲート内部へと入り込むことに成功した。ゲート上部から飛び降り、風をはらんだメイド服のスカートをふわりと揺らしながら柔らかく着地する。と同時にウェルドック内を抜け甲板に向かい疾走を続ける。一刻も早く、と気が急いた春雨だが、通路の途中、左側にある部屋の存在に気付き、思わず足を止めた。

 

 営倉。

 

 抵抗を止めなかった軽巡棲姫(神通)には、ロックチョーカーを付けた上で拘束しこの部屋に閉じ込めている。背伸びをしながら鉄格子越しに中を部屋の中を覗き込んだ春雨は、部屋の隅に体育座りで俯いている軽巡棲姫の姿を見つけた。

 

 

 「…またそうやって止まっているつもりですか。ウェダはもう思い出にしかありません、南洲(ナンシュー)と私は、それでも前に進んでいるのに…あなたときたら…はあ…」

 

 春雨のその言葉に、拿捕されて以来沈黙を守っていた軽巡棲姫が、初めて口を開いた。

 

 「ナンシュー…? ドウイウ…コト?」

 「あなたのした事は、基地を壊しただけじゃない。あの人の心も…バラバラにしてしまったの…。私は南洲(ヨシクニ)さんに二度と会えないかも知れない、けれど全てを見続け、支え続けてきました。この先何が待っていても、それでも私は南洲(ナンシュー)の隣にいます」

 

 背中を叩くように営倉から慟哭が響いたが、春雨は振り返らずに甲板を目指す。

 

 

 

 「クソが、一体何人用意してんだよ。二〇までは()ったのは数えてたが…」

 

 肩を大きく上下させ荒い呼吸を繰り返す南洲。木曾刀を右手に持ち、銃を持ったまま膝についた左手、視線は鋭く進路を塞ぐマガイの群れに向けられる。

 

 「四二体を戦闘不能にしましたね。くらまの艦首側から侵入してきた部隊は三〇、こちらは…ああ、たった今カタが付いたようです」

 右隣に立つ筑摩がちらりと振り返りながら、南洲の問いに冷静に応える。二人の背後では、コツを掴んだビスマルクが右舷後方から侵入した敵を次々と無力化していた。同時にかかって来られたら一旦下がり、常に一対一になるよう位置取りする。そして自分に向ってきた相手の腕でも脚でも掴み、力任せに甲板から海へと放り投げる。鼻息も荒く胸を張るビスマルクが、左手を胸に当て誇らしげに南洲に要求する。

 

 「ナンシュー、こっちのは片付いたわよ。増援が来ても任せなさいっ! さあ、もっと褒めていいのよっ」

 「あとでな。…にしても、鹿島達には脱出の指示出した方がよさそうだな。仁科の野郎、つくづく喰えない奴だ」

 

 余裕めいた口調は崩さないが、体力的には余裕がなくなっているのも確かで、序盤に比べ傷や出血が目立つようになってきた。無論艦内に複数の艦娘がいるが、訓練された兵士を殺さずに制圧できるレベルで近接戦闘ができる者はいない。艤装を展開した全開戦闘となれば双方の母艦がその余波で沈むのは間違いない。艦娘を無力化するように、人間の部隊で近接戦闘を仕掛けてきた仁科大佐はやはり侮れない、南洲は歯噛みせざるを得なくなった。

 

 そして前方から迫るマガイの残数は五八。それが突然三〇以下になった。

 

 こちらへ前進を続けるマガイ達の足元、甲板が不自然に持ち上がる。突然下から加えられた砲撃で多くのマガイが吹き飛ばされ、甲板に大穴があく。爆風と煙の中、南洲が目にしたのは、少し俯き加減に甲板に立つ軽巡棲姫(神通)の姿。南洲の姿を認めると、両腕で体を隠すようにしながら微かに頭を下げる。

 

 -コンナ事デ許サレテハイケナイ。私ハ、神通ニ帰ッテハイケナイ。

 

 その間に近づいてきた自分より背の高いマガイの、打ちおろしの拳を左腕の艤装で往なすと、無造作に右前蹴りで動きを止める。声も立てず体をくの字に曲げ上方に浮き上がった相手に、右脚をそのまま振り上げ踵落とし。あまりの鋭さにマガイが曲がってはいけない方向に体を折り曲げる。それを始まりに次々とマガイを破壊し続ける軽巡棲姫(神通)に、堪らず南洲が声を掛ける。

 

 「止めろ神通っ、やり過ぎるなっ」

 

 ぴくり、と動きを止め、恐る恐るといった風情で振り返る軽巡棲姫が、小さく問い返す。

 

 「アノ…ソノ名前デ呼バレルト、私、混乱シチャイマス……。ドウシテ分カッタノデショウ…?」

 

 分からないと思っていたことが分からない、といった表情で、流石に南洲も固まってしまった。動きを止めた軽巡棲姫(神通)の背後から襲いかかろうとした一体のマガイが、八つ当たりのように棘鉄球(モーニングスター)で吹き飛ばされる。

 

 「ロックチョーカーをあっさり壊されて明石さんがしょげてましたよ? まさか直線的に甲板を目指すなんて…真面目に連絡通路を走って甲板まで上がってきた自分がバカみたいです。まったく…やっと立ち上がったと思ったら南洲にちょっかいだすとか、はあ…。やっぱりもう一度拘束した方がいいのかしら」

 

 言葉とは裏腹に、春雨は心から嬉しそうな表情で神通に微笑みかける。

 



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91. 根の国の女王-前

 仁科大佐さえ知らなかった中臣浄階の隠し玉に選ばれたのはー、南洲と春雨は愕然としながらも、囚われた艦娘の奪還が作戦目標に加わる。

(20170504 たんぺい様より支援絵を頂きました!)


 「…ねえナンシュー、あなたが以前指揮していたウェダの艦娘達って…みんなあんななの?」

 後方から侵入してきた敵の排除は完了し、ぱんぱんと手の埃を払うような仕草をしながら近づいてきたビスマルクが問いかける。その表情は、目の前で戦う軽巡棲姫(神通)と春雨に釘付けになり、半ば驚き、半ば呆れた表情をしている。

 「私も近接戦闘は嫌いな方ではないですけど…あの二人、あとは羽黒さんもですが、一線を画した水準ですね」

 

 あんななの―――艤装による砲雷撃、あるいは航空攻撃に頼らない、力と技で相手を制圧する戦い方。

 

 静の神通と動の春雨。

 

 左手の艤装を盾にしつつ最小限度の動作で敵の攻撃を躱し隙を与えない神通。勝負は一瞬、並の艦娘の目では捉えられない縮地にも似た距離を一気に潰す踏込、そして解放される閃光の蹴りが止めを刺す。神通にとってロングランスは酸素魚雷ではなく、絶対の自信を置く右前蹴りだった。

 

 一方の春雨はストップ&ゴーを多用し激しく動き回る。中間距離で威力を発揮する棘鉄球(モーニングスター)を駆使するが、一見彼女の体格では不利になりそうな近接戦闘時が最も怖い。関節技(サブミッション)-相手の力を利用して動きを封じ拘束。状況によっては極めた関節を一瞬で破壊する。

 

 

 

 「ふむ、あの二人は躊躇無しに戦いますからね。自由に動ける開けた場所ではさすがに分が悪いですね。いったん撤退させるとしましょうか。それに、そろそろアレが上甲板に到着する頃ですね」

 

 撤退を始めたマガイ達を追いかけ、春雨と軽巡棲姫(神通)は先を進む。無論二人だけではなく、南洲達三名も前進を続け戦っているが、競う様に、時に援護し合いながら、前衛を務める二人の勢いは止まる事がない。

 

 「これで最後でしょうか?」

 「ソノヨウデスネ…」

 チェーンを両手で短く持った棘鉄球(モーニングスター)で脇腹を殴られたマガイがくの字になりながら神通の方へ弾き飛ばされる。視線さえ送らず、迫る相手に振り上げた左脚を斜めに振り下ろす。さっきと反対側にくの字に曲がりながら甲板に叩き付けられるマガイ。

 

 にぱっと笑いながら軽巡棲姫(神通)の手を取りぴょんぴょんと跳ねる春雨。お互いはっとした表情で手を離し背を向ける。同時に発する言葉の語尾はどちらも弱々しく消え入ってしまう。

 「わ、私はまだ貴方を許したわけでは…ないけど…でも、何か楽しかった、です…」

 「ナ、馴レ馴レシク手ナンカ繋ガナイデクダサイ…私ニハソンナ資格ハ…。ト、トニカク、私ガ先導シテ進路確保シマスッ」

 気持ちの揺れを隠すように神通が先に動く。おおすみの甲板を蹴ると、体を逸らしながら一気に跳躍しくらまの後部甲板に着地する。そのままヘリ格納庫を改造した工廠内へ侵入した所で、轟音と響き周囲は砲煙に包まれ、工廠の半分ほどが吹き飛ぶ。

 

 「神通さんっ!!」

 同じようにおおすみの甲板から飛ぼうとしていた春雨が凍りつく。黒煙の中を抜け静かな足取りでこちらに相対するその姿。

 

 

 艶のある長く豊かな黒髪。あの頃より伸びた前髪は目元を隠している。

 

 「こんなはず、ない」

 

 袷の縁が朱で彩られたノースリーブの巫女服のような上着と肘から先を覆う長い袂の袖。ただ、右側には何もない。

 

 「だってあなたは…」

 

 腹部を覆う黒い帯、細かいプリーツで形どられた朱のミニスカートから伸びる脚。

 

 

 「死んだはずなのに、かしら? それとも私が撃ったのに、とでも言いたいの?」

 

【挿絵表示】

 

(提供: たんぺい画伯)

 

 前髪のせいで目元は見えないが、綺麗な形の唇が禍々しく歪み、呪うような言葉を吐く。

 

 扶桑型戦艦一番艦桑が、背後の試製四一cm三連装砲をゆっくりと動かし、春雨に照準を合わせる。

 

 

 

 「こいつら、いい加減にしやがれっ」

 

 くらま後部甲板で起きた突然の爆発、おおすみの甲板の縁で棒立ちになる春雨。異変を感じた南洲はすぐさま駆け出そうとし、左足に走った激痛に思わず膝を落とす。

 

 「クソがっ」

 甲板に転がる自分が斬ったマガイ。上半身と下半身が中ほどで断ち斬られたそれに、ブーツの上から噛まれた。顔を顰めながら左手の銃でヘッドショット。頭蓋の爆ぜたマガイはようやく動きを止めた。

 

 見れば多くのマガイがまだ動いている。痛覚遮断、それは命を絶つか徹底的に破壊するかしなければ、可能な手段で攻撃を継続することを意味する。神通と春雨は自分の命令を守り、マガイに致命傷は与えなかった。それゆえに動けるマガイが再び攻撃を仕掛けてくるという皮相。その間にも、足を掴まれ動きを止められた南洲は転倒しそうになり、慌てて体勢を立て直そうとする。視線の先では春雨にもマガイが緩慢な動きで近づこうとしているが、春雨は全く反応できず前方を凍りついたように見つめ続けている。

 

 「春雨(ハル)っ、どうしたっ!? 呆けてる場合じゃねーぞっ」

 

 

 春雨が自分を呼ぶ声に気付いた時、すでに南洲に抱きかかえられ甲板の中ほどまで飛んでいた。追い縋るように視界に飛び込んできた一体のマガイ、それが荒々しい刀捌きでバラバラにされた。下から斬り上げた刀が右肩を切り離し、その肩が落ちる前に首を刎ね、その首が宙に舞っている間の斬り下ろしが左腕を肩から切り離す。

 

 「何をボケッとしてんだよ、おま…え…は…」

 

 苛立ちが混じった南洲の声は絶句へと置き換わった。お前、その言葉が向けられた先は自分なのか、それともくらまの後部甲板に立つ人影か、それとも両方か。南洲は無表情のまま横薙ぎに刀を一閃させ、横から襲い掛かってきた別のマガイの頭と胴体をそれぞれ別な方向へと転がす。そんな血腥い状況でも、春雨は視線の先に立つ白い女から視線を外せなかった。

 

 「扶桑…なのか? いや…そんな訳が…」

 それ以上言葉が続かなくなった南洲は、ただ視線だけをくらまの後部甲板に彷徨わせる。

 

 -来る。

 

 春雨は無意識に棘鉄球(モーニングスター)を構え投擲体勢に入る。目に入ったのは、戸惑う南洲と裏腹に、白い顔の下半分を彩る赤い唇で縁取られた暗闇。それを笑顔と呼ぶにはあまりにも凄惨だった。

 

 

 

 「…ちょ、ちょっとチクマ!! 何が起きているの? 砲撃?」

 大きく振りかぶりマガイを甲板から海に放り投げながらビスマルクが問う。

 「そうみたいですけど…爆発はくらまで起きていますね…」

 同じようにマガイを海へと投げ捨てながら筑摩が思案顔で答える。

 

 「ナンシューがいるのよっ」

 

 筑摩が何かを言いかけたが、その言葉が終わらないうちに一直線に南洲の元へ向かったビスマルク。筑摩は軽くため息を付きながら、おおすみの甲板上で残敵掃討に取りかかり始めた。

 

 

 「ナンシューッ、一体何がどうしたっていうのよ!?」

 ビスマルクの呼びかけに我に返ったように視線を向けた南洲。その一瞬に事態が動く。くらまの後部甲板に立つ扶桑が砲塔を動かすと、三本の砲身が連続的に俯角を取る。ビスマルクを狙い斉射された主砲、轟音と同時に立ち上る黒煙が周囲を包み、衝撃波がおおすみを襲う。

 

 「やっぱり片目だと照準が合わないし、片腕では姿勢保持に難あり、ね。完全に外しちゃったわね」

 「やってくれるわね…何よあなた、新手の登場ってこと? いいわ、この超弩級戦艦ビスマルクが相手してあげるわっ」

 

 両手を顔の前で組み腰を落とし、南洲と春雨を庇うように立ちはだかったビスマルクが扶桑に向かい吼える。砲撃の衝撃でアームカバーはボロボロに引き裂かれ、露出した白い肌は流れる血で飾られ、両腕の圏外となった制服の上着の下側やストッキングも大きく破れ黒い下着が露出している。それでも四基の三八cm連装砲を動かし砲撃体勢に入ろうとしたが、不意に肩に置かれた手に邪魔される。何も言わずただ首を横に振る南洲。右が赤で左が黒のオッドアイ、何度も視線を合わせたその瞳は今までに見たこともないような悲しさを湛えている。

 

 「………見た目は扶桑だが…中身は別物だな。お前は一体なんなんだ?」

 

 

 手にした刀、そこに宿るのが扶桑、それを知る南洲は言い切る。一頻り身をよじりながら笑い続けていた扶桑が静かな、暗い愉悦に満ちた口調で答える。

 

 「…刀になっても貴方に寄り添うその()は、和魂(にぎみたま)幸魂(さちみたま)。私から愛と調和を取り上げた女。この壊れた体に残っているのは荒魂(あらみたま)とそれを見つめるだけの奇魂(くしみたま)。ねえ、私の中で声がするの…全て壊した後、私は『根の国の女王』になるんだって……曲霊(まがひ)となった中臣浄階様の声がする……。これは…貴方のせい? 春雨のせい? それとその新しい女のせいかしら? 」

 

 宇佐美少将から聞いていた、三上大将が起こした事件の顛末と彼の供述。即身仏に虚空から響く声…変なクスリでもキメ過ぎたのだろう、そう軽く聞き流していた話が、今目の前にいる。バリバリと音が聞こえるほど歯噛みをしながら、南洲は喰いつきそうな目付きで扶桑を睨みあげる。

 

 「なるほどね…俺には理屈は分からんが、ジジイ、てめえはよりによって扶桑の体に入り込んでいいように操っている、そういう事か」

 「ねぇあなた…お願いがあるの…………右眼と右腕、返して?」

 「生憎ジジイの操り人形にやるほど安いもんじゃねーよ。もし、本当のお前の望みなら、それでお前が元のお前に戻るなら、喜んでくれてやるけどな」

 

 

 「この私でさえ、まさか浄階様がその女を依代にしていたとは知りませんでした。魂うんぬんは私の専門外ですが、なるほど、人間の脳機能を四つに分け、さらにそれを制御するフィードバックシステムがある、そう考えるとDIDを利用した堕天(フォールダウン)の原理は合理的ですね。槇原南洲、なかなか来ないのでわざわざ私から出向いて差し上げましたよ、感謝なさい」

 

 唐突に話にカットインしてきた一人の男に注目が集まる。両手を広げながら感に耐えない表情を浮かべ、爆煙の中から現れた仁科大佐が長口舌を振るう。その背後には腰の基部から延びるアームに繋がる四一cm連装砲がゆらゆらと動いている。

 

 

 「いつも変態(相変わらず)だな、仁科。手前(てめえ)には大湊以来借りがあったな。遠慮なく斬ら…いや、拘束させてもらう。そしてジジイ、いつまでも若い女に未練たらしくしがみ付いてんじゃねーぞ。そいつは…お前なんかが手を触れていい女じゃねえっ! 扶桑、少し待ってろよ、お前の体からその薄汚ねぇジジイを叩き出してやる。話はそれからだ」




『無能転生 ~提督に、『無能』がなったようです~』
https://novel.syosetu.org/83197/
の作者様にして画伯のたんぺい様より、扶桑姉様(闇)の支援絵をいただきました。さらに、南洲とともにある扶桑姉様(魂)も…

【挿絵表示】

姉様かわええ(笑)。


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92. 目覚めは夢の途中で

 ついに始まった仁科大佐と南洲・春雨コンビの戦い。そしてもう一人、この局面で混沌とした状況に割って入る存在。


 既に技本艦隊に打つ手はない。依然として仁科大佐と扶桑の主砲は脅威だが、仁科大佐は切り札を使った、というよりは持ち札全てを使わされた、という方が正解だろう。

 

 仁科大佐が解き放ったモドキ達-人造イ級と人造PT小鬼-は、至近にいた単冠湾部隊にさらに被害を与え、襲撃に混乱した大湊部隊を一旦押し返すなど、一時的に戦局を動かす効果を上げた。

 

 だが、そこまでだった。

 

 元々強襲用の使い捨てだったモドキはほどなく稼働時間切れとなり、両部隊そして南洲隊への脅威とはなりえなくなった。だがその代わりに北太平洋の荒い波間に漂う、国籍人種性別年齢を問わない二百余体の遺体は、艦娘達に襲いかかってきたのが何かを無言の裡に雄弁に語る。

 

 「…な、何なのよこれは…」

 それ以上の言葉を継げずに霞が波荒い海面に視線を落とす。

 「仁科大佐がこれを…? 不知火のこの落ち度、どう償えば…」

 「二人とも、本隊に合流するわよ。余計な事は考えないで。今はそれだけで、いいから………」

 今にも泣き出しそうな不知火の言葉を遮り、矢矧が諭すように二人に告げる。その矢矧自身も唇をきゅっと引締め、無言のまま三人は旗艦祥鳳の元へと戻ってゆく。

 

 

 

 くらまに乗り込んだ南洲達は、二手に分かれ戦い続けている。扶桑にはビスマルクが当たり次の砲撃を防ぎ、南洲と春雨、筑摩は、ヘリ格納庫を改装した工廠跡から現れた残存のマガイ部隊との交戦に備えている。一方仁科大佐は一旦後方まで下がり様子を伺っているようだ。

 

 「南洲…扶桑さんの体を取り返すって…。そんなこと、できるの?」

 

 迫る相手に向かい銃を向けようとしていた南洲のジャケットの裾を、春雨は左手できゅっと掴み、不安げな表情で問いかける。南洲はちらりと振り返り、皮肉っぽく唇を歪める。その間にも敵は近づいてくるが、入れ替わる様に前に出た筑摩が食い止める。その間、南洲は春雨の問いに答え始めた。

 

 

 「俺には分からんよ。けどな、あのボンデージ男と…あとはそうだな、お前も何か知ってそうだな、明石」

 

 ヘッドギアに内蔵されたインカムでおおすみのCICと連絡を取る南洲。CIC内には鹿島と明石が詰めているが、突然自分の名前を叫ばれた明石は肩を縮こまらせ所在なさげな表情になりつつも、知ってる限りの情報を明らかにし始める。

 

 「…私が知っているのは、中臣技術中将直轄のプロジェクトがあり、定着させた船魂の人為的制御、分割や生体間移植などを目的としていたらしい事です。らしい、というは、情報が厳重にプロテクトされていたので詳細は噂話程度でしか…。で、でも、その被験者が隊長の元奥さんだったとは…いえ正式なケッコンじゃないから内縁の妻ですか?」

 「いや、そこは今重要じゃないんだが…。俺が聞きたいのは、扶桑の体からジジイを叩き出す方法だ」

 「隊長、ご免なさい、私、そこまでは…。ただ、先ほどの話通りなら、四分割された魂のうち二つとコアにあたる部分は隊長の刀の方にあるのでは? なので何らかの方法で魂の統合ができれば…」

 

 「その『何らかの方法』ってのを知りたいんだがな…。ますますあの変態が重要になるってことか」

 南洲が視線を前に向けようとした途端、背中にいた春雨が掴んでいた袖を思いっきり、引っ張るというよりも引き倒す。その勢いで南洲は春雨の後方に振り回され、春雨はその遠心力を利用して棘鉄球(モーニングスター)を投擲する。

 

 一気に距離を詰めた相手に速度が乗る前の棘鉄球が容易く右手一つで組み止められる。にやり、そうとしか表現のできない、爬虫類のような笑みを浮かべた仁科大佐がすぐそこまで迫っていた。

 

 「ちいっ!!」

 

 春雨に四一cm連装砲の砲口を向け、ほとんど接射するような距離から砲撃を加えようとしていた仁科大佐。右脇に吊るしたホルスターから銃を抜きすかさず連射する南洲。仁科大佐は慌てるそぶりもなく膝から上を甲板と水平にするように倒し銃撃を躱す。その間に春雨は距離を取ったが、仁科大佐の四一cm砲はそのまま砲撃対象を失ったまま流し撃ちのような形で撃たれ、轟音と砲煙がおおすみの甲板を襲う。砲弾自体は右舷に配置された艦橋構造物を辛うじてかすめるように抜け遠くに着水した。だが砲弾の通過は、その衝撃だけで艦橋構造物に被害を与え、おおすみの右舷中央部甲板上では火災が起きていた。

 

 何故かぼんやりと燃えさかる炎を見つめ微動だにしない南洲。慌てて春雨が南洲を庇うように前面に立ち、左手に構えた12.7cm連装砲B型改を斉射しながら仁科大佐が砲撃態勢に入るのを妨げ、何とか近接戦闘で拘束しようと突入する。

 

 

 ―――こんな相手にここまで手こずるとは、情けない。

 

 

 誰かに呼ばれたように、不意に南洲がきょろきょろと周囲を見渡す。近接戦闘に持ち込もうと仁科大佐を幻惑するように動き回る春雨に気付き、CICの鹿島と連絡を取りながらも前進を続ける。

 

 

 

 「確かに一時間やると言ったがな、撤回する。これ以上放っておいたら次に何が出てくるか分かったもんじゃない。あのモドキ共の突入のお蔭でこっちは大混乱だ。お前たちの作戦はここまでだ、いいか、これは命令だ、今すぐLCACで全員連れて脱出しろっ。おおすみもくらまも丸ごと航空攻撃で沈める。鹿島、これに逆らうなら今度こそ抗命だ、そう南洲に直ちに伝令し行動を促せ」

 

 南洲が大佐を護衛するマガイ相手に刀を振るっていた頃。

 

 宇佐美少将から入った緊急電に対し、南洲が預けた乱暴な伝言-手を出したら殺すぞ-を、鹿島は表現を変えたものの意味は変えずに伝えた結果、帰ってきたのはこの言葉だった。南洲の意向を尊重できる状況ではない、宇佐美少将はそう言っている。ごくり、とつばを飲み込むように鹿島の喉が大きく動く。現在おおすみのCICには鹿島と明石が詰めている。明石が不安げな目で見つめる中、意を決したように鹿島が口を開く。

 

 「もし、ご命令にあくまでも従えない、と言ったら…?」

 

 スピーカー越しにも苛立ちが伝わるような声で宇佐美少将が声を張り上げる。

 「この期に及んでぐだぐだ言ってんじゃねーっ!! 鹿島、俺達はな、あのイカれた中臣浄階と仁科大佐を止めなきゃなんねーんだっ。南洲の考えも、南洲に向けるお前らの気持ちは分からんでもない、だがな、いつまでも個人の感情で動かれちゃ迷惑だ。脱出したくないなら好きにしろ、攻撃は中止しない…………大湊の航空隊が到着するまで、あと二五分程、それがお前たちの旅の終わりだ」

 

 そして通信は終了した。

 

 「か、鹿島さん…一刻も早く少将のご命令に従って―――」

 「うふふ♪ やっぱり少将さんは南洲さんに甘いんですね」

 

 ぽかーんと口を開けた明石が、コノ人何言ッチャッテルノ? といわんばかりの表情で鹿島をぎこちなく見つめる。攻撃する、たった今そう言われたばかりなのに? そんな視線を気に留めることなく鹿島は両手で口元を隠すようにくすくす笑い出す。

 

 「()()()の間に退避しろよ、って事ですよ。大湊艦隊が展開している位置からは発艦準備を含めても一五分もあれば十分なのに」

 

 胸に手を当てながら大げさにため息をつき安堵の表情を浮かべた明石を、どこか冷めた目で見据える鹿島は、龍驤と翔鶴に連絡を取り何事か話し始める。

 

 

 

 「…という訳なんです、南洲さん♪ あと二五分以内に決着…できますか?」

 

 左手の指先でくるくるペンを回しながら、どこか楽しそうに鹿島が南洲の返事を待つ。ヘッドセット越しに聞こえてくる怒号、爆発音、金属音…様々な種類の音が鹿島の鼓膜を揺らす中、やや遅れて南洲から返事が返ってきた。

 

 「そんだけありゃ十分だろ、外壁ぶっ壊していいから、左舷側からLCAC搬出、お前ら全員撤退な。こっちにいる連中は…まあ頃合いを見て撤退させるさ」

 

 

 

 ―――下手くそが、体捌きも刀捌きもまるでなってない。

 

 

 

 「だからさっきから何なんだっ!?」

 

 繰り返し聞こえる声、それがどうやら外からではなく自分の頭の中から響くことに気付き、明らかに南洲は苛立ち、その声に言い返していたが、目の前の光景に棒立ちとなってしまった。

 

 春雨の喉を潰すように首にかかった仁科大佐の右手。首を掴まれた春雨は顔を真っ赤にしながら両手で自らの首を絞める手を外そうとするが奏功していない。

 

 「さて捕まえましたよ。どれだけのスピードで動こうとも、人型の骨格と関節に起因する稼働領域からその動きにパターンが生じますからね」

 

 

 「春雨(ハル)ッ!」

 

 

 

 

 ―――()()る。

 

 

 

 

 南洲が体ごと消える。先ほどまでとはまるで次元の違う、残像を残すかのような斬り込みを上段から送り込む。

 

 「む? …………ぐぁああああああっ!! 痛いっ! 痛いいいいいっ!」

 

 余りの鋭さの斬撃に、右下腕を中程で切断された事に気付かなかった仁科大佐が一拍遅れで叫び声を上げ転げ回る。甲板に尻餅を付きながら咳き込む春雨も何が起きたか分からずに、涙目で目の前に立つ大柄の男を見上げる。

 

 「…南洲(ナンシュー)……?」

 

 呼び掛けた声に振り返り優しげな笑みを見せる顔が静かに横に振られる。

 

 納刀し大きく息を吸い、ゆっくりと長く吐く。すうっと半ば閉じられた目は、仁科大佐を守るため迫ってきた複数のマガイ達の状況を見るともなく観る。統制のとれた動きだが、それでも個体ごとに接近速度に差がある。

 

 一足分前に出した左足、そこに右足に置いた重心を移すように一気に左足から踏み込む。鯉口を切った左手の人差し指で鍔は押さえ、そのまま正面の相手に抜刀と見せかけ身体を時計回りに転身、やや離れた距離で僅かに突出していた右側のマガイに向け、跳ぶように踏み込み逆袈裟に斬り上げる。最初の斬り上げで既に右脇から左肩まで斬り飛ばされた右のマガイ。その間に、動きに微妙なズレのあった中央のマガイが南洲の真後の位置まで来た。すかさず後方を振り返り右足を踏み込み真向より斬る。走り掛かりを、まさに形通りに決め紫電の迅さで二対を斃した。無論この二体だけを相手取る訳ではなく、この僅かな間、数回の(まばた)きの間に四体ものマガイが斬り伏せられる。

