東方高次元 (セロリ)
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1話 迷い込んでしまった……

どうもセロリです。お久しぶりな方はお久しぶりです。初めてな方はお久しぶりです。にじふぁんが使えなくなったので、此方に移転させて頂きました。宜しくお願い致します。

投稿していた分は、一日一話で此処に投稿していきたいと思います。宜しくお願い致します。では、どうぞ。


開かないのは結構理不尽な気が……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「こんのくそ暑い中何でこのオンボロ自転車使わなきゃあならないのやら……」

 

そう愚痴が出てしまうのも無理はない。現在日本は夏真っ盛りで、自転車前方の空気が揺らいで逃げ水が形成されるほどの酷い熱気に包まれているのだ。

 

しかもその熱さの中で、このオンボロ、チェーンは錆び、ハンドルはギシギシ悲鳴を上げまくる。こんなモノに乗っていると熱さと虚しさで泣けてきそうだ。

 

「しっかも何でこの自転車は1速と2速が超クロスレシオで2速と3速が超ワイドレシオなんだ……滅茶苦茶使いにくいじゃねえか。もっと2速と3速をクロス気味にしてくれないかなあ……」

 

そんな事を言ってもギア比が近くなるわけでも無し。ただただ無駄にでかい声が空中に消えていくのと、周りに人がいたら変質者以外の何ものでもない以外に意味をなさない。

 

だが、こんな良く分からない自転車に乗り、文句を垂れつつペダルをこいでいくのにも、重要な理由がある。

 

アパートから自転車で約5分程の場所にある大型のスーパー。このスーパーはアイスの安売りを頻繁に行っているため、この真夏日における一人暮らしの大学生としてはかなりありがたい。

 

「売り切れてませんように」

 

そう願いながら俺は、坂道で十分に速度が大きくなった自転車のギアを3速に入れ、足に全力を入れて飛ばしていく。

 

が、平坦な道になった途端にトルクとギア比が釣り合わなくなり、段々と速度が落ちて行く。このギア比は非常につらい。

 

ついには立ち漕ぎしなくてはならなくなる状態にまでなるという何とも情けない醜態を世間の皆様に曝している俺。

 

「ああもう勘弁してくれ……あ……」

 

と、懇願するかのようにこの自転車に文句を垂れ、更に力を入れようとしていた俺だが、必死こいている俺の横を、4ストロークエンジン特有の排気音を響かせながら、スクーターが軽やかにぶち抜いていく。

 

その様を見たら一気にペダルを漕ぐ力が薄れそうになる。が、もちっと頑張ってみる。

 

「スクーター……欲しいなあ!」

 

と、その欲望を自身への応援歌か何かかと思わせるように何とか声を振り絞って。

 

が、ソレもむなしく更に速度は落ち、ついに2速にダウンさせることとなる。

 

「はあ~……どうしよう、スーパーカブでも買おうかなあ。中古なら買えると思うし、アイツ頑丈だし」

 

そうこの自転車の不便さにぶつくさ文句を言いながら、原付の購入の検討すらし始める。正直アイスよりも原付の検討の方が重要度が逆転している気がするが、あんな光景をまざまざと見せつけられたら、この状況も相まって逆転するのも必然なのではないだろうか。

 

「でもねえ、この自転車なんだか手放す気にはならないんだよねえ。貧乏性だもんな俺……」

 

そう言いながらも、特売のアイスの買いこみに向かう俺を貧乏性と言っていいものかどうか悩むところだが、そんなに深く気にしない事にした。

 

そんな事を考えながら、ひたすらペダルを漕いで行くと、視界に映るは目的のスーパーマーケット。

 

目的の品が買えるというのが間近になってくると、何か良く分からない期待感、それと同時に早く到着して手に入れなくてはという焦燥感の二つがごちゃ混ぜとなり、良く分からない感情となり頭の中に徐々に湧きでてくる。

 

ソレも特売品を買う際の醍醐味のようなものだと思い、駐輪場に自転車を止め、ダイヤル式の鍵が掛かった事を確認してから、店内へと足を運んだ。

 

 

 

 

 

 

太陽光の熱による異常な熱気から、二重ドアを潜った瞬間に冷房より来る冷気の落差に、思わず身が震える。

 

37℃程の外気とこの体感20℃に近い温度の落差。どう考えてもやり過ぎだと思う。最近の推移は分からないが、2009年における内閣府の調査によれば、スーパーの冷房が効き過ぎていると感じる人は、40%強とのこと。

 

おそらくこの店もその40%強の中に入るのだろう。いや、絶対に入っていると思う。

 

そんな下らない事を考えながら、買い物かごを取り、アイスコーナーにまで足を運んでいく。

 

「確か……生鮮食品の近くだったはず……」

 

極小さな声で目的の場所を思い出すように、独り言をつぶやきながらレジの横を通り過ぎ、後は黙々と進んでいくだけ。

 

そして、漸く見えてきたアイスコーナーの一角にある特売コーナー。が、落胆してしまいそうになる。

 

「あまりないじゃないか……」

 

そう呟くしかないほどアイスの量が少なかった。両の指で数えられるぐらい。だがまあ、6個ほど買えばそれなりに持つだろう。毎日食べるものでもないし。

 

そんな事を思いながら、自分のお気に入りのアイスを籠の中に入れていく。最中の中にアイス、板チョコを挟んであるモノ。クッキータイプ生地がアイスを両側から挟んでいるモノ等様々である。

 

氷が付着するほど冷えた容器の中に手を入れ、アイスを取り出す作業は、店内の冷房で冷えた身体をより一層冷やすものがあり、一つ一つ取り出すごとに身体がブルブル震えるほどのモノである。

 

サッサと会計を済ませて、外気で中和したい。そう思いながら、鳥肌が出るまで冷えてしまった皮膚を擦り摩擦熱を起こす。

 

が、特に改善する見込みなどまるで無いので、足早にアイスコーナーを後にし、レジに並ぶ。

 

子連れ、老夫婦、若いカップル、友人同士で来たと見える小学生ぐらいの子達。様々な年齢層でごった返すこのスーパーは、何とも言えない心地よさがある。騒がしいのも好きだからだろうか?

 

そう考えていると、前の客が会計を終わらせ、商品をビニール袋に入れに別の机に運んでいく。

 

「次の方どうぞ」

 

その声にハッと気が付かされ、ペコリと頭を下げながらレジ台の上に籠を乗せていく。

 

そして、置いたと同時に店員が籠を自分の前まで引き寄せ、商品名を口に出しながら、一点、二点と言う。

 

支払額が加算されていくのを見ながら、ちょうど良い小銭は無いかと財布をごそごそと探る。

 

「合計377円になります」

 

快活な声を聞くと同時に、財布から407円を取り出し、カルトンの上に置き、釣銭30円とレシートが返されるのを待つ。

 

店員は支払額を確認し、口に出しながら釣銭を取り出し、レシート共に俺の手の上に置く。

 

「ありがとうございました」

 

その声と共に、俺は押し出されるように、机の方に向かい、渡されたビニール袋の中にアイスを入れて行く。

 

(帰ったら、妖精大戦争でもやって、暇を潰すか……生憎皆実家に帰っちまったし)

 

大学は様々な所から学生が学校に来るので、長期休暇になると実家に帰省してしまう者も多い。

 

まあ、中には俺のように実家に帰省しないでそのままという学生もいるが。

 

アイスを袋の中に入れ、籠の中に入れ忘れが無いかどうかを確認してから、返却台の部分に重ねる。

 

「さって……帰りますか」

 

そう言いながら、自動ドアに向かって足を進めて行った。

 

 

 

 

 

レジから、約30m程先にある二重自動ドア。店内の温度をなるべく下げないように、設計されているのだろう。他のスーパーよりも閉まる感覚がせっかちな気がする。

 

俺はそんな感想を頭に浮かべながらも、一つ目のドアをくぐる。潜った瞬間に来るのは、外気と内気の中途半端に混ざった生温かい空気。

 

何とも言えない気持ち悪さに、思わず身体が震えてしまいそうになる。入ってくる時は、炎天下に曝されていたため、唯涼しいとしか感じなかったが、此処まで冷やされた後だと気持ち悪い温度にしか感じない。

 

ああいやだいやだ。

 

そう思いながら、二つ目のドアの外を見やる。大きな駐車場が眼の前にあり、直射日光に曝されているアスファルトから空気の揺らぎが生じ、その中に駐められている自動車は何とも苦しそうに感じてしまうほど。

 

改めて冷房の便利さを把握しながら、奥のドアをくぐろうと、センサー探知範囲内に近づき、ドアが開くのを待つ。

 

いや、待つ自体がおかしいのか。数秒経っても開かない。ガラスドアが開かないのだ。

 

「おいおい」

 

そう呟きながら、そのままの姿勢で数歩下がり、またセンサー探知範囲内に近づく。先ほどのはセンサーの誤作動だったのだ。そうに違いない。

 

そう決めつけながら、俺は近づく。

 

 

「は?」

 

またもや同じ現象が起こる。数秒経っても開かないのだ。アホらしさに苦笑しながら、今度は開くまで我慢強く待ってみる。

 

が、一向に開く気配は無い。

 

「壊れてんじゃねえか」

 

そう言いながら、店員に報告をしようと後ろを振り向いた瞬間に、俺は固まってしまった。

 

あまりの異常な事態に、俺の身体が動く事を止めてしまったのだ。

 

「へ? 何が起こってんだ……?」

 

自分の目の錯覚なんじゃないかと思うほど、異常な事態、あり得ない事態。

 

閉じられた内側のドアの先には、店員を含めて誰ひとりとして店の中から消えていたのだ。あまりの事態の急変に俺の頭が付いていかず、唯茫然とするしかない。

 

自分の頭の中でどんな計算が繰り広げられたのかは分からないが、何故か店内に入って別の出口から出ようと。そんな考えが生まれた。

 

俺は自分でも驚くほどゆっくりとした足取りで、内側のドアに近づく。

 

しかし、先ほどの考えが見事に瓦解していった。

 

「何で開かないんだ……何で……」

 

そう言うしかできなかった。外側のドアの時と同じ現象がまた起きているのだ。理由は全く不明。センサーの故障では済まない気がする。

 

先ほどは行わなかったが、ロックが掛かっていないのなら、電力による補助が無いため重くなりはするが、手動でもこの手のドアは開けられるはず。

 

そのように結論付けた俺は、多少溶けてしまうのも仕方が無いと思いながら、アイスの袋を床に置く。そして閉じられたドアの僅かな隙間に手を無理矢理突っ込み、全身の体重を掛けて開けようとする。

 

「んのやろ……! 開け!」

 

全身に力を込めているはずなのに、ドアが開く気配は一向に無い。

 

普通ならこの半分以下の力でも楽々と開くはずなのだが、そのドアは貝が口を閉じているかのように、ガッチリと固く閉ざす。

 

「開けコンチクショウ!」

 

反動をつけて片側のみを引っ張り、無理矢理こじ開けようと頑張る。が、無駄に汗が出るだけで全く進展が無い。

 

「ふざけんなよ……」

 

そう言いながら、外側のドアについてもやる。が、結果は同じであった。

 

「くそっ!」

 

そう言いながら、内側のドアに近づき、激しくドアをたたく。

 

「すみません、誰かいませんか! すみませ~んっ!」

 

が、空っぽの店内から人の声が返ってくるわけも無く。何が起きているのか全く理解できないまま叫び続ける。

 

「お~い! 誰か! 誰かいませんかっ!?」

 

それでも結果は同じ。

 

この理不尽な状況に対する怒りと、得体のしれない、まるで俺だけ現実世界から切り離されてしまったかのような恐怖すら覚え、ドアを思いっきり蹴る。

 

ガラスにゴムが打ちつけられるような、鈍い音が数回。しかし、唯それだけ。その音以外何も変化が無い。ガラス製のドアが割れても良いのに、割れる気配がしない。店員が音に気が付いて来てくれる気配も無い。蹴った代償に俺の脚が音と共に痛むだけ。

 

「もういい。警察には事情を説明……しても駄目だろうなあ。怒られそうだし犯罪だろうなあ。……でも、背に腹は代えられぬってか」

 

そう自分を奮い立たせるように自分に言い聞かせ、緊急避難が適用できないかどうかをチョロっと考えた後、肩を前方に、身を守る壁のように出し、突進の体勢を取る。

 

だが、割れたガラスが眼に入るのは怖いので、ぶつかる直前に眼を閉じるようにする。

 

「いっせーのっ!」

 

その掛け声とともに、俺は足に反動をつけ、足に全力を込めて走り出す。

 

痛いんだろうなあ。ガラスで切れたり血まみれになったりするんだろうなあ。

 

そんな考えが一瞬過るが、もう身体を止めることはできない。止めようとしない。急速に迫るガラスドアを脳が把握すると、俺は眼を堅く閉じて何時衝撃が来ても良いように覚悟を決める。

 

ドンとこいや。そんな感じである。

 

が、その一瞬の覚悟は何かに躓く事で消え去ってしまった。

 

「うわっ!」

 

ガラスにぶつかったと思っていたのだが、何故か倒れた先には、草の匂いしかしない。

 

ゆっくりと眼を開けてみる。

 

すると、そこには生い茂る草原という光景が飛び込んできたのだ。

 

またもや異常な事態が起こった。ドアにぶつかり、大けがをするはずだったのにも拘らず、ドアにぶつからず。更には外は駐車場だったはずなのに、眼を開ければ生い茂る草ばかり。

 

文明的なモノが一切見当たらない。

 

「はあ!?」

 

そう俺は素っ頓狂な声を上げて、一気に立ち上がり、後ろを見てみる。先ほど俺が眼を瞑りながら走ってきた方向を。

 

「…………………は?」

 

もう訳が分からない。走ってきた方向には、必ずスーパーがあってもおかしくないのに。いや、この草原がある時点で非常におかしいのだが。

 

今まで以上に可笑しな、尋常ではない事態に、唯茫然とするしかない。先ほどよりも遥かに長い時間。

 

そしてぽつりと。何を思って言ったのかは分からない。

 

 

 

 

 

 

「俺のアイス……」

 

 

 

 

 

 




書きなおしたい。物凄く書きなおしたい。具体的には50話ぐらいまで書きなおしたいです。ですが、ソレをやるとエタること間違いないので、やりません。頑張ります。ではでは。


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2話 どこだよここ……

どうもセロリです。物凄くクオリティが低いのは、もう書き始めて間もないとしか言いようがないですね。にじファン時代の物そのままですので、どうか御容赦の程を。

では、どうぞ。


「……とりあえず、アイスは食ったし散策してみるかな。そしたら人に会えるだろうし、どこの県かも教えてくれるかも知れん。」

 

俺は呆けていても解決しないと思い、周囲の散策を始めた。さっさと家に帰って寝てしまいたい。

 

夢の中だと思いたいが、今日一日の行動を振り返ると嫌でもこれが現実だと思い知らされる。

 

あらためて周囲の状況を確認してみると自分は大きな丘の天辺にいるらしい。ふと、周囲を見渡していると目につくものがある。それは自然からの成り立ちとはとても思えない代物であり、俺の興味をひくには十分すぎるほどのものであった。

 

「おお、民家がある。あそこに行けば何かしらの情報は得られそうだ。」

 

民家は広大とは言えないが、それなりに規模のある森の向こう側にあるようだ。

 

しかし、遠目のせいか民家が少々現代には似つかわしくない形状をしている。

 

「あれ、もしかして白川郷なのか?」

 

俺はその家の不自然さに改めて現代に存在する家屋と結び付けようとする。

 

しかし、考えても答えは一向に出ないままなので民家に向かおうとする。

 

「あそこの民家に行きたいが、森を突っ切らなきゃなぁ……面倒くさい。」

 

迂回するという手もあるがかなりの時間を食われる上に日が暮れてしまう。その前に民家へ辿りつきたかった。

 

しかし、森を抜ける自信は正直微妙だ。理由としては迷ったら、迂回するより大幅な時間を削られることになりそうだからだ。

 

俺はしばらく思考を重ね、結局森を抜けるという選択肢を選んだ。

 

「途中で木の実とかがあれば民家に宿泊代として渡せそうな気がするんだが、どうなんだろう?無一文だしなぁ。さすがに通貨が石とかだったら嫌なんだけど。」

 

それにしてもこの森は木が立派だなぁ。というか人の手が入っていない。まぁ、現代でも田舎に行けば有るっちゃあ有るんだけどな。

 

歩いているうちにリンゴの生えてる木にぶつかりその実をいくつか頂戴することにした。

 

「良し。これで腹ごしらえもできる上に民家の人にも渡せそうだ。」

 

にへらと笑みがこぼれる。傍から見れば不審者だが、そんなことは気にしない。

 

 

 

 

 

 

しばらく民家がある方向へ足を運んでいると木の生えていない円形の草原があった。所々に大きな岩が鎮座しているのが見える。

 

「へえ、こんな所もあるのか。」

 

自然の面白さに感心しながら、手近な石に腰をかけ、リンゴを食べようとする。

その時、進行方向の森から、ズシンとした大きな音と共に、鳥の群れが飛び去って行った。

 

「なんだ?」

 

突然起こった現象に呆気に取られながらもそれに興味を持ち、石から立ち上がり音の発生源付近を凝視していた。

しかしその興味とやらは、源の主が姿を現わしてから一瞬にして恐怖へと早変わりした。

 

 

 

それは、世界のどこを探しても存在するとは思えない生き物がいた。

 

 

 

なんだこいつは?

 

そいつは、蜘蛛のような姿だが3メートル超の蜘蛛なんざ聞いた事が無い。

 

しかも足は8対あり、頭と思われる部分には角のような、いや、角なのだろう。それが生えている。

 

おまけになぜかこっちを凝視している。嫌な予感しかしてこない。

 

その嫌な予感が的中し、奴がこちらに近づいてくる。その鋭い牙が並んだ口をしきりに、獲物を狙い定めるかのようにガチガチと鳴らしながら。

 

「こいつ俺を食う気なのか?」

 

思わず口からその言葉が出てきた瞬間、一気に恐怖心が猛烈な勢いで沸いてくる。

 

逃げようにも恐怖で足が動かない。勘弁してくれ、死にたくない。

 

 

(俺はここで死ぬのだろうか?)

 

 

涙を流しながらも、頭の中にその疑問が浮かぶ。答えてくれる人などいない。

 

その間にも蜘蛛もどきはさらに接近してくる。頼む、足よ動いてくれ。

 

藁にも縋る思いで願っていると蜘蛛もどきの足が大きな枝を踏み砕いた。

 

突発的に大きく乾いた音が周囲に響き渡る。

 

その音に、はじかれたように自分の足は動いた。

 

「うわあああああああ!」

 

そう叫びながら、奴から逃げようと必死に走る。誰か助けてくれ!誰でもいい。この状況を打破できるのなら。

 

助けてくれたら何でもする。一生仕えてでも恩を返す。だから助けてくれ。いや、助けてください。

 

ふと後ろを振り返ると蜘蛛もどきは、俺を取り逃がすまいと、その巨体からは想像もし得ないほどの速度でこちらに突っ込んでくる。

 

俺の全速を確実に超えている。ヤバい、逃げられない。やはり食われてしまうのだろうか?

 

そんなことを考えているうちに、奴は真後ろにまで接近していた。

 

そして先端が鋭く尖った足を振り上げ、自分を串刺しにしようとする。

 

「くぅっ……!」

 

思わず俺は身を屈め、頭を両腕で覆い、目をつぶり、襲いかかるであろう痛みと衝撃に備えた。

 




このまま、にじファン時代の104話まで投稿して、それから書きためた物を投稿したいと思います。宜しくお願い致します。


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3話 一体全体何が何だか……

どうもセロリです。続きであります。どうぞ。


ギュッと目をつぶり、これから来る痛みに恐怖しながら備える。

 

 

 

 

 

 

 

……あれ?来ない。痛みが……なぜ? 

 

 

 

代わりに、唐突に地面がズシンと揺れた。

 

ふと眼を開けて周囲を見渡すと俺に攻撃を加えた蜘蛛もどきが、先の位置より20メートル程離れたところに仰向けになってもがいていた。

 

しかも攻撃を行った腕が根元から吹き飛び、タールのような色をした体液が噴き出ている。

 

ま……全く把握できない……おまけにグロい。

 

何がどうなってるんだ?俺はさっき奴にやられたはず。何で奴がひっくり返ってんだ?

 

立場がまるで逆になっている。

 

 

 

 

 

「い……今のうちに。」

 

奇跡か何かとしか思えないが、自分は生きている。だったら逃げよう。

 

まだ悲鳴とも、怒号とも、とれるような叫び声を上げる蜘蛛もどきを尻眼に民家へと足を向ける。

 

だが、現実はそんなに甘くは無かった。

 

「ガアアアアアアアーーーッ!!」

 

「おいおい、マジかよ……」

 

もう起きてきやがった。なんなんだ?こいつ。

 

しかもかなり怒ってるんじゃないか?これ。

 

 

 

蜘蛛もどきは、叫び声をあげながら、俺を今度こそ確実に息の根を止めようとしているのだろう。先ほどよりも猛烈な速度で突進してくる。

 

「グアアアアアアアアアアアアアッ!!」

 

奴は無事なもう一方の足で俺を再度貫こうとする。

 

俺は反応すらできずに、ただ奴の攻撃を見てることしかできなかった。

 

 

 

 

 

しかし、再び信じられない事が起こった。

 

前足が身体に届く少し手前で、突然壁か何かにぶつかったように弾かれ、そのまま奴は身体ごと吹き飛んでいった。

 

「な、何が起こったんだ?」

 

なぜ弾かれたのだろうか?こんな人間なんぞそれこそ一撃で葬り去ることができるはずなのに。

 

おそらく奴も同じことを考えているだろう。考えられるほどの知能があればの話だが。

 

そして両前足を失った奴は、苦痛の叫びをあげながら森の奥深くへと退散していった。

 

 

 

 

 

 

「もう・・・大丈夫なのか?俺は生きてるんだよな?」

 

自分の身体を両手で叩いたりなでたりして、無事であることを確かめた。

 

自分の命が助かった。自分の身が安全であると実感してくると緊張の糸が切れ、堰を切ったように涙があふれてくる。

 

拭っても拭っても涙は止まらない。

 

また泣いてしまった……もう20歳なのに……。

 

しかし、この感覚は懐かしい。

 

この心境は、子供のころに海で溺れかけ、なんとか自力で助かった時のあの安堵感。それに非常によく似ている。

 

この場所で泣いていては駄目なのは分かってる。でももう少しだけこの感覚を味わっていたい。

 

この生を実感できる貴重な時間を存分に堪能したい。

 

だから俺は、声を押し殺して泣き続けた。

 

 

 

 

 




平均文字数がどんどん減って行く……。50話から先の後半になれば増えるはずです。ではでは。


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4話 やっと安心した……

色々あったが自分は生きている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

紆余曲折有りながらもなんとか民家へとたどり着くことができた。

 

まるで縄文時代かそこらへんの家屋だ。何より扉が無い。だが、植物性繊維の幕のようなものが代わりにある。

 

まずは、最寄りの民家の入口付近から声をかける。

 

「すみません。どなたかいらっしゃいませんか?」

 

 

 

しばらくすると、中から体格の良い男が出てくる。年は30代ぐらいだろうか?

 

動物の皮を使用しているのだろう。そんな感じの衣服を着ている。

 

「ん?なんだ?」

 

かなり警戒した顔で訪ねてくる。当然か。相手は素性も分からない上に、見たこともない服を着ているのだから。

 

相手の警戒を解くために少々作り話をしてみる。

 

「自分は旅の者なのですが、途中で化け物に襲われてしまい荷物を根こそぎ盗られてしまったのです。何とか命からがら逃げてきたのですが、どうか助けていただけませんか?」

 

「化け物?どんな化け物なんだ?この近辺では滅多に出ないのだがな。ここは辺境とはいえ、一応洩ヤ様の領地だからな。……嘘は吐いてないだろうな?」

 

洩ヤ?諏訪地方の?ミジャグジの?

 

そしてなかなか警戒を解いてくれない。どうしたものか。化け物の特徴でも言ってみるか?

 

「嘘だなんてとんでもない!あそこの森で出くわしたんです。化け物の姿は蜘蛛に一番近いと思います。足が8対あって、頭に角が生えてました。後、身体は自分よりもかなり大きかったです」

 

そう言って俺は自分の着た方角を指差しながら言った。頼む、信じてくれ。

 

内心ビクビクしながら男の反応を待った。

 

自分の言い分を聞いた男は、少しの間考えるようなしぐさをし、突然思い出したかのような顔をして話した。

 

「あいつか!あの妖か!あいつは鬼蜘蛛といってなぁ。……しかしまだ生きていたのかしぶとい奴め」

 

妖?ああ、妖怪の事か?多分、妖怪の事なんだろう。それにしても鬼蜘蛛って・・・。つくづく変な世界に来てしまったものだと思う。

 

しばらく男はその鬼蜘蛛について、よっぽど怒りがあったのだろう。ぶつぶつと文句を言っていた。

 

「あの……?」

 

と、俺が声をかけると、男はあわてて

 

「ああっと、すまない。お前さんが嘘をついてないのは良く分かった。疑ってすまなかったな。……お前さんが遭遇した鬼蜘蛛は、つい最近我々の集落を襲ってきてな。

その時に退治したはずだったんだが、まさか生きていたとは思わなんだ。また狩りに行かなくてはならんなぁ。……それよりも、あれに襲われてよく生きてこれたな。何かの神の加護でも受けているのか?」

 

神?俺からすればなんのこっちゃ?っという感じなんだが。適当に言っておくか。

 

「いえ、そのような大層なものは受けておりません。逃げるのに必死でしたから。自分の荷物の中にあった鹿肉などの食糧を袋ごと投げつけて逃げました」

 

「あんた運がいいな。いや、もしかしたら洩ヤ様が加護を授けてくれたかもしれないな」

 

え~?祟り神が?見ず知らずの旅人の対して加護なんて授けるか?あり得ないと思うんだがなぁ。おまけに信仰もしてないし。

 

とりあえず、寝床の確保のための交渉をせねば。リンゴも襲われた際に落としてしまったし。

 

「ところで、すみませんが雑用でもなんでもいたしますので、どうか寝「分かってる。今日は泊っていくといい」本当ですか!?」

 

「ああ、その代わり働いてもらうぞ?働かざるもの食うべからずだ」

 

「もちろんです!! 働かせていただきます。本当にありがとうございます!!」

 

やばい。嬉し過ぎて涙が出そうだ。

 

俺が喜んでいると男は思い出したように言った。

 

「そういえば自己紹介がまだだったな。俺はリキだ。お前さんは?」

 

「申し遅れました。自分は大正耕也と申します。よろしくお願いします。」

 

「こちらこそ、よろしく。さっそくで悪いんだが、近くの川にいってこの水瓶に水を入れてきてくれ。」

 

そう言って、ずいぶんと大きい水瓶を指して言う。ずいぶんと重そうだなオイ……。

 

「分かりました。行ってきます。……一人で持てるかなぁ?」

 

最後に小さく俺の言葉を聞きとったリキさんは、笑いながら

 

「な~に言ってんだよ。女の子でも持てるのに。男のコウヤが持てなくてどうする?」

 

「は……ははは。そうですよね~」

 

本気でマズいかも知れん。

 

 

 

 

 

 

それにしてもこの水瓶、何も入ってない状態でも重いな。持てるからいいけど。

 

水は何リッター入るんだろうか?60以上は入りそうな気がするんだが、気のせいだろうか?

 

そんなこんなしているうちに川へと着いた。

 

「川がきれいだな。俺の行った川で一番きれいだった長瀞渓谷よりもずっときれいなんじゃないか?」

 

感心してる場合じゃない。早く仕事を終えねば。多分この水は煮込みか何かに使うのだろう。

 

 

 

 

幸い川の流れが緩やかなため、瓶に水を入れる作業は円滑に終えることができた。

 

それにしても重い!何キロあるんだよこれ!!全力で持ち上げようとしても形状のせいか持ち上げにくい。

 

腰痛めるぞこれ……。

 

「こいつは重い、重すぎる。軽くなってほしいなぁ。重さが1%ぐらいになればメチャクチャ楽なんだけ……うわっ!」

 

またもや不思議な事が起きた。鬼蜘蛛に出くわした時のように。

 

あれだけ重かった水瓶が、突然軽くなったのだ。当然のごとく俺はバランスを崩し、せっかく汲んだ水を自分にぶちまけてしまった。

 

「な、何だ!何が起こったんだ?……ちっくしょう!今日はことごとくツイてない!」

 

叫んでいても覆水盆に返らずなので、すごすごと汲み直す。

 

今度はさっきと同じく異様に軽かった。具体的には、満タンの500mlペットボトルと同じぐらいに。

 

まあ、ありがたいっちゃあありがたいし。このまま持ち帰ろう。

 

「それにしても、ずぶ濡れだなぁ。早く乾いてくれればいいのだが・・・。」

 

とつぶやいた瞬間に、服が瞬時に乾いてしまった。

 

もう訳が分からない。

 

 

 

そして俺は、水瓶を持ち帰りながら自身の身に起きている事を自分なりに分析していた。

 

 

 

なぜあの時、鬼蜘蛛の攻撃は自分に通らなかったのだろうか。それと、水瓶が軽くなった事や服が乾いた事も疑問だ。

 

願った事が現実に反映されてるのだろうか?でも、これは前者の現象に適さない。

 

では、言葉が現実に? ……これも違う。同じく前者に当てはまらない。

 

ならなぜ?疑問は深くなるばかりだ。

 

さらに疑問があった。腹がへらない。のども渇かない。トイレに行きたくすらならない。

 

本当に何が起こってるんだ?俺の身体に。実に恐ろしい。

 

昔やったゲームにかゆ、うま……、なんて言葉があって当時は笑っていたが、今は全く笑えない。

 

まあ、時間はあるし、おいおい確かめていけばいいか。自分の身体に変調をきたす前に確かめたいが。

 

 

 

 

 

 

 

 

水瓶を持って、リキさんの家の前まで来たのだが、リキさんが何やら申し訳なさそうな顔をしている。

 

どうしたのだろうか?

 

と、疑問に思っているとリキさんが口を開いた。

 

「スマン耕也。実は水汲みの用の瓶はそれではなくて、これだったんだ。」

 

と言って、別の瓶を指差した。

 

 

ずいぶん小さいなオイ!

 

容量は20リットル程の小さな瓶だった。

 

「いや、気にしなくていいですよ。何とか運べましたし」

 

俺がフォローするとリキさんはうれしそうに

 

「そうか、でもすまなかったな本当に。でも助かったよ。おかげで何回も水を汲みに行かなくてもすんだ。ああそうだ、家族を紹介しなくてはな。

うちはこの集落の長の家なんだよ。でもって親父が長なわけだ」

 

実は、俺が森を抜けてきたところををすでに長は見ていたらしい。おまけに怪しい行動をしていたら殺されていた可能性もあったとのこと。

 

勘弁してくれ。しかし合点がいった。

 

だから話がすんなり通ったのか。それもそうだよな、こんな奇天烈(この時代としては)な服装をしている怪しい輩を簡単に泊めるわけがない。

 

と、一人思考しているとリキさんが

 

「まあ、家に入りたまえ。今日は疲れたろう。ゆっくりしていくといい」

 

と切り出した。それに対して俺は素直に甘えることにした。

 

「ありがとうございます。よろしくお願いします」

 

そして俺は、リキさんの家族と賑やかな一夜を過ごすこととなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ついでに、リキさんの家族は14人家族だった。大家族だなオイ・・・。

 

そして寝る際に思った事がある。これが最大の疑問だ。

 

それは、

 

「俺って、埼玉県にいたはずなんだけど・・・なんで長野県に?」

 

というものだった。いやマジ不思議。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




続きます。


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5話 そうだ、洩ヤ様に会いに行こう……

この時代はどうやら縄文時代の晩期にあたるらしい。稲作があるしね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺はリキさんの家に居候になってから約3ヵ月の間、自分の能力などを検証してみた。

 

もちろん、その能力を生かして仕事を手伝うという形だったが……

 

検証の仕方と言えば、その辺の若者をつかまえて角材を持たせ、殴ってもらう事などだ。

 

角材で殴ってもらったところ、何も念じていないにも関わらず、インパクトの瞬間に角材が折れ、弾かれていった。

 

次に、焚火に手を突っ込んでみたところ全く熱くない。

 

それはなぜか温かいと感じる範囲までは本当に温かい。しかし熱い、やけどしそうだという

 

範囲にまで接近すると途端に熱くなくなる。そして油をかけて腕を燃やしても全く熱くなかった。

 

何の損傷もなく。ホント不思議。

 

 

 

 

 

 

 

 

それからさらに日がたって自分の能力に領域のようなものがある事が分かった。

 

焚火に手をかざすと、明らかに手の無い部分まで火が避けていくのだ。それは角材でも青銅製の剣でも同じだった。

 

集落の人達は最初は驚いていたが俺を迫害するようなことは無かった。理由としては、実際に洩ヤの加護を体験したりしているためとのこと。

 

だから特に問題は無かった。

 

領域の方は自由自在に広げられるようだった。範囲は後で調べていこうと思う。

 

これはひょっとしたら今後生きていく上で、自分でもかなりのアドバンテージになるのかもしれないと思っている。

 

 

 

 

そして翌朝、長に声をかけられた。

 

「耕也君、これから洩ヤ様のところまで収穫した米をお届けしに行くのだが、手伝ってくれないか?」

 

自分も洩ヤというのが、どういったものなのか知りたいため二つ返事で了解する。

 

「分かりました。お供します」

 

「うむ、助かるよ。では、この米俵を牛車に積んでくれ。もちろん皆でな」

 

「はい。……すみませーん、ちょっと手伝ってください」

 

俺が声をかけるとわらわらと男たちが手伝いに来る。

 

そして、集まった男たちの一人が話す。

 

「どうしたんだい?耕也」

 

「洩ヤ様に豊作の報告と感謝、そして税として持っていくための米俵を、牛車に積み込むのを手伝ってほしいのです」

 

「おう分かった。よしお前ら急いで積み込むぞ」

 

男たちは納得して積み込んでいく。

 

当然のことながら俺も積み込んでいくのだが、マジで軽い。まるで羽のように軽い。能力は使えば使うほど上達していくのが分かる。

 

 

 

 

 

 

 

順調に積み終わり、俺と長は集落を出発して中央の里を目指す。距離は牛車で一日と少しらしい。

 

そこに洩ヤの社があるとのこと。

 

ちなみに服はここの人達と同じものを着ているため、怪しまれることは無いだろう。

 

(にしても過積載なんじゃないか?牛が苦しがってるぞ。)

 

そう思いながら積荷の重量を軽くしてやる。すると牛は苦しがらなくなりスムーズに歩くようになった。

 

やはり便利だ。しかしリスクなどは無いのだろうか?

 

道中ではそんな不安が俺の中に残った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんなこんなしているうちに中央の里に着いた。ついたのは良いのだが、もう夜です。昨日の朝に出発したのに夜です。

 

俺が里を見渡していると、長が「社に行くぞ。洩ヤ様にお会いしに行かなくてはならん。気を引き締めろ。」と注意を促す。

 

「分かりました」

 

と、短くやり取りし、社の目の前に行く。

 

社の目の前に着くと、税として、また信仰の証として納める米俵を積み上げていく。積み終わると、一同土下座をするかのような格好になる。

 

当然俺も土下座しているのだが。事前に長に教えてもらっていたからだ。

 

そして、しばらくすると里長が

 

 

「洩ヤ様!今年もあなた様の御神徳により見事な豊作と相成る事ができました!感謝のしるしといたしまして。ここに酒と宴を用意してございます。どうぞご堪能くださいませ!」

 

すると社の中から声が響き渡る。

 

「よかろう。皆の者、苦労であった」

 

「「「「ははーーーーっ。」」」」

 

どこの時代劇だよと思いながらも俺も声を発する。

 

そして、社から洩ヤと思わしき者が姿を現す。

 

その瞬間俺は思わず声をあげてしまいそうになった。

 

(な、何だとおおおおおおおおっ!!)

 

里親の言っていた洩ヤの姿と全く違っていたからだ。

 

その姿は

 

(あいつ、諏訪子じゃん!!)

 

そう、東方風神録に出てくる守矢諏訪子だった。

 

長は禍々しい黒い蛙だって言ってたのにさ!

 

(ここって東方の世界じゃないか!!)

 

もうどうしよう……。

 

 

 

 

そして、俺の驚きをよそにどんどん里長と諏訪子とのやりとりが進んでいく。

 

「なにとぞ来年も豊作になりますよう、お力添えをお願い致します」

 

「よかろう。ならば信仰を示せ。お前たちのできる最高の信仰をな」

 

「ははっ。つきましては半年後にふさわしい生贄を「いや、生贄は私が決めさせてもらう」は?」

 

「生贄はあの男で良い」

 

俺の方を指さしながら言った。

 

……は?おれええええーーーーーっ!?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




次話へ続く


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6話 え? 俺が生贄……?

生贄って、あの生贄だよね?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「生贄はあの男で良い。半年後に我に捧げよ」

 

突然の事に一同が驚き沈黙する。だが、当の本人はそれ以上に驚いていた。

 

(正直ここが東方世界だとは思わなかった……。それに生贄だって?冗談じゃない!)

 

俺は、横にいる長の顔を見る。案の定驚きすぎて固まっているようだ。

 

その時諏訪子が、皆の驚きようを見かねたのか切り出した。

 

「どうした皆の者、今日は我に対して宴を開くのではなかったのか?」

 

その言葉に、里長が弾かれたように再び頭を下げ

 

「申し訳ございませんでした洩ヤ様! さあ皆、宴を始めよう。里人を集めるのだ! そして今年の豊作への感謝を! 

そして、皆の住む場所をお守りしてくださったことへの感謝を洩ヤ様に捧げようではないか!」

 

そして、俺の気持ちをよそに里人達は宴を開始していく。何ともやりきれない気持ちになる。

 

まあ、当然か。選ばれたのは自分ではないのだから。さらに最初は驚いたのかもしれないが、今回は諏訪子が自ら選んだだけの事。

 

そこまで気にする事でもないのだろう。毎年行われている事なのだから。

 

そして俺は、俺の事を心配してくれているのか、そばにいてくれる長に向かって言った。

 

「俺の事は気にせず、参加してきたらいかがですか? 洩ヤ様に対する感謝の宴なのでしょう?」

 

すると長は俺を見ながら黙って首を横に振りながら言った。

 

「今日はもう帰ろう。さすがに私も参加する気にはなれんよ」

 

「ですが……」

 

「帰ると言ったら帰るんだ。お前も参加する気になどなれんだろ?」

 

気遣ってくれるのは素直にうれしい。だから俺は素直に従った。

 

「分かりました。帰りましょう」

 

そして、私たちは宴に参加せずに夜更けを待って集落へ出発した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

集落に帰ると皆が総出で迎えてくれた。長に何を話し合ったのか? や、洩ヤ様は壮健であらせられたか? 等を聞いている。

 

長は当たり障りなく話していたが、誰かが来年の生贄についてはどうなったのだ? と、聞くと途端に顔を曇らせた。そして俺の顔をうかがってくる。

 

俺は黙ってうなずいた。話しても良いと。

 

そして少しの間逡巡した後、皆に切り出した。「生贄は耕也に決まった。」と。

 

その言葉を聞いた皆は様々な表情を浮かべた。

 

なんで旅人が? というものや、俺たちでなくて良かった。というもの。同情や憐みの視線を送るもの。

 

まあ皆の心の奥底にあるのは、自分でなくて良かったというものだろう。仕方がない。境遇が同じなら俺もそうしていただろうから。

 

しかし、かなり気まずい雰囲気になってしまったので、努めて明るく切り出す。

 

「生贄の対象になってしまったのは仕方ありません。それまでの間、せいいっぱい集落に尽くすつもりですので、気にしないでください。それと、旅人だからといって逃げたりはしないので安心してください」

 

まだあと半年の猶予があるのだ。できる事はある。そう俺が説得するといくらか空気が和らいだ。

 

そう、まだ半年も。そして俺は死なないという確固たる自信があった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その半年の期間は人生で一番短かった。

 

それほどまでに自分の生きる方法を模索したためだ。

 

その中で一番力を入れたのが自分の力を使いこなす練習だろう。

 

そしてほぼ合っていると思うが、おそらく自分の力の原因は現実世界の人間だから。ただそれだけだろう。

 

人妖構わず俺に対しての害、悪意のある干渉ができないのは、おそらく俺が高次元の存在だからなのではないかと思う。自分でも恥ずかしくなるような説だ。

 

だが、確かに東方世界よりも現実世界の方が色々な意味で高次元なのは確かだ。

 

また、自分の力の領域についてだが、領域は外側と皮膚付近を覆う内側の二重構造になっているらしい。外側は球状であり自由自在に広げられる。

 

この領域内では、物理的なものは防げないが呪術や魔法などの神秘的なものは一切無効化してしまうらしい。

 

現に諏訪子から加護を授けてもらった剣が、領域に入った瞬間に力を喪失してしまい、ただの剣になってしまったからだ。その時は長にこっぴどく怒られてしまったが。

 

内側は悪意的干渉を全て防いでしまうらしい。要するに最後の砦みたいなものだ。

 

何といってもヤバいのが、視界に映る範囲で創造を行えることだ。水や木材、さらにはチタンのインゴットまで創りだせるのだ。まあ大体の事は出来るようだ。

 

創造したものは武器として転用可能だったため、妖怪退治の際には積極的に利用していった。

 

それと同時に現実世界からの保護も受けているらしい。触れただけで重量が軽くなる事や、生理的(トイレや食事とか)行為が必要ない事。さらには老いることが無いとのこと。これは寝ていた時に突然情報として頭の中に浮かんできたことだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

創造したものを最初に武器として転用したのが、俺がこの世界に迷い込んでしまったときに襲ってきた鬼蜘蛛退治だ。

 

その時の奴は、こちらが大勢で狩りに行ったのにもかかわらず、俺を発見するや否や一直線に突っ込んできた。学習しない奴だなと思う。

 

俺の予想通り、奴の攻撃は通らずにまた吹き飛んでいき、仰向けになってもがく。

 

すかさず俺は奴の頭上に直径2メートル程の銅製の球を創造し、空中で固定する。そして俺はハンマーを振り上げるような姿勢をしながら

 

「こいつでも食らっとけ!」

 

その言葉と共に腕を振り下ろす。

 

それと同時に猛烈なスピードで銅球が鬼蜘蛛に振り下ろされ、轟音と共に押し潰す。

 

鬼蜘蛛は即死。こちらの被害は0。完全な勝利だった。

 

集落の人が驚いたかどうかだが、もう今更という感じだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして生贄の前々日、俺は長に呼び出された。

 

俺が家の中へ入るといたのは長一人だけであった。

 

そしておもむろに長は俺に対して頭を下げながら言った。

 

「耕也君、本当にすまない。本来なら旅人である君をこのような目に」

 

「頭をあげてください長。自分は確かに死にたいとは思いませんが、事実この集落に命を助けられたのです。ならば恩返しの意味でもこれ以上の事は私にはできません」

 

俺は冷静に、だがしっかりと伝わるように言う。

 

俺の言葉に長はしばらくの間戸惑っていたが、やがて納得し今後の予定を話す。

 

「では明日の夜明けとともに、中央の里に向かって出発する。着いたらそこで生贄の儀が行われる夜まで待ち、時間になったら社まで運ぶ。よいな?」

 

「分かりました。では、明日に備えて私は寝ます。おやすみなさい」

 

「ああ、おやすみ」

 

そして俺は寝床に着く。明日からが正念場だな。

 

 

 

 

 

さてさてどうなることやら。

 

内心ほくそ笑みながら明日の事を考える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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7話 話し合おうよ。ね? ね? ……

俺が生贄にならなかった場合って、豊作になるのか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

当初の予定通りに俺たちは、中央の里へと着いた。里長の家に着き、中へと入ると各集落の長が一堂に集まっていた。

 

皆真剣な顔をしている。神聖な儀式なので当然でもある。そして何より、一人の命を犠牲にしてこの地を存続させるのだから。

 

それからしばらくの沈黙の後、里長が口を開く。

 

「さて、耕也君といったかな? 君は旅人ではあるが集落に良く尽くし、最近はこの地に根を生やしたようだね。そして、本来ならば生贄の儀式はこちらの選出した者が生贄となるはずだった。

しかし今年に限ってはなぜか洩ヤ様御自身が選出なされた。できる事なら君を選ぶべきではないのだが……。本当にすまない」

 

そういって長は深く頭を下げた。それに習って他の長達も頭を下げる。

 

しかし俺は「頭を上げてください」と前日に長に言ったことと同じ事を言って頭を上げさせる。

 

それからは話がとんとん拍子に進んでいく。

 

儀式にはどのような服装をしていくや心構え、姿勢、遺言等など面倒くさいことこの上ないが、仕方がないと納得し素直に聞く。

 

また、人生最後なので豪華な食事と酒が振る舞われた。念のため酒は飲まない。今後起きるであろう事態に正確に対処できるようにするためだ。

 

例えば諏訪子と交渉、もしくは戦闘になる可能性もあるからな。

 

まあ、そんなこんなしているうちについにその時が来てしまった。儀式の時間だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

中央の里の森の奥にある大きな社。それが生贄を捧げる際に使用する場所らしい。そこに諏訪子の本体がいるとのこと。

 

宴の時は分社のようなものだったらしい。分社にしては普通の神社に勝るとも劣らない大きさであったが。

 

そして俺は白装束を着て、何らかの石で作ったのであろう首飾りをする。

 

「準備は良いかね?」

 

そう里長に声をかけられ、俺は

 

「はい」

 

と静かに返事をする。

 

その声の小ささに、気の毒な事をしたという表情が見てとれる。

 

気にせんでもいいと言ったのに。と思うが、立場が逆なら同じ事をしていただろう。

 

 

 

 

 

 

 

俺は神輿のようなものに担がれ、社へと向かう。両脇には松明を持った長などの重鎮が列をなし、歩いていく。

 

社に着くまでの間、俺は次のような事を考えていた。

 

(さてさてどうしたもんかね。俺が生贄にならないとここは不作になるだろうし、かといって死にたいとは思わない。

実際のところ、諏訪子は俺に対して危害を加えることは事実上不可能だろう。俺が死なないで村が豊作となる。

これが理想だが、まあ無理だろうなぁ。長年続いてきた習慣を俺だけ無効にしてくれなんて通るわけがない。あまりにも都合が良すぎる。

ましてや俺は旅人という設定なのだから口をはさむ権利すらないだろう。郷に入れば郷に従え……か。何とか折衷案を出せないものか? う~ん、困った。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そう俺が思考していると、いつの間にか社に着いてしまった。

 

担がれた神輿は社手前まで持っていかれ、降ろされる。俺以外の者たちが土下座の格好をする。

 

そして、皆の体勢が整ったところで里の長が諏訪子に対して嘆願の文を述べる。

 

「洩ヤ様! またこの季節がやってまいりました。稲作の季節でございます。どうか、今年も変わりのない豊作を。どうかお願いいたします。

そのための贄をここに用意してございます。洩ヤ様の御所望しました例の男にございます。どうか我々の変わりなき信仰の証として、この男をお納めください。」

 

そして一同が

 

「「「「どうか、お納めください」」」」

 

と、声をそろえて言う。

 

しばらくすると社の中から声がしてくる。頭の中に直接響いてくるような声だ。

 

「よかろう。今年の豊作、約束しようぞ」

 

その言葉を聞いた一同は、再び地面にめり込む勢いで頭を下げる。

 

そして諏訪子が

 

「さがるが良い。苦労であった」

 

と労う。

 

そこで全ての儀式が終了し、俺を残して皆帰って行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あたりに静寂が訪れる。まるで森が死んでしまったかのような静けさだ。

 

あまりにも静かすぎて居心地が非常に悪い。そして正座のままなので足がしびれそうだ。

 

俺がしびれを切らしかけたところで、ようやく諏訪子が姿をあらわす。

 

やはりあの時と、そしてゲームと変わらない姿である。

 

皆には、黒く禍々しい巨大なカエルに見えるのだろうが。おそらくそれは畏れと信仰からくるものなのだろう。

 

俺と諏訪子の視線が交差する。まるで、そこらへんに転がっている石を見るかのような目で。

 

やはりこの時代の神と人の差というのは絶対的なのだろう。神が人を生かしている。そんな考えが常識なのだろう。

 

本来ならば逆だというのに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、30分ほどの時間が経過したころだろうか。

 

諏訪子がおもむろに尋ねた。

 

「お前は何者だ?」

 

と。

 

それに対して俺は「ただの旅人にございます」と、当たり障りのないよう回答する。

 

しかし、諏訪子は俺の嘘を完璧に見通していたようだ。

 

「嘘を吐くな。……お前は旅人ではないだろう? 」

 

嫌な笑みを浮かべながら追撃の言葉を言った。

 

「普通の旅人ならば、突然あの丘に現れたりはしないだろう?」

 

いやはや、すごいな。全部お見通しってわけか。

 

さらに

 

「あの時のお前の無様な姿は二度と忘れられん。あの木端妖怪に泣きわめく姿なぞ、傑作だったぞ」

 

と露骨に挑発をしてくる。

 

それを聞いて内心俺はかなり、というか相当イライラしてきたのだが、理性で抑え諏訪子に問う。

 

「洩ヤ様。早く儀式を終えてしまいませんか? 私のような有象無象の相手を気にするほどお暇ではありますまい。それとも、私を生かして豊作にしてくださるのですか?」

 

と、少し願望を織り交ぜながら質問する。

 

それを聞いた諏訪子は笑いながら

 

「フフフ……。まあいい。どうせ無駄だろうがな」

 

と言いながら配下のミジャグジに「奴を食らえ」と指示を出す。

 

命令に忠実に従ったミジャグジは俺に対して口を大きくあけながら襲いかかってくる。

 

ミジャグジは、元々蛇のようなそうでないような形だったため、さらに蛇じみて見える。

 

俺はゆっくりとその様を見ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

結果は俺の予想が見事的中。ミジャグジは俺を食らう事ができず、逆に跳ね飛ばされてしまった。

 

それを見た諏訪子は「予想通り」と言わんばかりの顔をしていた。

 

続いて

 

「私はお前がここに至るまで四六時中監視の目を光らせていたのだからな。これは想定の範囲内だ」

 

と言葉を口にする。

 

そして

 

「お前を殺す手段は私にはない。どうする? 迷い人よ。これはお前の首を自分で絞めている行為になっているのだ」

 

そんなことはとっくのとうに分かっている。

 

今の俺には居場所が無い。いや、正確にはあった。が正しいか。

 

しかし、鬼の首を取ったかのような言い草だが諏訪子にも穴がある。さて、素を出すとしましょうかね。

 

「なら、お前はどうなんだ? 俺が里まで降りて生きている事を証明し、さらには生きている理由を特別扱いにしてもらった。などと言ってしまえばお前の信仰はがた落ちだぞ?」

 

そう、これは生贄の公平性が失われてしまうところを突き付けた結果になる。

 

これでどのみち諏訪子と俺は住民の怒りを買う事になる。

 

なぜお前が生きている!? なぜ洩ヤ様は今まで人を生贄に捧げさせたのだ!? といった具合に。

 

さてこれなら両者とも折衷案を飲まねばならなくなる……はず。

 

意外にも諏訪子の口から折衷案が出る。

 

「ほう、ついに素を出したか、まあいい。……仕方がない。あ奴等の要求は飲むとしよう。しかしお前は死んだ身であり、この世には存在しないことになっている。

奴らに存在がばれるのもこちらとしては非常に面倒くさい。ならばお前はここで暮らすといい。耕也よ」

 

折衷案ではなくかなり理想案に近い結果になった。

 

俺が安堵していると、諏訪子が突然

 

「お前の目には、私はどう映る?」

 

少し影のある表情で、しかし答えは分かっているといった感じの不敵な笑みを浮かべて尋ねてくる。

 

そして俺は、ああ、存外こいつもさびしがり屋なんだなと思う。やはり人妖神問わずに一人はさびしいのだ。

 

人間から信仰される存在だとしても、それは恐怖と畏れからであり親しみを持ってはいないのだ。

 

配下のミジャグジ達も王と臣民の関係なのだろう。王は孤独とはよく言ったものである。

 

だから俺は素直に、しっかり伝わるように、真心を込めて、しかし遊び心も少し混ぜて言った。

 

「はてさて、洩ヤ様は黒くて禍々しいカエルだと長達は言っていたが、どういう事だか俺の目の前にいるのはかわいい帽子を被った美人さんなんだけど?」

 

自分で言ってて恥ずかしい。キザすぎて死にたくなる。だが表情には出さない。

 

諏訪子は俺の言葉を聞いて、無表情に。そして顔を赤くしてトレードマークの帽子を深く被りそっぽを向く。

 

そして

 

「バカ者……」

 

と小さくつぶやいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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8話 よし落ち着け。俺は何もしていない……

誤解ってホント怖いよね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

諏訪子の神社で暮らしてから、はや200年。年をとらなくなってから月日がたつのが本当に早く感じる。

 

その間俺は惰眠をむさぼっていたのではなく、俺は自分の力にさらなる発展をさせてみた。

 

まずはジャンプ。自分の言った場所や視界の範囲内であれば、ビーム転送をして行き来できるようになった。

 

次に食糧を創造できるまでになった事がうれしい。ただし、前世界で自分の食べた物しか想像できないけど。

 

フォアグラやスッポン肉を創造しようとしてもできなかったし。さらには当然かもしれないが生命は創造できない。

 

機械類は創造できなくもないがジェット機やロケット等の高度な工業製品などは、今は無理らしい。キャンプセットは余裕なんだがな。

 

こういうのを把握してると案外化け物じみてるなと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そしてある日、俺が自作した缶ココアを庭でのんびりと飲んでると、そこに諏訪子がやってきた。

 

何やらニヤニヤしている。なんなんだ?

 

そう思いながらも好奇心に素直に従い尋ねる。

 

「どうしたんだ?」

 

すると諏訪子がとんでもない事をのたまった。

 

「子供ができた。」

 

思わず俺は自作の缶ココアを地面に落してしまう。

 

え? なんだって? 子供?

 

きっと聞き違いに違いない。そうだ、聞き違いに決まってる。

 

「諏訪子、良く聞こえなかった。もう一度言ってくれ。」

 

すると諏訪子はより一層ニヤニヤしながら

 

「だから、子供ができたんだよ。」

 

……何だと?嘘だろ?

 

真偽を確かめるために、さらに聞く。

 

「嘘だよな?」

 

「だから、嘘じゃないって。」

 

いやいやいやいや。待ってくれ。意味が分からん。

 

「お前誰とこさえたんだ!? いつ、どこで、誰と!? まさかのまさかの俺!?」

 

すると諏訪子が爆笑しながら

 

「アハハハハハハハハ!! だれともしてないよ!」

 

という。

 

意味が分からない。キリスト教じゃないんだぞ? んなアホな。

 

そう俺が頭を抱えてると、諏訪子は俺が混乱しているのをさとったのか、理由を話し始めた。

 

「実はね。これは皆の信仰のおかげなのさ。ほら、お前がここに来てから生贄をやめただろ? 産めよ増やせよってね。それのおかげで今までよりも信仰が格段に増えた。

そこでさらに、身近にいて民を守る存在が必要だと考えたのさ。その結論が神の子ってわけさ。だから増えた分の信仰を使って子を成したってわけ。」

 

そう、なぜか諏訪子は俺が神社に住み始めてから一切人間の生贄を拒否したのだ。その代わりにひと月に一頭の割合で、鹿や猪の生贄を捧げるように命令した。

 

これには住民も願ってもない事であり、満場一致の喝采で迎えられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それにしても、生命を自力でか……本当に不思議な世界だ。恐れ入るよ全く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして諏訪子は無事元気な女子を出産し、里の長の養子になった。

 

出産の際はどうしたかというと、俺は「男なんぞに任せられるか!」と、外に追い出されミジャグジがお産婆役をやった。

 

まあ、俺が手伝えることなんてたかが知れていたし、やった事といえば汗を拭くタオルと、ぬるま湯の入ったプラスチックの大きな桶、お産セット等々を用意するだけであった。

 

哺乳瓶や粉ミルクも用意した方がいいだろうか? なんて思ったが杞憂だったようで、諏訪子はしっかりと世話をする事ができた。

 

そして養子になる日は、生贄をささげる日に長に対して諏訪子自身が直接頼み込んだ。

 

別れた後は諏訪子が大泣きしてしまい、慰める羽目になってしまったが。俺だって泣いていたのに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺は人々の笑いや、神である諏訪子の表情の豊かさを見ながら思う。

 

この光景が崩れることなく、ずっと続いてほしい。と。

 

しかし、俺には分かっている。いつか八坂神奈子の所属する大和と、洩矢諏訪子の治める諏訪がぶつかりあう事を。

 

さて、次は戦争だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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9話 多勢に無勢でしょこれは……

外交官として大和と交渉だなんて……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

八坂神奈子は不満を抱えていた。

 

弱い。弱すぎる。なぜ他の国の神はこんなにも弱いのだろうか。と。

 

そして、強い奴と戦いたい。そんな欲望が渦巻いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時代はおそらく弥生に入ったのだろう。稲作も土器もかなり変わってきている。

 

ずいぶんとまあ長く生きているもんだと思う。そして俺は相も変わらずのんびりと過ごしている。

 

諏訪もずいぶんと人口が増えた。これは良い事だと思う。全ての発展につながるのだから。

 

ただ、最近は国境の情勢がおもわしくない。

 

理由は分かっている。大和だ。

 

諏訪子によると大和は、アマテラスを筆頭に強大な戦力を持ち、次々と他国を飲み込んでいったらしい。

 

おそらく西日本はほとんどやられたんじゃないか?

 

それにしても速い。もう諏訪まできたのか。今はまだ木端神のちょっかい程度で済んではいるが、いつまでも手こずっていると八坂達が動き出すだろう。

 

早めに交渉した方が良いかも知れない。そう思い、焼き鳥の缶詰をつついてる諏訪子に相談した。

 

「諏訪子、最近国境で起きている小競り合いをどう思う?」

 

すると諏訪子は王としての風格を纏いながら

 

「ああ、危険だな。どうせ大和の連中だろうが、今のところはまだ均衡が崩れていないから、まだなんとかなる。しかし奴らが痺れを切らしたら……分かるな?」

 

といった。うん。焼き鳥のタレが口についてる時点で風格が台無しなんだけども、あえて突っ込まない。突っ込んだら負けな気がする。

 

もちろん俺も答えは分かり切っているので答える。

 

「それはもちろん。……全面戦争だな。」

 

「その通りだ。私も争いは避けたいが、そうも言ってられない。民を守らねばな。」

 

「なら、停戦交渉でもしてみますかね? 見切り発車にならざるを得ないが、場合によっては戦闘をやめさせることはできるかもしれない。」

 

その言葉を聞いた諏訪子は、少し顔をしかめて言った。

 

「奴らが話し合いで片付くと思っているのか? 今までどれほどの国が軍門に下ったのか分かっているのか?」

 

「分かっているとも。だが戦争は人間を必ず巻き込む。さらにはその軍門に下った国の中にも無血開城をした国はわずかだろう? 一体どれほどの人間が犠牲になったのやら。

だから、交渉しないよりもする方がましだろう? 諏訪子?」

 

まあ、俺の本当の目的は敵陣の視察なんだけどね。あと、被害の軽減だな。

 

そして諏訪子は長い時間思考し、ようやく結論を出した。

 

「なら、交渉はお前に任せる。私はそれが決裂した際のために戦力の増強を行う。」

 

「分かった。それでいこう。」

 

おそらく諏訪子のやる事はミジャグジの召集と鉄の輪の強化だろうな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

交渉当日、俺は高天原直下にある大きな神殿に来ていた。まあドでかい社だが。

 

「ヤバいレベルの神力だな。にじみ出ている。こりゃ他の国が平伏したのもうなずける。」

 

と、つぶやいていると入口から女性が現れた。

 

「あら、人間が何の用かしら?ここは神々のための神聖なる社。近づくことすらも無礼なのよ?」

 

突然声をかけられた。

 

すかさず

 

「私の名は大正耕也と申します。本日は貴国との交渉のため、洩ヤ様の治める諏訪から遣わされた外交の者にございます。」

 

と答える。

 

俺の言葉を聞いたその神は憎たらしい笑みを浮かべながら

 

「あら、諏訪から……。神との交渉に人間ごときを寄越すだなんて、何て礼儀知らずな神なんでしょう。それとも? ただ単にそれほど疲弊しているのかしら?」

 

何だこいつ?腹立つなぁ。初対面でこれかよ。先が思いやられる。

 

煮えたぎる怒りを表情に出さぬように必死に顔作りをしながら

 

「ははは、お恥ずかしい限りです。ですが、本日の交渉は実りのあるものにしたいと思っております。」

 

「ええそうですわね。申し遅れましたわ、私はトヨウケビメと申します。それではどうぞこちらに。」

 

早くも重鎮の登場ですか。家に帰ったら胃薬を飲もう。

 

そう思いながら、会議場へと案内される。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

会議場の中に入ると、案外狭いものだと思わせられる。

 

そして、円卓に椅子が15脚。そのうち3脚に女性が座っている。そしてその後ろには屈強そうな、いかにも武人らしき神達が控えている。

 

なんてことだ。八坂にアマテラスにトヨウケ。本当に最上層部じゃないか。

 

さらに八坂神奈子からは威圧感がバリバリに発せられている。

 

交渉する気は全くなさそうだ。心なしかイラついてる感じがする。あまり刺激しない方がよさそうだ。

 

俺が座ったところで、アマテラスが口を開いた。

 

「今日はよく来てくれました人間。名を。」

 

「私の名は大正耕也と申します。この度は諏訪を代表して参りました。よろしくお願いします。」

 

俺が答えるとアマテラスは微笑み、自己紹介をしていく。

 

「私の名は天照大神。こちらこそよろしく。」

 

「八坂神奈子だ。」

 

「先ほど申しましたが、名はトヨウケビメ。とうぞよろしく。」

 

正直八坂神奈子が出張ってくるとは思わなかった。まずいな。おつむのレベルは他の二人に比べて格段に上だ。まじどうしよ?

 

まあ、ここは相手の反応を見ますかね。

 

「今日私がこの場にいるのは他でもありません。この交渉で「ええ、事前に聞いております。今回、無血開城の際における洩ヤ神の処遇についてですね?」……は?」

 

アマテラスが突然俺の声を遮って言った。

 

何言ってんのこいつ? 俺たちがいつ降伏宣言したよ? 意味が分からん。

 

俺が呆気にとられていると、トヨウケビメがクスクス笑いながら

 

「聞こえませんでしたか? 降伏条件についての交渉なのでしょう? そうですわよね? ニンゲン?」

 

入口で見せたあの憎たらしい笑みを浮かべながら言う。そして、後ろに控えている男たちもニヤニヤとしだす。そして、アマテラスも薄く笑う。

 

薄々そうなのではないか? と思っていたが、やはりそうだったのだ。元からこいつらに交渉する気などなかったのだ。だからすんなり入れさせてくれたのか。

 

てことは俺が今いるのは化け物の腹の中ってところだろうか?

 

ただ、八坂神奈子の表情が俺を射抜くような視線で見てくる。まるで一挙一動を見逃さないというレベルで。

 

……しかし本当に野心家ばかりなんだな。大和は。まあいい、どのみち交渉は成功するはずがないと分かっていたんだ。なら、少し仕返しをさせてもらっても変わらないだろう。

 

「私は、元々停戦交渉のために来ているのですがねぇ。 書簡は受け取っていただいたはずですが、これはどういう事ですか? まさか、あなた方の目は節穴なのですか?」

 

その言葉に周りの男たちが、いきり立つ。

 

「うぬ、人間の分際で生意気な!」

 

「我々とこの場にいるという事だけでもありがたいと思え!」

 

などなど。なんともまあすごい怒りようだ。

 

しかし、アマテラスが男たちを制し、再び口を開く。

 

「あなた方の要求は分かっています。しかし全国統一は我々の悲願。卑怯と言われようが、引く気はありません。」

 

やっぱり全国統一ですか……仕方がない。

 

「では、交渉は決裂ですね。」

 

「残念ですが……。我々は王国諏訪に宣戦布告を致します。」

 

その言葉を聞いた俺は何も言わずに外へ出る。

 

そしてだだっ広い建物の外に出た瞬間、武装した男たちに囲まれた。

 

「なんですか? 随分と物騒な。」

 

「八坂様がお前に話があるそうだ。おとなしく来てもらおう。」

 

とりあえず、嫌な予感しかしないので

 

「断る。」

 

と短く言って、諏訪子の社までジャンプした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

やはりただの人間ではなかったか。

 

部下から奴が目の前で消えたと聞かされた時は自分の推測が正しいのだと結論付けた。

 

神を、特に戦いに秀でているこの八坂神奈子を目の前にして全く物怖じしないあの態度。

 

トヨウケがバカにしていたが、奴は諏訪を攻める際に最も大きな障害になるに違いない。そう私は思う。

 

奴とも戦ってみたい。見た目20歳程度の人間であそこまでの強い心を持っているのだ。さぞや強いに違いない。

 

また私の楽しみが一つ増えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、諏訪子に伝えなければな。

 

やらないよりましと言ったが、これはやらない方がましだったな。

 

俺は社に帰還すると諏訪子の元へと向かった。

 

社に入って扉をあけると、諏訪子はサバ缶をつついていた。マヨネーズをかけて。

 

「どうだった? ……その様子だと失敗したようだな。」

 

「ああ、見事にな。ヤッコさんは最初から交渉する気なんかなかったらしい。初っ端から宣戦布告されたよ。」

 

それを聞くと諏訪子は、ほれ見ろと言わんばかりの表情で言った。

 

「だから言っただろう? 奴らが話し合いで納得するわけないんだって。」

 

「まあな。しかしあそこまでバトルマニアばかりなのかねぇ? 大和は。」

 

「ばとるまにあ? 何の事だ? 時々お前は意味の分からない言葉を使うのだな?」

 

「ああ、すまん。要は戦闘狂の事だ。戦争ばっかやってるだろう?」

 

「ははは。違いない。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それから一週間は何事もなく、戦争のせの字すら見当たらない程であった。

 

その間に諏訪子は戦争に向け着々と準備をし、万全の態勢を整えた。

 

あちらも同じことをやっているのだろう。

 

住民を地下シェルターに避難させた方がいいのかもな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、戦争は唐突に勃発した。

 

国境付近に大和神の軍隊が現れたとの情報がミジャグジより入った。

 

今はミジャグジ達が抑えているが、破られるのは時間の問題らしい。木端神であろうと人間からすれば一騎当千である。

 

何せ数がヤバい。まさかの5万の大軍勢とのこと。

 

俺も救援に行かなくてはならない。

 

何とかなるか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

国境付近に激しい剣と槍の交わる激しい音がする。

 

ミジャグジと大和の神の戦いである。

 

大和神はミジャグジにあらん限りの力をこめて剣を突き刺し、ミジャグジは防具もろとも相手を噛み潰し、身体を巻きつけ圧殺する。

 

ミジャグジは強い。確かに強い。しかしその力をもってしても数の暴力には負けてしまう。

 

「穢れた祟り神め! 死ねええええええ!」

 

「この愚かな大和神よ。土に還るが良い!」

 

ある者は雄たけびを、ある者は痛みに耐えかね悲鳴をあげる。

 

俺はミジャグジを、この土地を守るためにその戦いへと身を投じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この戦いは我々の勝ちだと。そう思っていた。いや、確信していた。数で勝り、みな優秀であったのだから。

 

巨大な蛇のようなミジャグジ。それは確かに強かった。だが所詮は多勢に無勢であり、我々の攻撃に瞬く間に数を減らしていった。

 

そして勝利まであと一歩というところで異変が起きた。今までいたミジャグジが地面へ溶け込み退却したのだ。

 

その光景を勝利だと確信した者も多くいた。事実、私もその一人だった。

 

しかしその訪れた高揚感は一瞬にして消し飛んで行った。

 

突然、太陽の光が遮られたのだ。

 

そして空から、巨大な何かが落下して、我々は激しい光と炎に包まれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

攻撃をする際にミジャグジを巻きこまないために退却させる。

 

そして俺は上空100メートルにて容量20万立米のガスホルダーを8基創造し、打ち込む。

 

「こいつを食らええええええ! ゲス共めええええええええ!」

 

そして、奴らのいる地面に直撃する寸前にBLEVEを起こし起爆させる。

 

ホルダー内で高温高圧になっていた液化天然ガスが常圧に解放され一気に液体から気体になり、空気と混合され爆発する。

 

すさまじい衝撃波と光、炎がホルダーを中心として広がり、敵をバラバラに吹き飛ばし、焼き尽くしていく。

 

現段階での俺の限界の攻撃だ。これ以上の攻撃はまだ不可能だ。

 

敵は密集していたため、相当数を葬り去ることができたようだ。死んだ神は煙のように消えていく。だが、神は信仰がある限り寿命も復活も自由自在だ。

 

そして、火が収まるのを待って地上に降り立ち、わずかに残った神に向かって言った。

 

「次に攻めてくるときは本気で来い。お前たち木端神なんぞ洩ヤ様が出張るまでもない。俺一人で十分だ。」

 

俺はそう言い放つと、後をミジャグジに任せ社へとジャンプした。

 

社に着いた瞬間、俺は疲れのあまり倒れこんでしまった。

 

あそこまで大規模な攻撃をしたのは自分でも初めてだ。そして創造した規模としても初めてだ。

 

俺が床に倒れこんでいると諏訪子がやってくる。

 

「おい、大丈夫か?」

 

「ああ、何とかな。敵の出鼻はくじいた。少し疲れ過ぎてヤバい。勝ちはしたが、お前のミジャグジも相当やられてしまったようだ。すまない。もう少し早く救援に行けばよかったな。」

 

そういうと諏訪子は

 

「よい。今はゆっくり休め。そのあとで詳しく聞こう。」

 

と、優しい声で俺を労った。

 

「なら休ませてもらおう……まあ大して何もしてないのだけど。所詮は人間って事だな俺も。」

 

そう言って目を閉じる。次は誰が動くのだろうか? そんな事を考えながら意識は深い闇の中へと落ちて行った。

 

 

 

 

 




とりあえず、夏コミで投稿できない分は纏めて投稿しました。では、また。


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10話 助けて諏訪子様!……

やっと更新できます。ではどうぞ。


諏訪子同様強すぎだよあんた……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私は、死んだように眠る耕也を見ながら思う。

 

こいつは一体どこから来たのだろうか? と。

 

私の攻撃を完全に防御するばかりか、物質の創造までやってのけてしまう。でも、それだけだ。

 

長年見てきて分かったのだが、こいつには戦闘などの素質が全く無いのだ。創造した物をただ振り回したりするだけ。だがこちらに来たての頃よりは多少はましになったが。

 

お前のいた世界はどんな所だったのだ? すべて分かっているかのような雰囲気。初めて私を前にしても全く恐れを抱かなかった大バカ者。

 

だが、親しみを持って接してくれる。家族のように接してくれる。今まで経験した事のない事ばかりだ。でも心地よい。この感情は嫌いではない。

 

そして耕也の頭をなでながらつぶやく。

 

「なあ、お前はどこから来たのだ? 迷い人よ。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

目を開けてみると、日は真上に差し掛かっていた。かなり寝てしまったようだ。

 

時計を見ると、およそ3日間眠っていたようだ。

 

特にすることもないのだが、今は戦争中であり、だらけている暇はない。

 

現在の情勢はどうなっているのかを聞かなければならないため、諏訪子を探す。

 

しばらく探していると、諏訪子は自分の寝室にいた。

 

「おお、耕也か。調子はどうだ?」

 

「まあまあだね。」

 

「それは良かった。」

 

と他愛もない会話をする。

 

そこで俺は彼女に情勢を聞いた。

 

「今の状況はどうなってる?」

 

「散発的な攻撃はあるが、耕也のおかげで何とか……。でも戦力差はかなりある。木端神程度ならどうとでもなるが、八坂神奈子あたりが出てくるとかなり面倒だ。」

 

やはりかなりヤバい状況だな。負けるのは分かっているんだが、被害は抑えたい。

 

「まあ、何とかなるよう俺も頑張ってみるさ。」

 

「ああ、助か……耕也、来たぞ。」

 

異常を察知した俺は黙って頷き、ミジャグジの報告した場所までジャンプする。

 

この大きな力は一体何なんだと思いながらも向かった先には……八坂神奈子がいた。

 

やばい、勝てる気しない……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

やはり、と思った。この私が国境付近に姿を現わせば大正耕也は必ず来ると確信していた。

 

「やはり来たな大正耕也。すでに分かっていると思うが、私はこの国をもらう。そしてこの国に革命をもたらすのさ。」

 

対する耕也は

 

「この国に革命? 頭腐ってるんじゃないか? 革命が必要なのはお前たちの脳みそだよ。この戦闘狂共め。」

 

と挑発してくる。

 

「はっ、戦闘狂で構わんさ。それに、脳が腐っていると言う割にはお前たちの国は遅れているじゃないか。」

 

全く、面倒くさい奴だ。こちらはお前と早く戦いたいと言うのに。

 

しかし、なぜだろう? 露骨に戦いを避けている気がするのは。

 

しばらく私は思考を重ねてから結論を出す。ははあ、こいつ今満足に戦えない状態なんだな?

 

まあ、それはお前の落ち度だ。手加減なしでやらせてもらう。

 

「下らない言葉を並べるのはもうやめだ。いくぞ!」

 

そして私は数本の巨大な木の柱を大正耕也に撃ち放った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

やべえ、マジで勝てる気がせん。攻撃は絶対食らわないが、こちらの攻撃は貧弱すぎる。

 

昨今の戦いのせいで力がろくに戻っていない。せいぜい数メートル級の金属球を10個程度か……ムリだな。

 

負けはしないが勝てもしない。こりゃ諏訪子に早くバトンタッチさせて退避しようかな。

 

そんな事を考えながら、俺は巨大な木の柱をかわしていく。そして反撃に銅球を創造し神奈子に向かって発射する。

 

だが、神奈子は高速で飛来する球を軽々と避けていく。まあ、距離がかなりあいてるし仕方ないと言えば仕方ないが。

 

そして神奈子の攻撃をかわしている最中にふと気付く。

 

(あれ? 俺なんでかわしてるんだろう? かわす必要ないじゃないか。)

 

そう唐突に思い、迫りくる巨木に手をかざし、粉砕し弾き飛ばしていく。

 

撃ち終わった神奈子が、驚愕の表情で俺を見つめる。そしておもむろに口を開く。

 

「卑怯じゃないかお前! 正々堂々と戦え! この腰ぬけ!」

 

なんて無茶苦茶な事を言うんだ。これがなきゃ俺は即死だぞ? 凡人なめんな。

 

「戦いに卑怯も糞もあるかっつーの。いかに自分への被害をなくそうが自由だろうが。」

 

俺は自論を展開していく。しかしどうにも神奈子は納得しないようだ。

 

「ふん! この臆病者め。ならばこの拳で!」

 

そう言って神奈子は俺に高速で飛んでくる。というよりも視認できない。

 

風切り音と共に俺の左側頭部から金属板をハンマーで叩いたような激しい音がする。音がした方に目を向ければ今度は腹から、次は足、背、腕、首、胸。

 

まるで機関銃のように次々と俺の身体に拳が叩きこまれる。どれもこれもが一撃で人間を粉砕する威力を持っているのが分かる。

 

しかし、俺の身体は粉砕したりはしない。むしろ傷一つ付かない。

 

永遠に続くかと思われる程の打撃音が止んだ時、そこには拳から少量の血を流しながら浮かんでいる神奈子の姿があった。

 

「……これでも駄目か。お前は一体何者なんだ?」

 

「ただの凡人だよ。お前たち神と呼ばれるものには及ばない、ただの男だ。」

 

「嘘を吐け。お前のどこが凡人なんだ。私の攻撃を防ぐ凡人がどこにいる。」

 

そして、神奈子の言葉に返答しようとして、自分の身体の違和感に気づく。

 

何だろう? 妙に身体の力が抜ける。そして眠気も。でも気付かないふりをして

 

「だから本当に凡人なんだって……………い………」

 

と言葉を言いかけた瞬間に視界が暗転していく。おそらく力の使い過ぎだろう。そして俺は飛ぶことすらもできなくなり地面に向かって一直線に落下していく。

 

意識が完全に闇に溶け込む前に誰かに支えられた感じがした。

 

同時に「後は任せろ。」という声も聞こえた気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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11話 洩矢の鉄の輪……チタン合金なら……

書きなおしたいけど我慢する……。105話の執筆を頑張ります。


分かってはいたけどなんともまあ……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おやおや、本命の登場かい? 洩ヤ神。」

 

私が落ちて行く耕也を地上付近で抱きとめると、八坂神奈子が降りてきて尋ねてくる。

 

「そういうお前こそ、侵略の張本人だな? 八坂神奈子。」

 

「ああ、まさに。それにしても不思議だな。祟り神の王であるお前がなぜ人間に親しくしている? お前の本職は畏れを人間に抱かせる事だろう?」

 

「はっ、随分とまあ視野狭窄なもんだな大和の神は。人間が家族で何が悪い?」

 

私の家族という言葉を聞いた八坂は、嫌な笑みを浮かべながら口を開く。

 

「家族? 祟り神が? 傑作だなこれは。まあ、この国をもらうのは決まりきっているのだから関係ないがな。」

 

「ほう? 随分と自信があるじゃないか。祟り神の王を倒せるとでも?」

 

「それは……。」

 

そう言って八坂は攻撃の構えをとる。

 

私は耕也をミジャグジに任せ、迎撃の態勢をとる。そして、態勢が整ったところで

 

「やってみないと分からんなぁ!」

 

八坂が巨木を撃ち放ってきた。

 

「まったくもって、愚かな神だな!」

 

そう言って私は、地面から岩で構成された槍を乱発する。だがそれを八坂はまるで予知していたかのように次々とかわしていく。

 

さすが戦い慣れした神。全く厄介な奴だ。そもそも力に差がある上に相性が悪い。

 

「この程度の攻撃で私を倒せると思うな!」

 

その声と共に神力の弾が連射される。

 

「小癪な!」

 

私はその威力から身を守るために、地面から壁を生やし相殺する。

 

そして、八坂の攻撃がやんだ瞬間に地面から大岩を複数生成し、射出する。

 

だが八坂はそれすらも見抜いていたようで、巨木をそれぞれの岩に当てて相殺していく。

 

くそっ、強い! 強すぎる! ……だが!

 

私は地面に両手をついて、土の中に眠る固き意思を読み取る。そして念じる。

 

(我に集え。堅き土よ。その堅き意思を持って我が怨敵を撃ち滅ぼせ。)

 

これを食らって生き抜いた神はいない。ならば倒せるはず!

 

そして、その意思を一つにまとめ、輪をイメージする。

 

食らえ、我が王国の力を!

 

「八坂! これでお前も終わりだ! 洩矢の鉄の輪!」

 

そう叫びながら、生成した無数の鉄の輪を撃ち放った。

 

私は勝利を確信していた。まだどこの国にもない鉄という新しい堅き土。それは青銅よりも遥かに堅く、粘り強く、そして何より美しい銀色。

 

それはこの国の象徴であり、また私の存在をより一層知らしめるものだった。それが負けるわけがない。

 

そう思っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

八坂が蔓を出すまでは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「んあ……俺はなんで寝て……あっ! 戦いはどうなった!八坂神「私の勝ちで終わったよ。」…はあ、終わっちまったか。」

 

目を開けると横に神奈子と諏訪子がいるのが分かった。

 

諏訪子によると俺は2週間も寝ていたらしく、その間に守矢への改名や大和への報告、ミジャグジへの対処は終わってしまったらしい。

 

戦いは諏訪最新の鉄の輪を武器に戦った諏訪子だが、八坂の風の力の前には勝てなかったらしい。チタン合金とかステンレスだったら勝てたかも知れないのに。

 

俺が諏訪子に目を向けてみると不機嫌だった。どうも負けた事が少々悔しかったらしい。でも負けは負けなので、おとなしく国を明け渡したとのこと。

 

色々と話を聞いているうちに原作通りになったのだなという事が分かる。しかし俺という大きなイレギュラーがいる。この先何が起こるか分からないし、もしくは何も起こらないかもしれない。

 

そう俺が思考していると突然神奈子が俺に質問してきた。

 

「大正耕「耕也でいいよ。」…耕也。お前は一体何者なんだ? お前は自分を凡人なんて言っていたが、数多の神が存在する地に来てなおかつ私の威圧にも全く動じない。ましてやあの場にはアマテラスもいたんだぞ? 人間だったらすぐに気絶するはずだ。」

 

どうも、諏訪子もその質問に興味を持ったらしく、こちらに目を向けてくる。

 

神奈子の質問に俺は、どう答えたらいいのか迷う。心理的にはもうゲームの世界だって分かっちまったから怖くもなんともないし、攻撃は全然効かないのだから恐れる必要もない。

 

まあ、もっともらしい理由でもつけようか。ふざけたら怒りそうだし。

 

「いや、まあ何と答えたらいいのやら……まあ、凡人だよ。本当に。」

 

「答えになっとらん!」

 

「いや、答えになってないのは分かるんだけど……。ああもう、正直に答えよう。」

 

その言葉に神奈子と諏訪子は身体を近づけてくる。

 

「正直に言うと、……答えられません! 以上! この話は終わり!」

 

その言葉に落胆したように

 

「なんだよ、この小心者!」

 

「宿提供してやってるのに!」

 

と言ってくる。

 

随分な事を言ってくれるじゃないか。それに話せるわけないだろうが。お前たちが実はゲームの存在なんです。だなんて。

 

「話せないものは話せないんだ。頼むから、納得できなくても納得してくれ。」

 

「ちっ。」

 

「ちぇっ。」

 

全く好奇心旺盛な奴らだ。

 

そうだ、そろそろここを出て旅をしたいという事を告げなければな。

 

先が思いやられる。諏訪子の事だからグチグチ言われるぞきっと。はぁ……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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12話 妖怪さん達の縄張りですかどうもすみません……

天狗ってなんでこんなに偉そうなの?……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

旅に出てから2000年か、もっと経ってる気がする。

 

当初はやはり相当引きとめられたが、何とか説得した。その代わり条件を突きつけられたが。

 

その条件とは、定期的にここに寄る事。無事かどうかを確かめたいとのこと。

 

そして、旅に出る際には諏訪子の子供の様子を見ていった。うん完璧に美女。それしか言いようがない。

 

まあそんなこんながあって旅に出た訳だが、2つの悩みがある。それは……地理が少々分かりづらい。

 

コンパス等を使ってみるのだが、正確な位置とかは全く分からない。この時代は当然のごとくGPSもないし、蓮子みたいなことはできない。

 

仕方が無いので人がいたら声をかけ、どこらへんかを尋ねていく。

 

もう1つの悩みは、俺が他の人に比べて異常なほどまでに妖怪に襲われやすいという事だ。いやもう本当に襲われやすい。

 

どのくらいの頻度かというと、1日に1回以上は絶対に襲われる。訳が分からない。

 

まさか、東方の世界で得た能力がソレだったり? 妖怪に襲われやすい程度の能力? バカ言え。冗談じゃない。

 

もちろん、俺に襲いかかってくる妖怪は全て殺しているが。

 

皆雑魚ばかりなので瞬殺できる。手段としては空中に銃をズラリと並べて一斉射撃したり、液酸とケロシンを使ったロケットエンジンレベルの火炎放射等々。

 

しかし、旅をしているうちに分かったのだが、人型の妖怪に会わない。全く会わない。

 

まだ、縄文時代だからだろうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして現在、……今は奈良時代だろうか? おそらくそのくらいだろう。俺は当然旅に出ているのだから根無し草だ。

 

だから住居を作らなくてはならない。でも、俺の場合はキャンプセットを創造して、適当に組み立てれば良いのだけれども。

 

この時代に法律なんて無いようなものだから許可を取らなくてもBBQのし放題だし、何より自由だ。

 

だから腹は減らなくったって食い物は食う。だから食材を創造して、適当に調理する。

 

そして風呂はドラム缶風呂。

 

ここまではいい。順調だ。しかし、最近の旅で一番嫌な時間帯が就寝時間なのだ。なぜかと言うといっつも突風でテントが吹っ飛ばされてしまうのだ。勘弁して。

 

幸い、寝ていても敵性の攻撃は遮断されるので問題は無いが、そのせいで俺の睡眠時間は削られる一方だった。

 

「ああ~~っ! もう勘弁してくれ! 俺に安眠をくれ。誰でもいいから安眠をくれ!」

 

夜中に何ともむなしい俺の叫び声が響き渡った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

目を覚ますと太陽の眩しさに思わず暴言を吐いてしまう。

 

「くそったれ! また飛ばされたのか! 一体いつになったら俺に安眠「動くな。この侵入者め。ここは我々の領地だ。」……へ?」

 

振り向いてみるとなんと黒い翼の生えた美女が、俺に剣を差し向けている。

 

おまけに顔はどこかで見たような………ああ、射命丸文じゃないか。

 

へえ、この時代の文は哨戒天狗だったのか。服装は原作と違って軍服っぽいような何かを着てる。

 

そしてさらに友好的な態度ではない。剣を突き付けている時点で友好なんて消し飛んでしまっているが。

 

ま、ここは話し合いをば

 

「え~と、どちらさまでしょうか?」

 

「無駄口を叩くな人間。ここは我々の領地だ。侵入者に喋る権利など無い。」

 

おいおい、のっけから交渉不可能じゃん。

 

だが、それでもあきらめずに話してみる。

 

「まずは話し合いま「今ここで殺されたいのか?人間?」……はい、申し訳ありません。」

 

別に怖くはないんだけど、なんだか逆らったらいけない気がする。

 

「喜べ人間。私は今ここでお前の首を切り飛ばしてやりたいところだが、規則に従い、お前を連行する。」

 

連行か。大天狗とかそこらへんに連れて行かれるのかねえ?

 

どうなるのしら?

 

そんな事を考えていると突然両脇に手を突っ込まれ、抱えられるような格好になる。

 

「あの、これは一体……」

 

「人間なんぞの亀のような動きに合わせていられるか。飛んで連行する。」

 

あの、当たっております、2つの大きなやわらかいものが……

 

そうして俺と文は飛び立っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、俺は連行されてすぐに牢屋にぶち込まれた。

 

いや、抜け出すとかそういうのは朝飯前なんだけども、脱出したらしたで射命丸に責任が及びそうだしねえ。

 

おまけに今後もマークされ続けられるだろうし。

 

でも飯が不味いのはいただけない。というよりも正直食えたもんじゃない。ガソリンぶっかけて燃やしてやりたい。

 

だがそれは食べ物に失礼すぎるので我慢して食べる。うん、不味い。そして、もう一杯なんて言うもんか。

 

とりあえず俺はどうなるのかと牢番に聞いてみると、どうやら上で俺の処遇について議論されているとのこと。

 

近隣の里の出身ならばすぐに解放されたのかもしれないが、俺は根無し草なので食われる可能性が圧倒的に高いのだと。

 

まあ、そんな事態になったらジャンプするさ。おまけに攻撃手段も諏訪子の所に居た時よりも手段が大幅に広がったし。マッチから核兵器まで何でもござれだよ。伊達に数千年は生きてない。

 

身体的に強い妖怪でも科学の塊の銃を脳に食らって生きてられはしないだろうし。

 

さてさてどうなることやら。

 

そんなしょうもない事を考えながら、俺は目をつぶった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私は侵入者を牢番に引き渡し、自宅に戻って今日の出来事を振り返る。

 

我々の領内に侵入しているあの男を。

 

最初は警告のつもりだった。あの男が寝泊まりしている、布で出来た小屋のような物を何回か吹き飛ばしてやれば出ていくと思っていた。

 

普通の人間なら私の持つ大きな妖力に気づいて逃げていただろう。

 

でもあの男は逃げなかった。わざわざ鴉天狗が人間ごときに慈悲をかけてやったのに。

 

だから連行したのだ。自分のしでかした罪の重さを後悔させるために。

 

しかし妖怪を見て恐怖すら抱かない人間がいるとは。

 

普通どんなに優秀な妖怪退治屋でも、いざ妖怪に立ち向かうとどうしても恐れや不安、緊張などといったものが表面に出てしまう。

 

それが人間というものだ。

 

なのにあの男は。くそっ、バカにして!

 

なぜ私を恐れなかった。分からない。もしできる事ならこの私が殺してやりたい。今まで私と向かい合って恐れなかった人間はいない。

 

だから

 

「私が直々に殺して、食ってやるわ人間。喜びなさい? 私が初めて食べる人間があなたなのだから。」

 

あなたの顔を恐怖で染め上げてやりたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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13話 処刑ですかそうですか……

あんたら人間なめすぎでしょ……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

牢屋にぶち込まれて二日目。今日は俺の処分が正式に決定されるそうだ。

 

とは言っても、あまりに暇なので牢番に話かけた。

 

「いや~今日俺がどうなるか決まるんですね~?」

 

「まあ、そうだな。でもお前はうまそうだしな~。多分、食われるんじゃないか?」

 

何言ってんだこいつ……

 

「あはは、そんなこと言わないで下さいよ。腹壊しますよ?」

 

(ぶっ殺してやろうか? こいつ。)

 

本当にそんなことを思ってしまった。やっぱり価値観とかが、人間とはずれているのだと再認識させられる。

 

そしてさらに牢番が

 

「いやいや、そんなこと言うなよ。お世辞抜きでうまそうに見えるんだよ。今すぐに食いたいさ。」

 

なんて事を言うんだこいつは。勘弁してくれ。

 

どうも俺は普通の人間よりも遥かに美味く見えるらしい。これが襲われていた理由なのだろうか。

 

「え~とそれはそれでおいといて、どうですかこの鯨の缶詰。」

 

話を逸らすために、先ほどから二人でつついている物についての感想を聞いてみる。

 

「鯨……というのはよく分からんが、美味いなこれ。でもお前の方が遥かに美味いだろうな。」

 

このやろう……

 

やばい、キレそうになる。こんなことを言われたら誰だってキレるだろう。でも俺は我慢することにした。

 

表情を出さないために、下を向いていると落ち込んでいるように思われたのか、天狗はさらにこんなことを言い始めた。

 

「そんなに落ち込むなよ。妖怪の俺が美味そうだって言ってるんだ。誇りに思えよ。」

 

(もう限界だ。こいつぶっ飛ばす。)

 

そう俺が思い、ガソリンを生成しようと思った瞬間に牢屋に声が響き渡った。

 

「人間の判決が決まった! 連行せよ!」

 

すると牢番は

 

「はっ!」

 

と生真面目に返事をして俺を牢屋から連れ出す。

 

さてさて、そうなる事やら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺は牢屋から木造の大きな屋敷らしき所まで連れて行かれた。

 

まあ、これから何されようが死ぬことはあり得ないから平気なんだけどね。

 

そして俺は大きな部屋に通され、正座させられた。

 

部屋の内部は案外大きく、俺の周りを多くの天狗たちが取り囲んでいる。

 

体格のいいものや、まるで小学生なのではないか? と思うほどの者もいる。

 

そして、俺の目の前にいる大天狗の横に何故か文がいた。

 

射命丸は俺の方を見ながら微笑んでいるが、目はギラギラと輝いており、殺気を向けてくる。

 

非常に居心地が悪い。

 

この嫌な雰囲気を改善しようと俺が口を開いた。

 

「あの、縄を解いて頂けませんか?」

 

その言葉を口にした瞬間、文から先ほどよりも猛烈な殺気が放たれる。

 

顔は完全に無表情になっている。

 

やばい、スベッた……

 

そう思った矢先に大天狗が口を開いた。

 

「さて、今はお前の縄を解く事はできないが、代わりにお前の罪に対する判決を言い渡す。」

 

ついに来たか。

 

その言葉を聞いた瞬間、周りの天狗たちの表情がサディスティックなものに変わった。

 

中でも文の顔が一段とサディスティックだ。嫌な笑みだ。

 

まるで、ようやくお前を殺す事ができる。という感じな顔だ。

 

まあ、ただの人間にしか見えないのだろうから当然だろうな。この世界では妖怪と人間の差が絶大なものだから。

 

そんな事をポヤポヤと考えていると、大天狗が続きを言い始めた。

 

「判決は死刑。……と言いたいとこだが、我々にも慈悲の心がある。よってお前に二つの選択肢を与えよう。それは、このまま死刑となるか、我々の提示する試練を乗り越えて生を勝ち取るかだ。今この場で選べ。」

 

はあ、選択肢は有って無い様なものじゃないか。

 

おそらくこの場にいる天狗たちは試練を取ると思っているのだろう。

 

心の中でため息をつきながら答える。

 

「では、試練を受けます。」

 

そういうと天狗たちがワッと歓声を上げた。

 

ウザいことこの上ない。俺が普通の人間だったら、すでに泣きじゃくっていただろう。はらわたが煮えくりかえる。

 

そこで大天狗が話し始める。

 

「静粛に!……よし、では試練の内容を伝える。射命丸文。」

 

すると呼ばれた文が俺の前までずずいと出てくる。

 

「試練の内容は、まずお前に30分の時間を与える。そして30分経ったら射命丸がお前を追いかけ始める。お前が文に食われたら負け。食われずに下山できたらお前の勝ちだ。」

 

どう考えても逃がす気が無いじゃないか。

 

この山を生きて下山しろだって? 普通の人間には無理だろ。

 

敵はなにも天狗だけではない。野良妖怪もいるのだ。

 

生存率は限りなく低いだろう。

 

つまり、これは奴らにとってのこの上ない娯楽なのかもしれない。

 

そう俺が思考していると文が俺に話しかけてくる。

 

「人間。名前は?」

 

「大正耕也です。」

 

俺が答えるとより一層凄絶な笑みを浮かべ

 

「じゃあ、耕也君。短い間だけどよろしくね?」

 

と脅してくる。

 

「ええ、よろしくお願いします。文さん。」

 

でも、俺にとっては怖くもなんともないので笑顔で返した。

 

すると文が

 

「あなたのその緩みきったアホ顔を恐怖に染めてやるわ。覚悟なさい?」

 

とあからさまに挑発してくるので、今までのお返しに小声で

 

「かかってこいや鳥類。鴉は生ゴミでも漁ってな?」

 

と返してやった。

 

その言葉に文は相当キレてしまったようだ。

 

表情は笑顔だが、視線だけで人を殺せそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、試練の時間がやってきた。

 

俺は縄を解かれ自由になっている。会場と言うのだろうか。そこには多くの天狗が集まっている。

 

やっぱ娯楽なんだなと思ってしまう。

 

そして今回は天魔が合図をかけるらしい。

 

天魔も美人さんですね。うん美人。

 

「では、これより試練を開始する。人間は位置につけ。……では始め!」

 

その声と共に俺はジョギングしながら下山を開始する。

 

後ろから、もっと速く走れだの、さっさと食われちまえだのうるさいのだが無視して森へと入っていく。

 

道は本当に何も無く、けもの道すらも無い。

 

だが、蚊に刺されることすら無い俺は気にせず突き進んでいく。

 

「飛んでもいいのかなあ? でも飛んだら飛んだで試練不合格! なんて事になったら嫌だしな。…仕方が無い。足で行くか。」

 

しかし下山まであと1500ぐらいあるんじゃないか?体力の無い俺にはきついぞ。

 

そう思いながら時計を確認すると開始から20分経っている。そろそろか。

 

ま、適当に撒いて逃げますかね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

やっとあの人間を相手にする事ができる。そう思うと胸が高鳴る。

 

そう。やっとだ。やっとあの忌々しい人間を……

 

最後に言ったあの言葉。生ごみを漁っていろですって!? ふざけるんじゃないわよ!

 

妖怪をどこまでもバカにしたような態度。人間ごときが生意気な。

 

私は奴が出発する直前にあの時のやりとりを思い出していた。

 

そして、合図とともに奴が出発していく。

 

「あなたの命はあと一時間も無いわね。」

 

そう独り言を言っていた。

 

そこに私の上司の大天狗がやってくる。

 

「射命丸よ。気を抜くでないぞ。お前は少し自信過剰な部分がある。相手がただの人間だからと言って手を抜くと痛い目を見るかもしれぬ。」

 

「はい。承知しております。この射命丸文。全力で任務にあたります。」

 

「うむ、期待しているぞ。」

 

そういって大天狗は去って行った。

 

そして、猶予の30分が過ぎた。狩りに行こう。

 

さて、耕也? 私が狩るまで野良妖怪に食われないで頂戴?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、猶予の30分が過ぎた。倍率の高い双眼鏡で会場を見たが、文はもういないようだ。もう俺を探してるのだろう。

 

と言ってもすぐに見つかるだろうな。なんせ俺は最短距離で下山するためにほぼ直線で降りているのだから。

 

とは言っても、相手が空を飛ぶ以上変に道を逸らしても結局時間の無駄になるだけだろうし。

 

文の速さは、だいたい300km/hぐらいかな? その前後ぐらいなのだろう。

 

速いって。無茶苦茶速い。自力でそんな速度を出すのは反則だろう。

 

人間なんて機械に頼らなくては永遠に到達しえない領域なのだから。

 

まあ、人間の恐ろしさはその科学なんだけども。

 

さて、くだらない事を考えてないでさっさと下山しよう。でももう少しだけ見まわしてから。

 

「さ~ってさってさって、文ちゃんはどこにいるのでしょうかね~。」

 

そう俺が双眼鏡であたりを見回していると、肩を叩かれた。

 

「ちょっと後で。今忙しいから。」

 

それでもさらに強く叩かれる。

 

「まったく、さっきからなん……。」

 

俺が振り向くと、ものすごくいい笑顔で文が立っていました。

 

「こんにちは。お久しぶりね、耕也?」

 

あの、気配が無かったんですけど……

 

とりあえず

 

「あ、こんにちは。」

 

挨拶をしておいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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14話 逃げるが勝ちだ逃げるが……

今見ると短けえ!! としか思わないですね……はい。

後半になるにつれて文字数は増えますので、御了承を。


小心者で結構です……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「こんにちは、耕也。」

 

さっきまでいなかったはずの文が男を魅了する笑顔で挨拶をしてきた。

 

「こんにちは。じゃあ、また。」

 

そう言って何事もなかったかのように文の横を通り過ぎようとする。

 

しかしそんなに世の中甘くなく、襟をガシッと掴まれてしまった。

 

「どこに行くのかしら耕也? あなたは自分の状況を分かっているのかしら?」

 

文は青筋を浮かべながら問う。

 

まったく、見逃してくれてもいいのに。

 

「いや~、分かってますよ。鴉が光りものを漁りに来たことぐらいは。」

 

「あなたが自殺願望者なのはよく分かったわ。だからそんな暴言を妖怪に言うのよね?」

 

「さて、どうだろうか?」

 

その言葉を聞いた文は、しばし考えた後、俺を突き放し、手に持っていた剣を振り上げた。

 

「どのみち殺すのだから関係ないのだけれどもね!」

 

どんなに効かないと分かっていてもやはり目はつぶってしまう。

 

どのくらいの速さだろうか? おそらく細い木なら両断してしまうだろう速さで振り下ろされた剣は、俺に届く事無く砕け散り、破片をあたりにまき散らした。

 

そして、目を開けてみるとそこには立ったまま砕けた剣を茫然と見つめる文がいた。

 

「おい? もしもし~?」

 

呼んでも返事が無い。それほど驚いたのだろうか。

 

いやまあ、ただの人間だと思ってたんだろうし、仕方ないとは思うけど。

 

「おい、文さ~ん? お~い。」

 

駄目だ。返事が無い。

 

折れた剣がよほど気になるのだろうか?

 

しばらくすると文がポツリポツリとつぶやき始めた。

 

「……さんからもらった………お母さんからもらった剣が……」

 

そして今度はこちらを見ながら大粒の涙を流しながら

 

「お母さんからもらった剣がああああ~~~~~っ」

 

と言ってその場にへたり込みわんわんと大泣きし始めてしまった。

 

「わああああああ~~~~~~~っ!」

 

うわぁ。俺って最低……

 

多分入隊祝いとかにもらった大切な剣だったのだろう。

 

自分から襲いかかったとはいえ、大切にしていた思い出の品が壊れたら誰だって泣くだろう。

 

どうしようか。謝ったぐらいでは許してもらえないだろうし、何より可哀そうすぎる。

 

直すか……ちょいと無理矢理だが何とかなるはずだ。何より生物ではないし。

 

そして俺は、外側の領域の範囲を拡大して、剣の飛び散った破片の全てを補足する。

 

補足したのち、破片一つ一つを大元の剣に戻してやる。

 

破片の向きなども考慮しながらつなぎ合わせていくと無事修復は完了した。

 

俺の領域に入っているから修復できるけど、生物に対しては効かない。

 

それに、全く同じものの剣を創造できるがそれでは文は許してくれそうにない。

 

そう思いながら文を見てみると剣が直ったおかげか、グズッてはいるが大声で泣いてない。

 

本来ならば俺が謝る必要はないのだけれども一応謝っておこう。それに暴言も吐いてしまったし。

 

「射命丸文さん。先ほどは剣を破壊してしまい、誠に申し訳ありませんでした。それと数々の非礼、ごめんなさい。」

 

そう言いながらキョトンとする文をよそに、深々と礼をして下山していった。

 

下山するまで文が追ってくる気配は無かった。

 

さて、次はどこへ行こうか……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

耕也に切りかかった時、私の中では勝利の感覚と人間の味への期待感で満たされていた。

 

しかし、それは脆くも崩れ去って行った。私の何よりも大事にしていた剣が、入隊祝いにもらって以来ずっと共にあった相棒とも言うべき存在。

 

それが一瞬のうちに粉々に砕け散ってしまったのだ。理由は分からない。

 

耕也に剣が当たる直前に何らかの壁に阻まれたのか、手にものすごい衝撃が走り、そして剣は弾かれ砕けた。

 

私は当初その光景を信じる事ができなかった。妖力で強化してある上に、人間を切る程度で折れるわけがないのだから。

 

でも無残な剣の姿を瞳に捉えると、これが現実だと思い知らされた。

 

そしてあまりにも悲しくなってしまって、人間の目の前にいるにも関わらず、わんわんと大泣きしてしまった。

 

悔しかったのだ。あまりにも。人間に非は無いのは分かっていたがそれでも怒りを禁じ得なかった。

 

だから涙を拭き終わったら原形をとどめないほど破壊してやろうと思っていた。

 

でも、なんの術を使ったのかは分かりかねるが、私の剣を寸分の狂いも無く修復してしまった。

 

それからさらに、あろうことか私に謝罪してきたのだ。

 

驚いた。今まで生きてきた中で本当に驚いた。だから耕也からすると滑稽な顔に見えただろう。そんな顔をしていたのだ。

 

そして驚いたせいか殺意もどこかへ吹き飛んで行ってしまった。

 

しかし、疑問も残る。なぜ私の剣が壊れて、泣いているのにもかかわらず逃げなかったのだろう?

 

そしてなぜ直してくれたのだろう。私は妖怪であるというのに。

 

人間はよく分からない。バカにしてきたと思ったら謝ったり。

 

だから

 

「このお人好しめ。」

 

そう言うことしかできなかった。

 

さて、上司への報告が面倒だ……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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15話 さて、都へ行こう……

やっぱり人が多いと楽しいよね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

天狗の一件が過ぎて、俺の生活に落ち着きが戻ってきた。

 

しかし、俺の家はいつもキャンプセットという何とも心細い代物なのだ。

 

だからそろそろ定住しようと思う。それに最近人と会わないもんだから寂しい。

 

自分としてはなるべく都付近に住みたい。

 

そこで俺はエッチラオッチラと都にまで来たのだがなんともまあ…

 

豪華です。すごい豪華です。貴族の屋敷がものすごく豪華です。

 

しかし、貧富の差が激しい。都の中でも建物に差が表れている。

 

「朱雀大路は広いなぁ。幅84メートルは伊達じゃないな。」

 

行商のおっさんとかが品物を広げて商売をやっているのだが、この時代はまだまだ物々交換が主流のようだ。

 

実際には和同開珎が製造されてはいるがあまり出回ってはいないそうな。

 

にしても都へ来たのは良いのだがやる事が無い。

 

全部自分で簡潔できるもんだから本当に暇なのだ。

 

「どうしよう。妖怪退治屋でもやろうかな。」

 

幸い、力もあるし妖怪退治は都お抱えの陰陽師よりもできると自負してはいるのだが、依頼は来るのだろうか?

 

依頼料を低く設定すればいいのかも知れん。強い陰陽師ほど一回の依頼料がバカ高いと行商のおっちゃんも言っていたし。

 

でもその前に、家を建てるか見つけなくては。

 

ちょいと探し回ってみますかね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

という事で色々と探し回ってみたのだが、都の中に家を建てる事が許可されなかった。

 

その理由が根無し草の旅人だったというしょうもないものだった。ちくしょい。

 

仕方ないので都から少し離れたところを上空から探す。

 

「どこかにないものかな~。俺でも住めそうな一軒家。…………お?」

 

山にちょっと近いが都から30km程離れた場所にボロい建物があった。小屋っぽいような。少し見てみますかね。

 

そう思いながら俺は建物の前までジャンプした。

 

ジャンプしてまず目に入ったのは所々瓦の剥げた屋根と壁に穴のあいている寺だった。建築されてから随分経っているようだ。

 

「これは、随分と荒れてる寺だなあ。もしかしたら山賊とかにやられたのかも知れないな。見たところ人の気配もないし。」

 

そう呟きながら俺は、寺の中へと入っていく。

 

寺の中は、床の所々に穴があいていたり、外からは見えなかったが屋根に穴が開いており、そこから光が差し込んでくるといった散々な状況だった。

 

そして何よりも

 

「こりゃひでえな。何があったっていうんだここで。」

 

血まみれだったであろう黒ずんだ衣服に、それに突き刺さっている折れた槍。

 

遺体等は無いが、明らかに何らかの争った形跡があった。

 

「これは数珠も転がってるし、僧侶さんのかなぁ……住みたくねぇ……。」

 

本当に厄介だ。幽霊とかが存在する世界だからなおさら厄介だ。マジ勘弁。

 

仕方が無いので槍や衣服は外に持ち出して、ガソリンで燃やしてしまった。

 

そして外の領域を拡大し、寺の損傷個所を修復していく。

 

とはいっても修復したのはほとんど中に集中している。

 

外側の壁や屋根は修復したが、傍から見ればただのボロい廃寺である。

 

しかし、中の床は完璧に新品同様であり住居性は申し分ない。

 

「やばい、これは褒められてもいい出来だ。蛍光灯も水道も冷蔵庫もエアコンもあるし、完璧だな。」

 

電力は無意識のうちに供給しているため、意識すればオンオフも可能だ。

 

そして自分で言うのもなんだが、やはり現代生活は欠かせない。

 

数千年前からこの世界にいるが、生活水準は全く変わらない。いや、変えられないのだろう。

 

この世界に来て分かったのだが、緑があふれていると、こんな所に住みたいと思う人もいるだろう。自分も思う。

 

しかしそれは現代のインフラが完備されていれば、という無意識の条件が設定されているのだ。

 

何が言いたいかと言うと、家電製品万歳。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

数ヵ月ここで暮らしていて分かったのだが、最近どうも都の空気が普段と違う。

 

何というかこう都全体が賑やかと言うか浮足立っているというか。いや、色めき立っていると言った方が正しいのだろう。

 

なんでも、都近辺にお住まいの家にそれはもうこの世のものではない程の絶世の美女が生まれたとのこと。

 

聞いた瞬間に一発で分かった。こいつは蓬莱山輝夜だってな。

 

俺も結婚申し込んでみようかしら? 顔を見るために。

 

妖怪退治屋としてはそこそこ名前が売れてきたころだし、御尊顔を拝むぐらいなら許されるはず!

 

そう思ったら俄然やる気が出てきた。

 

ではでは身支度をして都へ向かいますかね。なんか贈り物とかどうだろう?

 

いや、都で買うよりも自分で出した方がいいかもしれない。

 

ネタでラリー仕様のインプレッサとかどうだろう? 月は科学が進んでるらしいし。

 

それに月にガソリン車は無いと思うし。奇抜なものは逆に喜ばれるかもしれないし。

 

こんな痛い子全開の考えをしながら意気揚々と都へと向かって行った。

 

後に、この興味本位で顔を見に行くという考えが、後悔を生むことに気がつかなかった。

 

結婚を申し込んだばかりに……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本当に毎日毎日うんざりだわ。何でこんなにしつこいのかしら。

 

美しいのは自他共に認めているのだけれでも、何も断られているのに何回も婚約を申し込みに来ることないじゃない。

 

月の連中から離れられたのは良かったけれども、地上の人間がこんなにしつこいなんて思わなかった。

 

毎日がこれじゃおじいさんとおばあさんに負担が大きくなるし、なによりこの騒ぎが申し込みの増加を招いている負のスパイラルだわ。

 

おまけに結婚を申し込んでくる輩は全員自分の家の格や、嫁を自慢したいと言う下らない理由ばかりなのだから会う気にすらならない。

 

そして退屈。自分の時間が持てない。それに伴ってやり場のない怒りがふつふつと沸いてくる。

 

ああ、もうそろそろ限界ね。この怒りはどうしてくれよう。

 

私は怒りの処理方法を考えているとふと頭の隅に意地悪な考えが浮かんでくる。

 

人間を使って紛らわそうと。結婚を申し込んでくるのなら条件をつけてやればいいと。

 

ならば今度婚約を申し込んでくる者たちにちょっとしたゲームをしてもらいましょう。

 

絶対に達成不可能な問題を。

 

ふふ、楽しみだわ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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16話 顔を見に来ただけなのに……

輝夜ってドSだよね……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

輝夜姫に結婚を建前とした謁見をしに行く予定だったのだが、家の場所が分からん。

 

早く行かないと行列できたりするんじゃないか?

 

さてさてどうしたものか。方法としては、空から探索して行列を探す事が最適ではないか?と思った。

 

しかし、この時代に空を飛ぶ事のできる人間なんて都お抱えの陰陽師ですらできない。だから上空を飛びまわっていると妖怪と間違われて攻撃されるのでこの案は却下だな。

 

だから、都に行くしか俺に選択肢は無かった。

 

都で俺の知り合いの貴族に聞いてみるしかないな……。多分条件として、またタダで妖怪退治させられるだろう。先が思いやられるなぁ。

 

そう思いながら俺は、よっこらせと座布団から腰を上げて靴を履き、都手前の人がいないところを見計らってジャンプした。

 

 

 

 

 

さて、都に来て知り合いの貴族に輝夜姫の住所を聞いた。聞いたまでは良かったのだが、やはり俺の推測通りに条件を突き付けられた。

 

どうせそんなこったろうと思ったのだが、妖怪退治は結構疲れるんだよなぁ。しかももともと報酬を相当低く設定したため他の陰陽師から嫉妬や恨みを買ってしまうのだ。

 

おまけに今度はタダ。タダ働きですか…。また他の陰陽師とのコミュニケーションが駄目になる。ちっくしょい。

 

しかもこの事態を招いている当の本人が

 

「お主の腕前は超一流なのになぜ人気が無いのかのう? 不思議じゃな。」

 

なんて事をのたまったのだから腹が立つ。相手が貴族じゃなかったらハリセンで頭を軽くひっぱたいていただろう。スパァーンとね。

 

まあ済んでしまった事は仕方ないので諦めるとして、さっさと輝夜の所に向かわないと日が暮れる。

 

俺はなぜか、必ず輝夜姫の所に行かなければならないという強迫観念に駆られながら都を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

道中では、やはり俺と同じところに向かおうとする人が多く、雑談などをして楽しんでいた。

 

やはり貴族は牛車に乗っているのか、やけに牛車の数が多い。

 

そして驚いたのが、貴族でも陰陽師でもない一般人がいるという事だ。その光景を見て思った事があった。

 

(やはりただ美しいだけではないのだろう。毎日を生きるのが必死な庶民でさえも会いに行くという事は、それだけ希望の光になっているのだろう。)

 

帝でさえもこうはいくまい。だから貴族も必死に手に入れたがっているのだろう。己の家の格を上げるために。

 

そう思いつつ、周りの人に話しかける。

 

「あの、すみません。輝夜姫とはどんな方なのですか?」

 

容姿などはとっくのとうに知っているのだが、話した事が無い。声も知らない。

 

しかし、俺の今話しかけている男はもう何度も結婚を申し込みにいっているらしい。

 

そのたびに断られているのだとか。そして輝夜の声は今まであったどの女性よりも涼やかで艶のある声だとのこと。

 

この男は俺と同業の陰陽師であり、なかなか腕が立つらしい。

 

そして、俺の質問に男が答える。

 

「輝夜姫様は本当に美しいお方だ。この世のどんな女性よりもお美しいだろう。もしも婚約できたのなら俺の家の格も相当上がるだろう。」

 

あ、やっぱり家の格上げ目当てでした。輝夜も可哀そうに。見られるのは自分ではなく副産物目当てとは。

 

その時に俺は、それだったら俺が結婚した方がいいのでは? という黙示録的に馬鹿なことを考えてしまった。

 

まあ、俺みたいな別段美男子でも何でもない男に靡くとは到底思わないけどね。

 

しかし、謁見するにあたってどうしたらいいのだろう。やっぱり貢物だってガッチガチのラリーカーじゃあ門前払いだろうし。

 

この男に聞いてみるかな。

 

「輝夜姫様への贈り物は何になさいました?」

 

失礼かもしれないが、聞いておかなければ分からんのだ。知り合いの貴族に聞いておけばよかったと今更後悔した。

 

「私はだな、絹織物だ。」

 

何て高い物を。庶民では一生見ることもないような代物をよくもまあ当然のごとくポイポイと。

 

もちろん俺の場合も簡単に手に入る(というより創りだす)のだが、この時代の通貨を使って取引をするとなると無理なのだ。

 

なんせ仕事を安い報酬で引き受けているために、金がなかなかたまらずろくなものも買えないありさまだからだ。

 

そして俺の隣にいる男の報酬額を聞いて驚いた。そして妙に納得してしまった。この男が色鮮やかな絹織物を買えることに。

 

この陰陽師の報酬は時には、俺の1000倍以上の報酬で引き受けているのだ。しかもなまじっか腕はいいので文句も出ないのだそうだ。

 

でも依頼するのは貴族だけだそうな。当然だわな、そんなに高かったら庶民が依頼できるわけが無い。

 

ちなみに俺の場合、報酬は相場よりもあり得ないほど低いので、庶民からの依頼が多い。

 

貴族連中に関しては、名前は知られているが他の陰陽師が依頼を横取りしてしまうのであまり回ってこない。

 

まあ、俺の行為は価格破壊だし仕方ないっちゃあ仕方ない。

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、こんなことを考えているうちに随分と家が近くなってきてしまった。

 

どうしようか。本気で貢物を決めないとヤバい。中に入れるかさえも怪しくなる。

 

もう適当に酒か食い物か、もうそこらへんでもいいか。

 

そんな弱気な事を考えていると、俺の前に他の牛車よりも明らかに大きいであろう牛車が5台姿を現した。

 

(何なんだ? これは。)

 

そう思っているとその牛車は家に着くなり、従者たちが大慌てで主の降車の準備を始める。

 

そしてしばらくすると5台の牛車から合わせて6人の男女が現れた。それとほぼ同時に周囲がざわざわとし始める。

 

騒がしい空気の中、その団体は律義に列の最後尾に並び謁見を待つ。

 

はて、こいつらどこかで見た事が…?

 

ちょいと思い出せない。のどあたりまで来ているのだが。

 

何だったかなぁ?

 

少々気になるので後ろの人に小声で聞いてみた。

 

「すみません。あのお方たちは一体どなたなのでしょうか?」

 

それを聞いた男は信じられないとばかりの表情を見せ

 

「あんた、何も知らんのか!? 仕方が無いな。教えてやるからよく覚えておけ。あのお方たちは前から阿倍御主人様、大伴御行様、石上麻呂様、藤原不比等様、そしてその御娘の藤原妹紅様。最後に石作皇子様だ。分かったか?」

 

あれ……?なんか聞き捨てならない言葉が聞こえたような……

 

藤原妹紅? 藤原不比等? マジでビンゴじゃねぇか!!

 

もしかして、これで難題が出されるのか? 凄く見たい!

 

やったね!! こんなことは早々に無いぞ。

 

でも待てよ? ………てことは俺が謁見できるかどうか分からないじゃないか。

 

あれで最後で謁見が終わりだったら来た意味無いじゃないか。

 

うわぁ。最悪だな。

 

そうして俺は一人でウンウン唸っていると先ほどの男が

 

「何をやっているんだ? 気持ち悪いぞ?」

 

なんてひどい事を言いやがった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺は大貴族の人達のひとつ後ろに並んでいるのだが、ついに順番がやってきた。

 

この大貴族たちが入って終わりかと思いきや、俺まで入る事になってしまった。

 

今更ながら嫌な予感がしてきた……

 

そう思いながら建物を案内されていく。そして、まず最初に出迎えてくれたおじいさんに、ツナ缶と鯖缶と鰯缶、最後に鯨の大和煮を渡す。そして開封の方法を教える。

 

俺が渡している間、他の大貴族は変質者でも見るような眼で俺を見ていた。ほっとけ。

 

そうして俺のみょうちきりんなやりとりが終わり、輝夜のいる部屋へと案内される。

 

緊張するなぁ。皆の顔も強張っているし。

 

俺は何とか緊張を顔に出さないように努力しながら部屋の中へと入る。ただし妹紅は部屋の外で待機。やっぱり不機嫌か。そりゃそうだよな、大好きな父親が見知らぬ女にうつつを抜かしているのだから。

 

そして俺たちは輝夜の前に横一列に並び正座する。はっきり言って正座苦手です。

 

それで漸く顔を見れるかと思ったら、今回は体調が優れないとの理由で、簾か何かが輝夜の顔を見事に隠していたために、顔を拝見する事ができなかった。ちくせう。

 

しばらく場に沈黙が漂い、俺がしびれを切らそうと思ったら、意外にも輝夜の方から声をかけてきた。

 

「皆さま、いらせらりませ。このような辺鄙な場所まで御足労いただき誠に感謝致します。して、御用は何でしょうか?」

 

そう輝夜が問いかけると、俺と正反対の左の端に座っている阿倍御主人が口を開いた。

 

「この度私めはこの世で最もお美しい輝夜様に婚約の申し込みをしに参りました。」

 

それを皮切りに次々と他の者が口々に愛の言葉を口にし始める。正直吹き出しそうだ。

 

おそらく誰もいなかったら確実に抱腹絶倒していただろう。自信はある。

 

そして、皆が言葉を言い終わるのを待ってから、輝夜が口を開いた。

 

「申し訳ありませんが、貴方さま方の婚約の申し込みをお受けすることはできません。」

 

その言葉を聞いた俺以外の者達が落胆する。

 

しかしそこで輝夜は次に例の言葉を言い始めた。

 

「もし、私をどうしても諦めきれないと言うのであれば以下に述べる宝を私に持ってきてください。阿倍御主人様には火鼠の裘を。藤原不比等様には蓬莱の玉の枝を。大伴御行様には龍の首の珠を。石上麻呂様には燕の産んだ子安貝を。石作皇子様には仏の御石の鉢を持ってきてくださるようお願いします。」

 

その言葉を言い終わった後に、石作皇子が異議を唱えた。

 

「お待ちください輝夜姫様。この妖怪退治屋には何も課題を出さないのですか?」

 

言ってくると思ったよ。俺だって不思議だったんだから。

 

皆課題あって俺だけないって変だろ?

 

そして、石作皇子の異議に対して輝夜が答える。

 

「分かっております。……して、妖怪退治屋。名前は?」

 

「大正耕也でございます。」

 

そして輝夜は信じられない言葉を口にする。

 

「よろしい。では、貴族の方々。貴方様方の知る中で最も強き妖怪は何ですか? 貴方様方の答えを妖怪退治屋には、退治屋らしく、退治していただきます。」

 

嫌な予感が大当たり。今まで退治したのって都付近だから大したのいないんだよな。

 

でも案外貴族って世間知らずかもしれないから強い妖怪を知らないかもしれない。

 

そう俺が楽観視していると貴族たちが

 

「伊吹萃香が一番かと。鬼は強大です。」

 

「いやいや、星熊勇儀ですな。力において勝るものはいまいて。」

 

「風見幽香では?鬼とは違って自分より強い存在にしか興味を示さない程。しかも未だに退治できておらん。」

 

「私も風見幽香かと。」

 

「私も。」

 

と口々に意見を言った。

 

勘弁してくれ!マジかよ!お前ら空気読めって。

 

やばい。泣きそう。

 

そして皆の意見を聞いた輝夜は

 

「決まりですね。では大正耕也殿には風見幽香の討伐を依頼します。そして討伐完了の証として、風見幽香と断定できる物を持ってきてください。」

 

この言葉を最後に皆はゾロゾロと帰っていく。

 

そして、帰路に着きながら俺は思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

やべえ、終わった…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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17話 さてさてどうすんべ……(上)

やばい、やばいぞこれは……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今俺の目の前には風見幽香の人形がいる。

 

討伐するにあたってどうするかを考えねばならないからだ。

 

いや~、できれば争い事は避けたいんだよな~。

 

今まで退治した妖怪は人型が皆無だったが、今回は人型。殺すのはちょっと気が引ける。

 

このままバックれても良いのだが、そうすると今度は俺の評判が著しく下がる。それだけは何としても避けたい。

 

だから人形での模索をしているのだ。早い話が予行練習である。

 

そして俺は予行練習第一弾を開始した。

 

ようは風見幽香と断定できればいいのだから何も命を取らなくても、彼女の身につけている服を失敬すればいいのだ。

 

「そ、そこのお嬢ちゃん。こ、この金貨5枚でその赤いチェックの上着をもらえないかね? うへへ。」

 

冗談でやってみたのだが、やった後に猛烈に後悔した。これはやばい、速攻で警察を呼ばれるレベルだ。完全に犯罪者だなオレ。

 

しかも一人で人形にやっている時点で気色悪すぎる。

 

俺は激しい自己嫌悪に陥りながらも次の作戦を決行した。

 

「風見幽香を何とかティータイムに誘う。その後に自分の力で紅茶を出す。そしてその中に臭化水素酸スコポラミンを混入させて、彼女を酩酊状態にする。

そして俺は彼女を介抱するふりをしながら上着をかっぱらう。これならさっきよりは遥かにマシなはずだ。」

 

どのみち犯罪チックなのではあるが。仕方あるまい。なんせ相手は妖怪なのだから。

 

そう意気込みながらシチュエーションを変えつつ案を練っていく。

 

俺はその後の討伐で、これらが全く役に立ちもしないという事を知らないまま、その一日をお人形遊びに費やした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、風見幽香の住処はどこにあるのだろうか?

 

話によると、都から50km程離れただだっ広い平原にいるのだそうだ。

 

歩きで2日ぐらいの距離か……飛ぶか。飛ぶという事は本当に不思議な行為だ。

 

時に、飛行をしていると自分は本当に人間なのか疑わしくなる時がある。すでに色々な力を行使できる時点で疑うも何もないのだが

 

元来人間は地に足を踏みしめ、日々の発展に貢献していく。しかし、今自分はそれから逸脱してしまっている。ゲームの世界だからと言ってしまえば簡単なのだが、それでも納得しきれない自分がいる。

 

おそらくきっと。いや絶対、この先納得する事は無いだろう。そう、絶対に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こんなことをボヤボヤ考えていると、目的地に着いてしまった。

 

平原と言うよりは、向日葵だらけの平原ですな。真っ黄色ですよ地面が。上空から見るとより一層際立つ。

 

そしてその中にぽつりと一軒家があるのが見える。あそこに住んでいるのだろうか?

 

どうするか? いきなり空から今日ははやりたくないし、相手も良い気分はしないだろう。

 

仕方が無い。平原の外側にジャンプして、あたかも歩いてきたように見せるとしようかな。

 

そう決めた俺は外側から向日葵の生えていないところを通りながら家を目指す。

 

本当に生きてきた中で、一番の細心の注意を払いながら。

 

万が一にでも向日葵を踏んづけたら、幽香が妖力を撒き散らしながらすっ飛んでくるだろう。おお怖い、くわばらくわばら。

 

実際もし戦う羽目になったら、科学兵器を使用すれば楽勝だろうが環境がなぁ~。

 

至近距離でショットガンとかも味はあるんだけど、そんな簡単に隙は見せないだろうし、何より殺したくはない。

 

どうすんべまじで……。上着くれだなんてどこの変態おやじだよ。

 

そう悩んでいると、突然後ろから声をかけられる。

 

「どうしたのかしら? 旅人さん?」

 

これは、まさか……。身体から冷や汗が一気に出てくる。

 

妙に艶のある声。そして何より身に纏う妖力の強大さ。見なくても分かる。本人だ。

 

そして俺は戦々恐々としながら後ろを振り返ると、やはりそこには妖艶な微笑みを浮かべ、日傘を差した風見幽香がいた。

 

ああ、どうしよう。力云々よりもやっぱり怖い。根本的に妖怪だと言うのが分かる。

 

幽香に対しての第一印象を思っていると

 

「聞こえなかったのかしら? どうしたの? 旅人さん?」

 

と言ってきた。まずい、機嫌を損ねる前に返事をせねば。

 

「ええ、実は少々道に迷ってしまって。それで途方にくれながら歩いていると見事な向日葵畑があったもので、つい見とれてしまいまして。もしや管理人様でらっしゃいますか?」

 

俺の言葉を聞いた幽香はさらに笑みを深くして

 

「ええ、その通り私はここの管理人です。それにしてもうれしいですわ。私のみすぼらしい向日葵を見事、だなんて言ってくださって。」

 

と返してきた。

 

そう、完璧だった。ここまでは。次の言葉を言うまでは。

 

「いえいえ御謙遜を。ここまで見事な向日葵は初めてみました。」

 

そしてこの言葉を言ってしまったのがいけなかった。なぜならこの時代に向日葵なんぞあるわけ無いのだから。

 

俺の向日葵に対する賛辞を聞いた幽香は、途端に笑みに殺気を織り交ぜてきた。

 

「あら、まるで他の土地で見た事があるような言い分ね。この国に向日葵はここだけにしかないのだけれども?」

 

しまった、迂闊だった。向日葵の伝来って17世紀だったんだ。

 

何とかごまかさなくては。

 

そして必死に俺は言い訳をしようと口を開く。

 

「ええ、実は「見苦しいわよ。大正耕也。」っ!!」

 

正体がばれてる。勘弁してくれ。最初から手のひらの上かいな。

 

幽香は俺の驚きようを楽しみながら

 

「なぜ? という顔ね。貴方、ここらへんの妖怪じゃ結構有名よ? 最強の陰陽師ってね。おまけに札や呪文等を一切使わない変わり者だともね。」

 

変わり者かいな。何とも悲しい。

 

しかし最強? んな馬鹿な、大した功績上げてないぞ?

 

だが俺の疑問をよそに幽香は話を進めていく。

 

「それで貴方、ここに何しに来たのかしら?」

 

一番答えにくい質問を・・・!

 

何て答えたらいいだろうか?

 

俺が返答に困っているとしびれを切らしたのか、幽香が先に答えた。

 

「まあ、おおかた私の討伐を依頼でもされたのかしら?」

 

にやりとねっとりと纏わりつくような、獲物の品定めでもするかのような視線と共に笑みを浮かべる。

 

その笑みはできれば勘弁してください。

 

それにしても頭の回転が速いなやっぱり。かなわん。

 

でも、駄目元で聞いてみるかな。

 

「いや、確かに討伐の依頼は受けていますが、でも貴女の上着をうわっ!!」

 

俺が言い終わらないうちになんと幽香は殴りかかってきたのだ。

 

反応した時にはすでに拳は目と鼻の先。思わず俺は目をつぶってしまうが、身体に被害は無い。

 

目を開けると幽香が拳から血を流しながら立っている。そして唐突に笑い始める。

 

「ふふふ、あーはっはっはっはっはっは!! やっと最強の意味が分かったわ。貴方反則じゃない。私だって最初は信じてなかったわよ。あんたみたいな霊力の欠片も持っていない凡人が最強の陰陽師だなんて。

ははは。でもやっと本気を出せるわ。私を楽しませなさい?」

 

「いやだから………ああもう!!かかってこいや!」

 

本気になった幽香を俺に止めることなど無理だった。だから俺はそのまま二人戦争を開始した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今まで私に相対して生き延びた者は皆無だ。

 

なぜなら私は生まれながらにして強大な魔力を保有し、かつ天才的な戦闘センスを兼ね備えていたため、瞬く間に頭角を現した。

 

しかし、新参者をよく思う者などいない。その者たちは私を潰そうと躍起になっていた。出る杭は打つというものだろう。

 

だが奴らは私に勝つどころか、手も足も出せずにボロボロに無様に敗北していった。

 

そして名前が都まで知れ渡ると、私を打ち取って名を広めようとする馬鹿な陰陽師が徒党を組んでやってきたりもした。

 

中には上級妖怪をも倒せるほどの力量の持ち主もいた。しかし、結局私には勝てずに死んでいった。

 

私は妖怪からも、人からも、恐怖を食らい、食らい、食らってきた。

 

そして気が付いたら私は一人だった。弱い人間には興味が無い。食う事にすら値しない。

 

この周辺の妖怪は弱い。私を見た途端に逃げ出すほどに。興味が無い。強い力の持ち主はいないのだろうか?

 

鬼がいる場所までは遠い。だから来るのをひたすら待つ。でも来ない。

 

誰かにこの渇きを癒してほしい。私を満たしてほしい。

 

そして何より、さびしい。一人はさびしい。

 

この孤独を消してほしい。誰かに消してほしい。寒い。寒い。孤独は寒い。だから私を温めてほしい。心を温めてほしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

やっと見つけた。私よりも強い人。さあ、私を満たしてちょうだい?

 

そして願わくば私を救ってちょうだい?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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18話 さてさてどうすんべ……(下)

なんとかこんとかして……うん…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ああやばい。こいつマジ本気だ。

 

戦いが始まってすぐにそれを認識させられた。

 

確かに風見幽香の移動速度は遅い。しかしそれは妖怪の範囲であり、人間と比べれば速いのだ。

 

彼女は手に持った日傘をまるで大剣か何かのように。いや、時には槍のように臨機応変に戦法を変えてくる。

 

こちらの身体能力は、人間の平均より少し下程度なのだから避ける術が無い。

 

インパクトの瞬間にジャンプして安全圏に逃げても、あらかじめ分かっているような対処をして追いすがってくる

 

そのおかげで攻撃に回す時間が創れない。全くもって厄介な相手だ。

 

こいつは背中に目か、レーダーでもあるんじゃないか? そんなレベルの察知能力だ。

 

「ホラホラどうしたの!? さっさと攻撃してきなさいよ!」

 

そう挑発しながら俺の心臓を一突きにしようと、傘を振りぬく。だが傘は弾かれ、骨が曲がる。

 

しかし破損を確認した幽香は傘に妖力を込め、新品同様にまで修復してしまう。

 

傘が壊れ、直り、壊れ、直り、壊れ、直る。ずっとこの繰り返しだ。

 

「くそっ、反撃されたいなら少しは時間をくれ!」

 

「そんなの……できるわけ無いでしょう!」

 

そう言いながら幽香は傘を俺の前で開き、妖力で生成した光線を浴びせてくる。

 

「ふっざけんな!! 俺じゃなかったら死んでるぞ!」

 

防ぎつつ文句を言いながら、ようやく開いた時間に鋼鉄の杭を50本創造し、弓矢レベルの速度で応酬する。

 

それを幽香は危なげながら何とか回避していく。しかし3本が掠り、服ごと皮膚を切り裂く。

 

「ちっ、速いわね。でもそうでなくては。最強の人間。この私を満たして見せなさい!」

 

「勘弁してくれぇ! お前はどこかの宗教家か!?」

 

そう言いながら幽香は己の使える体術を最大限利用しながら攻撃を仕掛けてくる。

 

拳速や脚速があり得ないほど速い。全く対応できない。

 

いくら食らわないとはいえ、体力は人間。身体がもう警報を鳴らしている。

 

それに比べ幽香は疲れの色を全く見せない。これが人間と妖怪の差か。

 

俺は舌打ちをしながら上空にジャンプし、息を整える。

 

そして、すぐに幽香は俺のすぐ側まで飛んできて、相対する。

 

俺は幽香に対して、かねてからの疑問を口にする。

 

「なんで俺の転送先が分かる。なんで?」

 

それを聞いた幽香は、さも愉快そうにクスクスと笑いながら答える。

 

「あらあら、それすらも分からないの? では貴方の眼下にあるのは何かしら?」

 

その声につられて下を見て分かった。やっと理解した。彼女がなぜ背後にジャンプしても、視認できない木の裏側や向日葵の海に隠れても、俺の居場所を把握できたのか。

 

彼女は植物から情報を得ていたのだ。俺が今どこにいるのかとかといった情報を。まるで管制システムなんじゃないか?

 

そして幽香は、俺の表情を見て

 

「やっとお分かりになったようね。そうよ、植物よ。貴方の居場所を逐一報告してくれるの。ここにいるよ。今背中に移動したよ。私の茎の所に隠れているよ。あそこの木の裏側にいるよ。……ってね。

でもすごいわよ貴方。気配は全く感じられないし、霊力とかも無いからそれを辿る事も出来ない。普通だったらこの手を使うまでもないんだから。」

 

「そいつは光栄だねこんちくしょう。そのおかげでもう身体の内側がボロボロだよ。」

 

「もうちょっと鍛えなさいな。私の戦った貴方と同業の陰陽師は、同じ時間戦っても息一つ乱さなかったわ。もっとも、私の攻撃はお遊び程度だったけど。」

 

「うるさいな。どうせその陰陽師は霊力で体力を相当水増ししてたんだろ?」

 

「ふふ。正解。」

 

「全く。それができないから本気で悩んでいるのに。一体どうしろってんだ。」

 

「だから鍛えなさいな。」

 

幽香は俺の反応を楽しむかのようにコロコロと笑いながらおちょくってくる。

 

「だから、それができたら苦労しないっての。霊力無いんだから。」

 

「あらあら、ならどうするのかしら? あいにく私は貴方に攻撃を加えられないし、決着がつかないわよ?」

 

(いや、やろうと思えば、キャニスター弾食らわせれば木端微塵で終了なんだけども。)

 

思わず口に出してしまいかねなかったが、何とか我慢する。

 

どうしたものか。眼下の草原をナパーム弾で焼き払うか? それともFAEB、いやMOABも捨てがたい。

 

まあ、一応聞いてみるか。

 

「なあ、それならその情報提供者がいなくなったらどうなるんだ?」

 

「情報提供者がいなくなったら?………あんたまさか!?」

 

あ、やっぱりものすごい怒りよう。これはマズい。

 

幽香からかつてないほどの濃密な妖気がほとばしる。

 

「そう。焼き払ったら……?」

 

「あんたそんな事をしてみなさい? 命をかけて殺すわよ?」

 

彼女は今にも術を発動しそうな勢いだ。

 

そこで俺はある作戦をとる。

 

「これを見ろ。」

 

そう言いながら幽香の目の前にスタングレネードを創造する。

 

「これが落ちれば草原は火の海になる。」

 

これはもちろん嘘。

 

普通なら信じないはずだが、幽香は焦りと怒りで正常な判断ができない状態だったらしい。

 

「やめなさい!! そんな事をしたら……! そんな事をしたら…!!」

 

だから俺の嘘を簡単に信じてしまった。

 

それにしても俺のやっている行為は最低だな。

 

人間基準だと人質を取るようなものだし。

 

でもこれが双方に害が無い方法の一つだと思うんだよな。他にも良い手があるのかもしれないが、今の俺には思い付かない。

 

こんなことをしているのを同業者にばれたら、アマちゃんだと軽蔑されるだろう。

 

でも仕方無い。俺は基本的にヘタレなんだから。

 

おまけに今回は俺が押し掛けているようなものだし。やっぱ退治屋は向いてないかもな。

 

だからこそ

 

「俺に近づくなよ。俺が創造した物は意のままに操れるのだから、お前の手が届く前に向日葵畑に落とすぞ?」

 

「くっ………!!」

 

騙してしまう。

 

俺に近づけない幽香を確認しながら、手の内にあるスタングレネードを自由落下させる。

 

そして心の中でつぶやく。土下座する勢いで。

 

マジでごめんなさい!!

 

「あっ!!」

 

幽香がその声と共に、手榴弾に手を伸ばす。

 

しかし、幽香の意に反して手が届く前に炸裂した。

 

圧倒的な閃光と爆音。

 

人間を遥かにしのぐ耳と目を持つ妖怪に効果は絶大であった。

 

それはゆっくりと幽香の意識を刈り取っていったらしい。

 

俺は倒れ行く幽香を抱きとめ、今度は彼女に伝わるように、伝わらなくても伝わるように口に出す。

 

「騙して本当にすまない。ごめんなさい。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私は突然発生した光と音に意識を刈り取られた。

 

でも完全に意識を失う前に誰かに抱きしめられた。

 

温かい。なぜだろう。温かい。そして声も聞こえた。

 

すまない。と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここは一体……私の家?」

 

目を開けると自分の寝室だった。

 

確か私は、大正耕也と………………っ!!

 

「私の向日葵畑は!! どうなったの!?」

 

私はベッドから跳ね起きると、窓に駆け寄った。

 

そして私の視界にいつも通りの花畑が映ると緊張していた糸が切れてしまい、その場にヘナヘナと腰をおろしてしまった。

 

でもよかった、私の大切に育てた花たちが無事で。

 

そう思っていると、突然ドアが開いた。

 

「あ、起きたか。よかったよかった。」

 

入ってきたのは私とついさっきまで戦っていた大正耕也だった。

 

こいつ、よくも騙してくれたわね。

 

「何の用かしら?」

 

私は立ちあがって耕也を見据える。

 

すると耕也は

 

「いや、何と言いますか。…え~とですね。その。………騙してしまって本当にすみませんでした~っ!!」

 

そう言いながら私に土下座しまくったのだ。何度も何度も。

 

その滑稽な姿を見ていると、私の中に燻っていた怒りがどこかへ消えてしまった。

 

全く。こんな人間が陰陽師最強だなんて。本当に飽きないわねこの世は。

 

「良いわよ。顔を上げなさいな。」

 

そう私が言うと、耕也は顔を上げ立ちあがった。

 

そしておもむろに耕也が口を開いた。

 

「あの、それでだな。非常に言いにくいのだが……その。」

 

「何よ? 言いたい事があるならはっきり言いなさいよ。」

 

そう言うと耕也は少しの間逡巡してから切りだす。

 

「実はだな。お前の上着が欲しいんだけど。一着もらえない? 変わりのは用意するからさ……」

 

こっこの男は……男ってやつは……

 

「変態ね。」

 

「言うと思ったよ! 俺だって恥ずかしさを我慢して必死に言ったのに!………なあ頼むよ~。なんなら金貨200枚上乗せするからさ~。」

 

どうしたものか。くれてやってもいいのだけれど、素直に従うのは癪ね。

 

そうだ。良い事を思い付いたわ。

 

条件を付けてやりましょう。私を恐れない男。私より強い男。こんなにピッタリな相手はいない。

 

ならば

 

「良いわよ。ただし条件があるわ。」

 

「はいはいなんでしょう? 何でもおっしゃってください。」

 

やっぱ変ねこいつ。

 

心の中で思ったが口には出さずに条件を言った。

 

「わっ私の友人になりなさい。そして定期的に私の所へ来なさい。いつかあんたを負かしてやるわ。それと、ゆっ友人らしくお茶や食事にも付き合いなさい。分かったわね?」

 

おそらく今の私は、自分では見られないほどに顔が赤いだろう。

 

一世一代の決心なのだ。

 

そして耕也の返事は

 

「もちろん。喜んで。」

 

その言葉を聞いた瞬間、私の心に温かい物がコンコンと湧いてくる。

 

初めての感覚だ。これが本当のうれしいという気持ちなのだろう。

 

何故かよく分からないが、涙があふれてくる。拭っても拭っても止まらない。

 

初めての友人、初めての気持ち、初めての温かみ。

 

私が涙を必死に拭っていると、突然目の前が暗くなった。

 

耕也が何も言わずに私を抱きしめてくれたのだ。

 

何て温かいのだろう。心と体の温かさが合わさるとより一層温かい。

 

だから私は声を上げて大泣きしてしまった。

 

それでも何も言わずに抱きしめてくれる耕也。

 

本当にありがとう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

でもこの時、私は予想もしていなかった。

 

耕也を、あの女狐達と取り合う事になるとは

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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19話 平穏は最高だねやっぱ……

陰陽師を引退しようか本気で悩む……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

幽香との戦いから約一週間。俺は自宅に戻ってから惰眠を貪っていた。

 

輝夜から与えられた猶予は半年。その半年までに宝を集められなければ失格となる。

 

だが俺の場合は、約一ヵ月で幽香の服を手に入れてしまった。という事は、残り五ヶ月はとてつもなく暇になるのだ。仕事が来なければの話だが。

 

それに陰陽師の仕事は、俺には少々荷が重いようだ。

 

戦いは好きではないし、いくら報酬を低く設定したからといっても実際のところ、他の仕事より実入りがいいので選んだにすぎないのだ。

 

切りの良さそうな所で辞めるかな。……そうだな。輝夜の依頼を終えてから辞めるとしよう。

 

その後はどうするかな。運送屋でもやろうかな。トラックは創造できるし、走る時は疑似的なアスファルトを空中に創造して走らせれば良いか。

 

そして俺は助手席に乗ってれば後は勝手に走ってくれる。それに需要は見込める。この時代は牛車が主な貨物輸送手段だし、40km/hでトロトロ走っても遥かに速く、そして大質量の荷物を運べる。

 

でもこれには欠点がある。それは商人たちとのコミュニケーションが確立していないことなのだ。

 

商人たちは自分で仕入れ、運び、売るといった作業を一人でこなしているのが多い。現代のような分担作業ではないのだ。

 

まあ、そこらへんの調整はおいおいと。

 

そんな事をヤイヤイと考えていると、玄関の扉がノックされる。誰だろうか?こんな辺鄙な場所に。

 

そう思いながら、立ち上がろうとする。

 

その瞬間、玄関のドアが吹き飛ばされた。

 

「お邪魔するわよ。耕也。」

 

失礼極まりない(むしろ犯罪)行為をして入ってきたのは、風見幽香だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「だって、あなた返事が無い時は強く叩けって言ったじゃない。」

 

そう不貞腐れながら言うのは幽香である。

 

何とも酷い言い方である。だからといって吹き飛ばす必要無いじゃないか。

 

「でも加減ぐらいできただろうに。」

 

「だってだって、扉脆かったんだもの。しょうがないじゃない。」

 

おかげで破片が部屋の中に入って大変なのである。それに、楽しみにしていた煮込みラーメンが台無しになってしまった。

 

「やってしまったことに対しては?」

 

「……ごめんなさい。」

 

「よし。」

 

普通ならもっと怒るべきなのだろうが、面倒くさい。

 

だから

 

「片付けるの手伝って。」

 

「わかったわ。」

 

仲良く片づけることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「じゃあ幽香も掃除機使ってね。この出っ張りを押せば動くから。後は散らばっている小さな破片や粉を轢くようにすればいいから。」

 

「わかったわ。それにしても随分汚れてるわね。定期的に掃除してるの? ま、男だから仕方ないのかもしれないけど?」

 

フフンという顔で俺の顔を見てくる。まるで男はこれだからと言わんばかりに。

 

失礼な。掃除はしとるわい。最近は忙しくてできなかっただけで。

 

「そういう幽香こそ、ちゃんと掃除してるのか? お前を運んだ時に、土が家の中にパラパラとあったのは俺の気のせいでは無いはず。」

 

「気のせいよ。」

 

「いやいや、気のせい「気のせいよ。」」

 

「だから気の「気のせいよ。」」

 

「気「気のせいよ。」……はい。」

 

全く仕方のない。この意地っ張りめ。後で掃除機送ってやるか。

 

と、こんなことをしてる場合ではない。早く終わらせねば。

 

そう思い、掃除機をかけ、破片を吸い取っていく。

 

幽香も俺の行動に従ってゴミを処理していく。

 

やはり、掃除機の便利さに驚いたようで、口早に驚きを述べる。

 

「凄いわねこれ! ゴミをどんどん吸い取ってくわ。彗いらずじゃないこれ。どうやっているの?」

 

細かいところまでは俺も知らん。でもまあ、簡単な概要ぐらいは説明できる。

 

「後ろに風を送る装置があるのだけど、それをファンと呼ぶんだ。そのファンが外に空気を排出すると、中の空気が少なくなる。そうすると今度はその吸い込み口から空気を吸い込んで中の空気を補填しようとする。それを利用してゴミを吸い取るわけ。」

 

多分圧力とか分からないだろうから、分かりやすく言ってみたのだが、大丈夫だろうか?

 

すると幽香は理解したように頷き

 

「これ一台頂戴。いくらでも出せるんでしょ? 」

 

と言った。結局欲しかっただけかい。まあ元々あげるつもりだったから良いのだけれども。

 

「はいよ。家に送るから好きに使っとくれ。」

 

と、了承の返事をした。

 

その後は掃除もトントン拍子に進み、夕食までに終わらす事ができた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夕食では、煮込みラーメンの具材がオジャンになってしまったのでメニューを急きょ変更する羽目になってしまった。

 

そこで俺は、幽香に何が食いたいか聞いてみる事にする。

 

「幽香。今日はもう遅いから泊っていきなよ。別室を貸してあげるから。それと、夕食は何が食べたい?」

 

幽香は少しの間考えるしぐさをした後、こう切り出した。

 

「今まで食べた事の無いものが食べたいわ。」

 

食べた事の無いものか。刺身はどうだろう?

 

「刺身はどう? 」

 

俺は刺身とはどういうものかを織り交ぜながら勧める。

 

すると彼女は、刺身に興味を示したようで、頷いて了承する。

 

「いいわ。それにしましょ。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

食事はやはり一人より、相手がいた方がいい。この世界に来て一番身に染みた事だ。

 

だから、幽香と一緒に飯を食うと、一人で食うよりもダントツに美味く感じる。

 

「なあ幽香。今日はどうしたんだ? 急に訪ねてきて。一緒に飯食えたから俺は大満足なんだが。」

 

幽香に聞いてみる。

 

すると幽香は

 

「へ!?…い、いやねぇ? 私は単に暇だったから来てあげただけよ?」

 

と、顔を赤くしながら答える。見え透いた嘘を。

 

聞くだけ野暮だな。おそらく同じ気持ちなのだろう。一人よりも二人の方がいい、そしてうまい。これに尽きる。

 

そして俺は少し独り言のように幽香に話しかける。

 

「平穏は最高だね~。」

 

「そうね。私もそう思うわ。」

 

願わくば、この平穏が一秒でも長く続きますよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




初期のはやっぱ短いですね。すみません。


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20話 やっぱりばれてました……

嘘は良くないよね嘘は……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

期限の半年が来た。俺に対しての依頼は幽香の討伐。そしてその証明として本人と断定できるものを持ってくる事である。

 

元々結婚する目的ではないので、討伐はしていない。証の物は持ってきているが。

 

さて、では行きますか。

 

そうして俺は意気揚々と輝夜の屋敷へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

輝夜の屋敷に着いたのだが、人がいない。普段なら大勢の人で溢れ返っているというのに。

 

一目見ようとする者。本気で求婚する者。冷やかしで来る者。さまざまだ。

 

しかしいない。なぜだろう? しかも大貴族の求婚となれば大勢の人間が来てもおかしくは無いはず。俺は庶民なんだけどね。

 

おまけに本命の皆さまはまだ来ていないようだ。どうしたものか、……少しウロチョロしていようかな。

 

そう思いながら屋敷の外周を歩く。

 

あらためて見ると決して大きいとは言えないが、重厚な創りになっている。まあ月人から金貰ってたらしいし、竹の柵があるのもうなずける。

 

普通の家の外見はもっとみすぼらしいからな。でもお爺さんたちは、輝夜の事を大事に思っているからこそなのだろう。良からぬ事を考えて侵入しようとする輩もいるだろうし。

 

そして今も怪しい奴を発見。こいつどこかで見た事が……ああ、妹紅じゃないか。髪の毛の色がまだ黒いから分からんかった。

 

今は着物姿ではないが、貴族の中では幾分か薄着で動きやすそうな服装だ。浴衣っぽいような服と言えば分かるだろうか。そんな感じの服を着ている。

 

しっかし負のオーラがモワ~っと広がっている気がするのはなぜだろう。屋敷の中を凝視しながら目を爛々と輝かせながらブツブツと何かをつぶやいている。

 

このままだと危ないので声を掛けてみようか。

 

「もしもし、そこのお方。何をしているのですか?」

 

そう俺が声を掛けると一瞬固まり、俺の方を見て、そして急いで前方へと走り樹の影へと隠れた。

 

あの、バレバレなんですけど……あれで隠れているつもりなのだろうか?

 

何て反応したらいいのか分からない。

 

普通に反応してみるか。

 

「あの、思いっきり分かるんですけど。」

 

すると木の影から妹紅が

 

「だ、誰! まさか輝夜の回し者!? 私を誰だと思ってるの!? この無礼者!」

 

あの~、姿見えないと誰だか普通は分からないんじゃない? 幸いにも俺には分かるんだけどさ。

 

「もちろん存じております。貴方様は藤原妹紅様でいらっしゃいますね? 私は怪しいものではございません。どうか姿をお見せになってください。」

 

そう言うと妹紅はしばらくの間黙っていたが、やがて観念したのか姿を現した。そして視界に俺をおさめた瞬間に「あっ!」と驚きの声を上げながら指を指して言う。

 

「貴方お父様と一緒にいた陰陽師じゃない!どうしてこんなところに!」

 

むしろこっちが聞きたいです。

 

と、心の中で突っ込みを入れながら、理由を話す。

 

「いえ、予定よりも早く来過ぎたようでして。暇なのでぶらぶらと散歩をしていたのですよ妹紅様。では逆にお聞きしますが、妹紅様はなぜこのような所に?」

 

そう俺が聞き返すと、妹紅は何かを思いついたような顔をして、俺に駆け寄ってくる。

 

「貴方からお父様に言ってあげて! 輝夜は諦めろって。 お父様ったらあんな女に首ったけで、私に最近構ってくれなくなっちゃったのよ。」

 

妹紅様。何歳ですか? 見た目17か18ぐらいなんですけど……親離れは少しした方がいいぞ?

 

それに俺が言ったところで聞く耳を持ってやしないだろう。おまけに失礼すぎる。この世界での階級の差は絶対的だし、何より庶民と大貴族って天と地の差だし。

 

「いや~妹紅様。ちょっとそれは厳しいです。陰陽師といっても俺は例外で庶民同然ですから。」

 

この言葉を聞いた妹紅は明らかに落胆したような表情を見せ、言った。

 

「そうよね。……ごめんなさい。変な事を言ったりして。」

 

「いえ。お気になさらず。そして申し訳ありません。お役に立てずに。」

 

「いいわ、気にしないで。それと、貴方はなんで輝夜に求婚したの?」

 

妹紅はそれが不思議でならなかったようだ。

 

いや、俺も巻き込まれただけなんだけどね。顔見に来ただけだったしなぁ。

 

まあ、これくらいなら話しても問題ないだろう。

 

「いや~。実は言うと自分も求婚する気なんて無かったんですよ。ただ、あの現場にいただけで、巻き込まれてしまいまして。」

 

その言葉に妹紅は驚いたようで

 

「へえ~、輝夜に靡かない男もいるのねぇ。もしかして男色?」

 

「ちがう!」

 

脊髄反射で答えてしまったが、何て事を言うんだこのマセガキ。

 

「あらあら、随分失礼な言い方ね。親の顔が見てみたいわ。」

 

それはこちらのセリフです妹紅様。

 

口に出してしまいたかったが、我慢して心の中でつっこむ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こんなことをやりとりしている間に、他の牛車が来ている事に俺は気づいた。

 

「妹紅様。私はこれで。そろそろ時間のようですので。」

 

すると妹紅は納得して頷き、笑顔で

 

「分かったわ。また会ったら話しましょう? 陰陽師さん。」

 

「大正耕也です。」

 

「なら…またね、耕也。」

 

「ええ、ではまた。」

 

そうして俺は玄関前まで行き、屋敷の中へと入って行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

中へと入った俺は、前と同じ所へと案内された。

 

皆は様々な表情をしている。妙に自信のある顔、心配そうな顔、緊張している顔などである。ちなみに俺は、だらけている表情。

 

しばらく俺たちはその場で待っていると、ついに輝夜が姿を現した。

 

やばいな。幽香とかもメチャクチャ美人だが、輝夜は一線を画している。神奈子や幽香とかは妖艶という部類なのだろう。

 

しかし輝夜は妖艶というのではなく、純粋に美しいのだ。世の男が惚れてしまうのも分かる。

 

そんな感想を考えていると、石作皇子が輝夜に鉢を差し出した。

 

「輝夜様。これが御所望なされた、鉢にございます。」

 

すると俺を除く全員が宝を差し出した。

 

そして俺も上着を差し出す。

 

宝を差し出された輝夜は鑑定をすると言って、宝をもって奥に引っ込んでしまった。

 

さてさて、どうなる事やら……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しばらくすると輝夜が再び宝を持ってきた。

 

そして俺たちの目の前に座るなりこう言った。

 

「では石作皇子殿から。貴方様の鉢はただの鉢です。違いますか?」

 

そう言われた石作皇子は偽物だとバレた瞬間に肩を落とし、そのまま黙りこくってしまった。

 

次に藤原不比等の宝を持ち、こう言った。

 

「先ほど、貴方様の雇った職人が来てお爺様に、藤原不比等殿からの支払いがまだだと伝えてくれと言ったそうです。ふふ、詰めが甘かったですわね。」

 

その言葉を聞いた瞬間に顔を赤くして、口を開いて何かを言おうとしたのだがそのまま俯いてしまった。

 

そして順々に嘘を見破られていき、ついに俺の番になった。

 

輝夜が俺の持ってきた幽香の上着を持ちこう言った。

 

「貴方様の持ってきた服は確かに本物です。しかし討伐をしたはずにもかかわらず、風見幽香の姿が確認されています。これはなぜですか?」

 

これははっきり言うべきだろうか? 実は元々求婚するつもりはありませんでした。と。

 

でもまあ、当たり障りのない回答をすべきだよな。

 

「実を言いますと、戦闘にはなったのです。しかし、その後停戦となり話し合ってみたところ、彼女は自分の花畑を荒らされない限り手出しはしないとの事です。ですからこれ以上の争いは不要と判断し、上着だけを持ち帰りました。」

 

俺が訳を言うとしばらく輝夜は思考の海に潜る。

 

しばしの後、答えが出たらしく切り出す。

 

「確かに貴方の考えはあっています。褒められる部分もあるでしょう。しかし私は討伐を依頼したのです。話し合いではありません。また、貴方は平気かもしれませんが、現に民衆は恐怖を抱いています。それを解決できなかった。よって貴方も依頼達成にはなりません。」

 

分かり切っていた事なんだけどね。もし俺が火鼠の裘だったら余裕だったんだけどね。シリカ製の布なら1100℃まで耐えられる。焚火の温度は800~900℃程度だしね。

 

でも例えそれが依頼だったとしてもさっさと硝化綿を持って行って失格にしてもらうのだけれど。

 

そんな事を考えながら、俺は輝夜に言葉を返す。

 

「分かりました。では私はこれで。」

 

そう言って俺は立ち上がり部屋を出る。そして部屋を出た瞬間に見てはいけないものを見てしまった気がする。

 

妹紅が遠くから輝夜を睨みつけていたのだ。おそらく原作のとおりに恨んでいるのだろう。これは下手に介入しない方がよさそうだな。

 

そう思い、俺は屋敷を後にして幽香の所へ遊びに行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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21話 召喚状ですか……

俺は都のお抱えじゃないんだけども……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「え? 召喚状~?」

 

お茶をしに来た幽香が、俺の持っている書状を指差しながら素っ頓狂な声を上げる。

 

「そうなんだよ。俺はお抱えの陰陽師ではないのに都まで来いだってさ。」

 

その言葉を聞いた幽香は不思議そうな顔をしながら口を開く。

 

「用件は何なの? お抱えになれとか?」

 

「いや、実を言うと内容としてはぼやかしが入ってるんだけど、要は輝夜姫についてらしい。」

 

輝夜という言葉を聞いた瞬間に、幽香の機嫌が悪くなった。

 

なぜ機嫌が悪くなるのかというと、あの時に借りた上着が、輝夜との婚約(謁見)に使われたのがひどく気に入らなかったらしい。

 

上着の用途を話した瞬間に幽香がキレて大変だった。デリカシーがないだの女の扱いが駄目だの、女心が分かってないだの散々な事を言われ、終始土下座しっぱなしであった。

 

まあ、幸いにも許してくれたので良かったが。仕方が無いじゃないか。依頼だったんだし。でも、すみませんでした。俺に非があります。

 

そして幽香は俺の答えに対してさらに質問を重ねる。

 

「輝夜がなんだってのよ?」

 

非常に答えにくい。これを言っていいものだろうか?

 

いや、言ったら確実に怒りそうな気がする。

 

そんな事を考えていると、幽香は痺れを切らしたのか、さらに言ってくる。

 

「どうしたのよ、早く言いなさいよ。別にマズい事が書かれてるわけではないのでしょう?」

 

「いや、あのですねぇ。何と言っていいのやら…その…」

 

必死に言い訳を考えてると幽香が

 

「何よじれったいわね。私が読んであげるわ。」

 

そう言いながら、掘り炬燵から身を乗り出して書状を奪い取って読み始めた。

 

「あら、帝直筆じゃない。え~となになに?……輝夜と懇意の仲にある貴殿に、輝夜の月への帰還を阻止してほしいですって~!?」

 

ぼやかしが入ってるため正確な情報は分からないが、推測するとおおよそ、そのような解釈になるだろう。

 

それにしても読みながら声に力がこもる幽香が怖い。本当に怖い、女って怖い。書状が正面にあるので表情は分からないが容易に想像できる。

 

そして幽香が書状を下げると、無表情になりこう言った。

 

「私が都に行ってくるわ。」

 

幽香は書状を畳んで上着の内ポケットに入れて、玄関へ足早に向かう。

 

あの、おっきい胸のせいで書状が歪んじゃうと思うんだけど……。

 

そんな事を考えている状況じゃない。都に幽香が行ったら大騒ぎどころじゃなくなる!

 

そう思いながら俺は、寝そべった格好になりながらも、幽香の片足をつかむ。

 

「頼む! それだけは勘弁してくれ! 都がとんでもない事になるから! それと俺の面子も。」

 

しかし幽香は足を振りほどこうともがく。

 

「離しなさいよ! 耕也が掴むと力が入らないのよ! それに懇意ってどういう事よ。」

 

「いやいや、懇意って言うほどじゃないから! そりゃ屋敷に行って話し相手になったりするけど……そんなムキにならなくても良いじゃないか。」

 

俺がそう言うと幽香はしばらく考え、やがて舌打ちしながら炬燵へと戻る。

 

「分かったわよ。…耕也を信じるわ。でもね。私が怒ってるのは、輝夜が危険だからよ。」

 

危険?なんで?

 

そう思いながら首をかしげると、幽香はため息を吐きながら話す。

 

「良い? あの女はね、耕也達人間をもてあそんでる悪女なのよ。妖怪の私が言うのもなんだけど。」

 

いや~。合ってるような合って無いような微妙なラインだな。いや、合ってるな。現に大貴族に問題出して暇つぶしやってるのだし。でも根は良いと思うんだけど。

 

彼女の場合は、取り巻く環境が悪かっただろうし、毎日毎日断ってるのにもかかわらずひっきりなしに求婚が舞い込んでくるのだから、鬱憤も溜まるだろう。

 

でもまあ、幽香が俺の為と思ってやってくれるのだから感謝せねば。

 

「いや、ありがとう。幽香が俺の事を心配してくれてるのが良く分かった。気をつけるよ。」

 

そう俺が言うと幽香は

 

「なら私が言う事は無いわ。でもくれぐれも誑かされないように。いいわね?」

 

「分かってるよ。じゃ行ってきます。」

 

「行ってらっしゃい。」

 

そうして俺は都へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本当に、いつになったら気付くのかしらね。自分では、俺みたいなド凡人を好く女なんているわけが無い。と言っているけども。

 

輝夜の悪評とかを述べて注意を促したのは建前。本当は会って欲しくもない。

 

つくづく彼の事が気になって仕方が無いという事を認識させられる。

 

初めての友人。本当にうれしかった。そして接していく内に自分の物にしたいと言う気持ちが強くなっていくのが分かった。そして好きだと言う感情も。

 

これが嫉妬という感情なのだろう。胸が苦しくなる。

 

耕也から他の女の名前が出てくるのも嫌な気分になる。

 

私は独占欲が強いのかしら?

 

でも、女としてなら普通よね?

 

耕也、私は妖怪なのよ?

 

だから表に出てきてしまう。妖怪としての本質も。妖怪は本能に忠実になる者が多い。だから欲求にも忠実だ。つまりは性欲。

 

だから、だから、だから……

 

「早く気付いて頂戴? 耕也。これでも普段から色々アピールしているのよ? 早く気付かないと、貴方を徹底的に犯してしまうわよ? 私の身体の全てを使って…フフッ。」

 

特別な花の蜜でも用意しましょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、都へと着いた。着いたはいいが、帝の屋敷はとんでもなく大きい。さすがですな。全く帝のいる場所が分からないけれども。

 

仕方が無い。門番に聞いてみますか。

 

「すみません。」

 

「なんだね?」

 

「この度は陛下からの召喚を受けました、大正耕也と申します。どうか中に入れていただけませんか? これがその召喚状となります。」

 

そう言って俺は門番に召喚状を渡す。

 

すると門番は召喚状の印を確かめ、口を開く。

 

「これは失礼いたしました。大正耕也様。陛下がお待ちになっております。どうぞ中へ。」

 

そう言って俺を門の中へと通した。

 

さてさて、どんな方法で輝夜の月への帰還を阻止させるつもりなんだ?

 

そういった一抹の懸念を頭の隅に置きながら、俺は屋敷の中へと入って行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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22話 逃げよう逃げよう……

月人は変な乗り物に乗ってやって来る……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ただいま~。」

 

そう言いながら俺は自宅へと入る。

 

俺が玄関の扉を開けると出迎えてくれたのは幽香であった。

 

「あら、随分早かったじゃない。帝からの召喚というからにはもっと遅くなると思っていたのに。」

 

そう、俺は自宅を出てから約2時間で帰ってきたのだ。

 

ジャンプしてきたからさほど時間はかからなかったが、飛行して行くとなるともっとかかったに違いない。

 

それに今回の話は依頼の詳細だけだったし。

 

そしてその事を幽香に伝える。

 

「いや、実を言うと帝との話が結構短く終わってさ。やることもないしさっさと帰ってきたという訳なんだ。」

 

それを聞いた幽香は理解したように頷き

 

「なら夕飯に間に合ったのだし、夕飯にしましょうよ?」

 

と言ってくる。

 

ここで俺が、幽香に帰宅について言うのはさすがにアホすぎるだろう。

 

それに一人で食っても楽しくないしな。今日はどうしようか。ちゃんこ鍋にしようかな。

 

「今日は鍋をつつくか?」

 

「いいわねそれ。なら早くしましょう?」

 

そうして無事に一日を過ごす事ができた。

 

しかし、輝夜の帰還は明後日か……俺が介入してもいいのだろうか? 色々と面倒なことになりそうな気がするなぁ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、今日がついに輝夜の帰還の日であり、依頼の日でもある。

 

そして俺は一足先に輝夜の屋敷に来ているのだが、何と言うか……葬式ムードですよ? 空気がどんよりしている。

 

普段ならもっと活気にあふれていて、近くで商人が商品を広げている程の賑やかさなのだが。

 

具体的には、5時間待ちと言った方が分かりやすいだろう。それぐらいなのだ。

 

やはり輝夜の帰還というのが波及しているのだろう。それに今回は兵士が来るからな。一般人はおいそれと来ることはできないのだろう。

 

仕方が無い。屋敷の中に入って輝夜の様子でも伺ってみるかな。

 

俺はそう思い立つと、足早に屋敷の玄関へと向かって行った。

 

「すみません。大正耕也と申します。どなたかいらっしゃいませんか?」

 

玄関の扉をノックし声をかけると中からお爺さんが出てきた。前に見たときよりも元気が無い。当然か。我が子のように愛し、慈しみ育ててきた大事な娘が帰ってしまうのだから。

 

お爺さんの様子を見ながらそう思っていると、お爺さんが口を開く。

 

「おお、耕也様ではありませんか。どうぞお上がり下さい。輝夜も会いたがっておりました。」

 

そう言って俺を中へと通す。

 

俺は一礼をして中へと入り、輝夜のいる部屋へと向かう。

 

襖をあけると輝夜がいた。しかし、その顔にいつもの輝かしい笑顔は無く、覇気も元気も無く、ただ黙って下を向いて俯いてるだけだ。

 

それでも俺が来た事を知ると、顔を上げて笑顔を作る。正直見ていて苦しい。可哀そうだ。

 

「いらっしゃい耕也。今日はどうしたのかしら?」

 

求婚騒ぎの後、ちょくちょく会いに来ていた俺は、互いに気軽に話せる仲までになったのだ。

 

「いや、今日は依頼でな。」

 

「あら、私の暗殺かしら?」

 

「冗談でも言うんじゃないバカ者。暗殺の逆だ逆。お前さんの護衛なんだよ。帝からの直々の依頼でお前さんが月に帰るのを阻止しろだってさ。」

 

その言葉を聞いた輝夜は再び俯きながら言った。

 

「無理よ。確かに貴方は強いわ。でも月人はこの星には無い武器を持っている。それに貴方はただの人間。勝てる望みは無いわ。」

 

普通の月人と戦ったら余裕で勝てるよ? 環境を考えなければ。綿月とかはどうなるかは分からないけど。でも攻撃は食らわないし。

 

でも基本戦いは好きではないので平和裏に交渉したいのが本音だけど。

 

「なら輝夜はどうなんだ? 帰りたいのか?」

 

その言葉を聞いた輝夜は少し語気を荒げて

 

「帰りたいわけ無いでしょう! もうあんなところに……でも待ってくれている人がいるのよ。私の帰りをずっと待ってくれている人が。」

 

おそらくその人とは八意永琳だろう。でもこっちに出向いてくるんだよな。輝夜が心配でね。

 

しっかしどうしたものか。下手に介入すると月人からマークされるんだよな。

 

でも友人の為に一肌脱ぐかね。俺だって男なんだから頑張らなければ。

 

「ならお前さんはその待ち人さえいれば地上から出なくて済むんだな?」

 

「ええ、そうよ。でも彼女は非常に重要な役職に就いているからこちらに来る事は無いわ。」

 

輝夜は落胆しながら望みが薄いという事を言う。

 

あ~、元気づけてやるかな。まあ、占いとか何とか言ってしまえば大丈夫だろう。

 

「輝夜。良い事を教えてあげよう。」

 

俺がそう言うと何かしらの興味を示したらしく、顔を上げてこちらを見る。

 

「輝夜、君の想う大事な人。八意永琳は今日の迎えに必ず月よりやってくる。だから安心しろ。そして会ったなら、訳を話して地上のどこかへと逃げるんだ。逃走の手伝いは俺もしよう。」

 

俺が言った言葉に激しく驚いた輝夜はどもりながら口早に言う。

 

「な、なななんであなたが永琳の事を知っているのよ! そ、それに今夜来るってどういう事よ!」

 

さてさて、では言い訳をば

 

「実を言うとここに来るまでに、とある神様の所に行っててな。そこで聞きに行ったんだよ。今後はどうなるのかってね。」

 

それを聞いた輝夜は、随分と胡散臭いわねと言いながらしぶしぶ了解した。

 

「まあ、信じるか信じないは輝夜の自由だが、おれはお前さんの敵ではないからな。そこだけは間違えるなよ?」

 

「分かってるわよ。」

 

その後の俺は、幾分か元気を取り戻した輝夜と談笑し、その時を待つことにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そうそうそれでだな、その貴族が言ったんだよ。お主に頼めば良かった~!ってね。もうその時は爆笑だったよ。もちろんその時は帰ってから爆笑したけど。」

 

「あはははははっ。その貴族も馬鹿ねぇ。料金が高い方が絶対に質が良いだなんて。確かに一理あるけれども。でも報酬の差で陰陽師の質に優劣があるとは限らないものね。」

 

俺と輝夜は夜まですっかり話しこんでいた。やはり話のネタは俺の方が豊富である。まあ仕事柄人と接することの多かったからね。

 

実を言うと陰陽師を未だに続けている。一度はきっぱりと辞めたのだが、後から庶民の依頼が絶えなくて押し切られてしまったのだ。だからへタレなんだよな俺って。

 

そして俺は輝夜にそろそろ時間だと伝える。

 

「輝夜、そろそろだぞ。」

 

すると輝夜の表情は一変して引き締まる。

 

「分かったわ。外に控えてる兵たちも雰囲気が変わっているし。」

 

そう、時間が近づくにつれて外の兵たちにも緊張感が漂い始めているのだ。

 

今回帝が派遣した兵は、選りすぐりの精鋭中の精鋭たちばかり。一般の兵とは比べ物にならないほどの強さだ。

 

だが、月人には手も足も出ないだろう。それは分かり切っている事だ。輝夜もそれは承知の事。

 

実際に戦闘になった場合は俺が矢面に立つしかないだろう。

 

でもおそらく戦闘にはならないで、永琳がやってしまうと俺は確信している。

 

そう思いながら俺は双眼鏡を覗き込みながら満月を見る。

 

そしてその満月に奇妙な点を発見する。

 

「んあ? あれは……ついに来たか。」

 

満月の中に小さな黒い点が存在していた。その点はどんどん大きくなっているようで、こちらに近づいているのだと言う事が分かる。

 

確実といっても良いだろう。あれは永琳達の乗った乗り物だな。

 

そして俺はその事を輝夜に伝える。

 

「輝夜、来たぞ。迎えが来た。」

 

輝夜は俺から受け取った双眼鏡を手にとって自分の目で確かめる。

 

「本当ね。迎えに来た船ね。」

 

輝夜によれば、船といっても宇宙船のようなものではなく、地上にある貴族の乗る牛車を大型化したようなものらしい。牛がついてなくて自立運転できたり、宇宙航行できたりとやたらとハイスペックらしいが。

 

永琳達の乗った宇宙船はこちらのすぐ近くまで接近した後に空中で停泊している。

 

そして中から永琳と思わしき人物が出て来てまっすぐこちらへと向かってくる。

 

輝夜は立ち上がり、永琳を出迎える。そして二人は抱き合った。

 

「永琳! 会いたかった。会いたかったよ~!」

 

輝夜が涙を流しながら永琳の胸に顔を埋めながら泣きじゃくる。

 

また永琳も静かに涙を流しながら答える。

 

「ええ輝夜。私もですよ。この日をどんなに待ち望んだか…。」

 

いいねぇ。感動の再会だね。こっちまで涙が出そうだ。最高。

 

と俺は彼女らから離れながらその光景を眺めて感慨にふける。

 

しかし安心している場合ではない。迎えは永琳だけではないはず。他にも部下などが乗っているはずなのだ。

 

俺の心配をよそに二人はこれからの事を話し始める。

 

「永琳。私は月へと帰りたくは無いわ。一緒に逃げましょう?」

 

「はい、輝夜。ですがそのためには大きな障害があります。少しの間、お待ち願いませんか?」

 

すると輝夜は頷き

 

「ならここで待っているわ。」

 

と了承する。

 

そして俺は二人のやりとりを見届けた後に再び船を見る。

 

すると船の周りに10人ほどの部下と思わしき者達が、空中に横一列で並んでいる。

 

その中の一人が拡声器のようなものを口に当て声を発する。

 

その内容は俺にも到底受け入れがたいものであった。

 

「これより大罪人の輝夜とその幇助人の八意永琳の抹消。ならびに目撃者の地上人共の抹殺を始める。一斉掃射!!」

 

はぁ!? なんだと!? と、そう思った俺は彼らが携帯型バルカン砲を構える前に、反射的に外側の領域を広げ、兵士たち全てを都までビーム転送する。

 

月人たちは、突然消えた兵士たちを見て動揺しているようだ。

 

「な! 何が起こった。報告を!」

 

「わ、分かりません! 気付いた時にはもう…」

 

「ええいくそっ! 地上人の事は放っておけ! 今はあの女達を始末せねば。」

 

そう言ったリーダー格のような月人はやけくそ気味にバルカン砲を屋敷に乱射する。

 

「伏せろ!」

 

そう言ってすぐさま俺は、屋敷を覆う程の大きさの縦40m横100m厚さ50mmの鋼板を創造し、盾として機能させる。

 

盾を展開するまでに多少の弾は俺にあたったが二人には当たらなかったようだ。

 

だがその間にも断続的に乾いた独特の音が響き渡る。

 

そして盾の外側からは罵声も飛び交っている。

 

「おい!早くこの鉄板を何とかしろ!」

 

「無茶言わないでください! 梃でも動かないんですよ!」

 

やはり相手はかなり焦っている。この任務が失敗すれば自分たちの命が危ないのだろう。

 

全く。末端は辛いねえ。

 

そんな事を考えていると後ろから声がかかる。

 

「こ、耕也。これは一体何なの?」

 

声を掛けた輝夜は前方の鋼板を信じられないものでも見るかのような目で見つめている。

 

「いや~、説明するのが面倒くさいのでこれについては流しておくれ。それより、永琳さん。あいつらはどうします? 自分が相手をしましょうか? 御二人はその際に自分がビーム転送するので逃げてください。」

 

覚悟を決めたからにはこれくらいはやらなくては。

 

しかし永琳は首を横に振り、拒否の姿勢を示し、続いて口を開く。

 

「今回の件は私のミスよ。え~と…「耕也です」耕也さん。だから私が後始末をするわ。」

 

そう言って背負っていた弓を構える。

 

「耕也さん、私の合図に従って盾を消してちょうだい。あいつら馬鹿だから全員して必死に打ち込んでるわよ。弾切れはもうすぐのはず。」

 

「分かりました。ではその時になりましたら合図をください。」

 

そう言って俺はいつでも盾を消せるように準備する。

 

そしてしばしの断続的な銃の発射音と盾への着弾の音が続く。

 

しかし終わりは唐突に訪れた。

 

月人達のバルカン砲が一斉に弾切れを起こしたのだ。本当に馬鹿だろあいつら。焦るのは分かるけどそれにしてももう少しやりようがあるだろ。

 

そう思っていると永琳が

 

「今!」

 

そう言ったので盾を消失させる。

 

永琳は盾が消えた瞬間に目にもとまらぬ速さで矢を次々と打ち出していく。まるで機関銃のように。

 

その矢は全て的確に相手の頭を打ちぬいていく。

 

おまけに一発も外さないで。

 

勝負は一瞬にしてけりがついた。

 

月人は全て地面に落下し、倒れていた。そして何故か船も墜落してグシャグシャになっていた。

 

そこで永琳と俺は死体の数や息があるかどうかを全て確認しに行った。

 

確認したところ、月人は全て事切れているようだ。

 

正直な話、死体を見るのは勘弁願いたい。情けない話だが。

 

あ~しばらくは肉料理は避けよう。その方がいい。俺の精神衛生上。

 

そう思っていると永琳がこちらの方を向き、突然頭を下げ始めた。

 

「今回は本当にありがとう、耕也さん。おかげで輝夜とも無事に再開を果たす事ができたし。」

 

「いや、俺は特に何もやってませんよ。輝夜を守ったのは永琳さんの腕のおかげです。」

 

だが、永琳は少々納得のいかない表情をしていたがやがて、微笑みながら

 

「ふふっ、そう言う事にしておくわ。」

 

といった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして俺たちは輝夜の所に戻り、今後の話を始めた。

 

「これから二人はどうするつもりなんだい?」

 

そう言うと輝夜が

 

「そうね。月人の追手が怖いから、ここにはもういられないし、それに実を言うと隠れるにはもってこいの候補地があるのよ。」

 

輝夜の言葉を聞いた永琳は輝夜に問う。

 

「輝夜、そこはどういうところなの?」

 

「そこは迷いの竹林と言って毎日表情を変えているから誰も抜け出せないと言うところなのよ。竹だからね。」

 

その言葉が決め手となったのか、永琳もその言葉に賛成して、会議が終了してしまった。

 

「どこら辺にあるんだ? なんだったら俺がビーム転送しようか?」

 

輝夜たちに、ジャンプを勧めたが、輝夜は首を横に振り飛んでいくと言った。

 

まあ、本人たちの自由だからな。交通手段は。

 

そう思っていると輝夜たちは、すでに身支度を終えて飛び立つだけとなっていた。

 

さて、しばしのお別れだな。

 

そして突然輝夜が俺の前に進み出て、俺に抱きつく。

 

「ありがとう耕也。私なんかの友人になってくれて。」

 

「こちらこそありがとう。気をつけてな。また会った時はよろしくな。」

 

そして輝夜は俺から離れる。

 

今度は俺から。

 

「永琳さん「永琳でいいわよ。」…永琳。輝夜と共に、気をつけて。困った時は俺を頼ると良い。俺の家の場所は輝夜が知っているから。」

 

そう言うと、永琳は微笑みながら頷き

 

「ええ、頼りにしてるわ。」

 

と言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

別れは悲しい。しかし彼女たちとはまたいずれ会う事になるだろう。その時はまた良い友人同士でありますよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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23話 怨みは恐ろしいものだ……

妹紅は一体どうなるんだ……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて、後片付けをしますかね。」

 

そう言いながら俺は、部屋に散らばった木片などを片していく。

 

輝夜たちは意気揚々と飛んで行ってしまったが、結局片付けるのは俺になってしまったのだ。

 

まったく、少しは手伝ってくれればいいものを。

 

そう思いながら掃除機やらを創造してサッサと掃除していく。

 

「そう言えば、蓬莱の薬はどうしようか? 帝に渡してくれと頼まれたのだけれども。これは原作にも関わってくるし報告しようか。」

 

そして独り言を言いながら掃除を進め、それも終わろうとしていたところ、廊下側からドタドタと騒がしい音がしてきた。

 

何だ? ……お爺さんな訳は無いよな。そこまで足腰の強いお方じゃない。だとしたら……

 

俺が予想を立てていると足音が近くで止み、目の前の襖が大きな音を立てて乱暴に開かれた。

 

開かれた襖の先にいたのは妹紅だった。

 

妹紅の目は血走っており、手には短刀があった。

 

そして部屋の中にズカズカと入り、隅々を見回した後、俺に向かって凄い剣幕で叫んだ。

 

「耕也、輝夜はどこ!? 教えなさい!! あいつ殺してやる! お父様にあんな恥を掻かせて!」

 

こいつはヤバい。下手な事を言うと俺に矛先が向きそうだ。

 

どうしたものか。迷いの竹林と言っても俺には場所が分からない。原作にも場所の記述が無かったし。

 

何より知っていたとして、教えてしまったら無鉄砲に出て行って、無駄死にしてしまう可能性もある。

 

適当な言い訳をしようかな。非常に心苦しいがお前の為だ。許せ。

 

「実は言うと、俺が来たのは輝夜姫たちが出て行ったあとなんだよ。お爺さんが俺に訳を話してくれて、今掃除を手伝っているところなんだ。申し訳ないが妹紅の欲している情報は持ってないよ。」

 

俺の言葉を聞いた妹紅は明らかに落胆した表情を覗かせ、手に持っていた短刀を落としてしまった。

 

そしてその場に座り込み、俺に話しかけてきた。

 

「ねえ、耕也。あなたもあの場にいたと思うけど、お父様は本気で輝夜に惚れていたんだ。家族を放っとくほどにね。でも輝夜の欲していた宝はどんなに探しても見つからなかった。当然だよ、この世に存在するわけが無いんだから。だからお父様は偽の宝を作った。

耕也、見たでしょ? あの落胆ぶりを。屋敷に帰ってもそれは変わらなかった。むしろさらにひどくなるばかりだったんだ。酒におぼれてしまって……。挙句の果てに全てに無気力になってしまって……。だからお父様をあんなにした輝夜を許すことはできない。絶対に。」

 

妹紅の話は、聞けば聞くほどこちらが滅入ってしまいそうなほどだった。

 

俺はようやく理解した。この怨みの深さに。どうしてここまで深くなってしまったのかを。

 

それはそうだろう。あんなに深く慕っていた父親が、ある日突然鬱に近い状態になってしまったのだ。誰だって原因を作った人物に対して怨みを抱くだろう。

 

しかしどうしたものか。蓬莱の薬をあげると言う事はおいそれとできん。岩笠についても考慮しなくてはならん。

 

だが岩笠が死ぬのを黙って見ているのは俺としてはきついものがある。

 

…………ああ、そうだ。これが使える。これにしようじゃないか。これなら誰も死なずに、そして原作に影響を与えずに妹紅が蓬莱の薬を手に入れられる。

 

…俺がいる時点で影響も糞も無いのだが。

 

まあ所詮俺のやる事は偽善だろうが、やらないよりはましだろう。

 

思い立ったら吉日だ。早速帝に嘆願しよう。

 

後は……妹紅を帰らせなければ。

 

「妹紅。今日はもう日が暮れる前に帰りなよ。お前の気持ちは痛いほどに分かる。家族を亡くしたようなものだからな。」

 

そう俺が言うと、妹紅はゆっくりと頷き、帰って行った。

 

さて、明日は帝の所に行きますかね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

思い立って二日後。今俺は富士山の5合目付近を上っている。頂上まではまだまだかかりそうだ。

 

昨日の帝との交渉は極めて円滑に進める事ができた。

 

俺の嘆願した事は全部で三つ。

 

一つ目は、蓬莱の薬の処分を俺に任せる事。二つ目は、表向きには岩笠が処分しに行くという事にする事。三つ目は、護衛の兵を付けない事。

 

これである。

 

まあ、言い訳は帝の御威光がもっと上がるだの、陰陽師ごときに任せたとばれては色々と後が面倒になるだの、岩笠の体力では富士の山は登れないだのと無茶苦茶なものであったが何とか押し切った。

 

恐れ多すぎてガッチガッチのガクブルだったが何とかやった。何しろ不敬罪でその場で打ち首とかあり得たのだから。効かないけど。

 

それにしても険しい。これはきつい。体力は一般人以下なのだからきついったら無い。

 

おまけに後ろから妹紅が着いてくるのが分かる。本人はばれないと思っているのかもしれないが、めっさ分かりやすい。

 

でも今の俺は、耕也だとばれないように木でできた仮面を付けているので、安心して妹紅と接する事ができる。最近顔にひどい火傷を負ってしまったという設定で。

 

あ~、それにしても早く外したい。いくら演技とはいえこんな恥ずかしい格好をいつまで続けなければならないのかと思うと気が滅入る。

 

だが、これも妹紅の為である。我慢せねば。本来なら蓬莱の薬なんて飲まない方が幸せなのかもしれないが。

 

そうごちゃごちゃと答えの出ない事を考えながらひたすら登っていく。

 

そろそろここら辺で野宿しようか。この時代の人らしく、テントなんぞ出さずに寝よう。

 

でもまずは飯だ。妹紅にも食べさせてやらないとな。漬物や梅干し入りのおにぎりぐらいなら俺だとばれないだろうし。

 

そこで俺は後ろにいる、隠れているつもりの妹紅に声を掛ける。声色を変えるのを忘れずに。

 

「そこな女子。隠れておるのは分かっておる。こっちや来い。お腹、空いとるだろう?」

 

そう俺が言うと、岩の陰から妹紅が気まずそうに出てきた。ヤバい、かわいい。

 

そして俺と妹紅は焚火を対称に座り、おにぎりと杓子菜の漬物を渡す。

 

「ほれ、お上がり。どうしてこんな所にいるのかは、ワシには分からんが、深くは問いはせん。……水もあるぞ?」

 

水を渡しながら俺は妹紅が黙々と食べるのを眺める。

 

余程腹が減っていたのだろう。もう二つ目のおにぎりだ。…もっと早く読んでやれば良かったかな。

 

そんな事を思っていると、食べるのをやめて妹紅が口を開く。

 

「私の名前は妹紅。貴方は?」

 

さすがに藤原までは言わないか。まあ貴族の娘がここにいるなんて誰も思わないと思うが。

 

「わしか? わしは調岩笠という。」

 

俺が自己紹介を返すと、妹紅の口から、やっぱり…と小さな声が漏れる。

 

それに気付かないふりをしながら自分の飯を平らげる。

 

そして各々の飯を食べ終わった後、妹紅に布を貸してやり、俺たちは眠った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何とか山頂に着いたのは良いが、木花咲耶姫に投棄を拒否られました。

 

仕方が無いので八ヶ岳に捨てに行くことになった。ちくせう。

 

俺たちは来た道を引き返しながら八ヶ岳へのルートを模索しながら下山していく。

 

そろそろだな。………うん、ここら辺がちょうど崖も切り立っていて、突き落とされるには丁度いい。

 

それにその崖が見えてから妹紅が急にそわそわし始める。我慢できなくなったか。余程蓬莱の薬が欲しいと見える。

 

ではでは、お兄さんが一肌脱ぎますかね。落ちても傷一つ付かないし、本当に都合がいい。

 

俺は蓬莱の薬の箱を静かに地面に降ろし、崖付近に近づく。

 

そして引き金となる言葉を言う。

 

「妹紅。眺めがいいのう。こっちに来て一緒に見んかの?」

 

「ええ、そうね。」

 

そう言いながら妹紅はまっすぐ俺の背中に近づいてくる。

 

もう少し。もう少しだ。

 

緊張するなぁ。早くしてくれ。

 

そして俺はこの短い時間だけ、全ての領域をOFFにする。これで俺は完全な無防備だ。

 

これで妹紅は蹴りを俺に入れられる。つまりこの世界に来て初のダメージが妹紅の蹴りとなるわけだ。悲し過ぎるが。

 

そう思っていたら、背後から声がする。

 

「ごめん! 岩笠!」

 

その言葉と共に背中に衝撃が走る。痛い。

 

俺はそのまま崖へと真っ逆さまに落ちて行った。

 

もちろん蹴られた直後に全ての領域をONにしたが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どんどん落ちて行く。俺の身体が地面に吸い込まれるように。

 

そして短い空中散歩の後に、岩肌に激突して岩肌を削り転がりながら落ちて行く。ダメージは無いのだが目が回る。

 

それから俺は数百メートル落下し、やっと平らな面に接して落下が止まる。

 

ヤバい、吐きそうだ。本当に気持ちが悪い。マジで酔った。

 

俺の苦労と反対に、妹紅の狂ったような笑い声が聞こえる。

 

その笑い声を聞きながらゆっくりと意識を手放した。あまりの気持ち悪さに。吐きそう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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24話 救出感謝です……

お礼はしないとね…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

眼を開けてみると俺は知らない部屋にいた。

 

俺は確か妹紅に蹴飛ばされて気絶したのでは…? だったらあの岩棚に横たわっているはずなのだが。

 

誰かが助けてくれたのだろうか? この状況を考慮すれば助けてもらった事は一目瞭然なのだが、なにぶん事態が急変しすぎてしまって脳の処理が追いつかない。

 

それにあの富士山に登って、しかもあの崖まで来る人間などいるとは思えない。

 

だとしたら妖怪なのだろうか? いや、妖怪なら今頃俺に向かって必死に屠殺しようと躍起になっているはずだ。

 

まあ、考えていても仕方が無い。家主に挨拶をしに行こう。

 

そう思いながら俺は布団からのそのそと起き上がり、正面の木でできた引き戸を開ける。

 

開けた先には、青い帽子と服を着た女の子がいた……。

 

彼女は何かに集中しているのか、俺の存在に気づかない。

 

しかし見た事のある服と容姿だ。この子はひょっとして? 河城にとりなのでは?

 

そう思いながら俺は河城にとりと思われる女の子に声を掛けた。

 

「あの、もしもし? そこのお方? もしもし? ………お~い。」

 

気付かない。何を作っているのだろうか?

 

と、疑問に思いながら彼女の背後に近づき、手元を盗み見る。

 

黄色い粉と、白い粉、そして黒い固体。それらを粉状にしたりして陶器に詰め込んでいる。

 

俺の見た限り黄色い粉は硫黄、黒い固体は木炭である。とすると、白い粉は消去法で硝酸カリウムか?

 

あれ? 黒色火薬? 随分とまあ危険な事を。

 

仕方ない。作業を中断させると危険だから離れて待っていようか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

待つ事約10分。ようやく彼女は作業を終える事ができたようだ。肩を揉みながらこちらを振り返る。

 

「やっと終わった~………へ!! 人間!!」

 

そう彼女が叫びながら後ずさる。

 

どうなってんのこれ。普通俺が驚く側じゃないの?

 

俺は奇妙な感覚を覚えながらも彼女に話しかける。

 

「これは失礼しました。はじめまして、自分は大正耕也と申します。貴方様が自分を助けてくれたのですか?」

 

第一印象が大事なので、努めて丁寧に接する。

 

すると、彼女も警戒心を緩めたようで自己紹介を始める。

 

「これはご丁寧に……って、自分が助けたのに何で驚いているんだろう。はじめまして、河童の河城にとりです。よろしく。」

 

やはりにとりが助けてくれたらしい。でもなぜ? にとりの住む妖怪の山と、富士山は距離があるのに。

 

そこで俺は彼女に理由を尋ねてみることにした。

 

「あの、にとりさん。失礼ですが、なぜ自分を助けてくれたのでしょうか? 河童の住む山と自分の倒れていた山とは距離があったはずなのですが。」

 

するとにとりはクスクスと笑いながらにこやかに言う。

 

「実はね、火の妙薬を採掘しに飛んでいたら、たまたま耕也を見つけたってわけ。盟友を見捨てるのはできないしね。」

 

そう言いながら硫黄の入った乳鉢らしきものをこちらに差し出す。硫黄の事を火の妙薬というのか。確かにそうかもしれないけれど。

 

にとりによれば俺の気絶していた地点付近に、少量ではあるが良質の硫黄が採れるとのこと。

 

随分とまあ数奇なめぐり合わせだなぁ。

 

そう思いながら、彼女にお礼を述べる。

 

「この度は助けていただき誠にありがとうございました。つきましては、何かお礼をさせていただきたいのですが。」

 

そう俺が言うと、途端に意地悪な顔をして、にやにやしはじめる。

 

「なら妖怪らしく、お願いしようかな~。ねえ耕也、お前さんの尻子玉を貰えないかい?」

 

そう言いながらにとりは両手をワキワキとさせながら近づいてくる。

 

「いやいやいや、無理でしょう! それは。」

 

俺は両手を前に突き出しながら拒絶のポーズをとり、後ずさる。

 

「ふっふっふ~、妖怪に捕まったのが運のつきだったね。」

 

悪い笑顔を濃くしながらどんどん近寄ってくる。

 

そしてにとりの手と俺の手が接触しそうになった途端に、にとりが手を引っ込め腹を抱えて笑い始める。

 

「だっはっはっはっはっは~~~っ! ひっかかってやんの~。」

 

にとりは自分の芝居が見事に決まった事がうれしいらしく、身体をくの字にまげてさらに笑う。

 

しかしこいつの目は本気だったぞ? さすが妖怪。人間にはできない気配を平然とやってのける。

 

まあでも、助けてくれた事は素直にうれしい。今度こそ何かお礼をしなくては。

 

ようやく笑いを収めたにとりに話しかける。

 

「あの、まじめに助けていただいたお礼をしたいのですが……」

 

にとりは少しの間逡巡しながら

 

「なら、木炭を砕いてもらえるかな? それだけでいいよ。多分終わるころには友人が酒を持ってくるから一緒に飲もう。」

 

「分かりました。ではそうさせていただきます。」

 

俺はにとりの頼みを快諾し、作業に取り掛かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

木炭を砕いて粉末にするのにはかなりの根気と時間が必要であったが、何とか終わらせる事ができた。

 

俺は粉末状の木炭をにとりに渡して休憩にした。にとりによればそろそろ友人が来るとのこと。河童仲間だろうか?

 

そんな事を考えているうちに玄関の扉がノックされ、声が発せられた。

 

「にとりいる~? この前の火の妙薬のお礼にお酒持ってきたわよ~。」

 

んあ? この声は………………あっ、ま、まずい!!

 

「は~い、今開けるからね~。」

 

にとりが扉に手を掛け友人を中に入れようとする。

 

俺の予測が正しければその友人は……!

 

「ちょ、ちょっと待ったにとりさん!」

 

しかしとっさに言ったのにもかかわらず、間に合わなくてにとりは扉を開けてしまった。

 

「いらっしゃい。あ、これが酒? ありがとう。」

 

「にとりの家は相変わらず火の妙薬臭いわ…………あ。」

 

俺と目線の合った友人が固まる。そして俺も。

 

「あっーーーーーーーー!!」

 

「し、しまったぁ~~~~!!」

 

互いに指を指しながら絶叫する。

 

その友人とは、俺の中で会ってはいけない顔見知りランキング堂々1位の

 

「なんであんたがここにいるのよ!!」

 

「忘れてた~~~~っ!! ここ妖怪の山じゃん!!」

 

射命丸文であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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25話 俺も連れてってくれ……

にとりよ、置いていくな……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ただいまにとりの部屋は険悪な空気で満たされている。

 

それもそのはずだ。幻想郷ができるまで再会しないと思っていたのに、まさかの俺と文が再会してしまったからだ。しかもにとりの部屋で。

 

「あなたが何でここにいるのかしら? 弱小人間さん?」

 

端から友好的じゃない態度だな。

 

でもまあ、第一印象がとんでもなく酷いものだったから仕方ないと言えば仕方ないのだけれど。

 

そんでもって文の眼はギラギラと光っており、今にも襲いかかってきそうだ。なんとかせねば。

 

「お、お久しぶりです文さん。いやぁ、先日はお世話になりました。はははっ。」

 

と当たり障りのないように挨拶をしておく。

 

しかし俺の取り繕った言葉が、決してこの鬱屈した状況を良くするという事とは限らないわけであり、俺の嫌な予想に沿って文が言いだした。

 

「あんたねぇ、一体どの口がそんな事をほざくわけなの?」

 

こめかみに血管を浮かせながら文が笑顔で近づいてくる。拳の骨を鳴らしながら。

 

俺怒られるようなことは何も言ってないんだけど……。

 

そうだ、文の友人のにとりなら何とかしてくれるはず。

 

にとりの方をチラッと見やり

 

(にとり助けてくれ。)

 

そう思いながらにとりにアイコンタクトを送る。

 

しかしにとりは、俺に諦めろと言わんばかりの苦笑と憐みの視線を送ってくる。

 

お前は人間の盟友じゃなかったのか? ひどい…

 

そんな感想を抱きながら再び文の方を見る。

 

なかなかに良い笑顔です。普通の人間だったらチビるだろうな。

 

それにしても、まさかこいつの怒っている事って、……あの剣をへし折ったからか?

 

俺はあの時の戦闘を思い出してみる。

 

(たしかにあの時剣は折れたけど、完全に修復したぞ? ならなんで…? 良く分からない。一応聞いてみるか?)

 

頭の中で短く考えると俺は文に尋ねた。

 

「あのぉ、なんで怒っているのでしょうか?」

 

すると文が、拳の骨を鳴らすのをやめ、さらに良い笑顔で

 

「何を言ってるのよ貴方。私ほどの温厚な鴉天狗が怒ってるわけ無いじゃない。耕也との再会が物凄く嬉しくて、身体が勝手に舞い上がっているだけよ?」

 

と、殺気を垂れ流しにしながらのたまう。

 

いえ、文さん。あなたの行動を人は怒ってると言うのですよ?

 

そんな些細な突っ込みを言う事も出来ないほど威圧感に圧倒されてしまった俺は、再度にとりを助けを求めるように見やる。

 

しかし彼女は

 

「部屋の中は荒らさないでおいてね。私は火の妙薬を取りに行って来るから。じゃ、ごゆっくり。」

 

俺をさらに憐れむかのような視線を向けながら、ゆっくりと玄関から姿を消していく。

 

いやいやいやいや、置いてかないでよ! 俺をこんな空気に置くのが盟友とやらの接し方ですかい。

 

勘弁してくれと思いながら突発的に、にとりに話す。

 

「よし! 俺も行こう!」

 

そう言いながら、文との間隔をあけつつ玄関へと足早に向かう。

 

しかしあと少しの所で俺は文に襟首をむんずりと掴まれ引き込まれる。

 

「あんたは、私を無視する気かしら?」

 

「いやいや、滅相もない。自分はただ河童の盟友としてですね…ああっ! ちょっとにとり置いてかないでくれ! この阿婆擦れを何とかしてくれ!」

 

咄嗟に口に出してしまったが、俺は言った後に後悔した。

 

やべえ、やっちまった。

 

後に起こるであろう悲劇を想像しながら、俺は後ろを振り返る。

 

文は相変わらず良い笑顔を俺に振りまいていた。ただし、殺気の量は比べ物にならないほど大きくなってしまっていたが。

 

「あの、文さん? どうかお願いですからその襟首を掴んでる手を離していただけませんか?」

 

実際には怖くは無いのだが、何か従わなければ、そうしなければならないような強迫観念が俺をそうさせてしまう。

 

俺が頼むと文はあっさりと手を離してくれた。

 

何だろう、この嫌な予感は。

 

そう思っていると文がぽつりと一言俺に言い放った。

 

「耕也。やっぱり食べてあげる。」

 

そう言った直後に俺に飛びかかり見事に組み伏せられてしまった。

 

だが、ただ組み伏せられただけではなく、俺も文の手を掴んで対抗している。

 

「ちょっと待ってくれ! 食うのは勘弁!」

 

「良いじゃないの! 私に初めて食べられる人間なのよ! 誇りに思いなさいよ!」

 

「そんな誇りは埃よりも価値ないわボケ! しかも人間食うのは未だに俺がはじめてかよ! 人間側としては、食わない方がうれしいのだけれど!?」

 

上が文で、俺が下になりながら力比べをしている状態である。

 

いくら俺に対する過剰な力が減衰され、人間の女性と同じになっても、重力と体重に任せた力に対抗するのはなかなか厳しいものがある。

 

何とかこの状況を打開しようと策をめぐらすが全く浮かんでこない。

 

「いい加減諦めたら…どうだ…くぅっ! さっさと俺の上からどかないと…ジャンプして逃…走するぞ!」

 

「ううううううっ! 何でこんなに力あるのよ! 人間ごときが…それに、逃げたらあん…たの家まで…押し掛けてやるわよ!」

 

俺の家まで来た事無いのに何で知ってるんだよ文は。

 

不思議に思いながら口に出して問う。

 

「何で知ってるんだよ! やばっ! 腕痺れてきた~っ! それに、俺に攻撃は効かないぞ!」

 

「ふんっ! これが運の尽きね。それに、いつかは効くかもしれないじゃない!」

 

「にとり! 早く帰ってきてくれ~!」

 

そうして俺たちは、ゴロゴロと入れ替わり立ち替わり上になったり下になったりしながら、取っ組み合いを続けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

取っ組み合いの後、いい加減疲れてしまったので、俺たちは肩で息をしながら横たわっていた。

 

「いい加減諦めろよな、このじゃじゃ馬女。」

 

「なによ、この餌人間!」

 

すでに取っ組み合いをする気力もないので、口で言いあいにシフトしていた。

 

まるで子供のような稚拙なレベルで。

 

しかし、周りを見渡してみれば、取っ組み合いをやってしまったせいで随分部屋を荒らしてしまった。片づけなければ。

 

「文、掃除を手伝え。にとりが帰ってくる前に片づけるぞ。」

 

俺の言葉に文も賛成のようで

 

「耕也に言われるのは癪だけど、片づけはするわよ。」

 

一言余計な事を言いながらも素直に了承する。

 

まったく、俺に対するこれさえなければスタイル抜群の美人さんなんだけどな~。

 

そう思いながら散らかってしまった陶器類や木の皿などを片していく。

 

そして片しているうちに、今日の鬼が現れた。

 

「何をしているの二人とも? 部屋は荒らさないでねと言ったよね?」

 

俺たちが掃除をしていたため帰宅に気付かなかったのだが、玄関に無表情のにとりが立っていた。

 

そして俺たちは二人して仲良く正座して3時間ほど説教された。

 

その説教の内容は言いたくない。なぜなら一言一言が、俺たちの心に傷をつけていくからだ。

 

もう勘弁。部屋は荒らしません。それに俺今回被害者なのに……。

 

怒ったにとりは怖い。そう俺の頭の片隅に記録された。

 

 

 

 

 

 

 

 



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26話 子供が泣くだろうが……

やめんかいこのバカ者……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おいしい。本当においしい。なんておいしいのだろう。

 

人間の恐怖はおいしい。できる事なら恐怖を液体にしてその中を思う存分泳いでみたい。

 

人間の恐怖する顔。正体不明の私を見て驚き、泣き、畏怖して逃げ惑う者たち。それが非常にうれしい。

 

この平安京という都は私にとって本当に居心地がいい。

 

さあ、今日も私のお腹を満たしておくれ?

 

「ふふ、あなた達の恐怖いただくわ。」

 

そう独り言を言い、私は都へと飛んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

都についてまず目に映るのが、私を見上げる人間たちのさまざまな顔。

 

ある者には私がさまざまな動物の融合した姿。またある者には光の玉。そしてまたある者には怪鳥に見えるのだろう。それは見る物によって千差万別。

 

しかし私を見たものから滲み出てくるのが恐怖。その恐怖をさらに増幅させるために、道端にいる猫や鳥などに能力を使い、化け物に見せる。

 

途端にあたりに悲鳴が響き渡り、蜘蛛の子を散らしたように人間達が逃げる。

 

「く、来るな化け物ぉ!!」

 

「いやぁ、いやああああぁぁぁ!」

 

「ぬ、鵺だ、鵺の野郎の仕業だ! 陰陽師を呼んで来い!」

 

ああ、おいしい。おいしいわ。

 

でも

 

「やっと来たわね、陰陽師たち。それと……あいつはいないわね? よし。」

 

もっと強い奴からなら得られる恐怖は格別である。

 

陰陽師達は通常の人間に比べて霊力が格段に高い。

 

それに普段から戦い慣れしているせいか、滲み出る恐怖も非常に洗練されている。

 

でもあの男だけは勘弁だ。あいつのせいで最近の食事が腹いっぱいまでできなくなってきているのだ。

 

あの男がいると私の能力が一切使えなくなってしまう。おまけに妖力も空を飛ぶことも。

 

自分の純粋な身体能力を使い、ほうほうの体で逃げるしかできなくなってしまった。

 

名前は……大正耕也と言ったか。とにかくあの男と相対した時は初めて人間に恐怖した。奴は領域で封じただの何だのと言っていたが。

 

まあ、今回はいないのだから存分に食らわせてもらおう。

 

もしあの男が来た場合は、どうしてくれようか?

 

…そうだ、あの人をぶつけてみようか。

 

「大正耕也。もし来たら逆に退治してあげるわ。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「全く、また現れやがったか。いつもいつもいつもひっきりなしに現れやがって。」

 

そう俺はひとりごちりながら平安京の朱雀大路を走っている。人前で飛ぶと驚かれるので極力都内では飛行を避けている。

 

火災などにより平城京がボロボロになってしまって、都が移され平安京になったのだが、妖怪はまだまだ跋扈している。

 

だから俺は今でも陰陽師として日々都民のトラブルの解決のため、奔走しているのだ。

 

普通ならここまで長く生きている人間を見た場合、化け物認定され封印されてしまうのだが、何とか俺は仙人という逃げ道を利用して追及の手を逃れている。

 

仙人であるという証明のための、試験のようなものをさせられた時は本当に退屈で苦しかったが、耐える事ができた。

 

具体的な例としては、50日程飲食などをせずに一室にいることである。

 

そして現在、跋扈している妖怪の中で最も陰陽師達の頭を悩ませているのが封獣ぬえという妖怪である。

 

ぬえという妖怪は本当に厄介で、動いてる人間や動物や非生物を化け物か何かに見せてしまう。

 

この彼女の持つ能力のせいで陰陽師達は攻撃目標を混乱させられ、同士討ちまで起こしてしまう始末なのだ。

 

最近の彼女の行動を振り返るとどんどん苛立ちが強くなってくる。

 

駄目だ、最近ストレスが溜まっているせいか少々怒りっぽくなっている。いかんいかん。

 

そんな事を考えながらひたすらぬえが現れたと報告された場所まで走っていく。

 

すると、明らかに狼狽しながら自分の走っている方向と真逆に走っている人達がいる。

 

そろそろ場所が近いのだろう。

 

周りに目を配らせていると、逃げていると思われる人たちから声がかかる。

 

「耕也様、あっちにぬえがいます! どうか追っ払ってくだせえ。」

 

声を掛けられると急いでいてもつい返事をしてしまう。

 

「あっちですね? ありがとうございます。また追っ払ってやりますよ! いや、むしろ今回はとっちめてやりますよ。」

 

答えると次には顔見知りの子供が泣きながら

 

「耕也の兄ちゃん~、前にもらったぼくの飴が蛇になっちゃったよぉ~。 わぁ~~ん…。」

 

飴であったであろう残骸を手にしながら言う。蛇だと勘違いして必死に踏み砕いたのだろう。何とも無残な姿になり果てている。

 

俺は泣き叫んでいる子供に駆け寄りながら、代わりの飴を創造し手渡ししてやる。

 

「ほれほれ、これで我慢しなさい。前にあげた飴より大きいだろう? だから泣くな。お前は笑顔が一番好きなんだろう?」

 

すると子供はグズりながらも笑顔を作り俺に礼を言う。

 

「ありがとう兄ちゃん。……ぬえ退治頑張って。」

 

「お兄さんにま~かせなさい! パパッとお仕置きしてやるから。」

 

今度は女性から

 

「耕也さん、退治が終わったら家に来ませんか? 色々とお世話して差し上げますよ?」

 

と妖艶な声でしなを作りながら流し眼を向けてくる。

 

なんだか危ない予感がするので丁寧に断っておく。

 

「いえいえ、こんな仙人を誘うなんてもったいない。美人さんなんですからもっと自分に見合う良い男を御誘いになってくださいな。」

 

「つれないわねぇ~。」

 

「ははは、すみません。」

 

そう言いながら、俺は再び駆けていく。

 

さらに少し走っていくと同僚の陰陽師の集団が目に映る。

 

随分と苦戦しているようだ。

 

中央に穴の空いたお札を目に張り、それを通して騙されないようにしているらしいが、どうもぬえの能力の方がずっと勝っているようで、お札の効果が薄く混乱している。

 

ぬえはその様子を見て空中でケタケタと笑っている。それはもう愉快そうに。そして美味そうに。

 

恐怖を食らっているというところだろう。

 

「あははははは!! 愉快愉快! こんなに慌てふためいてる人間を見るのは久しぶりだわ! もっと恐怖を頂戴。おいしい恐怖を!」

 

もはや恒例の景色となっている。

 

だが、感心している場合ではない。いつ同僚達がぬえの気まぐれで攻撃されるのか分からないのだ。早めに対処しなくてはいけない。

 

俺は危機感を再確認すると、メガホンを創造し、音量を最大にして声を大にして警告する。

 

「そこのぬえ! いい加減にしろこの脳足りん! 子供が泣いてるだろうが!」

 

ひどいハウリングと共にはじき出された音波は、人間よりも聴覚の優れているぬえに対して一定の効果をもたらす。

 

あまりの音量にぬえは能力を維持する事ができなくなり、耳を押さえながら空中で悶える。

 

だが、能力を維持できなくなっても、意地で自分の正体を晒さないように踏ん張っているようだ。俺だけにはゲーム通りの容姿にしか見えないが。

 

そして他人には不気味な声で、俺にはきれいな声で叫ぶ。

 

「~~~~~~~~っ!! …………うるっさいわね! いきなり何なのよ! 人を食ってるわけじゃないんだし別に良いじゃない!」

 

いやいや、実は困るんだよなこれが。

 

再びメガホンを口に近づけながら声を発する。

 

「いいか? お前のやってい「耕也殿、少し静かにして下さらんか? 我々も耳が痛い。」……すいません。」

 

仕方が無いのでメガホンを消し、機械式ではないメガホンを創り、声を発する。

 

「いいか?お前のやっている事はこの都の経済活動を著しく阻害する行為だ! ただちにやめたまえ! さもなくばお前を退治する。」

 

同僚の手前、格式ばった言葉でぬえを抑止する。

 

しかしぬえはそんなことは自分には関係ないとばかりに

 

「妖怪の私が何で人間の行動に一々気を使わなきゃならないんだよ。そんなくだらないことできるか!」

 

そう言いながら身体を反転し、さっさと逃げて行く。

 

追いかけなければ。今日という今日は少し懲らしめなければ。具体的には尻叩き200回分ぐらい。

 

「ちょっと行ってきます。」

 

そう同僚に伝えて自分もぬえを追いかけ飛行する。

 

「待たんかい! この下着丸見え娘!」

 

そう俺が言うと、ぬえは両手でスカートを抑えながら叫び散らす。

 

「黙れこの変態!」

 

「うるさい! 男は全て変態だ!」

 

そう反論しながら全速力で飛ぶ。

 

しかし悲しかな。どんなに頑張ってもぬえに少しずつ離されていく。

 

所詮は人間である。妖怪に身体能力や飛行などの術の練度で敵うわけが無い。

 

そうネガティブな事を考えていると、ぬえが妖力弾を無数に飛ばしてくる。

 

「これでも食らえ変態!」

 

だが俺は飛んでくる弾など避けずに正面からぶち当たって強行突破する。

 

「んなもん効くわけないだろ! いい加減諦めて投降せんかい!」

 

しかし俺の言葉を聞いても首を激しく横にブンブン振りながら叫ぶ。

 

「そんなことできるわけないだろ! 妖怪の存在が危うくなるってのよこのバカ!」

 

「バカとはなんだバカとは! というよりお前速すぎなんだよ!」

 

俺はバカなことに、知らず知らずのうちに自分の限界という名の弱点を相手に伝えてしまっていた。

 

その言葉を聞いたぬえは途端にニヤニヤしながら、俺の方をあらためて向き直り

 

「あんたも所詮は人間ね。ほらほら、着いて来られるなら着いて来て御覧。」

 

そう言いながらさっきよりも若干速い速度で飛び去っていく。

 

負けじと俺も全速力で飛行するのだが、やはり離される。

 

どうしたものか。やはり外の領域で落とすか?

 

地面に落下しても、ここは低高度だし、死なないと思うが。

 

いや、それとも軽い攻撃で被弾させて速度を落とさせるか?

 

そんな事を考えながら飛行を続けていると、突然何かが被さり目の前が真っ暗になった。

 

「な、何だこれは!」

 

そう叫びながら黒い布のようなものを外すとその詳細が明らかになる。

 

「これは……服?」

 

そう呟きながら前を見る。

 

すると目の前には信じられない光景が広がっていた。

 

何とぬえが自分の服を破き始めたのだ。それも上半身のみ。

 

あの娘っ子は何をやっているんだ……

 

そう疑問に思いながら口にする。

 

「何やってんだお前! …………さてはお前、露出狂だな!」

 

俺がそう言うと空中でよろめきながら反論する。

 

「違うわよこの変態!」

 

全く何をやりたいんだ。俺が近づけば今間違いなくぬえの半裸が見えるだろう。

 

凄く、いや凄まじく見てみたいという気持ちを理性で抑えながらぬえを追跡していく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しばらく飛んでいると、ぬえがいきなり高度を下げ始めた。

 

この角度から判断するに、目の前の寺のような建物に向かっているようだ。

 

さては、今度の標的は坊さんたちを狙うつもりだな? でも半裸で?

 

そんな疑問を頭の中に浮かべたままぬえの降り立って行った寺へと入る。誠に失礼だが空から堂々と。

 

敷地内は広いのだが、しんとしていて、物音ひとつ………いや、する。わずかにだがどこかでする。

 

おれはその声を頼りに場所を特定し始める。

 

そしてぬえの破いた服の欠片が落ちている、縁側まで来た。

 

どうやらこの中から声がするようだ。何かすすり泣くような……?

 

まさかぬえが誰かに害を?

 

そう考えながら急いで目の前の障子を開け大きな声で言う。

 

「ぬえ! お前いった……い?」

 

俺の目の前の光景は非常に理解しがたいものだった。

 

ぬえが女の人に抱きついてすすり泣いている。

 

あれ? おまけに抱きつかれている女の人は聖白蓮に似ているような?

 

んんんんんん? ちょっと訳が分からない。

 

なんでこんな状況になっているの? ぬえはここにいる人を襲いに来たんじゃないの?

 

そんな事を俺が考えているとぬえが涙で濡れた顔でこちらを指差しながら叫んだ。

 

「こいつです! 白蓮様! こいつが私を捕まえて犯そうとしたんです。」

 

その言葉は人生で最も呆気にとられる言葉だった。

 

「……………………………………………………は?」

 

俺はそんな言葉をつぶやくことしかできなかった。

 

そんな俺をよそにさらにぬえは話す。

 

「散歩をしていたら突然襲われて、服を破かれて欲望のままに私を犯そうとしたんです。すごく怖かったです。助けてください白蓮様!」

 

すると白蓮が口を開く。

 

「そうですか。それはとても辛かったですね。でももう大丈夫ですよ。私が守って差し上げます。」

 

そう女神のような笑顔でぬえに微笑みかけると、今度は俺に顔を向けた。

 

正面を向いた瞬間に表情は完全に真反対になり、激情をあらわにしていた。

 

念のために一応聞いてみる。

 

「まさかその娘の言い分を鵜呑みにしてませんよね? 嘘ですよ? その娘の言っている事は嘘ですからね!?」

 

だが、それを聞いた白蓮は先ほどの笑顔に戻り、こう述べた。

 

「ええ、鵜呑みにはしていませんよ? あなたはもっとひどい事をしたのでしょう? ただ、この子はあなたが怖くて言えなかっただけで。ですから……」

 

そこで言葉を止めて再び激情を表す顔となり

 

「全く男という生き物は………誠に厚顔無恥である! 南無三!」

 

そう言って俺のいた所は光に包まれた。

 

こちらからも言いたい。これはまるで痴漢の冤罪であると。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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27話 もう勘弁して……

冤罪は怖いです……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

やはりいつも虐げられるのは妖怪ばかり。話し合えば害のない妖怪にまで危害を及ぼす。

 

妖怪の方がよっぽど理知的ではないか。だが、人間と妖怪は平等であるべきである。

 

それが今まで妖怪と人間の双方に接してきた私の持つ一つの帰着点であった。

 

そして今回もまた、見知らぬ妖怪が私に助けを求めてきた。

 

名前を教えてはくれなかったが、突然私のいる部屋に半裸で飛び込んで抱きつき、すすり泣き始めた。

 

私はそっと抱きしめ返し、彼女を落ち着かせる。

 

すると彼女はだんだんと落ち着いてきたのか、幾分余裕が出てきた。涙を流しながらではあるが飛び込んできた訳を話す。

 

「白蓮様! 助けてください。襲われているんです!」

 

襲われているというのは、おそらくこの子の服装から察するに、強姦されかけたというところだろう。

 

だが何者だろうか? この娘からはかなりの妖力が内包されているのが分かる。

 

「ここに来たからにはもう大丈夫です。……それと一体誰にそんな事をされたのですか? もう少し詳しく話して下さい。でないと私も対処のしようがありません。」

 

そう、相手が妖怪か人間かによって対処の方法が全く違ってくる。

 

しかしこのつよい妖力を持っている娘がなぜやられてしまったのだろう?

 

並の妖怪、人間の集団で囲んでも太刀打ちできないほどのようだが、一体誰が……

 

そんな事を考えていると、私たちがいる部屋の縁側方向の障子が勢い良く開かれた。

 

開かれた先には、都でも有名な人間がいた。彼は私と会ったことは無いかもしれないが、私は遠目で見たこともあり活躍も名前も知っている人物だった。

 

その名は大正耕也という人物。なんでも仙人らしく、その持つ力は守りにおいて右に出る者はいないという。

 

そんな有名な人物がなぜここに? まさか私を封印しに来たのだろうか?

 

と、そんな嫌な予感が脳裏に走る。

 

それは私にとっても至極当然のことだった。何せ私は表向きでは人間を助けているという形をとっているが、裏では自分の身体を維持するために妖怪を助け、妖力を補充している。

 

覚悟を決めるべきか。

 

そう私が緊張を強めているとぬえが大正耕也を指差し、叫んだ。

 

「こいつです! 白蓮様! こいつが私を捕まえて犯そうとしたんです。」

 

この子が言った事は私にも最初は信じられなかった。

 

彼の評判からするとそう考えるのは難しかった。

 

しかし私は、この子のつらそうな顔を見てると信じざるを得なかった。

 

おまけに大正耕也は左手に、ぬえの破れた服と思われる黒い布の切れ端を持っていた。疑いが確信に変わるのは十分だ

 

そしてさらにぬえの告白が続く。

 

「散歩をしていたら突然襲われて、服を破かれて欲望のままに私を犯そうとしたんです。すごく怖かったです。助けてください白蓮様!」

 

その言葉を聞いた瞬間に、私の中から怒りがグラグラと湧いてきた。

 

そしてあらためて、大正耕也の評判を思い出すと余計に怒りが湧いてくる。

 

彼の評判は上々で、気は少し弱いが礼儀正しい青年と言うのが一般的だという。

 

しかし、ふたを開けてみれば妖怪を手籠にしている。最悪最低だ。

 

私の怒りは裏切られた気持ちによる反動からくるものもあっただろう。しかし、女を力づくでとは………。

 

私も女であるため、このような感情になるのは仕方ない。

 

それにしても許せない。懲らしめてやる。いや退治だ。

 

ぬえを落ち着かせてから、起立し大正耕也の正面を見る。

 

何か言い訳をしているが関係ない。

 

「全く男という生き物は………誠に厚顔無恥である! 南無三!」

 

右手に溜めた強大な妖力弾を目の前の男に向けて放った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

白蓮の放った妖力弾が見事自分の身体の鳩尾にヒットし、視界は真っ白になり続いて爆発音が響き渡る。

 

何でこんなことに……。

 

視界が晴れると自分に手を開いている白蓮と半壊した縁側があった。

 

「やはり、攻撃は効きませんか……。それを武器に彼女を犯そうとしたわけですか。」

 

あまりにもひどい言いがかりの為に思わず声を大にして反論してしまう。

 

「違います! だ、大体なんで俺が女の子を犯そうとしなくてはならないんですか!? い、一方的すぎやしませんか?」

 

だが俺の言葉を聞いても彼女は薄く笑みを浮かべるだけで、一蹴する。

 

「声が震えてますよ? それにあまりにも必死ではないですか?」

 

「それはいきなりの冤罪に追い打ちの攻撃ですよ! 必死になるのも無理はないでしょう!」

 

「ですが、あなたの持っているその切れ端は何ですか? どう見ても彼女の服にしか見えないのですが。」

 

話が進むごとに誤解を解くどころか、どんどん悪い方向に進んでいる気がする。いや気のせいではないだろう。確実に進んでいる。

 

「ですから、何と言ったら良いのやら。彼女は「もういいです。そんなに言い訳をしたいなら牢屋でするといい」っ!!」

 

そう言うと白蓮は俺に殴りかかってくる。

 

その速度は半端ではなく、視認できないほどであった。おそらく神奈子の速度を一瞬上回っているだろう。

 

打撃音がした後、俺はたまらず戦線を離脱して空中より様子見を始める。

 

彼女は一体どこに……?

 

「くそっ! 一体どうしたら……。」

 

そう呟いた瞬間に背後から声がする。

 

「ボケッとしている場合ですか?」

 

慌てて後ろを振り返ると、無数の妖力弾を携えている白蓮がいた。

 

とにかく誤解を解くために話しかける。

 

「ですから誤解なんですよ! ちゃんと話を聞いてください。」

 

だがその声を無視して弾幕ごっこのように打ち放ってくる。

 

速度はそれほどではないが、数が多すぎる。

 

何発もの被弾をするが俺はいたって無傷である。

 

だが俺の無事な姿を確認すると白蓮は舌打ちをして再び殴りかかってくる。

 

やはり彼女の最も得意な戦法は肉弾戦なのだろう。

 

しかし彼女が接近する前に俺は攻撃を開始していた。

 

「この分からず屋が!」

 

白蓮の正面に手をかざし、そこから膨大な量の蒸気を放出する。

 

するとバカ正直に突っ込んできたためか、白蓮に見事に命中した。

 

「くっ! なんて卑怯な!」

 

熱と目くらましに耐えかねたのか飛行して避けて行く。が、それでも大量の蒸気に埋もれていく。

 

やはりこのくらいでは駄目か。

 

距離が近いとはいえ、妖力で身体をコーティングし、身体能力を大幅に上げた白蓮に中途半端な攻撃は通用しないようだ。

 

どうしたものか。とはいっても俺の攻撃は弱い攻撃と強い攻撃の差が激し過ぎる。

 

それに俺はもとより人間だから肉弾戦も期待できない。

 

魔法も神通力も霊力も妖力も何もかもが使えない。

 

何とかして誤解を解く方法は……。

 

仕方が無い、一度地上に引き込んで態勢を立て直すか。

 

俺は莫大な蒸気に埋もれている白蓮を後目に、地上へと降り立つ。

 

そろそろ蒸気から抜けてくるころだな。

 

そう思った矢先に白蓮が自分を中心に蒸気を風で吹き飛ばす。その姿はまるで戦女神ではないのか? と思えるほどであった。

 

「よくもやってくれましたね。あなたのせいで色々とボロボロですよ。」

 

そう言いながら俺と同じ舞台の地上へと降りてくる。

 

すかさず俺は彼女に直径1mの鉄球を100km/hで放つ。

 

「何をしてくるかと思えば………はぁ。下らない。」

 

そう言いながら白蓮は片手で何なく受け止めてしまう。

 

本当に化け物だな。

 

今の現状を鑑みるにそう思う事しかできない。

 

卑怯かもしれないが、領域を使って短期決戦にした方がいいかもしれない。

 

ぬえを早くとっちめなければならないため。

 

俺は、これから行う事に少しの罪悪感を覚えながらも実行する事を決意する。

 

「白蓮! 今から俺がする事を恨むなよ! 恨むならぬえを恨んでくれ。」

 

「…は? 何を。」

 

白蓮が呟くか呟かないかの時間で、俺は外側の領域を拡張し、自分を中心に半径500mを領域に設定する。

 

領域に包まれた瞬間に、白蓮は自身に起こった変化に変化に戸惑い、狼狽する。

 

「い、一体! 何が起こったというの! ………何をしたのですか! 大正耕也。……力が、急速に抜けていく……。」

 

「聖さん、それはさすがに言えませんよ。なんせ奥の手に近いので。」

 

外の領域に入ってしまった者は、妖力などといった力は霧散してしまい使用する事ができなくなる。さらには固有の~程度の能力すらも。

 

つまり相手は純粋な体術で戦う事しかできなくなる。よって自分を圧倒的有利な立場にする事ができる。

 

だからこれは、俺の中で最終手段の一つにしている。滅多なことでは使わない。

 

実際には使わなくても対処できるというのが正しいのだが。

 

まあ、要するに神秘的な力は一切合切使えなくなるという事なのだが。

 

そんな事をボヤボヤ考えていると、白蓮が我武者羅に突っ込んでくる。

 

「この卑怯者があああ~~~~~っ!!」

 

腐っても妖怪。俺には逆立ちしても出来ないような速さだ。

 

だが、もう脅威ではない。俺は彼女に塩水を放水する。

 

俺の手から放出された塩水は彼女に見事に命中してずぶ濡れにする。

 

「わぷっ! ……このっ!!」

 

再び態勢を立て直そうとするが、もう遅い。

 

すでに俺が彼女の左手を掴んでしまっているのだ。

 

「すまない。」

 

そう呟いて高圧電流を流しこむ。すると彼女は激しく痙攣し始める。

 

「がっ………あっ………!!!」

 

すぐに俺は電流を流すのをやめる。やり過ぎてしまっただろうか?

 

そう思っていると、どうやら白蓮は気絶したようで俺に向かって倒れてくる。

 

そっと抱きかかえてやり、そのまま命蓮寺へと飛んで向かう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

寺についたらまず白蓮を寝かしつけて、寺の破損個所を修復しておく。

 

しかし何かが足らない気がする。居なくてはならないような?

 

「あ! ぬえはどこだ!」

 

戦いに没頭していたためか、ぬえの事をすっかり忘れていた。

 

俺はぬえ寺のあちこちを探し回る。しかしぬえはどこにもおらず、結局逃げられたという結論を出した。

 

そして、探している最中に思ったのだが、星やナズーリンがいない。彼女たちはどこにいるのだろう?

 

疑問が頭の中に残ったまま白蓮の眠る部屋へと戻る。

 

すると、すでに白蓮が起きていた。やはり妖怪は凄い。人間とは比べ物にならない程の回復力だ。

 

「なぜとどめをささないのですか? あの状況ではそれが最良の選択です。」

 

俺は彼女の答えに呆れながら答える。

 

「あのですねぇ、元々俺は聖さんと戦うつもりなんて毛頭なかったんですよ? ただ誤解を解くために必死になっていただけで。」

 

「その誤解とは一体?」

 

ジト目になりながら質問してくる。

 

「ではまず一つ。あの娘の名前は知っていますか?」

 

すると白蓮は横に首を振りながら答える。

 

「いえ、知りません。」

 

やっぱり。何ともややこしい。

 

「教えて差し上げます。俺は陰陽師ですね? それはお分かりかと思います。おそらくもう一つ、これを言えばなぜここに必死になってきたのか分かると思います。……彼女の名前は封獣ぬえです。聖さんにしたのは、全部自作自演だったんですよ。」

 

それを聞いた瞬間に白蓮はハッとした顔になり顔を両手で覆ってしまった。

 

「ごめんなさい! 私ったら何て勘違いを! 私は彼女の嘘も見抜けずに、ただ強姦という言葉に突き動かされていただけでした。本当にごめんなさい!」

 

そこまで謝られるとこっちの方が罪悪感が湧いてくる。

 

「大丈夫ですよ。顔を上げてください。俺には実害は無かったんですから。」

 

「はい……。」

 

そう言うと彼女は顔を上げる。目にはうっすらと涙が浮かんでいる。

 

罪悪感がどんどんと湧いてくる。少々つらい。確かに俺は悪くないのだけれども。

 

「それで、ぬえは?」

 

白蓮はぬえがいない事を気にしている。

 

「ぬえならもうここにはいませんよ。逃げました。」

 

すると白蓮はあらためて謝罪した。

 

「ごめんなさい。」

 

「いいですよ。またどうせ性懲りもなく来るでしょうから、その時に退治してやればいいんですよ。ああ、そう言えば、他の方々はどうしたのですか? 寅丸さんとかは。」

 

「彼女達は食糧や他の買い出しなどを……って何で知っているのですか!?」

 

「まあ、秘密であります。でも安心してください、誰にも言いませんし、言ってませんから。約束します。俺は約束を守る男ですから。」

 

白蓮は少しだけ顔を曇らせはしたが、それ以上文句を言う事は無かった。

 

その後は、飯を一緒に食ってから帰路に着いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

帰路に着きながら思う。任務失敗の始末書どうしよう……。もう勘弁してくれ……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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28話 効かない……

効かないなんて詐欺でしょこれは……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ぬえの騒動より早くも二ヵ月。ようやく平穏を取り戻し始めた都だが、またここ最近奇妙な連続殺人事件が発生しているのを耳にする。

 

何でも相手は音もなく現れ背後から、または闇に紛れて刀で切りかかるという。目撃者の話では、それはボヤボヤした黒い人影のようなものだったらしい。

 

今のところ、同僚たちが手を焼きどうにもならないため、俺にも依頼が回ってきたらしい。

 

物騒な世界だとつくづく思う。おそらく妖怪の仕業だと思いたいが、相手が人間で式神を操っていた場合は特定が非常に難しい。この場合はどうしたものか。

 

特に俺のような霊力の欠片もない人間の場合、式神から発せられる霊力と主の霊力の特徴がつかめない。他の陰陽師ならば波長の合致した者を攻撃すればいいのだが。

 

そんな事を考えながら一人考え事を声に出す。

 

「まあ、考えても仕方が無い。一丁都へ聞き込みに行きますかね。」

 

俺は早くこの珍事件が解決するのを願いながら都へとジャンプした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

都へ着いたのは良いが、誰に聞き込みに行ったらいいのかさっぱり分からん。俺は刑事でもないし、そのノウハウが無い。

 

素人の考えだが、都でも人気のある団子屋に聞きに行った方がいいかも知れん。団子屋の場所は都の中心からは外れるが、人通りの多い場所でもある。

 

だからあそこには連日多くの人が集まるし、店主も色々な情報を小耳にはさんでいるかもしれないから、情報も得やすいだろう。

 

そんな事を考えながら、足早に向かう。

 

団子屋が見えてくると、多くの人がいるのが目に映る。今日も繁盛しているようだ。

 

ひとまず団子注文して、色々聞きますかな。

 

「親父さん、団子5本くださいな。」

 

相俺が声を掛けると親父さん(名前はテツ)はにこやかに応対する。

 

「おや、耕也様ではありませんか! どうされたのですか?今日は。」

 

相変わらず愛想がいい元気なお人だ。相対してるだけで元気が貰える。こういった人柄も人気の一つなのだろう。

 

「様付けは恥ずかしいので付けなくて良いと言っているじゃありませんか。……ええ、まあ今回は依頼の情報収集がてらに来たのです。」

 

「いえ、様付けはもう口癖のようなもので、お許しください。それにしても依頼ですか……というとあの連続の?」

 

「ええそんな所です。何か情報が無いかと思いまして。何か小耳に挟んだ事でも良いので、御存じないですか?」

 

そういうとテツさんは少し考えながら口を開く。

 

「ちょっと情報を整理したいので、注文の団子を作りながらでもよろしいでしょうか?」

 

その言葉に俺は快諾する。

 

「ええ、お願いします。他の方にも聞いてみますので。」

 

そう言って俺は席を立つ。

 

席を立った俺はそのまま団子を食べている人達に聞いてみる。

 

「あの食事中突然すみません。ここ最近の人切り事件について何か知っている方、おりませんか?」

 

すると、一人が手を上げる。

 

「最近の出来事なんだが、高辻小路付近で女性が襲われたらしくてな。たまたまいた巡回の兵が助けたらしい。どうも、その様子だとそいつは現場で二人以上に見られると姿を暗ますらしい。」

 

「ほうほう。ではその女性は助かったのですね?」

 

「何とかな。」

 

「そうですか。ありがとうございます。それで、その女性はどちらに?」

 

「いや、そこまでは分からん。俺も小耳にはさんだだけだしな。」

 

「それは残念です。ですが、貴重な情報ありがとうございました。」

 

そう俺が頭を下げると軽く返事をして、男は団子の代金を払い帰って行った。

 

そこを見計らったのか、テツさんが団子を持ってやってきた。

 

「どうぞ耕也様。それで、整理した情報を話しますがよろしいですか?」

 

「お願いします。」

 

俺の返事に頷き、神妙な面持ちで話し始める。

 

「まず、その犯人とやらは、どうも人間ではないようです。」

 

やはり人間ではないか。人間が黒い影の様とかあり得ないもんな。

 

そして話は続く。

 

「そして次に、陰陽師が相対したところ何かとてつもない怨念か何かを感じたようです。なんでも、あそこまで強烈な怨念は初めてだとか。まるで怨念の塊のようだとも言っていました。さらに、その影のような存在は、人間でいう手の部分に当たる所から禍々しい妖気を発する真剣を生み出したらしいのです。」

 

「真剣ですか? それは一体……どんな?」

 

すると少し考え、切り出す。

 

「そこまでは分かりません。ですが、相手はかなりの強さで都でも太刀打ちできる陰陽師は少数なのではないかとの噂です。」

 

「そんなに強いのですか。しかし実態がつかめない。一体何が目的なのだろう。」

 

「私もそこまでは。しかし耕也様、お気を付け下さい。もしかすると次に狙われるのは、あなたかもしれないのですよ?」

 

より一層真剣な表情になりながらテツさんは俺に忠告する。

 

分かっている。相手が危険な事くらい。だからこそこうして調査しているのだ。だが、彼の気遣いは非常にありがたい。

 

「ええ、分かっています。相手は得体が知れないですからね。そのうち巡回も私が担当する事になるかもしれないですから、その時はよろしくお願いいたします。」

 

するとテツさんは頭をさげ

 

「こちらこそよろしくお願いいたします。どうか都の人々を守ってください。」

 

「ええ、任せてください。それが陰陽師の責務であり、俺の意思ですから。」

 

そういって、団子を完食し、代金を支払い再び巡回を始める。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして俺がその後しばらく巡回を続けていた時だった。念のために、前に現場となった高辻小路付近を巡回をしていた所、突如叫び声が上がった。

 

「いや! 助けて誰か……助けてええええええええーーーっ!」

 

「くそっ! まさか同じ所で!?」

 

そう声を出しながら現場へと急行する。

 

そして路地の角を曲がった先に映ったのは、へたり込んでいる女性と、刀を振り上げ、真っ二つにしようとしている黒い影の人間のような者がいた。

 

くそ、間に合え!

 

そう思いながら俺は咄嗟にM4A1を二丁創造し、空中に浮かせ連射する。

 

大きく乾いた音が断続的に素早く鳴り響く。

 

銃口から放たれた多数の弾丸は、奴を殺傷せんとまっすぐに殺到し着弾する。

 

だが、それは俺の予想した結果とは全く違ったものだった。

 

「なっ!?」

 

口からあまりの驚きに自然と声が漏れ出る。

 

なんと全ての弾丸が奴の身体を着弾音もなく、そう、まるで霧を撃ち抜くかのように貫通しそのまま向こう側の壁へと突き刺さっていったのだ。

 

そして奴は弾丸が貫いたのを始めからなかったかのように振る舞い、そのままの動作で刀を振り上げ下ろす。

 

すでに女性はあまりの恐怖に腰抜かし、意識さえも混濁し始めている。

 

このままでは女性の命がない。

 

助けられる命が目の前で消えるのは俺には到底許容できる事ではない。

 

だからこそ自然と

 

「ふっざけんなっ!!」

 

そう言いながら奴と女性の前に即座にジャンプし、振り下ろされる刀身にあわせ右腕を振りぬく。

 

相手がどんな切れ味のある刀を持ってきても関係ない。俺には領域があるのだから。

 

そしてインパクトの瞬間、内の領域と刀がかちあい刀が瞬間的に力負けし、金属特有の鋭く甲高い音を放ちながら刀身が粉々に砕け散る。

 

奴は刀身が折れたのを見るや否や、声一つ漏らさずに空気に溶け込むように姿を霧散させていく。それと同時に折れた刀の破片も地面に溶け込むかのように消えていく。

 

その様子を見ながら、奴は去ったのだと直感的に理解する。だが安心はできない。どこに隠れているのか分からないからだ。

 

周囲を見渡しながら、倒れている女性へと近づく。どうやら気絶しているようだ。

 

そして一応現場から離れるため、彼女と共に朱雀大路までジャンプする。ここなら人通りも多いため、奴も襲いにくいだろう。

 

彼女が目を覚ますのを待ちながら、俺は周りの人達に、気にしないでくれというジェスチャーをしておく。

 

そうすると、皆は事情を察してくれたのか、普段道理に往来を始める。

 

しばらくすると、彼女は目を覚まし一気に怯え、涙を流し始める。自分の襲われる場面を思い出したのだろう。仕方が無い。

 

俺は彼女を落ち着かせるために、少し強く抱きしめてやり、そっと声を掛ける。

 

「もう大丈夫です。殺人鬼は追い払いました。安心してください。大丈夫です。あなたは安全ですから。」

 

そう俺がしばらく同じような言葉を掛けてやると、彼女はやがて震えも収まり、落ち着き始める。

 

俺は彼女が落ち着くのを待ってから、事情を聞いてみる。

 

「一体何があったのですか? 出来る範囲でいいので教えていただけませんか?」

 

すると女性は自分の身に何が起こったかを話し始める。

 

「それが、今日の献立に使う野菜を買いに行っていたら突然目の前に知らない黒い影のような人が出てきて、それで…それで……ひっく、えぐ。うううぅぅぅ~……。」

 

やばい、また泣かせてしまった。やっぱ駄目だ。アホだな俺は。

 

自己嫌悪に陥りながらも彼女をなだめ、泣きやませ、家まで送ることにした。

 

そして、家までの道中で話してくれた事だが、彼女は奴との面識は全くないらしい。

 

誰かに殺されるような恨みも買う事もしてないらしく、襲われた理由が分からないとのこと。

 

本当に困った。手掛かりが全くつかめない。またやり直しだな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日の出来事からも俺の弱点が新たに露呈してしまった。

 

それは奴には物理攻撃が効かない事。あれほどの威力を誇る銃弾を多量に受けてもダメージを負った様子もないことから、今の俺には状況が非常に不利に働く。

 

どうしたものか。俺の攻撃は物理攻撃がほとんど。まあ、火炎放射は効かないかどうかは分からんが。でも期待はできなそうだ。

 

それに今後このような敵が出てきたら攻撃手段が非常に少なくなる。

 

悩みどころだ……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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29話 妖怪は恐ろしい……

怨念は正直勘弁……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「本当にどうしたらいいのか分からん……」

 

俺は愚痴を言いながら手元にある抹茶ミルクを飲む。

 

あの件以来頻繁に奴が現れるようになったのだが、対処しようといくら攻撃してもすり抜けてしまう上に爆薬で吹き飛ばしても翌日には復活するという訳の分からない事になっているのだ。

 

同僚の陰陽師達も巡回量を増やし、被害抑止に努めているのだが俺と同じく肝心な倒すことには至らないのである。

 

いくら考えてもいい考えが浮かばない。今は膠着状態が続いてはいるがさすがに体力的にも精神的にもきつくなっているのである。

 

俺はまだ攻撃される心配は無いのだが、同僚たちは油断したら命を取られるレベルの警戒をしているので気が気ではない。

 

だから俺よりも精神的にまいっているはずなのだ。

 

何とかこの状況を打開せねばならない。そこで俺たち陰陽師は、この状況を打破すべく定期的に集まって会議をするのだが、なかなか良い案が話し合っても浮かばない。

 

ため息をつきながら俺は壁に掛けてある時計を見る。

 

もう少しで対策会議の時間か…

 

俺は重い腰を上げながら

 

「都へ行くか…」

 

そう言って都へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

都内部へと入り、会議場へと向かう。

 

会議場といっても円卓や長い机があるような所ではなく、畳みでできた大きな部屋の中で都での隊の代表者が円状に座布団を敷いて、長々と話し合う所である。

 

俺は疲れが日に日に溜まっていくのを感じながら建物の中へと入っていく。

 

会議場の襖を開けるとすでに何人かの友人が座っているのが確認できる。

 

俺が入ると一斉に顔をこちらに向ける。俺も集まっている顔を確認する。

 

現時点で長平、兼友、平信、清隆。この4人が集まっている。誰もが俺と仲が良く、そして非常に頼もしい強さを持つベテランなのである。

 

「おお、耕也殿。よく来た。……目に隈ができているぞ? やはり疲れておるか……。」

 

そう言ったのは、身体はゴツいが心は優しい兼友。いつも俺の様子を見ては声を掛け体調を気遣ってくれる人だ。

 

俺は彼の声に片手を上げながら答える。

 

「どうもです、兼友さん。いや、まあ最近ちょっと疲れが抜けなくて。おまけに睡眠時間もここ最近はめっきり減りましたから色々とガタが……」

 

それを聞いた兼友は、顔を渋くしながら言った。

 

「耕也殿。あなたは巡回などの予定が過密すぎるのです。少しは身体を休めてはいかがか?」

 

温かい気遣いに思わず涙が出そうになるが、ぐっとこらえ言う。

 

「いや、攻撃の効かない俺が少しでも多くやれば皆の負担が軽くなるでしょう? さすがに今回の敵は難敵と言わざるを得ませんし。それに最低限の睡眠はとっているので……」

 

その言葉を聞いた4人のうち、今度は長平が少し声を荒くしながら言う。

 

「お主はバカか? それで体調を崩しては意味が無いではないか。 違うか? お主が倒れれば今度はお主の抜けた穴を補填するためにさらに負担がかかるのだぞ?」

 

もっともな事を言われる。確かにそうだ。俺が抜ければ皆に負担がかかる。それは分かっている。

 

だが、今俺がフル稼働していなければこの均衡は一気に崩れ、多くの死者を出すことになる。それは何としても避けねばならない。

 

それに長平はああ言っているが、現状は理解しているはずだ。並の陰陽師では歯が立たない事くらいは。

 

反論したい気持ちを抑え、言葉を素直に受け取る。

 

「ありがとうございます長平さん。もう少し体調管理には気をつけます。」

 

そう言って倒れ込むように座布団へと座る。

 

俺が座ると清隆が声を発する。

 

「まあ、体調管理も仕事のうちですからな。気をつけた方が良い。」

 

さらに平信も

 

「最近は若いもんも育ってきておるし、何とかなるじゃろ。」

 

ウンウン頷きながら言い聞かせるように言う。

 

本当にこの人たちは……最高だ。

 

そう思いながら自分に言い聞かせていると、後ろの襖が開いてゾロゾロと人が入ってくる。

 

兼友がそれに気付き口を開く

 

「お、そろそろ始めようか。」

 

そう言って皆を座らせ会議は始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

会議は一言でいえば、少しの進歩があった。

 

まず、解析の得意な陰陽師の言うには、今回の敵は本体ではないとのことである。

 

通常ならああいった実態の持たない奴は、身体のどこかしらに妖力の密度が大きい所があるらしい。それが奴にはなかった。ただそれだけのことである。

 

それだけだったらもっと早く見つけろと思ったのだが、何でも解析に成功したのはつい最近入ったばかりの新人だとのこと。

 

それならば仕方が無い。新人をおいそれと現場に出すわけにもいかないからな。

 

そんな事を思いながら、俺は会議が終わり、人もまばらとなった会議場から姿を消した。

 

会議場から出ると、いつもの光景が目に飛び込んでくる……と思ったのだがそうではない。

 

商品を売りさばく人。商品を買う人。貴族の乗った牛車。さらにはせわしなく行きかう陰陽師達。

 

しかし、この事件の影響のせいか人通りが少なく感じる。

 

事件が解決すれば元通りになるだろうか?

 

そう考えていると、正面より、俺たちと同じ陰陽師の服を着た青年がやってくる。

 

顔や身体がすらりとしていて、非常に柔和な笑顔を顔に出している。俗に言うイケメンだな。

 

その男は俺の姿をはっきりと捉えるや否や、手を振りながらこちらへ来る。

 

誰だろうか? 俺の知り合いにこんな奴はいないのだが。誰かの使いだろうか?

 

と、そんな事を考えていると男は俺のすぐ近くまで来ており、話しかけてくる。

 

「はじめまして。新人の大佐原 松久と申します。大正耕也様でよろしいですか?」

 

マジで誰だこいつ? 全く面識が無いのだが。会議の中でもいなかったし。まあ返事を返さなければ失礼なので、当たり障りないように返しておく。

 

「こちらこそはじめまして。大正耕也です。してどんな用件でしょうか?」

 

俺の言葉を聞いた松久は、嬉しそうに微笑みながら話し始める。

 

「ええ、実をいうと今回の奴の本体がどこにあるのかが分かったのです!」

 

その言葉を聞いた瞬間、はぁ? としか思えなかった。

 

なぜなら、昨日今日分かった事実なのにもう奴の本体が分かるとかあり得ないと思ったからだ。

 

俺はどうにも納得出来ずに松久に質問をする。

 

「説明をしてくれ。 昨日今日分かったばかりの情報でなぜ分かったんだ? 納得がいかない。」

 

すると、少し困った顔をしながら話し始める。

 

「実は、その情報を見つけたのは私なのです。それで、早く事件を解決したくて徹夜で妖力の後を探し続けたのです。そしたら、あそこの小さな山から出ているのが分かりました。」

 

その言葉に俺は素直に感心してしまう。

 

新人でよくそこまで頑張れたな。…俺がお前の立場なら力のある奴に任せていたと思うなぁ。

 

そう思いながら次の言葉を口にする。

 

「なら、その場所に連れて行ってくれないか?」

 

その言葉を言った瞬間、彼はより一層嬉しそうに微笑みながらこう切り出す。

 

「ではさっそく行きましょう。善は急げと言います。それに日が暮れてしまうと我々に非常に不利な環境になってしまいます。」

 

俺はそれもそうだと思いながら彼のいう小さな山へと歩いて行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

山に入ってから約1時間。かなり上った気がしたが、山というのは存外過酷なもので、体力のない俺にはかなりきつい。

 

それに比べ、松久は対称的にスイスイと登って行ってしまう。

 

「お~い、松久。一体どこにあるってんだ? その本体とやらは。」

 

すると、彼は俺に振り向き

 

「もうすぐです。……あ、見えました。あの祠です。あそこにあります!」

 

そう言いながら指を指した。それに釣られながら同じ方向を見る。

 

指先の方向には、何か大きなお札が構成する木材すら見えな程にびっしりと張り付いた奇妙な祠があった。注連縄やらで厳重に何かを封印するかのように。

 

見るからにヤバそうな雰囲気を放っている。だが、解決のためには何かしらの行動をとらなくてはならない。

 

そう自分に言い聞かせながら、祠まで歩いて行く。

 

間近で見ると祠の中には、さらに強力と思われるお札でびっしりと覆われた剣があった。

 

「何だこれは……。」

 

そう言葉が自然と口から出た。一体何のためにここまで厳重な封印を……。

 

一体どんな事をしたらここまで封印されるのだろうか?

 

もしかしてこれが都に危害を加えていたのか?

 

ならこれは妖刀の類か?

 

頭の中に様々な疑問が次々と湧いては流れていく。

 

俺は深く思考の海に漂っていたがふと違和感に気付いた。

 

松久はどこだ?

 

そんな突発的な疑問が浮かんだ瞬間、俺の身体は祠とは反対方向に向いていた。

 

そして反対を向いた瞬間に視界に映ったのは、半身が黒い影になった松久が、邪悪な笑みを浮かべながら俺に刀を振り下ろしている最中だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ちっ……やっぱり効かね~か。反則だぜあんた。」

 

目の前の人物は、砕け散った刀を見て呆れたように笑いながらつぶやく。

 

しかし、砕けた刀はすぐさま再生していた。

 

それはつい先ほどまで俺を案内していた松久とは全くの別人と思えるほど豹変していた。

 

そうか、こいつが……

 

「お前が祠の刀から抜け出した殺人鬼ってわけか?」

 

そういうと、それがさもおかしいように腹を抱えて笑いながら言う。

 

「くっくっくっ!…気付くの遅すぎなんだよバ~カ!」

 

暴言なんざ今は気にしている状況ではない。

 

そして俺はとあることを言う。

 

「お前、本物の松久はどうした?」

 

すると奴は大げさに演技をしながら答える。

 

「もちろん殺したさ! 最後の姿は無様で、今思い出しても笑えるぜ! たすけて、たすけて~ってな。アッハッハッハッハッハッハ~~~っ!」

 

あまりの怒りに我を忘れてしまいそうになる。だが理性で必死に抑える。

 

本当は今すぐに殺してやりたいが、最後に聞かなければならない事がある。

 

それは

 

「なぜ、俺をここに呼び寄せた? お前の目的は何だ?」

 

そう、これが一番の疑問であった。なぜ、わざわざ弱点がある場所に俺を連れてきたのか?

 

その答えは非常に単純であった。それはあまりにも下らなく、聞かない方がマシであった。

 

「都で一番のあんたを吸収するためさ。俺は本体に近ければ近いほど吸収効率が格段に増すのさ。だからあんたをここまで連れてきた。さぞかしうまいんだろうな~、あんたの魂、肉、骨。これで俺もやっと刀の大妖怪へと昇華できるぜ。」

 

そう言いながら、再生した刀を近くにある大木へゆっくりと差し向ける。すると、ケーキを切るようにスルリと切ってしまった。

 

思わず目を見張ってしまう。その様子に満足したように笑いながら

 

「驚いたか? くくっ、俺の能力は、あらゆる物を切る程度の能力でなぁ。さっきは使わなかったが、これを使えばお前の防御なんざ簡単にぶち抜ける。そしてお前を殺したら、そうだなぁ、……影で包み込んでジワリジワリと食らってやるよ。感謝しな。」

 

自分の能力に絶対の自信があるのだろう。

 

そしてさらに殺しを何でもないかのように言ってくる。

 

そのあまりのひどい言動に怒りがさらに増してくる。もう自分を抑えられない。

 

こんな妖怪ごときの欲望を満たすために殺されてしまった、都の人や松久。あまりにもひどすぎる。

 

もうさっさと殺してしまおう。こんな屑は生かしておく事が愚かしい。

 

だから

 

「さあ、お前の魂を食らってやるからよぉ~、かくごしてくれよなぁ~。耕也さんよ。見る限り、あんたは大した攻撃できそうにないからな。あがくなよ? 」

 

跡形もなく吹き飛ばしてしまおう。そこで俺は空を見上げ、確認する。

 

それを奴は諦めたと勘違いしたのか、さらに言葉を投げかける。

 

「諦めたのか? 潔いいね~。」

 

当然無視をする。

 

俺は能力を使うそぶりを見せず、上空7000mにトールボーイを創造し、祠に向かって落下させる。

 

奴は俺に刀を近づけながらニタニタと笑っている。

 

「覚悟は良いですか~? 弱い弱い陰陽師君?」

 

そろそろか……

 

俺は最後に奴の顔を真っ直ぐに見て言葉を放つ。

 

「屑は死んでくれ。」

 

「はぁ?」

 

その言葉と共にトールボーイが着弾する。圧倒的な質量と超音速で着弾した爆弾は光と音を振りまき、祠はもちろん奴も跡形もなく吹き飛ばし、周囲は炎と土煙と黒煙に包まれ巨大なクレーターを形成した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

後に分かった事だが、あの祠は昔、2000の人と妖怪を次々と切り殺した刀を納めるための物だったらしい。

 

それが長年蓄積した劣化により、内からの怨念が漏れ出し、今回のような被害が起こったとのこと。

 

今回の犠牲者、松久はもちろん一般人に至るまで全ての者が丁重に葬られた。

 

願わくばこのような事件が起こらないよう。ただそれだけを祈るばかりである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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30話 悪戯にしてもひどい……

妖精は侮ってはいけない……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ゛~~~~、眠い。」

 

そう言いながら俺はのそのそと布団から起き上がる。朝に声がしゃがれてしまうのはなぜなんだろう? という疑問を頭の片隅に浮かばせながら顔を洗いに洗面所に向かう。

 

時の流れは早い物で、あっという間に源平の合戦が起き、そして鎌倉に幕府が成立した。

 

平安京にいた同僚の中には鎌倉へと住居を移し、そこで頑張っている者もいる。

 

だが俺は今自分の住んでいる家に愛着があり、鎌倉幕府からのオファーが来ても断り、住み続けている。

 

中には俺の判断をもったいないだの信じられないだのと言う人もいるが、俺としては自分の判断は間違ってはいないと思っている。

 

だが、その判断の代償として依頼数がかなり減ってしまったのも事実である。

 

理由としては、先の合戦で没落してしまった貴族が多かったことと、鎌倉に引っ越してしまった人も多いといった感じだ。

 

だが、平安京での長年の働きが功を奏したのか、平安京から離れた村や里から依頼が来るようになった事である。

 

そして、今日もとある村からの依頼が来ているので早めに家を出なければならない。

 

「今日の依頼はたしか……筍狩りの護衛だっけ? あの人柄が良いお爺さんの。」

 

自分の依頼内容を口に出して確かめながら、いそいそと出かけるための準備を始める。

 

荷物には弁当やら水筒、そして同僚から餞別にもらったどんな致命傷でもたちまち治してしまうという治癒の札を入れる。

 

霊力のない、また力でも他人の傷を治す事のできない俺にとってはこの上なく助かる品である。

 

次に服を着替えて、歯を磨き、ボサボサの頭を直し、最後に朝食をいただく。

 

そして今日の依頼の理由をブツブツ言う。

 

「確か、今日の依頼で入る山は妖怪が出るからなんだっけ? 言っちゃあ何だけど、ご老人は身体を大事にしてもらいたいよまったく。」

 

いつもなら危険のない竹林に入って筍を採るらしいのだが、最近収穫量が減ってしまって他の山に行かざるを得ないようだ。

 

おまけに妖怪が出ると言われているとはいえ、人の手入れがされてないせいか、収穫できる筍も豊富なのだそうだ。

 

俺はご老人の事情を反芻しながら、依頼料を思い出す。

 

「それと依頼料は確か……採った筍の3割だっけ?…今日は筍パーティーだな。ついでに幽香にもお裾分けをしようか。」

 

依頼料が少ない事と独り身である事を自虐ネタにして笑いながら、飯を平らげる。

 

水を飲んでごちそうさま。

 

「じゃあ、行ってきます。」

 

返ってくる事のない返事だと分かっていても出かけるときはしてしまう。現実世界で親に対してしていた時のように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今回の依頼の老人の名前はガンさん。齢80を超えるというのにそこらへんの若者よりも力があり、また身体の調子も全く悪くならないという凄まじいお方である。

 

それもそのはずで、彼にはこの時代の人間としては非常に珍しい能力持ちの人であり、能力名はたしか「元気に生きる程度の能力」だったはず。

 

だが、それを抜きにしても元気いっぱいの人で、見ているこっちまでも元気を貰える。

 

俺は今日の任務をひそかに心の中で楽しみにしながら、待ち合わせ場所まで向かう。

 

村の中心部に大きな井戸があり、そこに今回は待ち合わせである。

 

俺が井戸を視界に捉えると、すでにガンさんがいるのが確認できた。集合時刻よりも早く着たのに…。

 

井戸にまで小走りで近づくと、ガンさんは片手を大きく振りながら話しかけてきた。

 

「おおう、耕也。今日もすまんなぁ。いくらわしでも妖怪はさすがに対処できんのでな。よろしく頼むぞ?」

 

「ええ、任せてください。本当にヤバい時は真っ先にガンさんを家まで転送しますから。」

 

「頼もしいのぉ。では、行くかの? 耕也。」

 

「はい。」

 

短いやりとりをしながら俺達は目的の山へと足を進めていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ガンさんと歩きつつ、俺は最近の村の作物の収穫量。そして飢餓状況や健康状態を話していく。

 

「作物はどうですか? 去年のような不作ではないといいのですが…」

 

するとガンさんは顔を少し渋くしながら答える。

 

「う~む。今年か…やはり日照りで雨不足になりがちだのう。今年が不作になるとかなりつらい。元々人手も足りないから土地があっても収穫量が増えないのでな。」

 

米は危険水準になりつつあるか…野菜はどうだろう?

 

「野菜はどうですか?」

 

「野菜はまあ、何とか。漬物もあるしの。」

 

野菜はまだ大丈夫か…でも水もきついだろうな。井戸を見たら水位が明らかに低くなっているのが分かった。

 

「そうですか……自分にも何かできるといいのですが…」

 

と、当たり障りのないように返しておく。

 

正直これは自然の摂理なのだろうから介入していいのかどうか悩むが、いざとなったら俺が米や水を捻出しよう。

 

「うんにゃ、村の問題であるし、これも自然の流れじゃて。」

 

考えたすぐ後に自然の摂理と言われてしまったが。

 

まあ、様子見だな。

 

そう思いこの話題を打ち切ることにする。

 

するとガンさんも同じことを思っていたのか、別の話題を提供してくる。

 

「実はのう、ケンの家に息子が生まれたんじゃよ。」

 

そう言いながらガンさんは我が事のように笑みを浮かべる。

 

俺もそれを聞いて驚きつつも心の中に温かい物が湧きでてくる。

 

その温かい物は喜びへと変換され、表情として出てくる。

 

「いや~、よかったですねぇ。念願だった第一子。今度酒でも持って行きましょう。ああ、それで名前は何にしたのですか?」

 

そう言うとガンさんは少々考えるようなポーズをとりながら答えを出す。

 

「マサといったかな。確かそんな名前じゃ。」

 

マサか、覚えておこう。

 

そんな事を話していると目的の山の前まで来てしまった。

 

「ではガンさん、入りますか?」

 

「うむ、頼む。」

 

俺たちは覚悟を決めて険しい山道へと入っていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

山へ入ったはいいが、妖怪というか、鳥の鳴き声もしない。どうなってんだこれ。

 

ガンさんの方を見ると、同じく不思議そうな顔をしていた。

 

念のために聞いてみる。

 

「こんなに静かなものなんですか? この山は。」

 

するとガンさんは首を横に振りながら答える。

 

「いや、いつもは村から見てると鳥が頻繁に飛んでいるのを見るうえに、時々猪が畑を荒らしに来たりするんじゃが。おかしいのう。」

 

じゃあ、何なんだ?

 

全く分からない。ただの偶然だろうか?

 

そう思っているとガンさんが声を上げた。

 

「いてっ!」

 

俺はその声に驚き、慌ててガンさんの方を見やる。

 

するとガンさんは自分の頭に当たった物がどういうものかを探すために地面にしゃがみこんでいた。

 

やがて見つけたのか、俺の方を見ながら手を差し出す。その中には

 

「松ぼっくり?」

 

そう、でかい松ぼっくりであった。でも何でここに。ここら辺に松の木なんてあったか?

 

そんな疑問を抱きながら周囲を見ようとすると、今度は俺に風切り音と共に何かが当たる。

 

領域に阻まれ当たる事は無かったが、さっきと同じ松ぼっくりであった。

 

「さっきから何なんだ?」

 

そう呟き改めて周囲を見やる。だが何もない。

 

絶対におかしい。そう思って俺はガンさんの方を向き、目で合図をする。

 

するとガンさんは俺を見ながら頷き、俺の真ん前にピッタリとくっつく。

 

そしてそのままエッチラオッチラと登っていく。

 

だが、しばらく登っていくとまた風きり音と共に何かが俺に投げられる。

 

再び阻まれ地面に落ちる。今度は何だろうか?

 

そう思いながら見ると拳大の石であった。

 

こんなのがガンさんに当たったら大けがだ。最悪死ぬ。

 

そんな事態を想像しただけで冷や汗が出てくる。

 

「ちっ、どこだ!」

 

俺は怒鳴りながら再度見回す。

 

するとどこからかクスクスという笑い声がする。どこだ? 一体誰なんだ? 妖怪か?

 

次々と浮かぶ疑問を流していきながら注意深く見ていく。すると、4時方向の木の部分から羽のような半透明な物体が見える。それも5対。

 

俺は投げられた石を掴み、その怪しい木に向かって投げる。投げられた石は放物線を描き、小気味のいい音をだして木にぶつかる。

 

すると、当たった瞬間に羽のような者が一斉にびくりと動き、わらわらと姿を現す。

 

俺とガンさんはその意外な犯人に呆けたような声を出してしまっていた。

 

「「はぁ?」」

 

二人とも口をあんぐりとあけながら。

 

その犯人とは、でかくても身長70cm程の小さな小さな妖精たちであった。それが5人。

 

それがクスクス笑いながら腕組をしながらどうだと言わんばかりの態度をとる。

 

俺はガンさんに妖精に対して行う事について話す。

 

「ちょっと脅かすので耳ふさいどいてください。」

 

そう言うとガンさんは素直に耳をふさぐ。

 

俺は彼女たちの目の前に薄い黄色がかった液体を創造し浮かせる。

 

妖精たちは、その液体に興味を持ったようで顔を近づけようとする。

 

俺は、すぐさま妖精たちが顔を近づける前に横から金属板を当ててやることで液体に少しの衝撃を与える。

 

衝撃を与えられた液体は耳をつんざく激しい音と共に少量の煙を出す。

 

その音に驚いた妖精たちは

 

「~~~~~~~~っ!!」

 

と悲鳴を上げながら蜘蛛の子を散らしたかのように逃げていく。

 

やばい、なんかかわいいぞこいつら。

 

そんな感想を抱きながらガンさんに山を登ろうと促し、それをガンさんは承諾して登っていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その後は何もなく、目的地へと着き木の鍬のようなものを使って筍を掘っていく。

 

さすがにガンさんは長年やっているベテランだけあって、どこに筍があるのか、どんな角度から掘ればいいのかなどを熟知しており、どんどん掘っていく。

 

ちなみに俺は情けないことに、掘っている途中で腰が痛くなったので休憩している。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大体3時間ほど経っただろうか? ガンさんは40本以上を掘ってしまった。恐るべし。ちなみに俺は5本しか掘れなかった。

 

まあ、俺は筍を掘るのが仕事ではないので結果についてどうこう言う気はないが、情けない。

 

だが妖怪は出なかったので良しとしようじゃないか。

 

そう思いながら今回の分け前を控えめに10本貰う。

 

「良いのかい? もうちょっと多くなきゃいけない筈なんだが。」

 

「大丈夫ですよ。一人じゃ食べきれないので。……では帰りますか?」

 

そう俺がガンさんに提案すると、ガンさんは大きく頷き答えを返す。

 

「うむ、これくらい取れれば満足じゃし、日が暮れるのも問題じゃしな。」

 

「ええ、そうですね。妖怪の活発な夜に行動していたら危ないでしょ………ん? なんか妙に暗くないですか?」

 

最初に異変に気付いたのは俺だった。まだ、夕方に近いとはいえ、ここまで暗いわけは無いのだ。

 

「おかしいのう。雲は別に…………こ、耕也! あ、あれ…。」

 

その声に釣られて上空を見上げると、信じられない物が浮かんでいた。

 

なんと、大岩が浮かんでいたのだ。それも直径5メートル程の。

 

「はぁ!? なんじゃそりゃ!」

 

そう思わず声を上げてしまった。

 

しかも大岩は、先ほど撃退した妖精を含め100人以上にエンヤコラと支えられている。

 

「おいおい、さっきの仕返しか…?」

 

「妖精にあんな知恵があるとはのう…。」

 

そんな事を呟いていると、俺たちのいる斜面よりも高い所に停止し、妖精たちが一斉に離れ大岩を落とした。

 

ヤバい!

 

「ガンさん!!」

 

叫びながら身体が勝手に動き、ガンさんの肩に手を乗せ素早くジャンプさせる。

 

だが、ガンさんをジャンプさせたことにより時間のロスが生じてしまい、自分をジャンプすることができず大岩が接近するのを許してしまった。

 

俺はあまりにも焦ってしまい、逃げながらジャンプや受け止めるという手段さえも忘れてしまい、身体が勝手に逃げようと下へと足が進む。

 

幸い竹林が障害物となっているので、転がる速度は速くない。

 

俺は逃げながら叫びを上げる。

 

「俺はインディジョーンズじゃねぇんだぞ~~~~っ!!」

 

山には俺の悲痛な叫び声と、妖精の笑い声が響き渡る…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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31話 一体どうすれば……

治癒のお札って効くのか?……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ひ……酷い目に会った。…もう勘弁。」

 

あの後は散々な目にあった。逃げる最中に追い打ちを掛けるように妖精から石を投げつけられるわ、道に迷うわで本当に凹んだ。

 

だが結局俺を追いかけた岩は、運のいいことに1本の大きな木に衝突し、軌道を変えたことによって俺は難を免れた。

 

そして逃げた後に後悔したのは、逃げなくてもいいことに気付いた事である。

 

本来なら逃げなくてもいいという事にも関わらず、自分の力をつい忘れて障害から逃げてしまう。しかし逆に言えば、これは自分の危機感がまだ薄れていないという事を表しているので、一つの妙な安心感を得ることもできた。

 

そして安心感を胸に抱きながら、妖精のいなくなった山から人里へとジャンプする。

 

妖精たちの起こした悪戯では済まないほどの所業をされた時、俺はガンさんを自宅の目の前にジャンプさせたはずなので、家の中にいるはずだ。

 

そう確信しながらスタスタと歩いて行くのだが、村の様子はいつもの活気はなく妙に静かである。

 

それもそのはずで、現時点では夜なので皆家の中に引きこもっているのだ。

 

偶には静かな夜の道を歩くのも気分転換になるだろうと思いながら足を前に出す。

 

夜道は暗く、視界が全く確保できないので、仕方が無く懐中電灯を4個程創造し、空中に浮かせ、視界を確保する。

 

やはり文明の利器万歳と思いながら歩みを進めていく。

 

そしていつも訪問する際の道の目印にしている、倉のような木造建築の角を右に曲がるとガンさんの家が見えてくる。

 

ここで合っているはず。

 

ガンさんは大丈夫だろうか? 怪我などしていないだろうか?

 

そんな心配が頭を過るが、足を止めるようなことはせずに玄関の目の前に立つ。

 

心配で少し波立ってしまった心の中を、深呼吸で沈めてドアをノックする

 

ノックしたすぐ後に、誰かが声を出しながら近づいてくる。

 

「はい。どちら様ですか?」

 

この声はおそらく、娘さんのトチさんだ。しかしトチさんは扉を開けずに中から声を掛けてくる。

 

しかしこれは当然のことであり、仕方のない事でもある。

 

なぜなら俺のいた世界とは違い、妖怪が我が物顔で地上を跋扈する世界。警戒があってしかるべきことである。

 

俺は大正耕也である事を証明するために、声を出してアピールする。

 

「夜分遅く申し訳ありません。大正耕也と申します。いつもお世話になっております。」

 

そう言うとトチさんはさらに質問を投げかけてくる。

 

「では、あなたは今日何をしに行きましたか?」

 

それに対して間をおかずに答える。

 

「ガンさんと筍狩りに行きました。」

 

するとすぐにドアが開き、トチさんが出迎えてくれた。

 

トチさんは俺の顔を見ると急に笑顔になり、安心したように話す。

 

「ああ、耕也さん。無事でよかったぁ。お父さんが青い顔で帰ってきた時慌ててたからどうしたのかと…!」

 

「まあ、ガンさんから既に聞いているとは思いますけれども、実は筍狩りの最中に妖精たちに襲われてしまいまして。」

 

たははっ、と笑いながら返す。それに対してトチさんは

 

「笑いごとじゃあありません。心配したんですから。まったく。」

 

と、少し怒ったように言う。

 

「すみません。ですが大丈夫です。この通り、怪我ひとつありませんから。…それと、ガンさんはどうですか? 怪我とかされてませんか?」

 

それを聞いた、トチさんは呆れたように笑いながら話し始める。

 

「お父さんたら酷いんですよ? 帰って来るなり今日の事を話し始めて、それで話し終わったら「耕也殿なら大丈夫。」とか言い出して寝てしまったんですよ?」

 

「ははは、相変わらずなお人ですね。でもそれは自分の事を信頼してくれている証拠だと思うので素直にうれしいですよ。」

 

「そう受け止めてくださると、こちらとしてもうれしい限りです。……そうだ。もう遅いですし、ぜひ泊って行って下さい。今日採った筍の料理もありますので。」

 

なんだか棚ボタな気がしながら、軽く礼をしてお邪魔する。

 

「ありがとうございます。では、よろしくお願いいたします。」

 

そう言いながら俺はガンさん宅に泊まることになった。

 

そして出された筍料理は、頬が落ちるほどの絶品でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

朝目が覚めると、いつもの部屋ではない光景が目に映る。

 

俺はガンさんの家に泊まったのだと言うことを再認識しつつ、顔を洗いに行く。

 

顔を洗って、目覚めた脳で家の状況を確認する。

 

すでに家族の内、何人かは起きているらしく、台所からは良い匂いが漂ってくる。

 

服を寝巻きから普段着に変え、挨拶をしに行く。

 

「おはようございます。」

 

すると帰ってきたのは、ガンさんからであった。

 

「お、耕也殿。おはよう。昨日は助かったわい。ありがとう。」

 

ほっほっほっ、と笑いながら挨拶をしてくる。元気なのは相変わらずである。

 

そして俺は奥さんのトキさんに声を掛ける。

 

「トキさんもおはようございます。」

 

「おはようございます。耕也様。」

 

と、ものすごく丁寧な言い方で返してくる。

 

そして、俺は次々と起きてくる者、朝の薪割りから帰ってくる者に挨拶しながら、席に着く。

 

皆がそろった所でいただきますの挨拶をする。

 

今日の予定は何だとか、薪割はどれぐらい終わっただのと平和な日常会話が行われる。

 

そして俺も皆と談笑しながら朝食をいただく。

 

飯を食べながらふと思う。

 

この人数で食事をするのはいつ以来だろうか?と。

 

そして今まで生きてきた記憶を確かめてみる。… 多分皆で食べたのは大学生のころぐらいだった気がする。

 

懐かしい。本当に懐かしい。

 

いつか現実世界に戻りたいけども、無理だろうなぁ。

 

思わず涙がこみ上げてきそうだったが、グッとこらえて食べるのに集中する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺はその後、ガンさん達に別れを告げ自宅近くまでのんびりと飛んできた。

 

だが、地上に降りてみると、妙な事が起きているのが目に入る。

 

地面に赤いシミが、ぽつぽつと続いているのだ。それも量が多い事に気付く。この量は人間であれば確実に死んでいるであろう。おまけに後を辿っていくと自宅につながっている事が分かった。

 

俺は嫌な予感がしながらも、その血の跡をゆっくりと辿っていく。そして改めて思う。この量は尋常ではないと。

 

家の前まで着くと、やはり異常がある。ドアの鍵の部分に何か鋭い爪のようなもので引っ掻いた跡がある。もちろん鍵はその引っ掻きによって破壊されている。

 

という事は中に誰かいるのは確定事項であり、非常にヤバい状況になりつつあるという事が分かる。

 

俺はそっと扉に近づき、中を確かめようとする。そして開けようとした瞬間に何かが聞こえる。

 

そう、微かではあるがうめき声である。おそらく血の主であろう。痛みに耐えかね弱弱しく呻いているのだ。

 

こうしてはおれんと扉を勢い良く開け、中を確かめ始める。

 

そして玄関を上がり、血が引きずられ伸ばされたような跡のある、短い廊下を進み、跡の続く居間と廊下を分ける襖をそっと開ける。

 

だが、中が暗くてよく見えない。

 

俺は状況を確かめようと、居間の蛍光灯を点灯させる。

 

すると蛍光灯に照らされ、鮮明になった景色が俺の目に飛び込んできた。

 

その光景は…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おびただしい血にまみれた女性の姿だった……

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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32話 倒れていたのは……

何としても助けよう……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ハァッ、ハァッ、ハッ、ハッ………くっ!」

 

熱い、傷が全く癒えない。くっ、殺生石に封印されたせいだろうか?

 

妖力が全く出ない上に、本来ならとっくに癒えているはずの傷がふさがらず、ドクドクと血を流し続けている。

 

どうしてこうなってしまってしまったのだろうか? 私は唯人間に愛されたかっただけだったのに…

 

…うらやましかった。家族というものが。

 

私のような妖怪は独り身であり、人間のように集団で群れをなす事が無い。

 

だから私には家族という概念が分からなかった。そして獣の姿で森の中から初めて見た人間の親子というのは、私には非常に眩しく見えた。

 

その楽しそうに過ごす姿をこの金色の眼に捉えた瞬間、私の心は苦しくなった。そしてうらやましくも思った。

 

だから私は家族が欲しくなった。誰かを愛し、添い遂げ、子を成したいから。

 

そして私は唯の妖狐であったのにもかかわらず、血反吐の出る程の修行をして何とか人化の術を会得し、人間社会に溶け込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最初は殷という国から。

 

私の容姿は人間の女と比べると遥かに美しく、そして妖艶であったらしい。

 

私は人間に混じって生活し、すぐにその容姿のおかげかもてはやされ、男たちが結婚を申し込んできた。

 

だが彼らには愛は無く、そしてただ私の身体目当てだったので断り続けた。

 

そして、私の噂を聞きつけた殷の王、紂が直々に私の住む村に来て結婚を申し入れた。彼は非常に誠実な人であり、必ず幸せにしてみせると私に言った。

 

私はその言葉を受け入れ、晴れて夫婦という満たし満たされる素晴らしい関係とあいなる事ができた。

 

長年の願いを叶える事ができ、本当に幸せであった。

 

だから私は彼を精一杯愛したし、愛されもした。

 

しかしそう幸せは長く続くものでは無く、徐々に歪みが生じていった。

 

そう、私の愛が深すぎたのか、それとも彼が私に依存し過ぎたのか定かではないが、彼の政治への取り組みが疎かになり、国は荒れ民草の心はすさんでいった。

 

時は流れ時代は周になり私は新しい王、武王によって処刑されかけ土地を追われた。

 

 

 

 

 

 

 

 

南天竺でも同じような事が。そして何百年もたった後の周でも。

 

私は土地を追われに追われ、東へ東へと逃げて行った。

 

一体どうすれば人間に愛されるのだろうか? 人間は用心深い。都のような開けた場所でないと私のような怪しい女は排斥されてしまう。

 

私は最後の望みに賭けて海を渡り、極東の日の本の国へと渡ることにした。交易に使用される人間の船という箱にこっそりと乗って。

 

だが、しかしこの中で私の心にも変化があったのかもしれない。

 

ここまで私が歩み寄り、愛そうとしているのにも拘らず、私の正体を知った瞬間に攻撃してくるような人間に対して恨みを持ち始めていたのかもしれない。

 

私が位の高い人間に接触したのは運命なのか、それとも私怨からくる行動なのだろうか。

 

だがいずれにしろ私は孤独の身であり、この猛烈な寂しさを紛らわせるために平安京と呼ばれる都へと向かった。

 

私はそこで玉藻前と名乗り宮中に仕え、やはりすぐに鳥羽上皇に気に入られ契りを結ぶこととなった。

 

だが、彼は私と契りを結んだ数日後に床に伏せるようになってしまった。

 

もしかしたら私の膨れに膨れ、圧倒的な密度となった妖気にあてられたのかもしれない。

 

そんな疑問が頭に浮かび、頭の中を埋め尽くす。

 

私は焦った。今の今まで全てが上手くいっていたのにも関わらず、ここで痛恨の失敗をしてしまったのだ。

 

懸命に上皇を看病するも一度あてられた妖気は彼の中で暴れまわり、病状は良くなるどころか悪化するばかりであった。

 

そして、ついに陰陽師達がこの異変に気付き、中でも随一の霊力を誇る安部晴明によって私の正体を暴かれ、またしても都を追われた。

 

 

 

 

 

 

 

 

上皇の怒りは凄まじいものであったらしく、その後すぐに8万の軍が編成され、私を追跡してきた。

 

いくら逃げても私は軍から逃げ切る事ができずに、何度も攻撃を受けた。

 

私も当然抵抗はした。だがそのたびに傷を負い続け、しだいに飛ぶことも、妖術を使う事も、はてには走ることすらも出来なくなっていった。

 

私は追手の須藤権守貞信に誤解を解くために夢で言葉を伝えてみたが、全く受け入れられる事は無かった。

 

そして、これを好機と捉え、討伐軍は私を弓で射抜き、剣で切り裂き、瀕死状態の私を殺生石に封じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それから数十年の年月が経過し、私は殺生石の中で意識を取り戻し始めた。

 

身体がまるでドロドロの粘体に包まれているようで非常に気持ちが悪い。

 

そして相変わらず妖力が……ん? 上に亀裂が入っている?

 

上を見上げると、亀裂が生じているのか真っ暗な空間にほんの少しではあるが光が漏れてきているのが分かる。

 

何の亀裂だろうか? 私に対しての封印は完璧だったはず。ではなぜ?

 

私が考えていると、その亀裂はどんどん広がっていき、しまいには空間ごと弾けるように光がほとばしり、気付けば殺生石の外にいた。

 

だが、封印された時の深い傷は残っており、そこからドクドクと血が流れている。

 

早く何とかしなければ。

 

「私は一体どうなるんだ…?」

 

そんな言葉を微かに呟きながら、行くあてもなく私は歩みを進めた。

 

無意識のうちに人の歩くであろう道を歩いているのかもしれない。

 

しかしどの道を歩いたのか分からない。ただ今目の前にある道をひたすら歩き続ける。

 

本当につらい。幸せを得られなかった事。それと人と分かりあえなかった事。

 

なぜ自分は生きているのだろうか?

 

そしてなぜ封印が解けたのだろうか?

 

頭の中に疑問が次々と湧いてくる。

 

だが考える余裕などない。もう封印が解けてから随分時が経っているが、それに伴って意識が朦朧としていくのが分かる。もうそろそろ年貢の納め時だろうか?

 

私は偶然目に飛び込んできた廃寺らしき建物に近寄り、爪とわずかに残った力で鍵を抉じ開け、中へと入って行った。

 

中は外の様子とは全く違う新品同様の内装であった。

 

しかしそんな事を実感する余裕もなく、私はズルリズルリと歩き、手近にある襖を開け、そして閉め、倒れ込み、意識を手放した。

 

 

 

 

 

 

私は幸せになってはいけないのだろうか?

 

種族の差というものはここまで大きいものなのだろうか?

 

もう私は死んでしまうのだろうか?

 

幸せになる事は無いのだろうか?

 

ただ、愛し愛されたかっただけなのに…

 

幸せになりたい。温もりが欲しい。いつか手に入れたかった。

 

でも、もう…………

 

 

 

 

 

 

 

死にたくない…………幸せになりたい……愛されたい…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「死にたくない…。幸せに…愛され…。」

 

俺が血まみれで横たわっている彼女の服を破き、患部を調べようとしたときに、ふいにその声が聞こえた。

 

今のは彼女の声か…。

 

そう思いながら彼女の顔に目を向けると、両目から大粒の涙を流していた。

 

それは悲哀の涙である事が容易に分かる。

 

余程辛い事があったのだろう。意識をなくしながら、しかも瀕死の状態でそれを呟くというのは、それほど強い思いが心にあったという事である。

 

俺はそう考察をしながら、服を破き、患部を観察する。

 

「矢の傷二つに、背中に大きな刀傷か。まずいな。」

 

そう呟きながら、俺は手持ちのリュックの中から、全ての領域をオフにして治癒用の札を取り出す。

 

理由はオフにしないとお札の効力が消えてしまうためである。

 

俺はその取り出したお札に、自分の名前を書き、効力を発揮させる。

 

するとお札が青く光り、治癒の準備ができたのだと言う事を伝えてくる。

 

俺はその事を確認しながら、彼女の背中に貼り付けようとする。

 

「よし、これで何とか治ってくれよ……うわっ!」

 

俺が呟きながらお札を張り付けた瞬間に、電球がショートしたかのようにバチッという短い音がし、同時にお札がカメラフラッシュのように短く強烈に光って効力を失ってしまった。

 

なぜだ…。

 

突然の事態に驚きながらも、何とか心を落ち着かせて、予備の札を用意する。

 

しかし、再び閃光が走り、札が効力を失ってしまう。

 

「何なんださっきから…彼女にはお札が効かないのか?」

 

そう呟きながら俺は彼女の身体を観察し始める。

 

そして約1分程観察した時に、彼女の腹の部分に黒い小さなお札が貼りついているのが分かった。

 

「こいつは一体…。」

 

そう呟きながら、俺はそのお札に手を伸ばす。

 

「おっと、領域をオンにしなくては。何があるか分からないからな。」

 

そう言いながらオンにする。

 

そして改めてお札に手を伸ばす。

 

すると、触れた瞬間にお札から黒い霧のような物が出て、お札が霧散してしまう。

 

それと同時に彼女の身体にある異変が起こった。

 

それは

 

「狐耳に尻尾が9本?」

 

彼女から妖獣の象徴であるものが現れた。

 

しかも着ている服に立派な尻尾、狐耳に見たことのある顔。

 

間違いなくそれは

 

「藍じゃないか…。」

 

八雲藍であった。

 

だが、これに驚いている猶予は無い。

 

先ほどの札が邪魔をしていたのならば、もう治癒の札は効くはず。

 

そう思いながら俺は再び札に名前を書き、彼女に貼り付ける。

 

「今度こそ!」

 

するとあれだけ深かった彼女の傷がみるみるうちに塞がれていき、彼女の身体は無傷同然になった。

 

だが、安心はできない。彼女の顔色が死人のように青白いままなのだ。

 

「血が足りないか…それに妖力も。おまけに意識が無いから対処が難しい。」

 

俺はどうするかを考え始める。

 

やがて一つの考えを弾き出す。

 

「幽香に妖力を分けてもらおう。」

 

土下座でも何でもしてやるさ。

 

 

 

 

 



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33話 やべえやべえ……

昨日できなかったので投稿しました。


何でもするからお願いします……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(今日も何もない一日だったわね。)

 

そんな事を思いながら私は風呂に入った後の火照った体をほぐす。

 

いつも通りの一日。朝起きて顔を洗い、朝食を食べ、向日葵たちの世話をやり、薪割をして、水を汲み、昼食を食べ、向日葵畑の見回りをし、夕食を食べ、風呂に入って歯を磨き寝る。

 

いつも通りだ。違うとすれば耕也のくれた掃除機や歯ブラシ、歯磨き粉といった物が生活をより充実させてくれたことだ。

 

私はその日々のちょっとした事でも充実感を覚え、楽しんでいる。

 

今日の平穏な一日を振り返りながら寝室に近づき、いつものように扉を開ける。

 

するとそこで玄関から、扉を大きく叩く音がする。誰だろうか?こんな時間に。

 

(久しぶりに喧嘩を売りに来た陰陽師かしら?)

 

そんな事を考えながら、小走りで玄関に近づく。

 

「はいはい、どちら様?」

 

そう言いながら扉をそっと開ける。開けた先には大正耕也が大粒の汗を垂らしながら立っていた。

 

「……あら、耕也じゃない。どうしたのそんなに慌てて」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「夜分遅く申し訳ない。緊急事態なんだ。大至急俺の家に来てもらいたい」

 

一体どうしたというのだろう? 彼がここまで焦っているのは初めて見る。

 

だが彼が焦っているという事はそれほどに事態が窮迫しているという事だろう。

 

私はそう予想を立てて彼に訳を聞くことにする。

 

「だからどうしたの? そんなに慌てて」

 

すると彼は目を少し泳がせながらこう言い始めた。

 

「幽香の妖力が必要なんだ。それも大量に。一刻を争う事態なんだ。頼む。いや、お願いいたします」

 

そう言って、彼は土下座をし始めた。

 

私は彼の事を自分のモノにしたいと思ってはいるが、このあまりにもへりくだった所は正直あまり好きではない。

 

もっと彼には堂々としてもらいたい。

 

だから私は少し声をきつめにしながら言う。

 

「何で土下座なんてするのよ。そんなことをする暇があったらさっさと目的の場所へ連れて行きなさい。一刻を争う事態なんでしょ?」

 

私がそう言うと彼は、一瞬戸惑いの表情を見せたが、次には満面の笑みを浮かべて喋りだす。

 

「ありがとう! 助かった! これで何とかなる」

 

そう言った彼は、私の腕を掴んで目的地で転送した。

 

だがそこで私の眼に映ったのは、私の心を二つの意味で大きく乱すものだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺は幽香の腕を掴んで藍のいる部屋にジャンプすると幽香の方を向き、お願いを述べる。

 

「実は彼女に妖力を分けてほしい。最初は血まみれの瀕死の状態だったもんだから気が動転してしまって。治癒の札で何とかここまで持ってくることには成功したけれども、肝心の妖力がスズメの涙以下しか無いらしくて意識が全く戻らないんだ」

 

俺は後ろで固まっている幽香に振り向きながら協力してほしい旨をベラベラと伝える。

 

横たわっている彼女は大妖怪の九尾、藍。彼女の保有する妖力は膨大な量であるとは想像に難くない。

 

現時点において藍の妖力はほとんど空に近いというのも分かる。顔はやつれ、本来ならば立派な尻尾も毛並みがバラバラになっており、酷く痛んでいる。

 

相手の妖力の残量が分からない俺はここから判断した。

 

そして今の状態から安定できる状態までにもっていくのは並の妖力では不可能だろう。

 

俺の知り合いの妖怪では、現時点では幽香が一番の妖力の持ち主である。だから俺は彼女に頼らざるを得ない。

 

おまけに妖怪にとって大量の妖力を供給する行為は凄まじい疲労を生むという事も重々承知している。

 

だから俺は非常に申し訳なく思いながらも幽香に対して土下座までしてお願いしたのだ。

 

土下座したらする前よりも不機嫌になったのは不思議だったが。

 

俺の言ったことに対しての幽香の返事は予想外のものだった。

 

「あんた、こいつ九尾じゃない……。それも何十年か前に都で暴れていた……。……まあいいわ、とりあえずは妖力供給ね」

 

あれ? そんな事件あったっけ? 少なくともそんな記憶は無いのだけども……?

 

俺がそんな事を考えていると、幽香は藍に被さっている布団をめくり、腹の臀部よりに手を置いた。

 

そして彼女は大きく深呼吸をして態勢を整える。

 

様子から察するに彼女は妖力供給は初めてなのだろう。だとすると俺はさらに彼女に申し訳ない事をしたと思う。

 

いきなり呼ばれて、理由も話さずに仕事を頼んだ。しかも初めての妖力供給で膨大な疲労が伴うはずなのだ。

 

だが、幽香は嫌な顔一つせずに引き受けてくれた。その部分には多大な感謝をしなくては。

 

様子を見ながらそんな事を考えていると、幽香の手を置いた部分から緑色の淡い光が漏れ始めた。

 

幽香の妖力供給が始まったのだ。

 

だが幽香の様子は先ほどの緊張した顔と打って変わって冷静な顔へとなっている。

 

彼女も冷静な心が第一と考えているのだろう。だが、やろうと思ってもなかなかできる事ではない。

 

これは幽香の長年積み重ねてきた心のコントロール方法なのだろう。

 

そして幽香が供給でしばらくその状態を維持していると、妖力供給量が安定してきたのか、こちらに話しかけてきた。

 

「……よくよく考えたら、耕也が九尾の事を知らない筈だわ。だってあんた数十年ぐらい実家帰りとか言って、洩矢神の所にいたじゃない。丁度その間だったのよ」

 

確かに。思い直してみればそんな感じだったなぁ。掃除の為にちょくちょくこの家には戻ったけれど都には全く行かなかった。

 

溜まりに溜まった休暇という形ではあったが。そしてさらに、陰陽師の質と数が格段に向上してそれほど俺の出番が必要なくなったのも要因の一つではあるが。

 

でも、もし都にいたら確実に招集されていただろう。その場合はどうなっていたのだろう?

 

藍と対峙しなければならなかったのだろうか? いや、こんな考えはよそう。

 

「考えてみればそうだった。確かにあの頃はいなかったよね。……それでどう? 彼女は持ち直しそうかい?」

 

俺が藍が助かるかどうかを聞いてみると、幽香は妖力を注ぎ込みながら、静かに、しかし深く頷きながら答える。

 

「安心しなさい。この狐は大丈夫よ。もうしばらく注ぎ込めば安定するわ。ほら、顔色もかなり良くなってきているでしょ?」

 

その答えに釣られるかのように藍の顔を見る。

 

随分良くなってきているようだ。当初は死人のように青白く見ていられないほどだったが、血の気が戻りつつあり、それに応じて尻尾も毛並みが良くなってきているようだ。

 

俺はこの経過にひとまず安心感を得ながら、今度は幽香の顔を見る。

 

妖力を注ぎ込んでから随分たつが、やはり玉粒の汗を額に浮かべている。

 

疲れが蓄積されつつあるようだ。本当に申し訳ない。

 

彼女には終わった後ゆっくり休んでもらって、美味しい物を好きなだけ食べてもらおう。

 

俺がそんな事を考えていると、幽香は俺の方を向いて顔を渋くしながら言った。

 

「また、自分が迷惑をかけてると思ってるのね?…本当に馬鹿なんだから。気にするなって言ってるでしょう?」

 

考えている事が表情に全て出ていたようだ。

 

仕方が無いと考えつつも謝っておく。

 

「すまない。でも終わった後はゆっくり休んでくれな? 頼んだ俺が言うのもなんだが」

 

すると幽香は頷きながら

 

「ええ、そうするわ。多分疲労困憊になりそうな予感がするから」

 

そう言いながらまた作業に集中し始める。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

正直この狐がうらやましく思う。なぜなら耕也に看病されているからだ。

 

最初にここに来た時は九尾の狐に会ったという事の驚きが大きかったが、妖力を供給しているうちにだんだん嫉妬の方が大きくなっている。

 

だが、耕也にお願いされたのだから仕方が無い。

 

それに耕也がここまで九尾に入れ込むのはなぜだろうか?

 

陰陽師にとっては九尾の狐は一番の怨敵のはず。変わった人間の耕也にとってもいい感情を持つ理由が見当たらない。

 

もしかして彼女に惚れているのだろうか?

 

そんな嫌な考えが頭をよぎる。

 

しかし、それは理由としては弱い。九尾が万全の状態なら男を堕とすのは簡単だが、今の状態では到底不可能だ。

 

だとしたら何だろうか? 彼女に深い思い入れがあるのだろうか? 大昔に会った事があるとか?

 

謎は深まるばかりだ…。

 

でも彼女の顔からは悲しさが伝わってくるのが分かる。

 

顔には涙が流れた跡がある。一体何があったのだろう? 彼女が都で何をしたかったのか。そしてなぜこの国渡ってこなければならなかったのか?

 

だが、彼女からは私と少し似た匂いがする。

 

そう、まるで孤独に耐えられなかったかのような…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

藍の治療の経過を見ながら考え込む。

 

なぜ、藍は気絶しながらもあのような言葉を呟いたのだろうか?

 

悲しみから来るのは分かるが、いまいち漠然としていて把握しきれない。

 

元来九尾とは悪役での活躍が多く、人間に対して良い感情を持っておらず、むしろ弄ぶ側だったという認識が大体である。

 

でもこの場合はその可能性は薄い気がする。もし彼女がそんな心を持っていたのなら、「愛され…」などと呟くはずはない。

 

ゲームではこの時代とは違うので予測することが難しいのだが、理知的でしっかりした性格だろうと思えるので、やはり可能性は薄いと断言したい。

 

では、何だろうか? 諸説あるかもしれないが、九尾は愛に溺れ、運命にもてあそばれた悲劇のヒロインという解釈もあるようだ。

 

これならば、矛盾なく説明できる。彼女が愛に溺れるあまり、対象の人間が誑かされたように他人からは見えたのかもしれない。

 

だからこんな極東の島国まで逃げてきたのだろう。

 

うん、これなら辻褄が合う。

 

そうだ。彼女が目覚めたらどう接すればいいのだろう……?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「終わったわ……。成功よ」

 

藍の呟きの大元を考えていると、ふと幽香の声が聞こえる。

 

その声に弾かれるように二人の顔を交互に見る。

 

藍の顔はもう健康体そのものの色であり、今は疲労から来る眠りにシフトしているようであった。

 

同時に幽香も汗をダラダラと流しながら、満足げな表情を浮かべている。本当にお疲れ様です。

 

俺は二人の様子を見てホッとしながら幽香に話しかける。

 

「本当にありがとう。いや、ありがとうございます。風呂に入ってゆっくり休んでおくれ」

 

そう言うと幽香は頷きながら立ち上がる。だが、足元がおぼつかない。ふらふらしている。

 

「大丈夫? 肩貸そうか?」

 

そう言った途端に幽香の身体から力が抜け、弛緩した身体は重力に従って傾き、倒れ始める。

 

咄嗟に抱きとめ、そして彼女に衝撃がいかないようにゆっくりと地面に座り込む。

 

疲労から来る貧血だろうか? 何にせよこのまま寝かせた方がよさそうだ。

 

「幽香、大丈夫か?」

 

そう言うと、幽香は目を閉じたまま俺の声に小さく答える。

 

「……ええ、少し疲れが出たみたいね。悪いけどこのまま寝かせてもらうわ。風呂は明日ね」

 

そう言って彼女は黙りこむ。

 

それから数十秒間じっとしていると、幽香から規則正しい寝息が聞こえてくる。

 

「あいよ、お休みなさい。幽香」

 

そう言って幽香を布団に寝かすために抱き起そうとする。

 

だが、彼女の腕が離れない。ものすごい力で俺の服をつかんで離さないのだ。

 

どうしたものか……。

 

短く思考をして結論を出す。

 

「仕方ない。一緒に寝ちまおう。お休み……幽香、藍」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

実は倒れたのは演技だ。

 

今日は私をここまで働かせたのだ。だから抱きついて眠るというくらいの御褒美があっても文句はあるまい。

 

実際に九尾に妖力を十分に送り込んだのは疲れたが、倒れるほどではなかったのだ。

 

だから、計画どおりね……

 

ふふっ、お休みなさい……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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34話 ゆっくり休んでくれ……

命の恩人は俺ではありません……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

身体が軽い。あれほどまでに傷つき、重く、痛かった身体がどんどん軽くなっていく。

 

これがあの世に逝くという事なのだろうか? だが、心地良いわけではない。この世でやり直したかった事がたくさんある。

 

もう無理かもしれないが一度でいいから私の心の底より、魂の根底から愛する事ができるような、そんな人に会いたかった。

 

そう、人間同士の夫婦のように……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(…………ここは?…………私は確か死んだはずでは……?)

 

瞼を開けると、和風の天井が目に飛び込んでくる。…不思議だ。確かに私はあの時瀕死だった。なぜ生きているのだ?

 

そんな疑問が頭の中を埋め尽くす。

 

私には見たことのないような生地でできた布団がきれいに覆いかぶさっており、首を傾けてみれば服も変わっている。

 

一体誰が……?

 

そんな事を思いながら周囲に目を向け見回す。すると二人の男と女が抱き合って眠っている。といっても一方的に女が抱きついているだけであるが。

 

何にせよ、お礼を述べなければ。そう思い身体を布団から起こす。その時にマズイ物が目に飛び込んできた。

 

私の尻尾が丸裸になっている。何て事だ。もしこの光景を見られているとしたら都に通報されているかもしれない。

 

そして私を捕らえたと都に確認されれば莫大な報奨がこの二人に転がり込むだろう。

 

だから生け捕りにするために私の手当てをしたのかもしれない。

 

その考えがふと浮かんだ瞬間に、今までの討伐に関する事が一気に頭の中に噴出して気が気ではなくなってしまった。

 

剣で切り裂かれ、弓で貫かれ、札の嵐を食らい、圧倒的な数の暴力に屈したあの光景を。あの痛みを。

 

思い出せば思い出すほど気が狂いそうになる。

 

だから死にたくはない。まだやり残すことがあるのだ。

 

(目撃者は……殺さなければ。)

 

私は布団から立ち上がり、気付かれないように、忍び足で二人に近づいていく。

 

(女は簡単に始末できる。…まずは男から。)

 

そう心の中で決めると、爪を伸ばして彼の首を切り裂く準備をする。

 

そっと彼のもとに膝を折り、首筋に爪を当てる。

 

すまない。許してくれ。

 

私が力を込めて切り裂こうとすると、予期せぬ出来事が起きる。

 

「あなた、命の恩人に向かってそれはないんじゃない?」

 

その言葉と共に凄まじい握力で腕を掴まれる。

 

心臓が跳ね上がり、次の瞬間には氷の手で鷲掴みにされたような感覚に陥る。

 

私は弾かれたように女の方を見やる。

 

すると激情の眼ではなく、極寒の冬を体現したかのような果てしなく冷たい眼が私を捉えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「私が妖怪かどうかも判断できないような衰弱した身体でよくそんな事をしようと思ったわね? ねえ?」

 

私はその女から発せられる殺気に思わずたじろいでしまう。万全の状態の私なら張り合えるが、今は……不可能だ。

 

「目撃者を殺さなければ、私に明日は無い……」

 

「あら、何を勘違いしているのかしら?」

 

そう言いながらさらに殺気を強めてくる。

 

何て事だ。何て相手に手を出してしまったんだ。

 

私は自分の犯した間違いに激しく後悔しながらも、何とか逃げ道を探そうと考える。

 

だが後悔しても遅い。すでに彼女の手は私の胸付近に迫っており、その手が私を貫くであろうという事は容易に想像できる。

 

私は目をつぶりながら来たる衝撃に身を備える。だが、私の予想した衝撃とは全く逆であった。

 

彼女は私を貫くのではなく、ただ押されただけであった。そう、ただ押されただけ。

 

それにもかかわらず私の身体は、ほんの少しの衝撃さえも相殺する事ができずに尻もちをついてしまった。

 

私が痛みを和らげるために尻をさすっていると、女がほれ見ろと言わんばかりの顔で言い始めた。

 

「ほら言ったじゃない。今のあなたの身体は雑魚妖怪も倒せないほど衰弱しているのよ。感謝なさい。耕也が助けていなかったら今頃貴方は死んでいたわ」

 

耕也?…それはここで呑気に寝ている男の事だろうか?

 

私を助けられるような力量があるとはとてもじゃないが、あるとは思えない。

 

とりあえず、なぜ助けたのかこの女に聞いてみなければ。

 

「…私は玉藻前だ。あなたの名前は?」

 

「……? …まあいいわ。…私を知らないのかしら? 私の名前は風見幽香。そしてここでグースカ呑気に寝ているのは大正耕也よ」

 

「では、なぜ助けたのだ?」

 

「さあ? 耕也に聞いてみなさいな。答えてくれるでしょうし」

 

男の方を見やりながら、風見幽香は答える。

 

先ほどとは打って変わって優しい目になっている。まるで花のような。

 

彼女は耕也に対して、何らかの特別な感情を抱いているのだろうか?

 

私がそんな事を思っていると、幽香はその場にしゃがみこみ、耕也の肩をゆする。

 

「ほら、起きなさい。お狐さんが起きたわよ。…ほ~ら、起きなさいってば。」

 

ゆすられること約10秒。耕也が薄く眼を開けながらしゃがれた声で腕を顔の前にやる。

 

「あ~、今何時だ?…………10時? ……ん?~~~~~~っ! ……あ、足がつった……。ちょ、ちょっと足首お願い」

 

そう言いながら耕也という男は片足を上げながら悶えまくる。

 

こちらから見ると滑稽なのだが、哀れといえば哀れにも見える。

 

「何してるのよ耕也。ほら、これでいいの?」

 

幽香が仕方ないという顔をしながらあげられている片足を持ち、腱を伸ばすように押していく。

 

幽香の応急処置により、程なくして耕也の顔から苦しみの表情が消える。

 

「あ、ありがとう。何とかなったよ。それにしても朝から足がつるとか刺激的すぎるだろ」

 

耕也はそう言いながらこちらを振り向く。その顔は苦笑していた。

 

そして私の存在に気がついたのか、ハッとした表情となり居住まいを正す。

 

「あ、すみません。お見苦しい所を。自分の名前は大正耕也と申します。えっと、お狐様の御名前を伺ってもよろしいですか?」

 

風見幽香とは随分違った雰囲気を醸し出す男だ。嫌いではない。

 

「すでに風見幽香にも言ったが、私は玉藻前という。見ての通り九尾の狐だ。白面金毛九尾の狐とも呼ばれているがな」

 

すると、男は私を恐れるばかりか、さらに友好的な態度で接してきた。

 

「では玉藻様、お聞きしますが体調の方はいかがでしょうか? 何か御不便な所はありますか?」

 

不思議だ。今まで会ってきた男は私の正体を知った瞬間に大きく態度を乱して罵声を浴びせてきたものだが。

 

だが、この男は違う。私に恐怖心を全く抱いていない。なぜだろうか?

