魔法科高校の留年生 (火乃)
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二〇九六年
入学式1


初投稿になります。
よろしくお願いします。


二〇九六年度 国立魔法大学付属第一高校入学式。

 

 会場となる講堂の前に多くの新入生が集まっている。率先して中に入っていく者、様子を見ている者と様々。そんな講堂入口を気怠げに見ているのは、講堂から少し離れたところにあるベンチに座った男子生徒一人。

 彼は「はぁ」とため息一つつきぼんやりと空を仰いだ。空は入学式に相応しく、清々しい青空。「空は青いな」などとぼやきながら意味もなく空を見続ける。このまま誰にも気付かれる事なく入学式が終わってくれないだろうか、などと淡い期待を抱くもその期待は見事に裏切られるのだった。

 

「どうしたの? もうすぐ始まるよ」

「さっさと中に入ったらどうだ」

 

 片方は女性の声、もう片方は男性の声。それらは見知らぬ人にかける口調ではなく、よく知った相手に向けての口調。仰いでいる空から視線を降ろすと、目の前に背の低い女子生徒と真面目そうな男子生徒が立っていた。

 

「いやいや、お前らこそここにいちゃいけないだろ」

 

 ベンチに座っている男子生徒は二人を見るや隠す気もなく顔をしかめている。彼は二人の役職を知っていた。だからこそ、ここに居ないで仕事に戻れと手で追い払う仕草も付け加えている。

 

「お前が入ったら行くさ」

「キミの事だから、ここにいるだけで入学式に参加したとか言うつもりだったんでしょ?」

「チッ」

 

 顰めっ面や仕草を気にすることなく言い放たれた女子生徒の言葉にこれまた隠す気もなく舌打ち一つ。

 本来なら彼は入学式に参加する必要はない。だから、彼女の言葉通りやり過ごすつもりでいた。

 

「ほら、行くぞ。何事も始めが肝心なんだからな」

「はぁ、わかったよこの真面目野郎め」

 

 促されるままベンチから立ち上がり、両腕を上げて背中を伸ばす。一回深呼吸したあと、二人の間を通り抜けて講堂へと歩き出した。

 

阿僧祇(あそうぎ)

「阿僧祇くん」

 

 そんな二、三歩進んだところで、二人から名前を呼ばれ足を止める。

 

「なんだよ?中条、服部」

 

 振り返ると二人─中条あずさと服部行部─が笑っているではないか。急な笑顔に身構えると同時に、二人から言葉が贈られた。

 

「おかえり。またよろしくな」

「おかえり、またよろしくね」

「……」

 

 「おかえり」「よろしく」なんて、彼が意識を取り戻してから家族、友人達に何度も言われ続けた言葉だった。それを学校で改めて言われるとは思ってもいなかった。予想だにしなかった言葉に、やたらと嬉しさが込み上げてくる。おかげですぐに言葉を返すことができないでいた。

 

「どうしたの?」

 

 そんな、言葉を返せないで居る彼を見ながら二人は笑ってる。二人とも彼がどういう気持ちかわかっているのだ。そして彼もわかられているからこそ、いつもなら恥ずかしくて言葉を濁すところを、濁すことはせずに素直に言葉を返していた。

 

「……ただいま、またよろしくな」

 

 ここから、阿僧祇紅葉の二度目の魔法科高校一年生が始まる。

 




ここまで読んで頂き、ありがとうございます。

メインは、2096年の一年生(七草、七宝etc)と三年生(服部、中条etc)とオリキャラの阿僧祇くんです。



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入学式2

 講堂に入った所で、紅葉を見張っていた服部とあずさは自分の仕事をするために持ち場に戻っていった。このままとんずらしようかと紅葉は考えたが、あとであの二人から小言の嵐を見舞われそうだと思い大人しくしていることにして、ちらほら空いてる席に腰をおろしていた。

 

「主席って七草(さえぐさ)じゃないんだな」

 

 始まるまで少し時間があるようで適当にぼーっと天井を眺めている紅葉の耳に、隣の雑談が入ってくる。

 

「確か七宝くんでしょ」

「そうそう、七宝琢磨(しっぽうたくま)。なんでも男子の主席って久しぶりらしいな」

「なんか意外だよね」

 

 確かに、と紅葉は思い出す。

 彼の代は中条あずさが主席で、一年上も女子生徒が主席。一年下も聞いたところによると女子が主席だったらしく、少なくても三年ぶりの男子主席になる。その主席が入学式にやることと言えば答辞になる。

 

「くくく」

 

 不意に笑いがこぼれる。彼が思い出したのは自分の代に行われたあずさの答辞。何が笑えたかと言うと、一言で言えば『酷かった』である。言葉を噛む、手順を間違える、涙目になる、動かなくなるなど、いくら緊張を理由にしても厳しいものだった。彼女が自分たちのトップで大丈夫か?なんて一科、二科生関係なく思ったに違いない。

 そのあずさが今や生徒会長である。

 紅葉はそのことを初めて聞いた時、何度も耳を疑った。全身を弄られた後遺症で耳もおかしくなったか、などと思いもした。しかし、苦笑いで肯定する服部達がいたので信じるしかなく、服部達がいなかったら彼は、自分の目で見るまで信じなかっただろう。

 

「泉美、さっきのナンパ男の事知ってるの?」

 

 色々と思い出していたら、前の席に座った女子の会話が聞こえてきた。入学式に似合わない単語が聞こえたため興味を惹かれる。紅葉はそちらに聴覚を集中していた。

 

「ええ。……もしかして香澄ちゃん、本当に知らないんですか?」

 

 後ろから聞いているため女子二人の表情はわからないが、片方の女子の声色には呆れを感じられた。その会話にいるナンパ男というのは有名人らしい。紅葉は学校の状況を服部達から色々と聞いてはいたが、有名なナンパ男がいるとは聞いていなかった。新入生か?などと思っていると

 

「お名前は司波達也先輩。去年は二科生でしたが、今年から魔法工学科に転科された方です」

 

 ナンパ男の名前が出てきた瞬間、思わず吹きかけた。

 司波達也という名前は、彼が服部達からよく聞いた名前だったからだ。二科生であるにも関わらず風紀委員になって活躍したり、九校戦でエンジニアとして各競技で選手を入賞に導いただけでなく、新人戦モノリス・コードで優勝したり、全国高校生魔法学論文コンペティションの発表メンバーに選ばれたりと、話を聞けば聞くほど本当に二科生か?と思える人物だった。

そんな男がナンパ男とは思えない紅葉は、彼女の勘違いなんだろうなと思えてきていた。

 

「嘘……それじゃ、担当した選手はお互いに負けただけで、事実上無敗だったってこと?」

「ええ」

 

 紅葉が司波達也の情報を思い出している間も、二人の女子生徒の会話は続いている。もうナンパ男の正体がわかったことで興味がなくなった彼はこれ以上聞くのは失礼だなと聞くのを止めようとした。しかし、彼女たちから別の言葉が出たことにより再び二人の会話に耳が傾く。

 

「クラウドボールではお姉さまのサポートも務められていましたよ。香澄ちゃん、本当に気がつきませんでした?」

 

 『クラウドボール』で、『お姉さま』。しかも『司波達也がサポートした』ときたことで、目の前に座っている女子生徒が誰なのか、紅葉にはわかってしまった。

クラウドボールというのは九校戦の一競技の事。

お姉さまなのだから女子選手。

司波達也がサポートしたというのは、七草真由美だったと服部達から聞いていた。

 その情報をまとめると、クラウドボールで司波達也が七草真由美をサポートした、となる。さらにお姉さまと言ったのだから、この女子生徒二人は七草真由美の妹。

 

「(こいつら、七草の双子か!?)」

 

 七草の双子とは、数字付き(ナンバーズ)の間で知られている七草家の双子姉妹の通称。乗積魔法という高度魔法技術を使える事からこう呼ばれている。それに七草とくれば、現十師族の一つ。

 

「(さわらぬ神になんとやらだな)」

 

 これ以上、七草の双子の会話を盗み聞いてたら罰がくだりそうだと思った紅葉は、彼女たちの会話をシャットアウトして、あとはおとなしく入学式の開始を待つことにした。

 

 

 

 二年前の入学式とは違い、ハラハラする事なく入学式は終了。これで帰ってもいいはずなのだが紅葉は講堂入口で待たされていた。彼の隣には風紀委員の腕章をつけたイケメンが立っている。

紅葉が帰るつもりで講堂を出ようとしたら、背後から肩を掴まれたのだ。振り返ると、そのイケメンがニッコリと笑っていた。

 

「沢木……先輩」

 

 服部達同様に、イケメンは紅葉の知らない相手ではなかった。

 沢木碧。女みたいな名前だが正真正銘の男である。碧と呼ぶと極悪なパンチが的確に急所へ飛んでくるのでオススメしない。

紅葉が沢木の名前を口にすると、なぜか彼は笑い顔から訝しむ顔に変わっていた。

 

「どうかしました?」

「いや、阿僧祇(あそうぎ)だよな?」

「はい、そうです」

 

 紅葉が敬語で返答すると、彼の顔はますます訝しんでいく。

 

「なんで敬語なんだ?」

 

 沢木は紅葉が自分と同い年だから敬語の必要はないだろうと思っていた。しかし、紅葉にはそうはいかない理由がある。彼は沢木に身を引き寄せ小声で告げた。

 

「先輩は三年、俺は一年。意味わかりますよね?」

 

 紅葉だって、敬語なしで話したいとは思っている。しかしこうも周りに他の一年生がいては砕けた調子では話せない。

 

「それはそうだが」

 

 沢木としても彼の言っている意味はわかっている。しかし納得はしていない顔。

この後輩云々は入院中に服部達にも同じ事を言っており、その際も沢木と同じ反応だった。だから、紅葉はまったく同じ事を告げる。自分は決めた事を変えるつもりはないと。

 

「こっちは変えるつもりないので慣れてください、先輩」

「……仕方がない。慣れるとしよう、後輩」

 

 はぁとため息をついて沢木は諦めることにしたようだ。

 そんな沢木を見ながらうんうん、と頷きながら『しかしなぁ』と紅葉は考える。彼にとってこの敬語云々のくだりは、知っている三年に会う度起きるのが目に見えていて面倒だった。だから、どこかでまとめて伝えられないものかと思いながら、ふと疑問が浮かぶ。

 

「そう言えば、先輩はなんで俺を捕まえたんです?」

 

 そう、沢木が自分を捕まえている理由がわからなかった。登校初日から風紀委員に捕まるような悪い事をした記憶はない。

 

「お前を捕まえた理由か? それは会長からお前が帰りそうだったら捕まえるようにと言われていたからだ」

「どういうことです?」

 

 会長というのは生徒会長のこと。現生徒会長はあずさである。そのあずさからの指示で彼は捕まったらしく余計にわからなくなった。

 

「この後の事を聞いてないのか?」

「何かあるんですか?」

「聞いていないなら、楽しみにしていればいい。なに、悪いことじゃないさ」

 

 どうやら何かあるらしいが、紅葉にはまったく検討がつかず、逆に不信感が増していく。

 

「ここに居れば迎えがくるはずだ。帰ろうとしても無駄だぞ。校門には服部が控えているからな」

「マジですカー」

 

 それは絶対に逃げられないなと、深いため息が出る。その反応が良かったのか、沢木が笑っていた。

 

「なんです?」

「いや、なんでもない。俺は中を片付けてくる。大人しく待っていろよ」

「……了解です。いってらっしゃいませ」

 

 言葉に不満成分を乗せて嫌みったらしく言うが、沢木は気にした様子もなく講堂の中へと去っていった。沢木がいなくなったことで、小さく息吐いてから空を仰ぐ。

 

「何が待ってるんだろうな」

 

 誰に問いかけるでもなく、呟いた言葉は清々しく青い空に消えていった。



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入学式3

 紅葉が沢木と別れてから、三十分ぐらい経ったところで迎えがやってきた。その迎えとは当たり前だが紅葉を知っている生徒なのだが、彼自身がすぐには思い出せないでいた。

 

「や、久しぶりだね。阿僧祇くん」

 

 迎えに来た生徒の名前は歌倉 宗一郎(うたぐら そういちろう)。彼は二年前の紅葉のクラスメイトである。席が名前順で近かったこともあり、二人は普通に話せる間柄だった。性格は物静かで積極的に行動するタイプではない。

 そう紅葉は記憶している。だから明るく呼びかけられた時、紅葉は最初、誰だかわからなかった。

 

「…………?」

「ちょっと! 忘れてるとか酷いなあ。歌倉宗一郎だよ!」

「あ、ああ。歌倉……先輩でしたか。あー、確か……に?」

 

 言われてハッとするもまた首を傾げる。さらには顎に手を当てどこかの探偵じみたように考えるポーズになっていた。

 

「なんでまだ疑ってるの?!」

「いやだって、そんな明るい性格してました?」

 

 紅葉は頭の中で二年前の記憶と今の宗一郎を重ねていた。身長や顔付きが少し成長しているが彼が歌倉宗一郎というのは理解できる。しかし、この明るい物言いはまったく一致していなかった。

 

「そういう事ね。確かに一年生の時は暗かった自覚はあるけど、色々あったんだよ。変わりもするさ」

「あー、そこら辺は会長とか会頭から聞いてますよ。大変だったみたいですね」

 

 色々とは、一高襲撃事件やら横浜事変など去年あずさや服部、宗一郎が二年生の時に起きた出来事を言っている。紅葉があずさ達からその話を聞いた時は一年間にしては濃密すぎやしないかと思ったほどだ。

 

「あの大変さ、キミにも味わってほしかったよ。……ここじゃなんだから歩こっか」

 

 特に行き先は言わずに歩き出した宗一郎を追って紅葉はようやく講堂から離れることができた。そして紅葉が隣にきたところを見計らって会話が再開する。

 

「でも、キミの方が大変だったんじゃない? 九校戦後に入院したって聞いてたのに、二学期が始まった時に休学になったって聞いてビックリしたんだよ」

「あー(そういえば学校にはそう(・・)伝えてたっけか)、ご心配おかけしました。事故にあって治すのに時間がかかりまして」

 

 不意に休学するまでの話になったが、元級友に会えばその話になるのはわかっていた。だから紅葉は嘘をつく。入院していたのは事実だが、入院に至るまでの経緯はとても話せるものではない。

 

「そういうことだったんだ。完治したんだよね?」

「もちろん。治ってなきゃ復学出来ませんって(完治はしてないけどなー)」

 

 笑いながら問題なし元気ですアピールをするが、心の中ではぼやいてしまう。自分の身に刻まれている(・・・・・・)モノが消えない限り完全に治ることなど有り得ないからだ。とはいえ、完治してませんなんて言えるわけもなく、これ以上心配させたくもないので紅葉は嘘をつき続ける。

 

「それもそうか。良かった」

 

 しかしながら、宗一郎の嘘をつかれているなんていっぺんも思っていない笑顔に罪悪感から顔を背けたくなった。というか、背けようとした。

 

「ところで阿僧祇くん」

 

 しかし改めて呼びかけられてしまい、背けることもできず

 

「なんです?」

 

 無視することもできないので聞き返すしかない。

 

「その敬語やめない?」

「……今更ですね」

 

 紅葉は数瞬止まる。宗一郎が迎えに来てからそこそこ時間が経っているのだから本当に今更な話題をふられては止まってしまうのも仕方がないだろう。

 

「いや、だって、キミから敬語で話されるとか違和感しかないし」

「いままで違和感なく喋ってたじゃねーっ……話してたじゃないですか」

 

 思わず素のツッコミをしかける。途中で言い直したが、その慌てた様子を笑って見られたので恥ずかしさを紛らわせる為に睨み返していた。

 

「キミが勝手に自爆しかけたんじゃないか。ほら、敬語のままだと話しづらくない?」

 

 昔ならこの睨みだけで黙らす事が出来たのにな、と思いながら隠すことでもないかと紅葉は敬語を続ける理由を話すことにした。

 

「一年生に留年してること言う気がないんですよ。わかるとは思いますけど、一年生初期ってプライドガッチガチな連中が多いじゃないですか。そんな連中に余計な情報与えて肩身狭くなるのは勘弁なんですよ」

 

 一年、さらに一科生だとエリート思考が強いためかプライドがやたら高い生徒が多い。そこに理由がなんであろうと留年しているなんて言えば誹謗中傷ややっかみを受けるのは容易に想像がつく。そうなってしまうと悪目立ちしてしまい自由に行動できなくなってしまう可能性があった。だから少なくても今の三年生が卒業するまでは留年していることを言わないと決めていた。

 

「そんな訳で楽しい高校生生活をおくるために、しばらくは敬語を続けさせてもらいますよ、先輩」

「そういう理由なら仕方がないかな。キミから先輩呼びされるとか薄気味悪いけど」

「気味悪いとか酷いですねー。ところで、いい加減どこに向かってるか教えてくれませんか?」

 

 雑談をしながら歩き続けているが時間はだいぶ経過している。沢木に捕まって待っていた時間を合わせると入学式が終わってから一時間も経っていることになる。

 

「んー、教えたいのは山々なんだけど、まだ連絡がこなくてね」

「なにを企んでるんです?」

「人聞きが悪いね。悪い事じゃないのは確かだよ。ま、もう少しつき合ってよ。なんだったら座ろうか」

「宛もなく歩くよりはいいですね」

「歩き回らせて悪かったって。飲み物奢ってあげるから」

「あざーっす」

 

 飲み物を買い適当なベンチに腰を下ろした二人はプルタブを開けてひと飲みする。宗一郎はひと息つき、紅葉はふた飲み目を仰いだ。

 

「そういえば今年は七草と七宝が同学年なんだよね。一悶着ありそうかな?」

「ぶっ、ゲホッケホッ」

 

 そんなところで予期せぬ事を言われて吹き出してしまう。

 

「ああ、ごめん。大丈夫?」

「たく、いきなり不吉なこと言わないでくださいよ。そいつらと同じクラスになる確率が高いんですから」

 

 宗一郎は謝りながらもは楽しそうに、他人事のように笑っていた。

 七草と七宝の間に確執があるのは魔法に関わっていれば耳にしたことはあるぐらいに有名である。特に家が数字付き(ナンバーズ)ともなれば、確執の中身を知らないわけがない。そして学校は全てを把握していることから、問題を最小限に抑えるためにも七草と七宝を同じクラスにしないはず。さらに七草は双子であるからクラスバランスから、同じクラスにするとは思えない。よって、三人別々のクラスになると紅葉は予想していた。

 一学年のクラスは一科生四クラス、二科生四クラスの計八クラス体制になる。三人とも一科生であるため四クラスで分かれるとなると、七草も七宝もいないクラスは一つだけ。回避する方が難しいだろう。

 

「しかし、同じになるなら七草の方がいいですかね」

「女の子だから?」

「そういうことです」

 

 口にはしないが、紅葉にはもう一つ理由がある。

 七宝家は、七草家との確執の対抗心で十師族への執着が強い。その家の息子ともなれば、影響を受けてない訳がない。実際、答辞で『常に上を目指し』と言っていたのを紅葉は覚えていた。普通なら向上心がある言葉として受け取る事ができる。しかし、確執理由を知っている彼としては、『上しか見ていない』と聞き取っていた。彼が穿った見方をしているのかもしれないが、七宝とは馬が合わないだろうなと思ったのが同じクラスになりたくない理由でもあった。

 

「七草と言えば、七草先輩だけど、あの人と性格は同じなのかな?」

 

 七草先輩と言われて、すぐ頭に浮かんだのは今年卒業した前生徒会長の七草真由美だ。紅葉と真由美は彼が休学する前、とある関係から彼女に名前を知られ、少し話せる関係ではあった。彼女の性格を思い出しながら、そこに双子の口調を重ねてみる。

 

「片割れは似たような感じでしたね。というか、七草先輩を割ってお転婆とお淑やかに別れた感じかな」

「ん? もう喋ったの?」

「いや、さっき入学式で俺が座ってた前に双子がいて、その会話が聞こえただけですよ」

 

 そこで宗一郎がニヤリと怪しく笑う。

 

「なるほどね。なら、どちらがいいとかある?」

「ほんっとに良い性格になりやがりましたね。後ろ姿しか見てませんから、どっちがいいとかないに決まってるでしょうが」

 

 さすがに後ろ姿と少しの会話しか聞いていないのだ。それだけでは判断しようがないと言うと宗一郎は残念そうな顔をしていた。

 

「なんだ、いい土産話になると思ったんだけど」

「土産話?」

 

 不思議な、それでいて悪い予感がするキーワードに逃げたい気持ちなる紅葉だが、そんな気持ちを抱いた彼を逃がさないとばかりにタイミング良く宗一郎の端末が震え、それを慣れた手つきで手に取り画面を見て笑った。

 

「ん、準備できたってさ。それじゃ行こうか」

「(鬼がでるか、蛇がでるか)」

 

 言い寄れぬ不安を抱きながら、紅葉は宗一郎の後をついて行き二人がたどり着いたのは第三演習室前だった。

 

「じゃあ、どうぞ」

 

 宗一郎はなんの説明もなく道を譲り紅葉を先に行かそうとするも、彼の足は前にでない。

 

「どうしたの?」

「いや、どうしたの? じゃなくて、ですね。この先に何があるんです?」

 

 演習室とは名前通り、魔法などの演習に使う教室である。授業以外で演習室を使う場合、何が多いかというと模擬戦や実技などで使われることが多い。まさかここにきて、誰かと模擬戦させられるのではと思ってしまったのだ。

 

「大丈夫大丈夫。なんにも悪いことじゃないから。さぁ入って入って」

「おい、ちょ、まて」

 

 紅葉の不安を余所に宗一郎は彼の背中をグイグイ押していく。演習室の扉が迫り、このままいけば扉に激突しかねなかった紅葉は扉に手をつき思いっきり押し開くしかなかった。

 

パン!パン!

 

「!?」

 

 紅葉が中に入ると小気味良い音が鳴り響く。それはクラッカー音。クラッカーはあずさや服部など見知った面々数人が持っていた。

 

「阿僧祇紅葉くん、復学おめでとう!!」

 

 間髪入れずに、祝福の言葉が贈られる。あずさの「おめでとう」を皮切りに全員から「おめでとう」が贈られた。

 

「……」

 

 当の言葉を贈られた紅葉は何が起きたのかわからないままボーッと目の前の光景を眺めていた。その中で何が起きたのかゆっくりと思い出す。

 演出室の中に入るとクラッカー音が鳴り色とりどりな紙テープが宙を舞い全員から「おめでとう」と言われた。

 

「(何がおめでとう? あ、俺の復学にか……)っ」

 

 そこで全てを理解したのがまずかった。入学式前にあずさ、服部から「おかえり」と言われた時と同じように心の底から嬉しさが込み上げてくる。そして目元に何かが溢れるのを感じた。

 

「(マテマテマテ。あー、くそ)」

 

 溢れ出るのは涙。咄嗟に手で目元を拭うも涙は止まらない。

 

「え、えっと、阿僧祇くん?」

 

 そんな、手で顔を隠し身体を振るわせている紅葉の様子に、この場を設けた首謀者中条あずさがワタワタと慌てている。彼女はまさか彼が泣くとは思ってもいなかったのだ。

 それを紅葉は指の隙間から見てしまったがため、今度は笑いがこみ上げてくる。

 

「ぷっくくく」

「あ、阿僧祇くん?」

 

 紅葉の泣きながら笑う姿にあずさはさらに戸惑う。彼は右手で顔を隠しながらあずさの様子を見つつ、左手で笑いを抑える様にお腹を抑えていた。器用なことをするなとあずさ以外が思っていると、ダムが決壊したような大音量の笑いがあがった。

 

「あははは! 苦しっ、死ぬっ、ひっ、ゴホッ……」

 

 息も絶え絶えに両手でお腹を抑える紅葉。しまいには笑いすぎて咳き込んでいた。

 

「阿僧祇くんが壊れた!?」

「ゴホッゴホッ、壊れてないわ! くっそ、こんなの泣くに決まってるだろうが! なのに、なんでお前が慌てるんだよ。あー、おっかしい」

「だ、だって泣くとは思わなかったんだもん」

「嘘つけ。完全に泣かせにきてる布陣じゃねーか!」

 

 改めて周りを見渡す。目の前にいるあずさの後ろに服部と五十里、その隣にいるのは当然とばかりにいる花音、帰ろうとしたところを捕まえにきた沢木、それに見覚えがあるのが数人と懐かしい面々が揃っていた。

 

「ふふっ、みんなで阿僧祇くんの復学を祝いたいって話してたら、集まってくれたんだよ」

「たく、暇人が多いことで」

 

 本来なら今日は入学式だけしか行われない為、入学式に関係がない生徒、すなわちこの場に集まった生徒の半数以上が休日になっていた。それにも関わらずこの場にいることに紅葉は照れ隠しからそんなことを言っていた。ただやはり、自分の為に来てくれたのは嬉しいのも事実。

 

「でも、ありがとうな」

 

 だから彼は微笑みながらそう言うのだった。

 

 

 演習室は軽い立食パーティーのようになっている。簡単に手掴みで食べれるサンドイッチや切り分けられた果物など様々な料理が置かれていた。紅葉はそれらを食べながら集まった元クラスメイトに話し回り、一休みとあずさと服部がいる場所に戻ってきたところだった。

 

「そういやぁ普通、演習室って飲食禁止なんじゃ?」

「教室や食堂だと知らない奴らに不審がられるからな。それは嫌だろ?」

「まあ確かに」

「だから今回だけ特別に許可貰ったの。先生も事情は知ってるからね。ちなみに料理は女子のみんなで作ったの。そして今、阿僧祇くんが食べてるのはよっちゃんと私が作ったんだよ」

 

 無い胸を張って頑張ったというあずさに微笑ましい瞳を向けながら、よっちゃんって誰だ? と思っていると二人の男女が近寄ってきた。

 

「あーちゃん。その呼び方だとそいつわからないと思うけど、まっいっか。やっほー、阿僧祇久しぶり」

 

 肩甲骨付近まである髪を首辺りで纏め、快活な雰囲気をまとった女子生徒が陽気に声をかてきた。こいつがよっちゃんかと思いながら、誰だっけと思い出していると当てはまるのが一人。

 

「えっと、久我原か?」

「まさかの疑問系?! そうよ、久我原黄泉よ! 私達、信号機トリオだったのに忘れてるとか酷くない!?」

 

 久我原 黄泉(くがはら よみ)。二年前、紅葉のクラスメイトであり、勝手に変なグループ名を作った生徒でもある。その変なグループ名、信号機トリオであるが、トリオなのだからもう一人巻き込まれた生徒がいる。

 

「それお前が言ってるだけだろ。そっちは柊か。久しぶりだな」

「ああ、久しぶり。元気そうで何よりだ」

 

 紅葉は黄泉の後ろにいる背が高く肉付きのいい男子、柊 蒼真(ひいらぎ そうま)に声をかけた。彼も宗一郎、黄泉などと同じく元クラスメイトである。そして信号機トリオの一人にカウントされている。

 黄泉曰く

 

『クラスメイトの名前を見ていたら紅葉(あか)蒼真(あお)がいる! 黄泉(わたし)入れたら信号機じゃない! これは仲良くするしかないわ』

 

 とよくわからない嬉しさから二人に声をかけて信号機トリオを結成したらしい。 

 

 閑話休題(それはともかく)

 

 蒼真は軽く手を上げて薄すらと笑みを返していた。

 

「ちょっとー! なんで蒼真のことは覚えてるのよー!」

「単なる消去法だ。ってのは嘘で柊は昔と比べて背が伸びたぐらいの変化だったからすぐわかっただけだよ。お前は……まぁ、変わってないところもあるが髪が伸びてて一瞬わからなかった」

 

 黄泉の身体を一瞥しある一点で目が止まる。そして一瞬だけ哀れみの目を向けたあと何食わぬ顔でわからなかった理由を言ってやった。

 

「ねえ、今どこを見たのかしら?」

 

 しかし黄泉はその一瞬の視線に気が付いていた。両手で自分を抱くように、控えめな胸を隠し顔を赤くしてプルプル震えているではないか。これは突っついたらダメなやつだと紅葉はすぐに察する。

 

「でも、やっぱり歌倉が一番ピンと来なかったな。性格変わりすぎだろ」

 

 だから、さわらぬ神に祟りなしとばかりにスルーしたのだが、

 

「無視するなー!」

 

 結局は黄泉が爆発。彼女のストレートパンチが鳩尾に突き刺さるのだった。

 

 

 

「そろそろいい時間だな」

 

 演習室に備え付けられているデジタル時計に目を向けた服部が、あずさに言う。あずさも時計に目をやり「そうですね」と相槌を打った。

 

「阿僧祇くん、そろそろ終わりにしたいと思います」

「おお、もうそんな時間か」

 

 苦しい時間は長く感じて、楽しい時間はあっと言う間だなと、自嘲してしまう。わざわざ自分から思い出すなよと頭を振って思い出した事を消してから、集まってくれた元クラスメイト達を改めて見回した。

 

「あー、それじゃ、お開き前にお前らに頼みたいことがある」

 

 各々の会話が止まり視線が紅葉に集まる。これから言う事はすでに何人かには伝えてあること。

 

「俺のことは後輩扱いしてくれ」

 

 数人が悲しそうな表情になる中、紅葉は説明を続けていく。

 

「一年二年に留年している事を知られると、面倒事が起きる可能性があるからな。そのフォローをするのが面倒くせぇ」

 

 しかし、続いて言われた彼の本音に悲しそうな表情をする生徒はいなくなり、みな苦笑いへと変わっていた。何人かは「本音ダダ漏れだぞー」と野次を飛ばしている。

 

「うっさい。俺は平穏な一年生を送りたいんだよ。あとは不用意に一年のクラスに来るなよ。俺もそっちには行かないしな」

「それは来いっていうフリかな?」

「フリじゃねーよ」

 

 最後は目の前にいた黄泉から言われた言葉を強く否定してから説明を終わらせる。周りから「了解ー」やら「ほーい」やら「いつ凸るよ」などなど、数名怪しい事を言っているが概ね後輩扱いする事を了承していた。

 

「まあ、そんなわけでこれからよろしくな!」

 

 こうして紅葉の復学祝のパーティーはお開きとなった。

 その後、紅葉は片付けを眺めていたのだが、数人からさっそく後輩扱いらしく「手伝え!」と命令が飛んできたので態度は渋々と、しかし笑って元クラスメイト達と片付けに勤しむのだった。



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生徒会1

 西暦二〇九六年四月九日。入学二日目の朝。

 

 登校後、クラスを確認して教室に向かう。教室に一番乗りでもなく、すでに数人の生徒がいる中、入ってきた紅葉を見るや数人が訝しむ顔をしていた。

 

「(ま、そういう反応になるよな)」

 

 彼は留年して一年生ではあるが、身体の成長が止まってる訳ではない。容姿は人並みに清潔さを保っていて、髪は男にしては長めで首あたりでまとめている。身長は175cmぐらいであり、筋肉もそこそこ付いている方になる。要は、中学上がりたてに見えない風貌をしているということだ。不審がられても不思議ではない。

 予想していた反応だったので、気にする事なく自分のID番号がある席を見つけて腰を降ろした。そしてすぐに、机の端末を立ち上げてインフォメーションのチェックを始める。各規則類、主だったイベント、年間行事など二年前に目を通してはいるが変更点などを確認しながら読み進め、受講登録の画面に入ったところで教室が少しざわついた。

 端末画面から顔を上げると、教室にいる生徒がみな教室の出入口に意識を向けている。それに習って紅葉も顔を出入口に向けると、ストレートの髪を眉の高さと肩に触れる長さで切りそろえている女子生徒が教室に入ってくるところだった。

 女子生徒は複数の視線を浴び慣れているのか、気にする素振りもなく自分の席つく。

 

「(七草か)」

 

 好奇の目に晒されるなど、紅葉のように不審な奴か、有名人のどちらかだろう。

 この学年で有名人は三人。そして女子生徒ならそれが七草ということは容易にわかる。七草が教室に一人しかいないという事は紅葉の予想通り、七草の双子は別々のクラスになったのだろう。結局当たりは引けなかったなと少し落ち込む。

 

「(まあ、誰と同じクラスになろうが関わらなければいいんだよ)」

 

 そう思うと興味が失せたので、止めていた操作を再開した。

 

 

 予鈴が鳴り、思い思いの場所に散らばっていた生徒たちが自分の席に戻る。立ち上がっていた端末が操作を受け付けなくなり、画面がリフレッシュされる。同時に、教室前面のスクリーンにメッセージが映し出された。

 

「(五分後にオリエンテーション開始と。ここら辺は変わらないな)」

 

 二年前と流れが変わっていないので、このあとの流れは大体予想できた。

 本鈴と共にカウンセラー担当の先生が来て、カウンセリングの説明が始まる。それが終わると各端末に学校に関するガイダンスが流れ、選択科目の履修登録を行って、オリエンテーションが終了となる。彼が履修登録まで終わらせていたのは、履修登録が終わっていれば退席していい事を知っていたからだ。そして、本鈴が鳴ると予想通りになり、最速で教室を出る事が出来た。

 

 

 

 一年生は入学二日目で早速授業が始まる訳ではなく、先輩達の授業を見学出来る期間が今日明日と設けられている。

 これは専門課程に馴染みの薄い新入生の戸惑いを少しでも緩和させるための措置になる。しかし紅葉は二年前から魔法の授業を受けていた身なので、見学に行く必要はない。さらに、上級生は普通に授業が始まっている。彼をこき使おうとしている連中は、授業を受けていることになる。要は、彼は明日の放課後までは自由なのだ……と思っていた。放課後1-Bに彼にとって思わぬ人物が来るまでは。

 

「阿僧祇紅葉くん、それに七草泉美さんはいるかな?」

 

 放課後、紅葉が帰り支度をしていると教室が急にざわついた。『なんだ?』とざわついているもとに目を向けると思わず彼の口から「うげ?!」と変な声がでてしまった。それは仕方がないことだ。「いるかな?」と訪ねながら、視線をしっかり紅葉にロックしている三年生、五十里啓が立っていたのだから。

 すでに五十里によって視線ロックされていることから、「阿僧祇って誰だ?」とはならず、変な声を出してしまったことも合わさり紅葉に教室の視線が集まっていた。注目されている片方、七草は首を傾げて「私ですか?」という表情をしている。

 知らんぷりするのを断念してカバンを持って五十里に近づく。その目で『なんの用だ』と訴えるも、少し遅れて隣に泉美が来たことで五十里から返答は貰えなかった。

 

「こんばんは。生徒会の五十里です。少し生徒会室に来てもらっていいかな?」

「わかりました」

「……了解です」

 

 ここで紅葉は予定が変わったのだと気づいた。彼は昨日の復学祝の場の最後にあずさと五十里から明後日に生徒会に呼ぶと言われていた。それが何かの理由で前倒しになったのだろうと予想し、頷き返していた。

 

「泉美」

 

 教室を出ると、五十里の後ろにいたのか癖のない髪をショートカットにした女子生徒が現れた。七草の双子の片方、七草香澄である。

 入学式の時は後ろ姿しか見ることはなかったが、こうして改めて見ると二歳上の先輩に似ているところはあるなと妙な納得感を紅葉は感じていた。

 

「香澄ちゃんも呼ばれたのですか?」

「そうだよ。何の話しかな?」

 

 香澄は近くにいる紅葉の事は気にせず泉美と会話を始めた。紅葉としても無関心でいられた方がありがたいので、彼女たちに話かけることなく五十里の横について歩き始める。そして小声で問いかけた。

 

「で、前倒しって解釈でOKです?」

「うん。突然ごめんね。明日、別件が入って中条さんがいないんだ。だから、今日になったんだ」

「なるほど、それなら仕方がないですね」

 

 ここで五十里に適当な事を振って話を続けようとしたら、後ろを歩いている双子の会話が聞こえなかった。どうかしたんだろうか?と思い後ろを見ると、双子の目が紅葉と五十里に向いている。そして、紅葉の対角上だった為か香澄と目がばっちり合ってしまい彼女は慌てて目を逸らしていた。

 

「すみません、阿僧祇さんは五十里先輩とお知り合いなのですか?」

 

 恥ずかしくなったのか、顔を伏せてしまった香澄に代わり泉美が聞いてくる。

 

「ああ、五十里先輩とは家の関係で知り合いなんだ」

 

 さすがに本当の事、紅葉が留年していて二年前からの友人であると、いきなり言える訳もなくぼかした言い方になる。ただ、家の関係という点もあながち間違ってもいないので嘘ではない。

 

「そうなんですか」

 

 それだけで納得したのか、その先は聞いてこなかった。

 

「ねえねえ泉美」

「なんですか香澄ちゃん」

 

いや、

 

「彼、誰?」

「……」

 

 香澄の呆れた質問で聞けなかっただけに違いない。




ここまで二年生出てこず。


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生徒会2

「1-B阿僧祇紅葉だ」

 

 四人は生徒会室まで後少しという所で立ち止まっていた。それは香澄から「彼、誰?」発言の所為で香澄を除いた三人の足が止まった為なのだが。さすがにスルーするのもはばかれた為、紅葉は香澄に向かって自己紹介をした。香澄は泉美の呆れた目から逃れる様に彼に向き直り、

 

「1-C七草香澄、です。よろしく!」

 

 彼誰発言を誤魔化すように勢い良く自己紹介を返していた。

 中途半端に敬語なのは風貌で上級生と思っていたが、紅葉が1-Bと言っていたのを思い出して敬語をやめていたからだ。その証拠に香澄は泉美に「同い年?嘘でしょ」と耳打ちしている。

 

「香澄ちゃん失礼ですよ。すみません阿僧祇さん」

 

 紅葉の表情から耳打ちが聞こえている事を察した泉美が謝ってくる。

 

「気にしてない。こんな見た目じゃそう思っても仕方がないしな」

「えっと、あの、ごめんね、阿僧祇、くん」

 

 まさか聞こえてたとは思わなかったのか、慌てて香澄も謝ってきた。しかし、どっちつかずの対応に紅葉は苦笑いになってしまう。彼女は年上(のような見た目)の人には弱いのだろうか? と思うも香澄の見た目からは気にしないタイプのようにも見える。どの道、このどっちつかずなままでいられると紅葉もやりづらかったので呼び方を提案しておくことにした。

 

「呼び捨てで構わないぞ。同……じ一年なんだから」

 

 同い年と言いかけて、寸前で言い直す。さすがに同い年とは言えなかった。

 

「うん、じゃあ、よろしく阿僧祇。ボクの事は香澄でいいよ」

 

 少し不自然な言い方になってしまったが、香澄に気にした様子はないことに安堵するのもつかの間、泉美の「おや?」といった表情が、紅葉の言葉に違和感を持った事なのか、または香澄が呼び捨てを許可した事なのか、どちらなのかわからなくなってしまっていた。。

 

「(んー? 少し気をつけるか)なら、よろしくな香澄、それに」

「私も泉美で構いませんよ」

「……」

 

 紅葉は泉美の方を向いて、「七草」と呼ぼうとするもまさかの名前呼びを許可されて思わず面食らってしまった。

 

「なんですか?」

「あ、ああ、なんでもない。よろしく泉美」

「はい、よろしくお願いします、阿僧祇さん」

 

 お互いの自己紹介を終え、五十里が蚊帳の外になっている事を思い出した紅葉は彼の方を向く。すると彼は微笑ましい表情で紅葉達三人を見ていた。常に穏和な表情でいる五十里だから、本来ならこの表情はおかしくもなんともない。しかし、彼の目から『良かったね』と言われている気がして紅葉はイラッとした。

 

「なんですか?」

「なんでもないよ。それじゃ行こうか」

 

 だからつっかかった言い方になったのだが、五十里は微笑ましい表情を崩すことなく、踵を返して歩き出していってしまった。

 

 

 

 生徒会室に着いて中に入ると、生徒会役員が全員揃っていた。

 ロングテーブルの上座にあずさ、左隣に一つ席を空けて男子生徒、女子生徒、女子生徒の順で座っている。五十里が空いている席の近くにつき、それに合わせてあずさが立ち上がった。

 

「来てくれてありがとうございます。阿僧祇紅葉くん、七草泉美さん、七草香澄さん」

 

 生徒会長 中条あずさからの挨拶に三者三様の返事を返したところで、あずさの右隣に座るよう促された。紅葉達の着席を確認してから、なぜかあずさではなく五十里の左隣に座っていた男子生が話し始める。

 

「生徒会副会長の司波達也です。よろしく、阿僧祇君」

 

 名指しで挨拶されては、挨拶を返さない訳にはいかない。紅葉は当たり障りなく「よろしくお願いします、司波先輩」と返したのだが、そのちょっとしたやりとりで周囲から小さな緊張を感じとった。

 『ん?』と不審に思いながら、ざっと周辺に目を配らせる。知っている三年生の二人は除外して、挨拶をしてきた達也は平然とし、その隣にいる女子生徒、司波深雪はにこやか微笑んでいるだけ。ならと彼女の隣にいるもう一人の女子生徒、光井ほのかに目を向けると不自然な程に緊張した面持ちで、紅葉の方を見ようともしていなかった。その様子から自分の中でぼんやりしていた疑問が形になっていくのを感じた。

 

「(……まさか、ねぇ)」

 

 その疑問をより明確にする為に、自身の左側にいるあずさへ、彼女以外にバレないよう目を向ける。するとあずさは彼の目線に気づいてすぐに申し訳ないといった表情と共に目礼で返してきていた。

 

「(マジか。……どこから漏れた?)」

 

 妙な緊張感とあずさの表情と目礼から二年生三人に自分が留年している事を知られていると紅葉は確信した。しかし彼にとって留年していることを知られるのは問題ではない。問題があるのは知られてしまった経緯である。

 

「(中条……じゃないな。あいつらには口止めしてるからまずない)」

 

 あずさの表情から彼女が言ったのかと一瞬だけ考えたがすぐにそれはないと否定する。紅葉が復学する際、あずさ達に「一、二年生に留年している事を言う時は俺から言う。だから勝手に言わないでくれ」とお願いしていた。それにと、改めて思うのは、仮に彼女が言っていた場合、もっと罪悪感に染まった表情になっていると思っていた。

 

「(考えられるのは……あー、あの可能性があるのか)」

 

 チクタクチクタク……ポーンといった具合に頭に思い浮かんだ可能性に行き着く。その場合なら、仕方がないと思うしかなかった。

 

「(生徒会ならでは、つーか、失念してた。……とりあえず確認はしないとなー)」

「それでは、私たちと阿僧祇さんの誰かを生徒会役員として取り立ててくださるということですか?」

 

 紅葉が一人で別のことを納得というか諦めたところで、達也と泉美で話が進んでいたことに気が付いた。大部分の話を聞き逃していた紅葉だが、泉美のまとめでなんとか理解することができた。

 話は達也と泉美が主導で進めていて、香澄はというと今にも吠え掛かりそうな目で達也を睨んでいる。

 

「深雪先輩とご一緒にお仕事できますなんて……夢のようです」

 

 一方泉美は真面目に話をしていると思えば、頬に手を当ててうっとりとため息をついていた。その視線の先にいるのは司波深雪。彼女は愛想笑いを浮かべているだけだった。

 敵意むき出しの香澄と煩悩むき出しの泉美。あずさも五十里もほのかも二人の異様な態度に呑まれてしまっている。最初からこんな雰囲気になることを予想していたから、交渉役が達也だったのかもしれない。

 

「やる気があるなら全員でも構わない」

 

 全員と言われても香澄達の決定権を紅葉が持っているはずもない。紅葉は答えずに隣を見ると香澄の口が開くところだった。

 

「私に生徒会入りの意志はありません」

 

 生徒会への拒絶というよりは、別のことをすなわち司波達也を拒絶している強さが感じられた。

 

「香澄ちゃん、さっきから司波先輩に対して失礼ですよ」

 

 香澄のあからさまに刺々しい口調をさすがに看過できなかったと見えて、泉美がきっぱりと注意する。香澄の言葉に泉美以外も注意をするかと思ったがそんな事はなく、なぜかあずさ、五十里、ほのかは深雪を見て意外感を出していた。

 

「そう、残念ですね」

 

 三人の奇妙な視線を気にする様子もなく、深雪は泉美に向き直る。

 

「では泉美さん、生徒会に入っていただけますか?」

「喜んで」

 

 彼女を見詰める泉美のますます熱っぽさを増した眼差しを受けても、深雪の淑女の笑みは揺らがなかった。

 

「阿僧祇君は入ってくれるかい?」

 

 香澄達の交渉が終わったところで対面の達也が聞いてきた。

 

「はい。よろしくお願いします」

 

 迷う事なく即答。それはそうだろう。紅葉は復学を決めた時点でどんな事であろうと、あずさ達三年生から頼まれれば手伝うと決めていたからだ。

 

「では、阿僧祇くん、泉美さん、よろしくお願いします」

 

 こうして、紅葉の生徒会入りが決まったのだった。




阿僧祇くん、司波兄妹と出会う


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生徒会3

「それじゃ泉美、私適当に待ってるから終わったらメールちょうだい。先輩方、失礼します」

 

 これから生徒会でどういった仕事を受け持つかの説明が始まるところで、香澄が生徒会室を出て行った最後、達也に一睨みする事を忘れずに。

 

「司波先輩、香澄に何かしたんです?」

「何もしていないが」

 

 相当な事をしていないとあの様な嫌われ方にならないと達也に質問するも、当の本人に心当たりはないらしい。しかし、紅葉はふと入学式の時に聞いた、香澄が達也をナンパ男と言っていたことを思い出す。彼女のあの嫌い方からして単純に考えられるのはと、つい口にしてしまったのがいけなかった。

 

「もしかして香澄をナンパしました?」

「え?」

 

 紅葉の言葉に、達也が何をいきなりという驚きの表情になり、

 

「え?」

 

 泉美がなぜか驚き、

 

「え?!」

 

 ほのかが驚きの表情とともに勢い良く達也の方を向き、

 

「お兄様?」

 

 深雪の言葉から温かさが消え、

 

「ひっ」

 

 あずさは深雪を見て顔が青ざめ、

 

「……」

 

五十里は『あーあ』と苦笑いになっていた。

 

「(あ、やらかした?)」

 

 誰がどう見ても爆弾が落ちた後である。

 

「阿僧祇さん、詳しく教えて下さい」

 

 まるで彼女の背後に、吹雪が見える様に周囲に凍えた感覚+冷たい笑顔が紅葉に向けられる。これが噂に聞く氷雪の女王と呼ばれている理由か、と思いながら逆らえる雰囲気ではなかった。

 

「待て深雪。阿僧祇君は誤解をしている」

 

 しかし、紅葉が口を開く前に、これ以上爆弾を落とされたくない達也が割り込んでくる。そこから達也が香澄にナンパ男だと思われていた理由の説明が始まった。

 簡単にまとめると、入学式前に達也が第一高校OBの七草真由美と会話している姿を香澄が目撃。それで真由美が達也にナンパされていると香澄が勘違いしたことが発端とのこと。

 

「そういう事でしたか」

 

 それで納得したのか、氷の笑みはなにもなかったかのように消えていた。

 紅葉は、深雪が達也の女性関係に敏感のようだから気をつけないといけないなと強く心に留めることにした。

 一悶着はあったが、その後は問題もなく生徒会の役割や仕事内容の説明されて無事に終了。

 

「他に質問はありますか?」

 

 あずさの言葉に紅葉も泉美も首を横に振る。それを見て、あずさ達生徒会役員が全員立ち上がった。それに二人も合わせて立ち上がる。

 

「それでは、阿僧祇くん、泉美さん、明日からよろしくお願いします」

「宜しくお願い致します」

「よろしくお願いします」

 

 こうして生徒会の説明が全て終了。

 泉美は香澄が待っているためか、カバンを手にとり出入口に向かい出る前に振り返る。そこでなぜか首を傾げていた。

 

「阿僧祇さんは帰らないのですか?」

「ん、あぁ」

 

 紅葉が帰り支度もしないで席に座ったままなのを見て不思議に思ったのだろう。

 

「ちょっと五十里先輩に聞きたい事があってな」

 

 正確には五十里ではなく中条にだがと心の中で訂正。

 さっき質問はないと返しているので五十里と言っているだけである。泉美は紅葉と五十里が知り合いと知っているから、特に気にする様子はなく、

 

「そうですか。それでは、皆様失礼致します」

 

 一礼して生徒会室を出て行いった。最後に深雪に熱い視線を贈っていく事を忘れずに。

 泉美の退室後、ドアがしっかりと閉まったことを確認した紅葉は、生徒会役員全員が視界に収まるように体を向き直した。彼の目がそれぞれに向けられたことで、数人の表情が変わる。五十里は少し緊張している面持ちになっていた。達也と深雪は最初見た時と変わらず平然としている。そしてほのかのを見ると最初に見た時よりも一層緊張しているのが現れていた。もしかしたら自分の勘違いかもしれないと少しは思っていたのだが、やっぱり知られていると確信が強まるだけだった。

 

「阿僧祇くん、あのね」

 

 そんな自分達を見ているだけで何も言ってこない紅葉に、黙っていられなくなったのか、あずさは申し訳ないといった表情と共に遠慮がちに声を出していた。

 

「ああ、別に会長が言いふらした訳じゃないでしょ」

「え?……う、うん」

 

 突然、紅葉から言われた事になんのことかわからなかったため間が空いてしまう。しかし、あずさはすぐに理解してたどたどしく首を縦に振った。

 紅葉は口止めしている事もあって、あずさや五十里、それに他の留年を知っている人達が意味もなく言いふらすとは思っていない。先程、自分の中で考えついた可能性を答え合わせのように提示した。

 

「たぶん、試験結果あたりでバレたんだと思ってるんですが、どうです?」

「どうですって、司波くん達に留年が知られているって事はわかってるんだね」

 

 紅葉の質問に対して、五十里が別の解答をよこしてきた。彼は、あずさの目礼には気付いてなかったようだ。

 

「ここに入ってから俺に向けて変な緊張感がありましたからね。それに対して会長を見たら、即座に目礼で返されたので知られていると思ったんですよ」

「中条さん、そんなことしてたんだ」

「うん。阿僧祇くんの事だからすぐ気付いちゃうだろうなって思って。事後報告になってごめんね。阿僧祇くんの言う通り、司波くん達は復学の試験結果から留年していると知っています」

「やっぱり」

 

 紅葉の中でいくつかの可能性があった。その中で『生徒会』だけに知られるとなると、『試験結果』からの経緯が一番知られる可能性が高かった。生徒会ならある程度の生徒の情報は閲覧可能ということを忘れていた。

 ちなみに、復学するのに試験が必要なのではなく、復学するにあたって一科生か二科生かを決める為に試験が必要だった。それが復学の試験結果で、一応彼は一科生として合格している。

 

「それでは改めまして、阿僧祇紅葉十七歳一年生です。先輩達は態度を改めなくて結構ですので、よろしくお願いします」

 

 毎度恒例の後輩扱いよろしくを交えて自己紹介をする。彼の中で、これから留年がバレたら全部これで押し切っていこうや、いっそのこと学則で、留年者を後輩扱いしろとか定めてくれないものかなどと思ってしまう。

 そんな事を告げると、深雪とほのかは困惑顔になっていた。しかし、二人と違う反応が、達也だけは違った。

 

「わかった。では、紅葉と呼ばせてもらう。俺の事は達也で構わない」

 

 まさかの即順応。

 

「え、あ、はい、了解です。達也先輩」

 

 これには、さすがの紅葉でも驚いてしまう。

 そのあと、達也の態度から少しは困惑が和らいだのか、深雪から深雪と呼ぶ事を、ほのかからはほのかと呼ぶ事を許可され(もちろん先輩付き)なんとか後輩扱いしてもらえるようになった。

 

「そういえば阿僧祇くん」

 

 こっちの話が一旦落ち着いた所を見計らってあずさが会話に入ってきた。

 

「なんです会長?」

「泉美さんには話すの?」

「あー」

 

 考えていなかったと頭を悩ませる。

 確かに留年している事が泉美以外の生徒会役員全員に知られた。この状況で泉美だけ知らないまま生徒会活動が出来るかと聞かれた場合、『出来ない事はないが厳しい』が答えになる。ならばいっそのこと泉美にも知ってもらった方が色々と楽になる可能性が高い。それに、泉美の役職である書記の情報閲覧範囲に、試験結果が含まれているはず。黙っててもいずれ勝手に知られる可能性も高い。

 

「……泉美には、俺から直に言いますよ。言ったら報告します」

 

 これは言った方が楽という結論になった。

 

「うん、わかったよ。それじゃ、それまでは普通にしてるね。皆もそれでお願いします」

 

 あずさの言葉に、五十里達がそれぞれ肯定の意を返す。

 

「それじゃあ、いい時間だし帰りましょう」

 

 余談ではあるが、もし紅葉が生徒会入りを蹴っていた場合、部活連執行部と風紀委員会が確保する気満々だったようだ。



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嘘つき者1

 阿僧祇紅葉と七草泉美が生徒会に入った事はすぐに学校中に広まることとなる。

 決して誰かが噂を流したとかではなく、学内掲示で新生徒会役員と題されてお知らせされていた。しかも同じクラスから二人という事もあって、否応なく注目を集める事になっている。

 ちなみに、そのお知らせに風紀委員 七草香澄、それに部活連執行部 七宝琢磨が所属したとも書かれていたが、紅葉はサラッと読んだだけで済ましていた。

 

 昨日まで紅葉の風貌を怖れてクラスの誰もが近寄ってこなかったが、今日になって男子数人が彼の机を囲んでいた。最初は遠巻きに様子を見ていたクラスメイトだったが一人が意を決して話しかけてくると、他の生徒達も寄ってきて話しかけてくるといった、赤信号一人が渡れば渡れるさ精神で次々と寄ってきて最終的に囲まれていた。

 しかし、その囲んでいるクラスメイトの興味は紅葉自身ではない。彼らの興味は別にあった。

 

「深雪副会長に会えたか!?」

「光井先輩可愛いよな」

「会長、癒されるわぁ」

 

 生徒会の女性陣はどうだったかという事に集中していて、さすがに紅葉は辟易としていた。

 

「(それはあっちも同じか)」

 

 彼は人垣の隙間から、同じく生徒会役員になった泉美を見てみる。彼同様に人に囲まれているが、あっちはまだ女子生徒に囲まれている(人数は倍)から、そこまで見苦しい感じは受けない。しかし、こっちは男子100%である。暑苦しくて仕方がなかった。

 今日も先輩方の授業を見学する日である為、ほぼ自由時間となっている。予鈴が鳴ろうが本鈴が鳴ろうが、人集りは中々解散されないでいた。

 今日一日中ずっと囲まれっぱなしのままでいる気はない紅葉は、突然その場で無理やり立ち上がった。中学上がりたての生徒の平均身長は169cmぐらい。それに比べて紅葉は175cm。立ち上がれば、周りの生徒達を見下ろせる形になる。

 

「その話はまたあとでな。見たい授業があるから行くわ」

 

 見下ろす形を利用して目の前にいた生徒を睨むようにして少し怯えさせる。睨まれた生徒は彼の思惑通り一歩後ろに下がっていた。それに同調するかのように、他の生徒らも一歩引いていく。そして、引いたことによってできた隙間からスルリと囲いから抜け出したのだった。

 

「(さて)」

 

 このままさっさと教室を出る為に早足でドアに近づき、サッと出たところでドアを閉める為に振り返ったところでピタリと動きが止まった。

 

「……」

 

 紅葉が動きを止めた原因は、もう一つの人集りの隙間から彼をジトリと睨んでいる視線に気付いてしまったがためだった。視線の主は、女子生徒に囲まれている泉美。その目から『ずるいです』と言われている気がした。

 

「(俺にどうしろってんだ。……そうだ、これを利用しちまえばいいか)」

 

 さすがに同じ生徒会になったとは言え、助ける義理はない。そう紅葉は思っていたが、ふとある事を思いついたので助けることにした。

 

「おい、七草」

 

 女子の人集りに向けて名前を呼ぶ。泉美と呼ぶのではなく、七草と呼んだのはクラスメイトにいらぬ誤解を与えない為である。呼ばれた本人だけでなく、周りの人集りまでもが一斉に紅葉の方を向いたことで、一瞬ホラーのように思えて少しばかり言葉が詰まっていた。

 

「っ……昨日、お前が生徒会室で言ってた見たい授業始まってるぞ。行かないのか?」

 

 紅葉が今誘ったではなく、『昨日』『生徒会室で』『自分が見たい』と言っていた、と設定を付け加える。もちろんこれもいらぬ誤解を出さない為。

 

「はい、行きます。皆さん、申し訳ありません。見学したい授業がありますので失礼します」

 

 泉美は紅葉のアドリブにすかさず頷き返す。ゆっくりと立ち上がるとそれに合わせて人集りもゆっくりと解かれていった。そして十分、人が通れる間ができたところで抜け出し、紅葉の隣にきたところで一度振り返り一礼してから彼女は教室を出て行った。その後ろ姿を紅葉はゆっくりと追っていった。

 

 

 教室を出て、人の少ない廊下になったところで泉美の足が止まった。

 

「どした?」

 

 斜め後ろを歩いていたため、彼女が止まった事でぶつかることはなかったが、追い越していた。立ち止まり振り返ると泉美が頭を下げているではないか。

 

「阿僧祇さん、有り難う御座いました」

「気にすんな。まぁ貸し一つだ」

 

 そのお礼に対して、紅葉はニカッと笑って言い返すが泉美の顔が訝しんでいた。それはそうだろう。聞き捨てならぬセリフを紅葉が言ったのだから。

 

「それは気にしてしまうのですが?」

「安心しろってすぐ精算されっからよ」

 

 ますます彼女の顔が訝しんでいく。

 この貸しから精算の流れはついさっき助けてやろうと思った時に思い浮かんだ。タイミング的にもちょうど良かった上に、説明を楽に済ませそうだと思っていた。

 

「泉美、見たい授業はないのか? あったらその見学後付き合ってほしいんだが」

「見たい授業は午後にありますので、今でしたらお時間あります」

「そうか。なら、ちょっとついて来てくれ」

 

