自動書記の、自動書記による、禁書目録のための。 (ふらみか)
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プロローグ ~ 第一章

*プロローグ*

 

 

「――警告、――」

 

 雰囲気が一変した。

 

「――第三章第二節。――」

 

 鞘に収まっていた日本刀が、瞬時に、抜き身になったような空気だった。

 

「――を確認。――」

 

 今まで対峙してきた存在のどれよりも、威圧的で。

 

「――、一〇万三〇〇〇冊の魔道書を用い、最も有効な攻性魔術を構築……成功。――」

 

 今まで対峙してきた存在のどれよりも、神秘的で。

 

「――これより、――」

 

 今まで対峙してきた存在のどれよりも、絶望的で。

 

「――環境内における最も危険な因子、『上条当麻』の排除を最優先とします――」

 

 魔神――インデックス――は、その牙を向いた。

 

 

 

 

 

*第一章*

 

 私こと上条当麻は不幸な人間である。

 身に覚えのない欠席による補習を放課後受けさせられ。その帰りにスーパーで一週間分の食糧を買ったはいいが、出てすぐに卵が二個割れていることに気付き。レシート捨てちゃってるし二個くらいなら仕方ないか、と諦めて帰り路についていると道端で見知った顔が不良に絡まれているのを発見し。まぁあいつなら放っておいて大丈夫だろうと素通りすることを決め、いざ目の前を通り過ぎようとすると青白い閃光が走り。恐る恐る振り返ると、道端に倒れた不良たちと超能力者の妙に殺気立った表情とに苦笑いと冷や汗を一緒に浮かべさせられ。や、やぁこんなところで奇遇ですなぁと声を掛けると今日の放課後は買い物に付き合ってくれる予定だったでしょと殺人級の電撃を放たれ。とっさに右手を突き出して身をかばったものの、その弾みで左手に握ったビニール袋を落としてしまい。お約束と化した卵一パック全滅という状況に涙を浮かべつつ肩を落としていると、さすがに向こうも罪悪感を覚えたのかしゅんとした空気で謝罪してきて。それを目撃した周りの人は、今までの流れを見ているにも関わらず、女子中学生に謝らせる男子高校生の図と認識されてしまい。いたたまれなくなったのでこれくらいはなんてことないぞと、苦しい笑顔を浮かべていると門限があるからとかなんとか言ってそそくさと帰られてしまい。帰り際、後日絶対埋め合わせるから覚悟なさいと命じられ……。

 まぁ、昨日の放課後からたったの数時間だけでもこれだけの不幸に見舞われてしまう訳で。

「あ、暑い……」

 夏休み初日という今日、七月二〇日、土曜日。絶好のラッキーデイにも関わらず、浴槽の中に敷いた自分の布団から漂ってくる汗臭い不快な臭いに我慢できなくて起きてしまったのである。まぁ、今日は補習もあるし、前向きに「早起きできた」と捉えよう。……ん、補習があるのにラッキーデイなのかって? ふふふ、一つ二つの補習で上条さんは不幸だとは言わないのですよ。

「と、とりあえず脱出を……」

 風呂場から脱出し、リビングへと足を運ぶと、一人の少女が両手を合わせて祈りを捧げている光景が目に入った。

 彼女の名はインデックス。ひょんなことから彼女と出会い、また、それから一年の間に、俺たちはともに数々の試練を乗り越えることとなった。

 インデックスと一緒に生活するきっかけとなった出来事は、残念ながら覚えていない。

 これは俺の記憶力が悪いからとかではなく、それ以前の思い出がごっそりと抜け落ちているのだ。

 ある日を境に、俺は記憶喪失となっている。

 よく御世話になっている病院の医者の言うことだと、記憶喪失というより記憶破壊、というらしい。その違いはよくわからないが、もう二度と取り戻せないということは、告げられた時に雰囲気で分かった。

 その日以来、俺は昔の俺を演じてきた。

 つもりだった。

 演じていたつもりでも、どうも俺は俺らしく、根本は変わっていないそうだ。

 ちなみにインデックスは、俺の記憶がないことを知っている。知らされたと言った方がいいのかもしれない。一方的に、何の準備もなく、その事実を告げられたのだ。

 そして彼女は、その事実を受け入れた。受け入れてくれた。

 何とも幸せな話である。俺にはもったいないくらいに。

 と、こんな回想を浮かべるよりも先にすることがあるだろ上条当麻。

「おはよう、インデックス」

 同居人の大食いシスターに挨拶をする。

 こんな平和な日常を取り戻せたのが何よりも嬉しい。

 少し頬をほころばせながら、俺は近付いて行く。俺に気付いたインデックスが、祈る手を解き、こちらを向いた。

 しかし、忘れてはならない。

 私こと上条当麻は不幸な人間である。

 簡単に日常は非日常へと変化してしまうのである。

「おはようございます、上条当麻」

 様子のおかしいインデックスを前に、俺は固まるしかなかった。

 なにがおかしいって、まず、雰囲気である。ちょこまかちょこまかと動き回る危なっかしい面影はなく、ただひたすらに潜むかのような空気を纏っていた。両手を祈るように組んでいた空気が崩れていないというか、崩れなかったというか。とにかくそういう雰囲気が漂っている。

 そして、なにより。インデックスは俺に敬語を使わない。俺の事を「上条当麻」などと呼ばない。「とうま」といつも呼んでいたはずだ。

 どうしたインデックス。悪いものでも食べたんじゃないのか。最近は暑さも激しくなってきているし、それで参ったのか。まさか魔術師が。

 などなど、考えは尽きない。

 せっかく平和な世の中になったというのに、なんだこれは。

「驚かれるのも無理はありません。簡潔に説明しますと、現在は『自動書記』が正常に覚醒しています。貴方のかつて知る『Index-Librorum-Prohibitorum』、通称『禁書目録』の意識は今、私の元にあります」

 『自動書記』……ああ、イギリスのクーデターが終わった時の……。

 と声に出そうとするが、“あの”インデックスの“この”変化で思考と体が付いてこない。

「特別な配慮は必要ありません。最初に否定しておきます。あなたが憂慮するような事態は起こっていません」

 そう言われて、ようやく口が開いた。

「――そ、そうだ! 『自動書記』ってことは、遠隔制御霊装とか、魔術とか、そういうのが……!」

「繰り返し申します。あなたが憂慮する様な事件や事故などは起きておりません」

「……ってことは?」

「?」

 初めてこの姿のインデックスが人間らしい仕草をした気がする。俺の言葉が理解できなかったのだろうか。彼女は僅かに首を傾げたのだ。

 俺は必要な文言を入れ、質問をもう一度する。

「いや、だからさ。魔術のせいとかじゃなく、霊装のせいでもないっていうなら、一体何が原因で『自動書記』が起動してんのかってことだよ」

「……、」

 俺の言葉を聞いたインデックスは、しばし止まり、

「――第一〇章第一〇節。現状に繋がり得る因子の特定を開始……失敗。精神状態に起因がある可能性が高いため、一度、自身の精神を全て解きます。そのために必要な要素を一〇万三〇〇〇冊から参照……成功。術式の構築開始……残り一〇秒で完全発動します」

 なんだかとんでもないことを言っている気がするそして取り返しのつかないことになりそうな気がする!

「待った待った! 分かった、分かったよ! とりあえず何もしないでくれ! な?」

「……術式の構築を中止しました」

「ほっ……」

 たまらず安堵のため息が出た。

 汗が皮膚を伝う。こりゃ暑さのせいだけじゃないな。

「えーっと……これはやっぱり報告した方がいいんだよな?」

 報告先はインデックスが所属する「イギリス清教第零聖堂区・必要悪の教会」だ。

「必要ありません。探索術式を用いた結果、私の感知しうる範囲では、私自身に外的危害が加わっているという状況はないようです。加えて、禁書目録の意識が表面上にあるよりも、現状の方が守りは強固だと判断します」

「まぁ確かにそうだけど、ずっとこのまんまってのも問題なんじゃ……? ステイルとかに知られたら殺されそうだし……。身体の負担とかはないのか?」

「上条当麻への敵性を確認しましたら、魔道図書館の知識を用いて、私が対処します。現状、特別に目立った負担などは感じられません」

「なんかすごくでかい矛盾が……。まぁいいか。本人が大丈夫っていうなら大丈夫なんだろうし。負担が無いってのはなんとなく見りゃわかるし。んじゃえーっと、まず飯にするか」

 インデックスは頷いている。肯定や了解、という意味なんだろうな。『自動書記』がここまで人間味のある行動をするっていうのは新しい発見だ。ベツレヘムの星で感じたものは薄ら寒いものだったけど、今のインデックスからはそういうものは感じられないし。

 などと思いながら冷蔵庫を開ける。

 突然ではあるが、何度でも思い出して欲しいことが一つ。

 私こと上条当麻は不幸な人間である。

 冷蔵庫を開ければ、日頃食い散らかす大食らいシスターの分も含めたそれなりの量の食材が入っているのだ。もちろん、苦学生である俺の出来る範囲の量で。それでも結構入っているとは思う。昨日も食材を足したばかりなのだ。卵は全滅したけれど、それ以外は詰め込んだ。この暑い夏に食材を台所で放置、なんてことは、イコール腐敗に繋がってしまう。だから冷蔵庫に入れた。詰め込んだのだ。上条当麻は当たり前のことをしたまでなのだ。

 なのに。

「こ、この臭いは……」

 いつの間にか起きていた電気系統の不具合か何かによって停電しており、冷蔵庫の中の食材達はお葬式ムードを漂わせていた。いや、お葬式ムードなのは俺の方か。むしろどっちでもいいわ。そういや部屋も暑いな。クーラーも付かないのか。まぁ、節約のために、滅多に付けませんけどね。

「……不幸を感知しました。どうしましたか?」

 不幸の感知何てできるのかお前。俺にも欲しい。いや、俺にあったら感知しっぱなしか。いらねえな。

「あ、ああ、インデックス……怒るなよ? いつの間にか起きてた停電で食材は全滅だ。朝食は作れない」

「仕方ありません」

「ホント、仕方ねーからさ、そんな怒ん……ん?」

「どうしましたか?」

 インデックスは今なんと? 仕方ない? 食べ物のことに関しては喜ぶか怒るかの二択しかなかったあのインデックスが? これはさすがに失礼か。

 けどけど、食えなくなっても仕方ないで済ませられるなんて……! 

 もしや魔術師の仕業か!? ――じゃなくて、『自動書記』の影響なんだろうな。調子は狂うけど、噛みつかれないだけマシか。……マシか?

「い、いや、なんでもない。あー、んじゃどうすっかね。さすがに昨日の今日で外食出来るほどの余裕は残っておりませんのです、はい」

「昼食はどうする予定でしたか?」

「ここにある食材で作る予定でした」

「夕食は?」

「以下略ですすみません」

「謝罪は必要ありません。仕方のないことです」

「お、おう……」

 マジか、これ。インデックスさんよりよっぽどシスターっぽいのですが。言ったらキレるだろうな。

「せ、せめてインデックスだけでもなんとかしねーとな!」

 気を取りなおしてそう言った矢先、インターホンが鳴った。

 インターホン越しに会話する考えをすぐに捨てさせるかのように、聞き慣れた声が耳に届く。

『かーみやーん! 舞夏もいねーし一緒に朝飯食わねーかにゃー! どうせかみやんの事だから「夏休み初日で食材全滅」とかいう不幸に見舞われてるんだろー? こんな時を見越して俺が用意しておいたぜーい!』

 救いの手とはこういうのを言うのだろう。助かった……! ちくしょう、良かった……! 本当に良かった……!

「よし、インデックス! 助かったぞ! とにかく今は土御門に甘えさせてもらおう!」

「……問題点の検索……失敗。現状、上条当麻に着いていくことが最も正しい選択だと判断します」

 俺とインデックスが玄関を開け、土御門と直面した瞬間、一気にアイツが慌てだしたのは言うまでもない。

 

 



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行間一 ~ 第二章

*行間 一*

 

 起きると、真っ暗だった。

 目を開けている感覚はあるけど、一面に黒しか見えない。

 何度も目を擦りながら周りを確認する。

「あれ、とうまの部屋……じゃ、ない……? どこだろう、ここ?」

 かといって、不安な気持ちにはならなかった。

 ひとまず私は立ち上がる。

「なんか不思議な気分かも」

 この状況に安心できている、とは言いづらい。

 魔術的な知識ならば右に出る者はいないくらい自信がある私でも、この現象は不可解なのだ。

 この一〇万三〇〇〇冊の魔道書のどこを探して――、

「あ、あれ!? ないんだよ! え、うそっ!?」

 私は魔道書の知識の部分だけごっそりと抜け落ちていることを確認した。

 

 

 

 

 

*第二章*

 

「にゃー、一応連絡しておいたぜい」

「必要はないと告げたはずです」

 めでたく朝食にありつけた俺とインデックスは、食べ終わるとちょっとした会議をすることとなった。

「保険はあった方がいいぜよ。それにしても、『自動書記』原因不明の起動、ねぇ……。かみやん、なにか覚えは?」

「ねぇよ。あったら相談してるって」

「んー……」

「あっちはなんて言ってたんだ?」

 あっち、というは、インデックスや土御門が所属するイギリス清教のことである。

「信じられないことに現状維持って言われたんだにゃー」

 信じられない? 何が? 俺が不思議に思っていると、土御門はそれを見抜いてきた。

「何か不思議なことでも言ったかにゃー?」

「いや、信じられないってお前が言ったから……。なんで信じられないんだ?」

「あの、『自動書記』ぜよ? 学園都市どころか、国の二、三個が簡単に消えちまうぜい。それを『放置』だ。裏があるんじゃにゃーかと疑っちまうぜい」

「物騒な例えだなおい」

「事実ぜよ」

「異論を唱えます。現在、私には、そういう行動を取る程の理由が存在していません」

「……なにが一番信じられないって、きちんと会話できてるとこだにゃー」

「おかしいことなのかよ」

「かみやん、思い出すんだにゃー。『自動書記』ってのは、自己防衛プログラム。つまりAIみたいなものだぜよ。それも、特定の行動しかできなくなるようにする仕組みだぜい。魔道書を守るためっていう信念に基づくように行動するはずなんだにゃー。もっとも、霊装で制御できれば話は変わるんだが……あいにく、そういった痕跡は見受けられないぜよ」

「痕跡?」

「一応スペシャリストとしての意見を言えば、魔力制御をしているような、言わば外部からの力っていうのが感じられないんだぜい。個人的な意見で言えば……」

「言えば?」

「無理やり動かされることになるから、もっとこう、機械っぽくなるはずなんだぜい。それこそロボットみたいににゃー。ロボットは決められた動きしかできないだろ? それを無理やり範囲外の動きをさせると、ぎこちなさがどうしても出てしまうんだにゃー。だが、今の禁書目録にはそういう雰囲気がない。つまり、外部霊装による強引な起動っていう線は薄いぜよ」

 ふーむ。確かに、イギリスの時は無理やり動かされてたからな。ああいう感じがないっていうことは、第三者による操作ではないんだろうな。それに、遠隔制御霊装は俺がぶっ壊してるし。代わりになるようなもんがあったとしても、土御門ぐらいなら感知できるだろうしな。

「ただまぁ、一応、ステイルと神崎ねーちんはこっちに向かってるんだぜい。ねーちんは仕事の途中だったから少し遅れるらしいが、ステイルは今まさにここにむかってるにゃー」

「マジか……俺、ステイルに殺されねーかな?」

「しらねーぜよ」

 にゃはははと楽しそうに笑う悪友は置いといて。

 まぁ俺が殺されようがどうされようがはともかく、インデックスを心配してるプロの魔術師が来てくれるならそれに越したことはないんだろう。

 正直、このインデックスは調子が狂う。

 元に戻せるのなら、拳のひとつふたつ……は貰いたくねぇな、やっぱり。事は穏便に済ませたい。平和が一番。

「お、ステイルからメールが来たぜい。……夕方辺りに着くらしいにゃー」

「あいつ、インデックスのことになるとすごい行動力だよな」

「かみやんには言われたくねえと思うぜい」

 どういうことだおい。

「……警――。第――――三――。精――――ぎを確――。――因の――対……成――」

 俺が土御門を睨んでいると、インデックスがぼそりと呟いた。ような気がした。

「どうした? なんか言ったか?」

「……いえ、心配には及びません」

「そうか? なんかあったら言えよ?」

「気遣いに感謝します」

 感謝、という言葉を聞いて、土御門がほーと声を上げた。関心があるのかもしれない。

 ま、とにかく。

 土御門のいうことだと、現段階で俺たちにできることは何もないらしい。

 それに、土御門が今のインデックスに興味を抱かせる程度には、状況は切迫していないようだ。

 

 

 



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行間二 ~ 第三章

*行間 二*

 

 目が覚めたと思ったら真っ暗やみの中に放り出されてて。何だろうと思って魔道書から状況と原因を検索しようとして、私の中の魔道書がごっそり抜け落ちてるのに気付いて。

「ど、どうしよう……もしかして、知らないうちに誰かに盗られちゃったとか……」

 時間(というのがあるかはわからないけど)が経つにつれて、その現実(?)が私から血の気を奪っていく。

 一〇万三〇〇〇冊の魔道書を盗み、完全記憶能力を持つ私を暗闇に閉じ込める。

 きちんとした段取りを組まれて、こうしてきたように思えた。

 計画的犯行、とでも言えばいいのだろうか。

「どうしよ……」

 取り返しのつかないことになっているような気がして、一気に不安に押し潰されそうになって。

「とうま……」

 私の声は震えていた。一番頼りになる存在の名前を零しても、安心できない。

 いよいよ泣いてしまうと覚悟した瞬間。

「おいお前。何泣きそうな顔してんだよ」

 “光”が私に声を掛けてくれた。

 

 

 

 

 

*第三章*

 

 学園都市が作る影も長くなり、辺りがオレンジ色の光に包まれていく頃。

 昼食も土御門に用意してもらい、事無きを得ると、あいつは色々調査したいからと一人でどこかに行ってしまった。そのまま土御門の部屋に居続けるのも悪い気がしたので、俺とインデックスは冷房や扇風機の動かない自室へと戻ったのである。すっかり補習を忘れていたが、もうこの際仕方ない。明日以降を今日の分も含めて頑張ればよいのだ。人間総合力総合力。

 と、一六時を過ぎてすぐ。

 イギリス清教第零聖堂区、必要悪の教会所属の魔術師ステイル=マグヌスが俺の部屋に訪れた。

「来訪者を確認しました。懐にある魔術道具から感じる魔力より、来訪者の使用する術式形態の逆算に成功しました。曲解した十字教の教義をルーンより記述したものと判明。姿形や私の経験に基づき、来訪者をステイル=マグヌス本人であると特定します」

 そのステイルは、インデックスを見るなりずっとこちらを睨んできている。

「あのー、何かご不満でも……」

 愛想笑いを浮かべるような相手ではないのだが、不穏な空気を感じ取った俺は、なるべく刺激しないように様子をうかがった。

「……おい上条当麻」

「何もそんなに低くどすの利いた声で呼ばなくとも聞いておりますのことよ?」

「これは、一体、なんだ?」

「えーっと……?」

「彼女に何をしたのかと聞いているんだ!」

 なんもしてねーよ! と返すが聞く耳持たずに、こいつ胸倉を掴んできやがった。

「なぜ『自動書記』が起動している! お前は一体何をした!」

「だから、なんもしてねーっての! 原因とかそういうのはそっちが調べてんじゃねーのかよ!」

「今こうして調べているところだ見て分からないのか!」

「胸倉掴んでこっちの話聞こうとしないで俺に原因があるって押し付けんのが調べてることになるんだったら、世の中不正捜査だらけだアホ! いいから離せ! とりあえず前後を話すから! でないとインデックスに攻撃されるっての!」

「……フンッ」

 ……本当に何が気に食わないんでせうかこのエセ神父は。

 離され、とりあえず今までの経緯を話す。

 全て聞き終わってもなお、ステイルは不満そうな表情だった。

「大体、教会側から聞いてるだろ?」

「八割は、この目で見るまで信用しないことにしているのでね」

「ほとんど信用してねえのかよ……」

「これでも信用している方だけど? なんたって僕の職場だから」

「あっそ……」

「ふむ……。それにしても……」

「何か疑問がありますか、ステイル=マグヌス」

「いや、前に君と会った時と比べると人間味があると思ってね。例えば今みたく首を傾げるとか」

「前、というのは、去年の一〇月三〇日のことでしょうか?」

「……覚えているのかい?」

 ステイルが若干苦い顔を作る。

 一〇月三〇日というのは、あれだろう。

 第三次世界大戦の終結日、と言えばいいのだろうか。

 正確な終結日を知らない身としては、第三次世界大戦で直接関わっていた最後の日ということになる。

 ベツレヘムの星でインデックスの遠隔制御霊装を壊し、北極海に落ちた日。それが、俺にとっての一〇月三〇日。……だと思う。

 正直、あの時は日付を気にする余裕などなかった。後から聞いた事で補完しているにすぎない。

 話を戻すと、インデックスがステイルに言った一〇月三〇日というのは……。

「はい。もっとも、『自動書記』も不完全な形での覚醒であったため、ところどころに不鮮明な部分はあります。ですが、私の完全記憶能力により、部分的にではありますが、今でも完璧に思い出すことができます」

「あまり思い出したくない出来事だけどね」

「なぁステイル。あの戦争中、お前は何してたんだ? 俺の周りに居る奴とか、話を聞ける奴には聞いてるんだけど、そういやお前の話は聞いてなかったよな」

「……思い出したくないと言ったんだけど、まあいい。あの時、聖ジョージ大聖堂内で、僕はこの子と戦ったんだ」

「え……マジ?」

「大体、この子の身柄を僕に預けたのは君だろう?」

「そうだけど……そんなことになってたのか」

「フィアンマは遠隔制御霊装で魔道書図書館にある知識を引き出そうとしていたが、その時に防衛機能が働いていたんだよ。『“適切に行われている”知識の引き出しを邪魔する存在を排除する』というね。強引な知識の引き出しに、この子の身体にどれだけの負荷がかかるか分かったもんじゃないから、僕は止めようと思って精神的な拘束を行おうとした。結果、僕は“邪魔をする因子”とみなされ、対峙せざるを得なかったというわけだ。分かった?」

「その、こう言っちゃ変かもしれねえけど、大丈夫だったのか?」

「大丈夫だからこうしてここに」

「そうじゃなくてさ」

 ステイルはインデックスを大切に思っている。自らの魔法名にその想いを刻む程に、この男の命にはインデックスが大きく存在している。だからなおさら、

「インデックスと闘うなんて辛かったんじゃ?」

 ステイルは溜め息を吐く。煙草でも咥えていれば、煙を吹きつけられただろう。

「僕を誰だと思ってるんだ。確かに、辛かったよ。彼女は一〇万三〇〇〇冊の魔道書を持つ“魔神”だからね。何度も死にそうになった。でも、それだけだ」

「本当か?」

「しつこいな君は。まぁ、僕がなんとかしなければとんでもないことをすると女狐にも脅されていたし。引くわけにはいかなかったから、例え死んでも退却はしなかっただろうね」

 ステイルの表情を見ながら話をしていたけれど、ホントに俺と話すことが嫌なんだな。いや、多分きっとそれだけじゃないと思うけど。思いたいけど。

「とにかく、以前、僕はこの子と対峙した。そして、その時よりも『自動書記』は人間味があるように見える。それがどういうことか分かるか?」

「どういうことって……言ったまんまじゃないのか?」

「『自動書記』が自己防衛プログラムだということは聞いているだろう? まさかこの期に及んで何も知らないと言うんじゃないだろうね」

「えっと、要するにAIみたいなものだって土御門は言ってたな。ロボットだとかなんだとか」

「……はぁ。わかった。かいつまんで説明してやる」

 ステイルと俺は向かい合って座る。一応、お茶は用意してやった。

「自己防衛プログラムがどういうものかは、君たちの方が詳しいと思うんだが」

「字の通りだろ? 『自己』を『防衛』する『プログラム』……えっと。『自分を守るためのセキュリティー』って言えばいいのか?」

「まぁ言い方はいろいろとあるだろう。認識は間違ってない。で、だ。そのセキュリティーは一体なんのセキュリティーか、君は分かるかい?」

「んーっと……インデックスなら……魔道書か。一〇万三〇〇〇冊を守るための」

「そうだ。だから、その魔道書を……いや、この場合は魔道書の知識、か。それを正当な手段以外で奪おうとする存在が居れば、『自動書記』は起動し、魔道書の保護を前提に行動するはずだよ」

「……あれ、でも前に闇咲が魔道書を覗こうとしてた時は起動してなかったと思うけど?」

「……闇咲っていうのが誰か知らないが、君は一体何にこの子を巻き込んでいるんだ? 申し訳ないが、今のは初耳だったぞ、上条当麻」

「え、あ、えーと、その、俺達何ともなかったし……あはははは……」

 今にも殴りかかってきそうな雰囲気のステイルだったが、インデックスの視線を気にしてその怒りを抑えた。あぶないあぶない。

「……まぁいい。詳しくはしらないが、そいつは閲覧しようとしただけなんだと思うよ。無理矢理だろうとなんだろうと、『書庫』そのものを脅かす行為に繋がらなければ起動しないんだと思う。正直憶測でしかないけどね」

「そ、そうか……あれ、じゃあフィアンマの時は? ステイルは別に、その『書庫』に危害を加えようだなんて思ってなかったんだろ?」

「フィアンマは遠隔制御霊装を使って、閲覧者として権限を利用したに過ぎないんじゃないかな。これも現時点ではっきりと言えない。もしかしたら『自分が閲覧してる時は何人たりとも邪魔させるな』っていう命令でもいれていたのかもしれない。『自動書記』の判断する『脅威』というボーダーラインを広くするとかしてね。まったく、今でも腹が立つ」

「なるほどな」

「どれも推察だ。僕はうちのトップたちじゃないから術式も起動条件もさっぱりだよ。ただ、はっきりと言えるのは、『自動書記』は魔道書図書館を守るために動き、脅威を与えるであろう存在を排除しようと動く、ということだな。実際、脅威を与えた君や僕らは迎撃されそうになっているだろう?」

 ん? 俺も? 俺は確かに遠隔制御霊装を持つフィアンマに立ち向かったけど……「自動書記」には会ってないというか、俺の相手はフィアンマだけだった記憶だ。少なくともインデックスを相手にした記憶はない。

「俺も? 俺は霊装を持つフィアンマの相手はしたけど、インデックスの相手はしてないぞ? それとも霊装に迎撃システムがあったっていうのか?」

「君は何を言っている」

 あれ、なんか噛み合わないな。第三次世界大戦の時の話じゃないのか?