 

私がそう不思議に思っていると、幽香が話しかけてくる。

 

「いま、不思議に思ったでしょう? どうして私を恐れないのかって。この男はね。都でも、いや、この国の中で最も強い陰陽師と言われている男なのよ」

 

「幽香、余計なことは言わんでいいってのに。相手が混乱するだろうが」

 

「いいじゃないの。いずれは明かす予定だったのでしょう?」

 

「はあ…。まあ、この人の言った通り陰陽師をやっております」

 

この男が言ったことに対してさらに疑問が湧いてくる。

 

いったい何故私を助けたりなんかしたのだろうか? 陰陽師にとって私という存在は害悪以外の何ものでもない。

 

私の頭にはそんな疑問があふれていた。だから、私はその真意を知るために聞く。

 

「なぜ、私を助けたりなんかしたのだ? お前は陰陽師だろう? それと、いい加減無理矢理な敬語はやめてくれ」

 

「わかりまし…わかったよ。無理矢理ではないのだけれども。まあ、理由としては、玉藻さんが悪い妖怪ではないと思ったからかな。俺は基本的に人を襲いまくるような輩ではない限り手を出さないし」

 

変な奴だ。本当に変な奴だ。

 

だが、こいつの言っている事は人間の考えに反しているのではないだろうか? 妖怪を退治して退治しまくる。そんな事を生業としているのが陰陽師ではなかったのだろうか?

 

しかし、この疑問を投げかけるまでもなく、幽香がそれを補足する。

 

「まあ、こいつは変わってるから仕方ないわよ。そういうものだと思って接しなさいな。ふふっ」

 

「こらこら、人を何だと思っているんだ。まったく」

 

やはり、この二人を見ながら思うのだが、妖怪と人間が気さくに話し合っている所を見ると、違和感を感じてしまう。

 

これが連中の抱いていた私への違和感か……。

 

だが、この違和感は妙に心地よい。二人して笑い合っているところを見てると何故かこちらの気分まで良くなる。

 

これも私が求めていたのかもしれないな。いや、きっとそうだ。求めていたものの一つに違いない。

 

だから

 

「そうだ、遅れてすまないが、これを言わなくてはならない。私を助けてくれて本当にありがとう。感謝する」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今はまだ体力が戻って無いと思うのでゆっくり休んで下さい。食事は後でお持ちしますので」

 

つい敬語で言ってしまうのだが、こればっかりは仕方が無い。

 

俺は初対面に対しては必ず敬語で接するようにしているのだ。

 

藍がここまで逃げてきた理由を聞くのは、明日でも十分だろう。そんなに焦る必要はない。ここに九尾がいるという事がばれたとしても、すぐに幽香の家に転送すればいいだけの話だし。

 

今頃殺生石は大変なことになっているだろう。九尾が逃げ出したという号外新聞でも配られる程に。新聞はこの時代にないけれども。

 

ではでは、卵粥でも作りに行きましょうかね。内臓関係も弱っているだろうから、なるべく消化の良い物が好ましいだろう。

 

そう思いながら、俺は台所に向かう。

 

と、そこで背後から声を掛けられた。

 

「耕也。少しいいかしら。外まで一緒に来てもらえるかしら?」

 

声を掛けたのは幽香であった。

 

一体何の用だろうか? 外に用があるというのも不思議だ…。

 

だが、とりあえずは返事を返さなくてはならないので、少し大きめな声で返答する。

 

「はいよ、今行くよ」

 

俺はそう言いながら開けていた冷蔵庫の扉を閉め、玄関に向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

外に出ると、冷たい北風が頬をなでる。もうそろそろ冬か…。

 

そんな事を思っていると、幽香が玄関から出てくる。

 

「待たせたわね。そんなに時間はとらせないわ。安心して頂戴」

 

何故か、幽香の態度が少し硬く感じる。

 

なぜだろうか? そんなに時間が必要ないのならばすぐに終わる用事なのだろう。

 

そして幽香が切り出した言葉は、予想外なものであった。

 

「玉藻前についてなのだけれどもあなた、藍って呼んでいたわよね。なぜかしら?」

 

そういうと幽香が少し目つきをきつくする。

 

聞こえていたのか…………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どうしようか……ちょっとまずい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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35話 バレたらマズい……

なんとか回避せねば……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

やばい。本当にやばい。まさか聞かれてるとは思わなかった。

 

自分の迂闊さにつくづく呆れる。一体どうしてあんなことを幽香の目の前で言ってしまったのだろうか?

 

確かにあの時は看病などの疲れで判断力が劣っていた。それに幽香からも寝息特有の規則正しい呼吸音が聞こえていたのだ。

 

だから藍の事をつい自然に藍と呼んでしまったのだ。確かにそう気付くべきだった。この時代での藍の名前は玉藻前だったのだ。

 

それに早く気づいていればこんな面倒くさい事態には発展していなかっただろう。

 

だが、今更悔いても仕方が無い。目の前にはその質問を投げかけた幽香がいるのだから。

 

「ねえ、早く答えてくれないかしら?」

 

無茶な事を言ってくれる。

 

一体何て言えばいいというのだ。俺は三次元の存在で君たちは二次元の存在なんだよ。ってか?…んなバカな。

 

それとも、俺は君たちとは違う世界から来たんだよ。とでも? アホもいいところだ。

 

そんな事を言ったところで何も解決しないだろうし、何より幽香にどんな影響があるかも分からない。

 

極力俺の素性は明かしたくはない。

 

だが、いい考えが浮かばない。どうしたものだろうか?

 

別世界から来た。その程度のことぐらいなら大丈夫だろうか? いや、だがそれが後々の障害になるかもしれない。

 

結局答えを出すことができないまま、俺は幽香に対して口を開いた。

 

「え~とだな……実は言うと、その…か「嘘は嫌いよ?」……」

 

だめだ、どうしよう。嘘を吐かなければならないのだが、自分の中でも彼女に対して嘘を吐くのが苦しい。

 

だが、これだけは譲れない。幽香、ひいては今後の為にも。

 

「実を言うと、昔に怪我をしている狐に会ってね。どうも罠に掛かったらしくて切り傷を負っていたんだ。それで、あまりの痛々しさに見ていられなくて助けたんだよ。一応その後、藍という名前を付けて怪我が完治するまで一緒に過ごしていたのだけれど、その時の狐の雰囲気が少し玉藻と似ていてね。それでつい呼んでしまったというわけなんだ」

 

我ながら少し、というより致命的に苦しい言い訳だが、どうなんだろう?

 

どうせ突っ込まれるだろうと覚悟していると、予想外にも幽香から放たれた言葉は意外であった。

 

「……ふんっ。まあ、そういう事にしてあげるわ。一つ聞きたいのだけれどあなた、玉藻に惚れていたりなんてするのかしら?」

 

そういうと、幽香は最初よりも目を濁らせ、きつくしながら質問してくる。

 

なぜそんな質問を? と思いながら、否定の言葉を述べる。

 

「いや、全く。第一会ったばかりで惚れるというのも変だろう? 一目ぼれなんて言葉もあるが……」

 

それを聞くと、幽香は心底安心したような顔をして、朗らかな笑みを浮かべる。

 

「そう、それを聞いて安心したわ。いいわね? 玉藻に誑かされないように。分かったわね?」

 

突然の態度の変化に戸惑いながらも、彼女の言葉に対して素直に返事をする。

 

「あ、ああ、気をつけるよ」

 

そう俺が言葉を返すと、幽香は鼻歌交じりで、妙に足取り軽やかに家へと入っていく。

 

だが、幽香は入る前にこちらへと振り向き、少し声を小さくして言う。

 

「今度から、見え透いた嘘を言うのはやめなさい。私は嘘は嫌いよ。それと、名前を知っている理由を話したくないのは分かったからこれ以上は聞かないでおいてあげるわ」

 

やはり嘘だというのは丸わかりだったらしい。

 

だが、それ以上に聞かれなかったことに対しての安心感が大きい。

 

バレていたらどんなことになっていただろうか? 考えるだけでも気が滅入る。

 

…だが一体何なのだろうか?

 

俺は幽香の行動と、突然の言動に戸惑いながらも少しの間考える。

 

幽香は俺が名前を知っていたという事に対してではなく、あらかじめ知っていたために惚れていたのではないのかという疑問のほうが大事だったのだろうか?

 

しかし、これは彼女の問い詰める態度からも察することができる。

 

だとすると彼女は俺に対して好意を持っているのだろうか?

 

そんな事を一瞬考えてしまったが、下らない妄想だと判断して棄却してしまった。

 

「そんなわけないよなぁ~。……やっぱないない、ありえないな。こんな男に惚れる方が難しいだろ」

 

自分の考えに独り言をつぶやきながら、苦笑して幽香と同じく玄関へと入っていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

玄関から廊下を歩きすぐの所にある別の寝室。耕也の家に来る時はここで私はいつも寝ている。

 

私は、耕也に対して詰問をした後に真っ直ぐにここに来た。

 

そして詰問の内容を頭の中で何度も再生してみるが正直思う所、今回の耕也の態度があまりにも不自然だ。

 

私に対して嘘を言ったのは初めてなのだ。しかもあそこまで下手な嘘を言うのは一体なぜなのだろうか?

 

とはいえ、耕也が玉藻に惚れているという事は無いという事が分かってひと安心している自分がいる。

 

それにしても……藍というのは一体?

 

元々玉藻の名前なのだろうか? それとも、藍というのは本当に唯のうっかりで言ってしまった事なのだろうか?

 

どちらにせよ耕也が何らかの秘密を握っているという事には違いない。苦手な嘘を吐きながらもその情報の漏洩を回避しようとしたのは。

 

私はその今までの情報をもとに推測を口に出す。

 

「知られてはいけない事なのか、それともただの世迷言なのか。まだ判断をするには早すぎるってことかしら……」

 

だが、いずれにしろいつかは話してもらおう。私の伴侶になるべき男なのだ。隠し事は御法度よ。

 

でも、もしそれが本当に知ってしまった事で耕也が傷つくという事にはならないだろうか?

 

私が知ってしまったことによって、彼が傷つくという事になってしまったら目も当てられない。一応この事は玉藻に聞かないことにしておこう。

 

………ちょっとまって? よくよく考えなおしてみれば、彼の行動にも今まで不自然な点が十分にあったではないか。

 

私の貰った掃除機、冷蔵庫、洗剤、洗濯機。そう、どれもこれもがこの国のどこを探しても手に入らないような物ばかりだ。

 

これの意味するところは何だろうか? 彼は遠い所から来た異邦人なのだろうか? だが髪の色や言語、生活習慣は日本人のそれだ。

 

ますます分からなくなる。おまけにいつしか見せた、何でも知っているようなしぐさ。妖怪を全く恐れないうえに良く分からない力。

 

それに最初に私と会った時さえ、花を何より大事にしているという事を知っているかのように避けて歩いていた。普通なら踏み潰すなりするはずなのに。

 

いや、分かっていたのだろう。あらかじめ私の事が。

 

考えれば考えるほど複雑になっていって頭が焼けつきそうだ。

 

一体何者なのだろう? もっと彼の事が知りたい。

 

……だが、これ以上考えても答えは出ないだろう。

 

私はそう考えながら、昼寝をしにかかった。

 

(……あら? 確か耕也は玉藻に食事を作りに行ったのよね? だとすると……マズイ! こうしてはいられないわ!)

 

そう考えた私は布団から飛び起きて居間へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よ~し、できた。後はら……玉藻さんに持って行くだけだな」

 

あぶねえあぶねえ。またうっかり口に出すところだった。

 

本当に危機感が足りない。これ以上ボロを出すのは致命的だ。

 

今後もし幻想郷の住人になった場合、これがもとでトラブルとかはごめんだからな。

 

そんな事を思いながら、俺は完成した卵粥の入った器を盆に載せて藍の寝ている居間に持って行く。

 

居間と廊下を隔てる襖はしっかりと閉められている。おそらく幽香が閉めてくれたのだろう。

 

俺は藍が寝ている

 

「玉藻さん、失礼します」

 

居間と廊下を隔てる襖を開け、中へと入る。

 

すると藍が入ってきた俺に気付き、寝ている体勢から俺を出迎える。

 

「ああ、耕也。食事を持ってきてくれたのか。ありがとう」

 

「大した物ではないのですが。なるべく消化に良い物をと思いまして、卵粥にしました。」

 

そう言って俺は盆を置きながら彼女に近づく。

 

「大丈夫ですか? 少し身体を起こせますか?」

 

彼女に食事をしてもらうにはどうしても上半身を起こしてもらわなければならないため、可能なのかどうかを問う。

 

すると彼女は困った顔をしながら

 

「すまない、まだ力が戻らなくてな。身体を起こすほどの力が無いのだ。良ければ手伝ってもらえないだろうか?」

 

やはり朝の立っていた様子だと、相当無理していたのだろう。仕方が無い。少し食べさせづらくなるのは我慢して、抱き起す感じで上半身を立ててもらおう。

 

「では玉藻さん、ゆっくり起こしますので、首は座らせておいてくださいね?」

 

「うむ、お願いする。」

 

その言葉を聞いて、俺は藍の背中と首付近にかけて腕をまわして抱き起す。

 

他人に食べさせるのなんて初めてだ。少し緊張してしまう。

 

だが、早く回復してもらわなければお互いに困るだろうし、何より藍も早く動けるようになりたいだろう。

 

だから、俺は彼女に食べさせるために粥のレンゲを持ち、粥を掬おうとする。

 

「では、口を大きく開けてください。温度は丁度いいはずなので、熱くは無いと思います」

 

そう言いながら粥を彼女の口へと持って行く。

 

だが、それは突然の闖入者によって遮られた。

 

「耕也。それは私がやるわ。あんたは他の仕事をしていなさい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いきなり入ってきて何を言っとるんだこのお方は。

 

今せっかく俺の重要な第一歩を踏み出そうとしているというのに。

 

幽香の突然の言葉に少々戸惑ってしまう。

 

まあ、とりあえず返事を返さなければ話が進まないため、素直に疑問を述べる。

 

「なぜに?」

 

すると幽香はいつになく厳しい顔になり

 

「いいから私と代わりなさい。生き倒れの人間にやった事があるから私の方がずっとこういった事には慣れてるわ。それより耕也は洗濯機にある洗濯物を風呂場に干してきなさい。カビるわよ」

 

と俺にさっさと仕事をやれと言ってくる。

 

理由というか訳はもっともなのだが、何故か腑に落ちない。

 

だが、ここは素直に幽香の厚意に甘えておこう。

 

「分かった、ならお願いするよ。…では玉藻さん、自分は洗濯物を干してきますので続きは幽香に代わってもらいます。すみません」

 

すると藍は気にするなとばかりに

 

「いや、こちらこそ迷惑をかけてすまない。看病してもらえるだけありがたいよ」

 

微笑を浮かべながら気遣いをしてくれる。

 

それに俺は軽く礼をしながら、幽香と交代して洗濯物を干しに廊下へと足を運ぶ。

 

生木のいい香りが漂う廊下を少々歩き、台所の少し手前の扉のノブを捻り中へと入る。

 

すでに洗濯機は服の洗濯を終えたのか音を発しなくなっており、洗い終わったという事を知らせるための電子音が流れている。

 

「丁度終わったところか。それにしても幽香はこういう細かい所に目が届くのが素晴らしいよな本当に」

 

そう一人呟きながら幽香に感心し、洗濯機のふたを開けて服を取り出していく。

 

「あ~あ、しわが凄いなぁ。これはアイロンでも苦労しそうだな。……さては、柔軟剤入れ忘れたうえに詰め込みすぎたな幽香のやつ」

 

まあ、詰め込み過ぎた時点で柔軟剤を入れても効果はあまりないので、入れても入れなくても大した差は無い。

 

アイロン掛けに苦労するという先の事を思い、若干気分が進まなくなってきてしまったが、こればっかりは仕方が無い。汚れが落ちただけでも良しとしよう。

 

だが、次の服を取り出した瞬間にそんな考えも吹き飛んでしまった。

 

「うわっ! このトレーナー毛羽立つからネットに入れて洗えとあれほど言ったのに何ともまあ酷い姿に。…また毛玉取り機のお世話になる日が来たのか」

 

なんと毛玉だらけのトレーナーがもんぞりと出てきたのだ。

 

おそらく他人から見たら、苦虫を噛み潰したような顔に見えるであろう顔をしながら洗濯物を次々とハンガーにかけて、すぐ隣にある浴室内の竿につるす。

 

もう一回幽香に良く教えないとな。本当に面倒なんだ毛玉って。色々な意味で。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「もう演技はおやめなさいな。上半身を起こすことぐらいはできるのでしょう? それと粥を自分で食べられることも」

 

私がそういうと玉藻は不敵な笑みを浮かべながら身体を起こす。

 

「当然だ。私の身体はそんなにヤワでは無い」

 

まったく。本当に油断ならない。一体こいつは耕也に何をしようとする予定だったのだろうか?

 

自分で盆を引き寄せ、静かに粥を食べる玉藻に向かって詰問する。

 

「あんた一体何が目的なのかしら? 何がしたいのかしら? 耕也はあれでもかなり真剣にあんたを看病しているのだから変な真似はしないで頂戴」

 

すると玉藻はますます不敵な笑みを深くしながら、私の顔をジッと見つめて口を開く。

 

「それはもちろん、簡単な試験みたいなものさ。なに、試験といっても口頭での質問とかではない。要は接し方だな。」

 

接し方? 何のことかしら? いまいちよくわからない。

 

私がそんな事を考えていると、疑問に思っていると分かったのか、苦笑しながら答えを言い始める。

 

「まあ、言わなければ分からないな。その接し方というのは、欲に塗れているのかいないのかだな。私はな、自慢ではないが三国を蕩かした女狐だ。そのために昔から正体を知られては殺されかけ、逃げての繰り返しだった。それに寄ってくる男は身体目当てがほとんどだった。だから試したのさ。看病が私の身体目的ではないのか、それとも恐れからくるものなのか」

 

そこで玉藻は言葉を切って、深呼吸をする。

 

そして、今まで見たことのないような綺麗な笑顔を浮かべて言った。

 

「だが、予想とは全く違ったよ。ふふっ、彼は本当に優しいな。私の正体を知ってなおかつ恐れずに看病までするとは。こんな経験は数千年という長い年月の中でも初めてだよ。うん、初めてだ」

 

玉藻は本当にうれしそうに、心の底から嬉しそうに言う。

 

だが、私にとっては気に食わない。なぜなら彼が盗られる気がするから。

 

だから釘をさしておこう。今後の為にも。

 

そこで私は声に少し重みを持たせながら玉藻に警告する。

 

「耕也は渡さないわよ」

 

すると、玉藻がキョトンとして、次にはニヤニヤと嫌な笑みを浮かべる。

 

「ほう、やはり好いていたか、あの男を。ふふっ、面白いじゃないか。そんなに挑発的な言葉を言われたら引くわけにはいかないなぁ。ま、覚悟しておくがいい。」

 

そして私と玉藻の間に、密かに花火が散った。耕也の与り知らぬ所で。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ、これお気に入りの靴下なのにもう穴があいてる。根性ないなぁ~」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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36話 やはり妖怪はすごい……

なんて回復力なんだ……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

やはり妖怪の持つ自己治癒力というのは人間よりも高いようで、あれだけ衰弱していた藍の身体が、ものの一週間で日常生活に差し支えないほどにまで回復してしまった。

 

なんというかまあ、うらやましいの一言である。

 

そして現在、もう少しで就寝の時間でもあるのだが、藍が暇だというので将棋を指している。だがこれがまたえらく強い。

 

ルール教えただけだというのに、いきなり棒銀さしてくるとか一二三さん泣きますよ?

 

いやまあ、プロとかは別次元の強さなんだけども、それでも藍は俺より強い。

 

「……王手だ」

 

そう言いながら藍が香車を指す。

 

あ、ちょっとヤバいなこれ。

 

(とって、とられて、とって、とられる。王が下がって歩を6九に置かれて、龍王と角行が効いてるから4九に逃げて…………あ、詰みですなこれ。)

 

ふと俺が難しい顔をしながら考えていると、藍の視線が気になった。

 

そこで俺が顔を上げて藍を見やると、なんとニマニマしている。

 

うわぁ、完全に答えが分かっている顔だよこれ。

 

おそらく藍はもう俺がどう頑張っても詰みだというのがすでに分かっているのだろう。

 

確かに俺ですらこの状況から詰みに繋がっているのがありありと分かる。

 

……ああ、もう。負けだ負け。

 

これ以上どうしようもないので諦める。

 

そして俺は素直に正座から頭を下げて負けを認める。

 

「負けました……。ありがとうござました」

 

そして藍も

 

「ありがとうございました」

 

と言って頭を下げる。

 

そして両者が頭を上げ終わったところで俺がかねてからの疑問を口にする。

 

「何でそんなに強いんですか? 世の中理不尽じゃありません?」

 

すると、藍は自慢の尻尾を大きく揺らしながら自慢げな表情で胸を張りながら答える。

 

「それはもちろん、長生きしているからだな」

 

いや、長生きとかそういう問題じゃないような気がするのですが…。俺だって長生きしてるし。それと胸を張るのはやめてください。目のやりどころに非常に苦労します。

 

「いや、元々頭がいいからでしょう? 玉藻さんの場合。俺だって長生きしてるし、関係ないですって」

 

それを聞くと藍は少し顔を綻ばせながら

 

「そ、そうか? なんだか照れるな……」

 

と声を少し高くしながら言う。

 

藍は照れると言っているが、実際のところその頭の良さがあるからこそ紫の式を務められるのだろう。まだ先の話だが。

 

そんな事を考えていると、今度は藍から話しかけてくる。

 

「……ところで、私のような妖怪がここにいてもいいのか? 何日もこの家にいるのはさすがにマズイだろうし、気が引けてくるのだが……」

 

と、そんな事を言ってくる。そんな事気にせんでいいのに全く。

 

いても全く迷惑ではないという事を例を出しながら伝える。幽香だって定期的にこの家に来るのに今更って感じだ。

 

「いやいや、全く迷惑ではありませんよ。幽香もここへ頻繁にきますし、何より人数多い方が楽しい上に食事も断然美味く感じますからね。」

 

そう、常々思うのだがやはり食事は複数人でした方が一人で寂しく食べるよりも圧倒的にうまく感じるのだ。

 

大体藍の過去も聞いたが、本当に孤独の寂しさというのを嫌というほど味わっているのだ。追い出せるわけが無い。俺も追い出すつもりも毛頭ないが。

 

そして俺の言葉を聞くと、藍は満面の笑みを浮かべながら言う。

 

「そうか、ありがとう。そして、私の体調が万全になったら、いつか必ず恩返しをしようと思う」

 

そう言ってもらえるのはうれしいが、別に恩を押し売りしているわけでもないし、気にしなくてもいいのだが。

 

だが、まあ気が向いたらしてもらおうという形で言った方が無難だろう。

 

だから、俺はその考えのとおりに藍に向かって口を開く。

 

「いや、まあ気にしなくてもいいのですが、玉藻さんの気が向いたらという形でお願いします」

 

それを聞いた藍は少し苦笑しながら

 

「わかった。……あと、頼むから敬語はやめてくれ。なんだか他人行儀で落ち着かない。もっと……なんというか…ええと……。こい……そう、友人同士の喋りみたいな感じだ!」

 

突然の大きな声に少し面食らってしまったが、再度頼まれたのなら仕方が無い。敬語は取りやめだな。

 

「わかったよ、玉藻さん」

 

そう俺が返すと目をつぶりながら藍はうんうんと頷きながら

 

「そう、それでいい」

 

と愉快そうに言う。

 

見ていて飽きない、元気をもらえる素晴らしい笑顔だと思う。迫害されてきた事が不思議に思えるくらいに。

 

ふと俺は壁に掛けてある時計に目をやる。時計の針はすでに日にちが変わったという事を示している。そろそろ寝た方がいいだろう。

 

そこで俺は、深夜になってきたので、藍に就寝の提案をする。

 

「玉藻さん、そろそろ寝ない?」

 

俺がそう言うと、藍は時間を忘れていたのかハッした表情になり、服を少々整え、髪を撫でながら言う。

 

「確かにもう夜も更けてきたことだし、寝るとしようか。すまない、遅くまで付き合わせてしまって」

 

「いやいや、俺も楽しかったし迷惑でも何でもないよ」

 

そう言うと、藍は軽く頷きながら立ち上がり布団の中へと入っていく。

 

俺も部屋の電気を消して2メートル程離して敷かれている布団にもぐりこむ。

 

俺は藍が苦しんでいた時、何かあってはいけないと念のために居間に布団を敷いて寝ていたのだが、いつしかそれが癖になってしまって今でも居間で寝るということになってしまっているのだ。

 

だが、美女が同じ屋根の下にいるとなんだか落ち着かない

 

やはり看病が始まって一週間しかたっていないのが理由として大きくある。

 

俺が布団の中で色々と悩んでいると、布団に入っている藍から声がかかる。

 

「耕也、起きているか?」

 

「起きてるよ。どうした?」

 

すると藍は少々間を開けながら言い始める。

 

「実を言うとだな。あと数日したら、しばらく色々とこの国を見て回りたい」

 

いきなりどうしたというのだろうか? 何かこの家に不満でもあるのだろうか? やはり近代的な道具や設備があるからその空気が合わないのだろうか?

 

そんな事を考えてしまったため、自ずと口から言葉が出てしまう。

 

「やっぱ、この家の空気が合わない?」

 

すると藍は否定の言葉を口に出す。

 

「いや、そうではない。実のところ、私はこの国に来た時は逃げてばかりでこの国の景色や人間の生活、妖怪の営みなどをろくに見ていないのだ。だから今度はゆっくりと見てみたいのさ。そう、存分にこの目に焼き付けたいのだ。この国の素晴らしさをな。」

 

そうか、そういう考えがあってもおかしくはないよな。

 

あれほどにまで追い詰められ続けて、苦しい目にあったのだ。この国を見回る事なんてできなかったに違いない。

 

なんだかデジカメ渡して記念写真を撮ってきてもらいたいなぁ。冗談ではあるが。

 

「玉藻さんの好きにするといいよ。俺はその考えに賛成するし、全力で支援もしよう」

 

すると、藍はうれしそうな声を出しながら俺に返答する。

 

「そうか、賛成してくれるのか! ありがとう。お前に出会えてよかったよ…心からな」

 

「友人が頑張ってるんだ。応援をするのは当然だよ。」

 

俺がそう言うと、藍は何故か声を不機嫌にしながら

 

「……それもそうだな。おやすみ」

 

そんな事を言って寝てしまった。

 

あっれ~? 俺何か変なこと言った?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ああ、のどが渇いた。

 

そう思った私は布団から起き上がり、台所へと向かう。

 

この台所に向かうまでに色々な事が頭の中に溢れ返る。

 

不思議な機構で開け閉めをするドアに蝋燭を遥かに凌ぐ明るさを誇るけいこうとう? だったか。とにかくそんな物がこの家には溢れ返っている。

 

そしてお目当ての台所には、取っ手を上げ下げする事によって自由に水量を調節をする事ができる水道というものがある。

 

これらの不思議な機械を動作させるための水やでんりょく?という物はすべて耕也から自動的に供給されているという。

 

本当に不思議な男だ。だが、同時に心地よい雰囲気を持つ男だ。

 

私はそんな事を思いながら水道の取っ手を上げてまるで宝石でできているのではないかと思えるほどの透き通った硝子製の洋盃に水を満たす。

 

そして満たされた程良く冷えている水を口に入れ、渇きを癒す。

 

やはりどんな時代、どんな国で飲んだ水よりも透き通っていて飲みやすい。地下水に負けず劣らず。いや、それ以上だ。

 

耕也は、いおん交換膜を応用した物と言っていたが。

 

水を飲みながらふと今の自分の状況を考える。

 

確かに私は今までにないほど心地の良い環境にいる。そしてその幸せを十分に享受している。

 

耕也は優しいし、幽香はなんだかんだ言いながらも、献身的に看病をしてくれた。

 

そして想い人もできた。心の底から自然に、確信的な。

 

今の私は状況を見れば十分に幸せだろう。

 

だが、ひとつ。

 

「はぁ……やはり一人で寝るのは……寂しいな」

 

そう、やはり寝る時の孤独感が癒えない。

 

なぜかここ最近はそれが顕著に表れるようになった。

 

耕也という男に接したからだろうか? やはり心の中は意識をしてもなかなか抑える事ができない。

 

だから私は、洋盃を金属製のしんくに置き、居間へと戻る。

 

暗闇でも私の眼は人間よりも遥かに強く、視界を確保できる。

 

だから、耕也が寝ている所を発見することなど、朝飯前である。

 

「さて、耕也。私の寂しさを紛らわせてくれるな? お前は、私が心の底から認めた唯一の男なのだから。」

 

そう言って耕也の布団にもぐりこみ温かみを分けてもらった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

…………ああ、本当に心地良い。そして温い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あ、暑い。なんだかものすごく暑い。それになんだか俺の身体に妙な圧力がかかっている気がするのはなぜだろうか? おまけになんだか妙に柔らかい感触もするし、毛布が増えた感じもするし。

 

しばらく睡眠の為に意識を手放しているとそんな考えが浮かんできた。

 

全く何なんだ。いつの間に俺の布団はこんなモッフモフになったんだ?

 

(……ん? モッフモフ?)

 

そんな疑問が自分の中に湧いてきて、ゆっくりと目を開けてみる。すると、信じられない光景が目に飛び込んできた。

 

(コラコラコラッ! 一体なんで藍がここにいるの!?)

 

そう、藍がいたのだ。おまけに尻尾がしまわれておらず、そのままで俺の布団に溢れ返っているため、非常に寝苦しい温度となってしまっている。

 

寝惚けて布団を間違えたのか? よく分からんが。

 

とにかく寝苦しい。自分の布団に戻ってもらいたい。

 

そう思い、俺が藍を布団までジャンプさせようとする。

 

だが、俺が力を使おうとしたその瞬間に、藍の眼から一筋の涙が流れるのが見えた。そしてわずかばかりの嗚咽も聞こえてくる。

 

……泣いているのか。

 

おそらく夢で過去の事を思い出しているのだろう。

 

その顔は今まで見せた事のないような悲痛な顔であり、過去にどんな酷い目にあわされたのかが、ありありと伝わってくる。

 

流石にここまでの事を見せられて一人で寝させるほど俺もバカではない。

 

だから、俺は藍を安心させるために少し強く自分の方に抱きよせ、背中をポンポンと撫でるようにたたいてやる。

 

すると藍から次第に嗚咽が止み、規則正しい寝息が聞こえてくる。

 

そして俺は藍を抱きしめたまま再度眠りについた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして朝になって、突然訪問した幽香が俺たちの寝ている姿を見てキレまくり、三日程口をきいてくれなかったのはさすがにしょんぼりとなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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37話 長期出張とは……

一体どれだけ離れてるんだよまったく……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

良き友人としてリハビリついでに一緒に過ごしていた藍が旅立っていってから早3週間。相も変わらず俺は平和な毎日をぼんやりと過ごしていた。

 

偶に来る依頼などは雑魚妖怪がほとんどであったし、極めつけはガンさんの時に遭遇した妖精たちのような悪戯を解決するなどといったものである。

 

俺に対しての依頼が少ないという事は、それだけ人が平和に暮らしているという証拠でもあるうえに争いが無いという解釈もできることから、自分の中では中々に満足している。

 

ただまあ、それのおかげで俺の財布が寒くなる一方ではあるのだが。

 

やはり自分で創造した食材を使って料理した食事よりも、他人が心をこめて作った野菜などを食した方が精神的にも健康的であるし、何よりうまい。だから減る必要のない金も減っていく。

 

金が無くなったら自分で自給自足の生活に入らざるを得ないのも懸念されるべき事態の一つではあるが。

 

そんなこんなで今まで溜めてきたお金がどんどん減っていく様を実感しながら庭掃除をしていく。

 

「もう少しお金を稼げる依頼は来ないかなぁ~」

 

そんな事を口に出しながら彗で自宅の周りに積りに積った落ち葉を排除していく。

 

冬風で色々な所から飛ばされてくる落ち葉のせいでみすぼらしい外見のした元廃寺はより一層廃墟と化して見えてしまう。

 

これでは依頼者も来たくても来れないだろう。ここら辺は俺がいるために妖怪がほとんどいないというのに。

 

存外俺の知名度というのは人間だけではなく、妖怪にも浸透しているらしく、近郊に住んでいる雑魚妖怪に関しては、俺を見ただけで逃げ出してしまったりという事が多くある。

 

妖怪と人間の関係が俺の所だけ逆転してるような感じも否めない。

 

……それにしても一体何時になったら金の入る仕事が来るのだろうか?

 

お金が無ければ茶屋にも行けない。悲しいことだ。

 

そんな事をさらに考えながら手を動かすのを速める。

 

さっさと終わらせてあったかいココアでも飲もう。そして買ってきた団子を一緒に食べて至福の時を。

 

「どんどん人の代は変わってるけど、やっぱあの茶屋の団子は絶品だよな」

 

俺はかつてテツさんの経営していた団子の味を思い出しながら、ああ、食べたい。あの甘い団子を。と、呑気に考える。

 

だが、こんな平和な事も突然の轟音に打ち切られてしまった。

 

その音はガラスか何かを大質量の物で吹き飛ばしたかのような音と、木を砕いたような音が混在していた。

 

「な、なんだっ!?」

 

音の発生源の方向に目を急いで向けると、自宅の窓に取り付けてあるガラスが見事に砕け散っており、窓枠も見事に巻き込まれてお亡くなりになっていた。

 

「お、おいおいおいおい!? 冗談じゃねえぞ! 今度は一体何だ!!」

 

目の前で突然起きた事象に対して自然に口から大声が出る。

 

だが、声を出しただけでは何も解決するわけが無いので大急ぎで家に入り、廊下をドタバタと荒く走りながら現場へと急行する。

 

そして襖を開けた先には、綺麗に大穴のあいた窓と真っ二つに折れた卓袱台、砕け散乱した湯呑と茶請け。

 

「な、なんじゃこりゃ~~っ!」

 

もう頭を抱えて叫ぶことしかできなかった。

 

ふと眼をやるとその惨状の中で、真っ二つに折れた卓袱台から薄く青色の煙が上がっている事に俺は気がついた。

 

あまり近づきたくないのだが、仕方がなしに俺は卓袱台をどけてその煙の正体を見ようとする。

 

卓袱台をどけていくと、紙でできたツバメのような物が畳に突き刺さっていた。

 

どうやらこのツバメから煙が発生しているようだ。

 

俺はおっかなびっくりに手を伸ばしてツバメを畳から引き抜く。

 

「なんだこれ?」

 

そう口に出しながらツバメ状に折られた紙を広げていく。

 

すると中には、一枚の金板と文章が綴られていた。

 

「え~と、なになに?………要約すると緊急事態につき大至急幕府まで来いとな。………はぁ!?」

 

一体どれほど離れてると思ってるんだ……。おまけに差出人は源実朝かよ…。俺とは天と地ほどの差がある人じゃないか。

 

もう勘弁してくれ。弁償させようと思っていたのにできないじゃないか。直せるけどさ。

 

俺が依頼内容に失望していると、今度は玄関からノックする音が聞こえる。そして男の声も。

 

「ごめんください。大正耕也殿。おりますか?」

 

ああもう、このくそ忙しい時に。

 

内心俺は愚痴を言いながら急ぎ足で玄関に向かう。

 

「はい、今開けます」

 

そう言いながら俺は扉を開ける。すると、開けた先には美丈夫が立っていた。

 

俺を確認するや否や背筋を伸ばし、そのまま手に持っている書簡を俺に渡してくる。

 

「大正耕也殿。陛下からの依頼状であります。どうかご検討のほどを。……では、私はこれにて失礼いたします」

 

「は、はあ、どうも…」

 

そう言って男は意気揚々と馬に乗って帰っていった。一体何なんだ…。しかも自己紹介もなしかよ……。

 

突然渡された書簡に動揺しながらも家へと入り、中身を拝見する。

 

「え~っと、なになに?……幕府における大妖怪たちの襲来を阻止してください。……同じですか」

 

実朝からの手紙と細部にこそ違いはあるが、それ以外は同じであった。

 

これはどう考えても断れる状況じゃないよな。行くしかないのか。そしてこの実朝からの手紙に入っていた金板は前金という意味なのだろうか?

 

どちらにせよ、今上陛下と将軍のお二方から依頼なのだから断れるはずもないのだけれども。断りなんかしたらそれこそ俺の陰陽師生命が、いや、命そのものがあぶない。

 

それにしてもどうやって行くか。ジャンプで行くのが一番早いのだが、それではあまりに早すぎて逆に変に思われるし非常に疲れる。幕府に俺が仙人だってことはおそらく伝わって無いだろうし。

 

どうしようか……。自動車で行くか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やっぱり自動車は最高だね。俺が全然疲れないし」

 

まあ、実際は地面付近の超低高度にアスファルト製の道路を創造してその上を車で走っているのだが、道路を創造するのはジャンプするよりも遥かに疲れにくい。

 

疲れない理由としては、自動車が通った後の道路を消して再利用しているというのが一因ではある。

 

まあ、都から鎌倉までの全区間に道路を創造してもそんなに疲れはしないのだが。

 

ちなみに俺が乗っている車種は、HONDA FIT 1.5L仕様である。この車は中々に乗り心地も加速も優れている。俺は助手席に乗ってのんびりしてるだけだが。

 

現在は時速50km/hにて走行中。そんなに急ぐ必要もないし、鎌倉まではおおよそ5日程で行く予定だ。

 

あの後陛下に謁見をしたのだが、鎌倉まではおおよそ二週間ほどの道程で行けるようにと言われたのだが、実際はそれよりも大幅に早くなる。

 

まあ、自動車は馬と違って疲れ知らずだし、なにより乗ってる人間の疲れ具合に天と地の差が生じる。おまけに速度も全く違う。

 

だが、それにしても違う。本当に乗り心地が違う。馬に乗せてもらった事があるが、あれはもう酷いの一言だった。腰が痛くなるわあちこちが筋肉痛になるわで本当に酷かった。

 

それに比べたら天国だと思う。この車は。

 

それにしても現時点で不思議な事が一つある。

 

「さっきから妖獣がこの車を追って来てるのは何故なんだ?」

 

そう、かれこれ20kmほど走っているのだが、狼っぽいのかよく分からない連中は俺の後ろをずっと走っている。おまけにどんどん近付いてきてるし。

 

俺の乗っている自動車を動物か何かと勘違いしているのだろうか? 美味そうに見えるからだとか? ははは、勘弁してくれよマジで。冗談じゃねえや。

 

「ちょっと速度を上げてくれ」

 

そう俺が指示をするとアクセルペダルが奥に少し押され、エンジンの回転数が増し、それに伴って車速が増す。

 

スピードメーターがおよそ80km/hを示し始めると、俺は後ろを見る。……まだ、追って来るのか。

 

「120まで頼む」

 

すると、さらに速度が増して目的の速度にまで達する。

 

そうすると、これ以上追う事が不可能と判断したのか、妖獣たちは渋々と速度を落として諦めていく。

 

…最近の雑魚妖獣は良く分からん。バカなのか、それとも唯物珍しさか。この車が堅そうだというぐらい分かると思うんだけどなぁ。

 

同じ妖獣でも藍とは大違い。

 

そんな事を考えながら、俺は車を走らせていく。

 

それにしても幕府での大妖怪とは一体何なのだろうか? 俺ですら手に負えないようなものじゃなければいいのだけれども。

 

おまけに大妖怪が出てくるという事は、それにつき従っている妖怪もいる可能性が高い。どういった妖怪なのかすら教えてくれないのならこちらも対処しようがない。陛下ですら知らないのだから。

 

全く変な話だ。現場につけば分かるらしいのだが、別に言ってくれてもいいと思うんだけどなぁ。事前に情報をくれた方が圧倒的に有利なのに。

 

まさか変な意地でも張ってるんじゃないのだろうな? 俺が鎌倉からのオファーを断ったからといって。

 

もしそれだったら文句の一つでも言ってやりたいものだ。こちとら長旅をしてやってこようとしているのに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

結局五日間ではなく、色々と車でブラブラしながら猶予をもらった二週間を潰して、幕府へと向かった。

 

道中は特にこれといった事件もなく、極めて平和なものであった。

 

正直に言わせてもらうと、幕府近郊の景観は、平安京の方が活気づいていた気がするのだが…。

 

まあ、それもそうだろう。よくよく考え直してみれば今は大妖怪が襲来しているとのことだし。

 

早く活気を取り戻してやらなければなぁ。

 

そんな事を思いながら町を歩いて行く。だが、商売人は商品を買ってもらおうと商魂たくましく客寄せをやっている。

 

俺はそこで最寄りの茶屋に入り、少々情報収集をすることにした。

 

店の景観はごく普通の茶屋といった感じで、客は適度に入っているようだ。

 

俺は団子を二本と茶を頼み、あいている席に座る。とはいっても相席が普通のようだが。

 

そして今俺の相席になっている男は随分と困ったような表情をしており、いかにも疲れたという雰囲気を醸し出している。

 

そこで、俺は体調を気遣うように声を掛ける。

 

「あの、すみません。失礼ですがお身体の具合が優れないように見えるのですが、 大丈夫ですか?」

 

すると、男はため息をつきながら話し始める。

 

「聞いてくれ…俺は陰陽師をやっている者なのだが、最近鬼の集団が頻繁に来るようになってな。つい最近も友人が一人やられてしまった」

 

おっと初っ端から情報獲得か。幸先が良い。

 

………ちょっと待った。まさか、大妖怪って鬼のこと? あの馬鹿力の鬼?

 

まっさかぁ~。鬼が何でここに来るんだよ。都に現れるのがセオリーなんじゃないの?

 

「あの、お尋ねしますが、まさかその鬼の中に伊吹萃香と星熊勇儀って鬼はいないですよね?」

 

すると、その陰陽師は諦めた笑いをして

 

「よく知っているじゃないか、いるよもちろん。あいつらの強さは桁違いだ。大勢で挑んでも負けてしまう」

 

うわぁ~~。マジでいるのかよ。

 

どうしたものかな。今回呼び出されたのが勇儀たちの鬼集団だったら困るんだけど。

 

合戦状態になったら俺がフォローしきれないし。

 

マジでどうすんべ……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その後は男の愚痴を延々と聞き、団子と茶を啜って店を出た。

 

もしかしたらあの男とはまた会うかも知れないな。

 

じゃ、大蔵幕府へ行きますかね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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38話 大変だなこれは……

勝ち抜きって辛すぎないか?……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺は大蔵幕府に着いてすぐに実朝のいる部屋に通された。

 

さすがに幕府の頂点の部屋なだけあり、内装及び外装がしっかりしている。

 

この豪華さに戸惑い、驚き、感心しながら周りを座りながら見ていると、後ろの襖が開かれる音がする。

 

おそらく実朝が来たのだろう。

 

その予想をすると共に後ろから声を掛けられる。

 

「此度はよくぞ参られた。お主が大正耕也であるな?」

 

そして俺はその言葉を聞いた瞬間に平身低頭し、実朝に向かって返事をする。

 

「ははっ。おっしゃる通り、私が大正耕也にございます」

 

それっぽく言ってみたが大丈夫だろうか? 少しの不安が頭をよぎる。

 

すると実朝は俺の正面に移動し、そのまま腰をおろしてくつくつと笑う。

 

「よい、そんなに畏まらなくてもな。今回は私の無理矢理な願いを受けてもらったのだからな」

 

「いえ、そのような事は。私も国の平穏は第一と考えております。ですから上様がお気になさることは何一つございません」

 

その代わりマイホームが滅茶苦茶になってしまったが。

 

俺の言葉に実朝は頷きながら、一つの紙を差し出す。一体なんなのだろうかこれは。

 

受け取りながらそう思う。紙の質も普段使う物よりも一段劣っており、字も汚い。

 

「上様、これは一体……?」

 

実朝は俺の心の中の感想に答えるかのような返事をする。

 

「字が汚いであろう?」

 

「……はい」

 

返事を聞いた実朝はさらに言葉をつづけていく。

 

「これはな、鬼たちからの果たし状だ」

 

果たし状? 一体なぜだろうか?

 

確かに鬼は人間との勝負が人生での生きがいの一つなのだろうが、態々ここまでの事をする必要があるのだろうか?

 

だが、今回は人間たちの軍勢とのぶつかりあいだったと聞く。ならばこんな七面倒くさいことをする必要があるのだろうか?

 

人間と一対一で戦いたいのならば、幕府の重鎮でも人質にとって強制的にやってしまえばいいというもの。

 

だが、そんな事を考えた上で訂正しなければならない考えがフッと出てくる。

 

そういや鬼ってのは正々堂々がモットーだっけ?

 

だからこんな形でしか申し込むことしかできなったのだろうか?

 

そんな事をトヤトヤと考えながら自分の疑問を話す。

 

「一体何故挑戦状などを送ってきたのでしょうか? ……奴らは何が目的なのですか?」

 

「奴らはな、本来なら都に現れるはずだったらしい。だが、都には強い人間があまりおらず、襲っても大した満足感は得られない。そこで幕府周辺に大勢いる武士に目を付けたという事らしい。……だが、幕府の誇る武士や陰陽師でも鬼たちとの戦いではことごとくやられてしまってな」

 

そして実朝は明らかに先ほどとは打って変わって意気消沈してうなだれる。が、さらに言葉をつづけていく。

 

「……そして今回の果たし状の内容については見ても分かる通り、幕府で最も強い三人を寄越して決闘をしろとのことだ。どうも鬼はしびれを切らしたようでな。だが奴ら鬼どもに正面から太刀打ちできる人間は僅かしかいない。それほどに圧倒的な人材不足なのだ。そこで私はお前を呼んだというわけだ。最強の陰陽師よ。」

 

実朝の言葉を聞いて妙に納得してしまう。

 

確かに、鬼は確かに強いからな。人を遥かに超す力を持ち、妖力も妖怪の中では桁違いに高い。

 

陰陽師といえど、相当に強い者たちでなければ太刀打ちすることなどできやしないだろう。

 

ましてや四天王である萃香や勇儀、彼女たちと戦って勝てる人などいないのだろう。

 

では俺の場合ならどうなのだろうか?

 

そんな疑問が頭の中で次第に流れを得てグルグルと回りだす。

 

…確かに俺に攻撃は一切効かないし、外の領域で能力を封じることもできる。

 

だが、彼らのスタミナは人間とは桁が三つ四つ程違う。どんなに効かないと言っても、持久戦に持ち込まれたら俺の体力切れで事実上の負けとなってしまう。

 

どうしたものか。軍事兵器なら勝てるのだが…正々堂々の勝負で使えるほどの隙を見せてくれるだろうか?

 

鬼は、力が強いだけではなく動きも俊敏だと聞く。人間の平均的な体力よりも若干劣るほどの身体能力しかない俺が鬼のスピードについていけるだろうか? どう考えても望みは無い。

 

だが、その差を埋めるために卑怯な手を使ってしまっては相手を激怒させてしまう。だが、いずれにしろ後の歴史で人間と鬼の関係は崩れてしまうだろうが。

 

しかし、この依頼を受けると決めたからには必ず勝たなくてはならない。何が何でも。

 

だが、ここで自分の考えが最悪の事態を想像させてしまう。

 

…もし、俺が負けた場合、幕府が滅茶苦茶にされてしまうのだろうか?

 

ここに住んでいる人は食われてしまうのだろうか? それとも命が尽きるまでの労働力としてこき使われるのだろうか?

 

だが、どんな処分が提示されようとも負けるわけにはいかない。何が何でも。

 

せめて、せめて引き分けまでには持って行かなくてはならない。

 

おそらく3人での戦いという事は、俺の他に二人の武士か陰陽師を連れていかなくてはならない。

 

なら相手も3鬼。

 

もし総当たりなら、滅多な事が無い限り負けてしまう事になる。

 

でも決闘方法をこちらで指定できるのなら、勝ち抜きにしてしまえばいい。それで俺が全ての勝負に勝つ、又は引き分けに持っていけばいいのだ。

 

俺はそんな不確かな憶測を基にして皮算用を行っていく。

 

そして、このような思考を行っていると実朝から声を掛けられる。

 

「大正耕也。どうした? 身体の調子が優れんのか?」

 

どうやら考え事に耽っていた事が体調が悪いと勘違いされたようだ。

 

俺の考えている顔はそんなに病人のように映ってしまうのだろうか?

 

とりあえず、誤解を解かなければならないため、否定の意を伝える。

 

「いえ、体調が優れないという訳ではないのですが、今後鬼たちとの戦いにどのような戦法をとっていけばいいのか考えておりまして」

 

すると、実朝はほっとしたような表情を浮かべ、その場から立ち上がる。

 

そして俺の方を力強い芯の通った眼で見て口を開く。

 

「それならば安心した。……では、残りの二人はこちらから送る。頼んだぞ。まだ私には政でやらなければならない事があるのでな」

 

「かしこまりました」

 

その言葉を聞くと満足そうな顔をしながら部屋から去っていく。

 

俺は実朝が去ってすぐ後に、実朝の側近に連れられ幕府の出口まで案内される。

 

今日の宿はどうしようかと考えながら幕府を後にしようと思った時、突然側近が口を開く。

 

「大正耕也殿。どうか、どうかこの鎌倉幕府をお守りください。実朝様はこの幕府と幕府周辺に住む民草を何よりも大事にしておられるのです。実は実朝様は、鬼が襲来した時に自分の命と交換条件に民を守ろうとしたのです。ですからなにとぞ、なにとぞお願いいたします。」

 

そういって深々と頭を下げる。

 

ここまでされては逆にこちらがかしこまってしまう。

 

だが、俺はその思いをしっかりと受け取り、相手にしっかりと伝わるように返事をする。

 

「お任せ下さい。この命に代えても幕府は守ります」

 

その言葉に心底安心したのか、満面の笑みで言う。

 

「ありがとうございます。ありがとうございます」

 

このやりとりが終わった後、俺はこの側近としばらく談笑をしながら時間をつぶした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「勇儀、幕府に新顔が来たようだよ。名前は、確か大正耕也だったかな?」

 

この広い横穴状に広がる洞窟に私の声が響き渡る。

 

この声を受け取ったのか、暗闇の奥から声が聞こえてくる。

 

「へえ、確かその男は一時期都で名を馳せていた陰陽師じゃないかい? 何でも最強だとか何とか。といっても所詮は人間の中ではだろうがね」

 

有名だったのか。あまりにも最近の陰陽師が弱すぎるから個人個人の名前なんて覚えていられない。

 

だが、確かに他の陰陽師とは雰囲気が違った。何と言うか、言葉では上手く表せないのだが…何かが違うのだ。

 

彼の存在というか…彼の周りの空気というか…そう、とにかく何かが違うのだ。霧となって監視してから初めて分かるほどの違いではあるが。

 

それに悪戯として、彼の心を少々操ってやろうかと思ったのだが、これまた不思議なことに私の力が一切効かない。

 

だが、おかしい。人間ごときに制されるような単純なものではないのだ。この力は。疎と密を操る力。この強力な力からくる限定的ではあるが心を陽気、陰気にしたりする事ができる。

 

これを使って影響から免れることのできた人間はいない。…おかしい。本当におかしい。不思議ではない。決して不思議という簡単な言葉で片付けられる物ではないのだ。

 

ただ純粋におかしい。だが、何がおかしいのか分からない。ただ、今考えられることは一つ。今回の決闘は一筋縄ではいかないという事だろう。

 

もしそうだとしたら、久しぶりに満足のいく戦いができそうな気がする。

 

勇儀もひょっとしたら心の中では戦いたくてウズウズしているのかもしれない。

 

「ねえ、勇儀。今回の戦い。かなり楽しくなりそうだよ? 私の能力が効かなかったのだからね」

 

それを聞いた勇儀は一瞬呆けた表情になったが、次の瞬間には両目を爛々と輝かせながら、笑みを浮かべる。

 

「へへえ、そいつは驚きだ。なら、今回は楽しめるかねえ……」

 

やはり、勇儀も心の片隅では期待していたのだろう。今回の戦いは茶番にすぎないものだったが、こんな大物が来るとは。

 

そう、あまりにも幕府の人間が弱かったものだから、より強い者を引き出すために態々このような面倒くさいことをしたのだ。

 

ええっと、これを人間の諺で言うなら……エビで鯛を釣る……だったかな?

 

まあ、とにかく楽しませてくれよ? 人間達よ。

 

「そうだ、勇儀。今回は私たちが戦う事になっているけど、残りの一人はどうするんだい? 書状を送った手前、欠席ですなんて事はできないだろうし」

 

その言葉を聞いた勇儀は、顎に手をあて、少しの間考えるしぐさをする。

 

やがて考えがまとまったのか顎から手を離し、酒を飲み喉を潤してから私の質問に答える。

 

「確か、才鬼じゃなかったかな? ずっと戦いたい戦いたいと言っていたのだし」

 

あの娘か。確かあの娘は

 

「ふ~ん、たしか才鬼は力だけを見れば私よりもあるんじゃなかったっけ?」

 

そう、力だけは。総合的に見れば私の方が上だが、それでも四天王を除けば一番強いのだ。

 

「そう、でもあの子は対戦相手を食おうとするからねえ。この前も一人やってしまったし」

 

「ああ、そうか。となると、今回も才鬼だけで片がつくのかなぁ。今回は勝ち抜きだし」

 

でもまあ、どうなるかは私にも分からない。

 

勝ち抜いてくる事を私は願うがね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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39話 鬼って、本当に鬼だな……

この馬鹿力共め……少しは手加減してくださいよ……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

やはり決闘があるといっても時間の流れという物はいつも通りで、目を開けると太陽が地平線から顔を出し始めている事が確認できる。

 

俺は布団と外気の温度差に身震いをしながらもそもそと起き上がる。

 

まだ眠りたいという脳の要求を突っぱね、思いっきり伸びをする。

 

「くぅっ……おあ~~。……まったく、寝違えたのか分からないが肩が痛い。おまけに首も」

 

自分の寝相の悪さに自然と文句が出てしまう。なんだか今日が思いやられる。

 

起き上がってからすぐに寝間着から普段着に着替える。本来なら決闘にふさわしい衣服という物があるのかもしれないが、あいにくそんな知識を持ち合わせてはいないので仕方が無いといえば仕方が無い。

 

布団や移動させた卓袱台などをもとの位置に戻し、軽く部屋の掃除をしてからお暇する。

 

部屋を出て少々狭い階段を下り、宿主に声を掛ける。

 

「あの、すみません。先日お泊りさせていただいた大正耕也ですが」

 

すると、奥の方からこちらに近寄ってくる足音が聞こえ、お爺さんが姿を現す。

 

「耕也様、おはようございます。よく眠れましたか?」

 

「はい、疲れもすっ飛びました。ありがとうございます。…ですが元から寝相が悪いせいか、寝違えてしまいました」

 

すると、お爺さんはホッホッホッと笑いながら言葉を返してくる。

 

「それはそれは。大変ですな。…おお、そうでしたそうでした」

 

そういうと、お爺さんは背筋を伸ばしてこちらに深々とお辞儀をする。

 

「この度は、私の宿を利用していただき誠にありがとうございます。またの機会をお待ちしております」

 

「はい、また鎌倉に来た時はぜひ寄らせていただきます」

 

そう言って俺は宿を後にする。

 

しかし、玄関を出ると目の前に二人の男女が立っていた。

 

そしてその男女は俺の顔を舐めるように見る。そう、まるで品定めをしているかのような。

 

正直気分は良くない。というよりもうざい。

 

「あの、なんですか?」

 

俺が怪しい者を見るかのような表情を作り尋ねると、男女は顔を見合わせ頷き合う。そして俺の方を再度向き直り礼をし、女性の方が口を開く。

 

「大変失礼いたしました。私は倉本 妙と申します。こちらは大友 水元といいます。…大正耕也様とお見受けしますが、よろしいでしょうか?」

 

と女性は早口に自己紹介をして、俺に照合を申し出る。

 

当然俺は本人で間違いないので素直に答える。

 

「はい、私が大正耕也です。何かご用でしょうか?」

 

おおよその事は察しがつく。人数は二人、今日は決闘の日。そして二人とも陰陽師の格好をしている。

 

つまりは実朝から派遣されてきた決闘者という事だろう。

 

俺の予想におおよそ合っている答えを話し始める。

 

「私たちは実朝様から派遣されました陰陽師です。今回は耕也様の下につけと、そう言われていますのでよろしくお願いいたします」

 

そう言いながら、二人同時に頭を下げる。

 

そして俺も返事をする。

 

「こちらこそよろしくお願いいたします」

 

だが、短い時間ではあるが彼らを観察してみて少々気の毒だと思った。

 

二人とも明らかに今回の任務には乗り気では無い。当然といえば当然なのかもしれないが、それにしても彼女らから漂う悲壮感という物が凄まじい。

 

特に男の方が厳しそうだ。先ほどから一言も喋らない。

 

一見無表情に取り繕っているため分からないが、目を見てみると潤っており今にも泣き出してしまいそうな雰囲気だ。

 

この幕府の中で最も強い者の3人に入っているのだが、相手は鬼である。それもおそらく最強クラスの。

 

おまけに鬼の軍勢の中で決闘を行うというのだから恐怖感と絶望感は言わずもがなである。

 

だが、もうそろそろここを発たなければ決闘に間に合わないため出発する旨を伝える。

 

「では、行きましょう。ここにいても鬼たちを退治することはできません」

 

その言葉を聞くと二人は一度ブルリと震わせ、ゆっくりと頷いて俺の後を着いてくる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

道なりはそこまで過酷なものではなく、割と平坦な面が続いていたためそれほど体力を損なわずに鬼の待ちかまえている本拠地まで行く事ができた。

 

幕府からの距離は徒歩でざっと2日程であり、途中でテントを張ったりしての道程となった。その間になんとか二人の緊張などを解したり元気づけようと思ったのだが全くうまくいかなかった。

 

俺だって今ある力が無ければ将軍の命令なんてほっぽり出してどこかに逃げおおせてしまうだろう。その点、この二人は逃げも隠れもしないのだから俺よりは遥かにマシという事だろう。

 

だから別に泣きそうとか、恐怖感に侵されているとかそんなことで咎めたりはしない。第一この2人に戦わせるつもりなど毛頭ないのだから。

 

戦う条件はこちらが指定できるようにしてしまえばいい。本来なら決闘方法は人間が決められるのに、今回は鬼が一方的に決めた力勝負なのだ。鬼が人間の中から強き者を求めるために。

 

だからこれくらいの条件設定ぐらいは許されてもいいだろう。

 

そうした事を考えていると、いつの間にか鬼の指定した場所まで来てしまった。

 

だが、鬼の姿は見当たらない。場所を間違えてしまったのだろうか?

 

「確かにここで合ってますよね?」

 

後ろの二人に聞くと、黙って頷きを返してくる。もう頷くぐらいしかできないほどの状態まで来ているのか。……きついな。

 

俺たちはその場でしばらく佇んでいると、遠くから地響きのような音がしてくる。

 

その音は経時的に大きくなっており、ある一定の所まで音が大きくなってくると多くの足が地面を踏みしめているのだと推測する事ができた。おそらく鬼たちだろう。

 

俺には感知することはできないが、2人はその音の源から内在する妖力を感じ取ったのかガタガタ震えだす。

 

即座に2人に対して俺の後ろへ下がるように指示を出し、片手を広げて守るように構える。とはいっても鬼たちは正々堂々と戦う事が信条なのでこのような場所で不意打ちはしないとは思うが。

 

しばらくその足音が大きくなるのを感じ取っていると、やがて鬼たちが目の前の森の中から姿を現す。その数はおそらく数百といったところだろう。どの鬼もがそこら辺の野良妖怪よりもずっと強いという事が容易に分かる。

 

ここまで近くなるとさすがに俺でも妖力の大きさを肌で感じる事ができる。それはまるで自分たちは絶対の存在であると言うかのような自信にあふれた力強い妖力。

 

ある種の絶景なのではないかと思うほどの様になった姿であった。

 

目の前の光景に圧倒されていると、鬼の中から1人の女性が足を前に出して歩み寄ってくる。

 

銀色の長髪を風に棚引かせ、胸元の大きく開いた着物のような何かをきており、右手には金色に輝く槍のような物を携えている。

 

そして微笑を浮かべてこちらにまで近寄り、口を開く。

 

「私は鬼子母神の仙妖 栄香。此度はよくぞ我々の決闘を受けてくれた。感謝するぞ、陰陽師殿?」

 

こちらとしては感謝されても全く嬉しくならない上に決闘することすら放棄したくなってくる。

 

そして彼女から放出される妖力がすさまじい。

 

さすがに後ろの2人に直接妖力に晒すのはヤバいので、外の領域を広げて遮断してやる。

 

すると、かなり楽になったのか、顔色がだんだん良くなってきているのが分かる。

 

その様子にホッとしながら栄香に返事をする。

 

「あのいまさらですが、幕府から手を引いてもらうという事はできませんか…?」

 

と、駄目元で言ってみる。

 

当然これを聞いた相手は怒ると思ったのだが、予想に反して栄香は微笑を浮かべたまま答える。

 

「ふむ。…残念だがそれはできない。 これは鬼と人との宿命なのだから。妖怪は人を襲う。当然であろう?」

 

そこまで言われてしまうと、こちらも自然と反論したくなってしまうが、これ以上の口論は決着がつかずに、時間の無駄になってしまうと俺は判断したため決闘の準備を促す。

 

「まあ一理ありますね。…ならばさっさと決闘を始めませんか?」

 

すると、栄香は頷いて

 

「では、今回の決闘にさしあたって条件設定といこうか。まずは人間側からで良い。一方的に決闘方法を決めたのは鬼なのだからな」

 

と条件提示を促してくる。どうやら鬼も人間側に大きなハンデを科してしまったという事は理解しているらしい。

 

ならばこちらは少々欲張りだが、4つ程提示させてもらおう。

 

「こちら側は4つ提示させてもらおう。まずは1つ目。こちらがこの決闘に勝った場合は可及的速やかに幕府から手を引く事。次に2つ目。今回の決闘方式は勝ち抜き方式にする事。3つ目は俺の後ろにいる部下たちの命を今現在より保証する事。4つ目は、決闘方式の勝ち抜きを2点先取による決着とする事。以上だ」

 

普段なら敬語を使うが、この条件設定ばかりは強気に出ていかなければならないため、少々横柄に話す。

 

そして俺が条件設定を提示し終えたときに、栄香の後ろ側から鋭い声が飛んでくる。

 

「ちょっと待った! 3つ目までは見逃せるが4つ目は認めることはできない! これでは決闘の意味が無くなってしまう。唯のお遊びになる」

 

その声が発せられるとともに他の鬼たちが騒ぎだす。先ほどの誰かは分からないが、声に賛同するもの。そして提示した俺に対して野次を飛ばすものなど様々だ。

 

だが、それを聞いた栄香は深いため息をして後ろを向き、凄まじい大声を飛ばす。

 

「お前たち、黙っておれ! 今は重要な案件を決めているのだぞ!」

 

そのあまりの音量に、鬼たちは先ほどの喧騒がまるで嘘のように一瞬にして静まり返る。流石鬼のリーダーというべきか……。

 

そして俺の方に向き直り、苦笑しながら口を開く。

 

「同胞たちが迷惑を掛けたな。済まぬ。……そして条件設定の方だが、流石に私としても4つ目までは認めることはできぬ。遊びではないのだからな」

 

やはり駄目だったか。これが通れば俺の体力の配分がずっと楽になったはずなのだが。まあ、これに関しては俺も内心受け入れられないと思っていたから仕方が無いと言えば仕方が無いが。

 

俺は最後に提示した条件を撤回することを話す。

 

「分かりました。では上の3つの条件で宜しいですか?」

 

この言葉に栄香は頷き、鬼側の条件を提示してくる。

 

「こちらからの条件は一つだ。それはお前の命だ。大正耕也よ」

 

当然要求してくるとは思っていたから慌てもせずに返事をする。

 

「分かりました。その条件を受けます」

 

すると、栄香は大きく満足そうに頷いてから後ろに下がっていく。

 

そして下がるついでに何かを鬼たちに伝える。声が小さくて分からないのだが、おそらく決闘者を呼び出しているのだろう。

 

栄香が引っ込むと、今度は3鬼出てくる。

 

やはり萃香と勇儀がいる。そしてもう一人の黒髪長髪の女の子は誰だろう? 四天王の一人だろうか?

 

それを考えている間に3鬼はこちらまで近づいて俺の前まで歩き止まる。

 

そして中央にいる勇儀が口を開く。

 

「私は星熊 勇儀。よろしく。こっちは伊吹 萃香。そして、最後に麗蒼 才鬼。私たちが決闘者だ。短い間だがよろしく頼むよ?」

 

そう言ってにっこりと笑ってくる。

 

俺もお返しに笑いながら自己紹介を始める。

 

「自分の名前は大正 耕也です。そして後ろにいる女性は倉本 妙。そしてこちらの男性が大友 水元です。よろしくお願いします」

 

お互いに自己紹介が終わった所で先鋒は誰かをお互いに言う。

 

「こっちの先鋒は才鬼だ。あんたは?」

 

それに対して、俺は当然のごとく答える。

 

「もちろん自分です」

 

そして俺たちは、戦わない者たちを離れた場所に避難させる。

 

栄香達は人間ともども避難用の結界の内側にいるようだ。つまりは応援席というところだろう。そのほとんどが鬼側なのだが。

 

だが、何とも結界の中では面白い光景が繰り広げられており、妙や水元たちが鬼から酒を振る舞われたりしている。ビクビクとしながらではあるが。

 

俺は結界を確認した後に、才鬼に振り向き、決闘の準備を聞く。

 

「では才鬼さん、よろしいですか?」

 

すると、才鬼は満面の笑みを浮かべて口を開く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はじめまして大正耕也。君の内臓と肉はとんでもなく美味しそうだね?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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40話 体力は貴重なんだ……

もう泣きそうだよこんちくしょう……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「え~っと、俺が美味そうに見えるとは一体……?」

 

才鬼の突然の言葉にちょっと動揺している自分がいる。これも彼女の戦法の一つなのだろうか?

 

確かに人間と妖怪という存在は食う食われ、退治する退治されるという関係なのだから、この言葉を人間に言う事で恐怖感を与えて戦意喪失を誘うという事に関して言えば効果的でもある。

 

まあ、大妖怪とかの強き者たちは人間に興味が無いという一部例外もあるが。

 

その事を踏まえてニンマリと笑う彼女の口から覗く歯を見てみる。

 

サメのように尖っているという訳ではないが、かといって草食動物や人間みたいにつぶれた歯を持っているわけではない。

 

何と言うか、中間的な歯である。だがその中でも、犬歯に関して言えば凄まじい尖り方をしており他の歯よりも若干長い。

 

噛まれたくないという気持ちになるのは必然というべき結果であった。

 

しばらく歯について観察したりしていると、才鬼が俺の質問に答える。

 

「いや、そのまんまの意味だよ。お前の部下は条件でもう食えないが、それでもその二人と比べると桁違いに美味そうに見えるんだよ。不思議なことだよね~」

 

何が不思議というかそんな事を考える材料が俺の中には無い。人間を食うことなんてしたこともないし、したくもない。

 

だが、自分の身体の一体何が不思議なのかを聞きたいという好奇心が頭の中を埋め尽くし、自然と口から声が出てしまった。

 

「不思議といいますと?」

 

その言葉に待ってましたと言わんばかりに才鬼は喋り始める。

 

「そう、その不思議さはね、女よりも子供よりも美味そうだってことなのさ! 実際子供は食った事は無いんだけど……。まあとにかく、なんで君は女より美味そうなんだい? 普通は女の方が絶対美味そうに見えるというのに」

 

そんなもん知るか。俺に聞いて答えが出るわけがないでしょうに。

 

聞いておいてなんだが、この質問の回答内容に呆れてしまう。普通は被捕食者にこんなことを聞くわけが無いのだが。

 

だが、このやりとりをしていて少々思い出した事があった。

 

かなり昔。そう、俺が文と初めて会ったときにもこんなやりとりがあったのである。

 

確かあの時は看守だったはず。あんまりにも不快だったものだから話題をそらすために鯨の大和煮を出したのが懐かしい。そしてこの状況におけるやりとりはあの時とほとんど同じだ。だとすると、やはり俺はどんな妖怪にも美味く見えてしまうのだろうか?

 

もしかしたら幽香や藍も……。いや、彼女たちはそんな素振りは見せなかったし何より彼女たちは人間の肉に興味は無いはずだ。だから大丈夫。

 

しかし、文は俺を食う事に対して執着していたから…………もういいや。

 

自分が文に食われる様をふと想像してしまった為に気分がさらに滅入ってくる。

 

そんな事を考えながら目の前の不思議そうな顔をしている才鬼に答えを返す。

 

「そんなこと知るわけがないじゃないですか。…それより、いつまでこんな無駄話を続けているんですか?」

 

そう言うと、才鬼はハッとした表情になり、そしてすぐに笑いながら頭を掻くしぐさをしながら下をペロリと出す。

 

「ゴメンゴメン。早く始めないとね。外野もうるさいし」

 

物騒な事を言わなければ純粋にかわいいだけなのに。なんか色々と残念だ。

 

そんな事を考えていると、結界の中から勇儀が大声を出す。

 

「さっさとしな! 後がつかえてるんだから。…さっさと始めないのなら私が合図を出す。いいね?」

 

これに関しては俺は文句もないので素直に頷く。

 

そして才鬼も納得したのか、同じく頷き返す

 

勇儀は俺たちの反応に満足したのか結界の中から出てきて片手を上げる。

 

「では両者向かい合って。…始めっ!!」

 

その言葉と共に才鬼は大声を張り上げる。

 

「火を操りし鬼、麗蒼 才鬼! いざ尋常に、勝負!」

 

そして俺はというと、何と声を掛ければいいのか全く分からず、とりあえず適当に。

 

「陰陽師、大正耕也! 参る!」

 

これしか思いつかなかった。

 

だが、まあこれくらいの言葉で良いのだろう。彼女たちは自分の存在を相手に知らしめるための掛け声なのだろうから。

 

俺にとっては掛け声があろうとなかろうとどっちでもいいのだから。その場のノリというやつですな。

 

そして才鬼が自身の身体から大量の妖力を噴出させながら俺に話しかける。

 

「さあ、お前も陰陽師なら霊力を出して私を威圧してみたらどうだい!?」

 

だがしかし、そんな事を言われても困る。俺に霊力とか妖力とかそんなみょうちきりんな力は持ち合わせていない。

 

俺も他人のことは言えないが…。

 

しかし俺は彼女の答えに応ずる事ができない。…どうしたものか。とりあえず何かしらの応答を示さなければならないので、霊力がこれっぽっちも無い事を伝える。

 

「いや、あの……才鬼さん。……非常に申し上げにくい事なのですが、実を言うと俺は陰陽師でも霊力はこれっぽっちもないのですけど……」

 

その瞬間時間が止まったかのようにその場が、応援席が静まり返る。そして何よりあれほど放出されていた妖力を収め、口を呆けたように開けている才鬼の姿があった。

 

そして、すぐに口を元に戻して話しかけてくる。

 

「……もう一回言ってくれない? ……霊力が無いだって? 陰陽師なのに?」

 

と、才鬼はすごく不思議そうな顔で尋ねてくる。まるで今の言葉が聞き間違いか、又は幻聴だったかのような

 

この静まり返った会場で言うのは少々恥ずかしいのだが、仕方がなしに言う。

 

「え~っと、……はい、俺には霊力という物がこれっぽっちもないのですが……」

 

すると、また口をぽか~んと開けてしまう才鬼。

 

あ~これはマズイかもしれない。

 

そんな事を考えながら応援席側の部下達を見やる。

 

案の定あちらも口をあんぐりと開けて固まっている。驚きのあまり声も出ないらしい。そりゃそうだ。上司が自分よりも霊力が無いだなんて普通は考えられない。

 

そしてどれほどの時間がたったのか把握できないが、非常に長くとも短くとも感じるような間の後、才鬼と応援席が爆笑の渦に巻き込まれた。

 

仕方が無いじゃないか。霊力無いんだからさ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「だぁ~~っはっはっはっはっはっはっはっ! ひぃ~~っ! 駄目だ、お腹痛い。……ぷはっ、くぅ~~~ふっふっふっふっ。萃香、これは期待外れどころかとんだゴミが来ちまったようだねえ~~~っ!」

 

そう言うと、萃香は腹を抱えながら私に答える。

 

「……ふっ……ふふっ…………。こ、こいつはひどいねえ~。酷過ぎるねぇ。……なあ、あんたたちもそう思うだろう?」

 

萃香はそう言うと、耕也の部下たちの方を見やる。

 

彼らにとってもこれは予想外の事であったようで、放心状態となっており、失望感が滲み出ている。

 

だが、腕利きの陰陽師を寄越せといったのにも関わらず、こんな食わせ者を寄越すとは、本当にゴミなのはあの実朝なのかもしれないねぇ。

 

これは少々幕府の奴らにお灸を据えねばならないなぁ。はは、鬼を騙したことを後悔してもらおう。

 

そう思いながら再び耕也達の戦いを見る。おそらくすぐにでも才鬼が耕也を八つ裂きにして水元等に代わってしまうだろう。

 

ただ、萃香の言っていた事が少々気にはなっていたが、この状況を鑑みるに大した事のない小物だという事に違いない。

 

なにせ、古今東西霊力の無い陰陽師なんて聞いたことが無い。最強という噂もただのでっち上げだったという事だろう。

 

そう考えると、耕也は相当な嘘つきだという事が予想できる。一体どれだけの嘘と、金をつぎ込んで今の地位にいるのだろうか?

 

先ほどは有名とのあまりの落差に笑いしか出てこなかったが、よくよく考えるとふつふつと怒りが湧いてくるのが分かる。

 

本当にここまでの屑がいるとは。

 

自分の考えに何ら疑問を持つこともないまま耕也に対しての怒りを私は募らせていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だが、私のその考えは脆くも崩れ去った。突如繰り広げられた目の前の光景によって。

 

そう、今まで長い人生の中でとびっきりの驚愕だろう。

 

これは私ではなく、萃香も栄香様ですらも腰を抜かすほどの光景だっただろう。

 

なにせ、あの才鬼の保有する火を操る程度の能力が、まるで児戯に等しい扱いを受けているというだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ひとしきり才鬼は俺の事を笑った後、それまでの表情とは一変して冷たい眼で俺を見る。

 

おそらく霊力のない俺に対して興味を無くしたのだろう。もうお前には用は無いという言葉を今にも言いそうだ。

 

そして俺の予想通りの言葉を才鬼は言う。

 

「はぁ……。もういいや、死んじゃっておくれよ。怪炎――」

 

彼女が言葉を呟くと、面倒くさそうに指先から俺の身長を超す巨大な火球を放ってくる。

 

それはいとも簡単に俺を捉え、瞬時に膨大な熱を放ちながら爆発する。

 

普通の陰陽師ならばこれで骨も残らず蒸発だっただろう。そう、普通の陰陽師ならば。

 

しばらくの間、俺を焼きつくそうと必死になっていた爆炎は、やがて力尽き空中に霧散していく。

 

ご苦労なこった。

 

そんな感想を持ちながら炎を放った彼女を見てみる。

 

俺が生きている事にどうも疑問を持ったようで、しきりに俺の顔と炎を放った自分の手を交互に見ている。

 

そして少々戸惑いながらも再び俺に対して指を向け、炎を飛ばしてくる。

 

「鬼炎!」

 

その言葉と共に放たれた炎はさらに大きく、再び俺を包み込む。が、結局俺には届かずその場で霧散していく。

 

俺は、自分の攻撃が効かない事で慌てている才鬼に対して一言言う。

 

「えっと……才鬼さん?」

 

すると、才鬼は腕をブンブン振りながら地団太を踏む。

 

そしてウンウン唸った後、俺に指を指して怒鳴る。

 

「な、なんで私の攻撃が効かないんだっ!? なんで、どうして!」

 

そんなの答えられるわけないんでしょうに。どこの馬鹿が自分の力を晒すというのだろうか?

 

でもまあ、誰だって最初は驚くわな。自分の持っている自慢の能力が効かないとなると。

 

「いや、何ででしょうね?」

 

と、適当に答えておく。

 

実際の所、彼女に体力を費やすべきではないのだ。なるべく。

 

俺が才鬼を倒した後には萃香と勇儀が待ち構えている。確かに彼女の妖力は凄まじい。

 

だが、先ほどの萃香と勇儀と対峙した時に感じた妖力は才鬼を遥かに上回るものだった。

 

おそらくここで体力を消耗してしまうと、後々の戦いでかなりのハンデを強いられることになるだろう。

 

唯でさえ体力の消耗が大きいジャンプを多用すると……考えたくない。

 

「ああ、もういいっ! 直にぶっ潰してやるっ!」

 

後の戦いに関して考えていると、才鬼は自分を馬鹿にされたと思って怒ったのか、もう能力が効かないと悟ったのか、とんでもない速度で走ってきて接近戦を挑んでくる。

 

「せいやっさ、ほいっ!」

 

妙な声と共に振り上げた拳を俺に振り下ろす。

 

「あっぶな!」

 

俺は反射的に上空へジャンプして退避。やっちまったと思いながら才鬼の方を見る。

 

するととんでもない光景が目に飛び込んでくる。

 

「クレーターができてるじゃねえか……。」

 

規模としては小さいものの、確実にクレーターができていた。

 

あんなもん食らったら俺はともかく部下達はペシャンコだぞ…。

 

だが俺に呆気にとられている暇は無い。

 

すかさず直径5mの鉄球を創造し、300km/hで発射する。

 

才鬼はまだ拳を振り下ろした状態で静止しており、地面からくる反作用に痺れているかのようにも見える。

 

これが直撃したら鬼といえど唯では済まないだろう。

 

そんな事を思って当たる事を願っていたのだが、そうは問屋がおろさず。

 

一瞬にして才鬼はこちらを振り向き、地面から拳を引き抜いて迫りくる金属球に振りぬく。

 

「うおりゃあっ!」

 

短い金属の重低音が鳴り響く。

 

その音が鳴ると同時に鉄球が少したわみ、次には本来の役目を果たさずに俺に対して牙をむく。おまけに放った速度よりも若干大きく。

 

「おいおいおいおい!! そりゃ反則だろっ!」

 

そう叫んで鉄球を消す。

 

(この化け物め……。野球じゃねえんだぞ……)

 

内心呟きながら、今度は無誘導爆弾Mk82を1発創造し、高速で叩きこむ。

 

単に相手を殺すつもりはないので直撃はさせない。20m程離れた所へと落下させる。

 

落下後、爆弾は素直に起爆。周囲に爆炎と衝撃波を振りまき、才鬼に牙をむく。

 

才鬼は次の攻撃までの時間差があまり無く、爆弾から離れる事ができなかったために、咄嗟に顔を腕で庇う。

 

だが衝撃波には勝てず、木の葉のように吹き飛ばされ地面を転がる。

 

「この、化け物め!」

 

そう言って立ち上がり、よろめきながら咄嗟に顔をカバーしたであろう擦り傷だらけの腕を下ろす。

 

才鬼はそのまま闘志をさらに燃やしながら空中にいる俺に向かって飛んでくる。

 

「随分と痛い事をしてくれるじゃないか!? ええ!?」

 

そう言って俺に再び高速で拳を繰り出す。

 

当然その拳は俺が避けることすら叶わずに顎に当たる。拳の軌道からしてアッパーなのだろう。

 

誰しもが想像するのが、俺の顔が吹き飛び、血の花を空中に咲かせる事だ。

 

鬼の力で殴られれば、人間は耐えることすら叶わない。

 

だが短く重く、潰れ、へし折れる音が空中に木霊する。

 

「な…………」

 

そう呟いたのは才鬼。そして俺も同時に殴られた方向を見やる。

 

そこには握った拳の第二中手が親指を除いて圧し折れ、無残な姿となっていた。

 

「へ? ……え?…………あぐっ!」

 

才鬼は痛みのあまり顔をしかめる。そして痛みが大きすぎたのか耐えきれなくなり

 

「うあああああああああ!」

 

悲鳴を上げる。

 

才鬼は悲鳴を上げながら今度は回し蹴りを放つ。

 

「あああっ!」

 

だが、それすらも領域に阻まれ足の骨が折れる音がする。

 

「ぐがぁっ!」

 

そして短く悲鳴を上げてそのまま片足を垂らし、拳を無事な手でおさえながら俺から高速で離れていく。

 

だが、彼女は戦意を喪失したという訳ではなく、先ほどよりも戦意を高揚させ目をさらに血走らせる。

 

「うっく……! この……!」

 

そう言って才鬼は無事な片手を上げて再び炎を作りだす。

 

だが、今まで俺に放ってきた炎とは大きく違い、禍々しく、そして直径30mはあろうかという巨大な紫色をしたものであった。

 

それを空中に浮かべ痛みからくるであろう必死の形相をしながら俺に話しかける。

 

「大正耕也っ! 確かにお前は強い。霊力が無いからといって侮っていたよ。そしてこれから放つ私の持つ最大の攻撃が効かないという事も容易に想像できる。だが……」

 

そこで才鬼は一息置き、今度は何もかもが吹っ切れたようなさっぱりした表情で大声で叫ぶ。

 

「鬼はっ! 決して相手を恐れはしないっ!」

 

そう言いながら腕を振り下ろし、巨大な炎の玉を放つ。その炎は才鬼の意志の塊とも言うべき輝きを持ち、かつ鬼とはこんなに凄いものなんだと言わんばかりの勢いを持っている。

 

だが俺はこれに負けるつもりなど毛頭ない。例えこれで才鬼が再起不能となろうと俺は勝たなければならないのだ。

 

勝たなければ、部下が、幕府が、民草の命が脅かされる。どちらが天秤にかけて重いのかは一目瞭然、単純明快である。

 

だからこそ俺は

 

「人間にもけっして譲れぬ意地という物があるのだっ! 鬼よっ!」

 

そう言い放って全速力で飛び、炎の中へ突っ込み火球を突き抜ける。

 

見ただけで予想できる圧倒的な温度。才鬼の全身全霊を込めた技だというのがありありと分かる。

 

俺は炎をやすやすと潜り抜け、その先に見える諦めたかのような才鬼の苦笑いした顔の前で停止する。

 

そして

 

「まだ、続けるかい?」

 

そう言って彼女に戦闘はこれ以上続けても俺の勝ちは変わらないという事を暗に告げる。

 

それを悟ったのか、はたまたもう分かっていたのか、才鬼は顔を横に振り口を開く。

 

「もう無理だね、勝てないよ。ほら、手も足もこの通り、ボロボロだよ。はは、恐れないって言ったけど、お前さんが迫ってきた時はちょっと怖かったよ」

 

そして俺と才鬼は地上へと降り、片足立ちのまま才鬼が敗北を宣言する。

 

「私の負けを認める。大正耕也よ。強き人間よ。戦えた事に誇りを持つよ」

 

そう言って両足で結界の方へと歩いて行く。結界からは歓声が才鬼と俺に向けられており、ちょっと嬉しくなってしまう。

 

……ん?両足? もう骨がつながったのか?

 

「おいおい、足は平気なのか?」

 

それを聞いた才鬼は振り返りながら

 

「大丈夫。折れ方が綺麗だったからね。これくらいだったら普通に歩くくらいまでは回復する。完全回復まではもうしばらくかかるだろうけどね。……じゃ、次も頑張りな。後に控えているのは私とはケタが違うのだから。でもまあ、お前さんの反則的な防御があれば勝てるかもね。能力も完全に遮断するようだし。……ああ、まいったまいった」

 

そう言って才鬼は、応援席の結界から出てきた萃香とハイタッチをして交代する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

萃香は先ほどの戦いを見たせいか、殺気と戦意が凄まじく、表情は不敵な笑みを浮かべている。

 

そして、俺の前に立ち、両の拳を胸の前で突き合わせる。その衝撃で周囲に衝撃波が走り、風が生まれる。

 

「さて、大正耕太だっけ? よろしく頼むよ」

 

俺は間髪いれずに

 

「大正耕也です……。…………それと萃香さん。少々休憩をはさみませんか?」

 

と言ってみる。

 

だが、萃香は

 

「な~にを言ってるんだい。そんな事をしたら楽しむ時間がどんどん減っていくじゃないか。だからさっさと始めようじゃないか。さっきの戦いを見てウズウズしているんだ。私の攻撃は通るかなってね。この四天王の力がね……。ははは」

 

といって聞かない。

 

もういいや、どうにでもな……ってはいけないな。勝たなければな。

 

だったら

 

「なら、さっさと始めましょう。萃香さん」

 

「いいねえ、そうこなくっちゃ」

 

そう言って俺たちは互いに距離をとって臨戦態勢になる。

 

そして

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「大正耕也。お前の弱点は体力だね?」

 

 

 

 

 

 

なぜばれたし。

 

 

 

 

 



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41話 怒る時は怒るさ……(上)

それはもう烈火のごとく……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さあ……、始めようじゃないか。力と力のぶつけ合いをさっ!」

 

一体何で鬼というのはこんなにも人間と争いをしたくなるのか聞きたくなる。

 

鬼の生まれつきからの本能だと言ってしまえばそれまでではあるが、実際のところは良く分からない。

 

妖怪自体人間の妄想の産物なのだが、その中で鬼という種族は人間と戦闘が好きな妖怪とされてきたからだろうか?

 

鶏が先か卵が先か、ぜひとも知りたいものだ。唯の好奇心からだが。

 

「じゃあ、戦いますか。萃香さん?」

 

そう言うと萃香はブルブルと小刻みに身体を震わせ、その場で片足を交互にトントン上げ下げして何かを抑えきれないように動作する。

 

「くぅ~~。きたきたきたきた~~。こんな奴と戦ってみたかったんだよ。今までは大した奴がいなくてねえ。ちょっと小突いてやればすぐに退散していく軟弱者ばかり。さあ、行くよっ!」

 

そう言って萃香は戦い前の名乗りを張り上げる。

 

「我こそは鬼の四天王、技の萃香っ! いざ、正々堂々と!」

 

そして俺もそれに従って声を張り上げる。

 

「陰陽師大正耕也、人間の底意地を見せてやろうっ!」

 

言ってて恥ずかしいが、これを言わなくては勝負が始まらないので仕方が無く言う。

 

彼女の意気込んだ姿を見て少々自分の持っている萃香の情報を漁ってみる。

 

攻撃の傾向としては、物理的な力技も、術関係も多彩で、非常に臨機応変に戦えるという素晴らしい能力の持ち主だというのは分かる。

 

だが、実際萃香の攻撃を見るのは萃夢想などのゲームで見た事しかないが、今回は大昔なので、おそらくあれよりも大雑把な攻撃がくると俺は予想する。

 

だが、今回は弾幕ごっこではなく、殺し合いに等しい戦いなので、どんな手を打ってくるかは全く予想がつかない。

 

ミッシングパワーみたいなものをされたら俺だって縮みあがる。

 

ひとまず俺は体力の消耗というのを避けるためにその場からジッとして動かずにいる。

 

だが萃香の方はジッとしているという事はなく、すぐさま俺に攻撃を仕掛けてくる。

 

「一体、お前の防御はどこまで私の攻撃に耐えられるのか、試させてもらおうじゃないかっ!」

 

そういって後ろに大きく跳び、手をかざす。

 

「萃まれっ!」

 

そう言うと、萃香のかざした手に砂、小石、岩が吸い寄せられていく。おそらく、密と疎を操る程度の能力で大質量の岩を形成させ、俺を押し潰すという算段なのだろう。

 

ただ、俺には効かない。効かないがどうしても先ほどの戦いと違って恐怖感というのが増してくる。当たり前の事だが、人間が自分よりも巨大なものを相手にした時、真っ先に現れる感情が恐怖という物である。

 

だから

 

「これを食らって、生き延びられるかいっ!?」

 

そう叫びながら投げてくる直径20mはあるかというほどの大岩を投げつけられると、やっぱり恐怖心が増してきてしまって

 

「やっぱ怖いってっ!」

 

そう言いながらジャンプして萃香の後方に回り込む。

 

萃香は俺が回り込んだ事に気がついたのか、後ろを振り向く。ただ、彼女の顔がつまらなそうな表情を浮かべている事が不思議ではあるが。

 

「何だい何だい、臆病風にでも吹かれたのかい? 男だったらこれくらい受け止めて見せなよ、だらしがない」

 

男だったらとか…なんて無茶を言うんだ。

 

確かに攻撃は効かないけれども、彼女の思い通りに動いてやる気はこちらとしてもさらさらない。

 

ただ、体力消費の面を考えると、ジッと動かずに固定砲台に徹する事が一番であるため、結果的にどうしても彼女の攻撃を全て受けなければならないのである。

 

おまけに彼女は霧となる事ができ、俺の攻撃を一切透過させてしまうという反則的なこともできる。あの松久を殺した怨念のように。

 

そしてあの時には試しては無かったが、火炎放射等による攻撃も彼女には散らされてしまう可能性もある。火力によっては効くとは思うが。

 

つまり結果として、萃香は俺とは相性が一番悪い妖怪だともいえる。とはいっても外の領域を広げて萃香を範囲内に入れてしまえば能力が使えなくなるのでそれまでではあるが。

 

だが、外の領域は本当にどうしようもなくなったときにしか使いたいとは思わない。自分では弱点は無いとは思っているが、もし何かしらの弱点があり、それが露呈してしまった場合は目も当てられない状況となる。

 

だからこそ

 

「いやいや、無茶言うなよ鬼っ子。これでも俺は頑張ってるんだから。むしろそっちが攻撃を当てられるように努力すべきじゃないのかい?」

 

そう言うと、彼女は不敵な笑みを浮かべながら言う。

 

「そんな事を言って~。本当は私が怖いだけじゃないのかい? 鬼という存在がさあ」

 

彼女の言っている事は部下になら適用されるかもしれないが、俺に対しては適用されない。俺は萃香自体が怖いのではなく、その使う技が怖いのである。

 

ミッシングパワーなんて使われた時にはもう……。焦って何もできなくなりそうなのが怖い。

 

「いやいや、結局の所恐れているのはそっちなんじゃないのか? 俺の防御があまりにも堅くて自分の攻撃が通らない。力自慢の、そして技自慢の鬼としての誇りが粉々に砕け散ってしまうのが。」

 

「っ!!っ……さて、それはどうだろうねえ!?」

 

そう言って上空へと飛びあがり、自身の持つ膨大な魔力をもとにして妖力弾を機関銃のように手からはじき出す。

 

その妖力弾は青色を基調としており、俺の身長ほどあるような大きな丸い弾から、両手で包み込んでしまえるほどの大きさの弾、さらには霧のようにもやもやとしているが高温となっており、接触する空気に揺らぎを与えるほどの弾。

 

そんなバリエーション豊かな弾幕はとても花火とは比べ物にならないほどきれいなものであるが、それは確実に俺へと牙をむく危険な代物なのだ。

 

弾幕は思い思いの速度で間隔を詰め、確実に迫ってくる。

 

次々と命中し爆発する妖力弾の中で、俺も反撃をする。

 

「だったら俺からもお返しだ。萃香」

 

そう言いつつ俺も家庭用ガスボンベを創造し、萃香に高速で飛ばし、起爆させる。

 

だが、萃香はにやりと笑って霧化し、爆発を無効化する。

 

「ははは、そんな小道具じゃあ私に傷は付けられないよ?」

 

そう言って素早く俺の後ろに回り込んで実体化し、殴りこんでくる。

 

左足を軸とし、鬼の筋力から発生する凄まじい遠心力を味方につけて。相手を塵一つ残さんとばかりに。

 

「だから、そんなの俺に効くわけがないだろうがっ!」

 

だが、俺はその拳を苦も無く領域で受け止め弾く。

 

「くぅ、妖力で堅化させてもきついなぁ。ははは、才鬼の手が折れる理由がよく分かったよ」

 

俺は咄嗟に目の前にある、萃香の腕を掴もうとする。

 

だが萃香は、おっと危ない等といいながら再び霧となって姿をくらます。どうやら彼女は非常に細かい粒子状になっているようでどこにいるのかさえもわからない。

 

くそっ、もしつかめたらそこからはもう俺の独壇場に持ちこめたというのに。俺が掴んだら妖力も能力も怪力も使えないからな。

 

全くある意味で俺よりも卑怯な力だ。不可視の存在。まるで幽霊でも攻撃しているような感覚だ。こんちくしょう、俺も霧化できたら楽なのに。

 

でもできないものはできない。なので仕方が無いから萃香の出方をジッと待つ。

 

だが何もしてこない。それでも待つ。ジッと待つ。萃香がしびれを切らすまで。おそらく萃香はジッとしているのはそこまで得意ではない筈だ。何せ鬼なのだから。

 

そう勝手に決め付けてはいるが、やはり俺の目論見どおりに萃香がしびれを切らす。

 

「この臆病者め!」

 

そう言って俺の周囲より霧の状態から一斉に数千発、数万発の数えきれないほどのレーザーを放つ。

 

俺は千日手になりそうだなと思いながら素直に攻撃を受け、弾き飛ばす。

 

延々に続くかと思われる攻撃のさなか、俺は一つの考えを頭に浮かべていた。

 

(おそらく萃香はこのまま霧の状態で姿を現しはしないだろう。怒りで誘い出してみるか? 鬼のもっとも嫌な正々堂々ではない言葉を使って。)

 

そこで俺はその考えをもとに萃香の戦意を喪失させるために呆れたような口調で話す。

 

「萃香さんよ~、もう諦めたらどうだい? 今の攻撃は見事の一言。確かに凄かった。強力な妖怪だって今の攻撃を食らったらタダじゃあ済まないだろうね。でもねえ、よく考えてごらんよ。俺の状態を見ても分かるだろうけどさ、才鬼との戦いやお前さんとの戦いにおける攻撃や能力は何一つ効きやしない。俺にはね? もう、諦めたらどうだい? 体力切れを狙ってるのかもしれないけどさ。そんでもって傷一つ付かないもんだからやる気が無くなってくるんだけど」

 

俺がそうまくしたてると、我慢ならなくなったのか霧の状態から姿を現す。やっと来たか。

 

萃香は俺の言葉を聞いたせいか随分と怒り顔だ。俺の言った言葉は本音を含んではいるが、それにしても随分とまあ沸点が低いもんだ。

 

そして俺を鋭く睨みつけたまま静かに言い放つ。

 

「一体お前は何が言いたい。私がお前に勝てないとでも? それに、鬼は諦めることが嫌いでね。駄目だって分かっていても必ず突破して見せるという根性があるんだよ。お前のような軟弱な人間と違ってな。そしてなにより、修羅場や死線という物すらくぐったことが無い人間と鬼の私とでは覚悟が違うのさ」

 

俺は萃香の言った言葉に少々どころかかなり驚いてしまう。

 

どうしてそんなことまで分かるのだろうか? たしかに俺は修羅場という物を経験したことはほとんど無い。鬼蜘蛛の時でさえ、結局怪我の一つもなかったのだから。

 

答えは簡単で、命を危険にさらした事が無かったから。ただそれだけのことである。

 

そして萃香は俺に対してさらに追い打ちを掛ける。

 

「今まで言わない方がいいと思っていたが、大正耕也よ。お前はただ、自分の力に乗っかってぬるま湯につかっているだけにすぎないんだよ。この腰ぬけ」

 

あんまりにも的確すぎて全く言い返せない。参ったなこりゃ。耳に痛い事を言ってくれる。変な事を言ってしまったのが原因なのだけれども。誘い出すためとはいえ、ちょっとマズったなあ。

 

どうしたものかねえ。でもまあ、俺が修羅場を経験したかしてないかはこの際関係ない。要は勝てばいいのだ。

 

「で、その修羅場や死線をくぐった事のない俺に攻撃一つ食らわせることのできない鬼は一体どこの誰だっけ?」

 

そう言うと萃香は不敵な笑みを浮かべて、妖力を一段と大きく放出する。

 

「だったら今から私の技という物を見せてあげようか。…その前に、一つ言っておきたい事があるのだけれど良いかな?」

 

そうにっこりと笑いながら俺に問う。

 

「どうぞ」

 

「じゃあ、そうだね……。もし、私が勝った場合、幕府に攻め込むということは、分かってるね? そして、攻め込んだ時に真っ先に狙うのは赤ん坊なんだよ。耕也」

 

その萃香の言った赤ん坊という単語にに少々過敏に反応してしまう。

 

「なんだって? 赤ん坊?」

 

そして萃香から出てくる言葉は到底俺の頭の中では共感できないものであり、許容できない内容であった。

 

「そう、赤ん坊だよ赤ん坊。美味いんだよこれがまた。生きたままその柔らかい太ももに齧り付いて肉をグチグチと剥ぎ取っていくのさ。その叫び声をおかずにね」

 

萃香の挑発なのか、ただの過去話なのか分からない話はまだ続いていく。

 

「そして生きた赤ん坊をね、そのまま鍋に放りこんだり、油の煮滾る鍋へ投下したりねえ~。ほ~いってね」

 

「それで極めつけは活造り。これがまた物凄くうまいんだよねえ~。あ、そうそう妊婦の中から引きずり出してそのまま鍋に投下ってのもまた乙なんだよねえ」

 

「酒の肴は赤ん坊の肝臓の揚げものだったりさあ、もう本当に美味いんだよ」

 

やっと話が終わった時、俺はかつてないほどの言いしれぬ感覚に襲われていた。そう、直感ではあるがこれが本当の殺意ってものなんだと思った。

 

あの平安京の事件での怒りを簡単に超えてしまっている程の。そのおぞましい光景を想像した瞬間に吐き気を催すほどの。

 

おそらくそれを聞いた瞬間に勝手に決め付けてしまったのだろう。これは鬼たちが今までにやってきた事なんだと。

 

そして次の瞬間に聞いた言葉が引き金となった。

 

「ああ、そうそう。お前さんが最後に泊まった民宿のお爺さんさあ、負けたら食われちゃうかもよ? でもまあ、老い先短いから大して変わらんとは思うけどねえ?」

 

応援席の方から勇儀が何か大きな声で言っているが聞き取れない。もう知らん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「マジで死ねや。この糞鬼」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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42話 怒る時は怒るさ……(下)

いやもうね、なんというか……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「萃香っ! 流石にそれは言い過ぎだっ!」

 

何を言ってんだか勇儀も。赤ん坊を引き合いに出すぐらいしなければ耕也も本気を出さないだろうに。

 

全く、こいつは自分の防御の堅さにかまけて大した攻撃もせず、鬼の誇りを傷つけ挑発するだけ。

 

しかし、私の求めている物とは程遠い。だからこそ本気を出させるためにあえて挑発を行ったのだ。

 

でももし、この挑発が私に対していらない自体を招くのではないだろうか? 私は大正耕也という存在をまだ分析しきれていなかったら? そしてなにより、私の心に僅かでも慢心という物があるのではないだろうか?

 

そんな懸念されて然るべき事項が、この挑発の前後に一片たりとも思い浮かばなかった。思い浮かばなかったからこそ私は人間の怖さを、大正耕也の怖さを、得体のしれない力の怖さを思い知ることとなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「マジで死ねや、この糞鬼」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この言葉が聞こえた瞬間についに耕也が本気を出したのだという事を直感的に理解し、私は一気に迎え撃つ準備をする。

 

対する耕也は構えすらとらずに走り、突然消え、そして私の目の前に現れ、手をかざす。

 

「焼け死ねこのくそったれ!」

 

耕也の手からは、何か変な臭いのする液体を大量に噴霧させると同時に手の中心から青い火花が散り、衝撃波と巨大な火柱が発生する。

 

私はその瞬間に自分の身体を霧化させ、攻撃を無効化させる。

 

おそらく、生身であの攻撃を食らっていたら大火傷では済まないだろう。その圧倒的な熱量と威力に少々驚いている自分がいる。

 

しかしどうしたものか。耕也に対して私の攻撃は効かない。どうあがいてもこちらが圧倒的不利なのには変わらない。

 

だが、よくよく考えてみれば、こちらには霧化するという手段があるからどのみち立場としては変わらないか。

 

そしてなにより私は鬼であり、耕也は人間。体力の差は一目瞭然であり、どちらが先に倒れるかは言うまでもない。

 

結局のところ勝つのは私なのだ。そう、相手は唯の人間なのだ。

 

そう心を奮い立たせ、先ほどの攻撃によって生じた恐怖心をかき消す。

 

かき消すと同時に私は周囲に埋まっている大岩を能力で引き抜き、連続で耕也に向かって乱射する。

 

「これを食らってみろっ! 大正耕也よっ! そして、この私に屈するがいいっ!」

 

その言葉が耕也に届くと同時に私の姿を見て振り返り、口を開く。

 

「口を開けばピーチクパーチクうるせえんだよ! ああ!?」

 

そう大声を出し、降り注ぐ大岩を腕を振りぬいて打ち砕き、片手を上にあげて白い槍か弓矢のような何かを耕也付近の空中に出現させる。

 

そのまま何も言わずに腕を振り下ろす。それを合図にその物体たちは尾の部分から炎と白い煙を噴出させながらこちらを真っ直ぐに目指して殺到してくる。

 

すかさず、私は耕也に打ち出してない余りの大岩を正面に設置し、攻撃から身を守らせる。

 

そしてすぐに大岩にビリビリと衝撃が走り、着弾したという事を如実に知らせる。

 

だが、私の認識は甘く完全に防げたと思ったのだが、実は防げたのは最初の一発のようで次の弾が着弾すると、轟音と共に岩がひび割れ砕け散り、形を少々失いながらも炎に包まれた良く分からないそれは、私に向かって一直線に殺到し起爆する。

 

「くぅ……あ、危ないじゃないか……。もう少し遅れていたら即死だったよ」

 

咄嗟に回避するために霧化したのは良いが、衝撃波と炎に包まれたその金属破片を防ぐには少々時間が足りなかったらしく、油断を代償に左腕をズタズタにされてしまった。

 

久々に焼けるような痛みがこの腕に走る。ははは、一体どんな兵器なんだい。

 

何とか、霧と化し、そのズタズタになった箇所を素早く修復していく。これで良し。

 

妖力を少し費やしてしまったが、これしきの事で戦闘に支障が出ることは無い。問題は耕也の体力だ。

 

怒りのせいか、大雑把な動きになりつつあり、体力の消耗も一段と激しくなっている事だろう。これはうれしい誤算だ。

 

だが、まだ耕也は何か隠している要素がある。まだ何か。そう重大な何か。これを使われたらきっと勝てない。そんな嫌な予感が私の脳にサッと現れ消えていく。

 

この懸念が現実のものになってほしくない。そんな願望に気付かないふりをしながら私はさらに攻撃を続けていく。

 

「さっきは、よくもやってくれたじゃないかっ!?」

 

そう言いながら右手に空気を圧縮し、圧縮し、砲弾を形成する。

 

「吹き飛べえっ!」

 

その言葉と共に耕也のいる所まで高速で打ち出し、着弾寸前で疎にして地面ごと耕也を吹き飛ばす。

 

炸裂した空気の塊は見事耕也を捉え、地面を根こそぎ吹き飛ばしていく。地面を奪われるほどの攻撃ならば少しぐらいは怯むはず。そのスキに。

 

だが、さすがに今までの人間とは格が違うのか、動ずることなく私の背後に瞬間移動する。

 

それでも自然と湧いてくるはずの驚きという物が無い。今までの行動からも読める上に、頭の中のどこかしらでこんな攻撃効きやしない。と、考えている自分がいたのだろう。

 

だからこそ

 

「いいねいいね、それでこそ最強の陰陽師だっ! 大正耕也」

 

と自然に口から声が漏れる。

 

だが、耕也は気に入らなかったようで

 

「四の五の言わずにさっさと沈めこのチビ」

 

と、暴言を吐いてくる。鬼が気にしている事をっ!

 

そしてさらに、何の動作もせずに目の前の空間が大爆発を起こし、圧倒的な熱量と衝撃波を振りまき、私を地面に空中から引きずりおろし、叩きつける。

 

「かはっ……っ……! ……痛いじゃないか。今のはかなり効いたよ……」

 

口から洩れる血を腕でぬぐいながらそう呟く。事前動作も無しにあそこまでやるとは予想外だ。これだから人間との戦いはやめられない。

 

だが

 

「これくらいでは私は倒せないぞ! 大正耕也!」

 

もっと頑張ってもらわねば。私を楽しませてくれ。人間よ。

 

だが、これが長い生の中で初めて味わう地獄というものの始まりだった。

 

 

 

 

 

 

 

「そんなにやられたいのならやってやる。後悔するなよ…このチビ鬼。」

 

 

 

 

 

 

 

その瞬間、私の身体に大きな異変が起こった。

 

それは、あれだけ身体に満ち満ちていた濃密な妖力が一切の気配も感じないのだ。まるで根こそぎ空中に霧散してしまったかのような。

 

余りの変化に身体が追いつかず、その場にへたり込んでしまう。

 

それにもっとも大きな事は、能力がまともに使えない。空気を弾丸にしようとしても全くできず、ただむなしく風に流されていくだけ。

 

どうしたというのだろうか?

 

私は原因をおおよそでもはじき出す。これは耕也の仕業なのだと。

 

耕也が何かしらの手段を用いて私の能力と妖力を封じた。それしか考えられない。

 

だが、私はここである事に気付いた。先ほどは状況の急変についていけず、へたり込んでしまったが、近くにある石を手にとって力を込めて握ると簡単に砕く事ができる。

 

つまり、私の純粋な身体能力はそのままの形で今までどおりに使えるのだ。…だったら!

 

「大正耕也よっ! なにやら小賢しい手を使ったようだが、鬼の前では意味をなさないということを思い知ってもらおうじゃないか!」

 

私は能力及び妖力を一切使えないという不安感をふっ切るためにあえて大声で自らを奮い立たせる。

 

そして何より、鬼の純粋な身体能力を使えるという事が安心感を与えてくれる。これが力の弱い妖怪だったらと思うと嫌な汗が出てくる。

 

わたしは奮い立たせた心を支えにして耕也に走っていく。

 

対する耕也も先ほどよりも大きな円筒形の金属を射出して当ててくる。

 

私は当たる寸前に、足に全力を込めて素早く跳躍して何とかギリギリで回避する。

 

そしてそのまま耕也の顔面に渾身の力を込めた拳を叩きつける。人間の頭が赤い霧になる勢いで。

 

だが、結果は無残にも拳が砕け、血が飛び散り、骨がむき出しとなる。

 

「――――――っ!! くそっ!」

 

私はそんな声にもならない悲鳴と悪態の両方を吐き、その場を高速で離れ耕也からの攻撃を回避することに専念する。

 

「もう無駄だよ……萃香。諦めな。」

 

そして耕也は次々と円筒形の金属たちを次々と空中に顕現させ、高速で落としてくる。

 

爆発。続いて爆発。そして爆発。また爆発。

 

必死に回避して回避して回避して回避していると、もう自分の心が先ほどとは打って変わって脆く崩れそうになっていく。

 

人間に、たかが人間にここまでみじめに追い詰められた鬼がかつていただろうか? おまけに私は四天王の一人だというのに。

 

それを考えると自分が今いかにみじめな姿を晒しているのかが嫌でも分かってくる。

 

その惨めさはさらに心から闘志を奪っていき、逆に鬱を生み出してくる。

 

心が……折れそうだ。

 

そしてついには涙さえも。私は触れてはいけないものに触れてしまったんだろう。これが人間の怖さというものだろうか? 鬼と対峙してきた人間の感情はこんな感じだったのだろうか?

 

……人間が怖い。

 

怖い。怖いよ。怖すぎるよ。

 

誰かに助けを求めたいと思う心がどんどん大きくなってくる。

 

だが、私の身体には耕也の放つ攻撃によって傷がどんどん増え、私の体力を大きく削っていく。

 

一体どうしたら。……そろそろ潮時なのだろうか?

 

そして必死に逃げ回っているうちにいつの間にか石につまずき転んでしまう。

 

立とうと脳が必死に身体に命令しているのだが、身体が全く言う事を効かない。心と体が完全に解離してしまっているのだ。それが決定的な敗北感を私にもたらす。

 

……もう駄目だ。もう、立てない。

 

そう諦めの考えが私の心を支配し、立つという意識を全てかっさらっていく。

 

最後に青空でも見てみたいという不思議な気持ちがポッと湧き、身体をうつぶせから仰向けにさせる。

 

私が見上げると、緑色の大きな金属の筒が少々離れたところに着弾し、今までの攻撃がただのお遊びとでもいうかのような圧倒的な爆風が発生する。

 

その爆風は私から片腕と左足、右ひざまでをあっさりと持って行き、さらには腹に大穴を開ける。

 

余りの痛みに悲鳴をもあげられず、ただ熱い感覚だけが私の脳を支配していく。耕也の力のせいか、傷がふさがらない。

 

………もう、死ぬのか…。こんなことならいらぬ挑発は避けとくべきだったかもなぁ。

 

そんな事を意識が混濁する中ぼんやりと考え、ゆっくりと死を待つ。

 

ふと、耕也のいる方角を見ると、なぜか、一人ではなく、二人いる。おまけに何故かもみ合いとなっている。

 

それは見慣れた一本角に白い服。そして見事な金色の髪。勇儀だ……。

 

でもなぜ………?

 

私は答えを出せぬまま意識を手放した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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43話 おさえておさえて……

燃料切れは怖い……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

誰だって嫌に思うだろう。未来ある赤ん坊、子供が見境なく残酷に食われてしまうという事が。

 

だからこんなことをした鬼に対して同等の苦痛を味あわせてやる。

 

いつしかこんな黒く醜い感情が俺の脳を支配しており、自分の行動が善なのか悪なのかすら状況になっていた。情けないことに。

 

俺はデイジーカッターを食らい無残な姿となった萃香に、止めを刺すため片手を挙げMk82を創造する。

 

これで鬼共も人間の力という物を思い知ることができただろう。

 

これで幕府が襲われることは少なくなるのではないか? そんな考えが頭の中に浮かび、皮算用に頬がつり上がり変な笑顔を形成する。

 

後は………閻魔にでも裁かれるがいい。まともな判断ができなくなっているにもかかわらず、何故かその考えだけがスッと浮かびあがる。怒りからはじき出されたものだからだろうか?

 

ようやく風によって流され、晴れてきた土煙りを後目に、俺は爆弾を落下させようとする。

 

だが、爆弾を振り下ろす前に背中側から下駄の鳴らす連続した短い間隔の音が聞こえ、大きくなったかと思えば今度は背中に抱きつかれる。

 

そしてその下駄の主から声が聞こえてくる。それは悲痛な声が。

 

「頼むっ!! もう萃香は戦えない。だからもう終わりにしてくれ。後生だっ!!」

 

その言葉に対して俺は反射的に反論してしまう。

 

「離せっ! 何をふざけた事を言っているんだっ! 勇儀っ! これは真剣勝負なんだぞ。第三者が口をはさむなっ!」

 

さらに俺は口早にまくしたてる。

 

「そしてさらに、お前たちと違って俺は多くの命を背中に預かっている。俺が負ければ数万という民草の命が危険にさらされるんだっ! そんな圧力の中で俺が戦うというならば、お前たち鬼だって殺し殺されるという覚悟ぐらいできているだろうがっ!? ええっ!? そのための条件設定じゃなかったのか!?」

 

だが、勇儀も怯まずにさらに声を大きくして頼みこんでくる。

 

「分かっている。それは分かっているんだっ! だが、彼女は私の友人なんだ。大切な友人なんだっ! 鬼の信条を曲げているという事も理解している。でも頼む。私には亡くす事のできないかけがえのない友人なんだ」

 

友人といわれてもこちらの怒りは早々に収まる気配は無い。

 

彼女の大切な友人。だからこれ以上はよしてほしい。そんなことは誰だってするだろう。

 

だが、彼女たち鬼は人間の住む幕府に対して侵攻した時、人間が同じ言葉を言ったら果たしてやめるだろうか?

 

答えは当然のごとく否であろう。人間の懇願を無視して恐怖をさらに与えて食う。それが妖怪なのだから。

 

だからこそ、ここで殺しておかなければ。殺しておかなければこの鬼たちは後々人間に対して牙をむき、大きな損害を与える。

 

何より萃香はこの鬼の集団の中でもトップクラスの強さ。ここで殺しておけば鬼たちの戦力を相当減らせるはずだ。

 

そう頭の中で結論付けた俺は勇儀の言葉を無視して手を振り下ろそうとする。

 

だが俺の腕は、俺の意思に従って振り下ろされることは無かった。

 

「やめてくれっ!」

 

その声と共に俺の腕が軌道からずらされる。そのずらされた影響により爆弾は軌道から大きく外れ、見当違いの方向に飛んでいき着弾する。

 

大きく火柱を吹き上げて黒煙と土煙を上げる。

 

まあ、この結果は大体は予想できた。でもすごい、俺の身体に触れておきながらよく軌道を逸らす事ができたな。

 

ああ、でも勇儀の行為自体は俺に対しての過剰な力でもないし、害的干渉でもないから通じたのか。

 

そんな事を目の前で起こった事象の結果に対して淡々と感想を頭に浮かべる。

 

俺は首だけを勇儀に振り向かせながら言う。

 

「何をするんだ。勇儀。」

 

俺が言うと勇儀は少々言いづらそうなしぐさをして再び大声で言う。

 

「たのむ……やめてくれ。殺さなくても勝負はつくだろ。それに萃香の言った言葉は唯の挑発にすぎないんだ。頼む。許してくれ。」

 

………………胸糞悪い。

 

そして俺は勇儀掴んでいる腕を振り払って

 

「もういい、勝手にしてくれ」

 

短くそう言って、外の領域をOFFにする。

 

するとたちまち萃香の身体から妖力が立ち上り、身体の破損部分に対して霧が集まり、身体を修復していく。

 

どうやら気を失っても萃香の身体が勝手に治そうとしているようだ。

 

俺に抱きつき必死に止めていた勇儀はその様子を見て俺から離れ、萃香を介抱しに行く。

 

勇儀は萃香の側にしゃがみこみ、安否を確認する。それにつられて俺も萃香の側に行き容体を確認する。

 

見たところ破損個所は全て治ったようだが、意識は依然と失ったままであり戻る気配は無い。

 

「耕也。この勝負はお前の勝ちだよ。だが、次の勝負までは少々時間を空けて萃香が目覚めるのを待ちたい。頼む。良いか?」

 

それに関しては俺の頭の中では不満たらたらであったが口からは不満は出るはずもなく

 

「いいよ。萃香が目覚めないと心配で集中できないだろうからね」

 

そういってしまう。

 

俺がそう言うと勇儀は頷いて萃香を抱き上げ、応援席まで運んで行く。

 

目が覚めたらとりあえずは心配ぐらいはしてやろうか……?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「え~と、大丈夫か? 腕とかはくっついているようだけど。」

 

俺は目を覚ました萃香に対しておずおずと尋ねる。

 

「い、いやあ、私も酷い挑発してしまったし、耕也が気にする事は無いよ。第一今回は死んでも文句は言えない真剣勝負だからね。仕方ない事だよ」

 

そう言って萃香は苦笑する。

 

ひとまず彼女の様子を見る限り、腕が動かないなどといった後遺症のような物が無い事に安心する。

 

萃香はあの気絶した状態から、勇儀が担いで応援席に着、寝かせるとすぐに目を覚ました。観客の鬼たちは何も言わなかったが、俺に対しては特に恨みの感情などは持っていないそうだ。理由としては真剣勝負だからというのが一番だったが。

 

そんなこんなで俺は萃香に尋ねたのだが、当の本人は妖力が元に戻ったおかげか元気いっぱい。治った足や腕は普通に動かせるらしいがまだ完全に戻るにはかなりの時間が必要だとのこと。

 

「まあ、身体は何ともなかったし、ひとまず安心ってことかな。はははっ。」

 

そう言って再び目をつぶる。

 

「ちょいと疲れたからこれで私は休ませてもらうよ。また、今度は挑発抜きの本気で戦いたいよ……。……………」

 

そう言ったら萃香はすやすやと眠りこんでしまった。やはり身体の修復に使われた妖力の消費からくるものだろう。

 

それを見届けた俺は勇儀の方を見やる。

 

彼女はすでに萃香は心配ないと思っているのか、準備運動を始めている。やる気満々だよこの鬼。

 

仕様がない。最後の戦いなんだ。しっかり勝って幕府の安全をもぎ取るとしようか。

 

俺はそう心に誓いながら勇儀のもとへと足を運んで行く。

 

歩いている最中に様々な考えが浮かんでは沈んでいく。

 

彼女に勝つことは決して難しい事ではない。萃香と同等の手を使っていけば勝てる可能性は極めて高いだろう。しかしこれには欠点がある。

 

先の戦いでかなり消耗してしまったが体力は大丈夫だろうか? すでに足が少々笑っている状態だ。そう長い事は戦ってはいられないだろう。原因はすでに検討はついているが、おそらくジャンプの使い過ぎだろう。

 

何故かジャンプは例え短い距離にしか使わなくても物質を創造するよりも遥かに体力を消費する。意味が分からない。でも削られるのが現実なのだから受け入れるしかないだろう。

 

俺が勇儀に対しての勝算やら何やらを考えていると、すでに勇儀は準備体操などといったウォーミングアップを終えており、内在する圧倒的な妖力を身体から顕現させている。

 

そして俺が来た事に勇儀は気付いたのか、こちらを見てニヤリと笑う。

 

「さあ、才気と萃香は残念ながら負けてしまったが、こう負け続きだと私としても気分がよろしくない。だから、今回は勝たせてもらうよ? 耕也」

 

犬歯を覗かせながら豪快に笑って宣戦布告をしてくる。

 

だが、俺だって負けるわけにはいかないので、軽い口調で返す。

 

「おいおい、そんな自信満々でいいのかい? 俺には攻撃が効かないんだぞ?」

 

だが、俺の言葉にも勇儀は動ずることなく

 

「そうだろうねえ。効かないだろうねえ」

 

と柳のように受け流す。

 

その勇儀の態度とは裏腹に俺はといえば、内心かなり焦っている。

 

やべえ、疲労が半端じゃない。先ほどもふと思っただけだが、改めて確認すると相当酷いコンディションだ。

 

もうすでにジャンプなんて使えないだろう。使えても後2、3回程しか無理だろう。それ以上使ったら確実に俺が詰む。

 

それに戦いが始まったら何分ほど立っていられるか……。正直考えたくない。

 

萃香はこれも計算に入れていたのだろうか? もし入れていたのだとすると、まんまと俺は萃香の手のひらの上でアホみたいに踊っていたことになる。

 

考えると頭が痛くなってくる。もうチョイ俺のお頭がよくできていたらと思う。凡人は辛いよまったく。

 

ああ、どうすんべマジで。

 

適当に爆弾でも創造してヤッチャカヤッチャカ戦いますかねえ。

 

そんな事を思いながら勇儀と対峙する。

 

勇儀は胸を張り、自身の存在を周囲に知らしめるかのようなポーズをとりながら

 

「さあ、行くよっ!? 耕也!」

 

と大声で開始の言葉を言う。

 

対する俺は

 

「あ、お手柔らかに~」

 

と、何とも情けない声を出しながら戦いを始めていく。なるべく体力を消費したくないし。

 

もはや俺には先の余裕という物は無いので、先手必勝を念頭に攻撃を開始しようとする。

 

「食らえっ!」

 

そう言いながら俺はMk83を創造し、腕を振るう動作をして彼女に向かって投げつける。

 

そう、投げつける。………投げつけたからにはその後の爆発という結果が伴わなければならない。

 

でも………あれ? 俺は確かに創造したよな? 何で勇儀は爆発しないんだ?………んん?

 

そう頭の中で混乱しながら、慌てて周囲を見渡してみる。ついでに上空も。

 

投げられていないのならば、再び空中に放置されているMk83を投げればいい。唯それだけ。見渡した結果、……Mk83がどこにもない。

 

確かに創造したはずなのに何で無いんだ?

 

きっと今のはただ単に失敗しただけなのだ。そうに違いない。

 

そんな風に自分の心に言い聞かせながらもう一度創造を試みる。

 

今度こそと思いながら。次失敗すれば勇儀に当てるチャンスが無くなると焦りながら。

 

でも…………出てこない。なんで?もしかして…………こんな重要な場面で…………燃料切れ?

 

うっそ~ん、そんなバカな。勘弁してよマジで。俺泣くよ?

 

俺の焦っている姿を見かねたのか、勇儀が声を掛けてくる。

 

「お~い、大丈夫かい? 身体の調子でも悪いのかい?」

 

俺はその声に何と答えたらいいのやら分からず、しばらくその場で言い訳を考えてみたのだが、良い言い訳が思い付かず。

 

結局俺は観念して正直に話すことにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いわゆる燃料切れって奴かな~~……なんて。ははははは…はは」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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44話 体力の限界だ……

鬼の力は一体どこまで……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「へえ、燃料切れねえ……。そりゃあ、こちらとしては、好都合だねえっ!」

 

そう言いながら勇儀は下駄を地面に叩きつけ、地面を割り、クレーターを形成させながら左足を軸として殴りこんでくる。

 

その左足によって作りだされた巨大な遠心力という味方を付けた拳の速さは、俺が今まで体験した事のある速度ではダントツの速さを示し、あっという間に顔面に到達する。

 

余りにも気迫に満ちた動作は俺の心に恐怖心という物を生じさせるには十分な力を持っていた。

 

俺はその速さに反応することはできなかったが、領域が瞬時に攻撃を阻み、その衝撃をそのまま勇儀の拳に返していく。

 

勇儀の顔は一瞬痛そうな顔を浮かべるが、腕には何の傷もなく、元通り何十キロもありそうな金属製の腕輪を揺らしながら、カラカラと笑いながら佇む。

 

「はっはっはっはっは。すごいなあ、前の戦いを見ていてなかなかの防御力だと思ってはいたが、まさかここまでとはな」

 

そう言いながら右腕をブンブン振りまわす。そのたかが振りまわすという行為なのにも拘らず空気を揺るがせ、一種の騒音発生機となっている。

 

一体どんな力を持っているのやら。

 

そんな考えがふと浮かび、俺は彼女の持ちうる力の度合いについて今ある知識から考えてみる。

 

おそらく、俺が勇儀も含めた3人の中で最も力の強いのは間違いなく勇儀だろう。なんせ彼女は力の勇儀と呼ばれているくらいなのだから。

 

そしてさらに、今回の戦いでは萃香よりも才鬼の方が力に関して言えば強かったのではないだろうか?

 

そんな感覚に頼った憶測を並べてみる。いや、この際才鬼などの力は無視しよう。

 

勇儀の力。まだ始まってから間もないので推測するというと事すらおこがましいかもしれないが、才鬼に放った鉄球なんぞでは片腕一本で軽々と退けられてしまうだろう。

 

それに今の俺には無誘導爆弾一つすらも創造できない唯の防御馬鹿になり下がってしまっている。

 

拳を領域がガードしてくれるので、殴ることはできるかもしれないが、威力があまりにも不足しているだろう。ましてや鬼になんて……蚊に刺される以下に違いない。

 

非常に困った。外の領域と内の領域は使える。だから怪力乱神を持つ程度の能力は消す事ができる。これだけが唯一の救いというのが何とも悲しい。

 

マジで困った。攻撃の手段が見つからない。現実世界からもらっている生活支援とやらも、労働などで困難な場面に遭遇した時にそれを解決してくれるだけだから、石を投げて音速以上にするとかもできない。

 

本当に嫌な場面だ。正直折れてしまいそうだ。体力も残り少ない上に後に控えている部下二人も戦うという点では全く期待できない。

 

これは………今までで一番の危機的状況なんじゃないか?

 

そう思いながらも立ちふさがる障害を排除しようと自分を何とか鼓舞してみる。

 

攻撃は食らわない。相手の能力も封じられる。だったら後は何とか隙を創って何でもいいから爆弾をひり出して至近距離で起爆させれば、あるいは……。

 

だが、今はまだおおっぴらに動く時ではない。挑発を繰り返して繰り返して何とか隙を創る。それしかない。

 

「おい、勇儀。どうした? 早くかかってこないのか? その力は唯の飾りか? もしかして、俺の防御が貫けないから手詰まっているのか?」

 

俺がそう挑発すると、勇儀はニヤリと笑みを浮かべて俺に答える。

 

「随分と見え透いた挑発をしてくるじゃないか? ………なら、素直にその挑発に乗らせてもらおうじゃないかっ!」

 

そう言って空高く飛び上がり、自分の身長以上の大きさを誇る無数の妖力球を創りだして高速で打ち出してくる。

 

「お前の防御力は実際大したものだよ。お前が何もしなくても、勝手に攻撃は弾かれる。うらやましい限りだよ。…だが私は好きじゃない。なぜなら防御ってのはねえ、自分の持てる肉体を、技術を、力を存分に活用してこそのものだからさっ!!」

 

その言葉と共に。

 

妖力球は地面をえぐり、爆発し、土砂を撒き散らす。だがぶち当たって爆発してもそれに臆することなく俺はジッとする。

 

体力をなるべく早く、少しでも回復させるために。

 

だが、俺の期待をよそに勇儀はさらなる攻撃を仕掛けてくる。

 

「金剛螺旋っ!」

 

その言葉を発した瞬間に周囲に光が満ち、空気が揺れる。

 

「お前の防御は、これを耐えて見せるかっ!? 大正耕也!」

 

翳された腕から金色の光がほとばしり、周囲の空気を焼き、地面を融解させ、木々を炭化させ、空気の膨張による衝撃波を生み出していく。

 

スペルカードとは次元の違う威力。これが勇儀の本気の力。俺はその力の凄まじさに圧倒されるばかりだった。

 

これがもし俺でなくて部下だったら、何が起きたか分からずに瞬時に蒸発してこの世とおさらばしていた事だろう。

 

まったく、何て化け物だ。

 

だが、何としてでも勝たなくてはならない。萃香の戦いが大きな誤算となってしまったとはいえ、まだ俺には戦える余力はあるのだから。

 

でも俺は本当に勝てるのだろうか……?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ああ、全く効かない。一体奴の身体はどうなってるんだ?

 

金剛螺旋を放ってから数分経って改めて思う。

 

周りの岩などは、すでに私の放った熱により赤熱してドロドロに溶けてしまっている。

 

また、熱膨張によって生じた衝撃波は周りの木々をなぎ倒し、炭化させている。

 

一体なぜ? 私は大正耕也の無傷な姿を見て疑問が浮かんでくる。一体どうして? これほどの攻撃を受けて無事でいられた奴等一人たりともいない。ましてや相手は人間である。

 

今まで戦ってきた中堅の妖怪ですら灰と化したにもかかわらずにだ。なぜ人間が……。

 

自分の攻撃は決して弱くは無いのだ。そう、弱くは無いのだ。だが、今目の前の光景を受け入れると、急に自分の自信が無くなってきてしまう。

 

やはり、萃香や才鬼同様、私も負けてしまうのだろうか? 一撃さえも入れられずに…。

 

そんな消極的な考えが私の脳を支配しそうになる。

 

だが、その考えが脳を完全に支配する前にある一つの言葉が脳に浮かんできた。

 

「鬼は諦めることが嫌いでね。駄目だって分かっていても必ず突破して見せるという根性があるんだよ」

 

萃香の言った言葉。この言葉が浮かんできた。

 

その瞬間、私の頭に立ちこめていた暗雲が一気に晴れてくる。

 

は、だったらやれるところまでやってやろうじゃないか。自分は何を弱気になっているんだ。

 

私は自分の心の弱さに呆れ、怒り、そして鼓舞する。

 

この感情冷めないうちに一気に攻勢に出る。

 

能力も、妖力も技も通じない。ならば最後にできることは拳で直に砕く事!

 

私は拳を限界まで握力を込めて耕也に連続で殴りかかる。

 

効こうが効きまいがどうでもいい。もはや私に残されている道はこれしかないのだろうから。

 

「くらえっ! 耕也ぁぁああああああ!」

 

その言葉と共に炎を拳に纏わせ、一番損害の大きい所に絞って攻撃を加えていく。

 

「うらああああああっ!!」

 

おそらく人間には視認できないであろう速さで放たれる私の拳は、耕也に届く寸前に堅い何かと衝突して炎を消しさられ、私の腕に負担を掛けていく。

 

だが、ここでやめるわけにはいかない。いつか届くと思っている私がいるから。届かなければならないと思っているから。

 

鬼の誇りにかけて。私の誇りにかけて。そして負けていった萃香と才鬼の悔いをここで晴らすために。

 

だからこそ私は、己の最大限の力を出し切るまでなのだ。

 

それにしても耕也は何もしてこない。私がこんなにも必死に攻撃しているというのに。何でこんなにも無表情で立っていられるんだ。人間の癖にっ!

 

おかしい。おかしい。おかし過ぎる。

 

くそっ! らちが明かない。耕也の体力が消耗している今が好機だというのに。

 

即座に私は殴るのをやめ、後方に跳躍して態勢を整え私の力技の集大成を顕現させる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「くらえ、三歩必殺っ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「一歩っ!」

 

その言葉と共に下駄を地面に叩きつけ、無数の妖力弾を発生させる。

 

そして地面が大きく陥没して地割れを形成する。

 

 

 

 

 

 

「二歩っ!」

 

さらなる力を足に込め、次に仕掛ける態勢の全てを整える。次に発生させる圧倒的な力の奔流を大正耕也に向けるため。

 

一気に砕いてみせる。お前のその防御を。私が初めて破ってみせる。

 

私は一気に跳躍して大正耕也の頭上で止まり、最後の言葉を述べて攻撃を完遂させる。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ああああああああっ! 三歩ぉぉおおおおおおっ!」

 

私はその叫び声と共に振り上げた拳を耕也に向かって振り下ろしていく。

 

この拳の持つ威力は今までの威力とは桁違いであり、どんな妖怪でもまともに食らえば一撃で消滅させられる水準にある。

 

だから、この一撃に全ての妖力を込めて。

 

直撃の瞬間に圧倒的な光と熱、そして轟音による衝撃波が発生し、私の視界を奪っていく。あまりの眩しさに私は思わず目をつぶってしまう。

 

さすがの耕也もこの力技を食らえば無事ではいられまい。そんな予想を立てて視界が晴れるのをひたすら待つ。

 

私の頭の中で描く耕也の姿は、腕を失って苦痛の表情を浮かべている姿。頭から腰にかけての上半身を粉砕されて息絶える耕也の姿。

 

等といった様々な姿が頭の中に次々と浮かび上がってくる。そしてそれが現実なっていればいいという強い願望が心に渦巻く。

 

しかし、現実はそんなに甘いものではなく、視界が晴れた先には一切の傷が無い耕也と、腕を掴まれた私の姿があった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ようやく、隙を見せてくれたね。勇儀」

 

 

 

 

 

 

 

 

と、唐突に耕也が口を開く。

 

そして何が何だか分からぬうちに、私の腹部に黒い球体の物が押し当てられ、次の瞬間には耳をつんざくような音と共に激しい痛みが襲う。

 

「がはぁっ!!」

 

口から苦痛を表す声と共に血が吹き出る。

 

私は激しく意識が揺らされ、意識が飛びそうになる。必死にその揺れを抑えようと我慢する。

 

我慢するのだが、ここで先ほどの妖力の消耗が響いてくる。私はその後遺症に抗う事ができずに視界が黒くなっていった。

 

そして、消えていく意識の中で聞こえ、見えたのは耕也の倒れる姿と弱弱しい声だった。

 

「俺も限界だ………」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あらあら、彼倒れてしまったわね。あの殿方が目的の方かしら?」

 

鬼から、そして耕也から気付かれないほどに離れた上空に二つの人型が浮かんでいる。

 

彼女は一人の従者を従えており、口元に扇子をやりながら開き、宝物を見つけたような眼をしながら従者に尋ねる。

 

「はい、その通りです」

 

その主の問いに従者は肯定の意を表す。

 

また、その従者にも口元に笑みを浮かべ、獲物を見つけたかのような目を耕也に向ける。その姿は見たものすべてを魅了するであろう圧倒的な妖艶さを醸し出している。

 

そしてその従者の姿を目の端で捉えた主は同じく妖艶な笑みを浮かべながら彼の戦いぶりに感想をつらつらと述べていく。

 

「凄まじい防御力ね。それに攻撃力も圧倒的なもの。さすがはあなたの想い人ね? ふふふ」

 

それを聞いた従者は少し恥ずかしげながら、しかし驚きを表しながら主に返答していく。

 

「想い人というのは……まあ、良いです。……それにしても、彼にあんな力があるとは思いませんでした。そのような仕草は一切見せておりませんでしたし、最強の陰陽師といえど所詮は人間だとも思っておりましたので」

 

「計算外というのもあるものよ。そして、あなたからすると彼の人柄とかそういった内面的な評価はどうなのかしら?」

 

その言葉に対して先ほどの妖艶なオーラは姿を潜め、非常に清楚な、そして優しさを醸し出しながら答えていく。

 

「非常に優しいです。気は少々弱いですが、側にいると本当に心が温まります。今までの鬱屈した気持ちが嘘のように消えてなくなるほど。妖怪だからと言って変に拒絶もしませんし」

 

主は従者の答えに満足したように頷きながら彼女の評価に少々の驚きを混ぜる。

 

「すごい高評価ね。あなたがそこまで好意を寄せるなんて……。彼は幸せ者ねぇ。…………だったら、私の友人とも仲良くなっていけるかもしれないわね。彼なら」

 

彼女はそう言うと扇子をパチリと閉じて一言言う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ならば、近々お迎えに上がらせていただきますわ。大正耕也殿。私の従者の為にもね。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 




一応鬼編が終わるまで。まあ、区切りのいい所まで投稿しました。

ではでは。


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45話 戦いが終わって良かった……

いやあ、いろいろ終わったよ……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……の。…………様。…………也様。お……ください耕也様。起きてください耕也様!」

 

誰かの大声と、妙に激しい人為的な振動によって沈んでいた意識が一気に覚醒してくる。

 

だが、ちょっと眠い。本来ならばもう少し寝たいところなのだが、相手が必死に俺を起そうとしているのならば、それに応えなければ失礼にあたるだろう。

 

その考えを頭の中で淡々と浮かべ、未だに覚醒しきっていない脳を何とか覚まそうと目を徐々に開ける。

 

開けると太陽の、夕方なのだろうか? 赤橙色の光が俺の眼を刺激する。

 

長い時間目を閉じていたもんだから瞳孔が開きすぎていて痛みすら感じる。

 

俺は逆光でよく見えなかったが、シルエットから想像すると女性だと思うのだが、その人に身体を引き起こされる。

 

ショボショボした目をこすりながら、起してくれた彼女の顔をよく見ようとすると、その顔がだんだんはっきりとしてくる。

 

ああ、倉本さんじゃないか。

 

「う、あ……ああ?……えっと、ありがとうございます」

 

そうしゃがれた声で俺は起してくれた倉本 妙に礼を述べる。

 

その言葉を発した瞬間に身体中から痛みが刺すように出てくる。

 

「うあ、いてててててっ!」

 

俺の様子にびっくりしたのか、妙さんが心配そうに声を掛けてくる

 

何とか痛みを抑えつつも妙さんに心配ないという旨を伝える。

 

「大丈夫です。おそらく筋肉痛だと思いますので」

 

その痛みは主に足と背中からくるものであり、おそらく筋肉痛だろう予測できる。原因は分かっている。勇儀等と戦ったときに動きまくったからだ。

 

俺は筋肉痛の痛みに顔をしかめながら周囲を見渡す。あの後一体自分たちはどうなったのだろうか?と。

 

見回してみると、倒れる寸前に目が捉えていた光景と随分違う所であり、どこかの一室のようだ。それも見た事のある。

 

「妙さん、ここは一体……もしかして自分が泊った所ですか?」

 

そう尋ねると彼女は肯定の意を表すように大きく頷く。

 

「はい、その通りでございます。耕也様が倒れてから鬼たちは、私たちに幕府を襲わないという旨を告げてから去って行きました。水元は実朝様へ報告に向かっています」

 

その言葉を聞いた瞬間に一気に安堵感が溢れてくる。一体どれだけの人が救われたのだろうか? そんな事を考えただけで今回の任務を引き受けて良かったと思えてくる。

 

いやあ、それにしても色々終わったのだろうと思えてくる。これで俺も心残りなく自宅に帰る事ができる。

 

そんな事を思いながら布団から抜け出そうとすると、身体が少々動きづらい。まだ、疲れが抜けきっていないのだろう。

 

そう予測を立てると、また眠気が襲ってくる。仕方が無い、寝てしまおう。そうした方が今後の事にも色々対応できるだろうから。

 

俺は再び眠りにつこうとして妙の方を見て伺う。

 

「すみません。少し眠いので寝ても良いですか?」

 

そう言うと、彼女は微笑みながら

 

「ええ、構いませんよ。彼が帰ってきても起しはしませんので安心して眠ってください。この度は、本当にありがとうございました」

 

「いえいえ、大したことないですって。ただ自分の精一杯の努力をしただけであって、死ぬほどの怪我を負ったわけではありませんし」

 

そう言いながら俺は再び布団へと潜り込み、徐々に眠りへとついた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「俺、起されないって聞いてたんですけど……」

 

あれから大して寝てもいないのに叩き起された俺は少々不機嫌になりながら咎めるように言う。

 

叩き起した本に本人である大友 水元は少々あわてて

 

「いえ、すみません。少々慌てておりましたものでして」

 

額に汗を浮かべながら、俺の目の前に正座をしながら言う。

 

どうも彼は報告に行った後に少々緊張してしまったらしく、妙さんの言った事をすっかり忘れてしまっていたらしい。

 

まあ、仕方が無い。なにせ相手が幕府のトップなのだから。俺だって緊張する。というよりも俺の方が緊張する。

 

そんな事を考えてしまうと、なんだか彼を咎めてしまった事が少々自分らしくもないと思えてきたので、彼に対して気にしないでくれと口に出す。

 

「いえ、気にしないでください。実朝様への報告御苦労さまでした」

 

そう言うと彼は恐縮したように頭を下げて、実に言いにくそうな感じの声で俺に応える。

 

「もったいないお言葉です。本来ならば我々も戦わなければならないのにもかかわらず唯怯えているしかできなくて。申し訳ありませんでした」

 

「いやいやいやいや、それは違いますよ。あなたは十分立派でしたよ。これは嫌みではなく本心からの言葉です。なぜなら妙さんや水元さんは、多くの命を背中に預かっておきながら妖怪の中でも最強水準の鬼たちに立ち向かった。これは実にすばらしい事なのですよ。今回はたまたま自分が戦いに適していただけのことであって、十分にあなた方は強いのです。ですから自信を失わないでください。自分を卑下しないでください。妖怪はそこにつけこんでくるのですから。……何か偉そうなことを言ってしまってすみません」

 

柄にもなく説教じみた事を言ってしまったが、彼はそれを好意的に受け止めたようで俺の言葉を聞いた後は憑きものが落ちたような顔となり、朗らかな笑みを浮かべる。

 

「すみません、急にこんな変な話などをしてしまって。確かに自分を卑下するのは良くないですね。以後気をつけます」

 

非常にポジティブな考えに至ったのだろう。彼はようやく本来の性格を取り戻したかのように身体から霊力が滲み出てくる。自信を取り戻した証拠なのだ。

 

彼にはこれからも幕府に襲いかかる魑魅魍魎に立ち向かってもらわなければならない。彼は俺を抜かせば幕府で最も強い陰陽師の一人なのだから。

 

だからこそ俺は彼に対して言葉を掛け続ける。この陰陽師が一体どれほどの命を救うかはまだ分からないが、それでも多くの命を救うという事は容易に想像できるのだから。

 

そんな事を思っていると、突然何の突拍子もなく一つの大きな疑問が出てきた。今回の報酬ってどれぐらいもらえるのだろうか?

 

自分でもぶっ飛んだ疑問だったのだが、今回はかなりの戦闘だった上に幕府を守り切ったのだからそれなりの報酬を用意してはくれているのだろう。

 

やはり何千年も生きていると言っても本質的にはやはり人間で、金に関しては厳しいというのも俺が人間であるという事を実感させるもののひとつである。人間は欲深いのだから。

 

もしかしたら水元が慌ててきたのは、報酬に関してのことではないのだろうか?

 

そんな予測を立てながら水元に尋ねてみる。

 

「水元さん。ちょっと言いにくいのですが、実朝様に報告に行ったのですよね?」

 

そう言うと水元はもちろんとばかりに大きく頷きながら

 

「その通りです。あの場で起こった事をありのまま話しました。耕也様が私たちの為に一人で戦ってくださった事、そして圧倒的な強さで鬼を蹴散らしたことなどを具体的に」

 

聞いているとなんだか恥ずかしくなるがここで話がそれてはいけない。

 

「それでですねえ、…………えっと、報酬とかはどうなったのでしょうか?」

 

そう言うと、今まで忘れていたとばかりにハッとした顔になり、急いで大きな麻袋から一つの小さな布袋を取り出す。

 

「すみません、すっかり忘れておりました。これですこれです」

 

そう言いながらドンと目の前に置く。それは体積から発せられる音とは思えないほどの重厚なものであり、非常に重い物が入っているのだと予測できる。

 

これはおそらく、報酬に最もふさわしい材料から判断すると砂金なのではないか?

 

「水元さん。これって…………砂金ですか?」

 

その言葉に大きく頷きながら肯定の意を表す。

 

「そうです。砂金であります」

 

それを聞きながら袋を持ってみる。…………おおよそ3kg程だろうか?

 

……あれ? なんか少なくね?

 

一体どうしてこんなに少ないのだろうか? もしかして砂金の価値は現代と違って無茶苦茶高いとか? いやいや、それにしても少なすぎるだろ。

 

現実世界での価格にして億単位貰ってもおかしくないレベルの事をしてはずなんだけど……。

 

ちょっと少ないような…理想としてはもう少しもらいたい…。

 

俺がそんな事を考えていると、水元は俺の考えを察したのか、もしくは顔に出てきたのか定かではないが、話し始める。

 

「少ないですよね?……これ。」

 

その言葉に俺は肯定するしかなかったが、別にかまわないという旨を伝える。

 

「ええ……まあ。そうですね。……でもまあ、多くても少なくても別にかまいませんし」

 

それを聞いた水元は、心底安心したようであり、胸をなでおろしてホッと息を漏らした。

 

「そう言っていただけるとこちらとしても助かります。なにせ最近は歳出が激しいようでして。鬼の件などでも経費削減が色々とありまして」

 

うわあ、そんなに危険な水準なのかい…。やっぱ妖怪が気分で攻めてくるとこちらとしては大損害だな。もう来ないでほしい。

 

「まあ、仕方が無いですよね。ああそれと、実朝様に自分も報告した方がいいでしょうか?」

 

そういうと彼は

 

「いえ、私がすべて報告したので来なくても大丈夫だとのことです。ゆっくり休んで体力回復に努めてくれとのことです」

 

やっぱり、分かっているんだなこういう事が。人の心を把握できなければ為政者たりえない……か。

 

実朝の配慮に感謝しながら俺は自宅へと帰ることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「色々とお世話になりました。妙さん、水元さん」

 

そう言って二人に頭を下げると、二人も同時に頭を下げる。

 

そして最初に返してきたのは妙さんのほうで

 

「いえいえ、こちらこそ本当に助かりました。耕也様」

 

静かに、それで芯のある声で微笑みながら言ってくる。

 

そして水元さんも

 

「お世話になりました、耕也様。また、いつかお会いしたいと思います」

 

二人の声に俺はすぐに答える。実際俺は彼らとはまた会いたいし、酒を飲み交わしたい。この世界にある品質の悪い酒ではなく、こちらの良い酒を飲んでもらいたい。

 

……ああ、そうだ。ここで渡しとくべきかな。

 

そう思った俺は剣菱・上撰・本醸造を6本創造して彼らに渡す。

 

「これ、よかったら飲んでみてください。おそらく口に合うと思います。おいしいですよ。そんじょそこらの酒よりも」

 

もう俺の力は見慣れてしまっているのか驚きもせず、目の前にある日本酒に夢中になっている2人がいる。案外酒好きなのね。

 

そんな感想をポヤポヤと浮かべていると、二人がそろって礼を言う。

 

「ありがとうございます! いやあ、お酒は大好きなんですよ」

 

「実は私も好きなんです。ふふふ」

 

そう言いながら二人とも微笑む。莫大な量を出せるのだから大した事でもないのだけれども、喜んでもらえるなら出したかいがある。

 

「いえいえ、また今度一緒に飲みましょうという事で御二人に。……では、また。……失礼します」

 

そう言いながら俺は一気に自宅へとジャンプする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うおお、何だこの疲労感は………さすがに約500kmのジャンプは厳しかったか……」

 

一気に疲労感が襲ってきてしまい、自宅が目の前にあるというのにも関わらずその場にへたり込んでしまう。

 

まだ、体力が回復していないにもかかわらずジャンプをした結果がこのざまである。

 

「生活支援だったら体力消費無しにしてくれたらいいのに……」

 

しかし、俺は頭の中に自然と浮かんできた事を行っているだけなので文句の言いようが無いのだが…それにしても納得いかない。色々な意味で。

 

俺を死なせないように、便利であるようにという配慮はうれしいが…体力の少なさを恨んでしまう。

 

そんな事を考えつつも、目の前に現れた自宅に自然と頬が緩んでしまう。

 

笑みを浮かべながら立ち上がり、家へと歩いていく。

 

「ひさしぶりだなあ、ただいま~」

 

そう言いながら玄関を開け、靴を脱ぎ、トタトタと廊下を歩いていく。

 

「やっぱりかなりの埃があるなあ。掃除機かけないと駄目だなこりゃ」

 

やはり1ヵ月程空けていたせいか廊下などに埃が薄らではあるが降りている。

 

自分の家が汚いのはやはり嫌なので掃除する事を決意して、家の中をあらかた見回っていく。

 

「さすがにこんな辺鄙な場所に空き巣は出ないと思うんだけども……」

 

そう独り呟きながら次々と襖や扉を開けて中を確認していく。

 

ふと俺は居間へと通じる襖を開けた所で奇妙な感覚を覚える。

 

「あれ……なんかこの部屋だけ妙な違和感があるような無いような……」

 

他の部屋は変わらない雰囲気なのだが、この部屋だけは妙な違和感が残る。

 

その何だか分からない違和感を探ろうと居間へと入り、入念に見ていく。

 

しかし、自分の見ている範囲ではこの違和感の原因は見つからず、首をかしげてしまう。

 

「一体この違和感はなんぞや?」

 

独り言を言ってもこの違和感はぬぐえず、諦めて部屋から出ようとしたときに卓袱台に目がいった。

 

俺の視線の先には、普段見慣れない質の悪いこの時代さながらの紙が置いてあった。

 

「ああ、これか違和感は。……灯台もと暗しというべきなのだろうか?……この場合は」

 

そう言いながら紙、いや手紙のような物を手に取ってみてみる。

 

表には何も書いていないので、裏返しに。するとそこには、小さく、達筆な字で短く書かれていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「親愛なる大正耕也殿、近々お迎えに上がらせていただきます。ご承知置きください。………か」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

えっと、……なんぞやこれ?

 

非常に反応に困るんだが。一体誰がこんな手紙を出してきたのだろうか? おまけに鍵すら開けずに。

 

それにこの手紙の内容は……こう言った方がいいのだろうか?

 

 

 

 

「手紙の内容が、少ないよう。訳が分からないよう。……てか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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46話 それはちょっとよしてください……

こらこらこら……落ち着こうよ……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「耕也、来てるわよ奴ら……」

 

そう危機感を募らせながら俺に忠告してくるのは風見幽香。俺の良き友人であり、頻繁に交流がある妖怪の筆頭である。とはいっても幽香一人しか交流が無いのだが。それに藍はあれから何の音沙汰もないし。

 

仕方が無いので俺が呼んでも呼ばなくても来てくれる幽香と共に時間を過ごしているのだが

 

「ほらほらほら、右下にいるわよ。気付かれちゃうじゃない。ライト消さなくちゃ」

 

「大丈夫大丈夫。奴らはそんなに察知能力が優れているわけじゃないから」

 

傍から見れば何とも奇妙な会話が繰り広げられているのだ。

 

それもそのはずで、俺たち二人は目の前にある一つのものに目が釘付けになっている。

 

「スタミナがBADじゃない。レトルトシチュー食べなきゃ。あと粉塵と水分不足も」

 

「わかってるわかってる。大丈夫だって。………あ。やっべぇっ! 気付かれた!」

 

俺の情けない声に反応するかのように、幽香は焦った声で叫ぶ。

 

「だから言ったじゃない! 早く逃げなさいよ! 正直妖怪の私でも怖いわよこれ!」

 

「やべえやべえ! 逃げろ逃げろ。こいつやけにスタミナあるんだけど!? どういうことなの……」

 

「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ! 早く逃げなさいよ!」

 

そう言われながらも俺は必死に回避して回避して何とか生存しようと逃げ回る。

 

だが、敵はあまりにもしつこすぎる上に速度が同等なため中々逃げられない。

 

「うっそだろこんちくしょうっ! 挟み撃ちとは卑怯な。…………ああ、待った待ったそれは反則だってっ! ぎゃあ、やられた……」

 

「いやあ~っ! 怖すぎよこれ。難し過ぎじゃないのこのゲーム」

 

「BLACK LABOはちょっと俺にはきついものだというのがよく分かった……。うわ~無理だこれ」

 

俺たちは、偶にはゲームというのも面白みがあっていいものだという訳でやっていたのだが、正直なところ朝っぱらから何やってんだというレベルである。

 

面白いのだが、難し過ぎて攻略は不可能に近い。単に俺が下手なだけなのだろうが。

 

それにしても俺がゲームをしてられるというのは本当に平和な証拠である。最近は妖精の悪戯もあまり聞かないし、さらに妖怪のやっている襲うという話もあまり聞かない。

 

まだまだ妖怪の跋扈している時代だというのに一体何が起こったのだろうか? 単に俺が働き過ぎたせいで妖怪が寄り付かないのだろうか?

 

そこで俺は一つの仮説を立ててみる。

 

もし、先の鬼との決闘が影響しているのだとすると?

 

その鬼との決闘のせいで妖怪たちの活動がもっと控えめになってしまったとか? 俺の活動範囲を中心として。

 

いやあ、まさかそんな。いやそんなバカな。鬼と戦ったせいで職が無くなるとか勘弁してよ? いや、喜ばしい事なんだけど、俺の懐が色々と寂しくなったり……。

 

そんな事を独りでボヤンボヤンと考えていると、家中に奇妙な甲高い音が鳴り響く。

 

はて、これはどこかで聞いたことのあるような…。ああ、そうだそうだ。

 

「耕也。この音何?」

 

幽香も不思議そうな顔をしながら尋ねてくる。おそらく幽香は聞いた事のない音だろう。

 

長らく聞いていなかったので、何の音か忘れてしまっていたが、インターホンの電子音じゃないか。

 

そう答えが頭の中で浮かび上がり、俺は再び鳴らされる音に弾かれるように立ち上がり、玄関へと向かう。

 

「どうやらお客様らしい。幽香はちょっとここで待ってて。もし幽香がいるとばれたら俺がヤバい事になるから」

 

そう言うと、幽香はすでに分かっているかのように手をひらひらさせながら、苦笑して言う。

 

「はいはい、分かってるわよ。さっさと行って稼いできなさいな」

 

俺はその言葉を背に玄関へパタパタと走る。

 

「はい、今行きますので少々お待ち下さい」

 

そう声を呼び掛けながら。

 

そして玄関に向かいながら一つの考えが浮かぶ。

 

やったね。俺にもやっと依頼が来たんだ。いやあ、良かった良かった。

 

そう思いながら扉を開ける。

 

「どちらさまでしょうか?」

 

その声と共に。

 

そして開けた先にいたのは

 

「久しぶりだな耕也。恩返しに来たぞ」

 

久しく姿を見ていなかった藍と

 

「はじめまして大正耕也殿。八雲紫と申しますわ。手紙を読んでいただけたようで、私藍ともども大変うれしく思いますわ。そして何より、こうして現実にお迎えに上がる事ができた事を心から嬉しく思います。ふふっ」

 

妖しい笑みを浮かべた紫が日傘をさしながら立っていた。非常に余計なひと言を添えて。

 

何でここにいるのよ二人とも。それが会った瞬間に浮かんできた一つの感想であった。……てか、手紙書いたのお前らかいな。

 

藍だけならともかく紫は非常に厄介だ。果たして迎えに来たと言ってもどんな要求をしてくるのやら。

 

俺の命をもらいに来たというのだろうか? でもそれは藍がいる手前できないだろう。藍がそれを望んでいるとしたら目も当てられないが。

 

ではもし俺の命を狙いに来たと仮定した場合、一体どんな理由からだろうか? もしかして鬼との決闘のせいで妖怪の活動を弱めてしまったから制裁に来たとか?

 

分からない。それに、もし俺が邪魔だったら住居燃やして速攻で暗殺の一手だと思う。だったら殺しに来た可能性は低いと見るべきか。

 

自分の妄想に否定をしてさらに別の考えを出す。

 

だったら、一体どんな理由なんだ? 俺の頭だとこれ以上はちょっと分からない。藍の恩返しに付き添ってきたというのも変な話だし。

 

あ~、分からん。藍もいるのだしそんなに悲観するようなことじゃないと見るべきだとは思うが……。

 

俺は頭の中で少々悩みながらも答えを出せずにいた。

 

そこでふと気付く。

 

やばい、この寒空の中で立たせるのは非常に失礼だ。何より俺も寒い。

 

そう思った俺は客人2人を玄関先で待たせるわけにはいかないので中へ入るようあわてて促す。

 

「た、立ち話というのもなんですし……な、中へどうぞ。紫さん、玉藻さん」

 

俺がそう言うと藍が一歩前に出て、一言言い放つ。

 

「実はな、私はもう玉藻ではなく、こちらにおられる紫様の式、八雲藍となった。以後は藍と呼んでくれ、耕也」

 

「あ、はい。分かりました……」

 

いや、それについては十分、というか前々から知っていたから別に驚きはしない。

 

だがこの藍という言葉を聞いた瞬間に、また非常に厄介な問題点が浮かんできてしまった。知らぬが仏だというのに。

 

そしてこの厄介な問題点を自分の頭で完全に認識した時点でかなりの冷や汗が出てきた。そして俺は表情には出さないものの、頭の中ではそれはもう大慌てであった。

 

マズイ、マズすぎる。この状況は本当にマズイ。冷や汗どころか脂汗が出てきた。

 

俺だけしかいないのなら上がってもらっても構わないのだが、中には………幽香がいる。

 

これだけにはさすがに気付いてほしくないのだが、玉藻が藍に改名した事が幽香にばれた場合、俺に今度は矛先が向いてくる可能性が非常に高い。

 

おそらく問いただしてくるだろう。なぜ前に呼んだ名前と同じ名前になっているのかと。お前は一体何を知っているのかと。

 

これから幽香含めて4人で話し合う事になるのだろうが、とんでもないことになるのは予想に難くない。

 

あんまりのタイミングの悪さに胃がキリキリと悲鳴をあげて吐きそうな気持ちになってくる。

 

吐いた方が楽かもしれない。

 

……ここは俺の家であると同時に陰陽師の家なのになあ……。

 

そして一つ思った事がある。紫と幽香と藍は……というか妖怪達は何でこんなにプロポーションが異次元なんだろう? 胸もヤバいし身体ムチムチですし。妖艶な大人といった感じだろうか?

 

人間を惑わせ、油断させるためだったりするとか?

 

そんなしょうもない事を考えながらも紫たちの後から俺も家の中へと入る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はじめまして大正耕也殿。八雲紫と申しますわ」

 

やはり見た目は唯の凡夫だ。凡人だ。普通だ。

 

確かに鬼との戦いは圧倒的なものだったし、攻撃が効かないという点や物質を創造するという点も非常に素晴らしい。

 

だが、彼の力は一体どこから出てくるのだろうか? ほとんど無条件で物質を創造したり攻撃を遮断したりしている。

 

通常は攻撃や固有の能力、そして防御を発動する際には自分の持つ気や霊力や神通力、妖力、魔力を代償に発動させている。私ですら境界を操るのに膨大な妖力が必要だというのに。

 

一体どんな手品を隠しているのだろうか? だが、見た感じでは礼儀正しい青年。……全く分からない。

 

しかし、私を案内する際に非常に怯えていたような気がしたのだが……もしかして私の存在に対してなのだろうか?

 

だとしたら私が単に過大評価のし過ぎなのだろうか?

 

だとしても結果は変わらない。色々話を聞いたら攫ってしまえばいいのだ。そう、攫ってしまえば。

 

藍は元々この案に大賛成だったし、友人の幽々子も初めての男友達という点でも喜ぶだろう。

 

そして私の数少ない友人の一人となってくれれば……。

 

そんな淡い希望を抱きながら玄関内へと入っていく。

 

中は思ったより、というかまるでこの時代とは思えないほどの精密さを誇った内装であり、床は光を反射するほどのツヤが出ている。

 

何だか自分が場違いな所にいるような感覚さえ覚える。この国にこんなにきれいな木の床があっただろうか?

 

おまけに藍はさも当然とばかりにスイスイと進んでいってしまっている。

 

だが、ここで私がこの雰囲気に飲まれるわけにはいかない。交渉がうまく進むようにしなければ。上手くいかなければ結局攫ってしまうだけなのだが。

 

そんな事を考えながら足を進めていくと、ふと小さな妖力を感じる。人間の家に妖怪が?それも陰陽師の家に?

 

おまけにその妖力の持ち主は私も意識しなければ気付かないほどだ。しかもこれは意図して抑えているようだ。一体どんな化け物がいるのだこの家は……。

 

全く、耕也だけなら楽に話が進められたのに、なんで余計な妖怪がいるのだろうか?さっさとどこかにほっぽり出してしまおうか?

 

そう思いながら通された居間に入っていく。

 

そしてそこで目にしたのは、ものすごく不機嫌な顔になっている女妖怪と藍がいた。

 

一体どういう事なの……?

 

そんな感想が浮かんでくると同時に耕也が居間へと入ってくる。

 

そしてこの光景を見て一言

 

「もう勘弁してよ……。胃に穴が空いちゃいそう……」

 

という何とも情けない声が聞こえた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「何であんたがここに来るのよ」

 

「おや、これは異なことを言う。私は耕也に恩を返しに来ただけだぞ? それに私の主も耕也に会いたがっていらっしゃるのだしな」

 

そう言いながら出会った矢先から超険悪ムードである。

 

頼む。藍は自分の名前をここで言わないでくれ。頼むから。バレたら後で俺に矛先が向くんだからさ。

 

いや、もうほんとお願いします。

 

だがさらに、いつどう転ぶか分からないほどのヒヤヒヤものの口論は増していく。

 

「あらあら、尻尾巻いて逃げた女狐が一体どの面を下げてこの家まで来たのかしら?」

 

「おや、そんな事を言う割には何の進展も無いそうじゃないか。全く唯の乳臭い子供だったのか?」

 

ああ、やめてくれ。頼むからこれ以上俺の胃に負担をかけないでくれ。これ以上酷い事になったら家が吹っ飛ぶ事態になりそうだ。

 

だが、俺の希望もよそに2人の話はさらに過熱していく。

 

「へえ、言ってくれるじゃない。唯の尻軽女がねえ?」

 

「それで一本取ったつもりなのかな? 行き遅れ」

 

「玉藻あんたいい度胸してんじゃない」

 

あ、やばい。幽香その言葉を言ったら藍が反応しちまう。

 

おそらくこの展開だと藍が自分の名前を暴露してしまうような気が……。

 

そして俺の予想通りに藍が言ってしまう。

 

「私の名前はもう玉藻ではない。紫さまから授かった名前、藍という立派な名前があるのでな」

 

あ…言っちまった。

 

「あらら、ついに飼い主から名前を…………なんですって!?」

 

そう言いながら幽香は俺の方にものすごい勢いで首を向け、とんでもない睨みを利かせてくる。

 

一体、あの時お前の言った名前がなぜ今出てくるのだとでも言うかのように。

 

幽香のあまりの大声に俺たちは一様に驚き幽香に視線を向ける。

 

だが、俺だけは幽香の驚きようを理解していた。

 

やっぱりそういう反応が妥当だよなあ。分かってはいた事だけどいざ直面すると結構きつい。言い訳なんて全く用意してないし、今回ばかりはかなりきつい。

 

俺は何とかこの事態を打破しなければならないと思いながらも彼女らに話題転換のために話しかける。

 

「まあまあ、幽香も藍も落ち着いて。な? な? ほら、紫さんを立たせたままだと失礼だし。え~と、では紫さんもお座りになってください」

 

そう言うと彼女は微笑みながら頷き、藍の隣に座る。

 

一方幽香は不満たらたらな表情をしていたが、さすがにここで怒るのは良くないと判断したのか、渋々ながら座る。

 

そして俺は四角い卓袱台の紫と藍の対面に幽香と俺で座る。まるで面談みたいだ。

 

俺はこの場に何かが足りないと思い、短く思考して結論を出す。

 

あ、やっべ、お茶を出さなくては。

 

思い立った俺はすぐに立ちあがりお茶を持ってこようとする。

 

「ちょっと失礼します。すぐにお茶をお持ちしますので。」

 

そう言って台所へと急須などを取りに行きお茶を入れにいく。さすがに目の前でお茶を創造するのはあまりにも失礼すぎるし、それにこれがもとで何かされたら溜まったもんじゃない。

 

俺はすぐにお茶を入れてこぼさないように、しかし迅速に持って行き、何とか不機嫌にならないように配慮する。

 

藍ならともかく紫は妖怪だ。ゲームの時代ならともかくこの時代の紫はどんな心を持っているのか分からない。胡散臭いのは確かだが。

 

とりあえずは妖怪と人間には差があるという認識はあるだろうから御機嫌とりぐらいはしなければ。

 

だから俺は静かに襖を開けてサッサと彼女らにお茶を配る。

 

「粗茶ですが」

 

この言葉も忘れずに。

 

そして配り終えると俺は自分の席へと戻って正座する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しばらく茶を飲む音と、ときどき俺が足を痺れないようにたびたび擦る音が響き渡る。

 

何時まで経っても会話が始まらない。何かヤバい事でもあるのだろうか? 幽香は相変わらず不機嫌そうに藍の方をジト目で見ている。

 

いい加減にしてほしい。これ以上俺の胃に負担がかかったら……。俺だけなんだぞ? この場で一番の場違いな奴って。さっさと終わらせたい。

 

そして温かい鍋を食べてだな…。あったかい風呂にどっぷりと浸かってだな。チャッチャと寝てしまいたい。

 

俺は緊張感のあまり現実逃避を少々はじめてしまった。だが仕方が無いと言えば仕方が無い。誰だって現実逃避したくなるだろう。

 

なんせこの場にいるのは幽香を含めて大妖怪ばかりなのだ。皆俺よりも長く生きてそうだし…紫はどうなのかは分からんが。

 

おまけに紫が目の前にいるということ自体が一番の大問題なのだ。この中で一番強い。それに境界を操る力も持ち合わせているもんだからもう手に負えない。

 

もし戦った場合、幽香をかばって戦う事は厳しいだろう。…………やっぱ心配性だな俺は。

 

この静寂の中で色々と考えていると、ついに紫が茶を飲み終わって口を開いた。

 

そしてその言葉が放たれると同時に俺の思考はしばらく停止した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「大正耕也殿、率直に申し上げますわ。私の式になって下さらないかしら? もちろん藍の式になるのでもいいのだけれど。いかがかしら?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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47話 お断りいたします……

俺は逃げても良いんじゃないか……?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「え~っと、お聞きしたい事があるのですが、式って……自分をですか?」

 

すべて分かっているのだが、あえて聞き違いだと見せかけて念のために尋ねてみる。

 

そう言うとその通りと言わんばかりに妖しい笑みを浮かべてゆっくりと、しかし大きく頷きながら口を開く。

 

「その通りですわ。耕也殿。私の望みであると同時に藍の強い希望ですわ」

 

そう言いながらさらにニッコリと誰をも魅了するような笑顔を浮かべる。

 

さらに紫の言葉の後に藍が続いて口を開く。その表情は真剣であり何者の意見を撥ね退け、押し通すという意思が読み取れる。

 

「耕也、私からもお願いだ。私達と一緒に来てほしい。そうすれば私も恩返しができる上に、生活の不自由もさせない」

 

一体なぜ俺に式になってほしいのかが全く分からんが、一つだけ分かった事は、藍が俺に本気で恩返しをしたいという事だ。

 

だが、実際の所そんな大層な事をしなくても飯を作るとか、掃除を手伝うとか、そんな些細なことで十分なのだ。だから式にならずともいいのだ。

 

そして今回の式という事について少々考えてみる。

 

今回の紫と藍が要求する俺が式になるという事には大きな壁が二つある。それは俺の持つ領域である。

 

もし紫か藍、どちらでもいいのだが俺を式にしようとすると、ここで1番目の問題が発生する。もし俺に何らかの術、呪文、札などを張り付けて式にしようとしたら、直ちに領域が反応して神秘的なものを無効化する。

 

おまけに害的干渉をしようとしたならば余計である。例えば無理矢理俺を従わせるための式など。

 

2番目の壁としてもし、仮に俺が内外の領域を解除して式を受け入れたとしよう。そしていつもどおりに何も考えずに領域を発動させたらそこで効力を失ってオジャンである。

 

この考えをもとに結論を出すとしたら……無理じゃね? どうやっても俺は式になれんぞ? おまけに確か式というのは主と同等の力を得る事ができるのだ。つまりは妖力も得るという事。

 

つまり俺が紫か藍の式になったら、その大き過ぎる妖力で身体が崩壊するばかりか、命の危険を察知して領域が強制的に発動する。

 

…………やっぱり無理じゃん。どうすんべよこれ。

 

あ~もしかしてこの話を持ち掛けたという事は、俺にはとんでもない霊力とかが内在しているとか勘違いしているのではないだろうか?

 

もしかして最強の陰陽師だとか言われているからそれが独り歩きしてしまったとか……。

 

でも実際そう思われても仕方が無いよなあ。ひょっとしたら人妖の境界を操る可能性も無きにしも非ずだし。

 

幽香にだって俺の力についてはほとんど話してないし……。

 

そんなことをヤインヤイン考えていると、突然隣から大きな破砕音がしてきた。

 

思わず俺はその音の発生源に振り向く。

 

そこにあったのは……………卓袱台の角を大きく破損させ、湯呑を粉砕させ、木の破片を手にしている幽香だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふ、ふふふ、随分とふざけた事を言ってくれるじゃない…? ねえ、藍、八雲紫?」

 

そう言った幽香の瞳はどす黒く、まるで全ての光を吸収してしまうかのように濁っていた。

 

正直もう胃に穴が空くとかじゃなくて、むしろ胃がもげそう。

 

余りの怒りの為か無表情に近い顔となっている。しかし幽香の表情を見ているうちに俺の中で一つの疑問点が湧いてくる。

 

一体なぜ幽香が怒るのだろうか? と。

 

だが、俺が怒るのなら分かるが、幽香が怒る理由が見つからない。確かに良き友人であるが、紫と藍の発言程度で怒るほどのファクターがあるとは思えない。

 

一体何が彼女の逆鱗に触れてしまったのだろうか? ここまで怒っていると、悪くない俺まで怒られている気分になり、なんだか謝ってしまいそうになる。

 

友人の事をないがしろにされたという訳で怒っているというのならば、嬉しいのだが……。

 

しかし俺の事をよそに幽香はさらに言葉を紡いでいく。

 

「あのねえ………一つ言っていいかしら?」

 

それにこたえるように、挑戦的な目をしながら紫が答える。

 

「ええ、どうぞ」

 

そして幽香は一つの言葉を発する。それは俺にとっても非常に予想外なものであり、同時に俺の中でなぜ? という疑問が湧きおこるものだった。

 

「耕也はねぇ、私のモノなのよ。八雲」

 

………え? 俺モノ扱い? という考えが一瞬生まれたが、すぐさまそれを否定して別の考えを浮かべた。

 

俺が幽香のモノってことはもしかして…いや、もしかすると? だが、分からない。そんなことは……。

 

だが、考えてみればそうなのだ。藍に関する話の異様な食いつき方、一々惚れているだとか誑かされているだとか。

 

そんな事を普通は友人に言わない。誑かされているという言葉なら、ひょっとしたら友人として言うかもしれないが。

 

だが、それも惚れているだとか、他の女の話をしただけで不機嫌になるという事を鑑みると…。

 

その思考の続き、結論は紫と幽香の行動によって遮られてしまった。

 

「あらあら、何を言っているのかしら。彼は今現在誰のモノでもないのよ?」

 

それを聞いた幽香は無表情から冷たい微笑みへと表情を変化させ、口を三日月のようにニヤリと開く。

 

「ふふふ、誰のものでもないということなんて関係ないわ。私が一番長く同じ時を過ごしているのだもの。あなた達が入り込む余地なんて無いのよ?」

 

そう言うと、幽香は紫と藍に向かって手をかざす。そのかざされた手からはとんでもなく濃密な妖力が立ち上り、どれほどの殺意を込めているのかさえも良く分かる。

 

幽香の突然の攻撃態勢に俺は驚きつつも、性格を把握していたので落ち着いて対処することにする。

 

俺は幽香の肩にそっと手を置いて、妖力などといった余計な力を消しさる。

 

幽香は自分の持つ妖力が一瞬にして消えた事に気付き、こちらを振り向き俺を咎める。

 

「耕也…………、これはあなたと私だけの問題じゃないのよ? もしあなたがここで八雲の式になったとしたら、あなたを頼っている人達はどうすればいいのかしら? 不安要素はここで排除するべきではないかしら?」

 

確かにそれは分かっている。だが幽香の行動は性急過ぎるし、何よりこれほどの妖力を見せつけられても一切動じない紫を相手にするとなるとかなり厳しいであろう。

 

幽香自身も分かっているはずなのだ。藍という大きくアジアを揺るがせた大妖怪を、式にして従わせるという事が並大抵のことではないということぐらい。

 

おそらく紫の場合は能力に依存している部分が大きいからどうなるかは分からないが、おそらく紫が勝ってしまうだろう。

 

だから、幽香の為にも俺はたしなめなくてはならない。

 

「幽香、分かってる。分かってるから今回ばかりは引いてくれないか? 幽香の自尊心を傷つけることになるかもしれないが、とりあえず引いてくれ。後で何でもするから」

 

その言葉を聞いた幽香は血が出るのではないかというほどに拳を握りしめ、肩の力を落とす。

 

そう、自分の中である程度の整理を付け、それを消化したかのように。

 

「はあ、……分かったわよ。任せるわよ。納得が全然いかないけど」

 

そう言いながらかざしていた手を下ろして肩をすくめる。

 

対する紫はすでに幽香の方を見ておらず、俺の方へと向き直っていた。その顔はもう何を言いたいのかがありありと分かるものであった。要は、早く答えを出せ。である。

 

全く、どう考えてもムリなご相談ってやつですよ……。

 

そんな事を思いながら藍の方にも顔を向けてみる。藍は俺の顔をじっと見つめており、俺が色よい返事をする事に期待を示しているのは明らかであった。

 

俺はその表情に申し訳なさをにじませながら、結論を紫に出す。

 

「申し訳ありませんが、式になるというのはお断りさせていただきます」

 

そういうと、部屋の中の時が止まったかのような静けさが包み込み一同に三者三様の表情を浮かべる。

 

紫は予想していたという表情。藍は信じられないという表情。幽香はニヤリとしたそれ見ろと言わんばかり表情である。

 

何ともシュールな光景である。

 

そして俺の放った言葉から少々時間が経ったとき、藍の硬直が解けたのだろう。身をのりださんばかりに前傾姿勢になりながら口早にまくしたてる。

 

「な、何故だ耕也! 私達の一体何が気に入らないのだ。お前が式になれば私達とずっと一緒にいる事ができる上に恩返しもできる。そして衣食住に関しても不自由はさせないのだ。……一体何故!?」

 

「落ち着いて藍さん。自分は何も交流を断つと言ったわけでもないし、藍達の事を大嫌いといったわけでもありません。恩返しだって飯を作ってくれさえすればそれでいいですし、それとは別に俺はこの家が大好きだから離れたくないのですよ。大切な友人もいますし。もちろん藍さんも大切な友人ですし、良い主を持ったと思います。それに紫さんは素晴らしい方だと思いますよ」

 

だが、藍はそれでも納得いかないという顔をしており、さらに口を開く。

 

「だが、耕也……私は「もう良いわ、藍。ここからは私が話すわ。」……かしこまりました」

 

そう紫が藍の話を遮りながら再び口を開く。

 

「大正耕也殿。もう一度お聞きしますが、私か藍の式になるというお気持ちはありませんか?」

 

俺はその言葉に頷きながら否定の言葉を述べる。

 

「無いですね。おそらくなろうと思ってもできないと思いますが……」

 

そう言うと紫は何かが引っかかるのか、不思議そうな顔をしながらも扇子を自分の前にやりつつ目を細める。

 

長年妖怪と良くも悪くも交流をしてきたから分かるのだが、段々と獲物を狙う目になっている。

 

彼女も妖怪だ。人間を襲う……いや、藍と同じく畏怖だけで十分か。このクラスになると。

 

だが、この状況はおそらく俺の不利に働いている。まあ、とにかく戦う事になったらそれなりの覚悟をしないと幽香を失いかねない。

 

どんな攻撃も効かない俺ですら幽香を守り通すのは厳しいだろう。体力もまだ完全に回復しきっていないのだから幽香をどこかに転送するという事も出来ない。

 

自分自身を転送するのだったらある程度できるのだが……。力不足も甚だしい。

 

最悪の事態を想定しながら俺は彼女の答えをひたすら待つ。

 

そして彼女は心の中で何かを決めたのか、口元で広げていた扇子を閉じ、俺に向かって指をさすように向ける。そしてニヤッとした笑みを浮かべながら俺に対して一言放つ。

 

「では、仕方がありませんわね。元々藍も望んでいたことだったのですが、私という大妖怪を前にしてのその胆力、実に見事ですわ。私自身は式にするという望みはそこまで高くはありませんでした。ですが会話をしていく内にその内面と共に実に稀有な人と分かり、ますます欲しいと思いまして。ですので、失礼ながらここは妖怪の常套手段を使わせていただきますわ」

 

そして俺の視線に合わせるように向けられた扇子は紫の手の動きに合わせて軽く振られる。

 

その動作は、たった一つの短いでありながら実に妖艶であるものだった。

 

そして振ったと同時に非常に美しい笑顔を浮かべて俺にとっても予想の内の酷いレベルの言葉を言い始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「攫わせていただきますわ。耕也殿」

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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48話 そりゃあムリな話ですよ……

なにせ能力効きませんし……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「攫わせていただきますわ。耕也さん」

 

私はその言葉と共に一度緩く振った扇子を反対側に強めに振る。そして後は妖力を込めるだけ。

 

こうすれば彼の足もとにスキマができて目的は達成だ。もしこの後、あちらでも抵抗するようならば身体を凌辱して徹底的に屈服させてしまえばいい。身体を快楽漬けにしてしまえば心がついてくるのは容易い。

 

拷問よりも遥かに早く、そして最も効率的なのだ。なぜならば抵抗する意思があるとそれだけ式にする事が難しい。おそらく耕也は抵抗するはずだ。長年住んでいたあの家に対して非常に執着していたのだから。

 

まあ、篭絡は経験豊富な藍が主導となるだろう。……私は、その、うん。知識としてなら豊富…。

 

だが、どのみち私達の式となれば彼は藍や私と同じ永い寿命を得る事ができるのだ。そして私の数少ない友人として。いや、もはや家族だろう。藍の意向も採用すると。

 

私は、そんな攫った後に描かれるであろう未来を少しだけ考えながら彼を攫う為に力をふるう。

 

今まで私の力を遮る事の出来たものはいない。おそらく耕也も物理的な攻撃関係を防ぐにとどまるのだろう。鬼たちの戦いを一部始終見たのだが……勇儀といったか。あの鬼との戦いでは物理攻撃だけを防いでいた。

 

そして先の幽香の場合は、幽香自身が耕也に触れられた事に気づいて妖力を引っ込めたのだろう。

 

だとしたら概念攻撃の私の力は防げまい。私のスキマにのまれて目的地へと移送される姿が容易に想像できる。

 

私はスキマを形成するために妖力を込める。また後で会いましょう? 耕也。

 

 

 

 

………………おかしい。いつもならすぐさまスキマが開くのだが、何故か開かない。

 

失敗したのだろうか? 彼の座っている場所の真下に開くように設定したのだが。おかしい。

 

そこでふと耕也の表情を見てみる。彼は私の事を見て、まるで何かあったのか? という風に首をかしげているだけである。

 

次に風見幽香の方に顔を向ける。彼女は私の顔を見ながら呆れたかのような表情をしている。まるで何をしても無駄だとでもいうかのように。

 

そして藍は、私の顔を心配そうに見ている。何故私の能力が発動しないのか? といった感じに。私の方こそ聞きたい。一体何故私の能力が発動しないのか?

 

唯私の失敗だったのならば、それほど心配することではないのだが、今回は明らかに違う。能力の使い方は全て合っている。

 

だとしたら何故?

 

私の中で疑問が大きく膨れ上がっていくのが分かる。それと同時に今まで体験したことの無いような焦りが出てくる。

 

風見幽香が何かしたのだろうか? それとも耕也が……。

 

まさか、私が分析を誤ったのだろうか? 自分の懸念の中で最もあり得ないと思っている事だったのだが、それが今現実味を帯びてきた。

 

どうしたものか。大正耕也がもし能力を妨害しているのだとしたら……。

 

おそらくここまでの力を妨害するには非常に高い霊力が必要になってくるだろう。それもとんでもない水準の。

 

もし彼がその霊力を持っていると言うのならば、納得できる。さらに全くと言っても良いほど霊力を感知させない隠密性。凄まじい。

 

そんな事を考えている内に、耕也から話しかけて来た。

 

「あの、紫さん、攫うだなんてそんな物騒な。もっと落ち着いて話し合いましょうよ。例えば妥協点を探すとかそういった感じで。」

 

確かに妥協点を探すというのも悪くは無い。悪くは無いのだが、今回はそれは却下だ。私の望みに、そして藍の望みにそぐわない。

 

だからこそこの攫うという事はさせてもらわなくてはならない。

 

そして私は、とある事を思い付いた。

 

わたしが耕也に直接触れてさえすればスキマを強制的に開かせる事ができるのではないだろうか?

 

もし私の能力を妨害しているのならば、わざと偽装してやればいいのだ。私しかいないのだと。

 

耕也の持つ身体の表面積の大半を私が覆ってやればおそらくスキマは私しかいないと思ってそのまま開くだろう。

 

何時になく焦っていた私は一気にその不完全な考えを答えであると認識して、行動に移していく。

 

さしあたって触れるのに邪魔な机をスキマに飲み込ませる。そのために膨大な妖力をその場に顕現させ、スキマを展開して排除していく。

 

そしてスキマが机を飲み込んだと同時に私は焦りを悟らせないように笑みを浮かべながら口を開く。

 

「仕方が無いわね。ふふふっ、私が直接案内いたしますわ!」

 

そう言いながら私は突然机が無くなった事に驚いている耕也に向かって一直線に飛び掛かり、押し倒す。

 

「うわっ!」

 

押し倒された耕也は反応できなかったのだろう。そのまま畳の上に私諸共倒れ、驚きの声をあげる。

 

私はそのままスキマを一気に開いて………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うわっ!」

 

突然飛び掛かってきた紫に対して驚いてしまい、情けなくも驚きの声をあげてしまった。

 

領域は、俺の身体にダメージは及ばないと判断したのか、紫を弾き飛ばさなかったが、攻撃なのかどうなのかというギリギリの衝撃は俺を畳の上に背を付けるには十分な力があった。

 

紫は俺の上に覆いかぶさったまま力を使おうとしているのか、焦りの表情を浮かべている。

 

そして俺はなぜこのような行為に及んだのか分からないうちに紫の口から一つの言葉が漏れる。

 

「妖力と能力が使えない……」

 

その言葉と同時に紫の表情が、焦りから一気に驚愕へと変わっていく。

 

そりゃそうだろう。俺は自分の持つ力について一切話したこともないし、幽香にだって全てを話してあるわけではない。無論藍にも。

 

おそらく俺に飛び掛かってきたという事は、一度能力を使用して、攫おうとしたのだろう。まあ、あの動作を見れば分かる事なのだが。

 

そしてさらに、能力が効かないという事に焦って強制的に自分ごとスキマに潜り込もうとしたのだろうか? 状況を鑑みるにこの見解で合っていると思うが。

 

俺はしがみついて茫然としている紫をそっと抱き起してやり、声を掛ける。そして何より、俺の身体に大きな二つの柔らかいモノと、まるで強力な媚薬か何かを思わせるような香りが俺の身体に入ってくるので色々とヤバい。

 

「あの~、紫さん? 俺を連れ去るというのは止していただけませんか? 式になるというのはできませんが、自分にできうる限りのことはさせていただきます。ですからそんなに焦らずともよろしいかと思います」

 

俺は紫の機嫌を損ねないようにできる限り言葉を選んで伝える。今の彼女は、俺が予想するにかなり驚きによって不安定なはずだ。

 

そう、本来ならば俺が怒るべき状況なのだろう。しかし、彼女は唯遊び半分で俺を式にしたいと思ったわけでもないだろうし、何より胡散臭いと言っても真剣な表情で言っていたのだから、怒る気が起きないのだ。

 

第一そんなに怒っていたら俺の胃がもげる。

 

自分の胃の状態を心配しながら俺は彼女様子を見る。紫は段々と動揺を抑えつつあり、自分の座っていた位置までのそのそと戻っていく。

 

「あ、ありがとう……」

 

その言葉を残しながら。

 

俺は幽香の方を向き、話は後で聞くから今は我慢してください。という旨を口ぱくで伝える。

 

幽香は俺に任せると言った手前なのかは分からないが、軽く俺のジェスチャーに頷く。

 

幽香もこれ以上騒ぎを大きくすると状況的に芳しくないと判断したのか、そこまで表情の変化や、態度の変化は見せない。

 

まあ、とりあえずは安心といったところなのだろう。幽香に関して言えば。

 

俺は紫の方を再び見る。幽香とのやりとりの間に落ち着きを取り戻したらしく、冷静な表情を浮かべている。だが、胡散臭い笑みを浮かべる余裕はないと見える。

 

そしてしばらくの沈黙の後、紫が口を開く。

 

「なぜ、私の能力等が通用しないのかしら」

 

そういうと同じ疑問を持ったのか、隣に座っている藍も大きく何度もうなずく。

 

そして幽香も俺の方向に顔をゆっくりと向ける。

 

記憶は多分あっているとは思うが、藍にもこの力を見せたのは初めてだろう。防御に突出しているだけなのだが。

 

俺としては、植物を操るだの、式だの境界だのそっちの方が驚きだよまったく。ゲームの世界の事がこうして目の前に存在するのだから参ってしまう。

 

でも諏訪子や神奈子のほうがスケールとしては大きいが。

 

だが実際の所彼女に俺の事を話すわけにはいかない。前に幽香に同じような事を聞かれたのだが、どんな影響があるのか分からないから適当にはぐらかした。

 

だから、今回の件も適当にはぐらかしておきたい。できれば素性などについてはずっと。

 

よっておれはそれとなく不自然の無いように

 

「いや~、それについてはちょっとですね。えっと………………勘弁して下さい」

 

言い訳をしようと思ったができなかった。言い訳が全く浮かばない。

 

攫おうとした妖怪に嘆願とか情けなすぎて泣けてくるよ。でも仕方がない。咄嗟に聞かれた上にいきなり抱きつかれたのだから少々俺も動揺してしまっているのだ。

 

一応言葉の上では平静を装っているが。

 

そして俺の言葉に幽香は予想通りとばかりな雰囲気を出して紫の方を見やる。

 

紫はやっぱりといった感じの表情でカラカラと笑いながら言葉を放つ。

 

「ですわよね。そんなに簡単に自分の正体を吐露する人なんていませんわよね。ふふふっ。でも、私の能力と妖力、さらには物理攻撃を完全に防いでしまうその反則な力。いや、創造もしてしまうのでしたっけ? ふふっ、本当に見事よ。それでこそ藍が認めた男。まあ、内面の方が評価は断然高いらしいのですが」

 

これは素直に褒めていると認識してしまっていいのだろうか? なんだか裏があるような気がしてならない。

 

そして紫の言葉を聞いているうちにひとつ疑問が湧いてきた。俺の能力について何も話していないのにもかかわらず、何故物理攻撃を防いだり、創造するという事について知っているのだろうか?

 

なんかもやもやするので少し聞いてみる事にしようか。もしかしたら風のうわさで聞いたのかもしれないが。

 

「では、私からも。なぜ、私が能力について何も明かしてもいない、実演してもいないにもかかわらず能力を知っているのですか?」

 

どうせ答えてはくれないだろうという予想を立てながら言ったが、俺の予想が見事に当たった回答をしてくれた。喜べない事であるが。

 

「ふふっ、それはどうかしら? あなたが能力を使う場面なんてそこらじゅうにあるのではないかしら?」

 

そして紫の顔は、自分の事を話してくれないのに此方が話すなんて事はしないわ。という感じである。

 

全くその通りであります。何とも虫のいい話を持ち掛けました。すみません。

 

俺がため息を吐くと同時に今まで黙っていた幽香が口を開く。

 

「ねえ、もうあなた達の目標は達成できないという事は分かったのでしょう? だったら早く帰りなさいよ」

 

幽香……、そんなに邪険にしなくても良いじゃないか。そんな事を思っていると、目の前にいる紫が扇子を振るってスキマを開く。

 

「先ほどは大変失礼いたしました。机をお返ししますわ。本当は攫ってしまいたかったのですが……」

 

物騒な事を言って苦笑しながら紫は、スキマから先ほどの卓袱台を元の位置に置く。相変わらず幽香の位置の角が大きく破損しているが。……まあ、後で直せばいいか。

 

そして紫は扇子を開いて口元にやり、最初の時のような胡散臭い笑みを浮かべて一言言う。

 

「今日はここで引かせていただきますわ。でも、諦めておりませんわ。いつか攫って差し上げ、必ず私達のモノにいたしますので御覚悟を。では今度会う時は、……矛盾しておりますが友人として、ね?」

 

そういうと少し顔を赤くしながらスキマを開き、藍を促して紫はスキマへと潜っていく。

 

そして潜る前に今度は藍が、紫のいない事を確認して俺の方に歩み寄り耳元に口を寄せてくる。

 

俺も藍が話しやすいように立ち上がり耳を寄せる。

 

「紫様はな、ああ見えて結構な寂しがりで、だから今回の攫うというのは突発的にやってしまったのだと思う。私達大妖怪というのは、非常に孤独になりやすいからな。私にとっても今回の式にするという事以外は予想外だったのだ。そして耕也だったらこの理由は分かるはずだ。……また後日来るからその時は、な?」

 

その声はどことなく不安そうな声であり、いかに主を心配しているのかが分かるものであった。

 

だから俺は藍をこれ以上心配にさせないためにも言葉を紡いで安心させてやる。

 

「うん、分かってるよ。怒って無いから安心しておくれ。あれぐらいじゃあ俺は怒らないよ」

 

その声を聞くと藍は心底安心したような顔を浮かべて

 

「ありがとう。お前で良かったよ」

 

と礼を言ってくる。俺もなんだかむずがゆくなって一緒に少しだけ笑ってしまう。

 

そして藍は残ったスキマに身体を滑り込ませて帰っていく。

 

最後に

 

「また来るよ」

 

一言残して。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いやあ~、何とか無事に終わったか。まるで嵐が通過したみたいだ」

 

そんな感想を述べながら背伸びをして緊張をほぐす。

 

そして幽香の方に向いて、今晩の飯はどうするのか聞く。

 

「幽香、今夜の飯はどう………どうしたんだ?」

 

幽香は立ち上がっているのだが、少し俯いており、前髪のせいで表情が見えない。もしかして体調でも悪いのだろうか?

 

そんな不安が脳を駆け巡り、急いで彼女の方へと向かい、気遣いの言葉を言う。

 

「幽香どうし」

 

しかし言葉を言い終える前に幽香が突然歩み寄って俺の胸倉をつかむ。

 

そして掴みながら俺に体重と力を込め、後退させ、壁に俺の身体を押し付ける。

 

そのままの態勢で、幽香は暗い瞳をしながら俺の耳に顔を寄せて一言つぶやく。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねえ…………………………なんであの女狐は藍という名前だったの? 前にあなたがよんだ……ねえ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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49話 本当に俺って奴は……

それでも話せないんだ……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ゆ、幽香……いきなりどうしたんだ……?」

 

だが、幽香は顔を近づけながらも何も言葉を発さない。

 

俺は彼女の言う言葉を理解しながらも脳内ではそれについて答えたくは無いという考えが覆い尽くし、幽香に再度聞き直してしまう。

 

おおよその幽香の質問の答えは自分の脳内で片が付いている。しかし彼女は前回、俺に対して問いただした時に理由は聞かないと言っていた。

 

だが、幽香は俺に対して怒りを差し向けている。ああなんてこった、あの時迂闊に俺が変な事を言わなければこんな事にならなかったのに。

 

しかしもう遅い。俺が実際に口に出して言ってしまったのだ。時間は戻せない。

 

俺は押しつける力が徐々に強くなり、顔を接触寸前まで近づけてくる幽香に俺は半ば無駄だろうという諦めの考えを抱きながらも、幽香を何とか説得しようとする。

 

「幽香、言ったじゃないか。理由は話せないって。そして幽香も俺には理由を聞かないって……」

 

だが幽香は俺の言葉を無視し、その誰もが見惚れるような美貌を俺の耳付近にまで近づけ、艶めかしく、ねっとりとした甘い吐息を当てながら言う。

 

「それはそれ……これはこれよ……状況が変わっているのが分からないのかしら? ふふっ、私の想像を遥かに超えていたわ。まさかあれが……未来の事だとは……ね……?」

 

その妖艶な声を耳元で聞いた俺は、背筋に寒気とは別のゾクゾクとした感覚が駆け巡り、身体を小刻みに震わせてしまった。

 

それはまるで筋弛緩剤か何かのように、俺から幽香を押しのけようとする腕の僅かな抵抗感を綺麗さっぱりに消し去ってしまった上に、僅かに胸が締め付けられるような感覚を覚えさせる。

 

幽香は敏感にその事を感じ取ったらしく、口角を上げつつ、だらりと垂れてしまった俺の両手に、自身の陶器のごとく美しく、とても温かい両手を絡めてくる。

 

そして俺が逃げられないようにするためか、身体を密着させ、その衣服を弾けんばかりに押し上げている豊満な胸を俺の胸板に押し当ててくる。

 

幽香は濁った眼をより一層鈍く光らせ、さらに一言

 

「さあ、答えてもらえないかしら?……なぜ、あの女狐の名前が藍という名前だったのかしら?」

 

と言ってくる。

 

幽香の質問に俺は端から答えるつもりはなかった。これは次元の違う話なのだ。彼女も到底受け入れられる話ではない。

 

もし俺がどこかの会社のゲームの存在だったら相当落ち込むだろう。そう、悲観的になるはずだ。

 

俺が単に落ち込みやすいというだけの話かもしれないが、彼女は妖怪。この世界にいる人間に比べて精神的に相当弱いはずだ。

 

だから…答えるわけにはいかない。

 

俺は身体に力が入らない事を自覚しながらも、彼女の質問に答えられないという事を意思表示する。

 

「………幽香、……本当にすまないが、こればっかりは答えられないんだ。申し訳ない……」

 

俺がそう言うと、幽香は俺の返答に満足するわけは無く、さらに身体を押し付け、顔を目の前に再び持ってくる。

 

「耕也…? 私の顔を見なさい。……そんな返答で私が満足するとでも思っているの?」

 

その美顔に存在する二つの眼は、もはや光すら無くなり、俺の心の中の恐怖心を引き出すには十分なものであった。。そしてその歪んだ笑みは俺の脚からの力を抜き去ってしまうほどの脱力感を生じさせる。

 

俺はその脱力感に素直に従い、押し付けられている壁に寄り掛かりながらズルズルとその場にへたり込んでしまう。

 

そして先ほどまで全く感じなかった喉の口渇感が急激に湧きおこり、ただ幽香の歪んだ笑みの前で口を閉じたまま小刻みに震わせることしかできなくなってしまった。

 

何でこんなに怖いんだ? 唯詰問されているだけだというのに。

 

俺が本能的な部分で何かに恐怖しているというのは分かるが、だが、これほどまでに嫌な恐怖を味わうのは初めてだ。

 

俺はそんな考えを脳に浮かばせたまま、何とかして幽香との妥協点を探ろうと必死になってしまっている。

 

だが、その妥協点を探しても一向に良い案が浮かばないために、俺は再度同じような事を繰り返して言ってしまう。

 

「幽香。……納得できないのは分かっている。だが俺にとってはこれはどうしても話せない事なんだ。…………分かってくれ」

 

彼女に全てをぶちまける事ができたら一体どんなに楽だろうか? 俺が幽香に言葉を言ったと同時にそんな逃避の考えが浮かんでくる。

 

そんな考えを読み取ったのか、幽香は俺に覆いかぶさるように体重を掛け、俺に諭すように囁く。

 

「もうこんな苦しい状況は嫌でしょう? さっさと喋ってしまってくれないかしら?……そうすればお互いの利益になるし、良い事だと思うのだけど……?」

 

それは誘惑の声なのか、それとも脅しの声なのかは判断がつかない状況のまま、俺は彼女の言い分に耳を傾けてしまった。

 

その声はやはり妖怪の成せる業なのか、俺の解放されたいという欲望を程良く刺激し、思わず口を開いてしまいそうになる。

 

いや、………でも俺は幽香の事を大事な人だと思っている。だからこそ

 

「わ、悪いけど……絶対に話せない」

 

断腸の思いで彼女の言い分を退ける。

 

だが、幽香は俺の最終的な回答を聞くや否や、途端に今までの歪んだ笑みをクシャリと崩壊させ、次には怒りの表情と、同時に大粒の涙を溢れさせながら、まるで懇願するかのように

 

「なんで答えられないのよ。…そんなにあの女狐との逢瀬が恋しかったの!? そんなにあいつの、あいつの……。…………くっ、どうなのよ!」

 

大声で、そして幽香自身の追い詰められた心を曝け出すような口調で言う。

 

彼女の言い分はおおよその理解の範囲にある。おそらくは俺の事を……。

 

幽香の言葉を聞き、何も言い返せないまま下を俯き、自分の服にポタリポタリと滴り落ち、濡らしてくる大粒の涙を眺めながら

 

「違う。本当に違うんだ。藍と会ったのはあの時に助けたのが初めてなんだ。お願いだ信じてくれ」

 

俺がそう言うと、さらに大粒の涙を流しながら顔を俯ける。

 

しかしすぐに顔を上げ、先ほどよりもさらに静かな声で囁く。その表情はもはや悲哀以外の何物でもない顔であった。

 

俺は幽香の顔を見た途端にさらなる罪悪感と後悔の念が一気に押し寄せ、俺の心を埋め尽くし、何も言えなくなってしまった。

 

そして幽香は、俺に対してぽつぽつと自分の表層上の言葉ではなく、自分の今思っている本当の思いをぶちまけてくる。

 

「……私はね…不安なのよ……。あなたが私を置いてどこかへ行ってしまうのではないかって……」

 

俺はその言葉を聞いたと同時に、自分の中に彼女を不安にさせてしまった罪悪感が芽生えてくる。

 

彼女に全てを話す事ができたらどんなに楽な事だろうか? そんな考えが浮かび、さらに俺の胸を締め付ける感覚が増してくる。

 

そしてさらに幽香が言葉を続けてくる。

 

「私はあなたが来るまではずっと孤独だったのよ?それは貴方も分かっているでしょう? だから耕也、あなたに今のように辛く当たってしまうのよ…。不安で不安で仕方が無くて。やっと手にした温かさを失ってしまう事が……。もう嫌なのよっ! 孤独だった頃に戻るのがっ!!」

 

俺は幽香の言葉を聞くと、もうどうしようもないほどの悔しさに耐えきれなくなりそうで、涙すら出そうになってくる。

 

どうして俺は彼女をこんなに悲しませる事をしてしまったのだろうか? もっと真摯に向き合えばいくらかマシになったであろうに。

 

そして俺は彼女の言い分に自分自身の心が耐えきれなくなり、早く彼女を安心させてやろうと、幽香の絡まっている柔らかい両手を優しく振りほどき、幽香を抱きしめてしまう。

 

幽香は俺に抱きしめられたことに驚いたのか、短く「あっ」と小さく声を上げ俺の行動に何の抵抗感も示さずになすがままとなる。

 

俺はそのまま幽香をできる限り強く抱きしめてやり、彼女を安心させるための言葉を述べる。

 

「ごめんよ幽香、約束する。俺は絶対に幽香を見捨てたりして去るなんてことはしない。俺は幽香の初めての友人であり、そして俺にとっても家族同然の良き隣人だ。だからそんなに心配しないでくれ。」

 

俺がそう言いながらさらにさらに強く抱きしめてやると、幽香は俺の腕の中でしばらくされるがままとなった。

 

そしてしばらくの沈黙ののち、幽香が堰を切ったように泣き声をあげ、俺に同じく抱き返してくる。

 

「う、うう、うわあああああああああああ!! あああ、ああ、ああああああああああああああ!!」

 

胸の内の悲しみの全てを吐き出すかのような慟哭はおおよそ30分ほど続き、幽香が泣き疲れて寝てしまうまで続いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

泣きつかれて眠ってしまった幽香を布団へと抱きかかえ、寝かしつけた後に今日起こった事を振り返ってみる。

 

何故か、突然の紫と藍の訪問。一体何が目的だったのか分からなかったが、紫もまた幽香や藍と同じく、己の力が余りにも強大なために自身の周りに本来ならばいるべき存在が離れていってしまった悲しい生を背負った妖怪。

 

彼女も式にしたいというのは建前で、俺と友人になりたかったという不器用な妖怪。藍と紫は本当によく似ている。俺からすれば、ぜひとも彼女たちとは良い友人になりたいと思っている。

 

俺が友人になることで彼女たちの苦しみや悲しみが削がれるのならば俺は喜んで協力しよう。自分ごときでどうにかなればいいのだが……。

 

そして幽香は……もう本当に申し訳ないと思っている。俺が態度をはっきりせずにはぐらかし、誤魔化してばかりだからこんな苦しい思いを限界まで溜めこませてしまったのだ。

 

俺は自分の行動を反芻しながら幽香の事についてどうしようもなく馬鹿だと思い知らされる。

 

その事を払しょくしたいのか、ただかき消したいのか分からないが、両手で自分の頭をガリガリとかきむしってしまう。

 

くそったれ、もっと気の利いた言葉はこの口から出なかったのか。と。

 

おそらく幽香は俺に対して……………好意を持っているのだろう。だから藍や紫との対面時にあんな行動や、自分のモノだと言い張ったりしたのだろう。

 

だが、俺は彼女と釣り合うとは到底思えない。確かに友人までなら分相応だと思う。しかしそれ以上の関係となると……。

 

俺は行きつく結果が予想すればするほど酷いものになると自己完結し、暗い気持ちだったものがさらに暗くなってくる。

 

そしてさらに、自分の出身、次元の違い等の詰問は勘弁してほしい。もうこれ以上は誤魔化せそうにない。

 

本来ならこんな事はサラッと流していつも通りの生活に戻るはずなんだが……。

 

もしこれからも同じような事が起きたら、藍、紫といった者達からも同じような詰問を受けることになるのだろうか?

 

ちょっとこればっかりは勘弁してほしい。幽香は何とか説得することに成功したが、実際の所は根本的な解決には至っていないから困る。

 

そこまでの考えを浮かべた後にふと一つの可能性を新たに思い浮かべる。

 

俺はいつの日か彼女たちに自分の事について話してしまうのだろうか?

 

もし話す日が来て、そして俺が素直に話してしまったとしたらどうなるのだろうか?

 

紫達の反応は? 影響は? 俺は? 一体どうなってしまうのだろうか?

 

余りにも未知の部分が多すぎて恐ろしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

このまま幽香が引きさがってくれると嬉しいのだが……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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50話 幽香は怖い……

身体に害が無いからってそんな……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

耕也の胸の中で泣いてしまってからもう3日か……。

 

もう、私の心の中には耕也という存在が、無くてはならないというほど大きくなっているという事を再認識させられた。

 

初めて友人という存在を、孤独という耐えがたい鬱屈とした状況から脱出するきっかけを作ってくれた稀有な人間。

 

素性は全く分からない。私の我儘も色々と聞いてくれ、尚且つ妖怪だからと言って危害を加える事が無い人間。

 

私は彼に完全に依存してしまっている。もはや彼が居なくなってしまったらもう二度と心を開くことは無いだろう。

 

それほどまでに彼と接していたい。

 

私はそんな事を思いながら寝がえりを打つ。

 

「私は……耕也に必要とされているのかしら……。あんなにしつこく素性や発言についてきつく問いただしたのだからあるいは……」

 

そんな消極的な考えが頭の中に浮かんで、つい無意識のうちに口に出してしまう。

 

口に出した途端に私は自分の言ったことにハッとなり、そんな事を考えたくないとばかりに寝ながら頭をブンブンと振り、その考えを一蹴する。

 

だが、あの優しい耕也の事だ。抱きしめてくれた時にも言っていたように、怒っているという事は無いだろう。

 

それにしても………欲しい。あの存在が。今まで相手にしてきたどんな人間からも大きく逸脱している耕也。

 

もうそろそろ限界だ。もう抑えられない。そう妖怪の本能とも言うべき巨大な欲が首をもたげてくる。

 

だが、障害もまたある。

 

まず一つ、耕也自身の性格だ。あれはいただけない。いくらなんでも奥手すぎる。この私の体型で直接的に接触しているにもかかわらずだ。

 

おそらく引け目を感じているのだろう。だがしかし、すでに私の気持ちには気づいているはずなのだ。あともうひと押しなのだ。

 

そして二つ目は、藍と紫の存在だ。見た限り藍はもう完全に耕也に好意を抱いているだろう。一方紫はそこまでではないが、私のような大妖怪という事もあり、孤独を味わっているはずだ。

 

現に藍も寂しがり屋だと言っていたのだから。だからこそ今後予想される展開によっては絶対に耕也に靡く可能性があるのだ。

 

実力的には私が勝てる相手ではない。

 

そんな事を考えていると、どうしようもない不安が襲ってくる。だがその不安は、同時に私に対してある決意をさせるには十分な要素を持っていた。

 

私は自宅の寝室で一人静かにつぶやく。

 

「覚悟しなさい。……耕也」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「え~と、会わせたい友人がいる……ですか?」

 

そう言うと、目の前に背筋をピンと伸ばして完璧な正座をする紫はその通りとばかりに微笑みながらコクリと頷く。

 

「ええ、そうよ。貴方だったら絶対に仲良くなれるわよ。元に当人に貴方の事を話したら凄く会いたがっていたわよ」

 

そう言うと微笑を浮かべながらいつものように扇子を口元にまで持ち上げ、開く。

 

おそらく幽々子なのだろうと自分の予想を立ててみる。はて、この時代の幽々子はすでに亡霊になっているのだろうか?

 

だが、時代背景がイマイチなものだから確証があるわけではない。しかしこの際どちらでもいいか。接し方が変わるわけでもあるまいし。

 

そんな事を適当に理由づけながら少し渇いた喉を潤すために、手元にある温かい緑茶を啜る。

 

そして俺は紫の横に座っている藍に眼を向けてみる。相変わらずの美貌と妖艶さを備えた身体と顔に、俺は少し眼の向けどころを間違えてしまったと思ってしまった。唯のセクハラになってしまう。

 

俺の視線に気づき、尚且つ俺の狼狽に気付いたのか、途端にニヤニヤしてくる。それにつられて紫もニヤニヤと胡散臭い笑みを浮かべてくる。

 

完全に遊ばれているな俺。

 

俺はさっさとその事を誤魔化すために、その紫の紹介したい友人とやらの名前を聞いてみる。

 

「あの、まあとにかく、その紫さんのご友人のお名前を伺いたいのですが」

 

そう言うと、紫もあらあら残念ね。と言いながら俺の質問に答える。

 

「耕也に会わせたい私の友人の名前は、西行寺幽々子。私の初めての友人であり、彼女もまた自分の能力に踊らされた子よ」

 

やはりそうか。俺は紫の答えに頷きながら、自分の中で幽々子にあった時の場合を考える。

 

亡霊になった幽々子は、生前とは違って自分の能力に嫌悪感を持っておらず、死に誘う事を躊躇わない大胆な性格になっているはず。

 

とすると、俺も友人になった途端に、目の前からおっきな光り輝く蝶が迫ってくるのかもしれない。

 

嫌すぎる。冷や汗出てきた。………接し方を気をつけなければ。

 

「西行寺さんですね。分かりました」

 

紫の言葉を理解したように頷きながら、俺は今後の日程について話していく。

 

「では、どうしますか? 自分としては明後日以降でお願いしたいのですが……」

 

俺の日程について聞いた紫は少し疑問に思ったようで、ちょいと首を傾げながら聞いてくる。

 

「別に良いのだけれども、どうして明後日以降なのかしら?」

 

俺はその言葉に素直に応じ、訳を話していく。

 

「実は、明日は幽香が家に来るんですよ。家でとれた野菜で料理を作るとか何とかで」

 

そう言うと紫は一気に無表情になり、ゴニョゴニョと何かを喋った。

 

「あの女ね……?」

 

その言葉はあまりにも小さな声だったため、聞きとる事ができなかった。

 

俺はその聞き取れなかった言葉を聞きたくなってしまったので、咄嗟に口に出して質問する。

 

「はい? 何て言いました?」

 

俺が聞くと、紫は慌てて表情を取り繕い、おほほと小さく笑いながら誤魔化すように言う。

 

「いえいえ、何でもありませんわ。それよりも、具体的な日程を決めましょう。そうね、明後日以降というなら……4日後というのはどうかしら?」

 

って事は、幽香が帰ってから次の日か。なら大丈夫そうだな。

 

俺は紫の提案した日に特に異論があるわけもなく、素直に了承した。

 

「分かりました。ではその日にしましょう」

 

「ええ、では4日後に迎えに来るわ。藍も、それでいいわね?」

 

紫の問いに、藍は特に不満もなかったようで、素直に答える。

 

「はい、異論はありません。それと耕也、恩返しの件についてなんだが……」

 

俺は恩返しの件について聞かれると、特にする必要はないと答えるため、手をヒラヒラさせながら答える。

 

「いいって、いいって。そんなに気にする必要はないよ。まあ、どうしてもというのなら今度家の掃除をするからその時手伝ってくれれば十分だ」

 

そう言うと藍はまだ不満そうな顔をしているが、渋々了承する。

 

「はぁ……、分かったよ。その時は呼んでくれ。な?」

 

「あいよ」

 

そう言って俺は再び紫の方を見やる。紫は、すでに手元にある緑茶を飲み終えており、自分の方を見ながら口を開きかけている所だった。

 

「さて、今回はこの辺でお暇させていただきますわ。ありがとう、耕也」

 

「いやいや、気にしなくていいよ。むしろ友人が来れば来るほど賑やかになるし、楽しくもなるし。………そうだね、今度皆で飲もうか。もちろん幽香や西行寺さんも一緒にね。」

 

そう言うと、紫と藍はカラカラと笑いながら返事をしてくる。

 

「分かったよ」

 

「分かりましたわ」

 

そして俺も2人が同時に返事をしたことが面白くなってしまい、一緒になって笑ってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして俺は、紫達が帰った後、夕飯の支度をするために、台所へと行き米を研ぐ。

 

「毎度のことながら、水が冷て~」

 

そんなしょうもない事を呟きながら、米ぬかによって白く濁った水を排水溝に向かって流していく。

 

米の量は2合。明日の分も考えても十分な量である。所詮は一人暮らしなので、5合炊ける炊飯器を所有していても、その全力を使う事が無い。

 

「今度からもうチョイ小さめの炊飯器にしようか……? いや、でも紫とかが来ると米はもっと必要になるか…。幽々子も来ると…5合用で良い気がしてきた」

 

米を研ぎつつ、俺は今後の米の消費量を予測していく。

 

ふと気がつくと無意識にやっていたのか、米研ぎは大体済んでおり、後はこの炊飯器に米を注いで午後の7時に炊けるように予約すればいいだけ。

 

おかずは、久しぶりに唐揚げでも作ろうかなと思いつつ材料を冷蔵庫から引っ張り出そうと足を向ける。

 

と、その時玄関からインターホンの電子音がしてくる。

 

はて、誰だろうか?

 

その疑問と共に鶏のもも肉を引き出すのをやめ、足早に玄関へと向かう。

 

「どちら様ですか?」

 

そう言いながら、玄関の扉を開けて訪問主の姿を確認する。

 

そして開いた先には、なんと幽香がいた。あれ? 明日来る予定だったのに一体何故?

 

「こんにちは耕也。暇だったから来てしまったわ。1日早いけれども、いいわよね?」

 

理由を考えようとしたが、幽香の声に俺の思考は中断させられ、反射的にOKの返事をする。

 

「いいよいいよ。ささ、上がって上がって」

 

そう言いながら幽香に中へ入るよう促す。俺は入った事を確認して、ひとつ質問をする。

 

「幽香。一つ聞きたいのだけれども、夕飯はもう食べた?」

 

もし幽香が食べてないとなると、必然的に米を継ぎ足して炊かなければならなくなるし、おかずの量も増やさなくてはならない。おまけに一人で食べるのではないからちゃんと汁物なども出さなくてはならない。

 

そして俺の答えに幽香はコクリと頷き、俺の質問に持ってきた荷物を上げながら答える。

 

「悪いわね、まだ食べてないのよ。お願いできるかしら? その代わりと言っちゃあ何だけど、ほら」

 

そう言いながらその荷物を包み込んでいた布を取り去った。その中にあるのは、二つの白い大きな陶器。そしてそれを差し出してくる。

 

一目で分かった。こいつは酒だと。

 

俺としては、別に幽香が何も持って来なくても夕食は提供する気満々だったのだが、持ってきてもらえるとその2人で食べる嬉しさはより一層のモノとなる。

 

「お、酒かあ。いいねいいね。ありがたく貰うよ。夕食の時に一緒に飲もう」

 

そう言いながら酒を受け取る。

 

「そうよ飲みましょうよ。都で買うのに苦労したのよそれ。妖術で色々と誤魔化しをしないとたちまち攻撃されてしまうのだから」

 

幽香は自分の苦労を語り、肩をすくめながらため息を吐き、首をフルフルと振る。

 

「あ~、それは……大変だったね」

 

何とも反応しづらい話にちょっと答えに戸惑ってしまう。

 

しかし、感謝せねばならない。ここまで苦労して買って来てくれたのだから。

 

「ありがとうな、幽香」

 

「はいはい、どういたしまして」

 

そう言いつつ俺と幽香は廊下を歩き、居間へと入る。そして幽香を座らせた後、俺は料理を早急に完成させるために台所へ向かう。

 

居間を出ようとして、襖に手を掛けた時、後ろに座っている幽香から声を掛けられる。

 

「ねえ、耕也。一つ聞きたいのだけれども良いかしら?」

 

「いいよ、何だい?」

 

そう言うと、幽香は少しの間俺の服などをジロジロ見て、一言言う。

 

「耕也。あなたってあの障壁というか結界というか、あの変な力は常時展開しているの?」

 

その質問に俺は何の疑問も持たずに答える。

 

「ああ、いやまあね。外側は切ってあるけど内側は万が一の時の為に常時発動してるね」

 

その言葉を聞くと、幽香は少し不機嫌そうにして、腕を組みながら言う。

 

「耕也。自分の家にいるときぐらいは切ったらどうかしら? 私が言うのもなんだけど、なんだか隔たりを感じるのよ。それに私があなたに攻撃するわけが無いのだし、なんだか嫌な感じだわ」

 

その言葉を聞くと、俺も少し自分の防御姿勢を考える。

 

(あ~、そんなつもりはないのだけれども…でもまあ、確かに他人からしたら接触を拒絶しているようにも思われるかもな……。心配性なのも良くないか)

 

そう思った俺は、幽香に自分の答えを言う。

 

「確かに幽香の意見も一理あるよな。……分かった、家に居る時ぐらいは切っておくよ」

 

そう言いながら俺は領域をOFFにする。

 

「じゃあ、俺は料理を仕上げてくるから。あと米の増量をしなきゃならないし」

 

俺は幽香の方を見やりながら言う。幽香は少々気味が悪いほどのニンマリとした笑みを浮かべながら言う。

 

「ええ、分かったわ。お願いね」

 

そして俺は幽香に背を向けたときにされた、黒い笑みには気付くことなどできはしなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はいよ、お待たせ」

 

そう言いながら俺は料理を並べていく。メニューは豆腐となめこの味噌汁、大量の唐揚げ、キャベツともやしの炒め物。あと白米。

 

あり合わせの食材で作ったものだが、なかなかに良い出来だと自分で思う。

 

そして、幽香がすでに小さなグラスに酒を入れておいてくれたらしい。水の入ったコップの横にチョコンと鎮座している。

 

「ありがとう、耕也。そして、いただきます」

 

そう言いながら幽香は食事を開始していく。

 

それにつられて俺もいそいそと食べていく。その中で俺は幽香にひとつ言っておかなければならない事があった。

 

「幽香、4日後に俺はちょいとこの家空けるから、来てもいないからね?」

 

そう言うと、幽香は箸を片手に首をかしげる。

 

「あら、どうしたの? もしかして、久しぶりに依頼でもあったの?」

 

その依頼という言葉に俺は少々気落ちする。

 

そうだ、俺って今大赤字なんだよな……。……何とかしなくちゃなあ。

 

だが、嘆いていても事実は変わらないので、幽香の質問に答える。

 

「ああ、まあ依頼とと言っちゃあ依頼だな。実は、紫からの依頼でね。友人に会ってくれないかというモノなんだ」

 

すると即座に

 

「友人? あの女に友人なんていたの?」

 

本人が聞いたら怒りそうな事を言う。

 

「いやいや居るでしょう、さすがに。それで話を戻すと、その友人が俺に会いたがっているらしい」

 

俺の言葉に

 

「へえ、なら早くしなきゃいけないわね」

 

と言ってくる。

 

「何がだい?」

 

「いえ、ただちょっとね。それより、耕也。お酒飲んでみなさいよ。結構いけるわよ?」

 

幽香が少々笑いながらグラスを傾けていき、酒を流し込んでいく。

 

せっかく持ってきてくれたのだ。俺もいただこう。

 

「では、いただきます」

 

そう言いながら俺も幽香と同様にグラスの中身を飲み干していく。美味いけど…俺にはちょっときついな。

 

「結構きついなこれ。うまいけどさ」

 

「そう? 水のように飲みやすいじゃない」

 

恐るべし妖怪。飲み比べだったら絶対負けそうな気がする。過度なアセトアルデヒドやエタノールは消えてしまうから潰れたりはしないだろうけども。気持ちの問題で負けそうだ。

 

それにしてもこの酒は甘いな…………。酒の事は良く分からないのだが、製法の違いかな? 剣菱や白鶴、八海山とはまた違った味だな。まあ、あの時は大学生だったからあれぐらいの物しか買えなかったし、酒はほとんど飲まないからなあ。知らないのも当然か。

 

そう自分の考えに結論を付け、一杯、また一杯と酒を飲んでいく。

 

「あら、案外飲むのね。本当は結構いける口だったのかしら?」

 

幽香にも酔いがほんの少し回ってきたのか、普段とはまた違う饒舌さがみられる。

 

俺はそんな幽香の姿に新鮮さを感じながら飲んでいく。

 

「いやいや、この水の洋盃の一杯分も飲んでないのにいける口な訳ないだろう?」

 

俺はそう言いながら唐揚げを口に放り込む。

 

幽香は

 

「それもそうね」

 

と言って微笑しながら味噌汁を食べていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しばらく食事を続けていくと、俺の身体が妙に熱い事に気付いた。

 

自分では結構な量の酒を飲んだつもりなのだが、一向に酔いが来ない。領域を有無にかかわらず酔いはあるというのに。なぜ身体だけが妙に熱いのだろう?

 

ひょっとしたらトイレなのか? それともちょっとだけ外に出て涼めば回復するのか? 今の所、身体に害が無いから領域を発動しても意味が無いだろうし。

 

そう思いながら俺は席を立つ。

 

「ゆ、幽香。悪い、ちょっと涼んでくるから席を空けるよ」

 

そう言うと、先ほどよりもさらに爽やかな笑みを浮かべながら俺に了解と伝えてくる。

 

「ふふ、分かったわ。気をつけなさいよ?」

 

片手を上げてヒラヒラさせながら俺を気遣ってくれる。

 

それに俺は感謝しながら居間と廊下を繋ぐ襖を開けて玄関へと向かう。

 

そしてゆっくりと歩いていく内に身体にある違和感を覚える。

 

なんだか、さらに熱くなったような気がする。なんだろう? ちょっと歩きにくい。

 

ふと立ち止まって右手を握ったり開いたりする。あまり力が出ない…。

 

これも酔いのせいだろうか? 飲んだことも無い酒だから身体が少しびっくりしてしまっているのだろうか?

 

そんな事を思いながら次の一歩を踏み出した瞬間にそれは唐突に来た。

 

全く力が入らない。そして身体はさらに熱くなってくる。ついに酔いが完全に回ってきたのだろうか? 頭も一気にクラクラとし始めた

 

その事を考える暇も与えられずに、俺の身体は重力に素直に従ってストーンと落ちていく。

 

そして両膝が着く瞬間に両脇から手を差し込まれ、寸での所で抱き止められた。

 

俺はこの家に居るもう一人が支えてくれたのだと分かり、感謝の言葉を言う。

 

「幽香か?…………ありがとう。助かったよ」

 

だが、幽香は黙ったまま。俺はその反応のなさにちょっとした不安を覚え、再度幽香に聞き直す。

 

「幽香? あの、あ、ありがとう?」

 

だが、幽香からの返事はどういたしましてではなく、笑い声だった。

 

「ふふ、ふふふふふふふふふふふ」

 

俺は幽香の笑い声に更なる不安感が募り、再度聞き直してしまう。

 

「……………………ゆ、幽香?」

 

そして次に返ってきた言葉は、俺の予想とは全く違うものだった。

 

「…………ねえ、耕也。身体が熱くない? 力が全く出ないのかしら? 頭もクラクラするんじゃないかしら? ふふふ、その様子じゃあ答えるまでもないわよね?」

 

「ちょっと……待ってくれ。……意味が……分からない。」

 

俺は幽香の言ったことの意味がほとんど分からず、なぜ笑っているのか? といった表層上の事しか分からなかった。

 

「耕也、貴方の飲んだ物は、酒ではなく、高濃度の遅効性の媚薬なのよ? お酒風味に仕立て上げた、私特製のね。 貴方の為に造ったのよ?」

 

何故そんな事をしたのか俺には推測することすらできなくなるほど強いものだったらしい。

 

だが幽香はそれを百も承知だったようで、俺の事を強く抱きしめて大きな胸を背中に押し当てながら、耳に酷く甘く、本能が危険すぎるという信号を送るほどの吐息を吹きかけられる。

 

「ふぅ~…………。ふふふ、耕也。やっぱり私は妖怪で、貴方は人間。これはどんなに歩み寄ったとしてもそれだけは変わらないわ」

 

何が言いたいのだ、幽香。俺は思考能力の大半を削られてしまっているために、幽香の考えを推測する事がほとんどできない状態になってしまっている。

 

そして幽香の話は続いていく。

 

「だからね耕也。この前も言ったのだけれど、私は不安。だから妖怪らしく、妖怪らしく欲に忠実に従うわ。……あなたが好きよ。本気で愛してる」

 

「幽香…。俺なんかじゃお前とは釣り合わない」

 

俺がそう言うと、幽香は俺の頬をにゅるりと一舐めしてから言う。

 

「釣り合わない? 馬鹿な事を言わないの……。貴方ほど私に相応しい男なんていないわぁ……。………ねぇ、耕也?」

 

余りにも妖艶な喋り方は、一言一言が俺の背筋を震わせるほどのモノで、聞くたびに俺の中の理性というべきものなのだろうか? とにかくそれが壊れていく気がした。

 

俺はそれが段々と恐怖に変わっていくのを感じ、幽香の腕から逃れようとする。妖怪に力で敵う人間などいないというのにも関わらず、俺はそうしていた。

 

「幽香……や、やめ」

 

だが、それは叶うことなく、幽香の両腕は俺の脇に一層深く深く入り込み、さらに強く抱きしめられてしまう。

 

「ふふふ、だぁめ。…………逃がしてあげない……」

 

領域を発動させようにも集中ができず、また命が危ぶまれるという状況でもないので自然に発動することも無い。

 

穴を突かれたという考えが過ったが、その考えは幽香の言葉によって再び沈降していった。

 

「耕也、貴方を食べるわ……」

 

俺はその言葉を聞いた瞬間に、本能がそうさせたのだろうか? 反射的に身体を前に進ませようとしていた。しかし

 

「っ………、ほぅら、逃げたら駄目よ? 別に貴方を物理的に食べるわけではないのよ? ただ、精神的に……ね?」

 

俺はもう訳が分からなくなっており、幽香の顔を見ながらどういう意味だと問いただそうとしていた。

 

「幽香………どういう意味…っ!? ………んぐっ! んっ~!!」

 

突然幽香の顔が接近してきて、口をふさがれてしまった。

 

「耕也好きよ、大好きよ、愛してるわ。…………んぅ……んっ」

 

幽香は俺の舌を器用に捕まえつつ、唾液を無理矢理流し込み、溢れても構わず口内を隅々まで凌辱していく。

 

あたりには卑猥な水音しか響かなくなり、俺は幽香のされるがままになっていった。

 

「んん~んぅ、れるぅ……んっ……んんぅ……ふふふふ」

 

一体何分されていたのだろうか? それほど長い時間ずっと口内を嫐られていた気がする。

 

俺はもはや抵抗の意思すら折られており、幽香の赤く上気した顔をボンヤリと見ることしかできなかった。

 

そして幽香は俺の身体の向きを変えさせ、正面に持ってこさせる。

 

幽香は正面から俺をもう二度と離さないとでも言うかのように抱きしめ、股に手をやりながら耳元で囁く。

 

「もうココもこんなにして……そんなに口づけが気持ちよかったのかしら? ……そうね、貴方はこれからも女性に好かれる事があるのでしょうね。…………でもこれだけは言っておくわ。貴方の一番は私。分かったわね?」

 

俺はその言葉にもはや肯定の意しか表す事ができなくなり、ゆっくりと頷いて一言

 

「…………………は……い…」

 

そう言った。

 

幽香は俺の返答に満足したようで、艶やかな笑みを浮かべながら

 

「うれしいわ……さあ、夜が明けるまで犯してあげる。私の色に染め上げるまで。私の味を覚えるまで。……あはは」

 

そんな危険な事を言ってくる。

 

俺は抵抗することすらできず、いや、もはやそのこと自体を完全に受け止めてしまっているのだろう。

 

そのまま幽香に抱かれ寝室まで連れて行かれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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51話 スキマは不気味だ……

ここら辺から描写と文章量が増えている……はずです。


紫と幽々子は扇子がとても良く似合う……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「耕也、起きなさい。ほらぁ、もうお昼よ?」

 

そう言いながら私は泥のように眠っている耕也を揺り起こす。

 

泥のように眠っているという事については、仕方が無いとは思っている。昨夜彼に酒と称して強力な媚薬を大量に飲ませ、あれだけ散々搾り取ったのだ。無理もない。

 

やはり行為自体が彼に強烈な疲労を及ぼしたようで、いくら揺すっても起きる気配は無い。

 

そして、私は彼を起しているうちに気になってきた、あの行為によってお互いから大量に出た汁から発せられる匂いを何とかしなければならないと思い、換気扇を回しに行く。

 

私は耕也の寝室から廊下へと裸のまま出て、歩きつつ昨夜の反省をする。

 

「自分で言うのもなんだけど、耕也にはちょっときつい事をさせてしまったわね。妖怪の体力について来られるわけが無いのだし」

 

だが、私に後悔の念は無かった。念願の彼をモノにできたのだから。

 

紫も藍もおそらく耕也との肉体関係を持とうとするだろう。本当は、本当は嫌だが、おそらく持つことになるだろう。あれほどの好意を持たれているのだから。

 

それに耕也はとんでもないほどのお人好し、というか情に流されやすい。だから持つはずだ。

 

この国では妻がおり、そして他が妾。ならば私が妻であり、他が妾になるのだ。それしか選択肢は無いし、それしか耕也に選ばせるつもりはない。

 

私はそんな事を考えながら換気扇のスイッチを押していき、この独特な匂いを排出していく。

 

そして風呂場へすぐさま行き、付着物を流していく。

 

シャワーから放水される温水が、程良く冷えた身体を温めていくのを実感し、思わずため息が出る。

 

そして私は心の中にあるモノを声として吐き出す。

 

「まったく、耕也は…………どうしてもっと積極的に来ないのかしら? 私の事を気にしているというのならば、気にする必要はないというのに」

 

そんな事を言いながらも一つ思う。今度はもう少し優しく抱いてやろう。と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ~、もうあれから三日か。何と言うか、……かなり複雑な心境だなこりゃ。…………それにしても一番は私よ……か」

 

いくら媚薬を飲まされたといえど、いくら無理矢理に抱かれたと言っても女性と肌を重ねたという事実には変わりは無い。

 

あの圧倒的な快楽に俺は一瞬たりとも抗えずに、完全に溺れていった。彼女の膣に何度も子種を注ぎつつ。

 

そんな事を一々気にしていたら生きていけないと言う人もいるかもしれないが、俺にとってはかなりの心境の変化だ。

 

おまけに今日は紫と藍が迎えに来て、幽々子のいる冥界まで連れていってくれるというのに。会わせる顔を作れない。本来ならばもっと晴れ晴れとした気持ちで行くつもりだったのだが。

 

寒さも相まって俺の思考はさらに複雑化していく。唐突の経験だったからなあ。こういうのを……何と言うんだっけ?

 

考えつつ俺は目の前に鎮座しているハロゲンヒーターのスイッチを入れ、赤橙色の光が自分の身体を包み込む心地よさに目を細めながら、やがて一つの答えを弾き出す。

 

ああ、これって逆レイプじゃん……。

 

だからどうしたというのだろうか? 抵抗したとはいえ、その抵抗の度合いは小さかった。つまりは俺も少なからず幽香に対して好意という感情を持っていたのだろう。

 

俺はこの考えが浮かんだ瞬間に、妙な居心地の良さが心の中に生まれ、なんだか恥ずかしくもなり、ゴロゴロと畳の上で転げ回っていく。

 

「耕也。貴方何しているの…?」

 

と、俺が頭を抱えながら転げまわっていると、男の心をくすぐる様な美声が後ろから掛かってくる。

 

「お、おおっと!?」

 

俺はその声の主をすぐさま特定し、居住まいを正し、姿を確認する。

 

やはりその姿は俺の特定と合致しており、今日迎えに来る予定の紫達がいた。

 

「こ、こんにちは紫さん藍さん」

 

「こんにちわ」

 

「ああ、こんにちわ」

 

お互いに挨拶をしたのだが、どうやら俺の行動を一部始終を見ていたようで、ジト目で俺の事を見てくる。紫は圧倒的な美貌を持つため、そのジト目ですら彼女の美点であるような気がしてしまい、少しの間身体全体を注視してしまう。

 

やはり改めて思うのが、プロポーションの凄まじさ。さすがに隣に居る藍には僅かに負けるがいかにも弾力がありそうなハリのある大きな胸。腰はくびれ……何考えているんだ俺は。

 

そしてそこまで考えた時点で紫から文句が出てくる。

 

「な、何見てるのよ…」

 

そう言って顔を赤らめつつ自分の胸の部分に両手を持ってきてかき抱くようにする。その腕の圧力を受けた胸が、自身の体積の保有場所を失い、横からはみ出ようとする。

 

俺はその様を全て見てしまったために、心拍数が跳ね上がり、いささか緊張と似た心境になる。

 

紫も自分のしている行動に気付き、自分の胸の部分に視線を落とす。どうやらそれが先ほどよりも卑猥な状況になっている事に気づいたらしく、きゃあっとかわいらしい悲鳴を上げながらあわてて藍の後ろに隠れる。

 

そして俺もその悲鳴を聞くと同時に目線を下に向け、何とか見ないようにする。ただ、俺の脳にはその映像がはっきりと焼き付いてしまっていたが。

 

藍はその模様を苦笑しながら見ており、紫さまも耕也も初々しいですね。と言いながら紫が隠れやすいように尻尾の位置を調整していく。

 

紫は、藍の陰からそっと真っ赤になった顔を出し、恥ずかしそうに一言つぶやく。

 

「耕也のス、スケベ……」

 

俺は素直にその場で頭を下げ、謝罪する。

 

「ごめんなさい、つい見とれてしまいました」

 

俺だって男なのだ。幽香の時は……かなりびっくりしたが。

 

そして言い訳のような俺の謝罪に紫は赤くなりながらも扇子を口に当ててつつ口を開く。

 

「ま、まぁいいですわ。……本題に入りましょう。今日は私の友人の幽々子に会う約束。それに違いは無いわね?」

 

「そりゃあもちろん、俺も楽しみにしていたのだし間違えるわけが無い」

 

「宜しい。では一つだけ注意する事があるわ。よく聞いて頂戴」

 

何やら紫が神妙な面持ちで話し始めるので、こちらも真剣な表情で聞く。おそらく注意点としては、幽々子の持つ能力が俺に向けられる可能性があるから、注意をしろとかそこらへんなのではないだろうか?

 

そして紫の注意点は俺の予想と大体の同じものであった。

 

「耕也の持つ力で幽々子の攻撃に常に注意して頂戴。多分、いや絶対に幽々子は貴方に対して死へ誘う能力を使うわ」

 

「わかった、十分に注意しよう。……でも、なんで能力使ってくるんだ? 俺は別に敵対したりはしないのに」

 

そういうと、紫は少々言いづらそうに少し顔を下に傾けて扇子で隠しながら喋り始める。

 

「それは、多分あなたの人格の問題だったり……ええっと……ゴニョゴニョ」

 

最後の方は聞き取れなかったが俺の人格が問題らしい。はて、……なんだっけ?

 

大胆な性格だったというのは分かっているのだが…何か忘れているような……。

 

「ええっと、俺ってそんなに人格が悪いから殺意を持たれやすい? いや、自分で言うのも変だけど、なんだか俺って極上の食料に見えるらしいんだよね。妖怪視点だとさ。」

 

そう言うと紫は、あわてて扇子を左右にブンブン振りつつ弁解し始める。

 

「ちっちがうわよ! むしろ良い方だわ! 良い方なんだけど……ねえ、藍?」

 

いきなり振られた藍は少し咳き込んだ後、紫に言い返す。

 

「ええ、私ですか!? そ、そりゃあ良い人ですが……………私も食べてしまいたいと思いますが…………………物理的ではなく」

 

後半の方がよく聞こえなかったので話が全く理解できない。

 

おまけになんだか無限ループに入りそうなので俺が話すことによって差し止めを行う。

 

「いや、悪い奴だと思われてはいないって事は分かったから安心したよ。」

 

そう言うと、二人とも安心したようにため息を吐きながら姿勢を落ち着かせる。

 

「分かってくださったのなら何よりですわ」

 

そう言うと、自分の身体の内に溜まった熱を放出させるかのようにパタパタと扇子を煽ぎつつ次の話をし始める。

 

「では、そろそろ時間も押している事ですし、参りましょうか。耕也?」

 

「ああ、はい。……何か菓子折りとか持っていく必要はありますか? 手ぶらというのもなんですし」

 

「気持ちだけで十分だと思うわよ? まあ、持って行きたいのならば別に止めはしないけれども」

 

そう言われると持って行った方がいい気がしてきた。菓子折を持って行った方が印象も良くなるだろうし、襲われにくくなると思うからな。

 

まさか、俺が妖怪に美味そうに思われるからって、幽々子が俺を殺したくなるなんてことは無いだろうな?

 

そんな嫌な考えがふと頭の中を一瞬だけよぎる。

 

俺はそんな薄ら寒い事態を想像して少々身体をブルリと震わせてしまう。大丈夫、俺には無敵の防御機構があるのだから。そんなに心配する必要もないはず。

 

でもなぜだろうか? 効かないと分かっているのにこんなにも嫌な感じがするのは。

 

なんだろう? 俺が忘れている事に何か重要な事でもあるのだろうか? いや、でも忘れてしまうという事はそれだけ懸念すべき事項の優先順位が低いという事。

 

って事はそこまで心配する必要はないという事なのだろうか? どちらにせよ何かしらの嫌な感じがする。これだけは確かだ。

 

すでに能力は発動しているからもう問題は無いだろう。

 

領域の事を回避案として持ってきて自己解決させた俺は、紫に菓子折を持って行くことを伝える。

 

「紫さん、やっぱり持って行くことにしますよ。手ぶらはやはり嫌ですしね」

 

そう言うと、紫は俺の気持ちをくんでくれたのか、頷きながら微笑む。

 

「わかったわ。ならそうして頂戴。あの子も喜ぶわ」

 

俺はその言葉にうなずくと、すぐさま作業に取り掛かる。

 

平安時代の菓子折の渡し方なんて全く機会が無かったから分からないが、ここは俺の知っている限りで何とかしよう。

 

とはいってもどら焼き関係の入った紙製の箱を風呂敷で包むだけなんですけどね~。

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて、準備も万端だし、行きますか? それと、待たせてすみません」

 

俺が準備を終えるのを待ってくれた二人が頷く。そのついでに俺は幽々子の所までどうやって行くのかを念のために聞いてみる。

 

実際の所、予想はつくのだが、スキマでは行きたくない。やはりあの代物は好きになれない。正直に言うと気持ち悪い。

 

だが、俺の願望には沿ってもらえず、紫はさも当然のようにスキマを使うのだという。

 

「当然スキマを使うに決まっているじゃない。チンタラ飛んでいたら何時まで経っても冥界につかないわよ?」

 

「ですよね~」

 

仕方が無い、ここはちょっとの間我慢しよう。

 

「じゃあ、お願いします」

 

「わかったわ」

 

そう言うと紫は扇子を縦に一閃し、スキマを作りだす。そのまま紫はスキマの中へと身を滑らすように入っていく。

 

そしてスキマの中をゆっくりと歩いていく。そして歩いていく最中で立ち止り、俺の方を振り向く。

 

「ほぅら、早くなさいな。初めは潜り辛いかもしれないけれども、一度潜ってしまえば楽なものよ?」

 

その通りだ、確かにその通り。しかし実物を潜るとなるとまた話は別。先ほどは我慢しようなどと考えていたが、いざ目の前にしてみるとどうしても進む気持ちが萎えてしまう。

 

空間が切り裂かれてその両端にリボンが付いている。ここまでは良い。だが、その後がいただけない。なんせ中には赤い空間に大小の目がギョロギョロと蠢いており、あちらこちらから牛車の欠片やら鍬や斧の柄が飛び出ている。

 

この時代だから標識などが無いだけだろうが、とにかく気持ち悪い。

 

俺が一歩を踏み出せずにいると、後ろから藍が近づいてきて耳元で囁く。

 

「耕也…、私が後押しをしてあげよう。何、心配するな。初めては誰しも緊張するものだ。何事もな。」

 

甘い吐息と共に吐き出された言葉。それを聞いた俺は足を踏み出そうとする。だが、まだ藍が俺に話しかけてくる。

 

「耕也、一人で行くな。私が後押しをしてやると言っただろう?」

 

そう言って俺に後ろから抱きつき、一気にスキマの中へと俺を押し込む。

 

だが、そうは問屋が卸さなかった。

 

「きゃあッ!?」

 

「えぇっ!? あぶないっ!」

 

何とスキマの中に居た紫がいきなりこちらまで跳ね飛ばされてきたのだ。

 

慌てて俺は、藍に抱きつかれたまま飛んでくる紫を正面から抱きしめ、怪我が無いように衝撃を相殺していく。

 

しかし、完全には相殺しきれず、俺と藍諸共、紫は一緒に倒れてしまう。

 

そして紫を吐き出すなや否や、目の前にあったスキマは瞬間移動したかのようにシュッと消えてしまう。一体何が起きたんだ?

 

俺の疑問と同じ考えを紫が持ったらしく、口に出して起こった事象に対して文句を言う。

 

「い、一体何が起こったっていうのよ……」

 

ただし、俺に覆いかぶさった状態で。ちょっと勘弁していただきたい。

 

紫のプロポーションは幽香、藍と同じく非常に豊満で妖艶。遠目で見ているだけでもヤバいというのに今は密着である。

 

その毀れんばかりの大きな胸が、俺の胸板に圧力を掛けつつ自身の体積を横にずらしている。要するにとんでもなくエロいのだ。

 

俺も男であるからしてそう言うのにはもちろん反応してしまう。だから何と言うか、もうとんでもない。決してこれは慣れるものではない。

 

おまけに媚薬のような体臭も相まってヤバい。非常にヤバい。しかも紫はまだ状況を把握しきっていないから気付いていないという何とも困った状況なのだ。

 

だからこそ俺はこの状況に浸りたいという願望を理性で抑えつけながら紫に言う。

 

「あの、紫さん……、胸が当たってます。」

 

ダイレクトに言ったためか、紫はその言葉に過敏に反応し、ようやく自分の状況を理解する。そして俺を見下ろしながら顔を再び真っ赤にして、ぎこちない動作で俺から離れていく。

 

「ご、……ごご、ごめんな…さいね?」

 

「え~と、俺もごめんなさい」

 

と、一応謝っておく。そして段々とではあるが、先ほど起こった事象の答えが分かってきた。

 

あの時、俺がスキマに入りこもうとしたときに、紫が飛んできてスキマが消えた。

 

…………ああ、俺が領域発動してたからか。

 

俺の領域がぶつかって、スキマが消えそうになる。そしたら紫の保護を目的にスキマが外へと放りだす。

 

こんな感じだろうか? おそらく合っているとは思う。

 

そして俺の領域の発動に気付いたのか、藍が口を開く。

 

「耕也。もしかして領域を発動させているのか?」

 

ピンポイントで言われてしまったために、俺は素直に言う。

 

「はい、すみません。発動してました! そして、今切りました!」

 

やっちまった感MAXなんだが。

 

藍は、何とも扱いにくい力だなと言いながら苦笑する。

 

そして落ち着きを取り戻したのか、紫が咳払いをしながら話しかけてくる。

 

「ゴホンッ、……そろそろいいかしら?」

 

「はい、すみません」

 

何だか今日は謝ってばかりだ。

 

俺は再び紫が作ったスキマに足を運んで身を投じようとする。

 

しかし次の瞬間、後ろから紫と藍の声が近づき、そして無理矢理押し出された。

 

「やはりこうした方が貴方も気持ちが楽でしょう?」

 

「仕方がないなぁ耕也も」

 

二人の気遣いに俺はうれしくなってしまい、思わず顔をほころばせてしまう。

 

「ありがとう。二人とも」

 

そして二人に礼を言いながらスキマの中で首だけを後ろに向ける。

 

だが、二人はなぜか俺の服の匂いを嗅いでいた。…………なんで?

 

俺は反応に困り、二人に恐る恐る話しかける。

 

「二人とも、……何しているんだい?」

 

そうすると、慌てて顔を離し、表情を取り繕いながら俺に言い訳をし始める。

 

「いえいえ、特に何も………………………………へえ、シたのね」

 

「いや、何も…………………………………………ほう、手を出したな」

 

後半の方は良く聞こえなかったが、特に何もないらしい…………よく分からん。洗剤変えた訳でもないのに…。

 

俺はこれ以上気にしていても仕方が無いと思って、スキマの向こうにある開かれた出口へと向かっていく。

 

スキマからわずかに除く景色は、大きな日本家屋のような物が見えるだけである。

 

俺は全体の景色を見たくなったために少々足早に歩き、スキマから身を出し、石でできた足場へと降り立つ。

 

数秒してから続いて紫と藍が俺の両隣に降り立ち身だしなみを整える。

 

「ここに西行寺さんがいるんだよな藍?」

 

「そうだ。紫さまのご友人がね」

 

紫は付いてきなさいとばかりに微笑みながら前へと歩いていく。

 

俺と藍も、いそいそと付いていく。だが、目的の場所とは違った方向から声がかかってくる。

 

「あら、紫。どうしたの突然。何か急な用事でもあったのかしら?」

 

といった、かなり素っ頓狂な声が背中から掛かってくる。

 

俺達三人は驚いて足を止め、後ろを振り返る。そこに居るのはもちろん幽々子。

 

ああ、やっぱり全部うまくはいかないんだなと思いながら、手に持っている風呂敷の処遇について考えてしまっていた。

 

そしてこの女性もまたプロポーションが紫、藍、幽香と比べてもそん色が無いほど、いや、非常識なほど良くあらせられる。

 

本当に眼のやり場に困る……。勘弁してくれ。

 

そんな事を思っていると、幽々子の方から近づいてきて俺に話しかける。

 

「はじめまして、私は西行寺幽々子。紫の言っていた男の人ね? ええっと、名前は確か……そうそう、大正耕也さんね? よろしく」

 

姿に似合ったおっとりとした声で自己紹介を始める。

 

俺もその場で自己紹介をする。

 

「こちらこそはじめまして。大正耕也と申します。どうぞよろしくお願いいたします。あ、お口に合えば宜しいのですが」

 

そう言いながら俺は風呂敷を外してどら焼きの詰め合わせを渡す。

 

幽々子は、酷く驚いたようで眼を見開き口に手を当てる。

 

「あらあら、これは……ご丁寧に。……何と言うか、不思議な挨拶ね」

 

そう言いながらも、箱の中身が菓子だと分かると顔を綻ばせながら嬉々として受け取る。

 

そして幽々子は俺の方に顔を近づけ、耳元で囁く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「貴方はなんだか、結構変わっているのね。…………色々な意味で」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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52話 とりあえず蝶を仕舞おうか……

蝶がトラウマになりそうだよ……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「貴方は変わっているのね。……色々と」

 

私は耕也にそっと呟きながら前方に立ち止まっている紫の方へと足を進める。

 

紫達も私が後ろからくるとは思っていなかったのか、目を少々泳がせながら戸惑いの表情を浮かべている。

 

まあ、当然だろう。私はあまり外へと出ない。亡霊となった今では生前の記憶が無く、唯一記憶を取り戻せそうな屋敷内にこもっている方が多いのだ。

 

だから紫達も意外だと思ったのだろう。私も意外だ。自分が何故急にこんな冥界の端っこまで出歩くのか。

 

だが、今回は出歩きたくなったのだ。まあ、今回は人間の男性が来るという事で少々気持ちが舞い上がってしまっていたという事もあるかもしれない。

 

前々から紫がうれしそうに話す男の事を見てみたかったからかもしれない。

 

どちらにせよ会えたのだから万々歳ではある。

 

それにしても改めて実感するのだが、紫があそこまで興奮しながら嬉しそうに話す姿は、普段の姿を見ている物からすれば腰を抜かすほどの異常な事だろう。

 

元に私もしばらくの間紫の感情の起伏に付いていけなかった。

 

普段妖艶で落ち着きがあり、また常に冷静に物事の判断をしつついつでも余裕の表情を浮かべているあの紫がだ。

 

あの紫がある日突然私のもとへ来るなり話し始めたのだ。

 

 

 

 

「ゆ、幽々子! あ、あの、あのあの私はね、ゆ、友人ができたのよ!」

 

そう言いながら顔を真っ赤にしつつ。余程嬉しかったのだろう。右目からは涙すら見える。

 

生前の私と友人だった事以外に他の友人がいない紫。いつもの余裕や冷静な表情は自分が周りから好かれていないという諦めもあったからなのかもしれない。

 

その表情が今では見る影もない。私はうれしさと戸惑いの混ざり合った表情を浮かべながらも彼女の声に耳を傾ける。

 

「紫? 一体どうしたの? 友達って……」

 

そう言うと顔をハッとさせ、表情を少々落ち着かせつつ話し始める。とはいっても満面といえるほどの笑みを浮かべながら。

 

「実は前に話した思うけれども、藍の恩人がいるでしょう? その人の所に藍と一緒に行ったのよ。い、一応名目上は藍の恩返しと式になる事の勧誘ね。」

 

確かそのような事を言っていたなと私は思う。確か藍が会いたい会いたいと言っていた男だったはず。

 

その人間だろうか? しかし変な人間もいたものだ。大妖怪を進んで助けようとする男だなんて。

 

そんな事を思いながらも紫の話していくその男についての素性を頭に思い描いていく。

 

「幽々子、実は勧誘の際に一回断られてしまって。それで私はちょっと抑えきれなくなって無理矢理攫おうとしたのよ。 で、でも彼は全く怒りもせずに私を色々と気遣ってくれたのよ? それと私が大妖怪だって知っても全く態度を変えなかったし優しいし。……こんな経験生まれて初めてだわ!」

 

紫は興奮のあまり、自分の心の奥底にしまっておいた歓喜を言葉と表情に出してしまっている。

 

生まれて初めて唯の異性、しかも人間という種族の違う者から得た優しさと友。それはそれは新鮮で、彼女の中にある孤独から解放されたいという願望が自ずと今の彼女を生み出したのだろう。

 

そして同時に少しの好意も垣間見える。

 

だが、私はそれを嬉しく思う。思えば、こんな姿を見たいと思っていたのかもしれない。そして同時に見てみたいと思った。紫をここまで変えた奇特な男を。また話したいと思った。どんな性格なのだろうかと。

 

嬉しそうに次々と言葉を続ける紫を後目に、私は夜を薄く照らす月を眺めていた。

 

 

 

 

私はあの夜に起きた事を脳内で再生しながら、少しだけ微笑んでしまう。あの時の紫は面白かったと。

 

そして私は、後ろに居る耕也に向かって声を掛ける。

 

「ほらほら、そんなに固まってないで早くいらっしゃいな。紫と藍が待ちくたびれているわよ?」

 

そして何気なく振り向いて耕也の身体全体を視界に入れる。

 

その時私は見てしまった。そう、新たな衝撃だった。最初は気付かなかったのだが一体どういう事なのだろうか? 彼は唯の人間だというのに。

 

私は驚きのあまり口に手を当ててしまい、さらには目を見開いてしまう。しかし、その事を認めたくなくてももっと凝視してしまう。彼には失礼かもしれないが、私にとってみれば重大な問題なのだ。そう、この広大な冥界の管理を任されている身としては。

 

絶対にあってはならないものなのだ。そう思いながら今度は紫と藍の方を見る。紫の方は妖力が妨害していてよく見えないがある事にはある。そして藍にもある事が分かる。

 

だというのに、おかしい。なぜなのだろうか? 私の何かが欠落しているのだろうか? いや、そんなことは無いはずだ。妖怪のモノが見えて人間のモノが見えない筈が無い。

 

それなのに一体……………………………何故耕也からは魂が見えないのだろうか?

 

これは…………一大事だ。

 

と、そこに紫から声がかかる。

 

「幽々子、顔色が悪いわよ? 早く入りましょう? 冷えてしまうわ」

 

私は動揺を悟らせないように、表情と態度を崩さないで答える。

 

「ええ、そうね。入りましょうか」

 

そう言って私は先ほどまでの焦りと疑問を胸の奥にしまい、ゆっくりと歩みを進める。

 

そして一つだけ思ってしまう。彼の魂を見てみたいと。

 

ならばそれをするにはどうしたら良いのか?

 

答えは極めて簡単だ。殻が邪魔で中身が見えないというのならば、殻から外してしまえばいいのだ。

 

と、そこまで考えた所で気付いてしまった。私は彼に少しだけ死に誘う能力を使いたくなってしまったのだ。会ってほとんど時間が経っていないというのにかかわらずだ。

 

私は人を死に誘った事は、紫に今のところただ一度だけ。亡霊になってしまってからは死に誘うという事が、生前とは違って悪だとは思わなくなってしまっているのだろう。

 

だから、ずっと一緒に居たいと思ってしまった紫に対しても何の抵抗も無く能力を使用してしまった。

 

では今回は人間としても、男としても初めてなのだろうか? つまり私は耕也と一緒に居たい? いや、でもこれは違うはずだ。唯の好奇心。そう、ただの好奇心なのだ。

 

唯彼の魂を見てみたいだけ。私もこの感情をどう制御しようか迷ってしまっている。

 

とりあえず彼には悟られないように気をつけなければ。

 

でも、……紫も言っていたではないか。彼は迫害などしない優しい人間だと。だから私の魂を見たいというお願いぐらい聞いてくれるはず。

 

そう考える何だか気が楽になってくる。やはり、私はこうでなくては。亡霊は亡霊らしく、気楽な気持ちで物事の変遷を見守っていた方が好ましい。

 

私はそう考えつつ、手に持っていた扇子をピッと開きつつ、空いた手に死を誘う為の淡く輝く蝶を顕現させる。うん、いつも通り。

 

もし死に誘うという決心が後々着いたのならば、私はこれで彼の魂を抜きとってみよう。

 

非常に楽しみだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一体どうしたらこんなに広大な屋敷を作れるのだろう?

 

まず幽々子の屋敷を見て思ったのがこれである。幽々子には変わっている人間だと言われてしまったが、それは仕方が無い。次元が違う人間なのだから。

 

俺は幽々子に案内されるがままに、庭の眺めが良い和室へと入っていく。もちろん俺は下座へと座り座布団は横に。

 

幽々子は俺の行動にちょっと驚きの言葉を発するが、渋々と上座へと移動し、腰をおろしていく。

 

そして腰をおろしてすぐに困ったように笑いながら口を開く。

 

「そんなに格式ばらなくてもいいのよ? 何かの会議だったり、重要な行事ではないのだから。本当は上座も下座も関係ないのだし」

 

そんなコロコロと笑いながら俺に楽にしろと伝えてくる幽々子に感謝しながら、俺は座布団に正座する。

 

「いやあ、お言葉に甘えますが、やっぱり初対面で大胆というか失礼なことはできませんよ。……ああ、初対面だからという訳ではなくてですね、やはり礼儀という物は大切な事だと思っているので。はい」

 

そう言うと、ますます幽々子は笑みを深めながら扇子で口元を隠す。

 

「うふふふふふふ、貴方本当に面白いわね。……でもそんなに堅くしていると、人生に潤いが無くなってしまうわよ? 人生適度に適当に。ね?」

 

そう言いながら紫と笑いあう。

 

「そうですね、何事も適度が一番ですよね」

 

俺自体は別にそこまで格式ばっているつもりはないのだが、彼女からすると、格式ばっているという事なのだろう。郷に入れば郷に従えか。

 

なら俺もここでは少しフランクに行こうかな。

 

そう思いながら出されているお茶を飲む。入れたのはここに勤めている妖忌。俺が話しかけても一言も話さないという無愛想っぷり。

 

俺何か変な事をしたのだろうか?

 

まあ、気にする必要はないか。特に俺が何か悪い事をしたという訳でもないし。

 

それにしても…………何だ? 何と言うか、ちょっと落ち着かないな。いや、落ち着かないのは初めての場所に来たという事も要因に含まれているのだろうが、何か違う。

 

こう、何かに粘り付かれているような嫌な視線というか、感触のような物を感じる。鬼と闘った時のようなピリピリとした殺気ではなく、命そのものをごっそり削られてしまうかのような嫌なモノだ。

 

まるで今すぐにでも俺を殺せるぞとでもいうかのような感じだ。全くもって健康的じゃない。

 

俺が何かをしたという訳でもないのだが、何故か居心地が悪い。おまけにここに来る前に感じていた嫌な予感というのも未だに燻っている。

 

一体どうしたというのだろうか? 本当に致命的な事をやってしまったのだろうか?

 

俺は何かを確かめるように周囲へと視線を散らしてみる。まずは藍の方へと。しかし藍は俺の視線に気づくとニコリとしながら首を傾げ、何かあったのかという顔をする。

 

これは原因ではないと即座に判断し、手で何でもないよと合図をして気遣いの感謝を手で表す。

 

すると藍は、幽々子との会話へと入っていく。次に俺は幽々子の方に顔を向けてみる。

 

予想はしていたが、幽々子は紫と藍と顔を綻ばせながら会話をしている。内容も特筆して気にする必要のあるものでも無く、また、紫も友人と話すのが楽しいのかこちらへと顔を向けることも無い。

 

まあ、俺だけ会話に参加していないという悲しい現状であるのだが、同性同士での会話は異性との会話よりも弾むのが一般的である。だから仕方が無いと言えば仕方が無い。

 

だが、こうしてみるとこの部屋に居る人物からのモノではないようにも思える。では一体この嫌な感触は何なのだろうか?

 

もう少しだけ整理をする時間が必要かもしれない。今日までの行動を隅々まで思いだす必要が。もしかしたらその中に原因となるものがあるのかもしれない。

 

そう思いながら俺は茶を啜っていく。

 

お、うまい。俺が入れるよりもずっと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「暇ね~。紫も藍も自分の荷物を整理して持ってくると言って一度帰っちゃったし。おまけに耕也は外の景色を見ると言って外に行ってしまったし。私も行けば良かったかしら?」

 

そう言いながら、自分の声が響き渡る自室で先ほどの事を考える。

 

耕也が気付かないようにちょっとした殺気のような物を送ってみたのだけれども、結局は気付かなかった。いや気付かなかったというのは語弊があるのか。この場合は主を特定できなかったと見る方が正しいか。

 

どうも紫にはそれがばれてしまったようで、あの後に怒られてしまった。彼の体力は一般人なのよと。

 

だからあの場ではちょっとした冗談だと言い訳をしてしまった。紫の友人だからどれぐらいの化け物なのかを確かめたかったという理由で。

 

でも私には分かっている。彼には何の霊力も無い唯の人間だということぐらい。

 

自室で考えていると、ふと外に目を向けてみると、耕也が立っている。彼の見る方角は……西行妖か。

 

誰かの死体が埋まっているらしいのだが、私には掘り返せないし、封印されてしまっているので解くこともできない。

 

しかし、見れば見れるほど彼は凡人にしか見えない。ではなぜ魂が見えないのだろうか? 本当に変わった人間である。

 

しかし冥界の頂点に立つ私ですら見えないというのはおかしい。やはり先の出来事はただの見落としなのかもしれない。

 

そう自己完結してもう一度霊力を自分の目に集中させる。眼をしっかりと閉じて、今度こそはっきり見えるように。絶対に見逃さないという気概で。

 

そしてゆっくりと目を開けていく。そこには耕也の中にある魂が何の支障も無く見える様を想像しながら。また、実に普段の私らしくないとも思いながら。

 

「えっ!?」

 

驚きの声が自室に木霊する。無理も無い。限界までに高めた霊視力を使ったのにも拘らず、彼の身体には全くこれっぽっちも魂の欠片さえ見えなかったのだ。

 

一体何故? 再び朝と同じような疑問が頭の中を埋め尽くす。私がここまで力を使ったのにも拘らず唯の人間の魂さえも見る事ができないとは。

 

私の中にふとある欲が生まれてくる。それは今朝確認したモノと同じモノだ。そう、彼の魂を無理矢理見てみたい。これだ。

 

私はその気持ちを抑えきる事ができなくなってしまった。だから、私は座ったまま左手を胸のあたりまで挙げ、手のひらを上にする。

 

そして力を込め、一匹の淡く輝く赤い蝶を生成する。まるで血のような色をしており、一目で死を招く蝶だと思えるほどのモノ。

 

最後に手に蝶を載せたまま口のあたりまで持って行き、一言つぶやく。

 

「さあ、行ってらっしゃい」

 

その言葉と共にフゥ…っと軽く息を蝶に吹きかけて飛ばしていく。蝶は私の意思の通りにヒラヒラと空を舞い上がり、耕也の背中を目掛けて一心不乱に飛んでいく。

 

速度は遅いが、人間の走る速度よりも速いので避けられることも無いだろう。

 

そして耕也の背中に止まった瞬間に彼を殺す。段々と眼から光が無くなり、身体の筋肉から力が抜け、弛緩し倒れる。それは最も美しい光景だろう。

 

私の望む良い光景。その光景が今現実の物となろうとしているのだから嬉しさを隠す事ができない。私は自然と表情を笑みに変えてしまっていた。

 

それほど見てみたいのだ。彼の魂を。一体どんな輝きを私に見せてくれるのだろうか? 一体どんな温かさを持っているのだろうか?

 

あともうちょっとで、耕也の魂が私のモノに。そう、後もう少しで私のモノになるのだ。

 

「後もう少しで耕也の魂が私のモノになる」

 

口から出てしまってから気付いた。一体何を言っているのだろうか?

 

これは唯の好奇心のはずなのに。実に私らしくない。いつ何時でも、柳のように飄々としているというのが私の売りでもあるというのに。

 

私はそれを唯の気の迷いだと捨て置き、蝶の位置の確認を行う。

 

すると、色々と考えていたせいかすぐにも耕也の背中に止まりそうな蝶がいるのが見てとれる。

 

心臓などありもしないのに私の中で何かがドクドクと木霊する。おそらくは魂の歓喜の震えなのだろう。胸が高鳴る。

 

さあ、貴方の魂を見せて頂戴? 耕也。

 

しかし今度は邪魔が入ってしまった。

 

「幽々子、お待たせ。荷物の整理が終わったわよ」

 

慌てて耕也の背中付近を飛んでいる蝶を消し、その場を取り繕う。

 

「あ、あら紫。少し時間がかかったのね」

 

そう言うと、少し首を傾げながら紫は

 

「そうかしら。そんなに時間はかかっていないと思うのだけれど。藍、そんなに時間ってかかったのかしら?」

 

すると藍は

 

「いえ、言うほど時間はかかってはいないと思うのですが」

 

と即座に否定する。

 

当たり前だ。今言った言葉は唯のその場しのぎであって、実際にはそこまで時間がかかっているわけではない。

 

私は紫に先ほどの行為がバレるのが嫌なため、別の話題への転換を行っていく。

 

「ねえ、紫。そろそろおやつの時間にしないかしら? ほら、耕也さんが持っていらしてくれたドラやきというのもあるのだし」

 

そう言うと、紫もドラやきを初めて食べるのか、顔を綻ばせ、手を合わせながら言う。

 

「いいわね幽々子。名案よ! 私、ドラやき食べるのはじめてなのよ。耕也の出すお菓子はおいしいのだけれどもね。………………それをあの女は何時でも食べられるだなんて………」

 

後半の方は良く聞き取れなかったが、耕也の持ってくるお菓子は非常に美味だという事がよく伝わった。

 

そして

 

「紫様。落ち着いてください………………耕也は今は我々のもとに居るのですから如何様にでもできます」

 

藍は紫を落ち着かせる。そして後半の部分は何やら聞かれたくない内容のようで、耳に手を当ててゴショゴショと話したために聞こえなかった。

 

しかし、その内容が紫の心を納得させたようで、一気に表情を明るくして満面の笑みを浮かべながら言う。

 

「そうだったわね。そうそう、今は違うのだったわね」

 

そう言いながら耕也を呼ぶ。

 

「耕也~~、おやつにしましょう?」

 

言われて気がついたのか、耕也はすぐに外の景色から此方へと視線を移し、笑みを浮かべながら小走りで寄ってくる。

 

「はいはい、今行きます」

 

後もう少しだったのに………………。私には拭い切れないほどの後悔の念が残ってしまった。

 

まあ、でも夜は長いのだ。その時にでも……ね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

歯も磨いたし、そろそろ寝ようかな。

 

と、そう思いながら俺は自分に与えられた寝室へと入っていく。

 

いや、実際の所何もなくて良かったと思っている自分がいる。このまま何もなければ幽々子との友人関係も続いていくだろう。

 

まあ、何かあっても友人関係は続くだろうけど。何せ紫の友人だしなあ。やはり予想していたが、ゲームの通りにのほほんとしているというのがよく分かった。

 

あれなら俺も友人として話しやすいし、一度来たのだからジャンプで何時でも、どこからでも来れる。それがうれしい。

 

ただ、見た目は好青年なのにも拘らず、一言も俺と言葉を交わしてくれなかった妖忌は一体何なのだろう?

 

あの無愛想な態度は、俺に何か恨みでもあるのかというほどの徹底したモノ。困ったものだ。俺には全く覚えが無いのだが……。

 

仕方が無い。明日に備えて眠るとしようか。

 

俺はそう思って、押し入れから布団を出して寝るための準備に取り掛かる。

 

明日はあんな嫌な殺気のような物は来ないでほしい。というか来るな。

 

枕を置き、自分の寝やすい態勢をとった後に目を閉じて眠りにつく。

 

どうも最近は色々な事が起き過ぎていて疲れがたまっている。明日は俺も掃除とかぐらいは手伝わないとな。

 

そうだな、そんなにヤバい事も起きなかったし、領域は切っても大丈夫だろ。それに命が危なくなったら勝手に発動してくれるのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……………………や……起き………」

 

…………………………寒い。いきなり寒くなったな。どういう事だ。それにさっきから揺らしてくるのは一体誰なんだ?

 

それに何かしらの声が聞こえる。どうやら起きてほしいらしい。全く、何があったんだ?

 

そんな事を思いながらショボショボとした眼を両手でグシグシ擦りながら無理矢理脳を叩き起す。

 

そしてまだ起きないうちに今度は腹の上に布団よりも大きな重量感のある物が乗っかってくる。

 

「う…………あ………? だ、誰だい?」

 

そう言いながら目を開けると目の前には、俺の下腹部付近に跨った幽々子がいた。しかしそれだけなら、いや、それだけでも十分に問題なのだが、もっととんでもない問題がその周りにあった。

 

「ゆ、幽々子さん。こ、これは一体何ですか……?」

 

その疑問しか口にできなかった。なぜなら彼女の周りには、いや、俺の寝ている部屋全体に淡くピンク色に輝く蝶がヒラヒラと舞っていたのだ。

 

それも数十匹という単位ではない。何千、何万という蝶がこの部屋に居るのだ。

 

その事を俺が確認したと見るや、満面の笑みを浮かべてこう言う。

 

「おはよう耕也さん。突然悪いわね。押し掛けてしまって」

 

俺は非常に反応しづらい状況に居るために、相手の御機嫌を取るような言葉しか口から出てこなかった。

 

「い、いえいえ、お気になさらず。…………えっと、何かご用でしょうか?」

 

俺がそう言うと、幽々子は俺の方にのしかかってくる。彼女の胸が当たるのはもちろんなのだが、恥ずかしくないのだろうか?

 

そんな疑問が一瞬浮かんだのだが、次の言葉で全て吹き飛んでしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「耕也さん。貴方の魂を私に頂けないかしら?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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53話 めり込むとは……

怪我がなくて良かった……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

目が覚めた直後に刃物を突きつけられたら誰だって驚くだろう。暗殺者とかだったら平常心を保てるだろうが、俺みたいな一般人には不可能だ。

 

どんなに能力が優れていようと、そして高次元の存在だろうが人間である以上心の変動、感情の起伏、脳の防衛機構は何ら変わりない。

 

おまけに付きつけられている刃物が一つではなく、何千何万という膨大な数。しかもそれぞれが絶対的な死をもたらすことのできる反則的なまでの、いや、反則の領域に達している。

 

そんな状況に俺は直面している。目の前に妖艶な美女がいるという何とも矛盾しているようなこの事態は、俺に複雑な恐怖心を生み出すには十分な威力を持っていた。

 

「ねえ、耕也さん。貴方の魂を頂けないかしら?」

 

彼女が今から人を殺すとは思えないほどの素晴らしい笑みを浮かべながらそう言ってくる。

 

俺はその笑顔に込められる欲にますます恐怖心を覚えてしまう。しかしここで俺が折れてしまえば双方にとっても有益でない事は自明の理。

 

だからこそ俺は彼女に一言言う。

 

「なぜ、私の魂が欲しいのですか?」

 

と。

 

それに彼女は、閉じた扇子を顎に当てながら考えるしぐさをする。妖艶な大人という容姿を持つというのにも拘らず、あどけなさが残る少女のようなしぐさ。

 

幽々子はう~ん、と唸りつつ一つの結論を俺に出してくる。

 

「それはねえ、貴方の魂が全く見えないからよ。耕也さん?」

 

そして俺が、ふと浮かべた何故それだけで欲しいのかという疑問を話す前に、彼女は再び微笑みながら言う。

 

「それにねえ、今見てみたのだけれど、貴方の魂が見えてるのよ。……ついさっきまでは見えなかったのに。一体なぜかしら? 後もう一つ」

 

そう言って幽々子はすうっと息を吸いながら顔をずいと近づけ、額と額が接触する寸前の位置で俺に話しかける。

 

「貴方の魂が、他人とは余りにも違っているからよ。貴方の魂はとてつもなく魅力的に輝いてる。淡く青く、時には銀色で。今まで見てきた魂とは一線を画している。……ね? 私はそれに惹かれてしまったのよ。そして同時に思ってしまったのよ。そのきれいな魂を汚してしまいたい。犯してしまいたい。自分のモノにしてしまいたいとね……」

 

そして彼女の言葉はとどまる事を知らず、俺の反論を許さないまま口に出していく。

 

「貴方が寝ている時にこっそり見ただけで分かったわ。……貴方は他の人間とは根本からして何かが違うと。ふふ、貴方の魂の質を見たらやっとだけどね?」

 

しかし俺は彼女に殺されるわけにはいかないし、魂をとられるわけにもいかない。

 

だからこそ俺は彼女に言う。

 

「すみませんが、それはお断りします。まだ生きていたいので……」

 

どうせ言っても無駄だと分かっているのだが、なるべく穏便に済ませたいのだという願望も相まってこの言葉が出た。

 

そしてやっぱり幽々子はお姫様らしく、庶民である俺の意見を軽く却下する。

 

「駄目よ? でもまあ、これが普通の反応よね。自分を殺して良いかと聞く相手に良いと答えるわけないもの」

 

俺の考えを理解しながらも、なお殺そうとしてくる幽々子。まずいな、下手に攻撃もできないしこのまま様子見か、交渉で何とか攻撃をやめてもらうしかないか……。

 

「幽々子さん。わた「ねえ耕也?」……はい?」

 

俺の言葉を遮って俺に完全に抱きついてくる。そして首の付近に両手を回して、耳に口を近づけて口を開く。

 

「耕也、私はあなたと友達になりたいのよ。寿命という余計な概念を必要としない亡霊同士のね?…………だから」

 

幽々子は俺から身体を離し、扇子をゆっくりと開いて、俺の聞きたくなかった言葉を言う。

 

「死んで頂戴? 耕也」

 

その言葉と共に扇子を軽く振って蝶に合図する。合図に忠実に従った蝶は俺に向かって一斉に到達しようとする。俺は防御しなければいけないという場面の中、幽々子の顔を見ていた。

 

何故見ていたのかは、分からない。ただ、幽々子は笑みを浮かべながらも両目から涙をボロボロと流しているのだ。

 

一体何故だろうか? 彼女にとってみれば、俺を殺すことが現時点で最も魅力的な手段であり、最低限の達成目標。どこにも涙を流さなければならないという要因は無いのだ。

 

それなのに何が悲しくて、何がそんなに彼女に涙を流させるのか。圧倒的な数の蝶の前には考察する余地などなかった。

 

まず一匹目。当然ながら触れただけで死をもたらす蝶は、俺を殺さんと一直線に飛びこんで額に当たってくる。

 

本来ならば一匹当たりさえすれば人間、大半の妖怪も葬り去る事ができるだろう。しかし俺には通用しない。

 

当たる直前に、俺の危険を察知した領域が瞬時に発動し、その攻撃を無効化する。

 

領域に接触した蝶は短く閃光を放ちながら霧散していき、その役目を達成できなかった。

 

そして次々と蝶が当たり、俺の身体を蝕んでいこうとする。しかし、その前に幽々子が限界を迎える。

 

「くっ……力が……出ない…」

 

少しのうめき声と共に、周囲に舞っていた蝶の群れが、ガラスが砕けたかのようにキラキラと破片を撒き散らしながら散っていく。

 

理由は明白で、俺が発動させた領域に接触しているからだ。幽々子も予想していなかっただろう。唯の一般人だと思っていたのにも拘らず、力を無効化させられるとは。

 

そして幽々子は自分の身に起こった事に驚愕しながらも俺に疑問を投げかける。

 

「一体……なぜ効かないの…?……それになぜ私の力が出ないのかしら?霊力も、能力も……一体何故?」

 

自分の思い描いていた未来を崩されたのか、その言葉は少々自信のなさが表れている。当然だろう。俺だって素性のわからない相手にいきなり力のすべてを封じられたら腰を抜かす。

 

しかし俺が腰を抜かすであろうことを、幽々子を驚いただけで、自分の弱さを出さないようにしている。

 

その事にやはり強いなと思う。そしてさすが紫と藍の友人だとも。

 

そんな事を考えながらも幽々子の質問にどう返答しようか迷っている自分がいる。

 

幽香や紫にすら全部は話さなかった俺の能力を、ここでいとも簡単にバラしてしまうというのも気が引けてくる。特に幽香に刺されそうだ。

 

俺はちょっとした不安が頭を過り、誤魔化しを入れる。

 

「いや、おそらく幽々子さんが思ったとおりですよ?」

 

そう言うと、幽々子は顔を少ししかめて俺から弾かれるように離れる。そして口角を少し釣り上げながら

 

「やっぱりそうなのね……そうね、私の思った通りだわ。貴方の持つ力は外的干渉を問答無用で防ぎ、かつ接触している相手の力を封じるのではないかしら? 霊視しても耕也の魂が見えなかったのもそれ。私の蝶を防いだというのもそれ。そして霊力が全く使い物にならなかったのもそれ。……最も、離れた今では使えるけれどもね」

 

そう言いながら先ほどのおっとりした眼からは想像もつかないほどの凛々しい眼をしながら俺を見据えて来る。

 

かく言う俺は立ち上がりながらも、ピンポイントの答えに眼を見開いてしまう。この少ないヒントの中でよくそこまで引き出せたものだと。

 

実際にはまだ全て当たっているわけではないのだが、ヒントから導き出せるであろう全ての回答を引き出している。実に頭がいい。

 

これ以上ヒントを与えると全てを暴露されてしまいそうだ。元に俺が根本的に違う存在だと言っていたのだし。

 

幽々子は、俺の反応に確信を持てたのか、微笑しながら俺の能力について断言する。

 

「やはり……当たっていたのね。恐ろしい力だわ。古今東西貴方のような力を持つ人間は効いた事も見たことも無い。推察するに、紫の能力すらも効かないのね? 末恐ろしいわ……」

 

次々と俺の事を暴露していく幽々子。だからこそ永い間紫との友人をやっていけたのだろう。

 

そして月面戦争の時も良き相棒としての役割も果たせた。

 

そんな感想を持ちながら彼女に対してどのような対応策を構えようか考えていく。

 

どうしようか……。余り派手な戦闘はできないだろう。唯でさえ寝静まった夜。さらには俺の攻撃といえば音の大きい兵器が多い。爆薬系統のモノなんざもっての外。

 

亡霊に効くであろう火炎放射も空気の膨張が激しいため無音とは言えない。

 

対する幽々子の攻撃は極めて暗殺に向いている。無音で羽ばたく蝶が相手に気付かれないように死角から飛び込めばそれでおしまい。

 

………………どうしようか。ここは一旦、自宅にジャンプで逃げ帰るか? ……いや、それはできないか。

 

もし俺が自宅に逃げ帰ったとした場合、朝になれば紫達に気付かれてしまう。そうしたら幽々子の立場が悪化してしまうだろう。

 

紫の事だからここで起こった事態の事などすぐに予想がつくはず。俺を追いだしたのは何故だと、又はそれに準ずる形で。

 

となると幽々子と紫との友人関係にひびが入る可能性も無きにしも非ずだ……。どうしたらいいんだこれは。

 

俺は幽々子の顔を見つつため息を吐いてしまう。

 

交渉には応じてくれそうにないな。…………ここは外側の領域で無力化させるしかないのか?

 

いや、それでも外での戦闘も考慮して、尚且つ範囲外に出られる事を極力少なくする距離を考慮すると、間違いなく紫達を範囲内に入れてしまう。……ここでの異常事態に容易に気付かれてしまうから使えそうにないな。

 

そんな事をあれこれ考えていると、幽々子は、俺が策を講じるのに手間取っていると判断したのか、再び妖艶な笑みに戻り俺を説得しようとする。

 

「ねえ、耕也? ……おとなしく、ね? 亡霊になれば寿命に限らずずっと友人として仲良く付き合っていけるわ。……私を受け入れてくれないかしら?」

 

いやいや、俺は不老だから死ぬ必要が無い。それを一部隠しつつ幽々子に伝えていく。

 

「幽々子さん、俺はどういう訳か不老でして、ですから亡霊にならずとも付きあっていけますよ?」

 

それを言うと、幽々子は納得してくれるばかりか、首を横に振り、それを否定していく。

 

「耕也。…………分かって無いわ。全然分かって無い。友人としていられるというのも確かだけど、私は貴方の魂が欲しいのよ? 話のすり替えは良くないわ」

 

そう言った瞬間に扇子を横に一閃する。やはり紫同様優雅で妖艶無動作であり、見事の一言しかない。……しかし何も起きない。

 

その動作は殺気のこもっているモノ事実があり、それゆえに何も起こらないというのにも疑問が湧いて来る。あのさっきならば先ほどの扇子の一閃に何らかの意味が込められているはずなのだ。

 

結果が起きなければおかしい。

 

そう考えた瞬間に背後から嫌な感触がし、後ろを振り返る。その瞬間に俺は凍ってしまっていた。

 

眼と鼻の先に蝶がいたのだ。それも先ほどとは全く色も殺気の度合いも全く違う、赤く鈍く輝く蝶が。

 

幽々子のふふっ…という言葉に弾かれるように、回避方法として反射的にジャンプをその場で使い、部屋の隅まで逃げ出す。

 

「幽々子さん、いきなりは反則ですって! もっと穏やかにいきましょうよ」

 

そう言いながら部屋の隅から幽々子の方を振り返り、文句を言う。

 

すると、幽々子は一瞬驚きつつもすぐにニコニコしながら何も言わずに扇子を振る。

 

無視かよ……と思いながらも再び襲ってくる蝶を回避しようと身体に勢いをつけようとする。

 

つけようとしたのだが、その時何かに腕が引っ張られるような感触がし、その直後にガクンと姿勢が崩れ蝶と正面衝突してしまう。

 

「な、なんだ!?」

 

俺は少しの痛みに顔をしかめながら、その原因を探りに視線を後ろに戻す。その瞬間、心臓がドクリと跳ね上がり、一気に冷や汗が出てくる。

 

全くもって初めてだ。こんなことってあり得るのか? 一体何が起こったのだ?

 

そんな考えが頭の中を埋め尽くし、脳がその事象を必死に打ち消そうと我武者羅に否定し始める。

 

こんな事があってはならない。こんな、こんな馬鹿げたことなんて。

 

俺が目を向けた先には、…………そこには、右腕が壁にめり込んでいたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

混乱の最中、ふと背後から声がかかり、背中に重量感のある物体が抱きついてくる。もちろんこれは想像しなくても分かる。幽々子だ。

 

「あらあら耕也、腕がめり込んでしまったのね~。…………ふふふっ、この際どうかしら? 今のまま引き抜こうとすると、腕がグチャグチャになって痛くて痛くて気が狂いそうになって、一生不自由することになりそうじゃない? だから、今ここで亡霊になってしまった方が楽なんじゃない?」

 

嫌な提案をしてくる。一体誰が死にたいだなんて思うんだ。……確かに幽々子の言い分も理解できる。

 

俺も人間だ。いくら不老だからといっても、決して死なないわけではない。

 

もし死んだ場合はどうなるのか? もちろんどこかの閻魔に裁かれるだろう。日本に居る限りはそうなるはずだ。

 

そうしたら地獄か冥界か天国か。おそらく…………いや、もしかしたら閻魔も裁けないんじゃないだろうか? 判断…………いや、その前に死ぬこと自体があってはならないのか。

 

何だか訳が分からなくなってきた。もう良いか、ここら辺は後で考えよう。

 

それにしても随分とまあ綺麗にめり込んでいること。木の支柱に右手がめり込むなんて滅多にお目にかかれることじゃあない。

 

焦ってやったためにかなあ? 集中力が足りてなかったんだなあ、多分。俺の手のぶんの体積はどこに行ったのだろうか?

 

部屋の裏側に落ちてるとかそんな感じならまだ笑えるのだが……。

 

手を無理矢理引っこ抜いても大丈夫だろうか? 力自体は生活支援で何とかなるけれども……領域があるから大丈夫か。

 

そんな考えをめぐらしていると、幽々子が俺に返答を急かす。

 

「ねえ、耕也。決めていただけないかしら? 頭の良い耕也なら、分かるわよね?」

 

彼女としても俺には死んでもらい、亡霊として、魂同士の付き合いというのをしたいというのは分かる。

 

ただ、俺には魂が欲しいというのがどうも理解できない。別に魂が手に入ったからといって幽々子のスペックなどが特別上がるという訳ではないだろうし。

 

もし、幽々子の欲しいという言葉が、俺達人間の宝石などに対する欲しいとかだったら勘弁どころではない。嫌すぎる。コレクションは嫌だ。

 

俺はそんな事を考えつつ、幽々子への返答をしていく。

 

「別に自分の頭は良くも悪くもないのですが、……死ぬという事だけはやはり嫌なので、お断りいたします」

 

そう言ってめり込んだ腕に力を込め、生活支援によって人間の限界を軽く超える力を発揮させ、木の持つ強度をあっさりと越えさせる。

 

無論、俺の腕の表面には領域があるので引き抜くことによって考えられるであろうアクシデントを未然に防止する。

 

「せぇーのっ!」

 

その言葉と共にめり込んだ腕を耳の鼓膜をコツコツ叩くような非常に大きな破砕音と共に、支柱と周りの壁を大きく抉り砕いて外に引きずり出す。

 

そしてすかさず振り向きざまに幽々子の両腕を掴み、そのまま壁に押し付ける。幽々子は、俺の無傷である姿と、異常なほどの力、そしてさらには自分腕を掴まれるという事を予想していなかったのか、キャッというかわいらしい声を上げて成すがままにされる。

 

「さあ、もう力は使えませんね? もし、離してほしければ、私をもう死に誘わないという事を約束して下さい。それで私は貴方を信じて解放します。無論、この状態での蹴り上げなどは何ら効力を持たないのであしからず」

 

自分でもいきなり何を言っているんだという感じもするが、とにかく早めにこの厄介な事態を収束させたいという気持ちがあるため、柄にもない事を言ってしまう。

 

幽々子は、俺の方を少しばかり驚きの表情で見ていたのだが、やがて諦めたように口を開き、首を振る。

 

「はぁ……。やっぱり室内だと戦いにくいわね。…………分かったわ。今日の所は諦めてあげる」

 

そう誰をも魅了する笑顔を向けながら。

 

今日だけじゃなく毎日お願いしますと思いつつ、その笑顔を直視できずに俺は少しだけ視線をそらす。そして幽々子も気まずそうに視線をそらす。

 

少しの間、お互いの沈黙によって再び夜に静けさが戻ってくる。

 

だが、実のところ俺はやっと厄介事が一つ終わったと思い、一安心できた。

 

しかし、沈黙は唐突の幽々子の声によって破られた。

 

「あ、あらあら……」

 

どうしたんだ? 俺は視線を幽々子の顔に合わせる。すると、今度は少しの驚きの表情を浮かべながら俺の後ろの方に視点を合わせている幽々子がいた。

 

それと同時に肩を叩かれる。

 

ん? この部屋には俺と幽々子しかいないというのに。一体……。

 

そう思いながら叩かれた方を見る。

 

「あ…………」

 

その言葉しか出なかった。おそらく腕をめり込ませた時よりも俺の脳が警告を鳴らしている。

 

やってしまった…………。密かに心の中で思う。もう逃げられないと…。

 

そう、俺の視線の先には、何と紫と藍がいたのだ。

 

しかも二人とも眼に光が無い……。夜のせいだと信じたい。

 

そして俺と目があった紫は一言俺に言う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「耕也。随分とお盛んね? ふふふふふふふふ…………」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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54話 これは喜ばしい事なのだろうか……

俺はただ防衛しただけであって……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「は、ははは……、お二人ともどうしてここに?」

 

俺はすぐさま幽々子の両手を解放してやり、彼女を背にして紫達と正面から向き合う。

 

正直なところ、ものすごく怖い。俺はただ危険回避しようとしただけなのになぁ……。

 

しかし、紫は俺の行動の最後の方しか見てなかったらしく、俺の行動が変態以外の何ものでもないかのような目で見てくる。

 

「どうしてここに居るかですって? あれよ……」

 

そう言いながら静かに部屋の隅を指差す。俺は釣られるようにその方向を凝視する。

 

ああ、そうか。俺のせいじゃねえか。こんちくせう。あの時大きな音を立てながら引きずり出したせいか……。

 

俺は思わず苦い顔を浮かべてしまう。それに気付いたのか、紫は実に良い笑顔を浮かべながら俺に一歩詰め寄る。

 

「夜中にあんな音を立てられたら……ねぇ? 気付かない方がおかしいでしょう?」

 

と、俺の失態が功を成したかのような口調で言ってくる。

 

はい、全く持ってその通りであります。全部俺が悪うございました。

 

だが、俺にも正当な理由があるので、すこし言いづらいが正直に言う。

 

「いやいや、これは俺のせいじゃないんですってば。むしろ俺は被害者だったり……信じてくれますよね……?」

 

俺が信じてくれますようにと思いながら紫に言ってみたのだが、紫はニコニコしながら

 

「あらあら、それは違うのでしょう? これはどう見ても貴方の強姦現場にしか見えないのだけれど……?」

 

ですよね~、と思いながら俺も紫の意見に心の内で賛成する。紫の見た部分は俺が幽々子を取り押さえている所のみ。

 

おまけに俺の能力をおおよそは知っているため、俺が幽々子を簡単に取り押さえられることも分かっているのだ。

 

つまりは、今現時点において俺の状況は非常に悪い。それも紫と幽々子の両者に挟まれるという最悪な形で。

 

これは……命蓮寺での出来事よりも酷いな……。

 

「違う、違うんです紫さん。本当に俺は幽々子さんを犯そうだなんてしてません。ただ危険回避をしたっ!?」

 

紫になおも弁解をしていた俺だったのだが、思わぬ衝撃に言葉を切らしてしまう。

 

その衝撃の源は背後からであり、気付いた時には両腕を胸板あたりにまで回され、拘束されていた。もちろんやったのは幽々子。

 

「さあ、紫っ! 犯人は捕まえたわよ。好きに料理して頂戴?」

 

いやいやいやいやいやいや。それは無いだろうっ! いっくら何でも無茶苦茶すぎるっ!?

 

俺は突然の行動に驚き、幽々子の両手を引っぺがそうとする。

 

「ちょっと、何やってんですか! 幽々子さん! 俺何も悪い事してないでしょうが。幽々子さんっ!?」

 

わちゃわちゃと慌てながら必死に離そうとするのだが、案外がっしりと両腕を組んでおり、なかなか引き剥がせない。

 

それを好機と見たのか、紫は俺に一気に近づき、扇子で少々俯き加減の俺の顎を持ちあげこちらの目を見るようにさせる。

 

その顔にはちょっとした嗜虐心が垣間見えており、愉悦感あふれる笑みを浮かべている。

 

やっぱり紫も妖怪なのだなと思ってしまう。やはり手負いにはかなりの……Sですな。

 

「本当に節操無いわねえ。……一体どうして幽々子を襲う気になったのかしら?」

 

「いやいや、ですからそれは幽々子さんが、俺にですね……あ~、俺にですね……」

 

言ってしまっていいのかどうか少々悩んでしまう。俺の中に少しだけ不安が湧きでてくる。やはり、あの時に思ったように紫と幽々子の関係が崩れてしまうのを恐れている自分がいる。

 

でも、これぐらいでは崩れないとは思う自分もいる。

 

何とももどかしい。早くこの厄介事を片づけたいというのに。

 

知らず知らずのうちに俺は自分の事を言ってしまってはいけないのでは? という考えが支配してくる。

 

そしてその考えが俺の脳内を、流れを得て渦巻き始めた時、俺は自然と顔を歪めてしまっていた。

 

それを見た紫は、首を傾げて何が起きたのかというようなしぐさをする。

 

「俺に……何かしら?」

 

と言ってくる。

 

「いえ……何でもないです」

 

やはり、言えないと判断して俺は彼女に対してはぐらかしの言葉を言ってしまう。

 

また、実際のところ俺と紫の背はあまり変わらない。若干俺の方が高いだけである。紫は170cm越えしていると思う。

 

そんな紫が俺の方に近づいてくるとどうなるか。もちろん顔の位置の差はほとんど変わらない。そう、その美顔が俺の前に接近してくるのだ。

 

その顔を前にすれば当然俺の心臓は早鐘を打つように拍動する。しかし同時に紫の目は濁っており、俺の行動が如何に良くない物として映ったのかが分かる。

 

そして俺がそこまで認識した所で、紫は俺に強く抱きつき、首に両手を回して俺の耳に顔を近づける。

 

「え、ちょっ、ちょっと紫さん?」

 

俺は紫の突然の行動に驚きつつもその真意を問う。

 

対する紫は、俺の動揺を無視しつつ俺に対して冷酷な一言を述べる。

 

「さあ、どうしてくれようかしら? ねえ? 藍?」

 

「そうですねぇ、おおよその部分は分かるので、幽香の事と同じような事をしてしまえばいいのではないでしょうか?」

 

幽香? …………まさか、あの時の事なのか? あの媚薬を飲まされて犯されたあの夜の事なのか? ……いや、でも彼女らには話していない。という事は、殺すという事なのだろうか?

 

そんな考えがまるで火山の噴火のような勢いで一気にあふれ出てくる。

 

「そうねえ、それも良いわね。この節操なしには良い薬になりそうだしねぇ……?」

 

そう言いながら紫は、俺を幽々子から引き剥がし、自分の方へ体重がかかるように俺を抱き寄せる。

 

俺は紫を引きはがそうとしているのだが、直接的な害があるわけでもないので、領域が上手く作用してくれない。

 

「藍、こっちに来なさい? ……一緒に、ね?」

 

藍は、まるで極上の獲物を見つけたかのような目をしており、肉食獣その物。妖怪の本能むき出しの状態で紫に返事をする。

 

「はい、了解しました。紫様。…………さあ、耕也。節操のないお前に罰の時間だ。」

 

「藍、紫。…………俺をどうする気なんだ? …………もしかして、俺を殺すのか?」

 

つい口調が荒くなってしまいそうだが、押さえつける。

 

ただ、俺を殺すという事ならばジャンプを使用して自宅まで逃げおおせてしまえばいい。もし、それでも追いすがってくるならば、神奈子や諏訪子のいる神社まで避難すればもはや危険度は0に等しくなるだろう。

 

しかし、紫から放たれた言葉は俺の先ほどまで考えていた対策とは大きく違っていた。

 

「ふふふ、あははは。………………可笑しい事言うのね耕也は。 私があなたを殺すだなんてあり得ないわ。一体何を心配しているのかと思えばそんな事……ふふふ」

 

俺の考えている事が紫にとっては予想外の事であったようで、クスクス笑いながらさらにさらに強く抱きしめる。

 

幽々子に向かって口を開く。

 

「さあ幽々子、この件は私達が処理するわ。」

 

俺の視界には捉える事ができなかったが、紫が幽々子に何かしらの合図をしたのか、幽々子は笑いながらそれを了承する。

 

「ふふふ、分かったわ。……まったく、程々にしておきなさいよ? はぁ……残念だわ」

 

そう言いながら俺を放置して部屋から出ていく幽々子。

 

「さあ、耕也。藍が防音と人払いの結界の札を張っておいてくれたから、もう音も漏れることは無いわ」

 

防音、人払い、夜そして妖艶な美女二人。これの意味するものはもう一つしかない。

 

「紫、まさか……うそだろ?」

 

俺は紫の温かいく柔らかい肌の感触と、嫌に落ち着かせる心臓の鼓動を感じながら彼女に確かめるように尋ねる。

 

もう一つしかない。そう、これしかないのだ。もはやこの状況が作り出すものと言えば男女のアレだ。

 

確かにそんな気配は持っていた。藍が俺の布団に入りこんだときや、紫の異常なほどの恥ずかしがりよう。

 

そんな事を考えつつも自然と身体は紫から離れようと力を込め始めている。

 

「あらあら耕也。そんなに怖がらなくても大丈夫よ?」

 

そう言いながらさらに力を込めてくる。しかも領域が反応しないような絶妙な力加減で。

 

ヤバい紫の奴、この極僅かな短期間で領域の特性を把握してやがる。

 

そんな危機感が俺の中で湧きおこる。しかし、それについては深く考える余地などは無かった。

 

「……いやいや、十分に怖いよ。それに、幽香と同じ事というのがいまいち想像がつかないモノだからね」

 

そう言って何とか時間の猶予を増やそうとする。

 

しかし紫はもう我慢する事ができ無くなったのか、俺に少しだけ厳しい口調で言う。

 

「ねえ、耕也。……はぐらかすのはやめましょうよ? もう、貴方も分かっているはずよ」

 

「そうだぞ耕也。見苦しいぞ?…………やはり、お前を見ていると抑えきれなくなってくる。……やっとお前を抱けるのだからな。どれほどこの日を待ちわびた事か」

 

紫に続けて藍も言ってくる。それはもう嬉しそうに。そして頬をほんのり赤く染めながら淫靡な眼をして見てくる。

 

片や三国を傾けた大妖怪。もう一人は妖怪最強の美女。予想しなくても分かるが、この二人を同時に相手をしたら俺がぶっ壊れてしまう。

 

特に藍はとんでもないほどに性技に長けているはずだ。もう無理だろ。精神が壊される以外の未来を見いだせない。

 

「紫、藍。そんな事をしたら俺が壊れてしまう……」

 

「安心しろ耕也。壊れても責任を持って一生面倒を見てあげるから」

 

「そうよ? それに、壊れてしまったら亡霊になるという素晴らしい手段もあるのよ?」

 

…………え? ……もしかして幽々子と共謀してたのか?

 

そんな嫌な考えが間欠泉が噴出するように頭の中を駆け巡り、一気に身体がガタガタと震えだす。

 

嵌められたのか俺は……。

 

「もしかして、嵌めたのか?」

 

そう言うと、藍は俺の方をしっかりと見つつ否定の言葉を言う。

 

「それは違う。私達は、先ほどの幽々子様のしていた事を見てから咄嗟に思い付いたことだ。幽々子様は関係ない」

 

だとしたら何か? 俺のあの苦労は全部水の泡なのか? 必死に弁解していたあの俺が?

 

何て無様なんだ。紫と藍にの手のひらの上で踊っていただけかよ……。

 

まあ、頭脳戦でこの二人に勝とうなんて思いはしないんだけどな。

 

俺はそんな事を思ってしまったのだが、ほんの少しだけだが、この状況が気に入らなくなってきた。

 

だから

 

「もし、俺を犯そうとするなら、ジャンプして逃げるよ?」

 

身体の震えを抑えつつそんな事を言ってしまう。おそらくこれで何とか手を引いてもらえないかと思いながら。

 

もしこれで手を引いてもらえれば万々歳。これで駄目ならば、また別の手を講じなければならなくなる。

 

とりあえずは、衝突だけは回避したい。この二人と闘っても負けることはまずないが、周囲への影響がでかすぎる。

 

そんな事を考えながら俺は彼女の反応を待つ。

 

しかし、世の中優しくないようで、聡明な彼女には俺の考えていることなどすべてお見通しだったようだ。

 

「そんな事をしても無駄よ? 私は貴方を追い続けるし、ふふ………………貴方の一番さんは一体どうなるのかしら?」

 

と、不敵な笑みを浮かべながら言ってくる。

 

対する俺は脅しだと理解しつつ、何故幽香との関係を知っているのかを問いただしたくなってしまい、そして幽香に攻撃をする事が許せず紫に厳しく問い詰めるたくなる。

 

しかし、ここは理性でグッとこらえ、誤魔化すようにそれとなく答えを引き出そうとする。

 

「紫、…………さっきから思っていたんだが、何故幽香が出てくるんだ? 俺は幽香とは特に何かがあったわけではないぞ?」

 

そういうと、紫は男を蕩かすような淫靡な表情から、一気に無表情になり、俺に冷たく言い放つ。

 

「嘘を吐くものではないわ、耕也。貴方は隠しているつもりかもしれないけれども、私達には丸わかりよ。いくら身体を洗ったとしても、いくら別の服に変えたとしても。…………もう貴方の身体に染み付いてしまっているもの。幽香との行為がね」

 

だからあの時俺の服の匂いを嗅いでいるようなしぐさをしていたのか。

 

それと同時に俺は、妖怪は一体どれほどの嗅覚をもっているのだろうかと疑いたくなってしまう。

 

さらに言えば、もともと俺を犯したいがために俺と幽々子との間に割って入ってきたのだろうと結論付ける。

 

そしてもう逃げ道が無いという事も認識させられる。

 

それを見て紫はニヤリと笑い、俺を本格的に料理しようとしてくる。

 

「さあ、…………もう何も言う事は無いわよね? 据え膳食わぬはなんとやらよ。じゃ、藍お願いね?」

 

そう言って藍を俺に預けていく。

 

もう拒否する事が無駄だと分かってしまった俺は、素直に藍に抱きしめられる。

 

「分かりました紫様。紫さまも殿方の悦ばせ方を知るには丁度いい機会です。とはいっても、私達は耕也だけにしかあり得ないのですが……ん」

 

そう言いながら俺に唇を重ね、自分の欲を満たし、本番へと準備を万全にしていく。

 

「んんんっ、んんぅ…………んあ、じゅる…………ずず……れろ、れるぅ……ふふふ、もう良いかな?」

 

「馬……鹿………何の前……振りも無く………するんじゃな……い」

 

藍からの激しいディープキスの応酬を受けた俺は、そのテクニックに一気に力を抜かれ、全体重を預けてしまう形となってしまう。

 

ビリビリと身体に電気ショックのように響くその快感に、俺は喋ることすらもままならなくなり、とぎれとぎれでしか言う事ができなくなってしまった。

 

だが、藍に反則だのなんだの言ったところでやめてくれるわけもなく

 

「おやおや……まだ足りなかったか……完全に弱らせる必要がありそうだな?」

 

「や、やめ……て…………」

 

「大丈夫だよ。命を落とすようなことは無いからな? …………お前は紫様と私の旦那様なのだからなぁ。ああ、でも幽香も入ってきてしまうのか。それはまあ後で。さあ、紫さまもお早く」

 

そう言いながら紫を手招きして俺を凌辱する行為に名を連ねていく。

 

「分かったわ藍。ふふふ、耕也。貴方はもう手遅れなところまで来てしまったのよ。引き返すことのできない所まで来てしまったのよ。……私達は、貴方に感謝しているわ。孤独から救いだし、さらには妖怪と知っても態度を変えずに接してくれた初めての殿方。これを愛せずして何とするのかしら? それに幽々子とも友人になってくれたようだし万々歳。でも妖怪としての欲だけは抑えられない。貴方を前にして、犯すことを考えたらもう濡れてしまうのよ? だから……ね?」

 

この苦痛としか思えない快楽にさらされ、意識を失う前に思ったことはただ一つ。

 

本当に女性は怖い。それだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さあ、耕也。楽しみましょう? いずれは幽々子も含めた4人でね? いや、5人になるのかしら? 本当は独占してしまいたいのだけれど…………ふふふ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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55話 ほのぼのが一番……

UNOは最高に面白いね……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

眼が覚めると、俺の横には誰もいなかった。紫や藍はおそらく着替えにでも行ったのだろう。俺は二人の姿が見えない事を両目でしっかりと確認すると、布団から上半身の身を起して昨晩起こった事を実感する。

 

昨晩の事を思い出すと一気に顔が熱くなり、恥ずかしいような嬉しいような不思議な気持ちになり、しばらく眼を閉じて自分を落ち着かせる。

 

それは人肌を感じる事ができた嬉しさか、温かみか、それとも恥辱感か。最後の選択肢は無いなと思いつつ改めて自分の愚行を省みる。

 

本当にとんでもない事をしてしまった……。そう自分の行動の浅はかさを後悔する。俺がもっと紫や藍の気持ちを察して素早く対応できていればよかったのにも拘らず……。

 

しかし、この朝の冷たい外気にその気持ちを阻害され、集中できなくなってしまう。

 

だが、起こってしまった事はもう取り返しのつかない事であり、この結果をもとに俺がどう行動するかによって今後の彼女達との関係がギクシャクするか、それとも円滑になるかが決まってくる。

 

俺はそんな事を考えつつ布団から這い出し、バスタオルを身体に巻き、サンダルで外に出て40℃の湯を創造し、シャワーのように身体全体に掛け、汚れを落とし、そして地面に流れ落ちていく湯を消していく。

 

また身体に着いた水分も消し、万全の状態になった所で服を着こんでいく。

 

着込んでいる最中にふと一つの考えが浮かびあがり、自然と口に出していく。

 

「そろそろ妖忌さんの手伝いに行った方がいいかな……?」

 

おそらくこの時間帯だと妖忌さんが朝食を作っているはずだ。さすがに泊らせていただいているのだから、手伝いに行かないと失礼にあたるだろう。

 

そう思い立ち、再び屋内へと上がり、台所の方へと歩いていく。

 

足を前に進めながらも、足の筋肉に違和感を覚える。やはり昨晩の疲れが残っているのだろう。その足取りは普段とは驚くほど違う。

 

いくら死んだように眠ったとしても所詮は人間。回復力にも限界はある。

 

けだるさを感じながらも、その歩みを止めずに長い廊下を歩いていく。さすが冥界の管理者の住居というべきか。一体どれほどの広さを持つのか皆目見当がつかない。

 

またこの屋敷といえば、その主である幽々子の言っていた、「貴方の魂が欲しい」という発言には随分と焦ってしまったとしみじみ思う。

 

もし幽々子が俺を殺したとしてその魂を一体どうするつもりなのだろう? 友人として付き合っていくためという建前があったが、実際の所俺の魂を吸収したいという願望もあったのではないだろうか?