 

 「春雨…さっさと終わらせて帰ろうな」

 

  槇原南洲(まきはら よしくに)―――南洲(ナンシュー)の主人格の覚醒。差し出されたその手を掴む春雨の目に涙が溢れ、視界が歪む。



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93. 圧倒

 因縁の相手、仁科大佐と南洲がついに激突。本来の剣技が強化された体で振るわれ、その冴えに春雨は言葉を失う。ただ南洲の心のありようは…。


 見上げた先に立つ、血塗られた一振りの刀を持つ大柄な男。良く知っているはずの男だが、何かが違う。呼びかけた名前に、首を横に振り、しばらくぶりに見る優しげな笑み。しばらくぶり…? 春雨の脳裏によぎった感想が直感的に何かを告げる。その間にも、刀の男は次々と敵の兵士を斬り伏せてゆく。

 

 「春雨…さっさと終わらせて帰ろうな」

 春雨(ハル)ではなく春雨(はるさめ)。そう呼ぶのは誰か? もちろん決まっている。

 「南洲(よしくに)さんっ!!」

 春雨はそれ以上言葉を継げず、ぼろぼろと大粒の涙を流しながら、差し出された手を掴み、立ち上がる。

 

 解離性同一性障害ー本来不可分なはずの人格が解離した結果、より強い負の感情に突き動かされたナンシューが支配的に表出し続けていた。だからこそ春雨は、南洲と共に歩み続けた。自分のために全てを失った男に何が返せるのか-自分の全てを差し出し、どのような道でも寄り添い続け、共に死ぬ事。そんな決意の元、南洲の全てを受け入れ続けてきた春雨だが、ウェダでの日々の輝き、中心にいたヨシクニの存在は、いつも心の奥深くにあった。その失くしたはずの輝きが帰ってきた、その思いに心が揺さぶられる。

 

 南洲はすうっと目を細め、視線の先に仁科大佐を捉え続ける。

 「…あれで平気とはね。少し手間がかかりそうだな」

 斬り落とした傷口はすでに塞がり出血も止まっている。それを見た南洲が怪訝な表情を浮かべる。平正眼に刀を構え直し、相手の僅かな動きにも対応できるよう静かに注意を払う南洲に、満面に憎悪を浮かべ仁科大佐が叫ぶ。

 

 「ふううーーーーっ、驚かせてくれますね、槇原南洲。ですがその程度で私に勝ったと思うのは大きな間違いです! いいでしょう、まずは貴方から始末し、次に春雨、そして他の艦娘達を念入り―――」

 

 ごく自然な、それと気づかれない巧みな足さばきの右足で距離を詰める南洲。そして仁科大佐が春雨の名を口にした瞬間左足で飛び掛かるように踏み込む。一足飛び、と呼ぶには遠い距離を縮地で一気に詰め、その間に紫電の三段突きが送り込まれる。本来この技は、相手の居る場所、躱す中途、躱し終え、この三つの動作の全てを攻撃する連続技である。だが、南洲の強化された肉体は、その三本の突きをほぼ同時に送り込む。

 

 「な、なんという無頼漢振りっ! 紳士が話をしている時は最後まで聞くのが礼儀でしょうっ!!」

 

 右腕は右肩から斬り飛ばされ、左脇腹と左首筋には深い刺創-強烈な刺突により重傷を負いながらも致命傷だけは避けた仁科大佐は、それでも南洲への非難を止めようとしない。その全てがみるみる修復され出血が止まる。

 

 「最後に首を落とすはずだったんだがな。躱されたのか外したのか…面白いな」

 

 南洲は薄ら微笑むと、ひゅんっと風切音を残して刀を振るい、刀身に残る血を払うと、甲板に転がっているマガイの死体に目を止め、その着衣で刀を拭い脂を落とす。そして納刀し、仁科大佐に正対する。

 

 艦娘の艤装、陸奥の四一cm連装砲の力を振るう仁科大佐だが、今回のように船上での、しかも近接戦闘となるとその力を十分に発揮できない。砲撃は行えるが、その力は自分の足場となる母艦をも破壊してしまう。そうなると、艦娘と違い水上機動を取れない異種配合人型兵器(CHM)は、水底へと沈んでゆく。その不利を補うモノー陸奥の力を源とし、より強い力で殴り、蹴り、掴み、そして壊す。より早い速度で動き、受けたダメージは程度にもよるがすぐさま修復される。それは単純に強い、ということである。剣技や射撃術、格闘術で劣ろうが、力で押し返す仁科大佐の戦い方。

 

 忌々しそうな表情で南洲を睨む仁科大佐がゆらり、と動き出す。ただ単純に、異様な速さで南洲に迫り、残った左腕で力任せに殴りかかる。依然として南洲は八方眼で見るともなくその動きを観ている。

 

 

 きんっ。

 

 鯉口が切られた音がした以上抜刀したはずだが、南洲はすでに納刀の体勢に移っている。一体何をされたのか分からない―――そんな表情で、斬り落とされ血を噴き出す自分の左下腕の中ほどを呆然と見つめる仁科大佐。

 

 首を左右に動かし、こきっと音を立てる南洲。

 「なるほどね、今の俺は()()()()()になった訳だ。動きが軽すぎてしっくりこなかったが、やっと要領が掴めてきた。そこの変態、次はどこを斬って欲しい?」

 

 長らく眠りについていた主人格のヨシクニにとって、扶桑の組織を移植された後の体で実戦を戦うのは初めてとなる。記憶にある自分の身体能力と実際のそれが合致せず、しっくりこないまま序盤を戦っていた。特に感慨もなく、ただ淡々と自分の死を既定事項として話す目の前の相手に、仁科大佐は恐怖した。そしてくるりと背を向け一気に逃げ出そうとする。

 

 「槇原南洲、ソードマスターとは聞いていましたが、これほどとはっ! 形振り構ってられません、戦略的撤退っ! おおすみに移乗して砲撃でくらまごと沈めてあげまぁぁああっ」

 「ナンシューナンシューうるさいな、俺は槇原南洲(まきはら よしくに)だ」

 

 一気に逃走を図った仁科大佐だが、それは果たせなかった。仁科大佐が動き始めた刹那、甲板に両膝を付くように膝を折った南洲は、普段とは逆に、左足を後方に引き身体を捌くと同時に刀を抜き出し、仁科大佐の左膝下を外側から薙ぐように斬り捨てる。本来は追い打ちとして体を起こし左足を出し真っ向より斬る型だが、南洲は低い姿勢のまま刀勢を利用し、今度は内側から右膝下に斬撃を送り込んだ。ほぼ同時に両膝から下を切断され、慣性の法則に従い膝から上の部分が甲板を滑る様に転げてゆく。

 

 南洲はすたすたと無造作に仁科大佐へと近づく。四肢を斬り飛ばされた仁科大佐は、仰向けのまま空を見上げている。というよりそれ以外の事ができる状態ではない。一方春雨も、一連の成り行きを呆然と見守るしか出来ずにいた。圧倒的な攻撃に援護の糸口さえ見つけられなかった。

 

 「まさか首を刎ねても生きてたりしないよな?」

 

 南洲が刀を振りかざし、そして後方に飛び退く。仁科大佐と南洲の間に、遠くから高速で放り投げられた白い塊が叩き付けられる。ぐぅっ、と短い悲鳴を漏らしたそれは、扶桑と戦っていたはずのビスマルクの、大破とも呼べない程の凄惨な姿。体を起こそうとするが、片腕でうまく体を支えられずに甲板にべちゃっと潰れるように倒れ込み、再び立ち上がろうとする。慌てて駆け寄ってきた春雨に支えられながら、気丈に微笑み強がりめいた言葉を南洲に向ける。

 

 

 「…変な所を見られちゃったわね。派手にやられたように見えるかもしれないけど、ちょっと油断しただけなんだからっ! こんな傷、入渠すればすぐ治るしっ。ナンシュー、気を付けてね。フソーは強いわよ…ナンシュ-、聞いてるの?」

 

 南洲の目を覗き込んだビスマルクが凍りつく。まるで知らない人を見るような目で、自分を冷たく見下ろす大柄の男。

 

 

 「…春雨、()()()味方か?」

 「はあっ!? ナンシュー、そういう冗談は笑えないわよ」

 

 -おいっ、ビスマルクは俺のおん…大切な家族だっ! ヨシクニッ、さっさと全員連れて退避しやがれっ!

 

 

 春雨がぶんぶんと首を大きく横に振り南洲の言葉を否定し、堪らずビスマルクが抗議の声を上げる。

 「何なのよまったく…春雨(ハル)…?」

 春雨もまた動揺しているようだ。一体何が…気を抜くと痛みがぶり返すが、ビスマルクにとっては目の前のナンシューの異変の方が気になる。

 「南洲(よしくに)さん、ビスマルクさんは私たちの仲間ですよ? どうしちゃったの…?」

 

 その言葉に今度はビスマルクが激しく動揺する。春雨に取りすがり必死に説明を求める。

 

 「なっ! ヨシクニってどういう事なのっ!? まさか…そんな…。ねえっ! ナンシューは、ナンシューはどうなったのよっ!?」

 

 静かに首を横に振る春雨。仕草は先ほどと似ているが示す意味は大きく違う。絞り出すような声で、春雨がビスマルクの問いに答えようとする。

 「ナンシューがどうなったのか、私にも…分かりません。ただ、今目の前にいるのは本来の槇原南洲(まきはら よしくに)さんです」

 ビスマルクはこぼれそうになる涙を必死にこらえながら、キッとした強い視線を南洲に送る。

 「返してっ!! ナンシューを返してよっ!! ナンシューは、私たちと…私と一緒に歩いてゆくのよっ!! 」

 

 南洲はビスマルクの悲痛な叫びに何も答えないが、すうっと視線を自分の胸板あたりに彷徨わせる。

 

 -ヨシクニ、今更何のつもりだっ!? 余計なマネするんじゃねーよっ。

 

 「…自分の中で声がするのは、煩わしいもんだな。それより、()()()はお前じゃ太刀打ちできないぞ。俺でさえ背筋が凍る。いいか、俺は俺の家族を…春雨を今度こそ守る。後はどうでもいい。お前こそ大人しくしていろ」

 

 半覚醒とも半消失とも言える状態だが、依然としてナンシューはヨシクニの中で足掻いている。ヨシクニは自分の中に別な自分がいる状態を初めて体験し、戸惑いながらナンシューに相対している。傍から見れば独り言を呟いているようにしか見えず、その間に影が現れる。

 

 「これも一応お返ししておきますね。やっぱりその腕じゃないと、ダメみたい」

 

 近づいてくる白い巫女服と赤いミニスカート姿の片腕の女-扶桑。キャッチボールでもするように、左手に持ったビスマルクの右腕を軽く放り投げてくる。反射的に春雨とビスマルクが視線を上に向けた瞬間、扶桑が風を巻いて突進してくる。一方冷静に扶桑の動きを見つめていた南洲は、扶桑の右腕側に最小限度の動きで体を躱す。左腕しかない扶桑に取って右側は近接戦闘時の死角になる。が、すれ違う刹那に展開された扶桑の艤装、背後に現れた試製四一cm三連装砲の砲身でしたたかに殴り飛ばされた…かのように見えた。

 

 避けられないと判断した南洲は自分から大きく跳び、打撃の衝撃を逃がす。着地と同時に抜刀し、次の扶桑の動きに備える。

 

 -扶桑っ、止めろっ! 今、助けるからなっ!

 「扶桑…哀れだな。…春雨のためにも()るしかない、か」

 

 

 真逆の思考と言葉、一つしかない身体。既に刀は抜かれている。




 しばらく別な作品に集中してたので久しぶりの投稿になりました。残りあと6話(予定)、頑張りますのでお付き合い頂けますと嬉しいです。


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94. 根の国の女王-後

 想いの繋がる先-二人の”南洲”、そして春雨とビスマルク、ついでにもう一組。そしてそれを蹂躙するかのように荒ぶる、囚われの扶桑。


 戦域を離脱し無事おおすみに帰還したLCACからビスマルクが覚束ない足取りで降りてくる。制服の上着は胸の下あたりから大きく破れ、下半身はほぼ露出した状態、軽巡棲姫(神通)の雷撃を受けた左下肢は火傷と出血が痛々しく、足元のショートブーツ様の主機も破損するなど、正しく大破状態である。

 「さて、と…入渠して再出撃しなきゃね。アカシはどこかしら?」

 

 「どこほっつき歩いてたんだよ、このじゃじゃ馬が」

 

 その声に立ち止まるビスマルク。帰投指示を出した後ウェルドックに向かった南洲が、その姿を認め彼らしい皮肉っぽい表現で帰投を歓迎し、ビスマルクの方と歩き出す。ビスマルクはしばらくの間何かを堪えるように肩を震わせ、やっと南洲の方を振り返ると、右手で長い金髪を後ろに送り、自信に満ちた声を装い南洲に応える。

 「し、失礼ねナンシュー、あの程度の相手にこの私がやられる訳ナイデショウ? 退屈だったからちょっと長めに遊んであげていただけよ。それとも、私がいなくて寂しかったの?」

 

 いつもの苦笑いではなく、柔らかく微笑みながら南洲はビスマルクへと近づいてゆく。

 「そうだな。もう少しで自分で迎えに行こうと思ったほどだ」

 軽口に真面目に返されびっくりしたが、思わず嬉しそうに微笑んでしまった。

 

 「敵本隊への攻撃のタイミング、お前が大破したと聞いてどうでもよくなった」

 その言葉で微笑みが歪み、必死に涙をこらえ顔をそむける。

 

 「よく生きて帰ってくれた」

 その言葉でぺたんと座り込み、大粒の涙が止まらなくなる。

 

 そして抱きしめられた温もり、背中に回した手が確かめる南洲の存在。そして耳朶をくすぐる囁き。

 「な、何よ。相変わらずヒドい発音ね。そ、そんなので、気持ちが伝わるとでも…」

 

 それ以上堪える事が出来なくなり、大きな声を上げ泣き出した。

 

 

 

 「……ルクさん、ビスマルクさんっ!! よかった…本当によかったです」

 はっとして目を覚ますと、目の前で春雨が安堵のため息を漏らしていた。そっか、私意識を失って夢を見てたんだ…。

 

 あれ、右腕がくっ付いてる? 身体を動かすと、びちゃっと水音がする。入渠ドック? そっか、助かったわ。にしても、やってくれたわね、フソー。しっかりお礼しなきゃ。ばしん、と左の手の平を右の拳で叩く。どうやら正常に機能しているようね。思い返してもはらわたが煮えくり返る―――。

 

 

 扶桑を取り押さえようとくらまに突貫したビスマルクだが、砲撃による母艦への被害を怖れ、それほど得意ではない近接戦闘で扶桑と対峙することになった。それに対し扶桑は砲撃の構えを見せるだけで良かった。ビスマルクが砲撃を阻止しようとする所を攻撃するだけの簡単なお仕事。積み重なった損傷に、ついにビスマルクは甲板に膝を付き、項垂れるような姿勢から動けなくなった。扶桑は無造作にビスマルクの長い金髪を掴み、無理矢理顔を上げさせる。

 

 「私の方が肌の肌理(きめ)は細かいけれど、肌の色は貴方の方が白いのね。多少の差は我慢、ですね」

 何を言ってるの、コイツは…ビスマルクは扶桑の意図を掴みかねた。だが自分の声とは思えない絶叫を上げながら、すぐに理解した。激烈な痛みが走り、力任せに右肩から先を()()()()()()。視線の先には、自分の右腕をくっつけようとしている扶桑の姿。

 

 「やっぱりダメですね。そんなの…分かっていましたけど…」

 言葉ほど残念な素振りを見せない扶桑は、無造作にビスマルクの右腕を甲板に落とすと、半壊した元ヘリ格納庫の辺りに視線を彷徨わせる。そしてビスマルクを左腕だけで軽く持ち上げ、思いっきり放り投げた。

 

 

 

 「くらま(この艦)の入渠ドックが一つだけまだ生きてたので、はい。高速修復剤も勝手に使っちゃいましたけど、怒られないでしょうか…?」

 

 春雨らしい言葉ね、と笑いそうになり、ハッとする。

 「春雨(ハル)、ナンシューは? ナンシューはどうしたのっ!?」

 「ヨシクニさんは…」

 春雨のその呼び方にいらっとしながらも、今は言い争ってる場合じゃない、とビスマルクは猛然と立ち上がり、駆け出そうとする。

 「ビスマルクさんっ!?」

 

 あの夢は夢じゃない―――技本艦隊の打撃部隊を抑えるため、独りで殿を務め大破した後のこと。救出に駆け付けたLCACに回収され母艦に戻った時のこと。南洲が囁いた言葉を思い出す。

 

 下手くそなドイツ語での告白、いつの間に勉強したの? 下手でも十二分に伝わる想い。色んな感情が湧きあがり泣きじゃくるだけの私を、ナンシューは優しく抱きしめてくれていた。

 

 -私は、ナンシューにまだ返事してないのよっ!!

 

 「春雨(ハル)、止めないで。私はナンシューを取り返すっ! 邪魔するなら…」

 「…その話はまた後でっ。それより、服を着てくださいっ!!」

 

 …はい?

 

 その言葉で我に返るビスマルクは、視線を自分の体に彷徨わせる。傷一つない輝く白い肌、すらりと伸びた長い手足、鍛え上げながらも柔らかさを失わないお腹、強烈に存在を主張する豊かな胸…が丸出しじゃないっ!! 入渠してたんだっけ…でも何でこんな時だけ無駄に細かく説明するのよっ!! 叫び声を上げながら体を庇うようにしゃがみ込む。

 

 「も、もっと早く言ってよっ!!」

 「だって、あんな勢いで駆け出すなんて―――」

 

 二人が半壊した工廠内でビスマルクが着られそうな制服を探している間に、後部甲板では一つの影が必死に何かを探し動き回っていた。すぐに目的の物を回収し、その影は直ちにその場を離れていった。

 

 

 その影-大鳳。技本艦隊で唯一、モドキの強襲による混乱を奇貨として、大湊部隊による拿捕を振り切りくらまに帰還していた。春雨がビスマルクを連れ工廠内に退避し、南洲と扶桑が睨み合いを続ける間に、斬り飛ばされた仁科大佐の四肢を集め、その体と一緒に急ぎ甲板を離れ、現状では最も安全と言えるおおすみの甲板へと飛び移り艦橋構造物の陰に隠れた。

 

 「ひどい…何でこここまで…許さなイ…大佐、少シ時間ヲ下サイ、仇ヲ討ッテ後ヲ追イマス」

 四肢を切断され甲板に放置されていた仁科大佐の体。堕天(フォールダウン)の前兆、燃えるようなオーラを纏い始めた大鳳が、飛び上るほどに驚く。

 「勝手に殺さないでください、大鳳。私はこの通りピンピンしています」

 「何を食べたらそんなふざけた体になるんですか…ほんとにもう」

 流石に多量の出血で顔色は蒼白だが、いつも通りの口調で大鳳に微笑みかける仁科大佐と、唖然としながらも嬉し涙が頬を伝うのを止められない大鳳。

 

 「あまりにも鋭利な切断面で組織の損傷が最小限で済みましたからね。傷は全て塞がっていますよ」

 涙でぐちゃぐちゃになった顔のままうんうんと頷く大鳳に、仁科大佐が淡々と話しを続ける。

 「槇原南洲…あれほどの技量で斬られたのは得難い経験、思い出すと興奮してしまいますね。ああ…失血多量なのに興奮したら股間に血流が集中して…貧血のようです」

 「大佐…骨の髄まで変態ですね。でも好き」

 泣きながら笑いながら、自分をぎゅうっと抱きしめる大鳳に、再び仁科大佐は指揮官としての表情で命じる。

 

 「さて、このフネには明石がいるはずです。私の体と四肢を繋がせましょう。さ、大鳳、急いでください」

 

 

 

 そして春雨とビスマルクが再び後部甲板に戻ると、そこで繰り広げられていたのは異様とも言える光景だった。

 

 

 人間が艦娘を圧倒している。

 

 

 瞬き一つの間でその姿を見失う速さで、踏込み、止まり、跳躍する。唯一刀の煌めきが直前までの動きを教えてくれる。四分の一を艦娘の生体組織で置き換えられた南洲の肉体は、人間の範疇を超えた運動能力を示し、それは極限まで鍛え上げられた剣技を余すところなく発揮させ、扶桑は守勢に回っているようだ。

 

 「情けないわ、あなた。仮にも妻に刃を向けるなんて…」

 南洲の刃をすれすれで躱しながら、左手の着物の袂で目元を隠し泣き真似をする扶桑を、依然として冷然とした目で見据える南洲。

 

 「第二次渾作戦…お前は()()()()()()んだろう? そのために春雨は…」

 「ふふっ。意外と根に持つ方だったのね、あなたって」

 

 かつて南洲が強要され止む無く実施した強行輸送作戦。春雨を含む第一艦隊が空襲を受けた際、後衛の第二艦隊は援護に急行した。逡巡を経て扶桑が到着した時には、反跳攻撃(スキップボミング)を受けた春雨は轟沈していた。南洲と春雨の数奇な道のりはそこから始まったとも言える。

 

 -違うぞ、ヨシクニッ! 目の前の扶桑は違うっ! お前が今振るってるその刀こそ、本当の扶桑の魂だっ!

 

 必死に呼びかけるナンシューをあざ笑い、ヨシクニを挑発するように、扶桑は殊更皮肉めいた言葉を投げかける。その言葉にくわっと目を見開いたヨシクニは、一旦飛び退き、間髪入れず走り掛かりで真正面から切り掛かる。

 「黙れナンシューッ。もういい扶桑、貴様は死ね。春雨を傷つけるやつを、俺は許さんっ!」

 

 「そして、熱くなると単調になる。何も変わっていないのね、嬉しいわ」

 

 走り掛かりでの大上段からの真っ向斬り下し。タイミングを合わせすいっと前に踏み込んだ扶桑は、左手一本で切り掛かってきた刀の鍔下すぐ、南洲の右手を掴み組み止める。

 

 瞬間、左に並ぶ様に踏み込んだ扶桑が南洲の膝裏を蹴り体勢を崩す。振り上げた戻しの足が延髄を踏みつけるようにして甲板に這わせる。その間、万力で固定したように扶桑の左手は南洲の右手を離さす、無理な動きを強要された南洲の右肩は、甲板に叩き付けられると同時に脱臼を起こした。

 

 そのまま南洲の右腕はもぎ取られ、本来の持ち主の手に渡る。ビスマルクの時とは異なり、右腕は肩口を接合面として扶桑の体に見る間に融合する。動きを確認するように右肩を回す扶桑は、珍しそうに右手にある刀を眺めている。

 「これは艦娘の艤装…木曾の匂いが微かに残っているけど、拵えは日本刀みたい」

 

 右肩からの出血が続く南洲は急速に体力を奪われ、もがきながらも踏みつける扶桑の足から逃れられずにいる。

 「春雨…逃げろ。パヤヘに抜ける非常用トンネル、分かってるだろ? 急げっ」

 -ヨシクニッ! 何言ってんだ、おい? やる気ないなら体を空け渡せっ!! 俺がやるっ。

 



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95. 自分で選ぶということ

 扶桑-日ノ本の国の古称を冠された艦娘。だがその心は一人の女性としてのそれでもある。その想いに付け込む様に操る中臣浄階と、自分自身に戸惑う春雨。そして鹿島を中心とする南洲隊もまた覚悟を決めて動いていた。

(20170530 一部表現修正)


 「あら、春雨…待っててね、すぐこっちを済ませて、次は貴女の番ですから」

 「春雨、何してるっ!? 早く逃げろっ。すぐにこいつを殺して俺も行くから」

 

 ほぼ同時に扶桑と南洲から上がった声に、ビスマルクの修復と着替えを終え、工廠から駆け付けた春雨は完全に棒立ちになった。

 

 -こんなの…違う。二人とも…何かが、おかしい。

 

 目の前で何が起きたのか、頭では分かっていても心が拒む。

 

 嬉しそうに歪んだ笑みを貼りつけながら、南洲の、かつて夫と呼んだ男の右腕をもぎ取った、その男に妻と呼ばれた艦娘、扶桑。その妻と呼んだ艦娘に、憎悪を叩き付けるように『殺す』と平然と口にするその夫。扶桑に対しても南洲(よしくに)に対しても覚えていた違和感。春雨の中でそれがどんどん大きく膨らんでゆく。

 

 一方ビスマルクは、その光景を見た瞬間は驚愕の表情を浮かべたが、すぐさま厳しい相へと変わり、無言で艤装を展開する。身にまとうのは、そこにある中では唯一まともだった、胸辺りまでの丈の鋲だらけのレザージャケットと、膝上20cmほどで腰までスリットの入った超ミニのレザースカート。インナーはない。着ないよりまし、その程度の衣装だが、今はそんな事を気にしている場合ではない。

 

 「春雨(ハル)、ごちゃごちゃ言ってる場合じゃないわ。あなたは…好きにしなさい。ヨシクニとの思い出に浸っていたければそうしなさい。私はナンシューを助ける。もうあなたに…遠慮しないわ」

 ぐいっと春雨を押しのけ前に出るビスマルクが砲撃体勢に移行し、四基の主砲を動かし始める。

 

 -けど、このまま撃てばナンシューを巻き込んでしまうわね…。どうすれば…一瞬でいい、フソーの注意を逸らせれば…。

 

 

 「油断シマシタネ。次弾、装填済ミデス」

 

 

 後部甲板左舷後方、舷側近くにうず高く積み上がった瓦礫が吹き飛び、扶桑の右後方から猛然と襲い掛かる一つの影。扶桑の最初の砲撃で吹き飛ばされた後、瓦礫の中で虎視眈々とチャンスを窺っていた軽巡棲姫(神通)が、連撃を加えたのと同時に飛び出し挑みかかる。右足で踏み出し、次に左、そして閃光のロングランス(右前蹴り)。全体重を左足の親指の付け根に乗せ、そこを起点としたひねりを足首、膝、股関節、腰を通し右脚に伝える。背筋、腹筋、上体の力も加え、連動した全ての力を前蹴りとして解放する。

 

 扶桑の右斜め後ろから襲い掛かった神通に対し、扶桑は上体をひねると無造作に右手に持つ刀を突き出した。刀が神通の足先に触れた刹那、切っ先がほんの僅か下がる。ただそれだけ。後はカウンターの要領で、足裏から脹脛を経て太腿の裏まで、神通の右脚は切り裂かれズタズタに破壊され、勢いを失いながら糸の切れた人形のように甲板に倒れ込む。

 

 勝負に負けたが試合には勝った-時間にすれば僅か数秒の間で行われた攻防の最中、飛び出したビスマルクは南洲を確保し、くらまの艦尾すれすれまで後部甲板を飛ぶ。

 「春雨(ハル)っ!!」

 ここで砲撃、あるいは棘鉄球(モーニングスター)で攻撃すれば扶桑を痛撃できる。が、春雨はただぼんやりと扶桑を見つめているだけだった。ビスマルクは南洲を抱きしめながら悔しそうに歯噛みし、首を大きく左右に振る。

 

 「所詮絡繰(からくり)は絡繰。主抜きでは箸の上げ下げもできぬか」

 右手に持った刀を振るいながら、扶桑が春雨の方に向き直る。同じ声帯のはずなのに、全く違う澱んだ暗い男性の声。ゆっくりと春雨に近寄りながらも、その舌は滑らかに回り続ける。

 「この扶桑(現身)は、かつて槇原南洲に分霊を移植した際の残滓。残るは、恨みや憎しみ、怒りで満たされた思いのみ。直霊(なおひ)を欠いた体に入り込むなど造作もなかった。春雨…いや駆逐棲姫よ、貴様も本来はこちら側の存在、何を戸惑うのか…?」

 

 春雨の目の前にやって来る少ない歩みの間、誰に聞かせる話でもなく、ただ扶桑、正確には扶桑の負の感情を利用してその体を操る中臣浄階が語り続ける。

 

 「ナ、ナンシュー!?」

 ビスマルクを押しのけるように、ふらふらと立ち上がった南洲は、よろけながら前に歩き出す。満身創痍、それでも南洲は、倒れ込みぴくりとも動かない軽巡棲姫(神通)に躓きながらも意に介さず、よろよろとした足取りで春雨に向かおうとする。