「君がこの子の『首輪』を破壊――ああ、そうか。そういうことか。噂では聞いていたが」

「なんだよ」

「君はこの子からどの程度話を聞いているんだ」

 だから何をだ、主語を入れろよ。と言おうとして、ステイルは言葉を容赦なくぶつけて来た。鉛や錫のような、重い言葉を。

「君とこの子の出会いのことをだよ」

 

 



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行間三 ~ 第四章

*行間 三*

 

 懐かしかった。

 私の記憶がどうとか、知識がどうとか。

 そういうのがどこか遠くへ行ってしまうくらいに。

 私の体が、心が、懐かしさだけで溢れる。

「う、そ……」

 私の思い出が。

 憶えている。

 震えている。

「ははっ。ほんと、なんつー顔してんだよ、インデックス」

 頬にはガーゼが当てられて。オレンジ色の半そでTシャツの上に、これまた半そでの白いワイシャツを羽織り。しかしその右腕には包帯が巻かれ。穿いている黒い学生ズボンには綻びがいくつもあって。その全てが、あの日のままの『彼』で。

「久しぶり。っつっても、お前はいつも会ってるんだっけか」

「ほんと、なの?」

「見て分かんねーのかよ。完全記憶能力とか言っちゃってたけど、やっぱ使えねーんじゃねーの、それ」

「うそ、だよね。だって……だって、だって……っ!」

「俺が嘘付いてどーすんだよ。言ったじゃねぇか。“久しぶり”ってさ」

「……――っ!」

 あまりにも、あまりにも、あまりにも。

 懐かしくて、懐かしくて、懐かしくて。

 私は。

 嬉しくなってしまった。

 駆け出してしまった。

 抱きついてしまった。

 笑顔に、なってしまった。

 

 

 

 

 

*第四章*

 

 俺とインデックスはベランダで出会ったらしい。

 らしい、というのは、俺が記憶喪失だからだ。

 インデックスとどういう経緯で出会ったのか、俺は覚えていない。

 そこから一週間。俺はインデックスのために動き、戦い、右手を差し出したのだという。

 正直、言われても覚えはなかった。

 ただ、一生懸命に説明するインデックスがなんだか愛おしく思えて。

 俺は無粋なことも言えず。恥ずかしいのも分かっているのに、照れ隠しも出来ず。

 ごめん、と。ありがとう、を。

 インデックスに繰り返して告げるしかできなかった。

 ま、このことはステイルに言うはずもねぇんだけどな。

「補足します。彼はその話を聞いた後、禁書目録に抱きつき、謝罪と感謝の言葉を繰り返しながら涙を流していました」

「抱きついてねえし泣いてもいねえよ!」

「……そ、そうか。うん、確かに、それくらい暑苦しい反応をしなければ、君らしくないな。まぁ気にするなよ」

「気にするわ! 何で知り合いに、俺の恥ずかしい姿を捏造されなくちゃいけねえんだ!」

「それは、君が不幸だからだろう?」

「台詞を奪うなテメェ!」

 ああ不幸だ。せっかく俺が丁寧に説明してたのに。全部ひっくり返すように禁書目録@自動書記さんに「要らぬ補足説明(捏造)」を加えられてしまった。もう何度でも言うよ。不幸だ。

「大体把握した」

 ほんとかよおい。捏造部分あんぞ。

「で、これが何かあるのか?」

「………………いや、別にこれと言った理由はないんだけどね」

 吟味するように長い間をあけて出てきた言葉は酷いものだった。そりゃあんまりだぜステイル。

「単なる興味で俺の過去を捏造したんかい!」

 俺の言葉を無視し、ステイルはベランダへと向かう。しばらく観察していると、どうやら煙草を吸うためらしい。この部屋や俺に気遣った訳じゃないだろう。あくまでアイツはインデックスを気遣ったんだ。まぁ、以前のこいつを考えると、大きな変化なんだろうけどな。そういう意味で言えば、丸くなったんだと思う。ただ、いいことなんだけど、なんか釈然としない……。

 ベランダで煙草を吹かす不良神父を尻目に、あれから黙っていたインデックスがゆっくりと口を開いた。

「……さらに補足しますか?」

「もういいわ!」

 一体こいつらは俺をどれだけ苦しめるれば気が済むんだ!

「では、」

 なんて文句が飛び出る前に、インデックスは言葉をつなげてくる。

「上条当麻。貴方にお願いがあります」

「お願い?」

「連れて行って欲しい場所があります」

「今からか?」

「はい」

「んー、まぁいいけど。どこだ?」

「月詠小萌という人物の家です」

「小萌先生ん家?」

 補習をサボった手前、その担当の先生の家に行くっていうのは気が引ける。それならまだいい。小萌先生は担任なのだ。休みが明ければ彼女にいろいろ言われるだろう。明けずとも、次の補習の日に言われるかもしれない。例えば「上条ちゃーん。大切な補習をぶっちしたので『すけすけみるみるマシマシスプーン曲げオオメ』なのですよー」とか。夏休み中の補習も、夏休み明けの授業でも言ってきそうだ。こえー……。

 だがここで断るのは上条当麻ではない。

「ま、いいけど。んじゃステイルにはお引き取り願おう」

「言われなくても」

「うわっ! な、なんだよ聞いてたのか、趣味悪ぃな」

 ステイルはいつの間にか部屋に戻っていた。いい加減魔術師たちの「いつの間にか」状態は止めて欲しい。心臓に悪いぜ。

「じゃあ僕は一度ここから離れさせてもらうよ。こんな所に長居はごめんだからね」

「だったら今すぐ出てけ不良神父」

 俺はベーっと舌を出したが、そんなもの見向きもしないで、ステイルは出て行った。

 あいつ何しに来たんだよ。状況把握のためだけか?

「私達も行きましょう」

「あ、ああ……」

 っつか、今行って大丈夫なのか、小萌先生ん家。一応電話しとくか。

 



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夏休みの前日の深夜 ~ 第五章

*夏休みの前日の深夜*

 

 変化は少し前から感じ取れていた。

 ――警告。第一章第一節。

 問題視も、してはいた。

 ――禁書目録の精神に於ける、重大な衰弱を確認しました。

 しかし私は、それは危険ではないと、判断していた。

 ――原因を検索……成功。

 それが、甘かった。

 ――禁書目録内にある一〇万三〇〇〇冊の魔道書を保護するため、

 このままでは。

 ――『自動書記』を“正常”に覚醒・起動します。

 彼女は壊れてしまう可能性がある。

 

 

 

 

 

*第五章*

 

 既に日は落ち、学園都市は夜に包まれていた。

 小萌先生に電話すると、どうやら問題ないらしく。無事に、というかなんというか……。ま、無事じゃないんですけどね。「すけすけみるみる」などはグレードアップしていないものの、上条さんの補習は一〇倍になりましたけどね。もう何も言いませんよ、上条さんは。

 今はインデックスと二人で小萌先生のアパートに向かって行く途中だ。

「あの、インデックスさん……?」

「なんでしょうか」

「なぜに私目はインデックスさんをおんぶしてるのでせうか?」

「もっとも効率のいい移動方法だと判断しました」

「上条さんには効率の『こ』の字も感じられないんですが……」

 こいつも成長してるんだなとか思ったのは家を出てすぐまで。

 俺はそこまで鍛え抜かれた身体を持ってるわけじゃあない。

 すぐにばてた。そりゃもうすぐに。最近平和だったし。そこは仕方ない。……今度トレーニングでもしておくか。

「……覚えていますか?」

「あん?」

「禁書目録が話しているかは分かりませんが、貴方は私を救っているのです」

「ああそれか。きちんと聞いてるぞー」

「おそらく、貴方が思っていることではありません」

「ん?」

「貴方は、出血多量によって死の淵に立たされた私を背負い、命を繋いでくれました」

 そんなこともあったのか……。マジで今の俺って昔とほとんど変わんねーのな。

「アイツからは聞いてねえな、それ。完全記憶能力も穴があんのかね」

「おそらく、朦朧としていたからでしょう」

 ああ、なるほどね。

「貴方はそんな私を背負い、月詠小萌のもとへと連れて行ってくれました」

「……なんで小萌先生のとこに?」

 もしかして初めは小萌先生も関わっていたことなのだろうか。関わっていたら分からないでもないけど、何も知らない人のところに血だらけのシスターを連れて行くってだいぶとんでもないことだと思いますのことよ。

「貴方の判断ですから断定はできませんが、回復魔術を使うにあたり、『学園都市で能力開発を受けていない人間』というカテゴリーで、一番初めに浮かんだのが彼女だからではないでしょうか」

 ああ、そういうこと。っつか、そんな死に際なのに病院に運ばなかったというのは一体……。

 俺が少しそれで考えていると、後ろから再び解説が入った。

「禁書目録がこの街の住人ではないから、ではないでしょうか」

「な、なるほど……」

 なんというか、全部の行動に理由があるんだな、やっぱり。

「そこで、貴方に改めて感謝の気持ちを伝えます」

「いいっていいって。大体、命を繋げたのは小萌先生じゃないのか? 俺は……覚えてないけど、知恵を振り絞って、運んだだけだろ?」

「それでも、貴方が居てくれたからこそ、月詠小萌のもとへと辿り着けました。あの時は、ありがとうございました」

 唐突にくすぐったくなってきた。おそらく、耳の近くから声が聞こえるからではない。お礼を言われることは慣れていないのだ。お礼を言ってもらうために動いたんではないだろうし。……いや、ここは耳元で声が聞こえるからってことにしとくか。

「あ、そうだ!」

 くすぐったさを解消するために話題を転換する。

「お前ってさ、インデックスであってインデックスじゃないだろ?」

「質問の意味を理解することができません」

「なんて言えばいいのかな。別人って言ったらあれかもしれないけど。俺からしたら、いつものインデックスがインデックスなわけでして」

「……理解できるようにお願いします」

「えーっと、お前はお前の個性があるじゃん? 『自動書記』だっけ? だったら、インデックスって呼ぶのも何か変な気がするんだよ」

「私は禁書目録です。魔法名は『献身的な子羊は強者の知識を守る(dedicatus545)』。正式名称は『Inde――」

 こいつの言葉を聞いてて思うけど、呼び方あり過ぎだろ、インデックス。まぁホント、今さらだな。

 俺はこいつの言葉を無視して、俺の言葉を被せる。

「いやだから、その禁書目録を守るための『自動書記』なんだろ? 違うの? 俺の考え間違ってる?」

「……さきほどの発言は理解できませんが、今の発言は概ね正しいです」

「ってことは呼び方変えた方がいいな」

「疑問を感じます」

「あーいや、インデックスって呼ばれたいならそのままにするけどさ……さっきも言ったけど、インデックスとは別人みたいでさ。見たまんまでいえば、『自動書記』って呼べば正しいのか?」

「……理解しました。そういうことですか。貴方が呼びたい名で呼んで貰って構いません」

「そっか。んじゃ……インデックスの『自動書記』だから……ヨハネデックス? いや、ヨハネックス?」

「――第二しょ」

 お気に召さなかったのは分かったけど背中でそれはやめてくれー!

「わーわー! 冗談だよ冗談! 素直に『自動書記』さんかなー?」

「……」

 んー、名前を決めるといった手前、元の呼び名でも不満なよう。

「あ、じゃあ『ペンデックス』とかどうだ!? 愛くるしいじゃんか! 『自動書記』っていうより呼びやすいし、インデックスとは別の個性を感じるし!」

「……」

 返事がない。ただのしかば……じゃなかった。怒ってらっしゃるようだ。ま、そりゃそうだ。今のも冗談だからな。ここはすぐさま訂正しよう。

「な、なーんちゃってー! あっははははは!」

「……」

「ま、インデックスに変わりはないわけだし、そのままでいっか。あ、ほれ、小萌先生の家が」

「――第八章第二節。上条当麻の考案した命名を承認しました。これより、貴方の考案名での呼称を認めます」

「……へ?」

 思わず足を止めてしまった。今なんと?

「ただいまをもって、私の呼び名は『ペンデックス』になります。よろしくお願いします、上条当麻」

 うそ……、だろ? な、なんだって? 認めてくれんの? あんな、冗談で思いついたギャグみたいな、アレを? 私めが滑ってたのは認めますよ? ……つか、ペンデックスさんって呼べばいいんでせうか? 俺、もしかして自分で自分の首締めましたかね?

「貴方の考案した名前は愛称であると判断しました」

「い、インデックスさん? それ、本気?」

「今の私の名前はペンデックスです」

「お、おう。んじゃ……ペンデックスさん、でよろしいでせうか……?」

「すでに承認しています。なんでしょうか、上条当麻」

 いいのか、いいか、いいんだよな。だって本人がそれでいいって言ってるし、うん。

「あーその、小萌先生ん家が見えてきたぞーって」

「分かっています。既に視界に入っていました。……以前は観察する余裕はありませんでしたが、よく見るとかなりの年月の経過が見受けられますね」

「だよな、あのボロ……じゃなくて、年季の入ったアパート」

 一年前から知ってるけれど、小萌先生は引っ越す気はないのでしょうかね。多分、俺が知るもっと前からアレだと思うんだが。まぁ、小萌先生なりの考えがあるんだろ。……多分。



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行間四 ~ 第六章

*行間 四*

 

「お前、相変わらずちんまいな」

「む、それはかなり失礼かも。私だって成長してるんだから」

 私は、彼と世間話をする位には落ち着いてきていた。

「どっこがー? まったくもって上条さんには確認できませんけどー? ぷーくすす」

「バカにしてるね?」

「してねーって、ホント。一年経ったとは思えないっつうことだよ」

「あ……」

 しばらく話しこんでいて、私はすっかり意識しなくなっていたけど。

 そうだった。

 一目見ただけでも分かったが、私は改めて彼を見た。

 すぐに、私の記憶が訴えてくる。

 彼の身長は、昨日のそれではない。

 昨日よりも少しばかり小さい。

 姿形だけがあの日の彼なのではなく、中身も、あの日の彼そのものだ。

 私の完全記憶能力が、そう訴えてくる。

 なぜ彼がここにいるのか。原理はいまだ分からない。

 魔術ならできなくもなさそうだけれど、今の私では一〇万三〇〇〇冊の魔道書で調べることもできない。

「――あっ」

 そうしてようやくさっきの状況を意識した。

 とにかく、一番の問題点を彼に告げる。

 彼ならなんとかしてくれる気がしたから。

「そ、そうだ! どうしよ、私の魔道書……!」

「ん? 魔道書がどうした?」

「き、消えたんだよ……」

 意図せず、弱々しい声になっていった。それでも、音も何もないこの場所では、私の声は彼に届いたようだ。

「消えたって?」

「私の中から、綺麗すっぽり、魔道書の知識だけが……」

「あー。……少し早いけど、説明すっか。もうちょっとゆっくりしたかったんだけどなぁ」

 彼は、頭を掻きながら苦笑いを浮かべる。

 私の想いとは裏腹に、彼が動じることはなく。

「魔道書がどこにあるか、とか。ここはどこなのか、とか」

 むしろ、何か知っているようなそぶりだった。

「あとは……」

 少しの間が空く。言うかどうか迷っているのかもしれない。

 私は彼が話し出すまで静かに待った。

「……なぁ、やっぱさ、これは後にしよーぜ? もう少し、お前と話していたいからさ」

 ここで一八〇度方向転換するのは、少し、彼らしい。

 ただ、なんとかしてくれると信じてはいるものの、この言葉をそのまま信じていいのだろうか。

 彼は間違いなくあの日の彼だ。私の決して失われない記憶がそう言ってる。

 けれど、同時にこうも思う。

 それはあり得ない。

 私はあの日、彼を殺した。

 でも居る。この場所に。

 そもそも、この場所は何なのか。

 真っ暗で、地面もあるのかよく分からないし。そこまで緊張の糸を張り詰めさせる訳でもないし。

 だからって油断できる状況でもない。

 魔道書がない。

 まぁ、これは彼が知っているみたい。ついでにこの場所のことも。

 信じたほうが、いいのかな。

 彼のお願いを、聞いた方が、いい、んだよね?

「……分かったんだよ。でも、絶対に教えてね」

「ありがとな、インデックス」

 彼は微笑んで言う。

 お礼を言われるのは、嬉しいけど、何かくすぐったい。お礼や感謝の言葉などはたくさん言われてきたけれど。きっとそれでも、こうして言われるのは慣れていないのだと思う。決して、私がとうまに「私を助けてくれた日」を説明している時のように、彼の笑顔に胸が締め付けられたわけじゃないと、思う。

「ね、ねぇ!」

 なんとかして話を転換してみる。くすぐったいままは、なんだか恥ずかしかった。

「ん?」

「さっき、あなたは一年ぶりって言ったよね?」

「ああ、言ったな」

「この一年間の思い出はあるの?」

「……どうなんだろうなぁ」

「あるの? ないの?」

「あったらお前、どうする?」

「え?」

「この一年間の、俺の――って言っていいのか分かんねえけど、そいつの思い出が俺の中にあったら、お前はどう思うんだ?」

「どうって……」

 正直、どうだっていいのかもしれない。話題を振ったのは私だけど、確認できたからといって、だからなんなのだろう。

 でも、この一年間の思い出を彼が持っているのだとしたら……複雑な気分だ。

「ま、実際はねえんだけどな。アイツから聞いた分はあるけど」

 しかし、彼は無いと言った。

 私はそれを聞いて、残念だと思えなかった。

(むしろ……ほっとしてる……?)

 自分の気持ちに疑問を持ちながら、私はなんだぁと返した。

 彼はそれからも、私に対してあの時のように接してくれた。

 それにしても。

 私は彼に言わなきゃいけないことがあるのに。

 何で私は言おうともしてないのかな。

 

 

 

 

 

*第六章*

 

 小萌先生の部屋の前に来て、インターホンを押すと「はいはーい」と可愛らしい声が届いてきた。

 教師に対して可愛らしいとは何事かと思うだろうが、これは至極まっとうな思いだろう。

 ドアが開く。

「はーい。今日の補習をぶっちしたおバカの治ってないかみじょーちゃーん」

 桃色の可愛らしいショートヘアーの小学生に罵倒されているが、決して私めにそういう趣味があるわけではないので、どうにかご理解を。そういうのは青髪ピアス君の個性ですし。

 まぁ、一目見れば「小学生」なのは間違いないのだが、同時に、間違いなく「教師」でもある。高校二年の俺がいるクラスを担任している「教師」なのだ。

 その「小学生教師☆月詠小萌」は、俺とペンデックスの姿を見て、とりあえず固まった。

「……ぇ。も、もしかして、あの、こ、これはえっと……!」

 びっくりする目というか、信じられないようなものを見るような目をして、その表情は徐々に青ざめていく。

 ペンデックスは小萌の様子が気になったのだろう、身を乗り出して観察しだした。次いで釈明する。

「初めに伝えておきます。月詠小萌、貴女が思うようなことは起きていません。身体状況は良好です。外傷は一つもありません」

「ふぇ? そ、そうなのですか? で、でも、なんだかいつものシスターちゃんじゃないでしす……あの、上条ちゃん、これは一体どういうことなのですか? 先生に説明、してくれます?」

 お、俺に来たか。説明っつっても分からんことばっかだしな。分かったとしても言えるかどうか……。

「とりあえず、考えが纏まるまで中に入ってて下さいなのですよ」

 俺とペンデックスは、小萌先生の後に続く。

 まだ動揺しているのだろう。動揺してる小萌先生も可愛いな。もちろん、深い意味も変な意味もなく。

 それにしても。

 やはり、この部屋はお世辞にも綺麗と言えなかった。前に来た時と対して変わってないかもしれない。この小学生の身形でビールとかタバコとか大丈夫なのか? そもそも買えるの? 成人証明できても買えるのこの人?

「えっと、上条ちゃんはこちらへ座って下さい。シスターちゃんはこっちにどうぞ」

 俺とペンデックスは、促された場所に座った。小萌先生はお茶を用意している。

「あと、もう一度確認したいのですけど、シスターちゃんは、怪我とかしてませんよね?」

「はい。健康状態は良好です」

「あの時みたいですけど……なんともないのならいいのです」

 あの時? あの時ってのは……もしかして一年前か? やっぱり小萌先生は魔術に関わってたりするんだろうか。こんなファンシーな身形だし。ありえるよな。

 なんて変な考えを巡らせていると、小萌先生がじっとこちらを見ているのに気付いた。

「上条ちゃん」

「は、はい。なんでせう……」

「まず……」

 なにがくるのかと身構えていると。

「今日の補習はどうしてサボったです? サボった今日の内に、先生の家に来るだなんて……。上条ちゃん、いい度胸ですね? 覚悟できてますか?」

 補習のことを追求されてしまった。

「先生は上条ちゃんをそんな不良に育てた覚えはないのですよ」

「あのですね、先生。これには深い訳が」

「いいわけなんて聞きたくありません。先生は、上条ちゃんの為を思って今日の補習を用意したのですよ? 出席日数、足りると思ってるんですか?」

「はい、すみません……」

「月詠子萌」

「シスターちゃんはちょっと黙ってて下さい」

「了解しました」

「了解しないでください助けてくださいペンデックスさん!!」

「上条ちゃん!」

「はいぃっ!」

「明日から、予定の一〇倍と言いましたけど、夏休み一杯は補習に来るように! 先生は、上条ちゃんをきちんと不良の道から救ってみせますからね!」

 これは言いたい。「口に出して言いたい不幸」の中でトップ一〇に食い込むくらいの不幸だ。なので私は口に出して言う。なんとしてでも言う。言うぞ! そーら言うぞ!!