 

そんな背筋が寒くなるような考えが、このしょうもない頭に浮かんでしまったために、気温の低さも相まってブルリと身体を身震いさせてしまう。

 

そうして歩いていく内に、台所と廊下を繋ぐ扉が視界に入るまで近づいてきた。せめて朝くらいは元気に挨拶をしようと決心し、その歩みを疲れから生じる抵抗感に逆らって速めていく。

 

歩みを進めていく内に視界に映る扉が大きくなり、もうそろそろだなと実感して足を止め、一回だけ深呼吸をする。

 

どうか今まで道理のように円滑な関係を、と思いながら足を一歩踏み出す。

 

すると、丁度3歩ほど進んだ先にある、来客用の寝室の扉が開き、二人の女性が姿を現す。その見覚えのある姿に思わず俺は驚きの声を上げてしまう。

 

そしてその女性達も俺の存在に気がついたのか、二人して口に手を当て、「あっ」と声を漏らす。

 

その姿はまぎれもなく、昨晩を共にした藍と紫の姿だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私と藍は朝日が昇らないほどの早朝に眼を覚まし、隣に眠る耕也を起さないように布団から出る。

 

自分らに与えられた部屋へ行こうという合図を手で藍に出しながら、同時に耕也を起さないように右手の人差し指を立てて口元へと持って行き、「しーっ」とやる。

 

それに藍は頷き、静かに立ち上がる。私は自分の部屋へと繋ぐスキマを作り、足を滑らせるように入っていく。

 

藍も私の後に続き、私と藍自身の服を回収して滑り込んでくる。

 

服は全て藍が妖術で綺麗に洗浄をして私に返してくる。それに私は感謝の意を伝えながら、同時に自分の身体も綺麗にして服を着こんでいく。

 

そして服を着込むと同時に昨晩の記憶が一気に洪水のようになだれ込んでくる。顔が熱くなる。どうしようもないほど熱くなる。恥ずかしい。

 

藍が主導になったとはいえ、私も大胆な行動に出たものだと思う。そう思うと、恥ずかしさのあまりか身体に力が入らなくなっていき、私はその場にへたり込むように座り、大きくため息を吐く。顔が燃えそうだ。

 

そして同時に恐怖も湧きでてくる。

 

「いやねえ…………大妖怪ともあろう私が。こんな……こんな…」

 

どうして耕也に嫌われてしまうのではないだろうかという不安が湧きでてくるのだろうか。

 

いや、この不安は必然なのだろう。何せ無理矢理犯してしまったのだ。妖怪の欲に任せて。

 

身体がカタカタ震えだす。抑えきれなかったのだ。欲しくて欲しくて、手元に置いておきたくて、あの稀有な存在を内に引き入れたくて仕方なかったのだ。

 

まるで贖罪か、言い訳か、それとも自己の正当化か。どれともつかぬような考えを浮かべてグルグルグルグル回していく。

 

そんな私の様子を見かねたのか、藍が私の事をそっと抱きしめてくれ、ポツリポツリと私のこの消極的になった心に染み込ませるように呟いてくる。

 

「紫様……、確かに私達のしたことは耕也の気持ちを考えずに無理矢理の行為でした。しかし今更どうこうできるような問題ではありません……」

 

「ええ、そうね……続けて?」

 

「はい、そうですね、……多分耕也は私達の事を嫌いになったりなどしませんよ。これはただの言い訳にしかすぎませんが、私達は耕也が欲しくて仕方がなかった。昨晩しなくてもいつかはこのような事態になっていたでしょう。……ただ、それが早まってしまったにすぎません。」

 

私は藍の言い方に違和感を覚える。それは言い訳にしても苦し過ぎると。

 

だが、私の違和感が口から出るよりも先に、藍は

 

「そして何より耕也は優しい。というよりもお人好しすぎるといった感じですか。だから、もし怒っていたとしても、許してくれますよ。あれは罰だったのですから」

 

その言葉を終えると同時に私は藍の顔を見上げる。昨晩の事を思い出しながら言っていたのだろう。その顔は真っ赤になっている。

 

それに釣られて私も顔を真っ赤にしてしまう。当然だ。肌を重ねるのは初めてだったのだから。

 

藍の言葉に不安感が薄れ、再び恥ずかしさが台頭してくる。

 

行為の前後では藍の助けもあり、恥ずかしさを精一杯隠して余裕のある大人の女を演じていたのだが、今となってはもう無理だ。

 

先ほどの恐怖感はもう欠片も無いほど、この恥ずかしさで吹き飛ばされてしまっている。

 

ああ、これでは耕也に合わせる顔が無い。耕也の顔を目の前にしてしまったら顔が燃焼する。その自信がある。

 

私の恥ずかしがっている顔を見たのだろう。藍は顔をニヤニヤさせながら私の方に向かって口を開く。

 

「それにしても紫様。……随分と大胆でしたね? 私も少し驚いてしまいましたよ。それが演技だとしても……」

 

何て事を主に向かって言うのだろうか、この狐は。少し躾が必要かしら?

 

そんな事を思いながら私はスキマを通して藍の後頭部に手刀を当てる。

 

「コォンッ!!」

 

突然の攻撃に狐語が出てしまったのだろうか? 妙な叫び声を上げる。

 

私はその反応を見てニヤニヤして藍の顔を見る。

 

「なっ……た、叩かなくても良いではないですか」

 

と、恥ずかしさからくるのか、顔を真っ赤にしながら焦ったように言う。

 

まあ、おそらく藍は私の気持ちを紛らわせようとしてくれたのだろう。そこには密かに感謝する自分がいる。

 

「ふふふ……ありがとうね。藍」

 

そう言うと藍は自分の行動の目的を読まれたからか

 

「い、いいえ……大したことではありません。従者として当然のことです」

 

と、恥ずかしさを隠せずも返答してくる。

 

私は本当に良い従者を持ったものだ。

 

それにしてもやはりあの時無理矢理だったのは、少なからず嫉妬という物もあったと言わざるを得ない。

 

こう、欲の他に、見ているとイライラしてしまったのだ。物凄く。…………幽々子という親友を前にしてだ。

 

私は藍にその時の気持ちはどういうものだったかという意見を聞いてみたくなって、つい口を開いてしまう。

 

藍は私よりも早くから耕也に対して接触しており、また好意も早くから胸の内に孕んでいた。だからこそ同じような嫉妬の念を抱いていたのではないだろうか?

 

「ねえ、藍」

 

「はい、何でしょうか?」

 

「藍は、あの時どう思ったのかしら? 耕也が幽々子に対してしてた行為。どう思ったのかしら?」

 

そう言うと藍は、少しだけ顔をしかめて私の質問に答えようと考え始める。おそらく様々な感情が渦巻いているのだろう。私の友人である幽々子に抱いてしまった嫉妬。少しの怒り、先を越されてしまったという後悔。

 

また、耕也を幽々子の能力によって失ってしまいたくなかったという危機感。様々だ。

 

やがて藍は答えを導き出したようで。ようやく口を開き始める。その答えは非常にシンプルかつ先鋭的であった。

 

「正直に申し上げますと、物凄く嫉妬しました。あそこまで密着していると……何故だか耕也をどこかへ連れ去ってしまう気がして……」

 

やはりそんな感じか……。

 

「そうね……私も同じような気分だったわ」

 

私とよく似ていると思ってしまう。やはり独占欲は、孤独だった分かなり大きいようだ。仕方ないと言えば仕方ないが。

 

私はそんな事を考えながら時間がたつのをノンビリと待つ。

 

しばらくすると、日が昇り、朝食の準備が終わるころだろうと予測し、藍を連れて部屋を出る為に立ちあがって襖へと向かう。

 

もう耕也は向かっているだろうから、耕也とは朝食の席で会う事になるだろう。その時は色々と話す事もあるだろう。もし耕也が怒っているのなら、真剣に謝らなくてはならない。

 

そう思いながら襖に手を掛け、右へと力を込めてゆっくりと開けていく。

 

そして廊下に出て居間へと向かおうと歩き始める。

 

しかし、そこで予想だにしない事が起こってしまった。

 

後ろから声がかかってくる。

 

「あ……」

 

と。私はそれにひかれるように後ろを見てしまう。藍も同じく振り返ったのだろう。

 

そしてその姿をこの目の中に入れた瞬間、心臓がドクリと跳ね上がり、顔が一気に熱くなるのを感じる。

 

やはりいくら藍のおかげで心が落ち着いて準備ができたとしても、実物を前にするとそんなことも吹っ飛んでしまう。

 

そして主従共に同じ声を上げてしまった。

 

「あっ……」

 

と。

 

 

 

 

 

 

 

「あ……」

 

そんな声が出てくる。明るく行こうという決心を付けた矢先に、その目的の人物があらわれてしまったからだ。

 

同時に顔に血液が集まってくるのを感じる。そして俺の視線の先に居る紫も顔を真っ赤にして右手に持つ扇子をフリフリと動かしている。

 

とりあえず、この空気はあまり良くないのではないかと判断して、挨拶を始める。しかし、どうにも心が落ち着かず、俺はどもりながらの挨拶をしてしまう。

 

「お、おはようございます。紫さん、藍さん」

 

そう言うと、藍は

 

「ああ、おはよう耕也」

 

スムーズに返してくるのに対し、紫の方はますます顔を赤くし

 

「お、お、おは、おはよう耕也」

 

と、ぎこちないカクカクとした動作で挨拶をしてくる。

 

俺は、紫も昨晩の事を引きずっているのだろうと思い、早急にこの事を解決しなければならないと思った。

 

何より、わだかまりは早く無くしてしまいたい。俺はそんな事を考えながら紫の方を見て、咳払いをして準備を整える。

 

そして口を開き、紫に言葉を発する。

 

「紫さん藍さん」

 

「な、何かしら?」

 

「なんだい?」

 

そして俺は紫の返事を聞くと同時に、頭を下げて言う。

 

「今回は本当にごめんなさい。もう少し俺が早く二人の気持ちに気付いてあげればこんなことにはならなかった。でも、どうしても怖かったんだ。俺なんかが良いのか? 俺ごときの人間が本当に彼女達と釣り合うのかと思ってしまって。……だから今一歩を踏み出せなかった」

 

そう言って紫の顔を見ると、紫は驚いているのか口に手を当てている。

 

藍は、紫とは逆に頬笑み、紫の方を眺めている。

 

確かに俺がいきなり謝り始めたことに関しては、驚くのも無理はないだろう。

 

だが、俺には一つ言っていない事がある。それは幽香の事だ。俺には幽香がいる。もし俺が妻を持つとしたら幽香が間違いなくその位置にくるだろう。

 

だから紫や藍はこの時代の立場で表すのなら、妾という立場になってしまう。もし、もしその妾でも良いというのならば、平等に愛を注ぐ決意はある。

 

ただ、幽香がその妾という存在を認めるかどうかだ。おそらく認めてくれない気がする。……あの肉体関係を持ったとしても私が一番。という言葉を鵜呑みにするのならば、認めていると思っても良いのかもしれないが。

 

そんな事を考えながらも、彼女の返答をひたすら待つ。

 

すると、紫はしばらく固まってはいたが、藍が耳元で小声で話しかけると、ゆっくりと頷き、俺に向かって話しかける。

 

先ほどの顔を真っ赤にした紫とはまるで違う、最強の妖怪に相応しい威厳を兼ね備えた堂々とした態度で。

 

「耕也、私の方こそごめんなさい。今回は少し無理矢理すぎたわ……でも、これだけは言っておくわ。私達は貴方を好いている」

 

「うん、それはわか「あと、幽香も分かっているとは思うわよ」……え?」

 

俺の言葉を遮ってさらに紫は言葉をつづけていく。

 

やはり、俺の考えはすべてお見通しのようだ。一番の懸念事項である幽香の事もすでに考えていたようだ。

 

「幽香も分かっていると言ったのよ。あの妖怪はかなり賢いからこの島国の情勢や夫婦の制度といった物は理解しているはずよ。だから、妾という立場もね……? 今のところは共感はしてはいないだろうけども、頭では理解しているはずね」

 

と、俺に諭すように紫が言葉を投げかけてくる。

藍は、俺に対して特に何も言わなかったが、主を立てるためにおとなしくしていたのだろう。

 

そして俺の方に、手を差し伸べてくる。無論藍も。

 

紫は、少しだけ頬を赤く染め、手を差しのべながら一言言う。

 

「まあ、これからも色々あるだろうけれども、よろしく……ね?」

 

「耕也、お前はドンと構えていればいいのだ。な?」

 

その言葉に俺は後押しをされるように二人の手を掴む。

 

左手は、藍。右手は、紫。二人の手は暖かく、また非常に心を落ち着かせるオーラを持っており、俺は自然と二人の傍まで近寄る。

 

そして俺達は、幽々子の待つ居間へと足を運んで行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

朝食の場で散々幽々子にからかわれたが、何とか回避して現在俺達はUNOをしている。

 

この提案は俺であり、提案の思惑としては、どうせ今日中に俺は帰ってしまうのだから、何か楽しい事を一つでもやろうという事である。

 

また、妖忌も俺とようやく話しあってくれるようになった。原因としては、幽々子に止められていたからだとさ。

 

理由としては、まず俺の魂を抜き取るのを効率よくするため。そして妖忌が口を挟んでくると思ったからだとのこと。

 

まあ、俺としては別に気にはしない。実害が無かったからな。

 

俺はそんな事を思いながらも、目の前にあるカードをどのようにして減らしていこうかを画策する。

 

ちなみにUNOの配置は、俺から時計回りに、紫、幽々子、妖忌、藍となっている。

 

そして、今回は非公式ルールを交えた変則ルールを行っている。内容としては、あまり知られていない公式ルールのチャレンジがあったり、Draw Twoカードの組み合わせや、同じ数字のカードや同一のカードの複数出しといった非公式ルールである。

 

上がる時は、複数枚での上りがOKだったり。

 

ルールは比較的簡単なモノなので、俺よりも頭がいい皆はすぐに飲み込み、それなりに楽しんでいる。

 

俺は自分の手札を見つつも、今どれほどのカードが出されているかを確認する。とはいってもカードの量が多すぎて把握しきれないというのが何とも悲しい状況だが。

 

それにしても、一体何で俺のカードの包囲網をを縫うような上手い戦法をとれるんだ?

 

そして目の前には、藍が出した青の5と黄色の5、緑の5が出される。つまり俺が出していいのは、緑か5かwildか。

 

さて……俺の手札は…………悲しいほどにパプリカ。黄色と赤しかない……しかも全部数字である上に5が無い。

 

藍の方を見ると、俺の方を見ながらニヤニヤしているのが見て取れる。ちくせう、一体どうしてこんなに強いんだ。

 

正直運の作用もあるだろうが、それも実力の内。だから泣く泣く俺は山札からカードを引く。……青のスキップか。

 

そして出せるカードが無いので、俺は仕方なくパスをする。

 

一方俺の隣に居る紫は、順調にカードの枚数を減らしつつあり、すでに4枚となってしまっている。

 

その表情には、余裕が手に取るように分かる。というよりも見なくても雰囲気がそうなっている。

 

紫は自分のカードの一枚に手を掛けると、こちらの方を見ながらニコリと笑う。

 

ん? 一体なにするの? ……まさか? そんな嫌な予感と疑問と共に出されたカードは……何で緑のリバースなんだよ!

 

出せるカードが無い状態なので、またもや一枚引くことになる。しかも黄色の4……もう嫌。

 

そんな事を思っていると、今度は藍が妖忌に対して攻撃を仕掛ける。

 

Draw Twoか……数は小さいが、地味に精神的にきついカードなんだよな。特に上がる寸前でのぶち上げはきついモノがある。

 

だが、妖忌は俺の視線に気がついたのか、ニヤリと笑いながら言う。

 

「耕也殿、私はこの程度で屈するほど甘くは無い」

 

そう言いながら出してきたのは、何とDraw Twoの二枚出し。あ~あ、こりゃ幽々子の大損だな。

 

俺は自分の最下位が遠のいたことに少しの安心感を持てる。

 

あとは堅実に一枚ずつでもいいから出していけば、俺は何とかビリにならずに済みそうだな。

 

ところが、世の中そう甘いものではなく、幽々子が紫の方を微笑みながら三枚のカードを出す。

 

うそだろおい……Draw Two三枚出しとか拷問だろ……。

 

俺は自分の前の紫でカードが止まってくれるように祈るしかない。大丈夫残りDraw Twoは二枚。そうやすやすと返せるものではない。

 

隣の方をチラリと見て紫の表情を確認する。紫は困ったような顔をしている。

 

やったねたえちゃん! カードが増えるよ!……紫のだけど。

 

そんなしょうもない事を考えながら次のカードを出す事を考える。

 

しかし、紫の行動は、俺の肩をポンポンと叩いて、振り向かせることだった。

 

俺が紫の顔を見た瞬間、紫の表情は困った顔から胡散臭い笑みへと変わり

 

「ごめんなさいね?…UNO」

 

そう言いながら2枚のカードを場札に出していく。

 

ああ、どうせもう分かってましたよ。そんな世の中うまくいかないって事ぐらいはさ……。

 

そしてそのカードを見た瞬間にもう俺は真っ白になりそうになった。

 

なんで……何で……Wild Draw Fourなんだよっ!

 

「ウソだろおい~っ!!」

 

合計20枚のカードを引くことになってしまったのだ。

 

俺が悲鳴ともとれるような声を上げた瞬間、紫と藍、幽々子は耐えきれなくなったのか噴き出して爆笑する。

 

妖忌も腕で鼻から口元を隠して必死に笑いをこらえているのだが、眼から涙が滲んでいる時点で台無しだった。

 

「ちっくしょう、引けばいいんだろ引けば!」

 

俺は山札からごっそり20枚取って手札へと持って行き、並び変える。

 

本当にドジなのか分からないが、並び変える途中でカード同士が引っかかってしまい、その場にカードを全てぶちまけてしまう。またもや大笑いされる俺。

 

絶対に勝ってやると決心した俺だが、結局ビリだったのは言うまでも無い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

後に分かった事だが、紫はスキマを使って俺の手札を見るなどといったイカサマをしていたらしい。こんちくせう。

 

 

 

 

 

 

 

 



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56話 久しぶりの依頼だ……

頑固すぎるのも困りものだ……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いよしっ! 味付けは完璧だな! …でも挽肉とピーマンの間に片栗粉付けるの忘れてた……」

 

俺は、味付けは完璧だと言いつつも、うっかりしたミスにより夕食のおかずがグズグズになってしまったことについて嘆いてしまった。

 

本来ならばピーマンの肉詰めは片栗粉を肉とピーマンの間に付ける事によって煮崩れを防ぐのだが、今回それを忘れてしまったためにひき肉が分離し、ピーマンとひき肉の甘辛煮へと変貌してしまっている。

 

まあ、仕方ねぇべと思いながら俺は食器棚から適当にとった中ぐらいの皿に一人分の盛り付けを行っていく。

 

今回は幽香にお裾分けしに行こうかと思ったのだが、ここまで酷い料理を持って行こうとは思えず

 

「明日の昼までこれがおかずか……」

 

と呟きながら残りを大きめの皿に移してラップを掛け、常温になるまで放置する。

 

そして自分の分を居間まで持って行き、一人寂しく昼飯を平らげていく。

 

やはり自分で作った飯は美味い。と思いながら俺は一気に米をかき込んでいく。

 

飯を食いながらも俺は毎日の事ながら、一つの事が頭から離れなかった。

 

(一体何時になったら俺に依頼が来るのだろうか?)

 

という考えが。

 

鬼の一件から全く依頼が来なくなってしまっている。幽香に聞いても俺の力が強いだけなのでは? という単純で一辺倒な答え。

 

紫や藍に聞いても首をかしげるだけで答えが出てこない。その時に

 

「もしお金が無いなら養って差し上げましょうか? もちろん貴方の人生を全部私達に譲渡するという形で」

 

と言ってきた。当然のごとく俺はヒモになるつもりは全くないので断ったが。

 

おまけに紫の方もどうせ断ると思っていたのか、冗談半分で言ったようだ。藍は……眼が恐ろしかったという感想しかなかったが…。

 

それにしても仕事が来ない原因は一体……。

 

都の方に行っても俺への依頼は一件もなく、全て他の陰陽師に回されている何ともやりづらい状況になっている。

 

ついこの前までは色々と頼られて非常に充実した生活だったのに……まるで避けられているかのようにも感じてしまう。

 

そこでふと思ったフレーズの中に一つだけ心当たりのあるモノがあった。

 

…………避けられている。

 

このフレーズだ。

 

都に行った時に感じたことだが、特に俺のような庶民一般は俺に対する接し方は変わらないのだが、他の者達の態度が今までとは大きく違ってきてしまっている。

 

例えば陰陽師や貴族。ここいらの都でも上層の位を持つ者たちだ。

 

いくら話しかけてもよそよそしい態度をとり、背中を見せたときにコソコソと陰口のような事を聞こえないように話し、時にはガン無視される時もある。貴族に至っては面会すらも拒絶されるほど。

 

一体俺の何がいけなかったのやら……。そんな事を考えながらもいくつかの要因を推測してみる。

 

……やはり仙人というのも忌避されるようになってきたのだろうか? いや、それとも俺の防御力が異常過ぎて気持ち悪がれているからだろうか?

 

いやいや、ひょっとしたら俺が仙人と偽っているのがバレた可能性も……。もしかしたら、もしかしたらだが、俺が鬼を単騎でノシたことが危険すぎるという事で干されるようになってしまったのだろうか?

 

いや~それにしてもこれは異常な気がするのだが……。

 

俺はそんな事をグルングルン頭の中で考えながら自分の今までの要因になりそうなものを精査していく。

 

とはいっても、いくら考えた所でこの奇妙な状況が変わるわけでもないのだが、どの道この推測したモノか、そうでないモノかのせいで俺に対する依頼の数が激減し、実質0となってしまっている。

 

一体どうすんべよこれ……シャレにならんぞ?

 

答えが出ないままこのモヤモヤした感情をどこに廃棄しようか迷っていると、玄関の方から、ガラスと金属の合わさった妙な振動音が聞こえる。

 

俺はそれに対していつものごとく、ああ、大方幽香なんだろうと思いながら食い終わった後の食器をシンクへと急いで持っていき、足早に玄関へと向かう。

 

「どちら様でしょうか?」

 

その言葉を一応添えながら。

 

迎えの一言を言い終えた後に、俺は何の警戒も無く、玄関の扉を開ける。

 

開けられたと同時に一人の青年が、俺の眼の前で頭を下げ始めた。

 

「すみません、私は平助と申します! どうか、どうか私の依頼を受けて下さいませんか?」

 

俺は彼のいきなりの大声と頭の下げに驚いてしまったが、その中でも喜びがふつふつと沸き上がってくるのを感じていた。

 

やっと俺に依頼が来たのだ……。

 

と、そう思った。もちろん俺は彼を門前払いするわけはなく、まずは話を聞こうと平助さんに中に入るように促す。

 

「頭を上げて下さい。ここで話すのもなんですから、どうぞ上がってください」

 

俺の言葉にハッとしたのか、自分の頭を掻きながら平助さんは俺に謝る。

 

「すみません、突然見ず知らずの人間が……」

 

「いえいえ、余程事態が切迫しているのだと予想できますので、お気になさらず。では、中へどうぞ」

 

自分では極めて冷静に言ったつもりではあるが、声が少々普段よりも上がり気味になってしまい、言葉の端々に感情を表してしまっている事に気がついた。

 

やはり久しぶりの依頼という事もあるため、この喜びを隠せないようだ。口角がつり上がってしまうのを抑えられない。

 

必死に自分の口元を右手で覆いながら、俺は平助さんを居間へと通す。

 

……駄目だ、どうしてもニヤニヤしてしまう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺は彼を座らせた後、茶を彼に差し出し事情を聞くことにした。

 

彼は非常に焦っていたようで、座った後にも色々と周囲を見渡したり、俯いたり、かと思えばしきりに何かを言いたそうにする。

 

俺は、彼をこれ以上放置するのは良くないと判断し、すぐに本題に入る。

 

「では平助さん、今回の依頼内容を教えてください。内容によってはすぐにでも解決しなければいけない可能性もありますからね」

 

そう言うと、平助は俯かせていた顔をガバリと上げて俺の方へと身を乗り出すような態勢で俺に話し始める。

 

「耕也さん、どうか、どうか私の姉を助けて下さいっ! お願いしますっ!」

 

再び平助は、玄関で見せたようなポーズで俺の方へと頭を下げ始める。それはもう何度も。

 

俺としては、頼むからには礼儀という物は不可欠だが、ここまで謙って神を崇拝するかの如く頼み込むのはあまり宜しくない。

 

俺にとっては、もっと気軽に依頼をしてもらいたいのだが、これも世の中のシステムなのか上から目線の陰陽師がほとんどだ。

 

おそらく平助もそれを常識だと考えてしまっているのだろう。だから俺は頭を上げるように言う。何より話しにくい。

 

「平助さん、どうか頭を上げて下さい。そこまで私は偉くはありませんし、何より私も唯の庶民ですから」

 

そう言うと、平助は静かに顔を上げ、申し訳なさそうな表情をする。

 

俺は少し居心地が悪くなってしまい、事の詳細を聞くことによってこの居心地の悪さを解消しようとしていく。

 

「平助さん、今回の姉を助けてほしいという依頼ですが、一体どのような事情が原因で依頼に至ったかを詳細に話して下さい。そうでないと、こちらも対処のしようがありません」

 

そう言うと、平助は返事をして少しだけ考える姿勢を取り、少しの間黙りこむ。

 

やがて俺に話せる考えがまとまったのか、俺に向かって口を開いていく。

 

「私達の村は、都より少し離れた……そうですね、丁度この場所と都を挟んだ反対側の山のふもとにあります。私達は4人家族でして、両親と姉、そして私という構成です。姉はいつもは山などに行って山菜等を取り、洗濯をしているのですが、ある日いつものように山から帰ってくると姉の目がいつもと違ってかなり虚ろになっていたんです。私は何かあったのではないかと思い、姉に話しかけたのですが、話しかけられた途端にいつもの表情に戻ったのです」

 

その部分だけを聞くと、ただ単にボーっとしていただけという線が考えられるのだが、山から帰って来たという部分に何かありそうな気がする。

 

そんな考えを少しだけ浮かべながら彼の話していく内容に耳を傾けていく。

 

「その場は一旦それで収まったのですが、再び異変が深夜に起こりました。……皆が寝静まった頃、もちろん私も寝ていたのですが、ふとガタガタという物音が玄関から聞こえまして。そして異変に気がついた私が眼にしたのは、昼間に見せたようなあの虚ろな眼をした姉がドアをこじ開ける姿だったのです。異常ですよねこれ。さらには、姉が足に何も履かずに山の方角へ向かおうとするのです。いくら私が呼びとめても全く聞こえていないかのような感じで。その時点で私は危険だと判断して無理矢理姉を家に連れ戻したのですが、その時姉がしきりに呟いていた言葉が聞こえたのです」

 

俺は彼の話していく事を紙にシャープペンで箇条書きしながら、彼の話す事件の詳細をまとめていく。

 

そして彼の話す姉の言う言葉をしっかり聞くために、ペンを構えながらも意識を集中させる。

 

「その時姉が呟いていたのは……行かなければ、行かなければ……私はあの方に食べてもらわなければ……、と言っていました」

 

俺はその話を聞いたときに、これは洗脳か、それとも幻惑か何かではないかと推測してみる。

 

しかし不思議だ。俺の所に来る前に普通ならば両親、又は集落か村かは分からないが、とにかくその有力者に頼み込んで都への調査依頼などを出しているはず。

 

態々こんな七面倒くさい場所になんて来る必要性がない。おまけに都で俺を指名しての依頼だとすれば、その依頼内容を伝えるための兵士などの代理人を立てて鉾串に来るはず。

 

他の大人は一体何をしているのだろうか? もしこれが質の悪い残虐な妖怪達の仕業だったらその集落全体が危険にさらされてしまうというのに。

 

俺はふと浮かんだ疑問と苛立ちがどうしても脳内にひどい油汚れのようにこびり付き、サラリと流れてくれないので少し平助に話してしまう。

 

「大体の事情は分かりました。おそらく平助さんのお姉さんは経験上何かしらの幻惑に掛かっている可能性があります。実際にお姉さんをこの目で見なければ確定できませんが大凡あっていると思います。……そして率直に言いますと、このまま放っておくのは危険でしょう。すぐに対処しなければなりませんね。…………所で、いくつかお尋ねしますが宜しいでしょうか?」

 

すると、平助は急な俺の質問にびっくりしたのか、少し眼を見開き組んでいた両腕を解き、それぞれの膝の上に乗せる。

 

俺はその動作を見て聞く準備ができたのだと判断し、彼に対して質問をしていく。

 

「まず一つ目ですが、これは決して貴方を咎めているわけではないという事をあらかじめご承知の上でお聞きください。……なぜ貴方自身が来なければいけないのでしょうか? 本来ならば両親、又はその他の村長などが来なければいけないのですが。……見た所貴方はまだ15~16歳。この異常な事態を、しかも妖怪に襲われるかもしれないという危険を冒してまで来なければいけない理由が分かりません。他の大人達は一体何をしているのでしょうか?」

 

この時代では、平助のような子供は十分に大人と同等の扱いを受けるが、まだ精神的にも身体的にも未熟な彼が一体どうしてここまでの危険な事を犯してまでしなければならなかったのか。まずはそこが聞きたい。そういった意図があり俺は彼に聞いた。

 

もし俺の予想があっているならば少し文句を言わなければならないだろう。

 

そう言うと平助は少し俯きながら俺にポツポツと話し始める。

 

「村長が皆に言ったんです。……これは山の神の思し召しであると。山の神から我々に対しての要求であると。そして普段山からの恵みを授かっている我々は山の神に対して恩返ししなくてはならないのだと。……そのような事を言ってました。また、これは毎年の事なのだとも……それで両親はもう諦めてしまって……。何とか姉は柱に括り付けるなどして出ていってしまわないようにしているのですが……もうそろそろ村長が限界だと言って明日差し出すようにと言ってきたのです」

 

それを聞いた瞬間に、何とも言えない黒い感情が俺の頭の中をゴポリゴポリと沸きでてくる。同時に反吐がが出そうな感触も覚える。

 

何というかその村長とやらはあまりにも閉鎖的な思考の持ち主だなと思ってしまう。

 

遥か昔ならいざ知らず、今の時代そんな生贄を要求する神なんて聞いたことも無い。

 

あの祟り神の筆頭であった諏訪子でさえ疾うの昔にやめているのに。そして皆信者を増やしたいからこそ作物を捧げてもらい、その代わりに加護を与えるという取引が一般化しているのだ。

 

第一諏訪子がそれをやめているのだから、他の神がするとは到底思えない。

 

俺はそこまで考えたときに一つだけ仮説がふと浮かんでくる。

 

……もし、もし神の名を騙っている妖怪がいるとすれば……?

 

その考えが浮かんだ途端に全ての事象が説明づけられるという事に気がついた。

 

あの山一帯を縄張りとしている強力な妖怪が村に目をつけ、その村から山に入ってきた人間に幻惑の妖術をかけ、そして食う。

 

術を掛けられた人間が一旦正常に戻ったようにのは、宣伝のためか、それとも術の潜伏期間があるのかは分からない。

 

ただ、神ではないという線が濃厚な気がする。まあ、どの道その幻惑の術が妖力によるものだとしたら妖怪である事は確定だな。

 

俺はそういった考えを出し、次の質問に移っていく。

 

「分かりました、ありがとうございます。次の質問に移っていきますが宜しいでしょうか?」

 

そして平助が頷くと同時に俺は質問を開始していく。

 

「では二つ目です。私よりも都の方に依頼した方がかなり安全である上に昔と違って非常に依頼しやすい額となっています。……なにより私にはあまり良い評価が無いと思ったのですが……一体何故私へ依頼に? いや、私を頼ってくださったことは非常にうれしいと思ってはいるのですが」

 

沿う控えめに聞くと、平助は俺に話し始める。少し話しずらそうだったが、ポツリポツリと。

 

「実は、最初私も都の方に依頼しに行ったのですが……、どの方も私の話など信用してくれなくて。そして色々あったのですが、他に頼れる陰陽師もいなかったので直接尋ねに来たのです」

 

「ええと、その色々あったというのは、もしかして私の事ですか?」

 

最近の都での扱いに不満を持っていた俺は、彼のカットした部分を聞きたくなってしまい、ついそのような事を発言してしまう。

 

その俺の言葉に平助は頷き、素直に答えてくれる。

 

「最終的に耕也さんに依頼しようとしたのですが、他の陰陽師達は私が依頼するのを妨害するのです。あの男は危険だと。裏で何しているのか分からない……と。その危険などといった理由はいくら聞いても全く答えてはくれませんでしたが」

 

都での評価がいつの間にかとんでもないことになっているのに俺は少し気落ちしてしまう。

 

原因が全く分からないだけに……。

 

とりあえず、彼の依頼などの事情や理由、経緯などといったモノは良く分かったので、すぐにその村へと案内してもらおうと俺は口を開く。

 

「では、質問は以上ですので、平助さんの村へと案内をお願いします。すぐにでも行きましょう」

 

そう言うと、平助は依頼が成功したのか、ニコニコと笑みを浮かべ

 

「ありがとうございます!」

 

と、大はしゃぎしながら言ってくる。

 

人が喜んでいる姿は見ていてとても心地よいモノだが、俺は一つだけ思ってしまう事がある。

 

それは、……多分今回はただ働きになりそうだという事だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どうやら、彼は足の速い馬を村からお借りしてきたようだ。お借りしてきた……。

 

馬の最高速度は70km/h程にも達するが、持続的に走れる速度で言うと、その半分以下となってしまう。

 

最初は飛んでいこうかとも思ったが、ダラダラ飛ぶのは非常に疲れる上に、馬にも乗れない俺としては非常に移動がしにくい。

 

そこで俺は、お世話になりますと思いながら文明の利器に頼ることにする。

 

鎌倉までこの方法で行ったのが懐かしいと思いながら彼の乗る馬の後に着いていくのだ。トロトロトロトロと走っていく。それはもう欠伸が出るほどの暇だなと思いながら。

 

最初車やら宙に浮く道路を見たときには無茶苦茶驚かれたが、彼は意外にも順応性が高いようで、今では後ろをチラチラと見ることはあっても特に恐怖感などを抱かない模様。こちらとしてもだいぶやりやすい。

 

本当ならスクーターで行こうかとも思ったが、車の方が疲れないのでこの方法を選んだ。何より60~70km程の長い道のりを走っていくのには、疲労感が天と地ほどの差がある。

 

途中途中で休憩を挟みながら、彼の村の構造や、良くとれる作物、そして今回の対象であるお姉さんとやらの名前を聞いて見た。

 

お姉さんの名前は千恵と言うそうで、何とも清楚な人を思い浮かばせる名前だと思った。

 

なんせ俺の周りに居る女性は……皆超ご立派な御名前を持っていらっしゃいますし。

 

そんなこんなで俺たちは妖怪に襲われることも無く、……いや、本当はあったのだが、俺の車を見た瞬間に逃げ出していってしまった。……クラクション鳴らしただけなのに。

 

ともあれ、無事に平助の住む村へと着いたのだ。

 

村に着いてから少しだけ山の方へと近づいてみる。一応全領域をOFFにして、妖気が感じられるかどうかを調べてみる。

 

すると、少し気温が周りとは少しだけ違って低く、またほんの少しだけ悪寒を感じさせる部分が出てくる。霊感ゼロの俺ですら感じるほどの濃密な妖気だというのが分かる。

 

そして俺はその村長とやらの言っていた事が嘘っぱちだという事がよく分かった。

 

一体どうしてこんな濃密な妖気を出す阿呆を神だなんて呼ぶんだ? 理解できない。

 

俺はそんな感想を抱きながら村の中へと足を踏み入れていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺は早速平助に自宅へと案内してもらい、千恵さんの様子を見に行く。

 

平助は俺を案内した後、両親を俺に会わせるため、家に入り両親を連れてくる。

 

俺は、出てきた両親に向かって

 

「本日は突然訪問する形となってしまい申し訳ありません。今回、平助さんの依頼を承った陰陽師の大正耕也と申します。よろしくお願いいたします」

 

なるべく相手方の神経を逆なでしないように言葉を選んだつもりだが、どうにも平助が俺に依頼をしたこと事態が問題であったようで、両親が平助を叱り始める。

 

曰く、どうして陰陽師なんかを呼んだんだ。私達が村八分にされるという事に気がつかなかったのか。などなど。

 

これではあまりにも平助がかわいそうなので仲裁に入る。本来ならば赤の他人である俺が入ってはいけないのかもしれないが、それはまあ色々と誤魔化す。

 

「平助さんのご両親。少し落ち着いて頂けませんか? 平助さんは貴方がたの家族である千恵さんの為を思って依頼してきてくれたのですよ? 確かに村八分なども怖いモノですが、もっと怖いのは家族を失うこと。……違いますか?」

 

そう言って両親を説得していく。

 

村八分もエスカレートすると無茶苦茶こわいのだが、今は千恵さんの件の解決の方が先決だと考えて俺は両親に話していく。

 

すると、非常に結論を出すのに苦労したのか、しばらく父親の方が首を傾げ唸る。だが、さすがに家族を失うという事はかなり心に響いたようで、何とか了承してくれる。

 

「では平助さん、お姉さんの方へ案内してもらえますか?」

 

そう言うと、平助は頷きつつ俺を中へと案内していく。中へと入っていくと長い黒髪の女性がそこに正座をしているのが視界に入ってくる。

 

あれ……縛り付けているのではなかったのだろうか?

 

俺はその事を平助に尋ねる。

 

「あれ? 括り付けていたのではなかったのですか?」

 

俺の質問に平助は言い忘れたと思ったのか、ハッとした表情になり事情を話し始める。

 

「実は、その山に行こうとする現象が現れるのが、決まって深夜なのです。ですから朝と昼間は自由に。ですが深夜は寝られないので疲れがたまっていくばかりです。何とかなりませんか?」

 

そう言いながら、平助はここで初めて涙目になりながら俺の方を見て可能かどうかを言ってくる。

 

俺は平助の肩をポンポンと叩いてやりながら落ち着かせるために言葉を紡ぐ。

 

「大丈夫ですよ、安心してください。ようは元凶を潰せばいいのですから」

 

そう言うと、いくらか安心してくれたのか、袖で眼をこすって涙を拭いていく。

 

それにしてもこれは少し困ったことになったな。

 

俺は一つの懸念を頭に浮かべる。

 

おそらく村長が必ず邪魔しにくるだろう。俺が独断で潰してしまっても良いのだが、なにぶん平助に依頼されているという事が事実なのだから、いずれ村長にばれるだろう。

 

すでにここに来る途中で何人もの村人に見られている。予想が正しければ、そろそろ誰かがチクッて村長をこの家に来させようとするだろうな。

 

…………となると、俺は村長も説得しなければいけないんという訳か。敵よりもよっぽどやりづらいじゃないか。

 

そんな事を思っていると、外からバタバタと足音が複数聞こえてくる。この不規則な連続音は複数人によるもの。嫌な予感しかしない。

 

やはり嫌な予感とは結構当たるモノなのか、閉められていた玄関が乱暴に開かれる。

 

そして何とも横柄な態度で入ってきたのは、齢70~80程のお爺さん。着ている服装は今まで見てきた村人よりもかなり立派なものであり、それ自体が位の高さを思わせる。

 

憶測だが、……村長かな?

 

そう思っていると、お爺さんが俺の方へと向かってきて直前で立ち止る。

 

この状態だと俺が見下ろす感じになるのだが、威厳が凄まじい。いかにも権力者だぞというオーラを放っている。

 

俺はこのお爺さんにそんな感想を持ちながら、お爺さんが口を開くのを待つ。

 

やはり俺に対しては好意的に思っていないらしく、俺に対して厭味ったらしく言葉を投げかける。

 

「お主か? ここに居るガキが呼んだ陰陽師とは……? ハッ、さぞかし腕が酷いのだろうなぁ? 子供の払える額は低いのだろうから……」

 

イラッとくる言葉を投げ掛けられても、俺は何とか笑みを変えないように踏ん張る。俺を馬鹿にされるよりも平助が馬鹿にされる事がイラッとくる。

 

平助が一体どれほどの辛い思いをして俺を頼ってきたか理解していないのだろう。

 

「申し遅れました。私は陰陽師の大正耕也と申します。貴方様は一体平助さんの家族とどのような関係で?」

 

と、まだ村長とは確定しているわけではないので俺は何とか答えを引き出そうとそれとなく聞く。

 

すると、案の定お爺さんは俺の質問に答えてくれる。

 

「わしか? わしはこの村の長の陣だ。若造、少し話したい事があるのでな。わしと一緒に来てもらえんか?」

 

眼光を鋭くしながら俺の方を見ながら言う。もちろん俺の方としても話し合いたいと思っていた所なので何ら異存は無い。

 

「ええ、こちらとしてもぜひ村長さんと御話がしたいと思っておりましたので。喜んで。」

 

そう言うと、フンッと鼻を鳴らしながら俺に着いて来いと言わんばかりのジェスチャーをする。

 

俺はこちらを心配そうに見てくる平助に大丈夫だとジェスチャーをして陣の後に付いていく。

 

上手くいくかなぁ……? 上手くいかなかった場合は……少し強引にいこうかね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

村長の家はやはり他の人の家とは違い豪華である。

 

やはり外観というのも村長という位を表すには重要なファクターになってくるのだろう。

 

俺は村長に案内された後、奥の広間に通され、話し合いをする所である。俺としてはそれより早く千恵さんの容体を見たいというのが素直な希望でもある。

 

だが、厄介事を解決しなければならないので、俺はこの爺さんが一体どんな要求をしてくるのかをひたすら待つ。

 

出された茶から立つ湯気が何とも邪魔くさいと思いながらもひたすら待つ。

 

やがて、陣が大きくため息を吐きながら俺に向かって口を開く。

 

「若造……いや、大正耕也といったかな? ……即刻立ち去れ」

 

随分とまあストレートな物言いです事と思いながらも俺は陣に向かって反論を開始していく。

 

「それは無理な話ですね……何せ大事な大事な依頼ですので」

 

俺は無表情のまま翁に向かって言っていく。翁はそれを聞くと、左の眉毛をピクリと持ちあげながら鋭い眼光を俺に放ってくる。

 

仕方が無い。少し訳を聞いてみるか。

 

「では陣さんにお聞きします。一体何故立ち去らなければならないのでしょうか? 私はただ、依頼主の家族に害を与える化け物の退治を遂行するだけなのですが?」

 

そう言うと、陣は俺の方へと身を乗り出しながらさらに鋭い眼光を浴びせてこちらを脅してくる。

 

「あまり舐めた口を利くんじゃないぞ小僧……。お前のやろうとしている事がこの村を危険に晒すことだというのが理解できないのか?」

 

俺もさすがにここまで酷い物言いをされると怒りたくもなってくる。

 

「いや、それは違いますね。私がそんなヘマをするとでも思っているのですか? 私はその元凶を潰すと言っているのですよ。理解できますかね?」

 

「小僧。お前のような何の霊力も無いゴミに一体何ができる? お前が退治に行くならば他の陰陽師を差し向けた方がまだマシだわ。神に手出しはできん」

 

俺は何の霊力も無いと言われたことに、へえ、良く分かったなと思いながらもさらに反論していく。

 

「一体アレのどこが神なんですか? あんな禍々しい妖気を垂れ流している妖怪の一体どこが神様だと?」

 

「あそこまで強大化した妖怪はもはや神となっているという事だ。神格化という言葉すら分からんのか?」

 

神格化? 随分と笑わせてくれる。あの程度で神になれるのならば、幽香や紫、藍はとっくのとうに神になっている。

 

俺はその陣の言葉に失笑してしまいそうになる。だが、そんな間違った認識の為に、毎年罪のない人が犠牲になっているという事を思うと怒りが湧いてくる。

 

それと同時に、もはやこれ以上の話し合いは平行線で決着がつかないだろう。いくらこちらの主張が正しいといえど、人の価値観や倫理観はそう簡単には変えられないのだ。

 

おまけに俺の外見は20歳程度。年長者としての自尊心も邪魔しているのだろう。全く、非常に厄介な。

 

「神格化? そんなものは分かっていますよ。ですがあんな妖怪ごときが神になるわけが無いでしょうが」

 

「お前は分かって無いな。相手の実力すらも計れんのか。お前よりも遥かに強い陰陽師を連れても倒す事ができなかった化け物を……フンッ」

 

そう言いながら俺の答えを踏みにじるかのように否定してくる。

 

だが俺もここで引くわけにはいかないのですかさず反論していく。

 

「ですから、私の友人である八坂神や洩矢神などと比べたら、あんな妖怪なんざ一体どれほど矮小な存在か……」

 

だが、俺の言った事はあまり効果をもたらさなかったらしく、今度は俺に対してではなく、平助に対しても罵倒してくる。

 

「ハッハッハッハ! 見栄を張るのもいい加減にせい小僧! 一体どんな事を言ってくるかと思えば……。所詮はあのガキ程度の小遣いで来る程度の陰陽師だわなぁ。何も分かっていないっ!」

 

本当にイラつく事を言ってくる男だ。

 

一体どうしてこうも、こうも!

 

俺はこれ以上の話は無駄であり、無理矢理でも話を聞かせないとこの件は解決に動かないと判断し、陣を脅しに掛かる。

 

村の崩壊という危機すら分かっていないこの陣という男にかなりの怒りを感じていたのだろう。俺は身を乗り出したままの陣の胸倉を掴み此方に引き寄せ、一気にまくしたてる。

 

「あまりふざけた事を抜かすなよジジイ。俺のやろうとしている事が村を危険にさらすだと? 俺はその元凶を完膚なきまでに潰すと言っているんだ! 依頼の条件も完遂でき、さらにはお前の懸念事項も解消される。一石二鳥だという事が分からんのか? あぁ? …………おまけに俺がここで一切の手を引いたら、この村が緩やかに崩壊していくという事も分からんのかジジイ。……さあ、選べ。このまま妖怪の餌食にされて崩壊の一途を辿る村を唯茫然と見ているのか、それとも俺に平助からの依頼を許可してこの村の繁栄を選ぶか。今こうしている間にも犠牲者が出るかもしれないのだぞ!?」

 

俺としてはこれ以上の犠牲者を生みだしたくは無いという強い願望があるせいか、いつもとは違って口調がかなり荒くなってしまった。

 

脅している時点で陰陽師失格だと思うが、こうでもしないとこの村から追い出されて千恵さんが危険な目にあってしまう。それだけは何としても避けたい。

 

俺は陣の胸倉を掴んでいた手から力を抜き、そのまま突き放すようにする。

 

陣は俺の言っている事が頭に残っているのか、苦痛のような表情を浮かべながら俺に対する答えを探しているようだ。

 

さっさと許可を出せと思いながらひたすら答えを待つ。

 

やがて、唇を震わせながら口を開く。

 

「…………………倒せるのだな?」

 

「ああ」

 

「……なら証拠を見せてみろ。この目でお前のその実力を見なければ気がすまん」

 

俺は、やっぱり論より証拠だよな思いながら、どのように彼に証明するのかを考えてみる。

 

……だが、俺が力を使うといっても、霊的なものは一切合切使う事ができない。だから自然と科学兵器を使った実演という事になってくる。非常に厄介な。確かに俺の持つ科学兵器は個人携帯用から核爆弾まで幅広い。だが、他の陰陽師と違って威力の幅が両極端なもんだから困ってしまう。使いどころによってはアサルトライフルでも大妖怪を殺すことはできるが、さすがにインパクトが無さ過ぎる。かといってMOAB等を使ったらとんでもないことになるので止した方がよさそうだ……。

 

……でも良くお世話になっているMk82ぐらいだったら大丈夫かな?

 

俺はそんな事を思いながら陣を納得させるために口を開く。

 

「なら、付いて来い。実演してやる」

 

そう言って俺は陣を連れて村のはずれに足を進めていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今回は適当な荒地に爆弾を投げ込むが、実演するにあたってあまり離れた所からだとインパクトが無い。

 

そこで俺は350mという無謀にも思える距離からの実演を行う。もちろん一応の安全策としては分厚い鉄筋コンクリートによって四方を固められた建造物を創造して破片などから身を守れるようにはしておく。

 

俺は大体の実演はできると思いながら、陣の目の前にMk82を創造して実演するという事を話し始める。

 

「今からこいつを俺達から丁度……そうだな、あの木と木の間あたりにこの物体を落下させる。これを食らえば、ほとんどの妖怪は粉々になると思ってくれればいい」

 

萃香の時は滅茶苦茶照準がずれてしまったから、あまり良い効果はなかったな……と、過去を振り返りながら説明していく。

 

対する陣は、俺の説明を聞いても半信半疑の眼を浮かべて質問してくる。

 

「本当にそれがか……? そんな鉄の塊が一体空から落ちた所で一体何になる」

 

すでに俺が何もない所からこれを創造した時点で認め始めているようだが、実際の部分を見ないと納得してもらえないらしい。

 

仕方が無いので、俺は陣にコンクリートの窓から外を見るように指示し、Mk82を落下させる。

 

重力に素直に従った爆弾は一気に加速し、地面に到達する。

 

着弾した瞬間に、その金属の内部にある膨大な量の爆薬をその場で炸裂させていく。あたりには、耳をつんざくほどのバカでかい音が響き渡り、凄まじい土煙と黒煙、炎を吹き上げる。

 

俺は着弾した様子をずっと眺めている陣に向かって言う。

 

「これで信じてもらえたか陣さんよ?」

 

ここまでの事をされたら、さすがに陣も認めざるを得なかったらしく、声を震わせながら言ってくる。

 

「…………本当に倒せるのだな?」

 

「当たり前だ。 まあ、どの道お前が納得しようがしまいが治安維持という名のもとにその妖怪は跡形も無く吹き飛ばすだけだがな」

 

俺がそう言うと、陣は少しだけ眼を瞑りながら言う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………………………………………頼む」

 

 

 

 

 

 

 

 



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57話 依頼は頑張らないと……

例え報酬が少なくともね……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺は陣に依頼の許可を得た後に、すぐさま平助の家へと向かう。

 

もちろん他に妖怪の村の様子を見て回り、そして話しかけながら行くのだが、いかんせん反応が悪すぎる。というよりもほとんど無視される。

 

まあ、これは仕方が無いだろう。陰陽師といえど、所詮は他所の者。おまけに村長と真っ向から対立して無理矢理許可を奪い取ったようなもの。

 

当然そんな事をしてしまっているのだから、村人から嫌われてしまうのは無理もない。しかし攻撃はされないようだから不幸中の幸いといったところだろうか。

 

俺は無視されながらも色々な人に話しかけていく。

 

そんなこんなで俺は平助の家へと着き、板扉をノックする。

 

「平助さん、いらっしゃいますか? 依頼の許可が下りましたので、お姉さんの容体を詳しく見たいと思います。」

 

そうすると、バタバタと足音がして、扉が開かれる。

 

もちろん姿を現したのは両親ではなく、平助であった。さすがに両親は眼の前で依頼主を叱りつけた手前、俺と顔を合わせるのは気まずいのだろう。

 

「耕也さん、許可が取れたというのは本当ですか!?」

 

と、俺の顔を見た瞬間に表情を一気に喜びへと変え、その真偽を尋ねてくる。確かに質問してくるのは当然だろう。あんな頑固者なんて誰だって説得しづらい。

 

俺は平助の表情の変化を観察しながらそのような事を考え、素直に事実だという事を伝える。

 

「ええ、本当ですよ。今回の化け物退治の許可を頂きました。これで心置きなく潰せますね」

 

「お願いします耕也さん。……それにしても良くあの村長を説得できましたね。私達にとっては絶対とも言える存在だったのでどうしても実感がわかなくて…」

 

やっぱり陣は村人にとってそんな感じだったのか……。いや、まあ子供にとってみればあの威厳はかなりきついモノがあるだろうし仕方ないと言えば仕方ないだろう。

 

「まあ、そうですね。最初の方は双方の主張が全く通らない状態でしたからねえ。……一応自分の力を実演してみたら何とか認めてもらえたとった感じになりましたけれども」

 

そう言うと、平助は俺の話を聞いた後何かを思い出すような仕草をしてそのまま固まる。やがて、俺の顔の方を見て何か合点がいったかのように手をパチリと叩き合わせて言う。

 

「もしかして、その実演って言うのは先ほどの物凄い音の事ですか? 地面も揺れて……何事かと皆不安がっていましたが」

 

「ああ、おそらくその通りですね。やっぱり近すぎましたかね……申し訳ありません」

 

特に実害があったわけではなかったようだが、それでも迷惑を掛けてしまったことに申し訳なく思う。

 

だが、平助はその驚きよりも姉を救えるという事の方がよっぽどうれしいらしく、俺を中へと背中を押すように歩みを進めさせていく。

 

「いえいえ、お気になさらず。それよりも、どうか姉の方をよろしくお願いいたします」

 

俺はその言葉を受けて中へと入っていき、千恵さんの方へと向かっていく。やはり両親はこちらと顔を合わせるのが少し気まずいのか、少し俯き気味にしている。

 

さすがにもうココまで来てしまったのだから、これ以上溝を深めても仕方が無いと思い、両親に気にするなという旨を伝えていく。

 

「そこまで御気になさらずともよろしいかと思います。村という共同体に属する上では、私に言葉よりも村長の言葉の方が圧倒的に優先順位が高いですからね。私もあなた方の立場であったらそうしていた事でしょうし」

 

そういうと、すこしだけ気が楽になったのか、ぎこちない笑みを浮かべながらも俺に、よろしくお願いいたしますと言葉を送ってくる。

 

俺はその言葉を受けて返しに、必ず完遂いたしますと伝えて千恵の方を見る。やはり相当疲れがたまっているのか、眼に隈ができ、本来ならば美しく艶のある黒髪が心なしか痛んでいるようにもみえる。

 

彼女は俺の方を見て姿を視界に収めると、頬笑みを浮かべて会釈をしてくる。随分無理をしているのだろう。少し頭がふらふらしている。

 

やはり解決は早急に必要だなと思いながらも、どのように解決するかを考える。

 

まず最初の壁は、今回の敵である妖怪の居場所が分からないという事である。こればっかりはどうしようもない。外側の領域で包み込んで探査することもできない上に、妖力の集中個所を洗い出そうとしてもあの垂れ流し状態では俺には不可能。

 

非常に使いたくない手段ではあるが、……これを使うしかないのだろうか?

 

そんな考えが俺の頭の中を過る。その手段とは、非常に危険性が高く千恵を失いかねない案である、オトリにするという物である。

 

これは千恵が夜中に妖怪の方へ向かうという事を利用し敵の居場所を探知し、潰すという物だ。

 

だが、これは千恵や平助、もちろんの事ながら両親も反対するだろう。誰だって自分や家族を危険にさらす事を良しとするとは到底思えない。

 

一方で幽香に手伝ってもらうという手も考えてみたが、さすがにこれはマズイ事だと判断して却下する。陰陽師が妖怪退治に妖怪の力を借りるだなんて、バレたら廃業どころの騒ぎではなくなる。

 

そう考えると、先ほど思っていたやりたくない案が実行せざるを得ないという現実味を帯びたものになってくる。

 

俺は半ばやるせない気持ちになりながら平助の家族全員と話し合いをする。

 

「すみませんみなさん、今回の事件の解決には、千恵さんの協力が無くてはできないという事をあらかじめお伝えしておきます。」

 

そう言うと、父親の方が俺に向かって口を開く。

 

「ええと、耕也殿といったかな。それで耕也殿は一体千恵にどんな協力が必要だというのですか?」

 

俺は少し言いづらくも思いながら、この事だけは伝えておかなくてはならないと思い、率直に伝える。

 

「それは、……千恵さんに妖怪の所まで案内してもらうという事です」

 

その事を伝えると、父親はすぐにその意味を察して俺に口調を厳しくして言う。

 

「じゃあ、あ、あんたまさか、千恵をおとりにするという事なのか? 化け物に操られているという事を利用して!」

 

「申し訳ありませんがおっしゃる通りです。あの化け物は非常に上手く姿をくらませているという事ですよ。実にあの化け物は賢しい。本来ならば妖力の集中している所が本体の居場所なのですが、敵は妖力を山全体に垂れ流してこちらからの居場所の特定を妨害しています。おそらく自分以外の陰陽師がやっても居場所の特定は不可能でしょう…。ですから千恵さんの行動の規則性を利用するのです。そうすれば私は特定が可能となり一気に妖怪を潰せます」

 

そう言うと、まだ疑問点が残るらしく俺に再度口を開く。

 

「村長が認めたあんたが言うなら間違いは無いのだろう。……だが、本当に他の手は無いのか? 娘を危険にさらすことなく解決する方法が……」

 

「ある事にはあります……」

 

「な、ならそれでやればいいんじゃないのか!?」

 

「確かにできるといえばできます。ですが、……そうですね、時間があまり残されていない上に敵の居場所が分からないため、面制圧をする必要があります。実行した場合は、山が全く使い物にならなくなる上にこの村までもが一瞬で消滅します。よしんば村への配慮をして攻撃を敢行したとしても山の地形がガラリと変わります。当然木々は全焼して今までとれていた資源は今後一切使えなくなると考えていただいた方が良いかと思われます」

 

俺がそこまで言うと、父親は少し黙りこむ。実際砲爆撃や爆撃機による無差別爆撃、そして核による殲滅。これぐらいしかないだろう。化学兵器は……核同様にマズイ。

 

だからこそ最も成功に近い千恵をおとりにする事を提案したのだ。もしこれが本当に駄目なら千恵に掛けられている妖術を消してやってから単騎突入かな……?

 

しかし、あの広い山を一人で攻略しにかかると……一体どれぐらいかかる事やら…。下手にこの山に対して攻撃を加えては資源が駄目になってしまうしなぁ。

 

俺はそこまで考えてから、父親の様子を見る。

 

すると、父親は考えに結論が出たのか、ゆっくりと顔を上げて、俺の方を見る。

 

そして

 

「耕也殿。…………一つだけ約束してほしい」

 

「はい」

 

「娘を……決して傷つけないでほしい。……千恵、後はお前の判断に任せる」

 

そう言って千恵の方を見て、最終的な判断をゆだねる。

 

千恵は、すでに俺達の会話を聞きながら、自分なりの考えをまとめていたようだ。彼女は俺の眼をしっかりと見て、己の真の気持ちを吐露していく。

 

「耕也様。……はっきり申し上げますと、ものすごく怖いです。操られている間は意識が無く、身体は自由が利かない。ですから今回の件は物凄く怖いです。……ですが、私が妖怪退治の一助になれるのならば、協力を惜しみません。よろしくお願いいたします」

 

俺はその言葉を聞いた途端に、申し訳なさと、絶対に傷一つ付けないという考えが同時に湧いてくる。そして俺は彼女の言葉に対して自然と頭を下げてしまう。

 

「こちらこそよろしくお願いいたします。妖怪の居場所を特定でき次第、急いで妖術を解術し御自宅まで転移させていただきます」

 

そう言って俺は彼女の言葉に返す。

 

「では、皆さんに今後の予定を申し上げます。皆さんは普段通りの生活をしていただいて構いません。ただし、就寝時における千恵さんの行動は自由であるようにお願いいたします。私は見張りでずっと起きていますので……よろしくお願いします」

 

俺が言うと、皆一様に頷きそれぞれの仕事を片付けていく。

 

一方俺は千恵の様子を注意深く見つめていく。……やはり、普通の人間とは差異が全くない。

 

千恵は包丁のような刃物を使用して食材を切っていく。行動にはふらつきなどはあったが、これは十分な休息ができていないからだろう。

 

これはやはり当然と言ったところか。本来ならば睡眠状態に入り、次の日に向けて身体を準備させるという重要な時間だというのに、妖術に無理矢理叩き起された揚句、身体を延々と動かされるのだ。溜まったものではない。

 

結論付けるにはまだ早いかもしれないが、平助の話してくれたことも加味して考えていくと、彼女が睡眠に入った時に仕込まれた妖術が発動するだけで、特にその他の毒などは無いようだ。

 

妖怪としては早く彼女を食べてしまいたいというところだろうが、今まで家族に妨害されていたという事もあって相当腹を立てているのではないかと予想してみる。

 

今でこそ彼女に触れても大丈夫なように領域をOFFにしてはいるが、……果たして全て事が上手くいけばいいのだが。

 

俺はそんな事を考えた後に、千恵の方へと向かい、料理の手伝いを申し出る。

 

「千恵さん、自分がやりましょう。貴女の身体は今非常に衰弱しています。ですから、なるべく労働は控えた方が良いかと」

 

「いえ、これは自分の仕事ですので、私がやらなければ……」

 

「今回ばかりは仕事よりも自分の体調の方を優先すべきです。ですので、刃物を私に」

 

そういって、ゴネる千恵から半ば無理矢理包丁を取り、食材を切っていき、調理を開始していく。

 

……頼むから上手くいってくれよと思いながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

就寝時間までは特に何の異変も無く、非常にスムーズに事が進んでいるという事が実感できる。

 

ただ、千恵が寝てから約一時間……何も起きない。……警戒されているのか?

 

そんな不安が俺の頭を過る。俺としては、早く事件を解決したいというのに、これでは長引くばかり。

 

千恵はもう精神的にもかなり参っているのだ。……一体何で。……ああ、喉が渇いてきた。

 

俺がそろそろ喉の渇きを癒そうと、コーヒーを口にした時、ついに異変が起こり始めた。千恵がムクリと起きたのだ。

 

俺は即座に対応できるように領域を起動し、千恵の動きを観察する。寝床から起きた千恵はどこか虚ろな目をし、平助の言っていたような言葉をブツブツと口にしながら板扉へと向かう。

 

そして千恵が板扉を開けて外に出ていく。それにつられて俺も床から立ち上がり、扉から出ていこうとする。そこに小声で後ろから話しかけられる。

 

「どうか、よろしくお願いします」

 

その声を元に振り返ってみると、何と平助とその両親が起きていた。……どう見ても寝ていたのに。

 

だが呆けている場合ではないので、俺は家族らの声に返事をして出ていく。

 

「必ず成功させます」

 

そう言って千恵の後ろに着いていく。その足取りは、元々の身体の衰弱もあるのか、フラフラしている。

 

ゆっくりと、本当にゆっくりとだが確実に山へと歩いていく。山までの道のりが地味にあるために少し歯痒くなってしまう。

 

おまけに非常に暗いため、彼女の姿を捉えるのが非常に困難である。

 

敵にバレたくは無いのだが、背に腹は代えられない。見失ってしまったら本末転倒なのである。

 

だから俺は懐中電灯を4つほど空中に浮かべ、そのうち2つを身体の向きに固定し、残りを自由に角度を変えられるようにする。傍から見たら非常に変な格好なのだろうが、そんなものは気にしない。

 

そして領域を消して、千恵にこっそり近づいて反射板の付いたタスキを掛ける。そして再び領域をONにする。

 

俺は万が一見失っても、何とか見つけられるように少しの配慮をして敵地へと足を踏み入れていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

それにしても、非常にやりづらい。山の中は非常に暗い上に、濃い霧まで出てきている。これも妖怪のやった侵入者への対策だろうか?

 

試しに領域を切って周囲を見渡してみる。すると、千恵の歩く方向に木がと丁度鎮座しているのが見える。

 

千恵は何のためらいもなく、その木へと歩みを進めていく。俺は思わず警告してしまいそうになったが、その前に千恵が木をすり抜けて歩いていってしまったのを見て、思わず口を開けてそれに見入ってしまう。

 

俺は、不思議に思って再び領域を起動させる。すると、先ほどまであった木が消え、千恵の姿がくっきりと映るようになる。

 

そこで、千恵を追いかけながら一つの推測が頭の中へと浮かんでくる。

 

……よくありがちな話だが、この発生している霧が妖怪の仕業だとすると、この霧には相手に幻覚を見させる効果があるのかもしれない。と。

 

そう、この霧のせいだとすると、妖怪は獲物を逃がさないようにするための一応の保険なのだろう。

 

もし獲物に掛かっている幻惑が何らかのきっかけで切れてしまった場合、この幻覚を見せる霧で獲物の感覚などを狂わせて自分のもとへ来るように誘導しているのではないか?

 

そんな感じだったら、一応説明がつくのだが……。俺はそんな事を推測しながら彼女の歩きに再び注視する。

 

彼女の姿はもちろんこの目にはっきりと見えるのだが、やはりその歩き方から出てくるバランスの悪さは少々慌てさせられる。

 

千恵が木にぶつからないか、木の根や石に躓かないか、そんな事が頭の中で頻繁に浮かんでは沈んでいく。

 

そんな事を繰り返しているうちに、俺は随分と山を登っていたのか、息が荒くなっているという事に気がつく。

 

……まったく、自分の体力のなさには悉く呆れさせられる。妖怪並の体力があったら文句なしなんだが……ムリだよな。

 

そうこうしているうちに、俺達二人は丁度木々が屋根になっている広場へと来た。

 

……どう考えてもボスフラグなんだが。いや、この上空に対してのカモフラージュとかもう完全にね。

 

そして俺はボスの登場を待つ。……おそらくここで良いはずだ。なにせ千恵がここでずっと立ちすくんでいるのだから。

 

俺がボスの登場を待っていると、千恵がいきなり大声で話し始めた。

 

「どうか、どうか……私を食べて下さいっ!! 私を、貴方様の血と肉にしてください!」

 

このような叫びを、10回ほど繰り返しただろうか? 千恵の叫びに応えるようにどこからか声が聞こえてくる。

 

「よかろう、その願い承った。……しかし今回は……不純物がいるようだ」

 

そう言いながら、俺から約20歩先に180cm程の男がフェードインしてくる。

 

肌はどこかしら灰色に近く、髪の毛は白、眼は見事なエメラルド色。服装はこの時代に良く似合ったものであり、男の容姿は総合的に非常に整ったものであった。

 

ただ、身体から溢れる妖気がそのものが人間でないことを決定づけていた。

 

そして俺の姿をジロジロと見て一言言う。

 

「フン……ゴミか」

 

…………今ものすごくイラッと来たのは間違っていない筈。俺は多分怒っていいような気がする。

 

でも、ここはまだ怒らない。

 

俺は千恵の前に立ち、目の前の妖怪に対して一応名乗っておく。

 

「自分は陰陽師の大正耕也。……お前さんは?」

 

すると、目の前のいけ好かない男は俺に向かってさらに馬鹿にしたような表情をして仕方なさそうに言う。

 

「俺か? ……俺の名は履甲。……一応妖怪をな。……それにしても、不純物がどの程度かと思えば……前に来た雑魚よりも遥かに劣るとは…私も舐められたものだ」

 

村長が過去に送った陰陽師を指していっているのだろう。

 

とりあえず、潰す理由をしっかり確保しておかないとな。

 

「一つ聞こう。……麓の村に手を出すのはやめてくれないかね? 滅茶苦茶迷惑しているのさ。お分かり頂けるかな?」

 

「それは不可能というものだ雑魚よ。私は妖怪。無論、人間と同じ食事も可能だが、やはり、人間の恐怖を食らわねば生きていけないのでな…」

 

それを聞いた俺は後ろに居る千恵にそっと触れてやり、幻惑を完全に解除してやる。そしてそのまま自宅へとジャンプさせる。

 

ここまでくれば俺は遠慮なく履甲を潰す事ができる。

 

そして履甲は、俺のしたことに大層驚いたようで、目じりを釣り上げながら言葉を投げつけてくる。

 

「何をした雑魚。有象無象が一体何をした」

 

「いや~、ただ賭けをしようと思ってね。どうだい? 俺が負けたらお前におとなしく食われてやろう。俺が勝ったら……もちろん死んでもらうが…どうだ? こう見えても、俺は結構妖怪に美味そうだと言われるのだが…?」

 

俺が提案をしてみると、どうやら少しだけ興味を示したらしく、少しの間俺を品定めするようにジロジロと見てくる。

 

正直あまり気分のいいものではないが、仕方が無いと言えば仕方が無い。

 

そして考えがまとまったのか、俺の方を見ながらニヤリと笑みを浮かべて

 

「では、乗らせてもらおう。確かにお前は、なぜかあの女よりも肉が美味そうだ。そして魂も……」

 

気持ち悪い事この上ないが、さっさと潰してしまおう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「履甲。雑魚をあまり舐めるなよ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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58話 さっさと完遂させよう……

依頼は確実に達成させなければ……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺は暗闇で視界が確保できないため、生活支援でこの暗さを解消していき、昼とほぼ同じような明るさまで目を良くしていく。

 

そしてその良くなった眼で正面を注視して妖怪を見据える。それと同時に頭の中に浮かびあがってきたのは、眼の前に居る妖怪は一体何なのか? それが俺の思った一つの疑問であった。

 

一体何から人化しているのか? 紫のように元から人型の可能性があるが……。

 

ただ、俺の勘ではあるが、人化の術で人の形を成している。そんな雰囲気を漂わせている。まるで水か何かを思わせるような……。というよりも一気に湿度が上がっているせいか。

 

そして眼の前の妖怪、履甲は俺の賭けを受けるや否や、眼にもとまらぬ速さで自分の手から透明に近い刃物を顕現させる。

 

俺には一瞬ガラスや宝石を思わせるような煌びやかさを持ち合わせていたが、すぐにその考えを却下し、別の答えを導き出した。

 

……あれは、ガラスではなく水か…?いや、水だろう。透明な液体が歯の先からタラタラと滴り落ちているのを見ると。

 

俺は初めて見るその妖術に少し感心しながら、相手の評価を少しだけ見直す。

 

俺には逆立ちしてもできない芸当だな。と。

 

そんな俺の様子を見たのか、履甲は俺を小馬鹿にしたような笑みを浮かべてポツリポツリと話し始める。

 

「こういった術を見るのは初めてか?……数百年という長い年月を生きているとな。どうもこのような細かい事ができるようにな……」

 

そう言って近くの岩を俺に見せつけるかのように切り刻んでいく。

 

その様子を見ていると、まるで昔に相対したあの怨念を相手しているかのような気分にさえなる。

 

俺は少し昔の事を思い出して、気分が悪くなるのを自覚しながら、どのように潰していこうかを考える。

 

この山は麓の村人がよく活用するため、大火力をもって攻撃はこの山に存在する使用可能な資源を減じさせる。さすがに生物を直すことは俺にはできない。

 

だから非常に指向性を持ち、かつ殺傷能力の高い武器が必要となってくる。もちろん航空爆撃などはもっての外。

 

使えるとしてもグレネード程度だろうか?

 

自分の使える武器の威力と範囲を確認しながら、相手の出方を見る。

 

……いや、偶には此方から仕掛けてみようか?

 

俺は何時も相手の出方を見てから戦闘を開始しているなと思いながら、相手の側頭部付近ににSPAS15を創造して即座に発射する。

 

渇いた炸裂音が周囲に響き渡ると同時に火薬の力によって猛烈な勢いで加速された散弾が放たれ、履甲の頭を粉々に吹き飛ばす。

 

頭部を失った胴体は、血圧によって首から血を噴出しながら、だらりと力を失って前のめりに倒れ込む。そして吹き飛ばされた頭部も、脳漿と血を弾丸が発射された方向へと素直に飛び散らせ、周りの木々へを汚していく。

 

俺はその様子を見ながら、やけに手ごたえが無いなと感想を持ちつつも、一応の確認のためにその無残な亡骸を見に行く。

 

そして俺が十分に近づきながら即死だと断定しようと思った矢先に、変化は起きた。

 

あれほど地面や木々を赤黒く染めていた血が段々と色を無くしているのだ。そして倒れた胴体も心なしか地面が透けて見えるようになっている。

 

……これは、少し面倒だな。

 

そう思いながら、今まで血と思っていた赤い液体が、透明へと変化していくのを眺めていく。そして同時に俺の背後から禍々しい殺気を垂れ流している妖怪の気配も感じつつ俺は口を開く。

 

「さすがに数百年生きているだけあるなぁ……。随分と面倒な防御を持っているじゃないか」

 

そう言って俺は後ろを振り返る。そこには、無傷の履甲が苛立ちをあらわにしながら立っていた。

 

「お前も、相当な攻撃を持っているようだな……。いやはや、本当に驚かされる。雑魚だと思っていたらまさかこのような攻撃してくるとは。……あと少し遅れていたら即死だったな」

 

「俺としては即死させる気満々だったのだがなぁ……お前たち妖怪が扱う力よりも指向性が非常に高く、威力も申し分ない攻撃をしたというのに」

 

俺はその言葉を放つと同時に先ほどの散弾銃の銃口を履甲へと向け、ぶっ放す。

 

今度は首からわき腹にかけてを吹き飛ばすが、今度は血のような液体ではなく、水そのものが周囲にぶちまけられる。

 

そしてぶちまけられた水と、倒れた身体は地面に染み込むように消え、今度は俺の目と鼻の先に身体を構成させ、両手に持った水の刀で俺を串刺しに掛かる。

 

「終わりだ雑魚」

 

その言葉とともに振り下ろされた刀は、丸鋸が金属を切断する時のような甲高い音を立てながら、俺の領域に弾かれ砕け散り、唯の水へと戻っていく。

 

「それはお前も同じだぞ?」

 

そう一言だけ履甲に言って一気に内側の領域に晒すために、掴みにかかる。

 

だが、当然妖怪は反射神経が人間のそれを軽く凌駕しているようで、俺の掴む手をすり抜け、リーチ外に逃げてしまう。

 

……外側も起動させるか?

 

そんな考えが浮かびあがってきて、実際に起動させてしまおうかと考えてしまう。

 

もし起動してしまえば、履甲は身体を水に変化させる事ができず術も行使する事ができなくなるため、非常に対処しやすくなる。

 

思いのほか妙案であるため、俺の中でその考えという芽がどんどん成長してくる。

 

だが、実行しようか実行しまいかと考えているうちに、今度は右横から履甲が現れ、右手をかざして一言小さく言う。

 

「水砲」

 

その言葉とともに、直径20cm程の水の塊が3発放たれ俺に牙をむく。一発は俺の肩付近に命中し弾かれ俺の服をびしょ濡れにする。また、残りの2発は岩と木を削りその形を失って唯の水へと還る。

 

俺は発射された方向に向かって、ダネルMGLを森の陰に創造して全弾打ち込む。もちろん破片などは俺の方にも来るが、全て領域で防がれるので問題ない。

 

しかし、幽香よりは劣るが、この長生きしている妖怪はその武器から発せられる殺気などを感知できるようであり、着弾する前に身体を水に変えて逃げおおせる。

 

再び気配が消えてしまうので急いで周囲を見渡して履甲の居場所の特定を急ぐ。

 

俺はこの退治について、一つの懸念事項が頭の中にあった。

 

それは、俺との勝負がつかない場合、履甲が俺との戦闘を放棄して、麓の村へと襲いかかりに行くという事である。

 

もしそんな事をされたら、俺としては、かなりの苦戦を強いられる可能性の方が高い。あんな大勢の村人を一気にどこかに転移するなど今の俺の力では不可能であり、さらには村人を守りながら戦うのはどうしても防御に回りがちになってしまう。

 

俺はその事が何より心配であった。

 

そして今のところは俺を食う事に興味があるようだから、それは免れているが……いつその懸念が現実になったとしてもおかしくない状況である。

 

そうこう考えているうちに、擲弾の回避に成功した履甲は俺を殺そうと再び攻撃を仕掛けてくる。

 

「水閃」

 

その短い言葉とともに、水の刀が横に振られ、水でできた三日月状の刃が飛んでくる。

 

飛んでくる弾に俺は避ける気が起きない。だが、ここはわざと避けておく。なぜならこれ以上俺に対して攻撃が効かないという事を奴が十分に理解してしまったら、俺との戦闘に絶対に飽きてしまう。

 

俺は最初からこうして避けておけばよかったかも知れない。奴は村を襲う事は無いのではないか? と、両方の考えが頭に浮かびながらも、胴体を切断しようとする刃を伏せて避ける。

 

伏せながらも、その刃の行方を目で追ってしまう。水閃とやらは、相当な切れ味を持っているようで、斜め後方にあった岩を切り裂くのみにとどまらず、さらに奥の木を切り倒してようやく止まる。

 

領域が無いと胴体真っ二つだなと心の中で冷や汗を流しながら、ゆっくりと立ち上がって履甲を見つつ一言言う。

 

「お前は……今まで、麓の村から何人の人間を食った?」

 

そう言うと、履甲は俺の方を見て、背筋が寒くなるような獰猛な笑みを浮かべて静かに言う。

 

「何人食ったかだと?……ククク、覚えとらんなぁ。…俺は単に私の縄張りに入ってきた愚かな人間を食っていただけだしなぁ……まあ、所詮は人間だが美味い事は美味いな」

 

本来ならば妖怪の価値観はこれが正しいのだろうが、自分の中ではどうしても納得がいかない。その人間をぞんざいに扱う言動から湧きおこる怒りを抑えつつ静かに言う。

 

「ではもう一つ聞かせてくれ……。お前が食った人間は最後にどんな事を呟いていた?」

 

すると、履甲は俺の事を信じられないものを見るかのような目で見る。そしてそのまま表情を歪ませて、まるで俺の質問があまりにも下らない質問だとばかりに履甲は大笑いし始める。

 

確かに、俺の聞いている事は、かなり無駄な事であろう。妖怪にとってみれば。だが、俺にとっては非常に重要な事であり、そしてお前を潰す際に必要なことの一つでもある。

 

「はっはははっはは、はあっははははははっ! 随分と変な事を聞いてくれるな人間。くっくっくっく、……そんなの決まっているだろう? 唯黙って、何の遺言も無く、命乞いも無く、無様に死んだにきまっているだろう?」

 

「…………ありがとう、それだけで十分だ」

 

履甲の放った言葉に即座に返し、俺は外側の領域を展開して妖術を一気に封じ込める。

 

「なっあっ……くっ!」

 

そう言いながら履甲は片膝をついて、息を荒くしていく。履甲の身体には、領域の作用により次々と変化が起きていく。灰色であった皮膚が肌色へと戻り、次には人型から一気に体長3メートル程もある大亀へと変化していった。

 

おそらく人化の術が解けてしまったのだろう。この亀の姿が元々の履甲であり、水を使った術を俺に使用していたのも、亀の妖怪だったからであろう。……最初は河童かと思っていたのだが。

 

俺は、自分の身に何が起こったのか把握できていない履甲のもとへと足を運び、生活支援によって一気に足に力を入れ履甲の甲羅を蹴り飛ばし、ひっくり返す。

 

「な、この卑怯者めっ! ……一体私に何をしたっ!?」

 

「あ? 卑怯者? 御冗談を。俺の力を最大限に使ったまでだ。……履甲、これからお前は本格的に退治されるのさ」

 

履甲にそう言いながら直径2mの金属切断用と同じ材質の丸鋸を一つ用意する。

 

そしてそのまま一気に5000rpmまで回転させる。5000rpmまで達した事が分かった俺は、丸鋸の発する風切り音を聞きながら履甲に一言ずつ言葉を言っていく。

 

「履甲、これが何か分かるか?」

 

そう言うと、逆さまのまま必死に首を曲げながら、履甲は丸鋸を見て狼狽した声を出す。

 

「…………い、一体それをどうするつもりだ!?」

 

俺は間髪いれずに

 

「お前も分かってるんだろ? こいつは物体の……主に金属を切断する刃物だ。」

 

それを聞くと、どうにかして起き上がろうと四苦八苦する履甲だが、俺が足を甲羅に載せて内側の領域と接触させているため、思うように力が入らないのだろう。無様にジタバタするのみ。

 

「無様だなぁ履甲。……今のお前は、お前の言っていた人間のように無様なんだろうなぁ?」

 

俺の言葉を聞いた履甲は自分の自尊心を傷つけられたらしく、大声で俺を罵倒する。

 

「貴様ぁ! 人間ごときが、人間ごときがぁっ!」

 

だが、それを無視して次の言葉を言う。

 

「なあ、履甲。もちろんお前に遺言なんてものは必要ないよなぁ……? ん?」

 

「き……貴様っ」

 

そう言いながら俺を視線で抉るように睨みつける。大抵の人間なら今の状態でも気圧されてしまうのではないか? と思えるほどである。

 

だがそんなものに俺は動ずるわけもなく、そのまま言葉をつづけていく。

 

「当然のことながら、お前は死ぬ時ぐらいは黙ってくれるよな……?」

 

「お前の食い散らかした人もお前と同じ、いやお前よりももっと酷かったはずだ。自由に話す事も出来ず、そして何も考えられず、ただお前の術によって言いたくもない言葉を言わされた揚句に遺言も無しに殺され、食われる。……お前は今十分に幸せだと思うがね?」

 

そう言うと、ジタバタしていた足を止め、先ほどとは打って変わって命乞いをしてくる。

 

「………………………っ! ……た、頼む、助けてくれ。人間はもう食わん。だ、だから」

 

「お前は物凄く贅沢だなあ。死ぬ前に命乞いをできるとはなんて贅沢なんだろうな。……そう思わないか? どう考えても普通の人だったらせめてそれぐらいはしたかったと思うがねぇ……。お前は頭の自由も、五感の自由も利くまま死ねるんだ。元凶がこんな特別待遇だなんて幸せだなぁ? ……なぁ、履甲?」

 

そう言うと、人間ならもはや顔を青ざめているのだろう。皮膚の色が茶色からさらに酷い焦げ茶色へと変化していく。

 

そして呂律の回らなくなってしまった口で必死に俺の攻撃を止めようと言葉を言う。

 

「ほ、ほほ、本当に反省しているんだ。いや、は、反省しています。ですからどうか、どうか」

 

最後にここまで無様になった履甲を俺は見届けながら丸鋸を振り下ろす。

 

あたりには、肉と血が飛び散る怪音と、履甲の死への恐怖と激痛からくる絶叫が響き渡った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺は履甲を殺し、後始末をした後、思う存分に吐いた。

 

あんな事をやったのは人生で初めてであり、真に自分らしくないと思いながら山を下っていく。

 

血まみれの服を即座に水で流してみたのだが、染み込み過ぎたようで全くと言っていいほど改善しない。

 

俺はまた新しい服を創造して着替え、人前に出られるような服装に仕立てていく。

 

この依頼は達成できたが、俺はまだ村長と平助らに報告が終わっていない。そのために俺は態々着替えたのだ。

 

そして今は夜中であるため、平助や村長の家まで行くのは失礼だと思い、村の外れまでジャンプしてそこでテントを創造して寝ることにした。

 

 

 

 

 

「……一番後味の悪い依頼だったな。奴を始末しても死んだ人々は返ってこないしなぁ……何ともまあ」

 

朝一番に俺はそんな事を呟きながら平助の自宅までジャンプする。

 

そして俺は平助宅の板扉をノックすると、またもやバタバタと激しい足音が聞こえてきて、ガラリと開かれる。

 

もちろんそこには平助。俺の顔を見るや否や、後ろを振り返り、両親と姉を大声で呼ぶ。

 

「父さん、母さん、お姉ちゃん。耕也さんだよ。耕也さんが帰って来たよ!」

 

その声に釣られるように、残りの3人が急いで出口まで来る。千恵の顔は先ほどまで寝ていたのだろう。顔色が随分マシになっている。

 

その様子にホッとしながら平助の頭を撫でてやり、状況の説明と任務完了の報告を開始していく。

 

「皆さん、朝早く申し訳ありません。……では、今回の依頼の完遂の御報告を始めさせていただきます。今回は、大亀の妖怪履甲による村への危害を食い止めることに成功いたしました。また、千恵さんに掛けられた術は完全に解かれているという事を私が自信を持って保証いたします」

 

そう言うと、皆は口々にお礼の言葉を言ってくる。まずは父親から

 

「耕也殿、娘を助けて下さり本当にありがとうございますっ!」

 

次に母親

 

「耕也さん、本当にありがとうございます」

 

3番目に千恵

 

「助けて下さり、誠にありがとうございます」

 

そして最後に平助

 

「ありがとうございます、耕也さん。自分のような子供の言う事を信じてくれて本当にありがとうございます」

 

皆の言葉を聞いた俺は、返事を返していく。

 

「いえ、これもみなさんのご協力によるものです。こちらこそ、ありがとうございました。……すみません、これから村長にも報告をしなければなりませんので、これで失礼いたします」

 

そう言って俺は引きとめられながらも村長宅へと足を運んでいく。すれ違う人達の態度は、まだ村長への報告が終わっていないせいか、冷たいままである。

 

まあ、手のひら返しはこちらとしても対応しにくいから良いかな。と、考えながら村長宅の板扉をノックする。

 

「村長、陰陽師の大正耕也です。妖怪退治の完遂の報告に参りました」

 

そう言うと、パタリパタリと静かな足音が聞こえ、やがてゆっくりと扉が開かれる。

 

目の前に居る村長は、俺の顔を見るや否や、こう切り出してくる。

 

「退治したというのは本当か? 嘘を吐いていないだろうな?」

 

と言ってくるので、俺はしかたねぇなあ、と思いながら

 

「嘘じゃあありませんよ。第一嘘だったら千恵さんは今生きていませんし、この村は俺の攻撃の失敗によって報復されてますよ。……なんなら見てみます? 千恵さんを」

 

と言うと、陣は

 

「いや、いい」

 

そういって、安心しきったように息を深く深く吐いていく。

 

そして俺を手招きしながら中へ入れと合図をしてくる。当然、俺は逆らう必要性を感じないので、素直に中へと入っていく。

 

中へと入り、村長と一対一で正面で向かい合う。

 

最初に口を開いたのは、村長だった。

 

「大正耕也。……いや、大正耕也殿。…この度は誠に申し訳なかった。そして、心の底から礼を言う。ありがとう」

 

「いえ、私はただ皆さんの協力があってこそできただけですので」

 

そう言いながら一つだけ言っておかなければならない事を思い出し、村長に言う事にする。

 

「そうでした、……村長はまず、平助に謝ってください。私からはこれ以上の要求はありません」

 

そういうと、陣は素直に

 

「ああ、分かった。謝っておこう」

 

と、返してくる。

 

俺は、もうここに長居しても仕方が無いだろうと思い、一言言ってから席を立つ。

 

「では、今回はこれにて一件落着という事で」

 

そう言って玄関まで向かおうとすると、村長から呼び止められる。

 

「おい、耕也殿。……礼と言ってはなんだが、今夜この村で宴会を開こうと思う。参加していってくれないか?」

 

俺は一瞬どうしようかと思ったが、宴会は大好きなのでつい二つ返事でOKを出してしまう。

 

「ええ、いいですよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その後は翌朝まで飲みまくり、再びグロッキーになってしまった俺がいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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59話 長く続くと良かったのだけど……

でもやっぱり状況は刻一刻と……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

やはりしばらく掃除をしていないと、普段使っていない部屋などは埃が大量にたまってしまう訳で。

 

俺は依頼を終えて帰ってから数日後の朝、たまたま来てくれた幽香、そして対抗するかのように来た紫と藍に手伝ってもらいながら掃除機をブン回して埃を吸い取っていく。

 

あたりには掃除機の吸気音と、ハタキを持った藍と紫、幽香が談笑している話声が響き渡る。

 

俺としては、三人とも仲良くしているのが心底落ち着きを与えてくれるのだと実感してしまう。もしあの三人が喧嘩なんてしたら……俺の家が壊れる。

 

だからこそ最初鉢合わせした時は、顔に出さすとも内心とてつもなくビクビクしていたのだが、今となっては欠片の心配も無い。

 

俺はそんな彼女たちの姿を見ながら掃除機を動かしていく。

 

……それにしても埃が酷い。少し掃除をしていないだけでこんなに溜まるものなのだろうか? 何だか意図的に埃をぶち込まれているかのような感じすらしてくる。

 

そう思いながらも、掃除しなければ埃は消えないと思いながら、箪笥を退けてその隙間に掃除機を差し込んでいく。

 

「耕也、掃除していて思ったのだけれども、貴方って陰陽師らしい装備が一切ないのだけれどどうしてなのかしら? ……貴方と初めて会った時も言ったかしらね。これについて」

 

突然声が背後から掛かってくる。それに反応して振り向いた先には幽香がいた。

 

幽香の言いたいことは良く分かる。昔にも同僚に良く聞かれた事で、妖怪退治の時には皆札やら有難みのありそうなジャラジャラした棒を持っていたが、俺だけはほとんど丸腰状態だった。

 

その時は聞かれる度に仙人だから大丈夫だと言って誤魔化していた。そう、都に行って陰陽師に聞けば十人中十人が妖怪に対しては精神的に効き目のある武器の方が退治しやすいと答えるだろう。

 

ただ、それは退治しやすいというだけであって、通常の武器でも十分にダメージを与えられる。もちろんこの時代では弓矢や刀などしかないから札などの方がダメージが大きい。

 

しかし、これが現代兵器となってくると話は全くの別物となってくる。銃などの兵器は刀剣類よりも圧倒的に威力が高く、札等比べて劣る精神的な補正を補って余りあるほどのモノなのだ。

 

だから俺は札を使わない。……というよりも霊力がこれっぽっちもないので使いたくても使えない。

 

そんな考えを自分の中でまとめて幽香に言っていく。

 

「あ~……確かに陰陽師っぽくないねえ。まあ、俺は他の人と違って霊力とか全く無いもんだから、札とか持っていても仕方が無いんだよ。おまけにこういった丸鋸や可燃性液体とかの方が倒しやすいし」

 

そう言いながら丸鋸を創造してキュインキュイン回転させる。その様子を見た幽香は、手を握りながら顎に持って行き、何やら考えるようなしぐさをして丸鋸の回転を見る。

 

一体何を考えているのだろうか? と思いながらも、このまま露出させるのはあまり良くないと思ってすぐに丸鋸を消す。

 

幽香はしばらく考えていたが、やがて答えを導き出せたのか、姿勢を元に戻して俺に向かって言う。

 

「ねえ耕也。少し結界みたいなものを解いてもらえるかしら? 私が直々に見てあげるわ」

 

そう言いながら右手を握ったり開いたりを繰り返して俺に領域の解除を促してくる。

 

あまり意味無いと思うのだけれどもなぁ。と思いながらも領域を解いてOKのサインを出す。

 

「じゃあちょっと失礼して」

 

そう言いながら目を閉じて、右手を鳩尾の部分に当ててくる。幽香は真剣な表情をしながら俺の中を探っていく。

 

だが幽香には悪いが、俺の中には霊力が無いというのは確かである。そもそも霊力が無い世界から来た上に、万が一あったとしても領域があるせいで常に打ち消されている状態なのだ。

 

だから調べても意味は無い。でも厚意で調べてくれるのは俺としてはものすごくありがたいです。はい。

 

そう考えているうちに、手を当てている幽香の表情がだんだん険しくなっていく。おそらく俺の霊力が全くないモノだからおかしいと思っているのだろう。

 

これも昔聞いた話だが、この世界の人間には、どんなに霊力の使えないものにも、量としては微々たるものでも必ず霊力は存在するとのこと。

 

それを幽香は知っているからこそ顔を険しくしているのだろう。まるで幽々子が俺の魂が見えないと言っていたような雰囲気を感じてしまう。

 

やがて幽香は諦めがついたのか、俺の身体から手を離してため息を吐く。

 

「……おかしいわねぇ。これっぽっちも霊力が無いだなんて……」

 

そう言いながら首を傾げる。

 

「まあ、でも良いんでねぇの? 特に何か支障があるわけでもないし」

 

「……それもそうね。だけど」

 

そう言い終わった所で俺たちに向かって別の部屋から声がかかる。

 

「耕也、幽香。こちらは終わったわよ~」

 

この声は紫か。もう掃除が終わったのか。何と言うか、紫は何事も手際が良い。物事を考えることも、手を動かすことも非常に効率的にこなす。

 

その1%程度でもいいからその手際の良さを分けてもらいたいと思ってしまう。

 

「はいはい、こっちももう少しで終わるから、そうしたら休憩にしよう。……じゃあ、幽香も自分の場所をお願いね。霊力の話はまた後でな」

 

そう言うと、幽香は分かったと返事をしながら手をヒラヒラさせて俺の元から去っていく。

 

俺はさっさと終わらせて皆で甘いものでも食べよう。と、思いながら作業を今まで以上に早めていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

掃除は藍達の手伝いもあってか自分ひとりでやるよりも非常に早く終える事ができた。お礼として昼飯とおやつなどを御馳走し、今は皆思い思いの自由時間を過ごしている。

 

俺は自分のお気に入りのPCゲームを。紫は最近疲れが溜まっているのか睡眠をし、藍は俺のの隣でプレイの様を見ている。一度は勧めたのだが、何だか恥ずかしそうに断った。

 

結構面白いと思うのだがなあ。DEAD SPACEは。

 

最初の方こそ藍はどんなゲームなのか楽しみにしていたのだが、進んでいく内に段々と顔を青くしていく。

 

「な、なぁ……耕也。こんなおぞましい生き物がいるのか? この薄い箱の中に……」

 

今ものすごく貴重な意見を貰った気がする。俺も思わなかった。箱の中に生物がいるという言葉を聞く日が来るとは。

 

俺は思わず笑ってしまった。だが、笑ったままではかわいそうなので、これはカラクリの一種であり、中に本物の人間が入っているわけではないという事を何とか伝えて説得させる。

 

「耕也、この元人間の…ね、ねくろもーふと言ったか? こいつらは、何で主人公を襲ってくるんだ? 妖怪ではないのだろう?」

 

「ああ、こいつらは単に仲間を増やすために殺すんだよね。そして殺された人間を……あ、ほらほらこいつだこいつ。この……エイみたいな奴が死んだ人間をネクロモーフ化させるのさ」

 

参考となるエイの写真を渡しながら藍に説明していく。渡された写真のエイと画面に映るinfectorを見比べた藍は顔をしかめて俺に写真を返す。

 

「気持ちが悪いな。……というよりも九尾の私ですら怖く感じてしまうのだが……こんなの妖怪でもいないぞ?」

 

目の前で引き起こされていく惨劇に藍が青い顔を引き攣らせながら言う。確かに妖怪もここまでの事はしないだろう……。というかできないだろう。

 

俺がもしこの中に放り込まれたら一発で精神崩壊しそうな気がする。冗談抜きで。

 

俺はこのゲームの恐怖と孤独さを存分に楽しみながらストーリーを進めていく。

 

そしてついに藍が根を上げる。

 

「耕也、私にはどうも向いていないようだ……。少し外で気分転換をしてくるよ」

 

俺が暇つぶしの為にやっていたのだが、さすがに可哀そうだと思えてくる。

 

「あ~、そうだね。じゃあ別のゲームにしようか。……こういうのはどうだい?」

 

そういって立ち去ろうとしていた藍をひき止める。藍は一度は襖に手を掛けていたのだが、俺の声に再びこちらを見る。

 

俺は藍が見たことを確認すると、darkSectortというゲームを取り出して藍に良く見えるようにする。

 

「これなんてそこまで怖いものでもないし、主人公の行動がかなりカッコイイから俺とし「こ~う~や~?」……幽香?」

 

俺が藍にゲームの概要を説明しようとしたときに、藍の後ろから幽香が出てくる。

 

その顔は非常にさわやかな笑顔をしているのだが、どこか寒気がする様な雰囲気を身体全体から滲ませていた。

 

俺は幽香に何かしてしまったのだろうか……?

 

そんな疑問が湧いてくる。いや、俺の中で特にヤバい事をしたという記憶は無いのだが……。

 

俺はそれを聞くのが少し億劫になってしまったが、一応聞いてみる。

 

「え~と、幽香さん? ……私めが何かしてしまったのでしょうか?」

 

そう当たり障りのないように聞いてみる。そして対する幽香は、今まで後ろに隠していた両腕を前に持ってくる。

 

その瞬間に俺の全血液が凍りつき、脳の活動が完全に停止してしまった。

 

藍も、幽香の持っているモノに目が行き、俺と同じように固まる。

 

そして俺はもう内心大慌てであった。………何でそんなものを幽香が持っているのだろうか? 確かそれは俺の部屋の、しかも押し入れの中にあったはず……。

 

今日掃除したのって確か俺の部屋以外だった気がするのだけれども……。

 

「あらあら、耕也。これは何かしら?」

 

その言葉に俺は思考の産廃所から一気に現実へと引き戻される。俺は幽香が持っているモノが、見間違いであるようにと僅かな希望を抱きながらソレを再び見やる。

 

だが現実は非情であり、目に映るモノは先ほどと全く変わらない。

 

とんでもない。それはもうとんでもないものであった。というよりもバレたら普通に自殺したくなるほどの恥ずかしさ。

 

「………ゆ、幽香? ……な、ななな、なんでソレ持ってるの?」

 

俺は幽香がニッコリしながら持つソレに対して質問する。

 

「あら、今日掃除してない所があったなって思ったから……そうしたらこんなモノが出てきたのよ?」

 

そして藍は漸く固まりが解けたのか、俺の事をジト目で見てくる。

 

「題名言ってあげましょうか? ……そうね、紫? 耕也がナースにおまか「はいアウトおおおおおおッ!!」……何するのよ変態」

 

俺は口に出される事があまりにも恥ずかしく思い、ソレを自分の腕の中までジャンプさせて、急いで炬燵の中へと放り込む。

 

元の場所に戻すという考えもあったのかもしれないが、あまりにも焦ってしまっていたため考えつかなかった。

 

「へんた……幽香っ! 俺も男なんだから…………たかが1個ぐらい見逃してくれても良いんじゃないか?」

 

そう言って男なら仕方が無いという事を盾にして何とか怒られないように言い訳を開始していく。

 

確かに良く聞く話ではあるが、男がそういった物を持っていると女性は怒る。つまり幽香もこれに当てはまるのだろう。……多分藍も。

 

だが、世の中そううまくいくとは限らないわけであり、俺の言い訳で押し切る作戦は次の声で見事に崩壊するのであった。

 

「あら耕也。起きてみれば……何だか大変なことになってるわね?」

 

そう言いながら炬燵の中に放り込んだはずの、箱を持っている紫が俺の横に仁王立ちしていた。

 

表情はもう大体の想像はできたが、笑顔。そう、とびっきりの笑顔。あまりにも怖いためその場から逃げだしたくなる。

 

だが、逃げたくても身体が言う事を聞かない。

 

紫は、俺の様子を見ながら満足してパッケージの感想を言っていく。

 

「あらあらこれは……何ともまあ、なあすというのは良く分からないけれども、何ともまあ……」

 

と、顔を真っ赤にして口をヒクヒクさせながら。

 

正直言って拷問である。顔が恥ずかしさのせいか物凄く熱く、今にも火が出そうだ。

 

俺は先ほど幽香に言ったような言い訳を再びしていく。

 

「ほら紫……俺も健康な男子なんだし……ね? 一つぐらい持ってても別に良いかと思うのだけれど……」

 

そういうと、顔を赤く染めていた紫がこちらをキッと睨みつけ一言言う。

 

「へぇ……一つぐらいねえ……。じゃあ、これは何かしら?」

 

そう言って持っていた扇子を横に一閃すると、大きなスキマが開かれ、そこから大量に箱が落ちてくる。

 

その大量の箱に、幽香と藍は目を丸くし、俺はもう何の反応もできなくなってしまった。

 

そう、だから必死に言い訳することしかできない。

 

「あ、いや、あの、こ、ここ、これは…………」

 

何かを言おうと俺は必死に声に出すが、余りの恥ずかしさと焦りに言葉が形を成さない。

 

そしてついに雷が3発ほど落ちた。

 

「こ~う~や~……?」

 

「耕也……」

 

「耕也っ!!」

 

幽香、藍、紫の順に落ちてきた雷は、俺の頭に殴ったような衝撃を与え、思わず

 

「ご、ごめんなさいっ!!」

 

謝る羽目になってしまった。しかしそれで彼女たちが納得するわけもなく、その後は延々と説教らしきモノが繰り広げられていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「随分と酷い目にあった気がする……理不尽な気もしてきた……幸せな事なんだろうけど」

 

そう言いながら俺は自分の布団を敷いて寝る準備を整える。

 

3人はそれぞれの翌日の用事などに備えて自宅へと帰って行った。

 

……それにしても幽香と紫達は良く喧嘩しなかったな~。

 

争っても双方の無駄になるだけだから表面上は自粛していたのだろうか? と、そんな考えが浮かんでくる。

 

まあ、今日は色々あったけども、危ない事は特別といってなかったし、皆で飯を食えたから大満足かな。

 

そんな感想を頭に浮かべながら俺は自分の今後について考えていく。

 

履甲の件での報酬は村長が出してくれたからそれなりに財布が膨れたけれども、今後依頼が来てくれるかどうかに掛かっているんだよな……。

 

妙な斡旋みたいな事したらそれこそ評判はがた落ちになる上に、都からはさらにハブられるだろうな。

 

……どうしたものか。昨日も色々と無視されたしなあ……。一般の都民は良くしてくれるけれども……どうも陰陽師や貴族とかがなぁ…何とかならないだろうか?

 

自分の中で、特に妨害活動や都に迷惑を掛けた事など無いものだから、余計に訳が分からなくなっていく。

 

明日あたりにももう一度都に行って粘ってみようかな?

 

と、自分の中で明日の予定を決めつつ部屋の電気を消し、読書用のライトのみをつけて布団をかぶる。

 

そして何気なく寝ながら首を右に向けると、あるモノが目に映って来た。

 

……これは、櫛?

 

そう思いながら手を出してソレを手に取る。

 

……これは幽香のじゃないか。

 

その櫛には名前は書いてないものの、凄まじく綺麗に掘られた向日葵があったためすぐにそれが幽香のモノであると断定する事ができた。

 

明日あたりにでも持っていってあげるかな?

 

そう考えながら俺は瞼を閉じ、深い眠りへと突入していった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……一体何のだろうか? 冬だというのにやけに周囲の温度が高い。その温度に段々と眠りから引きずり出されていく。

 

やけに明るい。そして暑い。そんな感想が覚醒しきっていない頭に浮かんでくる。

 

一体何なんだ? そう疑問を持ちながら、瞼をゆっくりとではあるが開けていく。

 

その瞬間に嫌でも脳が覚醒しなければならないモノが目に飛び込んでくる。

 

火。一面の火。視界全てが火。

 

僅かではあるが、ソレを自分の脳が理解し、消化し切るのに時間がかかってしまう。

 

「――――――――――っ!? やっべぇっ!! 火事じゃねえか!」

 

理解し口から自然と大声が出た瞬間に、一気に自分の中の全ての神経が沸騰し始め、脳が身体に鞭を入れる。

 

俺は弾かれるように起き上がり、枕元にあった幽香の櫛だけを掴んで着の身着のまま襖をぶち破り廊下を走っていく。

 

幸いにも領域のおかげで火傷や呼吸困難に陥る事が無く、廊下を駆けていく事ができた。

 

一体何故火事が起きたのだろうか? 俺の火の不始末だろうか? それともガス漏れか? いや、もしかしたらプラグの火花によるものか?

 

そういった考えが次々と浮かんでは沈んでいき、俺の頭をさらに混乱させていく。

 

そんな原因特定が不可能のまま、俺は玄関の金属製の扉に手を掛ける。

 

……動かない。ビクともしない。

 

火のせいで膨張して歪んでしまったのだろうか? いや、今はそんな事を考えている場合ではない。

 

俺は一気に力を込め、生活支援によって扉をぶち破って外に出る。

 

本来ならばジャンプすればよかったのかもしれないが、焦りに焦っていた俺にはそこまで考えが及ばなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

扉をぶち破った先で目に飛び込んできたのは、数えきれないほどの松明の炎と兵士、陰陽師。そして無数の矢と札が俺に向かって降り注ぐ光景であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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60話 自業自得なのだろうか……

でも後悔はしてないけど……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

目の前に高速で襲いかかってくる矢と札を、俺は余りの光景に目を奪われ何の回避行動も取れずに唯茫然と眺めているしかなかった。

 

俺を殺そうと猛然と殺到する矢は、空気を切り裂き、何ものをも貫かんという勢いでただ眺めている俺の領域にぶち当たっていく。

 

鏃の金属が砕け散る鈍い音と、箆が圧し折れ、木が折れる独特な軽い音が鼓膜を叩くように連続として鳴り響いていく。

 

また領域に当たらなかった大部分の矢の一部は、背後で燃え盛る家に当たり構成木材を削り、砕き、抉り刺さっていく。

 

そして残りの矢は飛距離が足らなかったり、俺の頭上を遥かに超えていったりして土を弾き、その折れた破片を撒き散らす。

 

札に関して言えば、ある程度の誘導性を保有しているのか、矢とは違ってひとつ残らず俺の方に目掛けて飛んでくる。

 

おそらくこの量の札の前では幽香ですら防御姿勢を取らざるを得なくなるだろう。札は着弾すると同時に矢と同じように領域に弾かれ、まるでシュレッダーに掛けられたかのようにこま切れとなって霧散していき、風に流されていく。

 

俺はその様を見てようやく自分が何をされたのかを認識し、目の前の光景を見据える。

 

退治する兵や陰陽師の顔は皆厳しく、俺に対して憎悪を抱いているのがありありと分かる。

 

そして兵士の顔を左から右へと流すように視線をずらして見ていくと、以前笑い合い、共に任務や仕事をこなしていった友人の兵や陰陽師をこの目に捉えた瞬間、俺の足に一瞬力が入らなくなる。

 

一体何でお前たちが……。そんな事を一瞬脳に浮かべてしまう。

 

だがそれも致し方ない事であった。最近は顔を合わせる事が無いとはいえ、前までは談笑していた仲だったのだから。

 

俺を睨みつけている者たちの中に、まだ俺の知っている者達はいるのかという不安を胸に抱きながら別の疑問を浮かべていく。

 

……一体なぜ俺がこんなことをされなければならないのだろうか? と。

 

正直自分は今まで十分都に尽くしている立場であり、自分で思うのもなんだが、感謝されこそすれ、怨まれる事など一切していないのだ。

 

以前、軍ですらも手出しができなかった鬼退治をしたのも俺、都を散々困らせていた封獣ぬえを退治したのも俺。

 

さらにはあの怨念の塊の黒い影を消し飛ばしたのも俺。こういった強者を打倒してきた俺が何故……?

 

頭の中からは疑問が絶えず浮かびあがり、俺を混乱させてくる。

 

そんな混乱の中、俺に対しての怒鳴り声が思考から無理矢理現実に引きずり出す。

 

「大妖、大正耕也!! 貴様を危険分子として封印するっ!」

 

………………は?

 

俺は奥の方に居る馬にまたがっている男はこの大部隊の将軍だろうか? とにかくその者のいきなりの発言に思わず聞き間違いだと思ってしまう。

 

…………今何て言ったアイツ? 俺を封印? 何で? ……それに大妖?

 

当然訳が分からないのでこちらも大声で反論する。

 

「いきなり何だお前らはっ!? 俺は妖怪ではない上に、攻撃されるようなことはしていないぞ!」

 

そう言うと、松明の火でボヤボヤと照らされている男はニヤリと歪め、目の前に横に長い紙を広げながら俺への罪状を読み上げていく。

 

「貴様の戯言なんぞこの罪状の前では何の意味もなさんっ! ……一つ目、封獣ぬえとの結託による都を混乱に貶めた罪。二つ目、八雲紫、九尾八雲藍、風見幽香との密通による都からの離反行為。三つ目、自作自演による鬼との戦闘による功績詐称! さらには種族の偽りによる陛下への不敬及び反逆罪っ!!」

 

確かにあの男の言うように妖怪とは密通していた。だが、他は全て根も葉もない嘘じゃあないか。

 

我儘に近いだけなのかもしれないが、彼女達は人間に害を与えてはいないし、これくらいの事は許していただきたいという願望が芽生えてくる。

 

しかしこれは彼らにとっても許せることではないのだろう。本来ならば妖怪を滅するはずの陰陽師が、実は裏で妖怪と交友関係を持っている事が。

 

ぬえの部分は完全に冤罪であり、また鬼との戦闘もまた然り。一体突然なぜこんな訳の分からない罪状が出てくるのだろうか?

 

俺としてはその部分を主張したいが、言った所で相手にされる事は無いだろう。

 

しかし、一応主張しておかなければ今後の事に影響を及ぼすと考えられるため、大声でさらに反論していく。

 

「そんな根も葉もない嘘を良くも平然と! 俺がぬえや鬼退治をしなければ都や幕府は滅んでいた可能性もあるのだぞっ!?」

 

「フンッ、その都が滅ぶということ自体がお前の真の望みなのだろう?」

 

俺を馬鹿にしたような笑みを浮かべながら俺の主張を一蹴していく。

 

その言葉を受けたと同時に、事件当時の都民の顔が頭に浮かびあがり、一つの主張が出てくる。

 

そんな馬鹿な事をするわけがない、一体俺がどれほど都民や府民に配慮しながら戦ったのかっ! と。

 

俺はその主張が出てくると同時に頭に血が上り、男の所まで近づこうと足を前に出す。

 

だが、それは繊維を伸ばすかのようなキリキリとした周囲に響き渡る大きな音によって遮られた。

 

その音の原因とは、俺が足を踏み出したと同時に周りにいた数多の兵士が弓矢を差し向けてきたときに発生した音であった。

 

俺はその大人数の発する音の迫力に足を踏み留まらせるしかなく、思わず歯ぎしりしてしまう。

 

「大人しく封印されてもらおうか。我々も上から厳しく言われているのでな」

 

そう言うと同時に、陰陽師の何人かがニヤニヤと表情を変えていく。

 

同時にある仮定が俺の中で立ちあがる。

 

ひょっとしたら裏で糸を引いているのは陰陽師なのではないだろうかと。

 

証拠はないが、動機なら十分にあると言っても過言ではない。俺の成した功績や、力量に見合わない低価格な依頼料。これは自惚れかも知れないが、俺の力に嫉妬という可能性もある。

 

だが、これだけいる兵士が将軍を除いて陰陽師しか笑わないのは、この冤罪の件に陰陽師が一枚噛んでいるという事には間違いなさそうだ。

 

おそらく陰陽師の連中が貴族等を言いくるめたのだろう。…………かつての友人がそうしたという事を考えたくはないが、可能性はある。別の陰陽師である事を願うが。

 

ただ、俺を封印するという事は何かしらの術式が必要になるという事。

 

もちろん俺の封印は不可能であり、領域で全ての術式が消し飛ぶ。おまけに俺には封ずるはずの霊力が欠片も無い上に、今回は妖怪扱い。……一体どこに封印されるのやら。

 

眼の前の男を睨みつけながらそういった事を考えていく。

 

そして封印は俺にとっても非常に今後、活動しづらくなるので何とか反論していく。

 

「俺の望みが都や幕府の滅びだと? 笑わせるんじゃねえよ阿呆! 俺が一体何のためにあそこまで危険な任務をしたと思っているんだっ! 都を滅ぼすのが望みだったら、鬼やぬえなんざ使わずに俺がとっくの昔に自分の手で消滅させている!」

 

そこまで言って再び息を吸い込みさらに大声で言いまくる。

 

「こんな無茶苦茶な罪状を進言したのは誰だ! 俺を失脚させようとするのは。一体どこの阿呆だ。こんな無益な事をするのはっ!?」

 

俺としては、今のままの生活を送りたい。唯それだけである。だから俺を嵌めようとしたクズに対して怒りが湧きあがってくる。

 

ここまでの暴言を何のためらいも無く言ったためか、男の顔は見下すような表情から一気に怒りへと変わっていく。

 

「この妖怪風情が、私に向かって阿呆だと? ………やれ。次は防げんぞ」

 

そう言うと、周りにいる兵士が何枚もの札が巻かれている矢を俺に放ってくる。放たれた矢は青白く光り、札が空力や速度を補助しているのか、今までとは違って驚くほど速い。

 

妖怪用の破魔の矢といったところか。

 

封印じゃないのかよと思いつつも全ての攻撃を弾き飛ばしていく。弾き飛ばされていく矢は札の効果もあるのか、領域に接触した瞬間に青白い閃光を放ちながら鏃の部分が破裂していく。

 

それを俺は自分の中でも驚くほど冷静に眺めていた。先ほどとは違って状況の判断や経緯などを理解していたからだろう。

 

実際の所、都には俺の力関係については全く話していないため、軍にもその事が伝わっていないのだろう。だから先ほどの防げないという言葉は、俺が妖力で生成した障壁を使ったとでも考えたのだろう。

 

だが、この程度でこいつらの攻撃が終わるわけは無いと思い次の攻撃に備える。

 

案の定、次は後方に控えている陰陽師の攻撃であり、赤く光る札を大量に飛ばしてくる。結果は言わずもがな。全て弾き飛ばされ砕け散るのみである。

 

「おいおい、これで封印か? 随分とまあ生易しい物だな。」

 

俺はそう言いながらこちらからの攻撃を宣言する。

 

「では此方から攻撃しても良いか……? ……力の差は今ので分かっただろう? もし、死にたくなければこの場から去れ。二度と俺に干渉するな。……嫌なら……分かるよな? 一撃で全軍を消滅させる」

 

実際には殺す気など全くないが、一応のパフォーマンス、威嚇として攻撃態勢をとる。

 

だが、俺の実力など等に分かっているはずなのに、なぜか驚きなどといった表情を浮かべない。

 

あれだけの量の札と矢を防いだというのに顔色一つ変えないのは一体何故だろうか? 俺の防御を貫通させる秘策などといった物があるのだろうか?

 

いや、それはあり得ないとは思う。思うのだが、何故か自分の中の警戒心が激しく自己主張を始める。

 

その不気味な現象に俺は警戒心を大きくさせながら変遷を見守っていく。

 

すると、男が後方に顎で何かを指示し始める。俺の予想している秘策とやらだろうか?

 

そして指示を出した後に兵士がある男を連れてきているのが分かる。だが明りが松明の火しかないため素顔がよく分からない。

 

俺が訝しげにそれを見ていると、段々とその顔の輪郭がはっきりとしてくる。

 

そして丁度その男の通る道に兵士の持っている松明の光があるのでやっとその顔が分かるようになった。

 

しかし、その顔は俺にとって信じられないものであり、認めたくないものでもあり、同時に激しい怒りが湧いてくるものであった。

 

まさか人間一人にここまでの事をするとは到底思えなかった。

 

一体何故…………平助、お前がここにいるんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

連れてこられた平助は大粒の涙で顔をこれでもかというぐらいに濡らしている。そして俺があまりの驚きに固まっていると、その間に兵の最前列まで連れだされる。

 

縄で縛られ、此方に助けてほしいかのような目で見てくる。その目を見た瞬間に先ほどよりも激しい猛烈な怒りが湧いてくる。

 

「てめぇ、この子は関係ないだろうがっ!? ふざけるな貴様っ!」

 

「上からの命令でな。どんな手を使ってでも封印せよとのことでな。……どうだ? 封印する前にお前が最後に受けた依頼主と面会するのはさぞやうれしいだろう……ん?」

 

そう言いながらこちらをさらに蔑んだ目で見てくる。

 

殺してやりたい。無関係の人を巻き込むとは……たかが俺の為だけにここまでの恐怖をこの子供に与えて…………。

 

本当に殺してやりたい。もし封印されても必ず俺がお前を殺す。

 

そんな黒い感情を抱くには十分な出来事であった。

 

俺は怒りの余りに閉口してしまい、その場で両手を握りブルブルと震わせることしかできなくなってしまっていた。

 

だが、この無関係な平助だけは何としてでも助けてやる。

 

激しい怒りの中にもその考えだけは持たせていた俺は、ただ涙ながらに口を震わせている平助を瞬時にジャンプさせ、こちらに引き寄せる。

 

「形成は逆転だこの外道め。お前だけは必ず殺す」

 

そうして俺はM4A1を創造して発射態勢を整える。

 

此方にジャンプさせた平助にこの後引き起こされるであろう惨状を見せないために、こちらを振り向かせ、タオルを顔に当てて男に向かって叫ぶ。

 

「もう人殺しなんて罪や恥なんざ知ったこっちゃねえ。手前だけは死ね!」

 

そう言って引き金を引こうと銃に対して指令を送る。

 

そしてフルオートで銃が弾を弾き出そうとした瞬間に眼の前の男が突然声を出す。

 

「…………良いのか? 私を殺して……。……私を殺せばもっと大勢の人間が死ぬぞ?」

 

その言葉に俺は時間でも止められたかのように固まってしまい、男に向けて弾を発射させる事ができなくなってしまった。

 

…………俺がこの男を殺せば大勢の人間が死ぬ? 一体どういう意味だ?

 

この男が死ぬと統制が崩れて兵士たちが多く死ぬ事を言っているのだろうか?

 

その事を考えていると、服を強く引っ張られる感触がする。その感触に釣られるように平助の方を見る。余りの恐怖の為に声が出ないのだろう。平助は俺の方を見ながら涙をボロボロと流して嗚咽交じりに首をブンブン振る。

 

まるで俺に対して銃を撃つ事を止めてとでもいうかのように……。

 

そう思った瞬間に一気に血の気が引いてくる。それと同時に思ってしまう。

 

…………やられた。と。

 

そう、平助を人質に取ったという事だけでも信じ難い事ではあるが、さらにヤバい事を軍はしたのではないか? ……例えば平助の村を…。

 

そんな事を思ってしまう。

 

すると、俺の様子を見て思ったのか、男は淡々と作業をするかのように俺に対して言ってくる。

 

「お前が今一番予想している最悪な事だ。 俺を殺せばすぐにそのガキの村が焼き尽くされる。大正耕也に加担した反逆の村としてな」

 

その言葉を聞いた瞬間に、俺が立っている地面が消えてしまったかのような錯覚に陥る。身体に力が入らない。

 

信じられない。たかが一陰陽師を封印するために同じ人間達をここまで追い詰めるとは……。

 

余りの事態に俺は思考が停止してしまい、創造していた銃が霧散していくように消えていく。

 

ついに足に力が入らなくなり、膝がガクガクとし始める。無理だ。ジャンプして向かって行っても村人を助ける事ができない……。

 

どこに潜んでいるかもわからない兵士。ひょっとしたらすでに村人の喉元に槍を吐きつけている可能性もある。

 

よしんば俺が村人たちを全員助ける事ができても、今度は都との全面戦争。さらには鬼退治のように幕府すらも動くことになるのだろう。

 

そうすると、俺は一人で何十万人という軍勢を相手しなくてはならない。もちろん大勢の人間を殺す権利なんて俺には存在しないし、勇気も度胸も無いのだ。

 

俺はどこかの小説に出てくる伝説の勇者や、大魔王ではないのだ。……唯の人。そう、タダの人なのだ。

 

だから、自分の今の状況を打開する策など浮かびはしてこない。そして俺の思考は、俺が封印されれば無関係な人が助かるという単純な思考にシフトしていった。

 

俺は平助をそっと後ろにやり、男に言う。

 

「一つだけ教えてくれ。……俺がこの場で投降すれば村や平助に危害は加えないのだな?」

 

「その通りだ。上からも厳しく言われているのでな。お前が投降すれば此方は村に対して危害を加えない」

 

俺はその言葉を完全に信じる事ができないため、保険としてある事を言う。

 

「随分と矛盾しているな……もし、村人に対して危害を加えた事が分かったら、貴様ら全員を殺すから覚悟しておけ。その際は人質なんざ何の意味もなさない事を覚えておけ」

 

そう言って俺は両膝を地面について両手を上げる。

 

そうすると、弓矢を構えた兵士が俺にジリジリと近寄り、別の兵士が俺の手を後ろにもっていき縛る。そして胴体と腕を密着させるように胴体全体を縛る。

 

平助は口をガチガチと言わせながら兵士に後ろへと下がらされていく。それを俺はボーっと見ながら一つだけ思う。

 

もし、危害を加えられたら必ずあの男を殺そう。と。

 

その考えを浮かべたすぐ後に、俺は別の所まで連行されていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

連行された先には、立方体の頑丈そうな木製の箱がそこに鎮座していた。いや、内壁は木製なのだが、外側は松明に照らされているだけなので内容は分からないが、札と同じ幅を持った紙で隙間なく巻かれている事が分かる。

 

札の延長物だろう。紙にはビッシリと複雑な文字が書かれているのが見える。

 

「これに入れ」

 

俺は兵士に言われるままに入っていく。この大軍勢の視線の中でこれに入るのは少々気が引ける。

 

だが、入らなければ意味が無い。

 

そして入った事が確認されるや否や、箱のふたが閉められる。

 

バンバンと箱の外から叩かれる音がする。おそらくさらに札を張り付けているのだろう。俺を完全に封印するために。

 

一体どこに連れて行かれるのだろうか? 洞窟内部だろうか? それとも湖の底だろうか? それとも聖と同じく魔界だろうか?

 

もし魔界だった場合、聖と会う事になるのだろうか? いや、魔界はとてつもなく広いのだからそれは無いか。

 

と、自分で妙な納得をしてしまう。

 

その時、フッと身体に縦Gが掛かった事に気がついた。おそらく荷台ごと持ち上げられたのだろう。……もう封印されるのか。

 

俺はどこに連れて行かれるのかを思いながら、この窮屈な姿勢が何とかならないかと考える。

 

すでに封印を強化するための札等は、領域で効力を失ってしまっているので、例え札に施錠や力の弱体化という効果が付与されていたとしても意味は無くなってしまっている。

 

その事に俺は少しの安心感を覚えながら、ユラユラと揺れる箱の中でジッと待つ。

 

そうしているうちに、余りにも暇なため俺は目を閉じてしまい眠りに入ってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一体何時間眠ったのだろうか? 目を覚ますと、まだ箱が揺れている事を認識する。

 

もうそろそろなのだろうか? 結構寝ていた気がするのだが……。

 

封印されて少し日が経ったら、幽香や紫、藍の所に会いに行こう。もし彼女たちに迷惑を掛けてしまっているのだとしたら謝らなくてはならない。

 

心配させてしまってごめんなさいと。……彼女達が俺の封印に気がついていたらの話だが。

 

そうこう考えているうちに、今まで静かだった箱の外から声が聞こえてくる。

 

「もう、ここら辺でいいのか?」

 

「ああ、もうあと少しらしい。……それにしても、第二の聖が誕生するとはな。一体都はどうなっているんだ」

 

と、落胆したような声が聞こえてくる。その声に俺の心に少しズキリと痛みが走る。

 

だが、自業自得だよな。……今まで信頼してくれていた人間の信頼を裏切った部分もあるのだから。

 

おそらく平助にも失望されただろうな…………今まで人間の味方だと思っていた奴が急に離反行為をしたという事になってしまっているのだから。

 

俺としては封印されるという事よりも、そちらの方が苦しい。だが、今まで自分の行ってきた事が間違いだとは思わない。確かに自業自得だし、信頼を失ったのは苦しい。だが、これもまた避けて通れない道であっただろうし、なによりあの日常が好きだったのだから。

 

そして同時に少し安心している自分がいる事に気付く。それは、あの男と話している時に、紫等の妖怪の居場所を詰問されなかったことだ。

 

おそらく、あの場で詰問しても意味は無かったのだろう。あの軍勢で紫のいる場所に辿りつけはしなかっただろうし、何より装備が足りない。

 

そんな事を考えながら俺は封印の時を待つ。

 

そしてしばらくその場で目を瞑っていると、ユラユラとした振動が止まる。

 

「これより封印を開始する。陰陽師は術式の用意を」

 

あの男が周囲にいるあろう陰陽師に対して命令を下していく。

 

それと同時に陰陽師達の口からゴニョゴニョと日本語なのか分からないような言葉が放たれ始める。

 

やがて陰陽師達の口から言葉が消える。術式が完成したのだろう。

 

長年陰陽師をやっていながら、こういった事はさっぱりな俺というのもなんだか恥ずかしい。何せ必要無かったのだから。

 

そう思っていると、例の男から

 

「放り込め」

 

という言葉が聞こえ、一気に箱の中の重心が崩れ始める。どこかの崖か何かに落とされたのだろう。

 

「あ、ちょっ!! おいっ!?」

 

そんな言葉とともにマイナスGが身体に掛かるのを認識する。

 

当然俺は縛られているのだから側壁や蓋に押しつけられたり箱の中をグルグルと転がりまくる。

 

一体どこまで落ちるのだろうかという考えが浮かんだ瞬間に箱に強烈な衝撃が走る。もしかしたら岩肌にぶつかったのかもしれない。

 

俺の領域の効果なのかは分からないが、箱は壊れなくて済んだ。

 

だが、そんな衝撃を受けたらもちろん俺にダイレクトに衝撃が来る。俺は再び、先ほどよりも強くゴロゴロと縦横無尽に箱の中を転げ回り目が回り、胃の中が掻きまわされる。

 

そして感触としては、ネットのようなものだろうか? そこに箱ごと引っかかった瞬間に急激な減速Gが掛かり、俺は限界を迎えてしまった。

 

限界を迎えた俺が吐きそうになりながら意識を失い始めたときにある声が聞こえた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「珍しく巣に引っ掛かったと思ったら……最近の人間は変な箱を捨てるんだねえ……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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61話 気絶は中々に嫌だ……

家は無くなるし何処だか分からないし……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ん…………ふあ、あ~~」

 

目覚めると同時に大きな欠伸をしてしまう私。視界に映り込んでくるのは、見慣れた白い天井と花柄の布団。

 

少し首を左に向ければ、大きな窓が外はこんなにも明るいよ、とばかりに日光を室内に降り注がせる。

 

今日もいつもと同じような生活が始まるのだと思うと、少し気落ちしてしまう。

 

いや、気落ちしてしまうというよりは、何か物足りなさが増えたと言うべきだろうか? いや、以前と比べて格段に自分の中の心に躍動感が増えたと言うべきなのだろうか?

 

以前はただ降りかかる火の粉を払い、自分の家族の一員である花達の世話をしていればそれで満足だったのだから。

 

それが今となっては、物足りなさを感じる事が常となってしまっているのだから、随分変わったものだなと自分のことながら笑えてきてしまう。

 

決して家族である花達を蔑ろにしているわけではない。……そう、そろそろ段階を上げていく必要があるのではないかと思う。

 

今ある家族に賑やかさをひとつ加えても良いのではないかと思うのだ。そうすれば花も喜ぶし、私としても大歓迎なのは言うまでも無い。

 

そんな事を考えているうちに脳が半ば覚醒し、私は脳を完全に覚醒させるため、顔を洗いに洗面所までノソノソと歩いていく。

 

寝室を抜け、階段を下ってすぐの所に洗面所はあり、私は寝惚けて他の部屋に入らないように若干注意し、時折ふらつきながら部屋に入っていく。

 

この白い陶器で構成されている洗面器は、耕也が取りつけてくれたものであり、最初の方こそ違和感があったが、時が経つごとにその利便性と使用頻度によって今では違和感がすっかり無くなってしまっている。

 

蛇口に接続されているハンドルという部分を捻ると水が出てくるのだから不思議だ。水は耕也から自動的に供給されているらしいのだが、……何とも不思議だ。

 

だが一々気にしていては疲れてしまうので、さっさと顔を洗っていく。すると、鏡に映った自分の髪の毛が一部分跳ねてしまっている事が分かる。

 

まあ、少し癖のある髪だから仕方が無いと思いつつも、直さなければ格好がつかないと思い、いつもの所に置いてある自分愛用の櫛を手に取ろうとする。

 

すると、取ったと思ったが手が空振りしてしまい、櫛が手に収まらない。

 

「あら?」

 

そんな素っ頓狂な声と共に洗面器の横にある小物入れに視界を移す。

 

櫛が無い……。……はて、一体どうして無いのだろうかと少し疑問に思ってしまう。いつもならここにあるので見なくても手に収まるはずだったのだが……。

 

私は昨日うっかり別の所に仕舞ってしまったのだろうか? という考えが浮かび、洗面所のありとあらゆる引き出しを引っ掻きまわしていく。

 

とは言っても、自分は御洒落といったモノにそこまで固執しているわけでもなく、日用品の中に化粧などの道具はほとんど持っていない。

 

だから耕也からもらった爪切りや耳掻き、予備の歯ブラシや治療用の絆創膏と抗生物質、風邪薬などしかない。だから小さい引き出しの部分は空の部分があるため、すぐに無いという事が分かる。

 

では、洗面器の真下にある大きな収納スペースとやらにあるのだろうか? 普段の私の行動からしてこんな所に入れる要因が感じられないし、入れるとは到底思えない。

 

だが万が一という事もあるので、二つの扉を左右に開いて中を見やる。

 

中には洗剤と柔軟剤、入浴剤や口内洗浄用のリステリンぐらいしかない。そしてわたしはリステリンを見た瞬間口をへの字にして余計な事を思いだしてしまう。

 

ああ、口の中が爆発する奴だと。

 

耕也はオリジナルタイプが好きだといって私に勧めてきたが、初日に教えられた通りにやったら見事に敗北して、洗面器に思いっきり吹き出してしまった苦い記憶がよみがえる。

 

あれは口の中に毬栗を入れたような感じという形容が合っているだろう。とにかく刺激が強すぎる。……耕也は慣れだと言っていたが、私は慣れない。紫にやらせるのも良いかもしれない。

 

ここまで考えながら一つの答えを出す。

 

ここに櫛は無い。と。

 

自分の部屋に置いた可能性もある事にはあるが、昨日は部屋で櫛を使ってはいない。

 

…………ん? 使ってはいない?

 

そう、昨日は櫛を使ってはいない。……と言う事は。

 

そこで櫛の行方を大凡ではあるが推測する事ができた。おそらく耕也の家にあるではないかと。

 

もしかしたら昨日の掃除の時にうっかり落としてしまったのかも知れない。

 

「仕方が無いわね。……水やりが終わったら耕也の所まで取りに行きましょうか」

 

そう言いながら跳ねた髪の毛がある頭のまま私は朝食を取りに行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私の飛ぶ速度では、耕也の家まで二時間近くかかってしまう。すでにそのほとんどの空路を消化している。別に疲れはしないのだが、どうも他の妖怪に比べて飛ぶ速度が遅い。

 

それを耕也は、ディーゼルターボのようだと言っていたが、なんの事だか良く分からない。

 

ようするに速度よりも多少遅くはあるが、重い物を運ぶ方が力の方向性が向いているとのこと。……たしかに力は突出しているとは思うが。

 

「それにしても、もう少し早くならないものかしらねぇ……」

 

さすがに耕也よりは速く飛べるものの、天狗の速度と比べたら言わずもがな。負けるのは必至である。

 

私としては、天狗の半分でもいいから速度が欲しいというところが正直な所である。

 

天狗に今度無理矢理聞きだしてみようかと冗談半分に思いながら空を飛んでいく。

 

もうそろそろ着くころだと思いながら、昨日のしょんぼりとした耕也の様子を思い出す。

 

たしかに3人で延々と説教をしたのはやり過ぎたかなとは思う。ただ、あれはいただけない。えろげーと言っただろうか? あんな卑猥なモノを100以上持っているのは本当にいただけない。

 

男は得てしてそう言ったモノを思い浮かべたり、持ちたがるのは分かる。だが、こうなんと言うのだろうか? 女としての何かがそれに対して嫉妬というか何と言うか。とにかくそのモヤモヤとした感情が湧きあがるのだ。

 

多分紫や藍もそういう感情を持っていたのだろう。……もっと寛容かと思っていた紫が怒ったのは意外だったが。

 

ふと気がつくと、自分の今飛んでいる位置が考えによって少し分からなくなってしまい、その場で焦って空中で停止をしてしまう。

 

「多分もう少しだと思うのだけれども……」

 

そう言いながら再び速度を上げて耕也の家へと向かう。

 

少し花達に聞いてみましょうか?

 

そう思い立ち、私は一気に高度を下げて花達に聞きに行く。降り立つ場所は、花が所々咲いている程度の草原であり、植物はそよ風を気持ちよさそうに受け流している。

 

「大正耕也の家ってこの方角であっているかしら?」

 

そういうと、花の妖精が私に対して肯定の意思を示す。彼女達は、無数に張り巡らされている小さな小さな霊脈を元に、道行く人々からの会話から得た情報を頼りに是非を決定していくのだそうだ。

 

「合ってるのね? ありがとう」

 

そう言って人間達に見つからないようにさっさと空へと上がっていく。

 

距離としてはもうすぐなのだから、そこまで焦る必要もないだろう。

 

そんな事を思いながら飛んでいくと、見慣れた景色が広がってくる。

 

耕也の住んでいる家付近に来たという事が分かる。私は改めて空中で止まり、周囲を見渡す。

 

やはり自分の記憶からしても、ここが目的地付近である事を改めて確認できる。

 

私はそのままユルリユルリと飛びながら耕也の家が見えるまで飛んでいく。

 

もうすぐ、もうすぐである。

 

何度もここに来ているというのに、耕也と会うという事を考えているだけでも心が温かくなる。

 

だが、次の光景を見た瞬間に自分の身体が凍りついてしまったように空中で動かなくなってしまった。

 

やっと見えた耕也の家がある場所は、真っ黒になっていたのだ。

 

「え……? 私…は……場所を間違えたの…かしら?」

 

そんな言葉が自然と口から出てしまう。

 

無理もない。昨日まで健在しており、耕也達と掃除をした家がこんなにまで無残な姿になっているのだ。

 

そして周りには折れた矢の残骸……。

 

火事。襲撃。

 

この言葉が頭に浮かんだ瞬間に、身体がフルフルと、そしてガタガタと震えだし始めた。

 

自分でも信じられない。昨日まであんなにワイワイとやっていたのに。

 

私はその認めたくないという気持ちとは裏腹に、身体は自然と空中を駆けだして未だに煙を噴き出している家の残骸へと足を突っ込んでいく。

 

「こうや……耕也……耕也ぁっ!」

 

そう叫びながら、我武者羅に崩れている柱や板を引き抜いて耕也を探し始める。

 

柱はまだ熱く、人間が素手でつかむと大やけどしてしまうような温度。もちろん妖怪の私ですらかなりきつい。

 

だがそんな事を気にしている余裕などなかった。ただ燃えていたために、脆くなっていたのが幸いであり、私の力を持ってすれば残骸の山を退けることが可能であった。

 

耕也の寝ていた場所は確か居間だったはず。

 

私は耕也の寝ていた場所を思い出しながら次々と破片を周囲にブン投げていく。

 

手が炭まみれになろうとも。手が焼けてしまっても。

 

頭の中には想像したくない一つの未来があった。それは耕也が死んでいる事。それだけは絶対になってはならない未来である。

 

また孤独になるのは嫌。……確かに今は紫達もいる。しかしかけがえのない人を失うのは私には耐えられない。

 

私は考えたくない事を封印するかのように首を左右にブンブンと振り、さらに残骸を退けていく。

 

空気が熱い。熱い煙が私の肺を直撃して激しく咳き込む。

 

「ゲホッ、ガホッガハッ! ……こ、耕也ぁ」

 

……だがやめることはできない。絶対に。

 

耕也よ、私を置いて死ぬことは絶対に許さない。孤独から救い出してくれた貴方が私を再び孤独に突き落とすということは重罪なのだ。絶対に許さない。だから生きていて。

 

そう思いながら私は最後の大きな残骸を全身全霊の力を込めて動かし、居間への道をあける。

 

居間があったであろう場所はもはや原形をとどめておらず、そこに何があったということすらも分からない状況になってしまっている。

 

私はいつもの記憶を頼りに、おそらくここに布団があったのだろうという目星をつけて作業に取り掛かる。

 

灰をどかしていくと、そこには、僅かながら焼け焦げた綿のような物を発見する事ができた。

 

それと同時に、私が残骸をどかし過ぎたせいだろうか? 家の柱がついに限界を迎え、ミシミシと奇怪な音を立てながら撓んで折れていく。

 

私は避難するために立ち上がり、窓があったであろう場所からギリギリまで観察してから急いで脱出していく。そしてその短い時間の中でも、私は非常に優れた観察力で見ていく事ができた。耕也の身体が無いかどうかを。

 

結果は…………耕也の身体らしきものは一切見当たらなかった。

 

私は外に出ると同時に家が崩れていく様を背後にしてその場にへたり込む。

 

耕也の身体は無かった。これはどういう事なのだろうか?

 

無事に逃げる事ができたのだろうか? それとも灰も残らず無残に骨ごと焼き尽くされてしまったのだろうか?

 

いや、私や紫の攻撃や能力干渉すらも効かなかった耕也だ。きっと大丈夫なはず。それにこの矢の残骸の散らばりようは、耕也が外に出た事なのだろう。だから焼死までには至っていない筈。

 

燻る家の残骸を見てしまった時は気が動転して、ここまでの事を考える事ができなかったが、いざ冷静に今までの耕也の力を考えてみると、火事や人間の攻撃ごときで傷を負うような人間ではない事を思い出す。

 

……でもやはり心配だ。どうしても不安が残る。

 

そう考えてくると、視界が崩れていく。涙が自然と出てくるのだ。

 

この涙は耕也の安否を心配する事からくるのか、それとも耕也が無事であることを確信してからくる安堵の涙なのか。

 

私はそれを判断する事ができず、ただただ黙ってその場で泣き続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

散々泣いた後、私は一体何故耕也の家が燃えてしまったのかについて考える。

 

いや、考えるというよりもこれはすでに確信できる事である。

 

十中八九、耕也が軍に襲撃されたのだろう。あそこまでの矢の数は、夜盗ごときに用意できる数や質ではない。

 

原因としては明確だ。私たち妖怪と関係を持っていたからだろう。

 

その事を考えたときに、私の中で大きな罪悪感が生まれてくる。私のせいで…………。

 

耕也は襲われた時に後悔したのだろうか? いや。いやよ。私との関係を否定されたくない。

 

更なる不安が私の心を抉っていく。

 

いや、今は私の心よりも耕也の身の安否が第一だ。

 

私は別の考えに切り替えると、耕也がどうなったのかについて考えていく。

 

まず殺されたという事はないだろう。大凡現存する妖怪や人間、神も損傷を与えることは不可能だろうから。

 

となると、無事に逃げおおせてどこかに身を潜めているのだろうか? いや、だとしたら私か紫を頼っていはず。だとすれば今は紫の住居に避難しているのだろうか?

 

私の家の立地場所は都に近いから不向きであろう。だから遠い紫の家に逃げ込んだ可能性の方が高い。

 

私を心配してくれての事だとしたら非常にうれしいが、複雑な気持ちになる。

 

しかし、紫の家に逃げ込んだという確証はどこにもないのだ。まだまだ分からない事だらけだ。

 

私は都付近で無理矢理にでも耕也の行方を聞いてみようとしたときに、背後から陰陽師達の気配がし、それと同時に声がかかる。

 

「なっ!? …………風見……幽…香…………何故ここに!?」

 

私も陰陽師達がなぜここに来たのかという疑問をよそにゆっくりと振り向いていく。あまりにも良すぎる時機。

 

私はそのあまりにも良すぎる時機に笑みを浮かべながら、恐怖の色を浮かべた陰陽師達に向かって言う。

 

「自分達の不運を恨みなさい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私の対峙した陰陽師達は10人ほど。ほとんどが雑魚、又は中堅以下の屑であり、私の足元にも及ばない。

 

瞬時に状況を把握した私は過剰な妖力を身にまとい、男たちを一人を除いて手足を折るなどの激痛を与えて気絶させていく。

 

「遅い」

 

「がっ!…………ぎゃああああああっ!」

 

私は最後の男に反撃の隙を与えることも無く、瞬時に男の懐に潜り込み鳩尾に軽く拳を入れ、左足の骨を折り、態勢を崩して転ばせる。

 

そのまま右手で首を掴み、窒息寸前までに力を込め、言い放つ。

 

「死にたくないのなら、これから私の言う事に答えなさい?」

 

そういうと、男は自尊心よりも恐怖が上回ったのか、痛みをこらえながら必死に首を縦に振ろうとする。

 

私はその合図を受け、男に質問していく。

 

「あなた達はここに何しに来たの? 言いなさい」

 

「わ、私は……クッ……この家の残骸の処理を頼まれて……来ました」

 

と、男は息苦しそうに私の質問に答えていく。

 

その男の言った言葉に一つ疑問が出るモノがあった。それは処理という言葉。

 

なぜ、この陰陽師達が処理に来たのかが疑問だった。そして陰陽師達が処理に来たという事は耕也についても何らかの情報を持っているはず。

 

つまり今私は、非常に機に恵まれているという事。

 

私は焦る気持ちを抑え、努めて冷静に質問をしていく。

 

「この家の処理? つまりあなたは耕也について何か知っているようね。耕也、大正耕也はどこにいるのかしら? 答えなさい。さもなくば」

 

脅しの一言を言うと、男は見てて哀れなほど顔を青くし、私の質問に答えていく。

 

「た、大正耕也は、上の陰陽師達がっ…………封印しまし……た……私達は下っ端なので、場所までは…。……こ、殺さないでください」

 

「場所を知らない? 現場にいたのでしょう? 嘘なら一族郎党殺すわよ?」

 

殺気をさらに強めながらそういうと、顔をますます青くしながらガタガタと震えて答えていく。

 

「し、知りません……っ! ほ、本当……なんです! 封印には、……力の強い者しか行かなかったので……私は……」

 

「耕也は五体満足で生きてはいるのかしら?」

 

「攻撃が効かないために…………グッ……五体満……足での封…印だったそうです」

 

情報を聞くだけ聞きだすと、私はこんな男など殺す価値も無いと思いながら男の拘束を解いて、その場から飛んで離脱していく。

 

そして陰陽師から聞き出した情報を頭の中で整理していく。

 

耕也は今現時点で生きているという事。しかも五体満足で。

 

どんな方法を使ったかは分からないが、耕也をどこかに封印したという事。

 

おそらく場所を秘匿しているのは、封印を解く者がいると困るからであろう。

 

全く、厄介な事をしてくれる。

 

「それにしても一人も殺さなかったなんて……随分甘くなったものね…………これも耕也のせいよ」

 

と、独り言を言って耕也の情報を得るために、私は空を駆けていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「こ、これはこれは……見れば見るほど厳重な封印の仕方だねこれは……」

 

私は突然降ってきた箱に対して、変な言い方をしながらそう感想を述べる。土蜘蛛として生きてから数百年、この地下で暮らしている。

 

その間特に封獣ぬえ等といった妖怪が下に降りて行ったが、こんな箱が来るのは初めてであった。

 

おそらく木製なのだろうが、それが分からないほどに雁字搦めにまかれた細長い札のようなモノ。それにはビッシリと文字が書かれており、一目見るだけで厳重なのが分かる。

 

それに加え、さらに強力そうな札がいくつも上塗りするように張り付けられている。だが本来なら感じるはずの、札に込められた霊力を感じる事ができない。

 

一体これは……?

 

私は好奇心を制御できなくなり、ゆっくりと近づいていく。まるで巣に掛かった獲物に恐怖を与えながら殺そうとするかのように。

 

そして近づけば近づくほどどんな奴が封印されているのかが気になってくる。きっと妖怪なのだろうが、何を地上でしでかしたのか気になる。

 

その箱に触れてみたいが、触った瞬間に私が消し済みになりそうな気がするもんだから、うかつに触る事ができない。

 

「む~、これはさわったらマズいかねえ? しかし、撤去するにも触らないといけないし困ったもんだよまったく。……最近の人間はどういう神経してんだい。蜘蛛騒がせな」

 

そんな文句を上にいる人間に垂れながら下の方を見る。

 

「下の連中も結構なことをしたんだろうけど、封印のされ方としてはこれほどの厳重じゃあなさそうだしねえ」

 

私は下を見ながらふと気付く。

 

「あ~……、もしかしたら触っても大丈夫かもしれないね」

 

なぜなら、私の妖力が通っている糸が、箱と接触していても煙一つあげないからである。ひょっとしたらこの封印は欠陥のあるモノなのではないだろうか?

 

そう推測すると、私はより一層箱に触れたいという衝動に駆られる。

 

その衝動に突き動かされるままに、私は箱にそっと手を近づけてみる。片目を瞑りながら恐る恐る触れてみる。

 

「ふぅっ……!」

 

そんな声とともに触れた瞬間に手を引っ込める。まるで熱いモノを触った瞬間に無意識に手を引っ込める反応のように。

 

引っ込めて改めて自分の手を見る。どこか欠損していないか、大やけどをしていないかなどを確認していく。

 

だがそんなことはなく、いつも通りの手が私の視界に映っていた。そして再度自分の手と、箱を確認していく。やはりこの封印には欠陥がありそうだ。と。

 

……しかし、妙な部分もある。なぜ、これほど厳重な封印に欠陥があるのか? また、なぜ欠陥があるのにも拘らず、妖力が漏れ出さないのか?

 

二つとも大きな疑問である。封印をした際に、何らかの失敗があったのだろうか? それに妖力が漏れ出さないという事は、中にいる妖怪が大した事のない奴なのかもしれない。

 

いや、大したことのない奴ならこんな厳重な封印などしやしないだろう。

 

………………気になる。ものすごく気になる。中を見てみたい。この不思議を見たい。

 

そう欲が私に箱を開けろと囁いてくる。

 

「昔っから妖怪は欲に素直なんだってね。ま、仕方がないさね」

 

そう言いながらペリペリシュルシュルと札をと長い札のような物を解いていく。

 

「ず、随分と巻いてあるねえ。……一苦労しちゃうよ」

 

少し苦笑しながらさらに解いていく。解いていくにつれ、木製の箱が目の前に現れてくる。

 

やはり木製だったのだ。

 

そう思いながら箱に手を掛ける。

 

「さ、御開帳~。……………………え?」

 

そんな間抜けな声を上げてしまった。口角がつり上がり、ヒクヒクしている。おそらく鏡で見たら相当滑稽な顔をしているだろう。自信はある。

 

……だが無理もない。無理も無いのだ。

 

何せ妖怪が入っていると蓋を開けてみたら、中にいたのは

 

「……………な、何で人間が?」

 

そう、青い顔をして気絶している人間だったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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62話 え~と、こんにちは……

いやもう、本当に失礼しました……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「な、何でここに人間が……?」

 

意味が分からない。と、箱を開けた瞬間に出てきた人間にそんな感想を抱いてしまった私がいる。

 

無理もない。ここまで厳重な封印を施してあるモノに一体何故何の変哲もない唯の人間がいるのだろうか?

 

こんな驚きというか、呆気にとられたのは長年生きている中でも地底に追いやられた事の次ぐらいに来るであろう驚きだ。

 

私は開けた蓋を持ちながら暫しそのままの格好で固まってしまい、再び身体が動き出すまでに時間がかかってしまった。

 

動きがぎこちない身体にため息を吐きながら、持っている蓋を地面に下ろす。

 

「ど、どうしようかこの人間……。人間なんて地底に来てから全くといっていいほど会ってないし、食ってもいない……」

 

自分の中の、好奇心と驚きが混ざり合ってしまい、普段の私らしからぬ口調で話してしまう。

 

蓋を下ろしてまたすぐに人間の入っている箱を上から見下ろし、中にいる人間の状態を見る。

 

霊力は砂粒ほども無く、また当然ながら人間なので妖力も神力も無い。ただ青い顔をしてぐったりと気絶しているだけである。

 

そして私の感覚からすれば、この服装は……何というか、色々とおかしい気がする。今時の上の人間はこんな服装をしているのだろうか?

 

なんだか良く分からない素材でできている青と白色で構成されている動きやすそうであり、保温性に優れていそうな上着。直垂とよく似ているが直垂ではなく、なんだか良く分からないいかにも丈夫そうな青い服。

 

そこから導き出される考えは……扱いにくい。

 

仮に起したとして、彼とどう接すればいいのか分からない。時々地上に出て帰ってくる妖怪から聞き、地面に絵を描きながら説明してくれる、陰陽師のような連中、又はこんな格好をしていない尤もらしい格好をした人間ならまだ接しやすいのだが……。

 

起すべきか、それとも封印された不運な人間としてこの場で殺してしまうか。

 

見ればこの人間は、昔見た人間と違って非常に美味そうという印象を受ける。

 

ほとんど人食いなどに興味が無くなってしまった私にですら欲を蘇らせてしまうほど。きっとこの人間は地上にいたころは物凄く苦労したのではないだろうかとという考えが頭に浮かぶ。

 

もしかしたら、この人間がこの地下に放りこまれた要因の一つに、妖怪からの目を背けさせる意味もあったのではないか?

 

この人間が重要な拠点、例えば都なんてところにいた場合、妖怪がその人間を目指して侵攻してくるからソレを防ぐためにこの人間を封印したのではないだろうか? と。

 

……自分で考えておきながらだが、何とも馬鹿げたモノである。

 

そんなことでここまでする必要はないか。縛って適当な森に放り込めばそれで済む話なのだから。

 

だとするとますます気になる。この人間が如何にしてこの地下へ辿りつくことになったのか。

 

私はそう考えると、この男を引き上げようと、手から糸を出して男の身体に巻きつけようと、男に向かって手をかざす。

 

「感謝しなよ人間」

 

そう言いながら糸を噴き出させ、上手く身体のスキマに糸を潜り込ませながら巻きつける。

 

「これで良し」

 

そして一気に引っ張りだそう力を込める。

 

「せ~のっ…………あれれっ?」

 

力を込めた瞬間に糸が解けてしまったのだ。いや、これは糸に込められた妖力が無くなってしまい、さらには糸の引張強度も無くなってしまったためといった方が良いのだろうか?

 

結局は同じだが、妖力が無くなってしまった事が気になる。

 

「……なんなんだいこれは? 全くもって意味が分からない……面倒くさいねえ」

 

仕方なしに、糸で引き上げるのを諦め、箱を倒して引きずり出すことにする。

 

「悪く思わないでおくれよ?」

 

そう言いながら箱をゆっくりと横に倒していく。人間は私達妖怪と違って脆いのだ。壊れ物のように扱わなくてはすぐに駄目になってしまう。

 

だから慎重に扱うのだ。……今回だけだが。

 

ゴトリという鈍い音がして箱が横に倒されると同時に、男の足が出口に向かって投げだされる。

 

私はそれを確認すると、男の両足を掴んでズルズルと箱から引きずり出していく。しかし、引きずり出す際に妙な違和感を覚える。

 

やけに重いな。と。

 

私は力がなさそうに見えるが、妖怪の中ではかなりの力を持つ方だ。鬼にはさすがに負けるが、それでも上位には入るであろう力を持つ。

 

そんな私が何故重いと感じるのか? ……全く理解できない。

 

試しに男が入っていたこの男より重いであろう木の箱を持ちあげてみる。

 

「……簡単に持ちあがる。……一体何故なんだい?」

 

独り言を言っても解決しないという事は分かる。だが、自然と口から言葉が出てしまう。

 

不気味な男だと思いながら、男の姿を改めて見やる。気絶しながら術式を構築したなんて無いだろうし、さらには霊力も無いのに私の糸をボロボロにしたり、妖怪の力を弱めたりと。

 

そうしてみているうちに、自分の立っている糸で構成された足場に違和感を感じる。……妖力が無くなっている。

 

妖力が通ってなくても糸は崩れはしないが、今この足場を先ほどのように男によって崩されると、修復が非常に面倒となる。

 

「ああもう~、厄介なモノを拾ったもんだよまったくっ!」

 

やり場のない怒りを言葉にして排出しながら、未だに気絶している男を抱きかかえて、巣と繋がっている洞窟へと運んで行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

男を運び終わり、私は、再度糸に妖力を通して補強を開始していく。

 

「しっかし、これまた酷くやられたねえ……妖力が完全に無くなっているじゃないか。……助けるんじゃなかったよ」

 

そう文句を垂れながら糸に大量の妖力を流し込んでいく。流し込まれた糸はみるみるうちに艶がでて、男が降ってくる前と何ら遜色のない、むしろ状態が良くなるほどにまで回復していく。

 

私はそれを見届けて、安堵のため息を吐き、洞窟の方を少し睨む。……まだ起きないか。

 

仕方ない、無理矢理にでも起してみようか。

 

そう思い、私は糸を後にして洞窟内部へと再び入っていく。ついでに邪魔なので、箱も蓋ごと持って行く。

 

発見した時よりは顔色も随分ましになってきてはいるが、目を覚ます気配はない。

 

ただ規則的な呼吸をしているので、臓器などに異変が起きているわけではないようだ。

 

冷静に男の身体を見ながら分析していく中で、私は男の身体に手を触れて揺り動かしていく。

 

「…………っ!? ……ほら、あ~名前は分からないが人間、起きな。」

 

触れた瞬間に、身体の中にあった妖力が消失していくという奇怪な現象に驚きつつも、起さなくては話が始まらないと思い、我慢しながら揺すっていく。

 

「こら、起きろ~……。この黒谷ヤマメが起しているんだ。起きるってもんが男だろう? …………風邪引かせるよ?」

 

そう言いながら揺すっていくと、男は少しだけうめき声を上げながら左手をピクリと動かす。おそらくもう少しすれば起きるだろう。

 

「起きろ起きろ起きろ~…………。人間よ、起きなければ食べてしまうぞ~?」

 

最後に言った言葉が効いたのか、男は反射的に身体をガバリと起き上がらせる。

 

「うぉわっ! 起きるならもっとゆっくり起きておくれよ。びっくりするじゃないか」

 

男に不満を言うと、男は寝惚けたような眼で一言言う。

 

「紫……、その菓子は俺のだから食べないでくれ……え、あれっ?」

 

私の方を見ながら妙な事をのたまう男。

 

なんだか物凄い脱力感が私を襲った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

食べてしまうと言われたものだから、うっかり紫が俺の菓子を横取りするかと思ってついいつもの癖で言ってしまった。

 

俺は段々とぼやけている頭が覚醒してくると、自分の置かれている立場を思い出し始める。

 

…………ああ、俺封印されたんだっけ? それに、吐き気がしていたのに、今では良くなっている。時間が結構たったせいなのだろうか?

 

そんな事を考えて俺を起してくれた人物の方を見やる。

 

そして俺に声を掛けてくれたであろう人物は、夢の中でなければ見た限りまぎれもなく黒谷ヤマメ。つまり俺は崖からではなく、穴から落とされたのか。この地底に。……つまりこの上に幻想郷が成り立つという訳か…………。

 

とりあえず俺は今考えている事を封じ、俺の寝惚けて言った言葉に呆れてしまっているヤマメに対して謝罪と感謝を伝える。

 

「も、申し訳ありません。意味の分からない事を口走ってしまって。私は人間の大正耕也と申します。…そして、助けて下さりありがとうございます」

 

とりあえずそう言っておく。おそらくあのネットに引っ掛かった感触というのは、ヤマメの巣に箱ごと直撃したからだろう。

 

ゲームの中でこそあんなに陽気であったが、今は鎌倉時代。まだ人間に恨みがあり、気性が荒い可能性もあるのだ。だからここは慎重にいかなければならない。

 

俺がヤマメの反応を待っていると、ヤマメも呆れたような顔から、微笑を浮かべ俺に対して右手をヒラヒラと振りながら答えてくれる。

 

「私は黒谷ヤマメ……土蜘蛛の妖怪だよ。……いや~、第一印象で不気味で変な奴だなと思ったけど、なんだ、結構真面目じゃないか」

 

と、自分の思い違いだったよと言ってくる。…………うん、不気味って言われたのは初めてだ。

 

「ははは、ありがとうございます。……所で、不気味と一体何の事でしょうか?」

 

俺が彼女に対して先ほど言われた事に対する疑問を言うと、彼女は右眼を閉じながら左手を腰に当て、人差し指を立てた右手をフリフリさせながら、嬉しそうに言う。

 

「お、よく聞いてくれたね。お姉さんうれしいよ」

 

そういったかと思うと、今度は一気に顔を険しくして、俺に詰め寄る。

 

「……その不気味という所はね、耕也の身体に触れたら何故か私の妖力が封じ込められたのさ。御蔭で私の糸がボロボロになるし。……それに、妖怪の私を見ても怖がり一つしないのは…………一体何故だい?」

 

そうきたか……俺としてはあまり触れて欲しくない部分である。実際の所、俺が気を失わなければこんな事にはならなかったというのが俺の素直な考えである。

 

俺は常套句である、秘密というのは当然納得しないだろうし、なにより妖怪を見て怖がらなかったという部分が痛い。ここは素直に陰陽師だと答えておくか?

 

いや、陰陽師だと答えた場合、より一層怒りを買う気がしてくる。唯でさえ人間を恨んでいる可能性があるというのに、封じた同職の陰陽師ともなれば怒りも増すというモノである。

 

もう本当にどうしよう。言い訳なんてろくに考えていない。考えられるわけがない。ついさっきまで気絶していたのだから。

 

…………この際言ってしまおう。陰陽師だという事を。俺はそう結論を出し、ヤマメに向かって口を開こうとする。

 

しかし、ヤマメの言った言葉で、この言葉も言う事ができなくなってしまった。

 

「ああ、そうだ。さらに言えば、何で霊力の欠片も無い人間がこんな厳重な封印を施されていたんだい? おまけに欠陥があるときた。」

 

少しは遠慮を知ってほしいと思うのは俺の我儘だろうか?

 

そんな考えをつい浮かべてしまう。すべて計算しつくした結果なのか分からないが、俺の逃げ道を確実に封じてきている。

 

……仕方が無い、正直に断ろう。

 

「いやもう、それについては恥ずかしながら、一身上の都合で詳しく話せないというものでして。一応、自分の身体には相手の力を封じる効果があるという事だけしかお教えする事ができないのです。大変申し訳ありません」

 

いや、何で俺は謝っているのだろう? なんかつい謝ってしまうんだよなあ……。これも日本人の性質ってやつかねえ?

 

そんな俺の言い分に、ヤマメはフンと鼻を鳴らし、一言言う。

 

「まあ、本当は物凄く知りたいのだけれどもねえ……。妖力を使えなくとも、妖怪にとっては人間を殺すなんて御茶の子さいさいなのさ。だから、無理矢理聞くことも可能。分かるね?」

 

「はい、良く分かります。ですが、今は少しお話しする事ができません。……もう少し自分に整理がついたらお話ししていくという事で如何でしょうか?」

 

すると、ヤマメは少し考えるふりをして、唸り始める。俺の話を飲むか飲まないかを決めているのだろう。

 

これで断られたら、正直あとがきつい。俺はそんな事を思いながらヤマメの顔をジッと見つめる。

 

ヤマメは俺の視線に気づいたのか、チラチラ俺の方を見ながらさらに考え始める。

 

そして答えが出たのか、考える姿勢を止めて俺に結論を言い始める。

 

「まあ理由はどうであれ、お前さんは地下に追いやられたんだ。ここには話したくない過去を持つ奴は大勢いる。話す覚悟ができたら話してくれればいいさね。……どうだい?」

 

俺はその言葉にホッとし、頭を下げて礼を言う。

 

「ありがとうございます。いずれ私の事は話していきますので、どうか今後もよろしくお願いします」

 

そう言って自然と俺は握手を求めていた。

 

ヤマメは驚いたようにこちらを見ていたが、少し気恥ずかしそうに頬を掻きながら手をスッと差し出し、俺の手を握ってくる。

 

「まあ、よろしく」

 

「よろしくお願いします」

 

そしてここまで言い終わったときに、ヤマメがふと思い出すように言った。

 

「……ああ、そうだ。耕也、お前さんはこれからどうする? 封印されたばかりだから行くあてもないだろうし……そうだね、一晩だけ泊っていくかい? 明日になったら地底の方へ行って何かしらの生計を立てていけばいいと思うが」

 

俺としては願っても無い事であり、申し訳なさいっぱいの気持ちで頼み込む。

 

「ぜひお願いします。ありがとうございます。助かります」

 

すると、ヤマメは手をヒラヒラさせながら

 

「いいっていいって」

 

そう俺を気遣ってくれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

その後、ヤマメは夕飯の買い出しに行ってくるとのことで、さらに下層へと降りて行った。

 

俺は、ヤマメが降りて行ったあと、紫や藍、幽香に対してどのように伝えていこうかと迷っていた。

 

今地上に出ていったらかなり大騒ぎになるだろうな……。幽香の所に直接ジャンプするという手もあるが、万が一という事もある。

 

そう簡単に済むことじゃあないか……。第一、まだ幽香達が気付いていない可能性というのもある。昨日の今日だ。さすがにまだ気付いてはいないだろう。

 

そう言いながら座る姿勢を変えると、ポケットに何か固いモノがあるという事に気付く。俺はその感触に疑問を持ちながら引っ張り出して自分の視界まで持ってくる。

 

「…………これは……そうだ、幽香の奴櫛忘れていたんじゃないかっ! という事は、すでに幽香が俺の家まで来ている可能性もあるという事かっ!? マズイ、マズイぞこれは……暴れてなければいいのだけれど」

 

俺が封印されているという事を知ったら幽香が暴れる可能性もある。……おまけに紫達も知ったら…………考えたくもない。

 

今日はもう遅いから無理だとして、明日あたりにでも行きたいのだが……行ける…か?

 

仮に俺がいったとして、うっかり見つかったら今度は俺ばかりでなく幽香達も攻撃される可能性もある。……相手が現代の軍隊じゃあないからそう簡単にはやられないとは思うが……何とも厳しい。

 

くそっ、確かに妖怪と密通していた俺も悪いが、お前ら陰陽師は俺に対してでっち上げまでやったじゃないか。おまけに人質まで使いやがってっ!

 

今頃になって俺を嵌めた陰陽師達への怒りが再燃してきたようだ。確かに彼らの理由も一部は正当であろう。しかし、それでも再燃してきた怒りへの消火剤にはならなかった。

 

くそ、あの生活がベストだったというのにっ! あのままなら安定していたというのにっ!?

 

俺は捌け口の見つからない怒りをどうするか迷うように、視線を洞窟に這わす。

 

すると、俺をここまでぶち込んでいた大きな木製の箱があるのが分かる。おそらくヤマメが回収してくれたのだろう。御丁寧に札の類まである。

 

だが、俺はヤマメの気遣いに感謝すると同時に、さらに大きな怒りが沸々と沸いてくる。

 

俺はその良く分からない大きな怒りに突き動かされるままに、立ち上がり、大股でその箱まで近づいていく。

 

「―――――っ!! こんなモノがっ!」

 

その声とともに足を大きく後ろに引き、全力を込めて箱を蹴り砕いていく。箱は生活支援と領域によって守られた足により、まるで障子を破くかのように簡単に破片を撒き散らせていく。

 

「くそったれ!? あんな、あんな奴らのせいでっ! あんな奴らのせいでっ!」

 

破片が洞窟内に散らばる事を無視して、衝動に任せるままに砕き、原形をとどめていない箱を札と共にさらに足で踏み潰していく。

 

洞窟内には、木の欠ける乾いた音、圧し折れる軋んだ音、砕けた破片が洞窟内の石に当たって出る高い音が木霊する。

 

時間にしては約1分半程だろうか? それほど箱とに八つ当たりをしていた。

 

散々八つ当たりをした後、俺はその場にストンと腰を下ろし、独り言を言い始めてしまう。

 

「あぁ~だめだ……情けなさすぎる。……クッ、こうなる事は分かっていたけど……いざ離れ離れになるときついなぁ……」

 

俺は幽香達の事を考えると、地下に来て一日も経っていないというのに、無性に地上へと帰りたくなってくる。そしてついには目頭が熱くなり、涙があふれ出てくる。

 

……はぁ、駄目だ…止まらない。

 

「うぅ……くそっ…………悔しいなあ……自分の不甲斐なさも、情けなさにも……怒りが湧いてくる。…………うっく」

 

人に嵌められるのは、キツイモノがある。やはり精神的に弱いんだな俺は。

 

そう思うと、色々と訳の分からない感情が湧いてきて、さらに大粒の涙を流させる。

 

「……くぅっ……あ~……はぁ……」

 

なるべく声を出さないように俺は涙を流していく。これぐらいは許してほしい。おそらくヤマメはまだまだ帰ってこないだろうから。

 

しかし、俺が静かに泣いていると、突然背中に小さな衝撃を感じる。いや、抱きしめられたといった方が正しいか。

 

「まったく……うるさい音がすると思って来てみれば……やっぱりこうなっていたか。随分と散らかしちゃって」

 

「………………ヤマメさん……どう…してここに?」

 

「なに、女の勘ってやつだよ。……まぁ、深くは聞かないけどね。…………ほら、好きなだけ泣きな。こんな時に散らかしたぐらいで怒るほど狭量じゃあないよ? 私は」

 

そう言ってさらに強く抱きしめられる。俺はそれが元となって大きな安心感が心に生まれ、再び涙を流し始める

 

「ありがとう……ありがとう…ございます」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ヤマメの優しさを背中に感じながら。

 

 

 

 

 



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63話 また家探しか……

ヤマメごととか勘弁してくれ……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まだ……起きてはいないか。さすがに私が早く起き過ぎたのかねぇ」

 

早朝に起きてしまった私が、まだ静まっている洞窟を見ながら言う。本来なら地下に朝も昼も夜も分かりっこないのだが、大体は感覚で判断する事ができる。

 

私は自分に掛かっている布を剥いで起き上がると、固まってしまっている身体を伸ばして解していく。

 

早朝の空気は非常に冷えており、妖怪の私ですら身震いしてしまうほどである。

 

「うぅ~~~~~っ、寒い。耕也は大丈夫かねえ。昨日は大丈夫だといって隅っこの方に行ったけど」

 

そう、耕也は私が布を貸すといってもそこまで迷惑は掛けられないと言って、断固として受け取らず、洞窟の奥の方へと歩いて行ったのだ。

 

確かに洞窟の奥は真ん中付近の此処と違ってマシであろうが、それでも微々たる差である。

 

風邪引いてないだろうな? と、病気を操る程度の能力を持つ私が言うのも変だが、一応は心配しておかなくては。

 

それにしても……調子を狂わされっぱなしだ。普通ならこんな人間なんて追い出すか邪魔ものとして排除してしまうというのに。

 

地上にいた頃なら疾うにその選択肢を選んでいただろう。仮にも伝承にすら載るほどの妖怪なのだから。

 

私を見ても恐れない人間に会うとは思ってもみなかった。それに、あんな一面を見せるとはね。

 

私は耕也と話していく内に礼儀正しい人間という印象はあったが、何だか嫌な予感がしてきたのだ。この地底に来る者達は心に大きな傷か怒り、闇を抱えている。

 

当然人間に対してちょっかいをかけてここに封印された者も大勢いるが、いきなり攻撃を受けてここに封印された者もいるのだ。

 

とりあえずそこら辺や人格を考えると、耕也は後者に当てはまるのではないかと思う。あの成りで人間に害を与えていたらそれはそれで凄まじいが。

 

とにかくその怒りか闇を抱えていてきたのであれば、それを吐き出そうとするであろう。そして自分を壊してしまう可能性もある。だから、早く帰って来たのだ。

 

妖怪がここまで人間に対して心配するのは、おかしい事なんだろうけどね……。

 

とりあえず耕也が風邪をひいていないかを見に行くとしよう。私はそう思いながら自分のすぐ横に鎮座している布を手に取る。

 

耕也が寒そうにしていたら布を掛けてやらなければならない。痩せ我慢せずに素直に受け取ればいいものを。これも人間の自尊心というやつなのかね…?

 

そう思いながら洞窟の奥へと、足を進めていく。

 

やはり、地下は空気の対流がそれほど激しくないためか、奥の方に行くほど温かく感じる。非常に弱くはあるが、地熱も関係しているのかもしれない。

 

下は灼熱なのだ。少しくらい温かくてもおかしくはない。……憶測ではあるが。

 

「おや? こんなに明るかったっけかなぁ……?」

 

何故かよく分からないが、奥に進んでいくとやけに明るくなっていくのが分かる。確かに発光性の苔類で僅かにではあるが周囲を照らす。

 

しかしそれは今のような明りではなく、もっとうす暗く緑色をしているのだ。だからこんな赤橙色の光ではないのだ。だとすれば、耕也が何かしているのだろうか?

 

もしかして……火でも炊いているのだろうか? いや、それにしては揺らめきが全くないというのもおかしい。

 

この洞窟は真っ直ぐではなく曲がっているため、その光源は分からない。一体耕也は何をしているのだろうと、思いながらその光源を視界に収めるためにさらに歩みを進めていく。

 

「耕也~? 何をしているん……だ…い?」

 

またもや口角が引きつるのが分かる。本当にこの人間は良く分からない。

 

いや、人間の認識を改めた方がいいのだろうか? どうも私の中にある人間像が崩れ去っていく気がする。そう思わせるモノが私の目の前にあるのだ。

 

昨夜、耕也は何も持っていなかったはずだというのに一体何でこんなモノがあるのだろうか? こんな大きいモノは箱のどこにもなかったし、人間が手軽に持てるものでもない。

 

耕也の背後には三つほど光を放つ円盤があり、ソレらは先ほど疑問に感じていた赤橙色の光を放ち、洞窟内部を反射光で照らしている。おまけにその一つから放たれる直射光が妙に温かい。

 

私はどうしようかと思いながらもその足を耕也の元へと進めていき、耕也のすぐそばに腰を下ろす。

 

化け物の腹の中といっても過言ではない場所でどうしてこんなにノンビリと寝ていられるのだろうか? 耕也の頭の中には食べられるという危険意識などといった物が無いのだろうか?

 

私は何故だか良く分からないが、身体を温めてくれる光に心地よさを感じながら耕也を凝視してしまう。一体どうしてあんなに暴れていたのだろうか? と。

 

食材を買ってすぐに戻ってきたら、耕也が箱に対して八つ当たりをしているのが目に入った。

 

その時に叫んでいた言葉。

 

「あんな奴ら……か」

 

今のお前とは大違いだったよ。耕也。

 

お前は一体何が原因でここに来なければならなかったのだろうか?

 

その呑気な寝顔を何がどうしてああも変貌させていたのだろうか?

 

お前がここに来る前に一体何があったのだろうか?

 

お前はどうして妖怪である私を恐れずに同種のように接する事ができるのだろうか?

 

お前はどうしてこんなにも他の人間とは違う人間なのだろうか?

 

あんな奴等とは、同じ人間なのだろうか? それとも妖怪なのだろうか?

 

様々な疑問が頭に浮かびあがり、埋め尽くしていく。

 

それと同時に思考がこの光によって鈍くなっていき、私は耕也の被っている温かそうな布団へと身体を自然と傾けていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………ヤ………ヤ…メさ……………ヤマメさん、ヤマメさん~……」

 

なんだいうるさいねぇ。ヒトがせっかく気持ちよく寝ているというのに……。

 

若干不機嫌になりながら私は目をうっすらと開けていく。すると、眩しい光が目に入ってきて思わず目を強く瞑ってしまう。

 

「だ……誰だい?」

 

「あの……耕也です。大正耕也です」

 

……耕也? 何で耕也がここ……―――――っ!?

 

私はその名前を聞いた瞬間に自分が意識を失う前の行動を思い出す。

 

そうだ、確か私は光の温かさで二度寝をしてしまったのだ。

 

その考えに辿りついた瞬間に、恥ずかしさで顔が一気に赤くなり、眩しさも構わず目を見開いてその場から急いで離れる。

 

耕也は私の行動に呆気にとられたようで、口を半開きにして此方を眺めている。

 

すでに耕也は自分の普段着に着替え終えたようで、昨日とはまた別の服を着ている。

 

私は一体その服はどこから出てきたんだという疑問すら思い付かず、ただ今の事に動揺したまま私は耕也に対して言い訳を述べてしまう。

 

「あ、いや、その……おはようっ! ……あ~、す、すまないねえ。ついこの光が温かいから気持ち良くってさ」

 

すると、耕也はこの良く分からないモノを指差して苦笑しながら言ってくる。

 

「いえ、これは自分もウトウトしてしまう事がよくあるので。これは光で身体を温めてくれるカラクリでして。寒い時はいつもこれを活用しているのですよ」

 

そう言って円盤のような部分をポンポンと叩く。この良く分からない長い首を持つカラクリは、局所的ではあるが光の当たった部分を温めてくれるらしい。

 

いつかこれについても教えてもらおう。と、私はそう思う。

 

そして私は耕也の説明を聞きながら、今日の予定を思い出していく。

 

今日は、耕也の本格的な住処と職関係について地底に決めに行くのだ。とすれば、出るのは早い方がいい。

 

と、そこで偶然にも耕也から私が思っている事と同じような事が声として出てくる。

 

「それとヤマメさん。一応朝食を作りましたので、召し上がってください。あと、今日の地底への補助の方をよろしくお願いします」

 

「ああ、ありがとう耕也。地底の方は任せときな。妖怪が襲ってきても何とか守ってやろう」

 

そういうと、耕也は

 

「ありがとうございます」

 

と、嬉しそうに返してくる。

 

…………守ってやるとは言ったものの、正直苦労するだろう。何せ私達の行く場所は地底。

 

ここには獰猛な妖怪ももちろんいる。それに加えて人間を食いたくて食いたくて仕方が無い奴もいるのだ。ずっと我慢して。

 

そして耕也は人間である。おまけに他の人間とは一線を画して美味そうに見えるのだ。どう考えても地底での暮しはきついモノがあるだろう。

 

おまけに職も妖怪が経営していたり、依頼が妖怪なので耕也には危険すぎる。例え耕也が妖力を消す事ができても妖怪の戦闘力に敵う訳が無い。

 

それに、あまり気は進まないが古明地の館に挨拶ぐらいは行かなければならないだろうし……。考えただけでも頭が痛くなる。

 

言ってしまったものは仕方が無いからやるけどさ。眼の前で殺されたら寝覚めが悪くなるしね

 

ただ、失敗したとしても耕也をここにずっと住まわせてやるという事もできないし、自分の事は自分で解決してもらいたい。それが耕也の為でもあるし、なによりお互いに気まずくならないだろう。

 

まあ、ここは耕也の手腕に掛かってくるだろうね。

 

そこまで考えた所で、耕也への返事をする。

 

「いいよいいよ。さあ、遅くならないうちに出ようじゃないか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

地底まで来たのいいのだけれども、パルスィがいつもなら橋の上にいて出迎えてくれるのに、今日に限っていない。偶にいない時があるから今回もソレかもしれないのだろうが、何とも間の悪い。

 

今回は耕也の事もあるから色々と相談もしたかったというのに……。

 

思わぬ計画のズレに私は顔を険しくしてしまう。できる事なら一緒に護衛もしてほしかったのだ。私一人でも守る事は可能かもしれないが、パルスィもいた方がずっと行動しやすい。

 

そう考えながら私達は橋を渡っていく。耕也が飛べた事については私の中でも驚きの一つだったが、これについても後々話してくれるとのこと。

 

ただ、今の現状を見ると、空を飛べるという事なんて気休めの一つにもならない。橋を越えた瞬間から様々な視線が突き刺さるように私達、いや、耕也に注がれていた。

 

おそらく気付き始めたのだろう。耕也が妖怪ではなく、人間だという事に。

 

しかし、対する耕也は妖怪の抉るような視線などどこ吹く風で飄々と受け流している。此方の気も知らずに……。

 

「ヤマメさん。地底とはいえ、結構賑やかですねえ。」

 

「あ、ああ……そうだね」

 

耕也がここに来て初めて私に声をかけてくる。その声を皮切りに殺気が跳ね上がる。いくら私でも、ここまで多くの妖怪からの殺気が当たってくると厳しい。

 

私に対しての殺気もいくらか含まれているのが分かる。これは人肉に固執している輩からだろうが理由は極めて簡単。耕也に付き添っているからだろう。ひょっとしたら私も攻撃される可能性もある。

 

私のように、人間の肉に固執しないモノも多いが、肉に固執している者も少数ながらいる。時が経てば私達のような物が大多数になるかもしれないが、今は時機が悪い。

 

周りに、特に耕也に気づかれないように歯ぎしりをして不快感を押し殺す。

 

このまま襲って来なければいいが……。

 

私が周りの視線を気にしながらゆっくりと、しかし確実に耕也の斜め前方を歩いていた。

 

と、私が周囲を警戒していると、耕也が近寄って小声で私に話しかけてくる。

 

「ヤマメさん、ご迷惑をおかけしてすみません。大方予想はできていたのですが、ここまで露骨だとは思いませんでした」

 

殺気に気付いていなかっただけではく、気付いていながら受け流していたのか……。本当によく分からない人間だ。

 

「なんだ、気付いていたのかい?」

 

「ええ、――――っですから!?」

 

突然鋭く叫んだ耕也が、私を強く横に突き飛ばす。当然私は何の受け身の姿勢も取れなかったため、突き飛ばされた後は地面を転がる。

 

受け身ができなかった私は衝撃をもろに食らったために激しい痛みが襲ってくる

 

「いっつつ……一体なにすんっ!?」

 

耕也に対して怒りの言葉を言おうとした時に、何故耕也が私を突き飛ばしたのかを理解した。

 

後ろから襲いかかる妖怪の攻撃の巻き添えを防ぐためだったのだろう。私が耕也を再び見たときには大きな鉄管を手を使わずに空中で振りまわし、文字通り飛んで襲いかかって来た妖怪を薙ぎ飛ばした姿だった。

 

私はこの時本気で驚き、また思った。一体こいつは何者だろうか? と。

 

 

 

 

 

 

 

「ヤマメさん、ご迷惑をおかけしてすみません。大方予想はできていたのですが、ここまで露骨だとは思いませんでした」

 

そう言って俺は、ヤマメの取っている警戒行動に対して感謝と謝罪をする。

 

たかが俺を地霊殿まで案内するのに彼女に心労を掛けさせているのだ。感謝しない方がおかしい。それにしても本当に顕著なものだ。商店街に入った瞬間に視線の増大と殺気の跳ね上がり。本当に凄まじい。

 

いくら陰陽師をやっていても注がれる殺気にはなれない。おまけにこの尋常じゃない量。まあ当然か、妖怪によっては云百年も人肉の摂取を抑制されている者もいるのだ。食人の衝動に駆られるのは無理もない。

 

つまり今の俺の現状は、両手を縛った羊が腹を空かせた狼の群れに放り込まれたような状態か。……いや、この場合は頑丈な檻に入れられた羊を入れるようなものといった方が正しいのか。

 

俺はそんな感想を持ちながらもゆっくりとヤマメの歩きに合わせていく。

 

それにしてもこんな赤の他人の俺にここまでの事をしてくれるヤマメには感謝してもしきれない。これが彼女の人気である所以でもあり、優しさなのだろう。

 

俺は心の中で必ずお礼をすると誓いながら、先ほどから気になっていた後ろの方を見る。

 

数名の妖怪が店の陰から涎を垂らしながら此方を血走った眼で睨みつけている。このまま何もしてこないのならばひとまず安心だが、これはどう見ても襲ってきそうな雰囲気である。

 

熊の妖怪なのだろうか? 正確には分からないが、それらがいるのだ。まだ死角にいる可能性もあるから分からないが、現状では三名しか見えない。

 

俺はいつでも迎撃可能なように心の中で準備をし、後ろの警戒を続けていく。

 

後方とは違い、前方は特に険しい眼で見てくるだけで行動に移そうとしている妖怪は見当たらない。

 

さらに言えば、ヤマメが前方を特に警戒してくれているので相手もおいそれとは出てこれないのだろう。

 

と、そこでヤマメが俺に対して先ほど言った言葉について返答してくる。

 

「なんだ、気付いていたのかい?」

 

俺はその言葉に素直に答えていこうとする。

 

「ええ、――――っですから!?」

 

しかし、それは中途半端に終わることとなった。なぜなら俺が警戒していた妖怪達の1妖が、俺達が会話しているのを好機と判断したのか、猛烈な勢いで飛び掛かって来たのだ。

 

俺は返答を切り、心の中で謝りながらヤマメを横に思い切り突き飛ばす。

 

そして突き飛ばしたと同時に適当な大きさと長さの鉄管を空中に創造し、プロバッターも唖然とするであろう速度で横に一閃する。

 

空気を切り裂きながら振られる鉄管は、空気抵抗によって妙な異音を立てながら向かってきた妖怪を殴り飛ばす。

 

殴り飛ばされた妖怪は、首を変な方向に曲げ、口と鼻から大量の血を噴き出させ、石でできた塀にぶち当たり磔にされ、ズルズルと血糊を塗りつけながら地面に伏す。

 

当然鉄管はねじ曲がり、使い物にならなくなってしまった。俺はそれを見届けると鉄管を消去し、また別の鉄管を創造し、いつでも攻撃に対応できるようにする。

 

正直なところ、剣術の達人が来たら切り結ぶ自信は全くない。だからこの場に刀技の達人はいて欲しくない。いや……とはいっても基本的に殺傷性のある攻撃はこれっぽっちも食らわないのだが……。おまけに鉄管で刀を圧し折ることも可能だし。

 

俺が先ほどの妖怪達の方を見ながら呑気な事を考えていると、妖怪達がゾロゾロと姿を表す。その数5人。全員ヤマメよりも力量は劣るだろうが、純粋な力でいえば人間を凌駕するのは間違いないだろう。

 

「お前……大正耕也だな?」

 

と、妖怪の一人が答える。もしかしたらとは思っていたが、知っている妖怪はいるのか。

 

まあ、当然だわな。ヤマメは地下に長く居たせいか、俺の事を知らなかったみたいだが、最近地底に来たものは知っている可能性はあるという事か。

 

良くも悪くも有名という事なのだろうか? いや、俺は人妖共に恨まれている可能性が高いから悪い方で有名なのだろうな。

 

俺は隠しても仕方が無いので素直に言う。

 

「ああ……それで?」

 

すると質問をしてきた妖怪は、血まみれの仲間の安否を気にせず腹を抱えて爆笑し始める。

 

「ぷっ…………あっはっはっはっはっはっはあははははあははは。……腹いてぇ~。まさか、まさかの本人か? お、お前が? 最強の陰陽師だったお前が? はははははははあっはははは! ざまぁねえな~。妖怪に恨まれ、人間に嫌われてここまで御越しとは恐れ入るぜぇっ!」

 

と、熊が2足歩行しただけのような容姿をした妖怪が俺に対して悪態の限りを吐いてくる。

 

そしてその妖怪の笑いにつられたのか、取り巻きばかりではなく、やじ馬ですらも笑い始める。

 

俺はヤマメの方を見る事ができず、そのままその妖怪の言葉を聞いて腕をブルブルと痙攣させる。昨日の今日であり、そしてあまりの言われようにさすがに俺も怒りを隠せなくなってくる。

 

俺は殆どヤケクソ気味に妖怪達を挑発する。

 

「四の五の言わずに掛かってこいよ屑ども。俺を殺そうとしているのだから……俺も殺すぞ?」

 

そういうと、周りの妖怪達は先ほどの笑いを静め、急に黙り込む。

 

だが、目の前の妖怪はさらに嘲りの表情を浮かべ、俺に罵りの言葉を吐く。

 

「はっ…………封印されるような間抜けに俺がやられるとでも……思ってんのかぁっ!?」

 

そう叫ぶと、鋭く尖った爪を大きく伸ばしながら高速で迫ってくる。

 

俺はその様を見ながら、本当に雑魚で馬鹿なんだなと思いながら対応していく。

 

妖怪が俺の5m付近に近づいた瞬間に鉄柱を奴の真下から急速に創造して突きあげる。

 

もちろん突然の攻撃に対応できるはずもなく、無様に顎をカチ上げられ、砕かれながら空中で逆回転を始める。

 

「ゴボッ…………カブビャ……」

 

言葉にならない悲鳴を上げながら。

 

そしてすかさずその回転する頭と腹に向かって、今度は上から鉄柱を2本創造して突き落とす。

 

数百kgもある鉄柱が当たれば、もちろん耐えられるはずもなく、地面に轟音を立てながらめり込んで血と肉片を撒き散らす。

 

ソレを見届けると取り巻きたちに向かって口を開く。

 

「お前らもこうなりたいか?」

 

そういうと妖怪達は首を大きく横に振って一目散に逃げ出していった。

 

おそらく先ほどの怒りがまだ続いているのだろう。これを見ても吐き気などが湧いて来ない。冷静になったら吐きそうな気がするが。

 

そして俺は非常に気が引けながらもヤマメの方をゆっくりと見やる。

 

意外にもヤマメは俺に対して怯えたような表情を見せておらず、むしろ極めて冷静なオーラをだしてこちらを見てくる。

 

俺はどうにもやりづらいなと思いながらも鉄柱を消してヤマメに言う。

 

「その、申し訳ないです。突き飛ばしたり、迷惑をかけてしまって」

 

「いや、良いよ。お前さんは降りかかる火の粉を振り払っただけだしね」

 

「いえ、ですが……ヤマメさんの立場がで……」

 

そういうと、怒ったように

 

「しつこいよ。私の心配はいらないよ。何せ私は地底の人気者だからね?…フフフ」

 

と、説教気味に言いながらカラカラと笑う。

 

そしてヤマメの態度を見ながら改めて思う。本当に優しいな。と。

 

俺の事を心配して言ってくれるヤマメに礼を言おうとすると、突然背後から声がかかる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「死体の気配がしたもんだから急いできてみれば何ともまあ……。お? そこのお兄さんは人間だね? ついでにお兄さんの死体も運ばせちゃあくれないかね?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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64話 死体はあちらです……

俺を死体にはしないでおくれ……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お兄さんの死体を運ばせてくれないかい?」

 

そんな声とともにゴトゴトと何かが転がるような音が聞こえてくる。

 

この地底でそんな事を言う妖怪は、一人しかいないなと思いつつもその声の方向に振り向く。

 

やはりその予想は当たっていたようで、濃い緑色の服に赤い三つ編み、そして何より猫である事を表すネコ耳。まぎれもなく火焔猫燐。

 

先ほどのゴトゴトとした転がるような音は、猫車の車輪と地面の接地面から発せられていたようだ。

 

燐は二つの妖怪の死体をチラチラ見ながらこちらをしきりに観察しながら近づいてくる。ただ、先ほどの死体という言葉を俺に言った割には、物騒な雰囲気が全く感じられないので、冗談で言ったのだと俺は判断したい。

 

そして俺が燐に向かってやんわりと断ろうとしたが、その言葉が出ることは叶わず、ヤマメが口を開く方が先であった。

 

「おやおや、お燐じゃないか。丁度良かった。今、お前さんの主は在宅かい?」

 

その声に俺から顔を外してヤマメの方を見て淡々と答えていく。

 

「もちろんいるさ。さとり様がこんな所に進んでくるとでも思うかい?」

 

ソレを聞くとヤマメは少し苦笑しながら

 

「不躾な質問だったね、許しておくれ。いやまあ、在宅だってことが分かっただけでも儲けもんだよ。実を言うと、私の隣にいるお前さんがお兄さんと呼んでいた男をさとりに会わせたいのさ。できるかい?」

 

そう言いながら俺の肩をポンポンと叩きながら質問内容の説明していく。

 

俺は彼女らのやりとりが終わるまでしばし沈黙しておこうと思う。ここで俺が余計な口出しをして会話の円滑性を乱しては今後に支障が出る可能性があるからだ。

 

ヤマメの言葉を聞いた燐は、訝しげにヤマメに尋ねていく。

 

「会わせるのは良いのだけれども、何でわざわざ?」

 

「いや、この男は人間でありながら地底に追いやられてしまってね。さとりの所でこの地底について教えてやってくれはしないかい?」

 

「地底の事について教えるぐらいならさとり様じゃなくてもヤマメ自身とかそこら辺の妖怪に聞けばいいじゃないか?」

 

「仮にもあんたの主はここの管理者だろう? 新参者の顔を把握しておくのも勤めの内だと思うがね」

 

するとヤマメの言葉が決定打となったのか、燐は耳を少しへタレさせて了承する。

 

「分かった分かった。……案内するからさ。そこの…え~と………お兄さん?」

 

燐が俺からの自己紹介を受けていなかったためか、少し呼びづらそうに視線を泳がす。

 

すかさず俺は自ら名乗り出て呼びやすいように配慮する。

 

「大正耕也と申します。よろしくお願いします」

 

「あ~よろしく人間の耕也。あたいの名前は火焔猫燐だよ…………それにしてもお兄さんが死体になったら良く燃えそうだしこいし様も喜びそうだねぇ……」

 

物騒な事を平気な顔をして俺に言ってくるあたり、妖怪と人間の違いがここに明確に現れてくる。

 

まあ仕方のない事だと思い、邪険にするのも良くないので燐の話しに乗る。

 

「え? そんなに燃えそうですか自分の身体は? そんなに肥えているわけではないと思うんですけど。ちなみに死体になるのは勘弁です」

 

そういうと、燐は人差し指でチッチッチッとしながらクルリと一回まわりして喋り始める。

 

「あ~残念残念。そして違う違う、違うんだよお兄さん。何故だかわからないけれども妖怪の本能が訴えるのさ。この人間はおいしそうだ。この人間は良く燃えそうだ。死体収集家にとってみれば集めてみたくなりそうだ。…………ってね」

 

いやまあ、どうせそこらへんなんだろうとは思っていたが、何ともまあ我ながら変な身体だと思う。どうせこれも高次元的なモノが作用しているんだろうけどさ。

 

そこまで思ったところで、燐が側にある猫車の取っ手をつかみ、再び話しかけてくる。

 

「とまあ、話はここまでにして。耕也。お兄さん? どっちでもいいか。とにかく、さとり様の所まで案内してあげるよ」

 

俺はその言葉に促されるままに、返事をする。

 

「はい、お願いします。……ああ、少しだけ待って下さい」

 

そう言って俺はヤマメの方を見て頭を深く深く下げて地底に来てから何から何まで世話になった事について礼を言う。

 

「ヤマメさん、この度は人間であるにもかかわらず、行く宛てのなかった私を助けて下さった事に深く御礼を申し上げます。誠にありがとうございました」

 

そういうと、ヤマメは頬をカリカリとしながら赤い顔で

 

「や、やめておくれよ。恥ずかしいじゃないか。それに……ほ、ほら、皆も見ているし、ね?」

 

そう言って俺の頭をポスポス叩いてくる。

 

「失礼しました。では、また」

 

俺も少し場所を選べば良かったと後悔しながら最後に軽く会釈をして燐の元へと駆けていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「で、耕也は一体どうしてこんな所に? 大体はここにいる死体の言ってた大声で予想はつくんだけどね?」

 

そう言って微笑を浮かべながら俺の方を見てくる。彼女の押している猫車には先ほどの妖怪の死体が入っており、地面の凹凸によって血と肉が金属と接する不快な音を時折発する。

 

俺はその様をなるべく見ないようにしながら燐の質問に答えていく。

 

「まぁ、上では一応陰陽師をやっておりまして。それで日々の生活の為の銭を稼いでいたのですが。……ちょっとしたきっかけで妖怪と関係を持つようになりまして。……ここまで言えば後はお分かりになるかと思いますが、その後都の方にバレてしまったためにここに来たのです」

 

そう言うと、燐は微笑を浮かべながら俺に向かって口を開く。

 

「そりゃあ耕也、あんたが悪いよ。陰陽師が妖怪と関係を持っていちゃあ本末転倒だよ? でもソレをネタにしてきたこいつらも悪い」

 

そう言いながらコツコツとその赤く鋭く伸びた爪をコツコツと猫車の枠部分に当てながら言ってくる。

 

「まあ、そうですよね。本末転倒ですよね……ソレのせいで多くの人に迷惑をかけてしまったのも事実ですし」

 

「そうだねぇ、妖怪の私が言うのも変だけど。でもまあ、今はここでどう暮らすかを考える事だね。うん、それが一番だ」

 

彼女なりに俺を気遣ってくれているのだろう。むず痒そうな顔をして言ってくる。

 

「ありがとうございます。燐さん」

 

俺が礼を言うとさらにむず痒そうな顔をしてその場で足踏みをし始める。自分で妖怪らしくない事をしていると思ったのだろうか?

 

「いいよいいよ。こんな事をいう柄じゃあないんだけどね。人間と妖怪じゃあ価値観も違うし」

 

やはり思ったのだが、今彼女の言っている言葉は妖怪の思考からは大分外れている。確かに彼女にとって人間の価値観に合わせるのは辛いモノがあるだろう。

 

俺の価値観はこの時代の人間とも、妖怪とも違っているのだろう。心の奥底で、そして気付かない部分でゲームの世界だからと思っていた部分もあるのかもしれない。

 

ただ、俺の陰陽師として今までしてきた行動が、あの平助のいる村に大きな迷惑をかけてしまった事には変わりはないのだ。

 

おそらく俺は裏切りの陰陽師、又は妖に身を堕とした陰陽師として伝承に残るのだろう。

 

この上の幻想郷になる土地でも、稗田家に書かれるのだろうか? ……妖怪の章に。

 

そんな事を考えながら歩いていると、突然燐が話しかけてくる。

 

「耕也耕也、あれだよ。あたいの主である古明地さとり様がおわす地霊殿は」

 

と、先ほどとは打って変わって楽しそうな表情で大きな建物を指差す。

 

ふと顔を上げてみれば、そこには西洋を思わせるような黒を基調とした、殺伐とした雰囲気を醸し出している巨城が鎮座していた。

 

だが、どこか日本的な何かを思わせるような雰囲気を同時に持ち合わせているものであった。

 

また、途中から城まで続く道は未舗装の砂利道から石畳へと変わり、その変わった瞬間からその城の持ち主の土地に入ったという事を思わせる。

 

つまりは、もうすぐ対面するのだ。心を読む妖怪、古明地さとりと。

 

石畳を一歩一歩踏みしめるごとに緊張が増してくるのが分かる。戦う訳でもないのだから緊張する必要はないのに、何故か緊張をする。

 

この近づけば近づくほど、その巨大な様相を露わにしてくる城を前にしているせいもあるのかもしれない。

 

また、これからの話し合いが上手くいくのだろうかという不安感と焦燥感がそれを後押ししているのかもしれない。舌戦が得意でないのも要因の一つであろう。

 

対する燐は俺の状態とは真逆であり、近づくにつれて喜びが顕著になってくる。

 

主と会う事が嬉しくて嬉しくて仕方が無いのだろう。

 

進んで地底の商店街へと足を運ばない妖怪さとり。その心を読むという能力ゆえに人妖の両方から嫌われている妖怪。

 

そんな彼女をずっと見てきた燐は、商店街のことをあまり良く思ってないのかもしれない。俺の憶測でしかないのだが、燐にとってさとりという存在は主であると同時に親、家族なのだろう。

 

だから彼女は嬉しそうにする。

 

俺にも家族とかいたなぁ……。もう会えないのだろうけどもね。…………でもまあ、やっぱり何年たっても親には会いたいねぇ……。

 

燐の事を考えながら自分の家族の存在を思った俺は、そのまま黙って燐の後についていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はい、ここが地霊殿だよ耕也」

 

地霊殿の中へと案内されると、まず目につくのがその豪華さである。一体どこで発注し製造したのか分からない色鮮やかなステンドグラス。

 

そして、シャンデリアとは違うのだろうが、それに似たような大きな明りの数々。もちろん明りは電球ではなく炎なので薄暗い。しかしその薄暗さを大きなステンドグラスからの透過光が補助しているため、城内の歩行に支障はない。

 

その光を辿って下を見てみれば、床は大理石でできているとくる。

 

さらにはこの時代の日本にはないであろう蝶番のあるドア。一体何故こんなモノがあるのだろうか?

 

地底は良く分からない。色々と歪だから仕方が無いのだろうか?

 

「耕也、突っ立ってないでこっちに来なよ。こっちこっち」

 

そう言って周りを眺めている俺に歩くように要請してくる燐。

 

「はい、すみません。今行きます」

 

そう言って部屋を再び眺めながらドアを開けて通る。

 

「燐さん、なんでこんな扉が? 地上にはこんな機構で開閉する扉なんて一つもありませんよ?」

 

すると、燐は首を傾げながら俺の疑問に答えていく。

 

「いや~、あたいには分からないねぇ……。住み始めたときにはすでにこんな感じだったからさ。やった事と言えば私物の整理ぐらい?」

 

と、俺に聞き返すように言ってくる。

 

「じゃあ、何ででしょうね~……」

 

マジで何なんだ?

 

そんな不思議だなと思いながら歩いていると、曲がり角からスイッと人影が眼の端に映る。

 

俺は何の違和感も持たずに、一瞬見えた誰かとも分からぬ人に向かって咄嗟に頭を下げて挨拶をしてしまう。

 

「こんにちは、お邪魔させて頂いております」

 

挨拶が終わったと同時に、顔を上げてその姿をこの目に捉える。

 

その姿は、黄色い独特な形状をした上着に緑色のスカート。非常によく整った綺麗な顔を持ち、緑がかった白い髪の毛に黒い帽子。

 

それは紛れもなくこの館の主の妹であり、そして無意識を操ることのできる古明地こいしであった。

 

こいしは俺の突然の挨拶に驚いたのかその場で飛びあがり、次の瞬間にはガバッと振り返る。

 

その顔には驚きが色濃く表れていた。俺はその瞬間にしまったと思い、咄嗟の芝居をそこでうつ。

 

その場で首を傾げながら明後日の方向を向き、周囲を探すフリをする。

 

それでもこいしは俺の顔から視線を外さず、驚きから怒ったように顔を険しくしながらずっと俺の方を見てくる

 

物凄く疑われている。というよりも完全に俺を補足している。

 

こんなさとりと話す前の所でイザコザ等起こしたくないため慌てて芝居をうっているのだが、効き目はどうにも薄い。

 

「耕也? ……何してるの?」

 

と、そこに燐から声がかかる。助かったと思いながら急いで燐の方を振り返り、こいしにも納得してもらえるような言い訳をする。

 

「いえ、…………今さっき視界の端に人影が映って挨拶をしたのですが見当たらなくなってしまいまして……いや、見間違いだったんですかねえ」

 

俺がそう言い訳をすると燐は納得したかのように眼を閉じながら何回か頷く。

 

「あ~~……それは後で分かるようになるから安心しなよ。さ、早くさとり様の所に行こう?」

 

そう言って再び歩き出す。その足は先ほどよりも若干はやめであり、こちらも早めないと置いていかれてしまうほどである。

 

燐の言葉を聞きながら俺はこいしの方をチラ見してみる。こいしは俺の芝居が何とか効いてくれたのか、少しだけホッとした顔で胸を撫で下ろしている。

 

撫で下ろしたいのは俺の方なんですけどね。

 

俺はそう思いながら燐に返事をする。

 

「分かりました」

 

そう言って後についていく。

 

しかし気になるのは、やはり後ろ。誤魔化しに成功したとはいえこいしは俺の方を着いてくることにしたようだ。

 

領域のせいで能力が効かないもんだから、燐には聞こえないであろうこいしの足音が俺に聞こえてしまうのだ。さらには気配も。

 

こいしはピッタリと俺の後方約1mを歩き、俺と燐を見ているようだ。俺は変にこいしの行動を気にしていると怪しく思われてしまうのでなるべく前方に意識を集中させる。

 

おそらく傍から見れば非常に滑稽な光景になっているだろう。紫や幽香が見たら腹を抱えて笑いそうだ。

 

そしてしばらく長い廊下を歩いていると、突然脇付近に刺激が与えられる。

 

思わずその刺激によって湧きあがるくすぐったさと、不意打ちに思わず声を上げてしまう

 

「うおわぁっ!」

 

その大声に燐の尻尾と耳がピンと天井を向き、その場で飛びあがる。

 

そして俺の方をジト目で見て文句を言ってくる。

 

「ちょっと耕也。変な声を上げないでよ。あたいがびっくりするじゃないか……」

 

「す、スミマセン。ちょっと唐突に痒みが生じてしまいまして」

 

分かっている。こいしだ。突然こいしが俺の脇をくすぐってきたのだ。しかも俺が燐に誤魔化している間は腹を抱えて爆笑している。

 

俺には思いっきりその笑い声が聞こえるというのにも拘らず、燐には一切聞こえていないという何とも奇妙な光景が形成されてしまっているのだ。

 

俺はさとりの部屋に着くまでこいしに笑われ、燐にまるで変態でも見るかのような目で見られ、終始いじられることとなってしまった。こんちくせう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さとり様、会いたいという人間がいるのですが、良いですか?」

 

と、さとりの部屋のドアをノックして入った燐がさとりに向かって話しているのが聞こえる。

 

その間俺はドアの外で待っているのだが、まだ後ろにピッタリとこいしがいるのだ。

 

と、そこで後ろから声が掛かってくる。小さな声で。

 

「ねね、本当は最初から私の事が見えてたんでしょ? 聞こえていたなら右手を握ったり開いたりしてみて」

 

もちろんですとも。どうせそんなこったろうとは思ってはいたが、所詮人間が咄嗟にやった芝居なんて格の高い妖怪であるこいしには通じなかったようだ。

 

さすがにここまで来たからには、こいしもゴタゴタを起こしはしないだろうと思って素直に手を動作させる。

 

すると

 

「おぉ~~~っ!」

 

と、小声で歓声をあげて小さく拍手する。

 

「ね、ね、……どうして分かったの?」

 

と、俺の顔の右横に顔を持ってきて聞いてくる。俺はそれが正面に見えるように顔をこいしに向ける。

 

「まぁ、それは後でお話しします。もうすぐ燐さんが来てしまうので」

 

「わかったよ~。……それと、燐さんなんかじゃなくて、気軽にお燐とか呼べばいいのに」

 

さすがに本人が許可してもいないのに呼ぶのは失礼だと思い、こいしにその旨を伝える。

 

「いや、さすがにそれは失礼ですって」

 

その言葉を言った直後にドアが開き、燐が出てくる。そして俺に手招きをして入れと伝えてくる。

 

俺はそれに促されるままスルリと中へと入っていく。

 

中に入ると、さとりは四脚の丸いテーブルの右にある白い椅子に腰かけており、先ほどまで読んでいたであろう本を閉じたまま持っていた。

 

俺を眼にすると、少しだけ訝しげな顔をしたが、すぐに元の飄々とした表情へと戻り、持っていた本をテーブルの上に置く。

 

対する俺は中へ入ってすぐさとりに向かって深く礼をする。

 

俺が中に入ってもさすがにこいしまでは中へ入ってこないようで、そのままどこかへ去って行った。

 

「ではお燐。席を外してちょうだい」

 

さとりは燐にそう命令をする。もちろんは燐はさとりの指示に素直に従い、部屋から出ていこうとする。そして出ていこうとする直前に立ち止まり、何かを思い出したかのような顔をして口を開く。

 

「分かりましたさとり様。……あ、お茶をお持ちしますね」

 

そう言ってドアを閉め、お茶を取りに行く。

 

そして燐が去ったすぐ後にさとりは俺に対して席を手のひらで指しながら座るよう促してくる。

 

「さて、……どうぞ座って。立ち話は退屈でしょうし」

 

「ありがとうございます」

 

そう礼を述べてありがたく座らせてもらう。

 

しかしこの位置で座ると、さとりを正面から見据えることになってしまう。さとりはこいしと同じように非常によく顔が整っており、どこか大人の妖艶さというモノを醸し出している。

 

そう、さとりを短く観察していると、再び向こうから声がかかる。

 

「では、自己紹介からといきましょうか。私は古明地さとり。この地霊殿の主であり、同時に貴方を案内していたお燐の主よ。……さあ、今度は貴方の番。どうも貴方の心は読めないようだから、口で言ってくれないと分からないわ」

 

「すみません。私は大正耕也と申します。 一応地上では陰陽師をやっておりました」

 

すると、さとりは納得したような頷き方をして再び口を開く。

 

「なるほど。とすると、色々な意味で貴方の能力を消す力は役に立ったのね? ここに来た理由までは分からないけど。……それに貴方が陰陽師をやっていたというのも頷けるわね。妖怪を恐れないその姿勢。失礼かもしれないけれども、正直な話、貴方は異常ね。歴戦の陰陽師であったとしても妖怪がうじゃうじゃいる地底に来たら普通は恐怖を感じるはず。なのに貴方はそれをこれっぽっちもにじませない。…………まあ、これについては別にどうでもいいのだけれども」

 

思わずどうでもいいのかい。と、突っ込みを入れたくなってしまったが、俺としてもどれぐらい地底で暮らすかが分からないので、本題に入りたい。

 

その気持ちが強かったためか、先ほどのさとりの言葉を軽く流して話し始める。

 

「では、本題に入りたいと思います。今回私がここに来たのは御助言を賜るという事の他でもありません。もちろん、御礼は必ず致しますですからどうか、よろしくお願いいたします」

 

座ったままで失礼かもしれないが、そのままの姿勢から深く頭を下げる。

 

「…………良いでしょう。取り引きという形でですね。でした―――」

 

「さとり様、お茶をお持ちしました」

 

話を遮られたのが気に入らなかったのか、少し眉を顰めるがすぐに元に戻し、燐に返答する。

 

「どうぞ」

 

そういうと、やや乱暴にドアが開かれ、銀色のトレーの上に乗っている湯気の立った湯呑が運ばれてくる。

 

「どうぞさとり様、耕也」

 

そう言って熱々の湯呑を置いていく。しかしさとりに渡す時と違って俺に対しての時はやけにニコニコしている。短い間だが、見た中で一番の笑顔。

 

「ありがとうございます」

 

と言って俺は軽く会釈をして茶を飲んでいく。

 

「あっ…………!」

 

さとりは俺がお茶を飲む直前に眼を見開きながら俺の手を凝視する。何かマズイ事でもしたのだろうか?

 

なんでだろう? なんで皆俺より上手く茶を淹れられるのだろうか? 俺だってそれなりの年数で淹れてきたつもりなのだが……。

 

茶のうまさに驚きながらもそれを一口一口と飲んでいく。

 

そして3分の1ほど飲んだ時に湯呑を置くと、二人の様子が先ほどとは全く違っていた。

 

さとりは湯呑を持ったまま硬直しているし、燐はトレーを手から滑らせて床に落としてしまっている。

 

…………もしかしてなんかマズイ事した?

 

いや、お茶の飲み方で特に何か致命的な事をしたわけでもないし、ちゃんと礼を言って受け取ったし……はて?

 

俺は二人の様子の変わりっぷりに少し焦りながら尋ねる。

 

「えっと…………。マズイ事をしました?」

 

するとさとりが若干手を震えさせながら言う。

 

「あ、あなた…………飲んだのよね?」

 

そして次に燐が口に手を当てて、耳をピンと立てながらとんでもない事を言ってきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「にゃにゃあ……人間なら即死する毒入れたのに…………」

 

 

 

 

 



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65話 二人で結託かいな……

さとりが凄く苦労してそうだ……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「え?……毒…ですか?」

 

そう俺がさとりに聞き返すと、さとりは無言で眼を見開いたままゆっくりと頷く。

 

さとりの言葉を聞いて今度は燐の顔を見てみる。先ほどと同じく、燐はトレーを床に落としたまま此方を硬直して見ている。

 

まあ、当然であろう。さとりは直前で毒の存在に気づいたようだが、まさか生きているとは思わなかってはいなかったのだろうから。

 

また燐もさとりと同じく、簡単に手に入るはずだった死体が未だに生きて茶を啜っているのだから。

 

俺はそこまで見届けると、そのまま視線を茶に戻す。茶は綺麗な黄緑色をしており、毒が入っている事を全く感じさせないほどである。

 

本来なら飲みたいのだが、いくら領域があるからといってもさすがに猛毒入りの茶をこれ以上飲む気にはなれないのが正直なところ。

 

だからそのまま湯呑を置いてさとり達の硬直が解けるのを補助する。

 

「それで燐さん。どうして毒を入れたんですか? ……まあ、大方予想はつきますけども」

 

その言葉を言ったと同時に燐は硬直から解けて、再び耳としっぽをピンと上に立て、さらにはつま先立ちをする。

 

突然声を掛けられたことに驚いているのだろう。その表情は先ほどよりもさらに険しいモノとなっている。

 

また、さとりも俺の声に反応したのか、燐をジト目で見ている。

 

俺を見た後にさとりを見た燐は、驚きの表情から苦笑いへと変え、立っていた耳をぺたりとさせて口を開き始める。

 

「にゃあ……お、お兄さんの死体が……物凄く欲しくて……それにこいし様も―――――――」

 

え? こいしが? なんだって?

 

最後の方に呟いたこいしという言葉以降がよく聞こえなかった。もしかして今回の毒を入れたのは燐単独ではなく、こいしも絡んでいたのか?

 

先ほどのあの無邪気な笑顔を思い出し、それを思わず否定したくなっている自分がいる。もちろん今回は燐が毒を入れたという事自体も信じたくはない。

 

ただ、こいしと燐は確かに目的で利害が一致している部分があるため、一概に否定するという事ができないのだ。

 

こいしの場合、こいしは死体収集家という部分があり、おそらく肉体ではなく骨の部分が大きいとは思うが、とにかくそれが第一に来る。

 

そして燐は死体を運び、怨霊に仕立て上げる事ができる。本来ならば供養、まあキリスト教でも仏教でもどれでもいいが、死者を弔ってやらなければならないものをそのままかすめ取り、強制的に怨霊にする。

 

だから燐が本当に欲しいのは魂。また、こいしは肉体。完全に利害が一致している。

 

ただ、こいしの姿が見当たらないため、確証というものは得られないが……。

 

俺がそんな事を考えていると、さとりがため息をつきながら言ってくる。

 

「はぁ……こいしも関わっていたのですか……まったく、今回は私の客が来ているというのに私の面子を潰す気ですか?」

 

そういうと、先ほどよりもさらに厳しい目つきで燐の方を睨む。

 

睨まれた燐は苦笑いの表情からシュンとした悲しい表情になる。

 

さすがに妖怪の欲に忠実に従ったとはいえ、主であるさとりの面子を潰してしまいかねないという状況を作りだしてしまった事に、後悔の念が湧いて来たようだ。

 

まあ、俺としては気にするほどの事でもないのだけれどもね。

 

でも確かにさとりの言う事も分かる。客人に向かって従者が攻撃を加えるという事は、その主の威厳と名誉を傷つけるものであり、また主の影響力と実力不足を露呈させるのと同義なのである。

 

でも、それでも俺は気にしない。彼女が妖怪である限り、このような手段をとったとしてもおかしくない上に、今回はさとりが心を読んだ結果、こいしも関わっていることが発覚したのだ。

 

さすがに燐もこいしが共犯だとしたら途中で止めることもできないだろう。

 

「まぁ、そこまで気にはしてませんよ? さとりさん」

 

そう言うと、さとりは額に手を当てながら首を横に振る。

 

「そういう問題ではないのよ耕也……。これは主自身の問題でもあるの」

 

そう言って額から手を離して再び湯呑を手にとって茶を飲んでいく。もちろんさとりの飲んでいる茶には毒は入っていない。それは心を読むことで判断する事ができる上に、何より燐はさとりのペットなのである。

 

とはいっても、俺がさとりの立場だったらさすがに茶を飲む気にはなれない。別にさとりを批判しているわけではないのだが、ここにも妖怪と人間の差というモノが表れてくるのだろう。

 

そしてそんな事を考えていると、急にドアの向こう側からドタドタとうるさい音が聞こえてくる。それは段々と大きくなっており、こちらに近づいているという事がよく分かるものであった。

 

それから少しすると、その音が扉の前まできたという事が分かった。

 

分かったと同時にドアが乱暴に開かれ一人の妖怪が入って来た。

 

その闖入者はさとりの妹であるこいしその人であり、入ってくるなりこう言い放った。

 

「お燐お燐っ!? 耕也は死んだ?」

 

俺はその言葉を聞いた瞬間に複雑な気持ちになり、嫌でもテーブルに突っ伏せざるを得なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「こいし……貴方まで何を言い出すのよもう…」

 

頭が痛いと言いながらこめかみを押さえてさとりは言う。

 

当の本人は何がいけなったのかという感じに首を傾げているだけ。大方予想するに、彼女の考えとしては、妖怪の本文を果たしているのに一体何がいけないのだろうか? といった具合だろう。

 

そしてさとりの言葉を聞いて、首を傾げながらこいしは俺の方を見つつため息を吐く。

 

「なぁ~んだ。……生きてるじゃない。…まったくお燐、ちゃんと毒は入れたの?」

 

そう言いながら両手を腰に当てながらお燐に冗談半分で怒るように言う。

 

それを聞いた燐は、両手を広げてブンブンと縦に振りながら弁明を始めていく。

 

「ちゃんと入れましたよこいし様! でもなぜか死ななかったんです。」

 

その言葉にこいしは頷きながら考えを述べていく。

 

「えぇ~~? ……なんで死んでないの? なるべく綺麗な方法で手に入れたかったんだけどなぁ。耕也の死体」

 

さとりはこいしが喋るたびに頭痛がひどくなるような仕草をしながらこいしの言葉を聞いていく。

 

「あれ? ……もしかしたら…私の能力も効かないし、お姉ちゃんが言うには心も読めないらしいし…………ねえ、耕也?」

 

そう言って右手の人差し指をフリフリさせながら俺達のテーブルを歩いてゆっくりと回り始める。

 

その目は、あの時ドアの前で見せた輝いた眼ではなく、ただ目の前の獲物をどうやって手に入れるかという歪な輝きを見せていた。

 

また口角は釣り上がり目は細められ、無邪気な笑顔からどこかしら大人の妖艶さを兼ね備えている雰囲気さえ感じさせる。

 

なんだか嫌に背中が続々させられるような感覚を覚え、俺はその感覚があまり心地よくないために服の上から背中を掻く。

 

そして数周回って結論を出したのだろうか? 少し考えるそぶりを見せていたこいしは、眼を大きくさせながら何かを思いついたように、再び指を上に立てて笑顔で言ってくる。

 

「ああ、そうだ。そうそう、そうよそう。……ねえ、耕也。貴方って攻撃を一切無効化しちゃったりするんでしょ?」

 

そう言いながら自分がまるで全て分かっているんだぞとでもいうかのような雰囲気を醸し出している。

 

俺としても、よくこの少ないヒントの中から答えを導き出せる事ができたなと少し感心してしまう。

 

まあ、今は結構心も落ち着いてきているし、話しても大丈夫そうだな。……ああ、ヤマメにも話しておかなければね。

 

そこまで考えながら俺はこいしの質問に返答していく。

 

「ええ、ドンピシャリですよ。いやあ、よく分かりましたね」

 

そういって素直にそれをほめたたえると、こいしは嬉しそうに両手を挙げて喜びを表現する。

 

しかし不思議だ。……いや、同然というべきなのだろうか? 長い年月を生きているからこそこの高校生のような、まだ子供のような身体から大人の雰囲気が出るのは。

 

例えるならアレだ。ベンゼンの炭素が二重結合と単結合を高速で繰り返しているのと同じようだと。こいしは何故かそんな不思議な雰囲気を持っている。

 

俺がそんな事を考えていると、こいしは何度も何度も深く頷いて、自分の考えが合っていた事に喜びを感じていた。

 

「でしょでしょ? やっぱり妖怪である以上それぐらいの考えはできないとね?」

 

こいしが口を開いて自分が妖怪であり、それは人間よりも優れているという事を暗に示していると、横からさとりがこいしを咎める。

 

「こいし……いい加減にしなさい」

 

「分かってるわよ……」

 

そう姉の咎める言葉に素直に応じるこいし。しかしこいしはそこで終わらせるような事はしなかった。

 

「……でもねえお姉ちゃん。私達は面子云々の前に妖怪なの。人間を怖がらせる妖怪なの。そして彼は人間。……だとすればする事は一つでしょう? 妖怪は人間を怖がらせてなんぼよ?」

 

そして一度大きく深呼吸して自分の喋りによって不足してしまった酸素を補う。

 

こいしは深呼吸が終わると、また口を開いて自分の言い分を姉に聞かせ始める。

 

「それにね、私はここに来てから一度も人間にあった事が無いの。もちろんこの場にいるのが妖怪だったらこんな事はしないわ。そして何年ぶりかは忘れてしまったけれども、ついに現れた人間耕也。しかも今まであった人間で、比べ物にならない水準で妖怪の欲を誘ってくる。この人間の死体があれば他の人間の死体なんてゴミのようだ……ってね? ここまでくれば仕方ないと思うんだけど……お姉ちゃんも思ってるでしょ? 心を覗いてみたいって。心を犯してみたいって。……違う?」

 

と、そんな物騒な事を延々と言ってくる。ターゲットとなっている俺としては非常に居心地の悪い話であり、できればサッサと終わらせて仕事や住居を探したい。

 

おまけに助言をもらいに来たはずなのに、いつの間にか暗殺会議になっているし……なんだか凹んできたぞ?

 

俺がこの会話にそんな感想を抱いていると、さとりがこいしの言っている事が嫌に心に残ったのか、顔をしかめる。

 

まあ、さとりがそう言った妖怪としての欲を持っている事自体は何ら問題ない。ただ、俺の目の前でそう言った事を話されると色々と複雑な気持ちにはなるが。

 

俺の視線の先にいるさとりは、こいしを少し睨みつけた後、俺の方を見て少し居づらそうに手をスイスイと動かしてからまた湯呑をとって誤魔化すように茶を飲んでいく。

 

あたりにはこいしと燐の服から発せられる布の音と、さとりから発せられる茶を啜る音がしばらく響き渡る。

 

……どうにもこれは、俺から切り出さないと事態に収拾がつきそうにないな。

 

そう思ったと同時に俺は自然と声を出していた。

 

「まあまあ、さとりさん。こいしさんの言い分も強ち間違っているわけではないのですから。それに俺は全く気にしてません。……そうですね、私が来た目的をそろそろ進めたいと思うのですが、……いかがでしょうか?」

 

そう言うと、さとりは険しい顔から一気に何かを思い出したような驚きの表情へと変わり、言葉を紡ぎだす。

 

「そうね、こいしとの会話ですっかり忘れていたわ。貴方の補助をする約束だったわね……。そうね……こいし、燐。貴方達も相談に乗りなさい」

 

さとりの声で、燐とこいしは動き出し、両者とも返事をしながら残りの椅子に座っていく。

 

「分かりましたさとり様」

 

「仕方が無いな~、今回だけだよ? 耕也」

 

と、言いながら。

 

それにさとりは不満そうな表情を浮かべるが、すぐに元の表情に戻し、俺に向かって多数の質問をしてくる。

 

「それでは耕也。……まず一つ目に聞くけれども、貴方は何が得意かしら?」

 

俺はそう聞かれると、色々なモノが頭の中に浮かんでくる。

 

まず真っ先に浮かんできたのは、陰陽師の仕事である妖怪退治。これが長年やってきた日銭の稼ぎであり、またここに追いやられた要因の一つである。

 

二つ目は創造。文字通り色々と創造できるから木材や鉄骨を売りつけるのはお手の物。

 

三つ目は生活支援。この時代ではブルドーザーやショベルカー、クレーン車やダンプなどは無いので、この生活支援を使う事によって超重量の岩などを持つ事ができる。これは建設などで役に立つだろう。

 

そして最後の領域。これは正直なところ、使い道が全くない。俺に対しては役に立つ事が山ほどあるが、他人に対してはむしろマイナスにしか働かない。

 

相手の力を削ぎ落としたり攻撃を防いだり……仕事での出番はあまりなさそうだ。

 

となると、地底での仕事で役に立ちそうなのは、創造と生活支援ぐらいのものだろう。

 

と、俺が少しの間、これらの事を整理していると、さとりからダメ出しが入る。

 

「耕也、言っておくけれども、妖怪退治ができますなんて言ったら駄目よ? 妖怪だらけの所でそんなのやってたら本末転倒だわ」

 

と、俺の心を見透かしたように言う。本当は心なんて見えない筈なのに……。顔にでも書いてあったか?

 

そんなどうでもいい事を考えながら、さとりに答えを出していく。

 

「一応、能力で力の制御と物質を創造するぐらいなのですが……」

 

さとりは間髪いれずに

 

「どんなモノを創造できるのかしら?」

 

と言ってくるので、俺はその場で創造の力を使用して純金の円柱を創る。

 

すると、この創造した事により、皆様々な反応をする。

 

さとりは眼を見開いてマジマジと金塊を見つめる。燐は目を輝かせながら美しく輝く金に眼を奪われており、こいしはどうやったらそんな事を出来るのかといった具合に、自分の手と俺の手を見比べながら握ったり開いたりしている。

 

やがてさとりが金塊から眼を離して、こちらの方を見て言ってくる。

 

「確かに凄まじい力ね。世が世なら貴方は神に奉られるでしょうね。……でも、この地底ではその能力を使った仕事は厳しいわ」

 

その言葉を聞いた瞬間に、やっぱりかと思う。確かにこの力は生活と戦いにおいて絶大な力を発揮するが、妖怪の前でホイホイ使っていたら色々と妬みなどを持たれるかもしれない。

 

そしてさとりの言った言葉も、大体俺の考えている事と差異はなかった。

 

「そう、確かにその力は絶大。でも、それゆえに妖怪のいる前で使って見てごらんなさい? すぐに妖怪が貴方の力を欲しがったりして襲って来たりするわ。そうなるともう貴方は地底での仕事は無くなってしまう」

 

「確かにこれは使わない方がよさそうですね……」

 

「では、次の力を教えて頂戴」

 

「はい、これは力を制御するモノなのですが、妖怪でも持つ事は到底無理な物凄く重たい岩を持ちあげたりする事ができますね」

 

そういうと、さとりは俺の力の説明を受けて暫し考えを始めていく。

 

表情を見た限りでは、多くの事を考えているようである。また、他のこいしや燐も考えに沈んでおり、色々と手段を導き出そうとしてるようだ。

 

俺は三人の様子を見て、少し嬉しくなってしまう。なにせ、こんな俺の為に態々考えてくれているのだ。普通なら適当に答えを出してもかまわないというのに。

 

面子という問題もあるだろう。しかし、それを抜きにしても彼女達の行動は嬉しいモノがある。

 

俺の目の前ではあんな怨霊にしたいだの死体が欲しいだの心を犯したいだの物騒なことになっていたが、それを抜きにすると、彼女達は優しい妖怪なのだろう。

 

確かに意地の悪い妖怪とは言われている。だがそれは、彼女達の持つ能力ゆえに周りが変化していき、彼女たちを追い詰め歪めさせただけであり、本来はそんな妖怪ではないのだ。

 

だから、俺を手伝ってくれた代わりに、彼女達の相談、要求には最大限こたえてあげようと思う。さすがに死体をくれとか言われると返答に困ってしまうが……。

 

やがて彼女達は答えを導き出したのか、三人とも顔を上げていた。

 

まずさとりが口を開く。

 

「そうね……建築などで確かに使えるけれども、今はヤマメとかが頑張っているし……難しかもしれないわ。ヤマメは別として、縄張り意識が強い妖怪が多いから。」

 

やはり思ったような良い答えが返ってはこない。

 

つぎにこいしが俺に言う。

 

「私も……家具の移動ぐらいしか使い道が無いような……家具移動させるうちなんてほとんどないだろうし」

 

そうだよなあ……。引っ越しなんてこの地底という閉鎖的な空間でするわけないだろうし。

 

俺はいよいよ最後の意見となった燐の答えに耳を傾ける。

 

「にゃあ~…………おっきな岩の玉転がしならできると思うのだけれども……」

 

………………もう何も言うまい。燐が猫だというのは良く伝わったからね。

 

……さて、本当にどうしようか? 仕事を探さなければ交流も無いだろうし、何より地底での暮らしが非常につまらなく、苦しいモノとなる。

 

しかしどうにも難しい。飲食店なんて俺が人間だというだけで門前払いだろうし、この地底は閉鎖的なために宿も無い。

 

本当にどうしたものか……。

 

俺がしばらく考えていると、さとりが少し小さな声で言ってくる。

 

「……すみません。今日は良い案が浮かばないですね……。また、明日という事にしませんか? 今日は地霊殿に泊っていただいて構いませんので」

 

そう言って少し残念そうな顔で俺に言ってくる。

 

本来ならば俺の問題なのに、彼女が謝ってくると、非常に罪悪感が湧いてきてしまう。それと同時に彼女の優しさに感謝している自分がいる。

 

その二つが混ざった不思議な感情を覚えながらも、さとりに気にする必要はないという旨を伝える。

 

「泊めて下さるとは……ありがとうございます。そして本当にお気になさらないでください。本来ならばこちらが解決しなければならないのですから」

 

そう言うと、さとりも少しは気持ちが楽になったようで、表情が柔らかくなる。

 

所が、さとりとは正反対の表情でこいしがブツブツ言いながら考え事をしている。

 

もしかして何か妙案を思い付きそうなのだろうか? 俺はこいしの言っている言葉を聞いてみることにした。

 

「泊る……この家にいるんだよね…………つまりはこの館の主である私達の下で泊るという事……つまり、格は下になる。…いや、でも客だから上になるのかな? ……いや、でもでも私達は妖怪だし、今回はお燐たちのような部屋で寝ることになるだろうから………………」

 

部屋の格だとか上だの下だの言っていたが、詳しくは分からない。

 

しばらくその場でこいしの言葉を待っていると、突然立ち上がって叫びだした。

 

突然の行動に燐もさとりも驚いてしまっている。だがこいしはその事を気にせず

 

「ああっ!? ……良い案があるよ!」

 

そう言って俺の方を見ながら言ってくる。物凄く良い笑顔で。

 

そしてその言葉を聞いた瞬間に、またもやテーブルに突っ伏する羽目になってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「耕也が私達のペットになればいいんだよっ!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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66話 驚かさないでください……

お燐は好奇心旺盛だね……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お、俺が……ペットに…ですか?」

 

そうテーブルに突っ伏しながら俺はこいしに聞き返す。

 

この角度ではさとりや燐の表情は分からないが、おそらく驚いているのだろう。先ほどから一つも声が聞こえない。

 

こいしは俺の聞き返しに対して間髪いれずに、実に楽しそうな声で返答してくる。

 

「そうそう、ペットだよペット。結構名案だと思うのだけれど!」

 

そう張り切って、自分が提案した案はどうだ。と、言わんばかりの口調で。

 

俺はゆっくりと顔を上げ、さとりたちの表情を見る。やはりさとりと燐は呆気にとられた顔をしている。

 

「さすがにそれは……勘弁願いたいのですが。私は人間ですし」

 

そう言うと、こいしは俺の方をニコニコしながら俺の意見に反論する。

 

「でもでも、ペットってさっきは言ったけど衣食住が保証されるし、少しだけどお金も上げるよ? 結構良い案だと思うのだけれど」

 

確かに、条件は非常に魅力的ではある。魅力的ではあるのだが、さすがにこれを承諾するわけにはいかない。これが使用人という扱いだったら俺も肯定したいところだ。

 

だが、現実としてはペットという扱いになってしまうのだ。燐の待遇を見る限りは、十分に家族としての扱いを受けているだろうからそこまで嫌悪するようなものはない。

 

ただ人間の俺からすればペットというのは扱いとしては嫌という感情の方が強い。

 

そう考えていると、唖然としていたさとりが表情を元に戻し、こいしに注意する。

 

「こいし。……そんな事出来るわけないでしょう? 一体どうしてペットなんて……」

 

しかし燐がさとりに対して提案をしてくる。

 

「さとり様、でもこれは結構良い案かもしれませんよ? 耕也が妖怪からの被害を受ける事を軽減させる事にも繋がりますし」

 

そう、おそらくこいしの言いたい所はそこが一番のうまみであるという事なのだろう。俺が商店街付近で暮らせば、人間である俺は妖怪からの攻撃を受けやすい。

 

家も破壊される可能性もある。だからここに住めばいい。ここに住めばここに近寄ってくる妖怪もいないし、さらには余計な妖怪がいないので襲われる確率が格段に低くなる。

 

これが俺の中でこいしの思惑であろうと考えている事である。実際にどうなのかは分からないが、一応こうだと俺の中では判断したい。

 

そして、燐の言った事に賛同するようにこいしが口を開く。

 

「そう、その通りなんだよお燐っ! ……お姉ちゃん、立地条件からしてもこの場所は人間が住むのは最適だと思うよ?」

 

こいしがさとりに対して、これが最良案だという口調で言っていく。

 

さとりも、だんだんとこいしの案に思考が傾いて行っているのか、次第に表情を険しくしてくのが分かる。

 

おそらく善意でこいしは提案してくれているのかも知れないが、さすがにペットは無いだろうと思いながら、こいしに言う。

 

「すみません。さすがにペットという待遇は突然の事でまだ受け入れる事ができません。……ですので、この話はお受けする事ができません。申し訳ありません。使用人という立場なら喜んでという感じだったのですが……」

 

そう俺が返答すると、さとりはうんうんと頷き、燐は頬を掻きながら仕方ないかという表情をする。

 

しかしこいしは頬を膨らませ、口を尖らせながら俺に文句を言ってくる。

 

「え~~~~っ!? …………良いじゃないペットくらい。使用人だとペットみたく自由にできないんだもん」

 

結局俺で遊ぶだけかい……。

 

俺はそれを聞いた瞬間にそう心の中で突っ込みを入れた。

 

……いまいちイメージが湧かないが、こいしが俺で遊ぶという所を想像したくない。妖怪の体力に人間の俺が着いて行けるわけもないし、仮に遊びとやらに付きあったらぶっ倒れる自信がある。

 

と、俺はそんなネガティブな事を考えた後、やっぱり却下と思い、その旨をこいしに伝える。

 

「……さすがに厳しいです。すみません、それは無理です……………………」

 

それを言うと、こいしは自分の思惑通りにいかなかったのが悔しいのか、さらに口を尖らせて不満そうに席に座り直す。

 

こいしが椅子に座ると、あたりには少し気まずい空気が流れる。原因はこいしの発言もあるだろうが、俺が断ったのも少しあるだろう。

 

こいしは、自分の娯楽の為に俺をペットにしてみたいという事が却下されたために、元気をなくしてしまったという感じである。

 

さとりの場合は、度重なるこいしの発言に頭を痛めているという表現が一番であろう。その表情は先ほどよりも険しい。

 

俺は当初予想していた思惑よりも、斜め遥か上にすっ飛んだ考えだったためにすこし失礼な断り方をしてしまったという事に起因している。

 

これが、後々の事に影響しないかと少し不安な自分がいる。

 

燐はさとりとこいしの顔を交互に見比べながらオロオロし、時折こちらを見て助けを求めてくる。

 

俺はその視線を受けて、暫しこれからの事について考えていく。

 

こいしの言っていたペットというのは…………駄目だ、いくら考えても良いビジョンが浮かんでこない。

 

他人に紹介される時も、ペットの大正耕也だと言われる上に、幽香達に知られたら殺されそうだ……。浮気者とかそんなレベルではない。

 

使用人……又は掃除要員という形であれば、商店街近辺に家を建てて地霊殿と両方のやりとりが可能である。住み込みは流石に商店街との交流が少なくなりがちになる。今後何年も暮らすのであれば、交流が多い事に越した事はない。

 

万屋の真似事は………………無理だな。ノウハウが足りない。

 

先ほどはさとり達に難しいと言われたが、やはり仕事の理想的なものは力仕事なのだ。生活支援があるおかげで、質量のある岩も羽を運ぶように運ぶ事ができるため、疲れがほとんど発生しない。この部分が妖怪よりも強みがある部分なのである。

 

いくら人間よりも体力がある妖怪でも、力仕事を延々とやっていては疲れもする。さらに言えば、俺のような力を持たないため、重い建築資材などをそのままの重量で持ったりするのだ。

 

何とかこの力仕事に就きたい。もしくは酒屋などで積み下ろしなどの作業などをやりたい。

 

………………使用人という仕事も悪くはないのだけれども、この凄まじい広さを誇る地霊殿を掃除していくのは流石に無理だ。今はどのように清掃をしているのかは不明だが……。

 

そうだな……燐とこいしを明日あたりに貸してもらおうか? 地底の地理に二人は詳しいだろうし、何よりさとりとは違って屋外に良く出る。

 

だから、明日あたりに地底の詳しい案内をしてもらい、仕事でも探そうと思う。

 

なので、俺は燐の視線に応えることにする。

 

「ではさとりさん、こうしましょう。明日ですけれども、こいしさんと燐さんの御二人をお借りしてもよろしいでしょうか? 詳しい地理と、仕事探しの補助をお頼みしたいのです」

 

そう言うと、しばらく険しい表情をしていたさとりが、俺の方を見て少し明るい顔で同意してくれる。

 

「ええ、良いですよ。……こいし、燐? 良いわね?」

 

そう言いながら拒否を許さないような視線で二人を見ながら言う。

 

流石にこの視線には耐えられなかったのか、燐はもちろんの事、こいしも了承する。

 

「分かりましたさとり様」

 

「……わ、分かったわよ」

 

その返事を聞くと、さとりは満足そうに頷き、俺の方を見て口を開く。

 

「さあ、今回はここで御仕舞にしましょう。……お燐、耕也を部屋に案内してあげて」

 

「はい、分かりましたさとり様。耕也、こっちだよ」

 

そう言って燐は立ち上がり、ドアを半開きにして俺を待つ。

 

俺は燐に返事すると同時に、さとりとこいしに礼を言う。

 

「はい、今行きます。……さとりさん、こいしさん、本日は相談に乗っていただき、ありがとうございました」

 

そう言うと、さとりとこいしは何だか恥ずかしそうに笑いながら俺に返答してくる。

 

「いいですよ気にしなくても。」

 

「い、いやぁ~、そんな……」

 

俺は二人の言葉を聞いた後、会釈をして燐の後に着いていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今回俺が使用する部屋は、ペット用に用意された部屋の一つであり、燐の部屋の隣とのこと。

 

俺は燐に案内されながら色々な話を聞いたり聞かれたりした。

 

「ねえ、耕也。……さとり様は、会った感想としてはどう? 遠慮なく言っていいよ」

 

そう言われると何と返していいのやら。優しい子だとは思うがねえ。

 

他人からすれば心を読まれるという事が非常に嫌なのだろう。自分の考えている事が相手に簡単にバレる。これは非常に恐ろしい事である。

 

ただ燐の感覚は他の妖怪とは違い、むしろ読んでくれた方が会話も進みやすいし、何より意思疎通が非常に円滑になると感じているのだろう。

 

だが、他の妖怪は違う。精神的な部分の保護が弱い妖怪は、さとりの能力が致命的になることすらもあるのだ。だから忌み嫌う。だからこいしは自分のアイデンティティである第三の目を潰した。

 

自分が他人に嫌われるの恐れて。他人が自分の事を悪く考えているのを読みたくないから。

 

燐が俺に聞きたいのは、この地でさとりが唯一心を読めない人間である俺に純粋なさとりの人柄という事だろう。今までの妖怪の評価は、さとりの本来の人柄に対してではなく、能力という色眼鏡が掛かった状態での評価だろうから。

 

と、俺は薄暗い廊下を燐と二人でゆっくりと歩きながら質問の意図を考えていく。

 

ふと燐の表情を見ると、燐の顔は俺に質問する前とは大きく違い、少し眉を下げながら何とも不安そうな顔をしているのが眼に映る。

 

また廊下を薄く照らす蝋燭は、俺の答えを待ち続けている燐の不安な様子を表しているかのように、その炎を揺らめかせる。

 

そして俺の感想はもちろん燐が考えているようなネガティブなモノではなく、非常に好印象であった。

 

妖怪と人間の違いという決定的なモノがありながら、俺なんかの相談に長い時間のってくれた上に、宿まで貸してもらえた。これで悪印象を持つ事自体が不可能であり、持つ方法があったら教えてほしいほどである。

 

「燐さん、私の感想としましては、非常に良い方だと思いますよ。真摯に相談に乗ってくださいましたし」

 

そう言うと、燐は自分の主の事を褒められたのがうれしいのか、顔をホニャリと崩して笑顔になる。

 

それに伴って尻尾もユラユラと揺れ始める。

 

だが、すぐにまた表情を暗くして、尻尾を垂らしてしまう。

 

そして再び俺に質問してくる。

 

「…………じゃあ、こいし様は?」

 

こいしか…………確かに彼女は…不思議だ。無意識を操るもんだから、姿が見えないという事はないのだが、何を考えているのか分からない部分が多い。

 

ただ、こいしは無邪気である。こればかりはあっているだろう。

 

しかし、俺に対しては襲うだの何だのと妖怪の本分だと言っていたが、その主張は間違っていないし、むしろ妖怪としてはそれが正しい姿なのである。

 

そしてさらには、先ほど考えていたように自分の第三の目を閉ざしたというのは、自分の考えと、他人からの考えが大きく違っており、自分の心が耐えきれ無くなってしまったという考えもできる。

 

だから、本当は彼女もさとりと同じように優しい心を持っているのではないだろうか? そんな考えが浮かんでくる。

 

俺が好意的に解釈しすぎな面もあるかもしれないが、大凡は合っていると信じたい。

 

だからその間違っているかもしれないと思いながら解釈を基に燐に答える。

 

「いえ、良い方だと思いますよ? ただ、ちょっと行きすぎな部分もあると思いますが。ですが、私の為を思って色々と提案して下さったことには変わりないですからね」

 

俺をペットにしたいらしいけどさ…。

 

俺の答えが気に入ったのか、再びホニャッとさせて笑みを浮かべる。

 

「そ、そっか~…………うんうん、耕也は見る目があるねぇ」

 

そう言いながら一人でスタスタと行ってしまう。

 

俺はそれを見ながら急いで燐の後を追う。そしてその直後、突然燐の声が廊下に木霊する。

 

「あ、お空。おかえり!」

 

「た、ただいま~。今日も暑かった~」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねえ、お燐。何で人間がここにいるの?」

 

そう言ってくるのは空。何も知らない空としては非常にごもっともな意見であり、それに対応する形で燐が返す。

 

「この人間は、訳あって地底に来てしまったんだよ。名前は大正耕也」

 

俺は紹介されると同時に空に向かって頭を下げて言う。

 

「大正耕也です。よろしくお願いします」

 

すると、今まで燐の方を見ていた空が、俺の方に顔を向けて口を開く。

 

「ふ~ん、人間なんだ。私は妖怪の霊烏路空。まあ、さとり様のいるココで変なマネはしないでね」

 

そう言うと、サッサと俺達を後にしてしまう。

 

それを見た燐は気まずそうに笑いながら言ってくる。

 

「にゃはは~……馬鹿なんだけども、ああ見えて結構警戒心が強いんだよね。特にさとり様やこいし様の事になるとさ。まあ、気にしないでおくれよ。結構根は良い奴だから」

 

俺は空の行動に呆気に取られながらも、燐の言葉に返事をしていく。

 

「ええ、大丈夫です。部外者なので仕方が無いとは思いますし」

 

「そう考えてくれると助かるよ」

 

そう言ってまた歩き出す。

 

しばらく歩いた所に、五つほどの一定間隔に設置されたドアが見えてくる。燐は軽い足取りで扉をどんどん通り過ぎていくと、最後の五つ目の扉の前で止まる。

 

そしてこちらにクルリと回って此方を向き、ドアを指差して言う。

 

「さあ、ココが耕也の部屋だよ。……結構広いから不満はないとは思うけど」

 

そう言いながらドアのカギを開けて中を見せる。

 

中は燐の言葉通りに広く、ビジネスホテルの一室よりもずっと広く感じられる。この地霊殿の大きさも相まって見えるだけかもしれないが、個人で使うには十分すぎるほどの広さであった。

 

俺はその感想を燐に素直に言う。

 

「おぉ~、結構広いですねえ。十分すぎますよこれは」

 

そう言うと、燐も顔を綻ばせながら

 

「でしょでしょ~? さとり様とこいし様は、ペットにも十分に気を使ってくれる優しい方達なんだよ」

 

自分の主達を褒めたたえる。

 

俺はそれに素直に納得し、反論等は全くなく燐の意見に賛同する。

 

「ええ、そうですね。よく分かりますよ」

 

確かにペットに対してのこの待遇は破格である。むしろ事情を知らない人が見たら異常なレベルと言いそうだ。

 

しかし、彼女達は家族なのだから何ら不思議はない。

 

俺はそんなことを思いながら少しだけ埃がある部屋を掃除していった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あの後何のトラブルも無く夕食が終わり、今は自室でベッドに寝そべっている。というか、眠ろうとしている。

 

明日は少し早めに出るらしいから、俺も睡眠不足にならないようにしないとなあ。そう思いながら夕食を思い出す。

 

夕食はごく普通の食べ物であり、人間が食べられる物であったうえ、非常に美味しかったという感想が自然と浮かんでくる。

 

ただ、その夕食が美味しかったという感想も、明日の仕事探しを思うと消し飛んでしまう。

 

……不安だ。物凄く不安だ。だが頑張らなければいけない。

 

いやしかし、初日にあんな派手な戦闘をしてしまったのだから相当警戒されるだろうな……。

 

燐はあの時の事を知っているだろうが、特に不安そうな顔をしてはいなかった。降りかかる火の粉を払っただけなのだから、特に気にする必要はないという事なのだろうか?

 

燐たちも補助してくれるだろうからそこまでイザコザは起きない気がするのだけれども。

 

そんな事を思いながら眼を閉じて本格的に眠ろうとする。

 

が、その時丁度ドアから異音がしてくる。

 

その音にいったん閉じた眼を再び開け、ドアを見やる。

 

すると、先ほどまで閉じてあったドアが開いてしまっているのだ。

 

俺は不審に思って懐中電灯を創造して照らす。電球から放たれる一筋の光は、ドアを良く照らしてそこに何があるのかを鮮明にする。

 

しかし、そこには何の姿も無く、ただプラプラとドアが開かれたまま微動しているだけである。

 

「ん? いたずらか?」

 

そう思いながらドアを閉めようとベッドから出ようとすると、突然死角から声がする。

 

「わっ!」

 

その声は女性特有の高い声であり、すぐに誰かなのかは想像がついた。

 

だが、あまりの突然に俺は驚いてしまい、その場で驚きの声を上げてしまう。

 

「うわぁっ!?」

 

我ながら変な叫び声だと思いながらも、その声を抑える事ができず、ただただ喉から声が出るだけであった。

 

そして驚かせた主は、背中あたりからケタケタと笑い、悪戯が成功した事を喜ぶ。

 

その方向に向かって俺は急いで懐中電灯を向けてその人物を特定する。

 

「あ~あ、ばれちゃった」

 

「こいしさん……こんな夜中でいきなり驚かさないでください。心臓が止まるかと思いましたよ」

 

そう、俺を驚かせたのは、こいしだったのだ。まあ、一番やりそうな人だったのだけどね。

 

そして俺の声を聞くと、こいしはニヤニヤしながら口を開く。

 

「ん~、おっしいなあ。そしたら死体が手に入るのに……」

 

「そんなに死にたくないので勘弁して下さい。……それで、どうしたのですか? こんな夜中に」

 

するとこいしは、う~ん。と、考えながら俺に自分の考えを吐露する。

 

「夜這いじゃないから安心してね? …………実を言うと、貴方の話が聞きたかったの。私の能力も効かないし、お姉ちゃんも心を読めない。一体どうしてここに来る羽目になったの? それと、どうして攻撃的な干渉ができないの?」

 

俺はそれを聞くと、少しどう話したらいいのか迷ってしまう。一体どこから話していいのやら……最初から話すとむちゃくちゃ長くなってしまう。

 

仕方が無い。少しだけ端折るか。

 

「え~と、ですね。まあ、干渉云々は、もうそういうものなんだという事で割り切ってしまってください」

 

そう言うと、こいしは口を尖らせながら文句を垂れる。

 

「けちんぼ」

 

その言葉に思わず苦笑してしまいながらも、謝って続きを話す。

 

「すみません。でも、これについてはお願いします。……………そうですね、どうしてここに来たのかですか……。まあ、簡単に言ってしまえば、人間の陣営を裏切ってしまったからですね」

 

そう言うと、こいしはますます不思議そうに尋ねてくる。

 

「どうして裏切ったの? そういう事をする様な人間には見えないけれども……」

 

「まあ……妖怪と仲良くなった所をバレてしまったからですね……それで封印されてしまったという訳です」

 

すると、こいしは俺の方にさらに近寄ってきて身体の匂いを嗅ぐしぐさをする。

 

一体何故だろうか? 変なにおいでもあるのだろうか? ……さすがに嫌だな。

 

「あの、どうしたのですか?」

 

すると、こいしは匂いを嗅いだ後に、納得したような表情をしてウンウンと頷きながら口を開く。

 

「だからなんだ……耕也の身体から妖怪の匂いがする。三人だね。しかも全員女の匂い。」

 

「え?え? ……女の匂い?」

 

「そうそう、前から気になってはいたんだけどね。お燐も気付いているんじゃないかな? なんだろう……物凄くアレな匂いがする。本当に微かにだけども」

 

俺はその言葉を基に急いで身体の匂いを嗅ぐが、全く分からない。

 

「人間じゃ分からないよ。……でも、多分洗っても取れない気がするよその匂い…………じゃね」

 

そう言いながら、用は済んだとばかりに布団から離れていく。

 

そしてドアを開けて俺に対して最後の言葉を言う。

 

「じゃあ、明日は頑張ろうね。耕也?」

 

そう言ってすぐにドアを閉じる。

 

「え?え? …………ちょっと、あれ? な、何が何だか……」

 

俺はただこいしの言っている事に考えが追いつかず、終始その場で意味不明な言葉を言いながら固まるしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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67話 何とか成功だ……

サポートありがとうございます……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それではさとり様、行ってきます」

 

燐が玄関を出る際に送りに来ていたさとりに向かって言う。

 

また、それに従ってこいしもさとりに向かって外出の挨拶を。

 

「じゃあ、行ってくるねお姉ちゃん。」

 

ただ、俺だけは外出の挨拶だけではなく、宿の提供に対しての感謝を述べる。

 

「さとりさん、今回は本当にありがとうございました。後ほど必ず御礼に伺いますので、よろしくお願いします」

 

「どういたしまして耕也。じゃあ、お燐、こいし? 頼んだわよ?」

 

「はい、さとり様」

 

「は~い」

 

そう言いながら俺達は玄関のドアを閉めて歩き始める。

 

今回は予定されていた時刻よりも早めに出ていたため、その歩幅は小さくゆっくりである。

 

基本的に俺達三人は手ぶらであり、燐も普段なら持っているであろう猫車を置いてきている。

 

またこいしは無意識を操る事も無く、普段とは違って意識をしっかりと持った歩き方をしている。

 

当然俺は何時も通りである。何も特徴が無く、ただ目の前の延々と続く商店街までの緩い坂道を下っているだけである。

 

しかし、歩きながらではあるが気になる部分が頭に浮かんでくる。それは前日も考えていた何時地上の幽香達と連絡を取るべきなのか。ソレである。

 

どれぐらい時が経てば俺は幽香の所に行っても大丈夫なのだろうか? また、本当に地上を何の気兼ねも無く歩けるようになるのは何時になるのだろうか?

 

今出ていくのは流石にマズイというのは分かるが、それでも幽香達を安心させてやりたい。幽香達が俺の現状について知っているのならではあるが。

 

しかし、地上と違ってこの地下は息が少ししづらいというのは頂けない。今のおれの心理的な部分もあるのだろう。連絡を無事に取れるのかという不安と、仕事が見つかるのかという不安と緊張である。

 

もうひとつの要因としては、此処が以前地獄であったという事もあるのかもしれない。

 

燐達妖怪は何の抵抗も無いらしいのだが、…………体力や肺活量の違いからくる可能性という考えも捨てられない。

 

まあ、この息苦しさは気のせいであるとは思いたいのだが……。

 

何にせよ、仕事を探す前に住居を確保しなければならない。

 

そこで俺は前を歩く二人に提案する。

 

「え~と、御二人とも。仕事を探す前に住居の確保を行いたいのですが、良いでしょうか?」

 

すると、燐とこいしは少し考えながら自分の案を構築していく。また当然ながら俺も燐達だけに頼るわけにはいかないため、条件を出していく。

 

「住居を確保するにあたって、最適な場所を教えていただきたいのです。建築資材等は此処で用意する必要は全くありません。力で全部片づけてしまうので」

 

俺が途中まで言うと、燐は何かを思い出したかのような反応をして俺に向かって口を開く。

 

「あ~、そう言えば耕也は創造ができるんだっけ? なら家もそのまま出せるという事?」

 

「ええ、そうです。今まで見てきたものや、知っている事。後はまあ、色々と自然に頭に浮かんでくる候補から選ぶという感じですね」

 

ただし、この地底に現実世界で建築されるような家が受け入れられるわけはないので、古い日本家屋のような家しか建てられないと思うのだが。

 

例えばこの地底に存在する商店街付近に、エス・バイ・○ルの設計する家なんて建てたら間違いなく悪い意味で注目される。質は良いのだけれどもね。

 

これがもっともっと時代が進んだのならばいいかもしれないが。現状で質はズバ抜けていても無理という悲しい事態になってしまっているのだ。

 

だから、今回も地上での暮らしのように外観だけはボロいが、内装だけは和を乱さない現代レベルのモノとしようと思う。

 

そしてこんな事を考えていると、今度はこいしから質問が飛んでくる。

 

「じゃあさ、耕也はどこら辺に家を建てたいんだっけ? 教えてくれれば大体は考えられると思うけど……」

 

「そうですね、地霊殿と連絡がとりやすく、かつ商店街とも交流が多い方が良いので、この商店街までの道にあると良いかな~なんて……はい、思っております」

 

そう言ってこいしに返答すると、こいしは俺の言葉を消化しながら再び思考の海に潜っていく。

 

再び俺達は無言の状態となり、あたりには俺達の立てる足音しかしなくなる。

 

俺はこのゴツゴツした未舗装の荒い道に足を取られないように、時折下を向きながら歩いていく。

 

ふと、視界の隅にユラユラしたモノが映る。最初はあまり気にしないようにしていたのだが、俺の中で何かが耐えきれなくなったのか、ついにそれに意識を傾けてしまう。

 

その視界に収めたモノは、燐の尻尾であった。普通の猫とは違い、妖獣である事を容易に示す二本の尻尾。たしか猫又と言うんだっけかな?

 

とにかくその燐の尻尾が眼に留まる。もちろん藍の尻尾とは違ってフサフサではないが、その辺にいる猫とは違って毛並みは揃うわ艶はとんでもないわで素直に感心するしかない。

 

そして何より気になるのが、生え際である。普通の猫とは違って二股の尻尾。となれば一体どんな感じなのだろうかという好奇心が湧いてきてもおかしくない。そう、おかしくない。

 

ただ非常に残念なことに、尻尾の根元は燐の服に隠れているためにソレを拝む事ができない。非常にもったいない。見たいのだけれども見たらマズイ事になるだろう。

 

恐らくリンチされることに間違いはない。そう、見るためには燐の服を取っ払わなければならないのだ。燐の裸か……。

 

……………………俺は一体何を考えているのだろうか? 本当に唯の変態じゃねえか。

 

俺が燐の尻尾を見ながらそう考えていると、ふと隣から視線を感じる。

 

嫌な予感がしながらもその視線の元へと首を向ける。

 

首を向けた瞬間、人間の嫌な予感と言うのは映画の中だけではなく、現実にも存在するもんだと思ってしまった。

 

……こいしが此方を見てこれでもかとばかりにニンマニンマしているのである。もうすべて分かっている。お前がしたい事や、奥底に眠る欲望など全部分かっているぞとでも言うかのような、何とも嫌らしい笑みで此方を見ているのである。

 

幸いにも燐は俺達の方に気付いておらず、未だに思考の海に沈んでいるままである。

 

再び意識を燐からこいしへとシフトさせる。必死に何とか言い訳を考えようとする。さてこの女性をどうするか……と。

 

本当にどうしようか……。不気味なほどにニマニマした表情が何時瓦解して燐にこの事をバラすのか不安である。

 

……仕方が無い。ここは身振り手振りで。

 

俺はそう思った瞬間にこいしに向かって口に人差し指を立てて当てたり、燐の方を指さして両腕を使って大きなバツ印をしたりと色々やってみる。

 

こいしは俺の動作を見ながらウンウンと頷き、俺の方に手を置く。そしてさらに一度だけ大きく頷く。

 

そしてこいしは俺に向かって、声には出さないものの、口を開いて意思を伝える。

 

その意思とは

 

へ ん た い

 

唯それだけである。そう、それだけ。

 

本当にそれだけなのにも拘らず、俺にダメージを与えるには十分な威力を保有していた。

 

一気に顔に血が集まり熱くなっていくのが分かる。これは怒りからくるものではなく、恥ずかしさからくるものであると分かっている。

 

何とかこの恥ずかしさと、自分のアホらしさに怒りを持ちながらも必死に顔の火照りを何とかしようとして、明後日の方向を向きながら手で顔を煽ぐ。

 

しかし、それは全くの意味無い行動に終わり、逆に手を激しく動かしたことにより身体が熱くなる。

 

もう勘弁してくれと思いながら再びこいしの方を見やる。

 

俺の反応が余程楽しいのか、両手を口に当てて必死に笑い声を抑えている。とはいってもかなりの音量が手から洩れているのが分かる。

 

しかし、燐は此方を振り向かない。おそらくこいしが無意識を使っている為であろう。本当に便利な能力だ。

 

俺はどうする事も出来ず、ただただ恥ずかしさのあまりガリガリと片手で頭を掻くしかない。

 

と、そこでついに燐が顔を上げて思考の海から浮上してきた。

 

此方を向いた燐の表情は何とも爽やかな笑顔を浮かべており、妙案が浮かんだという事をこちらに知らせてくる。

 

「耕也、良い場所があるよっ! こっちこっち」

 

そう言いながらスタスタと歩いていく。

 

「は、は、はいぃ! 今行きます!」

 

突然の事に俺は素っ頓狂な声を上げながら着いていく。

 

こいしは俺の返答がさらに笑いを誘ったのか、その場でピョンピョン跳ねながら大爆笑を始める。

 

こんちくせうと思いながらも俺は燐の後を着けていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さあ、ここだよ。物凄く頑丈な岩盤だし、申し分ないと思うよ」

 

そう言いながら俺の方を見て笑みを浮かべる。

 

燐の案内した所は、すこし俺の理想とは違っていたが、非常に条件としては良い。

 

植物は無いが、頑丈な岩盤があり、そして周囲を観察すれば、商店街が視界に入るほどである。あいにく地霊殿とは少し離れてしまっているが、これは仕方が無いと思って割り切る。

 

俺は燐の案内した所に素直に感謝しながらソレを口にする。

 

「いやあ、素晴らしい場所です。ここなら非常に双方の行き来が楽ですね。本当にありがとうございます」

 

燐は俺の言葉ににゃはは~と笑いながら反応する。

 

俺は燐の反応を後目に、早速家を創造しようとする。

 

しかし、創造しようとした瞬間に背中にトンと衝撃が来る。

 

なんだ? と、思いながら俺はその衝撃源を特定しようと振り返る。

 

すると、こいしが俺の背中にしなだれかかったのが分かった。一体何のために? ひょっとして足でも捻ったのだろうか?

 

そんな心配が僅かに起こると同時にこいしの方を見て尋ねる。

 

「あの、どうかされました?」

 

そう言うと、こいしは妖艶な表情と声を出しながら俺に声をかける。

 

「ねえ、耕也。私には何も聞かないの……?」

 

もしかして住宅の事だろうか? だとしたらさっき聞いたのだが……。

 

仕方が無いと思いながら俺は彼女に聞いていく。

 

「こいしさんの御意見をお願いします」

 

そう言うと先ほどまでの表情が嘘のようになり、今度はおちゃらけたモノとなって嬉々として向こう側を指差す……。

 

「うん、あそこあそこ~」

 

そう言われながら指のさされた方向に向かって視線を移していく。

 

が、何もない。本当に何もない。俺は良く分からないため、首を傾げながらこいしに質問していく。

 

「あの、こいしさん。……何もないのですが…………土地はどこに?」

 

そういうと、こいしは口を尖らせながら文句を言ってくる。

 

「んもぅ~。人間は目が弱いんだから……アレだよアレ」

 

とはいっても全く見えないのだから仕方が無い。俺はそこがよく見えるようにと思いながら双眼鏡を創造して最大望遠で見てみる。

 

…………こいしは俺をおちょくっているだけなのだろうか?

 

俺が見た所、遥か先にマグマと少しの岩地があるだけ。まさかあそこに? 確かに此処とは繋がってい入るけれども、思いっきりマグマの近くなのだが……。

 

そう思いながらこいしに尋ねる。

 

「冗談ですよねこいしさん…? あそこに家を建てたら確実に火事になりますよ? しかも俺の要望に全く掠ってません」

 

そう言うと、こいしは照れた表情をしながら

 

「えへへ~、お燐に先越されたのがちょっと悔しくて……」

 

「えへへ~じゃあないです。変なことしないでくださいな」

 

「は~い」

 

そう返事をしてから燐の方に向かって歩いていく。

 

俺はその事を見届けると、反対方向を向き、燐の案内してくれた土地に家を創造する準備をする。準備とはいっても燐たちに離れるように指示をするだけではあるが。

 

「それでは今から創造しますので、少しだけ離れて下さい。万が一という事もありますので」

 

そう言って離れさせた事を確認すると、創造を一気に始める。

 

意識を少しだけ集中させた瞬間に、まるでそこに初めからあったかのように家が創造される。

 

しかし、外見は非常にボロイとしか言いようがない。前に住んでいた寺の様相だけでもまねてみたのだが、どうだろうか?

 

一応これくらいなら、商店街の住人に馬鹿にされる事はあっても、嫌みを言われたり物珍しさで来たりする輩もいないだろう。

 

俺は内装だけは最高のモノであると思いながら、商店街へ行こうと提案するために後ろを振り返る。

 

しかし、妖怪というのは良く分からないモノで。…………燐の顔が明らかに怒っていた。

 

いや、よく分からないというのは訂正しよう。確実にこいしがさっきの尻尾に関する事を漏らしたのだという事が分かる。

 

なぜなら燐の表情が怒り顔であるのに対し、こいしの方はもう爽やかと言っても差し支えないほどの笑い顔なのだ。

 

「フーッ!」

 

と、顔を真っ赤燐が俺に対して威嚇を始めてくる。おそらく羞恥と怒りの両方で顔を真っ赤にしているのだろう。

 

俺は心の中で泣きそうになりながらも、なんとか言い訳をしていく。

 

「あの、燐さん。それはその……尻尾が見たかったとい純粋な生物学的探究心に基づく研究者魂と申しますか……あの……」

 

「フシャーッ!」

 

綺麗な顔をしながら怒る姿は、非常に絵になるのだが、怒られる側としては非常に頂けない。

 

「ご、ごめんなさいっ!」

 

だから、そう言いながら逃げるしかできなかった。

 

「こうや~~っ!! 待て~~っ!」

 

燐の声と、こいしの笑い声を背中にしながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その後謝り倒して何とか燐のお許しを貰った俺は、体力がゴッソリ削られた状態で商店街に入ることになった。

 

しかし、俺が商店街に入った途端に、視線が集まるのはどうにも居心地が悪い。

 

さとりの関係者だからという理由でこいし達に視線が降り注ぐのではなく、昨日の件が原因で俺に視線が集まっているのだろう。

 

その視線は様々であり、忌避や怖いもの見たさ、蔑視、そしてわずかばかりの恨みのこもったモノであった。

 

俺はその視線を気にせずこいしに聞いていく。

 

「一応駄目元で聞いてみましょう。あの、建築関係……工務店でもいいので、案内していただけませんか?」

 

そう言うと、こいしはすこし困った笑みをしながらこっちだよと言って案内してくれる。

 

やはり俺への視線が影響しているのだろうか? やはりこいしとしても出生からしてこの視線は気持ちのいいものではないのだろう。

 

いくら心を閉ざしているとしても眼に映っているモノは心など関係ない。……俺のせいだよな。

 

ヤマメを庇うためとはいえ、自分のした行いが後々の事に影響が出始めている事を実感すると、どうしても罪悪感が湧いてくる。

 

二人には本当に悪い事をしたと思いながら、俺は後に着いていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ!? 人間のお前が? 無理だ無理無理。人間ごときが務まるような仕事じゃねえよっ! ほらどけどけ、こっちは暇じゃねえんだからよ」

 

そう言いながら俺の横を通り過ぎていく現場監督。

 

「いやあの、こう見えても結構力ありますので大丈夫ですっ! ですからどうか御一考を!」

 

と引き止めるように頭を下げながら言うのだが、無視されて全く相手にしてもらえない。やはり人間だからという理由で断られるのが最も大きいのだろう。

 

この妖怪は口調と様子から察するに、昨日の件については知らないと言った感じであろう。特に俺を見ても態度を急変させなかったからである。

 

しかし人間だと言った瞬間には一気に態度を硬化させてしまったが……。

 

そしてさすがに燐たちは部外者なので此方の件には口出しをしてこない。

 

しかし、雲行きが宜しくないのは十分に伝わっているためか、その表情は暗い。そして従業員達からの視線が注がれているためか、居心地が悪そうだ。

 

仕方が無い。別を当たろう。さすがにこれ以上鬱屈した場所にいさせるのは酷である。

 

「失礼しました。もしお気持ちが変わるような事がありましたら、また宜しくお願いいたします」

 

一応そう言って燐たちの元へと歩いていく。

 

「すみません。窮屈な思いをさせてしまいまして。次に行きましょう」

 

そう言いながら、店をどんどん周っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「み……見つからねぇ…………」

 

「にゃぁ~……」

 

「う~ん……」

 

あれから結構周ってみただが、仕事が本当に見つからない……。一番の大きな障害は俺が種族的に敵対しているからである。

 

要は人間なんて雇う訳ねえだろば~か。と言う事なのである。

 

「あの~……他に店なんてありません?」

 

「う~ん、耕也の仕事ができそうな店はほとんど周ったしねえ……」

 

やはり、無理なのかねえ……。人間が妖怪に交じって仕事をするだなんて……。

 

俺はため息を吐きながら燐の回答を待つ。

 

燐は俺の言葉を受けてから一言もしゃべらず、ただその場で頭を捻っているだけである。

 

ひたすら捻る。時間にして大凡4分ほどであろうか? それくらいの時間が経過した時、燐が顔を上げた。

 

「あ~……一軒だけ酒屋があるよ。この商店街の外れにある物凄く古い酒屋でね。お爺さんが経営しているんだけど、結構人間に親しい部分もあるらしいし、行ってみる価値はあるかも」

 

地理に詳しい燐のおかげでまた一つ希望が持てる。

 

「お~、じゃあそこに行ってみましょう。こいしさんもそれでいいですね?」

 

「いいよ~。でももしこれで駄目だったら、私達のペットね?」

 

「嫌です」

 

「けちんぼ」

 

「ケチとかそういう問題じゃありません」

 

「ぶぅ~~」

 

口を尖らせながら不満を言うこいしに俺は苦笑しながら立ち上がる。

 

「さて、行きましょうか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

歩く事約20分。ようやく燐が言っていたその古い酒屋にやって来た。

 

何と言うか……外観自体は普通なんだが、遠くからでもはっきり分かるくらいに威圧感がある。古い店だからだろうか?

 

俺達がドンドン歩いていくと、脚がいないように思えていた店内から一人の女性が現れる。

 

思わず俺はそれに小さく声を上げてしまう。

 

「げっ」

 

エルフ耳に金髪。そしてエメラルド色の目をした綺麗な女性。間違いなく水橋パルスィであった。

 

「お、パルスィじゃないか。どうしたんだいこんな所で」

 

横を歩いていた燐がそう言うと、パルスィも此方に気がついたのか、身体の向きを変えてこちらを見てくる。

 

「あら、燐にこいし…………と、貴方誰?」

 

と、警戒心むき出しの状態で俺に尋ねてくる。

 

俺は乾いた笑いを浮かべながらやりにくさを感じながら自己紹介を始める。

 

「はじめまして。大正耕也と申します。」

 

そう言って頭を下げる。パルスィは俺の方をマジマジと見ながらやがて答えていく。

 

「人間なのね…………ああ、ヤマメの言っていた人間って貴方ね? 私は水橋パルスィ。よろしく」

 

そう言って握手を求めてくる。

 

はて……なんかきな臭いような?

 

いや、そこまで疑うのも良くないだろう。握手を求めてくれているのにも拘らずそれに応じなければ失礼にあたるというモノである。

 

俺はそこまで考えながら握手に応じると、グイッと引き寄せられる。

 

そして引き寄せられたまま、俺はパルスィに耳元でささやかれる。

 

「まったく……嫉妬心も操れないだなんて。妬ましくないけど妬ましいわね……」

 

そう小声で言うと、元の位置に戻す。

 

呆気にとられていると、パルスィは、燐とこいしに質問していく。

 

「ねえ、貴方達はどうしてここに来たのかしら? その面持ちじゃあ酒を買いに来たという訳ではないのでしょう?」

 

そう言いながら自分の持っている小さな酒樽を持ちあげる。

 

こいしと燐はお互いに顔を見合って頷き合い、返答していく。

 

「実はこいし様と私は、耕也の仕事探しの手伝いに来たんだよ。それでどこも雇ってくれないから最後の頼みとして此処に来たという訳さ」

 

その言葉を聞くと、少し考えながらこちらの方を見てくる。

 

そしてパルスィは店の奥と俺とを交互に見ながらやがて口を開く。

 

「ふ~ん、人間の貴方がねえ……。まあ、今日は気分も良いし、店主に口利してあげるわ。此処の店主とは結構仲がいいのよ」

 

俺はその願っても無い提案に即座に頭を下げて礼を言う。

 

「ありがとうございます。本当にありがとうございます」

 

「はいはい、頭を下げるのは雇ってもらえてからにしなさいな」

 

そう言いながら店の奥に入っていく。

 

「おじいさん今平気? ……耕也、ちょっと来てもらえるかしら?」

 

小さな声とともに俺が呼ばれる。

 

「はい、今行きます」

 

そう言って店の中へと入っていく。店の中は様々な酒が並んでおり、中にはワイン樽よりも大きいモノまであるという結構な店。

 

流石に古い店だという事だけあって扱う酒も豊富なのか……。

 

俺はその種類の多さに感心しながら店の奥へと歩みを進めていく。

 

中にいたのは、年老いた狸の妖怪であった。

 

俺の姿を見ると、少しだけ警戒したが、俺に敵意が無い事を察知するとすぐに警戒を解いてくれた。

 

「人間の御若いの。此処で雇って欲しいそうじゃな?」

 

そして俺が側に来たと同時に単刀直入に俺の要望を言ってくれる。パルスィが教えてくれたのだろう。

 

「はい、ぜひ。よろしくお願いいたします」

 

すると、少しだけ震える指を前に出して先ほど見たワイン樽よりも大きな酒樽を指差す。

 

「若いの。お前さんはアレを持てるかの? 持てたら即採用してやろう。……最近は腰が少し悪くなってな。前なら持てたのだがの」

 

俺は即座にそのお爺さんの要望にこたえるべく返事をする。

 

「はい、もちろんできます」

 

そう言って酒樽の場所まで行き、生活支援の力によって軽々と持ち上げてゆっくりと降ろす。

 

「これで宜しいでしょうか?」

 

そう言うと、お爺さんは満足そうに微笑み、この日一番うれしい事を言ってくれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「雇ってやろうかの」

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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68話 待っていてくれ……

私も腸が煮えくりかえっている……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

腸が煮えくりかえるという表現は、まさに今のような状態を表すのだろう。

 

つい先日までゆるりゆるりと流れて行った平穏が、こうも易々と破られてしまうという事態に歯痒い気持ちとなり、同時に悔しいという気持ちも混在してきている。

 

いずれこうなる事は予想はついていた。だから私達の家に来るように誘ってみたのだが……結果はこのざまである。

 

目の前の灰と炭を眼にした時、嫌なモノが胸の内からこみ上げてくるのが分かる。

 

私はそのどうしようもないほどの嫌な気持ちが原因で、思わず紫さまから頂いた服を千切れそうになるまで握り締めてしまっている。

 

だが、辛いのは私だけではない。紫さまも同じ。いや、それ以上かもしれない。

 

そこまで考えてから、私の手がブルブルと震えてくる。ここまで怒りを露わにした紫様は初めてだ……。

 

無表情でありながら、今までどの怒り顔よりも恐怖心を湧きあがらせるほどの威圧感。

 

この大妖怪の私ですら恐怖のあまり震えてしまうほどであり、普通の人間がいたら泡を吹いて失神してしまうだろう。それほどなのだ。

 

そして何より、同時に深い悲しみを滲ませる姿。それは一人の人間に対しての深い想いと不安。

 

あの数刻前にもたらされた情報が全ての原因だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

耕也の家から帰ってから数日後、私達は普段と同じような生活に戻っていた。

 

この誰が建てたかもわからないような広い屋敷は、紫さまが偶然見つけたらしい。

 

本当に偶然なのだろうかと思ってしまったのは内緒である。

 

私は先日の耕也の持っていたアレについては特に気にしてはいなかったのだが、紫様はどうもそれが気になって仕方が無いらしい。

 

私からすれば、アレぐらいでウンウン悩んでいる紫様を見ていると、まだまだ生娘に等しいなと思ってしまう。

 

いや、決して紫様を侮辱しているつもりはないのだ。ただ、あのような時代が私にもあったなと思うと、何とも微笑ましく思ってしまう。

 

「あ、あの良く分からない円盤に一体何が入っているっていうのよ……。あの円盤で男は満足するの……?」

 

と、紫様は私の向かい側で机に頬をつけながら、炬燵の中で悶々と唸っている。

 

たしか円盤というのは、……あの時強制的に開かせた箱の中にあった透明な箱に入っていたモノの事だろう。

 

まあ、おそらく耕也のやっていたげえむと同じような感じで操作するモノなのだろう。

 

だが、紫さまの言っている事も理解できなくはない。私達がいるというのにも関わらずあのようなモノを収集しているのは流石に褒められるものではないのだ。

 

そう、確かに男は得てしてそういったモノが好きであり、そういったモノを求めるのは仕方が無い生き物だという事は分かる。

 

しかし、それでも頂けない。理解はできても共感はできない。だが、さすがに私も紫様ほど引きずっている訳でもないのだが。

 

おそらく風見幽香も我々と同じような気持ちになっているだろう。

 

いや、それ以上だろう。あそこまで独占欲の強い幽香だ。私達と同じような気持ちと言うはずがない。

 

私はあの時耕也に説教した事を反芻ながら、幽香の様子を思い出していた。

 

「ねえ、藍。…………耕也は、何者なのかしら」

 

と、唐突に紫さまが質問をしてくる。

 

私は少し質問の意図が分からず、困惑気味になりながら返答をする。

 

「あの、紫さま。質問の意味がよく分からないのですが……」

 

「だから、耕也は本当にこの日ノ本の人間なのかってことよ。…………いや、この世界の人間なのかしら……?」

 

紫様の言っている事私はようやく理解した。ああ、そういう事なのかと。私が前に思った事と同じ事を、考え始めている……いや、会ったときから考えていたのだろう。

 

そしてどうしても答えが出てこないために私に補助を求めたと言った方が正しいか。

 

これは私もずっと考えていた事でもあり、耕也に何度教えてもらおうと聞いた事か。まあ、その度に誤魔化されたり、答えられないと断られたりしたのだが。

 

紫様は耕也に聞くという事をせずに、限られた情報の中でそれらを吟味して何とか終着点までに持っていこうとしているのだろう。

 

私には想像もつかないような数多の可能性をその頭で導き出しているのだろうが、私にはそれはできない。

 

式であり、同等の力を得るといってもその処理能力には追いつく事ができない。

 

それにしても、この世界の人間か……。考えた事も無かった。

 

「この世界の人間かどうかですか…。 ……前にちょっかいをだした月人という線は無いのですか?」

 

そう、私は月人と言う線が一番強いと思ってしまっていたのだ。あの異常なまでの技術を内包する家。さらには老いる事が無いという事。

 

そしてさらには、私達妖怪を見ても恐怖をほとんど抱かないという点である。

 

月人は、耕也とは性格も価値観も違ってはいるが、その他の性質は案外似通っているのである。

 

それを紫様は聞くと、首を横に振りながらそれを否定する。

 

「それは私も考えたわ。確かに彼の家はこの日ノ本には無いモノがあるし、またその機械達に振りまわされることも無く使っている上に不老でもある。でもねえ藍……一つ見逃しているわ」

 

そう言って少しの間呼吸をして間をおく。

 

「……彼にはね、月人でも抗えない僅かな老化と言うモノが無いのよ。さらには魂の質も違う。月人という枠でも捉える事ができないほどのね」

 

「つまりは、完全に老いる事が無い上に魂は月人のそれとは違っている。それが何よりの根拠であると?」

 

「ええ」

 

確かにそれが紫さまの判断した上での答えならそれはそれで間違いはないのだろうが、いまいち釈然としない。

 

私の力では彼の魂の質や老化の具合などは分からないからだろうが、それにしても……。

 

未だに数多の可能性を捨てきれない私はその場で考え込んでしまっていた。

 

確かに彼はあの時に遭遇した月人とは全くと言っていいほど価値観も違っていた。しかし、なよ竹のかぐや姫と同様にこの地に流刑となった月人の可能性もあるのだ。

 

しかし彼は人間だと言っていたし、それを嘘だと決めつけたくない。しかし、人間とはあまりにも違う力を持っている。

 

創造する物質も、全くの代償も無しにやってのける上に、あの紫さまの能力すらも完全に抑え込む。

 

しかし彼は人間だと言っている……。私はそれを信じたい。

 

そして私はこのモヤモヤとした気持ちを解消したいがために、紫さまに提案をする。

 

この提案は非常にズルイモノであり、耕也ならおそらく答えざるをえないであろうというモノである。

 

「紫様、今度思い切って聞いてみましょうか? 此処まで関係を深めたのにも拘らず、素性を明かさないのは反則だという事で……」

 

だが、紫様は顔を顰めて私の意見にすぐさま賛成するという事には至らなかった。

 

「藍。……さすがにそれは此方が反則だと思うわよ? 確かにそれなら絶対に耕也は答えてくれるでしょうね。あのお人好しの耕也なんだから。でもそれを盾に使われたら耕也は悲しむわよ?」

 

紫さまの言う事は最もである。

 

……何を考えているのだろうか私は? そんな事をしても後々に傷跡を残すだけだろうし、誰も得をしないだろうしな。

 

少し頭を冷やした方がよさそうだ。耕也の事を考えると、どうしても冷静な判断ができなくなってしまう。

 

「そうですね紫様。彼が自主的に話してくれるまで待ちましょう。申し訳ありませんでした」

 

「いいわよ。……それより、今回の事とは別に今度はいつ耕也の家に行こうかしら?」

 

そう聞かれて私は少しだけ今後の予定を考える。

 

今は特に何かしらの大規模な作業を必要とするモノはなく、今後も何かしらの横やりが入らなければ暇になるのは必至。

 

耕也の家に行くのは明日でも明後日でもいいのだ。……さすがにいきなりはマズイかもしれないが、酒でも持って行けば大丈夫であろう。

 

「そうですね紫様。……今度は酒でも持って明後日頃に行きませんか?」

 

「いいわね。まあ、都で酒を買うなんて至極簡単な事だし、明後日頃にしましょうか」

 

そう紫さまの返事を聞いて、私は席を立とうとした。

 

だが、次の瞬間に私は驚くモノを眼にする。

 

「紫、藍。……話があるわ」

 

誰も知らない筈のこの屋敷の庭に、何故か幽香がいた。

 

何時もの幽香とは違う、少しだけ汚れた服を纏う幽香がいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「幽香。……どうやって此処を知る事ができたのかしら?」

 

と、炬燵から這い出て姿勢を整えながら、突然訪問に来た幽香に対して言う。

 

此処はもはや妖怪も人間も近寄らなくなった隔離の地。この場所を知る者は誰もいないのだ。此処に辿りつく方法としては二つ。

 

一つは私と共にスキマを通ってくる事。もうひとつは私の妖力を辿るという事。……ただしこれは成功する可能性は限りなく低いが。

 

まあ、そんな事は些細なことである。目の前の幽香を見ればそれは自ずと分かる。

 

幽香は、態度だけは冷静になってはいるが、いつもの冷静な目をしておらずどこかしらに焦燥感を漂わせている。

 

それも本来なら此処に来るはずなど無い幽香がここに来ているのだ。何か重大な事が起きているのだろう。

 

私はそれを聞くために、幽香の返答を待たずして口を開く。

 

「まあ、貴方がここに来たのがどういう手段であれ、別に咎めたりはしないわ。……それで、一体どうしたのかしら?」

 

そして私は、幽香の顔を見ながらジッと彼女の返答を待つ。

 

しかし次に言った彼女の言葉は、私にとっては到底信じられない事であり、笑って吹き飛ばしてしまうような内容であった。

 

「耕也が……人間に封印されたわ」

 

そう、こんな内容だったのだ。私はそれを聞いた瞬間に耕也の今までの力や性格、行動を瞬時に思い出して冗談を言うなと言わんばかりに否定してしまう。

 

「幽香。ふふふ……変な冗談はあまり言うモノではないわ。冗談にしては質が悪いわよ?」

 

しかし、幽香は同じような事を言う。

 

「紫……嘘ではないわ。耕也が封印されたのよ……」

 

と、再度同じような事を言う。

 

脳にピリピリと嫌な何かが駆け抜ける。それと同時に嫌な予感もしてくる。だが、その事態を受け止めるには時間が短すぎ、まだ私は否定を繰り返してしまった。

 

「いい加減にしないと怒るわよ? 幽香、あの耕也が封印される? 馬鹿な事を言わないで。耕也の力がっ――――!!」

 

私が言っている間に幽香はしばらく私に接近して、その場で畳の上に押し倒す。

 

両肩を強く掴まれ、派手な音を立てながら背中を畳に押し付けられる。その力は尋常ではなく、私の肩がミシミシと言いながら鈍く痛みだす。

 

そして私が幽香の顔を見やると、幽香は顔を歪めさせながら震えた声で言ってくる。

 

「私がこんな無様な格好で冗談を言う奴だと思っているのかしら? …………耕也は、…耕也はねぇ……」

 

幽香がそう言いながら顔をクシャリと崩しながら眼を潤ませながら私に耕也の事を訴えかける。

 

そして私は漸く幽香の言っている事を受け入れ、消化し、震えそうになる声で返答する。

 

「ほ、本当に……耕也が……。……い、一体どうして」

 

それを言うと、幽香は潤ませた目から大粒の涙をボロボロと流しながら、ゆっくりと頷きつつ片手で目を覆う。

 

そして私の肩からゆっくりと手を離してその場に座り込む。

 

真っ赤に充血した眼を見せながら、私にポツリポツリ話し始める。

 

「遅かったのよ……私はあの日に櫛を忘れた事に気づいて、翌日取りに行ったのよ。……そうしたらすでに耕也の家は焼かれた後だったわ。そして残されたのは多数の矢の残骸」

 

「待って……落ち着いて話しましょう。こっちへ来て座りなさい」

 

そう言って私は幽香に座るよう指示し、落ち着かせようとする。

 

幽香はその言葉に頷くと、ゆっくりと立ち上がり、炬燵の中に入り、私を凝視する。

 

その様はまるで、行き場を失った子供のような雰囲気を持っており、早く話を聞いてやらねばと思わせるものがあった。

 

私は幽香の対面に座ると、藍を横に座らせ、幽香の話を聞く事にする。

 

「では、幽香。耕也について詳しく話してちょうだい」

 

私は幽香に現状について話すように促す。

 

幽香は頷いて、今回の起こった封印について話し始めていく。

 

「先ほども言った通り、耕也は封印されたわ。……同じ人間の手によって。私達が帰ったその日の夜に軍と陰陽師が襲撃し、そのまま封印らしいわ。でも、封印場所の特定にまでは至って無いのが現状。都の上層部まで脅すのは難しくてできなかったわ……」

 

その幽香の言葉の中に私は不自然な点を見つけた。

 

耕也が軍や陰陽師の連中ごときで封印される程弱いわけが無い。しかも今の幽香の言葉では力づくで封印したかのように聞こえる。だとしたらなおさら封印できるはずが無い。

 

つまりは他の手段を用いたという事だろうか? 考えられる手段としては耕也の性格を利用する方法。

 

そう、耕也の性格を利用して封印までに至らせたと考えた方がいいだろう。

 

私はそこまで考えてから力づくで行ったかどうかが明確なのか、幽香に尋ねる。

 

「幽香、耕也に対する封印の手段やその攻撃の経緯まではわかるかしら?」

 

すると、幽香は案の定首を横に振って否定する。

 

「いいえ、そこまでは……」

 

「だとすると、人間のやりそうな事で一番可能性が高いのは……人質を取るという事でしょうね。耕也の性格を考えるとそれが一番効果的でしょう」

 

自分で言っておきながら、その内容に怒りが湧き、思わず扇子を握りつぶしてしまう。

 

しかしこれが一番可能性が高いと私は思う。もし耕也が何の制約も無しに襲撃を掛けられたとしたのならば、幽香の所に避難するか、幽々子の所に避難する可能性が高い。

 

もしそれができなくても、他の場所に避難しているはずなのだ。それができないというのならば、それは耕也に対して心理的に不可能な状態にしてしまうという事。

 

それをする上で一番なのが、人質なのだ。二重に三重に人質を取って。

 

しかし、ここまで考えて一つの重大な点を私は忘れていた。

 

そしてそれに気付いた瞬間に私の中から笑いがこみ上げてくる。

 

一体どうしてこんな事に気が付かなかったのだろうか? と。

 

そうだ、封印封印と言われていたためにその先入観にとらわれていたが、改めて考え直してみると、それが酷く滑稽なものに思えてきてしまう。

 

その滑稽さのあまり、自然と笑いが口から出てきてしまう。

 

「ふふふ……」

 

その笑い声に、幽香は顔をしかめ、藍も咎めるかのような顔をしてくる。

 

私は流石に説明もせずに笑ってしまった事に罪悪感を覚え、謝罪しながらその笑いの理由を述べていく。

 

「ごめんなさいね二人とも。……でもねえ、私達は随分と封印という言葉に釣られていたようよ? まあ、妖怪だから仕方が無いとは思うけど」

 

私はそう言いながら次の言葉を言う。

 

「耕也はねえ……封印なんかされてはいないわ。思い出して御覧なさいな……私の能力すらも効かない人間に対して行使できる封印術なんて持ってるわけが無いでしょう?」

 

そう言うと、藍と幽香は漸く気がついたようで、少し表情に光を取り戻した。

 

私はそれを見ながら頬笑みを浮かべ、それに応える。

 

しかし、封印されていないという事に確信を持ったとしても、依然不安はぬぐえないというの現状。

 

一体耕也はどこに連れて行かれたのか? おそらく陰陽師達は封印したと息巻いているのだろうが、実際には封印されていない。

 

ならばその封印まがいをした場所の特定が次の達成目標であり、必ず特定しなければならない事である。

 

私は封印に適している場所を洗い出す。

 

膨大な量の知識の中から、耕也の家の立地場所より、最も近く、最も封印に適している場所。

 

正直なところ、この場所を特定する前に都にいる陰陽師どもを殺してやりたいと思っているのだが、耕也がそれを聞いてどう思うかと考えると、さすがに気が引けてしまう。

 

だから今はしない。耕也の要望があればするのだが、さすがに耕也は望みはしないだろう。

 

また、耕也の封印場所は、私達との交流があるという事で封印されたのだろうから、大規模な封印が必要になり、それに伴って術式に耐えられるような場所が必要となってくる。

 

そして深く考えている中で導き出されてくるのが、地底。

 

普通なら魔界に封印するのが一番の安全である。

 

また、あの魔界は聖白蓮という法僧が封印された事で知られている場所。当然それを知っている人間ならそこに封印をするだろう。

 

だが、封印を敢行した場合、魔界に入る際に耕也の力が邪魔してしまう為に入る事ができない。

 

耕也自身が望んで入るのなら入れるかもしれないが、今回はそうではない。もし魔界に封印するための術式を掛けたらたちまち耕也の力で解除され、魔界に入る事ができずに騒ぎになる事は間違いないのだ。

 

だから消去法として地底となってくる。おまけに藍のように石に封印された場合は、魔界の例と同じように封印できず騒ぎになることは必至なのだから。

 

ただ、今回地底に封印した場合は、封印ができないという事が漏えいしていないのだから、二重の容器に耕也を入れて封印した可能性がある。

 

こうすれば外側の容器は耕也に触れていないのだから、封印は可能である。……表向きではあるが。そしてその容器を地底に送ればそれでおしまい。

 

実際にはもっと簡素なものであり、陰陽師達が勝利に酔って気付かなかったという可能性が大なのだが……。

 

私はそこまで考えてから二人にある提案をする。

 

「二人とも。……地底に行こうと思うのだけれど、どうかしら?」

 

私の提案に案の定二人は困惑の表情を浮かべながら質問してくる。

 

「紫様、どうして地底に行くのですか?」

 

「紫、確かに……封印には適している場所だけれど…」

 

私はその困惑を拭い去るために、先ほどの推測を二人に説明していく。

 

説明していく内に、段々と納得したような表情となっていき、私の案に賛成をしてくる。

 

「わかったわ。……紫がそこまで言うのならばね…」

 

「分かりました紫様」

 

「なら決まりね。……すぐにでも出発したいところだけれども、幽香。ここで少し待っていて。藍、付いてきなさい」

 

そういうと、幽香は私の考えが伝わったようで、相変わらず充血した目で私に対して両省の返事をする。

 

「分かったわ……行ってきなさいな。……ただし、見ても暴れないようにね……?」

 

「ええ、分かっているわ」

 

そう幽香に返しながら藍と共にスキマの中へと身を沈めていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして現在、目の前に広がるのは折れた無数の矢の残骸、碌な消火活動が行われていないせいか、未だにブスブスと微かな煙を上げている部分が見え隠れしている有り様である。

 

数日前までは健在だったあの家が、今では見る影もなく、灰と炭と化してしまっている。

 

私は恐る恐る紫さまの表情を見る。見た瞬間に、見なければよかったと思ってしまうと同時に全身の血が凍りついてしまうような感覚に襲われる。

 

紫様は、先ほどの表情とは違い、無表情になっており、その怒り様が今回が突出しているのだという事を嫌でも把握してしまうほどである。

 

実際私も心は怒りで満たされている。満たされているのだが、紫さまの怒りに圧倒されてしまているのだ。……情けない。

 

再び取り出された扇子は、紫さまの手によって粉々に砕け散り、無残に地面へ散らばるしかなかった。

 

そして煙が立つ木が放つ奇怪な音は、私の中の心をさらに荒れさせてしまう。

 

「藍……。十分に見たわ。行くわよ。幽香をこれ以上待たせても仕方が無いわ」

 

と、そこで紫様が帰還を私に指示する。

 

「はい、わかりました」

 

確かにこれ以上は此処に居ても仕方が無いだろう。耕也を探す方が先決なのだから。

 

そう言って私達は再びスキマへと身を投じて行った。

 

スキマを抜けると、すでに幽香は準備を整えており、いつでも行けるようになっているようだ。

 

「さあ、幽香、藍。地底に行きましょうか。……もし外れてもまた探せばいいだけの事よ」

 

そう言いながら紫様はスキマを再び開く。スキマから覗ける景色は岩がゴツゴツとしており、草木一本生えていない不毛の地が広がっていた。

 

私はまだ確定してもいないというのに、耕也に会えるという喜びが先行してしまっていた。

 

「……此処に耕也が」

 

「藍、まだ確定しているわけではないのよ?」

 

紫様が私の逸る気持ちをたしなめる。

 

「失礼しました」

 

と即座に紫様に謝り、再び気を引き締める。

 

だが、紫様にも私と同じように声に嬉しさがにじみ出ている。

 

幽香はその後ろで口に手をやり、笑いをこらえている。口調と感情の落差に笑いそうになっているのだろう。

 

私がジト目でけん制すると、先ほどまでの笑いを吹き飛ばして素知らぬ顔で明後日の方角を見て誤魔化す。

 

……全く、油断のならない女だ。

 

「二人とも……下らない事はしてないで…………行くわよ?」

 

「はい、紫様」

 

「ええ」

 

紫様の言葉に私と幽香は答える。

 

……さあ、待っていてくれ耕也。今行くからな?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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69話 此処で再会とは……

無事でよかったよ……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

地底に来てから早数日が経過してしまっていた。本来ならもう幽香達も知っているであろう封印の事を知らせて安心させてやりたいのだが、情報が漏れるのを恐れている部分が心の中にあり、まだ一歩を踏み出せずにいた。

 

しかし、さすがにほったらかしにするのは良くないという気持ちが、日に日に強くなっていると自分でも実感しており、今日ようやく彼女らに会いに行こうと決めたのだ。

 

それに今日は仕事が午前中で終わっており午後が暇になるため、丁度時機も合っているという事にも起因している。

 

しかし、その願望も目の前で繰り広げられる光景には脆くも崩れそうになってしまっている。

 

一体どうしてこんな時に限って来客があるんだ……?

 

今日に限って何故か。…しかも午後になって急に来たのだ。

 

「あの~燐さん? 自分、午後から少し用事があるので、できればちょっと今日は控えていただきたいなぁ~なんて……思ったりしているのですが…」

 

そう、燐が。

 

来たのは仕方が無いので昼食は振る舞ったのだが、いかんせん恩人の一人なのでお引き取り願いづらい。

 

くちくなった腹を撫でまわしている燐は、何とも眠たそうな表情をしながら俺に対して反論する。

 

「えぇ~……? 昨日は暇だって言ったから来たのにそれは無いんじゃないの?」

 

確かに昨日は特に何の予定も無いとは言ったが、訪問してくると聞いた覚えはない…。

 

今日になって地上へ出るのを決心した俺も悪いとは思うが、それにしても今日来るとは思わなかったのだ。

 

「燐さん、来るなら昨日の内にお願いしますよ……。今日はどうしても外せない用事ができてしまったものでして……」

 

そういうと、燐は暫し考え込みながら俺の言葉をかみ砕いていく。

 

「今日はどうしても外せない用事ねぇ…………。しっかたがないなぁ~~」

 

俺の言葉を反芻した後、ニヤリとして俺に向かってしぶしぶ了承すると、ポンという軽い音とともに猫の姿となり、空いた窓から外へと出て行った。

 

「ごはんありがとうねぇ~。おいしかったよ…」

 

そう言葉を残しながら。

 

「お、お粗末さまでした~……」

 

一応そう返しておかなければいけない気がして返しておく。

 

しかし何ともまあ……嵐みたいな妖怪だなと思ってしまう。

 

当然彼女としては、俺が暇だと思ってきたのだから今回の事は意外だったのかもしれないし、断られるのを前提できたのかもしれない。

 

どちらにせよ、彼女に対して悪い事をしてしまったなと思ってしまう。

 

そうだな……お詫びに後で何か甘い物でも上げようか。

 

そう思いながら皿を洗い、出かける準備をしていく。

 

とはいっても特に持ち物は無いので、家具の扉や戸締りの確認をするだけなのだが。

 

周囲を見回しながら、自分の声に出して確認を行っていく。

 

「え~と……家具とかは…………大丈夫そうだな。後は戸締りと窓だけか」

 

俺はその言葉と共に玄関へと歩み寄り、扉をキッチリと閉めて鍵を掛ける。そして居間に設置されている窓の鍵を掛ける。

 

正直なところ、鍵を閉めても妖怪が押し入ってきたら防げないというのが残念な所だが、掛けないよりも掛けた方がずっとマシであろう。

 

俺の希望としては、掛けても掛けなくても泥棒が近寄ってこない事を祈るばかりである。

 

そんな事を思いながら、俺は次に地上に行く場所を限定する。

 

まず、当然のことながら都や村などといった人間のいる場所には行かない。これは大前提である。

 

封印されて数日しかたっていないというのにも拘わらず、人間に見つかったら大騒ぎになること間違いなしである。

 

まあ、子供に見られるぐらいならまだ大丈夫であろうが、妖怪などといった存在に警戒心の強いこの時代の人々は、俺の存在が十分に伝えられていると推測できるので、やはり極力会わない方が身のためである。

 

そこまで考えてくると、結論として出てくるのが平助達の村には行けないという事だろう。村に襲いかかった妖怪を退治したとはいえ、あれほど迷惑をかけてしまったのだから恨んでいない人がいないわけがない。

 

よって、今回地上で行く場所は二つに絞られてくる。まずは太陽の畑。そして冥界。

 

太陽の畑にはもちろん幽香がいるというのが大きな理由である。だが、此処でも細心の注意を払って行かなければならないだろう。万が一という事もある。

 

もし太陽の畑で俺の存在がバレたとしたら、今度は幽香に軍が差し向けられる可能性もあるのだ。もしそんな事をされたら幽香ですらも状況が危うくなる可能性もあるのだ。

 

まあでも、幽香なら俺の時とは違って逃げるという選択肢も容易に取れるだろうし、大丈夫だとは思うが極力、いや絶対にこのような事になるのは避けなければならない。

 

携帯電話とかが使えればこんな心配はせずに済むのだが、もちろん携帯電話は使えない。唯の薄い箱と化してしまう。

 

だからジャンプするしかない。そしてジャンプする地点は、太陽の畑の中心付近が一番であろう。

 

幽香がいればいいのだが……。

 

そんな可能性について考えながら、俺は冥界について考えていく。

 

本来ならば紫の家に直接ジャンプしたいのだが、紫の家にはあいにく行った事も無い上に、どこにあるのかすらも教えてもらってない。

 

だから紫の友人である幽々子がいる冥界に行って方が遭遇する確率は一番高い。

 

流石に俺の家の跡地にいるとは考えられないし、あの場所は後処理で陰陽師や兵などが来そうだから行かない方がいいだろう。

 

だから今回は太陽の畑と冥界に行く。もしそれでも会えなければまた日を改めて行くしかないだろう。

 

俺はそんな計画を頭の中で立てると、最終確認として再び家の戸締りを確かめる。

 

「良し……頼むからいてくれよ?」

 

そう一人呟きながら玄関で靴を履き、家を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

たった数日いたとはいえ、あの殺風景な部分が多い地底と比べると地上という場所が如何に緑に溢れているのかがよく分かる。

 

これから幽香達に会えるという喜びと、地上に再び戻って来れたという喜びが重なり合って、太陽の畑のど真ん中で叫びだしたい気分になる。

 

しかしそれでも見つかると厄介だから、声を押し殺してその場で蹲りながら小さくガッツポーズをしてしまう。

 

それと同時に喜びのあまりか視界が霞んできてしまい、涙が少々零れてしまったのが分かった。

 

掌で涙をぬぐいながら、まだ始まったばかりなのだと気を引き締めて、前傾姿勢で足音をなるべく立てないように幽香の家へと近づいていく。

 

一応周囲を警戒するために耳を欹てているのだが、特に人の足音などといったような自然の音と違う音は聞こえない。

 

やはり幽香の住処であるという事も影響しているのだろう。妖精や木端妖怪の姿も見えない。

 

いや、それがむしろ非常に好ましい状況なのである。木端妖怪に見つかったら見つかったで戦闘になって周囲に大音量を響かせてしまうだろうし、それが元になって見つかったら眼もあてられない状況になるのは間違いない。

 

「頼むからバレないでくれよぉ~…」

 

そう小声で念じるかのように呟いた俺は、漸く目の前に近づいた幽香の家の玄関に忍び寄り、周囲に誰もいない事を再確認する。

 

自分の目に映る光景は、真っ黄色の向日葵畑であり、特に幽香が水やりしている姿も妖精や妖怪が飛ぶ姿も見受けられない。そして一番の人間の姿も。

 

俺はそれにひとまず安心しながら扉に向かい直す。

 

心配掛けた事をどうお詫びしようかという考えが浮かびあがってきたが、それを無視するかのように身体は自然と扉をノックする。

 

拳によって木製のドアが叩かれ、厚い木が放つ鈍い音が鼓膜を叩く。

 

だが、しばらく待っても反応が無い。

 

嫌な予感が俺の脳裏に走るが、それを無視して再びノックする。また、今度はより気付いてもらいやすくなるように声も添える。

 

「ゆ、幽香さん~? いるなら開けて下さい…」

 

大声で呼びかけるわけにもいかないので、少し控えめになりながらも扉を貫通するように手で口元を囲いながら呼びかける。

 

……それでも反応が無い。

 

流石にこの時間帯に寝ているという訳でもないだろう。つまり返事が無いという事は、外出を意味している可能性が高い。

 

俺はため息を吐きながら、心の中で幽香に謝る。

 

勝手にお邪魔して申し訳ありません。と。

 

そう思いながらジャンプを敢行し、家の中へと侵入する。

 

やはり幽香の気配は感じられず、留守だという事を俺に示していた。

 

仕方なしに、またため息を吐きながらもマジックペンとA4の紙を用意し、自分が無事であるという事をつらつらと書いていく。

 

「え~と、……すでにご存じでしょうが、大正耕也は地底に封印されております。ですが健康上の問題等は全くございませんのでご安心ください。日を改め再度お伺いいたします。御心配をお掛けしてしまった事を深くお詫び申し上げます。……こんな感じで良いだろ。うん」

 

内容を口に出して確認しながら書いていく。

 

書き終わった後、扉を開けた時に一番目につきやすいテーブルの上に置き、すぐに気がつくように赤く点滅するLEDランプを置く。

 

点滅を確認すると、俺は急いでその場を後にする。

 

此処より可能性は低いが、冥界に紫がいるようにと心の中で切に願いながら。

 

 

 

 

 

 

 

向日葵畑から冥界までの居地は非常に長いため、ジャンプを敢行した結果、俺は無様にも息切れしてしまっている。

 

やはり長距離の移動にはあまり向いていないらしい。全くもって紫の能力がうらやましい。あんなに長い距離を息一つ切らせずに移動できるのは反則である。

 

俺はこの嫌な疲労感を引きずりながら、魂魄妖忌の姿が見える所まで歩いていく。

 

やはりこの時間帯は木々の手入れをしていたようで、俺の視線の先にいるのが分かる。

 

そして俺が此方の存在をアピールするために声を掛けるまでも無く、こちらに気がついてくれたようで、驚きの表情を浮かべながら近づいてきてくれた。

 

「耕也殿、どうしたのだそんなに息を切らせて。何か急ぎの用事でも?」

 

と、俺の体調を気遣ってくれる妖忌。その気遣いに俺は感謝しながら本題へと入る。

 

「すみません。あの、此処に紫達は来てませんか?」

 

と、少しの希望を織り交ぜながら。

 

しかし、俺の希望は叶うことなく、妖忌の首が横に振られた事によって砕かれてしまった。

 

「いや、来てはいないな……。もし言伝があれば言っておこう」

 

確かに紫達は神出鬼没な部分が多いから、保険として伝えてもらった方が良いだろう。

 

俺は短くその事を考えて、妖忌にそう伝える。

 

「お願いします。……内容は、今は地底にいるけれども、心身ともに無事なので安心して下さい。と」

 

すると、俺の伝えてほしいという内容に引っ掛かりを感じたのか、眉間にしわを寄せて質問してくる。

 

「お主、何かしでかしたのか?」

 

「あまり長居するのもアレなので手短にお教えします。……紫達との関係がバレまして、地底に追いやられてしまいました」

 

すると、さらにしわを深くして俺の両肩をグワシッと掴んで言う。

 

「気にするでないぞ耕也殿。お主は自分の道を信じるがいい」

 

「は、はい…」

 

言われた俺は、気圧されてしまって、そう返事するしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「随分と深い穴ね。この穴の最深部が地底なのかしら? 紫」

 

「ええ、そうね。人間に忌み嫌われ、封印され、追いやられた者達が住む場所よ。最近では封獣ぬえ何て妖怪が封印されてるわね」

 

そう紫とやりとりしながら私は藍も含めて3人で地下をゆっくりとでは降りている。

 

この巨大な縦穴から時折吹き上がってくる生温かい風は、ほんの少しだけども焦げのような臭いがし、私の焦燥感をさらに高める。

 

降りれば降りるほど穢れというのだろうか? 地獄に存在していたある種の悪性の気が残っているのが分かる。もちろんこれは私のような強い妖怪でないと分からないほどの微弱ではあるが、

 

それにしても耕也はこんな酷い環境にいるのか。思わず眉間にしわを寄せてしまいそうになるが、グッとこらえる。

 

と、横で渇いた鋭い音が鳴る。それはまるで何か軽量の竹を圧し折ったかのような軽い音。

 

私は音の発生源が気になり、その方向に顔を向けて見る。その瞬間に、ああ、こいつも怒っているのだなと思ってしまう。本気で耕也を心配しているのだなと。

 

紫が先ほどまで余裕の表情を浮かべながら開いていた扇子が、手の中で砕かれていたのだ。おそらく同じような事を紫も考えていたのだろう。

 

紫は自分で折った事にも気付かないのか、そのまま地底の奥深くを睨み続けている。

 

しばらくすると、私が見ている事に気がついたのか、慌てて自分の手を見たり、そこで漸く自分が扇子を握りつぶしているのに気がつく。

 

「お、おほほほ……。ご、御免遊ばせ?」

 

そう言いながら苦笑いして、扇子をスキマに仕舞い、また新しい扇子を取り出す。

 

私はその様子を見ながら、少し冷静になり紫にも助言を出す。

 

「紫、そんなに気を張り詰めさせてたら後々持たなくなるわよ…?」

 

そう言うと、少し顔を赤くしながら恥ずかしそうに

 

「わ、分かっておりますわ……」

 

「紫様、耕也は大丈夫ですよ。こんな環境でも無事に生きてますって」

 

「それは分かってるわ。大丈夫よ藍」

 

そう藍が紫に助言を出すと、紫は冷静になりながら返答する。

 

何というか……今まで焦っていた自分がアホらしくなってしまった。

 

結局のところ耕也を心配しているのは誰だって同じであり、私もそこまで気を張り詰めなくても良いのだと再認識させられたのだ。

 

そんな事を考えていると、自然と険しくなりかけていた表情が自然と緩む。

 

と、そこで私は妙なモノを視界に入れた。

 

それは、巨大なクモの巣であり、それは縦穴の一部に侵食するように形成されていたのである。しかもそこには人型の女妖怪がいるのが見て取れる。

 

私は自然と口に笑みが浮かび、紫に提案をする。

 

「紫、あの娘に聞いてみない? 結構良い情報をもたらしてくれそうな気がするのよ」

 

そういうと、紫も笑みを浮かべて私の意見に賛成する。

 

「ええ、そうしましょう。藍、行くわよ」

 

「はい」

 

私達はゆっくりとその巣に近づいていく。その巣の上で寝転がっている女は近付く私達に漸く気がついたのか、少し顔を青くしながら顔をひきつらせている。

 

私はできる限り威圧しないように笑みを浮かべて朗らかに話そうとする。

 

しかし女はますます顔を青くするばかりであり、此方の意図とは反対に向かってしまっている。

 

それが少々気に食わないと思いながらも、努めて朗らかな笑みを浮かべて質問を開始する。

 

「今日はお穣さん」

 

すると、少し震えた声で此方に挨拶を返す。

 

「こんにちは……な、何か御用…ですか?」

 

「いえ、ちょっとね。聞けば最近、人間の陰陽師が封印されたと聞くじゃない。何でも大正耕也という強い陰陽師だとか。…………それで、此処に来ているかしら?」

 

そして質問の内容にさらに駄目押しとして言葉を付け加える。

 

「正直に話してくれると、……私うれしいなあ? ………………ねぇ?」

 

すると、その妖怪は面白いように首を縦に振りながら、縦穴の下の方を指さす。

 

「し、下で元気に暮らしてます……」

 

私はその言葉に一定の満足感を覚えながら、蜘蛛妖怪に礼を言う。

 

「ありがとう。……貴女の名前は?」

 

「黒谷ヤマメです…」

 

「そう、良い名前ね」

 

そう言いながら再び下へと下っていく。

 

終始紫達は黙っていてくれたのが円滑に進む要因となったのであろう。

 

まあ、任せてくれたと言った方が正しいのか。

 

少しそれに心地よさを感じながら重力に身を任せて行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

地底につくと、紫はもちろんの事、藍や私の発する妖力のあまりの巨大さに、この商店街らしき並びにいる妖怪達から視線を集める。

 

途中にいた橋にいた妖怪も此方を茫然と見ていたが、それと似たような視線がこちらに注がれる。

 

私はあまりその視線に良い気がしないため、少し笑みを浮かべてやると、雑魚妖怪はスッと顔を引っ込めたり視線をそらしたりする。

 

それでも私の笑みを見ても視線を逸らさなかった妖怪の集団に近づき、耕也についての情報を収集する。

 

「ねえ、一つ聞いていいかしら?」

 

「な、何だ?」

 

私はその答えを聞くと、努めて朗らかな笑みを浮かべながら質問を開始していく。

 

「大正耕也の住んでいる所を知らないかしら?」

 

すると、目の前の妖怪は少しだけ怯えていた表情を崩し、どんどん笑いへと転じさせて行った。

 

「……っぷ、ははははははは! この地底くんだりまで来て言う事があの人間の事かよ。お笑いだなこりゃっ! ははっはっはっは!」

 

そいつの笑いにつられたのか、周囲の妖怪までも笑いだす。

 

私はその笑いに切れかけそうになるが、少しの間だけ我慢してさらに質問する。

 

「で、教えてもらえないのかしら? 私達の大事な人なのよ……」

 

「くっくっくっくくく。ははははは! 人間にかまけてる甘ちゃんに教える事なんざなにっ――――!」

 

最後の言葉を聞かずに私は攻撃を敢行しようとした。

 

しかし、私が攻撃をする前に、その妖怪は身体を折り曲げながら横に吹き飛ばされていったのだ。

 

私が攻撃する前に攻撃を行ったのは、紫だったのだ。

 

紫が行ったのは横に傘一閃。たったそれだけ。

 

その攻撃で雑魚は地面を抉りながら吹き飛ばされていく。当然接地面は鑢で削ったような有り様になっている事だろう。

 

私はその事を見ても、何の感情も生まれず、ただ先ほど立っていた雑魚の後ろの妖怪に向かって殺意が湧くだけであった。

 

「耕也の居場所を吐くまで……いじめてあげるわ」

 

無論、吐く前にいじめるが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「け、結局見つからなかった……」

 

そう言いながら白玉楼を後にする。

 

全く、運が悪いにもほどがある。いつもなら幽香は家にいるはずなのに今日に限って居ないとは……。

 

自分の運の悪さに嫌気がさしながらも、自宅に向かってジャンプする。

 

すると、何故かそこには燐とこいしがいた。

 

俺は疲れながらも、二人がここにいる理由を尋ねる。

 

「あの……一体何でここにいるんですか? 鍵閉めたはずなんですけど」

 

すると、燐が尻尾を振りながらニコニコと

 

「台所の窓があいてたよ~…」

 

「え?」

 

俺はその言葉に思わず変な言葉を出してしまい、釣られて窓を見やる。確かに開いている。開いているのだが……。

 

……忘れてたのか? 本当に? 2回も戸締りの確認をしたというのに。

 

まあ、侵入したのがこの2人だからまだ良かったものの、見知らぬ輩だと荒らされそうで怖いな。今度はもう少し念入りに確認しよう。

 

……もしかしたらあの時焦っていたから忘れてしまったという可能性もあるし。

 

俺は仕方なしに、2人に此処に来た理由を尋ねる。

 

「それで、自分に何か用ですか?」

 

不法侵入をしたんだ。急ぎの件や立派な用事があるのだろう。単に暇つぶしで俺の家に侵入したというのなら流石に俺も注意するが。

 

そんな事を考えながら2人の反応を待っていると、燐が尻尾をピンと立たせて俺に掴みかかる。

 

「そうだ、耕也! 大変だよ。商店街で大喧嘩が始まってるんだよ。見に行こう!」

 

こいしは燐の言葉にウンウンと頷き、手で行こう行こうと合図する。

 

……何で俺が喧嘩なんて見にいかにゃならんの?