 

 「春雨、早く帰ろう。さすがにキツいな、はは」

 -コイツ、()と記憶が繋がっていない。重なっているのはウェダの最後まで。春雨(ハル)を守る、いや、春雨(ハル)しか守るつもりがない。そして…こんだけ周囲の状況が違ってんのに気付かねーってのは…飛龍と同じか。どうやら主人格様は壊れて時が止まっているようだな。

 

 「ヨシクニ、さん…?」

 南洲の口から繰り返し出る『帰ろう』の言葉、それがもう一つの違和感の正体-春雨は扶桑と南洲を交互に見ながら、自分自身にもまた違和感を覚え始めていた。

 

 「仁科なんぞに任せたのは我が不明、布哇(ハワイ)の攻略など扶桑()で十分。疾くケリをつけ先を急ぐとしよう」

 近づく南洲の気配に反応した扶桑は、首だけを南洲の方に向け、空虚な笑みを向ける。

 

 

 

 「大佐…艦内にはまだ敵の艦娘が複数いるはずです。対応はどうすれば」

 「大鳳、私の向きを変えてください。…そう、それでいいです。で、走りにくいでしょうが、その姿勢を維持してください。これで背中の砲塔が前後に動かせます」

 

 おおすみの艦内をラボに向かって駆ける一組-大鳳と仁科大佐。大鳳は仁科大佐の指示に従い、お互いの顔が向きあう形、つまり正面から仁科大佐を抱きかかえている。南洲により四肢を切断されたものの、依然としてそれ以外の部分は正常に機能している。

 

 「それで大佐、先ほどのお話ですが」

 「ふむ…。私はエンジニアですので魂云々の事はよく分かりませんが、およそ魂とよばれるモノは、喜怒哀楽好悪善悪それらが混然一体となっています。浄階様が行ったのは、魂を機能別に分類し移植し、その制御機能を別に設ける、ということでしょうね。あの扶桑は、おそらく怒り哀しみ、憎悪といったネガティブな感情を源とし、浄階様が暴力的な力の発現を担っている…なぜそんなことに興味を持つのですか?」

 「…大佐が死んだと思った時、私も我を忘れました。全て壊し殺し尽くして、大佐の後を追おうと…」

 「大鳳、許しませんよ、そんなことは。貴女は最強の空母の一角を担う存在です。何が起きても、どこまでも誇り高くありなさい」

 

 その言葉に大鳳の足が止まり、ぎゅうっときつく仁科大佐を抱きしめる。

 「大佐、あなたがいるから、私は大鳳でいられます。…でも、扶桑さんは…」

 「た、大鳳、力を入れすぎです。…そうですね、方法は色々検討できますが扶桑の中身を全て入れ替えるか、分割された残りと統合しそちらが制御を担えばいいんです。設備…大湊の機材があれば、私も色々楽しめたと思うのですが…。とにかく今はラボへ急ぎなさい。さっさと四肢を結合しないと、貴女のスパッツさえ替えてあげられません」

 

 頬を赤らめ頷きながら艦内を急ぐ大鳳だが、不思議と一人の艦娘に会わず、一切の抵抗なく目的地に辿りついた。

 

 

 

 「いい加減にしろよ、鹿島。お前は俺を本気で怒らせたいのか? それとも南洲の差し金か?」

 低く抑えたトーンながら、怒りを隠さずに宇佐美少将は鹿島に詰め寄る。

 

 現在、おおすみ艦内に残っているのは明石だけ。おそらく満身創痍で帰還するであろう南洲やくらま突入組の手当や入渠に備えてである。他の艦娘達は、おおすみとくらまから北西約一〇kmに陣を敷いていた。

 

 

 二五分―――宇佐美少将の最後の猶予を経て現れた大湊機動部隊の攻撃隊は、展開する南洲隊に阻まれ目標に近づけずにいる。

 

 

 前衛には萩風と駆逐古姫(神風)、吹雪が配され対潜と防空の両方を担い、羽黒、鹿島、秋月が陣取る中盤、後衛には龍驤、飛龍、天城、そして堕天(フォールダウン)した翔鶴(空母水鬼)が配置される。軽空母三、しかも損耗も激しい大湊の攻撃隊には、正規空母三軽空母一からなる南洲隊の直掩機を突破する事ができないのは明らかで、部隊を取り囲むように周回を続けている。

 

 「南洲さんがこんなことを知ったら、きっと激怒します。私たちにはさっさと退避しろ、って命令してましたから」

 ツインテールをふわふわと風にゆらしながら、鹿島が涼しげな声で宇佐美少将に応える。

 「…ならお前らの独断か、とんでもない連中だな。惚れた男、それもお前の方を向いてない奴のために死ぬってか」

 揶揄するようなニュアンスを含んだ宇佐美少将に、全く動じることなく鹿島は微笑む。

 「そうですよ、うふふ♪ 可哀そうですね、宇佐美少将はそこまで人を好きになった事が無いんですね」

 

 「そういう問題じゃねーんだよ、ったく、この色ボケどもがっ!」

 「ソノ何ガ悪イ? 艦トシテひりひりスルヨウナ鉄火場ニ、万全ノ準備デ放リ込ンデクレル。女トシテアノ大キナ手デ抱カレル喜ビ、ソノタメナラ何デモデキル。オ前ニハ分カラナイダロウガ、マ、ソウイウ事サ」

 翔鶴(空母水鬼)が通信に割り込み、艦娘としての本能に忠実な声を上げると、続いて肩をすくめながら龍驤があまり気持ちの籠らない声で宇佐美少将に詫びを入れる。

 「済まんなあ、ほんまに。でもしゃーないで、宇佐美のおっちゃん。強いてゆーたら、あんな男を隊長に据えたおっちゃんが悪いわ、あれは大体の艦娘は惚れてまうで、うん」

 

 噛みあわない会話を、強引に締めくくったのは普段は大人しい羽黒だった。

 「宇佐美少将、この成り行きは本当に申し訳ないと思います。ですが、私達の隊長は今も戦い続けています。後を託された私たちが逃げ出すなど、艦娘の誇りにかけてできません。処罰は後でどのようにでも。ですが、今この戦場は私たちに預けてくださいっ。…今まで本当にありがとうございました」

 

 スピーカーの向こうで宇佐美少将がまだ何か言ってるが、鹿島が満足げに頷きながら通信を終了する。そして両手で小さくガッツポーズを作り、改めて全員に向かい宣言する。

 

 「みなさん、頑張りましょうっ! 南洲さんは必ず戻ってきますっ。そしたら…思いっきり甘えちゃいましょう♪」



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96. あなたがわたしにくれたもの

 長い旅の末に、春雨がやっと気づいた自分自身の思い。戦いの終結に向け最後の力を振り絞る。そして帰ってくる二人。




 「ふむ…流石明石ですね。大湊の設備をこの艦に移設していましたか。ですが、癒合部の切除をし過ぎです。手足が五cm程縮んだではないですか。…まあ、仕方ありません、良しとしましょう」

 

 突然ラボに現れた大鳳、そして大湊時代の上司だった仁科大佐に、おおすみの留守を預かる明石は卒倒しそうなほど驚かされた。四肢を切断され大鳳に抱きかかえられた仁科大佐は、それでもピンピンし、矢継ぎ早にERの準備と大鳳の入渠の指示を出す。まるで自分がこの艦の主であるかのような振る舞いに、明石は途中まで反射的に指示に従いそうになってしまった。落ち着いて見てみると、大破した空母娘と戦闘はおろか自分だけでは動けない男。戦闘艦じゃない自分でも何とかなる…と思い艤装を展開しようとしてギョッとした。仁科大佐の背後で、フレキシブルアームを介し動く四一cm連装砲が自分に照準を合わせている。

 

 「呑み込みが早くて助かります。明石、貴女には選択肢はありません。さあ、私の四肢の再接着術を準備なさい。大丈夫です、すでに癒合した部位を薄く切除し、骨を少し短くして鋼線で固定してくれればよいのです。あとは私自身の細胞が勝手に接着してくれます」

 

 …というやりとりを経て、おおすみのラボでは、明石が涙目になりながら床にぺたんと座り込んでいた。その横で動きを確かめるように屈伸や伸身を繰り返すボンデージ姿の仁科大佐と、入渠を終えた大鳳。

 

 「さあ明石、何を呆けているのです、仕事はまだ終わっていませんよ。宇佐美少将と連絡を取りなさい。ここからが正念場です」

 

 

 

 数にすれば四対一、だが実働はビスマルクのみ。神通と筑摩は負傷のため動けず、春雨は棒立ち。扶桑と一番距離のあるビスマルクだけが戦意旺盛かつ健在。ただ主砲を斉射しようにも、射線上にはふらふらと覚束ない足取りのまま歩く南洲、その向かう先には扶桑、さらにその先には春雨がいる。

 

 南洲が近づいてくる事に気が付いた春雨は、深呼吸を繰り返し、扶桑を無視して南洲に問いかける。

 「ヨシクニさん…どこへ帰るつもり、なの…?」

 「決まってるだろ―――」

 

 

 -ああ、そうだったんだ。

 

 

春雨は天を仰ぎ、扶桑がゆっくりとした足取りで南洲へと近づく。ビスマルクは必死に考える。どうすれば南洲と春雨を傷つけずに扶桑を攻撃できるのか。春雨が動いてくれれば…。

 

 

 -分かっていなかったのは、私なんだ。

 

 

 ヨシクニさん…私を家族と呼んでくれて、何もない島で力を合わせて居場所を作りましたね。想いは叶う、そう信じていました。けれど、私は轟沈し駆逐棲姫として再び現界、ウェダ基地は失われ、貴方はナンシューとして帰ってきました。その後訪れたのは暗く血塗られた道、気が狂いそうになった日もある、それでもウェダでの日々を思い返す事で、何とか心の均衡を保っていました。

 

 今の部隊になっても相変わらず荒事ばかりで、けれど新たな仲間が増え、ナンシューは徐々に明るくなりました。でも私は、きっと私だけは大きな誤解をしてた。ナンシューはヨシクニに戻りつつあった訳じゃなく、例え仮初めの人格でも、真っ直ぐに生きて、全ての艦娘のために戦う、その決意に辿り着いたんだ。

 

 私は一番近くでそれを見続けて支えていたのに、それがどんな道でも一緒に前に進んでいたのに、今になるまで気づけなかった。…神通さん、『同じ所で止まっている』なんて偉そうな事を言ってごめんなさい…。ウェダ(あの日)を懐かしみ振り返ることはある。でも、それは『今』があるからできる事なのに。それをくれたのは―――。

 

 春雨がヨシクニと視線を合わせる。頬を流れる涙をそのままに、今までと違う笑顔を向ける。

 「ごめんなさいヨシクニさん、私は…もう先に進んでいるんです、はい…。()()()()()あなたがくれた、大切なものと一緒に」

 南洲に向かい、深々と頭を下げていた頭を上げた春雨は、きっと表情を引き締め、右腕をしならせ棘鉄球(モーニングスター)を投擲し、思いの丈を吐き出す。

 

 「ナンシューは、本当に命を懸けて私達艦娘を守るため技本と戦ってきた誇り高い人です。だからこそ私の、いえ…私達の心の羅針盤は、ナンシューが示してくれた海を行くんです。例え南洲が戻らなくても、私はもう迷いませんっ。私達は、全ての艦娘の権利のための即応部隊、艦隊本部付査察部隊MIGOです。扶桑さん、あなたを捕縛しますっ」

 南洲のすぐ眼前に立っていた扶桑は、迫る棘鉄球の気配に気づくとそれに正対する。抉り取った南洲の右目を自分の眼窩に収めていた扶桑は、血に濡れた左手を右手に持つ木曾刀の柄に添え、力任せに振りおろし棘鉄球を撃ち落とす。長年春雨と共に戦い続けてきた棘鉄球が叩き割られ、破片が甲板を跳ね回る。

 

 「春雨(ハル)っ! 待ちくたびれたわよっ。そうこなくちゃっ!」

 春雨がモーニングスターを投擲したと同時に飛び出したビスマルクは、急速に扶桑に接近しようとして急減速を余儀なくされた。春雨も突入の体勢を取ったが、それ以上動かない。二人の目に映る、ふらふらと扶桑に迫る南洲の姿。

 

 

 春雨の言葉を聞いていたのかいないのか、南洲は扶桑に、膝を付き力なく胸に顔を埋めるようにして倒れ込む。

 

 「春雨…お前が何を言ってるのか分からんよ。けどな、俺は二度とお前を失いたくないんだ。あんな思いは二度とご免だ。そのためには…誰だろうと、お前を傷つける奴は全て倒す…」

 

 ぶつぶつと呟き続ける南洲だが、その目に力は無い。度重なる戦闘で受けた傷、そして扶桑にもぎ取られた右肩からの出血は、以前に比べ低下した組織修復の能力を超え、確実に南洲の体を衰弱に追い込んでいる。残された左腕を必死に持ち上げ、その手に握る銃を扶桑に向け突き付けたが、それが限界だった。一瞬がくりと南洲の首が力なく項垂れ、左腕もだらりと下がり、辛うじて保っている意識を手放してしまう。

 

 そしてすぐにまた咆哮する。

 

 「ヨシクニ、どこまで勝手なんだテメーはっ!! 誰かの犠牲がなきゃ春雨(ハル)を守れねーなら、それは手前が腑抜けなだけだ! 俺はハルも飛龍も、ビスマルクも羽黒も秋月も鹿島も、全部守る。もちろん扶桑もだっ!…………あれ? って俺の声? って俺は俺なのか?」

 

 ナンシュー、入れ替わる様に帰還。血の気の失せた顔色のまま、周囲をきょろきょろと見回すが、扶桑が左腕を背中に回し、抱きしめるような格好になった。視界いっぱいに広がる扶桑の双丘に視線は遮られる。

 

 そしてメキメキとイヤな音がし、南洲の右の肋骨が砕かれる。

 「愚かな…つくづく愚かな…。所詮は傀儡(くぐつ)よ。これでもう貴様の艦娘は我に手出しできぬ」

 

 南洲は苦痛に顔を歪めながらも春雨とビスマルクに視線を送り、精いっぱい強がって見せる。勝つ事はできる。ビスマルクが自分ごと斉射すればそれでいい。だが、それだとビスマルクが、そして扶桑が救われない。

 

 -どうすりゃいい、刀は右腕ごと取りあげられちまったしな。

 

 「中身ジジイの扶桑に抱き付かれても…嬉しくねえな。手前は…なぜハワイなんかを狙う?」

 肋骨を砕かれた激痛に耐えながら、南洲は時間を稼ごうと中臣浄階にその意図を問う。

 「彼の地を押さえれば、アメリカは太平洋への要石を失う。そして我の背負いし八〇万余柱の満たされぬ魂を力に変えた扶桑を以て、彼の地に生きる全てを根絶やしにし、常夏の島は常世の島へと化す。あの地より始まった長い戦、その代償をアメリカに支払わせるのだ」

 

 そこまで聞いて、軍人として南洲は心底可笑しくなってしまった。笑うたびに激痛が走る。それでも、一気呵成に激情をぶつける。

 

 「カビ臭いジジイだと思ってたけど、頭の中までカビてたんかよ。いいか、手前がハワイを制圧して死人だらけの島にしたら、待ってましたとICBMで焼き払われるだろうな。殲滅戦はボタン一つで済む時代なんだよ。手前の戦略自体時代遅れで話にならん。本土でのテロ、あれはすげえと思ったが結局宇佐美のダンナに食い止められたしな。ったく、こんなくだらねー事でどれだけの命を無駄にしやがった? 八〇万余柱の満たされぬ思い? 冗談は止めろよ、目の前の命を大切に出来ない奴にそれだけの思いが背負える訳ねーだろうがっ! 気が済んだかジジイ、さあ、さっさと扶桑を元に戻せっ…ぐあああっ!」

 

 再び扶桑の左腕に力が籠り、折れた肋骨が内臓に突き刺さるのを、南洲は痛みと共に感じていた。

 

 -さすがにやべえな、こりゃ。やっと戻ってきたと思ったらこのザマか。

 

 「…よかろう槇原南洲、貴様も贄となるがよい。常世の国にてまた会おう」

 

 冷然と言い捨て、右手の刀を逆手に持ちかえ振り上げる。

 

 

 そしてその腕は金縛りにあったように動きを止める。

 

 

 「久しぶりですね、あなた。ごめんなさい、こんな事になるなんて」

 

 左腕の戒めが解かれ、甲板にへたり込む南洲が見上げる。記憶を揺さぶる、甘く優しく、そして涙に震えた声。残った目を見開くと、赤い双眸を涙に濡らし、悲しげに微笑む扶桑の顔の半分が見える。

 「…やっぱりお前はとんでもない美人だ―――」

 最後まで言葉を言えないまま、しゃがみ込み抱き付いてきた扶桑に南洲の唇は塞がれる。しばしの時のあと、唇を離す二人の間に銀の糸が伸びる。

 

 「…一体何がどうなってこうなってんだか、さっぱり分かんねーよ」

 右手に握った刀から手を離し、目を伏せ両手を胸に当てる扶桑。慌てて春雨とビスマルクも集まってきた。

 「中臣浄階があなたの刀を手にした時から、私、頑張ったんですよ? それに、あなたから奪った右腕はすでに私だけの物ではなく、あなたと私が霊的な意味で溶け合ったものです。刀に宿った私は、あなたの力を借りながら、少しずつ、中臣浄階の強力な霊的攻勢防御を突破し、やっと…やっと帰ってきました」

 

 本当に華やかに、それでいて少しだけ悲しげに微笑む笑顔。

 

 「南洲…」

 再び扶桑が南洲を抱きしめ、南洲もさせるがままにしている。ビスマルクは少し不機嫌そうに、春雨は鼻まで真っ赤にして泣いている。

 

 「ビスマルク、ハル、取り敢えず帰ってきたぜ。…扶桑、あんまり力入れないでくれ、結構まじで死にそうだよ、俺」



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97. 旅の終わり

 Last mission、後に『北太平洋海戦』と呼ばれる、技本艦隊追撃戦の最終話。勝って得る物より失う物の方が多い、それでも止まれなかった南洲と彼の艦娘達の戦いに幕が降りる。


 「………あの二人、ムカつく」

 ぷうっと頬を膨らませたビスマルクが腕組みしながら扶桑と南洲をジト目で見つめている。あまりにも剣呑な口調に春雨がびっくりしてビスマルクを見上げる。

 「なんていうか、妙にしっくりきてるというか、一緒に居て違和感がなさすぎ」

 そう言われて春雨も改めて二人を見てみる。…頷かざるを得ない、同じように春雨がむうっとした表情になったところで、ビスマルクは扶桑に、そして春雨にも宣戦布告する。

 

 「…ところでフソー…()()が再会を懐かしむのは分かるわ。でも、そこにいるのはヨシクニじゃなくてナンシュー…私のzukünftig mann(将来の夫)よ。と、とにかくそろそろ離れてもいいんじゃないかしら」

 

 南洲に抱き付いていた扶桑は振り返り、綺麗な所作で正座から座礼をすると、にっこり微笑み貫録の違いを見せつける。

 「こちらこそ、()()が色々と面倒をかけましたね。大変でしたでしょう? この人、すぐに無茶をするから目が離せなくて…」

 そこまで言うと南洲に向き直り、愛おしそうにその頬を撫でる扶桑。そしてビスマルクを自覚なく突き放す。

 「…この人と私は、かつては二心同体で、その後私は刀に宿りながら、在りし日から今に至るまで全てを分かち合っていますから。それに…あの頃からこの人は、壊れ始めていました。その全てを見続けてきた私には、ヨシクニとかナンシューなどど分ける理由がよく分からないというか…」

 

 虚を突かれた様な表情になった春雨は、隣でぷんすかしているビスマルクを尻目に、次第にくすくすと笑い始める。

 

 -敵わないなあ、やっぱり。ビスマルクさんにもはっきり言われちゃったし、これは大変です…はい。でも、今からでも頑張らなきゃっ! まだチャンス…ありますよね、南洲?

 

 「とにかく、おおすみに戻って南洲の治療をしなきゃ、です」

 春雨の言葉に扶桑もはっとした表情になり、慌てて南洲から離れる。右腕と右眼の欠損、右肋骨粉砕骨折…南洲が負った重篤な傷のほとんどは、操られていたとはいえ自分がつけたもの。居た堪れなさそうに身を縮める扶桑の髪をくしゃくしゃしながら、南洲は血の気の引いた顔で無理に微笑み、皮肉っぽい口調でからかう。

 「気にすんな扶桑。その代り、二度とあんなジジイに体を許すんじゃねーぞ」

 「なっ、何て事をっ! 私はあなたしか知りませんっ。それはよくご存じでしょう? …それとも、忘れちゃったの?」

 うるうると赤い瞳を潤ませ真っ赤な顔で抗議する扶桑に苦笑いで応えた南洲は、撤退を指示する。

 

 「仁科の野郎はいつの間にか消えちまったか…。あいつが出てくると、いつも俺はボロボロにされるな、つくづく相性が悪い。だが、技本艦隊のハワイ侵攻は食い止め、非合法実験の被害者となっていた艦娘は大半を保護できた。まあ良しとしよう。おおすみに戻るぞ。ビスマルクは筑摩と神通を回収してくれ。扶桑と春雨は…悪いけど支えてくれるか? さすがに立てそうにもない」

 

 その言葉に春雨が駆け寄り、左側から南洲を支えながら立ち上がらせる。身長差がある二人がよたよたとしながら歩く光景を後ろから見ていた扶桑は、くすっと笑いその後をついて行こうとする。そして南洲の刀が落ちているのに気付き、身をかがめ拾い上げる。

 

 「あなた―――」

 

 

 

 

 

 

 「シネ」

 

 深々と背中から突き立てられた木曾刀は、南洲の分厚い胸郭と大胸筋を貫通し切っ先を現し、引き抜かれる。同時にゴフッと音を立て、南洲の口から血潮が溢れだす。

 

 

 「我が(しゅ)をそう簡単に破れると思うたか、浅はかな。扶桑、愛する男を殺めた感想はどうかの?」

 

 

 南洲を支えていた春雨の頬に、南洲が吐いた血の飛沫がかかる。先を進んでいたビスマルクは異変に気づき振り返る。そして驚愕のあまり、両脇に抱えていた筑摩と神通を甲板に落としてしまった。

 

 「あ……あ……ああっ!!」

 「そうかそうか、言葉にならぬか扶桑。よかろう、後は我に任せよ」

 

 真っ青な顔でガクガク震え、扶桑は手にした血に濡れた刀を見つめていたが、やがて静かに顔を伏せる。そして次に顔を上げた時には、最初に現れた時と同様に陰惨な笑みを浮かべ、艤装を展開する。背後の巨大な試製四一cm三連装砲が動き、砲撃体勢に入ると同時に無造作に発砲する。黒煙に包まれた後部甲板に轟音が響き、くらまの艦橋構造物の大半が爆散し炎に包まれる。

 

 

 

 ずるりと力なく崩れ落ちてゆく南洲の体を、ただぼんやりと見ていた私。何かが頬を伝うのを感じて手を当てる。赤い。これは…血? 誰の? 南洲の、ですね。誰ガ…誰ガヤッタの? やっと、ヤット辿リツイタ私ノ道、誰ガ閉ザスノ?

 

 頬を流れる涙が南洲の血を洗い流す。背中に巨大な砲塔を背負った白い女が、心底可笑しそうに哄笑している。自分の中で何かが沸騰した。

 

 -何ガ可笑シイノッ!?

 

 「それでいい、駆逐棲姫よ。貴様を縛る軛はもうない、我と共に来るがよい」

 「ダメよ春雨(ハル)ッ、今は南洲を助けるのが先よっ。こいつは…私に任せてっ」

 

 同時に声がします。一つは暗くくぐもった声、もう一つは必死に()に呼びかける声。南洲…? 南洲っ!! 何を私は呆けていたのでしょう、慌てて南洲に取りすがります。傷は…深い、出血が止まりません。心臓を貫いてはいませんが、動脈はやられてるようですね、一刻を争います。私は南洲を横抱きにし、白い女を無視して、おおすみへ戻るため一気に駆け出します。

 

 「させないわよ、フソー」

 背中越しに聞こえた、怒りを押し殺したビスマルクさんの声と同時に轟いた砲声。振り返ってる暇はないです、一刻も早くっ。

 

 

 

 鹿島率いるMIGO、それを取り囲むように展開する大湊航空隊、いずれもが一斉にくらまの方を注視する。突然起きた砲撃により吹き飛んだくらまの艦橋と立ち上る炎、その後も断続的に砲撃が続く。艦娘同士が艦上で戦っているのは明らかで、その場にいる唯一の人間・南洲が最も危険となる。

 

 「艦隊転進っ! 私はおおすみに戻って状況を把握します。空母のみなさん、エアカバーを大至急展開っ! 他のみんなは現場に急行し包囲してください!」

 

 先頭に立って…と言いたい所だが、速力の差でむしろ最後尾となった鹿島は部隊の背中を見送り、空を舞う大湊の航空隊が体勢を整えくらまとおおすみに方向を変えるのに目をやり、悔しそうに唇を噛み締める。

「お願い…お願いだから…南洲さんを…」

 

 その鹿島がおおすみに戻り、CICで仁科大佐と遭遇し腰を抜かすのはまた別な話として。

 

 

 

 南洲隊の直掩隊と大湊の攻撃隊が双方を牽制しつつ乱舞する眼下では、ビスマルクと扶桑(中臣浄階)が激しく戦い続けていた。

 

 

 「八〇余万柱の魂が支えるこの現身に傷をつけるとは…流石ドイツの誇る大戦艦、総統(ヒューラー)を名乗るチョビ髭が執心するのも頷ける」

 扶桑型は元々攻撃力と防御力をトレードオフしたアンバランスな戦艦で、その現身の扶桑もまた、防御力は低い…はず。なのに四基八門の三八cm砲による多数の直撃弾でも沈黙させられない。その理由は―――ビスマルクは心底不快そうに、秀麗な顔を歪める。

 「…人間の魂を改修資材に使ったって言ってるの? 貴方はPriester(神職)なんかじゃない、Tuefel(悪魔)よっ!!」

 ぐらりと船体が大きく揺れ、二人は体勢を崩し、艦首側へと滑ってゆく。鹿島が再びおおすみの機関を全開にしくらまから逃れようとしている。さらに繰り広げられた艦上での砲撃戦は、くらまに甚大なダメージを与え多くの構造物は吹き飛ばされ艦上は火の海と化し、艦首側から緩やかに沈み始めている。

 

 「待ちなさいっ」

 同じように甲板を滑り落ちながらも、ビスマルクは扶桑に手を伸ばして摑まえる。にやり、と扶桑、いや中臣浄階が笑う。

 「この女が憎かろう、槇原南洲が恋しかろう、気も狂わんばかりだろう。その身を我に差し出すが良い」

 

 扶桑が素早く黒い人形(ひとがた)を胸の谷間から取り出すと、同じようにビスマルクの胸に貼りつける。道を外した神職が編み出した、古神道をベースに道教や密教を習合させた人形を介し艦娘を操る秘術。南洲が刺され我を忘れたビスマルクは、扶桑の次の依代に好適と、中臣浄階の目に映った。

 

 

 「…………ぬ?」

 「いつまでも人の胸を触ってるんじゃないわよっ、このへんたいへんたいへんたいっ!!」

 ビスマルクの胸を不思議そうにぺたぺた触り続ける扶桑。だが何も起こらない。

 

 「な、なぜだっ!? 負の感情に飲まれ堕ちておらぬのか!?」

 「私はフソーを憎んでなんかいないっ! ナンシューは全ての艦娘の権利のために戦う、そう言ったわ。ならフソーだって救われなきゃっ! 私はナンシュ-を導く光になると決めたのよ、甘く見ないでっ!!」

 

 ビスマルクは扶桑の腕を捕まえジャイアントスイングで放り投げる。そうしてから、自分の胸に貼りつけられた黒い人形を剥がし、忌々しそうにびりびりに破り捨てる。放り投げられ瓦礫に叩き付けられた扶桑だが、それでもゆらりと立ち上がると、その右手には木曾刀が握られていた。傾きを増す甲板を気にしながらビスマルクは再び砲撃体勢に入る。

 

 「…救うって言ったけど…。あんなのどうすればいいのよ、ナンシュー…」

 

 

 佇む扶桑は、静かに、ただ静かに微笑む。それは先ほどまでの禍々しい表情ではなく、燃え盛る炎に囲まれ赤く照らされた白い姿。あれは()()()フソー…非現実的なほどの美しさにビスマルクは見とれてしまった。