「これくらいで不幸とか言わないでくださいね! 自業自得なのです!」

「やっぱ自業自得かああああぁあぁぁぁぁぁ!! 言えなかったし! やっぱり、不幸だああああぁぁああぁぁああぁぁぁぁ!!!」

 



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会議一

*会議 一*

 

「――ということらしいよ」

「それは本当ですか?」

 赤い長髪、目元のバーコード、黒い神父服の魔術師、ステイル=マグヌスは、学園都市の夜に溶けるようにビルの屋上で煙草を吹かしていた。

 隣には女性が居る。彼女は世界に二十人と居ない聖人の神裂火織という。腰まである長い黒髪を一つに纏め、それでもその髪は腰まで伸びていた。腰には二メートルもある刀を革のウエスタンホルダーにぶら下げている。白のティーシャツは豊満な胸のすぐ下で結ばれていて、雰囲気に似合わない可愛らしいへそが見えていた。穿いているジーンズは、ただのダメージジーンズではなく、魔術的意味を含めるよう左右非対称になっていて、裾の片方を太腿のつけ根まで切り落とされている。エロい。

 赤髪ロングのヘビースモーカー不良神父は、露出狂サムライガールに向かって、真剣な話をしていた。

「なんたって彼女本人から聞いたからね。ご丁寧に、即席で組み上げた術式による念話で、だ」

「……でしたら、私達は従うまでですね」

「ああ。あの子が望むことだ。逆らうことはあり得ない。……例え、術式の言うことであっても」

「そこが不可解ですね」

 ふう、とステイルは紫煙を吐く。夏の夜の空気に霞んで消えていった。

「『分からないものは分からない。前例がないので仕方がない』ね……」

「教会の見解ですか」

「仕方がないと言いだしたことが一番ムカツクけど、実際そうだから何も言い返せない。非常に腹立たしいことだ」

 ふむ、と神裂は一呼吸置く。

「いざとなれば彼の右手に頼る、ということなのでしょうね」

「ま、そっちは前例があるからね。だからあの女狐も様子見なんて言ったんだろう。まったく……どうも僕には、教会のあの子への扱いがおざなりになっているような気がしてならない」

「確かにそうですね……」

 神裂は思いつめたように、彼らと呼ばれた二人の歩みを振り返る。もちろん把握出来る範囲内でだが。

 それでもはっきりしていることがあった。神裂はそれに気付いて、呟く。

「せめて、生活費だけでも彼らに与えていいはずです。彼は色々と苦労しているようですし……。むしろ、それでも足りないくらいな気がします」

「そこは、あれなんだろう? 未だにあの女狐は素直になれないんだろう? いい加減にデレてもいいと思うんだけどね、時期的に」

「それはあなたにそっくりそのまま返されそうですけど」

「なら僕は君にそっくりそのまま渡すけどね」

「ど、どういう意味ですか!」

 神裂には思うところがあるのだろう。素直になれというステイルの言葉に、えらく噛みついた。

「うん? そのまんまの意味だけど?」

 これ以上反論しても何も変わらないと思ったのか、彼女は話題を戻す。

「と、とにかく、私は予定通り動くことにします! 幸い、仕事も終わってますし、しばらくここに居れそうですからっ」

「うん、それでよろしく。あとは流れで」

 ステイルがそう言うと、神裂は消えた。

 いや、消えたように見えたのだ。彼女は世界で二〇人も居ない聖人で、その身体能力は並みの人間を遥かに凌駕する。

 今のも、消えたのではなく、彼女はただ跳び跳ねただけである。速すぎて消えたように見えたのだ。

 一人残されたステイルは、ゆっくりと思考の海に飛び込んだ。

 さて、次は四日後か。

 



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第七章

*第七章*

 

 インデックス改めペンデックスの事を掻い摘んで小萌先生に話すと、先生はそれで納得してくれた。

「……な、なるほどなのですよ」

 納得するまでの“間”には、この際触れないようにした。

「ご理解に感謝します。ありがとうございます、月詠小萌」

「いえいえ、上条ちゃんとシスターちゃんのお願いですから」

 いい先生をもって、俺は幸せだなぁ。と、似合わない想いを浮かべながら、小萌先生との会話に花を咲かせていると、

「――警告。第三二章第三節。生命活動の低下確認しました。安全に、仮死状態へと移行します」

 突如としてペンデックスが呟き、こてっ、と横になってしまった。そう、こてっ、と。置物が倒れるように。

 慌てて俺が駆け寄ると、どうやら眠っているらしい。仮死状態とか聞こえたけど大丈夫なのだろうか。

 助言を求めようと先生を見ると、先生はにこりと笑って俺の肩に手を優しく置いた。

「大丈夫なのですよ、上条ちゃん。きっと疲れていただけなのです。こんなにも安らかに寝息を立てているのに、心配することは何一つないと思うのですよ」

「それも、そうか……」

 だったらもっと普通に眠っていただけませんかね、ペンデックスさん。なんて言葉も、もう届かない。彼女は深い夢の中に行ったのだ。

「そうだ上条ちゃん! 今日はこのまま泊っていきませんか?」「え、いいんですか? それじゃ、お言葉に甘えて、お願いします」

 起こすのもかわいそうだしな。明日ペンデックスを迎えに来ればいいし。それに、明日になればインデックスに戻っているかもしれない。小萌先生はこういう時、その懐の広さを発揮する。正直ありがたい。

「じゃあ、俺はこれで。こいつのこと、よろしくお願いしますね」

「ほえ? な、何を言ってるんですか上条ちゃん。上条ちゃんも泊るんですよ?」

「……ん? 俺も、ですか?」

 なんでまた? てか、いいのか? 一応女性教師だろ? 女性教師で、しかも担任の家に生徒が泊るって。俺は決してやましい考えとかないのだが、誰かに見られたらアウトだろ、これ。セーフゾーンなんてない気がするし。

「で、でもですね小萌先生? 俺には寮がありますしですね? 一応先生と俺って教師と生徒の立場じゃないですか?」

「な、何言ってるですかー!? 先生と一緒のお布団で、なんて言ってないのですよー!」

「俺もそれは言ってないですからね!」

「せ、先生は、今日から、黄泉川先生のところにお泊りする予定だったのですよ! ですから! 今日はどうぞこの部屋を使って下さいって意味で言ったのです!!」

「ああ、そういう……いや、それも不味いでしょ先生」

「……上条ちゃんは、私の部屋を荒らす予定でもあるんですか?」

「いや、ないですけど」

 失礼だけど、荒らしても何も出て来ないんじゃないか、ここ。

「だったら、先生は上条ちゃんを信じるのです。どうか、シスターちゃんのそばにいてあげてください」

 そうか。先生は単に、ペンデックスを一人にさせるなってことを言いたいだけか。たしかに、今のこいつを一人にはさせたくはないな。

「じゃ、じゃあ、その……あんまり私の部屋は漁らないでくださいね? 明日の午前中には戻りますから?」

 俺が寝る分の布団を敷いた後の去り際、先生は俺に潤んだ目で訴えかけて出て行った。それは何の忠告だ先生。俺がそんな人だと思うのか。ちょっとショックだぞ……。

 だがショックをいつまでも受けていてはいけない。

 俺は気を取り直して(?)、布団の中へと入り、目を瞑った。

 俺も疲れていたのだろう、すぐに夢の世界へと旅立ったのだった。

 突然ではあるが。

 そろそろ非日常が日常に変化し始めた頃だと思う。

 インデックスがペンデックスになり、最初は驚いたが、だんだんとそれに慣れ始めている。

 俺の頭の中には、「戻る時もすんなり戻るんだろうな」などという考えも浮かんでいる。

 しかし、思い出して欲しい。

 私こと上条当麻は、日常と非日常の切り替えが唐突に訪れるのである。

 例えば、小萌先生の家に泊った翌日の七月二一日。

 朝起きて、ペンデックスが眠っているのを見て「そんなに疲れてたのかこいつ」なんて平和な思いをよぎらせて。黄泉川先生の家に泊りに行った小萌先生は宣言通り午前中に戻ってきて。と思ったら「すみませんね上条ちゃん。先生、用事ができちゃったので……。上条ちゃんたちはここに居てもいいのです。先生は夜までには戻りますから。もし出掛ける時は、鍵を閉めて下さい。はい、これ合鍵です」と早々に去っていき。そろそろご飯を食べないとなと思い、かといって眠っているペンデックスを置いてコンビニに行くこともできず。冷蔵庫の食材を借りていいか尋ねようと小萌先生の電話に繋げてみたが、圏外で繋がらず。不幸だ。ついでに携帯で時刻を確認すると、昼過ぎになっていた。どうりで暑くなってるわけだ。この部屋に扇風機があるのが救いだと思ったが、故障していて付かない。しょうがないので窓を開けた。暑い。

 お昼過ぎになっても眠っている姫は、心地よさそうに寝息を立てている。しかし、あまり寝過ぎてもアレだしな、と、俺はペンデックスを起こそうとし、そして気付いた。

「おーいペンデックスー。そろそろ起きねえと夜寝れねえぞー。……ペンデックス? あれ? ……おい、ペンデックス! おい! 起きろペンデックス!!」

 いくら呼びかけても起きる気配がない。

 眠っている、というのは分かる。息はしているから、決して死んだ訳ではない。死んでしまう要素はなかったはずだし。

「おい!! ペンデックス!! 起きろよ!!! おい!!!」

 しかし、本当にいくら呼びかけてもぴくりともしないな……。

 昼過ぎまで寝てしまう時もある。俺にだって経験があるんだ。

 けれど、これだけ呼びかけても強く揺すっても起きないのはさすがにおかしいのではないだろうか。 

 この事態は昨夜の内に気付けたかもしれない。むりやり起こして俺の部屋に戻る選択もあったはずだ。

 一応、連絡を入れようとステイルの番号に掛けてみたが、出ない。

 次に土御門。

 出ない。

「くそっ! どうする?!」

 明らかな異常に、今の俺になす術はなかった。



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行間五

*行間 五*

 

 私と彼が会話に花を咲かせていると、何処からともなく声が聞こえた。

「お久しぶりです」

 私に言ったのか、それとも彼に言ったのかは、分からない。

 突然の声に驚き、私が辺りを見回すと、

「――……私?」

 真後ろに私が居た。

「はい。正確には、『自動書記』です」

「『自動書記』……」

 魔道書の知識は今、綺麗に全て抜け落ちている。けれど、その単語には覚えがあった。

「なんだ、早かったな、お前」

 どうやら彼も知ってるようだ。

「一日目が終わったところです」

 彼と『自動書記』は面識があるようだ。私にはわからない、二人だけが分かるような会話をしている。

「もうちょっとゆっくりさせてくれよ」

「それは、貴方が体感する時間の流れが早かっただけではないですか?」

「ははは、かもな」

 もしかして、仲、いいのかな?

 なんて考えていると、『自動書記』は私の方を向いた。

「禁書目録」

「えっ? わ、私?」

「私を覚えていますか?」

「えっと……あんまり、記憶にないけど……」

 私らしくない言葉だと思う。

「第三次世界大戦時、右方のフィアンマの手で遠隔制御霊装を操作され、少々強引ではありましたが、私は覚醒しました。しかし、『首輪』の消失により、貴女は休眠状態になることはなく、半覚醒状態にあったはずです。私の事を近からず遠からずの距離で眺められたと思うのですが」

「……ごめんね。やっぱり、あんまりよく覚えてないんだよ」

「そうですか」

「こう言っては失礼だけれど、覚えていたとしても、なんだか思い出したくないかも」

「いえ、正当な感情です」

 この、私そっくりな『自動書記』は、私なのだろうか。覚醒したとかどうとかいうから、多分他の人も見たことがあるのかもしれない……複雑な気分。

「あ、ねぇ。えっと……『自動書記』って呼べばいいのかな?」

「ペンデックスです」

「ぺ、ぺんでっくす?」

 ……なにそれ。

「はっはは、なんだそのセンスのない名前は」

 どうやら彼も同じように思っているようだ。

「あの方に付けてもらいました愛称です」

「アイツかよ」

 あの方? アイツ? 誰だろ。

「それで、何ですか、禁書目録」

「あ、あのね、えっと、あなたはとうまを見たことがあるのかなって」

「俺? あるけど? な?」

 あん時のお前おっかなかったよなー、と彼は呟いている。

 その彼の方を向いて『自動書記』は話しかけた。

「……確かに、彼、上条当麻とは対峙したことがあります。しかし、彼女のいう『とうま』は貴方ではない方の『とうま』でしょう」

「あー。あっちね」

 あっち?

 私は要領を得ていない表情をしていたのだろう。彼は私を見てにこりと笑った。

「ほら、ペンデックスさんが俺の代わりに説明を始めるてくれるみたいですよーっと」

「禁書目録。貴女の目の前にいるのは、去年の七月二八日までの彼です。貴女の質問に、正確に答えます。ここにいる『彼』とは去年の七月二〇日に会っています。さらに、貴女の言う普段の『上条当麻』とは去年の一〇月一八日に、右方のフィアンマが操作する遠隔制御霊装によって、会っていることになっています」

「え? え? あの、え? ちょ、ちょっと待って! 整理させてほしいんだよ。えっと……ここにいる『とうま』は、その、やっぱり記憶を失う前の『とうま』なの?」

「なんだ、分かってなかったのか? 案外鈍感なんだなお前」

「むっ、それは……今は置いておくんだよ。えっと、じゃあ私の知ってる『いつものとうま』はどこ?」

「ここにいるだろおい」

「えーっと……」

 私と『自動書記』の二人(?)で彼をじっと見つめる。

「あ、悪い悪い。そんなに困らせるつもりはなかったんだ。単なるジョークですよ、ジョーク」

「……そこら辺はやっぱり『とうま』かも。で、いつもの『とうま』はどこなのかな?」

 『自動書記』は、改めて私に向かい合い、口を小さく開く。

「そのためにはまず、ここがどういうところなのかを説明しなければなりませんね」

 

 



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第八章

*第八章*

 

 月詠小萌宅にて一夜を明かし、俺は焦っていた。

 そのまんまの意味で焦っていた。

「おいおい、夜になっても起きないとか……。こりゃ、いよいよもって不味いんじゃ……?」

 なんとか見つけた食糧を少しだけ口に運んで(あとで食ったこと小萌先生に言わないとな)、本気になって起こそうとしたが、ピクリともしない。心地よさそうに眠っている。寝息が安定していて、安眠中であることが分かる。こんなに気持ちよさそうに寝やがって。無理矢理起こそうとしてる俺が悪者みてぇじゃねえか、へっ。……なんて想いは全く芽生えず、ただただ焦りだけが募っていく。やっぱりIDある無し関係なしに病院に連れて行くか?

 と、

「ただいまなのですよー」

 きた!

「先生! 先生!」

「ど、どうしたのですか上条ちゃん。熱烈なお出迎えは嬉しいのですけど、その……」

 なぜかもじもじしている小萌先生に、俺は詰め寄る。

「助けてください先生!」

「ふぇ? ど、どうしたのですか? ひとまず落ち着いて下さい、上条ちゃん」

「ペンデックスが起きないんです!」

 説明が終わり、小萌先生はペンデックスの様子を見る。

 額に手を翳したり、心拍数を測ったりしている。彼女は看護師の免許でも持っているのだろうか、やけに手慣れていた。

「ただ眠ってるだけみたいですけど……」

 小萌先生の初診はそれだけだった。いや、それは俺も分かるよ、うん。

「でも、いくら起こそうとしても起きないんですよ! あれからずっと眠りっぱなしですよ!? 眠り姫かって話ですよ!」

「でも、なんとなく異常には見えないのです」

「けど……!」

「心配なら、病院に連れて行きます?」

 もうこうなったら腹をくくるか。ID云々は仕方ない! あの医者なら得意先として色々とわがまま聞いてくれるだろ!

 で、連れて行こうかと仕度を始めた瞬間に、玄関の方から声が聞こえてきた。

『かーみやーん! 困った時の土御門さんだぜーい!』

「土御門?!」

 頼りになる親友が来たということで、俺は急いで玄関に向かう。

『諸事情により声だけでお届けするにゃー!』

「なんでだよ! こっちきてペンデックスを見てけばいいじゃねえか! つか見てくれよ! 魔術攻撃かもしれねえんだぞ!」

『ペンデックスってなんだぜい……ま、とにかく、話を聞けばいいんだにゃー、かみやん! インデックスは三日後に起きるようになってるにゃー!』

 ちょっと待て。

「……どうしてお前が今の状況を知ってるんだよ」

 今のこいつの言葉でだんだん冷静になってきた。

『にゃっはははは、そんなことはどうでもいいぜい。かみやんはインデックスが三日後に起きるってことだけを認識しておけばいいんだにゃー』

「なんでだよ、おい!」

『そういうもんだから、としか言えねーぜよ。なにしろ、禁書目録自身が組み上げた防御術式だからにゃー』

「な、に?」

 防御術式?

『眠る時になんか言ってなかったかにゃー?』

 思い出せ。……思い出す。そういえば、なにか……具体的にいえば、第何章第何節とか呟いていたような……。

『それと、この術に右手は効かないぜい。発動した段階で完成しちまってるからにゃー』

「わ、分かった。けど、何でお前がそれを知ってるんだ?」

『分からないことがあるとはいえ、こっちはプロの集まりだぜい? しかも、インデックスは身内だからにゃー』

「そういうもんなのか?」

『そういうもんだぜよ』

 そういうものらしい。じゃあ仕方ないな。うん。納得した。

「えっと、土御門ちゃんがいるんです?」

 いつのまにか小萌先生が俺のすぐ後ろに来ていた。

『その声は小萌先生ー! いやー一昨日ぶりだにゃー! それにしても、かみやん。先生の家でなにやってたんだぜよ?』

「つ、土御門ちゃん! 上条ちゃんはなにもしてないのですよ!」

『かみやん“は”? ってことは小萌先生がしてあげたってことかにゃー? さっすが大人の女性は違うぜよ。ひゅー』

「何言ってるんだよお前は。言うこと言ったならさっさと帰っていいぞ」

『おいおい。俺を帰したがるってのは、つまりそういうことか? さすがに怒るぞ?』

「なに声のトーン下げてんだこら! いいから帰れ変態!」

『せっかくインデックスのこと教えてあげたのに、それはないぜよ……』

「言うこと言い終わっただろ? あと小萌先生も真に受けなくていいから!」

『まったく……避妊はしろよ?』

「だから何言ってんだ!」

『そんじゃまたにゃー、かみやん! もう少ししたら一緒に遊ぼーぜい!』

 言うだけ言って帰りやがった。帰したがったのは俺だけどさ。なんていうか、もうちょっと詫びの一言でも欲しい気がするんだが。どうすんだよ……小萌先生、変な世界にトリップしてるぞ。顔真っ赤にしながらぶつぶつ呟いてるし。ほんとどうすんだ。

「せ、先生はその……でも、上条ちゃんは、かわいい生徒ですし……」

「あのー小萌先生ー? だめだ、完全に聞こえてない。はぁ、不幸だ……」

 小萌先生が復活するまで一時間かかったのは、仕方のないことだろう。

 結局、俺と小萌先生は話し合った結果、土御門の言葉を信じることにした。

 小萌先生は、どうやら用事が長引いているらしく、今日も黄泉川先生のところへ行くらしい。俺は小萌先生に甘えて、泊っていくことにした。ペンデックスを一人にさせたくないからだ。ってことは、これから三日間はここで寝泊まり……になるのか? その間小萌先生は黄泉川先生のとこ? なんだか悪いことしてるな、俺。食事の心配はしなくていいって言われたけど、それもなんだか悪い気がする。

 ……よくよく考えてみれば、ペンデックスになってから、俺結構迷惑かけすぎじゃね? 今更?



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会議二

*会議 二*

 

 上条当麻が月詠小萌宅で一晩明かし、ペンデックスの様子に気付き始めたころ。

 土御門元春は、ステイル=マグヌスと神裂火織を部屋に招いていた。

「やっぱり君も聞かされてたんだね」

「にゃー。わざわざ、即席で念話術式を組んでまで話してきたぜい」

「僕と同じだ」

「私は直接聞いていないのですが……」

「やーいやーいねーちんハブられてるー。ぷーくすすす」

「つ、土御門っ! 怒りますよ! 状況は既に把握済みです!」

「もう怒ってるように見えるぜよー」

 聖人相手をからかう土御門。実は彼、必要悪の教会所属の陰陽博士である。学園都市にはスパイとしてやって来ていた。

「無駄話はもういいだろう。で、僕らはどう動くべきだと思う?」

「それがアレだにゃー。『自動書記』の言ってた『計画』だと、今頃禁書目録は夢の世界か?」

 計画。それは今回の会議の要だ。

「多分ね」

「一応、天草式には護衛と監視を命じています。定期連絡によると、速やかに眠ったらしいですよ」

「『計画』通りってわけか」

「にやりってか? 全く、無防備になるんだからもう少し危機感を持って欲しいぜよ」

 眠ると言うのは、それだけで危険との距離を縮めてしまう行為だ。それも、世界中の魔術師が狙う禁書目録が、だ。今では魔術師だけでない人間も狙っていたりする。平和になったとはいえ、まだここら辺の火種は未だに消えていない。

「危機感云々は君にそっくりそのまま返すけどね」

「俺はいつでも危機感持ちまくりだぜい?」

「話を逸らさないでください。今のところ彼女は大丈夫なようです。問題は彼――上条当麻です」

「かみやんが問題? まさか、幻想殺しで睡眠術式を打ち消しちまうとかか?」

 聞かされた『計画』じゃあ心配いらないって言ってたけど、と土御門は記憶を確認した。

「いえ、そうではなくて。今入った報告によると、どうも、何をやっても起きないあの子に慌てふためいているようなんです」

「あー、そりゃかみやんらしいぜよ。ま、ここら辺は俺が“きちんと”説明しとくとするか」

「そうしてもらうとありがたいです。『計画』通りに運びやすくなるようお願いします」

「それはいいんだけどにゃー。『何をやっても起きない』ってのは、一体『ナニを』したのか……気にならないか、ねーちん」

 土御門は、話の途中から真面目モードに切り替わった。

「土御門?」

 直後、神裂は瞬時に二メートルはある日本刀、七天七刀を構える。これにはさすがの土御門も苦笑い。

「じょ、冗談だぜい、冗談」

 言うと、神裂は構えを解く。ほっとする土御門だったが、彼の試練は、まーだ、終わらない。

「言っていい冗談と悪い冗談があるのを、君は分かってないようだ。せっかくだ、その皮膚に焼きつけていつでも確認できるようにしておくか?」

 今度はステイルが構えたのだった。どうもこの二人、インデックスの事になると、最優先がそれになってしまうようである。

「す、ステイル? なんでカード持ってるんだにゃー? 火が着きそうだぜい?」

「ちなみにこの学生寮には五〇〇〇枚のルーンのカードを配置させてもらっててね?」

 ステイルの目は据わっている。こやつ、本気だ。

「にゃー!? やめるんだぜい! 火事だけはどうかー!」

「知ったことか。――顕現せよ、」

「待って下さい、ステイル。あまり騒ぎを大きくするといけません」

 神裂の言葉でステイルは落ち着きを取り戻す。が、忘れてはならない。彼女も取り乱した口である。

「……命拾いしたね、土御門元春」

「ち、ちびりそうだったぜよ……」

 冷や汗を流しながら、土御門は乾いた笑いを零した。

「話を戻しましょう。それで、私達はどう動けばいいか、ということですが」

「……去年の通りでいいんじゃないかな」

 去年の今頃。ステイルと神裂はインデックスを追っていた。敵として。つまり彼は、それを今もう一度なぞれ、と言っている。

「ま、結局はそうなるんだにゃー。俺だけは自由行動だけども!」

 ただ去年と違うところはたくさんある。例えば土御門元春。彼は去年の今頃、インデックスと接触していない。ステイルと神裂はインデックスを「保護」するために「追う側」となっていたが、今はもう深い仲を取り戻している。

「去年……」

 その去年を思い出したのか、神裂は表情を曇らせた。

「再び彼に立ち向かうのは、例え『計画』上必要なことだとしても、心苦しいです」

 そうなのだ。

 どんなに状況が変わろうと、去年と同じ行動をするということは。

 上条当麻を、再び傷付けなくてはいけない。

「なんだったら俺がするぜい?」

「……いえ、これは、私がやるべきことなんだろうと思います。あの子の考えを無碍にするつもりもありませんし」

「損な役を回してしまってすまないね」

「ホントだぜい。そういうのは、俺がやればいいことだと思うんがにゃー」

「仕方ありません。お気遣いだけでも感謝します」

 必要悪の教会。

 今や、どこかのヒーローのおかげで角が丸くなり過ぎているような気がするが。

 それでいいのかもしれない。

 世界はこうして変わるのだ。

 