 紅葉は踵を返し、来た道を少し戻る。その先にあるのは階段。それを上っていく。そして屋上へとついた。

 

「んー、こっち来てくれ」

 

 屋上は人の出入りが少ないとはいえ、今から話す事はあまり見知らぬ人間には聞かれたくないので、紅葉は物陰を指差して誘導する。

 

「……」

 

 しかし、さすがにそれは寛容できないのか泉美の足は屋上口で止まっていた。

 

「ここではいけないのですか?」

 

 異性としては正しい反応。

 紅葉としては、ただ話を聞いてもらいたいだけなので無理強いして聞く耳持たれない状態は避けたかった。

 

「まぁ、授業中だし、屋上に来る奴はいないか」

 

 なので、物陰ではなく三人掛けベンチを指差して、泉美に座るように促す。立っている紅葉と座っている泉美の間は1m程。これぐらいならば問題なく声は届く。

 

「それで、ご用とはなんでしょうか?」

 

 だいぶ話の内容が気になるのか紅葉が切り出す前に聞かれてしまった。

 

「まあ、焦るなって。お前に知っておいてもらいたい事があってな」

「知っておいてほしい事、ですか?」

 

 泉美は紅葉が妖しく笑って精算と言ってきた事と、屋上についてから物陰に誘導しようとしてきた事からやましい事を言うのではないのかと予想していたのだが、予想とは違った事を言われてポカンとしてしまった。

 

「お前、何を予想してたんだよ」

「……いえ、何も」

 

 さすがにやましい事ですとも言える訳もなく、少し頬が熱くなるのを感じつつも泉美は何でもないと装っていた。

 

「まあ、いいや。泉美とはクラスだけでなく、生徒会も同じになったろ」

「はい」

「だからって訳でもってないんだが、お前とは良好な友人関係でいたいと思ってな」

「友人ですか」

 

 正直、同学年に七の家の者がいると知ってから、出来るだけ関わりたくはないと紅葉は思っていた。だから、今自分の口から友人になりたいと言う日がくるとは思ってもいなかった。そして、ここから一番言いたかった言葉を出す。

 

「だから俺はお前に嘘をつかない」

「……はい?」

 

 彼の言葉が予想の斜め上だったのか、一拍置いてコテンと可愛らしく首を傾げている。

 

「嘘をつかない事が、友人ですか?」

「世間一般の友人の定義とは違うだろうが、俺は友人に対して嘘をつくつもりはないってだけだ」

 

 これは言わないが、世の中には必要な嘘もあるので、極力嘘はつかないとなる。

 

「そういう事ですか、わかりました。私としても友人として接して頂ければ幸いです。よろしくお願いします」

 

 泉美が座ったまま律儀に一礼してくる。

 それを物わかりが良いと説明が楽で助かるな、と思いながら見届けて、さっそく本題に入っていくことにした。

 

「ああ、これからよろしく。で、さっそく嘘ついてるから言っとくわ」

「え?」

 

 一礼していた泉美が、バッと顔を上げた。

 彼は間髪入れずに告げる。

 

「実はな、俺、お前より二歳上なんだよ」

「……え?」

 

 泉美の顔が、今まで(出会ったのは昨日であるが)で見たことのない顔で固まってしまった。あまりにも面白い表情だったので写真撮りたいと思ったとか思わなかったとか。



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嘘つき者2

 泉美が固まって数秒。言葉の意味が理解できたのか、質問を返してきた。

 

「阿僧祇さんが二歳上なら、留年しているということですか?」

「ああ、その通りだ。本当は会長とかと同じ年に入学してる」

「どうして留年しているのでっ」

 

 泉美は慌てて手で口を抑えた。聞いてしまうのは失礼だと思ったのだろう。

 しかし、こういった話の流れ上で、理由を尋ねてしまうのは普通の反応である。それを咄嗟に止めたのは泉美は根っからの良い子なのだと窺える。逆に香澄はズバズバ聞いてきそうだなと思って、紅葉は思わず軽い笑みを漏らしていた。それが自分に対する笑いだと勘違いしたらしく、泉美は上目遣いで睨んでくる。

 

「何かおかしいですか?」

「悪い悪い。お前に対して笑ったわけじゃない。ちょっとした思い出し笑いだよ」

「そうですか」

 

 憮然とした表情だが、睨みが薄らいだので良しとした。

 

「それでなんだっけ。留年した理由だったか」

「いえ、それは」

「気にすんな。聞かれて困るものでもないしな」

 

 しれっと嘘をつく。本当は聞かれると困ってしまう。しかしこれは必要な嘘。言わなければずっと気になって要らぬ妄想を生む原因にもなる。本当の留年理由を知られない為にも嘘の理由を言う必要があった。嘘具合は真実四割、嘘六割。

 

「一年の。あ、二年前のな。一年の半ばで事故にあってな、長いこと入院するはめになったんだよ。あまりにも長かったから、休学することにしたんだ」

 

 真実は『入院』した事。

 嘘は『事故』と『長い入院』

 この説明は数日前、宗一郎にした説明同じであるが強調した点が違う。宗一郎の時は何も強調しなかったが、泉美への説明ではある部分を強調して言っていた。紅葉は彼女と出会ってまだ一日だが、そのある部分を気にかけるだろうと思っていた。気にかけなかったらどうしようかとも思ったが

 

「事故ですか? 体は大丈夫なのですか?」

 

 狙った通り泉美は『事故』に食いついてくれた。しかし長い入院と相まってか、相当悲惨な事故にあったのでは?とでも想像したかのように沈痛な面もちになっている。その表情はさすがに予想していなかったので、出来るだけ軽い様相で言葉を返すことにした。

 

「問題なしだ。つか、大丈夫じゃなかったら復学してないさ」

「確かにそうですね」

 

 少し表情が和らいでくれて、少しホッとする紅葉。

 

「そんで、今年の二月に復学申請出して、晴れて復学したってわけさ」

「そうだったのですか」

 

 これが留年までの流れ。理由の大部分が間違っているが、流れは間違っていない。

 

「そんで、こっからがさっきの貸し借りの話だ」

 

 彼女の顔が少し強張る。泉美的には忘れていてほしかったのだろうがこんな大事な貸しを忘れる訳がない。

 

「俺が留年してるってのを、誰に対しても内緒にしてほしい」

 

 普通に考えれば、人の秘密を勝手に洩らすのはやってはいけない事で、わざわざ口止めする事でもない。

 

「……それだけですか?」

 

 だから、泉美が肩すかしを受けても仕方ない。

 自分が口の軽い人間に見えますかと抗議の目を向けてくるが、それを気にする事もなくスルーして言葉を続けた。

 

「ああ、それだけ。それさえしてくれりゃ、貸しはチャラだ」

「わかりました。阿僧祇さんの事は内緒にしておきます」

 

 何か裏があるのでは?と疑った表情だったが、小さく息を吐いて了承してくれた。

 実はこの貸し借りのやり取り自体が重要だった。約束事を強く印象付ける為に一連の流れを組んでいた。効果としては、約束を破りそうになったらこの『貸し』が頭をよぎって、ストップをかけることになる。いくばくかは口約束よりかは固い約束になる。

 

「よろしく。それと、接し方は今と変える必要はないからな」

 

 ついでに毎度のお願い事をしておく。ただ、今回に限っては必要なかったかもしれない。

 

「よろしいのですか?」

「よろしいも何も、お前の口調は元から丁寧語だし、態度も丁寧だ。これ以上敬われたら逆におかしくなるだろ」

「そうですか」

「そうなんだよ。まあ、これで貸し借りなしだな」

 

 ひとまず終わらせることができたと、息を深く吐いてひと背伸びする。立ちっぱなしだったこともあって少しばかり背中が張っていた。それをほぐす意味も込めて体をぶらつかせてる。時計を見ると、もうすぐで十一時半になろうとしていた。思ったよりも時間が経過している。

 

「(これで説明すべき奴には一通り説明することが出来たな。二年生連中と泉美は予定外だったが、どちらも物わかりが良くて助かった。さて、用事は済ませたし、この後どうするか)」

 

そう考えていると、泉美から質問が飛んできた。

 

「阿僧祇さん。阿僧祇さんの留年を知っている方は他に何人程いるのでしょうか?」

 

 留年の説明をする事だけ考えていたので、他の事を失念していた。

 

「悪い、確かに知っておいた方がいいな。えっと、まず教師全員は知ってる」

「それは当然ですね」

「そりゃそうだ。知らなかったら大問題になる。次に生徒会。今日でお前も知ったから、全員知ってる事になるな」

 

 紅葉は説明しながら、そう言えば泉美に言ったら報告しろと言われていた事を思い出した。その事を頭の片隅に置いておく。

 

「もしかして昨日、私が帰った後に?」

「いや、お前が居た時点で知られていたんだが、その確認で残ったんだよ」

「そうだったのですか」

「後は、部活連の服部会頭と……風紀委員の千代田委員長だな」

 

 言葉に間があいたのは、部活連に所属している数人の三年生を言おうとして、あとでその他三年に一括りしてしまえと思ったからだ。同じ理由で風紀委員の沢木も後回しにした。

 

「会頭、それに委員長とお知り合いなのですか」

 

 二人の名前が出てくるとは思わなかったのか、泉美は驚いている。

 

「会頭とは、入学当初からの友人だからな。委員長は五十里繋がりだ」

 

 彼女は五十里繋がりと聞いて納得していた。数字付きの間では、五十理啓と千代田花音の許婚関係は有名な話だからだ。

 

「あとは、数人の三年生だな。みょーに仲の良いやりとりをしていたら、知ってると思ってくれていい」

 

 ざっくりとした決め方だが、泉美と一緒にいて元クラスメイトと会う機会は少ないと思っている。会ったとしても部活連執行部か風紀委員関係の数人ぐらい。

 

「このぐらいか」

「有り難う御座います。一年生では私だけなのですね」

「クラスと生徒会が同じじゃなかったら、一年は誰も知らないままだったからな」

 

 そもそも、紅葉は復学を決めた時から一年生には誰にも明かすつもりはなかった。今の三年生が卒業したら、終わりなのだから。

 

「さてと。まぁ、色々説明したが、三年間よろしくな泉美」

「よろしくお願いします阿僧祇さん」

 

 紅葉は今日だけで何回嘘をつくのやらと自嘲してしまう。その笑みの意味を泉美は知る事もなく二人は屋上を後にするのだった。

 




次回、初仕事。


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新入部員勧誘週間1

 二〇九六年四月十一日水曜日、放課後。

 生徒会から召集を受けた紅葉は、同じく召集を受けた泉美と共に生徒会室へ向かっていた。

 

「たぶん、新歓の事だよなぁ」

「新歓? それはなんですか?」

 

 身長差から少し見上げている泉美の顔を横目で見ながら、紅葉は大きく息をつく。

 

「新入部員勧誘週間の事。昔は勧誘される側で大変だったが、今度は取り締まる側か。もっと大変なんだろうな」

 

 二年前に体験した新入部員勧誘を思い出したのか、紅葉はどこか遠い目をしていた。

 

「そんなにですか」

 

 泉美としては、中学校の部活勧誘を思い出していたが、そこまで大変な記憶はなかった。しかし二歳上の同級生が、まだ始まってもいない事に辟易しているのを見ては警戒せざるを得ない。

 

「ま、詳しい話は中で聞けるだろ」

 

 話している内に生徒会室に着いた二人は、IDカードを使ってドアを開け中へと入っていく。生徒会室にはすでに他の役員が揃っていた。自分達が一番遅かったと気付いた泉美は、慌てて深雪に向かって頭を下げていた。

 

「お待たせしてしまい申し訳ありません、深雪先輩」

「大丈夫よ。私たちも今来たところだから」

 

 今、という割にはいつでも話が始まってもいいように準備が終わっている。絶対に今来たところでないのは見てわかるが、指摘すると面倒だと思い紅葉はスルーした。

 

「遅れてすみません」

 

 その代わり自分の席に腰をおろす前に紅葉は、泉美が対象にしなかったあずさ、五十理、達也、ほのかに向けて頭を下げる。四人とも泉美の事は仕方がないと苦笑いを浮かべ、深雪と同じで気にしなくていいと態度や言葉を返していた。

 

「では、皆さんが揃ったので始めたいと思います」

 

 全員が着席した事を確認してから、あずさが開始の挨拶をする。それと同時に、すでに起動していた端末に資料が表示された。

 

「四月十二日の放課後から、新入部員勧誘週間に入ります」

 

 予想的中と紅葉は顔をしかめ、泉美はその紅葉を見て苦笑いを浮かべる。

 

「七草さんは、阿僧祇くんからすでに聞いているのかい?」

 

 その苦笑いから五十里は、すでに彼女は紅葉から新入部員勧誘週間の説明を聞いていると思って聞いてみたが、泉美は首を横に振って「いいえ」と否定した。

 

「詳しい事は聞いていません。ただ、大変な事とは聞いています」

 

 なんてざっくりした説明をと泉美以外の視線が紅葉に刺さる。

 

「え? いやだってあれ、大変でしょ?」

「はぁ、阿僧祇くんらしいと言えば阿僧祇くんらしいね。司波君、説明お願いします」

 

 まるであずさから任されるのが決められていたのか、あずさの言葉に頷いた達也は端末を操作し始めた。

 

「紅葉も二年前と少し変わった部分があるから、聞いてくれ。新入部員勧誘週間とは……」

 

 新入部員勧誘週間とは普段は一部の生徒にしか携行を認められていないCADを期間中、クラブ紹介で魔法を使う為に申請を出すことで誰でも携行できる週間の事。それによって無法地帯になる週間でもある。しかし紅葉が聞く限り、二年前と特に変わりはなかった。

 達也の説明は続き、ここから去年と違ってくると前置きが入った。それは取り締まる側の体制。とは言っても、二年前の紅葉は生徒会でも風紀委員でも、ましてや部活連執行部でもなかったため、説明されても「そうだったのか」としか思わなかった。

 わかったのは部活連執行部が増員した事により、風紀委員の巡回への負担が減る事ぐらいだった。

 

「二人ともここまではわかったか?」

 

 泉美はすぐに「わかりました」と共に首肯を返したが、紅葉はその事に対しては首肯するもすぐに質問を返す。

 

「それで、生徒会は何するんです?」

 

 風紀委員と部活連執行部の役目に対して説明はあったが、肝心の自分が所属している生徒会の役割についての説明がなかった。だが、それさえも聞かれるとわかっていたのか達也はしっかりと回答を用意していた。

 

「そこからは会長が説明してくれる」

「え?!」

 

 回答というよりは誘導が正しいか。

 全部を達也が説明すると思っていたようで、気を抜いていたあずさが座っているにも関わらず転げ落ちそうになっていた。

 

「司波くんが、全部説明してくれるんじゃないんですか?」

「いえ、こればかりは会長が説明するべきだと思いますが」

 

 事前に何を話すかは決めていたようだが、誰がどこまで話すまでは明確に決めていなかったようだ。しかしながらそれはわざと達也が決めなかったのではないのかと思える程、白々しい表情をしている。こうなっては真相は闇の中だ。

 

「うー、わかりました」

 

 この達也をいくら問い詰めても無駄と思ったあずさは、観念して説明を引き継ぐ。

 

「司波くんが説明してくれた通り、巡回は風紀委員と部活連執行部が行ってくれます。ただ、それによって、別の問題が起こる可能性があります」

「別の問題? まさかとは思いますけど、風紀委員と執行部で衝突なんて……」

 

 紅葉が最後まで言葉を口にしなかったのは、紅葉と泉美以外の顔が正解と語っていたからだ。

 

「去年、一件だけ発生してね」

 

 去年はとある一年生の風紀委員の活躍が目立っていた為、目立つことはなかったが細々とした事件は発生していた。その細々とした事件の一つが執行部と風紀委員の衝突。

 

「一年生同士だった事もあって、どっちも引っ込みが付かなくなってそのまま私闘に発展。なんとか服部くんが場を収めてくれたんだよ」

「さすが服部会頭。あ、当時は副会長か」

 

 何度も言うが、とある一年生の風紀委員の活躍が目立ち過ぎていたこともあり、影に隠れていたが生徒会もしっかり仕事をしていた。

 

「だから今年は、そうならないように執行部は風紀委員が来たら現場を任せて巡回に戻るようにしてもらう事になってます」

 

 風紀委員は執行部に比べ人数は少ないが、荒事や交渉事に慣れている。その為、執行部よりは仲裁がうまくいくだろうという理由だった。さらに、部活連会頭の服部も納得しているとの事で、周知徹底していくと約束しているともあずさは言った。

 

「そこまで確約出来ていたら、心配事はないんじゃないです?」

「うん、三年生と二年生は心配はないんだけど、一年生は何があるかわからないから」

 

 紅葉から「あー」と納得の声が漏れる。

 特に風紀委員は少人数の為、一年生でも一人で巡回させられる。去年のとある一年生の風紀委員の様にしっかりと取り締まれる方が異常であって、何かしらの問題を起こすの方が普通なのだ。

 

「その点を踏まえて、生徒会は風紀委員と執行部のフォローをします」

 

 妥当だなと紅葉は納得した。

 生徒会は風紀委員会よりも少数。巡回などに出ようものなら、生徒会室が空になってしまい通報を受けても取れる者がいなくなってしまう。これなら自分の仕事は思ったよりも楽になりそうだなと気を緩めた瞬間、聞き捨てならぬ言葉があずさから発せられた。

 

「阿僧祇くんは校内を巡回し、風紀委員と執行部が衝突していたら仲裁に入ってください」

「ちょっとストップ!」

 

 紅葉は思わず立ち上がって手のひらを突きだしていた。

 

「どうしたの?」

「どうしたの? じゃないですよ。なんで決定してんの?! つか、俺が巡回!?」

 

 それらの役目を今から決めると思いきやすでに決定していた事、さらに一番大変な役目にされていて驚かずにはいられない。さすがに反論しなければと、言葉を出そうとしたが一拍遅く。

 

「生徒会からの巡回については、生徒会だけじゃなく、執行部と風紀委員会にも関係するから、それぞれに相談して、全会一致で決めたんだよ」

 

 あずさからの先制口撃を受けてしまう。しかもすでに紅葉の包囲網が完成している状態での口撃だった。彼女は、この生徒会会議の場に達也がいるとはいえ、紅葉はあの手この手で巡回任務を拒否すると思っていた。だから、逆らえないように服部と花音の力を借りていたのだ。

 

「ぐぬ、卑怯な」

 

 紅葉としては、入院中に服部達から去年の新入部員勧誘週間で活躍したとある一年生の風紀委員が達也だと聞いて知っていた。それなら、巡回をするのは達也だろうと思っていたのだが、思わぬ包囲網に屈するしかなかった。言い返すのを諦めた紅葉を見てあずさは微かに笑みを浮かべて、説明を続ける。

 

「あと、阿僧祇くんのフォローは泉美さん、お願いします」

「フォローですか?」

 

 ここで話を振られるとは思っていなかったのか、泉美は驚いた表情のまま聞き返していた。この問いには五十理が答えた。

 

「うん。生徒会に寄せられた情報を、生徒会室から無線で阿僧祇くんに伝える役だね。あと期間中なら、監視カメラの映像を生徒会でも確認できるようになるから、そこから得た情報も伝えてほしいんだ」

「わかりました」

「マジか」

 

 巡回任務は避けれないと諦めた紅葉は、適当にサボってやると心に決めたのも束の間、泉美のフォローという名の監視がついた事により、打つ手なしとデスクに突っ伏してしまった。

 

「頑張ってくださいね、阿僧祇くん」

 

 紅葉は内心で「この野郎」と恨みがましく呟くしかできなかった。




それぞれの呼び方に自信がない。
調べてはいますが、間違っている可能性が。

間違っていたら指摘お願いします。

オリキャラに関しては
あずさ、五十理→阿僧祇くん
達也→紅葉
泉美、深雪、ほのか→阿僧祇さん


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新入部員勧誘週間2

 二〇九六年四月十二日木曜日、放課後。

 新入部員勧誘週間の初日、始まってから一時間。

 

「はいはい、生徒会ですよー」

 

 間の抜けた声で生徒同士がいがみ合う間に割って入ったのは、気怠い表情をした紅葉だった。彼の仕事は、執行部と風紀委員会が衝突した時に仲裁に入る事。部活連執行部会頭である服部から『執行部は風紀委員が到着した時点で場を譲ること』を命令されている為、早々に起き得ないと思っていた。それが新入部員勧誘週間初日、始まってわずか一時間で起こってしまった事に内心「はえーよアホ」と思ってそんな顔になっていた。

 右耳に付けているインカムから生徒会室で情報を受けた泉美からの衝突発生の報を貰い、紅葉が駆けつけたのは、主に射撃系クラブが使う屋外射撃場だった。そこには新歓演習を行っていたはずの、操弾射撃部と次の演習をする予定のスピード・シューティング部の生徒達を蚊帳の外にして、中央でそれぞれわかりやすい腕章をした三人の生徒がいがみ合っていた。正確には二人の生徒がいがみ合い、一人が宥めていたところだ。

 そこに冒頭の紅葉が入っていったのだ。

 

「生徒会ぃ?」

「っ」

 

 紅葉を真ん中に、右側に執行部の腕章をした男子、七宝琢磨と十三束鋼。

 

「阿僧祇?」

 

 左側に風紀委員会の腕章をした男子がそれぞれの反応で動きを止めた。

 

「あれ、籠坂じゃねーか」

 

 左側から名前を呼ばれた事でそちらを注視するとクラスメイトである、つるりとした坊主頭に整った顔立ち、身長は162cm程で中肉中背の男子、籠坂 龍善(かごさか りゅうぜん)がいた。

 

「お前、風紀委員だったのか」

 

 紅葉が生徒会に入ったと知られたお知らせに他の風紀委員の紹介があったはずだが、その時には龍善の名前はなかった。

 

「つい、数日前になった。拒否権がなかったよ」

 

 あまりいい記憶ではないのか、遠く彼方を見つめて涙目になっていた。

 

「おい、生徒会!何しに来た!」

「七宝!」

「おっと」

 

 自分達が無視されていると思った七宝が、紅葉の肩を掴み無理矢理自分の方へと向けさせる。その行動は看過出来ないと隣にいた十三束が、紅葉の肩を掴んでいた七宝の腕を掴んではずしていた。

 

「ああ、悪い。籠坂は待機しててくれ」

「りょーかい」

 

 顔見知りだからか、生徒会の命令だからかはわからないが、龍善は聞き分けよく一歩引いて待機姿勢をとる。

 

「さてと。生徒会書記、一年の阿僧祇紅葉です。執行部に状況説明を求めます」

「生徒会に介入される「七宝!状況説明もできないのか!」っ」

 

 七宝はそうとう頭に血がのぼっているのか、紅葉の事を睨みつけ声を荒げかけるが、十三束から強めに宥めさせられ、出そうとしていた言葉を憎々しそうに飲み込む。

 

「部活連執行部、一年の七宝琢磨です。操弾射撃部が演習時間をオーバーしていると報告を受け、対応していました」

 

 新入部員勧誘では、部活の紹介で演習を行う事ができる。ただし、演習時間はそれぞれ決まている。しかし、部活の紹介に熱が入りすぎてしまい時間がオーバーしてしまうことがある。新歓ではよくある問題の一つだった。逆に言えばこの程度の問題で、執行部と風紀委員のいがみ合いが起きるはずがないのだが、紅葉は説明の続きを聞くにつれて呆れていった。

 

「風紀委員が来た頃には問題が解決しそうだったので手を煩わせない為、ここは任せてほしいと言ったのですが、聞いてもらえずあの様な事態になりました」

「はぁ」

 

 終いには、わかりやすくため息をつく。

 紅葉は蚊帳の外状態の操弾射撃部とスピード・シューティング部の面々に目を向けると、皆どうしたらいいのかと困惑した表情だった。やっぱりなともう一度、今度は明確に呆れの感情を乗せたため息を吐いた。

 

「なんだよ」

 

 七宝は紅葉の態度が感に触ったのか、同じ一年だからと敬語じゃない言葉で攻撃的な目で睨みつけている。それを気にする事もなく、紅葉は口を開いた。

 

「状況説明有り難う御座います。まだ問題は解決していないようなので、風紀委員は引き続き対応にあたって下さい。執行部は巡回に戻ってください。以上」

 

 一気に指示を出す。これに七宝は怒鳴らずにはいられなかった。

 

「なんだそれは!もう問題は解決するってのに、風紀委員に任せる必要なんてないだろ!」

「七宝、少し落ち着け」

「十三束先輩、こいつの言うことを聞けっていうんですか?!」

「だから、落ち着けって」

 

 十三束が七宝を落ち着かせているのをいい事に、紅葉は踵を返して龍善に寄っていく。

 

「操弾射撃部にはペナルティを科してくれ。スピード・シューティング部には、操弾射撃部のオーバー分とお前等がいがみ合っていた分の時間を演習時間にプラスして、スケジュールの更新……はこっちがやっておくから、両部活に説明してくれ」

「了解した。悪いな阿僧祇、助かった」

「そう思うなら、なるべく執行部とはぶつからないでくれよ」

「善処するさ」

 

 ニカッと笑って龍善は両部活のもとへと向かっていった。それを見送ったあと背後に漂う怒気を無視するのは良くないかなと紅葉は再び踵を返すと、顔を真っ赤にした七宝がこれでもかという程に紅葉を睨みつけていた。

 

「なにか?」

 

 しかし、そんな睨みは効かないとばかりにシレッとしている。その態度が七宝の怒りゲージを上げていった。

 

「なんで風紀委員に任せた! あと少しで俺が解決したんだぞ!」

「それだよ」

「あ?」

 

 紅葉はあえて『俺が』の部分は無視した。紅葉が指摘したのは『あと少し』の部分。

 

「あと少しって言ってるが、風紀委員が来た時はまだ解決してなかったんだろ? 風紀委員が来た時に解決していたのならまだしも、解決していなかったら、風紀委員に場を任せるべきだったはずだ」

 

 七宝の状況説明が終わった時点で、紅葉はこのよくある問題がまだ解決していないと予想した。そして、両部の困惑顔を見て解決していないと確信。

 

「ぐっ、だが、あと少しで」

「解決してるか、してないかだ。少しとか関係ない」

 

 七宝の言い訳をバッサリと切り捨てた紅葉は、十三束に目を向ける。

 

「えっと十三束先輩でしたっけ?」

「あ、ああ。執行部二年の十三束鋼です」

 

 十三束は七宝の名や態度に怯える事なく、対応している紅葉を見て少なからず驚いていた。一年なのに度胸があるなと。そんな驚きを気にすることなく、紅葉は言葉を続けた。

 

「では、十三束先輩。この件は執行部に報告しておきます。先ほども言いましたが、操弾射撃部及びスピード・シューティング部への対応は風紀委員が行います。執行部は巡回に戻ってください」

「わかりました。七宝、巡回に戻るぞ」

 

 ここで異を唱える程、紅葉の言葉は間違っていないので十三束は素直に頷く。そして紅葉の言葉に切られた七宝は俯いていたが、十三束の声がかかるとガバッと勢いよく顔を上げ、ビシッと音が鳴りそうなほど勢いよく紅葉を指差した。

 

「ああ、わかったさ、風紀委員がくる前に解決すればいいんだろ!やってやるさ!」

 

 そう言い放つと、紅葉に背を向けてスタスタと歩き去っていった。突然の事に固まる紅葉と十三束。先に動き出したのは十三束だった。

 

「お、おい、七宝!」

 

 急いで七宝を追いかけるために走り出そうとした所で、紅葉が一声かける。

 

「あー、十三束先輩。しっかりあいつの手綱握ってくださいよ」

「善処する!」

 

 そこは任せろだろ、と走り去って行く十三束を見ながら、本日何度目かわからないため息をついていた。

 

『お疲れ様です』

 

 そこに、インカムに付いているカメラから一部始終を見ていた泉美から労いの言葉を聞いて、少し疲れた気持ちが和らいだのを感じた。

 

「ああ、泉美も即座に対応してくれてありがとな」

 

 泉美はスピード・シューティング部の演習時間を即座に計算して、スケジュールを修正してくれていた。

 

『っ。いえ、あの程度は、当然です』

 

 泉美は紅葉から愚痴が返ってくると予想していたが、予想を外れて感謝の言葉が返ってきたので、声に照れが混じってしまった。それを隠すように泉美は続ける。

 

『阿僧祇さん、休憩は終わりです。巡回に戻ってください』

「いやいや、終わってまだ五分も経ってないぞ。そもそも休憩に入ったとさえ思って『終わりです』……イエス、マム」

 

 ピシャリと言い切られ、紅葉は了解するしかなかった。




まさかのオリキャラその3

人物紹介は、作中で阿僧祇くんの情報が半分程出揃ったら作ります。
まだ、得意魔法さえ判明してませんから


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新入部員勧誘週間3

 二〇九六年四月十三日金曜日、放課後。

 十三日の金曜日という迷信はこの時代にも生きており、第一高校の生徒数人も良からぬ事が起こるのではと警戒していた。

 紅葉もその中の一人で、新入部員勧誘週間初日の昨日だけで彼が仲裁に入ったのは三件。七宝との仲裁後に、二件の仲裁が入っていた。一件は執行部一年生と風紀委員一年生で、理由は七宝の時と同じ。そしてもう一件は、また七宝だった。しかもまったく同じ理由での衝突だった。そんな事が昨日だけで三件(内二件は七宝)あったので、今日はもっと酷くなるのではと警戒を最大に引き上げていた。

 そんな紅葉の心情など知らないあずさは「今年は平和ですねえ」と呟いた時、五十理と二年生役員は揃って聞こえないフリをしている横で、紅葉だけ「嘘つけ」と小さく呟き返していた。

 

 

 

「また七宝にジュース一本」

 

 紅葉が最大限に引き上げた警戒心が功を奏したのか、軽口を言う少ない余裕はあったようだ。

 彼は巡回ルートにそって、たまたまロボ研のガレージ近くを歩いていた。その時ガレージに人集りを発見し、中から聞いた事のある大声が聞こえてしまった。そこに泉美から不運よく、ロボ研のガレージで執行部と風紀委員が口論しているとの報告が入ってしまったのだ。

 

『賭事はしません』

「いや、付き合えよ。もう聞き飽きた声が聞こえるんだからよ」

 

 昨日、二回対面して嫌というほど耳にした声がガレージの外にまで聞こえていた。それは泉美にもインカム越しに聞こえていたので、賭けるとしたら誰などわかりきっていた。

 

『それ勝利者いませんよね?』

「……行ってくる」

 

 泉美の正論に肯定も否定もせず、うなだれてガレージの中へと入っていく。そして、口論している人物を見て心労がマッハで最大値へと達した。

 口論している一方は、予想通り執行部一年の七宝琢磨。その近くにいる執行部二年の十三束が頑張って口論を止めようとしていた。

 

『香澄ちゃん?』

 

 そしてもう一方は、泉美の言う通り自身の双子の姉、七草香澄だった。

 それは紅葉にとって一番衝突してほしくない、一番面倒な組み合わせ。七宝と七草の確執は数字付きともなれば知らないわけではない。

 

「紅葉」

 

 紅葉は見て見ぬ振りをして立ち去ってやろうかと考えたが、知っている声に呼びかけられ足を止めるしかなかった。

 

「達也先輩」

 

 紅葉を呼び止めたのは、ロボ研と自走二輪部のトラブルで駆けつけていた達也だった。隣には当然のように深雪が控えている。

 

「えっと、これは?」

 

 七宝と香澄がいまだに口論を続けているのだから、達也達がまだなにもしていないのはわかっていた。だが紅葉としては、あの口論している状況が昨日とは少し違う理由からだろうと思っていたかった。

 

「俺と深雪はロボ研と自走二輪部のトラブルで来たんだが、先に来ていた執行部が後から来た風紀委員に引き継ぎを拒否して、言い合いになったようだ」

「ああ、やっぱり」

 

 その思いは数瞬で無駄となった。

 予想通り、トラブルそっちのけで自分達が口論しているという、昨日とまったく同じ状況だったようだ。

 

「学習しねーな、本当に」

「紅葉、あっちを頼めるか?」

「ですよねー」

 

 トラブルそっちのけなのだ。本当のトラブルであるロボ研と自走二輪部の問題はまだ解決していない事になる。その解決は達也達がやるから、口論の方は任せたと言われていた。

 そうなるとわかっていた紅葉は、異を唱える事なく行動に移った。

 

『阿僧祇さん?』

 

 しかし、紅葉はすぐに口論のもとには向かわなかった。ガレージにある鉄くずなどが乱雑に置かれている所に向かっていたので、インカムに付いているカメラ越しに見ていた泉美は首を傾げていた。

 

「これが手頃か」

 

 手に取ったのは鉄板二つ。それをそれぞれ片手に持って口論しているもとへと近づく。

 

「あ、阿僧祇?! すまない、また……?」

 

 口論している二人の近くで宥めるのを半ば諦めていた十三束が紅葉の接近に気づいたが、紅葉の静かにとジェスチャーをしてきたので黙って道を譲った。

 

『あの、阿僧祇さん、まさか?』

 

 泉美の言葉を無視して、紅葉はそのままヒートアップしている二人の横の真ん中で止まり、無駄な動作なく持っていた鉄板を振り上げ

 

「黙ってろ!」

 

 言葉と共に振り落とした。

 

「ふぎゅ?!」

「がっ?!」

 

 鉄板は見事にそれぞれの頭にクリティカルヒットし、ダメージを負った二人は頭を抱えてしゃがみ込んでしまった。

 そんな二人を無視して紅葉は、うわぁという顔をしている十三束に顔を向ける。

 

「十三束先輩。これ以上、七宝が問題を起こすようならば、巡回から外すように要請します」

 

 紅葉がしたのは仲裁ではなく、七宝に対しての厳重注意。

 七宝と香澄の口論の理由は、執行部と風紀委員という枠を越えていた。その理由は七宝と七草からくる確執からの売り言葉に買い言葉。そんな理由の口論を紅葉は仲裁する気はなかった。

 それに、七宝が関わった風紀委員との衝突は三度目になる。同じ事を起こされるのはこれ以上、寛容できないと思っていた。

 

「っ、すまない。しかし七宝に悪気はないんだ」

「でしたら改善してください。四度目はありませんよ。あと、ロボ研と自走二輪部の問題は生徒会が預かります。執行部は巡回に戻ってください」

 

 その眼光は剣を突き刺した様な鋭さで、十三束を従わせる程の力がこもっていた。

 

「わ、かりました。巡回に戻ります」

 

 いまだに頭を抱え涙目の七宝の腕を取り、十三束はガレージを出て行こうとする。しかし、七宝が少しだけ抗った。

 

「あそうぎぃ」

 

 憎しみのこもった強い睨み。怒りの雰囲気も合わさり、人によってはたじろいでしまうだろう。しかし、紅葉の意識はすでに七宝から外れていた為、なんのダメージも負わなかった。

 

「おまえっ」

「行くぞ、七宝!」

 

 さらに言葉を重ねようとしたが、これ以上問題を起こされたら庇いきれないと思ったのか、十三束が強引に腕を引っ張ってガレージを出て行ってしまった。

 

「おーい香澄、大丈夫か?」

 

 そんな十三束達がガレージを出て行くのを横目で確認してから、もう一方の頭を抱えてしゃがみ込んでいる方に声をかけた。

 

「阿僧祇、いきなり何すんのよ!」

 

 香澄はバッと立ち上がり、悪びれもせず聞いてくる紅葉の胸倉を掴んで抗議する。しかし、身長差があるためか胸倉を掴むという行為はさして意味がなかった。

 

「トラブルすっぽかして揉めてる奴らを止めただけだ」

「それでも他にやりようがあったでしょ!」

「いや、まぁ、お前はわからなかったが、七宝はもう俺の言う事なんざ聞き入れようともしないだろうからな。ああいう手段になったのは仕方がないんだよ」

 

 紅葉が七宝の頭に鉄板を落としたのは何も嫌がらせのためではなく、もう言葉では止まらないだろうと思っていたからだった。

 昨日、七宝が風紀委員と二度目の衝突を起こした時、最初の時と同じように介入した紅葉だったが、それに七宝が反発。宥める事に時間がかかり、話をまとめるのに最初よりも時間がかかってしまった経緯があった。その事からこの場でも普通に入っては時間がかかると思った為、先に七宝を物理的に黙らして、十三束に話を付けるのが早いと判断しての行動だった。

 

「だからって、ボクにもやることないでしょ!」

 

 その上で香澄にも同じ事をしたのは、七宝が「なんで俺だけ」と突っかかってこない為の用心、要は成り行きの犠牲だった。しかしそんなことを言って、火に油を注ぐ真似をする気はない紅葉は、適当にお詫びで誤魔化す事にした。

 

「悪かったって。ジュース一本奢ってやるよ」

「B定食の食券一枚」

 

 しかし意図的に誤魔化されているのがわかったのか、香澄は要求をランクアップさせてきた。

 

「……激マズジュースね。了解、さあ行こうか」

 

 そんな香澄の言葉を聞かなかった事にして、紅葉は外へと歩き始める。

 

「ちょ、B定食食券二枚じゃないと許さないから!」

「さらっと増やしてんじゃねーよ」

 

 香澄はさっさと歩いていく紅葉の隣に付いて、共にガレージを後にした。

 

 そして、十三日の金曜日はまだ終わらなかった。




次回、阿僧祇くんの魔法が?


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新入部員勧誘週間4

 ガレージを後にした紅葉と香澄は、休憩がてら手頃なベンチに座っていた。

 

「でもさ、阿僧祇。あんた、七宝に何したのよ?」

 

 紅葉から奢ってもらった、まともなフルーツジュースを飲みながら香澄はガレージでの出来事を思い返していた。

 

「あ? 何って、鉄板を」

「そうじゃなくて! 確かに鉄板を叩きつけられたら睨みたくもなるけど、ボクもしたし。それにしたってあの睨みつけは異常だったよ」

 

 まるで大事なモノを壊されたような、憎しみの籠もった睨み。

 香澄は頭を抱えてしゃがんでいた為、直視はしていなかったが七宝達がガレージを出て行くのは横目で見る事は出来ていた。あれを直視していたらと思って香澄は不覚にも身体が震えてしまった。しかし、そんな不覚を受けたともつゆ知らず、紅葉は得心がいった顔をしていた。

 

「ああ、あれね。報告受けてないか? 昨日の執行部と風紀委員のトラブル回数」

「あ、うん。三回の内、二回は七宝だっけ?」

「それ全部、俺が止めてんだよ」

「三回ともあんな止め方したの?」

 

 それだったら、あの憎しみ籠もった睨みも納得できると思ったが、紅葉は首を横に振っていた。

 

「まさか、二回目までは普通に行ったさ。たぶん、あいつの中では俺は格下なんだろうさ」

 

 紅葉の予想は当たっていた。

 七宝は新入部員勧誘週間初日に紅葉と会う前は、自分が断った生徒会に代わりで入った阿僧祇紅葉を名前でしか知らなかった。

 自分が独自に入手した成績表のTop20に紅葉の名前はなく、総合一位である自分の成績と大差があると思えた。だから、この阿僧祇という男は自身より格下だと思っていた。

 

「なんで格下なんて思われてるのよ?」

「さあ?」

 

 実際のところ、紅葉に予想の正誤はわからない。ただそう感じたから言ったまでだった。

 

「まあ、そんな格下と思っていた相手に三回も止められちゃ、プライドが許さなかったんだろうな」

「それであんな睨まれた方してたと」

「そう思ってる。ぶっちゃけ、あいつが自分を格上と思ってようが、俺の事を格下と思ってようがどうでもいいんだけどな」

 

 紅葉は七宝にさして興味はなかった。

 クラスメイトにでもなっていれば、ただのクラスメイトとして意識していただろうが、クラスは別になった。同じ執行部になっていれば同期として意識しただろうが、生徒会に所属した為、それもない。師補十八家の七宝家の者と言われても七宝家に興味はない。七宝琢磨本人にさえ何も思わない。

 紅葉が七宝に興味を持つ要素は何一つなかった。

 

「さてと、休憩終了のお達しが来たから、再開しますかね」

 

 その時、インカムから休憩終了の報が入った。

 今までインカムから何も聞こえなかったのは泉美も休憩していたからだった。最初から休憩10分と決められていたので、素直に立ち上がる。そして座っていた身体をほぐすようにぐーっとひと伸びした。

 

「阿僧祇、ジュースありがとう」

 

 一拍遅れて立ち上がった香澄は、お礼を言う。鉄板を頭に落とした件はこれで許されたかと思った紅葉だったが、

 

「でも、学食は絶対に奢ってもらうからね」

 

 ビシッと指を指され、忘れていないからと宣告されてしまった。

 

 

 

 香澄と別れてから一時間ほど経った頃、巡回ルートを歩いていた紅葉は少し気が抜けていた。

 警戒心を最大に引き上げた原因である十三日の金曜日はまだ終わっていない。しかし、今日もあるだろうと予想していた七宝が関わる問題が、予想を裏切らず発生。しかし、もう解決済みときた。さらに昨日今日合わせて四回の衝突を起こした事により、部活連執行部会頭である服部の耳に伝わって、執行部一年に『執行部は風紀委員が到着した時点で場を譲る』という命令が厳命に格上げされ通告された。

 これにより、執行部に相当な大馬鹿者がいなければ風紀委員と衝突する事は起きないだろうと思っていた。

 そうなると、紅葉の仕事である執行部と風紀委員の仲裁はそんなに起きないだろうと、気が緩まざるを得なかった。

 

『阿僧祇さん、至急グラウンドに向かってください』

 

 しかし、そんな気が緩みとは逆の真面目な泉美の声が耳に届く。泉美からの指示だった為、執行部と風紀委員のトラブルかと思ってしまった。

 

「は? なに? 厳命下ってんのにトラブったアホがいんのか?!」

 

 だが、そうではなかった。

 

『違います。応援要請です』

「俺に応援要請? 達也先輩達じゃなく?」

 

 それは予想もしていなかった言葉。そしてその要請先は本当に自分なのかと思った。

 生徒会から実力行使含みでトラブルに対処するのは達也と深雪の役目だからだ。本来なら二人の方へ要請が行くのだが、泉美は説明を続けた。

 

『深雪先輩と達也先輩は小体育館で発生したトラブルの対処に向かいました』

 

 運が悪いことに二人は別現場に行っていた。

 

『要請は服部会頭からです。あと会頭が、こちらは阿僧祇さんの方が向いていると仰ってました。その……いえ、なんでもありません』

 

 泉美は服部が言う紅葉の方が向いている意味を知りたかったが、説明させる時間がもったいないと感じて疑問を口にしなかった。

 そして紅葉は、泉美の自制に内心で感謝しながら、服部の言った意味を理解していた。

 

「(ヤツカが必要な状況ってか?)了解した。すぐ向かう」

 

 

 

 グラウンドに駆けつけると、グラウンド半分では魔法の撃ち合いが発生していた。怪我人もそこそこ出ているようで、残りの半分側に救護班が駆けつけている。

 

「なっ」

 

 二年前だってこんな光景は見た事はないと紅葉は絶句していた。そこに泉美の報告が入る。

 

『野球部と魔球部の試合途中で乱闘が発生したようです。そこに外野も巻き込まれたそうです』

 

 魔球とはそのままの意味で、魔法を使って野球をするスポーツである。

 その魔球部のデモンストレーションの為、グラウンド半分を使って試合をしていたが、野球おなじみの乱闘が発生。試合を観戦していた生徒達が乱闘に混じってしまい規模が拡大。そのまま収拾がつかない状態になってしまった。

 

「ちっ愉快犯混じりか」

 

 グラウンドをよく見れば周りを煽っている連中も確認できた。

 

「阿僧祇」

 

 紅葉のもとに先にグラウンドへ到着していた服部が合流した。

 

「服部会頭、状況は?」

「見ての通りだ。野球部、魔球部の部員を何人かは検挙したがそれでは収まらない」

 

 執行部、風紀委員会も黙って乱闘を見ていた訳ではない。中に入って、乱闘している生徒、騒いでいる生徒を検挙していたが、あまりの数の多さにプラスして魔法まで飛び交っているため、対応しきれないでいた。

 

「さっそくで悪いが、頼めるか?」

 

 このままではまずいと思った服部と風紀委員長である花音はまず、飛び交う魔法を止める事を決定し、紅葉をこの場に呼んだのだった。

 

「こんな状況で拒否れませんよ」

 

 呼ばれた時点で自分の役目は理解していた紅葉は、魔法を使うための準備行動に移った。

 

「よし、『風紀委員と執行部は魔法を停止』」

 

 それを見た服部はすぐに端末を使って風紀委員と執行部に指示を出す。

 この場に経験の浅い一年生は投入していない。だから風紀委員は指示を出したのが執行部会頭の服部であろうと関係なく指示に従っていた。

 現場にいる執行部と風紀委員の魔法停止を確認した服部は、紅葉に合図を送る。

 

「阿僧祇!」

「おうよ! 薙祓え、八握剣(やつかのつるぎ)!」

 

 その魔法は、7つの圧縮された想子(サイオン)の砲弾を打ち出し、魔法が飛び交っているグラウンド半分全域に落着後、大爆発。その場全ての魔法を吹き飛ばしていた。

 



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八握剣1

 グラウンドを飛び交っていた魔法が全て吹き飛んだタイミングで、服部から執行部、風紀委員に指示が出される。そして魔法を使っていた乱闘者、乱入者は突然使っていた魔法が消えた為、わけがわからずに呆然としていたところを執行部と風紀委員によって次々と捕まえられていった。

 その様子は、生徒会室のモニターに映し出されていた。生徒会室にはあずさ、五十理、ほのか、泉美がいた。それぞれが執行部、風紀委員会、紅葉達をサポートしていた時、グラウンドで事件発生の報告を受け、ほのか以外が対応につくことになった(ほのかは達也達のサポートを優先)。その為、飛び交っていた魔法が消えた瞬間を見たのはあずさ、五十理、泉美の三人になる。そして、その中で固まってしまったのは泉美だけだった。

 

「やつかの、つるぎ?」

 

 紅葉が付けているインカム伝いに聞こえてきた言葉を呟く。聞いたことのない言葉だった。

 

「やっぱり凄いね」

 

 驚いている泉美を余所に、あずさと五十理は何が起きたのか理解して対応を続けている。

 

「会長はあの魔法をご存知なのですか?」

 

 泉美としては、こういった事態不明な出来事が起きた場合、真っ先にあたふたしそうなあずさが手を止めずに対応を続けている事に少なからず驚きがあった。だから、何かを知っているはずと思いあずさに聞いてしまっていた。

 

「あっ、えっと」

 

 しまったとあずさが焦り出す。すでに服部と花音から紅葉の魔法を使うと聞いていた為、グラウンドで起きた出来事に驚きはしなかった。しかし、この場に紅葉の魔法を知らない人がいる事を失念していた。

 

「うん、知ってるよ」

 

 そこに五十理から助け船が出される。

 

「だけど、ごめんね。僕達の口からは何も言えないんだ」

「っ。失礼しました」

 

 そして、説明拒否の言葉が告げられた。

 他人の魔法を詮索するのはマナー違反だと思い出した泉美はそれ以上聞くことはしなかったが、顔には気になって仕方がないと表れている。その様子を見て五十理は無理もないと思っていた。魔法が一瞬で消える魔法など、滅多に見れるモノではないのだから。

 

『別に構わないさ』

「っ?! 阿僧祇さん?!」

 

 突然、インカムから紅葉の声が聞こえて泉美はハッとなる。インカムのON/OFFを見るとONのままになっていて、今までの会話を全て聞かれていた事に気付いたのだ。

 

『ククク。会話、筒抜けだったぞ』

「っっっ」

 

 微笑と共に指摘され、やましい会話をしていた訳ではないのだが、会話を聞かれていたという事が妙に恥ずかしくなり声にならない声が洩れてしまった。

 

「阿僧祇くんかい?」

 

 そんな、顔が真っ赤にしつつ驚いたり慌てたりしていた泉美とインカムからの会話が一段落したのを見計らって、五十理は誰なのかがわかっていながら尋ねていた。

 

「は、はい、阿僧祇さんです」

 

 なぜまだ慌てているのかと不思議に思ったが、顔が真っ赤だったのでスルーして、聞きたい事を口にした。

 

「彼はなんだって?」

「あの、このまま、説明すると」

「このまま? ……ああ、そういう事か。なら、七草さんは引き続き阿僧祇くんのサポートをよろしくお願いします」

 

 泉美の回答にどういう事かと疑問に思うも数瞬、意味を理解した五十理はいつもの穏和な表情を浮かべて自分の仕事へ戻っていった。

 

 

 

 

 少し時間は遡り、生徒会室で泉美が魔法を見て固まっていた時、紅葉は一仕事を終えたと地面に座り込んでいた。彼の視線はグラウンドで繰り広げられている逮捕劇に向いていたが、意識はインカムから流れてくる会話に寄っていた。

 

「(泉美には話しておくか)」

 

 会話はちょうど、泉美があずさにあの魔法は知っているのかと聞いているところ。

 

「(三年連中以外に一人ぐらい知らないといざって時、大変だろうからな)」

 

 現在、紅葉が八握剣を使えると家族以外で知っているのは、あずさ、服部、五十理、花音の四人だけ。この四人の前で八握剣を使えば、説明不要でいられる上に他の魔法だと誤魔化すことに協力してくれる。しかし、その四人が卒業していなくなると、八握剣を使う度に説明を求められてしまう可能性があり、面倒だと感じていた。

 

「(しかしあの時インカムをOFFにしてたら、八握剣で説明しなくても済んだかもしれないんだよなぁ)」

 

 魔法を放った時、インカムの存在を忘れて魔法名を叫んでいた。八握剣に音声入力は必要ない。念じれば使える魔法なのだが、荒事の雰囲気にのまれたのか思わず叫んだことを後悔する。

 

「(今更、悔やんでも意味ないか。さてと)」

 

 生徒会室の会話は泉美が五十理から説明できないと言われていたところだった。雰囲気的に話が終わりそうだったので、内心ちょうど良いと思う。

 

「別に構わないさ」

『っ?! 阿僧祇さん?!』

 

 思いの外、驚いている泉美にびっくりしたのでクククと笑いがもれてしまった。

 

「会話、筒抜けだったぞ」

『っっっ』

 

 会話が丸聞こえだったのが恥ずかしかったのか、泉美は声にならない声になっていた。たぶん、彼女の顔は珍しく真っ赤になっているんだろうなと思いながら、紅葉は言葉を続ける。

 

「このまま、説明するさ」

『このままですか?』

 

 生徒会室に戻って説明しても良いと思ったが、もしかしたら達也達が戻って来ているかもと思い直しこのままインカム越しに説明する事にした。

 

「そ、このまま。とは言え、ちょっと場所かえるわ」

 

 今現在、紅葉の近くには指揮をとっている服部しかいない。しかし、この後人が集まる可能性もあるので人気の少ない場所へ移ることにした。その為、服部に声をかける。

 

「服部会頭。俺、巡回に戻ります」

 

 巡回に戻る訳ではないが、こう言っておいた方が都合が良い。言ってからグラウンドに目を向けると、逮捕劇は終盤を迎えていた。何人かが抵抗して逃走を試みようとしているが、手練れの執行部と風紀委員に阻止されお縄についている。

 

「わかった。お前のおかげで助かった。ありがとう」

「服部会頭からのお礼とか、明日は雪でも降るかな」

 

 二年前だったら、そんな素直じゃなかっただろと含みを持たせる。それはフッと微笑で返された。

 

「なら、司波さんに頼んで氷漬けにしてもらうか」

 

 こんな冗談も言わなかったのになと思い返す。

 

「いや、それは勘弁ですわ。お疲れ様でしたー」

 

 笑い返そうとしたら、服部の目に本気の色が灯っていた。これはまずいと思った紅葉はさっさとその場をあとにした。

 

 

 

 

 服部と別れて数分、本日の勧誘時間があと30分ぐらいで終わりそうだというのにまだ活気の溢れた中庭を抜け、校舎へと入る。そのまま上へ上へと昇っていく。そして数日前、泉美に暴露話をした屋上に着いた。

 

「待たせたな泉美。聞こえるか?」

『はい、問題ありません』

 

 紅葉が屋上に向かっている最中、二人ともインカムをOFFにしたわけでもないのに無言だった。紅葉としては、雑談を交えながらでも良かったのだがインカム越しに泉美からなぞの緊張感を感じ取れたため無言にならざるえなかった。

 屋上には紅葉以外の人影はなかったので、人目を気にせず空を見上げながらブラブラと歩き回る。

 

「さて、何から話したものか。とは言えまずは確認しなきゃならん事がある。泉美、あれ聞いちゃったよな?」

 

 無駄な足掻きとわかっていながらも聞いていない事を期待した紅葉だが、やはり無駄なことであった。

 

『やつかのつるぎ、ですか?』

「……正解。あんだけはっきり叫んでりゃ聞こえるわな」

 

 数十分前の自分を殴りたい気分の紅葉は、気を取り直して言葉を続ける。

 

「数字の八に握る剣と書いて、八握剣な。俺のトクイ魔法だ」

『(トクイ?) 』

 

 泉美は、紅葉が言った『得意魔法』のニュアンスに違和感を感じた。

 

「どした?」

『い、いえ、なんでもありません』

 

 しかし、その違和感を説明する言葉が思い浮かばなかった為、頭の片隅に気のせいだと追いやる。

 

「そうか? まあいいや。でだ泉美、お前、術式解体って魔法知ってるか?」

『術式解体ですか? 知っていますが』

 

 紅葉は唐突な問いながらも、言いよどむ事がなかった泉美にさすがと感心した。

 術式解体とは、圧縮された想子の塊を対象物に直接ぶつけて爆発させて、そこに付け加えられた起動式や魔法式と言った想子情報体を吹き飛ばすと言うもの。現存する対抗魔法の中では最強と称されているが、使うには並みの魔法師では一日かけても搾り出せないほどの大量の想子を要求するため使い手は極めて少ないと言われている。

 使い手が少ないので、滅多に見れる魔法ではないのに泉美が知っているのは、去年の九校戦の新人戦男子モノリス・コードで達也が術式解体を使っていたのを見ていたからだった。

 その術式解体が今どんな関係があるのかと首を傾げた所で、

 

「知ってるならちょうどいい。八握剣の中身は術式解体だ」

『え?』

 

 そのまま固まってしまった。

 紅葉は内心しくったと、泉美の面白い姿を見れない事を悔やんでいた。



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八握剣2

『(八握剣(やつかのつるぎ)の中身が、術式解体?)』

 

 泉美は生徒会室で、インカム伝いに聞いた言葉を頭の中で反芻させていた。そして確かにと思い返す。グラウンドで起きたいくつもの魔法が一瞬で消えた現象はまさに術式解体であると。

 

「驚いてるところ悪いが、続けるぞ。やってる事は術式解体と同じだ。想子(サイオン)を圧縮して撃ち出す。それを対象に当てて爆発させ、魔法式やら起動式を吹き飛ばす」

 

 ここまでは、術式解体と何も変わらない。紅葉は違うのは一点と続けた。

 

「それを七つまで、単発だろうと、同時だろうと自由に放てるって点だけだ』

「だけだって……それは……」

 

 泉美は二度目の驚愕にはっきりと言葉が出ない。

 術式解体は使うだけでも大量の想子を使うのに、それを七つまでとはいえ自由に放てると紅葉は言ったのだ。説明されているにも関わらず、彼女の頭にはそんな魔法があるのかと疑わずにはいられなかった。

 紅葉は泉美が驚愕して言葉が出てこない事をいいことに、説明をたたみかけていく。

 

「なんで七つかっていう理由な。八握剣ってのは十種神宝(じゅっしゅしんぽう)の一つで……神宝については自分で調べてくれ」

 

 十種神宝

 先代旧事本紀(せんだいくじほんぎ)の天孫本紀に登場する天璽瑞宝十種(あまつしるし みずたから とくさ)のことを指す。饒速日命(にぎはやひのみこと)が天降りする際に、天神御祖(あまつかみみおや)から授けられた宝で、鏡二種、剣一種、玉四種、比礼(女性が首に掛けて、結ばずに、左右から同じ長さで前に垂らすスカーフ様のもの)三種、計十種からなる。

 

「八握剣は魔を祓い平らにする剣と言われていてな、一つの刃に七つの柄がある不思議な形をした剣なんだよ。それを魔法として使うために、一つの刃を自分自身として周りに七つの柄を砲塔に見立て展開する。そしてその砲塔から術式解体を放つ魔法なんだ。砲塔はそれぞれどの角度にも向ける事ができて、さらに七つの砲塔を一点に集中してどでかい術式解体を放つ事も出来る。グラウンドに向けて撃ったのは前者の方だな」

 

 前者は広範囲に放つことができ、後者は干渉力の強い魔法式に対してと使い分けている。

 インカムから泉美の息遣いは聞こえるが、質問を挟んでくる気配はなかったので説明を続けていく。次の説明は少し変わっていた。

 

「こいつを使う一番の問題はサイオン量だが、俺には普通の人の五倍以上はあると言われてる」

『五倍以上?!』

 

 今まで驚いても言葉を失っていただけの泉美が、声を出して驚いた。

 紅葉の言う『普通の人』は魔法を使わない人ではなく、一般的な魔法師を指している。その人達に比べて五倍以上など、凄いを通り越して異常であると感じてしまったからだった。

 

『あると……言われている、ですか?』

 

 ここで泉美は紅葉が変わった言い方をしたのに気づいて、ポツリと聞き返す。それに紅葉は内心でフィッシュ!と言いながら、ガッツポーズをする。紅葉は自分のことなのに詳しく知らない言い方をして、泉美に疑問に思わせた。そして質問、または聞き返す形に誘導していたのだ。

 

「ああ、前に事故で入院したって言ったろ」

 

 それは紅葉が泉美に説明した、嘘混じりの留年理由。嘘は事故と長期入院。真実は入院。ここにサイオン保有量の説明を繋げていく。

 

「事故が原因で、なんかアホみたいに保有量が増えてな。まあ、それ所為で入院が伸びて留年するはめになったんだが」

 