 

ゆっくりこのまま休ませて欲しいというのが本音なのだ。

 

しかし、それを伝えた所でこの2人は退きそうにない。

 

俺はその事を考えると、早めに行ってサッサと切り上げた方が簡単だなという結論が頭の中で出て、二人に了承する。

 

「分かりました分かりました。じゃあ少しだけですよ?」

 

「にゃはは~……乗りが良いねえ耕也は」

 

「うんうん」

 

「はぁ……」

 

と、俺はため息を吐きながら2人に連れられて行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

3人で数分の距離を歩いていくと、いつもよりも大きな喧騒が鼓膜を刺激する。

 

これが地底の喧嘩なのか? と思いつつも商店街へと入っていく。

 

すると、俺達が入るなり、周囲からの視線が集まる。

 

まあ、いつもの事だと思いながら歩いていくと、誰かが指を指して声を発する。

 

「ほ、本人が来たっ……!」

 

すると、その言葉を皮切りに俺達の歩いている方も騒がしくなってくる。

 

……いや、本人ですよ? 確かに俺は大正耕也本人ですよ? でもそれが何なんだい……。

 

そう疑問が浮かび上がっては沈んでいき、その声を無視しながら歩いていく。

 

燐とこいしはほとんどスキップしている状態であり、辛うじて俺のペースに合わそうという気持ちが2人の移動速度を抑えているようだった。

 

そして商店街の中を歩いていくと、ついに喧嘩の行われている場所にまでやってくる。

 

だが、人ごみのせいかその現場を見ることは叶わない。

 

「どれどれ~……ちょっとすみませんよ。と」

 

そう言いながら通ろうとしたとき、何故か皆が俺の方を振り向いてギョッとし、まるで海が割れるかのように道ができる。

 

その様に俺はおっかなびっくりにその道を歩いていくと、やがて現場が直視できるような場所まで出てくる。

 

そして現場を見た瞬間に声を上げてしまう。

 

この声は心の底からの驚きの声だったのだろう。燐とこいしは俺の方を見ながらどうしたのという表情を浮かべる。

 

2人には分からないだろうが、俺にとっては一大事である。

 

何故かよく分からないが、幽香と紫、藍が周囲を威圧するように立っていたのだ。

 

そしてその3人も俺と視線を合わせた瞬間に同じような顔をした。

 

あ。……と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺は幽香達を見た瞬間に驚きが心を支配していた。しかし、その中で急速に何かが驚きを上塗りして支配しようとしているのだ。

 

その二重のモノが拮抗して、その良く分からないモノが上回り心を支配した瞬間に、視界が歪み始めた。

 

そして歪み始めた瞬間に、一気にそれが溢れだした。もう止まらない。止められないのだ。

 

両目から大粒の涙が溢れ出し、地面をポタポタと濡らす。

 

俺は立ち止まる事ができずに、3人に向かって歩き始めていた。

 

そこで漸く3人も目の前の現実を認めたのか、駆け寄ってくる。

 

まず最初に来たのが、幽香。

 

幽香はそのままの速度で俺に抱きつき、大粒の涙を流しながらしゃくりあげ、その場で俺に言葉を放つ。

 

「ば…か……。何で連絡の一つも……寄…越さ……ないのよ……うう、うううぅぅぅぅぅっ」

 

俺はそれにどう反応していいかも分からず、ただただその場で泣きながら謝るだけであった。

 

「ごめん……本当にごめん……くぅ…ごめんなさい」

 

その場でしばらく同じような応酬が続き、互いに抱き合って泣きあっていた。

 

俺はその場で幽香の背中にまわしていた手をポンポンと叩いて落ち着かせるようにしたやる。

 

大体5分ほどそうしていただろうか? おそらくそうしていただろう。

 

ソレが効果を出したのか、幽香は先ほどよりもかなり落ち着いて俺の傍から離れる。

 

「一人占めはね……後がつかえているし」

 

そういうと同時に今度は紫と藍が同時に抱きついてくる。

 

「全く、……耕也は本当に心配させるのだから……仕方のない人ね……少しは頼りなさいな…ばか……」

 

一筋の涙を流しながら強く強く抱きしめてくる。そして俺の右半身に顔をうずめる。

 

「耕也……私を放って置くとは……くっ…罰が必要だ……」

 

涙を流しながら、紫と同じように左半身に顔をうずめる。

 

そんな俺はただ2人を強く抱きしめ返して、涙を流しながら謝罪するのみ。

 

嬉しさ等といった感情がごちゃ混ぜとなって碌に思考ができない状態となっていたのだ。

 

「ごめん…ごめんなさい。……もっと早く連絡すれば良かったね……本当にごめんなさい」

 

幽香と同じぐらいの長い時間、俺達は観衆をよそにしばらく抱き合っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しばらく時間が経ち、漸く落ち着き始めた俺達は、互いに真っ赤に充血した眼をしながらその場で恥ずかしそうに笑い合っていた。

 

観衆は、俺達の行動にやってられなくなったのか、ほとんど帰って行ってしまった。むしろそっちの方がこちらとしては都合がいいのだが……。

 

「さあ、耕也。積もる話もあるから、貴方の家に案内してくれないかしら?」

 

と、紫が俺に微笑みながら言う。

 

「そうですね……じゃあ、行きましょうか? 幽香、藍?」

 

そう聞くと、幽香と藍は頬笑みながら頷く。

 

「ええ、そうね。そうしましょう」

 

「長い話になりそうだな耕也……」

 

そう言いながら俺の傍までついてくる。

 

俺は3人を案内するために、少し前を歩き始めようとする。

 

しかし、それは目の前にいたこいしと燐に遮られた。

 

「ねえ、耕也。……あの…さ。3人は耕也と親しいようだけど……地上に帰ってしまうのかい?」

 

と、燐は若干悲しそうな声で言ってくる。

 

そうだな……地上に行く機会は多くなるかもしれないが、基盤は地底になると思う。というのが俺の考えである。

 

「…………そうですね。地上に行く事が多くなると思います」

 

すると、後ろから紫の声が聞こえてくる。

 

「……耕也、その妖怪達は?」

 

「右の方が火焔猫 燐さん。そして左の方が古明地こいしさん。……御二人とも自分が地底に来た時にお世話になった恩人の方々ですよ」

 

「へえ……そうなの」

 

と、なんだ……とでも言いたそうな表情で紫はこちらに返す。

 

すると、今度はこいしから声がかかる。

 

「え……? ずっと此処に居てくれるんでしょ? 一緒に遊んでくれるんでしょ? ……何で帰っちゃうの?」

 

と、随分と焦った表情で、信じられないと言った口調で俺に尋ねてくる。

 

いつもとは違った口調に俺は違和感を覚えながらも、さすがに恩人を蔑ろにするわけにはいかないと考え、弁明を始める。

 

「いえ、そういう訳ではないので安心して下さい。ちゃんと生活基盤はこの地底にありますので」

 

此処までは良かった。此処までで終われば俺は救われていた。

 

……………しかし、次の一言がいけなかった。そしてこの言葉を放つ前の一瞬のニヤリとした表情もいけなかった……。

 

「嘘よ嘘嘘っ!……嘘言わないでよっ! 最初に来た時なんて土下座しながらペットにしてくださいって大声で叫んでたのに!」

 

俺はその言葉に、一瞬にして全思考が止まり、動けなくなってしまった。

 

「しかもしかも、この前なんて燐のお尻をずぅ~~~~~っと、舐めまわすように見てたじゃない! なのになのに、そんなに私達の事が嫌いだったのっ!?」

 

俺は漸くその言葉で硬直が解け、上手く回らない舌を無理矢理回しながら反論する。

 

「ペットにしてくれだなんて一言も言ってませんよ! ……確かにお尻みてたのは認めますけど、あれは尻尾の付け根に興味があってですね……!」

 

そう反論しつつ、俺の罪を少しでも軽減させようとする。しかし、現実は非情であり、そう簡単に上手くいくものでもなかったのだ。

 

背後で何かが圧し折れるような音がする。……非常に嫌な予感がする。

 

その嫌な予感は良く当たるようで、ゆっくりと、背中から胸辺りをクロスするように腕が巻かれ、抱きつかれる。

 

「耕也ぁ……、貴方そんな事をしてたの……そう、そんな事をねえ……」

 

まるであの時のようなねっとりとした妖艶で甘い声を出しながら俺に囁く幽香。

 

俺は誤解だと思い弁明しようとするが、今度は右腕に柔らかい大きなモノが当たり、抱きつかれる。

 

「あらあら……耕也ったら本当にいけない人ね……お仕置きが必要だわ…………ね?」

 

と、紫が男なら100%堕とされるであろう笑みを浮かべながらそんな事を言ってくる。

 

もはや俺には反論する事も出来ずに唯その事を見守るばかりである。

 

そして最後の駄目押しで左から

 

「耕也はそういう事が趣味なのか……もっと早く言ってくれなければ……罰が必要だなぁ…」

 

そして少しでも反論しようと、俺は口を開く。

 

「あの……無実なんですけど……一部を除いて」

 

しかし、幽香が俺の言葉を抹消しにかかる。

 

「耕也…………私達が貴方をペットで性奴隷にしてあげましょうか? 今夜からたっぷりとね?」

 

「耕也の為なら何でもしてあげるわぁ……ふふふ」

 

「壊しはしないが……壊れる寸前まではするからな……?」

 

俺は3人に押されるままに自宅へと案内をさせられる羽目となった。

 

そして後ろで何とも酷い言葉が聞こえる。

 

「お燐…明日になったら死体が手に入るかもよ? やったね」

 

「でも多分、何もかも搾り取られて干からびたのしか手に入らないような……にゃあ~…」

 

まんまと嵌められた……。もう勘弁してくれ……。

 

2人の言葉にそんな感想を持ちつつ渇いた笑いをするしかなかった……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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70話 味付けは適度が一番……

砂糖を先に入れよう……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「耕也、これらを向こうの棚に仕舞っておくれ」

 

「はい」

 

そう言いながら酒樽達を棚の上へと持ちあげにかかる。持ちあげの対象となるこの樽の重量は、それぞれ大凡20kgを越えるあたりであろう。

 

しかし、この酒樽は鎌倉末期に登場する結樽とは違いもっと粗末なモノの為、扱いには注意が必要とのこと。まあ、それでも落とさなければいいらしいのだが……。

 

俺は樽を壊さないように十分に留意しながら脚立に乗りながら棚へと上げてやる。

 

現代に使われる金属製の安定な脚立を使用しているとはいえ、上を向きながら作業をするとどうしても不安感が高まってくる。

 

人間の心理というモノはどうしてか、絶対に怪我をしないと分かっているにもかかわらず、落ちたらどうなってしまうのだろう? や、落ちたら痛いだろうな。といった事を頭に浮かべてしまうのである。

 

そんなこんなで作業を終えると、おっかなびっくりに手をピクピクと震わせながら脚立の最上部を掴んで姿勢の安定性を高める。

 

本来なら飛んだ方が確実で楽なのかもしれないが、店内で仕事中に飛んでいる所を客に見られでもしたら悪印象を持たれる可能性もあるし、何より下品な気がしてならない。

 

とはいっても、俺がこの脚立を使って働いている姿が上品かというと……んなわきゃあない。

 

ただ、飛びながら働くよりはまだマシといった感じである。

 

「おお、耕也。終わったら配達に向かってくれんかの?」

 

この酒屋の店主である狸の妖怪の化閃は、腰を悪くしているらしく、自分の身長よりも高い所に商品を上げられないらしい。

 

しかし、質の良い酒を造ることで有名な化閃の店は、当然のことながら人気があり、本人の体調に関わらず客が来る。

 

本来ならば店を畳むべきだと本人は判断していたようだが、偶々俺が来たものだから渡りに船という事で採用をしてくれたらしい。

 

確かに人口が少ないこの地底では、建築関係に人が取られてしまう事が多いので、中々此処に雇ってもらおうと言う人がいるとは思えない。

 

ただ、雇い入れてもらう時に聞いた事だが、人間の俺を雇っても問題ないのか? という質問については

 

「味が落ちなければ大丈夫」

 

という自信満々の一言で、けりがついてしまった。……まあ、この店にとっては俺は刺身のパックについてるタンポポのようなもんだし、影響が少ないと言えば少ないかもしれないが…。

 

少しだけため息をついてから、俺はその考えを頭の隅にやって化閃に返事をする。

 

「はい、化閃さん。今行きます」

 

そう言いながら俺は脚立から少しだけ重力に従いながら降りる。

 

脚立の段から降りた瞬間に嫌な鈍痛が腰に響く。……これはちょっと痛い。

 

少しだけ腰を摩りながら原因を思い出していく。

 

症状としては殆ど問題ないのだが、……原因としてはアレのせいである。そう、藍達との再会の後である。

 

あの後は本当に神経が焼き切れそうになった。あそこまで焼き切れそうになって目の前が真っ白になったのは初めてである。

 

藍の言うとおり、壊れはしなかったが……。

 

翌日が定休日であった事が幸いであったが、次の日は一日中頭が疲労でボーっとしてしまって動けなかった。

 

それでも色々と補助してくれた彼女らには感謝をしているが。

 

腰痛の原因を思い出しながら、先ほどよりも痛みが引いてきたため、腰を摩るのをやめて化閃の方へと近寄って配達物を受け取りに行く。

 

「耕也、この三つの酒樽を、配達してくれ。場所は此処と、此処と、此処じゃ」

 

そう言いながら今回の配達場所の指定を地図を参照しながら教えてくれる。

 

場所は……飲み屋2軒に……地霊殿か……。

 

念のために口頭で再度場所を確認していく。

 

「この飲み屋の2軒と、地霊殿ですね?」

 

確認を終えると、俺の言っている事が合っているようで、すぐに頷いてくれる。

 

「そうじゃ。よろしく頼むぞ?」

 

そうして了解を得た俺が荷物をジャンプしてそれぞれの所に運ぼうとした時、化閃は何かを思い出したように手をポンと叩き合わせて、話し始める。

 

「忘れておった。今日はこの配達が終わったらもうおしまいで良いぞ。だから終わったらそのまま帰ってもらって構わん」

 

俺は特に何の疑問も持たずに、その場で了承する。

 

「あ、はい。わかりました。……では、行って参ります」

 

「頼んだぞ」

 

その言葉を背中で受けながら俺はジャンプを開始していく。

 

 

 

 

 

 

 

 

「化閃の酒屋から御注文の御酒をお届けにあがりました」

 

俺が飲み屋の裏口から声を掛けると、従業員が顔を出して俺と酒に視線を交互させる。

 

最初俺を見た従業員は、先日の事もあってか俺を見ると眼を少し見開き、驚嘆するような表情を見せるが、そこは流石に接客業に就いているためか驚きを即座に抑えて応対してくる。

 

「おう、新入りか。……酒は俺が預かる」

 

そう言いながら店内を一瞬だけ見渡しながら、俺に向かって両手を差し出す。

 

おそらく店内の棚まで入れるのが俺の仕事なのかもしれないが、この従業員は察してくれたのだろう。

 

俺はその差し出される両手に樽を渡し、感謝する。

 

「ありがとうございました」

 

そういうと、悪い気はしなかったようで、少し口元に笑みを浮かべながら俺に対して返答してくる。

 

「まあ、次も頼む」

 

そう言いながら扉を閉め、中へと作業しに行く。俺は少しだけその場で礼をしてからまた別の配達に向かって行く。

 

意識を集中させ、その目的地に向かってジャンプを開始する。

 

少しだけ体力が削られ、その疲労感に少しだけ嫌気がさしながらも、移動手段としてはそれが一番であると考えながら次の店の前へと立つ。

 

配達物が無いのならチンタラ飛んでも良いのだが、迅速に運ぶ必要がある上に、飛んでいる最中に落としてしまったら大変である。

 

なら体力が削られても極力低リスクなジャンプを行った方がマシである。

 

俺は目の前の店の様子を見ながら色々と配達方法について考えて行く。

 

2軒目は先ほどの店よりもこじんまりとしてはいるが、客は先ほどの店よりも多い。

 

しかし、さすがにこの楽しげな雰囲気を俺が壊しに掛かるわけには行かないので、裏口に回って商品を届ける。

 

「化閃の酒屋から御注文の品をお届けにあがりました」

 

先ほどと同じ言葉を言って店員が開けてくれるのを待つ。

 

その場で待ちながら、次の配達先の事を考えておく。とはいっても地霊殿なのでそこまで緊張する必要はない。

 

しかし、そこである事に気がつく。まだ地霊殿に礼をしていないな。と。

 

地霊殿は俺が宿なしの頃に泊めてくれた場所であり、燐たちは俺の就職を補助してくれた恩人たちの住居である。

 

流石に此処までしてもらいながら礼をしないのは、常識的に不味いモノがあるだろう。

 

だから、今回注文された酒にもう5本の1升瓶を足してやろうかな? と、思うのである。

 

そして礼という事を考えている間にもう2つ御礼をしなければいけない所がある事に気がついた。

 

それはヤマメとパルスィの所である。

 

ヤマメは俺が途方に暮れていた所を種族の違いがあるにもかかわらず、快く宿を貸してくれた方である。

 

これも礼を近々しなければ失礼にあたるであろう。

 

そして最後にパルスィは、俺が就職に困り果てていた所を化閃に口利して助けてくれた恩人である。またこれも礼をしなければ人として失格であろう。

 

さて、二人にはどういった品を持って行くべきかを考えつつ、店員が出てくるのを待つ。

 

先ほどの考えから少しの時が経ち、扉がゆっくりと横に引かれて開かれる。

 

出てきたのは、岩の妖怪。…………そう、岩の妖怪である。

 

ただ、岩といっても人間とあまり変わらないような体格であり、肌は堅そうではあるがその指先の細さも人間と変わらず、柔軟性に富んでいるようにも見られる。

 

そして岩の体格であるのだからもちろん体毛といったものは一切存在せず。ただ口と鼻のような出っ張り、そして大きな一つ目がその顔に鎮座しているだけであった。

 

もちろん妖怪なので見た目は、一般人から見れば怖いものがあり、俺としても少しではあるが心に動揺が現れてくる。初めて見た衝撃というやつであろう。

 

しかし、長い間陰陽師をやっていたためなのか、声や表情には出す事は無く、人間に接するように表情を朗らかにして応対する。

 

「こんにちは、化閃の酒屋から来ました者です。商品の納入に参りました」

 

しかし、此方が努めて笑顔で挨拶しても、相手が同じように挨拶してくれるとは限らず。

 

相手の妖怪は、俺の顔を見るなりそれまでの無表情を一気に崩し、恐怖の色を浮かべ始める。

 

そしてそのまま足を滑らせてしまい、裏口ですっ転んでしまう。

 

俺はその事にただ唖然とするしかなく、岩の妖怪が立ちあがるのをただただ見守ることしかできなかった。

 

岩の妖怪は慌てて立ち上がろうともがき、立ちあがるのに数秒要してしまう。

 

漸く立ち上がった妖怪は俺の方を見ながら再度恐怖の色を浮かべ、後ろの扉に手を掛けて後ずさる様に身体を傾け始める。

 

そして俺の表情を見るなり一言。

 

「あ、あんたは……。お、俺を殺すのか?」

 

その言葉を聞いた瞬間に俺の頭の中には、疑問符が溢れ返ってしまったかのように感じた。

 

………………は? と。

 

しかし、心当たりはある。次の二つのどちらかか、両方の理由が当てはまるのだろう。

 

一つ目は、俺が地底に来た時に襲いかかって来た妖怪との戦闘。あれは俺が唯単に降りかかる火の粉を払っただけではあるのだが、それを見て勘違いした可能性があるという事。

 

二つ目は、俺は戦闘に直接的に関わってはいないが、紫達が地底で行った一方的な戦闘行為。俺の為にやってくれた事なのだから責めはしなかったが、その事が起因している可能性があるという事。

 

そしてその両方を見たという可能性もある。

 

どちらにせよ今の俺には、それをなかった事にする事はできないし、それを弁解せずに商品だけを渡して帰ることなんてできはしない。

 

商品だけを渡して帰ったら酒屋のイメージがとんでもなく悪いモノになってしまうだろうし、そんなことになったら俺は化閃に対して顔向けする事ができない。

 

ならば俺がする事はただ一つ。この悪いイメージを払拭する事のみである。

 

俺は、できる限り真面目な表情をし、深く深くその場で頭を下げて弁明を始める。

 

「先日の騒ぎにつきましては、全ての責任の所在は私にございます。この度はお騒がせして大変申し訳ございませんでした。……また今回は、地底での生活を始めるにあたりまして、化閃様の酒屋にて働かせていただいております。ですが、化閃様への御信用を落とさぬよう努めて参りますのでどうぞよろしくお願いいたします」

 

そこで息を吐いてから、また深く吸い

 

「今後とも、どうか化閃の酒屋をよろしくお願いいたします」

 

そこまで言ってから少しの間を空けて顔を上げる。

 

すると、先ほどの恐怖の色を浮かべていた妖怪は、俺の態度に驚いてしまったのか唖然としてしまっている。

 

俺はその様子を見て思わず、逆効果だったか? と、焦ってしまう。

 

しかしそれは次の妖怪の一言で杞憂に終わった事が分かった。

 

「あ、ああ、すまん。いや、少し動揺してしまっただけでな……。そ、それで商品はこれか?」

 

そう言いながら俺の横に置いてある商品を指差す。

 

俺はその視線に釣られるように目線を合わせ、慌てて酒樽を持ちあげて渡す。

 

「申し訳ありません。此方が商品となります」

 

すると、妖怪は俺から受け取った酒樽を持ち上げて、周囲を見て行く。

 

どこかに破損部分があるかどうかを確認しているのだろう。しかし、今回初めての配達だから、最新の注意を払ったので傷はついてはいない筈。

 

俺の推測は当たっていたようで、目の前の妖怪はホッとしたような表情を浮かべ、おっかなびっくりに俺の肩をポンポンと叩いて

 

「お、お疲れ。まあ、暇があれば飲みにくればいい。悪いやつではなさそうだしな……」

 

と、労いと、何とも嬉しい事を言ってくれる。

 

俺はそれに感謝をしながら

 

「ありがとうございます。今後も何卒よしなに」

 

そう言って再び俺は名も知らぬ妖怪に向かって礼をする。

 

妖怪は、再び俺の肩をポンポンと叩きながら扉の奥へと入っていく。

 

俺は扉が完全に閉まるのを待ってから、顔を上げる。

 

「……何とか大丈夫かな?」

 

そう小声で言って次に向かう為に最後の酒樽を持ち上げる。

 

そして再び意識を集中させて地霊殿に向かってジャンプする。

 

先ほどの酒屋から一気に地霊殿の玄関まで移動し、目の前に大きな扉が現れる。

 

俺はその事を目で確認すると、金属製のドアノックハンドルを掴み、ガツンガツンガツンと3回ノックをして応対を待つ。

 

その応対を待つ時間、誰が応対してくるのかを楽しみに待つ。

 

俺の予想としては、燐の可能性が一番高い。次に空。三番目にこいしで最後にさとりといった感じであろう。

 

他のペットは……皆唯の動物だし来ないとは思うが…。

 

そんな事を考えていると、目の前の扉が開かれ、ひょっこりと顔をのぞかせる。

 

俺の予想は少し外れていたようで、応対したのは空であった。

 

空は俺の顔を見るなり

 

「おぉ~~~……耕也か…」

 

と、素っ頓狂な声を上げて扉を全開にする。

 

扉を開けた拍子に大きな胸が揺れ動き、目線が自然とそこに注がれてしまう。……仕方が無いと言えば仕方が無い。こんなに大きな胸なら見ない方が失礼にあたりそうである。

 

何とも変態的な思考をしながら、俺は応対してくれた空に向かって商品の配達完了を告げる。

 

「こんにちは、空さん。御注文の品をお届けに上がりました。ご確認の程をよろしくお願いします」

 

努めて笑顔で話すと、空は何か変なモノを見るかのような目で俺の方を見ながら、商品の確認をする。

 

もちろん商品とは、例の酒樽に御礼用である一升瓶の清酒を5本だ。

 

俺の働く姿はそんなに変に見えるのだろうか? と、少し自信を無くしてしまいそうになる。まあ、見てしまったし仕方が無いのかね。

 

そんなしょうも無い事を考えながら、空の確認の終了を待つ。

 

しかし、この酒を見ながら空は首を傾げるばかりで一向に終わる気配というモノが見えてこない。

 

そしてしばらくそれが続いていくと

 

「……わ、わっかんない…。……お燐~~~~っ!」

 

根を上げて燐に助けを求める。

 

すると、眉毛をへの字にしながら燐が俺達の方へと歩いてくる。

 

その表情は先ほどのへの字に加えて、またか……。とでも言いたそうなオーラが溢れている。

 

しかし、俺の方を見ると、そのへの字を一気に笑顔をへと変えて、駆け寄ってくる。

 

「お、なんだいなんだい? 立派に仕事してるじゃないか~っ!? お姉さん安心しちゃったよ!」

 

そう言いながらバシバシと俺の背中を叩いてくる燐。

 

俺は背中を叩かれながらも燐に向かって笑いながら返す。

 

「ははは、御蔭さまで何とか頑張れています。ありがとうございます」

 

そう言いながら俺は燐に向かって礼を述べる。

 

そして商品を渡し、確認を行ってもらう。

 

「今回御注文の商品がこれですね。……それとこれはささやかな御礼といいますか……。御口に合うと宜しいのですが…」

 

そう言いながら瓶を渡す。

 

燐は瓶を見て、そのガラスの透明さに驚く。

 

「な、なにこれ~……。お空、見てごらんよ。こんな入れ物あたい初めて見たよ!」

 

そう言いながら瓶を空に見せる。すると、鴉の類であるせいか、光りモノには眼が無いようで、眼を先ほどとは打って変わってキラキラ輝かせながら瓶を見る。

 

「え、え、え? これ御酒が入ってるの? キラキラした入れ物に御酒が~……」

 

飲みたい飲みたいというオーラを出しながらその場で空は小躍りする。

 

何だか新鮮だなと思いながら、俺は燐に話しかける。

 

「あの、燐さん。さとりさんとこいしさんにも礼を言いたいのですが……」

 

そういうと、燐は困った顔をしながら手をツンツン合わせるように動かす。

 

その後、眼を少しだけ泳がせながら、やがて言葉を紡ぎだす。

 

「あのね……さとり様は今客人が来てるから取り込み中でさ……。こいし様はどこかに居るのか分からないのさ」

 

そう言いながら耳を少しだけ垂れさせる。会わせられない事を申し訳ないと感じているのだろう。

 

俺はそんなに気にする必要はないと、燐に安心させるように言う。

 

「あ~……、でしたら、また日を改めて御伺いしますので」

 

そう言いながら、俺は帰る支度を始める。

 

しかし、意外にも空が俺の服の袖をつかみ、帰ろうとするのを制止する。

 

「ねえねえ、……あのさあ、前にお燐が言ってたんだけど、その、耕也の作るごはんがおいしいって。だから、作ってもらえない?」

 

その言葉に燐は、便乗するかのように俺の袖をつかんで眼を輝かせながら言ってくる。

 

「それが良いよ耕也っ! 夕食時になれば流石にさとり様も話を止めるだろうから、あたい達の為にも作っておくれよっ! ……お燐良く言った!」

 

そう言いながら俺を引っ張っていく燐。空も便乗して俺の背中を押してドンドン中へと入らせていく。

 

結局の所、俺に拒否権なんてものは存在しなかったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さとり、最近の地底の治安、管理等はどうですか?」

 

私は目の前にいる心を読む妖怪、さとりから現時点での地底の治安等の管理について聞いていく。

 

最近どうも諍いが起こったようなので聞きに来たのだが、特に街を見る限りではそこまで激しい戦闘があったようには見えない。

 

ただ、その諍いの際に強大な力を持つ3妖怪が押し入ってきたというではないか。……閻魔として、流石にそんな横暴を見過ごしているわけにはいかないので、私は来ざるを得なかったのだ。

 

さとりは私の質問に特に動揺する事も無く、真実のみを淡々と話していく。

 

「特に支障を来たす程の事件が起こったという訳ではありません」

 

「では、諍いに関係していた妖怪は?」

 

「名前まで知りませんが、強大な力を持ったという事だけしか……」

 

名前までは知らないか……。しかし、大体の予想はつく。おそらく此処に来るまでに感じ取った妖気を分析すると…………八雲紫であろう。

 

あの何時までも残りそうな粘っこい妖気はあの八雲紫しかいない。……しかし、一体何のために?

 

八雲紫がここに来る理由が分からない。

 

私は茶を啜りながらさとりの表情を伺い、さらにはこっそり浄玻璃を使用しているのだが、一向にその手掛かりがつかめない。

 

いや、ちょっと待って? いま、浄玻璃に何かもやが掛かったような……?

 

そう思いながらチラリと視線を下に移して確認を行う。……何も問題はない。気のせいか。

 

「四季様、私は浄玻璃を使わずとも嘘は吐きません。ご安心を」

 

やはり心を読んでいたのか……。

 

心が漏れないように力で保護して殺していたのだが、さすがに今の一瞬の動揺だけは見抜かれてしまったようだ。……情けない。

 

しかし、このままでは埒が明かない。一応この地底は安定はしてはいるが、封印された危険な妖怪達がいるのだ。均衡が崩れてもおかしくはない。

 

ただ、何のために来たのかそれが知りたい。彼女達の興味を強烈に引き付ける何かを。でなければ、地上の妖怪がこんな地底くんだりまで来るわけが無いのだ。

 

私がその事を聞こうとさとりに向かって口を開こうとしたとき、眼の端に何かが映った。

 

……………?

 

私はそれに何故か興味を惹かれ、その端に映ったモノを視界の中央に収める。

 

空調の為に開かれた扉は、私の興味を惹いた者を余さず目に届けてくれるため、容易にその姿を特定する事ができた。

 

普段ならいる事のない者。この地霊殿に居るはずのない男。

 

だが私の目は数秒ながら、その男がさとりのペットである、燐と空と共に楽しそうに歩いていくのをこの目で捉えたのだ。

 

おかしい。……おかし過ぎる。よりにもよって何故人間がこの地底に? しかも妖怪ですら近寄らないこの地霊殿に?

 

だが、この私の視線の移り変わりがさとりの動揺を誘ったようだ。

 

さとりが私の視線の方向に合わせたと同時に、明らかに表情に動揺が現れたのだ。

 

この瞬間に、私はさとりがあの男について何かを知っているという事を確信した。

 

だから

 

「何故、人間がこのような場所に居るのですか?」

 

そう言って、彼女から白状するように差し向ける。

 

すると、ゆっくりと視線をこちらに合わせて、少しだけため息を吐きながら私に向かって話し始める。

 

「最近地底にやって来た人間の男です」

 

さとりが話し始めると同時に、私は心の中である確証に近い疑問が出てくる。

 

八雲紫達が来たのはこの男に関係があるのではないだろうか? と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……あっれ~~? おっかしいな~……こんなになる筈じゃあなかったんだけども」

 

簡易ガスコンロの上に乗っかっている鍋と睨めっこしながら思わず呟いてしまう。

 

燐と空に頼まれた料理は、途中までは上手く行ったのだが、最後の一品で躓いてしまった為である。

 

レシピとしては、和風っぽくアレンジした豚肉のピカタに油揚げともやしの味噌汁。白米に高野豆腐の煮物なのだが……。

 

念のためにお玉でもう一度だけ汁を少々掬って小皿に移し、味見する。

 

「いや~、味としてはあってるんだけどなぁ~……」

 

何故か高野豆腐の煮物で失敗してしまったのだ。……失敗した事が無い料理なのにもかかわらず。

 

そこで煮物の甘い香りに誘われてきたのか、燐が尻尾をユラユラさせて、耳をピクピクさせながら近づいてくる。

 

そして鍋の中を見るなりこう言いだした。

 

「耕也耕也。一体何を失敗したんだい? あたいにも味見させておくれよ」

 

そう言われちゃあしょうが無いと、俺は小皿に汁を移して飲ませる。

 

「……おぉ~、干しシイタケの味がよく利いてるじゃないのさ。初めての味だけど。……で、どこが失敗なんだい?」

 

汁に失敗点はないのだ。そう、味は完璧。だが、高野豆腐に問題があるのだ。

 

燐がどうしても食べたそうにするので、俺は小さく切り分けたうちの一つを小皿に乗せてやり、箸を持たせてやる。

 

すると、丁度良い温度になっていた高野豆腐を一口で放り込む。

 

最初の方は高野豆腐から滲み出てくる汁のうまみで満面の笑みを浮かべているのだが、時間が経過するごとに顔が悲しみに変わってくる。

 

そして何回も噛んで漸く飲みきった後に出てきた言葉が

 

「なんかモソモソボソボソする~……」

 

これである。

 

そう、何故かスポンジのような感触になってしまったのだ。

 

調味料は特に間違ってはいないのにも拘らず。しかも煮る時間も適切であるため、その要素が見つからない。

 

しいたけの煮汁は毎回使用するため、固くするような要素はない。では一体何で?

 

俺はしばらくその場で考え込んでしまう。

 

……あ? ちょっと待てよ?

 

唐突に疑問が浮かんできたので、使用した調味料を机の上に出していく。

 

砂糖、醤油、みりん、塩。

 

それらを出してしばらく睨めっこしていると、答えが出てきた。

 

「あ……やっべぇ。砂糖先に入れるの忘れてた」

 

高野豆腐の煮物は、調味料を入れて行く際に砂糖から入れて行くのが一番良いのだ。醤油や塩などの塩分系は後から入れないと、高野豆腐を固くしてしまう。

 

俺は今回それを怠ってしまい、全部の調味料を同時に入れてしまったのだ。

 

「あ~……燐さん。砂糖先に入れるの忘れてました。……固くなった原因はこれですね」

 

と、そこで隣から声が掛かってくる。

 

「あら、味見をさせてもらえるかしら?」

 

俺は何の疑問を持たずに小皿に移した汁を視線を鍋からずらさずに渡す。

 

「また燐さんですか? 失敗作なのでいくらでもどうぞ。作り直しますしね」

 

そう言いながら鍋の移し替えを行おうと鍋を持ち上げようとする。

 

そこである違和感に気がつく。

 

……? あれ? 何か妙に燐の声がハスキーっぽいような?

 

「あら、御上手ですね」

 

その声に俺は疑問を持ちながらゆっくりと顔を向ける。

 

「あの……燐さん。……妙に声がハスキー……」

 

視線の先にいたのは燐ではなかった。

 

俺は燐でなかったという驚きと、目の前にいる人物の姿の二重に驚いてしまい

 

「いぃっ――――――!?」

 

と、変な声を上げてしまう。

 

法の平等性を表す金属の飾りがついた帽子。

 

衣服に狭そうに圧迫されている毀れんばかりに大きな胸に、安産型の腰に太もも。

 

その姿は衣装と相まって非常に妖艶であり、見るモノを魅了し圧倒するであろう。

 

そしてまたその顔は、閻魔という役職が誇り高きものである事を強調するかのように綺麗であった。

 

俺の目に映る女性は紛れもなく、幻想郷での死後をさばく閻魔の四季映姫・ヤマザナドゥであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「初めまして大正耕也。少しお話を聞かせて頂けないかしら?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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71話 長時間は勘弁……

手短にお願いしたいのですが……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

目の前にいるのは間違いなく四季映姫。ただ、何故ここに居るのかという疑問が噴出してくる。

 

映姫は、悔悟棒を少しだけふらふらとさせながらも、視線だけは俺へと完全に固定させており、余計なことはさせないという事がありありと読み取れる。

 

流石に俺が名前を知っているという事もおかしいので、此処は穏便に事が進むようにする。

 

「は、初めまして。……あの、もしかしてさとりさんの御客さまでしょうか?」

 

すると、微笑みながら映姫はコクコクと頷き、俺に向かって自己紹介を始めていく。

 

「察しが宜しい事で。その通り、私はこの地底を含めたある一定の区域を管轄する閻魔の四季映姫よ」

 

そう言いながら何かを探すように俺の身体をジロジロと見る。

 

それにしても、なぜヤマザナドゥが無いのだろうか? という疑問があったが、それはまだ幻想郷ができていないからであろうという結論が頭の中で浮かんでくる。

 

ヤマは閻魔という意味ではあるが、ザナドゥとは楽園という意味である。しかし今の時代は幻想郷という土地は存在しない。

 

だから、その後に名前が無いのだろう。いや、まだ正式な役職名が別れていないだけなのかもしれない。まあどちらにせよ、あと少ししたら名前がつくのであろうが。

 

と、俺が適当な事を考えていると、四季映姫は眉を顰めながら、自分の持っている手鏡のような円盤状の物体をしきりに見ている。

 

おそらく浄玻璃の鏡でも見ているのだろうが、あいにく俺の過去は見れないであろう。

 

領域が外れたとしても、俺の口から直接言わなければ、高次元の事柄については見れないかもしれない。俺の身体に害的干渉ができないと同じように、俺が知られては致命的な部分と思っている心の部分を覗く事自体が害的干渉であるからである。

 

多分、この世界に来てからの色々な行いについては見れるかもしれないが、それ以外を見ようとした瞬間に領域が遮断しにかかるだろう。

 

そんな事を映姫の行動を見ながら考えていた。

 

俺は映姫が黙りこんだのを後目に、先ほどの高野豆腐を皿に移し替え、鍋に新しい水を入れていく。

 

そしてガス炎で沸騰させていくと、映姫の表情は鏡を前にしながら、水の温度が上がるのとシンクロするかのように表情が険しくなっていく。

 

また、その身体から洩れる神力と負の雰囲気が強まる。……そりゃあそうだろう。

 

たかが人間の俺に、閻魔の力が全く通用しないのだから。もし逆の立場だったら、閻魔としての自信を喪失してしまうのだろうから。

 

ただ、さすがに映姫が俺としても万が一という事もあるから領域を外すことはできない。

 

第一、浄玻璃の鏡とは対象の者の過去に行ってきた様々な事柄を暴いてしまうという何ともありがたくない道具である。

 

つまりは…………現実世界の事は見られないとしても、この世界でしてきた紫達や幽香とのあんな事やこんな事がバレテしまうのである。

 

さとりの能力とは時間軸が違うとはいえ、これもまた厄介な力の一つであろう。

 

だが流石にこれ以上放置するのはかわいそうなので、俺から話しかけることとする。

 

「あの、閻魔様。……そこに御立ちになっているというのも御暇でしょうから、どうぞこの椅子にお掛けになってください。もうすぐで料理も完成しますので」

 

すると、映姫は俺の声に気付いたのか、ハッとした表情で俺の方に鏡から視線を移し、慌てて取り繕いながら椅子に腰を掛ける。

 

「あ、あ~、ありがとう。耕也……」

 

そう言いながらも、その顔は未だに険しくなっている。

 

俺はあえてそれに気がつかないふりをしながら、背を向けて再び料理に取り掛かる。

 

しかし、一向に視線が外れない。背中を向けているので正確な表情は分からないが、未だに厳しいままであろう。

 

そんな予想をしながら、熱湯に砂糖を溶かしてなじむように拡散させていくと、後ろから声がかかる。

 

「…………大正耕也。貴方に話があります。これは閻魔としての話です。いいですか?」

 

聞かなくても大体内容は分かるが、今は料理中であり、燐や空も腹を空かせているのだ。さすがに今話をするのは無理であろう。

 

だから、俺は話に応ずる代わりに、夕食後の自由時間という事にして貰おうと口を開く。

 

「はい、分かりました。……ですが、今は料理中ですので、申し訳ありませんが夕食後という事にしていただけませんか?」

 

それを映姫の方へ振り返りながら言うと、映姫もそれには賛成してくれたようで、悔悟棒を握り直しながら表情を解しつつ席を立つ。

 

「そうですね、さすがにこの場で話すというのも変ですし、……話す時間は夕食後に決めます」

 

そう言いながらスタスタと台所から出て行ってしまった。

 

映姫が出て行くと、思いっきりため息が出てくる。

 

「はぁ~~~~~~~……後でお説教かぁ…………心当たりがあり過ぎて泣けてくる」

 

そういうと、今まで黙っていた燐が近づいてきて、俺を慰めてくれる。

 

「あ~、耕也は……大丈夫だよ。能力とか効かないんでしょ?」

 

「いや、むしろそれが仇になってるんですよ……今回ばっかりは」

 

そう言いながら、高野豆腐を煮ていく。作業をしながらも先ほどの映姫との会話を思い出して、今後を予想して気分が暗くなる。

 

何とも困ったことになったもんだ。幻想郷ができても無いというのにも拘らず説教を食らうとは。

 

内容は……俺が地底に来た理由と、浄玻璃の鏡が干渉できないという部分であろう。

 

多分地底に来た理由は、紫達との関係に直結している上に、陰陽師の本文と相反している行為を行ったのだから、当然ながら雷が落ちるであろう。

 

どうにかその深い部分まで抉られたくはないなと思いながら、熱々の高野豆腐を室温で冷ましていく。

 

その作業する傍らで燐は、炊けた白米をドンドンしゃもじで茶碗によそっていく。

 

燐はよそいながら俺に尋ねてくる。

 

尋ねる表情は、苦笑というべきであろうか? 俺を気遣っているのであろうが、自分でも処理しきれないと言った感じである。

 

「耕也は……さ、色々と苦労しているようだし、閻魔も流石にそこまでしつこく聞いては来ないと思うんだけど」

 

確かにその可能性もあるかもしれないが、彼女は全て平等に裁く閻魔。裁かなければならない存在なのに、俺だけ裁けないから、はいそうですか。という訳にも行くまい。

 

だから彼女はしつこく聞いてきそうだ。

 

そういった考えが俺の中で浮かび上がり、燐にその事をやんわりと伝えていく。

 

「そうですね……。それだったらいいのですが、俺は彼女の沽券に関わるような事をしてしまっているので、さすがに手加減はしてくれないと思います」

 

すると、燐は困ったような顔をしながら、顎に手を当てて唸り始める。

 

俺に対して色々と策を練ろうとしているのだろう。

 

気遣いはうれしいが、流石に彼女にそこまで迷惑をかけるわけにはいかない。死体を集めて怨霊にしてしまうという閻魔にも嫌われそうな事をしている燐が、映姫に盾突くような行為は好ましくないだろう。

 

まあ、妖怪の本分であるからそれはそれで納得してはいるとは思うが。

 

そしてそんな事を考えている間にも、燐は俺の予想通りの言葉を言ってくれた。

 

「じゃあ、あたいが閻魔に頼んであげようか?」

 

俺は嬉しい気持ちになってしまいながらも、彼女の言葉に対してやんわりと断りをいれる。

 

「大丈夫ですよ。……何とかなると思いますよ? 閻魔様の攻撃も食らいませんし…」

 

そう断りを言うと、燐は俺の気持ちを汲んでくれたのか、ニャハニャハ笑いながら皿を運んでいく。

 

「そうだよね~。猛毒でも死ななかったんだもの。閻魔の攻撃も防げるよ」

 

俺は離れていく燐の姿を見ながら、自然と笑みを浮かべていた。

 

すると、燐は突然後ろを振り向き、こちらに向かって少し大きな声を出しながら話しかけてくる。

 

「そうだそうだ。さとり様が泊っていけだってさっ! 夕食作ってくれたお礼だってさ。部屋はこの前と同じだよ!」

 

その快活な笑顔が少し眩しく感じながらも、それに対して返事をしていく。

 

「分かりました」

 

 

 

 

 

 

 

 

夕食を食べ終わった後、俺は部屋で待つようにと映姫に言われため、部屋へとつながる廊下をノンビリと歩いている。

 

しかし特に戦いでも何でもないのに、妙に緊張している俺がいる。理由は良く分からないが、何故か緊張してしまっているのだ。

 

何だろう? この感覚は。親に怒られる時の緊張感に非常によく似ているのだが、何かが違う。その良く分からない緊張を感じながら、頭の隅へと追いやることにする。

 

……それにしても、俺の能力を知った所で一体何を要求してくるのだろうか? 閻魔の沽券に関わるから領域は常に外しておけと言ってくるのだろうか?

 

それとも、お前は死ぬ事が無いだろうから、今ここで断罪するなどといった花映塚っぽい事をやってくれるのだろうか?

 

もしそれなら俺は此処から尻尾巻いて逃げなくてはならない。戦うとしても最低は外でやらなければ。

 

だが、戦いなんてものは不毛でしかないので、話し合いで何とか解決したいというのが本音。彼女の心もそれに傾いていると良いのだが、それはまだ分からない。

 

気分のせいか、何時もより暗く感じるこの廊下は、さらに俺の気分を沈ませ、深く思考してしまう要因となっていった。

 

少しネガティブになりながら廊下を歩いていると、後ろから突然声を掛けられる。

 

「耕也」

 

俺は思考の海から突然引き揚げられ、反射的に後ろを振り返り警戒してしまう。

 

しかし、その警戒は無意味であったようで、振り向いた先に居たのは、さとりであった。

 

「突然ごめんなさいね。少しだけ良いかしら? 部屋に着くまでで良いわ」

 

俺は目の前の人物がさとりであったことにホッとしながら、了承をする。

 

「ええ、どうぞどうぞ」

 

さとりは俺の返事を受け取ると、少し歩幅を大きめにしながら近づき、俺と一緒に歩き始める。

 

まず最初に口を開いたのはさとりであった。

 

「耕也。……映姫は貴方の力について随分と御執心だったわ。……それと、貴方と妖怪の関係についても。……あの後お燐に耕也と会っていた妖怪について聞いてみたのだけれど、八雲紫と八雲藍、風見幽香と関係にあったのね…」

 

「そうです、その通りです。……映姫さんはそれについてどんな事を言っていました?」

 

すると、さとりはこれでもかとばかりにため息を吐き、残念そうな顔をしながら話しだす。

 

「……物凄く興味を持っていたわ。……人間である貴方がこの地底に来た事や、先日の妖怪との関係。さらには貴方の能力についてもね…心を制御することに長けているさとり妖怪の私ですらあの浄玻璃の鏡では簡単に見破られてしまうの」

 

そう言って深く息を吸って次の言葉を話し始める。

 

「だから……話してしまったわ。貴方の力や此処に来た理由について。……ごめんなさい」

 

俺はその言葉を聞いた瞬間に即座に否定を始める。

 

「謝る必要なんてどこにもありませんよ。……そんな回避不可能な力を使われたら話すしかないですよ…お気になさらないでください。」

 

「……ええ、ありがとう。……頑張って」

 

「はい。ありがとうございます」

 

その言葉とともに俺は部屋へと入り、懐中電灯をつけて机の位置を確認する。

 

そして確認した後、照明スタンドを創造して机の上に置き、電力を供給させて点灯させる。

 

「さて……少しだけ寝る準備でもしますかねえ。説教が終わった後にいつ寝ても良いようにね」

 

俺はベッドシーツを整え、部屋に落ちている埃を掃除機で吸い取り、寝心地が良いように工夫をしていく。

 

「少しくらいかねえ? ……もう一個だけスタンド点けようか」

 

そう独り言を言いながら、俺は部屋の隅に同じ照明スタンドを立てて点灯させる。

 

すると、先ほどの一個の時よりも断然明るくなり、部屋の壁紙の色が薄らとではあるが見えるようになる。

 

まあ、夜なのだしこのくらいで良いのだろうと俺は思う。本来なら蝋燭などといった暗い照明器具で話すはずなのだ。これくらいの明るさならこの時代からすれば常識外であろう。

 

そんな事を思いながらベッドに寝転び、明日の仕事について考えていると、ドアをノックする音が聞こえてくる。

 

「どうぞ。開いてますよ」

 

そう言いながら俺は姿勢を直して出迎える。

 

当然のことながら、そこに立っていたのは映姫であり、顔を少し硬くしながら立っていた。

 

「失礼するわ」

 

そう言いながらゆっくりと歩いてくる。

 

俺は話しやすいように、予め用意してあった小さな丸テーブルに案内して座らせる。

 

しかし、映姫は俺の方を見ると思いきや、照明スタンドの方を注視している。

 

「どうしたのですか?」

 

と、聞くと、映姫は目を瞬かせながら指を指して話す。

 

「これは……貴方のかしら?」

 

「ええ」

 

そう返事をすると、少し羨ましそうな顔をしながら

 

「明るいですね。……これが仕事場にあればどんなに楽か……」

 

そう言いながらため息をついて再び椅子に座る。

 

確かに夜の仕事はこのレベルの光量がなければ厳しいであろう。この時代の蝋燭で読書なんて眼に悪いことこの上ない。ましてや映姫が書類仕事等をしているのだから眼が疲れるであろう。

 

照明スタンドを分けて何とかしても良いのだが……。

 

そう思いながら彼女の方を見ていると、映姫は先ほどの表情が嘘のように真面目になり、口を開く。

 

「さて、話に入ります。……この照明についてもそうでしょうが、貴方の力は一体何なのですか? 明らかに人間を逸脱しています。浄玻璃の鏡ですら効かない貴方の力を話してもらえませんか?」

 

「力というのは……例えばこう言った事ですか?」

 

そう言いながら俺は出し忘れていた飲み物を出して、映姫に渡して自分も飲む。

 

「どうぞ。熱いので注意してください……」

 

この世界ではまずお目にかかれないであろう、ホットミルクココアを出してやる。

 

ソレを映姫は少し中腰になりながら、受け取り、礼を言ってくる。

 

「ありがとうございます。……あ、甘くておいしい」

 

「これはココアという飲み物なんですよ。自分のお気に入りでして」

 

そういうと、映姫はほうほうと頷きながら啜っていく。

 

「確かにこれは良いモノ……ってそうではなくてですね。貴方の力ですよ、その妙な力です。見た所何の代償も無く力を振るっているというのがおかしいのです。おまけに浄玻璃の鏡さえも効かないのです。これでは貴方の死後、苦労しますよ?」

 

少しでも話題を逸らそうとしてみたのだが、駄目であった。

 

まあ、これが話題逸らしになるはずが無いのは分かり切っていた事ではある。ひょっとしたらという程度の事でやっていたのだから。

 

しかし、この力についてを話せとは……結構な人物に聞かれているのだが、これほど断りにくく、誤魔化しにくい相手もいない。

 

おそらく、いや絶対にしつこく聞いてくるであろう。万が一断ったとしても事あるごとに聞いてきそうなのだ。この人の性格上。

 

すると、映姫はさらに食い込んだ質問をしてくる。

 

「話してくださいますよね? 貴方の死後の裁判が非常に不利になるのですから。閻魔の力を妨害するなど重罪なのですよ?」

 

と、俺は話さざるを得ないような状況を作りつつ。

 

確かに俺が死んだら魂は彼岸に行くというのが正規の方法であり、それが最も良い方法でもあるのだろう。ただ、俺が死んだ場合は幽々子や紫が魂ごと回収しそうなんだけどね。

 

そして、俺が死ぬという可能性は無いと言っても過言ではないだろう。

 

だから死後の裁判を気にする必要性はないし、さらに言えば映姫の説教を聞く必要性も無いのだ。

 

だが、それでは今後の関係が今よりももっと悪化してしまうだろうから、ありがたい話として一応聞いておく。

 

とはいっても、こればっかりについては断らざるを得ないが。

 

だから

 

「四季映姫様。……この力の根幹部分については話す事ができません。……申し訳ありませんが」

 

そう言いながら俺は頭を下げる。

 

そういうと、映姫はあからさまに機嫌を悪くし、俺に対して口を開く。

 

「貴方は……閻魔に対しての秘匿が過ぎている。もっと開示すべきです……この件については時間が無いので後日聞かせていただきましょう。次です。貴方は何故この地底に居るのですか? 詳細に話しなさい」

 

閻魔だからといって流石にプライベートに入り込み過ぎなんじゃないのか? と、思ってしまうほど入り込んでいる内容である。

 

まあ、普段は浄玻璃の鏡を使って見抜き、色々と助言や罪の軽減をするのが常なのだから仕方が無いのといえば仕方が無いか…。

 

俺はこれについては、特に現実世界の話と結びついているわけではないので素直に話す。

 

「はい、……これは私が陰陽師でありながら、妖怪と懇意になってしまったがために、封印されてしまったという訳です」

 

「では、その懇意になった妖怪は一体誰ですか? もっと詳細に話しなさい」

 

と、より一層目つきを厳しくさせながら聞いてくる。

 

これは……話しても良いものか。……話した場合、彼女らに被害が及ぶ可能性がある。しかも好戦的な人がいるので、戦闘になる可能性も十分にある。

 

すると、負ける可能性が高いのは勿論妖怪側。閻魔に勝てる妖怪は存在しない。本気の殺し合いに発展した場合でも。舌戦でも。

 

そしてこの妖怪について聞いてきたという事は、さとりが言っていた先日の妖怪との関係について興味があるからであろう。

 

おそらくその中でも一番関係がありそうなのは紫。

 

もちろん俺は、映姫と紫を衝突させたくはない。ただ、本気で衝突した場合にはもちろん紫側につくが。

 

少し後々の事を考えてみると、話してしまうのは不味いのではないかという気持ちが強くなり、俺はその場で少しの間黙秘をする事にした。

 

「……………………」

 

すると、映姫は仕方が無いとばかりにため息を吐きながら俺の方を睨みつけながら言う。

 

「だんまりですか……。閻魔の前でだんまりなど…………はぁ……」

 

そう言いながら浄玻璃の鏡を取り出す。

 

「この浄玻璃の鏡の前では…………………………………素直に話した方が身のためですよ?」

 

と言いながら顔を赤くしながら鏡を仕舞う。見えないという事を思い出したのだろう。

 

俺はその仕草に噴き出しそうになりながらも、その場で黙り続ける。

 

すると、平静になった映姫は、ある言葉を言い始める。

 

「八雲紫…………ですね?」

 

ドンピシャリである。……まあ、どう推測してきたのかは分からないが、よくもまあ此処までピンポイントで予測できたものだ。

 

俺はそれに素直に感心しながら、動揺をさとられないようにココアを飲んで表情を隠す。

 

しかし、その行為を肯定と受け取ったのか、映姫もココアを飲みながら、話し続ける。

 

「やはり八雲紫ですか……。まあ、他の二人はおいおい確かめるとして、……貴方に言いたい事がいくつかあります」

 

そう言いながら、少し乱暴にココアをテーブルの上に置いて、大きめの声で説教をはじめてくる。

 

「いいですか? 貴方は少し人間としての道を外れ過ぎている。片や人間側に味方したと思えばその裏側では妖怪と密接な関係にある始末。そして、さらには自分の力を振りかざして閻魔の力を妨害し、話すべき事情も話さないという言語道断な行為をしているのです。もう少し自分の立場というモノを自覚しなさい。そして、貴方は人の道を外れていると同時に力を持ち過ぎている。力を持ち過ぎたものはいずれその自らの身を滅ぼすのです。今のあなたが三途の川にいけば間違いなく途中で振り落されるでしょう。もっと人間としての本分を果たしなさい。本分を! そして恩人に対して恩を返していきなさい。それが今のあなたに積める善行です」

 

映姫の言っている言葉は全て自分の事に当てはまっている。これが耳に痛い言葉というやつであろう。確かに自分自身の力を過信しすぎて平助の村に大迷惑を掛けたのは記憶に新しい。

 

そして、燐にも言われていたように、人間でありながら妖怪と関係を持つ事がいけない。鏡が使えないのにも拘らずよくここまで判断できるものだ。

 

と、俺は素直に感心してしまう。

 

しかし、映姫は俺を説教するだけでは足らず、悔悟棒にどこから取り出したのか、筆を走らせる。

 

「さとりから聞きましたよ。貴方は不老のようですね。……死ねば裁判で非常に不利になるのは間違いないでしょう。ですが死ぬ確率は極めて低い。……ならばここで罪を悔い改めなさい」

 

そう言いながら俺の名前をスラスラ書いていく。

 

しかし、書いた所で映姫が固まり、顔をしかめる。

 

「……数が出ない」

 

しかし、その硬直も一瞬であり

 

「ならば数は私が判断します!」

 

と、硬直が解けて、そう言いながら悔悟棒を振りかぶり、振り下ろしてくる。

 

「えいっ!」

 

説教だけなんじゃないの……? という突っ込みが湧くも、威勢よく振り下ろされた悔悟棒は、当然のことながら俺の領域に阻まれ

 

「あっ!?」

 

映姫の声とともに真中から、ポッキリと渇いた小気味良い音を発しながら無残にも折れてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

当然のことながら、後にはとんでもなく気まずい空気しか流れなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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72話 タイミングが悪い……

アレはあまりにも異質な人間……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

折れた……………………。この、罪人を裁くための悔悟棒が…。

 

あまりの突然のことに私は固まってしまい、しばらく口を開けたままでいるしかできなかった。

 

確かにこの悔悟棒は、刀と渡り合うほどの強度を持ってはいないが、生物を叩く程度の事で折れるほどヤワなモノではない筈なのだ。

 

しかし、実際にはこんな無残にポッキリと折れてしまっているのである。

 

私は即座に耕也が何かをしたのだと判断した。だが、その判断をしたとしても、耕也がどんな力を使ったのかが皆目見当つかない。

 

見た所、この男には霊力というモノが全くないのだ。どんなに目に神力を通しても彼から霊力はおろか、魂の欠片すらも見えないのだ。

 

その事実を目の当たりにした途端、私は突然恐怖に駆られてしまったのだ。一体本当に何者なのだろうか? と。

 

陰陽師であるからには霊力があるのが必須。魔法使いのように魔力を使用していたのならば、即座に異端として扱われていたはずである。

 

しかし彼からは魔力を感じはしないし、妖怪との密通によって追いやられてきたのだからその線は低いだろう。

 

ただ、それでも分からない部分はかなりある。

 

何故霊力や魔力を持っていない人間が不老なのだろうか? という部分。

 

また、一体何の力が作用して私の行使する力を全て遮断してしまっているのだろうか?

 

私は、目の前で呆気に取られている耕也を後目に、私は再び手元にある浄玻璃の鏡を見直す。

 

結果は……やはり見えない。

 

念のために霊視をしながら見たのだが、それでも全く見えない。耕也の事を単独で見ると、ただ自分の顔が見えるだけの、何の変哲もない手鏡となってしまっている。

 

私はそれを見て、自分の中の質が劣っているのだろうかということすらも感じてしまうほどであった。

 

それほどまでに、綺麗な手鏡と化しているのだ。決してあってはならない自体が今目の前で起きてしまっているのだ。

 

その事が今まで経験したのことない事あったためか、それとも閻魔としての仕事を邪魔されたのか、はたまた自分の自尊心を傷つけられたのか、それとも…………この男に恐怖を抱いたためなのか……。

 

私はどの理由なのかもわからないまま、怒りが生じてきてしまい、その場で怒鳴ってしまう。

 

「あなたは……一体どこまで閻魔を愚弄すれば気が済むのですか!?」

 

柄にもなく、生きている人間に対してそう言ってしまう。

 

対する耕也は、私の言った事に対して怒るようなことはなく、むしろ申し訳なさそうな顔をして頭を深く下げてから上げ、謝罪してくる。

 

「……こればっかりは私にも譲れない部分があるのです。知られたくはない部分もあるのです……どうかご容赦のほどを。申し訳ありません」

 

そう言って再び深く頭を下げてくる。

 

私は耕也の態度に呆気に取られてしまい、次の瞬間にどう反応していいやらわからなくなってしまい、力が抜けるように椅子に座ってしまう。

 

そして先ほどの自分の行為を思い返しながら、自分を恥じる。

 

一時の感情に任せて何をカッカと怒っているのだろうか? と。

 

私は掌で目を覆い、呆れとも落ち込みともつかないため息を吐きだし、耕也に言う。

 

「…………すみません。少し血が上ってしまっていたようです。……また後日御伺いします」

 

そう言って私は耕也の顔も見ずに部屋を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

映姫が出ていったのを見て、俺は思わず安堵のため息を吐く。

 

もしあのまま映姫が引いてくれなかったら、戦闘になっていた可能性があったのだ。

 

映姫の怒りは、やはり突然の力の妨害によるものだったのだろう。本来ならば、悔悟棒は罪人の罪をその場で悔い改めさせ、地獄に行く可能性を少しでも軽減させようとする閻魔の気遣いの証でもあるのだ。

 

ソレを俺は突然の事とはいえ、領域で遮ってしまったのだから、怒るのは無理ない。

 

領域によって完全に閻魔としてするべき仕事を潰している俺。彼女の浄玻璃の鏡は、あの場ではただの手鏡と化しており、俺の過去の行為すらも見ることができない。

 

もしかしたら自尊心すらも潰してしまっている可能性もあるのだ。

 

そんな事を考えていると、ベッドに散らばる折れた悔悟棒が目に留まる。

 

椅子から立ち上がってベッドに腰かけ、その破片を手に取り、眺め続ける。

 

忘れ去られた破片は、ライトの照り返しを受け、まるで俺に触られたくないかのように強い光を俺に向かって反射させ続ける。

 

それでも俺は角度を変え、反射光が来ないようにしながら眺め続ける。上半分の悔悟棒であったものには、自分の名前が耕の途中まで書いてるのが見て取れる。

 

字が汚い。その字面を見た時に思った事がそれであった。

 

おそらく自分の能力が通じない事を知って、焦っていたためであろう。とにかく字が汚いと、現実世界で言われていた俺よりも汚く見えてしまうのはそれが主な理由であろう。

 

その汚さが、まるで自分を非難しているような気がしてならず、思わず破片を放り出してしまいたい気分になってくる。

 

唯、映姫の受けた屈辱に比べれば、俺の今の気分なんて鼻で笑えるほどのちっぽけなモノであろう。それは間違いなさそうだ。

 

ため息を吐きながら、残りのココアを飲んでしまおうと、自分のマグカップに手を掛けようとする。

 

「…………あっ!」

 

俺は先ほどの切迫していた事態のせいで気が付かなかったのであろうが、悔悟棒の他に浄玻璃の鏡まで置いてあるのが目に入ってくる。

 

…………よりにもよって何でこんな所に。

 

そう思いながらも、手は自然と浄玻璃の鏡に向かって伸びていた。

 

はたしてそれはただの好奇心だったのか、それとも己の行為を今一度、できるなら確認してみたいという欲の表れであったのか、よく分からない緊張感の元にそれは実行されていた。

 

浄玻璃の鏡は男の俺が手で持つと少しだけ小さく感じ、やはり女性が持つものなのだなと思わせてくれる。

 

女性が持つようなその丸い形状をした小さな箱は、ただ今は照明を強く反射し、悔悟棒の時よりも強く俺を拒んでいる気がして、少しだけ眉を顰めてしまう。

 

領域が稼働しているので、今は自分の過去を見ることはできないであろうその小さな丸い箱に入っている鏡は、主の元へと帰りたがっているような雰囲気さえ醸し出している。

 

だが、今の俺はそれを深く考えるような事はせず、目の前の鏡が一体どんな機能を示してくれるのかについて興味があった。

 

本来ならば、今からする行為は本当に言語道断であり、本人にバレたのならば間違いなく地獄行きの対象となるであろう行為である。

 

それでも俺はその鏡の持つ機能に惹かれていた。飲みかけのココアの処理や、脇に置いてある悔悟棒の破片の存在すらも綺麗さっぱり忘れるほどに。

 

俺は鏡を保護している見事に研磨されている銀色に光る金属製の丸い蓋を開け、中の鏡を凝視する。

 

しかし予想通りといったところだろうか、領域が本来の効果を完全に遮断させてしまっており、ただ照明を反射するだけの眩しい鏡になってしまっている。

 

俺は領域を解除し、その鏡の効果を見ようと実行しかける。

 

だが、そこで俺の中の理性がそれに歯止めをかける。果たして本当に見たとして俺の身に害が無いだろうか? と。

 

考えてみれば、その可能性が無いとは言い切れないのだ。これは閻魔にのみ使う事を許された神聖なる宝具とも言うべきもの。

 

ゲームの中の存在だとはいえ、人間が見ていいモノとは到底思えない。本来ならば、鏡の蓋を開けようとする時点でこの事が思い浮かべられ無ければいけなかったのだが、領域が遮断しているのでセーフというべきか。

 

俺は、流石にこればっかりは許されざる行為だと自分の中でけりをつけ、湧きあがる好奇心を抑えつけ、領域を解除せずに鏡の蓋を閉じてテーブルの上に置き直す。

 

そこでまたココアの存在を思い出し、その手に持って飲み干していく。

 

冷たくも熱くも無い何とも中途半端な温度であったためか、そこまで美味くは感じなかった。いや、気分の問題もあるのだろう。

 

そして再び映姫の残していった鏡と破片を視界に捉え、これをどうするか考え始める。

 

おそらく本人は遅くとも明日には気がつくであろうから、テーブルの上に置いてそのままの状態にしておくのが良いかもしれない。

 

此処は地霊殿であり、盗みを働く阿呆はいないのだ。

 

そう考えると、少しだけ安心感が湧き、悔悟棒の破片を鏡の隣に置いた時、少しだけ後日渡す事を考えてしまう。またどう詫びたらよいかという事についても。

 

しだいに、後日会った時は何と詫びたらよいのかという考えが次第に俺の頭を支配し出し、それについてどうしようかと考えていると、背中側からノブが回る金属音がしてくる。

 

俺は考え事に耽っていたためか、静寂を乱されたことによる驚きによって思わず背筋がピンと張り、その拍子に背筋が引きつるのを感じる。

 

引きつりの痛みを耐えながら、背中をねじり首もねじって補助をし、後ろを見やる。

 

後ろを見た瞬間に緊張が走り、胸が締め付けられるような感触がした後、意思に反して気道が狭くなるのが分かった。

 

俺の目の前にいたのは、先ほどまで憤りを示していた四季映姫その人であり、少し俯き加減で表情を暗くしながら入ってくる。

 

その足取りは、一度目の部屋に入る時よりもいくらか自信が無さそうに見え、またさらに俺の気道が狭くなる気がした。

 

映姫は黙って此方の方へとゆっくりと歩いてくると、そのまま俺の近くに座り、小さく口を開く。

 

「あの……忘れた物がありまして」

 

そう言われた俺は、すぐに破片と鏡を持って映姫に差し出す。ソレを映姫は何ともぎこちなく手を動かしながら受け取る。

 

本当に先ほど俺に対して怒鳴っていた人物なのかと思うほどの変貌ぶりであった。

 

俺はその変わりように何と話しかけていいのやら分からず、ただ映姫から視線を外して少し下を向き、ただ時が過ぎるのを待つしかない。

 

やがて、そんな暗い空気を嫌ったのか、映姫はぽつりと一言呟く。

 

「…………人ひとり裁くことのできない閻魔なんて……」

 

俺はその言葉を聞いた瞬間に、少しだけ焦りが生じ、また同時に自分のしてしまった事が如何に大きかったかを再認識し、脊髄反射のように反論してしまう。

 

「いえ、今回四季様に落ち度はありません。これは絶対です。……私は元々そういった神秘的な力や攻撃的な干渉を一切受け付けないという体質の持ち主なんですよ」

 

思わず本来ならば言う必要のない事までドンドン話し始めてしまっているが、理性のかけるブレーキも焼け石に水程度のものであり、さらに言葉が口から吐き出されていく。

 

「四季様が閻魔として実力的に劣っているという事は絶対にありません。……自分は大昔の大和国の軍神であった八坂神奈子の攻撃ですら跳ね返していたのですから……」

 

自分でも訳が分からず、ただ目の前で沈んでいる映姫に対して慰めにすら劣る良く分からない言葉をドンドン話していった。

 

「であるからしてですね、これは仕方が無いという事といいますか。何と言いますか…………ええとですね。あ~…………自分なんてただ道端にある石っころだと思っていただければ…………はい」

 

そう支離滅裂な言葉を言っていると、映姫は俺の言葉が面白かったのか、失笑ものだっただけなのか、突然笑いだす。

 

「ふ…ふふ、ふふふふ! ははは! …………全く………………貴方は本当に変な人間ね。空回りしながらも閻魔である私に普通に接する事ができるなんて……沈んでいた私が阿呆みたいだわ」

 

そう言いながらベッドから立ち上がり、そのまま俺の方へと向き直る。

 

先ほどの映姫はどこかへ吹き飛び、そこにはすでに自信を取り戻したようにたたずむ映姫がいた。

 

「いいですか? 貴方は私に過去を明かさない。どうしても明かしたくない理由があるのは分かります。……ですがっ! 貴方のような人間は放っておくと罪が蓄積するばかりです。……よって、罪の軽減をするために定期的に説教しに行きますのでそのつもりでいるように。……いいですね?」

 

俺は、敵わねえな。と思いながらも、何とも言えない嬉しさが湧きあがり、返事をしていく。

 

「お願いいたします」

 

そう言うと、映姫は微笑みながら少し大きめの声で返答してくる。

 

「よろしい! ……ふふ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いいですか? 貴方はやはり先日も言ったように力に頼り過ぎてる。もう少し自分の本来の性能を生かす行動を心がけなさい。一体何ですかこの堕落した家具の数々は! 周りの家を見てみなさい。他の妖怪や人間は井戸の水を汲んだりして日々の水を得ているのにも拘らず、貴方はただ取っ手を捻ればいいだけ。さらには皆夜の明かりは細々とした光で我慢をしているにもかかわらず貴方はなんて贅沢な! つまりはうらや…贅沢が過ぎているのです。堕落し過ぎているのです。確かに妖怪が身近にいる地底での生活は人間の能力では追いつかない部分もあるでしょう。しかしそれでもあなたは補って余りある力を使っている。もっと自分を見つめ直して無駄な部分を削ぐのです。削いだ後は私…自分の持てる素の力を最大限までに発揮するのです。良いですか? もっと簡単にいえば節約するのです。資源は有限なのです。無限ではありませんよ!」

 

俺は説教を承諾するんじゃなかったと思いながらも、素直に正座してありがたい話を聞いている。

 

あの慰め紛いを行った日から数日後、俺が何時も通り仕事から帰ってくると、映姫が玄関の前に仁王立ちしていたのだ。

 

どうも俺の罪は説教してもなかなか減らないらしく、かなりの長い期間説教を受けないといけないらしい。

 

しかも何故か食事まで食べていくという何とも良く分からないサイクルに決められていたのだ。

 

俺はこの良く分からない、いつの間にか決められていた事に腑に落ちないと思いながらも映姫の話を聞いていく。

 

「聞いているのですかっ!?」

 

考え事に耽っていたせいか、映姫の話を聞いていないと思われてしまっていたようだ。

 

急いで顔を上げて映姫を見てみると、悔悟棒を持ちながらプンスカ怒っている映姫が見られた。

 

小町の気分はまさにこんな感じなのだろう。いや、小町の場合は弾幕添えだからもっときつかったであろう。

 

説教されながら弾幕を撃たれまくる。……嫌すぎる。

 

俺は思わず身震いしそうになりながらも、映姫に言う。

 

「はい、聞いております。……所で映姫様。少々よろしいでしょうか?」

 

そういうと、先ほどまでの熱を収め、こちらに何だと言わんばかりに聞いてくる。

 

「……どうしたのですか?」

 

俺は先ほどからの説教で、ある部分について聞くことにした。

 

その所々見え隠れしていたものは、映姫にとってもかなり重要な部分であろう。

 

「もしかして……照明器具とか欲しいのですか?」

 

そう俺が投げかけると、映姫は顔を真っ赤に染め、まるで湯気でも立つのではないかというほどである。

 

映姫は慌てて、動揺しながらも弁解を始める。

 

「そ、そんな訳はありません! ただ、貴方の為にですねっ!」

 

「ですがさっき羨ましいとか何とか言いかけてたような……」

 

さらに突っ込んでいくと、映姫は悔悟棒をブンブン振りまわしながら顔を先ほどよりもさらに赤くしながら言い始める。

 

「な、な、な、何ですかそれはっ! 閻魔たる私がそんなこと言う訳が無いでしょう!? だいたいさっきから聞いていれば何です。閻魔である私を疑うなどと言語道断です。重罪ですよ重罪!」

 

と、あくまでも言っていないと言い張る映姫。

 

だが、俺はそんな事は気にせず、照明スタンドを取り出して映姫に渡すことにする。

 

まるで此方がいじめているようになってしまっているが、実際の所は映姫の疲れは尋常ではない筈だ。多分神力などで誤魔化しているはず。

 

だから目の疲れの軽減には、明りぐらいはあった方がいいであろう。

 

だから俺は段ボールに詰め込まれている照明スタンドを目の前に差し出し、映姫に話し始める。

 

「まあまあ、そう仰らずに。明るい所での作業の方が目の疲れも全く違ってきます。ですので、これをどうぞ。」

 

そう言いながら箱をコツコツ指さしながら、映姫に説明していく。……まだ映姫は何か言いたそうだったが。

 

「これは、数日前のさとりさんの部屋にあった照明器具と同じものです。電気のつけ方はこの絵にあるように、ひもを一回引けば点き、もう一度尾引けば消えます。あと、明るさの調節もできます。このつまみを捻ればできますのでお試しください。このように操作は簡単ですので、取り扱いは楽かと思います」

 

そういうと、顔を真っ赤にしながらも差し出された段ボール箱を受け取る。

 

「あ、ありがとうございます……」

 

先ほどまでの主張はナリを潜め、少し嬉しそうに脇に箱を置く。

 

しかし、さすがに映姫は緩めたりはせず、すぐに引き締めて説教を再開していく。

 

「そ、それでですね。話を戻しますが、貴方はまだ自分の力を信じ切れてはいないのです。もっと自分で―――――」

 

と、その時であった。俺達の横で突然空間が歪み始める。

 

「な、妖怪っ!」

 

と、映姫が警戒を露わにし始めた直後

 

「耕也、ご飯をたか……一緒に食べましょう?」

 

そう言いながら空間が裂け、不気味な目が無数に現れたかと思えば、紫がその裂け目から姿を現してきた。

 

俺はソレを見た瞬間に不味いと直感で察知した。

 

おそらくこれは不味い展開になること間違いなしであると。映姫と紫の相性は非常に悪い。片や境界を曖昧にし、片や境界を引く。

 

もちろん映姫の方が実力的には上であり、能力の有効性では映姫に軍配が上がる。

 

そして何より性格も合わないという水と油の関係なのだ。

 

「耕也…………あら、あらあら」

 

と、映姫の姿を見た紫は何とも怖い笑みを浮かべた後、俺の方を見る。

 

……だから

 

「ねえ耕也……閻魔を連れ込んでよろしくやっているわけなのかしら?」

 

嫉妬の具合も半端ではないのだ。今まで見た紫の笑顔の中で一番怖い……。

 

俺は心の中で大泣きしながらも、紫に必死に説明していく。

 

「い、いや四季様は説教といいますか何と言いますか。不老で死ににくいから説教をですね……つまりは説教をして下さっています!」

 

と、最後の方はヤケクソ気味に言ってしまっている。

 

すると、映姫が口を開いていかにも閻魔らしいオーラを漂わせながら口を開く。

 

「やはりあなたでしたか……八雲紫。……して、貴方は大正耕也とどんな関係で?」

 

俺の方を見ながら紫に聞いていく映姫。

 

しかし、対する紫は映姫ではなく、俺の方を誘惑するかのような笑みを浮かべ、閻魔に言い放つ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「耕也は私の夫よ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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73話 報告忘れてたよ……

何か忘れていると思ったらこれだった……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まずい、これは非常に不味い。

 

よりにもよって何でこんな時に紫が来るのだろうか? これはもう……いや、まだ詰んではいない。なんとか俺がこの場を収めればいけるはず。

 

紫と映姫だけなら何とかまだ収拾はつくはず。

 

紫の発言を耳にしながら俺は映姫の様子をうかがう。映姫は、紫の言葉を聞いた瞬間に驚きの表情を浮かべ、その直後には顔を歪ませて怒りの表情を露わにする。

 

また、その表情の変化に伴って握られていた真新しい悔悟棒がミシミシと悲鳴を上げ始める。

 

あの頑丈そうな悔悟棒がいとも簡単に軋み始めるのだ。並大抵の力ではあるまい。もちろん人間の力の範疇を超えているであろう。

 

その軋み具合に思わず目を細めてしまう俺だが、とりあえず何とか事態を収めようと口を開く。が、先に言葉を発したのは映姫であった。

 

「耕也の夫……? やはり貴方達が耕也との密通をしていたのですか……」

 

その言葉を聞いた紫は、何とも心地よさそうな顔をしながら頷いていく。

 

まるで映姫の咎めるような言葉が自分にとっては称賛の言葉に聞こえるかのように。

 

紫は、映姫の言葉を聞き終わると、笑みを浮かべながら言葉を返していく。

 

「ええ、密通……実に良い言葉ですわ。ふふふ、私の夫なのだから密通するのは当然の事でしょう?」

 

再び夫という言葉を聞いた瞬間に俺の顔が熱くなるのがよく分かる。嬉しくて、恥ずかしい。まさにこんな感じであろう。

 

ただ、この言葉を反芻しているうちに、紫にある変化が起こった。いや、正確に言うと紫の後ろからだろうか?

 

異様な気配が近づいてくる。

 

紫は、俺や映姫よりもその事に早く気が付いていたようで、しまったという表情を浮かべる。

 

そしてその気配が言葉を発した。

 

「ゆ~か~り~……? 一人で何暴走してるのかしら? 正妻は私だと言っているでしょう……?」

 

「紫様……例え主でも抜け駆けは許しませんよ? 私の夫でもあるのですから」

 

そう言いながら紫の両脇から上半身を出してくる2人。

 

もちろんその姿は、幽香と藍であった。2人は、紫を睨みつけながらもスキマを抜けて畳の上に降り立つ。

 

紫は、後ろに立った2人に対して口を引き攣らせながら笑いかけ、手を振る。

 

「い、いやねえ。妻の一人って言っただけよ? ……勘違いしないでもらいたいわ。幽香、藍」

 

その言い訳に、二人はそんな紫をジト目で見るだけであり、納得することはなかった。

 

しかし、それよりもヤバいのが俺の方。もう収拾がつかない状態になっているという事に気が付き、どうしようかと頭を抱え込んでしまったのだ。

 

もう此処までの実力者が集まると、映姫も生半可なことでは譲らないであろうし、紫達も映姫に対抗しようとするであろう。

 

一言でいえば、アウトである。……胃が痛い。

 

俺が無駄であると思いながらも、何とかこの事態を収拾させようと模索していると、この緊張を破ったのが映姫であった。

 

「ほう、……九尾に花妖怪。あの時地底に来たのは貴方たちでしたか……」

 

そういうと、スッと立ち上がり、三人を見据える。

 

その三人を移す瞳には、静かではあるが大きな怒りが込められているのが分かり、それに伴って神力が立ち上るのが分かる。

 

「貴方達のせいで旧地獄は一時混乱しました。……この意味は分かりますね?」

 

そう言いながら悔悟棒を三人に向かってつきつける。

 

映姫の言う意味は、罰を受けるかどうかの選択を迫っているという事。

 

これが承諾するか、拒否するかによって随分と扱いが変わってくるであろう。もし承諾すれば、悔悟棒ではたかれる程度で済むだろう。

 

しかし、これを拒否すればどうなるか。もちろん閻魔の怒りを買い、術による攻撃を食らいながら罪を悔い改める羽目になるという事。

 

つまり彼女たちには、どの道攻撃の度合いこそ変われど、悔い改めるという事の他に選択肢はないのだ。

 

だが、妖怪である彼女達は自尊心が高い。これは人間よりも格が上であるという認識も手伝っているであろうが、彼女達はそれを恐れている様子はない。

 

特に幽香にはそれが顕著に表れており、紫達より一歩前に出て挑発的な言葉を弾き出す。

 

「あら閻魔様。……断ったらどうなるのかしら?」

 

そう言いながら殺気を込めつつ睨みつける。ただ、そのさっきは指向性を持ったものではなく、俺にまで降りかかてくるから面倒くさいことこの上ない。

 

俺は、このままでは本当に大惨事になりそうだと判断し、強制的にこの一触即発の事態を収めることとする。

 

そして何より、映姫も何故か好戦的というか何と言うか、仕事熱心だからであろう。簡単にその挑発に乗ってしまうのだ。

 

「では、仕方がありませんね。貴方たちを裁くとしましょう」

 

そう言いながら、悔悟棒を持った手を振り上げる。振り上げられた瞬間に膨大な神力が悔悟棒の先端に集中する。

 

対する幽香は、日傘を映姫の方へと向け、そこに膨大な量の妖力を集中させる。

 

俺はその瞬間に外側の領域を展開し、瞬時に有効範囲を広げていき、家全体を範囲に包み込む。

 

領域に曝された幽香や映姫はおろか、紫と藍も妖力を失って行く。

 

あれほどの量が集まっていた日傘や悔悟棒の先端は、何の力の顕現も無く、ただチャンバラのように付きつけ合っているだけとなってしまっていた。

 

それを不快に思ったのか、映姫は俺の方を睨みつけながら、咎めにかかってくる。

 

「耕也、今貴方のしている事は閻魔に対する立派な妨害行為です。今すぐにそれを解きなさい」

 

しかし、俺の方としても文句はある。

 

それは、場所を選べという事である。此処で行おうとしていたのは、もちろん立派な戦闘行為。しかし、此処は俺の家の内部であるという事を忘れているのは流石にいただけない。

 

それを気付いていないようだから俺は2人に言う。

 

「あの2人とも……。……俺の家が吹き飛んでしまうのですが…………」

 

かなりオブラートに包んで言ったが、それは大きな効果を示したらしく、映姫は再び顔を赤くしながら恥ずかしそうに悔悟棒を下におろす。

 

それに伴って幽香も日傘を下ろして、挑戦的な笑みを浮かべながらその場に佇む。

 

俺は一応その戦闘が回避されたと理解し、安堵のため息をついた。

 

そして紫と藍は、俺の表情を見てコロコロ笑っていた……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

結局今日は俺の家で皆夕食を食べることになってしまった。いやまあ、大人数の方が断然楽しいからいいのだけれども。

 

仕方が無いので、何気に美味い肉団子入りのコラーゲン鍋を皆でつついている。

 

ただ夕食時であるためか、それとも俺の仕事が酒屋での手伝いだからだろうか、酒の量が非常に多いのだ。

 

もはやこれは宴会レベルの量であり、5人で飲む量ではないほどのもの。しかし、彼女達は人間ではないため、この程度の量など物ともしない。

 

俺は一応吐きたくはないため、舐める程度で済ませている。

 

机を挟んで対面を陣取っている映姫が、御猪口をあおり、肉団子と白米を頬張ってから俺に少々酔ったような様子で話しかけてくる。

 

「いいですか? 何事にも順序というモノがあってですね、それを大切にするのが我々閻魔の役目なのですよ……何も地獄に送りたくて送っているわけでは……」

 

と、もはや仕事の愚痴のようなものまで出始めてくる。

 

その様子を幽香達は面白そうに眺めながら鍋を平らげていく。

 

ただ、俺は映姫の愚痴を聞いているうちに、一つの考えが浮かんだ。

 

元来閻魔は他人を裁き、死後の苦しみを味わう地獄に送るという役職を担っているため、その管轄する地獄で最も苦しいとされる溶融銅を飲む事を行うという。……この東方の世界では、銅を飲んでいるかは分からないが。

 

もし飲んでいるとしたら、とんでもなく苦しんでいるのではないか? と。

 

しかし、今の映姫を見ている限りではそのような事は見受けられない。

 

なら、非常に失礼なことかもしれないが、俺は少しだけ質問してみることにした。酔いが補助してくれると信じて。

 

「映姫様。……銅を御飲みになった事はございますか?」

 

その瞬間に映姫はフッと顔を上げて、酒を飲み続けているせいで、さらに赤くなった顔で俺の質問に答える。

 

「……へ? ……そんなことはしませんよ? 確かに言い伝え等ではそう言われている事はありますが、……それは、人を裁くのはそれほど責任があるという戒めの心を表しているのですよ………」

 

そう言いながら、また机に突っ伏してブツブツと愚痴を言い始める。

 

しかし、その答えを聞いた瞬間に俺の中に安心感が充満してくる。

 

それならば……。と。

 

そう安心していると、横から太ももをチョンチョンつつかれる。

 

俺はそれに対して素直に首を向ける。……しかし、そこには何気なく向いた代償を払わされることになってしまうとは、予想すらできなかった。

 

俺の視線の先には、何時もとは雰囲気の違う藍がいたのだ。

 

「なあ、耕也。お前も飲まないか?」

 

と、尻尾を俺に絡めて逃げられないようにし、酒の入った御猪口を勧めてくる。

 

しかし、俺はもうこれ以上飲むと、二日酔いになりそうな予感がしてならなかったので、丁重に断る。

 

「ら、藍さん? あの、これ以上は飲めないのですが……ははは…」

 

だが、俺の断りなど所詮は酔っ払いには届かず、藍が御猪口を呷ったと思うと、いきなり顔を近づけてきた。

 

「おい、ちょっと――――っ! むぐっ!」

 

驚きの声を上げる暇も無く、口をふさがれ、そのまま生温かい酒を流し込まれる。……御丁寧にも舌を絡めさせながら。

 

「んぅ…れぅ……ぷぁ……ふ、ふふ、どうだ? これなら飲めるだろう?」

 

無茶苦茶な理論を並べながら俺にさらに飲ませようと顔を近づけてくる。しかし、少しだけ違和感がある。

 

俺がこんな事をされているのにも拘らず、幽香と紫の二人からの視線というモノが全く感じられないし、負のオーラも感じられない。

 

俺は藍の力に抵抗しながら、幽香と紫の方を見てみる。しかし、2人の様子を見たときに、その視線が感じられない事に納得がいった。

 

……すでに2人とも酔いつぶれて寝てしまっていたようだ。2人は、鍋の料理を小皿に移したまま、机に突っ伏して寝息を立てて幸せそうに寝てしまっているのだ。しかも映姫までも。

 

だから2人からの攻撃が来ない。

 

「…………耕也ぁ……犯す……」

 

しかし物騒な事を呟きながら。

 

俺は、何とも言えない感情が湧きあがるのを実感しながらも、この絡んでくる藍をどうしようかと考える。

 

ふと、そこで映姫からの寝言が耳に入ってくる。

 

「私は……閻…魔…………同時…に……神様…………」

 

その言葉を聞いた瞬間にある言葉が妙に耳に残る。

 

それは神様という言葉。

 

よく分からないが、妙に引っ掛かりを覚えるのだ。例えるならそう。あんな感じだ。飲み込んだと思ったらまだ舌に残っているかのような感覚。

 

特に俺は神様に関して何かをしたわけではないのだが、……分からない。神様。神様神様。神様……。

 

神様といえば、此処に居る映姫のほかにも、昔会ったトヨウケビメや天照。そして八坂神奈子や洩矢諏訪子。

 

…………神奈子、諏訪子……? ――――――っ!!

 

その名前を思い出した瞬間に物凄い寒気が俺を襲ってきた。この地底に来てから一度も会っていない友人であり家族の2柱。

 

今地底に来てから一週間以上が経っているのだ。すでに俺が封印されているという事は知っているはず。

 

つまりは――――――っ!?

 

その事を考えた瞬間に俺は思わず大声を出してしまう。

 

「やっべええええええっ!? やっちまったっ!!」

 

俺を抱きしめて寝かかっていた藍を思わず突き放してしまった。だが、その事を気にする余裕は俺にはなく、そのまま頭を抱えて畳みに崩れ落ちてさらに叫ぶ。

 

「おまけに幽香達の事も話してねえしどうすんべよこれええええ! 封印と密通のダブルパンチはマズイ、マズすぎるっ! 下手したら攻撃をされる可能性もあるぞこれ!? どうしよどうしよ!?」

 

事態深刻さに気付いて俺がその場で唸りまくっていると、背後から抱きしめられて声を掛けられる。

 

「どうした耕也~……少しうるさいぞ……?」

 

酔っ払った声で話しかけてくるのは藍であった。

 

俺は自分の声のでかさに気付き、その場で謝罪する。

 

「す、すみません藍さん。ちょっと気がついてしまった事がありまして……」

 

そこまで話すと、藍は酔いのせいか正確な判断ができずに、よく分からないまま納得し

 

「分かった……お休み…」

 

そう言いながら寝込んでしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺は藍達が帰った数日後、定休日になったので、朝から支度を始めていた。

 

もちろん今回は神奈子と諏訪子に色々な報告をしに行くのが目的である。今回ばかりは、さすがに心配をかけてしまっているだろうから、批判も素直に受けよう。

 

そんな事を思いながら、朝食のハムと味噌汁と白米を平らげ、茶碗を消してやる。

 

妙に食事が何時もより不味く感じたのは、おそらく今後の緊張感もあっての事だろう。

 

この緊張感は封印の時に感じたモノと非常によく似ている。あの絶望的な状況に。今まで味方だった人間が、突然敵へと変貌したあの夜に味わった緊張感である。

 

俺はこれから起こるであろう悲惨な事態を予想すると、思わず身震いしてしまう。

 

こういうときは、ことわざにある苦しい時の神頼みをしてしまうが、これから会いに行く神奈子と諏訪子が神なのだからやってられない。

 

しかも片や軍神、片や祟り神の頂点なのだからこれまた非情な事である。

 

俺は思わずため息を吐きながら、ジャンプをして、諏訪大社の本社に飛ぶ。

 

景色が瞬間的に大きく変わり、茂みへと大きな音を立てて突っ込んでしまう。

 

流石に本社の中に突っ込むのはマズイと思い、近くの茂みに設定したのだが、どうにも記憶が曖昧になっているようで、派手に突っ込んでしまったようだ。

 

封印される前の半年ほど前に来たのだが、特に俺が封印される前と後での景色が変わっている事が無くホッとした。

 

ひょっとしたらかなりの影響を受けている可能性もあったのだから。

 

一応本社に入る時は、なるべく人と顔を合わせるような事はしないようにしていたのだが、さすがに0とまではいかず、参拝客と顔を合わせることはあった。

 

だから、俺が封印されているという話が広まった場合、俺がいたという理由で放火等が起きたとしてもおかしくはなかったからだ。

 

まあ、さすがに諏訪子達の恩恵を受けているこの諏訪地方が他の軍勢を黙って入れることはないとは思うが。

 

だが、名誉を傷つけてしまった可能性があるのもまた事実。もしそれが原因で信仰が落ちてしまった場合は、本当に謝罪しなくてはならない。

 

俺はそんなシナリオを考えながら、目の前の本社へとゆっくりと足を運んでいく。

 

本社の側面に近づいていく俺は、周りに人がいないかを逐一確認しながら、諏訪子達が外に居ないかを見ていく。

 

だが人の姿は勿論、諏訪子たちの姿も見えない。俺はその事に一定の安堵感を持ちながらも、本社の中に入る事が難しいという事を理解する。

 

この時点で人がいないとしても、中に居る可能性は十分にあるのだ。風祝などといった存在である。

 

もしカチ会った場合は、もちろん俺の立場ばかりか、諏訪子たちの立場も危うくなる可能性もあるのだ。

 

俺はそんな事を考えていくと、本当に来てよかったのかとさえ思ってしまう。

 

しかも、封印された人間が此処に居るとあっては、神奈子たちが手引きしたと疑われる可能性もあるのだ。

 

ただ、もしかしたらではあるが、風祝が俺の存在を神奈子たちから良く教えられており、俺と会ってもさほど問題なければそれはそれで万々歳ではあるのだが……。

 

しかし、世の中そんなに都合の良いものではなく、常に最悪のケースを想定していた方が自分の危機に対処しやすい。

 

だから用心するに越したことはないのだ。

 

俺は自分の中で何事も無いようにと願いながら、ゆっくりと階段を上り、本社へと入っていく。

 

当初は縁側から入ろうと思っていたのだが、さすがにバレたらこれこそコソ泥と勘違いされて大事になる可能性が高いので、正面から静かに入っていく。

 

中は通気性が良いため、太陽の陰に入るとより肌寒く感じる。

 

俺は少しだけ服の上から肌を擦りながら目の前の引き戸を開けていく。

 

すると、やはり無人ではなかったらしく一人の女性が目に留まる。彼女は俺とは何度かあった事があるが、話した事はほとんどない。風祝であることに間違いはないのだが…。

 

彼女の容姿は、早苗の髪の毛のような黄緑色をしており、まだ少女の空気を漂わせるが、それでも立派に風祝を務めようとする努力をしていた。

 

そして目の前の女性も俺の存在に気がついたのか、此方を見据える。

 

女性は、俺の方をまるで不審者を見るかのような目で見てくる。

 

何とも言えないマズイ空気が流れる……。

 

しかし、すぐに俺の顔を見て合点がいったかのような顔をして、無言で微笑んで此方に礼をしてくる。

 

会った事が数回、しかも時間が短いとはいえ、俺の事を覚えてくれていたようだ。

 

俺もその礼に従って礼を返し、挨拶をする。

 

「こんにちは。突然の訪問、失礼いたします」

 

すると、無言であった彼女も此方に対して言葉を返してくる。

 

「いえ、噂は此方にまで届いております。お疲れさまです。……諏訪子様と、神奈子様はこちらにいらっしゃいます。……どうぞ、此方へ」

 

そう言いながら、俺を案内してくれる。

 

「ありがとうございます」

 

礼の言葉を言って、素直に後についていく。やはり、さすがに最悪のケースは免れたようで、俺の事情をある程度知っていてくれたようだ。

 

俺はその事に深く感謝しながら、先ほどの無礼を彼女に詫びる。

 

「あの、……先ほどは失礼いたしました。無礼をお許しください」

 

「いえ、事情が事情ですので、警戒するのは仕方がありません。どうぞお気になさらず」

 

「ありがとうございます」

 

その言葉を最後に俺達は特に言葉を発することはなかった。

 

少しの間、2人の足音以外の音がせず、俺はその音を聞きながらゆっくりと歩いていくと、次第に大きな引き戸が現れる。

 

「此方に」

 

そう言いながら引き戸の前で停止し、中へと声を掛ける。

 

「神奈子様、諏訪子様。……御客様をお連れいたしました。ぜひお会いしたいと」

 

すると、少しの静寂の後、中から返答が来る。

 

「入れ」

 

と。

 

俺はその言葉に従うままに引き戸を開け、中へと入る。

 

風祝は、俺が入室した後、すぐに引き戸を静かに閉め、その場を去って行った。

 

目の前には、諏訪子と神奈子が座っており、その顔は驚愕に染まっている。

 

当然だろう。俺は封印されたと言われていたのだから。神奈子たちには俺の力の詳細を話してはいないから、封印を防げるとまでは思っていないのだろう。だから此処まで驚きを露わにしているのだ。

 

ゆっくりと俺は神奈子に近づいていく。神奈子も普段とは大違いな頼りない立ち上がり方をし、俺に向かって震える声で話しかけてくる。

 

「こ、耕也……か? ふ、ふふ、封印は? 本物なのか?」

 

そう言いながら、なおも近づいていくる。俺は目の前まで来た神奈子を、領域を解除してから黙って強く抱きしめてやり、背中を撫でながら本物であることを言う。

 

「ええ、本物です。俺に封印なんて効きませんから……。御迷惑をおかけして誠に申し訳ありません」

 

そう言って先ほどよりも強く強く抱きしめてやる。

 

すると、神奈子は少し大きな声で、俺に対して言葉を言う。

 

「この……大馬鹿者………………無事でよかった」

 

俺は本当に迷惑をかけてしまったと抱きしめながら痛感する。彼女たちを悲しませてしまったのは、いかなる理由であれ俺のせいなのだから、いくらでも償おうと思う。

 

そして神奈子は、そう言ってしばらく抱きしめあった後で離れ、今度は諏訪子に代わる。

 

諏訪子は無言のまま小走りで近寄り、ぶつかるような感じで抱きしめてくる。

 

「本当に馬鹿だねお前は……心配させないでよ」

 

そう言いながらポロポロと涙を流して俺の服を濡らしていく。

 

だが、俺はそのまま抱きしめ、神奈子と同じように背中をゆっくりと撫でて落ち着かせる。

 

すると、諏訪子はすぐに落ち着き、俺から離れて神奈子の隣に座る。

 

俺はこれなら和やかに再会を喜び合えるがそうは問屋が卸さなかった。

 

先ほどとは打って変わって、厳しい顔をした神奈子と諏訪子は、神力を噴出させながら此方を睨みつける。

 

そして諏訪子が一言言う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さあ、話してもらおうじゃないか。封印される理由の妖怪との密通とやらを……なあ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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74話 流石にそれは無かったか……

一応、投稿できなかった日があったので、纏めて投稿です。


そこまで酷くなくて良かったよ……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて、話してもらおうじゃないか。なぜ妖怪と密通していたのかを」

 

これは想定してはいたが、何とも痛い質問である。確かに家族、第二の故郷であるこの諏訪地方に隠して、妖怪との深い関係を持っていたことについては言い訳のしようが無い。

 

ソレを今の状況で隠すつもりは全くない。ただ、これがもし彼女らの言う事が、俺の予想している言葉だとしたら反論はする。

 

俺は目の前にどっしりと構えて座る2柱の神に、視線を合わせる。

 

彼女らの視線は、全ての者の心を見透かすような極めて透き通った水のような目をしており、またその水のような目の中に激しい怒りを感じ取る事ができる。

 

此処で俺が下手な嘘をつけば、彼女らに対しての背信行為になる上に、今まで俺の安否を気にかけていてくれた彼女らを侮辱してしまう事になる。

 

だから俺は先ほど考えていたように、素直に話そうと思う。

 

だが、いざ話そうとするが、正直に言うと怖い。まるで小さい頃に、親に怒られているかのような心境にさせられる。

 

それほど俺にとって彼女らの存在が大きく見えてしまうのだ。神奈子との体格差は大して変わらない。むしろ俺の方が少し背が高いくらいである。

 

さらに諏訪子に至っては神奈子よりも背が小さいのだ。普通なら恐怖や緊張感を抱く事など無いだろう。

 

しかし、今は俺に圧倒的に非がある上に、俺もその非の事を認めているのだから、相乗効果として出てきてしまっているのだろう。

 

俺は正座したまま、彼女らに向かって口を開き、話していく。

 

「最初の妖怪は――――っ」

 

と話し始めた所で、横やりが入る。

 

「ちょっと待て。……まさか複数なのか?」

 

と、その言葉を言ったのが神奈子であった。その顔は、覆われた手によって見ることは叶わなかったが、それでも呆れているのと、怒りが表れているという事だけは予想できる。

 

俺は、やはり複数という事も直前まで隠していたという事も、怒りの大きさを肥大化させることにつながってしまうだろうと思った。

 

そしてさらには俺がこれから言うであろう妖怪は、日本における代表的な大妖怪とも言うべき存在であり、当然のことながらこの2柱のブラックリストにも載っているであろう存在なのである。

 

まず最初の風見幽香は、その圧倒的かつ暴力的な力と妖力を持ち、妖怪人間問わずから畏れられている存在。そう世間では、一般に語られている。

 

鬼のように、笑いかければ泣く子も黙り、嘘をつけば命をとられる。そんな噂まで立つほど畏れられているのだ。

 

ただその表側とは違い、心の内ではその圧倒的な力の代償として得ざるを得なかった孤独に心を痛めていたのである。

 

俺は彼女と出会ったのは、偶然の産物であったかもしれない。だが、それに後悔はない。

 

その事を伝えるべく、まず最初の幽香について答えることとした。

 

「はい、仰る通りに一人ではなく複数であり、まず最初に話す人物は風見幽香です。御二方も御存じでしょうが、あの花妖怪の風見幽香です」

 

俺が幽香の名前を出した瞬間に露骨な反応を見せる。諏訪子は、帽子を深く被ったまま此方に顔上半分を見せずに、ただ口を固く閉ざしたままであり、まるで聞きたくないとでも言うかのように。

 

そして神奈子は俺をより一層睨みつけ、今にも攻撃を繰り出してきそうな敵意すら感じてしまう。

 

俺はその様子を見ながら、突き放された感覚を覚え、何とも先が話しづらくなってしまう。しかし、一度彼女らに話すと決めたからにはソレを完遂しなければならない。

 

元々攻撃されるという想定もしている上に、関係断絶ということもありうるのだ。おまけにこれ以上話しても話さなくても結果は変わらないであろう。

 

そう思いながら俺は彼女たちをさらに見つめて口を開く。

 

「では続きを話します」

 

すると、諏訪子は相変わらず黙ったままだが、神奈子は俺に

 

「続けてくれ」

 

と、話す事を促してくる。

 

俺はそれに素直に従いながら話していく。

 

「私はある日、風見幽香の討伐の依頼を受けました。……依頼を受けた経緯は色々あるので詳しくは覚えてはいませんが、その討伐の達成条件として、風見幽香だと特定できるものを持って来いとのことでした。もちろん自分は討伐に行きましたが、そこで会った風見幽香は、噂とは随分違った妖怪だったのです」

 

俺はそこまで言ってから一つ間を置き、深呼吸してからさらに続きを話していく。

 

「出会った風見幽香は、確かに強大な力の持ち主でもありました。しかし、彼女の心は孤独から解放されたいという感情でいっぱいになっていたのです。私はその事を知った瞬間に討伐をする事ができなくなり、任務は失敗に終わることとなりました。ただ、それで終わったわけではなく、自分は彼女からの申し出から友人となりました。……そしてさらに過去の話を聞いていくと、噂とは全く違い彼女は基本的に戦いをせずに、降りかかる火の粉を払うだけの妖怪でした」

 

そして俺は続けて藍の話題へと移っていく。

 

八雲藍。彼女もまた孤独な妖怪の一人であり、幽香同様俺の大切な人の一人である。彼女は、俺に会うまでは様々な国を渡り歩き、人間に愛されようと必死になっていたらしい。

 

しかし、彼女は人間から迫害されようとも、人間に愛されたいという気持ちでその生をつぎ込んでいた。ただ愛されたいという彼女の気持ちをどうして拒否する事ができようか?

 

確かに俺の中にも、色々と顔や性格等といった要素も判断材料になってはいたであろう。しかし、彼女との関係が深くなるごとに、彼女と関係を持った事を良しと思える自分がいるのだ。俺はそれに後悔するつもりはない。

 

俺は、彼女らに話す前に、自分の中の藍という存在のあり方や大切さを確認して口を開く。

 

「そして、次は白面金毛九尾の狐である八雲藍についてです」

 

その言葉と同時に今度は諏訪子からの威圧感が強まってくる。大体は予想がつくが、俺の関係している妖怪が、強力な妖怪だから怒りを隠せないのだろう。

 

俺はそれに仕方のない事だと思いながらも、彼女らに説明をしていく。

 

「彼女は言い伝えでは、傾国の美女とも言われるほどの力と美貌を持ち合わせております。そして彼女の目的は人間を弄び滅ぼすのが目的だったとも言われています。しかし、実際には彼女は違うのです。彼女は人間に愛されたいがために人間の世界に溶け込んだだけであり、実際には彼女が害ある行動をしたわけではないのです」

 

俺はさらに言葉をつづけていく。偽りのないように。伝わるように。理解してもらえるように。

 

「そして最後の人物は、八雲藍の主である八雲紫です。…………八雲紫は「もう良いっ!」――――」

 

俺が話している途中で突然大声で諏訪子が遮ってきた。その声はあまりにも大きな声であり、空気を震わせながら飾られている皿などを割ってしまうほどの圧力を生じさせていた。

 

もはや俺の話している事があまりにも気に入らない内容であったためか、それとも俺に対する信頼等が崩れていくのが耐えきれなくて無理矢理遮って来たのか。

 

それを俺が判断することなどできはしないのだが、彼女の硬い表情からはそのような負の面しか読み取れない。

 

また神奈子は俺から視線をずらし、全てを諏訪子に任せると言った感じで諏訪子の方を見ていた。

 

その表情からは、俺に対しての評価等を得るという事はできず、ただ突き放すといった印象の方が強い感じである。

 

そしてしばらくの沈黙の後、諏訪子から小さな声が発せられた。

 

「…………………耕也」

 

そう言いながらムクリと立ち上がり、此方にゆっくりと歩いて近づいてくる。

 

その足取りは今までの諏訪子からは考えられないほどユラユラとしており、それだけで俺の心を震え上がらせるほどであった。

 

ただただ、俺は目の前にいる諏訪子の歩きをゆっくりと見ている事しかできない。まるで金縛りにあったかのように身体が動かないのだ。

 

やがて俺が動けないうちに諏訪子は目と鼻の先まで接近し、俺座っている位置にまで腰を落とす。

 

その目には、いつも紫達が見せるような光のないぼんやりとした眼ではなく、激情を宿す厳しい眼であった。

 

今まで見てきた中でも一番のきつい眼。諏訪大戦の時にすら見せなかったこの目は、一体どれほどの怒りを溜めこんでいるのだろうか?

 

そう思っているうちに諏訪子は俺の方に手を伸ばして、勢いよく胸倉を掴み、口を開く。

 

「お前は、お前はそれで良いのか? 人間と妖怪は相容れぬ存在。……お前はそれを破ったがために……破ったがためにっ!」

 

大きな声で俺を叱責したかと思うと、掴んだ腕を前に倒し、俺を押し倒してそのまま俺に顔を近づけて叫び始める。

 

先ほどよりも目は激しくなり、呼吸は乱れ、目は血走る。もはや誰にも止められないほどの激情を宿していた。

 

「お前が、お前がその選んだ道は、お前の名誉や財産を全て失う結果につながったのだぞっ!? 確かにその妖怪達にとってはお前の存在は救いになったかもしれないっ! だが、お前の行為は自らを破滅させる行為なのだぞ!? お前は一体何故こんな事を。何故こんな事を!?」

 

「グッ…………!」

 

胸倉を掴まれているために、上手くしゃべる事ができない。唯、諏訪子の言い分も理解できる。

 

妖怪の救いになるのは構わないが、お前が破滅したら本末転倒であろう。と。

 

だが、俺は何度も頭の中で反芻していたように、この事については後悔はしていない。

 

しかし、俺が反論しようとすると、口を開く前に俺の口に手で蓋をし、さらに叫び散らす。

 

「お前はもう地上で普通に暮らすことはできない。もう地上にお前の居場所は無くなってしまったんだっ! 言っている事が分かるか!? …………お前は不老でこれからもずっと生き続ける…。お前が生きている限り、地上にお前の居場所はないのだっ!! お前の存在はもう人間からすれば悪の権化と同義であり、二度とその悪評が払拭されることはないのだぞ!? 分かっているのかぁ!?」

 

俺は諏訪子のあまりの剣幕に言葉を返す事ができなかった。初めて見る諏訪子の此処までゆがんだ顔。それを初めて目にした衝撃というのもあったのだろう。

 

過去にあった諏訪子の顔を思い出しながら俺はただ叫び続ける諏訪子を見ていた。

 

……いつ何時でも俺などの家族には優しい笑みを浮かべていた諏訪子。彼女は祟り神ではあった。恐怖を与え、それに伴う信仰を集めて自らの糧とし、またその糧の中から民草に豊作等を与えて国を栄えさせてきた諏訪子。

 

そう、俺と出会ってからはそんな顔をしなかった諏訪子が今俺に初めて見せる今にも泣きそうな怒り顔。

 

そしてそのままの顔で、諏訪子はついにボロボロと涙をこぼしてくる。

 

「何で……こんな事になるまで…………もっと私達を頼ってくれても……良いじゃないか…………? …………お前は優し過ぎるんだよ……」

 

それに俺は静かに呟くように諏訪子へ口を開く。

 

「それでも俺は後悔してませんよ。……確かに頼るべきでしたね。……申し訳ありませんでした」

 

そういうと、諏訪子はそのまま俺の服に顔を落して静かに、長く泣き続ける。

 

俺はその小さく埋もれる頭に手を乗せ、緩く撫でてやる。

 

本当にこれからが大変だというのが、諏訪子からの言葉から再認識する事ができた。

 

俺がこれから……おそらく幻想郷ができるまで……いや、できてもまだ冷却期間が必要であろう。

 

まだ俺の事を知っている人がいるはずだから。言い伝えというモノがどれほど長く強く伝わるかが良く分かるから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しばらくした後、俺達は気まずい空気が流れながらも、一応夕食を共にするという変な構図が出来上がってしまっていた。

 

静かに飯を食べながら、2柱と目を合わさず話さずにいると、神奈子が一言つぶやく。

 

「耕也。……これからどうするんだ? ずっと地底に居るというのも精神的にも良くないのではないか?」

 

「はい、確かにそうではありますが、一応気分転換にも地上にちょっと首を出す程度のことはしているので大丈夫かと。それに仕事が地底にありますし、恩人の方々もいますので」

 

そういうと、神奈子は、何とも言えない表情をしながら焼き魚の身を口に運びながら短く返答する。

 

「そうか」

 

と、その表情は口調とは裏腹に何か言いたそうなモノとなっている。

 

おそらく、その表情から予測できる事は、何か俺に対しての支援のような事をしたいと言った感じだろうか?

 

だが、この空気は本当に気まずい。神奈子は何とか話したのだが、諏訪子とはあれから全く会話を交わしていない。

 

その表情ま、無表情に近いモノがあり、怒っているのか、悲しんでいるのかすら判断できないのだ。

 

確かにそれはやむなしというべきものがあったが、それにしてもこの空気は俺がいてはいけないようにすら感じてしまう。

 

俺は何とかこの空気を払拭したいと思い、諏訪子に聞く事にした。

 

「あの、……諏訪子様、俺の封印の影響で信仰とかに影響は…ありましたか?」

 

すると、俺が突然声をかけたためか諏訪子はびくりと肩を震わせて、箸を落としそうになってしまう。

 

手の上で踊る箸を何とか捕まえて、ホッとため息を吐く諏訪子は、薄く笑みを浮かべながら

 

「いや、ほとんどないよ。……関係があるなんてほとんど知られていないからね……耕也が此処に直接来てくれたおかげでね」

 

一応直接この本社に来ていた事が功を奏したようだ。

 

彼女らももちろんこの情報が入った瞬間に、俺との関係があったという事を隠ぺいしただろうし、彼らもそこまで俺の事を詮索していたわけではなかったのだろう。

 

だから今回は信仰の減少を防ぐ事ができた。本当に不幸中の幸いというべきか何と言うべきか……。

 

俺はその事に安堵のため息を吐き、諏訪子の方を見て一言言う。

 

「良かったです……。それでも御二人に御迷惑をおかけした事には違いありません。申し訳ありませんでした」

 

と、俺が頭を下げて再び謝罪をする。

 

すると、すこしだけ間が空いてから神奈子から言葉が返ってくる。

 

「いや、もう良い。お前が後悔してないのなら…………なあ、諏訪子?」

 

そう言いながら神奈子は諏訪子の方を見て返答を促していく。

 

その神奈子の行動を受けて諏訪子も、俺の方を見て答えてくれる。

 

「まあ、もう言いたい事は言ったしね……あまり無理はするんじゃないぞ?」

 

神奈子と諏訪子の言葉を聞くと、やはりどうしても嬉しいという気持ちが湧いてきてしまい、自然と頬が緩んでしまう。

 

どうしても感情を隠すのが苦手な俺は、神奈子たちの前でその表情をさらけ出していた。

 

どうもその姿が不気味だったせいか、諏訪子からツッコミが飛んで来る。

 

「耕也……不気味だからやめてくれ…」

 

思わずその言葉に俺は表情を元に戻す羽目になり、ジト目になりながら諏訪子に渋々謝る。

 

「すんませんでした」

 

そういうと、諏訪子も此方にジト目になりながら口を開いてくる。

 

「何だいその態度は。……お前はもう少し神に対しての態度を改めるべきだ。……この変態め」

 

流石に変態という言葉に対しては、俺も反論したいので口を開いて大急ぎで言葉を吐き出す。

 

「へ、変態? 俺が変態なわけないでしょう。 一体全体この俺のどこが変態なんですか?」

 

そう俺が反論するも、諏訪子は俺の方を憐れんだ目で見るだけであり、ため息を吐きながら一言だけ言った。

 

「手遅れだな……」

 

その後、何故か神奈子まで口論に参加するようになってしまい、決着方法として何故か将棋をする羽目になってしまった。

 

……そして結果は俺の惨敗で、その一日は変態と呼ばれ続ける羽目になった…………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして就寝時、俺達は特に情報漏洩等によるカチコミもなく、極めて平和に一日を終えることができた。

 

左から神奈子、俺、諏訪子と川の字に並んで寝ている俺達は、照明スタンドを一つだけ点けて、地底での生活について話していた。

 

「なあ変態。……変態は、今何の仕事をしているんだ?」

 

と、諏訪子が言ってくる。さすがに俺は変態と呼ばれ続けるのはあまり気分が良くないので、呼称を変えてもらおうと思う。

 

「あの、……諏訪子様? 変態という呼び方はそろそろ御控頂きたいかなあ。と、思うのですが」

 

そういうと、此方をギロリと諏訪子が首だけを回して睨みつけ、話し始める。

 

「変態なのだから仕方が無いだろう? 何だ何だ……大体3人と肉体関係持ってるなんて聞いてなかったぞ。しかも妖怪だ妖怪!」

 

そう言いながらゲシゲシと布団ごと蹴ってくる。

 

諏訪子から伸ばされる足は、やはり身長のせいか短く、布団に対しての衝撃が小さい。

 

俺はため息を吐きながら蹴られるのは勘弁と嘆願する。

 

「わ、分かりましたから蹴るのは勘弁して下さいな。…………そうですね、仕事は酒屋で配達とか並べたりする感じですね」

 

そういうと、神奈子は急に欲がこもった目になり、此方をクルリと見てくる。

 

その表情は金を見つけた人間と同じように喜んでおり……、いや、これは最早欲塗れの人間だろ。

 

そして神奈子はその表情のまま嬉々として口を開く。

 

「酒屋だと!? ……なあ、耕也。定期的に来る時には酒を持ってこい。いいな?」

 

と、涎までたらしそうな勢いでまくしたててくる。

 

俺はその表情と口調に、思わず笑ってしまいながら神奈子に了承する。

 

「分かりました。持って行きますから安心して下さい」

 

そう俺が神奈子に言うと、神奈子はその場で腕を振り上げて喜びを表現する。

 

「いよっしっ! これで酒の心配は…………ん?」

 

と、喜んだかと思えば何とも言えない不思議な表情をしながら神奈子は布団の中で考え始める。

 

やがて何かを思い出したのか、俺の方を見てニヤニヤしだす。

 

「あの、神奈子様?」

 

と、俺が神奈子様に問うと、神奈子はゆっくりと頷きながら口を開く。

 

「耕也……お前確か酒を創造できたよな?」

 

俺は嫌な予感がしながらも、嘘をついても仕方が無いので素直に答える。

 

「はい、その通りですが……」

 

すると、神奈子は布団から這い出して、俺の両肩をガシリと掴んで言ってくる。

 

「耕也。明日、倉に一杯の酒を創造しろ。いいな?」

 

俺はその言葉に驚きはするのだが、その他にもっと驚きがあった。

 

神奈子が布団から布団から這い出た際に、帯が解けてしまったのか、寝巻きが乱れて、その大きな胸が毀れかかっていたのだ。

 

俺はそこに目が釘付けになりながら神奈子に言う。

 

「あ、あの神奈子様。……御酒は良いのですが、……その、胸が」

 

俺が注意すると、神奈子は身体を起こして目を自身の胸に向ける。そして向けた瞬間に自分の寝間着の惨状を理解し、一気に顔が赤くなる。

 

「いやぁっ!!」

 

と、かわいらしい悲鳴を上げて布団にもぐりこみ、慌ててモゴモゴと服を直してそのまま黙りこんでしまった。

 

俺はその様を見てから漸く脳が活性化し、謝る事にした。

 

「あ、す、すみませんでした……」

 

そういうと、返って来たのは神奈子の声ではなく、諏訪子の声であった。

 

「ド変態め……」

 

 

 

 

 

 

 

 




次回は、あれです。あっちで見ていて下さった人は分かると思いますが、次はアレを投稿します。


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外伝ss……監禁

これは、にじファン時代での、記念ssとなっております。
苦手な方も多いはずなので、ご注意を。


貴方は人であるからこそ……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ああ、マズいぞこれは……どうしよう」

 

俺は卓袱台の上に両肘を置きながら一人で唸っていた。

 

改めて顔を上げて目の前に手をかざして意識を集中させてみるが、何の変化も見られない。

 

自分でもどうしてこんな事になっているのか、皆目見当もつかない上に、未だにその障害が取り除かれるばかりか改善される様子も見られない。

 

このままでは自分の陰陽師の仕事としても、今後の生活、ひいては自分の命すら危ぶまれる状況になるのだ。

 

今はまだこの事に気が付いている者はいないが、いずれはこの情報が漏えいする可能性が高い。

 

人間に漏洩するのならまだしも、妖怪側に漏えいしたとなればもはやこれは襲撃を受けること間違いなしである。

 

今まで散々一方的に攻撃をし、退治をしてきたのだから、他の陰陽師以上の恨みや憎しみを買っていたとしてもおかしくない。

 

もしこの状況で襲撃を受けた場合、とてもではないが持ちこたえられない。攻撃を受けて一時間もしないうちに俺は身体を食い散らかされてしまう可能性が極めて高い。

 

そんな薄ら寒い状況を考えると、どうしてもその事が現実になりそうな予感がしてならず、身体が自然と震え始めてしまう。

 

俺は震え、自分の意志では抑えられなくなった身体を、何とか収めようと、自分の身体を掻き抱くように両腕を回していく。

 

しかし、それでも全く身体の震えは収まる事を知らず、さらに大きく震えだしていく。ガタガタガタガタと震えていくばかりであり、もうどうにも止まらない。

 

おまけに今の状況では、陰陽師からの評判が良くない俺は失脚するには格好の状態であり、助けてくれる陰陽師もほとんどいないであろう。

 

例え助けてくれる陰陽師がいたとしても、それはきっと大きな見返りを求めてくるに違いないのだから。そして今の俺には、もちろんそんな上等な見返りを捻出することなどできはしないし、何より今の状況を知らせるための連絡手段が無い。

 

都までの距離は長い上に、ジャンプも飛行も使用できないこの有り様で到底連絡などは不可能であるし、飛行などに頼り切っていたものだから馬もいない。

 

つまり今の俺は、陸の孤島に居るようなものであり、外に出れば間違いなく妖怪に襲われてしまうのだ。

 

…………せめて馬さえあればまだ何とかなったかもしれないというのに。

 

俺は自分の非常事態の想定が甘すぎた事に腹がたってくる。

 

俺は震える体を必死に抑えながら台所まで行き、蛇口を捻る。閉められていた蛇口は手によって伝えられるトルクによって容易に周りだし、その弁に掛かる内圧を解放していく。

 

しかし、解放された内圧は非常に小さく、全開にしても極少量の水滴しか出てこなかった。

 

その事を目にすると、思わず涙が出てきそうになるが、それを捨てて意識を集中させる。意識を集中させていくと、本当にわずかではあるが、水流を成す程度までになる。

 

俺はその事を目にすると、やはり改善されている気配はないと再認識し、心がさらに暗くなるのを感じながら居間まで戻り、崩れ落ちるように座る。

 

「本当にどうなってるんだ……?」

 

そんな情けない声も、今となってはただ自分の心を抉る刃物にしかならず、その言葉が頭の中でエコーが掛かる様になってくる。

 

俺はこの異常事態に手も足も出ず、ただただ流れる時間を過ごしていた。

 

一種の風邪のようなものだと俺は当初判断していたのだが、寝ても治らない上に、改善することもないから最早諦めかけてしまっている。

 

しかし、先ほどよりも意識をさらにさらに、限界まで集中させて、手を前にかざす。

 

そして目をきつく閉じ、先ほどよりは価値の低いモノを思い浮かべてみると、コトリという音がする。

 

俺はその音を聞いて、目を急いで開けてその成果を確認する。音の発生源には、小さな球体ガラスが鎮座しており、先ほどの創造が成功したという事を如実に示していた。

 

微かな喜びが湧きあがると同時に、また別の悲しみが襲ってくる。

 

それは、どんなに力を込めてもガラス球程度しか創造できないという事。そして自動的に供給されるはずの電力は消失し、出てくる水もスズメの涙ほどでしかない。

 

俺はそれを考えてくると、創造が何とか使えたという喜びよりも、なお厳しい現実を突きつけられたように感じ、絶望感が俺の心を蝕んでいく。

 

その中で俺は、一体どうしてこうなったのかを、もう一度脳内で反芻する事にした。

 

 

 

 

 

 

発端は一昨日の皿洗いであった。

 

俺はいつもどおりに夕食を終え、いつもどおりに皿洗いをしていた。

 

「明日はどうしようか……。最近は陰陽師の仕事もめっきり来なくなったし、自分から村の警戒にでも出かけようか?」

 

と、そんな呑気な事を言いながら、目の前にある泡だらけの食器を水で流していく。

 

蛇口を捻れば勢いよく飛び出してくる水は、この時代にはあり得ないものであり、この日ノ本の中で最も進んだ家具であると言えよう。

 

俺はこの便利さに感謝しながら、泡残しが無いように落としていく。

 

しばらく食器を洗っていると、突然異変が起こり始めたのだ。

 

蛇口も何も捻っていないにも拘わらず、目の前で排出されている水が一気にその勢いを無くしていってしまったのだ。

 

俺はその事に良く分からない焦りを感じ、蛇口を閉めたり開けたりして水の排出量を回復させようとする。

 

しかし、限界まで弁を開けても少量の水しか出てこなくなり、その少量の水で皿を全て洗う事になったのだ。

 

「おっかしいな~……何が問題なんだ?」

 

と、そう呟きながら、水道の止水栓を緩めに掛かる。

 

おそらく何らかの拍子で止水栓というバルブがしまってしまったのだろうと、当初は予想していた。

 

俺はその考えによって、シンクの下の扉を開けて、バルブの位置を確認する。

 

止水栓は目に留まりやすい位置にあり、すぐにその作業に取り掛かる事が可能になっていた。

 

「あ、このバルブはハンドル式じゃなくてドライバー式か。面倒くさいなあ」

 

そう思いながらマイナスドライバーを創造し、作業に取り掛かかろうとした時に、その異変に俺は気付いた。

 

「あ……れ? ドライバーが出てこない……?」

 

いつもならほとんど意識しなくても容易に創造できるドライバーが、手の中に全く現れてこないのだ。

 

俺はその事に、先ほどよりも大きな焦りを感じ、集中力を高めて創造しにかかる。

 

しかし、その成果は全く現れてこない。一瞬で現れるはずのドライバーが、今この場にないという事は失敗したということに他ならない。

 

「え? え? ちょ、ちょっと待った!」

 

俺はそう言いながら焦りに焦って、水道の事など放ったらかしにして、一晩中創造などの能力回復に努めた。

 

しかし、その努力もむなしく、夜が明けても事態は改善するばかりか、より一層混迷を極めた。

 

創造が殆ど使えなくなった上に、電力も喪失して部屋は真っ暗になり、何とかその場にあった蝋燭の光でやり過ごす羽目になったのだ。

 

 

 

 

 

そしてその翌日、俺はまた別の懸念事項が頭に浮かんできてしまったのだ。領域やジャンプ、飛行等は使えるのだろうか? と。

 

そんな考えが浮かんできてしまったものだから、一気に緊張感が増してきて、気道が締め付けられるような感覚に陥ってしまった。

 

もしこれらが使えなくなったらどうなってしまうのだろうか? 俺はこの先どう生活していけばいいのだろうか? と。

 

俺は使えない場合の事を考えると、どうしてもその検証をするという事に忌避感を感じてしまう。だが、同時に何故かその事を確かめてしまいたいという気持ちが存在してもいた。

 

その確かめたいという気持ちは、おそらくこの嫌な緊張感から逃れたいという逃避も手伝っていたのだろう。

 

時間が経つごとにその確かめてみたいという気持ちが先行し始め、ついに俺は一つ一つを検証する事にした。

 

まず一つ目にジャンプを検証してみた。

 

これは距離の長短に関わらず検証可能なので、室内での検証とした。

 

いつもなら部屋の端から端まではスムーズに一瞬で移動し、何事もなくその行為は終わる。

 

俺はいつもどおりに終わる事を願いながら、いつも以上に意識を高めて敢行する。

 

しかし、ただ頭に血が上っただけであり、状況に全く変化が無い。

 

「おいおい」

 

と、冗談で済む事を祈りながら回数を重ねていく。しかし、状況は先ほどと全く変わらず、むなしく時間が過ぎていくだけであった。

 

「…………はぁ、何が起きてんだもう……」

 

と、俺は気落ちしながら次の作業に移行していく。

 

次は飛行である。これも少々地面から浮けば全く問題ないので、室内での検証が可能となり、これも室内で行う事にした。

 

「これくらいは……できてくれよ!?」

 

そう言いながらまた意識を集中させていくのだが、これも前のジャンプと同様にむなしく時間が過ぎていくだけであった。

 

焦りはさらにさらに増していき、もはや口に出しておかなければ此方の身が持たないほどのモノとなってくる。

 

それは席を切ったように俺の口から飛び出ていく。

 

「ああヤバいヤバいどうしよう!! これじゃあ都にすらいけなくなる……!! 真面目にヤバい!!」

 

と、俺は大声を出しながら、目の前の現実を突きつけられ、否が応でも次の検証に入らなくてはならなくなる。

 

本気で何とかしなければならないと思いながら、最重要の能力である領域の発動の検証をしに掛かる。

 

もはや、これは現時点で発動していないのが分かるため、これも望みは薄いのだが、ある事を試してそれが本当に発動しないのかを検証してみる。

 

俺はドッカリと座っていた重い腰を上げて、気分が暗いまま、脇にある箪笥の引き出しを開けて、裁縫箱を取り出し、卓袱台に置く。

 

「これで発動しなかったらもう終わりだ……」

 

俺はあまりの緊張に吐きそうになりながら、震える手で裁縫箱をガチャガチャと開けていく。

 

しかし、手の位置が痙攣で定まらないせいか、箱のロックを上手く外す事ができず、その場でオタオタしてしまう。

 

「焦っているせいだな……」

 

と、自分の事をそう評価し、苦笑しながら左手の震えを右手で抑えながら、何とか開けていく。

 

この黒いプラスチック製の裁縫箱のを開けていくと、すぐに目的の道具が目に入ってくる。

 

「このまち針で何とかできるはず……」

 

そう独り言をつぶやきながら、確かめるように針刺しから抜いていく。

 

もしこのまち針が俺の手に傷をつけられずに折れたのならば、それは領域が発動して身を守ってくれたという事。そして手に刺さった場合は、領域すらも完全に消失してしまったという事。

 

領域が完全に消失したとなれば、俺は最早この世界で生き延びることは不可能に近い。俺がその状況を創りだしてしまったのだから、もはや望みはないと言えるだろう。

 

と、そこまで考えた時に唐突に脳裏に走った内容があった。

 

「ああ、消毒用に火が必要……か」

 

もしまち針を刺した時、領域が作動しなかった場合はそのまま針が皮膚を傷つけることになる。もしその時針に危険な細菌が付着していた場合は非常に危険なため、消毒が必要なのだ。

 

危険な細菌がついてなくても、それのせいで化膿する可能性があるため、いずれにせよ消毒が必要である。

 

俺は先ほど裁縫箱をとった箪笥に近寄り、最上段からチャッカマンを取り出し、ロックを外して点火して針を炙る。

 

数秒ほど炙った後に針を火から遠ざけ、少々室温で冷ました後に掌の上にセットする。

 

「嫌だなぁ…………これで…頼むっ!」

 

自分を奮起させるためか、それとも領域の存在を確約してほしかったのか、それとも掌に刺さっても痛くないように念じたのか?

 

どれともつかない短い願いを言って、素早く針を下ろす。

 

「つっ――――!!」

 

だが、もはやこれは確定したのか、それほどまでに鮮やかに針が皮膚を貫いた。

 

鋭く短く走る痛みに、思わず両瞼を閉じて声を上げ、手に持っていた針を放りだす。

 

そして痛みが引くと同時に目を開け

 

「くそっ――――!」

 

その声と共に裁縫箱を右手で薙ぎ払って卓袱台から払い落とす。

 

金属のぶつかり合う甲高い音と、プラスチックの箱が破砕する音の両方が室内に鳴り響き、鼓膜を激しく叩く。

 

それを見届けると、次には目頭が猛烈に熱くなり、次には大粒の涙がボロボロと溢れてくる。

 

果たしてその涙は、一体何の理由から溢れてきたのか。自分の望みが全て断たれてしまったからか。それとも刺し傷が再びジンジンと痛みだしてきたからか。もしくは、裁縫箱を薙ぎ払った右手の甲が痛みだしたためか。

 

いや、俺は望みが断たれたのだという事を思い知らされたために、涙を流しているのだと自ら判断し、その場で静かに泣き始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺は発端について考え、やはり力を失う原因がどこにも見当たらない事を確認すると、僅かに残っていた水を口に流し込み、渇いたのどを潤す。

 

「これからどうするか……」

 

突然力を失った俺は、孤立無援の状態からどのように生きて行くか。それが頭の中に浮かんだままで沈まない。

 

もしこのまま俺がダラダラと過ごしていたら、骨になるだけである。あらかじめ創造して保管しておいた食料もいずれは尽きるし、何より此処は以前まで妖怪が頻繁に居た場所なのだ。時が経てば俺の活動変化を怪しんで襲撃してくるに違いない。

 

その対策を何とか立てたいのだが、あいにく都までは直線距離にして30km以上は離れている上に、俺は体力がそこまである方ではない。どちらかというと一般人よりも少し低めなのだ。

 

俺はどうしようもない現実に、ため息を吐きながら立ちあがって心細い量しかない食料を消費しようと席を立つ。

 

すると、次の瞬間に家中に鋭く甲高い電子音が鳴り響いた。

 

「まさか……もう?」

 

その音に弾かれるように身体が身構え、音源の方向を見据えてしまった。

 

俺は今までの心境から、可能性の低い事柄ですらも過大に評価してしまい、もう妖怪等が襲ってきたのだと思ってそのままの態勢で玄関まで忍び足で行く。

 

廊下を歩いて玄関まで行くと、俺に先ほどとは真逆の安堵感が湧きでてくる。

 

玄関の磨りガラスの先には、緑色のショートヘアが見えたのだ。

 

間違いなく幽香である。

 

そう判断した俺は、あまりにも安心したために、幽香であるかどうかも確かめもせず、玄関のドアを開けた。

 

「はい」

 

そう言いながら俺は玄関を勢い良く開け、外の人物を出迎える。

 

ただ、今回は運が良かったためか目の前の人物は、俺の予想したとおりであった。

 

「耕也。こんにちは」

 

俺の予想した通りの人物である幽香がいた。

 

幽香は頬笑みを浮かべながら此方をジッと見つめてくる。

 

「いらっしゃい。……良かった。…………本当に……良かった…どうしようかと」

 

その顔を見ていると、先ほどよりもさらに安心感が湧いてきて、嬉しさとごちゃ混ぜになって心を支配していく。

 

そしてそれが瞬時に決壊し、また涙がボロボロと出て来てしまう。

 

「ちょ、ちょっと耕也!? 何で泣くのよ!?」

 

と、幽香は言ってくるが、それでも俺の涙は止まらずただただ流れていくだけであった。

 

「まったく……仕方が無いわね」

 

そう言いながら泣いている俺を抱きしめ、その温かい胸の中へと入れてくれた。

 

「好きなだけ泣きなさいな……事情は後で聞いてあげる」

 

俺はその言葉に、今までの感情が流れ出し、声を上げて泣いてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「へえ……そういう事だったの」

 

と、目の前に座っている幽香は俺にそう呟く。

 

俺は幽香に、俺の身に何が起こったのかを事細かに話し、先ほど泣いた理由を理解してもらったのだ。

 

すると、幽香は意外にも素直に納得し、俺の事を全面的に支持してくれる。

 

「確かにきついわねそれは。…………だから変だったのね?」

 

と、幽香は自問自答するように、小さく疑問の言葉を言う。その表情は、妙に納得がいった満足げな顔であり、周囲を見渡して、静かに何度も頷く。

 

俺はその妙に意味ありげな表情に疑問を覚え、小声で幽香に聞く。

 

「あの、幽香さん。変だったとは一体……?」

 

すると、此方を見て微笑みながら幽香は俺の質問に答える。

 

「私の家の水道や電気が機能しなくなった事よ」

 

俺はその事を瞬時に理解し、申し訳ない気持ちになった。

 

確かに今回の異常事態は、俺のせいではないという事は確かだが、だからと言って幽香に迷惑をかけたという事が無くなるという訳ではない。

 

俺の能力の喪失により、幽香も不自由したには違いないのだから。

 

「あの、すみませんでした」

 

俺が、頭を下げて言うと、幽香はあからさまにため息をしてくる。

 

やはり呆れられたかな? と思って顔を上げると、目の前にはデコピンをすでにスタンバイ済みの右手があった。

 

そして親指に抑えられていた中指は、親指からの解放によって速度が爆発的に増加し、俺の額に炸裂する。

 

幽香ほどの妖怪が持つ力は人間を遥かに凌駕している。それに伴ったデコピンは、それ相応の強さを持っており、普段なら領域で弾かれるのだが、今の俺に領域はない。

 

よってその衝撃は何の障害もなく俺に到達するのだ。

 

つまりは

 

「あ…………?」

 

あまりの衝撃に脳が揺らされ、俺は痛みよりも身体に力が入らなくなり、座ったまま後ろに倒れてしまう。

 

俺は両手両足を投げ出した状態で、視界が歪んだまま何が起こったか正確に把握できずにそのまま仰向けに倒れてしまっていた。

 

そしてそこに幽香が四つん這いで近づいてきて、俺に覆いかぶさってくる。

 

「耕也……。気にしないの。……分かった?」

 

それに俺はそれに感謝して、返事をする。

 

「はい」

 

段々視界が元に戻り、覆いかぶさって来た幽香の顔が正確に分かるようになってくる。

 

その顔は悲しみとも、喜びともとれるような複雑な表情をしており、幽香はその表情のまま俺を抱きしめてくる。

 

その瞬間に幽香から酷く甘ったるい匂いが漂ってきて、それを俺は思いっきり吸い込んでしまった。

 

匂いにクラクラしながら幽香を抱きしめ返すと、幽香は安心したような呼吸をして、顔を上げて俺を見下ろす。

 

その顔は慈愛に満ちた顔になっており、一体どれほど俺の事を思ってくれているのかがよく分かった。

 

「耕也。私の家に来ない?」

 

と、幽香は俺の保護を申し出てきた。

 

俺にとっては願ってもない事であり、またその言葉を聞いただけでも涙が溢れそうになってくる。

 

「耕也、貴方の危機に私が助けなくてどうするのよ……」

 

そう言ってさらに強く抱きしめてくる。

 

その力は妙に強く、こちらの息が苦しくなってしまうほどであった。

 

そしてそのまま顔を上げたかと思うと、顔を一気に近づけ、唇を重ねてくる。

 

「耕也ぁ……ん…ちゅぷ…あむ……れるれるれるれる……にゅる…れろぁ…」

 

いつまで続くか分からないような濃厚なキスは、俺の脳を完全に蕩けさせ、そのまま脱力してしまう。

 

幽香は俺が脱力した後も、執拗に下を絡めて唾液を俺に飲ませ、舌を絡めて吸い、転がし、犯しつくす。

 

やがて何分もそうしていたのか、時間の流れが曖昧になって来た頃に、幽香は漸く俺から離れ、上気した赤い顔で立ちあがり、此方を見下ろす。

 

そして屈んで俺の手を掴んで抱き起し、耳元で一言言う。

 

「さあ、私の家に行きましょう?」

 

俺はまだ快感が身体を支配しながらも、その彼女の言った言葉に再度聞く。

 

「でも……穀潰しが増えるだけに――――」

 

だが、その先は彼女の掌が口を覆ったために話す事ができなかった。

 

見れば、彼女は微笑みながら俺に向かって首を横に振っている。

 

「耕也、貴方は今私の家に来るべきなの。今のあなたは力が殆ど無いと言っても過言ではないわ。だから身の安全が確保されるまでは私の家に居る事。いいわね?」

 

俺はその言葉に素直に甘えることにし、幽香に了解の返事をする。

 

「よろしくお願いします」

 

すると、幽香は俺に手を差し伸べて言った。

 

「さあ、私が飛ばしてあげる。一緒に飛びましょう?」

 

 

 

 

 

 

 

 

「やっぱり幽香の家はいつ来ても綺麗だなあ……」

 

俺が幽香の家に来て、まず一つそう呟いた。幽香の家は、薔薇模様の壁紙や、クリーム色の薄いカーテン等の目に優しい配色がなされており、心が安らぐ素となっている。

 

俺の呟きを聞いたのか、幽香は微笑みながら、俺に応えてくる。

 

「耕也、貴方の家は古過ぎるのよ。もう少し新しくしてみなさいな」

 

「まあ、そうだけども、俺は今能力は使えないし」

 

そういうと、少し目を見開いて口に手を当て、驚いたように此方に話してくる。

 

「ああ、そうだったわね。ごめんなさい」

 

俺としても、彼女に余計な気を使わせてしまったと考え、フォローする。

 

「いや、此方こそごめん。余計な事を言ってしまったね」

 

俺がそう言って幽香に謝ると、幽香は微笑みながら手をヒラヒラさせながら言ってくる。

 

「ふふふ、大丈夫よ。謝ることじゃあないわ。これからじっくりと直していけばいいのだから……」

 

と、言いながら幽香はクルリと俺に背を向けて、階段を上がっていく。

 

数段彼女が上がっていくと、此方を振り向いて見下ろし、言葉を放つ。

 

「ほら耕也、いらっしゃいな。貴方の泊るところを案内してあげるから」

 

俺はその言葉に何の疑問を持たずに、階段を上って幽香の後についていった。

 

階段を上っていくと、現れてくるのが非常に広いと思える廊下。ピンクに近いじゅうたんが敷かれ、足裏を温めてくれる。

 

これなら寒い冬もマシになるなと一人考えながら幽香の入ったドアへと入っていく。

 

「耕也の部屋は此処よ。どうかしら?」

 

まるでその部屋は、いつ俺が来ても良いように整備されていたかのように思えるほど整えられていたのだ。

 

俺は、幽香のあまりの手際の良さに少々驚きながら、幽香に対して返答していく。

 

「いや、これは本当にすごいね。前々から準備してくれていたように思えるよ」

 

と、当たり障りのないように言葉を選んで言う。

 

幽香は俺の言った言葉が気に入ったのか、微笑みながら俺に返答してくる。

 

「ええ、当たり前じゃない。ずっと住むのだから整えておかなきゃ」

 

俺は幽香の言った言葉に違和感を覚え、尋ねようとする。

 

「ああ、幽「耕也、下で紅茶でも飲みましょう? クッキーもあるわ。貴方が前に教えてくれた。」……はい」

 

俺は幽香の言葉に質問を遮られてしまったが、まあ、それほど気にする事でもないだろうし、おそらく俺の聞き間違いか、解釈をし損ねたのだと判断して、幽香の後についていった。

 

階段を下りて、幽香に促されるままに椅子に座っていると、幽香が非常に爽やかな笑顔で、此方に紅茶を載せたトレーを持ってくる。

 

「どうぞ」

 

と、上機嫌な声で紅茶を置き、テーブルの中央にクッキーの大皿を置く。そして幽香は大皿を置くと、俺と対面して座り、紅茶を啜り始める。

 

一口、また一口と紅茶を飲んでいき、カップをカチャリと置き陶器同士が発する接触音を出すと、微笑みながら口を開く。

 

「耕也、これからどうするか話し合いましょう?」

 

これは俺にとっても一番望んでいた事であり、早急にこれを解決したい事でもあった。

 

今はまだいいかもしれないが、もしこの状況が続くとなると、さすがにお互い気まずくなることもあるだろうし、さらには俺の力の回復手段も手に入れたい。

 

もしこのまま回復しなければ、俺としても陰陽師の仕事ができなくなるのは必至であり、非常に望ましくない。

 

だから、俺は積極的に幽香と話しあう事にした。

 

「幽香、願ってもない事だよ。力の回復はまず第一目標だと思うのだけれども」

 

そういうと、幽香は、ニッコリとしてゆっくりと頷き、答える。

 

「ええ、確かにそうね。でも耕也、それよりもここでの生活についても話さなきゃ」

 

確かに幽香の言う事も、最もである。此処で生活するに当たっては、彼女なりのルールというモノがあるだろうし、もしかしたら仕事を与えられる可能性もあるのだ。

 

働かぬものは食うべからず。まさにこの言葉が今の俺に当てはまるのだ。

 

「ああ、うん。そうだね、何でも言ってくれ。仕事でも何でもするから」

 

そういうと、先の笑みよりもずっと強くしながら、ゆっくりと頷く。

 

「嬉しいわ耕也。でも耕也、例えば貴方に仕事を頼んだとするわ。そうすると、貴方は外で仕事をしなければならなくなる。なぜなら私の頼む仕事は花達への水やりだから。もう分かるわよね?」

 

確かにそれは厳しいだろう。体力的にかなり厳しい。しかし、宿や飯まで提供してもらっているのにも拘らず、仕事をしないというのは流石に容認できない。

 

俺はそれについても彼女に話していった。

 

「な、なら部屋の掃除や食器洗いとかは……?」

 

しかし、幽香は首を横に振ってソレを否定してくる。

 

「駄目よ。この家の使い勝手は、誰よりもこの私が分かっているから効率的に考えても一人でやった方がいいわ」

 

そして幽香は、俺の方を見ながらさらに話していく。

 

「…………耕也、外は貴方にとって危険がいっぱいなの。お分かり頂けるかしら? そうね、……今後の事を私が言ってあげましょうか。貴方は外に出れば妖怪に殺されるのは確実。私は最近此処に来る輩を追い返したり、花の世話をしなくちゃならないから、貴方につきっきりでいるわけにもいかない。だから」

 

そういうと、幽香は先ほどとはまるで別人のような黒い眼をして脅すように言ってくる。

 

「この家から出ちゃダメよ?」

 

 

 

 

 

 

 

「え? あの、出たらダメって……いや、その……」

 

俺は幽香の言った言葉が理解できず、ドモりながら聞き返す。

 

すると、幽香は、その泥沼のように濁ってしまった目を隠さずに、さらに深い笑みを浮かべて答える。

 

「やっと見せてくれた……。……だから、貴方はこの家から出ては駄目。外は危険なのよ? 貴方は力が使えないのだから、ずっとここに居るしかないの…………」

 

俺はその幽香の言葉を理解し、思わず椅子から立ち上がってしまう。

 

しかし、なおも幽香は俺から目を話さずに話し続ける。

 

「私は貴方がいなければ駄目なのよ……。……ずっと思ってたの。貴方を手に入れたい。モノにしたい。永遠に交わっていたい……フフ」

 

そう言いながら立ち上がり、俺の方に近づこうとしてくる。

 

怖い、本当に怖い。恐怖で身体が硬直して動かない…………。領域を失ってから初めて分かる。妖怪として発する自然な恐怖と、独占欲からくる恐怖が複雑に絡み合ってくるのだ。

 

「いや……だ……」

 

幽香がゆっくり、ゆっくりと歩みを進めてくる。

 

「さあ、耕也……もう此処から出ちゃダメよ?」

 

その声に俺は何かが切れたのか、身体の硬直が解け、弾かれるように玄関のドアに向かって走り出す。

 

自分でも、どこに向かえばいいのか分からないまま、ノブを回して蹴り破るような勢いで外へと飛び出す。

 

目の前に広がるのは、いつもと同じ光景である黄色い絨毯。一面の向日葵畑。

 

だが、そんな景色を楽しむ間もなく、俺は何とかしてこの恐怖を鎮めたくて向日葵畑を駆け抜けて行く。

 

……一体どうしてこんな事に…。

 

走っている間にそんな考えが浮かび、思わず涙が出てきそうになる。

 

しかし、それも一瞬で思考を改めなくてはならなくなってしまった。

 

「うわっ――――!」

 

突然の衝撃に声が出てくる。そして次の瞬間に、右足が何かに強く引っ張られるような感覚がし、バランスを崩した身体はそのまま強い運動エネルギーを持ったまま、地面に強く叩きつけられる。

 

叩きつけられた際に腹部を強打したのか、喘息のように咳がでて、呼吸がしばらくできなくなる。

 

「な、何……が………?」

 

かすれた声でそう呟くと、掴まれた感覚のした右足へと視線を移す。

 

「マ……ジか…よ…ゲホッガホッ」

 

俺の視線の先には、右足に何かの植物のツルが巻きついていたのだ。

 

そのツルは、太いわけではなく、普通のナイフでもあればすぐに切れそうなほどである。

 

「ケホケホ……ナイフだ…」

 

俺はナイフが創造できないかを試していく。もうこれができなければ、俺は幽香に捕まり、一生外に出ることができなくなるであろう。

 

頼むからこれだけは…………っ!!

 

そう思いながら目を閉じ、意識を一瞬だけ強く強く集中させる。すると、不思議な事に何故か一瞬だけ意識が軽くなり、掌にズシリとした重みが来る。

 

急いで目を開けると、そこには綺麗なナイフがあったのだ。

 

「これで……」

 

俺は今ある力をナイフに全て込め、巻きついている蔓に向かって振り下ろす。

 

何度も何度も振り下ろす。やがて、ツルが根負けして切れてしまう。

 

「やった……」

 

そう力無く呟いた俺は、再び足に力を込めて走り出す。

 

……しかし、それはむなしくも叶う事は無かった。

 

先ほどよりも太いツルが、目の前の道を、布を縫うように複雑に縦横に絡み合って頑丈な壁を形成してしまったのだ。しかもその壁は、俺のきた道の横壁まで形成してしまったから、向日葵畑を突っ切る事ができない。

 

「…………何……で」

 

俺は蔓に近寄り、急いで叩き始め、さらには先ほどのナイフを突き立て始める。

 

しかし、先ほどの蔓よりも遥かに強度のある蔓は、ナイフの攻撃など歯牙にもかけぬほどであり、文字通り、全く歯が立たない。

 

俺はそれでも背後からくる恐怖から逃れたいがために、必死に素手で叩き始める

 

「頼むから……頼むから……」

 

そんな事を呟きながら叩いていく。無駄な事だと分かっていても、俺は逃れたいがために叩いていく。

 

だが、その悪あがきも後ろから聞こえてくる声によって中断せざるを得なくなってしまった。

 

「こ~う~や~…………?」

 

俺はその声のもとに身体を向け、蔓の壁に背を預けるようにして後ろを振り返る。

 

「ひっ……!」

 

すでに幽香は2m程まで近づいており、もはやそれがチェックメイトであるという事を如実に表していた。

 

「さあ、家に入りましょう? 耕也。…………もう出ちゃダメよ?」

 

そう言いながら俺にゆっくりと近づいて、ゆっくりと、されどしっかりと抱きしめてくる。

 

そして幽香はおもむろに俺の肩にまで顔を移動させる。俺が、何をやるのだろうという疑問を抱いた瞬間に、肩に鋭い痛みが走った。

 

「いっつっ――――!!」

 

そして離れた彼女の顔を見てみると、彼女の口元が赤く染まっていた。ソレを見た俺は、瞬時に理解し、さらに恐怖を増長させる羽目になってしまった。

 

それは誰が見ても明らかであるように、彼女の行った行為は勿論、俺の肩の肉を抉ったのだという事だった。

 

幽香は、歪んだ笑みを浮かべながら、顔をうっとりとさせて呟く。

 

「耕也の血って……あまぁ~い。……とってもおいしいわぁ~……」

 

そう呟きながら、流れ出す肩の血を舌で舐めとっていく。

 

その流れ出す血を舐めとっていかれる感触が妙に俺の心をざわつかせ、さらには恐怖感も伴わせるため、自然と目から涙があふれてしまっていた。

 

そして幽香は、ひとしきり血を舐めとった後、とても満足そうな顔をして俺に笑いかけながら喋る。

 

「ねえ耕也。……これでわかったでしょう? 貴方はこんなにも簡単な攻撃に対処する事ができないの。対処することすらできないの……分かるかしら?」

 

そういうと、スッと顔をよせて強く強く抱きしめてくる。

 

そして口を耳元にまで寄せて呟いてくる。

 

「だからあなたは私の保護が必要なの……ずっとずっと……永遠にね」

 

その言葉を聞いた瞬間に、首にチクリと何かが刺され、ゆっくりと意識が薄れていった。

 

「愛してるわ……耕也」

 

 

 

 

 

 

 

 

私にとって、耕也の存在は大きかった。とてつもなく大きかった。自分で制御できないほどの大きな存在だった。

 

今回の耕也の事情を知ると、自然と耕也を自分のモノにして、一生世話をしてやりたくなってしまったのだ。

 

だから、耕也のあの顔を見たときには、あまりの興奮に秘所から濃厚な汁が溢れてきてしまったほどであった。

 

私という妖怪を前にして恐怖の色を一つ見せなかった耕也。

 

それが今日、初めてその恐怖の色を私に見せたのだ。本当に愛しい顔であったのだ。

 

私がゆっくりと耕也に近づいて、抱きしめてあげようとすると、恐怖の顔を浮かべて逃げてしまう。

 

本来なら少し悲しい事だが、これも耕也がこの家で永遠に暮らすためだと考えると、全く悲しくならない。

 

だが、あの言葉は実に良く、私の心に潤いを与えてくれた。

 

「いや……だ…」

 

その言葉とともに耕也が逃げ出していく。

 

耕也が走る姿は、いつもと違って恐怖が滲み出ており、私にとってはこの上ないほど美しい走り方であった。

 

最早それは芸術の類であり、私はその芸術品を一刻も早く確保しなければという気持ちになってしまうのだ。

 

だから、少しずつ離れていく芸術品であり、私のすべてである耕也を手に入れるべく、耕也を転ばせてしまった。

 

転んだ耕也は非常に苦しそうな顔をしており、私の心が少し痛んでしまった。だが、これは仕方が無い事なのだ。耕也と永遠に暮らすためには決して外せない事なのである。

 

傷ついた芸術品は、価値が下がるという。しかし、それは世間一般の価値であり、見るモノにとってはそれは国宝を軽く凌ぐ宝にすらなるのだ。

 

そう、耕也はまさにその水準にある。私だけが耕也の価値を分かる事ができるのだ。そして私だけが所有していい芸術品であるのだ。

 

そして目を向けてみれば、転んだ耕也が蔓を解き、必死に逃げだそうとしている。でもここまでは全て計算通り。

 

私は能力を使用し、蔓で作った檻を形成して、耕也を閉じ込める。

 

無駄にあがく姿を眺めているのも非常に満足のいく良い光景ではあるが、やはり直に触れて愛でてやりたい。

 

私はゆっくりと耕也のすぐ後ろまで移動し、声をかける。

 

「こ~う~や~…………?」

 

すると、耕也は面白いように身体を反応させ、まるで壊れかけのカラクリ人形みたいな動きで此方を見てくる。

 

その表情は恐怖の色が色濃く滲んでおり、私は思わず叫び出して思いっきり抱きついてしまいたい衝動に駆られる。

 

それほど耕也の表情に愛しさを感じてしまったのだ。

 

だが、彼を手に入れる前に、一つだけしなければならない事がある。それは妖怪なら一部を除いて誰しもがしたくなる行為。

 

私は彼にそっと抱きついてやり、肩の肉をほんの少し抉ってやる。

 

「いっつっ――――!!」

 

そんな声が聞こえてくるが、私は彼の血と僅かな肉に酔ってしまったのだ。初めて口にした人間の血と肉。耕也は特別な人間であるからさぞかしうまいのだろうと思った時期もあったが、それは正しかった。

 

美味しい。あまりにも美味し過ぎる。さらに、秘所から高い粘度を持つ蜜が大量に溢れて、股を伝って地面へと流れていく。

 

私は耕也の血肉を味わった後、最後の作業に掛かる。

 

私が改良に改良を重ねた特殊な植物から抽出した特殊な効能を持つ薬種。

 

種の先端が尖っており、人間の首筋などに刺して種の部分を押してやると、中の薬液が侵入するというモノである。

 

効能は、一時の気絶の後、目を覚ました瞬間に強烈な媚薬効果と筋弛緩効果をもたらす凶悪なモノである。

 

これは、彼を私のモノにするには必要不可欠なモノ。

 

だから私は耕也に

 

「あなたは私の保護が必要なの……ずっとずっと……永遠にね」

 

そう言って注射をした。

 

「愛してるわ……耕也」

 

永遠に。永遠に。未来永劫この魂が砕け散ろうとも貴方を愛し続ける。私、風見幽香は大正耕也を、貴方を一生愛します。一生愛します。

 

永久に。永久に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

幻想郷には、綺麗な黄色の絨毯があると言います。

 

そこは一面が向日葵畑であり、管理人は優しい優しい妖怪である風見幽香。

 

彼女は困っている人間を助け、また積極的に人里の防衛や交流をします。

 

あまり彼女を知らない人は、よくこう言うそうです。

 

なぜ妖怪なのに人間を助けるのか? と。

 

ソレを聞く度に、風見幽香をよく知る人間は決まってこう口を開きます。

 

彼女を永久に愛する人間と、その彼を永久に愛する妖怪がいるからだ。と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そう、まさに風見優香と、風見耕也という夫婦が幻想郷に居るからこそ、人里と太陽の畑には活気と幸せがあるのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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外伝ss……調教

此方も同じく要注意です。


お前が特別であったからこそ……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、この状況をどう打破したものか。

 

俺は目の前に繰り広げられる光景を視界に収めながらそう考える。内心は非常に焦り、怯え、自分の力の無さに怒りを覚えているのだが、今はそんな余計な事を考えている余裕などない。

 

こうしている間にも、布団に横たわって息苦しそうに呼吸をしながら、大量の汗を掻いている彼女は死への道をひたすら走っているのだ。

 

「札ももう切れてしまった。……頼れる妖怪も陰陽師もいないしどうしたものか……!」

 

そう独り言をつぶやきながら、頭をガリガリと掻きむしる。

 

第一、もし仮に俺が陰陽師に頼ったとしても、都に知られれば確実に彼女も含めて殺されることになるだろう。

 

今の彼女の状態では、俺は守りきることは厳しいだろうし、何より彼女の正体が全国の軍を動員させかねないからだ。

 

俺はその事を考えながら再び彼女の容体を再び見始める。

 

顔は血の気が引き、大量の汗を掻きながら呼吸を激しくしている。そして顔の部分ではなく、頭や胴体などを見ていくと、人間には無い狐耳と、九本の黄金の尻尾が顔を出しているのだ。

 

それは紛れもなく彼女が九尾であるという事を物語っており、そして毛並みや血の気が引いた顔から、どれほど彼女が衰弱しているのかがよく分かる。

 

傷は札を使って塞いだはいいものの、足りない妖力を補う手段が俺にはない。早急にこの足りない妖力を補充しなければ、間違いなく彼女は衰弱死してしまう。

 

こう言う時に妖怪の友人がいれば良かったのだが、あいにく今はいない。……本当にどうしたものか。

 

最終手段としては、彼女をこのまま安楽死させるための手段を採らなくてはならない。

 

だが、それは本当に選びたくない手段なので、極力別の手段で彼女を助けてやりたい。

 

俺は今まで以上に頭を捻り、無理矢理解決の糸口を見出そうとしていく。

 

彼女の妖力を回復するのに役立つもの。……彼女らは日々の糧から妖力を得ているというのだけは分かる。

 

また彼女は、休むという手段でももちろん体力を回復させている。しかし、今回は彼女の体力等が著しく消耗し、通常の休むという行為では間に合わないのであろう。

 

今現時点で彼女の身体は、休むという行為によって急速に体力を回復を図っているが、それ以上に衰弱しているため、回復しきる前に彼女が死んでしまうと見た方がいいか。

 

とにかく、何の手段でもいいので、彼女の体力を急速に回復させる必要がある。今の衰弱の速度を遥かに上回る回復方法で。

 

と、そこで俺の頭に漸く一つの妙案が浮かんでくる。

 

となると、その手段は非常に限られてくる。孤立無援の中この状況を打破するには、この手段しかないのだ。と。

 

それは、人間の血肉である。彼女は妖怪であるのだから、人間の血肉を摂取する事によって急速な回復が可能であろう。

 

しかし、俺の肉は流石に与えるのは不可能だし、彼女も摂取することは不可能であると思われる。

 

なので、今回は血液による回復を図ってみることにした。

 

俺の頭の中に浮かんできたその手段を俺は実行するために、器具等を創造する。

 

今回の場合は、滅菌などの処理が必要な献血ではなく、あくまで彼女の口から摂取させるためなので、そこまで気を使う必要はないが、極力清潔なモノを使用する。

 

とはいえ、創造した時点では金など一つもついてないので、殺菌や滅菌もクソもないのだが。

 

俺は駆血帯等の道具を全て自動で作動させ、血液を抜き取っていく。

 

最初は200ccから。

 

俺はダラダラと、透明な管から流れていく自身の血のその遅さにもどかしく感じながら、早く流れろと脳内で呟く。

 

やがて、設定量の200ccに達したのか、自動的に針が抜かれ、脱脂綿を押しつけられる。その押し付けられた瞬間の鈍い痛みに顔をしかめながらも、血の溜まったコップを彼女の口元に持って行く。

 

対して血を抜いていないにもかかわらず、頭がクラクラする様な感覚を覚える。

 

これは、目の前の透明なプラスチック製の容器に自分の血が大量に入っているためなのだろう。自分の血が大量に入っているのを見ていい気分にはなれない。

 

俺は、自分の血をまるで今まで身体に入っていたモノではないかのような錯覚を覚えながら、彼女の口に血を極微量だけ流し込んでいく。

 

すると、血の匂いに刺激されたのか、荒い息をしながらも口を開けて血を胃に収めていく。

 

コクコクと彼女はコップの中の血を飲み干し、全てを空にしてしまう。

 

しかし、飲み終えた後でも彼女の容体にそれほどの変化は見られず、まだ血が足りないのだと言う事を如実に表していた。

 

俺はその事を理解すると、さらに血を飲ませていくために、さらに血を抜いていく。

 

そうして200cc抜き取った後、また彼女の口に運び、飲ませていく。

 

しかし、彼女の衰弱度は予想を遥かに超えていたようで、合計400cc程度の血液では到底回復など見込めなかった。

 

俺はさらに血を抜き、今度はさらに増量して400cc分の血液を抜いていく。

 

だが、成人の血液量は、5L前後。さらにその中の20%程を失うと、急性失血性ショックが起きる。しかし、この時点で俺はその事が頭から抜けてしまっていたのだ。

 

そして血を抜いていく間に、段々と頭痛がし、身体に力が入らなくなってくる。そして心臓の音がやけに大きく速く聞こえるようになり、汗まで出てくるようになる。

 

段々と出てくる血液の量が減り、ついには出てこなくなる。これで合計800cc分の血液を抜いた事になる。

 

つまりは……これ以上血を抜けないという事である。

 

急速に1Lの血液が抜かれると、人間は危篤状態に陥る。それより200mL少ないとはいえ、非常に多くの血を抜いたのだ。異常が起きない方がおかしい。

 

すでに領域が発動して、身体を保護しにかかっているが、それでもこの辛さを拭う事は出来ないようだ。

 

領域の力を借りて、何とか立ちあがって溜めた血液を彼女に飲ませに掛かる。

 

彼女は当初よりはマシになってきているとはいえ、やはりこの400ccの血を飲ませなければ、まだ危ない状態のようだ。

 

俺は震える手で彼女の口にプラスチック容器をあてて、流し込んでいく。

 

先ほどよりも回復しているせいか、飲み干していくスピードが速い。これは嬉しい事ではあるが、それとは逆に俺の身体がもうかなり限界に来ているのが露呈してくる。

 

「はぁ、……はぁ、…………かなり……きつ…い……」

 

そう言いながらも、彼女に対して血を流しこむのをやめない。彼女を抱き起している手ガクガクと震え、今にも意識が飛びそうになるが、それでも彼女を助けたいという気持ちがその体勢を維持させている。

 

やがて、彼女が飲み終わり、再び安定した呼吸をしながら布団に入っていく。

 

俺はそれを見届けると。さすがに体力の限界が来て、器具を消した後気絶した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

身体が異常に軽い。

 

一体何なのだろうかこの軽さは。これほど身体が軽く感じたのは生れて初めてだ。

 

妖力が月の関係で満ち満ちている時ですらも、此処まで身体が軽く感じた事はないし、ましてや今はこの誰とも知らぬ人間の住処に倒れているのだ。深い傷を負って。

 

これがあの世に行くという感覚なのだろうか? しかし、この世でやり残したことが多いのもまた事実。

 

だから、私は死にたくなどない。これが死ぬという事ならば、何て残酷な事なのだろうか?

 

ただ愛を渇望していた。私はそれだけで動いていたのだ。人間に愛されたいという唯その一心で。

 

確かに私は性急過ぎたのかもしれない。人間に対して無理矢理すぎたのかもしれない。だが、これはあんまりではないか。

 

私はその事を考えると、自然と心が締め付けられる感覚に陥り、涙が出てくる。

 

しかし、これでもう死んでしまうのだなと思うと、その涙も意味が無いように思えてしまい、涙を拭くために目を開ける。

 

すると、どういう事か、先ほどまでの異常な身体の軽さを持ったまま寝ているではないか。

 

私は信じられないと思いながら、覆いかぶさっている布団を退けて、身体を確かめていく。

 

しかし、私の身体にはあれほどの深い傷が跡形もなく、ところどころ破れた服が肌を露出させているだけである。

 

「い、一体……」

 

そう呟いた瞬間に口の中に違和感を感じる。

 

やけに甘い、というよりも旨みを感じるのだ。私は念のために口元を手の甲で拭って確かめる。

 

「これは…………血?」

 

私の手の甲には、赤い液体が付着しており、それが発する匂いと味で直感的に理解した。

 

「…………甘い」

 

おそらく口の中に残っているのだろう。口の中が血の味でいっぱいである。

 

この血は、おそらくこれから生きていく中でも決して味わう事ができないほどの、濃く、甘く、そして美味い血であると直感で感じ取っていた。

 

そして一体この血は誰のものだろうと思い、首を横に向けると、男が横たわっていた。

 

男は額に大粒の汗を浮かべながら、荒い息をしながら目を閉じて気絶している。

 

私は何故此処で荒い息をしながら、この男が気絶をしているのだろうかという疑問を持ちながら、少し身体を起こして彼の方へ近づく。

 

それと同時に、もしかして、彼が私に血を与えたのだろうか? という考えも浮かんでくる。

 

しかし、彼の身体に傷らしい傷は見当たらない。あるとしても右腕にある小さな赤い斑点のような傷。

 

これでは血を飲ませることなど不可能であろうと私は考えてしまう。

 

しかし、事実私に血が与えられたのであるし、それにこの家に目の前に横たわっている男以外の人の気配も感じられない。

 

だとすると、やはりこの男が血を与えてくれたという考えは、妥当であると考えた方がいいであろう。

 

それに、彼の容体が、大量に血を失った人間とそっくりな症状であるため、より男が血を供与したという考えが強固になってくるのだ。

 

私はこの濃厚な血の味をしばらく楽しみながら、この男をどう手当てしてやろうかと考える。

 

彼は命の恩人であろうから、さすがにこのままでは彼は衰弱死してしまう。

 

だが、私にできることといえば、私の寝ていた布団に寝かせてやるぐらいのことしかできないだろうし、ましてや私のような大妖怪の血を飲ませてやることなどできはしない。

 

もし仮に一滴でも飲ませると、彼はその妖怪の血に対して強い拒絶反応を示して、そのまま死んでしまう。

 

そこまで考えた私は、彼の身体を抱き、布団へ移送する。

 

依然として彼は息を荒げたまま玉のような汗を流して、意識を失っている。

 

これは、本格的に何とかしないとマズイと思うのだが、あいにく私にできることといえば、辛抱強くこの場で彼を見守っていることぐらいであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

しばらくの間、彼の看病をしていたのだが、やはり私も疲労などは拭えていなかったらしく、彼の布団に頭をうずめて寝てしまっていたようだ。

 

「……ん、…………んあ?」

 

その間抜けな声とともに私は目を開けて、身体を起こす。

 

初めの内は頭がボヤけて状況を把握する事ができなかったが、時間が経つごとに段々と頭の中がはっきりとしてきて状況の把握が可能となってくる。

 

「そうだ……私は――――っ!」

 

そう呟いた瞬間に、状況を完全に把握した私は彼の看病をしていたのだという事を思い出し、慌てて彼の顔を見やる。

 

彼は、昨日とは違って呼吸が安定してきてはいるが、まだ顔色は非常に悪く、今にも死んでしまいそうな弱さを見せている。

 

私はそこで、昨日から考えていた彼に気を送り込む事を決意した。

 

これは、私にとっても初の試みであり、上手く行かなければ彼は死ぬ。しかし上手くいけば彼は健康を取り戻すだろうし、私としても後味が悪くならない。

 

私はそう考えて、彼に覆いかぶさっている布団を剥がし、彼の胸に手を当てる。

 

「上手く行ってくれ……」

 

そう呟きながら私は妖力を気力に変換して彼の身体に流し込んでいく。

 

「何て量だ……!」

 

流し込む際に私はそう呟いてしまう。彼から血を分けてもらったおかげなのだろうが、単に身体に妖力が満ち満ちているという言葉では片付かない。

 

まるで無限の妖力があるかのように思えてしまう。そんな妖力が私の中から溢れているのだ。

 

此処までの妖力は、どう考えてもあり得ない。血を摂取したからといって此処まで妖力が増えることなど無いのだ。

 

私のこの身体にもたらされた妖力は、人間の血でもたらされたものではない。もっと別なモノ。遥か上の何かからもたらされたと言っても過言ではないのだ。

 

だとすると、この男は一体何者なのだろうか? 血に妖力は一切含まれていない。にもかかわらず、口内に残っていた血を飲んだ瞬間に莫大な妖力が生まれるのが分かる。

 

私は気を流し込みながらも、彼の事をずっと見ていく。正直なところ、彼には感謝している。あそこまで瀕死の状態だった私を此処まで回復させてくれたのだから。

 

しかし、同時に思う所が一つある。それは、あの血だったら1滴で私を普段の状態まで戻せたのではないだろうか? と言う事だ。

 

彼は1滴どころではなく、相当な量を私に飲ませたのだろう。だから此処まで妖力があるのだ。

 

私はそんな事を思いながら目の前の男の顔をさらに気を見て流し込んでいく。

 

やがて、男の顔色が血の気を帯びてきて、健康的な肌の色になってくる。

 

私はその事にひとまず安心感を覚えて気を送るのをやめる。

 

私は彼の胸にそっと耳を当てて、心音を確かめる。

 

「……よし、大丈夫だ。安定してる」

 

そう呟くと、私は男を少しだけ身体をずらし、一人用としては広いこの布団に潜り込んだ。

 

……この男なら別に大丈夫であろうと判断したのだ。自分の命が危険になるほど、私に対して血を注いでくれたのだから。

 

だから大丈夫だと判断した。私の事を九尾だと知っていたとしても。

 

 

 

 

 

 

 

「ま、眩しいな……朝か」

 

目を開けたらすでに夜は明けており、窓から差し込む光に目がくらんでしまう。

 

また目が覚めた瞬間に、気絶する前の事が鮮明に頭に浮かびあがり、一気に飛び起きようとしてしまう。

 

しかし、その瞬間に力が入らくなったうえに、横から何か強い力で引っ張られる感触がして、再び布団へ横たわってしまう。

 

「いっつ……?」

 

俺はその方向に頭を向けて、首をひねると、何故か藍が首に抱きついて寝ていた。

 

事態が全く把握できない俺は、彼女の腕を外して、彼女を元の位置に戻そうとするのだが、これがまた上手く行かない。

 

外そうとすればするほど首に強く強く腕を回して、抱きついてくるのだ。

 

しかし、彼女が本来ならけが人なのに俺が貧血程度で此処に居ては流石におかしい。まあ、俺も結構な血を失ったのだろうが。

 

「独りは……い……や…」

 

と、彼女から小さな声が漏れる。ソレを聞いた瞬間に、彼女が愛されたい。と、うわ言のように呟いていたのが思いだされた。

 

彼女はやはり此処に来るまでは、ずっと孤独であったのは間違いないようだ。

 

俺は彼女の境遇を考えると、解こうという気持ちが一気に薄れ、解きに掛かっていた手の力を緩めて今度は彼女を強く強く抱きしめてやる。

 

そして片方の手で頭を撫でながら、もう片方で背中をポンポン撫でるように叩いてやる。

 

「独りじゃあ無いから……大丈夫だよ九尾さん……」

 

と、一言言ってあげてさらに撫でていく。本人が起きていたら、おそらく恥ずかしさだけで死ねるだろう。それほどまで柄にない事を言っている。

 

彼女が寝ているからこそ俺は言えるのだ。

 

ただ、彼女がこのまま寝ていると、俺は起きることができない。

 

「二度寝も……偶には良いか……でも、後で聞かなくては……」

 

そう言いながら再び目を閉じていった。

 

 

 

 

 

 

 

顔が熱い。本当に熱い。おそらく誰が見ても分かるであろう私の顔の色。真っ赤っかであろう。

 

彼が再び眠った事を確認すると、先ほどの彼に掛けられた言葉が頭の中に反響してくる。

 

九尾の私に対して……大丈夫だよ……。と。

 

本当は寝ているはずだったのだが、どうしても寝つけず彼の言葉を聞く羽目になってしまったのだ。

 

私の正体を知ってこんな言葉をかけてくれた人間は初めてだ。嬉しい。素直にうれしい。

 

心臓がバクバクいっているのがわかる。心の中に温かいモノがじんわりと広がって、満たしてくれるのが分かる。そしてその温かいものは、すぐに頭のてっぺんまで満たし、ツ~ンとした心地よい快感を与えてくれる。

 

私はそれを素直に享受し、顔を綻ばせる。

 

自分でも笑っているのが分かるほどの、だらしなく頬を緩ませているのだ。

 

今まで私を愛してくれた人間はいたが、本来の姿を見た瞬間に態度を豹変させて憎悪の塊をぶつけてきた。

 

だが、この男はどうだろうか? 全くもって憎しみなどを表さず、むしろ優しさのみを私に与えてくれたのだ。

 

おそらく私が怪我などによって意識を失って九尾の証である尻尾などを晒している間も、彼は何も私に攻撃を加えずに看病してくれた。

 

それが他の人間との違い……。

 

私はこの嬉しさがどうにも抑えきれなくなってしまったので、寝ている彼に向かって呟く。

 

「なあ、人間。…………優しい優しいお前の名前は……なんだ?」

 

冗談で呟いたつもりだったのだが、何の因果か彼は私の言葉を聞きとっていたらしく、小さな声で呟いた。

 

「大……正…耕………也……」

 

私はその声を聞いた瞬間に思わずピクリと弾けるように動いてしまったが、彼の名前を聞けた事による嬉しさが驚きを上回って、その場で再び顔を崩してしまう。

 

「こう……や。…耕……や…耕也…。耕也」

 

耕也の名前を呟く度に、さらに心が温かくなっていくのが分かる。一体自分がどれほど迫害されてきたのかを思い出すと、この優しさはあまりにも甘い毒である。

 

心を蕩かす甘い毒である。もはや私には解毒のしようが無いほどの甘い毒である。

 

この甘い毒に私はいつまでも浸かっていたいという気持ちにされるのだ。

 

この甘い毒は、甘い毒は、甘い毒は…………。

 

本当に今回ばかりは私も辛かったから……。辛すぎたから……。

 

「しばらく……泣かせてくれ……」

 

そういった瞬間に、今までの辛さが鉄砲水のように溢れ出し、涙を流させていく。

 

私は耐えきれなくて、耐えきれなくて、耕也にさらにさらに強く抱きつき、声を殺して延々と泣いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

しばらくの間彼に抱きついて涙を流した後、今度は彼の匂いを胸一杯に吸い込んで匂いを覚えようと思った。

 

私は出会ってから初めての男に、此処まで露骨な行為に及んだことはなかったのだが、彼が飲ませてくれた血にその効果があったのか、それとも血に効果そのものはなく、彼の血を飲んだ事による背徳的な快感がそれの背中を押してくれているのだろうか? どちらにせよ彼の血の匂いが気になって仕方が無いのだ。

 

どちらにせよ、適当な理由をつけて彼の匂いを嗅ぐ事を正当化しようとしているのだ。ただ、この匂いを嗅ぐ事は私にとっては自然な事なので、そこまで外れているわけでもない筈だ。

 

各地で大妖怪と言われているが、実際のところは妖獣の類であるため、匂いを嗅ぐ事は自然なのだ。

 

と、私は心で必死に正当化しながら、彼の胸や首筋に顔を当てながら、胸一杯に彼の匂いを吸い込んでいく。

 

その匂いは、まるで媚薬か麻薬か、それとも霊薬か。どれとも思えるほどの匂いを持っており、私の神経を蕩かせて行く。

 

これがどうしてこんなに私を蕩かすのかは分からない。私が完全に発情してしまっているのか。それとも彼の匂い自体が私にとっての媚薬作用を持っているのか。

 

だが、どちらにせよこの匂いは私にとって心地の良いものであり、ずっと嗅いでいたいと思うほどのモノである。

 

そして嗅いでいく内に、私は自分の身体が今まで以上に火照ってしまっている事が分かった。

 

「これは……マズイな…」

 

今この場で濡らしてしまったら、後処理が非常に面倒になる上に、彼に知られたら後々が気まずくなるであろう。

 

私はどうにかそれを我慢して、彼を起こすことにした。

 

しかし、彼は私のせいで二度寝する事になってしまったのだから、中々に起こしづらい。

 

だが、さすがにこのままお互いの面識が無いのもマズイのもまた事実。

 

ただこの事を思いながら私は彼を揺り動かす。

 

「耕也……起きてくれ。もう日がかなり昇っているぞ?」

 

すると、彼が寝てからそこまで時間が経っていなかったためか、一回目の揺すりで彼は眠たそうに目を擦りながら薄く開ける。

 

そしてしゃがれた声であ~だの、う~だの言って身体を起こして私の方を見る。

 

状況が把握しきれていないのか、フルフルと首を回して周りを見渡す。そしてまた私の方を見る。

 

その様子が何だか滑稽であり、私の中から笑いがこみあげてくる。九尾の私を前にしてここまで無防備な姿を晒している人間を見るのは初めてであるからだ。

 

私はその笑いを抑えきれなくて、クスクスと笑っていると、彼は漸く脳が活性化したのか、驚いたような顔をして、此方の肩をガッシリと掴んで焦ったような口調で聞いてくる。

 

「ええと! ……だ、大丈夫ですか? た、体調などはどうですか!? お狐様」

 

と。

 

聞かれた私の方が焦ってしまうくらいの口調で言われてしまうと、こちらとしてもどう答えていいのかその時機がつかめない。

 

だが、何とか私は口を開いて彼に言う。

 

「あ、ああ。……大丈夫だ」

 

と言ってくると、彼は私を抱きしめてくる。その行為はさらに私を混乱させ、同時に恥ずかしさを増長させるものとなった。

 

しかし

 

「よかった……本当に良かった…もうどうしようかと……」

 

彼が言ってきたのは安堵の言葉であり、私は要らぬ心配をしてしまったという事を認識させられた。

 

そして私はその言葉を聞いた瞬間に、抱きしめられた際の混乱が無くなり、恥ずかしさは嬉しさへと一気に変わっていくのが分かった。

 

そしてこう思ってしまう。本当に変わった人間だなと。優し過ぎる人間なのだなと。そう思ってしまう。

 

しばらく耕也に抱きしめられていると、突然耕也の抱きしめてくる力が抜け、今度は私に体重をかけてくる。

 

私はそれを不思議に思い、少しだけ支えてやるが、彼の力は一向に復旧しない。

 

耕也に何かあったのではないかという焦りが生じ、彼に少し大きめの声で言ってしまう。

 

「ど、どうしたんだ耕也? 力が入ってないぞ?」

 

というと、耕也は力のない声で私に呟いてくる。

 

「す、すみません。力が出なくなってしまいまして。……それと、何故自分の名前を?」

 

おそらく血が足りないからであろう。いくら気で補助をしているからといって、彼の身体に血が戻るわけではない。

 

今もまだ貧血の状態が続いているのだ。その状態で私を抱きしめるなどといった行為をすれば、それに身体がついて行けなくなるのは容易に想像がつく。

 

しかし、彼は自分の身体の事を私に一切言わない。私が気にするという事を察してくれたのであろう。

 

私はその事にまたさらに喜びが湧いてくるのを感じながら、今度は私が彼の頭を撫でて、強く抱きしめてその彼の疑問に対する答えを教えてやる。

 

「自分で呟いていたのさ。すまなかったな。起こしてしまって。……さあ、ゆっくりと休むがいい」

 

そういうと、耕也は安心したような吐息をして。

 

「ありがとうございます。……しばらくしたらお願いします」

 

と、私に言ってくる。

 

私はそれを聞きながら、耕也を布団に寝かせようとする。

 

「そうだ、私の名は、玉藻前だ」

 

唐突に名前を言っていないのを思い出した私は、もう眠りにつくであろう耕也に向かって自分の名前を言った。

 

すると、彼も私に返事をして、自分の名前を改めて言ってくる。

 

「自分は……大正耕也……です…」

 

私は彼の名前を聞くと同時に笑みを浮かべて彼を自分の身体から離していく。

 

ふと、彼の目線が気になり、その方向に目を向けてしまう。視線の先では、彼がしきりに左手を握ったり開いたりしている様子が見られた。

 

私はそれに違和感を感じ、彼に尋ねようとしたが、次の瞬間にはダラリと手が落ちる。すなわち、彼が寝てしまったという事を表していた。

 

その姿に何とも言えない複雑な気持ちを抱きながら彼を寝かせた。

 

そして私の中で決心がついた。恩返しに、耕也の全てを世話しよう。……と。

 

 

 

 

 

 

 

彼を寝かせてから数刻。私は耕也には悪いと思いながらも、少し家の中を見させてもらっていた。

 

見た事が無い家財道具がある事には、非常に驚かされたが、手探りで使ってみると、その利便性に私はさらに度胆をぬかされることになった。

 

取っ手を捻るだけで出てくる清水。小さな取っ手を捻るだけで出てくる青白い炎。私が見て来た調理器具を遥かに超える精巧さと利便性がそこに実現していた。

 

しかし、さすがに無闇に弄繰り回して壊してしまったなんて事になったら、目も当てられない状況になるのは間違いないので、私は洋盃に水を入れて居間に移動する。

 

この居間と思われるこの部屋は、日ノ本にあるような家屋の雰囲気に似ているのだが、それでもどこかしら違う空気を漂わせている。

 

それがどうしても私の心を騒がせて、その場でゆっくりする事ができない。やはりこの環境は私にとっても初めてであるし、耕也が感知するまでの数日の間、私は落ち付いて生活ができなそうだ。

 

ふと、そこで自分の思った事に一つの引っかかりが生じる。

 

私はその引っ掛かりが気になり、自分の考えていた事を洗い出して、見つけていく。

 

環境……近いが違う。雰囲気……これも違う。数日……当たってそうで当たってなさそうな。生活……これだ。

 

思い付いた言葉に私は合点がいき、生活という言葉について次々と思い浮かんでくるモノがある。

 

私の最終的な目的は、自分の真に愛せる人間を見つけ、子を成し、共に鬼籍を賜る事。

 

今まで怪我の事などで忘れていたが、今思い出された瞬間に焦りなどが生まれてくる。

 

私はその焦りを認識した瞬間に、一気に色々な負の考えが生まれてきてしまい、頭を抱えたくなってきてしまう。

 

その中でも重要な事が二つ、私の頭の中にこびり付いて離れてくれない。

 

まず、この国に私の居場所はない。殺生石に封印されたのだから、当然のことながら、国中に知られているはずなのだ。

 

だからどこに行こうが人間と一緒に暮らせることなどできない。

 

そしてもう一つは、耕也の事である。耕也がこれを善意でしてくれているのならこれほどうれしい事はないのだが、もし耕也が都と大きく繋がりのある人間であり、私を生け捕りにするために助けたとしたら? という考えである。

 

もしそうなら私はもう人間を信じることができない。だが、私は耕也の事を信じたいのだ。彼が九尾である事を知りながらも、善意で助けてくれたという事を。

 

同時にもう一つの正の考えが浮かんでくる。

 

それは、私の目的に適合している人間が、耕也である事だ。これも先ほどの善意でやっていると仮定した場合の事である。

 

でも、それでも私は耕也を信用してしまっている。こんなに短い期間にも拘らずにだ。

 

私は耕也の血を飲ませてもらったという事実があるのだから、耕也は善意でやってくれたのだと断定したい。

 

生け捕りにするためとはいえ、自分の命が危険になる行為をしてまでやるとは思えないのだ。たしかに逆もあり得るが、それでも後々の行動からすれば善意でやってくれたと断定した方がずっと現実味を帯びている。

 

私はこんがらがりそうな頭を撫でながらこれからの事を考えていく。

 

とすると、彼を看病する数日はこの家にいられる。……しかし、問題はその後である。

 

彼が完治したら私がここに居る意味が無いのだ。居る意味が無くなってしまうのだ。

 

出会って短い時間しかたっていないが、私は彼の傍を離れたくなくなっていた。

 

そして同時に危険なことも考えていた。それは

 

「また……飲んでみたい」

 

彼の血の事である。

 

僅かに口の中に残っていた分でもあそこまで身体を火照らせ、甘く、まろやかで、美味く、危険な血などこの世に存在などしないだろう。

 

しかし、これは彼を手に入れるまではお預けである。

 

だが、彼を手に入れるにはどうすればいいのか?

 

実際の所、彼にこの抑えきれそうにない想いを伝えた所で、拒否されるのが目に見えているし、何より混乱させるだけである。

 

だが私は彼を手に入れたい。なるべく早く。いや、今すぐにでも手に入れたい。

 

何故ここまでの感情が急に宿るのか不思議ではある。だが、原因は疾うに分かっている。それは、初めての優しさに触れてしまったからだ。

 

おそらくこの優しさに触れてはいけなかったのだろう。この優しさに触れてしまったからこそ今の私は、感情が抑えきれなくなっているのだろう。

 

もうどうしようもない。どうしようもないのだ。

 

あの布団の中で味わった心地よさを無くしたくはない。たった数日だけの夢で終わらせたくはない。

 

もっと味わっていたい。ずっと味わっていたい。永遠に味わっていたい。

 

そう私は、今考えている事が正しい事なのだと考え、その思考を加速させていった。

 

彼が私の伴侶となれば、私の力にもなってあげられるし、私も念願の家族を成す事ができる。良い事づくめではないか。

 

考えれば考えるほど、この熱い感情は燃え上がる様に熱くなっていく。

 

私はそれでもこの熱い感情を冷まそうと、冷たい水を呷るが、全くの役に立たない。

 

むしろそれは、油となってこの熱いモノをより一層燃え上がらせていく。

 

手に入れたい。モノにしたい。……だが、自信が無いのだ。自信が。

 

確かに今までは男性に愛された事もあった。だが、そのすべてが失敗に終わっているのだ。だから正攻法では無理であると思っているのだ。

 

ならばどうすればいいのか? 正攻法ではない方法で手に入れればいいのだ。

 

そう、不正攻法で。

 

私はもうすぐ彼が手に入る事を確信したため、自然と口が歪み、笑い声を出していた。

 

「……ふ、ふふ………ふふふふ」

 

 

 

 

 

 

「……こう…や…………こうや……耕や……耕也」

 

と、妙に艶のある声で話しかけてくる者がいる。

 

一体何が起きたんだと思いながら、俺は眠りから引き上げられ、目を開ける。

 

見ると、藍が微笑みながら、布団のわきに座って、俺の身体を揺り動かしていた。

 

まだ寝足りないせいなのか、やけに気道が狭く感じ、その所為で咳をしてしまう。

 

「ケホッケホッ……」

 

そして、咳をした後に藍の方を見て何事かを尋ねる。

 

「た、玉藻さん? …………いかがいたしました?」

 

というと、藍は俺の方を見て少し不安そうな顔を近づけてこう言ってくる。

 

「耕也……、お前は私を都に引き渡すために助けたのか?」

 

そう聞いてくる。だが、俺はそのつもりなど全くなく、即座に首を振って否定する。

 

「そんなバカな。確かに俺は陰陽師ですが、報告なんてしませんよ。玉藻さんは悪い妖怪ではないと分かっているので」

 

否定したは良いが、彼女を不安がらせてしまったという罪悪感が浮かび上がってくる。

 

確かに助けたは良いが、彼女に俺という人間がなぜ助けたのかという事や、さらには応急処置とはいえ、血を飲ませてしまった事などの行為や理由が彼女に不安を募らせる原因となったかもしれないのだ。

 

人間が妖怪を助けるなんてことはあり得ない事であり、もし助けるとしても賞金や謝礼目当てだと判断するのは必然である。

 

この時代に厚意で妖怪を助ける……他の人間に殺されるだろう。俺はそんな行為をしているのだ。

 

しかし、俺の行動が間違っているとは思えない。

 

と、そこまで思っていると、藍が先ほどの不安そうな顔を吹き飛ばし、満面の笑みを浮かべて此方にすり寄ってくる。

 

「すまないな耕也。……疑ってしまった私が悪かったよ」

 

そう言いながら藍は俺の両手を掴んでくる。

 

その顔には嬉しさ以外の表情はなく、どれだけ安心したかというのを如実に表していた。

 

俺はそれについてさらに罪悪感が湧いてきてしまい、思わず謝ってしまう。

 

「いえ、此方こそ不安にさせてしまって申し訳ありませんでした」

 

だが、俺が謝ると、ニッコリとして首を横に振り、俺の顔を見ながら言う。

 

「謝る事はないぞ耕也。感謝しか私にはできないのだから」

 

そして藍は俺の方にさらにすり寄り、両手を使って抱きしめてくる。

 

俺は彼女の甘い体臭と、大きな胸が当たり、ドギマギしてしまう。

 

だが藍はそんなことも分かっていたようで、微笑みながら口を開く。

 

「ふふ……耕也、一つだけお願いを聞いてくれるか?」

 

俺は彼女の方を見て、了承の返事をする。

 

「はい、自分にできる事でしたら」

 

すると、藍はより一層笑みを深くする。それはかえって不気味と思えるほどに。

 

そして

 

「耕也。私のモノになってくれないか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

俺はその言葉に耳を疑ってしまう。

 

今のは一体何だったのだ? と。

 

彼女と会ってから時間があまり経っていないにもかかわらず一体何故彼女が俺をモノにしたいと言い出すのだろうか。

 

俺はただ彼女の救護をしただけであり、さらに言えば俺は今の今まで寝ていただけなのだ。

 

突然の事態に困惑しながらも俺は彼女にその真意を聞いていく。

 

「あの……なぜ……?」

 

すると、彼女は微笑みながら此方の質問に答えてくる。

 

「それはなあ耕也……お前だからだよ。私に此処までの事をしてくれた人間は初めてなのさ。お前が寝ている間に色々考えたのだ。お前が欲しい。お前の血も欲しい。お前と交わり続けたい。お前と子を成したい。そして……」

 

そして耳をピンと立てて此方を慈愛の目で見つめて一言つぶやく。

 

「ふ、ふふふ……ふふふふ。お前は永遠に私のものだ……」

 

俺は思わずその言葉に

 

「ひ…ぃ………っ」

 

と、恐怖の言葉を言って後ずさってしまい、次の瞬間にその行為を後悔する事になってしまった。

 

俺が後ずさると、藍は非常に残念でならないというような顔をして、此方に近づいてくる。

 

「残念だな耕也……。お前なら私を受け入れてくれると思ったのだが……仕方が無い。耕也」

 

そういうと、まるで悪魔のような笑いを浮かべ、目からは光を無くしながら言う。

 

「ふふふ……、教えてあげよう。私の素晴らしさを」

 

そういうと、一気に掴みかかってくる。

 

俺はその行動に対して瞬間的に危機感を覚え、都へとジャンプを敢行しようと力を込める。

 

力を込めた瞬間に、景色がすっ飛び、次には轟音とともに背中に激痛が走る。

 

「ぎゃ……あ……!!」

 

あまりの痛みにしばらく呼吸ができなくなる。

 

俺は霞みそうになる視界を必死に維持しながら自身の身に何が起こったのかの把握に努める。

 

先ほどの衝撃のせいか、痛む首を回して見まわしてみると、此処は自分の家であるようだ。

 

しかも目の前に藍がおり、先ほどの布団とは反対側に居るという事まで分かる。という事はジャンプが失敗し、襖に激突したと考えた方が適当であろう。

 

藍は、布団の方から此方の方へと首だけを回してニヤリと嗤って立ちあがり、ゆっくりと近づいてくる。

 

「耕也。……私と追いかけっこでもしたいのか? ……いいぞ? 私が捕まえてやろう」

 

俺は痛みをこらえながら、震える足で立ち上がり、何とか玄関まで歩きだす。

 

だが、歩きだして数歩で足の震えが酷くなり、また貧血もあったためか、その場で倒れてしまう。

 

しかも、何故か藍に血液を供給した時から領域が作動しない……。

 

俺は一体どうなっているのだ? という疑問が頭の中を駆け巡り、また藍に対する恐怖がドンドン増してきているのが分かり、足の震えではない震えが身体を支配する。

 

しかし、何とか立ちあがり、一歩を踏み出そうとした瞬間に身体に何かが巻き付き、一気に後ろに引っ張られる。

 

俺はその発生したGに、身体の痛みが再発し、顔をしかめてしまう。

 

そして引っ張られた直後に、脇から両腕を回され抱きつかれる。

 

「つ~かま~えた…………」

 

俺はあまりの声のおぞましさに両目から涙をボロボロ出してしまい、身体をガタガタ震わせてしまう。

 

しかし、怯えている暇など無く、無理矢理正面を向かせられる。

 

だが先ほどとは打って変わって藍の顔は妖艶さを存分に発揮しており、その魅力を俺に叩きつけてくる。

 

藍は俺の頬を人さし指で触れ、流れる涙を拭って言う。

 

「大丈夫だ耕也。私はお前と契るだけ……ただただ気持ちが良いだけだからな? 壊れることはない。ただ、私だけしか考えられなくなるだけだ。……安心だろ?」

 

そういうと、尻尾と共に強く強く抱きしめてくる。

 

俺はその言葉に、全く安心感などせず、ただただその言葉に恐怖するだけであった。

 

「いやだ、嫌だ玉藻さん……やめてくれ藍!」

 

うっかりその名前を口にしてしまった俺は、次の藍の睨みで身体を縮ませる事になってしまった。

 

「おや、……私の前で他の女の名前を出すとは…………全く感心しないな。ふふふ、これは少し強めにしなければならないな……いや、うんと強めにな」

 

「いやだ、やめて……お願いだから……壊れる……」

 

だが、俺の言葉など藍のブレーキになることなど無く、むしろ燃料を注ぐ事になっていた。

 

「安心しろ……。ふふ、お前が快楽に歪む顔が見られると思うと……」

 

俺はそのまま居間へと戻されていった。

 

 

 

 

 

 

 

「あー……うあ、……あああ……あー」

 

一体何度膣内に出されたのか分からない。自分でもどれほど搾り取ったのか数えていない。

 

「ふふふ、。おや、また出たぞ? もう少しお仕置きが必要だな……」

 

そう私が彼に声をかけると、彼はもう意識を保つことすら限界に近いのか、小さな声で懇願してくる。

 

「や……め…て…」

 

だが私はその声を聞くと、彼をもっと求めたくなってしまい、再び彼のを締め上げる。

 

まだまだ夜は長い。耕也も壊れはしないだろうし、気を送っているから涸れることもない。

 

私はその事を考えると、彼に見えない所でほくそ笑み、子種の温かさを存分に感じることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日ノ本では、その年大きな干ばつがあり、作物ができない状態となる事は必至であった。

 

また前の年でも、凶作であったために日ノ本の備蓄量は少なく、大飢饉に見舞われると誰もが予想し、絶望していた。

 

だが、田植えなどの時期に差し掛かり、その大飢饉が目の前に現実を帯びてきた時に、奇跡は起こった。

 

まるで予め管理されていたかのように、雲ひとつない空から大粒の雨が降って来たのだ。

 

多すぎず少なすぎず。作物にとっては良好な水分量となり、全ての農民がこれを喝采で迎えた。

 

そして人々が自然と口にしていった。

 

これが狐の嫁入りというモノなのか。と。

 

 

 

 

 

 

 

 

「愛してるぞ耕也……」

 

「はい、玉藻さん。愛してます」

 

 

 

 

 

 

 

 



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外伝ss……誘拐

貴方が側にいてくれるからこそ……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私の無理矢理の勧誘、そして誘拐までして自分の式にしようとした私だが、まさかの耕也は私に対して怒るようなことはせず、逆に色々と優しくしてくれたのだ。

 

私はそれがうれしくてうれしくて仕方が無く、彼に友人としての付き合いを申し出た。

 

無論彼はそれを快諾してくれ、そのまま私達は親友として歩み始めた。私にとっては、幽々子の次にできた親友であり、男としては初めての親友であった。

 

しかも彼は人間で、私は妖怪であるにも拘らずだ。そして今まで私と対峙してきた人間は、私に対して明らかな敵意と殺意を差し向け、殺しにかかって来たのだ。

 

私が何かをしたわけではないというのに……。

 

だが、私が耕也と友人になれたというのは非常にうれしい事である。非常にうれしい事ではある。

 

しかしそれだけでは私の欲を満たす事ができなくなってきてしまっている。

 

幽々子ならまだ色々と違うのでそういったものはないが、彼は人間なのだ。

 

私は他の妖怪と存在なども一線を画しているとはいえ、妖怪である事には変わらない。だから、人間に対して様々な欲を抱いてしまうのだ。

 

食べてみたい。その肉体の隅々を犯してしまいたい。血を啜りたい。魂を取り出して愛でてみたい。魂を食べてしまいたい。

 

そんな欲求が出てくるのだ。

 

いや、これは耕也と出会ってから急に現れてきたと言った方が正しいだろうか? 今までは人間などに興味はなく、ただただ世の流れに身を任せてきた部分が多かったが、幽々子と出会い、耕也と出会ってからすべてが変わっていった。

 

この変わったという感覚が、今の私の欲求を生み出しているのだろう。

 

私は、自身の保有する屋敷で寝転がりながら耕也について考えていく。この欲求をどうしてくれようか。と。

 

だが、彼を式にしたいという気持ちは、当初でこそそこまで大きくはなかったのだが、日を追うごとに大きくなっていくのが自分でもはっきりと分かる。

 

彼の前でそういった態度を出すのは逆効果であるのは分かっているから、私はそこまで露骨に態度を表しているわけではない。

 

ただ、彼と一緒に居ると、どうしても自分の気持ちや欲求が抑えきれなくなるという事だけは事実なのだ。

 

彼と同じ空間に居るだけで。彼と同じ空気を吸っているだけで。彼と一緒に食事をするだけで。彼と一緒に笑うだけで。彼と一緒の屋根で寝るだけで。彼と一緒に料理をするだけで。彼と話すだけで。

 

その身体を攫ってしまいたくなるのだ。誘拐したくなるのだ。本当に自分のモノにしてしまいたくなるのだ。

 

だから今日も私は彼の所に行く。

 

自分の気持ちに気がついてくれるように。彼から私のモノになると申し出てくれるように。私なしではいられなくなるように。私が何よりの一番なのだと気付いてくれるように。

 

「こんにちは耕也。今日は何かあったかしら?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

紫がスキマから顔を出してそう言ってくる。

 

このようなパターンは数えるのが面倒くさくなるほど多いが、偶には玄関から礼儀正しくお願いしたい。

 

まあ、彼女も俺との中がそこまで堅苦しいものではないと思っているのだろうし、彼女もまた俺にそのような信頼を寄せてくれているのは分かるので、俺はそこまで気にはしない。

 

親しき仲にも礼儀ありという言葉が一瞬浮かんだが、それは妖怪に適用できるものではないなと処理して、彼女を快く出迎える。

 

「おお、今日もそれで来訪か。全く、便利なもんだねそれ」

 

そう言って俺がお茶らけたように両手をすくめると、彼女はコロコロ笑いながら此方に返答してくる。

 

「ふふふ、それは私だからこそですわ。耕也。……でも、貴方の力の方がよっぽど便利じゃないの」

 

そう言いながら俺の方を指さしてくる。

 

まあ、彼女の言いたい事は分かる。が、どれが便利なのか今一想像がつかないので、少し考えてみる。

 

まず最初。俺の力の一つである外部領域は相手のもとの身体能力以外の神秘などを根こそぎ奪い、赤子同然のようにできる。

 

それに加え、皮膚表面を覆っている内部領域は外部領域の効果に加え、物理的な攻撃も防ぐ事ができるのである。

 

紫は確かに次元を操ることはできる。しかし、所詮は二次元内の次元を操ることしかできない。二次元の四次元。二次元の十一次元。と言った具合に。

 

現実世界に干渉などとてもとても。アリと象の力比べよりも遥かに格が違うのだ。真の意味での次元が。

 

モニターの中のキャラがどんなに騒ごうが、喚こうが、世界を滅ぼす攻撃を撃とうが、モニター外の人間に害など一つもないように。

 

それと同じ事なのだ。俺の持つ領域とは。

 

だから俺はこの領域を重宝し、便利なものだと紫に言っている。

 

それに加え、彼女の言っている事には此方の事も含まれるのではないかと考えてみる。

 

ジャンプ。

 

これは、見た場所や写真に映っている場所。そういった俺が目にし、行った場所ならいつでもどこでもいける。文字通り一瞬で。

 

そして創造の力についても言及しているのではないだろうかと考え、改めて確認してみる。

 

これは常に現実世界から、一方的に送られてくるカタログなどのような情報が頭の中にあり、ソレを基に様々な物質を創造する。唯それだけ。

 

ただ、彼女は便利だと言ってくれてはいるが、この中でジャンプが最も燃費が悪く、体力などをすぐに使い果たせてしまうほどのモノなのだ。

 

だから、今回彼女の言っている便利という部分は、領域の事ではないかなと思い、その考えの通りに言った。

 

「え~と、領域の事ですか?」

 

と言うと、紫は首を振り、屋根を指さしながら言ってくる。

 

「違うわよ。創造の方よ耕也」

 

俺はその言葉に疑問を持ち、彼女に尋ねることにした。

 

「なぜですか? 領域の方が遥かに便利だと思うのですが……」

 

そう、創造よりも遥かに便利なのだ。敵の攻撃は食らわないし、敵の能力は封じられる。今まで俺が生きてこれたのはこの力のおかげなのだ。

 

だから、紫の言った事に疑問を持つのは仕方のない事だった。もし俺がそう質問されたのなら、もちろん領域の方が便利だと答える。

 

しばらくそんな事を考えながら紫の答えを待っていると、紫はため息を吐きながら口をへの字にして言ってくる。

 

「あのねえ耕也。貴方の力を私が身につけたら一切の力を使えなくなるのよ? 貴方以外がその力を使うと、ただの拘束具にしかならないのよ?」

 

俺はその言葉を聞かされた瞬間に、ハッと気付かされた。

 

確かに彼女の言っているように、領域は俺以外には毒にしかならない。いや、一般人以外と言った方がいいか。

 

妖怪が同じ効果の領域を扱った場合、問答無用で弱体化してしまう。

 

俺は自分の基準を相手に合わせなかった事に気付かされ、少し恥ずかしくなってしまった。

 

少し顔が熱くなったような気がしながらも平静を装い、彼女に答える。

 

「あ~、ごめんなさい。確かに俺専用ですね。創造の方が便利です」

 

そう言うと、紫はさも満足そうに頷きながら、スキマから身体全体を滑り込ませるように出して、居間の畳に着地する。

 

彼女はまるで重力に囚われていないかのように着地すると、ドレスの端を掴んで礼をする。

 

「お邪魔いたしますわ耕也」

 

どういう心境の変化か分からないが、彼女は普段とは違った行動を見せる。

 

何だかよく分からない気持ちになりながらも、俺は彼女のとった行動にぎこちない動きをしながらも礼をして返答する。

 

「あ、いや、此方こそよろしくお願いします。紫さんが来て下さるおかげで妖怪が近寄ってこなくなるので」

 

そう、彼女が来てくれるとここいらに襲撃しようとする妖怪が姿を見せないのだ。俺も自信を持って言えることだが、彼女は日ノ本の国では最も強い妖怪なのである。海外ではどうかは知らんが。

 

彼女の使用する力は文字通り強大であり、また能力の多様性には舌を巻くばかりである。

 

彼女が普段の移動に使うスキマは勿論の事、境界を操る程度の能力はその力を全力で使用すれば常識と非常識を分けてしまう事ができるほどである。

 

それが彼女の強みである上に、保有する妖力の桁も他の妖怪とは違う。

 

だから彼女がこの家に居るだけでその妖力の強大さを周囲に示し、妖怪に八雲紫という存在を誇示しているのだ。

 

俺はその事に感謝しながら、彼女に言った。

 

すると、目の前に余裕の雰囲気を出しながら優雅にスキマの上に座っている紫は、俺の言葉を聞くや否や

 

「ふふふ、私は特に何もしてはいませんわよ? 単に他の妖怪が臆病なだけでしょう?」

 

そう微笑みながらスキマから降り、此方にゆっくりとした足取りで近寄ってくる。

 

普段ならこの動作も慣れたモノなのだが、今日はいつになく彼女の視線がねっとりとしたモノに感じられ、少々不気味さを感じてしまう。

 

しかし、彼女は俺の思考も分かっているかのように頬笑みを浮かべ、俺の前に立つ。そして手を伸ばし、俺の頬をサラッと撫でて俺の耳元にまで顔を寄せて呟く。

 

「私は……そこまで何かをしたわけではないのよ? ……本当よ?」

 

彼女が口を開く度に吐息が耳に当たり、それは妙な快感を俺の身体にもたらし、俺は思わず身体をブルッと震わせてしまう。

 

そんな俺の反応が面白かったのか、紫はクスクスと笑いながら扇子を開き、自分の顔を煽ぐ。

 

そして口を開き

 

「さあ、改めて私の訪問を許して下さるかしら?」

 

と、紫は言ってくる。

 

もちろん俺に拒否する理由などはなく、俺は紫の行動に素直に頷き、彼女の訪問を歓迎する。

 

「ええ、もちろんです。改めて、いらっしゃい」

 

俺は唯一の友人である紫の訪問を歓迎し、夕食を共にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ああ、やはり同じ屋根の下で寝ると非常に落ち着かない。

 

私は横ですやすやと眠る耕也の顔を見ながら、そう思っていた。

 

だが、それは仕方のない事だと思っている。私の欲している耕也は目の前に居るのだ。こんなに、こんなにも無防備な姿を私の前に曝して。

 

彼の顔には全く警戒心と言うものが無い。それは私の事を深く信頼しているという事の何よりの証明であるため、非常にうれしい気持ちになってくる。

 

私は暗闇の中で自然と口角がつり上がるのを感じ、慌てて表情を元に戻そうとする。しかし、一度感じたこの幸せは中々消えるものではなく、再び首をもたげて私の口角を釣り上げる。

 

今度は両手で頬を抑えて見るが、やはりどうしてもうまくいかない。私はこの表情を耕也に見られたら、恥ずかしくて此処に居られなくなる。そう思いながら、耕也の表情を再び見てみる。

 

妖怪の私は、普段人間が見ることのできない照度の中でもはっきりと相手の輪郭を捉える事ができる。

 

頬を両手で覆いながら見た彼の顔は、相も変わらず安心感に溢れているモノである。

 

しかし、その表情は同時に私の中の妖怪の欲を猛烈に掻きたててくる。この人間を滅茶苦茶にしてしまいたいと。欲しいのだと。犯してしまいたいのだと。

 

だが、片や理性ではこの欲を抑え込もうと躍起になっている部分があり、この欲と理性が互いに火花を散らしている。

 

仮に私が彼を欲し、モノにした時、彼はどんな反応をするのだろうか? 今までの行動や性格、感情の起伏から、私を受け入れてくれるのだろうか?

 

それとも私を憎み、恨み、排撃してくるのだろうか?

 

そんな不安が私の中に湧きでてくるのだ。まるで間欠泉のように猛烈に。

 

その不安がいわゆる理性の、妖怪の欲と言う本能に対する制動と言うものだろう。

 

それでも理性では抑えられない部分もある。

 

心の臓が激しく脈打つのが自分でも実感でき、顔がどんどん熱くなるのが分かる。これ以上は彼の寝顔を直視する事ができないと思い、先ほどとは正反対の方向に寝がえりをうつ。

 

それでも先ほどのドキドキとした感触が引かず、息が荒くなるのを感じる。

 

自分でも彼と近くで寝ればこうなる事は薄々感づいていたのだが、それでも彼とは寝食を共にしたかった。

 

だが、蓋を開けてみればその予感が的中し、寝ることすらできなくなってしまっている。

 

私はこの疼きを止めたくなったのか、自然と手が秘所に伸びているのが分かった。

 

自分の行為に驚き、思わず手を布団から出してしまう。布団から出された手は、驚くほど粘度の高い液体に覆われており、外気に触れて私の手を冷やす。

 

だがその光景が現実のものであると私には信じられず、この行為自体が嘘だとさえ思ってしまう。しかし、外気に触れて手が冷却されるのを感じると、それがどうしても現実のものであるという事を否応なしに認識させられる。

 

そしてその行為が引き金だったのか、私の理性が少しずつ削られていくのが分かる。また本能が勢いを増してきているという事も。

 

これがどういう事なのか。それは自分が完全に理解する前に行動に移されていた。

 

クチュリ……

 

そんな音が秘所からしてくる。私は知らず知らずのうちに本能に任せて再びいじり始めていたのだ。

 

「くふぅ……! んぁ…」

 

自慰と言うものはした事はあるが、此処までの状況下でした事はない。せいぜい探究心や好奇心に誘われた程度である。しかし、今回はまるで違う。

 

卑猥な音と共に指が埋没した瞬間、身体に電流が走ったかのような激しい快感が貫いてきたのだ。

 

生きてきた中で、初めての衝撃であり、心臓が止まるかと思ったほどである。

 

だが、その快感が妙に私の欲を満たしてくれる。しかし、その欲は満たされると同時に容量を拡張させ、さらに欲を求めさせてくる。

 

私はそれに抗う事など一切せず、クチュクチュと布団の中であまりにも卑猥なくぐもった音を奏で始めた。

 

しばらくそれを続けていると、それに伴って先ほどよりも圧倒的に強い快感が身体を駆け巡り、私の身体を跳ねさせる。

 

「んあああ! ……く、ふう…。あ、はあはあはあっは……」

 

目の前が真っ白になり、瞬間的に凄まじい量の血が頭を駆け巡り、身体がガクガクと震えて何も考えられなくなってしまう。

 

終わった後は、ただただ冷たい外気と、少しの虚しさ。そして圧倒的な脱力感。

 

しかし、それでも彼を思う気持ちは衰えず、逆に勢いを増すばかり。耕也に対する欲はとどまる事を知らない。

 

私はしばらくその場で天井を見上げながら、ボーっとしていると、唐突に悲しみの感情が猛烈な勢いで湧きでてきて、それが涙となって形をなす。

 

それはとどまる事を知らず、手で拭っても拭っても次々と溢れ出し、こめかみを伝って枕へと落ちていく。

 

「う……! つらい……わよぉ……! ああぁぁぁ……」

 

彼に妖怪の欲を持ったままでは、嫌われてしまうのではないだろうかという不安感が私を支配し、どうにも心と体が落ち着かない。

 

でも、どうしても彼が欲しい。彼を手に入れたい。この感情だけが私の心を支えていた。

 

彼に素直に受け入れてもらいたいとかそう言った事を考えるべきだったのであろうが、それを思い浮かべるだけの余裕が私には無かった。

 

だからこそ私は、彼に対してもっと強制力があり、尚且つ私に対して徹底的に依存させる手段を取ろうとしていた。

 

私は能力を使い、この淫臭漂う布団を綺麗にし、空気を清浄化して眠りについた。彼を今後必ずモノにするために。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さてさて、今日も特に何かあったわけでもないし、平和に歯磨きして、平和に寝ますかね?」

 

平和じゃない歯磨きがあったら、それこそ教えてもらいたいと思いながら、俺は電動歯ブラシに手をつける。

 

スイッチを入れると、モーターの力により微細かつ高速な振動をするブラシが歯を磨いていく。

 

歯磨き粉はその歯とブラシの摩擦面に曝され、泡立つものへと姿を変えていく。

 

その妙にくすぐったい微細な振動は、俺の口角を自然と釣り上げてしまい、自分でも恥ずかしく思いながら歯磨きを終わらそうと手の動きを急がせる。

 

そしてしばらくの後、自分の歯が全て磨き終わったと判断した俺は、目の前にチョコンと鎮座しているコップを取り上げ、水を汲んでから歯磨き粉を口の中から排除する。

 

口の中で混ぜられた水が、洗面器に投入され、それを見届けて顔を上げた瞬間に俺は妙な違和感を覚えた。

 

「……あれ? 俺の髪って……金色だったっけ?」

 

その正体は誰が見ても分かる通り、鏡に映った俺の頭が見事な金色になっているという事だ。

 

鏡を見ながら自分の髪を撫でてみるが、それでも一向に金色は黒色に戻らない。

 

俺はそれに対して、焦りと言うよりも、唖然や茫然と言った方が正しい表情をしていた。もちろんその結果から出てくる言葉は

 

「え? どうなってんの?」

 

という情けない言葉であった。ただこの顔を上げた瞬間に髪の毛の色が変わったという事については、どうしても納得がいかず、俺は自分の髪の毛を摘まんで引き抜く。

 

痛みと共に引き抜かれた髪の毛は、鏡に映っているような金色ではなく、日本人が持つ本来の色である純粋な黒色であった。

 

俺はこの事実の食い違いに相当な疑問を持ちながら、再び鏡の中にある金色の髪と、掌にある黒色の髪を見比べる。

 

しかし、穴があくほど見つめてもその鏡に映ったその金色は直る事が無い。

 

俺は目がおかしくなったのではないかと、さらにそれを見つめていくと、ついには髪の毛が伸び始めたのだ。

 

「なっ!?」

 

俺がそんな声を上げているうちに、鏡の中の髪は鏡の映す範囲を超えていく。そして極めつけは、服装すら変わっていく事である。

 

服装は、現代的な日本人の切る服装から、南蛮の道化師のような垂れがついた服へ。そして伸びきった髪の毛の上には、ドアノブのような大きな帽子。

 

さらには顔の輪郭などの構成要素が一斉に変わり始め、ついにはその完成形を俺の目に映す。

 

「………………は?」

 

俺はその姿にただただ一つ言葉を呟くことしかできなかった。

 

そう、目の前に居たのは、昨日まで寝食を共にしていた紫その人だったからである。

 

しかしその目の前に居る紫は、鏡の中の俺と全く同じ動きをしているのだ。だから紫が鏡の中に居るわけでもなく、俺が紫になったわけでもなく。

 

ただこの不可解な現象に俺は下を巻くばかりであり、手を振ったりしても目の前の紫と思わしき鏡像は俺と同じ行動をするばかり。

 

しかし、これはやはり紫のやった悪戯なのではないだろうかという線が一番高いと思い、俺は目の前の像に向かって口を開く。

 

「紫さん? ふざけるのもいい加減にしてください。自分の姿が見えないのは中々に厄介なんですよ?」

 

しかし、そう言っても目の前の像が何かしらの反応を示すかと言えば……そう言う保証はなかったり。

 

結果から言えば、何の変化も無かった。俺は自分の言った事に唯羞恥心のみが湧きでてくるのを感じ、その場でしゃがみこんで頭をガリガリと掻いて自分の行動を呪う。

 

「……何をやっているんだ俺は」

 

そう呟いて気持ちを切り替えて再びこの妙な現象の起こっている鏡と向き合う。

 

気持ちを切り替えてもやはり像が元通りになるわけではなく、俺の表情を再現している顔と、身体の動きがそこにはあった。

 

俺は、どうにもそれに納得がいかず、鏡に向かって手を伸ばしていた。

 

鏡に触れると、紫の腕も此方に触れてくる。鏡なのだからこれは当然なのだが、それが妙に怖く感じる。

 

自分とは違う者が鏡の中に居る。そんな感覚さえ覚える。これがもし俺の錯覚だとしたら、治る見込みはあるのでまだ安心感がある。

 

ただ、これが錯覚だとしたら、一体何故紫の姿が見えるのだろうか? そんな疑問が俺の中に浮かび上がる。

 

いくら考えても、事態が改善するわけではないのだから仕方が無いと言えば仕方が無いのだが、そこは人間。考えたくなるモノである。

 

ただ、考えと言ってもその考えが一つしか浮かばなかったのだから、情けない。

 

それは、俺が心の奥底で紫に強い想いを抱いているのではないか? と言う事である。

 

ただ、それはおかしいと自分で処理してしまう。なぜなら俺は紫と会ってからそこまで日が経っておらず、彼女自身も自分の仕事などで忙しいからだ。

 

だから、強い想いを抱いているかと言えば、自信が無い。いや、彼女と俺がつり合うことなんてあり得ないのだ。

 

俺はそう思いながら、再び何かしらの変化がある事を望んで鏡に手を伸ばす。

 

「一体どうなってんだこれは……?」

 

そう言いながら再び鏡に触れる。やはり紫も鏡に触れて、特に鏡像としておかしい事をしているわけではない。

 

「寝れば治るかなあ……? 疲れてるんだろう……多分」

 

そう呟いて鏡から手を離し始める。すると、突然伸ばしていた手に凄まじい力が働き、鏡の方へと引っ張られ始める。

 

「な、なんだこれっ!?」

 

俺が突然の事に焦り驚きの声を上げていると、すぐにその原因が発覚する。

 

先ほどまで俺と同じ動きをしていた紫の鏡像が、鏡から抜け出して俺の手を掴んで引きずり込もうとしているのだ。

 

紫の顔はただ無表情であり、その引っ張る動作から何かの意思を読み取る事などできない。

 

俺は咄嗟に洗面台を掴み、引きずり込まれないように必死に踏ん張る。俺はその引っ張られる中で二つの疑問が出て来た。

 

一つは、何故此処まで力強く引っ張られているのにも拘らず、外部領域と内部領域の両方が発動しないのだろうか? と。

 

辛うじてトルクと馬力の増大はできているが、それでも彼女の力が強すぎるためか、段々と鏡に引きずり込まれていく。

 

そして二つ目。それは、この引っ張っている者が本当に紫なのだろうか? と言う事である。

 

もしかしたら、これは鏡の中に潜む妖怪なのではないだろうか? そんな考えである。

 

しかし考えているうちに、引かれている手が鏡の中に入り込んでしてしまっているのを皮膚の感覚で理解した。

 

鏡の中は非常に冷たく、まるで死の世界よりも冷たいのではないだろうか? と思えるほどの冷たさであった。

 

だが、そんな感想を持っている余裕など俺には無く、この引っ張られ続けているこの腕をどう対処すべきかを考える必要があった。

 

掴んでいる洗面台はすでに指のトルクに負けているせいか、大きく細かいヒビが入ってしまっている。

 

それでも力を加えて、抵抗しようとすると洗面台は限界に達して、陶器が砕ける甲高い音を発しながら、床に破片をぶちまける。

 

その事が鏡の中の彼女に優越感を持たせたのか、僅かに口角を釣り上げさせたように感じた。

 

俺はそれでも必死に抵抗し、片足を残った洗面台のに乗せて、力を全開にする。

 

すると、さすがに手と足の合力には相手の力は敵わなかったようで、俺の手がスルリと抜けていく。

 

その反動で俺は壁に叩きつけられ、咳き込む羽目になってしまう。

 

「一体何なんだこれは……!」

 

そう俺が怒鳴る様に言うと、相手はその無表情のままスゥッと消えていく。まるで最早用が無いとばかりに素早く。

 

俺はそれを見届けてから、安堵のため息を吐く。

 

偶々相手が諦めてくれたから良かったものの、もし俺に力が無かったらあのまま引きずり込まれていたのであろう。

 

俺はその飲み込まれるという薄ら寒い事を考えると、どうしても鳥肌が立ってしまい、自分の腕を摩擦させて温めるように動かす。

 

手には、何故か銀色の液体が付着しており、それは水銀とはまた別のモノに思えた。ただ、その銀色の液体は水銀よりも冷酷に見え、先ほどの安堵が無ければ直視したくないものであった。

 

「本当に一体何だったんだ……?」

 

その呟きに反応してくれる者はおらず、俺はすごすご水で洗い落とし、破片を片しに箒を取り出しに行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あの一件以来、どうも領域の調子が悪い。自分でも何故かよく分からないのだが、領域が出てきてくれないのだ。

 

紫が近々来てくれるから、訳を話せば色々と助言をしてくれるだろうが、それでも心配や迷惑をかけたくない。

 

俺は水を飲みながらひたすら時が流れるのを待つ。

 

創造の力はそこまで出力低下はしていないのだが、しかしそれでも霊力のない人間という事には変わりなく、妖怪などと闘うのはかなり厳しい。

 

もし怨霊の類などが現れた場合、鋼板などの物理的防御が効くかどうかわからないからだ。おまけに創造は出力低下という不安定な状態の為、おいそれと戦う事は出来ない。

 

さらにはジャンプや飛行などといった行為もできなくなり、もはや俺の力は殆ど無くなったと言っても過言ではないだろう。今まで領域に防御全てを任せてきた結果がこのざまである。

 

自分のアホさ加減に涙すら出そうになりながらも、俺は昼食を作ろうと席を立つ。

 

そして何気なく数歩歩いた所で、後ろから突然声を掛けられる。

 

「耕也~、一緒にご飯食べましょう?」

 

突然の声に俺は吃驚してその場で飛びあがり、急いで後ろを振り返る。

 

すると、その様子がおかしかったのか、紫はコロコロ笑いながら俺に話しかけてくる。

 

「一体どうしたというの耕也? まるで貴方らしくないわ」

 

「いえ、ただ吃驚しただけでして……」

 

「あらあら、そうなの……」

 

そう言いながら、スキマからにゅるりと出てきて静かに、しかし流麗に着地する。

 

だが、俺はそれに素直に感心する事ができなかった。なぜなら、彼女を見た瞬間に昨日起こった出来事が見事にフラッシュバックしてきたからだ。

 

あの無機質とも思えるほどの低い温度をした手。まるで氷か何かを掴んでいるようであった。……もしかしたら、俺の恐怖心がそれに過剰反応した結果からくるものかもしれないが、それでもアレは恐ろしかったのだ。

 

だから、紫に念のために聞いておこう。俺はそう決心すると、彼女の目を真っ直ぐ見て口を開く。

 

「紫さん、少しお聞きしたい事があります。宜しいでしょうか?」

 

俺が真剣な表情と声で質問の許可を求めると、紫もそれを感じ取ったのか、笑みを止めて真剣な表情となる。

 

「いいわ。話してちょうだい」

 

俺はその言葉に頷くと、紫の前に少々出てから、一言言う。

 

「紫さん。……昨日の夜は何をしてらっしゃいましたか?」

 

そう言うと、紫は一体何故そんな事を聞くのか? といった具合の表情をして首を傾ける。ただ、紫はそのまま黙るという事は無く、俺の質問の意図を理解しようと考えながら言ってくる。

 

「え~と、……昨日は仕事で疲れていたら夕方からずっと寝ていたのだけれども……今の今まで」

 

と、自分の睡眠時間を言うのが恥ずかしいのか、顔を赤くしながら苦笑いして俺にそう言ってくる。

 

俺は流石に失礼な質問だったと、自分の行動に後悔しながらも、彼女に対しての疑惑を消す。

 

本来ならばこんな簡単に疑惑を消してはいけないのだろうが、現時点では彼女がしてきたという確証は全く無く、しかも彼女は俺の大事な大事な友人である。疑うという事など端から不可能なのだ。

 

俺は目の前で顔を赤くしている彼女を見ながらそう思い、先ほどの事について謝罪する。

 

「紫さん、すみませんでした。余計な質問をしてしまいました」

 

そう言って頭を下げて彼女に謝罪すると、紫は顔の紅潮を収めて頬笑みを浮かべて言ってくる。

 

「いえいえ、貴方が私にそんな事を聞くという事は、……私関連の事件が起こったという事かしら?」

 

と、俺の謝罪を受け入れながら質問してくる。

 

鏡の中に居て、さらには紫の姿を真似て俺に対してピンポイントで襲ってくる得体のしれないナニカ。

 

それは俺に対して攻撃をしてくるのではなく、俺を鏡の世界に引きずり込もうとしていた。つまりこれが意味するところは、俺の力を欲していたか、俺を隔離する事によって何かしらの利益を得ようとしていたという可能性が高い。

 

これを彼女に話した場合、紫は協力してくれるであろう。彼女の力ならば鏡の世界に入る事も可能であるから、その輩を如何様に料理する事が可能である。

 

そんな考えを浮かべているうちに、また彼女に対して疑念が浮かび上がってしまう。

 

…………鏡の中に居たのは、本当に紫なのではないだろうか? と。

 

俺はその一瞬浮かんできた疑念を振り払う可能ように、首を振ってその愚かな考えを再び一蹴する。

 

ただ、俺が彼女に話したところで、普段忙しい身である彼女にさらなる負担がかかってしまうという事は、非常に好ましくない状況を作りだすものである。

 

だから俺は果たしてソレを彼女に話してもいいモノなのかどうかと迷いながらも、聞かれてしまったのだから仕方ないと結局は自己完結させて話す事にした。

 

「実は紫さん、昨夜突然貴方の姿を真似た輩が襲いかかって来たのですよ……しかも鏡の中から」

 

そう簡潔に言うと、紫はピクリと左の眉を少し釣り上げて元に戻す。

 

彼女にとっても俺の言った事は予想外の事だったのだろう。顔には出さないものの、彼女の眉の動作でソレが分かった。何せ、紫の姿を真似て俺に襲いかかってくるという事は、自分の首を絞めているという事他ならない。

 

彼女はプライドが高い。自分の力に自信を持ち、それを使いこなしている。

 

だから彼女の姿を真似て、俺という友人を襲うという事は、それだけで琴線に触れてしまうという事だろう。

 

俺がそんな事を思っていると、紫は挑戦的な笑みを浮かべながら扇子を取り出し、自分の口の前で広げ、呟き始める。

 

「あらあら……馬鹿な輩がいたものね……よりにもよって私の姿で……」

 

そう言うと、扇子を閉じて微笑を浮かべて俺に向かって言ってくる。

 

「まあ、安心しなさいな。何かあったら私が駆けつけてあげるわ……」

 

「ありがとうございます」

 

俺が彼女の言葉に礼を言うと、彼女は満足げに卓袱台へと足を運んで座る。そしてすぐに何かに気がついたかのように顔を上げて俺の方を見てくる。

 

「ねえ耕也。……貴方領域があるのではなかったの?」

 

やはり彼女は頭が良く、言っていない事まで言い当ててしまった。

 

俺がその質問に対して、素直に答えることにした。もはや彼女には事件の事を言ってしまったし、これ以上何か隠し事をしても彼女に余計な心配を与えるだけだと判断したからだ。

 

「実を言うと、襲われた直後から領域などが使えなくなってしまったのです……自分でもよく分からないのですが…」

 

俺はその事を呟くように言うと、彼女は神妙な面持ちで頷きながら、紫は言う。

 

「なら、貴方はやはり少しこの家から出ない方がいいわ。……私の家は今忙しくて上げられないのが悔しいけども……一応定期的に顔を出すから安心して頂戴?」

 

俺は紫の助言に深く感謝しながら、頭を深く下げて礼を言う。

 

「ありがとうございます。どうかよろしくお願いします」

 

そう言うと、紫は頬笑みを浮かべながら、言う。

 

「いいわよ。気にしないで? 友人を助けるのも友人の役目であるのですから。……さあ、お昼にしましょう? 私も食材を持ってきたから……ね?」

 

そう言いながらスキマから野菜の類を出してくる。

 

スキマの便利さを改めて実感しながら、野菜を受け取って礼を言う。

 

「ありがとうございます。では、少々お待ち下さい。作って参りますので」

 

と言って、紫に背を向ける。

 

そして次の瞬間に異変が起きた。

 

あなたは私のモノ……私のモノになって下さらないかしら……?

 

といった、紫のような声が頭の中に突然響いてきたのだ。何の前触れもなく、そしてそれは音波ではなくテレパシーの類のような感触を持って。

 

俺は思わず紫の方を振り向いてしまう。しかし、振り向いても紫は俺の方を見てどうしたのか? と言わんばかりの表情をして首を傾げる。

 

手振りで何でも無いと合図して、俺は再び背を向けて料理をし始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

紫が援助を申し出てから数日。紫が来てくれた日に起こった囁きは酷くなる一方だった。

 

「一体何で……これじゃあ俺の頭が割れちまう。気がおかしくなりそうだ!」

 

俺はそう怒鳴りながら布団の中で頭を抱える。

 

私のモノになるのが貴方にとって必要な事なの……私のモノになって……? 私は貴方を愛してる……貴方は今は凄く弱いの……あなたがいないと私は寂しい……私と一緒に暮らしましょう?

 

領域が発動しもしないこの不安定な状態でこのような言葉を延々と聞かされては、此方の精神が病んでしまう。

 

そしてその脆弱となった精神は、俺の心の中に恐怖を生み出すのは容易い事であり、今もなお急速に恐怖が湧きでている。

 

恐怖と四六時中囁かれるこの得体のしれない声に俺は満足な睡眠時間もとる事ができない上に、さらにはその睡眠不足が原因で体調を崩してしまったのだ。

 

頭がクラクラしながらも、俺は今もずっと響き渡るこの声に恐怖し、息が荒くなっていった。

 

「……怖い…。何時になったら……こんな……」

 

私は貴方が大好き…………何時だって貴方を見守っていた……貴方は初めての愛しい殿方……人間…………是非私のモノに……素晴らしく心地が良い場所へ……一緒に行きましょう?

 

「くそっ……! 一体誰なんだ……一体誰なんだこんちくしょう!!」

 

もう貴方無しでは生きられない…………貴方が必要なの……私は貴方を…………私は貴方を…………心の底から愛してるわ……

 

呟かれるのは何故か俺に対しての好意のみ。俺はその言葉がとてつもなく気も血の悪いモノに感じてしまう。まるで俺を殺そうとしているかのようなモノにさえ聞こえてくるのだ。

 

だが、これは仕方のない事である。何せ相手の姿や形も全く見えないうえに、ソレが相手の口から直接放たれるモノではなく、脳に響いてくるのだ。

 

最早それは俺にとっては精神を摩耗させる事以外の何ものでもない行為であり、いくら愛を囁かれようと、嬉しくとも何ともない。

 

全くもってこの行為は役に立たないのだが、それでもしないよりは精神的にマシだと思い、耳栓をして強引に眠ろうと目を瞑る。

 

しかし目を瞑ると、囁きが余計に大きく聞こえてくるのだ。

 

……耕也……私のモノになって……誓ってくれればそれでいいの……すぐに迎えに行くわ……貴方が私に愛の誓いをしてさえくれれば……

 

すでに囁きが頭痛を引き起こしている事態にさえなっている状態では、俺の我慢はもはや限界に達していた。

 

俺は目を一気に見開くと、ボロボロと大粒の涙が溢れてくるのを気にも留めずに半身だけ起こす。そして枕元にあった目覚まし時計を引っ掴み、怒鳴り散らす。

 

「くそったれ……ああ誓ってやるとも、お前の望み通りになってやる! どこの誰だか知らねえが、お前がその声を止めてくれるならなんだってしてやるよっ! ああ、なんだってしてやるっ!! …………だから、この忌々しい声を何とかしやがれぇっ!!」

 

その大声を発すると共に箪笥の方角に向かってブン投げる。

 

ブン投げられた目覚まし時計は、素直にそのトルクに従って、直線に近い放物線を描きながら箪笥に直撃する。

 

プラスチックの破砕する甲高く乾いた音と、内蔵されていた電池が箪笥に当たる鈍い音が響き渡る。

 

俺はその声を発した疲労感に息を荒くしながら、再びボロボロと涙をこぼして布団に顔を伏せる。

 

「もう……勘弁してくれえ…………」

 

そう呟いて俺はただひたすら涙をこぼしていく。

 

すると、突然横から物音がしてくる、それはまるで人の足音のようなもの。

 

……つまりは、もう迎えが来たという事なのだろう。……俺は一体どうなってしまうのだろうか? と、そんな考えが生まれていた。

 

俺を愛している等といった言葉を呟いていたのだから、俺が食われるという事はないだろう。

 

しかし、相手が妖怪だとすると、そこまでは分からない。もしかしたら、自分のモノにしたいという考えが、食うという事につながっている可能性も無きにしも非ず。

 

そう諦めの言葉を考えていると、近寄って来た足音から声が聞こえてくる。

 

「耕也! 一体何があったの? 大丈夫かしら? 怪我はない?」

 

と、焦った声が聞こえてくる。その声は脳内に響いていた声と殆ど変らない声であり、まるで紫を思わせる声であった。

 

そして俺が諦めの考えを含ませながら顔を上げると、即座に肩を支えられる。

 

その姿は紛れもなく八雲紫であり、俺の大切な大切な友人。

 

その顔は俺の顔を見るなり、表情を悲痛なモノに崩していく。

 

俺は紫の顔を見た瞬間に安心感が間欠泉のように噴き出すのが分かった。そしていつの間にかあの頭に響き渡っていた忌々しい声がピタリと病んでいる事に気がついた。

 

俺のボロボロな顔を見ながら紫は言ってくる。

 

「耕也……私が付いてるわ……安心なさい? 結界も張ったし、もう大丈夫よ」

 

俺はその言葉が引き金となり、紫を抱きしめて泣いた。もはや限界に達していたため、声を抑えることができずに俺は大声で泣いてしまった。

 

「う……ぐっ……うあ、う…あ…あ…、うあああああああああああああああああああああああっ!!」

 

俺が大声を上げて泣いている間、きつく抱きしめて安心させようとする紫。

 

その行為が何よりの安心感をもたらす薬となってくれ、俺はより一層の涙を流す。

 

「ああああああああああ……う、うぅ、くぅ……」

 

俺が大声で泣いても、迷惑だと思わずになおも抱きしめてくれる。さらにさらに強く。だからこそ俺は彼女に感謝している。本当に感謝している。俺の事を心配してくれて。

 

しばらくの間俺が泣き、そして落ち着いたころ合いを見計らい、身体を離して紫が声をかけてくる。

 

「耕也。……大丈夫かしら? ……耕也?」

 

俺は落ち着き始めたがまだ震えが微かに残る声で返答する。

 

「はい……大丈夫です。……ありがとうございます」

 

すると、紫は微笑みを浮かべて再度強く抱きしめてくる。もう二度と離さないとでも言いそうなほど強く。

 

俺はその強さに安心して、目を閉じる。

 

紫は俺を抱きしめた後、そのままの格好で言ってくる。

 

「さあ耕也、……行きましょうか?」

 

俺は紫が突然言い出した内容について行けず、理解もできなかったために聞き直す。

 

「あの…………行くって……どこへですか?」

 

すると、紫は俺の耳にねっとりと舌を這わせながら囁いてくる。

 

「あら、…………大声で誓ってくれたじゃない……私のモノになってくれるのでしょう?」

 

 

 

 

 

 

 

 

俺は紫の口から放たれる言葉の意味を理解できない、いや、したくないためか再度聞き直そうとする。

 

だが、意味を理解していないとはいえ、本能的にその恐怖を理解しているのか、俺の紫を抱き返している手が小刻みにブルブル震えている。

 

「え、えっと…………ま、まさか……」

 

すると、紫は背筋が凍るほど妖艶な声で囁いてくる。

 

「だから……貴方は答えたのでしょう? 私の告白に……」

 

やはり、再び聞いても答えは変わらない。認めたくはない。信じたくはないと思っていた事がこうも容易く現実のモノとなるとは俺は予想する事ができなかった。

 

だからその言葉の意味を理解した瞬間に身体がガタガタと震えだしてくる。もちろん泣いた余韻で発生したものではなく、今ある現実の恐怖として。

 

そして予想が現実のモノとなった事……つまりは紫が今まで全てをしてきたという事。他の妖怪でも何でもない。紫本人が今までの行為をやって来たのだ。

 

紫は俺が逃げないように抱きしめながら、呟く。

 

「貴方が欲しいのよ。どうしても…………。…………貴方の受けた言葉などは、……全て私よ。……さあ、私の屋敷に参りましょうか? 未来永劫、溶けて融合しまうほど愛し合う夫婦になりましょう? ……私のモノになって? 耕也?」

 

俺はその言葉を聞いた瞬間に恐怖が限界点を達し、瞬間的に大トルクを発揮させて、紫の拘束を振りほどく。

 

「きゃっ」

 

そう言って紫は畳の上を転がる。

 

だが、俺はそんな事を気にする余裕など一切なく、ただ自分の身の安全を確保したいという思考に全て突き動かされていた。

 

俺は何とか出口まで行こうと身体に鞭を打つ。

 

そして数歩歩み出した瞬間に、右足が着くはずの畳み底が抜けたような感触がし、その次には俺はバランスを崩して畳の上に激しく叩きつけられる。

 

顎に激烈な痛みを感じながら、舌を噛まなくて良かったという変な考えを浮かべたが、瞬時にソレを破棄して、起き上がろうとする。

 

そしておもむろに自分の倒れた原因を確かめようと、顔を後ろに向けた瞬間に俺の顔から一気に血の気が引いた。

 

畳からスキマが発生し、右足首を掴んでいたのだ。俺はそれに恐怖しながらも必死に外そうともがくが、解除される全く気配がない。

 

次には掴んでいる手の下から冷たい声が響き渡ってくる。

 

「耕也……本当に悲しいわ。…………愛してくれるって……私のモノになってくれるって……言ったじゃない」

 

「でも……それは違う。……こんなはずじゃ…そんな……」

 

俺がただ怯えるように言葉を呟くと、紫は一言言う。

 

「さあ、もう言い訳はなし。……いらっしゃい?」

 

次の瞬間には物凄い力で俺を引きずり込もうと力を込めてくる。

 

あまりの力に俺の右足首がミシミシと悲鳴を上げ始める。最早俺に残された道は一つ。

 

「い、いやだぁ……!!」

 

そんな情けない声を上げて、脇にあった柱に右手を掴ませるしか方法はなかった。本当は左手も使いたかったのだが、この距離からではわずかに届かなかった。

 

「こ…の……!」

 

そう言いながら俺は自分の身体が引きずり込まれないように全力を込める。対する紫も力を込めてくるが、俺ほどの力は出せていない。

 

おそらく俺の身体が脱臼を起こしてしまうという事を気にしてくれているのかもしれないが、そんな事を気にしている余裕などは無く。ただ俺は必死に力を込めて振りほどこうとするのみであった。

 

だが、次の瞬間には、その配慮してくれているという考えが一瞬で崩壊した。

 

スキマが俺の右手に覆いかぶさって来たのだ。

 

そして俺がおもむろに

 

「へ…………?」

 

と、声を上げた瞬間に、スキマは一気にその口径を狭め、そして閉じた。

 

ブツン、そんな音が聞こえた。まるで繊維を裁断機で一気に切り落とすかのような鈍く嫌な音。しかし、それは俺の右手から発せられている音。

 

自分の手から血が噴き出している。

 

そんな事を認識した瞬間に、神経が沸騰し、激烈な痛みという言葉すら温い痛みが脳を直撃する。

 

「ぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」

 

痛み。そんな陳腐な言葉で表せるほどこの感覚は生易しいものではない。もはや脳がそれ以上の刺激を拒否するかのように信号を送り続ける。

 

「があああああああああああっ! あ、あああああああああああああ!!」

 

俺が悲鳴をあげ、血を撒き散らしている間にも紫は掴んだ足首を引いてくる。

 

俺は咄嗟に残った左手で畳みに向かって全ての爪を突き立てる。

 

だが、深く突き刺さっただけで、自分の身体を支えるには力不足も甚だしかった。

 

そして紫の腕の力はその爪によって生み出される抗力を軽く上回り、瞬間的に全ての爪が剥がれた。

 

「あっ………かっ………!!」

 

先ほどの腕部切断の直後に剥離。当然のことながら、そこまで痛みを受け止める容量は無く、瞬時に目の前が真っ白になり、そのまま俺は痛みか何か分からないような感覚に全身を支配された。

 

怖い。怖すぎる。…………俺は本当に…。臆病なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

不気味な目が背景として多く存在する私のスキマの中。

 

耕也は無くなってしまった腕と、爪の剥がれた血まみれの左腕を庇うようにうずくまって嗚咽を漏らしていた。

 

私は強引にやり過ぎたと思いながらも、これしか私にとる手段が無かったのだと思い、耕也に近づいていく。

 

耕也は私の姿を確認すると、怯えた表情を浮かべて後ずさる。

 

当然の結果ではあるだろう。此処まで徹底的に恐怖を植えつけたのだから。

 

だが、そうでなくてはこれからの事が上手くいかない。

 

私は耕也の切れた右腕を持って彼に歩み寄る。当然彼よりも私の移動速度が大きいのだから簡単に追いつく。

 

怯えた表情をしている耕也の目の前で停止し、彼に目線を合わせるためにしゃがみこむ。

 

そして腕の欠損部に傷口を合わせるようにし、能力でふさいで元通りにしてやる。

 

「耕也。………ごめんなさいね? ほら、爪も治してあげる」

 

そう言いながら、治癒の術を掛けて元通りにしてやる。失った血は流石に補填することはできないが、それでもこの出血量程度なら大丈夫であろう。

 

しかし……耕也の恐怖に染まった顔は何て凄いモノなのだろうか?

 

妖怪の欲という欲を誘ってくる。こんな特異な性質を持った男などこの世には存在しないのではないだろうか?

 

私は彼の顔から恐怖の色が薄まっていくのを目にしながら、少々残念な気持ちになる。

 

だが、私の求めているのは耕也の恐怖の表情ではなく、耕也自身なのだから、そんなに気にしない。

 

「お願いです……殺さないでください……」

 

と、耕也が私に命乞いをしてくる。

 

そんな耕也にも愛おしさを感じながら、耕也を抱きしめて耳元で呟く。

 

「ねえ耕也……もう一度言うわ。…………私のモノになって?」

 

そして誰もが靡くような、安心するような、そんな優しさを存分に込めた声で囁く。

 

「私は貴方を心の底から愛してるの……強引だったのは、ごめんなさい。……でも、愛してる。だから……ね?」

 

鼓動を聞かせながら彼に対してさらに囁いていく。そして私は僅かばかりのズルをした。

 

「少し……仲良くしましょうか?」

 

そう言って私は扇子を振り、耕也に能力を使う。すると、あれほど不安定だった耕也が一瞬にして安定化し、次の瞬間には身体が火照り始める。

 

そして耐えきれなくなったのか、コクリと頷く。

 

「ふふふ、イイ子ね……」

 

私が操ったのは、本能と理性の境界。高感度と低感度の境界。

 

これはズルであるが、私達には永遠の時間が約束されている。後は耕也の慣れを待つのみ。

 

すぐに耕也は私を愛してくれるようになるだろうが、ソレが待ち遠しい。

 

私はその場で服を脱ぎ、耕也に覆いかぶさっていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

彼女はスキマ妖怪。

 

それは直線か、曲線かは分からないが、彼女はその境界に立って物事の変遷を見守る。

 

彼女にとってこの度の出来事はあまりにも衝撃的過ぎた。

 

境界に立つことのない耕也。境界が見えなかった耕也。

 

ただ、殻が剥がれれば耕也の境界は自ずとソコに。

 

彼女はスキマ妖怪。

 

自分自身の孤独という心の隙間を埋めた。

 

彼もまた孤独であった。高次元ゆえに。

 

どんなに歩み寄ったとしてもその存在は変わる事はなかった。

 

現実世界という絶対的な高次元の存在だったのだから。

 

だから耕也も心の奥底では孤独からの解放を待っていた。

 

ただ、紫は耕也の心のスキマを埋めただけ。

 

それだけである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「藍、耕也、橙? 御昼ご飯にしましょう?」

 

「了解しました紫様。ほら耕也、橙。行くよ?」

 

「わっかりました~」

 

「ちょっと待って。もうすぐで薪を割り終えるから」

 

「良いから来るんだ。私と紫様に搾られたいか?」

 

「すみません今行きます……」

 

「どの道変わらんがな」

 

「…………はい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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75話 良いじゃないか別に……

食べたい時だってあるんだからさ……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「聞いてるかい? それでだねえ、映姫様ってのは確かに厳しいお方だけど、アンタぐらい徳を積んでたらきっと極楽行きのはずさ。だから安心しなって」

 

そう私は後ろに居る魂に向かって話しかける。

 

彼らは魂の状態では話す事ができないため、必然と私一人が延々と話し続ける事になるのだ。しかし、彼らの中にも身振りで反応をしてくれる者もいるため、それはそれで嬉しく思って会話を弾ませる事ができる。

 

「そうそう、聞いておくれよ。あたいは前に映姫様にこのボロ船を新調してくれといったんだけどさ、駄目だったんだよ。なんでも、最近は地獄の経営とかが苦しいらしくてさ、あたいだけに融通することはできないのだと」

 

と、私が言うとその魂はユラユラと小刻みに揺れて同意の意を示してくれる。それは大変だ。がんばれよ。とでも言うかのように。

 

それに私は微笑みながら、船の推進速度を確認する。ユラユラユラユラ。船は自分の命じた通りに一定の速度で川岸を目指して行く。

 

いつもならもっともっと多くの距離を船で渡らなければならないものの、今回はすでに向こう岸が見えているのである。

 

ソレもそのはずで、この魂は生前に多くの徳を積んだらしく、船賃の際には通常よりも多くの銭が袋から出てきたので、私は川幅を大きく狭めることにしたのだ。……いや、この場合は川幅自体ではなく距離というべきか。

 

「さ、もうすぐで着くからね。降りる準備をしておくれよ? とはいっても、飛ぶだけだから降りる準備も何もないさね…」

 

そう自分の言った事におかしさを覚え、自嘲気味に笑いながら船を川岸に横付けする。

 

横付けされた事を確認した魂は、ここまで運んでくれた事に礼を言いたかったのか、クルリと一回転して暫しそこで停止してから飛び去っていく。

 

私はその魂が極楽への道を行く事を信じて笑顔を浮かべながら手を振って見送る。

 

しばらく、河の流れを眺めて今日の仕事を振り返る。

 

「やっぱり千差万別だねえ……。あたいにはその人がどんな人生を歩んできたかは分からないけども、それでも徳の量は絶対になるのかねえ…今日も多いの少ないのがあったしさ…」

 

長らく死神をやってはいるが、今日ほど色々と考えさせられた日はない。

 

そこでふと私は思う。彼の魂はおそらく極楽に行くはず。ならその裁判の内容を少し見ても良いのではないだろうか? と。

 

私は重い腰を上げて裁判所へとゆっくりと歩いて向かって行った。

 

 

 

 

 

 

「では、来世でも必ず徳を積み、よき人生を謳歌しなさい。分かりましたね?」

 

と、裁判所の前まで来た時にそんな声が聞こえてくる。私はその声を聞くと、もう裁判は終わってしまったのかと少し落胆しながらも、無事その魂が極楽に行く事ができたのだと分かると少し嬉しくなる。

 

私は口角を釣り上げながらも、ついでに映姫様へ今日の仕事が終了した事を報告しようと、扉をノックして開ける。

 

中に居たのは、もちろん映姫様。先ほど裁判が終わったためか、神妙な顔つきをして書類と睨めっこしている。まあ、当然であろう。今日の最後の裁判とはいえ、全ての自分の裁判に誤りが無いか、さらには高効率化などの検討もしているのだろう。

 

そしてあまりにも集中しているためか、私が部屋に入った事に全く気が付いていないようだ。

 

しかし、いくら待っても映姫様はその書類から目を離さない。そして、書き込みながら小さな声でブツブツと呟いたり、偶に微笑んだり、怒ったような顔になったりする。

 

その表情が妙に気になった私は、失礼と思いながらも一体何を見ているのだろうと、忍び足で後ろに回り込もうと足を進め始める。

 

普段なら気が付かない筈が無いというのに映姫様は尚も気付かない。

 

一体ここまで彼女を集中させるものは何なのか? そんな考えが浮かんでくる。しかし、その表情の変化からはそれが何なのかは分からない上に、普段の性格からここまで露骨に表情を出してはいない。

 

確かに笑ったりなどの感情の起伏はあるが、それでもここまでにはならない。

 

そんな事を考えながらゆっくりと歩き、さらに彼女に近づいていく。

 

そして歩きながら彼女の机に視線を向けていく。、すると一つの違和感に気が付く。

 

この道具は一体何なのだろうか? と。

 

いつもの光景だったからそこまで気にかけてはいなかったが、今回は何時もとは違う事に気が付く。

 

私の視線の先にあったのは、傘のようなモノが付いた小物。何と言うのだろうか? 提灯のようにも見えるが、それは違う気がする。

 

しかもここに提灯など置く映姫様ではない。

 

ひょっとしたらこの小物もこの映姫様の表情の変化に関係しているのかもしれない……。

 

そう突拍子もない事を考えつきながら、後ろに回り込み終わり、横から書類を覗きこむ。

 

すると、そこには男の名前と似顔絵、そして罪歴などが書かれていた。

 

一体何なんだいこれは……。

 

似顔絵は何処にでもいそうな普通な男。しかし、それだけならまだマシであった。そしてそこにはこう書かれていた。

 

 

 

大正耕也。種族:人間

 

人間陣営から離反し、妖怪と結託。京の都を混乱に陥れ、旧地獄に封印処理される。その後、何らかの方法で封印を解除した模様。

 

封印される前には陰陽師を営んでおり、妖怪との接点も多かったとのこと。そして、人間陣営からの離反行為としては、大妖怪である八雲紫、八雲藍、風見幽香との深い関係を持っていたとのこと。

 

また、旧地獄で築いた罪もあり。内容としては閻魔の裁定行為に対しての愚弄、悔悟棒の破損および損壊、不老、姦淫、等々数えきれないほどの罪あり。

 

この裁きの法廷に来るとすれば彼は確実に地獄行きであろう。それも一番深い地獄の底に。

 

現在は酒屋に就職し日々の銭を稼いでいる模様。ただ、それが彼にとって好ましいかは私にはわからない。

 

彼がその仕事に満足しているのならば私はソレを見守る事にする。しかし、もし彼がそれ以上の待遇を求めているのならば、私専属の書記官として罪を償いながら務めるのも、また一つの彼にとっての救いではないかと愚考する。

 

しかし、それでも彼の罪は償いきることは出来ないであろう。なぜならば、国を傾けた妖怪等と共にある事自体が問題であり、それが解決されなければ永遠に彼の罪が消える事が無いからである。

 

これは友人の私、四季映姫にとっても可及的速やかに解決しなければならない問題である。いや、一刻も早く解決しなければならない問題である。私は彼を地獄送りにしたくは無い。

 

だが、彼は私の友人であり、そして良き話し相手でもある。地獄、天国、冥界、現世。このどこにも彼に相応しい場所は無い。ここで働くという事が一番ふさわしいのではないだろうか?

 

 

 

あまりにも閻魔としての考えから外れてしまっている。

 

ソレがこの文書を見たときに思った事の一つ目であった。一体映姫様はこの男に対してどれほど傾いているのか? いや、そこまでではないかもしれないが、平等公平に裁かなければならない立場のはずである映姫様が一人の人間にここまで気を配る事は今まで無かった。

 

不必要に近づきすぎると裁判時に私情が入ってしまう可能性があるからだ。映姫様に限ってそんなことは無いだろうが、それでも私としては不安である。

 

それにしてもこの大正耕也とはいったい何者なのか? 私にはこの男が本当に人間なのかすら怪しく思えていた。いや、これは人間ではない。不老である時点で人間ではないのだ。

 

だが……例外もある。そう、この世の中、何事にも例外はつきものなのだ。一概にこれが人間ではないと決めつけてはいけない。

 

そしてその映姫様の態度と、内容の凄まじさに私は思わず

 

「映姫様…………」

 

と、口から言葉を出してしまう。

 

すると、今まで穴があくほど書類を見つめていた映姫様の肩が面白いほど大きく震え、その場で背筋をピンと伸ばす。

 

そして、ゆっくりと此方を向き、私の顔を確認すると、映姫様は少し安心したような顔を浮かべてから、怒り顔になる。

 

「こ、小町! 貴方は何をしてるんですか! 理由もなく人の後ろに立つことは大変失礼な事なのですよ!?」

 

と、怒鳴られてしまった。そして怒鳴りながらもその表情はどこかしら焦っており、空いている手で書類を隠そうとするが、やがて私に見られてしまった事をさとったのか、溜息を吐いてその作業を止める。

 

そして、再度ため息をついた後、苦笑い気味に聞いてくる。

 

「…やっぱり見てしまいましたよね?」

 

私は申し訳ない気持ちにもなりながら、肯定の意を示す。

 

「はい、映姫様。申し訳ありません。…………ですが、一つお聞きしたい事があります」

 

「……どうぞ」

 

いつもの私らしくない態度。映姫様の前では結構お茶らけている事が多いのにも拘らず、今回は真面目に映姫様と会話をしている。

 

本当に私らしくないが、こうならざるを得ない状況なのだ。

 

唯の人間に閻魔たる映姫様がここまで気を掛ける人間。大正耕也。ひょっとしたら、その男に何か良からぬ事でもされているのではないだろうか? そんな考えも浮かんでくる。

 

だから、だから私は映姫様に、少しその書面の内容について聞く事にした。

 

「映姫様、その大正耕也と言う男は一体どういう人間なのですか?」

 

すると、映姫様は大正耕也という言葉を聞くと、左手を頬の部分に持っていき、両頬を覆うようにして抑え込む。明らかにニヤけそうになるのを我慢しているとしか思えない。

 

しかし、映姫様はすぐにその左手を下ろすと、私の方を見ながら言ってくる。

 

「大切な友人です」

 

そう映姫様が切り出す。そしてしばらくの沈黙が流れ、やがて再び映姫様が口を開く。

 

「……正直なところ、彼は私を閻魔と言う役職で見てはいないのです。おそらく私が間違っていなければ、彼は私を四季映姫個人で見てくれているのですよ……私にとってはそこが一番うれしい…」

 

そう言うと、映姫様は目を細めて静かに笑う。

 

そして私は思う。……何て美しい笑顔なのだろう。と。

 

何故か私には今の映姫様の顔が非常に眩しく見え、そして慈愛に満ちた顔にも見られた。

 

確かに彼女に接する者は閻魔である映姫様に対して遠慮、畏怖等といった態度で接する事が多い。それだけ閻魔と言う役職は重要であり、また高位の役職でもあるのだ。

 

そして人間なら誰しもが閻魔と言う言葉を耳にしたら畏れるはず。特に人間ならば。自分の死後が関わってくるのだから畏れないで接する事など無い。それは極悪人でも同じ事。映姫様の前では唯の赤ん坊にすぎない。

 

ソレをその男は容易くやってのけている。何らかの対策を練っているのか、それとも唯の馬鹿か、阿呆か。

 

どちらにせよ、何らかの事を映姫様にしていたら私が許さない。そして、その男を私が直々に調べてやろう。

 

そう決意すると、私は映姫様に向かって言った。

 

「それは良かったですね映姫様……この事はあたいの心の奥深くにしまっておきます。…そして、今回の事は申し訳ありませんでした。……そろそろ失礼いたします。さすがにこれ以上御仕事の邪魔をするのは良くありませんので……」

 

と、その言葉と共に私は一礼し、背を向けて部屋から出ていく。

 

大正耕也とやらに会う為に。

 

 

 

 

 

 

 

「いや~~~~! やっぱ食いたくなるもんだね偶にはさ!」

 

と、誰もいない家でバカみたいな声で大声を上げつつ、箸を手にとって目の前に鎮座している食品と睨めっこする。

 

ペ○ング ソースやきそば超大盛タイプ。大学時代は良くお世話になった超お気に入りのカップ焼きそば。

 

何がすごいかと言うと、とにかくコスパが良い。美味いし安いしカロリーがあるから貧乏学生にはもってこいの焼きそばだったのである。

 

そして俺はそれが無性に食いたくなる時があり、味の思い出しを兼ねながら食べるのだ。

 

「やっぱりこの安っぽさと言うかなんというか、この…………良く分かんないけどいいや。とにかく食べよう。……独りで馬鹿騒ぎしても虚しいだけだしさ…」

 

そう自虐の言葉を言いながら、俺は御丁寧に創造された割り箸をパキリと割り、ソースが掛けられた麺を掻き混ぜて麺全体に絡むようにしていく。

 

「では……頂きます」

 

そう言いながら、大口を開けて一気にかき込んでいく。

 

ズルズルと麺を啜る音が周囲に響き渡り、何故か独りなのにも拘らず少々恥ずかしくなり、啜る状態から口に押し込む状態にシフトしていく。

 

「……あぁ~…やっぱ懐かし過ぎて、美味過ぎて涙でてきそうだ……」

 

そう思うのも無理はない。いくら千年以上前の出来事だといっても、思い出そうとすれば領域が記憶を補助してくれているのか、大学時代、家族の顔、暮らしなどが鮮明に蘇ってくるのだ。

 

いつか帰りたいなあ……とは思うが、それでもこの世界にいなければならないわけで。これが俺にとって良い事なのか悪い事なのか分からないが、とにかく今を大切にしていかなければならない。それに俺を想ってくれる大切な人達を支えてあげなければならないし。

 

そこまで思った時点で俺は、あんまりにも柄にない事を考えてたと後悔し、次には猛烈な恥ずかしさが頭の中を支配してくる。

 

そして恥ずかしさのためか、思わず左手に力を込めてしまい、瞬間的にパキリという甲高い木材の折れる音と共に割り箸が真っ二つに折れる。無意識のうちに握力を増大させていたのだろう。何とも馬鹿げた事に能力を使ったものだ。

 

「何だかねえ……カップ焼きそばで思い出す故郷ってのは……色々な意味で悲しいねこれ……もういいや、さっさと食っちまおう」

 

恥ずかしさやら何やらが複雑に混ざり合い、俺はその気持ちをどうにか払拭したくなり、焼きそばを掻きこむことで無理矢理消そうとする。

 

最早味など分からなくなり、口一杯になった麺を嚥下していくと、突然右方向から激しい音がする。

 

そして

 

「耕也! お空といいモノ持ってきたから一緒に食べよー!」

 

「たべよー!」

 

と、同時に声がしてくる。

 

「ぶふっ!?」

 

俺は突然の音と大声に吃驚してしまい、半分ほど嚥下しかけていた麺を口から噴出させる。

 

「ふんふっ!」

 

俺は何だっ! と言いながら、焼きそばを口から垂れさせながら玄関の方を見やる。すると、この地底でも良く見る2人組がいた。

 

お空とお燐である。

 

俺は急いで麺を飲み込み、2人を歓迎する。が、少し注意もする。

 

「いらっしゃい二人とも。……でも、ちゃんとノックをです……ね……?」

 

と、俺が最後まで言い終える前に、違和感を異変を察知して言葉を止める。その異変とは、何故かお燐がプルプルと腕を震わせているのだ。一体何故?

 

そして、脇に居る空も燐の行動を不思議に思っているのか、持っているバスケットのようなモノを抱えながら首を傾げている。

 

すると、燐が突然ビシリと指を俺に指しながら言ってくる。

 

「フシャーーーーっ! お兄さん! 何でそんな物食ってんのさ! 前にも言ったでしょ! 身体に悪いから駄目だって!」

 

と、俺に笑いながら怒るという何とも奇妙な顔をしてくる。

 

確かに、前に燐に試食させた時、一発でNGを出された事はあるが、さすがに俺自身が食う事に問題は無い気がするのだけれども……。

 

だから俺は彼女に反論する。

 

「えぇ? 良いじゃないですか。これくらい食ったって、身体が爆発したりするわけではないのですし……」

 

とはいっても、さすがに身体に悪いという事は知っているのでそこまで大きな声で反論する事ができない。

 

でも毎日食ってるわけではないのだからいいと思うのだけれども……なぜに?

 

「お燐、入ろうよ。ここに立ってても仕方ないじゃない」

 

と、空が燐をたしなめる。

 

「ソレもそうだね……お邪魔しまーす」

 

「しまーす」

 

と、言いながら家主に断りもなく勝手に上がってくる。まあ、別に俺は気にしないけども。

 

燐はぺ○ングをチラチラ見て睨みつけながら卓袱台を挟んで向こう側に空と仲良く座る。

 

空は、燐と違って満面の笑みを浮かべ、さらには持ってるバスケットらしきものを、ドヤ顔で卓袱台の上に置いてくる。

 

俺は仕方が無いので、一気に焼きそばを食べ終え、容器を始末して2人に聞く。

 

「ええと、まあ焼きそばの件は向こうに置いて……イイモノとはなんですか?」

 

と、2人に対して同時に聞く。バスケットの中身は白い布に覆われているため拝見する事は出来ない。俺が勝手に剥いで中身をみるのは大変失礼にあたるため、そんな事は間違ってもしない。

 

すると、燐が空を肘でチョイチョイと突き、答えるように合図する。空はピクリと身体を動かし、布に手を掛ける。

 

顔は先ほどよりもさらにニヤけたモノになり、にへらにへらえへへとばかりに白いに布を取っ払う。

 

そこから出てきたのは、普通の、何の変哲もない鶏の卵であった。

 

イイモノとは、これだったのか? と、思うがそれでも確かに……っと思った。

 

なぜなら、地底で卵と言うのは結構貴重だったりするのである。まあ、凄まじく貴重という訳ではないが、他の食品に比べて割りと高めで取引されている。

 

俺はなるほどなるほどと思いながら、空に尋ねる。

 

「卵だったのですか。これはこれは……どうもありがとうございます」

 

と、俺は素直に礼を言う。

 

すると空ではなく、今度は燐が口を開く。

 

「凄いでしょ? これ結構大変だったんだよ? お空が頑張ったんだ!」

 

と、友人の頑張りを誇らしげに言う。すると、空も自分が褒められてる事をさとったのか、瞬時に顔をエヘンとばかりに得意げにし、その大きな胸を前に出す。

 

俺はその光景に目を奪われながらも、次の空の言った言葉に耳がおかしくなったのかと驚きを隠せなくなる。

 

「凄いでしょ。私の卵なんだもん!」

 

………………へ? 俺は今まさに鳩が豆鉄砲を食らったかのような顔をしているだろう。

 

空の卵? ………………するってえとこの鶏の卵と思わしき物だったのは……?

 

俺はその空の言葉に男さながらの想像をしてしまう。それも鮮明に。もうそれは複雑なほどの。

 

……つまりはエロいのである。もし空の言っている事が事実だとすれば、俺の想像と解釈が正しければ、間違いなく非常に、極めて、異常にエロいのである。

 

俺はその事が真っ先に浮かんできてしまい、顔が熱くなる。そしてそれと共に空と卵の事をまともに見れなくなってしまい、思わず燐の方を見てしまう。

 

すると、燐は俺の方を見るや否や、顔を真っ赤にして怒りだす。

 

「フッシャーッ!! な~に勘違いしてんのさ! お空が産んだ卵な訳ないでしょ! 何想像してんだいこの変態! スケベ! 変態! ド変態!」

 

と、燐は顔をもっともっと、さらにさらに赤くしながら指を指して怒る。

 

「ごめんなさい!」

 

と俺はその場で頭を下げまくる。情けないがこれが俺の立場なのか……。

 

そう俺は思いながら燐の大声をこの身に受ける。

 

対する空は、燐が怒ったことで漸く自分の言った事を理解したのか、顔を燐とは違う方向で真っ赤に染めて下に俯く。

 

そして

 

「へ……変態…そんなに……見たい…の?」

 

と、とんでもない事を言ってくる。

 

思わず俺と燐が

 

「えっ!?」

 

と、同時に叫んでしまうほどとんでもない事を言ってくる。

 

俺達が驚きの声を上げると、空は慌てて両手をブンブン振りながら

 

「ち、違うよ! 耕也は変態だって事を決定づけるために言っただけなんだよ!」

 

と、何とも言い訳としては苦しい言い方をしてくる。

 

燐もソレを察しているようで、顔を赤くしながら空の方見ている。

 

すると、まるで湯気が上がってしまうかのように顔を真っ赤っかにして、ゴニョゴニョと何かを言いながら再び俯く。

 

そして三人にしばらくの沈黙が訪れる。……空の言った一言で場の空気が一瞬にして桃色と言うかなんというか……安易に口を開けない状態となってしまった。

 

流石にこの空気はお互いに悪いと思い、俺は何とかこの妙な状況を打破しようと、口を開こうとする。

 

すると、そこで玄関の扉をノックする音が聞こえてくる。そして同時に声も聞こえてくる。

 

「すまないね。ちょいと聞きたいのだけども、ここは大正耕也さんの家でいいかい?」

 

と、随分とフランクな物言いで尋ねてくる。

 

はて? 一体誰だろうかなと思いながら、燐と空の顔を見やる。するとどう言う事か燐と空が顔を少々強張らせている。

 

俺は首を傾げながらも、対して気にする事ではないと思って立ち上がる。

 

「ちょっと待ってて下さい。燐さん、空さん」

 

そう言いながら俺は席を立ち、玄関へと向かう。

 

磨りガラス越しに見ると、何か長い棒のようなモノを持っており、髪の毛は長く赤い。一体誰なのだろうか? と思いながらも、訪問者を待たせるのは失礼なので急ぎ足で近寄っていく。

 

「はい、少々お待ちを」

 

と、俺は言って扉の目の前まで歩き、取っ手に手を掛ける。

 

「どちらさまでしょうか……?」

 

俺が声を掛けながら引き戸を開け、外の人物を確認する。

 

「あんたが大正耕也かい……?」

 

と、相手は朗らかに笑って言ってくる。……が、何故か目がちっとも笑ってない。一体なにゆえ……。

 

そして確認した瞬間に俺が固まってしまった。と言うよりも顔が強張る。

 

一体何故にこの人がここに居るのだろうか? それが真っ先に出た感想であった。

 

目の前の人物は、どう考えてもこの場所に来るという事は無いであろうと思っていた人物の一人。いや、映姫が来たからきてもおかしくは無いのだろうか?

 

しかし、そんな考えはどうでもいい。

 

小野塚小町。先ほどの長い棒は鎌だったからなのか……。

 

何とも嫌な予感しかしない俺は、そっと扉を閉じたくなる気持ちを抑えながら、控えめに笑って尋ねる。

 

「はい、仰る通り私が大正耕也です。……御用件をお尋ねしても宜しいでしょうか…?」

 

 

 

 

 

 

 

本当に嫌な予感しかしない……

 

 

 

 

 

 

 

 



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76話 振り廻すのはやめよう……

危ないからそれはよして下さい……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あんたが大正耕也かい?」

 

そう目の前の人物から声を掛けられる。女性にしては中々背が高く、そして顔が整っており、燐や空とはまた違った妖艶さを滲ませていた。

 

名を小野塚小町。死神である。

 

一体何故彼女がこの場所に居るのか分からないが、とにかく俺に何らかの用件があってここに来たのだろう。

 

彼女が此処に来る理由は何か? 俺は短い時間、彼女に返答しながら考えをめぐらす。

 

「はい、私が大正耕也です。……御用件をお伺いしても宜しいでしょうか?」

 

と、無難に返しながら。

 

彼女が此処に来る理由。もちろん、彼女は不老だから俺に対して妖怪との付き合いの忠告や、仙人みたいに100年おきに命を頂戴するという刺客の勧告をしに来たと言う可能性もある。

 

しかし、妖怪との付き合いの忠告など唯の死神がするモノではない。突発的に訳の分からない考えが出てきてしまった事に、少々むず痒さを感じながら、もう一つの刺客について考える。

 

刺客。仙人になった場合、自分を研鑽しながら100年ごとに来る死神を撃退し、その寿命を100年伸ばしていく。負ければそのままお陀仏。

 

これなら確かに可能性としてはある。彼女の耳に届いていたかは分からないが、地上に居たころでは仙人と偽っていたのだから、それが訂正されぬまま彼女の耳に届き、今に至るという事。

 

ただ、ソレだと今の現状を見たらおかしく思うのが普通か……。

 

俺は二つの考えを破棄し、別の考えを捻りだす。

 

が、捻りだす前に小町が答えを言ってしまった。

 

「いやね、映姫様が良くあんたと会っているらしいからさ。ちょっと興味が湧いてね。……ああそうそう、自己紹介がまだだったね。あたいの名前は小野塚小町。死神をやらせてもらってるよ」

 

と、言いながら手を差し出してくる。俺はそれに断るはずもなく、素直に応ずる。

 

「ああ、映姫様のお知り合いの方でしたか。これはどうも。お世話になっております」

 

と、ちょっと変な返し方になってしまったが、まあ大丈夫であろう。とタカをくくって手を握り返す。

 

すると、小町は依然として目は笑ってはいないが、朗らかに笑いながら握手してくれる。

 

しかし、ただ会いに来たという訳で、何故鎌を持っているのか? 死神のトレードマークだからと言えばそれでおしまいなのだが、妙に鎌に殺気が込められているような気がしてならない。

 

俺はほんの少しだけ鎌に視線を移した後、少々寒気を感じながら、小町を家に入るように促す。

 

「立ち話もなんですから、どうぞお入りになってください」

 

極秘の会議や、研究結果の報告の話ではないのだし、中に燐や空が居ても大した問題ではないだろう。もしあれだったら、商店街の茶屋等に場所を移す事になるが。

 

空たちを留守番にさせるのも悪いなと思いながら、小町の反応を待つ。

 

「いや、ちょっとそこの岩場あたりで話そうじゃないか。ちょっと人に聞かれたくないからね」

 

と、少し離れた所にある岩の丘というか何と言うか。とにかくでこぼこした岩が点在する場所を指差して言った。

 

俺は彼女の人に聞かれたくないという意思を読み取り、小町に少々待ってもらえるように言う。

 

「では、少々お待ち下さい。燐さんと空さんに言っておかなければならない事がありますので」

 

と、小町に待ってもらうように、断りを入れる。

 

すると、小町は俺の肩辺りに首を出し、中を見て目を丸くする。

 

「おや、本当に燐と空じゃないか。交友関係があるねあんた」

 

と、少々感心したような表情で俺に言ってくる。確かに、死神にとっても唯の人間が妖怪を家に上がらせているのは珍しいであろう。……いや、旧地獄に居る時点で十分に人間としておかしいのではあろうが。

 

そして小町は感嘆の言葉を言った後、俺に背を向けて足を進めながら言ってくる。

 

「じゃあ、あそこに居るから来ておくれよ?」

 

と、特に急いだような気配もなく、そしてだらけたような雰囲気も出さないような感じでスタスタと歩いていく。

 

「はい、分かりました。ありがとうございます」

 

と、言いながら俺は玄関の方に振り返り、中に入って扉を閉める。

 

扉を閉めた途端に、あの嫌な空気から逃れられた事を実感してか、溜息を深々と吐く俺がいる。

 

何故か終始小町の目は笑っておらず、殺気か何かが織り交ぜられていた気がするのだ。しかも何故か会話を続けていくごとにそれがだんだん強くなっている気もした。

 

俺は特に何か悪い事をしたわけではないのだが……。

 

「耕也……」

 

と、卓袱台あたりから、かわいらしい声が聞こえてくる。その声は良く聞き覚えのある燐であった。

 

少々眉毛をへの字に曲げながら、心配そうな表情で此方を見てくる。むろん、声には出さないが、空も少し悲しそうな表情を浮かべており、俺の事を気遣ってくれているのが分かる。

 

俺はそれに何とも言えぬ、恥ずかしさと強烈な嬉しさが心を満たしてくるのが分かり、顔にそれが出てしまう。

 

要は笑みである。

 

「大丈夫ですよ燐さん、空さん。……死神はちょっと怖いかもねこりゃ……」

 

正直なところ、プレッシャーのようなものがあるとは感じてはいるが、領域が健在なので身を縮こまらせる必要はない。

 

だが、燐たちには小町から発せられる空気が伝わってしまっていたのか、服の上から肌を撫でつけている。

 

「ちょっとね。未だに死神の目は慣れないもんだよ……耕也、何かしたの? アレは結構機嫌悪いかもよ?」

 

「うんうん、結構悪いかも……」

 

と、燐と空が2人して同じ事を言う。俺は領域があるせいか、大した殺気や眼力は感じなかったのだが、妖怪にとっても危ない存在である死神の目は結構きついモノがあったのだろう。

 

2人を巻き込んでしまった事に申し訳なく思い、俺はその場で2人に謝る。

 

「すみませんお二人とも。早急に話をつけて参りますので。……もし遅くなるようでしたら、家のモノを好きに使って構いませんので何か作って食べて下さい。器具の操作方法などは前にお教えした通りですので」

 

と、遅くなることも考えながら2人に言う。

 

しかし、まだ2人は不安そうな顔を浮かべる。まあ、確かにあの雰囲気の死神に人間が会いに行くのだから不安になるのも仕方が無いであろう。

 

俺はソレを気にしないでほしいと思いながら、彼女らを安心させるような言葉を言う。

 

「安心して下さい。自分は大丈夫ですよ。領域があるので」

 

と、左腕を右手で叩きながら無傷で帰ってこれるという事をアピールする。

 

すると、少しは気が楽になったのか、笑みを浮かべながら燐が言ってくる。

 

「そうだね~、無傷で帰って来なかったら、卵の件も含めて色々悪戯するからね!」

 

「変態にはお仕置きが必要だよね!」

 

と、先ほどの卵の件を絡めて言ってくる。……仕方が無い、卵絡めたカルボナーラでも御馳走してあげようかな? お詫びとして。

 

と、しょうもない事を考えながら、2人の言ってくる事に感謝する。

 

「ありがとうございます。じゃあちょっと行ってきますので」

 

と、言いながら2人に背を向けて扉を開けて外に出る。

 

何ともまあ、妙な事を言っている俺だなと思いながらも、小町のいる方角に目を向け、歩き出す。

 

彼女は、玄関から出た俺の視界に収まる範囲に居るため、俺が外に出てきた事を見るや否や、此方に手を上げて合図してくる。

 

俺はそれに素直に合図を送り返し、小町の場所まで真っ直ぐに、テクテクと歩いて近づく。

 

「まあ、此処に座りなよ」

 

と、小町が自分の座っている岩場の隣をポンポンと叩きながら座るように促してくる。

 

「失礼します」

 

と、一言断りを入れて座る。彼女は特に俺に対して殺気のようなモノをぶつけてはこない。今は。だが。

 

俺はいつこの穏やかな雰囲気が危険なモノに変わるのかを恐れながら、小町が口を開くのを待つ。

 

しばらく沈黙が続く。沈黙が続く。

 

段々とこの空気に不安になって来た俺は、自分から口を開くべきか迷ってくる。

 

「じゃあ、本題に入ろうか。……まず、一つ聞きたい事があるのだけれども、良いかい?」

 

と、俺の迷っている間に小町が此方に質問してくる。何とかこの空気を払しょくできたことに俺は安心感を得ながら、小町の言っている事に答える。

 

「はい、どうぞ。自分に応えられる範囲であればですが」

 

というと、小町はあはは、と笑いながら言ってくる。

 

「そんなに難しい質問じゃないさ。ちゃんと答えられるものだよ」

 

と言ってさらに言葉を言ってくる。

 

「さて、質問の内容だけれども、耕也。あんたは映姫様とどんな関係なんだい?」

 

と、聞いて来る小町。いきなりそう言われては誰だって面喰うのは当たり前だが、何故小町が映姫と俺との関係について言ってくるのだろうか?

 

彼女との関係は、親しい友人であり、仕事の愚痴、今後の人生の方針などの説教などを賜る関係ではある。特に俺から何か悪いことをしたわけではないから、小町が俺と出会ったときに怒っていた理由がいまいち思い付かない。

 

いや、もしかしたら俺の所に来る回数が多く、映姫の仕事の効率が落ちてしまっている。だから小町はソレを見かねて、元凶である俺に対して怒りを覚えて此処まで来た。……この推測があっているのならば、小町が此処に来た理由も分かるし、先ほどまで怒っていた理由にも説明ができる。

 

俺は何ともこれからの話が嫌になりそうな気がしながら、小町の言う事に答える。

 

「はい、自惚れも甚だしいのですが、私と映姫様は親しい友人であると思っています。自分は不老ですので、罪を重ねず、軽減させるように説教を賜っている関係ですね。感謝してもしきれません」

 

と、無難に答えを出していく。此処で不用意な事を言って小町の機嫌を損ねさせたら、さすがに唯の馬鹿に俺はなってしまう。

 

と言うよりも、事実を言ったまでだから嘘も何もないのだが。

 

そして、そう考えながら小町の反応を待っていると、小町は少し考えてからまた一言質問してくる。

 

「耕也。あんたは、今の仕事に満足してるのかい? もっと待遇を上げて欲しいという気持ちとかないかい? あと、さらに罪を軽減させたいとか……」

 

と、先ほどよりも柔らかな雰囲気で、何かを斡旋してくる。だが、何故か鎌を握る手は柄の部分を強く握りしめる。ギリリという音が聞こえてきそうなほどに強く。

 

一体この良く分からない矛盾した行動は何を表すのか。今の俺には判断材料が不足していたため、その真意を確かめることはできなかった。

 

そして俺に出来ることと言えば、ただただ彼女の質問の意図を考えていくのみ。一体これに答えたらどのような返答が来るのか?

 

俺はソレを脳の片隅に置きながら、考えていく。

 

待遇を上げる。……もちろんこれは別の仕事を斡旋しているであろう。一体どんな仕事なのか? そして、罪を軽減させる。これが一体どんな手段なのかは分からないのだが、映姫の説教以外に罪をより素早く軽減させる方法があるのだろうか?

 

良く分からない質問の内容に俺は若干の戸惑いを覚える。が、俺は一応自分の考え……まあ、考えという名の希望を述べる。

 

「自分は特にそこまで高給をもらわなくても十分にやっていけます。……罪を軽減させるというのは……興味がありますね」

 

と、自分の考えを述べた。彼女に伝えた事は、罪を軽減させる事を希望。これだけ。

 

果たしてこれがどんな事になるのかは分からないが、取り合えず攻撃されるという事は無いであろう。

 

まあ、領域があるから別に大丈夫。と言う安心感もあるため、俺は小町の返答を待つばかり。

 

「じゃあ、ちょっと、三途の川まで来てくれないかい? ……いや、裁判所にまで来てくれないかい? 罪を軽減させるにはそれが一番さね」

 

と、良く分からない事を言ってくる。何故そこに向かうのが罪の軽減につながるのか? 若干戸惑いを覚えながらも、俺はそれに返答する。

 

勿論

 

「ええ、……分かりました。……痛い事とかじゃあないですよね?」

 

と、念のために疑問を解消する言葉を混ぜて。

 

すると、小町はカラカラ笑いながら言ってくる。

 

「大丈夫大丈夫。いや、大丈夫さね。別にあんたが何かしたってわけじゃあないからさ」

 

と。……しかし、鎌の柄に掛かる握力は増していくのが見て取れる。もはやそれは折れてしまうのではないかと思えてしまうほどなのである。

 

だが、俺はソレを見なかった事にした。

 

また小町の言っていた、何かしたという部分に妙な引っ掛かりを感じた俺だが、別に大して気にする必要はないと感じ、そのまま小町に返答する。

 

「いやあ、良かったです。一瞬針山地獄とかそう言った所に連れていかれるのかと思いました。……え~と、小野塚さん。その場所まで御案内お願いできますか?」

 

と言うと、小町は俺の反応に気を良くしたのか、立ちあがって前に行くように促してくる。

 

「じゃあ、あたいが案内してあげようか。……おっと、ちょっと待っておくれ。ひもが切れてしまったよ……」

 

そう言って、小町が下駄のような履物の部分を指差して言ってくる。

 

左足の部分のひもが解け、とてもではないがこのまま履いて歩けるような状態ではない。

 

しかし、小町は此方の方を向き笑いながら言ってくる。

 

「悪いけど先に行ってもらえるかい? 予備のひもがあるから、すぐに直せるよ。少ししたらすぐに追いつくから、この道を道なりに歩いていてもらえるかい? あたいにとって距離なんてあってないようなものだからさ」

 

と、自信満々に。

 

俺はなるほどと思った。確かに彼女が修理に手間取って、俺との差が1km、2km離れようと、彼女は距離を操って此処まで一気に来る事ができる。

 

ならば、大丈夫だな。

 

そう思って俺は了承する。

 

「分かりました。この道を真っ直ぐ行けばいいのですね?」

 

正直裁判所までの道なんざ分からないから、念のために小町に確認を取る。

 

小町は笑顔で此方に返答してくる。

 

「そうそう、その道を真っ直ぐだよ。……後でちゃんと行くからさ」

 

と、彼女は自信満々に。

 

まあ、彼女は俺がこの地底に来る以前から頻繁に行き来をしていた可能性が十分にあるため、その自信の高さを疑う必要はどこにもない。

 

俺は

 

「分かりました。では先に行ってますので」

 

と、断りを入れてからその道を歩く事にした。

 

 

 

 

 

 

 

やっと行ったか……。

 

耕也の後姿を見て私はそっと溜息を吐く。そして溜息を吐いた後、圧壊するほど握っていた鎌の柄から、そっと握りしめていた手から力を徐々に抜き、緩めていく。

 

「……一体何なんだいあの男は…」

 

そう小さくなっていく後ろ姿を見ながら、再び溜息を吐く。

 

いや、映姫様に何かをしていたわけではないから、別にそこまで悪く思っているわけではないのだけれども、それでも思う所がある。

 

あの男は異常だ……。そう一目見たときから思っていた事。初対面で私が死神だという事を知っても全く怖気づかなかった男。

 

怖がってそうな顔をしてはいたが、眼の光は全く怖がっておらず、心の底から震え上がっているわけではなかったのだ。

 

そしてあの男よりも当然強いであろう燐と空。この二人があたいの姿を見て怖がっていたのだから、この異常性が際立ってくるというモノ。

 

話してみたところ、確かに礼儀正しいし、わざと粗野な接し方をしてみたが、それでも怒ることなく丁寧に接してきた。好感を持てる男だというのは間違いないだろう。だだし。

 

本当にあの男の本質が分からない。この世の人間ではないかのように浮いて見えるのだ。……そして何よりも!

 

「…………何で殺してしまいたくなるんだろう……? 殺したくないのにねえ……あたいの身体に何が起きているのやら…」

 

もう一つの異常性。それは、耕也と出会ってから首を擡げていた物の一つであった。私という死神は本来なら人間の命を狩るモノではないのにも拘らず。だ。

 

だが、ソレを一つ成し遂げられてしまえばきっと、いや、物凄く心地の良い事なのだろう。

 

そう思ったところで一つの考えが生まれてくる。

 

裁判所に案内するはずだったのだが、彼は私の道案内が無いと辿りつく事ができない。

 

途中までは私が案内すれば全く問題ない。途中までは特に何の障害も無く彼を導く事ができる。

 

ただ、その途中からが非常に難しいのだ。なぜなら、その先にはあたいが操る船に乗らなければならない。

 

そう、この部分である。私の船に乗るには、規則的にも死人の魂しか乗る事が許されていない。

 

ならばどうするか……? 映姫様が耕也を欲している。そして彼は、私が接してみても悪人ではないという印象が強かった。そして彼も罪の軽減を行いたい。

 

これら全てを達成させるには、必ず三途の河の横断が必要となってくる。

 

私は、その事を考えていると、まるで電流が全身を駆け巡ったかのような凄まじい、衝撃のような考えが浮かんでくる。

 

これは……もしかしたら私にとっても良い事なのかもしれない…?

 

その考えが浮かぶと途端にソレを実行して現実のモノとしたくなってくる。

 

……それは、耕也を殺して魂の状態にして運ぶ事。

 

これを思った瞬間に急激に彼を殺したいという気持ちが強くなってくる。……一体何故か? ……いくら考えても良く分からない。

 

これでは殺人鬼ではないか……。私はこの衝動的な欲求に戸惑いを覚える。

 

だが……、耕也を殺さなければ映姫様に会わせる事ができない…。

 

私は自分をそう正当化すると、地底の溶岩からの光からの照り返しを受けて鈍く輝く刃を持った鎌を再び手に持つ。

 

「悪く思わないでおくれよ耕也……痛くないからさ…」

 

そして、予備の紐を数十秒で付け替えると、私は一気に耕也の所まで距離を短縮した。

 

 

 

 

 

 

 

「いつになったら来るのやら……」

 

結構歩いているのだけれども、一向に小町が姿を表さない。すぐに直ると言っていたのにも拘らず。

 

今もだが、偶に後ろを振り返っても全く来る気配が無いから、少々心配になって来たのだ。

 

「仕方ないか……手間取ってるという事もあるのだろうし……」

 

そう思いながら、再び前を向きつつ足を進めていく。段々と上り坂になっているこの道は、両脇に大岩が点在しているので、それが壁の役割をしているというのが分かる。

 

とは言っても、点在する程度なので隙間だらけなのには間違いはないが。

 

そしてしばらく歩いていると

 

「すまないね耕也。待たせてしまって」

 

という声が突然して、間の前に銀色の薄い板が首辺りに配置される。

 

俺はソレを首を動かさずに眼だけを動かして、薄い板の正体を見る。

 

その異様なモノに俺は声を上手く出せなくなってしまい

 

「あの……これ……は……?」

 

と、情けなくこれしか言えなくなる。

 

「耕也。ちょっと不具合が発生したのさ。そうさね、罪を軽減させるために裁判所に渡る。ここに不具合が生じてしまったという訳さ」

 

と、良く分からない事を言ってくる。その声を聞きながら確かめた薄い板は、小町の所有する死神鎌であった。

 

ソレが俺の首に巻きつくように配置され、小町が手を捻るか間違えれば簡単に俺の首が飛ぶようになっていた。

 

俺が少々この状況が飲み込めないまま。小町は説明を続けていく。

 

「実はね……その不具合ってのは、あんたが生きているという事なのさ……。あんたが生きていると三途の川を渡る事ができない……つまりは……分かるね?」

 

つまりは俺に死ねって事か。三途の川を渡るには俺が死んで魂のまま小町の船に乗らなければいけない。そこまでを推測し、理解した瞬間に、何とも嫌な気持ちにさせられる。

 

これはどうするか……。

 

俺はこの状況を何とか打破したいという気持ちになりつつ、固まったまま彼女に話しかける。

 

「では、……もう案内しなくても良いですって言ったら……どうなります?」

 

俺が道の案内を断れば彼女も俺を殺さなければならない理由が無くなり、俺も無傷のまま家に帰れる。

 

っという考えが浮かんで来たから彼女にそのまま言ってしまったのだが、彼女が納得してくれるとは到底思えない。

 

だから、俺はこの刃がいつ食い込もうとしてくるのか、少々落ち着かない心で見ている。まあ、もし来たら切断する前に刃の方が吹き飛んでしまうが。

 

俺は彼女の行動をひたすら待っていると、なんと彼女は刃を下ろしてくれたのだ。

 

「そうだね……無理に行かなければならないという事態ではないし、あんたの行動をあたいが決めていいわけじゃあないしね……」

 

そう、理解を示してくれたのである。俺はそのまま小町から離れて、向かい合う。

 

俺が何とか彼女に対して、落ち着くように言おうとしたのだが

 

「…………とでも言えば良いと思ったかい耕也っ!!」

 

小町は、俺がホッとした瞬間を見計らってきたのか目を見開き、口に大きな笑みを浮かべながら、鎌をぶん回してくる。

 

「うわぁっ!?」

 

俺は突然の小町の行動に驚いてしまい、咄嗟の行動としてジャンプを敢行してしまった。

 

刃が当たる寸前にジャンプが作動し、景色がすっ飛んで行く。突然の事だったものだから、領域などの存在を忘れてしまっていたせいか、行き先を指定せずに作動させてしまった。

 

そしてすっ飛んだ瞬間に凄まじい轟音と共に目の前が全て真っ赤なモノに包まれる。

 

激突の際は、まるで凄まじい粘体に突っ込んだみたいな変な音。物凄く不快な音。そして破裂したような音もする。

 

「……な、……な……んじゃこりゃあっ!?」

 

反射的にそう言いながら、中でもがきまくる。すると、真っ赤になった景色から領域が勝手に俺を浮上させて脱出させてくれる。

 

すると、浮上した時に映った景色はとんでもないものだった。

 

「……溶岩地帯じゃねえか…………」

 

そう、赤熱した岩や鉱石が溶け流体と化した溶岩。この熱の川に俺は突っ込んでしまったのだ。この岩すら溶けてしまうほどの温度から俺の身を守ってくれているのは勿論領域であろう。

 

浮きながら周囲を見てみると、先ほどの小町と俺がいた道が見える。大凡距離としては2kmほど。つまり俺はそれくらいぶっ飛んでしまったのだ。

 

ろくすっぽ場所を指定しないものだから、この結果と言う訳か……。

 

そして、理解した瞬間に次には大きな焦りが生まれてくる。領域が保護してくれているとはいえ、流石に俺は人間。こんな場所に居て平常に居られるわけが無い。

 

「やばい……はぁっ……はぁっ……とにかくヤバい!」

 

自分でも訳の分からない事を叫び散らしながら、再び準備不足のままジャンプを発動させる。

 

また景色が吹っ飛び、今度は大きく堅いモノに衝突し、轟音と共に何かを撒き散らしながら、灰色の板か何かに転がり込む。

 

俺は何とか転がった状態から膝つきの状態まで身体を起こして呟く。

 

「今度は何だ……」

 

先ほどの溶岩で精神的にどっと疲れてしまった俺は、周囲の状況を把握することすら面倒になりつつあった。

 

だが、それでも確実に状況は把握しなければならないため、何とか首を回していく。すると、右方向に小町が小さくいるのが見える。

 

そして後ろを振り返ると、壁の役割をしていたのであろう。大岩に大穴が空き、見るも無残な姿へと変貌してしまっている。

 

次に下を見る。当然ではあるが、先ほどの溶岩とはまるで違う、唯の岩の板であった。

 

それに何とも言えぬ安心感を覚えると、今度は先ほどの溶岩を思い出し、またもや身体が震えてくる。寒気がする。

 

いくら領域に包まれていたから取っても、二度と行きたくない場所である。しかも予期せぬ事態だったものだから、嫌悪感も倍増である。

 

俺が身体を震わせながら、溜息を吐いて、服の上から腕を擦っていると、小町がすぐ傍まで距離を短縮してくる。

 

その表情を良く見てみると、何と驚きに包まれているのである。もしかしたら、溶岩に突っ込んだり大岩に衝突したりしても生きているから驚いているのかもしれない……。

 

だが、そんな事を深く考える事ができない俺は、ただ小町に一言言うだけである。

 

「……どうしますか?」

 

すると、小町は良く分からない複雑な顔をしながら一言。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「耕也……あんた本当に人間かい……?」

 

 



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77話 扉を閉めるのかい……

何とも重厚な扉ですね……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この川の水は、現実世界及びこの世界に流れる一般の川と比べて何ら遜色無い透き通った流体であるというのにも拘らず、そこに入れば二度と這いあがることはできないという。

 

何とも不思議な力を持つ川だなと思いながら、木製のオールが軋む心地よい音を聞きつつ向こう岸が見えないかと淡い希望を持ちながら眺める。

 

が、見えるわけも無く。ただただ水の流れと、船が水をかき分ける音。そして俺の後ろから聞こえる音が響くのみが響き渡るだけである。

 

そう、これだけならまだ良い。まだ良いのだ。だが、俺は少々気分が落ち込みつつあるのだ。

 

その理由としてが

 

「あの~……小町さん。もうかれこれ二時間なのですが……。まだ向こう岸には着きませんかね?」

 

これである。

 

何時まで経っても向こう岸に着かないのだ。後ろを振り返れば、少々眉をへの字にして困ったような顔を浮かべた小町が、オールを握りながら

 

「仕方ないじゃないか……良く分からないけれども、耕也と私を含めた船全体の川幅に対する距離を縮めようとすると、全くできないのさ……何がどうなってるのやらさっぱりさね……」

 

と、言ってくる。

 

聞いた瞬間に俺は心の中で冷や汗が出てくるのを感じた。マズイ。これは非常にマズイ。なぜなら、小町は今現在船全体、俺を含めた部分まで能力を使用している。

 

対する俺は、今現在絶賛内部領域展開中。小町の能力等問答無用で無効化してしまっている。つまりは、いくら小町が頑張っても、鼻血を出しながら頑張っても距離など一向に縮まらないのだ。

 

これが何を意味するか? …………バレたら怒られるに決まっている。どうしてもこの力を展開している以上、小町の能力は無効化されてしまうのだ。

 

……そろそろ、色々と工夫できるように頑張ってみようか? 此方が指定した能力は普段通し、攻撃的になったら効かないとかそんな感じの利便性を追求してみたり。

 

と、そんな事を考えていると、後ろから悲しそうな声が聞こえてくる。

 

「どうなってんだいまったく……此処に来てあたいが根を上げそうになるとはねえ……」

 

と、言ってくる。俺はソレを聞くとやはり申し訳なく思い、内部領域を含め全ての領域を解除する。もちろん小町に気が付かれないように。

 

するとその瞬間、視界の先から、灰色の横一線が現れ、猛烈な勢いで大きくなってくる。

 

「お、来た来た! なんだいなんだい? ちゃんと通じるじゃないか! ……原因は何なのかさっぱりだけどもさ……」

 

と、嬉しそうな声で後ろから叫ぶ小町。小町は元々人間ではなく死神なので、眼が良いのだろう。俺よりもその灰色の線を把握したようだ。

 

数秒後、俺にもその正体が見えてきた。唯の灰色の線だと思っていた物は、向こう岸の石っころの集まりだったのだ。

 

「はあ~…………すごい……」

 

その光景を見て、そう口にすることしかできなかった。その言葉しか出なかった。

 

まるで今までの光景が、ビデオの早送りのようにしか感じられなかったのだ。言うなればあれである。映画の世界である。

 

「あ~……何と言うか……本当にすごい」

 

俺は本当に純粋な驚きで声が出せない。

 

しばらく口をあけながら固まっていると、小町が肩を軽く叩いていくる。

 

「……は、はい、小町さん。どうしました?」

 

自分のやったことがついにばれてしまったか? という少々危機感を持ちながらも、彼女のほうに首を向けていく。

 

そして、俺と小町が視線を交差させた瞬間、小町はにっこりしながら自慢げに話してくる。

 

「どうだい? これがあたいの能力、距離を操る程度の能力だよ……ぷっ……あははは」

 

と、一通り自分の能力について言ってくる小町が、突然笑い出した。いったい何がそんなにおかしいのかわからない俺には彼女の行動がひどく起伏が激しいものに感じてしまった。

 

いや、できなかったことができるようになると、人間を含め感情の起伏や行動に大きな差が表れるのだ。もちろん俺も例外ではない。

 

こうして事実ここに無事でいるのだからいいのだが、先ほどの溶岩地帯に突っ込んだせいで少々心配性が表に出てきてしまった。

 

だがまあ、俺としては彼女が何について笑っているのか判明させたいところであったため、即座にその考えを放棄して小町に尋ねる。

 

「あの、何か顔についてます……?」

 

感情を逆なでしないようにやんわりとした言葉を。

 

すると、小町は片手を口元にあててクスクスと笑いながら、俺に向かって口を開く。

 

「いやね、あたいが能力を使用した後のあんたの顔が、あんまりにも可笑しくて……ぷぷふ」

 

と、それだけ言うと小町はまたクスクスと笑い始める。

 

おそらく小町が言いたいのは、能力を使用した後の唖然とした顔を見て思わず笑ってしまったといったところだろう。

 

何んともいない気持ちになりながらも、俺も彼女に対して迷惑をかけてしまっているのだから、まあ仕方ないというべきか。

 

「いいじゃないですか驚いたって。結構驚きの光景が目の前に広がったのですから……」

 

そう言いながら、未だに笑い続ける小町を背に、早く向こう岸に着かないかなと期待している俺がいた。

 

まあ、小町がオールを漕がないせいで全く進まなかったので、げんなりとしてしまったが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

やはり、この照明器具は明るい……。

 

私はやわらかく、されど力強い光を放つこの照明すたんどとやらを見て今日も満足感に満ちた溜息を洩らす。

 

耕也からもらったこの照明器具は、今までの私の作業効率を格段に上昇させるどころか、目の疲れや肩こりまでも大幅に軽減してくれるほどなのだ。

 

まあ、肩こりの半分かは分からないが大部分はこれのせいだとは思うけれども……。

 

と、私は自分についている大きな胸のふくらみを凝視し、両腕で抱き寄せるかのように持ち上げる。

 

……やはり重い。

 

おそらくこの重さが肩こりに影響を及ぼしているのだろう。なんとも困った代物だ……。

 

だが、男はこのような胸の大きい者を好むと前に同僚が話しているのを聞いたことがある。

 

それは本当のことなのだろうか? と思いながら、私は改めて自分の胸を持ち上げつつ凝視する。

 

緑色の制裁判官及び閻魔専用の服を、内側から破りそうなほどにまで大きな重い胸。

 

もし、同僚の言っていたことが事実だとしたら、私は女としても魅力があるのだろうか? もしくは魅力があると思っていいのだろうか?