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第九章 ~ 会議三

*第九章*

 

 土御門から言われてから三日後。七月二四日。小萌先生が出した補習課題を小萌先生宅でやっていると、ペンデックスが起き上がった。

「――正常な覚醒を確認しました。おはようございます、上条当麻」

 土御門の言う通りだったが、俺は結構びっくりしていたりする。

「ホントに三日後に起きやがったな、この眠り姫は。おはよう、ペンデックス」

「……。お腹が空きました」

 一見して無表情の姫は何を考えているのか分からない。が、その彼女からクゥ~と可愛らしい音が聞こえてきた。そりゃ、普段あんだけ食べるインデックスが三日も飲まず食わずで寝っぱなしだったら腹も減るだろ。

「三日ぶりだからなー。安心しろ、ちゃんと用意してある。さっき小萌先生が作ってくれたんだ。冷めてないと思うけど……」

「感謝します」

 今まで広げていた課題の数々をどけ、適当な古新聞を敷いて、その上に小さい土鍋を置く。中身はお粥だ。

「病人でもねえんだろうけど、空っぽの胃には優しいもんを、だってさ」

 お椀に盛って、ペンデックスの前に配膳すると、彼女は手を組んだ。

 食前の祈りだ。

 なんと神々しいことか。

 聖女になれるぜ、ペンデックス。

「……。いただきます」

 組んだ手を解く瞬間に、俺は名残惜しそうな目を送ってしまった。

 いやいやいや。

 中身ペンデックスさんとはいえ、これはインデックスさんですし。今までこいつが祈ってるところなんてしょっちゅう見てきたじゃないですか。何を改めて思ってるんですかね、俺は。

「あの、上条当麻」

「えっ!? あ、な、なに? どうした?」

「? 何をそんなに慌てているのですか?」

「なんでもないなんでもない……。で、なんだ、ペンデックス」

「頼みがあります」

「頼み?」

「夕方辺りに、お湯をいただきに行きたいのですが」

「ああ、なんだそんなこと。確かに四日間そのまんまだしな。いいぜ、案内するよ」

「助かります」

 ってことは、後で銭湯だな。

 

 

 

 

 

*会議 三*

 

 神裂火織は日が暮れる頃、学園都市のとある交差点付近が見えるビルの屋上に佇んでいた。

「……、」

 彼女は、これから自分がやろうとしていることに、戸惑いを感じていた。

「どーしたんだにゃー、ねーちん」

 神裂の横には土御門元春が、金髪アロハサングラスという出で立ちで、彼女と同じ方向を眺めている。彼の口元には、思惑のはっきりしない笑みが貼り付けられていた。

「まさか、自分で言っておきながら『やめたい』だなんて言うんじゃねぇだろうにゃー」

「そ、そんなことは……」

「女教皇であり聖人でもある神裂火織ともあろうお方が、約束を破るなんてがっかりだぜい」

「やりますよ! やりますから! ……しかし、」

 彼女の腰にあるウエスタンベルトに力がかかった。そこに通してある七天七刀を握る手に力が入ったからだ。

「しかし……もう一度、彼の前に立てというのは、不本意です」

「しかたねーにゃー」

「分かっています。あの子のため、ですから。ですが……」

「はぁ……そんな煮え切らないねーちんのために、土御門さんからのプレゼントだぜい!」

 土御門はポケットから粉末の入った小さな袋を取り出した。それを、神裂へと差し出す。

 怪訝な表情を浮かべながら、彼女は小さな袋と土御門を交互に見やる。

「……これは、いかがわしい薬とかではありませんよね?」

「まぁあながち間違いじゃねーがにゃー。そいつを全部飲むと、四日は眠ったままになるぜい」

「なるほど……。念のために聞いておきますが、術式などは?」

「正真正銘、薬品の塊だぜい。かみやんにも効くぜよ。学園都市製だから安全も問題ないんだにゃー!」

「ふむ」

 神裂は小さな袋を受け取り、ジーンズのポケットにしまった。

「これで、必要以上に傷付けなくて済むぜい。良かったにゃー、ねーちん」

「……一応、恩に着ます」

 彼女はこれで決意を固めた。

 現在のターゲット、上条当麻を強行的に眠らせ、四日間行動不能にする、という仕事をする決意を。

 



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第一〇章

*第一〇章*

 

 銭湯へと向かう道すがら、ペンデックスは俺の名を突然呼んだ。

「ん? なんだ?」

「いえ、用事はありません」

「? そうか」

「上条当麻。上条当麻」

「なんだっての。人の名前をあんまり連呼しないで下さいませんか?」

「いえ、特に用事という用事はありません」

 なんだってんだおい。

「上条当麻」

「だからなんだ!」

 ペンデックスがこちらをじっと見てきた。……ホント、なんなんだ。こうやってじっと見つめられるのは、あんまり得意じゃない。

「こうして用もなく名を呼ぶというのは、少しだけですが、気分が良くなります」

「はぁ……さいですか」

 人の名を呼びまくって気分が良くなるってことは、もしかしてそこに魔術的な意味でもあるのだろうか。

 ペンデックスは俺より二、三歩程前を歩き、振り返った。

「私は先に行っています。貴方は後で来て下さい」

「あん? 一緒に行きゃいいじゃねえか」

「ダメです」

「なんでさ」

「なんでもです」

 なんだか変に頑なだな、こいつ。

「まぁ、分かったよ。んじゃ、後でな。銭湯前で合流、でいいか?」

「はい、それで構いません。了解しました」

 そのまま、ペンデックスは早歩きで先に行ってしまった。女の子は色々と準備があるっていうしな。そういうことなんだろう、うん。

 俺は少し歩の速さを緩める。

 しばらくして、とある交差点にさしかかった瞬間。

 俺は、人気が消えていたことに気付いた。

「――ッ!」

 いつからだ? これって、魔術、だよな? 俺狙いか? もしくは、一人になったインデックスを狙ってか?

「くそッ、もっと早く気付いていれば!」

 辺りを警戒していると、向こうから一つの人影がこちらへ向かってくるのを見た。

 俺は身構える。

 いつでも戦闘できる体勢をとる。

 右手で拳を握れば、準備完了だ!

 その人影が、街灯の明かりで、はっきりと見え始めた。

 それは、

「――ルーンですよ」

 見覚えがあった。

 腰まである濡れたように輝く黒い髪。左右非対称のダメージジーンズ。胸下で絞るように結んだ半そでの白いティーシャツ。そして、腰に巻かれたウエスタンベルトには、二メートルを超える日本刀が据えられている。その名は七天七刀。鞘に収まっている内は七閃が、抜き身になれば唯閃が待ち構えている。

 知っている。

 彼女は!

「お久しぶりです、上条当麻」

 神裂火織。

 多角宗教融合型十字教、天草式のトップ、女教皇。

 世界で二〇人もいない聖人の一人。

 それでいて、仲間だ。

 だが、その仲間が。なんで、

「……何で、何で、お前がそんなに睨んでくるんだよ……神裂」

「できれば、手荒い事は避けたいのですが」

「答えろ、神裂!」

 さすがに仲間だといって油断できるわけではなかった。

 周囲は人払いのルーンが敷かれている。そこで神裂は、俺を睨みながら現れた。いつでも抜刀できるように構えながら、だ。

 俺も自然と、右手に力を込める。

「インデックスを、こちらに渡して下さい」

「なんでだ」

「……『回収』しなければいけないのです。察して下さい」

「『回収』?」

「正確には『保護』です」

「だったら、俺んとこに来る前にインデックスのとこに行けばいいじゃねえか」

「今の保護者は貴方ですから。大人しく渡してくれれば、私は何もしません」

「拒否したら?」

「その時は」

 刹那、アスファルトの地面に七つの切れ込みが発生した。

「手荒い真似をしなければいけません」

「……ッ! なんでだよ、神裂。理由を言ってくれれば、俺だって納得出来るかもしれねえじゃねえか!」

「理由は、あの子を救うためです」

「なんだよそれ! それが本当のことなら、やっぱり俺のところにくるのはおかしいだろ! 来るとしても、こんな方法じゃなく、もっと他に方法はあったはずだ!!」

「この方法しかありません。もう一度問います。あの子をこちらに渡してくれませんか?」

 おそらく、ペンデックス状態を解除できる何かが教会側にあるんだろう。神裂のやり方は間違っているが、その方がインデックスのためになるのかもしれない。

「……神裂。一つだけ教えてくれ。なんでお前は人払いまでして、七閃まで見せて、俺にインデックスを渡せって言ってきたんだ? これじゃあまるで……まるで、脅迫じゃねえか。なぁ。なんでお前はこんなことしたんだ。教えてくれ、神裂!」

「……何度でも問います、上条当麻。あの子を渡していただけませんか?」

 考えろ。

 考えろ。

 考えろ!

 あの神裂がここまでしなくちゃいけない理由を。

 考えろ……導き出せ。

 何が引っかかってる。

 何が……。

 ああ、そうか。

「――なぁ、もう一つ、聴いていいか?」

「……なんでしょう?」

「神裂がこういう行動をとらなきゃいけない理由ってのは、俺が知ったら不味いことなのか?」

 理由を言わない。理由を教えたくない。ごまかしてでも、そうしない。

 その理由は。

 知られたくないから、意外に思いつけない。少なくとも、俺の頭では。

 俺の言葉を聞いた神裂は、

「ッ! 貴方には関係の無い事です!」

 表情が変わったな。分かりやすく焦ってくれた。っつーことは、神裂がこうしてる理由は、俺に知られたくないことってことだ。

 何だ、俺に知られたくないことってのは……。しかも、今このタイミングってことは、やっぱりインデックスのことだよな。アイツもそう言ってるし。

「頼むよ神裂。俺たちは、何もこうして戦う必要はないはずだろ?」

「……少年」

「?」

 少年? 俺か? いや、確かに神裂より年下かもしれねえけど、わざわざ少年って言うほどじゃないだろ。つか、なんで俺を少年って呼んだ?

「私はまだ、魔法名を名乗ってすらいません」

「は?」

「名乗らせないで下さい」

「……なに?」

 なんか噛み合わねえな……。

「神裂。これ、一体どういう状況なんだ?」

「……七閃!」

「うわっ!!? っておい! 急に何すんだ!」

「はあああぁぁぁぁっ!!!」

 文句を言おうとした矢先。

 訳も分からぬまま、神裂の飛び蹴りが俺の顔の横にヒットした。

 俺は大きく吹っ飛ばされ、横たえる。

 平衡感覚が狂って立ち上がれない。

 なんで俺がこんな目に……。

 ああ、インデックスの『自動書記』が起動しちまったからか? それって俺のせいなのか? だったら、責任とるよ。右手で解決できるんなら、右手で解決するよ。

「――から。……だか、ら……」

 だから、

「ち、からに……なる、から……。はな、して………………く、れ……!」

 まだ終われない。

 まだだ。

 起きあがって、もっと、神裂と話さないと。

「本当に、貴方には驚かされます。まだ動けますか」

 神裂のすらっと伸びた足が見える。視界はぐらぐらしているけど。

 俺は、神裂の足に、無我夢中でしがみ付く。

「ッ! ちょ、ちょっと、どこを触っているのですか!!」

 頭に衝撃が走るが、これで倒れる訳にはいかない。

「話して……、くれ。頼む……」

「……、手荒い真似をしてすみません。これを飲めば、少しは楽になるはずです」

 朦朧とする意識の中で、俺の口の中に何かが入り込んだ。

 粉状で、しかし、口の中ですぐに溶けた。粉末だというのに、嘘のように消えていく。

「これは、インデックスの願いなんです」

「ね……が…………」

「はい。インデックスが望んだことです。ですが、この行動は、私が選んだ行動です。彼女はここまで望んでいないかもしれません。ですので、恨むのでしたら、私だけにして下さい」

 神裂の言葉の途中で俺は、

「……――」

 意識が、

 

 



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会議四

*会議 四*

 

「すみません。恩人である貴方にこんなことをしてしまって。もう聞こえていないでしょうけど、謝らせて下さい。本当に、申し訳ありませんでした」

 神裂火織は、足元に横たわる上条当麻を優しく動かした。

 彼は今、深い眠りに就いている。

 粉薬の入った小さなビニール袋をポケットにしまって、今度は上条当麻を抱きかかえる。いわゆる、お姫様だっこの状態だ。

 一般人では男と女で逆になるべき光景だが、聖人の彼女には、上条の身体は軽すぎるくらいであった。

「ねーちん、演技する気あったのかにゃー?」

 その後ろ姿に彼女の同僚が声をかけた。

「まったく。無理矢理にも程がある。そいつを殺したら悲しむのはあの子だよ」

 それも、二名。

 神裂は答えることも振り返りこともせず、一年前と同様、ボロアパートへと歩みを進めようとした。

 と。

「――確認させて下さい。彼は眠っているのですよね?」

 同僚二人とは違う、鈴転がしたような、それでいて機械音声のように平坦な口調で声をかける者が居た。

「……来ていたのですか、インデックス」

 神裂はようやく歩みを止めた。そこにインデックスがゆっくりとした歩きで近付く。いや、この場合はペンデックスと言うべきなのだろうか。

「――警告、第七章第三節。重要因子、上条当麻の生命活動、及び、健康状態を検証……成功。因子は現在、睡眠状態にあることが判明。左頬に打撲痕が見受けられますが、生命活動を脅かすことには繋がり得ないことが分かりました。頭内部の損傷具合を確認……成功。先の件にて増えた損傷は見受けられず――」

 まだまだ続きそうだった彼女の言葉に、神裂は食い込み気味に言葉を挟んだ。

「当たり前です。きちんと加減しました」

「……しかし、やり過ぎとも捉えられる行為でした」

「……反省は、してます」

 神裂はインデックスの指摘にしゅんとする。

 聖人のこういう姿を作れるものは少ない。

「ま、無事に眠ったんだからいいんじゃねーかにゃー」

「一応は『計画』通り、だしね。手段については大目にみてやっていいんじゃないかな」

 インデックスは小さな声で、そうですね、と呟いた。

「このまま彼が四日間眠り続ければ、『計画』は成功です」

 今日から四日目は七月二八日だ。

 去年のその日、インデックスは運命のサイクルから外れることができた。

 去年のその日、インデックスの放った竜王の殺息によって樹形図の設計者が破壊された。それに伴って、物語は加速した。

 去年のその日、上条当麻は一度目の死を迎えた。

「……ええ。今、私が飲ませた薬は四日間昏睡する程度の麻酔効果があるのでしょう? どうなのです、土御門」

 土御門はにやにやしながら。

「その通りだぜい。ま、本当は、それだけ飲ませればかみやんは眠れたんだけどにゃー。蹴っちまったからにゃー。もしかしたら、五日、あるいは一週間は目を覚まさないかもにゃー」

 腕を組み、いつもの調子で話す。

「僕としては一生起きないで欲しいところだけどね」 

 と、ステイルもいつもの調子で続ける。

 二人の言葉には、ピリピリとした空気は無かった。

 人よりも何十倍も何百倍も神経が立つ神裂には、その言葉はどう聞こえたのだろうか。

「……だそうです。安心して下さい、インデックス」

「五日以上眠り続けられるというのであれば、こちらとしても安心できます。皆さんのご協力に感謝します」

 インデックスはぺこりと頭を下げる。

 ステイルはむず痒そうにそっぽを向き、土御門はにゃーにゃー言いながら適当にあしらい、神裂は軽く会釈して返す。

 三者とも、それぞれの反応で彼女に応えた。

 そして神裂は、再びボロアパートへ向かう。

 これで、『計画』は終わりだ。

 後は時間だけが過ぎればいい。

 仕事を終えた必要悪の教会のメンバー達は、それぞれの向かうべき方向へと散って行った。

 

 



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行間六

*行間 六*

 

 私は長い螺旋階段を下っていた。

 真っ暗しかない空間をかなり歩いた先には、古い木の扉があり。その扉を開けると、そこは螺旋階段のある吹き抜けだった。

 螺旋階段は石壁に沿って作られていて、一見すると、石の壁から階段が生えているような光景だった。

 上を見上げても螺旋階段はどこまでも続き、下を覗いてみても螺旋階段は続いている。吹き抜けからは、太陽のような明かりが常に降り注ぎ、螺旋階段の奥底までに光を届けていた。眩しさに気を付けながら目を凝らしてみても、天井は見えない。空がある感じはないから、天井はあるのだろうけど、ここからでは確認できなかった。

 とてつもなく高いところから明かりが降り注いでいる。それだけしかわからない。どこから光が届いているのか分からないし、どこまで光が届いているのかもわからない。

 周囲の観察をしていると、『自動書記』と『彼』が私を手招きする。どうやら下に向かうらしい。

 そうしてどれくらい歩いただろうか。

 永遠と続く螺旋に、だんだん頭が混乱してきた。

 疲労という概念が無いので、肉体的には、体力はまだ残っているが、これは精神的に参る。

 それくらい歩いた頃。

 何の音もなく、前触れもなく。

 『自動書記』が消えたのだ。

 驚いた私が『彼』に尋ねても、「すぐに戻ってくる」の一点張り。『彼』はただひたすらに螺旋階段を下り続けていくのだった。

「ねぇ、いつまで下ればいいの? さすがに疲れたかも。『自動書記』はいつの間にか消えちゃってるし。引き返した方がいい気がするんだよ」

「もう少しだから我慢しろよな」

「本当? 信じるよ? この空腹をかけて信じるからね?」

「はいはい」

 再び螺旋階段を下る。

 ひたすらに下る。

 さらに下る。

 下る……。

 と、

「おし、着いたぞー」

 ようやく螺旋階段の終わりが見えた。

「な、長かったんだよ……目が回ってる……」

「おいおい、大丈夫かよ」

「全然大丈夫じゃないんだよ! 大体、お腹空かない感じがするからまだいいけど、そもそも私のお腹は空腹だったんだから! 体力が出なくて当然かも!」

「つってもなぁ。ここに食い物とかねーしなぁ」

 水の一杯でもあればなぁ、と彼が呟くと同時に、

「ただいま戻りました」

「わっ!」

 『自動書記』が戻ってきた。何の前触れもなく、音もなく。

「お、戻ってきたか。おかえり。ちょうど良かったんだけどさ、ここに飲み物とかあったりしねえよな?」

「ありません。諦めて下さい」

「そ、そんなぁ……」

 落ち込み項垂れる私を尻目に、『自動書記』は彼の名を呼ぶ。

「ん?」

「どこまで説明しましたか?」

「あー。ちょうど今ここに来たところだ。まだ何も話しちゃいねえよ」

「では、私の口から説明します」

「ま、その方がいいだろうな。頼む」

「禁書目録」

 呼ばれた私は『自動書記』の方を向く。やっぱり、彼女を見るのはどうも慣れない。自分と同じ動きをしない鏡を見ている気分だ。

「ここがどういう場所なのか。そもそも、なぜこのようなことが起きているのか。その説明をここでします。質問があるのなら、その都度、答えられる範囲で回答します」

「……分かったんだよ」

 私は項垂れながらも、気持ちを切り替えた。空腹も重要だけど、これも重要なことだ。

「では、まず」

 『自動書記』は数歩動き、石壁に手をつく。

 するとそこに、ここに入ってくる時に見た扉よりもさらに古めかしい木の扉が現れた。

「この先に何があると思いますか?」

「え? えっと……知らない場所だから、分かるわけないかも」

「この先には、『禁書目録』という名の所以が存在しています」

「……うん?」

「貴女は一〇万三〇〇〇冊の魔道書の原典を記憶しました。魔道図書館としてその役を果たし、一字一句違わず“それ”を保管しています」

「え、えっと。待って待って。それじゃあ……」

「この扉の向こうには、貴女が記憶した一〇万三〇〇〇冊の魔道書の原典があります」

「……」

 いきなり過ぎる。

 この扉の向こうに原典があります、と言われて、ああそうなんだ、で済ませられるわけがない。

 原典は二冊とない。ここがどこだかわからないけれど、『自動書記』の話しぶりからして、扉の向こうには一〇万三〇〇〇冊の原典があるようだ。

 原典は厳重に保管されるもの。仮に、「クロウリーの書」と「法の書」が一緒に保管されているとなると、それだけで厳重に張り巡らされた結界が破られるようなものだ。それでは済まないかもしれない。そんな存在が一〇万三〇〇〇冊。この扉の向こうがどうなっているのかは分からないけれど、部屋を分けて済むような問題じゃない。

「原典そのものがあるわけではありません。貴女の記憶です。貴女が記憶した原典は、こうして、扉の向こうに保存されているのです」

 原典そのものではなく、私の記憶がそこにあると『自動書記』はいう。たしかにそれなら……。でも。

「にわかに信じられないんだよ」

「では質問しますが、今の貴女に魔道書の記憶はありますか?」

「ふぇ? な、ない、けど……」

「普段ならば、必要な時に私がこの扉を開き、私が必要な知識を引き出し、私が貴女に提示しています」

「??? ご、ごめんね、ちょっと待って欲しいんだよ」

 ちんぷんかんぷん。もっと情報を細切れにしないと、整理できない。

「そもそも、ここはどういうところなの?」

「ここは貴女の記憶そのものです。正確には、その構造体。螺旋階段の上部には、日常生活などで記憶した情報が保管されています」

 ここは、私の記憶を保管しているところ、らしい。

「じゃあ、さっきの場所は?」

「あの場所の役割は、保管された記憶を引き出した際に生じる混乱を、ある程度までに鎮静するというものです。あの場所に記憶を保管する役はありません。また、引き出した記憶を貴女に提示する場所でもあります」

 さっきのところは、私が引き出した情報を整理しているところ、らしい。

 とりあえず、いったんここで確認してみる。

「私が見たり聞いたり知ったりした情報は、全部この螺旋階段付きの石の塔? の中に保存されていくのかな? それで、その情報を引き出した時に整理するのがさっきのところ?」

「おおよそ合っています。ただ、取得した情報が直接ここに来るわけではありません。一度、この場所の最上部にて仕分けます」

「さっきから気になってたんだけど、あなたがいろいろとしてるのかな?」

「そういう役も兼ねていますので」

 そうだったんだ。初耳。

「な、なんとなくわかってきたかも……。でも、魔道書の記憶がこの扉の向こうにあって、他の記憶が上にあるんだとしたら、今の私は記憶全部が抜け落ちてる状態になると思うんだけど……」

「必要な情報は既に引き出しており、貴女への提示も済ませています。貴女が起きる前のことです」

「……それって、つまり、今私が思い出してたりしてるのって……」

「私が事前に貴女に取り込ませた記憶です。魔道書の知識がないのは、私が貴女にこの情報を渡していないからです。ここから簡単に脱出されては困りますから」

 だんだんと靄が晴れてきたと思っていたら、なんだかキナ臭くなってきた。

 今の私にある「記憶」は、『自動書記』が事前に私に入れた「記憶」。取捨選択された「規制のかかった記憶」だということ。そして、魔道書の知識を持たせたくないのは、この場所から出したくないから。ということは、ここは魔術的な空間なのだろう。

「……ねぇ、どうしてそんなことするのかな?」

「それは、貴女を守護するためです」

「守護?」

「貴女の生命活動は現在、特別な異常は見受けられません。しかし、時間にして約一七〇時間程前より、精神活動への脅威を感知し始めました。兆候はそれ以前から確認できていましたが、より顕著になったのはその頃です」

「えーっと……? もう一回だけ、ちょっと整理させてね? んーと、私が居るここは、言うなれば私の中。私の中にあるはずの魔道書の知識がないのは、ここから出させないため。あなたから渡されていない情報もあるのは、そういう事情があるから。私がここに居るのは、あなたが一七〇時間位前に感じ取った精神攻撃への防御策。ってところかな?」

「おおよその認識は合っています。問題ありません」

「ふーん。ならさ、攻撃されても私が魔道書で対応する、とかはダメだったの?」

「……」

 なにかな、その沈黙は。そしてなんとなく『自動書記』の表情が「その手があったか」っていう風に見えるのは気のせいなのかな。

「はぁ……。ま、無理やりあなたが起きたわけでもなさそうだし、あなたが私を守ろうとしてやった事だから、文句は言えないんだけどね。それでも、魔道書以外の記憶は全部あってもよかったかも」