 さらりと嘘が増える。事故が原因と言ってしてしまえば泉美の性格上、深く質問してこないだろうと思っていた。

 

「しかも、最後まで正確な保有量がわからないときた。だから、最初の検査で五倍以上と言われてるのを信じてるわけだ」

『そう、だったのですか』

 

 泉美は説明を聞いて疑問に思った事があったが彼の思惑通り、事故が原因と言われてしまって質問する事が憚れ言葉少なめに返すしか出来なかった。

 

「そんなこんなで、八握剣を使うだけのサイオンが俺にはある。それを使ってバカみたいに術式解体をいっぱい放つ魔法ってことだ」

 

 最後は思いっきり言葉を崩して、バカ話のように締めくくった。

 

「おーい、泉美。生きてるか?」

 

 説明は終わったのだが、泉美から何も反応が返ってこないので頭がショートしているのかと心配になる。

 

「(まあ、信じがたい魔法だよな。本来は人が扱える魔法じゃねーし)」

『……大丈夫です。勝手に殺さないでください』

「……それは悪かった」

 

 まさか泉美からそんな返しがくるとは露ほども思っていなかったので、不覚にも面を食らってしまった。

 

『阿僧祇さん……その、説明有り難う御座います』

 

 何かを聞きたそうに口ごもるが、紅葉の質問防ぎが効果を成したためか、お礼を述べるだけに止まった。

 

「おう。ついでに頼みたい事があるんだがいいか?」

『なんでしょうか?』

「八握剣を知ってるのは、留年を知ってる奴らよりもっと少ないんだわ。知ってるのは会長、会頭、委員長に五十理だけ」

『そんなに少ないのですか?』

 

 泉美としては、留年理由に起因しているのだから留年を知っている人なら知っていると思っていたのだが、予想以下な人数に驚いてしまった。

 

「ほいほい使う魔法でもないからな。だからな、知らない奴の前で八握剣を使う度に、あんな長ったらしい説明をするのは面倒でよ。その、もし、今後、八握剣を使った場合には、術式解体で通したいんだわ」

 

 八握剣の説明は、色々な事を濁さないといけない。その濁す部分を人によって変えていく必要がある。それを毎回説明していくのは骨であった。

 

『口裏を合わせてほしいと言う事でしょうか?』

「理解が早くて助かる。頼めないか?」

『……わかりました』

 

 返答に間があいた事にドキリとしたが、泉美の了承の言葉に紅葉は安堵した。そして、ちょうど良く終鈴が鳴り響く。本日の部活勧誘時間が終わったのだ。

 

「もうそんな時間か」

 

 屋上から下を見下ろすと、勧誘していた生徒達が次々と撤収し始めている。

 ここで紅葉は今日が、迷信の日だった事を思い出した。

 

「(中々濃い一日だったのは十三日の金曜日だったからか? 八握剣まで使うとは思わなかったしな。迷信恐るべし)」

 

 香澄と七宝の仲裁から始まり、大乱闘を静め、泉美に八握剣を説明する。思い返してみると一日で起きるイベント量ではない。そして、思い返してた事によって、ドッと疲れを感じてしまった。

 

「一日お疲れさんと。泉美もお疲れ様。さっさと帰るべ」

 

 終鈴によって自分の仕事も終わったので、自分と一緒に泉美を労う。そして帰るかと屋上を出ようとしたが、泉美の言葉で足が止まった。

 

『何を言っているのですか? 明日は大規模演習があるので、その警備計画の打ち合わせがあります。まだ帰れませんよ』

「なにそれ聞いてない」

 

 どうやら十三日の金曜日は、まだ紅葉を解放する気はないようだ。







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新入部員勧誘週間5

 二〇九六年四月十九日木曜日、昼。

 新入部員勧誘週間最終日でもあるこの日。放課後を迎える前に、一つの小さな面倒事が紅葉のもとにやってきた。

 四時間目が終わり、昼休みだと生徒達が動き出す中、紅葉は学食にするか購買でパンにするか悩んでいた。一昨日は放課後に向けて体力を確保する為に学食でがっつり食べていたが、大して忙しく無かった為その体力がかなり余ってしまった。そして昨日は、一昨日のように体力を余らしたくなかったので、購買でパンを買って少なめにしたのだが、激務にあい枯渇した。このように選択肢がかみ合わず大変な目に(自業自得)あっていたので、今日の選択は慎重になっていた。

 

「紅葉、学食行かないか?」

 

 そこにクラスメイトの籠坂 龍善(かごさか りゅうぜん)が声をかけてきた。

 新入部員勧誘週間初日に七宝と衝突していた風紀委員で、その仲裁に入ったのが紅葉だった。その後クラスメイトということもあり、お互いの事を名前で呼ぶようになっていた。

 

「学食か。そうだな、バランス良く定食にでもしておくかな」

 

 パン二個では心許なく、炭水化物×炭水化物では重い。ならバランスのとれた定食をとった。

 

「そんじゃ行くか」

「ああ」

 

 席から立ち上がり、龍善と共に教室を出る。学食に向かって、二人は並び歩く。

 この二人は一年生の中でもとにかく目立つ。紅葉は身長が高く大人びた雰囲気を放っていて、男子からは怖そうだけどかっこいいと思われ、女子からは目を惹く存在だった。龍善はつるりとした坊主頭の為、男子女子両方から好奇の目が向けられていた。

 だから彼女は二人を簡単に見つける事ができた。

 見つけた後、駆け足で二人に近づき、その片方である紅葉の背中をロックオンする。

 

「あーそうっぎ!」

「あだっ?!」

 

 そして、七草香澄は背中を思いっきりバチンと叩いた。

 

「香澄、てめえ何しやがる!」

 

 紅葉がすぐに香澄だと気づいたのは、背中を叩いた後、紅葉の横を通り過ぎて前に立っていたからだった。

 

「あの時のお返しに決まってるじゃん」

 

 あの時のお返しとは、七宝と一緒に鉄板を頭に叩きつけられた事を言っている。

 

「なら、今のでチャラって事でいいな?」

 

 叩かれた背中をさすりながら、姿勢を正す。

 すでに紅葉は謝罪の意味を込めてジュースを奢っていたが、香澄はそれでは許さないB定食を奢れと要求していた。紅葉はその事を忘れていなかったが、自分から奢りに行く気がなかった為、ずっとスルーしていた。そしてそのまま忘れてくれと願っていた。

 そこに今の攻撃である。香澄本人がお返しと言った事で、B定食を奢らなくて済むと思ったがそうではなかったようだ。

 

「なに言ってんの? 今から奢ってもらうんだよ」

 

 きっぱりはっきりそう言い切った。

 

「うげ、マジか」

「紅葉、なんの話だ?」

 

 香澄の登場から一気に置いてきぼりをくらっていた龍善が、気を取り直して状況把握に動き出した。

 

「あー、簡単に言うとな、香澄に脅されて「ちがーう!」ちっ」

 

 事の経緯を正直に言ってしまうと80%程自分が悪いと思われてしまうのがわかっていたので、捏造しようとしたら即否定が入ってしまい舌打ちする。

 

「籠坂、騙されるな! そいつはボクの頭を鉄板で叩いたんだよ」

 

 ちなみに香澄と龍善は同じ風紀委員なのでお互い面識がある。

 

「お前、いくらなんでもそれは」

 

 場面を想像したのか、龍善の顔が痛そうに歪んでいた。

 

「いや、こいつが七宝とトラブってたから、それを止める為に仕方がなくな」

 

 香澄の説明だけでは100%自分が悪いように聞こえたので、それに至った原因(20%の部分)を言い返した。

 

「そうだとしても、女の子の頭に鉄板はダメだろ。それはお前が悪い。だから、七草に奢ってやれ」

 

 しかし、龍善は紅葉の味方にはならず、香澄側についていた。

 思わぬ援護射撃に香澄が勢いづく。

 

「そうだそうだ!」

 

 そして思わぬ裏切りに形勢が一気に傾き、これ以上時間を使うと食べる時間がなくなると思った紅葉は敗北を認めるしかなかった。

 

「ちくしょう。わーったよ、奢りゃいいんだろ」

「よしっ」

 

 香澄は紅葉の敗北宣言を聞いて、グッと拳を握り肘を引いたガッツポーズをしていた。

 こうして小さな面倒事は紅葉の敗北で幕を閉じた。

 

 

 

 放課後。

 二日目に大乱闘が起きたグラウンドの外縁を見て回る。グラウンドでは三つの部活がしっかりとルールを守って演習を行っていた。

 

「なあ、いずみん」

 

 気の抜けた声で、呼んだことのないあだ名で呼びかけると、すぐに返ってきた。

 

『次、それで呼びましたら怒りますよ』

 

 すでに怒気が多分に含まれた状態で。

 

「もう、怒ってるじゃねーか。まあいいや。泉美、暇だから帰って『怒られたいのですか?』うん、なんでもない」

 

 より怒り成分が加わった声で返されては前言撤回するしかない。

 

「とはいえ、最終日は平和だな。昨日が嘘のようだ」

 

 昨日はあちらへこちらへと駆け回って問題の対処にあたり、体力が枯渇したというのに今日はまだ走る事さえしていなかった。

 

『昨日の最後に深雪先輩が対応にあたられましたから、今日はその影響ではないでしょうか?』

「あー、なんだっけ? 深雪先輩の魔法が炸裂したんだっけか」

 

 紅葉はあっちこっちと駆け回ってっていた為、見る事はなかったが、とある部活間の問題が中々鎮火しなかったことを受け、深雪が対応にあたって強制的に鎮めた一幕があった。

 

「視覚的恐怖を体験して、その情報が回りに回って今日問題を起こすのは誰もがマズイと思い、穏やかになったと。納得だな」

 

 実際に紅葉は見ていないが、人伝に聞いていて場を想像しただけで身震いをしていた。リアルタイムで見た人達の恐怖は計り知れないだろう。

 

「見れなかったのは残念だな」

『深雪先輩の魔法ですか?』

「ああ」

 

 紅葉は服部達から当時一年生(現二年生)の何人かがすごいという話を聞かされていた。その筆頭が司波深雪だった。

 一年生でありながら氷炎地獄やニブルヘイムを使ったと聞いた時は、ピシッと1分は固まった記憶がある。

 さすがに、部活間の問題で氷炎地獄などを使う事はないと思うが、深雪の魔法は直に見ておきたかった。

 

「まあ、近いうちに見られるか」

『どうして見られるとわかるのですか?』

「どうしてって、九校戦があるじゃねーか」

 

 この勧誘週間が終われば、次のイベント全国魔法科高校親善魔法競技大会、通称九校戦が行われる。

 

『確かに。では、またあの美しい深雪先輩が見られるのですね』

 

 泉美は去年の九校戦で活躍した深雪を思い出したのか、トリップ状態に入った。

 

「おーい、泉美ー? ダメだこりゃ、当分戻ってこないな」

 

 当分、泉美のサポートが機能しなくなったが、今日の空気ではこのまま何もないまま終わるだろうなと思いながら、紅葉は巡回に戻っていった。

 

 その後、紅葉の予想通り、特に問題が起こる事はないまま、新入部員勧誘週間は終了した。

 



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日常の表側1

 二〇九六年四月二十日金曜日。

 阿僧祇 紅葉(あそうぎ こうよう)の目覚めは基本的に遅い。目覚まし時計を七時にセットしているが、日曜日を除いた六日の内、時間通りに目を覚ますのは二日ぐらいしかない。では、残りの四日はどのようにして起きるか。

 パターンは二つ。

 一つは時間ギリギリに起きて、猛ダッシュをするはめになる。もう一つは……

 

 朝、七時五分。

 いつものように目覚まし時計を無視して寝続ける紅葉に近づく影。影は爆睡している紅葉を見てため息一つついた後、両手で掛け布団をつかむ。そして、引っ剥がすと同時に露わになった彼の体に蹴りを一発くらわせた。

 

「ぐげっ?!」

「いい加減起きる! 朝ご飯、私が食べるよ!」

 

 紅葉の部屋は畳部屋である。敷き布団の上でうっすらと目を開ける。自分を蹴った相手を見やるが、見なくても彼の中では誰なのかはわかっていた。

 

「姉貴、帰って、たのか」

 

 阿僧祇 双葉(あそうぎ ふたば)。紅葉の二歳上の姉である。彼女は一週間の半分以上を別の所に泊まり込んでいて、一日二日ほど実家に帰ってくる。そして朝、寝続ける紅葉を発見すると決まって蹴り起こしていた。本人曰くストレス発散のようだ。

 

「おはよ、朝ご飯ホントに食べるよ」

「止めてくれ。朝のエネルギー源がなくなるのは辛い」

 

 紅葉はすっきりとは言えないが、しっかりと目が覚めている。彼女は蹴り慣れているため、どこをどの程度の力で蹴れば紅葉がすぐに目を覚ますかを熟知していた。

 

「だったら、早く居間に来る」

「はいはい、わかりましたよ」

 

 双葉が部屋を出て行くのを見送ったあと、のそりと布団から起き上がり身支度を始めた。

 

「はよ、母さん」

「おはよう、紅葉」

 

 居間に来ると母親の春奈(はるな)がエプロンを外しているところだった。

 

「私はもう出るわ。戸締まりよろしくね」

「いってら~」

 

 出て行く春奈を見送りながら、紅葉は用意されていた朝食の前に座り、テレビを付ける。流れるニュースを見ながら玉子焼に醤油をかけた。ニュースからは反魔法師報道が流れている。内心今日もかと思いながら味噌汁に口をつけた。

 

「最近、この手のニュース多いよね」

 

 すでに朝食を済ませている双葉は、緑茶を片手に紅葉の対面に座りながら話かける。

 ニュースでは『軍用魔法師の実態』と題され著名人がコメントを出し合っていた。

 

「昨日は優遇される魔法士官だったな。結局、言ってる事は同じだったけど」

 

 今流れているのは、魔法師を利用する国防軍を非難する内容。昨日の内容は魔法師が依怙贔屓されていることを非難するものと両極端に分かれているが、どちらも魔法師と国防軍を結びつけて非難している点で共通していた。

 

「同じ事を言ってるのに、なんで論調が違うのかしら?」

「情報ソースの違いじゃねーの? 知らんけど」

 

 その言葉はあながち間違いではないのだが、真相を知る機会は紅葉にはなかった。

 

「つーか、連日同じ内容で聞き飽きるわ。別のニュースはないのか」

 

 そう言って次々とチャンネルを回していくが、どこも似たような内容だったので最終的にテレビの電源を落として、朝食を食べることに集中した。

 双葉はまったりとしながら緑茶を飲み終え、時計を確認したあと「よし」と立ち上がる。

 

「さてと、私はそろそろ出るね。紅葉、遅刻しちゃダメだよ」

 

 近くに置いてあったボストンバッグを肩にかけ、紅葉に手を振る。

 

「あいよ。いってら~」

 

 それを味噌汁をすすりながら、振り返して見送ると、「行儀悪い!」と指摘を飛ばして出かけていった。

 

 

 

 姉によって蹴り起こされた為、時間に余裕をもって家を出ることができた紅葉は、イヤホンをして好きな音楽を聞きながら学校までの道を歩く。紅葉の家は第一高校から徒歩30分圏内の距離にある。だから、遅刻しそうになっても交通機関の影響を受けずに猛ダッシュすれば間に合えるのだ。

 第一高校に近づいていくと、ちらほら第一高校の制服を着た生徒を見かけてくるが、紅葉の知り合いには中々会わない。理由としては、キャビネットを利用している生徒が多く、駅は紅葉の家とは真逆に位置している。その為、知り合いと会うのは決まって校門前になっていた。

 

「阿僧祇ぃ」

 

 そして、本日の知り合い第一号は七宝琢磨だった。

 七宝は紅葉を見るや否や、憎らしい睨みを利かせてくる。しかし、紅葉はイヤホンをして音楽を聞いているのを理由に、気づかないフリをして通り過ぎていく。後ろから「おい!」とか「無視するな」とか言われているが、音楽の音量を上げさらに歩く速度を早めてさっさと教室へかけ入った。

 

「たく、朝っぱらから運悪いな」

 

 教室につくと自分の席にドカッと座り込む。七宝とは、登校時間が同じ時があるのか中々な遭遇率になっていた。その度に紅葉は無視し続けているため、七宝の紅葉に対する苛立ちは相当なものになっている。

 

「財布でもすられたか?」

 

 まだ、何の授業も始まっていないのにすでに疲れ切っている紅葉に近づくのは、龍善だった。

 龍善の席は紅葉の二つ後ろなので、紅葉が来ればすぐにわかる。

 

「ああ、お前にすられた。今すぐ三倍にして返せ」

 

 姿を見なくても、声で龍善とわかっていた紅葉は顔を上げる事なく、冗談を言い返す。その頭にポクっと軽い衝撃が入った。

 

「払えるか」

 

 顔を上げると、頭に龍善の手刀が当てられていた。

 

「けちん坊め。よう、龍善」

「誰がケチだ。おはよーさん、紅葉」

 

 この一連の冗談の流れが紅葉と龍善の朝の挨拶になっていた。ただ、これは時間に余裕があるときのみで、普通に挨拶を交わす場合もあれば、簡素に終わる場合もある。

 その様子を少し離れた席から見ていたのは泉美だった。紅葉が教室に入ってくるなり疲れた様子が見えたので目を向けたのだが、龍善とやり取りしているのを見て、内心大丈夫そうですねと思いながら、目の前にいる友人の言葉に意識を向き直した。

 

 

 

 つつがなく授業は進行し、放課後。

 生徒会室で紅葉は泉美とほのかと一緒に深雪から生徒会業務の指導を受けていた。上座近くではあずさ、五十里、達也がなにやら話し込んでいる。

 

「それで、実験の許可はおりたんですか?」

「(実験?)」

 

 声を潜める事なくあずさが達也に問いかけていたので、その会話は紅葉に聞こえていた。

 

「条件付きですが、承認になりました」

「(条件付きの実験? なんだそりゃ?)」

 

 気になる単語が続いた為、紅葉の意識は生徒会業務説明からあずさ達の会話に向いていた。説明していた深雪は紅葉の意識が離れたことに気付きながらも、この説明はもうすぐ中断するとわかっていたので、特に指摘はしなかった。

 

「当たり前のことですが、先生の監督が付きます。それが条件ですね」

「(先生の監督が条件の実験。達也主導で中条と五十里がサポートか? 何するつもりだ)」

 

 紅葉は、まだ話し合っているのがあずさと五十里だけなら、三年生の実験の話だと思えた。しかし、実験の許可を取る、主導で説明しているのが達也だった為、ただの実験ではない、しかも何かしらの意図がある実験を計画していると予想した。

 そんな事を予想していると、来訪者を告げるチャイムが鳴った。

 

廿楽(つづら)先生です。わざわざ足を運んでいただいたようですね」

 

 モニターを確認した深雪が誰なのか答える。

 素早く立ち上がったのは泉美だ。少しもきびきびしているようには見えないが、一年生らしく上級生が対応する前にドアへ向かい廿楽教師を出迎えた。

 

 廿楽が来たことで生徒会の活動は一時中断となった。生徒会役員全員が会議用テーブルに着いている。いつもは生徒会長が座る席に廿楽が腰を下ろし、生徒会室はミーティングルームに変わっていた。

 

「実験の手順は拝見しました。面白いアプローチだと思います」

 

 給仕されたお茶で喉を湿らせて、廿楽は第一声を放った。

 

「それで司波君。役割分担はどのように考えているのですか?」

 

 廿楽の問いに達也は迷うことなく説明を始めた。

 

「まず、ガンマ線フィルターは光井さんにお願いしようと思います」

「私ですか!?」

 

 いきなり指名されて、ほのかが素っ頓狂な声を上げた。この時点で、ミーティングの詳細を知らないのは、紅葉、泉美、ほのかだったので無理もない。

 しかし、紅葉は別の事で頭に疑問符が浮かんでいた。

 

「(ガンマ線フィルター?)」

 

 ガンマ線フィルターとは、ガンマ線を散乱させて熱エネルギーを取り出し可視光線に変換する魔法だ。

 そんな魔法を使う実験とはなんなのかと頭を巡らすが答えは浮かばなかった。紅葉が頭で考えている間、話は進み達也は次々と役割の指名を行っていく。

 

「クーロン力制御は五十里先輩にお願いします」

 

 こちらは既に話がついていたのか、五十里は無言で頷いた。

 

「中性子バリアは一年生に心当たりがありますので、彼女にお願いしようと思っています」

 

 達也のこのセリフに、紅葉には心当たりはなかったので泉美は知っているかと思い、対面にいる彼女を見る。その視線に気付いた泉美は心当たりはないと軽く首を横に振っていた。

 

「一年生に? 大丈夫なのですか」

 

 廿楽も不安を禁じ得なかったのだろう。思わず、という感じで口を挿む。

 

「ええ。対物理防壁魔法に掛けては天性の才能を持っている子です」

「(そんな子いたか?)」

 

 紅葉は記憶を引っ張り出そうとしたが、まだ入学して二週間程度しか経っていない。クラスメイトでさえ、魔法特性を把握していないのだから知らないのも無理はないなと思い至った。

 

「誰なのでしょう」

「名前は桜井 水波(さくらい みなみ)。自分の従妹です」

 

 一応と、紅葉は泉美を見るが先ほどと同様に首を横に振っていた。

 

「そうですか」

 

 達也の説明を聞いた廿楽は安心した顔で前のめりになっていた姿勢を戻した。廿楽の態度の変化があっさりしすぎていて紅葉は疑問に思った。たぶん、達也と深雪の従妹だから安心したのだろう、と紅葉は解釈した。

 

「第四態相転移は誰に頼むかまだ決めていません。そして要となる重力制御は妹に任せようと思います」

 

 こちらも五十里同様、既に話が決まっていたのか深雪は座ったまま小さく一礼した。

 

「妥当な人選だと思います」

 

 廿楽が納得顔で頷く。

 こうして達也の役割分担の説明が終わって、まだ決まっていない第四態相転移を誰にするかという話し合いが始まった。

 その中で紅葉は自分が指名されることはないとわかっていたので、別の事を考えていた。

 

「(ガンマ線フィルター、クーロン力制御、中性子バリア、第四態相転移、それに重力制御。なんだ、核融合炉でも作る気か?)」

 

 説明にあがった魔法の組み合わせで考えられる実験を片っ端から考えていく。仮にどれか正解であっても、それらを実行する意図が理解できなかった。

 これ以上は頭がパンクすると思った紅葉は、思考を現実に戻すと、第四態相転移の担当者が決まったのか、壁面の大型スクリーンに実験のモデル図が映し出されていた。

 

「廿楽先生、実験の詳細を知らない人もいますので確認の意味でも一通り説明しておきたいと思うのですが」

 

 それを待っていましたと、紅葉は達也の説明に耳を傾ける。そして、その説明を聞けば聞くほど、やれるのかと疑問に思ったが達也は最後にこう締めくくった。

 

「……このメンバーが協力し合いチームとして機能したなら、三大難問の一つと言われているこの実験を間違いなく成功させることができる。俺はそう確信しています」

 

 こうして実験がスタートした。

 

 




恒星炉、難しすぎ。



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日常の表側2

 達也の計画した実験がスタートした次の日。

 本日は土曜日なので、午前しか授業がない。午前授業は三限あり、一限は魔法工学、二限は基礎魔法学、三限が選択科目1となっている。そして、一限目の魔法工学は一年生の内はソフトウェアが中心となる。その授業を受けながら、紅葉は昨日の説明を思い返していた。

 

 達也の計画した実験は恒星炉実験といい、常駐型重力制御魔法を中核技術とする継続熱核融合実験のことをいう。

 紅葉がわからなかったこの実験を行う意味も同時に説明されていた。

 最近、毎朝テレビで紅葉が見飽きてきた反魔法師特集。その一環で野党議員が取り巻きの記者と一緒に第一高校を視察し、魔法科高校は軍事と強い結び付きがあるという反魔法師パフォーマンスを計画しているとの情報がもたらされた。その情報が誰によってもたらされたのか紅葉は軽く突っついてみたが、華麗にスルーされている。達也はその計画を逆に利用して、魔法科高校は軍事目的以外にも魔法教育の成果が出ていることを示す為に恒星炉を用いて、常駐型重力制御魔法式熱核融合炉の実現可能性をデモンストレーションし魔法の平和利用を主張することを計画した。

 これが恒星炉実験の全容になる。

 

「(よくもまあ、そんな計画考えつくもんだ)」

 

 紅葉にとって前期の魔法工学は二度目になる為、復習感覚で授業を受け流している。その意識の八割は恒星炉の詳細が表示された電子ペーパーに向いていた。

 

「(準備に四日か)」

 

 議員が視察に来るのは四月二十五日水曜日。今日が四月二十一日土曜日なので、実験の予行を行えるのは二十一日~二十四日までの四日間となる。

 

「(三限終了後、関係者は生徒会室集合だったな。俺は出る必要ないと思うんだがな)」

 

 実験の主要メンバーに紅葉は含まれていない。

 主要メンバーは以下の通りになる。

 

 企画、司波達也。

 監督教師、廿楽計夫。

 実験リーダー兼クーロン力制御魔法担当、五十里啓。

 全体のバランス監督、中条あずさ。

 ガンマ線フィルター担当、光井ほのか。

 中性子バリア担当、桜井水波。

 第四態相転移担当、七草泉美、七草香澄。

 重力制御担当、司波深雪。

 

 このように紅葉の役割はなかったように思えるが、重要な役割が残っていた。

 

 三限目が終わり、昼。

 それぞれが昼食を済ませ、生徒会室に集合した。そして達也と五十里、廿楽が各魔法担当者と話し合いが始まっている隅で、紅葉はあずさに話しかけられていた。

 

「留守番?」

「うん、留守番。正確には連絡係りだね。実験メンバーのほとんどが生徒会役員だから、皆で実験室に行っちゃうと、生徒会室を空ける事になるんだ」

 

 確かにと紅葉は相槌を打つ。実験メンバーに選ばれていない紅葉までもが実験の何かしらを手伝ってしまうと生徒会室が空となり、何かトラブルが起きた際に生徒会はすぐに動けず困ってしまう。だから、紅葉は生徒会室で連絡係りになってもらう為に、メンバーから外したのだという。

 

「じゃあ、実験中はここに待機してればいいってわけですか」

「そうだね。何かあったら、私か司波くんの端末に連絡入れてもらえればいいかな」

 

 その中に五十里が入っていないのは、魔法を担当しているからだろうなと予想できた。

 

「滅多な事でトラブルは起きないから、退屈だろうけどお願いします」

 

 軽く一礼してあずさは、達也、五十里の方へと向かっていった。

 

「激務フラグ立てんなよ」

 

 さらっと要らぬフラグを立てるあずさに、余計な事をと立ち去る背中に向けてジト目をプレゼントした。

 

「ふーん、阿僧祇はメンバーじゃないんだ」

 

 あずさと入れ替わるように近付いてきたのは、達也達との話し合いを終えた香澄と泉美の二人。泉美は紅葉の対面にある自分の端末席に座り、香澄はその隣に腰を下ろした。

 

「そっちは第四態相転移担当だったな」

 

 第四態相転移魔法とは、液体を第四態つまりプラズマに状態変更する発散系魔法である。

 

「まあ、二人なら問題なくやれそうだわな」

 

 本来なら一つの魔法を二人で行うのは難しい。しかし、香澄と泉美は乗積魔法の使い手なので失敗することはないだろうと紅葉は思っていた。しかし、その言葉に香澄と泉美が身構える。

 

「どした?」

「司波先輩もそうでしたが、阿僧祇さんも私達の事を知っているのですね」

 

 はて? と紅葉は首を傾げる。

 七草の双子の事は数付き(ナンバーズ)の家の者なら少なからず知っていると思うのだがと思案して、「ああ、知らないのか」と思い直した。

 

「そりゃ一応、阿僧祇は百家だからな。お前等の事は耳にするさ」

「「百家?」」

 

 双子の無駄なハモリを披露しながら、二人は身構えた表情から一変、ポカンと驚いた表情で固まった。

 

「なんで知らないんだよ。いや、知らなくても無理はないか」

 

 阿僧祇は、元は仏教用語で『数えることができない』の意味がある。

 いち早く再起動したのは、紅葉の言動になれている泉美だった。

 

「阿僧祇さん、一応と言うのは?」

「ああ、阿僧祇は分家でな、本家は数多なんだよ」

「あまた?」

 

 遅れて再起動した香澄が聞き慣れない言葉に首を傾げた。

 

「数多とはあの数多ですか?」

 

 そんな香澄とは別に泉美はそれが自身が知っているモノと同じなのか確認してきた。

 

「その数多で合ってる。それ以外があるんだったら教えてほしいところだな。てか、なんで泉美が知っててお前が知らないんだよ」

「し、知らないわけないじゃない!」

 

 二人は十師族な上、双子なのだ。同様の教育を受けているはずなのだが、紅葉は頭の出来が違うんだろととんでもなく失礼な事を思い浮かべて結論付けた。

 それが表情に出ていたのか香澄が喰ってかかる。

 

「お前、今失礼なこと考えたろ!!」

「いや、別に」

「こら、こっちを見なさい!!」

 

 形勢は圧倒的に紅葉が有利なのだが、実年齢を知っている泉美からしたら大人気ない&香澄を弄るの許さない精神から攻防続ける二人の間に割って入った。

 

「阿僧祇さん、続きを」

 

 その声色は、新入部員勧誘週間中に幾度となくサボろうとする紅葉を叱ってきたものだった為

 

「りょーかい」

 

 効果バツグンであった。

 

「というか、ウチの事情はどーだっていいだろ」

 

 紅葉は改めて説明に戻ろうとして、その内容は詳しく話すものではない気付いた。

 

「阿僧祇家は百家。その関係で、お前等の事は知ってた。OK?」

「確かに今はそれで充分ですね」

 

 泉美の疑問から始まった問答は、彼女が納得したことで終わりを迎えた。そのタイミングで「紅葉」と声がかけられた。三人は声のする方を向くと、達也が一人の女子生徒と一緒にいた。

 達也が来たことに対する反応は三者三様。香澄は鋭い目つきで達也を睨み、泉美は近くに深雪がいない事に落胆し、紅葉だけが普通の反応である。

 

「どーしました達也先輩?」

 

 香澄と泉美の反応に苦笑いを見せながら、達也は隣に立っていた女子生徒を自分より前に立たせる。

 

「まだ紅葉には挨拶していないと思ってな。水波」

「はい、達也兄様。桜井水波と申します。よろしくお願いします」

「ああ、あんたが対物理防壁魔法にかけては天性の才能がある桜井か。阿僧祇紅葉だ、よろしく」

 

 紅葉は特に考えもなく、恒星炉の役割分担時に聞いた言葉をそのまま口にしていた。それを聞いた水波はジト目になっている。

 

「阿僧祇さん、その紹介は誰がしたのでしょうか?」

「誰って、桜井の隣にいる」

 

 水波の中では犯人がわかっているのだろう。紅葉の言葉に合わせて、水波の視線が動く。

 

「達也先輩だな」

「達也兄様」

 

 水波のジト目が達也に直撃する。しかし、直撃しながらもそのポーカーフェイスは崩れなかった。

 

「本当の事を言ったまでさ」

 

 こう言われては何も言い返せなくなるので、水波は小さく息を付いていつものことと諦めることにした。その様子を見ていた紅葉はクツクツと笑っていた。

 

「なんですか阿僧祇さん」

「いんや、苦労してんだなって思っただけだ。お疲れさん」

「……」

 

 今度は水波のジト目が紅葉に直撃するも、本人は気にする事なく小さく笑い続けていた。

 



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日常の表側3

 恒星炉実験の準備期間に日曜日も含まれている。そのため、実験メンバーは日曜日でありながらも登校し実験室に集合していた。

 

「あれ? あいつ居ないよ?」

 

 そんな集合したメンバーを見回して、香澄はこの中で一番大人びた雰囲気をまとっている生徒がいない事に気付く。

 

「あいつとは、阿僧祇さんですか?」

「うん、阿僧祇」

 

 香澄の言う人物を言い当て返答したのは泉美だが、彼女でなくても阿僧祇紅葉の事だろうなと思い浮かんでいた。理由は、現時点で恒星炉実験の全容を知っているのは生徒会役員全員であるのに紅葉だけいなかった。

 確かに紅葉は全容を知ってはいる。しかし、実験メンバーではないので登校しなくてもいいのだが、香澄としては知っているのだから、手伝えと思っていた。

 

「阿僧祇くんなら来ないよ」

 

 その疑問に答えたあずさが、今日のスケジュールが書かれた電子ペーパー片手に香澄に近づいてきた。

 

「日曜日はお手伝いに行くって決まってるから、来れないんだよ」

「お手伝い?」

 

 あずさから疑問となるワードを聞き、二人の頭に疑問符が浮かび上がる。

 

「阿僧祇くんの知り合いが和菓子店を営んでいてね。そこのお手伝いに行ってるんだよ」

「阿僧祇がお手伝い、くっ」

 

 紅葉が接客してる姿を思い浮かべたのか、香澄から笑いがもれる。その様子を見ながら、泉美は「失礼ですよ」と窘めながらも紅葉の働いている姿を想像出来ないでいた。

 

「確かに彼が働いている姿は想像出来ないですよね」

 

 二人の表情から、それぞれがどんな事を思い浮かべたのか察したあずさは苦笑いになる。

 

「その和菓子店はどちらにあるのでしょうか?」

 

 泉美としては想像できないから見てみたいという、ちょっとした興味だった。だから、知っている場所なら近い内に行ってみようと思っていた。

 

「駅から近いですよ。帰りに皆で行ってみます?」

「え、そうなのですか」

 

 しかし、あずさから思いがけない提案にすぐ返答できず迷っていると

 

「行く! 行きます! あいつの働いてるところ見てみたい!」

 

 香澄が手を上げて、即座に行くことが決定した。

 

 

 

 第一高校前駅と第一高校の通学路の角を一つ曲がり、歩くこと五分のところに古風な佇まいの和菓子店「那由多」がある。

 達也と深雪と水波は午後に用事があるとの事で途中で別れ、あずさ、五十里、花音、香澄、泉美の五人が暖簾をくぐるとすぐに「いらっしゃいませー」と女性の声があがった。

 花音がいる理由は当然の如く、五十里がいるからである。実験室ではなく風紀委員室で、珍しく仕事をしながら実験が終わるのを待っていた。

 

「あらあら、あずさちゃん達じゃない。お久しぶりですね」

 

 パタパタと駆け寄ってきた割烹着の女性はこの店のベテラン店員だった。来店したお客があずさ達とわかると声のトーンが上がりさらに笑顔になる。

 

「お久しぶりです」

「お久しぶりです」

「来ちゃいました~」

 

 あずさ、五十里、花音の順で挨拶を返す。

 三人共、この店の常連だが、最近は色々と忙しくて中々これないでいた。

 

「あら、後輩さんかな」

 

 三人の後ろに知らない女子生徒がいるのを見て店員はコテンと首を傾げた。

 その仕草を二人は内心可愛いいと思いながらお辞儀を返す。

 

「うん、五名様だね。お座敷にご案内で~す」

 

 二人が三人の連れだとわかると、五人を奥の座敷へと案内し始める。座敷には六個の座布団が置かれており上座にあずさ、五十里、花音の順で腰を下ろし、あずさの対面に泉美、その隣に香澄が座った。

 

「では、少々お待ちください~」

 

 普通なら「ご注文が決まりましたらお呼びください」なのだろうが、店員は思い付いたように悪い笑顔を浮かべて奥へと歩いていってしまった。その先から「お座敷一番、五名様です~」とうっすらと聞こえてくる。

 あずさ、五十里、花音はお品書きに目を向け、香澄と泉美は落ち着いた雰囲気の店内を見回していた。だから、五つの湯飲みをのせたお盆を持って近付いてくる男性店員に三人よりも早く気付いて、目を丸くした。その男性店員は作務衣を着て、いつもは垂らしている前髪を後ろに撫でてピンで留めている紅葉だった。

 

 

 

「あんちくしょうめ、わっるい顔してたからなんだと思ったらこういう事か」

 

 五つの湯飲みに気が向いていて、香澄と泉美に見られている事に気付くのが遅れた紅葉は、気付いたあと即座にUターンしようとした。しかし、花音から「阿僧祇、お邪魔してるよ~」の声に防がれた。そして、この状況に陥れたベテラン店員に恨み言を呟きながら、座卓端の中間に立っている。

 紅葉の右側にいる香澄と泉美はいつもと違うように見える彼にそれぞれ別の反応をしていた。

 香澄は紅葉から視線を外し俯き、泉美はマジマジと紅葉を見ている。そのなんとも言えないむずがゆさに、紅葉は二人をスルーして、注文票を手にした。

 

「で、ご注文は」

「愛想わるっ」

 

 本当なら、てめぇらに回す愛想はないと言ってやりたい紅葉だったが、この場に彼が留年している事を知らない香澄がいるため、一年生として居なければならなかった。それがわかっているから花音は、からかう気満々でいて、紅葉も花音がからかってくるのがわかっていたからスルーし、言葉を続ける。

 

「本日、もみじは売り切れとなっており「嘘はダメだよ紅葉くん~」……」

 

 一番注文されたくない品があるため、品切れにしたかったが、ベテラン店員が後ろを通りながら呟いていった。紅葉はその去り行く背中を睨みつける。

 

「じゃあ、全員もみじで」

 

 花音の注文に、店員から花音に視線を向けると、これまた人の悪い笑みを浮かべていた。

 この野郎と恨み言を思いながら、注文票にもみじと書き込んで、軽くお辞儀する。

 

「承りました。では、お待ちください」

 

 そう言って紅葉は奥へと入っていった。

 

「花音」

 

 それまで口出ししなかった五十里が花音に呆れ顔を向ける。

 

「うん? 啓は他のにしたかった?」

「いや、僕はもみじで良かったけど、七草さん達のを勝手に決めちゃダメだよ」

 

 二人に至っては、お品書きにまだ目を通してさえいなかった。

 

「あー、ごめんね二人とも」

 

 花音は紅葉を弄れて楽しくなっていた為、二人の事を忘れていた。

 

「あ、いえ、初めてなので、何がオススメかわからなかったから、頼んでいただいてありがとうございます」

 

 別の意味で顔を赤くしていた香澄は、これ幸いにと誤魔化す意味も込めて花音に感謝する。そんな香澄を横目に泉美は何を慌ているのかと思いながら「私も大丈夫です。ありがとうございます」と返した。

 

「そう? でも悪い事したし、お詫びにここは奢ってあげるわよ」

 

 その花音の提案に今度は泉美が慌てる事となるが、花音の圧力に押し負け、奢られることとなった。

 

 

 

 花音に押し切られてから、五分は経つがまだ品が運ばれてくる様子はない。

 泉美は香澄との会話で一つの話題がちょうど良く終わったので、一旦間を空ける意味でお茶を啜る。そして再度、香澄に顔を向けた。

 

「そう言えば、香澄ちゃん」

「なに?」

 

 香澄は先ほどの話の延長かなと思いながら、お品書きをペラペラ捲りながら答える。

 

「先程、顔を赤くしていたのは」

「わー! 泉美は何を言ってるのかな!?」

 

 泉美の言葉が耳に届くと、香澄は大声と同時に頁を捲っていた手で彼女の口を塞いだ。その行動に他の事で会話していた三人の視線が集まる。

 

「どしたの?」

 

 泉美との距離的にあずさが一番近く、花音が一番遠いため、この中で聞かれるのはまずいと思われる花音に泉美の言葉は届いていなかったのが幸いだった。

 香澄は泉美から手を離し背中を向けて、彼女が花音から見えないように自分の身体で隠した。

 

「あ、あははは、なんでもないです」

 

 どうみても何でもないように見える。ここは突っつくべきだと思った花音だったが、隣にいる五十里の手が花音の太腿に添えられた。視線を太腿から顔へ移すと、五十里は彼女の視線を双子の後ろへ促す。そこには香澄の声に驚いた他の客の視線がこちらを伺っていた。

 五十里はこれ以上問い詰めるとお店の迷惑になると判断して、花音を止めたのだった。

 

「あー、うん。なんでもないなら大声ださないの。気をつけなさい」

「は、はい。すみませんでした」

 

 だから花音は問い詰めるのではなく、注意に切り替えた。それを見て五十里は「よくできました」とやさしい顔を向けて、花音の顔を赤くさせていた。

 香澄としては、追及が来るかと身構えていたが、追及でなく注意が来たことで安堵していた。

 

「香澄ちゃん重いです」

 

 その安堵で身体の力を抜いてしまい、体重が泉美にかかり後ろから悲鳴があがる。それを聞いた香澄はすぐさま姿勢を戻して泉美に向き直った。

 

「ごめん泉美」

「大丈夫ですよ。それよりも」

「うっ、まだ聞くの?」

 

 泉美の言葉を最後まで聞かなくても、さっきの続きだとわかった香澄はあからさまに顔をしかめた。

 

「そんなに答えたくないことですか?」

 

 泉美としては、香澄とは双子だから恥ずかしいことも言い合えてきたのだが、ここまで口ごもることが珍しいと思っていた。

 

「……って思っちゃった」

「え?」

 

 向かい合っている状態にも関わらず、泉美は香澄の前半部分を聞き逃した。

 だからもう一度と促すと、

 

「……阿僧祇がカッコイイって思っちゃったの」

 

 その顔は林檎の様に真っ赤になっていた。

 



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日常の表側4

 七草香澄は阿僧祇紅葉と知り合ってからまだ二週間程となる。わずかな期間でありながら、香澄は同学年の中でも不思議と話しかけやすく、手(攻撃)を出しやすい男子と位置付けていた。そう位置付けたのは、新入部員勧誘週間の七宝と揉めた時になる。その仲裁に紅葉が普通は有り得ない方法で介入して場を収めた。その時の対応に文句をつけたのが始まり。香澄にとってその文句のやり取りが妙に心地よかった。それから、紅葉を見つければ小突いたり、ご飯を奢らしたり、雑談をしたりと、普通に友達とすることをしていった。そこにある感情は楽しい、気持ちが良いというもの。

 だから、今日この和菓子店に来たのも、紅葉の格好を見て楽しむ気満々でいた。しかし、その楽しむ気は紅葉を見た瞬間に消え、代わりに自分の顔が熱くなっていた。急に訪れた自身の異常に思わず顔を伏せていた。

 

「(え、なに、阿僧祇なの?)」

 

 そしてそれが紅葉を見た最初の感想。

 普段とは違い、前髪を後ろに撫でて顔がはっきりと見えている。さらに作務衣を着ている姿も決まっている。その姿はとても同い年の男子には見えなかった。しいて言うならば年上の男性に見えてしまった。

 

「(阿僧祇って、大人っぽかったけどこんな格好良かった? って、何考えてんの?! ない、阿僧祇がカッコイいとかない!)」

 

 そんな否定を香澄は顔を伏せている間ずっと繰り返していた。そして、紅葉が奥に行ったあと、花音や泉美と会話をしながらカッコイいとカッコヨクないの天秤を平行に落ち着かせていたところに泉美の質問が差し込まれる。

 

「先程、顔を赤くしていたのは?」

 

 これだけで、あの紅葉を思いだし天秤がカッコイい側に大きく傾き

 

「わー! 泉美は何を言っているのかな?!」

 

 慌て泉美の口を塞いでいた。

 

「どしたの?」

 

 その様子を前にいる三人の先輩に見られたため、香澄の心臓は余計にバクバクしていた。

 

「(聞こえてない? 聞こえてないから聞いてるんだよね? うわー、委員長凄いにやついてるー)」

 

 問題発言をした泉美を自身の背中に隠しながら、三人の様子を伺う。その中の一人、花音だけがニヤニヤとしているのを見てしまい冷や汗が流れる。

 

「あ、あははは、なんでもないです」

 

 なんでもないと告げるが花音のニヤつきは強まる一方でこれは間違いなく追及されると思っていた。しかし、花音の隣にいた五十里が何かを指示したのか、彼女の追求心が抑えられていき

 

「あー、うん。なんでもないなら大声出さないの。気をつけなさい」

 

 最後は注意に変わっていた。

 それに謝罪しつつ、心の中で五十里に感謝しながら身構えていた力を抜く。

 

「香澄ちゃん重いです」

 

 途端、今度は後ろから小さな悲鳴が上がって、慌て身体ごと後ろを向きすぐに頭を下げた。

 

「ごめん泉美」

 

 そこで、なんで泉美を隠していたのかと思い返していると、答えのきっかけが頭上から降ってきた。

 

「大丈夫ですよ、それよりも」

 

 その言葉で妹の諦めの悪さと紅葉の姿を思い出した恥ずかしさがごっちゃになった顔を上げる。

 

「うっ、まだ聞くの?」

 

 確かに泉美には双子だからなんでも言えるがこれは口にしたくないと考えていた。言葉にすると認める事になるのだから。

 

「そんなに答えたくないことですか?」

 

 しかし、妹は諦めそうにない。そこで香澄は考えを改めた。いっその事、認めてしまおう。そうすれば恥ずかしくないと。

 

「(カッコイイって)思っちゃった」

 

 そう決心して出した言葉は大事な部分を言えていなかった。

 

「(ダメ、すっごい恥ずかしい。やっぱり)」

 

 「なし」と告げようとするも妹から「香澄ちゃん、もう一度」と言われてしまい退路を断たれたと感じた香澄は、もうなるようになれとふっきれた。

 

「阿僧祇がカッコイいと思っちゃったの」

 

 口にして認めた事によって恥ずかしさが消える、訳もなく、カーっと顔が真っ赤になるのが自分でもわかって、また顔を伏せてしまった。結局、香澄の気持ちはまったく落ち着かなかった。

 

 

 

 そんな香澄を見ながら泉美は姉の言葉を頭の中で反芻させる。

 

「(阿僧祇さんがカッコイイ)」

 

 さらに、今日の紅葉を思い返す。

 

「(確かに普段と違った髪型でしたし、接客中とあって真面目でしたけど)香澄ちゃん、意識するほどでしょうか?」

 

 そう、泉美からしたら、今日の紅葉は髪型とかが変わっていようが見慣れた阿僧祇紅葉であって、特別変わったとは思っていなかった。

 泉美の紅葉に対する評価は、不真面目そうで真面目である。口や態度では悪態をつきつつ、やることはやる。二週間程、教室や生徒会で感じていた。なので、働いている紅葉を見ても、真面目に働いているんですねとしか思わなかった。

 

「意識というか、なんか普段よりも年上に見えたんだよ」

「ああ、なるほど(確かに年相応に見えましたね)」

 

 香澄が少し赤みがとれた顔をあげ、意識してしまった理由を言ったことで納得できた。泉美が思い出したのは紅葉の年齢。自分達より二歳上の十七歳。あの作務衣姿を見て自分が年相応と思えたならば、姉がどう思ったのか想像はつく。

 

「(同い年の男子ではなく、年上の男性に見えたということですね)それで、カッコ良いと思ったと?」

「そ、そうなんだけど、改めて言わないでよ」

 

 赤みが薄れたかと思えば、泉美の言葉でまた赤くなって顔が沈んでいく。

 泉美はこんな香澄を見るのは初めてだった。そして、このまま紅葉を見る度に顔を赤くされては困るとも思っていた。どうすれば良いのか悩んでいると「お待たせしましたー」と台車をひいてベテラン店員が現れる。

 

「待ってましたー!」

 

 真っ先に反応したのは三人で雑談をしていた内の一人、花音だった。

 泉美は悩んでいる思考をいったん止めて、店員へと目を向けたあと、台車にのっているモノへと視線を移した。

 

「これがもみじですか?」

 

 目の前に配膳されたのは、串団子の三種盛りにもみじ型のねりきりが添えられていた。名前の要素はねりきりだけに思える品だった。そんな泉美の質問に答えるように、全員に配膳し終えた店員は「はい」と返事をして言葉を続ける。

 

「那由多日曜日限定品もみじです。本日は串団子の三種盛りとなっております」

「本日は?」

「あら? 誰も説明してないんですか?」

 

 まるでいつもは違うと言っているような言葉に首を傾げると、それに合わせて店員も傾げている。その視線は花音に向けられていた。

 

「あははは、やっぱり、初めてはなにも知らないままがいいかなーって」

「委員長」

「千代田委員長」

 

 言い訳を言う花音に香澄と泉美の視線が向けられるも、目を合わそうとしなかった。実際のところ、説明を忘れたのではなく、最初から説明する気がなかっただけである。だから、明後日の方を向いて誤魔化すことにした。

 

「もう、後輩さんには優しくあるべきですよ。もみじというのはですね」

「どっかの誰かさんチョイスの和菓子セットのことだ」

 

 店員がもみじの説明をしようとした時、誰かが香澄の隣に座り、説明を引き継いでいた。

 

「あ、阿僧祇?!」

「おう、阿僧祇さんだ。邪魔すんぞ」

「あら、紅葉くん、早いわね」

 

 その誰かは、言わずもがな先程まで働いていた紅葉だった。紅葉が突然現れ、さらに隣に座ったことにより、香澄の緊張が一気に高まる。しかし、隣がそんな状態になっているとは気付かずに、紅葉は店員との話を続けている。

 

「早いも何も、作務衣脱ぐだけですし」

 

 紅葉の格好は上は白無地のTシャツにジーパンとシンプルになっていた。さらに髪型もいつものように前髪が垂れていた。

 

「それもそっか。はい、紅葉くんの」

「あざっす」

「それでは、ごゆっくり」

 

 店員は紅葉の前によもぎの串団子二つを置くとそのまま手を振って仕事に戻っていった。

 

「阿僧祇くん、休憩?」

「いや、もう上がっていいって言われました。てか、こいつどうしたんです?」

 

 あずさの質問に簡潔に答えた紅葉は、隣で固まっている香澄を指差す。香澄の顔は不思議なモノを見ている表情をしていた。

 紅葉は視線を前三人に向けるが、三人ともわからないと首を横に振っている。今度は視線でなく顔ごと泉美の方へ向けると、彼女は紅葉でなく香澄を見ていた。そんなさまざまな視線を集める香澄はゆっくりと泉美の方を向き口を動かす。

 

「泉美、なんか普通に見える」

「え?」

 

 突然のことになんのことを言っているかわからなかった。疑問符を浮かべる泉美を余所に、香澄は紅葉の方を向く。

 

「阿僧祇だよね?」

「ボケたか? 他に誰に見えんだよ」

 

 紅葉は、今日の香澄はどこかおかしいと思っていた。店内で顔を合わせたかと思えばすぐに顔を伏せられ、言葉を一切交わさなかった。学校で顔を合わせれば問答無用で小突いてくる奴がだ。だから、調子の確認も込めていつものように口の悪いことを言う。これで返答がなければ、すぐに帰すことも考えたがそれは杞憂に終わった。

 

「むっ。そうだね、こんな間抜け面は阿僧祇しかいないよね」

 

 香澄はいつものように返してきた。

 

「(なんだ、いつも通りだな)はっ、やっぱボケてんじゃねーか」

「失礼な!」

 

 そこから、いつもの応酬が始まり、花音が参戦し、五十里とあずさが宥めるまで紅葉と香澄のやりとりは続いた。

 

 

 

 そのやりとりを見ながら、泉美は首を捻っていた。

 

「(普通に、話せてますね)」

 

 あんなに恥ずかしがっていた香澄が、今はいつも通りに紅葉と話している。確かに顔を見る度に赤面されるのは困ると思ってどうしようかと考えてはいた。しかし、こうも問題ないようなら考える必要はないかと思うも別の疑問が浮かんでいた。

 

「(香澄ちゃんが、普通に見えると言っていたのは)」

 

 どうして普通に見れるようになったかがわからなかった。

 紅葉が髪型を戻し私服で戻ってきた時、香澄が緊張で固まったのは見ていたのでわかっている。そのまま赤面するかと思ったが、その時点で赤くなる事はなく固まったままだった。そのあとに普通に見える発言をしたことから考えられる可能性は一つ。

 

「(髪型で認識が変わってる?)」

 

 作務衣姿と私服姿で違う点は服装と髪型。あと違うとすれば、学校で醸し出している不真面目成分が消えていることぐらいになる。

 

「(今の阿僧祇さんは学校の時のようですし、その可能性が高いですね)」

 

 二人してグチグチと言い合っている姿は学校でみる光景と同じだった。

 

「(これなら特になにもする必要はないですね)」

 

 香澄の赤面対策を講じずに済むとわかった泉美は、串団子の三種盛りの一つ、よもぎの串団子から手をつけることにした。



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日常の表側5

 二〇九六年四月二十四日火曜日、放課後。

 恒星炉実験を明日に控え、実験メンバーは実験室に集まり最終リハーサルを始めていた。その中に紅葉の姿は見当たらない。どこにいるかというと月曜日と同様に留守番の為、生徒会室にいる。しかし、昨日とは違った状況になっていた。

 昨日は、あずさが建てた激務フラグが仕事をするのかと恐れながら放課後を迎えた紅葉だが、生徒会室で留守番を始めるものの一向に電話が鳴る事はない上に、生徒会室を訪ねる者もいなかった。完全に暇な空間と化した為、眠気に襲われ船をこいでいたところを実験リハーサルを終えて戻ってきたあずさ達に見られてしまう。そして、あずさから説教を受けて月曜日が終わった。

 そして、本日火曜日。

 生徒会室に来た紅葉を待っていたのはあずさと見知らぬ女子生徒だった。

 

「阿僧祇くん、こちらは風紀委員の北山雫さんです」

 

 表情の乏しい顔で「北山です」と一礼された。それに軽く会釈で返す。

 

「北山さん、彼が阿僧祇紅葉くんです」

「えっと、はじめまして、阿僧祇です」

 

 いまいち状況がわからない紅葉は、なにこれと目線を向ける。

 

「阿僧祇くん一人だと心配ですから、今日は北山さんにも、生徒会室に待機してもらうことになりました」

 

 その視線を受けてあずさは説明を続けた。

 

「マジ?」

 

 女子生徒と一緒に留守番ができるなど人によったらご褒美になるのだろう。しかし、紅葉にとっては自由がなくなるのでお目玉を食わされたことになる。

 

「それでは、北山さん、あとはお願いします」

「わかりました」

 

 紅葉に罰を言い渡したあずさは、ニコリと笑って生徒会室を出て行った。

 

「よろしく阿僧祇」

 

 残された雫は、紅葉を見上げながら抑揚のない声で言い

 

「(勘弁してくれ)よろしくお願いします北山先輩」

 

 紅葉は内心悪態を付きながら、言葉を返した。

 

 

 

 あずさがいなくなってから十分が経過。

 電話は鳴る気配がなく、来訪者もいない。昨日と同じ空気になっていたが、紅葉は気を抜けずにいた。

 

「……」

「……」

「…………」

「…………」

 

 お互い無言である。無言でそれぞれ何かをしていた。

 紅葉は端末に閲覧可能な範囲で雫のデータを表示している。

 

「(留学 北山雫って、留学してたのかよ)」

 

 手っ取り早く成績を知るには、学年末試験の順位表を見ればいいと思い表示させていた。しかし、順位表に雫の名前が見当たらずに首を捻っていると、備考欄に『留学 北山雫』とあったのを見つける。

 

「(留学が認められたってことは、成績優秀ってことだよな)」

 

 この時代、ハイレベルな魔法師は、遺伝子の流出=軍事資源の流出を避ける為に、政府によって海外渡航を非公式かつ実質的に制限されていた。

 

「(人は見かけによらないってか。まあ、それを言ったらこっちもか)」

 

 見ていた学年末試験の一位と二位に目を向ける。一位には納得したが、二位に驚いた。

 

「(司波深雪が一位なのはわかるが、二位が光井ほのかってマジか)」

 

 生徒会で見るほのかに、それほどの実力があるとは思わなかった。新入部員勧誘週間の時も達也と深雪のサポートをしているだけだったのもそう思えた一因になる。しかし、ふと思い出す。

 

「(なんで、忘れてんだよ。今回の実験メンバーの一人だろうが)」

 

 ほのかはガンマ線フィルターの担当だ。

 ガンマ線を散乱させるためには、電磁波の振動数をコントロールする魔法を使い慣れていないと難しい。そこに指名されたという事は、それほどの腕はあるという事になる。

 

「(服部達から聞いた通り、二年生は優秀みたいだな)」

 

 二年生の情報を上方修正しながら端末から顔を上げ、少し離れた席に座る雫に目を向ける。するとちょうど雫も紅葉を見ていたのかお互いの視線が重なった。

 

「っ」

「……」

 

 しかし、雫は何もなかったかのように先に視線を外して、無表情のまま首を軽く傾げながら端末に向き直っていた。

 その雫は疑問に思っていることがあった。

 今日、生徒会室に来た経緯はあずさから達也に放課後、生徒会室に居られる人はいないかと打診があった。それを受け達也は風紀委員である友人二名に頼み、雫が残ることに。理由を聞くと、一年の生徒会役員を留守番に置いているが寝てしまう可能性があるから見張っておいてほしいとのこと。なんと可愛らしい理由だと思ったが、生徒会室に来た一年生を見て可愛らしさはどこにもなく、代わりに大人びた雰囲気をまとっていた。

 

「(あれで一年生)」

 

 改めて紅葉を見て思う。

 一年生にしては、身長は高いし体つきも良く顔が整っている。一年生というよりは三年生と言われた方がしっくりとくるように感じていた。そして自己紹介をされたことによってさらに疑問が湧いている。

 

「(阿僧祇、二年前の九校戦に出てたような)」

 

 雫は九校戦が好きで毎年見に行っている。

 そして二年前、自分がまだ中学三年生の時に見に行った九校戦のアイス・ピラーズ・ブレイクに出ていた選手に阿僧祇という珍しい名字がいて、珍しい魔法を使っていたと記憶していた。

 

「(でも、彼は一年生。二年前の九校戦に出るなんて出来ない)」

 

 しかし、目の前にいるのは一年生の阿僧祇。二年前の記憶していた阿僧祇の学年は三年生。留年しているのかと考えたが、学年が合わないのでそれはない。そうなると考えられるのは二つ。赤の他人か、兄姉かだ。

 雫は疑問解消の為、動き出した。

 

「阿僧祇ってお兄さんとかいる?」

 