 

 

 「中臣浄階…私怨に身を焦がし、数多の艦娘の、人間の魂を弄んだ果てに何を得たのですか? あの人形(ひとがた)を手放した以上、貴方はもうどこにも行けない。肉の体を捨てた貴方は忘れたかも知れませんが、貴方が私に留まっている限り、私が死ねば貴方も死にます。それでも、またいつか私は生まれ変わり、扶桑の国を…南洲(愛する人)を、貴方のような輩から必ず守ります。艦娘の魂は、貴方が思うほど弱くないのよ」

 

 

 艦娘といえども、一撃で心臓か脳を破壊されるか、一瞬で焼き尽くされれば死に至る。扶桑は目を閉じると、逆手に持った刀を自分の心臓に突き立てた。背中には貫通した刃先が飛び出している。南洲と同じようにコフッと口から血を溢れさせ、扶桑は甲板に崩れ落ちた。

 

 

 くらまには最期が近づいている。連続して起きた爆発、艦の傾きは最早猶予を許さず、離脱するおおすみは遠ざかってゆく。全てを見届けたビスマルクは、静かな足取りで近づき、横たわる扶桑を見下ろす。満足そうな微笑みを浮かべている扶桑の頬に、ぽたぽたと涙が落ちる。声を殺し肩を震わせながら、ビスマルクは静かに涙を流し続けていた。そして拳で涙を拭うと、くらまを後にする。

 

 

 

 くらまの沈没を見届けおおすみに帰投した艦娘達は、とにかく驚愕した。まるで自分の艦であるかのように堂々と寛ぐ仁科大佐と、涙目でパニクっている鹿島。そしてその最期を看取るように春雨が腕から離さない意識不明の南洲。仁科大佐は何事かを考え、指示を出し始める。

 

 「鹿島、明石に連絡しなさい。ER(集中治療室)準備、私が執刀しますっ」

 

 

 そしてER内―――。

 

 「…嬉しそうですね、大佐」

 手術衣に身を包んだ明石が、手術台を挟み正面に立つ仁科大佐に目を向ける。

 「ええ、嬉しいですよ。宇佐美少将との交渉が成立しましたからね。ん? 槇原南洲ですか? 後は本人の生命力次第ですが、何とかなるでしょう」

 

 

 『アカシ、アカシッ!! 艦娘の急患よっ! 心臓(バイタルパート)に致命的損傷、今から連れてくから、必ずフソーを助けなさいっ!!』

 

 ERのスピーカーからビスマルクの悲鳴のような声が響き渡り、明石と仁科大佐は思わず顔を見合わせる。

 

 「何とまあ、無茶振りをする姫ですね。…ここまでする義理はありませんが、乗りかかった船です、助けてあげましょうか」

 




 番外編と次章『Secret Mission』がこの後少々続きます。よろしければ引き続きおつきあいいただけますと嬉しいです。にしても、あとX回とか具体的に言うのはもう止めよう…守れた事がない(´・ω・`)


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番外編 ハワイの二人
98. へんたいさとへんたいほう


 この話は本編の番外編で、主役はサブキャラの変態佐こと仁科大佐と大鳳、彼らによる北太平洋海戦の後日談であり次章への繋ぎ。遠く離れた地から、南洲たちの今をただ見つめ、自らは新たな道をゆく大佐。


※ご注意
zero-45様【大本営第二特務課の日常】
https://novel.syosetu.org/80139/

 と世界観のごく一部を共有している側面がありまして、たまに重なる話題や登場キャラの名前が出ることがあります。コラボというほど緊密ではなく、同じ話題にさらりと触れる時もあるんだね、という感じでご理解いただければと思います。


 ハワイ・ホノルル―――。

 

 ホノルル港を見下ろす小高い丘にある一軒のコテージ。綺麗に手入れされた芝生の緑が美しい庭には、大きなパラソルの下に置かれた二脚の白いデッキチェアに寝そべる一人の男性。一人の少女がデッキチェアのそばにあるガラス製のテーブルに、汗をかいたカクテルグラスをことりと小さな音とともに置く。ラムの甘い香りとブルーキュラソーの鮮やかな青、そしてグラスの縁に美しく飾られたフルーツとランの花。からん、と小さな音を立てグラスの中の氷が泳ぐ。満足げな笑みを浮かべた男性は、カクテルを運んできた少女に声を掛ける。

 

 「ああ、ありがとうございます。ところで着替えたらどうです? 貴女の分も用意してありますよ」

 男性は南国らしく開放感を重視した出で立ちである。白いブーメランパンツ()()を着用し、そのパンツの両脇を伸ばして交差させるように肩に通している。脚部は腿の中ほどまでの網タイツ、足元はショートブーツである。ちなみに彼が用意したという女性用は、全く同じ衣装で靴がハイヒールという違いしかない。

 

 仁科良典大佐―――後に『北太平洋海戦』と呼ばれる激戦をミッドウェー沖で南洲達と繰り広げた技本艦隊の指揮官。なぜか戦闘の途中でおおすみに乗り込み宇佐美少将と交渉をまとめた彼は、その後瀕死の重傷を負った南洲と扶桑の一命を繋ぎ、南洲隊の艦娘達から涙ながらの感謝を受けていた。

 

 だがその後の行動は本人にしか意図が分からない。絶対安静の南洲を盾に取り、おおすみから武器弾薬燃料や食料に水、ラボの機材資材を強奪しLCACで逃走した。そして彼が目指したのがハワイである。無論LCACの航続距離は十分ではなく、日中は直掩を兼ね大鳳がLCACを曳航、夜間は巡航速度で移動を繰り返し、数日かけてハワイ諸島に到着。そしてホノルル港を見下ろす位置に立つ一軒のコテージを手に入れ、以後は悠々自適に暮らしている。

 

 もう一方のデッキチェアに腰掛けた大鳳は、仁科大佐の用意した着替えにチラリと目を向け華麗にスルーし、小さく首を傾げかねてよりの疑問を口にする。

 「大佐………ハワイにきてしばらく経ちましたが、そろそろ目的を教えてもらえませんか?」

 「ハワイといえばハネムーン。せっかく近くまで来ていた訳ですし、貴方にも私にも休息は必要ですから」

 ちなみにミッドウェー-ハワイ間の距離は約二四〇〇km、別に近くはない。そしてハネムーンの言葉に反応した大鳳は、両手で頬を押さえ真っ赤な顔をしながら恥ずかしそうに身をよじり、ハッとした様子で再び質問に戻る。

 「も、もうっ! そうやってはぐらかさないでくださいっ」

 

 全くである。いくら深海棲艦の跳梁で従来の国境警備が機能してないとはいえ、他国に密入国し当たり前のように暮らしている。しかも戦場を放棄してである。

 

 「ふむ………。戦うほどに、私の本質は軍人ではなく技術者だと思い知ったのです。特に槇原南洲のような男に出会うと尚更です。それでもあの作戦に成算があるならまだよかったが、浄階様の歪んだ情念に振り回された惨劇…私だけなら兎も角、大鳳、あなたをあれ以上巻き込むのは本意ではなかった。そしてもう一つ。技本そのものは軍の中で組織として残り続ける、これは間違いありません。ですが技術の追求、その崇高な理念のため一切の制約を設けず研究に没頭できた美しい環境は、最早得られないでしょう。大鳳、私は宣言します。このハワイの地に、真の技本を再興するとっ! 」

 

 喋りながら自分の言葉に興奮した仁科大佐は、熱に浮かされたような表情でガバッと立ち上がり、大鳳へと身を乗り出す。チェアに腰掛ける大鳳と立ち上がった大佐。ちょうど大鳳の鼻先に、仁科大佐のブーメランパンツで覆われた部分がぴとっと触れる。

 

 「あ、あの…大佐? 生温かい何かが、その…」

 「む? それは私のおいなりさんですが」

 

 どうしたって変態…深いため息をついた大鳳だが、熱く技本の再興を語る仁科大佐を見ていると、小さなことは気にならなくなる。技術の追求に関しては純粋で直向きな仁科大佐は、叶えたい夢があるから、ここに来た-そこまで考え、大鳳は自分の気持ちが高揚しているのに気が付いた。

 

 「熱い人ですね、大佐は…………でも、ううん、だから、好き」

 

 最後の方は聞こえないくらいの小さな声だったが、元いたデッキチェアに戻った仁科大佐は、少し照れくさそうに微笑み、再び寝転がる。そして宇佐美少将との交渉を振り返りながら、目を閉じ微睡み始める。

 

 ー宇佐美少将は予定通り動いたようですが…策士策に溺れる、彼には選択肢がありませんでしたからね。

 

 

 

 時間はミッドウェー沖で南洲が扶桑と対峙していた時まで遡る。

 

 「…誰かと思えば敵の指揮官とはな。この後に及んで投降か」

 「何を頓珍漢な事を。私は貴方に交渉に応じる機会を与えるためやってきたのです。感謝しなさい」

 スクリーン越しに見えるお互いの姿。仁科大佐が連絡を取った相手は、大湊警備府の司令長官室で執務机に座り厳しい表情を見せる宇佐美少将。

 

 「なぜ俺が貴様との交渉に応じねばならない? 馬鹿馬鹿しい」

 「宇佐美()()…いえ、まだ内々定でしたか。何故か慎重派の大物・大隅大将が支持しているとの噂ですが」

 「…耳が早いな。どこで聞いたか知らんが、噂だよ、噂」

 「おやそうですか。ではこんな噂はどうです? 柱島泊地の猪狩 祐輔(いがり ゆうすけ)司令官への不自然な接触とか―――」

 「………まあ、話だけは聞いてやろう」

 

 ぎしり、とスクリーンの向こうで椅子が大きく軋む音がし、仁科大佐を遮るように、宇佐美少将が冷めた声で答える。

 

 「この戦闘が終了した後、貴方は槇原南洲と彼の部隊をどうするつもりですか?」

 「…上官脅迫に部下の扇動、部隊を挙げての反抗…今回は石村中将にもバレた、いくら俺でももう庇えん、匙を投げたよ。南洲は軍事法廷送り、艦娘達は解体か、よくて最前線送りだろうな」

 「困りますね。よろしい、槇原南洲と彼の艦娘達の安全が確保されるよう、この戦後処理を進めましょう。貴方はそのために動くのです。さもなくば、貴方と慎重派の裏取引を艦隊本部内でリークします」

 

 「解せねえな、貴様とあいつは敵対しているんだろう?」

 「槇原南洲…何度も死線を超え、計画値以上の能力を発揮する実験体。そしてあの卓抜した剣技…ああ、思い出すだけで股間がホットに…。貴方には理解できないでしょうが、破綻寸前で成立する美が槇原南洲にはある。彼は徒花とはいえ技本の技術力の成果、敬意を払うべきです。そしてその男が命を賭けた艦娘達もまた、同様に遇されるべきです」

 

 仁科大佐は無意識に自分自身と南洲を重ねている-大鳳だけはそれを理解し、優しげな眼差しを注ぐ。

 

 

 「…………検討の価値は認める」

 「その言葉は交渉成立として受け取りますよ、宇佐美少将。担保としてこの様子は録画してあります、余計な事はお考えにならないように。では具体的な話ですが―――」

 

 一連の大本営の混乱を利用し、さらに各派閥の水面下の動きまでも踏まえた仁科大佐の計画は、宇佐美少将の彼に対する評価を変え、これまでと違う種類の危険性を認めるのに十分だった。

 

 -技本に置いとくのは勿体無ぇな。…頭のキレる変態ってのは、一番性質(タチ)が悪いかも知れんな。

 

 交渉と言いながらも、仁科大佐の言い分を飲まざるを得なくなった宇佐美少将は苦々しい表情で、スクリーン越しに見えるボンデージ姿の男と、それに熱い視線を送る艦娘を眺めていた。

 

 お互い必要な事は話し終え、通信を終了する段になり仁科大佐が最大級の爆弾を放りこむ。

 「そうそう、石村()()()()()()()()()()にも祝辞を送らねば」

 

 「はあっ!?」

 思わず宇佐美少将が血相を変え立ち上がる。寝耳に水、とは政治の暗闘を生き抜いてきた少将のような男にとって屈辱以外の何物でもない。だが、そんなはずはない。なぜなら―――。

 

 「おや、初耳ですか? では貴方と慎重派が推していた猪狩司令官が、艦隊本部内の支持を得られず現職に留まる意向を固めた事も知りませんか?」

 

 「貴様…いや、技本かっ!! 何をしたっ!?」

 「艦隊本部の描くであろう矮小な範囲なら、石村中将は技本の再建に一番良い人選です。彼には、故芦木中将から連なる、国内外の研究機関とのコネクションがありますから。猪狩司令は慎重派の介入を嫌う武官から支持が集まらず、旧三上派に連なる鷹派は大幅に粛清され人材が払底…そうなれば、自然と中立派の大物を担ぐ折衷案に落ち着く、いや落ち着かせるよう水面下で動いた勢力でもあったんでしょうね。あくまでも私個人の見解ですが、技本を甘く見ない方がいいですよ」

 

 画面の向こうで呆然とする宇佐美少将に追い打ちをかけ、仁科大佐は今度こそ通信を終了した。

 「大隅大将に接近するのが早すぎましたね。彼の懐刀、吉野中将が独自の動きを取り始めたのをいち早く察知し自分を売り込んだのでしょうが、上手く利用されましたね。ちなみに、貴方のそういう動き、石村中将は残念がっていたようです。では」

 

 

 

 「…む、不覚にも微睡んでいたようですね…大鳳、ありがとうございます」

 デッキチェアには横たわる仁科大佐と、その脇で寄り添う大鳳は、いかにも南国らしい椰子の葉で出来た大きな団扇でゆっくり彼に風を送っていた。その大鳳が口を開く。

 

 「仁科大佐…敵の司令官と、彼の部隊はどうなったのでしょう?」

 

 少し考え込むような表情から、仁科大佐は口を開く。

 

 それは技本の実験記録の一部を利用し、北太平洋海戦下での南洲は悪化したPTSDによる心神耗弱状態、そしてその状況下で艦娘達は抗命を強制された、とすることで双方の不可抗力を主張するものだった。南洲が正常ではなかった、そうするだけで責任を負わされる人物が()()いなくなる。

 

 関係各所を説得に回った宇佐美少将の苦労は並大抵ではなく、南洲とMIGOの扱いは紛糾を極めた。艦隊本部や技本、各拠点の暗部を知り過ぎている存在をどう扱うかー最終的には新たに艦隊本部統括となった石村大将の強い意向により着地点は決定された。

 

 宇佐美少将は部隊の監督不行届として昇進見送り、MIGOは解隊され所属の艦娘達は編成を変えた上で、体制を一新する横須賀鎮守府付として配属、同部隊が担っていた『艦娘の権利保護』の役割は、大坂鎮守府の職場環境保全課に引き継がれることとなった。唯一先送りにも似た結論になったのは、技術的な価値と政治的な危険を併せ持つ、元技本艦隊所属の堕天(フォールダウン)勢で、厄介事を押し付けるかのように舞鶴鎮守府への移送だけが決定された。

 

 「槇原南洲は、PTSD治療の名目で入院、寛解後は予備役編入が決定したそうです。事実上無期限軟禁ですが、このまま黙っている男でもないでしょう。…ああ、扶桑ですか? 肉体的には完治、脳機能も安定しましたが、彼女もまたどうするのでしょうか…」

 

 そして遠く離れた日本で、南洲と彼の艦娘達は最後の選択のため、静かに動き出す。

 



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Secret Mission
99. 艦隊りこれくしょん-前編


 軍という組織から見れば、それはむしろ好意的な扱い。それでも、一人の男としてどうしても譲れない事がある。南洲、最後の選択。


 大本営内艦隊本部に併設された、医局の運営する海軍病院。その一角にある病室に南洲はいる。逃走防止のため厳重な警備が施され、病室はおろか病棟や病院自体に入るのにも厳しいチェックを受ける一方、いったん中に入ると訪問客の宿泊も認められるなど、比較的厚遇されているとも言える。

 

 その深夜の病室で動き始める一つの影。隣で眠っている南洲を起こさないよう静かに身を起こすビスマルク。夜目にも鮮やかな白い肌がベッドから滑り降り、素肌にシャツを纏う。首と髪の間に手を入れ、シャツの中から長い金髪を掬い上げると、金色の波が白いシャツの背中に広がる。

 

 「………行くのか?」

 「起こしちゃったかしら、ごめんなさい。…ええ、行くわ。明日は早朝からデーゲンハルト駐日ドイツ大使と会わなきゃだし。それに…これ以上いると、決心が揺らいじゃうから…」

 淡々と喋っているが僅かに肩が揺れる。引き留めてほしいと態度で示すように、ゆっくりとしか進まない身支度。

 「ありがとうね、ナンシュー、私の我儘を聞いてくれて。帰る前に、貴方の全てを私に刻み込むことができたわ」

 

 上半身を起こしビスマルクを見つめ続けていた南洲は、目を伏せたまま言葉を飲み込む。

 

 「もう一度聞くわ、ナンシュー、他に方法はないの?」

 「…………あるかも知れない。だが、今の俺にできるのはこれだけだ」

 「………分かったわ。でも、約束して。絶対に死なないって。私も、絶対成功させて帰ってくるから」

 

 ドイツの外圧を使い、これから自分が乗り出す戦いを間接的に支えて欲しい-南洲にそう言われては断れず、ビスマルクは後ろ髪を引かれながらもドイツへ帰国し、本国政府関係者と接触を図ることになった。俯いていた顔を上げ何かを言おうとした南洲の唇がビスマルクの唇で塞がれた。長い口づけの後、ビスマルクは病室を後にした。閉じたドアに向かい、南洲がぽつりと呟く。

 

 「ドイツが俺なんかのために動く訳ないだろう…悪いな、騙したみたいで。けどな、せめてお前だけでも日本海軍から離れて、俺達が何のために戦ってきたのか伝えてくれないか」

 

 

 PTSD治療のため無期限入院、寛解後は予備役編入、それが北太平洋海戦の結果として南洲に下された措置。事実上の無期限軟禁である。南洲は各拠点の査察により艦娘を守り続け、その背後で暗躍していた技術本部の非道な実験と野望を暴き出し、ハワイ侵攻という暴挙を食い止め、巻き込まれていた艦娘を救いだした。だがそれは同時に、軍と言う巨大な権力を持つ組織の暗部に斬り込むことでもあった。正しい者が勝つ、そんな綺麗事を鵜呑みにするほど南洲は青くない。だが、勝った者が正しい、そう受け入れるほどには醒めていなかった。

 

 その思いが、南洲を最後の戦いに駆り立てる。

 

 

 

 

 北太平洋海戦の終結後日本へ帰投したMIGOはただちに拘束された。理由や状況はどうであれ、味方部隊に砲を向けた事実に変わりは無く、反乱の疑いありとして母艦おおすみは接収、一命を取り留めたとはいえ予断を許さない状態の南洲は即医局送り。所属する艦娘達と保護された技本艦隊の艦娘達は、連日に渡る事情聴取を受け続け、処分決定までの間艦隊本部で待機が命じられた。

 

 前線で大規模戦力を保持したまま、上官命令に反抗し介入には脅迫で対抗、挙句の果てに所属艦娘が武力をもって味方艦隊に対峙―――これだけ揃えば反逆罪に問われても不思議はない。むしろ問わない方が不自然とも言え、全員がある種の覚悟を固めていた。だが、宇佐美少将による関係各所との折衝説得、MIGOに対し艦隊本部自体が態度を決めかね喧々諤々の議論が続いていた事など、現場の艦娘達には知る由もなかった。

 

 そして艦隊本部が下したのは、南洲の無期限入院とMIGO解隊だった。

 

 入院中の南洲には、MIGOとのパイプ役として毎日見舞いと称して訪れていた明石が状況を伝え、南洲も自分の部隊が解隊、所属の艦娘が新部隊に配属された現状は把握していた。

 

 「横須賀鎮守府、か…」

 

 横須賀鎮守府は元より大本営と敷地を共用し、大本営の予備戦力及び防衛を担う東日本最大の軍事拠点であった。だが北太平洋海戦と前後して行われた、大坂鎮守府が主導した大規模人事異動により戦力を引き抜かれ、同じように戦力を引き抜かれた各拠点の戦力補填のためさらに戦力を吐き出した事で開店休業に近い有様となっていた。高練度の艦娘が揃うMIGOに厳しい処分が降りなかったのは、この戦力不足も大きく影響している。

 

 刷新された艦隊本部の指導部は実情を踏まえつつ、横須賀鎮守府を純粋な専守防衛の鎮守府として位置付けた。とは言いながら三上元大将と技本の引き起こした一件の余波はあまりにも大きく、鎮守府の提督人事でさえ難航するという異常事態はまだ収束していない。一方でMIGO勢の多くが南洲の命令以外は聞かない、と強硬に主張したことで、さらに面倒な事態になっていた。

 

 「一度は共に戦った仲である。私が行ってみよう」

 石村大将自らが上級参謀数名を連れMIGO勢の元へと足を運んだ。一昼夜に及んだ協議の末、通常時は近海海域の航路護衛及び掃海、敵侵攻時には拠点を攻勢的に防衛する役割を担う、横須賀鎮守府付拠点防衛任務部隊への配属が正式に決定した。ただし部隊長については所属艦娘の強い総意として空席、鹿島が部隊長代行を務めるという異例の人事が行われた。査察中の戦闘や北太平洋海戦で鹿島の見せた高い指揮能力が評価され、その要望を叶える事を後押しした。

 

 「要するに横須賀の壁役っちゅーことやな。石村のじいちゃんもエグいことするで、ホンマに…」

 「確かに龍驤さんは壁かも知れませんが、鹿島はこれでいいと思いますよ。少なくとも、どんな形でもいつの日にか南洲さんが帰って来られる場所は確保できましたから。うふふ♪」

 

 

 

 さらに技本艦隊の堕天艦の一部は医局付で洗脳解除と脳機能回復の治療措置、明石は技術本部へ配属、MIGOでも技本艦隊でもなかった扶桑はトラック泊地に配属…曲がりなりにも軍組織に属する以上、考えうる範囲で最も軽い処分…そう自分を納得させようとしていた南洲が考えを変えたのは、ある日明石から齎された、Grp.3と称された技本艦隊所属艦娘の処遇に関する情報だった。

 

 Grp.3:翔鶴、神通、神風、霧島

 移送先:舞鶴鎮守府

 処置:欧州各国に譲渡交渉中、決定し次第大陸国経由で移送

 備考:抵抗ある場合は舞鶴鎮守府にて処分

 

 ここでいう処分は無論解体を意味する。Grp.3に含まれるのは、DIDモデルと呼ばれる()()()堕天(フォールダウン)艦。マインドコントロールで疑似的に堕天するBW(ブレインウォッシュ)モデルと異なり、治療にかける費用対効果が悪すぎると判断されたのだろう。ならば利用価値があるうちに利用する-石村大将が考え付く案ではないが、軍内部での権力基盤がそこまで強くない彼にとって、他のMIGO案件を穏便に落ち着けるため苦渋のバーター、おそらくそんな所だろう。

 

 

 「全ての艦娘の権利を守るなら、翔鶴や神通達だって救われねーとな。俺が槇原南洲(まきはらなんしゅう)であり続ける以上、自分の言葉を裏切る訳にいかない」

 

 

 そして舞鶴への移送日を明日深夜に控え、南洲は動き出す。

 

 

 

 北太平洋海戦後、医局製の義手に置き換わった右腕。その動きを確かめるように南洲は右腕を動かす。

 「まあ、無いよりは遥かにマシだが、な」

 人工骨格、可動部のモーター、そして人工筋肉とその発する微弱電流を検知する筋電センサーを備えた高性能な義手で、日常生活なら全く不便がない。だが、最大0.5秒程度の反応遅れと微妙な動きを制御できないのは、刀を振るい戦う上で致命的な差となり現れる。

 

 病室前、病棟出入り口の警備兵に音もなく忍び寄り、苦も無く排除する。どうせモニターで自分の動きは監視されている、増援が来る前に病院を出なければ。最後は正門前の連中…のはずだったが、そこには気絶した複数の兵士がチェーンで拘束され転がっていた。

 

 海軍病院をぐるりと取り囲むコンクリート製の高い塀によりかかる、一人の少女。頭にホワイトブリム、フリルで飾られた白いエプロンを付けたミニスカート仕様のメイド服、そして棘鉄球(モーニングスター)。サイドで結んだ長い薄桃色の髪が揺れ、赤い瞳が南洲を見上げる。

 

 「春雨(ハル)、おまっ、なっ!!」

 驚きのあまり南洲の言葉が中途半端なまま口からこぼれる。

 

 「…すみません、でも…私は…」

 

 ぺこりと頭を下げる春雨を、南洲は苛立った表情で見ながら頭をがりがりと掻く。

 「…自分がやってる事を分かってるのかっ!? ここから先は俺が軍に喧嘩売る話なんだぞ? お前がこんな荒事に首を突っ込む必要なんかない、黙って横須賀に戻れ、いいな?」

 

 「私の事は十分巻き込んだじゃないですかー。隊長、ご用命のヤツです。はっきり言って自信作ですっ」

 話を遮る様に明石が顔を出し、布でくるまれた長細い物を抱えながら南洲の元にやってくる。お前は技本だからいいんだよ、と言いながらそれを受け取った南洲は幾重にもまかれた布を解く。その中にあるのは、西洋の剣の拵えをした、分厚い両刃直刀の長大な剣。鍔元の刃渡り約45cm、切っ先に向かいやや細くなる形状の刀身は1.5mにも及ぶ。両手使いを前提とした長く伸びる柄まで合わせると、南洲の身長とほぼ変わらない大きさになる。

 

 かつてのような精緻な刀捌きができない南洲は、堕天艦の救出を決めた時点で、技より力、重い一撃で相手を叩き伏せる戦法に合う拵えの刀を用意してほしいと明石に頼んでいた。それがこの剣である。背中の上部に留め具を付け剣を背負った南洲は、両手で柄を掴むと一気に振り下ろす。今までと違う、低く鈍い風切音と激しい刃風が広がる。

 

 「明石、いい出来だ。ありがとうな」

 

 いやあー、と照れたような表情で頭を掻く明石は、さらに南洲が驚倒する情報を続ける。

 「春雨さんの件は、もう仕方ありませんよ。だって書類上は解体されちゃってますから。あ、これは鹿島部隊長代行の許可がありますからね。つまり、隊長が春雨さんを見捨てたら、春雨さん、どうなっちゃうのかなー」

 

 しれっととんでもない事を言い放った明石は、にやにやしながら南洲に視線を送り、春雨もまた目をうるうるさせながら南洲を見つめる。表情を改めた明石が、真面目な相で南洲に向きあう。

 

 「隊長、どこに配属されようと、私達の魂は永遠にMIGO所属です。だから、春雨さんは私達全員の想いを背負って、私達を代表して隊長を護り続けますっ!」

 

 しばらく沈黙を続けていた南洲は、はあっと大きなため息をつき、言葉を発する。

 「春雨(ハル)、お前案外バカだな…知らねえぞ、まったく」

 「…そう、ですね。きっと南洲(ナンシュー)のが感染(うつ)ったんです」

 

 南洲が左腕で乱暴に春雨の肩を抱き、身長差のある春雨は右腕を南洲の腰に回し、二人は歩き出す。



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100. 艦隊りこれくしょん-後編

 移送された四人の艦娘を追い、舞鶴鎮守府に潜入した南洲。生き方を変えられない南洲と、戦に賭ける舞鶴の司令官、動き出す艦娘達。


※ご注意
zero-45様【大本営第二特務課の日常】
https://novel.syosetu.org/80139/

 と世界観のごく一部を共有している側面がありまして、今回は先方のキャラに登場して頂き物語が展開しています。コラボというほど緊密ではありませんが、こういう時もあるんだね、という感じでご理解いただければと思います。


 舞鶴鎮守府司令部棟内、司令長官室。

 

 秘書艦の千歳が普段通りに開けた部屋のドアの向こう、重厚な作りの執務机に座る、短く刈り上げた頭に額から側頭部に掛けて大きな傷跡のある男。その男が、歓喜としか表現できない表情でPCの画面を覗き込んでいる。

 

 「やっぱコイツとやりてえもんだな」

 

輪島博隆(わじま ひろたか)中将、大坂の吉野中将と手を組む舞鶴鎮守府の司令官であり、艦隊本部との不和が憎悪レベルに達していると噂される硬骨漢である。

 