「貴女が必要と思うのならば、ここの上部へ行き、保管されている情報を渡します」

「ほんと?!」

「はい。では、付いて来て下さい」

「……ちょっと待って。付いて行かなきゃいけないの?」

「はい」

「な、なら、別にいいかも……」

 さすがにまたこの螺旋の景色の中を歩くのは辛い。

「ちなみに、ここに居る上条当麻は、貴女の記憶を元に形成された存在です。お察しの通り、魔術によるものです」

「そう、なんだ……」

 彼の方を見ると、

「もう説明終わったか?」

 彼は退屈そうに背筋を伸ばしていた。

「一通り終えました」

「そっか」

 この彼はそういう存在なんだな、とか私が思っていると、彼は私に近付く。

「んじゃ、こっからは俺が言うか。しばらくインデックスと俺は、この魔道図書館の中に隠れていなきゃいけないんだ。これは、『自動書記』が考えた、最も安全な方法らしい。ここは一つ、言う通りにするべきだと思う」

「え? だ、ダメだよ! あの子の言葉が本当なら、この先には魔道書があるんだよ!? 例え記憶でも、魔道書は魔道書なの! 私は大丈夫でも――」

「俺には右手があるだろ?」

「……でも、危険だよ」

「そんなに俺の右手、信用ないか?」

 そんなことはない。彼は上条当麻なのだから。右手一つで一〇万三〇〇〇冊の魔道書の原典を相手にしても、不思議となんとかなりそうな気がする。

 私の想いがぶつかっていると、背後から身体を押された。

「安心して下さい。貴女が開こうとしない限り、私が開こうとしない限り、魔道書は安全に保管されたままです。無理に探し、開こうとすると返り討ちにあってしまうかもしれませんが、それ以外なら、心配には及びません」

「……でも、やっぱり不安かも」

「ならば説明を変えます。上条当麻の右手に宿る『それ』も、再現済みです。魔道書“程度”が彼を食らうようなことはあり得ません。これでも心配ですか?」

 なら、もしかしたら、彼は一番安全かもしれない。けど、それとこれとは話しは別な気がする。

「こいつが考えてくれた、お前を守る方法なんだ。ここは素直にいうこときこうぜ?」

 結局私は、従うことにした。

 扉が開かれ、私と彼は中に入る。

 すぐに扉は閉まった。

 ドキドキしながら辺りを見回す。

 まず目に入ってきたのは、いくつも並んでいた背の高い木製の本棚だった。本棚にはびっしりと古めかしい背表紙の本が詰まっていて、おそらくそれが「私の記憶した魔道書の原典」なのだろう。冊数にして一〇万三〇〇〇冊。鎮座しているここが、魔道図書館。

 部屋の様子は、先程の石の塔(?)のように、天井が見えず、上からは白く柔らかい明かりが届いている。部屋の壁は……石のようだけど、継ぎ目が見当たらない。恐ろしく大きな岩の中をくり抜けば、このような部屋が作れるかもしれない。

 ざっと見渡して思ったことは。

「……案外、普通かも」

 



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会議五

*会議 五*

 

 神裂火織は上条当麻をボロアパートの一室へ運ぶと、すぐにその場を離れた。彼女は今、そのアパートを観察しやすいビルの屋上へと移動していた。

「……、」

 神裂の元へ、一つの足音が近付く。

「いやー。ねーちん、お疲れさんだにゃー」

「土御門……。何の用でしょうか」

「こっから見える夜景は格別だからにゃー」

「とぼけないでください。私に用があって、ここに来たのでしょう?」

「べっつにいいじゃねーかよー」

 彼はふざけた調子を少し崩し、ピリピリとした空気を出しながら、不敵な笑みを見せる。

「そんなに早く事を進めたいのか?」

「……なんの、ことでしょうか」

「おっと、ねーちんがあの粉を全部、かみやんに飲ませなかったっていうのは分かってるんだ。俺が気付かないとでも思ったか?」

「……」

「ステイルや禁書目録は気付いてないようだがな。ま、そっちはどうだっていい。俺は、そんなねーちんに一つお知らせしようと思っててな」

「言いたいことがあるのなら手早くお願いします」

「あの粉末にはな、」

 彼は左のポケットから白い粉が入った小さなビニール袋を取り出し、言う。

「五日以上も人を縛り付けるような、そんな強力な効果は元からない。まぁ、筋肉を動かす電気信号を混乱させるような“小さな”効果はあるが……せいぜい二日程度だな。もちろんこれは、袋の中身を全て使って得られる効果だ。それをねーちんは全て与えなかった。これがどういう意味か、もう分かるな?」

「……」

「かみやんが動けないのは、多くみても、せいぜい一日程度ってことだ。ま、その前に盛大に蹴り食らってるから、気絶から回復するまでどれくらいかかるかは分からんが」

「……それを私に言ったところで、何になるんです? 予定通りの行動をしなかった罰でも与えるのですか?」

「俺にそんな権限ねーぜよ」

 土御門は、張り詰めた空気を一瞬だけ緩めさせたが、すぐにさっきと同じ空気になる。

「問題は、計画が狂っちまった禁書目録……いや、ここは『自動書記』と言うべきか。そいつが、どんな行動を取るか、だ。清教側はなるべく穏便に片付けるように要求してる。学園都市側はなるべく損害を出さないようにときたもんだ。狂っちまったもんは仕方ない。ただ、『自動書記』が暴れることだけは、どっちも望んじゃいないってことだな」

「それは分かっています」

「分かっててさっきの行動を取ったんだったら、今俺が何を言いたいのかも分かるよな?」

「……、」

「あの『自動書記』は異常だ。プログラムは感情を持つことはない。なのに、今の『自動書記』はイギリス清教が施した術式の範疇を越えている」

 土御門は神裂に、握手をするような距離まで近寄った。

「禁書目録の変化を、学園都市はいち早く気付いた。俺は統括理事長の元へ呼び出され、そこでしばらく理事長サマとお話ししていたんだがな、そこに来客があったんだ」

「来客? ……ッ! まさか、その来客というのはッ!」

 土御門が笑う。

「察しが良くて助かる。イギリス清教、最大主教、ローラ=スチュアート。いやー俺も驚いた。あまりにも場違いな奴が来たからな」

「何のために……」

「そんなの決まってるだろ」

 土御門は、白い粉末の入った小さなビニール袋を左ポケットにしまい、今度は右ポケットから何かを取り出した。何かは白い筒状で、縁などに金の装飾が施されていた。何かはダイヤル式の鍵の様な仕掛けがあるようだった。

 何かは、第三次世界大戦時、上条当麻がベツレヘムの星で破壊した忌々しい霊装と酷似していた。

 彼は笑みを消し、それを神裂に差し出す。

 神裂はそれを見て、目を見開いた。

「禁書目録の制御。その命令を寄こすため。また、それに必要なこの霊装を運ぶため。といっても、移動術式を用いたと言っていたから、実際は扉をくぐった程度の距離だろうがな」

 その霊装を見つめながら、神裂は息を止める。

「良く分からんが、俺じゃあ無理だとさ。ステイルは論外とも言っていたな、あの女狐は。っつーわけで、必然的にねーちんが選ばれた訳だ」

「無理ですよ! 私にそれを扱えと!? 冗談じゃありません!!」

 土御門が一つ息を吐いてから、彼はぐいと霊装を神裂に押し付ける。

「『聖人』なら、神の右席レベル……とまでいくか分からんが、天使の力も扱える。俺達のトップは、俺たちじゃあできないことも『聖人』ならできると考えているんだろう。実際、清教内でねーちん並みに天使の力を扱える奴はいないしな。どこかの近衛侍女でもいいんだろうし、どこかの魔神になれなかったやつでもいいんだろうけど、あいにくとそっちは連絡が取れなかったらしい。王室の人間はイギリスを離れるわけにはいかない。他にも理由はあるぞ。言うか?」

「……失敗するかもしれませんよ」

「なに弱気になってるんだ。ねーちんは幸運の星の元に生まれてるんだろう? 神の加護ゆえの幸運とやらに」

「それは、そうですが……しかしこれは荷が重すぎます!」

「なら、」

 と、土御門は霊装をひっこめ、

「万が一の時は禁書目録がその牙を向く前に処分しろ」

 冷たく言い放つ。

「なっ……! 土御門、あなた、それがどういう意味か……!」

「分かってる。分かってるさ。だが、俺達のトップはそう判断した。クソッたれな命令だが、それでも俺は歯向かえない。俺たちは、歯向かえない。そうだろ?」

「くッ……!」

 神裂の握る拳に力が入る。

「そのためにも、なんとかしないといけないんだ。頼む」

「……ステイルは。ステイルは、この事を知っていますか?」

「ああ」

「それで、何と?」

「トップに文句を付けに行った。まぁ、命令は変わらんだろうが、あいつの気が済まんのだろうな。戻ってきたらあのアパート周囲五キロに人払いさせておく」

「……分かりました」

 神裂は霊装を受け取るために右手を伸ばした。

 その右手に、白い筒が乗せられる。

 瞬間、土御門は再び不敵な笑みを作った。空気はもう張り詰めていない。

「あーそうそう。失敗しても大丈夫だってクソどもが言ってたぜい。まったく、何が大丈夫なんだか。な?」

「……」

 何も言わぬ神裂に背を向け、土御門はその場から立ち去る。

 残るのは、神裂火織と、一つの霊装だけだった。



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第一一章

*第一一章*

 

 ゆっくりと。それこそ、歩くより遅い速度で。けれど、確実に。

 一度暗闇に沈みきった意識が、じわじわと浮かび上がって五感に行き亘り。

「……、ん…………」

 重かった瞼は、なんとか動いてくれた。

 ようやく夏の陽射しが強く刺激をしてくる。

「ま、眩しい……」

 起き上がろうとして、身体が上手く動かないことに気付いた。

 とりあえず、どうしてこうなったかを思い出す。

 ……神裂に蹴られたんだっけな、俺。

 なんでだ?

 ……ほんと、なんでだ?

 急に襲ってきて、理由を聞いたらインデックス絡みだってことが分かって、問いただしたけど結局何も分からないままで……。いや、一つ分かる。神裂が俺を襲った理由は、俺に知られたらまずいってことだ。

 一体なんだ、俺に知られたらまずいことってのは。

 インデックス関係……俺の記憶に関することか? いや、でも神裂は俺が記憶喪失ってのを知らないはずだし……。噂は出てるだろうけど。なんだったらステイルとか、それこそインデックスから聞いているかもしれないし。

 そこに俺が知っちゃまずいことなんてないはずだ。そもそもインデックスには、このことを話している。

 なんなんだ、俺が知ってはいけないことってのは。

 俺は右手に力を込めた。少しだけ動いた。まだ力は入らない。

 ……よし、とりあえず考えるのは後だ。

 今は俺がどういう状況にあるか、だ。

 首を動かしてみる。少し痛みがあったが、動いた。

 見慣れた室内だ。小萌先生のアパートか、ここ。

 インデックスは……いないか。さっきから静かだもんな。

 俺は布団に入ってるのか。少し動きがマシな右手だけでも布団から出せないだろうか。

「いッ、……ってて」

 どうやら、上手く体が動かせないだけみたいだ。

 右手を閉じたり開いたりしていると、少し感覚が戻ってきた。

 よし、これで起き上がれるだろうか。

 そう思ったのも束の間。

「起きましたか、上条当麻」

 俺を呼ぶ声が聞こえた。方向からして玄関の方か。鈍い身体をなんとか動かし、とりあえず上体だけを起こした。玄関の方を見ると、そこには。

 そこには……ッ!

「神裂ッ!」

「先刻の数々の無礼や非礼、重ねて詫びます。ですが、今は時間がありません。どうか、私の言葉の通りに動いて下さると助かります」

「何でこんなことを――」

「どうか、お願いします、上条当麻。あの子を……インデックスを、救わなければなりません」

 ――え? 今、なんだって? インデックスを救う? それはどういう意味でなんだ……?

「……インデックスは今どこにいる?」

「あの子は今、我ら天草式の人間が連れ出しています」

「救うっていうのは、一体どういう意味なんだ?」

「……全てをお話ししなければいけませんね」

 神裂は一度会釈すると、部屋に上がり、俺の横に正座する。

「まずはやはり、」

 

 

 

 神裂は子守唄を唄うように話してくれた。

 日付的にいえば、夏休みの始まる数日前から“それ”は忍び寄って来ていた。『自動書記』はそう判断した。

 このままでは“それ”がインデックスを精神的に苦しめ、後々悪影響を残してしまう。『自動書記』はそう判断した。

 夏休みの始まり……つまり七月二〇日から七月二八日の間に“それ”は存在感を強める。『自動書記』はそう判断した。

 最悪の事態を回避する最善の策は、七月二九日まで俺と禁書目録の距離を置く。『自動書記』は、そう導いた。

 そして。

 “それ”とは。

「『自動書記』が判断した、あの子の精神的苦痛の原因は……」

「……、」

「貴方、です」

 きっとこれは、「俺ってんなバカなー! あっははははは! んなわけないだろ? 他になんかあんだろーほれ言ってみろーい!」なんて反応をするべきなんだろうけど。

 俺は、納得してしまった。

 俺にとっての、インデックスにとっての、七月二〇日から七月二八日の間が何なのか。

 あいつに精神的苦痛を与えてしまう理由は何なのか。

「そうか。記憶を失う前の俺、か」

 ここまで俺は、静かに神裂の話しを聞いていた。パニックになってないところを見ると、案外受け止められているようだ。

 ショックはショックなんだろうけど。

 でも、俺があの日記憶を失ったこと。今までそれを黙っていたこと。

 この事を、インデックスが受け入れられない可能性を、俺は考えていなきゃいけなかったんだ。

 ベツレヘムの星で霊装越しにインデックスと話して、例えその場で許されたとしても。俺が学園都市に帰ってきたとしても。その後に、また色々と首を突っ込んでいいと言われたとしても。きちんと帰ってくればそれでいいと言われたとしても。

 その可能性を、もっと考えていなきゃいけなかったんだ。

「やはり、そうだったのですね」

「……神裂は、知らなかったか?」

「いえ……噂は聞いていました。ですが、その……やはり信じられませんよ。貴方があの子を救ったという記憶が……今まで誰もできなかった、地獄の連鎖から彼女を救ったという記憶が、ない、というのは……」

「アイツを救ったのは俺じゃないよ」

 そう言った途端、神裂は何か言おうとして俺に迫ったが、それよりも早く俺は言葉を続ける。

「アイツを救ったのはさ、やっぱり俺じゃない。じゃなきゃ、アイツが苦痛を感じるなんてないと思うよ」

「それは……違い、ますよ」

 神裂の否定は弱々しかった。

「俺はインデックスとどうやって出会ったのかとか、どうして救わなきゃいけなかったのかとか、どうやって救ったのかとかさ」

 夏なのに、背筋に鳥肌が浮いている。俺自身、怖がっているのかもしれない。ベツレヘムの星の時も怖かった。それと同じくらい、今も怖いのかもしれない。

 それでも俺は言葉を続ける。あの時がそうであったように。

「知らないんだ。忘れたとかそういう話じゃなくてさ。最初から、そこの記憶はないんだ」

「……、」

「前の俺はあの日、この俺と入れ替わったようなもんなんだよ。バトンタッチしたみたいにさ」

 俺は右手を見つめる。異能の力ならなんでも打ち消せる右手。作りだされた幻想を壊す右手。

 だけどそこには、現実を壊す力はない。

 俺が記憶を失ったという現実は、決して壊れない。

「お言葉ですが、」

「……ん?」

「貴方は貴方です。一年間、貴方と接してきて、私はそう思いました。記憶のあるなしで、『貴方』は揺らぐものではありません」

「……知ってるよ」

「上条当麻はこの一年間、間違いなく上条当麻でした」

 こういう言葉も、右手は壊せない。だから、神裂は言葉を続けられる。

「きっと、明日も、明後日も。次の一年も、その次の一年も。例え、再び記憶を失ったとしても。貴方が記憶を失くしたとしても、私達が覚えています。ずっと、ずっと、ずっと、持ち続けます。私達が出会う前の分の記憶は、それぞれの方が持っているはずです。絶対に、途切れたりしていないはずです。貴方はそういう人ですから」



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会議六

*会議 六*

 

 上条当麻が黙ったまま動かなくなった。

 神裂火織はその場に居辛くなったため、外に出た。彼女はそのまま、近くの公園へと向かうようだ。

 公園に着くと、彼女は見知った顔を見つけた。神裂はその人物に近付いて行く。

「いやー、ねーちんの説教、よかったぜよ」

「説教などと高尚なものではありませんが、それよりも……。聞いていたのですか、土御門。趣味が悪いですね」

「たまたま耳に入っちまっただけだにゃー」

 ほらよ、と土御門はペットボトル入りのお茶を神裂に投げて渡した。

「そこで買ったばっかりだからキンキンに冷えてるぜい」

「ありがとうございます」

「んー? 元気なさそうだけど、どうしたんだぜよ? 俺でよければ愚痴の捌け口になるぜい?」

 渡されたペットボトルを見つめながら、彼女は睫毛を伏せた。

「……、私では、ダメでした」

「ダメ?」

「聞いていたのなら分かるはずです」

「いやー、俺ってばバカだからにゃー。言われないと分かんねーんだぜい」

 伏せた睫毛を起こし、

「……彼を、救えませんでした」

 神裂は近くのベンチに腰を下ろした。七天七刀は膝の上に置いている。

 彼女の視線の先には、夏の日差しを平等に、全て受け止める地面があった。

「分かっていました。彼を救えるのは私ではなく、あの子だけなんだということは。ですが……」

 神裂のペットボトルを握る力が強くなり。水滴が彼女の手の甲を伝った。

「私は、私の信条に掛けて、あの場で彼を救おうとしました。無理と分かっていても、手を差し伸ばさねばと思い、行動しました。しかし、彼は私の手を掴まなかった。それどころか、見向きもされなかった。さすがに落ち込みます」

「まぁ、かみやんはあれでいて頑固なとこがあるからにゃー」

「……貴方は彼を救おうとは思わないんですか? 少なからず、貴方も彼の記憶の状況を聞いて、ショックを受けたのではないんですか?」

「それを聞くかにゃー?」

「私は貴方ではありませんから、言われなければ分かりませんよ」

 土御門は溜め息を一つ吐いた。呆れが含まれる溜め息だった。

「……ショックに決まってるだろ。短くても友達として過ごした時間はあったんだ。こう言ってしまえば変だが、俺にとっての『もう一つの癒し』だったんだよ、かみやんは」

「だったら……」

「だからと言って、俺は救おうとは思えない。かみやんはかみやんなりにケリを付けるはずだ。ケリを付けられるはずなんだ。アイツはそんなに弱い奴じゃない。そうだろ?」

「……、」

「仮に、救わなきゃいけなくなったとしてもだ。それはねーちんも分かってる通り、禁書目録の役目だ。俺達の役目じゃない」

 神裂達の役ではない。

「どんなに頑張っても、この問題を解決できるのは禁書目録以外の何者でもないんだ……クソッたれ」

 土御門なりに悔しがっているのだろう。僅かに歪ませた表情は神裂に悟られなかったが。

 その土御門の言葉を聞き、神裂は、ついに心臓まで黙らせたかのと言うほどに、ピクリとも動きもしなくなった。

 土御門はそんな神裂に向かって手を差し伸べた。表情は既に、不敵な笑みに変わっている。

「だから、俺達ができることは他にあるんじゃねーかにゃー?」

 神裂は彼の手を見て、ピクリと動く。そのまま、顔を上げ、土御門を見た。

「かみやんを舞台に上げるお膳立て。これくらいはできるだろ、ねーちん。できねーとは言わせねーぜよ」

「……ええ。しますとも」

 彼女は手を取り、立ち上がる。もはや、それは聖人の所作だった。たったそれだけの動きでさえ、聖人の匂いがある。

「まずは、あの子と話しを付けないといけませんね」

「にゃー。その次は、かみやんと禁書目録を合わせる」

「万が一に備えて、私も同席します」

「それがいいぜよ。例の霊装もあるわけだし」

「これはあくまで、最後の手段です」

「最後の手段は始末じゃねーかにゃー?」

「……それも、最後の手段です」

 僅かに俯いた彼女の表情には決意が表れている。彼女も必要悪の教会の人間なのだから。

「では、」

 神裂火織は、通信用霊装で天草式と連絡を取り始める。

「皆さん、聞こえますか?」

『はい。よく聞こえています、女教皇様』

 五和と呼ばれる少女の声が聞こえた。

「これから一つの命を与えます。あの子を、禁書目録を、私の今いる場所に連れて来て下さい」

『了解しました』

 牛深と呼ばれる頼もしそうな男の声が聞こえた。

「場所は分かりますか?」

『把握しております』

 諫早と呼ばれる初老の男の声が聞こえた。

『あのアパートの近くの公園っすよね? 俺はこっからでも見えてますよ、女教皇様。道順は俺がナビゲートするっす』

 香焼と呼ばれる少年の声が聞こえた。

『こちら、禁書目録同行班。現在、そちらから約五〇〇メートル離れた場所にて……』

 野母崎と呼ばれる若い男の声が聞こえた。が、言葉の途中で途切れる。

「? どうしましたか?」

『対馬、これ、言ってもいいか?』

『別にいいでしょ。えーっと、こちら禁書目録同行班。現在、禁書目録はそちらから約五〇〇メートル離れた場所で、猫に餌を与えています』

 対馬と呼ばれる女性の声が聞こえてきた。

「そう、ですか……あの、連れてくる際に注意事項があります」『なんでしょうか?』

 浦上と呼ばれる少女の声が聞こえた。

「万が一、ですが、あの子が攻撃してくるかもしれません。その時は、」

『お言葉だけどな、女教皇様』

 建宮と呼ばれる元教皇代理の声が、神裂の声を遮った。

『俺たちは与えられた命を途中で投げるようなことは絶対にしないのよな。それは女教皇様も存じ上げていると思うのよ』

「ですが……やはり今のあの子は危険です」

『我ら天草式は……女教皇様が作り上げてきた“我ら天草式”は、それほどまでに弱い組織じゃねえのよな』

「しかし……」

『ま、強がってる訳でもねえのよ。危なくなったらきちんと引くから、女教皇様のご心配には及ばないのよ』

「……では、お願いします」

『『了解!』』

 現在学園都市に居る天草式総勢五二人の声が、勢いよく重なった。

「ねーちんはホント、良い仲間をお持ちだぜよ」

「本当に……まぁ、無茶をしがちですけれどね」

 神裂には先程のような落ち込んだ様子は、もう欠片もなかった。

「んじゃ俺は俺の仕事でもするかにゃー。あ、そうそう。一応、億が一の可能性も心しておいた方がいいかもしれないぜい?」

 神裂はあえて深く聞き込まず、土御門が離れて行くのを黙って見続ける。

 土御門が視界から消えようとした時、神裂は小さく気合を入れた。

 ここからが神裂ら、必要悪の教会の正念場だ。

 



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行間七

*行間 七*

 

 魔道図書館内で、私と彼はすることもなく。いつからそこにあったのかもわからないような椅子に、腰かけていた。荘厳に並ぶ本棚を前にして、私の身体の右側は彼の体温を感じていた。