 なんの前触れもなく質問された紅葉は端末から顔を上げる。

 

「(急になんだ?)」

 

 質問の意図を理解しきれずに、正直に答えていいものかと考えていると、

 

「阿僧祇?」

 

 そんなにおかしな質問をしただろうかと雫は首を傾げていた。

 その仕草を見て紅葉は、裏無しの単なる質問かと考え、家族構成を知られたところで問題ないので教えることにした。

 

「えっと、兄がいるかでしたっけ? 兄は居ませんが、姉はいますよ」

「お姉さん? ならお姉さんは、二年前の九校戦に出てた?」

「ええ、出場してましたけど、それがどうしました?」

 

 紅葉の姉、阿僧祇双葉はアイス・ピラーズ・ブレイクに出場し、惜しくも二位だった。

 

「阿僧祇の名前を聞いて、二年前の九校戦にいたなって思い出しただけ。二年前だから阿僧祇が出てるわけないね」

 

 紅葉の返答を受け、二年前の阿僧祇が紅葉の姉とわかり雫の疑問は解消されすっきりした。

 しかし、紅葉は内心焦っていた。

 

「(もしかして、留年してるとバレそうだった?)」

 

 雫の最後の言葉「阿僧祇が出てるわけないね」。この言葉が出たという事は少なからず、紅葉が二年前の九校戦に出ていた可能性を考えていたことになる。

 

「(脈絡のない質問は、どう巡ったかわからないが、九校戦に出てたかどうかの可能性から発展した質問だったのか)」

 

 質問をした本人を見ると、回答に満足したのかもう紅葉を見ていない。

 

「(油断ならねぇなおい)」

 

 先ほど二年生の評価を上方修正したばっかりだが、この北山雫に関してはさらに上へと修正することにした。

 

 

 

 その後、お互いにちょっとした話題振りをして少し話して止まって、話して止まってを繰り返してる内に閉門時間が近づいていた。時間に紅葉が気付いたと同時に、生徒会室のドアロックが外れる。扉に目を向けると、達也を先頭に深雪、ほのかと続き、最後に泉美、水波、香澄の順に実験メンバーが生徒会室に帰ってきた。

 

「お帰り」

「お疲れ様です」

 

 二人はそれぞれの言葉で達也達を出迎える。

 

「待たせちゃってごめんなさいね、雫。助かったわ」

「特に何も無かったよ」

 

 労いの言葉をかける深雪に「気にしないで」と首を振る。対して紅葉には達也が声をかけていた。

 

「今日は大丈夫だったみたいだな」

「さすがに話し相手がいたら大丈夫ですよ。北山先輩の言うとおり、異常なしです」

 

 労いというよりは、真面目に仕事をしていたかの確認だったのは昨日の今日であれば仕方のないことだろう。

 達也に報告したのでお役御免と、紅葉は帰り支度を始める。すると、誰かが近くに来た気配から顔を上げるとにやついている香澄が立っていた。

 

「んだよ、香澄」

「ふっふー、顔に寝てた跡がついてないかなーって思って見にきてあげぎゃ?!」

 

 そのにやついてる顔が無性に腹立たしかった紅葉は香澄の額にデコピンをしてくらわせて黙らせる。

 

「いったーい! なにすんだよ阿僧祇!」

 

 しかし、それは逆効果で黙るどころか抗議の声で騒がしくなっていた。

 

「もう、二人とも何をしているのですか」

 

 これ以上騒がしくなられるのも困ると思ったのか、二人の近くにいた泉美が呆れ声で入ってきた。

 

「なにって帰り支度だよ。そっちのアホが邪魔してきたつーの」

「邪魔はしてないよ。顔を見にきただけで、勝手に手を止めたのはそっちでしょ」

 

 紅葉は気怠げに、香澄は攻撃的に言い合う。収まりそうにない応酬に泉美は、強制的に終わらせることにした。

 

「って泉美?」

 

 泉美は香澄の正面に立って両肩を掴む。そして力尽くで香澄の身体の向きを変えた。

 

「香澄ちゃん、私たちも帰り支度をしましょう」

 

 そのまま背中を押して歩きだした。

 

「ちょっと泉美?! あー、もうわかったから押さないで。ってあっ! 阿僧祇、勝手に帰んないでよ。まだ、終わってないかんね!」

「誰が従うかっての」

 

 離れていく二人を見送りながら、帰り支度を終わらせる。周囲に目を向けると、ほのかが達也の正面に立ちその少し離れたところに深雪、雫、水波がいた。何かしらのイベントが発生しているようだが、興味がない紅葉は誰に先に帰る事を伝えようかと迷っていると後ろから声をかけられた。

 

「お疲れ様、阿僧祇くん」

「お疲れ様、今日は大丈夫だった?」

「お疲れ様です。お陰様でなにもありませんでしたよ、五十里先輩、会長」

 

 実験室の戸締まりをしていたあずさと五十里が帰ってきたところだった。

 お陰様でのあたりを強調して言うと五十里は苦笑いを、あずさはニッコリと笑うだけだった。

 

「それにしても、まだ誰も帰ってないんだね」

「うん、もう皆帰ったと思ってたよ」

「それですけど、俺は帰ります。あそこはそろそろ終わるんじゃないですかね?」

 

 二人は紅葉が指差した先、達也達を見て、「あれは?」と声を揃えて聞いてきたが、紅葉にもわからないので「さあ?」としか返せなかった。

 

「まあ、とにかく俺は帰ります。お疲れ様でした」

「あ、うん、お疲れ様」

「お疲れ様」

 

 二人に挨拶をして、生徒会室を出た所でダッシュした。それから数秒遅れて生徒会室から香澄が飛び出す。

 

「阿僧祇ー! 逃げるなー!」

 

 そのままの勢いで紅葉を追いかけていく。その様子を見ていた泉美はため息を付くしかなかった。

 







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恒星炉実験

 二〇九六年四月二十五日、水曜日。

 朝、HRが終了し一限目が始まるまでのわずかな時間。七草泉美は多くのクラスメイトに囲まれていた。

 

「七草さん、この実験に参加してるんですか?」

「すごいすごい!」

 

 泉美を囲んでいる生徒は、同じ話題で盛り上がっている。その話題は、朝のHRで知らされた事に起因する。

 本日の五限目に二年E組生徒が主導の課外実験が行われるため五限目を自習にする。その実験を見学してほしいとのこと。そして実験内容の詳細がそれぞれの端末に表示されると、クラス中がざわついた。

 紅葉は、ざわついた理由は実験内容よりも実験参加者なんだろうなと思いながら、端末から顔をあげてクラスメイトを見る。皆一様に泉美へ顔を向けていた。そして、HR終了と同時に一瞬にして囲まれたということだった。

 

「よー、紅葉」

 

 そんな様子を紅葉は「大変だなー」と思いながら自分の席から眺めていると坊主頭の男子、籠坂龍善が囲まれている泉美の方を見ながら近づいてきた。

 

「おう、龍善どした?」

 

 顔の向きは泉美側に固定したまま、視線だけを龍善に向ける。

 龍善は自分の端末に詳細データを移したのか、それを紅葉に見せながら尋ねてきた。

 

「この実験のメンバー、殆どが生徒会役員だろ。お前、参加してないのか?」

 

 そら来た、と顔を龍善に向ける。この手の質問がクラスメイトからくる事は予想出来ていた。彼はなんの捻りなく答える。

 

「あぁ、俺は雑用で手伝ったぐらいだ。そんぐらいじゃそこには載らんだろ」

「実験装置製作協力した生徒の名前まで載ってるのにか?」

「ん? そうなのか?」

 

 それは知らなかったと、見せられていた端末を手にとる。画面をスクロールしていき、実験メンバーの更に下を見ると確かに十三束鋼や平河千明といった実験装置の製作を手伝っていた生徒の名前が記されていた。

 

「おっ、ホントだ」

「おい、なんでさっき表示されたものを見てないんだよ」

「実験の詳細は知ってたからな。ざーっと流し読んじまった」

 

 紅葉が端末に映し出されたデータを見たのは恒星炉実験と表示された後、適当に目を通しただけで終わっていた。

 

「まあ、協力者の名前は載ってもいいだろうよ」

「自分の名前は載ってないのにか?」

「だってよ、載ったらああなるんだろ?」

 

 指を差したのはもちろん泉美の方。その指に従って龍善も改めて泉美の方を向いて顔をしかめた。もうすぐ一限目が始まるのに囲んでいる生徒が増えた気がする。人が多過ぎて隙間さえ出来ていない。その為、泉美の様子を窺うことはできないが困り顔してるだろうなと二人は予想していた。

 

「まあ、あそこまで酷くはないと思うがなってただろうな」

「だろ? だからああはなりたくないから、載せないでくれって頼んだんだよ」

 

 月曜日のミーティングで、水曜日のHRで実験のことを全校生徒に知らせることが決定。その際に、実験内容のデータに何を記載するかの話し合いがあり、そこで紅葉は名前が載ったらどういう事が起こるのか予想出来ていた。だから、自分の名前は載せないで欲しいとお願いした。データを作っていた達也は、紅葉が実験の重要な部分に関わっていないこともあり、載っていなくても問題なしと判断。そのお願いを聞き入れたのだった。

 

「そう言うことか」

「そう言うことだ」

 

 紅葉の名前が載っていない真相を聞けた龍善がスッキリしたと同時に本鈴が鳴りだした。すると、泉美を囲っていた生徒達は次々と自分の席に戻っていく。

 人垣から解放された泉美は「ふぅ」と一息付くと、キッと紅葉を睨みつけてきた。泉美は紅葉がなぜ、ミーティングで名前を載せないように頼んでいたのかがわかっていなかった。どうしてですか?と聞いてもしらを切るばかりで結局わからずにいた。そして、今日。端末に実験内容が表示されてから少ししてクラス中の視線が自分だけに集まったところで、その意味を理解した。

 紅葉に目を向けると「がんばれ」と口パクをしている。

 

「(こうなることがわかっていたのですね)」

 

 そしてHRが終了後、クラスメイトが席を立ち自分のところに集まってくる。その囲まれる寸前に紅葉に向けて

 

「(許しません)」

 

 と文句を送っていた。

 そして人垣から解放されたことでようやく自分をスケープゴートにした紅葉を睨みつける事ができると、睨んでいたところだった。

 

「おい、睨まれてんぞ」

「いやー、俺は悪くないはずなんだが」

 

 紅葉は頑張ったなとの意味を込めて拳を握り親指を立てて笑ってやると、より半目になって睨み返えされた。

 

「ありゃ? ……めっちゃ怒ってるな」

「見ればわかんだろ」

 

 龍善は呆れ顔を浮かべながら「がんばれ」と言葉を残して、自分の席へと戻っていく。

 

「頑張れと言われてもなー」

 

 ちょうど、教室に先生が入ってきたので姿勢を正し正面を向く。その間も背中に視線が突き刺さっているように感じていた。

 

「(こりゃ、小言は覚悟しておくか)」

 

 

 

 そして五限目。

 紅葉は、五限目を迎えてもまだ泉美から小言を受けていなかった。理由は、休み時間になる度に泉美はクラスメイトに囲まれ身動きが取れなくなっていたのだ。それをいいことに紅葉は教室から逃走。こうして、彼は泉美に捕まることなく五限目を迎えていた。

 

「おー、結構、グラウンドにいるな」

 

 教室の窓からグラウンドを見下ろすと、多くの生徒が見学に出ていた。

 

「(それにしても、女子が多い気が)」

 

 紅葉の気のせいではなく、グラウンドにいる見学者の男女比は女子が多い。

 

「(まぁ、実験メンバーの男女比も女子が多いから、あいつらの友人が見に来てるのかね)」

 

 それは半分正解で半分が不正解。

 見学者は三つの集団に分かれていた。

 一つは、今年第一高校に新設された魔法工学科の二年E組の生徒全員。彼らは純粋に実験が気になりこの場に立ち会っている。しかし、残りの二集団の気になっている点は少し違う。

 一つは去年、達也がいた一年E組の生徒。

 もう一つは去年の九校戦・新人戦で達也がエンジニアを勤めた女子代表メンバーと、達也に関係している生徒が多かった。

 確かに元一年E組の生徒や九校戦メンバーは、深雪とほのかの友人だから見に来たと言えるかもしれない。しかし彼女たちの興味は、達也が企画した実験という点に集中していた。だから、見学者の半数以上が友人を見に来ているではなく、達也が何かしようとしている事が気になって見に来ている。しかし、そんな背景があるとは知らない紅葉は、友人が多い程度にしか思わなかった。

 

「そんなお前は行かないのか?」

 

 どっこらせと隣に腰を下ろした龍善は、紅葉と同じ様にグラウンドを見下ろす。

 

「行ったら雑用押し付けられそうだからな」

「間違いない」

 

 お互い軽く笑い合う。

 二人の視線は、実験装置である球型の水槽の周りで動きまわっている生徒達に向いていた。当の本人達の顔が生き生きとしてるところを見ると、手伝えてること自体が嬉しいのだろう。その一人が達也の元へと駆け寄り、何かを報告している。

 報告を受けた達也は拡声器を手に取り、

 

「実験を開始します」

 

 開始のアナウンスをした。

 

「始まるぞ」

 

 グラウンドに集まった生徒達や教室から見ていた生徒達のお喋りが止み静まり返る。生徒と教師が固唾を呑んで見守る中、達也から合図が放たれた。

 

「重力制御」

 

 深雪が重力制御魔法を発動する。水槽に半分まで入っていた重水と軽水の混合水が中心部を空洞にして水槽の内側全面に張り付いた。

 

「うへぇ、あの魔法を簡単にやってのける司波先輩すげぇ」

 

 紅葉の隣から感嘆の声が洩れる。

 それを同感だと思いながら紅葉は、次の魔法に注目していた。

 

「第四態相転移」

 

 香澄と泉美が相転移魔法を発動する。

 重力制御魔法によって生まれた空洞の水面上から、重水素プラズマと水素プラズマ、酸素プラズマが発生する。

 

「(七草の双子を実力を見るのは初めてだが、こうも完璧にやれるのは見事としか言いようがないな)」

 

 二人で一つの魔法を発動する場面など中々お目にかかれる事はではない。それを初めて見た事によって、双子の実力が相当なものだなと紅葉は感じていた。

 

「中性子バリア、ガンマ線フィルター」

 

 水波が重力制御魔法のテリトリーと第四態相転移魔法のテリトリーの間に中性子バリアを挿入する。更にほのかが、中性子バリアと第四態相転移力場の間にガンマ線フィルターを挿入。

 

「……」

 

 始まってまだ一分程しか経っていないが、龍善は実験に釘付けになっていた。

 

「重力制御」

 

 深雪が二つ目の重力制御を発動する。水槽の中央に直径十センチの高重力領域が出現。

 

「クーロン力制御」

 

 五十里のクーロン力制御により、高重力領域の電磁気的斥力が一万分の一に低下する。

 

 淡い光が生まれた。

 

「っ」

 

 龍善が息を飲む。他の見学している生徒にも無言のどよめきが駆け抜ける。

 光は明るさを増しながら一分、二分と輝き続けている。

 すると、水槽内の水か激しく沸騰し始めた。

 

「実験終了」

 

 達也の口から実験終了が告げられた。クーロン力制御魔法と第二の重力制御魔法が停止し、実験容器内の光が消える。

 

「ガンマ線フィルター解除。その後、重力制御解除、中性子バリアはそのまま」

 

 そして、次々と発動していた魔法が解除されていく。

 

「気体成分、水蒸気、水素、重水素、及びヘリウム。トリチウム他放射性物質の混合は観測されません!」

 

 分析機の前にいる生徒から簡易測定の結果が告げられた。

 見学の輪のあちこちに興奮を隠せないざわめきが生じる。

 

「注水を始めてください」

 

 達也の指揮で容器内冷却の為、注水が始まる。水槽は透明な水で満たされた。

 

「中性子バリア解除」

 

 その後、達也は実験メンバーそれぞれと顔を合わして、最後にあずさにマイクを渡した。突然渡されたマイクをあずさは押し返そうとするが、にこやかに笑う実験メンバーと無言で見つめる達也の圧力に逆らえず、泣きそうな顔でマイクを受け取った。

 彼女はこの場に立ち会った全ての生徒に向けて宣言する。

 

「常駐型重力制御魔法を中核技術とする継続熱核融合実験は初期の目標を達成しました。『恒星炉』実験は成功です」

 

 校庭で、校舎で、一斉に歓声が上がった。

 紅葉の隣にいる龍善も立ち上がり、彼の背中をバシバシ叩いている。

 

「うおおお! すげぇ、すげーもん見たぞ紅葉!」

「わかった、わかったから叩くな!」

 

 叩かれながらも紅葉は、それ程までに気持ちが高ぶるのは仕方のない事だと思っていた。

 この実験が示した成果は『魔法』の可能性を広げるには十分な効果があったのだから。

 紅葉は第一高校を包んでいる熱気に飲まれることなく、グラウンドのある場所へと目を向けていた。そこには教員の廿楽と銀髪の女性がいる。廿楽の隣に立っている事から紅葉はその女性を教師と判断した。その女性教師の隣にスーツを着た複数の男女と、色んな機材を持った複数の男女がいる。それらがこの実験を見せる本当のターゲット、野党議員と議員の取り巻き記者だ。

 

「(ははっ、固まってんな。まあ、魔法を知らない人間にしたら、何が凄いのかわからないもんな)」

 

 議員達は生徒達の歓声に圧倒され硬直していた。

 

「(さてさて、明日のニュースが楽しみだな)って、こりゃひでぇな」

 

 硬直し続ける議員を見ても何も面白くないので、紅葉は視線を議員達から教室内に向けるとお祭り騒ぎになっていた。その熱は数日間続くこととなる。



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ダブルセブン1

 恒星炉実験の翌日。

 珍しく阿僧祇 紅葉(あそうぎ こうよう)は、目覚ましよりも早く目を覚ましていた。

 時計を確認するとまだ6時40分。一回目の目覚ましが鳴る時間が七時なので二十分早く目を覚まし、二度寝する事なく起き上がっていた。早いなと思いながら、布団から出て軽くストレッチを行う。固まっていた筋肉が解れていくのを感じてから制服に手をかけた。着替えながら、いつもより早く目を覚ました原因はやはりアレかと考える。

 昨日の恒星炉実験。

 実験自体が失敗するとは思っていなかった。だから、成功しても感情の高ぶりは抑えられた。しかし、この実験が世にどう広がるかという興味はあったので、それを早く見たいと気が急いたのだろう。

 

「はよ、母さん」

 

 着替え終えた紅葉は居間に向かうと、台所で朝食の用意をしている母親の春奈がいた。

 

「あら、紅葉。珍しく早いわね」

「まあね」

 

 春奈の言葉を軽く返してから椅子に腰掛ける。そしてテレビのリモコンを操作する。

 

「んー? どこもやってねーな」

「なにが?」

 

 リモコンをポチポチと押しながらチャンネルを回していく紅葉の前に、春奈は朝食を置きながら聞いてきた。

 

「気になるニュースがあるんだよ。テレビは規制されてるのか?」

 

 チャンネルを回せど回せど、目的のニュースは流れていない。まだ流れていないだけかもと思い定番のニュース番組でチャンネルを固定して、出てきた朝食を食べ始める。今日の朝食はご飯、焼き鮭の切り身、豆腐の味噌汁と一般的な和食。鮭の切り身に箸を付けた時にふと思った。

 

「(飯、出てくるの早くね?)」

 

 今日の紅葉は普段よりも早く居間に来ている。その為、自分の分の朝食はまだ出来ていないはずなのに、すでに目の前に置かれていた。後ろを振り返って台所を見ると、そこにはもう一式茶碗類が揃っている。この事から考えられるのは一つ。

 

「もしかして姉貴、帰ってきてる?」

 

 姉の双葉が帰っている事しか考えられない。

 

「帰ってきてるわよ。もうそろそろ起きてくるんじゃないかしら?」

 

 春奈は肯定したあとに、鮭の切り身を口に運んでいた。

 噂をすれば影。居間に一人の女性が現れた。彼女は不思議なモノを見ている顔をしている。

 

「おかーさん、紅葉が起きて朝ご飯食べてるように見えるけど、疲れすぎて幻覚見えてるのかな?」

 

 その現れた女性、姉の双葉は開口一番、腕を組みながら首を傾げていた。

 

「何言ってるの。それは幻覚じゃなくて、珍しく早起きした紅葉よ」

 

 それを春奈は呆れながら返して、双葉の朝食を用意するために台所へと向かった。

 

「はよ、姉貴。幻覚が見える程疲れてるんだったらまだ寝てた方がいいんじゃないか?」

 

 紅葉は紅葉でテレビの音声をBGMにしながら、タブレットを使ってニュースを検索しつつ姉に声をかける。

 

「そうね。今、あんたをぶん殴れば目が覚めそうよ」

 

 その返しに検索していた手が止まった。ゆっくりと姉の方を向くと、彼女は拳をパキパキと鳴らしていた。

 

「止めろ、俺が寝ちまう」

「そしたら、蹴り起こしてあ・げ・る♪」

 

 ね、いつも通りとにこやかに笑う双葉。

 紅葉がまったくもっていつも通りじゃないと反論しようとしたその時、二人の間を焼き鮭の切り身が乗ったお皿が横切った。

 

「はいはい、バカな事言ってない。双葉、食べなさい」

「むぅ、りょーかーい」

 

 双葉の目の前に朝食が準備され終えた為、彼女は渋々と椅子に腰を下ろして手を合せ食べ始めた。

 それを紅葉は横目で見つつ、タブレットに目を戻す。そしてやっと目的の記事を見つけることが出来た。

 

「『若者たちの挑戦、二十二世紀に向けて』か」

 

 その記事を読み進めていくと、恒星炉の意図が幾分か汲み取られている内容だった。

 

「(思いの外、好意的な記事が多いな)」

 

 その他にも昨日の実験に関連した記事を見つけて読むとそう感じる記事が多い。決して否定的な記事がない訳ではない。しかしその内容は弱く、まるで何かの圧力がかかっているように窺えた。

 

「あら、ローゼンの人が日本のニュースに出るなんて珍しい」

 

 そんな事を思っていると、いつの間にか食べ終えていた春菜がニュースを見て軽く驚いていた。これまたいつの間に淹れたのかわからない緑茶を啜っていながら。紅葉も双葉も、その言葉を聞いてテレビに目を向けた。そこにはローゼン・マギクラフト日本支社長、エルンスト・ローゼンが流暢な日本語でキャスターの質問に答えている場面だった。

 

「見たことあるなと思ったら、入学式に居たな」

 

 ローゼン・マギクラフトとはドイツの魔法工学機器メーカーのことだ。その日本支社長ともなれば魔法大学にとって、ひいては魔法科高校にとっても重要人物である。魔法科高校の入学式に招かれていてもおかしくはない。

 

「ローゼン姓の人が日本支社長になるとか、大きく方針を変えたのかな?」

 

 それぞれが思うことを呟いてる中、エルンスト・ローゼンのインタビューは続いている。

 

『──高校生があれほど高度な魔法技術を操るとは予想外です。日本の技術水準の高さには驚かされました』

 

「……これ、なんのこと言ってるの?」

「ん」

 

 双葉の疑問に紅葉は、比較的丁寧に恒星炉実験が書かれている記事を表示させたタブレットを差し出した。

 

「これ?」

 

 それを受け取った双葉はざっと目を通していく。その間もエルンスト・ローゼンの言葉は続いていた。

 

『第一高校の生徒が成功させた実験は、魔法が人類社会に更なる繁栄をもたらす技術となり得る可能性を見せてくれました』

 

「(こんなに絶賛しているインタビューを流せるって事は、議員連中に相当な打撃が入ったってことかね。ざまーみろ)」

 

 紅葉の予想通り実験終了後、視察に来た議員や記者達に様々な圧力かかり、反魔法主義の記者や視察に来た議員だけでなく他の反魔法主義陣営の議員も活動を縮小せざるを得なくなっていた。これにより、反魔法主義一色だった大手報道機関の中に、魔法師寄りの論調が現れ始めたのだった。

 

「ちょっと、紅葉。これ昨日やったんだよね? なんで教えてくれなかったのよ。こんなの見たいに決まってるじゃない!」

 

 記事を読み終えた双葉は紅葉に食ってかかっていた。

 

「箝口令敷かれてたからなぁ」

「なんで箝口令なんて敷いてんのよ」

「する必要性があったんだよ。まあ、残念だったな」

 

 日頃の蹴り起こされている恨みを食らえと言わんばかりの嫌みったらしさ満載の顔を双葉に向けてやる。

 

「やっぱ、殴らせなさい。今日、学校休ませてあげるから」

「っ。ごちそうさん!」

 

 カチンときた双葉は座りながらも戦闘態勢に移行した。それを見て本気でまずいと思った紅葉は、残りのご飯をかっ込む。

 

「あ、こら、まて!」

「誰が待つかよ! 行ってきます!」

 

 そして近くに置いてあった鞄を取って逃げるように家を出たのだった。

 

 

 

 いつもより早く登校した紅葉はなんの警戒もなく教室に入った途端、数人のクラスメイトにわけもわからずに囲まれてしまった。

 

「なんだお前ら?!」

 

 その囲んできた内の一人の男子が興奮気味に口を開いた。

 

「阿僧祇くん、昨日の実験に協力してたって本当!?」

 

 男子生徒の問いに他の囲んでる生徒達がジッと見つめてくる。なんだこれはと思いながら、肯定すると質問攻めにあうとわかっていた紅葉はさっさと否定して解散してもらう事にした。

 

「は? そんなわけないだろ。詳細データに俺の名前はなかっただろうが」

「でも、七草さんが、阿僧祇くんは実験に関わってたって言ってたよ。データからはあえて名前を外したとも」

 

 その言葉にバッと泉美の席へと顔を向ける。そこには昨日程ではないが数人に囲まれている泉美がいた。彼女は紅葉の視線を感じたのか顔を上げる。お互いの視線が交差すると、彼女がフッと微笑んだ。

 

「っ(あの野郎。昨日の仕返しってことか)」

 

 この紅葉を囲んでいるクラスメイト達は最初、泉美を囲んでいた。しかし、彼女に質問出来ていたのは女子数人だけ。そこに泉美は目をつけたのだ。質問をしたそうにしているクラスメイトの男子に向けて「阿僧祇さんも、実験に関わっていますので質問に答えてくれますよ」と伝えたのだった。

 

「(どう誘導したかは知らんが、やってくれる)」

 

 普段は紅葉を怖がって近づかない生徒までもが囲みに加わっている。知的好奇心だけでなく実験成功による熱が合わさって、恐怖心が消えていたのだろう。いつになく積極的なクラスメイトをいつものように威嚇しても効果は薄そうだと判断した紅葉は、この場から逃げることを考えたが、ここは甘んじて泉美の逆襲を受けておくことにした。

 ここで逃げると、あとがさらに怖いと思ったとか思わなかったとか。

 

「たく、わかった。質問に答えてやる。だから一旦座らせろ」

 

 これなら姉に殴られておけば良かったなと思った紅葉だった。



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ダブルセブン2

 五限目が終了し、放課後。

 紅葉は手早く荷物を片して、立ち上がっていた。そして、ある生徒の下へと向かった。その、ある生徒とは言わずもがな泉美である。目的は生徒会室へ行く道中で、仕返された文句を言う為。なぜ、生徒会室で言わないのか。それはあずさ達に聞かれた場合、逆に責められると思っていたからだった。泉美の周囲には数人の女子生徒がいるが、紅葉は構わず近づいていく。

 

「七草」

 

 声が泉美に届く辺りで声─紅葉はクラス内で泉美のことを七草と呼んでいる─をかけると、彼女以外の女子生徒も反応して一斉に紅葉を見やった。その内の二人の女子生徒が振り返った目の前に紅葉が居たことで彼の迫力に負けて左右に後ずさる。それを特に気にすることなく、紅葉は泉美を囲っていた人壁が割れた場所に立って彼女と対面した。

 

「どうしました阿僧祇さん?」

 

 その泉美は紅葉が来たことに特段驚く事もなく淡々と鞄に荷物をしまっているところだった。

 

「生徒会室行くぞ」

「?」

 

 言われなくても生徒会室に行こうとしていた泉美は小首を傾げる。

 紅葉と泉美は同じ生徒会役員だが、二人で一緒に生徒会室に行く事は少ない。生徒会活動中は同じ一年という事でよく話すが、生徒会活動以外では一緒に行動することは少なく、少し話す程度。泉美は仲の良い友達や休み時間は香澄といる事が多く、紅葉は一人でいるか、龍善と連んでいる事が多い。その為、五限目終了後、教室を出るタイミングがマチマチでお互いを待つ意味もないので、別々に生徒会室に行くことが常であった。だから、今日も例外なくそれぞれのタイミングで生徒会室に行くと思っていた泉美の頭に疑問符が浮かぶ。

 

「今日はなにかありましたか?」

「いや? 特別な話し合いはないと思うぞ」

 

 お互いの頭に疑問符が追加される。

 泉美は「では、なぜ一緒に行くのか」と考え、紅葉は「なにかあったか?」と考えている。お互いがお互いを見て、固まっている様子は周りから見てもおかしいものだった。一部では色めいたことをヒソヒソと話している。それをうっすらと耳にしながら、このまま変な噂を立てられるのも面倒だなと思った紅葉は、踵を返した。

 

「行かないなら、先に行ってるぞ」

 

 当初の文句を言うという目的は年下にやられたままなのは癪なだけで、絶対に言い返したい訳でもなかった。

 

「いえ、行かないとは言っていません」

 

 歩き出した紅葉を見て泉美は少し慌てた様子で立ち上がる。

 

「それでは皆さん、また明日」

 

 そして、周りにいた友人達に挨拶を送り紅葉の後を追って教室を出て行った。

 

 

 

 泉美が教室を出ると、少し先で紅葉は止まって待っていた。その隣に付くと同時に彼はゆっくりと歩き出す。

 

「なんか急かしたようで悪かったな」

「いえ、生徒会室にはすぐ向かうつもりでいましたので、大丈夫です」

 

 突然の謝罪をやんわりと受け流しながら、隣を見上げる。

 

「ん? ならなんで答えに困ってたんだよ」

 

 対して紅葉は、生まれた疑問を見下ろしながら返していた。

 

「それは、阿僧祇さんが珍しく、その」

 

 泉美は『誘ってきた』という言葉が妙に恥ずかしく口ごもってしまう。なんで口ごもっているかがすぐにわかった紅葉は、これで弄り返すのも有りだなと思ったが、1-Cを横切ったところで「泉美」と声をかけられ実行に移せなかった。

 呼びかけられ泉美が足を止めたことで、紅葉の足も止まる。二人して声のした方を向くと、1-Cから香澄が出てくるところだった。

 

「香澄ちゃん」

「おう、お疲れさん」

「や、阿僧祇。二人ともこれから生徒会?」

 

 泉美の右隣についた香澄は反対側にいる紅葉に軽く挨拶を返すだけですぐに意識を8:2の割合で泉美に向けていた。

 

「そうですよ。香澄ちゃんは風紀委員会ですか?」

「そ、実験が終わったから、ようやく通常巡回だよ」

 

 風紀委員の巡回は当番制だ。しかし、実験で第四態相転移魔法を担当していた香澄は実験準備中、巡回から外されていた。外されていたとはいえ月火の二日間だけなのだが、その二日間で大変な目にあった生徒がいた。

 

「(そういえば、龍善がぼやいてたな)」

 

 火曜日、教室に入った紅葉が珍しく机に突っ伏していた龍善に声をかけると彼は疲れきった声で言っていた事を思い出す。

 

「(確か香澄の分の仕事が回ってきたとか)」

 

 同じ一年の風紀委員ということだけで、花音から「これも経験よ」とにこやかに言い任されたらしい。自分の分+香澄の分か、それは疲れるな、と心の中で龍善に改めて合掌をしておく。

 その後、三人で当たり障りのない会話をしながら廊下を進み階段を上っていく。そして、風紀委員会室がある三階へと着いた。生徒会室は四階なので、香澄とはここで別れることになる。

 

「それじゃ、泉美、ボクはこっちだから。生徒会頑張って。阿僧祇、問題起こさないでよ!」

 

 香澄が後ろ歩きをしながら二人から離れる。危ない歩き方だが、二人は香澄の背後が見えていて、誰も歩いていないのがわかっていたので特に指摘はしなかった。

 

「はい、香澄ちゃんも頑張ってください」

「安心しろ。生徒会室で籠もっててやる。お前こそ、問題起こすなよ」

 

 代わりに泉美は応援を、紅葉は茶々を贈る。

 

「ボクが起こすわけないでしょ!」

 

 そう言って踵を返した香澄は風紀委員会室へと向かった。

 

「さてと、俺達も行くか」

「はい」

 

 香澄を見送り、二人は生徒会室のある四階へと続く階段を上っていく。もうこの時点で紅葉は、文句を言う気は完全に失せていたので短い道中は適当な会話しかしていなかった。

 

 

 

 生徒会室で仕事をしていると、外部から連絡を受けるテレフォンが鳴りだした。それに素早く反応した泉美が受話器を取る。泉美以上に素早く反応した人─あずさ、五十里、達也、深雪─も居るが、一年生に経験を積ませるために上級生は極力テレフォンには出ないようにしていた。そんなもう一人の一年生の紅葉は、泉美より早く反応すれば受話器を取るが、今のところ反応速度は負けっぱなしである。真面目にしていれば話は別なのだが。

 電話対応している泉美の声を聞きながら紅葉は自分の仕事に戻ろうとして、戻れなかった。

 

「会長、一年生二名が魔法を使っての私闘未遂があったようです」

 

 テレフォンの保留を押して、泉美が電話内容をあずさに報告した。泉美からの報告で生徒会室に居た全員の手が止まり視線が彼女に集まる。彼女の顔はなんとも気まずげそうだった。

 

「私闘未遂ですか? その誰と誰が」

 

 泉美の表情から嫌な予感を感じたあずさだが、さすがに聞かないわけにはいかなかった。

 

「1-A七宝琢磨くんと1-C七草香澄ち、さんです」

 

 泉美は香澄を呼び慣れた敬称で呼ぼうとして、報告でそれはまずいと判断、咄嗟に改めた。

 その報告にあずさは嫌な予感が的中したのか、あからさまに顔をしかめている。紅葉達も苦笑いやら呆れの表情を浮かべていた。

 

「それで、処罰を検討するので風紀委員会本部に来てほしいと」

「そう、ですよね。わかり、ました。今から行くと伝えてください」

「はい」

 

 指示を受けた泉美は申し訳なさそうな表情を浮かべながら保留を解除してあずさの言葉を相手に伝える。泉美に指示を出したあと、あずさは頭をかかえて縮こまってしまっていた。

 

「……司波くん」

 

 縮こまりながら、あずさはチラッと達也に目を向ける。どう考えても厄介事なので、この件から逃げたいあずさは会長代理で副会長の達也を向かわせる気でいた。

 しかし目を向けられた達也は、あずさが考えている事がお見通しとばかりに即カウンターを返す。

 

「ここは会長が行くべきだと思いますが」

「うっ」

 

 反論の余地無き正論に、あずさは泣きそうな顔になった。その顔のまま、達也の反対側にいる五十里に向ける。彼女は五十里に行ってほしいではなく、達也を説得してほしいと目を向けていた。

 あずさの考えを理解しながら、五十里は内心難しいなと苦笑していた。達也の言った事は正論中の正論。今頃、風紀委員長の花音と部活連会頭の服部が揃っているはず。これで生徒会長が来ないのはさすがにおかしい。しかし、あずさが人を罰するのを苦手なのは知っている。どう説得するかなと、生徒会室をぐるりと見回して紅葉が目に入った。五十里としては珍しく瞳に怪しい光が灯る。

 

「司波くん、阿僧祇くんを連れて行ってくれないかな」

「俺?!」

 

 それまで我関せずでいた紅葉はいきなり名前を上げられて驚いた。そんな驚いている紅葉を無視して、達也は五十里に聞き返す。

 

「意味がわからないのですが」

「こういう言い方は失礼になると思うけど、生徒会の荒事担当は司波くんだからね」

 

 達也はいつそんな担当になったんだと少し目を細めた。

 

「今回は司波くんが行った方がいいと思うんだ」

「……そうですか。それで紅葉を連れて行く理由は?」

 

 了解も拒否もしないまま、達也は続きを促す。

 

「うん、阿僧祇くんは今後、生徒会の荒事担当になるからね。何事も経験させないと」

 

 五十里は人の良い笑顔を浮かべながら、紅葉にとって聞き捨てならない事を言った。その言葉に副音声を付けるなら『今回行ってくれたら、今後は紅葉に担当させればいい』である。むしろ、紅葉にはそう聞こえていた。

 

「ちょいまて! その担当になることが確定してるってのはどういう──」

 

そんなの認められるかと抗議しようとするも

 

「わかりました。今回は俺と紅葉が行くことにします」

 

 それを良しとした達也が行くことを了解して立ち上がっていた。そして、紅葉が座っている隣に立つ。

 

「行くぞ、紅葉」

 

 本当に年下かと思わせる有無を言わせない威圧感に圧された紅葉は、五十里に覚えてろよとひと睨みしてから立ち上がった。

 

「りょーかいです」

 

 そして、二人は風紀委員会本部と繋がっている直通階段を降りていった。



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ダブルセブン3

 風紀委員会本部では、七宝琢磨と七草香澄が針のむしろに立たされている気持ちになっていた。二人の正面には風紀委員長の花音と、右隣に部活連会頭の服部、そして服部の右斜め後ろに執行部を代表して十三束が立っている。さらに、香澄達の後ろにはこの風紀委員会本部に二人を連行した男子生徒と雫が立っていた。

 その上級生に挟まれている一年生二人はお互いの顔や姿を見ないように、顔を背けていた。だからだろう、七宝が誰よりも早く生徒会室に繋がっている直通階段から達也の次に出てきた紅葉を見てしまった。

 

「なんで、お前が?!」

 

 七宝としては生徒会からは生徒会長のあずさか、副会長の達也もしくは深雪が来るだろうと予想していた。誰が来ても態度を崩さないように気を張っていたところに、紅葉が現れたため思わず驚きの声を出してしまったのだ。

 その声に誘導され、それぞれの視線が紅葉と達也に向けられる。だが、達也は集まる視線をものともせずに、自分達が来た理由を服部と花音に説明する為、二人の元へ歩いていった。

 紅葉もそれに倣って七宝の言葉を無視して達也に付いていこうとするが、無視出来ないほど強烈な視線を向けられて思わず足が止まってしまう。その視線の先にすぐに顔を向けるのではなく、一度深く息を吐いてから心底疲れた顔をして七宝に向けていた。

 

「なんでって、生徒会ですよーってな」

「ぐっ」

 

 他人が聞いたら、質問に対する答えにはなっていない。しかし、七宝にとってその言葉で紅葉が生徒会として自分を罰する立場で来たと言っている事が屈辱的にも理解できてしまった。その言葉は、初めて七宝が紅葉と初めて会い、手柄を横取りにされたと思っている新入部員勧誘週間初日。執行部の七宝と風紀委員の龍善の間で発生したいざこざを止める為に紅葉が割って入ってきた時の言葉だった。その光景を思い出したのか、歯を食いしばり紅葉を睨む力が増す。睨み付けられている紅葉は「はあ」と軽く息を漏らしていた。

 

「(あんまりにも眼たれてたもんで、思わず煽っちまった。これ以上何言っても意味ないし、達也んとこ……ははっ、気まずげな顔してんなあ、香澄)」

 

 視線を七宝から外して達也を追おうとした途中、香澄の顔が目に入った。香澄がそんな顔になってしまう心当たりがある紅葉はそれについて弄りたい気持ちはあった。しかし、そういう場ではないとわかっていたので、またの機会にと香澄に微笑を向けるだけで何も言わずに達也の下へと向かって行った。

 その微笑を向けられた香澄は、七宝とは別の意味で紅葉を睨みつけていた。

 

「(なんで寄りにも寄って、あいつが来るのよ)」

 

 香澄は気恥ずかしい気持ちでいっぱいになっていた。

 今日、紅葉達と別れる前にした会話が思い出される。

 

『それじゃ、泉美。ボクこっちだから。生徒会頑張って。阿僧祇、問題起こさないでよ!』

『香澄ちゃんも、頑張ってください』

『安心しろ。生徒会室で籠もっててやる。お前こそ、問題起こすなよ』

『ボクが起こすわけないでしょ!』

 

 そう啖呵をきっていた。

 事実、香澄から問題を起こしたわけではない。しかし、問題のきっかけになったのは自覚していた。だから、紅葉の言うとおりになってその事を笑われたと思い、羞恥心から睨んでいたのだった。

 そんな七宝と香澄の睨みを背に受けながら紅葉が達也に近づくと、すでにだいたいの説明が終わったのか花音から声がかけられた。

 

「お疲れ阿僧祇。今後ともよろしく」

 

 その声色はとても愉快な色に染まっていた。顔もニタニタと笑っている。いったいどんな説明をしたのかと半目で達也を睨んだ。

 

「なに、今後、紅葉には色々としっかり働いてもらう為に連れてきたと言っただけだ」

「それ、かなり広義的なってませんかね」

 

 生徒会室だけの話では、生徒会の厄介事担当という話だったはずが、達也の説明では生徒会以外の厄介事も担当させられることになっているのではと表情が引きつる。

 

「気のせいだ」

 

 それをたった一言で終わらせた達也は生徒会に割り当てられた席に腰を下ろしていた。

 

「(ちくしょう、あとで徹底的に抗議してやる)」

 

 達也が腰を下ろした事によって、追及が出来なくなった紅葉は言いたい言葉を飲み込んで達也の左斜め後ろに付いた。それぞれが位置に付いたことを確認した花音は、香澄に目を向ける。

 

「さてと。まったく、新歓週間が終わったと思ったら面倒くさいことを……」

 

 花音は深々とため息をつき、行儀悪く頭をかきながら下を向く。その間、香澄は決まり悪げに目を逸らしていた。

 

「とにかく、事情を確かめることが先決だと思うが」

 

 服部の言葉に、花音が不機嫌な顔で頷いた。顔を上げて鋭い目つきで香澄と七宝を睨みつける。

 

「最初に言っとくわ。香澄は完全な未遂だからね、退学にはならないけど、停学の可能性はある。未遂とはいえCADの操作に入っていた七宝は最悪、退学よ」

 

 花音の宣告を、七宝はピクリとも動かずに受け止めた。彼は身体が震え出さないよう、全身に力を込めて立っていた。

 それを正面から見ていた紅葉は内心苦笑していた。

 

「(強い脅しだことで)」

 

 実際のところ、校則違反ぐらいで退学になる可能性は低い。退学に至る主だった理由は二つ、一つは魔法の訓練に事故はつきもので、毎年1割から2割の生徒が訓練中の事故で魔法技能を失い自己判断で退学。もう一つは、凶悪犯罪の実行犯クラスで罪を犯した場合、退学になる。この二つ以外であれば、更正の余地ありと判断され停学になる事が多い。

 紅葉はまだ件の全容を知らないが、退学をちらつかせたのは嘘を言わせない為のモノだろうと考えていた。

 

「それを念頭に置いて話しなさい。一体何が原因なの」

 

 そして、その考えは的中していた。花音は嘘偽りなく話せと言った目を香澄に向けていた。

 

「七宝君が七草家を侮辱したんです」

 

 花音の視線が七宝へ移動する。

 

「七草から許しがたい侮辱を受けました」

 

 香澄と七宝は、お互いを決して見ようとしなかった。

 

「ハァ……服部、この始末、どうつければ良いと思う?」

 

 花音に話し掛けられて、服部は閉じていた目を開く。

 

「七宝は部活連の身内だ。俺には公平な判定を下す自信がない」

「それを言うなら香澄は風紀委員会の身内よ」

「ならば部活連でも風紀委員会でもない第三者、生徒会に裁定してもらおう」

「(おい、こら、こっちに丸投げかよ)」

 

 最初からこうなる事が決まっていたかのような流れに紅葉は呆れ、達也は内心、大きくため息をついていた。予想どおりの展開になった、というため息だ。だから、面倒な事態に対処する心構えはこの部屋に入る前から─さらに言うならあずさが逃げた時点で─できていた。

 

「二人に試合をさせれば良いのではないでしょうか」

「(おお、さすが副会長様、ノータイムで切り出しやがった)」

 

 紅葉は呆れから一転、迷いもなしに提案した達也に驚いた。

 

「え、それって、二人を見逃すということ?」

 

 花音が訝しげに問い返したが、服部は何も言わない。

 

「話し合いで解決出来ないことは実力で決める。それが当校で推奨されていると前委員長にうかがいました」

 

 達也の発言に十三束が驚きを露わにしている。だが服部は無言で頷き、花音は「そういうことね」と頷いていた。

 

「(そこは前と変わらないな)」

 

 紅葉にいたっては服部の背中を見ながら、昔も同じことがあったなと思い出していた。

 

「魔法の無断使用は重大な違反ですが、未遂の生徒まで処分する必要はないでしょう。新入生にはよくあることですし」

 

 今度は香澄と七宝の後ろにいた男子生徒が苦い表情で顔を背けた。ちなみに隣にいる雫は眠そうな顔で横を向いていた。早く終わらないかな、という顔だ。

 

「お互いの誇りが懸かっているなら、実力で白黒をつけておいた方が後々引きずることもないと思いますが」

「あたしは副会長の意見で良いと思うけど、服部は?」

「(はやっ。千代田、ちょっとは考え……)」

 

 達也の意見を聞いて、考える素振りも見せず花音が服部にそう訪ねた。

 

「異存はない」

「(服部、お前もはえーよ。まぁ、これ以上の良案はないか)」

 

 服部の即了承に内心軽くツッコミを入れつつ、苦笑する。

 

「司波、手続きを頼めるか」

「了解です。紅葉、手伝ってくれ」

「了解」

 

 服部の言葉に頷いた達也が、あずさの承認書面を取る為に、紅葉を伴って直通階段へ向かう。

 

「司波先輩」

 

 その背中に、七宝から声が掛かった。

 

「七宝、不服なのか?」

 

 咎めたのは十三束だ。

 

「いえ! 七草との試合を許していただけるなら、お願いがあります」

 

 七宝は条件をつけられる立場に無い。そんなことは本人にもわかっているはずだ。

 

「(お願いねえ)」

 

 だから逆に、その場にいた七宝以外は何を言い出すのかと興味が沸いていた。

 

「言ってみなさい」

 

 花音が続きを促した。

 

「相手は七草香澄ではなく、七草香澄、七草泉美の二人にしてください」

「七宝、アンタ、私のことバカにしてるの?」

「(香澄、言葉荒れてんぞーって、そうなるのも仕方ねえか。何考えてんだ七宝のやつ)」

 

 香澄の詰問は、先輩に囲まれた状況における言葉遣いの是非は別にして、当然のものだった。

 

「理由は?」

 

 だが七宝に対する達也の質問に、香澄はとりあえず口を閉じて耳を傾けた。

 

「これは七宝家と七草家の誇りを懸けた試合です。それに『七草の双子は二人揃ってこそ真価を発揮する』というのは良く知られた話です」

「(数字付き(ナンバーズ)の間でなー)」

 

 と、どうでもいい事を心の中でツッコミを入れる紅葉。

 

「だから二人を同時に相手にして勝たなければ真の勝利にならないと?」

「そのとおりです」

 

 達也はいったん言葉を切って、香澄に目を向けた。

 

「七宝はああ言ってるが、香澄はそれでも構わないか?」

「構いません。その思い上がりを後悔させてやります」

「では、そのように」

 

 そう言って達也は、紅葉と共に生徒会室に続く階段を上った。

 



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ダブルセブン4

 生徒会長であるあずさに許可を貰いに生徒会室へ戻ってきた達也と紅葉は、ともに彼女のもとへと向かった。

 

「司波くん、阿僧祇くん、お疲れ様です。結果はどうなりましたか?」

 

 戻ってきた二人が自身の前で止まったところであずさが二人に訪ねる。それに答えるのは当然ながら紅葉ではなく達也だ。

 

「はい、七宝と香澄、双方の主張を聞きました」

「はい」

「それで、話し合いでは解決しそうになかったので実力で決めることになりました」

「……え?」

 

 あずさは解決したかどうかが知りたかったのだが、まさか未解決な上に解決方法を言われるとは思っていなかったので、絶句してしまった。ちなみに隣にいる五十里はいくらか予想していたのか『そうなったか』と納得した顔で、深雪と泉美は呆れ、ほのかは苦笑いだった。

 

「それで、会長に試合の認可をもらいに来ました」

「そ、そういうことですか。えっと、空いている演習室は」

 

 絶句状態からなんとか立ち直ったあずさは自分で施設の使用状況を呼び出す。

 

「今なら第二演習室が使えますね。それでは、阿僧祇くんに鍵を預けます」

「了解です」

 

 あずさから差し出された演習室の鍵を紅葉が、生徒会長の決裁印が押された許可証を達也がそれぞれ受け取った。

 

「司波先輩」

 

 そして、二人は次の説明をする為に向きを変えようとした時、ちょうどよく次の説明相手から声をかけられた。そのまま二人はその相手、泉美の方を身体ごと向く。

 

「なんだ、泉美?」

「その試合というのは見学は可能なのでしょうか?」

 

 泉美は七宝家と七草家の戦いだから見たいではなく、香澄の戦いを見届けたいとの思いで聞いていた。その問いを達也はポーカーフェイスで受け止めたが、後ろにいた紅葉は「あー」と決まり悪い顔になっていた。泉美は紅葉の顔を見て「なにかおかしなことを聞いただろうか?」と頭に疑問符が浮かべている。

 

「見学は可能だが、泉美には試合に出てもらうことになっている」

 

 達也のセリフに泉美だけでなく、あずさ達の頭にも疑問符が浮かび上がっていた。

 

「どういうことでしょうか?」

 

 泉美もさらに疑問符が増えて首を傾げながら訝しげに聞き返していた。

 

「七宝が、これは七宝家と七草家の誇りを懸けた試合だから、七草の双子に勝たなければ真の勝利にはならないんだとさ」

 

 その疑問に大雑把に答えたのは紅葉だ。

 

「誇りを懸けたですか、だいぶ話が大きくなったのですね」

 

 泉美のセリフには多分の呆れが含まれていた。

 

「まあ、そんな訳で七宝は二対一を望んで、香澄がそれを了承したというわけだ」

 

 その呆れを紅葉はあえて無視した。汲み取ったところで面倒でしかないと思ったからだ。

 

「そういうことですか。香澄ちゃんらしいといえば、香澄ちゃんらしいですね」

 

 対して泉美は双子の姉がとった即決を仕方がないと頭を振っていた。

 

「わかりました。私は一緒に行けばよろしいのでしょうか?」

「ああ、まずは一緒に来てくれ」

 

 ゆっくりと立ち上がった泉美は紅葉の後ろについて、三人は風紀委員会本部へと向かった。

 

 

 

 風紀委員会本部に戻ってきた三人は、持ってきた許可証に風紀委員長の承認印を押してもらいに花音のもとに向かった達也と紅葉、香澄のもとへと向かった泉美と別れていた。

 

「委員長、こちらに承認印をお願いします」

 

 差し出した許可証を前にして花音が「承認印、何処だっけ?」とあたふたしている。その背後で、雫が重要物の入ったキャビネットから承認印の入った小箱を取り出していた。明らかに照れ隠しとわかる愛想笑いを浮かべながら花音は小箱を受け取り、許可証に押捺する。

 弛緩した空気を振り払うように、服部が大きく咳払いをした。

 

「場所は何処を使えばいい?」

「空いてたのが第二演習室なので、そこになりました」

 

 達也に向けられた服部の質問に答えたのは紅葉だった。彼は言いながら預けられた鍵を見せている。

 

「そうか。あと、立会人はどうするんだ? 生徒会から出してもらえるのがいいのだが」

 

 場所を聞いた服部はそのまま紅葉に質問をしていた。

 

「(立会人か、考えてなかったな)どうします達也先輩?」

 

 しかし、これはわからないと隣の達也に顔を向けてると彼も考えていなかったのか思案顔になっていた。

 

「そうだな。深雪はどうでしょうか?」

 

 途中までは紅葉の言葉に応え、提案は服部に向けていた。

 

「司波さんなら問題はないだろう」

 

 その人選を予想していたのか、服部はすぐに頷いていた。

 

「紅葉、深雪を連れてきてもらえるか」

「了解です」

 

 軽く敬礼して、紅葉は再び直通階段から生徒会室へとむかった。その間、達也達の話は続いている。

 

「なら、審判は司波くんかな?」

 

 この質問は十三束だ。そしてこれまた達也に向けられていた質問にも関わらず別の人が口を挿んだ。

 

「それでいいわ」

「俺も構わない」

 

 花音のあとに服部が間髪入れずに同意していた。二人とも、達也の意志を問うつもりはないようだ。

 

「演習室へ行きましょう。閉門まであまり時間がありません」

 

 当の指名された本人は、この試合の発案者でもあるため今更「嫌だ」とは言えない。彼はため息を押し殺して移動を促した。

 

 

 

 

 達也が閉門まであまり時間がないとは言っていたものの、試合をする七宝、香澄、泉美は準備が必要だろうとのことで、十分後第二演習室に集合するようにと達也は告げて三人を解散させていた。

 そして十分後、第二演習室に集まったのは、試合をする当事者の、七宝、香澄、泉美。審判の達也と立会人の深雪。第二演習室の鍵を預かっている紅葉。そして部活連から十三束と風紀委員から雫、この八人だ。

 第二演習室は縦に長い中距離魔法を想定した教室だ。床は青と黄色で前と後ろに色分けされており、前後の壁から一メートルのエリアは赤く塗られている。偶然にもこの教室が空いていたわけだが、今回の試合ではちょうど良い場所だった。

 青のエリアに七宝、黄色のエリアに香澄と泉美。七宝は制服姿のままで、左の脇に分厚く大きなハードカバーの本を抱えている。対して香澄と泉美は動きやすい厚手の生地でできた長袖足首丈のツナギの実習服に着替えていた。

 

「この試合はノータッチルールで行う」

 

 達也が青と黄色の境界線に立ち、宣言した。ノータッチルールは身体的接触を禁止する試合用のルールで、異性間では余程の事が無い限りこれが適用される。

 

「双方、すでに知っていると思うが、一応ルールについて説明しておく」

 

 そして、達也からルールの説明がなされた。

 

 ・色分けされたエリアの外に出てはならない。

 ・相手のエリアに入るのも、赤のエリアに出てはならない。

 ・相手の身体に触れるのは禁止。

 ・武器で触れるのも禁止。ただし、魔法で遠隔操作された武器は違反にならない。

 ・致死性の攻撃、治癒不能な怪我を負わせる攻撃は禁止。

 

「これらにおいて、危険だと判断した場合は強制的に試合を中止するからそのつもりで」

 

 そこまで説明して、七宝が一瞬、鼻で笑うような表情を見せた。その不遜な態度に香澄と泉美以外は気付いていたが、特に咎めた者はいなかった。

 

「では、双方、構えて」

 

 香澄と泉美はエリアの中央に移動した。

 七宝は境界線近くから動かず、脇に抱えていた本をドスンと足元に落とした。

 達也が三人の顔を交互に見る。三人とも、同じように頷き返した。壁際に下がった達也が右手を頭上に挙げて

 

「始め」

 

 声とともに勢い良く振り下ろすと、想子光が閃き、魔法が放たれた。

 

 

 

 試合序盤、七宝も香澄も泉美もポピュラーな魔法を使って、直接攻撃や場外勝ちを狙っていた。しかし、それぞれの防御が優秀だったため有効打が決まらなかった。

 状況が動いたのは中盤、とあるきっかけから魔法を工夫して使う事を閃いた七宝が攻勢にでた。それを良しとしなかった香澄と泉美は七草の双子と呼ばれる由来である乗積魔法(マルチブリケイティブ・キャスト)を発動し、「窒息乱流(ナイトロゲン・ストーム)」で反撃に出た。「窒息乱流」は、空気中の窒素の密度を引き上げる魔法と、その空気塊を移動させる魔法。収束・移動系複合魔法である。酸素濃度が極端に低下した気流を少しでも吸い込んだらなら低酸素症でたちまち意識を失う。それを七宝は全方位型気密シールドを展開して耐えていた。

 そして終盤、防戦一方だった七宝がエースを切った。足元に落としていたハードカバーの表紙を開いた瞬間、全てのページが一斉に紙吹雪となって飛び散った。七宝家の切り札の一つ「ミリオン・エッジ」群体制御により百万の紙片を操り、刃の群雲と成して敵を切り裂く魔法だ。

 双子はミリオン・エッジに対抗するため、酸素を多く含む空気を多方向から紙吹雪にぶつけ、断熱圧縮により紙の発火点を超えた熱風を作り上げて紙片の刃を焼き払おうと「熱乱流(ヒート・ストーム)」のアレンジ魔法を発動していた。

 呼吸を許さぬ嵐が七宝を飲み込み、百万の刃は発火点を超えながらも紙片を刃として成り立たせる魔法に守られて香澄と泉美に押し寄せる。

 このままいけば七宝は低酸素症で意識を失い、香澄と泉美は灰に出来なかった刃を浴びて無数に近い傷を負う。どちらも後遺症が懸念される結末が見えていた。

 しかしその結末には到らなかった。

 

「そこまでだ!」

 

 達也の右手が動いた。その手には銀色の拳銃形態特化型CAD、シルバー・ホーンが握られていた。

 

 窒息乱流

 ミリオン・エッジ

 熱乱流

 

 バラバラに砕け散る(・・・・)三つの魔法式と、その破片を吹き散らす想子の奔流。

 中止を告げる達也の声とともに全ての攻撃性魔法が消された静寂の中で、七宝も、香澄も、泉美も、何が起こったのか理解できずに呆然と立ちすくんでいる。

 十三束も起きた現象に対して目を丸くしているが、何が起こったのか理解した上で関心しているという態だった。雫も「さすが」といった顔をしている。

 しかし、十三束も雫も正確に達也が何をしたのかは理解しておらず、表面的な現象「達也の対抗魔法によって三人の魔法が一瞬で無効化された」としか理解していなかった。

 