 「司令官、輸送機が到着しました。あと緊急電が入っているのをご確認されましたか…って聞いてますかそこのエロオヤジ、お仕事ですよ」

 ちなみに輪島中将が見ていたのは裏物ではあるが、千歳の想像したような内容ではなく、大坂鎮守府の漣から入手した映像である。槇原南洲(まきはら よしくに)が技本の仁科大佐の四肢を斬り飛ばそうとした場面に感嘆していた中将、まさに狂犬の渾名通りである。

 

 「千歳か。今いい所だったのによ。俺のお楽しみを邪魔したんだ、その価値がある話なンだろうな、おい」

 毒付く上司の態度の悪さを意に介さず、狂犬の秘書艦は淡々と情報を伝えてゆく。

 

 「価値の有無はお好きに判断なさってください。まず緊急電から。大本営内海軍病院から精神に変調をきたした佐官が一名脱走し現在逃走中、見つけ次第射殺とのこと。それと…その、艦隊本部から輸送機が到着、翔鶴、神通、神風、霧島の四名の受領、滞りなく終了し営倉に収監済みです。…司令官、聞いてもいいですか?」

 ぎろりと鋭い視線を返す輪島中将だが、千歳は臆する事なく質問を続ける。

 

 「あの四人は一体なぜ舞鶴に? 重犯罪者なら艦隊本部で軍事法廷を開廷し処分を決すればよいのでは? それにあの四人の纏っている空気…本当に私達と同じ艦娘なのでしょうか?」

 輪島中将はぎいっと椅子を大きく鳴らし体勢を直すと、些か不機嫌そうに答える。

 「外国への貢物(みつぎもん)らしい。言う事聞かねえようなら()っちまっていいらしいンだがよ。千歳、その逃げ出したイカれた佐官、名前は? 知り合いって事はねえだろうが、ま、念のためにな」

 

 

 「えっと…槇原南洲特務少佐です」

 

 

 輪島中将は無言のまま同田貫(愛刀)を引っ掴むと、千歳について来いと顎で合図をし、司令官室を飛び出していった。

 

 

 

 「…司令官、本当に来ますか?」

 「俺も技本に関する事を色々調べたンだがよ、俺の勘が正しけりゃあ奴は必ず来る………いや、すでに来ていたようだな」

 

 千歳と輪島中将が立つのは、舞鶴鎮守府の司令部棟前である。この施設の奥に移送された四人を収監した営倉がある。中将の命により、正面を除き他の出入り口は全て封鎖、司令部棟を中心に所属艦娘による包囲網を形成し、南洲を待ち構えていた。ほどなく、正面から続くアプローチ沿いに、背中に大剣(ツヴァイヘンダー)を背負った大柄な男が現れた。

 

 「槇原ァ、なんだぁオイそのでっかい刀、竜でも殺せそうだな。虚仮脅(こけおど)しにも程があるぜ。()()()四人と話でもしてえのか? だとしてもよ、鎮守府侵入(これ)は別な話だよなァ。人の縄張りに土足で入るたァいい度胸だ」

 「ウチの…? あの四人をどうするつもりだ?」

 

 「詳しい事は知らねえが、あの四人は艦娘と深海棲艦を行き来できンだろ? そんな貴重な戦力、なんで外国にくれてやらなきゃなんねーンだ? 『抵抗あれば処分しろ』って指示だからよ、連中には書類上死んでもらうさ。そして舞鶴で建造した事にして掻っ攫う。…槇原、お前は何で命懸けで追っかけてきたんだ? あの中にお前の女でもいるってか…まさかな」

 艦隊本部の指示を逆手に取り、堕天艦を自身の戦力とする-輪島中将はそう明言し、一方でそれを追って舞鶴に現れた南洲の意図が掴めず、わざと揶揄するような口調で挑発する。それに対する南洲の言葉は、(いくさ)に全てを賭ける輪島中将には受け入れ難いものだった。

 

 「人間だろうが艦娘だろうが、生き方は自分で決めるものだ。その権利を奪うな。あいつらがここに留まり戦う事を望むなら、俺はそれでも構わない。だが…そうじゃないなら、力づくでも連れ帰る。邪魔しないでもらえると、無駄な血を流さないで済むんだがな」

 

 「はっ、言ってくれるねェ。手前…俺達は戦争やってんだろうが!! 人類が勝つために、生き残るために、俺達は勿論艦娘だって死ぬ気で戦い続けてンだよ、猫の手一つだって無駄にできる訳ねーだろうが。夢見ンのもほどほどにしておけよ」

 

 分かった事は簡単で、分かりあえない事をお互い理解したということ。

 

 「手前ら、手ぇ出すんじゃねえぞ。…千歳ェ、()っていいんだよな」

 いくつものサーチライトが照らす夜の司令部棟前で、二人の男の間で緊張が一気に高まる。輪島中将が司令部棟を包囲する艦娘達の手出しを禁じ、にやりと凄愴な表情を浮かべる。何も答えず、南洲はがしゃり、と重い音を立て背中の大剣を抜き脇構えに構える。それに対し、脇差を千歳に預けた輪島中将は、自然体から静かに腰を落とし、左手で同田貫の鯉口を切り柄に右手を添える。

 

 分かった事は簡単で、さり気ない所作を見るだけでお互い無傷では済まない技量を有してること。

 

 

 

 艦娘達の間での情報交換(暴露ネタ)や交流といえば『鎮守府裏掲示板』と呼ばれるWEB上の掲示板が有名だが、それ以外にも艦娘達が利用するSNSの一つにTwi⚫︎⚫︎erがある。星の数ほどある#(ハッシュタグ)、その中に#モーニングスターがあった。一見すると意味のない平仮名ばかりが流れてゆくツイートでつまらない、そう思い流す艦娘が大半を占めていたが、意図に気付いた者も当然いる。

 

Gihonpink@gihonpink1・1時間

返信先:@megane-slitさん、他68人

にらめっこ

 

Gihonpink@gihonpink1・1時間

返信先:@megane-slitさん、他25人

めいどきた

 

Gihonpink@gihonpink1・1時間

返信先:@hentaisaさん

それはあなただけです

 

Gihonpink@gihonpink1・1時間

返信先:@megane-slitさん、他14人

やばい

 

 ちなみにGihonpinkは明石で、Megane-slitは大淀である。

 

 南洲から武器の準備をしてほしい、そう頼まれた明石だが、出来るのは技本経由で多少の武器と移動手段を秘密裏に融通するくらい、このままでは南洲は犬死する可能性が高い。そう思い、もともと宇佐美少将付の秘書艦であり、かつ南洲の事もよく知っている大淀に意見を求めた。

 

 最初は驚きのあまり開いた口がふさがらない、そんな表情をしていた大淀だが、考え始めた。一連の経緯は、マクロで見れば艦隊本部の健全化につながり、宇佐美少将の動きも私利私欲だけではなく、清濁併せ飲むという意味では理解しなければならない部分も多い。だがそれでも思い出す言葉があった。

 

 -感傷的な人だと思います。

 -逆にそんな人なので、彼から目が離せなくなる艦娘が出ても、女性として言うなら、不思議はないでしょうね。

 

 それは槇原南洲を評した自分の言葉。理不尽さをも含むMIGOへの措置を通して権力を引き寄せようとする将官たちを見ていると、ぼろぼろになっても真っ直ぐに進もうとする南洲の覚悟が好ましく見えてしまう。この時点で、大淀は覚悟を決めた。

 

 「できるだけの事はやりましょう、明石さん。以後のやりとりはTwi⚫︎⚫︎erで。私に考えがあります。あとは槇原少佐次第な所もありますが…」

 一斉に広範に、それでいて分かる相手には分かるーモーニングスター、つまりMIGOの春雨を暗示するこの#(ハッシュタグ)を見てピンとくる艦娘は、すなわち査察時に南洲とも出会い、何らかの形で救われたことがあるはず。もし出来る事があるなら手を貸してほしい-大淀の意図はそこにあった。他方万が一通報されてもいいように、本文は最小限の言葉を平仮名でやりとりする。

 

 大淀のこの目論見は成功し、かつて南洲に救われた事のある艦娘はもちろん、艦隊本部の処置に内心納得していない、後に艦隊派と呼ばれる一部の将官も輪に加わってきた。そうして南洲が舞鶴を()()()()()の逃走経路と方法についてはどうにか目算が立った。言い換えると、脱出できなければ全てが水の泡となる。

 

 

 

 今の南洲は右腕は義手で視界は左眼のみとなった分、出来る事が限られている。常に左眼だけで相手を視界に捉える都合上、半身になり左半身を敵に晒しながら、刀身の長さを利して横薙ぎに切り払う構えを見せる。僅かに重心を左脚に移し踏み込む姿勢を見せたと思うと、南洲は軽く後方へと跳ぶ。

 

 「ひっかけ問題かよ。昔から苦手なんだよな」

 その僅かな重心の移動を見逃さなかった輪島中将だが、気持ちが逸った分その動きに釣られ抜かされた。抜いた以上しょうがないと、右足で踏込み片手抜討で正面から掛かる。南洲は着地と同時に大きく振りかぶりながら突っ込み低く重たい刃風と共に真っ向から大剣を振り下し、振り切った輪島中将の刀を上から狙う。がきん、という鈍く低い金属音がし、地面を固めるコンクリートに大きな亀裂が入る。

 

 「これを躱すのかよっ!!」

 南洲はすぐに体をひねり視界を確保、大剣を構え直そうとして驚愕の表情に変わる。輪島中将は、南洲の斬り下しを躱すと、むしろ大振りの隙をつき、南洲の視界の死角となる右側から、一撃目に続き左足を大きく踏み出し、右膝をついた低い姿勢から真向を両断しようと迫っていた。南洲は咄嗟にラリアートのように、大剣の側面で相手を叩き飛ばした。自分から跳び威力を殺しながら、ふわりと着地した輪島中将は、納得と不満が混じった表情を見せる。

 

 「円連(こいつ)でやれないとはね。だが、こんなもんかオイ。あの変態野郎をバラしてた時のテメエはもっと凄かったがな。本気でやれや」

 

 -円連…確か水鴎流(すいおうりゅう)か。ハンデありでは面倒な相手だな、ったく。制圧するには相討ち狙いか…。

 

 

 膠着状態に入るかと思われたその時、司令部棟の奥が内側から爆ぜ壁や窓ガラスの破片が飛び散る。突然の事に、営倉を包囲していた艦娘達の輪が乱れる。すでに何名かが司令部棟に突入し、またある者は輪島中将の護衛に回ろうとし包囲網が綻ぶ。飛び交う悲鳴と怒号、司令部内でも戦闘が始まっているようだ。輪島中将が忌々しそうな様子を見せる。

 

 -地下からか、クソッ! にしてもやべえな、ウチの連中は近接戦闘なんざ訓練もしてねェからな。

 「やめろ手前らっ!! 動くなっつただろうがっ、同士討ちになるぞっ」

 

 騒然とした現場の騒音に隠れるように、再び壁が爆ぜ金属のすれ合う音がしたかと思うと、棘鉄球(モーニングスター)が輪島中将を背後から襲う。

 

 「不意打ち上等っ! が、甘ェんだよっ!!」

 振り返りざまに両脇を締め一気に振り下ろされた同田貫は、激しい金属音と火花を散らしながら棘鉄球を打ち、その軌道を逸らし直撃を許さない。朦々と立ち込める埃と破壊された司令部棟の壁、その破口から春雨が三人の深海棲艦を連れて現れた。場を凍らせる威圧感を放つ鬼級姫級に対し、一瞬自分の刀に目を向けた輪島中将だが、子供が急に飽きた遊びを止めるように態度を豹変させる。

 「もうやめだ、刀の腰が伸びちまった。業物だったんだがな」

 

 千歳が中将に近づき脇差を返す横を、そのまますたすたと南洲の元まで進んだ春雨は、他の三名と合わせ輪形陣を組むように南洲を守る。また舞鶴の艦娘も輪島中将の元に集まり、彼を守る様にする。勝利よりも被害の方が明確にイメージできるなんてー秘書艦の千歳の顔が青ざめる。

 

 「南洲、霧島さん以外は私たちと一緒に来るそうです、はい」

 「ええ、その通りよ」

 

 一人遅れて司令部棟前に現れた霧島は、見えない線があるかのように、舞鶴の艦娘が守る輪島中将の隣で立ち止まる。

 「私には、槇原少佐を慕うほどの思い出がありません。それに、例えこんな体でも、艦娘として生まれた意義に従って戦いたい。私の計算に拠れば、中将の言葉に嘘はないわ。だから、私はここに留まります」

 

 満足げに頷いた輪島中将は、両手を広げ南洲に近づきながら、取引を持ちかけ始めた。艦娘同士の本格戦闘は彼も本意ではない。

 「よし、槇原ァ、霧島の着任で手前らが俺の縄張りに踏み込んで施設をぶっ壊したことは水に流してやる。後は、手前が連れてく三人と、俺の同田貫に見合う代償、払ってもらおうか」

 春雨が警戒を強めるのを制し、南洲が大剣を背負い前に出る。

 

 「金はねーんだよ、悪いけど」

 「知ってるさ、もっといい物があるじゃねェか―――」

 

 一瞬で抜かれた脇差が、南洲の右腕を肘下から切断する。どさり、と地面に落ちた自分の右腕をぼんやりと眺める南洲。上体をかがめそれを拾い上げた輪島中将が、にやりと笑う。

 「コイツぁ頂いとくぜ槇原ァ。手前は俺が()った、いいな。腕一本を証拠にして、俺は艦隊本部のクソ共にがっつり恩を着せてやる。後は、手前が査察部隊やってた時に入手した各拠点の裏情報、全部よこせ。艦隊本部の弱み握るにゃ持って来いだ。艦娘三名で買ってもまだ十分釣りがくる」

 

 そして輪島中将は、惜しむような口調で南洲に対する。

 「手前は戦い方、変えるんだな。剣技は噂通り、いやそれ以上だがよ、戦いは生き残ってナンボ。相討ち狙いになる前の手前と遣り合いたかったがな…」

 その言葉に、斬られた作り物の右腕を見つめる南洲と、かける言葉を見つけられずただ寄り添う春雨と翔鶴。そんな一群を憐れむ様に見ていた輪島中将は、振り返ると自身の艦娘達に手で合図をし、撤収に取りかかる。

 

 「後は勝手にしろ。手前らが生きようが死のうが、俺にゃ関係ねえ。次に(ツラ)ァ見せたら命はねぇぞ」



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101. 逃げ水の鎮守府-前編

 この物語も、今回と次回でいよいよ完結となります。南洲と春雨が、旅の終わりに目指す場所。多くの艦娘を救ってきた彼らを、同じように支えようとする艦娘達が待っていた。


 明石と大淀が張り巡らせた水面下のネットワークには、二人が想像していたよりも多くの艦娘、さらに一部の将官が参加し、南洲一行の逃走計画は急速かつ具体的に整えられた。『あとは槇原少佐次第』-図らずも大淀の言葉は、南洲の率いていた査察部隊が多くの艦娘を救ったのかを示すものであった。

 

 「横須賀から南西諸島、台湾、フィリピンを経由するのが一番早くて安全なんですけど…。支援者の大半が中部太平洋に偏ってる以上、こんなルートに…。トラックから約2500km…ここが最大の難関ですね。特にパラオは艦隊本部のタカ派が押さえている拠点ですし…」

 

 

 

 「横須賀鎮守府付拠点防衛任務部隊、抜錨しまーすっ! 目標硫黄島基地、現地到着後は同地の部隊に船団護衛を引き継いで帰投です。みなさーん、頑張って行きましょう、うふふ♪」

 

 抜けるように広がる青い空、吹き渡る潮風、波穏やかに広がる海を進む大規模輸送船団とその護衛の艦娘達。

 

 旗艦鹿島以下、羽黒、秋月、吹雪、龍驤、そして飛龍からなる6人の部隊が、大型6中型4で構成される計10隻の輸送艦隊、その左右に白い航跡を残しながら素早く展開する。今日の任務はこの大規模船団を無事硫黄島まで送り届ける事。伊豆諸島の御蔵島近海で合流した小型の輸送船1を合せ計11隻、うち中型の4隻はそのまま硫黄島基地の所属となる輸送船で、鹿島達の任務はそこで終了となる。その後残りの7隻は引き続きトラック泊地を目指し、船団警護は硫黄島基地の部隊へと引き継がれる。

 

 「うちらは鎮守府近海海域の航路護衛が役割やからなー、硫黄島から先は任務外や」

 空を舞うのは時折見える海鳥だけの順調な航海に、退屈そうに龍驤が頭の後ろで手を組みながら呟く。

 「何だかあの日々が嘘みたいですね。ささ―――」

 同じようにやや退屈そうな声で吹雪が龍驤に続いたが、前を行く羽黒が振り向き、立てた人差し指を口に当て軽くウインクするのを見て慌てて口に手を当てる。

 

 リンク通信で、お互いの会話はリアルタイムで共有されている。吹雪が言いかけた言葉のその先は、誰しも胸の奥に仕舞っていること。潮風にツインテールを揺らしながら最後尾をゆく鹿島は、船団の最後尾についた小型輸送船を後方から眺めながら一人物思いに沈んでゆく。それは解体された旧所属部隊、艦隊本部付査察部隊でありそれを率いていた一人の男のこと―――。

 

 今思えば過酷な日々だった。部隊の特性上、人間の二面性とそれによって傷つく艦娘を嫌と言うほど見る事になった。戦ったのは深海棲艦よりも味方のはずの艦娘や仕立てられた堕天(フォールダウン)艦がほとんど。自分も含め査察部隊にいた多くの艦娘も、程度の差はあるが、贔屓目に見て結構ヒドい目にあい、逃げるように救われるように所属した部隊。でも、私達は出会う事が出来た。そして過去を振り返えらなくなった。『全ての艦娘の権利のために戦う』-その言葉を拠り所として。

 

 部隊の最期の戦いとなったミッドウェー沖での激戦。上官の指示に逆らい甚大な被害を受けながらも、多くの艦娘を助け出し敵の黒幕を葬ることに成功した。解体を覚悟の上で、ついてゆくと決めた部隊長の決断に従った。いや、従ったとかそういうことじゃない、彼の言葉は彼の意志だが、同時に自分たちの想いを自分たちに代わって言葉にしてくれただけ。艦娘がこんなことを考えること自体、どこか壊れているのかも知れない。兵器? 兵士? 何でもいいです、好きに呼んでください、とにかく、私達は軍であり日本政府のものであり、自律して戦っても自立して生きてゆくことは許されていない。でも、私達は選ぶ機会を与えられた。同時に選んだことに責任を負う覚悟を持たせてもらえた。全てあの人のお蔭。

 

 色んな政治的な動きがあったみたいです。そして私たちは逆転満塁ホームランみたいに、解体を免れるどころか新たな部隊に配属されました。その代り、彼は全てを失った。元々色んな物を失って、ボロボロになりながらそれでも前を向き続けた彼。彼に残っていたのは曲げられない生き方だけ、それさえも奪うの? 彼が病院を脱走して舞鶴に向かい堕天艦を救おうとしている、そう聞いた時、部隊長代行として彼のため出撃を命じようかと思ったほどです。でも止めました。それこそ血が滲むほど唇を噛み締めて、何とか自分を抑えました。

 

 私たちに出来るのは、今の部隊を守り続ける事、それが一番重要な任務だから。空席のままの部隊長席、そこに座る人は一人しかいない。例えそれがいつになるか分からなくても、もしかしたら永遠にこないかもしれなくても、それでも待ち続ける。横須賀に残る私たちは、彼の『家族』だから、彼がいつでも帰って来られる場所であり続けなきゃ。

 

 

 

 「では、以後の航路護衛、引き続きお願いします。私たちはこれから横須賀へ帰投します」

 目の前には硫黄島の司令官と秘書艦。硫黄島は、私達の横須賀同様に最近刷新された基地で、今後急ピッチで拡充が進むんだって。司令官は前舞鶴鎮守府の人で、やっぱり政治的なごたごたでこっちに回されたみたい。でも、とっても優しそうな人で、秘書艦でケッコンカッコカリの相手の蒼龍さんを大切にしているのがとってもよく伝わってくる。

 

 硫黄島の港を抜錨した輸送船団と護衛の艦娘達。秘書艦の蒼龍さん直卒なんて、気合い入ってますね。海上でその後ろ姿を見送る私たちは、輸送船団の中の小さな輸送船に向けて一斉に敬礼の姿勢を取ります。その船の後部甲板に人影が見えます。大柄の体躯の男性が左手でこちらに答礼しています。右袖は肘から下が風にたなびいていますね。

 

 「秋月ちゃん、泣いたら…ダメですぅー…ぅうわーん」

 言ってる吹雪ちゃんがガン泣きしてどうするんですか。ああもう飛龍さん、しゃがみ込んで泣いたりしないで。駄目ですよ、私達が胸を張って立っているところを覚えていてもらうんですから。

 「そんなん言うても、鹿島やって泣きすぎで化粧ぼろぼろやないか、鼻まで出てるで」

 涙で顔をくしゃくしゃにした龍驤さんがからかってきます。ううう〜っ、しょうがないじゃないですかっ。羽黒さんがそっと私の傍に立ってくれます。泣き腫らした目で、それでも懸命に笑顔で敬礼しています。

 

 ー南洲さん、またいつか会える日を待ってますね。

 

 私達は見えなくなるまでずっと遠ざかる船団を見送っていました。

 

 

 

 「護衛ご苦労様です。ここから先は我がトラック泊地の哨戒圏です。何人たりとも輸送船団には指一本触れさせません」

 静かな、それでいて確固たる自信の籠る声。合流地点に指定されたポイントでは、トラック泊地の誇る精鋭、一航戦の赤城と加賀、五航戦の瑞鶴、木曾がすでに輸送船団の到着を待っていた。硫黄島の蒼龍が加賀に引継を行った後、目を潤ませながら加賀の手を取り、頭を深々と下げながら頼み込む。

 

 「くれぐれも…くれぐれもよろしくお願いします。私、知らなかったの…。司令官が…あの惨劇を生き残って、その後も私達のために戦い続けてくれていたなんて…。絶対、絶対これ以上…」

 それ以上は言葉にならず肩を大きく揺らしながら泣き続ける蒼龍に、僅かに表情を緩めながら加賀は語りかける。

 

 「安心しなさい二航戦、私達を誰だと思っているの。一航戦の誇り、今こそ示す時です。それに…このトラック泊地は総力をあげて()()()の味方です」

 

 

 

 波静かなトラックの環礁内に停泊する輸送艦隊。6隻の大型輸送艦の運んできた貨物はあっという間に揚陸され、乗員はつかの間の休息を取っていた。だがもう一隻、小型の輸送艦は何の荷物も陸揚げしないまま、秋島と冬島の間に目立たぬよう停泊していた。

 

 下弦の月が照らすのは、鏡のような水面と島影、輸送船。その後部甲板に立つ二つの影。

 

 「ようやくここまで来ましたね、南洲。それにしても、本当にびっくりしたというか…私たちのしてきた事を、感謝してくれている人がこんなにたくさんいたなんて…」

 感慨深げに言葉を漏らす春雨は、泣き顔を見られないよう右側から南洲に抱き付いている。右肘から下を切断されたままの南洲は、抱き返すことができず、そのまま春雨の思い通りにさせていた。

 「査察部隊…そんなの俺にできるんかね、正直そう思っていたよ。むしろその前は艦隊本部の狗で、人に言えない汚い仕事ばかりだったのにな」

 「南洲、一つ聞いてもいい? どうしてあの場所に行こうって思ったの?」

 月を見上げていた南洲が春雨に視線を向ける。どうしようもなく優しく、それでいて悲しそうな目で、胸中を吐露する。

 

 「理由は一つじゃないけどな。行くまでは大変だが、着いてしまえば後は何とでもなる。周りは山がちな無人島だらけで、どこにだって隠れられる。何より春雨(ハル)、お前と二人…じゃないけど、とにかくお前とまたゼロから何か始めるにはちょうどいいだろう。それに………ひょっとしたら()()()にとってもそれがいいんじゃないかな、そう思ってな」

 

 南洲が言う()()()-それは自身の主人格のヨシクニを指す。北太平洋海戦後の入院時に受けたDID(解離性同一性障害)の診断では、第一人格(ハル)は大湊で春雨と再会した事で消失、北太平洋海戦時に覚醒した主人格(ヨシクニ)は、記憶と現状の混交に混乱したまま重傷を受けた事で『死』を認識しながら深層意識に沈み込み、結果、第二人格(モゲロ)を個性の一部として取り込みつつ第三人格(ナンシュー)のみが支配的人格として唯一残っている、そう結論付けられた。

 

 「今でも、ヨシクニ(アイツ)に会いたいんだろ? 自由に人格が交替できたらいいんだがな…」

 

 はあっと深いため息を付いた春雨は体を離すと、ちょいちょいと指先だけを動かして南洲を呼ぶ。腰をかがめ春雨に目線を合わせた南洲は、春雨に両頬を挟まれ唇を奪われる。月だけが見守る長い長い口づけの後、真っ赤な顔をした春雨が迫力のない抗議をする。

 

 「分かってもらえたかな、これで…。私は…ナンシューと一緒に居たくて、今ここにいるんだけどな…」



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102. 逃げ水の鎮守府-後編

 物語に下りる幕。失いながらも最後に得た場所は、安住の地となるのだろうか。


 残った最後の輸送船は、トラック泊地から付けられた護衛を伴い、ハルマヘラ島ウェダを目指し夜明け前に人知れず抜錨し西南西に進路を取った。トラックから一四ノットで丸四日の航程となる。

 

 「司令官、本当に扶桑さんを行かせて良かったの? あとで艦隊本部に怒られるんじゃないの?」

 トラック泊地の執務室では、秘書艦の瑞鶴が司令官に疑問と一抹の不安を呈する。長く過酷なリハビリを経て現場に復帰した司令官と、堕天(フォールダウン)から南洲と扶桑の手で引き戻された瑞鶴は、その後トラック泊地に帰還し、所属の全員から歓喜と涙で迎えられていた。

 「そんな事はないさ。()()の紛失くらい始末書で済むよ」

 頭の上に疑問符をいっぱい浮かべる瑞鶴に対し、手にしていた書類を机に置きトラックの司令官は説明を行う。

 

 「今回配属された扶桑は、元々ウェダという、今は無い基地の所属でそこで戦没したことになっていた。なので艦娘としての登録番号はそこで抹消されている。その後、どういう経緯か知らないけど、技本の実験用機材としての登録番号が付与されたままなんだ。分かるかい? 本人と登録番号種別が合致してないんだよ。トラック泊地所属の艦娘としての新しい登録番号は来てないし、登録上今の彼女は実験用機材のままだ。艦隊本部が相変わらず形式主義で助かったよ」

 

 あっ、と驚いた表情の瑞鶴は、司令官の顔を眺める。

 

 「…あの扶桑なんだろう、君が深海棲艦に堕ちたのを救ってくれたのは? なら、僕は精一杯の恩返しをしないとね」

 

 

 

 航路の三分の二を過ぎた辺りに位置するパラオ泊地には、管理海域の航過を事前に通告してあり、島の南方を一行は過ぎゆく。支援兼休息用の母艦が随伴する、天龍と龍田、雷と電、そして扶桑の五名に守られた輸送艦、一行は遮るもののない海をひたすらに進む。二三機の瑞雲が青空に舞い警戒を続ける中、それは現れた。

 

 「まもなくヘレン島南を航過します。もうすぐで日本海軍の管理海域を出ま……探針儀に感ありっ!! 潜水艦二…天龍さんっ!」

「そう慌てるなって。『航過は許可したが臨検は実施する』って通信がパラオから入った所だ。へっ、ネチネチした連中だぜ。んで、瑞雲からの情報だと北北東から軽巡四隻が急速接近中だってよ。よーし、こっちも好きにやらせて貰うぜ」

 

 護衛艦隊の旗艦を務める天龍は、不敵な笑みを浮かべながらも内心焦っていた。臨検で輸送船の()()が明らかになれば全てが水の泡だ。もう少しでインドネシア海軍の管轄海域に入る、そうすれば事前許可がない限り日本海軍は軍権を行使できない。

 

 -だが、簡単には行かせてくれなさそうだな。

 