「しかし待つだけっつーのも、退屈だよな」

「うん」

「ここに漫画とかがあれば暇つぶしにもなるんだろうけど」

「さすがにそれはないかも……あるとしたら、上、かな? よく分からないから何とも言えないんだけどね」

 世間話のようなものが交わされる。

 ふと、彼の表情が気になって、そちらを見てみた。

 彼の横顔には、細かい傷跡がいくつも浮かんでいる。

 あの日のままの彼であるということは、その内のいくつかの傷は私のせいで付いたものだろう。

 付かなくても済んだ、などとは思えない。

 彼のことだ。

 私が関わらずとも、彼は彼なりに人を助けるために傷を負い、そして人の笑顔を作っていくのだと思う。

 ……私の心のどこかで、そうならなくて良かったと思っている私がいる。醜い。

「……なぁ、インデックス」

 私の心を知ってか知らずか、彼は私の方を見ずに話しかけてくる。

「お前はさ、今のこの状況、素直に受け入れられたのか?」

「……正直、難しいんだよ。急に『ここは私の中です』って言われてもね」

「そっか。そりゃそうだよな」

「でも、目の前に魔道書はあるし……納得出来ちゃうのも本当なんだよ?」

「じゃあさ」

 彼は私の方を見て、微笑んでいた。

「俺のことは?」

 俺のことは受け入れられる? と彼は聞いて来る。

 ここに居るのは間違いなく『あの日の彼』だ。

 それ以外ではない。『今のとうま』では、ない。

「……認める認めない、受け入れる受け入れないは別にしてだけど。私を助けてくれた『彼』だっていうことは間違いないみたいだね」

 私の言葉は、残酷な意味が含まれるものだった。酷いことを言ったという自覚はある。

「そっか」

 それでも彼は、ただそれだけを小さく呟くだけだった。

 彼は自分の右手に視線を動かした。

「俺の右手、お前も分かってると思うけどさ、どんな幻想も打ち消しちまうだろ? でも、こうしてここに俺が居るってことは、もしかしたら俺は幻想じゃないんじゃないかって思うんだ」

「それは……そうなの?」

 黙る。長い沈黙だった。

「……ぷっ、あっははははは!」

 それを破ったのは彼の楽しそうな笑い声だった。

「え? えっ?」

「どうなんだろーな。実際はさ、俺自身はこの世界で作られた偽物っていうのは分かってるんだ。紛れもない幻想だってことも分かってる」

「それって……」

「でもってさ。『俺』がお前にとって、いい存在じゃないってのも分かってるんだ。だから、さっきから何度も右手で身体を触れてるんだけどさ、消えねえんだよ」

「……」

 そういう挙動をしているだなんて、気付かなかった。

「『俺』が居たらお前が苦しむってのは知ってるんだ。インデックスが居る世界では、『アイツ』こそが『俺』なんだしな」

 彼から笑みが消える。そこに代わりの表情は浮かばない。

「と――、」

 彼から笑みが消えたことが不安になって、私は慌てて名を予防とする。

 が、

「ちょっと待った、インデックス。その名前で俺を呼ぶな。その名前で呼ぶべきなのは、『俺』じゃなくて、あの日より後を生きた『俺』であるべきなんだ」

 遅かった。

「で、でもっ!」

「インデックス」

 私を落ち着かせるように、優しく、彼は私の名を呼ぶ。

「……なに?」

「ごめんな」

 なんで謝られたのか、私には分からない。

 私の方が謝るべきなのに。

 彼を追い出してしまったのは、私のいる世界から追い出してしまったのは、私なのに。

「俺は、お前を心の底から信じてるんだ。ま、俺に心なんてのがあるかは分からねえけど……難しいことはいいんだ。俺は信じてる。インデックスなら、どんな壁が迫って来ても、どんな障害が迫って来ても、絶対に乗り越えられるって信じてるよ」

「どういう、意味なのかな?」

 私が説明を求めようとした時、魔道図書館内の空気が激変した。具体的にいえば、天井から光が降り注がなくなり、突如として夜が訪れたような雰囲気だ。

 そして館内では、本が不気味な光を帯びながら、こちらを見るように何冊も浮かんでいた。

 私達は本能的に立ち上がる。彼の視線も、不気味な本たちに向かっていた。

「……インデックス、今すぐここから出ろ」

「え? え??」

「いいから早くッ!」

 彼の叫びを合図に、本は一斉に開かれ、さまざまな魔法陣が浮かび上がる。

 左には槍、右には砲弾、正面には剣が三本、上には太陽のように眩しい青い光。

 それらは明らかな攻撃態勢で佇んでいた。

 槍と剣の間には炎が煌めき。剣と砲弾の間には氷が重なっていく。

 魔道書の知識がない私には、それらが何なのか分からない。魔術だと言うことは分かるけど。

「標的は俺だけのはずだ! だから、巻き込まれないように、この部屋から早く出ろ!」

「でもじゃあ、『あなた』は――!?」

 多数の本と向き合っていた彼は、顔だけ振り向き、私を見た。

 その目にはやっぱり見覚えがあって。

 目の前の「上条当麻」は、私を守るために右手を握り締めていて。

 その彼の口から聞こえた言葉は。

「俺は大丈夫だ。なんたった、『俺』なんだから。安心してくれ、インデックス。全部残らず、一つ残らずぶっ飛ばすからさ。だから、向こうで待ってる『俺』に、早く会いに行ってくれ」

 いつか私に囁いてくれたような、暖かい言葉だった。

 ここにある全ての魔術を処理するだなんて無謀としか思えない。今、魔術の知識が無い私でも、それが無理なことくらい分かる。

 けれど『彼』には、そんなの関係ないのだろう。

 たとえ無謀でも。たとえ無理でも。

 立ち向かうだけの理由さえあれば、『彼』は動こうと思える。

 そこで私は気付いた。

 『彼』は、『今のとうま』と同じ、「上条当麻」なのだと。

 遅すぎたかもしれない。もっと早く、そこに辿りつけたかもしれない。

 それでも私はようやくその認識になって。

 初めて、『彼』の名を呼んだ。 

「とうまっ!!」

 とうまは少し驚いたような表情を作った後、微笑み、すぐに真面目な表情になる。

「……早く行け、インデックス。でないと巻き込まれ――」

 刹那。とうまの言葉を塞ぐように、轟音が鳴り渡った。

 



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後押しするのは誰の言葉か

*後押しするのは誰の言葉か*

 

 柄にもなく泣いていたらしい。

 正直、忘れ去りたい。

 神裂の目の前で泣いた事実なんて。……誰にも気付かれてねえだろうな?

「かーみやーん! 男泣きは終わったかにゃー?」

 気付かれてた。終わった。

「なんでお前がここにいんだよ、土御門! んで、なんでそのこと知ってるんだオイ! せっかく忘れようとしてたのに!!」

「とある気に食わねえクソ野郎の言葉を借りるなら、俺はどこにでも居て、どこにでも居ないんだぜい? ほら、今もかみやんの後ろにいるじゃにゃーか」

「堂々と嘘付くなよ! 目の前にいんじゃねえか!! チクショウ、なんだってあんな姿を友達に見られなくちゃいけねえんだよ!」

 よりによって土御門にさっきのことを知られるなんて。クソッ。最悪だ。不幸じゃなくて、最悪だ!

「かみやん」

「なんだよ!!」

「落ち着け落ち着け。誰にも言わねーから安心しろよ。それよりも、なるべく動きは早い方がいいと思うんだぜい?」

「……動き? 早い方がいい? まさかお前も神裂とグルなのか?」

「グルって言い方はないぜよ。俺は多重スパイだぜい? ある時はねーちんと同じ立場に、またある時はかみやんと同じ立場に立つんだにゃー。あっはははははは!!」

 土御門は高笑いをする。一体何がおもしろいんだ……。

「んで、本題なんだけどにゃー」

「お、おう」

「俺はかみやんに一つ聞きたいんだぜい」

「なんだ?」

 土御門は、不敵な笑みを消さずに、俺をしっかりと見てきた。その目には、ふざけた空気など一切ない。

「なぁ、かみやんは、禁書目録を助けたいと思うか?」

「……なんだ、そのことか。もちろん助けたい。けど、今の俺はアイツにとっての苦痛そのものなんだろ? だったら」

「はっはっはー。――だったら、なんだ?」

「……、」

「おいおい。俺の記憶が正しければ、俺自身が満身創痍だったとはいえ、かみやんは俺に勝ったこともあった気がするんだが……そんなに強い“上条当麻”はどこに行っちまったんだ? 記憶のあるなし“程度”でかみやんは弱くなっちまうのか? 冗談じゃない」

 言葉がでない。

「助けたいのか、助けたくないのか。この問答もどっかの誰かがしてると思うんだが、これの答えも“まだ”出てないのか? 『上条当麻』が聞いて呆れるな。そんなに遅いと、何もかも手遅れになるぞ」

 土御門の言葉が止まる。おそらく俺の言葉を待ってるんだろう。俺は足りない頭で精一杯の言葉を探し、口に出す。

「……助けたいに、決まってるだろ。けど、俺が今下手に動くより、俺がここでじっとしてた方が」

 せっかく出た言葉は、土御門によって遮られる。

「ん? てめえは『誰』だ? 俺は『上条当麻』と話していたんだぞ? こんな時にそんな冗談を言うようなやつと話してるつもりはなかったんだが……」

 一体何を言ってんだ、こいつは。

「俺は冗談なんか言ってるわけじゃ――」

 突如として、俺は天井を見上げる。仰向けになったようだ。さらに一拍置いて、土御門の蹴りが容赦なく俺の顔面を捉えたんだと分かった。声にならない激痛が顔面を走る。

 悶える俺を尻目に、土御門は話し続けた。

「おい“偽物”、いい加減にしろ。どんな理由があろうと、どんな状況だろうと、そこから逆転できる一手をギリギリで手繰り寄せられる“本物”はどこだ? 誰もが笑って誰もが望む最っ高に最っ高な幸福な結末(ハッピーエンド)ってヤツを手繰り寄せられる“本物”はどこなんだ? お前の右手は、絶望の淵から、地獄の底から掬い上げるために付いていたんじゃないのか? 答えろよ、“偽物”!」

 偽物……俺は、偽物なのだろうか。

 あの日から俺を演じ始めて、約一年。

 色々あった。普通の人生だとは言えない位に、色々あった。

 けれど、この一年、俺は完璧に演じてきたのか?

 色々あった中で、演じながら過ごした時間はどれだけなんだ?

 数々の幻想を殺してきたきた俺は、前の俺を演じてやっていたことなのか?

 ……違う。

 絶対に、違う。

 確かに演じたこともあった。

 確かに記憶がないのをばれないようにして過ごした日々はあった。

 だが、違う。

 俺が演じようなんて思えないくらいに余裕がない時でだって、俺は『俺』だったはずだ。

 そして、今も。

 俺は『上条当麻』のはずだ。

「……せえよ」

 鼻血が出ていてもおかしくない蹴りだったが、幸い、出ていないようだ。っていうのは俺が上体を起こそうとして気付いたことだ。

 身体にムチを打って、俺はさらに立ち上がろうとする。

 ふらつく膝を無視して、力の入らない筋肉なんてどうでもよくて、足の裏から伝わる感覚もまばらなのも気にしないで。

 『俺』は、ようやく立ち上がる。

「うる、せえよ! 偽物だとか本物だとか。俺は『俺』なんだよ! 例え偽物だろうと、『俺』は行くに決まってんだろ!!!」

「おーおー、ようやく『上条当麻』らしくなったな。でもまだだ。まだ『お前』は『上条当麻』に辿り着けてない」

「ふざけんな!! 『俺』が『上条当麻』かどうかなんてのはどうだっていいっつってんだろ!! 俺は、インデックスを助けたい!! ただそれだけだ!! 教えろ土御門! アイツは今、どこに居て、どんな風に危険なんだ!!」

 土御門はふぅ、と息を吐き、にこりと笑った。

「ようやくだな……よく聞けかみやん。禁書目録は今、この近くの公園に居るはずだ。そこで神裂と“お話”してると思う。だが、ただのお話じゃないのは、言うまでもないな? 今の禁書目録は魔神と言える状態だ。もちろん、清教側は、そんな“道具”を必要としていない。つまりだ……お? 全部言わなくても分かってそうな顔だな」

「ふっざっけんなッ! 神裂はなんでそんなのに従ってるんだよ!!」

「そりゃねーちんは必要悪の教会の人間だからな」

 ならまずは神裂を止める必要がある。

 俺はついさっき立ちあがれた足を、玄関の方に向けた。

 直後だった。

 近くで爆発が起きたような音がやってきた。

 この状況で今の音は、悪いイメージを先行させる。

 土御門も同様の心境のようで、さらに真剣な表情を浮かべていた。

「ッ! おいかみやん。なんとしてでも止めろ。絶対に止めろ。いいか?!」

「言われなくても!!」

 俺は靴も履かずに、無我夢中で近くの公園へと向かった。

 そこには。



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自動書記

*自動書記*

 

「お呼びでしょうか、神裂火織」

「はい、呼びましたよ。『自動書記』」

 神裂と『自動書記』は、小さな公園の中心で対峙した。先程まで一緒にいた土御門は今現在、上条の元へ行き、ここへ連れてくる説得を行っているはずだ。

「聞きたいことがあります」

「私で答えられるものなら回答します」

 神裂の表情は険しく、『自動書記』の表情は相変わらず“無”であった。

「あなたはなぜ、起動したのですか?」

「そちらの質問は既に回答済みです」

「ええ。あの子を守るため、ですね」

 『自動書記』は小さくうなずく。

「一体、何から守ろうとしたのですか?」

「その質問も、既に回答済みです」

「ええ、そうです。彼、ですね」

 再び小さく、頷く。

「では、」

 神裂は、万が一に備え、七天七刀に手をかけた。これからする質問は、万が一の可能性を引き寄せる質問だからだ。

「なぜ、彼があの子にとって苦痛になると思ったのですか?」

「そちらも回答済みです」

「私たちが貰った答えではない答えを聞かせて下さい」

「……私に理解できるよう、お願いします」

「では聞き方を変えます。『あなたはどうして、あの子を信じてあげられなかったのですか?』。ここまで言えば、理解できますね?」

「……」

 無表情のはずの『自動書記』の表情が、僅かに曇る。神裂はその気配を感じ取った。

「あなたが彼女を信じられれば、あなたは起動しなくても良かったはずです」

「私の起動が、無意味だと言いたいのですか?」

「いえ。ですが……」

 神裂は、いつでも抜刀できるように、自分の筋肉の動きに神経を集中させる。

「必要があったとは思えません」

「私は彼女の防御プログラムです。信じるなどの感情は持ち合わせていません」

「申し訳ありませんが、私にはとてもそうは思えません」

「……」

「私達はいまだに『自動書記』という術式がどういうものなのかを把握していない節があります。あなたの言う通り、あなたに完全な感情を求めるのは間違っているのでしょう。しかし、逆にいえば……不完全な感情ならば、あなたに求めるのも、あながち間違っていないということになりませんか?」

「それは屁理屈というものであると断言します」

「そういう反応も、私には裏付けになるのですよ。『あの子を守るためのプログラム』だというのなら、今の私の言葉に反応する必要はなかったはずです」

「……」

「まだ遅くありません。お願いします。どうか、あの子を信じて――」

 しかし、神裂の願いは届かない。

「――警告。第二章第九節。強力な敵性因子を感知しました。排除に有効な環境を作り上げるため、一〇万三〇〇〇冊を参照……新たな術式を組上げることに成功しました。命名『ミズガルズの書庫』。完全発動まで三、二、一、――発動」

「ッ!」

 とっさに神裂は身構えるが、なにも起きない。

 彼女には、ミズガルズという単語には聞き覚えがあったが、どうも符号が合致しないようだった。

 北欧神話における、人が住まう世界、つまりこの世が『ミズガルズ』。それは死の概念から逃れることのできない世界だ。妖精や巨人が残し得なかった「知識」を残し続ける世界、とも捉えられる。

 その名を冠している以上、今発動した魔術に関連があるはずだ、と神裂は予想する。

 神裂は知り得ないが、この時、魔道図書館内では『あの日の上条当麻』が免れられない死に、『人々が考え、作り、蓄えた知識』に、囲まれていた。

 神裂があれこれと予想している間に、再び声が聞こえる。

「――警告。第三章第一〇節。新たな敵性因子を確認しました。記憶の検索と照合を開始……因子を神裂火織と判断しました。これより敵性因子排除のために有効な術式を構築……成功。外部環境への影響を最小限に抑えるために結界を展開。『バベルの天頂』、完全発動まで四〇……」

 先程は北欧神話の単語。今度は旧約聖書に登場するバベルときた。

 バベルの塔。人が神の位へ到達しようと建設し始めた巨大な塔。しかしその天頂部は、伝説だろうとなんだろうと、存在しない。塔は完成しなかったのだ。

 だが。

 仮に、完成していたとしたら。

 バベルの塔は天上へと通じる橋となり。その最上部は、天上、つまり「天界」ということになる。

 ここから予想されることは。

「――自らを天使の位へと昇華させる気ですか!? 天使の位へと昇華しやすくするために、ここを天界と同等の環境に整えると、そう思ってるんですか!?」

 神裂火織という「聖人」に対抗するために、禁書目録は人から「天使」になろうとしているということ。

 天使の力の一端を体に流し込み、聖人としての力を発揮する神裂では、天使には到底叶わない。そう見込んで発動しようとしている魔術。魔道書の知識を用いて導いた、聖人に対抗する手段の中の一つ。

 神裂は思う。

 それ以前の問題だ。

 人が天使になれるわけがない。天使と人は相容れる存在ではないのだから。

 以前、御使堕しでは人の体に天使が降りたが、あれは例外中の例外だ。その時は天使を降ろされた人の体に、“偶然”にもその適性があっただけだ。

 適性のない人が天使へと位を変えること、それだけで人体が破裂しかねない。そうならなかったとしても、セフィロトの樹の概念を崩すことに繋がる。

 新約の『最後の審判』ではあらかじめ裁かれる魂の数が決まっている。つまり、既に、天界を含めたすべての界では、それぞれの役が決まっている状態なのだ。他の誰かが新たな役を冠することはできない。すでにある役を、誰かが横取りすることなど許されることではない。

 結論。

 それを無理やり魔術で行うということは、どういうことか。

 神裂火織に抗うために、天使になろうとするということは、一体どういうことなのか。

「Salvere000ッ! 私の魔法名に掛けて、」

 天界からは蹴落とされるだろう。

 これはもちろん比喩だ。

 実際は、もっと酷い状況になるはずだ。

 愚かな人間を、天界の住人がどう扱うのか。

 伝説において。バベルの塔を建設しようとした人間は、どうなってしまったのか。

 神裂は戸惑うことなく、七天七刀を抜刀する。

 その刃には一つの想いが宿っていた。

「いえ、貴女の親友として!! 必ず、貴女を止めますッ!」

 握る刀を返し、峰を『自動書記』に向けて、神速の踏み込み、彼女の間合いに入る。

 しかし、

「――警告、」

 神裂は動きを止められた。

 目にも止まらぬ速さで近付いたというのに。まるで体が空気諸共固められたように、唐突に、速さが零になる。

 今まさに飛び付き、刀を振るうという姿勢のまま、神裂は固定される。

「第九章第一〇節。因子の高速接近を感知したため、防御・拘束術式を構築、行使しました」

 聖人の速さは、魔神にとってなんの障害にもならなかった。

 『自動書記』は神裂の接近を感知した直後に適切な術式を組み上げ、発動させたのだ。

 神裂でさえ、この一連の流れを結果で知ることしかできなかったというのに。

 これが、魔神。

 これが、一〇万三〇〇〇冊を持つ魔道図書館の本領。

「――警告。第一章第六節。継続詠唱していた『バベルの天頂』の詠唱が完了しました」

「……ッ!!?」

「完全発動します」

 一気に小さな公園が、白色とも金色とも言えない光を放ち始める。

 瞬間。

 轟音と共に、景色に変化が起きた。

 先程まで、公園の周りは相も変わらず学園都市だった。

 それが今、上空に居るような景色に変わったのだ。ここまでくると、公園の遊具が異常に見えてくる。

 神裂は光景の中心にいて、思う。

 小さな公園は、天界へと到達されてしまったのだ。

 ――警告。第一一章第一一節。天界への接続を確認しました。順次、天使への昇華を実行します。術式を構築……失敗。代替案として、天使化への可能性を最も含む術式の構築を開始……成功。

 ――待って下さい!

 天界への接続。天使への昇華。失敗。代替案。可能性を最も含む。

 神裂の“頭”に直接、『自動書記』の声が響いていた。声が声として現象化しなかった、と言うことなのだろうか。いずれにせよ、彼女に届いて来るのは、不安をさらに駆り立てる言葉ばかりだった。

 ――詠唱を開始します。

 ――ま、て……。

 ここは人間界と天界を無理やり繋いだ場所だ。天界では人間界の既存の物理法則など通用しないのだろう。神裂は、『自動書記』に魔術的拘束をされながらも、浮遊感に苛まれているのだし。

 といっても、ここが完全なる天界だとも言えない。この場所は先程まで公園だったのだ。公園……人間界の風景は、周りの景色と共に存在することで「安定化」を強めていた。しかし今は、天界の中に存在している。安定は崩れ、公園は不安定に揺らいでしまっている。

 そしてその中で、さらに不安定な術式を発動すると、『自動書記』は判断したのだ。

 なぜ、『自動書記』はそこまでして神裂と対抗しようとするのか。

 神裂は疑問と同時に悔しい気持ちを浮かべる。

 あの子を傷つけようなどと、思っていないというのに。

 あの子が危険なことをしないようにと、願っているだけなのに。

 危険なことをしようとしてるあの子を、ただ止めようとしているだけなのに。

 私には無理なのだろうか。

 どうにかして、逆転の一手を掴めないのだろうか。

 しかし。

 冷静に考えているような余裕は、もうなかった。

 ――命名『御使の生誕』。完全発動まで六〇秒……。

 ――待てええええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!

 神裂は全力で叫んだが、やはり声にはならなかった。

 声すらも出せない。

 声すらも、届けられない。

 天界なんていう、一部の人間が聞いて素で喜ぶような場所だというのに。

 彼女がしようとしている天使化の術式も、一部の人間が聞けば咽喉から手が出る程の術式だというのに。

 それらには希望もクソもあったもんではなかった。

 そう、“ここには”。

 こんなふざけた幻想を粉々に壊す存在は、『ここ』ではなく、『外』に居る。

 



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第一二章

*第一二章*

 

 俺は走る。たった数分だけだったが、何時間にも感じられた。

 ようやく公園がある場所に来れたと思ったら、そこには遥か上空へと伸びる光しかなかった。

 眩し過ぎる光だが、それは俺の記憶の中にある嫌な部分にリンクする。フィアンマが呼び出した(?)黄金の天空と同じ雰囲気だ。

「なんだ、これ……」

「……かみやん。こりゃ俺の専門外だが、一目で分かる。模してる伝承は『バベルの塔』だ」

「『バベルの塔』? あの、天国だかなんだかに登るために建てたっていうやつか?」

「まぁそんなもんだ。まるっきり同じもんとは思えんが……簡単に言えば、魔術版宇宙エレベーターってところか。行き先は天界ってな具合だろう」

 右手を見つめ、開いたり閉じたりして意を決する。

「俺はどうしたらいい?」

「簡単だ。あの光に右手を触れさせればいい」

「分かった!」

 俺は戸惑うことなく右手で光の柱を殴りつける。

 幻想殺しが何かを打ち消した感触が伝わってきた。

「これで! ……っておい、ちょっと待て」

 消えて行く光を眺めていたが、そこに公園はなく、抉れた地面が見えただけだった。

「本当にここなのか、土御門」

「上を見ろ、かみやん」

 上?

「……な、なあ、あの落ちて来てるように見えるあれってまさか」

「ここにあったもんだろうな。離れるぞかみやん!」

「え!? お、おい! インデックスと神裂がいるんだろ!? 大丈夫なのか!?」

「魔神と聖人は、宇宙からパラシュート無しのスカイダイビングをしたって普通に着地できるようなやつらだ! それより巻き込まれるぞ!」

 慌てて俺と土御門はその場から離れる。

 直後、衛星砲を発射されたような衝撃が訪れ、一呼吸置いてすさまじい破壊音が襲ってきた。いや、衛星砲なんて知らないけど。

 轟音と衝撃の後に、これまた大量の粉塵が立ち込める。

 だが、粉塵は一瞬で晴れた。

 まるで、何かが吹き飛ばしたように。何かが突風を吹かせたように。

 その中心に居るのは……!