「この試合は双方失格とする」

 

 審判として達也が裁定を下す。そこでようやく凍結していた一年生が再起動した。三人は失格の理由を求めて、達也にくってかかっている。

 そんな中一人だけ別の事に囚われている者がいた。

 

「(なんだ今の)」

 

 紅葉は達也が使った魔法が対抗魔法である事は理解していた。彼自身、八握剣(やつかのつるぎ)と言う対抗魔法を使う身だからこそ、達也が使った対抗魔法に違和感を覚えていた。

 達也がシルバー・ホーンを構えて放った対抗魔法は一年生三人の魔法を砕き散らしていた。それは術式解体では有り得ない。

 

「(魔法式を吹き飛ばすんじゃなくて、壊すってそんなこと可能なのか?)」

 

 術式解体は圧縮した想子の爆発をもって魔法式を吹き飛ばす魔法であり、魔法式を壊す魔法ではない。

 

「(一回見ただけじゃわかんねーな)」

 

 達也の使った対抗魔法に興味があり、どんな術式かなど考えるが、情報が少ないのですぐにお手上げ状態となった。仕方がないと考える事をやめて、思考の渦から現実に戻ると、七宝が吠えたところだった。

 

雑草(ウィード)のアンタに言われたくない!」

 

 室内がシンと静まり返った。紅葉は「変なところで戻ったなー」と後悔する。

 吠えた七宝の顔は血の気を失って少し青ざめていた。

 

「(さて、なにがどうしてそうなったんだ?)」

 

 紅葉はまず状況を把握する事に務めた。

 



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ダブルセブン5

 シンと静まり返った第二演習室で、紅葉は周囲を見回す。香澄と泉美は驚愕の表情を浮かべ、十三束はオロオロと達也と七宝を交互に見ていた。

 

「(状況から見るに、七宝が試合結果に納得がいかなくてあれこれ言ったが、達也はそれを正論で返しまくって、たまらず吠えたってとこかな?)」

 

 紅葉の推測は概ね合っている。違うとすれば、試合結果に納得していなかったのは七宝だけではなく香澄と泉美もである。最初は香澄と泉美が抗議していたが、途中から七宝に変わりそのままヒートアップして行き爆発して、逆上したところだった。

 さらに紅葉は雫へと目を向ける。彼女はこの中で一番顔色を悪くしていた。「なんでそんなに顔が青ざめているのか?」と思いながらその視線を辿ると、そこには今にも七宝を凍りつかさんばかりの表情をした深雪がいた。

 

「(あ、七宝終わったな。自業自得だがご愁傷様)」

 

 七宝が氷付けになる未来が見えたのか紅葉は心の中で彼に合掌する。しかし、その未来は訪れない。深雪が動く前に達也が口を開いていた。

 

「俺に言われるのは不満か?」

 

 達也の冷酷で冷静な問いと、追い詰められ冷静さを欠いている状態で良い知恵など中々出てくるものではない。しかしそれでも七宝の口は閉じなかった。

 

「ふ、不満なのは公平性に欠いたジャッジに対してです! 七草が窒息乱流をコントロールできていて、俺がミリオン・エッジをコントロールできていないというのは司波先輩の主観にすぎないじゃないですか。俺はミリオン・エッジを完全にコントロールしていました! 司波先輩のジャッジは明らかに七草を贔屓しています!」

「(なーるほど、そういう言い訳か。しっかしあいつ、達也が審判でその主観を否定するとか、ガキじゃねー……いや、ガキだな)」

 

 紅葉は七宝の姿がただの駄々をこねている子供にしか見えなかった。確かに年齢上まだ子供と呼べる年齢だが、それよりも幼く見えていた。

 

「(それにどう見ても、コントロールできてるようには見えなかったしな)」

 

 先ほどの試合内容を思い出す。七宝が放ったミリオン・エッジは威力の面でコントロールが甘かったのは紅葉だけでなく、この場に立ち会っている二年生全員の目にも明らかだった。

 

「七宝……お前、言ってることが支離滅裂だぞ」

 

 その感情的な反発に駄々っ子のような言い訳をしている七宝を、呆れ声でたしなめたのは達也ではなく十三束だ。

 

「あのまま続ければ、お前の魔法が七草さんたちに試合の限度を超えた傷を負わせていたと、さっきは自分で認めていたじゃないか」

「(認めてんのかよ)」

 

 認めた上で言い訳を続けているのかと、紅葉の中で七宝に対する呆れ度が百点ぐらい加点された。

 

「それは七草が熱乱流を使ったからです!」

「(ん? ミリオン・エッジはコントロール出来ていたが、熱乱流が来たからコントロール出来なくなったってか? 自分でコントロール出来てないって認めてんじゃねーか)」

 

 コントロール出来ていると言うのはどんな状況下であろうと制御できる事だと紅葉は思っている。その考えは二年生全員も同じだ。だから七宝のセリフは、今この場では責任転嫁にしか聞こえなかった。

 

「もう良いよ、七宝」

 

 白けた声が七宝と十三束の間に割って入った。その声は香澄から発せられていた。

 

「そこまで負けたくなかったんだったらさ、もうアンタの勝ちで良いよ」

「(へー)」

「香澄ちゃん、本当に良いんですか?」

 

 紅葉は軽く驚いていた。程度の強弱はあるにせよ紅葉以外も意外感に打たれていた顔が並ぶ中で、香澄にそう問いかけたのは彼女を最も理解しているであろう泉美だった。

 

「うん。さっきのもよくよく考えてみたら、そこまで熱くなる事じゃなかったし。大体高校の非公式試合で乗積魔法使って、しかも窒息乱流に熱乱流のマルチ・キャストなんて、どう見てもやり過ぎでしょ。司波先輩の言うとおりだよ」

「(七宝と達也のやり取りを見てて冷静を通り越して、どうでもよくなった感じだな)」

 

 気持ちはわかるぞと香澄に同情の目を向ける。その香澄は紅葉が思っている通り、すっかり冷めてしまっていた。七宝を見る目も敵意ではなく無関心に変わっている。

 

「……香澄ちゃんがそう言うのでしたら」

 

 泉美も割とあっさり香澄の言い分を受け入れた。元々彼女は双子の姉のお手伝いのつもりだ。香澄がそれで良いと言うなら、泉美が拘るべきものは無かった。

 香澄と泉美は達也の方へと歩いていく。

 

「司波先輩、ご迷惑をお掛けしました」

 

 二人が達也に向かって頭を下げた。泉美の意識が七割ほど深雪に向かっていたのはご愛嬌と言うべきだろう。

 それを七宝は歯を食いしばって見ている。

 

「ただ、一言だけ良いですか」

 

 もっとも謝罪だけで終わらないのが香澄らしかった。

 

「なんだ」

 

 達也の表情も七宝に対していた時とは打って変わって苦笑気味だ。

 

「私は──私たちは魔法の制御を失っていませんでした。あそこで試合を止めたのは、先輩のミスジャッジです」

 

 強気な瞳で早口にまくし立てて、香澄は達也の返事を待たずに歩き出す。その途中、妙にニヤついている紅葉が目に入り、通り過ぎながら一睨みして演習室を出て行った。

 

「あ、あの」

 

 香澄の背中と達也の顔を交互に見て、泉美が本気で困惑していた。

 

「泉美」

「はひっ!」

「ぷっ(はひっだってよ、はひ。くくくっと、おお怖い怖い)」

 

 達也に名前を呼ばれるのが予想外だったのか、泉美が飛び上がるように背筋を伸ばし答えた。直後、舌をもつれさせてしまった事を恥じらい俯く。

 その様子を見ていた紅葉の漏れた微笑が聞こえたのか、泉美から向けられた鋭い睨みを澄まし顔で受け止めていた。

 達也は軽く咳払いをして、泉美の意識を自分へと戻し厳しさもない穏やかな顔で言葉を続けた。

 

「香澄に伝えておいてくれないか。不満なら何時でも相手になると」

 

 泉美が目を大きく見開いているのは意外感の故か。達也のセリフが香澄を気遣ってのものだと泉美はすぐに理解した。

 

「……承りました。先輩、ありがとうございます」

 

 達也にそう答えて、泉美は深々と腰を折った。長すぎず短すぎないお辞儀のあと、顔を上げた泉美は何故か、その場に留まっていた。

 

「何だ?」

 

 達也がそう水を向けると、泉美が達也に向け始めて素直な笑みを見せた。

 

「私、先輩のことをちょっぴり見直しました。少しは深雪お姉さまのご兄弟らしいところがおありだったのですね。それでは失礼します」

 

 泉美は達也に一礼して、歩き出す。そして紅葉の前を通り過ぎる時、意味ありげな睨みを向けて演習室を出て行った。

 

「(たく、ちょっと笑っただけじゃねーかよ。さて、どうすっかなあ)」

 

 紅葉は出て行く泉美の背中に向けて、睨みに含まれた意図に対して反論の念を飛ばしたあと、頭を軽く振った。

 無言で泉美を見送った達也の顔は、無言で立ち尽くしたままの七宝を見るのではなく、やれやれといった顔をしていた紅葉の方へ向いていた。

 

「紅葉」

「なんです、達也先輩?」

 

 泉美のように驚く事もなく、紅葉は普通に応じる。

 

「二人を頼めるか?」

 

 達也の言葉は簡潔だったが、紅葉は意味を理解できていた。達也はさっき、香澄を気遣っていた。それだけでは不十分と感じたのか、紅葉にさらにフォローしてほしいと言っていた。そして紅葉の頭の中でそれは即決される。

 

「了解です」

 

 紅葉にとったらそれはありがたい命令だった。彼は元から七宝に興味はなかった。この試合で少しは意識するかと思ったがそれもない。だから、残っているのは七宝だけというこの場からどう退散しようかと考え始めた時に、命令されたのだ。断るわけがない。

 

「それでは先輩方、失礼します」

 

 紅葉は達也達に一礼して、七宝を一瞥してから演習室を出る。

 

「さて、あいつらは」

 

 そしてすぐに紅葉は、二人に会える場所に向かった。

 

 

 

 

 

 

「よう、お疲れ」

「なんで、ここにいるのよ変態」

「……」

 

 二人に会える場所、それは女子更衣室前である。香澄と泉美は紅葉よりも先に演習室を出ていたが、二人は実習服で試合をしていた。さらに汗を流す以外にスッキリしたいだろうなと考えてシャワーを浴びているだろうと思って、女子更衣室前で待っていた。実は二人が女子更衣室から出てきて紅葉はホッと安心していたのは内緒である。

 

「おう、ただ待ってただけで変態呼びするなよ」

「ふんだ」

「それで、阿僧祇さん。どうされたのですか?」

 

 心外だと抗議するも香澄か顔を逸らしてしまう。変わりに泉美がどこか冷たい感じで問い掛けてきた。それを紅葉は苦笑しながら受け止め

 

「なに、お前等を労いにきただけさ」

 

 そう言っていた。

 

 

 

 

 

 

「ではでは、ごゆっくり~」

 

 配膳し終えたベテラン店員がニコニコ顔で去っていく。

 ここは第一高校と駅の間にある和菓子店「那由多」。紅葉は二人を連れて「那由多」に来ていた。三人は第一高校を出てから「那由多」に来るまで会話はなかった。いや、香澄と泉美はコソコソと何かを話していたが、二人と紅葉に会話はなかった。

 その三人の目の前には白玉ぜんざいが置かれている。紅葉は匙を手にして食べようとするもピクリとも動かない二人に首を傾げた。

 

「なんだ、食べないのか?」

「……」

「……」

 

 香澄と泉美は無言で紅葉を見ている。二人は彼の意図がわからなかった。最初は労うと言いながらあれこれ試合について言ってくると身構えたが、紅葉は「ここではなんだから、落ち着ける場所に行こう」と言って歩きだしていた。それに付いていく必要はなかったが、二人は無視するのも気が引けたので付いていくことにした。

 そして、「那由多」に着いた際に二人の頭に「本当に労われるだけ?」と同じ疑問が浮かび今に至る。

 

「味は保証するぞ。この店の品はどれも絶品だからな」

「いえ、それは、以前来た時にわかっています」

 

 紅葉は二人が困惑しているのがわかっていながら、試合について自分から何かを言う気は一切なかった。ただ香澄達から何かを言ってくれば聞くし応じる。何も言わなければ触れない。そうすると決めていた。だから今も当たり障りのない事を言う。

 

「なら、遠慮すんなって」

 

 匙で白玉を掬い口へ運ぶ。程よい甘さが口の中に広がる。

 

「うん、うまい」

 

 本当に美味しいといった顔をしている紅葉を見て、香澄と泉美は顔を見合わせてお互いに匙を手に取った。そしてそれぞれ小豆や白玉を口にする。

 

「うん、美味しい」

「はい、美味しいです」

 

 二人の顔には笑みが浮かんでいた。

 

 

 

「ねえ、阿僧祇」

 

 それから、三人のお椀が空になりかけた時、香澄が紅葉に呼び掛けた。

 

「ん、どした?」

「……あんたから見て、どうだった」

 

 香澄からの主語とか色々なモノが足りない質問に、紅葉は匙を置く。何の事を聞いているかなど考えるまでもなくわかっていた。七宝との試合の事である。

 

「どうってのは勝敗についてか?」

 

 香澄が縦に頷く。紅葉は緑茶で口を湿らせた。

 

「勝敗については、達也先輩のジャッジが妥当だと思ってる。双方の反則負けだな」

「っ。なら、あの時司波先輩が止めなかったら、どうなってたと思う?」

「(たら、ればの話は好きじゃないし、達也が止めてなかったら)俺が止めてただろうよ」

「え?」

 

 予想していた答えとはだいぶ違うのか、香澄がポカンと口を開けて呆けている。

 

「七宝はまあ最悪ぶっ倒れる程度だが、お前等は違う。ズタズタになる女の子なんか誰が見たいんだよ」

「えっと、あの」

「とにかく、あれが続いてたら俺が全力で止めてたってのが答えだ」

 

 それこそ紅葉は八握剣を使うことさえ躊躇わなかっただろう。

 そう言い切った紅葉の目には顔が赤くなっている香澄が映っていた。

 

「って、顔が赤いが大丈夫か?」

「だ、大丈夫! なんでもない、う、うん、ありがとう」

 

 自分でも顔が赤くそして熱くなっているのがわかったのか香澄は両手をワタワタと振って、なんでもないと装っていた。どう見てもなんでもないように見えないのだが、ありがとうと言われては追求しづらい。

 

「お、おう、どういたしまして? つか、お前も大丈夫か泉美?」

 

 赤い顔の香澄から謎のお礼を言われたことで、気恥ずかしさで香澄から視線を外すと、泉美の顔も赤くなっているのがわかった。

 

「え? な、なにがですか?」

 

 どもっている事から本人は元から顔が熱くなっているのがわかっていたようだ。しかし、無駄な足掻きと思いながらもとぼけていた。

 

「いや、まあ、うん。なんでもなきゃなんでもないんだろう」

 

 泉美の珍しい反応で、紅葉は珍しく返答に困っていた。

 

「(あー、もう、またカッコイいって思っちゃったよ)」

「(……この気持ちはなんでしょうか)」

 

 香澄はさらに意識した事で余計に顔が赤くなり、泉美は胸がドキドキしている事に困惑していた。そんななんとも言えない空気は解消される事なく、最後はお互い少しぎこちない感じで帰路についたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 次の日、一限目を終えたあと、紅葉は妙な噂を耳にした。

 

 ──七宝が校則違反で謹慎になった。

 ──いや、風紀委員にたてついて制裁を受けた。

 ──休んでいるのは下剋上を目論んでいるからだ。

 

 などなど。どうやら、昨日の騒動が数人に目撃されていたようだ。七宝は新入生総代であり、一年生の間では知らない生徒はいないほど有名人である。その彼が騒動を起こした後に休んでいるときたら、騒動の処分で学校に来れなくなったのではないのかと想像出来てしまうのは難しくない。

 

「(あいつ、休んでんのか。あのあと、何かがあったってことだよな)」

 

 香澄達を追って演習室を出たとき、紅葉が一瞥して見た七宝は拳を震わせながら俯いていた。

 

「(ま、どうでもいいか)」

 

 しかし、紅葉の興味はそれ以上湧くことはなかった。

 元から七宝に対する興味が薄かったので、休んでいようが何をしていようが紅葉に害がなければ勝手にしろといった姿勢だった。

 

「さて、次の授業はっと」

 

 そうして紅葉は日常へと戻っていった。

 

 

 

 ────────────

 

 

 

 予告

 

 (ひと)

 

「あなた達にお兄ちゃんは渡しません!」

 

 (ふた)

 

「おい、てめえら! さっさと起きやがれ!」

 

 ()

 

「彼は私の友人です」

 

 ()

 

「なんで効いてない!?」

 

 (いつ)

 

「かっちーん、今のはボク、頭に来たよ」

 

 ()

 

「阿僧祇くん、無事だったの?」

 

 (なな)

 

「なんでしたら私が介抱しますよ、お爺さん」

 

 ()

 

「あの人を悲しませることだけは許しません」

 

 (ここの)

 

「あの計画は終わってない」

 

 (たり)

 

「いい具合に育ってるではないか」

 

 布留部(ふるべ)

 

「さあ、紅葉。私のモノになりなさい」

 

 由良由良止(ゆらゆらと)

 

「第一高校生徒会書記、阿僧祇紅葉」

 

 布留部(ふるべ)

 

「いざ、勝負!」

 

 西暦二〇九六年、七月。

 

 九校戦が開幕する。

 




ダブルセブン、終了です。
ここまで読んでいただき有り難う御座います。

最後に、多くのお気に入り、評価、感想、有り難う御座います。
今後も魔法科高校の留年生を宜しくお願い致します。


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IFストーリー
クリスマスIF(香澄)


注意

このストーリーはifストーリーとなります。

留年生本編とは別と思ってください。
これで本編のヒロインが決まった訳ではありません。

では、どうぞ



 

 二〇九?年十二月二十四日。

 それは学生にとっては、二学期最後の日であり、同時にクリスマス・イブでもある。

 

「で、いいのかよ。確か七草家主催のクリスマスパーティーがあるんじゃなかったのか?」

 

 そんなクリスマス一色の街を歩く男女一組。一人は白い息を吐きながら若干呆れている阿僧祇紅葉。そしてもう一人は、紅葉より少し先を足取り軽やかに歩く七草香澄だ。

 香澄は身体ごと振り返る。

 

「うん、行事はお姉ちゃんが出るから大丈夫だよ」

「ホントかよ。後日、お前を誘った罪で俺が裁かれない保証はあるだろうな?」

「もう、心配性だな、紅葉は。たぶん、大丈夫だよ」

「おう、たぶんは止めろ。余計に不安になる」

「はいはい、大丈夫大丈夫! ほら、時間ないんだし行くよ!」

 

 そう言って香澄は紅葉の手を取って引っ張っていた。

 

「ボクと紅葉の初クリスマスデートなんだから、楽しまなくちゃ!」

 

 

 

 二人が向かったのは街の中心部にある大きなクリスマスツリー──ではなく、その外周部にあるショッピングモールだ。

 モール内もクリスマスカラーに彩られ、陽気な音楽が流れている。その雰囲気が恋人達を招き寄せるのか、モール内はカップルでいっぱいだった。

 

「えへへ~」

「気持ち悪い笑い方してんな」

 

 そんなモールに入る前からずっとニヨニヨとしている香澄を見て、紅葉は思わず本音がこぼれていた。

 

「ちょっと!彼女に向かって気持ち悪いは酷くないかな?!」

 

 さすがにそのセリフは寛容できないと頬をぷっくりと膨らませる香澄。その面白可愛い姿に、今度は本音ではなく笑みがこぼれる。

 

「ぷっ。くくく」

「こーうーよーうー」

 

 尚もふくれっ面のまま、抗議のまなざしを向けてくる香澄を紅葉は真っ向から受け止め、

 

「悪い悪い、あまりにも可愛いくてな」

「っ?! 」

 

 不意打ちなる一撃を放ち、彼女を赤面、沈黙させる事に成功させていた。まあ、効果の程は数秒だったのだが。

 

「って、そんな事じゃ誤魔化されないよ!」

 

 しかし、赤い顔はすぐには収まらないのか香澄は隠すようにそっぽを向いていた。それがさらにおかしくて、笑いそうになるがここは我慢する。

 

「誤魔化されかけてんじゃねーかよ。ほら、あそこでひと息つこうぜ」

 

 そっぽを向いた香澄とは反対側にあるカフェを指さすと、彼女はなんの抵抗もなく首が回っていた。

 あまりのちょろさに紅葉は再び笑いがこみ上げ、香澄はしてやられた事に気づいて怒ったのは言うまでもないだろう。

 

 

 

 カフェに入った二人。香澄は見てもわかるほどに怒ってますとブスッとしている。

 

「たく、そんな拗ねることないだろうに」

「拗ねてないもん」

 

 付き合いだしてからわかったことだが、二人きりになると香澄の口調が少し可愛らしいものに変わる。それが自分に甘えてくれていることなんだろうと思うと嬉しくなり顔が微笑んでいるのが紅葉自身でもわかっていた。

 

「お待たせいたしました。クリスマスケーキセットです」

 

 そんな香澄の機嫌が治らない内に、注文していたケーキセットが二人の前に置かれた。このケーキセットはカップル限定品で、カフェに入って紅葉が迷わず注文したモノだった。

 紅葉の前にチョコレートケーキとコーヒ、香澄の前にショートケーキと紅茶が置かれている。カップル限定にしては普通のケーキセットである。

 

「ん、美味しい」

 

 香澄はさっきまでの不機嫌はどこへやらとばかりにケーキを味わっている。しかし、紅葉はチョコレートケーキをジッと見つめるだけで動いていなかった。

 

「紅葉? 食べないの?」

「ん、ああ、いや、食べるよ」

「うん、そっちも美味しぃ?!」

 

 心の中でクスリと微笑む。フォークでチョコレートケーキを掬った紅葉はそれを自身の口ではなく香澄の口許へ寄せていた。

 

「こ、紅葉?」

 

 香澄はチョコレートケーキと紅葉の顔を行ったり来たりしている。

 

「香澄、あーん」

「っっっ」

 

 そして何をさせたいかわかる、決定的なセリフに彼女の顔は一気に赤くなっていた。

 それをニコニコと笑いながら紅葉が見ている。彼が持つフォークが引っ込む気配はない。逃げ場のない香澄は意を決して、チョコレートケーキを食べた。

 

「どーだ?」

「(恥ずかしくて味なんかわかるわけないでしょー!)」

 

 少し涙目になりながら咀嚼している姿も紅葉にとったら可愛いと思えるものだった。

 そんな姿を可愛いと思われているとは思わない香澄は、口の中のケーキがなくなったあと、自分の前にあるショートケーキをひと掬いしていた。そして、それを紅葉の口許へ差し出す。

 

「はい、紅葉。あ、・・・・・・あーん」

 

 彼女はやられたからやり返したかったのだろうが、セリフで恥ずかしくなったのか半分自爆しているようになっていた。

 そのケーキを紅葉は躊躇わずに頂く。

 

「あむ・・・・・・うん──」

 

 彼は香澄がやり返してくるのがわかっていた為、カウンターを用意していた。

 

「香澄の味も合わさって、美味しいな」

「へ?」

 

 そのセリフに固まる香澄。彼女の視線は紅葉の口から自分が持つフォークに移り、最後にショートケーキへと移った。

 彼女は紅葉にケーキを差し出す前に自分でショートケーキを味わっている。そのフォークを使って、彼にケーキを差し出したのだから、それは間接キ──

 

 

 

 カフェを出ると日は落ちて、街がイルミネーションで輝いていた。二人はキラキラ輝く街道を手を繋いで歩く。

 

「なんかずっと紅葉にやられっぱなしで悔しいんだけど」

「やられっぱなしって、お前な」

 

 香澄の半自爆からの追い打ちで今日一の赤面になった香澄はカフェを出てから歩いている間、ずっとプンスカしながら歩いていた。しかしながら、紅葉が差し出した手を握り返しているのでそこまで怒っているという訳ではなさそうだった。

 そんな二人は目的地である街の中心部の広場にたどり着いた。そこには飾り付けられて綺麗に輝いている大きなクリスマスツリーがあった。

 

「はー」

「うわー」

 

 二人してあまりにも大きなクリスマスツリーに思わず見上げてしまう。

 

「すごいね、紅葉」

「ああ、すごいな」

「えへへ」

 

 紅葉の隣から笑いがこぼれると同時に繋いでいる手が離れたと思ったら、腕に重みが増した。思わず顔を向けると香澄が紅葉の腕に抱きついている。

 

「香澄?」

「紅葉、好きだよ」

 

 紅葉の思考が一瞬停止する。不意に色っぽく言われた言葉を理解する前に香澄がニヤっと笑みを浮かべたことで、彼はやられたと察した。

 

「ふふっ、紅葉のびっくり顔もーらいってね」

「このやろ。たく、はいはい、参りました降参ですよ」

「うんうん、それで紅葉は?」

 

 一矢報いる事ができた香澄は満面の笑みを向ける。

 

「ああ、俺も好きだよ香澄」  

 

 そして二人はクリスマスツリーの下で──

 

 

 

 

 

 













クリスマス要素が薄い気もするけど気にしない!

留年生本編でこういうの書くのはだいぶ先だから、我慢出来ずに設けたのがifストーリーです。

ではでは、皆様、良いお年を!


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クリスマスIF(泉美)

注意

このストーリーはIFストーリーとなっています。

留年生本編とは別と思ってください。
これで本編ヒロインが決まった訳ではありません。

以上の事が許せる方は、どうぞ。


 二〇九?年十二月二十五日。

 いつの時代になろうとも十二月の下旬に近づくにつれて周りがクリスマスムードに染まっていく。

 そしてここにも例に漏れず染まった女性が一人。

 阿僧祇紅葉の姉、双葉はジングルベール、ジングルベールとクリスマスでよく聞く歌を口ずさみながら家のキッチンでせっせと準備を進めていた。

 紅葉はその姿を見て固まっていた。彼はすでに冬休みへと突入していた事と、彼女との約束が午後からであった事から時間までのんびり過ごす予定だったのだが、そんな日に限っていつもの如く姉に蹴り起こされていた。姉がいる=二度寝が許されない。その為、紅葉は渋々と起き上がり着替えてから居間へと降りてきたのだが、キッチンに姉が立っていて目を疑った。

 

「なにしてんだ姉貴?」

 

 紅葉が知る限り双葉は料理などできないはず。そんな姉がキッチンに立っているのは何か怖いものを感じていた。

 

「何って……準備?」

 

 話かけられた双葉は動かしていた手を止めて振り返る。なぜ、紅葉が驚いているのかわからなかったが、質問にははぐらかす様に答えていた。

 

「何のだよ。つかなんで疑問系なんだよ」

「まぁ、いいじゃない」

 

 そういいながら双葉は止めていた手を動かす。

 

「あぁ、そうそう。紅葉、あんた今日、那由多にバイト行ってきてね」

 

 そこで今思い出したかのように双葉から意味不明な事を言われ、紅葉は再び固まってしまった。

 

「……は?」

「隆弘さんにはちゃんと行くって言っといたから」

 

 隆弘さんとは和菓子店『那由多』の店長である。双葉は隆弘に連絡をとり、紅葉を働かせに行かせる事を決めていた。

 

「もうそろそろ出た方がいいんじゃないかしら」

「っておいこら、なに勝手に決めてんだよ! こちとら予定ってのがあってだな」

 

 紅葉としてはクリスマスということもあって普段とは違う雰囲気になるかも知れないと前日から少しドキドキしていたのだ。それを少しでも落ち着かせる意味で遅めの時間にしたというのに、働いていたら落ち着くどころの話ではなくなる。

 

「そりゃ勝手だったかもしれないけど、あんた今日暇でしょ。まぁ、正確に言えば五時頃まで」

「ちょっとまて、なんで知ってんだよ」

 

 まさか姉に知られているとは思わなかった紅葉。今日の事は彼女以外に知る人はいないはず。あれか、彼女が彼女の姉に言ってこっちの姉に流れたかと考えていると、

 

「まぁそれはどうでもいいじゃない。という訳で時間は有効に使わないとってね。大丈夫、隆弘さんには時間になったらちゃんと上がらせてとも言ってあるから」

 

 グッと親指を立ててドヤ顔でそう告げる双葉。

 紅葉は色々とツッコミというか聞きたい事はあったのだが時計を見ると確かに那由多が開店する三十分前だった。

 

「大丈夫大丈夫、紅葉にはなーんにも悪い事はないよ。むしろ嬉しいんじゃないかなー」

 

 ドヤ顔からニヤニヤと笑う双葉を見て紅葉はこの先何を聞いても埒があかないと悟って、ハァとため息一つ。

 

「わかったよ。行ってくればいいんだろ」

「そうそう。あと、終わったら一回こっちに帰ってきなさい。絶対だからね」

 

 出来れば那由多を出たらそのまま彼女と待ち合わせしている場所にいきたかったので無視しようかと考えるも双葉が何を企てているかはわからない為、無視すると後々面倒な事になりそうだと思った紅葉は仕方がないと「わかりましたー」と気だるく言って上着を来て家を出たのだった。

 紅葉が家を出たのを見送った双葉は再び嬉しそうにジングルベール、ジングルベールと口ずさみながら準備を進めていく。

 それから一時間が経った頃、自宅のインターホンからお客が来た事を告げる音が鳴った。

 ちょうど準備が終わった双葉は「来た来た」とニコニコ笑いながら、来客者を迎える為に玄関へと向かいドアを開けるとそこには恥ずかしそうに立っている人の姿があった。

 

 時間は流れ午後四時頃。

 和菓子店とはいえクリスマスに乗っからない手はないと那由多はクリスマス限定メニューを出した事もあって店内は満席であった。

 そんな最中、出来上がった和菓子を受け取る為に厨房に入った紅葉に店長である那由多隆弘から声が上がった。

 

「紅葉、上がっていいぞ」

「……この状況で?」

 

 店内に目を向ければ満席&待ち客有りで店員フル稼働状態である。ここで自分が抜ければ人手が足りなくなるだろうと思うのも仕方がない。

 

「なんとかなるだろう。それより、お前は彼女と約束があるんだろ」

「まぁ、そうなんだけどさ。って、なんで店長まで知ってるんだよ!?」

 

 「俺のプライバシーどうなってんだ」と嘆いてみるも隆弘から「双葉に知られた時点で無駄だろ」と身も蓋もないことを言われてしまい力弱く「ですよねー」と返すしかなかった。

 

「気にするな、とにかく楽しんでこい」

 

 そんなうなだれている紅葉を隆弘は苦笑いしながらポンと肩を叩いていた。

 

 

 

 

 

「はぁー、さみっ」

 

 那由多を出ると店内の温かさはなくなり冬の風が肌を刺した。

 

「……あいつの事だから待ち合わせ場所にもう居てもおかしくないんだよなぁ」

 

 彼女の性格を考えるとやはりこのまま駅に向かうべきかと思ったところで時間を確認するべく情報端末を見ると一件のメールが入っていた。

 

「エスパーかよ」

 

 そのメールは双葉からのものであり『帰ってこないとブレイクするぞ☆』と紅葉の行動を牽制&脅迫する内容だった。

 双葉のブレイクは色々と洒落にならない為、やはり無視できそうにない。

 

「仕方がない」

 

 乗ってきた自転車に跨がりグッと力強くペダルを踏む紅葉。

 

「さっさと帰るべ!」

 

 そして猛ダッシュをかけるのだった。そうすれば那由多から自宅までものの十分以内で着ける。

 というか着いた。

 ガシャンと雑に自転車を自宅の壁に立てかけ、その勢いのまま扉を開く。

 

「おら、姉貴帰ってきたぞ! 何のよ……う……?」

 

 そして意味のわからない命令を下した姉を呼びながら自宅に入ったのだが、そこで固まってしまった。

 理由は簡単である。

 

「お、お帰りなさい、紅葉さん」

 

 なぜか目の前に私服にエプロンを付け、恥ずかしそうに立っている自分の彼女である七草泉美がいたのだから。

 

「い、泉美?」

 

 固まってはいるものの、紅葉の視線は周囲を探っていた。そしてここは間違いなく阿僧祇家だと再認識する。

 

「あの、その、……お邪魔しています」

「あ、あぁ、いらっしゃい?」

 

 まさか自宅に泉美がいて、自分を出迎えるなど少しも思っていなかった紅葉の頭の中は見事に混乱していた。

 そして泉美の方は混乱はしていないようだったが顔を真っ赤にして口どもっていた。

 二人ともありきたりな事しか話せないでいると、この状況を作り出した張本人がにゅっと現れた。

 

「もー、いずみん違うでしょ。お邪魔しています、じゃなくて、ご飯にしますか? お風呂にしますか? それとも──」

「って、おいこら姉貴、泉美に何言わせようとしてんだ!」

 

 双葉の登場と共に吐かれる言葉にある種のお節介を感じた紅葉は全てを言い切る前に横入りして彼女の言葉を遮っていた。

 

「何って紅葉が嬉しくなるやつ?」

「う、うっせぇ! ってかなんだって泉美がウチにいんだよ」

 

 確かに言われたら嬉しいが、と少しでも思ってしまったのはこの際仕方がないだろう。

 このまま双葉ペースのままでは会話の主導権が握れないと思った紅葉は半ば無理やり主題を変えた。

 

「なんでって、そりゃいずみんから紅葉のクリスマスプレゼントは何がいいかって相談されたから、そんなの自分でいいじゃんって」

「ふ、双葉さん!? それは言わない約束では?!」

 

 しかし変えた主題の矛先は紅葉から泉美に変わっただけで、どの道双葉が主導権を握るのだった。

 

「あ、ごめーん。言っちゃった」

 

 あっさりと内緒にしていた事がバラされた泉美はより顔を真っ赤にして伏せてしまう。その様子を見ていた紅葉は泉美の可愛さにやられかけていた。

 そして双葉は二人の様子を見て『御馳走様』と心の中で合掌。

 

「さてと、それじゃお邪魔虫は出かけてくるね」

「え?」

 

 こうして双葉は見たいものが拝めた事で満足したのかコートに身を包みバッグを持つ。

 

「あとはお若い二人で楽しんでね~」

「ちょっ、てめっ、姉貴?!」

 

 そして、二人の横をスーッと通り過ぎて、二人に何を言わせる間もなく家を出て行った。

 

「……」

「……」

 

 まるで嵐が過ぎ去ったかのようにシーンと静かになる。

「あー、なんだ。とりあえず居間に行くか」

「は、はい」

 

 お互い気恥ずかしいのか、紅葉は泉美を気にしつつも頬をかきながら明後日の方へ視線を向け、泉美は伏せがちに紅葉の隣に付いて居間に向かった。

 

「すげっ。なんだこりゃ」

 

 そして居間に足を踏み入れると紅葉の目に今まで見た事のない光景が広がっていた。家を出た時は普通だった居間が、クリスマスカラーに装飾されているだけでなく、テーブルには綺麗に盛り付けられたら料理が並んでいた。

 

「これ、泉美が?」

「えっと、双葉さんと紅葉さんのお母様に手伝って頂きました」

「あぁ、母さんもいたのか。で、その母さんはどこいったんだ?」

 

朝見かけなかった為、朝からでかけていたと思ったらどうやら家のどこかにいたようだ。しかし、現在その母親の姿はどこにもない。

 

「三時頃に出かけられましたね」

「なるほど。なら、今は二人っきりって訳か」

 

 双葉は先ほど家を出て、母親はすでに居ない。となれば今、家には紅葉と泉美しかいない事になる。その事実を口にすると

 

「あぅ……」

 

 小さく呻きながら赤面していた。

 

「ははっ、可愛いやつだな」

 

 その姿に嘘偽りなしの言葉が漏れる。それを耳にした泉美はさらに顔を赤くする。

 紅葉は彼女の可愛い様子をからかいたい気になるがせっかく用意してもらった料理が冷めてしまうと思って、からかいたい気持ちをグッと抑えた。

 

「それじゃ、いただくとするか」

 

 紅葉は泉美に向かって笑って言った。

 

「な、何をですか?!」

 

 しかし泉美はその言葉をどう受け取ったのか今日一の赤面で勢いよく顔を上げていた。

 

「……」

 

 泉美の言葉に固まる紅葉。

 

「…………あ、あの、えっと、その、今のは違うんです」

 

 そして紅葉の様子から、自分が盛大に誤解したのを悟った泉美は弁解を始めるも

 

「あー、うん。予定変更」

 

 紅葉のグッと抑えた気持ちは泉美の自爆によって解放されてしまった。

 紅葉は椅子には座らず、泉美に一歩近づく。

 

「こ、紅葉さん?」

 

 泉美はその場から一歩下がった。

 

「今のは泉美が悪いからな」

 

 泉美の下がった分を帳消しにするかの様に紅葉は一気に彼女との距離を詰め抱き寄せた。

 

「こう、ようさん」

 

 そして泉美の頭を優しく撫で

 

「……泉美、今日は帰さないからな」

 

 耳元で囁いた言葉に泉美の心臓はオーバーヒートしたのだった。

 




大遅刻すみません。
そしてクリスマス要素皆無ですみません。
さらにぶつ切りですみません。

ただただ、恥ずかしがる泉美が書きたかったんです。

その先?
きっと誰かが書いてくれますよ、うん。


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正月IF(泉美)

 二〇九?年一月三日。

 三が日は新年を祝賀する期間で、事実上祝日となっているのは二○九○年代でも変わっていない。

 ガヤガヤと賑わう神社の鳥居の下で、阿僧祇紅葉は一人で空をボーッと眺めていた。

 待ち人はまだ現れない。それはそうだろう。待ち合わせの時間は十時だというのに紅葉は九時に待ち合わせ場所に来ていた。しかし、これは本人の意思によって早く来たわけではない。阿僧祇家の正月は三が日まで、家族全員が朝に顔を合わすのが決まりとなっている。この為、紅葉は自身の姉である双葉の(あし)によって七時に目を覚まさせられていた。そして、どういう訳か今日の紅葉の予定を知っていた双葉は、彼に質問攻めしてきたのだ。その為、姉から逃げるように早々と家を出てきたという訳だった。

 

「どこのどいつが……ってまさかな」

 

 空を眺めながらぼやく。

 紅葉と彼女の関係を知っていて、さらに今日の予定を知っている。その上で双葉と関わりのある人物は限られる。むしろ一人しか思い浮かばず、そうなるとと危惧した瞬間、紅葉に明るい声がかけられた。

 

「阿僧祇くん、お待たせ~」

 

 それは待ち人の声ではない。しかし、聞き覚えのある声。

見上げていた空から声のする方へ顔を向けるとそこには待ち人の姉、七草真由美が陽気な笑顔とともに手を振っていた。

 

「七草先ぱ……」

 

 しかし、紅葉の目は真由美を見るもすぐに左側に流れていた。そこに居たのは薄い紫地に紅白の梅が描かれた振袖を身にまとった七草泉美が恥ずかしげに立っていたからだ。彼女は紅葉と目が合った事で一歩前に出て丁寧に腰を折って頭を下げた。

 

「明けましておめでとうございます、紅葉さん」

「……」

「紅葉さん?」

「っ。あ、ああ。明けましておめでとう、泉美」

 

 泉美は紅葉から言葉が返ってこない事に疑問を覚えながら顔を上げる。その彼はなぜか自分をずっと見続けて固まっていたので名前を呼ぶと、ビクッと珍しい反応をしていた。

 

「? ……そのどこかおかしいでしょうか?」

 

 紅葉が固まっていた理由がいまいちわからない泉美は、自分の格好が合っていないのかと不安になっていた。

 

「あ、や、すまん。どこもおかしくない。むしろ、似合ってて、……って、そこニヤニヤすんな!」

 

 シュンとした泉美を見てしまったと思った紅葉が慌て弁解をするが、彼女の隣から向けられる視線に突っ込まざる得なかった。

 

「えー、続けててくれていいのに」

「お、お姉さま」

 

 実に楽しそうににやついている姉に気付いた泉美が恥ずかしさから顔に赤みが増す。それを見た真由美はよりニヘラっと顔が崩れていた。

 

「ふふ、阿僧祇くんご馳走様です。さて、馬に蹴られる前に私は退散するわね」

 

 妹の可愛い反応が見れて満足したのか真由美は二人からスッと離れる。

 

「ではでは、あとはごゆっくり~」

 

 そして、もと来た道を通って人混みの中へと消えていった。

 

「……」

「……」

 

 残された二人は真由美の姿を見送ったあとお互いの顔を見合わせ

 

「あの人、相変わらずの嵐っぷりだな」

「ふふっ。はい、相変わらずのお姉さまです」

 

 呆れ笑い合っていた。

 

 

 

 鳥居をくぐった二人は、手水舎で手や口を清め本殿に向かい参拝する為の列に並んでいた。三が日最終日ということもあってか参拝者が多く、本殿までは少し時間がかかりそうだった。

 

「そういえば、先輩なんで来たんだ? てっきり泉美一人で来るもんだと思ってたんだが」

 

 紅葉は泉美が振袖姿で来るだろうと予想して、なるべく近場の方がいいだろうと七草家から近い神社を選んでいた。しかし、実際は姉が同行していた。すぐ帰ったことや、真由美の格好が普通の外着だったので本当にただ連れてきただけだったようで必要なかったのではと思っていた。

 

「それは、その、悪い男性が近寄らないようにと」

「……あー。そういうことか。確かにこんな綺麗だったら、寄ってくる奴はいるかもな。それは俺の配慮が足らなかったな。すまん」

「へ?! いえ、あの、その、有り難う御座います」

「いや、なんで礼を言ってるんだ?」

「……綺麗って言ってくれました」

「……もしかしなくても、声に出てたか?」

 

 照れから俯いてしまった泉美とはコクンと頷き一つ。紅葉としては心の中で言っていた言葉だったがしっかり口から出て泉美に聞かれていたようで恥ずかしさから視線を空を仰ぎ逃げていた。

 

 

 

 お互いが受けた恥ずかしさも本殿が近付くにつれ薄れていた。

神前にある賽銭箱に賽銭を投げ入れ二礼二柏手一礼の作法で拝礼し終えて、今は本殿にあるお神籤売り場へと来ている。

 

「そういえば、去年は凶だったが俺的には良い一年だったな」

 

 神籤筒を片手で振りながら、去年の結果を思い出す。筒から細い棒が飛び出した。

 

「そうなのですか?」

 

 泉美は聞き返しながら、紅葉から受け取った神籤筒を振るう。

 

「そりゃ、生涯を一緒にいたいと思える人と出会えたからな」

「っ……」

 

 筒から出た棒を取ろうとした泉美だが、紅葉のセリフに動揺したのかつかみ損ねて落としていた。

 

「紅葉さん」

「いや、今のは俺悪くねーぞ。ほらよ」

 

 落とした籤棒を拾い上げ泉美に手渡す。その際、今度はしっかりと意識して言ったので自分に恥ずかしさはなく、変わりに赤くなっている泉美の顔が見れて満足していた。

 

「……いです」

「なんだって?」

 

 何かを呟いた泉美だが、小声すぎて聞こえなかった。

 

「なんでもありません。ほら、籤を見ますよ」

「へいへい」

 

 手を引かれるままに、受付からそれぞれが出した棒に書かれている番号と同じ籤を受け取る。

 

「ふむ」

 

 籤を開くとまず目がいくのが大吉、中吉、小吉などの文字だ。紅葉の籤にはしっかりと小吉と書かれていた。そのまま内容へと目を滑らせる。

 

「学問、ほどほどに。健康、突飛な病気に注意。金運、貯める意識大事。恋愛……」

 

 その項目に差し掛かった時、隣で同じように籤を見ている泉美を見ると、ある点をジッと見つめていた。なにをそんな熱心に見てるんだ?と籤を覗き込む。

 

「えっと『大好きな人とさらに距離が縮まる一年です。彼の魅力により惚れ込』」

「な、ななな、なにを見ているんですか?!」

「何って、泉美が熱心に見ていたところ」

「熱心になんて見ていません!」

 

 今日一の真っ赤な顔で否定を口にしてもまったく説得力がなくて、笑いがもれる。

 

「いやー、だいぶ良い事が書いてあるじゃないか」

「……」

「むくれんなって。可愛い顔が台無しだぞ」

「紅葉さんのせいです」

 

 ふいっと顔を逸らした泉美があまりにも可愛いくて思わず彼女の頭に手を乗せて優しく撫でていた。

 

「……これだけじゃ、許しません」

「じゃあ、どうしろと?」

「ずっと、一緒にいてください」

 

 見上げながら告げられた言葉に紅葉は

 

「ああ、ずっと一緒だ」

 

 笑顔を返した。




読んでいただきありがとうございます。


今年もよろしくお願いします


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正月IF(香澄)

 二〇九?年一月二日。

 新年が明けてから二日目。それぞれが家族などで過ごす中、第一高校から駅の間にある和菓子店『那由多』に何人かの姿があった。

 

「相変わらずの人混みだったな」

 

 座敷の奥に座る坊主頭の男子、籠逆龍善が疲れたと言わんばかりにだらけた調子でいると。

 

「仕方ないよ。ここら辺一帯に住んでる人はあそこに行っちゃうからね」

 

 その隣には綺麗な振袖を着た笠井彩愛が龍善ほどではないものの疲れた様子でいた。

 

「彩愛さん、お着物が汚れてしまいますよ」

 

 彩愛の前にコトッと緑茶を置いたのは艶やかな青を基調とした振袖を着た七草泉美だ。次いで龍善の前にも緑茶を置く。

 

「んー、私は安物だから大丈夫だよ。って泉美が手伝ってるの?!」

 

 彩愛は慌てて私がやるよと泉美が持っていたお盆をガシっと掴む。

 考えてみればわかる事だ。那由多は和菓子店ではあるが三が日が終わるまで休みとしている。今日は二日であるのだからもちろん休みになる。そうなれば本来いるはずの従業員もいないとなれば、お茶くみなど自分達でやるしかないのだと。

 それを泉美は率先してやっていた訳でなのだが、ニコリと笑ってお盆を離そうとしなかった。それには理由があった。

 

「いいえ大丈夫ですよ。お茶を持ってくるのはこれで全部ですから」

 

 そういって泉美はゆったりと座敷に腰を下ろした。その前にはいつの間にかお茶が置かれている。

 

「全部ってあいつらの分は?」

 

 座敷にあるテーブルには龍善、彩愛、泉美の三人分しかお茶は置かれていない。

 しかし、ここ那由多には彼ら以外にも人はいた。龍善はそいつらの分がないだろと言っていた。

 それは泉美もわかっている。だけど、今あの場に取りに行く気も、この二人を行かせる気もなかった。だから泉美は言う「あの二人なら自分達で持ってきますよ」と。

 

 

 

 

 

 

「んー、紅葉って相変わらず上手よね」

「そうか? 俺なんてまだまだだぞ」

 

 那由多のキッチンでなにやら作業している阿僧祇紅葉の隣でそれを覗き込んでいたのは七草香澄だった。

 紅葉は黒のタートルネックシャツにジーパンというラフな格好で那由多のエプロンを付けている。対して香澄は鮮やかな赤を基調とした振袖を着ていた。

 さて、紅葉が何をしているかと言うと、事前に用意していた材料でお汁粉を作り、それだけでは物足りないと思ったのかプラス一品に手を出し、形を作っているところだった。

 

「ボクだとこんな綺麗には作れないよ」

「まぁ、お前は菓子作りの前に料理の腕をイッで!?」

「う、うるさいな! この前のは食べれたでしょ!」

 

 香澄は失礼な事を言った紅葉の背中をバシッと勢いよく叩いていた。

 

「作業中に叩くな。あぶねぇだろ」

「ふーんだ。今のは紅葉が悪い」

「はいはい、悪ぅございました」

 

 いつものノリで叩かれた威力だったため紅葉には大してダメージはなかった。受けなれていない人には悶絶レベルなのだが、慣れとは怖いものである。

 

「で?」

「ん?」

「この前のボクの料理、美味しかったよね?」

「……さ、あいつらに持って行くぞ」

 

 紅葉は香澄の問を無視してお汁粉を入れる器を用意する。そんな彼氏の様子に香澄は拳を震わせ

 

「答えろー!!」

 

 再び紅葉の背中に平手を叩き落とすのだった。

 

 

 

 

「……今の音は?」

「いつものやつだろ?」

 

 バシーンと何かが叩かれる音と紅葉の悲鳴がキッチンから響いてきたことに龍善と彩愛は顔を向けながら音の正体にあれこれ言っている中、泉美はお茶を飲んでいる。

 

「(今年も特に変わりない一年になりそうですね)」

 

 自身の双子の姉とその彼氏のいつものやり取りからそんな事を思っているとキッチンからギャアギャアと騒ぎながら出てくる二人の声が近づいてきた。

 

「お前は、そのホイホイ出る手をどーにかしろよ」

「紅葉が失礼なこと言わなきゃいいんだよーだ」

 

 人数分のお汁粉がのったお盆を持つ紅葉と、薄ピンク色の和菓子を持った香澄が口げんかをしながらやってきた。

 

「あいつら懲りねーな」

 

 喧嘩するほど仲が良いとは言え新年明けぐらい穏やかになれないものかと龍善は思う。

 

「ま、二人らしくていいんじゃない? ね、泉美?」

「そうですね、二人が幸せならそれでいいと思いますよ」

 

 微笑みながら二人を見る。

 口では喧嘩しているが本気で怒っている様には少しも見えない。どちらかというと楽しんでいる様に見えた。

 

「……何笑ってんだ?」

 

 三人が待つテーブルに来た紅葉は三者三様な様子に訝しむ。それは香澄も同じだったようで、紅葉と似た表情だった。

 

「なんでもないよ?」

「なんで疑問型なのよ」

 

 彩愛のどもり解答に香澄はジト目で睨むと彩愛を庇うかのように龍善が紅葉の持つお汁粉を指差した。

 

「ほら、それよりも早く食べようぜ」

「そうだな」

 

 テーブルにお盆を置いて紅葉はそれぞれの前に慣れた手つきでお汁粉を置いていく。それに倣い香澄も和菓子を置いていく。

 

「香澄、手伝いありがとな」

「どーいたしまして」

 

 そして腰を下ろした香澄の前に言葉と共に品々を置く。

 

「そんじゃ、どーぞ召し上がれってな」

 

 

 

 

 今日の集まりがなんであるかは単純に友人達と初詣にきたというだけだった。ただ集まったのがお昼過ぎだった事もあり参拝が終わる頃には全員の小腹がすいていた。そこで紅葉が那由多の店長に連絡を取り那由多で休憩する事になったのだった。

 そして、お汁粉と和菓子が食べてなくなる頃、那由多の店長が店に来て面白そうな物を持ってきた所だった。

 

「店長さん、これは?」

「羽子板だな。知らないか?」

 

 テーブルには二個の羽子板と木製の小球である羽根、そして墨と筆が置かれていた。

 紅葉はこれが羽根突きに使うものだと知っている為、物について疑問などなかったが、紅葉以外の四人には見慣れない物だったらしい。

 

「昔の遊びだな。二人が向かい合ってこの羽子板を持って、羽根を打ち合う。そんで羽根を打ち損なって地面に落とすと顔に墨を塗られるってルールだ」

「えらく詳しいな紅葉」

 

 紅葉の分かりやすい説明に四人はすぐさま理解する事が出来た。

 

「まぁ、やった事があるからな」

「あー、あの時は酷かったな。あいつらに一方的にやられて顔が真っ黒になってたからな」

 

 店長が懐かしむのは数年前、数多家にて子ども達が羽根突きをしていた光景だった。

 

「へー、顔が真っ黒ねぇ」

「で、店長、なんでこれを持ってきた?」

 

 香澄が変なところに興味を惹かれているのを最大限に無視して、こんな先の展開が読めそうな物を持ってきた店長を問い詰める。

 

「なんでって、そりゃ面白そうな事になると思ってな」

「だと思ったよ、持って帰れ!」

 

 人の悪い笑みでのたまう店長に羽子板一式を押し付けようとするも、時すでに遅し。紅葉の手に羽子板は収まらずからぶった。

 

「紅葉、勝負だ!!」

 

 代わりに香澄の手に羽子板があり、やる気満々に紅葉に宣戦布告していた。

 

「だと思ったよ、ちくしょうめ」

 

 先の展開が読めた通りとなって紅葉はガクッとうなだれてしまった。

 

 

 

 

 那由多の裏庭で香澄VS紅葉が始まってから三戦目。

 

「また、負けた!」

「ほらほら、顔を差し出せ~」

 

 墨をつけた筆を持った紅葉は香澄の右頬にバッテンを書いていく。

 三戦とも紅葉が勝ち続けていたため、香澄のおでこと両頬にバッテンが書かれていた。

 

「もう、なんで勝てないのよ! もしかしてズルしてるんじゃないでしょうね!」

「ズルしようがねーだろうに」

 

 現代らしく魔法を使うという手もないわけではない。ただ紅葉としてはこの手の昔ながらの遊びに魔法を使う気にはならなかった。

 

「うー、もう一回!」

 

 このまま紅葉の全勝ではまったく面白くない香澄は羽子板でビシッと紅葉に向ける。香澄としてはやはり紅葉の顔に墨を塗りたいのだ。

 

「いいぜ、何回やっても負けねぇけどな」

「次こそ絶対に負かしてやるんだから!」

 

 香澄の言葉を受けると同時に挑発しておきながら紅葉はこのままずっと羽子板で勝負し続ける気はなかった。とはいえ香澄のことだから自分が勝つまでは諦めない上に、こちらが手を抜けばそれはそれで納得できずに勝負が続くだろうと予想できる。

 数瞬、頭の中でこの勝負をどう終わらせるかを考えて閃いた。

 

「……なら、次に負けたら顔に墨じゃなくて、勝者の言うことなんでも一つ聞くってのはどーだ?」

「……なんでも?」

 

 紅葉の突然の提案に香澄の威勢が少し削がれる。

 それはそうだろう、紅葉の顔が悪戯を思いついたような意地の悪い表情になっていたのだ。あの顔で何かを言われた時、香澄はだいたい恥ずかしい思い出しかなかった。

 

「そう、なんでも。まぁ、怖けりゃ勝負を降りても構わないかが?」

 

 ただ残念な事に、紅葉自身も自分が意地悪な表情をしている自覚があり、この顔で香澄に何かを言えば警戒される事はわかっていた。だから、警戒されても挑発すればいいだけとも知っていた。

 

「お、降りるわけないでしょ! やってやるわよ!」

「りょーかい。それじゃ勝負といこうか」

 

 こうして香澄は意地悪顔の紅葉から逃げることは叶わず、羽子板勝負が始まる。

 

 

 

 

 結果だけを言えば

 

「あーーーー!」

「はい、俺の勝ち~」

 

 紅葉の勝利であり

 

「そんじゃ、言うこと聞いてもらおうかね」

「わかったわよ。なにがお望──」

 

 観念した香澄がしょぼくれているところで紅葉は彼女の耳元まで近づき

 

「今日は帰さないからな」

 

 囁いた。

 その言葉を香澄の頭が理解すると、

 

「っっっ……紅葉のドスケベー!!」

 

 

 彼女は顔を真っ赤にして叫んだのだった。




香澄も恥ずかしがらせたかったんです。

最後の方、三人消えちゃいましたが、あの二人を生暖かく見ていたってことで。





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二〇九六年九校戦編
始動


 西暦二〇九六年六月一日金曜日。

 その日、第一高校生徒会役員は生徒会長である中条あずさから放課後に生徒会室へ集合するように各員にメールが送られていた。

 例外なく生徒会書記である阿僧祇紅葉(あそうぎこうよう)の端末にもメールは届いていた。

 

「気合い入ってんなぁ」

 

 この時期にわざわざ生徒会会長の命を使ってまで集合をかける程の案件など限られている。それがどんな案件か予想がついている紅葉は、本日最後の授業を終えた後、ゆっくりとした歩調で生徒会室のある四階に向かって歩いていた。

 

「何がですか?」

 

 その隣には紅葉と同じクラスであり尚且つ同じ生徒会役員である七草泉美が紅葉の呟きに対して聞き返しながら歩いていた。

 

「んー、まだ六月に入ったばっかだってのに、もう準備を始めようとしてんだぞ。どう見たって気合い入ってるだろ」

「あの、主語がないのですけど?」

「ああ、悪い。八月にある九校戦、全国魔法科高校親善魔法競技大会の準備が始まるんだよ」

 

 

 

「今年は例年よりも早いですが、本日から九校戦の各種準備を進めたいと思います」

 

 生徒会室に全役員が集まり、各自席に座っているのを確認したあずさは、そう言ったあとに大型スクリーンに九校戦の概要を表示させていた。

 全国魔法科高校親善魔法競技大会、通称九校戦は日本国内に九つある国立魔法大学付属高校の生徒がスポーツ系魔法競技で競い合う全国大会である。日本魔法協会主催で行われており、毎年富士演習場南東エリアの会場で十日間開催されている。

 

「会長」

「なんですか、司波くん?」

 

 スッと手を上げたのは副会長の司波達也だ。

 

「会長自身も仰っていますが、九校戦は八月ですから準備は七月からでも遅くはないと思います。なぜ、本日からなのでしょうか?」

 

 大会運営からの競技内容などの告知はだいたい一ヶ月前に行われる。その為、告知されるまでは競技内容がわからず、選手を選定することができない。だから、達也は早すぎないだろうかと聞いていた。

 いつもなら達也から質問されるとビクつくあずさだが、この質問は対策済みなのか臆することなく答え始めた。

 

「九校戦の成績が進路に影響があるのは知ってますよね?」

 

 あずさは一拍おいて、達也だけでなく他の役員、紅葉達の反応を伺う。皆が頷く中一人、泉美だけが小首を傾げていた。

 

「そうなのですか?」

「そりゃ、九校戦で活躍出来れば、優秀な魔法師であるのは間違いないからな。軍のお偉いさんやらも見にくるしよ」

 