 ふふん、と鼻で笑った天龍は、指をポキポキと鳴らし、軍刀を抜く。

 「俺がどれだけ怖いか、しっかり教えてやろうじゃねえか。おしっ、まずは扶桑の姉御、両舷全速、さっさとインドネシアの管理海域に入ってくれ。その輸送船と一緒に目的の島まで着いたらお役御免だ。これはウチの司令官命令だからよ、頼むぜ」

 

 扶桑がきょとんとした顔で天龍を見つめ、何を言われているのか分からない、そんな表情で小首を傾げる。

 

 「大丈夫よぉ~、瑞鶴を助けてくれたお礼だから~。それに、輸送船の()()は扶桑さんの良い人で、新婚時代に住んでた島に帰るんでしょう~。急いでねえ~。さあ、死にたい(フネ)はどこかしらあ~」

 サムズアップに二重の意味を込めウインクした龍田は、頭上の輪を明滅させながら、ひゅんっと風切音を立て薙刀を構える。

 

 扶桑が龍田を振り返る。瑞鶴を助けた…それって私が()()()の刀と一緒に…そこまで考えが至り、思わず輸送船を凝視する。

 

 「はあ~、ロマンチックなのです~。扶桑さん、幸せになってくださいなのですっ!」

 「大丈夫、私達トラック泊地全員が扶桑さんの味方なんだから、も~っと頼っていいのよ」

 電と雷の姉妹がハイタッチをすると、主機を全開にして前進を始める。

 

 

 扶桑はやっと意味が分かった。

 

 北太平洋海戦後に配属されたトラック泊地では、まるで凱旋した将軍の様な手厚い歓迎を受けた。南洲と扶桑が、堕ちた瑞鶴を救ったと誰もが理解していたからだ。そんな事とは全く思い当たらず、かえって困惑してしまった。新たな任地、新たな仲間、それでも胸にあるのは、ただ一人の事。北太平洋海戦での短い再会、お互い意識不明の重傷、目覚めれば一人だった。それから顔を見る事さえ叶わぬまま今に至る。

 

 そして目的地も知らされないまま与えられた護衛任務は、西へ進む一隻の小さな輸送船を守る二五〇〇kmの長い旅。このまま進むと、ウェダ基地のあったインドネシア東部方面に向かう。西に向かうにつれ、昔の想い出に胸の奥が微かに痛くなった。けれどこれは偶然ではなく、トラック泊地のみんなが私のために―――扶桑は涙が溢れるのを止める事ができなかった。

 

 ぐいっと拳で涙を拭った扶桑は、凛々しく南洲に呼びかけると、主機を全開にする。

 「準備はいい? 急いで突破します!」

 

 とはいっても、小型輸送船と低速の航空戦艦、壊れそうなほど主機を上げても二四、五ノットが全力の扶桑。天龍達四人もパラオ勢を足止めしながらインドネシアの管理海域を目指すが、その間を縫い、三六ノットの快足を誇る長良と名取が先行しインドネシアの管理海域内に展開、扶桑の行く手を塞ぐ。輸送船に目をやると、春雨以下翔鶴、神通、神風がいつでも飛び出せるよう準備を始めていた。

 

 -どうすれば…。

 

 絶対に南洲達を戦わせる訳にはいかない。扶桑の二三機の瑞雲は健在であり、全機突入させれば前面に立ちはだかる二人を撃退できる。だがそうなれば、パラオ泊地にこれ以上ない介入の口実を与えてしまう。

 

 

 睨みあいを続ける扶桑の目に、長良型二名の背後の遠くで閃光と爆炎が映った。立ち上る黒煙の大きさから見て大口径砲なのは明らかだ。

 

 「あの…」

 「扶桑さん、逃げずに臨検を受けてください、すぐ済ませますから。お願いですっ」

 扶桑が呼び掛けるが、名取は低姿勢で頼み込んでくる。

 「ですので…」

 「逃げるって事はやましい事があるの? パラオ泊地司令官の命です、大人しく臨検を受け入れてくださいっ」

 海域を管理監督する泊地司令官としては当然の権利だが、事前に航過許可を取ったのにこのやり方。明らかに艦隊本部の意を組んだ嫌がらせだが、長良にはそんな政治的背景は分からず、ただ忠実に命令を遂行しようとする。名取が気弱そうに長良の腕をひっぱり、扶桑に視線を向ける。長良も扶桑が何かを言おうとしていたことに気付き、少しトーンを落とす。

 

 「扶桑さん…なんでしょうか?」

 「いえ…そろそろ着弾しそうだなあって…もう、遅いですよね」

 

 扶桑の言葉が終わるか終らぬかのうちに、次々と巨弾が長良と名取の周りに着水し、巨大な水柱を立てる。その大きさから見て、間違いなく戦艦の主砲が撃ち込まれた。

 

 

 「Guten Morgen、ここはインドネシア政府と協定を結んだ我がドイツ海軍の管理する海域よ、誰の許可を得て立ち入ってるのっ!? パラオの艦娘達、ただちに立ち去りなさい。じゃないと威嚇じゃ済まないわよ。それとも、このビスマルクの四基八門の三八cm砲の威力、一から教えてもいいのよ。ああ、そこにいるのはトラックの艦娘達ね、貴方がたの事は聞いてるわよ、早くいらっしゃい」

 

 風になびく長い金髪、すらりと伸びた長い手足、そして自信満々な口調と表情…それは日本を立ち去ったはずのビスマルクの姿。すでにトラック勢は手を出せない場所に逃げ込み、こうなると長良や名取を含むパラオ勢は矛を収めることしかできなくなった。少なくとも、許可を得ずにドイツ海軍の管理海域に立ち入ったとなれば大問題になる。仕方なく、いったんビスマルクの主張する管理海域の境界線の外まで出ることにした。

 

 見えない線が引かれたように距離を開けながらも、背後に扶桑と輸送船、トラック勢を庇うビスマルクとにらみ合うパラオ部隊。右手で長い金髪を後ろに送りながら、自信たっぷりにビスマルクが宣言する。

 

 「いいこと、日本海軍だろうが深海棲艦だろうが、ドイツ海軍の預かる海に入る事は許さないわ。許可なく立ち入るなら、このビスマルクが直々に相手をしてあげるけど。…ん? いいわ、確認したければ勝手にどうぞ」

 騒がしく動き始めたパラオの部隊を意に介することなく、ビスマルクは両手を上に向け肩を竦めながら、扶桑に素早く視線を送り小さくウインクをする。司令部と連絡を取っていた長良だが、やがて悄然とした表情で、ビスマルクに管理海域への無断侵入を詫び、部隊を集めて立ち去って行った。トラック勢もまた、扶桑に涙ながらに別れを告げ、長駆泊地へと帰投する。

 

 

 

 これ以上の危険はない、そう理解した扶桑は居ても立ってもいられず輸送船に乗り込み、上甲板に上がってきた南洲に飛びつくように抱き付いた。言葉は出ず、南洲の胸で泣きじゃくる扶桑と、それを見守る春雨や翔鶴、神通と神風。

 

 遅れて乗船し甲板まで上がってきたビスマルクは、一瞬眉をぴくりと上げたが、すぐにため息を付く。何だかんだ言って、いっつも艦娘に囲まれてるのよね、この人って…。

 「お取込み中の所邪魔するわね、ナンシュー、ここまでくればもう平気よ。…って何で片腕なのよっ!?」

 「………何でお前がこんな所に…。ドイツに帰れって言っただろう?」

 

 お互い質問をぶつけ合い、答えが得られない会話。先にビスマルクが背景を説明する。

 

 「ナンシュー、私は『絶対帰ってくる』、そう言ったでしょう? 帰国する前からアカシやオーヨドとは連絡を取り合ってたし、貴方の動向もしっかり掴んでたのよ。約束通りドイツ政府を貴方のために動かしたわ、褒めてくれていいのよ。さっきも言った通り、ハルマヘラ島を中心とする150km圏はドイツ海軍が管理する海域になったわ。本国も、膨張を続ける日本海軍、特にあのヨシノって中将がインドネシアに食い込んでるらしいじゃない? それをそのままにしておくのは嫌だったみたいでね。インドネシア政府高官のテーブルにユーロの札束を積み上げたら、喜んで協定締結してくれたわ。だからナンシュー、この海は貴方と私達だけの物よ。さあ、行くわよ、ウェダって所でいいのかしら」

 

 

 

 南洲が舞鶴で死亡したという話は一瞬軍を騒がせたがすぐに風化し、誰の口にも上らなくなりどれくらいの時が経ったのか。その頃になると、戦場伝説めいた噂が各地の艦娘の間で静かに広まっていた。

 

 インドネシア東部海域のどこかにある島には、大柄で隻腕の提督が治める基地があるという。探しても見つけられないその場所だが、傷つき行き場を失くした艦娘だけはその島に辿りつけるらしい、そう言われている。実際、行方不明になったり轟沈したと言われる艦娘の姿をその海域近辺で見かけるとの噂が後を絶たず、流言とも言い切れない何かがある-多くの艦娘はそう理解している。

 

 遠くにゆらゆらと見えるが、近づくことはできないその基地は、いつしか『逃げ水の鎮守府』、そう呼ばれる様になっていた。

 

(了)




 これにて『逃げ水の鎮守府-艦隊りこれくしょんー』、終幕となります。ここまでお付き合いくださいました読者の皆様、心よりお礼申し上げます。

 第三章でコラボさせていただき、その後もインタラクティブに物語を動かす機会をくださったzero-45様には深甚なる感謝を。

 のちほど活動報告もアップしますので、よろしければそちらもご覧ください。


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ラプソディ・イン・ブルーハワイ
103. ホームスウィートホーム


 物語後半で妙な存在感を出しまくり、あまつさえ他作者様の作品にまで出張した、仁科大佐と大鳳を中心としたアフターストーリー。
 
 戦場を放り出してハワイの地で暮らし始めた二人ーへんたいさとへんたいほうとの、自由奔放なラブ&カオスでダークな日常と戦いの日々。



 この章では、へんたいさを取り上げてくださった作者様の作品のキャラや世界観がひょっこり顔を出すかもですが、予めご承知おきください。

犬魚様『不健全鎮守府』
zero-45様『大本営第二特務課の日常』

これらの作品もあわせてお読みいただくと、より楽しめるかと思います。


 「ただいまっ。ごめんね、寂しかったかな」

 人感センサーが作動し、敷地の各所にライトが点くと、嬉しそうに声を上げながら三匹の番犬が、外出先から夜になって帰宅した少女に近寄ってくる。

 

 「きゃあっ、そんなに顔をぺろぺろしないでっ。よしよしっ」

 番犬-PT小鬼群と戯れているのは、大鳳型装甲空母一番艦の大鳳。手入れされた芝生に正座し、茶色のショートヘアを揺らしぽんぽんと膝を叩くと、嬉しそうにPT小鬼が膝に乗り甘えはじめた。

 

 裏庭の方からも、きゃははきゃははともう一組の番犬の笑いさざめく声がする。ただその声には微かにうめき声が混じっている。

 

 「マドー、ゲドー、そしてヒドー、ラボへの侵入を試みた者達を排除したのですね。ふむ…重傷でも生かしておいたのはこの方のみ、あとは深く埋めた、と。よろしい、貴方はご希望通り私のラボにご招待します。地下へご案内を。おや、なぜ泣いているのです、おかしな人ですね。知りたかったのでしょう? 技本の技術を。自らの体で味わえますよ」

 

 この家を守るのは、陸上でも活動できるよう改造された二組六匹のPT小鬼群。それぞれ名前が付けられており、大鳳にじゃれている組は、閃電、天雷、陣風という。家の周囲を確認し終え、ゆっくりと大鳳の背中に近づいてゆく三十代前半の年恰好の男性。大鳳の茶色い髪に、そっとイリマの花が飾られる。ハイビスカスの一種の黄色い花で、オアフ島のシンボルフラワーでもある。

 

 「大佐…」

 

 嬉しそうに振り返った大鳳の視線の先にいるのは、仁科 良典(にしな よしのり)()技術大佐。

 

 日本海軍における艦娘の開発運用の中核を成す、大本営技術本部に属する俊英のエンジニアだった男。人為的に艦娘を姫級鬼級の深海棲艦へと変容させる、堕天(フォールダウン)と呼ばれる技術の確立と実用化に深くかかわっていた。軍の暗部とも言える負の研究成果、堕天させた艦娘部隊を率いた彼は北太平洋海戦に指揮官として参加したが、突如戦場を放棄すると、大鳳を伴い出奔した。戦死とも行方不明とも言われ既に軍籍を抹消されている二人だが、実はここハワイの地に居を構え暮らしていた。少し前、唐突に日本に里帰りをし、吉野中将率いる大阪鎮守府に大鳳共々居候、ミッドウェー沖での作戦に向かう大坂舞鶴合同艦隊を足代わりにしてハワイへ帰投、再び彼らの日常に帰ってきた…というのがここまでの流れである。

 

 イリマの花を髪に飾り、嬉しさを隠せない表情で微笑みかけた大鳳の目が点になる。

 

 着衣はスパッツだけ。あとは裸、あるいはネイキッド、もしくはマッパ。股間や腰回りは、隠す様に彩る様に、イリマを始めとする色鮮やかなトロピカルな花々で飾られている。

 

 「ああ、この格好ですか? 帰宅したら裏庭で()()()がありましてね、服を汚してしまいました。これで特に不都合はないでしょう」

 簡単に言えば不都合しかない。が、大鳳にとってはそうではないようだ。

 

 「大佐…私…お花の似合う男性を初めて見ました……素敵ですっ」

 

 

 

 翌朝、一人早くから起き出すと自宅の地下に設置した広大なラボに籠り、侵入者に尋問と実験を愉しんでいた大佐は、正午を過ぎ遅いランチの時間を大鳳と過ごすため、シャワーを浴びさっぱりしてから姿を現した。

 

 「大佐、ごめんなさい…」

 

 早朝のキッチンからダイニングにワンプレートのランチを運んでくる大鳳と、待つ間にコーヒーを飲み寛ぐ白いタオル地のガウンをまとった大佐は、その声に視線を向ける。

 

 「バターが切れてました。せっかくおいしいパンが手に入ったのに…」

 「ふむ、バターですか…」

 

 テーブルを挟み向かい合って座る大鳳と大佐。白く丸いプレートにはスクランブルエッグとカリカリベーコン、トマトとブロッコリーのミニサラダが載せられている。あとはホテルブレッドと呼ばれる食パンを焼けばよいだけ。きつね色になるまで焼き、アツアツのうちにバターを載せる。大佐の好みに合わせた軽い昼食だが、大鳳はバターを買い忘れた。バターが無ければジャムでお食べ、と昔の王妃は言ったか言わないか、ともかく大佐の好み通りにできなかった事で、すっかり大鳳はしょげてしまった。

 

 「確か今朝牛乳が届いてましたね」

 「はい、五リッターの牛乳缶で届いたのをペットボトルに移したのが冷蔵庫に入っています」

 「そのペットボトルの牛乳を揺らさずに持ってきなさい。それと深さのある受け皿に広口の蓋付の瓶、瓶は小さいやつでいいですよ。レザーベルトは…ああ、ここにありますね」

 

 薄く微笑みながらそう告げる大佐。何のことか分からないが大佐の言う事を疑わない大鳳は、言われた通りに準備をする。だが頼まれた物を用意してキッチンから戻ってきた大鳳は、目に涙を浮かべている。

 

 「おや? どうしたのです?」

 「大佐…私はダメな艦娘です…。牛乳一つちゃんと保管できないなんて…」

 差し出しされたペットボトルに入った牛乳は、上層部がクリーム状の塊になって分離している。

 

 「non-homogenized milk(脂肪均質化非処理乳)を冷暗所で保管すれば脂肪とそれ以外に分離しますよ…アナタが自然現象に対して何故に落ち込むのか分かりませんが、これはこの牛乳が搾りたて無加工な証です」

 

 大佐はまだ目を赤くしている大鳳に優しく微笑みかけると立ち上がり、まるで艦隊に出撃を命じる様に右手を前に振り出し宣言する。

 

 「よろしい、バターを作ります。バターは生鮮食品、新鮮なものは驚くほど美味ですよ」

 「ええっ!? バターって自分で作れるんですか?」

 

 目を真ん丸に大きくし驚きの声を上げる大鳳に、大佐は苦笑いを浮かべ肩をすくめる。

 

 「大鳳、アナタには色々教える事があって退屈しませんねぇ。いいでしょう、食品科学の時間です。まず、牛乳を元に様々な乳製品が作られるのは知っていますね。濃縮すればコンデンスミルク、発酵させればヨーグルト、凝固・発酵・加熱などを経ればチーズ、そして分離させた脂肪分が生クリームやバターです。つまり新鮮な牛乳を攪拌すればwhey…乳清(ホエー)とバターになるという訳です。ちなみにホエーは日本語の発音で、ここハワイを含む英語圏ではウェイかウェーイと言わねば通じませんよ。このボトルにある塊に塩を加えても十分美味しいですが、もう一手間加えてより濃厚なバターとしましょうか。なに、手作業でも十分可能です。さて…」

 

 さて-前述の事柄を受けた話を続けるときに用いる接続語だが、当たり前のようにガウンを脱ぎ捨てる大佐の行動と、それまでの食品科学うんぬんの話の繋がりはよく分からない。ガウンの下から現れたのは、細身ながら引き締まった裸の肉体。四肢に残る手術跡が目を引くが、それよりも何よりも、頬を赤らめた大鳳の嬉し恥ずかしアイズは、大佐が唯一装備する黒のブーメランビキニに集中してしまう。そんな熱い視線を気に留めず、パンイチのまま作業を開始する大佐。

 

 受け皿を用意して分離した牛乳の入ったペットボトルの底に穴を開け、効率よく脱脂乳を抜く。そしてボトルの底を切り取り残ったクリーム塊を取り出す。それを用意した別の瓶に入れ蓋をする。そこまで済むと、大佐はブーメランビキニの前をびよーんと伸ばし下腹部に瓶の底を当てパンツの中にセットし、臀部から腰に回したレザーベルトでギチギチと固定する。横から見るとパンツの中で主砲が最大仰角を取っているかのようである。

 

 

 そして、両腕を上げ頭の上でクロスすると、リズミカルかつ滑らかに腰を前後に振り始めた。

 

 

 「いいですか大鳳、振動を加える事で脂肪分とそれ以外が分離します。さ、クロックアップしますよ」

 人間の目で見れば、アイオワの立ち絵のようなポーズで大佐の動きは止まっているかに見えるだろう。だが実際は残像を残すほどの速さで腰をカクカクと前後に振っている。人間より遥かに優れた感覚器官をもつ艦娘の大鳳はその動きを捉えているが、瞳に映る、充実した表情で腰を振る大佐の姿が大きくなり始める。腰を振りながら大鳳に近づいてきているからだ。

 

 「今回は塩だけにしますが、ハーブ類を加えることもあります」

 大鳳の眼前、腰カクカクと解説が続く。大佐の胸騒ぎの腰付きに釘付けとなった大鳳だが、やがてうっとりとした目でそのエキセントリックな動きを見つめ始めた。何かを思い出しているのか、最早バター以上に蕩けている感じである。

 

 ダイニングに差し込む陽光に照らされながら、ビキニパンツ一丁でうっすらと笑みを浮かべながら一心不乱に腰を振り続ける男と、ささやかな胸の前で手を組み熱視線を送る小柄な少女。やがて呟くように想いを載せた言葉が大鳳の口からこぼれる。

 

 「何をしても変態……でも好き」

 

 

 これこそ、この二人を知る軍関係者から『へんたいさとへんたいほう』と呼ばれる所以(ゆえん)である。それにしても、有能な人格破綻者である仁科大佐に、どうして大鳳はここまで心を預けているのか? それはこの二人にしか分からない…。

 

 

 「さ、できましたよ」

 時間にすれば一、二分程度だろうか、ぴたりと動きを止めた大佐は、いつも通りの表情に戻り、レザーベルトを緩めるとブーメランパンツの中から瓶を取り出し、大鳳に手渡す。中には見事にバターが出来上がっていた。

 

 「私の腰の加速度による脂肪の分離度、さらにこの後加える塩の量から計算すれば、これで濃厚かつ適度な滑らかさを残すバターが仕上がります。塩を加え混ぜるのは大鳳、任せますよ。私はパンを用意します」

 

 「は、はいっ! お任せください、大佐」

 

 焼き立てのパンに出来たての腰振りバターを塗る。ただそれだけでこれほどに美味しいなんて…頬張りながら、大鳳が嬉しそうな声を上げる。その声に、少しだけ嬉しそうな表情を浮かべ、大佐も同じようにパンを食べる。話しかけるのは大鳳からの方が多いが、大佐は一言も聞き流さず、頷き、返事をし、時に微笑み合う。




 思い切って連載再開。よろしければ活動報告もご覧くださいませ。


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104. ハワイの二人

 なぜハワイなのか、が明かされる回。


 深海棲艦との戦争勃発当初、アメリカ海軍の太平洋における要石だったハワイ要塞から大規模な艦隊が勇躍抜錨したものの二度と帰る事は無く、制海権を失ったハワイはまさに捨石、孤立無縁となった。

 

 それでも人間は自分の意志で生きる事を止められない。残された人々は自治政府を設立し、助け合いながら生き続けていた。国際法上は依然としてアメリカ合衆国を構成する州の一つだが、今は半ば独立国家の様相を呈している。かつて観光と漁業、軍需が産業の中心だった島だが、このご時世で観光客が来るはずもなく、手元にあるのは、人間の活動が低下する事で本来の美しさを取り戻した海と空、飽きることなく溶岩を噴き出し続ける5つの盾状火山、座すべき軍艦()を失った巨大な軍港・パールハーバーとその関連設備、そして在りし日の戦船を記念館とした第二次世界大戦武勲記念史跡(アリゾナ・メモリアル)と戦艦ミズーリ記念館―――。

 

 「…大鳳、誰に説明をしているのですか?」

 「あっ…大佐、すみません。一応やっといた方がいいかなあって…」

 「まあいいです、それよりも次はどこですか?」

 「は、はいっ! えっとですね…」

 

 へんたいさとへんたいほう、二人は今、ホノルルの中心街にある巨大なショッピングモールに来ている。巨大なのはハコだけで、外部からの物資搬入が著しく減少している現状では多くのテナントが休業中、地元ハワイの産品を取り扱うテナントだけがのんびり営業を続けている。市街地から離れた静かなエリアで暮らす二人も自給自足の生活をしている訳ではなく、やはりたまには市中に出て買い物もしなければならない。

 

 公園と一体化して作られたショッピングモールは、緑豊かな芝生が続く敷地の中を縫うように整備された遊歩道を進んだ先にある。半歩だけ先を行く大佐にちょこちょこついてゆく大鳳は、ちらりと大佐の左手に視線を送る。大佐は大鳳に合せ少しゆっくり目に歩いてくれているが、それでも大鳳の歩幅と比べると少し歩くのが速い。

 

 -手をつないだら、きっとちょうどいいかな。

 

 右手を出したり引っこめたりしながら、慎重に手をつなぐタイミングを計る大鳳。

 

 -今っ!!

 

 さりげなく差し出した手は、大佐の左手を握る代わりに、急に立ち止まり振り返った大佐の股間にぴとりと吸いついた。

 

 「む?」

 「なっ」

 

 単音だけで意味が通じるお互いの気持ち。平然としている大佐とみるみる顔を赤らめる大鳳。

 

 「大鳳、こういう時何と言えばいいか、私は一つしか知りません。それは私のおいなりさんです」

 「単なる事故ですっ!! もうっ、周りの人ドン引きですっ」

 「おや、そうですか。それにしても、いつまで手を添えているのです。どうせなら、こちらにしませんか?」

 

 大佐は大鳳の手を取り、指と指を絡めるいわゆる恋人繋ぎで手をつなぐ。

 

 脇から脇腹にかけて大きく開いたデザインが特徴的な長袖のノースリーブのシャツに赤いミニスカート。そこからちらりと覗くスパッツと、形の良い脚を覆うサイハイソックスが織り成す絶対領域の眩しさ。艤装がなければ大鳳はどこから見ても美少女である。

 

 一方手をつなぐ男は、腰部から股間、太腿の上部にかけて大鳳とお揃いのスパッツがある以外は、帯状の黒い布を縦横に組み合わせ体を格子状に覆うだけの装束(ホットリミットスーツ)。顔の上半分は目の部分をサングラスにしたベネチアンマスクで多少変装しているが、どこから見ても通報ものである。

 

 「もうっ……最初からそうしてくれればいいのに……」

 

 てれてれとにやける顔を隠せず、嬉しそうに眩しい笑顔で大佐を見上げながら、二人はホノルルでも評判のジェラートショップを目指し歩いてゆく。

 

 

 

 「それにしても大佐、そろそろ教えてくださってもよいのではないしょうか?」

 「何をですか?」

 

 はむはむとジェラートを食べながら大鳳が問いかけ、はむはむとジェラートを食べながらベネチアンマスクが問い返す。

 

 「ハワイに来た目的です」

 「言いましたよ。貴方とのハネムーン、そして真の技本を再興する。その二点です」

 「は…ハネムーンは、その…とっても嬉しいのですが、技本の再興…なぜハワイなのでしょう」

 

 大佐はぎいっと椅子を鳴らしながら足を組み替え、話が静かに始まる。

 

 「なに、簡単な事です。太平洋地域最大の宝の山があるからです」

 「宝の山、ですか…」

 

 おうむ返しに大鳳が繰り返す。深く頷くと、再び手にしたジェラートをスプーンですくいはむはむ食べる大佐。ひと段落し、話は続く。

 

 「私は技術者(エンジニア)であり、錬金術師(アルケミスト)ではありません。技本再興といってもおおすみから持ち出した機材資材では心許ない。ゆえにこの宝の山が必要なのです。ここ真珠湾(パールハーバー)は、あなたもよく知る通り、南雲機動部隊が大空襲を行い往時の米軍に大きな損害を与えた場所です。現代の深海棲艦との戦争の序盤でも出撃拠点でしたが、参加した戦力の殆どは帰ってきませんでした。その後日本海軍艦娘の活躍を見たアメリカ軍は、実験台(テストベッド)にアリゾナを選び、艦娘として復活させるため数多くの実験機材をパールハーバーに運び込んだのですが…戦争の激化により、島嶼防衛戦で勝ち目がないと悟りハワイを放棄しました。誰からも顧みられることなく、アメリカ本土へ帰ることも他国へ脱出もできない住民を残したままで」

 

 ここまで一気に語ると、興奮したホットリミットスーツはがたっと椅子を倒し勢いよく立ちあがると宣する。

 

 「主のいない巨大な軍港と実験設備、これを宝の山と呼ばずしてどうしますかっ!! しかも孤立した住民(実験材料)付きです。いいですか大鳳、技本再興の拠点として、私はパールハーバーを手に入れます。今の所アメリカとは協力関係にありますが、それでも私のラボに不法侵入を試みる無頼の国ですからねえ、いつまでこの関係が続くか見ものです」

 

 不法入国の自分を棚上げし、自信満々に宣言する目の前のボンデージ男に大鳳は何の疑問も抱かなかった。自分には見当もつかないが、きっと大佐はどうすればいいか分かっているから。やると言った事は必ずやる人、私はそれを見届ける。

 

 「はいっ、大佐! この大鳳、どこまでもお供しますっ!」

 

 

 

 ジェラートを食べ終え買い物を済ませた二人は、今日のメインイベントです、という大佐の言葉に従い、駐車場まで戻ってきた。

 

 二人の足となる一台の軍用特殊車両。戦場から逃亡した北太平洋海戦時、LST4001(おおすみ)から強奪した資材や機材の中にあったものだ。外観的にはランボルギーニとハマーを組み合わせたような形状で、一言でまとめろ、と言われればビギンズやライジングに登場したバット○ービル的なソレである。500馬力超の大排気量V8エンジン+小型ジェットエンジン搭載、前輪20inch、後輪44inch×4でその暴力的なパワーを受け止める。本来強襲作戦に用いるため用意されたこの車を、『無粋の極み、ですが極めればそれもまた粋』と、何故か大佐が気に入り持ち出されていた。以来大佐はこの車を自分好みの改造を加え乗り回している。

 

 「少しドライブでもしてから家に帰りましょうか」

 大佐は指紋認証と虹彩認証でエンジンを起動させる。V8エンジンの重低音と甲高いジェットエンジンの吸気音がハーモニーを奏で、背中を蹴っ飛ばす様な加速が始まる。

 

 ホノルルから61号線パリ・ハイウェイをカイルア方面へ向かうと、ウィンドワードへと向かう峠の途中に、ヌアヌ・パリ展望台がある。雄大なコオラウ山脈からカイルアやカネオヘ湾が一望でき、男性的な荒々しく雄大な自然を見渡すことができる。

 

 

 「わぁ……。こんな所もあったんですね、大佐。それに…いい風」

 

 ヌアヌ・パリは風の名所としても有名で、身体を支えられない程の強風が吹くこともあるが、今日の風は強いもののそこまでではなく、大鳳を空へと誘うように、茶色の髪と赤いミニスカートを大きく揺らす。

 

 

 ー一般市民を実験材料と呼んでも疑問を抱かない自分に疑問を持たない艦娘…大鳳、アナタには伝えてない事が多いですが、これから起きるであろう事、風を抱くように受け止められるのでしょうかねぇ…。

 

 両腕を大きく広げ背伸びをし、風を全身に感じようとする大鳳の姿を、少し離れた所から見守る大佐。強い風は彼のベネチアンマスク型サングラスを揺らすが、体にフィットしすぎるほどフィットするホットリミットスーツには何の影響も与えない。

 

 大鳳はくるりと振り返ると、満ち足りた表情で大佐の元に駆け寄ってくる。

 

 「ありがとうございます、大佐っ。本当に…嬉しいです。私、この場所が大好きですっ。でも、どうしてここに連れてきてくれたんですか? 他にもいろんな場所があるのに」

 「別に理由などありません。ただ…強いて言えば、貴方はきっと風を感じられる場所が好きだろう、そう思っただけです。さあ、帰りましょうか」

 

 大鳳から見えるのは、うっすらと微笑む口元だけ。それでも、大鳳は大佐が照れていると思った。表情や口の端に登る言葉と、その心の内の差に気付くには大鳳は一途過ぎたとも言える。

 

 それ以上大佐は何も言わず、車へ向かい歩き始めた。慌てて追いかけようとした大鳳だが、不意に吹いた強い風に押され、大きく体勢を崩しつんのめるような姿勢で大佐に追いすがる。

 

 

 がきょん。

 

 「む?」

 「なっ」

 

 午前中の再現ドラマのように、大鳳の手は吸い込まれる様に大佐の股間を直撃した。

 

 「大鳳…ひょっとして、ワザとですか?」

 

 大佐のその声だけは、男にしか分からない感情を載せ、ちょっとだけ涙声だった。



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105. 私を根は善人と思ってましたか?