「インデックス!」

 辺り一帯が廃墟と化したような状況の中、俺は公園だった場所に佇むインデックスを見つけ、呼びかける。

「――警告。第三章第二節。『バベルの天頂』と結界の全破壊を確認しました。術式の逆算……失敗。記憶の検索、照合……成功。経験により、『幻想殺し』によるものと断定しました」

 あれは……あれは、なんだ。

 口調はもちろん知ってる。

 イギリスのクーデター未遂直後で、聞いたことがある。ベツレヘムの星でも、聞いたことがある。

 けれど、なんだ、これは。

 クーデター未遂直後、俺はこれに近いものを感じ取っている。。フィアンマの操作する霊装によって操られたインデックスを見た時に、感じ取っている。

 でも、違う。それとはまた、違う。

 なんなんだ、この感覚は。

 俺はこんなの知らないはずだ。

 『俺』は、これを覚えている。

「上条当麻!!」

 思考の海に沈んだ直後、俺の名を聞きなれた声が呼んだ。

「ッ! 神裂!!」

 神裂は不自然な体制のまま止まっていた。まるで、今まさに切りつけようとしていたのに、そのまま固定されたような。

「今そっちに!」

「必要ありません! それよりも――」

 神裂の叫びを遮るように、インデックスの声が聞こえてきた。

「――警告。第三章第三節。環境内にて『上条当麻』の存在を確認しました。一〇万三〇〇〇冊の魔道書を用い、最も有効な攻性魔術を構築……成功。これより、環境内における最も危険な因子、『上条当麻』の排除を最優先とします」

 雰囲気が一変した。

 鞘に収まっていた日本刀が、瞬時に、抜き身になったような空気だった。

 今まで対峙してきた存在のどれよりも、威圧的で。

 今まで対峙してきた存在のどれよりも、神秘的で。

 今まで対峙してきた存在のどれよりも、絶望的で。

 魔神――インデックス――は、その牙を向いた。

「クソッ!」

 悠長に話しているほどゆっくりはできそうになかった。

 俺はとにかくインデックスの元へ向かう。

 たったの三〇メートル強程度の距離。

 すぐに辿り着けると思っていた。

 甘かった。

「――警告。『上条当麻』の接近速度の上昇を確認しました。下級魔術による牽制を行います。詠唱開始、」

 下級魔術については、俺も何度か経験がある。何も、魔術師全てが強大な力ばかりを持っている訳ではない。中には知恵と経験だけで強大な力を補い、誰でも扱えるような魔術で戦うという戦法の奴もいた。

 それに、今インデックスが呟いている詠唱は、聞いたことがある。体験している。

 だから油断したのかもしれない。

 いや、対処の仕方も一つに絞っていたわけではない。つまり、油断なんてしていなかった。

 なのに、インデックスの詠唱が終わると同時に、とてつもない衝撃が鳩尾に激突した。

 俺は進行方向とは真逆の方向に吹っ飛ばされる。

「――引き続き、神戮を元にした地殻裁断術式の構築を開始します」

 魔神のレベルになれば、下級魔術もこの威力、か……。

「……、」

 吹き飛ばされた俺は、込み上げてくる吐き気を無理やり飲み込み、ふらふらになりながらも立ち上がる。

 俺はあのインデックスの止め方を知らない。

 例え、今すぐインデックスのそばに辿り着けたとしても、どうやってアイツを止めるのか。

 それが分からない。

 分からないのだが。

 自然と体は動く。

 再び走って近付こうとする。

「――術式の構築に成功しました。完全発動まで残り五、四、」

 今度は牽制をしてこなかった。

 間に合うと思っているんだろう。

「っざけんな!! 間に合わせてみせる! 絶対にッ!!」

「三、」

「インデックス!!」

「二、」

「俺は、お前を信じてる!!!」

「一、」

 間に合え、間に合え、間に合え、間に合え、間に合え!

「間に合えええええええええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇッ!!!」

 インデックスまで数メートル。

 歩数にして五歩。いや、そんなにいらないかもしれない。

 なのに、届かない。

 間に合わない。

 どんなに右手を伸ばしても、インデックスに届かない。

 『俺』の右手では、こういう現実を打ち消せない。

 



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行間八

*行間 八*

 

 本達が最初の攻撃をする前に、『とうま』は私の手を掴んでその場から離れた。

 直後、とてつもない光と音と衝撃が、その順に私達を追いかけてくる。

 なんとか凌いだ。

 と、思ったのも束の間、『とうま』は私の手を離す。

 そのまま『とうま』は、一人で壁沿いを走って行った。本の攻撃は『とうま』を追い続ける。

 なるべく私と距離を置く事で、私に安全地帯を作ろうと思ったのだろう。

 が、本達に自我でもあるのか、今度は私を攻撃しようとしてきた。そうすることで『とうま』の動きを止められると知っているかのように。

 一斉に、本が展開していた魔法陣を私に向けて光らせる。光量はすさまじかった。

 それに気付いた『とうま』は私の元へすぐさま戻り、さらに攻撃を受ける。

 私は、残念ながら無傷だった。

 一斉に襲ってきた本たちの魔術を、『とうま』は右手一本で全て対処する……ことはできず、対応できなかった魔術は容赦なく『とうま』の身体を叩いた。

 それでも『とうま』は倒れない。

 最初からそうやって防ぐつもりだったのかと思うほどに、両足でしっかりと立っていた。

 『とうま』が私の壁になりながら、私達は本達から逃げようと少しずつ移動していく。本達は余裕すら感じさせながら、私達にすぐに追いつく。

 その間にも、本の数は増えていった。

 その間にも、魔道図書館内はぼろぼろになっていった。

 荘厳に並んでいた本棚もいくつかは倒れ、倒れていない物でも焦げ跡や裂け目があったりしている。

 壁面は継ぎ目のない石のようなものだったが、亀裂がいくつも入り、崩壊している部分もあった。

 どれくらい追いかけっこをしていただろうか。

 いつの間にか『とうま』と私は、入口(すでに扉などは壊されていて、向こうに螺旋階段が見えている)近くに戻っていた。

 右手で打ち消し、対応できなかった魔術は彼を傷付け、打ち消し、傷付けられ、打ち消し、傷付けられ。

 それでも『とうま』は、私の目の前に立ち続ける。立ち続けてくれる。

「もう、もういいよっ!」

「だめ、だ……俺はお前を……っ、守らなきゃ、いけない」

 彼の肩は上下している。途切れ途切れで掠れている彼の声は、聞くに堪えない。

「あなたの体がもたないんだよ!」

「俺は、『自動書記』に作られた、存在だから……。壊れても、大丈夫、だから」

 本がさらに増える。

 膨大な数の魔法陣が浮かぶ。もしかしたら、一〇万三〇〇〇個の魔法陣が浮かんでいるのかもしれない。

「……インデックス、螺旋階段を下りる前に……木の扉、くぐったろ? くッ!」

 彼が喋る間も、攻撃は待ってくれない。

「はぁ、はぁ……そこから、出られる」

「でもっ!」

「ここは、俺たちを閉じ込める『檻』なんだ……ぐぁッ!! 『自動書記』が作った、『檻』なんだ!」

「檻って……きゃあっ!」

 魔術攻撃が壁に当たり、破片が降り注いだ。

 私の頬を、小さな破片がかすめる。触ると、手に血が付いた。切れたのだろう。

 そこで、私は気が付いた。

 『とうま』はあんなにも激しい攻撃を受けているのに、血は一滴も流れていない。

「俺は、この『檻』を壊す。この幻想だらけの世界をぶち壊す。その前に、お前は逃げてくれ」

「けどっ!」

「頼むよ、インデックス」

 『とうま』は私の目の前に立ち、私の方を振り向かず、それでも言葉を向ける。

「向こうで待ってる『俺』のところに帰ってやってくれ。多分『俺』、お前のこと心配して待ってると思うんだ」

 あり得ない量の猛攻を振りかざされているにもかかわらず、『とうま』の口調は聞き分けのない子を優しく諭すように柔らかく暖かかった。

「な? 『俺』、向こうで待ってるからさ。会いに行ってやってくれよ」

「……うん」

 私は魔道図書館から脱出して、螺旋階段を登る。

 『彼』から逃げるのではなく。

 『とうま』に会いに行くために。

 登る。

 登る。

 ひたすらに登る。

 がむしゃらに登る。

 しばらくして。

 感じたことも無い衝撃が伝わってきた。私は振り返らない。

 聞いたことのない重低音が聞こえてきた。私は振り返らない。

 下の方から、空間に硝子の割れたような亀裂が走ってきた。私は振り返らない。

 何があっても、もう、私は振り返らない。

 登って、登って、登って。

 古めかしい木の扉を思い切り開け放ち、私は暗闇の空間に飛び込んだ。

 私が目を覚ました暗闇の空間には変化があった。

 空中に巨大な映像が浮いている。

 そこに映っていたのは。

 真剣な眼差しで、必死に右手を伸ばしている、見覚えのある人だった。



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『彼』

*『彼』*

 

 インデックスが『彼』の元を離れてからだいぶ時間が過ぎた。本は比例して増えていき、『彼』への攻撃も比例して増えていった。さすがの『彼』も足が震えている。

 『彼』はインデックスの『檻』からの脱出を予想した。もうそろそろ出られる頃だろうか。

 『彼』は息を一つ吐く。

「よかった、バレちまう前に行ってくれて」

 『彼』は確かに『自動書記』が作りだした存在で、血や汗や涙などが流れない。もちろん怪我もしない。

 その代わり、ダメージは「消滅」という形で表れていた。『彼』の胸のあたりが「消滅」し始めている。

 透けて見えるでもなく、核があるわけでもなく、どんどんと消えていく。破片すら零れ落ちない。

「さて、」

 それでも『彼』は、再び両足を踏ん張った。

 まだ、完全には消えていない。

 まだ、動ける。

 『彼』の意思に、浮かぶ本達は応える。頁を一人でに捲り、鋭い輝きを放ち始めた。

 氷の槍や炎の砲弾が出てくるのかと『彼』は身構えたが、攻撃は一向に出て来なかった。

 訝しがっていると。

 『彼』の真正面に浮かぶ一つの本が、二つの巨大な魔法陣を出現させた。それらは接点を二つ設けるように重なる。

「ッ!!」

 『彼』は瞬時に思い出す。

 聖ジョージの聖域。

 魔法陣が重なった部分の空間を裂けさせ、異空間と繋ぐ魔術。裂かれた空間からは異形の存在が『伝説の聖ジョージのドラゴンの放つ一撃と同義』の直径一メートル程の光の柱……「竜王の殺息」を射出してくる。「竜王の殺息」は、光の粒子一つ一つの『質』がバラバラだ。「幻想殺し」の処理も追いつけず、物量で押し勝ってしまうほどの威力がある。

 そして、無数に浮かぶ分厚い本全てが、同じように魔法陣を展開させた。と同時に、空間にいくつもの亀裂が出現する。

「……、」

 異形の存在が見え隠れしている中、全ての亀裂が照準を合わせるように、彼の方を向いた。

「――くっふふふ……あっはははははは!! ああいいぜ、かかってこいよ」

 『彼』は右手を開き、前に出す。

「けどな! その前に終わりにさせて貰うぞ!! いいか、よく聞け! テメェが勝手に作り上げた幻想の世界なんざにアイツを巻き込んでんじゃねえよ! それじゃあ本末転倒だろうがッ! 何を守りたかったんだ、誰を守りたかったんだ、何のために動いていたんだ! 何のために俺を作ったんだ!!」

 誰に向かって『彼』は吠えているのだろうか。

 さらに本は増え、魔法陣も亀裂も増えていく。

 その光景を見てもなお、『彼』は笑ってすらいた。

「俺を、アイツの枷にしようと思って作ったんだったら、悪いな――」

 眩い光が『彼』を囲む。

 しかし、「竜王の殺息」が放たれる前に。

 『彼』は“何か”を掴むように、差し出していた右手を力強く握った。

 その瞬間。

 ガラスが割れるように。

 『彼』がいる世界は壊れていく。

「――『俺』は『上条当麻』なんだ」

 『彼』は幻想世界である『檻』を右手で破壊した。

 おそらく、そこに“何か”があったのだろう。幻想世界を構築する“何か”が。『檻』を形作っている“何か”が。不運なのか幸運なのか、分かっていたのかたまたまなのか。いずれにせよ、『彼』はそれを握り潰した。

 『檻』に入る亀裂は広がり続けている。

 全てが幻想だったというように、彼の見えている範囲でも下から遥か上までに、亀裂が入っていく。空間だろうと、なんだろうとお構いなしに。

 もちろんそこに『彼』も含まれていた。

 『彼』も、この幻想の一部であるのだから。

「アイツを守るためなら、『上条当麻』は迷わない」

 心底満足そうに、にやりと『彼』は笑みを浮かべた。

「インデックスを守るためなら、幻想――俺を殺すのだって厭わないんだ」

 ガラスが砕けるように、幻想世界は崩壊していく。

 『彼』もまた、同じように。

 崩壊していく。

 



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第一三章

*第一三章*

 

 インデックスへと向かう足を、俺は無理やり止めた。こけそうになるのをなんとか踏ん張り、右手をひっこめる。

 魔術攻撃をされた訳じゃない。

 唐突に、インデックスの様子が変わったのだ。

 インデックスは信じられない光景を見ているかのような表情を浮かべている。気がする。俺はただ向かって行っただけだったはずなのに。俺が何かした訳じゃない。……と思う。

「……なんだ?」

 インデックスのカウントも止まっている。これはむしろ、インデックス自体が止まっていると言った方がいいのかもしれない。

「えーっと……おーい」

「……、」

「あのー……」

 この隙に止めちゃっていいのか? つか、どうやって止めればいいんだ? そもそも、俺で止められんの? なんか、勢いで動いてたけど。

 と。

「――警告。第二二章第二一節。『心象の檻』の内部からの崩壊を確認しました。同時に『初代の鏡像』の消滅も確認……再構築は不可能と断定。続けて禁書目録の探索を開始……、禁書目録の存在を感知。安全の確認ができました」

 なんか言い始めたんですけど。俺どうしたらいいの?

 ちらと神裂の方を見ると、どうやら俺と同じように状況が理解できていないようだった。目を丸くして、怪訝そうな顔をしている。姿勢がアレだから奇妙な光景だ。

「……間接的に禁書目録が『上条当麻』との邂逅を果たしていると判断。計画は破綻とみなします」

 もう一度インデックスの方を見ると、目に浮かぶ魔法陣は消え、前までの『自動書記』……俺にとってのペンデックスに戻っていた。

「えっと、なんだか終わったような雰囲気を感じるのですが……」

「……禁書目録が私に必死に訴えてきています。ここから出して欲しい、と。しかし、それでは彼女を守れません」

「……あのさ」

 会話できそうなので、試みてみる。 彼女からはもう、攻撃の意志を感じられなかった。

「お前はインデックスを守るために起動したんだろ?」

「はい」

「インデックスは、そんなに弱いやつだと思うか?」

「……いえ。しかし、それでも上条当麻――貴方は彼女にとって十分な脅威だと判断しました」

「そっか。でもさ、」

 確かに『俺』はアイツの心の傷になっているのかもしれない。

 けれど。

「挑戦するしないは、インデックスに選ばせようぜ」

「……、」

「俺は、アイツにとっての苦痛になってるのかもしれない。この時期が来るたびに、アイツに辛い思いをさせるのかもしれない。けど、だからって、向き合おうとするチャンスをアイツから奪うのは違うと思うんだ」

「……、」

「もしかしたら、向き合おうとすることすら思っていないかもしれないけどさ。でも、最初から全部否定しちゃいけないだろ。で、仮にだ。向き合ってダメだったら、そん時はお前がクッションになればいいだろ。アイツの誰よりも側に居たんだから、なれるはずだよ、きっと。そうすれば、インデックスも安心して挑戦できるんじゃないかな」

「……私は、」

 弱々しい声が聞こえる。こんなにも『自動書記』を人間的だと思ったのは初めてだ。

「私は、間違っていたのでしょうか?」

「守りたいと思う気持ちは間違ってないと思うけど、方法はちょっと考えなきゃダメかな。なんだったら、相談してくれればよかったのに」

「……私は、彼女を守ろうとして、傷付けてしまったのでしょうか?」

「それは……直接聞くのもおかしいしな。でもこう思えばいい。例え傷付けたとしても、後々笑えるようになればいい。思い返したとしても、そんな思い出に変わっているくらいに、アイツに幸せな時間をこれから過ごさせてやればいい。独りよがりかもしれないけどさ、絶対に取り返しのつかないことでもないと思うよ、俺は」

「……禁書目録も、貴方の言葉を聞いて感銘を受けているようです」

「え、聞いてんの?」

「はい。聞こえています」

「マジか……何かこっぱずかしいな……。うわ、なんだか急に恥ずかしくなってきた」

 俺は照れながら、頭を掻く。

 すると、

「あのっ!」

 神裂の声が聞こえてきた。

「うん?」

「和やかになっているところ申し訳ないのですが、拘束術式を解いてくれませんか?」

 あーなるほど。神裂がそんな体勢なのはそういう理由だからか。よし、ここは俺の出番だな。

「おう、今壊すぜ」

 俺は神裂の真正面へと歩み、右手で肩を触れようとする。

「あ、ちょっと待って下さい。このまま解いたら――」

 どうして俺は予測していなかったんだろうか。

 俺の右手は神裂の言葉を無視して、彼女の肩に触れた。

 何かが壊れる感触が伝わった直後、神裂の体温を左肩から感じ取った。

「きゃっ――」

「わわっ!」

 瞬間、神裂は“そのままの体勢で”こちらに崩れてきた。これくらい考えれば分かることだろ。バカだな、俺。

 で、どうなったかというと。

「――ど、どこを触っているのですか!!」

 どうやら触ってはいけないところを触ったらしく。

 神速のビンタ(手加減あり)を食らい、気絶したのであった、まる。

 



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第一四章

*第一四章*

 

 すっかり日が落ちて、外はもう真っ暗だ。

 なんて思ったのは、いつもの病院のベッドの上で目を覚ましたからだ。

 気が付けば俺は、いつもの病室で眠っていたらしい。

「起きましたか、上条当麻」

 顔だけ向けると、ベッドの横、窓際とは逆の方に神裂が立っていた。

「こんばんは、かな?」

「ええ、そうです。……ではなくて、ですね? あの……」

 言葉に詰まる彼女を見ていると、今度は勢いよく頭を下げられた。

「申し訳ありませんでした! 数々の無礼非礼を働いたというのに、その、私の高ぶってしまった感情によって気絶させてしまって……本当に、ほんっとうにっ! 申し訳ありませんでした!!」

「お、おい、いや、なにしてんだって頭上げろよ、な?」

「しかし、私のしたことは」

「アレは俺にも非があったわけだし! つか、無礼とか非礼ってあれだろ? ペンデックスに言われてやった事なんだろ? じゃあいいじゃねえか。こうして俺も案外無事だしさ。一番酷い傷だって、もしかしたら土御門のやつかもしんねえしさ」

 神裂はようやく顔を上げ、今度は明らかな怒りの感情をあらわにしていた。

「……土御門は、貴方に何をしたのでしょう? 差支えなければ、教えていただきたいのですが」

「えーっと、人間の頭をボールに見立てたフリーキック、かな? ははは、思いっきり蹴ってきやがったぜアイツ……ちくせう、だんだん腹立ってきたな……」

 よく考えてみれば、あの時、よく俺は無事だったものだ。そこらへんも土御門は計算済みだったのか。

「私が後で成敗しておきますので」

 な、なんだか今まで感じたことのない殺気を感じるのですが!

 ここは一先ず話題転換だ!

「そういえば、ペンデックス……いや、インデックスは大丈夫か?」

「はい。かなり安定しているようです。彼女の……『自動書記』の言い分を信じれば、現在は任意のタイミングで、あの子と入れ替われるようになったみたいです」

「二重人格みたいな感じか? なんつーか、元々インデックスってとんでもなかったけど、またさらに磨きがかかってるな」

「……また、彼女を救ってくれましたね」

「神裂、それは」

「否定はさせません。事実です。うだうだしていると、男らしくありませんよ?」

「……敵わねーな。もうそれでいいよ、うん」

「投げやりも感心しません」

「じゃあどうすりゃいいんだ」

「胸を張っていればいいんですよ。ああそうそう。胸を張るついでに、もう一つ、彼女を救ったという事実を増やしませんか?」

 なんのついでだ。いや、ほんと、なんのついでだ。

 俺の突っ込みの目線を無視して、神裂はポケットから白い筒の何かを取り出した。

 見覚えがある。

 ベツレヘムの星で壊したはずの、遠隔制御霊装。

「それって! 俺が壊したはずじゃあ!?」

「二つあったんです。一つは『王室派』、もう一つは私達『清教派』が所持していました。王室派にあったものはフィアンマが奪い、最終的に貴方の手で壊されました。私が持っているこれは、清教派が現在所持しているものです」

 うーん……確か、フィアンマがそんなことを言っていたような気がする……。

「そこで、清教派のトップ、最大主教から一つの命が下されました」

 神裂はその霊装を両手で掬うように持ち、俺に差し出した。

「貴方の手で、壊していただけませんか?」

「……へ? マジで? いや、確かに壊したいのは山々なんだが……いいのか? あんまり詳しくねえからよく分かんねえけど、それ、いざって時の予防策でもあるんだろ?」

「最大主教がそう命じたんです。どうやらもう必要ではないと判断したのでしょう」

「どういうことだ?」

 神裂はその理由を話してくれた。

「遠隔制御霊装は、いざという時に『自動書記』に横槍を入れ、コントロールすることで禁書目録を守る、という役を担っていたようです。……イギリスのクーデター未遂後、女王陛下が仰った『最低限の人権を守る為』という名目がこれですね」

 確かに、あの女王様はそう言っていた。インデックスが危険な存在だから始末しろ、という極論の意見を回避するために、保険をいくつか用意していた、と。その一つが、危険な存在だと思われた時に、いつでも好きなようにコントロールできるのだと分からせる、という保険だ。

「しかし、今現在。仮に、あの子に危害が加わろうとしても、『自動書記』が安全に起動するでしょう。それは遠隔制御霊装も例外ではないようです。安全に起動すれば、『自動書記』は禁書目録を防御するために動くはず……それも、『自動書記』の意思で。不安要素は残っていますが……遠隔制御霊装を介しての操作は今まで通り行えなくなると予想されます。意志に阻害されてしまう、などの弊害がでるでしょうね。というのが、清教側、ひいてはイギリスの見解です」

 遠隔制御霊装によって『自動書記』を起動させ、コントロールするのが、イギリスが用意した保険だった。

 だが、『自動書記』は自らの「意志」で動けるようになった。

 遠隔制御霊装が禁書目録に対する脅威だと認定されれば、『自動書記』は禁書目録を守るために動く。

 そう。

 遠隔制御霊装によって、インデックスをコントロールできなくなってしまったのであれば、その霊装は必要のないものになる。もしかしたら、これはまだ可能性の段階かもしれないが、試しに霊装を使って確認してみようという考えも向こうにはないようだ。下手に試して、インデックスに負担をかけるのも不味いと感じているのだろう。

「ふんふん。つまりアレだな? 『自分の身は自分で守れるだろう』っていう判断と、言い方は悪いけど、『リモコンを使ってるのに動こうとしないラジコンになったようだから、リモコンはいらない』っていう判断をしたってことだな?」

「……まぁ、言い方を選ばなければ、そうなりますね」

 神裂はむっとした表情を俺に向ける。当たり前だろうけどな。俺、あんまり頭良くないから、噛み砕かないと分からんのですよ、ええ。

「あと、付け加えるとしたら……」

「加えるとしたら?」

「遠隔制御霊装があるだけで狙いが分散されてしまうから、とか。禁書目録はもう“大丈夫”だろう、とか」

 前者は、事前に争いの種を摘もうという考え。後者が、インデックスの成長を認め、信頼するという考え。かな?