 

そんな考えを基に私は1つの人間を思い出し、口に出す。

 

「……大正耕也」

 

私を閻魔という役職では見ず、四季映姫として見てくれる数少ない……いや、ただ一人の男であろう。

 

小町も私の事を閻魔という役職だけでなく、個人として接してくれている。そのはずである。

 

だが、耕也はなぜかよくわからないが、小町とはまた別の角度から見ている時があるように感じる。

 

それは全てを見透かすような目で。まるで私の出生を知っているかのような発言もしていた……今まで話したことなどなかったはずなのに。

 

だが、そんなことは些細な事に過ぎない。純粋にうれしいのだ。閻魔としてではなく、四季映姫として見てくれる耕也の行動が。

 

私は照明を見ながら、耕也の行動について思い出しながら少々笑みを浮かべてしまう。特に恥ずかしいことではないのだが、誰かに見られたくないという気持ちが働き、口元に手を当ててしまう。

 

「……コホン。……確認しましょうか。耕也の罪を……」

 

と独り言をつぶやきながら、閻魔帳を机の上に出し、そこに挟んである一枚の紙を目の前に良く見えるように机に置き、照明の光に晒す。

 

その紙には私が書き留めた耕也の罪、ここに至るまでの経緯、そして今後の指標が記載されていた。

 

友人として接してくれるのははうれしいが、彼には大きな罪があるのだ。大きな罪が……。

 

私は書類を見ながら、そう思ってしまう。

 

この書類の中の罪が消えない限り、彼に天国という道はなく、また冥界という選択肢もない。あるのは地獄のみ。

 

前々から思っていたことだが、やはり彼はここで働きつつ罪の償いを行っていくべきだと思う。

 

そうすれば、私のもとで働くという大きな善行を成すことができるうえに、私としても彼が罪を軽減させていく姿を見るのは非常にうれしい。

 

そう思いながら、私は改めて書類を見る。

 

「……本当に変な人間ね……珍しいというかなんというか……変わっていると言ったほうがいいのかしら? この感覚が正しいのかわ分からないけれども、けれども……」

 

なぜだろうか……? 同時に彼を手元に置いておきたいと思うのは。

 

先ほどは友人と自分では思っていたが、やはりこの気持ちは消すことができない……。

 

今まで会った人間とは、全く違う人間。彼と会うとついつい説教が長引いてしまううえに、私情が大きく入ってきてしまうのだ。

 

これが私のいつもの姿とは大きく違うため、少々驚きを隠せない……。しかし、私情が大きく入ってしまうということは、それだけ彼に対して真剣になっているということの裏返しともとれる。

 

いや、実のところはどうなのだろうか? 今度会ったときに耕也へこの閻魔の補助を仕事として斡旋する予定なのだから。

 

ただ、手元に置きたくて彼に対して私情を多く混ぜた言葉を放っているのではないだろうか? と。

 

閻魔帳をコツコツ叩きながら、なんとかこのモヤモヤした気持ちを解消しようとしているのだが、いかんせん、一度思い始めたことは中々刃を納めてくれない。

 

なんとも困ったことになったと思いながら、再び耕也の罪歴を見る。

 

「……八雲紫……八雲藍、風見幽香。……やはりなんとかしなくては……」

 

……と、思ったところで先ほどからあった違和感……いや、禍々しさと言うべきか。

 

私は悔悟棒を持ちながら、裁判所中央の空間を見据える。

 

少々力を込めて空間を見つめると、その違和感、禍々しさも確信へと変わった。

 

溜息をつきながら、その正体を口にして牽制を図る。

 

「八雲紫……出てきなさい……」

 

すると、目の前の空間が歪み、縦方向に線が入り切り裂かれていく。引き裂かれた空間からは、人間の目がこちらをギョロギョロと覗き、そこから南蛮の道化風の服を着た八雲紫が出てくる。

 

なんとも余裕の表情だ事。出てきたときに思ったことがそれであった。

 

まあ、この考えは不要だから別のところに置き、……なぜここに八雲紫がいるのか? そう疑問を頭の中に浮かばせ、思考していく。

 

紫がここに来る理由が見つからない。もし、強いて言うとすれば、ここに来る理由は耕也のことであろう。

 

いや、しかし……確信が持てないということには変わりがない。

 

すると、紫は傘を自分の横に置きつつ、胡散臭い笑みを浮かべながら口を開く。

 

「映姫様。良くお分かりになりましたね。これでもかなり気配その他諸々を殺していたのですが」

 

と、なんとも下らないことを言ってくる。閻魔を余りなめないでいただきたいものだ。

 

そう私は思いながら、紫に対して返答をしていく。

 

「妖怪如きの気配1つ探れなくて何が閻魔ですか。からかうのはやめなさい。態々ここに来たからにはそれなりの理由、話があってのことでしょう。話しなさい」

 

すると、紫はクスクスと笑いながら、センスを開いてこちらに表情を見せないようにしながら話す。

 

「いえいえ、少々挨拶代わりにといったところですわ。神様をからかうだなんて、そんな恐れ多いことなど私にはできませんわ」

 

なんとも不愉快な言葉を吐いてくる妖怪だ。通常ここまで私に対して反抗的な言葉を吐く妖怪などいないというのに。

 

仕事の残りがあるのだから、さっさと終わらせてほしい。そう思いながら、紫を適当にあしらって帰らそうとする。

 

「冗談はともかく。……本題に入らせていただきますわ。閻魔様?」

 

と、こちらの行動を見透かしていたかのように、紫がこちらに対して振ってくる。

 

私は心の中で舌打ちしながら、紫の話に耳を傾ける。

 

「閻魔様。四季映姫様。私たちは妖怪でありあなた様は最上級の神。ここには絶対的な壁、力の差が存在いたしますわ。どのように策を練ろうともあなた様は策を物ともせず、純粋な力で打ち破ることができる。たとえ私たち三人が力と策を結集させたとしても……」

 

話題が余りにも先ほどの空気とは似合わないものであるため、少々理解に困る。

 

が、それでも私は紫の言葉を聞きながら、彼女の言葉の内容をかみ砕き、理解し、推察していく。

 

おそらく三人というのは、八雲紫、八雲藍、風見幽香のことであろう。他に彼女と接点のある妖怪はあまりいないはずである。

 

そして、彼女がなぜ実力の事について話し出すのか? まあ、話が全く見えないので推察しようがないというのが現状だが。

 

「それで……? 何を言いたいのですか?」

 

と、早く話を終わらせてほしいものだと思いながら答えていく。先ほどと気持ちは1つも変わらない。

 

この妖怪は自分の考えを素直に伝えようとはせず、ぼかしながら伝えてくるのだ。まるで理解するまでの悩む様を見て楽しむかのように。

 

そう考えながら、紫の表情を見ていると、紫は先ほどの胡散臭い笑みから、目を細めたすがすがしいまでの笑顔になる。

 

それになんとも言えない気味悪さを覚えながら、紫の答えを待つ。

 

すると、紫はその笑顔のまま扇子を閉じたまま、隙間の中に放り、口を開く。

 

「閻魔様。どんなに秘密にしてもいつかは漏れてしまうこともあるのです。情報の漏洩というものです。閻魔様」

 

最後の紫の言葉に激しい焦燥感がわいてくる。秘密……まさか。

 

いや、そんなことはないはずだ。ここに侵入されたことなど一度もないはずなのだ。この私が見落とすはずがない。

 

私はその焦燥感のもとに、口内にたまりこんだ唾液を嚥下する。

 

少しの粘性を伴った流体の通過音が骨を伝わり耳に届く。と、同時にその音は妖怪ならではの優秀な聴力を持つ紫にも聞こえていたようで。紫は次の瞬間には、なんとも嫌な笑みを浮かべていた。

 

そして、その笑みを浮かべたままで口を開いてくる。

 

「ふふふふふふふ…………。閻魔様……最近、耕也と仲がよろしいようで……。しかも補佐官にしたいとか何とか。おまけに耕也を手に入れたくて仕方のない様子。……違いませんわよね?」

 

その言葉を聞いた瞬間に、冷や汗が体中から噴き出してくる。形跡など一切ないはずなのに……一体何故。

 

私は八雲紫に知られた事が未だ信じられず、視界が揺れ、僅かに手が震えてくる。まるで自分が聞いた事は全て間違いであったかのように。もっと別の事を言っていたかのように。

 

しかし、この耳にはっきりと届いたのは、紛れも無く耕也の事に関しての記載事項。完全なる事実であり、その事が私の羞恥心を煽ってくるのか、冷や汗と同時に顔が一気に熱くなってくる。

 

小町には見られたが、その事はどうでもいい。その事なら秘密として、隠し通す事ができたのだから。だが、今回は事情が違う。バレたのが完全な部外者である八雲紫。

 

これは……弱みを握られたとみるのが、妥当か。

 

私はその短い考えで辿りついた瞬間、自然と彼女に対して、口を開いていた。

 

「何が望みですか? 私の弱みを握って……」

 

と、私が汗を流しながら紫に尋ねると、紫は私の言葉を聞いた瞬間にさも可笑しいように笑い始める。

 

「ふふ、あははははは! ……私は何も閻魔様を脅しに来たわけではありません。唯一つだけお伝えしたい事が……」

 

私は、彼女の言葉を信用する事ができず、しばらく睨み続ける。

 

しかし、彼女の口か出た言葉は、忠告か警告を私に伝えるであろうという内容。脅しに来たわけではなく、唯伝えるだけ。

 

本当なのか? その疑念が湧き続け、止まるという事を覚えない。

 

しかし、私の考えを知っているのか、それとも焦燥感よりの不安定さからくる被害妄想なのかは分からないが、八雲紫は私を見つめながら、唯ジッとそこに立つのみ。

 

やはり、私が答えるまで口を開く事は無いか……。と、私は紫の姿を睨みつけながら、そう思う。

 

……仕方が無い。

 

「それで……伝えたい事とは?」

 

と、私が言葉を発すると、紫はニッコリと笑みを浮かべ、扇子を再び隙間の中から取り出し、顔を煽ぐ。

 

そして、涼しげな顔を浮かべながら、口を開く。

 

「……幽香、藍。そして私からの総意をお伝えしに。……耕也と身体を重ねるのは良いでしょう。しかし、本妻は幽香である事を忘れずに。私達は妾であるという事を……」

 

「――――――っ!」

 

言葉を聞いた途端に、先ほどの顔の熱さとは比べ物にならないほどの熱が襲ってくる。

 

この妖怪達は何て事を私に……!

 

いきなりの言葉に、自分の中でも整理が付かず、そして恥ずかしさか怒りかもわからないこの形容しがたい熱さは、私の口から言葉を吐き出させるには十分な威力を持っていた。

 

「あなたは一体何て事を言うのですか! 閻魔に向かって何と言う口を利くのですか!」

 

と、椅子から立ち上がり、柄にもなく神力を込めた大きな声で怒鳴ってしまい、余波で座っていた椅子と照明スタンド、閻魔帳と書類関係が周囲に吹き飛んでいく。

 

だが、そんな事を気にする事無く、私は八雲紫の方に詰め寄ろうとする。

 

しかし

 

「閻魔様……滾らない方が宜しいですよ? それに……そろそろ来ますので……」

 

その声と同時に、裁判所の出入り口の外側から声が聞こえてくる。

 

「小町さん、此処広いですね本当に……これで財政が苦しいとか……俺の家が鶏小屋に思える……いや、それ未満でした」

 

「いやいや、これを維持するのが大変なんだと。もう少し小さく作ればいいのにねえ……?」

 

と言う声が……。

 

私は両の声をすぐに発した人物を特定した。またそれと同時に別の焦りが生まれてくる。

 

一体どうして貴方が此処にいるのですか? という疑問と同時に。

 

私は、扉と紫を交互に見る。突然の事に自分でもどうしたらいいのか分からないのだ。

 

だから

 

「くっ……! 一体何故耕也が此処に!?」

 

ただ、言葉を発するしかできなかった。

 

「では、閻魔様。先ほどの言葉……お忘れなきよう…………。本来ならば嫉妬で殺してしまいそうですわ……本妻である幽香の方針ですから従いますけれども……」

 

対する紫は、私の言葉を無視するかのように、一方的に忠告と脅しを入れてスキマの中に潜り込んで離脱してしまった。

 

「なっ……! ……くっ、今はこれを片さなければ」

 

引き止めて説明を求めようと思ったが、離脱してしまった者に説明を求められるわけも無く。

 

私はそのまま大急ぎで吹き飛ばしてしまった書類たちを元に戻していった。

 

そして同時に思ったこと。

 

彼女等から耕也を引きはがすの無理であろう。ということである。

 

溜息しか出てこない。

 

 

 

 

 

 

 

 

「さあ、ここが裁判所だよ。もしかしたらここで働くってのも結構お前さんにとってもいいことかもしれないよ?」

 

と、よくわからない斡旋をしてくる小町。

 

俺に法律関係を任せるなんて、危ないで済む話ではない。……あ、いや、ここで雑用として働くということなのかもしれない。まあどのみち俺には酒屋の仕事があるからその斡旋を受けることはできないだろうけれども。

 

と、そんな事を思いながら、俺は案内されるがままに裁判所の中に入っていく。

 

入った先にはだれもいないと思っていたのだが、中には映姫がいた。

 

相変わらずのスタイルの良さが際立つ。小町と比べれば、わずかではあるが胸が小さい。

 

だが、それを抜きにしても妖艶さが体からにじみ出ており、正直な感想を言うと、……とんでもなくエロい。

 

なぜか分からないが、特に暑くも無いのにも拘わらず映姫が汗を掻き、顔を若干火照らせながらこちらを見ていた。

 

いったいここで何をしていたのだろうか? と、そんな疑問が頭の中にポッと浮かんでくる。

 

まあ、俺には関係のないことなのだろう。もしかしたら、裁判関係の事で白熱していた議論があったのか、それとも唯単に運動をして今さっきここに来たのか。恐らく其処らへんなのだろうと俺は憶測した。

 

映姫は、俺たちを見るなり若干驚いたような表情を浮かべた後、小町を少しだけ睨みつける。

 

だが、その表情も一瞬で元に収め、顔を赤くしながらも朗らかに笑おうとしてくる。

 

正直なところ、エロい笑みにしか見えない俺は色々な意味で終わっているのかもしれないが。

 

「小町……なぜ、ここに耕也がいるのですか?」

 

と、俺に笑みを浮かべたかと思うと、再び小町のほうを少々睨みつけながら詰問してくる。

 

それに小町は少々困ったような笑みを浮かべながら、映姫に返答していく。

 

「それについては申し訳ありません映姫様。ですがあたいは映姫様のお手伝いをしたいだけなんですって。それに、仕事だって最近遅れてしまいがちになっています。補佐官というのはどうでしょうか?」

 

話が全く見えない。

 

素人なりの考えでこの話を推測してみると、俺の意見そっちのけでなぜか転職まがいの話に発展している気がするのだ。

 

過去に小町と映姫の間で、一体何のやり取りがあったのかは分からないが、岩場のあたりで話していた罪の軽減と関係があるのだろうか?

 

まあ、恐らく合ってはいるだろう。これが就職関係の話であることは。

 

そして、俺がそのことについて考えている間にも、映姫たちの話は続いていく。

 

「だからと言って、私に許可なくそういうことをするのは言語道断です」

 

と、悔悟棒を持ちながら映姫は、小町に口を開く。姿勢を変えるたびに胸が形を変えるのはなんともエロい。エロすぎる。

 

「いえ、確かにそうですが、映姫様は私が許可を申し出ても決して譲らなかったじゃないですか。たまには勇気を出して見るのもいい物ですよ?」

 

と、死神鎌を胸の中央に抱き寄せながら、映姫に反論していく。もちろん、小町の胸は今まで見たなかでも非常に大きく。また、同時に健康的なエロさも兼ね備えており。……この状況でなかったら、100%の男が落とされるだろう。

 

まあ、体のエロさでいえば、藍に適う女性などいないであろうが。

 

「あたりまえです。私が許すはずがないでしょう。それに、……ゆ、勇気を持って耕也に斡旋するなど…………そ、そうです! ほ、本人の意思を完全に無視しています」

 

「ですが映姫様、このままでは罪歴が、業の深さが増すばかりだと言っていたではないですか。善は急げです。このままでは耕也の罪は増すばかり。そう言っていたのは映姫様自身ではないですか?」

 

「確かに私は日々そう言っていました。現時点で彼の罪の度合いは増しています。それに変わりはありません。が、だれが勝手に連れて来いと言ったのですか。問題はそこなのですよ!」

 

なんだか、話題がループし始めている気がするのは俺のせいだろうか? ……いや、合っているのかもしれない。絶対にループし始めている。

 

そして、俺の話なのにもかかわらず、当の本人は完全に置いてきぼりを食らってしまっている。

 

いや、別にそれ自体に文句はないのだが、このままではいつになったら次のステップにシフトするのかわかったもんじゃない。

 

小町と映姫は頭の回転が非常に速いから、会話に途切れがなさそうだ。

 

俺はそんなことを思いながら、小町と映姫に話しかけようとする。

 

「……もういいです。後は私が何とかします……ええ、勇気を持ってみましょう。……下がりなさい」

 

と、映姫が少々笑みを浮かべながら、小町に言う。おかしい、先ほどまでは怒っていたと解釈できるほどの口論をしていたというのに、なぜ笑っているのだろうか?

 

もしかして、怒っていると思っていた俺の考え自体が間違っており、本当は肯定しながら、上っ面だけの中尉だったのだろうか?

 

と、そんな疑問を浮かべていると、小町が全てを察したかのような、ニヤリとした笑みを浮かべて言う。

 

「ええ、そうですね。頑張ってください。……では、あたいはここで失礼します。耕也、頑張りなよ?」

 

と、映姫に意味のわからないことを言って、俺には応援の言葉を言ってここから去っていく。

 

俺は、一体何の頑張りだったのか、映姫に対する頑張ってという言葉は一体どういう意味が込められていたのかが分からず、ただただ

 

「はあ……ありがとうございます」

 

と、言うしかなかった。情けないことに。まあ、考えられることとしては、仕事の斡旋を頑張ってという意味として捉えることもできなくはない。

 

俺は小町が悠々と裁判所から出て行くのをボーっと見ていると、後ろから声がかかる。

 

「ふう……良く来ましたね耕也。突然の訪問にびっくりしてしまい、あのような醜態を晒してしまったことをお詫びします。まあ、立ち話もなんですから、ここに座ってください」

 

と、1つ深呼吸しながら映姫は俺に謝罪すると同時に、椅子を持ってくる。

 

「あ、ありがとうございます。突然の訪問、申し訳ございません」

 

と、なぜか自分でもよくわからないが、謝ってしまう。まあ、別に悪いことではないのかもしれないが、まるで電話越しに頭を下げてしまった時のようだと俺は思った。

 

それに苦笑してしまいそうになるが、映姫に怪しまれて聞かれるのは嫌なので、謝ったままの表情で俺は椅子に座る。

 

映姫は、俺が座ったという事を確認すると、そのことに満足したのか笑みを浮かべながら向かい側に椅子を並べて座る。

 

「いえ、小町が連れてきたのです。あなたに落ち度はありませんよ」

 

その言葉は俺が訪問したことをさほど気にしていないようで、俺は安心感を覚えんがら彼女の言葉に礼を言う。

 

「ありがとうございます。そう言っていただけると助かります。……ええと、今回私が小町さんと来たのは、罪の軽減……映姫様の説教の他にも更なる罪の軽減ができるということをお伺いしたので、ここに」」

 

と、俺が小町から伝えられていた事を言うと、映姫は少々目を丸くしながらすばやく頷き、笑みを浮かべて言ってくる。

 

「え、ええその通りです。あなたの罪をより素早く軽減させるための手段があるのです」

 

と言って息を大きく吸いながら、さらに言葉を続けてくる。

 

「少々最近の事を話しましょう。まず、あなたの罪は非常に多いということです。正直なところ、私の説教程度では解消することなど到底不可能なほど。もちろん、旧地獄や妖怪と関わっているということだけでも日々罪が蓄積されているのですが、それの他にも貴方の罪を蓄積させる要因があるのです。先ほどまでの罪の蓄積ならば、まだ説教程度で罪は解消できたのでしょう……ここまでは理解できますね?」

 

と、一息にここまで映姫が言ってくる。ようは、俺の罪は今のところ総量がとんでもないほどあり、説教程度の軽減度ではどうにも解消することができない。

 

さらに、最初の方の妖怪とのかかわり、つまりは幽香や紫、藍との関係。燐や空、さとりとこいしたちとの関係、これは言わば地底でのコミュニティでのことであろう。

 

ここまでの罪なら、まだ映姫の説教で解消が可能だった。どのぐらいで解消が可能なのかは明確にされてはいないが。

 

ただ、これの他に一体どんな罪があるのだろう? 俺はそんな疑問が頭の中に浮かんできた。

 

なぜなら、人間としての本分を果たさずに妖怪と関係を持っているということが何より罪深いのではないかと俺は思うのだ。

 

陰陽師としての裏切り行為云々よりも、遥かに罪深いはずなのに……あれは俺が嵌められたというべき事件だったけれども。

 

俺は、その先にある罪深い行為というのがどうしても気になってしまい、たまらず映姫に尋ねる。

 

「はい、理解できます。……妖怪との関係以上に罪深いことというの一体どのようなものなのでしょうか? 人殺しはしたことがありませんし……いえ、するということ自体が人間のやる行為ではないのですが」

 

と、補足を交えながら、映姫に口を開く。

 

映姫は、俺の言葉を聞くと、悔悟棒の先端を口に当てながら、クスクスと笑う。

 

的外れなことを言ってしまったのか?

 

心配性な俺はそのようなことを考えてしまい、同時に額から汗が垂れ、膝の上の握り拳にポタリと落ち濡らす。

 

仕方がないと言えば、仕方がない。ここは裁判所。映姫の管轄する裁判所。観衆がいないとはいえ、ここには閻魔である映姫と一対一での話合い。

 

自分の家で、さとりの家で話しているのなら、まだここまでの緊張感はないし、心配性が表に出てくることもない。

 

だが、ここだ。この場所が俺の緊張感、心配性をカチ上げてくるのだ。

 

そう思いながら俺は、なんとも映姫のなんでもない1つ1つの行為が深い意味のあるモノに見えてしまい、さらに汗を垂らしてしまう。

 

汗を垂らしながら、映姫のほうを見ていると、笑いを少し収めてようやっと口を開く。

 

「ふふふ安心しなさい。別に貴方が変なことを言って、私が笑ったわけではないのですから。ただまあ、……時が来たら、その大きな罪について話します」

 

そして、映姫は微笑みながら、俺の方を見て再び口を開く。

 

「まだ、貴方に話すことはできませんが、その大きな罪を……」

 

と、言葉を発していた映姫が、突然何かを思い出したように口をつぐみ、周囲を見渡す。

 

何が起きたのか? そう思いながら、映姫の行動を見ていく。が、俺が全方向を見渡しても何一つ可笑しいところが見つからない。唯、映姫の気のせいというならそれでいいのだが……。

 

そして、一通り周囲を見渡し終わった映姫が、悔悟棒を垂直に自分の胸のあたりまで持ち、こちらに向き直る。

 

「どこに目や耳があるか分かりませんからね。もし、貴方の情報がバレてしまい、悪用されると困ります。もちろんこの中にそのような輩はいないのですが、万が一ということもあるので。……場所を変えましょう。耕也?」

 

と、こちらに先ほどの姿勢を保ったまま、ずずいっと顔を寄せてくる。

 

もちろん、映姫は絶世の美女。妖艶な女。ということには変わらないので、近づけられたらこちらが赤面してしまう。

 

俺は若干顔が熱くなることを実感しながら、映姫に返答していく。

 

「はい、了解いたしました。では、場所を変えましょう」

 

と、返事をした瞬間に映姫の顔が一瞬閻魔として。いや、普段の映姫の顔とは思えない、背筋が凍るほど妖艶で邪悪な顔に見えてしまったが、俺はそれを目の錯覚だと決めつけ、席を立った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺は、映姫に促されるままにある一室に案内された。

 

映姫は、飲み物を持ってくると言って、部屋を出て行ったので、俺は待たせてもらっている。

 

裁判所より、歩いて数分。この部屋は映姫自身に与えられている部屋だと言っていたが、俺にはどうもそうは思えなかった。

 

確かにネームプレートは四季映姫。そして、映姫から発せられる心地よく甘い香りが満たされた部屋。

 

この二点で十分に四季映姫の部屋だと断定したいのだが、それでも俺は納得することができなかった。

 

それは、この部屋は余りにも殺風景なのだ。仕事で使う書類も無ければ、自分の替えの服も無い。さらに言えば、仕事机も無いのだ。

 

あるのは、ただ、一人では広いのではないかと思う程の面積を誇るベッド。この時代になぜかベッド。分からないがベッド。

 

そして、洋風の椅子と小さなテーブル。二人が使えばすぐに埋まってしまうほどの小さなテーブル。

 

俺はそれがこの部屋には全く持って不釣り合いに見えて仕方がない。まるで先ほど急造したといわんばかりの似合わなさ。

 

それがどうにも良く分からない不安感を俺に沸かせるもので、どうにも落ち着かない。

 

映姫は俺に楽にしてくださいと言ったが、裁判所の時よりも落ち着かない。そして何より、一番不安を湧き立たせるもの。

 

それが、出入り口の扉である。

 

「厚さ何十mmだよ……いっくらなんでも用心しすぎなんじゃあないか?」

 

と、思わず口に出してしまうほどの重厚な扉が其処に鎮座していたのだ。

 

恐らく材質は鉄。この時代にこんな一様な厚さの鉄板を製造できる技術なんてあったかしら? と、思ってしまうほど。

 

さすがに鋼鐵ではないだろうが、それでもこれはなかなかの厚さで均一な厚さを持っている。

 

この厚さが、俺に一番の威圧感を放ってくるのだ。それはもうさっさとここからお暇したいほどの。

 

まあ、映姫は恐らく男からの視線……俺もそうだけども、結構気にかけられることが多いだろうから、その対策もあってのことかもしれない。

 

しかし、其れを加味したとしても

 

「ああ、早く帰りたい…………いや、其れでも話を聞かなきゃね。せっかく手伝ってくれてるのだもの」

 

そう、さっさとお暇したいのだが、映姫が罪の軽減を手伝ってくれるのだから、出ていくことなんて言語道断。部屋を変えてくれと申し出ることも、強く明確な理由がないし、映姫を傷つけてしまいかねない。

 

俺にもうちっとどっしり構えていられるような気楽さがあればいいのだけれどもねえ……

 

まあ、仕方がないと言えば仕方がない。

 

俺はそう自己完結しながら、座るように勧められた椅子に座り、映姫の帰りを待つ。

 

しばらく座りながら、部屋の構造を見ていたり、自分の罪について考えていると、扉が開かれる。

 

重厚な金属の擦れる鈍く重い音。しかし、盆を片手に持った映姫は涼しげな顔で。まるで俺が障子をあけるような気軽さを持った顔で。おまけに盆の上に乗った飲み物を一滴も溢さないというウェイトレスびっくり物の安定さを持って。

 

なんつー力をお持ちですか映姫様。

 

そんな事を思いながら、映姫に礼を言う。

 

「ありがとうございます映姫様。お手を煩わせてしまいまって」

 

というと、映姫はニコニコしながら、返答してくる。

 

「いえいえ、構いませんよ。実を言うと、初めての客人ですので、私としてもうれしいのですよ」

 

「そう思っていただけるのなら、幸いです」

 

と、無難に返す。

 

その言葉に満足したのか、映姫はテーブルの上に盆を置き、上に乗った黄色みかがった透明な液体の入った洋盃を置く。

 

……この洋盃には見覚えがある。それはすぐに答えが浮かんで来た。ああ、俺が前にあげた奴だったっけ。と。

 

映姫があんまりにも珍しがるものだから、いくつか適当に見繕って譲渡したのだ。

 

そして映姫は、俺の表情を的確に読み取ったのか、少し微笑んで左人差し指で頬を掻きながら口を開く。

 

「ええ、貴方の思ったとおりですよ。これは貴方に貰った洋盃です。いつも大事に使わせていただいてます」

 

「いえいえ、こちらとしても喜んでいただけたのでしたら、譲渡したかいがあります」

 

やはりここまでのガラス製品は珍しいらしい。喜んでもらえたら何よりである。本当に。

 

「ええと……一応蜂蜜水を用意したのですが……飲んでみてください。私が作りましたので……」

 

と、恥ずかしげに顔を赤くしながら、チョチョイと勧めてくる。

 

俺はあんまりにも可愛いその姿に、鼻血が出そうになりながらも、変態だと思われないように返答していく。

 

「ありがとうございます。……では、いただきます」

 

と、断りを入れて俺は蜂蜜水をゆっくりと味わうように飲んでいく。

 

蜂蜜特有のしつこさがなく、むしろ水単体よりもさわやかな喉越しにさえ感じる。また、蜂蜜の甘さは非常に安心感を与えてくれるものがあり、俺は思わず頬を緩ませてしまうほどのものであった。

 

そして俺は思う。……俺がどんなに必死こいて作ったとしてもこんなに美味しいのは一生できないよねこれ。と。

 

「映姫様……ものすごく美味しいです。……口下手で申し訳ありませんが……とにかく美味しいです」

 

だが、いざ口に出すとこんな陳腐な回答しかできない、ダメな俺。

 

それでも俺の驚きが伝わったのか、映姫は俺に微笑んでくれる。

 

が、次の瞬間には真剣な顔になり、俺に対して口を開いてくる。

 

「では、本題に入りたいと思います。……先ほどの大きな罪。これはまだ話すのは先になりますが、それは本当に大きな罪であるという事を認識したうえで話を聞いて下さい。良いですね?」

 

俺は、その言葉に対して反対する理由は無く、また彼女の気迫に押されてしまったためか、首をコクリと一回盾に振ることしかできなかった。

 

映姫は俺の動作に頷き、再び言葉を発する。

 

「大正耕也。……先ほどの話の続きですが、貴方はこれから死ぬ事が無いと言っても過言ではないでしょう。しかし、万が一もあります。その不確定要素が極めて多い未来では、貴方が死んでしまうという事もあり得るのです。もしそうなった時、貴方はどうなるか? これはすでに話の雰囲気からでも分かるでしょう。そう、貴方は地獄行きとなるのは確実です。例え、これから私が毎日説教をし、貴方が善行を積もうと努力したとしても、その背負っている罪は消えることはありません」

 

そして、一気に映姫は俺に言葉を挟ませずにまくしたててくる。

 

「耕也……そこで、私に提案があります。重要な提案です。これがその大きな罪を解消させる方法です」

 

そして、映姫は一度眼を閉じて深呼吸をし、再び口を開く。

 

「私の補佐官になりませんか?」

 

……補佐官? 俺の頭に浮かんできた感じと映姫の言っている言葉が合致しているとすれば、俺は映姫の裁判時における補佐、及び雑務をするという事である。

 

いや、別に雑務などの働くという事に文句があるわけではないのだが、少々そこには障害がある。

 

俺はすでに酒屋に就職しているのだ。最後の最後でやっとこさ漕ぎ着けた就職場所。化閃の酒屋。

 

つまりは、……正直この誘いは苦しいが、断らなければならない。やっと見つけ、軌道に乗り始めた仕事をいきなり放棄するという事は、俺の中では考えられない。

 

「補佐官と言うと……どういった仕事をするのですか?」

 

すると、映姫は俺が補佐官と言う仕事に興味を持ったと勘違いしたのか、眉を浮かせながら嬉々として話はじめる。

 

「はい、補佐官と言うのは、重要ではないと思われがちですが、非常に重要な仕事なのです。少なくとも貴方にとっては。常に裁判時の記録を取り、雑務をする。閻魔を補佐するという事は紛れも無く善の行動であり、貴方の罪も必ずや消える。そこまで多くはありませんが、給金も差し上げますし、休日も差し上げます。条件としては悪くは無いはず。いかがでしょうか?」

 

と、言ってくる。これにどうしても納得がいかないのは、間違ってはいない筈。何故閻魔の補佐をするという事が大きな罪を消しさるほどの大きな善に繋がるのか? 俺には分からないが、おそらく彼女の頭の中で複雑なシステムが構築されていると見るべきか。

 

俺は大きな罪の解消という事が、不明瞭な部分が多いため、理解しかねているが、一応これだけでは伝えておかなくてはならない。

 

「映姫様。申し訳ございませんが、補佐官に着くという話はお引き受けする事ができません……」

 

と、俺が言言うと、その言葉が映姫には予想外だったのか、木製特有の軽く渇いた音を出しながら、席を倒して俺に詰め寄って来る。

 

「な、何故ですか! これほど高効率に罪を解消できる方法など無いのに。貴方は地獄に行っても良いのですか!?」

 

と、いつもの映姫らしくない程の、焦りを出しながら大声で反論してくる。これは、まるでさとりの屋敷であった事件の時と同じように……。

 

俺は何とも嫌な予感がしながら、此方の言い分を述べていく。

 

「映姫様。私は旧地獄で働かせていただいております。当然、人間などが就職できるような環境ではありません。しかし、やっとの思いで。最後の最後で手にする事の出来た職場である化閃の酒屋。化閃さんはこんな私を雇って下さり、仕事のノウハウが分からなかった私に手取り足取りで教えて下さったのです。ソレなのにも拘らず、このような短い期間で転職をしてしまうのは裏切りに等しい事だと私は思っております。ですので、申し訳ございませんが、このお話しは引き受ける事ができません。……誠に申し訳ございません映姫様。どうかご理解のほどを宜しくお願いいたします。そして、不遜な態度を取ってしまい申し訳ございません」

 

と、俺は椅子から立ち上がり、深々と頭を下げる。申し訳ございませんの羅列のようなものだが、申し訳ございませんしか今の状況から、口に出す事ができなかった。

 

何とも偉そうなことを言ってしまった俺だと自分に対して腹が立ってくるが、今の状況でソレを表情に出す事ができない。

 

俺は頭を下げ続けて、映姫の反応を待つ。

 

しばらく待つ。この空気がとてつもなく不味く、そして俺の不安感を煽るのには十分すぎるほどの状況であったため、ポタリポタリと汗が垂れ、視界が歪む。そして、一瞬ではあるがクラッと頭がズレ、身体のバランスが崩れる。

 

どうしてこんな時にバランスを崩すのだろうか? という疑問が出てこないうちに、本能的に身体が補正を図り、小さなテーブルに手を着かせる。

 

自分でもこの原因は分からぬうちに、身体を崩してしまったことへの焦燥感の方が先に出てくる。

 

謝罪している最中だというのにもかかわらず、身体のバランスを崩し、テーブルに手を着く事。これがどれだけ相手に失礼な行動に値するか。

 

考えたくもない。

 

が、ソレを考えようとした時に、また頭がクラリとしてくる。

 

身体がこの空気、緊張感、焦燥感などに耐えられなくて異常をきたし始めたか? という考えが浮かんでくる。

 

なんだってこんな時に! と、思った瞬間に映姫から声が掛かる。

 

「ふふ、もう良いですよ。貴方の真剣さは私に伝わりましたから。十分に。……ですから、もう楽にしていいです」

 

と、俺の体調を気遣ってくれるような口調で言ってくる。

 

それに俺は疑問を持つ余裕も無いまま、重力に身体を任せるように椅子に腰を下ろす。

 

そして、項垂れるような姿勢で座った俺が、顔を上げると、映姫の顔は今までで一番綺麗な笑顔だった。

 

……また頭がクラクラしてくる。本当にクラクラクラクラしてくる。

 

それは経時的に酷くなっているようで、もう自分の頭がまともに機能していないような気もしてくる。

 

そして、このクラクラとした感覚。同時に瞼が重たくなるような感覚。これは非常に眠気が強い時に起きる現象……。

 

「耕也……やはり私は貴方を手元に置きたい。でもそれは叶わない願いでしょう。貴方は酒屋で働くという事を強く望んでいる。……ならばどうするか」

 

と言って、映姫はあの重厚な鉄製の扉に向かう。鍵を閉めに行くのだ。いや、閂をしに行くといった方が正しいか。

 

映姫は長い鉄製の閂を持ってくると、扉の差し込み部に差し込み、閂を捻じ曲げる。

 

「……これで良いですね」

 

俺は力が入らない身体に鞭を入れ、無理矢理立ち上がる。そして、数歩進む。

 

「……待って…………」

 

そこまでであった。何故かよく分からないこの強烈な眠気は、俺の身体から自由を奪うには十分な威力を持っており、立つ事が不可能なまでに俺の身体を蝕んでおり、そのまま倒れる。

 

が、倒れかかる身体を抱きとめたのは、映姫であった。

 

そして、最後に聞こえたのは

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「耕也……貴方の大きな罪は、閻魔であるこの私をこのような気持ちにさせ、行動を取らせた事ですよ……?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

完全に寝てしまったか……。

 

私は抱きかかえる腕と、胸の中で眠る耕也の寝顔と呼吸を確かめてそう思う。そして、彼の領域とやらの作用で力が抜ける事も実感し。

 

彼を此処まで手元に置きたいという思考、気持ちになってしまうのか。彼の普段の行動が一番の原因であろう。

 

余りにも自然な感じで接してくる耕也。今回は真面目な話であったばかりに、敬語を使われてしまっていたが。

 

まるで彼は蝋燭の光であり、私は蛾。そんな印象すら抱く。だが、彼に感謝しているのには変わらない。日々の愚痴を聞いてもらい、そしてすとれすの解消にも協力してくれる。

 

そして、彼には申し訳ない事をしてしまった。本来なら長い年月を掛ければ、罪はある程度解消されるというのに。私は嘘をついてしまったのだ。閻魔失格である。

 

だが、どれもこれも耕也が悪いのだ。私の要望を断るという事が分かっていたから。

 

「閻魔様も、結構えげつない事をするのですね……?」

 

と、後ろから声が掛かる。もちろんこの口調、声、突発的な出現は八雲紫しかあり得ない。

 

「貴方がたは私よりもさらにえげつないでしょう……。 それで……本当に良いのですか?」

 

と、私が過去の事を思いながら尋ねると、紫は分かっていたかのように間髪入れずに答える。

 

「ええ、……彼を繋ぎ止めておくのは多人数であればある程望ましい。愛と肉欲の無間地獄に溺れさせ、決して、絶対に抜けさせないようにするのが最も効率的なのです。もちろん、本妻は幽香。私達は妾。それに変わりはありません」

 

と、紫は意味のわからない言葉を言ってくる。…………繋ぎとめる?

 

「繋ぎとめるとは……どういう事ですか?」

 

耕也がずり落ちないようにしっかり腕と胸で支え直しながら尋ねる。

 

紫は「ふふふっ」と胡散臭く静かに笑いながら、口を開く。

 

「これは、私の長らく考えた結果の一つ。最も可能性の高い答えの一つ。……閻魔様。いいえ、映姫にも話すわ。彼と身体を重ねた後に……ね?」

 

と、私がそれに返答するのを待たずして、スキマを閉じてしまう。

 

「全く……少しは人の話を聞くという事ができないのかしら?」

 

と、一人呟きながら、耕也を抱きかかえて寝床に運ぶ。

 

私は、寝ている人間を襲うという事自体が、とんでもなくはしたない事だと分かってはいるのだが、どうしてもこの身体の疼きを止める事ができない。

 

耕也が悪い。全部耕也が悪い。

 

そして私は

 

 

 

 

 

 

 

 

 

耕也に全ての肉欲を、溜まりに溜まった欲望をぶつけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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78話 俺の芋羊羹……

勝手に食べられると俺が悲しくなるぞ……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「こ…………ここは……?」

 

自分でも全く理解が及ばない状況にいる俺は、思わずそのような言葉をつぶやくしかなかった。起こす体は妙にだるく感じ、もっと眠りたいという信号が脳から送り出される。

 

起床直後のためか、朧で安定しない視界の中でようやっと確認し、そして疑問に思ったことがある。

 

確認したこと。それはなぜか、俺は裸でやわらかい布製の敷物の上に横たわっていたこと。そして裸のためか、冷たい外気に思わず体がブルリと震えてしまう。

 

疑問に思ったこと。俺がどうして裸で寝てしまっていたのか? しばらく、思いだそうとしても記憶があいまいであり、いくら脳内で自問自答しても、解決の糸口が全く見えない。

 

自分の記憶があいまいであるということが分かり、なんとも嫌な気分になりながら、脳をフル稼働させて自分の記憶が途切れるまでの部分まで思いだそうとする。

 

俺は確か、小町に罪の大幅な軽減方法を教えてもらうということに、意気揚々と船に乗り、裁判所まで。

 

「確かそこから俺は……そうそう、映姫と会ったんだっけ?」

 

独り言を記憶回帰の補助にしながら、俺はさらに思いだしを行っていく。

 

あの後確か俺は、映姫と一対一で罪の軽減について話をしていた……はず。

 

しかし、そこからが結構記憶が曖昧な世界に突入するのだ。映姫からの飲み物を飲んで、しばらく話して謝罪し……そこから記憶が全くない。

 

……なぜ記憶がないのだろう?

 

俺は確認のつもりで周囲を見渡してみると、この布製の敷物の上に何故か見覚えのある顔が……。

 

「…………へ?」

 

なぜこの人が裸で、しかも俺の横で寝ているのだろう?

 

そんな阿呆が発するような声とともに、そんな新たな疑問が出てくる。俺にはこの状況が全く理解できない……むしろしたくないと言った方がより的確だろうか?

 

俺が裸で、しかも映姫も裸……そして、俺に昨晩の記憶がない。

 

だが、もしここで俺の記憶があると仮定して……いや、仮定なんぞしてもしなくても変わらない。

 

とりあえず、この最も可能性が高いと思われる答えに達した瞬間、俺の全身から全ての血が抜け出てしまったような感覚が襲った。

 

体が、芯から冷えてしまったような……そんな感じだ。その形容が最も合っているだろう。

 

「あ……あ…………うそ……だろ?」

 

俺は、今自分が何をしているのか、そしてこの体にぜ力が入らないのか? そんな疑問すら吹き飛ばしてしまうほどの、混乱した事態に陥ってしまった。

 

なぜここに映姫がいるのだろうか? しかもなぜ裸でここに横たわっているのだろうか?

 

再び先程と対し変わらない疑問が俺の中で湧き上がり、それがさらに勢いを増して吹き出てくる。

 

「あ……ああ…………」

 

俺は無様にそのような声を発することしかできない。俺がこのベッドで、裸で、隣には映姫もいて、こちらも同じく裸で、同じベッドに寝ていて、そしてスヤスヤ眠っていて…………。

 

そして、現時点で俺の中に昨日からの記憶が全くない。つまりは、俺は…………

 

其処まで考えた時点で、先ほどよりも強い焦燥感と嫌悪感、吐き気が襲ってくる。

 

この状況で俺がしたこと……恐らくは……。

 

それ以上考えたくないとばかりに、首をブンブン振りたいが、体に疲れか、それとも先程の考えに至ったせいで気力がないのか?

 

自分でも良く分からなくなってきたこの感覚に、体を支配され、唯映姫と反対側を見続けることしかできなかった。

 

しかし、其れでも脳は勝手にこの現場の状況から予測しうることを網羅していく。さらには最も可能性の高いものが、俺の中で明確に、確実に、明瞭に俺の頭からほかの可能性を全て無くす。

 

それが全く許されるものではなく、確実に地獄行きになることが分かっているので、思わず俺の口から、ため息が出る。……声すら出てこない。

 

そして同時に目が潤むのを感じ、なぜこんな馬鹿で、阿呆なことをしてしまったのだろうと自分の中で激しく後悔しながらも、自分の置かれている現状を再び確認しなければと思い、首を映姫が寝ている方向に向ける。

 

ふと、其処に1つだけ、ほんの少しだけ、ぼやけているかもしれないが、暗雲垂れこめていた思考の中に光明が見えた気がした。

 

それは、映姫の表情、布団の整い様。そして目。もし、俺が昨晩俺の予想通りの行動を起こしていたのなら、映姫の顔には涙の一筋、布団の乱れ、表情の曇り等があってもいいのではないだろうか?

 

俺はこの様子に若干の希望を持ちそうになったが、自分でも何を考えているのだろうか? と思って破棄した。

 

馬鹿か……。映姫がそんな俺と……? 阿呆か。

 

と、再びぼやけ始めた視界の中で、俺は天井を見上げた。

 

 

「ふあ……おはようございます。耕也……」

 

ついに映姫が目覚めたことにより、吐き気、自分への嫌悪感が爆発的に増す。

 

俺が首を横に向けると、なんとも素晴らしい笑顔の映姫がいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私が思っていた通りだが、この男はやはり存外心配性なところがあるようだ。

 

耕也が目を覚ましてから、今までずっと耕也の表情などを見ていたのだが、耕也はどうしてもこの予期せぬ状況に置かれると、自分に非があるかどうかをすぐに確認し、その可能性が濃厚だと悟った瞬間に自己嫌悪に陥るようだ。

 

無論、完全に自分が悪いのかは確信している様ではないが、其れでも無理やり自分に非があるようにしてしまうのだろう。

 

私が短時間でそう感じてしまうほど、先程の耕也の表情の変化と狼狽の様。涙が溢れそうな目はそれを物語っていた。

 

少し、私も意地が悪いのかもしれない。彼があそこまであわてる姿というのを初めて見たので、それがもっと見ていたという気持ちになってしまい、止めることをせずに彼を見守り続けていたのだ。もちろん、耕也には起きているとはばれない様に。だが。

 

「おはようございます……耕也」

 

だから、もう少しだけその驚き、狼狽する様を見てしまいたくなり、耕也が自問自答をし始めたあたりからいきなり声をかけたのだ。

 

すると、案の定彼は目を見開き、そして唖然としたと思いきや、目を白黒させて狼狽し始める。

 

いつもの私とはだいぶ違うなと思いながら、私は彼に安心させるような言葉をかける。

 

「耕也……、どうしてそんなに慌てているのですか?」

 

と、安心させるために頬笑みをして段階的に理解させるように。

 

耕也は私の方を見ながら少々顔を青くしているが、私が動揺しておらず、さらには笑みを浮かべているということで、釣られて動揺を抑えていた。

 

私は、耕也の動揺が収まりつつあるということに一定の満足感を覚えながら、それとは反対に耕也の同様する姿が見られなくなるのを実感すると、少々残念な気持ちにもなる。

 

だが、それは仕方のないことなのだ。耕也が安定してくれなければ、こちらからの話が進まない。

 

そう自分の中で完結させ、耕也の返答を待つ。

 

耕也はしばらく私と目を合わせた後、周囲へと視線をふらつかせる。あっちへふらふら、こっちへふらふら。

 

落ち着かない。耕也は、次の私に対しての返答を出しかねているようだ。

 

まあ、耕也の事だから予想はつく。彼の言いたいことは、大凡私を無意識の内に襲ってしまったという事だろう。睡姦してしまったのはこちらだというのに。

 

だが、彼が答えにくいのは仕方がない。ここは私が補助をしてやるべきだろう。

 

そう思った矢先、力が入らないのだろう。彼は横たわったまま私の方を見て、口を開く。

 

「誠に申し訳ございません」

 

と。

 

それを口火に、彼は大きくため息を吐き、目を閉じる。まるで、もう好きにしてくれと言わんばかりに。

 

私はそれを見た瞬間に、早く安心させてやらなければという感情が間欠泉のように噴出し、心を支配し始める。

 

「耕也、貴方は悪くありません。大丈夫ですよ?」

 

そう言って、彼ににじり寄り、裸のまま抱きしめ、彼に自分の鼓動を聞かせてやる。

 

人間は、母親の胎内にいた時からずっと、この鼓動を聞いており、其れを聞かせてやることによって精神的に安定するのだという。

 

そして、彼は私の行動に驚いたのか体をビクリとさせ、私から離れようと首を動かすが、有無を言わさず私は彼を強く抱きしめ続ける。

 

「あ……え…?」

 

と、彼がつぶやく。まだ完全には状況を把握しきれていないようだ。私がなぜこのような行動に移ったのか? そして、なぜ怒らないのか?

 

私はこの体勢を解除し、彼の顔が真正面に見えるぐらいまでに体をズラし、正面から、至近距離で彼の顔を見る。

 

「あの……、映姫様?」

 

と、耕也は尋ねてくる。正面から見られるのが恥ずかしいのか、顔を少々赤くしながら、顔をずらそうとする。

 

その恥ずかしげにする彼の態度も、また愛しくあり、彼の行動は実に私の欲を誘うものだった。

 

「耕也……。ごめんなさい。謝るのは私の方です。一応八雲紫たちからは許可を頂いていたのですが、……貴方と体を重ねるということを。貴方が愛おしく、余りにも愛おしかったので、私の独占欲が抑えきれなくなり貴方を襲って犯してしまいました。すみません……」

 

「紫たちが……?」

 

「はい、私が体を重ねる許可を。貴方の正妻が風見幽香であり、私を含めた者は妾であるということも聞きました。すべて私が納得してのことです。……ですが、ここに貴方の気持ちが一切介入していません。……貴方の考え、気持ちを知りたいのですが……」

 

すると、彼は三十秒ほど自分の思考の海に入り、やがて考えがまとまったのか、こちらを見ながら口を開く。

 

「もし、それが映姫様の本心であれば、そして紫たちが納得しているのであれば。俺から口を挟むことは何もありません。全力で…………え~」

 

と、今度は何かを言いづらそうに眼を泳がしながら、はぐらかそうというかなんというか。

 

が、私は彼の言いたいことが明確に分かってしまった。またそれを理解した瞬間に心の中で温かいものが、じんわりと広がってくるのが分かる。

 

そして、今度はそれを彼の口から直接聞きたいと思ってしまい、彼の顔を逃がさないように両手でガッチリと固定して、問う。

 

「最後の言葉を言ってください……。いえ、言いなさい」

 

すると、彼の顔に熱が入ってくる。確かにこれを言うのはかなり恥ずかしいことだろう。

 

そして、普段の彼からこんな言葉が出るとは到底思えないし、彼自身も全く柄にない言葉を言おうとしていると自覚しているのだろう。

 

だからこそ私は彼の口からそれを聞きたい。柄にない言葉であり、それは私にとっても非常にうれしく、また彼をもっと愛しく感じる言葉だからであろうから。

 

耕也は口を開くづらそうにしていたが、ついに観念したのか、顔に少々赤みが差したまま、口を開く。

 

「…………分かりました言います言います。……全力で支えます」

 

ついに言わせた。その言葉を聞いた瞬間に、じんわりとだったものが、火山の噴火のように爆発的に広がってくる。そして、それは心地よい響きとなって頭のてっぺんから爪先まで一気に満たし、ピ~ンとした快楽をもたらす。

 

やはり、私の予想は当たっており、それを直に聞くことができて本当によかったと思っている。

 

だから私は、彼の顔を見ながら、一言言う。

 

「ええ、私もですよ? 紫たちに負けるつもりはありません。……本来なら監禁をしてでも…………という感じでしたが。ですが……」

 

といって、私は口を閉じる。そして彼の顔を再び見ながら、一言。

 

「貴方が私を支えてくれるのなら」

 

そう言って、彼の顔に口を寄せ、むちゃくちゃに唇を貪っていく。

 

「んんぅ……れぅ……ん……んん」

 

一瞬私の行為に目を見開いた耕也だが、私が構わず唾液を流し込み、また彼の唾液も呑み込んでいき、歯ぐき、歯、内頬を舌で蹂躙していくと、目をトロンとさせてくる。

 

私はそれに妙な心地よさを感じる。征服感というものだろうか? この妙な心地良さが体を満たし、私はそれを続行していく。

 

彼の口を塞ぎ、口付けの快楽に体をピクリピクリとさせる彼を後目に、さらに続けていく。

 

やがて、彼の性感が高まってきたことを確認すると蹂躙していた口づけをやめ、口を離す。

 

銀の糸が1つではなく、いくつもネットリと掛るのを確認するのを見てから、彼に言う。

 

「耕也……もう少しだけ、仲を深めあいましょうか?」

 

眠ったままではなく、今度は彼の顔が快楽に歪んだものになるというのを予想し、内心ほくそ笑みながら彼の返事を待たずに貪っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「頭がぶっ壊れる……? いや、むしろ廃人になるかと思った……」

 

そんな事をつぶやきながら、俺はノロノロと足を進めていく。

 

本当はあの誤解が解け、俺が悪くないと知った時点で映姫に対して怒るべきだったのだろうが、今ではそんな気力もわかないし、あの状況では怒るという考えに至るほど余裕がなかった。

 

なんとも微妙な気分になりそうな俺だが、心の中で映姫みたいな美人で妖艶でエロいムチムチな大人な女性にならと思ってしまっている俺が少なからずいるのだ。

 

と、そう思った時点で先程の行為からの疲れがどっと噴出してくる。

 

「やべえ、やっぱ寝ても疲れが……」

 

ものすごく帰りたいという気持ちが強くなってくる。

 

だが、世話になった小町に礼を言ってから帰らなければいけないと思っているなので、小町のいる休憩所に向かわなければいけないのだが。

 

映姫に聞いたところ、すでに仕事のノルマを終えた小町はダラダラと休憩室で過ごし、時には寝ているという。

 

体に余り力が入らないため、歩きがいつもより遅くなり、挙動も不安定になっているが、其れでもここまで送ってくれた小町には最低限礼を言わないといけない。

 

「ふあ~……」

 

大きなあくびをしながら、ひたすら廊下を歩き続ける。

 

正方形に形どられた大理石の廊下を歩いてると、景色の変化が余りないので眠気をさらに加速させていく。

 

「帰ったら寝てやる。絶対に……」

 

そんなしょうもない独り言をのたまっていると、大きな板で作られ壁に貼り付けられた看板が目に留まる。

 

そのプレートには、大きく太く力強い字で、休憩所と書かれていた。

 

「ここ……だよね? なんだか字が休憩所というオーラを放ってない気が……」

 

今にも動き出してしまいそうな字で書かれた板に、そんな感想を持つと、俺はココに小町がいるんだなと確認して中に入っていく。

 

「失れ……いや、必要ないか。休憩所だし」

 

つい癖で「失礼します」と言ってしまいそうになったが、休憩所に入る際にそんな事を言うやつはいないだろう。と、考えて言葉を引っ込める。

 

俺は何故かこの時代にある蝶番式の扉の取っ手をつかみ、開けて、中を確認していく。

 

中は、長方形の長い机が10列並び、それぞれ60人は優に座れるのではないかという大きさがある。

 

ここ本当に休憩所なのかい? 食堂の間違いじゃない?

 

そんな感想を持ちながら、一列ずつ確認し、小町がいないかを確認していく。

 

すると、右から4列目の奥に、赤く程良い長さの髪を、一部短く二つにまとめた頭が机に乗っかっていた。

 

服装は死神装束。奥の壁に掛けているのは死神の鎌であろう。

 

「小町さん見っけ」

 

と、小さく俺は呟いてから小町の方に歩いていく。

 

あいにく寝ているのだが……起こさない方がいいだろう。メモでも置いていくのがベストなのだろうか?

 

と、考えていると

 

「んあ?」

 

そのポヤンとした声と共に、頭がガバリと持ち上げられ、こちらの方を向いてくる。

 

それに俺は少々驚いてしまい

 

「おお……」

 

と、素っ頓狂な声を上げてしまう。

 

向けられた顔はもちろん俺の予想した通り小町であり、寝ていた際に机に押しつけていたのか、額に赤く跡が付いている。

 

俺はそれに思わず噴き出しそうになってしまいそうになるが、怒られるのは嫌なのでその気持ちは抑え込んでおく。

 

小町は眠たそうな眼を擦りながら、こちらの顔を再び確認して声を発する。

 

「何だい何だい、変な気配が近づいてくると思ったら。耕也じゃあないか。あたいに何か用かい? ふあ~あ~……」

 

そうあくびをしながら尋ねてくる。

 

その表情は、眠りを妨げられての不機嫌さはなく、今ちょうど起きようとしたとでもいうかのようなもの。

 

その予想が間違いではありませんように。と、思いながら俺は彼女の対面に座る。

 

少々休憩するには堅い椅子だなと思いながら、小町の顔を見て話す。

 

「いえ、用があるというわけではないのですが、先程の道案内のお礼を言いに……」

 

そういうと、小町は一瞬目を大きく開いたが、次の瞬間には口を大きく開けて笑っていた。

 

「あっはっはっはっはっはっはっは! いや~ごめんごめん、……でも、耕也もマメな人間だねえ。態々礼を言いにここまで来るなんて」

 

と、珍しい人間を見たかのような表情で。俺があっけにとられていると、小町は椅子を反対向きにし、またがるように座りなおす。

 

男などがそれをやると、唯単に素行が余りよろしくないと思われがちだが、小町がやると単にエロくなるだけだと思った俺は、色々とダメなんだと思った。

 

まあ仕方がない。絶対に仕方がない。何ぜ彼女がやると、複数の支柱が入った支柱に胸が押しつけられ、行き場を失った胸は隙間からはみ出そうとする。そのもともとの妖艶さ、エロさを爆発的に増大させる行為を彼女は何のお公家も無くやってのけるから、なんとも質の悪い。

 

いや、質が悪いのはこんなことを考える俺の方か。

 

と、考えていると、小町はなんともこちらを不思議そうな顔をしながらこちらに尋ねてくる。

 

「耕也、どうかしたかい? もしかして、あたいの言葉が気に障ったかい?」

 

むしろ、気に障る事を考えているのは俺の方ですよと思いながら、ばれない様に答えていく。

 

「いえ、少々ボーっとしてしまいまして。すみません」

 

と無難に言葉を選びながら。

 

そして、続けざまに言葉を放って行く。

 

「そして小町さん、道案内ありがとうございます」

 

すると、小町は俺の顔を見ながら、再びキョトンとし、すぐに顔を笑みへと歪ませる。

 

そして、再びさも可笑しそうに手を口の部分にあてて、くつくつと笑う。

 

「ふふ、くくくくくく……本当に珍しい人間だねえ? 死神に態々近づいてくるうえに、死神に礼の言葉を言う人間なんて初めてだよ」

 

と、小町は俺の方をニコニコと見ながら、言ってくる。

 

確かに人間が積極的に小町達のような死神に近づきたいとは思わないだろう。小町はその役目が人間の命を狩るというものではないから、まだマシなのだろうが。

 

いや、そもそも死神自体は単なる橋渡しの役目しかもっていないはずだ。……てことは?

 

と、俺は少しだけ彼女の言った言葉の意味を考える。一体何が彼女たちを人間たちから遠ざけているのか?

 

「……ああ」

 

意外と早くその答えが見つかり、俺は思わず声を上げながらその答えを思い浮かべる。

 

結局は先入観なのだと。

 

死神。もうこの漢字からして遠ざけてしまっているのだろう。そしてその先入観が無駄に肥大してしまったことにより、大多数の人間から敬遠されてしまったというのもあるだろう。まあ、強いて言えばあと一つは、小町達死神とは遭遇率が低いのもあるだろうが。

 

「何が、ああなんだい?」

 

と、小町が笑みを引っ込めて、こちらを不思議そうな顔をしながら見てくる。

 

俺はそれを見ながら、彼女に一言つぶやく。

 

「いえ、先入観と遭遇率は大きいですよね……」

 

と。

 

俺の呟きを聞いた小町は、なんとも良く分からない苦笑いなのか驚きなのかという複雑な顔をする。

 

「先入観ねえ……やっぱりそうなのかねえ?」

 

と、小町は寄りかかっていた椅子から立ち上がり、服をパタパタさせながら言ってくる。

 

俺は、なんとも行き詰った感を感じ、どうしたものかと思いながら彼女の表情を見続ける。

 

そうすること、十数秒。小町は突然何かを思い出したような顔をして、次にはこちらに笑顔を向けて口を開く。

 

「そうだ耕也。あんた見たところかなり疲れてそうじゃないか? そうだろ? まあ、原因は言わなくても分かるけどね?」

 

と、ニヤニヤしながら言ってくる。対する俺は、小町の言った事に反応するのも億劫なほど疲れている。

 

正直ここから帰る際にジャンプするのが怖い。彼岸から自宅までジャンプしたら、それだけでヘトヘトになりぶっ倒れそうだ。

 

俺は其処まで考えたところで、小町に返答する。

 

「はい、確かに疲れています……欲を言えば眠りたいです……」

 

少々自分の欲を前面に押し出しながら、彼女の言葉に答える。

 

すると、小町は少々不満げな顔をしながらも、まるで分かり切っていたと言わんばかりの顔で、こちらの答えに口早に答えてくる。

 

「そうだろそうだろ? だったらあたいに任せなよ。あたいの船で送ってあげるからさ。どうだい? 悪くはないと思うけどね」

 

悪くないどころか、俺として非常に嬉しい答えであった。まあ、これだけ疲れた表情と態度を出していれば、彼女としても助け船を出さざるを得なかったということなのだろうか?

 

なんとも申し訳ない気持ちになりながら、彼女の厚意を素直に受け取ることにした。

 

「ありがとうございます小町さん。本当に助かります……」

 

そういうと、小町は満足そうな顔をしながらウンウンと首を大きく上下に振って頷く。

 

「いいよいいよ。お詫びも兼ねていうのもあるからさ」

 

お詫びとは、ここに来る際に起きた戦闘の事だろう。いや、戦闘まがいと言った方がいいだろうか?

 

「じゃあ、あたいに着いて来ておくれ」

 

そんな事を考えながら、俺は彼女から下される指示に従って、船着き場へと行くことにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やっとついた……家に帰ったら眠りたい。12時間ぐらい眠りたい。思いっきり眠りたい」

 

そう願望が口からダダ漏れになりながらも、俺は目の前にある自分の家を見ながら、ため息をつく。

 

そして、ノソリノソッリと家に近づいて行くのだが、なんとも騒がしい気がする。

 

家の中にはお燐とお空がいるので、騒がしいというのには納得できるのだが、それでも何時もより騒がしい気がする。一体何だろう?

 

声から判断すると、お燐とお空のほかに聞いた事のない声が二つ。俺が聞いた事のない声が二つ。

 

お燐とお空が楽しそうに談笑している時点で物盗り等ではないだろう。万が一でも俺が何とか頑張ればいいだろうし。万が一があるのは困るけえれどもとりあえず眠い。

 

そんな事を考えながら、胸ポケットから鍵を取り出し、差し込む。そして力を加えて回していくが、開錠する際の抵抗感がまるでない。

 

「……ああ、本当に疲れてるな俺。中にいるのに掛けるわけないか……」

 

アホな事をしているな俺は。と思いながら俺は鍵を抜き、扉を横にスライドさせていく。そして、中にいる俺の知らない連中の顔を見に。

 

玄関を開けて、少々廊下を歩き、居間と廊下を隔てる襖を開けていく。

 

「ただいま。お客……さん?」

 

俺の視線の先には、お燐、お空。

 

そして何故此処にいるのか全く理由が分からないが、一輪と村紗がいた。

 

思わず俺は

 

「へ…………?」

 

と、声を上げるしかなかった。

 

俺の侵入と同時に向いてきた顔の口には、フォークらしきものが咥えられており、俺は彼女らが此処にいる理由が知りたくなると同時に、何を食べているのか? と言う事も気になっていた。

 

そして、俺は彼女達の食べているであろう物に視線を移す。

 

「俺の芋羊羹……」

 

それは、明日食べようと楽しみにしていた、冷蔵庫内でキンキンに冷やしておいた大好物の一つである芋羊羹だった。

 

「おふぁえひい!」

 

「おふぁふぁりほうひゃ」

 

と、フォークを咥えたままでお空が元気良く俺を出迎えてくれる。確かに食べてても良いと思ったのだけれども……態々冷蔵庫の奥にしまったものを食べるとは恐ろしい子達。

 

そんなどうでもいい事を考えていると、更に疲れが増してくるようで、俺は柱にもたれかかるようにして、お空たちに尋ねる。

 

「ええと、そちらのお客様達は?」

 

こんなだらしない格好で失礼だとは思ったものの、直すほどの気力も無く、ただボケーっと俺はお空かお燐が口を開いて紹介するのを待つのみ。

 

すると、一輪は口を固く閉じたままだったが、横にいた村紗が口を開いてきた。

 

「突然すみません。私は村紗 水蜜と申します。大正耕也さん。私達から依頼があります……」

 

「はい、どう言った御用件でしょうか?」

 

つい反射的に返事をしてしまったが、俺はその依頼と言う言葉が耳に入った瞬間に、とんでもなく嫌な予感がしてきた。

 

そして、その嫌な予感とは存外当たる確率が大きいらしく、嫌な予感とやらがピタリと当たった。

 

「私達の白蓮の封印を解いて下さい。お願いします」

 

俺は頭の中に水銀を入れられたかのように重くなるのを感じ、失礼ながらもその欲望を口に出す。

 

 

 

 

 

 

「すみません、とりあえず寝させてください……」

 

 

 

 

 



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79話 手段があまり無いとは……

俺の力じゃあ魔界には行けないし……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

眠い眼を擦りながら、俺は布団から起き上がる。

 

「やっぱ眠い……流石に疲れの全ては取り切れなかったか……」

 

まあ、そんな事を言っても仕方ないと思いながら、俺は寝る前の事を頭の中に浮かべて整理していく。殆ど寝惚けているような状態で行動を行っていたので、少々靄が掛かってしまっている。

 

確か……家に帰ったら、燐がいて、空がいたと。そしてその二人は俺の芋羊羹を食べていて、更には客人が……。

 

「ああそうだ……そうだった……」

 

俺は布団から身を起こしたまま、そう小さく短く呟く。またその客人がいた事と、その居た理由を思い出し安堵のため息を吐く。

 

「聖白蓮の封印解除か……俺には不可能だぞ? ……うん」

 

そう呟きながら、布団から立ち上がり、疲れの拭いきれない身体の重さに顔をしかめながらも、ゆっくりと居間へと移動する。おそらく客人達、ムラサや一輪は燐達と寛いでいるはずだ。

 

そう勝手に決めつけながらも、むしろそうしていて欲しいと思って襖を開ける。呆れられて帰っていたらそれはそれで俺が傷つく。

 

そして襖を開けると、ガヤガヤとした騒がしさが耳に届いてくる。大凡俺の願望が当たっていたという事だろう。

 

睡眠をとると人間の体温は低下するため、廊下に出た瞬間思わず身体がブルッと震えてしまう。俺はついつい両手に自分の呼気を当てて寒さをしのぐような動作をしてしまう。そしてその動作が地底ではまったく似合わないという事に気付き、苦笑してしまう。

 

「何やってんだ俺」

 

この場に燐や空がいたら俺を見て笑いそうだなと思いながら廊下を歩き、居間と廊下を隔てる襖を開ける。

 

するとそこにいたのは、もちろん睡眠前とは変らず燐と空とムラサと一輪。

 

卓袱台の上にあるのは、最近俺が燐に良く食べさせている現実世界での菓子類である。これらを見ながら判断すると、四人とも寛いでいる様子であり、先ほどの態度とは随分と違っているのだと思わせる。憶測でしかないが、燐たちが彼女達の持っていた妙な緊張をほぐしていたのだろう。

 

俺が開けた事に気がついたのか、彼女達は一斉に俺の方を見てくる。

 

何とも恥ずかしく感じながらも、頭を下げつつ

 

「遅れてしまい申し訳ありません。ムラサさん、ええと……」

 

詫びを入れつつ彼女達の名前を言おうと思ったのだが、紹介されていたのはムラサのみだった事に発言中に気が付き、思わず何と言って呼んでいいのか俺は戸惑ってしまった。

 

下手に此処で一輪を呼んでしまうと、何故会ってもいないのに知っているのかと問い詰められそうであり、ソレを考えると、此処でどもっておいた方がまだマシなのである。何とも阿呆な登場に変わりはないが。

 

俺の情けない沈黙を破ったのが、当の本人である一輪であった。

 

「大正耕也さん。まだ名乗っていませんでしたが、私は雲居一輪。よろしく」

 

「あ、はい。申し訳ありません。此方こそ宜しくお願いします」

 

そう返事をした所で、ふとある違和感を覚える。この場においてこの違和感を認識するのは、おそらく一輪本人以外では俺のみであろう。

 

彼女は入道の妖怪。ゆえにもう一妖怪、雲山がいなければならないのだ。ソレが彼女とセットでないからこんな違和感を感じるのだ。

 

が、ソレもただ屋根の上に配置させているだけという事も考えられるし、すぐにその違和感を解消させられた。

 

その違和感を無くした後、ニコニコしながら手招きする燐の方を見て頷き、ムラサ達と机を挟んで相対するように座る。そしてソレを見届けた燐たちは空気を察してか、無言で居間から退出して行った。

 

俺は燐たちにありがとうと思いながら、見送った瞬間に、先ほどまでの和やかな空気が一変した事を感じた。そう、俺が眠る前の空気に近い。ムラサ達を中心とした重く暗い空気があたりを支配し始めているという様に感じてしまう。

 

そして、まるでこの畳みに突然傾斜ができたかのように、ズルズルと此方までその空気に引き込まれてしまう感覚さえある。

 

俺が現れたことで、彼女達は本題に入ろうとしているのだろうか。それとも、俺が来た事で本題を思い出し、反動が来てしまったためか。

 

その部分は俺には把握しきれていないのだが、彼女達にとっては勿論、俺にとっても重要な案件になるのは間違いなさそうだ。いや、間違いないだろう。

 

何せ、彼女達にとっては白蓮という何にも代えがたい存在が遠く遠くの世界である魔界に封じ込められてしまったのだから。さらに言えば、今彼女達は封印されたばかりといっても過言ではないだろう。

 

確かに人間達にとっては彼女の行為は裏切りに等しいものだったに違いない。自分たち人間だけの味方だと思っていた人が、すでに人間ではなく、そしてその身体を維持するために妖怪から妖力を譲渡してもらっていたのだから。

 

だが、彼女を慕っていた妖怪達にとってはたまったものではない。彼女の思想に賛同し、人間と平等の関係を築き上げるという事に奔走していたのだから。だからどうしてもその思想を実現させるには彼女の力が絶対必要で。

 

そして彼女に救われたムラサにとっては賛同者、信者以上の付き合いがあったと言っても良いだろう。そこで突然彼女がいなくなってしまったらどうか? 俺だったら助けたいに決まってる。関係があの鵺での一件以来の俺ですらそのような選択肢を浮かべ、選ぶのだ。ムラサにとってみれば尋常ではない事態であり、選択するのは必然と言っても良い。

 

そこまで考えてから、この重い沈黙を破ろうと俺は努めて静かに話を切り出す。

 

「まずは、下らない私情により遅れてしまい、誠に申し訳ありません。ムラサさん、雲居さん。どうか先ほど仰られてました、白蓮さんの事についてお話しくださいませんか?」

 

と、再度謝罪してから彼女らが詳細に白蓮の事を話す様に仕向ける。

 

俺が話すのと同時に、ムラサ、一輪の身体が強張るのが見て取れる。話したくもない程嫌悪するモノなのだろう。一瞬顔をムラサが歪めてから、此方を力強い、しかし何かを抑えたような眼で切りだしてくる。

 

「まず率直に依頼内容を改めて。大恩ある聖白蓮の解放をお願いしたいのです。……そして、依頼内容の詳細を言いますが宜しいですか?」

 

と、深呼吸をしながら言ってくる。

 

俺はその言葉に、はいと言いながら、シャープペンとメモ帳を取り出し、依頼内容の把握と記憶に努める事にする。

 

カチリカチリとノックを親指で叩き、スライダーより芯が出た事を確認すると、ムラサと一輪の方を見て

 

「お願いします」

 

と、一言う。

 

「はい、では……」

 

それにムラサが一言返し、眼を瞑りながら言う。

 

「まず、聖が封印されている場所は、この地底、そして地上のどこでもなく、魔界、その中でも法界と呼ばれている世界に封印されています。この法界というのは通常、人間ではどうあがいたとしても辿りつく事のできない場所なのですが……」

 

そう後半の声を段々と小さくさせながら、搾りだすように言ってくる。その様子は何とも俺に言いづらそうな、言いたくないような感触を持ってである。

 

彼女の雰囲気から、言葉から、頭の中に一つの疑問点が湧いてくる。

 

先ほど彼女が言った、人間ではいけない場所。行けない場所なのにもかかわらず、何故俺に依頼をしてきたのだろうか? 正直なところ、魔界に行くというのならば、人間の俺なんぞよりも地底に古くからいる妖怪に依頼した方が、遥かに可能性がある。

 

少々頭の中で首を傾げたくなってしまったが、それを抑え、彼女が口を開くよりも先に俺が疑問を投げつける事にした。

 

「途中ですみません。魔界とは、人間ではいけない所。なのになぜ私に依頼を?」

 

すると、横にいた一輪が少々眉をへの字にして言ってくる。

 

「実は、すでに協力を募ってみたのですが、全く相手にされなかったのです。これについてはあまり気にしないでください。……そして、人間である大正耕也さんを頼った理由としましては、すでに聖と会い、またその実力も十分に聖から聞いております。ですので、今回私達は貴方の助力を得たくここに」

 

一輪は、妖怪に断られたられたというのを余り聞かれたくはないようであった。おおよその予想はつく。

 

単純に聖の思想が気に入らない妖怪がいた事。そして、面倒事に手を出す気が起きなかったという事だろう。表情から察するに、前者の方がウェイトが高そうだ。

 

そりゃそうだろう。彼女の思想は、神、仏、人間、妖怪は全て平等であるというものであり、この地底では到底罷り通らない思想である。どう考えても。

 

此処にいるのは、人間に退治、追いやられ、封印されて来た者ばかりだ。そこで、全てが平等であるという思想を持つ聖を助けてくれと依頼しても、門前払いを食らうのが容易に想像できる。

 

そこで、この地底でも唯一の人間である俺に白羽の矢が立ったのであろう。俺としては、この件に首を突っ込んでも、別に何か問題があるとは思えないから協力しても良いかなと思っている。

 

ただ、一つ問題がある。先ほど彼女が言っていたように、俺には魔界に行く手段がない。鼻血出して逆立ちを24時間しても、出来っこない。

 

その疑問を彼女に言う。

 

「あの、すみません。御依頼はお受けしたいと思います。ええ……ですが、先ほどムラサさんが仰っていたように、私はどのように魔界に行けば宜しいでしょうか?」

 

ムラサが依頼してくるのだから、さすがに魔界まで行く手段は欲しい。俺は、その事を聞きたくて、2人の顔を見やる。

 

すると、俺に顔を見られたくないのか、何故か2人とも眼を逸らす。試しにムラサの方に眼を向けると、更に別の方角へと顔を向けて行く。

 

嫌な予感しかしない。いや、むしろこの予感は当たっているとしか言えないだろう。この状況化すると。

 

結果を知りたくないという気持ちもあるが、恐る恐る口を開きその目を逸らす意図を確かめる。

 

「あの~……もしかして、行く手段すら無いとか……? 違いますよね?」

 

そう言葉を口にすると、彼女らは露骨に身体をビクつかせ、何ともやりづらそうに此方をチラチラと見て、再度視線をずらそうとする。

 

もうその態度だけで分かった。行く手段が彼女達にも無いという事が。

 

だが、引っかかる事があるので、俺は彼女にもう一度だけ尋ねる事にする。

 

「あの……本当にないのですか? 正直に仰ってください……」

 

その言葉が引き金となったのか、ムラサと一輪がコクリを頷く。

 

彼女達の考えられる手段の中では、俺が魔界に行く手段が無いと。だが、やはり引っかかるものがある。

 

確か、彼女の船には魔界に侵入する事ができる機能があるはず。ソレを使わないのか? また、飛倉の破片を使って彼女の封印も解いていたはず。

 

ならば、彼女の手の中にはすでに解放の手段がそろっているはずなのだ。ソレが何故、今使えないのか? 俺はそんな疑問が噴水のように湧き、頭の中を埋め尽くす。

 

その様を不思議に思ったのか、ムラサが首を傾げながらも、申し訳なさそうに聞いてくる。

 

「あの……どうしました?」

 

俺は彼女の顔を見ながら、少々遠まわしに星輦船の事を聞こうと口を開く。

 

「あの、つかぬ事をお聞きしますが、魔界に行く事の出来る法具等そういったものは、地上、あるいは地底に存在するのでしょうか……?」

 

結構露骨な質問ではあるが、彼女が俺の言わんとしている事を察してくれるのならば、俺の質問にすぐに答えられるはずである。

 

案の定、彼女はすぐに反応を示した。しかし、その顔は忘れていた、今気付いた。というものではなく、苦虫を噛み潰したかのような顔。

 

その瞬間に、聞いてはいけない事だったと思い、慌てて謝罪するために、口を開こうとする。

 

が、その事を謝罪する前に、彼女が口を開いた。

 

「有るにはあるのです。私の依り所である星輦船というモノです。これは聖の弟である、命蓮様の法力が込められた飛倉を改造し、建造された船。これが唯一の手段です。ですが、この船は私とともに、地中深くに埋められてしまったのです。その際、何とか最後の力を振り絞って地中から這い出た私ですが、船までは……」

 

そう深く溜息を吐いたムラサが、掌を天に向け、力を込めるように強張らせる。

 

が、出てきたのは大きな水の玉が、一つ、二つ、三つ。その水の玉は何とも弱弱しいオーラを持っており、ソレが数秒後には形を崩すように消えてしまう。

 

その様をムラサは自嘲気味に笑いながら、俺に向かってそのままの表情で口を開いてくる。

 

「御覧の通り、私は今封印されたばかりといっても過言ではないので、力が殆どありません。この様ですよ……」

 

俺は、ソレをフォローしたい気持ちになるが、この場の空気がその行動を許してくれそうになく、唯黙りこむしかなかった。

 

彼女の力では、地中深くに埋まっている星輦船を掘り出すことはできない。そして、俺の力を持ってしてもソレを掘り出すことはできないであろう。

 

下手したら星輦船が大きく破損して今後使えなくなる可能性もあるのだ。そんな事になったら、今後幻想郷での宝船として、命蓮寺としても機能しなくなる可能性もあるのだ。

 

「あと何年するか分からないのですが、少しずつ力が戻りつつあるのは分かります。そうしたら、聖を解放する事は可能でしょう……しかし」

 

その言葉を言った瞬間、先ほどの自嘲気味で、弱弱しい雰囲気を纏っていた彼女とは大違いの、まるで別人かと思えるほどの強い力を宿す目で、此方を睨むかのように見据えてくる。

 

「そんなに長い時間を待つことなどできません。……私達は、今すぐにでも聖を解放したい」

 

思わず俺がたじろいでしまいそうになるほどの威圧感のある声で。余程聖が封印されてしまった事が悲しく、逆鱗に触れてしまっているのだろう。苦しいのだろう。辛いのだろう。

 

しかし、彼女はこの間封印した人間について一言も恨み事を言わない。俺の手前というのもあるだろうが、今までの状況説明等を話している状態なら、罵詈雑言を撒き散らしてもおかしくない。だが、彼女はそんな事をしない。

 

聖が目指している思想には、このような事態になる事は予め想定しており、覚悟はできていたという事なのだろうか。それとも、聖から予めそのような事を言ってはいけないと教えを授かっていたのか。はたまた彼女はすでに思う存分別の場所で恨み事を撒き散らし、この場で言わないだけなのだろうか。

 

俺にはどれかは分からないが、一番最初の考えが近しいのではないだろうかと思う。

 

そう彼女の行動について少々考え、彼女らの依頼を受けるという事を改めて了承する。

 

「お気持ちは良く分かります。先ほども同じような事を言いましたが、私にできる事なら喜んで協力します。え~つまりは依頼を受けるという方向でご了承ください」

 

改めて依頼が確定した事を理解したのか、ほんの少しではあるがムラサの強張った肩が解れるのを感じ取った。

 

が、その安心感もすぐに消えていく。

 

「ありがとうございます」

 

「ありがとうございます耕也さん」

 

と、ムラサと一輪が言ってくる。俺は返事を返しながら、どのように依頼を完遂するかを考えて行く。ソレがどうしても現時点では思いつかない。

 

自分の力不足のせいで、少々焦っているのだろうか? さっきから全くと言っていいほど頭が回らない。

 

とりあえず、少々考える時間が欲しい。そう思った俺は、2人に今日の所はお引き取り願う。

 

「すみません。現時点では、少々魔界に行くための手段が思い付かないのです。ですので、また後日お願いできますか? 大変申し訳ありません」

 

そう頭を下げながら、彼女達に問う。

 

すると、さすがにこの部分に関しては、彼女たちにとっても早急に解決しなければならない問題だと分かっているのか、2人とも頷き、立ち上がる。

 

「では、私達もなるべく考えますので。どうかよろしくお願いいたします」

 

2人は声を一字一句同じに合わせて、頼み込んでくる。

 

「はい、分かりました。では、また後日宜しくお願いいたします」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いや、ちっと思い付かんぞこれ……どしよ」

 

そう、スパゲティーをフォークに絡めながら、独り言を言う。

 

適当にホールトマトとバジル、ベーコンを基に仕立て上げたのだが、目の前にいる燐と空の舌にはあったようだ。

 

「ちょっと酸っぱさがあっていいねこれ……」

 

と、チュルチュルと麺を口の中に入れて行く燐。対する空は、喋る事もせず黙々と頷きながら物凄い勢いで啜り込んでいく。

 

トマトソースが端整な顔に飛び散り、何とも悲惨な事になっているが、食後に拭けば大丈夫であろうとタカをくくって俺もかきこむ。

 

が、正直なところ、味よりもこれから先の事が不安になって仕方が無い。

 

「思い付かない……やっぱどう考えても俺じゃあ魔界にはいけないじゃないか……本当ににどうしようか?」

 

何時になく焦っている気がするが、どうにもこの焦燥感を抑える事ができない。

 

俺の様子を見かねたのか、燐が口をとがらせながら聞いてくる。

 

「耕也耕也やい。一体魔界だの何だの、何をそんなに焦ってるんだい? お姉さんに話してごらんよ」

 

と、こう言う俺が悩む時だけお姉さんぶって、年上をアピールする燐だが、正直俺の方が年上な気がしてならない。

 

が、彼女なりの気遣いだと俺は解釈し、彼女に向かって口を開き、助言を賜ろうと言葉に出す。

 

「いや、実は先ほどの依頼で、急に魔界に行かなければならないのですが、その手段がいっくら頭を捻っても出てこないのですよ。……依頼者の力を持ってしても不可能でして……」

 

そう言うと、燐は残りのパスタを全て口の中に放り込み、皿を空にする。

 

「他の妖怪に助力してもらうとかは、考えなかったの? ほら、八雲とか」

 

確かにその通りである。自分の力でも、依頼者にもできなければ、第三者の力を借りれば良い。

 

しかし、そのような事ができるのは一人しか思い付かない。

 

紫である。

 

だが、彼女は忙しい身であるため、俺が気軽に頼んでいいかと言えば……。彼女の手伝いなら喜んでするが、俺が頼みに行くのは何ともやりづらさを感じるのだ。

 

だから、この件はなるべく彼女に頼らずに解決したいのだが

 

「確かに紫さんに頼むってのも一つの手ではありますが、彼女は忙しい身でして……なるべく法具やら何やらで解決したいのですが……ありませんかね?」

 

「え~? ……ちょっと待ってね………………」

 

そう言うと、両腕を組んでうんうんうなり始める。関係ないのにも拘らず、こうして手伝ってくれている燐には本当に感謝している。

 

勿論空にも感謝している。が、口の周りにべったりと付いているトマトソースを拭いてくれると非常に助かるのが本音。

 

そんな事を考えていると、燐が突然耳を立ててポンと手を叩き、ニッコリとして口を開く。

 

「一つだけあるよ!」

 

「え、な、なんですか?」

 

俺は首の皮一枚繋がったかもしれないと思いながら、彼女の言葉に耳を傾ける。

 

燐は満面の笑みを浮かべて俺に口を開き、言葉を発する。

 

「いやねえ? 前に風の音で聞いたんだけれども…………あ…」

 

と、唐突にその満面の笑みを歪めて、一気に顰める形となってしまう。燐の急激な表情の変化に俺は着いて行けなく、ついつい質問をしてしまう。

 

「ええと、……どうしたのですか?」

 

すると燐は、大きく手を顔の前で交差させ、バッテンマークをする。そして、しかめた顔から急に眉毛をへの字にして少々悲しそうな顔をする。

 

「にゃ~……やっぱだめー。……いやあ、合わせ鏡ならイケる気がしたんだけれども、よくよく考えてみたら駄目だったよ~」

 

そう言うと、燐は表情をそのままに口から軽やかに言葉が滑り出す。

 

「合わせ鏡で、その間を悪魔が通る。つまり、魔界に通じているってことなんだから、そこを狙って行けばいいと思ったのだけれども……」

 

そう言葉を述べた時点で、燐は苦笑しながら両肘を折り曲げ、掌を上に向けて首を横に振る。まるで外国人がやれやれとでもするかのように。

 

「鏡を通れるのって、悪魔だからだし。人間の耕也は通れないよねもちろん……あ~あ、上手い事考えたつもりだったんだけれどもねえ……」

 

その通りだろう。仮に悪魔が偶然都合よく現れたとしよう。そこで俺が鏡に向かって馬鹿正直に突撃した場合、もちろん考えるまでも無く結果は見えてくる。

 

俺が鏡に激突した瞬間、鏡をぶち破り、領域が強制的に発動し、後に残るのは鏡の破片と反対側にいる悪魔の爆笑姿である。

 

想像しただけであまりにも情けない姿になるという事が分かるので、俺は眉を顰めながらやりたくないと思った。

 

しかし、燐の考えには感謝しなくてはならない。俺が考えつかなかった事を考えつき、嫌な顔一つせず教えてくれたのだから。

 

「いえいえ、ありがとうございます。態々自分なんかのために考えて下さって。ありがとうございます」

 

すると燐は、いやいやと手を振りながら、此方に返してくる。しかし、このままでは何とも悔しい結果に終わるのが目に見えてくる。それは何とも阻止したい。やはり安易に紫に頼るという姿勢は良くない。俺の気持ちとして。

 

「やはり、法具とかはないですかね?」

 

「いやあ、聞いたことないねえ。ヤマメやさとり様やこいし様もとかもそう言うのには疎いし、他の妖怪じゃあ教えてくれそうにないし……お手上げ!」

 

と、両手をいっぱいに空中に広げ、お手上げ状態を表す。

 

「ですよね~……。元陰陽師の自分も知りませんし……」

 

と、溜息を吐きながら少々凹みそうになる。

 

しかし、法具も無い実力行使もできないという手詰まりとなると、本格的に紫の力を借りなくてはならない。

 

が、借りたくない。紫の負担を増やしたくはない。同じく幽香や藍、特に映姫なんてもっての外である。

 

「やっぱり八雲に頼った方がいいんじゃないの?」

 

と、意外な方から声が発せられてきた。空である。

 

「へ?」

 

と、あまりに意外な事を言ってくるものだから、つい素っ頓狂な声を発してしまう。今まで俺と燐の顔を交互に見て沈黙を守っていた空が、だ。

 

俺の声が変なのか、クスクス笑いながら、空は卓袱台に肘を置き、此方に身を乗り出させて口を開く。

 

「だって、お互い支えてなんぼでしょ? 八雲と耕也の関係って。……違う? ……耕也が迷惑かけたくないって気持ちは良く分かるけれども、それで解決しないなら何も意味が無い。だったら、親しい人、大切な人に助力を求めるのは必然でしょう?」

 

と、すらすらと。

 

確かに。と、俺は思った。空の言う通りである。俺が此処でただ無駄に悩み手を拱いているのと、紫に助けを求めて封印解除に向かった方が、遥かに効率的であり、完遂出来る可能性が最も高い。

 

やっぱり思い切りが違うなと思いながら、空に礼を言う。

 

「ありがとうございます。空さんの仰る通りです」

 

そう言うと、嬉しかったのか空が両手を腰に当てて胸を張る。まあ、胸を張った瞬間にメロンのように大きなおっぱいが非常に眼の保養になったのは俺だけの秘密。

 

に、したかったのだが

 

「ドスケベ」

 

と、燐に赤い顔で言われた瞬間に即座に瓦解した。

 

「ごめんなさい……」

 

と、声を発すると同時に、空が自分の今にも服を突き破りそうな程、大きくたわわに実った胸に視線を落とし、顔を真っ赤にして両腕で抱きかかえるように防御態勢をとり睨む。

 

「え、えっち………………」

 

そう今にも眼を潤ませそうな程顔を真っ赤にして、此方に文句を言ってくる空。

 

「本当にごめんなさい……」

 

いや、本当にイイモノです。大きなおっぱい。

 

この先行きが不安な事態と、今の良く分からない破廉恥な事態の板挟みになっている俺は、どこかで大きなミスをしてしまわないか心配になる。

 

頭を下げて謝りながら、自分の状況が何とも滑稽なモノに思えてしまい、つい苦笑してしまう。

 

そして一つ。

 

明日は紫に土下座しなくては……。

 

そう思った。

 

 

 

 

 

 

 

 



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80話 代償がなんとも……

その条件はきつい気が……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ~……やっぱ気が引けるなあ。紫達忙しいだろうし、アポなしの訪問でいるかどうかも分からないし……」

 

そうのたまいながら、俺は紫の家に行く準備をしていく。ガヤガヤとしている地下街に比べ、古明地姉妹等が住む地霊殿に近い俺の家は、非常に真逆に近しいほど静かと言っても過言ではない。

 

騒がしくなると言えば、こいしが勝手に家に侵入し、俺の帰宅時に驚かせる事。また、それにお供で付いてくる燐や空がギャンギャン騒ぎ出し、一種のプチ宴会になったり。

 

さとりも此処になら空たちと一緒に来るし。まあ、このくらいか。化閃さんの店で働く事以外頻繁には地下街に行かないし、あまり馴染めていないのかもしれない。この部分は、俺が人間だからという部分が大きいのだろう。仕方のない事ではある。

 

しかし、年数を重ねて行けば、それなりに交流を持つ事ができるのではないだろうか? と、そう楽観視している自分がいるのも確かなわけで。この楽観している部分が今後の大きな足枷にならなければいいなと思いつつ。

 

そして、眼の前にある、ほぼ平らげられた朝食を視界に入れながら、何とも変な事を考えているものだと自分の思考に文句を言いながら、最後の一口であるなめこと豆腐の味噌汁を口の中に放り込む。

 

御馳走様。

 

そう手を合わせながら、食物に感謝し、皿をシンクの中に入れ、手早く洗って行く。

 

通常より3倍泡が出るといううたい文句のこの洗剤は、今までの洗剤よりもずっと泡が長持ちし、何とも使い勝手がよい。

 

スポンジを圧をかけ、足りなくなれば少しの水と共にまた圧を掛ける。ソレをするだけで、洗剤は粘り強く泡を搾りだし、更に付着する魚の脂などをくまなく落としてくれる。

 

これに何とも言えない心地よさを感じながら、俺はコップ一本の隅々まで洗い尽くし、金属製のかごの中に入れ、水切りをして自然乾燥させる。

 

終わった事を確認し、シンクに残る泡を全て水で綺麗に流し終えると、手をタオルで拭き、水気をしっかり取る。

 

「そろっそろ、行くかな……?」

 

別に宣言するほどの事でもないが、こうでも言わないと、何か区切りが付かず気持ち悪く感じてしまうの、で独り言が自然と多くなってしまう。

 

燐たちには良く独り言が多いと言われるが。……やはり直すべきだろうか? 独り言は意識しなければ直らない気もするし、更には今まで意識しようとした事が無い。

 

まあ、現状はこのままで放置で更に何か言われたら意識して直す方向で良いのかもしれない。

 

そう俺は自己完結させ、箪笥に近づき、上着を取り出し羽織る。

 

大凡、紫達の家の場所は分かる。前に一度だけ連れて行ってもらったが、立った一度だけなので少しおぼろげである。

 

「間違って変な所に突っ込みませんように」

 

変な所に突っ込む。それだけは嫌である。前の小町の時なんて殆どトラウマになりそうなものだった。

 

あの灼熱の溶岩地帯。赤熱、溶融した岩の中に人間が突っ込めば一瞬で燃え、炭と化すであろう。普通の人間ならば。

 

俺は何とかこの領域があるおかげで事なきを得たが、あの焦燥感の中でジャンプを行うのは非常につらいのだというモノが良く分かった。おまけにあの時岩にも突っ込んだし。

 

思い出しただけで寒気がしてくる。もう何と言うか。2度とごめんである。

 

そんな事を思いながら、俺は紫達の家の場所、その周辺の大まかな景色を思い浮かべ、一気に集中力を高めていく。

 

そう言えば、紫の屋敷は何故か公的な建物でもないのにも拘らず、瓦が使われていた。まあ、紫なら使っていてもおかしくないだろうし、そこら辺を深く考えても仕方が無いと思う。

 

「な~に考えてんのやら……」

 

そう口に出して思考を切り、改めて集中し、ジャンプを敢行する。

 

「よし」

 

その言葉とともに、景色が一瞬にしてブレ、次の瞬間には

 

「着い…………たあっ!」

 

思い浮かべた通りの屋敷が100m程先にあり、これでいけると思ったのだが、何故かそう何でもかんでも上手く行くとは限らず。

 

俺は変な悲鳴を上げながら、身を捩らせて回避行動をとってしまう。

 

なぜなら

 

「はあ!?」

 

本当に何故かよく分からないが、俺がジャンプした途端に周辺の空気が殺気立ち、岩や枯れ木の一部が光り出し、そこから火の玉が連射されてきたのだ。

 

全くもって理不尽な。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「紫様。侵入防止用の結界が破壊されたため、迎撃札が発動しました。いかがなさいますか?」

 

卓袱台を挟んで向かい側に座る紫様に私はそう尋ねる。

 

月で惨敗してしまった事が起因しているのかは分からないが、何とも不思議な事に此方の住処を嗅ぎつけて襲撃に来る輩が非常に多くなっているのだ。

 

舐められていると考えるのが自然か。それとも襲撃側に強力な妖怪が付いているのか。はたまた耕也に鬼達が負けたせいで、抑えつけられていた勢力が増長しているのか。様々な可能性が考えられるのだが、紫様はいつも微笑んでその事態を静観するのみ。

 

やはり私の考えの及び付かぬ程先まで計算済みなのだろう。私はつくづく思い知らされる。この御方の下にいるという事がどれだけ幸運な事か。

 

結界が破られるよりもずっと前から、いや寝間着のまま早朝から眼を閉じ、まるで石像のように固まりながら思考を高速で回している紫様。

 

「藍。今私は手が離せないから、適当に迎撃して」

 

私の方を見ず、ただひたすら眼を瞑りながら私に指示を出す。

 

普通なら紫様の能力を使えば簡単に相手の解析が可能なのだが……私にはまだ不可能なのだ。やはり三国を傾けた私ですら紫様とは大きな差がある。絶対的な。

 

自分の力不足に少々嫌気がさしながらも、紫様の命令を完遂出来るよう卓袱台から立ち上がり、一言言う。

 

「了解いたしました。迎撃して参ります」

 

「頼んだわ」

 

紫様は私の言葉に安心したのか、思考中の険しい顔のなかでも、安心したような顔を一瞬見せてくる。

 

それは自惚れでなければ、どんな時も私を信頼して下さる証拠であり、また私もそれを受け止め完遂するのが務めであると私は思う。

 

だからこそ。

 

静かに縁側にまで立ちあがり、誘導性能を持つ特大の狐火を右手に顕現させ、未だ分からぬ侵入者に対し。

 

「愚かな」

 

その一言と共に、右手を軽く振る。

 

この動作に従い、青く淡く輝く狐火は猛烈な速度を持って一気に加速する。そして狐火の誘導を、侵入者の居場所まで中継用に用意されている札に任せる。

 

ソレを複数。両の手で数えられる程度の数ではあるが、一定の間隔をおいて発射する。

 

少々離れている此処からでも分かるが、侵入者は妖力をほとんど持っていない。または全くもっていないに等しい妖怪である。

 

つまりは私の発射した攻撃は、大過剰であり、その妖怪は一発目が当たっている時点で跡形も無く消し飛んでしまっているだろう。迎撃用の火の玉を何とか避けてい入るようだが、もう持ちはしまい。

 

「何時も何時も御苦労さまだな本当に……」

 

そう聞こえもしない相手に厭味ったらしく労いの言葉を発し、縁側より飛び立ち、結果を見に行く。

 

毎度毎度のこととはいえ、無駄な事をし続ける輩が多いのだろうか? 勝てもしない、実力差が大きすぎるこの戦いを繰り返す事に何の意味があるのか?

 

その勢力の長とやらに直接会って言ってみたいものだ。

 

そんな事を考えた所で、一つだけ自分達にも当てはまる事があり、つい自嘲気味に笑ってしまう。

 

「ふふふ……、月面戦争の時の私達と少々似ているな……そう嘲ってもいられないか……」

 

紫様が、何故あのような戦いをしたのか……まだその真意に辿りついてはいないものの、あの時の月面戦争の負け戦と似ている部分があると、私は思ってしまう。

 

あの時、私達を相手にした月人達もこのような心境だったのか。そう錯覚させてしまう、推測させてしまうほど。

 

その考えがポッと頭の中に浮かんだ瞬間に、小さな怒り、侮辱されてしまったという屈辱感。主を侮辱したという忠誠心からくる方向性の違う怒り。それらが出てくる。

 

ああ、そう言う事か。

 

彼らが私達に挑んでくる理由の一つが分かった気がする。無論、これが第一の理由であろうが無かろうが、彼らの挑んでくる理由がこの屈辱感、敗北感、雪辱の願望に起因しているという事が。

 

だからいくら潰しても出てくるのか。挑んでくるのか。全くもって厄介な。

 

私はそう思考を重ねながら、ゆっくりと浮かびあがっていく。

 

そして、ようやっと向きを変え、その侵入者のいる位置に眼を向ける。

 

「え…………?」

 

おそらく私は今、紫様に見られたら爆笑されてしまうだろう。そんな顔をしている。

 

自分でもわかる。こんなに隙だらけの、しかもあまりにも間抜けな顔をしたのは生れてはじめてだろう。

 

あまりにもこの光景のアホらしさ、そして先ほどまで考えていた事が無駄だったような気がしてならず、口角が引きつっていくのを感じる。

 

ピクピク、ピクピク、と。

 

その侵入者は、右に行ったり、左に行ったり。時には腕を振って、迎撃札の火球を打ち消したり。道理で防御用結界がいとも容易くぶち抜かれるはずだ。

 

ああもう何でこんな時に限って暇ではないのだろう? 実に惜しい。暇な時ならこんな阿呆な表情をせずに済んだだろうに。

 

そして、ついに抑えきれなくなった感情が言葉として漏れてくる。

 

「耕也……何でここにいるんだ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

「ああもう何でこんな事に!」

 

そう言いながら、俺は無駄に回避運動を実行し、連射されてくる火球から身をずらしていく。

 

人間てのは、唐突に行われる事に関しては、思考が上手くいかない事が多いもので。

 

突然迫ってきた火球に、領域がある事も忘れてしまったのだ。人間の危険に対する回避、本能が優先されたのだろう。気が付いた時には足が勝手に動いていた。

 

岩の陰に隠れてやり過ごしたり。火球の通った後が焦げていた事に驚いたり。

 

傍から見れば阿呆が変な踊りをしているとしか思えないだろう。しかもおまけに。

 

「何で特大の青いのが!? しかも複数!」

 

もし観客がいたら、そんな事を言う暇があるなら避けていろと言いそうだが、言いたくて言ったわけではない。自然と口から言葉が出てしまったのだ。俺のせいじゃない。俺のせいじゃないと思いたい。

 

紫の屋敷方面から突如出現した青い火球は、勿論食らったら大妖怪といえど、タダでは済まないであろう威力を保有しているのが分かる。

 

だからこそ俺は

 

「やめてくれー!」

 

そんな素っ頓狂な声を上げながら、逃げようとする。

 

 

「ちょっ!?」

 

グリップ力のあるスニーカーといえど、舗装されていない砂利だらけの道では、急激な方向転換には耐えられなかったようで。

 

見事に滑り、素っ転ぶ。当然ながら避け切れず爆発。爆発。爆発。

 

次々とぶち当たる特大火球は、熱を周囲に撒き散らし、周囲の草木を燃やし、砂を焦がしていく。

 

ギュッと目を瞑り、火球が巻き起こす爆発をひたすらやり過ごしていく。

 

そしてやり過ごしていく内に思い出した。やべえ、領域あるじゃん。

 

両腕で顔を覆いながら思う。前にもこんな事無かったっけ? と。

 

小町の事やら鬼の事やら色々と。覚えがあり過ぎる。特に妖精の事が一番ひどかった気がする。でもこれも相当なものだろう。表情もアホらしさ全開で。

 

指差されて笑われてもおかしくない。そんな醜態をさらしている気がする。

 

「本当に何やってんだ俺……」

 

そうアホ面を晒しながら呟く俺。が、こんな事を呟いた所で事態は改善する見込みはまるで無し。俺が避けるのをやめたことで、ここぞとばかりに火球が降り注いでくる。

 

しかしどうするか。おそらく札などを木や岩に張り付け、そして探知範囲内に入った敵を潰しにかかるタイプであろう。

 

札なら、外部領域で抑えれば一瞬で効果を無くすであろう。そんな予測を基に、俺は外部領域を広げに掛かる。

 

「領域に曝す時間はいくらでも良いけれども、まあ短くても良いか。……0.01秒程度で」

 

特に何か理由があってこの時間を決めたわけではないが、何となく。本当に何となくである。もし失敗してもまた曝せばいいだけなのだ。

 

「せーの……」

 

小さく声を上げると同時に、設定した通りに周囲300mまで外部領域を広がっていく。そして一瞬で外部領域が消え、元通りになる。

 

しかし、この一瞬とはいえ、外部領域の効果は絶大であった。

 

「よっしゃきた……」

 

あれほど激しく攻撃が来ていたのにも拘らず、ピタリとやんだのだ。ピタリと。

 

その事を脳が完全に実感するまでしばらくその姿勢を保つ。

 

あたりには静けさが戻り、鳥の鳴き声、草木が風に煽られ擦れる音。先ほどの戦闘が最初から無かったかのようにすら感じる。

 

「さて……と……?」

 

ゆっくりと周囲を警戒しながら立ち上がり、紫の屋敷の方角に眼を向けると、そこにいたのは

 

「……耕也。何をしているんだ……どうしてここにいるんだ……?」

 

口角を引き攣らせ、右眉をぴくぴくさせている藍がそこにいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「申し訳ないが、ここで待っていてくれ。紫様をお呼びしてくるから」

 

私はそう言いながら、耕也を玄関先に座らせて待たせる。

 

突然の訪問であったため、何も用意できていない。私は耕也に対する対応が疎かになってしまった事が少し気にかかるところだが、今さらどうにも出来ないので現状を維持するしかない。

 

私は、耕也がどうして来たのか? あそこまで苛烈な撃退用の札を迎撃してまで此処に来なければならない理由は何なのか? そして、何時になく耕也の顔に自信がなさそうに見えるのは一体何故か?

 

何時もとは全く違う耕也の様子に心配、違和感を覚えながらも、紫様と一緒に話せば解決するであろうとタカをくくり、急ぎ足で紫様のおわす居間へと向かう。

 

スッスッスッス…………。靴下の繊維と、木でできた廊下が擦れる音が私の耳に響き渡る。どうも、今日に限ってこの音を聞いていると、自分の心が焦ってしまっている気がするのは気のせいだろうか? 耕也が来ているから、普段気にしない事まで気になってしまうのだろう。

 

全く、私も穏やかになり過ぎたという事を再度確認させられる。

 

まあ、この穏やかさを見せるのは紫様と……特に耕也の前だけである。他には見せたくない。というか見せない。

 

変な決意を私は固めながら、廊下を歩き、襖の前に立つ。

 

「失礼いたします。紫様」

 

「どうぞ藍……それで、侵入者はどうなったのかしら?」

 

私は入室の許可が出た瞬間に、襖を静かに開けて中に入る。

 

紫様はやはり先ほどと同じく寝間着のまま眼を閉じ、複雑な計算を行っている。表情は相変わらず険しいままだ。

 

この場合、紫様に告げるべきかどうか迷ってしまう。今紫様の行っている事は、非常に重要な事。詳細までは教えてもらえなかったが、今後妖怪、神、人間などにとって非常に重要な事。

 

だからこそ、私は迷う。本当に告げるべきなのかどうか? 耕也が来た事を告げたせいで、その全ての計算が瓦解してしまわないか? いや、紫様の事だからそれはあり得ないだろう。だからと言って、邪魔するという事は非常に憚られる。

 

そうこう考えているうちに、紫様が痺れを切らしてしまったようで。

 

「どうしたの? 早く言いなさい……それとも、何かあったのかしら?」

 

「失礼致しました。報告させていただきます……想定外の事が起こりました」

 

そう言うと、私に向かって掌を向けて待てという合図をする。

 

そしてしばらく。30秒程だろうか? ソレくらい経った時、紫様が眼を開けて此方を見て口を開いた。

 

「良いわ藍。丁度作業の区切りがいい所で終わったから。……それで、想定外って言うのは何かしら?」

 

何か珍しそうなモノを見るかのような目で此方を見てくる紫様。当然だろう。今までそんな事は一切なかったのだから。今回が初めてなのである。

 

だからこそ、すぐに口を開いて伝える。

 

「紫様……。侵入者は…………耕也でした……」

 

その瞬間、紫様の顔が面白いほどに変化した。口にするまで、あれほど厳格で美しく、妖艶な紫様が……。

 

口を大きく開け、眉をピクピクと。正直に言うと、間抜けな顔である。失礼だが、間抜けな顔である。

 

「何ですって……? ……耕也が?」

 

その言葉に、コクコクと頷き

 

「玄関内に待たせております……いかがしますか?」

 

その言葉に、紫様はやっとこさ口を閉じ、自身の身体に視線を落とす。次に私の方を見て、また自分の身体に視線を落とす。

 

ソレを何回か繰り返した後、まるで自分が寝起きそのままであることに気が付いたかのように、紫様は顔を真っ赤に染める。もう何と言うか、先ほどの威厳が粉砕してしまうほどに。

 

紫様は唇をわなわなと震わせ、震えた声で搾りだすように言ってくる。

 

「ど、どうするも何も……」

 

そう言いながら、後ろに隙間を作ってさらに言葉を発する。

 

「ちょ、ちょっと待ちなさい! い、今から着替えてくるから。いいわね? 少し待ちなさい!」

 

今にも湯気が吹き出しそうな真っ赤な顔で、スキマを潜って行く紫様。紫様はまだまだ初々しい部分がある。もっと殿方の扱いというか何と言うか。余裕を持ってほしいモノである。耕也に対して。

 

まあ、耕也の場合はもっとひどいが。

 

そして、3分程経った頃だろうか

 

「い、良いわよ。連れてきなさい」

 

その言葉と共に、何時もの紫色のどれすではなく、南蛮風の。そう、私と似たような服を着て現れた紫様。

 

ほんの少しだけ香水を着けているのが分かる。何とも女を引き立たせるような、魅惑的な香りだ。

 

だが、顔は赤いまま。少し収まってはいるが。

 

「かしこまりました」

 

私は頭を下げ、耕也の元へと向かった。

 

「耕也、待たせたな。すまない、上がっていいぞ」

 

 

 

 

 

 

 

「お邪魔いたします……」

 

紫の家に来た事はあるが、あの時は家の中にはお邪魔することは無かった。だから、初めて来る家なので少々緊張してしまう。

 

何とも情けないぞと思いながら、相手は紫達なんだ。そこまで緊張するこたあない。と、必死に奮い立たせる俺がいる。

 

だが、やはり緊張してしまう。どうしても緊張してしまう。けれども、さすがに人の家に来てまで領域を展開しているのも失礼だと判断し、解除しておく。

 

が、それに伴って心拍数がちょこっとだけ上がってるのが分かる。女性の家に来るのは……結構あるなあ。輝夜に幽香に幽々子にさとりにヤマメに……あれ?

 

案外行っている事に今更ながらに驚いてしまう自分。それで、此処で紫の家が追加されるのか……。

 

いやあ、それにしても紫の家は何と言うか。良く分からない魅力というのがある。此処に住みたいと思わせるような何かが。

 

そんなどうでもいい事を考えていると、先を行く藍が立ち止まり、横にある襖に手を掛ける。

 

「耕也、こっちだ。……紫様、失礼します。耕也を連れて参りました」

 

何とも堅い感じで紫に入室許可を求める藍。そんなに厳しいものだったかな? と思うが、まあ式になっているからそうせざるを得ないのかもしれないが。一応主従関係のようなものだし。

 

「良いわよ。入ってらっしゃい」

 

そんな艶のある声が返ってくる。間違いなくこの声は紫。当然ではあるが。

 

その言葉を聞くと、藍は襖を開けて中に案内してくれる。

 

中に入ると、紫が笑顔で。しかし、何処となく顔が赤いような印象を受ける。何か術式でも使っていたからだろうか?

 

そんな事を考えながら、彼女に向かって挨拶する。

 

「突然の訪問すみません」

 

そう言うと、紫は手を振りながら

 

「良いわよ良いわよ。ほらほら、座って?」

 

と言ってくる。

 

俺は、紫の言葉に感謝しながら、対面になるように正座する。

 

決して大きくは無い卓袱台。だが、4人ほどなら余裕を持って食器などをおける面積を持っている。

 

この屋敷は、他にもたくさんの部屋があるのだろうが、実のところはあまり使っていないのかもしれない。2人ならそこまで使う事が無いように感じられるのだ。

 

だがまあ、これはただの憶測にすぎないので、実際にはもっと別の作業やら荷物置き場、個人的な趣味などで多く使っているのかもしれない。

 

そう考えていると、紫が真面目な顔で、尋ねてくる。

 

「早速で申し訳ないけれども、今日はどのような用件で来たのかしら……?」

 

と、言ってくる。言葉の端々に少々焦りのようなモノが見えるのは気のせいだろうか? やはり突然の訪問は失礼過ぎたか……。

 

何かの作業中だったのか、それとも今来られてはならない予定でも、今後あったのだろうか? と、そんな疑問が湧いてくる。

 

とりあえず再び謝罪をば

 

「いや、別に来てくれたのは嬉しかったのだけれども、迎撃用の札とかが反応したりして、大変だったでしょう? それでも此処に来たっていうのなら、何か急ぎの理由があるんじゃないかと思って。それで一気に聞いてしまたのだけれども。決して貴方が来たのを怒っているわけじゃあないから。ね? そこだけは勘違いしないでほしいのよ。本当は来てもらって凄くうれしいのよ? 藍と私は……ね? ね?」

 

と、俺がする前に口早にまくしたててくる。それは、藍ですら眼を見開く程のモノ。何とも意外な行動である。

 

が、そこまで気遣ってくれたのは素直にうれしい。自然と頬が緩みそうになる。が、何とかこらえる。

 

「ありがとう紫さん。要件というのは……ええと、俺の依頼内容を手伝って頂きたいのだけれども……」

 

そう言うと、紫は先ほどの真剣な表情にスッと戻り、扇子を出しながら聞いてくる。

 

「依頼内容……?」

 

俺はその言葉に、コクリと頷く。

 

「実は……俺と依頼者を魔界に連れて行ってもらいたいのだけれども」

 

そこから俺は一気に内容の詳細を切りだして行った。

 

聖白蓮が魔界の法界に封印されている事。その封印を解きたい、恩返しに解きたいと一輪とムラサが依頼に来た事。他の妖怪達には協力を拒まれてしまった事。依頼を受けたはいいものの、魔界まで行く手段が見つからない事。ムラサの力で行ける筈だったが、力の殆どが使えないため、駄目だった等々。

 

結構長い時間、彼女に話したと思う。その間、彼女は目を閉じ、俺の言葉を咀嚼するかのようにコクリコクリと頷きながら、耳を傾けてくれた。そして藍も同じく。

 

ようやっと話終わった時、紫は一言

 

「私が魔界までの道を開けばいいって事かしら? ……行った事が無いわねえ……魔界なんて」

 

俺の願いを端的に述べる紫。

 

俺は紫に大きな負担を掛けるという事を承知の上で此処に来たのだ。ならば、それなりの誠意を見せなければならない。

 

正座のまま少々後ろまで下がり、両手を膝近くに下ろし、指をそろえる。

 

そしてそのまま額を地面につけるまで一気に下ろし口を開く。

 

「御迷惑をお掛けするのは承知の上で来ました。ですが、どうしても紫さんの御力が必要なのです。どうか、御願いたします」

 

いわゆる土下座の格好で彼女に懇願する。

 

行ったことも無い魔界に彼女が隙間を作る。大変な労力を必要とするであろう。自宅から此処までつなげる等とはわけが違う。世界が違うのだ。世界を乗り越えるのに一体どれほどの計算が必要で、どれほどのエネルギーが必要か。

 

俺にそんな事は分からない。ただ莫大な力を必要とするという事だけ。ソレくらいしか推測できない。

 

そう考えて、彼女に口を開いた。

 

そして彼女の答えは

 

「耕也……顔を上げなさいな……」

 

彼女が此方の頼みを聞いてくれたのか。そう思って俺は安堵しながら顔を上げた。

 

が、そこにいるはずの人物がいなかった。おかしい。何故いないのだろう? 先ほどまで此方と対面に座っていた紫がいないのだろうか?

 

俺が眼の前の事態の急変に、呆気に取られていると

 

「耕也……流石に大妖怪の私でも、魔界に行くのは骨が折れるわ……?」

 

唐突に背後から声が聞こえて来た。

 

俺は反射的に後ろを振り向こうとする。

 

が、その動作を行っている最中に、手を引っ張られ、引き倒される。

 

「へ?」

 

そんな間抜けな声を出していると、引き倒され仰向けになった身体に圧し掛かられる。

 

勿論その身体は紫であり、端正で、妖艶な雰囲気を持つ美貌が目の前まで迫っていた。が、その顔は俺の顔の横に接近してきたのだ。

 

そして、耳元に息がかかるくらいにまで。至近距離まで近づけたかと思うと、紫は小さく小さく。囁くように、身体の芯の芯まで届くような声で話す。

 

「耕也……流石に此処まで力が必要になると、その元となる材料が必要となってくるわ……だから……」

 

「え? え……?」

 

未だに紫が何をしたいのか把握しきれていない俺。先ほどの土下座からいきなりのこれなのだ。ついて行けない。

 

そうこう混乱しているうちに、紫は息を吸い、そして一言。

 

「腕一本で……いかがかしら?」

 

この一言を境に一気に彼女の纏う空気が変わった。激変したと言ってもいい。

 

あまりにも変わり過ぎて、此方の心拍数が右肩上がりである。

 

「う、腕一……本……?」

 

何とかこの状況を打破しようと、身体を捩ろうとするが、紫が抑えつけてくるので全く動く事ができない。大の大人である俺が全く動けないのだ。この細身の何処にそんな力が秘められているのか。

 

改めて分かる紫の力強さ。妖怪の力。

 

「そう、腕一本。貴方の肉と血なら、魔界への道を開拓するのに最適だわ。……食べた瞬間に妖力が満ち満ちる。それはもう素晴らしく心地よい事のはず……でも、貴方のが無いと開拓することすらできない……いかがかしら?」

 

染み込むように、まるで紫以外の声、音が聞こえなくなるくらいに響いてくる。

 

そして一言一言この耳に届く度に、身体がまるで底なしの沼に沈んで行ってしまうような。そんな感覚にすらなってしまう。俺の身体が俺のモノではないかのように感じる。動かそうと思っても、どんなに力を込めようとしても、ピクリとも動かない。

 

このあまりに異常な状況に俺は恐怖せざるを得ない。怖い。

 

息が上がってくる。早くなる。心臓が早鐘の様にうつ。

 

ドッドッドッドッドッドッド…………これよりももっとひどいかもしれない。

 

汗までも出てくる。身体が寒い。酷く寒い。自然と震えてくる。恐怖からの震えと、寒さからの震えの二つだろう。収まらない。

 

俺は領域、自分の力の事など一切忘れながら、ただひたすら紫という大妖怪に恐怖し続ける。それほど彼女は俺の心を、思考を、この場の空気を支配下に置いていた。

 

「早く……決めてくれないかしら……?」

 

紫がねっとりとした声で尋ねてくる。

 

早くこの状況から、この恐怖から抜け出したい。唯その一心で、俺は彼女に返答してしまっていた。

 

「う、腕一本で……良い…………のです……か?」

 

「そう……そうよ?」

 

その声が引き金となってしまったのだろう。

 

「御願い……します……」

 

そして紫は、そのままの姿勢で、耳に息を吹き掛けてくる。身体中に寒気が走る。より一層ブルブル震えてくる。

 

ああ、寒い。

 

そして一言。

 

「では……いただきます」

 

せめて痛みが無いようにしてもらいたかったが、そんな事を妖怪が想定するわけも無く。また別の考えも浮かんでくる。

 

やっぱり、高次元体だからか……身体を重ねても食欲云々までは誤魔化せないってことなのか……悲しい。

 

「……………………………………なんてね?」

 

その言葉と共に、一気に空気が柔らぎ、身体に温かみが戻ってくる。それに伴い、寒気が一気に解消されてくる。

 

自分は生きている。そう実感できる。

 

しかし、紫はそのままの姿勢で

 

「耕也…………貴方は地底に生きている。でもそれは領域があればこそ生きていけるのよ? 貴方はひとたび領域が消えてしまえば、格好の餌。少し警戒心を持ちなさい。妖怪への恐怖を再確認しておきなさい。お人好しも過ぎると、命を失う羽目になるわよ?」

 

と、今度は温かみのある、慈悲に包まれた口調で。

 

「でも、さすがにやり過ぎてしまったかしら。……ごめんなさいね」

 

俺はそれでも、このお人好しの部分は捨てたくない。これも現実世界からの俺なのだ。ソレを捨ててしまえば、証明できるものを一つ失ってしまう気がすると俺は思う。

 

だからこそ

 

「い、いえ……御気になさらず……」

 

紫にそう返す。

 

紫は、俺の身体を強く抱きしめ、再び囁いてくる。身体が暖かい。

 

「お人好しね……。……代償なんて必要ないから、貴方の時間が空いている時に、開いてあげる。……今日は此処に止まって行きなさいな。ね?」

 

俺はこの変なやりとりに、疑問を持つことも無く

 

「はい」

 

と、返事をした。

 

そして、紫はまた息を吸い一言言ってくる。

 

「今夜は頑張りなさいな? 私と藍の二人よ?」

 

……飴と鞭のどちらなのか分からない。

 

 

 

 

 

 



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81話 ちょっと不安だ……

何とか成功して欲しい……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

聖白蓮を封ずる結界。それは勿論魔界の法界に存在し、何人たりとも寄せ付けない。いや、それは間違っていると言えよう。

 

結界を破れるものは、この世に一つしかない。それは、私の持つ星輦船。これは、命蓮さまの飛倉を改造して建造されたもの。命蓮様のお力が込められたこの船ならば、封印は確実に解く事ができる。

 

しかし、今回の依頼において私はその解放の手段が全くと言っていいほど無いのだ。これは致命的ともいえる状態であり、望みはほとんど断たれていると言っても良い。

 

それでも助けたく。大恩ある聖白蓮を助けたく。解放してあげたくて。また皆と暮らせるようになりたくて。

 

だから何とか手段を見つけたくて精一杯考えてみた。……でもやっぱり、どうしても自分の力では解決する手段が見つからない。一輪の力も随分と低下してしまっているため、此方がどう足掻いた所で封印を解くばかりか魔界にすら行く事ができない。

 

背に腹は代えられぬ。その言葉がピッタリであろう。

 

そんな思いと共に私達は、地底中の妖怪達に支援を求めた。

 

しかし、この地底達に住んでいる妖怪達は、皆人間に封印されたか、追いやられた者達。白蓮の思想である、人間と妖怪達の平等に賛同するわけが無い。

 

むしろ白蓮が復活すると困るという妖怪達の方が圧倒的と見ていいだろう。そしてもちろん結果は惨敗。

 

協力してくれる妖怪など誰一妖としていなかった。

 

この時は本当に自分の力不足を感じた。妖怪としても格が高い私ですら……いや、この場合は力が無くなっていたためか。それでもこの様なのだ。

 

勿論私だけではなく、一輪も説得に奔走した。自分よりもずっと格下の妖怪にまで頭を下げ、藁にすがる思いで。だ。

 

それでも首を縦に振るものは現れなかった。それでも何とかならないか? そう懇願し続けた。だがそれでも縦に振らない。

 

思想は確かに違うであろう。しかし、それでもこんなに必死になって頼み込んでいるのだから、少しくらい耳を傾けてくれてもいいではないか。

 

そんな思いが渦巻き、渦巻き、頭の中を支配する。

 

……最早万策尽きた。そう私と一輪は絶望した。

 

が、それから数日後である。涙が止まらぬ日々を過ごしていた私達にある一報が届いたのだ。

 

 

 

地上より人間が封印された。またその人間は妖怪に与していたため封印された。

 

 

 

というそんな情報が。

 

私はそれを聞いた瞬間、絶望に包まれたどす黒く染まった醜い心に、一筋の光が刺し込んだのを感じた。

 

それはまさに直感とも言うべき物であろう。聞いた瞬間に力の入らなくなっていた身体が一気に温まり、背筋がブルブルと震えたのだ。まるでその人間に会わなければならないとでも言うかのように。

 

これはひょっとして……ひょっとするかもしれない。

 

そんな思いが駆け巡ったのだ。今までの絶望の連続を払拭するかのように心が希望に満ちあふれようとしていた。唯の直感だというのに。名も知らぬ姿も未だ見ぬ、ましてや性格も分からない者だというのにも関わらずだ。

 

やはり反動というのも大きかったのだろう。しかし、そんな事はどうでもよかった。そんな事を気にしている事などできなかった。

 

私は居ても立ってもいられなくなり、一輪を無理矢理引っ張ってそこら中の妖怪に尋ねて回った。

 

しかし、家に籠っていたためか、私達に情報が回るのはずいぶん遅くなっていたらしい。確かに外部と接触を持たなくなりつつあった私達に情報は回りづらいだろう。こればかりは仕方が無い。

 

それでもその情報を集めて行く内に、彼の容姿、名前、住処、職場等を聞く事ができた。

 

その中でも名前を聞いた瞬間、私達は真昼間、活気のある商店街の中であるにもかかわらず声を大にして喜びを表した。

 

「いやったあああああああああああああ! やった、やった!! 大正耕也だって!? 一輪聞いた!? 大正耕也だって! やったやったああああああああああ!!」

 

「聞いた、聞いたよ! これで姐さんを解放できる!」

 

公衆の面前で抱き合い、その喜びを涙と共に表す。

 

皮算用も甚だしかったが、それでも彼の名前を聞いた瞬間に喜びが爆発するかのようにあふれ出てきたのだ。これほどの喜びは久しぶりだったであろう。

 

直感を大きく上回る結果が出た事。しかもそれは私達も噂で知る強い人物であった事。更には勘違いとはいえ、白蓮と闘った事のある人物であった事。それらが合わさった結果であろう。

 

私達もあの頃、買い出しに戻った後白蓮から聞いたのだ。彼の評判と実力について。

 

たしかに思想は白蓮とは異なる。彼は勿論、普段から白蓮と交流があったという訳でもないし、私達と面識があるわけでもない。

 

しかし、白蓮は言っていた。会った事も無い、見たことも無い私達の事を細かく知っていたと。何故か分からないが、秘匿されていた私達の事を良く知っていたのだ。

 

白蓮が表と裏があり、決して知られてはならない裏の事情を知っていた。幸い彼は誰にもその事を話してはいなかったらしいが。

 

ただこれだけは言える。それは、白蓮でさえ見当のつかない方法で彼は私達の事を知る術がある。唯でさえ白蓮に拮抗できる力のある陰陽師であるのにも拘らず、情報にまで精通しているのだ。

 

彼ならば。そう一輪も同じ考えが浮かんでいただろう。

 

喜びと共に焦燥感も増していく。早く白蓮を解放してあげたいという願望が強く強く増していく。

 

その思いが頂点に達した瞬間、抱き合ったまま一輪に言った。

 

「大正耕也の家に行こう。依頼しに行こう」

 

力強く。

 

 

 

 

 

 

 

「すみません。現時点では、少々魔界に行くための手段が思い付かないのです。ですので、また後日お願いできますか? 大変申し訳ありません」

 

そう耕也から返答された私達。確かに依頼を受けてくれた事に関して言えば、非常に喜ばしい事であり、力強くもあった。

 

しかし、彼の口調から察するに、封印を解くことはできるが、その封印を解くための魔界への侵入方法がいまいち思い付かない。と。

 

そこさえ乗り切ってしまえば。乗り切ってしまえば、彼の力で聖をすぐにでも解放できる。

 

歯痒い……。

 

家に戻り、一輪と向かい合って座った時にその考えが噴出してきた。

 

あと一歩。あと一歩なのだ。その一歩ごときの為に白蓮解放を諦める事など到底認められない。

 

何としてでも打破しなければならない事案。状況。障害。障壁。

 

しかし、こんな事を思った時点で、私達に出来る事は疾うにやり尽くした。むしろそんな打開策があれば大正耕也には依頼せず、自力で解放に向かっているだろう。

 

でも何かないか……。それでも何かないか……?

 

そんな事を思いながら、思考を高速化させていく。しかし魔界に行くための法具など存在するわけが無い。したとしても妖怪である私達に扱えるとは思えない。もっと私の力が余っていれば。

 

頭の温度が上がるのが分かる。熱を持ち始めているのだ。

 

水に近しい妖怪の私が何ともおかしな状態になっているものだ。

 

と、自嘲気味に笑いながら眼を閉じる。

 

(……ああくそったれ。結局は全部耕也任せか……情けない…………自分も考えると言ったのに………………くそっ)

 

思わず顎に力が籠り、ギリリッと歯同士が磨れる音がする。

 

その気持ち悪い音は、私の中の神経を逆なでしてくる。自分の力不足と不甲斐なさ。他力本願にならざるを得ないこの状況。漆黒の煙のように漂う無力感。

 

全部が気持ち悪い。腹立たしい。悲しい。苦しい。辛い。……助けてほしい。……………………助けて。大正耕也………………白蓮を助けて。

 

顔を俯かせ、胡坐をかきながらそんな事を考えていると、負の感情が爆発的に膨れ上がる。抑えられない。

 

眼頭が熱くなる。同時に少しだけの痛みも生じてくる。

 

ああ、…………抑えられない。

 

そう思うと同時であった。熱い液体が、少しばかりの塩分を含む熱い液体が自分の頬を伝って落ちて行くのだ。

 

それは抑えようと思っても止まるものではなく、逆に勢いが増していくのみ。

 

ボロボロと毀れ落ちて行く涙は、余計に自分に対する怒りを増幅させる効果しか持たず、私は更に惨めな気持ちになって行く。

 

もっと力があればよかったのに。あの時白蓮を助けてあげられれば良かったのに……。大正がもし手段を用意できなかったら一体私達はどうすればいいのだ。もしも用意できなかったら白蓮と再会するまで幾年の時を過ごさなければならないのか。こんな心にぽっかりと穴が開いた状態でずっと過ごさなければならないのか……。…………いやだ。そんなのいやだいやだいやだいやだ。

 

ドロドロとした負の感情が、不安からくる焦燥感が爆発的に増大してくる。

 

その時であった。

 

背中に重量感のある物体が乗っかってきたのだ。その物体は不思議と暖かく、とても良い匂いがして、規則的な拍動音がする。…………一輪だ。

 

「村紗………………そんなに自分を責めないの。……確かに私達で解決できないのは非常に悔しいわ。だからと言って、自分を傷つけてまで悔しがるなんて事は間違っている。姐さんが悲しむわよ?」

 

そう言いながら更に体重を掛け、手を伸ばしてくる。

 

「いつっ! …………?」

 

ふと一輪の手が伸ばされた方向から、鋭い痛みが響いてくる。

 

「ほら…………ゆっくりと開きなさい。……ゆっくりゆっくり…………さあ」

 

言われて気が付いた。どうやら悔しさのあまり異常な握力を自分の両手にかけていたようだ。爪が食い込み、皮膚が破れ、血が大量に流出している。

 

一輪が優しく。痛くならないように配慮してくれながら、握り過ぎて硬直し、開かなくなってしまった自分の手を開いてくれている。

 

酷い…………。まるで今の自分の荒んだ心を表しているかのように醜い傷になってしまっている。とてもではないが白蓮に見せられるモノではない。

 

ああ、私は何て馬鹿な事をやっているのだろうか……?

 

「村紗、耕也さんが何とかしてくれるわきっと……信じてみましょうよ」

 

まるで私の心全てを見透かしたように言ってくる。考えている事は同じだったのか、それとも私の態度があからさま過ぎたのか。

 

だが、それでも一輪の言葉が今の心には特効薬となってくれている。

 

やはり持つべきものは友人である。そう実感する瞬間でもあった。

 

「ありがとう……ありがどう……」

 

未だ収まる事を知らない涙を流しながら、嗚咽と呂律の回らない舌を必死こいて回しながら、一輪に礼を言う。縋るように。心の闇を吐き出してしまうように。

 

対する一輪は、私の言葉を聞きながら、黙って抱きしめてくれる。何も言わない。だがそれが救いでもある。

 

本当に感謝してもしきれない。ありがとう一輪。

 

 

 

 

 

 

 

さて、今日は一応会議という名目で村紗達が来るはずだ。

 

そう自分の中で予定を整理していく。一応考えとしては、紫と一輪たちの顔合わせをしておきたい。というよりも、顔合わせが終わったら即座に魔界に侵入する事になるだろう。

 

彼女らの事だ。魔界に行けるという事が分かった途端、すぐにでも行きたいと言い出すはずだ。顔合わせだけで終わる訳が無い。

 

そう考えながら、茶請けを創造し、卓袱台の上に置く。

 

まだ紫は自宅にいる。もし、顔合わせを彼女らがしたいと言うならばするし、したくない……それは無いだろうが、したくないのなら俺が紫に頭を下げまくるしかない。そこまで彼女らが非礼とは思わないが。むしろ礼儀正しいし。

 

そんな事を考えながら、ひたすら彼女らが来るのを待つ。

 

コチコチと振り子時計が時を刻むのをBGMに、魔界に侵入した後の、白蓮救出について考える。

 

まず場所の問題。魔界に封印されているのは分かるのだが、一体魔界の何処に封印されているのか全く分からないという事。

 

そして、一応外部領域を広げて白蓮の封印場所を曝せば封印自体は簡単に解けるから問題は無い。……問題は無いのだが、罠などは無いだろうか?

 

もし解除した瞬間に、物理的な罠である槍が飛び出したりするとなると、外部領域では防護する事ができない。まあ、多分ないと思うが一応念の為。

 

と、考えているのだが、あまりにも暇すぎるし、静かすぎるので何とも俺が場違いな気がしてきてしまう。自分の家なのにもかかわらず。

 

何ともアホらしい感想を持っているなと思いながらも、俺は再び時計を見やる。

 

すでに1時を回っているため、そろそろ来てもおかしくない。今回ばかりは、燐と空には来ないようにとお願いしておいた。理由としては勿論今回の依頼に関係の無いのが大部分ではあるが、彼女らを危険な目に会わせたくないのもある。

 

魔界では異変でもないのにも拘らず妖精がブンブン飛び回り、あっちらこっちらにバカスカ弾幕を放っては消え、放っては消えていく。

 

彼女たちなら余裕ではあろうが、それでも万が一という事もあるし、さとりに心配を掛けさせたくは無い。

 

だから今日は会議にも参加させず、魔界にも連れていかない。

 

自分の考えが良い方向へと向かうように、と思いながら冷たい麦茶を一気に飲み干していく。

 

「ちと冷たくし過ぎたか……」

 

喉に氷が張り付くような妙な痛みを感じながら、俺は麦茶の温度に文句を垂れる。自業自得ではあるが。

 

と、そんな感想を持ちながら、グラスに麦茶を補充していくと、玄関方面から規則正しい接触音が聞こえてくる。

 

「耕也さん。いらっしゃいますか?」

 

それと同時に声も。

 

声で彼女達が来たと判断した俺は、よっこらせと立ちあがり、玄関まで大股で歩いていく。

 

「はい、今行きますのでお待ちください」

 

と、適当に返事をしながら。

 

廊下を歩きながら、引き戸を視界に入れると、磨りガラスの向こうには二つの人影が。もちろん一輪達であろうことは容易に想像できる。

 

ソレを確認すると、更に早足になりつつ近づき扉を開ける。

 

車輪の回る音と共に開かれた扉の先にいたのは、やはり俺の予想通りの2人組である。

 

「こんにちわ一輪さん、村紗さん」

 

「こんにちわ耕也さん」

 

「こんにちわ……」

 

その二人組の片方、一輪からは何とも安心したような、冷静さを感じる。対する村紗からは、少々落ち着きが無いような印象を受ける。いや、この場合は落ち着きの無さを必死に隠していると言えばいいのだろうか? そんな形容がぴったりである。

 

ここ数日の内に彼女らに一体何が起きたかは分からないが、とりあえず深く詮索するのは良くなさそうだ。

 

そう判断しながら、俺は彼女らに上がるように促す。

 

「どうぞ一輪さん、村紗さん。上がってください」

 

2人は同時にコクリと頷き、お邪魔しますと言って俺の後ろについてくる。

 

 

 

 

 

 

 

「では、一応成果報告と言いましょうか。その類ではありますが、お互いの報告を行いたいと思います。……宜しいでしょうか?」

 

そう俺は卓袱台を挟んで向かい側の一輪達に口を開く。

 

何故か良く分からないが、俺の言葉を聞いた瞬間に彼女達の表情が変化する。

 

一輪はほんわかした表情から苦笑いへと変化し、村紗の方はどこかそわそわしてへの字にした眉毛を露骨に内側へ傾斜させ始める。つまりは顔をしかめたのだ。

 

見た瞬間に失敗したなと思った。やっちまったと。

 

彼女らなりに必死に模索してくれたのだろう。しかし、今回はそれを達成する事ができなかった。つまりは手段が見つからない。

 

もし、紫の負担を減らせるような手段があればそれも併用したいと思った俺なのだが、どうやらそれは失敗に終わりそうだ。

 

そんな印象しか受けない。というよりもそう判断すべきなのだろう。村紗の表情から分かる。

 

俺は何とも言えない自己嫌悪のような感覚に陥るが、なんとか口を開いて此方から報告を開始する。

 

「いえ、まずは私の方から報告させていただいても宜しいでしょうか?」

 

そう切りだすと、是非そうしてくれと言わんばかりに一輪が大きく頷く。

 

俺はその動作に軽く頷き、村紗の方を見る。

 

彼女も少しづつ表情を戻して、コクリと小さく頷く。

 

そこで2人の準備が整ったのだと判断し、漸く俺は切りだす事にする。

 

「率直に申し上げます。今回私は、聖白蓮さん解放のための魔界に行く手段を用意いたしました―――――っ」

 

その言葉を言うと同時に、目の前の2人は目を大きく見開き、此方に衝突するのではないかと懸念してしまうほどの勢いで身を乗り出してくる。

 

「ほ、ほほ、本当ですか!? 大正さん! ほ、本当に!?」

 

村紗の先ほどまでの陰鬱とした表情がまるで嘘のような、明るいと言うべきかは分からないが、とにかく驚きとはまさにこれであるといったような形相で大声で尋ねてくる。

 

対する一輪も先ほどの苦笑いから、嬉々とした明るい表情を前面に押し出し、此方が思わずうわっ、と声を上げてしまうほど早口で言葉を発してくる。

 

「そ、そそそそそれは、それは本当に!? 姐さんの所に行けるんですか!? ほんとに!?」

 

俺が何とかそれに頷くと、2人はワーワーギャーギャー喜びを身体全体で表していく。収まる気配が無い。本来ならば、何とも喜ばしい風景ではあるのだが、さすがにこの状況のまま話を進められるとは到底思えない。

 

仕方なく口を開いて、本題の方へと集中してもらおうと俺は切りだす。

 

「あのう……そろそろ……」

 

邪魔するという事に気が引けてしまい、少しばかり声が小さくなるが、それでも彼女らには此方の声は十分に伝わったようだ。

 

彼女らは、此方の方を見て、互いを見て、此方を見て、互いを見て。ソレを数回繰り返すと顔を真っ赤に染めて恥ずかしそうに正座して此方を向く。

 

「「すみません……」」

 

漸く話せるかなと思ったのだが、あんまりにも彼女らが恥ずかしくするものだから、此方も逆に話しづらくなってしまった。

 

まあ仕方ないべと思いながら、フォローをチョイチョイ混ぜながら続きを話していく。

 

「いえ、同じ立場でしたら、自分も同じ行動をとっていたに違いありませんので御気になさらないで下さい。ええと、では続きを申し上げますと、今回魔界に行く手段としましては、とある妖怪の助力を得て行くという事です」

 

「地底の妖怪からの助力ですか?」

 

と、一輪。

 

俺はそれに首を横に振り、詳細を話していく。

 

「いえ、今回は地底の妖怪ではありません。世界の壁、境界をまたぐ事のできる妖怪は地底にはいませんので、地上にいる昔からの……友人に依頼しました」

 

彼女らにそのように伝えて行くと、妙に納得したように頷かれる。

 

この様子から判断するに、彼女らの頼み込んだというのは地底内の妖怪達のみであったのだろう。だとすると、望みは無いと言っても過言ではない。

 

もし彼女らが地上に出張って調査したとしても、紫のように魔界にまで侵入できる力の持ち主を見つけるのは非常に難しいであろう。長年居た俺ですら紫しか知らない。

 

いや……ひょっとすると神奈子達なら行けた可能性も無きにしも非ず……か?

 

だが、そんな事はもはや考えた所で無駄である。彼女らもおいそれと領地から離れ、出張らせる事などできないし、仮に此方から出向いたとしても妖怪を神聖な場所に入れるわけにはいかないだろう。目撃なんてされたら目も当てられない。信仰はがた落ちになりそうだ。

 

と、そう考えながら、さらに言葉を切りだしていく。

 

「では、今回協力してくれる友人を呼んできますので、少々お待ち下さい……」

 

そう言って立ちあがってジャンプを敢行しようとする。……やはり最初から居た方が良かったか? という少しの後悔を持って。

 

「その必要はありませんわ」

 

しかし、その作業は突然の声に中断させられてしまう事になった。

 

声のした方に振り向くと、そこにはやはりというべきか何と言うか。紫が胡散臭い笑みを浮かべながら直立していた。

 

日傘を右手に携え、服は紫色のドレス。ドアノブカバーのような帽子は何時も通りに被っている。

 

しかし、一見場違いにも思える服装は彼女の持つ美貌、艶やかさ、雰囲気、威厳等により一瞬で霞んでしまう。いや、むしろ霞むどころかその違和感を覆し、この場に相応しい服装とさえ思わせるモノにまでなるのだ。

 

それほどまでに彼女の存在は強大であり、この場の空気を掌握し、そして初めて会う一輪たちを思わず怯ませてしまう程のもの。

 

彼女は特に何も思ってはいないだろう。普段通りの行動、仕草、口調。……彼女からすれば。

 

流石にこの空気は彼女らを紫が威圧しているとも取られかねないので、上手く俺が緩衝材になるように努める。

 

「ああ紫さん、ありがとうございます。確か此方から迎えに上がるはずだったのですが……違いましたっけ?」

 

すると、彼女はふふふ、と微笑みながら日傘を隙間の中に収納し、返答してくる。

 

「……早く話に参加したくて、つい来てしまいました。まあ、別にかまわないでしょう? 短縮も出来ますし」

 

と。

 

「確かにそうですね。ありがとうございます」

 

そして男なら。いや、女ですら赤面してしまうであろう笑みを浮かべながら、此方に近寄ってくる紫。

 

座りやすいように、俺は正座しながら横にススッ、とズレて紫のスペースを空ける。紫はそこに座り、一輪たちを見やる。

 

そしてちょっとした時間を掛けて観察を行ってから、切りだす。

 

「はじめまして、雲居一輪さん、村紗水蜜さん。私は横に座っている大正耕也のつ……友人である八雲紫と申します。今回私の役目、もう耕也から聞いているとは思いますが、私の能力で貴女方を魔界にまで輸送することとなっております」

 

そう一輪達に紫が言うと、慌てて一輪達が頭を下げて礼を言う。

 

「あ、ありがとうございます紫さん」

 

「ありがとうございます」

 

一輪と村紗は紫の持つ力、そして彼女の役割を理解したのか慌てて頭を下げる。

 

と、そこまでの動作を終えた所で、俺は一つ紫と話し合っていない事がある事に気が付いた。

 

それは、紫が魔界に穴を開け後どうするのか? 俺達と行動を共にして補助をしてくれるのかどうか?

 

そこの部分を話し合っていなかった。彼女が補助してくれるのなら、これほど心強い事は無い。現時点での戦闘要員が、俺だけなのである。

 

彼女達は確か自分たちの力は殆ど残ってないと言っていたはず。そして村紗の作りだした水球を見ても十分に判断できるであろう。彼女達が現時点でまともに外敵と渡り合える力を持っていない事を。

 

つまり、もし魔界に障害物等の類があれば、対処しなければならないのは必然的に俺となる。何とも苦しい状況。

 

領域は俺なら守ってくれはするが、他人を曝せば拘束具、邪魔にしかならないのである。しかしそれでも外部領域ならば彼女を物理攻撃以外から守る事ができる。……彼女らの妖力が全く使えなくなるという致命的欠点も持ち合わせてはいるが。

 

それらを加味して考えると、俺の力は到底彼女らに使っていいものではない。やはり個人用。俺用なのである。

 

そこまで短く頭の中で浮かべて沈め、紫に話しかける。

 

「紫さん、魔界に行く際ですが、魔界への道を開いた後はどうします?」

 

すると、すでにその事を尋ねてくるのは予想できていたのか、ふふふ、と笑う。そしておもむろに胸の谷間から扇子を出してピッと開き、口を隠す。

 

何時も思うのだが、何故紫は仕草が一々エロいのだろうか? 谷間に手を入れた時に外側へ押しやられる胸。弾力があり、ハリがあり、それでいて非常に大きな。

 

とりあえず一言で表すならばエロイ。ものっそいエロイ。

 

そして最早見せつけているとしか思えないほどの仕草。その類をするたびに周囲へと放たれる、脳を蕩かせる香り。やはりこれが魔性の女とも言うべき存在か。妖怪だから仕方ないと言えば仕方ない。

 

と、そこまでまで考えた所で、いかんいかんと自分を叱りつけ、思考を正常に戻す。

 

紫は俺の行動に気が付かなかったようで、此方を見てから言ってくる。

 

「どうするかはもう決めてあります。……今回私は同行しません。すべき事がありますので。でも耕也、見守ってるから安心しなさいな。どうしても補助が必要な時は、私が介入しますから」

 

同行しないと聞いた時は、一瞬冷や汗が出たが、その後フォローをしてくれたおかげで随分と安心する事ができた。

 

「ありがとうございます紫さん。助かります」

 

すると、紫はニッコリと微笑みながら

 

「いえいえ、助け合うのは当然なのだから……ね?」

 

と、何とも嬉しい事を言ってくれる。

 

そして、その事を一輪たちにもかみ砕いて伝えて行く。

 

「では一輪さん。今回は私が先頭務めます。ですので、一応外敵からの防護に全力を尽くします。ですが、万が一私の力が及ばないと判断し得る状況になった場合は、紫さんが補助してくださいます。これで宜しいでしょうか?」

 

彼女達にとっても悪くない話であったためか、素直にコクリと頷いてくれる。

 

と、同時に2人で頷きながら、此方に両手を差し出してくる。水を掬うときと同じ形をさせて差し出してくる。しかもその中には金と思わしき光沢を持つ物体が。

 

そして差し出してきたモノを凝視していると、一輪が口を開いてくる。

 

「あの、一応依頼という形ですので、報酬を用意いたしました……もし足りなければまた持ってきますので……」

 

俺は彼女の言葉に何とも言えない気持ちになってしまった。本来なら貰う事など一切考えていなかったのだ。ただ頼ってきたから力を貸した。自分にできる事の範囲だったため力を貸した。

 

唯それだけである。確かに報酬、金を貰えるのは非常にうれしい事である。しかし、今回は何と言うか違う気がする。何と言えばいいのだろうか……自分でもよく分からないが貰う気持ちにはとてもならない。

 

なので、俺は彼女の手を押し戻すようにして、返答する。

 

「いえいえ、自分はもう陰陽師とかは疾うに廃業してるのですよ。ですから報酬は無くとも構いません」

 

それに、彼女らの持ってきた報酬が生活費を削ってまで持ってきたものだとしたら、それこそ後味が悪くなってしまう。とはいってもこれも先ほどの考えに起因している事なのかもしれないが。

 

俺が彼女にそう言うと、困ったような嬉しいような良く分からない表情を浮かべて言ってくる。

 

「いいのですか? 報酬は必要だと思うのですが……対価ですし」

 

「いえ、いいですよ。他の事にお役立て下さい」

 

そこまで言うと彼女は諦めて手を元に戻す。そして何処となくではあるがちょっと安心したような表情を浮かべる。

 

その表情については深く考えはしないが、安心したのならば良かったと素直に思える。

 

そして俺は時計を視界に入れて時間を確かめる。……そろそろ良い時間だろう。

 

「では、雲居さん、村紗さん。そろそろ行きますか?」

 

そう俺が切りだすと、彼女達はコクリと力強く頷く。

 

「では紫さん、宜しくお願いします」

 

俺が少し頭を下げてお願いすると、微笑んで頷く。

 

 

 

 

 

「ええ、では開きましょう、魔界へと通ずる道を。越えましょう、世界の境界を……」

 

 

 

 

 

 

 

 



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82話 1度触れれば大丈夫……

盾役ってのは結構融通がきかない……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて……此処が貴方たちの望む魔界……とはいってもほんの一角である法界に過ぎませんが……」

 

と、魔界まで道を開けてくれた紫が呟くように言う。

 

確か設定において魔界には、強烈な瘴気が充満しており、普通の人間にとっては其処にいるだけで相当な害を及ぼすと記されてあったはず。

 

その証拠にか、領域を解除しようにも此方の解除命令を一切受け付けない。常に内部領域が発動したままである。その事を理解した瞬間に、何とも複雑な気持ちとなる。

 

本来ならば、俺の身体を守るための領域のはずなのにもかかわらず、この場では非常に圧迫感を感じるモノになってしまっているのだ。

 

とはいっても、それじゃあ領域が無かったら俺は生きていられるのかと言えば、んなわきゃあない。確実に死ぬだろう。

 

長年付き合ってきた領域に、今更文句をつけたいわけではないのだが、……何と言うか。少々やりづらい気持ちになってしまう。解除できないという事を知ったせいか。

 

何とも下らない事を考えながら、紫に礼を言う。

 

「ありがとうございます紫さん。何とか依頼を達成できそうです」

 

すると、紫は照れたように笑いながら、此方に返答してくる。

 

「良いのよ耕也。……大した労力ではないから」

 

嬉し事を言ってくれる。後で色々と御礼をしなければ。

 

そう思いながら、軽く礼をしてから一輪達の方に身体を向ける。そして、向けた時に一つの事に気が付いた。彼女達の顔色が家にいる時よりも良いのだ。何と言うか、まるで貧血を起こした人が回復するかのような差。

 

一体何が起きたのかと思いながら、尋ねる。

 

「随分顔色が良くなってますね」

 

そう質問すると、一輪達は互いに顔を見合わせ、顔を綻ばせながら何かを思い出したように頷き合う。

 

「ああ、これは魔界のおかげですね。この魔界では瘴気が満ち満ちているので、妖怪にとっては非常に過ごしやすい環境なのですよ」

 

と、一輪。

 

言われてから気が付き思い出した。ああそうだ、確か魔界では魔力が上昇するため、妖怪にとっても環境的に有利なのだと。だから魔法を習得するために訪れる妖怪もいるのだと。

 

そして同時にいやな事を思い出した。確か原作では、この魔界に出てくる妖怪は非常に強力だったはず。霊夢が装備を改めなければ退治を諦めるほどの強力な妖怪がわんさかいるのだ。

 

となると、想定していた以上に俺は苦戦を強いられる可能性もある。現萃香達よりはずっと弱いかもしれないが、それでも強いはず。ならば、ずっと早く俺が彼女たちを家にジャンプさせなければならない可能性も出てくる。

 

しかし、そこまでならないうちに紫の介入があると嬉しい。

 

これなら、紫に無理を言ってでも幽香を連れてきてもらえば良かったかも知れない。彼女なら鎧袖一触だろう。両極端な俺と違って攻撃力が安定している彼女なら。

 

しかし、事前にアポも取っていないから今更不可能だろう。

 

少し気落ちしそうになりながら、俺は一輪達に返答する。

 

「確かに瘴気が満ちていますね。これなら、雲居さん達の回復速度も速くなると思います。良かったですね」

 

と、その言葉を言ったすぐ後に、紫から言葉が発せられる。

 

「耕也、申し訳ないけれども私は作業があるから離脱するわ。何かあったらすぐに駆けつけるから安心なさい」

 

俺は、紫の言葉に、先ほど考えていた事を話そうと、口を開く。あまり良い事ではないが。

 

「あ、はい分かりました。ええとですね、その、藍さんは……駄目ですかね?」

 

すると、申し訳なさそうに

 

「ごめんなさいね。私の作業は非常に無防備に近くなってしまうから、藍の護衛が不可欠なの。最近は侵入してくる妖怪も増加しているから……」

 

と言ってくる。やはり駄目であったか。あの防御システムの重厚さと藍の攻撃の激しさ。やはり此方に出向いて来れるほどの余裕はあちらには無いらしい。

 

しかし、それでもピンチの時には援護してくれるだけまだマシといったところか。感謝せねば。

 

「いえ、此方こそすみません。極力御迷惑をおかけしないように致しますので」

 

そう言うと、微笑みながら手を振って隙間の中に潜る。

 

紫が潜った瞬間、何かが俺を圧迫している。そんな気がしてくる。首の裏というべきか、その周辺がピリピリする様な感覚がする。

 

なんとも困った事になった。やはり紫が居なくなった事でその辺の妖怪が殺気立ったか。

 

横目でチラリと見たが、2人ともすでに気が付いていたようだ。顔を少々しかめている。

 

やはり紫の存在は周囲に絶大な影響を及ぼしていたようで、威嚇のような役割も果たしていたようだ。

 

本当にこれじゃあ俺がジャンプさせなければならなくなるかもしれない。

 

「村紗さん。聖さんの封印場所は分かりますか?」

 

すると、村紗はグルッと周囲を見回した後、俺の真後ろを指差して言う。

 

「此処からずっと直線に進めば辿りつくかと。……法界の瘴気の密度が極端に小さい場所があります。また、瘴気が薄いためか若干明るいので、そこが白蓮のいる所かと」

 

言われた所を、双眼鏡で見てみる。

 

狭くなった視野から入ってくる魔界の拡大風景。その中に薄らとではあるが、他の場所よりも空の色が明るく、また若干の赤みがかった太陽光が刺し込んでいる。確かにそこが白蓮の封印されている場所だと断定するのが一番であろう。

 

そしてその光景を見たらその場所に行きたくなってくる。こんな赤と紫の織り混ざった禍々しい空よりも、早く飛倉の結界によって浄化されている空間にまで行きたい。

 

目算大凡10kmほど。いや、それよりもあるかもしれない。だが、それでも行かなければ依頼達成、聖白蓮解放にはつながらない。

 

そう思いながら、俺は一輪達に尋ねる。

 

「あの、そこまで飛べます……?」

 

念の為に聞いてみる。いや、もし飛べるなら俺も頑張って飛ぶし、飛べないのなら……

 

「いえ、すみませんが少しきついかもしれません……。上空は敵も寄ってきますし……」

 

魔界に来てから多少回復しているとはいえ、まだまだ長距離を飛ぶのはきついようだ……。となると、歩くか自動車かジャンプか。勿論ジャンプだろうなこの場合。つか最初からジャンプという選択肢を提示しておけばよかった。

 

「雲居さん、村紗さん。…………敵が来る前に何とか向こうまで行きたいと思います。現時点で戦闘は致命的になりかねません。ですので、ジャンプを使います」

 

「ジャンプ?」

 

と、村紗が不思議そうに首を傾げる。ああ、妖怪が集まってくるのが分かるから、説明は省きたいのだけれども。

 

仕方なしに、簡単に述べる。

 

「ジャンプとは、ええ、瞬間移動みたいなものと思って頂ければ問題ないです。一度来たり見たりした場所へ何時でも自由に移動できる術のようなモノです」

 

ソレを言うと、ほうほう、と一輪と村紗が頷く。まあ、対して驚くようなものでもないだろう。原作だと、瞬間移動のような術は妖精だって使っているのだから。世界を越えて移動できるのは……殆どいないだろうが。

 

「ええ、それとですね、そろそろ結界付近に行った方が良い気がするのですが……」

 

そう言いながら、俺は周りを見るように促す。具体的には、周りに指を指しながら。

 

勿論彼女達もその事は分かっていたようで、すぐに此方を見て黙って頷く。

 

「では、御二人とも私の側に。その方が確実性が増し、同時に安全性も増しますので」

 

そう2人に提示した俺は、ジャンプ発動の為に集中させる。今回は領域に守られている俺だけではなく、他人もジャンプさせるので、いつもよりも更に集中する。輝夜防衛の際に、大量の兵士、他人をジャンプさせた事はあるが、アレは殆ど咄嗟に行った事。それ以外では殆ど行った事が無い。

 

だからやはり集中を行う。

 

「どうぞ」

 

「どうぞ耕也さん」

 

と、一輪と村紗。

 

俺は黙って頷き、ジャンプを敢行する。敢行した瞬間に、景色がブレ、先ほどまで此方に迫って来ていた妖怪、妖精達が線状に引き延ばされてから、しだいに点となる。

 

ジャンプは非常に燃費が悪いため、高々10km程のジャンプでも若干の息切れを起こさせる。

 

俺は少しだけ息切れした身体を労わるように、深呼吸を行いながら正面を見据える。

 

結界まで大凡後100m程といったところだろうか。やはり双眼鏡で見た時よりも全貌が明瞭になってくる。

 

赤、紫が織り交ぜられ、ねっとりとしたような瘴気が渦巻くこの法界という空間を、一部分切りとっているかのように拒み続ける聖なる結界。聖を封ずる結界。

 

その内部には一切の瘴気が無く、唯赤い太陽が不毛で荒野な土地を照らしつけるのみ。原作では此処に星輦船で突っ込み、封印を飛倉の力で解除した。飛倉によって作られた結界を、飛倉によって解除する。まるで鍵穴に形の合った鍵を差し込み開錠するように。

 

しかし今回は違う。鍵を使って開錠するような方法ではなく、完全な反則行為と言っても過言ではない。

 

偽の飛倉を作り、それを基に解除するといった、ピッキングのような方法でもない。

 

後もう20分後に行うであろう行為は、鍵のかかったドアに、鍵ではなく爆薬を用いて爆砕し開錠するような方法である。

 

そんな事を考えながら、瘴気に曝され続けた結果であろう、高熱で焼けたような焦げ茶色の土にしっかりと足を着けながら、結界に足を運んでいく。

 

そして、結界まであともう少しのところで

 

「耕也さん……。妖怪達が……」

 

と、少々怯えたように此方へ報告する村紗。

 

「え?」

 

その声に釣られるように後ろを見やる俺。

 

「うわあ……」

 

参ったなこりゃ、という言葉を飲み込みながら感嘆の声を上げるだけにする。

 

真後ろを見ると、先ほどよりも多くの妖怪が此方に迫ってきているのだ。まだ距離があるためか、少々作戦会議できる程度には猶予はある。

 

しかしおかしい。何故奴らはこんなにも食らいついてくるのだろうか? これは侵入者に攻撃という言葉だけでは片付かないような気がしてならない。

 

現に、妖怪も外から入って修行しに来ることだってあるのだ。どのような方法で来るかは見当がつかないが、修行のために魔界に来るのだ。

 

だとすれば、一輪さん達を狙っているわけではないと考えるのが普通ではないだろうか? 襲いかかる妖怪を撃退するのが修行というのなら別ではあるが。

 

しかし、それよりももう一つの可能性の方がより現実味を帯びている気がする。

 

それは、俺の体質。高次元体が原因であろう体質のようなモノ。つまりは、俺の身体が非常に美味そうに見えるという事。

 

これが起因していると俺は考える。考えたくないが考える。

 

完全に憶測でしかないのだが、何と言うか、勘のようなものだろう。ソレが後押ししている。

 

だから俺は

 

「一輪さん、少しだけ待って下さい。今からある事を試しますので」

 

そう言った俺は、あまり時間が無いので一輪達の返事も聞かずに真横左方向に200m程ジャンプして、相手の様子を観察する。

 

すると、何とも面白い事に、まるで俺が左にジャンプする事が分かっていたかのように、一気にその方向を変えて此方に猛進してきたのだ。しかも一匹残らず。

 

憶測でしかなかった事が、何とも面白い事にドンピシャリだったのだ。

 

「排除するのは簡単かもしれないが……その騒ぎを察知して更に襲われるのは厄介だしなあ……しっかたねえべな」

 

一輪達に妖怪が向かわない事に安心すると同時に、妖怪達が俺だけを狙ってくるのに何とも複雑な気持ちになりつつも俺は一気に集中をする。

 

後300m程で妖怪達が来る。

 

猛烈な地響きと、土ぼこりを上げ、更に涎を撒き散らしながら、いかにも肉を切り裂きためだけに存在するような牙を見せつけ接近する妖怪達。

 

普通の人間が見たら卒倒するようなおぞましい光景。

 

だが、それでも俺は怯まない。絶対的な防御力を誇る領域がもたらす安心感。そして、今まで陰陽師としての経験と、紫、幽香、藍等と接して生じた耐性。

 

だからこそ此処まで平静でいられる。

 

あと200m程。

 

もうあと10秒以内で此方に到達するであろう。接触する寸前まで引き寄せてからが本番である。もちろん接近距離はバラバラであろう。

 

だが、当然ながら全ての妖怪に対して効果を及ばせる。遥か彼方まで飛ばすために、確実に。

 

100m。もう少し。

 

何とも大きく感じる。集団で接近されるとやはり実寸以上の大きさに見えてしまうのだろう。だがしかし、鬼達と対峙した時よりも遥かにマシというもの。

 

(さあて、地の果てまでぶっ飛ばしてやる……)

 

そんな柄にもない事を思いながら、更に集中して敵の接近に備える。

 

あともう少し。もう少し。

 

鼓膜が破れるかと思うほどの怒号の中、一気にジャンプを敢行する。

 

「せえーのっ!!」

 

最早自分が喋っている声すらも聞こえないこの雑音の中、ジャンプが敢行される。

 

そして一瞬の青白いフラッシュが場を覆い尽くした瞬間、先ほどの雑音が無かったかのように、無音状態が築かれる。

 

いや、無音状態ではないのだろう。しかし、無音状態と言いたくなるほどの落差。

 

が、この心地よい状態を味わう暇も無く、ジャンプによるドギツい疲労が身体中を襲う。

 

足が一気に震え、その場に腰を下ろしそうになるが、グッと堪えて一輪達の所にまで戻る。

 

 

 

 

 

 

「すみません、では行きましょうか」

 

そう俺は彼女達に結界を越えてしまおうと促す。

 

しかし、彼女達は茫然とした表情で此方を見続けるだけである。ひょっとして、あの妖怪達が消えた事がおかしく感じるのだろうか?

 

そう思って、一応尋ねてみる。

 

「あの、どうかしましたか? もしかして、先ほどの妖怪の事ですか……?」

 

そう言うと、やはりドンピシャだったようでコクリと頷く。

 

「あの妖怪達が消えたのは、先ほど使用したジャンプですよ。空の彼方にぶっ飛ばしてやりました。此処に戻ってくるのは結構時間がかかると思いますので、その前に封印を解いてしまいましょう」

 

そう言うと、納得しきれないのか首を傾げるが、それでも首をようやっと縦に振り同意を表す。

 

その様を見た俺は、納得してくれた事に安心しながら再び巨大な結界を見やる。

 

何者をも拒み、そして瘴気の中に何百年も顕在し続けられる結界。紫も解除するのに相当な労力を要するか、もしくは解く事ができないであろう強固な術式。

 

あまりにも濃すぎて視認できるほどの瘴気を軽くはねのけるほどの強固な守り。これが集団の、人間の力かと。古き人間の力を思い知らされる。

 

確証はないが、他の妖怪、一輪達ですら触ったらタダでは済まないのではないだろうか?

 

「じゃあ、結界破って封印を解除しますよ?」

 

その言葉に、一輪達は待ちわびたかのように、力強く頷き口を開く。

 

「お願いします耕也さん」

 

「姐さんの封印を解いて下さい」

 

しかし、封印を領域で無理矢理解くという若干安全性に欠ける行為に、俺はほんの少し、ほんの少しではあるが引け目を感じてしまう。

 

原作通りに、星輦船による封印を待った方がいいのではないか? その方がずっと安全であり、俺の領域で解くよりも危険性が少ないのではないだろうか?

 

そんな事を同時に思ってしまったのだ。

 

しかし、あれほど必死に頼み込んできた村紗や一輪達は、この機会を逃すと数百年も我慢しなければならないのだ。

 

それは心の天秤に掛ければすぐに分かる事。人間としての感情、人情とも言うべきだろうか? それとも唯俺の中の常識的な観点から下されているモノなのか?

 

どれかは分からないが、とにかく解除をしなければならないという考えが前面に出てくる。

 

出てくると、先ほどの戸惑いが非常に恥ずかしく思え、アホらしさのあまりその辺を絶叫しながら転がりまわりたくなる。

 

「では、行きます」

 

しかし考える余裕など無く、俺は彼女の言葉に背中を押され、内部領域を纏っている手を結界に突っ込む。

 

その瞬間に、結界の様相が一気に変化し始める。急変し始める。

 

軽い地響きの後、ほんのりと白く輝いていた結界がその輝きを失い、ついには透明になる。

 

「封印は……結界は……?」

 

と、俺が思わず呟くように言った瞬間、一瞬ではあるが、まるで閃光弾のように結界全体が光る。

 

「うわっ!」

 

「わわっ!」

 

「ふえっ!?」

 

俺と、一輪、村紗が驚きの声を上げた時にはその光は収まり、元の透明な状態になる。

 

そして、数秒後には結界が軋みを上げ始める。それはまるで、限界を越えた曲げ率の為に、ガラスが悲鳴を上げるかのように。結界が崩れたくないという意志を此方に投げかけているかのような断末魔にさえ聞こえる。

 

その悲鳴を上げ続ける結界は、俺達の真反対の方向からボロボロと破片を撒き散らすように、罅が入り、内側へと落ちて行く。しかし、幻想の物であったためか地面に落ちることなく空中で霧散し消えていく。

 

まさにそれは短時間でのみ存在し続けられる芸術とも言うべき光景であろう。崩壊が芸術というのも変かもしれないが、俺にはそう感じてしまったのだ。

 

そして完全な崩壊に数分の時間を要し、最後には俺の手が突っ込まれた部分が消え去る。

 

「これで何とか……ですかね」

 

その言葉と共に、後ろに控えていた2人は弾かれるように、中へと走って行く。

 

さすが妖怪というべきか。身体能力は人間のそれを優に超えており、あっという間に点となってしまった。

 

「あー……俺も行きますか……いや、少し待った方が良いかな?」

 

おそらく白蓮を発見した後は再会を喜び合うであろう。親子……ではないが、水入らずの時間を過ごしたいだろう。

 

俺はそう思いながら、ゆっくりと歩いていくのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

走る。走る。走りまくる。己の力全てを出し切る勢いで走る。結界が崩壊した瞬間に走る。

 

妖怪の身体能力を存分に生かせ村紗。一刻でも早く白蓮に会うのだ村紗。会って無事な姿を確認するのだ村紗。

 

そう思いながら、全速力で結界の中心へと走る。

 

赤い不吉な太陽が私達を照りつける。まるで此処には来てはいけなかったかのように、拒むかのように、侵入者に罰を与えるとでも言うかのように照りつける。

 

しかし、そんなことなど気にしてはいられない。私達の白蓮がいるのだ。理想を掲げ、人間に迫害され、離された白蓮がもうすぐ私達と再会するのだ。

 

再会できるのだ。

 

今の私に出来る最大の事を尽くして白蓮に近づく。まだ見えない。しかし、結界を解除した瞬間に感じ取ったあの魔力は間違いなく白蓮のモノ。

 

力強く、そして自らを律し続けた白蓮その人のモノだ。

 

「白蓮…………白蓮…………っ!!」

 

そう自然と言葉が口から洩れてくる。もうそんなことを気にする余裕など無い。

 

「一輪! 見える!?」

 

そう走りながら、後ろを着いてくる一輪に尋ねる。

 

「まだだわ! まだ見えない!」

 

あとどれぐらい走ればいいのだろうか? そんな考えんが浮かんでくる。

 

しかし、それでも白蓮に近づいているという確証はある。私達が走っているというこの状態から、白蓮から溢れ出す魔力が強くなっているのだ。

 

つまりは、私達は確実に近付いているという事。

 

そんな事を思いながら、土ぼこりを立てて走って行く。

 

すると

 

「村紗、見えたっ!!」

 

という突然の報告。咄嗟に

 

「えっ!?」

 

と返答してから、私は目を凝らして白蓮の存在を確認していく。

 

いた。

 

目を瞑り、姿勢よくその場に座り込む白蓮の姿がそこにあった。

 

「いた……いたぁっ!」

 

大声でその存在の確認を示す私。

 

すると、私の声に気が付いたのか、白蓮がそっと目を開ける。

 

そして驚いたのか、すっくと立ち上がり、目を見開いて口に手を当てる。

 

その仕草までも私にとっては、解放された白蓮なんだという実感を湧かせるものであり、嬉しくなる。

 

キュウウウウゥゥゥゥッと一気に気道が締め付けられるような感覚の後、一気にその感覚が眼頭に集まってくる。

 

熱い……もう堪え切れない。

 

「白蓮! ……びゃくれん!!」

 

眼頭が熱くなり、鼻声になりながらも私は白蓮の下に近寄って行く。

 

視界はもうぼやけてしまっているが、段々と白蓮の姿が大きくなる事が確認できる。

 

まるでそれに比例するように涙の量が増えていく。

 

「一輪……水蜜……どうしてここに……」

 

白蓮の詳細な表情はもはや見えない。しかし、口調からするに私達が来た事に戸惑いを覚えているのだろう。

 

「白蓮を、 白蓮を助けに来たのよ……!」

 

と、一輪が大声で叫び散らす。

 

あともう少し。もう少しで白蓮の腕の中に。

 

あの温かくも全てを抱擁し受け入れてくれる私の救いの人。

 

「そう、そうだったの……ありがとう……水蜜、一輪……」

 

そう言いながら、手を広げて抱きとめる動作をする白蓮。

 

その言葉が聞こえた瞬間に、私達は白蓮に抱きつく。最早嬉しさのあまり、減速することすら忘れてしまうほどに。

 

「白蓮、白蓮…………っ!!」

 

熱くなった眼頭から、少しの痛みと共にボロボロボロボロ涙を流す。流しながらただひたすら白蓮の名を呼び続ける。

 

嬉しさやら何やら色々とごちゃ混ぜになった感情が脳天を直撃し、泣き癖まで出てきてしまう。

 

もっと早くこれなかったものなのか?

 

もっともっと速くこれなかったのか?

 

そんな後悔も生まれてくる。

 

「白蓮……姐さん……ひっく……無事でよかった……うぅ…………」

 

普段冷静な一輪ですらも堪え切れなかったらしい。

 

「2人とも……こんな危ない魔界に来るなんて……なんて無茶をしてきたの……?」

 

ずびびっと鼻を啜りながら私達に尋ねてくる白蓮。

 

「だって……だっでええええええええ」

 

「姐さんをたすけだぐで……だずげだぐで…」

 

最早言葉になっているかもわからない何かを発し続ける私達。

 

でもそんな事は関係ない。この溢れる感情を今口に出さなければ死んでしまいそうだ。

 

唯側にいなかった期間が、実際よりも何倍にも何十倍にも長く感じた。

 

息を荒げて白蓮の鼓動を聞きながら、涙を流し続けるのみ。

 

確かに最初は白蓮を封印された事が悲しくもあり、人間に対しての恨みもあった。

 

だが

 

「……ありがとう2人とも……本当にありがとう皆…………」

 

そんな白蓮の言葉を聞いた瞬間、もう白蓮を封じた人間、自分たちを地底に追いやった人間の事などどうでも良くなってしまった。

 

今はただ白蓮との再会に心が一杯になり、他の事が考えられないのだ。

 

「白蓮……白蓮…………」

 

白蓮が今私の側にいると考えるとポワポワ暖かくなる身体が、今は何とも心地よく、私はただ抱きついたまま白蓮の名を呼び続ける。

 

 

 

 

 

 

 



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83話 燃費が悪いのは仕方ない……

まあ、聖さんのご意見は御尤も……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ああ……まだ行かない方が良さそうだねこれは……」

 

そんな事を呟きながら、遠方より双眼鏡で覗いて見ると、白蓮、一輪、村紗の3名は絶賛感動の再会中である。

 

時折村紗と思わしき掠れた声が聞こえてくるだけであるが、彼女らは抱き合ったままその場から全く動かない。

 

勿論この再会の途中で俺が間抜けな顔をしながら入るというのは到底考えられるものではない。あってはならないし、許されるものでもない。

 

俺だってそんな感情が膨れ上がって涙がボロボロ流れているのにも拘らず、赤の他人がそこで乱入し尚且つ、やあどうも、なんて言われたら心底嫌な気分になる事間違いなしであろう。

 

だが此処で一つの言葉が浮かび上がってくる。

 

それは

 

「白蓮……この後どうするのだろうか?」

 

そう、その部分が非常に重要である。

 

確かに俺は一輪等に頼まれて封印を解除した。あの強大な聖なる封印に手を突っ込んで。

 

ただ、彼女らに言い出す事ができなかった俺も悪いだろう。その場の雰囲気の飲まれたというべきか、良心の呵責が働いたために制動が働いたのか?

 

どれがどのように作用して今の状況を作りだしたのかは……結局のところ俺が推しに弱かったのかもしれないが、それでも俺は確実に言わなければならない事を言わなかった。

 

ソレがどうにも悔しく、また自分の情けなさに嫌気がさして思わず自分で自分を殴りたくなってくる。

 

が、そんな事を今更した所でどうにかなるわけでもなく。

 

ああ全く、と言いながら俺はその場に折り畳み椅子を創造して腰を下ろす。

 

腰を下ろした瞬間に、グッと緊張していた筋肉が弛緩し、一気に力が抜ける感覚と強烈な疲労感に、思わず深いため息が出てくる。

 

「はあ~……。……ホントどうするんだろう……?」

 

本当に彼女は解放された後どうするのだろうか? 現時点において、彼女が地上に戻る事は到底不可能であろう。封印されてからあまりにも時が経過していないので、彼女が地上で活動するという事は不可能であろう。

 

かと言って、彼女が地上で隠居していたとしても、それはそれで彼女自身の掲げる理想が破綻してしまう。

 

では地底ならどうだろうか?

 

という案が一つ出てくる。否、それも不可能であろう。

 

地底で今どれだけの妖怪が、どれだけ人間に対して恨みを持っている事か。地底最深部に降り立って一時間もせずに攻撃された俺がいるのだ。

 

確かにあの時、地底で攻撃されたのは、俺の身体が極上の素材、肉に見えるという事は仕方ないだろう。それも要因の一つとして存在してはいただろう。更に陰陽師のモノマネで妖怪の事件を解決していたりもした。その恨みがあって攻撃されたというのも多分にあるだろう。

 

しかしだ。それでもだ。それでも彼女の方が受け入れられない可能性の方が高い。

 

彼女の意思は強い。それも俺とは比べ物にならないほど強い。神、仏、妖怪、人間等といった種族間の差は無く、全てが平等といった理想を掲げている白蓮なのだ。

 

彼女が地底で暮らす場合、真っ先に障壁となってくるのがこの理想、思想なのだ。確実に。

 

そして勿論の事、白蓮の思想が受け入れられるわけがない。仮に彼女が妖怪達にその教えを説いたとしよう。

 

何百年もはるか未来ならばまだ望みがあるだろう。しかし現時点では望みが無い事だけは言えるのだそして、……真っ先に攻撃されるのが容易に目に浮かぶ。

 

再び溜息を吐く。……どうすんべこれ。今更言えっこないって本当に……。

 

酒でもかっ食らいたい気分になるが、少しの間思いとどまってみる。

 

そしておもむろに空を見上げて、自分が今どんな状況で、どんな依頼を受けて此処に来たのかを明確に思い浮かべる。

 

「……よし、まずは封印が解けた事を喜ぼうじゃないか。その後の事は白蓮と話せばいいだろう……うん」

 

そう無理矢理と言っても過言ではないが、何とか自己完結をしてそのまま惰性で空を見上げ続ける。

 

空は相変わらず気持ちの、悪い青赤の入り混じったグロさを前面に押し出している。モヤモヤモヤモヤと目まぐるしく模様を変えていく。

 

その様は、まるで意図的に催眠術でも掛けようとしているのかと疑いたくなるほど。

 

「何でこんなの見ているん…………なんだあれ……?」

 

ふと、ほんの少しではあるが、薄らと黒い点のようなモノが多数空に浮かびあがっている。

 

いや、浮かび上がっているのではなく、段々とその形状を肥大化させているのが経時的に把握する事ができた。

 

なんの思いがあったのかは知らないが、椅子に座ったまま余裕ぶっこいて腕組までし始める俺。

 

「なんだろねあれ……?」

 

普段口にしないような言葉まで出しながら、ボーっと背もたれに寄り掛かりながら空を見上げ続ける。

 

段々とその輪郭が見えてくる。大きな大きな筋骨隆々で……如何にもな眼光を周囲に撒き散らしている……

 

「…………えっ? …………あっ!?」

 

忘れていた俺も馬鹿だったが、この時ばかりは許してもらいたいと思った。なんせ聖との再会を眺めていたり、何とか解放できたという安堵感が身体中を満たしていたのだ。

 

そう、それよりも前に空の彼方までジャンプさせた事など脳の片隅にもおかない程に。

 

「忘れてた……!」

 

弾かれるように立ち上がる俺。そしてその後ろで背もたれの金属が地面と接触する事により、間抜けな音を撒き散らす。反動で倒れてしまったのだろう。

 

その音を耳に入れながらも、俺はまるで聞かなかったかのように無視して慌てだしてしまう。

 

そんなに速く来れるものなのか……、と。

 

「ああ、やばいやばい……もう一回使えるかなこんちくしょう……」

 

先ほどの敢行したジャンプのせいで生じた強烈な疲労が、俺の身体を容赦なく蝕んでくる。

 

ああマズい……手と足がプルプルガクガクしてやがる……。

 

その情けなさに自己嫌悪を感じながら、横目でチラリと白蓮達の方を見る。

 

(そうだよな……再会の真っ最中で他に気を配ることなんてできないよな……)

 

当然である。そんな彼女達の事を恨むわけもないし、怒りもしない。ただ、彼女達の再会に水を差したくないという気持ちが間欠泉のように吹き出してくる。

 

(もうちょいかな……もう少し集まってくれたらほんの少しは楽になると思うのだけれども……)

 

とはいってもこの疲労困憊の状態では、多少拡散していたとしても対して変わらないだろう。

 

おそらく死にはしないだろうし、自業自得とはいえそこまで強烈な害を領域が見逃すはずはない。疲労の一般的限度を超えてしまうと判断したら、確実に領域が反応して保護状態に入ってくれるはずだ。

 

だから、一応使っても問題ないだろう。あともう一回の大規模ジャンプぐらい。

 

そして使うと決心した際に、一つの疑問というか願望が湧いてくる。

 

(……紫は介入してくれないのだろうか?)

 

と。

 

本当にどうしようもない時は、介入してくれると言っていたが、今回の場合はどうなのだろう? その時ではないのだろうか?

 

と、疲労のあまり、つい神にでも縋るような心境で頼ろうとしている自分がいる。

 

しかし、この状況では少々仕方が無いのではないだろうか? と、やはり色々と揺らいでしまう。

 

やはりまだ、この状況では介入するまでも無いと判断しているのだろうか? それとも、介入というのは村紗達を援護できないという最悪の事態に陥った時のみ発動するのだろうか?

 

色々な考えが浮かんできては沈み、唯でさえ余り集中できない状況なのにもかかわらず、散らしてくる。

 

ああ、こんちくしょうこんちくしょう、何とかできないもんかね? と、思いながら必死こいてジャンプの準備を進めて行く事にする。

 

ふう……と、軽く息を吐いて、自分で眺めていた光景の奥の奥まで拡大し、強く強くイメージしていく。

 

普段とは全く違う集中の仕方。どうしようもなく燃費が悪く、燃料が残り少ないのだという事を思い知らされる。

 

鮮明に画像が脳に映し出され、次には拡大画像を。これに伴い、全身の血管が拡張したかのように、熱が身体中を支配していく。

 

あまりの疲れ、そして眼の前に迫る敵、そして背後には白蓮達が。この余りにも切迫した状況は、鬼との戦いの時以来ではないだろうか?

 

そしてそれに似たような状況なのか、脳が勝手に判断してアドレナリンを放出させているのか……。

 

この血が巡る事による変な高揚感というのだろうか? 筋肉疲労等といった不利な要素を誤魔化そうと脳が必死なのか?

 

答えは分からないが、それにしても何とも情けないぞ俺。もちっと踏ん張れや俺。

 

そんな気持ちの湧きあがりを実感しながら、今更ながら紫の言葉が思い出される。

 

お人好しも過ぎると、命を失う羽目になるわよ? と。

 

やっぱり紫は何でも分かるんだなと思いながら、上を凝視して再び奴らの接近状態を把握する。

 

ああ更に接近してやがるこんちくしょう……当然だが。

 

そしてこの妙な高揚感……軽く酒を呷ったような脳の麻痺具合。そしてドロドロと巡る血の流れ。

 

全てが危険な気がしてならない。そしてより実感するのだ。お人好しも過ぎると命を失うという言葉が、妙に脳内に木霊してくるのだ。

 

脳内麻薬のせいか、震えているのにも拘らず震えていないように感じる腕をジロジロと見つつ、再び集中を続けて行く。

 

それに伴い、頭全体が猛烈に熱くなってくる。元々熱かったのに、血液がさらに集中した結果であろう。何とも熱い。

 

またその中で耳に雑音が響いてくるので、また上を見て確認してみる。

 

奴等が近づいてくるのが嫌でも分かる。いわゆる悪魔の翼と言うべきだろうか? それを大きく羽ばたかせながら近づいてくる。

 

ふと横を見てみると、漸く異変に気が付いたのか聖が一輪達を抱きしめるのをやめて、上空を睨みつけている。

 

しかし、この時点で最早反撃する時間など残されてはいないだろう。

 

だから、やはり俺が確実に全ての敵をジャンプさせなければならない。

 

「これで最後の…………せえーのっ!!」

 

確定したイメージに力を叩きつけ、眼前に広がる無数の妖怪達を空の彼方へと再び吹き飛ばす。

 

無論奴等は無傷だろう……だが、それでも他の連中を大勢呼ばれるのは勘弁だ。戦って殺すよりもずっとリスクが低い。俺の体力へはきついものがあるが。

 

と、そこまで考えた所で、一気にその代償が牙を向いてくる。

 

あれほど熱かった頭が、冷水に長く浸されたかのように冷たく、重くなってくるのだ。

 

先ほどまでの意気込みは一体どこに行ったのか。もちっと踏ん張れや、等と言っていた時の熱い身体は一体どこに行ったのか。

 

首から下も、段々と冷たく重たくなっている。まるで血液全てが水銀に置き換わってしまったかのように、猛烈に重く感じてしまう。

 

「あ……………………立てねえ……」

 

言葉の通りであった。

 

ガクガクしながらも、脳内麻薬の力を借りながらも何とか立っていられた状態だったのだが、最早力すら入らない状況にまでなってしまった。

 

力を入れようとすると、逆に空気が抜けてしまったビニール袋のようにフニャフニャとその場に腰を下ろしてしまう。

 

そして、腰を下ろした瞬間に、その衝撃を逃がしきれずに背中から地面へと寝転ぶように倒れる。

 

再び無音状態に近くなった筈の空間が、やけに騒がしい。

 

だがそれは嫌でも認識させられる、自分から発せられる音。

 

力の入らなくなった身体の中で唯一元気な、必死な心臓。激しく拍動し、あまりにも消耗しきった身体に酸素等を送り込み、必死に回復させようとしている。

 

そして段々甲高い、良く分からないが周囲の音を吸収しつつ排出しているようなそんな音が次第に大きくなってくる。

 

果たしてそれは自分のみに聞こえている音なのだろうか? それとも、この魔界に響き渡っている音なのだろうか?

 

まともに考えられない頭の中で、一体この音はなんだろう? と、必死に疑問を自分に投げかける。

 

それは段々と大きくなるその音は、どこか聞き覚えのあるような感じがする。

 

「何だった…………かな……あ?」

 

口を動かし、声を出すのも億劫な状態で、疑問の言葉を搾りだしていく。

 

そしてうるさいほど大きくなった音を聞いた時、急に思い出した。この音だったのだと。随分懐かしい音だなあと思った。

 

(ターボの音じゃないか……)

 

今の状況と全くもって関係ないのにも関わらず、そんな音を思い出したのだ。友人の所有していた900ps・R32GT-Rの吸気音を。

 

どうせ唯の耳鳴りの一種なんだろうが、そう俺は錯覚していた。あんまりにも酷い疲労感のせいで、感性がおかしくなったのか。

 

現時点では領域が保護してくれているため、この程度で済んでいるのだろう。動けない程度で。

 

もし領域が無かったら、今頃映姫の所か、幽々子の所にお世話になっているんじゃないだろうか?

 

そんな阿呆な事を考えながら、少しだけ休みたい気持ちになる。このまま目を瞑って眠ってしまいたい。

 

白蓮達は、このまま妖怪達が来ないうちに退却すればいい。紫が隙間で何とかしてくれるだろう。俺の場合は現時点で移動は不可能である。

 

内部領域が発動したままでは、紫の隙間をくぐる事ができない。……早急の改善が必要だな。

 

と、考えたとところで白蓮達がどうなったのかを確認したい気持ちになった。

 

いるかなあ~という軽い気持ちを持って首を傾けようとする。

 

が、全く動かない。自分では渾身の力を込めているはずなのだが、全く反応してくれない。というよりも力が全く出てこない。

 

仕方ねえべ……寝るか。

 

そう思いながら、目が覚めたらどうしようという不安と共に、意識が混濁してくる。

 

ドロドロドロドロと視界が溶けていくのをボーっと認識していると、視界の端に誰かの頭が映った気がしたのだが、ソレを特定する前に俺の意識は完全に落ちてしまった。

 

 

 

 

 

 

あれから一体何時間程経ったのだろうか? 自分でもわからないほどよく眠っていた気がする。

 

ねっとりとした黒いタールのような眠気から抜け出し、重い瞼をこじ開け、目に光を入れるとそこは先ほどと同じ空間、魔界であった。

 

空は相変わらずの気持ち悪い光景が視界一杯に広がり、瘴気にまみれた空気が何とも呼吸に対する欲求を削いでいく。

 

いくらか意識を落した事が幸を奏したのか、身体にまったく力が入らないという事は無く。弱弱しくではあるが、自分の四肢に力が入るという事が把握できた。

 

それに大きな安心感が湧くのを実感し、それと同時に安っぽい安心感だなと思ってしまう。

 

ふう、と軽く溜息を吐き、何とか身体を起こそうと、腹筋に力を入れる。そして腕を支えにしながら起き上がる。

 

「よお~~~~~っと…………」

 

力が入ると言っても、普段よりも遥かに力が無いのだから上半身を起こすのにも一苦労である。例え支えに腕を使用したとしても。

 

そして、上半身を起こし、血液が頭から下に降りて行く何とも心地よい感触を感じながら、ふと眠る前に思った事を思い出す。

 

白蓮達は一体どうなったのだろうか? と。

 

俺はその事を頭に思い浮かべた瞬間、居ても立ってもいられなくなり、首を出来る限り素早く動かしながら、周囲の状況を確認していく。

 

すると、俺から右斜め後ろに、聖達が此方へ近づいてくるのが確認できた。

 

俺が起きた事を確認したのかは分からないが、此方の方を見ながらニコニコとして手を振っている。

 

それに返すように口角を釣り上げて笑顔を作り上げる。腕は身体を支えるのが精いっぱいなので、そのままである。

 

ぼんやりとその近づいてくる様を見ながら、俺は一つの疑問がポンと浮かび上がってくる。

 

(俺が眠った後の妖怪達はどうなったのだろうか?)

 

そんな疑問が浮かび上がってくる。

 

俺が眠った後は、確実に妖怪達は俺へと向かってくるのだが、一体どこへ行ってしまっただろうか?

 

まさか自然消滅したなんて事はあるまい。唯ジャンプで空の彼方に飛ばしただけなのだ。一度目と同じように、戻ってこない筈が無い。

 

そしてその答えを自分で導き出すことなどできず、俺はすぐ傍まで近づいてきた白蓮達に挨拶をする。

 

「お久しぶりです……聖さん」

 

そう言うと、ニッコリとしながら、腰を下ろして黙ったまま俺の額に手を当てる。

 

「あ、あの……聖さん?」

 

突然の行動に俺は戸惑いながら、彼女に対して質問のような何かを投げかけるしかできない、

 

数秒経った後、静かに俺の額から手を離し、朗らかに笑いながら口を開く。

 

「良かった……もう大丈夫のようですね。改めて、お久しぶりです大正さん」

 

そう言いながら、しきりに俺の額に触れた手を閉じたり開いたりしている。おそらく領域に触れた事が関係しているのだろう。申し訳なく思う。

 

が、その事を俺は口に出さずに、先ほど思い浮かべていた疑問を口に出す。

 

「あの、何と言いますか……自分が気絶した後、妖怪達が襲ってきませんでしたか?」

 

俺の質問を聞いた白蓮は、思い出したように、目を瞬かせながら、返してくる。

 

「いえ……此方には来ませんでした。あの後はずっと大正さんを寝かせていただけなので」

 

ふと寝かせていたという言葉が気になり、俺は自分の横たわっていた地面を見やる。

 

何で構成されたかは分からないが、分厚い布が敷かれているのに、今更気が付いた。だから身体が痛くなかったのか。

 

そう思いながら、彼女に対して礼を言う。

 

「ありがとうございます。聖さん」

 

「いえいえ、貴方にしていただいた事に比べれば、大したことではありませんよ」

 

と、返してくるが彼女は眉毛をへの字に曲げて独り言を言うかのように呟き始める。

 

「それにしても……あの妖怪達は一体どこに行ってしまったのでしょうか……」

 

あの量の妖怪達が、此方目掛けて襲ってきたら、白蓮は俺達三人を守りながら、反撃するのは間違いなく難しいであろう。白蓮の事だから、出来ない事は無いだろうが。

 

それに連中が人語を理解できるような様子ではなかったし、説法で仲裁するという事も出来なかったであろうと俺は思う。

 

だとすれば、一体妖怪達はどうしたのだろうか? 2度のジャンプに諦めたのだろうか? それとも、紫が何か策を講じてくれたのだろうか?

 

紫が何かをしてくれたという事を考えるのは、頼り切っていたという事でもあり、あまり宜しくない考えであったが、この2つでは可能性が高い。

 

そこまで考えた所で、白蓮のすぐ傍にいた村紗が口を開く。

 

「白蓮……、そろそろ今後の事も話し合わないと……」

 

その言葉に、白蓮は村紗の方を見ながら深々と頷き、此方を見る。

 

「まずは、大正さんに。……この度は、私の封印を解いて下さり、誠にありがとうございます」

 

「ありがとうございます」

 

「ありがとうございます耕也さん」

 

白蓮、一輪、村紗の順で口々に礼の言葉を述べて、頭を下げる。

 

俺はその礼の言葉を素直に受け取り、返しの言葉を言う。

 

「いえ、私はただ依頼された事を遂行したまでに過ぎません。一輪さん、村紗さんが頑張ったから此処まで来れたのですよ」

 

「いえいえ、謙遜など必要ありませんよ。もちろん一輪、村紗達には感謝しておりますが、封印を解いたのは紛れもなく貴方の力です」

 

そう言うと、白蓮は微笑んで、更に口を開く。

 

「では、本題に入りましょうか。一輪、村紗。良く聞いて下さい。できれば大正さんも」

 

「はい」

 

そう俺は返事をして、白蓮の言葉に耳を傾ける事にする。身の振り方か……俺の考えた通りだと恐らく白蓮の選ぶ道は

 

「私はまだ…………この魔界に残ります……」

 

やはりそうだろう。彼女が地上に戻ったり、地底に住居を構えるといった事を言い出すわけが無いと思った。ならば、俺の予想が当たったとみても良いだろう。

 

そして白蓮の言葉を聞いた村紗と一輪顔を強張らせ、まるで信じられないものを見たような顔をした。この反応は当然だろう。俺がその立場ならもっと狼狽する。

 

「な、なぜですか聖! 封印が解けたのですよ!?」

 

固まってしまった村紗の代わりに、一輪が白蓮に激しい口調で問い詰める。

 

「封印が解けたのは分かっています。ですが、今回はそれだけではないのですよ。もっと別の問題があるのです。ソレを今から話しますから、2人とも落ち着きなさい」

 

そう言うと、白蓮の言葉の通りに一輪は口を閉じ、汗を垂らしながら白蓮の話を聞こうとする。

 

「まず一つ、私は地上において妖怪との関係がばれ、封印されました。そして現在に至ってもその影響は色濃く残っており、とてもではないですが地上に戻るという事は不可能なはず。そして先ほど、大正さんが目覚める前ですが、一輪達の言っていた地底に住むという事はやはり不可能でしょう。聞く限り、私の説法を聞き入れる妖怪はいない。……決して不可能と言っているのではないのですが、一輪達にも悪影響が及びます。ではどうするか」

 

そこまで言ったところで、白蓮はゆっくりと立ち上がり、俺達の正面に来る。

 

そしてゆっくりと数歩歩きだして、再度此方を向く。

 

「私はこの魔界に残り、時が来るまで待ちます。己を更に高めていきたいと思います。何時か私の説法を聞き入れ、人と妖怪達が手を取り合う事のできるに適した時代まで」

 

やはりここら辺が落とし所なのだろうか? 俺は自分で考えた通りになったのにも拘わらず、少しだけ納得がいかない。

 

彼女がずっと此処にいるのは精神的にもあまり宜しくないのではないだろうか? いや、俺よりもずっと修行してきたのだから、強い精神を持っているという事は分かるのだが、それでもだ。

 

一応解決策というか、地底の中でもこれそうな場所を選定してみる。

 

勿論、一輪達の家と俺の家は大丈夫であろう。そして、地底の妖怪達に極力見つからずに済む場所と言えば…………許可が下りるかは分からないが、地霊殿の三つであろう。

 

そこで、俺は彼女に一つ提案をしてみる。

 

「聖さん。一つ提案させていただいても宜しいでしょうか?」

 

そう言いながら、一輪、村紗、白蓮を順に見て、反応を待つ。

 

「ええ、どうぞ」

 

「では。……聖さん、私の持つ力の一つに、一度来た所、見た場所へ物体を一瞬で転送することのできるジャンプというものがあります。これを使えば、他の妖怪にバレる事なく地底と雲居さんの家、私の家を行き来する事が可能です。いかがでしょうか?」

 

ソレを聞くと、一輪達は嬉しそうにコクコクと頷き、白蓮の方を見ながら、促す。

 

「そうです聖、大正さんの言うとおり、地底に来れないという事はありません」

 

一輪の言葉に、俺は更に付け加えて行く。

 

「聖さん、私は一応地底で信頼できる者の住居を当たってみます。もしそれで許可などが下りれば、その家に移動する事が可能となります。また、一部ではありますが、他の妖怪が全く寄らない場所……主に私の家の付近などがそうなのですが、その該当場所などでは、屋外へ出る事が可能となります。多少不便かもしれませんが、それなりに精神衛生上良いかなと。いかがでしょうか?」

 

俺の言葉に目を閉じて耳を傾ける白蓮。そして話し終わった後でも、目を開けずに沈黙を保つ。

 

結構無理矢理ではあるが、現に俺の家から地霊殿までは、さとり達以外妖怪が来ない。来るとしてもヤマメ等といった顔見知り。口外しないように言えば大丈夫であろう。

 

一輪達の家に住むという選択肢ももちろんあるだろう。しかし、魔界ほどの広大さが無い上に、己を高めるための修行もできない。これらを加味すると、定期的に一輪達の家に行ったり、此方で美味しい物を食べたりした方がよっぽど健康的であろうし、利益も大きい。

 

だが、此処まで言って白蓮が首を横に振らなければ、もう俺にはどうしようもない。

 

そして提案してから、数十秒後。長く沈黙を保っていた白蓮が、目をゆっくりと空けて、此方の方を見る。

 

どんな答えが出てくるのやら……。そう思っていると、白蓮はニッコリと微笑み

 

「確かにその方が精神的にも良さそうですね。そうしましょう」

 

その答えを聞いた瞬間、何とも言えない安堵感が湧きあがってくる。何と言うか、結界を吹き飛ばした時よりも安心したのではないだろうか?

 

そんな気がする。

 

そして俺の後ろでは

 

「いやったあああああああああああ!」

 

「うんうん」

 

両手をいっぱいに広げて喜びを表す村紗と、しみじみと何かを思い出すように頷く一輪。

 

どちらの顔からも、血色の良い笑顔が浮かびあがっていた。

 

そこでふと思った。御祝でもするべきなんじゃないか、と。

 

そう思ったらその言葉が自然と口から出ていた。

 

「…………では、聖さん、雲居さん、村紗さんこうなんと申しましょうか……封印解除のお祝いと申しますか……自分の家で美味しい料理を食べながら、般若湯でも飲みませんか?」

 

そう言うと、聖は酒を飲む事には抵抗が無いのか、笑顔で頷く。

 

「ええ、般若湯は久しぶりですね。ぜひ……ありがとうございます」

 

「いえいえ……ああでも、私の体力が回復するまで、もうしばらくお待ちください……」

 

「大丈夫です。待ちましょう」

 

その言葉と共に

 

「よっしお祝いだああああああ!」

 

村紗の声が魔界に響き渡る。

 

その心地い言葉を耳に入れながら三人に向かって一言言う。

 

 

 

 

 

 

 

「では、私は回復に努めるので睡眠を取らせていただきます……申し訳ありません」

 

 

 



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84話 縁の下の力持ち……

グロ注意。本当に注意。


いやもう本当にありがとうございます……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「この般若湯はいかがですか?」

 

すでに復活祝いという名の宴会が始まってから、1時間が過ぎようとしている。

 

鍋物や、天麩羅。山菜ごはんなどといった俺の好きなメニューであり、他の人にも一応好き嫌いが分かれにくい物を選んで出している。

 

偉そうに出したなどと言っているが、所詮は即席で創造した食品達。時間が無かったというのもあるが、白蓮達には申し訳なく思う。

 

「これは……美味しいさ……般若湯ですね」

 

と、白蓮が目を丸くしながら、グラスに目を向けて唸る。

 

透明なグラスに入ったと無色透明の液体に当初驚いた白蓮だが、その異様さとは真逆の爽やかさと飲みやすさに程無くして称賛の言葉を向けるほどになった。

 

とはいっても、最初は透明なガラスのコップに、金剛石でできている器だ、と驚きの声を上げていたころに比べれば、大したことではないのだが。

 

そして白蓮が酒を飲む様子を眺めながらも、彼女の舌に合ったという事を知ると、どこかホッとした安堵感と僅かな高揚感が生まれてくる。つまりは嬉しい。

 

主賓ともあろう彼女の舌に合わない酒を提供していたら、この場の空気が逆転していただろうから。

 

また、どれも彼女らにとっては初めての料理であったが、やはり味が良かったせいか、何なく受け入れられた。一輪や村紗も料理共に満足げに食べてくれているし、俺としては何とかこのお祝いは成功しそうだなと思った。

 

ふう……と溜息をつきながら、グラスの酒を飲み、手前にある椎茸のバター焼きを食べて行く。

 

ソレをおかずに、飯を口に運んでいくと、グラスをおいた白蓮がおもむろに口を開いた。

 

「耕也さん……、まだ私は村紗達から聞いてはいないのですが、仙人と評判だった貴方が一体何故この地底にいるのですか?」

 

酔いが少し回ったからであろう。宴会を始める前と同一人物とは思えないほど、饒舌に鋭く質問してくる。

 

酒という物は恐ろしいもので、普段は空気を読んで言わない、この話題は相手を不快にさせてしまうだろうという話題も簡単に吐露させてしまうものなのだ。

 

とはいっても、この程度の話題で俺が不機嫌になるかと言えば、全く無く。それとは別に、何て答えたらいいかなあ……? と、言い訳を考えさせる羽目になっている。

 

白蓮の性格からすれば、嘘は嫌いだろう。映姫ほどではないが、この真面目さは下手な嘘を吐けば、へそを曲げさせてしまうだろう。

 

おまけに彼女はアルコールが回っているのだ。感情の起伏も通常より変化しやすくなっている。

 

さあて、どうすんべ。なんて、危機感の欠片も持たずにのほほんと言い訳を考え始める。

 

 

「嘘は言わないでくださいね?」

 

ニッコリと言われたら話すに話せなくなってしまう。顔は笑っているが、目は笑っていないというのはまさにこれ。

 

ああ恐ろしいと思いながら、目を輝かせながら興味深々でお零れに与ろうとしている一輪と村紗を後目に、白蓮に話し始める。

 

「ええ……流石に今はお祝いなので、この話は後日改めてという事にしませんか?」

 

その無難なというよりも、この場の状況を借りた逃げという選択肢を使った事により、白蓮は酒を呷りながら少々眉を顰める。

 

「そうですね……じっくり聞かせていただきますから。覚悟なさい」

 

ああ、この人に酒飲ませたらだめだ……何て思いながら俺は彼女の消費した酒の量を見てみる。

 

その量何と2升。

 

俺が素で飲んだら、というかそれよりもずっと少ない量で天に召されるであろう。

 

何と言うか……酒豪なんだろう。流石東方。開いた口がふさがらない。

 

何時になくふわふわとした頭で思考しているせいか、彼女に対する評価もいい加減な気がしてきた。

 

「はあ、まあ……機会があればそのうち……ですかね」

 

いかんいかんと思いながら、無難とは言い難い返答をする。

 

俺の答えに、フンと鼻を鳴らしながら、またもやグイッとコップ一杯の酒を一気飲みする。

 

ああ、もう俺にはこの人を止められない……。

 

そう思いながら、チラリチラリと一輪と村紗の方を見て助けを求める。

 

しかし何とも悲しい事に、彼女らは黙って目を閉じて横に顔をフリフリして諦めろと言わんばかりの表情をする。

 

こんちくしょう薄情者めと思いながら、俺は黙って酔いざまし用の水を飲む。

 

大粒の氷が数個浮き上がってキンキンに冷えた水が喉を通ると、先ほどまでの軽い酔いが吹き飛んだかのように、脳がクリアになる。

 

そして胃の中におさめられた、低温の水に身体が反応したのか、ブルリと震える。

 

またもや軽い溜息を吐きながら、彼女ら三人を見やる。

 

やはり嬉しいのだろう。一輪達は、今までどんなに頑張ってきたのかを白蓮に報告し、また白蓮はそれを嬉しそうに聞きながら、礼を言い、褒め、表情を更に綻ばせる。

 

完全に俺は蚊帳の外ではあるが、この光景を見ていて不満に思う事など何一つない。

 

むしろ、もっとこの微笑ましい光景を見ていたいとさえ思うのだ。彼女らがどのような生を築き、そして家族同然のように過ごしてきたのだろうか?

 

俺が此処に来た経緯などよりも、ずっと興味深い事であるし、何より透き通った話でもある。

 

「白蓮、魔界にいた時は、どんな感じだったのですか? 痛くありませんでした?」

 

「魔界で封印されていた時ですか……いえいえ、痛くなど―――――――――」

 

村紗の言葉に応えようとした白蓮が、突然電源が切れてしまったロボットのように机に突っ伏してしまう。

 

突然の事態に、俺が声を出せないままでいると、一輪が

 

「姐さん! 姐さん!? っ――――――」

 

と、大声を上げながら揺らそうとすると、そちらもまるで事切れたかのように動かなくなってしまう。そして同時に村紗も同じように机に突っ伏する。

 

「え、ちょ、ちょっと皆さん!?」

 

やっと驚愕からの金縛りから解放された俺は、彼女達の身体を揺らして呼びかける。が、全く反応が無い。

 

「おいおいどうなってんだよ……」

 

ぽかんと口を間抜けに開けながら、そう呟くことしかできない俺。

 

しかし、見る限りでは呼吸は安定しているし、飲んだ量も2升とはいえ、ほろ酔い程度にまでしかなっていなかったので、問題は無いはず。

 

素人判断は非常に危険だが、現状ではそれしか判断ができない。

 

とりあえず、3人をそれぞれ平行に寝かせ、回復体勢を取らせてやる。

 

一体何が起きているのか、さっぱりわからないが、とりあえず、何かが作用して彼女らを眠りに誘ったのだろう。

 

家の中は安全だと思っていたのだが……。

 

相手がいるのならば、何とも間抜けな姿を曝していると思いつつ、俺は周囲に敵がいないか、見渡してみる。

 

無論、この狭い部屋なら必要のない行為なのだろうが、それでも見回しておかないと精神的に落ち着かない。

 

首の捻じりを補助に、身体ごと1回転させる。

 

すると、一瞬だが開かれている襖の部分に違和感を感じる。

 

「……なんだ?」

 

そう呟きながら、その違和感の原因を探ろうと、近寄って見る。

 

すると、そこには紫色の布がチラチラと見え隠れしている。

 

何とも見覚えのある色。この日の本に少ない紫色。

 

ソレを見た瞬間、彼女らを眠りに落とした犯人が、明確に頭の中に浮かんでくる。そしてその答えを知った俺は、何の抵抗も無くその人物の名を呟いた。

 

「紫さん………………?」

 

それなのにも拘わらず、どこかその答えが合っているかどうか不安になったのか、思わず語尾が上がってしまう。

 

すると、その紫色の布は、ひらりと風に舞うような動作をして、玄関方向へと消えて行った。

 

(紫か…………しっかたねえなもう……)

 

なんだって気絶なんかさせたんだ、と思いながら、俺は立ちあがり襖を抜けて玄関方面を見やる。

 

「やっぱり紫さんでしたか……」

 

俺の視線の先には、怒っているのか喜んでいるのか分からない笑みを浮かべている紫がそこに立っていた。

 

あまり見る事のない紫色のドレス。南蛮風の服装とは違い、女そのものの色気を垂れ流すかのように胸を強調した服。

 

左手には傘を。右手には扇子を。帽子は何時も通り。

 

「耕也、解放の成功おめでとう……」

 

と、そんな事を考えていると彼女が口を開きそう言葉を放つ。

 

「あ、ありがとうございます……」

 

突然の言葉に驚きながらそう言うと、まるで着いて来いと言わんばかりの雰囲気を醸し出しながら、俺に背を向けて玄関へと歩き出す。

 

俺は、それに何となくではあるが、着いていかなければならない気がして、足が前へと出て行く。

 

一歩ずつ、一歩ずつ。紫の足音に合わせるように足を静かに前へと出していく。

 

彼女に話しかけたいが、何とも話しかけづらい。着いて来いというオーラと同時に、話しかけるなとでも言うかのように。

 

自分で作ってしまった幻影だろうが、それに黙って従って後ろを着いていく。

 

紫が、玄関の扉に手を掛け、ゆっくりと横にスライドさせていく。

 

開け放たれた玄関からは、地底特有の生温かい風が、冷房によって冷やされた屋内の空気を外に追い出しつつ、侵入してくる。

 

この足元は冷たく、ソレより上が生温かいという奇妙な空気に気持ち悪さを感じ、身体が思わず震える。

 

「耕也、外で話をしましょう?」

 

と、外に出た紫が俺に話しかけてくる。

 

「分かりました紫さん……」

 

そう無難に返答しながら、俺も玄関を抜けて行く。抜けた瞬間に、紫は此方を向いて口を開き始める。

 

「耕也、まずは改めて。依頼完遂おめでとう」

 

紫の表情は、先ほどまでのオーラを放っていた人物とは、思えないほど柔らかく朗らかで慈愛に満ちていた。

 

その顔は、もうこれを見られるのなら依頼料なんて取らずに遂行しましょう、とでも言いたくなるほど魅力的な笑顔で。

 

「紫さん、ありがとう。やっぱり見ていてくれたんだね」

 

そう言うと、目を細めてコロコロと笑いながら

 

「当たり前じゃない。私だって頑張っていたのだけれども……ね?」

 

と、意味ありげな言葉を同時に言ってくる紫。

 

はて、これはどちらの意味を表しているのだろうか? そんな疑問が頭の中を駆け巡り、それに考えを集中させる事にした。

 

彼女の言っている頑張り。それは、此方の依頼に介入していたという事なのだろうか?

 

もし、ソレだとするのなら、彼女の頑張りというのは俺が間抜けにも気絶してしまった後の事だろうか?

 

彼女が俺の気絶した後、白蓮、一輪、村紗にばれる事なくあの膨大な妖怪達を処理したのだろうか?

 

それとも、彼女の頑張りとは、彼女自身の処理しなければならない問題を処理していた事なのだろうか?

 

次々と疑問が浮かび上がり、ソレを一気に聞きたいという気持ちに襲われる。

 

が、グッと堪え、その中でも最も近いと思われる考えを言う。

 

「気絶した後の事でしょうか?」

 

そう言うと、紫は扇子を広げながら、口元に持って行き目を細めながら

 

「そうそう、正解よ耕也」

 

と言ってくる。

 

「ありがとうございます紫さん。助けて下さり本当にありがとうございます」

 

勿論素直に俺は頭を深々と下げ、紫に礼を言う。

 

「いえい……い、いえ、大したことではありません……わ?」

 

と、俺の言葉に対しての返答がおかしい。声が一瞬震え、ドモり、何時もの紫とは思えないほどの口調。

 

突然の変化。その変化と共にグラつき崩れる紫の身体。

 

「紫!?」

 

俺はそう大きく口に出しながら、慌てて紫の肩を掴んで支える。

 

普段なら敬語が常なのだが、今回ばかりはそんな物どこかへ吹っ飛んでしまった。まあ仕方ない。

 

「な、何でもありませんわ」

 

抱きかかえた瞬間に紫は少し切羽詰まったような口調で早口に言うと、掴み支えている俺の手をはねのけるかのように素早く退ける。

 

紫の突然の変化に驚いてしまった俺がいたが、紫が撥ね退けるように振りほどいたという事についても驚いてしまう。

 

「紫…………? 大丈夫か?」

 

何時もならこんな慌てたように手を退けるはずはないのだが、今日の紫はどうしたというのか。

 

彼女が病気にかかったという感じではないし、そもそも顔色も良好。むしろ大妖怪の彼女が病気にかかるのか不思議なくらいである。

 

むしろ此処は俺が深く詮索することなく、流してしまう事が一番ではないだろうか。

 

そんな事を思いつつ、先ほどから紫に聞きたくなった事を聞く。

 

「あの……紫さん、なぜ白蓮さん達を眠らせたのですか?」

 

包み隠さず、そのままの疑問を彼女に投げつける。

 

 

「貴方と2人きりで酒を飲みたかったのよ」

 

まるで呼吸するかのように、軽く返してくる。

 

妖怪は元々こう言った事に罪悪感などはあまり感じないのだろう。欲求に素直と言えばいいのだろうか。

 

やはり俺は紫ではないので、彼女の気持ちがどうなのかは分からないし、倫理観なども人間とは違っているということぐらいしか分からない。

 

「そうですか……ああ、ところで話がそれてしまったので戻しますが、自分が気絶した後の妖怪の群れは、紫さんが対処してくれたという解釈で良いのですよね?」

 

そう俺が、紫の反応を待たずに先ほどまで聞きたかった疑問を投げかける。

 

すると、持ち直しつつあった彼女が、今度は顔を少々赤くしながら息を荒くする。

 

まさか本当は重い病気にかかって無理をして此処まで来たのだろうか? だとしたら早く帰ってゆっくりと治療に専念していただきたいものだ。

 

そう思いながら、質問の回答をそっちのけで紫に言おうとする。

 

「大丈夫だから……耕也、安心なさい」

 

が、そんな考えは彼女にとっては筒抜けだったようで、先回りされて解答されてしまった。

 

「ふう……。まず貴方の質問に答えるわ。答えとしては、合っているわ。貴方がジャンプを使用した反動で気絶した後、空へ吹き飛ばされた妖怪達は無傷。そこまでは貴方の考えにもある通り、事実よ。そこで私は、迫る妖怪達のあれほどの数に対抗できる戦力を白蓮は持っていないと判断し、隙間を使ってはるか遠くへと移送。……これで満足かしら?」

 

淡々とした説明口調で、此方の質問に答える紫。やはり推測して礼を言った事は合っていたようだ。

 

その事にホッとし、再び頭を下げて礼を言う。

 

「ありがとうございました紫さん」

 

それに紫は、赤い顔のままゆっくりと口角を釣り上げて柔らかな笑みを浮かべながら、此方に返答してくる。

 

「ええ、介入するといったのだら当然よ? ……はあ…はあ」

 

が、顔は上気したように赤く、呼気は荒い。

 

そして、その顔が赤くなったまま、喉を大きく動かす。

 

ゴクリとでも聞こえてきそうなほど、大きな音。唾液を呑み込んだのだろう。

 

「ふう……はあ………はあ……はあ」

 

更に荒い息を吐くのみである。これで健康に問題は無いとか言っている紫だが、俺にはどうしても信じる事ができない。

 

普段の余裕を持った冷静な紫とは大違いであり、明らかに身体が異常をきたしていると言っても過言ではないだろう。

 

さすがに俺がこれをこのまま無視し続け、倒れられたりでもしたら、目も当てられない状況になるのは間違いないだろう。そして、何より俺が後悔する。大切な人が倒れたら誰だって心配するであろう。

 

「耕也、私は大丈夫だから……。ほら、そこの岩場で酒を飲み交わしましょう?」

 

ふうふうはあはあ荒い息を吐きながら、震える指で向かい側の岩場を指差す紫。

 

普通なら岩場を見るが、俺は今回は紫の指に視線を向けていた。理由としては当然のことながら、指が震えているという事であろう。

 

特に何かに怯えているわけでもなく、プルプルと震えている。

 

紫の言葉を信じることなどできない。そう思ったのはこれが初めてであろう。

 

こんな見れば分かるようなレベルの不健康体。

 

だがそんな状態を見ても、俺は彼女の持つ雰囲気に押されてしまい、肯定の意を示すことしかできなかった。

 

「…………はい」

 

その返答に、紫は満足げに微笑み、岩場まで大股で歩いていく。

 

先ほどまでプルプルと震えていた人物とは思えないほどしっかりとした足取りで。

 

「耕也、ほら此処に来なさいな」

 

そして、岩に座るために振り向いた紫の顔色は、驚くほど普通に戻っていた。

 

思わず、え? と声を上げてしまいそうになるが、その言葉を飲み込み、彼女の顔を少しだけ観察する。

 

上気した赤い顔ではなく、何時もの余裕を見せる時、平常時の顔色である。

 

では先ほどの荒い息をした、あの何かを必死に耐えているような顔は一体何なのだろうか?

 

話すたびに艶やかな瑞々しい唇を震わせて俺に話しかけていた紫。だが、今ではその唇を震わせることなど無く、しっかりと上下に開き、何の音のブレも無く言葉を正確に伝えてくる。

 

おかしい……まるで病気の発作が起こったかのように感じてしまう。

 

「はい紫さん」

 

全くもって不可解な事になってはいるが、今の俺の知識の中では紫の症状などを診断することなどできない。

 

仕方なく俺は、返事をして彼女の横まで歩いて座る。

 

「さて、座ったところで、酒でも飲みましょうか?」

 

そう言って、紫は扇子を振って隙間を作り、白く鈍く輝く陶器を引っ張り出してくる。

 

紫が軽く振ると、チャプチャプと液体が揺れる際に発生させる特有の音が聞こえてくる。

 

音の鈍さから察するに、たんまりと入っているようだ。

 

「はい紫さん」

 

と、俺は素直に返す。

 

そう言うと、紫はニッコリと微笑み、杯を渡してくる。

 

ソレを受け取り、酒が注がれるのを待つだけ。

 

「…………ありがとう」

 

白濁液がトクトク注がれるのを見ながら、淵まで液面が上昇するのを待って、ストップを掛ける。

 

紫は、俺が注ごうとするのを手で制し、自らの手で酒を注いでいく。

 

「……乾杯」

 

そう静かに紫が呟くように言うのをきっかけに2人だけの飲みが開始された。

 

濁酒は、あまり飲んだ事が無いので、喉越しの悪さや味にくせが強い部分などで驚かされてしまうが、これも紫が用意してくれた酒だと思いながらコクリコクリと飲んでいく。

 

まあ、この現代よりも数百年前の時代に製造されている酒にそこまで期待を寄せているという訳ではないが。

 

実際のところ、人間の作る濁酒よりも、鬼の酒虫によって製造された酒の方がずっと美味しいのだろう。清らかに透き通った水に、サンショウウオのような、ドジョウの拡大版のような生物を長時間入れてやればそれで完成となる。

 

一度でもいいから飲んでみたいというのが本音だが、あいにく鬼とは苦い過去があり、それは叶いそうにないというのが一番近いであろう。

 

「あら、耕也には少しきつかったかしら?」

 

と、俺の考えを見透かしていたかのように、紫はほほ笑みながら、言ってくる。

 

「私が毎日見てる限り、貴方はこう言った濁酒は飲まない様だし……」

 

「あの、紫さん?」

 

俺がその言葉に非常にいやな言葉が混じっていた気がして、思わず聞いてしまったのだが、紫はそれをまるで聞いていなかったかのように続けて行く。

 

「あのガラス瓶って言ったかしら? あの透き通った瓶だけれども、本当に美味しいわねあの酒の類は…………ねえ?」

 

無理矢理俺の言葉を封じるかのようにかぶせてきたその言葉。

 

まるで今さっきとってつけたかのような言葉で、何とも紫らしくない。

 

毎日見てる限りといったか。つまりは、俺は知らない所で紫に毎日生活を見られていたという事なのだろうか。

 

とはいっても、その事を此処で咎めてもはぐらかされるだけだろうし、口で彼女に勝てるわけもない。

 

俺は溜息を吐きたくなるのを我慢して、紫に一言返す。

 

「ええ、確かに……ですが、この濁酒は他のよりもずっと飲みやすいと思いますよ」

 

そう俺が返すと、紫は満足そうに笑みを浮かべながら深々と頷き返してくる。

 

 

 

 

 

 

 

 

そうして特筆して何か大きなことも起らず、談笑しながら酒を飲む事およそ30分。

 

段々と時が過ぎるごとに白蓮達の身を案じる気持ちが増大していったのだが、紫が言うには、白蓮達は8刻ほどで起きるらしく、私が見てるから心配いらないとのこと。

 

その事を聞いてしまった俺は、紫との飲みをダラダラと過ごしてしまったのだが、また後日やり直せばいいかなと安易に思ってしまった。

 

注がれている濁酒を飲みつつ、紫を見る。

 

酒によるものだろう。顔を赤くしながら、時折フラ……フラ……と頭が揺れる。

 

「耕也、もう耐えられないわ……」

 

そう言いながら、頭をコクリコクリとさせて今にも眠たそうにする紫。やはり飲み過ぎだろうか?

 

人間と同様、妖怪も飲みすぎるとそれ以上の摂取を拒否しようとするのか、眠気が襲ってくるようだ。

 

そろそろ、引き上げた方がよさそうだな。

 

と、俺は判断し、紫の肩を揺らして酔っている紫にも聞こえやすいように顔を近づけて話しかける。

 

「紫さん……家に戻りましょう。風邪をひいてしまったら大変ですし」

 

そう言いながら、俺は紫の腕を反対側の肩にまわし、立ちあがるのを補助する。

 

紫は黙って頷きながら、此方に体重を傾けて立ちあがる。

 

そして、ゆっくりと歩みを進めながら、紫を家に連れていこうとする。

 

ゆっくり、ゆっくりとだ。彼女の体調をこれ以上悪化させないために、紫の歩ける速度に合わせて歩みを進めて行く。酔っている際の歩きから生ずる僅かな振動ですら、時として大きな嘔吐感を生む事がある。

 

ソレを考慮してだ。

 

舗装されていないゴツゴツとした砂利道。マグマからの光に中てられた黄色い砂の中に、小粒の石から大粒の石まで飛び出るように露出している歩きにくい道。

 

紫の平衡感覚では、ソレを避けるのは難しいであろう。だから、俺はそれを踏まないように何とか避けられるように配慮しながら道を選んでいく。

 

「大丈夫ですか? 紫さん」

 

そう時折声を掛けながら。

 

しかし、紫から出てきた声は、俺の期待していた物とは正反対のモノ。

 

首をフルフル振りながら

 

「耐えられないわ……もう無理よ……」

 

そう言いながら、紫は足を一歩前に出す。

 

足を一歩前に出した事により、俺と紫の身体の角度が90°となり、俺が紫を横から見る形となる。

 

「耕也、……ごめんなさい、耐えられない…………」

 

そう言うと、ほんのりと赤くなっていた顔がさらに赤くなり、呼吸も乱れ始める。

 

浅くゆっくりとした穏やかな呼吸だったのが、段々と荒くなっていくのが分かる。

 

それはまるで、走り終えたマラソンランナーの有酸素運動特有の息遣いのような呼吸。

 

紫は額に手を当て、脂汗を滲ませる。体温は上がり、身体全体から妖力が溢れ出す。

 

「ごめんなさい耕也……大丈夫よ」

 

と、ソレを一定間隔に呟くだけ。全く大丈夫とは思えない。

 

「紫さん……椅子を用意しましょう。あと、エチケット袋も必要ですね」

 

そう言いながら、紫にビニール袋を渡そうとすると、紫はそれを叩き落とす。

 

「いらないわ……ごめんなさい耕也。耐えられないの」

 

先ほどと同じような事を言う紫。一体何が耐えられないのか? 紫が耐えられないと言っていたのは、吐き気や悪寒ではないのか?

 

体調があまりに悪く、歩く事すらままならないという事ではないのか?

 

そんな事を考えながら、紫の言葉を解釈しようとする。

 

 

「ごめんなさい……」

 

そう言った紫が、足をふらつかせ、バランスを崩すように此方に倒れてくる。

 

そのまま紫は何の準備態勢もできていない俺の胸へと飛び込み、脇の下から両手を回し、ガッチリとしがみついてきた。

 

その力強さに、ウッと空気を肺から漏らしそうになるが、気道を閉じて漏らさないようにして紫を急いで抱きとめ

 

「大丈夫ですか、紫さん?」

 

咄嗟にその言葉を発する。

 

だが、紫にはその言葉が聞こえていなかったのか、全く返事をする気配が見られない。

 

「紫さん? 紫さん? 大丈夫ですか?」

 

徐々に声を大きくしながら、紫に声を掛け続ける。

 

が、それでも何の反応も無い。今度は肩を揺らしてみようと思ったのだが、紫がしっかりと密着して抱きついてくるので、肩に手を掛けても揺らす事が全くできない。

 

仕方なく俺は紫の背中に手を回して、ポンポンと優しく叩いてやって返事を求める。

 

「聞こえてますか、紫さん」

 

が、それでも反応が無い。

 

もう少し強く叩いてやる。先ほどよりは強く、だ。よもや意識を失ってはいやしないだろうな? という僅かな不安が胸を過りながら。

 

「返事をしてください紫さん……」

 

今度は、耳元で呼びかける。

 

「紫さん」

 

その時であった。紫が俺の言葉に被せてきたのだ。

 

「耕也、実を言うと、貴方と会うたびに感じていたのよ……」

 

何を? という疑問が浮かんでくるが、ソレを飲み込み、紫の口からどのような言葉が出るかという不安が湧きおこる。

 

紫は俺の返事を待たずに、さらに言葉を続けて行く。

 

「耕也……私は貴方に愛しいと同時に、食べてしまいたいという感情も湧きおこっていたの」

 

紫の腕が、クロスするように背中で重ね合わされ、此方が決して抜け出せないように拘束してくる。

 

それに僅かばかりの抵抗感があったのか、自ずと腕に力を込めてしまうが、此処は人間と妖怪の差。全く敵わない。

 

「だんだんだんだんだんだん…………私の身体の内から侵食するようにねっとりとした欲望が首を擡げたの」

 

紫の息がどんどん荒くなってくる。身体が少し熱くなり、更に締め付けが強くなる。

 

肩に僅かな痛みが走る。

 

「耕也、どうして貴方はこんなにも美味しそうに見えるの? 他の人間を見ても全く湧かない食欲が、一体何故貴方だけ強烈に湧いてくるのかしら……?」

 

抱きしめてくる紫の吐息が首筋にあたり、背筋が凍るような感覚を覚える。

 

肩の痛みが更に大きくなる。

 

そろそろ。そろそろだ。今はオフにしている内部領域だが、まだ発動しはしないが、もっともっと強くなると危険と判断して発動してしまう。

 

だが、そこまで来ても紫がやめるとは到底思えない。ならば此方で何とか説得するか、血が出ても発動しないように此方で抑え込むかのどちらか。

 

この激しく痛み始めている両肩を気遣いながら、紫に言う。

 

「紫さん、いっつ……肩が、肩が痛いです……うあっ!」

 

放してくれと懇願しようとした矢先であった。紫の手から伝わる力が一層強まり、肩が外れるかと思うほどの痛みが走る。

 

その痛みは、俺の神経を沸騰させるには十分だったようで、眼頭が思わず熱くなってしまう。

 

紫に握り続けられるせいで発生する肩の痛み。ソレが続くのだ。延々と。だから流れてしまう。

 

痛みが全く収まらないので、流れてしまうのだ。涙が大量に。

 

少しだけ余裕がある。もう少しだけ余裕がある。内部領域が発動するまで。

 

だが、顔を見ていない紫はお構いなしとばかりに話を続ける。息を荒げながら。

 

「耕也、貴方を本当に愛しいと思っている自分がいるのは事実。でも……」

 

スゥッ、そんな息を吸う音がすると、紫は肩に爪を立ててくる。

 

それは人間のように丸みの帯びた爪ではなく、尖り日本刀のように切れ味の良い妖怪の爪。

 

駄目だ駄目だ。絶対に発動させるな、決して発動させるんじゃない。血が出たとしても発動させるんじゃない。

 

そう必死に領域に懇願するように、命令するように脳内で言葉の羅列を浮かべながら爪の行く先を見つめる。

 

そして

 

「あっつ…っ――――っ!!」

 

一気に食い込んできたのだ。その鋭利な爪が。

 

まるで短距離走の選手がグリップ力を増大させるために使用するスパイクのように。

 

自動車の氷上におけるスリップを防止するために履かせるスパイクのように。

 

獲物を逃がすまいと牙、爪を突き立てる肉食獣のようにしっかりと。

 

深く、ゆっくりと食いこみ、肉を切り裂き、毛細血管を切断し、身体内部へと突入してくる。

 

「かふっ!」

 

あまりの突然の痛みに、肺から空気が抜けてしまう。

 

頭の片隅で領域の発動が免れた事に安堵をおぼえる一方、爪が深々と刺さり、血がダラダラと流れ服を汚していくのに恐怖を覚える。

 

命が抜けて行く。まさにそんな感覚であった。

 

それと同時に身体が痛みから解放されたいと訴え、反射的に身体が紫から離れようとする。

 

「ぐっがっ!! いっづうああああ!」

 

自分でも何を叫んだか分からないほどの痛みが襲ってくる。当然だ。態々爪が深く刺さり込む方向に身体を進めてしまったのだから。

 

血と肉が爪によって引っ掻きまわされ、グチャグチャと音を立てる。そして進んだせいで、爪は容易に肉をかき分けて行き、骨にまで突き刺さる。

 

涙がボロボロと出てくるが、紫は荒い息を首に吹きかけるだけで、力を緩ませることはない。

 

神経が鑢に掛けられたように摩耗していくのが分かる。それと同時に、視界が明と暗を繰り返して行う。

 

それは寿命間近の蛍光灯の荒い点滅のようであり、もうすぐ痛みで意識が切れてしまうのではないかと錯覚するほど。

 

いや、むしろ切れて欲しい。いくら紫を傷付けたくないからといって、領域解放を我慢しているといっても、俺は人間である。

 

人間であるからには勿論、生命の危険を促すための痛覚は正常に作動する。

 

「暴れないで耕也……でもね耕也、貴方を食べてしまいたいという気持ちになるのよ。ソレをきちんと自分の中で確信すると、もう止まらない。貴方を食べたくて仕方ないの。抑えられないの……」

 

そう言うと、紫は血が流れ止まる気配のない肩から右手を引き抜き、その血を舐める。舐めつくす。此方の視界に映るようにわざと身体を捻って。

 

「ぐあっ!」

 

引き抜かれた際の痛みに俺が悲鳴を上げるも、紫は何の反応もしない。

 

じゅるりじゅるりと舌が指を這い、唾液と血が混じり合う。

 

混じり合った液体をさも美味しそうに飲み込みながら、人指し指を口の中に入れてしゃぶり始める。

 

丹念に丹念に舌と唾液をニチャニチャと混ぜ合わせ、コクリと喉を鳴らして飲み込んでいく。

 

ちゅぽんっ……、と空気音がしたかと思うと、紫は名残惜しそうに人差し指を口から離しているのが見える。

 

しかし、中指、薬指、小指に血がべっとりとこびり付いているのを見ると、まるで菓子を与えられた子供のように嬉々とした笑みを浮かべる。

 

ふふ、と喜びを声に表しながら、次々に残りの指を口に含んでいく。

 

まるで俺の命そのものを吸い取るかのように。いや、この表現は間違ってはいないだろう。現に彼女は俺の命から派生した血を飲んでいるのだから。

 

ひとしきり右手に付着する血を舐めとった紫は、付着する血の口紅をぬるりと舐めて艶やかな笑みを浮かべる。

 

「―――――――――ふぅ……美味しい……最高よ耕也。貴方の血は本当に私を昂らせるわ」

 

と、短い感想を述べた後、思い出したように右手を傷口に差し込む。

 

またもや神経が沸騰する。

 

ひゅるひゅるとした声しか出なくなった俺は、崩れ落ちそうになる足に力を込め、紫を支えにすることしかできなくなっていた。

 

「血も美味しいなら、貴方の肉も骨もさぞ美味しいのでしょうね……」

 

紫は邪魔だと言わんばかりに肩付近に纏わる服を妖力で破き、素肌を露わにさせる。

 

地底の生温かい空気が血と触れ合い、血を蒸発させ、身体の熱を奪う。

 

また、素肌に触れた生温かさ、紫から発せられる獲物を委縮させる空気がいやに気持ち悪く感じられ、身体がブルリと震える。

 

「耕也、もう私には我慢が効かない……もう抑える事ができない。妖怪として当然よね、人間の血肉を貪るのは自然な行為よね? だから……」

 

まるで自己を正当化させるように、自分が願望に素直に従えるように、口に出し、己と俺の認識を一致させようとしてくる。

 

点滅する視界の中で、俺は何とかこれを収められないかと考えるが、領域を使う事ができない今の俺に成す術は無い。

 

使ったら紫の指、身体が吹き飛ぶ。最悪紫が死ぬ可能性もあるのだ。此処まで害を与えておきながら身体を密着させているのだ。

 

領域がそれを許すわけが無い。今は俺の命令で矛を収めているが……。

 

ジャンプも使う事ができない。あんまりにも痛いので集中が全くできないのだ。

 

つまりは……万事休す。

 

ぼーっとそんな事を考えながら、紫の言葉をひたすら待つ。大凡予想できてはいるが。

 

「頂きます……」

 

肌を洗うかのように舌をゆっくりと這わせ、唾液まみれにした後、歯を突き立て始める。

 

「ぐっ……! ぐっがあ…………!」

 

それは何時も見せる歯からは全く予想できない鋭利さ。

 

容易く肉を貫通していく。先ほどの爪よりは鋭利さが無いが、それでも十分に肌を貫くには適している歯。

 

思わず込められる肩の力が、更に歯の侵入を後押しする。

 

隆起した筋繊維が、歯に対して食いこませるように進んでしまったからだ。

 

十分痛かったのにも拘らず、更に燃えるような痛みがビリビリと広がって行く。

 

溢れでる血を啜りながら、上顎と下顎を器用にすり合わせるように動かし、筋繊維を切断した。

 

「ご……があっ……あ、ああ……ひゅっ、かひゅっ」

 

徐々に紫に侵食されていく痛み。啜られていく命の薬液。

 

ろくに声を上げられなくなった俺は、やめてくれ、出ないでくれ、やめてくれ、出ないでくれ。と、惨めに脳内にその言葉を浮かべるのみ。

 

脳が焼き切れる感覚というのは、まさにこの事なのかと実感する。そして死への秒読みという概念も。

 

だがしかし、次に来る衝撃と痛み、神経の沸騰は、その実感とやらを軽く吹き飛ばすものだった。

 

バツン、そんな音がした。

 

肉が高速で切断される鈍い音、同時にガチリという硬い者同士が接触したような音も同時に。

 

神経が一瞬静まる。まるでそれは、何かを抑えているような、台風の目の中にいるような感覚。

 

だがそれは俺の予想通りで、思い過ごしなどではなく、れっきとした事実であって。

 

その静まりは、ほんの少しの時間を開けてから、激烈な反応を見せ始める。

 

神経の沸騰などという温い言葉では言い表せない、むしろ爆発といったほうがより近い気がした。

 

その爆発は、簡単に俺の脳を侵食し、痛みという危険信号を送り出す。

 

「――――――――っぎゃああああああああああああああああああああっ!!」

 

これが脳が焼き切れるという感覚なのだろう。あれほどろくに声を出せなくなっていた俺が絶叫を上げたのだ。

 

この想像を絶する痛み、血が噴き出すように溢れて行くのが分かる。

 

まるで熱油を肩に掛けたかのよう。

 

俺の絶叫をよそに紫は真っ赤に濡れた口を動かして、咀嚼している。

 

血が噛むごとに唇からはみ出し、肉が切り裂かれ、磨り潰される音が自分の耳に届く。

 

肩から血が溢れ、止まる気配が無いその様は、まるで泉のようだと感じてしまう。激烈な痛みのせいでついに頭がおかしくなってしまったのか。

 

この気が狂ってしまいそうな痛み、それとは真逆な肉を嚥下する毎に花のような笑みを浮かべる異様な状況に、もういっそのこと殺してくれとさえ思ってしまう。

 

「おいしい……ほんとうにおいしい…………貴方ってこんなにおいしかったのね……今まで食べた料理よりもずっと……」

 

そう言って一度口を閉じ、削られた肩に口を近づけていく紫。いや、肩よりももう少し内側であろう。

 

そして、何か硬く脆いものが割れてしまったかのような音、そして二度目の肉を噛み千切られる音が自分の耳に響き渡る。

 

「がああああああああああああああああ…………ああ……!!」

 

感覚で分かる。鎖骨をかみ砕かれ、肉と一緒に食われたのだと。

 

バキリバキリ……、といとも簡単に骨をかみ砕き、グチャリグチャリと肉が咀嚼される音が同時に響き渡る。

 

紫は、咀嚼し嚥下した後、まだ足りないとばかりに肩付近に顔をうずめて、肉を貪っていく。

 

「美味しい……ふふふ、とっても……」

 

咀嚼と嚥下。肉を咀嚼し、血を啜り、骨をかみ砕く。ゴリゴリと大事なモノが身体から離れ、それと同時におぞましい音が耳に響いてくる。

 

まるで紫は、バケットホイールエクスカベーターが、露天掘りをするかのように、周りの肉を削ぎ、さらに奥を啜っていくのだ。

 

それは最早同じ人型がしているような行為とは思えないモノ。人間と妖怪が如何に違う存在か。如何に近いようで遠い存在なのかを、食われながら確認する。

 

あんまりにも惨めで、嗚咽すら出てきそうだ。

 

ああ、もう何をされているのか分からなくなってくる。自分が死ぬのか、食われているだけで生かされているのか。

 

何もかもグチャグチャとなって行く。

 

ふと、その中であの焼けるような痛みが無くなってしまった事に気が付いた。

 

脳が痛覚を遮断してしまったのだろう。もう骨を削られる感触と、大事な血肉が身体から千切られていく感覚しかしない。

 

ブツンブツンと筋繊維の剥がれて行く音。骨がまるでささくれの様に剥離していく様。

 

荒くなっていた視界は段々と明暗の切り替わりが遅くなり、段々と暗のほうが長くなっていく。

 

美味しい美味しい、と紫が

 

その時であった。

 

「………………あ、あら……? 私は……?」

 

その声と共に、咀嚼する音が止み、ゆっくりと肩から爪が引き抜かれていく。

 

ゾブリという何とも耳にしたくないグロテスクな音を後に残して。

 

ああ、やっと正気に戻ったんだ。と、俺は血を失い過ぎてボヤける頭の中でそう思った。

 

「あ…………ああ……」

 

か細い、今にも泣きそうな声を紫が発すると、ゆっくりと、怯えるように後ずさって行く。

 

視界が霞み始めているせいか、紫の顔を確認する事ができない。ああもう……。

 

そして、視界が暗くなった瞬間だった。

 

「ぐっ……」

 

そんなくぐもるような声が聞こえた瞬間、俺の視界が一瞬でクリアになり、紫が吹き飛んでいくのが目に入る。

 

内部領域が発動してしまったのだろう。紫は少し離れたからそこまでダメージは無かったのか、すぐに立ちあがっている。

 

保護しにかかっている。ソレが分かる。肩からまるで青白い炎のような、光を帯びたガスのようなモノが噴き出している。

 

領域が頑張って修復でもしてるのかな。

 

そんな感想を持ちながら、背中から地面に倒れる。

 

眠い。失った血肉、骨など全てを修復してれるのだろうが、それよりも、身体的に、精神的にも疲れた。

 

紫がが俺の揺すっている。

 

紫が大きな震えた声で、泣きながら何かを必死に伝えようとしている。

 

が、もう意識が切れる寸前の俺には全く分からず。

 

そのまま電源を落とすかのように、ブチリと、意識を落した。

 

 

 

 

 

 

 



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85話 妖怪と人間……

種族の違いという者はやはり大きく……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ふと気が付いたら目の前は真っ赤になっていた。

 

一体私はどうしたというのだろうか? ちょっと楽しそうにしている耕也達に嫉妬を覚え、私は能力を使って聖達を眠らせた。

 

そこまでは鮮明に覚えている。だというのにそこから先があやふやになってしまっているのだ。一体何が起きているのだろうか?

 

そう思いながら、眼の前の赤い物体に焦点を合わせる。大量の赤い液体が溢れ、周囲はまるで鋭い歯で抉られたかのように酷く損傷している。

 

眼前にある肉の様なモノに舐めるような視線を這わせながら、呼吸を繰り返す。

 

嗅ぎなれた匂いと嗅ぎなれない匂いがある。洗剤という不思議な匂いが混じった不思議な匂い。耕也の匂いである。

 

では、この嗅ぎ慣れない匂いは一体何なのだろうか? 私の食欲を強烈にそそり、ずっと嗅いでいたいとさえ思うような芳醇な香り。

 

ふとそこで、口の中にまでその匂いが充満している事に気が付いた。そして、その匂いの元となる肉のような感触をした物体もある事に。

 

眼の前の損傷具合と眼の前の匂いと合致するもの、それは血と肉であろう。

 

芳醇な香りを発する血を舌に乗せて唾液と共にネチャネチャと混ぜて行くと、痺れるほど甘美な味となって脳天を貫いていく。

 

次は肉。噛めば噛むほど旨みが口の中に溢れ出し、血と共に強烈な麻薬となって私の身体から快楽を引き出していく。

 

その血の一滴、肉の一欠片が喉を通り、身体に吸収されていくたびに莫大な力となって行くのが分かる。

 

そう、分かるのだが、この強烈な麻薬を一体何故私がと思った瞬間に、あやふやな記憶が一瞬にして鮮明になった。

 

「あ……ああ……」

 

恐ろしい。なんてことだ。やってしまった。ついにやってしまったのだ私は。

 

自分の仕出かしてしまった事の重大さに漸く気が付いた私は、それを認める事がとても怖く、あんまりにも予想外の事であったため、声を震わせて後ずさることしかできない。

 

今後起こり得るであろう事象を予測し、そのための試験的に莫大な計算を行ったが故の妖力枯渇。

 

そのせいだろう。そのせいで今の私が此処にいるのだろう。こんな事をしでかしてしまったのだろう。

 

これが今後の関係にどんな影響を与えるのか。そんな事、そこら辺の妖精にも分かるであろう。

 

あああああ、一体何故あなたを――――――っ

 

そう思った瞬間であった。

 

「ぐっ……」

 

まるで何か透明な壁を叩きつけられたかのように、強烈な衝撃が私を襲った。まるで鉄の風に殴られたかのよう。

 

その衝撃は、私の身体を吹き飛ばすには十分な威力を保有していたようで、一瞬にして耕也の傍から吹き飛ばされてしまった。まるで枯れ葉が風に飛ばされていくかのように軽々と。

 

ただその衝撃による圧迫感からのうめき声しか出す事ができず、ただただ無様に砂煙を上げながら地面を転がるしかない。

 

が、それでも私は耕也の容体が気になり、自分の身体の痛みを放って無理矢理立ちあがる。

 

「耕也っ!」

 

私はそう叫び散らしながら、よろよろと耕也の所まで駆け寄る。

 

縺れそうになる足を前に前に出し、前に出し。耕也がいる所まで足を出し続ける。よもや耕也は死んではいないだろうな? 私の……傷つけてしまったとはいえ、私の耕也は死んではいないだろうな?

 

そんな事を思いながら、ただひたすらに足を進める。

 

「耕也…………」

 

砂埃が張れ、血まみれで倒れる耕也を見た瞬間、血が沸騰し始める。

 

額が熱くなり、まるで血液が熱湯に変換されてしまったかのようだ。頭から、首、胴体と順々に熱せられていき、ついには唇がフルフルと小刻みに震えてくる。

 

全身が沸騰しそうになった瞬間、眼頭が一気に熱くなり、涙が滲み出て心をより一層と惨めにさせる。

 

その惨めさは、私が一体何をしでかしてしまったしまったのかを強烈に突き付けてくるようであり、更にはその涙自身が私の行動を猛烈に批判しているようにさえ思わせる。

 

だからこそ、この気持ちが抑えきれなくなり、口が勝手に動いてしまう。言葉を発してしまう。

 

「ごめんなさい……ごめんなさい……!」

 

と、そう呟くように声を発し、私は耕也の身体に駆け寄って抱きつく。

 

見れば見るほど酷い傷。鎖骨と思わしき骨は、途中から完全に失われており、血はダラダラと湧水のように溢れて流れて行く。

 

あまりの損傷に身体が悲鳴を上げているのだろう。まるで断末魔を上げるかのように、時折激しく痙攣させている。

 

何て事をしてしまったのだ……よりにもよって耕也を食ってしまうとは。

 

決してしてはならないと自分でも思っていたのにも関わらずこのざまだ。

 

その直後であった。

 

「な…………っ」

 

血まみれだった耕也の身体から、何か青白い気体のような、光の帯のようなモノが噴出し始めたのだ。

 

その光は、強烈な光を放ちながら絶えず轟音を放ち、猛烈な勢いで砂埃を吹き飛ばしながら、一直線に噴き出て行く。

 

まるで蝋燭が消えかけ、最後の揺らめきの輝きを発しているのようにすら思える。

 

そう自分の中で勝手な推測をしていると、この状況、私自身が焦っているという事もあるためか、ソレが妙に現実味を帯びているモノに思えてしまい、身体中の血が凍って行くような感覚に陥った。

 

脈拍の激しかった心臓が、その感覚に比例するかのごとくゆっくりゆっくりと拍動するようになる。

 

まるで耕也の心臓と同期しているかのようにすら思えてきてしまう。

 

そして、強い光が一段と増した瞬間、私は絶対安静が必要な耕也の身体を揺さぶり始めてしまった。

 

「耕也、死んでは駄目よ! 死んではダメ! ごめんなさい、ごめんなさい! 耕也ごめんなさい!」

 

最早許してもらいたいのか、私の行為を無かった事にしてもらいたかったのか、何が何だか分からなくなってきてしまった。

 

ただひたすら眼の前に倒れている男の名を叫び、肩を激しく揺さぶり、意識が覚醒するのを待つだけ。

 

危篤状態の人間にこのような事をするのは、本来ならば言語道断である。友人の幽々子にすら張り倒される所業であろう。

 

だが、それほど私は混乱してしまっていたのだ。

 

「耕也………………大正耕也! 耕也! 返事しなさい耕也っ!」

 

叫ぶ、叫ぶ、叫びまくる。光の反射で更に青白く見える耕也の顔が、死人の顔に見えてしまい、より一層揺り動かしてしまう。

 

ゆらゆらゆらゆら。涙をボロボロ溢しながら耕也を揺り動かしている私の姿は、事情を知る者が見たらさぞかし滑稽な姿に見える事だろう。

 

その中で、耕也を揺らしている際に違和感がふと湧きでてくる。

 

「なに…………?」

 

思わずそう呟いてしまう。光の中心、発生源に眼を凝らして良く見てみる。

 

光の強烈さに眼が眩んでしまうが、それでも眼を細めて光度を調節して根の部分を凝視する。

 

「何よこれ……」

 

思わず呟いてしまう。

 

耕也の身体にある異変が起こっているのに気が付いた。

 

それは

 

「傷がふさがっている……?」

 

勢いよく噴出している光が目に見えて細くなっていくのだ。最初は歪な形をした光束だったのにも拘らず、今では綺麗な円形へとなり、明らかに細くなっている。

 

そして何より

 

「血が消えてる……」

 

そう、耕也に付着している血、服に付着している血が全て消えていたのだ。

 

もしやと思い、私は胸のあたりではなく、肩の端に視点を移していく。

 

「あ…………」

 

それは安堵からの声だったのか、それとも驚きによる声だったのか、どれともつかぬ微妙な声を出してしまった。

 

だが、恐らく驚きの声だったのだろう。なぜなら、肩の傷が綺麗さっぱり無くなっているのだ。

 

その事を目の当たりにした瞬間、彼の肩を貫いた自分の指がどうにも気になってしまい、呼気を荒げながら震える両腕に力を入れる努力をして抑えながら、ゆっくりと視界に入れて行く。

 

「まだ血があるのに……」

 

耕也の身体に付着している血は綺麗さっぱり無くなっているのにも拘らず、私の身体に着いている血は全く無くならないのだ。

 

彼に歯を突き立て、血肉を貪ってしまったという事が先行してしまい、碌に物事を考えられなかったが、此処でふと一つの可能性が生まれてくる。

 

それは今までの経験、実際に見た光景等から最も確実であり、現実味のある手段に昇華されて口からポンと出てくる。

 

「領域が全部…………よね」

 

そうこの光束、血の消滅に加え急激な治癒現象。これら全てが耕也の持つ領域とやらの効果であると断定できる。

 

すべて保護、守護、修復。全て耕也を死なせないために領域が行っている事なのだ。

 

そこで弱弱しく青く縮こまっていた心が、一瞬にしてどす黒く変色したように感じた。

 

いや、感じたのではない。変色したのだ。領域の事を考えた瞬間に、今まで耕也に縋って、一生懸命揺すって耕也を目覚めさせようとした自分が、一瞬、ほんの一瞬ではあるが、とても滑稽、愚行に思えてしまったのだ。

 

領域が耕也を修復する。ソレを考えただけ。たったそれだけなのだ。たったそれだけのことなのにも拘らず、私は耕也をまた食したくなってしまったのだ。

 

何せ、いくら耕也を食ったところで、領域が全て修復して元通りにしてくれる。

 

領域さえあれば、耕也の身体は何時だって健康体に戻ってくれる。だから私は何時だって耕也の肉を食べる事ができる。いや、幽香、藍、そしてこの先私が誘うであろう妖怪にも、耕也の血肉を与えられる。

 

この莫大な力へと変換される血肉を。

 

そう思ってしまったのだ。一瞬。たかが一瞬。されど一瞬。

 

その一瞬がどれほど恐ろしいもので、どれほど自分の脳、身体を蝕んでいるものなのかを今更ながら思い知らされる。

 

ゴクリとつばを飲み込む。何時もよりねっとりとした唾液は喉に絡みつき、思うように食道を通って行かない。

 

この気持ち悪さ。そして、考えてしまった事による嫌悪感。

 

どちらもが猛烈に私の心をより一層青白くしていくのみで、またもや眼頭を熱くさせる。

 

「……………………耕也」

 

ポツリと呟いた時、眼の前の耕也から光が完全に消え去った。

 

どうやら修復が完全に終わったようである。服こそ破れてしまってい入るものの、身体には傷一つ無く、私が食らう前の耕也へと戻っている。

 

しかし、まだ終わってはいない。耕也を運ばなければならないのだ。

 

こんな所に放置するなんてことは、私の選択肢には全く無く、耕也を部屋へと運ぶという選択肢しか存在しない。

 

「は、運ばないと……」

 

耕也が完治したという安堵感からか、声が震えてしまう。

 

そして同時に恐怖感も湧いてくる。耕也が目覚めたとき、私の顔を見てどんな反応をするのか? 私の顔を見て恐怖の色を浮かべ、拒絶したりしないだろうか? 私の顔を見て、激昂して私に攻撃を加えてこないだろうか?

 

怖い。怖い。耕也に嫌われる事がとてつもなく怖い。

 

「あ、ああ……いやよ……」

 

そう呟きながらも、私の身体は耕也の身体を抱き上げ、フラフラとした足取りで屋内へと進んでいく。

 

隙間を通り、耕也、白蓮達がいた居間へと足を運ぶ。

 

白蓮達は、耕也が寝かせたときと同じ態勢で、規則的な呼吸をしながら深い眠りについている。

 

此処でもまた新たな不安要素が芽生えてきた。

 

耕也がもし、白蓮に先の事を話したら? そんな考えが浮かんでくるのだ。

 

もし話されたら、耕也と疎遠になるばかりか、白蓮達という勢力とこの先ずっと敵対しなくてはならなくなる。

 

しかし、それも私のしてしまった事が招いた結果と割り切るしかないのだ。今の私に選択肢など有る訳も無く。ただ耕也をこの場に寝かせることしかできない。

 

いつもより耕也の体重が重く感じられる。罪の重さとやらか、それとも単に力を発揮できずにいる私の情けなさからくるものか。

 

コクリと唾を飲み込み、緊張感、恐怖感で渇いた口を潤していく。

 

ただただ、耕也をこの場に寝かせておくことしかできない私をどうか許してほしい。

 

そう心の中で願いながら、身を落とすかのように隙間の中へと退散していった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ゆ、紫様!? どうしたのですその格好はっ!」

 

辿り着いた屋敷で、藍は顔を強張らせて大声で叫んでくる。

 

「どこかお怪我をなされたのですか!? ち、血まみれではないですかっ!」

 

ふと、その声で私は自分自身の体を再確認することができた。

 

首から下にかけて血に染まっていたのだ。

 

ドレスの肌が露出している胸元まで赤一色。血はまだ渇ききっていないためか、滴り落ちているのが分かる。

 

そして、肌が露出していない部分である、布。着る前は見事な紫色で、如何にも私専用の、私を体現するかのような妖しさを持っていたドレスは、返り血によってどす黒い色へと変色してしまっている。

 

改めて思い知らされる。耕也の受けた損傷を。領域で回復したとはいえ、どれだけの血を流してしまったのかを。

 

そう思うと、ボロボロボロボロと涙が出てくる。

 

ふらふらと、ガクガクとしていた足に、さらに力が入らなくなりその場に私はへたり込む様に座ってしまう。

 

「ああ、藍…………ついにやってしまった……やってしまったのよ」

 

「紫様、落ち着いてください。今ここで慌てる必要はありません……どうか落ち着いてください」

 

ふと、その言葉がストンと私の中に降りていき、私の荒れ狂った心を静めていく。

 

「ええ、そうね」

 

しかし、誰かに話さずにはいられなかった。同じ意思を持った者に。長年つき添ってくれた藍に。

 

悩み事を信頼できる相手に話すことが、一体どれだけ救われることなのか。

 

藁をもつかむ思いで、藍にしでかしたことの全て話していく。その場に感情をまき散らすかのように私は藍に吐露し始める。それでも藍の事を直視することができなかったが。

 

「ら、藍……、耕也を食べてしまったのよ……私は」

 

その言葉を言った瞬間、ほんの一瞬ではあるが、藍の妖力が増大したのを私は感じた。

 

当然だろう。想い人、伴侶である耕也を食ったと私が言ったのだ。怒らないはずがない。

 

「紫様……耕也は、耕也はどうなったのですか?」

 

藍が震えた声で尋ねてくる。それはあまりの怒りのためか、それとも次に発する私の言葉を恐れてのことか。

 

いや、この場合はどう考えても怒りで震えている。そうに違いない。

 

わたしは、とうとう式にも見放されるのか。そう思いながら諦めるかのように私は藍に答える。

 

「耕也は無事よ……ただ、今は気絶している状態……領域が全て修復したようね……」

 

そう言葉をつづけていくと、藍は先ほどとはまた違う声で返してくる。

 

「そう……ですか……。良かった……」

 

それは先程の震えた声ではなく、いつもの落ち着いた冷静な藍の声。

 

「呆れたでしょう……? あんな計画を持ちかけて置きながら、その首謀者自身が対象の命を追い詰めることをしただなんて……失笑ものよね」

 

もっと藍は激昂していい。もっと私を罵っていい。その権利が藍にはある。

 

「藍……笑いなさいな…………怒りなさいな……」

 

「紫様……私は笑いもしません、怒りもしません。ただ、なぜ耕也を食べてしまったのか。それを聞きたいのです……」

 

やはりそれを聞いてくるか。と、私はそう思った。

 

いや、誰だってこんなことが起こったら原因を聞いてくるだろう。

 

ましてや常に傍にいた式なのだ。主である私が起こしたことを聞きたくなるのは当然。

 

「そうね……藍、私が今後数百年の内に必ず起こると予測し、ある計画を練っている、計算しているということは前に話したわね?」

 

私の言葉に藍はコクリと頷き、返してくる。

 

「はい、承知しております」

 

頭の賢い藍なら私の言いたいことはすでに予想が付いているだろう。

 

現に、藍の表情が次第に焦ったモノに変わってくる。

 

眉を顰めたかと思えば、目を大きく開いたり。口を閉じていたかと思えば、半開きにして左手で覆ったり。

 

私はその表情の変化を見届けながら、さらに言葉を続けていく。

 

「その過程における膨大な計算の際、もちろんではあるけれども、相応の力を消費するわ……」

 

私は一旦其処で口を閉じ、次に発する言葉への覚悟を決める。

 

どの道藍には全て分かってしまっているだろうが、言わなければならない事である上に、其れを言わなければ溜め込み過ぎてこちらがどうにかなってしまいそうだ。

 

「相応の力を消費した時、私は強烈に力の回復を渇望したのよ。それを意識、確信した瞬間、猛烈に耕也を欲した、猛烈にね……。そこであの依頼が舞い込んできた。私が猛烈に欲していた耕也が直接依頼しに来たのよ? もうそれで私の理性は吹き飛びかけた。あのような警告まがいの押し倒しはほとんど本能、ほんの少し理性が効いての行動……あとはもう分かるわよね…………?」

 

涙を流しながら吐露することが一体どれだけ惨めに見えるかは疾うに分かっている。

 

血まみれの手、体を晒しての懺悔。

 

なんとも惨めである。

 

「紫様……今後はどうするおつもりですか? 耕也には会いに行くのですか?」

 

一番尋ねられたくないことを尋ねられた。まさにその表現が合っていることだろう。

 

そう、今後どうやって耕也に顔を合わせればいいのか。

 

合わせる顔がないのは私が一番分かっている。人間にとって捕食されるという行為は最も恐れる事象の1つであり、それが忌避される事だからこそ、人は妖怪の退治を行う。

 

そのことを耕也に行ってしまったのだ。嫌われること必至である。

 

でも、こんな取り返しのつかないことを行ってしまったとはいえ、耕也に嫌われる事は絶対にあってはならない。あってほしくない。

 

地底で思っていたことがまたもや脳を支配し始める。ただただ嫌われたくないと思っていただけで、またあの光景が、後悔が蘇ってきてしまう。

 

(なんて顔をして会えばいいのかしら?)

 

泣きながら会えばいいのか? 縋るようにして弱弱しく耕也に謝ればいいのか? 人間らしく土下座して謝ればいいのか?

 

こんな考えをしている限り、耕也に許してもらえる日は来ないのだろう。

 

ああ、駄目だ。頭の回転が鈍すぎる。動揺、焦り、怒り、悲しみ等の要素が複雑に絡んでいるとはいえ、なんでこんなに鈍いのだ私は。

 

そんな自分に嫌気がさしてくる。

 

「紫様…………まずはこれで手を拭ってください。汚れたままですと肌にも悪いのですから……」

 

そう言いながら、濡れ布巾で手を拭いてくる。

 

一体どこから取り出したのかは知らないが、その濡れ布巾は非常によく冷えていた。それは熱を出した際に額にあてられた時のような心地よさを感じさせてくれる。

 

「……ありがとう藍」

 

そう礼を述べながら、藍の行動に身を任せる。凝固していない血は軽く拭き取り、凝固しきったもの、渇ききったものは水を垂らして強めに拭き取って行く。

 

白く綺麗だった布は、少量の血を吸い取っただけで容易に変色して行く。まるで私が耕也の血肉を貪ったように侵食していく。

 

そう、悲しい事である。妖怪と人間の意識、倫理の差。

 

相いれないものなのだろうか。いや、妖怪と人間という差が近くも遠いモノだというのは耕也も良く分かっているはず。

 

ああ何とももどかしい。いっそのこと一つの存在になってしまえたらどんなに楽な事か。

 

そう思っていると、藍が唐突に口を開ける。

 

「紫様……」

 

「何かしら?」

 

私の返事に、藍は深く息を吸い、再び口を開く。

 

「紫様……改めて言わせていただきますが、私は紫様を笑いもしませんし怒りもしません。ですが…………1つだけお尋ねしても宜しいでしょうか?」

 

「何かしら?」

 

すると、藍はニッコリと笑みを浮かべてくる。

 

その笑みは先ほどまでの真剣さとはまるで正反対なモノであり、私の暗い気持ちを吹き飛ばそうと懸命に作ったともとれる笑顔。

 

だが

 

「耕也は美味しかったですか?」

 

その笑顔とは全く違う言葉を述べてくる。

 

真逆。完全に真逆である。この爽やかな笑顔と真逆の言葉を言われた時、一体どれほどの不快感、不気味さをヒトに及ぼすか。

 

私の式という立場でありながらも、その言葉に一瞬背筋が震えてしまう。

 

気持ち悪い。

 

一番目の印象がそれである。

 

ああ、でも。

 

藍の言葉を聞いた瞬間に、血肉の味が蘇ってくる。正気に戻る前の、あの感覚、本能だけの世界が思い出されてくるのだ。

 

薄い皮を食い破った瞬間に、血が噴き出し、口の中で唾液と混ざり合い味蕾を刺激し、匂いでクラクラとさせられる。次いで筋肉が歯と接触し、耐えきれず裂かれ、程よい噛み応えを顎に与える。

 

ねっとりとした血の匂いが更に強くなり、頭がボーっとし始め、肉を食い破った後悔を軽く吹き飛ばし、奥の奥まで歯の侵入を促す。

 

刺激でグリッと筋繊維が持ちあがり、それに伴って耕也の絶叫が大きくなる。

 

ああ何て心地良い声なんだろうか。人間の絶叫。それも愛しい人間の絶叫なのだから、悪い音であるはずが無い。

 

また筋繊維が持ちあがった際にどろりと血が溢れ、私の感覚がマヒし始める。血の匂いに溺れ、肉と血の旨みが一瞬にして脳を支配し、神経を刺激する。

 

この感覚、味が一瞬で出てきたのだ。

 

それはついさっきまでの後悔の念と涙の意味を軽く捩じ伏せ、妖怪の本能そのものを呼び覚ましてくる。

 

やはり耕也を食べたのは正しかったのだ。伴侶を捕食したのは正しかったのだ、と。

 

そう私は錯覚するほど明確に。

 

とんでもなく、今まで食べた料理を遥かに凌駕する甘美な感触。遥かに凌駕する酷く危険な味。

 

腹の奥から熱が湧きおこり、全身を駆け巡って行く。

 

熱が、熱が、熱が出てくるのだ。血を胃に収めるたびに、肉を胃に収めるたびに身体から熱が発生し、余計に血肉を摂取するよう促してくる。

 

駄目だ。どうにも抑える事ができない。もっと食べたくて。もっともっと味わっていたくて。もっともっともっと血を、肉を啜り咀嚼嚥下したくて。

 

口を更に大きく開けて、歯を赤い肉に突き立てる。ゴリッという音共に、何か硬いものまで削れていくあの感触も溜まらなかった。

 

血、肉、骨。人体を構成する主な要素を取りこんだと認識した瞬間、あの幸せようったらなかった。

 

ああ、思い出しただけで背筋が震え、下腹部が痺れて行くのが分かる。

 

そしてその痺れはすぐに収まり、今度はドロリと何かが動くような気がしたと思ったら、熱い液体が溢れ出しているのだ……。

 

思い出しただけでこれだ。これほどの事があの短時間の記憶からなされるのだ。

 

それほどあの味は甘美なモノであったという事の他ならない。

 

だから自然と私は

 

「美味しかったわ。とっても…………ふふふ」

 

そう言ってしまう。

 

藍は、私の答えを聞くと満足したように更に大きく笑みを浮かべ、此方に返答してくる。

 

「何時か私も食べてみたいものです……耕也の血肉を」

 

やはり妖怪。人間とは根本的に違う。

 

「ええそうね一緒に食べましょう? ……その時は幽香も一緒に…………ね?」

 

「紫様、そうですね。それが宜しいかと」

 

「でも、耕也に嫌われないかしら? 今回の事もあったのよ?」

 

そう言うと、藍は私の両手を力強く握って少し大きな声で話し始める。

 

「大丈夫ですよ紫様。耕也は私達の事を受け入れてくれます。そして、私達も受け入れてもらえるように仕向けてあげるのです。方向性のある道を作ってやればいいのです……それに、いざとなれば麻酔を使って痛くないようにすればいいのですし」

 

若干の不安が過っていた事だが、藍の言葉と先ほどまでの回想も相まって、不安は容易く消えて行った。

 

「そうね、ありがとう。……藍、耕也はとっても美味しいわよ。貴方も絶対に気に入るはず。でも……他の人間の血肉は……?」

 

私はその言葉を藍に言って、返事を待つ。

 

藍は一瞬だけ瞼を大きく開き、驚きの表情を表したがすぐに笑みを浮かべる。口が裂けそうなほどの笑みを。

 

同じ事を思っているだろう。同じ事を言うだろう。私と藍は今から同じ口調で、同じ言葉を言う。

 

耕也以外の血肉なんぞには

 

 

 

「「興味すら湧かない…………」」

 

 

 

 

 

 

 



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86話 身体が冷たくなる……

其れでも受け入れることしかできない……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれ………………? 俺は一体……」

 

冷たい意識の底に沈んでいた俺が、軽い浮遊感を持って目を覚ました時、視界には木目のはっきり浮かんだ茶色い天井が浮かんでいた。

 

何でこんなところで寝ているのだろうか?

 

そんな疑問が浮かんでくる。当然のことではあるだろう。俺は白蓮の復活祝いと言う事で宴会をしていたのだから。

 

つまりは酒に酔って眠り込んでしまったか。酒に強くない体質の持ち主であるとはいえ、大事な宴会の最中に眠ってしまうとはなんとも情けない。

 

やっちまったなあ……、なんて思いながら腹に力を込めながら体を起こしていく。

 

酒酔いの名残でもあるのか頭がはっきりしない。脳が浮いてしまっているというのか、体内にあるはずなのに、体内にないような。そんな自分の体が、空気と同化してしまったかのような錯覚に陥る。

 

のっそりと。傍から見ればナマケモノが行動しているかのようなポワッとした動作で首を周囲に向けてみる。

 

すると、俺から見て右側に奇妙なものが整列しているのが視界に移ってくる。

 

「あれー…………?」

 

何で白蓮達が倒れているのだろうか。しかも三人とも同じ体勢で目を瞑り、規則的な呼吸をしているのだろうか。

 

まあ、そんなに考えなくても分かることなのだが、要は彼女らも寝ているのだ。

 

しかし、彼女らが寝ているとしても、その部分で妙な点が1つだけある。

 

もちろんそれは、彼女らが一体なぜ同じ体勢で寝ているのかという事である。

 

偶然という可能性も捨てきれないが、あの宴会の中でこのように体勢を同じくして眠るなんてことは非常に考えにくいのだ。

 

だとすると、彼女らはどうしてこのような配置になってしまったのだろうか? というそんな疑問だけが、絶海に浮かぶ孤島のおようにポツリと残ってしまう。

 

何か大事なことを忘れてしまっているような、そんな不可解な可能性も浮かんでくる。

 

とりあえず、彼女らが起きないことには解決するであろう事も解決しない。

 

しばらく待ってみる。しばら~く待ってみる。

 

が、彼女らからは、一向に目を覚ます気配が見られない。

 

仕方がない。この妙に浮かんでいるような気持ち悪い感覚をどうにかしようか。

 

相思いながら、俺は水の入ったコップを創造し、中に大粒の氷を1つ浮かびあがらせる。

 

たかが水、されど水である。

 

母なる海……とはまた違うが、命を存続させるには必要不可欠な物質であり、温度を変えることによって精神的に安定させたり、爽快感を得られる重要な液体である。

 

温度を高めた湯ならば精神的安定を。温度を下げた冷水としてならば、爽快感を体に与えてくれる。

 

溶媒として最強という点は置いておいて、だ。

 

と、ただの水についてこんな余計なことを考えながら口に入れていく。

 

「んあ……?」

 

水を飲んでいるうちに、妙なことに気がついた。

 

やけに方のあたりがスースーするのだ。こう、在るべきものが無いような。そんな感覚がしてくる。

 

いやにその感覚が気持ち悪いものだから、俺はコップを横に鎮座している卓袱台の上に置き、肩の服を掴んで引っ張り上げようとする。

 

「あれ?」

 

しかし、服を掴もうとしたその手は服ではなく、肌に直接触れてしまったのだ。

 

その異変に俺は視線を向け、袖の部分を引っ張りながら、今自分の服がどうなっているのかを見てやる。

 

「破れてんじゃあ掴めないわな…………」

 

何でこんなことになってんのよ……、と服を直しながら疑問が沸き起こり、少し宴会での行動を思い起こしてみる。

 

だがしかし

 

「服引っ掛けたわけでもないのになあ……。何で破れているんだろう?」

 

何かもっと大事なことを忘れているような、そんな気がしてくるのだ。

 

しかしその忘れている部分は、俺の精神を害するような、そんな危険性を孕んでいる。思い起こさなければならないという考えと同時に、またそういった自身に対する警告も浮かび上がってくるの。

 

とはいっても、その抜け穴のように欠落している何か大事なモノは、いっくら考えても一向に蘇る気配は無い。

 

最も、領域で守られている俺が忘れるくらいなのだから、大事なモノというのは俺の思い過ごしであって、実際はもっと単純なものなのかもしれない。

 

まあ、それだったら良いなあ。

 

そんな事を思いながら、再び水を口に含もうとすると

 

「ん…………んああ……」

 

右隣から女性の声が聞こえてくる。

 

俺はその声に導かれるように、首を向けてみると、三人の中で一番俺に近い側。すなわち白蓮が体をモゾモゾ動かして覚醒しようとしていた。

 

寝起きの際に発する声。

 

その声は人によって様々な違いというものがあるが、俺は素直に思った。

 

男を惑わす魔性の声であると。

 

創造の中でしかないが、恐らくこの声を持つ白蓮が耳元で囁いてくるのならば、どんな男でも背筋を震わせ、靡いてしまうであろう。

 

そんな声である。

 

「…………あら、命蓮?」

 

目を薄く開けた白蓮が、こちらを見ながらそう言ってくる。

 

命蓮だって? 俺を命蓮だと思っているのか? ……いやまあ、こちらを見ながらそう言っているのだから、俺の事を命蓮と勘違いしているのだろう。

 

さすがに2升の酒を飲むという事は、大魔法使いである白蓮の体にも多少なりとも負担を掛けてしまっているようだ。

 

とはいっても、さすがに魔法使い。俺が領域無しで飲んだらポックリ逝ってしまうであろう量を飲んでもこの程度で済んでいるのだ。

 

如何に人間から魔法使いへ昇華した存在が強化されるかを改めて確認する。

 

「白蓮さん。俺は命蓮さんではありませんよ?」

 

そういうと、白蓮は横たわっている状態から、体に力を込めて起き上がろうとする。

 

「よっこいしょ…………」

 

なんとも年寄りくさい事を発しながら。

 

起き上がる際に、装束を今にも破らんと自己主張している胸が邪魔になったと思ったのか、左手を胸の下に差し込み支えていく。

 

もちろんそんな事をすればどうなる事か。子供でも分かることである。

 

つまりは、白蓮の腕によって形を変えた胸が、横に広がり、装束を歪ませる。

 

寝ぼけ、無意識のうちでの行為であろうが、男の前でそういったことをするのはあんまりよろしいとはいえないと思う。

 

とはいっても、その弱みに付け込んでガン見している俺も人の事を言えたものではないが。

 

だが、幸いなことに白蓮はこちらの視線に気づく様子はなく、置きあがったらすぐに首をフルフルと横に振って頭を覚醒させようとしている。

 

「命蓮ではないのですか……?」

 

それでも寝惚けが治らないようだ……明らかに飲み過ぎなのであろう。

 

仕方がないので、俺が飲んだのと全く同じ冷水を白蓮に渡す。

 

「ですから違いますって……ほら、これでも飲んで目を覚ましてください」

 

目の前に出されたコップと、俺の顔を交互に見る白蓮は、コクリコクリと小さく数回頷いてから、コップを受け取る。

 

「んく……んく……」

 

ゆっくりと、味わうように白蓮は水を喉に通していく。

 

時折水の冷たさに目を瞬かせながら、渡された水を飲み干していく。

 

俺も白蓮飲みっぷりに促されたのか、自然と手に持つコップを唇に当て、残りの水を喉にくぐらせていく。

 

ボリボリボリボリ。

 

なんか硬い音がする……。何か固体を歯で噛み砕いているような、そんな鈍い音がする。もちろんこの音は俺ではない。もしやと思って白蓮の方を見てみると、俺の予想通りの事をしてくれていた。

 

「もが……甘くておいひいでふね……」

 

口いっぱいに氷を含ませた白蓮が、頬を時折膨らませながらガリガリと噛み砕いているのだ。味もなんも無いのに甘くて美味しいとはこれいかに。

 

と、しょうもない疑問を持ちながら、まーだ寝ぼけとるんかこの尼公は、と思ってしまう。

 

短い間しか接していない俺ではあるが、其れでも酒を飲んでいる時と飲んでいない時の差ぐらいは理解できるつもりである。

 

「御代りください命蓮」

 

と、氷を噛み砕き嚥下し終わった白蓮が、、コップをずずいと出してこちらに補充せよと所望してくる。

 

「はいわかりました……。それと、私は命蓮ではありません。耕也です」

 

まあ、寝ぼけと酔いがあるうちは、いくら訂正しても無駄だろうという諦めと同時に、白蓮が如何に弟を思っていたかをさわりの部分ではあるが、認識する。

 

白蓮の魔法使いになる切っ掛けを作った人。

 

俺と命蓮が似ている訳はないだろうし、彼女から似ているという言葉を聞いたわけでもない。

 

男であるという理由が一番高いのであろう。

 

「命蓮……? 私は妖怪と人をですね。もっと平等な――――っ!? ぶふぅ!!」

 

命蓮と勘違いし、自分の理想を話そうとしていた白蓮が、一瞬で目を大きく見開き、水っを吹き出した。

 

そしてそれはどういうわけか、水の行先は俺の方へ一直線に進んで来る。

 

もちろん、白蓮よりはマシとはいえ、起きてそう時間が経っていない俺が避けられるなんてことは、当然あるわけがなく。

 

それよりも、脳が完全に覚醒していたとしても、この距離では避けられなかっただろう。

 

つまりは

 

「うおわっ!!」

 

びしょ濡れになるのだ。俺が。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ごめんなさい耕也さん……」

 

そう言って白蓮が頭を下げてくる。勿論それは水を噴き出してしまい、俺にひっかけた事。

 

濡れた衣服は取りかえたし、顔も洗ったから特に問題は無いのだが。

 

「いえ、大丈夫ですよ白蓮さん」

 

と、白蓮に手を振りながら言う。

 

俺が洗っていた間に、白蓮はムラサと一輪を起こしていたようで、白蓮の斜め後ろに正座していた。

 

すると、俺が特に気にしていないと言う事を理解したのか、ホッと息を吐いた白蓮が口を開く。

 

「耕也さん、一体何故私達は寝ていたのでしょうか……?」

 

と、言ってくる。

 

何とも可笑しなことを言う。俺達全員酒に酔って寝ていたのではないか? と、俺は咄嗟にそう考えてしまい、口に出してしまう。

 

「いや、単に酔いつぶれてしまっただけではないのですか?」

 

と。

 

だが、その言葉はすぐさま訂正せざるを得ない事になった。

 

俺が言葉を発してすぐに、村紗が反論してきたからだ。

 

「耕也さん、違いますよ?」

 

「え? あれ? 寝てしまっていたのではないのですか?」

 

と、率直に疑問を彼女に向ける。

 

いや、自分でも分かっているのだ。あの状況がおかしかった事くらい。そして、何か大切な事を忘れてしまっているという様な感覚と同時に、その忘れていた事を思い出してはいけないと警告しているかのようにも感じる。

 

忘れてしまっている事が、大したことではないと片づけてしまった自分がいたが、それは大きな間違いなのではないかと今更ながら考え始める。

 

ゆっくりと自分の中の知識を探っていく。

 

ああそうだ。確か忘れると言う事は、同時に防衛的な機能としても認識されていたはず。精神的に害、苦痛を及ぼすであろうと判断したがゆえに、脳が無意識的にそれらを意識から排除している。

 

確かアンナ・フロイトの防衛機制の中で抑圧に分類されるモノだったはず。

 

たしかそんな事だったような気がする。合っているかどうかは分からないけれども。

 

もし、この忘れているような感覚というモノが、その防衛機制によるモノだとしたら、一体この宴会の中でどれほどの事件があったのか。

 

そんな事を思っていると、俺の返答に村紗が続けて返答してくる。

 

「耕也さん、覚えてないのですか? 眼の前で突然聖が倒れたじゃないですか。あの場にいた全員が覚えているはずなのですが……2升飲んだ白蓮は別としましても」

 

と、飲み過ぎだと言う事を警告するかのように言ってくる。

 

白蓮も、村紗の言いたい事が分かったのか、顔を少々赤くしながら俯き

 

「思いだしました……ごめんなさい」

 

如何にも恥ずかしそうな素振りを見せながら謝ってくる。

 

いや、確かに酒の席でしでかした事ってのは非常に恥ずかしい事もあるけれども、白蓮がした事は飲みすぎってだけでそんな顔を赤くしてまで謝る必要はないと思う。

 

とはいっても、これが白蓮の性分なのだろう。だから仕方ないと言うべきか。

 

が、白蓮はすぐに気を取り直し、こちらに話しかけてくる。

 

「耕也さん、そうです思い出しました。酒を飲んでいた際にやられたのであっさりと眠ってしてしまったのですが、意識を落す際に、微量、本当に極微量なのですが、鋭い妖力を感じました。大妖怪水準のものです」

 

という白蓮の言葉に、一輪も賛同してくる。

 

「そうです耕也さん、私もそれを感じました。覚えてませんか? 私達が卓袱台を囲って宴会をしていた時、突然白蓮が気を失った事を」

 

その瞬間、彼女の言葉が俺の耳へと妙に早く吸いこまれていった気がした。

 

何と言うべきだろうか? 紙に水が染み込むようにスッと入って行った気がする。

 

さらには、村紗の言葉が時間が経つごとに言葉という音の情報から、記憶のピースというモノに変化し、当てはまって行く気がする。

 

段々と。段々と思いださせていく。

 

ドロリドロリと粘性を持った液体が、型にはめられ整形されていくようにあやふやな記憶が形をなしてくる。

 

部分的な記憶喪失という濃霧の中、風が吹き始め、霧が晴れて行くように。

 

そうだ、確かあの時白蓮が突っ伏して、皆気絶して……俺が寝かせたはず。

 

ええとそれから……紫色の布を見てから――――――っ!?

 

その瞬間、全ての事を思い出した。

 

あの後紫と二人っきりで酒を飲み、紫が理性を失って俺を食った事も。

 

全部思いだしたのだ。

 

今まで味わったことのない恐怖。肉を歯で食いちぎられ、眼の前で咀嚼嚥下されていく異常事態。

 

妖怪と人間の意識、倫理の差を思い知った瞬間。どんなに歩み寄ったとしても、存在は根本から違うのだという事を思い知ったあの状況。

 

骨を噛み砕かれ、筋繊維を丸ごと持って行かれる喪失感。大切な人に命を啜られるという惨めな気持ち。

 

初めて味わった痛み。二度と味わいたくないあの痛み。

 

あの短い時間にどれほど神経が鑢に掛けられ、摩耗したか。

 

そんな事を思った瞬間に、より一層クリアな映像が頭の中いっぱいに広がってくる。

 

「んう―――っ!」

 

映像が頭を駆け巡った瞬間、一気に胃が収縮し、吐き気となって俺を襲ってくる。

 

その吐き気は、今までのどんな状況下における吐き気と比べても、圧倒的な強さを持っており。

 

一瞬にして胃液が喉を這いあがってくるが、口に手をやり食道を喉に力を込めてやる事によって、無理矢理閉じてなんとかやり過ごす。

 

我慢したと同時に涙腺が緩み、涙がボロボロ出てきてしまう。

 

「耕也さん、大丈夫ですか!?」

 

俺がえずいてしまった事を白蓮が見て、背中をさすってくれる。

 

「……んく…………ありがとうございます白蓮さん」

 

いくらか強めに摩ってくれたおかげか、ほんの少しではあるがマシになった。

 

しかし、それでもあの光景が消える気配は無い。むしろ、認識した瞬間から強く鮮明になる一方である。

 

「どうやら酔いがまだ残っていたようです……」

 

と、何とか言い訳する。

 

とはいっても、言い訳した所でこの吐き気が収まるわけでもなく。

 

とにかく俺はその吐き気を紛らわそうと、水を飲み続ける。

 

食道の途中まで胃液が昇ってきたせいか、胸がムカムカするのを抑えるために、ひたすら水を飲み続ける。

 

涙が未だに滲み出てくるのを感じながら、白蓮の摩りと飲水でなんとかこの吐き気を忘れようとしている。

 

すると、白蓮が唐突に言い始めた

 

「とはいっても、このまま宴会をするという訳にもいきませんし、私達を眠らせた犯人も見当がつきませんし……」

 

そう、呟くように。

 

実際のところ、俺が全ての訳を知っているのだが、いかんせんソレを話すわけにはいかないだろう。

 

話せばどう考えても大騒ぎになるし、白蓮の思想から考えても話しづらい。おまけに八雲紫という大妖怪なのだから、その影響も大きいと予想できる。

 

「そうですね……どうしますか? 宴会はまた日を改めて行うというのはいかがでしょう?」

 

えずきそうになるのを我慢しながら、俺は白蓮に提案してみる。

 

俺が思うに、これから宴会を再開したとしても少々気まずいだけだろうし、興がのらないのはお互いに感じている事だろう。

 

だからこそこの提案をした。そして恐らく

 

「ええ、そうですね。宴会はまた後日という事にしましょうか……」

 

と、白蓮が返してくる。

 

そこで、白蓮の呟きに、村紗が賛同してくる。

 

「そうですね耕也さん、日を改めましょう。白蓮、今日は私達の家に泊るというのはどう? また後日耕也さんに送ってもらえば良いし……」

 

そう言うと、白蓮は村紗に向かってコクリと頷き、ついでに一輪も賛同するように頷く。

 

「では、私が送りを後日いたします。今日はすみませんでした。大事な宴会だというのにも拘らず……」

 

勿論、俺に責任があるかと言えば、当然発生している。紫との事件は俺の体質が原因でもあるのだから。

 

だが、ソレを此処で言う訳にはいかないから、主催者としての責任にすり替えて彼女らに謝罪する。

 

主催者として宴会を円滑に進行し、かつ何の障害も無く無事に終わらせるという事ができなかったという意味で謝罪をする。

 

そして同時に、彼女らが俺の思った通りに捉えてくれて、受け入れてくれる事を望みながら。勿論、心の中では二つの意味で謝罪しているのは言うまでも無い。

 

「大丈夫ですよ耕也さん。また時間があった時に皆でしましょう。今度は私も何か持って行きますので」

 

彼女は本当に俺の事を微塵も疑わず、俺の意思を汲んでくれた。

 

勿論、彼女らを巻き込んでしまった上に、正直に自分たちの身に起こった事を話せない事への罪悪感はもちろんあるが、今はこうすることしかできない。

 

ソレを思うと、何ともやるせない気持ちになるが、こればっかりは仕方が無い。許してほしい。

 

「ありがとうございます白蓮さん。今度私ももっと喜んでいただけるよう細心の注意を払いますので……」

 

「はい、楽しみにしております。では……」

 

そう言って白蓮達は自分たちの家へと戻って行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

再び静寂が訪れた。

 

白蓮達のいないこの空間。一人だけの空間。

 

何時もならば一人でのんびりとできる心地良い空間であり、空気でもあるのだが、それが今回ばかりは違う。

 

精神的にも宜しくない空間になり下がってしまっているのだ。今更ながら、白蓮達を帰すのではなかったと思ってしまう。あの後無理にでも宴会を続けていればよかったのではないだろうかと思ってしまうのだ。

 

それほどまでに、あの時起こった事が俺の心を蝕んでいるのを把握させられる。

 

白蓮達がいたときよりも一層意識させられ、考えさせられてしまう。

 

紫のあの鋭利な歯と、鋭利な爪が肌に食い込み、細胞を、筋繊維を抉っていく様を。感触を。

 

嫌でも考えさせられるのだ。思い出させられるのだ。思い出したくないのにも拘らず鮮明に、常に。

 

「くそっ…………」

 

寒くも無いのにも拘らず身体が震えてきてしまう。

 

まるで自分が冷水に浸されているかのように、身体から体温が奪われていくかのような。そんな感触が今俺を襲っているのだ。

 

そして同時に胃がまたもやむかむかしてくる。

 

「うっぷ…………」

 

軽くえずいてしまう。

 

どうやっても取れないこの吐き気は、まるで思いだしてしまったことへの罰のような気がしてきてしまう。

 

せっかく脳が防衛反応として忘れてしまおうと努力していたのにも拘らず、安易な好奇心によって無理矢理思い出させてしまったのだ。

 

その代償、罰なのだろう。

 

血塗れの指を丹念にしゃぶり、見せつけるかのように飲み込んでいく紫。

 

俺の絶叫をよそに、血まみれの顔を恍惚とした笑みで歪ませて肉を貪っていく紫。

 

そして、激痛で意識が朦朧としている俺に肉と血の混ざった口内を見せ――――――

 

「――――――――っ!!」

 

俺はその瞬間弾かれるように立ち上がり、台所のシンクへ走り込む。

 

「っげえ!!…………がはっ! ……うえぇっ」

 

胃が一気に収縮し、先ほどよりも更に強烈な吐き気が襲い、俺はシンクへと戻してしまう。

 

先ほど飲んだ水と胃液の混合物がシンクへとぶちまけられる。

 

しかし、それでも猛烈な吐き気は収まる所を知らない。

 

「うっく……うえっ……」

 

胃の中に吐くモノが無くなってしまったため、胃酸がこみ上げてくる。

 

どんなに抑えようとも、食道をこじ開けて胃酸が昇ってくる。もちろん、胃酸は強酸性。

 

「ぐっぐく……」

 

喉が胃酸で焼かれ、激痛が走る。

 

タンパク質の分解される際に出る異臭、胃液特有の悪臭が鼻を刺激し、更に吐き出したくなる。

 

「くっそ……っ!」

 

このあまりの気持ち悪さに、喉を掻き毟りたくなってしまいたくなる。が、そこをこらえ、何とか唾を飲み込んでやり過ごす。

 

この息詰まる様な感覚が酷く俺の心を表しているようで、思わず助けてくれと叫びたくなる。

 

叫びたくなる……が、叫んだ所で誰も助けてくれはしない。

 

だめだ、どうしても怖い。紫が怖い。

 

水で口をすすぎ、吐き出しながら何とも情けない事を思ってしまう。

 

紫が怖いのだ。大切な人である紫の事が、今では何よりも怖い存在に思えてしまうのだ。

 

鬼よりも、人間に裏切られた時よりも、幽香と闘った時よりも、過去に味わったどんな恐怖よりも上を行くのだ。

 

あんな、あんな食われ方をしたら誰だって……。

 

「うあああああああ! こんちくしょうっ!!」

 

あまりにも本来の自分とはかけ離れてしまっている心の凹みに、嫌気がさし、卓袱台を蹴り飛ばす。

 

内部領域に守られた足によって、卓袱台は軽く宙を舞い、載せていた食器などを周辺にばらまく。ばらまかれた食器は、周辺の家具にぶち当たり、容易くその身から破片を散らしていく。

 

木が折れる乾いた音。陶器が粉々に砕け散る甲高い音が鼓膜を激しく叩く。

 

「くそっ…………何てざまだ……」

 

感情を行動に移したおかげか、少しだけ落ち着く事ができた。が、それでもまだ恐怖は収まらない。そして恐怖による吐き気も。

 

机を蹴り飛ばしたためによる感情の落ち込みか、それとも恐怖の増大による足の震えが原因か。

 

どちらからともいえるこの脱力感に、俺はそのまま従ってその場に座り込んでしまう。

 

そして、自分の身体を掻き抱くようにして両手を回し、肩を強く撫でつける。

 

領域が修復してくれたというのは分かってる。分かっているはずなのに、自分の肩が存在しているのかを確かめてしまう。

 

そう、内部領域が現時点で展開されているのに、不安で仕方が無い。今でも襲われているような、そんな感覚に陥ってしまうのだ。

 

この静寂、無音である状況で。これらが恐怖を再燃、増幅させる。極限にまで。

 

身体が次第にブルブルと震え、眼頭が熱くなり、涙がこぼれ始める。

 

「うああ……うう……ちくしょう…………怖い……」

 

愛しいはずなのに怖い。どうしても怖い。あの強烈な、初めての捕食がどうしても怖くなってしまう。

 

これからどう接していけばいいのだろう。どうやったら関係を元通りに修復できるのだろう。

 

もう手遅れなのか? 高次元体を狙ってまた俺を捕食しに来るのか? 紫がまた俺を捕食しに来るのか?

 

そんなネガティブな事を考えてしまう。

 

どうしても拭えない恐怖を持つ自分への怒りと、その恐怖に苛まれる自分が何とも情けなく感じ、拳を握りしめようとする。

 

が、拳に力が全く入らない。いや、生活支援でやろうと思えばできるのであろうが、素の力が入らない。まるで今の俺の無力感を表しているかのように、握力が出ない。

 

ただただあふれ出る涙を袖で拭き、これからどう紫と接していけばいいのだろうか? とそんな事を考えていくだけである。

 

と、一瞬ではあるがこの思考の中で、どす黒く、そして何よりも冷たい何かが身体を駆け巡っていくのを感じた。

 

「あ……ああ…………あああ……」

 

そこで考えついてはいけない事を考えついてしまった。

 

「いや……そんな事…………あり得るわけが……」

 

口では否定の言葉を言っているが、すでに頭の中ではそれが確信に近いモノを得ていたのだ。

 

最早口で否定の言葉を繰り返しているだけでは、全く解決に至らないほどの推測。

 

それは

 

「まさか……藍や幽香も…………?」

 

俺の身体を狙っている者の増加である。

 

紫、幽香、藍。

 

この三人の中でも最も強い紫が、理性を吹き飛ばし、俺の肉を食らうほど。それほど俺の身体は彼女ら妖怪にとっては極上の食材に見えるという事の他ならない。事実、俺が戦ってきた鬼、亀の妖怪にも俺の肉が美味そうだと言われたのだ。どんな人間よりも。

 

という事は、紫よりも総合的な面で劣る藍、幽香は…………

 

「ああああああ……う、うああああああああ……」

 

俺の肉を食いたいと思っているのではないだろうか?

 

そんな事を思ってしまったのだ。

 

今まで人間と同じように接してきたが、彼女らも妖怪なのだ。あり得ない話ではない。

 

もし、もしだ。もし彼女らが俺の家に来て肉を差し出せと言ってきたらどうすればいいのだろう?

 

あの狂気じみた恍惚な笑みを浮かべながら、肉を貪っていくのだろうか?

 

確かに妖怪と人間の間には大きな障壁が存在する。

 

覆せるものではない。存在からして違うのだ。生い立ちも、構成素材も、感情も、倫理も全部。

 

愛しいという感情を上回り、恐怖という文字が頭を埋め尽くしていく。ドロドロと血が溢れていくように。そう、抉られた肩からあふれ出る血のように。

 

「でも、でもあれだ……俺には領域もある……何とか話し合いに……でも……うあああああああああああああああああ!! くそっ! くそっ!! ……うう……ちくしょう……」

 

話し合いで何とかできるならこんな事は起こりはしない。

 

ただただ自分の体質に振りまわされている情けなさに対する怒りと、どうにも変えられそうにないこの絶望感。

 

その中でほんの少しだけ、話し合いで解決してみたいという願望が複雑に絡み合い――――――

 

涙へと変換されていくのみであった。

 

 

 

 

 

 

 



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87話 真っ赤に見えた……

でも何とか此方の……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

汚れた畳み

 

箸を持つ手が震える。

 

すでに蹴飛ばした卓袱台等は片づけてあり、汚れた畳等はすでに元通りにしてある。

 

だが、その元通りは表面であって俺の精神までが元通りという事は無い。

 

あれから一週間経った今でも精神が安定してくれないのだ。いや、一部安定してると言えるだろう。恐怖の色に染まっているという一点においては。

 

この恐怖を何としても抑えた俺は、外部領域を家全体に効果が及ぶように広げ、内部領域を常に発動させている。

 

その安心感の下にゆっくりと揚げ茄子を口に運ぶ。が、味が全く分からない。

 

味覚が、味蕾が無くなってしまったかのようにさえ感じる。恐怖のせいで神経の一部が停止してしまったかのよう。

 

しかもその弊害というべきか否か。

 

「う――――っ!!」

 

グラスに浮いている氷が罅割れる音にすら身体がびくりと跳ねてしまう。

 

「氷か……やべえなもう」

 

物音にやたらと過敏になってしまったのは俺の精神が弱いせいか。いや、あんな事をされたら誰だって過敏にもなるだろう。

 

そして、その音が唯の氷の音だという事を理解した瞬間、俺は震えるようにため息を吐く。

 

怖いのは仕方が無い。だが、何とかしてこれを解決しなければ後々悔恨を残すだけになるだろう。

 

どうしたものかと思いながら、俺は最後の一口を平らげて御馳走さまと言う。

 

流石に肉は食えないから、野菜だけ。それもごく少量。元々食わなくてもいい体質なのだから食べようが食べまいが同じ事なのだが。

 

紫達は一体今頃何を話しているのだろうか? 毎日見ているという事をほのめかしていたものだから、現時点では見られている事は無いだろう。

 

隙間をこの家の中で開くことはできない上に、内部領域があるのだから、害を与えようとしても軽くはじき返してくれる。

 

が、それでも過敏になってしまっているのだから、俺が味わった恐怖というのはそれほどの物だったという事だろう。単に俺が臆病なだけという事もあるが。

 

しかし、ただ此処で手を拱いているわけにはいかないのは確かである。

 

「此方から出向くしかないかのかねやっぱり……」

 

俺の方から出向いて解決をする。その解決が、相手の論調によって平和にいくか、戦闘になるかは分からないがとにかく解決しなければならない。

 

しかし、解決しなければいけない、いけないのだが、俺の身体が紫達の屋敷に行くのを大きく拒んでいるように感じるのだ。

 

行こうと思った瞬間に、紫の顔が思い浮かべられるのだ。脳が俺の身体の安全を優先させるために保護機能として出てくるのかは分からないが、とにかく紫の顔が出てくるのだ。

 

どうする。どうしたら紫達を説得できる? 俺の肉を食わない方法は何かないか?

 

そんな事を思っていたせいか、ひとりでに口が動く。

 

「明日行くしかないか……」

 

と。

 

彼女の屋敷に行き、俺の立場、要求、気持ちをはっきりさせないといけないだろう。妖怪は人を襲い、人間は妖怪を退治する。常にそのサイクルでこの世は回ってきたのだ。

 

俺がこんな立場を、紫達と関係を持っているという事が世の理から外れてしまっているというのは十分に理解している。でも、紫達が言っていたように、俺も彼女達の事を十分に愛しいと思っているのだ。

 

そしてその愛しいという感情を盾に、この何時か対面しなければならない問題を先送りに先送りにしてきただけであり、それが今回でツケが回ってきただけなのだ。

 

それは彼女達も思っていると信じたい。今は俺の肉を食べたいと思っていても……いや待てよ?

 

俺は一つの事を思い出した。

 

確かあの時、俺が食われる少し前であるが、紫が俺に寄り掛かって来た時、妙に妖力を感じなかったのだ。まるで枯渇していたかのように。おまけに息を荒げていた。妖怪が、ましてや紫のような大妖怪が病気にかかることなんて考えられない。

 

いや、その息を荒げていたのは、俺を食いたくて興奮していのではないかという事も考えられるが、それだけではない。

 

あのよろよろとした足取りで俺に寄り掛かってきたのだ。興奮して息を荒げていたというのはやはり考えにくい。妖力が枯渇してしまったが故に息を荒げたと考えるのが余程現実味のある話である。

 

現に、俺の血肉を食っている最中に正気を取り戻した。自分が何をしでかしてしまったのかを把握している表情だったのだ。つまり、枯渇した妖力が回復したために、理性が彼女に戻ってきた。

 

もし、もしもだ。もしも彼女が枯渇した妖力を補うために、俺を捕食したというのなら、こう考えられないだろうか?

 

現時点で、彼女は俺に対しては美味しそうだという感情を持ち合わせてはいるが、俺に対して理性を吹き飛ばしてまで襲いかかってくるような事は無い。と。

 

現実味があるが、あくまで推測でしかなく確かな証拠も無い。全て俺の脳内で組み上げられた砂上の楼閣にしか過ぎない。

 

俺が紫に会いに行った瞬間に崩れ去る可能性があるのだ。唯の精神安定剤のようなモノ。そうであったらいいな。そうであってほしいという生ぬるい願望なのだ。

 

もし、この俺の考えが外れてしまったらどう手を打てばいいのか。もしそうなれば、俺は紫達との関係を断たねばなるまい。

 

どうやっても、どう譲歩したとしても俺が提供できるのは血液まで。それ以上先の肉、骨、魂までは差し出す事は不可能。もし要求してきたのなら、内部領域を盾にするしかない。

 

彼女らと関係を断つのは非常につらい、断腸の思いであるが断つしかあるまい。そうでもしないと彼女達の精神がやられてしまう可能性もある。

 

それと同時に彼女らから常に捕食されるという恐怖を与え続けられる俺の精神も参ってしまうのだ。

 

できればそうならないでほしいという思いで、俺は明日を迎える事にした。

 

 

 

 

 

 

 

「はあ……さて、行きますかね」

 

何時も通り……とはいかないが、起き、飯を食べて準備をした俺は、そう言いながら頭の中で紫の屋敷を瞬時に思い浮かべ、集中する。

 

何時も通り。一瞬で景色が素っ飛び、瞬きをした瞬間にはもう目の前に紫の家がある。

 

何時も通り。2人が住むには無駄に大きい屋敷が鎮座し、防衛用の札が……?

 

と、防衛用の札が発動しない事に気が付いた俺は、少々首を傾げてしまうがすぐにソレを思い出した。

 

ああそうだ、俺の事を認識して防衛用の札は発動しないのだった、と。

 

そう考えた所で、俺の背後からだろうか? 何時の間に回ったか知らないが、声が聞こえてくる。

 

「耕也、いらっしゃい……待ってたわ」

 

まるで耳元で囁かれているようにさえ感じる声。ほんの少し低音が混じり、大人としての艶やかさを引き立てさせる魅惑的な声。

 

だが俺はその妙にねっとりとした声に、背筋が震え、怖気を覚え、身体を素早く後ろに向ける。

 

正面にいたのは、やはり紫。

 

紫色のドレスを着、日傘をさして微笑み立っている。そう、ただ立っているだけなのだ。

 

立っているだけなのにもかかわらず、俺にはとてつもなく恐ろしく感じてしまった。そしてそれと同時に

 

「うっぐ……」

 

紫の姿が真っ赤に、血に塗れているように見えてしまったのだ。紫色のドレスを血に染め黒くし、口の周りから下を血の赤一色に染めた紫の姿を。錯覚であろうがそれを見てしまったのだ。

 

今度は先ほどの震えとは別の震えが襲ってくる。恐怖だ。

 

ウッと吐き気を催しそうになるが、グッと堪えて紫を見据える。

 

トラウマを創りだした張本人と対面するのが一体どれほど精神的に苦痛となるか。

 

人間相手なら大したことないが、妖怪相手となれば別物。別格なのだ。

 

その精神的苦痛が嫌で嫌で仕方なく、思わず俺は拳を握って身構えてしまう。何とか心を奮い立たせて正常に見えるように目に力を入れていく。

 

 

「ふふ、そんなに身構えないで耕也……私とお話しがしたいのよね?」

 

紫が何とも言えない笑みを浮かべて俺に制止をしてくる。

 

「分かってたのか……紫さん」

 

此方の考えは全て筒抜けだったようだ。彼女は俺を監視するまでも無く、その計算に長けた頭で俺の行動を予測し、今日この日を待っていたのだ。

 

つまりは俺がこれから話す事も全て、彼女の頭の中にある選択肢の一つに含まれているのだろうか?

 

いや、それでも話さなければ彼女には伝わらない。

 

ならば

 

「紫さん……この前の件での話を少々したいのだけれども……いいね?」

 

そう言ってみる。少し強引に。

 

すると、紫は目を少し大きくした後、細めてコロコロと笑う。

 

「ええそうね。私も丁度話したかったから貴方の側に現れたのよ? さあ耕也、来て頂戴。こっちよ……」

 

と、流れるように俺の傍を通り過ぎ去っていく紫。

 

何を考えているのか悟らせないその表情は、彼女が胡散臭いと言われるのには十分理由になると思った。

 

 

 

 

 

「さあ、この部屋で話し合いをしましょう耕也」

 

案内された部屋は聖白蓮の件で依頼した部屋と同じ。一週間経っているとはいえ、全く変わらない部屋。

 

が、そこには俺の想像を超える者がいたのだ。

 

「耕也、こんにちは」

 

「こ、こんにちは……幽香」

 

当初俺は紫の他に、この部屋にいるのは藍だけだと思っていたのだ。藍だけ。

 

しかし、実際にこの部屋に入ってみると、笑顔の幽香が。幽香がいたのだ。

 

やはり紫は全てを見越してこの部屋に俺を通したのだ。俺が幽香とも話したいという願望も見透かして。

 

そしてその幽香の笑顔が嫌に気持ち悪く見える。俺の思いすごしだと良いのだが、彼女の笑顔からは何処となく狂気じみた何かを感じる。獲物を狙っているような何か。肉食獣が獲物を発見した時の歓喜のような。

 

いや、これは紫の事を見て恐怖した俺の自意識過剰というものだろう。それ以外に考えようがないし考えたくもない。

 

ふう、とため息を吐きながら、俺は目の前に出されている座布団に座り込む。

 

「耕也、こんな所までよく来たな。いらっしゃい」

 

藍が笑顔で茶を運んでくる。

 

何とも恐怖、トラウマとは厄介なモノで、被害妄想の延長線上に位置しているのかは分からないが、藍の何でも無い普通の笑顔がとてつもなく怖く見えてしまうのだ。

 

口が開いたらどんな牙を覗かせるのだろうか。その牙はどんな切れ味、鋭さを保有しているのか。藍は今俺を食べたがっているのだろうか? などといった負の考えを絶えず脳に浮かばせてくるのだ。

 

「ありがとう藍」

 

今回は敬語なしで行く。今回ばかりは流石に敬語なし。紫とのあの一件を解決するために少しばかり強引にいかなくてはならないのだ。

 

すると、藍も紫と同じく意外に思ったのか、目を一瞬だけ丸くしてから、微笑んで

 

「どういたしまして」

 

と、茶を置いていく。

 

ここまで神経質になるのもおかしいのかもしれないが、出されたお茶などには手をつけない。

 

何かまた睡眠薬などといったモノを混入されていてはたまったものではないからだ。

 

紫たちもそれを察しているのか、俺が茶に手を付けないことに関しては何も言ってこない。

 

「では、そろそろ話しあいにしましょうか……」

 

と、紫が俺の方を見ながら言ってくる。

 

「そうね、待ちくたびれていたからそうしてくれると嬉しいわ」

 

幽香も賛同。

 

藍はただ黙って紫の言葉に頷くだけ。

 

「さて、こちらにも言いたいことはあるけれども、まずは耕也から。当然ね」

 

と、紫が促してくる。

 

すかさず俺は

 

「1つ最初に。幽香、紫、藍。もう事情を知っているだろうから聞くけれども、3人とも俺を食べたくて仕方がないのか? 我慢できない程に。今食い殺したいと思うほどに……どうなんだ?」

 

これだけはさすがに聞かなければならない事である。

 

単刀直入に。真っ先に確認しておかなくてはならない事である。

 

本音を言うなら聞きたくない。彼女たちの口からその言葉を聞くのはとても辛い。

 

だが、聞かなければ解決への一歩も踏み出せない。スタートラインに立つことすら不可能なのだ。だからこそ聞く。

 

俺の言葉を聞いた三人は、皆それぞれ違った顔にわかれる。

 

幽香は驚きの表情を。藍はニッコリとした笑顔を。紫は頬笑みから無表情へと移行させる。

 

その表情からは様々な事を読み取れる。が、読み取る前に紫が俺に口を開いた。

 

「確かに食べたいとは思っているわ。現に貴方を私は食べてしまった。とても美味しかったわ。とても……ね。でも―――」

 

「改めて思ったけど。紫、私よりも先に食べるなんていい度胸してるわね。急に呼び出すなり何を話すかと思えば……殺すわよ?」

 

と、幽香がくってかかる。俺にとっては幽香が紫の話を遮った事や、話し合う内容を知らなかった事よりも、幽香までもが俺の事を前々から食べたいと思っていたことに少なからずともショックを受けた。

 

幽香もやはり妖怪。高次元体の俺の事を食べたいと思っているという事は必然的なのかもしれない。

 

履甲や鬼の時と同じく。美味そうに見えてしまうのだろう。

 

予想としていたこととはいえ、現実を目の当たりにすると、やはり気分が落ち込む。

 

あれだ。水を目いっぱい入れた銀バケツに、墨汁を垂らしたかのように急激に変わっていくのだ。

 

きついし苦しいし辛い。

 

しかし、これを解決しなければ何も変わらないのだ。

 

「そちらのどっちが先に食うかなんてことなんてどうでも良い。紫さん続きを話して……」

 

幽香は今の状況を読んでか、両手を上げてお手上げ状態をして紫に渡す。

 

「確かに美味しかったの事実。でも、今は貴方の血肉のおかげで力が戻っているから理性を失うという事はないわ。ただ、食べたいと思っているのも事実よ……」

 

「そうか……藍は?」

 

すると、藍はニッコリと笑みを浮かべながら

 

「私も食べたいとは思ってる……一度はな。紫様も幽香も、もちろん私もお前の血肉だけがほしいと思っている。他の人間の血肉など……ふふふ」

 

「なら……幽香もだね?」

 

すると、幽香はなんとも気まずそうに眼を俺からそらしながら、泳がせ始める。

 

が、俺が見続けているという事に耐え切れなくなったのか、ため息を吐きながら話し始める。

 

「ええそうよ……貴方を愛しいと思っていると同時に少し食べてしまいたいと思っているのは事実……よ?」

 

そこまで聞いた時、やはりこれは厳しいなと俺は思ってしまった。

 

相方十分に愛しさという感情はあるだろう勿論。

 

しかし、彼女たちはそれと同時に食欲を持ち合わせているのだ。俺に対して。

 

そして俺はその愛しさよりも上回ってしまうほどの恐怖と言う感情を彼女らに抱き始めている。

 

それは紫に食われたあの時より爆発的に増大したことは言うまでもないだろう。

 

少しの間冷却期間を設けるべきか。そう俺は思ってしまう。やはり食欲という本能を話し合いで解決するという事は不可能であり、その食欲が俺に対して向けられているという事が明確になってしまった今、解決するのは時間を置くのが一番なのだろうかと。

 

確かに紫たちは今理性を失うほどの力の消耗はない。だが、次何かしらの戦いなどで力を極限まで消耗したら、確実に俺を食いに来るだろう。

 

勿論次に食われるのは嫌に決まっている。領域を全力展開してでも自分の体を守る。つまりはその時になったら幽香たちは俺の血肉を摂取することができず、仕方なく休眠状態に移行する可能性もある。が、もしくは発狂する可能性もあるのだ。

 

だから、俺は関係を断ってしまえば今よりはきっとマシな状態になるに違いない。

 

しばらくだ。しばらく冷却期間を設けて、時間が経ったらまた会えばいい。その時彼女たちが俺に興味を無くしてしまっているのなら、それは俺に落ち度があったという事で片づけられるのだ。

 

俺はそんな独りよがりな考えを持って、彼女らに提案をする。

 

「幽香、藍、紫……1つ提案があるのだけれどもいいかい?」

 

すると、藍達は俺の提案を待っていたように頷く。

 

「紫たちは俺の体を食いたいと思っている。でも俺は紫達に食われたいとは思わない。勿論ここで妖怪と人間の考え、倫理の差が生まれている。この壁はやはりどんなに歩み寄ったとしても無くなりはしない……藍、悪いけれども俺の肉を食わせるわけにはいかない」

 

俺がそういうと、少し眉毛を下に下げながら、残念そうな顔をする。

 

「たしかに愛してくれているのは十分に理解しているし感じてもいる。けれども、紫達は俺の事を食いたい、俺は食われたくないというこの差が生じている限り共に生きていくのはかなり厳しい。俺自身の気持ちとしても、紫達が怖い。非常に怖いし、俺がずっと紫達の傍にいれば紫達の精神に多大な悪影響を及ぼすから。違わないよね?」

 

すると、紫は分かっていたかのように頷き、俺に提案をしてくる。

 

「耕也の言い分は十分に分かっているわ。でも、それは貴方に痛み、苦しみ等といった負の感情、感覚が生じるからい嫌だと言っているのよね?」

 

まさにその通りである。

 

目の前で食われていくという、あのおぞましい光景を眺めていくのはもう二度と。到底不可能である。次にやられたら今度こそ立ち直れなくなる可能性が高い。あれほど悩んで悪夢に魘されて、吐いて、泣きまくっているのだ。次があるなんてことは考えられない。

 

「そう、その通りだよ紫」

 

それを聞いた紫は、満足げに何度も頷き、藍の方を見る。

 

藍も紫の行動から何かを察知し、理解したのか嬉しそうに頷きながら俺の方を見てくる。

 

「耕也。あなたが寝ている時ならどうかしら?」

 

寝ている時……?