 本格的に動き出した仁科大佐と巻き込まれる人達、の回。

 ※今回は『不健全鎮守府』犬魚様のご厚意のもとで書かせてもらってます。お話的には「海外旅行はスマホートンと共に 前編・後編」「提督と168と最新ケータイ」と絡んでます。


 「どうでしょうか、そろそろ神経接続に伴う違和感も収まって来たのではないですか?」

 

 地下のラボで寛ぐ仁科大佐は、目の前にある巨大な水槽にいる存在に気軽に話しかける。話しかけられた側は、呪い殺すと言わんばかりに憎悪を滾らせた視線を大佐に返している。

 

 「………コロシテヤル、殺シテヤル、絶対ニダ! 悪魔ダッテコンナヒデェ事ハシネェゾ」

 

 ラボに侵入を試みた四人組のうち、重傷ながらも唯一生をつないだ一人の男。拷問は覚悟していたし、口を割らない自信もあった。どうしても耐えられなければ、星条旗(スターズ&ストライプス)のためにも自ら命を絶つ。その悲壮な覚悟は全て無駄になった。丁寧な治療、しかも自分の知る現代医学を遥かに超える技術であっという間に治癒した体に驚く間もなく頭蓋は切り開かれ、大脳皮質や神経に直接機器を接続された。

 

 『このシステムを試してみましょうか。私の質問に事実を語りなさい。さもなければ、貴方は自分で自分を罰するでしょう』

 

 大佐がこの男に出した指示はいたってシンプルだが、意志の力で制御できないこんな尋問方法に耐えられるはずもない。嘘をつくと自分で自分の体を痛めつけることになる…男はエージェントとしては優秀過ぎた。身体のありとあらゆる箇所を自傷自損し再起不能に陥ってしまった。

 

 「さて、設定を変えて脳から直接情報を取り出しますから。貴方が口を割ろうが割らまいが、元々どうでもよかったのです。ん? なんですか? ああ、『試す』というのは貴方の反応ですよ。それさえ想定の範囲内でしたけど。ならなんでこんなことをした? 機材は定期的に稼働させメンテすべきですからね。それに…あなた程度が知りうる情報など、私が持つ情報を超えるものではないでしょうし、単なる確認作業のようなものです」

 

 情報源の価値も認められず、機材のメンテの材料としてだけ利用された男は眠りに落ちた。次に目を覚ますと、男は水中にいた。不思議と苦しくない。ざばっと水面から顔を出すと、格子状の黒いボンデージ様の衣装に白衣をまとった男が近づいてくる。

 

 「喜びなさい、肉の体の制約を超え、貴方は新たな力を手にした。知りたかったのでしょう、私の…技本の技術を。だから私のラボを訪れた。その答を、貴方は身を以て知ったのです」

 

 大型の水槽にいるのは駆逐ニ級で、かつて大佐が開発したモドキと呼ばれる人造深海棲艦。当時量産化と実戦投入にこぎつけたのはイ級後期型、しかも稼働時間制限付だった。継承発展を遂げた技術は現在駆逐ニ級にまで到達した。他の駆逐クラスと比べてフラットな見た目をしているタイプである。本来であれば頭頂部に緑色に光る目のような器官あるはずだが、代わりに男の首から上がはめ込まれている。男は絶望と怒りで恐慌をきたし、水槽の中で激しく暴れはじめた。

 

 「安心しなさい、神経接続が安定した後にひと仕事終えればあなたは自由です。帰国でも亡命でも好きなようになさい。ああ、先に言っておきますが、あなたには選択肢はありません。…やめなさいっ! そんなに激しく暴れてはいけません。私と戦うと言うなら、それでも構いませんがそれは今ではない。神経接続と同調が安定する間の間、貴方は管理されねばならない、それが技術者としての私の責任ですっ!! …まあ何です、その様子を見れば順調そうですね」

 

 くるりと水槽に背を向け、くいくいっと腰を入れながらモデルウォークで大佐はラボを後にし、大鳳の待つリビングへと向かっていった。

 

 

 

 「先日入手した超精密凹版印刷機をそろそろ稼働させようと思います。技本()の技術を投入すれば、日米の造幣局の真券さえ偽札に堕す逸品を作れますよ」

 

 かつてC-14342(スーパーノート)と呼ばれた、よほど高性能の機械でなければ確認が不可能な100米ドル紙幣の超精密な偽札があった。大佐はそのスーパーノートを再現、いや超越するのだという。大鳳には全くその真意が分からない。それって単なる犯罪じゃ…と首をかしげていると、優しい声で大佐が話を続ける。

 

 「いいでしょう、マクロ経済の時間です。スーパーノートを超える…そうですね、H(ヘンタイ)ノートとでも呼びましょうか、Hノートを私の切り札の一つとする訳です。市場に供給される通貨は各国の中央銀行が…この辺は割愛しますか。要点を言いますと、経済の根幹を成す通貨の価値を私が毀損できる、ということです。この先真珠湾基地を私が押さえれば、さすがにアメリカも黙っていないでしょう。そのために、日本経済を人質に取ります」

 

 現時点で人類が深海棲艦との戦争を続けてこられたのは、ひとえに日本海軍、もっといえば日本の艦娘達の血みどろの努力の賜物だ。艦娘による東南アジア海域警護という実力と日本円というハードカレンシーの信用のもと、日本は各国から資源物資を輸入して軍需物資を確保し経済を回している。そこにHノートが大量に持ち込まれる、あるいは持ち込まれたと噂が立てばどうなるのか。日本円の信用は暴落し往時と同じく経済で首を絞められる。艦娘部隊も物資が無ければ動かせず、太平洋全域は深海棲艦の手に落ちる。

 

 大西洋間貿易と南アメリカとの経済ブロックでアメリカ経済は何とか回るが、太平洋から完全に締め出されることを、経済でも政治でもなくアメリカの国民感情が許さないだろう。そうなると艦娘部隊の多寡に関わらず、太平洋を打通するためにアメリカ海軍は深海棲艦と勝ち目のない戦いを始めなければならない。それを防ぐには、アメリカは仁科大佐との交渉のテーブルに着かざるを得なくなる。

 

 要点を、と言われても大鳳にはピンとこない。うんうん首をひねりながら閃いた言葉を、きらきらと輝く目で口にする。

 「難しくてよく分かりませんけど…大佐はお金を作ることをお仕事にする、そういうことですねっ」

 

 「…大鳳、アナタには色々教える事があって退屈しませんねぇ」

 

 柔らかく微笑みながら大鳳の茶色のショートボブをわしゃわしゃとする大佐と、なぜそうされてるのか分からず不思議そうに大佐を見上げる大鳳。

 

 「さあ、今日は気分がいいので店を開けようと思います。大鳳、あなたも好きにして過ごしなさい。…それにしてもキリバスルートで日本への貨物便が確保できたのは大きいですね。さて、日本に手を伸ばすと言う事は、あの男に協力を頼みましょうか…」

 

 店とは、世を忍ぶ仮の姿として、大佐が開いている携帯電話を中心とした各種電化製品の修理を請け負う小さな店である。物流状態の悪化したハワイでは家電や機械の修理ニーズは高く、張り紙だけが宣伝で気が向いた時だけオープンする大佐の店でも、それなりに繁盛している。身分的には世を忍んでいるが、肉体的に忍ぶ気が無い相変わらずのファッションでホノルルを闊歩しているので注目度は高い。

 

 

 

 遠く離れた日本、キュウシュウに存在している、とある海軍基地…。

 

 「168の電話、また勝手に歩いてるのね」

 特に関心なさそうに言うのは潜水艦娘の伊19。エロい身体をしている。

 「でも歩き方がいつもと違うというか」

 細かな差異に気が付く違いの分かる潜水艦娘の伊8。エロいボディをしている。

 「何か…腰をくいくい入れて歩いてるのね」

 興味津々で168の携帯を捕まえようとする伊58。エロい肢体をしている

 

 「携帯の腰っていったいどこなのよ? 何言ってんだか」

 身も蓋もない言葉を仲間に叩き込む伊168だが、携帯に視線を送ると固まってしまった。

 

 「あ、これって…」

 携帯電話が呼出音の代わりにこの動きをする時は、()()()からの電話を繋ぐとき。言うまでもなく仁科大佐である。心底嫌そうな顔をしながら168は電話に出るとスピーカーモードに切り替え、他の3人にも聞こえるようにする。

 

 「お久しぶりですねお嬢さん達。私のイケボがそろそろ聞きたくなった頃でしょう。それはいいのですが、提督はいますか? 私は彼に用事があるのです」

 「大尉(笑)なら多分ウン○してるでち」

 「とんだ風評被害ですね。まあいいです、ケータイ大好きっ子、このまま提督の所に行きなさい」

 

 

 「げぇぇぇっーーーー! お、お前はーーーーっ!!」

 「久しぶりですね、提督。今日はビジネスのお話です。さっそくですが、有馬とのコネクション、利用させてもらおうと思いましてね。有馬貴子と連絡を取りなさい。そう、姉の方です。ロリコンの貴方ではあるまいし、貴方の嫁(妹の方)に用事はありません。報酬にはHノートを貴方が望むだけ差し上げましょう。あと私のイケボ搭載のスマホも」

 「ロリコンではない提督だ。てゆーかテメェに誰がそんな事吹き込みやがったっ!?」

 「貴方がウ●コから帰ってくるまでの間に貴方の秘書艦と話していましたが?」

 「あいつめ…。それよりもHノートとは? ほう…判別不能なほど精巧な偽札、とな。………サミダンテ君、明石を呼びたまえ、そう、大至急」

 

 

 

 「よいしょ…南洲、ちょっと変わったお魚が取れました、はい…」

 「春雨(ハル)…そのお前が連れてきた奴だがな…魚じゃねーだろ、どう見ても」

 

 所変わってインドネシア東部海域にあるハルマヘラ島旧ウェダ基地跡地―――正確には、基地の跡地を利用し巧みに隠蔽された小さな基地施設がある。大きく開けたウェダ湾に残る港は、かつては相応の規模の施設を有していたようだが、今では完全に破壊され廃墟となり、波止場程度の役割しか果たさなくなっている。そこに帰ってきた艦娘は、白露型五番艦の春雨である。右手には魚の入った飯盒を持ち、左手には深海棲艦を棘鉄球(モーニングスター)のチェーンで雁字搦めにして引き摺っている。漁に出ていた彼女は、出迎えのため波止場に現れた隻腕で大柄な男に報告していた。

 

 「何でまたこんなのを拾ってきたんだよ? これ、駆逐ニ級じゃねーか」

 「お魚獲りを終えておうちに帰ろうとしたんです。そしたらこの二級さんがハルマヘラ島の方へ侵攻してきましたので砲撃を開始したところ、()()()()で叫び出したんです、はい。でも…錯乱してるみたいなので、取りあえず棘鉄球(モーニングスター)で大人しくしてもらって、チェーンで縛り上げて連れ帰った、という訳です」

 「人語を解する、深海棲艦? 姫級鬼級以外でか?」

 

 南洲と春雨が二人して首をかしげている間に、駆逐二級…正確には仁科大佐が作り上げた人造深海棲艦と融合させられた哀れなエージェントが話し始める。

 

 「オ前ガ、ナンシュー・マキハラ、カ。聞イテイタ通リノ風貌ダナ。俺ハ…ハワイカラ命令ヲ受ケテヤッテ来タ―――」

 「手前ぇ…何で俺の名前知ってんだ? それに…ハワイから来たって言ったな、オイ。まさかとは思うが…」

 



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106. ウォーキング・デッド

 槇原南洲、知らされる、の回。


 「手前ぇ…何で俺の名前知ってんだ? それに…ハワイから来たって言ったな、オイ。まさかとは思うが…」

 

 南洲は即座に後方に飛び退きながら右脇に吊ったホルスターから銃を抜く。デザートイーグルに似た形状の大型拳銃が鈍く光る。()技本が艦娘の艤装を鋳直し作り上げたもので、深海棲艦や艦娘相手に効果を発揮する数少ない人間が開発した武装となる。元となった艦娘の艤装に準じる威力を発揮し、南洲の拳銃は扶桑の副砲と同等の威力を持ち、駆逐二級程度なら数発で行動不能にしてしまう。

 

 南洲は相手が人語を話すので思わず応対してしまったが、よく見れば二級に人間の頭部が埋め込まれている。

 「………なるほどな、こんなのと遊んでたから春雨(ハル)の帰りが遅くなったって訳か。陽が沈んでも帰ってこないから心配したぞ。しかしまあ…悪趣味な事をやらかす連中が、まだ軍に巣食っているとは、ね。つくづく救えねえな」

 

 ゆらりと空気が動き、二級が動き出す。即座に南洲は飛び退き、同時に南洲と二級の間には春雨が割って入っていて、だらりと提げた棘鉄球(モーニングスター)をゆらゆら揺らし投擲体勢に入っている。しばしにらみ合った二人と一体だが、南洲と春雨は状況に気が付いた。駆逐ニ級が浜に上がろうともがき続け、少なくとも上半身と思しき部分は上陸に成功した。曇天の夜空には月明かりも星明りも僅かにしか瞬かず、実際の光度以上に暗さを感じさせる。そんな浜辺に無理矢理上陸しようとする深海棲艦と棘鉄球(モーニングスター)を構える艦娘、その奥には銃を構える隻腕隻眼の男。

 

 「………」

 「………」

 「ヴェアアアァァァァ…オェッ…オボロロロッ」

 

 二人が警戒を解かずに様子を眺めていると、駆逐二級、正確には移植された男がガラの悪い酔っぱらいのような声をあげ始め、文字通り口から何かを吐き出した。透明なビニールコートで密封されたスマホのような物体が口から転がりで砂浜に落ち砂まみれになる。

 

 南洲を見上げ小さくこくっと頷いた春雨は、艤装を展開しその物体に近づいてゆく。仮に爆発物だとしても、艤装さえ展開しておけば被害は最小限度に止められる。手に取り砂を払いしげしげと眺める春雨だが、どこからどう見てもスマホにしか見えない。ビニールコートを破いて取り出すと、やはりスマホ以外の何物でもないことが判明した。

 

 取りあえず危険はないだろうと春雨は判断し、スマホを南洲に差し出す。怪訝そうな表情でスマホに触れる南洲だが、指がセンサー部に触れた途端、何故か電源が勝手に入り一つのアプリが起動しはじめた。

 

 ぱあっと青白い光が画面から放たれ、夜の浜辺を明るく照らす。スマホのモニタが放つあまりの眩さに春雨は思わず手を離し、スマホはとさっという軽い音を立てて砂浜に横たわる。依然として放たれる光は海とは反対側の原生林に色濃く光と影を作る。しばらくすると光の粒が集まり始め小さなポリゴンをいくつも組み合わせたような、極めて滑らかな3Dモデリングが投影され始めた。

 

 足元からも頭部からも上下に少しずつ組み上がり、やがて形作られる全裸の人型は、某セー◯ームーンの変身シーンのようにひとしきり踊ると、最後はくいっと腰を入れたポーズを決める。一糸まとわぬ均整の取れた体にバタフライマスク。若い女子なら両手で目を隠しつつ指と指の間を大きく開いて確認したくなる、とある一部は黒い長方形で塗りつぶされ、白抜きの筆文字で『自主規制』と書かれている。

 

 

 「久しぶりですね、槇原南洲。私は貴方に用事があるのです。わざわざこのような僻地まで電子的方法とはいえ出向いて差し上げたのです、感謝しなさい」

 

 

 スマホから投影された3Dモデリングが喋り始める。投影されたそれは、言うまでも無く仁科大佐である。春雨はあまりのことに完全に固まると、自主規制棒から目が離せなくなり、言わなくてもいい事をぽろっと口走ってしまい、南洲と大佐を苦笑いさせる。

 「な、南洲ほどじゃない、ですね、はい…」

 「春雨(ハル)、どうでもいい情報だが口に出すなよ。それよ―――」

 「だ、だって…私は…南洲のしか見たことないから…」

 南洲の言葉を遮ってまで言うべきか言葉かどうか別として、そこまで言うと春雨は真っ赤な顔をしながらぷいっと3D モデリングに背を向け、くねくねと棘鉄球(モーニングスター)のチェーンを捩り始めた。

 

 「…まぁいい、その趣味の悪いモドキ(駆逐ニ級)、やっぱりテメェか。しばらく会わないうちに変態メーターがレッドゾーン振り切ってるじゃねーか」

 3Dモデリング相手では銃を抜いても刀を抜いても意味はなく、南洲としてはここまでして仁科大佐が自分にコンタクトを取ってきた理由が気になり、銃を腰のホルスターに仕舞うと問いかける。

 

 「で、何の用事だ、変態野郎」

 

 

 

 繰り返す波の規則正しい音だけが響くウェダの砂浜。普段なら煌々と輝く月と星が夜空に輝き、砂浜も思いのほか明るく照らされるが、曇天の今日は暗く重たい空模様。だが砂浜に置かれたスマホの画面が鮮やかな光を放ち周囲を照らしている。

 

 ぼんやりと海を眺めながらヤシの木に凭れ片膝をついて座る南洲、同じように木陰に置かれたスマホからは、相変わらず全裸with自主規制の仁科大佐の3Dモデルが投影されている。二人とも無言のままどれくらい時間が経っただろう。唐突にデジタル仁科が口を開く。

 

 「槇原南洲、貴方に聞きたい事があります。自分自身の()()()をどう認識していますか?」

 

 無言を貫いていた南洲がぼそりと答え、会話が始まった。

 

 「いずれは死ぬ、それは間違いないだろう」

 「貴方は常に設計時の計画値を超える性能を発揮し、私を驚かせ続けてきました。そんな貴方でも生体である以上、いずれ機能停止します。CHW(異種配合人型兵器)の中でも、貴方や私のような指揮官モデルは相応に長い稼働限界時間が設定されていますが、それでも限度があります」

 

 徹頭徹尾モノ扱いかよ、と南洲が苦笑を浮かべたが、デジタル仁科は意に介さず話を続ける。

 

 「貴方は脳を含めた生体に手を加えた度合いが非常に高く、異種間配合の宿命、拒絶反応を常に薬で抑えている。人間より遥かに高性能な艦娘の生体組織は人体にとって侵襲性が強く、元となる貴方の生体に負担を強いています。もっとも、移植された扶桑の生体組織も機能が随分と低下しているようですね。いずれにせよ…貴方は、損害を受け過ぎました」

 

 自覚はあるのでしょう、と体をくねらせながらビシッと南洲を指さすデジタル仁科with 自主規制。

 結構な部分でお前のせいでもあるんだがな、と顔をヒクつかせながら大佐を睨みつける南洲。

 

 「…それでもまだ俺はやれる、やるさ。ウェダを守らなきゃならないからな」

 「守る、ですか。ドイツの支援に頼って辺境の小島に立て籠もる貴方が? 今こうやっていられるのは、大坂鎮守府の戦略的放置に過ぎないのを理解していますか?」

 

 苦い物を食べたように南洲は顔を顰め、仁科大佐に改めて強い視線を送る。彷徨い戦い続けたどり着いた場所が、誰かの思惑で生かされているに過ぎない、そう言われては黙っていられない、が…。

 「言ってくれるじゃねーか…と言いたいが、お前の言う通りだ。大坂云々ってのは初耳だが、まぁ在り得る話だな。だが、誰の手にも属さないこの場所が存在している、その事実が重要なんだ。誰の思惑でもいい、それでウェダがここにあるなら、それでいい」

 

 不思議と満足そうな笑みを浮かべた仁科大佐と、それ以上何も言わず口を閉ざした南洲。潮騒だけが規則正しく響く浜辺で、再び沈黙を破ったのは仁科大佐である。

 「…貴方も色々問題を抱えていますが、私も似たようなものです。私の場合は、度重なる遺伝子操作により遺伝子転写制御が不安定になり始めました」

 

 「へえ…技本イチの天才様でもしくじるんだな」

 南洲の皮肉に、デジタル仁科は肩をすくめながら明確に否定をする。

 

 「しくじった、というなら遺伝子操作を担当した生体工学部門が、あれほど劣化していたと想定できなかった判断ミス、でしょうね。西松教授…中臣浄階様と並ぶ真の鬼才、あの男が去った後、生体工学部門にはロクな人材がいなかった。それでも技術水準としては依然高水準と言うべきでしょうが、所詮その程度。私が必要なのは蝶☆一流のみ。もっとも、それゆえ霊子工学部門が技本内で主導権を取れたのですから皮肉な物です」

 

 西松教授(知らない人)の名が出たが、仁科大佐(変態野郎)がここまで言う以上、その道の権威なのだろう、と南洲は想像しつつ、核心となる問いを口にする。

 

 「で、天才様はどう見てるんだ? 俺は…どれくらい保つ?」

 

 「早ければ5年、長くても10年程度。環境次第では多少の誤差は生じるでしょうが、多くは期待しないでください。もっとも、これは私も同程度です」

 「長ぇのか短ぇのか分からんが…手前がそういうなら、そうなんだろうよ。で? それをわざわざ伝えるために人一人犠牲にしたってのか?」

 

 南洲が不快感を露わにし、二級に繋がれた男に話を及ばせる。南洲の鋭い視線を意に介さず、自主規制棒を揺らしながら両手を空に向け肩を竦める仁科大佐。その仕草に南洲は思わずイラッとする。

 「取るに足らない男一人、真なる技本の技術を体験し、私と貴方のコミュニケーションに役立ったのです、本望でしょう。だいたい貴方が僻地で自給自足的生活を送っているから、こんな回りくどい手段を取らねばならなかったのです、反省しなさい。それよりも槇原南洲、貴方は自分の行く末を理解しましたね。それでも、この辺境の島に拘りますか?」

 

 「………手前(てめえ)、何が言いたい?」



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107. 出口のない迷路

 南洲と仁科大佐、語り合う。


 「貴方の問題の解決は、ある意味では簡単なのです。異種配合に起因する拒絶反応の解消…モザイク状に組み合わされた異種組織間の侵襲性とテロメア制御の問題です」

 

 「…手前が言うと簡単そうに聞こえるんだがな。なら何で余命宣告なんざ仰々しくしやがった?」

 

 仁科大佐は両掌を空に向け肩を竦め、その拍子に自主規制棒もぶるんと揺れる。その光景にイラッとさせられた南洲だが、仁科大佐の続く言葉にさらに苛立ちを強めてしまう。

 

 「方法があっても難易度が無理ゲーレベルだからです。人体で最も繊細な、替えが利かない器官の脳を相当いじくりましたからね、免疫制御に無理が生じても不思議ではない。そもそもDIDを発症していた(壊れていた)貴方とはいえ、そこからさらに手を加えたのです。むしろよくここまで正常に稼働しているものですね。ああ、これも全て私の、世界を、時代を、常識を超える技術が成し得た技です、感謝なさい」

 

 恍惚の表情を浮かべながら自分を抱きしめくねくねとしている仁科大佐と、3Dモデリング相手に意味はないと知りつつ銃を抜きたい衝動を必死に堪える南洲。一向に気にする事もなく、仁科大佐は話を続ける。

 

 「さらに、貴方の体は現在三種類の組織を無理矢理繋ぎ合わせている。元の人体、扶桑の組織、そして北太平洋海戦時の緊急手術の際に用いたモドキの組織。…そんな顔をしないでください、救命を最優先しあの場で手に入る物を使ったのです。要するに、どれでもいいのですが、貴方の生体組織の規格を統一すればいいのです。が…今や生体工学分野でそこまで高度な技術を持っている者は皆無…。世界的権威にして艦娘の父と呼ばれた西松教授なら可能だったでしょうが、彼はすでに故人。彼には、後継者と目される若い学者、確か穴吹助教授…がいるはずですが、研究領域が特定分野に偏っているとの噂は聞きました」

 

 

 南洲、ここでキレる。

 

 

 「俺がこんな風になってんのは、結局手前のせいじゃねーかっ!!」

 「私のお蔭で生き残っている、というのが正しい言い方ですね」

 

 

 睨みあう隻腕の大男と全裸の3Dモデル。

 

 ちっ、と舌打ちをすると南洲は大きく砂浜を蹴りあげ、忌々しそうに3D仁科を睨みつける。

 「刀が振るえれば、今度こそ細切れにしてやる所だ、有り難く思え」

 「ハワイまで届く刀などあるはずもないでしょう。それに、あの時(北太平洋海戦で)それを成し得たのは槇原南洲(まきはら よしくに)…貴方の主人格の技量あってこそ。まぁ…今の劣化した私なら、今の貴方でも倒せるでしょうが」

 

 

 「大佐、お食事の準備が…………えと、あの、お着替えの途中…にしては潔すぎというか…」

 

 会話に急に割って入った声に、南洲の表情が不審げな物に変わる。

 

 -そういや最後まで堕天(フォールダウン)しなかった奴が一人いたな、手前らの母艦を守りきった空母娘…一緒だったのか。

 

 地下のラボで全裸の仁科大佐が一人クネっていた所に現れた人陰は、言うまでもなく大鳳である。南洲率いるMIGOと仁科大佐率いる技本艦隊が激突した北太平洋海戦当時、主に単冠湾部隊と大湊部隊を相手取っていた大鳳と南洲は直接対峙しないまま戦いの終わりを迎えたため、二人にとってこれが初対面となる。

 

 一方仁科大佐はラボに入ってきた途端固まってしまった大鳳に視線を向けている。観客の登場、と言わんばかりに腰をグイッと落とし脚を開き、両腕を大きく広げるとスパ○ダーマンのようなポーズを取る。全裸でぶらん、だが。

 「おお、もうそんな時間ですか。残念ながらまだこちらの用事が終わっていません。終わり次第リビングに行きます。む、どうしました? まるで変質者に突然出会ったような顔をしていますが?」

 「ええ、まさか自宅で出会い頭に変質者と遭遇するとは想像していませんでした…流石にそこまで堂々と見せつけられると…かえって清々しいと言いますか…はぁ。…ご用事ですか…分かりました、終わったらリビングに来てください。あ、そうそう、今日は()()()お客様がいらっしゃいますので、それまでに服は着てくださいね」

 

 ちらりとモニターを覗き込んだ大鳳は南洲と目が合う。慌てて視線を逸らすと、大鳳は小走りでラボを出てゆきフレームアウトして姿を消した。

 