「最大主教の個人的な理由も聞かされましたが……」

「お、聞きたいな、それ。なんて言ってたんだ、そいつ」

「……あまりにも多過ぎてうんざりしたので、話の途中で通信を切ってしまいまいた。気になるのでしたら、電話でも掛けてみて下さい。どうせお暇でしょうから、嬉々として話をすると思いますよ」

 あんまりな扱いだな、お前らのトップって。

「それに……」

「それに?」

「貴方にも、少なからず、話すべきことが最大主教はあるはずです。いつでも構いませんので、落ち着いたらお話しして頂ければ……」

「そういうのなら、こっちこそ歓迎するよ。つか、俺がお前らのトップと話ししてもいいのか?」

「貴方がダメなら、多くの方がダメということになります」

 俺、イギリス清教でどんなイメージ持たれてんだよ……。上条さんは普通の高校生ですのことよ? ただ、そう。命をかけて動くことがちょっと多いだけで。そして私めはそれをこう呼ぶ。『不幸』と。

「あの、で、ですね。これ、壊して頂けますか?」

「……念のために聞くけど、後で莫大な借金背負いました、なんてオチにはならねえよな?」

「既に一つ壊しておいて、まだそんな心配をするんですか?」

「うぐっ! ま、まぁ、それはその、ほら! 上条さん家の家計は火の車ですしね!」

「大丈夫ですよ。……多分」

「多分!? いやいや、そこは保証しろよ! マジで高校生が何億円の借金とか洒落じゃないからな!?」

「最大主教の命が出ていますから、心配はいりません。こうして私は、貴方に口頭で説明していますが、きちんとした文書のやり取りはあるんです。さすがにお見せできませんが……。何か困るようなことがあれば、私に言ってくれればなんでもしますので、ご心配なさらずに」

「お、おう……ならいい、のかな? 本当に壊すぞ?」

「お願いします」

 俺は右手の人差し指で遠隔制御霊装を僅かに触る。

 それだけでバラバラになっていった。

「……ふふっ、これで物的証拠も手に入れましたね(ボソッ)」

「あのー……なんだか不穏な言葉が聞こえてきたんですが……?」

「こほんっ。いえ、なんでもありません。ご協力、感謝いたします。では、私はこれで」

「あ、ああ……」

 一抹の不安をぬぐえぬまま、俺は帰って行く神裂を見つめていた。

 と。

「……今回も、多くの迷惑を掛けてしまい、申し訳ありませんでした。お詫びと言ってはなんですが、いつでも私達のところにいらして下さい。皆で盛大にもてなさせていただきますので。では、失礼します。ゆっくり休んで下さい」

 なんだ、結構気にしてるのかな、あいつ。別にいいのに。

 まぁ、それを抜きにしてもイギリスには遊びに行ってみたいな。結局、所謂「ブリテン・ザ・ハロウィン」以来行ってないしな……。入れんのかな、俺。第二王女殴って不敬罪永久追放とかありえないよな?

 ……心配になってきた。今度インデックスと調べてみるか。

 どうか不幸なことになっていませんように。

 なんて祈りをする間もなく。

 やはり疲れていたのか、俺は眠りに就いたのだった。

 



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第一五章 ~ 行間九

*第一五章*

 

 ペンデックスを止めるために走った翌日の午前中に俺は起きた。

 本当は朝に起きたかったのだが、どうやら爆睡していたらしい。

 らしい、というのは、人から聞いた話だからだ。

 誰に聞いたのか、というと。

「何かすることはありませんか、上条当麻」

 どう見てもペンデックスさんです本当にありがとうございました。

「いや、別に何もないけど」

「本当に何もありませんか? 身体を拭く、食事の補助をする等の、身辺での世話でも構いません」

「あー、んじゃ、聞きたいんだけど、何でまだ元に戻ってないの?」

「……何か、することはありませんか?」

「おいそこはきちんと答えろよ!」

 なんというか、これもインデックスなんだろうけど、やっぱり調子狂うな。

 ペンデックスはぐいと身体を乗り出し、俺に顔を近付けてくる。

「わがままを言って、禁書目録には少しだけ引っ込んで貰っています」

「さ、さいですか……あの、少々近くないですか?」

「第一二章第一節。上条当麻と私の距離を計測をします。太陽の位置と影の位置を用いた」

「いやそこまでしなくていいっての! それ明らかに魔道書の無駄遣いだろ!」

「……そうですか」

 えー……なんでこの子残念そうな空気出してる訳? 魔道書って無駄遣いでもバンバン使ってった方がいいのか? 俺、空気読めてなかった?

「では――」

 ペンデックスは一度離れ、ベッドに腰掛ける。

「少し早いですが、話しをしましょう」

「なんだ? 急に改まって」

「私が今もこうしているのは、その為なのです。できれば誰にも聞かれたくないので……少しの間だけ、貴方の精神と接続することになりますが、よろしいですか?」

「別にいいけど、なんでまたそんなことまでして……。あと、それって安全面とか俺の右手とか、大丈夫なのか?」

「大丈夫なように術式を組み上げます。最初の疑問に答えます。そこまでしなければいけないのは、どうしても、誰にも聞かれたくないという理由からです。貴方の精神と私の……禁書目録の精神を接続するというのが、最も有効で最善な判断だと断言します」

「な、なるほど? まぁ俺はなんだっていいよ。お前がそうしたいんなら付き合うさ。お前の安全第一だけどな」

「ありがとうございます。では、少し眠るような感覚に陥りますが、気にしないでください」

「了ー解」

 で、俺はまた眠る。

 

 

 

 

 

*行間 九*

 

 とうまが現れた。

 いや、まぁ私もさっきまでの景色を見てたから分かってたけど。

 とうまは不思議そうな顔で周囲を見渡している。

 まぁ、ね? 気になるのは分かるけどね?

 とうまは、まだこっちを見ない。

 うんうん、そろそろ見てほしいんだよ。っていうかまず私に気付いて欲しいんだよ。

 とうまは、まだ、こっちを見ない。

 とうまは、まだ、まだ、まーだ、こっちを見ない!

「いい加減、気付いて欲しいかも!!」

「おわっ! い、インデックスさんでしたか……いや、俺はてっきりペンデックスさんの方かと、ね? 呼ばれたわけだし?」

「せっかく一週間ぶりに逢えたって言うのにとうまはとうまはとうまは!」

「まぁ久しぶりなのは認めるけど、ぶっちゃけそういう感覚あんまりなかったかなーとか……ほら、今回の上条さん、どっちかって言うと眠ってた方が多いんじゃね? なーんて……はははははは、は? あの、インデックスさん? なぜに犬歯をむき出しにしてらっしゃるんでせう?」

「がるるるるるる……」

「じゃれあうのは、後にして下さい。せっかくですから、早く終わらせましょう」

「それもそうだな」

「軽く流されたんだよ!? せっかくの私のあいでんてぃてぃーだったっていうのに!」

「今更こういっちゃなんだけど、マジでそっくりっていうか、同一人物なんだな、お前ら」

「質問には後で回答します。まずは私の話を聞いてくれると助かります」

「むむむむー、どうして私はするーされちゃうのかな? 今回はきちんとヒロインだったと思うんだけどね?」

「そういや、お前の話ってのはなんだ? 誰にも聞かれたくないっつーくらい大事な話なんだろ?」

「とうままで酷い! 無視しないで欲しいんだよ!!!」

「私が貴方にお話ししたいのは、私の仕組みについてです」

「……もういいもん」

 とうまのばか。もうしらない。

「仕組み? 仕組みって、えっと……『自動書記』だっけ? それの?」

「はい。正式には『首輪』と『自動書記』、並列して『遠隔制御霊装』についてです」

 いじけても無視されるって酷くないかな? もういいんだけね? いいんだけど……いや、全くよくないんだよ!

 そもそも、なんでこの状況で真面目な話ができちゃうのかな? とうま、おかしくなっちゃった? あ、もとから?

「そこらへん、俺に言われてもなぁ……正直よく分かんないで終わりそうだけど?」

「構いません」

「んじゃ聞かせてくれ」

 むぅ……。ほんとにもういいもん。私はお利口さんだから黙ってるもん。

「私、『自動書記』は『首輪』とセットで一つの術式でした。『首輪』は安全装置、『自動書記』は知識の引き出しを円滑に行う為の装置といったところでしょう」

「ほうほう。あ、『首輪』ってあれか。クーデター終わった後に女王とかフィアンマが言ってたやつ。結局俺は知らないままなんだけど」

「その『首輪』は破壊されました」

「え」

「破壊したのは、貴方です」

「……」

「再生は不可能です」

「ちょ、ちょっと待てちょっと待て! じゃあなにか? 俺はいつの間にか安全装置をぶっ壊してましたっていうのか?」

 まぁそのおかげで私は救われてるんだけどね。

「正確には、記憶を失う前の貴方です」

「あ……なるほど。俺が覚えてるわけねえのは分かった」

「安心して下さい。安全装置というのは名ばかりです。禁書目録」

「ふぇ? な、なに?」

「彼に『首輪』の説明をお願いします」

 急にこっちにふらないでほしいんだよ! ま、まぁいいけど。今はもうきちんと全部思い出せるようだし。せっかく浴びたスポットライトだもんね!

「え、えっと、『首輪』っていうのは、私にとっての安全装置じゃなくて、私の所属する組織、イギリス清教にとっての安全装置だったんだよ」

「つまりあれか。お前が変なことしようとしたら、その“安全装置”が働くっつうことか?」

「うん。みたいだね」

「……あのー、インデックスさん? 説明を求めてるのに、なぜに“みたい”なんて曖昧なんでせう?」

「それは――」

「それは私が覚醒、起動していたからです」

 せっかくの台詞も横取りされたんだよ……これならスポットライト、浴びる必要なかったかも。

「『首輪』が破壊された時、『自動書記』……つまり私は、迎撃モードで侵入者を排除しようとしました。……もっとも、それも『首輪』による影響があったからですが」

「で、俺は攻撃されたのか」

「結果として、貴方は迎撃モードで起動した私に右手で触れ、私は休眠しました。その際に、貴方の記憶が損傷したようです」

「……そう、だったのか。いや、流れって言えばいいのか分かんねえけど、そういうのはこいつから聞いてたけど、詳しい話しは聞いてなかったから」

「休眠していた私が再び覚醒したのは、遠隔制御霊装を操作したフィアンマの手によってでした」

「……、」

「私は、『首輪』の全破壊から次の覚醒時までの間、禁書目録内である準備をしていました」

「準備?」

「『自動書記』だけでも術式が安定するための準備です。これも、禁書目録を守護するためのプログラムが判断したために起こした行動でしょう」

「そしたら遠隔制御霊装で邪魔されたってわけか」

「いえ」

「?」

「遠隔制御霊装は、あくまで私を外的要因によって操作するための霊装です。操作している間は魔力を供給し続けなければいけません。よって、常人の四六時中の操作は不可能です。結果として、右方のフィアンマには私の準備の邪魔はできませんでした」

「フィアンマは結構常人じゃなかったけどな……」

「ともかく、フィアンマによる操作は必要時以外ありませんでした」

「ふんふん」

「そこで、私は逆に、その霊装を利用させてもらったのです」

「え」

「え」

 初耳だったんだよ。っていうか、え? できるのそんなこと?

「お、お前って術式なんだよな? 術式が霊装を利用するなんてできるのか? それって、火がマッチを着けにいく、みたいなことだろ?」

 とうまも私と同じような考えみたい。

「それまでの下準備をしている最中に、私にも多少の自我が存在することに気が付きましたので。もっとも、私が霊装を利用することによって遠隔制御霊装に僅かかな精神が宿ってしまいましたが」

「そのせいだったのか……」

 そのせいだったんだ……。

「遠隔制御霊装によって、禁書目録に施されていた術式は安定しました。今は『自動書記』のみで防衛・守護・知識の引き出しを行うことができます」

「なるほどな」

 なるほど……とうまも理解したみたいで、良かっ――

「ごめん、さっぱりわからん」

「相槌とか質問とかしながらきちんと納得してたよね!? あれは嘘だったの!?」

「ま、なんつーか、要するにもう大丈夫なんだろ?」

「はい」

「またなの!? また私はするーなのかな!?」

「本人からのお墨付きがあれば余計に大丈夫だろ」

「……ただ、一つだけ懸念があります」

「なんだ?」

 ……私って必要なのかな、この場に。

「禁書目録自体の安全に関してです」

「こいつの?」

「ある程度は私も自衛できるでしょう。しかし、裏を読めば、ある程度までしか自衛できません」

「んー。なら、俺が守ればいいだろ」

 あれ、なんかヒロインっぽい扱いされてる? 今、私、輝いてる?

「俺だけじゃ足りないのなら、ステイルとか神裂とか。教会側の人間なら全員助けてくれるはずだ。なんだったら俺の友達にも頼むぜ? 皆絶対……とまではいかないけど、多分手を貸してくれるよ」

 ……。

「つーかさ、ペンデックスもその一人なんだっての。助けてほしかったら言えばいいんだ。危なくなったら誰かに助けを求めればいい。俺だってそうなんだからさ。神様でもなんでもないんだから、一人で解決しようとするなよ」

 ……うん? えっと、とうま……、あのね、

「感謝します」

「いいって、そういうのをペンデックスに求めてる訳じゃないし」

 あの、ね……ちょっと言いにくいんだけど……、

「……さっきから気になってたんだけど、ペンデックスってなんなの?」

「彼からいただいた名前ですが、何か?」

「いや、名前っつーかニックネームっつーか?」

「ださいと思うんだよ。あとなんでさっきまで無視し続けたのかな?」

「センスのことは突っ込むなよ! ってか、無視してたのはだな、なんか長くなりそうだったからで……ってあの、インデックスさん? なぜに俯いて黙ってらっしゃるんでせう? ここは一つ、がるるってくるとこでしょ! その方がお前の雰囲気的に――」

「……私、寂しかったんだから」

「――インデックス……」

「『とうま』に会えなくて、寂しかったもん。一週間ぶりに『とうま』に会ったのに……無視されて寂しかったもん」

「あー……えっと、ごめんな」

「……これからは二人の時間ですね。どうぞ、ごゆっくり。話が終わりましたら声をお掛け下さい」

 『自動書記』は暗闇に消えて行った。

 今はとうまと二人きり。

「……あのね、とうま」

「うん?」

「私、今のとうまがいれば、幸せだよ?」

「……この際だからぶっちゃけて聞くけどさ。前の俺が居なくてもいいのか?」

「どっちだって、『とうま』に変わりはないんだよ」

「……、」

「『とうま』がいなくなったなんて思ったことないもん。帰ってこなかったことはあったけど」

「あん時はしょうがねえだろ……なんか皆には死んでる扱いだったらしいし」

「心配したんだから!」

「……ごめん」

「……でも、帰って来たからもういいよ? あの時も私、言ったけどね、とうま」

 一回深呼吸する。ちょっとどきどきしてる。

「『とうま』が帰って来てくれるなら、私はそれでいいんだよ?」

「……ありがとな、インデックス」

「ううん」

 とうまは居心地が悪そうな表情を浮かべた。私はそれを見れたのがとても嬉しい。

「でも今回はインデックスさんがどっか行った感じじゃないですかね?」

 急に茶化してくるとうまは、すごい意地悪だと思う。雰囲気っていうのを感じてほしいかも。

「それは……私だって気付いたらここにいたし……」

「ははっ、んじゃ今回は俺が言う番だな」

「も、もう! せっかくいい雰囲気になったのにそうやって茶化して!」

「もうそろそろよろしいですか?」

「ん、いいぜ」

「なんで最後の最後で無視するのかな!!」

 すぐにとうまは消えた。元の場所に帰ったのだろう。

 残るは私と『自動書記』だけ。

「……ねぇ。本当に、自由に出て来れるようになったの?」

「はい」

「あんまり勝手に出て来ないでね?」

「……」

「なんで黙るのかな?!」

「善処します」

「ちょ、ちょっとそれどういう意味?」

「冗談です。ご心配なく。どうも、危機が接近しない限りは覚醒、起動できないようです」

「そ、そうなんだ……」

「所詮は術式です。自己防御、禁書目録の守護、知識の適選引き出しだけの役割しか持っていません」

「の、割には冗談とか言ってるけどね」

「進化したのです」

「なにそれ?! 術式の自己進化なんて聞いたことないんだよ!」

「一〇万三〇〇〇冊の魔道書の知識があれば不可能ではありません」

「確かにできそうだけども?! というか、なんか私、ツッコミになってるんだよ! ヒロインなのに!!」

「ほら、そんなことを言っていないでさっさと行って下さい」

「扱い酷っ! もうちょっと丁寧でもいいんじゃないかな?! 仮にもあなたは私を守る役目があるのであって――」

 唐突。私は暗闇から引きずり出されるように、白い光に包まれる。

 私は久しぶりに帰ったのであった。

 



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第一六章 ~ エピローグ

*第一六章*

 

 俺が先に目を覚ましてからしばらくして、もぞもぞとインデックスが動き出した。

 ペンデックスは一体どうやって俺をあの場所に呼んだのだろうか。

 起きてすぐ分かったのは、俺が仰向けで寝てる上に、インデックスがぴったりとくっついて寝息を立てていることだけだった。くっついているというか、しがみ付かれているというか。健全な男子高校生の上条さんには少々辛いのですよ。ホント、ペンデックスのやつ、何やったんだ……。

 つか、このままじゃ噛みつかれんじゃね? あらぬ誤解でも生み出されるんじゃね? 不幸の連鎖じゃね?

「ん……」

 そ、そのような声を出してもぞもぞしないでくれませんかね! しかも眠ってるから下手に声かけられませんしね! 俺詰んだ!

「ふぁ……ん、……んぁ……」

 なぜに色っぽい声を出されてるんでせう? 何が始まるんでせう? 第三次世界大戦? とっくに終わりましたよ?

「………………あれ? とうま?」

 できればそんなに目をぱちぱちしながら状況確認しないで頂きたいのですが。

 とりあえず、話しかけてみよう!

「……えーっと、おかえり?」

「……ただ、いま」

 まぁ、そりゃ起きたらこれって、言葉にならねえよな。あ、勘違いしてほしくないのは、俺はベッドの中に入ってるけど、インデックスはベッドに入ってないってところな! 大事だから! ここ大事だから!

「んと、まず、噛みついておくんだよ」

「そ、そんな『良く分かんないけど噛み付いて置けばいいだろ』的な発想でだなんて……ぎゃーっ!」

 ひと通り噛みつきが満足したのか、インデックスはベッドから下りた。歯型が尋常じゃない……入院これで長引かねえよな?

「……はぁ、不幸だ」

「もう、とうまからの扱いは散々だったかも」

「そりゃすいませんでしたねぇ……」

「誠意が感じられないんだよ」

 話題変えてえな……あ、ちょうどいいし、もう一回言っておくか。

「あーインデックス」

「うん?」

「おかえり」

「……っ!」

 なぜにそっぽを向きやがったんでしょうかね。せっかく言い直してやったというのに。雰囲気も元に戻せたと思ったんだけどなぁ。

「…………………………た、ただい、ま」

 言うならはっきり言えよ……。つかなんだか恥ずかしいな、このやり取り。

 まぁいっか。

 これで全部終わったわけだし。

 一件落着一件落着。

 世の中平和が一番。

 

 

 

 

 

*報告*

 

 土御門元春は、窓の無いビルの一室に通された。

「いやぁ、ようやく終わったぜい。アレイスターもお疲れさん」

 土御門の見つめる先には、弱アルカリ性水溶液で満たされた巨大なビーカーの中に、逆さに浮かぶ人間が居た。

 その者は、男にも女にも、子供にも老人にも、聖人にも囚人にも見える。

 学園都市統括理事長、アレイスター=クロウリー。

 アレイスターは困ったような顔を浮かべた。

「……被害は出すなと言ったはずだが?」

「何を言ってるんだにゃー。公園周囲三キロの被害だけで済んで良かったじゃねーですたい。負傷者もいねーみたいだし? こんなハッピーエンドはないと思うんだぜい?」

「……被害総額は知っているか?」

「さぁ?」

「今の学園都市に予算がないのは君も知っているだろう?」

「知ったこっちゃねぇにゃー。世間はそれを自業自得っつうんだぜい?」

 アレイスターは口を噤んだ。

 と、ビーカーのそばにディスプレイが浮かび上がる。宙に浮いているようだった。

『あら? 必要になりしときは、貸したると申していたはず。こちらを頼らぬの?』

 ディスプレイには黒い背景に「Sound Only」と浮かんでいた。

 鈴を転がしたような声で、粗末な古語口調の日本語が聞こえてくる。

「あまり貸しは作りたくないのでね」

『今更につき』

「ホントそうだと思うけどにゃー。つか、なんでわざわざディスプレイ中継してるんだぜよ……まったくもって意味ないと思うんだにゃー」

『な、なんのことかしら?』

「そこに居るの見えてるぜい」

『え、えっ』

 土御門が指差した先には、得体のしれない巨大な機械があった。しかし彼が指差したのはその機械ではない。その後ろから伸びている金色の綺麗な髪の毛であった。

「頭隠して髪隠さず、だにゃー」

『ちょ、え、嘘っ』

「いいから出てきて話すぜよ。面倒だにゃー」

『い、いいじゃない! してみたき事だったのよ!』

 すごすごと、長すぎる金髪を引きずりながら出てきたのはイギリス清教、最大主教、ローラ=スチュアートだった。

「一応報告しておくにゃー。禁書目録は生存、『自動書記』は安定中ですたい」

「そう……」

「はぁ……もっと素直に喜べばいいのににゃー。もったいないぜい」

「土御門。学園都市の損害についての報告がまだだが」

「公園周辺が空爆受けたみたいになったぜい。これでいいかにゃー?」

「……」

「もっと素直に喜べばいいんだぜい?」

「ふざけてるのか?」

「いんや?」

 しかし土御門はふざけた調子でさらに報告を重ねた。

「あ、うちの遠隔制御霊装ぶっ壊したから」

「え!?」

「だってもういらねえじゃん?」

「いや、確かにそうなりしけれど……え!?」

「つーわけで俺は帰るぜーい」

 ふりふりと手を振って、土御門は帰って行った。

 残された二人は同時に溜め息をつき、

「あのスパイ、そちらで引き取ってくれないか?」

「こちらも要らぬのよ……」

 愚痴に花を咲かせるのであった。

 

 

 

 

 

*エピローグ*

 

 私こと上条当麻は不幸な人間である。

 せっかく退院できたと思ったら、朝から小萌先生に「上条ちゃーん。バカだから補習でーす。この前の分も合わせるので、お昼持ってきて下さいねー」なんて連絡を受け。よし行くかと腰を上げ、外に出た途端に夕立に襲われ。学校に着くと同時に晴れあがり。長い長いながーい補習を終えて帰宅しているとまた雨が降り始め。帰路の途中で金髪グラサンアロハに会い、「カミやーん、これ、カミやんが壊した霊装の代金」ととんでもない代金を請求され。こんなの払えねえよ、っつかお前らが命令で壊させたんじゃないのか、と言おうとしたら「払わなくてもいいから、今後、その金額分はウチで働いてもらうからにゃー」と言われ、去って行った。

「いや、言われなくても働くのは良いんだが……金額分って言われるとあれだな。気を引き締めないとって思うよな」

 まぁ、なんとなく今日も今日とて総合的に不幸だなと思いながら家に着くと、さらに不幸が待っていた。

「――警告。第一四章第五節。家主の帰宅を確認。家主の体温の低下を感知しました。濡れた衣服を目視で認識しました。ただちに脱衣し、下がった体温を暖めることを優先します」

「……へ? ペンデックスさん? なんで出てきちゃったの?」

 昨日は、っていうか今朝までインデックスだったよな? あれ、なんで? どうして? で、なぜ俺の服を脱がそうとしているのでせう?

「続いて体温を効率よく上昇する方法を検索……成功。素肌と素肌を密着させることによる上昇が、最も魔術的要素を含みながら効率よく体温を上昇できると判明しました」

「な、おま、待て待て! なんで自分の服を脱ごうとしてんだ!! やめろ、よせ!!」

 なんつーか、本当は胸がドキドキするんだろうけど、こいつ魔道書の知識でこの行動を導いているしなぁ。あと無表情だし。つかほんとに何で出てんのペンデックスさん!

「やめろおいお前は――お、俺は何も見てない! 見てないからな!! 見ない見てない見えないの三段活用!! 早く服を――」

 ぴとっ。

「密着に成功しました」

「なあああああああああああああああああああっっっ!!! やめっ、上条さんは健全な男子高校生ですからああああああ!!! これ以上、上条さんの上条さんを苦しめないでええええええええええええええええええ!!!」

「逃走を謀ろうとしないでください。密着し辛いです」

 必死に逃げようとしたらテーブルの脚に足の小指をぶつけ。痛みに耐えながら逃げようとしたらティッシュの箱を踏みつけてしまい。バランスを崩して転倒したら頭を打ってしまい。打ちどころが良かったのか悪かったのか、俺はそのまま気絶した。またかよ。結局かよ。そういうオチかよ。

 ああ、なんつーか。

 不幸だ。



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