 

俺が寝ている時……?

 

一瞬彼女の言いたいことが良く分からなかった。何を言っているか理解したくなかったというべきか。

 

「紫さん…………もう一度言ってもらえる?」

 

幽香はすでに紫の言っていることを理解しているのか、ずっとその場に静かに座っているだけで一言も話そうとしない。

 

対する紫は、いつもよりも饒舌に、まるで待っていましたと言わんばかりの姿勢で俺の質問に答えていく。

 

「だから……寝ている時に、貴方の腕一本を頂くのはどうかしら?」

 

寝ている間に俺の腕……?

 

「寝ている間にだって……?」

 

「ええそうよその通りよ。貴方が寝ている間に痛くない様にこちらで術をかける。そして、私の隙間でちょっきんと切ればおしまい。幸い貴方の腕は領域が全修復してくれるだろうし、流れる血は私たちが何とかするわ。そして、貴方は目が覚めたら何も変わらない日常を過ごすことができる。これなら妖怪と人間の軋轢を埋め、かつ私たちは愛し合っていける。すでに幽香にこのことは話してあるわ」

 

確かに双方にとって一番の手はこれだろう。だが、俺はその案が非常に気に入らない。好きになれない。

 

知らぬ間に自分の体が誰かに奪われているという異常事態にだれが賛同できようか。

 

睡眠薬を飲まされ、勝手に臓器の摘出手術を行われるのと同じである。

 

到底俺の中で許せることではなく、断固として受け入れることのできない案である。

 

俺はその旨を紫に伝える。

 

「嫌だ」

 

ただこの一言である。

 

「嫌……かしら……極めて合理的だと思うのだけれど」

 

「絶対に嫌だ。合理的であろうと断固として受け入れるわけにはいかない」

 

紫は俺の言葉を聞くたびに当てが外れたように驚きの表情を浮かべる。

 

妖怪の倫理ではここら辺が十分譲歩した形になるのだろう。しかし、其れでも俺は嫌だ。

 

「気が付いたら俺の腕が真新しいものに修復されてましたなんて絶対に嫌だ。無理だ。もしそんな事をしようとしたら外部領域と内部領域の全てを常時展開させ続ける」

 

ここまで言うと、紫は露骨に嫌そうな顔をしてくる。

 

まるで名案を言ったのにもかかわらず、其れを軽くつぶされた時のような嫌そうな表情。

 

「なら貴方には何かほかの解決案があるのかしら?」

 

「そう、そこで俺からの1つ提案がある……1つ」

 

そこでようやく前々から考えていた事を言い始める。

 

「先ほど言った紫達の精神に悪影響を及ぼすという事。これを解決するには―――――」

 

「だからそれを解決するために私は双方にとって最も傷つかない案を出したのよ?」

 

「それは俺の精神が持たないと言っているんだよ。食われていると認識してたら痛くなくても十分精神に影響があるって事だよ! ……ごめん。だから、この双方の問題を解決するように……」

 

大きく息を吸って、彼女達の目をよく見る。紫、藍、幽香の目をよく見る。

 

「しばらく冷却期間を置こう……このままでは双方に悪影響しか及ぼさないから、一旦少し間を置くべきだと思った」

 

冷却期間を置こう。その言葉を言った瞬間に、幽香からとんでもない殺気が叩きつけられてくる。

 

一体何を言い出すんだこの男は。もう少し口を開かせてみろ。貴様の喉笛を潰してやる。とでも言うかのように。

 

あまりにも凄まじい殺気に、俺は怯んでしまいそうになるが、ここで引いてしまったら全てがパアである。

 

そして、対する紫達は幽香とは違い、未だに俺の話が理解できていないのか、口をポカンと開けたまま唯々座っているだけである。

 

このアンバランスな状態が数十秒続く。

 

と、ようやく把握し始めたのか、紫が口を開いて俺に言葉を投げてくる。

 

「耕也……冷却期間ってまさか……」

 

「…………耕也」

 

幽香はただ黙ったまま睨みつけてくる。藍はポツリと俺の名を呼ぶだけ。

 

「だから……しばらく会わない様にしようという意味だよ」

 

強引ではあるが、こうでもしないと俺が終わりそうで怖い。唯でさえ精神にガタが来ているのにあの案を飲んだら一体どうなる事やら。

 

すると、紫はこちらの方を見ながら、ゆっくりと静かに口を開いて返答してくる。

 

「それは無理よ? 貴方が距離を置こうとしても私は貴方のところに行けるのよ? 貴方は地下にしかいられないの。分かっているわよね?」

 

そう、分かっている。紫達と距離を置こうと思っても賛同されることはないということぐらい。幽香も同じ意見だろう。

 

幽香は、もう俺にそれ以上喋るなと更に睨みをきつくしてくる。俺としては別れたいだなんて思っちゃあいない。しかし、このままいけば双方に悪影響を及ぼすのは必至という事に変わりは無いのだ。

 

「そうだね、それは事実だよ……」

 

「なら、私の提案を受け入れてくれるかしら? 私達も貴方の腕を得る代わりに、今まで以上に愛し、尽くすわ」

 

一瞬ではあるが、意志が揺らぎそうになる。今まで以上に愛し、尽くす。男にとってこれ以上の魅力的な言葉は無いだろう。

 

でもそれでも、腕をとられるのは勘弁願いたいのだ。俺の持っていきたい妥協点に到達するまで。

 

「だから、それは受け入れられないと何度も言ってるだろうが……」

 

俺がそう返すと、俺が断り続けているせいか紫に段々と苛立ちの表情が浮かんでくる。

 

「……耕也、では他に何ができるのかしら? 今の貴方に……」

 

「地下にしかいられない……なら、俺は此処よりも遥かに遠い場所へ行く。ずっとずっと遠くの場所へ行く。そうすれば問題は無いだろう?」

 

その言葉を聞いた幽香が、震えるような声で此方に話しかけてくる。

 

「耕也……と、遠い場所って…………?」

 

「この日ノ本じゃない場所。もっともっと、ずっとずっと遠い場所。誰も知らない場所に行く。そうすれば双方の精神に悪影響を及ぼさないだろう? だから―――――」

 

そう俺が言葉を続けようとしたときだった。

 

目の前にあった卓袱台が、一瞬で左方向に弾き飛ばされ、轟音を立てながら壁をぶちぬいていく。

 

この一瞬で何が起こったのか分からない俺は、呆然とするしかなく。次の瞬間には俺は天井に目を向けていた。

 

「ダメよ! 絶っっっっ対に駄目っ!! 許さない。そんなの許すもんですか!!」

 

俺の胸倉を掴み、怒鳴り散らしてくるのは紫。

 

先ほどまでの静かな紫とは思えないほどの激昂ぶり。当然、俺は突然の変化についていく事ができず、そのまま紫に言葉を投げつけられるのみ。

 

「貴方がその意思を持っていたとしても私は絶対に認めないわっ!! 絶対に! もし離れようなんてしたら貴方を殺す! 絶対に殺してでも止めるわっ!」

 

内部領域に触れて力が出せないのにも拘らず、この威圧感。怒り。それによって歪んでいく空間。

 

ビリビリと空気が震え、家が悲鳴を上げ始める。

 

「耕也、お前を私達が逃がすとでも思うのか? お前が、この私達から逃げられるとでも思っているのか? 許すわけがないだろう?」

 

俺が組み伏せられている間、藍が俺を睨みつけながら静かに、しかし貫くような強い声を持って話しかける。

 

「ねえ耕也、貴方は私を裏切るのかしら? 私をおいて何処へ行く気なのかしら? ふふ、もしソレを行動に移したら、貴方の身体全てを食らってあげるわ」

 

殆ど感情だけで言ってくる紫達。

 

彼女達を傷つけてしまっていると後悔する反面、此処まで強引にいかなければ彼女達妖怪の倫理を遮って此方の要求を通すことはできない。

 

だからこそ

 

「じゃあ、幽香、紫、藍。改めて言うが、俺は肉を食われるのは絶対に嫌だ。どんなに譲歩したとしても、血液まで。もし、血を与えるという案が承諾できるのなら、俺はそれに応じるさ。もしできなければ俺はもっと遠くの世界に行く」

 

頼む。これが今の俺にできる最大の譲歩。肉を食われるという事を想像しただけで吐き気が、怖気が、寒気がしてくるのだ。

 

そんなのに毎日直面するなんて考えたくもない。

 

だから、血で勘弁してくれ。もし、何百年も先の未来で俺の考えが変わったら、その時は俺の肉を上げよう。考えが変われば。

 

そう思いながら、俺は幽香、藍、紫の反応を待つ。

 

受け入れて欲しい……。俺の提案を飲み込んでほしい。

 

すると、ビリビリと震えていた空気が収まり、紫の手からも力が抜ける。

 

そして、のっそりと俺から退いて、元の位置に正座し直す。一度ため息を吐き、深呼吸をしていく。

 

「……藍、幽香はどうなのかしら? 血で大丈夫?」

 

「紫様。私は大丈夫です。力を消費する事があまりありませんので……」

 

「私は食べても食べなくてもどっちでもいいわ。だから血でも我慢できるわ」

 

そして、紫の回答が最後。

 

起き上がって、紫の答えを聞こうとする。

 

紫がどのような答えを出すのか。今のところ3対1で此方が優勢。しかし、紫の意見が真逆の可能性もあるのだ。

 

妖怪は欲に忠実なのだ。

 

だが、俺の懸念は杞憂であったようで

 

「……分かったわ。血で妥協するわ…………」

 

と言ってくれた。

 

妥協。これで妖怪と人の壁が無くなったわけではない。だが、これで何とか崩壊するのを防ぐ事ができた。

 

 

 

 

 

 

ただ、俺が提示したこの案。それは数百年先に、大きな大きな代償となって返ってくる事が、ズルリズルリと延長されただけである事に、俺は気付く余地も無かった。

 

 

 

 

 

 



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88話 遅れてすまない……

ありがとうございました……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ヤマメさ~ん、いらっしゃいませんか?」

 

紫達との契約もどきの一件から数日経った現在、俺は今まで行こう行こうと思っていたのに中々行けなかったヤマメの所に来ている。

 

地底に来てまだ間もないころに散々助けてもらったのにも関わらず、その御礼に行く機会が巡って来ず、現在まで引き延ばされてしまったのだ。

 

妖怪は陽気な奴が多いから、この遅れてしまった事について咎めてくるような事は少ないかもしれないが、俺としては何ともむず痒く気持ち悪いのだ。人間の性というものかもしれないが。

 

地底と地上を結ぶ縦穴の中間に住むヤマメ。地底の中でも随一の人気を誇り、その性格、美貌、容姿も相まって多くの者を魅了する。

 

此処の巣に来る途中に少々気に掛かる事があった。

 

何故か今日も橋姫ことパルスィの姿を見かけなかったのだ。上空から橋を見下ろしていたので、俺の見落としという可能性も無きにしも非ずだが。

 

そんな事を考えながら、ヤマメの返事を待っているのだが、中々返ってこない。

 

はて、留守だろうか? 酒も持ってきたのにいないのはなあ……。

 

そう俺は負の予想と僅かばかりの焦燥感を抱きながら、再度声をかけてみる。

 

「ヤマメさん? いらっしゃいますか?」

 

先ほどよりも幾分か大きめである。

 

恐らく、洞窟内部に居ても俺の声は十分に届くであろうと思われる大きな声。これなら聞こえているだろうし、返ってこなかったらいないという事の他ならない。

 

発せられた声は、瞬時に洞窟内深部にまで到達してエコーが掛かる。

 

何度も何度も洞窟内の複雑な形状をした岩に音が当たり、内部の空気をしっちゃかめっちゃかに掻きまわしていく。

 

すると

 

「はいはいいるわよ…………って耕也じゃない」

 

何時もと違う声が聞こえてくる。ヤマメの声よりも少々高く、女性特有の気品さがある声。

 

最初は洞窟の暗さゆえに、姿が見えなかったが、そのエメラルドのごとく光る緑色の両眼を見た瞬間に、姿と声が合致した。

 

「パルスィさんですか?」

 

そう俺が答えていくと、洞窟内部から薄らと顔が分かる所にまで歩いてくる。

 

薄らと光る苔に照らされて見えるその相貌は、まさしくパルスィその人であり、少々不機嫌そうな顔の中に驚きを混ぜた表情を浮かべているのが、何とも以外で俺は笑ってしまいそうになる。

 

「ええその通りよ耕也。……ああ、ヤマメならいるわよ。着いてらっしゃい」

 

そう言いながら、俺に来いとハンドサインをしてくる。

 

無論、そのハンドサインに反抗する理由など俺には無く、はい、と返事をして中へと入っていく。

 

洞窟に入り、完全な暗闇になった瞬間、生活支援が働き普段と変わらぬほどにまで視力が回復する。

 

しかし、どうしても落ち着かない。これを使ったのは履甲と闘った時以来であるが、やはり懐中電灯の方が落ち着く。

 

何と言うか、暗闇の中でこの吸血鬼の夜目に似たようなモノを使うのは人間ではありえないため、素直に文明の利器に頼った方が安心するのだ。

 

とまあ、そんな無駄な事を考えていると、前を歩くパルスィが口を開く。

 

「そうそう耕也、まだ聞いていなかったけど、どうしてここに来たのかしら?」

 

と、何とも力の抜けそうな声で言ってくる。まあ、大体理由は分かるわよとでも言いたそうな抑揚で。

 

「ええとまあ、御礼ですかね……地底に来て間もないころにかなりお世話になりまして、それで御礼がまだ済んでいなかったものですから」

 

そう言うと、やっぱりとでも言いたそうなため息を吐きながら、パルスィは俺に返答してくる。

 

「全く人間は……律儀なものね本当に……本当、変な所で気を使うんだから……」

 

「いや、受けた恩は返さないといけないですし……」

 

「こっちの話しだから気にしないで頂戴。……それにしてもまあ、あなたみたいな人間が地底に来るだなんて、本当に変な世の中ね」

 

それは褒めているのか貶めているのか。いや、多分どちらでもないのだろう。彼女は表面上の性格等で今の事を述べているにすぎない。

 

その地底に封印されてしまった理由まで彼女は知らない。幽香達が一度此処に来たから、それとなく知ってはいるのだろうが、それでも詳しくは知らないのだろう。

 

此処は無難に返しておくべきか。

 

「まあ、考えは千差万別ですから、それに足る理由という物があったのでしょう」

 

ソレを聞いたパルスィは、此方を振り返りながらニヤリと笑い

 

「まあ、話したくないのなら話さなくてもいいわ。八雲達が下りてきたことと関係しているのは私も分かってるし、それ以上深入りはしない。まあ、頑張りなさいな。それと、敬語と敬称は要らないわ」

 

「ありがとうござ……ありがとうパルスィ」

 

そう俺が言いなおして彼女に返答すると、満足げな笑みを浮かべて奥に向き直し、声を大にして呼びかける。

 

「ヤマメ! 耕也が来たわよ!」

 

そう言うと、はいはいと中から声が聞こえ、パタパタと足音が聞こえてくる。

 

「耕也かい? 久しぶりだねえ」

 

と、笑顔を見せながら、ヤマメが近寄ってくる。

 

相変わらずの妖艶さ。一挙一動がエロく感じてしまうのは一体何故なのだろうか? やはり俺が変態だからだろうか? いやいや男は皆変態。

 

すると、俺の考えが分かってしまったのか、ヤマメが途端に顔をニヤニヤさせながら、近づいて肘でツンツンつつく。

 

「耕也あ、もしかしてお姉さんの容姿に見とれたのかい? 全く変態だねえ耕也は」

 

そんなオヤジ臭い返答に、俺は少々ゲンナリしながらも、彼女の答えに否定の言葉を入れる。勿論嘘の返答ではあるが。

 

「いや違いますって。俺はただヤマメさんと久しぶりに会ったなあと思っていただけでして」

 

「ほほう、それじゃあ私の身体は貧相ってことかい? 酷い男がいたもんだねえ……」

 

「え、ええ? ち、違うってヤマメさん。確かに……ああ、あー……勘弁して下さい」

 

そう俺が返答に困っていると、ヤマメはそれが可笑しかったのか、ケタケタと笑ってくる。

 

「あっははっははははははは! 冗談だって、分かってるよ耕也……さ、着いてきな。ソレと敬語は要らないからね?」

 

全くこの人はもう……何て思いながら、俺は彼女の後に着いて行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「人間てなあ不思議な生き物だねえ、義理堅いのかお人好しなのか分からない時があるよまったく……」

 

顔を少々赤らめたヤマメがそう言ってくる。

 

御礼を言って、酒を差しだし、卓袱台を創造して飲みを始めたのはいいモノの、彼女らは水を飲むかのようにごくごくと酒を飲み始め、今の有り様である。

 

そして

 

「全くね……妖怪はそんな気にしちゃあいないわよ? 長く時を生きるのにも拘らず、そんなに一々気にしていたら双方の身が持たないわ」

 

と、パルスィも赤ら顔でヤマメの意見に賛同する。

 

そして、俺の方を向きながら、説教をするかのように助言をしてくる。

 

「耕也、貴方は人間だろうけど、もう少し余裕を持ちなさいな。妖怪ではないとはいえ、貴方も相当な年月を生きているのでしょう? だったら、耕也も妖怪のように呑気に生きてみたらどうかしら?」

 

そう言って自分の言葉が正しいものなんだと言わんばかりに、ウンウンと頷くパルスィ。

 

確かに彼女の言い分も合っているっちゃあ合っている。

 

人間は妖怪よりも精神的な意味では強いとはいえ、それでも精神に凹みなどは必ず生じる。その状態が続けば確実に精神を蝕んでいき、どこかしらでしわ寄せが来るのだ。

 

妖怪はソレを防ぐために、この数千年数万年とも言える生を謳歌するため、自然とそういった防御、あるいは回避法を持っているのだ。

 

だからこそ呑気、欲に忠実。本能が優先されがちなのである。そう、あの紫の時みたいに。

 

ソレを思った瞬間、身体がブルリと震えてしまう。

 

酒を飲み、身体が火照っているこの状態で、だ。この状態でブルリと震えてしまったのだ。

 

思わずグラスをおいて両腕を擦って摩擦熱を起こさせてしまう。

 

未だに完全に抜けないあの生々しさが、ふとした拍子に飛び出てくるのだから性質が悪い。

 

ふう、と小さくため息をついて、俺はまた酒を飲む。

 

と、そこで俺の異常を察知したのか、ヤマメが俺の事を訝しげな目で見て質問してくる。

 

「どうした耕也? 酒がまずかったのかい?」

 

「いやあ、そういう訳じゃあないけれども……妖怪と人間の差は大きいなあって思ってね」

 

そう言うと、ヤマメはグラスを置いて神妙深げに頷きながら、一つの意見を言ってくる。

 

「ああ、そりゃあ妖怪と人間じゃあどんなに歩み寄ったとしても壁は打ち破れないさね。でもそれは仕方が無い。人間と妖怪じゃあ存在理由も違うし、寿命が元からして桁違いだからね」

 

そう一息で言った後、ヤマメは残りのグラスを口に傾け、空にしてまた話す。

 

「でもまあ、ソレを我慢することは不可能じゃあない。現に、お前さんだって此処で暮らせているのだから、問題は無い。違うかい?」

 

確かに我慢できなくはない。現に俺は此処で暮らしている。

 

 

(あんな事が起きたんじゃあそれも考えづらくなるんだよなあ……まあ、紫の場合は力が枯渇してた故っての理由であるが……あの事を今ここで話す必要もないし、話したところで何か進展があるわけでもない。逆にこの場の空気を乱すことになりかねない……)

 

そうなのだ。此処でこんな事を言っても何の意味も無さない。

 

だから、俺は此処では肯定しかする事ができないのだ。

 

「まあ、そうだよね。確かに俺は此処で暮らせていると思うよ」

 

だが、それで終わるわけではなかった。

 

「そう、確かに暮らせているのは事実さね。でも、大体の妖怪は思っているんじゃないかな? 無論私も含めて。……耕也は今までに見たどの人間よりも美味しそうだって。パルスィもね?」

 

分かってはいた事だが、かなりきついのは仕方が無い。

 

俺がどんなに頑張って仲良くなった所で、この体質が改善されるとは到底思えないし、これからもずっとこのままであろう。

 

慣れなければ。アレが起こるまで大して気にしていなかったのだ。今度はその状態にまで、軽く受け流せるまで慣れなければならないのだ。

 

そう思いながら、俺は彼女に返答をしようとする。

 

 

「はいはい、そこら辺までにしておきなさい。酒がまずくなるわ」

 

と、パルスィが止めに掛かり、話題を強制終了させる。

 

流石に言い過ぎたと思ったのか、ヤマメも酔っ払いながらも眉をへの字にさせて俺に謝ってくる。

 

「いやあ、ごめんよ耕也。配慮が足らなかったね」

 

「いえ」

 

そう無難に返して、俺は酒を飲み続ける。

 

しばらく沈黙が訪れる。

 

先ほどの空気がまだ残っているのか、口を開きづらいのだ。どんな話題を出していいのか、いま話し始めてもいいのか、彼女達が出すのを待つべきなのか否か。

 

この空気が迷わせてしまう。残っている酒は後半升もない。

 

なんというか、この無駄に消費されていく酒の残りが、この集まりの終了時間を表しているようで、何とも言えない焦燥感を湧き起させてくる。

 

が、何とか意を決してヤマメ達に話しかけてみる。

 

「そうだねえ、最近は何かこう……活気と言うかなんというか、祭り、大事件のようなモノってなかったかい?」

 

そう俺が言うと、何か面白かったのか、パルスィがプッと吹き出して笑ってくる。

 

「あははははは! そんなの無いわよ。地底は何時も平和よ……最近と言えば、耕也の事を追ってきた風見幽香とか言う妖怪じゃないかしら?」

 

その言葉を聞いた瞬間、何故かヤマメが背筋をピンと伸ばして赤ら顔を青くする。

 

そして、少々乱暴にグラスを卓袱台に置いたかと思うと、身体を小刻みにブルブルと震わせながら、パルスィに聞き返す。

 

「その妖怪って…………どんな奴?」

 

その顔は、半泣きとまではいかないが、かなり困惑している表情であり、できればその質問の予測が当たらないようにと願っているモノであった。

 

対するパルスィは、酔っているせいか、そのヤマメの表情と声を気にも留めず、スラスラと特徴を述べていく。

 

「ええと確か……そうそう、短くて少し癖のある緑髪で、シマシマ? 模様の上着に日傘を――――」

 

「駄目駄目! それ以上は言わないで!」

 

と、パルスィの言葉を途中で遮りながら、蹲る様に両手を頭に乗せてウンウン唸り始める。

 

余程嫌な事があったのだろうか? と、愚行してみる。

 

しかし、ヤマメが幽香達と何か接点があったようには思えないのだが、彼女の身に何が起きたのだろうか?

 

と、そんな事を思うと俺の中の好奇心が首を擡げ始める。その好奇心は認識したと同時に爆発的に膨れ上がり、ついには抑えきれなくなってしまった。

 

だから、ついつい口から彼女に質問の言葉が出てしまう。

 

「ええと、もしかして、幽香と何かあった?」

 

という言葉が出てくる。

 

その言葉にびくりと身体を大きく震わせ、俺とパルスィを見て大きくため息を吐きながら話し始める。

 

「いやねえ、耕也が地底に来てまだ数日ぐらいかなあ……何時も通りの生活をしていたのさ。ところが……」

 

そう言って一度言葉を切って、またもため息を吐く。

 

そのヤマメの姿を見かねたのか、パルスィがヤマメに優しい口調で進言する。

 

「話したくないのなら、話さなくなくてもいいのよ?」

 

まさにパルスィの言う通りである。

 

妖怪は妖怪。精神的なモノに弱い。剣でばっさり切られた程度では死には至らない。だが、ソレを補って余りある攻撃力を誇る現代兵器。又は精神的要素の高い破魔の札等にめっぽう弱くなってしまう。

 

そしてその精神的なモノは勿論トラウマだって該当する。だからパルスィも声をかけたのだ。

 

無理する事は無い。ヤマメ自信に外が降りかかる可能性があるのだ、と。

 

そんなパルスィの言葉を受けたヤマメは、一瞬ありがたそうな微笑みを浮かべたが、首を振って

 

「いや、話すさ。酒の席だものねえ……」

 

そう言いながら、更に言葉を吐きだしていく。

 

「そうそう、それでいつも通り生活してたんだけど、本当に突然だったよ……上から強大な力を纏った奴等が三人。見れば一人は九尾、一人は胡散臭い奴、そして最後はさっきの風見幽香ってわけだ。……そこで運が悪かったのか、眼が合ってしまってね。風見幽香とやらに耕也はどこにいるか? と聞かれてしまってね……」

 

と、本人が聞いたら激怒しそうな事を言ってくる。まあ、聞こえはしないだろう。

 

そして、グラスの酒を注いで口に入れて一息つく。

 

グラスを置き、片手を肩から腕へと撫でつけながらまた話す。

 

「とまあ、後は大体分かるだろうけれども、殆ど殺すつもりだったよあの眼は。言わなきゃあ私の命が無かった……」

 

いや、俺の所為と言う訳ではないだろうが、確実に身内が迷惑をかけたのは事実、あの時は涙がボロボロ出てくるほど嬉しかったが、今となっては少々かすれてしまう物もあり、更には知らない所で被害を被ってしまっている者もいたのだ。

 

何とも申し訳ない気持ちになってくる。

 

だからついつい

 

「ああ……すまない。身内が迷惑をかけてしまったようで」

 

と、謝ってしまう。

 

多分彼女達はヤマメの事などこれっぽっちも気にしてなどいないだろう。何しろあの時は彼女達にとっても緊急事態だったのだろうから。

 

だから、俺が代わりに謝るのだ。

 

だが

 

「耕也あ……いらないよ謝罪なんて。笑って飛ばせば済む話なのさこんなモノは。酒の肴にでもなれば万々歳。悪いことなんて何にもないじゃないか……パルスィもそう思うだろう?」

 

「ええそうよ耕也。ヤマメが話すといったのだから、ソレを唯聞いていればいいだけの事。謝罪なんて必要ないわよ。ヤマメも笑ってればいいと言っているのだから、笑えばいいの」

 

と、パルスィとヤマメにそこまで言われては、此方も謝罪の言葉を引っ込めなければならなくなる。

 

「まあ、それもそうだね」

 

そして後の話は特筆して何かヤバいものでもなく、人生の中であった面白い事を三人で語っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ええとそれで、何でここにいるのヤマメ……」

 

良く分からないが、俺がヤマメ達と別れを告げて自宅に戻ると、何故か玄関の前にヤマメがいた。

 

特に寄り道をしたわけではないのにも拘らず、何故此処にヤマメがいるのだろうか?

 

いや、妖精とか妖怪は瞬間移動みたいな術を使う事が出ると言うのは知っているから、多分それを使ったのだろう。

 

と、そんな事を考えていると、ヤマメがニヤニヤした笑みを浮かべながら、俺に話しかけてくる。

 

「まあまあ、お酒を持ってきてくれたんだ。今日は私が手料理を御馳走してあげようじゃあないか耕也……どうだい?」

 

嬉しいのか悲しいのか分からないこの感情は一体何だろうか?

 

まあ、特に気にする必要はないか。

 

「別にお返しなんて良いのに……第一俺が御礼に向かったのだからお返しも何も……」

 

と、俺が言ったところで、ヤマメは退散するわけでもなく。

 

ちっちっちと指を振りながら、俺の背後へ素早く回り込み背中を押してくる。

 

「さあさあ、友人の為に鍵を開けておくれ耕也。いい女が手料理を馳走してあげると言ったんだ。受けないのは男の恥だよ?」

 

随分と勝手なことを言ってくれる。

 

が、まあ来てしまったのは仕方ないし、此処で拒否して返してしまうのも忍びない。

 

だから俺は、鍵を開けて中に招いた。

 

 

 

 

 

 

「まあちょっと待ってなよ。すぐに美味しい物を作ってやるからさ……」

 

そう言って早5分。一通り器具の使い方などを教え、補助はいるかどうかを訊き、断られてどっかり卓袱台の前に座り込む俺。

 

すでに米は冷や飯があるからソレを食べればいいとして、彼女は一体何を作るのだろうか?

 

普段彼女が食べている物を知らない俺からすると、若干の不安を感じてしまう。

 

できれば人間の食えるもの……とはいっても、人間と同じようなモノを食っていると言うのは分かるから、そこまで心配する必要はないか。

 

食材も冷蔵庫の中にある物から使っていいといったし、鶏肉とかを使って無難なモノを出してくれればいいなあ。なんて失礼な願望を頭の中に浮かべていたりする。

 

そして待つ事20分。

 

「おまたせ~」

 

何て言いながら、陽気な表情でヤマメが盆に乗せてやってくる。

 

 

「で、でかい卵焼きだな……」

 

そう俺が思わず呟くと、ヤマメは照れた表情で頬を掻きながらホワッと表情を崩す。

 

「いやあ、だって……希少価値の高い卵がいっぱいあったもんだから……腹いっぱい食べたくてさあ。あ、味は保証するよ?」

 

まあ、俺も食べるけれども、大きさを見てみると大体……卵10個は使ったのではないだろうか? いや、もっと使ってるかもしれない。

 

そんな印象を受けるほどの大きさ……匂いはとても良いし、味もヤマメが自信を持って言うのだから美味いのだろう。

 

しかし、俺にはトテモじゃないがこれは消費しきれない。つまりは

 

「まあ、食べ切れなかったら私が多めに食べるからさ……」

 

少々笑いながら、眼を空へと逸らしながら言ってくる。

 

「さ、さあ食べておくれよ。卵美味しんだからさ!」

 

いやまあ、確かにそうなんだろうが、鶏肉を甘辛く焼いたのは良いし、味噌汁も美味しい。それでも、この卵焼きの大きさに圧倒されてしまうのは仕方のないことだと思う。

 

俺はガツガツと卵焼きを食べるヤマメが何だか輝いて見えてしまい、良く分からない気持ちになったのだが、とりあえず卵3個分ぐらいの卵焼きは食べた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「じゃあ、お休みヤマメ……」

 

そう言って耕也は別の部屋へと去っていく。

 

まあ、確かに男女が一つの部屋で寝ているのはあまり宜しくないと言うのが、彼の中にある一つの考えなのだろう。

 

しかし、私の中では別の考えが浮かびあがっていた。

 

それは

 

(妙に血の匂いがするね耕也から……)

 

そう、濃厚。余りにも濃密な血の匂い。

 

彼に何かあったのだろうか? あのような濃厚な血の匂いを振りまかれては気にしないようにしようとしても、気になって気になって仕方が無い。

 

本当に何があったのだろうか? 彼があんなにも血の匂いを振りまく原因となった出来事。事件。

 

彼が傷を負った? いやいや、そんなことはあり得ない。

 

耕也は私に会っても領域とやらの障壁を展開し続けていた。

 

現に、私が耕也を後ろから押した時も、力が一気に入らなくなったというのが何よりの証拠である。

 

彼の身に一体何が……。

 

私は耕也の身体から振りまかれる血の匂いに身体が火照り、どうにも落ち着かなくなっていた。

 

知りたい。耕也に何が起きたのか。物凄く知りたい。

 

でも今は駄目だ。もう少し時間を置いてから。後数刻はこのままでいなければ、耕也は眠らないだろう。だからもうしばらく待つのだ。

 

そう思いながら、布団の暖かさに感謝しながら、赤橙色の淡い光に視線を移しながら、安心感からのため息を吐く。

 

ふう、と。

 

しばらく待つ。数刻待つ。

 

大体この辺が頃合いであろうと思いながら、ゆっくりと布団から這い出る。

 

どうにも、布団の暖かさに依存していたようで、外気温に身体が一瞬ブルリと震えてしまう。

 

「ああ、何か肌寒いねえ……」

 

そう小声で独り言を呟きながら、私は襖とやらを開けて耕也のいる居間へと向かう。

 

夕食の時とは全く違う空気。静けさ。先ほどまでの活気が嘘のようである。

 

就寝時とはいえ、此処まで静かなのは中々ない。まあ、私の洞窟内だと風の音が多少あるためでもあるが。

 

そして少し歩き、私は居間と廊下を隔てる襖を開けて、中へと入る。静かに。耕也が起きないように。

 

入った瞬間に、むっと血の匂いがきつくなる。

 

瞬間的に思った。まるで媚薬だと。

 

耕也から血の匂いが発せられているのではなく、耕也に血の匂いがまとわりついていると言うべきか。血が出ていないのだから発せられているのはおかしいであろう。

 

この匂いに身体がぞくぞくするのを感じながら、耕也の側にまで近づいて座る。

 

血の匂いが強く、頭がくらくらしそうになる。

 

どうやら、その血の匂いは耕也の一部分にまとわりついているようにも感じた。それは

 

(他の場所から血の匂いがしない……?)

 

そう、匂いを嗅いでみると、耕也の腹や腕からは血の匂いが全くしないのだ。だが、肩からは

 

(かなりきついねこの匂いは……身体が火照って仕方が無い……)

 

麻薬か媚薬か。きつい匂いがしてくるのだ。それに引かれてしまったせいか、私は思わず手で触れてしまう。

 

その瞬間、まるで刺されたかのように身体をビクッと強く跳ねさせて、眉をしかめて呻く耕也。

 

まるで寝ているとは思えないほどつらそうな顔。これでは寝ているふりをしていると捉えた方が正しいと言えるのではないだろうかという、そんな顔。

 

「何でそんなに苦しそうな顔をしているんだい……耕也? 痛い事でもあったのかい? それとも……寂しいのかい? 地上に……帰りたいのかい? お前のいた世界とやらに……」

 

そう小声で呟いてしまう。

 

私は少しでも安心させてやろうと、耕也の寝床に入り、抱きしめてやる。

 

「ほらほら、お姉さんが此処にいてあげるから安心してお眠りよ……」

 

とは言っても、そう簡単に彼の表情が安堵すると言う訳でもなく。殆ど気休めにしかならない。

 

だが、それでも私は抱きしめ続ける。

 

久しぶりに見た人間に対する物珍しさか。それとも今まで会った人間とは違う反応、生活をしているからか。

 

そしてその中で八雲紫の言葉を思い出していた。耕也と再会した後、顔見知りの私に交渉を仕掛けてきたあの八雲紫の言葉を思い出す。

 

「耕也を堕とせ……か。八雲はお前が違う世界から来たと言っていたよ……。お前を情欲の無間地獄に落とすためだと。依存させるためだと。……確かにお前さんは魅力的だよ色々な意味で」

 

まあ、私も妖怪なのだろう。良くも妖怪悪くも妖怪。

 

寝ている耕也の頭、身体をより一層強く抱きしめる。耕也が決して悲しまぬように。

 

「全く……今は親しい友人関係だと言うのに八雲とやらは無茶を言ってくる……。でもまあ、珍しい人間だしねえ……堕とすというのも面白そうだねえ……。そうだろう……耕也?」

 

蜘蛛が巣に掛かった獲物を糸で包む様に。ゆっくりと。ゆっくりと。

 

徐々に徐々に締め上げて逃げ場が無くなる様に。私達しか見えなくなるように。

 

そして、溶解液を相手に注入して中からじっくりと溶かしていくように。心の奥まで浸透するように、ドロドロに溶かして抗う気を無くさせるまで。

 

 

 

 

 

 

「まあ、妖怪は欲に忠実ってね」

 

 

 

 



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89話 まあそれはそうだけれども……

ひょっとしたらそろそろかもなあ……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時が経つのは早いモノである。

 

特に俺のように人間で更には不老となるとなおさら。更には地底でのゴタゴタが解決されたとなると一気に早く感じてしまう。

 

とはいっても、紫達の相手などを務め、血を提供したり、化閃の酒屋で働きつつヤマメに茶化されるというのが殆どといった感じである。

 

まあ、その中でも面白かった事件などは特には無いのだが、化閃の店で得た給料を賭博で溶かしてしまったという苦い事件ではあるが。

 

あの時の俺は阿呆だった。初めて経験する賭博。実際に眼にする丁半。何故か分からんがこの時代に丁半。江戸時代でもないのに丁半。

 

んな阿呆なと思いながら入ってみると、妖怪達がワーワー言いながら賽を回している。この時代にサイコロってのもおかしいだろと突っ込みを入れつつも、周りの妖怪にやってみろと言われやってみた。

 

すると、その面白さにハマってしまい、給料のほとんどを飛ばしてしまったのだ。

 

あの事件は未だに俺の中では納得がいかない。物凄く納得がいかない。何であの時10回連続で負けたのか分からない。

 

高い授業料だと思いながら、あれ以来賭博はもうやってはいないが。アレはイカサマだ絶対。

 

そして妖怪と言うのも案外さっぱりしているわけではなく、人間よりもしつこい奴もいる。つまりはまあ、結構仲良くなれはしたが、商店街の妖怪達とは未だに隔たりを感じる部分がある。

 

とはいっても、地底に来た時よりは圧倒的に壁は薄くなったが。

 

俺のような人間がいる事自体地底にとっては異常事態なのは分かっている。だとすれば、俺に対して同類に接するように接してくるヤマメやさとりなどは異端だと言うべきなのだろうか?

 

何て阿呆な考えも浮かびはしたが、それは唯単にヤマメの大らかな性格も持つが故に、俺にも平等に接してくれているというものだろう。そして、さとり達は元々性格は厭味ったらしい等と言われているが、俺は心を読まれないから、普通に接する事ができるからであろう。

 

心を読まれるのは流石に俺だって勘弁してもらいたい。本音を言ってしまえばではあるが。

 

そして、そんなこんながあり現在に至るのだが

 

「で、紫……何で幻想郷を創ったとかそういうのを教えてくれなかったんだい……いやまあ、教える義務とかそんな物は無いけれども。あ、3ねこれ」

 

そう、紫がついに幻想郷を創ってしまったのである。地底にいる俺にとってはそんな事を露とも知らず。と言う感じである。

 

そして、それを教えてくれたのは幻想郷ができてから約20年後。もうそろそろ西暦1500年頃といったところか。

 

そう俺が何気なく聞くと、紫は少しへの字に眉を傾けながら、見事な艶の黄金の髪を手で払いながら、俺に返答してくる。

 

「それはまあ……言いたくは無いけれども、耕也は地上の人間にも妖怪にも広く知られてしまっているし、幻想郷にいる人間は退魔の家系が多いから耕也とはかなり相性が悪いと思ったからよ。あ、これ4よ。めくりたい人はどうぞ?」

 

一枚のカードを山に置いて宣言する紫。確かに俺は地上の妖怪達には広く知られているし、人間にも未だに根強く俺の事が伝わっているらしい。厄介なことである。

 

まあ、紫の言いたいことは分かるし、俺に対して配慮してくれたのも十分に分かる。

 

何と言うか、でも歴史の節目となる部分は流石に知りたかったと思っている俺からすると、ちょっと不満になったりしてしまうのは仕方のない事であった。

 

でもまあ、それで紫に起こったりすることなどあり得なく。

 

「ああ、まあ配慮してくれたのはありがとう。もしも機会があれば、ちょこっとだけ地上に出てみたいなあ」

 

俺がそう言うと、紫の左隣に座っていた白蓮が微笑みながら、俺に話す。

 

「もう少し年月を置けば耕也さんもいけると思いますよ? 多少でも記憶などが薄れれば誤魔化しは効くのではないでしょうか? あ、これ5です」

 

そう言いながらカードを置いて行く白蓮。

 

そして、その白蓮の返答に賛同するように、紫もコクリコクリと頷きながら、俺に口を開く。

 

「まあ、耕也もそのうち幻想郷を出歩けるように整備しておくから、我慢して頂戴な」

 

「ありがとうね。……んで、ああ、幽香の番か。カードを置いてね」

 

すると、先ほどから何とも不機嫌そうな幽香は、ぶつくさ文句を言いながら置いて行く。

 

「はい6。と言うよりも、耕也。外部領域広げたままで進行させるのやめなさいよ。力が抜けて違和感だらけよ。藍、あんたもそう思うでしょ?」

 

どうやら先ほどから不機嫌だった理由は、俺が施した外部領域だったようだ。

 

幽香の言葉を受けた藍は、困ったように笑いながら俺と幽香を交互に見ながら、口を開く

 

「ま、まあ確かに力は抜けてしまうが……7だ」

 

どうやら藍もこの妖怪の力が封じられる事に大きな違和感を感じているようだ。

 

その返答を受け取ったのか、まるで鬼の首を取ったかのようにドヤ顔をしながら、幽香が俺に注文してくる。

 

「ホレ見なさい。違和感覚えるのよ耕也。サッサと外しなさいな外部領域を!」

 

と、息巻く幽香。

 

だが、此方としても外部領域を張っている理由はある。

 

「いや、これは外せないよ、これはイカサマ防止だからね。解除したらやられる可能性が非常に高い」

 

そう言うと、幽香が不思議そうな顔をして聞いてくる。

 

「イカサマ? そんなことする奴なんていないわよ?」

 

と、何とも幽香らしくない発言。何時もなら少し考えてから発言するのにも拘らず、今回は反射的に答えてくる。そんなに嫌だったのか。

 

幽香にすまないと思いながら、その訳を話す為に紫に声をかける。

 

「ええと、紫ー?」

 

と、俺が尋ねると紫は露骨に身体をびくりと反応させて俺に聞き返す。

 

「え!? わ、私がイカサマなんてするわけないでしょ?」

 

「いやいや、ばれてるから。あの時幽々子に教えてもらったから」

 

そう、幽々子の所にいたとき、俺は紫がイカサマをしていたという事を聞いていたのだ。あのUNOをした時。

 

隙間で俺達のカードをすべて見て、自分の思い通りの戦いができるように工作していた紫。

 

「ゆ、幽々子から? ……やられたわね。だから今回は領域を展開してたのね? ……はあ」

 

と、諦めたように下を俯き、苦笑する。

 

「紫はイカサマなどというモノをしていたのですか……全く。な……8……です」

 

と、映姫が紫の事を咎めながら、カードを差しだす。

 

「まあ、今回はできないので。ああ、それと映姫様ダウトです」

 

「ぐっ……これが全部私のモノになるのですか……?」

 

いやだって、映姫物凄い分かりやすいんだよな。閻魔だから嘘を付けない。嘘をつこうとしても物凄く分かりやすく出るのだ。態度に。

 

「こ、耕也。私という閻魔にこのような数のカードを押しつけるのですか……?」

 

その枚数、大凡ではあるが、20枚以上は超えているだろう。

 

映姫は、そのカードと俺の方を交互に見ながら、なんとも悔しそうな顔をしている。負けず嫌いなのかそうでないのか。

 

「いやまあ、ゲームですから。これ」

 

そう言いながら、俺は映姫にカードを寄せていく。

 

「むむむ……」

 

と、カードの山が自分に寄せられるのを見ると、なんとも悔しそうな顔をしてくる。それと同時に、俺の方を見てなんとも恨めしそうな顔をしてくる。

 

仕方がないので、とどめの一言を言ってやる。

 

「映姫様、本当に分かりやすいんですよ。いやホント」

 

それを聞いた映姫は、なんとも力の抜けたため息をしながら、カードを整えて自分の手札に加えていく。

 

だが、そこは閻魔と言うべきか何と言うべきか。前に俺がやらかしたカードの散乱とは違い、スッと綺麗に扇形にしていく。

 

しかし、その表情は少々不機嫌。まあ、勿論俺のダウトという発言が原因ではあるが、そこはこのゲームのルールなのだから従ってもらうしかあるまい。

 

と言うよりも、このダウト。映姫だけしか引っ掛かっていないのだ。

 

紫達は勿論、感情的になりやすい幽香ですら、嘘を嘘とばれない様に淡々とカードを出している。無論、俺も何とかばれない様に出してはいるが。

 

だが、映姫は全く違う。自分のカードの提出の番が来るたびに、一喜一憂するのだ。番号が合っていると、あからさまにホッとした安堵感を漂わせ、その該当するカードが無いと、露骨に眉をへの字にして、しばらく考えた後にカードを提出する。

 

勿論それでダウト。面白がって幽香がダウト。ニヤニヤしながら紫がダウト。申し訳なさそうに藍がダウト。のほほんと微笑みながら容赦なく白蓮がダウト。そして、話の片手間に俺がダウト。

 

能力を使えれば一発で見破れるのだが、それはゲームの趣旨に反するので俺が封じている。普通だったらリアルファイトに発展しそうなレベルではあるが。

 

とはいってもまあ、他のカードゲームではかなりいい成績を保っているのだからこれくらい負けても何の問題も無いだろう。常に低空飛行な俺と違って。

 

「耕也、私は閻魔として此処に存在しているのですから、嘘を吐くという事はですね……」

 

とはいっても、小さい声でぶつくさ文句を垂れながら、渋々カードを自分の手前に掲げる映姫。

 

「まあ、こういう娯楽ですので、何とか我慢して下さい。これが終わったら神経衰弱でもしますから」

 

そういうと、おおっ、とでも言いそうなほど表情が好転してくる。もちろん、映姫は頭も人間よりは遥かに良いし、記憶力も段違いである。

 

対する俺は……この人外ズに勝てる方法があればぜひ教えてほしいモノだ。神経衰弱で俺が勝てる可能性は100万回やって1回も無いだろう。

 

それぐらいの格差が生じているのだ。この場に。

 

だからこそこのダウトでは負けてもらいたい。

 

「ええ、では。はい、9―――」

 

「耕也ダウトです」

 

……ま、負けてもらおう。このニコニコしてる人に負けてもらおう……。

 

 

 

 

 

 

 

 

紫達はまだ仕事があると言って、早々と帰ってしまい、幽香も花達の世話をしなくてはならないと言って、帰っていく。

 

「では、私も。一輪達が待っていますので。ありがとうございました」

 

そう言って、白蓮も帰ってしまった。

 

残されたのは映姫と俺。映姫は、非番なので此処に居ても問題ない。

 

先ほどまでにぎやかであったこの居間がとんでもなく静かになってしまい、少々さびしく感じてしまう。

 

何と言うか、あるべき物が無くなってしまった時の虚無感に似た感じだ。

 

上手く言えないが、彼女達と深く関わっていたいという気持ちが根付いているのだろうか?

 

いや。ずっと昔から根付いているのだろう。それが抑えきれはするが、時折考えてしまうほどにまで成長していると言う事だろう。

 

やっぱりこうも一人暮らしが多く続くと、寂しい物もあるもんだなあ。

 

だがまあ、俺としては映姫がいるだけでも物凄くうれしい。

 

 

「耕也。貴方に少し話があります。いいですね?」

 

勤務時間でもないのに、映姫が物凄く堅い口調で俺に話しかけてくる。

 

先ほどのゲームの結果を恨むほど狭量な方ではないし、何より俺もあの後神経衰弱でぼろ負けしてしまった。

 

だからそれはあり得ない。

 

ならば一体彼女の口調を此処まで堅くさせる要因は一体何なのだろうか?

 

と、そんな疑問を持ちながら、俺は映姫に返答する。

 

「良いですよ映姫様。あー……ですが、何故にそんな堅苦しい口調なんですか?」

 

と、何気なく俺は映姫に聞いてみる。まあ、この口調から察するに、それほど穏やかな話題ではないのだろう。

 

何か、俺に対して重要な話題か、それともこの地底に関しての話題か。映姫自身に対する話題なのか。現時点ではこのような適当な予測しかできないが、とりあえず穏やかではないのだろう。

 

そんな事を考えながら、映姫の返答をひたすら待つ。

 

「口調はこの際あまり関係ありません。そうですね、すでに貴方たちの交わした契約についてです。これで分かりますね?」

 

と、一気に話してくる。

 

ああ、この事か。

 

かなり前ではあるが、俺の血肉を貪った紫と藍、幽香と交わした血を提供するという契約。

 

血を提供するのは一月に一度で約10cc程度という軽いもので収まっている。

 

ただ、その10ccから生み出される力と言うのはとんでもないものがあるらしく、その一月に限界まで力を消費したとしても、全開してもまだお釣りがくるほどらしい。

 

だったら減らせとは思うが、まあ、特に体調がヤバくなるわけでもないから気にはしていない。

 

ただまあ、血を吸われる時がくすぐったいのは仕方が無いのかどうなのか。

 

とまあ、そんな事を考えながら

 

「ええ、血の契約についてですね?」

 

そう普通に返しておく。

 

そう俺の返答に対してすぐにコクリと頷き、更に口を開く。

 

「そうです。そのことで少し話があります」

 

何だろうか? 血を提供していると言う事に関して俺を咎めるのだろうか? もしも、ソレをしてくるのなら、色々と言い訳やら何yらを考えなければならない。

 

のだが、実際のところ咎められたとしても、彼女らと話しあって解決しなければ何にもならない。

 

「じゃあ、お願いします映姫様」

 

と、何か意見するまでも無く、彼女に話を進めるよう返事をする。

 

すると、彼女は俺の言葉を受けて、すぐに本題に入りだす。

 

「では、耕也。私は特に貴方がたの事を咎めるつもりはありませんが、これは円までは無く、私自身が耕也の身を案じて聞きます」

 

そう口を閉じてから、少々呼吸をしてから、また話し始める。

 

「はっきり言いましょう。今まで貴方の事を多くの時間見てきましたが、貴方が血を与えるという契約を交わしてから、少々変わったように感じます。それは……」

 

そう言うと、映姫は此方にまでスススッと近づき、俺の手に右手を重ねて一言呟く。

 

「少々恐怖を覚えていますね……? その血を提供する日の前後で……」

 

その瞬間に、ピンポイントで聞かれたことと、その声が耳元で囁かれた事に、ビクリとなりそうになる。

 

が、不思議とそうならなかった。何故か映姫の声は、今まで聞いたことも無いほど優しい声であり、俺の精神を落ち着かせようと配慮しているようにも感じられる声だったのだ。

 

そして同時に俺の手を強く握り、落ち着かせようとする映姫。

 

いや、実際のところ、素で吃驚したというのがほとんどだったので、トラウマが蘇っただの云々ではない。

 

「いやまあ、確かに血を提供する時は、何と言いますか、悲しい時もありますが……まあ、大丈夫ですよ? 最初の方は流石に怖いと思ってしまった部分はありますが……」

 

と、映姫の期待していた答えとは違う答えを言う。

 

とはいえ、最初の方は本当に怖かった。これは事実である。

 

あの時は本当に酷かった。紫達の表情を気にしながら、内部領域を全開にして血を与えていたのだから。

 

何時紫達が噛みつくのかとビクビクしながら、血を与えていた時にこの事を聞かれていたら、迷いなく首を縦に振っていただろう。

 

ただ、現在では特に紫達とのトラブルは無く、きょうだってこうして皆と共にトランプをしていたのだから、問題は無いとみても良いだろう。

 

「本当にですか?」

 

と、訝しげな表情で俺の方を見て確認をとってくる。

 

その表情は何とも俺を信じていない事が読めるものであった。まあ、仕方が無い。俺が溜めこんでしまっているという可能性も捨てきれないからであろう。

 

まあ、これ以上引き延ばすのもアレだろうと思いながら

 

「本当です。嘘はついてませんよ」

 

と、彼女にしっかりと聞こえるように少々大きめの声でゆっくりと言ってみる。

 

自分の言っている事は紛れも無く真実であり、この言葉は嘘ではないぞと言う念を込めつつ。

 

すると、ソレを感じ取ってくれたのか、少々ため息を吐きながら映姫は俺から離れる。

 

「分かりました。ふう…………、どうやら私の思い込みだったようです。ですが、無理はしない様に。あなたは少々溜めこむ癖がある。もっと人を頼りなさい」

 

と、まあありがたい言葉を同時に添えて。

 

特に俺としても反論する部分は全く見当たらないため、俺は素直に感謝する。

 

「はい、ありがとうございます映姫様」

 

その後は最近の裁判は人が多くなった。また、地底の治安はどうなのだ等といった他愛も無い会話が続き、映姫は帰っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「化閃さん、配達全て終わりました……。ヤマメさん、燐さんいらっしゃいませ」

 

ジャンプで配達から戻ってきた俺は、化閃さんに報告すると同時に良くこの店に顔を出すヤマメと燐に挨拶をする。

 

「まあ、私達は結構前からいるんだけどね。あ……だからー、敬称は要らないって言ったじゃないか耕也」

 

と、ヤマメは呆れたように俺の事を見ながら口を動かす。

 

その表情は、全く学習能力の無い奴だねえ、とでも言いそうなくらいな顔。

 

「いやいや、今仕事中ですから。流石に区別は付けないと駄目でしょうよ」

 

と、まあ此方にも仕事中であるという理由があるのだが、早くも語尾で崩れてしまった。

 

「いや~、こんな地底でそんな堅苦しくやられてもねえ。そうだろう化閃?」

 

と、ヤマメは後ろに座っている化閃に話を振る。

 

いや、流石に店主がそんな事を許可するわけが……

 

「好きにするとええわい……親しみのある方が楽だしのう」

 

おいおい許可しちゃったよこのお爺さん。良いのかい。仮にも客に向かってそんな馴れ馴れしいのはマズイ気が。

 

とは思ったが、結構フランクな店主も俺が現実世界にいたときにもいたなあと思いだし、化閃の言葉に賛同するようにした。

 

「まあ、化閃さんがそう言うなら……」

 

そう言いながら、俺はヤマメと燐の方に向き直り、口を開く。

 

「んじゃあ、いつも通りの口調ってやつだね。これで」

 

「そうそう、耕也はその方がいいのさ。卑屈すぎる人間ってのは良くない」

 

「いやいや、それは違うでしょうに。区別してただけ……まあ、他のお客には敬語を使うがね」

 

と、俺が言うと燐とヤマメは大変満足したようで、2人してシンクロしながら首を縦に振りながら

 

それが良いそれが良い、と言ってくる。

 

と、そこで俺はある一つの事に気が付いた。

 

ヤマメや燐は結構前から此処にいるのに、何も商品等を持っていなかった。

 

家がかなりはなれている燐とヤマメが、唯の世間話で此処まで来たりすると言う可能性は低いのではないかと思った。

 

何かしらこの酒屋に用があって、ソレを全うするために此処にいるのではないかと。つまり現在は商品を選んでいるのか。

 

そう予想した俺は、燐とヤマメに話しかける。

 

「んで、御二人さんはどんな酒が欲しいんだい?」

 

と、彼女らに聞いてみる。

 

が、ヤマメは俺の方を見ながら首を横に振り、両手を頭の後ろで首ながら、壁に寄り掛かる。

 

「いやいや、違うんだよ。実は唯単に暇だったから此処に来ただけなのさ。まあ、さっきまで化閃と世間話してただけさね」

 

「そうそう。ヤマメの言うとおり、世間話するだけってのも偶には良いと思うけどねえ? どうだい耕也?」

 

と、2人の美人に言われては此方の意志も傾きそうになってしまう。

 

だが、此方は仕事の最中であり、彼女達との世間話に費やしているほど暇なわけではない。

 

「いや、ごめん。流石に仕事中だから……って、化閃さんと?」

 

そう思って彼女に断りを入れようとしたのだが、化閃と世間話をしていたというヤマメの言葉に、俺は思わず聞き直し、そして化閃の方を見てしまう。

 

すると、化閃は俺の方を見ながらニッコリとして、口を開く。

 

「おお、そうじゃった。今日はもう寛いでいていいぞ。今日はする事は殆ど無いからのう」

 

と、俺は時間を確認するように腕時計と苔の光り具合を見てみる。すると、腕時計では4時50分を過ぎたあたり。そして苔の光は少々オレンジ色を帯びている。

 

つまりは夕方。夕方に仕事が終わるのは非常に珍しい。まあ、余り店を開かない化閃の酒屋としては余り間違った方針ではないのだろう。

 

と、一人勝手に納得しながら化閃に返事をする。

 

「では、お言葉に甘えさせていただきます……」

 

そう言って、ヤマメの方に振り返り、話を進めることとする。

 

と、俺が話そうとするとヤマメが先に口を開いてくる。

 

「よし、化閃の許可も出たという事で…………ああ、そうだ。何か最近何か地上が物凄い騒がしいねえ。知ってる?」

 

「いや、特にそんな情報は……」

 

と、そんな事を咄嗟に言ってはみるが、実際のところは検討が付いている。それは、紫達が地上に幻想郷を創設したという事が起因していると言う事である。

 

恐らくその創設の際にあったイザコザ等が話のもとであろう。

 

そう俺が言うと、ヤマメはドヤ顔をしながら話し始める。

 

「やっぱり情報通のヤマメさんには敵わないようだねえ。仕方が無い、このヤマメお姉さんが教えてあげようじゃないか」

 

と、何とも年上ぶった偉そうなというかお茶らけた口調で両腕を腰に当てながら、更に話し続ける。

 

「ほらほら、お前さんも聞いてないのかい? 八雲紫達が地上に幻想郷なるものを創設したって事さ。もうかれこれ20年ぐらいかなあ。余り地底の連中に話すのも良くないから話さなかったけれども、あれ、実は結構壮大らしくてね。全国に散らばっている、いや、もしかしたら世界中の妖怪がその幻想郷を目指してくる可能性があるって事さね」

 

なんともまあ、地底からと言う少ない情報を元によくぞ効果範囲まで推測できるものだと感心しながら、相槌を打つ。

 

「ほうほう、ならそれは人間に効果はあるのかい?」

 

ソレを質問してみると、ヤマメは少し引っかかるものがあるのか、腕を組んで少々唸り始める。

 

そしてそれが続く事約数十秒。

 

「う~ん……あっそうだそうだ」

 

と、その声と共に手をポンとたたき、俺の目を見ながら話し始める。燐は俺と同じくヤマメの話に聞き入っている。

 

「人間にも効果あるはずだよ?……いや、たしか境界云々と言っていたから多分……」

 

と、最後の方は余り聞き取れなかったが、境界云々と聞こえたので、紫の施した術の事を言っているのだろう。博麗大結界ができるのはまだ数百年後なのだ。

 

いまは認識に関する境界だけのはず。

 

まあ、陰陽師や退魔の家系などは段々と幻想郷に惹かれていくのだろう。

 

そんな事を思いながら、ヤマメに返答する。

 

「へえ、人間にも効果があるのか……じゃあ、その他に何か変わった事とかある? 俺地上に殆ど行かないから全く分からなくて……」

 

と、半分事実半分嘘のような事を言って、彼女に返答を求める。

 

とりあえず多角的に見た地上の情報が欲しい。紫や幽香からもたらされる情報がほとんどだが、それはあくまでもその個人から見た地上であり、情報が偏りやすい。だから、また別の妖怪から見た情報と言うのも欲しいのだ。

 

すると、ヤマメは

 

「あっ!!」

 

と、唐突に大声を上げて蹲る。

 

そして、頭をガシガシ掻き毟りながら、忘れてた~、等と言いながら一人でウンウン唸る。

 

とにかく彼女の思い出した事はとてつもなく重大な事なのだろう。それが今の彼女を作りだしていると言うのは分かる。

 

だが、ただ唸っているだけでは分からない。言葉に出してくれなければ、伝わるものも伝わらないので俺から話す。

 

「ええ、何をそんなに唸っているんだい?」

 

そう言いながら、彼女に顔を近づけ、声が聞こえるようにする。

 

すると、彼女が立ちあがり、俺の方を見てくる。当然、俺もそれに従って姿勢を直す。

 

ソレを見た彼女は、準備ができたのかと察したのか、俺の方を見ながらゆっくりと話し始める。

 

「地上から鬼が此処に来るっぽい……」

 

あ―――――

 

 

 

 

 

「――――っマジで!? やべえ忘れてた!!」

 

 

 

 

 

 



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90話 ようやっと来たか……

ええと、過去のしがらみとやらはだな……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねえ耕也。貴方、紫の創った幻想郷についてどう思っているの?」

 

と、幽香が家でのんびりとくつろぎながら、俺の方を向いて質問をしてくる。

 

そう質問をしてきた幽香は、まるで創設された事が面白くないとでも言うかのように、ぶすーっとした顔なのだ。

 

まあ、確かに急に創設されたとなれば、其れなりの反発は出てくるという事なのだろうか。

 

いやまあ、実際そのような大規模な反発があったという事は知っているし、其れを何とか静めようと紫が尽力したのは俺も知っている。

 

ただ、幽香がなぜ今になって、そんな事を聞くのかよく分からないのだ。

 

彼女自身、幻想郷というモノに反発しているのか賛成しているのか。

 

実際、風見幽香という妖怪は極めて強大な妖怪ではある。それは、地底の妖怪の半数を束ねて掛っても勝利を掴めるかどうか。これは俺の過大評価なのかもしれないが、それでも彼女の力は明らかに他の妖怪と一線を画している。

 

これについては、長年彼女と接してきている俺の意見でもあるから、大体は合っていると考えたい。

 

そして、この強大さこそが、彼女の俺に対する質問を生み出したのではないだろうか?

 

幻想郷という狭い空間の中に押し込められるという圧迫感が、彼女の心の中にあるわずかながらの反発心をくすぐったのではないだろうか?

 

そんな事を思いながら、彼女に聞いてみる。

 

「え? 幽香は……もしかして幻想郷をあまり好きじゃあない?」

 

と、憮然としながら煎餅をバリバリと噛み砕きながら嚥下する彼女の顔を見ながら言う。

 

分厚い煎餅を三枚重ねにしてモシャリモシャリと食う幽香は、俺の答えに対して少々逡巡した揚句、コクリと頷く。

 

「嫌いというわけでもないのだけれども、ちょっと時期が早すぎるんじゃないかなと思って。もう少し遅くてもいいんじゃないかしらと思ってね。どうかしら?」

 

まあ、確かに幽香の言い分も分からないでもない。確かに人は二倍近くに人口を増やし、人妖の拮抗を崩し、妖怪を押しやっている。

 

今はまだ小規模ではあるが、将来的に考えていくと彼女の計画は正しいようにも思える。

 

だが、幽香の言い分もわかる。確かに押しやられつつある妖怪ではあるが、現在はまだ小規模であり、そこまで大規模な境界をいじるのは性急すぎるのではないのではないか? と。

 

とはいっても、俺としてはこの幻想郷という仕組みが、数百年先の未来にまで繋がっているのだから、さすがに紫側に賛成しなくてはならない。

 

熱い緑茶を飲み、ふう、と息を吐きながら幽香の問いに答えていく。

 

「まあ、それが紫の中で安定した未来を描ける手だったんだろうさ。俺は人間だから、彼女の考える事が少ししか、いや殆どわからない。まあ、何が言いたいかっていうと、紫に任せとくのが一番ってことだとは思うけどね」

 

そう俺が言っても、幽香はいまいち納得がいかないようだ。

 

まあ、彼女の計画の中にも妖怪の弱体化という1つの欠点があり、それを数百年後に応急処置をすることで難を逃れはするのだが。

 

完璧ではないとはいえ、彼女の計算高い行動は物事を大体正解の方向に導いていく。

 

だから、俺はそれを信頼しており、彼女の行動に賛成する。一部賛成できないものもありはするが。

 

そんな訳で、俺は未だ憮然とした表情で、五枚重ねの煎餅に齧りつく幽香を説得しようとする。

 

「幽香。全て分かっている訳じゃあないけれども、俺の考えとしては、今後人間は確実に妖怪の力を超えてくるってことだよ」

 

と、言うと。幽香は俺の意見が気に食わないようで、熱々の緑茶を冷水でも飲むかのようにゴクリゴクリと飲んでから、俺に返答する。

 

「そこまで圧倒的な差が生じるとは到底思えないのだけれども。現に私だって人間を凌駕している力を持っているのよ?」

 

確かに幽香の言い分も一部合ってはいる。彼女の身体能力などといった力が勝っているという部分だけではあるが。

 

だが、それでは無理なのだ。

 

そう

 

「いや、確かに幽香は強いよ。確かに強い。でもよく考えてごらんよ。人間が一対一で正々堂々と挑んでくると思うかい? 違うだろ? 確かに名乗りを上げて正々堂々と戦う人間もいるだろうさ。でもね、其れは人間の本当の強さじゃあない。人間の本当の強さは群れることだよ幽香。そしていつだって脅威に対する戦法は、考え抜いて考え抜いて相手の裏をかくということなのさ」

 

無理なのだ。

 

俺は幽香の返事を待たずに言葉をつづけていく。

 

「分かっているとは思うけど、現時点でも幽香が軍隊に挑んだら負けるのは必至。すでに妖怪と人間の差は広がりつつあるのさ。そしてこれからはもっともっと差が広がる。急速に拡大する。今ある兵器も弓や剣じゃなくてもっと強いものになってくる。そうなったらもう妖怪は太刀打ちできない。すでに鬼という妖怪最強水準の奴らが、人間の不意打ちによって多数が乱獲されている。それも幻想郷内部でね。ひょっとしたらこの鬼に関する事は紫にとって想定内だったかもしれないし、想定外だったのかもしれない。それでも紫は妖怪という勢力を滅亡させないために何とか手を打とうとして幻想郷を創ったんだろうさ。……偉そうに言って申し訳ないけれども、分かってくれるかい?」

 

しばらくボリボリと煎餅を齧りながら聞いていた幽香は、ため息を吐きながら俺に返答してくる。

 

「まあ、納得いかない部分もあるけれども、一応納得しておくわ耕也」

 

と、一応納得してくれたらしい。

 

とはいえ、もう少しだけ彼女に言う必要もあるのかもしれない。

 

「まあ、言う必要があるのか分からないけれども……」

 

少し息を吸って吐いてから次の言葉を言う。

 

「今ならまだ間に合う! 私が人間を掃除してやるわー! ……なんて事やるなよ?」

 

と、俺が少お茶らけながら、幽香に対して忠告のようなモノをしておく。実際のところ、彼女が軍隊を相手に戦ったところで、人間の数の前には押し切られてしまうだろう。

 

現時点で、此処まで妖怪と人間の差が生じていると言うのにも拘らず、今後数百年の後に発展した人間に妖怪が勝てるわけが無い。

 

だからこそ紫は結界を張って幻想郷を守ろうとし、そして幻想になった物を受け入れていく方針をとるのだ。数百年後の人類と幻想郷が戦ったら……一週間持つのかどうか、といったところだろうか。それだけの差が広がってしまうのだと俺は思う。

 

と、そんな事を思ったところで、何かが変わるわけでもなし。まあ、俺はのんびりと地底で暮らしていくのかなあと、思ったところで幽香から返答される。

 

「そんな阿呆みたいなことをするわけが無いでしょうに! ……まったく、耕也は私が戦闘狂だとでも思ってるのかしら?」

 

と、ちょっとばかり此方を睨みつけながら抗議してくる幽香。

 

ちょっと変な事を言ってしまったかなと思いつつ、俺は幽香に言い訳してみる。

 

「いやいや、そう思ったわけじゃあなくてね、一応念のためなんだって。念の為。うん」

 

そういうと、少々納得がいかないのかは分からないが、幽香は此方をぶすっとした顔で見ながら、ふ~ん、と言いつつ拳大の饅頭を頬張っていく。

 

そんなに喰って太らないのかと思ったが、妖怪はそんな些細なことで身体に異常をきたしたりはしないのだろう。

 

と言うよりも、そういった事に余り関心が無いのかもしれない。

 

と、そんな予想をしながら、俺は幽香の貪る様を見ながら茶を飲んでいく。

 

 

 

 

 

「ああそうだ耕也。あんた鬼が此処に来たらどうするつもりなのよ。何かしら手を打たないといけないんじゃない? 前に鬼とひと悶着やらかしたんだし」

 

と、湯気立つ茶を飲みながら、幽香は俺にそう質問してくる。

 

鬼が来るのはもうそろそろだろう。と言うよりも今日にも来そうな予感がしてならない。

 

ただ、俺が何かしらの手を打たなければならないと言うのは、正しいのかもしれないし、正しくないのかもしれないというなんとも曖昧な部分があるのだ。

 

とはいっても、彼女達鬼の習性から勝負の後の事までネチネチとしてくるのはないと思いたいのだが、それには二つほど不安な要素があるのだ。

 

まず一つ。

 

これは、俺が鬼達のプライドを圧し折り、領域という反則レベルの力を使用して彼女達から勝利をもぎ取ったと言う事。

 

彼女達からすれば、決して食らわない防壁を身にまといながら、鬼と闘うというのはプライドを圧し折る以外の何ものでもないのだろう。

 

ただ、その部分は彼女達も狂言紛いの事を言いだして、大勢の人を人質にとるような発言をしていたのだから、お互い様だと思いたい。

 

とはいっても、人妖問わずだが相手にした事よりも相手からされたことの方がより鮮明に記憶に残るのだから、狂言紛いの事は記憶から消し去っている可能性も無きにしも非ずなのだ。

 

さらに言えば、あの戦いからかなりの時間が経過している。100年単位で経過しているのだから、忘れていたとしてもおかしくは無い。

 

もし忘れていたら同時に俺のしたことも忘れていて欲しい。が、それは流石に無理なのかもしれない。

 

そして、もう一つの理由が、俺との再会が一番の障害になりえると言えるのだ。

 

それは、鬼達が此処に来るという一番の理由である、人間からの卑怯な襲撃に呆れ果て、見限ってこの地底に来るという事なのだ。

 

これが最も厄介である。唯でさえ印象が悪いはずの俺が、人間から迫害、乱獲されて此処に来た鬼と再会したらどうなるのか。余り想像したくない事である。

 

まあ、今考えたことはあくまでも最悪なケースであり、本当に再会した時はもっとさばさばしている可能性もあるのだ。

 

そう思いながら、俺は幽香に返答する。

 

「まあ、確かに一悶着はあったけれども、何とかするさ。幽香達には迷惑はかからないはず。攻撃食らわないしな」

 

というと、幽香は少々不機嫌そうな顔をしながら俺に答えてくる。

 

「耕也がヤバいと思ったら私は遠慮なく介入するわよ。文句あるかしら?」

 

「へいへい、幽香が鬼をお掃除しないように頑張りますよ」

 

と、俺がまたふざけながら幽香に返していくと、何処から取り出したのか分からないハリセンを振り上げ

 

「そういう事言わない!」

 

パシーンと小気味いい音が頭上で炸裂すると同時に、言葉を返してきた。

 

多分盗み聞きをしてた紫がこっそり渡したに違いない。多分渡した。

 

 

 

 

 

 

 

「やべえ、結構混んでんな……まあ、大丈夫か」

 

そう言いながら、俺はゆっくりと歩きつつ店へと近寄っていく。

 

商店街に出向き、此処で買える卵や野菜などを買って行くのだが、今日は何時もより人が多いため少々歩きにくい。

 

やはり人間と妖怪の体格の差はあるというべきか、大柄な奴もいれば俺の半分ほどの背しかない奴もいる。人間と同じ背を持つ奴は勿論多いが、大柄な妖怪がいるだけで少々歩きづらかったりするのだ。特に交差する時。

 

まあ、俺の事は皆知っているし、年数も経っているから、そこまで何かがあるわけでもない。まあ、知られたきっかけというのは非常に強烈なモノだったであろうが。

 

地底に来て間もないころに殴り飛ばしたりしたのだから強烈な印象を与えたのは間違いないであろう。

 

そう思いながら、店主に話しかける。俺が話しかける店主は、妖怪であるのは勿論なのだが、かなり人間に近い姿をしている。違うのは目ぐらいだろうか。

 

「埋忌さん、この卵3つとホウレンソウください」

 

そう言うと、品を整えていた埋忌は俺の姿を見ると、驚いたような表情を一瞬だけするが、すぐに笑顔になりながら商品を掴んで袋の中に入れてくれる。

 

「はいよ耕也。まいどあり」

 

「ありがとう埋忌さん」

 

俺はそう言いながら、埋忌に代金を渡して商品を受け取る。

 

軽く会釈してから別の店へと足を進めていこうとすると、肩をポンポンと叩かれて振り返って埋忌の姿を視界に入れる。

 

「はい、どうしました?」

 

すると、その姿は先ほどとは違い、困ったような、悲しいような何とも言えない表情を浮かべており、腕を組んでポツリポツリと話し始める。

 

「いやなあ、最近かなり人が多いだろう? なのにどの店も売り上げはあまり変わらないらしいんだ。ひょっとしたら鬼が来るという事が皆を警戒させているのかもしれないなあと思ってな。どう思う? この多さは」

 

言われてみれば、此処で行き来しているのはこの地底の中でもかなりの強さを持つ妖怪が多い。流石にヤマメとかまで出歩いている訳ではないのだが、それでもかなり警戒しているのは見て取れる。

 

警備の真似事と言ったら怒られそうだが、時間が経てば自警団みたいなものまで結成しそうな勢いである。

 

「まあ、確かに結構多いですよねえ、何時ものこの時間帯は半分ぐらいの人しかいないのに……鬼に関しての噂が結構影響してるんでしょう」

 

そう返すと、腕を組みながらうんうんと頷きながら賛同してくる。

 

「やっぱりそうだろう? 鬼達が大挙してこの地底にが来ると、結構混乱しそうで怖いんだ。お前さんは確か、鬼達と闘った事があると噂で聞いた事があるんだが、本当か?」

 

と、何か懇願するような目で俺の方を見て質問してくる。

 

何か根掘り葉掘り聞かれそうだなあと思いながらも、俺は誤魔化す言葉が咄嗟に浮かばず話してしまう。

 

「ええ、戦いましたよ鬼達とは」

 

すると、目を大きく見開きながら、興味深そうに笑みを浮かべて此方に顔を寄せて話しかけてくる。

 

「やっぱり噂は本当なのか! なら話が早い、ちょっとでも良いから鬼達について話してくれないか? 俺は鬼について余り知らんのだ。この地底の者達もそこまで詳しくない。ほら、この大根もやるから」

 

と、無理矢理袋を奪われて大根をボンと入れられる。遠慮したい気分になるが、彼がくれるというならそれでいいのだろう。

 

俺は頷いて彼に話をしていく。

 

「ありがとうございます。……そうですね、基本的に鬼は力が強く、並の妖怪では指一本で軽々と負けてしまいます。そうですね、分かりやすく言うとヤマメでも負けます。特に四天王ともなると、簡単に」

 

俺がヤマメを引き合いに出して力の部分を言って行くと、大層驚いたらしく、目を丸くしながら俺の肩を揺さぶる。

 

その力はやはり人間よりも強く、俺はガックンガックンと首を振る羽目になってしまう。

 

「本当か耕也!? 一大事じゃねえか!」

 

いやいや、アンタ鬼って言ったら大体力持ちって分かるでしょうに。誰かから聞いた事あるでしょ絶対。

 

とはいえ、此処まで知らないといった感じの雰囲気で言われると本当に知らないのかなと思ってしまい、俺は掴まれている腕を解きながら返答する。

 

「まあ、この地底に来た場合、頂点に位置する妖怪になることは間違いないですが、そこまで気性の荒い輩がいるわけではないですし、妖怪同士なんですから大丈夫でしょうよ」

 

と、言うと慌てていた店主は何とかホッとしたような笑みを浮かべてため息を吐く。

 

「なんだ、鬼って言ったら気性が荒いと思っていたが……なら安心だな」

 

いやまあ、全部が全部冷静な奴ではない、むしろ闘い大好きな輩が多いのだが、規則にのっとり、キッチリと正々堂々と戦う輩が大多数と言うべきだろう。

 

まあ、それでも知らぬが仏と言うべきか。俺はその事を伝えずに店を後にしようとした。

 

 

「あ――――――っ!!」

 

一瞬にして地底の空気が変わったのだ。

 

何か大きな力を持った存在が地底を目指して進んでくるような。そんな感覚がしてくる。

 

あれだけ騒々しかった商店街が、この急変した空気によって一瞬にして静まる。

 

一気に何か大きな力、殺気か何か分からなが、とにかくとんでもない威圧感を感じる。

 

ふと、店主の方を見てみると、すでにその力の大きさが分かってしまっているのか、身体をガタガタ震わせて店の奥に引っ込んでしまっている。

 

俺は急いで店の外へと出て地底の橋付近……とはいっても此方からでは見えないので、その方角に目を向けてみる。

 

が、まだ圧倒的な気配がそこあるだけでその姿はまだ見えない。

 

だが、それでもこの気配が誰から発せられるのかは分かる。この圧倒的な気配、百年よりも前に経験した圧倒的な力の持ち主達。

 

鬼。

 

ソレがこの地底に来たのだ。人間達との関わりを立つため、彼らは降りてきたのだ。この地底に。

 

そして俺がそんな事を思っていると誰かが

 

「……お、鬼だ…………」

 

そう言った。

 

この圧倒的な力の前にその言葉しか出なかったのだろう。警戒し、覚悟し、抵抗する気満々だった妖怪から出た一言。

 

震えた声で、やっとこさ絞り出した一言。

 

鬼。

 

その声が合図になったのだろう。皆青い顔をして屋内へと一斉に引っ込んでいく。

 

砂埃をたて、商店街の明かりを全て消して扉を固く閉ざしていく。まるで予め打ち合わせなどをしていたかのような素早さである。

 

そして俺はあれよあれよと言う間に一人取り残されてしまったのだ。

 

「やっべ……どうしよう」

 

と、独り言を呟きながら、俺も帰りたいなあと思いつつも集団心理のせいか、とりあえずどこかに避難させてもらおうかなという考えの下に行動を起こそうとするが、それは敵わなかった。

 

すでに俺が前方に目を向けた瞬間には、鬼達が姿を表していたのだ。巨大な力の気配を身にまとわせながら、少々不機嫌な顔で。

 

そして、前方を歩いているのは勇儀、才鬼等といった鬼の上位陣。勇儀は殆ど怒りの表情をしてはおらず、才鬼の方が不機嫌を露わにしている。

 

その表情は、一体何からくるものなのか。いや、大体は分かる。複雑な要素が絡み合っているからこそ出てくるものなのだろう。

 

人間達への失望からくる苛立ち、悲しみ。そして、初めて来る地底への不安感。

 

そんな負の感情が絡みあっているのだろう。皆一様にそれに近い表情を晒しているのだ。

 

一歩一歩此方に近づいてくる。

 

だが、誰ひとりとして此方に気が付くものはいない。道の真ん中に立っているのにも拘らず、誰ひとりとして、だ。

 

このような事があり得るのか? と思うほど誰も気が付かない。妖怪の視力で見えない筈は無い。むしろ人間の俺ですら向こうを認識しているというのにも拘らず、向こう側からは見えないというのはおかしい。

 

此方を見ているようで、見ていないのか。それとも少し俯いているから此方に気が付かないだけなのか。

 

その足取り、気配、力はしっかりしているのにも拘らず、何処となく頼りなさそうだと思わせるモノがある。

 

そして、漸く俺に気が付いたのか、勇儀と才鬼が此方を向く。それに伴って後ろの鬼達も一斉に俺の方を向く。

 

すると、鬼達は一瞬にして騒ぎ始める。

 

何を言っているのか良く分からないモノが多かったが、一言だけ、最初の方の言葉だけ判別できた。

 

何故人間が……? 何故あの人間が此処に……?

 

この言葉である。

 

後ろの連中と同じく、勇儀達も俺が地底にいるという事に驚いていたのか、何とも言えない表情をしている。

 

目を大きく開き、口を半開きにしているのだ。

 

ジャンプでもすればまた違ったのだろうが、どの道この地底にいるのなら接触を避けるという事はできなかったであろうし、そんなコソコソしているのは面倒である。

 

だからまあ、こんな所に突っ立っているわけで。攻撃も食らわないし大丈夫であろうという安易な安心感があるのは事実でもあるが。

 

そして、こんな道の真ん中に突っ立っている俺を発見した勇儀は、数十秒の沈黙の後に何故か大きな笑みを浮かべる。

 

「ようっ!」

 

 

 

 

 

 

 

……………………あれ?

 

 

 

 

 



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91話 言いづらい部分もあるが……

まあ、地上と行き来できるのはねえ……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「えー…………」

 

という声しか出なかった。というよりも出せなかったというべきであろう。何せ、俺と鬼との間にはそれはもう凄まじい軋轢があって、因縁があったもんだから、どうやっても穏便に事が進むとは思えなかったからだ。

 

だが、そういう覚悟の下で彼らと再会してみれば、反応は全くの逆であった。

 

最初の方こそザワザワと騒いで俺が此処にいる理由などを推測し合っていたが、勇儀の一言で一気に空気が弛緩してしまい、俺は何と反応していいのか分からなくなってしまったのだ。

 

勇儀のよっ、という声と共に上げられたサインに返すように、俺も片腕を上げて小さな声で返す。

 

「や、やあ……お久しぶり…………です……はい」

 

何か良く分からないが、敬語を使わないといけない気がして、ついつい使ってしまう。

 

なんというか、過去の負の遺産が起因しているせいか、何とも話しかけづらいと感じてしまっているのだ。俺が。

 

彼女は口ぶりからして、過去の事に関しては余り気にはしていなかったのだろうが、俺としては気にしてしまう。そう、大勢を前にするとというべきだろうか?

 

少々卑怯じみたな手で勝ったという負い目のようなモノもあるかもしれない。とはいっても、相手が俺の事を特に気にしていないという事が確定してしまえば、この考えは全くの無駄なモノに早変わりしてしまうのだが。

 

とはいえ、それは俺の憶測であって、唯の勘違いにすぎないという線が濃厚でもあるが。だが、安心は全くできない。

 

彼女一人が近づいてくる。

 

ゆっくり、ゆっくり、と。後ろに控えている憮然とした表情の才鬼や未だにざわついているその他大勢と鬼達の大将を置いてきぼりにして、此方へと近づいてくる。

 

その姿は、初めて来た地底に対して全くの不安感を抱いていない、昔から此処で育ち、此処で暮らしてきたとでも言わんばかりの空気を身にまといながら、彼女は俺の方へと近づいてくる。

 

地底特有の生温かい風が、彼女の黄金の髪を撫で、髪はそれに従って風に乗っていく。

 

威圧感。

 

そういった類のモノは何一つ此方へと向けられてはいないが、風を何とも心地良さそうに受け止めながら近づいてくる彼女の表情は、頬笑みに満ちていて。

 

何と言うのだろうか。これが自信の表れとでも言うのだろうか? 少なくとも此処までの表情をする事は、俺には到底不可能なんだろうな、という事を思い知らされる。

 

ゆっくりと歩いてくる彼女は、俺から2m程離れた真正面に立つと、ニッコリと爽やかな笑顔を浮かべて口を開く。

 

「久しぶりだな、耕也……」

 

だが、その爽やかな笑顔は、俺に大きな違和感を持たせるものであった。

 

鬼と人間。

 

この種族の違いが、この対面にて一体どのような意味を成すのか。それは最早この世界に生きる人妖、神にとっては常識的な事でもあり、爽やかな笑顔を浮かべながら対峙する事がどれだけ非常識的な事として認識されているように。

 

さらに言えば、歴戦の勇士と鬼が何度も戦った果てに、友情に似た物をお互いの心に宿したとしたならば、非常識的なこととはいえ、ソレを黙認するという事もあり得るであろう。

 

だが、俺と勇儀は違う。

 

「久しぶりだね勇儀……何時以来だったかな?」

 

「おいおい、ボケるのはまだ早いぞ耕也。あの決戦以来じゃないか」

 

そう、俺と勇儀はあの決戦以来一度も会っていないのだ。

 

さらに言えば、人間と鬼という油と水のような関係が生じさせたあの事件。鬼の乱獲が原因で彼女達は此処に下って来たのだ。人間から逃れるため、人間に失望してしまったため、自分達の居場所が失われてしまう為。

 

その原因を作った人間を目の前にし、さらにはあの決闘を繰り広げた人間を前にして、どうしてそんな良い笑顔を浮かべられるのか。

 

そんな疑問が俺の中でグルグルグルグルと回り、ついには口から言葉として出てしまった。

 

「何故だい……?」

 

口が滑ってしまったとはまさにこの事だろう。声に出してしまった瞬間に自分が何を言ってしまったかを把握し、あっ、と口から声が出てしまう。

 

が、時すでに遅し。

 

「何がだい?」

 

と、これまた良い笑顔で質問してくる。

 

何とか質問を誤魔化そうと頭を回転させてみるが、彼女達鬼はそう言った事を好まないし、今後どうやっても彼女達と生活するのだから、これが元になってギスギスするのは此方としても勘弁願いたい。

 

だから仕方が無く

 

「いや、俺はお前さん達が地底に降りてきた理由は知っている……まあ後は分かるだろうけど」

 

と、半ば投げやりに彼女に白状してしまう。まあ、これで何か喧嘩みたいな事が起きるわけではないだろうが、少々不安である。

 

すると、俺が何を言わんとしているかが分かったらしく、少々眉毛を歪めさせながら、足早に此方へ近づいてくる。

 

そして

 

「耕也、こっちに来い」

 

と、俺の肩に手を回して歩き出す。

 

「すまん、こいつと少し話してくる! 先に古明地の所に行ってくれ!」

 

後ろにいる仲間に手を振りながら大きく声で言いながら、俺を狭い路地に行くよう促してくる。

 

俺は彼女の歩幅に合わせながら、彼女の横を歩いて行く。

 

何と言うのだろうか? 威圧感は無いのに、何故か萎縮してしまうというべきだろうか? これが人間と鬼との関係による副次的な産物なのだろうか?

 

何とも言えないこの居心地の悪さ。ただ隣を歩いているだけなのにもかかわらず、俺はサッサとこの場から去ってしまいたいという気持ちにすらなっていた。

 

そして路地に入ってから半分ほどまで進んだ時、ふと勇儀が立ち止まって、俺に話しかけてくる。

 

「流石にあいつらの前じゃあな。まあ、あの場で話したとしても大した事にはならなかったかもしれないが、念のために此処で話そうじゃないか。それで、耕也の言い分ってのはこんな感じで良いのかい?」

 

と、勇儀が人差し指を米神に添えながら

 

「耕也は私達が人間に対するイザコザで此処に来た。そして、過去に私達と色々とお前さんに対して、何故こうも明るく接してくるのか? そんなところか?」

 

と、ドンピシャで言ってくる。

 

そして、その事に吃驚してしまったためか、うっと声を上げてしまう。

 

すると、この事が肯定だという事を示していたためか、勇儀はやっぱりとニヤニヤしながら、俺を見てくる。

 

「ああそうだよ。俺はあんたらと決闘をした。お前らの嫌っている地上の人間達と似たような卑怯じみた手でな。だから不思議で仕方が無いのさ。他の連中ならいざ知らず、当事者であるお前がさも気にしていないかのような笑顔で話しかけてくるんだ。驚くほかないだろ」

 

と、勇儀に洗いざらい話してしまう。

 

対する勇儀は俺の言い分を聞いた瞬間、さも可笑しそうに笑い始める。

 

大きな声で笑い始める。

 

「あっはっはっはっはっはっはっはっ!」

 

まるで、一体何でそんな事を気にしていたのだ耕也? とでも言いそうな。いや、むしろその意思がこの笑いに込められているのだろう。

 

だからこそ、こうして笑っているのだ。さも愉快そうに。

 

決して馬鹿にしているとか、そう言った類の笑い方ではない。純粋におかしかっただけというような、そう言った笑顔。

 

不思議と不快な気分にはならないその大きな笑い声を聞きながら、俺は一つ提案を出す。

 

「まあ、此処で話すのもなんだし、俺の家で話しあわないかい?」

 

と、大笑いしている彼女に良く聞こえるように。

 

すると、俺の声が届いたのか、彼女は笑いを即座に止めて、目尻に溜まった涙を拭って俺に質問をしてくる。

 

「それは別に良いんだが……どうしてだい?」

 

と、勇儀は俺がこの提案をした事に疑問を持っているようだ。

 

まあ、確かに勇儀が言いたいことも分かる。此処で話してしまえば時間の短縮にもなるし、何より勇儀が先に行った仲間に合流しやすいからだ。

 

とはいえ、ソレを上回る利点が此方にもある。それは、俺の家はさとり達の住む地霊殿へと続く道の途中にあるという事だ。此処で話すよりもずっと合流しやすいだろうし、何よりも―――

 

「ああ……勇儀?」

 

「ん? なんだい?」

 

その言葉を聞くと同時に、俺は路地の出口に向かって指を指す。

 

「御仲間が見てるんだけど……」

 

そう、俺の視界には才鬼が何とも言えない、ニヤニヤした笑みを浮かべながら、此方を見ているのだ。

 

俺の指さしに気が付いた才鬼が、一層意地悪そうな笑みを浮かべながら、ニヤニヤと

 

「お熱いね御二人ともー。地底に来て早々逢引とは勇儀も隅に置けないねえ~」

 

と、俺と勇儀を交互に見ながら、更にニヤニヤとしだす。

 

俺はその言葉に、何とも言えない恥ずかしさを感じてしまい、頬が熱くなってくる。

 

そして、その才鬼の言葉に反論しようと、口を開く

 

「ちがわ―――――」

 

 

「違うよこの馬鹿っ!」

 

と、大気を震わせながら大声で否定する勇儀と、やっりい、と嬉しそうな声を上げながら逃げていく才鬼。ちがわいっ! と、大声で返そうと思っていた俺の声が、その声でいとも簡単にかき消されてしまい、才鬼にまでは届かなかった。

 

そして、俺が勇儀の大声に驚きの声を上げながら顔を見てみると、勇儀は顔を真っ赤にしている。

 

まあ、この状態をあんな風に形容されては誰だって恥ずかしがるだろう。

 

だが、それが功を奏したのか、勇儀は真っ赤な顔で此方に向き直りながら、一言言う。

 

「よし、お前の家で話そうじゃないか。此処では目が多い」

 

まあ、そう言う選択肢を選ばざるを得ないわな。と思いながら、俺は勇儀に返事をする。

 

「ん、分かった。じゃあ俺の家の玄関にまで直接行くから」

 

そう言いながら、彼女の返事を待たずに、外部領域を広げて、彼女を効果範囲に入れる。

 

「くっ……」

 

外部領域に曝されたせいで、纏っている妖力等が消えてしまうからだろう。彼女の口から苦悶にも似たような声が響いてくる。

 

勇儀の表情は、苦悶というほどではないが、片目を閉じて、何かを我慢しているといった感じである。

 

「ごめん、ちょっと我慢して」

 

そう勇儀の顔を見ながら、俺は彼女に言う。

 

「ああ、早くしてくれ」

 

と、勇儀が催促してくる。当然の反応だろう。

 

再度彼女に謝りながら、玄関にまでジャンプを敢行する。

 

「よっと……」

 

短い距離とは言え、燃費の悪いジャンプの疲労感に嫌気がさしながらも、勇儀が無事に此方について来られたという安心感が脳を満たしていく。

 

何度やってもこの感覚には慣れない。自分だけジャンプするのは何でも無いのだが、なんというか、少々怖いとでも言うべきなのだろうか? 他人をジャンプさせる時、完全なる五体満足であるのかどうかを真っ先に心配してしまうのだ。

 

「勇儀、大丈夫か?」

 

だが、一応念のために彼女に体調の具合などを聞いておく。

 

勇儀はゆっくりと此方を見ながら頷き、自身の身体に何ら変調が無いという事を伝えてくる。

 

「ああ、大丈夫だ耕也……」

 

と、俺の質問に答えた勇儀が、不思議そうに玄関内を見回していく。

 

「こ、此処がお前の家なのか……?」

 

まるで人の家には初めて来たかのような素っ頓狂な声を上げながら。

 

そんなに人家が珍しいものなのだろうか? という疑問が自分の中で湧きおこり、思わず彼女に聞いてしまう。

 

「そんなに人家が珍しいかい?」

 

と。

 

すると、彼女は俺の方をスッと見ながら一言つぶやく。

 

「いや、案外狭いなあと思ってね」

 

「こらこら、いくら鬼でも正直に言うなっての」

 

嘘が大嫌いん鬼とはいえ、此処まで馬鹿正直に狭いと言われたら良い気分ではない。

 

全く鬼ってやつは―――と言おうとしたところで、奥からパタパタと足音が聞こえてくる。そして、膨大な妖力の気配が突然顕現してくる。

 

勇儀はその気配に一瞬で身を固くし、奥を睨みつける。

 

 

「耕也、今帰ったのか。そろそろだとは思ってはいたが。ふふふ、御帰り」

 

と、艶やかな笑みを浮かべながら、青色の前垂れを揺らし、フサフサとした尻尾を隠さず此方に近寄ってくる妖獣。

 

「何故に藍がここに……?」

 

俺の良く知る九尾の狐。

 

そう、八雲藍が何故か此処にいたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どうしてここにお前がいるんだ……?」

 

と、何とも機嫌が悪そうにしながら、勇儀が藍に言う。

 

表情からもその機嫌の悪さが分かるが、何と言っても口調がいちばんであろう。

 

俺と笑い合っていた時よりも一段と低く、かつ藍を脅すような口調で此処にいる理由を詰問しているのだから、これを機嫌が悪いと言わずして何と言うか。

 

そんな事を考えながら、俺は2人の間に入る事ができないでいる。

 

ひとまず藍に案内されて今の卓袱台に座ったは良いが、この険悪な空気に割って入る言葉を生み出せないでいるといった方が正確だろうか。

 

とにかくこの場に居づらい。俺の家、俺が家主なのにも拘らず、此処から御暇したいくらいの空気なのだ。

 

すると勇儀の質問に対して、藍はふふふっ、と笑いながら回答していく。

 

「いやな、そろそろ貴方がた鬼がこの地底に来るであろう、そして勇儀殿が耕也と此処に来る頃だという事を紫様から通達されていてね。そして、此処で出迎えた訳だ……」

 

紫はどうやら鬼達の行動を大体は予測していたようだ。恐らく監視云々ではなく、全て頭の中で計算し尽くされた結果とでも言うべきだろうか。

 

彼女の未来予知に近いレベルでの推測に彼女、藍が忠実に動き、此処にまで来た。

 

そこで俺の中に一つの疑問が生まれてくる。

 

なぜ彼女は俺の所に来る必要があったのだろうか? 彼女が来る目的と言えば、鬼達に対して、地上への干渉を極力無くすという事。大方紫の言い分としては、お前ら鬼達は地底に住む妖怪となるのだから、これからは地上へのむやみな干渉は危険になるからといった感じであろう。

 

恐らく藍はその事を鬼に伝えに来たのだろうが…………。俺の所に居ていいのだろうか? 勇儀という大物が此処にいるとはいえ、彼女が向かうべきところは此処ではなく、他大多数のいるさとり達のところであろう。

 

そこまで考えた所で、意を決して質問する。

 

「ああ、すまんが……藍、此処に来るよりさとり達の方に行った方が効率が良いんじゃないか?」

 

すると、藍は俺の質問の内容があらかじめ分かっていたかのように、うんうんと頷きながら微笑んで口を開き

 

「安心しろ耕也。そっちには紫様がすでに到着なさっている……私が来たのはお前の安全確保も兼ねて……だな」

 

と、実に嬉しそうに尻尾をゆらゆらと揺らしながら、微笑む。

 

すると、胡坐をかいて座っていた勇儀が、憮然とした表情で藍と俺に質問してくる。

 

「それで、お前達の関係はどういったものなんだ? ソレと、耕也。お前は何で此処にいるんだ?」

 

と、前々から疑問に思っていた疑問をぶつけてきたのだろう。少しすっきりした表情になっている勇儀がそこにはいた。

 

そして、藍は得意げな表情をしながら一言

 

「私達の伴侶だ」

 

と。

 

その一言に勇儀は大層驚いたようで、俺の方を見ながら確認の言葉を放ってくる。

 

「私達……? へえ、本当なのかい耕也……?」

 

まあ、こればっかりは誤魔化しようのない事実なので、俺はコクリと頷いて回答する。

 

「事実だよ勇儀……」

 

俺の回答にますます驚いたようで、へえ、と口に手を当てながらしばらく視線が俺と藍を行き来する。

 

何と言うか、そこまで驚かれたりすると此方としては段々と恥ずかしくなってくる。

 

いやまあ、事実を述べただけだし、何より藍達との関係は心地よいものでもあるから、恥ずかしがっているのはナンセンスなのかもしれない。

 

そんな事を思っていると勇儀が

 

「ところで耕也。どうしてお前が此処にいるんだ?」

 

という質問をしてくる。

 

質問をされた瞬間に、心臓がドクリと跳ね上がる。どうしてここにいるんだ? この質問が来るたびに何とも言えない苦い感情というべきか。そんなモノが湧きあがってくるのだ。

 

じっと此方を見つめる勇儀。その表情には俺に対する純粋な好奇心しか現れておらず、嫌がらせ等といった悪意は一切浮かんではいなかった。流石鬼という名の種族とでも言うべきだろうか? 純粋な子供に答えにくい質問をされた時と似たような気まずさというのも感じる。

 

逆に藍はドアノブカバーのような帽子を取って胸のあたりで抱きしめ、耳をペコリと折らせてしまっている。

 

時折、勇儀の方を恨めしそうに見ながら、此方の方を心配そうな目で見てくる。

 

その様は、まるでしてはいけない事をしてしまったと確信でもしたかのような子供にすら感じる。

 

はてさて、どう答えたものやら。これはちと難しいぞ? なんて思いながら、損得勘定を始める俺がいる。

 

勇儀に正直に話した場合、藍達との関係が原因という事がばれてしまう。もちろん、俺は彼女達との関係について何ら負い目などを持っていはいないが、勇儀達からすれば、どう思われるか。

 

実際話したところで大した影響は無いのだろうが、いかんせん、藍が話して欲しくない、知られたくないという表情と視線を此方に向けてくるのだからおいそれと話す事ができない。

 

此処を上手く切り抜ける方法か……藍達との接触を話さず、かつ鬼の勇儀に対して嘘を吐かずに納得してもらえる方法。

 

そんな事を考えながら、勇儀に一言言ってやる。

 

「ちょっと待っておくれ勇儀。今頭の中を整理するから……」

 

そう言って、了承を得る。

 

勇儀は特に何の疑問を持たなかったのか、俺に対して了承の意を頷く事で表してくる。

 

時折俺は藍の表情を確認しながら、その場で数十秒程沈黙して考えていく。

 

その中で複数案が浮かぶが、その中でも最も安全性の高いであろう回答を彼女に述べる事にした。

 

「勇儀、整理がついたから話すよ。まず俺が此処に来たのは……お前さん達も知っている通り、俺は地上では陰陽師をしていた。此処までは分かっているよね? 実際に戦ったのだから」

 

と、勇儀に確認するように俺は彼女の顔を見ながら話し始める。

 

それに彼女は頷きを返しながら、俺が話すのを頷くように目を輝かせていく。

 

輝かせるほどの良い話でもないのだけれども。

 

「まあ、その時の俺は陰陽師としてはとんでもないほどの低価格で依頼をこなしていたんだ。相場の100分の1とか、庶民でも手の届く範囲でね。まあ、貴族たちのように華やかな生活をしたかったという訳でも無かったから、これは商売としては成功したと言っても過言じゃあない。ところがだ」

 

そう言って俺は一度話しを閉じて、深呼吸して話の流れを整えていく。

 

「まあ、当時の俺は相場を軽視する余り、周りの連中から恨みを買ってしまってね。依頼されてた任務は自作自演だったとか色々と言われてしまって。それで、どこにも居場所が無くなってしまって、ついにはこの地底にという感じな訳さ。ま、自業自得な部分が多いわな」

 

勇儀にそう言って納得してもらうようにしてもらう。まあ、特に勇儀と藍双方に不快な思いをさせるような事は言ってないし、嘘も言ってはいない。

 

勿論今話した事は事実であるし、脚色もしてないから勇儀が怒るであろう所は何一つない。

 

そう思いながら、勇儀の顔と藍の顔を交互に見てみる。

 

藍はあからさまにホッとしたようで、帽子をギュッと抱きしめて、ニッコリと笑みを浮かべてくる。

 

勇儀は、何とも気まずそうに、卓袱台に顔を此方に向けながら突っ伏して一言。

 

「人間も大変だなあ……私達よりも面倒な事が多そうだ」

 

まあ、面倒ってのは多いもんだと思う。鬼達は何と言うか、人間に巻き込まれたとでも言うべきなのだろうか? それとも人間を巻き込んでしまったというべきなのだろうか?

 

俺には彼女が一体その面倒という言葉が何を差しているのかが今一把握できなくて、同じように机に額を乗せる

 

ひんやりとした木の冷たさに、ため息が出つつも俺は勇儀に尋ねる。

 

「勇儀はこれからどうするんだ? 商店街の近くに住んだりするんだろう?」

 

と、勇儀のほうに顔を向けながら話すと、勇儀は頷く仕草をして話す。

 

「まあ、そうするしか方法は無いよ。幸い、此処では建築も盛んではあるし、そう言うのは鬼の私達にとっては得意中の得意分野だからねえ」

 

と、少し微笑みながら。

 

「まあ、先達と言っても対してかわりゃあしないが、何かあったら俺のところにも来ると良い。できる限り手伝うよ」

 

そう言うと、勇儀は先ほどよりも笑みを大きくしながら返事をする

 

「ありがとう」

 

と。

 

そこで、俺は再度言い忘れていた質問をする事にした。一体どうして俺とこんなに自然に話す事ができるのか。と。

 

俺は卓袱台から頭を上げて、勇儀に向かって口を開いた。

 

「所で勇儀、一ついいか?」

 

その言葉に、勇儀は遊びだのふざけだのといった事が絡んでこないという事を察知したのか、俺と同じように頭を離して聞いてくる。

 

「ん?」

 

その表情は、まるでようやっと本命が来たかとでも言わんばかりの表情。

 

早く話してくれという急かしにすら捉えられる好奇心に満ちた表情。

 

「勇儀は、一体どうして俺とこうも自然に話す事ができるんだ? 俺は人間で、しかもお前達とは過去に大きな戦いもした。俺みたいな人間からすると、かなり不自然に感じてしまう……。失礼かもしれないけれども」

 

自然に接してくれるのは非常に嬉しい。ただ、それが俺の驚きと違和感と真っ向から対立してしまっている。

 

すると、勇儀は少しため息を吐きながら、出された緑茶を一気にあおる。

 

そして

 

「そうだねえ……確かに私達は人間達に攻撃され、随分数が減ってしまった。ソレは確かに悔しいし、恨み、憎しみもある。でもまあ、御前さんは上にいた奴らの当事者ではないだろう? 同じ種族ではあるが……。それに、御前さんが追いやられた事は知っていたんだ。理由はついさっきまでは知らなかったが、同じ人間に封印されたという事は知っていた。だからまあ、境遇も近いという親近感みたいなものもあったのかもしれない……」

 

と言って、勇儀はそれに、と言葉を続け

 

「どの道これからは御前さんとは嫌でも地底の仲間として付き合っていかないといけないんだ。険悪よりも友好的な方が楽じゃあないかい? そして何より―――」

 

すう、と勇儀が息を吸い

 

「鬼はサバサバしてるもんなんだよ! 耕也!」

 

ニッコリと笑いながら、俺の肩を思いっきり叩いてくる。

 

ベシリと。

 

勿論、その威力は人間の叩くとは桁の違うものであり。

 

「いったい!?」

 

領域にいとも簡単に弾かれてしまい、掌を真っ赤にするのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

勇儀達鬼が此処に来てから数日後、最初こそ色々と合った捻じれも段々と収まってきた。

 

藍は此方に一週間ほど滞在するというので、此処にいる。まあ、理由としては伴侶というのもあるが、此処で鬼達の監視という任務を紫から仰せつかっているからだそうで。

 

まあ、色々とその間にもイチャイチャ等もアリはしたが特に何か事件でも起るわけでもなく。

 

そんな事をのんびりと過ごしながら思っていると

 

外、玄関がやけに騒がしくなる。誰かが俺の家の玄関を叩きまくり、尚且つ俺の名前を呼んでいるようだ。

 

そんな事をしてくる知り合いはいねえぞと思いながら、出迎えをしようとした藍を手で制す。

 

「俺が出てくるよ」

 

やはり音は玄関からであり、全く止む気配が無い。それも時間が経つごとに叩く間隔も短くなり、音も大きくなってくる。

 

これ以上やられたら磨りガラスの部分が砕けてしまうのではないかというほどの音。

 

「はいはい、壊れるから叩くな」

 

と、俺は少々苛立ちを覚えながら、扉を開けていく。

 

すると、そこには何故か涙をボロボロと流している男が居た。

 

男は、ハッとした顔をしてから俺に向かって土下座をし始める。

 

そして、嗚咽しながら大声で

 

「お願いだ耕也! 俺を助けてくれ!」

 

と、頭を上げ、下げ、何とも忙しい土下座をする男。

 

この男、どこかで見たような気が……。

 

そう思いながら、少しだけ思考を巡らしてみると、その男の顔が記憶の中の顔と一致した。

 

ああ、こいつは賭場を仕切っていた奴じゃないか。と。

 

一体そんな奴がどうして此処にいるのだろうという疑問が湧くと同時に、後ろから声が掛かる。

 

「耕也。どうかしたのか? 何やら騒がしくて気になって来てしまった」

 

と、笑いながら来る藍。

 

「いや、ちょっと俺も自体を把握しきれていないんだ……」

 

そう藍に説明すると、藍は苦笑しながら頭を下げている男に尋ねる。

 

「そこの御仁、どうしてほしいのか話してもらえないか?」

 

すると、男は俺の服を掴み、泣きじゃくりながら話す。

 

「先日鬼と、鬼と酒を飲んで……酔っ払いながら勝負したら、負けて全財産とられてしまいましたっ!」

 

ソレを聞いた瞬間、バカバカしい、事実なのかそれと思ってしまうと同時に、鬼との勝負で全財産を取られてしまったという事の大きさに

 

「「なああにいいいいいいいいいいっ!?」」

 

俺と藍は叫び声をあげてしまった。

 

 

 

 

 



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92話 今度は分散してる……

また負けてもらうからな……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何故か良く分からん事を言いだすこの男。お前賭博経営しておきながら鬼に全財産持ってかれるとか一体どんなヘマしたんだよ。

 

何て事を思いながら、俺はこの妖怪を居間まで通して座らせる。先ほどから全く泣きやむ気配が無く、一体どれほどのショックを受けているのかは容易に分かるというものである。

 

「ふぅ……仕方が無い。耕也、私は茶を入れてくるからその男を落ち着かせてくれ。話しが始まらないからな」

 

「はいはい」

 

と、気軽に返事をしたはいいものの、どうしたものか。

 

まあまあ、落ち着いて俺に話しをしてごらんとでも言うべきだろうか? とは言ったところで、横隔膜が痙攣してしゃくり上げている男にこの言葉が届くわけが無い。

 

男の顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃになっており、とてもではないが俺を嵌めた張本人だとは思えない有り様である。まあ、このような顔になった事が何度もある俺が言うのは、まあ説得力というかなんというか。それに準じた物に欠けてはいるかもしれないが。

 

とはいえ、そんな事を考えていても仕方が無いので、素直に藍が茶を入れてくれるのを待つばかりである。

 

居間は男のしゃくり上げる声が響き渡り、ソレにリズムをとるかのように時計の針の音が鳴り続ける。

 

正直なところ、落ち着かせようと思っても、この男が延々と泣く事を見ているしかできていない俺。

 

さあてどうすんべと思いながらも、結局は一番初めに思い付いた言葉を言おうと男に声をかける。

 

「まあ、落ち着いてくれよ。……ええと?」

 

と、落ち着けと言ったは良いが、目の前の男の名前を全く知らない自分に気が付き、どういっていいものか迷ってしまったのだ。

 

すると、泣きながらも俺の意図を察したのか、男は目を擦りながら此方に言葉を返してくる。

 

「私の名前は……鉄木と申します」

 

と、何とも堅そうな名前を言ってくる。

 

が、ソレを聞いた瞬間になるほどと納得してしまう自分がいる。

 

何せこの男、肌は人間と同じような黄土色なのにも関わらず、ところどころに黒色で艶の有る鱗のようなモノが浮き出ていたからだ。

 

おそらくこれがこの男の最も大きな特徴なのではないだろうか? 名前に有る鉄が示すこの肌の特徴。

 

さて、これが彼の特徴だとすると、一体彼はどのような妖怪なのだろうかという疑問、興味が湧いてくるが、ソレを唾と共に飲み込んで別の事を口にする。

 

「まあ、詳しい話は藍が来てからにするから、そこでしばらく待ってて下さいなっと……」

 

余り良い印象を持っていない鉄木に対して、少々投げやりな言葉をかけてしまう。本来ならば公私混同をするべきではないのだろうが、ついつい出てしまった。

 

やべえな、こんちくしょう。と思いながら、壁に掛けられた時計を見ていると

 

「待たせたな耕也」

 

その言葉と共に襖が開かれる。

 

このタイミングで助かったという安堵感と共に、藍へと心の中で感謝しながら、茶への礼を言う。

 

「ありがとう藍……。ああ、鉄木さん。彼女は八雲藍。九尾の狐といった方が分かりやすいですかね?」

 

藍は俺の言葉にニッコリと笑いながら、流れるような歩き方で此方へと近づき、眼の前の鉄木と俺、そして自分へと茶を注いで、俺の隣に座る。

 

「私は耕也から紹介された通り、八雲藍と言う。……八雲紫様の式と言ったら分かるだろう」

 

と、どのようなフレーズで彼が藍の事を感づく事ができるのかを互いに補完して紹介していく。

 

この間に鉄木は少し落ち着いたのか、目を赤くしながらもしゃくり上げるのをやめていた。そして、あの八雲の……、という言葉と共に驚きの言葉を漏らしていく。

 

その反応を目に入れながら、藍が此方を見て頷いてくる。話しを進めてもかまわないという意志だろう。

 

その頷きを見ながら俺も頷きを返し、彼の方を見て話を進めていく。

 

「さて、鉄木さんでしたね。その……御依頼というのは、貴方のとられてしまった全財産を取り返してほしいと解釈して宜しいですか?」

 

と、依頼内容をまだ聞いてはいないが、大凡そのようなものだろうと推測して彼に判定を求める。

 

すると、彼はウンウンと首が千切れるのではないかと思うほど激しく振り、口を開いてくる。

 

「そ、そうです! どうか鬼達から私の財産を取り返していただきたいのです。報酬もそれに見合った額を用意させていただきます!」

 

と、もうまるで依頼が引き受けられたとでも確信してるかのように、目を爛々と輝かせながら話してくる。

 

まあ、結局は受けてしまうのだろうが……。

 

とりあえず、当時の彼がどのような賭けごとの末に、全財産を取られてしまったのかを聞かなければならないので、ソレを聞いてみる事にした。

 

「ええとですね。まず、貴方はどのような勝負、賭けごとをしてその……全財産を取られてしまったのかを詳しくお話し下さい」

 

すると、彼の行った事が非常に愚かしい事だったのか、悲しい事だったのか、自分に対する怒りが湧いてくるものだったのかは分からないが、涙を浮かべて俯く。

 

ああ、これはまずいなあと思いながら、彼をまた落ち着かせないといけないなあと思いながら、軽く息を吐くと、鉄木はポツリポツリと話し始めた。

 

「鬼達が来てから数日後でした……。彼らは非常に酒好きで、良く賭場の近くの居酒屋で酒を飲みながら、宴会みたいな事をしていました」

 

そこでふう、と息を吐くと彼は暗かった顔を更に暗くさせて、話を進めていく。

 

「私はその時丁度鬼達と席を共にしていたのです。そうしたら、鬼達が貴方の名前を言って話題にし始めたのです。あの時の人間は強かった。耕也という人間は強い。そう言った事を何度も何度も。その時私は酒で気分が高揚していたのでしょう、カッとなって鬼達に詰め寄ったのです。妖怪が人間なんかに負けるわけが無い。俺の方が強い。俺の方がずっと強い、と……」

 

申し訳なさそうに俺と藍の方を見ながら、大きくため息を吐きながら話しを続けていく。

 

正直聞いていて面白みのある話ではないし、良い気分になる話でもない。その先は聞かなくても分かる。俺という人間をきっかけにしてまたもや争いが起こってしまったという事が。

 

だから、彼がこれから離していく事についても、特に何ら驚くような事は無かったし、茶を啜っているだけであった。

 

筈であった……。

 

「そして、私は目の前の鬼に腕相撲を挑んだのです…………」

 

ソレを聞いた瞬間、口に含まれていた茶がダラダラと口から漏れ出てくるのを感じた。自然と口が開いてしまっていたのだろう。

 

全くもって意味不明な勝負の仕方である。鬼に対して力勝負などで挑もう等と一体誰がしようと思うだろうか?

 

そう、あの鬼にである。

 

妖怪の中でもトップクラスのパワーを持つ鬼に対して、酒に酔いながらも力勝負を仕掛けるとは思えなかったのだ。

 

だから

 

「耕也耕也! 茶が零れてる!」

 

藍に言われて、やっと口を閉じたのだ。

 

布巾を自分上着に押しつけ、水分を吸い取らせていき、ティッシュで口周りを拭いて行く。

 

冷静に。相手に冷静にしていると思わせるように。すでに思われていない気がするが、それでも静かに拭いて行く。

 

そして、拭き終わったら大きく息を吸い言葉を吐く。

 

「マジで!?」

 

我ながら非常に大きな声で有ったと思う。だが、こうでも叫ばないと中々胸のつかえが取れないのだ。完全に自業自得な行為の結果によって財産を奪われた男が、ノコノコと中心人物の家に来て依頼をしているのだ。驚かない方がおかしい。

 

男は俺の声に一瞬ビクリと肩を震わせて、少々怯えたような目で此方を見てくる。

 

が、俺はソレを無視するような形で彼に質問を続けていく。

 

「ああ、すみません。とりあえず、貴方が此処に来た理由は分かりました。……それでですね、鬼達から奪われた財産を取り返したいというのは良く分かりました。が、彼らは非常に強く、此方が賭けをして全力で戦ったとしても、周囲への被害を抑えることはできません。鬼に対してもかなりの怪我を負わせてしまいますし」

 

と、勝負に持ちこむにはいささか制限が設けられてしまうといったニュアンスで彼に伝えていく。

 

すると彼はしばらく考えてから、ハッとした表情になって此方に顔を向けて、口を開いてくる。

 

「賭博ならあるいは……此方の得意な手で攻め込めば―――」

 

言うと思った。まあ、彼の本業だし、ソレを元にして取り返したい。此方の土俵に持ち込みたいというのは良く分かる。

 

が、それは大きな欠点を孕んでいる事に目の前の男は気が付いていないのだ。まあ、鉄木は鬼という種族に対してそこまで詳しくは無いのかもしれない。

 

「いや、鬼は嘘は嫌いなのですよ鉄木さん……。貴方の得意な賭博で相手から巻き上げようなんてバレたら、死にますよ?」

 

と、本当に鬼に対して嘘を吐くなどといった行為は非常に危険なので、少々きつめに言っておく。

 

すると、彼も不味い事態になりそうだという事は理解できたようで、此方に一回だけ頷く。

 

俺は、ソレを了承と受け取り、彼に質問していく。

 

「他に希望はありますか?」

 

と。

 

まあ、勿論彼としては全財産を取り戻して、また元通りに店を運営したいと思っているのだろう。俺は二度と行かないが。

 

そして、彼はしばらく考えた後、俺の方を力強く見据えてくる。

 

目には激しい怒りの炎を宿し、彼の肩が強張り、小刻みに震えていく。

 

「一つだけ……」

 

一つだけ。彼が言った言葉はそれだけであった。その言葉を言って、顔を俯かせる。

 

その言葉に周囲の空気が沈黙し、静寂だけが訪れる。どうしても言いたい次の言葉が数秒後には口から解き放たれるだろう。

 

俺はその言葉を聞き、彼の要望に答えるか否か。ソレを決めなくてはならない。

 

もし、彼の言葉が鬼に対する禁忌であったら、俺はソレを断らなくてはならないし、俺にできない事だったらそれも断らなくてはならない。

 

そんな事を考えながら、彼の言葉を待っていると、漸く俯いた顔を此方に向けて、口を開く。

 

「俺を負かした鬼達を、同じ腕相撲で負かしてやりたいです……」

 

と言った。

 

頭湧いてんじゃねえか? と言わなかった俺を誰か褒めてくれ。

 

いや、なんというか。俺にできない事では無いが、なんでよりにもよって、力自慢の鬼に腕相撲で挑まなければならないのか?

 

しかもそれは鉄木が負けた勝負ではないか。

 

ひょっとしたらではあるが、俺の予想通りの事を思っているのではないだろうか? なんて事を思ってしまう。

 

いや、考えすぎかもしれないが、これが一番可能性が高いとしか思えないのだ。

 

負けた奴と同じモノで勝てば、爽快感、優越感、達成感も二倍以上。

 

鬼に対して、こんな事をしたいと考えているのではないだろうかと思った俺は、素直に彼に聞いてみる事にした。

 

「もしかして、優越感が増すとか考えてませんよね?」

 

と、彼に向かって口を開く。

 

すると、彼は此方の方を見ながら、ゆっくりと、コクリと頷く。なんともやりづらそうに。

 

この反応には藍も呆れてしまったようで、はぁ、と大きくため息を吐いたかと思うと、遠い眼をしながら天井を見上げてしまった。

 

そして、俺は……頭が痛くなってきた。

 

鬼に対して、倍返しのような手法は全くオススメできないのだ。というよりすると考える輩なんていないと思っていた。

 

が、目の前にいた。目の前の、財産を取り上げられた男が、あの鬼にである。

 

もっと此方で勝負できる種目にしろと声を大にして言いたいが、眼の前にいるのはれっきとした依頼人であり、無碍に扱う事は出来ない。

 

ああどうしようか、と思ったところで藍が口を開く。

 

「もっと此方に有利な種目で勝負しようとは思わないのか?」

 

と、男に。

 

その目は、男をしっかりと見据え、御前は自分が何を言っているのか理解しているのか? とでも言いたそうな雰囲気を醸し出している。

 

彼女の表情からは苛立ちなどの感情は読み取れないが、内心は苛立ちもあるのかもしれない。だから、堅い口調で、淡々と彼に言ったのだろう。

 

その言葉に、鉄木は怯えたように藍の方を見ながら、俺の方へと視線を移す。

 

まあ、妖怪の彼からすれば、俺よりも九尾の狐である藍の方が恐怖度が大きいだろう。

 

俺はいくらこの地底で雑魚をノシ、此処に住みついたとはいえ、所詮は人間である。しかし、隣では三国を恐怖に陥れた九尾の狐が正座して質問してきているのだ。比べた場合、どちらが強く見えるか、怖く見えるのかは自明の理と言ったところだろうか。

 

だから、質問に答える時も、俺の方を見ながら口を開いてくる。

 

その行動を藍はまあ、こんなもんだろうと目で合図を送ってくる。まあ、彼の立場だったら俺も同じような行動をとっていたかもしれないし、彼には同情する。

 

「下らない自尊心ではあると思います。ですが、どうかお願いします。どうか……!」

 

と、畳みに額を擦りつけながら土下座をし始める。

 

正直断ってやりたいという考えがあるのは確かである。が、此処まで頼み込んでくる依頼人を無視していれば、後々街での心証等が悪くなる可能性も捨てきれない。

 

だから、俺は折れた。

 

「分かりました。その依頼を受けましょう」

 

彼が依頼してきたのは、封印前に地上で陰陽師をやっていた事も起因しているだろう。ひょっとしたら曲解されて何でも屋をやっていたと勘違いされているのかもしれないが。

 

元が付くとはいえ、陰陽師に妖怪が依頼してくるのは中々に見られない光景ではないだろうか?

 

と、そんな事を考えながら、彼の反応を待つ。

 

すると、彼は土下座の体勢から大声で

 

「ありがとうございます! ありがとうございます!」

 

と、礼を言ってきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

依頼が決まった後は、非常に円滑に事が進んで行った。途中までは。

 

その途中とは、殆ど完遂に近いレベルと言っても過言ではないが、その最後の一歩というのが中々に大変なのだ。

 

依頼を受けたその後すぐに、俺は鉄木を連れてその鬼達の所に行った。藍は留守番。

 

鬼達は労せず手に入れられた資産に、喜びを隠しきれず、昼間から酒をかっ食らっていたのだ。

 

そこで、俺は鬼に対して交渉をし始める。御前達が先日手に入れた財産をめぐって腕相撲勝負しないか? と。

 

地上で俺を知っていた鬼達は、露骨に嫌そうな目をしながら言葉を濁してきたが、兵器等を使った勝負ではなく、純粋な力勝負なら負けはしないと考えたのか、数分後に首を縦に振った。

 

御前の勝負を受けると。

 

だが鬼達はこう言った。鉄木は耕也に依頼を頼んだのだから、此方も複数で挑む。

 

数は4人。あの時と同じである。だが、勝負の方式としては総当たり。

 

それでも嫌な予感しかしなかったが、此方の落ち度を突かれては反論もしづらいので、了承した。

 

どうせ鬼の中でも力自慢を連れてくるのだろうと。そう思いながら。

 

 

 

 

 

 

 

そして、途中まで円滑にいったは此処までである。問題は、残り2人をどうかき集めるか。

 

ああ、ひょっとしたら紫や幽香に頼まなきゃあなあと思いながら、俺は鉄木を帰らせ、帰路についた。

 

出迎えてくれたのは、勿論藍であり、ニコニコしながら以来関係の事について聞いてきた。

 

「どうだった、鬼達との交渉は」

 

まあ、上手く行った事を確信しての言葉だったのだろう。口調、表情共に確信を持ったモノである。

 

交渉自体は上手く行ったと言えるのかは分からないが、一応まとまったという事を伝える。

 

「うん、まあね。腕相撲で勝負するのだけれども、急遽もう2人必要になってしまったんだよ」

 

すると、それは意外だったのか、藍が驚きで目を大きくしながら、俺の方へと返してくる。

 

「おや、どうして4人になってしまったんだ? 依頼者は鉄木。雇われたの耕也。なら耕也だけでも十分だったのではないか?」

 

「いや、それが向こうさんは鉄木だけで来るのを期待していたらしい。態々俺を雇ってくるのは正々堂々ではないのだとさ。だから、今回は複数の4人にされてしまったよ」

 

「もう少し言葉でやりこめなかったのか耕也?」

 

と、藍が苦笑しながら俺に言ってくる。

 

たしかに、あの場では色々と言葉を使ってやりこめるのは簡単だったかもしれないが、相手は鬼なのだ。

 

そう言った卑怯じみた事は酷く嫌う。ひょっとしたら鉄木だけとしか勝負しないと言い始める可能性も無きにしも非ずだったのだ。

 

だから、俺はあの場で了承した。最善だったのかは分からないが、ともかく話しはまとまったのだ。

 

「まあ、鬼の特性を考えていくと、難しいよやっぱ。藍も分かるだろう? 後々に禍根を残すよ」

 

まあ、そうなってしまうのかもしれないなあ。と、藍が苦笑しながら俺の話しに反応する。

 

とりあえず、藍にでも聞いてみるかなあ。

 

そう思った瞬間に、俺の目の前の空間に亀裂が走り、それは一瞬で拡大した。

 

両端には赤い色のリボン、中は目玉と紫色の空間。そして、妖艶な雰囲気を醸し出し、微笑を浮かべつつ現れる紫。

 

「あらあら、随分と面白い話をしてるじゃない。耕也?」

 

「おお、紫。こんにちは」

 

毎度毎度こういった驚かせるような登場はしないでほしいと思うのだけれども、これも妖怪の習性なのかは分からないが一向にやめる気配が無い。

 

しかたねえのかねこれも、と思いながら俺は紫に尋ねる。

 

「ああ、紫。少しいいかい?」

 

すると、紫は菓子を与えられた子供のように目を爛々と輝かせて俺の方を見ながら口を開く。

 

「何かしら? お姉さんに話して御覧なさいな」

 

突っ込むべき所もあるかもしれないが、あえて突っ込まず彼女の問いに答えていく。

 

「ええと……というかどうせ聞いてたんだろうけど、腕相撲の人数が後2人足りないんだ。紫と藍は出られる? というか協力してほしいなあなんて思ってる」

 

そう言うと、紫はつまらないのと言いながらも、少し考える素振りを見せてから答える。

 

「まあ、私なら良いわよ。藍には少し此方の仕事をやってもらいたいから、今回は私が参加するわ」

 

と。

 

腕力ならどちらが強いのか分からないが、恐らく九尾の藍の方が強いのだろうと俺は考えている。

 

が、それでも彼女の力は十分に強いと思っているため、この申し出は非常にうれしい。

 

だから、俺は彼女に感謝しながら、一言

 

「ありがとう。報酬は山分けという事で」

 

と、礼を言う。

 

紫はそれに満足したようで、俺の方を見ながら、次の質問をしてくる。

 

「ええ、そうね。ならあと一人は……幽々子は力が余りないし……やっぱり幽香ね此処は。それで良いかしら? 耕也」

 

と、俺が頼もうと思っていた人物の名を言ってくれたので、俺はそれに素直に頷いて返答する。

 

「うん、幽香なら力も十分有るだろうし、心強いね」

 

「なら、一緒に来なさいな。幽香に頼みに行くわよ。いらっしゃい」

 

その言葉と共に、俺は頷きながら立ちあがり、紫の隙間へと身を滑らせていく。

 

とはいっても、何時になってもこの気味の悪い空間には慣れない。紫や藍、幽香、幽々子は何の躊躇いも無くこの空間を出入りしているが、俺はやはりきついモノがある。

 

人間だからだろうか? という疑問もあったりはするが、考えても仕方が無いので、放っておく事にした。

 

そして、隙間の中を少し歩くと、目の前に幽香の家が見えてくる。

 

何時もと変わらぬ白く綺麗な家。ひまわり畑に、存在を誇示する様に太陽の光を反射させ、侵入者を拒んでいる可能ようである。

 

まあ、管理人は侵入者が嫌いではあるが。いや、危害を加える侵入者が嫌い、か。

 

そんなどうでもいい事を考えながら、家の玄関に2人して並んで玄関をノックする。

 

「隙間で入ってしまいましょうよ耕也」

 

「幽香怒るぞ……」

 

仕方が無いわねえ、なんて言いながら紫は素直にその場に直立している。

 

そして、数秒後。何の足音も無くガチャリとドアが開けられた。

 

隙間から緑髪の幽香がひょっこりと首を出し、此方の様子を窺ってくる。

 

幽香の顔は、面白いように変化していく。二種類に。

 

俺の方を見た瞬間に、歓喜の表情を。紫の顔を見た瞬間に、口をへの字にして嫌そうな表情をして見る幽香。

 

この待遇の差に、紫は納得がいかず抗議を始める。挑発という名の抗議ではあるが。

 

「あら、幽香。客人に対してそんな顔をするのが花妖怪の常識なのかしら? 恐ろしいわね」

 

「あらあら紫。歳を取り過ぎてついにボケが始まってしまったのかしら? 藍に介護してもらわなくちゃね」

 

どう見てもこの後は嫌なことしか起きそうにないので、俺がサッサと介入して止めてしまう。

 

「はいはいやめんかコラ。幽香も紫もそこで抑えて抑えて」

 

と、言うと幽香と紫は不満げな表情を浮かべながらも口喧嘩を収める。

 

ちょっとした安堵のため息を俺が吐いて、幽香に対して依頼を始める。

 

「幽香、ちょっと頼みごとがあるんだけれども良いかな?」

 

そう言うと、幽香は意外といった感じの表情を浮かべて、俺と紫を交互に見る。

 

整った顔にある眉毛をピョコンと上げて。

 

「なら、中に入って話した方が良いんじゃないかしら?」

 

「いや、すぐに終わるから此処で良いよ。それで、話してしまっても良いかな?」

 

すると、幽香は俺の言葉に頷き、返答してくる。

 

「良いわよ。私にお願いなんて珍しい……? のかしら」

 

と、ちょっと不思議そうに首を傾けるが、俺はソレを気にしないで話しをしていく。

 

「ちょっと鬼達と腕相撲をする事になったのだけれども……もう一人協力者が欲しくてね。そこで、幽香に頼みたいんだ。是非腕相撲に協力してくれないかな? いや、お願いします」

 

と、頼み込む。

 

殆ど経緯は話していないが、彼女ならきっとそこら辺は察してくれるだろうと思いながら、俺は彼女に話した。

 

すると、幽香は

 

「ええ、良いわよ。やってあげるわよ」

 

「あ、ありがとう。じゃあ、報酬は山分けという事で……」

 

あっさりと簡単に承諾してくれた。俺の予想としては、もう少しややこしくなりそうなモノだったのだけれども、これで良いのだろうか?

 

 

 

 



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93話 まあ、何とかなったかな……

後から急激に……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて…………戦う順番はどうしようか……?」

 

と、俺が周りに向かって言う。

 

勿論、周りにいるヒト達は幽香、紫、鉄木であり今回の腕相撲の参加者である。

 

一体この先どうなるのやらと思いつつ俺は彼女達に質問をしたのだ。どういった順番で戦えば彼ら鬼に勝つ事ができるのか。

 

今回、向こう側はどういった組み合わせで勝負を挑んでくるのかを開示してはいない。勿論、此方側も開示してはいないが。

 

殆ど運任せのような状況に、相手が力自慢ばかりだという要素まで加わってくると、負の要素に押しつぶされて負けになってしまいそうな気がしてならない。

 

ああめんどくせえ。なんて思いながら、彼らの反応を待つ。

 

すると、考える仕草をしていた紫が顔を上げて、俺の方をじっと見る。

 

そして、ニッコリと笑いながら手を上げて口を開き始める。

 

「耕也。一応此方の手段というか、相手の順番を予想しつつの順番を提案していくわ。良いかしら?」

 

「ん。じゃあ、お願いします」

 

と、俺が彼女の提案を許すと、頷きながら口を開き、言葉を口に出していく。

 

「正直なところ、これは殆ど憶測であり、適当な配置であるとは言い難いわ。なぜなら、彼ら鬼は純粋な力で言えば殆どの妖怪を凌駕するほどの力を持っている。耕也は知っているかもしれないけれども、黒谷ヤマメ。あの怪力を誇る土蜘蛛でさえ敵わないほど。つまりはこの順番決めも気休め程度にしかならないかもしれない。それでもいいかしら?」

 

そう言って、再び彼女は口を閉じて全員の顔を見渡す。

 

勿論そのような事になってしまうのは予想できているし、全員の頭の中でも同じ答えが出てきているだろう。

 

俺達にできて、鬼達にできない事。この腕相撲ではそのアドバンテージといったものが非常に少なく、此方が勝つ要素がガクンと下がってしまっているのだ。

 

そして、ソレを埋めるための一つの手段も完全に潰されてしまっていると言っても過言ではないだろう。

 

それは、紫の隙間での盗み見、盗み聞きである。

 

隙間を経由して彼ら鬼達の作戦を丸裸にしてしまうという事であるが、そんな事が分からないほど彼らが馬鹿であるわけが無いし、さらに言えばバレたら一大事である。

 

鬼達が最も嫌う「卑怯」な行為。こういった卑怯な行為が地上で為されたためがゆえに、地底にまで来たのにも拘らず、またもや人間、そして同類の妖怪にまでそこまでの事をされたら、もう勝負どころの話ではなくなるだろう。

 

俺の地位も、更に下の下まで落ちるだろうし、何より今回の勝負を嫌そうにしながら受けてくれたのは、少なからず「大正耕也」なら正々堂々とした勝負をしてくれるだろうと信じてくれているのだろうから。

 

だから、この提案は頭の中だけに留めておこう。そして、誰かが提案したらソレも止めるように意見しよう。

 

そう思いながら、紫の言葉に返事をする。

 

「うん、それでも大丈夫だよ。話しを続けて紫」

 

その言葉に、幽香と鉄木も頷きを返し、紫に話しの続きを促す。

 

紫は勿論肯定と受け取り、再び話をし始める。

 

「まず一つ。鬼達は、非常に厳しい縦社会。天狗よりも厳しい縦社会よ。四天王や鬼母神、その他大勢の鬼との地位の差には、流石の私でも吃驚するほどの。例外はいるかもしれないけれども。そこで、今回はこれを利用するわ。彼らは、弱いものから順に出してくる可能性が高いという事。縦社会と同じくね。もしこの予想が当たるのなら、それに沿った順番決めをしなくてはならないわ」

 

そう言って、紫は息を吐いて、また深く吸い話す。

 

「まず一番手、これは幽香。貴方が適任よ。最初に出てくる最弱を圧し折って相手の出鼻を挫いてもらうわ。そして、二番手は私。勝てるかは分からないけれども、何とかやってみるわ。三番手は鉄木、踏ん張りなさい。最後は耕也、相手が変則的な順番にしてきた時の最後の砦。頑張って頂戴。……以上よ。いい加減な決め方になってしまうけれども、これで何とか頑張ってくださいな。……良いですわね?」

 

この意見に対して何かしらの反論は無いかどうかを皆に確認していく紫。

 

紫が、皆の顔をぐるりと見渡したところで、スッと手が挙がった。鉄木である。

 

鉄木は何か思う所があるのか、少々困ったような、そして笑っているような顔を紫に向ける。

 

紫はその動作に素直に反応し、意見を述べるように促していく。

 

「どうぞ、鉄木」

 

すると、鉄木は

 

「紫さんの隙間とやらで、相手の動向を探る事はできないのですか……?」

 

………………うん。言うと思ってた。こいつなら俺の期待に応えてくれると思ってた。嬉しくて涙が出ちゃいそう。

 

………………うん、とりあえずそんな事をやったら激ヤバな事態になる事を少しぐらいは察しろよ。紫がその案を出さなかった事を考えろよ。この中でずば抜けて頭が切れる紫がそんな事を思い付かないわけが無いだろ? 御前さんは賭博経営してるからこういった出し抜くことが好きかも知れないが、相手は鬼だぞ?

 

という言葉が口から出てきそうだったが、グッと堪えて紫の反応を待つ。

 

が、紫もこの事については流石に予想外だったらしく、口をあんぐりと開けたまま俺の方を見てくる。

 

幽香は、最早鉄木の言葉に興味を失ったのか、煎餅を6枚重ねで食べられるかどうかに挑戦し始めている。

 

なんだろう、この気まずい空気は。物凄く罪悪感を感じるのは何故だろうか? この意見を言わせてしまった俺に罪があるかのようなこの空気に現実逃避をしたくなってきた。

 

どうすんべよまったく。

 

そう思っていると、紫が漸く我に返って鉄木の方を見ながら、口を開く。

 

「鉄木。貴方が鬼という妖怪をどれほど理解していないかが、良く分かったわ」

 

そう言って、息を大きく吸うと一気にまくしたて始めた。

 

「前も言ったように鬼というのは非常に嘘や卑怯といった行為を嫌うの。それはもう地上から地底に来る水準で嫌っている。にもかかわらず、彼らが会議している所に此方から仕掛けたなんてバレたら目も当てられない事態になるのは明白よ。そして、鬼達は此方の行動を察知できないほどお馬鹿じゃないのよ。お分かり頂けるかしら?」

 

と、かなりきつめの口調で鉄木に言う紫。

 

これには流石に鉄木も身に染みたのか、怯えた顔をしながら、黙って頷く。

 

紫はその反応に満足したのか、ふぅっと軽く息を吐きながら、此方へと顔を向けて再び話の続きを口にする。

 

「さて……この中で確実に勝てるのは……耕也……かしら?」

 

と、ちょっと自信なさそうにではあるが、聞いてくる。

 

聞かれた配位が、どう返したらいいのかちょっと悩んでしまう。

 

何せ、相手は異常な力を誇る鬼。さらに言えば、俺は最後であり、相手は最も力の強い鬼である可能性が非常に高いのだ。

 

それに対して、俺は人間であり、元々の地力は低いどころか、鬼の大将と比べたら無いに等しいのだろう。

 

ソレを解消するために、生活支援と領域が存在するのだが、これまたこいつらの特性が厄介なのである。

 

まず内部領域は、俺にとって害のある接触等が行われた場合に反応するのであり、相手がそこに至るまで力を解放しなければ、スル―してしまう。

 

逆に、生活支援はそこに至るまでの力に対して非常に有効である。そして、その後は領域にバトンタッチといったところであろう。

 

生活支援の場合、俺がこれぐらいで大丈夫だろう。この力は大き過ぎるから、此処まで軽減してほしいなあ、等といった認識をするという事が大前提になってくるのだ。

 

よって、鬼が領域の作動範囲外かつ生活支援の認識速度を上回る力を加えてしまった場合、確実に俺が負ける。

 

逆にいえば、そこの一点しか弱点が無いという事であり、相手が俺の力を試すように徐々に力を加えていくやり方、または一気に俺を潰そうとフルパワーで仕掛けてくる場合、それに準ずる行為をしてきた場合は、生活支援、領域の両方で対応可能なのである。

 

正直本音を言うと……力勝負は苦手だよまったく……。

 

今更ながら、依頼を受けなければ良かった何て思いながら、俺は紫に言葉を返す。

 

「まあ……行けるとは思うよ? 領域があるし」

 

その言葉と同時に、ツインチャージャーみたいな使い方だな俺の力って。と、そんな事を脳内に浮かべていた。

 

低回転ではスーパーチャージャーで過給を行いトルクを増大。高回転でターボチャージャーで過給を行う。

 

まさに生活支援と領域はそんな関係だなと。

 

まあ、力勝負、今回に限ってではあるが。

 

ふう、と溜息を吐いてから、どうなるんだろうなあと思いながら茶を啜っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

妖怪、特に鬼達は祭りごとやら宴会等、騒ぐ事が大好きなようで、高々鉄木一人の為の賭けごとであるにもかかわらず、商店街のど真ん中に大勢押しかけて来た。

 

そこで急遽場所を変更し、商店街と俺の家の丁度中間あたりに設けることとなった。

 

とはいっても、集まるのは仕方が無いのかなとは思う。鉄木はともかく、同胞を見まもるために駆けつけるという事と、妖怪達に対して絶大な影響力を持つ紫。莫大な妖力を持ち、自他共に認める最上位とされている幽香がこのメンツにいるのだ。集まらないわけが無い。

 

そう思いながら、ヌボーッと幽香達と一緒に立っていると、どうしても俺の方にも視線が来るようで。

 

「大正耕也がいるぞ……」

 

「本当だ本当だ……力はどうなんだあいつは? 強いのか? 弱いのか?」

 

「いやぁ、わからんねえ。あやつは前回の決闘では純粋な力を見せてはいなかったからのう……」

 

と、色々と噂されている。

 

あれ、ひょっとして俺の方が注目されてるんじゃ……? と、思いながらも俺はヌボーッと立ち続ける。

 

そうして時間の経過を待っていると、後ろから大声が響き渡ってくる。

 

「来たぞ、栄香様だ! これなら絶対に負けないぞ!」

 

その大声を皮切りに、鬼達が一斉に歓喜の叫びを上げ始める。騒がしいのなんの。

 

紫と幽香、鉄木はすでに耳栓を実行しており、俺もそれに倣って耳栓をする。

 

そして数秒後、鬼の集団がまるでモーゼの奇跡のように、一気に左右へと別れていく。

 

そこを悠々と歩いてくるのは、鬼の大将であり、鬼子母神である栄香。後ろにいるのが才鬼と勇儀。そして最後に昨日酒場にいた鬼。

 

その姿を見た瞬間に、口が勝手に開いてしまった。勿論純粋な驚きという意味で。

 

おいおい、一個人の揉め事に四天王とボスまでチョッパって来るのかよ……。

 

そんな感想を頭の中で浮かべながら。

 

とはいえ、此方の陣営も散々なモノである。考えてみれば、幽香と紫を連れている時点で人の事を言えないのだ。

 

要は、どちらもぶっ飛んでいるという事であろう。

 

今更ながら、大事になってしまっている事実に気が付いた俺がいる。

 

いや、俺の予想では四天王なんて出すとは思っていなかったはずなんだ。

 

まあ、蓋を開けてみればこの通りではあるけれども。

 

そうズラズラと頭の中で考え事をしていると、栄香が此方へと近寄ってくる。

 

勿論その姿は非常に美しく、強く見え、思わずデジカメで撮ってしまいたくなるほどの絵だと思った。

 

まあ、こんな事を口に出したら先ず俺が不戦敗になりそうなので、口には出さない。

 

そして、ゆっくりと近づいてきた栄香が俺の方へと手を伸ばし一言。

 

「本来ならば人間と一戦交えるとは思わなんだが……まあ、宜しく頼む。当たるとは限らんがな」

 

と、一応の挨拶。

 

それに俺は握手で返し、また一言返す。

 

「まあ、何とか負けない様に頑張りますよ。栄香さん」

 

その言葉をいった瞬間に、開戦と捉えたのか、鬼達、外野が一斉に騒ぎだす。

 

中には、栄香様と呼べ! 等といったヤジも飛んでくるが、そんな事は気にしない。

 

というよりも、それ以外の声が煩過ぎて気にしているほどの余裕が無いのだ。

 

すると、もう十分だと思ったのか、栄香が左手をスッと上げて周りを落ち着かせる。

 

上げた途端に、何処の国の軍隊かと思う位に、ピッタリと音が止み、一気に静かになる。ああ、カリスマってのはこう言った事を指すんだろうなあという感想を持ちながら、握手している右手を離す。

 

そして、驚きの次に湧きでてくるのが、相手の出方であった。一体だれをどの順番で腕相撲へと投入してくるのか。

 

それが分からないと、不安で仕方が無い。少々心配性なのが仇となっているのか、心拍数がうなぎ上りである。

 

これでは出せる力も出せなくなると思い、俺は深呼吸をして落ち着かせようと試みる。

 

が、しかし

 

「だあめだこりゃ」

 

一向に心拍数が下がる事が無い。

 

どうしようかな本当にと思いながら、その後は水を飲んだり色々としてみたが、緊張しっぱなしであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第一回戦。

 

勿論、此方側の一番手は鉄木であり、どう考えても黒星が入りそうな力の持ち主である。鬼と比べた場合ではあるが。

 

そして、向こう側は此方の予想通り、先日俺が会った鬼であった。

 

名は確か……威快といったか。なんだか鬼の名前っぽくは無いが、その鬼が今回の鉄木の相手なのである。

 

向かい合っている鉄木は……やる気満々ではあるが、少々腰が引き気味というか。ちょっと萎縮しているといった感じか。

 

何とも初っ端から負けそうな空気をぶちまけている鉄木だが、言葉だけは一丁前であった。

 

「御前のような雑魚にゃあ絶対に負けん! 速攻で片づけてやる!」

 

勿論、それは鬼にとっては挑発以外の何ものでもなく、少々怒りを買う事になった。

 

「言ったなお前……。鬼に嘘を吐くなよ?」

 

なんだろうか。数日前に負けたくせにもう同じ相手に勝てると思っているのか。いや、それか俺達が取り返してくれるという事を前提に話しているのか。

 

なんだかよく分からない自信の表れに、紫が大きく溜息を吐いた。

 

俺は頭が痛い。

 

別の競技にしておけば負けずとも済んだかもしれないというのに……。

 

と、後悔してもそれは遅く、すでに両者は大きな大理石でできた一枚テーブルにお互いの右手をセットしていた。

 

ここでも仕切りたがるのは鬼の性分らしく、栄香が誰にも断りを入れずに審判をし始めている。

 

まあ選手が審判をするというのもおかしい事ではあるが、実際にこの中で審判をできそうなのは栄香と紫ぐらいだし、それは仕方が無いのかなと思ってしまう。紫は特に異論も無く、勝負の行く末を見届けようとジッと鉄木達を見つめている。

 

幽香はすでに勝負が見えているのか、少々癖のある髪をいじくっている。

 

そして

 

「両者ともに全力を尽くして戦うが良い! はじめぃ!」

 

その言葉と共に鉄木、威快が腕に力を込めて勝敗を決しにかかる。

 

が、面白いほどにに両者の様子は対照的であった。

 

鉄木は目を血走らせながら、腕を小刻みに震えさせ、筋肉を隆起させている。

 

「こ……の…………!」

 

その姿は、最早自身の限界を越えた力を投入しているかのように思え、彼の腕が破壊されてしまうのではないかと思えるほどの物であった。

 

しかし、威快はソレをまるで力が加えられていないかのように涼しい顔で対応している。

 

そして、先ほど挑発された事への仕返しか、鉄木へと挑発の言葉を繰り返していく。

 

「おらおら、さっきの威勢は何処へ行ったんだ? もっと力込めねえと負けちまうぞ?」

 

と、明らかに勝てない勝負に必死こいている鉄木を笑っているのだ。

 

勿論、それが商店街の住人、鬼達の笑いを誘ったのか、2人の周りを笑い声が取り囲んでいく。

 

その声は妖怪さながらの大きさで、うるさいったらありゃしない。

 

流石に、此処まで晒し物にされるのは可哀そうだと思ったのか、栄香が周りの連中を叱りつける。

 

「真剣勝負の最中だ! ヤジを入れるな!」

 

と。

 

すると、やはりその握力に押されたのか、皆一斉に黙りこくる。

 

が、時すでに遅しといったところだろうか?

 

飽きてしまったのか、威快が力を増大させ、硬直状態から1秒も経過させずに腕を机に押し付けてしまった。

 

栄香は少々気まずそうな顔をしながら

 

「そこまで! 勝者、威快!」

 

と、宣言した。

 

まあ、この場にいる誰もがこの結末を予想していたし、確実になるだろうと自信を持っていただろう。

 

商店街の連中は、ああやっぱり。そんなもんだよな鬼と力勝負したら。といった感じである。

 

逆に鬼は勝った事が非常に嬉しいのか、大歓声。これまた耳が痛くなるほどの大歓声。お前ら少しは声落とせよと言いたくなるほどの大歓声。

 

結局のところ、相手がどのような強さ、弱さであれ、そこに正々堂々とした争いが生じれば、彼らとしては大満足なのかもしれない。

 

そう思ったところで、2番手である紫がゆっくりとテーブルの前に着く。

 

紫の表情は、あくまでも冷静さを十分に持った微笑。誰をも魅了する微笑である。

 

彼女の口から勝てないといった言葉を聞いてはいたが、それでも彼女は彼女なりの作戦を考え、この勝負に臨むのだから、俺がどうこう言う資格など無いし、感謝しかする事ができない。俺の頼みでこの勝負に参加してくれたのだから。

 

だから、俺は残念そうな顔をしている鉄木に、良く頑張ったと言ってから、紫に向かって一言。

 

「頑張れ!」

 

その言葉に、一瞬驚くように目を大きくする紫だが、すぐに目を戻し、今度は花のような笑顔を向けてくる。

 

「頑張ってくるわ」

 

だが、俺達の予想していた相手は、試合直前に予想していた者とは違っていた。

 

そう、登場の際に面子が割れた瞬間に、俺と紫達は一斉に意見を一致させたのだ。

 

最初から威快、才鬼、勇儀、栄香の順番で来るはずだと。

 

彼女達の習性からして確実にこの順番で来るはずであると。だが、予想は違っていた。

 

勇儀。

 

2番手に勇儀が来たのである。

 

勿論、勇儀は鬼の四天王の一人。確実に才鬼よりは地位も高いし、力もある。だが、現実では勇儀が2番手である。

 

恐らく幽香、紫も俺と同じことを思っただろう。これは確実に俺が勝たなくてはならないという事である。

 

この先、どう頑張っても引き分けにしか持ち込めないのだ。鉄木、紫が負けて幽香が才鬼に勝ち、俺が栄香に勝つ。

 

それしか活路を見出せないのだ。そして、引き分けに持ち込んだ後、何とかして財産をもぎ取るように、俺が空気を変えていかなければならない。

 

俺が再戦して、勝つか。悪くて引き分けなのだから、交渉の場に引きずり出して財産をなるべく取らなくてはならない。

 

そこまでする意味がひょっとしてあるのかどうかは分からないが、とにかく色々と手を考えなくてはならないだろう。

 

そうこうしているうちに、栄香が声を張り上げる。

 

「はじめい!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

全くもって厄介な相手に当たったものだわ。

 

と、脳内で呟きながら、私は力が込められる手を眺める。

 

相手が、四天王だからか能力も効きづらい上に、力を常に掛けられているから、碌に集中できない。

 

しかも相手は此方の力がどのような水準かを確かめるかのように、常に力を増大させている。

 

正直なところ、私の妖怪としての純粋な筋力による力はとっくに超えていて、すでに妖力による水増しの領域に入っている。

 

一言でいえば、勝てる見込みなど無いに等しい。ただただ、己の強大な妖力をその身体強化につぎ込み、無駄に消費していくだけ。

 

耕也の良く口にしていた言葉で何と言っていただろうか?

 

……ああ、そうだ。燃費が劣悪で馬力の無いアメ車といった感じか? 良く分からないが、こう言った感じの事を言うらしい。

 

要は絶対に勝つことのできない者が、負けるまでの時間を必死に、無様に引き延ばしているだけにすぎないのだ。

 

元々、そんなに格闘が得意な訳でもなく、力よりも能力と頭で全てをこなしていた私に、この状況は非常にきつい。

 

耕也に自信ありげに頑張るといったは良いが、結局はこの様。恥ずかしいったらない。幽香に後で笑われるかもしれない。

 

そんな事を考えているうちに、更に相手の力が強くなる。

 

それに対抗するために、更に大きな妖力を全身に巡らせて身体能力を水増ししていく。

 

「中々やるねえ、賢者。私の力に此処まで耐えるとは正直思っていなかったよ」

 

と、勇儀は私の力が意外に強かったという感想を持ったようだ。

 

更にぐぐっと増してくる力に、腹に力を込めながら対抗しつつ口を開いて勇儀の言葉に返す。

 

「ふふふ、私は普段頭で物事を解決しておりますので、これは少々きついと思っております。ですが……簡単に負けてしまうのも興が冷めてしまいますので、精一杯頑張らせていただきますわ」

 

そう言って、今度は私から力を込める。注ぎ込む妖力は二倍に。

 

燃費は更に劣悪となり、凄まじい勢いで身体から妖力が消費されていくのが分かる。

 

が、一瞬たりとも供給を止めることはできない。一秒間に、雑魚妖怪の持つ全妖力を軽く使い果たしているのではないだろうか?

 

それほどの勢いで消費しているのだ。一体どれほどの妖力を継ぎ足せば、この勇儀の力に勝つ事ができるのだろうか?

 

そんな疑問が頭の中を過る。

 

自力からして圧倒的に勝る勇儀が妖力を使用して水増しし始めたら、もう私に勝ち目はないだろう。だからこそ。

 

(勇儀が妖力を込めるまでの時間差を利用して、一気に叩く……)

 

それしか方法は無い。こんな悠長に水増しを続けていたら、それこそ確実にジリ貧であり、相手が付け入る隙を与えてしまう。

 

それだけは、流石に此方の自尊心が許さない。

 

だからこそ

 

(今の100倍で……)

 

そう思って、一気に力を増幅させていく。

 

内在する妖力を、一気に解放するために、自身の境界を少々弄って力を出しやすくしていく。

 

弁が一気に全開する様な想像を脳内に浮かべ、ソレを身体に染み込ませるように描く。

 

ただただ、目の前の鬼に力で勝つために。純然たる力、筋力という物理的な力を増し、相手の腕を屈服させるために、一気に妖力を己の身に浸透させていく。

 

段々と、臀部より内側が熱くなり、そして腹、腿、胸、首、膝、頭といった身体の主な器官に熱が浸透していく。

 

そして、最終的には手の先まで。

 

熱くなっている部分とそうでない部分に妙な違和感を感じつつも、同時に全身が熱くなっていく事に不思議とした満足感を得る。

 

だが、このような荒技を試行するのは初めてであり、この設計も何もない無秩序な行為が終わった瞬間にどのような副作用が身体に出るのかも考慮していない。

 

それでも、力で鬼に勝つのも悪くは無いのではないだろうか? 耕也に負ける姿を見せたくないというのも、またこの乱暴な行為を行うだけの理由になるのではないだろうか?

 

私は賢者の前に、女なのだ。

 

そう思ったところで、指先まで熱くなってくる。

 

漸く全身に妖力が回ったのだ。今なら、行ける。相手はまだ気が付いていない。外に漏らさず、内で溜め込んでいる妖力を全筋力に注いでいるのだ。相手に感知させず、自分の力のみを相手にぶつけるため。

 

ふっ、と短く息を吐いて力を腕に込めていく。

 

徐々にではなく、一気に。

 

「うあっ!?」

 

勇儀が驚愕の声を上げ、一瞬にして私の腕が勇儀の腕を大理石の上に叩きつけようとする。

 

このままだ。このまま一気に行けば私の……。

 

が、現実はそう上手く行くものでもなく。

 

「あ……っぶない……じゃないか!」

 

と、後5分の1ほどのところで一気に速度が小さくなり、ピタリと止まってしまう。

 

そして

 

「本当に……驚きだよまったく!」

 

私よりも圧倒的に劣る妖力を纏わせ、そして私よりも圧倒的に勝る地力を腕にまとわせてきた。

 

「あっく……!」

 

更に妖力を込めようとしたが、すでに時遅し。

 

「あああああっ!」

 

鼓膜が破れるかと思うほどの怒号と共に、勇儀の腕に圧倒的な力が発揮され、一気に私は自陣へと手の甲を叩きつけられた。

 

「ぐっ……」

 

そして、その痛みを実感するか、しないか微妙な時間の状態で

 

「勝者、勇儀!」

 

敗北を宣言されてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

これで二勝二敗の引き分けにしか持っていけなくなってしまった。

 

まあ、紫自身もそう思っていただろうし、耕也もそう思っていただろうから。

 

いや、耕也の事だから、全部自分で解決しようと背負いこもうと考えているのかもしれない。

 

こんなクズの為に力を使うことすらアホらしいというのに、耕也は本当にお人よしだと。そう思う。

 

とはいえ、私の相手は才鬼とやら。力では勇儀に劣るが、四天王である伊吹萃香を上回る力を持っていると噂されている。

 

実際に戦ってみないと、どの程度の力なのか、私でも勝てる力なのかが分からない。

 

私も力には自信がある。それが鬼達に勝る力の持ち主だという自負もある。だが、四天王にまで届くかどうかは分からない。

 

紫も勇儀もやったであろう、力の水増しがあれば何とかなるのかも知れない。

 

そんな事を考えながら、私は苦笑いを浮かべている紫の肩に手をおいて、そのまま通り過ぎていく。

 

一瞬ビクリと紫の肩が震えたような気がしたが、私はそんな事を気にするほどの余裕はなく。

 

ただただ、目の前の鬼に対して勝ってしまわなければならないという強迫観念がこの頭に渦巻いてくる

 

自分が負ければ、耕也が今後どんなに頑張ったとしても、負けは確定してしまう。

 

だから、私は目の前の鬼に勝たなくてはならないのだ。

 

「さあて、私と勝負しようじゃないか? 花妖怪」

 

ニヤニヤとした目で、此方を見てくる才鬼とやら。

 

自分の力に対して絶対の自信があるのか、私の視線を受けても全く動じることなく、そのニヤニヤした顔を止める事が無い。

 

まあ、此方を舐めているのか、それとも唯単に素の性格なのか。

 

どちらでもいいが、この自信満々な鬼の鼻を圧し折ってやりたいのは私だけではあるまい。

 

だからこそ私は

 

「潰してあげるわ」

 

そう言って、力強く相手の手を握って、勝負の時に備える。

 

才鬼も此方の本気を知ったのか、此方の手を握り締め、そのまま圧壊させるのではないかというほどの握力を掛けてくる。

 

が、この程度の握力で私の手が潰れることなど無い。

 

ただ、この力強さは相手の本気度も十分に伝わってくるという物であった。

 

鬼に限ってふざけてやるという事は無いだろう。途中まで手加減するという相手の力を計る事はするかもしれないが。

 

そして、双方の気持ちが高まった事を確認したのか、栄香が満足げな笑みを浮かべながら大声で

 

「では……始めっ!」

 

先ほどとあまり変わらない、つまらない掛け声を放った。

 

その瞬間に、一気に私の腕への負荷が増大する。

 

が、此方も負けることはできないので、一気に力を入れ、妖力を最大、限界にまで高めて一気に勝負を仕掛けていく。

 

すると

 

「へ……?」

 

という何とも言えないアホ面を晒しながら、私の力の強さに驚愕していた才鬼がいた。

 

あまりにも突然の強大な力。鬼の想定の範囲外だったのだろう。

 

当然だ。今の私は全力を出しているのだから。

 

最初に力を計ろうとした愚かなお前とは全く違うのだ。私は御前達鬼と同じく負けず嫌い。そして何より、私は耕也の為に戦うのだ。鉄木の為ではない。

 

覚悟が違うのだ。御前達とは。

 

だからこそ私は、そのままの勢いで、彼女の腕を、手を、肘を潰す勢いで叩きつけた。

 

「があっ……!」

 

骨は折れてはいないだろう。だがしかし、それでも衝撃は強く、彼女の腕に激痛をもたらしたようだ。

 

当然だろう。耕也によって強化された大理石に罅が入り、火薬でも爆発したのではないかというほどの強烈な音が、周囲に響き渡ったのだ。鬼といえど、無事に済むわけが無い。

 

「そこまでっ! 勝者、幽香!」

 

漸く、漸く一勝である。

 

この勝負が決着するまで、3秒とかからなかったであろうが、莫大な妖力を使用し、極限まで緊張、集中していたせいか、非常に長く感じてしまった。

 

長針が短針を三回程追い抜くほど長く。

 

 

 

 

 

 

 

鬼達は落胆を。俺達は歓声を上げつつ幽香を迎える。

 

商店街の妖怪達も、此方の勝利を快く思っているのか、一応拍手はしてくれている。

 

やっと掴んだ一勝なのだ。此処からが正念場と言っても過言ではない。俺が負けるか勝つか。これによって勝敗が決まってしまうのだ。

 

すでに鬼側は負ける事が無い戦なので、気分としては余裕であろう。此方は緊張と焦りで、不安が増すばかりだが。

 

そんな事を思っていると、紫と幽香、鉄木が此方の方に顔を向けて、それぞれ応援の言葉をかけてくれる。

 

「じゃあ、耕也頑張ってきなさい」

 

「私が掴んだ一勝を無駄にするんじゃないわよ?」

 

「宜しくお願いします。耕也さん」

 

何とも嬉しい声である。

 

勿論、俺はそれに応えるように言葉を選んでいく。

 

「じゃあ、勝ってくるよ」

 

そう言って俺は目の前の大理石に腰を掛け、自信満々な笑顔を浮かべている栄香の元へと近づいて行く。

 

勝てるかどうか? と言われれば、殆ど勝てるといったところだろうか?

 

今の俺の気持ちはそれである。しかし、それでも負けてしまう可能性が無いわけではないのだから、多少なりとも……いや、かなり緊張してしまう。

 

ソレを相手に悟られないように、懸命に顔を無表情に近くなるように努力をし、ゆっくりとした足取りになるように心掛ける。

 

今回の腕相撲は、領域が反応しにくい面倒な勝負事。相手が過剰な力を掛けてくる事を期待する。いや、確実にかけてくるだろう。

 

過去の決闘をその目に焼きつけているのだ。俺が力の弱い唯の人間だとは思ってはいまい。

 

だからこそ、このパッシブだらけな能力を全開にして戦うのだ。

 

科学兵器で引きつけた相手の懸念を逆手に取り、此方の能力を最大限に発揮できる環境を作るのだ。

 

確かにこれは偶然の産物と言っても過言ではないのかもしれない。だが、これも実力の一つであろう。運も実力の一つ。

 

そんな事を考えながら、俺は漸く栄香の目の前に立ち、彼女を正面から見据える。

 

まあ、人間の視線を受けた所で、鬼にとっては屁でもないのだろうが、一応此方の戦うという意志をアピールしておく。

 

ジッと、無表情で。

 

すると栄香は、俺が栄香の威圧に反応を見せないのが面白くないのか、俺の無表情が面白くないのかは分からないが、フンッと鼻を鳴らして、銀色の長い髪の毛を手で撫でつける。

 

そして

 

「さて、決着をつけようぞ耕也……。御主が負けるか、それともここで勝ち引き分けに持ち込むか……」

 

「引き分けに持ち込むしか方法はないからね……負けない様に頑張らせてもらうさ栄香」

 

と、栄香に自分が負ける意志は無いという事を示し、修復した大理石の上に、肘を着く。

 

栄香も、俺が勝負を早くしてしまいたいという事を理解したのか、すぐに腰を上げて俺と同じように肘を着き、俺の手をガッシリと握る。

 

「じゃあ、紫。審判お願い」

 

そう言うと紫は、ええ、と答えて俺と栄香の真横に立ち、そしてすぐに合図を初めて行く。

 

「鬼の賢者、栄香。陰陽師、耕也。用意は良いかしら?」

 

「ああ!」

 

「大丈夫」

 

陰陽師ではなく、元陰陽師だろうという突っ込みはしなかった。しても仕方ないし。

 

そして、紫は俺達の声を聞いた瞬間、満足そうな顔を浮かべ、扇子を横一線。

 

「では始め」

 

 

 

 

 

 

 

 

紫の声が聞こえた瞬間、俺の腕に物凄い力がかかる。だが、この力は俺に対して害を及ぼすわけでもなく、相手も害を及ぼそうとしているわけでもない、真剣勝負なので内部領域が干渉しに来ない。

 

まあ、それは此方の予想範囲内であるし、瞬間的に生活支援によるトルクの増大と、相手のトルクの減少を仕掛けていく。

 

だが、栄香の力はだてに頭を張っている訳ではなく、異常な速度で力が増大していく。

 

此方の生活支援の速度が間に合わないかと思うほど。

 

だが、それでも何とか耐えて、栄香の力を削いでいく。

 

「中々やるではないか、人間、耕也。……正直力まで此方に対抗してくるとは流石に思わなんだ。ふふ、では更に行くぞ!」

 

その言葉を言った瞬間、桁違いの負荷が腕に掛かってくる。もちろん、生活支援で対抗していこうとするが、そのままゆっくりと自陣へと腕が倒れ込んでいく。

 

此処までの力が掛けられても、悪意などが込められていないのと、未だ腕に対して害などが無いことから未だに領域の干渉が無い。

 

まだ、この時点では駄目か……。

 

遊びに近いレベルの競技なので仕方が無いと言えば、仕方が無いが、もう少し、感度を上げた方が良さそうな気がしてきた。少し気分が暗くなる。

 

が、それでも負けるわけにはいかないので、生活支援の力を借りて更に対抗していく。

 

栄香も、此方が此処まで粘るとは思っていなかったのか、驚きに満ちた目を一瞬浮かべ、そしてすぐに獰猛な笑みを浮かべ始める。

 

それはまるで、ようやく面白い事になってきた。これからが本番だとでも言うかのような笑み。

 

事実

 

「さて、そろそろ本気を出してみるかな……?」

 

と、俺に向かって言ってきたのだ。

 

流石にこれ以上の速度で力を増大させられてしまったら、此方の能力が追い付かないばかりか、腕が持たない。

 

だが、それが此方の勝利につながるのだ。

 

そんな事を思いながら、彼女が力を増し続けるのをひたすら耐える。

 

額からは汗が滴り、身体の各所から熱が生じ始める。

 

熱い。

 

すると、漸く彼女が口を開く。

 

「では本気を出そう……。……ふっ!」

 

その瞬間、生活支援が何の意味も持たなくなったのを感じた。

 

圧倒的な力。鬼の真の力とでも言うべきだろうか? とにかく、妖力による水増しと自力がとんでもない。

 

だが……。

 

笑いがこみあげてくる。

 

あんまりにも上手く行った事に、自分でも驚きである。

 

大凡鬼はこういった作戦には気がつきにくいだろうとは思ってはいたが、まさか生活支援を使い続けているだけで、こんなにもあっさりと勝つ事ができるとは思わなかった。

 

「んな……っ!」

 

と、栄香が先ほどとはまた違った驚きの顔をし、声を上げる。

 

そりゃあそうだ。領域が完全に干渉をして、栄香の力が一切効かなくなっているのだから。

 

笑いがどうしても止まらない。それは先ほどまでの焦りからは全く想像もできないであろう笑みを顔に出していた。

 

「な、何がおかしいっ!?」

 

栄香が焦り、怒りと困惑の混ざった表情を浮かべつつ俺に叫ぶ。

 

「いやね、俺もそろそろ本気を出そうと思ってね……」

 

あんまりにも嬉しくて、ついつい言葉が飛び出していく。

 

「力が……簡単に押し返される……。」

 

彼女は力を入れているのに、押し返されていると言った。だが、それは間違いなのだ。彼女の力が人間以下に下がってしまっているのだ。俺のこの時点で絶対に害を及ぼさないレベルにまで下がっている。

 

そして、領域で強化された腕を徐々に大理石に対して垂直に戻し、彼女に向かって口を開く。

 

「こう言う後々強烈な力を発揮する事をね、俺のところではどうどう言うかっていうと……」

 

そして、そのテンションを抑えきれぬまま、思いっきり。最高に

 

「どっかんターボってんだよっ!!」

 

格好悪く、言った後後悔する決め台詞と共に、俺は栄香の腕を大理石に叩きつけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その後何とか、交渉に持ち込み、再戦等を要求したのだが、それは却下されてしまい、結局折衷案を飲まざるを得なかった。

 

それは、鉄木の財産の半分を鬼が貰い、残り半分を返還するという物であった。

 

流石にこれ以上の要求は無理だと思ったのか、鉄木は沈んだ顔で了承した。

 

勿論、報酬は俺達の所に来た。とはいっても、額は少なくなってしまってはいたが。

 

そして俺はというと、何故あそこで「どっかんターボ」等と言ってしまったのか一日中悩んだ。

 

紫曰く

 

「何処の所の言葉か物凄く知りたいわ? 貴方の故郷かしら?」

 

出自に関係していると思っているらしい。

 

まあ、関係していると言えばしているが。

 

 

 

 

 

はいはいどっかんたーぼどっかんたーぼ

 

 

 

 



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94話 もっと知りたい……

本当に困ったものね……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ふう、と息を吐きながら、私は目の前にある書類に判を押していく。

 

先日、またもや地底で紫達が馬鹿騒ぎを起こしたとかで、その報告書に目を通す羽目になったのだ。

 

なにぶん、地底に来て日が浅い鬼達と、大妖怪である紫、幽香、更には人間である耕也までもが鬼達と闘ったのだ。

 

腕相撲という血が飛び散る死闘というものでは無かったものの、人間と鬼が戦ったのだ。話題になってもおかしくは無かろう。

 

それにしても、いくら依頼とは言え、確実に騒ぎが大きくなると予測できる事に参加するとは……耕也にも困ったものである。

 

本人としては、特にそのつもりは無かったかも知れないが、それでも事態は私に報告書が届くまで大きくなってしまったのだ。古明地も頭が痛いであろう。

 

と、そんな事を考えながら、チラリと部屋の右端に目をやる。

 

「やっぱり……暖かい物でも飲もうかしら……」

 

少々肌寒い季節であるが故か分からないが、此処も地上の季節と連動しているのだろう。地底と違って温度変化が著しい。

 

そう思い立った私は、身体を温めるために席を立つ。

 

「不思議なモノよねこの……湯沸かし器という物は……見えない火でも出てるのかしら?」

 

そんな事を呟きながら、上蓋の窪みに手をいれて蓋を開ける。そして中に湯気立つ「蒸留水(軟水)」とやらがあるのを確認して、注ぐと書かれているボタンとやらに人差し指をおく。

 

「えいっ!」

 

そんな掛け声と共に、力を込めてボタンを沈ませる。

 

だが、私の異様に力の籠った掛け声とは真逆に、鈍く低いうなり声を上げながら、ゴポゴポと泡立つ音が一瞬、そして次には「まぐかっぷ」に湯が注がれていく。

 

何故か掛け声をしてしまう。それも大きな声で。

 

思わず周りを見渡してしまい、そのあまりの落差に顔が熱くなる。

 

「ぶ、ぶれんでぃのかふぇおれは……混ざりにくいです……くっ」

 

と、すでに完全に混ざっているこのカフェオレに対して八つ当たりをしながら、自分の恥ずかしさを書き消そうと必死になる私。

 

何ともこの短い時間に何てアホらしい事をしてしまっているのだろうか?

 

と、自己嫌悪に陥りながら、私は熱い容器の取っ手を持って机に座る。

 

「まあ、息抜きも大切よね……」

 

と、私は独り言を呟きながら、目の前の書類に再び目を向ける。

 

紫から聞いてはいたが、本当に彼の力は摩訶不思議なモノである。長年生を歩んでいる私ですら、彼の力の詳細が分からない。一体どうしてあのような力が発現されているのだろうか? と。

 

まあ、あの胡散臭い紫ですら検討が付かないと言っているのだから、仕方が無いと言えば仕方が無いというべきだろうか?

 

「落ち着く甘さね……」

 

と、この時代には非常に珍しい甘味料を使っているらしく、そのほんのりとした甘さに頬が緩む。

 

そう、どれもこれも耕也からもたらされている娯楽といっても良い。だが、そこが非常に問題である。

 

一体何故人間にあのような力があるのか。一体何故あのような人間が千年を超える時を生きているのだろうか?

 

私の浄玻璃の鏡ですら、明かす事のできない彼の過去。一体彼は何処で生まれ、何処でそのような長寿を身につけ、そして地底にまで至ったのか。

 

口から聞いたことはほんのわずかであり、全くと言っていいほど、彼の過去を聞いてはいない。

 

聞きたい事は山ほどある。隠し事は誰にでもあるものだが、あれほど謎に包まれた人間というのも珍しい。しかも私と耕也は非常に親しい仲なのだ。もう少し開示してもらっても良い気がしないでもない。

 

まあ、彼にしてみれば話しても良い事は多くあるのだろうけれども、話を聞けないのは私が切り出していないだけなのかもしれないが。

 

いや、浄玻璃の鏡の前では話したがらないのが人間なのだからそれは仕方が無いと言えば仕方が無いだろう。

 

「今度……もう一度話してみましょうか……」

 

と、呟いた瞬間に、目の前の空間に亀裂が入り始める。

 

今更こんなモノで驚くような事はないし、こんな事をしてくるのはただ一人しかいないというのは十分に理解している。

 

「紫……何用ですか……?」

 

と、完全に此方の空間に姿を見せる前に彼女に向かって淡々と言い放つ。

 

すると、向こう側からふふふ、とした胡散臭い笑い声と共に、一人の妖怪が……いや、更にもう一人の妖獣が姿を表す。

 

その姿は、勿論紫の式である八雲藍。随分とまあ、力の大きい式だこと。と、目の前の藍を見ながら紫にそのような感想を持つ。

 

とはいえ、毎度毎度こんな事を思っていても仕方が無いと言えば仕方が無いが。

 

そいsて、漸く完全に姿を露わにした2人に、私は質問をもう一度繰り返す。

 

「それで、何用ですか? 紫……」

 

すると、目の前の紫はニヤニヤするという反応を、此方の質問に示す。藍の方は、苦笑しているといったところだろうか? この主は本当にもう……と言いたげな感じで。

 

なぜだか、その紫のニヤニヤには嫌な予感がして、ついつい聞いてしまう。

 

「何故ニヤニヤしているのです? 質問に答えなさい」

 

すると、紫はニヤニヤを一層大きくして、一言言ってきた。

 

「えいっ!」

 

御丁寧にボタンを押す仕草を添えつつ、似もしない声を似せようとしながら。

 

しかし、私はその似ていない声にもかかわらず、顔が赤く燃え上がるほどの熱さを覚えた。

 

やられた……。完全に見られていたのだ。あの、ぶれんでぃのかふぇおれを作る時の仕草を。

 

しかも紫は、調子に乗って更に口を開いてくる。

 

「ぶ、ぶれんでぃのかふぇおれは……混ざりにくいです……くっ……ぷふっ」

 

と、扇子を開きながら、大げさに踊って言い始める紫。

 

あんまりにも恥ずかしくて、穴があったら入りたいと思ってしまう私。

 

本当にこの女の能力は卑怯かつ陰湿だと思った。

 

だから

 

「耕也はそういった陰湿な行為は好まないと思うわ?」

 

と、少々意地悪な事を言ってみた。すると

 

「わ、私がそんな事をするわけが無いでしょう? ま、まままったく変な事を言うもんじゃないわ!?」

 

と、顔を真っ赤にしながら焦ったように扇子をブンブン振りまわす紫。

 

こんな紫を見るのは、私にとっては2回目で、側に控えている藍にとってもかなり意外な事だったようだ。

 

彼女の焦った顔というのは、非常に珍しいモノであり、見られるのは殆ど無いのではないだろうか? 実際のところ、彼女が此処に来る時には常に余裕の表情を浮かべ、扇子を口にかぶせながら、此方に対して色々と要求をしてくる。

 

そう、特に一番無礼な訪問は、耕也と肌を重ねた時であったか。まあ、あの時は色々と此方も焦っていたし、正直なところで言えば、あまり印象に残っていない。

 

が、彼女が此処まで焦るのは非常に珍しいのは事実であって。

 

ソレをもっと見てみたいという感情になるのも自然なものだと思い、私は彼女に対して更に言葉を続けていく。

 

「そうかしら? ……彼の行動を結構監視していた貴方は陰湿なんじゃないかしら?」

 

と、ちょっとづつ抉っていく。

 

すると、彼女の顔は面白いように変化し、焦燥の表情から何とも悔しそうな顔へとなっていく。

 

が、流石に此処までやるのは可哀そうかなとも思ってしまい、彼女の口から反撃の言葉が出る前に、此方から話を飛ばしてしまう。

 

「それで……。今回来たのは一体どんな用件があっての事なのかしら?」

 

と、至極普通の尋ね方をして、彼女の話の路線を戻す。

 

紫は、これ以上色々と言われるのが嫌だったのか、露骨に安心した表情をしながら、口を開く。藍が置いてきぼりな気もするが、まあ仕方が無いだろう。

 

「さて、閻魔様。いえ、映姫。……先ほどまで貴方が思っていた事。したかった事を……今夜実行しようとは思わない?」

 

と。

 

その言葉を聞いた瞬間、紫に対して阿呆な事を言うもんだなと思ってしまう。

 

が、それもすぐに感心へと変わってしまう。

 

ああ、彼女達が言っていた事はこのような事もあるという予想を元に成されていたのだろう。という感想を。

 

彼女達が普段耕也に対して言っていた事。

 

それは

 

「違和感が強いから、家にいる時や私達がいる時ぐらいは、領域関係を外してくれないかしら?」

 

このような言葉を耕也の耳にタコができるぐらいに言っていたのは、これを実行するために画策していたのではないだろうかという事。

 

わたしは、ソレを頭の中で浮かべてから紫に確認を取る事にする。

 

「では、今は耕也の領域が外部、内部共に解除されている状態である……と?」

 

すると、御名答とでも言わんばかりに、紫の表情がニッコリとほころび、次いでその表情のまま口が開かれる。

 

「すでに確認してある事よ。彼の夢の中に入る事ができても、過去の記憶までは見る事ができないから、此処に来ているのよ。それに、利害は一致しているとは思うのだけれども?」

 

と、すでに協力して耕也の過去を暴くという事を前提にして話している。

 

とはいえ、彼女の言う事も尤もである。先ほどまで、私は彼……耕也の過去を見たいと自分で思っていたのだから。それを察知されていたのは知らなかったが、とにかく了承しておかないと彼女は引きそうにないというのもひとつ。

 

だから、私は

 

「良いでしょう、協力します」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「で……。何でこんなにいるんですか?」

 

そうツッコミが入るのも無理は無いと思った。

 

なぜなら寝ている耕也を中心として、ヤマメ、白蓮、私こと映姫、紫、幽香、藍、幽々子がこの場にいるのだ。

 

私と、紫、藍がいる事まではまだ良い。そう、まだその三人までなら良いのだ。

 

だが

 

「もう一度言います。何でこんなにいるのですか?」

 

そう言うと、紫は若干目を逸らしながら、言い訳のように此方に口を開いてくる。

 

「計画には此処にいる皆が参加するのですし……良いではありませんこと?」

 

と、如何にも誤魔化しを即興で考えたかのような口調で言ってくる。

 

が、即興で考えた事にしては結構な的を得ているので、反論する訳にもいかず、少々溜息を吐きながら、私は浄玻璃の鏡を出して全員の顔を見る。

 

「これからすることは、勿論耕也の過去を見る事です。耕也の外部領域及び内部領域が解除されている今、全ての過去が明らかになるでしょう……」

 

そして、全く起きる気配のない耕也の顔を見ながら、少し考える。

 

現在、耕也は藍の調合した薬によって深い深い眠りについている。明日の昼になっても起きるかどうかといったところだろう。

 

耕也の過去を知るという行為。謎だらけで、あまりにも不思議な生い立ちを求めて、私達は今真実を目の当たりにしようとしているのだ。

 

「その覚悟はできていますか? すでに後戻りできない所にまで来てはいますが、これが終わった後は泣いて謝っても決して引き返す事のできない状態にまでなります。紫の考えている計画はすでに紫本人、皆さんも知っている事でしょう……。では、もう一度聞きます。皆さんは、耕也の過去を知るその覚悟はありますか?」

 

と、見回しながら伝わるようにはっきりと口を開きながら、言葉を放つ。

 

すると、紫は

 

「全ての計画の責は私にあります。発案者も、実行者も私です。その覚悟は疾うにできておりますわ」

 

続いて藍

 

「耕也は私のモノでもあります。今更失っても良いという事はできませんし、此処に留めておきたいので、勿論覚悟はあります」

 

3番目に幽香

 

「まあ、流石にどこかに行ってしまうのは勘弁してほしいわね。耕也がどこかに行ってしまうのなら…………その時は四肢切断してでも縫いつけるわ」

 

次に白蓮

 

「そうですね。過去を知るのはその者の事をより深く知るという事でもあると思います。恩人である耕也さんとはこれからも付き合いを重ねていきたいので、共に責を負う覚悟はあります」

 

引き続き幽々子

 

「ふふふ、流石にどこかに行ってしまうのは許容できないわね……無理にでも行こうとわがまま言ったら……肉体を捨ててもらうだけよ……勿論、その後は……」

 

そして、最後にヤマメ

 

「まあ、蜘蛛糸で雁字搦めにするのにも、こう言った相手の歴史を知ってからの方が対処がしやすいし、征服感も増すさね……賛成してるよ勿論」

 

そう、各々の意見を述べて、自身に彼を縛るための覚悟があるという事を再確認させる。

 

そして勿論私にも覚悟はある。

 

「私にも勿論覚悟はあります。閻魔としてではなく、一人の女としてですが……。そして、更に包囲網を広げるのでしたね。紫?」

 

そう紫に確認を取る私。

 

すると、紫は嬉しそうに頷きながら、肯定をしてくる。

 

「ええ、元よりそのつもりで私は皆さんに計画を進めてきたのですわ……これで耕也の出自が確認できれば、更なる計画の推進をする事ができるというもの」

 

そう言ってくる。

 

私は彼女の言葉に頷きを返し、浄玻璃の鏡を差し出しす。

 

「では、そろそろ始めるとしましょうか。……彼の今まで歩んで来た人生は数千年に及ぶと思われます。ソレをこの耕也が目覚めるまでに全てを見終わらなければならないのですから、かなりの圧縮したものになります。いいですね?」

 

すると、それは全員分かっていたようで、一斉に此方に頷きを返してくる。

 

ソレを確認してから、私は紫に一言尋ねる。

 

「逆行する感じで良いでしょうか?」

 

それは、彼の生れから今までに至る所を普通に再生するか、それともある一部分を区切りとしながら、断続的なモノとして逆行させていく方式のどちらか。

 

私達の問題点は、彼との接触している時間が、生に対して非常に短い時間であるというモノなのだ。善悪の判断なら、すぐさま移しだしていくのだが、人生全てともなると、かなりの手間を要する事になる。

 

なので、私の提案としてはこの生を受けて眠っている、たった今から逆行して言った方が、確実性が増すというもの。

 

だからこそ、私は紫に尋ねたのだ。

 

すると、紫は私の質問を予め理解していたかのように、すぐに返答してくる。

 

「逆行で行きましょう。勿論、ぶつ切りの再生方法であることと、飛ばしても良いと思ったところは相当な速度で飛ばして行きましょう……」

 

その言葉に、特に周りは不満を持たないのか、紫の言葉にただただ頷くばかりである。

 

私の印象としては、もっと幽香や幽々子が意見を出してくると思っていたのだが、2人が黙っているのがやけに気味が悪い。

 

本当に紫と私の意見に全面的に賛同してくれているのか、それともただただ耕也の過去が見たいだけで、此方の方針等気に掛ける必要はないと思っているのだろうか?

 

そんな事を思いながら、私は全員を見渡して一言呟く。

 

「では、行きます」

 

 

 

 

 

 

 

遡っていく。どんどん遡っていく。

 

耕也が、鬼と腕相撲をし、そして勝っていく様をこの目で初めて目にした時、耕也はこんなに感情的になる事があったのだと、自分でも驚いてしまった。

 

そして

 

「紫……今は血で良いかもしれないけれども……流石にこれを二回目にやったら私が直々にぶっ殺すわよ? 見てられないわ……」

 

と、幽香が血塗れの耕也を見て、紫に対して脅すように言い始める。

 

これは、紫が暴走してしまい、耕也の肩を食いちぎった映像を見ての噛みつき。

 

流石に、此処にいる大半の者が苦い表情をし、紫を非難するかのような目で見る。

 

特に幽香の紫に対しての睨めつけが凄まじい。

 

話に聞いてはいたが、此処まで酷い事になったとは思っていないのだろう。

 

が、幽香、貴方も血を飲んでいるのだから、そんな人の事を言えないのでは?

 

と、私が思ったところで

 

「まあ、血を飲んでいる私がそこまで強く非難できたものでもないのだけれどもね……」

 

そう言う。

 

そして、その言葉に反応するように、今度は幽々子が一言。

 

「死んだら死んだで私が直接保護したのに……惜しいわね」

 

そんな、世迷言を言い始めたので、私がすかさず

 

「彼の魂は閻魔である私が直に管理します」

 

と言ってしまったのだ。

 

自分でも、何を暴走していしまっているのだろうとは思う。だが、まあ…………何と言うのだろうか。それは流石に仕方が無いと思う。

 

内部領域にも外部領域にも保護されていない彼の身体から見える魂が、余りにも魅力的な輝きと質を持っていたのだから。

 

それは、死神である小町が見たら、確実に肉体から奪ってしまうであろうと容易く予想できるほどの魂。

 

が、自分の感情に押し流されたまま言葉を吐くのは良くないと、自分を叱り、そして唾をコクリと飲み込み、言葉を訂正する。

 

「いえ、叱るべき手段を通して私が誘導します……」

 

といったは良いが、流石に無理があり過ぎたのか、全員から訝しげな目で見られてしまう。

 

すると、幽香が咳払いして紫に顔を向ける。

 

「で、お返事は?」

 

と聞いた。流石に彼女もあそこまで非難されては自分の罪を認めるしかないのだろう。いや、すでにこのような事が起こると知っていたのか、本当に自分の行いが悪いと思っていたのかは分からないが、彼女は少々眉へをハの字にして小声で言う。

 

「分かったわよ……もうしないわよ」

 

妖怪としての欲がそうさせてしまったのだろうが、流石に今回の事は非難されてしかるべきなのかもしれない。

 

が、流石にこれ以上長引かせるのは耕也の睡眠時間内に終わらなくなりそうなので、私が一気に空気を変える。

 

「さて、もう良いでしょう。さっさと続きを見なければ、終わるものも終わりません」

 

そう言って、強引に彼女達の話を打ち切らせ、鏡に集中させる事にする。

 

やはり妖怪というのはさっぱりしている輩が多いのか、すぐにその表情を元に戻して顔に鏡を寄せてくる。

 

私は彼女達の見る準備が整った事を確認してから、操作を進めていく。

 

「やっぱり興味深いですね耕也の領域というのは……あのような強烈な結界をいとも簡単に吹き飛ばすとは……」

 

と、聖白蓮の結界を解いた所で、藍が驚きの声を上げる。

 

私も思わず

 

「なんですかこれは……」

 

と言ってしまう。

 

解放された本人である白蓮も同じ感想を抱いていたのか

 

「流石にこれは吃驚です……私は腕を突っ込まれただけで解放されたのですか……」

 

「でも、私の力を完全に封じることのできる人間でもあるから、それも不思議ではないかもしれないわね……

 

と幽々子。

 

「でもこの力の秘密が、解き明かされていくのが段々と分かるとなると、結構冷静になってしまうものね」

 

と、紫が耕也の結界を解く様を見ながら、言って行く。いや、確かこの時は仕事をしながら耕也の事を注視していたと言っていたはず。ならば、そこまで驚かないのも不思議ではないか。

 

そんな感想を持ちながら、次々に映像を流していく。

 

すると、耕也が泣き叫びながら、箱を蹴り飛ばしているシーンが出てくる。

 

「何が起きたのかしら?」

 

と、私は呟きながら更に前の方から再生を初めて行く。

 

この逆行という方式は、時系列は掴みやすいのだが、逆にその動作における理由が見つけづらいという欠点もあるのだ。

 

このように、何故耕也が箱を蹴り砕いているのか。そして、耕也は一体どこにいるのかといった情報を得にくいという部分もある。

 

が、今回の目的は耕也の出自や能力の検証なので、そこまで物語性が重要視されているわけでもないのだが。

 

流石に耕也の過去を知るという事は、此方としても結構ワクワクするもので。ついつい回してしまう。

 

すると、ある部分から耕也が蹴り飛ばしていた理由が分かるようになってきた。

 

それは、蹴り砕かれていた時、箱の周りに散乱してた札のようなモノ。それは耕也が押し込められていた箱を封印するためのモノだったのだ。

 

「こうやって封印されたのね耕也は……」

 

と、紫が呟きながら、扇子を口に当てて鏡を睨みつける。

 

流石にこんな事をされたら耕也だって従わざるを得ないだろう。恐らく耕也の性格からいって、人質を取られるという事は、非常に苦しい事だったに違いないのだから。

 

ましてや、耕也の口からはその人質が何故この場にいるのかという言葉さえ聞こえていた。

 

つまりはその子供とは顔見知りであり、なおさら耕也にとって見過ごせるものではなかったのだろう。

 

そして、耕也の封印されていた箱は、地底へと投げ込まれ、蜘蛛の巣のようなモノに引っ掛かる。

 

「この蜘蛛の巣のようなモノは……?」

 

と、白蓮が一言言う。

 

すると、聞かれる事が分かっていたのか、スッと手を上げてヤマメが答える。

 

「私の家です……」

 

そう苦笑いをしながら答える。

 

そして、映像を見ていくと……ヤマメが突然声を上げる。

 

「あっ……!」

 

と。

 

そして最初はこの声に疑問を持っていたが、一体どうしてこんな声を上げたのかが良く分かった。

 

ヤマメが、啜り泣く耕也に対して抱きしめ、そして慰めの言葉を言っていたのだ。

 

が、結構この時の体勢には問題があり……。

 

つまりは、胸をぐいぐいと押しつけながらの抱きしめだったのだ。結構露骨に。

 

この映像を見た瞬間、幽香が微笑から無表情へとなり、スッと立ちあがり一言。

 

「ちょっとヤマメの家を爆破してくるわ」

 

その言葉を放ってから襖を開けて出ていこうとする幽香。

 

その瞬間、ヤマメが半泣きになりながら、幽香の足に縋りつきながら訴える。

 

「やめて! 私の家が無くなっちゃう!」

 

「離しなさい、思い出が残らない様に一撃で吹き飛ばしてあげるわ」

 

「お願いだからやめて! だって美味しそうだったんだから仕方が無いじゃないか! 耕也物凄く美味しそうに見えたんだもの!」

 

「ならもっと吹き飛ばさなくちゃね」

 

「お願い! ほーむれすになるのだけは嫌だ!」

 

と、何処の三文芝居だと言いたくなるような問答が繰り返されるので、紫が2人に注意を始める。

 

「ほらほら、いい年してそんな事をしてるんじゃないわよ」

 

すると、流石に恥ずかしくなったのか、顔を少し赤くしながら2人は元の場所に戻る。

 

と、此処まで大きな声を出したのにも拘らず、未だ起きる気配のない耕也を見る限り、相当強力な睡眠剤を使ったのだろう。

 

そんな下らない事に感心を覚えながら、私は映像を更に走らせていく。

 

彼が影のような物体と戦い、山の斜面を丸ごと抉り取る水準の何かを落して妖刀を滅ぼしたりしているのを見ていると、何とも不思議な感覚に陥っていく。

 

普段は人間の過去を見て善悪をつけているというのに、今回に限って言えば、想い人ということもあってか、何ともこそばゆい感覚をおぼえるのだ。私の過去を晒しているという訳でもないのにも拘らず、だ。

 

「でも、事件がとかが無い平和な時間も結構あるのね……」

 

と、幽香。

 

此処にいる妖怪や神、亡霊と接触している耕也だが、それでも結構な時を歩んでいるせいか、平和な時間が多い。

 

それはまあ、妖怪と同じくのんびりとした人生を送る人間もいるのだから、当然と言えば当然ではある。

 

「これは一体……」

 

が、過去に遡っていくにつれて、彼の言動の中に雑音が混じり始めていくのが気になっていった。

 

例えば

 

「輝夜。良い事を教えてあげよう」

 

という言葉から始まり

 

「輝夜、――――――――――――――――――――――――――――――だから安心しろ。そして会ったなら、訳を話して地上のどこかへと逃げるんだ。逃走の手伝いは俺もしよう。」

 

といった感じに、砂嵐が起こったように雑音が入って声がかき消され

 

さらには

 

「普通の旅人ならば、―――――――――――しないだろう?」

 

耕也の話している言葉だけではなく、かの有名な守矢諏訪子の言葉にまで雑音が混じるようになっていた。

 

段々と酷くなっていくこの雑音に、皆不満げな表情を浮かべ始め、ついには

 

「どうなってるのよこれは……」

 

幽香が呟くほどにまでなってしまった。

 

そして、ついには音声だけではなく、映像すら表示することが困難になってきたのだ。

 

耕也が守矢とのやりとりのあたりから、殆ど耕也の姿は捉えられなくなり、そしてその範囲は拡大。

 

ついには、そこの集落全体、青空すらも灰色の砂嵐のような映像に妨害されてしまうのだ。

 

ザリザリと砂と金属が擦り合わさったような何とも耐えがたい不快な音を出しながら。

 

そして、ついには完全に映像が表示されなくなり、唯の鏡に戻ってしまったのだ。

 

「耕也の領域は解除されているのよね。紫?」

 

と、私は鏡を見ながら紫に再び聞く。

 

すると、勿論だと言わんばかりに頷きながら、紫は耕也の身体に触れて確かめる。

 

「ええ、完全に領域は解除されているわ。これは確実よ」

 

その言葉を受け、私は再度鏡に映像を走らせようとする。

 

が、またもやその時間帯で音声、映像共に何かによって妨害されて鏡に戻ってしまう。

 

「これは……耕也の何かしらの力が働いているという事でしょうか?」

 

実際のところ、そうとしか考えられないのだ。

 

今まで相当数の人間の過去を見てきたが、彼のような異常が見られたのは初めてであり、実際に前にも靄のようなモノが掛かって彼に対して能力が聞かなかった覚えがある。

 

が、今回は本当に不思議である。その妨害装置の役割を果たす内部領域、外部領域共に解除されているのにも拘らず、途中で壊れてしまったかのように見えなくなるのだ。

 

皆一様に訳が分からないといった顔をしており、鏡と耕也を見るだけである。

 

「やはり……耕也に何かしらの保護が掛かっているとしか思えないわね……。その時間軸に見られてはいけないものがあったりしたのかは分からないけど」

 

何とも分からないこの事態に溜息を吐くしかなく、仕方が無く解散をするしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

収穫はあまり無かったというべきか……。

 

 

 

 

 

 

 



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外伝ss……剥離(上)

外伝です。相変わらず注意です。一話に収まらないので、分けました。ですので、ぶつ切り状態です。


確実にそれは迫っていて……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ~……やっぱ領域は相当な補助をしてくれていたんだなあ……」

 

そんな事を呟きながら、俺は目の前の酒樽を抱えると、その重さに顔をしかめてしまう。

 

普段、このような酒樽を抱えていて不便さを感じた事は無いというのにも拘らず、最近になってその違和感が現れていたのだ。

 

それは、普段持っている酒樽が徐々に重くなる違和感。そして、時間が経つごとに全くと言っていいほどの領域の保護を感じなくなってしまった。

 

だからこそ、現時点では地底の妖怪達にばれない様に、普段通りの表情、態度で彼らに接している。が、身体が接触しない様に気をつけてはいるが。

 

その中で思った事。

 

人間は、やはり自分の身が安全ではないと知ると、確実に不安を覚えるものである。

 

ソレが今の俺の状態を作り出していると言っても過言ではないが、今のところ生活をする上で大した支障は出ていないし、創造関係も出力が落ちているとはいえ、食材や電力などのライフラインは維持できるレベルであるという事にはホッとしている。

 

だが、だからこそ安心できないのだ。この薄く張った氷上を歩いているような危うい状態が、ふとした拍子に自分の命を奪い去ってしまう可能性があるのだから。

 

「やっぱ地底は人間には厳しいな……」

 

そう呟きながら、淡々と仕事をこなしていく。

 

なんだか調子が悪そうだな。もう上がっていいぞ耕也。

 

という声を背に受け、俺は了承の返事をしてからトボトボと帰路についた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一体どうして領域が使えなくなり、そして、創造の出力が落ちてしまっているのかは、自分には全く見当のつかない事態であり、正直動揺を抑えきれないでいる。

 

が、見当がつくつかないを関係無しに、現時点で領域が使えないのは事実であり、俺の力が此処で失われているのは避けようの無い事態なのだ。

 

避けようのない事態だというのは分かっていようが、人間というのは「藁にもすがる思い」という言葉があるように、俺はもう一度自身の身体に力を込めて能力を発現させようとする。

 

息を深く吸い、そして限界まで吐く。いわゆる深呼吸を数回繰り返し、身体に酸素が行きわたった事を確認してから、身体の表面に鉄の鎧があるように意識を集中させる。

 

「…………駄目か」

 

やはり、どんなに集中しても、領域が復活した事を確信するような感覚が湧きおこってこない。実際な所、未だに生活支援が回復してない所を見るに、領域が回復していないと判断するには十分足りる要素であるだろう。

 

さて、このままでは結局のところジリ貧であるし、地底での生活に支障が出てくる可能性があるのだから、何かしらの対策を打ち出さなくてはならないだろう。

 

その対抗策。地底の妖怪達への能力衰退の情報が漏えいした場合、如何に此方の被害を無くし、向こう側への影響力を保つか。

 

実質そこが焦点になってくるであろう。

 

例えば、紫や幽々子等といった強力なバックをちらつかせるという多少危険であり、かつ情けない方法が一番手っ取り早いのだが、それでは根本的な解決にはならないし、彼女達も忙しいのだから、そう簡単に話がまとまるというものでもないだろう。

 

では、二つ目の案。

 

例えバレたとしても、俺がその都度反撃をして、全体防御のみが此方の持ち味ではないと認識させるか。

 

が、それはあまりにも現実的ではない事に、すぐに気が付く。

 

「威力が両極端な上に……現時点では出力が落ちているしなあ」

 

それなのだ。元々俺の能力は威力が両極端な上に、出力が低下している現時点では、数で圧倒的に勝る妖怪達を納得させるだけの攻撃ができない。

 

恐らく鉄球を想像するのがやっとというべきだろうか? ソレもかなりの小さいサイズで。

 

どう考えても、この案を実行したら死しか見えてこないため、俺はゴロリと畳みの上に寝転んで、天井の木の板と板の境界の線を眺める。

 

真っ直ぐとした歪みの無い線。その線は、隣の線と確実に平行関係にあり、何処まで行っても交わらないように見えてくる。

 

まるで、家の前の真っ直ぐと伸びている地霊殿へと続く道に見え……

 

「こっちの案もあったか……」

 

すると、それが元となり、俺の中にもう一つの代替案となる可能性が浮かび上がってきた。

 

それは、地霊殿への保護の申請である。

 

以前から何かと交流があり、そしてそれなりにも彼女達とは仲が良いと自負してはいる。

 

自負してはいるが、彼女達からして、それが事実であるかどうかは分からないし、これが上手くいくかは限らない。

 

別に、彼女達と深くかかわることで、此方が商店街の連中と関わりづらくなるとか、そんな事を懸念している訳ではない。

 

ただ、この上手く行くか分からないという懸念は、こいしと燐の性質に由来しているのだ。

 

数か月前といえど、俺は良く覚えている。それは、燐とこいしが俺の身体の事をいたく気に入っていた事についてだ。無論死体と怨霊的な意味で。

 

彼女らは、俺の死体を手に入れ、そして怨霊に変えてしまおうと画策して、茶に猛毒を仕込んだのだ。姉、そして主人でもある古明地さとりの意向を無視するという強行的な行動によって。

 

だから、そこが唯一の心配な点なのだ。俺の領域が消滅している今、そのような猛毒に曝された場合、確実に俺の命が潰えるだろう。

 

ならば、本当に危ない時に頼る、最後の手段として残しておいた方が、後々都合がよいのではないだろうか?

 

そんな事を考えながら、結局のところ俺の頼れる所は己の創造という力のみであるという事なのだろう。

 

「本当にどうしよう……」

 

と、独り言を呟いた矢先であった。

 

一瞬にして、この家が軋みによる悲鳴を上げるかのように、パキパキと鳴りだした。

 

「なっ……!」

 

そう俺が驚きの声を出しながら、寝ころんでいた体勢からすぐさま起き上がり、何時何が起きても対応できるように身構える。

 

何かが外部から圧倒的な力を持って此方の家を潰そうとしているのではない。圧倒的な気配、存在感を持って此方に侵入しようとしているのだ。

 

これはあちらからの故意的な存在の示し方。お前の住処に侵入してやるという完全なる意志表示。

 

ソレを俺は、己の感覚で感じながら、数秒後に現わすであろう姿を、高まる緊張と共に迎える。

 

心拍数は跳ね上がり、一瞬にして脳内の血流が増していく。

 

が、その示威行為に近い登場の仕方をしてきたのは、俺の最も良く知る妖怪の一人であり、日ノ本にて最も強い妖怪とされる大妖怪の中の大妖怪。

 

「こんにちは……。耕也?」

 

八雲紫であった。

 

大妖怪そのものが持つ圧倒的な力を振りまきながら、此処に顕現したのは、俺の良く知る紫であったのだ。一体何故、こんな大掛かりな仕掛けとも言うべき気配を振りまきながら、俺の家に来たのだろうか?

 

「こんにちは……と言いたいところだけれども、感心しないね。正直敵襲かと思って焦ったよ」

 

と、俺は彼女を咎めるように少々語気を強くしながら、彼女に話しかける。

 

すると、眉をハノ字にしながら、困ったように笑いながら、俺に話しかけてくる。

 

「ごめんなさいね……。別に貴方を脅すために此方の気配を全開にしたわけではないのよ? ただ、少々この地底にいる物騒な雑魚に向けてちょっとした示威行為をしたのよ。……分かって下さるかしら? この意味」

 

すでに、俺の事をどこかで見ていたのかは分からないが、俺の領域が消えてしまった事に気が付いていたらしい。つまりは、彼女が行ったのは周りに近寄るであろう雑魚に向けて、地底全体に圧倒的な気配を撒き散らしたのだろう。

 

それならば仕方が無いと思い、俺は彼女に対して礼を言う。

 

「ああ、そうだったのか。ありがとう、紫」

 

そう言うと、彼女は満足そうに微笑みながら深く頷き、俺の側に腰を下ろす。

 

服装は、何時もの紫色のドレスではなく、南蛮風の垂れのついた服である。

 

ふふ、と彼女は笑い、口を開く。

 

「いいわよ耕也……当然の事だもの。ね?」

 

と、思わず赤面してしまうほどの花のような笑みを浮かべ、俺に返答してくる。

 

が、俺は内心彼女の行動に少しばかりの違和感を覚えていた。

 

この違和感は、確信を持てるようなモノではなく、数十分という短い時間があれば、すぐに消えてしまいそうな、そんな淡い違和感。

 

また、その淡さはテストで己の導き出した答えが、合っているのかどうかといった疑問を投げつける程度の些細なモノであり、どれほどの間違いがそこに生じているのか、分からないのだ。

 

だが、紫が俺の為を思って、その行為をしたというのならば、頭脳がずば抜けて良い紫に間違いは無いのだろう。それが後々の利益に繋がるという事は間違いなさそうだ。

 

そう、俺は自己完結をして、彼女に尋ねようと口を開く。

 

「それで、今日はどうしたんだい? 先ほどの示威行為に関連してるのかい?」

 

すると、その質問を待っていましたと言わんばかりの表情をしながら、紫は俺に言葉を返してくる。

 

「良く聞いてくれたわね耕也……。ええ、その通り。私の質問は……耕也、貴方領域が消滅してしまっているでしょう? という事を聞きたかったのよ」

 

やはり、俺の推測通り、紫にはバレてしまっていたらしい。まあ、紫にソレがバレてしまっていたから、俺の身に何か害や危険が及ぶという事は無いのだが。

 

ソレを察してくれたのか、紫は扇子をフリフリしながら、俺の懸念に応えてくれる。

 

「まあ、その表情で分かるわ。……安心なさいな。貴方を狙う危険人物にこの情報を漏らしたりなんてことは、絶対に無いから……ね?」

 

と、あくまで俺を安心させようとしてくる紫。

 

俺はそれに感謝しながら、紫に礼を言う。

 

「ありがとう紫……助かるよ」

 

すると、紫はこれで用が済んだとばかりに立ちあがり、隙間を開こうとする。

 

俺は、その異様な滞在時間の短さに疑問を覚え、彼女に質問をする。

 

「今日は随分と早いね紫……。何か用事でも?」

 

そう言うと、紫は隙間に入る途中で此方に振り向き、笑顔を浮かべたまま一言。

 

「今日はこの後大事な仕事がありますの。申し訳ありませんが、失礼いたしますわ」

 

そして、ソレを言った後は俺が声を掛けることもできないほどのスピードで、この場から離脱していった。

 

「何なんだ……? 仕事があるにしては、妙に機嫌が良かった気がするんだが……」

 

特に気にする事でもない、と自分に言い聞かせて、仮眠をとるために、横になった。

 

 

 

 

 

 

 

これはマズイ。一体何故このような事態になったのだろうか? いや、そもそもあのような事態になるまでの予兆などはあったのだろうか? いや、それも無かった。なら、何故消えてしまったのだ?

 

と、私は自問自答を繰り返しながら、隙間の中を歩く。

 

彼の前では気丈に笑顔を振る舞ったが、内心では非常に焦っている。自分でも分かる。これ以上無いほどの焦りが心から湧きでてくるのが。

 

賢者として有るまじき醜態だが、それでも彼の能力の異常性を鑑みると、それも致し方なしというべきだろう。

 

彼が地底に存在していられるのは、極端に防御、守護としての機能が強い外部及び内部領域が働いているからこそなのである。

 

また他にも創造などの各種能力を持ち合わせてはいるが、それは領域があって初めて完全な力を発揮すると言っても過言ではないのだ。

 

そして何より、耕也の領域が消えた事によって、今後どんな障害、弊害が生じるのか全く予想できないのだ。

 

今後地底での生活で、火山性のガスによって耕也が死んでしまう可能性も零ではない。だからこそ、この不測の事態に私は焦っているのだ。

 

そして実際に耕也と接してから分かった。普段誰も寄せ付けないような強烈な守りを持つはずの耕也から、全くと言っていいほどの力を感じなくなっているという事を。

 

領域が存在していた頃と消滅した後の姿を比べた場合、例えで言えば象と蟻の程の差にまで広がってしまっていると言っても過言ではない。それほどの落差を感じたのだ。

 

つまり、今現在の彼は非常に弱体化しており、地底での生活に何らかの支障がきたしているという事に他ならないのだ。

 

そんな事を考えながら、私は親しき友人である、幽々子の元へと向かった。

 

隙間から、顔を出すと、幽々子は案の定縁側に座って庭の花を見ながら茶を啜っている。

 

ズズッ……という、空気と液体の振動音が微かに聞こえる位置にまで来た私は、容易に彼女の視界に収められたらしく、茶を置き、笑顔を浮かべながら私を歓迎してくる。

 

「よく来たわね紫。今日はどんな御用件かしら? 用が無くても歓迎するけれどもね」

 

彼女の醸し出すのほほんとした空気と私の焦りとの余りの違いに、かなりの違和感を感じてしまい、思わず顔を顰めてしまう。

 

自分でも不味いと思ったのだが、それでも彼女との落差に顔の筋肉の固定が上手くいかなかったのだ。

 

そして、頭の良い幽々子は私の焦りを悟ってくれたのか、のほほんとした空気から一気に緊迫した空気へと変えて、私に話しかけてくる。

 

「あら、でもそんなのんびりと挨拶を交わしている状況じゃあないみたいね紫。何か不味い事でも起きたのかしら?

 

その実に良い切り替えの良さに私は感謝しながら、幽々子の隣へと歩いて座り、一言だけ伝えていく。

 

「耕也の領域が消失したわ……」

 

これには流石に幽々子も驚いたのだろう。口を少しだけ開けて、此方の言っている事が本当か否かを見極めようと必死になっているようだ。

 

「そ、それは本当なの? 紫……」

 

が、見極めようにも、私の発言を飲み込むのに時間がかかり過ぎて、どうにも理解しきれないようだ。

 

まあ、仕方が無い。が、それでも私は彼女に一言言う。

 

「本当よ幽々子……耕也の領域が消えたのは事実だわ」

 

その言葉に、幽々子は飲み込むのに数十秒要し、そして理解するのにまた数十秒。私に返す言葉を考えるのにさらに数十秒を要し、ようやっと言葉を返してくる。

 

「なら……なら此方としても非常に好都合じゃない……?」

 

幽々子は、何かしらの考えがあるのか、口に笑みを浮かべて言い放った。

 

 

 

 

 

 

 

 

幽々子が好都合じゃない? といった瞬間、相対するように座る紫から焦りの表情が消えた。変わりに出てきたのは、幻想郷を設計する際に出てくる真剣な顔。

 

考えを必死に巡らせているのだろう。その好都合という言葉にどんな意味が込められており、そしてそれからどんな利益が此方に転がり込むのか。

 

紫の考えでは、幽々子の言葉から耕也への利益がどのように生じるのかが全くビジョンとして浮かび上がってこなかったのだ。

 

いや、それは彼女の落ち度ではなく、幽々子の考えが突飛なだけであった。

 

「ちょっと考えが及ばないわね……。この状況から、どうやって耕也に利益が生まれるのかしら?」

 

と、納得がいかないという表情と共に、幽々子に向かって口を開く紫。

 

彼女からしてみれば自分自身、そして幽々子の力を合わせる事により、耕也の領域消失という未曽有の危機に対して対処をしていこうという事を考えていくつもりであった。

 

だが、それはあくまでも紫の考えであり、幽々子の考えとは全く違っていたのだ。

 

紫はもう数百年前にあった出来事を思い出していれば、幽々子の考えが少し、いや殆どは分かったであろう。

 

数百年前、幽々子がしきりに耕也を殺したがっていた事を思い出せば、彼女のこれから話す実に軽快な話を予想できたであろう。

 

「あのね紫……。何も耕也が地底に暮らす必要はないのよ?」

 

と、幽々子は簡単な事じゃない、とでも言いだしそうな軽快な口調で紫に問いかける。

 

そう、幽々子からすれば、耕也の利益など全くと言っていいほど考慮してはいないのだ。それは耕也自身の絶対的に優先されるべき事項である、身の安全すらも彼女の頭の中から完全に排除されていた。

 

だからこそ、彼女はこう紫に言い放った。

 

「此処に住めばいいじゃない? 紫の家は忙しいから無理でしょうし……此処なら耕也も住めるわよ?」

 

と。

 

これには紫にとっても予想外の言葉であった。

 

聞いた瞬間に、紫はその言葉に疑問を持った。一体ここに住まわせてどのような事を耕也にさせるつもりなのだろうか? 四季映姫も此処の事情には非常に詳しいだろうし、耕也が此処に住むとなれば、必ずや情報が漏洩してしまうだろう。

 

そうなれば、地底を捨てた耕也に住むべき場所、その身の依り所を無くしてしまう。耕也は絶望に囚われ、地上で打ち取られてしまうという悲惨な運命を辿るという所まで、はっきりと彼女の頭の中では出来上がっていたのだ。

 

流石に耕也にそのような運命を辿らせる訳にはいかない。そう思い、幽々子に返答する。

 

「流石にそれには賛成しかねるわ。それでは耕也の身の安全が保障されないという所まではっきりと――――」

 

と最後まで言おうとした瞬間

 

「耕也が不老のままでいられるのかしら?」

 

と、幽々子は一言言い放った。

 

その口調は冷たく、また凍てつく冬の白玉楼を思わせるような冷たい言葉。

 

そしてその抑揚に釣られて、紫が幽々子の目を見た瞬間、紫は一種の恐怖のようなモノを抱いた。

 

私の友人は……親友は、耕也を一体どうしようというのだろうか? そんな感想を、疑問を持ったのだ。

 

が、それよりも頭の中では不老ではないという事の可能性を考えている紫がいたのもまた事実。そして、そんな自分がいる限り、幽々子への信頼はまだまだ強いものなのだという事を再認識しつつ。

 

そして考える事数秒。ああ、幽々子はこんな可能性を指摘してきたのだ。という答えに辿りついた。

 

「領域が耕也に不老をもたらしていると言いたいのね?」

 

その言葉に、幽々子は長い時間考え続け、ようやっと問題を解く事ができたと喜ぶ子供のように、純粋無垢な笑顔を浮かべて、大きく頷いたのだ。

 

そして、その頷きを見て、紫は一つ納得した。

 

確かに、領域が彼に不老をもたらしているという可能性も無きにしも非ずだなと。いや、むしろ可能性が非常に高いとさえ思うようになっていたのだ。

 

彼の絶対的な防御を誇る内部領域。紫の境界を操る程度の能力でも全く手出しが出来なかった、彼女の知る限り最硬の鎧。

 

だが、耕也の鎧はそれだけではないのだ。彼が思う限りの害的な干渉。そして、何よりも耕也を守るために特化している。

 

それは死からも。そう彼女達は考えていたのだ。

 

だが、紫の脳内には一つ疑問が残る。耕也を死から守る為なら、なぜ不老不死にしないのか? という疑問が。

 

そこがどうにも喉に引っ掛かる感覚をもたらしてくるので、紫はその違和感の処分に取り掛かる。

 

不老不死。文字通り、老いもせず死にもしないという事。

 

彼の不老とは訳が違う、正しく絶対的な生存を約束された禁忌の法によってのみ成し遂げられる永遠の生。

 

耕也の身を守るために存在する領域なら、迷わず耕也を不老不死にするのではないだろうか? と考えていく紫。

 

茶を一口飲み、足を組み、扇子を顎に突き立てながら、その頭から答えをひり出そうとする。

 

一体、何故耕也を不老不死にせず、不老のままで留めておいたのか。もし自分なら―――

 

そう思った瞬間に、フッと脳内から答えが浮かび上がってくるのを彼女は感じた。

 

不老不死は、死ねない。絶対に死ぬ事ができない。ならば、それは耕也にとっては永遠の生き地獄の他ならない。だから、不完全な不老という位置で留めさせたのだ。と。

 

(不老不死は害のある要素に分類されてしまう。だからこそ、不老で……)

 

その答えが出た瞬間、紫は酷い寒気を感じた。

 

一体どうしてこんな簡単な事に気がつかなかったのだろう。と。

 

その余りにも悲惨なビジョンが、彼女の頭の優秀さゆえに即座に浮かびあがったのが原因でか、全く起こる気配のしなかった吐き気、怖気、悪寒が一気に彼女の全身を襲う。

 

不味い。マズ過ぎる……。

 

そんな言葉が、彼女の頭を埋め尽くし、やがて一つの得てはいけない答えが容赦なく浮かびあがってくるのだ。

 

領域が完全に失われた今、耕也の身体が崩壊する可能性もある……と。

 

そして、また別の答えも彼女の中で浮かんでいた。

 

(今までの、領域を切らせていたのは、最低限の機能以外を落していたのね……)

 

と。

 

現時点での彼女の考えは、耕也の身体が領域の消失によって、その反動が来てしまうのではないかという事であった。

 

ゆっくりと、口に溜まった唾を飲み込み、艶のある唇をフルフルと震わせながら、眼を数回瞬かせる。

 

焦り、恐怖、そして何よりの自分への怒りが、彼女の身体に熱を灯し、汗を流させる。

 

タラリ……と、彼女の額から頬へと伝い、そして衣服へと落ちていく玉粒。

 

が、それに構うほどの余裕など、今の紫には持ち合わせてはいない。全て、耕也の事を考えるだけで精一杯なのだ。

 

それだけ、彼女は耕也の事しか考えられなくなっている。良き人として長年過ごしてきた人間が、突然死んでしまい、この世から去ってしまう可能性がある事が、彼女としてはどうしても認める事ができない程のものだったのだ。

 

拳をギュッと握り、紫はギリリと歯を噛み締めながら、俯く。

 

(駄目だ。もう少し冷静に考えるのよ私)

 

と、自分に必死に言い聞かせながら、紫は耕也をどのようにこの世に留めておくかを必死に考える。

 

彼が地底で死んだ場合、勿論魂は閻魔の下に行くだろう。そして、そのあと此方に来ればまだ良い。

 

だが、耕也が地獄行きになってしまったら? もし、もし彼が、私が前々から予想していた他の世界の住人だとして、それが当たってしまっていたら? 彼が死んだ場合、その世界に帰ってしまうのでは? と、そんなネガティブな事が次から次へと頭の中に浮かんでくるのだ。

 

紫は更に深く、極短い時間で素早く考えていく。

 

今までで一番頭脳を酷使するように、自分の脳神経が焼き切れてしまっても良いと思いながら、考えていく。

 

彼女の顔が段々と赤くなり、次いで出てくる汗の量も増えてくる。

 

対する幽々子は、紫の考えが纏まるのを待っているのか、耕也を想うが故の歪んだ思考、笑みのままで西行妖を見続けていく。

 

幽々子の中では、すでに耕也の死にざまがありありとその目に浮かんでいたのだ。耕也を殺したい。そして、魂を犯しつくし、完全に我が物にしてしまいたい。

 

そんなどす黒い考え、感情がグルグルねっとりと渦巻いており、それは自然と彼女の表情に表れていた。

 

だからこそである。耕也を殺してしまいたいという欲求その一点を考えていたがために、余計な考えを必要とせず、己の最も取るべき最善の方針を脳内に描く事が出来たのだ。

 

そう、耕也を殺すプロセスを。

 

紫は表に熱を。幽々子は表ではなく、裏に激しい熱を持っていたのだ。

 

また幽々子自身、こうまでも上手く行っている事に、内心驚いてさえいた。例え狭い範囲を考えれば良いとはいえ、考える範囲は常識的に考えても広い。だというのに、耕也の領域が消失したと聞いた瞬間に、思い浮かべた考えが一瞬で組み上がってしまっていたのだ。

 

不老ではない耕也をどのように此方に招くか……。そして、どのような計画を持って、耕也を殺すのか。

 

この何とも言えない感覚は一体何だろう? 私はそこまでして耕也を手に入れてしまいたかったのだろうか? と、幽々子は表情に出さずに、心の中で苦笑していた。

 

紫も此方の考えに賛同してくれるだろう。私が少しの手掛かりを提示してやるだけで、私よりもずっと頭の良い紫は、全ての可能性から算出してくるだろう。幽々子はそんな考えを浮かべていた。

 

幽々子は、身が震えそうになるのを必死に抑えながら考えていた。紫が私の案に賛成してくれたら、どんなに素晴らしい事だろうか? と。

 

彼女の計画には、自分は勿論、妖怪の賢者である紫の存在も不可欠であった。どちらかが欠ければこの計画は破綻してしまうし、耕也は2人の手から抜け落ちて行ってしまうのだから。

 

だから、幽々子はひたすら紫の納得するまでの時間を待つ。確実に此方の意図に気が付き、そして賛同してくれるという事を確信しながら。

 

また、最後の仕上げにもう一言…………止めの一言を添えてやるのだと。そうする事によって必ずやこの計画は成功するに違いない。そう幽々子は内心ほくそ笑みながら、茶を啜る。

 

ああ、亡霊は素晴らしい存在なのだと。ソレを耕也に深く刻みつけてやると考えながら、一つまた考える。

 

(もうすぐなのよ……。私の計画が遂行されてから数日で決着が付く。そうすれば、私と紫の両方に、完全に依存した亡霊が出来上がる。耕也の亡霊が……)

 

ゆっくりと湯呑を置き、紫の方を見る幽々子。その笑みは、早く食べたくて仕方が無いと待っている肉食獣のような表情であった。

 

そして、紫が考え始めてから十数秒程が経過した時、赤みが差していた紫の顔から、スッと汗が引いて行き、赤くなっていた顔もすぐに元の肌色へと戻っていく。

 

この時点で、すでに紫の考えは完全に纏まっていた。

 

耕也をどのようにしていけば、此方の世界に留まらせ、且つずっと暮らしていく事が出来るのか。

 

ソレを考えた瞬間、彼女の中では、耕也に対しての評価、価値観等がガラリと変わってしまっていた。ただ、耕也と共に在りたいと思うがために、己の価値観すらも捻じ曲げてしまったのだ。

 

「殺して亡霊化……かしら? 幽々子」

 

と、幽々子に対して一言答えを言い放つ紫。

 

その答えは幽々子が期待していた答えであり、より一層彼女の計画を推進させる一言であった。

 

紫の一言に満足げな笑みを浮かべながら、幽々子は紫に応えを返す。

 

「ええ、その通りよ……耕也を亡霊化させてしまえば、この世の理に縛られ、その命は永遠のものとなり、そして私達と暮らしていけるわ……」

 

数十分前までの紫ならば、この答えを聞いた瞬間に、幽々子の頬を引っ叩き、湯呑を投げつけていただろう。そう、数十分前までの紫ならば。

 

だが、すでに紫の価値観は変わってしまっていた。砂糖が水に曝され、その身を溶かし一体化、同調するかのように、彼女の考えは幽々子の思考パターンに非常に近くなりつつあった。

 

だからこそ、幽々子の次に吐く言葉に賛同したのだ。全面的な協力を申し出たのだ。

 

「耕也を死に誘うわ……。死に誘った後、肉体は紫が食べ、魂は私が食べて両者の魂に縫いつける。徹底的に恐怖を味わわせ、生きたい、生き残りたいという感情を植えつけて強烈な未練を伴わせるのよ……いかがかしら?」

 

その口から出ていく言葉は、聞く人間を殺してしまうほどの邪気を持っており、自分の理想が完成するのをビジョンとして描いていると、認識できるほどの笑みを浮かべている。

 

ただただ純粋に耕也と共に在りたいという感情、そしてこの世界では全くと言っていいほどの異質な存在である、領域が無くなってしまったという焦りもあったこそ、彼女達を強引な方法へと向かわせる結果となってしまったのだ。

 

彼女達の理論。それは、実際とは全くと言っていいほど違ったものだったのだが、彼女達の現時点での保有している情報からでは、それが精一杯であった。

 

耕也の持つ途轍もなく大きな謎。またそれも、彼女達を焦らせてしまった原因の一つなのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「え? なんだって?」

 

と、俺は目の前の紫に対して、聞き返してしまう。

 

それも俺にとっては仕方が無い事ではあった。領域が消えてから数日後、何時領域のように消えてしまうか分からない創造のために、俺は出来る限りの対策として、保存食と水の大量創造を行っていたのだ。

 

それのせいか、俺の家は今非常に狭くなっている。人を招くなど常識では考えられないほどの狭さ。

 

とりあえず、2Lのペットボトルが壁のように反り立ち、鯨肉等の缶詰もツナ缶等と一緒に存在しているのだ。

 

とまあ、紫が来た瞬間、俺の予想通りの反応をしてくれた。要は、何この汚い部屋……。

 

心から涙がドバドバと流れていくのを感じるが、ソレを気にしていられるほどの用うは現時点の俺には全く無く。ただただ、紫が何をしに此処に来たのかを聞くだけであった。

 

すると、紫は突然言ったのだ。

 

「もう一度言うわ。白玉楼に来ないかしら?」

 

そう、俺に移住の話を勧めてきたのだ。

 

一体何故彼女が移住を勧めてきたのかは、少し考えればすぐに分かる事である。

 

当然のことながら、俺の身を案じての事だろう。

 

その事は非常にうれしいし、俺としても是非その提案を受けたい。

 

が、それには非常に大きな弊害が伴う可能性があるのだ。それも極めて高い確率で。

 

それは勿論、亡霊の幽々子である。

 

紫達と友人の関係になって間もないころ、俺は幽々子と友人になって欲しいとせがまれ、白玉楼に足を運んだ。だが、そこで待ちうけていたのは死に誘う蝶。

 

幽々子の持つ圧倒的な力によって顕現した蝶が、一斉に襲いかかってきたのだ。

 

勿論、その時は領域が完全に稼働して俺の身を守ってくれたし、その後も何度か死に誘われはしたが、この身を死に誘われる事無く、なんとか人間として生活してきている。

 

だが、今回は全く事情が違う。勿論その事情の違いというのは、俺の領域が消失している事であり、極めて致命的なレベルでの欠点である。

 

彼女が今、俺の領域が消失している知ったとしたら、俺の事を殺さずにいられるだろうか? と、そんな事を思ってしまう。

 

俺は勿論紫の事を信頼している。そして、この案を出してくるという事は、それなりの対抗策をとっていると考えても良いだろう。

 

だがしかし、そこで俺の中に一つの疑問が生まれた。

 

「紫の家は……やっぱり駄目なのかい?」

 

厚かましいかと思ったが、一度聞いてみる。今の俺には聞く事ができないのは苦しいが、ソレの欲求に従うことしかできない。

 

何故、彼女の家は駄目なのだろうか? という事である。

 

彼女の家に行った事はあるが、紫と藍の2人で住むには広すぎる屋敷であるし、そこに俺が一人行っても問題ないような気もするのだが……。

 

そう考えていると、紫は難しそうな顔をして、此方に顔を近づけてから話す。

 

「ごめんなさいね……。私の家に招きたいのは山々なのだけれども、結界等の作業や、此方の仕事の関係上人を住まわせるだけの余剰分が無いのよ……」

 

と、酷く悲しそうな顔で言ってくる。

 

それならば仕方が無いし、彼女の口から態々事情まで話させる事自体が愚かしいと思った。

 

そして、俺は一言彼女に謝った。

 

「いや、それなら良いんだよ。此方こそごめん。図々し過ぎたね……」

 

本当に図々しいと思った。此方が洗濯できる立場ではないと分かっているのに、紫に聞いてしまったのだ。

 

紫が俺の安全を考えずに、移住先を決めることなんてしないだろう。ましてや、幽々子は紫の親友なのだ。事情を話してくれてさえいれば、俺が襲われる事など無いはずなのだ。

 

そして、俺の予想通りに、紫は応えてくれた。

 

「安心して頂戴。前のような事は起きないから……。ふふ、耕也を殺すなんて事はしない様にと、流石に私も言い含めたわよ……大丈夫、私を信じて頂戴?」

 

と、俺が安心できるように配慮してくれる。

 

ソレを俺は、感謝しているのだが、その感謝している時に一つの重大な事を忘れていた事に気が付いた。

 

それは

 

「ありがとう紫……。ああ、でも流石に移住というのは無理かもしれない……」

 

と、俺が言うと、紫は途端に眉を顰めて、少々焦った様な口調で、俺に尋ねてくる

 

「どうしてかしら? 貴方が今現時点で非常に危険な状態にあるというのは、貴方自身が一番よく知っているはずよ?」

 

「いや、それでも流石にちょっと……」

 

彼女の言葉に否定の返答をするたびに、彼女の機嫌がどんどん悪くなっていく。

 

此方も否定をしたくてしている訳ではないのだ。

 

ただ、一つだけ……。いや、二つの意味で彼女の誘いに乗ることはできないのだ。

 

それは

 

「俺は今酒屋の化閃の所に勤めているから、移住は厳しいと思う」

 

仕事の関係である。もちろん、ジャンプが使えれば問題ないのだが、今現在では使える気配すら無いため、彼女の申し出を受けることはできないのだ。

 

そして、もう一つの理由。それは、紫の手を煩わせるという事である。

 

もし、このまま彼女の案に乗って、白玉楼で暮らした場合、確実に紫の隙間を使わなければならないという事。

 

無論、空を飛んで地底に行くという方法もある。あるとはいえ、それは全くもって現実的な話ではない上に、俺の体力が持たない。

 

その現実的な話ではないというのは、勿論俺が封印されているという事である。世間一般に知られている状況で、一体何故俺が姿を晒しながら飛ばなくてはならないというのか。

 

飛んでいる間に、人に見られてしまう可能性は十分にある上に、もし見られてしまったら大事になる事間違いなしである。

 

もし、そのような事が起きれば、今度こそ俺を殺してしまおうと、地底に討伐軍を差し向けてくる可能性もある。そして、ソレのせいで地底に居場所がなくなってしまった場合、最早俺は白玉楼以外に住める場所が無いのである。

 

だからこそ、俺は彼女の言葉を断る。

 

だが、彼女はそんな事を予想していたのか、微笑みながら懐から一枚の札を取り出す。

 

見ただけで、唯の札ではないという事が分かる。

 

周りの空間が僅かに歪むほどの妖力を込められた、正真正銘の紫が作った札。

 

一体どんな札なのか。どんな効力を有しているのか。それが頭の中に浮かび上がり、俺は思わず

 

「それは……?」

 

と、呟いてしまう。

 

俺の声は、何時もの声ではなく、まるで声がかれてしまったかのような掠れた高い声で彼女に聞いてしまっていたのだ。

 

紫は、俺の驚き様を満足そうに微笑みながら、口を開いてくる。

 

「ふふ、これは私特製の転移札。一応何十回も転移しても繰り返し使えるように力を込めてあるから、大丈夫なはず。……これで、分かるわよね、耕也?」

 

と、俺に断るための要素を次々と封じてくる紫。俺の事を考えてくれるのは嬉しいが、少々強引過ぎやしないかい?

 

なんて思ってしまうが、よくよく考えていくと、彼女が強引でも仕方が無いのかなと思ってしまう。

 

目の前にいる余裕の笑みを表にしながら、様々な事を考えて適切な答えを導き出していく彼女は、俺の大切なヒトである前に、妖怪なのだ。

 

欲に忠実で、人の話を聞かない妖怪なのだ。

 

だからこそ、仕方が無いと思った。

 

そして、俺は此処まで彼女に断る術が潰されてしまったのならば、断ることはできないと観念し

 

「じゃあ……宜しくお願いします」

 

そう言って、紫に頭を下げたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

紫に連れられ、隙間の中に身を滑らせていくと、眼前に現れたのはやはり白玉楼。

 

現代の建築技術なら容易く建築できるであろうが、この時代に一体どんな手法で建築したのか分からない程の見事な屋敷。

 

だが、この見事な屋敷が今日から俺の住処になるのだと思うと、なんだか緊張してしまう。

 

前にも友人として此処に来た事は何度もあるといのにも拘らず、だ。

 

ただ、それは俺自身の気持ちであって、幽々子の気持ちではないのだ。俺が緊張していても、彼女は普段通りのんびりとしている可能性の方が高い。

 

それでも、この俺の緊張の要因は分かる気がする。いや、恐らくそうであろう。

 

それは

 

(やっぱ領域が無いせいだろうなあ……それにそのせいか、空気が薄い気がする)

 

そう、普段は領域があるからこそ、この死の世界に足を踏み入れても、胸が締め付けられて、息が止まってしまいそうな緊張感も無かった。

 

さらに言えば、この高空での僅かな息苦しさというのは、今まで領域がカバーしてくれていたという他ならない事を示しており、それが無い分余計に息苦しさを感じさせる。

 

俺は、精神と物理的な部分の息苦しさに、何とも先が思いやられる様な感じがしながらも、紫の後に付いて行く。

 

まあ、此処で暮らしていく内に身体が慣れてくれるだろうという何とも計画性の無い楽観をしながら、一言紫に言う。

 

「本当に大丈夫なんだろうね?」

 

やはり、俺は人間であるから、念のために紫に聞いてしまう。本当に紫が幽々子に注意をしたのかという事。

 

そして、俺が此処で暮らしていても、彼女が殺しに走る事が無いのかどうか? ということを。

 

この彼女の返事が来るまでの僅かな時間が、非常に長く感じてしまうのは、俺が早く安心したいという焦燥感ゆえだろうか?

 

彼女達の事を信用したいのは山々なのだが、俺の体質の事を考えると、それもやむなしと言いたいところ。

 

現時点で、俺の身体……高次元体は無防備な状態で空気に曝されているのだ。ならば、妖怪の紫も俺の事を食いたいと少なからず思っているはずなのだ。

 

だからこそ、俺は念を押すのだ。

 

この奇妙な間の後、紫は俺の方をクルリと向きながら、ニッコリとして口を開く。

 

「ええ、それは私が保証するわ。安心なさい。私も、幽々子も決して貴方に危害を加えないわ?」

 

そう、危害の所をやたら強調して言ってくる紫は、何処となくわざとらしくもあり、何とも奇妙な違和感を感じてしまうほどの口調であった。

 

俺の事を本当に心配していないような……。まるで、これからいなくなって、どうでも良くなってしまうような人間に対して言う言葉に聞こえる。

 

確かに、表情は非常に柔和な笑顔であり、口調も非常に説得力のある自信に満ちた物であった。

 

だというのに……何故だろう……。酷く冷めているというべきだろうか? 彼女から、感情というモノが全く感じないのだ。どこか遠くから話しているようにも感じてしまう。こんなに近くにいるというのに。

 

いや、そんな事は無い。彼女に限って俺を見捨てるわけが無い。等という非常に情けない事を考えながらも、彼女に対して礼を言って行く。

 

「ありがとう紫……うん、ちょっと心が不安定だったみたいだ……」

 

この違和感は、俺の心が不安定だからこそ感じてしまったのだろうか? 自分で言っておきながら、頭の中に疑問が浮かび上がってくる。

 

対する紫は、俺の言葉に一定の満足を得ているのか、その笑顔を維持したままコクリコクリと小さく連続で頷き、そしてまた前を向いて歩きだす。

 

その歩き方は、まるで今にもスキップをしてしまいそうなほど非常に軽快な足取りである。

 

先ほどの俺の返事が影響しているのかどうかは知らないが。とりあえず、彼女の肩の荷か何かが下りたのだろう。むしろ、俺の不安を取り除けたという事が嬉しかったと見るべきか……。

 

そこまで詳しくは分からないが、俺は彼女の後を着いて行くことしかできず、ただただ彼女の足取りに誘われるように、白玉楼の玄関へと片足を踏み出して行った。

 

 

 

 

 

 



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外伝ss……剥離(下)

「いらっしゃい、耕也。待ち詫びていたわ、本当に…………本当に待ち侘びていたわ」

 

彼女の顔は、どこか蕩けた様に頬を赤くしながら笑顔を浮かべて迎える挨拶をしてくる。

 

だが彼女の目は、まるで俺ではなく、俺の中の何かを見るかのような鋭い目でとなっている。

 

紫もそうだが、俺の領域が消失してから態度が変わってしまったような気が……いや、確実に何かが変わっているだろう。

 

ひょっとしたら、普段は領域通してからから彼女を見ているという色眼鏡という可能性もあるが、それでは領域を解除していた状態で見ていた彼女達の表情は色眼鏡なのか?

 

いや、彼女達の表情は変わらなかった。だが、今回は変わっている。偶々という可能性も無きにしも非ずだが、それにしてはかなりの急変模様。

 

ならば、俺の領域の消失が何かしらの影響を及ぼしたのだろう。それが悪影響かどうかは分からないが。

 

俺は、彼女達の態度の違和感に、何とも言えない居心地の悪さを覚えながらも、挨拶を返す。

 

「今回は居候の許可を頂き、誠にありがとうございます。雑務の一切を引き受ける所存で―――――」

 

と言おうとした途端、彼女が手で制してくる。

 

「硬い事は無しよ耕也? さあさ、上がって頂戴。紫ももちろんね?」

 

と、紫に向かって微笑みを向ける幽々子。

 

それに紫は軽い頷きを返して、靴を脱いでいく。

 

俺も紫に倣い、靴を脱いで揃えて彼女達の方へと向き直る。

 

「さて、行きましょうか……こっちよ」

 

そう言いながら、幽々子は俺に背を向けてゆるりゆらりと足を前に出していく。

 

水が流れる如くの滑らかな動きは、身体全体がエンジンオイルでできているのではないかと思ってしまうほど。

 

何とも無機質で風情の無い表現の仕方かもしれないが、第一印象で俺がそう思ってしまったのだから、それは仕方が無い。

 

彼女らに比べて身体が硬い俺は、どう踏ん張っても途中でよろけてしまいそうな歩き方。まあ、亡霊だからという事も要因としてあるのかもしれないが……。

 

そんなどうでもいい事を考えながら、俺は隣にいる紫の事を見る。

 

紫も元々の身体のバランスが良いせいか、美貌と相まって非常に目の保養になる。

 

くっだらねえ事を考えてんなあ……。なんて、思いながら、今後の身の振り方について考えねばならないと思い、彼女の後に着いて行く事に専念する。

 

ゆっくりと歩いて行くと、彼女はふと足を止めて此方を向く。

 

そして、歩いて来た時と同じような雰囲気を持ちながら、ゆっくりと此方に向いて口を開く。

 

「此処で少し今後の事について話し合いましょうか……?」

 

そう言いながら襖を開けて中に入っていく。

 

続いて紫、そして最後に俺が足を滑らせるように入っていく。

 

用意された座布団に腰を下ろし、丸い卓袱台を囲んで話し合う。まるで俺の家で話しているかのように……いや、ちょっと待て。

 

そう俺は自分に対して厳しく突っ込みを入れていく。

 

この既視感というべきものだろうか? やけに俺の部屋にいるような感覚をさせるこの卓袱台。

 

そう、この変なというべきか、異様な感覚が妙に頭の中で燻り続ける。

 

そして、俺は部屋を見回した瞬間に、この違和感の下人に気が付いた。

 

それは、この部屋に入った瞬間に気が付くべきだったかもしれない事であった。俺が感じていた既視感は、全てこれが原因だったのだと。

 

そう

 

「もしかして……俺の部屋?」

 

俺の視界一杯には、地底にある俺の部屋が広がっていたのだ。

 

「ふふふ、満足してもらえたかしら? 耕也?」

 

と、紫が満足げな表情で俺に言ってくる。

 

「え? あ、いや……」

 

突然の事なので、返事ができない……。

 

恐らく、間抜けな顔を晒しているだろう。それはもう、人生で上から片手で数えられるほどの吃驚顔。

 

「ふっふふ、紫。耕也が吃驚して反応に困っているわよ? 説明してあげなさいな」

 

と、幽々子はコロコロと笑いながら紫の肩をツッつく。

 

まるで、その顔は悪戯が成功した子供のように無邪気な笑顔。

 

俺の反応が随分とお気に召したようだ。

 

一体どうしてこのような事態になっているのか、自分でも理解できないまま、カラカラに乾いた口の中で、舌を必死に回しながら質問する。

 

「いや、俺の部屋だというのは分かるんだけど……ちょっと……あれ?」

 

やはり完全に事態を把握しきれていない。

 

紫が俺の部屋と白玉楼を繋げたのか、それとも紫が精巧に俺の部屋を再現したのかどうなのか。

 

もしくは……俺の部屋を丸ごと此処に転移させたか。これらのどれかであろう。

 

そう思いながら、コクリと少量の唾液を飲み、紫の返事を待つ。

 

「ふふふ、驚かせてごめんなさいね?」

 

そう言いながら、懐から取り出した扇子を横に一閃すると、目の前にあった卓袱台が歪み始め、グネグネと形を崩し始める。

 

「え、ええ……?」

 

状況を把握しきれないまま、俺は目の前で繰り広げられている事に驚嘆の声を上げながら、その変化が収まっていくのを待つ。

 

そして、そのスライムが形を崩していくような動きをしている景色は、段々と形と色を変えながら、白玉楼に違和感のない部屋へと変貌していく。

 

「本当は、このままの方がいいと思っていたのだけれども。まあ、貴方に説明するために一度解いたわ」

 

解く……。つまり、彼女の言っている事は、俺に何かしらの幻術か何かを見せて、この部屋を見慣れた自宅の一室に変えてしまっていたという事だろう。

 

まあ、彼女はかなりの回数で俺の家に来訪するため、部屋の何処に何があるかなどは覚えてしまっているのだろう。

 

いや、むしろ一回目で覚えてしまっている可能性も無きにしも非ずだが……。

 

そんな事を考えながら、俺は紫に返事をする。

 

「もしかして……幻術で再現してた?」

 

すると、やはり俺の推測と答えは合っていたのか、紫は微笑みながらコクリと頷く。

 

「その通りよ耕也。幻術が掛かったままの方が精神的に落ち着くと思ったのだけれども……どうする? 部屋だけでも似せておきたいかしら?」

 

と、あくまでも気遣いの一つとして行ったという事を強調してくる紫。

 

無論、俺はそれに対して何の嫌悪感などを覚えている訳でもなく、素直にうれしいとさえ感じていた。

 

が、それ以上に現実を目の前に突き付けられた感覚がするのだ。

 

(やっぱり……領域が消えてるのはどうやっても動かない事実なんだなあ……)

 

この現実。

 

普段ならこの程度の幻術など全く食らいはしないし、それが何かしらの食らわなければならない物でもない以外、行使された事にすら気が付かないであろう。

 

もしかしてこの幻術というのは、紫が俺に対して領域が使えなくなってしまった事に対する再認識をより深く突き付けるためのテスト……。それにすら感じてしまうのだ。

 

だが、ソレを何度認識した所で、俺の領域が回復するわけでもないし、何より俺はこれから危険が増した日常を送らなければならないのだ。

 

だからこそ

 

「ありがとう紫……いや、それは流石に止しておくよ……しっかりとこの身に刻みこむためにもね……」

 

そう二つの意味で礼を述べて、そしてもう一つの方に対して補足を加えておく。

 

すると、紫は自分の意図に気が付いてくれたとでも言うかのように安堵した溜息をし、幽々子に話を振る。

 

「さて、幽々子。耕也が住む部屋は……此処でいいのかしら?」

 

そう言いながら、地面に向かって指を向けて上下に振る。

 

その動作を受けた幽々子は、微笑みながらコクリと頷き、俺の方へと向く。

 

「そうね……此処なら居間にも近いし、この広い白玉楼でも迷う事は無いわ……。いかがかしら耕也?」

 

と、同意を求めてくる幽々子。俺は当然自分の身分をはっきりと認識しているため、彼女の言葉に文句は出てこない。

 

「お願いします幽々子さん……」

 

すると、幽々子は苦笑しながら俺の返事に対して注文を付けてくる。

 

「居候とはいえ、そんなにかしこまらなくてもいいのに……。困った時はお互い様でしょ?」

 

「いえいえ、親しき仲にも礼儀ありという言葉もありますので……」

 

俺は、そう言いながら幽々子の言葉に反論……という言い方はおかしいかもしれないが、彼女の厚意に感謝しつつ立場を明確にする。

 

「まあ、それでいいのならいいのだけれども……ね」

 

そう呟く幽々子は、なんだか悲しそうでも有り、今後の何かに期待しているかのような目でもあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「まあ、基本的には雑務が殆どか……」

 

蝋燭の光一つの薄暗い部屋の中で、溜息と共に言葉を出していく俺。

 

夕食を食べ終わった後、俺は与えられた自分の部屋に入り、布団に包まっていたのだ。

 

が、いくら慣れた白玉楼とはいえ、今回は心境が全く違うというのを認識させられる。

 

何時も通りに接してくれた幽々子。何時も通りに俺に付き添ってくれた紫。そして、何時も通りの態度で話しかけてくれた妖忌。

 

殆どの事が何時も通りであるがゆえに、今回の事は非常に残念に思ってしまう。

 

心の中にポッカリと穴が空いてしまったかのような感覚。そして、自分の身体が今まで領域にどれだけ助けられていたかという後悔の念と虚しさと情けなさ。

 

それらが同時に襲ってくるため、何とも言えない悔しさが襲ってきてしまい、全く寝つく事が出来なくなっていた。

 

その中で、ふと彼女が俺に渡してくれた札の事を思い出し、バッグの中から取り出して蝋燭の光にかざしてみる。

 

「それにしても……往復50回連続で使用可能な転移札か……」

 

彼女が通勤用にと言いながら、何とも言えない巨大な妖力を込めた札を渡してきた札。

 

僅かに立ち上る妖気に、失礼ながら、何とも言えない気持ち悪さを感じてしまうのは、俺が人間だからだろう。

 

そして、こんなにも間近で妖力が込められた物を触るのは初めてであり、それがまた妙な興奮を俺にもたらしていたのだ。

 

「さあて、明日から通勤用に使わせていただきますかねえ……」

 

と、このペラい札に書かれている転移という文字を、指でなぞるように撫でながら、俺は溜息を吐く。

 

高空ゆえに夜は少々冷えるのか、吐く息が妙に暖かく感じてしまう。

 

そんな些細な事に感想を持ちながら、眼をつぶって無理矢理にでも寝てしまおうと、蝋燭に向かって息を吹きかけようとする。

 

 

「耕也……まだ起きているかしら?」

 

と、障子を隔てた縁側から声がする。

 

その声に少々驚きながら、布団からムクリと起き上がってその姿を確認しようとする。

 

相手が女だというのは分かったのだが、突然の事に声の判別が上手くいかず、紫か幽々子のどちらかを目で確認する羽目になってしまったのだ。

 

幸い、今夜は満月だったせいか月明かりによってくっきりと明暗が分かれた影は、障子にその姿を容易に映し出していく。

 

「あ……2人ともか……」

 

そこには、障子の外側に2人の影が映し出されていた。

 

俺から見て、右側に大きなリボンの付いた丸い帽子。そして下半身を覆うように開かれている衣服。間違いなくそれは紫の着ている南蛮風のドレスの特徴であった。

 

そして、左側には、扇子らしき細長い棒を持っている姿。少々尖がった部分が強調されている帽子、そして右とは違ってシュッと細くなっている下半身。

 

紛れもなく幽々子であろう。

 

2人の姿を確認した俺は、どちらかが発したであろう問いに応える。

 

「どうしたんだい? 2人とも」

 

そう俺が、どちらにも聞くように配慮しながら言うと、答えたのは紫であった。

 

「耕也……入ってもいいかしら? 少し話があるのだけれども」

 

そう言ってくる紫。

 

勿論、寝てもいなければ、何か用事があるわけでもない俺は、彼女の問いに許可を出す。

 

「良いよ勿論。寒いだろうしね、入っておいでよ……」

 

すると、少しの間の後に、彼女等が障子を開けて入ってくる。

 

その2人の顔は、何とも言えない悲しいような、怒りが混じっているような、複雑な笑顔をしていた。

 

何が起きているのだろうと、俺は不思議に思いながら、彼女らがこの部屋に入ってくるのをただひたすら眺めるだけ。

 

紫達はゆっくりとした足取りで、俺の方まで近寄って来たかと思うと、幽々子が指を鳴らして炎を作りだす。

 

まるで、松明の明かりを思わせるほどの柔和な光は、何ともこの肌寒い夜に心地よい暖かさを俺の身体にもたらし、何とも言えない開放感が身を満たして思わず目をつぶってしまう。

 

俺の反応を見てかは知らないが、幽々子がふふふっと軽く笑って口を開く。

 

「突然で悪いけれども耕也……。ちょっと聞きたい事があるのだけれども……良いかしら?」

 

そして、先ほどの笑みとは真逆な顔をしながら、俺に質問してくる幽々子。

 

その顔は、何時もののほほんとした表情ではなく、何と言うか、切羽詰まったというべきか、焦燥感に駆られているというべきか、それとも何らかの強迫観念に囚われているというべきか。

 

どれとも似ていて、それで遠いような表情は、否応なしに俺の口から了承の言葉を引き出させる。

 

「う、うん……どうしたんだい?」

 

正直なところ、彼女の顔が怖いと認識してしまっている可能性も無きにしも非ずだが、彼女の顔からは話の内容がそう軽いものではないという事だけは読み取れる。

 

だから、少々重い話しでも確実に聞き取れるように、少し近寄っていく。

 

俺の聞く準備が出来たと感じたのか、幽々子は少しだけ頷いて目を見ながら口を開いてくる。

 

「耕也は……領域が使えなくなったと紫から聞いているのだけれども、ソレから体調等の変化は無いかしら?」

 

少し幽々子の言いたい事が分からず、俺は聞き返してしまう。

 

「うん? どう言う事?」

 

すると、幽々子は少し起こったように眉を顰めさせながら、再度聞き返してくる。

 

「だから、領域が消えたことで、貴方の身体に変調を来すことは無いのかを聞いているのよ耕也」

 

「ああ、ごめん。……そうだねえ…………今のところは何の異常も無いけれども……自覚症状があらわれるものとは限らないから、そこら辺は自分でもはっきりとは分からない……」

 

すると、少し残念そうに幽々子と紫が溜息を吐く。

 

だが、俺としても分からない物は分からないのだから、答えようがない。此処で嘘をついて彼女達を安心させたとしても、その場限りの薄っぺらい安心を彼女に与えるだけであり、根本的な解決には至らない事は間違いなしである。

 

が、自分の体調を知りたいというのもまた事実。

 

この身体が人間であるという事には絶対的な自信があるが、それでも領域が消えた事による何らかの皺寄せが来ないとは限らないのだ。

 

だからこそ、俺はそれに心配してくれた幽々子と紫に感謝をして、此方から補足を入れていく。

 

「例え、自覚症状の無い変調があったとしても、人間が暮らすのと変わらない生活を送れば問題は無いはずだよ……。それに、白玉楼には何らかの毒性を持った瘴気などは無いだろ?」

 

そう俺は、彼女らを少しでも安心させようと補足をなるべく入れていく。

 

すると、俺の質問に応えるためか、紫が幽々子より少し前に出て口を開く。

 

「それは無いわ……。貴方も分かっているとは思うけれども、此処には死者の魂が集まる程度で、特に貴方に害をもたらすものは無いはず。現に、領域が健在だった頃でも、解除しても問題は無かったでしょう?」

 

ゆかりは、貴方の安全はすでに確保されていると言わんばかりの口調で言ってくる。いや、実際に確保されているのだろうが……。

 

「ありがとう紫、幽々子。安心したよ……」

 

そう言いながら、俺は彼女らに向かって頭を下げる。

 

すると、今度は紫ではなく幽々子が口を開いてくる。

 

その顔は、先ほどよりも更に真剣さが増しており、何とも言えない圧迫感を覚える。

 

「耕也……今から一番重要な事を言うわ……良いかしら?」

 

その言葉が来た瞬間に、ある種の緊張感というべきか、足から下が無くなってしまったかのような錯覚を覚え、俺は少々身ぶるいをしてしまう。

 

「良いよ」

 

淡々とした返事ができない俺は、幽々子の口が開かれ、言葉が放たれるのをひたすら待つのみである。

 

「耕也は……後どれほど生きられるのかしら?」

 

残酷な言葉だと思った。

 

今まで不老だという自己の認識で生を営んできたというのに、此処に来てあとどれぐらい生きられるかという寿命に関しての質問である。

 

まるで彼女の言葉は、余命幾許もなしと医者が宣告するかのようにすら感じた。

 

恐らく、これが恐怖というものだろう。己が命の灯火の時間的猶予が一体どれほど残されているのか。

 

当然と言えば当然。考慮されてしかるべき問題である。なぜなら、今の俺には領域が全く無いのだから。

 

もし、俺の命が領域によって保障されていたとしたら? もし、解除したとしていても、その内部である生命維持という最低限の保障を行っていたとしたら?

 

もし、もしもだ。もしも領域が消失したとして、その皺寄せが、体調ではなく、直に命という人間の根本的な問題に影響を及ぼすのだとしたら?

 

幽々子の言葉によって、自身の置かれている身の状況を確認するという情けなさも恥もかなぐり捨てて、俺は恐怖した。

 

一体どうなってしまうのだろうか?

 

一体俺の命は後どれほどなのだろうか? 一気に皺寄せが来るのだとしたら、あと10年? 1年? いやいや、あと1ヵ月?

 

急激な皺寄せが来るのだ。その余命は通常の長さではないだろう。

 

事実でもなく、唯の憶測にすぎないというのにも拘らず、幽々子の言葉は妙に現実味を帯びているようにも感じられ、俺はそれを現実に起こってしまうものだと認識しようとしていた。

 

そのため、言葉では言い表せないほどの恐怖を感じ、ただただその言葉を放った幽々子の顔を見続けることしかできない。

 

何も言葉を返す事ができないのだ。何とも情けない事に、俺は自身の考えによって生じた恐怖と心配性の相乗効果により、幽々子に対しての返答が出来なくなってしまっていたのだ。

 

気道が段々と絞まってしまう感覚がして、思わずヒュッと息を吸ってせき込んでしまう。

 

「――――――っ!!」

 

ゲホゲホと出てくる咳が、どうにも止まらず、そのせいか涙が滲み出てくる。

 

すると、俺の気持ちを察してくれたのか、幽々子が俺に近寄ってきて頭を抱えて抱きしめてくれる。

 

「ごめんなさい……突然の事だったわよね。……確かに厳しい事かも知れけれども、貴方の身体の事だから教えてほしいの……ね?」

 

その言葉に、気道が広がっていくのを感じ、呼吸が大分楽になるのを把握できた。

 

そして、俺は幽々子の言葉に返そうと口を開く。

 

「いや、分からない……あと10年なのか、1年なのか……自身でも把握しきれないんだ……ごめん」

 

俺自身、把握できていないのだから、この程度の言葉しか返す事ができない。

 

内心は不安なのだが、永琳に診断を受けたり現代の病院での精密検査等をしなければ、それらの異常は分からないだろう。

 

が、俺の満足のいかない回答でも良いとばかりに、幽々子は更に強く抱きしめてくれる。

 

甘い香りが鼻腔をくすぐり、心が洗われていくような爽快感と同時に、身も心も蕩けてしまいそうな感覚に陥る。

 

「ありがとう幽々子、紫……でもごめん、満足の行く答えが出せなくて……」

 

「いいのよ耕也……。私達は貴方の味方なんだから…………ね?」

 

そう言いながら、俺の側に寄って、後ろから抱きついてくる紫。

 

幽々子と紫という美女に挟まれながら、慰められるというのも男としてどうなのかという疑問もあるであろうが、それでも俺は非常のこの状況に救われていた。

 

 

「抱きついたついでに……慰めてあげましょうか?」

 

そう言いながら、紫が強く強く抱きしめてくる。

 

「流石にそこまでは良いよ……」

 

先ほどとの空気の変わり様に俺は驚きながらも彼女の言葉に返答していく俺。

 

が、なおも彼女の力は増すばかりで、それを幽々子はふふふ、と笑いながら胸へと俺の顔を沈ませていく。

 

「それも良いわね紫……肉体的な接触もまた、確実に精神の安定をもたらすわ……」

 

そう言いながら、俺が逃げようとするのを防ぐように力を込めていく幽々子。

 

「いやいや、それは……」

 

そう言いながら、巻きつかれた紫の腕を離させようとするが、いかんせん相手は妖怪。人間の力で対抗しようなど鼻で笑われる所業である。

 

それでもなお俺が腕を離してもらおうと力を込めていくと、突然口の中に異物感を感じる。

 

「んあ? あ、ああぁあ?」

 

「耕也……申し訳ないけど。……今は貴方が意見出来る立場ではないのよ?」

 

紫が口の中に指を突っ込みながら、舌を摘まんでくるのだ。

 

妙にひんやりとした彼女の手は、どこか心地よささえ感じさせ、次いで身体を弄られる手の感触に力がグッと抜けてしまう。

 

「素直になりなさいな…………ね?」

 

素直と言ったってどう素直になれと等と言う意見はすでに封殺されており、全くの抵抗にならず、そのまま俺は受け入れるしかなかった。

 

そして、余りの快楽に気絶する瞬間

 

「決して帰さないわ……絶対にね」

 

そんな言葉が聞こえてきた気がした……。

 

 

 

 

 

 

 

「随分とまあ、やってくれたじゃないか……力が入らない…………」

 

そう言いながら、目覚めた耕也は何とも情けないほど腕をプルプルとさせながら、布団より身体を起こしていく。

 

快楽に伴う悲鳴を何度も上げながら、精を搾り取られる様は、まさに逆強姦と言っても過言ではない有様であったが、本人としては心のどこかに充足感のようなモノを感じていたのだろう。その表情に紫や幽々子に対する怒りなどは感じられない。

 

彼も実際のところ人間なので、不測の事態に対応しきれない事は多々ある。偶々それは今回の領域消失と言う事故によって引き起こされただけであって、彼自身の落ち度は殆ど無かった。

 

強いて言えば、寿命の変化の事に着いて考慮をしていなかったことぐらいであろうか。領域が消失していた時点で、彼にそこまで考える余裕があれば、また違ったかもしれない。

 

とはいえ、耕也自身これからの身の振りようによっては、自分の命を延ばすかもしれないし、縮ませてしまうかもしれないという事は分かっていたので、流石に無茶などはしないと彼の中では決めていた。

 

そして、彼が明かりを頼りにアナログ時計を見やると、先ほどの行為からすでに

 

「2時……もう3時間も気絶していたのか……どおりで喉が渇くわけだ……」

 

かなり長い事気絶をしていたのだ。

 

そして、耕也は疲れの余り口を大きく開けて寝てしまっていたせいか、酷く口渇感を感じていた。

 

ふと、彼は水飲み場等を案内されていなかったなと思い、少し探索もどきも兼ねて探してみようと考えたのだ。

 

どうせなら、もっと早く幽々子から聞いておけばよかったなと思いながら、耕也は腰を上げた。

 

本来ならば、彼自身の能力である創造で水を創造すれば良かったのだが、この不安定な状態での力の行使は、いざという時の燃料切れと言うのも考えられるので、それだけは避けたかった。

 

だからこそ、節約という意味も兼ねて彼は水を飲みに行くのだ。

 

「あ~……やっぱ寒い……」

 

頭の中でカーディガンが欲しい等と言った年寄り臭い事を考えながらも、耕也は襖を開けて廊下をペタペタと歩いて行く。

 

毎日の拭き掃除が功を奏しているのか、彼の足に誇りが付くなどといった不快感を及ぼす事が無く、掃除が行き届いているなという驚きを彼の心にもたらした。

 

「早く飲んで寝ちまおう……」

 

あんまりにも年寄り臭い言い方で、側に紫や幽々子がいたら幻滅してしまいそうなほど。

 

だが、彼は眠気もあるせいか殆どそのような事は気にせず、今は喉の渇きを癒したい一心で水飲み場へと向かう。

 

「台所に無いかねえ……?」

 

そんな事を言いながら目的地を設定し、しばらく彼が足を進めていくと、どうやら台所と水飲み場はセットになっているらしく、彼のちょっとした予想は当たっていた。

 

「水がうめえ……」

 

等と言いながら、口を着けない様に、柄杓からトポトポと口に水を輸送し、喉の渇きを癒していく耕也。

 

人間として、必要不可欠な水分補給を終えた彼の顔は、水の冷たさもあってか眠気が顔全体から取れてしまってた。

 

「眼が覚めちゃったな……」

 

そう苦笑しながら、耕也は自分の部屋に戻って寝ようと足を踏み出していく。

 

また長い廊下を歩く羽目になるのかと思うと、気が滅入りそうになる耕也だが、ソレを乗り越えなければ暖かい布団には辿りつけないぞと自分を叱咤しながら歩みを止めない。

 

ふと、しばらく耕也が歩き続けると、一室だけ妙に騒がしく、またほんの少しだけ開いた襖から光が漏れている。

 

漏れた光は、ゆらゆらと頼りなく、蝋燭によってもたらされている光だということが彼には分かった。

 

(紫達ももう寝てると思ったんだけど……?)

 

そう疑問を持つのは仕方が無かった。

 

なぜなら、先ほどまで彼が歩いていた廊下と逆の方向を歩いていたのだ。その時には、襖から漏れる光は無く、無音に近い状況であった。

 

だからこそ、非常に彼にとっては違和感の感じるものであり、妙な興味を持ってしまう物であったのだ。

 

(こんな時間に何を……?)

 

そう考えながら、耕也は襖に顔を近づけていく。

 

最初は興味から顔を近づけたのだ。誰が、一体何の話をしているのか? 盗み聞きなどは良くないと思っているが、彼としては、先ほど光が付いていなかったという確信があったため、ソレも気になった。

 

無論、起きてからさほど時間が経っていない状態であったので、彼の見落としと言う可能性もあったが、今の彼にその選択肢は無かった。

 

彼は、まるでその隙間に吸い込まれるように顔を近づけて、中の様子を見、そして話を聞いていく。

 

(紫と幽々子か……)

 

そう頭の中で呟きながら、更に深く見いるように話を聞いていく。

 

心の中では、どこかしらに聞いてはいけない。見てはいけないという警告音が鳴っていたのだが、興味とその背徳感が彼の背中を押していた。

 

だが、それは聞いて行く内に間違いだったという事を彼は明確に思い知らされた。

 

時間が経つごとに、彼の表情が高揚した微笑から無表情へと変わり、次いで頬が引きつっていく。

 

「ひっ…………」

 

という、息をヒュッと吸い込む際の声と共に、顔がクシャリと歪んで泣きそうな表情へと。

 

そして、身体が小刻みに震え始め、歯がカタカタと鳴りだす。

 

次の瞬間には

 

「「そう思わない、耕也?」」

 

という大きい声に、一粒の涙と恐怖の表情を浮かべた耕也が、尻もちを付いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふふふ、一体どうしてこんなにも彼の魂は青白く輝いているのかしらね、紫?」

 

と、茶を飲みながら紫に尋ねる幽々子。

 

その表情からは、最早耕也に対する一切の配慮が抜けてしまった、欲望の塊がそこにいた。

 

無論紫も、先の行為と、事前でのやりとりによって耕也の事を返したくないという束縛願望が強く強く前面に出ていた。

 

自身の理論と幽々子の願望が合わさった結果、すでに引き返すことのできない所にまで事態は進行しており、無論双方引き返すつもりなど毛頭なかった。

 

それに紫は、軽く受け流すつもりで一言

 

「別の世界から来たから……とでも言うべきかしら?」

 

そう随分前に彼の事を計算によって予測した事を彼女に伝える。

 

今まで藍以外誰ひとりとしてこの予測の事について教えていなかった。言えば確実に狂人扱いされていただろうし、何より紫自身が、自分の持ちうる耕也に近いという証拠だと思っていたのだから。

 

「ふふ、決して帰さない……ね。紫の言葉にはこういう意味があったのね……」

 

そう言いながらも、どこかしらに思う所があるらしく、コクリコクリと頷きながらニヤリと笑みを浮かべていた。

 

ああ、どうしてこうも私の思う通りに事が進んでいくのだろうと思いつつ、幽々子は茶を啜っていく。

 

より確実性のある殺し方。

 

包丁で刺す? 服毒させる? 単純に暴力で磨り潰す? 否。そのようなモノは余りにも華が無く、確実性に欠けている。

 

相手はあの耕也。万が一というのもある。

 

言い方はおかしいが、私の能力で死に誘った方が、この世で最も手早く確実性のある方法であろう。

 

耕也を殺し、魂を私に封じ、肉体を紫に融合させる。そして死の直前に、幽世ではなく現世で生きたいという圧倒的な人間の根本に迫る欲望を曝け出させ、ソレを未練とす。

 

耕也の死にざまを思い浮かべるだけで、身体が興奮でカタカタと震えてくる。そんな感覚を幽々子は覚えていた。

 

一体どれほど彼をこの世の物ではなく、私の世の者にしたいと思ったか。

 

一体どれほど長い時間、彼の魂を愛でて愛でて愛でて愛でて愛でて愛でて愛でて愛でて愛でて愛でて愛で尽くして、口の中で飴玉を転がすように舐めしゃぶりつくし、溶かしてコクリコクリと飲み込みたいと思った事か。

 

魂が私の食道を通る時は一体どんな感じがするのだろう? 彼の魂が……耕也の魂が私の舌に絡まれ、唾液に塗れていく時は一体どんな震えと味を醸し出してくれるのだろう?

 

私の中に収まった時、一体どんな感覚を覚えるのだろうか? 痛いのだろうか? 苦しいのだろうか? それとも、恐怖を覚えたまま私に縛り付けられるのだろうか?

 

それともそれともそれともそれとも…………私の魂に犯しつくされて壊れてしまうほどの快楽を味わうのだろうか?

 

ああ、どれでもいい。耕也のその魂を私に縫いつけるという最終目的さえ達成できれば、後はどうにでもなる。

 

白玉楼から出られない様に術式を掛けてしまうのも良いだろう。紫と一緒に耕也を3日3晩犯しつくすのも良いだろう。

 

亡霊となった耕也がどれほどの嘆きを見せたとしても、私達から逃れる術は無い。だからこそ、私達は耕也が全力で此方を向いてくれるように犯し、愛し、嫐り尽くすだけなのだ。

 

人はこう言った事を愛の強制等と言うが、それは間違いなのだ。人間と私達との間には天高くそびえ、地底の岩盤よりも厚い壁が立ちはだかっているのだ。

 

ならば、愛を教えてやるのが道理というもの。それが種族の違いを乗り越え、この険しい壁を破壊するのに最も正しい道であり、最も近しい道であって、最も適した手法なのだ。

 

そう、幽々子は短い時間の中で耕也に対しての感情を頭の中にぶちまけ、そして考えの中で口内に多く溜まった唾液をコクリと大きく呑み込む。

 

(こんな風に耕也の魂を飲み込む事が出来たならば………………どんなに心地の良い事だろうか?)

 

そんな事を幽々子は自分の唾液を耕也の魂に見立てて飲み込みを繰り返す。茶を含み、また耕也の魂を意識しながら飲み込んでいく。

 

意識していくだけで、幽々子の身体にビリビリと電撃が走るように快楽が頭を貫通して上へと抜けていく。

 

その快感に素直に従って、身体をフルフルと小刻みに震えさせて、湯呑を卓袱台の上に置く。

 

「紫……耕也はやっぱり今日中に殺してしまわない?」

 

幽々子は、先ほどの想像のせいもあるのか、顔を赤く上気させ、発汗に伴う滴りをそのままに服のふくらみをツンと尖らせる。

 

紫は、幽々子の提案を受けながら、また高速で思考していく。

 

やはり、此処で殺してしまうべきなのか。耕也が気が付かないうちに……いや、すでに手遅れか。

 

「そうね、殺してしまった方が此方としても非常に後々楽だし……ね」

 

耕也を殺した後、一体どうしてくれようか?

 

(幽々子が耕也を死に誘って、魂は幽々子が縫いつけ、そしてその抜けがらとも言うべき大事な肉体を私が食らって自身の身体と融合させる……)

 

一度誤って肉体を傷つけてしまった事がある紫だが、すでにそのような事は考慮しておらず、ただただ耕也の肉体が自身の身体とどのように融合していくかだけに興味があるようだった。

 

そして、何よりその行為が最も自分の持つ境界を操る程度の能力と相性が良いという事を自覚してしまったから。

 

だからこそ、紫は考えていく。

 

私の身体に彼の身体が溶け込んだら、一体どんな快楽が待っているのだろう。充足感が、満足感が、爽快感が、悦楽感が、背徳感が、そして何よりの愛情を感じる事が出来るのだろうか?

 

考え出しただけで止まらない。紫の耕也に対する欲が此処に来て一気に願望としてあらわれていた。

 

紫もまた幽々子と同じく、種族の壁を鬱陶しく思っていた。

 

彼との悠久の時を幽々子と共に歩んでいきたい。私と幽々子に依存させた耕也が一体どのように私達を求めてくるのかを知りたい。求めて欲しい。

 

「ならば、耕也を殺した後は、勿論魂は幽々子……貴女が取り込んでちょうだい。私は耕也の肉体を食み、身体に融合させるから」

 

そして、幽々子が頷くノを見た紫はまた極短い時間の中想像に没頭する。

 

今度は耕也の悲鳴を聞かずに済むと。有るとしても、アレだけ。あの程度ならばそこまで酷い悲鳴を上げること無いだろう。

 

そう紫は、自分の立てた計画について検証し、自分の嗜好と合致しているかどうかを確認する。

 

そして

 

(それにしても……血の一滴ですらあの回復量だというのに、全てを摂取したら一体私はどうなってしまうのだろうか?)

 

と、思う紫。

 

彼女の中では最早、彼の肉体は確実に手に入るものだという事が前提となっており、尚且つその前提は決して崩れ去る事のない未来となるという事が頭の中で浮かべられていた。

 

ただただ、耕也の事が愛おしく、そして悠久の時を過ごしたいという願望が、何時の間に彼女の考えを歪めさせ、そして耕也を死に至らせる事になったのか。

 

それは、全て耕也に原因があると言えるし、そうでもないとも言える。

 

だが、最早彼女達にとってその歪みは決して歪みではなく、正規の道を歩んだ結果によって導き出されたものであって、決して自身の歪んだ願望によってなされる事ではないという認識へと昇華していた。

 

「本当に楽しみよね紫……」

 

だからこそ

 

「ええ、本当にそう思うわ……。耕也は一体どんな快楽の悲鳴を上げてくれるのかしら?」

 

だからこそ

 

「耕也の魂はどんな味がするのかしら? ……壊れるまで犯しつくしてあげたいわ……」

 

だからこそ

 

紫達は

 

「「そう思わない、耕也?」」

 

背後の襖にグルリと首を廻してニッコリとした顔で言った。

 

 

 

 

 

 

耕也は完全に恐怖に囚われたと言っても過言ではなかった。

 

それは当然というべきか、自然の摂理とでも言うべきというか。

 

圧倒的な存在からの死刑宣告に、一体誰が恐怖を抱かずにいられるのだろうか?

 

耕也はヘナヘナと腰をその場に下ろしてしまい、惨めに悲鳴を上げるしか出来なかった。

 

「あ、ああ…………冗談……だろ?」

 

そう言いながら、彼は襖を隔てて向こう側にいる彼女達に問うように呟く。

 

 

「冗談でこんな事を言う訳無いでしょう? すでに……分かっているはずよ?」

 

紫が微笑みながら襖を開けて、耕也を見下ろしながら口を開く。

 

その姿は、耕也からすれば最早恐怖の対象以外の何者でもない。当然だ。先ほどまで心の底から信じていた彼女からの言葉が暗殺計画だったのだから。

 

「ど……どうして……?」

 

そう耕也はただただ呟くことしかできない。一体目の前の人物は何を言っているのだろうか? と。

 

ついさっきまで話し、親しく付き合い、身体を重ねた中であるというのにも拘らず、突然殺す等と言う言葉には、到底理解、経緯等の処理が及ばずただただ疑問をぶつけることしかできない。

 

ソレを分かっているのか、紫は耕也の眼の位置にまでしゃがみこみ、頬をそっと右手で撫でながらニッコリと笑いながら呟く。

 

「耕也……死んだらどこかに行ってしまうでしょう…………?」

 

その言葉を聞いた瞬間、耕也の頭の中にあるフレーズが浮かんできた。

 

(決して帰さないわ……絶対にね)

 

このフレーズである。

 

つまり自分が何処から来たかまでは理解してはいないものの、この世界の出身ではないという事は察していたという事だろう。

 

そして、その死んでしまうというのは、領域が失われてしまってからどのような事が身に降りかかるのか分からないから。

 

「そう……そうよ耕也。貴女の考えている通り……。貴女が死んでしまっては何もならない。ならば、此方から意図的に殺して私達の世界に留まらせる。これが最善…………素晴らしいと思いません?」

 

と、まるで初めて難しい問題を解けた子供のようにニッコリと。

 

褒めて褒めてとジャンプしながら笑う子供のような快活さを備えた笑顔を耕也に送る紫。

 

だが、その笑顔は耕也にとっては恐怖以外の何物をも生み出さない。

 

そして止めに

 

「だから…………死んで頂戴?」

 

幽々子が紫の背後から出てきた瞬間には、もう限界だった。

 

先ほどまで腰が抜けていたとは思えないほどの素早さで、耕也は彼女達から逃げていく。

 

「あ、ああ! 騙したな…………! 騙したな騙したな! ちくしょうっ!」

 

涙を流しながら。嗚咽しながら。自身の最愛の存在に裏切られたという絶望感を心に満たしながら、白玉楼から脱出しようと耕也は必死に足を進める。

 

だが、その速度は紫達から見ても余りにも遅く、そして攻撃の意欲をそそられる動きでもあった。

 

「随分頑張るのね耕也……ふふふ」

 

すでに完全な狩人と言っても過言ではない立場になった―――――いや、すでに最初から捕食者と言う事なのだろう。

 

幽々子と紫は、耕也が逃げいてくことに然したるシナリオの修正は必要ないと判断しているのか、全く動じない。

 

「ゆっくりと追い詰めてあげればそれでいいの……第一段階は、生存本能への点火ね」

 

紫は、そう呟きながらゆっくりと歩き出す。まるで何処に耕也が向かっているのかが分かるかのような足取りで。

 

それは耕也の必死さとは悲しいほどに落差があり、雲泥の差と言っても過言ではない。

 

対する耕也は、夜中という要素も加わっている上に、この広大な白玉楼の地理を把握しきれていないせいか、何処に出口があって、そしてどのような経路で自分の家に帰ればいいのかが今一把握できないようであった。

 

どうしてこんな事になったのだろうと、己の不運さ、不遇に涙を零しながら、唯無我夢中に足を前に出していく。

 

ふと、その中であるる異変に気が付いてしまった

 

「耕也、痛くは無いわよ……? 怯えずに戻ってきなさいな。とってもと~っても気持ちいいわよ?」

 

先ほどから、自分を呼ぶ声が全くと言っていいほど遠ざかっていないという事に。

 

一体どうしたというのだろうか? 自分はこんなにも必死に走っているというのに、一体どうしてこの音は小さくならないのだろうか?

 

そんな異変を耕也は直に肌で感じ取っていた。

 

「ちくしょう…………」

 

そう呟きながら、ソレが幻術によって齎されるものなのかさえ分からずに、耕也はただ闇雲に走る。

 

そこで、ふと有る事を思い出す。

 

(これを使えば……)

 

耕也は一瞬で先日の事を思い出して、ポケットをまさぐる。

 

「あった……!」

 

耕也の手に握られていたのは、通勤用の転移札。

 

これを使えば耕也は自宅に戻る事が出来、尚且つ耕也は古明地等といった妖怪の援助を受けられる可能性がグンと増える。

 

耕也は、流石に紫も完ぺきではないと思ったのか、すぐさま転移札の発動を試みる。

 

それが、本当に彼を自宅にまで送り届けてくれる転移札かどうかも、碌に確かめもせず使う。

 

傍から見れば非常に愚かしい行為であり、眼を覆いたくなる行動そのもの。

 

だが、彼の頭の中では逃亡、逃走という文字で埋め尽くされており、ソレが実行できるのならば何でもいいと、藁にもすがる思いで札を発動させたのだ。

 

しかし、ソレが彼の人生を左右する分岐点となった。

 

日だが光った瞬間、耕也の喜びと共に、爆発音。

 

空気が圧縮され、衝撃波となって周囲にばらまかれる。

 

熱により肌が焦げ、衝撃波によって肘から先が吹き飛ぶ喪失感。

 

全てが一緒くたになって耕也に激痛という名の警告を信号として送る脳。

 

「ああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

最早断末魔と言っても差し支えないほどの絶叫。

 

タンパク質の焦げた異臭が周囲に立ち込める。が、そのような匂いに対して反応するほどの余裕など耕也には無く。

 

ただただ、気が狂ってしまうほどの激痛の為に、地面をのた打ち回ることしかできない。

 

「うあああああああああああ―――――――っ!!」

 

声がかすれ、その激痛を悲鳴に変換して拡散させることすらもできなくなりながら、耕也はただひたすら痛みを受け取っていく。

 

どれだけの時間が経っただろうか? あまりの激痛が耕也の脳を圧迫し、漸く遮断した。

 

荒い息を吐きながら、耕也はジャリジャリと近寄ってくる足音に気が付いた。

 

「耕也……大丈夫かしら? 痛くないかしら?」

 

と、紫の余りにも非常識な物言いに、耕也の眼が怒りに染まる。

 

残った右手に力を込め、安定していない精神に鞭を入れて、無理矢理創造を敢行させていく。

 

この万が一の時の為に創造の力を温存させていたのだと。そう自信に言い聞かせながら、殆ど感覚の無い身体を気遣う事無く。

 

彼は霧状の無水エタノールを周囲に撒き散らす。

 

異臭とでも言うべきだろう。

 

「こ……の…ぉ………!」

 

かすれて殆ど音を出さない声帯から僅かに声を出して無水エタノールに点火しようとする。

 

耕也は霧状の無水エタノールに点火し、紫達を爆発で消し飛ばそうとしているのだ。

 

自身の肉体が消失しても構わない……とでも言うかのように、彼の眼は紫達を凝視していた。

 

 

「酒精をばら撒くなんて…………危ないじゃない耕也ぁ……」

 

紫がそう呟くと、あたりには暴風が吹き荒れ、一瞬で霧が飛ばされてしまったのだ。

 

そして、紫はそのまま耕也の背後に回り、彼の両脇に手を指し込んで無理矢理立たせる。

 

幽々子は紫の行動の意図に気が付いたのか、笑みを浮かべながら耕也に近づいて行く。

 

耕也は、妙にはっきりとしてしまった自らの意識に疑問を持ちながら、幽々子の接近に恐怖を抱く。

 

自分がこれから何をされるのか。自分が今後此処で永遠の時を過ごさなければならないのだという事を理解したのだろう。

 

無駄な抵抗をしつつ、自身の安定を望む。

 

対する幽々子は、逃げ出すことのできない獲物であり、永遠に愛する良き人となる耕也を目の前にして、興奮が抑えきれないのか、再び赤面させ、臀部からドロリと濃密な液体を滴らせる。

 

下着を下着としての役割を無くさせるほどの濃厚な液。それはゆっくりと高い粘度を持ったまま太腿、脹脛を伝わって、地面を濡らしていく。

 

息を荒くさせ、今にも行為に及んでしまいそうなほど潤んだ瞳のなかに、性欲等の様々な欲望蓄えた光を爛々と輝かせながら、耕也に更に近づいて行く。

 

「耕也ぁ…………」

 

その様は、耕也には死神……いや、それ以上の何かを思わせ、ただただ恐怖で足を震わせる。

 

力が出せず、紫からの拘束を解けない耕也は、ただひたすら呟くのみ。

 

「死にたくない……死にたくない…………」

 

小声で。今にも消え去ってしまいそうなほどの小さな声で。

 

だがその声は紫と幽々子の耳にははっきりと届いており、ソレがそろそろ頃合いなのだという双方の認識にもなった。

 

幽々子は更に接近し、耕也を抱きしめる。

 

丁度その姿は耕也を紫と幽々子で挟んだ状態になり、完全に拘束された状態でもあった。

 

そして、ねっとりとした声で耕也の耳元で幽々子が囁く。

 

「今から死んでしまうのよ耕也……。死ぬ時の感覚って。私は覚えていないのだけれども……」

 

そこで一度呼吸によって間を置き、再び囁く。

 

「ソレってとっても素敵な事だと思うの……。多分、物凄く心地よかったと思うわ。全ての柵から解放されるのだもの……」

 

耕也はその誘惑とも脅しともとれる言葉に対し

 

「いやだ……生きたい……死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない…………」

 

その生存を、延命を欲する言葉に漸く満足がいったのか、ふふっと笑いながら

 

「死にたくないの耕也? …………………………………………でもね耕也?」

 

そう呟いて、耕也を抱きしめつつ片腕を顎に添え、自分の顔の真正面に向かせる幽々子。

 

そして、眼で紫に合図をし、それに紫は頷きで返す。

 

「私は貴方を…………つ~かま~えたぁ……」

 

そう言いながら、耕也に唇を重ねる。

 

すると、その瞬間に耕也の身体がガクガクと震え始めていく。

 

眼を限界にまで開かせ、必死に何かに抵抗しようとしている。

 

そして、強引に耕也の口を舌で割り、中を蹂躙していく。

 

舌を絡め、唾液を送り込み、毀れても無理矢理飲み込ませていく。ねっとりとした舌技が全てを狂わせていく。

 

そして、ガクガクと痙攣していた耕也はついに何もする事が出来なくなったのか、段々と身体から力が抜けていく。

 

数十秒の長い口付けの後、漸く離された口には銀の橋がいくつも出来上がり、その行為の激しさを物語っていた。

 

幽々子が荒い息で一言耕也に呟く。

 

「ねえ、言ったでしょう……? 捕まえたって……」

 

その言葉が向けられた耕也からは一切の返事が無く、ただただ眼をうつろにして虚空を見上げるのみ。

 

そして解放された耕也の、小さく開かれた口からは、小さな小さな白く淡く輝く蝶が虚空へと飛び去って行った。

 

「紫……身体の方は頼んだわよ?」

 

紫は、非常に嬉しそうな顔をしながら

 

「任せなさい」

 

そう言いながら、彼女は耕也の亡骸と共に隙間へと潜って行った。

 

 

 

 

 

 

舌に転がし、鋭く銀色の丸い球を舐め上げていく。

 

甘くもなんともない完全な無味無臭の魂だが、幽々子に深い深い安心感をもたらす。

 

耕也の身体から魂が剥離する瞬間。あの時が耕也の見せた最も美しい瞬間であったと幽々子は自負する。

 

対する紫は口の周りを真っ赤に染め上げながら耕也の身体を食いつくし、その身を自身の身体と融合させてしまった。

 

食べられている間、幽々子の口の中で長いごとブルブルと震えていた耕也の魂は、幽々子の欲を刺激させるには十分な意思表示あったらしく、幽々子はそれを逃さずに舌で撫で尽くした。

 

そして、口に含んでから大凡3時間。彼女はもう味わいつくしたと言わんばかりに耕也の魂を飲み込む。

 

コクリと飲み込んだ瞬間に、身体からボワッと熱が湧きあがり、次いで劣情を湧きあがらせてくる。

 

(まだ早い。まだ早いのだ。欲望に身を任せるのは私の魂に耕也を束縛してから。そして、耕也を亡霊と成してからが全ての始まり)

 

そう幽々子は思いながら、完全に自分の魂へと取り込んでいく。

 

熱が身体に広がり、そして自分ではない優しい何かが心を満たしていく快感。

 

その双方に非常に満足感を得ながら、幽々子はほうっと溜息を洩らしてから、いつの間にか隣にいた紫を迎える。

 

「そちらも終わったのかしら?」

 

そう呟いた幽々子に、紫は微笑んでから一言

 

「ええ、準備は万端よ……と言うよりもすでに亡霊化が完了してるわね」

 

そう言いながら、真正面に紫が指を指すと、そこには

 

「幽々子……紫……探したよ…………」

 

幽々子と紫に完全に依存していた耕也の亡霊がそこにいた。

 

その表情は、何処となく空っぽのようであったが、そんな違和感は僅かにしかなく。

 

紛れもなく耕也の亡霊であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

彼女達に永遠に依存し続ける耕也。

 

また逆に彼に依存し続ける幽々子と紫。

 

肉体から魂を剥離させ、その双方に取り込み、生存本能を引き出して亡霊化させた結果。

 

人々は皆口々にこう言うであろう。

 

「本当の幸せではない……」

 

と。

 

だが、それでも。

 

だがそれでも、だ。

 

彼女達は互いに依存するという事に非常に満足していたし、ソレをも受け入れるのが幻想郷である。

 

だからこそ。

 

だからこそなのだ。

 

自分の放つ言葉に絶対的な自信を持ち、そして眼の前の疑問を持つ人間に対して。

 

幾人の人間が疑問を投げかけようと、彼女達は己の自信を崩さない。

 

そして彼女達は胸を張って言うだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私達は幸せだと

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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記念ss……隔離(上)

こちらもぶつ切り状態です。


当たり前だと思う事が一番大切だった……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ああああああああ~…………意味不過ぎる」

 

そんな事を呟きながら、耕也は憂鬱な顔を浮かべながら、ゴロゴロと畳みの上を転がる。

 

人間として、この地底に封印されてから早数ヶ月。

 

彼も最初の内こそこの環境に慣れなかったものの、次第に自分の生活に対する新たな方針を構築する事より、彼なりの稼ぎと交友関係を築き上げていた。

 

紫や幽香とは今までよりは会う回数がかなり減ってしまったものの、それでもこの辺境にまで態々来てくれる彼女達の事に感謝していた。

 

そして封印されてからこの布団を巻き込んで転がるまでの間、最も印象に残った事件と言うのが白蓮の救出であったと耕也は自負する。

 

無論、映姫や小町、更には地霊殿の主である古明地さとり等の間にあった出来事は、非常に色があったり身の危険が迫ったりすることもあったが、それでも彼にとっては非常に白蓮との出会いは衝撃的であった。

 

「いや、なんだろうこのモヤモヤ感は……」

 

彼の頭の中は有るモヤモヤとしたモノが渦巻いていたのだ。それは、彼の持つ力に関係し、尚且つ白蓮にも非常によく関係している事である。

 

そのモヤモヤとは、表現するならば三角台の頂点に立っており、どちらかに僅かな力が加えられてしまえばコロッと傾いてしまう位の微妙さ。

 

耕也自身、そのモヤモヤの原因が何なのかは分かっているし、ソレが何時までも燻っているのは良くないというのも重々承知している。

 

モヤモヤの原因。

 

ソレは

 

「封印解いてしまって……本当に良かったのだろうか?」

 

白蓮の封印を解いてしまった事についてだ。

 

彼の頭の中に燻り続けているこの嫌な考え。今では彼女と立派な交友関係を築いているのに、それが本当に正しかったかどうかというものなのである。

 

いくら悩んだ所で、疾うに封印は解いてしまったのに、再封印等出来る術が耕也にある訳も無いし、有ったとしてもソレを実行する勇気も、度胸も、また意志も無い。

 

ただ、それでもだ。彼が人間だという立場からの考えと、妖怪と広く交友しているという立場からの考えがぶつかり合い、見事なバランスで拮抗しているのだ。

 

だから、彼の頭の中からこの考えが出ていかない。まるで排水溝がセメントで堰き止められてしまったかのように出ていかない。消去されないのだ。

 

耕也は、布団で簀巻き状態になりながら、枕の元へとゴロゴロと転がって頭を乗せる。

 

もぞもぞと自分のお気に入りの位置にまで後頭部を持って行き、ふうっと溜息を吐く。

 

その顔は、自分の感情に顔を若干顰めさせ、もう考えたくないという嫌そうな表情と、まだ考えたいという未練たらたらな表情が織り混ざっている。

 

また彼自身、ソレが良かったのかどうかという考えの中では、必死にそれで良かったはず。ソレが正しい道だったはず。という思い込みにより無理矢理押し込めようとしているのだ。

 

だがそれは有る一定の効果しか見せず、完全には押しこむ事が出来ないのだ。

 

「いや……俺も人間に封印されたのだし、妖怪側の意見が……いやいや、それでも俺は人間でだな……」

 

自分の気持ちとしては彼女を助けた事が正しかったと信じたい。白蓮と言う存在を解放した事により、星輦船のメンバーにとっては非常に喜ばしい出来事であったに違いないし、その姿を見ていて俺としても助けて良かったと思っている。

 

だが、耕也も考えている通り、その封印が解かれた事により多くの人間が迷惑を被っている可能性も無きにしも非ずなのだ。

 

万が一にでも白蓮の封印が解かれたという情報が出回れば、すぐにでも日ノ本を駆け巡るだろう。

 

人間達は、誰が封印したのかを調べ、ソレが耕也だと分かれば確実にこの地底を蹂躙しようと軍を結成させる筈だと。そう耕也は常日頃からこの不安を心の片隅に潜ませていたのだ。

 

だが、ソレを誰かに打ち明けるわけにはいかない。白蓮達になどもっての外である。

 

ただただ自問自答を繰り返し、答えの無い問題に答えを求めようと無駄な努力をしていくばかり。

 

ソレが自分の意志の弱さが元になっているというのも耕也は認めてはいた。そして、妖怪と人間の立場の中間気味に位置している自分の曖昧さと踏ん切りの付かなさに苛立ちを覚えているのも確かなのだ。

 

自分の考えが纏まらない事を悟り、一回打ち切ってしまおうと耕也は目を瞑る。

 

メンドイ問題に膨れ上がったと溜息を吐きながら、またゴロゴロと転がって布団から身を解放する。

 

よっこらせと何とも爺臭い掛け声とともに、耕也はスッと立ち上がり、台所に向かって歩き出す。

 

「飯……作るか…………」

 

そう言えば何も食べていなかったな、と耕也は考えへの集中が切れたのか、朝食を食べていない事に漸く気が付いた。

 

耕也は少し考える素振りをした後、やっぱ面倒くせえと言いながら卓袱台にドッカリと座る

 

そして、卓袱台に両手掌を翳し、少し微笑みながら

 

「はいよっと……」

 

そんな軽い掛け声とともに手に力を込める。

 

すると、一瞬の空間のブレと共に親子丼が姿を現した。

 

耕也の中では、最早寝過ごしたり二度寝などをしてしまった時は、自炊ではなく創造での飯にシフトする様であった。

 

彼自身、その横着もいけないという事については良く分かっていたのだが、この創造という力の利便性を熟知しているためか、そのインスタント性という泥沼から中々抜け出せないでいた。

 

「頂きます……」

 

手を合わせてから、箸を手にとって黙々と食べ始める。

 

空腹と言う現象が彼には消失してしまっていたが、彼にとって必要だと思う事で生活支援が空腹にしてくれ、ソレを最高の調味料にしてくれる。

 

そんな事に少々嬉しさを感じてしまいながら、耕也は頬を緩ませる。

 

が、その幸福な時間も

 

「こんにちは耕也さん」

 

卓袱台の反対側に転移してきた白蓮によってかき消されてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「良い匂いですね……?」

 

その言葉に、肩をビクリと震わせながら耕也は

 

「ええ、そうですね……?」

 

と、白蓮を見上げるように恐る恐る声を返す。

 

白蓮は、何時もの柔和な笑顔を浮かべてはいるものの、その背後からは何とも言えない威圧感を感じるのだ。

 

耕也はそれを本能で感じ取って彼女の機嫌を損ねない様に返していく。

 

が、それでも彼女の威圧感は全く消えず

 

「良い匂いですね……?」

 

それに耕也は何とも言えない寒気を感じながら、ただただ同じような言葉を返すことしかできない。

 

「え、ええ……そう……ですね……?」

 

すると、ますます白蓮は笑顔を強く強く深く深くしながら、耕也に言葉を返してくる。

 

その言葉の中に、彼女なりの要望があったりするのだが、耕也はただ眼の前の恐ろしい女性に素直にうなずく程度のことしかできない。

 

「美味しそうですね……?」

 

もしかしたら、彼女の言葉の中には嫉みも少々含まれていたりはするのかもしれない。

 

なぜなら、魔法使いといえど曲がりなりにも彼女は尼公なので、肉の類を食べることはできないはずなのだ。

 

だから、耕也の親子丼を見てちょっと不機嫌になっているという事もあるかもしれない。だが、それは耕也からすればあんまりにも理不尽な事である。

 

突然押し掛けてきて、自分の丼を見て嫉みを炸裂する人がいたら、速攻でお帰り願いたい。そう誰もが思うだろう。

 

だが、今の耕也にはソレを考える余裕など無く。

 

「お、美味しいですよ…………?」

 

阿呆な事に、まだ繰り返すことしかできない。

 

そして、そのようなやりとりが繰り返される事数回。

 

白蓮が耕也の言葉に返そうとした瞬間に、その時は来た。

 

「あっ!?」

 

白蓮が驚きの声を上げると同時に、腹から地響きのようなくぐもった音が断続的に響き渡る。

 

それは、胃の不機嫌さ、怒りを表しているようで普段聞いている時よりも随分と大きい。

 

「う~~…………」

 

その音が鳴り終わったと同時に、白蓮は顔を真っ赤にして顔を俯かせ、悔しそうな、恥ずかしさに堪えるかのような声を上げる。

 

余程彼女にとっては恥ずかしい事であったのか、赤い顔を更に赤くさせながら目を僅かに逸らしている耕也に向かってジト目で見る。

 

耕也は、その視線に何とも言えない居心地の悪さを感じたのか、少しの間虚空に視線を漂わせて、軽く溜息を吐く。

 

「はぁ……。分かりました。分かりましたってば。どうぞ此方で御昼ご飯を食べていってくださいな」

 

と、呆れたように言う耕也ではあったが、飯を食う仲間が増えたのが嬉しいのか、少しだけ口角がつり上がっている。

 

促された白蓮は昼飯にありつける事が嬉しくなっているのか、嬉々として席に付いて親子丼が出現するのを待つ。

 

「はい、どうぞ」

 

耕也がその言葉を述べた瞬間に、白蓮の目の前には親子丼が現れる。

 

耕也は提供しながらも、僧が肉類を食っていいものなのかという考えも湧きでたりもしたのだが、彼女が嬉しそうに箸を操る様を見て、東方の世界だしなと自己完結してしまった。

 

だから、彼は特に彼女の食べている事に気を使う事も無く、自分の丼に残っている飯を口に放り込んでいく。とはいっても残り一口なので、そこで彼の昼食は完了してしまったのだが。

 

(さってさて……どうしようかなっと)

 

そう思いながら、彼は白蓮の様子をチラ見してみる。

 

彼女は余程空腹であったのか、彼にも勝る勢いで次々と口に米とその他もろもろを放り込んでいく。

 

大凡平均的に5回ほど咀嚼した段階で嚥下していく。

 

その何ともいえない微妙な少なさに、耕也は胃を壊さないだろうな? 等といった心配をしながら、立ちあがって居間を出ようとする。

 

ゆっくりと歩いて襖を開けようとした段階で、ようやっと白蓮が耕也が正面からいなくなった事に気が付いたのか、眼を少し開け、クルリと振り向く。

 

そして急いで口の中にある物を飲み込んで、口を開いた。

 

「何処に行くんですか?、耕也さん?」

 

その顔は、まるで1人にしてほしくないとでも言いたそうな不安げな表情を作り出しており、耕也から外出と言う選択肢を取っ払いそうになった。

 

が、彼としてはどうしてもしなければならない事があるので、心苦しくもその事を白蓮に伝えるため、少しだけ笑いながら手を振って答える。

 

「ああ、大丈夫ですよ。少しだけ外に出て警戒をするだけですから」

 

これは言い訳以外何でも無いのだが、これから行う事はそれもついでにできるであろうという事を考えながら、答えたのだ。

 

すると、白蓮はそれでも少々納得がいかなかったのか

 

「警戒……ですか?」

 

と耕也に聞いて行く。

 

耕也にとってこれから外出するという事は、周囲の状況を把握できるという事は勿論の事、自分の欲望を満たす事が出来る。

 

とはいっても、一応白蓮の事に付いてはそこまで心配する必要はないのかもしれない。彼女が耕也の家に来る際には、必ず内部に転移するようになっているため、他の妖怪にばれる事等一切ないのだ。

 

が、彼としてはそこが心配なのである。もし、この生活サイクルに慣れて、様々な事がゆるくなってしまった場合、どこかしらで彼女の存在が周囲の無関係な妖怪にばれるかどうかが分からないのだ。

 

もし、ばれてしまえば確実に耕也達は危険にさらされる可能性が高いだろう。そして、何よりも彼や命蓮寺の関係者だけではなく、彼と友人関係にある古明地さとり等といった地霊殿の関係者も危険にさらされる可能性がある。

 

そんな事を耕也は常に考えていたのだ。常に最悪の状況を。常に緊張感を少しだけ持って。

 

だから、彼は白蓮の顔を少しだけ見て言う。

 

「まあ、白蓮さんに感づいている輩がいないかどうかをちょっと見てくるだけですよ」

 

そう言って、彼女の返事も待たないまま、そそくさと襖を閉めて玄関にまで歩いて行ってしまう。

 

「そんなに焦らなくても良いではないですか……」

 

その後には、寂しそうな声を出した白蓮と、盛んに湯気を出している親子丼という酷く対照的なペアが残った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

シュッという鑢を擦る音。そしてその後に気体が漏れだすような音が当たりに木霊し、耕也の顔を明るく照らす。

 

元々遠く離れたマグマのせいで、薄暗く鈍いオレンジ色に染まった耕也の顔が、その明るさによって輪郭を明瞭にし、彼の口にくわえる細長い紙製の嗜好品に引火する。

 

「すう…………はあ~………」

 

先端から紫煙を燻らせ、開けた口から白い煙が出そうになるがすぐに彼の口に吸いこまれ、空気によって希釈された煙が吐き出される。

 

この時代には一切存在しない形態を持つ嗜好品。チャコールフィルターによって喫煙者に吸いやすい水準にまで濃度を下げる紙巻タバコ。

 

ソレが、彼の求めていた嗜好品であった。

 

「やっぱ効くなあ……」

 

そう言いつつ、数秒に一度というハイペースさで吸っては吐いてを繰り返す彼。

 

見回り、警戒のついでに彼が吸いだすそれは、大凡健康的とは程遠いが地底に閉じ込められた彼の癒しの一つにもなっていた。

 

「今日も特に問題は無い……な……?」

 

と、ニコチンがある程度脳に回っている心地よい状態のまま、彼はふと呟く。

 

白蓮の姿がこの地底の住人に見られるのは余り宜しくない。それは確定事項であり、今後もその事を順守していかなければならないだろう。

 

だが、もう数百年経てばどうだろうか? そんな事を考えながら、起るであろう未来の事を考えていく耕也。そして、次々とその考えから白蓮の未来について派生していった。

 

この地底と地上を繋ぐきっかけとなった事件。

 

お燐がお空の暴走を止めるために大量の怨霊を噴出させ、ソレを霊夢達地上の連合が解決に来たあの異変。

 

アレさえ来れば多少なりともこの地底との交流が始まり、白蓮も段々とではあるが地底に出ても問題が生じる事は少なくなっていくのではないだろうか?