 泉美の問いに答えたのはあずさではなく向かいに座っている紅葉だった。彼は二年前の九校戦に出場していたので、ある程度の事は知っている。九校戦の成績が進路に直結することは実技を重視する魔法科高校にとって、決して珍しい事ではない。しかし泉美は彼の言葉だけでは信じられないのか、正誤を判断してもらうようにあずさを見ていた。

 

「うん、阿僧祇くんの言うとおりだよ。いつもながらザックリしすぎてるけど」

 

 その視線を苦笑いで受け止めながらあずさは紅葉の言葉を肯定する。

 

「(うっさいわ)」

「わかりました。ありがとうございます」

 

 あずさの余計な一言に紅葉、泉美以外がクスっと微笑む。そして紅葉は内心で悪態をつき、泉美は納得してあずさに頭を下げていた。

 

「では、説明に戻りますね。九校戦の成績が進路に影響します。その為、定期試験以上に頑張ってしまう人が、毎年いるんです」

 

 今年の第一高校定期試験は七月九日から、九校戦が八月三日からと、定期試験は九校戦の前にある。しかし、九校戦に意識が行き過ぎて成績を落とす生徒が少なからずいるのだった。それをあずさは憂慮していた。

 

「だから、皆さんの熱意を無駄にしたくないので、出来る準備はしておきたいんです」

 

 達也をジッと見つめて、あずさは早く準備をしたい理由を言い切った。

 

「わかりました」

「へ?」

 

 それをポーカーフェイスのまま了承した達也の返事にあずさはポカンとしている。

 

「どうしました会長?」

「え、いえ、あの、ダメじゃないんですか?」

 

 どうやらあずさは達也からまだ色々と質問されると予想していたらしい。しかしあっさりと終わってしまった事に驚いていた。

 

「ダメな理由がありましたか?」

「な、ないよね?」

 

 その疑問系の答えは達也に向けてではなく、達也以外を見回して答えていた。それに達也以外は苦笑しながら首肯する。

 

「会長は心配性だから、早めの準備をしても問題はないでしょ」

 

 そこに紅葉が肯定する言葉を追加した事で、ようやく安心出来たのかあずさの顔から緊張感が抜けていった。

 

「それで会長、何から着手するのでしょうか?」

 

 その緊張感が抜けたあずさに質問したのはそれまで黙って状況を見守っていた深雪だった。ここで達也が質問しなかった理由は、あずさは彼と話す時少しばかり緊張してしまう節がある。そのため、緊張がなくなった今再び緊張させるのも少し気が引けた為、深雪にアイコンタクトで質問を任せたのだった。あずさは深雪ならば同性という事もあり、達也程緊張せずに会話できる。

 

「あ、はい。まずは競技種目の確認をしましょう」

 

 だから、深雪の問いに言葉がつまることなく答えられていた。

 

「はい質問」

「なんですか阿僧祇くん?」

 

 大型スクリーンに去年の九校戦の運営要項と行われた競技種目の一覧が表示されたところで紅葉が手を上げる。

 

「今年、競技が変わる可能性はないんです?」

 

 選手を選ぶ為に競技の確認をすると言うのはわかる。しかし、去年行われた競技のままではない可能性もあるため、そんな質問をしていた。

 去年行われた競技は

 スピード・シューティング

 クラウド・ボール

 バトル・ボード

 アイス・ピラーズ・ブレイク

 ミラージ・バット

 モノリス・コード

 計六種目。内、ミラージ・バットが女子限定、モノリス・コードが男子限定だった。

 

「九校戦は数年周期で一種目だけ変更する事が多いから、今年は変わるかもね」

 

 そう応えたのは五十里だ。彼の端末には過去に行われた九校戦の競技データが表示されている。ここ三年間の競技に変更がないため、今年変わる可能性があった。

 

「一種目だけですか。なら選手選びには問題ないですね」

「問題ないのですか?」

 

 紅葉としては一気に二種目以上変えられでもしたら、早めの準備が逆に無駄になると危惧していたが、五十里から一種目ぐらいと言われそれぐらいならカバー出来ると安堵した。しかし、それは大会全体のルールを知っているからこその考えであり、そのルールを知らない泉美からしたらそれは問題が大有りなのではと思ってしまうのはおかしなことではない。

 

「うん、問題はないかな。一人の選手が参加できる競技は二種目。つまり掛け持ちが認められてるんだ。仮に一種目変更されても適性があればそのまま起用できるし、なくても他の種目に出場してもらえる」

「なるほど、確かにそれならば問題はありませんね」

 

 五十里の説明で問題がない事を理解した泉美が説明した彼に頭を下げる。こうしてこの紅葉から始まった質問は終わったように見えたが、紅葉の頭にはあることが引っかかっていた。

 

「(大会ルールが変更されるなんてことはないよな?)」

 

 五十里による九校戦の説明は過去三年間分の大会ルールを元にされたものだ。この『一人二種目制限』が『一人一種目制限』に変わったら大打撃を受けるのは必至。しかし、と紅葉は頭を振る。

 

「(そこが変わるんだったら、今ぐらいに告知されるか。考えすぎだな)」

 

 大幅なルール変更を大会一ヶ月前にするとは考えられないと、自分の考えを否定した。

 その後、あずさが「他に質問はありませんか?」と聞き、全員が無いと示したことで彼女は改めて姿勢を正す。

 

「では、スピード・シューティングから確認していきましょう」

 

 こうして、第一高校の九校戦の準備が始まった。

 

 

 

 九校戦の準備が順調に進んでいる六月下旬、生徒会室には生徒会役員の他に部活連執行部会頭の服部と風紀委員長の花音の姿があった。

 選手の選定は生徒会が主導で行っているが、部活連執行部と風紀委員会に協力してもらっているため、この場に二人がいるのは今に始まったことではない。

 そして本日、話し合われているのは新人戦についてだった。

 

「モノリス・コードの選定方法を変える?」

 

 そう言ったのは紅葉だ。泉美も彼と同じような反応だが、二人以外には話がされていたのか達也達の反応は薄かった。その中から五十里が答える。

 

「うん、服部くんから提案があってね。新人戦のモノリス・コードだけ選定方法を変える事になったんだよ」

 

 従来の選定方法は生徒会で生徒の実力を見た上で、部活連会頭、風紀委員長と話し合いで決めていくものだった。今日まで本戦の競技と新人戦の他の競技はこの話し合いによって決められていた。そしてモノリス・コードの話に入った時、方法を変えると告げられたのだった。

 

「なんでモノリス・コードだけ?」

「それについては俺から説明しよう」

 

 紅葉の言葉に手を上げたのはあずさの隣に座っていた服部である。

 

「モノリス・コードは他の競技と違って三人一組の団体戦なのは知っているだろ?」

 

 モノリス・コードは三対三の団体競技である。敵陣営のモノリスを指定の魔法で割り、隠されたコードを送信するか、相手チームを全員戦闘不能にしたほうの勝利となる。

 

「それはまぁ知ってますけど」

 

 紅葉は知らない訳がないだろと呆れ顔になっていた。彼は二年前の九校戦に出場した経験があるという事でもあるが、すでに本戦のモノリス・コードの選定が終わっているのだ。その時に細かいルールを教えられていた。

 

「愚問だったな。モノリスはチーム戦だ。だから、一人一人の力よりもチーム力が大事だと思っている」

 

 それはそうだろうと紅葉は頷く。

 モノリス・コードは一人が突出して勝てるパターンはない訳ではないが、相手との実力の差が大きくない限りあまり起き得ない。そして新人戦なら実力は─十師族直系でもない限り─だいたい同じである。

 

「その為にもチームリーダを決める必要があると判断して、中条達と話し合った結果、勝ち抜き戦を実施する事になった」

「勝ち抜き戦?」

「ああ、モノリス・コードに適する部活と生徒会、執行部、風紀委員会から一年生一人を推薦してもらう。そしてトーナメントを行い勝ち残った者がチームリーダーとなるんだ」

「なるほど。で、残りの二名は」

「その中から選ばれるわね。お互いが戦う事で得意な戦法や魔法とかを見せる事になるから、チームリーダーとの相性がわかりやすいのよ」

 

 服部に変わって説明したのは五十里の隣に当然の如く座っていた花音だ。

 

「無駄がないですね。それで、いつやるんですか? さすがに試験前じゃないでしょ?」

 

 ただでさえ大掛かりな事をやるのだから、それなりの準備が必要となる。かと言って早めに一年生へ告知してしまうと、試験を疎かにしてしまう可能性が大いにある。

 

「うん、各部活の部長には事前に知らせるよ。一年生には試験が九日月曜から十二日木曜までだから金曜に告知して、土曜にやる事になるよ」

「うわぁ、知らないとは言えハードなスケジュールだことで」

「他人事のように言ってるけど、生徒会からは阿僧祇くんを推薦するからね」

「え?」

 

 まさに他人事だった紅葉があずさの言葉でピシリと固まる。それに合わせて、服部と花音はニヤリと笑い、五十里は苦笑いを彼に向けていた。

 

「あの」

 

 そんな上級生達が不敵な笑みを浮かべる中、恐る恐る手をあげたのはほのかだった。

 

「どうしました光井さん?」

「えっと、その、阿僧祇さんって新人戦に出れるんですか?」

 

 ほのかは紅葉は留年していて一年生とはいえ年齢的にはアウトではないのかと思っていた。しかし、それはすぐに否定される。

 

「問題ないですよ。九校戦は学年制限であって年齢制限ではないですからね」

「そうなんですか」

 

 ほのかが言葉で意外感を示している隣で泉美の顔にも驚きが現れていた。

 魔法科高校では様々な理由から留年やドロップアウトすることは珍しくない。その事から九校戦は仮に復帰できた生徒の為に在校していれば出場できるようにと年齢制限ではなく学年制限だけしていた。

 

「だから、阿僧祇くんは問題無く新人戦に出れるんです」

「何も今言わんでもいいでしょうに」

 

 ほのかが質問している間、再起動した紅葉はそう言いながら、一年生には試験後に告げるんじゃなかったのかとの意味を込めた睨みも付け加えていた。

 

「あまりにも阿僧祇くんが他人事のように言ってたから思わず。ごめんね。でも、阿僧祇くんなら、先に言っても試験で手は抜かないでしょ?」

「抜いていいなら抜きますけど?」

「ダメです。頑張ってください」

「へーい」

 

 紅葉から気怠げに返された言葉をあずさは苦笑いとともに「もう」と呟いて受け止めた。

 そしてその日以降も生徒会では選定戦のルールを決めたり、その他競技の細部を調整したりと試験直前にバタバタすることも無く、余裕をもって準備が整う見込みだった。

 今日、西暦二〇九六年七月二日月曜日、予想外の報せが飛び込んでくるまでは。




始まりました九校戦編。


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頼ってくれ1

 七月に入り一週間後に定期試験が控えていようとも、生徒会の活動はそんなものに関係なく行われる。とはいえ、今年はあずさが九校戦の準備を一ヶ月早めた為、例年に比べ役員に掛かる負担はむしろ軽減されている。そうでなくても紅葉は留年しているので試験はまだ(・・)復習範囲内で余裕だった。

 ともあれ、いつものように放課後、紅葉が生徒会室の扉を開けた直後。

 

「何もかもです!」

 

 あずさの悲痛な、それでいて呪詛にも似たような叫び声に思わず足を止めてしまった。これは入らない方がいいと嫌な予感を察知した紅葉は足を一歩後ろに引く。

 

「阿僧祇さん?」

 

 しかし、紅葉から少し遅れて生徒会室に着いた泉美が後ろにいたことでそれ以上、後ろに下がることはできなかった。

 

「どうしま……」

 

 中に入らない紅葉を不思議に思いながら彼の背中から中をのぞき込んだ泉美は最後まで言葉を言い終えることもできず固まってしまっている。それを内心固まるよなーと同意しながら横目で見ていると、生徒会室の中から見られているような気がした。そちらにゆっくりと目を向ける。視線の正体は五十里と達也から「逃げるな」と言われているようなものだった。逃げる事を諦めた紅葉はこの重い空気を漂わせている原因、全身から絶望感を放つあずさに視線を移す。

 そんなあずさは紅葉と泉美が来たことに気付かないまま愚痴を続けていた。

 

「開催要項、競技種目の変更を告げるものでした!」

 

 おとなしく─諦めて─紅葉は泉美と一緒に生徒会室に入り、四人─あずさ、五十里、達也、深雪─がいる生徒会長のデスクに近づく。紅葉は五十里の、泉美は深雪の隣についた。

 泉美はあずさの「なにもかもです」を聞いていない為、なぜこんなにも重い空気になっているのかわかっていない。説明がほしいところではあるがそんな空気ではなかったので黙って場を見守ることにした。そして紅葉は「なにもかも」+「開催要項、競技種目の変更」でどうしてあずさがこんなにも荒れているのかが見えてきていたが、まずは彼女が落ち着くのを待つことにした。

 

「……何が変わったんですか?」

 

 そんな荒ぶるあずさに紅葉よりも先に来ていた達也が聞き返す。ただ、彼も紅葉と同様に予想は大方ついていた。確かに競技変更の報せは悪いニュースだと思っている。しかし、競技種目の変更が起こる可能性はもとから視野に入れて準備してきた。だから、公式から変更されると告知されても問題なく対応できるだろうと思っていた。

 次のあずさのセリフを聞くまでは。

 

「三種目です!」

 

 あずさが悲鳴のような声で返した答えに達也も紅葉も予想を大きく上回ったせいで驚かずにいられなかった。

 

「スピード・シューティング、クラウド・ボール、バトル・ボードが外されて、新たにロアー・アンド・ガンナー、シールド・ダウン、スティープルチェース・クロスカントリーが追加されました!」

 

 全六種目の内、その半数が入れ替え。しかも外れた競技と追加された競技では必要となる魔法の種類がかなり異なる。

 

「(マジかよ。三種目は多いな。こりゃ、選考をやり直す事になるか)」

 

 驚きながらもそう結論づけた紅葉と、達也も同様のことを思っていたが、その結論は早計すぎた。あずさの回答はここでお仕舞いではなかった。

 

「しかも掛け持ちでエントリーできるのはスティープルチェース・クロスカントリーだけなんですよ! その上、アイス・ピラーズ・ブレイク、ロアー・アンド・ガンナー、シールド・ダウンはソロとペアに分かれているんです!」

「はあ?!」

 

 あずさは両手で机を叩いて力説する。その言葉に紅葉と達也は素で驚き、深雪と泉美はあずさの様子に圧倒され言葉を失っていた。

 

「(チッ。まさか、本当になるとは)」

 

 一ヶ月前に少しだけ思った事が実現するとは思わなかった。今更、過去を悔やんでも結果はかわらないとわかっている紅葉は、悔やむことをやめて思考を切り替える。

 

「達也先輩」

 

 力説し終えても息を荒げている生徒会長に五十里はお茶を出して落ち着かせている。その間になんと言ってなだめようか、と考えている達也へ、紅葉が声を掛けた。五十里ではない理由はあずさの世話を止めさせない為である。

 

「ロアーは小型ボートに乗って水路上の的を狙撃する競技で、シールドは盾を使った格闘戦ってのは知ってるんですが、スティープルチェース・クロスカントリーってわかります?」

 

 紅葉が二つの競技を知ってることには理由がある。シールド・ダウンは姉である双葉が一年生の時、ロアー・アンド・ガンナーは二年生の時の九校戦競技だった。二競技とも双葉は選手ではなかったが、彼女の友人がそれぞれ選手だった事もあり応援で見たことがあった。

 ちなみに二年生の時、シールド・ダウンが外され、クラウド・ボールが追加。三年生の時にロアー・アンド・ガンナーが外され、バトル・ボードが追加されている。

 

「知ってはいるが、その前に二つの競技の補足が必要だな。深雪や泉美は知らないだろうからな」

 

 「あっ」二人のことを忘れていた紅葉が彼女達の方を向くと、二人は想像が追い付いていない顔をしていた。

 

「すみません、お願いします」

 

 それから達也は深雪と泉美にロアー・アンド・ガンナーとシールド・ダウンの説明を終え、ようやく紅葉が知りたいスティープルチェース・クロスカントリーの説明に入った。

 

「スティープルチェース・クロスカントリーはその名の通りだな。スティープルチェース、つまり障害物競争をクロスカントリーで行う競技だ。障害物の設置された森林を走破するタイムを競う。本来は軍事訓練の一種で、障害物には物理的な自然物の他、自動銃座や魔法による妨害も用いられる」

「軍事訓練かよ」

「随分ハードな競技ですね……」

 

 紅葉の呟きと深雪が漏らした素直な感想に、達也は眉を顰めて頷いた。

 

「先の二つならともかく、スティープルチェース・クロスカントリーは高校生にやらせるような競技じゃない。運営委員会は何を考えているんだ?」

 

 詰るように達也が呟く。そこにようやくあずさを落ち着かせた五十里からとんでもない情報が追加された。

 

「しかもスティープルチェースは二年生、三年生なら男子も女子も全員エントリー可能。実質的に一年生以外全員参加だね」

「……余程しっかり対策を練らなければ、ドロップアウトが大勢出ますよ」

 

 達也の言うドロップアウトは、競技からの落伍者ではなく魔法師人生からのドロップアウトだ。その可能性には思い至っていなかったのだろう。

 

「そんな……」

 

 落ち着いていたあずさは達也の言葉に再び絶望感を漂わせる呻き声を上げて再び机に突っ伏した。

 

 

 

 生徒会長が機能しなくなって十分。

 最初は突っ伏したあずさに紅葉達がそれぞれ言葉をかけていたが、聞く耳持たずな貝と化した彼女の顔が上がる気配はなかった。さすがにこのままでは本日の生徒会活動に支障をきたすとのことから、あずさの説得(?)は五十里に任せて紅葉達は仕事に取り組んでいた。

 しかしながら紅葉の意識は目の前の仕事には向いていない。視界の端には奮闘している五十里が映っており聴覚もそちらに寄っていた。

 

「スティープルチェース対策もきっとなんとかなるって! だから、ねっ、中条さん。今は──」

 

 そんな、あずさを任された五十里は今、彼女の後ろに回り込み、せめて自分の世界に閉じこもっている状態だけでも解消させようと肩を優しく揺すっているところだった。

 紅葉はその様子から疚しさなど一切感じないのだが、見る方向によってはそうでもないらしい。

 

「──啓?」

 

 五十里は背後から掛けられた冷たい声に凍りついた。その声に紅葉だけでなく達也達も声のした方に目が向く。

 

「……花音?」

 

 五十里がぎこちない動作で風紀委員会本部に続く階段の方へと振り返る。そこには予想どおり、彼の婚約者が笑いながら、こめかみに青筋を浮かべて立っていた。

 

「け~い~。中条さんに覆い被さって、一体何をするつもりだったのかな~?」

 

 どうやら花音の目には五十里が堂々とあずさを襲っているように見えたらしい。その真実味のない笑顔から彼女の心情は実に分かり易いものだった。

 

「ち、違うよ花音! 誤解! 誤解だよ!」

 

 分かり易いからこそ、五十里は焦っていた。花音の心情を今日中に解消させないとズルズルと尾を引いていくのが目に見えていたのだ。五十里の意識は完全に花音に向いていた。

 さて、数秒前まで五十里の意識が向けられていたあずさはと言うと、花音の矛先が自分に向けられないように避難していた。

 

「ちょっ」

 

 避難先は紅葉の後ろ。あずさは彼を盾にして身を隠している。それに紅葉は小さく声をかけた。

 

「こっち来ないでくださいよ」

「……」

 

 無言で横に首を振るあずさ。すかさず紅葉は救援を求めるように泉美に目を向けるが、彼女の視線はわざとらしく端末に張り付いていた。

 

「(このやろ、わかってて無視してんな。チッ、達也と深雪も同じかよ)」

 

 達也と深雪も自分達の仕事に集中しているふりをしていて紅葉を見ようとしなかった。救援は望めないと諦めて後ろを見る。そこには変わらずに縮こまっているあずさがいるのみ。紅葉は誰にも気付かれない程小さくため息を吐いて、自分の携帯端末を取り出す。そして、ある人物にメールを送った。

 




今回は三年生中心。


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頼ってくれ2

「阿僧祇と中条だけか。他はどうしたんだ?」

 

 紅葉がメールを送って呼び出した人物は、部活連執行部会頭の服部だった。彼のもとに送られてきたメールの内容は『中条壊れた。ヘルプ』と実に簡単で意味のわからないモノな上に紅葉から送られてきたと言うこともあり無視したかった。しかし、『中条壊れた』というワードが気になって執行部での仕事を終わらせてから生徒会室に足を運んでいた。

 生徒会室に入ると待ってましたと顔を明るくする紅葉と、しょぼくれたままのあずさの二人だけがいた。そして、冒頭のセリフとなる。

 

「達也達と泉美は今日分の仕事が終わったから帰ったよ。五十里の奴は千代田に連行されたまま帰ってきてない」

「……」

 

 違和感に服部は訝しむ。二年生を達也達と一括りにしたのはわかる。泉美を分けて言ったのだから。五十里が千代田に連れて行かれたのも意味はわからないが居ない理由としてわかる。では違和感の正体は?と考えるまでもなく服部にはわかっていた。

 

「……ひとついいか?」

「どうぞ」

「後輩設定はどうした?」

 

 そう、紅葉の口調から敬語が消えていた。さらに言うなら、態度からも後輩らしさが消えている。

 

「設定言うな。実際、後輩だろうに。……まぁ、今日この場に限っては普通の方がいいと思ってな」

 

 そう言いながら紅葉はあずさの方を見た。釣られて服部も彼女の方を見る。

 

「中条、どうしたんだ?」

 

 服部が来てから一度は顔を上げたあずさだが、それもすぐに伏せられていた。そんな彼女に声をかけるも顔があがる気配がないばかりか逆にもっと縮こまっていく。これが『壊れた』という意味かと紅葉に目を向けると、彼は肩をすくめていた。

 

「順を追って説明する。という訳で、俺達三人しかいないんだ。これでいかせてもらうぞ」

 

 紅葉としてもあずさがこのままの状態でいるのは見過ごせなかった。放置すれば数日はこのままだったり、最悪な事態になる可能性もあった。そうならない為に服部を呼び、達也達には帰ってもらい、紅葉自身は後輩ではなく同い年として居ることで、あずさに遠慮なくモノを言える場を作ったということだった。

 

 順を追って、大会要項と競技内容変更を説明された服部の顔は苦虫を噛み潰したかの様に歪んでいた。

 

「それは、とても悪い報せだな」

「だろ。さすがに変わり過ぎだよな」

 

 一気に説明した為か、紅葉は水の入ったコップを持ちこれまた一気に飲み干している。

 

「変わったモノは仕方がない。しかし、これは全てとはならないが選考をやり直すことになるか」

 

 服部の言葉に紅葉が説明している間、微動だにしなかったあずさがビクッとした。

 

「……」

「……」

 

 紅葉と服部の視線があずさに向けられる。その視線を感じ取ったのか彼女はより小さくなっていった。

 

「おーい、中条。もう、生徒会室(ここ)には俺と服部(こいつ)しかいないんだ。思ってること言えって」

 

 一向に顔を上げないあずさに紅葉は少しばかり口調が荒くなる。

 

「お前はもう少し言い方をだな──」

「私が早めるなんて言わなければ良かったんです」

 

 紅葉の荒れ言葉を服部が諫めようとした時、あずさが下を向いたまま口を開いた。

 

「……」

「……」

 

 それを二人は黙って聞く。

 

「毎年のように、公式発表があってから準備を始めれば良かったんです。それなのに、私が臆病だから早く安心したくて……」

 

 あずさの弱々しい独白が続く間、彼女は俯いたままだったため紅葉が席を立ったことに気付けなかった。

 

「皆の為にって理由を付けて、勝手に早めたから、罰が下ったんです。これは私の責任です。だから、責任を取って私は生徒会長を辞めゆぅ?!」

 

 意を決して顔を上げたあずさを襲ったのは脳天からの衝撃。思わず両手で頭を抑えながら後ろを振り向くと、そこには怒った顔で手刀を振り下ろした形の紅葉が立っていた。

 

「予想通りの言葉をありがとう中条」

 

 紅葉は何もチョップする気満々であずさの後ろに控えていたわけではない。あまりにもネガティブな発言があった時だけ、チョップしようと決めていた。

 

「な、なにをするの阿僧祇くん!?」

「なにって、チョップしてやったんだよ」

「人の頭にチョップしといてなんでえらそうなの!!」

 

 それまで弱々しく話していたのが嘘のようにあずさは声を大にして紅葉に食ってかかっている。その様子に服部は笑っていた。

 

「服部くん笑わないでください!」

「悪い。昔を思い出してな」

「昔ってたった二年前だろうに」

 

 服部は自分達が一年生の時、紅葉があずさをからかい、自分が仲裁に入っていたことを思いだし懐かしんでいた。

 

「そうだったな。さて、話が脱線したが、中条落ち着いたか?」

「うっ」

 

 その言葉にあずさがピタリと止まる。

 

「落ち着いたと言うか、頭に刺激入ってさらに大声出したんだ。ちょっとはスッキリしたろ?」

「う~」

 

 続けて言われた紅葉の言葉に、その通りだと思ったあずさだったが手のひらで転がされている感じがして素直に言葉を返せず唸っていた。その様子を見て、ケラケラ笑いながら自分の席に戻った紅葉は頬杖をつきながら話し始めた。

 

「で、なんだっけ? 責任を取って生徒会長を辞めるだっけか? そんなもん却下に決まってるだろうが」

「なん「ああ、それは俺も同感だ」服部くん?!」

 

 あずさの言葉に服部がわざと言葉を被せる。あずさの意識が紅葉から服部に向かう。

 

「そもそもこれは中条だけの責任じゃない。準備を早くやることに俺や千代田も同意したんだ。俺達にも責任はある」

「でも、私が言い出さなければ」

「たらればの話に終わりはないぞ」

「っ」

 

 紅葉の指摘にあずさは言葉が詰まる。

 

「中条、一人で気負わないで俺達を頼ってくれ。九校戦は一人で戦うんじゃない生徒全員で戦うんだ。それはわかっているだろ?」

「……わかって、ます。でも、怖いんです。皆から不満が出るだろうし、スティープルチェース・クロスカントリーに出場した人がドロップアウトしてしまうかもしれないと思うと怖くて……怖くて」

 

 ここでようやく二人はあずさの本音を聞くことができた。競技種目変更における再選考に対する事に悩んでいると思っていた紅葉と服部だが、スティープルチェース・クロスカントリーの事まで悩んでいるとは思ってもいなかった。

 

「……不満は出るだろうが、説明すればわかってくれる奴らだろ?」

「そうだな。説明する際は必ず俺が同席しよう」

「それ、あたしも付いて行くわよ」

 

 突然割り込んできた言葉に三人は驚きながらも声のした風紀委員会室への直通階段へと目を向けていた。そこには疲れきった顔の五十里とすっきり顔の花音が上がってきたところだった。

 

「千代田さん、聞いてたんですか?!」

「聞くつもりはなかったんだけど、上がってきたところでちょうど聞こえちゃって。ごめんなさいね」

「い、いえ、私の方こそ──」

 

 花音があずさに近づいて話しかけている時、五十里は紅葉の方に向かっていた。それを紅葉は苦笑いで迎える。

 

「お疲れ。誤解は解けたか?」

「うん、なんとかね」

「詳しくは聞いていないが、大変だったみたいだな」

「今回はちょっと骨が折れたよ」

 

 二人から言葉をかけられた五十里は、言葉少な目に返答して自分の席に深く腰掛けていた。その様子に二人は深く聞くのはやめようと思うことにした。

 

「服部、説明は試験前にするべきよね」

 

 そんな五十里から顔を逸らした時、あずさとの会話の延長線なのか花音が話を振ってきた。それに驚く事なく服部が即座に応じる。

 

「ああ、それは早い方がいい。中条、明日からはどうだろうか?」

「え、あ、はい、明日から大丈夫かと」

「なら、今日の内に説明する順番考えましょう。閉門までまだ時間あるしね」

「そうだな」

「……」

「どうした中条?」

 

 花音の登場によって有耶無耶になってしまっているが、あずさの不安が完全に拭えている訳ではない。しかし、服部や花音の言動で心が軽くなっているのをあずさは感じていた。だから彼女は数時間ぶりに暗い気持ちから解放され、この場にいる四人に向かって頭を下げていた。

 

「皆さん、ありがとうございます」

 

 その言葉に紅葉と服部はあずさの気持ちが少しだけでも晴れたように感じて取れて、自分達の気持ちも落ち着いていく。

 

「礼を言われる事じゃないさ。そうだろ千代田?」

「そうそう。そういうのは全部終わってから言いましょ!」

「千代田にしちゃ良いこと言うわー」

「花音は優しいからね」

 

 それから四人は閉門ギリギリまで話し合いをしてから下校したのだった。




頼ってくれ終了。


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疑惑1

 魔法科高校を困惑と混乱の渦に放り込んだ通達から、一夜明けた七月三日、火曜日。

 大会の公式サイトに詳細が公表されたことを受けて、競技種目に関係のあるクラブでは一喜一憂する生徒が大量発生した。そして当然のように、生徒会は問い合わせの嵐に襲われた。しかし、前日に服部達三年生(一人一年生)のおかげで、あずさの復活に成功したことにより競技から外された種目に出場予定だった生徒が所属するクラブの部長に対する事情説明の内容や手順、選手の再選考案、さらに新競技に必要な器具の手配などの確認が話し合われた為、問い合わせにはスムーズに対応することができていた。だからと言って疲れがないわけではない。この日、校門を出た時には、生徒会役員の全員が疲れきった顔をしていた。

 

「だー、づがれだー!」

 

 寄り道もせずに帰宅した紅葉は着替えないまま自室の畳にダイブしていた。そしてゴロンとうつ伏せから仰向けになる。目に映るのは見慣れている天井。

 

「今日で説明はひと通り終わったし、明日から選手の再選考。そんで来週から定期試験で終わったら、モノリスの選抜戦か」

 

 よっと足を上げて振り子の要領で上体を勢い良く起き上がらせる。

 

「やる事は山積みだが、再選考案はだいたいまとまってるから問題なし」

 

 今日は事情説明で一日が終わってしまったが、生徒会が始まる前に役員全員に前日に話し合われた内容は伝えてある。その中に選手の再選考案も含まれていて事情説明が始まる前の少しの間であずさ達と達也が話し合う時間があった。

 

「そうか、選抜戦前に試験か。ある意味有り難いな」

 

 定期試験には魔法理論の記述式テストと魔法力(処理能力・キャパシティ・干渉力)を見る魔法実技テストの二つがある。この二つで紅葉が有り難いと評したのは魔法実技の方だった。

 

「それなら真面目にやるか」

 

 紅葉は魔法実技の授業を真面目に受けていない。それはまだ復習範囲内であるためなのだが、他にも原因がある。現在、紅葉が魔法実技で用いる系統魔法を使うためには相当な集中力が必要となる。それは彼が魔法を発動する為のシステムが普通の魔法師と違う事に起因している。

 普通魔法を使う場合、想子(サイオン)をCADに流しそこから起動式を受け取る。その起動式を自らの魔法演算領域で受け取り変数などを設定することで魔法式が構築される。そしてイデアに魔法式が投射されエイドスの書き換えが行われ、魔法が発動したことになる。しかし、紅葉は系統魔法を発動させる為のCADをずっと意識し続けなければならないのだ。通常はCADを装備・装着して軽く認識するだけでそのCADに想子は流れ込むのだが、彼の場合そうはならない。使うCADを意識し続けていないと、想子はそのCADに流れ込まずに別の場所に流れ込んでしまう。このことから、紅葉が系統魔法を使う為にはCADを意識し続ける集中力が必要となっていた。

 その集中力を得る感覚を定期試験でウォーミングアップしてしまおうと決めたのだった。

 

 

 

 七月四日水曜日~七月六日金曜日までは、選手の再選考が行われた。

 そして本日、七日土曜日、競技の練習が再開となった。月曜日から定期試験だが、その前に一度は新代表で練習をしておこうという事となったのだ。特に新種目のロアー・アンド・ガンナーとシールド・ダウンは、競技のイメージを掴む為に模擬戦をやってみようという話になった。

 シールド・ダウンの方は運動場に急ごしらえのリングを男女各一つずつ作っている。ロアー・アンド・ガンナーの練習はバトル・ボードの水路をそのまま使い、的はバイアスロン部と狩猟部から調達して、そこで放課後早々から模擬戦が始まろうとしていた。

 

「おー、こうなってんのか」

 

 シールド・ダウンには達也と服部が行っている為、紅葉はロアー・アンド・ガンナーの手伝いに来ていた。

 ロアー・アンド・ガンナーは、ボート上から水路に設置された的を破壊しながらゴールするタイムを競う。ペアは一人がボートを走らせ、一人が的を撃つ。ソロはこれを一人で行われる。的は水路の脇と頭上に設置され、水上をミニチュアボートの標的が走り回る。この的を制御するシステムを五十里が作って、現在その動作確認をやっているところだった。

 

「阿僧祇くん、僕が的のカウントをするから、タイムの記録をお願いしてもいいかな?」

 

 その動作確認がちょうど終わったのか五十里は制御端末から目を離して、紅葉にあっちとジェスチャーと共に指示を出す。

 

「りょーかいしましたー」

 

 その指示を軽い言葉で応えながら、簡易テーブルに置かれていたストップウォッチと記録用のタブレットを手に取り、スタート地点に向かう。そこには数名の男女がウェットスーツ姿でそれぞれウォーミングアップや雑談をしながら始まるのを待っていた。紅葉は代表選手が全員いるか確認するためにタブレットに目を向けたその時、

 

「なんで、阿僧祇がここにいるのよ」

 

 聞いた事のある声が彼の耳に届いた。その声は姿を見なくても誰なのかわかる。だから、声のした方へ振り返りながらいつも通りに軽口で言葉を返したのだが、

 

「香澄か。なんでって、タイム計る……ために……」

 

 その言葉が最後まで紡がれる事はなかった。振り返った先にいたのは紅葉が思っていた通り、七草香澄である。それだけならば、紅葉はいつも通りに言い切っていただろう。そうならなかったのは、香澄が普段の見慣れている制服姿ではなく、ボディラインがはっきりと出るウェットスーツ姿だった。てっきり制服姿だと思っていた紅葉は思わぬ姿な香澄に面食らってしまったのだ。

 

「……なによ」

 

 そんな固まっている紅葉に香澄は腕組みをしながらジト目を向ける。彼女は彼女で紅葉が固まった理由に気づいていない。

 

「ん、ああ、いや。なんでもない。そう言えば香澄はロアガンの代表に選ばれてたな」

 

 それを良いことに視線をゆっくりと香澄から外しながら何でもない風を装うが、顔が少し赤くなっていた。

 

「怪しい。なんでさっき固まってたのよ」

「(目の保養になってた、なんて言えるかっての)」

 

 年が離れているとはいえ、たった二歳差である。しかも香澄は行動自体は荒いが見た目は美少女である。そんな彼女のウェットスーツ姿を一瞬とはいえ紅葉は扇情的に見てしまったのだ。

 ズズイと寄ってくる香澄に、内心毒づきながらゆっくりと後退する紅葉。そんな彼に思わぬ助け船が現れた。

 

「点呼しなくていいの阿僧祇くん?」

「ん?」

「むっ」

 

 顔だけ振り向くとそこにはウェットスーツ姿の男子生徒が笑顔を浮かべて立っている。

 

「歌倉……先輩?」

「や、久しぶりだね」

 

 その男子生徒は紅葉の二年前のクラスメイトであり、現三年生の歌倉 宗一郎(うたぐら そういちろう)だった。紅葉は危うく呼び捨てになるところをなんとか誤魔化す。改めて身体ごと宗一郎に向けると、後ろから香澄が肩をツンツンと突っついた。

 

「ねぇ、阿僧祇。だれ?」

「三年生の歌倉宗一郎先輩。一応知り合いだな」

「一応とは酷いな。初めまして、七草さん。歌倉宗一郎です。一応、彼の友人です」

 

 にこやかな笑顔から苦笑いに代わり、また笑顔になるとコロコロ表情が変わる宗一郎を見て紅葉は前にも思ったがやっぱり変わったなと思っていた。

 

「は、初めまして七草香澄です」

 

 知らなかった事が失礼だと感じたのか香澄は少し縮こまってしまう。それを見た宗一郎はまた苦笑するが特に気にする事はなく紅葉に目を向けた。

 

「みんな、準備出来てるよ。たぶん全員いるとは思うけど、点呼した方がいいかな」

「あー、すみません。それじゃ、はーい皆さんちゅうもーく! 生徒会の阿僧祇です──」

 

 宗一郎の助言から、即座に行動する紅葉。手を挙げ集まっていた代表選手の視線を集め、点呼と説明を始めたのだった。







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疑惑2

※今話で登場するオリキャラ二名は書き直した入学式3に登場しています。


「生徒会の阿僧祇(あそうぎ)です。今日の試走で俺がタイムを計りますんで、よろしくです」

 

 宗一郎の助け船によって香澄から逃れられた紅葉は、手を高々と上げて水路前に集まったロアー・アンド・ガンナーの代表選手達の視線を集め、自分の名前と役割を一気に告げていく。

 

「では、全員いるかどうか点呼を……とり……たいと……」

 

 そのまま、ザッと周りを見回しながら点呼に移うろうとしたのだが、彼の目はある場所で言葉と共に止まってしまった。その顔はなんとか引きつりそうになるのを我慢しているようにも見える。

 目が止まった先にいたのは、背が高く肉付きのいい男子とセミロングの黒髪にスレンダーな女子の二人。男子の方は少しばかり苦笑いになっているが、紅葉の顔を引きつらせている原因ではない。原因になっているのは女子の方。その女子は愉快そうに笑っていた。

 

「(そうだった。あいつら、ロアガンの代表だったな)」

 

 紅葉はタブレットを持っていない方の手を顔に当て気怠げに頭を振る。

 

「阿僧祇?」

 

 その様子を彼の後ろから見ていた香澄が不思議そうに声をかけていた。

 

「あー」

 

 香澄の声の他に別の生徒からも言葉が止まった事に対する疑問の目を向けられ、紅葉はこれ以上怪しまれるのを避けようと何事もなかったかのように二人からタブレットに目を落とした。しかしそこに表示されている名簿を見てまた顔が引きつっていく。幸いにも香澄は自身の後ろにいたため、顔を見られることはなかったが、愉快そうに笑っている女子の笑みはよりいっそう増し、他の生徒の疑問は深まっていった。

 さて、苦笑いをしている男子の名前は柊 蒼真(ひいらぎ そうま)。笑っている女子は久我原 黄泉(くがはら よみ)と言う。

 二人とも紅葉の二年前のクラスメイトであり、今年の入学式後に行われた復学祝いパーティーにも参加していた生徒である。

 

「ふふふ、驚いてる驚いてる。見た蒼真? あの間抜け面」

 

 その笑っている女子、黄泉は紅葉の様子をずっと見ていた。それはもう心底楽しそうに笑っている。彼女はこの水路に紅葉が来たのを見つけた時から今まで気付かれないように目で追っていたのだ。それは紅葉が自分に気付いた時の驚いた顔をしっかり見てやろうと思ってのこと。実に意地が悪い。

 

「笑いすぎ」

 

 そんな周りを気にせず今にも爆笑しかかっている黄泉を彼女の隣にいる蒼真が静かに窘める。

 

「いいじゃないこれぐらい。あいつ、私を見かける度に無視してたんだから」

「それはあいつが不要な接触はしない言ってたからだろ」

 

 蒼真の言葉は紅葉が復学祝いパーティーの最後の方で言っていた事だった。

 

「あの時あいつが言ってたのはクラスに行く行かないであって、会わないって訳じゃなかったわよ。なのにあいつときたら、目を合わせば背けるし、声をかけようとすれば逃げるしで、もう無視しまくりよ!」

「(それは、まぁ、仕方がないことだと思うが)」

 

 プンスカプンスカ怒っている黄泉から視線を外して明後日の方を見上げる蒼真はそんな事を心の中で呟いていた。

 二年前、紅葉、蒼真、黄泉が一年生の時、三人の中で一番トラブルを起こすのが黄泉だった。その黄泉を抑えるのが紅葉であり、トラブルを解決するのが蒼真の役割になっていた。そのため、紅葉と蒼真に共通認識として、黄泉が動く=面倒事が起こるとなっていた。

 だから紅葉は校内で黄泉を見かけた時、全力で声をかけられないようにしていたのだろうと蒼真には容易に想像できていた。

 

「蒼真、今失礼な事を思わなかった?」

 

 そんな想像をしている蒼真の心中を読み取った黄泉がジト目で見上げてくる。

 

「気のせいだ。それよりも黄泉。あいつ、お前を飛ばしたぞ」

「え?」

 

 そんな黄泉の横に手を伸ばして、紅葉を指差す蒼真。それに併せて黄泉も身体ごと紅葉の方を向くと

 

「えーっと、男子ペアの歌倉先輩はさっきいたから、森崎先輩いますかー?」

「いるぞ」

「はい。では次は女子ペアの国東せんぱ──」

 

 それはもう見事に黄泉を飛ばして、点呼を取っている紅葉がいるではないか。

 

「ちょーっとまったー!」

 

 まさか飛ばされるとは思ってもいなかった黄泉はすぐさま声をあげ、紅葉の目の前にまで駆け出ていく。

 

「──(チッわざわざ出てくんなよ)なんです久我原先輩? 先輩方はイチャイチャしてる間に呼び終わりましたよ」

 

 内心の舌打ちと悪態を隠そうともせずに嫌な顔をする紅葉。

 実際のところ、彼は黄泉を飛ばしてはいない。ただ、呼んだ時に余計な事を言われたくないと思っていたので、蒼真と黄泉が顔を合わせて何かを喋っているのをいいことに小声で名前を呼んで済ませていただけだった。

 

「呼ばれたとしても私、返事してない!」

「はいはい。じゃあ、久我原先輩いますねー」

「もうちょっと敬う言い方しなさいよ後輩!」

「(ああ、殴り……面倒くせぇ)」

 

 目の前で騒ぐ黄泉を殴りたい衝動に駆られる紅葉だが、なんとか我慢して顔を引きつらせるだけに留まらせる。

 

「ちょっと!」

「……」

「何か言いなさいよ!」

「……」

「あーそーうーぎー!!」

「……(殴って黙らすか)」

 

 しかし、そんな反応をしている紅葉を見るのが久しぶりな黄泉は、止まることなく煽り続けていく。対して紅葉は我慢が限界に達しそうだったが爆発する手前で二人に声がかかった。

 

「はいはい久我原さん、阿僧祇くんの邪魔しちゃダメだよ」

 

 そう言いながら近づいて来たのは紅葉の後ろにいた宗一郎だ。

 後ろから紅葉と黄泉のやり取りを見ていた宗一郎はこのままじゃいっこうに進まない、むしろより面倒になると思ったので黄泉を止めるべく動いたのだった。

 

「邪魔なんかしてないわよー、ただ──」

 

 紅葉に食ってかかっていた黄泉は一旦止まり、宗一郎に言い訳を言おうとして最後まで言えなかった。それは、宗一郎に合わせてもう一人動いていたから。

 

「黄泉、騒ぎすぎ」

 

 そう言って、黄泉の後ろにピッタリとついたのは蒼真だ。そのまま有無を言わせず彼女の両脇に腕を差し入れ羽交い締めにする。

 

「ちょっ、蒼真?!」

 

 突然の事に驚く黄泉を無視して蒼真は紅葉に軽く目礼をした。

 

「すまんな阿僧祇。邪魔をした」

「えぇ、さっさと連れ去ってください」

 

 そしてズルズルと黄泉を紅葉から引き離していく。

 

「聞いた蒼真!? やっぱりあいつ、一発殴らないとダメみたいよ!」

「はいはい、あとでな」

 

 そんな引きずられながらも黄泉は、紅葉の発言が気に食わなかったためジタバタと暴れるが、それを蒼真はサラッと流しながら二人はもと居た場所へと戻っていった。

 

「(おいこら、後でも殴られねーぞ)……ハァ。ええっと、次は女子ペアだったか?」

 

 蒼真の聞き捨てならないセリフに内心で拒否をしつつ紅葉は、一息ついてタブレットに目を落とした。その口調は黄泉を相手にして疲れたためか素になっていたが

 

「そうだよ、国東さん達だね」

 

 幸いにも宗一郎にしか聞こえておらず、周りには気にした様子はなかった。

 

「じゃ、すみません。女子ペアの国東先輩と明智先輩は──」

 

 宗一郎の肯定に紅葉はやっと点呼に戻る事ができた。

 それからは特に妨害されることはなく、代表選手が全員いることが確認し終え、ようやくロアー・アンド・ガンナーの試走が開始することとなる。

 しかし、紅葉には一つの疑問が生じていた。それは最後の点呼になる新人戦女子ペアの二人、香澄を呼んだときすぐに返事がなかったのだ。

 後ろにいるのはわかっていたので、振り返って見るとなぜかむくれっ面で睨まれていた。紅葉は睨まれる理由が宗一郎の助けで逃げた事かとも思ったが、それならむくれっ面になっている理由がわからない。

 結局、わからないまま再度香澄の名前を呼ぶと「なによ」とブスッとした返事だけが返ってきたのだった。下手に刺激するのも面倒と思った紅葉は、疑問を晴らすのは二の次にして、練習を始めることにした。

 

 香澄がそんな顔になった原因は少し時間が遡る。

 宗一郎が黄泉を止めに動いた時、宗一郎と入れ替わるように香澄の隣に他の女子生徒が現れていた。

 

「阿僧祇くんって、上級生の知り合い多いよね~」

彩愛(あやめ)

 

 彼女の名前は笠井 彩愛(かさい あやめ)

 ロアー・アンド・ガンナーで香澄とペアを組む一年生である。彩愛は香澄と同じクラスで入学してからすぐに仲良くなった友達だ。その為、香澄経由で何度か紅葉とも話したことがあった。初めて話した時の目的は紅葉ではなかったのだが。

 

「やっぱり生徒会役員だからかな?」

「そうじゃない? あいつ、なんだかんだで仕事はしっかりやってるみたいだしね」

 

 これは香澄自身が紅葉の生徒会活動を直に見た訳ではなく、双子の妹である泉美からもたらされる情報であった。

 少し前─正確には七草の双子VS七宝戦前─までは、夕食後の雑談に紅葉が話題になることは少なかったのだが、七宝戦後に少しずつ話題になる率が高くなっていた。とは言え、内容はそれぞれの愚痴の類になることが多いようだ。

 

「そうだよね~。生徒会に居れば会頭や委員長とも仲良くなれるんだろうなぁ。ちょっと羨ましい」

 

 彩愛が羨望の眼差しを紅葉に向ける。それを見ながら香澄の頭には疑問符が浮かんでいた。

 

「いや、彩愛。いくら生徒会役員でも、そんなすぐに会頭や委員長と仲良くなれないと思……」

 

 ただでさえ風紀委員である自分自身が風紀委員長である花音に親しく接する事が出来ていないのに、紅葉が先に親しくなるわけ、とまで考えてあれ?と思い直す。

 

「香澄?」

「(確か、和菓子店に行った時、委員長も五十里先輩も一緒に行ってたっけ?)」

 

 恒星炉実験の練習帰りにあずさ、花音、五十里、泉美と一緒に紅葉が働いていると言われた和菓子店『那由多』に行った時のことを思い出した。

 あの時は紅葉の働く姿を見たい一心で疑問にも思わなかったが。

 

「(そういえばなんで会長、あそこで阿僧祇が働いてるって知ってたんだろ?)」

 

 あの時、あずさはこう言った。

 

『日曜日はお手伝いに行くって決まってるから、来れないんだよ』

 

「(決まってるってことは前々から阿僧祇があそこで働いているのを知っていた……)」

 

『阿僧祇くんの知り合いが和菓子店を営んでいてね。そこのお手伝いに行ってるんだよ』

 

「(あの和菓子店が阿僧祇の知り合いのお店だって教えるぐらいの関係……)」

 

 そこまで考えてある可能性が頭に浮かび上がった。

 

「(阿僧祇と会長は付き合ってる?)」

 

 仮に想像されている両者がこう問われたら猛烈に否定するのだろうが、香澄の頭の中に否定する存在はいない。

 

「(それだったら、あいつが他の上級生と仲が良いのも頷けるけど……)」

 

 付き合っていれば服部や花音と話す機会があるこもないとは言えない。

 そんな風にその可能性が香澄の中で正の方へと傾いていく。それと同時に胸にモヤモヤとしたものも広がっていた。

 

「(……なんか、やだなぁ)」

「おーい、女子ペアの七草香澄さーん?」

「っ?!」

 

 そう思った時、紅葉に名前を呼ばれ思考の渦から現実に意識が引き戻される。

 呼ばれた相手、紅葉を見ると訝しげな表情でいて、その顔が妙に腹立たしく思えて「なによ」と素っ気ない返事をしてしまったのだった。

 



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疑惑3

「スタート!」

 

 紅葉の合図と同時に彩愛が操舵するボートが水上を走り出した。彼女と香澄が乗っていたのは幅が広くと喫水の浅いボートだった。

 

「(香澄にしちゃ安定性重視だったな)」

 

 紅葉の予想では負けず嫌いな香澄のことだから、先に試走を終わらせた好成績組に負けじと良い成績を出そうとしてスピード重視にするだろうと思っていた。しかし、二人が乗っているのは幅が広くて射撃の安定性が高く、なおかつ水の抵抗が少ない喫水の浅いボート。

 

「(笠井が香澄を抑えたのか、それともボートから落ちるのを嫌がったか)」

 

 二人より先に試走を終えている本戦女子ペアと新人戦男子ペアが落水していた。

 それを見たからかは定かではないが、そのボートを選ぶと言うことは転覆する確率を下げることになるため二人の目標が完走することになったんだろうと結論付け、彼女たちの出走を見送った紅葉は一息ついた。

 まだ、香澄達のタイムを計っている最中の為、完全に気を抜きはしないが無駄に気を使っていた分は解放したかった。

 

「(たく、久我原のせいで余計疲れた)」

 

 すでに試走を終えている黄泉は現在、蒼真と試走結果についてあれこれ話し合っている。二人とも良い成績でゴールしていた。そんな彼女としてはその話し合いに紅葉も混ぜたかったようだが、紅葉は無視していた。

 そちらをチラリと見ながら心の中で毒づく。

 

「(ちっとは抑えやがれっての)」

 

 紅葉は復学祝いパーティー以降、必要最低限な三年生としか交流していなかった。

 それはパーティーの時に言った目立ちたくないと言う理由もあるが、それ以外の理由もあった。

 復学した目的の一つである、九校戦を平穏無事(・・・・)に楽しみたいからである。

 現時点から一年生と二年生に年上だとバレてしまえば、後日控えているモノリス・コード選定戦やその他競技の参加選手またはサポートメンバーに何かしらの悪影響を与えてしまい自分が楽しむどころの話でなくなると考えていた。

 ただでさえ今年は紅葉にとって、あずさや服部達と一緒に参加できる大事な年でもある。出来るだけ不安要素は省いておきたかった。

 そのため、紅葉は今まで校内では、必要最低限なメンバー──服部、あずさ、五十里、花音──以外の三年生と出会っても会釈または無視の二択の対応しかしていなかった。そして黄泉は高確率で無視を選択していたのだが。

 

「(無視しすぎたかね。まぁあいつの場合仕方がねぇっちゃ仕方がねぇ訳だが。しゃーない面倒だが予定を繰り上げるか)」

 

 このまま黄泉のようなこちらの事などをまったく気にしない三年生を放置していると予定よりも早く一、二年生達に年上だという事を知られそうだと思った紅葉は復学する時に立てたスケジュールを変更する事にした。

 当初は九校戦後に服部達以外の三年生との交流を増やしていくつもりだったが、それを九校戦中に前倒しすることにした。

 

「(あとで柊に伝えて、柊から久我原に言ってもらうか)」

 

 直接、黄泉に伝えてしまうとその場から遠慮なしに来ると確信している為、話のわかる蒼真に話を預けておくことにする。

 

「さて、そろそろか」

 

 そして紅葉は、黄泉達に向けていた意識をゴールへ向かってくる香澄達に向けなおし、手に持っているストップウォッチのストップボタンに指をかけ、二人を乗せたボートがゴールに向かってくるのを待つのだった。

 

 

 

 

「むー」

 

 目標通り、かはわからないが落水することなくゴールした香澄と彩愛なのだが、なぜか香澄の顔は見事なまでに不満げに染まっていた。その理由を本人に聞くのは憚られた紅葉は彼女の隣で苦笑している彩愛を手招きして呼び寄せていた。

 

「なぁ、なんであいつ、あんな顰めっ面してんだ?」

「実はね香澄、的全部撃ち落とす気だったみたい」

 

 香澄はスタートする前に黄泉や蒼真が好成績だった事に対抗心が湧いたか、もしくは落水しないかわりに的をパーフェクトにしたかったのだろうと紅葉は予想。

 

「あいつらしいちゃ、あいつらしいわな。で、何個撃ち漏らしたんだ?」

 

 香澄を落水させない為にかなり速度を落として走行していたのだから、片手程の数を撃ち漏らしたのだろうと思っていると、彩愛は指二本を立ててVの字を作った。

 

「二個だよ」

 

 なんともおしい結果だったらしい。

 

「あー……」

 

 それは俺でも悔しがると同情の念も抱きながら、

 

「最後の方で変わったタイミングの的があってね。それを外しちゃったんだ」

 

 彩愛のこの言葉で紅葉の頭の中である事がよぎり、彼女から顔を逸らしていた。

 

「(そういえば的の出るタイミングに達也が関わってたな)」

 

 現在練習に使われている的は五十里によって調整されているが、その出るタイミングなどは事前に五十里と達也によって話し合われていた。

 

「阿僧祇くん?」

「いや、それは残念だったな(こりゃ、香澄には言え……)」

 

 訝しむ彩愛に適当な返事を返す紅葉。

 達也が関わっているなどと彼に反抗心を抱いている香澄に言えばどうなるか、火を見るより明らかなのは想像に難しくない。

 ただでさえ、今の香澄は──勘違いであるが─紅葉に対してだけ不機嫌を露わにしている。先ほどから何を言っても睨まれている為、紅葉としてはこれ以上、彼女の機嫌が悪くなるのを避けたいと思う手前でふと思った。

 

「(なんで俺があいつの機嫌を気にしてんだ?)」

 

 別に香澄に嫌われてもさして問題があるわけでもない。元から紅葉は一年生と仲良くなる予定ではなかったのだから。

 むしろこのまま嫌われていた方が都合はいいのだが、紅葉の胸にモヤモヤとした気持ちが広がっていく。

 

「(……たく、これ以上は望むなっつーの)」

 

 それが自身の我が儘な気持ちだと自覚している。同時にこれ以上は望んではいけないとも。

 

「(どのみち今、香澄に言う事じゃねーな。どうせ後で泉美からバレるだろうし)」

 

 勝手な予想ではあるが、香澄は泉美に撃ち漏らした事を愚痴り、泉美がそれはとネタばらししそうだと思っていた。その予想は数時間後的中することとなる。

 さらに言ってしまえば泉美が

 

「阿僧祇さんも知っていたはずですよ」

 

 と余計な一言を追加するのだが、紅葉はそこまでは予想できなかった。

 

 

 

 

 時は過ぎ午後七時。

 

 各競技の試運転に参加していた代表選手やサポートしていた生徒達は六時頃に解散となった。

 香澄は泉美と一緒に帰路について最寄り駅についた頃、二人の会話はもちろん練習内容で、ちょうど今泉美が余計な一言を言った時だった。

 

「あいつは、ホントに……」

 

 結局香澄は、紅葉に対してモヤモヤとしたものが晴れないままだった。そこに泉美からもたらされた情報にムカムカとした気持ちが追加され、彼女の心は非常に穏やかではなくなっていた。

 

「香澄ちゃん?」

 

 そんな様子を見た泉美は香澄からいつもとは違う感情が見えて首を傾げる。

 確かに最近の香澄は紅葉に対して、他の異性と比べて感情をあらわにする事は多くなっていた。その時は喜と怒が半々だったのだが、今の香澄からは怒と哀を感じられる。

 

「阿僧祇さんと何かありましたか?」

 

 このまま香澄を気にせずにいるのは無理だと思った泉美は直球で聞くことにした。

 

「……」

 

 泉美は香澄がすぐに言葉を返してくるものだと思っていたのだが、香澄は泉美を横目に見ながら口をへの字から少し開けてまたへの字へと繰り返していた。

 ジッと香澄からの様子を見続ける泉美。

 

「……あ、」

 

 その視線に耐えきれなくなったのか香澄の口から言葉が漏れる。

 

「阿僧祇って会長と付き合ってるのかな?」

「……はい?」

 

 彼女の言葉に泉美は思考と共に足まで止まっていた。さすがにその言葉は予想外だったようだ。

 

「……」

 

 二人は並んで歩いていたが泉美の足が止まってしまい香澄は数歩先に出てから泉美に向き直った。その顔は少し恥ずかしいのか赤くなっている。

 対して泉美は香澄がなんと言ったのか頭の中で反芻していた。

 

「(阿僧祇さんが会長と付き合ってる?)」

 

 毎日の生徒会業務で二人を見ている泉美は、

 

「(それはないような?)」

 

 二人の姿から彼氏彼女といった関係には見えなかった。

 

「(いえ、見えないだけでプライベートでは?)」

 

 しかし泉美が知っているのは学校の中でだけ。二人のプライベートまでは知らない。

 そう思うとチクリと泉美は胸が痛んだように感じた。

 

「(完全には否定できませんね。でも……)」

 

 そんな黙ってしまった泉美を香澄は訝しげに首を傾げながら声をかける。

 

「……泉美?」

 

 声をかけられた事により思考の渦から抜けた泉美は疑問に思った事を口にしていた。

 

「香澄ちゃん、誰がそのような事を?」

 