 「ふむ、話を戻しましょうか、槇原南洲」

 「手前…すげぇよ、色んな意味で………」

 

 

 

 「さて、どこまで話を戻しましょうか…そうそう、貴方にはまだ延命の可能性がある、という話でしたね」

 「あの話で可能性があるって言える手前の神経が分かんねーよ」

 「理論上ゼロでないものは無ではありません。なので聞いたのです、この辺境の島に拘りますか、と」

 

 ぴくり、と南洲が反応する。仁科大佐はすでに白いガウンを纏いソファに腰掛けている。

 

 「貴方がその辺鄙な島にいる限り話は何も進みません。槇原南洲、ハワイに来なさい。穴吹助教授なら誘拐すればいいのです。ここなら設備も揃っています。その気があるなら、移動の足を手配しましょう。日本にも協力者…と一応言えるのでしょうかね、複合企業群(コングロマリット)の有馬グループの助力が得られるでしょう。無論、条件は付けられるでしょうが」

 

 がちゃり、と鉄の音が響く。南洲が腰のホルスターから銃を抜きスマホに向けている。

 

 「…全く解せねぇ。俺にそこまで至れり尽くせりする必要などねーだろうが。仁科、俺の時間は限られてんだろ、手前とこうやってくだらねぇ話に費やしてるのも勿体ねえ。いい加減目的を話しやがれ、さもなきゃスマホぶち壊してそのふざけた(ツラ)とおさらばだ」

 

 ふむ、と脚を組み直す仁科大佐は、今までの変態じみた行動とは打って変った表情になる。全ての物を実験対象と見做す酷薄な性根を晒す様に、冷ややかな視線を南洲に送っている。

 

 「…自分の命をエサにされても容易には喰い付きませんか。いいでしょう、そもそも私は、作品としての貴方に興味はあっても、槇原南洲という一個人には興味がなく助ける理由もない。あるとすれば………それは大鳳のためです」

 

 「…そんなに大事なのか。あの海戦で堕天(フォールダウン)しなかった奴だろ?」

 

 南洲の指摘に唇を歪め嘲笑うような表情を浮かべると、仁科大佐は秘密を語り始めた。

 

 「堕天…艦娘と言えども生物の一種、それが精神生理の作用をトリガーとして自らの生体組織を変化させ別種(深海棲艦)の形質を獲得する。貴方がたにとっては艦娘を深海に堕とす禁断の技術、そう見ているのでしょう。ですがそれは本質ではない。人間は先入観に惑わされる生き物です。艦娘を深海化できるなら、深海棲艦を艦娘化できる、なぜその可能性を考えられないのでしょうね。大鳳は…正真正銘深海の姫、暗く穏やかな水底から殺し合いの水面に帰ってきた、その意味では堕天という言葉は彼女にのみ相応しい。艦娘に応用した技術は、大鳳により齎されたそれのダウングレードに過ぎない」

 

 南洲は絶句するより他できず、砂浜に棒立ちになってしまった。

 

 「大鳳は、艦娘の器に深海の姫の魂を持ち、双方を合せた力を振るう唯一の存在。その堕天とは一度きり、大鳳の器を破壊して姫に戻る事を意味します。なので大鳳を堕天させる訳にはいかない、例え何があっても」

 

 「…手前も先が短いんだろ? 俺を治して手前の女のボディガードにさせようって事か」

 「貴方は無頼漢ですが頭は悪くない。理解が早くて助かります。私は遺伝子転写制御機能が劣化してきましてね、貴方と違い、修復の見込みがありません。陸奥の力を使わなければ、それでも貴方より長く生きるでしょう。ですが、何故か分かりませんが、私は意外と敵が多いものでして。戦いたくても陸奥の力を使えるのは、多くてもあと一、二回なのです」

 

 「………教えろ、なぜそこまで大鳳に拘る?」

 「春雨を傍に置き続ける貴方なら、聞かずとも分かると思いましたが? 先ほどの発言、訂正しましょう、貴方は無頼漢で、かつ頭が悪い。まあいいです、貴方と話すとどうも感傷的になってしまいますね。おそらくこんな事を言うのは最初で最後です」

 

 ―――――――。

 

 仁科大佐の言葉に、南洲は思わず唇を歪めて皮肉めいた笑みを浮かべるが、言葉にはしなかった。

 

 「結論に入りましょう。現実策を取ります。槇原南洲、私が死ぬ際に貴方がまだ生きていたなら、大鳳をこの島に送ります。死んでも大鳳を守るのです。逆の場合は、貴方の艦娘を何としてでもハワイに送り込みなさい。私が死ぬまでは面倒を見てあげましょう。その間に穴吹助教授の件は継続調査します。水準は未知数ですが艦娘に関わる学者ですので、技本も彼を生体工学部門に招聘しようとしています。うかつに手を出せば、さすがに日本海軍も黙っていないでしょう」

 

 

 

 砂浜に脚を投げ出して座り、もはや明け始めた空に照らされる海を眺める南洲。脳裏には仁科大佐の残した言葉がリフレインする。

 

 -私にも貴方にも、後継者が必要、それは間違いないことですね。

 

 背後で、軽く砂を踏む音がする。春雨がゆっくりと近づいてきて、ちょこんと隣に座ると、小首を傾げ南洲の顔を見上げる。

 

 「南洲、その…変態さんとのお話、随分長かったですね」

 「よく言うぜ、どの辺から聞いていたんだ?」

 

 きまり悪そうな表情を浮かべた春雨は、誤魔化す様に笑顔を浮かべて答える。

 「えへへ…内緒、です」

 

 ぽん、と春雨の頭に手を置き立ち上がった南洲は大きく背伸びをすると、誰に聞かせると言う事もなく思いの丈を言葉に載せ始めた。

 

 「俺の余命はそんなに長くないらしい。これだけ無茶を重ねて生きてきたんだ、むしろ良く持つ方だ、そう思ったんだが…あの変態野郎…余計な事言いやがって…。死にたくない、長く生きられるかもしれない、一瞬そう思っちまった。お前と扶桑と…今はドイツに戻っているがビスマルク、それに翔鶴、神通…ああ、神風が帰って照月が増えたか…。何としてもウェダは守り抜くつもりだが、さて、どうしたもんか…」

 

 南洲の広い背中にきゅっとしがみ付くように春雨が抱き付き、肩を大きく震わせ、それでも泣き声を堪えようとしている。

 



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108. 胸に秘めた焔 - 前編

 仁科大佐の過去へと話が進み始める。


 「さして難しい手術でもありませんでしたが、なぜ態々私の手を煩わす必要があったのでしょうね。やはり実験兵装として、右腕に精神感応波をエネルギー変換する銃でもつけた方が…」

 「大佐、あんなに可愛い子の右腕が銃だなんて……想像すると意外と…悪く、ない…?」

 

 顎を僅かに支えながら小首を傾げる大鳳は、先ほどまでの来客を思い出し危うい感想を口にしている。口では物騒な事を言ってる仁科大佐だが、さすがに本気ではなかった。自分の力を必要とする患者が日本から危険を押してこの地を訪れると、ドーベルマンのようにガラの悪い不健全な知人に頼まれれば断りにくかった。

 

 「まぁ、最大の理由は暇だったから、ということにしておきましょう。……まさか昔を思い出したとは、言いたくないですし。まったく、最近どうも感傷的になってしまいますね…」

 

 軽く肩を竦め何かを思い出したような表情に変わった仁科大佐は、ふと相好を崩す。

 「感傷的ついでに、前から検討していた事をしましょうか。大鳳、出かけますよ」

 

 

 「FuXXing Batmobile, pull over!!(そこのバッ○モービルッ、止まれっ!!)

 背後から猛追してくる数台のポリスカーが、大鳳は気になって仕方ない。ちらちらと後ろを振り返り、仁科大佐の横顔に視線で訴えるが、ハンドルを握る大佐は一向に気にせず、アクセルをべた踏みする。500馬力超の大排気量V8エンジン+小型ジェットエンジンを搭載した、二人の足となる一台の軍用特殊車両『タンブラー』。形状はそのまんまビギンズやライジングに登場したバット○ービル的サムシングである。果たしてあっという間にバックミラーのポリスカーは米粒より小さくなり、タンブラーは目的地の小高い丘の頂上まで駆け上がっていった。

 

 「元々槇原南洲用の特殊車両だったようですが…だとすればこの車両の名は、タンブラー(曲芸師)ではなくトライアングラー(三角関係)の方がしっくりきますね」

 

 乱暴で短時間のドライブを経て、辿り着いた小高い丘の頂上からはパールハーバーとホノルルの市街を見下すことができる。風に白衣を靡かせ股間をそよがせながら、さて、と大佐は大鳳を振り返る。白衣の中はお馴染みのホットリミットスーツではなく、黒のブーメランパンツだけを着用し、その両脇を伸ばして交差させるように肩に通している。その表情はいつもとは違い真剣な相を張り付けている。あまり見ない大佐の表情に大鳳も何か重要な事が語られる、と身構える。それは想像していたより大事だった。

 

 「アリゾナに目覚めてもらおうかな、と。随分長い事眠りこけているようなので、ちょっと大きな()()()()が必要かと思いましてね」

 「ええええええぇぇぇぇーーーーーっ!!」

 大鳳が大きく叫び、視線は大佐の背後に現れた陸奥の41cm連装砲の砲塔に集中している。砲身に陽光を反射させる鉄の暴力の象徴。大鳳には整備と補給に難ありと説明、実際にはあと数回しか使用できず大佐自身がその不使用を決めていたはずの力。それに、この砲でアリゾナを起こすというのは、すなわち砲撃を加えることに他ならない。

 

 「いえ、別にそんなつもりは元々無かったのですよ。パールハーバーを手に入れてからゆっくり起こせばいいと思っていたのですが、予定を早めてでも実行しておいた方がよいかと考えが変わりまして」

 

 大佐が最後に呟いた、貴女の護衛も必要ですしね、の言葉は小さすぎて風にかき消され大鳳の耳には届かなかったものの、流石に言ってる事が理解できない、と首を傾げ怪訝な表情を見せる。理解されない事が理解できないと言わんばかりの表情で、大佐は静かに、そして熱く語り出す。

 

 「彼女は無残なまでに、ヒトのセンチメタリズムとパトリオティズムを満たすため利用されている。多少撃たれなければ、自分が戦船だということも思い出せないでしょう。手荒く無粋な方法ですが、必要な時もあります。目覚めた後には、私が再調整を加えます」

 

 決然とした表情で腰を落とし、砲撃体勢を取り始める大佐。補給や整備等の現実的な問題、あるいは真珠湾強奪という目標、それらを度外視してもなお砲撃を敢行しようとする姿を見て、大佐は本気なんだ、と大鳳は感じざるを得なかった。でも…でも―――。

 

 「…どうしました、大鳳?」

 

 必死の表情で背後から連装砲の砲塔にしがみ付く大鳳に、僅かな不愉快さを滲ませながらも、大佐は冷静に問いかける。

 

 「………す、…め…です。……ダメですっ!!」

 

 たっと走り出した大鳳が大佐の前に回り込み、小さな体全体を使い立ちはだかる。

 

 「大佐…私が艦娘として甦るまで随分長い時間がかかりました。それは…私に戦う準備と決意が整うまでに必要だった時間です。アリゾナさんの魂が今どこに眠っているのか、私には分かりません。でも、彼女が目覚めないのには理由があるはずですっ。お願いです…お願いですから…」

 

 普段は大佐に逆らう事のない大鳳が必死に訴えかけ、大鳳の望みを断る事のない大佐が一歩も引かない。どれだけの間二人は見つめ合っていただろうか。視線を外した仁科大佐が、ふうっと溜息を吐き艤装を格納する。両掌を上に向け大げさに肩を竦めて首を横に振る、見ている相手を意外とイラっとさせるアメリカンなポーズでおどけ、大鳳に優しい表情で語りかける。

 

 「…アリゾナの件は保留にします。貴女にそんな顔をさせる価値のある事は、この世界に一つもありません」

 

 ぱあっと笑顔を浮かべた大鳳だが、目の端にはうっすらと涙が浮かんでいる。すっと伸びてきて来た仁科大佐の指がこぼれる直前の涙を掬い上げ…そのまま涙を口元に運んでゆく。

 「うむ…弱アルカリ性、組成は…水分98%、あとはアルブミンとグロブリンによるコクと、リン酸塩による仄かな塩味。大鳳、あなたの涙は美味ですね。体の一部がHOTになります」

 

 満足そうに指をぺろぺろ舐めながら単装砲の仰角を目いっぱいに上げる白衣の男を、安堵と笑いの両方で止まらない涙を拭いながら、大鳳は安心したように思いの丈を口にする。

 

 「…こんな時でも変態……でも好きっ」

 

 -たとえ偶然でも、貴女がその言葉を口にする度、私は救われるのです、大鳳。

 

 何も言わずにっこりと笑った仁科大佐は改めて大鳳に手を伸ばす。その手を取った大鳳とともに、二人はタンブラーに乗り込み家路につく。

 

 

 

 それからしばらく経ったある日、正装へと着替えた仁科大佐は、ゲストルームのソファに座り、来客-ハワイ自治政府暫定大統領-と会談の真っ最中だった。そこに大鳳がトロピカルティーを運び、グラスをそれぞれ来客と大佐の前に置くと大佐の座るソファの左斜め後ろに立ち来客とそのSPに警戒の視線を送るようで…送っていなかった。

 

 「ありがとう、大鳳。どうしました? そんなにまじまじと私を見るなど? …ああ、これですか、本来私が着るべき衣装ではありませんが、こういう時には必要でしょう。久しぶりだと思いますが、しばらくの間我慢してください」

 

 大佐はそう言った。だが大鳳はそう思わない。真っ白な第二種軍装に身を包んだ仁科大佐の堂々とした姿と振る舞いは、一軍を率いる指揮官としてどこに出しても恥ずかしくない。普段のエキセントリックな恰好も捨てがたいが、これはこれでまた違った魅力がある、とぽーっと頬を上気させ見とれていた。

 

 結論から言えば、アメリカ政府はパールハーバーの管理をハワイ自治政府に委嘱し、同政府は真珠湾を仁科大佐の租借施設として認める、という内容で合意に至った。国と個人間で租借条約が締結されるなど前代未聞である。ただしアメリカに対し方法の如何を問わず敵対的行動を起こさない、深海棲艦の攻撃を受けた際にはハワイの防衛義務を負う、平時の物資補給は自前で、真珠湾外ではハワイ自治政府の定める法を居住者として遵守する、着衣の布面積を増量する、等細々と仁科大佐を縛る条件が付されている。

 

 艦娘の開発技術では日本の遥か後塵を拝するアメリカが、偶然手に入れたロシアの艦娘ガンクートの修理に困り果てていた時に、ハワイに不法入国していた仁科大佐を利用したのが事の発端だった。以来アメリカはエージェントを送り込み大佐のラボからデータを盗もうとしたり、大佐がウォール街を標的に金融テロを企てようとしたり等、水面下ではどっちもどっちの争いを繰り広げた結果、多くの部分でアメリカ政府が折れた格好になる。

 

 「よろしいでしょう、これまで取り決めた内容に対する齟齬は見られません。では私も署名するとしましょうか…む、インクの出が…。やはり私の愛用の万年筆でなければ」

 

 ソファから立ち上がりキャビネットへと向かった仁科大佐を見て、ハワイ自治政府暫定大統領も大鳳も口をあんぐりと空けるしかできなかった。

 

 正面から見れば真っ白な第二種軍装を着こなした折り目正しい海軍軍人、振り返った後姿はまっぱ。首から背中、臀部、裏腿から脹脛に至るまで裸である。第二種軍装は前半分だけの装いであった。

 

 「何を驚く必要があるのです? どうせお互い守る気のない条約ですが、当分は有効でしょう? アメリカ政府もあなた方(ハワイ自治政府)も、裏で何か企んでいるのは明白。私もそれに合わせた装いにしただけのことです。………さあ、署名は完了しましたよ。用が済んだらさっさと帰ってください。こう見えて私は忙しいのです。それとも、身をもって技本の技術を体感したいですか? いつぞやの男のように」

 

 にやり、と凄絶な笑みを浮かべた仁科大佐に恐れをなした来客一向は、ほうほうの態で逃げ出し、応接間には大佐と大鳳が残された。

 

 「さあ、次は貴女の番ですよ。定期検査には少し早いですが、ラボで検査です」

 

 第二種軍装(前半分)を脱ぎ捨ていつもの白衣を纏うと、すたすたと地下のラボへと向かう大佐を慌てて大鳳は追いかける。大佐にそれを話したのは、数日前の朝食の時。最近ボーっとする事があって、ちょっとした事を忘れてる時がある、という内容。大佐もその場では、おやそうですか、とハイビスカスティーを優雅に飲みながら何気ない返事を返していた。ただそれだけの話だったと大鳳は思っていたが、大佐の本心は違ったようだ。

 

 「大鳳、万一があってはいけません、入念にチェックしますよ」

 



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109. 胸に秘めた焔 - 後編

 へんたいさとへんたいほう、あと中の姫。


 そもそも、なぜ深海の姫に大鳳という器を着せる必要があったのか―――。

 

 当時大鳳が旗艦として率いていた技本連合艦隊は、とある海域で想定外に出会った一体の姫級との遭遇戦で、ほぼ全員が虐殺された。現場海域がくまなく捜索された結果、大鳳と深海の姫が差し違える様に漂流しているのが発見され、大本営よりこの新型の姫の鹵獲救命が再優先事項との指示が出た。大佐が指揮を執った修復作業は、深海の姫の救命が間に合わなかったと報告され、軍首脳陣を落胆させた。

 

 実際には、大佐はその深海の姫を(コア)として大鳳を甦らせていた。艦娘としての大鳳は破壊しつくされていたが、それでも繋ぎ止めたい、と仁科大佐は中臣浄階の力を借りながら、持てる技術の全てを投じた。艦娘と深海の姫を融合させ、それでいて艦娘の在り方を維持するという大佐の願いは成し遂げられ、大鳳は帰ってきた。

 

 この過程で得られた技術こそが本来の堕天(フォールダウン)であり、その応用として春雨(駆逐棲姫)への過酷な実験を通して汎用化された技術として発展した。

 

 

 ベッドに横たわる大鳳は、少し不安そうな表情を浮かべ大佐に視線を送っている。頭には様々な種類の測定機器が接続され、ベッド脇のモニターには脳波が映し出されているようだ。ふわっとアロマの香りが漂い始め、大鳳が鼻をひくひくさせる。あ、これ、私の好きな香り…大鳳がくすっと小さく微笑む。

 「大佐…これ、どうしたんですか?」

 「む? 以前貴女が好きだと言ってたので用意しましたが?」

 もちろん、大佐のラボはマッサージサロンではない、意識レベルを下げるための薬剤も一緒に用いている。ラボの一角にアロマの香りが漂う頃には、大鳳の小さな寝息が聞こえてきたが完全に眠っているわけではない。大鳳の潜在意識にアクセスするため半覚醒状態に誘導してある。大鳳自身も気づいていないストレスがあって、何らかの心理的負荷が掛かっているのかも知れない、と大佐は考えていた。そしてその答はすぐに現れる。

 

 「大鳳の意識レベルを低下させれば、妾がより()に出やすくなるのは自明の理。そうは思わぬか?」

 「………久しぶりですね、()()()()()()()()

 仁科大佐は振り向かずに答えるが、その表情は醜く歪み、彼にしては珍しく感情を露にしている。制御系に異常値は検出されていないが、これは一体…狼狽が僅かだが声にも表れている。名も無き深海の姫とはそのままの意味で、当時人類側が知る姫級と異なる彼女にも関わらず、名を付ける間も無く大鳳の命を繋ぐ依代とされたからだ。

 

 「久しぶり…? 妾は常に大鳳の五感を介し、全てを了知している。それとも、貴様ごときに深海の姫たる妾を御せたと本気で思っていたのか? 可愛いものだ」

 

 流石に黙っていられない、と顔色を変え大佐は振り返る。既に大鳳は起き上がりベッドの上で胡坐を組み、肘を膝につき手で顎を支えている。表情はにやにやと大佐を揶揄うものになっている。

 

 「大鳳を壊して妾の姿に戻るなぞ造作もない。だがそうしなかった。何故か分かるか? 貴様の顔…大鳳を繋ぎとめようと必死になっていた時の、鼻水と涙でぐちゃぐちゃの顔が…堪らなく哀れでな、情けを掛けた、そういう事だ」

 

 ますます仁科大佐の表情が歪む。この姫の言っている事は、間違いなく事実だろう。自分の技術では、荒ぶる深海の姫の魂を制御下に置くことはできなかった。相手の気紛れに救われていただけ、それが仁科大佐を打ちのめした。

 

 「それで…? 用件は本題から入ってください」

 「強がるな孺子よ。妾は………知りたいのだ。そして………知った上で決めようと思う」

 「何を…? ぐぉっ……ぐあぁぁっ!!」

 

 それは刹那の出来事。瞬き一つの間に、大鳳はベッドを飛び降りると仁科大佐の懐に入り込み、持ち上げた右足を踏み下ろすようにして外側から大佐の右膝を蹴り砕く。堪らずに姿勢を崩し大鳳の目の前まで下りてきた大佐の側頭部に人差指から小指までの指をゆっくり突き立てた。

 

 「全てを見せるがよい。積年の疑問、大鳳は…貴様にとって何なのだ? 言葉は不要、貴様の魂に直接聞く」

 

 そう言うと名も無き深海の姫は、仁科大佐の記憶に深く入り込んでゆく………。

 

◆◆◆

 

 こんこん。

 

 「どうぞ」

 その声に応じるように、ドアが静かに横に開き、ぷりっとゆで卵のような尻が姿を現した。そのまま尻は水平移動すると九〇度回転、しゃかしゃかと病室の中へと駆け込んできた。

 「あははははははっ!! お兄ちゃん面白いっ! 相変わらず今日も変態だねっ! でも、そういうの好きだよ」

 

 その声に満足するように、着衣を直したこの男は、高校時代の仁科大佐。そして病室のベッドに横たわっているのは彼の妹で、生まれつきの疾患でずっと病院暮らしを続けていた。仁科青年は医学部進学に向け忙しい中でも、学校が終わるとほぼ毎日妹を見舞うため病院に訪れ、妹を笑わせていた。いつの時点かで精神の成長が止まってしまった妹は年齢の割には幼く、こういう体を張った、ある意味で分かりやすい下品なギャグに大きく反応する。

 

 それでも日々は笑顔に満ちていた。が、終わりは唐突に来る。病状が進行し意識混濁となった妹は、彼がどれだけ何をしようと、ぴくりとも反応しなくなった。そのころ両親が離婚、父方に引き取られた妹は転院し、母方にいる彼は、妹と会う術を失った。

 

◆◆◆

 

 数年後、再会は訪れる。仁科青年は医学生として、妹は解剖学の実習用検体として。彼の握ったメスは、妹を切り開いた。

 

 「貴女は…外見も体組織も…どちらも美しかったのですね。生きている間には気が付きませんでしたよ…ふははは、ははは、はははははははははっ!」

 

 仁科青年は医学の道を捨て軍に任官した。

 

◆◆◆

 

 技本-技術本部の霊子工学部門に配属され早数年、実験兵装のテストベッドとして技本独自の艦隊所有が許可された。様々な艦娘が配属されたが、大鳳型装甲空母一番艦の大鳳だけが、仁科大佐の心に焼き付いた。

 

 「最新鋭だからって、そんなジロジロ見られると、困ります!」

 開口一番、困惑した表情にさせてしまいましたね。たかが15分ほど何も言わずに上から下まで嘗め回すように微に入り細に渡り見つめただけですが。…よく似ていたもので。

 

 驚くほど、死んだ妹に似ている。

 あの笑顔がもう一度見たい。

 

 誰かを笑顔にする、そのために仁科大佐が知っているのは、体を張った下品な振る舞いだけだった。

 

◆◆◆

 

 大鳳はほとほと困り果てていた。黙って仕事をしていれば極めて有能な上司だが、隙あらば脱ぎたがる変態的な性癖は理解できない。それでも時折不意を突かれて笑ってしまう。そんな時彼は、心底嬉しそうに、屈託無く笑う。その笑顔だけは好きだった。そのうち、彼の笑顔が見たくて彼を受け入れている自分に気付く。最早手遅れだった。

 

 「はぁ………どうしたって変態………でも、どうしてこんな人を好きになったのでしょう」

 

 ある日、顔を真っ赤にして訥々と本心を明かした大鳳の言葉は、彼にとって忘れ得ぬ熾火として心に灯り続けた。

 

◆◆◆

 

 精一杯、技本艦隊の旗艦として、できる限り暴れ回りました。あの姫級の深海棲艦…すごく強かった。仲間が次々と沈められて、私も…。でも…勝てなかったけど相打ちには…できた、はず。このまま海に帰るのかな、イヤだな…って思ったけど、最後にまた会えた…。クスッ…鼻水と涙でぐちゃぐちゃの、ひどい顔…。また私を…笑わせるつもり、なの…?

 

 あの人が好きだと言ってくれた笑顔…で…笑えて、る…かな。

 

 口は…まだ動く。言えるうちに言わなきゃ…これが最後だから…。

 

 「………でも、好き」

 

◆◆◆

 

 

 すぶり、と音を立て大鳳(名も無き深海の姫)の右手は仁科大佐の頭蓋から引き抜かれた。大佐もハッとする。まるでマヒしていたように動けずにいた。意識を取り戻した今、慌てて頭蓋を確かめる様に触れると、確かに四か所穴が開いている。バリバリと音を立てるように歯噛みし、悔しさを前面に出した仁科大佐が忌々しそうに問いただす。

 

 「…貴様、何をした?」

 「言った通りだ。貴様の奥底を見せてもらった。届かぬ願いに振り回される姿、実に愉快だ。…一つ問おう。貴様が心に宿すのは…どちらだ?」

 

 亡き妹の幻影か、大鳳自身か、名も無き深海の姫の問いは明らかだろう。

 

 「貴様には関係のないことだ。それに…私の記憶をスキャンしたのなら、すでに分かっているはずだろう?」

 「それを貴様の言葉で語れと言っておる」

 「槇原南洲といい、深海の姫といい、つくづく悪趣味なことですね。ですが、この場面で私に答えない選択肢は、ありません、か…」

 

 ―――――――。

 

 仁科大佐の言葉に、名も無き深海の姫は言葉を返す。

 

 「ふ、ん…。その答でなければ、貴様を八つ裂きにしていた所だ。稚拙な貴様の技術だが、それでも役に立ったようだ。妾の魂と大鳳の魂は重なり感覚も同じ…大鳳の感情は、妾にも影響を与えておる。つまり、大鳳の愛する者は、妾も同様に愛しておるようだ。まったく、こんな変態相手に…不本意なことだ」

 

 は? ナニイッテルノコイツ? とぽかーんとした顔で見つめる大佐に、彼の癖が移ったように名も無き深海の姫は肩を竦める。

 

 「貴様を蝕み負の力を増幅させていた、陸奥の(呪い)とやらは、妾が解放しておいた。これ以上貴様の寿命が縮まる事はない。なに、愛する男には…限りある生でも全うしてほしいのでな。礼なら大鳳に言うがよい。妾は…深淵より貴様らの行く末を見守っておる。さて、そろそろ行くが、その前にもう一度先ほどの言葉、聞かせてくれぬか。言わねば…殺す」

 

 はぁ…と深いため息をつきながら、仁科大佐はまっすぐに大鳳(名も無き深海の姫)を見据え、ごくりとのどを鳴らす。

 

 「………貴女の…大鳳の笑顔を見るためなら、私は何でもします。ですので、何があっても私から離れないでください」

 「はい、ずっと前から全部分かっていました。私も…同じ想い、です」

 

 

 「はああああっ!? あ、貴女は…大鳳ですかっ!? あの姫っ、いきなり変わるとはっ」

 

 真っ赤な顔でてれてれしながら、目をきらきらさせ抱きついてくる大鳳に、めったに見せない真っ赤な顔で大慌ての仁科大佐。諦めたように大鳳にされるがままにしていた大佐だが、やがて肩を震わせながら笑い始め、おもむろに立ち上がると感極まったように叫び始めた。

 

 「やはり技本の技術は世界いちぃぃぃぃぃっ! であることが証明されました。さあ大鳳、これからは真珠湾を拠点に真なる技本を再興しますよっ。一生は何もせぬには長く、何かを成すには短いのです、漲ってきましたっ! 」



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