 

安易な考えではあろうが、ソレが希望の一つであろうと彼は考え、またタバコを口に付ける。

 

紫煙を口から吹き出した瞬間に、彼の脳裏にある事が光った。

 

(やばい…………うちに来るメンバーの中に白蓮達の事知らない奴が1人いた……)

 

そう、その妖怪は勇儀である。人間達に騙し打ちなどをされた結果、正々堂々としか勝負ができない鬼が人間を諦め、地底に下ってきたあの鬼である。

 

彼女達とのイザコザもあったりはしたが、地底においてはそこまで問題になるような勝負は無かった。

 

あるとすれば唯の腕相撲のみ。ソレも耕也達は直接関与していない案件によって生じた勝負のみである。

 

だからこそ、今日に至るまで鬼達との関係は非常に良好……とは言い難いが、それなりに交流はあるようになった種族の1つになったのだ。

 

耕也はそこまで考えた結果、少しやっちまったなと自分の行動を反省し、独りごちる。

 

「後日紹介するかな……。あの性格じゃあ口外しないでくれと言ったら、その通りにしてくれるだろうし……あーでもまだ早いか。反感買いそうなことも考えなければならないし……隠し事は嫌いだろうし」

 

と、鬼の性格を鑑みて、まだ時期ではないと判断する耕也。

 

そうして、鬼への対策は酒一本でも上げれば何となるかなあ……と変な事を考えた矢先に、背後からガラリと大きな音が立つ。

 

「うおっ!」

 

それは玄関から発せらられたと瞬間的に耕也は判断できたが、いかんせん予想外の大きな音に吃驚してしまい、肩と脹脛、背筋が引き攣る。

 

そして、それは確実に腕へと影響を及ぼし、あろうことか人生で初めてタバコを指から滑り落としてしまったのだ。

 

だが、彼にそんな事に気を配る余裕はなく、その発生源に向かって身体の向きを変える事が精一杯であった。

 

「耕也さん……」

 

彼の視線の先には、先ほどまで親子丼をかっ食らっていた白蓮が佇んでいた。

 

その表情は今まで見た事が無いほどの満足感に満たされており、今にも酒を飲みましょうとでも言いたそうな歓喜の表情を浮かべていた。

 

が、ソレも数秒で真反対の物へと変貌を遂げようとしていた。

 

「何ですかこれ……?」

 

ビシリとでも音が付きそうな勢いで白蓮が指を指した方向……つまりは煙草が転がっている地面にである。

 

ゆっくりと耕也がその方向に視線を向けると、そこにはまだ吸ってほしいと今にも言い出しそうな程赤く爛々と輝きを放っている煙草がある。

 

「あ~…………誰かが捨てたんでしょうね。ええ……捨てたんでしょう。そうに違いません」

 

と、咄嗟に誰でも分かるような嘘を吐く耕也。

 

その言葉がいけなかった。全くもっていけなかった。

 

その言葉を受けた途端に白蓮の顔が、沸騰寸前から、獲物を見つけた肉食動物のようにニンマリと、そして眼が爛々と輝き出したのだ。

 

「ほう……。誰かが捨てたと……?」

 

そう言いながら、耕也に一歩一歩と近づいて行く白蓮。その近づきから一刻も早く逃れたいように後ずさって行く耕也。

 

が、ソレを阻止するかのように、白蓮が耕也の腕を掴んで顔をグッと近づける。

 

「うあ……」

 

余りにも近くなってしまった白蓮の顔に、耕也は思わず声を上げてしまう。

 

ソレも当然であろう。耕也、いや男性にとって白蓮の顔は非常に美人であると言わざるを得ない。

 

二重瞼、大きくクリクリとした目。スッと高い鼻。むしゃぶりつきたくなるほどの艶のある唇。顔の全てを構成するパーツがまさに黄金比で組み合わさっているのだ。

 

大凡彼女を醜女と罵るものはいないだろう。だからこそ彼は驚き、引いてしまったのだ。

 

だが、そんな事を許す白蓮ではなく、近づいたかと思えば、耕也の顔を両手で挟みこんで更にグググッと近づけてくる。

 

「うっく……」

 

そんな声を出した耕也を後目に、白蓮は鼻をスンスンとさせて嗅ぎ始める。

 

「ふう……まったく、貴方という人は……」

 

そう言いながら、白蓮は耕也に説教を始めようとする。

 

無理も無い。元々彼の身体からは副流煙による煙草の焦げくささが滲み出ており、彼の顔付近から漂う臭いもまた、彼女の考えを更なる確信へと導くモノであった。

 

「煙草は身体に悪いから駄目だと言ったでしょう?」

 

そう言いながら、白蓮は眉を顰めながら身体をクルリと軽快に回し、地面に落ちている煙草を拾い上げる。

 

煙を吐き出し続けている煙草を地面に押しつけて、完全に消した後、耕也が近くに用意した灰皿に投入する。

 

「確かに煙草は、貴方の言う癒しの一つにもなっているとは思いますが、身体をおかしくしますよ?」

 

そう言いながら、再び耕也の方を振り返って忠告をしはじめる白蓮。

 

が、耕也にとっては楽しみの一つなので、やめたいとはこれっぽっちも思っていないのが現状。

 

注意されては吸い、怒られては吸い。この繰り返しなのである。

 

そして、先ほどの短い言葉では言い足りないのか、彼女は耕也に対して更なる説教を加えようとした。

 

「ですから、貴方はですねえ―――――」

 

が、言おうとした瞬間に、周囲に強大な気配が振りまかれる。

 

この感覚は、白蓮にとっても初めてのものであり、耕也にとっては段々と慣れてきた気配でもあった。

 

そして、彼とっては同時に懸念していた案件が現実化してしまったという危機感が首を擡げたという事でもあった。

 

「お~い、耕也~?」

 

そう言いながら、現れたのは鬼の四天王である勇儀その鬼である。

 

その瞬間、耕也の頭が一瞬にして赤信号を灯し、白蓮の方を見て駆け寄る。

 

「ちょ、ちょっと!」

 

彼は白蓮がこの時点で勇儀に知られるのは拙いと考えたのか、そう声を掛けながら背中を両手で押して玄関の中に無理矢理入れて行く。

 

「こ、耕也さん!?」

 

突然押されてしまった白蓮は、状況が全く掴めず、何が何だか分からないまま玄関の中に追いやられていく。

 

2人の足踏みにより、砂埃が多少舞うが、耕也はそんな事を気にも留めずただひたすらに勇儀の視界から彼女を隠す事に専念する。

 

そして、2人の身体が入り切った瞬間、ぴしゃりと小気味の良い音を立てて、玄関の引き戸が閉められる。

 

「ど、どうしたというのですか!? わ、訳を――――――」

 

と、耕也の突然の行動に眼を白黒させながらも抗議をする白蓮だが、耕也は口元に人差し指をやってシッと黙るように促し

 

「後で聞きますから、とにかく中へ」

 

そこまで言われては仕方が無いと、白蓮は渋々了解しながら、パタパタと居間へと足を運んでいく。

 

そして、2人が入って襖を閉めた途端、耕也が

 

「ちょっと待ってて下さいね? 今、さっき来た鬼への対応してしますから」

 

「へ? あ、あの!」

 

未だに状況を説明されていない白蓮が、困惑の表情と声を出すものの、耕也はそれを聞かずにドタドタと玄関の方へと向かって行ってしまった。

 

「まったく……一体何が何だか……」

 

そう、紫がかった髪を撫でながら、白蓮は溜息を吐く。

 

がしかし、白蓮の頭の中には大体の推測は付いていた。

 

恐らく耕也が最も気にしているのは、私の姿がこの地底の妖怪達に曝されるという事態。である事。

 

だから耕也はあそこまで慌てて私を部屋の中に押し込んだのだろう。少ししか眼には入ってはこなかったが、恐らくあの鬼は四天王の星熊勇儀。

 

彼女の力は日ノ本に住んでいる者なら一度は聞いた事のある名前だろう。

 

圧倒的な力で勝負を挑んできた者を捩じ伏せ、後に挑戦する者に対して畏怖と無力感、絶望感を抱かせる頂点に君臨する鬼。

 

だが、耕也はその鬼に対して全く恐怖を抱いているような事は無く、ただただ私を隠す事のみに終始していた。

 

なれば……彼はあの鬼と友人関係にあるのだろうか?

 

と、そんな事を彼女は思っていたのだ。

 

彼女自身、無粋な勘繰りと知ってはいたが、あの様子だと耕也と勇儀は親しい関係にありそうだ、と。

 

その瞬間に、彼女の気道が一瞬だけ狭まり、何とも言えない息苦しさを作りだす。

 

(何でしょうかこの感覚は……)

 

そう思いながらも、聡明な彼女にはこの感覚が何なのかは分かっていた。

 

僅かばかりの嫉妬。そして女としての、独占欲のようなモノが首を擡げているのだ。

 

今まで親しくしていた相手が、全くの赤の他人と親しそうな関係にあったという事が。おまけにそれは、彼女が彼と出会うよりも前に親しくなっていたという事他ならない。

 

だから、白蓮は思わず嫉妬してしまったのだ。今まで遊んでいた玩具を他人に盗られ、更にはその他人が自分よりも上手く玩具を扱うのを唯ひたすら眺めているだけのような感覚。

 

下衆と言われても仕方が無いと彼女は思いつつも、その考えを止める事が出来なかった。

 

「くっ…………!」

 

どうしたものかと、このジリジリと熱せられるような感情に白蓮は戸惑いながらもソレを解消できる手段が見つからず、首を左右に振るしかできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

「おいおい、どうしたんだ耕也? いきなり入ってしまって……」

 

玄関で出迎えた耕也を少々頬を膨らませながら咎める勇儀。

 

その表情は、仲の良い友達に置いてきぼりにされてしまったかのような虚無感によって作りだされるモノに近かった。

 

それは確かにそうだろう。彼はこの地底で唯一の人間であり、地上の者達とは違い、純粋な力を持って先の決闘を行ってくれた信用のある人間。

 

だからこそ、彼が何かを隠すような事をしたのは、鬼にとっては何とも言えない猜疑の念が湧きあがってくるのだ。

 

自分に隠して、何か企んでいるのではないだろうかというこの感覚は、鬼にとっては非常に好ましくないモノであり、サッサと消し去ってしまいたい感情なのだ。

 

「いや、ちょっと部屋の片づけをしようと思いましてね……」

 

そう耕也は答えるしかできなかった。まあ、事実とは程遠い上に白蓮という現時点では知られてはいけない者を連れ込んでいるのだ。慌てるのは無理も無い。

 

ただし、この答えが鬼を満足させられるかというと……

 

「鬼に嘘はいけないよ? 分かってるね……?」

 

そんな訳も無く。ただただ追及の度合いを増すばかりになってしまうのだ。

 

他に何か良い考えが無いかと耕也が考えをめぐらそうとすると、先に勇儀が口を開いて耕也に意見を述べる。

 

「ああ、そうだ……今日はこんな下らない事を話しに来たんじゃないんだよ……」

 

と、怒り顔に変わりそうだったモノを一瞬で真逆の表情に変えてしまう。

 

それは、大凡数千年を生きてきた鬼とは思えないほどの可愛らしさ、艶やかさを備えた、頬を桜色に染めし勇儀の笑顔。

 

「は、話し……かい?」

 

この表情の変化に耕也は付いて行けず、その半死についての疑問を述べることしかできない。

 

だが、彼の表情は戸惑いというよりも驚きの表情の方が占める割合が大きかった。

 

鬼の勇儀が、此処まで女の表情を出してくるとは、全く持って予想外だったのだ。いや、それは仕方のない事でもあった。何せ、彼は今まで鬼とは勝負という世界でしか接する機会が無かったのだから。

 

あったとしても、それは勇儀が快活に、豪快に笑ったりする鬼其の物の表情、イメージだったのだから。

 

だからこそ、耕也は驚いたのだ。

 

が、その耕也の驚きを知ってか知らずか、勇儀は目の前にいる男の顔を見て、微笑んで一言

 

「と、とにかく耕也。い、家に入れてくれはしないかね?」

 

と、股をもじもじと。両手を組み合わせて所在なさげに手を動かし、放った言葉に自信が無いのか、耕也の顔を見る事も出来ずにチラチラと斜め上や下を見る勇儀。

 

鬼とは思えない余りの可愛らしさ、しおらしさに耕也は思わず抱きしめたいという気持ちがフッと湧きあがってくるが、ソレを心の中に押しとどめ、ゴクリと唾を飲み込む。

 

普段とは違って粘度の高い唾液。ソレが何とも自分の浅ましさを表しているように感じられ、嫌悪感もググッと首を擡げてくる。

 

が、それら全てを押しとどめて、耕也は努めて明るく彼女を招く。

 

「もちろん歓迎するよ。でも、ちょっと待っておくれ。少し片づけてくるから。すぐ戻るから!」

 

そう言って、勇儀の返事を待たずに耕也は玄関から居間へと駆けていく。

 

その場に残されてしまった勇儀は、何とも言えない苛立ちを覚える。

 

「勇気出したってのに……少しくらい反応見せてくれてもいいじゃあないか……」

 

内心非常に感情が起伏していた耕也。だがしかし、恥ずかしさからか読み取る事ができず、勇儀はぶつくさと文句を垂れることしかできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

「やべえやべえ……うっかりそのまま招き入れるところだった……。これじゃあバレたら一大事だ……」

 

耳の良い鬼にすら聞こえないような声で、小さく呟く耕也。

 

そして、呟きが終わるか終らない内に居間へと繋がる襖の前にまで到着し、耕也は静かに開けていく。

 

「あ、耕也さん……」

 

開けたすぐ先に白蓮がいる事を感知した耕也。そしてまた逆に耕也が入ってきた事を感知した白蓮。

 

その双方がお互いを認識して、笑顔を浮かべる。

 

 

「白蓮さん。すみません。今から鬼が入ってきますので、ちょっと今日は……」

 

そう耕也が白蓮に言うと、何とも不満げな表情を前面に押し出してくる。

 

それは、先ほど湧きあがっていた嫉妬等も合わさってしまったのだろう。尼僧らしからぬ狭量さを出してしまっている。

 

が、ソレを反省すべきと思っている心と反省せずとも更に邁進すべきと促してくる心が拮抗してしまっているのだ。

 

だが、それは女という部分が勝ってしまいそうだ。だから、少々悪い考えの方が優勢になってしまっている。

 

そして、ついに口から言葉が出てしまったのだ。

 

「私の方が先に来たのですよ? それは分かっているのですか?」

 

非常に理に適った言葉。もちろん、この言葉に反論できるようなモノは持ち合わせてはいない耕也。

 

どちらが正しいのかは一目瞭然であった。

 

だが、耕也としては勇儀を怒らせたくは無いという気持ちもあり、突然の訪問をしてきた白蓮に対して何かしらを含みたいのが、耕也の考えであった。

 

が、ソレを言う事は余りにも憚れるため、耕也はただひたすらに謝り倒す。

 

「ごめんなさい白蓮さん。この後必ず埋め合わせしますので……」

 

そう言いながら、耕也は白蓮に頭を下げる。

 

すると

 

「お~い、耕也? まだかい?」

 

玄関方面から、声が聞こえてくる。勿論、その声の主は勇儀であり、退屈さを前面に押し出している声であった。

 

聞こえた瞬間に、耕也は苦々しい顔をしながら、白蓮の方を懇願するかのような表情で見やる。

 

白蓮も流石にこれ以上揉め事を大きくして、勇儀に自身の存在をばらしてしまうのは拙いと判断したのか、一瞬だけ迷った挙句、渋々と頷いた。

 

「ありがとうございます」

 

そう言った耕也の表情は、安堵に満ちているモノがあり、それは彼女の心を更に締め付けるものであった。

 

何とも言えないこの焦燥感。勇儀と話すのがそんなに嬉しいのかという女ながらの嫉妬。

 

だが、一度了承してしまった事を覆すのは流石に気が引けるし、私の矜持が許さない、と。

 

だからこそ、彼女は耕也に帰還を告げようとする。

 

 

「入るぞ耕也。流石に待ちくたびれた!」

 

と、彼女の耳に勇儀の声が届く。その声は、何とも快活さを前面に押し出しているように感じられ、また早く耕也に会いたいという意志も込められている様に感じられた。

 

白蓮は、彼女の行動を何とも図々しいと感じながらも、耕也に言おうと口を開く。

 

「では、私は此処から転移をすれば?」

 

と、言ったところで耕也が焦った顔をして口早に答えていく。

 

「いや、ちょっと時間が無いので……あ!」

 

そう言って、耕也は大股で押し入れに近づき、襖を開ける。

 

仲は、少量の布団があるが、大人1人が入った所で窮屈にはならない程度の広さを持っていた。

 

「此処へ!」

 

努めて小声で、耕也が白蓮に入るように指示する。

 

大人1人が入れるとはいえ、白蓮に対してかなり窮屈な思いをさせる事は事実であった。しかし、ソレも現時点では致し方ないのだ。なにせヒト1人を転移させるという事は、それなりに集中もいるし、おまけに自分ではないのだから通常よりも更に気を使わねばならない。

 

だからこの状況においては、白蓮を押し入れに入れる事が最善だと彼は判断したのだ。

 

勿論、彼女をこんな所に入れるという事に対しては、かなりの忌避感を持ってはいるが、それは白蓮も感じ取ってはいた。

 

だから、コクリと頷いて素直に入って行く。

 

そして、スッと閉められた襖からおよそ3秒後、勇儀が居間へと入ってきた。

 

「待ちくたびれたぞ耕也……?」

 

その表情は、勝手に入ってきた事を後悔するような苦々しい表情ではなく、むしろこれから耕也という男と会話するという事に関して喜びを感じているようにすら感じる。

 

ただ、彼女とは対極的に、耕也の内心は非常に焦っていた。

 

(あぶねえ……あと少し遅かったらバレるところだった……)

 

外で声を掛けられた時も、白蓮の存在については気が付いていない様にも感じられ、ソレについては少々安心する。

 

が、いずれは彼女の事を離さなければならないという現実を突き付けられているのもまた事実であり、ソレについて耕也は気を引き締めていく所存ではあった。

 

「ごめん、勇儀……思ったより作業が遅れてしまってさ……」

 

その言葉に大した疑問を持つ事無く、勇儀は持ってきた酒瓶と盃を机の上に置いて、ドッカリと座り込んでしまう。

 

そして、耕也に振り返って手を伸ばし、手招きをし始める。

 

「ほら、こっちにきな耕也」

 

向かい側に座れと、勇儀が促す。その表情は先ほどとは違ってどこかしら恥じらいを出すような表情に遷移している。

 

耕也は、その表情の変化から、どんな話が飛び込んでくるのか分からない。だが、座れと言われたからには諏訪らねば失礼だと思い、勇儀の対面に座った。

 

その様に勇儀は満足したのか、少々堅くなっていた表情が柔らかくなったように耕也は感じた。

 

「さて……と。ええと、話ってのは一体?」

 

そう言いながら、耕也は腕を少し振って熱いお茶を出そうとする。

 

「ん……?」

 

一度振っても出てこない。

 

訝しげに右手を見るが、全く持って違和感が無かったため、唯単に力を込め忘れてしまったのだろうと自己完結し、もう一度腕を振るう。

 

「ああ、できたできた」

 

そう言いながら、茶が創造された事を確認する耕也。

 

自己完結しながらも、前の結果がほんの少しだけ脳の片隅に引っ掛かり、後で検証すべきかどうかを考える。

 

が、今はそんな事をしている暇は無いと即座に判断し、思考を中断する。

 

そして、耕也に尋ねられた勇儀は更に顔を赤くし、汗を少々垂らしながら、耕也の方を見て一言。

 

「さ、最近はどうなんだ、耕也……?」

 

話題の核心的部分をぼかして言ってくる勇儀に、何とも言えないもどかしさを感じた耕也は、率直に言ってほしく尋ねる。

 

「最近って……?」

 

そう言うと、勇儀は鬼らしからぬ非常に大きく手をばたばたわたわたさせながら、耕也の質問に応えていく。

 

それはまるで男を前にして慌ててしまった年頃の乙女のような様子にすら見え、耕也の心を跳ねさせる。

 

「さ、最近って……そりゃあ……」

 

そう言いながら、次の言葉に困ってしまったのか、勇儀は少々恨めしそうに耕也を見ながら、モゴモゴと口ごもる。

 

しかし、やがてその言葉が見つかったのか、慌てて彼に述べ始める。

 

「そ、そう! この地底で御前はただ一人の人間だろう? だから、だからその……馴染みづらくは無いのか?」

 

そう言いながら、勇儀は本気で耕也の事を心配する口調で言ってくる。

 

が、それは決して薄っぺらな上辺だけの言葉で言っている訳ではないのだろう。

 

それは、鬼と接した事のある者なら確実に分かる事。鬼という種族は正直者が非常に多く、そしてその言葉も殆どが本心をさらけ出しているのだ。

 

相手を信頼し、また自分も信頼してほしい。その言葉の中にどれだけの言葉が込められているか、ソレが鬼にとっては非常に重要なのだ。そして、ソレが非常に良くこもっている確信したのならば、何よりの嬉しさとなる。

 

そして、特に相手が人間とならばそれは当然だ。何せ彼女達はこれから殆ど人間という種族とは接する事ができないのだから。

 

だからこそ、彼女は耕也と話す時には此処まで嬉しそうな表情をするのかもしれない。

 

ただ、ソレが鬼と人間の関係だったらの話ではあるが。

 

そして、彼女の言葉の中にどれだけの意味があるのかという事を耕也は数秒考えた後、答えを返してく。

 

「まあ……当初に比べれば随分と良くなってい入ると思うよ。 最初は人間だからという事で俺を攻撃しようとしてきた輩もいたぐらいだし。でもまあ、地霊殿の皆に協力を仰いだりできたし、そのおかげもあって今の俺があるのかなとは思う」

 

そう耕也は、実に嬉しそうに勇儀に述べる。

 

一体どれだけ自分が彼女らに助けてもらったのか。ソレが勇儀の言葉によって噴水のように湧きでてくるのだ。住居を探してもらったり、ソレを基に自らの生活をより良くしたり、自分から近づきづらかった商店街への解山車なども援助してもらった。

 

そういった様々な助けがあって、彼の今が成り立っているのだ。

 

そして、もう一つだけ彼には伝えなくてはならない事があった。それは

 

「勿論……勇儀達ににも感謝してるよ」

 

耕也の言葉を満足そうに微笑みながら聞いていた勇儀だったが、まさか自分の名前が出てくるとは思わなかったらしく、思わず

 

「え!?」

 

と、驚きの声を上げてしまう。

 

無理も無い。彼女達はつい最近地底に降り立ってきたのだ。彼と関わる事等、この地底にいた時間から比べればほんのわずかであろうという事。

 

だからこそ、彼の言っている事が良く分からない。どうして私にも感謝しているのだろう? と。何かしら勘違いをしているのではないのかという考えも浮かんでしまっていた。

 

だが、その言葉を疑問として口にする前に、耕也が理由を話し始めた。

 

「それはね……勇儀達が俺の地上での事を話すだろう? ソレを聞いた妖怪達が劇的に俺への認識を変えてくれたのさ。勿論、それはいい方向でね」

 

そう、彼と戦った事のある妖怪達。そして、何よりも最強クラスと名高い鬼達との決闘は、地上のみならず地底の妖怪に対しても大きな影響を及ぼしていた。

 

それは、噂ではなく、現実の鬼達が現れてから効果は発揮されたのだ。そして、何よりも耕也達が先に行った決闘によって、鮮烈な印象を彼らに与える事に成功したのだ。

 

だからこそ、耕也がこの地底におけるヒエラルキーの底上げを可能としたのだ。

 

ゆえに、耕也は勇儀、鬼達に感謝しているのだ。

 

また、勇儀がこの家に来る事を歓迎しているのだ。自らの恩人を快く招くために。

 

そしてその話を聞いた勇儀は、耕也の考えを完全に理解したのか、一気に顔を赤くしてしどろもどろに返してしまう。

 

「な、何言ってんだい耕也……それはただの副産物であって、私達が直接関与した訳じゃあ……」

 

確かに、そこに鬼達の明確な意志があったわけではない。むしろ耕也とのリベンジ、正々堂々と勝負を楽しみたかったという事他ならない。

 

そこで生じた副産物等、鬼達からしてみれば気に留めるような事でもないだろうし、礼を言われてもただただ困ってしまうだけなのだろう。

 

しかし、ソレが勇儀にとっては棚から牡丹餅にすら思える。

 

そして、何よりもこんな人間と接してみたかったという願望が叶ったという瞬間でもあった。

 

正々堂々と勝負に応じてくれた人間。そして奇抜ながらも私達に辛くも勝利した人間。もちろん、背後に強大な力を持った妖怪達を従えての勝負ではあったが、それでも私にとっては満足のいく勝負であったと。

 

そう彼女は思ったのだ。

 

だからこそ彼女は決心が今この場でより強く、そして決して変わらぬモノへと昇華した。

 

顔が燃え盛るように熱いのを我慢しつつ、耕也の方をしっかりと見て身を乗り出す。

 

「え、ちょ……」

 

と、耕也が突然の行動に驚きの声を上げるも、ソレを気にも留めず更に身を乗り出し、彼の両手を自らの両手で包みこむ。

 

「決めた! きょ、今日の話の……ほ、本題に入る!」

 

そう言った勇儀の顔は、もう後戻りはできないと感じているのか、自然と熱が引きそして

 

「は、はい……」

 

耕也の茫然とした返事に対して

 

「わ、私の為に毎日味噌汁を作ってくれっ!!」

 

何処で得たか分からない知識を基に、耕也へと求婚をした。

 

 

 

 

 

 

 

 

白蓮は押し入れに入ってから全く持って気が気ではなかった。

 

自分の姿が鬼にバレてしまう事以外の恐怖が圧倒的に大きかったのだ。

 

それは、彼が一体勇儀とどんな関係なのか? ソレの一言に尽きた。ただ、彼がどこか遠くへと行ってしまいそうになったからという訳ではない。

 

唯何と言うのだろうか? この親しい関係を壊されてしまいそうな予感がしてしまったからというちょっとした懸念だったのだ。

 

憶測、妄想と言われても仕方がないと彼女は自分の考えを否定されてもおかしくは無いと思っている。

 

だが、彼女は理詰め以前に、女としての勘が優先されるのではないかと彼女は考えていたのだ。

 

何時もの白蓮らしくない。それは誰の目から見ても明らかであった。

 

だが、ソレも致しかないのかもしれない。何せ、彼女は彼と出会ったのは数百年も前。

 

しかもそれは誤解によって生じてしまった出会い。そして、戦闘。

 

だが彼女の行動を彼は決して咎めるような事はしなかったのだ。だからこそ、彼女にとっては印象深い人物の一人になったのだ。

 

更には、彼女の秘密を何故か知っていた人物でもあり、ソレを口外する事は決してなかった。だが、彼の約束によって成された平穏は脆くも崩れ去り、近くの住民によって彼女は封印されてしまった。

 

もっと時代が進めば。そう、もっと時代が進みさえすれば、必ずや自分の理想を叶えられる日が来ると信じて魔界に封印され続けた。

 

鬱屈した空間。強力な魔が蔓延り、大凡人間の住める場所ではない魔界。

 

だが、そこは彼女の身体にとっては好都合な場所でもあった。魔力が満ち満ち、己の身体を更なる高みへと昇華させてくれるモノだった。

 

とはいえ、それだけでは彼女の気が狂いそうだったのだ。人間が全く来ない場所。孤独という状態は長い時を掛けて精神を蝕んでいく。

 

村紗達に会いたかった。一度でも良いから、健康な姿を見たかった。

 

気が狂う。そう思った矢先に、彼女の前に現れたのが、耕也を引き連れた村紗達であった。

 

その時からであろう、彼を強く意識し出したのは。一体どれほどの労力を掛けてこの魔界にまで来たのだろうか?

 

そしてどうして一切の報酬などを受け取らず、自分を救いだしたりなどしたのだろうか?

 

そんな疑問等が彼女の頭に次から次へと湧きでてくるのだ。

 

だが、それ以上に彼に対する感謝と信頼、そして強い強い親しみを覚えている白蓮は耕也を信じて、ただただ眼の前にいる勇儀達の事を見ることしかできない。

 

襖の僅かな隙間から、差し込んでくる光と、それに伴って見えてくる勇儀の嬉しそうな顔。

 

ソレが余りにもまぶしく、そして自分がそこにいるべきものなのにという感情が湧きあがってくるのだ。

 

(ああ…………私も何時か堂々とそこにいられるように……)

 

説教してばかりだなと自分の行動を反省しながら、会話を聞いて行く。

 

勇儀の声は、先ほどとはまるで違って聞こえる。女の声だ。艶やかな声だ。男を誘惑する声だ。

 

そう自分の心が囁いてくるのを彼女は感じた。あの音を何としてでも止めたい。やめさせたい。口をふさいでしまいたい。

 

ああ……。と白蓮は心の中で呟きながら、勇儀に対して激しい嫉妬心を覚えてしまう。

 

(あんなに楽しそうに、そして親しそうに……………………アレではまるで……恋び―――――っ!!)

 

そこまで思った瞬間に、激しい怒りと、どうしようもない不安感が溢れてくる。

 

彼女の醸し出す雰囲気は、まさに愛の告白をする前の女そのもの。発情した雌以外の何ものでもない。

 

そこまで考えた瞬間に、彼女はグッと口を噛み締め、ギリリと歯軋りをしてしまう。

 

エナメル質が削れようとも彼女にとっては関係ない。ただ眼の前の耕也と話す勇儀に対して怒りを覚えるのみ。

 

(もし、もしこのまま何もしなければ私の居場所が……!)

 

そう、彼女にとって居場所がとられてしまう事は何よりの恐怖であった。

 

駄目だと思っても、時間は進んで行き、彼女らの会話は進んでいく。

 

これ以上は駄目だ。ああ、これ以上は駄目なのだ。と、そう思いながら震える手で口元を押さえる。

 

そして同時に

 

(――――――あ?)

 

ポタリポタリと何かが落ちていくではないか。どうしようもない不安の先に出てきたのは、悲しみか怒りのどちらとも付かぬ大粒の涙。

 

ソレを認識した瞬間、白蓮は涙を止める手段を失い、そしてまた探すこともできなくなる。

 

ボロボロと毀れていく涙。大粒の涙。パタパタと床に垂れ、木へと染み込んでいく感情の結晶。

 

思わず声を上げて泣いてしまいそうになってしまう。だが、存在がバレてしまっては元も子もないという考えが最後の防壁を果たし、押し殺す事に成功する。

 

(私の居場所が……! 私の居場所がああああっ!!)

 

村紗達の他に手に入れる事の出来た自分の居場所。決して手放したくはない居場所。

 

ソレが今まさに奪われようとしている。次に勇儀の口から出てくる言葉はおそらく……。

 

そう白蓮が予想した瞬間であった。

 

(―――――――――――っ!!)

 

思わず絶叫を上げそうになってしまう白蓮。

 

勇儀の取った行動は、白蓮にとっても遥か上を行く行動であった。

 

あろうことか、彼女は身を乗り出して耕也の両手を覆い一言。

 

「わ、私の為に毎日味噌汁を作ってくれっ!!」

 

そう言ったのだ。

 

聞いた瞬間、白蓮は勇儀が何を言っているのか分からなかった。

 

一体この女は、この発情した雌は何を言っているのだろうか? と。

 

だが、この頭が真っ白になってから数秒後、漸く彼女にも理解が及んできたのだ。そしてそれは激烈な怒りと共に。

 

余りにもふざけた言葉。余りにも愚かしい言葉。決して許してはいけない言葉。

 

そして同時に彼女は理解してしまったのだ。この言葉によって、私の居場所が崩壊してしまうという事に。

 

耕也の一言……いや、首の縦振り一つで全ての決着がついてしまう事に。彼女は気が付いてしまったのだ。

 

もうどうしようもないほどの悲しみが、身を焼き尽くすほどの怒りが。身体の全てが崩壊していくような絶望感が。

 

頭に血が上りすぎ、ぐらぐらしているこの状態で彼女のもとに出て行ったら、白蓮は確実に憤死してしまうほどである。

 

耕也の性格の事は白蓮も熟知している。彼は優しい。否、優し過ぎるのだ。

 

だからこそ、白蓮は怒り狂ってしまいそうだったのだ。彼がこの求婚を受けてしまうのではないだろうかという事を。

 

だが、此処で勇儀の元へと出て行って、この会話を邪魔しなおかつ自分の姿をばらしてしまえば、彼の面子を潰すことになり、そして彼の地底での居場所が無くなってしまう。

 

その彼女の考え、理性が彼女をこの場に踏みとどまらせているのだ。

 

しかし、その理性が彼女にとっては最も居場所を確保するためのヒントとなった。

 

(あら…………?)

 

まさに閃きであった。閃光とでも言った方が良いだろうか? 一瞬の眩い光が脳全体を焼き尽くすような閃き。

 

だが、それこそが彼女の今後の行動の全てを決定づけていく最大の指針にもなった。

 

(ああ…………、簡単な事だったのね……)

 

涙をボロボロ零し、そして怒りによってほんの少しだけ赤らんでいた彼女の顔には、確かに答えを見出した瞳があった。

 

そして、ニンマリと。

 

先ほど煙草の件で見せたような笑顔とは比較にならないほどの笑み。

 

猛禽類すらもショック死してしまうかのような、強烈な笑み。

 

耕也が見たら裸足で逃げ出してしまうであろう、圧倒的な恐怖を与える笑み。

 

縦一筋の光の中で、彼女の考えは徐々にチェックメイトまでの計算が完了しようとしていた。

 

「こ、答えは後日、暫く後で良いから!」

 

そう言って、ドタバタと慌ただしく帰って行く勇儀の声を聞いても。

 

隙間から見える、勇儀の言葉に茫然としてしまった耕也の顔が見えたとしても。

 

これから彼女が行おうとしている計画は、耕也にとって酷く甘く、そして激痛を伴う猛毒でもあった。

 

 

 

 

 

 

 

あれから、耕也は十秒程呆然とし続け、一体何を言われたのか把握できなかった。

 

だが、ようやっと言われた事を把握した瞬間に驚き、戸惑い、そしてそれらの奥に潜んでいた歓喜というものが湧きあがっていた。

 

一体どうしてこんな美人が俺を? という疑問もあったが、とにかく彼女の言っていた事は自分にとって、まず不利益な事にはならないだろうという確信だけは持てていた。

 

だが、自分が白蓮を襖の中に押し込んだままだという事にやっと気が付いたのか、駆け足で押し入れに近づいて開けてみるものの、そこに白蓮の姿は一切なかった。

 

代わりにあったのは、ポタポタと何かが垂れたような跡と、ほんのりと漂う白蓮の芳しい香りと、少しだけ暖かくなっていた空気のみであった。

 

「そのまま帰ってしまったのか……」

 

その言葉を呟いてから、早数週間。

 

白蓮は毎日のように彼の家に来ていたのにも関わらず、此処最近は全く顔を出さない。

 

一輪達に聞いても要領を得ない答えしか帰ってこず、結果として白蓮の行方を知る事ができなくなっていた。

 

つまりは手詰まり状態でもある。もちろん、彼としては姿を見せないでいる程度で此処まで心配するのは、心配性と言われても仕方がないなと自省する。

 

また、もう2つ気になる事が出てきてしまったのだ。

 

それは商店街の異変と、勇儀からの求婚の取り消しであった。

 

取り消しについては、突然の事で頭の整理がつかず、更には勇儀から理由が聞けなかった事があって、何とも言えないモヤモヤ感が残っってしまった。

 

だがこれについては耕也自身が、勇儀の気まぐれで言ってしまっただけなのだといった苦し紛れの結論を出して自己完結にする事にした。

 

というよりも、元からあれほどの美人を嫁にもらえる等と思っていなかったので、傷もかなり浅かったというのも理由の一つでもある。

 

が、彼にとってはもう一つの方が全く理解ができない。

 

取り消しの同日に、ちょっとした違和感があったのだ。

 

いつもなら、耕也が歩いている時はその大衆に溶け込んでいるというか。そこに居ても全く違和感がない状態になる事が出来るのだが、ソレが一変してしまったのだ。

 

地底に来たばかりの頃の、あの違和感。ジロジロと見られ、人間だと蔑まされているようなあの感覚。

 

微妙に違うかもしれないが、彼はあの時明らかに大衆の中から浮いてしまっていた。

 

そこにいるだけで害をなしているかのような扱い。

 

水の中に一滴の油を垂らした状態のような疎外感。

 

また、ある者は露骨に耕也を無視し始める始末。

 

一体どうしてここまで変わってしまったのか全く心当たりがないのだ。

 

だから、今日も耕也は商店街に出向く。そして、その原因を少しでも知りたいがために、毎日のように通う。

 

何も買う必要が無くとも。何もする事が無くとも。ただひたすら商店街の中を歩き、道行く妖達に話しを持ちかける。

 

「さて……行ってきますか」

 

そう言いながら腰を上げた耕也の顔は、少々やつれているように見えた。

 

 

 

 

 

 

 



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記念ss……隔離(下)

ゆっくり、ゆっくりと歩いて行く。スニーカーが砂利をギチギチと踏み鳴らしていく音。振り下ろされた足の衝撃に砂が僅かに舞い上がる音。

 

どれもこれもが彼の耳には不快な音に聞こえてしまう。

 

当然だろう。まったくもって改善する気配がない、むしろ3日前よりも2日前、昨日より今日と段々悪化しているのだ。

 

もうそろそろ締め出しを食らってしまうかのような雰囲気を持っている商店街。

 

一体どんな噂が流れてしまったのか不思議で不思議で仕方がなかった。だが、ソレを確かめようにも誰ひとりとして話そうとはしないため、把握手段が彼には無かった。

 

だが、それで諦めてしまってはそこで何もかもが終わってしまうと彼は考えているため、今日も歩く。

 

「まったくどうなってんだよ……」

 

足取りは一月前と比べると恐ろしいほど重く感じられ、この重さを感じれば感じるほど引き返したくなってくるのもまた事実。

 

完全な村八分状態といっても過言ではないだろう。

 

だが、歩みを進めるという事はそれだけでも商店街に近づいている事他ならないので、段々と商店街の輪郭が見えてくる。

 

眼の良い妖怪ならこの時点で彼の姿を視界に入れる事が出来たであろう。

 

事実、商店街の外れ付近にいた妖怪は耕也の姿を見る事が出来た。

 

「またあの裏切り者か……」

 

そう忌々しげにつぶやく妖怪もいれば、関わりたくないとばかりにそっぽを向いて中心部へと早歩きしていく輩もいる。

 

だがその姿、会話を耕也は聞きとり見る事のできる距離まで近づいてはいないため、その一部始終を把握できはしない。

 

だが、大凡彼にはどんな扱いを受けるかは予想づいていた。

 

まるで親の仇を見るかのような眼で見られるのだろうと。そう彼は考えていた。

 

今まで暴力を振るわれなかったのも不思議ではあるが、此処まで来たならば、流石に今日は暴力を振るわれる事は無いだろうと。

 

そう考えていたのだ。

 

そして、彼はその考えを持ったまま商店街に入って行く。

 

(くっそ……面倒な)

 

内心毒づきながら、彼は努めて表情を明るくして闊歩する様にする。

 

が、そんな安易な仮面も長くは続かなかった。

 

「この糞が! 死ね!」

 

その言葉と共に、拳大の石が投擲される。

 

その意思の速度は大リーガーの速度とほぼ同じぐらいであり、一瞬にして耕也の頭部に直撃する。

 

だが勿論耕也の内部領域がその存在の干渉を許すはずがなく、表皮より数cm外側で止められ、一瞬で砕け散る。

 

まるで火薬が炸裂したかのような凄まじい音があたりに木霊し、周囲にいた妖怪達の視線を一気に集めてしまう。

 

もちろん、そんな事をやられて黙っている耕也ではない。

 

「何をする!」

 

そう、真正面から投げてきた愚か者に対して抗議するのだ。

 

だが、、そこで耕也はふと自分に違和感を覚えた。

 

(領域がおかしいような……?)

 

通常とは殆ど変わらない防御なのだが、若干その受け流し方や茶道のタイミング。そして何よりも少しだけ。ほんの少しだけ領域が柔らかく感じてしまったのだ。

 

何時もなら鋼鉄にあたって石が砕けるような、そんな堅さを持ち合わせていたはずなのだ。

 

だが、今回は少しだけ違っていた。

 

(まるで堅いゴムに当たったかのような……?)

 

そう、インパクトの瞬間にほんの少しだけ石がめり込んだ様に感じたのだ。

 

自分の気のせいだと良いのだが。と、領域の不自然さに疑問を持つ耕也だったが、少し前の事を思い出してひょっとしたらと思ってしまった。

 

それは

 

(あの時想像が上手くいかなかったのもこれが関係している……?)

 

そう、勇儀に対して創造を使った際、失敗するはずのない簡単な創造が失敗してしまった事である。

 

あの時特に気にしてはいなかったが、いざ考えてみるとこの領域の不自然さと妙にマッチしてしまっている気がするのだ。

 

そして、その事を加味して考えた瞬間、異様な不安が彼を襲った。

 

(もしかして……領域が弱まっている?)

 

一番あってはならない事。ソレが現実のものとなった時には、最早この地底では暮らしていけなくなるということの表れになる、領域の減衰。

 

俺の勘違い、考えすぎで会ってほしいという願望が噴出してくるのだが、一度意識し出したら中々ソレが引っ込んでくれない。

 

だが、それでもこの場で考える事ではないと思い、耕也は相手の返事を待つ。

 

「何をしたかだと……?」

 

石を投げつけてきた妖怪は、まるで耕也を信じられないモノを見るかのような眼で見てくる。

 

そう、彼が殺人でも犯した揚句何食わぬ顔で街を闊歩しているかのようなモノを見るかのような眼。

 

もはや何をされるか分かったものではない。

 

そう考えた耕也は、身構えてしまう。

 

が、次の瞬間に来たのは物理的な攻撃ではなく、駁撃であった。

 

「おまえが、お前が……………………聖白蓮を解放したからだろうが! ああ!?」

 

その言葉を聞いた瞬間に、耕也は

 

「へっ?」

 

訳が分からないという顔をしてしまったのだ。

 

無理もない。彼が一体ここまで何のために努力をしてきたのか。

 

聖白蓮の存在をばれないように細心の注意を払って生活してきたのだ。現に彼の行動に情報が漏えいするような落ち度は無かったし、そしてこれからも無かったであろう。

 

だが、現実にバレてしまっている。それは眼の前の妖怪の口から出てきたのは明白であり、完全に把握されていると見られる。

 

しかしソレを認めたくない自分がいる。だが、現実としては認めなくてはならない。

 

なら一体だれが? 一体誰がこの情報を漏らしたのだ?

 

耕也は極短い時間の中で頭をフル回転させて必死に答えを見つけようとする。

 

(一輪達が存在を漏らす事などあり得ない……。ならば地霊殿の連中がうっかり……? いやいや、でも彼女等は商店街にはあまり出掛けないし、何よりも彼らを嫌っている部分もある。ヤマメ達もあり得ないだろう。彼女らがそんな簡単に裏切る妖怪だったら、この地底での人気は出ているはずはない。…………なら一体誰が? 勿論、この間来た勇儀達はあり得ないだろうし……ああ、嘘を吐いてたから白紙になったのか)

 

が、どんなに回転させても答えが出てこない。

 

まったくもって訳が分からない。そう思うことしかできなかった。

 

ふるふると震える手を必死に抑えつけようとしながら、彼は再び尋ねる。

 

「…………っ! 聖白蓮……? はっ、おまえはいったい何を言っているんだ?」

 

彼はこの場で自らを村八分状態にしていた原因の情報を得ると同時に、白蓮が俺によって解放されたという情報が一体どこから出回ったのかという事を明らかにしたかった。

 

だからこそ、心の中では現実を認めると同時に、目の前の妖怪に対しては未だに現実を認められない愚かな人間を演じたのだ。

 

だが、其れは予想以上に大きな効果をもたらしたようで、耕也にとっては良い方向に、目の前の妖怪にとっては情報を引き出されるという悪い方向へと向かって行ってしまった。

 

「はあ? お前こそ何を言っているんだ? お前に解放されたと聖白蓮がこの商店街のど真ん中で広めたんだぜ?」

 

その瞬間に

 

(いや、そんなはずはない。彼女がそんな阿呆な事をするわけがない。彼女が自らの存在をばらしたら、それこそこの地底で暮らせなくなるという事は知っているはず……)

 

が、その冷静な考えとは裏腹に口から出てきたのは戸惑いの言葉、焦りの感情であった。

 

「な……! そんな訳がないだろう!?」

 

だが、彼から放たれた言葉は彼にとっては唯の現実逃避をしたい人間にしか映らず、余計に彼の心を苛立たせるだけになってしまった。

 

「てめえ……お前が聖の思想を分かっていながら解放したってのはこちとら把握してんだよ!!」

 

そんな事を言ってくる妖怪。

 

そして、その言葉が放たれた瞬間に、周囲の空気が一変した。

 

いや、それには語弊があるだろう。先程の険悪な空気がさらに劣悪なものに変わったというべきだろう。

 

目の前の妖怪が言った瞬間に、周りからの怒号が響き渡る。

 

彼の所業を並べていった挙句の果てに、周りの妖怪たちの怒りが炸裂してしまったといった感じであろう。

 

突然の怒号の炸裂に耕也は驚いてしまったのか、びくりと肩を震わせて周りを急いで見やる。

 

「裏切り者!」

 

目を合わせた瞬間に、罵倒の言葉とともに妖力弾を撃ち込まれる。

 

もちろん耕也は、即座に反応して身をそらし、なんとか回避することに成功させる。

 

が、その避けられた妖力弾は的を失い、誰かの家へとぶち当たり、屋根に穴を開けていく。

 

その家の家主か分からないが、怒りの声を上げて、撃ち込んだ妖怪ではなく耕也に向って弾を打ち込む。

 

そして危なげに避ければまた別の妖怪を怒らせてまたもや弾を撃ち込まれる。

 

「やめろ! ふざけんな!」

 

そう言って牽制するが攻撃が収まる気配は全くない。むしろ、その耕也の口に新たな怒りの火を増すかのように苛烈になっていく。

 

だが、耕也もこれ以上強い行動に出ることができない。なぜなら耕也もまた自分に日があることを知ってしまっているからだ。

 

もちろん耕也が白蓮の解放を行ったのは、この地底の妖怪たちにとっては裏切り行為以外の何物でもない。

 

ようやくこの人間なら地底に受け入れてもいいかなと思っていた矢先である。

 

そこで裏切り行為が生じてしまったら、怒らない者は誰一人としていないだろう。

 

だから耕也に対して強烈な怒りが湧き上がってくるのだ。

 

其れが申告した者の手のひらの上だという事に気が付かなくても。

 

たとえそれが計画した者のシナリオ通りだとしても。

 

そしてそれがどんなにあがいてももはやどうしようもないほどの手遅れな事態になっていようとも。

 

そうしてどんどんと弾の量は増え、ついには耕也が被弾し始める。

 

だが、領域が全てを防いでいく。だが、いつもと違って壁が薄いように耕也は感じてしまう。l

 

いや、其れはもはや確信へと昇華していた。

 

(――――――っ!!)

 

その瞬間に、耕也の目に恐ろしいものが飛び込んできたのだ。

 

(ひ、罅!?)

 

そう、罅である。

 

其れはまるで、車のフロントガラスに形成されたようなクモの巣状の罅。

 

見た瞬間に耕也の背筋が先ほどとは違う意味でゾクリとする。

 

目の前の絶対的な防御が瓦解しようとしているのだ。

 

圧倒的な力で全ての悪意を跳ね返すことができる領域。彼が全幅の信頼を寄せていた最硬の壁。

 

其れが一体何故今になって崩壊しようとしているのか。

 

次から次へと予測不可能な事態が発生するので耕也はもはや頭がパンクしそうになる。

 

(兆候も何もないってのに……訳分かんねえ!)

 

攻撃してくる妖怪たち。崩壊しようとする盾。突然漏洩した白蓮の情報。

 

もはや耕也に対処しきれるレベルを軽く超えてしまっているのは、誰の目から見ても其れは明白であった。

 

こちらの精神を摩耗させるかのような罵詈雑言。そしてその叫びとともに投擲される石や妖力弾。軍と対峙した時でさえもここまでひどくはなかった。

 

もはやそれらの連続的な攻撃は耕也に撤退以外の道を示してはくれない。

 

「くっそ……!」

 

そう呟きながら、攻撃が届かなくなるまでどうかこの領域が持ってくれますように。

 

そんな事を願いながら、耕也は自分の家へと逃げ帰った。

 

 

 

 

 

 

 

「どっから洩れた……?」

 

逃げ帰って数日後の朝に突然呟いた言葉。

 

一体どうしてこの情報が漏れてしまったのだろうと考えていた結果であった。

 

逃げ帰ってからは頭が真っ白になってしまい、自分が何をしていたのかすらわからない状態が続いてしまった。

 

だが、だんだんと自分の置かれている状況を整理しようという気持ちになり、ようやく彼の思考回路がまともに動き出した。

 

「俺は間違いなく洩らしていないのは明らかなんだが……。白蓮自身が洩らしたという事についてはもちろんあり得ないと言えるだろうし……」

 

やはり数日前の商店街での思考とほぼ一致しまう。

 

とはいえ、今回の事で1つだけ明らかになった事がある。

 

それは

 

「もう俺に居場所はどこにもないってことか……」

 

ということである。耕也の居場所がもはや地底のどこにもなくなってしまったという事なのだ。

 

彼がこの地底に来てから築き上げてきた居場所。そして何よりも経済活動の中心部である商店街との繋がりを一切断たれてしまったからには、もう彼にはどうしようもないのだ。

 

そしてそのことを彼が再認識した瞬間、またどこかに行かなければならないという途方もない虚しさと悲しみが襲ってくる。

 

「くそが…………」

 

言葉を呟いた瞬間に目頭が熱くなり、じんわりと視界が歪んでいく。

 

それは意識した時点でもう止めることなどできず、ただただ感情の溢れとしてボロボロとこぼれていくのみ。

 

ポタポタと卓袱台を濡らしていく様は、もはや底につい先日までの気力に溢れていた男の姿はなく、錆びれた機械のように陰鬱とした空気をあたりに振りまく暗い物体であった。

 

「――――――っ!」

 

現状にどうしても納得がいかないのか、思わず耕也は卓袱台をぶったたいてしまう。

 

だが、その拳は力が弱かったためか簡単に跳ね返され、逆に惨めさを増加させていく。

 

しかし、これはもはや仕方がないというべきなのだろう。どうもここまで周りとのつながりが無くなるのは久しぶりなので、慣れようにも慣れないし彼のメンタルももはや限界に近付きつつあったのだ。

 

一体だれがこの情報を漏らしたのか。そしてその当の本人である白蓮は何故姿を現さないのか。

 

漏洩させた犯人に対して怒りがわくと同時に、白蓮に対しての心配がさらに募る。そして、このような簡単な策略にハマってしまった自分自身を許すことができない。

 

またもや頭の中がごちゃまぜになりそうであったが、耕也は何とか其れを払いのけ、また別の疑問について考えることにした。

 

其れは

 

「何でこの家にまで攻めてこない……?」

 

そう、逃げ帰ってから数日。彼の家には誰一人として近付いてこなかったのだ。

 

あれほどにまで怒り狂い、そして暴力を加えてきた妖怪達。それがこの家にまで危害を加えることは想像に難くなかったのだが、何故か彼らはこちらの家に対して攻撃を仕掛けてこない。

 

だが、こう首を傾げても全く解決にはならないし、かといってこのまま待ってれば妖怪たちが攻めに来てくれるとかそんな期待をしている訳でもない。

 

だからこそ、耕也は気になった。一体何で俺に対して追い打ちをかけてこないのかと。

 

例え其の事を疑問に思って商店街に出向いたとしても、前以上の攻撃を受けてしまうに違いない。

 

ならば、座して待つべき。この家から出ない方が身の安全を確保できる。

 

そんな臆病さが先立ってしまうのが耕也の現状なのである。

 

もちろん、この恐怖などといった感情が妖怪たちに向けられているというのも一部はあるが、最も大きな恐怖の対象は領域であった。

 

(次に来たときにはもう防いでくれないのかもしれない…………)

 

先の攻撃により領域に罅が入ってしまったという事である。

 

其れが一体どのような影響を及ぼすのかについては、もちろん耕也自身が一番理解していた。

 

もしこのまま症状が進行していくのならば、彼は間違いなく妖怪たちによって殺されてしまうだろう。

 

この八方塞がりと言っても過言ではない状況の中、耕也は少し精神を落ち着かせようと卓袱台の上にあった煙草に手を伸ばす。

 

その手は些か大きく震えており、恐怖とニコチン切れが併発しているという事を如実に表していた。

 

パックより取り出し、そしてライターで火を付けようとした瞬間に、其れは起こった。

 

「耕也さん!」

 

 

 

 

 

 

女性の中ではほんの少しだけ低く、それでいて透き通ったこの声。もはや耕也には彼女しか覚えがなかった。

 

煙草を取り落し、思わず叫んでしまう。

 

「びゃ、白蓮さん!」

 

そう、白蓮である。彼女が一瞬にして耕也の家にまでジャンプし、彼の安否を確かめに来たのだ。

 

そう耕也が叫んだ瞬間、白蓮は一瞬で嬉しそうな顔をし、そして耕也を強く強く抱きしめていく。

 

其れはもう絶対に話さないと誓った仲であるかのように熱い抱擁。彼が無事であったという事を素直に喜んでいるように見える抱擁。

 

彼は白蓮の強い抱擁に戸惑いを覚えてしまったが、すぐさま自分の事をいsんぱいしてくれたのだという事を悟り、耕也も抱きしめ返す。

 

そして大凡30秒ほど経過したころだろうか?

 

彼女がようやく耕也から離れる。が、すぐに両手で顔を挟んで顔の真正面に来るように仕向ける。

 

耕也の顔を舐めまわすようにじっくりと見て、口を開く。

 

「耕也さん、怪我はありませんか!? 地底の妖怪たちにひどい事をされたのでしょう?」

 

彼女は耕也が妖怪たちに襲われた事を知っていたようだ。

 

が、其れは耕也にとっては何の疑問を持つところではないと判断できるため、素直に彼女の言葉を受け取って返事をしていく。

 

「大丈夫ですよ白蓮さん。御覧の通り、何の怪我もありません」

 

妖怪に襲われたときに領域が干渉してくれるのは白蓮も知っているため、彼は素直に白蓮の質問に答えた。

 

もちろん、白蓮を安心させるための一心で彼女に言ったのだ。

 

「よかった……本当によかった」

 

そう白蓮は、耕也に怪我がない事を改めて確認すると、やっと付きものが落ちたかのように安心したような顔をした。

 

そして白蓮は耕也から少し離れて、座りなおす。

 

「ごめんなさい耕也。ちょっとはしゃぎ過ぎてしまったかもしれないわ」

 

抱きついた事を言っているのだろうと判断した耕也は、特に気にすることはないといったニュアンスで 白蓮にフォローを入れていく。

 

「いやいや、大丈夫ですよ白蓮さん。……それよりもですね」

 

耕也は白蓮に対してある事を言おうとする。

 

もちろん、自分自身が襲われているのならば、白蓮が自分自身の存在が地底に知れ渡ってしまったという事を理解しているはずなので、これから言う内容も分かってくれるはずだろうと。

 

そう判断して彼は口を開こうとする。

 

が、口を開こうとした瞬間に、白蓮によって口を塞がれてしまった。

 

「その先からは言ってはダメです……貴方の言う案は非常に愚かな案です」

 

そうドスの利いた声で言ってきたのだ。

 

まるで自分が言おうとしている事が一字一句分かるとでも言うかのような態度であった。

 

耕也はその態度にあっけにとられてしまい、なんとも言えない複雑な気持ちにさせられる。

 

驚きなのか、恐怖なのか、悔しさなのか、悲しさなのか。とにかく良く分からない気持ち。

 

そして、その気持ちの事で耕也が数秒固まっていると、白蓮が今度は切りだしてくる。

 

「耕也さん……今あなたには大勢の敵がいる事を自覚はしていますか?」

 

その事を聞かれた耕也は一瞬表情をびくりとさせてから、ゆっくりと頷く。

 

あなたのおっしゃる通りだと。そう、貴方の言っている事に一切の間違いはございませんと言う意思表示。

 

その頷きに白蓮は一定の満足がいったのか、耕也に改めて口を開く。

 

「なら話は早いです。耕也さん……何故私の存在が知れ渡ってしまったのかは分かりませんが、とにかく耕也さんの身が危険だという事は分かりますね?」

 

そう彼女は冷静かつ切羽詰まっているような雰囲気を醸し出しながら、耕也に対して説明をしていく。

 

それに対する耕也の反応は、特に彼女の言う言葉に間違いは無いため、時折頷きながら返事をしていく。

 

だが、実際問題彼の居場所はこの地底に無いという事は明らかであり、彼がどのようにあがいたとしてもこの事実は覆らないし、白蓮の求めている理想も実現はしなくなってしまったのだ。

 

ソレに対して耕也は深い自責の念を禁じえない。

 

彼女の事を俺が解放した。此処まではまだ大丈夫だったのだ。これが彼女達の本当の願いだったのだから、解放した事を悔やむ必要など何処にもない。

 

だからこそ、その後の対応を誤る事が無いように頑張らなければならかったのだ。責任の所在はどうであれ、彼女の存在がばれないようにするために万全の対策を講じなければならなかった。

 

だが、ソレを怠ってしまったがために彼女の存在を地底中に広めてしまったのだ。

 

それゆえに耕也は自分を責める。

 

が、後悔しても何も変わらないという事は彼も十分に分かっている。だから、彼は提案しようとする。

 

この場から逃れるための最上級の手段を。もしこの策が成功すれば、何年も日ノ本には戻ってくる事ができないだろうし、彼女達には苦労させるだろう。

 

だが、彼には自信があった。生活の事に関してなら創造関係を使えば何の支障も無いし、彼女達を守る事に関しても創造程度でどうとでもなる。

 

が、彼の脳内に残っていた問題は、彼女達が納得してくれるかどうかであった。

 

もしこの日ノ本を離れるわけにはいかないという意志が固かったとしたならば、彼は彼女達を連れていく事はできない。

 

一輪や村紗、特に白蓮は非常に頑固な性格だという事を彼は把握していた。芯が物凄く太く、一度決めた方針や心構えなどをどんな状況になっても一切変えることなく突き進む。

 

まさに彼女は聖人と呼んでもおかしくない女性。だからこそ、ソレがあったからこそ地上を追いやられ、魔界へと封印されてしまった原因にもなったのであろう。

 

だが、彼がこの場で彼女の欠点を指摘しながら説得したとしても状況は全く好転しないだろうし、逆に議論がこじれてしまうだろう。

 

そう思いながら、彼はどう切り出そうかと悩んでいると、先に白蓮が口を開いた。

 

「耕也さん。私達に居場所が無い……それは十分に理解しているつもりです。最早この地底から離れなければならないということも。だからこそ、私は耕也さんに提案するのです」

 

そう彼女が一息に言った後、大きく息を吸って今度は少し大きめの声で耕也に提案する。

 

「私達と一緒に魔界へ参りましょう?」

 

 

 

 

 

 

私の居場所を作ればいい。

 

耕也に対する思いが、この答えを彼女に与えた。

 

あの時、彼女が押し入れの中で勇儀達との会話を聞いていた時。何もする事が出来なかった彼女は、自分の居場所がとられてしまうという事を自覚したのだ。

 

どうしても自分の居場所が欲しい。彼が勇儀に対して時間をかけているのを見るのは非常に耐えがたく、見ているだけで腸が煮えくりかえるのだ。

 

そんな気持ちを彼女はずっと抱いていたのだ。

 

そして同時に彼に対しての独占欲が首を擡げてくるのだ。

 

彼女が必死で築いてきた関係を壊される事自体が最早吐き気を催すほどのモノであるため、彼女は実行する事にした。

 

居場所を作るため。何よりも勇儀にとって最も嫌いな嘘を彼が吐いたと認識させるため。そして耕也を自分のモノにするため。

 

ふう、と息を吐きながら自らのいる魔界を見渡していく。

 

いつもいつも変わらない風景。面白みのない風景。

 

だがこれももうすぐ終わるのだ。彼がここに来ればすぐに終わる。

 

そう白蓮は耕也が来た後の事を想像して、頬を緩ませる。

 

彼がここに来るだけで、自分の日常が全て変わっていくのだと。きっと素晴らしい毎日になるに違いない。

 

そう、あの女に耕也を渡すことなどもってのほか。もったいない。私が隣にいた方が確実に彼のためになる。彼の傍にいるのは私の方がふさわしいのだ。

 

そんな事を彼女は考えながら、大きくため息をついた。

 

その表情には先ほどとは違い、僅かながら緊張が見えるようになっていた。恐らくこれからする事に失敗など許されないのだろうという事をしっかりと心に刻み込み、認識をしたのだろう。

 

「そろそろ行きましょうか……」

 

さらに表情が変わっていく。今度は緊張感のある笑顔から、猛獣が獲物を見つけたかのような笑顔になっている。

 

そしてその表情のまま彼女は立ち上がり、一歩一歩と焦げ茶色の地面を踏みしめながら、歩いていく。

 

彼女の向かう先は、は魔界から耕也の家ではなく、商店街へと急遽変更されることとなった。

 

「皆さんこんにちは。私は聖白蓮と申します」

 

そう言いつつ彼女は商店街のど真ん中に降り立った。

 

一瞬彼女の声と姿を見た者は、何を言っているんだこいつはといった顔をしていたが、彼女の声の内容を把握した瞬間に、顔が歪み始めた。

 

そして

 

「な……なあ…………!」

 

群衆の中、1人の男が声を上げ始める。

 

しんと静まり返った商店街の中で上がる男の声。それは大きく周囲に響き渡り、彼の感情を皆に伝えていく。

 

皆一様に同じ気持であった。

 

驚愕。怒り。

 

だが、今はまだ驚愕の方が大きく占めている。

 

眼の前の女は勿論群衆の思うように、非常に厄介な女でもあり、そして地底の妖怪達にとって敵でもあったのだ。

 

それは人間、神、妖怪と言った種族間の平等を謳っている尼僧。

 

そして、その女が此処に現れて説法をし始めようとしている事自体がすでに驚きになのにも拘らず、彼らにとってはもう一つ大きな事が重要となっていた。

 

「なんで……? あんたは封印されたんじゃないのか……?」

 

先ほどの男が述べた言葉。それは全員の疑問を的確に表していた。

 

一体何故この女がこの地底に現れる事ができたのだろうか? 一体どのようにしてあの封印から解き放たれたのだろうか? いや、自分の力で封印を打ち破ることなどできないはず。ならば、あの女の封印解除を手引きした者がいるはず。

 

群衆の考えはまさにこの内容に一致していた。

 

そして、男の呟いた質問に、まるで待っていましたかのように、白蓮はニンマリと笑って一言話す。

 

「大正耕也さんが解放してくださいました!」

 

ソレは全てを崩壊させる一言。そして彼女の安全を更に低下させる一言。

 

だが、彼女の言葉を聞いた瞬間に、最早彼女がこの場にいる事等彼らには見えなくなっていた。

 

全ての者たちがその言葉に集中する。

 

「ふざけんなあの野郎おおおおおおおおっ!」

 

誰かがそう叫んだ。

 

それは怒号。数か月を掛けて耕也が構築してきた関係を一瞬にして崩壊した事を告げる合図。

 

その怒号は一瞬にして群衆の間を駆け巡り、彼らの感情を更に昂らせ、言葉として口に出させることになる。

 

「消えろクソアマああああ!」

 

「あの野郎殺してやる!」

 

「裏切り者めが!」

 

耕也に対しての罵詈雑言、そして何より目の前に顕現している白蓮に対しての言葉も出てくる。

 

 

(心地良い……ここまで計画通りにいくと本当に気持ちが良い)

 

言葉を浴びせられても全く答えた様子はなく、むしろそれを嬉しそうに受け止めている。

 

全てが計画通りに進んでいるため、彼女の心はもはや耕也の傍にいるという事が確定しそうになっているのだ。

 

罵倒を受けることがこれほどうれしい事など彼女にとっては初めての事であった。

 

だから、この新鮮で強烈な感覚に酔いしれているのだ。自分の居場所を創るため。

 

ゾクリゾクリと体が震え、そして血液が一気に脳へと駆け上がっていく。

 

そしてこの感覚から彼女は確信してしまったのだ。

 

もう後は放置しても彼らの怒りと言う火はさらに広がっていくだろう。と。

 

ふと、彼女の目にと在る者が映りこんできた。

 

其れは、彼女が最も敬遠すべき相手であり、最も嫌うべき憎き敵であった。

 

(星熊…………)

 

群衆の中に紛れ込んでいた勇儀は、白蓮が嘘を言ってはいない事を見抜いたのか、なんとも言えない苦々しい表情をさらけ出している。

 

まるで今まで信じていた相手に裏切られたかのような失望感漂う表情。必死にその表情を見せまいと唇を歯で噛み抑え込もうとしてはいるが、其れを隠す事が出来ずにいた。

 

噛む力が強すぎるせいか、彼女の唇は歯の力に負けてしまい、つつつ、と血が溢れてくる。

 

その事実を認めながらも、彼女は恨めしそうに白蓮を見続ける。

 

私の男を変えてしまったな? とでも言うかのように。

 

または、耕也に嘘をつかせるような事をさせたお前が悪い。とでも言うかのように。

 

はたまたは、嘘吐きと婚約することになるとは……と言った後悔の念でも出てきそうなほどに。

 

勇儀はひたすら彼女をにらみ続ける。

 

武力を行使することはできない。それは確実にこの地底での悔恨を残すであろうから。

 

勇儀は馬鹿ではない。ある意味強かでもあり、そして実に計算高い行動を行う事が出来るのだ。

 

だからこそこの場で怒りにまかせて激昂することができない。ただただ大きく、鋭い静かな怒りを彼女に向けるのみ。

 

血を唇から流しながら。その表情を普段とは面白いように変えながら。

 

「ふ……ふふふ…………ふふふふふふふ……!」

 

白蓮の唇から笑いが漏れてくる。

 

当然とも言うべきか。彼女の思った通りに計画が進行している事がたまらなくうれしかったのに、今度は勇儀にすらも簡単に勝ってしまったのだ。

 

相手が何もすることができずにそのまま唇を噛みしめている哀れな姿がたまらなく爽快だったのだ。

 

「あはは、あははははははは! あっはっはっはっはっはっは! 嘘を! 大嘘を吐いていたのです! あっはっはっはっはっはっは!!」

 

彼女は完全な勝利を確信し、ひと際大きな笑い声を上げる。それはもはや嘲笑の類と言っても変わらないだろう。

 

いや、完全な嘲笑を勇儀にプレゼントしているのだ。

 

群衆の発する怒号が飛び交う中、彼女の勇儀を嘲笑する声は、非常に大きく、そして鋭く響き渡った。

 

そう、彼女は耕也と言う男の持つ特性を存分に生かし、非常に短時間で物事を進めていったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

「着きましたね……。ここでしばらく暮らしておけば、何の問題も無いとは思います」

 

そう自信満々に答える白蓮。

 

あの後、耕也は自分に居場所がない事をひどく恐れ、白蓮の提案に渡りに橋とでも言わんばかりに猛烈にすがった。

 

其れを彼女は快く承諾し、彼を魔界に連れて行ったのだ。

 

だが、彼にはほんの少しだけ引っかかるような感覚があった。

 

まるで其れは何かとても大事な事を忘れているかのような、そんな感覚。

 

其れを忘れてしまっては、今後の人生に大きな影響を及ぼすかのような、そんな感覚。

 

だが、彼には思い出す事が出来ない。今までの出来事が余りにも強烈かつ悲惨だったためか、其れを容易に思い出す事がかなわないのだ。

 

思い出そうとすると、彼の脳にはあの怒号が蘇ってくるのだ。決して忘れることのできないあの怒号。

 

だからか、耕也はその重要な事を思い出す事をすぐに辞めてしまったのだ。

 

自分はこれからこの地でまた1からスタートするのだと。そう心に決めていたから。

 

いつしか彼は白蓮の事が最も信頼できる人にまで上がっていた。

 

いや、むしろ彼には信頼できる人がいなくなってしまったため、信頼せざるを得なかったのだろう。

 

だが、彼の本心では白蓮の事は十分に信頼に値する人物だという評価が下されており、それも相まって彼は依存しかかっていたのだ。

 

そしてもう一つ不安があった。

 

其れは

 

「白蓮さん……俺はいつまでここで暮らしていけばいいのでしょうか……?」

 

居場所が無くなり、そして信頼をも失ってしまった耕也が、どれほどの年月をこの魔界で過ごさなければならないのだろうか?

 

其れは耕也にはとてもではないが図りきれるものでもない。

 

だが、彼には1つだけ分かっている事がある。

 

其れは

 

「最低でも100年単位で暮らさなくてはなりませんよね?」

 

相当長い年月をこの地底で過ごさなくてはならないという事だけは分かるのだ。

 

なぜなら妖怪の寿命は長い。非常に長い。

 

恐らくこのままいけば、世代交代が行われる年月にまで経過したとしても伝承か何かで確実に後世へと伝えられていくだろう。

 

そうすると、もはや数百年ではだめなのかもしれない。

 

だからこそ、耕也は聞いたのだ。ひょっとしたら半永久的にこの魔界で暮らさなくてはならないのかもしれないという事を匂わせながら。

 

そして、それは白蓮にもきっちりと伝わったようで、苦々しげな表情で彼女は頷いて話し始める。

 

「そうです。私たちは相当長い間二人っきりで暮らさなくてはならないのです。そう、二人っきりでね」

 

苦々しげな表情で、かつ沈んだ声で悲しそうに話す彼女はそれがまぎれもない事実であるという事を残酷なまでに彼に突きつけた。

 

が、何故か。どこかではあるが、耕也には白蓮が喜んでいるように、この状況を楽しんでいるように感じた。

 

其れは自分の気のせいなのだろうか? と。

 

そう思ってしまうほどの何かを感じ取った耕也。

 

だが、其れは唯の杞憂であろうし、白蓮がこの状況で喜んだりするはずがない。

 

そう自分に言い聞かせながら、先程の考えを一蹴して自己完結する。

 

ただ、この何もない景色は何度かここに来た事があるためよく覚えてはいるのだが、ここまで殺風景だと何度来ても慣れない。

 

あの騒がしかった地底の生活が本当に無くなってしまったという現実を突きつけられた気分になる耕也。

 

もはや其れが当たり前の日常へと変貌しようとしているという事が堪らなく虚しく、そして悲しいのだ。

 

それゆえか、一気に目頭が熱くなり、気道が一気に狭くなってくる。

 

最近は泣く事が多くなったかもしれないと思いながらも、涙を抑える事が出来ずポロポロと流れ出す。

 

おまけに息苦しい。

 

何故こんなにも息苦しいのか分からないが、とにかく息苦しい。

 

そんな事を耕也は思いつつ涙を拭いていると、後ろから抱きつく白蓮の姿があった。

 

その顔は、耕也の気持ちを十分に分かっているのか、同じように涙を浮かべながら耕也に対して励ましの言葉を述べていく。

 

「苦しいのは分かります。私も一度経験した気持ちです。この荒れ果てた土地で長い年月を過ごすという事は凡人の精神では耐えられません」

 

そこで一区切り置き、白蓮は耕也の右肩に顔を乗せて呟き続ける。

 

「ですが、貴方は一人ではありません。決して一人ではないのです。孤独ではないのです。孤立無援ではないのです。助けがあるのです……」

 

その言葉を耕也にしみ込ませるように。ゆっくりと呟いていく。

 

其れはまるで母親が息子に対する話し方。慈しみに満ちた、誰もが安堵、安心するような話し方。

 

ざわついている水面に蓋をしてゆっくりと落ち着かせていくような動作。

 

「そう、貴方には私がいるのですから……」

 

今度は何者をも魅了するかのような妖しく艶やかな声。

 

そして、ゆっくりと肩から首へと顔を近づけて、ゆるゆると当てていく。

 

ぷるんとした潤いのある唇を右耳の傍に近づけて一言。

 

「そう……ずっと二人きりでね……?」

 

ゾクリと背筋が震えてしまうような声色。艶やかである半面、何か……底知れぬ恐怖を湧き起こさせる声。

 

耕也は涙を流しながらも、その声色の変化に気が付き、少々体をピクリと揺らしてしまうが、白蓮の抱きつき、拘束からは逃れることはなかった。

 

「私たちの居場所はここにあるのですから……静養だと思えば。それでいいのですよ?」

 

白蓮の優しい言葉。心地よい言葉。

 

だが、妙に息苦しい。

 

意識してなければ息が吸えない程の息苦しさ。

 

彼の息苦しさにより、彼の心拍数と呼吸の荒さが上がっていく。

 

ケホケホと苦しそうに咳をしながら、白蓮に答えようとする耕也。

 

「白蓮さん……俺達は間違っていたんでしょうか?」

 

解放された本人に聞く事はかなり失礼だったかもしれないが、自分の行動が間違っていたせいでこうなってしまったのだと思ってしまったからこそ、白蓮に確認をとるのだ。

 

だが、白蓮はそんな耕也をギュッと強く抱き、再び後ろから囁いていく。

 

「間違ってはいませんよ?」

 

その答え方は、また初期の慈愛が込められた口調であった。

 

が、その瞬間に白蓮の雰囲気が一気に変わってくる。

 

空気が一瞬で固まってしまったかのような緊張感があたりに漂い、耕也の背筋を固まらせる。

 

いや、もはや全身が固まってしまったかのような感覚を受けただろう。

 

息苦しかった呼吸がさらに苦しくなる。

 

白蓮の息遣いが妙に大きく聞こえ、そして胸の鼓動もより激しくなっているように感じられた。

 

「だって…………」

 

まるでこれから言う事が、とてつもなく楽しいものでもあるようにすら感じられるような話し方。

 

次の一言を言うまでの間がとてつもなく長く感じられ、耕也はどことなく不安になってくる。

 

当然であろう。彼女が抱きついてから、数分が経過してはいるのだがその間、目覚ましく状況が変化している。

 

1つは白蓮の雰囲気の変化。

 

最初こそ慈愛に満ちた聖母のような雰囲気を持った話し方をしていたのにもかかわらず、ここに至ってまるで肉食獣が背中についているように感じられるほど変わってしまったのだ。

 

二つ目は呼吸。

 

以前ここに来た時は全く息苦しさはなかったのにもかかわらず、来た瞬間に息苦しさを感じられるようになってきた。しかもそれはだんだんと耕也を蝕んでいき、ついには意識的に呼吸をしなければならない程に悪化してしまったのだ。

 

主にこの二つの変化であろう。

 

そして、この異様な魔界と言う空間の中でこの沈黙の間はきついものがある。

 

やがて、機は熟したと判断したのだろうか。

 

白蓮がついに口を開く。

 

「バラしたのは私なんですもの…………」

 

 

 

 

 

 

一瞬耕也の筋肉が強張り、そしてガクッと弛緩してしまった。

 

どうしようもない体の反応。彼女の口からそんな事が聞かされるとは夢にも思っていなかっただろう。

 

自分の耳を切り落とし、脳をグチャグチャに弄って記憶から抹消したいほどの告白。

 

自分から?

 

この人は一体何を言っているのだろうと思いながら、信じられないといった表情で唇を小刻みに震わせながら耕也は切りだす。

 

「じ、じじ、自分で……?」

 

待ってましたとばかりに白蓮が

 

「ええ、その通りです。大正解ですよ、耕也さん?」

 

「な、何で……? へ? なんでえ……?」

 

覆ることのない事実を突きつけられ、涙を流しながら返す耕也の言葉は悲哀に満ち満ちており、そして未だ信じたくないという気持ちが込められていた。

 

嘘だと言ってくれ。頼むから嘘だと言ってくれ。そんな気持ちが耕也の中を渦巻く。

 

「だって、私の居場所が無くなってしまったんですもの」

 

だが、そんな気持ちは一瞬にして砕かれてしまった。

 

まるで、何故そんな簡単な事を聞いてくるのか分からないとでも言うかのように、至極簡単に淡々と答えてくる白蓮。

 

だが、その言葉とは裏腹に表情は嬉しさ満開であり、両手を組んでにぎにぎとさせながら耕也の腹にしっかりとまわしていく。

 

「―――――っ!」

 

自らのとった行動が全く間違っていないかのようにふるまう白蓮。自分たちをここまでの状況に追い込んでおきながら、むしろ其れが楽しいとさえ言いそうなほどの口調。、

 

其れが堪らなく耕也には気持ち悪く感じられ、思わず白蓮の手を振りほどいて距離をとってしまう。

 

「あら……?」

 

白蓮のとぼけたような反応とは対に

 

「はあっ……はあっ……!」

 

息苦しさがさらに増していく耕也。だが、先程よりもさらにひどい。まるで肺炎の発作が起きたように息苦しい。

 

そしてついには咳が出始める。

 

「ゲホゲホッ! ゲホッ! ガハッ!」

 

その咳も普段とは違って喉を抉るような痛みが伴ってくる。

 

一体どうしてこんなにも急に体調が悪化するのだろうという気持ちが湧きあがってくるが、原因が全く分からないため、ただただ目の前にいる白蓮を見続けるしかない。

 

「居場所を創るためですよ耕也さん? 私はあの時深く決心したのです。自分の居場所が無くなるのなら自分の力で創り上げてしまえばいいのだと」

 

自分の今まで経験したことなどを踏まえて、白蓮は耕也にどう行動してきたかを吐露していく。

 

「私はずっと孤独でした。それも何百年も。ですが耕也さん、貴方が私を解放してくれたのです。私は本当に幸せでした。あれほどの幸せは人生の中でそうそうない事でしょう。そしてそのことがきっかけで貴方と距離を深めていきたい、お近づきになりたい、隣にいたいと思い始めていたのです。ですが、貴方は…………!」

 

そう一呼吸置くと、白蓮はキッと耕也を睨みつけて怒りを露わにして口を開く。

 

「貴方は……! 星熊勇儀を選んだ! 一体何故あんな女の求婚を切り捨てなかったのです! 即座に無理と言えば済む事でしょう! 唯一言で断れば済んだはずなのです!!」

 

まるで全ての責任の所在が耕也にあるかのように怒鳴り始める白蓮。

 

耕也は確かに覚えがあった。勇儀に求婚された事を。だが、其れがここまで白蓮の事を怒らせる原因になるとは露とも思っていなかったのだ。

 

しかし、戸惑いと同時に激しい怒りを覚える耕也。

 

げほげほと咳をしながら、白蓮に抗議をし始める。

 

「其れは……っ! ゲホガハッ! ぐっ…………だからと言ってこんな事をしていい理由にはならないだろうが!」

 

当然の事を主張しているのだが、白蓮の激昂の前では何の意味も持たず、さらには体調の悪化のせいで語気も説得直も弱くなってしまう。

 

そしてついには

 

「あ…………! かはっ!」

 

そんな小さな悲鳴とともに、耕也の口から大量の血が出てくる。

 

その血は泡立っている部分が散見され、空気が混合されているのが見て取れる。

 

(肺が…………! い、痛い。痛い、痛い!)

 

「がっ…………あっ……!」

 

突然の喀血。予想だにしない大量の血に、耕也は大きく戸惑い、そして痛みに悶えた。

 

地面に膝を付け、必死に息を吸おうと空気を取り込むが、その行為をする度にまた更なる喀血を招くのみ。

 

酸素がうまく取り込まれず、酸欠状態へと陥っていく。

 

が、そのぼんやりとした中で耕也には原因がうっすらと分かってきた。

 

其れは

 

(領域の調子がおかしくて……それでこの瘴気を吸ったせいなの……か?)

 

そして何とか自分の体を保護するため、再び地底へと戻ろうと判断し、一気にジャンプを行おうとする。

 

 

(ここにきて…………!)

 

うんともすんとも言わない自身の能力。行きたい場所をイメージしても全く体が転移していかないのだ。

 

自分の体が如何にダメージを受けているのかをようやく理解する耕也。

 

喀血程度ならまだ取り返しは付くと思っていた耕也。だが、現実は非情であり彼の逃げ道をふさいでいく。

 

当然であろう。彼の集中力は喀血により皆無となっているうえ、能力の発現がほぼ皆無にまで落ちてしまっているのだから。

 

「随分と苦しそうですね耕也……?」

 

まるで耕也が苦しんでいる事を楽しんでいるかのように話しかける白蓮。いや、それはすでに彼女の中で完成していた計画の一部分なのかもしれない。

 

何とも嬉しそうな表情。目が恍惚に歪み、頭が熱でポーッと浮かびあがるような感覚を覚える白蓮。身体が小刻みに震え、今にも抱きついてしまいそうである。

 

だが、耕也はそれどころではない。主に肺からくる強烈な痛みと、全身を瘴気が蝕んでいく引き裂かれそうな痛み。

 

その両方が同時に襲ってくるのだから、溜まったものではない。

 

苦悶の表情を浮かべ、涙を流しながら白蓮の方を見やる。

 

笑っている。自分のこの苦痛に苛まれる姿を見て笑っているのだ。

 

苦痛の中に渦巻いていた見えない怒り。ソレが段々、赤々と火のように燃えあがって彼の脳を染めていく。

 

酸素を十分に取り込めないという苦しい状況の中、耕也は震える手足に力を漲らせ、何とか立ちあがろうと必死に地面を蹴って行く。

 

が、靴によって砕けた砂利のせいで、上手く地面を噛む事が出来ず、中々立ち上がる事が出来ない。

 

「そろそろ諦めてもらえませんか? 私の側にいると誓ってくれさえすれば、今すぐにでもその苦痛から解放して差し上げます……」

 

と、彼女は自身の法力によって耕也を助け出す事が出来るという、甘い甘い蕩けそうな飴をちらつかせてくる。

 

耕也は苦しみと怒りによるアドレナリンで何とも言えない気持ち悪さを感じており、是非ともその救いの手に縋ってしまいたくなる。

 

だが、彼はそれをしてしまっては終わりだと自分に言い聞かせ、口の中に溜まった血を吐きだしてから再び足に力を込めて立ちあがって行く。

 

「こ……の…お…………!」

 

その言葉と共に、耕也は白蓮を睨みつけ、創造を行おうとする。

 

とはいえ、最早満身創痍な耕也にできることと言えば極僅かであり、ソレが最後の創造であるという事に耕也は気が付いていた。

 

だが、やらなければ唯敗北するだけなのだ。彼女の術中にはまり、この忌々しい魔界でずっと過ごさなくてはならないのだ。

 

だからこそ、彼は白蓮に攻撃をする。

 

自分を謀った彼女に。自分をこんな所に閉じ込めようとする白蓮に。痛みで苦悶する自分をうっとりと眺める聖を。

 

「――――――っ!」

 

最後の力を振り絞って、右腕を振るう。

 

その速度は普段と違って随分とゆっくりではあるが、ソレが彼の攻撃の意志となっていた。

 

ズキリと脳に痛みが走った瞬間、耕也の右手から何かが爆発したような音。そして複数の火の玉が猛烈な速さで飛び出していった。

 

彼の持つ限界の攻撃。ブドウ弾と呼ばれる複数の砲弾を打ち出し、白蓮に命中させようとしたのだ。

 

「ふふふっ」

 

そう軽く笑みを浮かべながら、彼女は耕也の打ってきた砲弾を簡単に避けていく。

 

耕也の動作が遅すぎるせいか、感所には攻撃の意図が丸わかりであったのだろう。

 

一発も当たらない。彼女には、意図しない方向へと飛んでいく弾が複数あったはずなのに、白蓮は流れるような身のこなしで避けていく。

 

そして、全ての弾が彼女を通過した時、耕也は力尽きるように地面に倒れていた。

 

コポリと口から一際大きな血の塊を吐きだし、その場でビクリ……ビクリ……と震えている。

 

(そろそろかしら)

 

そう白蓮は耕也の様子をつぶさに観察しながら、近寄って行く。

 

まるで熟した木の実をもぎ取ろうと近づく女。熟した果実をたべ、その身に安堵、満腹、幸福感をもたらそうと画策する女。

 

ゆっくりとポケットから鉄製の首輪のようなモノを取り出し、耕也の元へとしゃがみこむ。

 

「死なせはしませんよ? 旦那様?」

 

何時しか耕也への名称が変わっていた。最早完全に自分の手に堕ちたという事を確信しているからであろう。

 

自分の側にいる事が決定したとほくそ笑む女の姿。そして彼を一生自分の側に縛り付ける呪いの、ある意味で救いの首を装着する。

 

カチリと首にハマった瞬間、耕也の身体が薄らと光り始め、身体の震えが止まっていく。

 

荒かった息遣いも段々とではあるが、ゆっくりとした安定的なモノへと変わる。

 

間違いなく白蓮の法力によって耕也の身体が修復されているのだろう。

 

その過程、見えてくる結果に白蓮はただただ満足して、微笑みを耕也に向ける。

 

だが、耕也は未だに先ほどの苦しさに怯えていた。先ほどまでの圧倒的な苦痛と、回復に伴って増してくる安堵、倦怠感が彼の身体を駆け巡って何とも言えない気持ち悪さを覚えさせる。

 

だが、しだいにその法力によって力が漲ってくると、耕也は視界が蘇ってくる事を自覚した。ぼやけた景色がよりクリアに、鮮明に。

 

だが、相も変わらず耕也の目には酷い景色が見えるのだ。そして、より深く自覚する。自分は負けてしまったのだと。そして地底にはもう二度と戻れないのかもしれない、と。

 

その戻れないという言葉を脳内に思い浮かべた瞬間、耕也の頭に一つの解決策が浮かんできた。

 

(これならもしかして……?)

 

それは彼の力ではなく、他力本願とも言えるようなモノ。だが、彼にはそれに縋るしかないのだ。

 

そして、ソレが余りにも嬉しく、つい立ちあがって白蓮に述べてしまう。

 

「はあ……はあ……紫達がすぐに此処をつきとめるぞ?」

 

そう、最後の望みといっても過言ではないモノ。だが、彼にはそれしかなく、他人から見てもそれしか方法は無いと思わせる状況。

 

しかし白蓮は違った。最早そんな事は疾うの昔に知っていたかのような笑みを浮かべる。ニヤァっと。

 

ソレが途轍もなく怖く、そして不思議と惹かれていくような相反する感覚を同時に起こさせる笑みであった。

 

最早耕也のことしか考えていない白蓮は、耕也の事を全て知っているかのようにゆっくりと頷きながら、口を開く。

 

「あんな女共は此処には来れませんよ……? ほら、周りを見て下さいな?」

 

そう言って、クルリと回って周囲を見渡すように言ってくる白蓮。

 

耕也は、その動きにつられるように周囲を見渡し、愕然としてしまった。

 

「ドーム……?」

 

そう、いつの間にか半球状の壁が出来ていたのだ。その壁は白蓮を封印したモノと同じようにほぼ透明。

 

それは白蓮が渾身の力を込め、長い期間熟成させていた結界術。

 

「雌犬に破る事などは不可能…………ですよ?」

 

そう言って白蓮は再び耕也の方へと一歩ずつ近づく。

 

対する彼はその素人目に見ても分かる結界の強固さに目を奪われてしまい、その場から動く事ができない。いや、もはや放心状態とでも言うべきだろうか?

 

そのまま白蓮に抱きつかれ、ゆっくりと力が抜けて行きそうになる。

 

彼女は、耕也の背中にゆっくりと両腕を回し、耕也を束縛するかのように抱きしめる。

 

そして、口を左耳にまで持って行き、ゆっくりと呟く。

 

「私の愛しい愛しい旦那様……? 貴方にはもう私しかいないのです。2人っきりというのも雅があって良いものではありませんか…………?」

 

そして、更にゆっくりと、間隔をあけながら呟いていく。

 

「私の モ ノ に……なっては…………くれませんか?」

 

その言葉を聞いた瞬間に、耕也の背筋が震え、全身の鳥肌が立つ。

 

最早白蓮の口調は怖い等と言った簡単な言葉で表せるものではない。自分の伴侶、常に側にいるべき人をモノ扱いしているのだ。

 

それはおぞましいと言った方が確実ではなかろうか?

 

勿論、そんな言葉を受けた耕也は溜まらず白蓮の手から逃れようと力を込めて、振りほどく。

 

一瞬怒ったような顔をした白蓮ではあるが、すぐに頬を赤く染めた微笑みを浮かべて耕也を見る。

 

まるで次の言葉がどのような内容であるかを知っているかのような眼差しで。

 

耕也は何とも言えない居心地の悪さ、おぞましさを感じながら

 

「白蓮……人をモノ扱い、傷つける輩の側にいるつもりなど毛頭無い!」

 

そう言いきった。

 

すると、やはり彼女の表情は変わらず、耕也を見続けている。

 

暫くその状態が続き、吹かれる風によってコロコロと意志が転がった時にようやっと彼女が口を開いた。

 

「ええ、それはそれは残念です……。ああ、そうそう……」

 

そして先ほどまでの微笑みから、一気に無表情へとなり、口を開いて言葉を吐きだす。

 

「私以外の女の話題を出しましたね? ……そんな節操無しの旦那様には少々お灸を据えなければなりませんね? そうですよね耕也? 違いますかあなた? 合ってますよね旦那様? 正しいですよねご主人様?」

 

その言葉を述べた瞬間、耕也を覆う柔らかな光が一瞬にして消え去る。

 

勿論、その光は耕也の吸う息を濾過し、適当な空気に変換してくれるのだ。

 

だから、耕也は今まで呼吸をする事が出来た。白蓮の法力によって成す事が出来た事なのだ。

 

それゆえに

 

「あっ…………かっ…………!」

 

息を吸った瞬間に途轍もない激痛が耕也を襲うのだ。

 

首を両手で押さえるようにし、フラフラと足がぶれていく耕也。

 

一度吸ってしまった瘴気は容赦なく肺胞を蝕み、壊していく。一度修復された肺胞はいとも簡単に破裂していき、大量の血液を吐きだしていく。

 

そして、それに耐えきれなくなったのか

 

かはっという声と共に、血を噴水のように噴出させて仰向けに倒れていく。

 

吹き出した血は白蓮へと降りかかり、顔を、衣服を、髪を赤く赤くドロドロと濡らしていく。

 

が、ソレを不快に思うような事は無く。むしろ愛しい人の血を浴びる事が出来たという幸せを噛み締めていく。

 

そして、顔に付着した血液を手で拭って舐めとって行く。

 

ゆっくりと味わうように、指に舌を絡め、血を口の中でこねまわして味蕾に到達させていく。

 

ほんのりと塩味がし、そして鉄臭い味。だが、白蓮にはこの世のすべての食べ物と比べても圧倒的に勝るであろうというほどの美味なモノになっている。

 

そして、白蓮の身体に吸収された血は一瞬にして莫大な量の魔力に変わって行く。

 

その急激な変化に驚きつつも、彼女は流石私の旦那様と思うだけであった。

 

耕也は大量の血液を吹きだしたことで、最早虫の息に近い。

 

だが、まだ終わってはいないのだ。まだ仕上げが残っている。強制的に自分に対して依存させる事が残っている。

 

だから、白蓮はゆっくりと仰向けになって必死に生を求めている耕也に近づく。

 

「旦那様? 息を吸いたいですか?」

 

その言葉に耕也は痙攣を時折起こしながらも、助けてくれという懇願の目を向けて頷く。

 

ニッコリと笑いながら、白蓮は続けていく。

 

「では、私と永遠に生きて下さいますか? 伴侶として、良き人として私のモノになってくれますか?」

 

耕也は助かりたい一心で白蓮に頷く。早く息を吸いたい、この苦しみから逃れたいという一心で。

 

白蓮は耕也の心が助かりたいがために頷いているのだという事をすでに見透かしているのだが、現状での返事には及第点を与える。

 

これから自分をゆっくりと愛してもらえるようになればいいのだという、妖怪さながらのゆったりとした考え。

 

「私がいなければ、貴方は生きていけないのです。分かっていますね?」

 

と、最後にそう言いながら耕也に法力を与えて命を無理矢理繋げていく。

 

そして、抱きしめながら耕也の唇に自らの唇を重ね、口内に残っている血を飲み干していく。

 

ぴちゃぴちゃじゅるじゅるといった水音が辺りに木霊し、この空間の虚無感を一層際立たせていく。

 

その中で耕也は思う。

 

もはや自分は逃れる事が出来ないのだ。白蓮がいなければ死んでしまう、生きていけないのだと。

 

彼は白蓮に生殺与奪を。完全な依存をする事しかできなくなってしまったのだ。

 

もはや助けなど来はしないという絶望感を抱きながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その後数百年の後、同じような調教が何度かあったものの、耕也は徐々に白蓮へ心を開き、ついには本当の意味で両者が依存する形となった。

 

また、紫達の襲撃も白蓮の結界のせいで失敗に終わり、遂には誰も来なくなってしまっていた。もちろん一輪も村紗も。

 

だが、あれほどの恐怖を与えた白蓮がどのようにして耕也の心を依存、開かせたのかは数百年経っても明らかにはなっていない。

 

 

 

 

 



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95話 逃げまくるかなあ……

そりゃあもう全力で……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「暇だ…………」

 

「暇だねえ………………」

 

そう言っているのは、もちろん俺。そしていつの間にか入ってきたこいしが隣で寝っ転がりながら呟く。

 

仕事も休み。気温も生ぬるいというかちっと温かいため、なんとも言えない気だるさが体を支配してくるのだ。

 

どうしようもないほどの眠気に襲われる事も無く。かと言ってぱっちりと目が覚めるわけでもないこの感覚は、なんとも面倒くさい。

 

そんな事を思っていると、こいしがこちらにゴロンと向きを変えて微笑んで一言。

 

「春かもねえ~」

 

そう言ってくるのだ。

 

ああ、確かにそう言われてみればそうかもしれない。いや、外の景色などが分かるわけでもないのだが、一応時計の表示では4月中旬であるという事を示しているのでそうなのだろう。

 

随分と地上に行っていないなあと思いつつ、俺はこいしに返事をする。

 

「だろうねえ……道理で眠くなるわけだ……」

 

そんな事を言いながらも、自分はちっとでも疲れないように体勢を変えていく。

 

すると

 

「あ、そうだ……」

 

と、こいしが何かを思い出したような表情で素っ頓狂な声を上げる。

 

そして、こちらの方を見ながらちょっと困ったように苦笑してくる。

 

俺はその言葉よ表情妙に気になってしまい、彼女にちょっとでも良いから情報を聞き出そうと口を開いて質問する。

 

「そうだって、何が?」

 

すると、その苦笑から少々赤味を帯びた恥じらいを含んだ表情へと変わる。

 

「ええとね……春って言ったら~……?」

 

なんとももったいぶった言い方である。

 

これでは本題に入るまでに随分と時間を要してしまいそうだ。だが、今はのんびりとしているため、そこまで彼女をせかす必要もないだろうと思い、俺はうんうんとうなずくだけにする。

 

「つれないなあ……春って言ったら?」

 

と、今度はこいしが答えをせかしてくる。

 

ここは答えなければ彼女の機嫌を損なわせてしまうだろうと思い、素直に答えさせる。

 

「桜ー」

 

そう言うと、彼女は求めていた答えと違ったらしく、ぶーぶー言いながら首をフルフルと振る。

 

「違うってば! いい? 春って言ったら発情期なんだってば!」

 

と、とんでもない事を言ってくるこいし。

 

思わず俺は飲み込もうとしていた唾液を気管支に詰まらせてしまい、ゲホゲホとせき込んでしまう。

 

「ゲッホゲホ! エッホゲホ! …………けほっ………………一体なんてこと言うんだこいしさんや」

 

春を連想するもので、よりにもよって発情期とかアホなんじゃなかろうか?

 

と、そんな事を言うのはさすがに失礼なので心の中にとどめておく。

 

すると、こいしが

 

「だって、欲望に忠実な妖怪らしい考え方だとは思わない?」

 

と、そんな事を言ってくる。

 

たしかに、欲望に忠実だとは思うが、それは色々と変だろと思ってしまうのは俺がおかしいだけなのだろうか?

 

いやいやまてまて。俺の考えは間違ってはいないはずだ。ちょっとこいしが妖怪の中でも特殊なだけなんだ。そのはずなんだ。

 

そう思う事でしか問題の解決の糸口が見つからない。

 

さてさてどう返したものかなと考えてはいるのだが、なかなかいい考えが浮かんでこない。

 

が、そこで1つだけ自分の頭にいい考えが浮かんできた。

 

それは

 

「こいしさん……さとりさんから変態だって思われるよ?」

 

さとりの事を引き合いに出してしまうのだ。そうすると必ずと言っていいほど彼女は狼狽する。

 

この地霊殿では唯一の姉であり、実の家族なのでそう思われる事があまり得意ではないのだ。

 

だから

 

「そ、そんなことないもん! お姉ちゃんが私の事を変態だって言うはずないじゃない?」

 

と、明らかに動揺しているのが見て取れる。

 

そして俺の方を見ながらちょっとだけ怒ったように頬を膨らませて言ってくる。

 

だが、それも束の間。すぐに別の表情へと転換していく。さすが妖怪と言うべきか、楽天家とでも言うべきか。恐らく閉じた目のせいだろう。

 

こいしはそのままの表情でこちらをニマニマと見ながら言ってくる。

 

「でもさあ……この時期の事は耕也だって喜んでるんじゃな~い?」

 

え? と俺が言う暇も無くこいしは立て続けに言葉を放ってくる。

 

「だって、発情期なら俺だってうへへ。とか思ってるんじゃないの~?」

 

なんてこと言うんだこの変態は。

 

発情期ってのは妖獣にあるという事は知っていたが、其れは特別な例を除いて発情期ではないだろう。おまけにその例に当てはまる妖怪がいたとしても、それは妖獣の中でも数十年周期とかのレベルでの一部なんじゃなかろうか?

 

と、真面目にこんな事を考えてはみるものの、身内にちょっとその例外に当てはまらない特殊な妖獣がいるのを思い出し、ちょっとまたそこで考えてしまう。

 

(藍の場合は……いや、あの方はいるだけで反則レベルだから特に気にする必要は無い……のか?)

 

つくづくあの妖獣は例外のその上を突き抜けていくなあと思いながら、俺はこいしの方を見ずに一言。

 

「そうですねーよかったですねー」

 

そう雑に返してやる。自分で言うのもなんだが、なんとも雑な返し方だとは思う。

 

とはいえ、彼女の言う事はそれ相応に俺の嗜好……もとい生物学的な興味を惹かれたのだが、さすがにここはこの返し方でいかなければ拙いだろうと思ったからにすぎないのだが。

 

だが、この返し方はこいしには大した効果を及ぼさなかったらしい。

 

俺の方を見ながら一瞬ぶすっとしたもの、すぐにまた元の顔に戻る。

 

「ふ~ん、そんなこと言ってもいいんだあ……」

 

と、よく分からない事を言ってくる。

 

だが、その言葉の裏にはこちらにも何かしらの準備はあるんだそと言う意思表示の他ならない。

 

とはいえ彼女に妖いいできる対抗手段は一体どんなものがあるのだろうという考えが即座に浮かびあがってくる。

 

(彼女が俺に対して持つ対抗手段……? どんなものがあっただろうか?)

 

が、いっくら考えてもその対抗手段とやらが頭に浮かんでこない。

 

まあ、とりあえずこんなところでゴロリと寝っ転がってる彼女に何かできるわけじゃないか。

 

「あ~あ、せっかくいい情報教えてあげようと思ったのに~」

 

そういいながら、コロコロと反対方向へと転がり、俺から遠ざかっていく。

 

普段ならば負け惜しみにしか思えないような言葉。だが、なんとなく俺は彼女の言葉が気になってしまい、聞き返してしまう。

 

「いい情報って……?」

 

そう聞き返し、こいしがにんまりとこちらに振り返ったと同時に、ものすごい音が玄関から響いてきた。

 

ドンドンバンバンといった何かに激しく玄関がドつかれる乾いた音。

 

そして、同時に何か争うような声も聞こえてくる。

 

「駄目だってば! 耕也に失礼じゃないか!」

 

「ダメ! もう私我慢できない!」

 

どうやら人数は二人で、声があちらこちらで反響しているためか誰の声だかわからない。

 

が、こいしには誰の声だかわかったようで、あっちゃー、と言いながらおでこに手をやって苦笑してる。

 

俺はこの状況がいまいち把握できず、こいしに質問を敢行する。

 

「一体何が起きて―――――っ」

 

言葉を発した瞬間、凄まじい音と共に何かが吹き飛ばされ、ガラスが飛び散る音と金属の乾いた冷たい音が響き渡る。

 

「な、なんだ!?」

 

あんまりにも大きな音のため、俺は思わず大声で叫んでしまう。

 

隣にいたこいしもこの音にはびっくりしたようで

 

「あれ、さすがにこれはまずいかも……」

 

と、小声で言ってくる。

 

何がまずいんだ何が! という感想を持つが、あまりの事態の急変模様に口から言葉が出てこない。

 

そして、ようやくぎゃんぎゃん喚いている玄関付近の二人が誰なのか分かってきた。

 

お燐とお空である。

 

が、お燐は比較的冷静というか、お空を止めようとしているのにも拘わらず、お空は全くもって冷静でない。むしろ邪魔をするお燐を疎ましく思っている節さえある。

 

普段あんなに仲が良い二人がこんなに暴れまわっているのは一体何故だろうか?

 

なんて疑問も頭の中に湧いてきたのだが、次に響いてきた音によって頭の中から吹っ飛んでしまった。

 

ドタドタと激しく廊下を響かせながら、二人がこちらの居間にまで走ってくるのが分かる。

 

「お燐は付いてこないでよ!」

 

「何言ってんだい! 耕也死んじゃうって!」

 

なんだかとんでもなく物騒な声が聞こえてくるのは気のせいだろうか?

 

俺が死ぬ事態ってのは一体どんな事態なのだろうか? と、考えてみようとは思ったものの、その前にこいしを見てしまう。

 

が、こいしは俺の方を見て照れるように、えへへ~、と言いながら顔を赤らめるだけなので何も分からない。

 

そりゃなんじゃらほいと思いながら、こいしから襖に視線を移すとその瞬間、スパンと小気味いい音を立てながら乱暴に開かれる。

 

そして、その開かれた先には、顔を真っ赤にしながらこちらの方を見つめるお空と、必死に連れ戻そうと進行方向と逆に引っ張っているお燐がいた。

 

お空はこちらの顔を見た瞬間、まるで光りものを見つけたカラスのようにパアッと顔が綻び、お燐はなおさら拙いとでも言うかのように顔を歪めて必死に連れ戻そうと頑張る。

 

「見つけたっ!!」

 

そう声を発したのはお空であった。

 

まるでその姿は、風呂上がりの火照りそのままなのではないかと思うほど赤くなっている。

 

ただ、彼女の姿は衣服を着たままなのにもかかわらず、裸でいる時よりも妖艶かつ煽情的であった。

 

思わず心臓が高鳴り、彼女の姿を凝視してしまう。ようは目を離す事が出来なかったのだ。

 

そして、彼女が小さく開いた股からは、粘度の高い液体が大量に滴っている。

 

それを見た瞬間に、俺は顔に火がついたかと思うほどに熱くなる。

 

そう、まるで気化したガソリンに突如引火してしまったかのように、突然である。

 

彼女の股から大量に垂れている液体は一体何なのか? そんな事を確認するまでも無い。もちろんアレだ。

 

ああ、これはまずいという考えが噴水のように湧きあがってくる。

 

そして、この事を何かしらの言葉にしようと思った瞬間にお空が口を開く。

 

「耕也! 私と交尾しよ!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

「は…………?」

 

思わずお空に向かってそんな事を言ってしまう俺。

 

いや、頭の中ではすでに分かっていたのだ。これがお空の発情期、こいしの言っていた通りなのだと。

 

だがこれを素直にそのまま受け入れられるかと言えばそうではない。

 

だから俺はお空に言ってしまったのだ。

 

対するお空は俺の言葉に、不思議そうな顔をしたと思えば、さらに蕩けた表情を浮かべながら近寄ってくる。

 

「だからぁ~……交尾しようって言ってるんだってばあ……」

 

そして、ゴポリという音と共にねたぁっとした液体の塊が垂れて畳を濡らす。

 

もう限界である。

 

一刻も早くこの意味不明な状況から逃げ出そうと、俺はさっさとジャンプへの集中をしようとすると

 

「ほら見てぇ……私のこんなに……」

 

そう言いながらスカートをたくしあげてくるのだ。

 

それは素早い動作ではなく、あくまで雄の情欲を誘うかのような煽情的なしぐさで。

 

もちろん、こんな事をされては男である俺は溜まったものではない。

 

ゴクリと溜まった唾を飲み込んで、その状況の推移を見守ることしかできなくなる。

 

そして、彼女の液体の垂れる元が段々と姿を現そうとしたときに、俺の全ての視界が閉ざされてしまう。

 

「やっぱだめ~!!」

 

そう、聞こえてきたのはこいしの声であった。

 

それはもうなんとも大きな声で。突然視界が切れてしまった挙句に大声で叫ばれてしまってはたまったものではない。

 

「ちょ、ちょっとこいしさん!?」

 

そう俺が叫ぶも、こいしは頑として俺の声を受け付けなかった。

 

「だめったらだめ! やっぱ見ちゃダメー!!」

 

もちろんそれは彼女の言葉が正しいのだろうが、やっぱりちょっともったいない気がするのは俺が男だからだろう。

 

そして、その声に賛同するかのように奥からお燐の声も聞こえてくる。

 

「やっぱ駄目だって言ったでしょお空!このままやったら耕也死んじゃうって!?」

 

「お燐は黙ってて!!」

 

焦ったお燐の声に対して、お空は興奮しながらの大声。

 

見えないから状況はなんとも把握しづらいのだが、とりあえず険悪と言うわけではない様だ。

 

「こいし様! こいし様だって言ったじゃないですか!? お空なら犯っちゃってもいいよって!」

 

お空がそう言うと、やっと手が外され視界が確保される。

 

お空は先程の姿勢から元に戻っており、相変わらず液体が垂れてはいるのだが、表情が先ほどよりも不機嫌になっている。

 

対するこいしはまるで痛いところを突かれたかのように慌て始める。

 

「た、確かに言ったけどさあ~……」

 

「だったら良いじゃないですか! 私に抑制剤入れなかったのもこいし様と決めたことですし!」

 

「う、うん…………良いけどさあ……」

 

抑制剤などと言う危ない言葉が聞こえたが、こいしはお空の言葉に反論できずにいるようだ。

 

とはいえ、俺もこいしに言いたい事がある。お前が関与していたのか。と。だが、そんな当事者である俺の事など気にせず会話は進んでいく。

 

「なら良いですよね!?」

 

そういいながらお空は俺の方へとゆっくりと近づいてくる。

 

少々足がおぼつかないように見えるが、その目は俺の顔から決して離さない。

 

獲物を見つけ、今からかぶりついてみせるとでも言うかのような鋭く強い目つき。

 

いつの間にかお燐は彼女の腕から手を離し、もう諦めたとばかりに苦笑している。もうこの娘を止める術はないとでも言うように。

 

おのずと心拍数が上がってくる。

 

来ないでくれと言いたいが、其れが適う訳も無く。

 

目の前まで迫ってきたお空は、俺に跨る様にしゃがみこんで一言。

 

「ね、しよ?」

 

誘惑するような言葉。雄を確実に堕とし、雌が貪るという事を如実に表す言葉。

 

俺にはお空がもはや唯の雌ではなく、淫魔にさえ見えてしまった。

 

見えてしまったからこそ。俺は彼女から逃げるため、目の前の景色を吹っ飛ばした。

 

 

 

 

 

 

一瞬でジャンプした俺は、さとりのいる地霊殿に飛んできた俺は、縋るようにドアをノックし始める。

 

「さとりさん! さとりさんいますか!? お願いします開けてください!」

 

そう俺は騒がしく扉をたたく。ガンガンガンガンと凄まじい重厚音を立てながら、ドアノックハンドルを金属板にぶつけまくる。

 

そうする事十秒。

 

ようやく俺の焦燥感が内部に伝わったのか、カチャリという音共にドアが開かれる。

 

「何でしょうか耕也?」

 

そこには、もうすでに貴方の言いたい事は分かっていますよと言わんばかりのため息をしながら口を開くさとりがいた。

 

しかし、その表情はいつもの冷静さとは程遠く、随分と気が沈んでしまっているかのような苦々しい表情。

 

そこから俺は推測する

 

つまり、今回の発情期に関する全ての件を、彼女は把握していると考えてもいいだろう。いや、この表情からはこの事態を苦々しく思っているに違いない、と。

 

もし、さとりも乗り気で拘わっていたとしたら、詰問して全ての事を吐かせるのだが、この表情をされてしまえばさすがにこちらの気勢も削がれてしまう。

 

さてさてどうしたものかなと思いながら、俺は彼女にどう言おうかと思ったのだが、その前に彼女が俺に口を開いた。

 

「耕也さん、今回の事は申し訳なく思ってるわ。普段こいしがご飯に抑制剤を入れているのだけれども、今回はお空の分には入れなかったらしいの。なぜだか理由を聞いても話してくれなかったから、細部まで把握してるわけではないのだけれども……」

 

扉を閉めて玄関で話し合う俺達。さとりが彼女たちを把握しきれていないという事は分かってはいるのだが、今回の事態に対してここまで穴だらけだと正直思わなかった。意外である。

 

さてさて、このままどう動けば彼女の発情を止め、そして円満に解決するのかなと思っていると、1つだけ案が浮かびあがった。

 

「さとりさん、1つだけ考えがあるのですが……さとりさんの協力も必要です」

 

そう俺が彼女に伝えると、彼女はゆっくりと頷き協力を了承した。

 

そして、その返事に俺は返すように案を話し始めていく。

 

「まず、このまま私が逃げおおせたとしましょう。その際、彼女は必ず次の日に備えて地霊殿に帰ってくると思います。さとりさんの事が大切ですからね。そして、その帰ってきた際に、抑制剤とやらを混ぜてください。そうすることによって、なんとか次の日にはあのあっけらかんとした彼女が見られると思うのですが…………いかがでしょう?」

 

ぶっちゃけこの作戦はさとりの協力はほとんど必要ない。抑制剤を食事に混ぜるだけ。

 

恐らく俺が逃げてる途中で食べ物で釣ろうとしても、俺の事ばかりを見て餌には全く興味を示さないだろうから、意味はなくなってしまうだろう。

 

そしてさとりは俺の言葉に対して一定の理解を得たのかコクリと頷き賛成の意思を示してくる。

 

「ありがとうございます」

 

その言葉に安心した時、俺の中に1つの疑問が浮かび上がってきた。

 

それはなんとも単純な事であったが、妙に俺の心の中に残ってしまい、ついつい彼女に聞いてしまう。

 

「あの、1つ聞きたい事があるのですが……。いいですか?」

 

なんとも変な質問かつお空に失礼なのかもしれないが、今後彼女から逃げおおせるためでもあるし、仕方がないかなと自分に言い聞かせながら聞く。

 

「ええ、良いですよ」

 

その言葉に頷くようにしてから彼女に向って口を開いていく。

 

「まずですね、彼女が現在発情期と言う状態であるという事に間違いはないですか?」

 

そうストレートに聞いていく。この案件に関してはもう一度確実に聞いておくのだ。

 

俺の言葉に彼女はごく短い時間で頷き、次の言葉を促してくる。

 

「そこでですね、1つ疑問に思ったのは、他の雄の妖怪に興味を示さないのかなと思ったわけですよ。今発情期ならなおさらだと思うんですよ。其処らへんはどう把握してます?」

 

彼女の行動パターンについて、少々穿った事を聞いてみる。

 

そうすると、さとりは少々困ったように顎に手を当てて、考え込んでしまう。

 

この行動から読み取れるのは、彼女はその話題が上った場面に遭遇した事がないのか、単に把握していないだけなのか。

 

そう俺は予想くしていると、突然背中に衝撃が走り、二つの大きくやわらかい感触がぐにゅりと押しつぶされるのを感じた。そして、同時に

 

「そんな訳ないじゃない」

 

と、妙に艶っぽく、それでいてドロリねっとりとした声がこちらに聞こえてくるのだ。

 

また、その声の持ち主は俺の腹部に両手をしっかりとまわして逃れられない様に拘束し、首筋に息を吹きかけてくる。そして

 

「私が他の雄に興味を示す訳ないでしょう?」

 

と、なんとも大人びた事を言ってくるのだ。

 

「こ、耕也さん……?」

 

突然の闖入者に引きつった表情をしながら声を震わせるさとり。

 

何がいいたのかはよくわかる。俺も怖くて声が出ないんだ。

 

でも、ちょっとは声を出さないといけないなあなんて思いながら、俺は言葉を紡ぎだす。

 

「いやあ、俺より筋肉あってたくましい奴ならほら、商店街にもたくさん……」

 

が、そこでその声も終わってしまう。

 

なぜならお空が俺の口を手で塞いでしまったからだ。

 

目の前にいるさとりは、今までこんなに大人びたお空を見た事がないのか、口をパクパクさせて茫然としてしまっている。

 

うん、俺も同じ気持ちだよ。と、口がきけたらぜひ言ってあげたい言葉である。

 

そして、俺の手を塞いだお空は、流れる水のような滑らかさで言葉を紡ぎだしてくる。

 

「そんなのよりも耕也を私は選ぶよ? だって耕也、私の卵産み……見たいんでしょ?」

 

そうとんでもない事を。言った覚えのない事を言われた気分と言うのは相当びっくりするもので、俺は思わず口を塞いでいる手を首のふりでほどいて反論する。

 

「言ってないってば!」

 

どうやってここに音一つ立てずにこの場に来れたのか、そして何故気配を感じさせずにここへ来れたのか。

 

そんな疑問よりも先に否定の言葉が出てしまった。

 

そして、俺の言葉に非常に不快感を覚えたのか、お空は俺に向かって強い言葉を投げかけてくる。

 

「嘘言わないでよ! 私が持ってきた卵見て顔赤くしてたじゃない! 私の卵ほしかったんでしょ? ね、欲しかったんだよね? じゃなきゃあんな事しないよね?」

 

と、早口で捲し立ててくるお空。その早口、意気込みは俺の反論を一切受け付けないとでも言うかのように強烈な物であった。

 

お空の口からこんな言葉が出てくると思っていなかったのか、さとりは

 

「卵……お空と耕也のたまご…………たまご……」

 

と、言いながら顔を真っ赤にして上を見上げ始める…………俺だって現実逃避してしまいたい。

 

そうこうしている間に、お空の締め付けが段々強くなり、このまま前に押し倒されてしまいそうである。

 

「ね、交尾しよう? 子作りしよう? 耕也と私ならきっと強い子が生まれるって! …………私の卵産みも見られるよ? 1個目はもう殻まで完成しちゃったけど、2個目はまだ準備段階だし、大丈夫だよ? ね? いいよね?」

 

そう言いながら、必死に懇願するように誘惑の言葉を述べてくるお空。もう色々と限界に来てしまっている。俺もお空も。

 

何か言い返そうと思ったのだが、何を言っても彼女の気持ちは変わらないだろうし、第一俺自身がこの急展開さのせいで少々言葉が出せずにいる。

 

が、ソレがいけなかったのか、お空は更に体重をかけ始めたのだ。

 

「沈黙は肯定って事で良いよね? じゃあ、頂きます……」

 

と言ってきたのだ。

 

ついにその時がきたかと思った瞬間、身体が動かせずとも、一気に集中を開始した。

 

「えっ!?」

 

という声が聞こえ

 

そして

 

「だめええええええええ!!」

 

そんな声が聞こえた気がしたが、俺はすでにジャンプを開始していた。

 

 

 

 

 

 

 

ジャンプした瞬間、何か重いモノが削れ吹き飛ぶ音があたりに木霊す。身体は領域の御蔭で問題は一切なく、そのまま重力に引かれて地面に着地する。

 

そして、着地したと同時にあたりを見回すと、自分のいる場所は洞窟内とみて間違いないようだ。

 

「なんとか来れたか…………」

 

あの状況下でとっさに集中してここまで来れた事にホッとし、そう呟いた瞬間

 

「こぉ~~~らぁ~~~~っ!!」

 

奥から大きく恨めしそうな声が響き渡ってくる。

 

それはこちらが思わず身構えてしまうほどのものであり、なんとも不気味である。

 

が、その声には聞き覚えがあり、姿を現すとともにその声の持ち主を特定することができた。

 

「や、ヤマメさん!」

 

そう、この洞窟の持ち主はヤマメだったのだ。

 

そしてその持ち主のヤマメはとんでもなく不機嫌になっている。

 

眉はつり上がり、少々人間より大きめの犬歯が口からはみ出て、怒りを如実に表している。

 

そしてそのままの顔で

 

「耕也ああああああ!」

 

俺の声に反応せずに怒鳴りつけてくるヤマメ。これは結構……というよりかなり怒っているとみて間違いない。

 

「一体なんてことしてくれたんだい! 私の家が滅茶苦茶じゃないか!」

 

と言って、俺の後方を指さして言い始めるヤマメ。

 

その指に釣られて俺も後ろを見ると

 

「あ、これだったのか……」

 

と、思わず声を上げてしまう。

 

そう、先程何か当たってしまったと思ったが、これだったのかと。

 

そう俺は認識した瞬間、その洞窟が完全な姿である様に脳内で描き、力を込める。

 

すると、すぐさまその効果は表れ、洞窟内に散らばった破片をかき集めて元通りに修復していく

 

と、修復した瞬間に俺はヤマメへと詰め寄って一言要求する。

 

「家を壊してしまったのは謝ります。ごめんなさいヤマメさん! ですがちょっと深い訳がありまして……それでですね、ええと……俺を匿ってください!」

 

俺は誠心誠意彼女に謝罪し、そして何とかお空から匿ってもらえるように頼み込む。

 

無論、全て直したのだからそれで水に流す事にするという意図もないし、そんな訳にはいかないとは思うが、とにかく現時点では急いでいるので、なんとか頼み込む。

 

「ま、まあ良いけど…………って、え……? 喧嘩したの紫達と?」

 

と、俺の言葉をなんとも的外れな事を言ってくる。と言うか突然である。

 

俺はいやいや違うといったジェスチャーをして、彼女に訂正をしていく。

 

「いや、実を言うと――――」

 

そう俺が言った瞬間にである。

 

「耕也見つけたああああああっ!!」

 

どうやって嗅ぎつけたかは分からないのだが、お空がここに詰めかけてきたのだ。

 

もう泣いちゃいそう。

 

ジャンプしたのにもかかわらず、彼女がすぐに追いつくのだ。しかも地霊殿とは真反対方面で距離もかなりあるはずなのにだ。

 

「え、何この状況……」

 

と、ヤマメがポツリと一言言った瞬間、お空がヤマメの方を向いて叫ぶ。

 

「ヤマメ! 耕也押さえて!」

 

あんまりの迫力、剣幕にヤマメがお空の言葉に素直に従ってしまい、俺を後ろから脇をかけるようにして拘束してくる。

 

「ちょ、ちょっと!」

 

「ごめん、なんかしなくちゃならない気がしてさ……」

 

と、困ったように言いながらも、その言葉にはなんとも言えない喜びみたいなものが含まれていた。

 

そう、まるでこの状況を楽しんでいるかのような話し方。

 

やっぱ妖怪だよなと思ってしまう。

 

面白い事に関しては、貪欲な妖怪たち。もちろんそれは長い生を歩むために欠かせないカンフル剤の役割を果たしてもいるからだろう。

 

だけれども

 

「無理っ! 逃げる!」

 

抱きついてこようとしたお空から逃れるため、俺はまたもジャンプを開始する。

 

たぶんお空はヤマメに抱きつく形となるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

そして、その後もお空と俺の追っかけっこは続いた。

 

幽香のところでも

 

「幽香様お願いでございます匿ってください! いや、本当マジで!!」

 

「ちょっと耕也いきなりどうしたのよ!」

 

「そこの筋肉女! 耕也を引き渡して!」

 

「何ですってこの糞鳥が! 焼き鳥にするわよ!!」

 

といって、すぐに見つかって喧嘩になったり。

 

 

 

 

勇儀のところでも

 

「勇儀……頼むからお空が来ても絶対にいないって言ってくれよ?」

 

そう言って、俺は部屋にこもっていたのだ。

 

勇儀はもちろん快く了承してくれるかと思ったんだが

 

「いや、私嘘吐けないし……」

 

と言われて、結局

 

「耕也見つけた! そこの鬼女! さっさと耕也引き渡して!」

 

「いきなり何だお前は! 失礼だろうが!」

 

「うるさい行き遅れ! 売れ残り!」

 

「なんだってこのガキが! ぶっ潰す!」

 

となってしまい、全く話にならなかった。

 

 

 

 

また、幽々子のところでも

 

「ごめん、ちょっと本気でごめん! 申し訳ないけど匿ってください!」

 

と、頼み込むと

 

「あらあら……私の家に永久就職するなら考えてあげないことも無いわ?」

 

なんて事を言い始めて反魂蝶をぶっ放してくるのだ。

 

これにはたまらんと、俺は素直に地底へと退散する羽目になったのだ。

 

 

 

 

 

 

「もう無理。もう無理だ。体力の限界」

 

そういいながら俺は自宅の畳の上に寝っ転がる。

 

たび重なる力の国司により体の心拍数は跳ね上がり、ひどい疲労が体を蝕んでくる。

 

一呼吸するたびに肺がチクチクと痛み、息をすることすら億劫になる。

 

ぜえぜえはあはあと、酸素を送るために呼吸をし、なるべく早く回復させようとするのか、生活支援が勝手に周囲の酸素濃度を高めてくれる。

 

「マシになってきた……」

 

そう思っていると、真上に隙間が発生し始める。

 

「え?」

 

なんて素っ頓狂な声を上げていると、そこからなんとお空が降りてきたのだ。

 

彼女が俺の事を執拗に追いかけてこれたのは、紫が一枚噛んでいたからだったのか。と素直に思う。

 

でも、なぜ紫がこの事について噛んでいるのか今一理解が及ばないが、どうせ面白がっているのだろうと憶測をしてしまう俺がいる。

 

そして、俺に跨るように乗っかっているお空は、先程の上気した赤く妖艶で蕩けた顔ではなく、少々不安そうな顔でもあった。

 

お空はその不安そうな顔をさらにさらにしょんぼりさせながら、両手を胸のあたりでモジモジさせながら口を開いてくる。

 

「ねえ、耕也……?」

 

「どうしたの?」

 

すると、ちょっとだけ顔を赤くさせながら

 

「どうしてもだめ……? 私とするのは嫌……?」

 

と、懇願するように言ってくる。

 

少々真面目な話と受け取ってもいいだろう。だから、俺なりに彼女の事を考えて結論を出していく。

 

まず、お空は滅茶苦茶美人である。それは誰の目から見ても明らかであろう。

 

それがこちらの事をこんなにも求めてくれる。それは確かに男として、雄として非常にうれしい事に違いはないだろう。

 

だが、しかし俺には紫達がいる。もうこれ以上幸せを手に入れれば、そのうち俺が死んでしまいそうである。すでに手遅れだろうが、あまりこれはよろしくない。

 

そして、なによりも彼女の感情が一過性であるという事を気にすべきだろうと俺は思う。

 

確かにb彼女は現在発情期であるため、其れが彼女の気持ちを押し上げここまでにさせているのかもしれないが、いざ収まってみればなんとも思っていなかった。だなんて双方に悪影響であろう。

 

だから、俺は彼女の言葉にこのように返答する。

 

「ごめんねお空……。思ってくれるのは嬉しいけれども、其れは一過性のものであって、本心じゃないんだ。本当に自分のためにはならないんだ……」

 

突き放すのもやさしさと言う言葉があるが、俺にそういった事は出来ない。だから、彼女に対してはやんわりとした返し方をする。

 

すると、この言葉も彼女の中では予想の範囲内であったのか、こちらに身を乗り出して一言。

 

「本当にダメ……?」

 

今にも涙をこぼしてしまいそうである。

 

やんわりと断ったはずなのだが、ここまで悲しそうな顔をされるとこちらの罪悪感の方がドロドロと湧きあがってくる。

 

そして、その罪悪感を払しょくしたいのかよく分からないが、俺は逆質問をしていた。

 

「じゃあ、お空。逆に聞くけれども、どうしてそんな俺に…………?」

 

そう質問すると、耐え切れなくなったのか、お空は顔をくしゃりと歪ませて涙をぼろぼろと流し、こちらへさらに顔を近づける。

 

「だって……だって……抑えきれなかったんだもん。こいし様に抑制剤ぬかれて、体が熱くなって、それでそれで耕也を犯しても良いよって言われて、でもでも何とか我慢しようとしたけど、其れでも我慢できなくって……。他の雄なんて絶対嫌だし……さとり様の事馬鹿にするし。でも耕也なら私の卵の事も話題にしてたし、さとり様の事馬鹿にしないし、私の事も受け入れてくれるかなって……そう思って…………………………思って……」

 

そこまで涙をぼろぼろと流しながら言ってきたお空は、言い終わった途端に俺の胸へと顔を埋め、わあわあ泣き始める。

 

本来なら俺は悪くは無いはずなのに、何故かこの状況だと俺が悪いようにしか見えない。

 

だが、このまま彼女を放っておくのも俺の気持ちが許さないので、ゆっくりと背中をポンポンとたたいてやる。

 

それでも彼女が泣きやむ気配は無い。

 

「ごめんねお空…………」

 

だから、唯謝ることしかできない俺。何とも情けない。さて、どうしたものかと考えるも、中々良い案が浮かんでこない。

 

確かに彼女は今回の被害者とも言うべきだろう。それが此処まで我慢して俺を想ってきてくれたんだ。でも、それに応えるのは拙い。

 

この何とも言えない拮抗した状態が俺を余計にいらだたせる。

 

抱きしめてあやすのも一つの手かなと思った矢先に、再び隙間が上に開いた。

 

そして、その中から見覚えのある顔が出てくる。

 

もちろん、その顔は見慣れた妖怪である紫だった。

 

「女の子を泣かせるものじゃないわよ? ちょっとは相手してあげなさいな」

 

そう言ってるあんたが関わってるというのは自覚してるのかね? と言いたいが、あいにくそんな言い返せる状況じゃないので、渋々頷くだけにする。

 

とはいえ

 

「いや、流石に身体を…………ねえ?」

 

と、わんわん泣くお空を撫でつけながら紫に問う。

 

すると、俺の言いたい事は全て分かっていたかのように、微笑んで一言。

 

「すでに此方は説得してあるわよ。幽香は少し梃子摺ったけど……」

 

そして、その一言を偶々聞いたのか、お空の声が突然途絶える。

 

一瞬疲れて眠ってしまったのかなと思ったが、実はそうではないようだ。

 

思わず撫でつける手を止め、紫から視線を外してお空の方を見ると、歓喜の表情を浮かべ、顔を真っ赤にし、眼を爛々に輝かせながら此方を見てくるお空がそこにいた。

 

「紫、本当!?」

 

と、今まで長い事お預けを食らっていた犬が、漸く良しという言葉を聞いた瞬間のように、凄まじいモノがあった。

 

「ええ、本当よ」

 

俺の意見等一切考慮せず、自分の意見をスラスラとお空に述べてしまう紫。

 

もうこのような振り回され方は何度目だろうか? 数えるのも億劫になってくる。

 

「では、ごゆっくり~」

 

そう言って、俺達を見て微笑み、手を振りながら隙間の中へと潜って行く紫。

 

あっという間にその姿が消えたと思うと、今度は胸に大きな衝撃が来る。

 

勿論その衝撃を与えてきたのは、お空であり、此方に全力で体重を掛けてくるのが分かる。

 

ああ、もうこれ以上は逃げたら駄目だろうなと思いながら、彼女の大きな胸の感触を服越しに味わって行く。

 

「ねえ、いいよね?」

 

最初のころとは違い、焦ったような表情ではなく、ただただ蕩けた表情を前面に押し出している艶やかな女がそこにいた。

 

その言葉に思わず背筋が震えるが、何とかこらえてコクリと頷く。

 

 

 

 

 

 

「ほら、まずは一つ目の卵が邪魔だから、産む所しっかり見て……? 把握して? さわって? ……………………ね?」

 

耕也は彼女の言葉にコクリと頷きながら、恐る恐る目をやる。

 

「ほら、こっちに手を持ってきて。割れない様に受け止めて…………?」

 

耕也の手をグイッと引っ張り、臀部付近にまで手を持って言ってやる空。

 

クチャリという音と共に、空の身体がビクつき、何かに耐えるように小さく溜息を吐く。

 

小さく小さく息を繰り返してから、耕也を見上げるその姿。艶のある唇が震え、そのたびにふるふるとした息が漏れ出る。

 

耕也を快楽に耐えながら必死に見て、ふふっと微かに笑って一言つぶやく。

 

「もうすぐ出てきそうなの…………………分かるでしょ?」

 

確かに耕也の手の感触からすれば、もう少しで出てきそうなのが分かる。すでに人差し指の先に堅い感触があるのだ。

 

ねっとりとした愛液が垂れ落ち、その卵の排出を促そうと必死になっている。

 

「ふぅ…………ん………………んぅ…………!」

 

下腹部に力を込め、更に更に排出を促していく。

 

ソレが彼女にとって快楽を生み出しているのか、何とも悩ましげな声を出しながら、ぶるっと腰が震えるのだ。

 

彼は、空の余りの煽情的な姿に、思わずゴクリと唾を飲み込んで、彼女の手に操られるまま左手を動かされる。

 

クチャリという音がしたと思ったら

 

「うあう……!」

 

と、悲鳴を上げる空。

 

そしてもっともっとと言いながらゆっくり、ゆっくりと排卵を促す。

 

またそのたびに声を震わせながら嬌声を上げて悶えるように腰をゆっくりと振る空。

 

顔はすでに赤くない所は無いほど赤くなっており、汗がだらだらと流れ、服をじっとりと濡らして、たわわに実った胸を透けさせる。

 

また、胸も眼の前の男に弄って欲しいとでも言うかのように、彼女の体勢で自由自在に形を変えて情欲を誘ってくる。

 

そして大凡十分程経ったところだろうか。

 

「ほら……触って? 落ちてくる…………よ?」

 

くちゅりという音、まるでペンキを伸ばす器具が奏でるようなネチャネチャとした音と共に、こぽりと粘液が垂れる。

 

「んっく……うああぁ」

 

そんな快楽にまみれた声と共に、ぬちゃあっと白い楕円球のようなモノが男の掌に落とされる。

 

人並の体温でねっとりとした粘液、いや、最早ゼリーに近いレベルの粘度の液体に塗れ、男の手をじっとりと濡らしていく。

 

彼が卵を受け止めた事に満足したのか、ふふふ、と震えながら笑って消え入るような声で言う。

 

「次は私とね……?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

次の日、漸く彼女の発情期は収まったようだが、ねっとりとした白い液に塗れた空の姿と死んだように眠る耕也を見て、お燐は発狂したように悲鳴を上げ、子供ができなかった事を感じ取ったお空はわあわあと泣いたという。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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96話 懐かしいというか何と言うか……

最近涙腺の緩みが酷い事になってる気が……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あまりにも毎日が充実しすぎてしまい、ついつい俺は現実世界に帰るという本来の目的を忘れかけてしまう事が幾度となくあった。

 

だが、忘れかけていたころに思い出させてくれたのは、何よりも楽しみしていた煙草であった。普段から何気なく吸っているのだが、ふと煙草のパッケージを見直した際に、現実世界にいた事を強烈に思い出させるのだ。

 

セブンスター、金ピ、ピースライト、赤ラーク、ハイライト。様々な煙草がある中で、俺はこれら5種程を主に吸っている。そして、1700年、1800年代にこれらの煙草は存在しない。

 

だからこそ、これらに強烈な望郷の念を思い出させられるのだ。何よりも普段から吸っているモノだから。見慣れたものであり、嗅ぎ慣れた物でもあり、味わい慣れた物でもあるため。

 

そして俺は今、化閃が老化に勝てず店を閉じてしまい、俺は今後どのように生計を立てていこうか迷っている最中である。とはいっても、日雇とかで食いっぱぐれないほどの稼ぎは得ているので、そこまで焦る程でもない。

 

妖怪達の子供が生まれたり、地上から追いやられてきた者達もまたいたり。そんなこんなを繰り返しているうちに、この地底も少々ではあるが人口が増えた。

 

また、お空たちともそれなりに仲良くやってる。うん、とくにお空が色々と積極的なのはお燐すらも呆れるほどであった。美人さんだから余計困る。嬉しい意味で。

 

博麗大結界ができたときには、もうそんな時代かと、紫の喜ぶ顔を見ながらそう思った。

 

それから、地底の妖怪達が外の世界では西暦とやらを使ってるんだぜと、少々小馬鹿にしたように話していたのを聞き、今は何年だと聞いてしまう。

 

そしたら今は1990年だと。

 

その言葉を聞いた瞬間に、俺は思わずポケットに入っていたセブンスターを見てしまい、随分と時代が進んだものだと実感してしまった。

 

セブンスターの発売は1969年。もちろん警告文が掲載されていない商品ではあったが、ソレが発売されてから20年程経っていたのだ。

 

この世界にセブンスターとやらがあるのかどうかは分からないが、大凡似通っている世界らしいので、あるのだろう。

 

上では先代博麗の巫女が色々と頑張っていたり、紫が妖怪達をなだめるのに大忙しだったり、結構苦労しているようだが、あいにく地底は平常運転である。

 

そして、週に二日ほど休日を入れていた時に、俺の家に現れたのが紫であった。

 

 

 

 

 

 

「外の世界に……?」

 

「ええ、そうよ?」

 

現れて開口一番彼女が発したのは、外の世界に見学をしに行かないか? という内容であった。

 

紫は、何とも楽しそうな表情で。でもどこか焦っているかのような目をしながら聞いてくるのだ。

 

一体彼女はどうして突然このような質問をしてきたのだろうかという疑問もあったので、少々聞いてみる事にした。

 

「どうして急にまた?」

 

そう俺が答えるのも、自分では無理も無いと思っていた。

 

確かに、現在幻想郷においては、外の世界の増長、科学の驚異的な発達により妖怪達が追いやられ、幻想郷に入ってきている状態である事は確かである。

 

そして、その外の世界に俺の存在は最早伝わってはいないのも確か。しかし、俺が外の世界に行っても大した経済活動はできないし、逆にこの事がバレたら地底の住民達からちょっとした反感を買いそうなのだ。

 

そんな事を思っていると、紫はちょっと面白そうなモノを見つけたとでも言いたそうな顔をしながら、俺に口を開く。

 

「人間の進歩ってのはすごいと思うわ? つい最近まで木でできた粗末な家に住んでいたのにも拘らず、今では無機質な白い土で天を目指すかのようにバンバン建てていく。少し、その中を探検してみるのも良いかもしれないわ。と思ったのよ。要はデートってやつですわ」

 

全部言わせんな恥ずかしいとでも言うかのように両手を合わせて言う紫。

 

そんなに人間の建てた建造物が珍しいものなのかなと思いながら、少しだけ考えてみる。

 

いや、考えるまでも無いだろう。この地底の連中にばれない様に紫に連れて行ってもらえればいいのだから。

 

と、考えた所で一つだけ重大な疑問、懸念が生まれてきた。

 

それは

 

「紫、外の世界に行くのは良いけれども、ちゃんと帰って来られる?」

 

そう、紫は妖怪。幻想の存在。外の世界から拒絶されている存在とでも言えば良いだろうか。否定が非常に強いその世界で紫の能力がキッチリと働くのかが心配なのである。

 

だからこそ、俺は念を押すように聞いて行く。

 

すると、紫はコクリと頷いて口を開く。

 

「ええ、力は相当削がれてしまうけれども、一応帰還ぐらいはできますわ。心配無用よ? いざとなれば耕也のじゃんぷとやらで帰ってくればいいのですし」

 

と、俺のジャンプの事も考慮して計画していたようだ。

 

まあ、使えなかったら俺が頑張るだけなんだが。

 

そう考えながら、俺はうんうんと頷くと、紫は納得したと受け止めたのか、俺に手を伸ばして一言。

 

「ほら、偶には行きましょう?」

 

「じゃあ、宜しくお願いします」

 

そう言って俺は紫の手を掴み、隙間の中を潜って行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

出た先は、予想していた通りの山の中であった。とはいっても麓に非常に近く、すぐにでも降りられそうな所であった。

 

桜がところどころに散見されており、桜色の中に少量の緑が混ざっているのが見て取れる。

 

風は地底と違って涼しく、そして心地よさを持つ新鮮さそのもを持っており、ずっと深呼吸をしていたくなる空気を運んでくる。

 

空気が澄んでいる。まさにこの表現が正しいと言えるだろう。

 

空は青く、ところどころに雲が散見している様も非常に好ましい。幻想郷内にある幽香の家に行っても、このように景色を堪能するという事は無かったから、余計に嬉しくなるのだ。

 

そしてカラッとした日差しの中に、日傘を差して佇む紫の姿は、貴婦人を思わせるほどの優雅さを醸し出していた。非常に絵になる。

 

すると、紫は此方を向いて一言

 

「さて、ついたわよ。ほら、来て?」

 

そう紫が言って、俺にこっちに来てと促す。

 

俺はその言葉に促されるままに紫へと近づき、手を握る。

 

「ねえ、どうかしら耕也。私は力が削がれるせいかちょっと不便に思うけど、耕也は外の世界をどう見るのかしら?」

 

難しい質問である。

 

恐らく彼女の意図は人間側としての感想よりも、妖怪側の感想として何かを言ってもらいたいのだろう。

 

彼女の考える事は、人間と妖怪の共存。もちろん、そのシステムは自殺願望者等が入って餌になってもらわねばならないという重大な欠陥を持つ。とはいえ、最早人肉を食らう妖怪は雑魚などで、数は少ない。

 

ただ、ソレら一切合切を含めて彼女は俺に対して意見を求めているのだろう。少し考え過ぎなだけなのかもしれないが。

 

そう俺がひたすら考えていると、紫は口元に拳をあてて苦笑する。

 

「ふふふ、耕也。そんなに難しく考えなくてもいいわ。思った通りに言ってちょうだい?」

 

そう言われてしまった。どうやら紫は俺の考えが良く分かっていたようで、俺の考えすぎだったようだ。

 

その事に少々恥ずかしく思いながら、俺は彼女の問いに応えていくこととする。

 

「そうだね。俺の印象としては……物凄く久しぶりで、感極まってるからちょっとずれてるかもしれないけれども。…………羨ましいと思った」

 

羨ましい。そうだ、確かに羨ましいのだ。こんなにも綺麗な空の下で暮らしていける人達が溜まらなく羨ましい。

 

光がマグマの反射光だけ。常に薄暗く、提灯を付けて商売をしている商店街。地上から追いやられ、そしてあの地底でひっそりと暮らしていく俺達。

 

唯ひたすらに羨ましく思った。そして、同時に懐かしくもあり、できれば此処に居を構えたいとさえ思ってしまったのだ。

 

だが、それは紫が許す事は無いだろうし、地底には俺と仲良くしてくれる友人もいる。

 

幽香達を放っておくことなんて到底俺にはできないしなあ……。

 

そこまで考えた所で、もう一つだけ願望が湧きあがってきた。

 

それは

 

(もう少ししたら、幻想郷の地上部分で暮らしてみたいなあ)

 

そんな感じの欲望である。完全に地上に生活を移す事はできないだろうから、商売をするだけでも許してもらいたい。地底出身は地上ではえらく嫌われてそうな印象を持つから。

 

いや、恐らく嫌な印象を持たれる事間違いなしだろう。俺はそんな事を考えつつも、紫の返答をひたすら待つ。

 

が、何時まで経っても返答が来ないので、俺はゆっくりと紫の顔を覗き込んでみる。

 

ドアノブカバーのような帽子の影によって作られたくっきりとした輪郭は、何とも不思議な顔をしていた。

 

何か多くの事を同時に考え込んでいるような、そんな思いつめた表情にも見えるし何か悲しそうな表情にも見える。そして怒った表情にも見えるのだから不思議である。

 

それは俺が何かしらの裏切りのようなモノをするとでも思っているのだろうか?

 

そんな事を考えていると、紫が口を開く。

 

「外の世界で暮らしたいかしら……?」

 

遠くに見えるビル群を指差して紫は俺に問う。

 

この返答によって何かが変わる。そんな気がしたのだが、俺は迷わず

 

「いや、流石にそれはね……」

 

羨ましいとは思うが、この世界は俺がいた世界ではないし、彼女の思っているような事は起らないだろう。

 

そして俺の返答に紫は心底安心したような表情を浮かべ、一言

 

「そう、なら良かったわ……」

 

彼女の安心しきったところで悪いとは思うが、もう一言俺は付け足す。

 

「できれば……幻想郷の地上で商売ができるようにしてもらいたいな……地底出身だときついだろうから……」

 

すると、紫はさも可笑しそうにころころと笑いながら

 

「ええ、もちろん。どんなものを売るのか楽しみだけれども、あんまり変なのは売らないでね?」

 

そう言ってくる。もちろん、PCなどといったオーバーテクノロジー関係を売るつもりはない。あくまで嗜好品である。

 

「大丈夫だって」

 

紫の言葉に俺がそう返すと、コクリと頷きながら

 

「では、あのビル群の中に行きましょうか?」

 

そう言って隙間を開く。

 

何時もより鋭さが無い動作は、それだけで彼女の力が奪われている事を如実に表していた。

 

だが、あえてそれに触れるような事は無く、俺は彼女に返事をする。

 

「そうだね、行こうか?」

 

そう言って同時に足を踏み入れた。

 

 

 

 

 

隙間を抜け、まず目に入ってきたのは、短い金髪をした美女。体つきは女性そのものであり、ふくよかな胸と安産型の腰を備えていた。

 

顔は彫りが深く、男を誘惑するような表情を浮かべて此方をじっと見てくる。そして艶やかな唇を開けて

 

「紫様、耕也。お待ちしておりました」

 

そう言ってきた。もちろん彼女の名前は八雲藍。

 

が、そこに藍がいた事に俺は少々疑問を持つ。

 

いや、勿論藍がいた事自体が嫌だったわけではなく、紫が前に行っていた言葉に疑問を感じたのだ。

 

「あれ、2人じゃなかったっけ?」

 

そう、彼女はデートと言ったので、てっきり俺は2人でこの都市を観光するのだと思ってしまったのだ。

 

すると、俺の言葉にふふんと得意げに笑いながら答えてくる。

 

「何も2人とは言ってませんわ?」

 

確かに、彼女は2人とは言っていない。言っていないし、人数を予告してもいない。つまりは俺の勘違いだったという訳だ。

 

だからと言って、俺の気持ちが削がれたという訳でもなく、むしろこれから楽しみが増えたという風にさえ感じていた。

 

「耕也、私がいたら不満かい?」

 

と、考えていたらそんな声が聞こえてきた。

 

ふと視線を移すと、俺の顔を真っ直ぐと見ながら、ニマニマと見返してくる藍がそこにいた。

 

これは拙いと思って、慌てて否定の言葉を述べて、彼女をなだめる。

 

「いやいやいや。むしろ嬉しいから大丈夫だって」

 

そう言うと、予想通りとばかりに、ニヤッとしながら紫の横に移動していく藍。

 

思いっきり弄られたのだろう。紫達に振り回されるのは何時もの事だから、特に気にはしないが。

 

「所で藍、紫。どこら辺に行くか決めてあったりはするの?」

 

そう言って今後の予定を聞いてみる。

 

すると

 

「いえ、私達もこの外の世界に来るのは久しぶりで……実は、予定は決めていないのよ。もしよければ、耕也の好きに動いてもらえないかしら?」

 

と、苦笑しながら此方に言ってくる紫達。

 

俺の好きなようにか……特に予定も無く、ブラブラと歩くのもまた一つの楽しみ方か……。

 

なら、適当に街を見学して、それで帰るとするかな?

 

そう考えながら、目の前に広がる人ごみとビル群を見渡す。

 

皆経済活動に勤しんでいるようで、俺達に構う事無く通り過ぎていくのが見て取れる。

 

自動車の型は古く、俺のいた頃よりは少々角ばっているような形をしたセダンが多い。

 

一応セブン・イ○ブンも通りには存在し、此処が現代に近い時代なのだという事を実感させる。

 

姿、形が違うとはいえ、似通った建造物の姿に、俺はまるで現代にいるのではないか。帰ってこれたのではないかという錯覚すらしてしまいそうだ。

 

だからこそ、この景色を羨ましいと感じると同時に見たくないのだ。二度と視界に入れたくない。もう一度見ただけで俺はボロボロと泣いてしまいそうだから。

 

だが、ソレを思いっきり我慢して、紫達に言う。

 

「じゃ、適当にブラブラしようか? お金は一応あるんだったよね?」

 

その言葉に2人は笑ってコクリと頷き、俺の横に並んでくる。

 

 

 

 

 

この懐かしいコンクリート、ブロックの感触を味わうようにしてゆっくりと歩く。この感触は現代と全く変わらない。昔の砂利のようなごつごつした感触や、地底の焦げたような土を踏みしめるボワッとした感触でもない。

 

無機質で、人をどこまでも拒絶するかのように堅い感触。何もかもが懐かしく、そしてこの感触を思い出させてくれた事が嬉しい。

 

自分が創造したような味気ないものではなく、ちゃんと人の手によって作られた道路。

 

俺の脚はこの感触を少しでも味わいたいためか、必要以上にゆっくりと歩いてしまう。

 

だが、藍達は特に俺に文句を言うまでも無く、楽しんで歩いている俺を嬉しそうに見てくれるのだ。

 

俺のわがままに付き合わせてしまって、申し訳ない。そう言いたかったが、この時代の商店街に入った途端に何も言えなくなってしまった。

 

巨大な金属製の門をくぐり一歩踏み入れると、そこには一直線の道に一杯の人と、両脇にひしめき合うように開いている店があった。

 

思わず身体が震える。泣いてしまいそうに嬉しい。こんな光景を見られるなんて、本当に嬉しいのだ。

 

二度とこのような光景を見る事は敵わないとさえ思っていた。だが、現実にこの光景が目に飛び込んでくる。

 

早くこの人ごみに紛れたい。迷子にもなってみたい。そんな普段は思わぬ様な願望が飛び出てくる。

 

そして自分自身の気持ちに驚きながらも、同時に嬉しく思い、俺は思わず

 

「い、行こうか? 二人とも」

 

そう言って、了解も取らずに歩みを進めてしまう。

 

「ま、待ってくれ耕也」

 

「焦らなくても店は逃げないわよ?」

 

その言葉を左から右へと流してしまうほどに。

 

カレー屋、ラーメン屋、花屋、巨大デパート。カラオケ屋、牛丼屋、煙草屋、ファミリーレストラン、コンビニエンスストア、自動販売機、道路標識、そして人、人、人、人。

 

今にも大きく笑い出してしまいそうなほど表情を綻ばせ、俺は歩いて行く。

 

そして、その中で俺は入ってみたいと思ったところが出てきた。いや、全ての店に入りたいのだが、俺はその中でもひときわ意欲をそそられる店に近寄って行く。その店は、煙草屋である。

 

「あはは、ライターまで売ってる! 紫、藍、煙草買っていいかい!?」

 

そう言いながら2人を見る俺。

 

2人は、苦笑しながらお金を渡してくる。

 

何も言わずに、唯渡してくれた。俺の気持ちがどんなに嬉しいのか分かってくれていたからこそだろう。

 

ありがとうございますと頭を下げて、店のお婆ちゃんにどのような煙草があるのか、どれが人気なのかを聞いて行く。

 

「セブン○ターが一番人気だねえ……どうだい?」

 

俺の質問に一番欲しい品物を提示してくるお婆ちゃん。

 

思わず

 

「やっぱセッターあるじゃん! よし、一つください!」

 

「あいよ、220円ね」

 

そう言いながら渡してくる。

 

俺はすかさず250円をだし、お釣り30円を貰って早速近くの喫煙所で火を付ける。

 

セッター特有の香りと、煙の味。紫煙を燻らせながら燃えていく煙草は、この現代に何ともいえない相応しさのようなモノを感じさせる。

 

美味い。ニコチンが回り、そして吐き出した後の味がよりこの場にいるという事を自覚させてくれる。

 

スパスパと吸いながら、次の二本目に移ろうとしたとき、声が掛かった。

 

「耕也?」

 

その声の方角に俺は慌てて視線を向ける。勿論そこには紫と藍がおり、2人とも苦笑していた。

 

「そんなに嬉しいのは分かるけど、デートの最中よ?」

 

と、言ってくる。藍はくつくつと笑いながら、俺に近づいて煙草を取り上げていく。

 

思わず俺はその場で頭を下げてしまう。

 

「ご、ごめん。ついつい嬉しくって……」

 

紫達は俺の行動に特に怒っていないのか、笑いながら答えてくる。

 

「大丈夫よ。でも、そんなに嬉しかったの?」

 

「いや、ね……本当に嬉しくってさ。こんな所で煙草吸うのも久しぶりで。本当に夢みたいでさ……」

 

紫は微笑んだ表情のまま

 

「そう、久しぶりだったのね耕也……。良かったじゃない、人間の進歩って事よねこれも」

 

「そうだよね。本当に懐かしくって懐かしくって……本当に嬉しくてさ…………」

 

俺の言葉を満足そうに聞いた紫は、うんうんと頷いて此方に再び口を開いてくる。

 

「そうね……なら、お昼時だし昼食にしましょうか? 耕也のお勧めの店を教えてちょうだい?」

 

「えすこーととやらだな耕也。期待しているぞ? ふぁみれすってのも良いかもしれないぞ耕也?」

 

そう言いながら、2人がくっついてくる。

 

「そうだね、俺のお勧めの店は―――――」

 

俺は2人に紹介する事が嬉しくて、足を弾ませる。勿論、高級レストランなんていける訳も無く、本当に唯ブラブラと。

 

美人なのに誰からも誘われる事が無い。不良達も避けていくほどの美貌と妖艶さ、存在感を醸し出す二人を連れて。

 

 

 

 

 

 

 

 

「藍……今回の事についてどう思うかしら?」

 

私の主が唐突に口を開く。

 

それは間違えようも無く、耕也と共に外の世界に出た事であろう。勿論、このない様について不満があったかどうかではなく、彼の行動についてであろう。

 

「ええ、そうですね。少々……どころではないほどよく知っていました。彼は初めてあの街に行ったのにも拘らずです……」

 

そう、彼はあんまりにも外の世界の事を知り過ぎていた。

 

アレは噂によって、他人から聞いてきた事としては到底片づけられない程の知識量である。

 

「その通りよ。そして何よりも」

 

紫様の言いたい事は私にも分かる。煙草である。

 

耕也が前に創造して吸っていた煙草の銘柄。アレと同じモノが外の世界でも売られていたのだ。

 

始め紫様が持ってきた時には私も大層腰を抜かしたものだ。一体どうしてこんなモノが外の世界で売られているのだと。耕也が外の世界で言う企業でもしたのかと疑うほどである。

 

そして耕也の使っていた家電製品とやら。これも彼の持っているモノよりは遥かに性能が劣るものの、似たような機能を持つモノで溢れていた。

 

彼は一体どのようにしてこれを手に入れたのか。

 

私は紫様の後に続くように言葉を紡ぐ。

 

「煙草や電化製品の事ですね?」

 

その言葉にこっくりと頷く紫様。

 

「その通りよ藍。アレは異常よ。何で来た事も無い、見たことも無いはずの店の名前やメニューを知っているのかしら? おまけに煙草を吸っている時に懐かしい、久しぶりだなんて言っていたのよ? 可笑しいとは思わない?」

 

と、何かを確信したかのように言ってくる紫様。が、その表情は解決しきったという爽やかなモノではなく、どこかまだ謎が残っているといったものだ。

 

確かにあの時に得た情報だけでは、完全に耕也の謎を解き明かす事はできない。恐らく自分自身の事はどうやっても口を開かないだろうし、私達もそこまでする大馬鹿者ではない。ただ、本当に知りたいのだ。伴侶の出身を、過去を、知識を。

 

だが、分からない。9割程分かっているのに、残りの1割が謎に包まれているため、全体像が見えなくなってしまっているのだ。

 

「彼は未来からやってきたという推測を立てた事はあるけど、それは強ち間違ってはいなそうね……恐らく耕也の持っている製品類は、アレらの延長線上に位置するものだわ。そして、懐かしい、久しぶりだと言っていたのもその未来の中で味わっていた事だと私は思う。けれども、それでも謎は残っている…………」

 

不思議なモノで、この未来から来たという言葉では不完全な部分が、私達の事についてなのだ。

 

彼は以前から。いや、知り合うよりもずっと前から私達の事を知っているようにすら感じる。実際に言った事は無いが、言葉の端々に滲み出ているのが分かるのだ。

 

「あともう少し……もう一息ね……何故これらを知っていたか……あの喜びようも引っ掛かるし、何とも歯がゆいわ……」

 

ふう、と息を吹きながら紫様は机に肘を付く。

 

だが、これだけは言える。耕也は未来からやってきた。これだけは間違いないだろう。合っている。絶対に合っているのだ。合っていなければ可笑しいのだ。でなければ全ての話し、耕也とのやりとりが瓦解するのだ。

 

今回の観光は、彼には失礼だったかもしれない。何せ観察も含めていたのだから。だが、彼を想っているからこそ私達は知りたかったのだ。

 

そこにどんな秘密があろうとも。知ってはいけない秘密であろうとも。

 

私達は欲に忠実な妖怪なのだ。だからこそ、知らない事も知りたくなる。人間よりもある意味貪欲なのかもしれない。

 

だが、待っていろ耕也。お前の全部を受け入れ包囲して蕩かしてやる。覚悟しろ。

 

紫様も同じ気持ちだろう。なんせ目が獣のように鋭いのだから……………………。

 

 

 

 

 

 

「もう良いよな? 誰もいないよな? 外部領域も広げたし、もう良いよな?」

 

そう自問自答するように、俺は布団の中で呟く。

 

誰かが答えてくれるわけでもないのに、俺はそう呟く。何故か呟かなければいけない気がしたのだ。

 

だが、自分でも誰もいないという事はすでに分かっているので、漸く自分のしたい事をする。

 

「いやったああああああああっ!!」

 

そう叫んで布団の中をどったんばったん足を暴れさせる。

 

「やったよ! ついにやったよ俺! あんなにうれしいのは久しぶりだ! マジでありえん!!」

 

ガッツポーズをしながら、暴れる様は傍から見ればキチガイの類であろう。

 

だが、そうでもしなければこの喜びを表現しきれない。

 

あんなに生き生きとした経済活動。天を差し貫くとばかりにそびえたったビル群。無機質な道路。雑踏の中を歩く騒がしさ。道端で吸うたばこの味。久しぶりに食べるファミレスや屋台のたこ焼き、鯛焼き、ベビーカステラ。

 

どれもこれもが懐かしく、そして忘れかけていた感覚を呼び覚ますものでもあった。

 

もう死んでもいい。そう思えるくらいの衝撃。嬉しさ。そして何よりも

 

「涙が出てきたじゃねえか…………」

 

感動からくる大粒の涙。

 

そして、その嬉しさからくる涙が出たと思えば、今度は急に湧きあがってくる悲しさ。虚しさ。

 

「現実世界はどうなってるんだろう……?」

 

最新の製品のカタログや、書籍情報等は脳内に直接来るが、あいにく自分の親や友人等といった身近な存在の事が全く分からないのだ。

 

だから、余計に悲しくなってしまう。

 

帰りたい。でも、想ってくれる紫達を置いて帰ることなんてもうできやしない。でも、親達の事が物凄く心配だ。事故にあっていないだろうか? 病気に掛かっていないだろうか? いなくなった俺の事をどう思っているのだろうか?

 

そんな事をついつい考えてしまうのだ。

 

数千年も生きておきながら、こんなにも望郷の念が強いままなのはきっと領域によって記憶が保護されているというのもあるのだろう。精神年齢も対して変わっていない気がする。

 

この長い時間を過ごす上で、一体何が必要になるのか?

 

ソレを良く考える必要があるようだ。

 

俺は枕にうずめ、涙を吸収させながらそう思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この観光が後々大失敗であった事に気付くのはずっと先の事であり、それがもう取り返しのつかない時期になっていた事に俺は予想する事も出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 



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97話 やっと出られたか……

やっぱこういう景色がないとね……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「最近の地上はどんな様子なんだい?」

 

そう俺は紫に向って呟くように口を開く。

 

たまたまこの家に来ていた紫は、茶をすすりながらこちらを一度だけ見て一言。

 

「大変なんてもんじゃないわ……妖怪たちも面倒なことをしてくれるし、今代の博麗の巫女もなんだかんだ言って結構大変そうだし……」

 

そう言いながら自分の肩を叩くようにしてため息をつく。

 

どうやら彼女は彼女なりに疲れがたまっているようで、しきりに何かをしてほしいかのように俺の方をチラチラとみてくる。

 

見かねた俺は、はいはい分かりましたよとばかりに立ち上がって、彼女の後ろに回り込む。

 

その様子を見て表情を綻ばせる紫。

 

ありがとうと一言呟きながら、肩を揉みやすいように姿勢を傾けてくる。

 

俺はそれに応えるように肩に手を置いて肩の凝りを解す様に力を込めていく。

 

が、ちょっと違和感がある。彼女の肩はこっているとは思えない程にやわらかい。が、彼女にとってはこれでも凝っている方らしい。

 

なんとも不思議ではあるが、とりあえず揉んでおく。

 

「ちょ、いったた……もう少し優しくお願い……」

 

と、なんとも痛そうな声を上げながら俺に力を緩めるようお願いしてくる紫。

 

「あ、ごめんごめん」

 

そう謝りながら力を緩めていく。

 

すると、先ほどとは違ってまた気持ちよさそうに目を細めていく。

 

なんとも心地よい時間。してる方もされる方も癒される、そんな時間。

 

さてさて、これからどうしたものかな。紫に昼御飯でも作ってあげようかという考えが浮かび始めた矢先、彼女から声がかかってくる。

 

「耕也……前に地上で商売をしてみたいと言っていた時期があるわよね?」

 

と、唐突にその話題を出してくる紫。

 

もちろん、其れは俺の言ったことに間違いはないので、素直に返していく。

 

「そうだね、その通りだよ紫」

 

その返事に紫はゆっくりと首を盾に振ってから一言

 

「ねえ、今日は下見を兼ねて地上を見て回らない?」

 

そう言ってきたのだ。

 

確かに俺は地上で商売がしたい。やはり人間たるものお天道様の下で暮らしたいという気持ちがあるうえに、俺が今のような不安定な職種に就いているというのも中々頂けない。

 

だからこそ、俺の最終目標としては人里のはずれでも良いから、煙草屋を営みたいのだ。

 

その願望を基に紫へと素直に言葉を伝えていく。

 

「大歓迎。是非お供させてもらうよ」

 

俺の返事に満足がいったのだろう。機嫌をよさそうにしながらうんうんと頷いていく。

 

外の世界に繰り出した事はあるが、まだ幻想郷の地上にまで行ったことはない。本来ならば逆の順番で繰り出すべきなのだろうが、あいにく俺はその逆になってしまっている。

 

とはいえ、それで俺が何かやばい事に巻き込まれるという事はないだろうし、何より今回は紫が同行してくれるのだ。何かが起こるという事の方が考えにくい。

 

そんな事を考えているうちに紫は肩の凝りがほぐれたのか、気持ちよさそうにため息をつきながら手をポンポンと叩いてくる。

 

それに俺は素直に応じ、肩揉みをやめていく。

 

すると、紫は立ち上がって俺の方を向き直り一言。

 

「さっそく案内するわ」

 

毎度毎度彼女たちに振り回されている俺は案外安全だったりするのかもしれない。あくまでかもしれない、ではあるが。

 

移動した先に着くまでそう時間はかからず、とはいっても隙間なのですぐに付くのは当たり前ではあるが、とにかく着いた先には視界いっぱいの緑と未舗装の砂利道。

 

黄色い砂と土が表面を覆うこの道は、なんとも田舎に来てしまったとでも言えそうなものがあった。

 

が、この前に行った都会と違って心が穏やかになる。都会に行ったときは心が踊り、笑って楽しむことができたが、今回はまた別の楽しみがあるのだという事を早々に理解させられたのだ。

 

ふうっと軽く息を吐くと俺はいつもとは違う空気を持ち、ニッコリとこちらを見て微笑んでくる紫の後を着いていこうとした。

 

 

 

 

 

 

八雲紫。もちろんこの幻想郷でその名を知らぬ者はいないであろう。ただしまともな思考回路を持つ者に限られはするが。

 

目の前の美女は、俺の前ではそういった強者たる特有の雰囲気を出さないのだが、俺達が地上に降り立った瞬間に周囲の空気が一変したのだ。

 

もちろんその原因は紫以外無く、ほんわかしていた地上の空気が鉄線で縛り上げたようにギリリっと緊張したのだ。

 

恐らくこの行動の本質は、自惚れてさえいなければ俺のためだろう。

 

他の雑魚妖怪から俺を守るため、そして妖怪の賢者としての威厳を周囲に放つため。

 

一見優雅に見えるのだが、触れれば切れてしまうかのような、日本刀のごとく鋭さを兼ね備えた凛とした佇まい。

 

妖力こそ放出しないものの、存在感だけで相手を怯ませることのできる圧倒的な存在感、威圧感。

 

事実ここに来た瞬間に俺を睨みつけた妖怪が、キャンキャン悲鳴を上げながら、文字通り尻尾巻いて逃げだしていったのだ。

 

とはいえ、どうも先程の妖怪は俺を食おうとしていたのではなく、単に不審者を見るかのような感じで睨みつけてきただけであったが。

 

そして、このきつい緊張を破ったのは、意外というかなんというか。

 

幻想郷でも見られる集団であった。

 

「あ、にんげんだ~」

 

「なんか妖怪もいる~」

 

「なんか強そ~」

 

「にんげんはよわそう~」

 

「悪戯してもいいかなあ?」

 

「怒られるよ~」

 

キャッキャッとそんな事を言いながら真ん前を通り過ぎていく妖精たちであった。

 

一瞬で緊張感が緩んでしまったのか、紫がげんなりしつつこちらを見て一言。

 

「これでも賢者ですからね?」

 

眉毛をハの字にしつつなんとも困ったような表情でそう言ってくる紫。

 

「うん、大丈夫。分かってるって……」

 

基本妖精たちは陽気な連中が多く、虫取り網で捕まえられそうなほどにおっとりほんわかした者もいる。

 

だから、紫の放つ威圧感等まるで気にしないという輩も結構いるのだ。

 

妖力を放出すれば、さすがに尻尾巻いて逃げていくだろうが。

 

紫は妖精たちが飛んで行った方向を見てげんなりしつつも、目的の場所を目指そうとするかのように手招きして歩き始める。

 

「今日はさすがに人里まではいけないけれども、この地で最も大切な場所に行くことにするわ。人里はまた後日。ごめんなさいね」

 

と、申し訳ないと口の間で右手チョップをする紫。

 

俺はそんな紫を見ながら、大丈夫だよと返事をしてから少々考える。

 

(幻想郷で最も大切な場所と言ったらあそこしかないよな……?)

 

と。

 

もちろん、その大切な場所とは幻想郷の維持を担っている最重要施設の1つ、博麗神社であろう。

 

俺をそんなところに連れて行っても仕方がない気がするが……。と、思うものの俺は紫に何かしらの考えがあってそう言った事をするのだろうと解釈する。

 

そして同時に今代だけではなく先代の博麗の巫女に会える可能性もあるのだ。

 

俺は紫に隠れてその事に期待し、自然と頬が緩んでしまうのだ。

 

が、それも途中で行き着いた大きな湖で状況が変わることになる。

 

「ね、この湖も結構きれいなものでしょう?」

 

そう言ってきた紫は随分とこの湖がお気に入りのようだ。

 

だが、その先にある赤い城のような館を見てちょっとだけ睨んだような顔になる。

 

まるで面倒なところに館があるもんだと思っているかのように。まるでこの美しい景観を破壊したものを見るかのように。

 

もちろん、その赤い館とは紅魔館である。

 

思わず俺は目をそむけたくなってしまうほどの毒々しい赤色である。

 

が、それよりも俺は彼女の不機嫌さが気になってしまい、思わず聞いてしまう。

 

「紫、どうかしたのかい?」

 

すると、紫はなんとも忌々しそうに舌打ちした後、呟くように

 

「いえ、ちょっと新参が我が物顔をしてるのが少しね……」

 

そう言ってくる。幻想郷の懐は深い。幻想郷は全てを受け入れるという事を言っている彼女にしては随分と過激な発言である

 

と、言う事はよほどこの時代の紅魔館は過激的なのかもしれない。

 

そこで俺は1つだけ思い出した事があった。

 

ああ、そうだ。確かスペカルールが定められていないから結構面倒なんだっけ?

 

と。

 

が、こういった真剣な話や考えも、雰囲気もまたもや闖入者によって吹き飛ばされてしまったのだ。

 

「久しぶりに人間を見るわ!」

 

そう言って湖面付近を低空飛行しながらこちらに突っ込んでくる青い何かがいた。

 

その青い何かは湖の青さでうまい事隠れてしまい、なかなか姿を確認することができない。

 

と、漸くその迷彩が解ける距離にまで近づいた時、俺はあっと口を開いてしまった。

 

背中に付いた、風によって低いうなり声を上げる六枚の氷。その氷は自然の力強さを表しているようで、非常に鋭く、分厚く、周囲の空気を白く濁らせている。

 

彼女の飛翔によって空気が冷たくなるのとは反対に、彼女の表情が陽気さそのものを体現したかのような快活な笑顔。

 

そしてそのまま彼女はこちらの目の前で急停止すると、後ろの羽のような氷をパタパタさせながら話し始める。

 

「あたいの名はチルノ! そこの金髪妖怪は知ってるけれど、あんたは見ない顔ね。 見た限り人間だけど、名前を教えてちょうだい?」

 

と、一気にまくし立ててくるかのように大声で。

 

金髪妖怪と言われた紫はもう嫌とばかりに顔をげんなりとさせるが、チルノはそんな事を全く気にせずこちらを見て返答を期待したような目を向けてくる。

 

なんとも困ったなと思いながらも、俺は目の前の妖精に応えるべく口を開かせた。

 

「ええと、自分の名前は大正耕也と申します……」

 

そう俺が答えると彼女はへえ、と言いながら俺たちの周りを回り始める。

 

三対の氷羽が彼女の動作に合わせてバタバタ動くので、なんとも騒がしい。

 

いや、音量自体はそこまで高くはないのだが、何せ周りが静かなものだから、この音が強調されてしまうのだ。

 

紫は相変わらずげんなりとした表情を浮かべてどこか遠くを見ている。

 

その姿には先程までの威厳さ、賢者たる凛とした姿などなく、ただただ何かに疲れてしまったサラリーマンの様に哀愁が漂っていたのだ。

 

藍がこの場にいたらおいたわしや紫様とでも言いそうなくらい今の彼女は可哀そうであった。

 

相当な威厳を振りまいているはずなのに、妖精達から無視されてむしろ存在感の無い俺の方が注目されるというなんとも悲しい状況なのだ。

 

そしてもちろん妖精最強、最も妖怪に近いか下手な妖怪を簡単に超えている力を持つチルノにすら放置されているのだ。全く持って悲しいだろう。

 

俺だったらなんとも言えない悲しみに包まれていたかもしれない。

 

心の中でそっと紫に謝りながら、俺はチルノの返事をひたすら待つ。

 

だが、一向に俺へと返事をしないチルノ。ただただ俺の事を面白そうに見てぐるぐると回る。

 

一体何がそんなに面白いのだろうかと思いつつ、彼女の行動をずっと見ていく。

 

そう、まるで彼女は俺の目を回そうとでもしているかのように何度も何度も回っているのだ。

 

すると、やっと何かを思い出したかのようにポンと手を叩いて、一言。

 

「あ、そうだ……人間を見るのはここにきて初めてだったわ!」

 

その瞬間に、熱気に包まれていた空気が一気に冷めてしまったのを感じる。

 

いや、温度ではなく雰囲気と言うべきか。とにかく冷めてしまったのである。

 

紫はあからさまに大きなため息をつき、俺もげんなりとしながらも彼女に尋ねる。

 

「ええと……それで私に何か用があるのですか……?」

 

そう尋ねてみると、チルノはよくぞ聞いてくれましたと言わんばかりに胸を張って、俺に大きな声で答えてくる。

 

「ふふふん、聞いて驚くがいいわ……一人ぼっちの人間であるあんたの遊び相手になって上げようと思ったのよ。こーえーに思いなさい!?」

 

まるで紫の存在すら忘れているかのような物言いのチルノ。

 

もちろんその疎外感を感じた紫はなんとも可哀想にしょんぼりとしながら背を向け始める。

 

大きくため息をつきながら、日傘をバスンと開いて日光の遮断を開始させる。

 

いつもより日傘の影が濃い気がしたが、俺はあえてそれをスルーしてチルノに一言。

 

「あー……ありがとうございますチルノさん。ですが今日はちょっと用事があるので、また後日ということにして貰えないですか……?」

 

そう俺が言うと、チルノはちょっとだけ残念そうな顔をしながら俺に口を開く。

 

「仕方ないわね……また今度にしてあげるわ! ちゃんとここに来なさいよ!」

 

そう言いながら紫には目もくれず飛び去って行った。

 

彼女がいきなり俺に話しかけてきたのはちょっと不思議であったが、少しだけ考えてみると分かった気がしてきた。

 

彼女は最強の妖精。それが一番の大きな理由であろう。

 

チルノは接した限りかなり好奇心が強い子だというのは分かる。知らないことに対して貪欲に行動するようにも見える。

 

また彼女は自分の力が強いという事を十分に自覚しているはずである。

 

よって一人でこの場に来た。少し前に妖精達がこの場を通り過ぎていったのにもかかわらず。

 

だから知らない人間に対して話しかけてくる。仲間を求めるかのように。遊び相手を求めて退屈をしのごうとするかのように。

 

なんて考えてもみたが、所詮この考えは俺の憶測にすぎないし、彼女が特に不満に思っていないことなど十分にあり得るのだから。

 

そう自分の考えにけりを付けると、俺は紫に声をかける。

 

「ゆ、紫……?」

 

日傘をさして哀愁漂わせる紫に一言。

 

まあ、彼女がしょぼくれる気持ちもわかる。

 

なんせ彼女はこの幻想郷の中でも最強の妖怪。自らの口でも言ってはいたが、同時に賢者でもあるのだ。

 

様々な計算を短時間でこなし、自らの計画を寸分の狂いも無いように綿密に立てられる天才。

 

そして表れた瞬間に振りまかれる強大な妖力。圧倒的存在感、威圧感。

 

にも関わらずだ。先の妖精達には全く通じなかったのだ。

 

頭が弱いのか、ただただ危機感が無いだけなのかは分からないが、彼女の事を素通りしなおかつ金髪妖怪などと言ってのけたのだ。

 

おまけに妖精最強のチルノにはいない者扱いまでされるし。

 

そりゃあ賢者としてのプライドその他諸々が傷つくだろう。

 

と、俺はそう予測しながら一言声をかける。

 

「あまり気にしない方がいいよ……? 妖精だし……」

 

そう俺の言葉が功を成したのか、紫はふう、とため息を着いてからこちらに振り返る。

 

「まあ、そうよね。気にしても仕方がないわ。目的の場所まで行きましょう?」

 

紫はそう言って歩みを進めていく。

 

と、言われたは良いものの、どこが目的地なのか全く聞いていないため皆目見当がつかない。

 

そう思いつつも、今彼女にここで聞いてしまうよりも後々はっきりさせた方が楽しみも増すだろうと思い、俺は素直に紫の後を付いていく。

 

ふとそこで先程の紅魔館がちらりと目に入る。

 

やはり異様な雰囲気というか、威圧感とでも言うだろうか。この時代はまだ幻想教が物騒だからかもしれないが、そのような受け取りになってしまう。

 

「やっぱり地上で商売するなら挨拶するべきなのかねえ……」

 

自然とその言葉が口から飛び出てしまう。

 

紫にも聞こえない小さな声ではあったが、其れが不思議と脳内にこびりついて離れてくれない。

 

だが、自分の言葉に対してすぐに否定の意見を入れていく。

 

(人里周辺で商売をするのに一体どうして紅魔館に挨拶をしなければいけないんだ……咲夜が声を掛けてきたらふつうに返せばいいだけのことだろう……)

 

そう、まさにその通りである。紅魔郷に自ら身を投げ込むわけでもなく、自分が紅魔館に商売を仕掛けていくことも無いのだからどう考えても接点が無いはずなのだ。

 

あったとしてもそれは人里で見かけたりライターを買ったりする時だけだろう。

 

そう、だから心配する事はない。

 

紅魔館の彼女達と会って会話をしてみたいという僅かな欲求を抑えつけ、俺は彼女の後を追う。

 

 

 

 

 

 

 

 

一種の観光目的で来たは良いが、予想以上に距離が長い気がする。

 

あとどれぐらいなのかと聞いても紫は秘密と口に人差し指を当ててニッコリと笑うのみ。

 

未舗装の坂道をゆっくりと上がっていくにつれて、体への負荷が経時的に増加していく。

 

適切な酸素を送り込むために心拍数が増加し、脳が更なる酸素を求めて呼吸を荒くさせる。

 

劣悪燃費な脳に恨み事を言いたくなるものの、考えることも億劫になったので景色を楽しむこともせずにただただ単純作業をこなす様に足を前に出していく。

 

歩くことによって僅かに上下する視線が段々と大きくなると、ついに俺は右隣にある木に手を付いて大きく深呼吸する。

 

すると、前を歩いていた紫がこちらを振り返ってふふふと笑う。

 

「ほらほら、もう少しで着くから頑張りなさいな?」

 

俺とは真逆に、紫の額には汗一つ無く、極めて涼しげな表情でこちらにエールを送ってくるのだ。

 

ここでもやっぱ妖怪と人間の違いが表れるのだなあと思ってしまう。

 

そんな感想を持った事を察したのか、紫は扇子を開いて

 

「煙草吸ってなんかいるからよ……?」

 

と、少々咎めるように。

 

はい、申し訳ありません。私の体力不足が全ての原因であります。

 

そう思いながらも、息苦しさに口から言葉が出ず、顔の前で右手チョップをかます。

 

すると、仕方がないわねと言いながら、俺の方へ近寄って気に背を預ける。

 

「もう少しと言うのは本当よ? 貴方に是非会わせておきたい人物がいるの。私が娘のように育てている子にね……?」

 

と、なんだか含みのある言葉を乗せて言ってくる紫。

 

俺はこの長い坂道と彼女の言葉から、ひょっとして会わせたい人物は……?

 

と、ちょっとだけ期待を乗せて彼女に向って頷く。

 

俺が思っている事が正しければ恐らく会わせたい人物は彼女……。

 

 

 

 

 

 

 

「着いたわ……」

 

そう紫が呟くと同時に、俺はこう思った。

 

やっぱり彼女でした。と。

 

境内のゴミを掃き、紫の姿を認めると箒を放りだしてトテトテと走ってくる小さい女の子。

 

サイズや髪の長さこそ違うものの、すでにゲームと同じ衣装を着ているその姿。

 

大きな赤いリボンのようなものを髪につけ、赤を基調とした巫女服に身を包んだちんまい娘。

 

もちろんそれは

 

「紫、お帰り」

 

「ただいま霊夢!」

 

この幻想郷最重要人物であり、最強の退魔師、幻想郷最強の異変解決者である博麗霊夢その人であった。

 

紫がしゃがみこみ、走ってくる霊夢を受け止めると、ギュッと抱きしめて呟く様に話す。

 

「ちゃんとお留守番できたかしら?」

 

そう言うと、霊夢は嬉しそうにコクコクと頷きながら同じように紫を抱きしめて

 

「うん、ちゃんとできた」

 

そう報告をする。

 

その様子に満足したのか、紫は霊夢の頭を撫でながら境内の方に向かって手を振りおろす。

 

すると、紫の指示に従っていたのかは分からないが、鳥に似た何かは動きを止めて木像となる。

 

恐らく使い魔か何かだろうと俺は判断しつつ、境内の中をじっくりと見ていく。

 

外の世界の神社は非常にボロボロとなっているらしいが、内部の神社はそのようなことは一切なく、あたかも建造ほやほやのようにすら感じられるほど劣化していない。

 

鳥居は赤々と自身の存在感を振りまき、石畳は何の風化も感じさせない。、

 

その様にお驚いていた俺は、彼女に言われるまで気がつかなかった。

 

「紫、この人誰?」

 

ちょっと睨みつけるかのように、俺の方を指さして質問をしてくる霊夢。

 

何と答えたらいいだろうか? 唯の人間ですよとでも言えばいいだろうか? いやいや、其れだと確実に嘘だと言われてしまう。初対面でいきなり嘘を良く吐く男だと思われたくはない。

 

とはいえ、俺が人間であるということに変わりはないのだが、大妖怪である紫と一緒に来たという時点でもはや人間扱いするのは難しいだろう。

 

そして何か良い言い訳等はないかなあと思いつつ、俺は1つだけいい案が思いついた。

 

それは久しく名乗っていなかった職名。地底では元なんて事も言って色々と頑張った時期もある。

 

だが、今回はその名を名乗るのに非常に都合がいいのではないかと感じてしまったのだ。

 

なぜなら、博麗霊夢が巫女であるという理由だからである。

 

原作では彼女は修行などはほとんどしない。いや、むしろしなくても最強なのだ。

 

だが、それでも危うい場面は幾度となくあったのかもしれない。俺はそこを無くしてみたいと思ったのだ。

 

なんとも自分勝手で憶測も甚だしいが、それでも俺自身がちょっとでも助けになればなと思い俺はこう言い放った。

 

「初めまして。自分は大正耕也と申します。ええと……博麗霊夢ちゃん……博麗ちゃんで良いかな?」

 

そう言うと、霊夢は一瞬戸惑ったような視線を紫に向けながらも、チラチラとこちらを見てコクリと頷く。

 

俺はそのしぐさになんとも言えない懐かしさを感じつつも、表情は崩さずに言葉を返していく。

 

「良かった、合ってるね……。じゃあ、まずはよろしくの挨拶と言う事で――――」

 

そう言いつつ俺は右手を出してよろしくを求める。

 

「握手しよう?」

 

霊夢は突然差し出された右手におっかなびっくりしながら、紫をチラチラと見やる。

 

紫はその霊夢のしぐさがかわいいと感じたのか、微笑みながら大丈夫よと言ってあげる。

 

その言葉にゆっくりと頷いた霊夢は俺に右手を出して。

 

「―――――――っ!!」

 

触れた瞬間に、まるで電流でも流れたかのように、手を離してしまう。弾かれる様に。

 

その瞬間に、俺は思わず

 

「あっ!?」

 

と、声を上げてしまう。これはもちろん霊夢に拒否されたことではなく、自分自身の行動の愚かさにである。

 

そう、恐らく、嫌確実にであろうが霊夢が手を引いてしまった理由は俺の領域にあるだろう。

 

先程切り忘れてしまっていたのだ。阿呆なことにも。

 

もちろん、この領域は相手の力を封ずる効果があるため、強大な力を持つ霊夢にとっては忌々しいモノ以外の何物でもないだろう。

 

なんともひどい事をしてしまったな、と心の中で自己嫌悪と申し訳なさがぐるぐると渦巻いてきた。ゆえに俺は領域を全てOFFにしてから、改めて手を差し出そうとする。

 

 

「紫……やっぱこの人何か変よ……?」

 

と、霊夢が言ってきたのだ。

 

変。確かに普通の人間とは違って創造を扱えたり色々と便利なことはできるが、まあ直接言われるとなんとも虚しい気持ちになる。

 

しかも、子供とはいえ霊夢は自我がとんでもなくはっきりと確立されているのだ。

 

「触った瞬間に力が抜けた……」

 

だからこそ、自分の身に起きた現象を確実に判断し、其れを言葉として口から出すことができる。

 

触った手を見てからこちらを睨みつけるような視線を放つ霊夢。

 

よほど衝撃的だったのであろう。恐らく彼女が紫に稽古を付けられてから一度も経験したことのない感覚。

 

力を封ずる側の彼女が初めて力を封じられる側になってしまったのだ。

 

だからこそ、彼女はあれほど驚き、俺を怪しみ、怒ったのだろう。

 

「む~……」

 

未だにこの感覚を忘れられないのか、霊夢は唸りながら自分の右手を見続ける。

 

とはいえ、それで諦める俺がいるわけもなく。

 

紫が霊夢に

 

「霊夢、失礼でしょう?」

 

と言うのを手で制し、再び右手を差し出す。

 

「さっきはごめんね。でも今は大丈夫だから」

 

そう言うと、霊夢は自分の手と俺の手、そして紫の三点を順々に見つめながら、数秒。やっと手を出す。

 

「ん……」

 

俺はその手を握って、ゆっくりと上下に。

 

霊夢はこういったことはあまり経験が無いのか、ちょっとだけ恥ずかしそうに赤面させる。

 

俺もなんだか恥ずかしくなってしまいそうだが、そこを何とか抑えて手を振る。

 

そして、十秒くらいの長い握手の後、やっと手を離すと霊夢は顔をさらに赤くさせて、トテトテと走って紫の後ろに隠れてしまう。

 

紫はその姿に苦笑しながらも、俺に向かって

 

「握手には慣れてないのよ……ごめんなさいね?」

 

「いやいや、大丈夫だって……」

 

そう言うやり取りをしていると、紫のドレスから顔を出してきた霊夢が一言。

 

「紫……大正耕也とどうして一緒に来たの?」

 

そう言うと、紫は俺が言おうと思った事を手で制し

 

「耕也は私の友人よ……?」

 

そうニッコリと答えるのだ。もちろん、俺も同じことを言おうとしていた。

 

だが、彼女には俺の言おうとしていた事は分かっていたらしく、こちらにウインクをしてきたが。

 

俺はそれに右手で笑いながら応え

 

「博麗ちゃん……自分は陰陽師って仕事もしてるんだ……」

 

そう言ってやる。

 

彼女がこの先危険な目に合わない様に、先程考えた事を今言ってみるのだ。

 

すると、霊夢は陰陽師という言葉に馴染みが無いのか、少し首を傾げただけで何の反応も返さない。

 

紫はそんな霊夢の反応に苦笑しながら、口を開く。

 

「霊夢……陰陽師と言うのは、霊夢と同じような仕事をするのよ……? 退魔師と言ってもいいかしら。とにかく霊夢?」

 

そこで紫は言葉を切って、霊夢の興味を惹かせる。

 

霊夢は紫を見上げるように、目を瞬かせて顔を見る。

 

紫はそんな霊夢の様子に満足するように、コクリと頷きながら口を開く。

 

「頑張らないと耕也が霊夢を抜かしてしまうわよ?」

 

そう、ここではあえて俺が下だと言っておくのだ。

 

実に俺の考えを良く分かっている紫。

 

霊夢は基本的に競争心が低いため、追いつけないなどといった突き放し等はあまり有効ではない。

 

だが、抜かされる、追いつかれるなどと言った少々煽りを強めにした言葉の場合だと

 

「何かいやねそれって……突き放すわ」

 

と、簡単に乗ってくれるのだ。

 

後は、その競争心を基に紫が最強の巫女に育て上げてくれるだろう。

 

俺は霊夢が言った事に対して、褒めてあげようと思い口を開く。

 

「お、負けないよ博麗ちゃん。でも良く言ったね……えらいえらい。ご褒美にたかいたかーいってしてあげよう」

 

そう言いながら、俺は両の手を前に突き出して受け入れる準備をする。

 

が、霊夢は紫の裾を掴みながら、プイと顔を横に向けてしまう。

 

先程の握手での事がまだあとを引いているのか、それとも唯子供扱いされているのが気に食わないのか。はたまた、唯単に恥ずかしいだけなのか。

 

そのどれともつかぬような顔をしながらそっぽを向く霊夢。

 

そして、そのままの顔で

 

「私、空飛べるからいいわよ……」

 

そんな事を言う霊夢。

 

勿論彼女は空を飛ぶ程度の能力を保有しているし、その能力を使って空を飛ぶことができる。

 

だからまあ、こんな事をされたくないという訳の材料に使ったのだろう。

 

まあなんというか、これも予想できたことなのかもしれないかも知れないが、俺には予想できなかった。

 

外見から判断して7歳程度の彼女らしからぬきっちりとした物言いにはさすがにまいった。

 

普通ならこの年ならたかいたかいくらいは普通に強請ったり受け入れたりするのだが……。

 

まあ、会ったばかりの得体のしれない男にされるのも気持ちが悪いと思われてるだけなのかもしれないが。

 

そんな事を思っていると、今まで傍観していた紫が突然声をかけてくる。

 

「あら、霊夢がしてほしくないのなら私がしてもらおうかしら……?」

 

と、霊夢に意味ありげな視線を送りつつ紫がこちらに近づく。

 

そんなことで霊夢が釣られるわけがないだろうと思っていると、意外にも霊夢が口を挟んできた。

 

「紫って年取ってるし重そうだから無理なんじゃない……?」

 

「なぁっ!?」

 

わずか7歳程度の少女のその痛烈な一言。

 

紫にとっては一生物のきつい言葉に違いない。むしろ大妖怪相手にそこまで言えるのは博麗の巫女故と言ったところか。

 

だが、言われた本人は溜まったもんではないだろう。現に言われた紫はプルプルと顔を赤くしながらうつむいている。

 

「ま、まあまあ紫、相手は子供なんだから……」

 

爆発しそうだと思った俺は、紫を鎮静化させるために声をかけていく。

 

すると、紫は俺に手をさっと出して制するように合図を出してから霊夢に向かって一言。

 

「おやつ無しにするわよ? 人に向かってそう言う事を言ってはいけません。分かった?」

 

思いっきり子供の弱点を突いたその物言い。もちろん言われた霊夢は口をへの字にして

 

「え~………………はあい、ごめんなさい」

 

と、すぐに折れて謝る。

 

紫は、其れに満足したようにため息をついて、まだまだやんちゃなのよねこの年は……と言ってから

 

「ほら霊夢。耕也は別に怪しい人じゃないから、少しだけ甘えさせてもらいなさいな」

 

紫は、先ほどの諭すような口調とは違って、極めて優しい口調で促していく。

 

言われた霊夢は少しの間だけ考えた後、自分にとって有利であると判断したのか、俺にトコトコと近寄ってくる。

 

そして、顔を赤らめながら

 

「ん…………」

 

両の手を突き出してくるのだ。その仕草は今まで見たなかで一番かわいいといっても過言ではない。

 

こちらを必死に見上げ、恥ずかしさを隠そうとするためか目を閉じて精一杯背伸びをして抱えてもらおうとしてくるのだ。

 

可愛くないわけがない。

 

とはいえ、勿論俺は外見的な意味でロリコンではないので純粋に可愛いと思うだけであるが。妹に対する評価に近いだろう。

 

俺はこの懐かしさを堪能しつつ、ゆっくりと霊夢を抱えて持ちあげる。

 

両脇に手を入れて持ちあげる霊夢は、今まで持ったどの荷物よりもずっと軽く感じ、まるで体重が無いかのようにすら感じるのだ。

 

「おお、軽い軽い」

 

持ち上げられた霊夢は、赤い顔を更に赤くして頬をぷっくりとさせる。

 

「ほーれ、高い高い!」

 

と、おもむろに俺は霊夢を一番高い所、つまりは腕をピンと伸ばした所まで一気に持ちあげたのだ。

 

すると、いきなりの高度の変化に驚いたのか、眼を丸くさせて固まる。

 

俺はそれに構わず、腕を折り曲げて霊夢を下に下ろしていく。そしてすぐさま思いっきり持ちあげる。勿論彼女の身体に負荷がかかり過ぎないように十分留意しながら。

 

そして、その高さを上げ下げしていくごとに、霊夢の表情はふくれっ面から段々と笑みへと変わり、そして

 

「ふふふ、あははははは!」

 

年齢相応の笑い声を上げるようになったのだ。

 

何とも嬉しそうに、笑う顔。本当に年齢相応であると俺は思った。

 

とはいえ、この表情を浮かべるのはこれが初めてではないだろう。今回はたまたま俺という闖入者がいただけであって、ソレが打ち解けるようになったまでというだけのもの。

 

俺はそう考えながら、霊夢が酔わない様にそっと地面に下ろしてやる。

 

下ろされた霊夢は、紫の元へと走って行き、足に抱きつく。

 

あらあら仕方がないわねえ。なんて言いながらも嬉しそうに紫は彼女を抱きとめ、背中をポンポンと撫でてやる。

 

今日は俺にとっては特別な日。

 

幻想郷ができてから初めて地上に昇る事が出来た特別な日なのだ。

 

だが、今回はたまたま霊夢に会う事が出来たが、次回は何時会う事ができるか分からない。此処には参拝者が来るのだが……もし俺が此処に入り浸っているという良からぬ噂がたてられたら、それこそ霊夢が危ない。

 

だから、今回は特別なのだ。

 

紫が完全に俺が商売できるようになるまで。

 

妖怪達の住む山の中なら、人と出会う事も無いだろうから、こっそりとなら地上に出られるだろうが、流石に重要拠点に行く事は今後もきついだろう。

 

後10年程経てば俺も出られるようになる。そう俺は予測を立てていた。

 

嬉しそうに遊ぶ紫と霊夢を見ながら…………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うにゅ……耕也~……大丈夫……?」

 

「き、筋肉痛が…………いったたたたたたたたあ! 攣った攣った腕攣ったあああああああ!」

 

翌日酷い筋肉痛になりました。無理はするものではありません。

 

 

 

 

 

 

 

 



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98話 よく負けるよね俺って……

さて、此処までがにじファンに投稿していたものですね。次からは新規となっております。
宜しくお願い致します。


突然の音には誰だって驚くって……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

じゃんけん。

 

それは、日本でも外国でも多く使われている勝負法。

 

悔恨を残しにくい勝負法の一つであり、人数が多ければ多いほど引き分けの確立が多くなる。

 

勿論、勝つには相手の目や表情、癖、性格、タイミングなどが重要になってくるものであり、中々に奥が深いモノである。

 

そして4人で行った場合、自分が勝つ確率は7/27、引き分けが13/27、そして負ける確率が勝つ確率と同等という何とも面白い勝負になるのだ。

 

だからこそ、先ほどの相手の表情などが必要になってくる。相手が策士ならば……

 

「じゃんけんぽん!」

 

この掛け声とともに、グー、チョキ、パーの内一種を選定し勝負の場に繰り出していく。

 

「耕也、今少し遅かった! 後出しは卑怯だよ!」

 

「いやいやいやいや、お空のほうが絶対に遅かった!」

 

「どうでも良いから次出してよ!」

 

こんなやり取りが日常茶飯事にならなければ、もっと面白いのだが……。

 

眼の前のお燐はしきりにこいしの方を見てどのような手で来るのか予測し続ける。

 

対するこいしは、能力のせいで何を考えているのか分からない事を利用し、予測をさせまいと必死になる。

 

お空は俺に勝つ事を目的としているのか、俺の方をしきりにチラチラと見てくる。

 

お燐はグー、俺はパー、お空はチョキ、こいしもチョキ。

 

これがお互い望んでいる対戦相手なら勝敗は決しているのだが、いかんせんこの勝負は4人で行われている。よって、この場は引き分け。

 

こいしはお燐にガン見されているのが気に食わないのか、む~む~言いながら拳を撫でている。

 

「次こそ勝つ!」

 

そう言ったお空は、にやっとしながら俺の方を見てくる。これに買ったからと言って俺に何かできるわけでもないのに、彼女は非常に好戦的である。

 

とはいえ、負けたら負けたで面倒くさい仕事を押し付けられるため、此方も必死にならざるを得ない。

 

この勝負により決定される勝者は2人、敗者は2人となる。

 

そして敗者に押しつけられる仕事は、何故かさとりの願望を叶えなければならないという何とも困った代物。

 

その願望は口に出すことすら億劫とならざるを得ない……。

 

勿論、俺が何故これに参加しなければならないのか、一切聞かせてもらえないので、文句たらたらである。

 

心の中でブツクサ言いながら、次に何を出すか決めていく。

 

「いい? 次はちゃんと出すんだよ?」

 

と、こいしが俺達を見回して口を尖らせて言ってくる。

 

勿論、これは今日の一日を決めかねない勝負なので、皆真剣である。

 

その言葉にコクリと俺達は頷き、一斉に場の中心を見据える。

 

一回だけ深呼吸してから、俺は叫ぶように

 

「出さなきゃ負けだよ最初はグー! じゃんけん!?」

 

「「「「ぽん!!」」」」

 

この言葉が重なった瞬間に、己の勝利という願望を乗せた手を差しだす。

 

「負けたあ! ちっくしょう!!」

 

「うにゃあああああああああああああ!!」

 

「いやったああああああ!」

 

「お姉ちゃんの言う事聞かずに済むううううううう!!」

 

結果は俺とお燐が負け、お空とこいしが勝ってしまった。

 

俺は強制的に参加させられただけで、この仕打ちである。神様なんていなかった。いや、そんな事を言うと風神と祟り神に怒られるから口には出さない。

 

でも、悔しいです。なぜなら

 

「今の絶対後出しだってこいしさん! モロ後出しだった!」

 

「負け犬の遠吠えにしか聞こえないよ~? 証拠はあるの? 証拠は」

 

完全に後出しだったくせに、頑として認めず更には俺を猛烈に煽ってくるというおまけつきがあった。

 

お燐も悔しそうにこいしとお空を見るが、さすがに主人を非難する事はできないため、うにゃうにゃ言って足をバタバタとさせる。

 

が、此処で言い争っても仕方がないし、何よりも用事が終わらない可能性も出てくるので、俺は溜息をつきながら一言。

 

「しっかたねえべー、お燐さんや行こうかいな?」

 

と、何ともアホらしい口調でちょろかす事にした。

 

すると、お燐も俺の意図を汲んでくれたのか、ふうっと溜息をつきながら、此方に近寄ってくる。

 

「じゃあ、行ってきますよこいし様、お空?」

 

「今日の夕方には戻ってこれると思うから……。行ってきます」

 

そう言いながら、俺達は玄関の扉を開けて出ようとする。

 

すると、まだ勝利の余韻が抜け切れていないのか、ニヘラニヘラしながら手を振ってくる2人。何とも羨ましい。

 

「いってらっしゃ~い」

 

「お土産よろしくね~」

 

などと意味不明な事を言われながらも、俺達は地上へと出ていく事にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねえ、お燐」

 

地底の出口付近に近寄ってから、俺は燐に尋ねる。

 

この声に、お燐はなんとも言えない表情をしながら

 

「んにゃ?」

 

と、ぼやけた声で応じてくる。

 

勿論、尋ねたいことと言えば

 

「俺達って何を取りに行かせられるんだい……?」

 

そう、未だ俺は彼女たちから何を取ればいいのか全く知らされていないのだ。

 

だから、俺は地上に出る前に彼女に聞く。

 

すると彼女は頬笑みから一転、なんとも申し訳なさそうな苦笑いをしながら、こちらに顔を向ける。

 

そしてにゃはにゃは言いながら、その内容を述べてくる。

 

「いやね、さとり様がどうしてもぜんまいを食べたいって言っててさ……それも天然で魔力に満ち満ちたの。もうすごく天然物にこだわっててさ……」

 

と、なんとも面倒なことを仰せつかったものだと思った。

 

しかし知らずとはいえじゃんけんに参加したのだから、参加せねば彼女たちに悪いだろう。それに、俺の矜持が許さないのもあるが……。

 

そんな事を考えたところで、さとりの事について考えが浮かんできた。

 

ぜんまいの魔力入り天然物にやたらと拘るところに少しの疑問を覚えたのだ。

 

一応前に紫から聞いた話によると、野菜を栽培しているところは地上にもあるようだ。ならば、ぜんまいを栽培しているところもあるのではないかと俺は思う。

 

が、さとりは人間と親しみが少ないため、其れに頼るのは嫌なのかもしれない。

 

地底に来てしまった俺とは、そこまでギクシャクすることはなかったのだが、それでも彼女が人間に対して良い感情を持ってはいないという事は感じ取れたのだ。

 

だからこそ、俺はこんな推測をしてしまう。

 

そしてこの推測を行うと同時に、別の疑問も浮かんできてしまう。

 

「俺の創造した奴じゃ駄目なのかい……?」

 

そう、俺だったら普通の天然物でも創造できる。それこそ幻想郷ではなく、現代に作られたぜんまいの水煮だって創造できる。

 

それを創造してしまえばいい事ではないか。そう思って俺は彼女に尋ねたのだ。

 

すると、それもさとりのさとりの想像の範囲内だったのか

 

「さとり様が耕也の創造に頼る事だけはダメだって言ってた……」

 

と、なんとも残念そうな顔で言ってくるのだから、こちらとしてはなんとも言えない気持ちになる。

 

一体何でこんなに拘るのか。先程の推測通りだったとしても、俺の創造ならほとんど関係無いと俺は思うのだが……。

 

とはいえ、こんな事を考えていても仕方がないので、さっさと採集に行くことにする。

 

が、またもやここで疑問が浮かんできたのだ。

 

それは

 

「地底の妖怪って地上に来ちゃいけないんじゃなかったっけ……?」

 

そう、確か干渉禁止だったはずなのだ。

 

紫と鬼、さとりの間で交わされていた条約事項のはずなのだが、彼女は聞いていないのだろうか?

 

いや、むしろそれを知っておきながらさとりは彼女にこのような命令をしたのだろうか?

 

もしそうだとしたら、ちょっとばかり彼女もやんちゃなのだなと思ってしまうだろう。

 

 

「いや、耕也が一緒に行くなら問題ないって八雲が言ってた~」

 

ああ、だからこそ俺はじゃんけんに参加させられたのかと思った。では、負けた時はどうするんだと思ったが、これ以上色々と話してもあまり意味はないだろうと思い

 

「そうだったのか……まあ、そうだよね普通……」

 

と、少し雑にではあるが、そう返しておく。

 

紫の許可が下りているのなら問題はないだろうと。なら、いつも以上にこそこそとしなくてもいいと。

 

そう思い俺は、彼女に言う。

 

「地上の人間にばれない様になるべく慎重に行こうか。地底の住人だってばれると厄介になるからね」

 

そう俺が燐に言うと、燐は合点承知とばかりに強く頷く。

 

それを見た俺は、燐と一緒に一歩踏み出す。

 

(あ、そもそも禁止にはなっていなかったっけ……? 紫も上手い事縛り付けるなあ……)

 

そんな事を思いながら。

 

 

 

 

 

 

地上と地底を結ぶ穴。出口付近はほんの少しだけ緩やかではあるが、そこから急角度の坂となり、転べば延々転がり続けてしまうであろうというほどの勾配を誇っている。

 

それに加えてこの全てを飲み込んでしまいそうな程暗く、そしてそこが見えないのだ。当然誰も近づこうとは思わないだろう。

 

地底の出入り口についてそんな事を考えていると、燐が困ったような声を上げる。

 

「ここからどこに行こうか……?」

 

そんな事を俺に言われても困る……申し訳ないが。

 

俺だってこの出口を利用するのは初めてで、勝手が全く分からないのだ。

 

前回地上に出た時は、紫の隙間を使っていったものだから。何せ紅魔館が近くにあったのだから驚きである。

 

とはいえ、最終目的は博麗神社であったので特に問題はなかったが。

 

俺は、ふうっと息を軽く吐いてから左方向に首を捻って景色を確かめていく。

 

「あれは妖怪の山かな……?」

 

この幻想郷の中でも随一の標高を誇るであろう妖怪の山。

 

天辺は雲が蔽いかぶさっており、なんとも絵本に出てきそうな山だなと思ってしまう。

 

とはいえ、実際は絵本に出てくるようなのほほんとした山ではなく、天狗を筆頭とした、強力な妖怪達が住んでいるちょっと物騒な山なのだ。

 

まあ、天狗は縦社会なので、そこまで無礼なことをしでかさなければ大丈夫であろう。俺のような人間が、無断で立ち入ってバーベキューをしたりしなければ……。

 

他にも懸念事項はあるのだが、それは俺だけに関する事だから、そんなに気にする必要はないのかもしれない。

 

「ねえ耕也、あのデッカイ山なんてどうだい? 山菜がたくさん採れそうじゃないか。前に地上の特徴を聞いたことがあるんだけど、あれが妖怪の山って奴だよ!」

 

やっぱり気にしなくてはならない様だ。

 

「ダメダメ、絶対にダメ。あの山に入ったら俺が攻撃されちゃうから」

 

そう、俺が何よりも懸念している事項は、妖怪の山にいるある人物。いや、妖物。

 

「なんだいなんだい? 地上の連中が怖いのかい耕也は。……もしかして天狗とか?」

 

まさにドンピシャリである。

 

そう、俺が今現在妖怪の山で最も恐れているのが天狗である。っそして、その中でも取分け危険視しているのが、烏天狗の某射命丸さんである。

 

あの広大な山だから、見つかる可能性は決して高くはないだろう。しかし、相手は凄まじい速さで空を駆ける烏天狗。

 

見つからないとは限らないし、見つかったら見つかったで非常に厄介なことになる事間違いなしなのだ。

 

「うん、天狗がちょっと苦手……」

 

ちょっとどころではない、妖怪の中では苦手ワースト1になる程である。それもぶっちぎりで。

 

何せ、俺が諏訪の地を離れてからいきなり厄介事に巻き込まれたのが烏天狗なのだ。

 

おまけに文が俺の事を食ってやると面と向かって言ってきたのだ。いやもう勘弁願いたい。

 

いや、すでに紫に肩を齧られはしたが……。

 

ああ、駄目だ駄目だ。色々とやばいものが頭の中に蘇ってくる。

 

俺はこのトラウマにすら近い思い出を、頭をガンガン振ることによって無理やり奥底に閉じ込めて、お燐に言葉を紡ぐ。

 

燐は俺の顔を見ながら、俺の気持ちを察してくれたのか

 

「大変だねえ耕也も……」

 

そう言いながら、お燐はなんとも言えない微妙な表情をしながら目を細める。

 

なんじゃいその苦労する孫を見守る祖母のような反応は……。

 

と、そんな感想を持ったはいいものの、年齢に関してはタブーなはずなので、俺はそれを口に出しはしない。

 

まあ、そう言った訳で彼女には普通の返事を返しておく。

 

「まあ、ね。ちょっと前にいざこざがあってさ……」

 

そう、今行くのはちょっと心の準備ができていないし、もし本当に拘わらなければならないのなら、俺は風神録あたりで十分かなと思っていたのだ。

 

だから、俺は今あの山に行くのは反対である。

 

とはいえ、ソレを推していくならば、何かしらの代替案が必要なのも事実。

 

何かないかなと何げなく首を左方向に向けてみると、妖怪の山とは別なものが目に入ってくる。

 

適当に見たときには特に何も感じなかったものの、少し気にしながら見ていくと、他の森とは雰囲気、様子が違うのが分かる。

 

「ん? 燐、あれは……?」

 

と、俺はその森に向かって手を伸ばして彼女に見るよう促す。

 

その動きに釣られたのか

 

「うん?」

 

そう言いながら、視線を移していくお燐。

 

すると、先程の山を見つけた時よりも、顔を輝かせながら嬉しそうに話しだす。

 

「あれは魔法の森だよ! こいしさまに聞いたことがあるけど、瘴気が立ち込めて魔力濃度も高いのさ。あそこなら良いゼンマイがとれるよ!」

 

と、なんとも嬉しそうな顔をするお燐。

 

もし、これで妖怪の山に行かずに済むのなら、俺は魔法の森に喜んで行こう。

 

だから

 

「じゃあそこに行こう、お燐さんや」

 

と、なるべく急ぐように促すのだ。というよりも、彼女の気持ちが変わらないうちにさっさと入ってしまいたい。

 

人間にとっては有害であるとかそういった懸念事項は数多くあるだろうが、領域がある俺にはさしたる問題ではないだろうと高をくくって。

 

そんな俺の様子に気がついたのかは分からないが、お燐は

顔をちょっと二やつかせながら

 

 

「もうちょっと耕也の困る顔を見てみたかったんだけど、まあそこまで言うなら行こうか?」

 

と、微妙にうれしくない言葉を残しながら森方面へと足を進めていくお燐。

 

勿論、一応俺達は協定違反を犯している輩になるので、地上で飛ぶことはできない。

 

あんまりにも目立つ行為をしてしまったら、さすがに紫も無視はできないだろうし。

 

だから、俺達は徒歩で魔法の森へと足を進めていく。

 

ジャンプを使う手もあったのだけれども、まあ景色を見ながらってのも目の保養には良いだろうし。

 

 

 

 

 

 

 

魔法の森。それは俺が見た感じ1つの隔離された土地にすら思える。

 

それは、まるで切り取られたかのように他の森とは一線を画した雰囲気を持ち、何よりも連続して植わっているべき大木がまるで一定の距離を置くかのように生えている。

 

魔法の森があり、其れを切り取るかのように雑草地帯が周りを覆い、そしてそれを障壁とするかのように他の森がひしめき合う。

 

まるで、魔法の森を潰そうとするかのようにも見えるし、それに怯えているようにも見える。

 

なんとも言えないこの雰囲気に俺とお燐はゴクリと唾を飲み込みながら、お互いに顔を見合わせて一歩ずつ足を踏み入れていく。

 

雑草地帯から森へと入った瞬間に、領域が常にONの状態となり、こちらの意思で解除することができなくなる。

 

それによって、完全に魔法の森に入ったという事を俺に伝えてくる。

 

先程の透き通った視界とはまた違った、ほんの少しだけ黄色く濁ったかのように感じさせる視界。

 

なんとも言えない気持ち悪さを醸し出してはいるものの、俺の健康には何の影響も及ぼしていないため、其れは良しとする。

 

問題はお燐である。先程とは違い、今度は瘴気入りの空気の中に入ったのだ。何かしらの影響はあるだろう。そう思いながら俺は彼女に視線を移していく。

 

 

「いやあ、瘴気入りってのは結構気持ちがいいものだねえ」

 

なんともないようである。いや、むしろ彼女にとっては気持ちの良いもので俺の心配など端から必要無かったらしい。

 

俺はその様子に安堵か何か分からないため息をつくと、獣道すらない森の先を見つめていく。

 

いや、ひょっとしたら俺達が気づいていないだけで、本当はそういった道もあるのかもしれないと思いながら、俺は歩みを進めていく。

 

瘴気を含んでいるためか分からないが、明らかに他の草よりも硬い気がするのは気のせいだろうか? いつもよりも足に来る衝撃がきつい気がする。

 

とはいえ、気がする程度なので、大した差はないのかもしれない。

 

お燐はしきりに木の根っこを見つめて何かないかと探していく。

 

ああ、そうだ。俺も探さないといけないんだった。

 

「お燐さんや。まだこの辺にはゼンマイは無いんじゃない? むしろもう少し奥の方な気がするけど」

 

そう、ちょっと俺も探してみたのだが、どうもこのへんに自生している様子はない。

 

おまけに俺の知っている天然物のゼンマイであるという可能性は1つも無いのだ。

 

瘴気を含んでいるという事前提である時点でもう俺の知っているゼンマイではないと言う可能性なのだ。

 

そして、俺の言葉を受けた燐は探すのをやめて

 

「確かにそうかもしれないねえ……じゃあ、もう少し奥に行ってみる?」

 

と、言いながら俺の返事を待たずに、奥へと足を進めていくお燐。

 

相変わらず俺は妖怪に振り回されてるなと思いながら、俺はお燐の後についていくように足を進めていく。

 

生い茂っている草をお燐は猫特有と言うべきか、爪の長い手を振り回して、草をスパスパと刈っていく。

 

そのおかげで俺も歩きやすくなっており、彼女の行為に頭が下がるばかりである。

 

まあ、俺が回転のこぎりで草を刈っていけば問題ないのかもしれないが、1つ問題がある。

 

それは、騒音である。

 

基本的に高回転で草を刈っていく丸鋸は、触れた瞬間に想像以上に大きな音を出してくる。

 

つまり、この騒音によって森に住む妖怪達を集める可能性もあるのだ。

 

だからこそ、俺は燐のやっている事を傍で見守ることしかできない。まあ、普通の鎌を振ることもできるのだが、其れだと丸鋸よりも操作が面倒くさい。

 

俺はそんなことを考えつつ、お燐にお礼の言葉を言う。

 

「お燐……ありがとうね」

 

そんな言葉を受けたお燐は、俺の方を見ずにケラケラ笑いながら

 

「いやいや、自分のためにもなるし、別に気にしちゃあいないよ」

 

と言ってくる。

 

やっぱ、妖怪はサバサバしているなあと思った。

 

だがまあ、人間にこう言った性格の輩がいないとは言わないが、かなり珍しい部類になると思った。まあ、俺が人間と接する時期が少ないというのもあるかもしれないが。

 

そんな事を思いながら、彼女の後ろ姿を見ながら、俺はゆっくりと歩を進めていく。

 

瘴気がうっすらと漂っているせいか、他のよりも暗く感じるこの森は、なんとも言えない不気味さも醸し出しており、それも人を遠ざける1つの要因になっているのではないかなと思ってしまう。

 

だがまあ、攻撃を食らう心配の無い俺は、そんなにびくびくしながら歩く必要はなくただのんびりと歩けばいいだけ。

 

のはずなのだが、人間の本能がここでも出てくるのだから、なんとも面倒くさい。

 

物陰から襲われはしないだろうかなどと言う心配等は、人間として正しい行動なのだから、特に問題はないだろう。臆病かどうかは別として。

 

「ねえ、耕也?」

 

自分の行動にに色々と考えを巡らしていたら、お燐が話しかけてくる。

 

前を向きつつ、草を刈っているお燐からは表情が読み取れないが、恐らく少し笑っているような印象を受ける。雰囲気とでも言えばいいだろうか。

 

俺はそれに迷わず

 

「どうしたんだい?」

 

と、返事をする。

 

すると、お燐は突然止まってこちらを振り返る。

 

そして、なんとも言えない困ったような笑いを浮かべながら、後ろを指さす。

 

「奥の方に家があるんだけど……」

 

俺はその瞬間に、え? と声を上げながらお燐の指さす奥の方を見てみる。目を細くさせ、鋭く見つめてみる。

 

すると、このうっすらとした霧のようなものから、ある人工的な輪郭が浮かび上がってくるのだ。

 

それだけで、お燐の言っている事は正しいのだろうということが分かる。

 

「確かに見えるね……」

 

が、誰の家かは分からない。まあ、大凡としては二人に絞られるのだが、そのうちの一人はまだこの森には住んでいないと見てもよいだろう。

 

だから、自然と彼女に限定されるのだ。

 

勿論、その限定された人は

 

(たぶんアリス・マーガトロイドさんなんだろうなあ……)

 

そう、自然と彼女に限定されてくるのだ。もしも、俺の予想が外れていなければの話ではある。

 

公式設定で、実はこの魔法の森にはたくさんの魔法使いが住んでいました。だなんて新設定が浮かんでこない限り。

 

そんな事を考えながら、その建物に釣られるかのように、俺の脚は前へと進んでいく。

 

お燐は俺の服を後ろから掴みながら、同じようにゆっくりと進む。

 

が、そこで背筋がまるで氷を当てられたかのように冷たくなった。

 

まさに一瞬かつ強烈な出来事であり、自分の行動が一体どのような意味を成そうとしているのかを把握する、考え直すための十分な切っ掛けとなった。

 

なんとも嫌な予感がしてきたためか、自然と俺は足を止めてしまった。

 

さすがに必要以上に近づいて住民を刺激する理由などない。ましてやここは魔法の森、おまけにスペルカードルールが制定される前。何をされるか分かったものではない。

 

地底と言う立場が重くのしかかるのを感じながら、俺はお燐に言う。

 

「歩き始めた俺が言うのもなんだけれども、やっぱ迂回してみない……?」

 

すると、お燐はなんとも不満そうな顔をして俺に向かって口を開く。

 

「なんでさ~。せっかく民家が見えてきたのに、其れを見逃すなんて手は悪手だって!」

 

そう言いながら、前に進もうとするお燐。

 

お燐が前に一歩踏み出した瞬間に、増してくる重圧感。空気が一気に冷え、何者をも拒むかのような冷たい視線。だが、どこから来るのか分からない。

 

そして背筋の妙な震え。ぶるりと震えた後にもゾクゾクと震え、そしてチリチリと首筋が痛くなってくる。

 

お燐もやっと周囲の空気の変化に気がついたのか、汗を垂らしながら苦笑いを浮かべてくるしかできない。

 

俺はそれに静かに首を縦に振ってこたえることしかできない。と言うよりも、これ以上何か話すと色々と拙そうな気がするのだ。

 

「ねえ、耕也……?」

 

この殺気にまみれた空気の中良く話せるなと思いながら、俺も口を開いて震える声で

 

「な、何……?」

 

お燐は、コクコクと首を縦に振りながら

 

「あの家を見るのは、ま、また今度にしようか……?」

 

今度という選択肢が浮かんでくるのは、予想外であった。

 

この冗談ともとれる言葉が、殺気を放つ人物には何とも言えない不快感を及ぼしたのか、ギシりと重圧が増してくるのだ。

 

「いや、さすがにその言葉はダメだって……」

 

そういう返事を返すことしかできない。

 

なんともひどい有様になっているのだ。これほどの殺気を感じるのは何時以来だろうかとでも言うべきものであった。

 

「そうよね? さすがにその言葉はナンセンスよね……?」

 

俺の背後から別の声が聞こえてくる。

 

一瞬にして背中から汗がぶわっと噴き出し、ひどい恐怖感に襲われる。普段なら恐怖よりも驚きの方が勝るのだが、今回はどういうわけか恐怖の方が勝ってしまった。

 

俺はゆっくりと後ろを向こうとするが、この恐怖と焦りによって後ろを向く事が出来ない。

 

だが、周囲の状況を把握するためにも、俺は首を回して確認をしていく。

 

お燐は青ざめた顔で、苦笑いをしながらこちらを見てくる。

 

俺はそれに震えた唇を必死に動かして、笑みを浮かべる。

 

そして俺が笑みを浮かべた瞬間に、周囲の空気がブレ、この空気を放っている原因の1つが姿を現した。

 

それは、俺のある意味予想していた通りであり、そしてそれが現実として表れてくると、ギャップに戸惑いが生まれてくる。

 

その姿は、ランスを持ち、かわいらしい容姿をした小さな人形達がこちらを威嚇しているのだ。

 

恐らく姿を隠していたのは、アリスの魔法によるおかげなのだろう。

 

だが、もう限界である。

 

「だから駄目だって言ったじゃないか……」

 

限界だから、思わず言ってしまう。

 

いや、別にお燐の事を怒っている訳でもないが、ちっとばっかし危ない事はよしてほしい。

 

これが別の妖怪だったら即攻撃されていたのかもしれないし。

 

とはいえ、この状況はやばい。本気でやばい。

 

何とか誤解を解かないといけないのは確かである。

 

が、彼女に一体どのようにして怒りを鎮めてもらうのか。そこが問題である。

 

俺は両手を上げながら、アリスの様子を伺おうとする。

 

「変な動きはしないでもらえるかしら?」

 

と、その声とともに、突きつけられていたランスが更に距離を詰めてくる。

 

その鋭い先端が迫ってくると同時に、思わずうっと声が出てしまう。

 

そして、そのはずみで目が左へと向き、お燐の顔が目に入る。

 

彼女にも勿論刃物が突きつけられており、苦笑いしながらにゃはにゃはと言っている。

 

が、目だけは笑っておらず、どうやってこの場を切り抜けようかという事だけは良く伝わって来た。

 

ふと、その瞬間に俺の脳に声が響いてくる。

 

(耕也、聞こえてる?)

 

勿論その声はお燐。

 

通常内部領域でこの声は届かないのだが、なんとか最近になって柔軟性を持たせることに成功している。とはいえ、本当にほんの少しの柔軟性ではあるが。

 

攻撃能力のない、悪意の無い手段である念話程度というものではあるが……。

 

(耕也、聞こえてたら一回瞬きしてもらえる?)

 

俺はその声が聞こえた瞬間に、瞬きを一回して聞こえているという事をアピールする。

 

すると、彼女はそれに満足したのか、ほんの少しだけ口角を釣りあげて

 

(さっきはごめん、ちょっと好奇心が祟って……。それと、少し彼女の事を聞き出したいから、話をしてもらえる?)

 

と頭の中に話しかけてくるので、俺は恐る恐る背後にいるアリスに話しかける。

 

「あの、どなたか存じませんが、どうしてこのような事を?」

 

というと、なんとも微妙な間が空いた後、アリスはゆっくりと話し始めた。

 

「そうね、少し急すぎたわね……。でもね、貴方達が禍々しい気を振りまきながら私の家に近づこうとしているのなら、見過ごすことなんてできるわけないわよね?」

 

禍々しい?

 

彼女の言葉に俺は少しの疑問を持った。

 

一体何が禍々しいのだろうと。特に俺達は何か……ああ、もしかして

 

「禍々しい……ですか?」

 

「そうね、禍々しいと同時に懐かしい匂いもするわ……」

 

そこで一度彼女は言葉を切り、軽く息を吸う音がしたかと思うと、言葉を紡ぎ始めた。

 

「禍々しいのは、二人からする……地底の焦げ臭さ、怨霊の放つ負のオーラ……」

 

やはり匂いで地底出身か何か分かるのだろうか? いや、それとも妖怪である彼女に分かるのであって、人間には感知できない程のものなのだろうか?

 

どことなく悲しい気持ちになるものの、俺は彼女の言葉をひたすら聞いていく。

 

「そして、男の貴方……本当に懐かしい匂いがするわ。何年ぶりかしら。…………魔界の匂いなんて……ね?」

 

その瞬間、周りの空気がさらにギシりと重みを増した気がした。

 

彼女の言葉からは怒りの空気を感じ取ることはできないが、俺の事を相当怪しんでいるということに間違いはないだろう。

 

「魔界の匂い……?」

 

そして、俺はあえてその事について聞いた。

 

彼女の出身地は魔界であるという事に間違いはないだろう。もちろん、彼女が神綺から生まれたということもあっているはず。

 

さて、彼女は一体どのような答えを出すのだろうか? という考えを浮かべながら、俺は彼女の言葉を待った。

 

「そうね、私の名前から少し教えてあげようかしら。……私の名前はアリス・マーガトロイド。人形遣いよ。そして、貴方から発せられる魔界の匂い、瘴気のかすかな臭いは、私の故郷の匂いとまるで同じなのよ……」

 

やはり彼女の言葉から発せられたのは、本名と出身地であった。

 

とはいえ、彼女の口調は依然堅く、なかなか警戒を解いてくれない。

 

まあ、当然と言えば当然だろう。何せ地上を追いやられた人間、妖怪がのこのこと地上に出て、この魔法の森にいるのだ。疑わない方がおかしい。

 

挙句の果てに、人間が妖怪と一緒にこの地底にいるのだ。訳が分からないだろう。

 

俺が彼女の立場だったら、間違い無く疑ってかかるだろう。そして、このように警戒の姿勢を崩しはしないだろう。

 

しかし、今俺の立場としては彼女の警戒を解かなければどうにもならないため、なんとかしたい。お燐が今必死で考えを張り巡らせているだろうし。

 

だから、俺は彼女に言葉をかけ続ける。

 

「その……アリスさんの家に近づいたのは謝ります。申し訳ありません。ですが、ちょっとここの付近で見つけたいモノがあるのですが、通過させていただけませんか?」

 

と、そう言いながら、俺は燐の考えをひたすら待つ。

 

「そうね、確かにそれだけなら問題は無いわ……でもね、少し違うことに興味を持ったわ……?」

 

その言葉に俺は嫌な予感がした。そう、背筋がゾクリと震えるような冷たさ。ピリピリ来る殺気のようなものではなく、身震いをしてしまうような不気味さを醸し出しているのだ。

 

次の言葉が来るのがなんとも怖く感じる。

 

そして、その予感は俺の杞憂ではないという事が次の言葉で分かった。

 

「貴方がどうして、どうやって人間の体で魔界に入ったのかしら? しかも貴方は相当濃い瘴気に晒されたということが匂いから分かる。一体どうしてかしら? 人間なのに……」

 

アリスは、俺の耳元でなんとも言えない愉悦に満ちた口調で囁いてくるのだ。

 

再び彼女の言葉によって背筋がブルリと震える。

 

早くこの状況から抜け出したいという気持ちが俺の心を支配し、お燐の方を見てみる。

 

お燐は、そんな俺の状況を察してくれたのか、再び念話で話しかけてくる。

 

(耕也、返事は先程と同じで。………………うん、大体彼女の性格や脱出法は立てる事が出来たよ……それと、面倒くさいことさせてごめん)

 

俺はこの言葉を聞いて、特に怒っていないのだから気にすることはないと思い、その意味も込めて一回だけ瞬きをする。

 

そして、この言葉にお燐は口角を少しだけ釣りあげてからさらに念話を送ってくる。

 

(ありがとう……。それと逃げ出す話は簡単。彼女は人形に対して意識を割いているから、其れを削いでやればいいのさ。……耕也、彼女の集中を削ぐような手段って持ってる?)

 

と、なんとも微妙な提案をしてくる。

 

まあ、ある事にはあるが……。そう思いながら俺は一回瞬きをする。

 

確かに彼女の言わんとしていることも分からなくはない。要は、戦いをなるべく起こしたくないという事だということぐらい。

 

俺も同じ気持ちである。地底出身の者たちが地上で騒ぎを起こしたら、さすがに拙い気がする。……とはいえ、俺たちなら何とか紫に見逃してもらえるという可能性はあるが。

 

俺はふうっと軽く息を吐いてから、彼女に対してどんな事をしていこうかなと思ってしまう。

 

考える。自分達の立ち位置と特性を利用してどのレベルの妨害で、逃げ出すことができるかを考える。

 

やはり、閃光系だろうか? 一応俺の持っている妨害系では、其れが最も効果を発揮し、なおかつ相手を傷つけることのない手段でもあるのだ。

 

いや、迷うことなくここは閃光系を使うべきだろう。

 

俺はお燐の方に目配せをして、何とか攻撃の手段を見つけたという事を伝えていく。

 

まあ、明確に伝わるわけはないので、何となくでいいから伝わるように口角を釣りあげておく。

 

すると、俺の意図をくみ取ってくれたのか、お燐の顔もニヤッとなる。無論、アリスに見えない様に。

 

俺は彼女の反応を見て満足してから、アリスの死角に紙で包まれた黄燐を創造してやる。

 

お燐は俺の創造したものを見た瞬間、閃光系だと感じ取ったのか、目を薄くする。

 

「ねえ、応えてくれないかしら……?」

 

そこで、アリスが俺の事を不審に思ったのか、不機嫌そうな声で問うてくる。

 

そろそろ、俺達の行動がばれる可能性も出てきているため、ここら辺が頃合いだろう。

 

まあ、この行動をすればどう考えても後々俺の不利になりそうな気もするが、背に腹は代えられぬという言葉の通りなのである。この状況に関して言えば。

 

だからこそ俺は

 

「お答えします。…………それはですね」

 

俺はそう言いながら、黄燐に対して着火の準備をする。

 

「それは…………?」

 

アリスが俺の言葉に追従するように口を開く。

 

よし、今が一番。

 

「それは……こういう事ですよ!」

 

俺はアリスの目の前に黄燐を出して、一気に着火をする。

 

燃え移った瞬間、凄まじい光を出して燃えていく黄燐。俺はそこに酸素を集中させてやり、更なる光と燃焼を促す。

 

煙を激しく出し、自身を熱と光に変えていく黄燐。

 

「ぐっ……!」

 

突然の閃光をモロに受けてしまったのか、アリスは俺の首付近から手を離して自身の目を覆う。

 

うめき声を上げて、必死に光から逃れようとする。

 

ゆえに集中力が一気に無くなってしまったためか、人形達が動きを停止してしまう。

 

半自動とはいえ、彼女が混乱してしまえば其れに釣られてしまうのだろう。

 

「お燐!」

 

俺はその瞬間が一番逃げやすいと考え、彼女の名前を叫んで手を掴む。

 

「ちょ、ちょっと!」

 

お燐が驚いたかのような声を発したが、そこまで俺が気にしている余裕などない。

 

とりあえず、今は彼女の攻撃範囲から逃れるという事が肝要なのである。

 

「こっちだ!」

 

俺は彼女の返事も待たず一気に走っていく。

 

「ま、待って!」

 

燐がそんな声を出しながら、必死に俺についてくる。

 

だが、俺よりも身体能力がある燐は、すぐさま体勢を立て直して俺の後ろぴったりに付いてくる。

 

「ま、待ちなさい!!」

 

後ろからアリスの声がする。だが、待てと言われて待つ奴などいない。

 

むしろ待ったらひどい目に会うのだから、俺は待つつもりなど毛頭ない。待たない、うん、待たない。

 

ザクザクと土、枝、草を踏みつけて走り続ける。草が当たる事など気にせず、木の幹を避けつつアリスの視界から一刻も早く消えようと必死に走り続ける。

 

が、ある程度走ると段々と息が荒くなっていき、速度が落ちていく。

 

だがもう彼女は追いかけてはこないだろう。

 

お燐は俺とは対照的にまだまだ体力に余裕がありそうであった。

 

羨ましいと思いつつも、それが俺の体力になるわけがないので、更に息が荒くなっていく。

 

瘴気にうっすらと覆われた薄暗い森。当ても無くどんどん走っていく。

 

すると、突然目の前に光が差し込んでくる。

 

俺はそれに少しだけ笑みを浮かべながら、止まることなく駆け抜けていく。

 

勿論、その光はこの森から抜け出たという証であり、なんとも空気がうまく感じる。

 

「抜けた!」

 

燐が嬉しそうに叫ぶ。

 

俺も嬉しいが、叫ぶほどの余力がない。コクコクと頷いて、そのまま走る。

 

まだ安心はできないからだ。心配性な俺もいるから仕方がないとはいえ、やり過ぎな気もしてきた。

 

そして、更に走り続けていると、今度は目の前に大きな湖が広がるようになる。

 

そこで俺たちは漸く脚を止め、湖岸で息を整えていく。

 

 

 

 

 

 

 

「一体何であんなに不機嫌だったんだろうねえ?」

 

と、お燐。

 

まあ、彼女の言っている事も分からなくは無い。

 

実際、俺達があの家付近に近寄っただけで、あそこまで敵意を示されては困惑するしかない。

 

もし彼女があそこまで敵意を見せる理由を推測するとしたら、次のモノが挙げられるだろう。

 

一つ目は、彼女が俺達のような地底出身を心から嫌っているという可能性。

 

勿論、これは余り可能性としては高いものではないが、一応候補として挙げておく。

 

次に二つ目は、彼女が何かしらの高度な機密を家に保持していて、近づくモノに対して異常に敏感になっていたなど行った事である。

 

可能性としては二つ目の方が大きいと俺は思った。

 

何せ、彼女は魔法使い。秘匿すべき技術が山ほどあるはずであり、その技術を盗みに来た輩という認識があったと考えた方がより自然なのだ。

 

とはいえ、魔法については全く分からないので、どう言ったモノを研究してるのかは人形ぐらいしか分からない。

 

まあ、あくまで俺の推測にすぎないのであって、本来の理由は全く違うという事もあるのだが……。

 

俺はそんな事を考えながら、燐に答える。

 

「まあ、何か大事なものでもあったのかもしれないね……」

 

現時点ではそう言うことしかできない俺。まあ、俺も燐も大した理由を考えたりはできないのだから、仕方がない。

 

俺の言葉を聞いた燐は、つまらなそうに口をとがらせながら、ぶーたれる

 

「結局何にも取れなかったし……あー残念。……というより耕也、じゃんぷとやらを使えば良かったじゃない」

 

と、今度は俺の行動に文句をつけてくるお燐。

 

まあ、確かに使えば良かったのだが、あまりの彼女の剣幕に、その手段が思い付かなかったなんて口が裂けても――――

 

「ごめんなさい、思い付かなかったであります」

 

言うしかありませんでした。

 

その言葉にお燐はジト目で俺の方を見、そして溜息を吐いて一歩踏み出す。

 

そして右足を軸にしてクルリと回って此方を向き、口を大きく開く。

 

「耕也、次やったらぶっ倒れるまで酒飲ませるからね!」

 

と、ニッコリと笑いながら脅してくる燐。なんとも感情の起伏が激しく感じるのは気のせいか。

 

「分かった分かった……次は何とかするからさ」

 

そう俺が返すと、燐はニコニコしながら

 

「じゃあ、もう一回取りに行こうか。今度は近づかない様に!」

 

そう言葉と共に俺達は足を一歩前へと踏み出す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その瞬間爆発に似た音共に地面が少し揺れる。

 

地震程ではないが、間近で大型トレーラーが通り過ぎた時のような小さな揺れ。

 

フッとその音の元へと顔を向けてみると砂埃が立ち、異様なざわめきを俺達にもたらす。

 

そして次の瞬間

 

「嫌だああああああああああああ!」

 

アリスとはまた別の声が聞こえてくる。甲高く小さな女の子を連想させる悲鳴。

 

明らかに異常を察知させる恐怖を抱いた絶叫。

 

一体何が起きているのか。此処からでは良く分からない。すぐ傍の森から聞こえるこの悲鳴。

 

その悲鳴を聞いた瞬間、身体が脳の指令を待たないまま走り出してしまっていた。

 

「燐!」

 

怒鳴るように名前を呼びながら……。

 

 

 

 

 

 

 

 



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99話 とりあえず怪しまれない様に……

此処からは、新規投稿となっております。
一応何話か書きためておりますので、ソレも後日投稿いたします。


数年後には忘れてくれるはず……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「い、一体どうしたのさっ!」

 

突然走り始めた俺に対して、後ろからお燐が強く問いかけてくる。

 

その声には戸惑いが強く表れており、俺の行動に深い疑問を抱いているのがよく分かる。

 

当然であろう。俺が少女から発せられた悲鳴を聞いた瞬間に、怒鳴るように名前を呼び、そして走り出したのだから。

 

勿論、俺が彼女の立場だったら、呆然とそこに立ち尽くすか、同じような行動を取るだろう。

 

だが、そんな突発的な行動を取った俺に対して、律儀に付いてきてくれるお燐には、感謝したい。

 

俺はそんな事を思いながら、後ろを振り返らずに彼女に返事をする。

 

「ごめん、燐! ちょっと気になって仕方が無かったんだ!」

 

生活支援もあってか、俺が走る速度は人間が出せる限界に近くなっていた。

 

とはいえ、無理に身体を動かしている事には変わらず、すぐに息切れが迫ってくる。そして、この事態を重く見たのか、酸素濃度が強制的に濃くされる。

 

息を切らしながら、森の中に入ろうとすると、横からお燐の声が聞こえてくる。恐らく真横にピッタリとくっついているのだろう。

 

「耕也、気になったのは分かったけどさ、ちょいと焦り過ぎじゃあないかい? 耕也とは何の関係も無い他人じゃあないか」

 

と、何とも冷たい言葉を発してくる。……いや、これが妖怪の考え方でもあるのだろう。

 

ましてや彼女は昔から地底に住んでいる妖怪、そして嫌われ者のさとりのペット。勿論、それだけではないだろうが、今の言葉は彼女の人生経験から紡がれた言葉の一つになるのだろう

 

まあ、現代の日本も結構そう言った事に無関心な人もいるのかもしれないが……。

 

俺は薄らと脳裏にその考えを浮かべつつ彼女に向かって口を開く。

 

「確かに関係ないかもしれないけれども、放っておけないのが俺の性分で。しかもこんな危ない森に少女がいるんだぞ? ……可笑しいと思わないか? 大方人里から迷い込んだとかそう言った線の方が強い……だとしたら妖怪に襲われていると見た方が良いんじゃないか?」

 

そして、そこまでの言葉を言いきった俺は、また大きく息を吸っては吐いてを繰り返しながら、一言だけ話す。

 

「助けられるだけの時間と力があるのに…………放っておくなんて寂しいじゃないか……」

 

そう言いつつ俺は終始黙っていたお燐と共に森へと飛び込み、現場へと足を進めていく。

 

道は木の根、葉っぱ、枝だなどでデコボコしてはいるが、それすら気にする暇もなく、ただ目標に向かって走り始める。

 

パサパサと頭や肩、顔に当たった葉が千切れて地面に落ち、身体にまとわりついてくる。

 

それも気にしない。ひたすら走って行く。

 

お燐が横に付いて一緒に走ってくれていることすらも忘れてしまいそうになる。それだけ前の事に集中してしまっているのだ。

 

理由は簡単である。人間が妖怪に襲われているから。正確には襲われているであろうという事ではあるが。

 

早く辿りつかなくては、彼女が死んでしまう。恐らく簡単に死んでしまうのだろう。アレだけの悲鳴を上げているのだ。相当な怖い思いをしているに違いない。

 

妖怪と少女が相対する。勿論、これは逃げ切れる物でもなく、逃げたとしてもすぐに捕まってしまうのだろう。

 

この場で妖怪に襲われているという事を勝手に決めつけてしまってはいるが、微弱な妖気を感じるあたり、妖怪か妖獣に襲われていると推測できるのだ。

 

だから、俺はこれだけ焦ってしまうのだ。方角は分かっても、正確な距離が算出できない。そして何よりも森の中にいるために、ジャンプができないというのが主な要因となる。

 

景色が後ろに飛び、汗が滝のように流れていくのを感じながら、更に足を前に繰り出していくとほんの少しだけ開けた場所に出る。

 

「―――――――っ!!」

 

そして眼前で繰り広げられる光景に俺は咄嗟に手を伸ばし、創造を行使した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(この考えは本当に危険だな……)

 

私は耕也の傍に付きつつ心の底から思った。この男の考えが今の彼を作りだしてしまったのだと。

 

妖怪だからこそと、彼は思っているのだろうが、私の言葉は妖怪だけに当てはまるようなモノではない。長い命を持つ全ての者に通ずるのだ。

 

一々全ての事を気にしていたら、命がいくつあっても足りない。だからこそ、妖怪は自分の欲に素直だし、関係ない事には余り積極的ではないのだ。

 

だが、彼は違う。命が長いモノでありながら、ちょっとした事にも気を使って行く。

 

通常の人間ならばそれで問題は全く無いのだが、彼は通常の人間ではない。私達妖怪に近い存在なのだ。

 

不思議な力を持ち、攻撃、防御にも優れている人間。そして、地底に漂う瘴気、しかも魔界に漂う致死性の瘴気にすら耐えてしまったというではないか。ならば、此方側の人間というほかないのだ。

 

だが、彼は通常の人間と同じように喜び、怒り、哀しみ、楽しむ。

 

そして、何かと他人を気遣う。それは自分も含め妖怪にとっては新鮮な事であろうし、それに惹かれている八雲達の気持ちも分かる。

 

事実、私やお空も耕也と一緒にいて悪い気はしない。いや、むしろ毎日が楽しくなった。

 

だが、一歩下がってみると、見えてくるものがある。耕也の傍にいるだけでは分からない事が分かってくるのだ。この男の考えは実に危険に満ちていると。

 

だからこそなのだ。

 

彼がこの地底に来てしまったのも、ソレが原因であろう。深くは聞いてはいないが、彼は陰陽師関係で非常に苦労をし、そして信頼していた仲間にも裏切られて此処に来てしまったのだと。

 

そして、地底でも彼の気遣いが原因で、お空に迫られる事件が起こったし、鬼達との戦いに参加する羽目にもなってしまった。

 

いずれ彼の気遣いが、大きな災いとなって自らに降りかかるという事は、私でも予想できる事であった。

 

そう思いながら、彼の後を付いて行くとほんの少し大きな広場に出てしまった。

 

そして、私の目に入りこんできたのは、人間の大人以上の高さを誇る体格、黄色く濁った獣目。狼の様でそうではないという不思議な生き物。

 

勿論、妖獣。その目は血走り、大きく横に裂けている口からは、涎がボタボタと垂れる。

 

対する獲物は先ほど大きな叫び声をあげていたと思われる少女。

 

銀色の髪の毛。通りすがりに耳に入ってきた程度ではあるが、西洋の使用人服を身に纏っている。……メイド服と言っていたか。耕也が言っていた気もするが、忘れてしまった。

 

ともかく、その容姿をした少女が、涙をボロボロと零しながら、小型のナイフのようなモノを構えている。

 

ああ、そんな構えじゃまともに刺さらないだろうに……。そんな感想を持っていると、少女が此方に視線を向ける。

 

全てを諦めてしまったかのような目。どうしようも無い、覆す事が出来ない状況に置かれた時の、絶望に満ちた目。ソレが此方に向けられたのだ。だが、此方に向けられた瞬間、ほんの少しだけ光が戻る。助けてほしい、この状況をどうにかしてほしい。藁にもすがる思いが込められた目。

 

だが、私の力ではこの状況はどうしようもない。時間も、速度も足りないのだ。

 

そして目の前の妖獣は、好機だと思ったのか目の前の少女に向かって一気に飛びかかって行く。少女はこちらを見たまま。

 

まるで最後の光景を妖獣ではなく、人間であるという事にしたい思えるくらいに此方を見たまま。

 

「――――――っ!」

 

横にいる耕也の眼が大きく見開かれ、息を飲むのが分かる。

 

目は一瞬で怒りに染まり、開かれていた五指はギリリと力強く握られて少し手が白くなる。

 

骨が飛び出してしまうのではないかという程強く握った耕也は、素早くその手を横薙ぎに一閃する。

 

すると、妖怪と少女の間に分厚い黒光りした板が飛びだし、妖怪の進路を塞いだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

高速で飛びだした分厚い板は、見事に人間と妖獣の間に入り、妖獣の飛び掛かりを阻止する。

 

「グギャっ!?」

 

突然飛び出してきた板に反応できる訳もなく、そのままの速度でぶち当たり、奇妙な悲鳴を上げながら口から血を撒き散らす。

 

その目からは、一体何が起きたのか分からないといった困惑がありありと分かる。

 

私も少々吃驚してしまった。

 

まあ、当然だろう。得体の知れない板が突然地面から高速で生えてき、しかもそいつからはまるで少女を守るかのようにと言ったところなのだから。

 

とはいえ、痛みに悶えている妖獣にその事が理解できているかどうかは、分からないが。

 

息を切らしながら、耕也は私を見ずに

 

「燐!」

 

声を大にして、呼びかけてくる。

 

その瞬間に、私は妖力を使用して、目の前に猫車を呼び出して一言

 

「分かってるっ!!」

 

そう言って、自分の持てる最高の速度で妖獣に突進をかました。

 

 

 

 

 

 

 

 

燐が猫車を呼び出し、一気に飛び出していく。それは今まで見た中で最も早い突進の一つとも言える程である。

 

右足に力を込め、左足を素早く前に出し、砂埃を上げながら駆け抜ける。スカートをはためかせて悶絶、呻きを上げて蹲る妖獣へと。

 

「食らいな!!」

 

その言葉と共に、猫車の先端が妖獣のどてっ腹にぶち当たっていく。

 

「ガアアアアアッ!!」

 

猫車の先端は、丸くなっているとはいえ薄い金属板によって構成されている。ソレが猛烈な速度でぶち当たったらどうなるか。

 

それは妖獣の悲鳴を聞いても明らかであった。

 

痛い。猛烈に痛い。恐らく言葉では言い表せないほど痛いだろう。

 

妖獣はものの見事に吹き飛び、木々を薙ぎ倒して漸く止まる。

 

最早彼女の攻撃を受けた奴は、虫の息と言っても過言ではない程のダメージを負ったとみて良いはず。そしてその証に

 

「耕也! トドメ!」

 

燐が俺の方を振り返りながら、俺にトドメを刺すように大声を張り上げる。

 

「分かった!」

 

そう返事をしながら、創造を行使して太い鉄針を妖獣の真上から落とし、確実に止めを刺す。

 

鉄針は相当な速度で落とされたはずだが、存外妖獣の肉が分厚かったせいか、想像していたよりも音が聞こえてこなかった。

 

燐は鉄針が落とされた方面へ足を運び、妖怪がキッチリと息絶えているかを確認しに行く。

 

釣られて俺も前へと出ていくが、少女を守っていた鉄板まで歩いた時、燐が此方に手を挙げて一言

 

「ちゃんと死んでるから来なくても良いよ」

 

と、少々嬉しそうな表情で言ってくる。

 

「あいよ」

 

返事を返して一息つこうとした時、先ほどまで妖獣との戦闘で脳から排除されていた、少女の事が思い出される。

 

助太刀というのかどうかは分からないが、とにかく助けようとした少女を今まで忘れていた事に嫌気がさし、ソレと同時に物凄い冷や汗がブワッと出てくる。

 

慌てて俺は、鉄板に手を掛けて覗き込むようにして向こう側の少女を見やる。

 

「だ、大丈夫かい!?」

 

柄にもなく大きな声をあげてしまうのは仕方がないというべきだろう。

 

被害者である彼女が重傷を負っているとは考えられないものの、それでも心配になってしまうのは、幼さゆえの体力等を鑑みれば当然であろう。

 

そして、俺が覗きこんだ先にはナイフを前面に構えてへたり込んだ少女の姿があった。

 

眼が虚ろになり、先ほどの現実を受け入れたくないかのように、ボーっと目の前の鋼板を見つめている。まさに茫然自失といった感じだ。

 

俺は、この状況はまだマシな方だなという考えが脳を埋めると同時に、早くこの少女を安全な場所に避難させなければという考えも浮かんでくる。

 

反対側から同じように覗いてきた燐と顔を見合わせコクリと頷くと、俺は鋼板を消去して少女に近づく。

 

「もう安心だから。ほら、こっちにおいで?」

 

と、茫然自失の彼女をほぼ強制的に避難させるため、無理矢理ナイフを持つ手を解き、片方の手を取って立ち上がらせる。

 

何とも言えない気まずい雰囲気が包んでくるが、ソレを気にせず歩かせてしまう。避難が肝要である。

 

少女は両手でナイフを持つのをやめ、片方の手でぶらりと持ちながら俺に黙って引かれていく。

 

やはり、この状況は好ましくないとは思いながらも、ソレらの解決はこの森を出てからだと自分に言い聞かせてひたすら歩いて行く。

 

歩いている少女、茫然自失ではあるが自分の身体がどの方向へと足を踏み出せば安全かを考えられるのか、ゆっくりとではあるがついてくる。

 

足は覚束ず、時折こけそうになるものの、ソレを俺が引っ張り上げつつ燐がしっかりと支えていくおかげで何とかなっていると言った感じ。

 

本当ならおんぶか抱っこをするべきなのかもしれないが、ナイフをどうにも手から離そうとはしない。

 

「危ないから、こっちのお姉ちゃんに預けようか? ほら……」

 

「ほら、あたいに渡しておくれよ……?」

 

そう言っても、俺の声等聞こえていないかのように上の空であるこの少女。心ここに非ずというべきか。

 

燐はこの少女の様子に苦笑いし、そのまま足を踏み出してついてくる。仕方がないとでも言うべきだろうか?

 

まあ、そう言う訳で連れている状況なのだが、この容姿…………どこかで見た事のあるような?

 

(あれ…………?)

 

俺は前を見なければいけないという事もついぞ忘れてこの少女を観察してしまう。

 

そう言えば、マジマジと観察するのは、此処に来て初めてだったなと思う。妖獣に襲われている時など、少女の容姿等を気にしている余裕など無かったのだから。

 

だから、俺は彼女の容姿を見て、自分の持つ記憶に合致するものがあるかどうかを探ってみる。

 

(髪の毛は銀髪。カチューシャ、丈は短いが慎重に程良く合ったメイド服……)

 

俺はこのフレーズを連ねた瞬間に、汗がタラリと頬を伝わると同時に頭へと血が集中してくる。

 

血液が集中していく事により、顔が熱くなってより発汗を促進してくる。

 

(いや、まさかそんな…………いやいやいや)

 

そう自分の脳裏に浮かんだ推測を否定していく。

 

「あるわけない……いくらなんでもこれは……」

 

誰にも聞こえない様に口の中で呟く。

 

が、彼女の持っているナイフを見た瞬間に

 

(本当に? まさかの? いやいや、冗談じゃなく?)

 

そう自分の脳が信じられないと言っているのだが、それでも目の前の女の子の容姿が変わる訳も無く。

 

ゆっくりと歩いている彼女の容姿からは、俺はある1人の人物しか当てはまるものが無かったのだ。

 

そこで俺は、この容姿を十年成長した姿にまで脳内で組み上げてみる。

 

今よりもずっと背が高く、凛々しい目つきでナイフを片手で持ち、まるでダンスでも踊るかのように次々とナイフを投げる姿。

 

短いスカートを少々はためかせ、相手の攻撃を涼しい顔で避けていく女性。

 

俺の想像している姿が、そしてゲームで知っているその女性を小さくしたようにしか思えないこの共通点。

 

(十六夜咲夜だったりするのだろうか……?)

 

俺の考えがあっているのならば、霊夢と同様に俺は重要人物と何とも奇妙な出会い方をしてしまったと思った。

 

だが、まだまだ俺の憶測の域を出ないし、彼女が十六夜咲夜に似た誰かという可能性もある。まあ、この幼い姿で断定できるほど軽い案件ではない。

 

俺は、何とも言えない居心地の悪さを感じながらも、この少女の手を握り、森からひたすら出るために足を前に出していく。

 

「耕也?」

 

暫く歩いていると、燐が後ろから声をかけてくる。

 

「どうしたんだい?」

 

その声は、若干疲れたかのような色をしており、何とも言えないが聞きづらさを作りだしている。

 

まあ、大方この森が何時まで続くのかというような質問を投げかけてくるのだろう。

 

そう俺が予想していると

 

「ねえねえ、何時になったら出られるんだい耕也? 明らかに来た道とは違うんだけど……?」

 

俺の予想と大体似たようなモノが口から出てきた。

 

まあ、後半の言葉には俺も同感であるし、この様子では何処に出るか分かったものではない。

 

「もう少しの我慢だよ燐。多分もうそろそろ出ると思うから」

 

そう言っているうちに、前からくる光がどんどんと強くなってくる。

 

そして、木々の間から景色がちらほらと見え始め、向こう側には一体何があるのかが分かってくる。

 

「湖だねえ」

 

俺よりも眼が良い燐は、先に景色がどう言ったものなのかを言い当ててしまう。

 

燐の情報が正しいとするならば、俺達が出るのは幻想郷の中でも非常に大きな湖岸の一角に出るという事になるのだ。

 

「じゃあ、もう少しだよ。ええと……お穣……ちゃん?」

 

名前を聞いてもいなかったので、何と呼べばいいのか分からず、君と呼ぶ訳にもいかないので御穣ちゃんという言葉で呼んでしまったのだ。

 

が、相変わらず少女からの返事は無く、ずっと前を見たまま。

 

(返事をしてもらわないと此方としても対応しにくいんだけどなあ……)

 

そう思いながら、俺は燐と顔を見合わせて、苦笑いをお互いに浮かべ、そのまま前を向いて歩く。

 

土を踏みしめ、木の根をまたぎ、落ち葉を踏み砕きながら最後の木を横切ると、燐の言っていた通りの光景が目に飛び込んでくる。

 

「大きな湖だねえ……」

 

「そうだねえ……」

 

燐が感心しながらぼへ~っとした表情で感想を言う。おまけに少女から手を話して水面に近付いて行く有り様。

 

紫と此処に来た時とは違った景色が見え、やはり惚けた様にその景色を楽しんでしまう。

 

が、ふと視線を横にずらした瞬間に、ある建築物が飛び込んできた。

 

(やっぱ目立つなあ……)

 

燐は特に気にした様子も無く、湖面をずっと見てニコニコしている。魚でも探しているんじゃあるまいか?

 

そんな事を思いながら、再び湖の向こう側に建っているモノを見る。

 

(まだ紅魔郷前だとは言え、やっぱり禍々しいオーラを放ってるなあ……)

 

勿論俺の見ている建築物は、赤を基調とした目に毒な色を放っている紅魔館である。

 

この景色に余りにも場違いなため、何とも言えない複雑な気持ちになるが、俺はこの光景を見てから手を繋いでいる少女の反応を見たくなった。というよりも、思わず振り向いて見てしまったという方が正しいか。

 

顔を彼女に向けて見てみると、あれほど魂の抜け殻のような様相を呈していた少女が段々と目に光を取り戻し

 

「くっ!!」

 

そう言いながらバシリと俺の手を撥ね退け、ナイフを構えて後ろに後退する少女の姿が目に映った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺からちょっと離れた所に後退してしまう少女。

 

その目は鮮やかな青から赤へと変色しており、感情が高ぶっているという事を如実に知らせてくる。

 

そして、この眼の変色こそが俺の中での人物特定に決定的な確信を齎すものでもあった。

 

そう、俺が今まで予想してきた人物と同じなのだ。

 

この幻想郷で眼が突然赤くなる人間は一人しか知らないし、そう言った情報も入ってこない。

 

十六夜咲夜に間違いない。

 

そう俺が思っているうちに、彼女は歯をガチガチと震わせながら此方を睨みつけ、ナイフの切っ先を顔に向けてくる。

 

「ちょっと……」

 

後ろで燐が心配そうな声で此方を心配してくるのが分かる。

 

此方としても、何とか穏便に済ませてしまいたい。何せこの状況下において、彼女が不安定だという事は自明の理であるし、おまけにこの場所から彼女が去ってしまったら、彼女自身が危ない目に会うのは確実である。

 

もし、彼女が1人であの森にいたのならばなおさら状況が悪くなる。まずい、何とかしなければ。

 

そんな考えが脳裏を過るが、まず先にやらなければならない事をする。

 

俺は、言葉を放ってきた燐に、答える事である。

 

「何とかするから待ってて……」

 

振りかえらずに答えてしまったが、それは仕方がない事でもあろう。何せ目の前の彼女がどこか行かない様に見ておかなければならないのだから。

 

俺は燐に答えた後に、試しに一歩踏み出して彼女に近づく。

 

すると、彼女は案の定此方を警戒して一歩下がる。

 

歯をギリリと噛み締め、眉間により一層皺をよせ、睨みつけながらナイフを押し出してくる。

 

「来ないでっ!」

 

勿論、拒絶するための大きな声を出して。

 

此方としても、助けてあげたのにという若干の苛立ちのようなモノも出てくるが、ソレは彼女の状態を鑑みれば簡単に砕けていく。

 

気が動転しているという要素も十分に考えなくてはならないし、ひょっとしたらあのタイミングでの助け方が問題だったのかもしれない。と。

 

だから、俺は彼女が俺達を敵視している理由について考えてみる。

 

俺達が現れたその瞬間、まさに彼女は化物に襲われる寸前であり、そこを俺達が助けに入った。

 

つまり、普通なら俺達が命を助けたと考えるのだが、彼女は何処をどう取り違えたのかは分からないが、俺達が妖獣の獲物を横取りしたと勘違いしてしまった。

 

そうは考えられないだろうか?

 

そんな事を想いながら、一つの事柄に気が付く。

 

ソレに辿りついた瞬間、俺は思いっきりあっと叫びそうになるが、そこをグッと堪えて頭の中だけで思うようにする。

 

(お燐という妖獣もいるからか……)

 

そう、燐が俺と同伴しているという事に気がついたからだ。

 

そして眼の前の少女が咲夜という事になると、彼女は力を持つ人間であるため俺達から発せられる地獄の残り香のようなモノも感知が出来るのかもしれない。

 

このような予測をすれば、彼女が俺達に敵意を向けてくるのにも納得がいくというモノ。

 

だが、この納得程度で彼女を野放しにはできない。いくら敵意を向けられているとはいえ、一度助けているのだから安全と言える所にまで運ぶまで安心できない。

 

が、ソレが何とも難しいのだ。

 

(向こう側に紅魔館があるとはいえなあ……)

 

そう、目に見える所に紅魔館があるとはいえ、そこに送るのは何とも難しい課題があるのだ。

 

一つ目が、この幻想郷においてまだスペルカードが制定されていない時期である事。

 

これは、俺が近づけばそれだけ狙われる可能性もある上に、燐にも危険が及ぶ可能性がある。例え燐を置いて咲夜を送り届けたとしても、今度は俺が狙われることとなり、騒ぎを起こす事に変わりは無くなる。

 

騒ぎが大きくなるという事は、それだけ此処を管理している紫に迷惑がかかるという事に他ならないので、それは避けたい。

 

そして二つ目は、俺がジャンプで直接送ればいいという事なのだが、それは距離という問題がある。

 

この距離からジャンプで送るという事は、人間の視力の限界を超えた部分に送るという事。

 

例え紅魔館が見えたとしても、どの部分に正確に送ればいいのか全く分からないのだ。

 

少しでもしくじれば壁にめり込む可能性もあるので、おいそれと敢行できない。というか俺がやりたくない。

 

つまり、この場で俺が安全に彼女を送り届ける事が可能となるには、彼女自身を説得するしかない。

 

(もう少し試してから、アレを出してみようか……)

 

そう思いながら、俺はもう一歩踏み出そうとする。

 

すると、踏み出す前に

 

「来るな妖怪!!」

 

殺気をダラダラと垂れ流しにしながら咲夜は俺に威嚇してくる。

 

「俺達は君を助けようとしたんだよ?」

 

そう言って、彼女の言葉を引き出していく。

 

すると、俺の言葉が彼女の琴線に触れてしまったのか、眼をひん剥いて怒鳴る。

 

「嘘を吐くな妖怪! 私を食べようとしてるってのは分かってるんだから!!」

 

先ほどの放心状態とはまるで違うこの態度に何とも言えない気持ちになるが、ソレと同時に先ほどの推測が当たったという残念な気持ちにもなる。

 

とはいえ、これを何とかしなければ彼女との軋轢が消えたりはしないので、何とか頑張って彼女から解決の糸口を引き出そうとする。

 

「確かに妖怪かもしれないけれども、君を助けたいってのは本当だよ。だから、ソレを収めてくれよ……」

 

なるべく諭すように。彼女の攻撃的な心が鎮まるようにゆっくりとした口調を心がけて言って行く。

 

が、彼女は首を激しく横に振って否定してくる。

 

「ねえ、もう帰ろう? そんな恩知らずな人間なんか放っておいてさ」

 

と、そこで燐が呆れた口調で言うのが分かる。

 

「いやいや、だからちょっと待ってろっての」

 

俺は、その燐の言葉に耳を貸さずに再び咲夜の方を見てから

 

「今のは気にしないで……そうだ、お名前は?」

 

俺はそう目の前の少女に聞いてみる。勿論現時点ではほぼ十六夜咲夜というのが確定しているのだが、それでも彼女の名前を聞かなければ確定したとは言えない。

 

とはいえ、今の状況で彼女が名前を明かすとは到底思えない。だが、それでも何かしらの情報は得たい。その気持ちが先ほどの質問を口から出させた。

 

目の前の少女は、俺の言葉により一層身を固くさせ、ナイフを強く強く握りしめていく。余りにも力を込め過ぎているのか、その腕はプルプルと震えている。

 

まるで名前を言ってしまったら最後、魂でも奪われてしまうかのように身を固くしている少女。

 

若干6~7歳程度にしか見えないのに、随分と精神的に大人なようだ。自分の意志がはっきりとしている。

 

そう俺が彼女の行動に感想を持っていると、彼女が再び口を開く。

 

「知らない人に名前を教えちゃダメって美鈴から言われたもん! 絶対教えない!」

 

と……。

 

 

 

 

 

 

 

その名前を聞いた瞬間、俺の中で彼女が咲夜だという事が確定した。

 

それにしても非常に俺は運がいいのかもしれない。ただ、何かしらの情報が引き出せればいいと思っていたのにも拘らず、此処まで重要な情報を彼女は齎してくれたのだから。

 

「困ったなあ……どうしても名前を教えてくれない?」

 

「絶対だめ!!」

 

「本当に本当に?」

 

そう俺が懇願しても

 

「だめったらだめ!! 私の前から立ち去って! 早く帰ってよ!」

 

と、駄目の一点張りで話しが進まない。おまけに帰れとまで言い始めた。

 

まあ、これは仕方がないと言えば仕方がない。此処からが本番なのだから。予想の範囲内である。

 

だが、この後の本番が非常にやりづらい。彼女を説得するためとはいえ、彼女の心を傷つける可能性もあるのだ。

 

だから、この方法はあまりやりたくはない。だが、彼女が自分から名前を明かさず、更には此処まで強硬的に姿勢を変えもせず、俺の言葉に耳を貸さないのだから、やらざるを得ないのだ。

 

俺は自分に今から行う事を正当化しつつ、彼女の目を真っ直ぐ見る。

 

「な、なによ! 帰りなさいよ!!」

 

俺に見られた事で何かされると思ったのか、身体を僅かながらにビクリと震わせ、此方に吠えるかのように叫ぶ。

 

だが、俺は彼女の顔から眼を話すことなく、できる限り表情に出さない様に真面目に話してみる。

 

「ひょっとして君の言っていた美鈴って、紅美鈴さんの事?」

 

すると、俺の言葉が余りにも予想外だったのか、口をポカンと開けてしまう彼女。

 

表情が固まり、目の前の人間が何て言ったか分からないとでも言いそうな雰囲気さえ醸し出している。

 

「な、なんで知ってるの……?」

 

そう呟いてしまうのも無理ないだろう。この幻想郷に来て対して時が経っていないのにも拘らず、門番である紅美鈴の事を知っていたのだから。

 

だが彼女は門番であるため、撃退してきた妖怪から広まり、俺が知ったという考えを彼女が思い付く可能性もあるので、その選択肢を潰すよう俺はもう一言付け加える。できればやりたくない手段であった。最後の手段と言っても過言ではない。もし、これに失敗したら俺達は彼女の安全を守れなくなる。が、やるのだ。

 

「知ってるも何も、彼女は紅魔館の番人だし、その家族も知ってるよ? 俺は彼女達の友人だからね」

 

と、とんでもない大嘘を吐く。恐らく俺が吐いた嘘の中でも最低クラスのモノだろう。齢6、7の少女に向かって言う言葉ではないのだ。

 

だが、俺の言葉は彼女に大きな衝撃を齎したようで、困惑を引き起こしてしまったようだ。

 

「え、ほ、本当に? う、嘘だよね? 嘘、嘘でしょ! 本当なら名前を言ってみてよ! どんな趣味だったり、どんな服装してるとか言ってみてよ!!」

 

彼女は勿論俺の言葉等信用せず、嘘であるという事を前面に押し出しながら、俺の言葉がどう言う意味を持つのか聞いてくる。

 

正直後ろにいる燐の顔は見たくない。恐らく侮蔑の表情を向けられているか、呆れられているか、苦笑しているかのどれかだろうから。

 

「そうだねえ、友人であるという事を証明するには……当主や図書館の主の名前を言うよりも、まず君の名前を言い当ててあげようか?」

 

と、如何にも知っているという事を匂わせながら、彼女に問うてみる。彼女は頭が非常に良さそうなので、これくらいの事はすぐに察する事が出来るだろう。

 

俺の言葉に即座に反応し

 

「知ってるわけないじゃない……む~……」

 

俺の言葉がやはり信じられない、むしろ信じたくないのか、頭から否定するも暫く唸った後にコクリと頷いて了承する。

 

「じゃあ、言い当ててあげよう。君の主から聞いたけれども、銀髪にメイド服、ナイフを護身用に持たされた子供は紅魔館でも唯一人、十六夜咲夜ちゃん。……そうだよね?」

 

そう俺が言うと、目の前の子は見事に名前を言い当てられたせいか、驚きの表情と、若干の喜びの色を目に浮かばせる。

 

俺は彼女の反応を見て、何とか最初の関門をくぐりぬけることに成功したという事を実感する。失敗していたらシャレにならないのだ。

 

ふう、と俺は一息入れると彼女の反応を暫く待つ。

 

「本当……に?」

 

という言葉を呟きながら、暫く自問自答している咲夜。

 

自分が端から受け入れないと決めていた者からの答えが大当たりだったのだから、自分の判断を曲げようにも中々できないのだろう。少々頑固さも持ち合わせているのかもしれない。

 

そんな事を思いながら待ち続けていると、やがて恥ずかしそうに顔をそむけながら。しかし、期待の目を此方にチラチラと向けながら確かめるように

 

「ほ、他の人……おじょうさまの名前とかは……?」

 

彼女の質問の口調からも分かる。俺の言葉に期待しているのだという事が。眼の色が変わった時にも期待を滲ませていたのだが、言葉を発してからより一層強くしてきた。

 

だが、大嘘を吐く俺にとっては純粋な子供の期待は非常に苦しいのだが、ソレを押し殺して言葉を紡ぐ。

 

「当主はレミリア・スカーレットさん。勿論吸血鬼であり、運命を操る力を持ってるね。きっと咲夜の事を心配してると思うよ? なまじあのような力を持ってると尚更だね。そして、紅美鈴さんは門番を担当してるね。格闘術が得意中の得意で、日々研鑽を積んでいるね。まあ、昼寝とかもして油断させる手段も用いてるけど。次いで地下図書館の主である、パチュリー・ノーレッジさん。彼女は魔法が大得意で、非常に多種多様な魔法を操れる魔法使い。まあ、喘息持ちで体力が余りないのが欠点ではあるけれどもね。それから……」

 

此処まで言った時には、彼女の顔からは安堵の表情が浮かび上がっており、俺の事を信じ始めているようだった。

 

「そ、それから……?」

 

彼女の言葉の端々に喜びと、好奇心、そして催促が混じってきた。

 

俺はこれを言えば何とか事態は落ち着くだろうと踏み、一言

 

「外に出たがらないフランドール・スカーレットさん。ちょっと癇癪持ちだけど、根は優しい子で、姉妹喧嘩みたいなことも偶にはするけど、基本的には大人しい…………だよね?」

 

そう俺が言うと、眼を瞬かせながら

 

「本当に、友達なの……?」

 

念を押して聞いてくるのは、彼女が本当に信じてみたいという気持ちの表れなのかもしれない。

 

だから、俺は彼女にダメ押しの一言を言う。

 

「勿論友達だよ。彼女とは昔からの友達でさ、随分とお世話になったよ」

 

そう言うと、漸く信じたのか肩の力がふっと抜ける。

 

ゆっくりと下を向き、自分の足を見つめるかと思うほどまでに顔を下に向ける。

 

「こわかった……」

 

そう言うと、咲夜の表情はクシャリと歪み、肩が震えだす。

 

「こわかったよお……」

 

泣くまいとして必死にこらえていたが、それすらかなわず、彼女の目から大粒の涙があふれ出す。

 

「怖かった……本当に怖かったよお~……」

 

最早敵意などどこにも感じさせない彼女からは、両手の力が抜けてナイフがポロリと落ちる。

 

そして漸く自分が安全地帯にいるという事を実感できたのか

 

「うわあああああああぁぁぁぁぁぁぁ!」

 

大口を開けておもっきり泣き始める咲夜。余程緊張していたのだろう。その反動か大泣きにまで発展してしまっている。

 

余りにも深く泣いてしまったためか、横隔膜が痙攣して泣き癖まで付いてしまっている。

 

ひっくひっくと言いながら泣く姿はどうしても見てられない俺がいる。だが、触るに触れないのが現状であり、何とも歯がゆい。

 

が、それでも更に安心させてあげたいという気持ちが高まり、俺は足を踏み出す。

 

そして咲夜の方へと向かい、俺は思いっきりかき抱いて顔を胸に埋めさせてやる。

 

「大丈夫、もう大丈夫だから! 良く頑張ったね……無事でよかったよ……」

 

鼓膜を破るのではないかと言うほどの音量で泣き続ける咲夜をギュッと抱きしめ、泣きやむのをじっと待つ。

 

気が済むまで泣けばいいという思いと共に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねえ、昼食にしない……?」

 

泣きやんでしばらくしたら、燐が俺達に向けてそう言ってきた。

 

今の今まで緊迫していた事態が続いたせいか忘れていたが、もうそんな時間だったのか。

 

腕時計を見てみると、何とも面白い事に12時ピッタリ。

 

「咲夜ちゃんも、ごはん食べる?」

 

と、渡したタオルでグシグシと顔を拭いている咲夜に向かって聞いてみる。

 

先ほどまでの顔はもう無く、今では快活な少女そのままの顔を前面に押し出している。

 

そして、拭き終わった咲夜は、ゆっくりと此方を見てから頷いて了承を示す。

 

それに俺は頷いて燐の方を見てから一言

 

「じゃあ、食べようか」

 

と言った。

 

燐は俺の言葉を受けて嬉しそうにバッグからレジャーシートを広げていく。

 

位置は湖岸よりほんの少しだけはなれた草原。緩い風が頬を撫でる程度の、特に何の変哲もない草原。

 

燐と俺がいるので、此処には妖怪は来ないだろうし、来たとしても燐1人でも余裕であろう。勿論、俺も加勢するが。

 

確実に咲夜は安全であるという事を確認してから、弁当を創造して彼女等に渡していく。

 

内容としては、握り飯、唐揚げ、卵焼き、ウィンナー、茹でたブロッコリーなどである。

 

野菜がちと足りない気がするが、まあそう言う日もあるだろうという事で勘弁してもらう。もし必要なら野菜ジュースでも飲めばいいし。

 

そう思いながら、俺はそれぞれに見合った数を順々に渡した。

 

燐は結構大食いなのでおにぎり3つ。俺は3つ。咲夜は1つとなっている。

 

全員に渡った事を見届けてから俺は

 

「それでは、頂きます」

 

「「頂きます」」

 

と言って、かぶりついた。

 

「美味しい!」

 

一口かじって、咀嚼、嚥下した咲夜がそう叫ぶ。

 

燐もニコニコしながら咲夜を見つつ大口を開けてガンガン食べていく。余程腹が減っていたのだろう。ものすごいスピードで平らげていくのは、見ている側としては非常に微笑ましい光景である。

 

「口に合ったようで良かったよ……ああ、そうだ。聞きたい事があるんだけど良いかな?」

 

米を飲み込んでから咲夜に質問を投げかける。

 

「ほえ?」

 

今まさに被りつこうとしていたところだろう。咥えながら此方を見てくる咲夜は、何とも子供らしさを醸し出しながら反応してくる。

 

そして口から離して

 

「何?」

 

と、一言。

 

「咲夜ちゃんは、どうしてあんな所にいたんだい?」

 

一番の疑問である。どうしてあんな森の中に1人でいたのか。何故あの森の中に1人でいなければならなかったのか。ソレが一番聞きたかったのだ。

 

戦闘する術も対してもたない子供があの森に入るのはどう考えても自殺行為以外の何ものでもない。

 

俺の質問を理解したのか、ちょっと顔を暗くして

 

「美鈴と最初はピクニックに行く予定だったの……。森を抜けるのが一番近いからそこを突っ切ろうって私が言って……。そしたら、蝶とか色々なモノが珍しかったから、つい夢中になっちゃって、それでまいごになっちゃったの……」

 

と、理由を述べてくる。

 

そう言う事だったのかと、1人納得しながらコクリと頷き、咲夜の頭をなでてやる。

 

「じゃあ、美鈴さんは此方に来るまで此処で暫く居ようか……?」

 

と、提案をしてみる。

 

「うん……そうする」

 

簡単に了解してくれた。

 

現時点で美鈴がこの場にいるという事は分からないはず。そして此方も美鈴がどこにいるのか分からないのは自明の理。ならば、此方が下手に動かずにこの場にいた方が、より安全かつ早く合流できるというモノ。

 

と、そこで1つのヤバい事実が俺の脳に浮かんでくる。

 

あっと叫びそうになるがそれを抑えて燐の方を見る。燐も俺の方を見ながら苦々しい表情を浮かべてくる。

 

ああ、迂闊であった。

 

ついさっきまで俺は咲夜に大嘘を吐いていたのだ。咲夜と一緒にいた美鈴とは友人であると。紅魔館の住人とは皆友人であると。ソレをついさっきまで言っていたのだ。

 

つまり、俺はこの後美鈴と会った後にこの嘘がばれるという事になる。それは確実に咲夜を傷つけ、紅魔館の住人達に悪印象を与える事他ならない。

 

どうにかして、咲夜を安全に美鈴の所まで送り、尚且つ美鈴に俺の事がばれないようにしなければならない。姿を見られないという事だけでも大分違ってくる。

 

俺はそんな事を思いながら、握り飯に再び齧りつく。

 

「あ、この前いた人間!」

 

そう言いながら俺の傍に現れたのは、3対の氷の羽を持ち、短めの青い髪をし、青い服に身を包んだ妖精チルノ。

 

また厄介なのが現れた……。俺の名前を言わなければいいのだが。

 

「や、やあチルノ……」

 

「久しぶりね! ……ええと、名前は確かこ――――」

 

ほら来た。俺の名前を言おうとしてる。これで咲夜にばれるのは拙いので

 

「はいはい駄目駄目これ以上はオフレコで!!」

 

「わあわあわあー!!」

 

と、俺と同時に燐が手をぶん回しながら慌ててチルノを制止してくれる。

 

やはり先ほどの状況から俺の考えが丸わかりだったのか、同じく制止してくれるのは嬉しい。

 

が、逆にチルノは俺の名前を言い損ねたせいか、というよりも話しを遮られたせいか一気に不機嫌な表情となり

 

「な、なによう……」

 

と、非難の目を向けてくる。

 

「ああごめんね。ほ、ほら御握り上げるからこっちにおいで?」

 

と、見せながら誘ってみると、以外にも彼女はすぐに機嫌を取り戻し

 

「し、しようが無いわね……貰ってあげるわ」

 

といって俺の隣に座ってくる。

 

なんだかなんだ言って、此方の仲間に入りたかっただけなのかもしれないと俺は思った。まあ、御握り食いたかっただけと言う可能性も否定できないが。

 

一方咲夜は、俺達のやりとりが余りにも変だったからか

 

「え?」

 

と、とぼけた表情を浮かべる。

 

後で何かしらの偽名か何かを伝えなければならないだろうと思いつつ、横にちょこんと座ったチルノに耳打ちする。

 

「今は、俺の名前を呼ばないでおくれ……横にいる女の子が居なくなったら呼んでいも良いから……ごめんな」

 

そう小声で話してやると、何とも言えない複雑な表情を浮かべながらも

 

「良く分からないけど……わかった……」

 

何とか了承してくれた。

 

チルノは、咲夜の方に向くと、手を差し出して

 

「あたいの名前はチルノ。すっごく強い妖精なんだから。友達になってあげるわ? 心強いでしょ!」

 

そう言いつつも、顔が赤いチルノは恥ずかしがりやな面も持ち合わせているようで、それに気が付いた咲夜がクスクス笑いながら同じく手を差し出して握手する。

 

「わたしは十六夜咲夜。宜しくね」

 

そこまで言ったところで、今度は咲夜が思い出したように素っ頓狂な声を上げる。

 

「あ、そうだ!」

 

その表情は、自分の思いだそうとしていた事をやっと思いだしたとでも言いそうなほどすっきりしていた。

 

「ねえ、貴方達の名前は何て言うの? 私の名前だけ知ってるなんてずるいよ」

 

まあ、確かに彼女に対しては俺も燐も名前を一切明かしていなかった。

 

と言うよりも、明かす前に事態がどんどん進んでいたというのが正解であり、そして俺の方は途中から意図的に隠すような行動をしていたのだ。

 

だからこそ、ここで俺の偽名を伝えなければならない。恐らくチルノが何かしら言ってくるかもしれないが、それでも俺は意を決して伝える。

 

「確かにそうだね……でもちょっと待っててね」

 

俺はそう言うと、斜め後ろに座っている燐に手招きし、耳打ちをする準備をさせる。

 

燐は、俺の意図が分かったのか、素直に顔を近づけてくる。此処まで近づければ、咲夜に聞こえはしないだろう。ましてや、何を話していたかなんて分かってもらいたくも無い。

 

「いいかい、適当に嘘吐くから、それに合わせておくれよ?」

 

すると、燐は黙ってコクリと頷き、咲夜の方へと顔を向ける。

 

「ねえ、何を話していたの?」

 

と、咲夜は訝しげな眼で此方を見てくる。まあ、そう来るのは勿論予想済み。

 

だから

 

「いやね、どっちが先に紹介するべきなのかなと思って、ちょっと相談してただけなんだ。じゃあ、俺からだね」

 

そう言って俺は一度言葉を切り、呼吸してから切りだす事にする。

 

「俺の名前は、塚田 博人。訳有ってこの幻想郷に来てしまったけれども、レミリアさんとかが居て本当に安心してるよ」

 

何とか適当に考えた名前を言ってみたが、彼女は一応納得してくれそうな雰囲気である。口調が変に高くなったりしてない筈なので、そこら辺の心配はないはずだ。

 

そして、俺が終わったので燐となる。

 

「あたいの名前は猫風輪 楓。猫の妖怪だよ」

 

本当は違うのだが、まあ見た目でそう判断させるのも一種の作戦なのかもしれない。ビョウブリン カエデってのも何とも即興で考えましたって感じの名前だが……。

 

が、案外彼女は此方の紹介を飲んだ様で、コクリと頷いてニッコリと笑う。

 

「じゃあ、よろしくね」

 

と言ってまた飯を頬張って行く。

 

「あたいももう一個!」

 

と、チルノが唐揚げとウィンナー、御握り、卵焼きをいっぺんに頬張って飲み込んでから御代りを要求してくる。

 

「はいはい、まだまだ有るからどうぞ」

 

そう言いながら渡していく。何とも言えないこの状況だが、平和で和やかであるという事だけは確かなようだ。

 

大嘘吐いたけど。

 

 

 

 

 

 

 

昼飯を食べ終え、暫くチルノを含めた4人で様々な事を話しあっていると、咲夜がぼそっと呟いた。

 

「美鈴まだかな……?」

 

と。

 

そう、暫く談笑しているのは良かったものの、彼女の保護者が未だにこの場に来ないのだ。

 

美鈴の体力や門番で培った察知能力ならば、彼女を見つける事はそこまで難しくないだろうし、何よりも普段から気功の鍛錬を続けているのだから、咲夜の気を探り当てることも難しくはあるまい。

 

が、此処に来ないという事は離れ過ぎているのではないだろうかと言う考えが俺の頭に浮かんでくる。

 

「怒られちゃう……嫌われたらどうしよう……」

 

と、何ともしょんぼりした声で呟く咲夜。

 

まあ、確かに時分から迷子になってしまったとはいえ、彼女から目を離してしまった美鈴にも責任はあるのだ。そこまで怒られはしまい。

 

だから、俺は

 

「大丈夫だよ、うんと心配してるだけだから。ちょっと怒られるかもしれないけれども、それは咲夜ちゃんの事を思っての事だから。嫌いになるなんてありえないから安心しなよ」

 

そう言って少しまた撫でてやり安心させてやる。

 

「うん、ありがとう」

 

と、また少し安心した表情を見せつつ、微笑む咲夜。

 

そんなやりとりがあり、また数十分の時が流れると

 

「咲夜!」

 

と言う声が聞こえてくる。

 

その声は俺の聞いた事のない女性の声。成熟した声であるという事が伺え、すぐにソレが美鈴の声であるという事に推測がつく。

 

それに応じるかのように咲夜が

 

「めーりん!」

 

と、嬉しそうな声をあげて目を輝かせる。

 

迷子であった自分をやっと見つけてくれた親に対する喜びの表現。長く長く、本当に長く待ちわびたという抑え込められた気持ちが爆発した嬉しさ満点の声。

 

「こっちだよめーりん!!」

 

此方の位置を知らせつつも、待つ事ができなくなり自然と声の方角へと足を向けていく。

 

いくら友人だと言っても、親の様に接してきた美鈴の方が会いたいという考えは至極当然であり、むしろ喜ばしい事である。

 

ゆっくりと前に進めていた足は、自然と走りに転じており、小走りから本格的な走りに移行していた。

 

草を踏み倒し、砂埃を巻き上げながら走るその姿は子供の快活さその物を表すもの。

 

が、俺は此処でお燐とチルノに

 

「ちょっとこっちに集まってくれないか?」

 

と言って手招きをする。

 

「どうしたんだい? 早く帰らないと見られてしまうよ?」

 

と、多少焦った顔をしながらも俺の方へと歩いてくる燐。

 

「何するの?」

 

と、俺が芸でも始めるかのような期待の目を込めてふよふよと近寄ってくるチルノ。

 

「まあ、見られたらいけないからこうするんだよ」

 

そう言いつつ、俺はこの3人が窮屈にならない程度にまで大きい、半球状のマジックミラー付きコンクリートを創造する。

 

地面ぎりぎりの部分で浮いているドームは、キッチリと俺達を咲夜側からの目視を妨げ、此方からのみの監視を可能とする。

 

「何してるんだい? 向こう側が見えるんじゃ意味無いじゃないか」

 

と、燐は呆れた様に言ってくるが、それが普通の反応であろう。

 

マジックミラーの性質を知らない燐からすれば、覗き窓から此方の状況が丸わかりになってしまうと思っているのだろう。

 

「いや、この窓は性質上向こう側からは見えないようになってるんだよね。まあ、この草原にこんなモノを出すのはアホらしく見えるかもしれないけれども」

 

「ああ、なら安心だねえ」

 

そう言いつつも、俺はしっかりと咲夜から目を離さずにいる。もし、美鈴と合流するまでに彼女が妖怪に襲われてしまえば意味がない。

 

だから、こうしたアホらしくも両方の条件を満たせる手段を取ったのだ。

 

が、満足するのは俺と燐だけであり、チルノは

 

「ねえ、暇よ!」

 

と、文句をぶーたれる。

 

「まあまあ、我慢しておくれよ。後で飴玉上げるから」

 

とりあえず退屈をしのぐ言い手段が無かったため、餌で釣ってみると

 

「し、しかたがないわね~」

 

口では不満を漏らしながらも、了承する。もっとも、顔が余りにもニヤけ過ぎているため意味がないのだが。

 

そうしているうちに、此方の目からも美鈴の姿を確認する事が出来た。

 

小走りで近寄ってくるその姿は、咲夜を見つけたという安堵の表情と、無事でよかったという歓喜の表情が織り交ぜられており、涙がポロポロと毀れている。

 

そして、美鈴がしゃがみ、そこに咲夜がダイブ。

 

2人とももう感情を抑えられないようで、此方にまで響くほど大きな声で泣き始める。

 

大人と子供が同じように泣くという光景はあまり見られるものではないだろう。本当に親子の様な関係なのだなと思いつつ

 

「燐、帰ろうか」

 

燐に帰還を提案する。

 

「そうだね、ぜんまいも手に入ったし、あの子も無事に保護者と会えたし。帰ろうか」

 

すると、燐も同じ考えだったのだろう。すぐに了承の返事を返してきてくれた。

 

俺はそれに頷くと、飴玉の詰まった袋を創造し、チルノに渡す。

 

「じゃあ、今回は此処でお開き。また次の機会に会おうね?」

 

すると、チルノはうんと頷き、飴玉の袋を抱きしめて嬉しそうな表情をする。

 

ソレを見届けてから、俺は範囲をチルノ以外に設定して力を解放する。

 

ジャンプと念じて。

 

 

 

 

 

 

「塚田博人? 誰よソレ、聞いたことないわよ?」

 

そう言うのは、ドアノブカバーの様な帽子を被り、この場に揃った面子の中では2番目に身長の低い女の子。

 

名はレミリア・スカーレット。この紅魔館の主にして強大な力を持つ吸血鬼の末裔。

 

そのレミリアが、美鈴から齎された情報に首を傾げて素っ頓狂な声を上げる。

 

塚田なんぞ聞いたことない。と。

 

その素っ頓狂な声に反応するように、対面にいる美鈴が

 

「そうですよね、聞いた事ありませんよね。……咲夜ちゃんからその名前を聞いた時も全く覚えがありませんでしたし……」

 

そう言って、難しそうな顔をして考えにふけ始める。

 

対する咲夜は、自分の会った塚田博人という人物にまるで覚えがないというこの結果にしょぼくれている。

 

レミリアにとってもこの異様な事態はちょっと引っ掛かるので、何とかして解決の糸口が無いかと探しているのだが、全く浮かんでこない。

 

「でも、咲夜の言っていた塚田と言う男は、私達の名前や容姿、種族、何をしているかまで知っているのよね?」

 

と、そこで椅子に座って本を読んでいた少女が咲夜に目を向ける。

 

随分とヒラヒラとした服を着、如何にも暗そうな表情を浮かべていたが、それでもその身体から立ち上る魔力は、そこら辺の妖怪等軽く一蹴できるほどの実力を持ち合わせているという事だけは推測できる。

 

レミリアと同じようなドアノブカバーの様な帽子を頭に被った少女はパチュリー・ノーレッジ。まさに歩く大図書館と言っても過言ではない程の膨大な知識をその頭に詰め込んだ、大魔法使い。

 

彼女は日々咲夜が立派な大人になるため、レミリアに使える事のできる立派なメイドにするため、その吸収してきた知識をフルに生かして教育している者の1人である。

 

目を向けられた咲夜は、しょぼくれた顔をそのままにしながらコクリと頷いてそうなの、と呟く。

 

その反応に、パチュリーはコクリと頷いてから本を閉じ、レミリアに視線を向ける。

 

「レミィ、確かに私にも覚えがないのだけれども、でもあちら側が知っているという事は、何らかの交流があったかと言う事よ。覚えはないかしら?」

 

自分の頭で解決できない問題に久しぶりにぶち当たったかのように、眉を顰めてレミリアに質問をぶつける。

 

が、それでもレミリアの頭の中に答えなど浮かんでこない。自分達が一体どのような場面でその塚田という男と接触があったのか、ソレが全く記憶にないのだ。

 

塚田というからにはこの日本の土地出身の人間であるという事は確実であろう。咲夜は妖怪とか言っていたが、咲夜からは猫妖怪の持っている妖力の残滓しか感じなかった。

 

だから、レミリアは彼を人間だと断定していた。だが、彼女の疑問は此処では終わらない。

 

その人間が一体どうして私達の事を知っていたのか?

 

それは恐らくこの紅魔館に勤め、または君臨している者ならば誰しもが抱く疑問だろう。得体の知れない男。

 

念の為、レミリアは咲夜に似顔絵を覚えている限りの範囲で書かせてみたが、唯の頭でっかちの訳の分からない人間に仕上がってしまって、全く想像できない絵になってしまった。

 

咲夜には絵も教えてあげないとね。と、思いながらレミリアはまた考えに耽る。

 

そして、一番の疑問。それは

 

「何で咲夜の運命が途中で霧で覆われた様に見えなくなってしまったのかしら……?」

 

その言葉に、腕を組んで首を傾げていた美鈴が、肩をビクッと震わせて唸るように言う。

 

「ええ? 御穣様の能力でも見えなかったんですか!?」

 

確かに美鈴が驚くのも無理はないだろう。レミリアの能力は運命を操る上にその物の運命を見ることもできるのだから、この紅魔館の中でも非常に性質の悪い能力である。

 

だが、彼女の能力を持ってしても見えなかったという事は、余程その男が強かったか、あるいは妨害系に特化していたかのどちらか、あるいは両方か。

 

美鈴の言葉にレミリアはコクリと頷き、ふと、何かを思い出したようなハッとし表情となり、羽を小刻みにピコピコと動かして美鈴に向かって口を開く。

 

「そうそう、貴方あの場にいたのだからどんな輪郭だったのかぐらいは分かるでしょう? 顔は分からなかったと言ってはいたけど、服装ぐらいは分かるはず」

 

その質問が来た瞬間に、美鈴は何とも言えない苦々しい表情を浮かべ、頭を下げて言った。

 

「すみません御穣様。私があの場にいた時は、良く分からない鏡のついた白い半球があっただけでして……恐らくその中に入っていたのでしょうが、近寄ろうとしたらどこかに消えてしまったのです。そしてその場所には妖精が一匹だけ。その妖精も気分が高揚していたのか、私には目もくれずどこかに飛び去って行ってしまいました……」

 

そうか……と物憂げに呟いて考えに耽る。

 

一体その半球とやらは一体何なのだろうか? と。

 

彼女の頭の中では大体の予想はついていた。だが、それでも腑に落ちない。仮にその中に入っているとしたら、一体どうして身体全体を包む必要があったのだろうか? と。

 

咲夜はこうして無事に五体満足で戻ってきてはいる。それは非常に喜ばしい。だが、そこまでの事をしておきながら一体何故此方に出向いて来なかったのだろうか? 美鈴と咲夜が合流するその瞬間まで一緒にいなかったのだろうか?

 

湧きでてくる疑問は答えを探し当てる事が出来ず、次々と彼女の脳内ストックに溜められていく。

 

そこで、重要な事を忘れていた事に彼女は気が付いた。咲夜の事である。

 

咲夜は確かに助けられたし、この場に健康な状態で戻ってきたのだが、その他に一体何をしたのかまでは聞いていなかったのだ。美鈴からは大体の事は聞いたが、彼女自身から直々に聞いていなかったと思い、レミリアは咲夜の方へと顔を向けて

 

「咲夜、あの男に何もされなかったかしら? 痛い事とか、嫌な事とかされなかったかしら? 助けてもらっただけなの?」

 

と言う。

 

彼女も育ての親と何ら変わらないので、彼女の事が心配で心配で溜まらないのは美鈴と同じなのだ。

 

だから、基本的に咲夜に対しては態度が甘くなってしまう。他の誰よりも基準が甘くなってしまう。

 

対する咲夜は、レミリアの言葉を受けて首をフルフルと横に振り

 

「唯助けられただけです……レミリアおかーさん。御握りとか卵焼きとか一緒に食べただけ……。本当にただ楽しかっただけです」

 

と、先ほどよりも幾分か声が沈んだ状態で述べる咲夜。

 

やはり咲夜―――彼女にとっては、命の恩人が最後の最後まで嘘を吐いていたという事がどうも気に入らない様であった。

 

咲夜自身も分かっている。自分の育ての親達が難しい事を話していたとしても、彼が私を落ち着かせるために嘘を吐いたという事ぐらい。だが、それでも幼い心には大きな嘘を吐かれたという嫌な気持ちもあった。

 

でも、あの男は自分を助けてくれた。それぐらいしか彼女自身は理解していなかったが、やはり悲しいものは悲しいものなのだ。

 

すると、俯きながら話す咲夜に対して、更に優しい声でレミリアは質問する。

 

「ねえ、咲夜を助けてくれた時、どんな感じで助けてくれたのかしら? 私みたいに弾幕をばら撒いたりしてた? それとも、美鈴のように格闘がメイン? はたまた、パチュリーの様に魔法を使ったりしてたのかしら?」

 

すると、咲夜はハッと顔を上げて、嬉しそうな顔を浮かべる。

 

余程その時の事が嬉しかったのか、両手両足、胴体を大きく使って身体全体で説明をし始めた。

 

「妖獣が襲ってきて私がもう駄目だって思った時に、こお~んなに大きな黒い壁が地面から生えて守ってくれたんです! そしたら、猫の妖怪が体当たりをして妖獣におっきな怪我を負わせたんです。それで最後に大きくて長い針が上から降ってきて、妖獣に留めを差したんです……。でも、魔法かどうかは分かりません……ごめんなさい」

 

咲夜の説明を聞いて、レミリアは何かを召喚する類の魔法を扱う男なのかもしれないという予測を立てた。恐らくその場で対して動いていないだろうから、身体を使った戦闘はあまり得意ではないようだ、と。推測であるという事を後に付けて。

 

だが、現時点での情報だけでは、仕方がないとはいえ此処までしか推測できない自分に何とも言えない苛立ちを覚えるレミリア。

 

そして咲夜の言葉を聞いたレミリアはふう、と溜息を吐き、ならば仕方がないとレミリアは頷いて一言。

 

「大丈夫よ咲夜、気にしないの。それで、この件は保留ね……。フランもそんな人物に覚えはないと念話でしてきたし…………夕餉にしましょうか」

 

そう言って細長いテーブルに着こうと歩き始めた。

 

 

 

 

 

 

 

「全く、あんな危険な事はよしておくれよ?」

 

文句を垂れながら豚カツを頬張る燐。

 

勿論、これは対面に座る俺に対してであり、先ほどの大嘘こいた事について言っているのだ。

 

まあ、仕方がないとはいえやはりあの場はかなり焦った。恐らく燐も面倒な事態に遭遇したなと思ったのだろう。

 

俺は申し訳なく思い、素直に謝る事にする。

 

「うん、ごめんお燐。いや、あの場を潜り抜けるにはあれしかなかったんだよ」

 

そう言うも、燐は難しい顔をして箸を口にくわえて中々納得しない。

 

「確かにあの場は仕方がなかったよ? でもさあ、アレで色々とバレたらあたい達が危なかったんだよ。あたい達があの美鈴とか言う妖怪に嘘付いてる事がバレて、紅魔館とやらに全て伝わったらどうなった事やら……」

 

「面目ない……」

 

確かにそれは考慮の一つに入っていはいたものの、ソレを回避するための万能な策等俺には思い付かなかった。だから、アレを実行したのだ。

 

だが、まあ彼女が俺の事も心配してくれるのは嬉しいし、素直に彼女の説教も受け入れようと思う。

 

そんな事を思っていると

 

「ねえ耕也、あの人間……私達の事覚えてたりするのかなあ?」

 

視線を天井の方に向けて呟くように言ってくる燐。

 

その言葉にどのような意味が含まれているのかは分からないが、恐らく覚えていて欲しいと言った願望の類ではないだろう。

 

むしろ忘れてほしいといったニュアンスの方が大きい気がする。

 

だから、俺は一言だけ言った。

 

「まあ、10年もすれば忘れてるでしょうよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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100話 地上と地底の両方で……

漸く本編で100話達成いたしました。
もう少しで紅魔郷に入れるはずなので、今後ともよろしくお願いいたします。


結構需要もあるとはずだし、いいと思うんだよね……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「煙草……ねえ……」

 

そう呟くのは、俺の隣に座っている紫。何時もの煽情的な容姿と艶やかさは身を顰め、1人の賢者としての頭を悩ませる姿がそこにはあった。

 

が、それだけではなく周りにも藍、幽香、勇儀、ヤマメ、パルスィ、さとり、映姫と言った地底、地上において有力な面々が顔を出している。

 

そして紫の反応の原因は、勿論俺の発言である。

 

まあ、確かにこの発言で頭を悩ますのは仕方がないと言えよう。何せ、俺が何の前触れも無く煙草を販売したいと言い始めたのだから。

 

「化閃さんが店を閉めてからすでに10年以上も経ってる。日雇やら創造関係の力を行使して、何とか凌いではいるけれどももうそろそろ本格的に安定した収入を得たいんだ」

 

と、俺は紫に説明していく。

 

そう、化閃が店を閉めてから早10年。その間に何とか色々と仕事をやってはみたものの、どれも日雇、あるいは短期的なモノばかりであったので収入が安定しないのだ。

 

だから、俺はこの際安定した収入を得るために何か商売をしようと思ったのだ。

 

が、あいにく俺が考えつくモノは皆やっている事ばかりであり、俺が新規参入したとしても潰されるのは当たり前。

 

ならばと思い、普段俺が愛飲している金ピやセッタ等と言った煙草を販売してみようと提案したのである。

 

地底と地上で商売をする。

 

地底の妖怪達は、まず煙草を手に入れる事が殆ど、といか全くと言っても過言ではないほど無い。

 

煙草の葉なんてこの地底で育つ訳も無ければ、育てようと思う妖怪もいない。

 

つまり、この地底において煙草を販売すれば、それなりに売れるのではないかと思うのだ。

 

そして、地上。

 

人里では、一応煙草の葉や煙管による煙草の普及は有りはするものの、紙巻などは何とも面白い事に普及してはいなかったのだ。

 

まあ、紫が上の境界を操ったのが100年よりさらに前なので、煙草が入っている事自体が不思議ではあるが、まあそこら辺は紫が調整したのだろう。外から入って来る人もいたようだし。

 

それに反し、俺が上で販売しようとしているのはフィルター付きの紙巻煙草。

 

煙管で吸う人が煙を肺に入れる訳も無いし、その習慣も無いだろう。だが、これは違う。

 

肺に入れる事を前提に作られているので、上の人間にとっては新感覚の煙草である事が容易に想像できる。上手くやれば地底以上の収入を生みだすこともできるのだ。

 

とはいえ、まずは地底の販売から始めなければならないのだが……。

 

そんな事を考えていると、紫は手を差しだして口を開く。

 

「煙管は私も喫んだことあるから、貴方の煙草も吸ってみたいわ……それから少しだけ考えさせて頂戴……? いいかしら?」

 

と、少しだけ時間をくれと言いつつ、俺の差し出した金ピを手に取る。

 

重さは殆ど感じない程で、誰が持っても煩わしさを感じず持てるサイズ。

 

紫はもらった煙草に視線を注ぎ、時折鼻を近づけて息を思いっきり吸いこむ。吸いこんだ瞬間の表情はまるで懐かしい香りを嗅いだとでも言うかのように顔を綻ばせる。

 

バニラ系の匂いなんて嗅いだ事あるのかどうかわからないが、紫が嗅いだ事あるならそうなのだろう。

 

「確か、このフィルター面を口に当てるのよね?」

 

頷く俺を後目に、紫はピースを口にくわえ、此方に煙草を

 

「ん」

 

と言いながら突き出してくる。

 

ああ、煙草に火をつけろと。俺が付けろという事なんですね。そう思いながら俺はターボライターを差しだして点火してやる。

 

「吸うときは一回口で空気をためるように吸って、吐く感じで。一回目を肺に入れると美味しくないからね」

 

そう言いながら火を付けた紫に言ってやる。

 

「すう~~……」

 

が、二口目を灰に入れた瞬間に紫に異変が起こった。

 

「っ~~~~~~!! ゲホッゲホッゲホ……!!」

 

余りにも煙が強かったのか、それとも吸い方が悪かったのかは分からないが、紫が突然むせてしまったのだ。ソレも盛大に。

 

ゲホゲホとむせつつ、机をバンバンと叩く様は、先ほどまで厳かに佇んでいた賢者とはとても思えない醜態を晒しているとしか思えない。

 

現に周りの幽香達は苦々しく煙草を見つめていたり、ゲラゲラ笑っていたり、慌てて背中をさすったりする。

 

暫くむせていた紫が、何とも言えない苦しそうな表情をしながら

 

「無理! 私には無理よ! これを肺に入れるのは無理!」

 

そう言いながら、俺に言ってくる紫。煙管で口に入れてた経験は有るだろうが、肺に入れた事のない紫にとって金ピはきつかったのだろう。

 

少々此方を非難がましく見てくるが、それはお門違いと言う物であろう。

 

「もっと軽いモノがあるけど、そう言う物も合わせて売るのは……?」

 

勿論、世の中メンソールを含めて200以上の煙草の種類があるのだから、ソレを販売すればいずれ自分の好みを見つけられるだろう。

 

そう言う意味も込めて言ってみたのだが、紫はこれが売れるのかどうか疑問があるのか唸ったままである。

 

「八雲の、まあ一度試してみるのもいいじゃないか。私も煙管以外は喫んだ事がないから興味がある……」

 

と、今まで黙っていた勇儀が突然言い始める。

 

「南蛮の文字で読めないが、箱は綺麗なのが多いじゃないか、ほら、お前が吸っていたこれなんて鳩が草を咥えているじゃないか」

 

と、ピースのパッケージを見て勇儀がにっこりしながら。

 

ソレを紫は吸ってみなさいよとばかりの剣呑な目で見やる。が、勇儀はどこ吹く風で別の軽いたばこに手を出す。

 

おそらくパッケージの隅に書いてあった数字で最も小さい箱を見つけたからだろう。

 

ラークのウルトラ。1mgのタールと0.1mgのニコチンの吸引を目的に調製された煙草。勿論吸い方によって摂取量は異なるが、大凡そうなるとみて良いだろう。

 

「なら、私はこれを……」

 

と、勇儀が煙草を開けようとする前に、さとりが同じモノを口にくわえていた。

 

「はい、火」

 

「ありがとうございます」

 

そう言いながらさとりは火を付け、一度だけふかしてから二口目で肺に入れる。紫と同じ方法をとっている。

 

「ふう~……。煙管とは随分と違った味わいですね……しかも葉の味も全然違う、というよりも少し癖があるのね」

 

と言いながら何とも吸い易そうにしながらスパスパ紫煙を燻らせると、吸い終わった煙草を灰皿に置く。

 

そして何とも言えないぽやっとした表情になり

 

「これは……来ますね」

 

といって、ポテリと後ろに倒れて四肢を投げ出してしまう。

 

さとりは、そのぼやっとした顔で苦々しそうに口をゆがめながら

 

「口腔喫煙よりもかなりぽわぽわしますね……肺に入れるのはやはり結構来ます……」

 

さとりは偶に煙管を吸う程度らしいので、あまり煙草に慣れていないらしい。だから、たった1ミリの煙草でも、肺に入れてしまうとヤニクラがきつくなるのかもしれない。

 

煙管や葉巻きでもヤニクラは来るはずなのだが、肺喫煙のほうがよりニコチンを摂取しやすい。だから余り慣れてないさとりではセッタ等の高いニコチン濃度ではきついだろう。

 

「やはり肺喫煙はこの地底において慣れるまで少しの時間が必要でしょうね……」

 

そうさとりが言うと、ヤマメやパルスィが同調するようにウンウンと頷く。

 

まあ、確かに彼女達の思っているようにこの慣れない喫煙方法が広まるには少しの時間が必要となるだろう。

 

慣れてくればそれなりに売れるようになるかもしれないが、今は厳しいかもしれない。

 

「耕也、これは何かしら?」

 

と、卓袱台にある煙草の山から一つのパッケージを取り出して俺に質問してくる。

 

見れば、凹の文字を逆さにして角ばった部分を切り取ったようなマークが目につく。そして、全体の色としては黒とほんの少しの緑。

 

「それはマルボロブラックメンソールだね……。さとりさんが吸ってた奴よりも更に強い煙草だし、おまけに―――――」

 

と、俺が爽快感を齎すためのメンソールについて説明しようとしたら、火を自分で点けて吸い始めてしまった。

 

そして一口目をふかした時に、一瞬の惚けたような―――疑問符でも頭に浮かびあがりそうな表情し、二口目を肺に入れる。

 

すると

 

「ぶっは! な、何これ! こんなのが紙巻煙草なの!? 煙管と大違いじゃない!」

 

と、メンソールの刺激に圧倒されてか唐突にせき込み、涙と共に文句を言い始める。

 

「俺が言う前に吸うからだって…………ソレも立派な煙草だよ。メントールって言う冷感作用や、爽快感を引き起こすための薬物が入ってるからスースーするんだ」

 

と、俺が言う前に吸ってしまった幽香への言い訳と説明を同時に行って行く。

 

それでも幽香はちょっとむせてしまった事によって涙が目から溢れており、申し訳なさを引き起こさせる。

 

幽香は手に持っている煙草を恨めしそうに持ちながら暫く眺める。いくらせき込んだと言っても、彼女の手はずっと煙草を保持し続けている。

 

もったいないという感情があったのかは分からないが、幽香は眺めた後もう一度口に着けて吸い、白煙を吐きだす。

 

「強いわねこれ……確かにスースーするし、クラクラも来る。…………まあ、悪いとは言わないけど人を選ぶ煙草ね、そのめんそーるってやつは」

 

白煙を吐きだしつつその感想を言う。

 

メンソール系は結構好き嫌いが分かれるのだが、ソレがこの地底で流行るかどうかは未知数としか言いようがない。

 

そして、勇儀も吸って味について色々と言い始める。

 

一度吸った煙を口から洩れる寸前まで留めてから一気に吸いこんで肺へと送り込む。

 

「このらーくってんだっけ? ちょっと嗅ぎなれない臭いがあるねえ……煙管とは大違いだ……」

 

煙管とは何から何まで違ってくる紙巻煙草、その中でも癖のあるラークは勇儀に対して結構な驚きを齎したらしい。

 

 

 

 

 

 

 

各々が吸い終わった頃、空気の入れ替えが完了したのを見計らって、思い切って全員に聞いてみる。

 

「で、どう……? 地底での販売については」

 

と、この地底での販売の許可と今後の売れ行きについての予測を意見としてもらう。

 

俺が創造するので原価は無しに近い。それにこの地底で流行る、というよりも一定の顧客を確保できれば、安定的な収入を得る事が出来る。

 

元々嗜好品が地上よりも不足しがちな地底では、この煙草が一つの嗜好品として加わってくれればいいかなと俺は思いつつ、俺は皆の返事――――特に紫とさとりの返事を待つ。

 

紫は何か考えがあるのか、ジッと顔を下げて眉を顰める。その恐ろしい速度で物事を考える頭脳が、地上での煙草の販売に関して凄まじい予測を立てているのだろう。

 

生憎俺の脳では彼女の考えを知る事が出来ないので、黙って見ているほかない。

 

さとりも紫と同じく地底における煙草の販売を考えているのだろう。地底における管理者は悟りに一任されているのだから、この新しい商売が一体どのような影響を、利益を、不利益を及ぼすのかについて考えなくてはならないのだ。

 

此方としては、安定的な収入が得られる手段としては是非販売を開始してみたい。できればその煙草の美味しさを知ってもらいたいし、何よりも喫煙仲間と言うモノも欲しい。

 

周りのギャラリーは、紫とさとりの真剣さが分かっているのか、特に騒ぎもせずジッと黙って見ている。

 

彼女達が一体どのような判定を下すのか。そして、どういったレベルの規模で販売を許すのか。

 

と、俺達が暫く黙っていると紫が顔を上げて

 

「地上での、販売は許可します。……耕也の頼みですからね。とはいっても、10年後あたりになりそうな感じですけど」

 

と、心がふわふわと舞いあがってしまいそうな程嬉しい事を言ってくれる。

 

許可も勿論そうだが、やはり俺の事を考えてくれていたのは嬉しい。

 

「幸い、特に耕也が進出する事によって人里が危険な状態に晒される事も無いでしょうし、元々人里にも煙草屋はあるしね……新しい紙巻煙草もいいのではないかしら?」

 

と、紫が許可の理由を含めて説明してくれる。

 

これでまず第一のルートは確保したと言っても過言ではない。地底と比べていられる時間は少しばかり少ないだろうが、それでも収入を得られるという事に繋がるのは嬉しい。

 

そんな感想を持っていると、今度はさとりが顔を上げて口を開く。

 

「許可します……。ですが、この煙草を販売する際には以下の事を気を付けてもらいたいと思います。恐らく八雲も後で言うと思いますが……」

 

そうさとりは一息で言うと、何度か呼吸をしてから切りだしてくる。

 

「一つ目は、此方で販売する際には、子供には決して売らない事。また、子供のいる親にも必ず注意してください。そして、ゴミは回収するようお願いします」

 

紫も同じ意見だったのか、コクリと頷き、俺の方を向く。

 

これについては俺も同意見で、外装のビニールなどと言った人里では処理しきれないゴミは俺が集めて消去する。

 

勿論、人妖問わず未成年には煙草を決して売らない。それは勿論大人より子供への影響の方が遥かに強いのでそれなりの注意をしなければならないだろう。

 

そして、分煙等と言った対策も今後練って行かなければならない。

 

「俺もそれについては賛成ですし、実行するつもりでもあります。今後は紫とも分煙等と言った対策練って行く予定ですので安心して下さい」

 

そう言いつつ、俺は有る事に気が付いた。

 

それはどこで販売すればいいのか。と言う事である。一応商店などは自分の縄張りと言うか、同じ店が近くになるのは嫌がる。更に地底で言えば、初めて来る煙草屋なんて得体の知れない店ができるのは遠慮願いたいという部分もあるのではないだろうか?