 そう、香澄からもたらされた紅葉とあずさの付き合っている疑惑だが、香澄は疑問系で泉美に聞いていた。

 そうなるとそれは噂の域を出ていない可能性が高い。もっといってしまえばこの双子の姉は少々思い込んでしまう節がある。

 だから泉美は誰が最初にそんな事を言ったのかが知りたかった。

 

「……(誰がって……私?)」

 

 質問の答えが自分であると気づいた香澄はどうにも悔しさやら恥ずかしさが混ざってしまい素直に言うことが出来なかったため明後日の方へと顔を背けていた。

 その行動だけで泉美は確信を得る。この疑惑は噂ではなく香澄の思い込みであると。

 だから質問を、

 

「どうしてそう思ったのですか?」

 

 より直球な聞き方に変えた。

 

「ぐっ……」

 

 泉美に噂─にもなっていない─の出所が自分であると気づかれた香澄から呻き声が漏れゆっくりと明後日の方に向けていた視線を少し泉美の方へ向けた。

 そこには「ジトー」と効果音が付きそうな泉美の目線がある。

 それを受け止めることはせずに香澄はまた明後日の方へと視線を逃がした。だが、逃がしたところで泉美の目線が香澄から外れる事はなくロックオンされたまま。

 

「あーもー! わかったよ!」

 

 これは逃げられないと悟った香澄は半ば逆ギレのように声を上げた。

 

「あいつが三年生と仲が良いのは会長と付き合ってるのかなって思ったからよ!」

「(ああ、そういうことですか。それにしても)」

 

 香澄の答えに、泉美は納得した。

 予想通り、香澄の思い込みだったと。

 

「香澄ちゃん、さすがにそれは飛躍しすぎでは?」

 

 そして、思った事を口にしていた。

 それはそうだろう、仲が良い=付き合っているでは大多数の生徒が付き合っている事になってしまう。

 

「うっ、そうかもしれないけど、あいつ二年生の人達よりも三年生と喋ってる事が多いじゃん」

 

 それは香澄本人も自覚しているようだが、紅葉の友人関係は少し変わっているとしか思えなかった。それこそ特別な関係じゃなければ有り得ないのではと。

 

「それは……」

 

 と、口にするも泉美は続きを「阿僧祇さんは留年していて」と言えなかった。紅葉との約束でもあるが、これは自分が言っていい事ではないからだ。

 

「それは?」

「いえ、なんでもありません。他にそう思ってしまった理由はあるんですか?」

「あとは……」

 

 泉美は止まっていた足を動かして香澄の隣に付くと、香澄もゆっくり歩き始めた。

 

「那由多に行った時のこと覚えてる?」

「はい」

 

三カ月前の事ではあるが、あの日は普段では見られない香澄を見れた事で泉美はしっかりと覚えていた。

 

「あの時、那由多に行く前に会長が『阿僧祇は日曜日にアルバイトしてる』って言ってみんなで行く事になったでしょ?」

「そうですね」

「あの時、入学してからひと月も経ってないぐらいだったのになんで会長は阿僧祇がそこで働いてる事を知ってたのかなって」

「それは……」

 

 確かにそういったプライベートな事は親しい仲でないと知り得ない事なのだが、事情を知っている泉美は本当の事は言えない為、別の可能性を示す事にした。

 

「もしかしたら阿僧祇さんはご兄弟がいるのではないでしょうか?」

「兄弟?」

「はい、お姉様と同い年か、もしくはお姉様より上の年齢の兄弟がいたのなら、阿僧祇さんのプライベートについてその兄弟の方から聞かされていた、という可能性もありませんか?」

 

 泉美の言うお姉様とは自身の姉である真由美のことである。もちろん香澄はそれを理解して聞いていた。

 

「それなら……まぁ、知っててもおかしくないかな?」

 

 泉美の苦し紛れな可能性に香澄は特におかしな点はないように感じられた。

 

「それでは月曜日に阿僧祇さんに聞いておきますね」

 

言うが早いか、香澄がそうなのかそうじゃないのかと頭を悩ませている隙を付いて泉美はこの問題を早く終わらす為に動くことにした。

 

「え? それは……」

 

 ここで香澄が言いよどんだのは泉美が聞くと言ったのが『紅葉とあずさが付き合っている』事に対してなのかと思って焦ったってしまった。だが、泉美はすぐに香澄が焦った理由を察して言葉をなおした。

 

「大丈夫ですよ香澄ちゃん。聞くのは阿僧祇さんにご兄弟がいるかどうかです」

「あ、そうなんだ」

 

 泉美の言葉に安心したのか香澄はホッと息を吐いた。その様子を見た泉美はクスリと微笑を浮かべる。

 

「あら、二人ともおかえりなさい」

 

 そして自宅にもう少しで着くといった時、後ろからよく知った声が二人の耳に届いたのだった。



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疑惑4

 七月七日、土曜日の夕方。七草真由美は大学主催の七夕パーティーに出席するためパーティー会場に向かっているところだった。

 そこにコール音が鳴り響く。

 

「誰かしら? ……っ!?」

 

 鳴り続ける情報端末を手に取り、表示されている相手を見ると真由美の顔は驚きで固まってしまった。数秒後、慌てて通話状態にすると声をあげた。

 

「双葉さん!?」

『やっ、まゆみん。久しぶり』

 

 電話の相手は、驚いている真由美とは逆に陽気な声で応えた阿僧祇双葉(あそうぎふたば)であった。

 

『一年半ぶりかな。まぁつもる話もあるだろうけど、今ちょっと時間がないからね単刀直入にいくけど』

「ちょっと待ってください双葉さん。今までこっちが連絡しても出なかったのに、いきなりなんて……もしかして彼が見つかった(・・・・・)んですか?!」

『やっぱり知らないよね。ま、箝口令敷かれてたんだから仕方がないのと──「箝口令? それはどういう……」──妹ちゃん達がまゆみんと紅葉が知り合いなんて思わないよね、普通は』

 

 途中で真由美の疑問が挟まれるが双葉は気にすることなく言葉を続けた結果、

 

「……え?」

 

 なぜそこで妹達の事をと真由美が思ったのも束の間、

 

『紅葉ね、今一高で一年生として生活してるよ。まゆみんの妹ちゃんのどちらかと同じクラスだったはず』

 

 双葉からもたらされた言葉はどれも耳を疑う事で、

 

「え、……え?」

 

 珍しく真由美の頭は追いつけていなかった。

 

『うーん、今まゆみんの顔が面白い事になってそうなのに近くで見られないのは残念だな』

 

 それを電話先で感じとった双葉は声質でわかるぐらい面白がっていた。

 

「……双葉さん、それは本当なんですか?」

 

 なんとか言われた事を理解し終えた真由美は、確認の為に聞き直す。

 

『本当も本当。なんだったら妹ちゃんに聞いて見ればいいよ、阿僧祇紅葉を知ってるか? ってね』

「二人と彼が同級生……」

 

 それが紅葉についての次に驚いた情報だった。

 香澄と泉美が第一高に入学してから三カ月経っているが、二人から聞く学校生活の内容に出てくる名前に紅葉はなかった。

 よく聞くのは、なにかと香澄とトラブルになりやすい七宝琢磨と泉美がお熱になりやすい司波深雪の名前。

 後々にわかった事だが、偶然にも二人は真由美の前で紅葉ことを『あいつ』や『彼』と名前ではなく名詞だけで話していたようで彼女は他の人だと勘違いしたまま話していて気づかなかったようだ。

 

 閑話休題

 

「双葉さん、あの……」

『あー、ごめんまゆみん。時間来ちゃった』

 

 真由美は聞きたい事が山ほどあった為、何から聞こうかと考えていたら、突然双葉は少し焦っていた。電話口から別の人の声がうっすらと聞こえた事から誰かに呼ばれたようだ。

 

「え? 双葉さん?」

『明日時間ある? あったら昔、渋谷副都心でよく行った喫茶店に来て。紅葉も連れて行くからさ。あっ、あと良かったら妹ちゃん達も連れてきて。じゃまたね!』

「え、ちょっ、まって、双葉さん!!」

 

 真由美の制止の言葉むなしく返事を聞く間もなく双葉は電話を切ってしまった。

 

「……」

 

 一方的にかかってきた電話は一方的に切られてしまった。真由美はたまらずかけ直すが電源を切られたのか機械音声で繋がりませんと告げられるだけ。

 

「あー、もう! あの人は!!」

 

 人目があるにも関わらずたまらず声を上げる真由美。

途端に周囲の注目を集めた事に気付いて恥ずかしながらその場を離れた。

 

「紅葉くんも連れてくるなんて、そんなの行くしかないじゃない」

 

 例え紅葉がいなくても行くという選択肢しかなかった。それだけ紅葉の身に起きた事の情報は少ない。七草の──真由美が使える──情報網をもってしても、紅葉が見つかったという情報さえ得られていなかった。

 

「でも、なんで二人を連れてきてなのかしら?」

 

 最後に双葉が思い出したかのように言った言葉。なぜ双葉が香澄と泉美に会いたいのかを考えるも答えが見つからなかった。

 

 

 それから数時間後。

 双葉との電話によって心中穏やかじゃなくなった真由美は参加する予定だったパーティーをキャンセルして帰路についていた。

 そしてあと少しで自宅が見えるといったところでよく知った二人の後ろ姿が見えた。

 

「(二人とも紅葉くんを知ってるのよね)」

 

 香澄と泉美の姿を見て思い出したのは双葉の言葉。あの言い方から顔見知りではなく友達の仲ぐらいにはなっていそうだと思った。

 

「(でも、二人に急に紅葉くんを知ってる? なんて聞いたら、泉美ちゃんはともかく香澄ちゃんが変な誤解をしそうだし)」

 

 真由美はどうにも香澄が自分との男性の交友関係を恋愛方面に勘違いする事が多い気がしていた。そこに自分から異性の名前を出そうものなら、スムーズに話は進めるのは難しいだろうと。

 

「(紅葉くんの事は伏せておきましょう)」

 

 そう結論づけて真由美は一息吐いてから二人に声をかけた。

 

 

 

「あら、二人ともおかえりなさい」

 

 七草邸を目の前に、香澄と泉美は後ろからかけられた言葉に反応して同時に振り返っていた。そこにはおとなしめなドレスを着た自分達の姉である真由美がにこやかに手を振っていた。

 

「お姉ちゃん!」

「お姉様」

 

 二人は少し離れていた真由美との距離を小走りで縮める。

 

「お姉ちゃんも今帰ったの?」

「えぇ、そうよ」

「でも、確かお姉様、今日は大学主催のパーティーで帰りが遅くなると言っていませんでしたか?」

 

 今朝方、一緒に朝食をとった時、真由美は確かにそう言っていた事を泉美は覚えていた。

 

「そうだったんだけど、ちょっと急用が出来ちゃってね」

 

 苦笑いで答える真由美。この表情から泉美は面倒事に巻き込まれてしまったのかと思ったが、次の言葉でよくわからなくなってしまった。

 

「二人とも、明日お出かけしましょう」

「急用なのに?」

「お出かけですか?」

 

 二人の困惑顔を余所に、詳しい説明はしないまま真由美は苦笑いしたまま二人の背中を押して邸宅の中へと入っていった。

 

 

 

 

 

 七月八日の日曜日。阿僧祇紅葉は日曜日ということもあって八時を過ぎたというのに目覚める事なく眠り続けていた。しかし、それを良しとしない人が一人。

 ぐーすかと眠っている紅葉の部屋に立ち入り近づく。そしてゆっくりと右足を上げ、服が捲れて丸出しのお腹めがけて踏み込んだ。

 

「ごぼぉ!?」

 

 一瞬とはいえ人が発する声とは思えない呻きを上げた紅葉は痛む腹を抱えてのたうち回る。

 

「いってぇな姉貴!!」

 

 まだ痛みは消えないお腹をおさえつつ、近くでこちらを見下ろしている気配はあったので睨みつける。こんな事をするのは一人しか思い当たらない。

 そう思った通り、自身の姉である双葉が紅葉を見下ろしながら仁王立ちしていた。

 

「寝過ぎ」

「うっさいわ。日曜日なんだからいいだろ」

 

 軽く咳き込みながら上体をおこして胡座をかく。おもむろに髪をかき欠伸を交えながら部屋に備え付けられている時計に目をやるとまだ八時半だったことにゲンナリした。

 

「んだよ、まだ九時にもなってねーじゃん」

「たく、私が帰る日は七時には起きてなさいよ。寝てるの見ると蹴りたくなるから」

「無茶言うなよ。いっつもいつ帰ってくるかわかんねーんだから」

 

 双葉は一高を卒業したあと、父親の仕事を手伝っている。父親の仕事は各地を回る為、父親と双葉は共に家に帰ってくるのは一週間で一日か二日ぐらいだった。特に最近は忙しいのか一週間では帰ってこなかった。

 

「悪かったわね。……やっと尻尾を掴めそうなのよ」

 

 その言葉に紅葉の顔から表情が薄れる。

 双葉が手伝っている父親の仕事には表と裏がある。表はボディーガードで主に数多家の護衛をしている。

 そして裏と言うのはある人物の捜索である。双葉は主にこちらを手伝っていた。

 

「見つけたのか?」

 

 紅葉は無意識に左手を右腕に添える。

 そのある人物は紅葉にとって、否、阿僧祇家にとって深く関わっている。

 

「まだ。でも、動きだしてるのは確実よ」

 

 双葉の顔からも陽気さは消え、どこか憎しみが混じった表情になっていた。

 

「……」

 

 紅葉の脳裏に思い浮かんだのは高齢の男性。より鮮明に思い出してしまったのか右腕に添えていた左手に力が入った。

 それを見た双葉は何かを我慢するように目を伏せ、すぐに目を開く。 

 

「そういう事だから、紅葉出かけるわよ」

「……今の話の流れで、どこに出かける要素があったよ?」

 

 脈絡がない切り替わりに緊張していた空気が霧散する。

 

「ゴタゴタする前に終わらせた方がいいでしょ」

「だから何をさ?」

 

 紅葉はなんとなく双葉の言わんとしている事はわかっていた。

 近々忙しくなって身動きが取れなくなるからやれる事はやっておく、ということだ。ただそのやれる事にどう自分が関わるのかがわからなかった。

 しかし、次の双葉の言葉で合点がいく。

 

「まゆみんへの報告」

「……ここでかよ」

 

 双葉の言う『まゆみん』は一人しかいない。紅葉自身の一歳上の先輩で十師族である七草家直系の七草真由美である。

 本来なら真っ先に知らされてもおかしくないのだが、彼女が十師族直系であることから報告が後回しにされていた。紅葉自身、もしかしたら最後(・・)まで知らせる事はないのでは? と思っていたぐらいだ。

 

「あの娘だけ仲間外れにはしたくなかったのよ。十師族としてじゃなくあんたの先輩として心配してくれてたんだから」

「それは、まぁ」

 

 それは紅葉もわかっている。あの人は誰に対しても優しくて面倒見の良い先輩だったと。

 

「まぁ、まゆみんには口をかたーくしてもらうけどね」

 

 それはそうだろうと紅葉は思う。間違っても現七草家当主である七草弘一や他の十師族当主に知られてはいけない。

 それ程までに紅葉の身に起こった事はやってはならない事だった。

 

「そんな訳で行くわよ」

 

 紅葉としては出かける理由がはっきりとしてしまっては拒む理由はなかった。とは言えこの姉のことだから拒否したところで無理やり連れ出すんだろうなと思いながら「了解」と言って重い腰を上げるのだった。

 

 

 

 紅葉にとって早い時間に起こされたのだからてっきり真由美と会うのも早い時間かと思いきやそうでもなかった。

 

「あ? 何時か決めてない?」

 

 九時半に家を出て渋谷副都心に向かう為、キャビネットに乗った紅葉は隣に座る双葉のテヘペロした顔を(はた)きたい衝動にかられていた。

 

「いやー、昨日急いでたから場所だけ言って終わっちゃったんだよね」

 

 本当は来る来ないの有無さえ確認していないのだが、双葉の頭に来ないという選択肢はなかった。

 そのあっけらかんとした物言いに紅葉はため息ひとつ。

「はー、んじゃどーすんだよ。その喫茶店でコーヒー一杯で何時間も待つつもりかよ」

 

 姉の無計画さに呆れながら、取れる行動を聞き返す。

 

「んー、お昼過ぎ頃に行けばいいと思うしそれまでは久しぶりにショッピングでもしようか。ちょっと夏物が欲しいと思ってたところだし」

「さいですか」

 

 紅葉は、こりゃ都合のいい荷物持ちにさせられるなと早々に抵抗する事を諦めて窓の外を眺めながらため息をついた。

 その様子を見た双葉は優しく微笑む。赤の他人が紅葉を見れば、表情や態度から『荷物持ちなんて面倒だ』と言っているように思えるかもしれないが、彼女には逆に嬉しそうに見えていた。

 

「(こうやって紅葉と出かけるのはいつぶりかな)」

 

 今年はこれが初、昨年はそれどころではなく(ぜろ)回。一昨年は三が日にと紅葉の入学祝いで出かけたから二回かと思い出す。

 

「(……うん、まゆみんに会う目的だったけど、その前にちょっと紅葉と楽しもう)」

 

思いの外、間があったことにそんな前かと驚いた双葉は少しだけ今日の趣旨を変更することにした。

 

 

 

「うーん、もうちょっと明るめがいいかな」

 

 十時頃、副都心に着いた二人は最近できたと言われているファッションビルの中を巡って、

 

「ちょうどいいんじゃね? 着てみたらどうよ」

 

 カジュアル服売り場の夏物エリアで気に入った服を見つけたところだった。

 

「そうね。ちょっと着てみる」

 

 このビルは各テナントが別々に営業しているのではなくフロアごとに共同で商売をしているらしく、テナント同士の仕切がない。その為、紅葉達のいるエリアの隣が下着売り場になっていたりして、男性がうっかり歩き回ると居心地の悪い思いをするレイアウトになっている。

 しかし、紅葉は昔から双葉とこういった買い物に来ていた事もあって抵抗なくこの場に居た。

 それが今回仇となる。

 双葉が何点かの服を手に取り試着室へ向かうのを付いていこうと歩き出した時だ。

 

「阿僧祇さん?」

 

 聞き慣れた声で呼び掛けられるとは少しも思わなかった紅葉はピタリと足が止まった。そのまま首だけギギギと擬音が聞こえそうなぐらいゆっくりと回して後ろを見ると私服姿の泉美が立っていた。

 

「泉美、お前、なんでここに」

「それはこちらのセリフなのですが。ここ女性物のフロアですよ」

 

 紅葉としては、『なぜ、この場にいるのか』を問いたのだが泉美の解は『男性がいる場所ではないですよ』と欲しい答えになってなくて「まぁ、そうなんだが」と苦笑するしかなかった。

 しかしその苦笑もすぐに焦り顔に変わる。紅葉が一人ならば──一人だったらこの場所に来る事もないが──適当な理由を付けてそそくさと退散するが、残念なことに一人ではない。

 すぐさま前を向き姉の意識が泉美に向かないようにしようとするが、すでに遅かった。

 

「紅葉、どちら様かな?」

 

 そこには面白いものを発見したような目をした双葉がにこやかに立っていた。



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疑惑5

「(あー、こりゃどうにもならねーな)」

 

 振り返った先にいた楽しそうな笑みの双葉を見て紅葉は早々にその場から逃げる事を諦めた。

 

「阿僧祇さん?」

 

 そんな様子を見ていた泉美はなぜ紅葉が焦って振り返ったのかわからず小首を傾げていた。

 

「紅葉、どちら様かな?」

 

 しかしその理由も彼の後ろから現れた女性の姿を見てなんとなく察する事は出来た。

 

「(綺麗な人ですね。阿僧祇さんの焦り様からして、もしかして)」

 

 泉美は昨日の香澄との会話にあった紅葉があずさと付き合っているのではないかという内容を思い出した。それは香澄の思い込みによるものが強く噂にもなっていないレベルの事だったのだが、この状況を見るとあずさと付き合っている可能性は低くなっていた。しかし、泉美の頭の中には別の可能性が高くなっていた。

 焦るという事はそれは見られたくない事。だから目の前の女性は紅葉と付き合っているのでは、と。

 

「あらあら、可愛いお嬢さんね。紅葉の彼女さんかしら?」

 

 しかしそんな疑念は目の前の女性、双葉から発せられた言葉ですぐに消えていた。

 

「(もしかしてこの人は。いえそれよりも……)」

 

 行き着く答えの解を求めるよりもあまりにも無視できない言葉に泉美が何かを言おうとするがそれよりも先に口を開いたのが

 

「ちげぇよ」

 

 呆れた顔をした紅葉だった。

 言葉的には強めな否定だった事に泉美は無意識にムッとする。

 しかしその感情を自覚する前に次の紅葉の言葉に意識が向いていた。

 

「俺が彼女なんて作るつもりがないの知ってんだろ」

「……(作るつもりがない?)」

 

 その言葉がどういった意味のものか考えようとした時、目の前の双葉から「紅葉」と怒気を増した言葉が発せられた為、そちらを見るや彼女は見るからに怒っていた。

 

「私がその手のセリフ、嫌いなの知ってるわよね?」

 

 突然、今にも一戦始まりそうな雰囲気になり泉美だけでなく周辺にいた他のお客にまで注目され始める。

 

「ちょい待てって。話を振ったのは姉貴だろうが。つーか、こいつの前でその話はナシだ」

 

 だが紅葉は、注目されている事ではなく別の事に焦っていた。それに気づかない泉美ではない。

 

「(その話?)」

 

 今の話の流れのどこかに泉美には聞かれてまずいワードがあったようで、それに対して紅葉は焦っていた。

 

「……たく、あとで説教だから」

 

 その焦りに双葉も気付いたのか渋々下がる事にした。ただでは下がらなかったが。

 

「はいはい、あとで十分聞いてやるよ」

 

 姉の小言によって今日一日丸潰れになる事が確定した紅葉は双葉の言葉を流し気味に受け取り、泉美に数歩近づく。

 

「悪いな泉美、ちょっとあっちに行こうぜ」

「え、阿僧祇さん?」

 

 さすがに注目されている事には気付いていたので、このままここで話を続ける気は紅葉にはなかった。だから紅葉は泉美の肩に手をかけ、強制的に泉美の身体を反転させてからそのまま背中を押すように歩き出す。

 その突然の行動に考え事をしていた泉美の思考はついていかず、なすがままに動かされていく。

 双葉も二人の後ろをついて行くように歩き出したが、数歩遅れてから歩き出していた。彼女の視線は紅葉達ではなくやや右側に向いていた。

 

「(タイミング良すぎ)」

 

 微笑が漏れそうになるのを我慢する。

 そこには目的の人の姿があったのだから。

 

 

 

 

「(さーて、泉美がいるって事は香澄もいるだろうな)」

 

 泉美の背中を押しながら歩く紅葉は、次の展開を予想していた。

 今日の紅葉と双葉の目的は七草真由美と会う事。にも関わらず最初に会ったのは真由美の妹である泉美だった。となれば泉美は偶然この場に居合わせたのではなく真由美が連れてきたのだろうと予想がつく。そうなれば泉美だけでなく香澄もいるのだろうと。

 

「(まさかとは思うが、姉貴が先輩に二人を連れてこいなんて言ったんじゃないだろうな?)」

 

 そのまさかは見事に的中しているのだが、双葉がそれを明かす気はないため、紅葉が知る日はなかった。

 そんな事を考えながら歩いていたからか突然「こらーっ!」という怒りと非難を乗せた甲高い声が紅葉の耳に飛び込んできて珍しくビクリとしてしまった。

 

「泉美から離れろ! このナンパ男!」

「げっ」

 

 紅葉は名指しで泉美と言っている事からナンパ男が自分なんだろうなと瞬時に理解しながら甲高い声がした方に目を向けると小柄な少女、七草香澄が一直線に駆けてくるのが見えた。

 

「香澄ちゃん!?」

 

 泉美の方はといえば、名指しされた事と聞き慣れた声で誰なのかすぐに理解していた。

 泉美は駆けてくる香澄を見てから後ろにいる紅葉へと顔を向けるが突然腕を引かれる。

 

「え?」

 

 紅葉は香澄の勢い的に目の前で止まるとは思えなかった。なにかしらの攻撃はあるだろうと予想して、目の前の泉美をどうするかを考えた。

 前に突き出して自分から離す事も考えたが、突然突き出されたら躓いて転んでしまうかもしれない。

 ではどうするか。

 ならばと、紅葉は泉美の背に当てていた左手で彼女の右手首を握った。

 

「あ、阿僧祇さん?」

「とりあえずこっちだ」

 

 前がダメなら後ろ、ということで紅葉は泉美を引っ張って来た道を戻る事にした。

 すぐ後ろに双葉がいると思っていたが思いの外、離れていたことに内心毒づきながら姉のもとに近づく紅葉。

 

「姉貴、こいつとあっちからかけてくる奴は先輩の妹だから」

 

 そして近づくやいなや泉美を双葉の前に出して彼女とこちらに駆けてくる香澄をそれぞれ指差して真由美の妹だと説明した。

 

「あー、やっぱり? どことなーく似てるのよねって紅葉?」

 

 双葉は泉美と香澄の名前は知っていたものの姿までは知らなかった。ただ泉美の面影からこの子が真由美の妹なのだろうと感じてはいた。

 と思っていたらなぜか紅葉は泉美を置いて離れようとしている。

 

「そんじゃ、俺は逃げるから先輩と合流したら適当に呼び出してくれ」

「逃げるってあんたね」

「じゃ、あとはよろしく姉貴」

 

 そう言って紅葉は女性物のエリアから走り去っていった。

 

「たく、あいつは。まぁいいか」

 

 やれやれと困ったようなそぶりをしながら困惑顔の泉美に苦笑気味に微笑んだ。

 

「うちの弟がごめんね」

「い、いえ。その弟という事はあなたは」

 

 泉美は紅葉が双葉の事を姉貴と呼んでいる事に気づいていた。だからもう双葉が紅葉の彼女かどうかは疑ってはいない。

 

「そ、紅葉のお姉さんだよ。自己紹介したいけど、それは彼女が来てからにしましょう」

 

 双葉は駆けてくる香澄に目を向ける。

 

「は、はい」

 

 泉美もそれに合わせて香澄に目を向けた。

 香澄の目は自分たちを見ていないようで泉美と双葉の後ろ、逃げ去る紅葉に「こらー! 逃げるなー!」と声と共に向けられていた。

 少ししてから香澄は泉美のもとにたどり着いて彼女の肩を両手でガシッと掴んだ。

 

「泉美大丈夫!? 何もされてない?!」

「香澄ちゃん落ち着いて下さい。私は何もされてませんよ」

「あのナンパ男、どこ行った! 見つけたらただじゃおかないんだから」

「あの香澄ちゃん。そのナンパ男と言ってる方ですが……」

 

 と泉美が頭に血が上りきっている香澄を落ち着かせようとナンパ男の正体を言おうとしたその時、隣からクスクスと笑い声が聞こえてきて二人は同時に声のする方を見た。

 

「あーおっかし。あいつがナンパしてくれたらどれだけ嬉しい(・・・)事やら。でも、()のあいつじゃ絶対にナンパなんてしないよ香澄ちゃん」

 

 香澄の言葉に笑ってしまった事に「ごめんごめん」と小さく謝りを入れてコホンと小さく息をつく双葉。

 そこでようやく香澄は自分の目の前、泉美の隣に立っている双葉に気が付いた。

 

「……えっと、誰?」

 

 もちろん香澄は知りもしない女性の為、頭に沢山の?が浮かんでいる。

 双葉はその様子が可愛らしくてまた小さく笑い出しそうになるのを寸前で耐えて口を開いた。

 

「さてと、それじゃ自己紹介といきますか。私は阿僧祇双葉。さっきこの場から逃げた阿僧祇紅葉のお姉さんです」

「あ、阿僧祇のお姉さん? え、まって、さっきの男って……えぇー!?」

 

 突然、紅葉の姉が登場するだけではなくナンパ男と思っていたのが紅葉だったとは少しも思わなかった香澄は、人目を憚らず──先ほどから大声で叫びながら走っていたので今更だが──驚きの声が上がった。

 

「な、なななんで阿僧祇がここにってお姉さんってどういうこと?!」

 

 どうやら香澄の頭は相当パニックになっているようで両手で泉美の両肩を掴みガシガシと泉美を揺らしていた。

 

「か、香澄ちゃん落ち着いて下さい」

 

 それをなんとか落ち着かせようとする泉美を見ていた双葉は疑問を抱いていた。

 

「あれー? 真由美から聞いてないの?」

 

 どうやら真由美が二人に自分たちの事を言わずに連れてきたのが意外だったようだ。

 

「「え?」」

 

 双葉の言葉に泉美を揺らしていた香澄は止まる。そして二人して双葉を見た。

 

「その様子じゃ聞いてないっぽいね」

「もしかしてお姉様の言っていた急用とは」

「あぁそういってたのね。そっ、今日ちょっと真由美に用事があって呼び出したのよ」

「あの、あ、阿僧祇さんのお姉さまは──「双葉でいいわよ」──双葉さんは」

 

 紅葉と呼び方が被ると思った泉美は一瞬どう呼ぶ迷ってから無難に「阿僧祇さんのお姉さま」と呼んだが、双葉がすぐさま気軽に呼んでいいと言った。

それに内心でありがとうございますと思いながら言い直す泉美。

 

「お姉様と同い年なのでしょうか?」

「一個上だよ。真由美は私の後輩になるね。さて、ここじゃなんだからちょっと移動しよっか」

 

 ちょっとした悶着があったからだろう先ほどからチラチラとこちらを店員やお客が伺っているのに双葉は気づいていた。

 彼女は二人に軽くウィンクして付いてくるように促して歩き出す。

 

「ねぇ泉美、今日これから何があるの?」

「私にもわかりません」

 

 そういって二人は双葉の背中を追うのだった。

 

 

 

 

 

 その頃紅葉は、女性物のフロアの一階上の男性物のフロアにあるベンチに息を切らしながら座っていた。

 

「ぜーぜーぜー、クソッ、無駄な体力使った」

「香澄ちゃんがごめんね紅葉くん。はいお水」

「あぁ、サン……キュー……」

 

 右隣から差し出されたペットボトルを受け取り、礼を言ったところで紅葉の動きが止まる。

 彼の目はペットボトルから相手の腕に向かい顔へと辿り着いたところで隣にいるのが誰なのか認識した。

 そこには七草真由美が申し訳無さそうに座っていた。

 

「七……草先輩?」

「お久しぶりだね紅葉くん」

 

 実は真由美、女性物フロアから逃げ出した紅葉を密かに追ってきていた。

 そんな不意打ちをつかれた紅葉は完全に固まっていた。

 まさかこんな反応になるとは思っていなかった真由美は少しずつアワアワしだす。

 

「あ、あれ? 紅葉くん?」

「……」

「紅葉くーん?」

「……」

「ね、ねぇ大丈夫?」

「ハッ……あぁびっくりした」

 

 数回の呼びかけでようやく再起動した紅葉は受け取ったペットボトルを脇に置いて両手で目をこすった。

 

「そんなに驚くことかな?」

 

 心外だと言わんばかりに膨れっ面になる真由美。

 

「いやさすがに驚きますよ。ただでさえ会うことに勇気がいるってのに、心構えする暇なく隣に現れたんですから」

 

 正直な話、紅葉は真由美と会いたくはなかった。正確には一人では、である。双葉が一緒にいるなら話は別なのだが、この状況にはなりたくなかった。

 

「……そんなに私と会うのが嫌だった?」

 

 少し悲しそうな表情になる真由美を見て罪悪感を覚えたからか表情は苦笑いだった。

 

「嫌ではないですよ。ただ、俺は先輩に何も話す事がないんですよ」

「どういうことかしら? 今日は、その、あの時何があったのか話してくれるんじゃないのかしら?」

 

 昨日双葉から連絡をもらった時から二年前に何があったのか教えてもらえるものだと思っていたのだが、紅葉の口からは真逆の事を言われてしまい困惑する。

 

「えぇ、それは姉貴が話すと思いますよ」

 

 否定されたかと思えば肯定されてますます意味がわからなくなる。

 

「えっと、どういうこと?」

「だから俺からは何も言いません(・・・・・・・・・・・)

「それはどうして……」

 

 そこでようやく意味を理解した。

 双葉は話すが紅葉は黙秘するということだ。なんでそんなややこしいことになっているのかと聞こうとしたがそれよりも前に紅葉の口が開いた。

 

「ぶっちゃけ先輩にはこのまま姉貴に会わないで帰ってもらいたいんですが、どうです?」

「ど、どうです? じゃないわよ! 聞けずに帰れるわけないでしょ!」

 

約二年も謎だった事がようやく明かされるのだ。このまま帰る選択肢は真由美にはなかった。

 

「ですよねー。すみません、ただの悪あがきです。今のは忘れてください」

 

 それは紅葉もわかっていたようでため息混じりに謝った。

 

「悪あがきってどういうことなの?」

 

 しかし真由美は謝られた事よりも、意味のわからない言葉に反応していた。

 

「……姉貴の話を聞いたら先輩、間違いなく敵になりますからね。ま、どう足掻いても防げないのはわかってたんですけど」

 

またしても意味がわからない、というよりも心外な言葉が出てきて真由美は紅葉にズイッと近寄る。

 

「敵ってどういうこと? ねぇ、紅葉くん、いったい何があったの?」

「言ったじゃないですか、俺は何も話さないって。さ、姉貴と合流しますかね」

 

 そう言って紅葉は近寄った真由美を避ける様に背を向けながら情報端末で双葉に連絡を取るのだった。

 







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疑惑6

「それでどっちが紅葉の彼女さんなの?」

 

 ちょうど紅葉が真由美に気付いて驚いた時と同じく双葉は香澄と泉美をエスカレーター近くに備えられてはいるベンチに座らせ質問したところだった。

 

「か、かかか彼女?!」

「どこを見てそうだと」

 

 双葉の言葉に慌てる香澄と目が据わる泉美の様子に双葉は内心で「これはこれは」と盛大にお節介を焼きたい気持ちが沸いてきていた。

 それほどまでに二人の態度は違えど表情は似たように赤らめていたのだ。これを脈ありと思わずにはいられなかった。

 

「それに阿僧祇さんは先程、彼女を作る気はないと言っていたと思いますが」

 

 しかし泉美のカウンターに双葉は内心「そうなんだよねー」と同意する。いくら紅葉の相手となりえそうな人が脈ありの様に見えても、当の本人にその気がなければ大した意味はないことなど双葉にはわかっていた。

 それでも可能性の一つとして賭けたい気持ちはある為、期待せずにはいられなかった。

 

「え? 泉美、それどういう事?」

 

 そんな複雑な気持ちを抱いている双葉とは別に経緯を知らない香澄は泉美の言葉に疑問を呈していた。

 

「どういうことも何も、そのままの意味だと思いますよ」

「……(じゃあ本当に会長とは付き合ってない?)」

 

 その話が本当であれば自身が抱いている疑問は解消されるのだが、別の疑問が生まれてしまった。

 

「(でも、なんで作らないんだろ……って何を考えてんのよ!)」

 

 紅葉の「彼女を作らない」発言の意味を考えてようとして寸前で思考を止める。

 

「(あいつが彼女を作らないんだったらそれでいいじゃない)」

 

 紅葉に彼女がいないとわかっただけでも香澄の心にかかっていたモヤモヤは少しだけ晴れたので、彼女はこれ以上深く考えない事にした。

 そんな香澄を泉美は横目に見ていた。

 

「(察するに、自己完結したのでしょう)」

 

 誰に何を示す訳もなく香澄は腕を組み強く頷いていた。その様子から泉美は香澄が抱いていた疑問は解消されたのだろうと推測。

 

「(それにしても……)」

 

 泉美は視線を香澄から双葉へと移した。当の双葉は香澄と同じように腕を組んではいるが悩み顔で「ホント、あいつどうしたらいいかなー」と独り言を呟いている。

 

「(この人はなぜ、阿僧祇さんの彼女を作ろうとしているのでしょうか?)」

 

 普通に考えれば姉のお節介か面白がっているかなのだが、どうにも違うように思えていた。

 

「(彼女を作らない阿僧祇さんと作らせたい双葉さん。……いくら考えてもわかりませんね)」

 

 あまりにも情報が少なすぎるため、頭の中に納得できる程の答えは一つも浮かんでこなかった。ただ一つだけわかったことがある。

 

「(阿僧祇さんは、何かを隠している)」

 

 紅葉が「こいつにはその話はナシだ」と言っていた事が泉美の心に靄をかけていた。

 そんな二人の心情変化をよそに双葉のもつ情報端末が鳴りだした。

 

「っと、二人ともごめんね。あぁ、紅葉? やっぱりそっちに行ったんだね」

 

 そして二人に断りをいれた双葉は着信音に応じるとそれは紅葉が真由美と一緒にいるというお知らせだった。

 

 

 

「やあやあ、まゆみん。声では昨日ぶり、会うのは二年ぶりね!」

 

 真由美の質問から逃げるように双葉に連絡をとった紅葉は真由美を連れて、今いる男性物のフロアから一階降りた女性物のフロアに移動していた。

 そこで待っていたのはいつも通りに笑っている双葉とジト目の泉美、そして妙に晴れた顔の香澄が二人を待っていた。

 三者三様な表情に紅葉は待ってる間、双葉が二人にいろんな事を吹き込んだんだろうと呆れた表情で双葉を見る一方、笑ったまま真由美に目を向けていた双葉はそんな事を言っていた。

 

「双葉さん、今日は逃がしませんよ」

 

 そんな双葉を据わった目で見る真由美。昨日一方的だった事を根に持っているようだ。

 

「もちろん、逃げも隠れもしないわよ。だからここにいるんだもの」

 

 真由美の言葉に胸を張って言葉を返す双葉。その姿を見て真由美はこの人は本当に変わらない人だなと思っていた。

 

「その前に、紅葉」

 

 双葉はケラケラと笑ったまま、そこでようやくずっとこっちを呆れた目で見てきていた紅葉と目を合わせた。

 

「なんだよ?」

 

 この時、紅葉は直感する。

 弟であるからこそわかる事がある。この姉の顔は碌な事を言わないと。だから何を言われても大丈夫なようにと気構えた。

 

「私、まゆみんを連れて行くから、妹ちゃん達をよろしくね」

「あ?」

 

 しかし思っていたよりも謎の言葉を言われた為、呆けてしまった。そんな紅葉を尻目に双葉は、自身の隣にいる香澄と泉美に向き直り

 

「そんな訳で、かすみんにいずみん、まゆみんは借りてくよ。まぁしばらく紅葉とデートしてて」

 

 紅葉としては耳を疑いたくなるような事を言いはなっていた。

 

「え?」

「は?」

 

 それは香澄と泉美も同じだったようで、目が点となって固まる。

 そうして双葉はいつもの如く一方的に言いたい事を言って話し終えたとばかりに真由美に向かって「さ、行こうか」と声をかけていた。

 そこに待ったをかける弟が一人。

 

「ちょっと待て姉貴!」

「なによ紅葉?」

 

 なにか文句でもある? と言った感じの目を向ける双葉。

 

「文句大ありだボケ。姉貴達がいなくなるんだったら、こいつらと一緒にいる意味ねえだろ。俺は帰るぞ」

 

 紅葉の目的は姉の付き添いであって、香澄と泉美とデートする事ではない。双葉一人で真由美に話をすると言うのであればこの場に残る理由はなかった。

 

「へー、そんな事言っちゃう?」

 

 しかし、双葉はそれを良しとしない。帰られては狙っている効果が得られない。

 だから、絶対に帰れない言葉を使う事にした。

 おもむろに紅葉に近づき耳元で囁く。

 

「だったら、二人にも話すわよ?」

 

 その言葉に紅葉の顔は苦虫を噛み潰したように歪んだ。

 

「ぐっ、てめぇ卑怯だろ」

 

 紅葉の中で自身に起きた事は、出来る事ならこれ以上他人に知られたくないと思っている。特に在校生、もっと言ってしまえば一年生には最後まで話す気はなかった。知られてしまえばどうなるのかわかりきっているからだ。

 それを双葉は人質にとった。

 紅葉が在校生に自身に起きた事を話さないのは今の彼の結論からわかっていた。

 しかし双葉はその結論を絶対に受け入れたくないと拒絶している。

 もう使える時間も限られてきている為、使える手は使うと決めていた。それで紅葉の双葉に対する評価が下がろうとも構わないと。そうなったら悲しいと思っているが。

 

「卑怯で結構。で、どうする? 帰る?」

 

 心の中で双葉は「ごめんね、紅葉」と謝っていた。

 

「たく、わかったよ。二人とも行くぞ」

 

 紅葉は雑に頭を掻きながら渋々と白旗を上げた。そして香澄と泉美を一瞥してから歩き出す。

 

「あ、阿僧祇さん」

「え、ちょっと。えっと、お姉ちゃん?」

 

 それまで固まってよくわからないまま紅葉と双葉の会話を聞いていた香澄と泉美はどうしていいかわからず二人は真由美と紅葉を交互に見て慌てていた。

 

「二人とも、少しの間紅葉くんと一緒にいてくれる?」

「お姉ちゃんがそう言うなら」

「わかりました」

 

 真由美のお願いに二人は渋々と頷き返す。そして二人は双葉に一礼した後、紅葉を追った。

 

「阿僧祇!」

「阿僧祇さん」

 

 だが、すぐに紅葉の背中に追いついた。

 どうやら彼は普段の歩幅の半分ぐらいで歩いていたようだ。

 二人から呼びかけられた紅葉は気怠そうに振り返る。

 

「あー、お前ら行きたいとこあるか?」

 

 紅葉は行き先を決めずに歩いていたようで、気怠さの中に気まずさが見え隠れしているような表情だった。

 

「私は特にありません。香澄ちゃんは?」

「ボクもないかな」

 

 紅葉の問いにすぐに応じた泉美は香澄にはありますかと流すも香澄も同様に特に行きたい場所はなく首を横に振っていた。

 二人の答えを聞いた紅葉は一息吐いて、

 

「なら、少し休むか。つーか俺が休みたい」

 

 そう提案していた。

 

 

 

 

 

「阿僧祇さん、今日はお姉様に会う予定だったのですか?」

 

 ここは副都心のとある喫茶店。

 もともと紅葉と双葉はこの喫茶店で真由美と待ち合わせする予定だった場所である。

 双葉と真由美は喫茶店に向かう道とは真逆に行ってしまったためこの店ではないと踏んだ紅葉はこの喫茶店を休憩場所に選んだのだった。

 店に入って上座、壁側にある長椅子に双子を座らせた紅葉はその対面──正面に香澄、右斜めに泉美──に腰を下ろしていた。

 お互い飲み物の注文が終わり紅葉が出された水に口をつけた時だ、泉美からそんな質問をされたのは。

 

「いや、それは姉貴の予定だな。俺はただの荷物持ちだ」

 

本当は付き添いだけなのだが、それでは余計な詮索にあいそうと思った紅葉は当たり障りのない役割、荷物持ちに変えていた。

 

「今日はのんびり過ごすつもりだったんだが、姉貴が夏物の服が欲しいから付き合えって言ってきてな。んで、道中で七草さんに会うって聞いたんだよ」

 

 本当なら真由美に会うまで時間がありそうだったから買い物していただけなのだが、それを逆転させ自分はあくまでも「ついで」に仕立て上げる。

 

「ねぇ、阿僧祇は前からお姉ちゃんと知り合いだったの?」

「まぁ、姉貴経由だけどな。てか、お前。よくも人前で人のことをナンパ男って大声で呼びやがったな」

 

 そこでようやく紅葉は香澄にナンパ男と呼ばれた事を思い出した。どちらかというと、真由美との関係について色々と詮索されないようにと話題を変えただけなのだが、ナンパ男というレッテルは剥がしておきたかった。

 

「あ、あれはあんたが悪い!」

 

 それを今思い出すかといった風に香澄の顔に羞恥心が浮き上がる。

 どうやら香澄は自分が勘違いしていたのを理解していたようだが、自身の性格から素直に認められなかったのかそれとも紅葉からの指摘に反発心が沸いたのか、紅葉にそう言い返していた。

 その言葉に紅葉は妙な安堵感を得ていた。

 

「いやいや、あれはお前お得意の早とちりだろ」

 

 そういえば香澄とはなぜか気まずいままだったなと思い返しながら、こういった言葉の応酬は不思議と久しぶりのように感じていた。

 

「お得意って何よ! あんたが泉美の肩に手をかけて、その顔が困っていたら誰もが──「香澄ちゃん」──って何よ泉美」

 

 そんな紅葉が安堵感を得て気だるさがあった表情から穏やかな顔になった事にも気づかないまま、香澄はいつも通りヒートアップして行くのだがそこに泉美がストップをかけた。

 

「周りを見てください」

「周りって……あっ」

 

 泉美に促されるまま周りを見ると他の客の視線が自身に集まっているのに気づいてしまった。ヒートアップしていた気持ちが羞恥心へと変わっていく。

 

「自業自得だな」

 

 顔を真っ赤にした香澄を見ていた紅葉はいい気味だと言わんばかりにニヤニヤしていた。

 

「あんたのせいでしょう!」

 

 それを目にした香澄はキッと紅葉を睨みつける。

 

「香澄ちゃん」

「ぐぬぬぬ」

 

 そして再び噛み付こうとしたがまたしても泉美に止められるのだった。

 

「それで阿僧祇さん。双葉さん経由で知り合ったとは?」

「この流れで話を戻すのかよ。まぁいいけど」

 

 出来れば紅葉にとってはうやむやにして終わってほしかった話題なのだが、どういう訳か泉美がサルベージしてきてしまった。

 真由美とどう知り合ったのかは、本来なら二年前、在校時に先輩後輩関係だったと言えれば楽でいいのだが、香澄には留年している事を教えていない。この先も教える気はない為、色々とあやふやに答える事にした。

 

「姉貴が九校戦の選手として出場した時があってな、って、姉貴が一高の卒業生だって知ってるよな?」

「はい、お姉様の先輩なのですよね?」

「そうそう。んでだ、それを見に行った時に姉貴から七草さんを紹介されたんだよ」

 

 何年前などの時系列は隠しているが概ね真由美との初対面は紅葉の言った通りだった。

 詳しく言うと、紅葉が中学三年生で双葉が二年生、真由美が一年生の時、九校戦の会場で双葉に「私の弟でーす」と当時の九校戦選手とサポーターに紹介されていたのが真由美と紅葉の初対面であった。

 

「こうして顔を合わせたのは数年ぶりだな」

 

 理由が理由ではあるが一応、間違いではない。

 

「それよりも、お前ら試験前だってのにショッピングとは余裕だな」

 

 そしてまた区切りがいいと踏んで話題を変える紅葉。

 

「それ、あんたもでしょ」

 

 紅葉の話題転換にさして何も感じていない香澄はそのまま話題にのっかっていく。しかし泉美はそうもいかなかった。

 

「(また、話題を逸らした)」

 

 話題がかわったところで注文していた飲み物がそれぞれの前に置かれる。

 

「(お姉様の話題をそんなにしたくないのでしょうか? それとも香澄ちゃんに年上であると知られる事を警戒している?)」

 

 紅葉としてはどちらも正解ではあるのだが、そんなことを知る術を持たない泉美はミルクティーを口に寄せながら疑いの眼差しを紅葉に向けるのだった。

 



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モノリス・コード選抜戦1

「魔法を使うほどですか?」

 

 紅葉達と別れた双葉と真由美は手頃な喫茶店に入り、その店の一番隅の席に座った。そして店員に注文したコーヒーが届けられるまで適当な雑談をし、届くと双葉はおもむろに自分たちの周りに遮音障壁をかけていた。

 

「まぁ一応ね。周りに聞かれたら気分が悪くなるのは目に見えてるし」

 

 双葉は周りに目を配らせる。

 そこには雑談してる人達、勉強している人など様々な理由で喫茶店を利用している人達がいた。この人達の邪魔をしたくない。というのは建前で本音はこの中に今から話す内容を知られてはいけない人間がいないとも限らない。

 双葉はコーヒーに備え付けられたミルクや角砂糖には一切手を付けずにカップに口をつけた。コーヒーが舌を通りすぎ、苦いと感じてから彼女は気を強く保たせる。

 

 これから話す内容は冗談混じりには話せない。それに気を強くもっていなければ平常心を保てない自信があった。

 

「それじゃ、何から聞きたい?」

 

 その双葉の姿勢に気付いた真由美は背筋を伸ばして姿勢を正す。

 そして自身が一番知りたかった事を口にした。

 

「双葉さん。あの時、二年前の九校戦最終日、何があったんですか?」

 

 二年前の九校戦最終日。

 その日、真由美は朝に紅葉の姿を見ている。しかし帰りのバスには紅葉と双葉の姿はなかった。

 

「やっぱりそこになるよね」

 

 双葉にとってもあの日は突然だった。

 突然、日常が壊れた。

 

「あの日に紅葉は……」

 

 双葉の言葉が途切れる。

 彼女は奥歯を強く噛み締め沸々とわき上がる怒りを抑え込み、真由美に真実を話し始めた。

 

 

 

 それから一時間弱。

 喫茶店で雑談していた紅葉の通信端末に双葉から連絡が入り、香澄と泉美を連れて喫茶店をあとにした紅葉達を待っていたのは、妙に笑顔に力がこもっている真由美と少し疲れた顔をした双葉だった。

 二人のおかしな雰囲気に香澄と泉美は首を傾げる中、紅葉は四人に気付かれないように小さくため息を吐ていいた。

 

「(ほら、予想通り)」

 

 真由美の視線が強く紅葉に刺さる。

 それだけで真由美が自分の敵になったのだと確信した。

 

「(ホント、諦めてくれりゃ色々と楽なのにな)」

 

 こう考えるも紅葉は自分の考えに賛同する人は皆無だろうと思っている。

 

「(こいつらに知られるのも時間の問題か)」

 

 横目に香澄と泉美を見て、二度目のため息が出た。

 

「(たく、あいつらでさえ無理矢理納得させてどーにかなってるってのに、こいつらに知られたら説得でき……ないよなぁ。あいつら違って時間がなさすぎる)」

 

 頭の中で色々と想像していたら頭痛が起きて精神的疲労がドッと押し寄せてきた。

 

「(頼むからこいつらに言わないでくれよ七草先輩)」

 

 真由美が人の秘密を勝手に言いふらす人ではないとわかっているがそう思わずにはいられなかった。

 その後、双葉は真由美と香澄、そして泉美に二、三個話かけそれで満足したのか紅葉に向き直る。

 

「それじゃ帰りましょうか。あ、それともまだデートして──」

「帰るに決まってんだろ」

 

 双葉が帰るかどうかの提案をしてきたかと思えば茶化してきたので紅葉はバッサリ両断してやった。

 

「なーんだつまんないの。それじゃ私達は帰るね。まゆみん、かすみん、いずみん、またねー」

 

 それにブーたれながら、仕方がないと三人の方へ振り返り手を振る双葉。

 

「それじゃ七草さん、失礼します。二人ともまた明日な」

「あ、紅葉くん!」

 

 紅葉も帰る挨拶を三人にして踵を返そうとした所で真由美に呼び止められた。

 

「なんですか、七草さ──」

 

 再び真由美の方へ向こうと振り返る途中で自分の肩に真由美の手が乗っているのに気づいたのも束の間、肩に乗っている手にグッと力が入り紅葉の体が傾いた。

 

「私も諦めないから」

 

 そして身長差がなくなったところで真由美は紅葉の耳元で囁いた。

 紅葉の肩に置いていた手を離して一歩後ろに下がる真由美。

 

「……頑張らなくていいですよ?」

 

 紅葉は驚きはしたものの、真由美の言葉に『でしょうね』と納得しつつ、精一杯の反抗心を込めて言葉を返した。

 

 

 

 

 七月九日月曜日から十二日木曜日まで第一高校定期試験が行われ、とくに事件や問題など起こることなく滞りなく日は進み十三日金曜日を迎えた。

 この日はモノリス・コード選抜戦が一年生に告知される日。

 放課後、生徒会室であずさは緊張から解放されたかのようにデスクに突っ伏していた。

 いくら事前に各部の部長に打診していても日程が急である為、少しぐらい騒ぎになるだろうと予想していたあずさだったが、予想に反して生徒会に問い合わせの連絡はなかった。

 

「ま、いくら内緒にしとけって言われても、代表入りさせたかったら言っちゃうでしょうよ」

 

 安堵感いっぱいのあずさを見ながら紅葉はクツクツと笑う。

 定期試験が疎かにならないように一年生には選抜戦があると伝えないようにと各部長には通達していたが、それを守った部活は少なかったようだ。

 なにせ、告知から選抜戦まで一日もないのだ。特訓や準備充てれる時間がないに等しい。

 自分たちの部活から新人戦とはいえ九校戦の代表者が出るのは誇らしくなる上に宣伝にもなる。なればこそ、なんとしても代表入りさせたいとなれば備えさせるだろう。

 

「確か各部長には七月に入ったところで言ったから、早いやつだと二週間ぐらい練習できたんだろうな」

「そういう意味では阿僧祇さんなら、さらに時間がとれていたのではないのですか?」

 

 軽く頭の中で計算した紅葉の対面にいる泉美がモニターから顔を上げて聞いてきた。

 紅葉が生徒会推薦枠で選抜戦に出ると知ったのは六月下旬。そこから換算すれば二週間以上も準備に充てられたことになる。

 

「俺が練習しているように見えたか?」

「……してませんね」

 

 しかし紅葉の言葉に泉美が記憶を巡らせてすぐに結論がでた。

 紅葉は毎日放課後、生徒会室に来て雑務をこなし、時間がきたら帰宅しているのを泉美は見ている。長時間、生徒会室をあける日はなかったのだから、それで練習しているとは思えない。

 むしろ、この人は面倒くさがってやらないだろうとさえ思えていた。

 

「だろ(まぁ、試験を使って、感覚の調整はしたんだがな。そのおかげでちょっとトチッたが)」

 

 実技テストの折りに想子を意識してCADに流す調整を行った紅葉だが、それに気を取りすぎたのか少しミスをしていた。ただそれほどテストの結果は気にしていないので、そこまでやってしまった感は彼になかった。

 

「それよりも、選抜戦参加者をもう知ってもいいんでしょ?」

 

 と言うのも、紅葉はまだ何人が参加するのか知らない。さすがに彼が生徒会役員とはいえ告知前から知っていては 公平性に欠ける。よって紅葉には選抜戦の大部分が秘密にされていた。

 

「あ、うん。今、リストを送るね」

 

 彼の言葉に突っ伏していたあずさは姿勢を正して目の前にあるコンソールを叩く。そして、すぐに紅葉の使う端末に情報が送られてきた音が鳴った。

 

「どれどれ。あー、やっぱり部活連からは七宝が出るかって風紀委員は龍善かよ!?」

「知り合いか?」

 

 あずさから参加者リストを送られた紅葉ではあるが、彼以外はすでにリストを持っていたようで各々モニターの隅などに表示させていた。

 そして紅葉の驚きに達也が反応したのだった。

 

「知り合いってか、同じクラスですよ」

 

 一年生の中では香澄と泉美の次に話す事が多い坊主頭の籠坂龍善の名前があるとは思わなかった。

 

「あとは知らない奴らだな」

 

 他にはクロス・フィールド部やスピード・シューティング部、はたまたモノリス・コードに適性があるのかはなぞだが山岳部といった計八名の名前と所属がリストには記されていた。

 紅葉がざっと見たところ七宝と龍善以外の名前には覚えはない。そして、リストを見て思ったことが口にでる。

 

「初戦で七宝か龍善、あとクロス・フィールド部の奴に当たれば少しは楽できそうだな」

「当たりたくないじゃなくてですか?」

 

 そう聞いたのはほのかだった。

 いつもは紅葉に対して一歩引いたような感じであまり話しかけてこないのだが、紅葉がかわったことを言ったので意味を知りたくてつい聞いてしまっていた。

 

「んー、まぁ初戦ならお互い情報がないですからね。先手を打ちやすいんですよ」

 

 紅葉は出来れば初戦は七宝だったらいいと考えていた。

 ふと泉美を見る。

 あの時、七草の双子VS七宝を見ていたおかげで七宝が使う魔法を知っているのだ。そして七宝は紅葉がどんな魔法を使うかを知らない。これほど先手必勝を打てる相手はいないだろう。

 

「なんですか?」

 

 泉美が紅葉に見られていたのに気付かれたが、彼は「いんや、別に」とシラをきった。

 

「まぁ、思い通りにはいかないでしょうが。で、どーやって対戦相手を決めるんです?」

「単純にくじ引きだね。細かいルールとかも送るよ」

 

 質問に答えを返したのは五十里だ。再び紅葉の端末が鳴る。

 

「あざーっす。……そんじゃ、CADの調整しますかね」

「もう読んだのかい?」

 

 送って一分も経たずに席を経った紅葉に達也以外に程度の差はあれど驚きの表情が現れていた。

 

「サシ勝負ってのはわかってたし、モノリスだから直接攻撃は禁止だろうって予想してましたからね。それが確認できたから大丈夫ですよ。そんじゃ調整室行ってきますわ。ついでに終わったらそのまま帰るんでよろしくー」

 

 そう言って紅葉はカバンを持って足早に生徒会室を出て行った。

 

 そして次の日、十四日土曜日。

 九校戦新人戦モノリス・コード代表選抜戦が始まる。

 



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モノリス・コード選抜戦2

「紅葉、てめぇ知ってたな!」

 

 十四日土曜日。

 紅葉が教室に入ると待ち伏せしていたかのように坊主頭の男子、籠坂龍善が迫りよってきた。

 

「なんだ藪から棒に?」

 

 紅葉は少し驚きはしたものの、すぐに龍善の横を通り過ぎて自分の席についた。

 

「藪から棒にじゃない。これだ、これ!」

 

 そう言って龍善はバッと紅葉の前に自身の情報端末を突き出した。そこには今日行われる選抜戦の内容が映されていた。

 

「あぁ、これか。お前も出るんだったな」

「昨日委員長に言われたんだよ。あんた、明日これがあるからって軽くな!」

「それは災難だったな」

 

 どうやら花音は生徒会から通達していた守秘義務を守っていたようだ。

 