 

そう思いつつ、俺はさとりに聞いてみる。

 

「ところでさとりさん、この地底での販売場所はどこが良いでしょうかね……?」

 

と。

 

すると、さとりはすでに考えていたようで俺の言葉にすぐに返答してきた。

 

「そうですね、それは考えてあります。煙草は恐らく相当珍しい嗜好品のはずなので……商店街から少し離れた場所、つまりはあなたの家と商店街の中間場所に位置させるのはいかがでしょうか?」

 

そう言ってくる。確かにその方が別の店とのイザコザも起きないだろうし、人里と違って此処は地底なので妖怪のみ、要は危険が無いゆえにおける配置場所であった。

 

それに買いたくない人は買わないだろうし、買いたい人は簡単に足を運ぶことのできる場所でもあるため、それなりの差別化も図る事が出来る。

 

まあ、携帯灰皿を新規の客には配らなければならないという面倒さも有りそうではあるが、それは地上で商売する際にも同じ配慮が必要なので気にしない。

 

「了解ですさとりさん」

 

そう言いつつ、俺は紫の方を見る。

 

「紫、まだ……と言うよりも地底出身だけで嫌がられるし現時点では人里で商売するのは難しいだろうけど、今後……10年後に商売を始める際には、どういった場所、大まかでも良いから教えてほしい。それによって分煙とか立地条件とか見ておきたいから」

 

と、言ってみる。

 

すると、紫はクスクスと笑いながら

 

「焦り過ぎよ耕也。まだ10年も先の話しをしたって、今後人里がどうなるか分からないわ。外来人もごく少数だけど入っているし、人口も変動してる。建物だって壊れるものもあれば新たに建てられる事だって予想できるわ。だから、その話は後。……ね?」

 

と、焦り過ぎだという事を指摘されてしまう。

 

確かに焦り過ぎだという事を実感し、恥ずかしさのせいか顔が少し暑くなってしまうが、素直にありがとうと言って地上での販売については封印しておく。

 

俺の言葉を受けた紫は、うん、と頷いて手をパンパンと鳴らして口を開く。

 

「なら、今日はこれでお開きね……。では、解散しましょうか?」

 

そう言うと、ヤマメ達はいそいそと席を立って自分の家へと帰って行く。

 

俺は皆にありがとうと礼を言ってから一つの事に気がつく。

 

それは、今日この場に集まった面子で一言もしゃべらず唯ひたすら黙していた藍の事であった。

 

彼女は紫の言葉を聞くだけで、今回は煙草の味見もしないし感想も一言も話さなかった。そればかりか物憂げに溜息を吐いたり、煙草の葉の匂いを嗅ぎ続けたりしていたのだ。

 

一体何が彼女をそのような行動に移させたのか、俺は理解できなかったので、非常に気になったのだ。

 

だから、俺は藍が紫の後を付いて帰ろうとする所を呼びとめることにした。

 

「紫……藍と少し話がしたいから残らせてもらえるかい?」

 

そう俺が言うと、紫も何がしたいのかすぐにわかったらしく、意味ありげに笑うとコクリと頷いて藍に向かって話す。

 

「藍、耕也が話したい事があるそうよ……? だから、少しの間話してきなさいな。帰りは耕也のジャンプで送ってもらいなさい?」

 

そう言うと、藍は少し迷った上でかしこまりましたと頭を下げて、此方に近寄ってくる。

 

そして、後に付いて行く幽香も何かを察していたのか

 

「まあ……がんばんなさい」

 

そう言って笑って隙間の中へと身を滑らせていく。

 

俺と藍だけになったこの部屋は一気に静かとなり、卓袱台の上にある時計が小さく時を刻む音だけが木霊す。

 

藍は俺の前に正座したまま視線を下に向けたまま。顔を上げようとはしない。

 

俺も話そうとは思うのだが、中々そのタイミングが見つからず、両者そのまま黙りこくってしまった。

 

静かに、されど確実に刻み続ける時計の針は、まるで俺達にサッサと用件を済ませろとでも言うかのように進み続ける。

 

このままでは埒が明かない。

 

そう思った俺は、思いきって話す事にした。

 

「藍……煙草に何か思い入れでもあるのかい……?」

 

俺の推測が正しければ、彼女に煙草に関して何かしらの思い入れ、因縁があったのかもしれないと。

 

アレだけ真剣に煙草を見ていたのにも拘らず、それから眼を離して天井を見上げたり溜息を吐くのは何かしらの事があったとみてもおかしくないのではないだろうか?

 

そして、俺の言葉に藍は眉をピクリと動かすと、クスクスと苦笑してから眉をへの字にして

 

「やはり分かってしまうか……?」

 

そう呟く。

 

「分かるさ……何年一緒にいると思ってるんだよ」

 

「そうだな、分かってしまうよな……そう、ちょっと昔を思い出してね……」

 

そう藍は呟くと、大きく溜息をついてから一言一言切りだしていく。

 

「私が昔……今の中国において妃になっていた事は知っているな? ……そこで香を焚いていた事があってな……その匂いが燃える前の煙草の様な気がしたでつい思い出してしまってな……」

 

そう言うと、少し悲しそうな顔をして俺に近寄って肩に頭を預けてくる。

 

俺はやはり彼女は煙草から昔の事を思い出していたのだという事を把握した。

 

彼女がいたのは殷という大昔の国。そこで妃としていたのなら、それぐらいの高級品を嗜んでいた事は有っただろう。

 

そんな事を思いながら俺は身体を抱きしめてやろうとする。すると、藍は肩ではなく胸の方に頭を預けてくる。

 

表情は見えないが、何とも悲しそうで、しかし同時に嬉しさが両方混ざった様な声色をしながら吐露してくる。

 

「私は本当に、唯本当に愛されたかっただけなんだ……そう、最初は私も唯の化け狐だったんだ。でも、人の営みを見るうちに家族と言うモノに惹かれてね…………でも、長かった……本当に長かった。なあ耕也、本当にありがとう。でも人間と妖怪の差ってのは此処まで有るものだなんて最初は思わなかったんだ……」

 

恐らく悲しさと今の状況における安堵が重なってしまっているのだろう。今の境遇と昔の境遇のさがあまりにも大きいため、思いだした時の感情の落差が激しくなってしまっている。

 

だから、こんなにも儚げな笑みや縋るような事をしてくるのだ。

 

俺はそんな感想を持ちながら、少しだけ強く抱きしめてやる。

 

迫害され、それでも自分の幸せを求め続けた結果、辿りついたのはこの日本。

 

しかし、それでも自分の幸せを掴む事が出来ずに、注ぎ込んだ愛の返事は矢と札の応酬。

 

必死に誤解だと叫んでも帰ってくるのは

 

「化け物め! この世から消えされ!」

 

積み上げてきた全てが崩される否定の言葉。

 

だが、それでもまだ諦めきれず、俺の所へと満身創痍で辿りついた。

 

紫を主にする事ができ、俺も共に歩む事ができ、幽香とも友人となる事ができた。

 

今の境遇が信じられないほど良いため、涙もろくなってしまったのだろう。

 

妖怪にだって、九尾の狐にだってそう言う事はあるのだ。そう思いたい。

 

だから、俺は背中を痛いほど爪を立てて抱きしめ、ブルブルと震えて涙をこぼす藍を抱きしめてやろうと。

 

そう思って、更に更に強く抱きしめてやった。

 

 

 

 

 

 

 

「す、すまない……昨日は少し搾りとり過ぎた」

 

そう言いながら藍はヨロヨロと起き上がる俺に言ってくる。

 

「大丈夫だよ……」

 

そう言いつつも、俺の体力は朝から最低値を記録している。

 

まあ、男にとっても重労働なのだから仕方がないのだが、人と妖怪の差がどうしても表れる。

 

「朝食は食べてく……?」

 

俺は腹が減っていたので、ついでにと藍を誘ってみる。

 

 

「いや、紫様と食べなくてはならないので、此処で御暇させて頂くよ」

 

と、苦笑しながら俺の方へと返してくる藍。

 

まあ、俺としても流石に藍のジャンプで体力を使い果たしてしまいそうだからそれはそれで助かるのだが。

 

そう思いつつ、俺は立ち上がって藍へと近寄る。

 

「じゃあ、送るよ?」

 

そう言うと藍は準備がすでに完了しているのかコクリと頷いて

 

「ああ、お願いするよ。準備はできているし、早く戻らないと紫様を心配させてしまう」

 

そう返してくる。

 

「分かった。なら――――」

 

その言葉を呟くと同時に、藍へ右手を翳して意識を集中させる。目的地は紫の屋敷前の庭。

 

ゆっくりとしたまどろみの中で藍が青白く発光し、消滅、転移をしていく姿は何だかとても神聖なモノに感じてしまう。

 

まあ、白面金毛九尾の狐ならば神獣と言われてもいるのだから、神聖なという表現は間違ってはいないのだろう。

 

「ありがとう耕也。また、宜しくな?」

 

衣服を正し、剥き出た右手の人差し指を口元にやり、ペロリと舐めながら誘う姿はまさしく傾国の美女以外の何ものでもない。

 

唾液からかは分からないが、舐めた瞬間にフワッと甘ったるい匂いがし、クラリとまた靡いてしまいそうになる。

 

男を誘惑するために生まれたのではないのかという感想を持ってしまうが

 

「うん、また今度ね」

 

表情を笑みに変えるだけに留めておく。

 

そして、一際激しい青白光を放った瞬間に藍の姿はこの部屋から消えていた。完全に紫の家へと転移したのだ。

 

そして見届けたその瞬間に

 

「うわっと……」

 

俺は腰が砕けてしまい、その場で布団の上に寝転んでしまう。

 

何とも言えないこの虚脱感。普段ならこの感覚をずっと保ってそのまま眠りに入ってしまいたいのだが、今日に限ってはそうはいかない。

 

「煙草の見本を配らなければなあ……試喫会のようなモノも催さないといけないし……」

 

と、今日の予定を呟くように言って確認していく。

 

そう、今日は俺がタバコを初めてこの地底で販売に繰り出す予定であり、有る程度どのようなものなのかを知ってもらうために試喫をしてもらうのだ。

 

俺も煙草の巻紙の違いによって風味を特定できるなんて事はできないが、美味しさぐらいは分かるし、香りの違いも分かりはする。

 

まあ、だからこそその美味しさを分かって貰いたいし、何よりそれで俺の生活費を稼ぎたい。本音は儲かりたいというのが一番なんだが。

 

でもやっぱり眠たい。睡魔が俺の脳を蕩かし、そのまま眠りの世界へ誘おうとする瞬間

 

「耕也さん、起きてますか?」

 

その声に俺は強制的に脳を覚醒させられ、起き上がらせる。

 

今日のたばこ販売に関して、監視と住民の反応を見るらしい。地底全体に関わることであるためか、何時もより俺に対する声の掛け方が堅い。

 

まあ、この地底の責任者である彼女ならば、その反応や態度も仕方がないだろう。

 

俺はもうちっと寝たかったなあと思いつつ、大きく両腕を真っ直ぐに伸ばして伸びをする。

 

「くぅ~っ!!」

 

そんな変な声が出るとともに、収縮していた筋肉や血管が伸ばされて、心地よさが身体全体に伝わって行く。

 

「ふう……」

 

伸びを行った後の溜息を吐いてから、俺はさとりの声に返事をする事にする。

 

「は~い、起きてますよ!」

 

そう言うと、さとりは俺の返事を聞けたのか、ほんの少しだけ柔らかな声に変えて

 

「今日は試喫会の様なモノを催すのですよね? でしたら、早く言った方が吉ですよ?」

 

この地底の妖怪達は、基本的に朝早くから仕事をし始める。特に建設系等はえらい速度で建物を組みあげなければならないため、自ずと労働開始時間が早くなる。

 

俺は寝惚けた頭でその事に漸く気付いて、急いで支度をし始める。

 

「ちょ、ちょっと待ってて下さいね! 今行きますから!」

 

そうヨレヨレではあるが、なるべく大きな声で返事をしてから、服を寝間着から何時も通りの適当な服に着替える。

 

そして、中々力が入らない足と腰に踏ん張りを入れ、玄関まで小走りで行き玄関の戸をあけていく。

 

「おはようございますさとりさん。お待たせしました……」

 

玄関を開けた先には、暇そうにあくびをしているさとりがおり、此方の声に会釈をして

 

「おはよう耕也……では、行きましょうか?」

 

待っていましたとばかりに口を開き始めるさとり。まあ、待たせてしまったのだから行きたいという気持ちが強くなるのは仕方がないだろう。

 

俺はそんな感想を持ちながら、すみませんでは行きましょうかと言って、並んで歩き始める。

 

「ところで、今回はどのようにタバコを配るのですか? 全住民を把握している訳ではないのでしょう? まあ、そのために私がいるというのもありますが」

 

そう補足しながら俺に質問をしてくるさとり。

 

確かにその通りである。俺はこの地底に住む全住民を把握している訳ではないので、タバコをどのように配るかを考えなければならなかったのだ。

 

だが、それくらいは考えてある。というよりも、この場合考えてるなんて御立派な事はしてはいない。むしろ考えなしに近いようなモノである。

 

そして、その事を言おうと思った矢先に

 

「耕也、まさかとは思いますがであった人に片っ端から声をかけて配って行くなんて事はしないでしょうね?」

 

という俺の考えと100%合致したモノを言ってきた。

 

まあ、彼女のジト眼具合からも分かるが、この考えには相当反対のようである。

 

俺は彼女の言葉に何とも答えづらいモノを感じながらも、諦めて正直に話す事にする。

 

「ええ、そうです。適当に見繕って暇そうにしてる10~30人ぐらいに声をかけて、街の外れまで来てもらうんです。そこで、一応試喫をしてもらおうかなと思ってます」

 

すると、さとりは合点がいったように眉毛をピクリとさせてから。

 

「ああ、そこで私の出番ですか……ええと、宣伝役と言う事ですか?」

 

「まあ、そんなところです」

 

特に彼女が宣伝役になった所で、特に問題はあるまい。今回は耕也が持ってきた新しい嗜好品を私が許可しました。とでも言えば誰かしらは興味を持ってくれるだろう。

 

そう思いつつ、俺は先に進んでいくさとりの姿を後ろから見つつ、どんな反応が返ってくるか楽しみにしていた。

 

 

 

 

 

 

商店街の中央広場。交通の要所でもあり、様々な業種の妖怪が往来する場所でもある。

 

「さて、今回は地底でもこのような嗜好品を取り扱う事になりました。皆さんどうですか?」

 

最初に言った作戦とは大違いなモノになってしまっているが、さとりの立場がこの中でも最上位に位置するので、道行く人は皆足を止めて彼女の言葉に耳を傾けていく。

 

反応は

 

「煙管とは違うのか……昔を思い出すなあ……」

 

そう言いつつ地上で煙管を喫んでいた頃の自分を思いだして懐かしむ者もいれば

 

「は、あんな妖怪が紹介する物なんてできるか」

 

と、さとりを見ただけで露骨に反応する阿呆や

 

「ちょっと興味あるな……300年生きてるし、大丈夫だろ?」

 

と、何とも人間くさく自分の身体を気にする輩もいる。

 

が、それぞれの反応に対して言葉を返すさとりではなく、唯淡々と説明をしていくだけ。

 

「この紙巻煙草は、地上でも嗜まれている煙管とは違い、肺に煙を入れて楽しむものだそうです。興味のある方は此方の大正耕也が催す試喫会にご参加ください」

 

そう言うと、さとりは俺の手を引っ張って、サッサと商店街の外へと向かって歩き出していく。

 

俺は、引っ張られながらも試喫会の場所を言わなければならないので、少々急ぎぎみに述べる。

 

「試喫会は、この後すぐに行いますので、もし興味のある方は私に付いてきて下さい!」

 

俺とさとり、そして俺の後をぞろぞろと付いてくる妖怪が40人程という大所帯になりながら街を通過していく。

 

が、この状況になってもさとりが俺の手を離さない事に違和感を覚え、俺は少し聞いてみる。

 

「何かあったのかい?」

 

何となく聞いてみた質問ではあるが、俺の言葉にさとりは少し悲しそうな顔をすると

 

「ええ、まあ。やはり言葉に出さなくても此処の妖怪達の言葉は伝わってきますからね……」

 

その言葉を聞いた瞬間に、俺はさとりの思っている事が全て分かり、途端に申し訳ない気持ちになってしまった。

 

以前燐や空が言っていた事が思い出される。いや、あの時は空の言葉だったか。

 

「さとり様を馬鹿にしたりしないし……」

 

この言葉である。

 

俺は彼女の何となく悲しそうな表情を見ながら、やはり彼女はこの地底でも未だに忌避される存在なのだと思った。

 

表面上で取り繕っている妖怪が居ても、さとりを前にすると自ずと心の中で悪意を丸出しにしてしまう。

 

心が否応にも読めてしまうという能力の弊害である。

 

だから、彼女は俺とは気軽に話す事が出来るのだ。心が読めないから。そして、なによりも自然な人間の姿を見る事が出来るから。

 

俺はそんな事を考えながらさとりの方を見てると

 

「でも、貴方と手を繋ぐと何故か心を覗く事が出来なくなるのよね。貴方限定ではなく、他の妖怪の心まで」

 

と、先ほどとは反対に、妙に嬉しそうな声を出してくる。そしてその瞬間に、俺は

 

(ああ、そう言う事か)

 

そう思って、思わず両の手を打ち合わせそうになってしまった。

 

つまりは、彼女は現時点で俺に触れてしまっている。それは俺の内部領域の影響下に置かれている事自体の何ものでもない。

 

だから、さとりの能力自体が使えなくなってしまったのだ。

 

そこで俺は一つの事実に辿りついた。ひょっとして、さとりが能力を使えなくなったのは初めてなんじゃないか? と。

 

思い出してみれば、俺はさとりに対して領域を拡大させた事はないし、内部領域に曝したことも無い。

 

彼女にとってみれば初体験なのだ。だからか、彼女の様子が悲しさから一変して嬉しそうな顔に転じているのだ。

 

そんな事を極短い時間の中で考えながら、彼女の言葉に返答をしていく。

 

「まあ、自分も心を読まれたら、吃驚します。まあ、でもソレが取柄であって、燐や空達との意志疎通もできるという利点も存在するのですから……他の妖怪の事は気にしなくてもいいと思います」

 

とはいえ、もし俺も領域が無かったら碌にさとりと話す事が出来なかった可能性も無いとは言えない。

 

彼女の心を読む能力というのは、本当に人の内側にまで浸透してくるのだから。

 

ふうっと、俺は溜息をつきながらさとりのすぐ後ろを歩いて行く。

 

 

 

 

 

 

 

「では、今回皆様に試喫して頂くのはこの煙草です」

 

そう言いながら俺は一つのタバコのパッケージを取り出す。

 

場所は丁度俺の家と商店街の中間地点。

 

何も無い平地で、岩盤がむき出し状態の所がいくつかあり、多くが岩盤の上を薄い砂の膜が覆っている荒野である。

 

そして掲げたそのパッケージは、外側が白く彩られており、その中心部分には平和を象徴するハトがオリーブの葉を咥えている姿。その背景は蒼く、煌びやかな金色の鳩の下に文字が綴られている。

 

Peace Lights

 

ニコチン10mg タール0.9mgの紙巻タバコの中では比較的強めな部類に入る。

 

金ピ程ではないが、美味しさでは俺の中で片手で数えられるぐらいの順位にいるので、是非今回の試喫会で吸ってもらいたかったのだ。

 

俺は集まった40人ほどの妖怪達に良く見えるように、手を大きく上に伸ばしてアピールする。

 

すると、そのデザインについていい意匠だとか、俺はもっと派手なのが良いとか色々と言われるが、それに一々反応していたらキリが無い。

 

だから、俺は包装の薄いビニールを外して、パッケージを開封していく。

 

そして、中にある金色の紙を前半分だけ上に引っ張って破り、タバコを露出させる。

 

「紙巻煙草はこのようにして吸います」

 

少し高めの台を創造して、皆が見えるような位置まで上がってからタバコを一本取り出して手に持つ。

 

そして、一度口にくわえてライターで火を付け、一度ふかしてから二度目で肺喫煙を開始する。

 

薄らとしたバニラの甘い香りに、上級ヴァージニア葉特有の芳醇な香りが鼻、口を犯して、一杯にして外界へと吐き出されていく。

 

やはり美味しいという言葉以外は出てこない。

 

三口目まで吸ってから、俺はタバコを持った手を腰の近くにまで落として、集まった人達に声を掛ける。

 

「このような感じで、一度目は口の中で溜めた煙を吐きだしてから、二口目を肺に入れていきます。そして、風味を味わうとともに、吐き出していきます。宜しいでしょうか?」

 

そう言うと、集まった妖怪達は一斉に頷いている。

 

煙管を懐かしんでいた者は、早くも吸いたそうに目をキラキラと輝かせており、此方としても早く配らなければという気持ちになってしまう。

 

俺は、自分の手に持っているタバコを消去しつつ、台から降りて皆にタバコを一本ずつ配り始めていく。

 

「では、ライターとタバコを一つずつ回して下さい」

 

そう言いつつ、俺は40本のタバコと同数のライターを手渡しで渡していく。

 

「ライターは、その黒い部分を押せば火が付く仕組みなので、簡単に使えると思います。御自分の術で付けられる方も、今回はライターでお試しください」

 

そう言いつつ、俺はコンビニに良く置かれている灰皿を、等間隔で10台創造して配置する。

 

「落ちそうになった灰や、吸い骸はその中に入れて下さい」

 

そう言うや否や、皆思い思いに吸い始める。

 

一口目でむせてしまう者や、数口すって、ヤニクラを起こしてふらつく者等様々。

 

だが煙管を嗜んでいた者は肺に入れる事自体に慣れていなかったものの、すぐにタバコの味を楽しむ事ができるようになり、3分程度で根元まで吸ってしまった。

 

そして、有る程度時間が過ぎ、他にもメンソールを含めた数種類を吸ってもらったが、以外にも紙巻き煙草は好評で有ったようで、販売してもらえないかという声を聞く事に成功した。

 

(これで俺も漸く本格的に商売を始められる……)

 

そう思いつつ、俺は此方を向くように少し大きめの声で話していく。

 

「今回の試喫会を踏まえまして、一週間後からタバコの販売をこの場で行いたいと思います。もし、御興味のある方は是非お求めください。では、今回の試喫会を終わらせて頂きます。ソレと一応試供品としてですが、気に入られた銘柄を一箱ずつ試供品として進呈いたします」

 

そう言いつつ、俺は灰皿を消去していくと、妖怪達は俺の所に集まって、口々に自分の吸いたいタバコの銘柄を言ってくる。

 

とはいえ、今回吸った銘柄はタバコ全体の中のほんの一部なので、言ってくる銘柄も限られていた。

 

特に多かったのは最初に吸ったPeace Lightsである。

 

中には、余り自分の口に合わなかったのか、何も貰わず返ってしまった者もいたが、それは仕方がない。

 

まあ、固定客は付くだろう。

 

そう思いつつタバコを配って行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




これまでの話しはいかがでしょうか。もし宜しければ御感想等を宜しくお願い致します。

ちなみに、咲夜は赤子のころに紅魔館のメイド妖精と美鈴に拾われてから、パチュリー、美鈴、小悪魔、フラン、レミリアに大事に大事に育てられたといった感じであります。
東方高次元の中ではですが。

では、また次回。


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101話 のほほんと何年も……

忙しくて中々PCに触れられず、書き溜めを投稿できない……。


まあ、基本的に地底の煙草屋は暇だし……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おお、耕也。商売は繁盛してるかい?」

 

そう聞いてくるのは、俺を日雇いの仕事をしていた時の元上司。名は小元。

 

仕事の時は非常に厳しい人だが、仕事が終わればその雰囲気が逆転する妖怪と言う事で有名である。

 

「ええまあ。何とか売れ始めてはいますね」

 

そう言いつつ、販売記録を見てみる。

 

先日ついにオープンした地底の煙草屋は、試喫会でのタバコの味についての噂などが広まり、少数ではあるが客が来るようになっていた。

 

マイルドセブンやセブンスターの軽いタイプが売れているのがこの販売記録からは読み取れ、逆にいえばそれ以外のタバコは売れていないのだ。

 

そして特に売れる気配がないのが、わかば、エコー等と言った三等葉を使ったタバコである。

 

味も安定しないし、何より不味い。

 

販売記録より、そんな事を思っていると、小元さんが

 

「そうだな……この赤い……」

 

銘柄が読めなかったのだろう。眉を顰めながら呟くように注文してくる小元さんは、普段とは違った表情を見せてくれるので意外でもあるし、面白くも感じた。

 

だが感想を持つと同時に彼は同時に客でもあるので、そのフォローを開始していく。

 

「ああ、それは赤LARKですね。2銭になります」

 

基本的に俺の商売は原価0円なので、410円よりも遥かに安くしている。

 

幻想郷と地底で使われている通過は、旧日本通貨なので1円あたり現在の1万円で換算されている。

 

だから、2銭なのだ。とはいえ、恐らく庶民感覚としては糞高い嗜好品の一つに数えられてそうなのは否めない。

 

この値段だとボロ儲けにしか感じないのだが、実際のところ客も少ないので利益が上がらないというのもあるが、妖怪達が頻繁に買わない様にという対策も兼ねているのだ。

 

初めての客には灰皿を進呈しているし、街の許可を取って、喫煙スペースを設けさせてもらっている。確かに非喫煙者に対しては配慮しているのだが、自分自身の健康にも気を使ってもらいたい。

 

だから、このような値段なのである。まあ、タバコを売っている俺がこんな事を言っても矛盾だらけなのは分かっているので、あえて口には出さない。

 

そう考えていると

 

「はいよ、2銭。試しに吸ってみようかなと思ってなあ……この紅い外装が目について仕方がなかったんだよ」

 

そう言いつつ、ニコニコと手を振りながら去っていく小元さん。

 

俺は小元さんがこの場を去って行ったのを見計らってから、ふうっと息を吐いて頬杖をつく。

 

最初の試喫会では、評判が良かったものの、いざ販売してみるとその客数が予想よりもずっと少ない事に何とも言えない寂しさを感じたのだ。

 

本当にポツポツ。酷い時は日に10銭程度の売り上げしかない時がある。まあ、それでもこの収入は地底で暮らしていくには十分すぎるほどのものだし、日雇時代と比べたら天と地ほどの楽さである。

 

だから、吸って美味しさを分かち合う人が1人でもいれば、その人に販路を確保したいと思う。

 

そんな事をのぼーっとした顔で考えていると、突然斜め方向から声を掛けられてしまう。

 

「なーにをそんな顔してるんだい? ぼけーっとしちゃってさ!」

 

「うおわあっ!!」

 

しかも比較的大きな声で言われたものだから、俺は思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。

 

俺は思わず店内に設置してある椅子から立ち上がって、キョロキョロと店の外を見回してしまう。

 

すると

 

「なんだ……ヤマメさんか。吃驚させないでくださいよ……」

 

俺に声を掛けてきたのはヤマメだった。俺に対してドッキリが成功したかのように笑い転げ、此方を指差して片足で地面を踏みならす。

 

何とも言えない悔しい気持ちにさせられたが、俺はぐっと我慢してそう言いつつ、力が抜けるように椅子に再び座り直す。

 

ふうっと溜息をまた吐くと、店の対面窓に近寄って、同じくカウンターに両腕と頭を乗せる。

 

丁度顔がすぐ眼の前に来る事になってしまい、俺は少し顔が熱くなるのを感じながらも

 

「それで、今日はどうしたんですか?」

 

そう尋ねる。

 

どうせ暇つぶしなのだろうから、彼女に問うというのはあまり意味がない気もするのだが、一応此方としても聞きたいというか何と言うか。

 

まあ、本音を言えば客が少ないものだから、弾に来る人とは話したくなるのである。

 

しかも、地底での恩人とくれば、なおさらである。

 

俺の問いにヤマメは、ニッコリと笑いながら

 

「いやあ、暇つぶしにねえ」

 

そう言うと、何かを思いついたように目を大きく見開かせ、再びニッコリとしながら俺に話しかけてくる。

 

「そうそう、ちょっと思いついたんだけど……話しが少し長くなるかも知れないから、外に出てきておくれよ」

 

そう言いつつ、俺の額を軽くデコピンするかのように、人差し指を跳ねさせる。

 

まあ、客なんて殆ど来はしないのだから、雑談して時間を潰すのも非常に大切な時間の潰し方なのだろう。

 

俺は自分の中でそう完結させると、椅子から立ち上がって

 

「分かりました。今から行きますので」

 

そう言いつつ、店の裏の勝手口から身を滑らせるように外へと出してから、ヤマメのいる店の前まで歩く。

 

店の前には、一応寛ぎつつ喫煙できるように2つのベンチがあるのだが、その右のベンチにヤマメは腰をかけていた。

 

「ほらほら、こっちに座った座った」

 

俺の姿を認めたヤマメは、嬉しそうに顔を綻ばせながら、ベンチをペシペシと叩いて招いてくる。

 

急かされるようにベンチに近寄り、ゆっくりと腰掛ける。

 

このベンチから見える光景は、試喫会と同じ場所に位置しているので本当に殺風景なのだ。

 

薄らと溶岩が噴き出て紅い光を放っているのを肉眼で確認できる程度であり、薄暗い地底である事には変わらない。

 

そんな感想を頭の中に浮かべていると

 

「耕也、ちょっと小耳にはさんだ事があるんだけど、聞いてみてもいいかい?」

 

そう言いつつ、先ほどのニッコリとした表情よりもニヤリとした笑みというほうが 相応しいモノへと変わって行く。

 

俺は何となく彼女の言う事に嫌な予感を感じ、何とか拒否しては見たいもののそれは彼女の気持ちの強さから鑑みて、叶いそうにない。

 

仕方なしに俺は

 

「ええ、良いですよ」

 

そう答える。

 

すると、待ってましたと言わんばかりに手をパチンと合わせて口を開く。

 

「そう来なくっちゃ。それで、聞きたい事ってのはね、耕也。……地上で何があったんだい?」

 

ヤマメとかには話していない筈なのにもかかわらず、その口調はあの日に起こった事件の事を知っている口ぶりであった。

 

やっぱ燐から漏れてしまったのかなあと思いつつ、俺は

 

「ええと、ひょっとして知ってたりします?」

 

と恐る恐る言ってみた。

 

すると、こっくりと頷いて

 

「勿論。少女を助けた事とかね。燐から一応それなりの事を聞いたけど、私の中でちょっと疑問に思う事があったんだ」

 

やっぱ燐が漏らしたかと思ったが、何となく次に来る質問事項に嫌な予感がして、俺は先手を打つ事にした。

 

「どうして名前を知っていたとか、そう言った事は秘密なんで宜しくお願いします」

 

すると、ソレを聞きたかったのか、露骨に頬を膨らませて俺のわき腹を小突いてくる。

 

ジト眼で俺の事を暫く見るが、俺も譲る気はないので、突っぱねる気持ちでタバコを取り出して火を付ける。

 

すると、俺の考えが伝わったのかは分からないが、ヤマメは溜息を吐くと

 

「分かった分かった。ちぇ……ソレも聞きたかったのにねえ。まあ仕方がない……それで、地上はどんな感じだった? あと、妖獣を倒した時の状況ぐらいは聞かせておくれよ」

 

そう言いつつ、俺の顔をふふんとした自慢げな笑みを浮かべつつ立ち上がって俺の前まで移動してくる。

 

まあ、その二つの質問程度なら答えても何の問題もないだろうし、話した所で地底が崩壊するわけでもない。

 

だから、俺は素直に話す事にした。

 

「そうですね……地上はやはりこの地底と違って緑にあふれています。それだけでもこの地底が地獄であったという事が良く分かりますし、それだけに地上が物凄く懐かしく、そして羨ましく思いました……」

 

ヤマメは、俺の言葉に同意しているのか、それとも言葉を脳に叩きこんでいるのかは分からないが、コクコクと小さく頷きながら聞いてくれている。

 

ヤマメ自身、もう数えるのが億劫になるほどの前の昔に此処に来たのだから、色々と情景を聞きたいと思っているのだろう。

 

「それで、他には一体何があったんだい? 緑だけじゃないだろう?」

 

その催促はまるで、夜に絵本を読んでもらう事を楽しみにしている子供の様であった。俺がそのような印象を受けたのは、元々のヤマメの性格もあったからかもしれないが、それ以上に普段から陽気な姿ばかりを見ている俺の印象からの判断と言うのもあったのだろう。

 

また、その快活、陽気さを見ていると此方もいらぬ事までバンバン話したくなってしまう。むしろ話しそうになってくる。

 

彼女はひょっとしたら交渉事などといった、相手の情報を引き出すという事に関して長けているのかもしれない。あくまで俺の憶測範囲でしかないが。

 

「そうですね、上には海かと見間違える程の大きな湖があったり、その畔に真っ赤で大きな館があったりしますね。更に言えば、外科医と隔離されてはいるものの、少数の人間が暮らす人里もあるそうです」

 

すると、ヤマメは俺の言葉に疑問を持ったのか

 

「有るそうです? え、人里には行った事が無いのかい?」

 

そう言葉を返してくる。

 

勿論、俺は人里に行った事はない。人里の話しはあくまでも紫からの情報のみであり、後は元の世界での書籍関係である。

 

だから、怪しまれる事が無いように

 

「ええ、紫から聞いただけですよ……ヤマメさんも知っているとは思いますが、彼女は幻想郷の管理者と言っても過言ではありません。ですので、たいていの事は知っているんです」

 

すると、ヤマメは納得したようにふ~ん、と呟きながら頭を縦に振って口を開く。

 

「まあ、確かにそうだろうけどさ……人里に行きたくはないのかい?」

 

そう言われてしまうと、考え込んでしまいそうになる。何せ、俺の活動場所は現時点で地底のみ。偶に紫にこっそり地上に出て山菜を取る程度の事しかしていない。

 

現在の幻想郷における地上では、全くの初心者と言っても過言ではない状態なのだ。おまけに紫に案内されても無いから、人里がどこにあるかすらも分からない。

 

下手に高高度に飛べば、人里は見つけられるかもしれないが、途中で妖怪と戦闘になったり、紫にあまり目立つ行動をするんじゃないと怒られてしまいそうだから、そう簡単に探索などできないのだ。

 

何とも言えないもどかしさを感じるが、これが現状であり、更には人里からの地底への意識のレベルも気になる。

 

この数多くの不安要素が有る限り、俺は人里に行くのが難しい。紫が煙草屋を出すまでに、何とか手を打ってくれると言っていたが、どうなるのだろうか。

 

俺はそんな考えを脳に浮かべながら

 

「確かに行きたいですけれども、色々と障害があるらしいです……生活拠点が地底と言う事もありますしね」

 

そう言うと、ヤマメはすぐに俺の考えている事を察知してくれたのか、肩をポンポンと叩いて

 

「まあ、私も地上は見てみたいけど、八雲のが煩いからねえ……こっちに八雲が来る事はあるけれども」

 

紫は確かに地底を嫌っている節がある。それは俺の家以外に出現する事がないという事だけでもすぐに分かる。

 

確かに、地底に封印されたころには幽香達3人で殴りこみに来てくれた時もあったが、商店街などに姿を見せたのはそれっきりである。

 

紫が地底に来てくれているのは、俺がいるから。この唯一の理由が、彼女を此処に来させているのだろう。幸せ者だと思う。

 

もし今後人里等に行けるようになれば、紫達と食事に出かけたり等色々とできるので、今までの恩を少しずつで良いから、返していきたい。

 

そう思いつつ、俺は吸い終わったタバコを灰皿に落とす。

 

ジュッという火が消える音を耳で確認した後、俺はヤマメに返答をしていく。

 

「紫は色々と自由に動くんですよ。まあ、そう言う事にしておいて下さい」

 

そう言うとヤマメは何を思ったのか、ニヤニヤしながら俺の肩をツンツンしながら

 

「こ~の幸せ者め。思っていた事を隠して言っていたら、私が頑張っちゃうよ?」

 

「やめて下さいってば」

 

考えていた事が顔に出ていたのかは分からないが、俺の考えが見透かされていた恥ずかしさと、突かれた際のくすぐったさが同時に来て、言葉として出てしまう。

 

恐らく今の俺の顔はにやけている。自分でもわかる。

 

さして重要ではない個人の話題を出しながら、俺達は存分に時間を潰す事にしていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ただいま~」

 

そう言いつつ、俺は敷居をまたぐ。

 

あの後営業時間を経過してしまったため、ヤマメとの会話を終わらせて店じまいをし、帰宅する事にしたのだ。

 

やはり長く座っていると、身体の筋肉が収縮してしまっているのを実感できる。

 

扉を閉めて、誰の目からも見られない様にしてから、両腕を一気に伸ばして伸びを開始する。

 

筋肉の収縮が解かれるのを感じながら、その気持ちよさに思わず俺は

 

「くう~……気持ち良い」

 

と、中年のおっさんみたいな事を言ってしまった。

 

自分のおじん臭さを軽く後悔しながらも、靴を脱いで廊下をスッスッと歩く。

 

靴下が木の床を叩く音は、何時聞いても心を落ち着かせてくれるものであり、やはりこの家は住みやすいなと言う事を実感させてくれる。

 

逆にいえばこの家の周り、あるいは家の中の静けさは自分が1人で暮らしている事他ならず、ほんの少し封印された事を恨みそうになる要因でもある。

 

早く地上に店を出して人間同士で色々と話しをしてみたいなあと、廊下の地味な色をした壁に目をやりながらほんの少し息を吐いて襖をあける。

 

何にもない、普段の居間の光景が俺を待っているという事を前提に、襖を軽く指で開ける。夕食を一体どんなメニューにするかなどといった普段通りの考えを巡らしながら。

 

「お帰りなさい耕也」

 

襖を開けた先には紫が腕を組んでその場に佇んでいた。襖をあけてすぐ先に紫がいたのだ。

 

あんまりにも意外で突然だったものだから、俺は思わず

 

「うわっ!!」

 

そう叫び声を上げてしまい、その場で後ずさってしまう。

 

足が俺の身体の重心を捉えきれず、そのまま後ろに倒れるかのように後退してしまい、反対側の壁にドンと背中をぶつける。

 

「ゆ、紫っ!」

 

まだ思考が追い付いていないのか、俺は眼の前の人物の名前を口に出すことしかできない。ソレも仕方がないだろう。誰もいないという事が前提でこの部屋に入ったら、眼と鼻の先に紫が腕組みをして立っていたのだから。

 

「ええ、私よ?」

 

何時もとは違う少しだけぶっきらぼうな言い方で俺の叫びに返してくる紫。

 

本当に意外だったので、呼吸が荒くなるのを感じる。が、何故此処に紫がいるのかと言う事について考える俺も頭の隅にいた。

 

俺は、その僅かな考えを何とか前面に押し出して、紫に質問をする。

 

「紫、どうしてここにいるんだい……?」

 

本当に不思議だったために聞いたのだ。こんな夜に一体どうして来る必要があったのか。何か極秘に聞きたい事でもあったのか。

 

そんな考えが渦巻く中、俺の口から出たのはその言葉のみ。だが、紫になら俺の考えが全て伝わるだろう。そう思ったのだ。

 

だが、紫は俺の言葉を聞いた後に間髪いれず

 

「耕也、こっちに来なさい」

 

先ほどよりも言葉が厳しくなった。怒っているというべきか。不機嫌であるという事がひしひしと伝わってくる口調。

 

会話が少ないうちにこの不機嫌さを出されてしまえば、俺だって途惑ってしまう。

 

だが、その言葉からは質問を許さぬような強い意図を感じ取ってしまい、俺は思わず

 

「は、はい……」

 

と呟くような返事で了承してしまう。何とも情けない事だが、このような時の紫には逆らえないのが普通になってしまっている。

 

とはいえ、いつもよりもずっと不機嫌な気もする。

 

そう思いつつ、俺は紫に言われるまま中へと入り、卓袱台付近にまで足を運ぶ。

 

前を歩いていた紫は、座布団を二つ用意し、卓袱台の横に並べて

 

「耕也、正座なさい」

 

と、正面に座るように促す。この構図は、まるで親が子供を叱る時のようであり、なんとも惨めさ全開になりそうな雰囲気を醸し出している。

 

「いや、あの……紫?」

 

俺は、流石にこの体勢はいやだなと思ったため、何とかその意図を探ろうと紫に声を掛ける。

 

すると、紫は更に不機嫌になったように、此方をキッと睨みつつ座布団を扇子の先端で指しながら

 

「いいから座りなさい」

 

と短くぴしゃりと言ってくる。

 

「はい」

 

つくづく尻に敷かれてるなあと思いつつ、俺は未だに怒っている理由の見当がつかないまま、敷かれた座布団の上に正座する。

 

まあ、普通は怒られる時は座布団なんて無いのだから、そこら辺だけは考慮してくれたのだろう。

 

俺が座った事を確認した紫は、同じく此方の正面になるように正座してジッと見てくる。

 

何時にも増して威圧感が凄まじい。他を圧倒する存在感が、正座しているだけで周りに放たれている。

 

座ってから十秒程経過したあたりだろうか。紫が扇子を脇に置いて口を開いた。

 

「耕也、あなた私に黙って地上に出たのね?」

 

「あ……」

 

思わず言ってしまったその一言。

 

完全に失念してはいたが、俺は紫にこっそり地上に出ていたのだ。確かに、あの時燐と一緒に山菜を取るために地上に出たのだ。

 

ソレが今更になってばれたという事は、何かしらこの地底から情報が漏れたという事。

 

その事が彼女の怒りを買ってしまっているのだろう。確かに彼女の怒り様は分かる。

 

しかも、ソレを予め承知でやっていたのだから、なおさら性質が悪い。だが、あの時は急だったし、紫に聞きにいけるような時間の余裕もなかった。

 

だから勘弁してほしい等と口が裂けても言えないし、言える訳もない。何せ騒ぎに似たような事を起こしてしまったのだから。

 

それも恐らく彼女は知っているだろう。だから、此処まで怒っているのだ。

 

そのような考えを頭の中で巡らし、紫の言葉に返答する。

 

「確かに地上に出ました……」

 

普段よりも恐ろしい紫に対して、無意識のうちに敬語が出てしまうが、言った後で気になどしていられない。

 

そして、俺の言葉のすぐ後に紫が返してくる。

 

「それで、この地底に住んでいる火焔猫 燐も一緒に行ったのよね?」

 

やはり全てを知っているようで、俺と同行していた燐の事に着いても言及してくる。

 

勿論、彼女は知っているのだからこそソレを尋ねてくるので、俺は

 

「同行しました」

 

そう言わざるを得ない。

 

その反応を見た紫はふう、と溜息を吐いてから口を開く。

 

「それで、地上でも戦闘が起こったのよね? 地底の妖怪共々暴れて」

 

いや、確かに俺は彼女の言うとおりに攻撃を行ったし、燐も援護をしてくれた。しかし、それはあの状況では仕方がない事もであり、回避は難しかったのだ。

 

だから、その事を伝えたい。彼女が知っていようが、此方の口で直接伝えた方がより確実に彼女の理解を得られる。

 

そう思いつつ口を開いて彼女に説明を開始する。此方の立場もはっきりとさせなければならないため、少し堂々と。

 

「確かに俺は攻撃もしたし、燐も攻撃に参加した。それは間違いないし、はぐらかすつもりもないよ。でも、俺達が行ったのは―――――」

 

そう訳を述べようとした時に、紫は俺の口付近に掌を翳して止めるようにしてくる。

 

思わず俺はその行動に反応して口を閉じてしまう。

 

「攻撃をした訳は分かっているわ。そこを責めるつもりはないし、むしろ良い事をしたと言えるわ。でもね……」

 

紫はそこまで一息で言うと、横にあった扇子を拾って顎に先端を当てて難しい顔をする。

 

まるで、これから話す事が俺にとっていい影響を及ぼすか及ぼさないかを検討しているかのようにすら感じる。

 

そして、また先ほどの様に少し睨んだような表情になりながら

 

「耕也、今幻想郷は非常に不安定な時期にあるの。いくら迷子を助けるためとはいえ、あのような轟音を鳴り響かせて攻撃を敢行するのは拙いのよ」

 

その瞬間に、俺ははっとしてしまった。そう、確かこの時期はスペルカードが作られる10年程前だったはず。ならば、今幻想郷の内部にいる妖怪は非常に弱体化しており、人間との均衡が危ぶまれている状態なのだ。

 

だから、今回の様な戦いが起こってしまうと、幻想郷の妖怪達の神経を刺激してしまう。

 

ソレを紫は危惧していたのだ。もし、今回の事で妖怪達が人里を滅ぼそうなどと考えたら、目も当てられない。妖怪達が怒りの元を消し去ったとしても、今度は自分達が滅びてしまう。

 

妖怪が存在するためには人間が不可欠。恐れという負のエネルギーを摂取せねば妖怪達は緩慢に滅んでしまう。だから紫は今回の事を怒っているのだ。

 

そう俺は予測しつつ、紫に謝る事にする。

 

「ごめん紫……確かに俺達が原因で妖怪と人間達が滅んでしまうのは幻想郷にとっても大きな痛手。次からはもっと穏便にやるよ」

 

そう言うと、俺の考えている事が分かっているのかは分からないが、紫波コクリと頷きながら

 

「ええ、そうして頂戴」

 

そう言いつつ、やっと表情を柔らかくしてれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「スポーツの様で、実戦的な決闘法?」

 

そう俺が紫に聞き返すと、コクリと頷いてコメを頬張る。

 

夕飯を一緒に食べていたら、突然決闘法についての見解を述べてきたのだ。恐らく現在の幻想郷が緩やかに衰退しているという事に危機感を持っての事だろう。

 

30程良く噛んでから、咀嚼物を飲み込むと箸を置いて

 

「そうよ……幻想郷が緩やかに衰退しているのは貴方もさっきの話で分かっているとは思うけれども、事態は思ったよりも深刻。これからどうやって妖怪達の無気力加減をV字回復に持っていくかが問題なのよね」

 

俺は紫の言葉を聞いて、ふと疑問に思った事がある。

 

スペルカードは確か吸血鬼異変の後で制定されていたはず。しかし、此処まで早い段階でこの話が出てくるのは少々可笑しいのではないのだろうか? と。

 

そう考えたのだが、すぐに別の自己完結に繋がるような考えも出てきてしまった。

 

紫はすでにこの状況をどうにか打破しようと原案を作製しつつあったのだが、その途中で吸血鬼異変が起こってしまい、慌てて博麗霊夢に提出したと。

 

そんな憶測の様な推測の様な良く分からない考えが出てきたが、それは俺の頭の中にだけにしておこう。バレてしまっては元も子もない。

 

そして、俺は吸血鬼異変というフレーズで思いだした一つの事を聞こうと思った。

 

「そう言えば紫、俺が初めて地上に出向いた時、紅い屋敷を睨んでたり、新参がとか言っていたけれども、アレは何だったんだい?」

 

すでに誰が住んでいて、吸血鬼異変の前であるという事は確実に分かっているのだが、それでも、レミリア達が一体どんな行動をしているのかが気になったのだ。

 

俺の言葉を聞いた紫は、少しだけ答えづらそうな顔をしつつ天井に視線を向けていたが、やがて考えがまとまったのか、味噌汁を一口飲んで口をうるおしてから話し始める。

 

「つい最近来た吸血鬼達よ。随分と好戦的らしくて、複数の強力な妖怪によって構成されてるの。耕也が助けた娘もその構成員の一人……とはいっても娘のように扱われているみたいだけど。話しを戻すわ、現在あの館が出現してから周囲の妖怪達は結構敏感になってるわね……」

 

何とも忌々しそうな表情を浮かべながら、チキンカツにブスリと箸を突きさす紫。

 

そして、いつもよりも大きく口を開けて齧りつくと、米を口いっぱいに頬張って咀嚼しまくる。

 

ストレス溜まってんだなあと思いつつ、俺は水を足してやる。

 

「んっく……ありがとう」

 

飲み込んだ紫は、キンキンに冷えた水をさも美味そうにごくごくと一気に飲みして、乱暴にコップを卓袱台に置く。

 

「まあ、確かに好き勝手やられたら嫌だよね誰だって」

 

「耕也も、気を付けてね」

 

「はい、気を付けます」

 

そう言った後、暫く俺達は食事に集中した。

 

紫はあらかた飯を平らげてから、水を最後まで飲んでまた此方に話しかけてくる。

 

「あの吸血鬼達が妙な事を考えなければいいのだけれども……此方としても眼の上のたんこぶと言うか何と言うか……正直不安要素以外の何物でもないわね」

 

ふう、と溜息を吐いてなんとも言えない苦い表情をする。

 

が、あいにくその案件については俺が口出しできるような状況ではない。今後紫が規制を緩くして、俺が地上に出られたとしても、吸血鬼異変なんて地上での大事件に首を突っ込ませてもらえる訳もないだろうし、霊夢と紫が主導で解決するだろう。

 

今回の失態については、紫に心の底から謝罪したが。

 

だからといって、俺は紫のそんな表情を黙って見ている事はできないので、此処に来た時ぐらいは安心してもらいたいと思っている。

 

そんなわけで、俺は紫に提案をする。

 

「紫も随分とは大変だね……お疲れ様。……できない事はあるけれども、せめてこの場では羽を伸ばしてほしいと思ってる……だから、色々と頼ってくれ」

 

そう言うと、難しい顔をしていた紫が一瞬だけ惚けたような表情になる。が、すぐに満面の笑みに変わって俺の方に近寄って来る。

 

「ありがとう耕也、助かるわ……」

 

そう言って、俺を強く強く抱きしめてくる。負けじと俺も抱きしめてやる。

 

抱きしめ返すと、やはり服からいい香りが漂ってくる。紫の溜息を吐くような落ち着いた息遣い、心が溶けてしまいそうな程の丁度良い体温。

 

暫くこの感触を味わっていると、紫が頼みごとを決めたのか耳元で囁く。

 

「耕也の血を少し頂戴? あと、今日も頑張りなさいね……?」

 

「うん、ソレが望みなら叶えさせていただきますよ、紫さん」

 

 

 

 

 

とはいえ、どうやら幻想郷が安定するにはまだまだかかる様である。

 

 

 

 

 

 



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102話 俺は食べさせません……

食べられても、食べさせません……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

紫との会話から数日。燐と地上に出るのは拙い事と、暴れるという事自体が非常に拙いという事を認識しての地上への出掛け。

 

紫曰く

 

「静かにしてれば地上に出るのは構わないわよ。ただし、攻撃禁止。どのみち防御力が高いんだから攻撃されても平気でしょう? ジャンプで逃げなさいな」

 

との事。何とも理不尽と言えそうな事を言われたが、前科があるため即時了承する事にした。

 

また、地上に出る時も単独のみという制限も付けられてしまったため、燐が地上に出られる事は無くなってしまった。

 

仕方がない事でもあるし、当然のこともである。

 

俺はそんな事を反芻しながら、息抜きの為にまた地上に出ているのだ。

 

(やっぱ1人だとつまらないなあ……)

 

欠点はやはり面白みが全く無いという事である。普段なら燐が横にいるから此方としても色々と世間話や馬鹿話をして暇をつぶせるのだが、今回ばかりはそうはいかない。

 

本当に息抜きの為だけに地上に来てしまった感じである。

 

それに、俺が行った事のある地上は大した広さではないため、ジャンプで出られる所には限度がある。

 

また、高高度に上昇する事も禁じられているため、その移動範囲の拡大を図ることも非常に難しい。

 

できるとしたら自動車で探索関係を行う事だが、それは言われていないとはいえ好ましいとは言えない。むしろ積極的に禁ずべき事だろう。

 

湖岸付近にジャンプした俺は、地底とは違った閉塞感を味わいながら、そのストレスを発散させるかのようにタバコに火を点けて吸い始める。

 

「ぼへ~……美味いけれども、この状況じゃああんまり美味くないなあ……」

 

ロングピースは非常に美味しいとはいえ、閉塞感を拭いきれるわけではない。ニコチンが頭を掻きまわしたとしてもだ。

 

咲夜を助けてからあまりこの湖に来るのは宜しくないとは思っていたが、紅い点の様にしか見えないまでに離れたこの地点ならばばれる事は無いだろうと思って、今回はジャンプをする事にした。

 

そして、今回は俺の願望が通じたのか湖には濃い霧が立ち込めており、紅魔館どころか中心の湖面すら見えない状況にある。

 

この霧がより閉塞感を齎してくるなあ、と思いながらもひたすらタバコを吸って行く。勿論携帯灰皿は持ち合わせており、灰、吸いがらは全てその中に入れている。

 

やがてタバコが根元まで燃焼し、その役目を果たさなくなったのが見えたため、俺は灰皿に入れて暫く周りの景色を見つつ明日の業務をどのように進めていこうかのんびりと考える

 

どんよりとした霧に、カラッとした日差し。何とも対照的な光景に思わず笑ってしまいそうになる。普段このような光景を見る事はできないから、いつもより風景を楽しむ事ができ、じっくりと見ていく事にする。

 

暫くすると、霧が更に濃くなり、此方まで包まれてしまいそうになってくる。

 

まあ、攻撃も食らわないしこのまま昼寝に移ってしまうのも一つの手かなと思う。

 

そう考えると、人間の身体ってのは不思議なモノで、段々と眠気が襲ってくるのだ。

 

最近は煙草屋関係で色々と忙しかったからなあ、と眠気に対して言い訳をしていくと、もうすぐにでも眠ってしまいそうになるほどで、瞼が段々と閉じられていくのが分かった。

 

胡坐をかいたままウツラウツラと船を漕ぎ始める俺。

 

もし、この状況を他の人間が見ていたら自殺行為だと怒るか、笑うかするだろう。勿論、俺はそのつもりは全く無いが。

 

人里はあと10年後ぐらいかあ……。

 

そう思った瞬間に

 

「隙アリ!!」

 

そんな大きな声がしたかと思うと、いきなり背中に異物がズボリと入った感覚と同時に、とんでもなく冷たい物が入ったという感覚がしてくる。

 

「え……あ、つんめった! わわ、わあああああああ!」

 

一瞬の惚けたような声を出してから、ソレが突然の事だったために俺は飛びあがるように立ち上がって背中に入っている異物を取り出そうと必死になってしまう。

 

「だああああ! な、何が入ってんだ!」

 

眠りに入ろうとしていた頭では、正確に物事を判断する事が出来ず、俺はただひたすら背中を掻き毟るという意味のない行動をしていた。

 

ゲラゲラと笑い声の様なものも聞こえてくるが、そんな物を気にしている余裕も判断力も無く、唯ひたすら服の中に入っている何かを出そうと必死になる。

 

そして、俺は漸く服を摘まんでバタバタと上げ下げする事によって、異物を取り出す事が出来た。

 

上下させた瞬間、ボロボロと落ちてきたのは何と

 

「氷じゃねえか!」

 

掌に乗る程度の大きさを持つ氷が7粒も出てきたのだ。

 

脳が氷によって段々と覚醒させられていくのが分かった途端、こんな事をするのは1人しかいないという考えが持ちあがってくる。

 

勿論、俺の良く知る阿呆。

 

「こおおらあああああ! チルノ! お前だろ!」

 

そう言いつつ、俺は後ろを振り向いて唸るように大声を出す。

 

いや、別に怒ってはいないのだが突然の事でついつい声が大きくなってしまったのだ。

 

すると、案の定後ろにいたチルノと、俺達2人に視線を交互に向けておろおろとしている緑色の羽の大きな妖精がそこにいた。

 

「あっはははははは! ひっかってやんのー!」

 

悪戯が成功して余程嬉しかったのだろう。腹を抱えて息苦しそうに笑い転げるチルノ。此方としてはなんともイラつく光景だが、そこはぐっと我慢する。妖精のやた事、妖精のやった悪戯。

 

「流石にやめようと言ったのですが……ごめんなさい」

 

そう言いながら此方に向かってぺこぺこと謝りだす妖精。恐らく大妖精であろう。正式な呼び名などは原作では言及されてはいないものの、恐らく大ちゃんとでも読んでおけばよいのだろうか。ちと分からない。

 

「謝ることないよ大ちゃん。人間のくせにこんな場所で眠りこけてるんだもの。自殺ってやつよ自殺! 起こしただけでも感謝してほしいよ!」

 

と、笑いを止めて少し冷静になったチルノは腕組をしつつふんぞり返って自論を展開していく。

 

何とも悔しい事に、反論できない。チルノが言っている事に間違いは無いのだ。

 

こんな所で眠っている俺は、先ほどの俺の考えと重なるが、自殺行為以外の何ものでもないのだ。だから、チルノはその人間を起こした。

 

が、その起こしたというのはどう考えても、その人間の事を思ってというよりも悪戯を仕掛けてその驚く様を見たいという願望の方が強いのだろうが。

 

まあ、妖精なのだから悪戯好きという性質がある事には仕方がないとは思う。

 

とはいえ

 

「はいはい、起こしてくれてありがとうねチルノ。できれば次回からはもっと優しく起こしてくれないかな?」

 

人間としては、氷で起こされるのは溜まったものではない。

 

俺はふんぞり返っているチルノの額に思いっきりデコピンをしたい気持ちを抑えながら、そう希望を伝える。

 

すると、チルノは露骨に嫌そうな顔をしながら

 

「ええ~? 耕也の驚く顔が見られないから嫌よ」

 

何とも願望丸出しの直球を投げ込んでくる。

 

まあ、相手は子供の様なものだし、変な事を言って癇癪を起こされては溜まったものではない。だが、少しぐらいの仕返しは構わないだろう。

 

「そうかそうか……なら俺はこれからずっとチルノちゃんって呼んでやろう。なあ、チルノちゃん?」

 

なんというか、子供らしさをなるべく出して言ってみたのだが、自分でも気持ち悪いと思った。

 

事実、チルノは氷妖精なのに自分の両腕を重ね、激しく摩擦させて震え声を出してくる。

 

「うう~、あんたが言うと気持ち悪いのよこの変態!」

 

変態、そう来たか。

 

うん、男は皆変態。これを随分前に言った気がするが、生憎領域はそれを不要なモノと判断して、朧気なモノにしてしまったようだ。

 

まあ、とりあえずチルノを適当に言いくるめてしまおう。

 

「じゃあ、俺の背中に氷を入れないって約束するかい? するなら言わないって約束しようじゃないか」

 

すると、妖精の遊びを取られてしまうのがちょっと嫌なのか、暫くそこでう~んと頭を捻り始める。

 

とりあえず、俺がこの先どんなに年を取ろうが、あのような起こし方には慣れないだろう。氷を背中に入れられるのは流石に勘弁。

 

俺はそんな考えを頭の中に膨らませていると、チルノが漸く答えを出したのか、頭を抱えるのをやめる。

 

「わかったよ~…………その代わり、飴玉頂戴!」

 

先ほどの条件を忘れて更に要求を重ねてきたチルノ。

 

まあ、妖精は基本的にぽわぽわしているので、こういった事は大体は予想できてはいたが。

 

「わかったわかった。飴上げるから、ほら。大妖精さんもおいで?」

 

そう言って、俺は飴玉を二つ創造して2人に渡す。

 

「ありがとー!」

 

「あ、ありがとうございます。私の事は大ちゃんとか、そんな感じで呼んで下さい」

 

「あいよ」

 

チルノは嬉しさを全開に。大妖精は少しおどおどした感じで申し訳なさそうに受け取って行く。

 

そうおどおどしていても、甘いものには眼が無かったらしく、チルノと同じく巻紙を急いで緩めて自分の口に放り込んで幸せそうな笑いを浮かべる。

 

やはり幻想郷で甘いものはあまりとれないのだろう。だから、彼女達は此処まで喜びを露わにする。

 

まあ、でも無理はない。こんなに広大な湖を持つとはいえ所詮は幻想郷、外の世界に比べたら雀の涙ほどの面積しか持っていないのだ。

 

おまけに砂糖を生産できるような気候を持っている訳でもないし、人里の人数だけでは厳しいだろう。恐らく。

 

ひょっとしたら紫が必要最低限の砂糖をチョッパって来ているのかもしれないが、これは俺の憶測にすぎない。

 

その瞬間に、俺は思わず舌打ちをしてしまう。

 

(マズったな……煙草屋じゃなくて砂糖や塩の生産を行えばよかったかも知れないな……)

 

そちらの方が極めて安定的に供給を行えるし、価格もそれなりにしても売れる事間違いなし。なのにも拘らず、俺は紫に煙草を売ると言ってしまった。

 

いや、後で変更できる事は容易いのだろうが、既に地底で煙草屋を始めてしまったので何とも変更しづらいのだ。地上と地底で交互にやるのだから、統一した方がずっとやりやすい。

 

まあ、砂糖や塩ってのは生命線だから、あんまり派手にやり過ぎるとかえって恨まれて焼き討ちとかあり得るうえに、値段をもっと安くしろとか不当な圧力をかけられかねない。

 

ならば、少数の人間、妖怪が買って行く煙草の方がずっと安全ではないだろうか?

 

そう俺は自己完結をして2人が向かい合ってほっぺをつつきあっている姿を眺めてみる。

 

こうして見ている分には可愛いのだが、彼女等は人間よりも強い力を持っている。特にチルノは妖怪の力を上回る事もあるのだ。何とも矛盾している姿に感じてしまうが、ソレがこの幻想郷の一部分なのだろう。

 

俺は彼女達の姿を見ながらそう思ってしまった。

 

とはいえ、レミリア達の様な例もあるだろうから、この幻想郷では俺の方が変な考えなのかもしれない。

 

そう考えていると、バリバリという何かを噛み砕く音に俺は意識を戻される。

 

見れば、チルノが小さくなった飴玉を歯で噛み砕いて飲み込んでいる最中であった。

 

何をそんなに急いで飲み込む必要があるんだか、と思わず笑ってしまいそうになるが、次の瞬間に噴き出してしまった。

 

「耕也! つなまよねーず御握りが食べたい!」

 

「ぶは! あははははは!」

 

よりにもよってソレを言いたいだけに早く噛んだのかい。

 

あんまりにも可愛らしいために思わず笑ってしまった俺がいた。自分でも以外ではあるが。

 

まあ、彼女がそこまで激しく所望するならば、俺も出さなくてはならないなと言う思いで、俺は彼女に応えた。

 

「あいよ、そうだね……丁度いい時間帯だし、ここらで御昼にしようか」

 

朝出るのが遅かったせいか、ちょっとしたイベントが起きただけで時間が飛ぶように過ぎ去ってしまう。

 

まあ、それだけ俺が楽しかったという証拠でもあるし、ソレを忌避するような要素は一切無い。

 

「やった!」

 

「御馳走になります……」

 

「はいはい、気にしないでおくれ」

 

そういて、俺はレジャーシート、蒸しタオル、御握りその他おかず等を創造し、10秒とかからずにピクニック会場を開いた。

 

 

 

 

 

 

 

談笑しつつ昼飯を三人で食べていて時、ふと俺は何かの視線を感じて後ろを見てみる。

 

「ん? 何か居たような気が……」

 

湖と反対側に位置する森は非常に葉の密度が大きく、日の光を殆ど通さない。

 

だから、森の中は暗く、此方からでは相手の姿を確認しづらいのだ。だが、妖怪の様な気配もするし、なんだか舐めまわすような視線も感じる。

 

何とも言えないこの首筋あたりがピリピリする状況は、俺が苦手とするモノなので何とかしたい。

 

しかし、眼を凝らして見ても何も見えない。唯森の暗闇が広がっているだけ。

 

外部領域を拡大して反応を見てみたいが、チルノや大妖精を驚かしてしまうだろうし、不快な気分にさせてしまうだろうから、それはできない。

 

かと言って、俺がこの場を離れるのは和やかな雰囲気を壊してしまうし、2人を心配させてしまう可能性もある。

 

そんな懸念が俺の頭を駆け巡り、俺はその場を立つ事を止めて、再び握り飯に被りつく。

 

が、俺の行動はやはり2人の目にはおかしいモノに映っていたらしく、チルノから質問を受ける。

 

「耕也、どうかした?」

 

散るのは、何か見つけたのだろうかと言ったニュアンスで質問をしてくる。ポ○リスエットをごくごくと飲みほしながら。

 

大妖精もチルノに賛同するように、此方を見ながらコクコクと頷いてくる。

 

俺の思い違いではないのは確かだが、彼女達を無駄に心配させる必要はないだろうという判断の元

 

「大した事じゃないよ。ちょっと虫が後ろにいた気がしてね。振り返っただけだよ」

 

そう言うと、ソレを鵜呑みにしてくれたのか、なんだつまんないと言いながら再び握り飯と唐揚げを頬張り始める。

 

すると、後ろからの気配が段々強くなるのを感じ、更に殺気の様なモノも感じるようになった。妖精達2人は特に何も気付いていないようだから、俺だけに向けられているのだろう。

 

恐らく理由は俺が人間だからという極単純なものだろう。妖精は捕食対象ではなく、人間は捕食対象。この幻想郷ではごく普通にまかり通った常識。

 

スペルカードルールが制定されていない時代では尚更それは自然な事になっているのだろう。とはいえ、弱い妖怪などがそれを行うらしい。

 

紫曰く、力の強くなってしまった妖怪はそこに存在するだけでも人間に恐怖を与えられるから、別に食う必要が無いし、飽きたとのこと。俺という例外はあるが。

 

とはいえ、人間を食う妖怪と言っても妖精が襲われない可能性も無いとは言い切れない。モノ好きな妖怪もいる可能性だってあるのだ。

 

もし俺ではなく、チルノ達が襲われる事態になったら、盾になってチルノを適当な上空に逃がしてやればいいだけの事だろう。

 

こう言う時に、戦いを禁じられているというのが大きな足かせに思えてくる。

 

さてさて、一体何時になったら襲いかかってくるのか。

 

そう思いながらひたすら食事をしていくと、背後の木々がバサバサと枝を激しく揺らす。そして、枝がバキバキと折れる音共に

 

「久しぶりでとんでもなく美味しそうな人間。小指でも良いから味見させてー!」

 

何とも可愛らしい高い声で宣言してくる。

 

意外性に驚くとともに、俺だけを狙ってくれた事に僅かながら感謝する。

 

まあ、このまま俺にもう突進してくればぶつかってそのまま気絶でも何でもするだろう。そう思って、ジッと身構えていた。

 

チルノ達は、突然の事に反応できずに口を開けたまま固まってしまってる。

 

そして、もう突進してきた妖怪は

 

「あ、ちょっと! 前が見えない!」

 

そんな訳の分からない事を言いながら俺のすぐ傍にまで迫っていた。

 

その良く分からない妖怪は、甲高い声を響かせながら、黒い球体となって頭上を通過して湖に突っ込む。

 

それなりの速度だったため、派手な音を立てて水しぶきを噴き上げさせていく。

 

流石に俺も反応が出来ない。本当にどう反応していいのか分からない。

 

「いや…………あれ?」

 

本当にそれしか呟く事ができなかった。

 

何せ俺に真っ直ぐ突っ込んでくると思っていたら、ソレが明後日の方向に飛んだ挙句湖に突っ込んでしまったのだから。

 

だが、あの僅かな間の時間でもその妖怪の素性を把握する事は俺には可能であった。

 

あの真っ黒い球体に身を包んでいる妖怪は、俺の知識では1人しかいない。

 

「ルーミア!!」

 

チルノがそう叫ぶ。

 

そう、チルノが叫んだルーミアと言う妖怪に間違いないのだ。

 

自分で闇に包まれた状態では視界がきかなくなり、自分が何処をどう言う風に飛んでいるかもすら分からなくなる。そんな妖怪はルーミア以外の何者でもない。

 

また随分と厄介なキャラが来たものだなと思いながら、俺はチルノに質問する。

 

「あの妖怪の事を知ってるの?」

 

あえてそう質問する。俺はこの時点では知らないとしたほうが自然であるし、俺が地底出身であることをチルノ達は知っているからだ。

 

すると、チルノ達は声をそろえて

 

「友だち」

 

何とも言えない苦々しい顔で答えてくる。

 

ああ、何と言うかそう言った反応をされると此方としても反応しづらい。

 

どうしたものかなと思っていると、プチョンという何とも間抜けな音共に、ずぶ濡れの少女が現れた。

 

黒い衣服を身体にまとい、髪の毛には紅い札が巻かれている。

 

間違いなくルーミアである。そのルーミアは、湖に落ちた事が随分と不快だったようで、ぶすっとした顔で此方にフヨフヨと飛んでくる。さながら幽霊の様である。

 

そして、顔を俯かせたまま死んだように俺の隣へ着地したルーミアは脱力したように座り込んで一言。

 

「……おなかすいた」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「このつなまよねーずってのおいしー! ね、チルノちゃん! 大ちゃん!」

 

「そ、そうだよね」

 

「う、うん」

 

と、大食い大会優勝者も真っ青な勢いで握り飯を頬張るルーミア。いや、最早頬張るというよりは口に放り込んでそのまま飲み込んでいると言った方が正しいのだろうか。

 

ともかく、わんこそばを食す時のように拳大の握り飯を食べているのだ。

 

もうすでに20個ほどが彼女の口に消えてしまっている。チルノ達も、彼女の食欲が此処まである世は思っていなかったのか口をあんぐりと開けて注目してしまっている。勿論俺も同じ。

 

一口で3分の1が食われ、その後に唐揚げやウィンナーを一つ丸ごと口に入れニコニコとしながら嚥下していく姿は、まるでブラックホールと言っても過言ではないだろう。俺がやったら確実に喉を詰まらせてしまうだろう。

 

正直見ている側としては、それだけで腹いっぱいになってしまいそうである。創った側としては嬉しい事なのだろうが。

 

そうこうしているうちに、ルーミアは満足してしまったのか、大きくぷはーっと息を吐いて腹をさする。

 

「美味しかった―! ……それじゃあ、デザート頂きまーす」

 

といって、俺の腕をさもそこにあった食材の様に持ち上げて口に放り込もうと引っ張って行く。

 

「ダメだっての!!」

 

さりげなく俺の腕を食べようとするこいつは、俺が死んでいるとでも思っていそうな雰囲気さえ醸し出している。

 

何とも困ったちゃんである。

 

「えー? ちょっとだけでも良いでしょ? 此処まで食べたいと思ったのは初めてなんだし」

 

と、のほほんとした顔でサラっと言ってくるあたり恐怖感を煽ってくる。

 

そんな事を言われても俺は絶対に食わせたりはしない。

 

「ダメ、絶対」

 

「けちんぼけちんぼ!」

 

まるで駄々っ子を演じるかのように、伸ばした両足をバタバタさせて俺を非難してくる。

 

恐らく実力行使をしたいのだろうが、チルノ達がいる手前そんな過激な行動はできないのだろう。

 

まあ、やった所で彼女の歯が折れるとか悲惨な事になるので、やらない方が正解なのだが。

 

「けちんぼじゃないっての」

 

すると、ルーミアはぶすーっと頬を膨らませて、チルノ達に話しかけてしまう。

 

「ねえ、チルノちゃん、この分からず屋を何とかしてよー」

 

すると、チルノはハッとして

 

「だ、ダメ! 耕也は友達なんだから! 攻撃したら怒るからね!!」

 

焦ったような表情をして注意をし始める。なんとも嬉しい気持ちになるが、ルーミアとしては不満だらけだろう。

 

やはり、紫とか限定ではなく、妖怪全体にとって俺は非常に美味く見えるのだろう。何とも悲しい事に。

 

とはいえ、スペカルールが制定されれば、俺も地上での活動もしやすくなるだろうし、こう言った妖怪達も接しやすくなるだろう。

 

ルーミアは、チルノの言葉を聞いて、ふてくされた様に唇を尖らせて

 

「わかったよー……」

 

そう言う。

 

が、眼はまだ諦めていない模様で、好きあらば俺の腕を狙いに来そうな気もしてくる。

 

ふと彼女は、チルノの言った言葉に引っかかりを覚えたのか、ちょっとだけ目を大きくさせてから此方を見る。

 

「そうだ、名前って耕也って言うんだ」

 

そう、確かに俺達は自己紹介をしていなかった。まあ、食うとか言われた時点で普通は自己紹介も糞も無いのだが。

 

まあ、チルノの友人であるという事には間違いないのだから、此方としても悪い関係を築きたいとは思わない。

 

そんな事を思いながら俺はルーミアに向かって返事をする。

 

「そう、名前は大正耕也。チルノと大ちゃんの友達だよ。よろしく」

 

そう言って、俺は彼女に握手をするために手を差し出す。

 

「え、腕を食べさせてくれるの?」

 

と、この阿呆はどう解釈をしたのかは分からないが、握手様の腕を食べてもいいと許可を出したと勘違いした。

 

「阿呆か。握手だっての握手」

 

すると、ルーミアは

 

「分かってるってばー」

 

クスクスと悪戯が成功したとでも言わんばかりに笑いながら、此方の手を握ってブンブン上下に振る。

 

妖怪だからか、何とも力が強い。人間の大人よりもあるのではないだろうか? 特に俺の腕に危害を加えるような力ではないため、領域は無視を決め込んでいるが。

 

すると、握手を解いたルーミアが疑問に思ったのか此方に質問をしてくる。

 

「ねえ、耕也は一体どこに住んでるの? その格好だと外の世界にいるんでしょ?」

 

思わず俺は自分の服装を見てしまう。

 

俺の視線の先にあったのはジーパン、肌着とTシャツのみ。ここら辺の気候は暖かいため、このような薄着でも十分活動可能なのだ。が、確かに似ていると言われても仕方がない格好である。

 

それに、この幻想郷でファッションだのなんだの言ってくる人はいないだろうし、流行も糞もないだろうから、地味でも十分闊歩できる。地底なんて最初こそ珍しがられたモノの、今では溶け込んでしまっている。

 

とはいえ、この時代になってくると外来人とかいるのだろうから、流石に格好としては不味かったのかも知れない。

 

「え、違うよ? 俺は地底に住んでるんだ」

 

嘘の様な誠の様な良く分からない返し方をしてしまった。とはいっても、厳密には殆ど合っているとしても構わないだろう。

 

何せ、俺は外の世界出身ではないし、地底出身というのは一応合っているのだ。事実今の生活基盤は地底にあるし。

 

俺の答えに、訝しげな目を向けるが、チルノ達がそうだよ、地底だよと言うと素直に認めてコクリと頷く。

 

「何か似てるんだけどなあ……外来人を博麗の巫女と一緒にいるのを見たときの服と。まあ、結構前の事だから記憶違いかもねー」

 

そうのほほんと呟くルーミアは、俺のイメージしていたやんちゃっぷりとは随分と違って見える。

 

まあ、確かに彼女の言うように俺の服装は、外の世界の持つジーパンなどといった服装に似ているモノがあるので言われても仕方がないのだろうが。

 

俺としては、このままバレて欲しくはないなあと思いつつ別の質問が無いか考えてみる。

 

すぐにそれは浮かんできたのだが、何とも陳腐な質問だと思う。まあ、相手も聞いてきたのだから別に平気だろう。

 

「じゃあ、俺からも質問。ルーミアは一体どこに住んでいるんだい?」

 

すると、ルーミアは困ったような顔をしてから、少しだけ考えるように首を傾げる。

 

なんだろうか。彼女の家は無いとか言うのだろうか?

 

そんな事を勝手に考えて憶測を重ねているとルーミアが此方を見て口を開いてくる。

 

「う~ん、家は普通の小さい小屋なんだけど……何処にあるかって言われたら、ちょっと分からないかも。森の中にあるし」

 

苦笑しながら、自分の家の位置を上手く説明できないと言ってくる。

 

ああ、確かに彼女の言うとおり、森の中では説明が難しいだろう。彼女の家まで今から行く事等できはしないし、あっちの方とか言われて指を指されても全く分からないのだから仕方がない。

 

「そっか、まあそれなら仕方がないよね」

 

「でも、この湖には良く遊びに来るから、また会うかもねー」

 

「うん、そうだね」

 

そして話しが終わって、俺はチルノ達の方を見る。どうやらチルノ達は俺達が話しこんでいるのを見てたのか、既に2人の世界に入ってしまったようで、ゲラゲラと笑いあって雑談してしまっている。

 

やっぱ陽気なのは変わらないんだなと思いながら俺は眺めていると、ツンツンと腕を突かれる。

 

うん? と思って俺はルーミアの方を見てみると、ルーミアは耳を貸せとばかりに自分の方へと招くような仕草をしてくる。

 

俺は、黙ってルーミアの方へと身体を傾けて、耳を近づけてやる。

 

すると

 

「ねえねえ、今度で良いから小指だけでも味見させてくれない? 先っちょだけ、先っちょだけだから。ね、良いでしょ?」

 

何とも言えない物騒な事を小声で俺に囁いてくる。

 

まだ懲りていないのかこの子は。

 

仕方がないため、俺はルーミアと同じ仕草をして、耳を近づけさせる。

 

その時点で何故かルーミアは嬉しそうな顔をして近づけてくる。まるで俺が了承したとでも思ったかのように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「八雲紫呼んで御仕置きしてもらうよ?」

 

その瞬間、ルーミアは苦虫を潰したような顔をして答えた。

 

「ごめんなさい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




今回の話しはいかがでしょうか? もし宜しければ御感想を宜しくお願い致します。


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103話 寝不足は辛すぎる……

流石に徹夜は疲れます……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

煙草屋も一応は客も来るようになり、地上での交友関係も築き、紫達や聖たちともドンチャカしていたら、年月が飛ぶように過ぎてしまった。

 

まあ、その間に起こった事件等は大したことも無く、何とも平和な道のりだったと言えよう。

 

ソレが俺の地底生活でも相当充実していたと言えるが、それよりも俺は人里に眼が段々と向くようになっていった。

 

もうすぐである。もうすぐ俺は人里に出向く事が出来るのだ。その事を考えただけでも非常にワクワクする。

 

が、現時点ではそのワクワクも消し去ってしまう状況に俺は置かれていた。

 

「で、俺は何で3日も徹夜しなきゃあいけないんだ……?」

 

とんでもない疲労感が身体を襲い、栄養ドリンクと煙草を凄まじい勢いで消費しているが、いまだその疲労の蓄積は止むところを知らない。

 

俺の独り言に目の前のこいしが楽しそうに目を細めながら口を開く。

 

「だって、我慢大会だし?」

 

そんな隈のある笑いを浮かべた所で何の活力回復にも繋がらない。

 

一日の徹夜だけでも結構身体に来るというのに、なんでよりにもよってこの3人の遊びに付き合わなければいけないのか。

 

「耕也、寝たらすぐに叩き起すからね? あたいが行けなくなった代わりにまたぜんまいとってきてもらうよ」

 

と、お燐も疲れた様子で理由を述べてくるし、起こし方も過激なるとの事。

 

「もし、耕也が負けてぜんまいとってくる羽目になったら、頑張って行ってきてね? 無事に取ってこれたら御褒美に私の卵上げるから」

 

と、寝不足のためか頬を赤らめてフラフラとしながら儚げな笑顔を浮かべるお空。

 

嬉しく思っていいのか良くないのか分からないこの状況に、俺はただ黙って微笑んでおくだけにする。

 

それにしても辛い。かなり辛い。

 

正直まともな思考が働いているという事自体が奇跡としか思えない。たしか、人間はあまりにも睡眠を取らな過ぎると、思考が段々変な方向に向かってしまったりすると聞く

 

例えばパソコンのキーボードが自分を救ってくれるとか、アルファベットが救いの言葉を投げかけてくれた等と言ったモノである。

 

実際問題その領域にまでは身体を浸してはいないものの、片足は踏み込んでしまっていると思う。

 

現在4日目の朝。24時間耐久レースなんてものではなく誰かが眠りこけるまで続く、無制限耐久レースなのだ。

 

俺はまた襲ってくる眠気に嫌気がさすのを感じながら、また金ピを一本取り出して台所の換気扇の傍に近寄って行く。

 

ライターの小気味良い摩擦音と共に、火花が散ってブタンガスに火が付く。

 

口の中に空気を溜めるようにして一口目を。普通は吐くのだが、最早判断能力が落ちている俺は構わずに吸って行く。

 

不味いが、ニコチン摂取で何とか眠気を紛らわそうと必死に美味しい二口目と、三口目を吸って肺に入れては吐き出していく。

 

紫煙を燻らせる煙草が普段よりもずっと早く消費されていくのが分かる。まるで1ミリの煙草を吸うかの如く燃焼して白い灰を出していく煙草。

 

が、それでも身体の疲れは非常に厳しく、俺は鼻と口両方からボワボワとしたしょぼい煙を撒き散らしながら椅子に座りこむ。

 

こいし達が此処まで耐久力があるとは思っていなかった。むしろ人間の俺が此処まで付いて来れたのは奇跡に近いのかもしれない。

 

そんな事を思いながら、長くなった煙草の灰を灰皿に弾くように捨てて、また煙を吸い込んでいく。

 

缶ピでも吸えば良かったのかもしれないが、この身体ではフィルター付きの方が楽だし手間も省ける。口の中に葉が入る可能性もゼロではあるし。

 

そう思いつつ、味を楽しむ余裕もないまま唯々ニコチンのみの摂取を目的としてひたすら煙草を消費していく。

 

もう一本目の寿命が尽き、二本目の煙草に火が入る。

 

そんな俺の事をどう思ってか

 

「ねえ耕也、もう寝たら? すぐ起こすけど」

 

直ぐとは言わず12時間程眠らせてほしい。が、彼女達はすぐに起こすと言っていたのだから、どうせ3時間もしないで叩き起されるのだろう。

 

もうそろそろ領域が干渉しそうな所にまで進行している気がするのは気のせいだろうか? 余りの過労のせいで、身体機能に異常が見られそうな時は勿論保護が働いて強制的に身体を持ちなおそうとするだろう。いや、もしくは強制的に外界との接触を遮断して睡眠を取らせる可能性もある。

 

まあ、そこまで俺の身体はガタガタになってはいないのとは言え、誰か眠ってはくれやしないかという淡い希望が湧いてくる。望みは勿論薄いのだが。

 

やはり人間より頑丈な妖怪ならばこそできる遊びだろう。いくら人間が頑張ったところで、魚が地上で生きる事が無理なように、根本から違っているのだ。

 

俺は自分の体力の事について考えていると、ニコチンの効力が切れかかってくる。

 

やはりニコチンはミネラル系を利用してすぐに分解されてしまう為、一時的な気休めの後には更に体力が減ってしまうのだ。

 

俺はそれを同時に解消するために、サプリメントを補給しつつ、また煙草を吸う。

 

余りにも不健康的な行動に普段の俺が見ていたら激怒するだろうが、そんな事を考慮する余裕など無い。

 

ひたすらグ○ンサンとポ○リスエットを飲み、ビタミン剤を飲み、煙草を連続で吸いまくる。

 

が、そのような無駄な足掻きも段々と無駄になって行き

 

「あ、これはまずい……」

 

そう思った矢先、すうっと意識が闇に沈んでいくのを感じる。何とかしようと煙草を取り出そうと頑張るが、ソレも間に合わず。

 

「負け…………」

 

そう呟きながら、俺は腕をだらりと伸ばしてそのまま背中を椅子の背もたれに預けて瞼を閉じる。

 

部屋の奥から、やった勝った! 等と言った声が聞こえた気がしたが、そんな声に反応するほど俺の意識ははっきりしていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………や…………うや! …………こーや! 耕也!」

 

そんな声と共に、俺の身体が揺さぶられる。

 

もっと寝ていたい。そんな欲望が俺の中でひたすら渦巻き、身体を捩る事で拒否の姿勢を示す。

 

が、俺を揺らした人物は俺のアピール等無視して再び揺らしてくる。勿論先ほどよりも強い力で揺らしてくる。そして声もでかくなる。

 

それでも俺は起きたくないという願望が勝り、手を払いのけて再び眠りにつこうとする。

 

でもソレを許してくれないのが起こす側であり、更に更に強く俺の事を揺すってくる。

 

「ああ! ダメだってば! ホラ起きてってば!」

 

流石にこの眠さでも此処まで揺らされれば起きざるを得ない。

 

何とか異常にだるい眠気を振り払いながら

 

「起きる……起きるってば……」

 

燐に応える。

 

とはいえ、そう言いながらも疲れた体はあまり言う事を聞いてはくれず、中々力が入らない。

 

そんな俺を見かねたのか、また別の誰かが俺に向かって大きな声で話す。

 

「耕也、早く起きないと私の火で煙草の塊燃やしちゃうよー?」

 

その瞬間に、俺はとんでもない冷や汗が身体からブワッと出てくる。

 

「お、起きる………起きるから……」

 

叫ぶように言ったつもりだったのにも関わらず、俺の口から出たのは何とも情けないしゃがれた声。

 

だが、身体は反射的に素早く起きていた。目は周りが眩しく感じるのと眠気が手伝って中々開けられない。

 

が、俺が起き上がった事が幸を成したのか、その人物は

 

「はい、耕也の煙草は救われましたー」

 

はっきりしない頭で認識できたのは、一応燐と空。恐らく煙草云々が空で、俺を起こしたのが燐であろう。

 

一体どうしてこんなに身体を酷使しなければならんのやら。

 

俺は目をゴシゴシと擦って何とか外界認識可能水準にまで何とか目を開かせていく。

 

すると、まず最初に目に入ったのは、布団。

 

俺が寝ていたのは椅子にもたれかかっていたのだが、いつの間にか布団にまで移動していた。俺が自分で寝床に入ったというのは考えにくいから、恐らく誰かが入れてくれのだろう。

 

それに感謝しながら、少しだけ視線を上に上げてみると、燐と空、そしてヨーグルトを勝手に食べているこいしの姿が目に入った。

 

そして、壁に視線を移して今何時か確かめようと思った時に、燐達に対して感謝の念が出てきた。

 

現在の時刻は午後1時 俺が落ちたのは午前7時。

 

すぐに叩き起すと言っていたのにも拘らず、俺が寝た後で6時間も待っていてくれたのだ。

 

やはり6時間も寝たのか、多少なりともマシになった気がする。気がする程度ではあるが。

 

俺は彼女達が長時間待っていてくれた事に感謝の言葉を伝えていく。

 

「ありがとう三人とも。布団に移してくれたり長時間眠らせてくれて」

 

すると、こいしがゴクリとヨーグルトを飲み込んでから

 

「別に気にしなくても良いよ、人間だから私達より体力ないんだし。仕方ないよ」

 

と、笑いながら行ってくる。

 

まあ、此方としてはありがたい限りだが、そもそもこの勝負は負けが決定していたようなものなので気にしなくていいという言葉は至極適当なのだろう。

 

そう自分の中で完結させると同時に、俺は今回のゼンマイ採りについて聞いて行く事にする。

 

「それで、今回のゼンマイ採りはどれぐらいの量を持ってくればいいんだい?」

 

今回自分が持って来なければならないゼンマイの量はどれぐらいなのか? ソレを聞かなければ此方としても動きようがない。

 

俺はその事を尋ねたが、燐と空は分からないとばかりにそろって顔を横に振る。

 

こいしは恐らく分かっているのだろう

 

「ひょっほまっへめ?」

 

ちょっと待ってねをスプーン咥えたまま言ったため変な言葉になってしまっているが、食べ終わったらちゃんと持って来なければならない量を示してくれるのだろう。

 

恐らく採取場所はあの森でいいはず。前にアリスの家に不用意に近づいてしまったため色々と面倒な事になってしまったが、何とか今回はあのような事にならない様に頑張りたい。

 

そう思っているうちに、こいしは食べ終えたようで此方に向かって口を開く。

 

「ええとね、両手で抱えられる程度の量だって言ってたよ」

 

何とも無茶な事を言ってくる。さとりはそんなに魔法の森産のゼンマイが気に入ったのか。

 

俺はどうしてそんなに必要なのか、少し気になってしまったので聞いてみる事にした。

 

「そんなに大量に持ってくるという事は、やっぱさとりさんはゼンマイの事気に入ったの?」

 

ところが、俺の言葉にこいしと空、燐はそろって顔を赤らめさせて少しだけ怒ったような顔をする。

 

なんだというのだろうか?

 

「え、何か拙い事言った……?」

 

俺は彼女達にとって一体何が問題なのかさっぱり分からない。ゼンマイはただ健康にいいだけだし、この量が一体どうして必要なのかぐらいの事を聞くだけである。

 

すると、こいしが

 

「耕也の変態」

 

そんな事をのたまった。全く持って不服である。

 

「いやいや、ゼンマイで変態って言うんじゃないよ」

 

すると、空と燐もこいしの言葉に乗せられるように、口々に変態だの変質者だのボロクソに言ってくる。何て失礼な輩たちだ。

 

まあ、聞かれたら恥ずかしい事でもあるのかということで、自己完結して俺は雑に返事をしていく。

 

「はいはい、分かりましたよ。俺はこれ以上何も言いません」

 

そう雑な返事をしてから、布団を出て用意をしようとする。

 

すると、こいしが此方の方を見ながら顔を赤らめて口を開く。

 

「仕方がないな耕也は~……ほら、こうすれば分かるでしょ?」

 

そう言うと、こいしは自分の手腹部の少し下あたり、つまりは腸の付近に持ってきて撫で始める。

 

ああ、つまりはそういうことか。

 

たしかに、それは俺には話しにくい内容だったなと思った。が、いっくらなんでもそれじゃあ話しづらいとか分からん。

 

そう思いつつ、俺は両手を一応合わせて軽く礼をしつつ

 

「確かに話しづらいよね。申し訳ない」

 

謝っておく。反論したい事はいくつかあるが、これ以上時間を潰しても双方に利益は無いし、むしろそれだけゼンマイ採取の時間が減ってしまう。

 

すると、三人とも俺の方を見てうんうんと頷いて納得している。はいはい、俺が全部悪うござんした。

 

「じゃあ、用意したら行ってきますんで。後よろしくね」

 

そう言うと、こいし達は揃って

 

「いってらっしゃい!」

 

俺を送り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なんだこれ、大変なんてもんじゃないぞ……山に生えていないだけマシだけど」

 

ビニール袋に大量に詰め込まれたゼンマイを持ちながら、俺は呟く。魔法の森に生えるゼンマイは、何故か山ではなく森に生えるのだ。普通は斜面とかなのに。

 

こんな寝不足状態で俺は山菜を採取し、そしてまた地底にまで帰らなくてはならないのかと思うと、涙が出てきそうだった。

 

帰ったら絶対に寝てやると思い、俺はゼンマイをバッグに入れて背負う。

 

さとりが恐らく便秘とかに良いと思ってこんなに大量に仕入れようとしているのだろうが、俺に態々頼みたいのなら徹夜耐久レースなどせず燐とかに言えばいいのにと思う。

 

とはいえ、俺がこんな所で思ったとしても後の祭りであるという事に間違いはなく、これ以上考えても此方の体力がどんどん削られていくだけだと思い、俺は黙って森の中を歩く。

 

偶に妖精が此方に木の枝等を投げて悪戯をしてくるが、そんなのは無視してひたすら歩く。

 

すると、妖精達は怒ったようにプクリと頬を膨らませてどこかへ行ってしまう。まあ、普段なら色々と遊んでやるが、今はそんな余裕など何処にもないので、勘弁して頂きたい。

 

昨日あたり雨が降ったのかは分からないが、地面が非常に水気に富んでおり、ぬかるんでいるところもあるし、水溜りも散見される。

 

おまけにここいらの木はまるで俺が一番太陽光を浴びるんだと言わんばかりにひしめき成長し合っているので、日の光があまり下にまで来ない。だからこそ水分の蒸発がより阻害されているのだろう。

 

このジメジメした空気が余計に気分を沈ませてくるので、早くこの森から抜け出したい。そんな気持ちと共に、一心不乱に歩を進ませていると、やがて光が目の前から溢れ出し、森から出られるという事を知らせてくる。

 

でもまた、さとりの健康ブームに働かされる羽目になるんだろうなあと、少し浮きそうになっていた気分がまた沈んでいくのを感じた。

 

が、俺は足を止めることなく前に出し、森を抜ける。

 

「よし、今日も湖は霧だらけ。好きなだけ居られそうだ」

 

寝不足だと気分が落ち込む。だから何時もより圧倒的に大きく感じる何とも言えないこの孤独感を紛らわすために、俺はあえて口に出してみる。

 

が、対して効果も無く。俺は湖岸付近の草原に腰を下ろすと、バッグを横に置いて休もうと少しだけ寝転がった。

 

何せ6時間寝たと言っても、所詮は3日間の徹夜後。どう考えても体力が不足しており、ソレが身体を猛烈に蝕んでいるという事が今更ながら実感として湧いてくるのだ。

 

おまけに罰ゲームと称した山菜採り。此処に座った時点ですでに地底にまで飛ぶ体力など俺に残されている訳もなく、また更に負担のあるジャンプをする体力も集中力も無い。唯々俺は寝転がって少しでも体力が回復するのを待つ。

 

勿論、俺が此処で寝てしまう事が一番の体力回復に繋がるのだが、それは何とも心もとなく避けたい。

 

おまけに寝てしまったら、チルノ達に色々と悪戯されそうという別の懸念事項もある。

 

どうも最近の俺はついていない。色々とトラブルが連続している気がする。いや、気がするだけか。

 

此処10年間程は非常に平和だったし、俺の行動が何か不幸を起こしたとかそういった事も聞かないし、唯単に俺がネガティブになっているだけなのかもしれない。

 

それもこれも全てこの寝不足のせいだろう。そう考えると、段々と怒りが湧いてくる。

 

いや、燐たちに怒りが湧くわけではなく、自分に対してである。判断力が足らなかったばかりに、易々とゲームに参加してしまったあのアホさ加減に。

 

もういい、とりあえずは休息が今の自分にとっては最優先事項であり、帰る事については諦めておこう。ゼンマイもさとりからもらった、保存用の術が編み込んであるバッグに入れたし平気だろう。

 

視線の先にある雲を眺めながら、ゆっくりと目を閉じる。

 

「やばい、本当に寝そうだこれ……」

 

いや、独り言が数分後には現実のモノとなる事は自分も自覚していた。

 

最早どうしようもない眠気がこの身体を包んでいる事も、重々承知で此処に寝転がっているのだ。

 

せめてバッグが盗られない様にと、俺は自分の方に引き寄せて腕で包み込む。

 

流石に服とかそこら辺を剥がされたりはしないだろうと思いつつ、俺はゆっくりと閉じた瞼の中で眼球を上に向けて寝る準備に入る。

 

すると、それはすぐに保っていた意識を蕩かし、霞ませ、深い深い眠りへと落としていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

一体どれほど眠ったのだろうか。睡眠によって十分に疲れが取れた頃、自分の身体がやけに暖かい事に気付いて俺は瞼を開けた。

 

目に入ってきたのは、白い天井。ソレも日本の家屋に見られるような外壁に使われる漆喰などと言ったものではなく、ほんのりとクリーム色が入った優しい白。

 

突然の景色の変化に脳の処理がついて行かないが、やけに背中が心地良い感触に包まれているなという感覚だけはあり、俺はしばらくボーっとしていたが、ようやっと状況を把握しようと身体を起こす事にする。

 

「何処だ此処は……」

 

俺は思わずそう呟いてしまった。

 

目を周囲に散らし、手をバフバフやりながら自分が寝ていたベッドの感触を確かめる。

 

金属製のバネが仕込まれていて、身体にかかる負担を和らげ、快適な安眠へ誘うように絶妙な柔らかさにセッティングされている。

 

正直なところ、改めて触って確かめてみると、羽毛に包まれているかのようにすら感じるほどの心地よさであった。

 

そして俺はまた目からの情報も取り入れて此処が何処なのか観察してみる。

 

一つの空気取り入れ用の窓。ベッドから見た床はすべて真っ赤な絨毯が敷き詰められており、その邸宅の持ち主の経済力の高さを伺わせる。

 

勿論、壁に掛けられた絵画、壺、時計などと言ったありとあらゆる装飾品にキメ細やかな清掃、整備が行われており、見る者にとって高級感を持たせる。

 

一体一つ当たり幾らするのだろう? そんな考えを浮かべた時点で最早俺の金銭感覚の底が知れるのだろうが、気になってしまった。

 

俺は窓から景色を見て、此処が何処にあるのかを確かめるため、ベッドを降りてみようとする。

 

「あ、服は変わっていないのか」

 

ふと、視線を下へ向けた時に気が付いた。恐らく俺を運んだ人はそのままベッドへ寝かせてしまったのだろう。恐らくベッドシーツはクリーニングになりそうだ……。

 

なんだか持ち主に悪い事をしてしまったなという気持ちが湧きおこる。

 

が、誰もこの部屋には入ってくる気配が無いので、何とかしてこの家の主にコンタクトを取りたい。

 

その思いを頭の中に浮かべつつ、ベッドから再び降りようとする。

 

すると、視線を少し横にずらした先には俺の靴が綺麗に揃えられてあった。

 

思わず俺はおお、と驚きの声を上げてしまった。

 

ソレも仕方がないだろう。ここが幻想郷内部かどうかは分からないが、仮に幻想郷としておこう。普通、この幻想郷の家屋において靴がベッドの横に置いてある事等皆無に等しいのだ。おまけにベッドがあると言っても現代では欧米ではあるまいし、日本の屋内で靴を履きっぱなしってのはあり得ないのだ。

 

だから、俺は驚きの声を上げてしまった。

 

そして、もし此処が幻想郷内部で且つ洋風の家、さらに靴で入るような場所と言ったら……?

 

その考えが浮かんできた瞬間、物凄い寒気がして身体がブルリと震えてしまった。

 

此処がもし、あの洋館であったら? もしも、俺の居る所が紅魔館であったら……?

 

そう思うと、俺は何とも言えない奇妙な気分になってしまった。何と言うか、此処にこのまま居てはいけないという気が。

 

長時間居た場合、自分が何かとんでもない事に巻き込まれてしまうような。そんな嫌な予感がしてきたのだ。

 

脳が段々と自分の置かれている状況を把握してきて、気持ちが高ぶり、脳が処理を超えそうになってくる。

 

が、ここはグッと堪えて気持ちを落ち着かせる。

 

まだ此処が紅魔館であると決まったわけではない。焦る必要はない。じっくりと把握していけば大丈夫。

 

そう自分に言い聞かせながら俺は壁際に沿って歩き、換気用の窓に近づく。

 

「やっぱりか……」

 

構造を確認したところ、窓の開閉機構が外倒し窓方式となっており、完全には開かないようになっているようだ。しかもストッパーが何とも嫌らしい部分に設置されているらしく、顔すら出せない程の小さな隙間しかできない。

 

俺は開閉を諦めて、窓の外を見てみる。

 

此処はかなり高い階層に位置しているらしく、景色が良く見渡せる。

 

「見覚えが無い場所……と言うより森に見覚えなんてある訳ないか……」

 

つい、呟いてしまうほど一面森だらけであった。

 

所々未舗装の狭い道の様なものが散見されるが、人が歩いている様子は無い。

 

そして、此処から真っ直ぐ、遠くになってしまうが大きな山が聳え立っているのが確認できる。どこかで見た事のあるような山だが、思いだせない。随分と形が変わっているようだし、俺の思い過ごしなのかもしれないが、此処が幻想郷だとすると妖怪の山と断定しても問題は無さそうだ。

 

が、そう断定すると此処が必然的に紅魔館になってしまうので、認めたくはない。何とも情けなさ満点ではあるが。…………まあ、紅魔館なんだろうけど。

 

俺は嫌な考えを振り払うように、窓から視線をずらし、今度はこの部屋からの出口を探してみようと思った。

 

扉は正面とベッドの脇、斜め右方向の二つ。

 

俺はゆっくりと、まるで音を立ててはいけないと言われているかのように、慎重な足運びで正面のドアに近寄り、ノブに触ってみる。

 

真鍮製なのだろう。丸く金色に輝くノブはこの暖かい部屋に似つかわしくない程の冷たさであり、何と言うかドアから拒絶されているようにも感じる。

 

俺はそんな事を思いながら、ガチリとノブを捻ってドアを引く。

 

その瞬間、俺の力とは反対にドアは金属の部品がかち合う鈍い音を立てながら、その場にとどまってしまった。

 

「げ、まさか鍵が掛かってるのかこれ……?」

 

ノブには鍵穴も、サムターンも無い。押したり引いたりしても開かず、内部のデッドボルトがトロヨケに当たる音のみがする。

 

つまり、これは俺が出られない様にするためにやられたって事か?

 

そんな考えが頭の中で回り始める。その考えが頭に浮かぶ一方で、俺が安静にしていなければならないという一つの示し方なのかもしれないという考えも浮かんでくる。

 

とはいえ、そう考えた所で俺がこの部屋から出られるわけではないし、家の主に会う事も出来ない。

 

俺はそう考えて、ノブから手を離し右を見てみる。

 

(では、この部屋は一体何だろうか……?)

 

そんなちょっとばかりの好奇心が脳をくすぐり、自然と歩を進めさせていく。

 

歩いているうちに、何か忘れているような完璧にも思えるこの中に、一つだけ欠けているモノがあるような。そんな些細な引っかかりを覚えながら俺はもう一つのドアのノブを捻ってみる。

 

今度はノブがしっかりと回り、そして引く事が出来た。

 

すると、目に飛び込んできたのは、二つの扉。本当に2~3歩で歩けてしまうような短い廊下の正面と途中左にドアがある。

 

一つはすぐに何の部屋かを特定する事が出来た。

 

「ああ、こっちがトイレか……」

 

左のドアには金属プレートにtoiletと綺麗な英字で書かれているのが目に入ったからだ。

 

まあ、此方は後で来ればいいだろう。必要な時に行けばいいのだから。

 

そう思いながらも、少しだけ気になってしまう。

 

いや、見ておくか。

 

俺は扉をスッと開けて、中を見てみる。

 

(掃除が行き届いてるなあ……)

 

魔法かは分からないが、内壁全体から発光しているようで、ほんわりとした柔らかな光に満たされている。勿論洋式であり、手洗い場もついていた。

 

俺は見るのをそこそこにして、今度は別のドアに近づく。

 

が、大体の予想はついてしまう。隣のドアがトイレなのだから、此方のドアの先には

 

「ほら、やっぱり」

 

思わず声に出してしまうほどドンピシャリ。

 

風呂場であった。

 

ビジネスホテルよりもずっと広く感じ、現代の一戸建ての風呂場よりも広く感じる程の風呂場は、トイレも無いのに何故かカーテンによって仕切られている。

 

少しだけ違和感を感じたが、俺はすぐにこの場を離れて、元の部屋に戻る。

 

そしてこの部屋に戻る上で、先程の僅かな違和感が増大している事に気が付いた。

 

この部屋に何かしら足りないモノがある。その違和感が今猛烈に湧きあがってきているのだ。何と言うか、ソレを見つけなければならないという強迫観念に囚われてしまったかのように。

 

俺はベッドに座って、今置かれている状況と、一体何をして此処に至ったかを思い出していく。

 

(この部屋は完ぺきに見えるのに、何かが足りないように思える……。そう言えば、俺は此処に来る前は……)

 

その瞬間に、俺は思わず

 

「あっ!?」

 

と、叫んでしまった。

 

そう、此処に来る前まではゼンマイ採りをしていたのだから、俺のバッグが無ければおかしいはずなのだ。

 

寝るときは確か自分の腕に抱えていたはず。ならば、俺を発見した時に、バッグは俺のものだとは理解できるはず。であれば、此処に無ければおかしい。

 

俺は先ほどの慎重さを忘れて、急いでベッドの周囲、その他部屋の隅々まで探し始める。

 

ベッドの下に顔を入れて、何かないかと見てみるが、それらしい影は見当たらない。

 

ならばと、顔を上げて周囲を見渡してみるが、バッグどころか、似た物すら見当たらない。

 

勿論、トイレや風呂場にも無かったし、あの様な空間で見落としがあるはずなど無いのだ。

 

(まさか、置き忘れてしまったか……?)

 

俺が寝惚けてバッグから手を離してしまったのだろうか?

 

あり得る。が、あり得ると言っても転がって行くような斜面では無かったし、それに草原だったのだから転がって行くのは考えづらい。

 

やはり、俺を運んできた人が持っているのだろうか?

 

特に危ない物は入っていない筈だし、入ってる物と言えば森に生える変なゼンマイと保存用の術式が書かれた紙一枚。水筒も、弁当も入っていないから、怪しまれる事は特にないはず。

 

俺は溜息を吐くと、再び出入り口に近寄って、今度は少しだけ強くドアを引いてみる。

 

勿論、開いている訳はなく、ガチャガチャと鈍い金属音が部屋内に響き渡るだけであり、何とも虚しくなる。

 

館の主か使用人かは分からないが、俺のバッグの行方を知っているとありがたい。

 

そして、できる限りで良いので、損傷等が少ない状態で返ってきて欲しい。そう思いつつ、俺は再びベッドへと戻り座ってボーっとする。

 

現在、俺の体力はほぼ全快していると言っても過言ではない。現時点で地底にジャンプしてそのまま返ってしまうという選択肢もある。この時点で俺が監禁されているのだとしたら。

 

しかし、そうでない場合はどうか? 俺が帰ってしまったら双方にとってもマイナスな感情が残るだろうし、此処には二度と近寄れなくなるだろう。

 

さらに今回使用している保存用の札は貴重なモノらしく、作るのにかなりの妖力が必要だとのこと。つまり、失くしたら俺が大目玉を食らうという事決定なので、バッグは返してもらいたい。

 

だから、俺はこの部屋にとどまっている。先ほどの理由等が無ければ、俺は黙って地底に帰っていたに違いない。

 

そう思いながら、俺は誰かがこの部屋に来るまでどうしていようか。

 

そんな暇つぶしを考えていたら、ドアに微かな音がする。まるで金属が磨り合わさっているような独特な音。

 

そしてそれはすぐに別の音になり、ガチャリといった感じの開錠音と共にドアが開く。

 

ドアが開いた瞬間、俺はやっぱ此処は紅魔館なんだなという確信と共に、何とも言えない嫌な笑いが出てきそうだった。

 

「あら、お目醒めになったのですね、丸1日寝ていたのですよ……?」

 

入ってきたのは、10年程前に会ったっきりの十六夜咲夜であった。

 

 

 

 

 

 

 




今回の話しはいかがでしょうか? もし宜しければ御感想等を宜しくお願い致します。


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104話 ちょっと悩むなこれは……

次の話しでストックが切れます。頑張って執筆したいと思います。

では、最新話をどうぞ。


うまいこと時間を作らねば……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「身体の方は大丈夫ですか?」

 

そう微笑みながら、話しかけてくる目の前の少女。髪の色は銀、カチューシャ、メイド服等といった衣服を身に着けている彼女は俺も良く知る人物であった。

 

十六夜咲夜。10年程前に彼女と相対したが始めであり、その後は特に会う事もなく、紅魔館の住民とも会う事は無かった。

 

だから、今回が二度目の邂逅となる。

 

俺にとっては本当に偶然なモノであり、もし彼女が覚えているのなら俺と会うのは10年ぶりとなるので、本当に久しぶりであろう。

 

やはり10年の月日が経つと、彼女も随分と容姿が変わってしまっている。むしろこれは成長を喜ぶべきなのだろうが。

 

腰の位置より少し上ぐらいにまでしかなかった身長が、既に俺の目の位置、大体170cm程にまで伸びているのが分かる。

 

モデルの様なスラッとした足に、まるで西洋人形かと思わせるような整った顔。17歳程だというのにも拘らず、彼女からは既に成熟した女性の雰囲気が顔を覗かせている。

 

ゆっくりと俺は話しかけてくる彼女に向かって

 

「こ、こんにちは……」

 

ニッコリとした彼女は、そのまま滑るように歩いて、銀色のトレーが乗った台車を押してくる。

 

「こんにちは、吃驚しましたよ、まさかあのような草原で横たわっている人がいるなんて思いませんでしたから……ちなみに、お名前を聞いても? 私はこの紅魔館の使用人である十六夜咲夜と申します」

 

それにならって俺も彼女に返答していく。

 

「助けて頂いてありがとうございます。私の名前は大正耕也と申します」

 

すこし苦笑しながら話す彼女は、久しぶりに会った俺の事等一切覚えてはおらず、そのまま俺の名前を記憶するようにウンウンと頷く。

 

やはり10年前のあの出来事は、彼女にとっても大した事では無かったのかもしれない。いや、もしくはあの時に襲われた妖獣だけの事が強烈に記憶に残り、俺達の事だけを忘れてしまっただけなのかもしれない。

 

どちらにせよ、俺はあの時名前を明かしてはいなかったし、むしろ偽名を名乗っていたのだから仕方がないだろう。

 

そう思いつつ、俺は彼女が口を開くのを黙って見る。

 

「大正耕也様ですか。ありがとうございます。では目覚めたところですが、昼食などいかがでしょうか?」

 

そう言うと、トレーに乗っていた鍋の蓋を開けて、中身を見せてくる。

 

「丸一日寝ていた事もありますし、消化の良い御粥を用意しました」

 

そう言って、此方の体調を気遣った料理を提供してくる。やはり、人に対する接し方等といった事はちゃんと仕込まれているようだった。

 

俺はそれに素直に感心しつつ、御礼を述べる。

 

「ありがとうございます。此方も空腹でしたので」

 

そう言うと、咲夜は手を口元にやりふふ、と軽く笑ってから

 

「そうですか、此方としても用意した甲斐がありました。湖で寝ていたころから何も食べていないでしょうから、お腹がすいていると思っていたのです」

 

その言葉を聞いてから、俺は彼女に聞かなければならない事がある事を思い出した。

 

彼女に出会った瞬間、身体中の神経がざわめき、冷や汗が出て、それと同時に質問事項すら流れ出て行ってしまったのだろう。

 

俺は用意された粥を一口飲みこんでから、側に立っていた咲夜の方に顔を向けて質問を開始する。

 

「あの、所で私の――――」

 

その質問をしようとしたところで、咲夜がいきなり慌て始めたかのように懐中時計を取り出して見やる。

 

「あ、申し訳ありません。次の業務に移らなければならない時間となってしまいましたので、私はこれで失礼いたします。お話しはまた次の機会にゆっくりと……」

 

何とも申し訳なさそうにお辞儀をしてから、咲夜は急ぎ足で部屋のドアに近寄る。

 

そして次の瞬間には、まるで転移でもしたかのようにその姿が掻き消えてしまう。

 

俺は粥を掬ったスプーンから、ドボドボと中身を落しながらその光景を見続ける。

 

彼女が確実に能力を使ったのは俺にでもわかる。が、何故一般人だと思っている俺の目の前であのような力を使うのか、唯単純に理解できなかったからだ。

 

まあ、恐らく何時もの癖で移動の際に使ってしまったのだろうという推測をして、自己完結をしてしまう。

 

彼女が時間を止めた所で、俺に何か支障がある訳ではない。無差別に反応するよう設定した内部、外部領域ならば彼女が能力を使った瞬間、俺と彼女だけが動ける世界が完成する。

 

つまり、この状態では彼女の能力が効いていない事に等しいのだが、これは効かないという利点と同時に、大きな問題を抱えているのだ。

 

彼女が使う能力は時間停止。ソレも限られた空間ではなく、この世に存在する全ての空間に対して作用するのだから、性質が悪い。

 

もし俺がこの領域を攻撃、非攻撃的構わず、全ての非常識的な力を無効化するように設定したのであれば、咲夜の能力で日常生活に多大な影響が出てくるのだ。

 

煙草屋で商売をしている時に、地上で咲夜が移動の為に力を使えば御客さんが止まってしまい、話す事が出来なくなる。

 

燐と一緒に歩いている時に使われたら、燐がその場に止まって俺だけ歩いてしまう。

 

さとりの要望とかを聞いている際にも使われたら、何を言っているのか分からなくなってしまう可能性も高いし、一々それに対して俺が対処するのは非常に面倒くさい。

 

だから、10年前に咲夜を助けた後、俺は領域の設定を少しマイルドにしたのだ。

 

俺にとって害のある、または攻撃的な意図を持って使われる能力を無効化するように。何とも使い勝手の悪い領域だとは思うが、ソレも俺を守るために存在するのだから文句等出はしない。

 

俺は先ほどの光景から改めて自分の能力の利便性について考えてみた。

 

なんとも可笑しなことかもしれないが、段々とこの紅魔館にいる事自体が状況を不味くしている気がしてききてしまい、思わず身震いする。

 

また、先ほどの咲夜の行動からして少し違和感があった。

 

入ってきた当初は柔和な笑みを浮かべ、ゆっくりと、まるで水が流れるかのごとく滑らかな動作で歩いてきた。

 

そこまでは良い、そして自己紹介も大丈夫。特に問題はない。

 

が、その後である。俺が自分の持っていた荷物の在り処を聞こうと質問した瞬間、咲夜は慌てて此方の話しを遮ってどこかに行ってしまった。

 

一体何故彼女は俺の話しを遮るかのように去って行ってしまったのか。

 

そう思いつつ、俺はドアの方を見つめてみる。

 

(開いているのかな……?)

 

先ほど彼女が出ていった後、鍵を閉めたのかどうか。それに着いて気になってしまったので、そんな事を思いつつ俺はドアへと再び足を運んでみる。

 

一呼吸置いてから、俺は目の前のノブに手をかけて、ゆっくりと捻って引いてみる。

 

頭のどこかでは鍵が掛かっているというのは予想できていた。事実その通りで、俺の引いたノブは、途中で鍵が引っ掛かり開く事は無かった。

 

諦めて、俺は再びベッドに腰をかけて粥を口に運んでいく。

 

味は勿論頬が落ちるほど美味しい。粥を不味く作る事自体が難しいが、それでも彼女の腕は俺を確実に上回っている事は確かであった。

 

そうして舌鼓を打ちながらゆっくりと先ほどの咲夜の行動について考えてみる。

 

(何か引っかかるな……)

 

何とも言えない妙な感覚が残ってしまうのを感じながら、彼女の行動の理由を幾つか上げてみる。

 

一つ目は、彼女が俺の荷物の中身を見て、帰してはいけないと思ったのか。確かに魔法の森に生えるゼンマイは、通常の人間にとっては危険な代物である。危険な胞子や魔力を浴びて育ったゼンマイは、人間に対しては毒性を持つからだ。

 

だから、彼女は俺の荷物を知らないふりまでして、慌ただしく去って行ってしまったのか。いや、だったら彼女は俺に対して何かしらの説明などをするのが普通だろう。この可能性は低いと考えるべきか。

 

二つ目は、は俺の身体が十分に回復してはいないと考え、鍵を掛けてまで此処に閉じ込めたのかどうか。可能性としては十分にあり得るし、その考えを代表するかのような発言や、現物まで此処にある。

 

「消化の良い物をご用意いたしました」

 

この言葉と、目の前にある粥。確かにあのような場所に倒れて眠っていたのだから、俺が体力を消耗していると考えてもおかしくないし、内臓が弱っていると判断してもおかしくない。

 

三つ目の理由としては、先ほどの二つの理由ではない訳があって、俺を閉じ込めてでもしておきたい何かがあるという事。

 

もし、ソレが俺に対して危険が及ぶ事ならば、できればソレと遭遇する前に何とかして脱出してしまいたい。が、そのような危険な目にあっても命の危険性は元から無いのだから、此方がバッグの回収を最優先にするのは必然だろう。

 

俺は未だこの紅魔館の住人達と会った事が無い。それゆえに、何とも言えない不安感が襲ってくるのだ。

 

おまけに唯一会った咲夜も10年前とは比べ物にならないほど成長している上に、全てにおいて未知数の要素を持っている。実際に相対してみるとその威圧感というモノが分かるのだ。

 

人間にとって10年という年月は非常に長く、そして圧倒的な成長を可能とする猶予でもある。そしてナイフを持つ手がプルプルと震えていた頃とは違い、その凛とした出で立ち、あの頃よりも更に強い意志を宿した目。

 

何もかも違うのだ。そしてあの短い時間では彼女の性格等といった事を知ること等できはしない。だから、実質どうなるのか分からない。

 

また、今考えてもどうしようもない事ではあるが、バッグが何処にあるのだろうかという事を考え始めていた。

 

まず美鈴はあり得ないだろう。門番なのだからそんな気の散るような物を持っている理由などどこにもない。

 

一番の可能性が高いのは誰も持っておらず、倉庫か何かにしまってあるというものだが、とりあえず持ってそうな人物を列挙してみる。

 

咲夜の部屋、フランドールの部屋、そしてこの中で最も持ってそうな人物であるパチュリーの部屋である。

 

俺を最初に運んできたのが咲夜なので、責任を持って自分の部屋にしまってあるという可能性もある。

 

フランドールの場合は、流石にきついかもしれない。いくらなんでも地下室に入れるというのは考えにくいか。当主も同じような理由で。

 

レミリアが持っている可能性があるとすれば、ソレは俺のバッグの中に貴金属等といった非常に高価なモノが入っている時のみだろう。

 

それか、レミリアが個人的に持っておきたいと考える友人とか。

 

そして、最後のパチュリーが一番高いと考えたのは、魔法の森で採れたゼンマイがあるから。もし、彼女がそれに興味を持っているとするならば、彼女が確保している可能性の方が高い。また、保存用の札も貴重性が高いので彼女が欲しがるはずだ。

 

とはいえ、此処まで考えたとしても所詮は推測であって、事実ではない。

 

そう思うと、この先が思いやられる。下手に抜けだそうとすれば、今後の紅魔館との関係が、礼儀知らずという事でこじれてしまいそうになるし、バッグの回収もできない。

 

バッグの回収をしようとすれば、彼女がこの部屋から出してくれるまでこのまま待つしかないし、彼女の事だからきっと答えをはぐらかそうとするだろう。一体何の理由があるかは分からないが。

 

俺は溜息を吐いてから冷え切ってしまった粥を口に入れて胃に押し込んでいく。

 

「御馳走様でした……」

 

空腹感は感じないのだが、病人用に作ったであろうこの粥は少しというか、かなり物足りない。非常に美味しいのは事実だし、彼女には感謝しているが。

 

何と言うべきか、自分の満足感というものだろうか。ある一定の量を食べないと気分が晴れない。空腹感だけは感じないのにも拘らず。

 

後で適当にこっそりと食べるかなと思っていると、ドアが三回ノックされる。

 

「はい」

 

そう返答すると、ドアの向こうから声が聞こえてくる。

 

「大正様、食器を下げに来ましたが、召し上がられましたか?」

 

「あ、はい。どうぞ」

 

聞こえてきたのは勿論咲夜の声で、そう短く返答するとカチャリと開けてゆっくりと入ってくる。

 

先ほどの僅かな焦りがあったとはとても思えない冷静な表情を出し、此方に近寄ってくる。

 

「お味はいかがだったでしょうか? 御口に合っていたら良かったのですが」

 

途中で出てしまったから聞くのを忘れてしまったのだろう。

 

一応、彼女としては今後の好みに合わせていきたいと考えから来る言葉なのだろう。

 

俺はその言葉に素直に感謝しながら

 

「ええ、大丈夫ですよ。非常に美味しくて吃驚していた所です。御馳走様でした」

 

その声を聞くと、咲夜は顔を綻ばせて満面の笑みで喜びを表現してくる。

 

やはり自分が創った料理が他人から褒められるのは非常に嬉しい事なのだろう。俺も作ったものを幽香や幽々子、藍、紫に食べてもらった時に褒められた時は本当に嬉しかったものである。

 

咲夜は笑顔でお辞儀すると

 

「それは良かった……。ありがとうございます」

 

俺の言葉が最高の褒美だと言わんばかりの勢いで返してくる。

 

そして、咲夜は食べ終わった食器を台車ごと引き上げていく。勿論部屋を出る時に此方に向かってお辞儀をしながら。

 

俺は彼女が出ていく寸前、先ほどの荷物を質問しようと口を開く。

 

「あの、十六夜さん」

 

すると、俺の質問する姿が意外だったのかは分からないが、キョトンとした表情を一瞬浮かべてから、また微笑んで此方に向き直って言葉を返してくる。

 

「はい、如何なさいましたか?」

 

一瞬だけ妙な静けさが場を支配してくるが、それに構わず質問をしていく。

 

「私を運んで下さった事には非常に感謝しております。ありがとうございます」

 

そう言ってまずは改めて礼を述べる。

 

すると、咲夜も此方の方に向かって頭を下げて

 

「いえ、人として当然のことをしたまでですよ。お気になさる事は御座いません。ゆっくりと静養して頂ければ」

 

その言葉に感謝を示すために軽く頭を下げてから切りだす事にした。

 

「それでですね、一つ質問があるのですが、宜しいですか?」

 

「はい、何でしょうか? 私に分かることであればお答えいたします」

 

まるでつい先ほどの焦り様が嘘のように消し飛んだその答え方。質問されるのが不味いという顔ではなく、どんな質問でも答えてあげようとでも言うかのように、笑顔を宿したままそこに立ち続ける咲夜。

 

何とも言えない違和感をそこで感じてしまうが、途中で取り下げる事はできないので、そのまま質問を口にする。

 

「私の荷物を知りませんか?」

 

その言葉に、咲夜は少し首を傾げてから考え込むような仕草をして、此方に聞き返してくる。

 

「荷物…………でしょうか……?」

 

まるで何も知らない、そんな物見た事が無いかのような反応。勘弁してくれよと思いながら

 

「はい、私が腕に抱えていたバッグの事です」

 

直接的に物を指して言ってしまう。彼女が俺を運んだ時に、必ず目にしたはずのバッグ。気が付かない方がおかしいはずなのだ。

 

だが、俺の期待していた答えとは真逆の、頭を抱え込んでしまうかのような答えが返ってきた。

 

「バッグですか……。いえ、私が大正様を発見した時には既にバッグはありませんでしたが……」

 

「それは本当に……?」

 

思わず先ほどまでの敬語を崩して聞いてしまう。

 

だが、俺の言葉が彼女に別の答えを用意させる訳でもなく

 

「はい、私が大正様を発見した時には、既にバッグはございませんでした。もしかして、何か大切な物でもあったのでしょうか……?」

 

見つけられなかった事を悔やんでいるかのように、謝罪するかのように聞いてくる咲夜。

 

その心遣いは何とも嬉しいが、いかんせんちょっと予想と違い過ぎて困惑してしまっている俺がいる。

 

が、彼女を立たせたままにしておくのも非常に申し訳ないので、俺は言葉を搾りだしていく。

 

「いえ、大したものが入っている訳では……ありがとうございました」

 

この言葉を受けた咲夜は、申し訳なさそうに一礼してから、部屋を出て行ってしまう。

 

 

 

 

 

出て行ってから、しばらく。

 

何故鍵を閉めるのか等といった質問もあったのに、俺は先ほどの答えに一時的に吹き飛んでしまって、聞きそびれてしまった。

 

(一体どうして無かったんだ……? いや、確かに抱えていたはずだし、何かしらの悪意があって盗られるならば領域が反応して居てもおかしくはない。だが、そこら辺は曖昧な線があり、反応していない可能性というのもあるのだ)

 

俺が寝ていた時にバッグが消えてしまったという事は、勿論咲夜以外の誰かが盗ってしまったという事である。

 

一体誰か? 簡単に想像できる答えが3つ。そして、もう一つはあまり考えたくない答えが一つ。

 

前者の3つは、チルノが奪って行ったパターン、ルーミアが奪って行ったパターン、そしてどこかの妖怪が悪戯に持って行ったパターンである。

 

これらが本当ならまあ取り返せない事は無い。名も知らぬ妖怪の場合は紫か誰かに頼むしかないが。

 

そして、最後の最も考えたくない答え。

 

それは

 

「嘘吐かれてたりしないだろうな……?」

 

そう、嘘である。

 

あの時咲夜の態度には不審な点が一つあった。それは、対応の変化である。

 

当初質問した時は、まるで質問される内容が分かっているかのように焦り、そして早々と出て行ってしまった。

 

だが、今回はどうか? 少しの時間があったからこそなのだが、嘘のように落ち着き、そして答えを明確に出していった。

 

もしもだ。もしも、咲夜が此方の期待する答えを本当は持っていて、何かしらの策で俺の荷物の事を隠しているのだとしたら?

 

そんな疑問が湧いてくるのだ。

 

いや、だが彼女がいくら不審な点があったと言っても、それだけで決めつけるのは尚早だし、他の妖怪や妖精が奪って行った可能性も十分にあるのだ。

 

だから、彼女ばかりを疑っている訳にはいかない。

 

とはいえ、この時点で俺の手元にバッグが無い事は確かだし、ソレが何処にあるのかさえ分からない状況。

 

思わずベッドの上に寝そべって溜息を吐いてしまう。

 

「あ~……どうしよう……怒られる」

 

俺が本当に無くしたとなれば、さとりからの信用も少し失うだろうし、損失も与えてしまう。

 

外部領域を広げようにも、彼女達を範囲内に曝してしまう為に此方が怪しまれる可能性もあるし、バッグまで正確なモノを把握できるわけでもない。

 

完全に八方塞の為に、暫くその場に寝転がって天井を見上げ続ける。

 

この状態では、何時帰れるのか分からないし、ソレに咲夜は何時になれば俺が完全快方したと判断してくれるのか分からない。

 

鍵の掛かったドアが何時になった開くのかも分からずに、やることの無い俺は少しだけ眠る事にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

ゆっくりと扉が閉められた後、私はほんの少しの安堵感を胸に宿して慣れた道を歩き続ける。

 

外見は赤に包まれているこの紅魔館。内装は非常に質の良い大理石の床、カーペット等を使用しており、御嬢様の威厳を増すものと言える。

 

この紅魔館1館のみで、人里の全ての土地と家屋を買収できる。それほどの価値のある書物、装飾品が犇めいているのだ。

 

だが、そのどっしりとこの地に構えている紅魔館とは対称に、先ほどまでの私の心は酷く慌てていたものだった。

 

私はあの時の事を思い出していた。

 

何時ものように人里に赴いて物品を買い、そして帰途に着く際に発見した男。

 

服は森から出てきたためか、少し汚れており、彼の表情も余り宜しくは無かった。疲れ果てていたといった方が適切だろうか? 自殺願望者がこの幻想郷に迷い込んだモノと本当にそっくりだったのだ。

 

通常ならばこのような人間は放置しておくのが、紅魔館の者としての常識。供給される人間の血を少し抜き取り、館外に放つだけしていれば良く、他の外来人に対して露骨な干渉は避けるべき。

 

それが八雲紫からの要望であったと御嬢様から聞いている。

 

だが、見てみれば何だ。この男はあまりにも血の質が良い、そう感じてしまうのだ。初めて見るはずなのに、この男の血は御穣様達に良く似合いそうだという考えが自然と頭に浮かんできたのだ。

 

私はこのような考えが浮かんでくるのは初めてであり、ソレを御嬢様に献上する事が全てを押しのけて優先させるべきだという思考があっという間に出来上がっていた。

 

だから、私はその考えに抗う事などせず、うなされるように眠る男を抱え上げて、私はゆっくりと紅魔館に向かって歩いたのだ。

 

そして荷物の在り処を聞かれた時には吃驚してしまい、不自然な行動をとってしまった。

 

一応此方では預かっていないという事を強調したのだが……バレていないと良いのだが。

 

ゆっくりと記憶の海から浮かんできた時、目の前に表れたのはレミリア御嬢様であった。

 

「っ!?」

 

余りにも突然現れたものだから、流石に驚いてしまった。声を上げてしまうほどではなかったが、それでも半歩後ずさりしてしまったのだ。

 

この行動があまりにも珍しかったのかは分からなないが、御嬢様はクスクスと笑いながら此方に向かって口を開いた。

 

「あの人間はどんな感じかしら……?」

 

あの人間の健康状態。大正耕也の血はどれほどまで回復しているかといった事だろう。

 

御嬢様はあの男の血を早く御飲みになりたいようで、此方と顔を合わせるたびに聞いてくる。

 

確かに大正耕也は人間としては破格の血の美味さを誇るだろう。人間である私が即座に判断できたほど、ならば御嬢様からすれば一刻も早く摂取したいと思うのも無理はない。

 

が、御嬢様が思うほどあの男は体力が回復してはいない。ゆえに、落胆させてしまう事になるだろう。私はその事を少し残念に思いながら伝えて行く事にする。

 

「申し訳ありません御嬢様。あの男は表面上は回復したように見えますが、内側がまだまだ回復が必要と思われます。休養を取らせて……後3日程あれば回復するかと」

 

すると、やっぱりそうよねとウンウンと頷きながら、目を閉じる。

 

「ちょっと考えるから待ちなさい」

 

そう言いながら、顎に手を当てて考え始める御嬢様。

 

その表情からは何を考えているのか分からないが、計算高い御嬢様の事だ。私には及び付かない事を考えていらっしゃるのだろう。

 

そんな事を考えつつ、私は黙って唯彼女の答えを待つだけ。

 

そして待つ事数分。

 

考え込んでいた彼女の口が三日月の様に割れて笑みを浮かべ始める。何か面白い、悪い事を考えついた表情。私はその表情に自然と恐怖が湧いてきてしまうが、グッと堪えて彼女の言葉を待ち続ける。

 

すると

 

「咲夜、3日後に私が邪魔な昼間を取り除くわ。恐らくその時に博麗霊夢が動き出すはず。ソレが此方に来たら目の前で男の首を切り裂きなさい……いいわね?」

 

その言葉に私は思わず

 

「首を切り裂くのですか……?」

 

聞き返してしまう。確かに妖怪は人間を食うものだという事はこの幻想郷では常識となっているし、人里もそのような妖怪から守るために存在しているのだ。

 

一部の強力な妖怪を覗くとはいえ、何故雑魚妖怪が行うような事を態々この紅魔館で行う必要があるのか?

 

私はそれを問うてみたかったのだが、口から出るのは唯の行動についての質問。

 

だが、レミリア様は私の意図をくみ取ってくれたのか、まあ待ちなさいと言って説明をしてくれる。

 

「確かに似つかわしくない行為だわ。この幻想郷で広まって暫く立つスペルカードルールに対してね。でもね、考えてみなさいな。このスペルカードルールによって私達が戦闘によって殺しを行わないという事が広まったらどうなるかを。いくらあの娘の持つ書物に人間が供給されていると書かれているはいえ、人里の人間に関係はないと思われてしまったら? 紅魔館への恐怖が薄れてしまったら?」

 

彼女はゆっくりと息を吸ってから更に続けて行く。

 

「確かにこのルールによって力を誇示するのも大切だし、ルールを尊重することも大切だわ。また、このルールが作られたのは私のせいでもある。しかし…………人間を屠殺している時に出くわさない何て事は、あり得ないとは言えないじゃない?」

 

そう言いつつ、ニヤニヤと笑い始める御嬢様。

 

考え得る限り、最も近い答えは再び弛緩してしまうであろうこのルールに刺激を入れる事。より博麗霊夢が異変解決者であるという事をはっきりさせるため。妖怪と人間の違いを明確にさせるために彼女はあえてこのような事をするのだろう。

 

そこまで考えてから、私は思う。

 

(本当に運が悪いなあの男は……)

 

本当にとばっちりであるとしか言いようがない。どのような理由できたのかは知らないが、自殺するために此処へ来たは良いが、結局人の手によって殺されるのだ。

 

まさに哀れであるとしか言いようがない。

 

ふと、そこで少しだけ疑問が湧いてきてしまう。

 

彼が自殺者だというのは間違いないだろうが、一体何故あのような荷物を背負っていたのかが気になる。

 

中身はゼンマイ。ソレも魔法の森でしか取れない良く分からない植物だ。彼は一般人であるし、入る事は死に繋がるはずなのだが、一体何故だろうか?

 

一応解析兼保管の為にパチュリー様の所に預けてあるが……。

 

そしてもう一つ疑問がある。

 

それは

 

 

 

 

 

 

 

 

(何故抱えた時に私から霊力が抜けてしまったのだろうか?)

 

 

 

 

 

 

 




今回の話しはいかがでしょうか? もし宜しければ御感想や御批評を宜しくお願い致します。


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105話 相変わらず開かない……

すみません、ストックがある事を忘れてました。そして、現在最新話を書いております。遅くなってしまい、申し訳ありません。では、どうぞ。


開けてくれないという方が正しいのかもしれない……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「では、化粧室と浴室は、あちらの扉からお使いください」

 

夕食の雑炊を片づけながら、咲夜は俺に部屋の説明をしていく。

 

雑炊は量が多めではあったが、流石に体力が回復してきているので、少々物足りなさを感じてきてしまっている。が、彼女には十分感謝しなければならないだろう。

 

俺は彼女の言葉を聞きつつ、頷いて理解しているという事を示していく。

 

彼女は部屋の使い方について色々と説明してはくれるが、勿論部屋の外について説明してくれるわけでもないし、外に出してくれそうな気配も出してこない。

 

俺としては、十分に寝て回復してきているのだから、少しぐらい自由を求めてみたいのだが、あいにくそれは叶わないだろう。なぜなら

 

「この部屋の物を自由にお使いになってかまいません。ですが、大正様は現在身体の調子も良くありませんし、此処に来てから間もないのですから戸惑いもある事でしょう。ですので、激しい運動等は勿論の事、夜更かしも駄目ですよ? 完全に回復するまで、部屋の外には出せません」

 

「了解です。ゆっくり休みます」

 

「はい。では、お休みなさいませ」

 

とまあ、こんな調子で言ってくるのだから、許可されるのはもうしばらく後の事だろう。

 

とはいえ、俺の目的はバッグを探さなければならない事であって、此処に長居する事ではない。もちろん、寝る前に考えていた別の可能性もあるが、現時点では咲夜達が持っている可能性の方が高いので、此処にいた方が何かと好都合である。

 

だが、俺の帰りが遅い事を不審に思った燐達を心配させないためにも、一度はコンタクトを取り此方の安全を説明しておかなくてはならない。

 

咲夜がニッコリと笑みを浮かべながら、台車を押して去って行くと同時に、俺はベッドより立ちあがって浴室にまで歩いて行く。

 

ドアを開け、中へと入ってから振り返り、寝室と浴室の距離をメジャーで計ってみる。

 

「4mほどか……扉を閉めた場合は、十分に音は届くかな……?」

 

俺はゆっくりと扉を閉めてから、拳でノックをする動作、少し強めに叩く動作を繰り返していく。

 

すると、ノックをした際にくぐもった音がして来るのに気がついた。強めに叩いても撓む様な現象は見られず、唯拳が跳ね返されるだけである。

 

機密性は一応あると言えるのかもしれないが、隙間が下部にあるため此方側から音が漏れてきそうであった。

 

念の為俺は扉を開いて、厚さを見てみる。

 

(少し薄めか……)

 

先ほどの様な重い音がしたのにも拘らず、その扉は俺の家にある扉よりは随分と薄く見え、中に金属板が組み込まれているのだという推測を浮かばせるには十分な要素だった。

 

恐らく、一見木でできた様に見える扉は、ごく薄い表面だけに木の板が取り付けられ、中身は殆ど鉄板なのだろう。

 

まあ、音さえ聞こえれば恐らく成功するだろうから、後は準備をするだけ。

 

勿論、彼女が浴室に入っている間に来なければ、一番良いのだが……。

 

とはいえ、彼女の行動パターンはまだ不明。此処で最初に目覚めてから一日も経っていないのだから、分からないのが当り前であろう。

 

相手も、此方の巣城については一切分かっていない筈なので、そこら辺は同等になっていると考えても良いはずである。

 

ただ、此処は紅魔館の一室であり、この部屋の構造は咲夜が完全に把握しているはずなので、何かしらの不審な点が見つかり次第、監視の目はきつくなると考えられる。

 

咲夜は、レミリアにもこう伝えている事だろう。

 

「外来人を保護いたしました」

 

と。

 

外の世界で着るような衣服を俺が身に着けていおり、尚且つあんな草原で寝ていたのだから、彼女が俺を外来人だと思っていたとしてもおかしくは無い。いや、むしろ思っているはずである。

 

彼女と長時間話し等はしていないし明日か明後日かは分からないが、話しをする際に彼女がどんな話題を振ってくるのか手に取るように分かってしまいそうだ。

 

まあ、出身とか色々と聞かれた時には、怪しまれない程度に誤魔化してやればいいだろう。此方が少しでもばらさなければ、確実に分からない事だろうから。

 

そう思いつつ、事前に渡されていた歯ブラシ等で歯を磨いてから、再びベッドに戻ってゆっくりと身体を横たえる。

 

眠り過ぎたせいか、目がさえてしまっており眼を閉じようが一向に眠くならない。

 

壁に掛けられた時計に目を向けてみるが、現在22時を回ったところ。寝るにはまだ早いかなと思ってしまうが、暇を潰す事が他に無いため、大人しくベッドに入ることしかできないのだ。

 

ノートPC等を使って色々とゲーム等をすることもできるだろうが、ソレだと彼女に対する警戒から無防備になるために、オススメできない方法だろう。

 

そして、この時点になって俺は漸くもう一つの足りないモノに気がついたのだ。

 

思わず

 

「あっ!?」

 

と、声を上げてしまう。

 

俺は慌てて口を押さえながら、出口のドア付近に目を配ってみる。

 

すると、やはりない事に気が付く。俺はソレがどこかに無いか必死に壁に目を向けて行くが、それらしいものは全く見当たらず、思わず眉を顰めてしまった。

 

そう、スイッチ。

 

夜、この暗い時間において室内を照らすには、十分な光が必要である。勿論、この幻想郷に電気などは通っていないのだから、電球など無い。

 

しかし、この部屋は非常に明るく、ソレが電球とは別の何かによって齎されている者だという事が分かる。

 

小さなシャンデリアから、時折チリチリと光が不安定になるが、明らかに蝋燭などよりも光量が大きい。

 

恐らくこの部屋に限らず館の全てにこの方式が使われているのだろう。見た限りでは分からないが、魔法の類を使用していると思われる。

 

だが、それは就寝するには余りにも光量が大きすぎるため、寝ようと思っても寝られないのだ。

 

だからソレを消そうと思ったのだが、ソレを操作するモノが無い。

 

俺はちょっとした苛立ちを覚えながら、ゆっくりとベッドを降りて出口に近付いて行く。勿論、俺の目に狂いはなく、手で触るように壁を探ってもスイッチなど何処にも無い。

 

この時間帯では、レミリアが起きて色々と執務などをしたりするのだろうが、人間の俺は逆に就寝の時間なのだ。もし、これを配慮して作られていないなら、何とも変な欠陥だなと思ってしまう。

 

まあ、それは恐らく無いのだろうけれども。

 

そんな事を思っているうちに、突如目の前が真っ暗になってしまう。

 

「うあっ!?」

 

突然の暗闇が出来上がった事に思わず俺は呻くような声を上げてしまう。

 

停電を経験した事のある人なら分かるだろう。今まで明るかった場所が一瞬にして暗くなってしまったら、驚く事に。

 

俺は思わぬ出来事に多少の苛立ちを覚えながら、懐中電灯を創造して照らしていく。

 

勿論、光が弱くなっているとはいえ、反射光で部屋の全体を薄暗く照らしてくれているので、その全容は把握できる。

 

電灯の光を頼りに、ゆっくりとベッドに近づいて靴を脱ぎ、身体を横たえて行く。

 

何の連絡も無しに部屋の電気を消されては、此方としても溜まったものではない。せめて消灯時間等を教えてくれれば、此方としても行動の計画が練られたというのに。

 

仰向けの身体を横に向かせながら別の事も考えてみる。

 

もしかしたら、この部屋の灯火は元々何らかの術式で自動的に操作されており、ある一定の時刻になったら電灯のON、OFFの操作を行うのかもしれない。

 

この考えが正しければ、疑った事を心の中で詫びなければならない。

 

とはいえ、このような事を考えていては、眠ることもできなくなる。まあ、目がさえてしまっているからこのような事をしてしまうのだが。

 

一応能力で電灯を創造して明かりを灯すこともできなくはないが、ソレだと無駄に力を使ってしまう事は自明の理であるので、流石にそこまではしない。

 

暫く目を瞑って睡魔が襲ってくるのをひたすら待とう。

 

そう思いつつ、俺は目を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いくらこのベッドの寝心地が良いとはいえ、流石に此処まで目がさえてしまっていては、眠る事さえできない。

 

目を瞑っていても全く睡魔が襲ってこず、ひたすら身体を捩らせたりゴロゴロとさせて行くばかりになってしまったのだ。

 

何とも奇妙なこの時間。頭の中では眠らなければならないと話かって居るのに、無意識化では身体が覚醒してしまっている。この乖離した感覚に段々と不快感が増してきてしまい、ついに俺は目を開けてしまった。

 

「くそ……寝られない」

 

そう文句を垂れるのは仕方がない事であろう。

 

再び頭を横向きにしてから、今何時かと懐中電灯をつけようとした瞬間。

 

カチリと何か金属が擦り合わさったようなのような短い音がして来たのだ。

 

(なっ!?)

 

そして、この音共に俺は瞬時に懐中電灯を消滅させて薄く目を開けながら何処からその音が聞こえてきたのかを探って行く。

 

すると出口の方面から細い光が漏れだしてきた事に気がついた。

 

(誰かが入ってくる……?)

 

薄眼であるため少々分かりづらいが、出口のドアが徐々に開いてきているのだろうというのが分かる。

 

この現象は人為的なモノ以外考えられないので、誰かが此方に侵入してくる以外に開かないという答えに辿りつく。

 

やがてドアが完全に開かれた状態となり、人が入ってくるのが光の加減で分かるようになった。が、逆光のせいもあるのか、誰が入ってきたかまでは把握できない。

 

だが、侵入者は随分と身のこなしが軽いようで、全く音も立てずに歩いているようだった。

 

(流石に目を開けているとばれるか……)

 

そう思った俺は完全に目を閉じる事を決意して、薄眼から全閉へと移行する。が、誰が此方に近づいているのか、そして何をされるのか分からない状況では、恐怖心が一気に首を擡げてくる。

 

もし何か害的干渉があれば、領域がすぐに防いでくれるはずなので、幾分かは恐怖が薄れる。

 

それでも怖いと思ってしまうのは、人間であるからといえよう。

 

ソレを相手にさとられない様に、規則正しい呼吸音と寝返りをうってから、自分は寝ているとという事をアピールしていく。

 

すると、段々と此方に近づいているであろう人の気配が、少し早く大きくなる。

 

もう此方のすぐ傍に近づいているのだろう。細かく、浅い息遣いが時折聞こえてくる。

 

一体この人物は誰で何が目的なのだろうか? 俺はただその事だけが気になる。俺に対して何かしらの害を与える行動は取らないとは思うが、可能性は0ではないため、何とも精神衛生的に悪いとしか言えない。

 

どんどん精神が摩耗していくのを感じつつ、ひたすらこの沈黙を守っていると、やがて此方に近づき切ったであろう人物が声を発し始めた。

 

「寝ているようね……」

 

耳を澄ましていない限り聞こえないか程の小さな声。だがこの暗闇であり、双方が静かにしていた時に発せられた声なのだから、十分に把握する事が出来た。

 

声の主は、咲夜。

 

一体どうして此処に咲夜が来ているのかは分からないが、とにかく何かしらの目的があって此方に来た事は確かであろう。

 

「ほ…………ね……お休みなさい、しば…………休…………で」

 

聞こえるか聞こえない声で何かを発すると、一瞬にしてその気配が掻き消えてしまい、部屋に入りこんでいた光も一瞬にして途切れてしまっていた。

 

俺は光が途切れ、気配が消えてもその場で暫くじっとしていた。念のためというやつではあるが、しないに越した事は無いだろう。

 

頭の中で30秒を数えてから、眼を開けてみる。

 

すると、やはり真っ暗な部屋が俺を出迎えてくれる。瞳孔が開いているためか、部屋の暗さは幾分かマシなモノになっており、俺は上半身を立てて先ほどの言葉を思い出していく。

 

「寝ているようね……」

 

そして

 

「お休みなさい……」

 

他にも何かを言っていたような気がするが、聞き取れたのはその単語のみ。

 

何とも情けない事に、俺の耳はそこまで高性能ではなかったようで、極微弱な音声を聞きとるには至らなかったようだ。

 

だが、彼女は俺が寝ている事を確認してから言った言葉なのだろうから、俺が起きていては言う事が出来ない内容だったのだろう。

 

そして、俺が完全に寝ているかどうかの監視を含めて此方に来た。それは確かなのだろう。でなければ一々この部屋に来る必要など無いはず。

 

彼女の行動に多少の疑問はあるのだが、ソレを一々考えていてはキリが無いので、それは捨て置く。

 

が、監視の意味も込めて此方の部屋に来たのであれば、俺が部屋から出ていない事を確認したかったのか。それとも単に体調を確認しに来ただけだったのか。

 

考えられる事はいくらでも出てきそうだったため、今一彼女の行動を理解できない。

 

俺は溜息を吐くと、ジッと緊張していたためか程良い疲れが身体を包んでいる事に気が付き、そのまま横になって目を閉じる事にした。

 

 

 

 

 

 

 

ゆっくりと忍び寄る時、私の眼には彼が眠っているところしか映っていなかった。霊力によって視界を確保し、彼の姿を完全に把握していた。

 

時折寝がえりを打つ姿は、本当に気持ち良さそうにしており、熟睡しているという事を如実に表していた。

 

「眠っているようね」

 

そのように思わず呟いてしまうほど。だが、この男は後2日の命。御嬢様を守るためにも襲撃してきた人型の妖怪等を殺した事はあるが、本物の人間を殺す事等私には初めての事であり、少々緊張する。

 

相手を殺す時には躊躇うなと御嬢様やフラン様等に教育されてきたが、いざその期日が迫ると緊張度は右肩上りである。

 

遠い昔……10年程前だったか。私は誰かに妖怪から助けられたらしい。助けてくれた者達は嘘を吐き、そしてどこかへと去って行った。

 

ただ、その時の恐怖が私の記憶を引っ掻き廻してくれたおかげか、私の頭の中にその者達の顔は存在しなくなってしまっていた。

 

そしてその時の恐怖を二度と味わわない様に心を凍てつかせる訓練も行ったが、どうやらそれは此処に至って効果を発揮してくれないらしい。

 

だが、御嬢様が望んだ事は完遂せねば、従者である資格など無いし、むしろそれは喜んでするべき事である。

 

普段は血を少々抜き取って、館外に放出する形をとっている紅魔館だが、今回ばかりは事情が事情である。

 

御嬢様がこの男の血を猛烈に欲しているため。

 

人里へ博麗の巫女を通じて人間を餌にしているという事を更に根付かせるため。

 

紅魔館の威厳を更に上げ、幻想郷における影響力を示すため。

 

そして、自殺願望者と思われるこの男を屠殺する事によって、死への願望を成就させるため。

 

例え御嬢様が起こす異変が博麗の巫女によって解決されようが、この行為によって紅魔館に齎される利益は莫大なモノであり、マイナスを補って余りあるモノなのである。

 

だから、自然と私に伸しかかってくる責任も重いのだ。

 

そしてそのために犠牲になるこの男を見ているとつい

 

「本当に哀れね…………お休みなさい、束の間の休息を……」

 

そう言葉を口にしてしまうのだ。

 

最早彼は唯の血袋である以外に価値は無いし、御嬢様の糧になって死ねるのだから幸せな事だろう。

 

ゆっくりと私は振り返り、そのまま時間を止めて持ち場へと戻って行った。

 

 

 

 

 

 

 

朝目覚めて、自分の身体をチェックしてみる。

 

腕、胴体、頭、顔、そして脚。

 

昨日の事があったので、何かされていないかと疑ってみたが特に何も無く。この心地よいベッド空の快適な起床のみが感覚として残る。

 

ゆっくりと自分の身体をベッドの端に移動させ、靴を履いて窓へと近寄る。

 

朝日が昇っているのは当然のことではあるが、昨日と変わらず外に人の影は無い。本当にこの紅魔館周辺は通行人が少ないらしく、閑散としていると居ても過言ではない。

 

人口のほぼ100%が人里に集中しているのだから、無理もないだろうが。

 

そんな事を想っているとドアがノックされて声が聞こえてくる。

 

「おはようございます大正様。御目醒めになられましたか?」

 

「はい、おはようございます十六夜さん」

 

そう返事をしていくと、ドアが開き、銀の皿とクロッシュを乗せた台車を押して入ってくる。

 

思わず昨日の事を聞いてみたくなるが、あの時俺は寝ていたという設定だしソレを前提に彼女はこの部屋に入ってきたのだろうから、トラブルの元になりそうだと判断して心の内にしまっておく。

 

「大正様、良く眠れましたか?」

 

と、朗らかな笑顔を浮かべて聞いてくる咲夜。

 

勿論、寝ていたという事が前提なので

 

「ええ、ベッドが凄く心地が良くて、朝までぐっすりと寝てしまいました。ありがとうございます何から何まで……」

 

そう言うと、咲夜は少し照れたように笑いながら

 

「そんな、御世辞を。大した事はしてはおりません。唯人が倒れていたら助けるのが人情ですから」

 

何とも耳に心地のいい事を離してくれる。彼女の言葉がリップサービスだとしても、それは十分に俺の心を温めてくれる物であった。

 

そう俺が彼女の言葉に印象を抱いていると、ふと思い出したように

 

「ああ、すみません。朝食を御持ちしていたのでした。サンドウィッチですが、宜しいでしょうか? 二日目ですので、これぐらいなら消化できると思いまして」

 

そう言いながらクロッシュを取り、中身を見せてくる。

 

中身はコンビニに売っているような卵フィリングを挟んだ物や、ポテトサラダ、トマトレタスサンドなど。だが、質は全く違うものに見える。

 

具材はボリューム満点、見た目からして美味しそうであり、食欲をそそる。勿論、食べてみない事には味は分からないが。

 

とはいえ、メイドの全権を任される咲夜が作ってくれた朝食なのだから、美味しい以外に選択肢など無いのだろうが。

 

俺はゆっくりとサンドウィッチを見てから、咲夜に返答をしていく。

 

「ありがとうございます。丁度お腹が減っていたところだったんですよ」

 

すると、その返答が嬉しかったのか、咲夜も頷きながら

 

「それは良かったです。今朝は量を少し多めにしてみたのですよ?」

 

その情報は本当にうれしい。見た目からして量が多いというのが分かるが、満腹感とは別の満足感を満たすにはもう少し量があった方が丁度いいと思っていたのだ。

 

俺はありがとうございますと礼を告げてから、ベッドに座ってサンドイッチに手を付け始める。

 

咲夜は俺の姿を微笑みながら見た後、一礼をしてから

 

「では、食べ終わった頃に下げに来ますので、どうぞごゆっくり」

 

そう言って出て行った。

 

 

 

 

 

 

 

「さてと、録音してみるかな」

 

俺はICレコーダーを創造して録音の準備をしていく。

 

昼食が終わり、特にすべきことの無い今だからこそ進められる準備。

 

この目的としては、俺が風呂に入っている時にさとり達の住んでいる地霊殿に連絡を取るという事なのだが、それには一つ問題があった。

 

俺が入浴中にこの部屋に咲夜が入ってきた場合である。

 

もし話しが長引いた場合、長時間風呂に入っているという事と同義なので、咲夜に怪しまれる可能性がある。

 

その場合……無いとは思うが、何時までも出てこない事が分かると、踏み込まれる可能性も無きにしも非ずなので、念のために歌を録音しておくのだ。

 

この歌を、俺が地霊殿に行っている間に流す事によって、咲夜の注意を逸らすというモノ。作戦という大層なモノではないが、やらないよりは遥かにマシだと俺は思って、試そうと思っているのだ。

 

彼女がこの部屋に来ていない事を祈ってから歌って、その声を録音していく。

 

内容は5曲で20分ほど。休憩を各曲ごとに20秒入れているので、21分程になる。

 

この20分程度の時間の中で、俺は彼女達に自らの身の安全の説明と、バッグを取られている可能性、自分の居場所、どのような状況下におかれているかを説明しなければならない。

 

だが、地霊殿にさとり達全員がそろっている可能性もある訳ではない。最悪さとりが居ればとりあえずは安心なのだが、居なかったらもう無理だろう。諦めるしかない。

 

俺はゆっくりとICレコーダーを服の中にしまい、時間が経過するのをひたすら待つ。暇なので寝たり持ってきてもらった本を読んだりするしかないのだが、それでも時間の流れが遅く感じてしまうのは、この一室に長くいるせいだろう。

 

他の部屋に行ったりすれば、時間の経過が早く感じたりするのだろうが、ソレも今のところは期待できない。

 

ゆっくりと読書をしながら、夕食を待つしかないなと思いつつ、俺は時間を潰していった。

 

 

 

 

 

 

きっかり19時に夕食を持ってきた咲夜に、俺は口を開く。

 

「ああ、そうだ十六夜さん。少し質問いいですか?」

 

すると、咲夜は少し首を傾げた後に、何でしょうかと質問を受ける体勢を取る。

 

「あのですね、風呂って何時入っても良いんですよね?」

 

すると、さも当然とばかりに咲夜はこっくりと頷いて

 

「ええ、何時でも構いません……」

 

一体どうしてそんな事を聞くんだとでも言う様な感じで答えてくる。もう少しだけ。後一つだけ聞いたら俺は質問をやめておこう。

 

そう思いながら、俺は再び彼女に向かって口を開く。

 

「それでですね、結構自分は長時間風呂に入るタイプなのですが、それでも平気ですかね? 昨日はささっと済ませたのですが……」

 

一応、昨日の時間が短かったという事を話しつつ、怪しまれないように長時間風呂に入りたいという旨を告げて行く。

 

すると、彼女は合点がいったかのように両眉を浮かせてからニッコリと笑い

 

「ええ、それでしたら御気になさる事は御座いません。ごゆっくりどうぞ」

 

と、何とも嬉しい事を言ってくれる。

 

こちらとしても、彼女がこの話を信じてくれたら、非常に好都合であり、行動を起こしやすい。

 

思わず笑みを浮かべてしまいそうになったが、グッと堪えて礼を言う事にする。

 

「ありがとうございます。やはり寝ている事が多いと、身体が固まってしまいまして……ゆっくりと風呂につからせて頂きたいと思います」

 

俺は礼をして出て行った咲夜の姿を見届けると、夕食を早々と食って、咲夜が回収に来るのを待つ。

 

この部屋でやる事は本当に少ないため、食事が唯一の楽しみになっていると言っても過言ではない。おまけに人の持ち家のために、煙草を吸う事も出来ないからストレスが溜まり放題である。

 

溜息を吐きながら、回収されるのをひたすら待つと、先ほどと同じく、ノックが3回響き渡り此方に話しかけてくる。

 

「大正様、食器の回収に参りました。宜しいでしょうか?」

 

「はい、どうぞ」

 

何とも繰り返されるこのやりとり。しかし、もう明日でソレも終わると思うと、ホッとする半面、すこし寂しくなるような気持りにもなる。

 

が、彼女は俺の従者でもないし、此処は俺の家でもないので、サッサと帰るのが普通の感覚であろう。唯単にあそこで寝ていただけなのだが、一応外来人だと思って助けてくれたのだろうから、礼をきちんと言わなくてはならない。

 

そんな事を思いつつ、咲夜が出て行ったのを確認してから、ICレコーダーを取り出してもう一度自分の曲がちゃんと確認していく。

 

あまり上手とは言えないが、自分の中では上手く歌えた方ではないかと思う。もちろん、紫とかと比べたら月とスッポンほどに違うだろうが。

 

ゆっくりとベッドから立ち上がって、扉を開け、脱衣所の中に入って行く。

 

しっかりと一番目、二番目の扉も閉めてからレコーダーの音量を最大にして鏡の前に置いておく。

 

そして浴槽と床を仕切っているカーテンを閉じ、その中でシャワーを全開にする。

 

一応、壊れてしまわない様に、レコーダーは薄いビニール袋の中に入れておく。

 

どうか彼女にばれないようにお願いしますと、神頼みを行ってしまう。勿論諏訪子と神奈子に。

 

不敬極まりないと言われてしまいそうだが、これが成功するかしないかによって、俺の精神的な負担が結構違ってくるのだ。

 

そう思いつつ、俺はレコーダーから音楽が流れるのを待つ。

 

数十秒後、俺の軽快な音楽と共に、俺の声が浴室内に響き渡る。時折シャワーの音に消されてしまう事もあるが、基本的に混ざって音が響き渡るので、咲夜にはシャワーを浴びながら歌でも歌っていると思わせる事が出来るだろう。

 

そんな考えを元に、俺はジャンプを決行していった。

 

 

 

 

 

 

 

余りにも時間が無いと判断した俺は、もう玄関の目の前ではなく、地霊殿の内部にジャンプをしてしまった。

 

大変失礼であり、かつ犯罪であるという事は重々承知であったが、それでも今回だけは見逃してもらいたかった。

 

俺は食堂に飛んだ事を把握すると、すぐに目の前のドアを乱暴に開けて、さとりの部屋にまで再びジャンプをする。

 

「さとりさん!」

 

その声と共に、俺は転移を完了する。

 

この時間帯では流石にさとりも中にいたのか、俺の方を見ながら目を丸くしてしまっている。

 

当然のことながら、俺の行為は彼女にとって想定の範囲外のものであり、眼を丸くするのは必然であると言えよう。

 

だが、此方も急いでいるので、長い時間を掛けて謝っている余裕など無い。

 

「耕也っ!? ど、どうしたのですか!?」

 

驚きの声を上げつつ、俺が突然現れた事について咎めと驚きの両方の表現をしてくる。

 

が、此処で俺が色々と焦ったりすると彼女との話しが全く進まなくなるので、俺はなんとか落ち着いた口調で話しを始める。

 

「勝手に入ってしまってすみません、さとりさん」

 

まずは頭を下げてその非礼を詫びる。

 

すると、俺の行動が彼女を落ち着かせる事に繋がったのか、彼女もバタバタさせていた両手をゆっくりと膝に下ろして口を開く。

 

「大丈夫です。貴方が此処に突然来るという事はそれなりの理由があっての事でしょう。続けて下さい」

 

事態を大体は把握してくれているのか、彼女は俺に言葉を続けるよう促してきた。

 

俺はありがとうございますと言ってから今俺の身に起っている事について説明を始めて行く。

 

「はい、時間が無いので手短に。さとりさんの依頼で山菜採りに行ったはいいのですが、途中で気を失ってしまい、気が付いたら紅魔館に収容されていたのです。そして現在、バッグごと行方不明になってしまい、館の外にも出させてもらえない状態です」

 

一応、レコーダーや風呂に入っている時間を考慮しつつ、空き時間を利用してきた事も告げておく。

 

すると、さとりは顔を渋くしながら少し考えるように拳を顎に当てる。

 

10秒程考えた後、さとりは眉を顰めながら返答してくる。

 

「それは拙い状況ですね……耕也は身の安全が保障されているのは周知の事実ですが…………鞄とゼンマイは取り戻せませんか?」

 

時間が無い事を理解してくれたのか、すぐに鞄について言及してくる。勿論、彼女にとって大切なモノが入っているし、ゼンマイも欲しいのだから、聞いてくるのは当然であろう。

 

俺はそのような事を短時間で感じ取り、すぐに返答していく。

 

「それが、私を助けてくれた十六夜咲夜という者は、収容する際に私のバッグを見てないと言っているのですよ……気を失った際には腕に絡まっていたのですが」

 

するとさとりは、俺の方ではなく、天井を物凄い睨みを利かせながら見上げて再び此方を困った顔で見つつ、口を開く。

 

「でしたら、確実に嘘ですね……彼女が確保しているはずです。基本的に眠っている時の貴方は、非常に領域の警戒度が高まるので、奪う事はほぼ不可能でしょう」

 

一体どうしてそんな領域の事を知っているのだろうかと思ってしまい、思わず口にしてしまった。

 

「あの、どうして俺の領域についてそんなに知っているのですか……?」

 

すると、しまったとばかりに口に両手をあてて、閉じるような仕草をするが、すぐにまた落ち着いたような表情にもどし口を開く。

 

「それについては置いておきましょう。とにかく、その十六夜という者が確実に持っているはずです。できる限りで良いですから、取り戻して下さい。……お金も少し弾みます」

 

やはり大事なモノであるらしく、取り戻す事を優先事項に加えてくる。これは当然ながら予想できたことであり、俺もそれに従うつもりである。

 

「やはり嘘を吐いていますよね……? ありがとうございます。…………ソレと、御心配をおかけして申し訳ありませんでした」

 

そう言いつつ、頭を下げて謝罪する。

 

日帰りの予定が、此処まで伸びてしまったのだから、謝るというのが常識であろう。

 

そしてさとりも頷きながら

 

「あまり私に心配を掛けさせないでください。大事な友人なのですから。お空やお燐、こいしも随分と心配していたのですよ? ですが、この状況なら仕方ありません。三人には私から伝えておきますから」

 

この言葉により、やや緊張した空気が弛緩し、ホッとできるような安堵感を齎してくる。

 

「ありがとうございます」

 

そこで、俺は腕時計を見て、残り時間が後少ししかないという事に気がついた。

 

すでにレコーダーを掛けてから17分が経過していた。もうそろそろ戻らなくては。

 

その事を俺は彼女に伝えるために、口を開く。

 

「すみません、そろそろ時間ですので、此処で失礼します」

 

「はい、では気をつけて下さい。まあ、貴方に気をつけてなんて必要ないでしょうけど」

 

口に手を当ててクスクスと笑いながらさとりが俺の言葉に返してくる。確かにその通りかもしれないけれども。

 

「ありがとうございます。では、また」

 

その言葉を言った後、俺はジャンプを敢行して、脱衣所にまで戻った。

 

「不味い不味い時間が無い……!」

 

そう独り言をつぶやきながら、急いで服を脱いで浴槽に突入する。時間を少しオーバーしてしまったのか、レコーダーの再生は止まっており、今までが無防備であったという事を如実に表していた。

 

それに気がついた俺は、すぐさまレコーダーを消滅させて、浴槽に飛び込む。

 

普段なら身体、髪を洗ってから入るのだが、今回ばかりは仕方がない。

 

そして、ソレが幸を成していたのかは分からないが、浴室の扉が大きく叩かれた。

 

ドンドンドン、と三回大きな音で。

 

一瞬にして身体が激しく震え、自分が大きく驚いている事に気が付く。いや、むしろ此処までタイミング良く来るとは思わなかったのだ。

 

そしてその荒いノックが聞こえたすぐ後に

 

「耕也様、いらっしゃいますか?」

 

少し焦ったような声色で問いかけてくる咲夜。やはりレコーダー程度では彼女の鋭い勘と思考速度には打ち勝てなかったらしい。すぐに怪しいと判断してきたのだろう。

 

もう少し遅れていたら、一体どうなっていた事やら。

 

俺は慌てて

 

「はい、いますよ!」

 

大きな声で返事をしてしまう。

 

すると、咲夜はえ? というような声を一瞬呟いたかと思えば

 

「あ、い、いえ。いらっしゃるならそれでいいのです……失礼いたしました。……大正様が入っている間、部屋の掃除をさせて頂いても宜しいでしょうか?」

 

「どうぞ」

 

間一髪だったかもしれない……バレていたらバッグ等が取り返せなくなるし、地底出身だの何だのを話さないといけない可能性もある。

 

無駄に事を荒立てるのは良くないはずだし、どうせ明日か明後日には解放されるはずなので、このような事はこれっきりにしたい。

 

そう思いながら、俺は肩まで湯船に沈めた。

 

 

 

 

 

 

 

「失礼いたします、大正様」

 

私は彼の部屋の掃除をするために、部屋を訪れる。否、掃除をするだけではなく、健康状態の把握、監視の意味も含めて訪れるのだ。

 

彼の健康状態が向上するに従って、血の質も更に向上するという事は明白なので、彼にはどんどん元気になってもらいたい。

 

そう思いつつ、私は目の前のドアのノブを開けてから、ゆっくりと入って行く。

 

入って行くと同時に、微かな音声と、水の流れる音がこだましているのが聞き取れた。

 

返事が無かったのは、やはり彼が風呂に入っているからだという事なのだろう。先ほど長風呂をしても良いですかと言ってきたのだから。

 

身体のコリをほぐし、血行を良くして、更に血の質向上を目指す。食べられてしまう自分をもっと美味しくしようと努力する血袋。

 

一体どこの料理店だと思ってしまい、思わずクスリと笑ってしまう。今回は、クリームを身体に塗るのではなく、垢を落すために肌を擦るのだろうが。

 

そして私は表面の目的である清掃を行っていく。

 

壺や絵画の上部、時計に至るまでの全ての装飾品に対して念入りにハタキで埃を落す。

 

毛先が非常に細い箒等を使い、更にそれらを集めてチリ取りに入れて、綺麗にしていく。

 

ふと、私はある違和感に気がついたのだ。

 

浴室から流れてくる音楽……いや、大正耕也の歌っている曲。

 

歌を歌う事自体に文句がある訳ではないのだが、その歌い方が何かおかしい。

 

既に3曲目に映っているのだが、その音量が一定な気がしてくるのだ。普通なら、風呂に入ると水圧により少々肺が縮小する。そのため、歌い方に変化が表れるはずなのだ。

 

おまけに、シャワーから水が出る音が鳴りやまない。何時まで経ってもだ。10分以上同じ音が流れ続けているのはあまりにも不自然であり、ソレが歌への違和感を更に増大させる。

 

シャワーを浴びているのなら、音の変化があるはずで、更には歌もくぐもったり途中で途切れたりするはず。

 

普通では考えられない現象に、私はしばしその場で立ち尽くしてしまう。

 

ジッと聴覚に集中させて音を聞き逃さない様にしていく。

 

温泉に関する歌のようだが……下手ではないが、上手くもない。そして、この曲が終わった時に次の曲が流れるのを待つ。

 

20秒程の間隔。違和感がもう一つ判明したと言える。

 

この前もそうであったし、更にその前も20秒の間隔をあけて次の歌に入るのだ。普通だったらあり得ない。意図的にこのような事をしない限りはあり得ないのだ。

 

いくらなんでもこれは風呂で歌うような間隔ではない。もっと短かったり、もっと長かったりするはずなのに、一定の間隔をあけているのだ。

 

そしてこれらの違和感から推測できる一つの答え。

 

その答えに辿りついた瞬間に、身体が氷に包まれてしまったかのように冷たくなるのを感じる。ぞっとするような寒気。

 

冷や汗がドバッと身体中から湧きでてくるのが嫌でも分かった。

 

それは、あり得ないという事が分かっているのに、創造してしまうのだ。あってはならないし、ある筈がない。

 

そしてそれは彼にとっては不可能な行動であり、そのような道具も無い。

 

だが、それははっきりくっきりと私の脳に浮かべ上がっていた。

 

「彼がこの部屋から脱走した」

 

口に出してしまうほどのとんでもない答え。

 

汗が垂れて床を濡らしていく。

 

居ても立ってもいられなくなり、私は足早に脱衣所の方へと向かって行く。

 

5曲目が終わって少し経つが、中のシャワーが止む気配はない。

 

また、近づいてみると分かるが、人の声で此処まで変な響き方はしないというのが私の脳内に浮かんでくるのだ。

 

考えてみればそうであった。アレは人間の出すような声ではなく、何とも無機質な声であったと。

 

ゴクリと唾を飲み込んでから、脱衣所のドアを開けて行く。

 

いない。勿論此処にはいないだろう。風呂に入っているのならば。

 

ゆっくりと風呂場と脱衣所を仕切るドアへと向かい、少し荒めにノックしてみる。

 

「大正様、いらっしゃいますか?」

 

大きめな声を掛けて。

 

すると、シャワーが止んで中から声が聞こえてくる。

 

「はい、いますよ!」

 

そのような声が。

 

その瞬間、張り詰めていた緊張感が一瞬にして弛緩していくのを感じ、ドッと安堵感が心を満たしてきた。

 

「あ、い、いえ。いらっしゃるならそれでいいのです……失礼いたしました。……大正様が入っている間、部屋の掃除をさせて頂いても宜しいでしょうか?」

 

「どうぞ」

 

そうだ、いないわけがない。彼が脱出できる何て事は絶対にあり得ないのだ。

 

御嬢様の為の食糧なのだから脱出されては私の面目が丸つぶれになってしまう。しかも、この男は御嬢様が絶対に飲んでみたいと言うほどの血の持ち主。

 

決して逃してはならない。明後日が決行日なのだ。それまで何とか男を此処に留めておかなくては。

 

そう思いつつ、私は汗を拭って掃除を再開した。

 

 

 

 

 

 

 

 




今回の話しはいかがでしょうか? もし宜しければ、御感想を宜しくお願い致します。

ちょっと心配なのが、マンネリ化してないかなあということですが、もししてると思った方は、遠慮なくお書き下さい。


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106話 朝起きたら吃驚した……

最新話であります。どうぞ。


確かにルール通りにはいかないかもしれないけれども……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

意識が次第に覚醒へと向かって行く。

 

瞼の外側は既に明るさを取り戻しており、もう朝だという事を俺に知らせてくる。

 

もうココまで来ると目を覚ませざるを得ないので、大人しくそれに従って目を開けて行く。

 

「少しまぶしいな」

 

そうしゃがれた声で呟くと、俺はゆっくりと上半身を起こして景色の把握に努めて行く。

 

目覚めたばかりで開けにくい目をゴシゴシと擦り、室内の明るさに慣れさせていく。とはいえ、そう短時間で目が慣れるという訳でもなく、この覚醒直後の気だるさも手伝って片目までしか開ける事が出来ない。

 

閉じては開け、閉じては開け。

 

そう何回かやっていると漸く両目とも瞳孔が狭まり、漸くぱっちりと開ける事が出来るようになる。

 

そうだ、今日は三日目。……いや、丸一日寝ていたという事を含めると今日が4日目という事になるはずである。

 

漸く解放される日が来るのだという事を知ると、少し嬉しくなる半面、どのようにして荷物を取り返そうかと悩む自分がいる。

 

何せ、相手はレミリア・スカーレット。俺をすんなり返してくれるのかという僅かな不安もある。

 

俺はそんな事を考えつつ、ゆっくりと息を吐き出してから、周りの状況の把握に努める。

 

「ん?」

 

思わず、そんな素っ頓狂な声を上げてしまった。

 

朝起きてみたら、いつもとは景色が違う。違和感がある。そんな印象をこの部屋に覚えたのだ。

 

そして、それはすぐに俺の中で具現化して、答えを導き出してくる。

 

「ああ、部屋が何時もより赤いのか……」

 

ん? 部屋が赤い?

 

それは単純な答えであったが、単純であったがゆえに理解するのに時間が掛かってしまった。この部屋が赤いという現象が一体何を意味するのか。

 

考えてから数秒。本来ならもっと早く気付く筈であったが、起きてすぐの頭では中々答えが浸透していかなかったのだ。仕方のない事であろう。

 

そして、その答えが頭の中に浸透しきった時、身体がまるで石化したかのように固まり、布団の温かみが一瞬で消え去って行くのが分かる。

 

次いでこのほわほわした温かみが凄まじい勢いで抜けて行き、まるで裸のまま吹雪の中に放り出されたかのように身体が冷たくなっていくのを感じた。

 

数瞬の後、身体が条件反射の様に布団を蹴り飛ばし、俺は慌てて窓にまで近づいて行く。

 

(冗談だろ……?)

 

俺の視線の先に広がっていたのは、視界の殆どを埋め尽くす赤い霧であった。

 

薄らと森は見える程度の透過度は確保されてはいるモノの、これでは余りにも目に毒である。

 

脳内部まで犯されそうなこの毒加減に、俺は思わず顔を顰めて振り返って、部屋の中に視線を移していく。何とも言えないこの気持ち悪さを解消しようとしてみた物の、先ほどの真っ赤な光景が目に焼き付いてしまって、中々解消しない。

 

いや、むしろ霧のせいで部屋の中が薄紅くなってしまっているので、部屋にまで紅い霧が侵食してしまっているのではないかと錯覚しかけて余計に不安になってくる。

 

領域があるのでこの霧は俺に対して何の害も及ぼしはしないが、それでも気分的に嫌になるのは必然である。

 

俺は現状にそう感想を付けながら、今自分の置かれている状況について考えを巡らしていく事にする。

 

(紅魔郷が始まるという事は、もうそろそろ霊夢達が動き出すはず。……いや、確か当日に動き出すという事は無く、数日後に動き出していたはず。ならば、俺がこの霧と付き合って行くのは更に長くなると見るべきか……?)

 

いや、俺がさっさとレミリア達から荷物を取り返せばいいのだが……。

 

俺が取り返せばいいという考えは当初からあったものの、俺の視線の先にある出口から先に出られなければ全く意味がない。

 

隠密にでるとしたらジャンプしかないのだが、あいにく彼女が入ってくる時にしか外側を見る事が出来ないし、それに彼女が邪魔になっているせいで、余り良く見えない。

 

そんな事を考えながら、俺は少しだけ怒りというか……苛立ちの様な物を頭に抱いているのを自覚してくる。

 

というよりも、俺が此処に何時までもいるという事自体がおかしいという事である。この3日間回復させる、療養させるという名目上でこの部屋に閉じ込めているのは良いが、ソレがあまりにも長いと感じているのだ。

 

確かに俺の体力が回復仕切っていないと判断しているのならばソレも致し方なしと判断するべきかもしれないが、彼女の目の前で俺はハキハキと話したり、自分の

 

第一この霧を発生させた時点で俺の帰還が妨げられているのだ。怪し過ぎると疑う方が自然と言うべきだろう。

 

さとりの俺の考えが一致していたあの「嘘」という事も鑑みると、どう考えても俺を療養する為とは考えられない。むしろ俺を此処に閉じ込めるためといった方が正しいと見るべきだろう。

 

もっと早くこの考えを固めるべきであったが、10年前のあの光景やらここであったあの朗らかな笑み、そして何よりももう少し信じてみたいという気持ちがそれを抑制していた。

 

此処に閉じ込める理由で考えられる物としては、もう一つぐらいしか見当たらない。

 

「俺の事を……考えたくないがそう考えるしかないのかなあ」

 

やはりそれしかあるまい。俺が寝ていた時は、勿論浮浪者……とは言わないが、それに近い様があったのかもしれない。どちらにせよ俺がこの場に連れ込まれたのは、恐らくそう言った目的だからだろう。

 

だとすると、彼女が起こしている行動や、レミリアの起こしている異変は全て納得がいく。勿論、俺に対してのみ異変を起こしている訳ではないだろうが、それでも厄介である事に変わりはないだろう。

 

もし俺の垂足が正しければ、今日あるいは近い日に俺を処理しようと行動に移すはず。

 

俺は此処まで予想した所で、まるで死刑囚ではないかと思ってしまい、思わず小さく笑ってしまう。

 

とはいえ、これ以上此処にいたら精神的にも肉体的にも色々と宜しくないので、処理をするために来るのであればサッサと来てほしい。

 

まあ、これまでの推測が外れて実は異変が終わってから解放してくれるなんて事も無いとは言い切れないので、気長に待つべきなのだろう。

 

此処で変な行動をとって咲夜に怪しまれるよりも、無知を演じていた方が色々と身のためになるだろうし、これから起きる事にも対応しやすい。

 

ゆっくりと窓から遠ざかって、ベッドに腰掛けて行く。

 

壁掛け時計に目をやると、まだ午前の6時55分である。咲夜が飯を持ってくるのはもう少し経った7時丁度。

 

5分程度の猶予はあるので、ソレの間に歯を磨くなり何なりして時間を潰すのが最善であろう。

 

そう判断して、俺はこれまたゆっくりと立ち上がって洗面所に向かって行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「大正様。そろそろ全快になっているころだと思いますので、御昼はお好きなモノを御作りいたします。何が宜しいでしょうか?」

 

朝食を食べてから暫くして、咲夜が俺にそう話しかけてきた。

 

あれ、ちょっと推測と違っているのかなとも思っていたが、まだ外れ切っている訳ではないので、安心して良いと判断する。

 

俺は咲夜の言葉に、違和感のないように嬉しそうな笑みを浮かべて返事をする。

 

「おお、好きなモノですか? 本当に好きなモノを食べても良いのですか?」

 

すると、先やはニッコリと笑みを浮かべて、コクリと頷いて此方に言葉を返してくる。

 

「ええもちろんです。大正様が全快したならば、普通の食事もなさった方が宜しいでしょうから、此処は一つ大正様の一番御好きな食事を一番豪華にしてお召し上がりいただきたいと考えております」

 

一番好きなモノを一番豪華なモノにして食べさせる……か……。

 

先ほどまで考えていた事と結びつけると、本当にあの言葉が似合うな。

 

俺はあまりにもピッタリと合ってしまったため、笑みを浮かべてしまいそうになるが、そこはぐっと抑えて一つのフレーズを頭に思い浮かべるだけにする。

 

(死刑囚の為の最後の晩餐)

 

アメリカで行われている制度だったもので、死刑囚が最後に自分の好物などを口に運んで、この世での最後の楽しみを味わう制度だった。

 

だったというのは、現実世界では既に廃止されている制度であるためだ。

 

しかし、この状況があまりにもソレと合致しているため、笑ってしまいそうになったのは仕方がない事だろう。

 

俺はその考えをしまいこんでから、どんな料理を彼女に頼もうかなと考え始める。

 

(ま、此処は無難に蕎麦でもいいかな)

 

幻想郷で手に入れられる素材はそこまで多くはないだろうから、俺としては作りやすい料理を選んだ方だと考えて、彼女にその決定案を伝える。

 

「そうですね、でしたら蕎麦を食べたいと思います……月見てんぷら蕎麦です」

 

すると、彼女は俺の答えが意外だったのか、眼を少々見開かせてから

 

「それで宜しいのでしょうか……? もっと豪華なモノが宜しいのではないでしょうか……? 例えば霜降り牛のステーキや、寿司等もご用意できますよ……?」

 

彼女の想定していた料理とはかけ離れたメニューだったためか、聞き返されてしまった。確かに最後の晩餐だったらファストフードの蕎麦ではなく、ステーキ等を食べるべきなのかもしれない。

 

まあ、特に可笑しな注文ではないだろうから、俺はそれを改めて頼んでみる。

 

「ええ、お願いいたします。全快したと聞いたら無性に蕎麦が食べたくなってしまいまして……」

 

すると、俺の意図を汲んでくれたのか、咲夜は意外そうな顔から一転、柔らかな笑みを浮かべて一礼してから

 

「かしこまりました。では、腕によりを掛けて御作りさせて頂きます」

 

と、返事をしてくる。

 

そしてそのまま何かを思い出したように、両手を静かに重ね合わせてから

 

「そうでした大正様、その昼食をとる際にですが、御嬢様が共に食事をとりたいと仰っておりますので……此処ではなく、大広間での食事となりますが宜しいでしょうか?」

 

何とも申し訳なさそうにしてくるが、俺としては予想外でも何でもなく、想定の範囲内の言葉であった。

 

この部屋で処理するのではなく、彼女の主の前で処理をする。恐らく食事をとった後に何かしらのコンタクトをとってくるのだろう……。

 

そう考えた所で、俺はその時にバッグの在り処を聞けばいいのではないだろうかという考えが浮かんでくる。どうせ処理するのだから、教えてしまっても良いだろうという考えに彼女達は至るはずなので、此方の要望もすんなり通るはず。

 

おそらく俺の予想は当たってくれるはず。俺に対しての情報を全く持っていない彼女達ならば、無警戒で接してくる事間違いないと踏んでいるがゆえにだ。

 

俺はそこまで簡単に短く考えてから、咲夜に了承の返事を伝える。

 

「ええ、喜んで。助けて頂いた御礼も全くしておりませんし、願っても無い事です」

 

できるだけ低姿勢に。できるだけ怪しまれない様に。できるだけ自然体で。

 

咲夜は俺に対して一度だけ礼をすると、そのままゆっくりと後ろを向いて立ち去って行った。

 

さてさて、この後どうなるのやら。

 

そんな事を思いつつ、重く閉ざされた出口をぼんやりと眺めていた俺であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

時計が真上に短針と長針を重ね合わせる時間。正午。

 

ソレがもうそろそろ近づこうとしている。まだ確定ではないが、ソレが俺に対する死刑執行の合図と言っても過言ではない。死刑執行という言葉が俺の脳内を駆け巡っても、此処まで平静を保っていられるのは領域の御蔭以外の何物でもない。

 

俺はその平静に寄っ掛りながら、咲夜から配られた本の一冊に目を通している。

 

題名は、世界のカニ料理全集。

 

持ち運ばれた時には、目が点になっていたが、暇つぶし程度には面白いと思って読んでいた。

 

そして、そろそろこの本の無いようにも飽きてきたため、別の事を考え始めている俺がいる。

 

そう、紅い霧の事である。勿論それが発生したのは俺が寝ている間に違いは無いので、何時頃発生したという正確な認識は不可能である。

 

しかし、窓から見た景色から鑑みると、明らかに妖怪の山にまで広がっていると見て間違いないので、広がった速度はかなりの物であろう。

 

また、確か人里にもその霧は侵食したため、ソレが元となって人々が家にこもったという事も関連書籍に書かれていたはず。

 

まあ、もし俺が巫女が来る前に色々と危害を受けるのであれば、サッサと情報を聞きだして荷物をとり返して逃げるだけだが。

 

そう考えつつ、またページをピラリとめくって、ひたすら時間が流れるのを待つ。

 

そう言えば、咲夜は本当に俺の事を覚えていないのだろうか?

 

ふと、そのような疑問が頭の中に浮かんできた。

 

10年以上前だから記憶から抹消されていると考えてしまえばそれまでなのだが、人間はふとしたきっかけでソレを思い出してしまうモノである。

 

もし、俺の処理の最中、あるいはその前に俺の事を思い出したら一体どうなるのだろうか?

 

レミリアの命令に背くのだろうか?

 

それとも俺の事に気付きながらも忠実に彼女の命令をこなすのだろうか? 俺の血を彼女に献上するのだろうか?

 

まあ、俺は魔法を使えるわけでもないから彼女の記憶を掘り起こす事は叶わないのかもしれない。しかし、そのきっかけを作る事はできる。

 

塚田博人といった偽名を彼女に名乗っていたのだから、ソレを彼女に言ってしまえば、何かしらのアクションはとってくれるかもしれない。

 

不明瞭な事だらけで正直な所自信は全く無いが、それでもなるべく彼女達と争いたくはない。今後色々と関わる可能性もあるのだから。

 

が、実際に処理云々が行われるのならば、そんな甘い事等言ってはいられないだろう。全力で抵抗しなければ荷物も取り返す事はできないし、ましてや敵に対してグチグチ言っても意味を成さないのだろうから。

 

自分のとるべき行動を定めてから、俺は本から目を話して空中に向かって言葉を放つ。

 

「紫?」

 

俺が此処にいることなんて彼女にとってみれば間違い探しよりもずっと簡単に分かる事だろう。どうせ彼女は俺の行動を逐一チェックしているのだから。

 

が、言葉を放っても全く反応が帰ってこない。

 

「紫、どうせ見てるんだろう? 今ここには誰もいないんだ。出て来ても良いでしょうよ」

 

と、外に漏れないと思われる程度の声で呼んでみるが、全く出てこない。

 

どうせ俺のあたふたする様を見て爆笑しているのかもしれないが、幻想郷の危機が迫ったらちゃんと仕事もするだろうし、問題はないのだろう。偶には助けてくれても良いと思うのだが……血も分けてるし、紫なら俺の荷物の在り処なんてすぐに分かるだろうし。

 

とはいえ、出てきてくれないのなら仕方がない。此方の力で何とかするしかないだろう。孤軍奮闘なんて今までに何度もあったのだから、場馴れしてはいる。

 

俺はふう、と溜息を吐いて本をベッドに置いて窓に目をやる。

 

(朝よりも更に濃くなってるな……)

 

最早視界が殆ど効かないレベルにまでなっている。此処でこのレベルの濃さなら、人里あたりも相当な濃霧になっている可能性が高い。

 

まあ、どの道異変に関しては霊夢が解決するのだろうという考えが押しのけてでてきたので、それに従って視線を再び真正面に戻す。

 

すると丁度カチリと言う音と共に、時計から12時を知らせる音楽が鳴り始める。

 

軽快な音共に、正午であるという事を知らせると同時に、咲夜がこの部屋に来るという事を認識させる。

 

そして認識したと同時に、ドアがノックされ、咲夜が入ってくる。

 

が、俺の視線の先にいた咲夜は先ほどまでの咲夜とは全くの別人かと錯覚してしまうほどの変わり様がそこにあった。

 

数時間前まで健在していた柔らかで朗らかな笑み、他人を持ちあげて常に自分は一歩引いていた姿が、全く無かった。

 

いうなれば命令をを徹底的に全うする機械、まるで此方を人間と思っていないかのような極寒の眼差し。一体どう言う育ち方をしたらこのような目が出来るのだろうと尋ねそうになるほどである。

 

もはや彼女は俺にとって人間ではなく、本当にロボットと表現しても差し支えない程の無機質さがにじみ出ていた。

 

「大正様、御食事のご用意が整いました。御嬢様が御待ちになっております。此方へどうぞ……」

 

俺はその声に促されてゆっくりと立ち上がって彼女のそばにまで近寄る。

 

「宜しくお願いします」

 

そう言うと、彼女はコクリと頷いて

 

「では、ご案内いたします」

 

そう返して、先行していく。

 

初めて見る扉の外の世界。カーテンは閉じられ、彼女の持つ蝋燭及び壁や天井に吊り下げられているシャンデリアなどが頼り。

 

恐らくレミリアが起きているために行われた処置であろう。薄暗く、また濃密な禍々しさも含み、一歩一歩踏み出す事を恐ろしく感じさせるほどである。

 

後ろから見る咲夜は、此方からの話しかけに一切応じないとでも言うかのような威圧感が放たれている。

 

俺はその話しかけづらさに素直に従い、黙って彼女の後ろについて行く。

 

妖精が飛び交っているはずなのに、俺達が歩いているこの廊下は全くいない。もしかして彼女の命令によってなされている者なのか、ソレとも別のフロアを掃除中なのか。

 

答えは彼女のみぞ知るといったところだ。

 

そんな事を考えていると、目の前を歩いている咲夜から言葉が飛んでくる。

 

「大正様……。お聞きしたい事があります……宜しいでしょうか?」

 

唐突に言葉を投げかけられたものだから、少々驚いて肩をビクリと震わせてしまう。

 

何も話さないだろうと踏んでいたが、どうやら俺の予測は外れたらしく、彼女からの質問を受ける事になってしまった。

 

「はい、どうぞ……」

 

俺の言葉に彼女は身体をピクリとも反応させず、唯言葉のみを返してくる。

 

「大正様は……外の世界からいらしたのですか?」

 

確かに俺は外の世界から来たというべき格好をしている。勿論、彼女はそれを確信しているからこそ、俺に対して質問を投げかけたのだろう。俺が「幻想郷の外の世界」の住人であるという言葉で。

 

勿論、俺はこの答えに対して

 

「はあ……外の世界ですか……?」

 

そう言えば彼女からこの世界は幻想郷であるという言葉を投げかけられていない。そう思って俺は彼女にそう返した。

 

実際この返答は正解だったようで、彼女は淡々としながらもしっかりとこの世界について述べて行く。

 

「はい、貴方が迷い込んでしまったのは、忘れ去られたモノ達が辿りつく最後の楽園……幻想郷という場所です……」

 

勿論、外の世界の人間ならこう返していくだろうという、らしさを前面に押し出して

 

「え? ……忘れ去られてしまったモノ…………ですか。いや、そんな唐突にそのような話をされても……夢だったり……します?」

 

そのように答えて行く。

 

とりあえず、このような答え方が一番であろう。助けてもらったは良いが、大した質問もできずに数日経ってしまったのだ。この状況が信じられないという外来人を演じる事が最も自然だと思う。

 

すると、咲夜は俺の言葉に素直にコクリと頷き

 

「大正様の仰りたい事は良く分かります。私も同じ立場でしたら唯ひたすら混乱するだけでしょう……。大正様」

 

と、唐突にその言葉を放ってから足を止め、此方に振り向いてくる。

 

急に立ち止まって、此方を向いてくるもんだから俺は少しのけぞるような形で立ち止まってしまう。

 

そして、俺の方をじっと見つめて咲夜は

 

「信じられないかもしれませんが、これから目にする事は全て真実です。御嬢様にお会いになっても、決して失礼の無き様お願いいたします」

 

此方に対して十分な説明もないまま念を押して言ってくる。

 

口調からして、此方の質問は一切許さないとでも言うかのような厳しさ。並の人間であれば、それだけで足がすくみすぐに頭を下げてしまいそうな程の強烈な威圧。

 

態度にこそそれは現れてはいなかったが、彼女の目、オーラからして分かる。

 

俺は勿論

 

「わ、分かりました……」

 

常人を装って彼女に返答する。

 

すると、咲夜はフッとその威圧感を引っ込ませて此方に向かってニッコリと微笑んで

 

「御嬢様は気難しい方ですので、宜しくお願い致します」

 

ペコリと軽く頭を下げてから再び正面に向き直って歩いて行く。

 

この何とも気まずい雰囲気が、呼吸を妨げているような感覚に陥る。ソレもそうだ、俺の中の常識では通常は窓が開けられているのが普通であって、このような分厚いカーテンに遮られている訳ではないのだ。

 

そして、また歩くうちに咲夜から声が掛けられる。

 

「大正様、先ほどの質問の続きですが、宜しいでしょうか?」

 

「はい」

 

「大正様は、外の世界で一体何が起きて、何が理由で此方の世界に来てしまったのでしょうか……?」

 

外の世界で一体何が起きてこの世界に来てしまった……か…………。

 

現実世界からの補助により今でも鮮明に思い出される。一体どうしてあの時俺がこの世界に来てしまったのか分からないあの現象。

 

どんなに考えても答えが出てこないし、帰還するという目途も全く立たないというこの現状。

 

が、今その事は質問に対して意味は成さないので、置いておこう。

 

彼女が言いたいのは間違いなく、俺が外の世界で一体何をしてきたのか。俺が現実世界でしてきた事を、そのまま言ってしまえばいいのだろう。

 

紫がこの場で俺の発言を聞いていたとしても、後で外の世界についてある程度知っていたと言えばそれだけで解決するのだから特に問題にはなるまい。

 

俺はそう踏んで彼女の言葉に答えて行く。

 

「ええ、確かに私は外の世界から来ました。ですが……どうしてこの土地に来てしまったのかは分からないのです……」

 

と、申し訳なさそうにしながら彼女に答えて行く。

 

彼女は俺の答えに少し考えた後、自分を納得させるかのようにコクリコクリと頷き話しかけてくる。

 

「では、大正様。気づいたらこの地にいたと……そういう解釈でよろしいでしょうか?」

 

「はい、その通りです」

 

咲夜はまるでそれが本当なのかどうかと聞いているかのような口調でこちらに再び確かめてくる。

 

恐らく彼女の考えでは、俺が自殺しようとしていた者だからこそ、この地に流れ着いたという事なのだろう。

 

だが、俺は休日に山菜とりをしていたら気絶してしまっていた。そう答えたので、思惑とかなり違っていたのだろう。

 

とはいえ、ここまでくれば誰だって気づくはずである。彼女が俺を外に出すために案内している訳ではないということぐらい。

 

レミリアに会わせ、共に食事をしてからはい、さいなら。……なんて事などあり得ないのだ。

 

彼女の嘘、そして妙に待遇の良さに加えて、全快したとみてから逃げられない様に赤い霧を発生させてから当主に会わせる。本当に最後の晩餐ではないか。

 

もはやここまで来ると、つくづく運が無いなと思ってしまい、思わずこの場で大笑いしてしまいそうになる。

 

ゆっくりと歩いていく彼女の後姿を見ながら、俺は今後どの様な行動をとって、彼女達から逃げおおせるべきか……かつ、こちらの荷物をどこにあるのかを引き出すか。

 

どちらも失敗することは許されない事であり、なんとも面倒くさい事態になってしまっている。

 

そして、もうひとつ。俺がここにいる間に、魔理沙や霊夢が来なければ良いのだが……。

 

このもう1つの懸念事項がなんとも厄介なことになってくる。せっかく成功したとしても、彼女たちの性格だ。

 

疑わしきものは罰せずではなく、疑わしき者、そうでない者一緒くたにして吹き飛ばして行くのだから質が悪い。

 

彼女達ともしこの紅魔館で出会った場合、確実にこちらに対して攻撃を仕掛けてくるに違いない。

 

ましてや異変が起こっている最中にこの館にいること自体が異常事態なのだから、咲夜と同じ従者扱いをされて攻撃を仕掛けてくる事間違いなしなのだ。

 

もし出会ってしまった場合は、なんとかこちらも説得などを試みるが、効果としては……薄いと考えるべきだろう。

 

俺はそんな事を考えながら、目の前の咲夜に対して質問を投げかける。

 

「ところで……質問をしてもいいでしょうか?」

 

すると、咲夜はコクリと頷いてから

 

「はい、答えられる限りでしたら……」

 

そのように返答してくる。

 

俺はその言葉を聞いてから、彼女に対して質問を開始していく。

 

「あの、先程朝起きた時に、窓の外を見てみたのですけれども……あの赤い靄は一体なんですか……?」

 

この質問をしていなかった事について、咲夜は怪しんでいたというわけではないだろうが、一応不思議がっていたとは思うから聞いておく。

 

また、この質問に対する答え方によっては、俺も戦うという事が確実になると考えなくてはならない。

 

命を狙われているという事が確実になっている訳ではないが、その可能性の方が極めて高いので、この行動は妥当と言えよう。

 

そう考えながら、彼女の答えを待っていると、咲夜は

 

「ええ、一年に一度だけあのような赤い霧が広がるがるのです……」

 

そのような事を言ってくる。

 

勿論俺はこの異変の原因を知っているので、彼女が嘘を言っていることぐらい当然分かる。

 

彼女は俺を安心させるために言っていたのだろうが、恐らくそれは悪意ある安心のさせ方であろう。

 

警戒心を削ぎ、後々でそれを隠したまま処理するという事。

 

俺は彼女の言葉に

 

「ああ、この土地ではそう言った現象が起きるんですね……珍しいですねえ」

 

さも、知らない様に返しておく。そうでもしておかないと彼女から余計な警戒をされてしまう。それだけは何としても避けておきたい。

 

咲夜は、俺の言葉にええ、と短く返してから再び沈黙してゆっくりと廊下を歩いていく。

 

そして俺は彼女の言葉から、答えを導き出していた。

 

もはや俺は彼女たちに全力で抵抗し、そして逃げ切らなければならないという事を。

 

明らかに自然現象ではないというのに、このような事が起きるとさも当然のように言ってくるのだ。俺ぐらいの人間ならば誰しもが彼女の言葉が嘘だという事は分かるはず。

 

いくら先程忘れ去られた者たちがここにたどり着くと言われたとしても、流石に無理がある。

 

そう考えをまとめたところで、前に地底での紫との会話を思い出していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「スペルカードルール?」

 

俺は紫の唐突の発言に、あっけにとられているかのような口調で言葉を返していた。

 

対面に座っている紫は、コクコクと頷きながらカレーを飲み込んでこちらに返事をする。

 

「ええ、スペルカードルールよ。確か耕也には言ったわよね。あの……そう、吸血鬼たちが起こした面倒な事件」

 

確かにその話は聞いている。レミリア率いる紅魔館の集団が、霧の湖を拠点として幻想郷を支配しようとした物騒な事件。

 

当時は妖怪達に覇気が無くなりつつあり、そのせいで大幅に弱体化。よってレミリア達の侵攻を容易にしてしまった事が原因となる。

 

最終的な鎮圧は、今代の博麗の巫女である博麗霊夢及び妖怪の賢者、八雲紫によってなされたはず。

 

そしてその弱点が露呈した為に、急遽作ったカンフル剤がスペルカードルール。

 

その認識で合っているのだが、……魔力も妖力も霊力も無い俺に一体どうしてこのような話をするのだろうか? いやまあ、俺にもそのようなルールがあるというのを認識しておけという事なのだろう。

 

その事を短い時間で考えると、俺は紫の言葉に対して

 

「ああ、あったねえ。紫達が最終的に鎮圧した異変だよね?」

 

「そうよ、あの時私と霊夢が解決したんだけれども……まさか潜伏期間数年で、時期を見て一気に来るとは思ってなかったわ……」

 

と、言いながら横に視線をずらしつつニヤニヤする。

 

この顔はモロに来るという事が分かっているという顔である。

 

まあ、彼女の頭の中ではそう言った事も含めてこのような事がいずれ必要になると考えていたのだろう。

 

だからこのルールがそこまで反発も無く、素早く幻想郷に浸透していったのだろう。

 

紫はそのニヤニヤした顔をこちらに向けたと思ったら、急に真面目な顔になって口を開く。

 

「そこで、貴方に言いたい事があるのだけれども、良いかしら?」

 

その顔はまさに幻想郷を管理する賢者そのもの。僅かに緊張感がこの部屋に漂う。

 

「あ、ああ。構わないよ」

 

こちらとしては、紫がどんな質問をしてくるのか分からないため、なんとも答えづらい。

 

紫は俺の返事を聞いてから、少しだけ頬を緩ませてから言葉を紡ぎだす。

 

「耕也、貴方は元陰陽師であり、そして十二分に妖怪達と戦う力を持っている。それは非常に人間側にとって良い事だとは思うし、私達としても見ていて安心できる。そこまでは良いかしら?」

 

俺は間髪入れずにコクンと頷く。紫は俺に返答するかのように同じように頷き、再び話し始める。

 

「私が投入した事は、スペルカードルール。それは主に妖怪達の士気を上げるために、そして死者が出ずにかつ、公平にできる弾幕ごっこなのよ」

 

また、紫はここで一呼吸を置き

 

「ここから本題に入るわ。耕也、貴方はこれから地上での商売などで、地上に出る事が非常に多くなるでしょう。それは別にかまわないわ、人間ですもの……同じ人間と接したいというのは分かるわ。そこで……地上で妖怪と出会ったとしても、殺傷性のある兵器類は使わないでほしいの。分かるかしら……?」

 

深刻そうな顔でこちらに話してくるが、俺としてはああ、やっぱスペルカードができたらこうなるよなという予測はできていた。

 

要は、俺の持つ力がスペルカードルールの中では非常に邪魔なってしまうのだ。全員が概念攻撃などで、傷がつかなかったりするなかで俺だけが応戦した時に相手を木っ端みじんにする兵器を使っていたらもうナンセンス極まりないのだろう。

 

もはや俺の持つ攻撃は前時代的であり、使われる場面は非常に少なくなるのだろう。万が一使われるとしたら、ルールに従わずに人里の者を襲おうとする輩等にだろう。

 

まあ、そんな事はないと願いたいが。

 

俺は紫の言葉にたいしてコクリと頷くと、そのまま話し続けてくる。

 

「そこで私は今回、耕也用のスペルカードを作成したいと思っているのよ……いいかしら?」

 

スペルカードの作成……か。

 

確かに今後の幻想郷で付き合っていくにはそれなりのモノが必要になってくるとは思うし、それは推奨されるべき事なのだろう。

 

だが、俺の中では先程の疑問が再び浮き上がってきてしまい、思わず紫に尋ねてしまう結果となってしまった。

 

「紫、俺は魔力とか全くないんだけど……作成って、無理なんじゃないか?」

 

俺が最も疑問に思っていた事の一つ。確かに、宣言する上では同じかもしれないが、スペルカードでは概念攻撃などの一定の手加減が加えられるという利点があるが、俺の持っているのは最早殺傷兵器以外の何ものでもない。

 

だから、俺が例えミサイルなどを宣言したとしても、魔理沙の様なミサイルみたいにはならないし、手加減したくてもしようがない。

 

おまけに紫も分かっているとは思うが、俺は領域などで弾幕ごっこに限らず全ての攻撃を無効化していしまう為、そもそも戦いが酷く詰まらないモノになってしまうのだ。

 

だから、俺はあえて彼女に聞いてみたのだ。彼女も恐らくそれに関しては考えがあるはずだから。まあ、紫に限ってこんな事はないだろうが、彼女もその事を考えていなかったら、今から考えれば良いだけの事ではある。

 

そして、俺の言葉を待ってましたとばかりに扇子で掌を打ち、此方に返答してくる。

 

「そう、その通りよ。貴方は霊力も何もかも無い本当に唯の人間。……それらの力を持つ人妖からすればね? ただ、貴方の領域については耐久スペルという形なら一応は成立するから安心して頂戴。問題なのは……」

 

一度言葉を切って、食べていたカレーが辛かったのか、汗をにじませながら牛乳を一気に流し込む。そして、ぷはっと軽く息を吐いてから

 

「そう、問題なのは貴方の使うスペルカードの選定よ。こんなモノは唯の紙材質でも宣言すればいいのだから、問題ないわ。ただ、貴方の持ちうる攻撃技を今一度此処で広げて、使えるものと使えないものに分けなければならないわ……という訳で」

 

そこまで言い切った彼女は俺の視線から一気に外れて、中間の畳みに視線を移してビシリと指をさして言う。

 

「では、貴方の持ちうる攻撃とかのリストがあったらここに出してもらってもいいかしら?」

 

確かに、彼女の前では大した攻撃を見せた覚えがない。基本的に防御関係のみであり、しかもそれはちと嫌なレベルの事でもあった。

 

そんな事を考えつつ、俺は彼女に返事をした。

 

「ああ、リストか……うーん、リストはさすがに無理だから、俺が大丈夫かなあと思った奴を出していくのはどう?」

 

と、申し出てみる。

 

というのも、俺の持てる攻撃手段をリスト化して紫に出すとしたら、其れはもうとんでもないほどの量になり、紫がチェックできる量を軽く超えてしまうと思ったからだ。

 

現実世界における古今東西にある軍事兵器のみならず、鉄パイプやバット等と言った小道具、そして化学薬品などと言ったモノまで様々である。

 

俺はさすがにそれを彼女に出すわけにはいかないので、このように言ったのだが、はてさて彼女の反応は……。

 

「ええ、良いわよ。貴方が選んだモノの中で私が危ないと思ったものは、全て取り除くわ。それで良いかしら?」

 

彼女の言っている事に勿論反論等ある訳も無く、唯々俺は

 

「はいよ、了解。じゃあ、選び終わるまで少し待ってておくれ?」

 

そう言って、彼女が頷くのを尻目に、策定を開始した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はい、俺が良いかなあと思ったのはこれぐらいかな」

 

概念攻撃ができないというハンデを考えての策定は、かなりの時間を要し、彼女に対して申し訳なさがバンバン出てきたのだが、彼女もそれぐらい掛る事を分かっていたのか、特に気にした様子はなかった。ありがたい。

 

俺が選定し、彼女に提出したものは、最初よりも大幅に少なくなったものの、其れでもかなり多く残ってしまっているのが現状である。

 

俺が彼女に提出した候補は、先程の危険物を除き、あくまでも示威行為の1つであるゴム弾やスタンガン等。

 

彼女に恐る恐る提出してみると、彼女はう~んと悩む様に顔をしかめて、提出されたリストに目を通していく。

 

しばらく彼女の様子を見つつ茶を飲んでいくと、彼女はため息を吐いて口を開いていく。

 

「ええと、確かに見た限りでは大丈夫そうなものもあるかもしれないけれども、取り合えず駄目だというものを抜いていくわ」

 

そうすると、置いてあるボールペンを持ち、ペン先をカチリと出して

 

「これもダメ、これもダメよ。はい、これもダメね、危険すぎるわ。はいはい、これもダメよ……………ここからここまで全部ダメ。ダメなモノが多すぎるわ……」

 

声に出しながら容赦なく切り捨てていく。ゴム弾、スタンガンなどおよそ人の臓器に傷が付きそうなものは一切合財切り捨ていく。

 

その容赦なさ、素早さに俺は口を半開きにしてしまうほどのもの。

 

これ以上は俺の攻撃と呼べるものは無くなってしまいそうな……。

 

そんな感想を持っていると、紫は選定が終わったのか仕事をやり遂げたかのようなすっきりした顔を浮かべて

 

「さてと、これが今のところ使っても良いスペルカードよ?」

 

そう言って、横線で消されていない部分を抜き出して此方に見せてくる。

 

「ああ、こんなに減って……」

 

余りの減少具合に俺は少々げんなりしながらも、その許可されたモノの詳細を見て行く事にする。

 

許可されたスペルカードは以下の通り。

 

 

 

散水「スプリンクラー」……大量の水滴を降らせる。目くらましにも使えるが、主に嫌がらせとボヤ騒ぎ用。

 

放水「消火活動」……上記カードよりも本格的に消火用に使えるカード……消防車並の水流で鎮火を。当たれば相手がびしょ濡れになる。

 

決壊「鉄砲水」……猛烈な水圧で、大量の水を相手に浴びせる。押し流されれば戦闘区域強制離脱ぐらいの効果はある。

 

崩壊「ダム爆破」……弾幕ごっこ用に調整された水柱による攻撃。相手の頭上から水柱が降り注ぎ、当たれば相手の高度を著しく下げる事が出来ると期待されている。

 

水煙「視界強奪」……本格的な目くらまし用カード。非常に濃密な水煙を発生させて、相手の視界を奪う。上手く使えば相手から逃げられると思われる。

 

大豆「鬼は外、福は内」……鬼に対してはとんでもない嫌がらせ、きっと友達を無くす。大量の炒り豆を辺り一面に降らせて戦意喪失を狙う。目くらましにもなるかもしれない。

 

○郎「ニンニク入れますか?」……刻み生ニンニクをこれでもかと言うほど広範囲に降らせ、嗅覚を奪って追跡を不可能にする。……と言うのは建前で実際は猛烈な嫌がらせ。

 

 

 

今見た限りでは、この7つ。

 

なんとも貧相な顔触れで、此方が戦わずとも負けてしまいそうなカードたちである。

 

俺としては、此処まで酷いカードではなく、もう少し男のロマンが活かされているカードがあっても良いのではないかと思ってしまう。まあ、弾幕ごっこは本来なら俺の様な男が参加するものではないのだから、これが丁度いいのかもしれない。

 

第一、俺が地上に出ていたとしても、戦う可能性が非常に大きいという訳でもなく平和に過ごす予定ではあるので、かえってこの結果は良かったのかもしれない。

 

俺は少し溜め息を吐きながら、彼女に言う。

 

「分かった、相手が弾幕ごっこを挑んできた時には、これで凌げって事なんだよね?」

 

そう言うと、紫はコクリと頷いて

 

「ええ、その通りよ。どの道貴方のは食らうではなく、時間制限機能付きの耐久スペルになるのだから、大丈夫でしょう……まあ、頑張りなさいな」

 

「分かった分かった……まあ、何とかしてみるよ」

 

そう言いながら、俺は紫が持ってきたカードに記入されていくのを唯ジッと見ていた。

 

 

 

 

 

 

「大正様? 如何なされましたか……?」

 

紫とのやりとりに集中していたためか、彼女の掛け声に反応できずにいた。

 

「ああ、すみません。少し考え事を……」

 

謝りはしたが、咲夜は考えごとに興味を示した訳でもなく、俺の様子を唯気遣っただけの様だった。

 

俺はそれについて人安心するとともに、もう目の前に紅く大きな木製扉が鎮座しているのを視界に入れる。もうそろそろである。

 

すると、咲夜は扉までスタスタと足早に歩いてから、此方にクルリと振り返ってくる。

 

そして

 

「では、この奥に御城様がいらっしゃいます。くれぐれも失礼のないように、お願いいたします」

 

一礼したから、彼女は扉の取っ手を掴んでゆっくりと開けて行く。ノックをしないのは既に彼女が念話で伝えてあるせいなのだろう。特にミスを犯したといった表情をしてはいない。

 

扉が開けられた瞬間に俺はまるで酸素が無くなってしまったかのような錯覚に陥った。

 

(なんつー威圧感だよ……)

 

まるで喉仏を直接強い力で押されているかのような、威圧感。

 

直下の地面が無くなってしまったかのような虚脱感さえ襲ってくる。普通の人間なら最早この時点で気絶してそうなのだが……いや、普通の人間なら力量差があり過ぎて分からないか……。

 

ある程度力を持った者なら、扉の奥から漏れ出てくる力に気が付くのだろう。本当に規格外と言うべきだろう。まさに鬼の一種、吸血鬼。

 

扉が完全に開かれ、俺は吸いこまれるかのように足を奥に運ぶ。

 

紅い絨毯を叩く靴底。だが、まるで歩いている気がしない。何とも言えないこのつらさ、収めてくれはしないだろうか? 息が詰まる。

 

そう思いつつ、更に足を進めて行くと薄暗い明りが急に明るくなり、丸いテーブルにちょこんと座っている少女が目に入る。

 

紫達の様な帽子、髪の毛は蒼みが少し入った癖っ毛。十代前半レベルと言っても過言ではないほどの華奢な身体。

 

だが、そこから発せられる威圧は紛れもなく彼女が本物の吸血鬼であるという事を如実に表していた。

 

何とも厄介な……。

 

そう思いつつ一礼をすると、レミリアがニッコリと笑って一言。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よく来たわね大正耕也さん。全快したお祝いに食事でもいかが?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




今回の内容はいかがでしょうか? もし宜しければご批評等を宜しくお願い致します。


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107話 やっぱり食事と言えば……

どうもセロリです。最新話をどうぞ。

やっと次の話から本番に入れそうです。今回の話は本当に静かな紅魔館の一面と言う感じでしょうか。でしょうかしょうか。


やっぱりそうなるよね……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ニッコリと笑ったレミリアが此方を見てくる。穴が開くように、まるで獲物を見定めるかのような目で。

 

ソレを認識した瞬間、背筋に震えが走り思わず足を止めてしまう。いや、気絶してしまうほどの威圧感と言うものではないのだが、初対面で此処までされると中々にきつい。

 

まあ、俺の事を恐らく餌としか思ってないから、俺の気持ちなどどうでもいいのだろう。彼女が満足するまで俺はただ期待される行動をとるだけなのだ。

 

そう思うと、何とも言えない苛立ちの様なものが湧いてくるが、逆にこれは好機なのではないかと自分は思った。

 

「初めまして……ええと、御嬢……様?」

 

まだレミリアの名前を聞いていない事を思い出し、咄嗟に彼女の事を御嬢様と呼んでしまったが、果たしてどうだろうか?

 

俺は流石に此処で失礼はないだろうと思っていたのだが、咲夜曰く気難しい性格だとのことだから、もしかしたらという事もある。

 

ソレを頭の隅に入れてから彼女の言葉を待っていると、

 

「フフフ、レミリアで良いわよ」

 

と、笑顔で此方に返答してくるレミリア。

 

そこまで気難しい性格ではないかもしれないと思ったのだが、恐らくこれは獲物に安心感を与えるための演技だろう。

 

そう結論付けると、より一層此方が相手を油断させてから情報を引き出さなければという思いになる。

 

これが好機。向こうが油断しているのなら、此方からの情報の引き出しやすさは格段に上昇するはずである。

 

彼女から鞄が何処にあるか……たったその一言さえ聞く事が出来れば、全ては解決するのだ。捨てられていなければの話だが。

 

俺は彼女の言葉に

 

「ありがとうございます。では、レミリア様……と」

 

そう言うと、レミリアは満足したようでコクリコクリと頷きながらテーブルをトントンと叩いて

 

「ほら、そこに立っているのも億劫なだけでしょ? 向かい側に座ったらいかがかしら?」

 

「ありがとうございます」

 

俺はそう言いながら、彼女の言葉通りにテーブルへと近づいて、失礼のないように静かに椅子を引いて座らせてもらう。

 

俺が座った事を確認したレミリアは、指をパチリと鳴らして

 

「咲夜、彼に食事を」

 

そう指示を出していく。

 

「かしこまりました御嬢様」

 

咲夜は一礼をしてその場から一気に消えて行く。時間を止めて移動したのだろう。やはり目の前で消えて行くのは何時も新鮮に感じられてしまう。

 

紫のスキマでの移動法や他の妖怪の瞬間移動とは違って、時間そのものを止めて移動しているのだから、新鮮に映ってしまうのは当然と言えよう。

 

俺は彼女の去って行った後を少しの間見続けていると、対面から笑い声が聞こえてくる。その笑い声は快活な笑い声ではなく、まるで悪戯が成功した事を隠すための小さな笑いのように聞こえる、クスクスと。

 

その笑い声に釣られるように、先ほどの場所から視線を外し、目の前のレミリアに目を向けて行く。

 

すると、レミリアが

 

「フフフ……ちょっと驚いてしまったかしら?」

 

「え、ええ。いきなり消えてしまったので、一体どうしたのかなと思ってしまいまして……」

 

彼女は俺の答えに満足したのか、彼女は目を瞑りながら手を口元に当てて更に笑いを深くしていく。

 

クスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクス。

 

静かな大広間にその笑い声だけが響き渡って行く。永遠とも思えるほどの笑い様。俺はこの異様な光景に不気味さを感じるとともに、彼女の息は一体どこまで続くのだろうかと言う何とも間抜けな事を心配していた。

 

ひとしきり笑った後、レミリアは目尻に溜まった涙を拭ってから此方に口を開く。

 

「ごめんなさいね。余りにも驚く様が面白くって……」

 

レミリアは俺を笑った事を謝罪すると、

 

「使用人の咲夜は手品が非常に上手くてね……ああいった事をするのがしょっちゅうだから初めての人は驚くわ」

 

初めてという訳ではないのだが、やはり見るたびに驚いてしまうのは、彼女の言わんとする慣れていないという事だろう。

 

確かに、俺以外の人間なら嫌でも驚く羽目になるだろう。勿論、妖怪等が跋扈する幻想郷に住む人間ですら、だ。

 

俺はそのような感想を頭に浮かべながら、彼女の言葉に返していく。

 

「ああ、そのような特技があったんですね……。手品というのは舞台等でしか見た事が無いので……」

 

もちろん、彼女の言っている事は嘘以外の何ものでもない。この状況下では手品と言った方が、俺を変に刺激せずに済むという思惑もあるのだろうが、彼女の能力を知っている俺からすれば、余りにも怪しいとしか言いようがない。

 

そしてそう返事を返すと、彼女は興味深そうに目を瞬かせて俺の方に少しだけ身を乗り出させてくる。

 

「ちょっと興味があるわね……もしよかったら、貴方の話を色々と聞かせてもらいたいのだけれども……良いかしら?」

 

やけに饒舌だなと思いながらも、俺は彼女の言葉に素直に答えていくとする。

 

普通なら、外の世界から来てしまった人間に対して、此処まで好意的に接してくる事自体が怪しいのに、俺はこれを受け入れてしまいそうなのだ。

 

彼女の悪魔としての本質なのか、それとも目の前の少女が本来持つ快活さと素直さが成せる技の一つなのだろうか?

 

どちらの判断もできない俺は、唯彼女の問いに口を開くのみである。

 

「例えば、どのような事でしょうか? 絞っておかないと多すぎて話せませんので……」

 

すると、彼女は俺の言葉に少し悩むように顎に手を当てて、考えてから此方に笑みを浮かべてゆっくりと口を開く。

 

「そうね、まずは貴方の出身地とかよりも、どうしてこの地に来てしまったのかを聞いても良いかしら?」

 

彼女の言葉からは本当に好奇心と言うモノが漏れ出てきているのが手に取るように分かる。俺が一体どうしてこのような所まで来てしまったのかという点が、最も彼女の興味を引く対象なのだろう。

 

俺が外の世界から来たと思っているのだから、俺が本当に本当に偶然この世界に迷い込んでしまったか、それとも外の世界に絶望して自殺しようとして此処に来てしまったのか。

 

恐らく彼女の頭の中では、俺はこの地に来たのは後者が理由であると踏んでいるのだろう。

 

だが、彼女は頭が悪い訳ではないので、俺が此処に来てしまった理由を聞いて素直に喜ぶような愚行を、はたして犯すだろうか?

 

俺はレミリアを少し観察するように、見てみる。そこまで違和感がないように、かつ自然な動作で。

 

本当に少しの時間。俺の普段観察するのとは全く持って短い時間。

 

だが、それでも彼女の表情……というより目からはある程度の好奇心と冷酷さが滲み出ているのが分かった。

 

好奇心はともかくその冷酷さが少し怖く感じる。

 

俺を処理するというのは分かり切っているため、ソレを何時敢行するのかが気になる所。彼女に何かしらの深い考えがあるのかは現時点では分からないとしか言いようがない。

 

現時点ではその殺気も無い冷酷さだけでは、その時間帯は分からないので俺は諦めて彼女に身の上を話す事にした。勿論嘘八百ではあるが。

 

「はい、実を言いますと……私は大学生でして、休みの日を使って登山をする事が趣味なのです。その際にですが、斜面で足を滑らせてしまい、転げ落ちて気絶してしまったのです。そして目が覚めたらこの地にいたという感じです……」

 

俺の言葉を目を閉じて聞いていた彼女は、内容に満足がいかなかったのか、此方に向かって少し眉を顰めながら質問をしてくる。

 

「それだけなのかしら……? もっと他に理由があるとは思わないのかしら? 此処に来てしまった理由には偶然ではすまされない……非常に重要な要素がからんできてるはず。例えば……」

 

そこまで言ってからレミリアは、此方に向かってニヤリと笑ってから口を開く。

 

「世の中に絶望してしまったり、自殺したくなったり……?」

 

彼女の声は、まるで此方鎖で縛りつけるかのようにねっとりとした声色であった。まるで蛇に睨まれた蛙を意識させる声。此方が必死に抵抗してもその言葉だけで屈してしまいそうな禍々しさ。

 

だが、それらを前面に押し出しておきながらも、言葉の端々からは好奇心が覗かせてくるのが分かる。そしてソレを裏付けるかのように

 

「吐き出してしまったらどうかしら……? 相談という風に捉えてもらっても構わないわよ……?」

 

此方に向かって相談を促してくるのだ。だが彼女の場合、相談という生易しい物ではなく此方の弱みを存分に引き出そうとでも言うかのようなニュアンスである。

 

俺の物語が、彼女の味わう血の食前酒たりえるかどうかといったところであろうか?

 

とりあえず、このままでは話しが進まないので、俺は彼女の言葉に素直に答えて行くとする。勿論、彼女の思う通りのシナリオを無理なく違和感なく脳内で作り上げながら。

 

「ええ、まあ……確かにそのような事もありましたが……話してしまって良いのでしょうか……?」

 

なるべく悲壮感漂うように……溜息を吐きながら、如何にも俺は鬱状態ですというかのように。

 

改めて彼女に問うてみると、彼女はニッコリと笑いながら

 

「ええ、その方が貴方にとっても良いはずよ……? この地に流れ込んでくる者は、得てしてそのような理由を持つものが多いのよ……? 少しは周りに頼ってみたらどうかしら? 話して楽になる事もあるだろうし」

 

そう言いながら、レミリアは目を閉じてフフンと得意げな顔をして此方に話しかけてくる。

 

確かに彼女の言っている事は理にかなっているし、カウンセリングとまではいかなくともよく使われる手法ではある。

 

が、この状況でソレを使われてしまうと逆の印象を持つのは言うまでもなく。

 

俺はコクリと唾を飲み込んでから彼女の言葉に従って、話しを始めて行く。

 

「……………………はい、私は確かに大学生活を送る上で、確かに詰まらない世の中に絶望の様なものを感じていました。こんなつまらないサイクルを繰り返していくだけの生活に一体どんな意味があるのか……ただ、目の前の用紙に数字を書き込んで点数を貰い、適当な事を友人に話して帰り、ご飯を食べて寝る。本当に詰まらない日々にうんざりをして、気晴らしに山を登ってみる……それでも気が晴れないのです。本当に詰まらない世の中だと……」

 

そこで一度言葉を切って、深呼吸してからもう一度言葉を紡ぎだしていく。

 

「まあ、そんな世の中に嫌気がさし、何時事故死しても良いと思っていたら、山で踏み外してこのざまだった訳です……」

 

すると、レミリアは深くゆっくりと頷きながら、大変だったわねと返してから

 

「じゃあ、貴方のその……大学とやらの様子とかを話してもらっても良いかしら? 此方の」

 

その他にも色々な事を話していく。

 

「大学は主に化学系を……いえ、大学生活でしたね。学校では友人と他愛もない話しをして時間を潰し、そして90分の授業を消化したり等と、何の面白みも無い生活ですよ……」

 

余り語る事はないという意味を込めて彼女に説明していく。

 

勿論、これはレミリア用のセリフで、実際の俺はこんなに枯れてない。大学でゲラゲラ笑っていた事も多いし、研究に忙しい毎日を送ってもいた。

 

充実しており、回線を介して学校の友人と夜遅くまで話しもした。宅飲みで酔いつぶれたり酔いつぶしたり、たこ焼きパーティーやったりなどなど。

 

紫にこの事を話したら、一発でバレてしまいそうだが、相手はレミリアなのでそこまで警戒する必要はないだろうし、どうせすぐに此処から居なくなるのだから別に構いやしないだろう。

 

そんな事を想いつつ、俺は彼女の反応を待つ。

 

嫌な沈黙……とまではいかないが、彼女が俺の言葉を消化する時間が非常に長く感じる。嘘だとバレやしないかという僅かながらの心配から、上手くあの鞄を取り戻せるよう仕向けられるかどうかという大きな不安まで。

 

その沈黙を破るかのように、レミリアが

 

「そうね……貴方は本当に世の中がつまらないから、此処に来てしまったのね?」

 

そう言いながら、立ち上がって此方に近づいてくる。その小さな身体を移動させながら、俺の座っている椅子に近づいてくる。机を迂回しながら、静かに近づいてくる。

 

俺の丁度横に彼女が来たとき

 

「じゃあ、こう言った事はスリルがあって、面白いと思わない?」

 

そう言いながら、彼女は今まで隠していたであろう、悪魔の象徴たる羽をバサッと広げる。

 

そして天井に吊り下がっていた蝙蝠が一匹、レミリアの傍に飛んで来て、差し出された手に留まる。

 

愛しい家族を想うかのように柔和な笑みを浮かべて

 

「咲夜から聞いているとは思うけど……ほら、この羽は貴方の欲するスリルそのものよ?」

 

そう言いながら、羽をパタリパタリとゆっくりはばたかせながら、自分は人外であるという事をアピールしてくる。

 

お前の求めていたスリルは此処にあり、そして鬱屈した外の世界とは違った喜びがこの世界にはあるのだと見せつけてくるのだ。

 

幽香や紫や藍、幽々子等といった人でない者達を間近で見ている俺からすれば、大した驚きでもないのだが、今の俺は外の世界から来た人間という設定にしなければならないため、口をあんぐりと開けて

 

「ほ、本物ですか……?」

 

と言いながら目をパチパチさせてみる。

 

勿論、この反応は彼女にとって正しいものだったのだろう、レミリアは満足そうにフフフ、と笑ってから

 

「そうよ……これは貴方が望んだスリル、喜び、異形、畏怖、突破口、外の世界には無い人にあらざるモノ。そんな全てを凝縮した姿が私……」

 

素晴らしいと思わない? とでも言うかのようにクルリと回って歯を見せながらニヤリと笑う。

 

口に手をやり、指を突っ込むようにして頬を横に釣らせていく。

 

そこに見えるのは彼女を吸血鬼であると、更に認識させる鋭い犬歯が上下に並んでいた。

 

剃刀のように切れそうだという印象、その反面引きこまれてしまいそうな程の柔らかな肌を晒している口は、その相反する要素があってか酷く卑猥にすら見える。

 

この吸血鬼に血を吸われてみたい。この少女に屈服し、血を、命を、魂すらもささげてしまいたい。そんな欲求が沸々と湧きあがってくるのだ。

 

恐らく……俺が何も知らない唯の一般人ならば、すぐさまその場に跪いて今までの下らない話しについて謝罪し、下僕に加えて下さいと言ってしまっただろう。

 

そんな危険な魅力が彼女にはあった。これが人外の持つ魅力。吸血鬼特有の魅力。

 

だが、此処で負けてしまっては流石に格好がつかないし、何より紫が監視している事だろうから、後で大目玉を暗い事間違いなしなのである。

 

「吸血鬼……本当にいたんだ……」

 

その様に、信じられないモノを見たかのように呟いて行く。

 

この俺の心情、レミリアの考え、そしてこの状況全てが分かるモノがこれを見たら、恐らく滑稽極まりないモノになっているだろう。恐らく俺がこの状況を操っているようで操り切れていないという点で。

 

「そうよ、貴方の言う通り、吸血鬼は此処に居る…………。私は500年の時を生きる最古の吸血鬼……スカーレットの名を継ぐ最強の吸血鬼の1人よ……」

 

恐らくフランドール・スカーレットが此処に追加されるのだろうが、恐らくソレを見る事はないだろう。その前に彼女が俺に対して処分を下すだろうから。

 

いや、違うか……彼女が地下から出てこないという事が分かり切っているから、見る事が無いのだ。

 

俺はそう思いながら……彼女に向かって

 

「きゅ、吸血鬼は確かに妖怪の中でも最強ですからね……」

 

褒める。褒めちぎる。正直な話、紫がいるもんだからこの言葉はリップサービス以外の何ものではないのだが、こうでも言っておかなければ彼女の機嫌を損ねる可能性が高い。

 

が、もしこれで彼女が喜んでくれるならば……

 

「あら、外の世界の住人でもそれぐらい知ってるのね」

 

喜んでくれるならば、御しやすい。

 

俺がハイ、と答えた所でまた一匹の蝙蝠が彼女のそばに近寄って耳に何かをささやいて行く。彼女自身が蝙蝠に変化できるという事を鑑みると、天井に止まっている蝙蝠達はレミリアの身体の一部なのだろう。

 

レミリアはそう、と答えてから此方に向かってにこりと笑う。

 

そして何かを囁いた蝙蝠は、此方に目もくれず天井へと羽ばたいて行く。

 

「そろそろ料理が来る頃よ……席について待ちましょう」

 

レミリアはクルリと方向転換させて、フリルを揺らせながらゆっくりと歩いて椅子にちょこんと座る。

 

正直な話し、容姿で判断してはいけないとは思うが、本当にこの少女があの名高い最強の吸血鬼なのだろうかという疑問はあるにはある。外の世界から来た視点云々ではなく、今まで見てきた妖怪等と比較して。

 

確かに萃香等といった小柄な妖怪でも、凄まじい力と圧倒的な妖力を兼ね備えている者もいる。だが、それでも目の前の少女からはそのような力があるとは思えないのだ。

 

重厚な威圧感は勿論あったし、ソレが彼女の力のほんの一部だといことも理解している。

 

ひょっとして平和な時期が随分続いたせいか、鈍ったのかなとも思いつつ、彼女の姿を見る。

 

すると、何か? とでも言うかのように首を傾げて此方に視線をくれる。

 

いえ、何でもないです、と言いながら俺はひたすら料理が来るのを待つ。

 

そのような考えに至った瞬間

 

「失礼いたします」

 

ノックをしてから扉を開け、台車を押してくる咲夜がニッコリと笑顔を浮かべていた。

 

 

 

 

 

 

 

「御所望の料理は此方で宜しいでしょうか?」

 

咲夜がクロッシュを開けると、懐かしく、そして食欲をそそられるいい香りがしてくる。

 

勿論、天ぷらは別皿に置かれており、揚げたてのためか湯気が若干昇っている。

 

俺は思わずゴクリと唾を飲み込んでから

 

「はい、それで合ってます……ありがとうございます十六夜さん」

 

そう言うと、彼女は微笑んでから此方のテーブルに器を移動させてから、天ぷらを落し込んでいく。

 

その瞬間、醤油ベースと天ぷらの絡んだふわっとした匂いが顔を覆い、何とも言えない幸福感が満たしてくる。

 

今まで作っていたのは自分だし、おまけに蕎麦なんて創造したモノしか食べた事が無かった。他人に作ってもらった蕎麦と言うのはこの世界に来て初めてであり、それだけで涙が出てしまいそうになる。

 

俺はこれを作ってくれた咲夜に感謝しながら、箸をとろうとすると、一つの違和感に気が付く。

 

その違和感は決して見逃してはいけないほどのもので、ついつい首を捻って咲夜の方に顔を向けて尋ねてしまう。

 

「あの……十六夜さん?」

 

すると、咲夜は尋ねられたのが意外だったのか、首を傾げながら此方に顔を向けてくる。

 

丁度視線が直線状でぶつかる状態。思わず目を逸らしてしまいそうになるが、此処はグッと堪えて彼女に質問をする。

 

「あの、レミリア様の御食事が無いのですが……」

 

そう言うと、今度はレミリアから声が掛かってくる。

 

「ああ、それなら大丈夫よ?」

 

そちらに顔を向けてみると、レミリアは何もおかしくないとばかりに両手を合わせて此方にフフンと得意げな顔を向けてくる。

 

「問題が無いとは……?」

 

「私は貴方の少し後で食事をとるわ……ささ、私の事は気にせずゆっくりと楽しんでちょうだい? 麺が伸びてしまうわよ」

 

そう言いながら、早く食べる姿を見たいとでも言うかのように、レミリアはニコニコしながら此方を見つめてくる。

 

一見本当に唯の純粋な笑顔にしか見えないのだが、俺はあるモノを目にした瞬間、背筋がゾクゾクと震えてしまった。

 

ほんの一瞬の出来事である。この事を見逃していたのなら、俺はまだゆっくりと食事をとる事が出来たのかもしれない。

 

レミリアの目が、瞳孔がまるで猫のようにキュウウゥゥゥッと細くなり……そしてまた人間のような丸い形に戻ったのだ。

 

獲物を見定めるような、そして完全にロックオン舌とでも言うかのような強烈な眼差し。

 

思わず持っていた箸をとり落しそうになってしまった。

 

(やはりこれは拙い状況かな……)

 

表情には出さない様に、あくまでも気がつかなかったように振る舞え。そう自分に言い聞かせながら蕎麦に手をつけていく。

 

人の手で切られているのにも拘らず、まるで機械で切ったかのように整っている麺については素直に関心するし、香ばしさ満点の天ぷらも非常に良いと思う。

 

が、肝心の味が良く分からなくなってしまった。

 

果たして本当に成功するのか? 緊張してしまうのは仕方がないことだろう。一挙手一投足が今後の展開に響いてくるはずなので、その調整が非常に難しいのだ。

 

おまけにレミリアと咲夜の2人がまるで穴が空くほどに見てくるため、自然と動きもぎこちなくなってしまう。

 

これは一種の拷問なのではなかろうか?

 

麺を啜りながら

 

「十六夜さん……これすごく美味しいです」

 

適当に感想を述べて行くことしかできない。陳腐にも程がある感想だが、それぐらい言っておかないと彼女達は俺を怪しむだろうし。

 

「ありがとうございます。作った甲斐がありました……」

 

咲夜は本当に嬉しそうな声で言ってくる。これがこの状況でなければ本当に良いやりとりなのだが……。

 

「所で咲夜、外の天気はどうかしら?」

 

レミリアが突然咲夜に向かって天気の事を聞いていく。

 

その質問に対して、咲夜は微笑みながら

 

「ええ、とても良い天気ですわ……客人達ももうそろそろ此方に到着するころでしょうから、準備が必要になるかと……」

 

「ああ、貴方は気にしなくていいわ。咲夜との話しは唯の天気情報なのだから……」

 

笑みを浮かべながら、早く食べなさいとばかりに啜る動作をしてくるレミリア。

 

「は、はあ……」

 

そう間抜けな返事をしながら、俺は食べる事に没頭する。

 

俺の前でこのような話しをする事自体がナンセンスなのに、一体どうして急に……。

 

その疑問が強く浮かびあがってくるが、現時点では目の前の料理を消化することしかできず、彼女達の会話から推測するしかない。

 

やれ図書館だの、門番だのと色々とこの館における重要人物の情報が出てくる。また、外の天気についてとても良い天気だと言っている事自体あり得ない。吸血鬼にとってはいい天気かもしれないが……。

 

恐らく先ほど言っていた客人達と言うのは、霊夢と魔理沙の事であろう。間違いないと思う。

 

そして図書館云々はパチュリー、門番は美鈴。

 

此処まで情報が出てくると、最早朝方あたりに考えていた霊夢とばったり会うというのが現実味を帯びてきた気がする。

 

さてさて、この蕎麦を食い終わる前に彼女達から俺の荷物の在り処を聞かなくてはならないな。

 

そんな事を思いながら、俺はレミリアに向かって口を開く。

 

「あの、レミリア様……」

 

「何かしら? もしかして、料理が口に合わなかったかしら?」

 

「いえ、そうではないのです。一つ聞きたい事がありまして……私の荷物を知りませんか?」

 

すると、レミリアは荷物? と一瞬だけ不思議そうな顔を浮かべてから、手をポンと重ねて

 

「そうそう、咲夜には隠しておけと言っていたのだけれども、危険物が無いか調べさせてもらったのよ。貴方に対して害の成す……ね? わるかったわね、後でパチュリーに持ってこさせるわ。ああ、パチュリーと言うのは私の友人で図書館の秘書をしてる魔女なのよ」

 

「い、いえ……危険物があるのかどうかは調べる必要はありますよね」

 

何とも嬉しい事に、荷物の在り処と同時にパチュリーの事まで話してくれた。まあ、パチュリーの事は知っていたから意味無いかもしれないが。

 

だが、荷物の事まで話してくれたのは非常にうれしい。本当に俺が唯の外来人だという認識をしてくれているからこそ、このような情報までポンポン流してくれるのだろう。

 

ゆっくりと麺を啜り、汁もゆっくりと飲んで、なるべく時間稼ぎができるように配慮していく。

 

が、それでも消費するという事に変わりはないので、みるみるうちに器の中身が無くなって行く。

 

「あら、もうそろそろ食べ終わるのね……おかわりは大丈夫かしら?」

 

レミリアが何とも嬉しそうに尋ねてくる。そして嫌な事に、再び瞳孔が細くなって元に戻る。威圧としか思えないのだが……もう隠す気が無いのだろうか?

 

俺はゆっくりと箸を置いて、両手を合わせて御馳走様をする。

 

「いえ、もうお腹いっぱいです。十六夜さん、こんなに美味しい蕎麦を御馳走して下さり、ありがとうございました」

 

「いえ、そのような事は……」

 

今度はレミリアに

 

「レミリア様、私の様な者を助けて頂き、また療養までさせて下さった事、誠にありがとうございます。感謝してもしきれません」

 

そう言って、頭を下げて行く。

 

「いいのよ、偶々貴方が私達の目の届くところに居ただけの事よ……気にする事でもないわ? 安心しなさい、ちゃんと貴方の荷物は預かってあるし……」

 

そのように言葉を返してきたレミリアは、嬉しそうに手をパンパンと叩きながら再び口を開く。

 

「では、そろそろ私も食事をとろうかしら。咲夜?」

 

「かしこまりました」

 

そして唐突にレミリアが食事宣言をすると、直後に咲夜が頭を下げる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その瞬間、全ての景色が灰色に染まった……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




今回の話はいかがでしょうか? もし宜しければご批評等をお願いいたします。


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108話 思わず溜息を吐きたくなった……

お久しぶりです。セロリです。

お待たせしてしまい、申し訳ありません。研究等が忙しく、中々執筆が進まない状況です。
頑張ります。

では、最新話をどうぞ。


いやもうそれは本当に……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

驚愕。

 

まさにそれは驚愕と言うべきだろう。

 

私にとって、時間の操作など造作も無い事であり、其れをもって今まで数々の困難に打ち勝ってきた。紅魔館に侵入しようとしてきた不逞の輩を撃退するためにも時間を止め、相手の反撃を許さず一撃のもとに葬り去ってきた。

 

いつも私の優位性は覆ることはなかった。ただ、過去に起きた八雲紫の侵攻については幼いころなので、今の実力で勝てたかどうかは分からないが……。

 

其れを抜きにしても、今までの実績は私のメイド長としての地位を確固たるものとしていたし、美鈴や妹様、お嬢様の深い信頼を得る切っ掛けにもなったと自負している。

 

勿論、其れが私のプライドにも繋がっていたし、より家族の幸せのために尽くすという行動理念にもなっていた。それは間違いなく私の生きがいであったし、今日の私の姿にも繋がっている。

 

だが、どうしてだろうか。どうしてこうも例外と言うものはこの世に存在してしまうのだろうか?

 

いや、私たちがいるこの地が、幻想郷という時点で例外が発生するのは仕方がないのかもしれないが、今回は極めて異例な事態だと思う。

 

其れを裏付けるかのように、この状況を素直に受け入れられない自分がほとんどであるという事については否定しない。

 

それほど目の前の光景は異様であるし、信じたくない光景であった。

 

だから、私は机に突き立てたナイフを抜きとりながら、体を怒りか畏怖なのか分からないモノで震えさせながら、叫び散らす様に怒鳴る。

 

「なんで……なんで動けるのよっ!」

 

と。

 

 

 

 

 

 

 

全ての景色が灰色へと変化する。

 

これは私の能力による副産物であるが、これが私の能力の作動を証明する1つの指標でもある。

 

だから、これが私の世界になったという証拠であり、この光景を見るたびに自分が安心できるのだ。

 

自分だけがこの時間の中で動けるという優越感もあるかもしれないが、何より自分だけの時間を所有できているという気持ちが強いのだろう。

 

だから、其れが万が一にも崩された場合には、ショックで心臓が止まってしまうかもしれない。

 

そんな事を思いながら、私はゆっくりと目の前の大正耕也とやらをどう殺していくかを考えていく。

 

彼には悪いが、お嬢様、妹様の糧となってもらわねばならない。彼がどの様に人生を歩んできたのかは分からないが、お嬢様の言う通り、彼自身が外の世界から忘れ去られてここに来た事に間違はいないのだから。

 

あの草原で捨てられたかのように汚れた服装を身に纏い、疲れ切った顔をして眠りこけているのだ。如何に外の世界で悲惨な生活を送っていたかは想像に難くない。世界に絶望し、自らの生存願望すらも捨てた結果、この幻想郷にたどり着いたのであろう。

 

自らの首を切るなり、野垂れ死のうとしていたのかは分からないが……。

 

何にせよ、彼がどこかで野垂れ死に、微生物の糧になるぐらいならば、その美味そうな血をお嬢様方に提供した方がまだ利用価値があるというもの。

 

ならば、早急に彼を楽にしてあげねば。

 

そう思いながら、私はゆっくりとした足取りで彼に近づいていく。自分で言うのもなんだが、捕食者が獲物に気づかれない様に忍び寄るような形で。

 

恐らくこれは緊張も含まれているのだろう。人間の解剖ぐらいは外の医学書など見て実際に死体を捌いた事があるのでできない事はないが、本当の意味で人間を殺すのは初めてなので些か心拍数が上がっているのだ。

 

だから、自然と足が遅くなってしまう。今まで人間から血を抜き取って、そのまま外に追い出す形を取っていたのだから……。

 

そこで、足を進めていくうちに、ある不自然さに気がついた。

 

何かがいつもと違う。

 

妙なざわめきが心を支配し始め、段々と其れが緊張から恐れへとシフトしていくのが分かる。重大な何かを忘れてしまっているかのような。これを見逃してしまっては今後の展開、予定に凄まじい悪影響を与えてしまうというとでも言うかのように。

 

それは、能力を使用をしてからすぐに気が付くべきものであったが、自分の能力を完璧だと過信していたからか、はたまたその違和感、相違性に気がつきたくないという願望を基に脳がその事実を受け止めきれなかったのか、受け止める事を拒否したのか。

 

どれともつかないこの事態に戸惑いを覚えながらも、私はそれを目に入れていく。

 

(大正耕也だけ色がある……?)

 

本来なら私だけが色を持つはずなのにもかかわらず、今回の能力使用では彼にも色が付いている。

 

一体何故……?

 

疑問しか浮かんでこない。彼は落ち着いて息をしているようにも見えるし、恐怖ですくんでしまっている様にも見える。ただ、彼だけが私の能力の効果範囲外にいるという事に変わりはない。

 

この事実が変わらないだけで、全ての考えが無に還ってしまうのではないかとすら感じる。

 

だが、自分の時間が一秒一秒と過ぎ去っていく内に、先程の恐怖感とはまた別の焦燥感が急速に湧きあがってくる。

 

目の前で沈黙を決め込んでいる男を早く殺さなければ。一刻も早く殺さなければ……。

 

これ以上この男を野放しにしておくと危険である。私だけではなく紅魔館全体が危険に晒される。

 

殺してしまえば血を献上するだけ。血を献上してしまえばあとは博麗の巫女と戦えば済む。平和が訪れる。そう、平和を訪れさせなければならないのだ。

 

と、そのような考えが凄まじい勢いで脳内を駆け巡ってくる。

 

手に持つナイフを構え、ゆっくりとした歩みから焦りの早歩きへと。すぐに訪れるであろう血しぶきを受け止めるためのボトルを左手に持ち。

 

首を真一文字に。骨ごと切り裂いてしまわなければならない。このような強烈な強迫観念とともに、私はナイフを彼の首の傍にまで持っていく。

 

「死になさい……」

 

目の前の異常現象を消し去るかのごとく。自分の安定を求めて。

 

その二つの意味を込めて私はナイフをいよいよ首に到達させようとしたとき

 

「なっ!」

 

目の前の男が椅子から飛び上がるかのように、私のナイフを避けてしまったのだ。

 

そのあまりに突飛な行動に、私は追いすがるようにナイフの軌道をそらし、彼の首を切り落とそうと躍起になる。

 

が、体勢が悪かったのか、ナイフは思い通りの軌道を描かず、机を穿って刃先をめり込ませる。

 

そして今、彼に罵声を浴びせて彼が動けるのかを問う。

 

一体どうして私の時間の世界で動けるのか。貴方の時間は私のモノなのに……。

 

だが、彼の返してきた言葉は私の予想と違ったものだった。

 

「俺をどうするつもりだったんだい……? 殺すつもりだったのかい?」

 

この期に及んで何を言っているのだこの男は。殺すつもりでナイフを振り上げたのにもかかわらず、一体何故このような言葉を吐いてくるのか?

 

だが、返しておかなければ話が進まない。ここでナイフを投げてしまうという手もあるが、相手は時間停止の中を動ける人間。得体のしれない男なのだから、この手は危険。

 

そう判断して私は目の前の男に言葉を返す。

 

「だとしたらどうするのかしら……? 貴方はいらない存在なのだから、お嬢様の糧になれる事を喜びなさい……」

 

私は淡々と彼に対して死刑宣告を下していく。もはやお前の居場所などはどこにもないのだから、せめて苦しまぬように逝かせてやると。

 

こちらの動揺を悟られない様に。あくまでも私は捕食者だという事を明確に位置付けるために。

 

だが、大正耕也は其れでも動揺などをせずに。先程までのひ弱そうな態度とは全く違う、別の何かを思わせる態度を続けてくる。

 

「本当に殺すつもりだったんだね? 本当に?」

 

「しつこいっ!」

 

同じ言葉を繰り返してくる事に苛立ちを覚え、先程の焦燥感も手伝ってか、私は返事と共にナイフを彼に投げつけていた。

 

常人の反応速度を遥かに超えた飛翔で彼の脳天を貫かんと一直線に飛んでいくナイフ。

 

これならば一瞬で 彼の脳を貫ける。そう私は結果を予想した。

 

 

軽い金属音とともに、ナイフの刃が粉々に砕け散っていく姿が私の目に映るのみであった。

 

 

 

 

 

 

あっけにとられている彼女を見ながら、俺はどの様にしてこの場から脱出するのかを考える。

 

むやみにジャンプを使う事は出来ないだろう。パチュリーの居場所が分からない上に、地下図書館の場所も分からないのだから。

 

ゆっくりと彼女の持っているナイフに目をやりながら、彼女に向かって口を開く。

 

「できれば、このまま戦わずに荷物を返して、逃がしてくれると嬉しんだけれども……?」

 

一発ナイフを投げつけてから、彼女は信じられないモノを見るかのような目でこちらを見てくる。確かに、彼女の反応も分かる。先程まで一般人だと思っていたのにも拘わらず、時間操作も効かない、投げナイフが砕ける。そんな状況に出くわしたら俺だって目を白黒させることだろう。

 

だが俺は俺、彼女は彼女。立場が全く違うのだから同情するつもりはない。

 

俺は唯自分の荷物を取り返して、そのまま家へとオサラバすればすべて終わりなのだ。

 

だが、俺の言葉に返って来たのは、予想通りと言うか

 

「貴方を殺すのは私が仰せつかった大役。悪いけど、死んでもらうわ……」

 

目線だけで人を殺せそうな、そんな凄みを利かせた睨みをこちらに向けてくる。

 

ナイフを両手に4本ずつ。ちょうど指と指の間に挟む形でこちらに投げる体勢を構えだす。

 

俺は咲夜を見てから、レミリアの方を見やる。

 

相変わらず灰色の状態で固まっているのが見て取れ、指を鳴らした状態で固まっているのだ。

 

俺はこの状態はひょっとしたら好機なのではないだろうか? そのような考えがふと頭の中に浮かんできた。

 

咲夜を討ち取れる可能性は低くとも、レミリアをその場で行動不能にする事が出来るかもしれない。と。

 

失敗すれば、現代兵器なしで二人同時に相手をしなくてはならないので、荷物を取り返す事が非常に難しくなる。

 

一度家に撤退すれば、荷物をどこかに隠される可能性が高いので、探す事が更に困難になる。

 

ならば、こちらから仕掛けて無力化を図る方が好ましいだろう。恐らく聞いても無駄だろうが……一応聞いてみるか。

 

「弾幕ごっこがこの幻想郷ではルールじゃないのかい?」

 

だが、この言葉に対して咲夜は全く反応を返してこない。唯々だんまりを決め込むのみである。

 

弾幕ごっこを知っている時点で幻想郷の住人であるという判断を下してくるはずなので、こちらに対して本物のナイフを投げつけてくる事は無くなるはずなのだが……。

 

恐らくこのまま待っていても反応を返してくるどころか、荷物すらも返ってこなくなるので、こちらから仕掛けてみる。

 

「じゃあ、荷物を返してもらいに行く……ここで死ぬわけにはいかないからね。一々構っていられない」

 

そう言うと、咲夜のプライドか何かを傷つけたのだろう。露骨に起こり、殺気をこちらにぶつけてくる。

 

首筋がピリピリとするが、そこは我慢をして

 

「睨んでも俺は死なないぞ」

 

更に挑発を仕掛けていく。恐らくこれで彼女が乗ってくれれば、こちらの手段も講じやすくなる。

 

ナイフを投げてすぐ後に、彼女には隙ができるはず。時間操作が効かないのだからこそ、なおさら隙は大きくなる。

 

無論、彼女も隙をつくるつもりは毛頭ないだろうが、こちらのスペルカードも一瞬であるため、より効果が大きくなるはずなのだ。

 

そして、俺の言葉にカチンときたのだろうか。咲夜は眉間に皺をよせ、死になさいと短く言葉を紡ぎながらナイフを5本ほど投げつけてくる。

 

俺はこの瞬間、これこそが好機であるととらえ、咲夜に向かって走り出す。

 

「ちっ!!」

 

投げられたナイフが全て砕け散った事に苛立ちを覚えたのか、舌打ちをして更に多くのナイフを投げつけてくる。

 

無言で一気に彼女にまで近寄る。

 

彼女が近接用にナイフを持ちかえても、俺は構わず彼女の目と鼻の先にまで近づく。

 

あまりにも常軌を逸した行動だったためか、咲夜の驚く顔が眼に映る。

 

攻撃が効かないのもそうかもしれないが、近接用に持ち替えても全く動揺しない俺に驚いてしまったのだろう。

 

だが、それこそ大きな隙を創ってしまった要因の一つ。

 

ゆっくりと紙のカードをかざし

 

 

 

水煙「視界強奪」

 

 

 

そのように宣言する。

 

「しまっ―――」

 

咲夜がうめくように声を絞り出したと同時に一瞬で猛烈な水煙が部屋を埋め尽くそうとする。

 

一瞬で咲夜が見えなくなるまで水煙が発生し、俺の姿を彼女の視界から隠していく。

 

これで何とかなるだろう。

 

そう思いながら、彼女の居たであろう場所付近から即座に離れ、反撃に備える。

 

「この、邪魔よっ!」

 

そんな声とともに、煙が払われる風切り音がブンブンと周囲に木霊す。

 

「一体貴方は何なの! この時間の中で何故動けるの!!」

 

どこにいるか分からない俺に対して探るように答えを求めてくる咲夜。

 

恐らく声を出したら確実にナイフを投げてくるだろう。

 

時間操作が通用しない以上ナイフを投げまくるのは効率的ではないから、むやみやたらにナイフを投げたりしてこない。回収もろくにままならないだろう。

 

「出てきなさい! この得体のしれない化け物!」

 

なんともひどい事を言ってくる。

 

確かに彼女たちからすれば、俺は完全に得体のしれない化け物なのかもしれないが……。

 

だが、彼女の言葉に返すことはできない。

 

次のスペルカードを発動させれば彼女の言葉にも返す事が可能となるだろう。返す暇があればの話だが。

 

俺はそのような事を考えながら、ゆっくりともう一枚のカードを創造してから、宣言を開始する。

 

 

散水「スプリンクラー」

 

○郎「ニンニク入れますか?」

 

 

二つ同時なんて反則なのかもしれないが、そんなのはどうでもいい。

 

未だ能力が解除されていないこの灰色の世界。白い水煙が立ち込め、この場にいるのは俺を含めて二人と一妖。

 

この中で水とニンニクの影響を受けるのは一体誰なのか? 濡れたら後で風邪をひいてしまうとかではなく、即効性のあるモノとして。

 

レミリアしかいないのである。

 

吸血鬼は流れ水を渡る事が出来ない。そればかりか、流れ水に当たると力が抜けてしまい、本来の力のほとんどを発揮することができないモノと化してしまう。

 

俺はカードをゆっくりと宣言してから、水が降り始めるのをひたすら待ち続ける。

 

ポツリ……ポツリ……

 

頬に当たり始めた水滴は、数瞬後に猛烈な勢いへと変化していき、髪の毛と服を濡らしていく。

 

内部領域が、これでは拙いと判断したのか、雨粒を排除し、服を乾かしてくれる。ちょうど見えない傘が頭上を覆っている形と言えば良いだろう。

 

水煙が、雨によって湿気が増したから収まったとかは分からないが、とにかく段々と視界が回復しつつあるのは分かる。だが、レミリアの様子はまだ分からない。

 

せいぜい手元が分かるようになった程度である。

 

また、雨に混じり刻みニンニクが大量に降り注いでくるのだが、幸いにも俺には当たらずレミリアと咲夜にだけ当たってくれるらしい。

 

嫌がらせ以外の何ものでもないが、吸血鬼に対しては精神的なダメージも期待できる。

 

と、その時である。

 

「お嬢様っ!!」

 

突然咲夜が、悲鳴のような叫び声を上げたのが分かった。

 

そしてそれとともに時間停止が解除され、窓ガラスがぶち破られて室内の換気が急速に行われていく。

 

恐らく彼女がこの水とニンニクに晒されたレミリアの身を案じているのだろう。声の質からしても桁違いに悲痛さを持っていた。

 

俺は換気が行われて、扉が見えるくらいにまで視界が回復してから、行動を始める。

 

降り注ぐ水とニンニクは未だやむ気配が無く、このスペルカードを保持し続けていられる1分ちょっとの時間が、レミリアを引き離せる唯一の時間になるのだ。そして、同時に咲夜も。

 

俺はそんな事を脳内に浮かべながら、扉に向かって走っていく。

 

ジャンプで部屋に戻ってから、色々と対策を行うという手もあるかもしれないが、其れだと咲夜に捕まる時間に大した影響はないと考える。どの道咲夜を足止めしているのなら……というやつである。

 

だが、それほどすんなりいけるというわけでもなく。

 

「ふんっ!」

 

その声とともに、目の前の扉に巨大な閂がはめ込まれる。入ってきたときには分からなかったが、大きな閂用の枠が3つ程設置されていたのだ。そして片方の扉には回転するタイプの鐡性の閂が。

 

咲夜が霊力か何かで作動させたのだろう。重厚な扉がまるで牢屋の様に閉じ込めてくる様は、なかなかに威圧感が押し寄せてくる。いや、実際にこれは牢屋のようなものなのだろう。餌を逃がさないための……。

 

俺はこの唐突の閂の登場に

 

「なっ!」

 

思わず声を上げて咲夜の方を見てしまう。

 

その瞬間、俺の背筋が凍ってしまったのではないかと錯覚してしまった。

 

レミリアに上着を被せ、自らの身を盾にして雨から守る咲夜。

 

咲夜の目が、赤く光っているのだ。

 

見たことも無いような赤い目。ある種の芸術のようにすら感じるし、アルビノとは違った鮮やかな紅色は、思わず引き込まれてしまいそう……そう、蟲惑的で禍々しくておぞましい目。

 

そして、この目の意味を俺は知っている。彼女が怒ったときに現れる特徴の1つ。

 

俺はゆっくりと後ずさりながら彼女との距離を開けようとする。もう開ける距離もあまりないという事を知っておきながらも。

 

「よくもお嬢様を……よくも……母さんを……」

 

「ううっ…………」

 

思わずその声にうめいて後ずさってしまう。

 

相手は紫でも幽香でも藍でも、幽々子でもないたかが人間のはずなのに……一体どうしてこんなに恐怖心が増してくるのだろうか?

 

長い事吸血鬼等と言った人外達と暮らしてきた影響なのかは分からないが、彼女からは人間ではない何かを思わせるモノを感じさせる。

 

そして数秒の時が過ぎ、スペルカードの時間制限を迎え、撃破判定となる。

 

魅入られてしまったかのように体が動かない。

 

ゆっくりと立ちあがり、ぐったりとしたレミリアを抱え、椅子へと運ぶ咲夜。さすがに力が抜けきっていてこちらに攻撃する事も出来ないであろうレミリア。だが、彼女の眼はこちらをジッと睨んでいるのが分かる。

 

一体どうしてお前がこのような事をできるのだ。一体何故お前は攻撃を食らわない、時間停止の中でも動けるのだ。そのような言葉が投げつけられているように感じる。

 

そしてゆっくりと座らせた後、咲夜こちらに振り向き

 

良くもお嬢様をやってくれたな……私の大切な家族を良くもやってくれたな……。

 

そのような事を呟いて、近づいてくる。

 

だが、流石にこれ以上動けないでいると拙い事になるのは間違いないので、俺は彼女に向かって

 

「自業自得だ!」

 

そのように呟いて、扉と対面する。

 

ニンニク、水まみれのレミリア。何故かニンニクが当たっていない咲夜を背にして……。

 

 

 

 

 

 

攻撃に現代兵器などと言った危険に満ちたモノは使ってはならない。

 

紫からの警告である。

 

彼女からの警告は、今後の幻想郷での生活に重要な要素となり、様々な方面に影響を及ぼしてしまうという危険性を孕んでいるがゆえの言葉であった。

 

だが、今の俺はどうだろうか。

 

知らぬうちにこの紅魔館に連れて来られ、介抱されたと思えば、それは唯の極上の餌になるための下ごしらえだったにすぎなかったのだ。

 

そして、この状況。彼女から逃げるため、荷物を取り返すために俺は力を使っている。勿論、彼女との戦闘に本当の危険物を使うつもりなどは無い。

 

彼女は戦闘においてそのようなモノは使用してはならないと言ったのだ。後で怒られそうだが、この言葉の逆を採ってみるのはどうだろうか?

 

つまりは逃げるために。活路を開くために使うのはどうだろうか?

 

それならば、彼女の言っていた言葉に反する事もないし、何より傷つけなくても済む。一石二鳥……とは言えなくとも、少しばかりの利益はあると思う。

 

そう自己完結を行うと、俺は彼女が此方に到達する前に

 

 

IS○ZU「GIGA」

 

 

そう宣言して、創造を敢行していく。

 

咲夜は俺の宣言を攻撃だと察知したのか、後ろに飛んでレミリアの傍へと距離を大幅にとる。

 

宣言した瞬間、聞き取れるか聞き取れないかの瀬戸際水準の高音がけたたましく大広間に響き渡る。

 

「ちっ……何をしたっ!」

 

その咲夜の声が発せられると同時に、断続的且つ重厚な炸裂音が木霊すようになる。

 

インタークーラー付き無段階可変容量ターボ、排気量9.8リットル直列6気筒エンジン搭載型の大型トラック。

 

最高出力400馬力を誇る化け物を積んだそれは、10トン以上の何かを荷室に溜めこみ、80km/h程の速度で俺を閉じ込める巨大な扉に向かって一直線に突き進む。

 

一瞬で到達したGIGAは、ボディをひしゃげさせながらも、障子の紙を破るかのごとく、簡単に扉を吹き飛ばしていった。

 

金属のねじ曲がる独特の重い音、扉が弾け飛び、木が折れ飛んで行く軽く乾いた音。

 

耳を劈くほどの音を撒き散らしながら、館壁を削り、穿つ寸前でトラックを消去していく。

 

(よし、これで何とか……)

 

木片が撥ねる音しかしなくなった大広間。俺はすぐさまその木片の後を追うかのように、全力で走り始める。

 

と、そこである違和感に俺は気がついた。

 

(こっちも濡れてる……? ニンニクも大量に……?)

 

何故か俺の放ったスペルカード、スプリンクラーの水及びニンニクが此方の廊下にまで達していたのだ。いや、決めつけるのはあまり良くないが、それでもこれらは俺が出したモノと断定すべきだろう。

 

延々と続く廊下に、水の弾ける音が響き渡って行く様は、何か嫌な予感を俺に突き付けてきた。この状況は後々拙い方向に進むのではないだろうか? と。

 

そんな事を考えていると後ろから声が聞こえてくる。

 

「待ちなさいっ!!」

 

先ほどの余りの光景に一瞬目を奪われていた咲夜は、日頃からの訓練をしている成果だったのかはわからないが、一瞬で正気に戻って此方を追いかけ始めてくる。

 

逃げる寸前に確認した時は、彼女の眼は紅く光っていた。そして、それは怒りを表している事に間違いはないので、十分に後ろを意識しながら逃げて行く。

 

死ぬ事はないが、一々攻撃を受けるのは鬱陶しい上に精神的にも余り宜しくない。

 

木片を避けながら、走るのが非常に億劫である。飛んでしまいたい。だが、飛ぶと走るよりも柔軟な対応ができない上に、疲れる。

 

が、彼女の方が足は圧倒的に早いせいか

 

「捕まえた……」

 

此方を覗きこむかのように並走する咲夜がそこに居た。

 

「いっ!?」

 

その声を上げた途端、左手に持つナイフを素早く俺の首に殺到させる。

 

反応できない速度で迫ってきたナイフは、勿論内部領域に阻まれて砕ける。

 

「この、化け物っ!」

 

咲夜は破片から身を守るため、片腕を顔に持って行きながら、俺の進行方向に大きく跳んで立ちふさがる。

 

「この館に入れたのが間違いだったわ……あの場で殺しておけばよかった……」

 

腸が煮えくりかえっているとでも言った方が良いのだろうか、最早彼女は俺を殺すことしか考えられない様であった。

 

「お前達が勝手に俺を殺そうとして、それで反撃されたら怒る? 自業自得だろうが!」

 

売り言葉に買い言葉。不毛な争いが起こりそうであったが、すでに咲夜は舌戦ではなく、実力行使に移っていた。

 

何処から出しているのか分からない程の量のナイフを高速で投げつけてくる。

 

見た限りで30本以上はあるだろう。

 

全てが俺を殺そうと猛烈な速度で襲ってくる。

 

バキリバキリと当たる度に砕け、軌道を逸らし、一瞬で塵となっていくナイフ達。時間を止めて回収するという方法は採れないためか、咲夜が時間を止める気配はない。

 

こうも集中力を逸らされる攻撃をされると、ジャンプもできない……。

 

鬱陶しいことこの上ない。余りにも理不尽なこの境遇。待遇。

 

異変だから仕方がないと言われればそれでおしまいかもしれないが、異変に関して全く関係の無い俺が一体どうしてこのような目に会うのか。

 

考えても仕方がないのだが、このような事を考えるたびに、沸々と怒りが湧いてくる。

 

こんな極上の餌だと間違えられる日々。食らわないとはいえ、何時も何時もうまそうだと言われ、食べてみたいと言われ、肉を、血を、魂をよこせと言われる日々。

 

そして挙句の果てが、御嬢様の餌になる事を喜べときた。

 

確かに高次元体である恩恵は大きい。非常に大きいが故のデメリットなのだろうが、それでも数千年続いているのはもういい加減勘弁してほしい。

 

そのような諦め、虚しさ、悲しさが全て怒りへの燃料と化し、全て燃やされて行く。

 

自業自得である向こうの言い分は、俺の事等始めから死ぬモノだと決まっている。だから死ね。

 

助けた相手に言われるほど悔しく、怒りを覚えるものはない。

 

ソレらが全て繋がって、混ざりあって、グチャグチャの怒りに変わった時……俺はこの状況における対応を決めた。

 

(咲夜の攻撃はもう全部無視で行こう)

 

最初から説得などという無駄な行動はせず、こうすれば良かったのだ。と。

 

 

 

 

 

 

ナイフをいくら投げても何かが邪魔をしているのか、全く攻撃が通らない。

 

一体何故? そのような言葉が頭の中を支配してくる。いや、既に支配されているのだろう、グルグルと頭の中を引っ切り無しに飛び交っているのだから。

 

もうそろそろ隠し持っていたナイフ、霊力で精製できるナイフの量が尽きてしまいそうだ。

 

ひたすら男を殺すという目的を果たすために、ナイフを投げ続ける。少し俯いてその場に突っ立っている男の姿は何とも言えない気味の悪さを私に齎してくるが、そんな事を気にしている余裕など無い。

 

私の母をあんな目に合わせたのだから、命を持って償うのが……いや、命を持ってしても償えないだろう。

 

(拙いわね……)

 

次第に霊力が底を尽きかけているのが、身体のだるさで実感できる。

 

霊力で生成したナイフも、形こそ立派だが、中身が入っていない様にすら感じる。

 

と、その時

 

(こっちに向かって歩き始めた?)

 

軽く俯いていた大正耕也が、突如歩みを始めたのだ。しかも進行方向を変えずに真っ直ぐに此方へと。

 

目は此方ではなく、遥か後ろの方を見ているかのようで、一瞬人間ではないとまで思ってしまった私がいる。

 

(いや、人間のはずだ。霊力も魔力も妖力も無い唯の人間、外来人のはず……)

 

私はナイフを投げ終えると、すぐ近くまで歩いてきた、大正耕也の首を掻き切ってやろうと、ナイフを生成しようとする。

 

しかし、私の要望はナイフには届かなかった。

 

(ナイフがでない……?)

 

身体能力に回している霊力を回す事は死と直結すると美鈴に教えられている。ソレをこの幻想郷で暮らしていくうちに嫌というほど味わってきた。

 

だから、今回も回す事はできない。

 

だが、これでは自前の攻撃手段が徒手空拳になってしまう。あのナイフを砕く何かを纏っている人間に対して徒手空拳で挑む事自体が自殺行為、できるわけがない。

 

(ならば……)

 

私は周囲の壁に目を散らしていく。

 

(装飾兼非常用の武器を使うべきか……)

 

何らかのトラブルで、自前の武器や、弾幕が出せなくなった場合、尚且つ侵入者を排除しなければならない場合に限り、廊下に掛けてある骨董品の使用許可がでる。メイド長である私は現場判断を許されているので、使う事は自由である。

 

無駄なのか、それとも敵の盾には耐久性があるので、もう少し攻撃を続ければ破れるのか。

 

私は答えが定まらぬまま、壁に向かって走って骨董品達を手にする。

 

メイス、フレイル、モーニングスター、バトルアックス、ウォーハンマー、モール。

 

中世時代において使われていた様々な武器達。そのどれもが一級の殺傷能力を保持しており、私の力を食らったら一撃で相手は死ぬだろう。そんな威力を持っているのだ。先ほどのナイフとは訳が違う。

 

私はその攻撃力の高さに、若干の希望を持ちながら、一心不乱に歩いて行く大正耕也の後頭部めがけて、バトルアックスを振り下ろした。

 

「なっ!?」

 

その声しか出なかった。インパクトの瞬間、鈍い金属音が響き渡ったと思えば次には斧が簡単に弾き飛ばされ、砕け、天井に突き刺さってしまったのだ。

 

「な、何故……?」

 

斧の先半分が突き刺さってしまったのを茫然と見上げるしかできなかった。

 

そして、その結果に対して何の反応もせずに先へと急ぐ男に対して猛烈な怒りが湧いてくる。

 

何処まで私をコケにすれば気が済むのか。一体どうしてこんな事があり得るのか。

 

もう訳が分からない。怒りのあまり、涙腺が緩んで涙が滲んでくる。こんなに感情的になったのは何時以来だろうか?

 

そう言えば私は昔誰かに……………………

 

その考えが一瞬だけ顔を覗かせるが、私はそれに構う事無く、次々と武器を彼に振り下ろしていく。

 

遠心力を最大にして、モーニングスターを側頭部にぶつける。

 

またもや砕け、鉄球部分がグチャグチャになってしまう。

 

(何で……)

 

メイス。

 

大正耕也の正面に回って、顔面に叩きつけて死ぬ事を祈る。

 

 

(何でなのよ……)

 

全く効果を成さない……。意味がない。

 

続いてウォーハンマー。同じく吹き飛ぶ。

 

(何で効かないのよ…………)

 

他にもモール、ジャベリン、パイク等、様々な武器を使用して彼に攻撃を仕掛けたが、全く意味が無かった。

 

(どうしてこんなに無力なの……)

 

余りの悔しさに涙がボロボロとでてきてしまう。

 

目が紅いままで涙をボロボロと流す様は、さぞかし見物だろう。

 

何時しか私は大正耕也を正面から押して、進行を阻むことぐらいしかできなくなってしまっていた……。

 

「何で、なんで効かないのよ……」

 

悔しさのあまり、答えを求めるかのような言葉を発してひたすら進行方向と逆に押していく。

 

対する大正耕也は、話したくないとでも言うかのように、苦々しい表情を浮かべながら私の手を振りほどいて進んで行く。

 

振りほどかれては、また掴みかかって押しとどめる。また振りほどかれる。

 

ソレを何回か繰り返すうちに、大正耕也が歩かなくなり、立ち止まってしまう。もはや私も彼をどうしたいのか分からなくなってしまった状況下、このような事になっても困ってしまうのだ。

 

殺そうと思っても殺す事ができない。御嬢様の恩義に報いる事ができない。

 

そんな思考が渦巻く中、何秒か経っていると

 

「きゃっ!?」

 

突然、大正耕也が私を抱きかかえて後ろに放り投げる。

 

一体何故放り投げられてしまったのか? そんなに彼を怒らせてしまったのだろうか?

 

等とカーペットと視線を合わせながら考えていると、突然質量の大きい何かが吹き飛ぶような重厚な音が響き渡る。

 

まるで何かが爆発でもしてしまったかのような炸裂音、破砕音。

 

私は思わず、彼の方を振り向いてしまう。

 

(これは……)

 

そこにあったのは、博麗の巫女が使用する巨大な陰陽玉……の残骸と、ニンニクまみれの博麗霊夢と霧雨魔理沙であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




今回の話はいかがでしょうか? 御批評等をお待ちしております。


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109話 だから違うってのに……

どうもセロリです。最新話をどうぞ。


いやもう何回も言ってるでしょ……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

突然の事に、先ほどまでの怒りが吹き飛んでしまった。

 

俺の身長の五倍弱はありそうな巨大な陰陽玉。そしてその砕け散った陰陽玉が、プスプスと軽い音を立てながら煙を出している。

 

パラパラと飛散した欠片がポロポロ落ちるのを見ながら、俺は後悔をしていた。

 

スペルカードの効果範囲を見誤っていた……というよりも、俺の創造の効果範囲の限定をし忘れてしまっていたといった方が正しいのかもしれない。

 

完全なる誤算だった。あの時、彼女達に対してのみやったつもりだったのにも拘らず、紅魔館全体にやってしまったのかもしれないということだ。

 

大広間の外にまでニンニクやら水が侵食していた時から薄々感づいていた事だが……。

 

まだ紅魔館全体と決まったわけではないが、この延々と続く廊下にニンニクがあるという事を見る限り、相当な範囲に及んでいるという事だけは確かである。

 

そして、そのとばっちりを受けてしまったであろう、博麗霊夢と霧雨魔理沙。

 

2人ともずぶ濡れ、ニンニク塗れになっており、空中に浮きながら青筋を浮かべて俺の方を睨んでいる。

 

また先ほど後ろに退避させた十六夜咲夜は力が抜けた様にヘタってしまったらしく、俺と彼女等を交互に見ているだけ。

 

何とも不味い状況だと言えよう。

 

そして、何よりも俺は

 

(非情になるなんてやっぱできなかったか……)

 

先ほどの陰陽玉が此方に飛んできた瞬間、俺は咲夜が大怪我する事を恐れて、思わず自信の後ろに放り投げてしまった……なるべく怪我を負わない様に軽くではあるが。

 

案の定陰陽玉は俺の領域と接触してその強度限界を超えた後、見事に砕け散ってしまった。

 

本来敵ならば、あの瞬間に巻き添えにして漁夫の利を得る予のが常套手段のはずだったのだが、ソレが俺にはできなかった。

 

後ろに迫る陰陽玉を見た瞬間、どうしてもあの小さい頃の咲夜を思い浮かべてしまい、助けずにはいられなくなってしまったのだ。

 

紫や幽香からすれば、とんだ甘ちゃんと言われそうだが、俺はそのような非情に徹しきる事が出来なかった。

 

殺そうと躍起になっていた彼女を助ける……阿呆の極みではあるが、とりあえず今は目の前の状況を如何にかしなくてはならないと言ったところか。

 

そんな事を考えていると、フヨフヨと浮いている霊夢が此方に口を開いてくる。

 

「さあて、この異変の発生源は貴方かしら……?」

 

俺に軽く指を指しながらそのような事を述べてくる。

 

紅い霧の事ならレミリア。ニンニクと大雨なら俺の事。

 

もちろん

 

「お、俺じゃないよ?」

 

そんな事などすっとぼけて知らないと言ってみる。

 

 

「まあ、紅い霧の事なら違うかもしれないけれども……別の……ほら、この私や魔理沙に掛かってるニンニクや水の事については……?」

 

この確信めいた発言は、巫女の勘が成せる技と言ったところだろうか?

 

だが、言葉の端々に苛立ちの様なモノが見え隠れしており、元凶に対して怒りを隠せないようだ。

 

隣の魔理沙はニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべて此方を見てくる。

 

元来嘘を吐くのがあまり得意ではない俺にとって、彼女の言葉は随分と効果を齎したらしく、思わずスペカを持つ左手をピクリと動かしてしまった。

 

ソレを見たであろう霊夢は

 

「あらそう……魔理沙、図書館に行っていいわよ?」

 

そう言いながら後ろの方を指さして魔理沙の方を見て言う。

 

魔理沙は頷きながら、服に着いたニンニクを落し

 

「全く、乙女の肌にこんなモノを付ける奴の気が知れないぜ。掃除する身にもなってもらいたいもんだ」

 

そう言いながら、先ほど来た道とは逆方向、俺の進行方向へと引き返して行ってしまった。

 

この事に、俺は何とも言えない安心感を覚える。

 

もし、戦う羽目になれば、2人同時に相手をしなければならないのだから、1人減っただけでも大助かりである。

 

俺はその事に感謝しながら、今後の対応について考えて行く。

 

彼女が俺達に矛先を向けた場合について。

 

起りえない事であろうが咲夜のみであった場合、彼女自身の消耗度から鑑みるに、彼女と闘えば一瞬で敗北するというは想像に難くない。

 

そして、あの消耗度に加えてこの博麗の巫女を相手にしたら、間違いなく大怪我する。下手したら、当たり所が悪くて死ぬ……何て事もあり得る。

 

だから、俺が嫌でも介入しなければならない。本来ならば無粋極まりない行為かもしれないが、流石に咲夜が死ぬのは後味が悪すぎる。一度俺を殺そうとしてきた者に対してこのような考えを持つのは非情におかしい事かも知れないが、俺としては彼女を一度助けた事があるのだから、生きてほしい。

 

次に、俺に対してのみ矛先を向けた場合についてである。

 

俺に対してのみ矛先を向けた場合は、何とかして咲夜から距離を離す事ができるように、反対側へと誘導を行わなければならない。もちろん、戦闘を行ったとしても、彼女にはこの収まらぬ紅い霧を止めてもらうために、なるべく消耗させないと言う何とも困った条件付きではあるが。

 

いや、最初に咲夜を俺の部屋にジャンプさせれば良いか……?

 

そのようにすれば、彼女に被害が及ぶ事は避けられるし、霊夢との戦闘についても多少なりとも楽になる。

 

…………ジャンプを敢行するための集中時間を霊夢がくれるのならば……であるが。

 

本当に心を落ち着け、更には集中をしなければいけないジャンプは使い勝手が悪い。でなければ、幽々子や小町の時みたいに酷い目にあうからだ。何とか成功する事もあったにせよ。

 

とはいえ、このようなを考えた所で、彼女の対応がどうなるかは分からないし、できる事なら戦闘せずにコトを進めたいと言うのが本音である。

 

両方に襲いかかってきた時は、俺が抱きかかえて逃げるくらいの事をしなければ無理と言う可能性も無きにしも非ずである。

 

そんな事を頭に浮かべつつ、俺は霊夢の行動をひたすら待つ。

 

魔理沙が完全に視界から消えたのを見届けた霊夢は、再度此方に向き直り

 

「さあて、どうしようかしら?」

 

と、ニッコリと笑いながらおどけるように言ってくる。

 

笑ってはいるが、眼は笑っていない。

 

明らかに此方を怪しんでいるし、機嫌が非常に悪い。彼女と接していなかった俺ですら分かるのだ。良く接している魔理沙や紫からすれば、とんでもなく怒っている可能性もあり得る。

 

「私の勘だと、貴方がニンニクを降らせたって事になってるのよね」

 

(巫女の勘と言うのは恐ろしいな……)

 

彼女の言葉を聞いて、そのような感想を即座に頭に浮かべてしまった。

 

他にもできそうな輩の候補はいくつかあるはずなのにも関わらず、霊夢は俺のみを指差して言ってきたのだ。

 

勿論、俺ではあるが俺ではないと言う事を彼女に伝えておく。

 

「いや、だから俺じゃないって……」

 

そう言っては見るものの、霊夢は全く俺のことを信じてはいないらしく

 

「ふうん、そうは言ってもねえ」

 

そう言いながら、俺の方にまで近寄ってくる。目と鼻の先にとまではいかないが、両腕を広げたぐらいの距離までに近寄ってくる。

 

にっこにこしながら。

 

そして、霊夢は俺の身体をジロジロと見始める。まるで舐めるように色々と。足から頭の毛の天辺まで。

 

まるで俺の心の奥底の思いまで見透かすようで、何とも気味が悪く感じてしまう。彼女は一体何ぞ? と言う感じで。

 

霊夢はひとしきり俺の身体を見た後、口角を片方だけ上げて

 

「ほら、やっぱり貴方は唯の人間であるにも関わらず、ニンニクもついてないし、水にも濡れてない。そればかりか妙にこの状況に驚いていない」

 

そう言いながら、霊夢はピンと人差し指を天井に向けて

 

「術者以外にあり得ないのよ、こんな事。こんな短時間でね? しかも貴方は霊力を持っていない、本当に唯の人間……恰好は外来人みたいだけども」

 

見事な指摘である。仮にニンニクや水を防げたとしても、人間である以上多少なりとも動揺はしていないとおかしい。にもかかわらず、不自然な形で此処に居る。

 

つまりは、俺が発生源であると言う事。ソレを彼女は言いたいのだろう。

 

全く持って見事である。感心している場合ではないのだが……。

 

偶々範囲外に居たと言う事を言ってみるか……。

 

「いや、偶々その術の効果範囲外にいたのだけれども……」

 

そう言うと、霊夢は札を取り出しながら、目を細め首を傾げる。

 

まるで、これ以上変な事を言ったらシバくぞとでも言うかのように。

 

「それはあり得ないわ。ほら、そこにへたり込んでいるメイドと一緒に居たじゃない。片方だけが濡れてるなんてありえないわ」

 

やっぱりそうですよね。ええ、分かっていましたとも。どうせこんな事になるってのは分かっていましたとも、ええ。

 

とはいえ、なるべく……本当になるべく彼女と闘いたくないので

 

「いや、だから……例え、このニンニクが俺のせいだとしても、直接この紅い霧とは関係が無いんだって。むしろ俺は被害者だよ、抵抗するためにやったんだってば」

 

不可抗力でやったと言う事をアピールする。

 

霊夢は俺の言い分を聞いてから暫く考えていたのだが、ふと何か不思議に思ったのか

 

「あら、そこのメイドは何処に行ったの?」

 

と、そんな事を言ってくる。一体何が……?

 

俺はそう思いながら、彼女の言葉通りに首を後ろに向けて、一体何が起きたのかを確認する。

 

彼女の言葉から、大体の予想はついていた。嫌な予感しかしない事くらいに。

 

短い思考の後、振り向き切った時に俺の視界に移り込んでいたのは

 

(逃げたな……)

 

先ほどまでへたり込んでいた咲夜が、見事俺達の隙を突いて逃げおおせてしまったのだ。俺に対して害を与えるような能力使用方法では無かったため、領域が反応しなかったのだろう。

 

何とも拙い事態になったと言いたい。

 

正直な話、もう此処まで来ると、先ほどの考えが殆ど意味をなさなくなっており、俺のみに対して攻撃を仕掛けてくると言う事以外考えられなくなるのだ。

 

だから、酷い焦りが俺の心を揺さぶってくる。湧きあがってくる。

 

最初はチョポチョポとした湧水の様に軽い揺さぶりだったのにも拘らず、咲夜が逃げた瞬間、洪水のように噴出してきたのだ。

 

「に、逃げたのかな……?」

 

「まあ、逃げてるわよね。まあ、後でとっちめれば良いか……」

 

何とも物騒な事を言ってくる。如何にも異変を解決する巫女の様なセリフでもあるし、彼女自身の普段の飄々とした性分を如実に表しているようにも感じる。

 

異変に関わっている者は全てぶっ飛ばす。

 

そのようなスタンスで彼女は異変を解決していくのだから、解決しない異変など無いのだ。

 

咲夜が何処に行ったのか分からない霊夢は、俺の後ろ……つまりは、大広間へと視線を移して不敵な笑いを浮かべる。もうあそこがゴール地点だと言わんばかりに。

 

「さて……まずは貴方からね?」

 

霊夢はそう俺に告げると、微笑みながら再び上昇して距離をとっていく。

 

「だから俺は紅い霧とは何の関係もないっての! 此処は戦わずにはい、さよならで良いじゃないか」

 

そう反論してみるが

 

「ダメね、ひょっとしたら……って事もあるでしょう? 私の勘が外れてしまっているとか?」

 

そう言いながら、札を一気に20枚ほど片手に出してから構えて一言。

 

「ほら、構えなさいな。当たったら痛いわよ?」

 

もうどうしようもない。これはやっぱり戦うか逃げるかのどちらかしかないのだろうか。

 

そう思いながら、俺はゆっくりとスペカを出して彼女にある事を聞く。

 

「話しは変わるけど、巫女さん……俺と会った事……あるよね?」

 

あの幼い霊夢と一度会ったっきりではあるが、たかいたかいをしてあげた記憶が今でも鮮明に脳に記録されている。

 

「うん? 貴方と会ったことなんてないわよ」

 

紫が一生懸命霊夢を育てると告げてから、10年余り。紫さん、貴方の娘はとんでもなく凶悪になっております……。

 

とはいえ流石に咲夜と同じく俺の事を忘れているか……。まあ、幼少期に一度会っただけで、それから10年間会っていないのだから、忘れるのは当然だと言ったところか。

 

「本当に会った事無い……?」

 

そう確かめるように霊夢に言うと、霊夢は首を傾げてから顎に手を当てて考え始める。まるで自分が何時お前と会ったんだっけ? とでも言いたそうな表情を前面に押し出しながら。

 

そのままの姿勢で10秒程考えてから

 

「やっぱり会って無いわよ?」

 

結局彼女から出た言葉は否定であった。覚えていないと言うのがやはり普通なのだろうなあ……。

 

俺はそんな事を思いながら、ゆっくりと構えをとる霊夢に一言

 

「そうかあ…………じゃあ、もの凄くやりたくないけれども結局弾幕ごっこになるのかな?」

 

そう言いながら、霊夢と同じ高さにまで上昇してみる。

 

上昇しきったところで、霊夢が口を開く。

 

「ええ、逃げないでよ?」

 

思いっきり逃げる気満々であります博麗霊夢様様様様。

 

 

 

 

 

一瞬で視界を埋め尽くす針と札。

 

全てが俺に対して向かってくると言う訳でもなく、また全てが当たっても死ぬ事が無い危険性の少ない弾幕ごっこ。

 

とはいえ、当たればそれで負けは確定してしまうだろうし、何よりも俺もこれから幻想郷の住人になるのだから経験はしておきたい所。

 

…………な~んて事を思ったが、実際には逃げて逃げて逃げまくって、丁度霊夢が疲れ始めてきた所でドロンをする予定である。

 

そう思いながら、何とか隙間を縫って彼女の所に接近を試みる。

 

「あなた……弾幕ごっこは初めて?」

 

そう言いながら、霊夢は待ってましたとばかりに、札を方向転換させてくる。

 

その軌道は勿論俺がそのまま進めば確実にヒットするコース。

 

「おわっと!」

 

急激な攻撃に驚きの声を上げながら、何とか方向転換をしていく。

 

弾幕ごっこでは飛ぶのが普通……格闘もあるので勿論地上でも行われはするが。

 

俺は危なっかしく玉を避け、姿勢を立てなおしがら彼女を見据えてみる。

 

「ド下手くそ」

 

「はあっ!?」

 

何とも酷いその一言。

 

初めて? の言葉が来たと思えば、ぎこちないわねとか動きが堅いわよだとか色々と言い方があってもいいモノである。

 

しかし、彼女の発した言葉は何とも酷い、ド下手くそ。

 

思わず驚きと抗議を混合させた声を上げてしまった。

 

霊夢は当然でしょとでも言わんばかりに、ニヤリと笑いながらその通りとでも言わんばかりに、札を投げつけてくる。

 

誘導性を持ったそれは、一直線に俺へと向かい

 

「こんなに追ってくるんかい!」

 

避けても避けても追いすがってくる。

 

霊夢が射出する針や札を避け、一部の誘導弾を巻き込みながら紅魔館の廊下を逆に飛んで行く。

 

霊夢も勿論此方を倒すためか、追いすがってくる。

 

引き離す。

 

その意思を持って俺は飛ぶ事に全力を挙げる。しかし、悲しかな。どんなに振り絞っても原付の限界レベルにまでしか速度は上がらない。これは数千年間ずっと同じである。いくらやっても上がらない。

 

霊夢はそんな俺の遅さにクスクスと笑いながら、簡単に追いついてくる。

 

「不思議ねえ……。貴方見た所外来人になのに、空も飛べるなんて。おまけに私の攻撃を危なっかしくも避けてく……でも、センスが全く無いわね」

 

素質が全く無いと言われる始末。恐らく紫が真面目に教育したのだろう。原作で見るよりもずっと強く感じる。……いや、原作でも異常に強いのだが、更に落ち着きや分析力が上がっている気がする。

 

俺はそんなしょうもない事を考えながら、霊夢の言葉に返してく。

 

「センスが無いからどうしたって―――――言うんだいっ!」

 

そう言いながら、俺は通常弾のつもりである、水弾を次々と射出していく。

 

「ほい、ほいほいっと。……やっぱ下手くそよ」

 

霊夢の髪の毛を掠り、巫女服の一部を撫でて行く水弾。だが、彼女に当たる気配が全く無い。そればかりか、俺の攻撃を楽しげに、踊るように避けて行くのだ。

 

軽く100以上の水の弾を打ち出したのにも拘らず、まるで何も攻撃されていないかのような余裕を持ちつつ、更に俺を貶してくる。

 

「あまり逃げないでちょうだいな」

 

「うるっさい! こちとら急いでんだよ」

 

「知ったこっちゃないわ」

 

次々と打ち出される彼女の弾。

 

もちろん、俺だってそう簡単に捕まる訳にはいかないから、何とか旋回飛行を続けて回避に重きをおいて逃げ回る。だが、確実に大広間から離れていっている。

 

勿論、この速度で飛んでいると言う事は前からくる風圧は中々のモノであり、雨が降った後でもあるせいか、やけに肌寒く感じる。

 

そして時折耳元をかすめて行く針が奏でる衝撃音。

 

ブンと重い音と共に直線の軌道を描き、壁に突き刺さって罅割れを形成させていく。

 

まるで弾丸のように俺を射止めんとする針。そして絡みつくように俺を追いかけ、包み込むような仕草をしながら攻撃を仕掛けてくる札の誘導弾。

 

霊夢の持つ攻撃手段はどれもが鬼畜であり、当たれば雑魚妖怪等一瞬で消し飛んでしまいそうだ。

 

と言うよりも、弾幕ごっことは思えないほどの威力を持っているのは気のせいだろうか? 気のせいだと信じたい。

 

ひたすら飛び続ける中、俺が全く撃墜されない事に苛立ちを覚えたのか

 

「何で下手くそなのに避けられてるのよ……いいわ」

 

そんな事を霊夢が述べてくる。

 

その瞬間、俺は何か嫌な予感がして後ろを振り返ってしまう。

 

「ちょっと痛いけど、我慢しなさいよ!」

 

振り向いた瞬間、霊夢が懐より一枚の紙を取り出し、宣言し始める。

 

 

 

霊符「夢想封印」

 

 

 

その宣言と共に霊夢の身体から虹色に輝く光の弾が、数発程滲み出るように顕現する。ジリジリと大気を焼くように球の形を保つ、霊夢の力の一部。

 

圧倒的な霊力がそこに込められていると言う事は俺にだってわかる。

 

分かるのも当然。なぜなら、こんなにも鳥肌が立ち、背筋がブルリと震えてしまったのだから。

 

「さて、食らってもらうわよ」

 

そう言うとともに、待機するように彼女へと突き従っていた虹色弾が、猛禽類のごとく俺へと襲いかかってくる。

 

「無理だっつうの!」

 

圧倒的な速度と威圧感、優雅さを持ったソレが迫ってきた時、俺はそのような情けない声を上げて逃げ回るしかできなかった。

 

しかし、霊夢の用意したスペルカードは、非常に執念深く俺を襲ってくる。

 

(まずいな……このままだと確実に当たる)

 

景色が飛ぶように流れる中、俺は高度を激しく上下させたり、左右に振ったりして壁に当ててやろうと思ったのだが、そうもいかず。

 

背後で一瞬だけ見た霊夢の顔が、ニヤリと笑った瞬間

 

「ヤバっ!」

 

正面から1発。

 

側面から2発。

 

後方より4発。

 

ソレを極短い時間の中で食らってしまった。

 

食らった瞬間の悲しみよりも、鼓膜に響き渡る轟音への驚きの方が優先されてしまっていた。

 

視界が真っ白になり、光と音以外何も聞こえて無くなる。

 

内部領域が働いているせいか、身体に対しての衝撃は全く無い。だが、食らってしまったの事実。一体これがどれほどのダメージになるのかは分からないが、もし領域が無かったら25%ぐらいは持って行かれただろうか? 等と言った事を呑気に考えてさえもいた。

 

漸く視界が晴れたとき、俺は丁度霊夢と対面する形になっていた。

 

先ほどの攻撃より、進行方向に飛ぶ力を入れていないため、唯の惰性で2人とも動いてはいるが、俺と霊夢の表情は見事に対称的だった。

 

「なんで何ともないのよ……」

 

先ほどの攻撃が予想していたよりも凄まじかったため、それに呆気にとられた俺。

 

攻撃を食らわないと言う事を目の当たりにして驚きの表情を浮かべる霊夢。

 

見事に対称的であった。本当に見事に。

 

 

 

 

 

 

 

「後4回食らったら俺の負けって事で! それじゃ」

 

霊夢の反応を無視するかのように、俺は反転して再度図書館を目指していく。

 

だが、いくら飛んでもそのような扉が見えてこないのは、恐らく咲夜が空間を拡張しているせいだろう。

 

ゲームでも相当な広さを持っていたのだから、如何に咲夜の力が強大かと言うのが分かる。

 

「ま、待ちなさいよ! 逃げるな!」

 

動揺を隠しきれなかったのか、霊夢が一瞬の間をおいて此方に追いすがってくるのが分かる。

 

一々後ろを気にしながら飛ぶというのも中々に面倒である。一度この勝負を引き受けてしまったからにはキッチリとやらなければならないのかもしれないが、此方としては付き合っている暇はない。

 

レミリアが此方に来ない間に何としてもパチュリーから荷物を取り返し、無事に地霊殿に戻らねばならない。

 

が、そのためには早めに戦いを終わらせなければならないのだが……霊夢に対してわざと弾に当たって負けるとか、だらけたりするとそれはそれで問題なんだろうなあと思う。

 

霊夢が怒ったら、それはそれで面倒な事になりそうだ……。

 

そんな事を考えながら、全速力で飛ぶ。

 

かなりの体力を消費してきてはいるが、此処で折れてはならないと自分を叱りつけて何とか速度を維持していく。

 

「この……」

 

と、その時。

 

いつの間にか追いついてしまったのだろう。すぐ後ろで霊夢の声がしたと思えば

 

「待ちなさいって言ってるでしょうが!」

 

その声と共に、俺の右腕を掴まれる。

 

その素早さゆえに反応できなかった俺は、掴まれて初めて彼女の存在が急接近していた事に気が付き、慌てて右方向を見てしまう。

 

霊夢は此方の方を見ながらニヤリとして

 

「弾幕ごっこは何も弾幕だけじゃあないのよおっ――――!?」

 

霊夢が何かを言おうとした瞬間、ガクンと急激に高度が下がり、霊夢が素っ頓狂な声を上げる。

 

突然霊夢が視界から消え、次の瞬間には俺の真下に来るようになってしまった。つまりは俺の腕に全体重が掛かるようになってしまったのだ。

 

勿論、彼女の全体重が掛かれば、嫌でも高度が急激に下がる事になる。

 

「な、何が起きて――――――何が起きてるのよっ!? あ、ちょ、ちょっと離さないで!」

 

急に空を飛べなくなった事に驚いてしまったのか、木登りをするかのように腕をしがみつかせて何とか空中に留まろうと必死になる霊夢。

 

勿論、此方としても落ちたくないのだが、余りの急激な重量増に付いていけなく。

 

「ちょ、ちょっと待ったあ!!」

 

「きゃあっ!」

 

仲良く一緒に地面に落ちる羽目になった。

 

スッテンコロリン何て可愛くではなく、何故か咄嗟に霊夢が俺を下敷きにしてドッスンゴロゴロといった具合である。

 

2人でもみくちゃになりながら、カーペットを転がる。

 

勿論、全て一緒に転がっていると言う訳ではないので、途中で霊夢が外れて別々に転がる。

 

眼が回って気持ち悪いという感想を抱く俺だが、霊夢は無事だろうか? なんて考えも同時に頭に浮かべていた俺。

 

だが、そのような余計な心配はいらなかったようで、クラクラする頭を必死に抑えつけながら立ちあがってみると、霊夢は顔を真っ赤にして何とも言えない怒りの表情を浮かべていた。

 

恥ずかしいやら、コケにされただのと複雑な感情が渦巻いているのが手に取るように分かる。

 

が、すぐにその顔を元の表情……落ち着いたモノへと抑えてからフッと笑って

 

「まあ、良いわ―――――」

 

その言葉を言った瞬間に、俺の眼と鼻の先にまで瞬間移動をして、眼を細めて囁くように

 

「格闘だってスペルカードルール内なのよ?」

 

小さく小さく言った後、霊夢は目にもとまらぬ速さで、何かをした。

 

「え?」

 

俺がそのような言葉を呟いた瞬間、まるで金属板をハンマーでぶっ叩いた様な激しい音共に、霊夢が吹き飛び、壁を崩壊させて別の部屋に突入してしまった。

 

一体何が起こったのか分からない。攻撃された俺自身が分からないのだ。後は霊夢が何をしたのか語るのを待つのみなのだが、生憎彼女は壁に大穴を空けて向こう側。

 

砂埃やら何やらで全く状況がつかめない上に、彼女があちらから出てくる気配すらない。

 

一体全体何が起きたのか分からない。一瞬で近づかれて、大きな音がしたと思えば……吹き飛んで向こう側に行ってしまった。唯それだけしか分からない。

 

何かしらの攻撃を敢行したとは思うのだが、ソレが何なのか分からないのだ。

 

俺は突っ立ったまま、このような考えを頭に浮かべていたが

 

(このまま逃げるべきだよな?)

 

そう思った瞬間

 

「全く。打撃も効かないなんて反則じゃない……鳩尾を狙ったのに」

 

巫女服についた誇りを手で払い、乱れた髪を元に戻している霊夢が、砂埃の中から出てきた。

 

打撃……俺の鳩尾部分に一撃をかましたのだろう。しかし、彼女は俺の内部領域に跳ね返され、その作用で思いっきり自分を吹き飛ばしてしまったと考えるべきだろう。

 

普通ならこんな事あり得ないのだが、この世界でそのような事は通用しないのだろう。

 

とはいえ、自分の打撃がそのまま跳ね返り、尚且つ壁にぶち当たっても大したダメージも無い所を見ると、どれほどの霊力を自分の防御に回していたのかがうかがえる。

 

才能の塊、そしてソレを腐らせずに真面目に育て上げた紫による効果が、今ここで発揮されているのだろう。

 

そんな事を思っていると霊夢は首をコキコキと鳴らしながら

 

「大体変だとは思っていたのよね。外来人の格好をしているくせに、空は飛ぶわ紅魔館のメイド長とやりあえるわ、挙句の果てには私の技すらも効かない……おまけに異変なのに此処にいる時点で犯し言ってモノよ」

 

そこまで言い切った霊夢は、息を大きく吸ってから

 

「でも、弾幕ごっこのセンスは零ね」

 

また痛烈な一言を突き付けてくる。もう勘弁してほしい。

 

「まあ、あんまり長引かせるのも拙いんだけども、それほど時間は経ってないし……行くわよ」

 

そう言いながら、再び霊夢が急接近してくる。

 

 

 

 

 

 

この訳のわからない男は一体何だろうか? どこかしら紫と似たような匂いがしてくる。……性格的にだけど。

 

恐らくこの男は姿恰好からするに、紅魔館に餌として招き入れられた外来人なのだろう。何とも御愁傷さまと言ったところだろうが……。

 

ピンチだったら私が問答無用で保護して外の世界に返してやるところだったのだが、私の眼に映ったのはあまりにも予想とはかけ離れた光景だった。

 

(男が圧倒してる?)

 

圧倒と言う言葉は正しくないのかもしれない。正確には彼女が追いすがって泣きながら彼を止めようとしていると言うところだ。

 

良く分からないが、彼は何かしらの手段を用いてあのメイド長を封じ込めたのだろう。

 

…………外来人が?

 

あり得ない。あのメイド長の実力ならば、外来人に等遅れを採るはずはない。そればかりか、一瞬で殺すこともできるだろう。

 

なのにも拘らず、一体何故彼が此処で生き残っているのだろうか? 何か特別なからくりが……。

 

そんな考えを頭に思い浮かべた瞬間、私は陰陽玉を発射してしまっていたが……防がれてしまったが……。

 

また、あの弾幕ごっこをしていたとき夢想封印や手を掴んだ時に突然空を飛べなくなってしまった事を鑑みてから、一つの答えに至ってしまった。

 

(攻撃無効化……? 確か昔紫がそのような能力があるとか何とか言ってた気がする……先ほどは覚えていないと言ってしまったがもしかすると……いや、10年も時間が経って記憶が正しい訳が無い。私の気のせいなのだろう)

 

と、そんな事を考えた所で私は砂煙をはたきながら立ちあがり、ゆっくりと彼の前に出て行く。

 

色々と奇妙な点やらセンスが全く無いと言う事を伝えてみたら、ションボリとしてしまっていたが、私は構わず

 

「行くわよ」

 

そのように言ってから、彼に攻撃を仕掛けて行く。

 

拳を固め、霊力を全神経、全筋肉に流し込み、腕の強度を最大にまで高めてから弾丸を撃ち込むように拳を前に出していく。

 

こん度は顔面。当たったら痛いじゃすまないのだが、それくらいをしておかないと彼にダメージは与えられないと考えて、一気に攻め込む。

 

弾かれてもまた打ち込む。側頭部、後頭部、指先を剣のように固めて肺への攻撃。勿論、刃物を突きさすように横に向けて。

 

しかし、またダメだった。

 

金的を試しても見たが私の足がジンジンするだけ、全く意味が無い。

 

打撃の威力は正直な話、スペルカードルール以前のレベルだったはず。それでも効かないのは本当に不思議だし異常だ。とはいえ、効かないのは事実であるし、捻じ曲げる事はできない。

 

ならば……打撃が効かないのならば寝技に移るのみである。

 

柔術系ならば全て習得しているため、素人であろう彼よりも勝機はでかいだろう。

 

背後に回って彼が驚いている隙に、もう一度正面に回り込んで彼の右腕を外側に、横に引っ張る感じで重心を崩しにかかる。およそ眼に見えぬ速度で行った事は彼にとっても十分な驚きと更なる威力の増加を期待する事ができるはず。

 

だが、思うように彼の重心が最後まで崩れない。崩れたら足を掛けてひっくり返せばいいのだが、ソレができる部分にまで到達する事ができない。

 

全く、これだからイレギュラーってのは困るわ。此方がスムーズに異変を解決できないじゃない。まあ、出会うやつ全て蹴散らしている私が言えた事ではないのかもしれないけれども。

 

そして、私が次の体勢に移ろうとして彼の身体から離れたとき

 

 

 

水煙「視界強奪」

 

 

 

そのような言葉が聞こえたと同時に、私の視界全てが白い水煙に包まれ、一切が見えなくなってしまった。

 

あ~あ、仕方が無いわね……今回は諦めて次に行きましょうか……今度会ったらニンニクの件でとっちめてやるけど。

 

それにしても妙だ……名前も知らないが、彼の腕を掴んだ時に霊力も能力も使えなくなってしまって、飛べなくなるなんて……。

 

少し……と言うよりも、かなり不気味ね。

 

 

 

 

 

 

 

危ない。何とか逃げ切った。

 

一瞬の隙を突いて、水煙を発生させて霊夢の視界を奪った後、全力で飛んで窪みのある部分に隠れているのだ。

 

もう彼女が追ってくる気配はない。そればかりか、段々と落ち着きが俺に齎せて来ており、何とも言えない安心感が俺の身体を包む。

 

この窪みに入れたことを感謝しつつ、壁に寄り添ってから、また外の様子をうかがう。

 

どうやら本当に彼女はどこかに行ってしまったらしい。

 

そう思いつつ、暫く外をチラチラと見ていると

 

クイクイと服を引っ張られる。

 

「ん?」

 

何ぞやと思いながら、俺は振り向く。

 

「げっ!?」

 

視界が悪く、窪みだと思っていたのはどうやら部屋に続くための通路だったらしい。しかも地下……。

 

そう、目の前にいたのは

 

「一体何が起きてるのよお……ぐすっ」

 

大きくくりくりした目をウルウルとさせ、涙をボロボロと流しながら鼻水を啜るフランドール・スカーレットがそこにいた。

 

 

勿論ニンニク塗れでずぶ濡れ状態の………………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




今回の話はいかがでしょうか? ご批評を宜しくお願い致します。

今回の霊夢は、軽めの戦闘です。本気の戦闘をやると耕也も現状のスペカ何てモノでは対応できなくなってしまうので……。


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