「(あいつの性格からして、おもしろ半分って感じだろうが)」

 

 花音の性格を知っている紅葉としては、風紀委員長という立場で守秘義務を守ったのではなく、決められていた選抜戦告知解禁日に知らせた方が面白いと思っていたに違いない、と思っていた。

 だから心の中で龍善に向けて合掌する。

 

「しかも、負けは許さないって言われたんだぞ」

「そうか、頑張れよ。あぁ、俺と当たったら負けてくれていいぞ」

「ふざけんなこら。お前、いつから知ってた?」

 

 さてどうしたものかと思案する。

 紅葉としては龍善は今のところ気心の知れた友人の一人だと思っている。

 本当の事を言っても、特に気に留めないかもしれないが一応隠しておくかと口を開く。

 

「んー、昨日会長からとつぜ──」

「いつから知ってた?」

「……」

 

 どうやら隠しても無駄なようだ。

 

「二週間前ぐらいだな。安心しろ、俺が全部知ったのは昨日だ」

「なにも安心できないんだが?」

 

 そりゃそうだと内心で同意しつつ少しだけ龍善に身を寄せ、人差し指で彼に近づけと指示を出す。要は内緒話の姿勢である。

 

「なんだ?」

「ここだけの話、他の奴らは準備万端だろうから頑張れよ」

「うへぇマジか」

 

 聞きたくなかった悲報に龍善の顔が歪む。

 と、そこで紅葉は一つ訂正を入れた。

 

「あー、でも七宝の奴は違うかもな」

「七宝?」

「そっ、あいつ部活連からだからな。服部会頭が告知解禁日前に言うわけがないだろうよ」

「あー、確かに」

「(まっ、あいつの場合、準備なんか必要なさそうだけどな)」

 

 七宝の事に興味などないものの、七宝と七草の双子が戦っていたのを見ていた事と、あれ以降、紅葉と七宝に接点などはなかったが服部から度々部活連内の話に七宝が出てきた事もあってある程度、実力は測れていた。

 それを加味して現時点で紅葉の七宝に対する評価は±〇となっている。

 

「まぁ、アレだ。当たったら心置きなく負けてくれよ」

 

 ちょうど良く話が終わった所で予鈴が鳴った。

 紅葉は龍善に席に戻れと手で払うようなジェスチャーとあながち本心に近い言葉を言ってやる。

 なにせ七宝と違って龍善の情報は少ないのだ。驚異レベルで言えば龍善の方が高くなるのは仕方がない。

 

「ふざけんな、てめぇが負けやがれ」

 

 紅葉の言葉に龍善は中指を立てて言い返しながら自分の席へと戻って行った。

 

 そして向かえるは午後。

 

「なんでお前が居るんだよ」

 

 選抜戦参加者が集まるグラウンドには選抜戦に関係のない生徒の姿もあった。

 その一人が紅葉の目の前にいる七草香澄だ。

 

「なんでって、こんな面白そうな事見るしかないじゃない」

「ロアガンの練習してこい」

 

 手でシッシとあしらう紅葉。

 その仕草に香澄はカチンときたのか腕を組んで「ふーんだ」と顔を逸らした。

 

「あんたの負けっぷりみたら行くわよ」

「性悪な」

「なんですってー!」

 

 そんな紅葉と香澄が口撃の応酬をしている所を見ている人物が三人。

 

「あいつ、元気そうじゃないか」

 

 一人は紅葉を見て懐かしんでいる、三七上ケリーという名の金色の髪に黒い肌という珍しい色彩を持ったインド&ブリテン系の三年生。

 

「あいつはいつもあんな調子だぞ」

 

もう一人はなにをやっているんだといった表情をした部活連会頭の服部だ。

 三七上と紅葉は元クラスメートではないがお互い一年生の時、九校戦で選手だった事もあって知った仲ではあった。

 

「……先輩達は彼を知っているんですか?」

 

 そして三人目は、細身で中背の体格の男子、吉田幹比古という生徒である。

 幹比古と服部、三七上は九校戦本戦のモノリス・コードの選手に選ばれている。今日は新人戦モノリス・コードの選手を決める選抜戦があると聞いていたので見にきていた。

 そこで選抜戦参加者を見ながら色々と予想などしていたら三七上と服部が紅葉を見て幹比古が疑問に思ったところだった。

 幹比古は紅葉の事は名前ぐらいしか知らなかった。何度か生徒会に用事で赴いても会釈をする程度で会話など一度もしたことはない。

 しかし三七上も服部も紅葉の事を知っているような口振りだった為、思わず聞いていた。

 

「まぁ、知っていると言えば知っているが」

 

 なんとも歯切れの悪い答え方をしたのは三七上だ。

 物事をはっきり言う彼にしては珍しいなと幹比古が思っていると

 

「三七上」

 

 服部が言葉を差し入れた。

 名前を呼ばれた三七上が服部の目を見ると、少し厳しめな視線になっているのに気づいた。それだけで彼が言いたい事を理解する。

 

「悪いな吉田。詳しくは言えないが、少し知ってるぐらいで勘弁してくれないか?」

「あ、はい。わかりました」

 

 服部と三七上の空気からこれ以上聞いても得られる物はないと察した幹比古は素直に下がる事にした。

 頭の隅であとで達也に聞けばいいかと思いながら。

 

「はい、ではモノリス・コード選抜戦参加者の方はこちらに来て、受付と使用魔法のチェックをします」

 

 あずさが目視で参加者全員が集まったのを確認し隣にいた五十里に目配せする。それを受けた五十里が全員に聞こえるように大声で言った。

 

「阿僧祇紅葉、使用CADは汎用型と特化型です」

 

 一人また一人と受付が終わり最後に紅葉の受付となった。彼の目の前にはあずさがいる。

 

「はい、確認しますね」

 

 紅葉から差し出された二機のCADを検査装置に掛け走査が始まった。

 

「はい、阿僧祇くんこれ」

 

 その間、あずさが紅葉にある物を手渡す。彼の手には八と書かれたプレートがおさまっていた。

 

「なんですこれ?」

「この後、トーナメント順を決めるくじ引きをするんだよ。あの箱の中に八番までのプレートが入ってて、それを吉田くんに引いてもらうの」

「吉田くん?」

「うん、吉田くん。二年生の風紀委員でね、本戦モノリスの選手だよ」

「(あぁ、三七上と服部の近くにいる奴ね)」

 

 あまり聞くことない名前に頭を捻るのも一瞬で、あずさが誰だかを細かく説明したのですぐに理解できた。

 紅葉は特に幹比古と話をしたことはなかったが古式魔法「精霊魔法」を得意とするぐらいは知っていた。

 

「引いた番号の順番でトーナメントに組まれていくんだよ」

「なるほど」

「終わったよ阿僧祇くん。うん、特に問題ないね」

 

 話の切れ目を狙ったかのように五十里が調べ終えたCADを持ってあずさの横についた。

 

「ありがとうございます」

 

 CADを受け取った紅葉はその場で腕輪型汎用CADを右手首に付け、短銃型特化CADは右脇のホルスターに納める。

 

「(さて、どこまで上手く行きますかね)」

 

 そう思いながら振り返ると受付を終えてトーナメント順を決めるくじ引きが始まるのを待っていた七人の視線が紅葉に集まっていた。

 視線は挑戦的だったり下から上まで観察するようなものだったりと様々だ。

 

「(まぁ、あいつらが用意してくれた舞台だ。楽しむとしますか)」

 

 紅葉はそんな七つの視線に臆することなく不敵に微笑み返してやった。

 



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モノリス・コード選抜戦3

「最後は八番、阿僧祇紅葉が──」

 

 ホワイトボードに書かれたトーナメント表に、九校戦本戦モノリス・コードメンバーの一人吉田幹比古が抽選箱から次々と引いていた。

そして紅葉の八番が残ったまま他の枠は埋まっていき最後まで空いていたのが

 

「──Aブロック一番だな」

 

 第一回戦の位置だった。

 そこに紅葉の名前が入る。

 紅葉としては決まる一つ前まで空いていたBブロック四番、すなわち対戦相手が七宝の方が良かったのだが、こっちはこっちでメリットがあるのでこれはこれでいいかと思っていた。

 紅葉とは対称的にBブロック四番に入ってしまった山岳部一年生は地獄にたたき落とされたように膝から崩れていたが、紅葉は気にすることもなくそのまま目を少し下にさげて、自分の対戦相手の名前を目にする。

 

「日浦志郎? うちのクラスじゃねーな」

「スピード・シューティング部の方ですね」

 

 誰に聞くでもない紅葉の呟きに、いつの間にか隣に立っていた泉美が答えていた。

 まさかの解答に少しビクリと驚いてしまった紅葉は恥ずかしい気持ちを隠すかのように泉美へ気配を消して近づくんじゃねーよと抗議の半目を向ける。しかし、彼女に意図は少しも伝わらず小首を傾がせることしかできなかった。

 

「音もなく近寄るなっての」

 

 目で意図が伝わらなかった事に仕方ないと口で抗議する紅葉。それに今度は泉美が目を細めて反論した。

 

「近寄ったつもりはありませんが? むしろ、阿僧祇さんが近寄ってきたんですよ」

「あ? んな、アホ……な?」

 

 そんなアホな事あるかと言い切りたかった紅葉だが、CADをチェックされてから今いる場所に来るまで周りを気にしていなかったことに気がついた。

 その時、たまたま泉美の近くで止まって、今まで気づかなかったとなれば

 

「……スピード・シューティング部の奴か。早さか正確性はありそうだな」

 

 どちらに非があるか察した紅葉は言った文句をなかった事にするように会話をつづけた。

 

「何か言うことはありませんか?」

 

 しかし、泉美の言葉とジト目に逃げることは叶わなかった。

 

「すまん」

「わかればいいです。ところで、作戦はあるのですか?」

 

 珍しく素直に謝ってきた紅葉の言葉に満足した泉美は特に追い討ちをかけずに、気になっていることがあったので聞いてみることにした。

 

「……作戦?」

 

 まさか次の質問があるとは思わなかった紅葉は素で聞き返してしまう。その態度に泉美の目が再び細められた。

 

「……」

 

 その目から逃げるように少し罰の悪そうに目をそらす紅葉。彼にとって泉美のジト目が苦手になってきたようだ。

 

「そんな目で見んな。作戦なんてあるわけないだろ。今のとこ相手の戦闘スタイルの予想ぐらいしかつかないし、作戦なんて立てれねーよ。出たとこ勝負だ、出たとこ」

 

 今紅葉が持つ日浦志朗という男の情報は泉美が言ったスピード・シューティング部の部員というものしかない。そこから得意魔法を割り出すなんて不可能に近い。

だから始まってからじゃないとどうなるかわからないと紅葉は口にしたが、本当のところ初戦の戦い方はだいぶ前から決まっていた。

 相手が誰であろうと、効果の高い一回限定の手を。

 そんな作戦──たとえ他の作戦があったとしても──があるなど誰でも聞けてしまうこの場で言うはずもない。

 

「そうですか。では、頑張ってください」

「あぁ、適度に頑張るさ」

 

 そんな紅葉のセリフをマルッと信じたのか泉美は応援の言葉をかけてから香澄のいる方へと歩いていった。

 

 

 

 それから少しして生徒会から改めてルール説明が行われた。参加者にとってはすでに既知の情報ではあったが観戦者に知ってもらう&再確認の為でもあった。

 とは言え本来のモノリス・コードからモノリスに関する事を除いたのが選抜戦のルールになっている。

 

①相手を戦闘続行不能にする

②魔法攻撃以外の直接戦闘行為は禁止

 

 そうして、ルール説明がなされた後は始まるのみと思った参加者達だが、五十里から待ったがかかった。

 

「もう一つ。ルールではないのだけど審判について説明します」

 

 その言葉に紅葉の意識は五十里の右隣にいる達也に向いた。

 

「(達也じゃねーのか?)」

 

 達也にとっては不本意だろうが、審判と言われたら達也のイメージ強かった。

 それは紅葉だけではないようで他の参加者も目は向けなくても意識は達也に向いていた。

 

「……」

 

 意識されているのに気付いていそうな達也だがポーカーフェイスを貫いている。

 

「参加者に生徒会、部活連、風紀委員から出ている人もいる為、公平性から審判も生徒会、部活連、風紀委員から一名ずつ出てもらいローテーションであたってもらいます」

「あーそういうことね」

 

 確かにと納得する。

 達也だけが審判をしていると同じ生徒会から出ている紅葉の試合も審判することになる。そこに文句をつける人がいてもおかしくはない。

 

「生徒会からは司波副会長、部活連からは服部会頭、風紀委員からは千代田委員長が審判をしてくれます」

 

 達也の横に服部と花音がスッと現れた。

 

「一回戦は千代田委員長に審判をしてもらいます。それでは阿僧祇くん、日浦くん準備をしてください」

「(千代田ね。ま、大丈夫だろ)」

 

 紅葉にとって花音に真面目な印象は薄かったが、こんな大きな舞台でからかう事はしないだろうと思いながら──花音が不敵な笑みを浮かべているのを見なかったことにして──開始位置へと向かった。

 そして紅葉とは対照的に色んな人に応援されて送り出された男子、日浦史郎が紅葉と対峙する。

 日浦は昔のガンマンを彷彿する様な両足をしっかりと地面につき膝を軽く曲げ、腰に付けているホルスターからいつでも短銃型CADを引き抜ける構えをとっていた。

 対して紅葉は棒立ち。

 その姿に日浦はなめやがってと怒りが沸き上がった。

 彼は選抜戦の参加者の名前がわかってから今日まで、自身持ちうる情報網を使って各参加者の事を調べていた。そこで得られたら紅葉の情報は、生徒会所属と魔法技能に関しては中の中、つまり一科生の中では普通だったというだけで使用魔法や実力に関することはわからなかった。

 その理由は生徒会にいながら思って立って行動していないらしく生徒会のワードで聞き込みをしても紅葉の名前が少しもあがらなっただけでなく、実技ではクラスで目立った成績を出すことなく淡々として終わらせているとしか聞き出せなかったからだ。

 ならなぜそんなザ・普通な男が生徒会に入れて、今回この選抜戦に生徒会枠で参加出来ているのか。

 そう思うと考えれることは少ない。日浦が行き着いたのは阿僧祇は何か隠した力があるのでは?という答えだった。

 そして、対戦相手が紅葉と決まってから日浦はより警戒を強めていたのだが、その警戒心は紅葉の棒立ちによって怒りという感情で上書きされ消え去った。

 はやる気持ちが構えに現れる。

 より前傾姿勢になり手はホルスタースレスレまできていた。

 それを目にしていながら紅葉は変わらず棒立ちのまま。

 むしろ日浦の表情に対して不敵な笑みを浮かべてさえいる。

 そこで日浦の感情はピークを迎えた。

 

「モノリス・コード選抜一回戦、阿僧祇紅葉対日浦史郎」

 

 二人の準備が整ったと見計らった審判である花音がゆっくりと右手を挙げ

 

「始め!」

 

 言葉と共に振り下ろし、試合が始まった。

 日浦は開始の合図からすぐに腰にあるホルスターからCADを抜き、ゆっくりと動き始めている紅葉に向け引き金をひいた。

 この時点で日浦は勝ちを確信する。

 

「(阿僧祇はまだCADに触れてない。俺の勝ち……え?!)」

 

 だが、その確信は驚きにより停滞した。

 発動したと思った魔法が発動しなかったのだ。

 

「なんで?!」

 

 突然のことに持っているCADを凝視してしまう。何が起きたのか混乱しているが、日浦はこの場において一番忘れてはいけない事を忘れていた。

 それは、戦いの最中であると。

 

「がっ!?」

 

 突然の衝撃。

 頭が激しく揺さぶられたような感覚に視界は歪み、気持ち悪さから体の力が弱まる。

 何事かと、日浦はなんとか顔を上げてみると、紅葉が短銃型CADを構えているのが見えた。

 それにしまったと思ったところで遅い。

 紅葉の短銃型CADから魔法が放たれ、日浦の意識を吹き飛ばした。

 

「勝者、阿僧祇!」

 

 日浦が倒れ、動かなくなったところで花音が勝者の名をあげる。

 それを聞いた紅葉は軽く息を吐き、左手に持っていた短銃型CADを右脇のホルスターに戻した。

 

「(さて、うまく誤魔化せたか?)」

 

 倒れている日浦に控えていた救護要員と部活の先輩などが駆け寄るのを見てから紅葉は勝利に喜ぶでもなく戦闘エリア外にいる他の参加者と観戦者の方へ目を向けた。

 

「(気付いてそうなのは──)」

 

 まず目にしたのは紅葉、日浦を除いた他の参加者六名の表情。

 龍善含め五人の顔は何が起きたのかわからないといった驚きの表情だったが、一人だけ、七宝だけが紅葉を強く睨んでいた。

 

「(──七宝ぐらいか。まぁ、予想通りだな。で、あっちはってなんちゅー顔してんだか)」

 

 そのまま紅葉の目は横にシフトして真っ先に見たのは香澄が口を開けてポカーンとした顔だった。

 それを香澄が気づくまで見ておきたい気持ちもあったが、今は香澄に目を奪われてる場合ではなかった。

 すぐに香澄以外の観戦者を一瞥する。

 

「(三年は、まぁわかるか。二年は、半々ってとこか?)」

 

 紅葉が急いで確認していたのは自身がやった事を何人が理解しているかを見ていた。

 

「(どちらにせよ次は、全員に対抗魔法があるって知られてると思った方がいいな)」

 

 紅葉は戦いにおいて情報は重要だと考えている。知っている知らないでは全てにおいて差が出るからだ。だから彼はすぐに試合を見ていた人達の表情を確認した。選抜戦参加者だけでなく観戦者も。

 理由は簡単である。この場に参加者の控え室というものはなく、参加者は観戦者の近くにいて、いつでも観戦者から参加者へアドバイス出来てしまうからだ。そのため、参加者が知らないことでも知っている観戦者から情報がもたらされる事は十分考えられる。

 

「(さて、次の相手はどっちかね)」

 

 警戒レベルを少しだけ上げた紅葉は二回戦を静かに見るために参加者も観戦者もいない場所へと向かった。

 

 

 

 

「今の、術式解体?」

「(さすがは香澄ちゃんですね)そのようですね」

 

 紅葉にポカーンとした顔を見られたとは知らず見られてから数秒後、隣にいた泉美に今見たものの正否を聞いていた。

 泉美はそれに答える前に一瞬でしかなかった紅葉の魔法に気付いた香澄に心の中で賞賛しながら、はっきりではないが合っているのではと返した。

 

「あいつ、なんて珍しい魔法使うのよ」

 

 香澄が驚くのも無理はない。

 術式解体は圧縮された想子の塊を対象にぶつけて爆発させ起動式や魔法式を吹き飛ばす無系統の対抗魔法であるため、発動するには大量の想子が必要となる。それは並の魔法師では一日かけても絞り出せないほど要求するため使い手が極めて少ない。

 

「阿僧祇くんって実はすごい人だったり?」

 

 香澄と一緒に観戦していたのは泉美だけでなく、香澄とロアー・アンド・ガンナーでペアを組んでいる笠井彩愛もその場にいた。

 

「あいつを凄いって言いたくないけど、ぐぬぬぬ」

 

 彩愛の言葉に反発したい香澄だが、術式解体を使えるだけでなくしっかり試合に勝っている事から少しは認めても、いやでもと不思議な葛藤をしている横で泉美は別の事を考えていた。

 

「(先手は間違いなく日浦さんだった。だけど魔法を無効化されてから……)」

 

 泉美の頭の中では、今の戦いの流れがリピートされていた。

 

「(無効化したのは術式解体。いえ、確か八握剣(やつかのつるぎ)でしたか)」

 

 泉美が紅葉の魔法を知ったのは新入部員勧誘週間の時である。大規模な魔法乱闘を鎮める為に放った魔法。それが八握剣だった。

 

「(八握剣で魔法を無効化された日浦さんは突然のことに混乱し、その隙をついて阿僧祇さんは攻撃した)」

 

 紅葉が最後に放った魔法は予想はついているもののそこまで珍しい魔法ではなかった為、深く考える必要はなかった。

 どちらかというと泉美は紅葉の使った魔法ではなく試合展開について頭を巡らせていた。

 そして今、試合が始まる少し前に紅葉と話していたことを思い出していた。

 

「(出たとこ勝負と言っていたわりにはスムーズな展開)」

 

 作戦はあるのかと聞いた泉美にそんなものはないと答えた紅葉。

 しかし蓋を開けてみれば紅葉の動きに無駄はなかった。

 最初から魔法の無効化で日浦が驚くことまで計算していたかのように冷静に対処していた事から全て計算通りなのだろうと。

 

「(普段とは大違いですね)」

 

 それが泉美には今までの教室や生徒会室で見てきたどこか適当感のある阿僧祇紅葉とは違うように思えていた。

 




実は紅葉の初戦闘回だったり


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モノリス・コード選抜戦4

「(二回戦は龍善とクロス・フィールド部の奴か)」

 

 戦闘場の端に着いた紅葉は腕組みをして二回戦が始まるのを待っている間、次の対戦相手になる二人を見ていた。

 

「(そう言えば、あいつの戦う姿は初めて見るか?)」

 

 なんだかんだで紅葉は龍善と一緒にいる時間は多い。ただ龍善が風紀委員として働いている姿を紅葉が見たことがあるのは部活勧誘週間の時だけ。それ以外では見たことがない上にその時でさえ、魔法を使ってる姿を見ていなかった。あの時はあの時で使う必要性はなかったかもしれないが。

 

「(風紀委員としての仕事ぶりは悪くないっていつだったか千代田が言ってたな)」

 

 しかし見たことはなくても紅葉が風紀委員と連携を取っている生徒会にいる事で、風紀委員の成果を耳にすることは多々とあった。

 その中で一年生風紀委員の仕事ぶりはとても良いと花音が言っていたのを思い出す。

 

「(そんじゃその実力、とくと拝ませてもらおーじゃねーか)」

 

 塵一つ見逃さないと言わんばかりに紅葉は鋭い視線を二回戦の二人に注いだ。

 

 

 そんな視線が向けられているとは思わない龍善は、気を落ち着かせる事に集中していた。

 

「(術式解体とか、あの野郎マジか)」

 

 気を乱したというよりは興奮したと言った方が正しいのかもしれない。

 術式解体という対抗魔法は名前は有名なのだが、使い手が少ない分、中々見ることのない魔法だ。初めて見る魔法と知り合いが使ったとなれば興奮するのも仕方がないだろう。

 

「(ずっと隠してたってのか?)」

 

 龍善は入学当初、紅葉の一年生とは思えない風貌から話かけにくかったのだが、部活勧誘週間の時に起きた問題で彼が仲裁に入った事がきっかけで話すようになっていった。そして、紅葉と軽口の応酬をやるようになってはいたが、お互いの魔法についての話は一切なかったなと思い返す。

 確かに個人の魔法技能の詮索はマナー違反になるのだが、それ以外、例えば授業内容とかの会話はなかったなと。

 

「(くそっ余裕綽々で終わらせやがって。……あいつのことは後回しだ。今はこの勝負に勝たないと)」

 

 龍善はおもむろにパンっと両手で両頬を叩いた。

 今、紅葉の事を考えたところで意味はない。彼と当たるにはまずは目の前の相手、クロス・フィールド部の一年生を倒さないとならないのだから。

 

「(初戦負けなんかした日にゃ、委員長に何言われるかわかったもんじゃないしな)」

 

 それはもうグチグチと花音から色々言われるのが目に浮かぶ。そんな光景にゲンナリしそうになる気持ちをぐっと抑えて龍善は構えた。

 両者の準備が整ったのを見届けた審判、部活連会頭の服部はゆっくりと右手を挙げ

 

「モノリス・コード選抜二回戦、籠坂龍善対田巻秋継(たまきあきつぐ)……始め!」

 

 開戦の言葉と共に振り下ろした。

 

 

 

 

「籠坂くんの魔法は偏倚解放(へんいかいほう)かい?」

 

 開戦の合図から龍善は自己加速術式を展開し相手との距離を一気に詰めようと動いていた。

 しかし、それを嫌ったクロス・フィールド部一年生、田巻秋継は前には出ず後退しながら移動系魔法、陸津波(くがつなみ)を放つ。陸津波は土を掘り起こし土砂の塊を相手に叩きつける魔法だ。

 陸津波による土砂の塊が迫る中、龍善は真正面から短銃型CADを向け魔法を放って土砂の塊を弾き飛ばしていた。

 その魔法を見て少し驚きを含んだ言葉で言ったのは生徒会役員席に座る五十里だ。

 

「そのようですね」

 

 彼の言葉に同意を示したのは右隣に座る達也である。達也にとってその魔法は少し記憶に残るものだった。

 

「偏倚解放って、確か去年の九校戦で一条くんが使ってた?」

 

 その理由は五十里の左隣に座るあずさからもたらされた。

 収束系魔法、偏倚解放。

 空気を圧縮し破裂させて爆風を一方向に放つ魔法である。円筒の一方から空気を詰め込み蓋をして、もう一方を目標に向けて蓋を外す、というのがイメージしやすい。

 去年の九校戦で十師族直系である一条将輝がこの魔法を使っていた事と、達也が急遽モノリス・コードに参加することになり一条と対戦していたことから、

その時の光景がこの場にいる全員の頭を──場面は様々だが──よぎった。

 

「一条の場合、殺傷性ランクを下げる為に使っていましたが、使い方としては籠坂くんの様な使い方が正しいでしょうね」

 

 偏倚解放は圧縮空気を破裂させるより威力を出せるのと、爆発に指向性を与える事が出来ることから物体を押し出すような事には適している魔法と言える。

 

「そう言えば、シールド・ダウンの千倉さんも偏倚解放を使っていましたね」

 

 数日前に行われた今年から追加された新競技シールド・ダウンの模擬戦で女子ソロ代表の千倉朝子が偏倚解放を使っていたのをあずさは思い出した。

 あの時は対戦相手に選ばれた女子の動きに翻弄され不発に終わっていたが、当たれば効果があるのは間違いない。

 

「それにしても、彼は随分戦い慣れていますね」

 

 達也の目には陸津波を対処した龍善がさらに田巻に接近しているところが映っていた。

 なおも田巻は自身が得意とする距離を取ろうとさらに後退しようとして、出来なかった。

 

「なっ?!」

 

 田巻の背中に謎の感触があった。

 慌てて振り向くもそこには何もない。だが、背中には何かが当たっていて後ろに下がれない。

いや、下がれてはいるがそのスピードは牛歩の様に遅かった。

 

「くっ……どうなってる?!」

 

 後ろがダメならば横に、と動こうとするがいつの間にか謎の感触が左右に広がって、思うように動けないでいた。

 

「チェックメイトだごらぁ!」

 

 そうこうしている内に田巻は目の前まで龍善に近づかれ慌てて防御魔法を展開するが至近距離からの偏倚解放の圧力に負け、それが決め手となり龍善の勝利となった。

 

 

 

「えげつねぇ」

 

 紅葉の二回戦の感想は苦笑いと共に呟かれた。

 

「相手の動きを止めた魔法はなんだ?」

 

 紅葉の位置から二人の戦う姿は丸見えだった。ただでさえ障害物がないフィールドなのだから、遮られることもない。

 にも関わらず、龍善が使った魔法の正体がわからない。

 

「目に見えないって事は空気で壁でも作ったか?」

 

 しかし、候補がないわけではない。

 

「攻撃も圧縮解放みたいだったし、収束系がメインっぽいな」

 

 ちなみに紅葉は龍善の攻撃が偏倚解放だとはわかっていない。それはただ単に偏倚解放という魔法を知らないだけで、空気を圧縮して放っているのだろうとだけはわかっていた。

 

「警戒すべき点はわかったから、あとはどう叩き込むかだな」

 

 紅葉の頭の中で勝つ為のプランを構築していく。そしてあーでもないこーでもないと考えて、気づけば

 

「……しまったなー」

 

 四回戦、部活連の七宝対山岳部一年生の戦いに決着がついたところだった。

 別に目を閉じて考えていた訳ではないが、試合様子にまったく意識が向いていなかった事を悔やむ紅葉。特に七宝の魔法を見逃したのが痛かったのかつい口に出ていた。

 

「阿僧祇!」

 

 悔やんでいるのも束の間、自身を呼ぶ声に目を向けると服部が位置に付けとジェスチャーしている。

 

「そうか四回戦終わったから、もう俺の番か」

 

 思っていたよりも早い五回戦に、身体をほぐしながら開始位置へと向かう紅葉。

 すでに開始位置に立つ龍善は紅葉を睨み続け、対して紅葉は軽く笑うだけ。

 

「(さーて、うまく行くことを祈ろうか)」

 

 そして第五回戦が始まる。

 

 

 

 

「この野郎、ちょこまか逃げんじゃねえ!」

「うっさいわ! そんなもんまともに受けてられるか!」

 

 服部の合図の後、紅葉は後退、龍善は前進と二回戦の様な形で始まった五回戦。

 龍善は短銃型CADで偏倚解放を撃って紅葉に迫る中、紅葉は龍善と観衆全員の予想を裏切って動いていた。

 

「(くっそ、またかよ)」

 

 五発目の偏倚解放を放つも、またしても寸前のところでかわされる。

 そう、紅葉は術式解体は使わずに、回避することに徹していた。

 

「(つか、なんであいつ術式解体使わないんだ?)」

 

 魔法の射撃開始地点をバラバラにしているにも関わらずことごとくかわされるのは本来なら驚くことなのだが、それよりも紅葉が術式解体を使わない事の方が不気味で、龍善はどうしてかわされているのかということまで意識が回っていなかった。

 

「(そう言えば、術式解体って早々連発できるもんじゃなかったな)」

 

 術式解体を使うには大量の想子が必要となる。一回だけでも常人なら一日かけなければならない量だ。

 

「(って事はあの一回限りってか? いや、でもな)」

 

 普通に考えれば術式解体は連発どころか一日に一回しか撃てないはずなのだが、一年生(男子)の中では紅葉と一緒いることが多いことから、普段の言動や態度からそんなことはないのではと思わざる得なかった。

 

「(だー、くそっ!)」

 

 思考は巡らせながらも攻撃の手は緩めない。だが、残念なことに当たりはしない。

 

「(このままじゃ埒あかないな。術式解体があろうがなかろうが構わねえ!)」

 

 龍善は腕輪型CADを操作して自分が得意とするもう一つの魔法を展開した。

 

 

 

 

「(ま、じ、か。全方位とかふざけんな!)」

 

 龍善の攻撃を避け続けていた紅葉は龍善が新たに展開した魔法に即座に反応した。正確には紅葉が、ではないが。

 

「(抑える身にもなりやがれっ)」

 

 勝手に発動しようとする魔法(・・・・・・・・・・・・・)を意識的に抑えながら、紅葉は右手首の腕輪型CADに手をかける。

 

「(勝負をかけてくるか?)」

 

 龍善の攻撃を寸前のところで避ける事を意図的にやっていた紅葉。

 当たりそうで当たらないというのはだいぶストレスになる。

 さらに術式解体が使えるかどうかがはっきりしなければ、よりストレスは溜まり、普段の思考ができなくなる。

 龍善が二回戦で見せた相手の動きを止めた魔法。それをすぐに展開しなかったのは術式解体を警戒してたからだろうと推測。

 普段の龍善ならばさらに警戒して、他の魔法や手段を講じるだろうが、最も得意とする魔法で勝負をかけてきたところからいい具合にストレスが溜まっているんだろうと紅葉は感じていた。

 ただ、まさか全方位に展開されるとは思わず、思わぬ負荷がかかった事に愚痴らずにはいられなかった。

 

「(さあ、来やがれ龍善!)」

 

 紅葉は展開された魔法に気づいていない様に、徐々に近付いていった。

 

 

 

「(もう少し)」

 

 龍善が紅葉の周りに展開したのは厚さ五ミリ程の圧縮した空気の層で触れた物を制止させる空気壁(エアウォール)という魔法だ。展開する層の厚さや範囲によって制止ではなく減速になることもある。

 それに紅葉はあと五メートルの距離まで来ている。

 

そして

 

「っんだぁ?!」

 

 ついに空気壁が紅葉を捕らえた。

 突然、後ろに下がりにくくなった紅葉は一瞬後ろを振り向いてしまった。それを見逃さない龍善ではない。

 好機と、短銃型CADを紅葉に向け引き金を引く。

 龍善の想子がCADに流れ起動式が展開。魔法式が展開され魔法が発動する、ところで魔法式が吹き飛ばされた。

 

「っ?!」

 

 何が起きたかなど考えるまでもない。

 目の前の紅葉が右腕を突き出している。術式解体(やつかのつるぎ)を放ったのだ。

 

「(まだ使えたのか。だがもうねぇだろ!)」

 

 その証拠に紅葉は右手首に添えていた左手を右脇に収められている短銃型CADを取りにいっている。

 二度目のキャンセルはないと踏んだ龍善はすぐさま引き金を引いた。

 

「祓え」

 

 だが、今度は起動式が吹き飛ばされた。

 

「は?」

 

 何が起きたのかわからず龍善の思考が止まる。

 逆に紅葉の左手は止まらずに短銃型CADを手に取り

 

「グッバイ、龍善」

 

 龍善に向けて引き金を引いていた。

 一度目の衝撃で頭が激しく揺さぶられ、二度目の衝撃で平衡性が失われた龍善は片膝を着く。だが意識はまだ失っていない。

 

「タフな奴だな。まだやるか?」

「クソが……」

 

 まさか二度、魔法を喰らわせて気を失わないとは思わなかった紅葉は龍善に銃口のない銃身を突き付けた。

 そんな身体に力が入らない龍善は勝ち誇った顔をしている紅葉にイラつきながらもこれ以上は無理と判断。

 

「俺の負けだよ、ちくしょうが」

 

 悪態をつきながらも白旗を上げたのだった。



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モノリス・コード選抜戦5

「……あいつ、何をしたのよ?」

 

モノリス・コード選抜戦第五回戦、阿僧祇紅葉対籠坂龍善の戦いを七草香澄はしっかりと見ていたにも関わらず頭が追い付いていなかった。

 

「術式解体だと思うけど、香澄が聞いてるのはそういう事じゃないよね」

 

頬を掻きながら香澄の問に答える笠井彩愛もそれが香澄が欲している答えでないのはわかっていた。

彩愛の言うとおり香澄が欲している答えはそこではない。

 

「うん、あいつ術式解体を撃った後、デバイスから手を離してたのに続けざまに術式解体を撃ったじゃない。遅延発動の術式でも組んでたの?」

 

二人の欲しい答えは紅葉がやった術式解体二連発の仕組みだ。

香澄の言うようにCADのトリガーなりスイッチを押してから即時発動するのではなく一定時間おいてから発動する遅延式魔法もあるのだが、そんな兆候があったようには見えなかった。

それは香澄だけでなくこの試合を見ていたギャラリー一同の疑問でもあった。

そこかしこでなんだ? なにがおきた?とざわついている。

ただし、一部を除いてではあるが。

 

「音声認識ではないでしょうか? 阿僧祇さんの声が聞こえたわけではないのですが、CADから手を離して魔法を発動させるとなると、その可能性が高いと思います」

 

その一部の一人、香澄の隣にいる七草泉美から答え、というよりは予想がもたらされた。

 

「音声認識? また、レアな」

 

魔法の音声認識。

一昔前は魔法の発動に呪文を使っていたこともあったが、今やCADでスイッチを押すやトリガーを引くで魔法が発動する為、あまり見ることのない発動方式である。

 

「でも確かにそれなら納得できるかな。術式解体といい、あいつ珍しいモノ好きなんじゃないでしょうね?」

「あははは、そんなこと……ないよね?」

 

香澄の訝しむ目と彩愛の困惑した目を同時に向けられた泉美は「はぁ」とため息をついた。

 

「私にわかるわけないじゃないですか」

 

彼女の呆れ混じりの言葉に二人はそりゃそうだと愛想笑いを返すしかなかった。

 

 

 

そんな香澄達のような考察が各所で行われているだろうな、と思いながら紅葉は再び試合会場の端に戻っていた。

そこからざっと選手やギャラリーを見回す。

 

「(見るに、答えに行き着いてる奴はいなそうだな。いたらいたで困るんだが)」

 

難しい顔をしているギャラリーを見てとりあえず一安心と軽く息をはいた。

人によっては音声認識に行き着くだろうとは思っているが紅葉がやった事はそこまで単純ではない。

ズキリと痛む左腕を右手で軽く抑える。

 

「(わかってはいたが、無理矢理はよろしくないか)」

 

今日何度目なんだかと苦笑が漏れた。

 

「(ま、それも次で最後だ。次の試合は七宝と……何部の誰だったかな?)」

 

今始まろうとしている第六試合の対峙している二人を見てまさかここにきて何もわからない選手がいたことに気づいた。

 

「(あー、やっべマジでわからねぇ。あれ? もしかして試合見逃しまくってる?)」

 

情報は大事と思っておきながら情報収集を怠るとはこれいかにと若干後悔しながら、対峙する二人に目を向けるとちょうど第六試合が始まったところだった。

 

「(お互い距離をとって、さて?)」

 

七宝とその対戦相手はお互い後退、距離を取りCADを起動して撃ち合いの体制になった。

 

「(先制は七宝か)」

 

魔法の起動が早かったのはさすがと言うべきか七宝のエア・ブリットだ。

相手はそれを予測していたのか即座に攻撃性魔法の起動を諦めて自己加速術式を発動、回避行動に移った。

 

「(お、なかなか判断が早いが)」

 

さすが一回は勝ち上がっているだけはあるなと感心するも

 

「(七宝の方が先を見ているな)」

 

避けた先に七宝が回り込んでいたことの方が紅葉の評価は高かった。

 

「は?」

 

なぜそこに?と言わんばかりに対戦相手の男子は目を見開くのも束の間にドンと腹部に圧がかかり、痛みを感じる前に身体が大きく後ろに吹き飛ばされた。

衝撃を緩和するなんて考えが浮かぶ間もなく背中から地面に激突しその痛みで、何が自分の身に起きたのか少しは理解出来た。

痛みで鈍る身体を無理やり動かし上体をあげる。視界に七宝がCADを自分に向けているのが映り、慌てて自身が得意とする魔法を展開した。

 

「(領域干渉ねぇ)」

 

領域干渉は自分の周囲の空間を自分の魔法力の影響下に置くことで、相手の魔法を無効化する対抗魔法の一つである。

 

「(さすがにそれは良くないだろ)」

 

紅葉がそう思ってしまうのも仕方がない。

この時期の一年生同士の戦いであったのならば良い選択だったかもしれないが、相手が七宝では話は変わってくる。

領域干渉は基本的に相手より強い干渉力が必要となる。

すなわち、七宝より干渉力が上回っていなければ効果は薄いという事になる。

 

「(こりゃ勝負あったな)」

 

紅葉が心の中で合掌すると同じタイミングで、七宝から七発のエア・ブリットが放たれた。

 

「うわぁぁぁぁ!」

 

相手の領域干渉は七宝の干渉力に勝てずエア・ブリットに破られ全弾ヒット、悲鳴があがった。

 

「勝者、七宝琢磨!」

 

そうして審判をしていた司波達也から勝敗が告げられモノリス・コード選抜戦第六回戦までが終わった。残るは第七回戦すなわち決勝戦の七宝対紅葉のみ。

七宝は一息ついて会場端にいる紅葉に目を向けた。

 

「(阿僧祇紅葉)」

 

七宝にとって紅葉はとるに足らない存在だった。新入部員勧誘週間で紅葉と出会うまでは。

その時を境に何かと紅葉と──一方的に──衝突したり、目撃されたりと気にさわる存在に変わっていた。

 

「(何かと目につく奴だったが、それもこれで終わりだ)」

 

ここで紅葉を倒しはっきりと自分の方が上だと示してやると士気を高める七宝とは違って紅葉はなぜか若干ひきつった顔をしていた。

 

「(うへぇ、オーバーキルすぎんだろ)」

 

その理由は七宝が最後に放った七発のエア・ブリットだった。七宝と相手の力量から見ても領域干渉を破るなら二発で十分なところを七発も叩きこんだのだ。オーバーキルと言わずとしてなんという。

 

「(まぁ、おかげで使えそうな手は見つかった訳だが)」

 

ただその事に引いているだけではなかったようだ。

次の作戦に使えそうな案が頭にポンっと浮かび上がった。

 

「(とはいえやりたくねぇなぁ)」

 

しかし自分にオススメできる案かと聞かれたら普段なら薦めない案にひきつった気持ちは消えなかった。

 

「(ま、一番効果あるだろうからやるしかないんだろうな)」

「阿僧祇!」

 

そんな事を考えながら決勝戦の審判を務める花音から声がかかった。

 

「はいはい、今行きますよっと」

 

なんにしてもこれが最後だと紅葉は中央に向かって歩きだした。

どうやら七宝は連戦になるというのにインターバルを取らずに決勝をすることを選んだようだ。

そのことを少し意外に思いながら、紅葉は七宝と対峙する。

 

「……」

「(集中してるのか、はたまた言葉なんかいらないのか)」

 

紅葉としては七宝とは今までの経緯から一言二言はあるだろうと予想していたが七宝は無言のまま睨んでくるだけだった。

 

「(ま、どっちでもいいか)」

 

とはいえ予想とは違ったからといって紅葉が警戒を高める訳もなく、いつも通りにスッと思考を戦闘態勢に切り替えた。

 

「(ラスト一戦、頑張りますかね)」



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モノリス・コード選抜戦6

モノリス・コード選抜戦決勝、阿僧祇紅葉対七宝琢磨の試合は千代田花音の開始の合図と共に始まった。

紅葉は左手に短銃型CADを握り、七宝は腕輪型CADに手を添えお互い後退して一定の距離を取ったあと平行に走り出した。

すかさず七宝は手元を操作して魔法を起動した。

起動したのは使い慣れているエア・ブリット。数は一発。

すでに七宝の頭の中で紅葉は術式解体を際限なく使えると思っている。さらに術式解体を連続で使える上に、紅葉がとどめに使っている魔法『幻衝(ファントム・ブロウ)』も術式解体後になんなく使っていたことから紅葉のサイオン保有量は莫大なのだろうと予測していた。

その事からまず牽制で一発撃って様子見する事にした。

今までの紅葉の戦い方は後出しだった事に七宝は気づいていた。

一回戦では術式解体で相手の魔法を消し、相手が何が起こったのかわからず混乱しているところに幻衝を放った。

五回戦では勝負をかけた龍善の魔法を一回打ち消し、もう術式解体はないだろと思わせたところで二回目の術式解体。その後、幻衝を放ち勝っている。

 

「(まだ何か隠しもってると見るべきだろうな)」

 

だから、そう思っての様子見の一発だった。

紅葉が術式解体で防ごうが、回避しようが、次の手は考えている。

例え予想していない動きをされても対応できる余裕は頭にはあった。

ただ、予想していない動きが常軌を逸していなければの話ではあるが。

 

「……は?」

 

エア・ブリットを放った七宝の口から信じられないものを見たと驚きの声が漏れる。

それは誰もが予想できなかったこと。

 

紅葉がエア・ブリットを受けて吹き飛んだ。

 

あの一回戦、五回戦ともに今まで一度も被弾しなかった紅葉が攻撃を受け吹き飛んだのだ。

それにこの試合を見ていた全員が驚いた。

全員、吹き飛んだ紅葉を見て固まっている。

そう全員、対戦相手である七宝までもあまりの驚きに思考が止まってしまった。

ピクリとも動かない紅葉にこれで終わりかと誰かの頭によぎったその時

 

「ぐぁ?!」

 

突然の呻き声があがった。

紅葉に釘付けされていたギャラリーの目は一斉にその発声元、七宝へと向く。

 

「な、ん、ぐぅ!?」

 

そのタイミングで二回目の呻き声。

 

「(こ、れは、幻、衝? づぅ)」

 

七宝は頭に響く衝撃に耐えながら、この衝撃がなんなのか行き着くも三度目の衝撃に膝が折れた。

 

「あー、くっそいてーじゃねーかちくしょう」

 

七宝が片膝をつくと倒れていた紅葉が魔法の当たった胸をさすりながら身体を起こしていた。

それを目の当たりにした七宝は顔が苦痛に歪みながらも精一杯紅葉を睨みつけている。

 

「ぐっ、あそう、ぎぃ」

「げっ、まだ意識あんのか。龍善といい、お前といいタフな奴しかいないのかよ」

 

対して紅葉はまだ気を失わない七宝に驚きながらもゆっくりと短銃型CADを七宝に狙い定め

 

「ま、失うまで撃ち続けるがな」

「あそうっ──」

 

引き金を引いた。

最後、何かを叫ぼうとした七宝は紅葉の四度目の魔法にとうとう意識が吹き飛び、身体から力が抜けてそのまま横に倒れる。

 

「……さてと」

 

そのまま座り込んでいたい紅葉だったが、七宝が起き上がる可能性もあったので左手に短銃型CADが握り七宝に狙い定めたまますぐに起き上がった。

 

「(俺みたいに演技して逆転狙っててもおかしくはないからなー)」

 

しかし、紅葉の警戒は無駄となる。

七宝はピクリとも動くことはなく沈黙。審判である花音が勝負は決したと声をあげた。

 

「勝者、阿僧祇紅葉!」

 

ワッとギャラリーの歓声があがる中、紅葉は全身の力を抜いて天を仰いだ。

 

「あー、疲れた」

 

実のところ紅葉自身、一日でこんなに戦った事は今までなかった。

ペース配分もそうだが、普段使わない技術を使っているように見せかけるのに相当気をまわしていた。

 

「(何人騙せてることやら。ま、しばらくは考えなくていいか)」

 

とにかく終わったと盛大に気を抜く。

そこに近づく数人の気配。チラッと横目で見れば四人の影。香澄と泉美、彩愛に龍善の一年生四人の姿があった。

 

「いやー、勝っちまったな紅葉」

 

いの一番に話しかけてきたのは五回戦で紅葉に負けた龍善だ。言葉は驚いているが紅葉が勝ったのがかなり嬉しいのかやたら笑顔である。

 

「うんうん、七宝くんの攻撃を受けた時は負けちゃうかなって思ったけど、そこからの逆転が凄かったよ!」

 

彩愛は素直な気持ちを口にしていた。

 

「結局、あんたの負け姿を一回も見れなかったんだけど?」

 

その横で不満げな顔をしているのは香澄だ。腕を組んで半目である。

 

「そりゃ悪かったな。そんで今後も見せる事はないから諦めろ」

「言うじゃない。ま、優勝おめでと」

 

紅葉の強気発言と笑顔に見ていられない恥ずかしさからプイッと顔を逸らし若干頬を赤らめて賞賛の言葉をボソッと言った。

 

「あ? なん……って、なんだこれ?」

 

それをまるっと聞こえていたにも関わらず聞こえていないフリをして追求しようとした紅葉だが、いきなり目の前に影がさし首を傾げた。

 

「お疲れ様です。どうぞ」

 

影の正体は泉美から差し出されたタオルだった。それを紅葉は左手で受け取ろうと動かそうとして。

 

「あ、あぁ……っ」

 

出来なかった。

さらには小さく呻いてしまった事に内心やばっと思いながら目線を泉美に向けると、案の定彼女から心配そうな目が向けられていた。

 

「阿僧祇さん? どこか痛むのですか?」

「(痛むどころの話じゃないけど)」

 

それが紅葉の本音だ。

だが身に起きてることを言う気がない紅葉は異常を悟られないように右手でタオルを受け取ってニヘラと笑ってみせた。

 

「タオル、サンキューな。まぁ、あいつの魔法が直撃したからな。そりゃ痛くもなる」

 

受け取ったタオルを首にかけてはぁと息を吐いた。その際、四人に見えない様に右手で左手を掴んでポケットに突っ込む。

 

「そうよ、あんた。よく魔法が直撃してたのに無事だったわね」

「痛いつってんだろ。お前の耳は節穴か?」

「なんですってー!!」

 

ていよく言った言葉に香澄が食いついてくれたことに内心で感謝しつつ、紅葉は動かなくなった左手に誰の意識も向かないように会話を続けるが、どうやら泉美の気はそらせなかったようだ。

 

「香澄ちゃん、落ち着いてください。阿僧祇さん、痛むようでしたら救護室に行かれてはどうですか?」

「そうしたいのは山々だが、今行けばなー」

 

そう言って目を向けるのはタンカーに乗せられ運ばれる七宝の姿だった。

紅葉の言葉と視線の先で彼の言わんとする事を理解した四人はなんともいえない顔になるのも仕方がない。

今、救護室に行けば気を失っているとはいえ七宝と一緒にいる事になる。運が悪ければ七宝が目覚めてしまうかもしれない。そうなれば、とまで考えた紅葉は頭を振った。

ただでさえ疲れているのに、余計に疲れたくないと思ったからだ。

 

「多少、ズキズキするぐらいだからな。行くほどでもないさ」

「そうならいいのですが」

「それに、まだ色々やる事が多そうだしな」

 

今度はギャラリーの方に目を向ける。

そこには笑顔で手招きしているあずさの姿があった。他にも服部達が紅葉の名前を呼んでいる。

 

「あれを放置したら後が大変だろ」

 

紅葉は軽く笑ってみせて、行くかと歩きだした。

その後は、軽い表彰とモノリス・コードの残りのメンバーをいつ決めるかを話して解散となった。

 




これにてモノリス・コード選抜戦は終了です。


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メンバー選定1

モノリス・コード選抜戦が終わり、解散となったその後、達也は仲の良い二年生七人と共に行きつけの喫茶店『アイネブリーゼ』に来ていた。

 

「なんか牙を隠してたって感じだよね」

 

来てすぐに話題となったのは先ほどまで行われていたモノリス・コード選抜戦だ。そしてやはりと言うべきか、話題の中心は一人の男子生徒に向けられる。

コーヒーを一口口にしカップを音もなくソーサーに戻して、そう評したのはショートの髪型に明るい髪色のハッキリした目鼻立ちで活発な印象を持つ千葉エリカだ。

 

「阿僧祇のことだよな? すげー一年だったな」

 

エリカの主語のない言葉に主語を付けたのは西城レオンハルト。父親がハーフ、母親がクォーターで外見は純日本風だが名前は洋風。大柄で骨太な体格で客観的にはゲルマン的な彫りの深い顔立ちで、ちょっと気になる男の子の地位を獲得しているとかなんとか。

 

「阿僧祇が術式解体を使えるとは思わなかった」

 

そう驚きを口にしながらも表情が変わっていないのは北山雫。

雫と紅葉は一度だけだが面識がある。

恒星炉実験の練習の際、実験メンバーの大半が生徒会から出ていた為、生徒会の留守番に紅葉とその監視に雫を居させたという経緯があった。

ただ、その時なされた会話は少なく雫の疑問に紅葉が答えた程度で終わっていた。

 

「達也は知ってたのかい?」

 

レオの隣に座るのは雫と同じ風紀委員であり、モノリス・コード本選メンバーでもある吉田幹比古だ。幹比古から話を振られた達也は首を横に小さく振った。

 

「いや、紅葉が魔法を使ってるところさえ初めて見たな」

「確かにそうですね」

 

当然の様に達也の隣に座る深雪が同調した。

 

「魔法を使うのもそうですが、戦っている所を見るのも初めてですね」

「そうなんですね。見た目は好戦的に見えたんですけど」

 

意外、と口にしたのはエリカの隣に座るメガネをかけた少し気弱そうな外見の柴田美月だった。

 

「好戦的というか大人びてるよね。最初、一年生って言われた時嘘でしょってなったわよ」

「お前と同じなのは癪だが、俺もそう思ったんだよな」

「うん、確かに」

 

エリカの言葉に──一言余計だが──レオと雫が言葉と共に、幹比古が無言で頷いた。

そして余計な一言を言ったがためにエリカとレオの小競り合い始まったのを達也と深雪は同じ心情で見ていた。

 

「(歳は上だがな)」

「(歳上なんですよね)」

 

二人は紅葉の本当の年齢を知っている。

紅葉が復学した時の試験結果から彼の年齢を知ってしまった。

そしてそれは本人から内緒にしてほしいと言われている為、この場で明かすつもりはないと表情を変えずにただただ聞いているだけでいた。

 

「(うぅ、この話題ボロが出そうで何も言えないよぉ)」

 

そんな中、達也の対面に座る生徒会書記の光井ほのかだけ愛想笑いを浮かべながも内心涙目でいた。

生徒会にいるのだから達也達同様、紅葉の年齢を知っている数少ない二年生の一人である。

今まで紅葉が話題になったことがなかったためボロはでなかったが、こうして話題になってしまうと口を開けばポロっと言ってしまいそうで口を開く事ができなかった。

それを不審思う人が居なければよかったのだが、残念な事にほのかの一挙一動を見逃さない人が隣に、幼馴染の雫がいた。

 

「どうしたの、ほのか?」

「えっと、何が?」

 

突然の雫からの問いに、どうにか平静を保って聞き返した。ここで付き合いの浅い友人であれば自分の気のせいかと思って引き下がるだろうが、小学校以来の幼馴染である雫に下がる気配がないのをほのかは感じとっていた。

徐々に雫のジト目が迫ってくるのをなんとか目を合わせないようにとかわそうとするがこの場から逃げればますます──すでに手遅れ感はあるが──怪しまれてしまうと、頭が軽くパニックになりかけた時、救いの手が差し出された。

 

「ところでお兄様、お聞きしたい事があるのですがよろしいですか?」

 

その声に達也を除いた六人の意識が深雪に向いた。

深雪としてはこのまま放置していてはほのかが紅葉の秘密を口にしてしまうかもと思って雫の意識をほのかから剥がせればよかったのだが、なぜか全員の視線を集めてしまって少しばかり恥ずかしい感情があった。それを表情や態度に出さないのはさすがとしか言いようがない。

 

「なんだい深雪?」

 

ただその恥ずかしい感情は達也には筒抜けだったようだ。微笑み返された声色に可愛いものを見たといった意識が乗ってるのを感じた深雪は今度は頬を赤く染めたのだった。

そんな二人のいつものイチャついた空気に慣れた六人は冷ややかな、または生暖かい目で見守るしかなかったのだが、そんな空間がずっと続けられてもと痺れをきらしたエリカが「で?」と深雪に切り出した。

 

「深雪は達也くんに何を聞こうとしたのよ?」

「そうでした」

 

エリカの軌道修正にスッと表情を変えた深雪は改めて達也の方を向いた。

 

「阿僧祇さんはどうやって七宝くんに魔法を当てたのかと」

「……へ?」

 

深雪からの質問なのだから比較的高度な質問だろうと予想していた六人の目が点に、あの雫でさえなった。

それだけ答えが簡単にでそうな質問にエリカが達也より先に答えていた。

 

「どうやってって阿僧祇が倒れたあと、それに驚いた七宝が棒立ちになったところを当てたんでしょ?」

 

その時の光景を額に人差し指を当てて思い出しながらエリカは言った。彼女の言葉に達也と深雪以外が頷く。

それは状況的に何も間違っていない。だが、深雪が聞きたいのはそこではなかった。

 

「阿僧祇さんは倒れていたのよ? どうやって魔法の照準をつけたの?」

「あ」

 

そこまで説明されてようやく六人は気がついた。普通に考えればそれはかなり難しいことをやったことになるからだ。

 

「ドロウレスだろうな」

「……嘘でしょ?」

 

その難しいこと、いわゆる高等技術の名が達也の口からでてきた事にエリカの顔がひきつった。レオや幹比古もそれぞれ驚きを露にしている。

そういう反応が出るのは仕方がない。とても一年生が使うような技術ではないからだ。

紅葉が使っていた短銃形態の特化型CADにはCADを向けた方向に照準をつけるという補助機能を持つが故に、普通なら照準をつけずに撃つのが難しい。

だが、紅葉は自分の感覚だけで照準をつけて魔法を放った。これが拳銃形態CADの高等技術ドロウレスと呼ばれる。

 

「ダメージを負いながらドロウレスをしたのか。凄いな彼は」

 

幹比古はあの時は一度も被弾しなかった紅葉が攻撃を受けて吹き飛んだという予想外の展開で視野狭窄が起きていたが、今冷静に考えれば凄い事をやっていたんだなと思い返した。

実のところ、深雪はドロウレスだろうと予想はしていた。ただあまりにも紅葉の動きにそれらしい形跡がなかったため確信が得られなかったから達也に聞いたのだった。

とはいえ、深雪のこの質問はほのかを助けるために聞いただけで彼女的にはそれほど重要なことではなかった。

それは達也にも伝わっていたようで、それ以上詳しい説明はしなかった。

 

「術式解体にドロウレスとかとんでもない一年ね。阿僧祇家ってそんなに凄いのかしら?」

「実際凄いのかも。お姉さんが九校戦に出てたから」

「お姉さん? どういうこと雫」

 

今度は雫から思わぬ発言が飛び出した。そこから二年前の九校戦、そして今年の九校戦がどうなるかと話題が移っていった。

 




ifストーリーを抜いて42話目にしてようやくエリカ、レオ、美月が登場。


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メンバー選定2

十六日の月曜日。

紅葉が校門を通りすぎると各方面から視線を向けられているのが感じられた。

なぜか? とは疑問にならず彼の頭にはすぐ答えが浮かんでいた。

 

「(選抜戦で勝ったからなんだろうが、正式発表前にこれかよ)」

 

紅葉が選抜戦の優勝者であるとはまだ正式発表されていない。

そもそも新人戦のモノリス・コードメンバーの一人が決まっただけで、あと二人はこれから決めるため正式発表は少なくてもあと一日二日は経ってからすることになっていた。

それにも関わらず、校門付近にいる生徒の半数以上から視線を向けられるのはさすがに多すぎることに朝だというのに少しだけ気が萎えはじめていた。

このまま教室へ行けばどうなるか。

 

「(くっそダルい事になるな)」

 

即座に囲まれ質問責めや求めてもいない感想が降り注がれるのが容易に想像できて、紅葉の足は教室ではない方へと舵をきっていた。

 

 

 

 

「こちらに居たのですか」

「あぁ、泉美か。おはよう」

 

放課後。

生徒会室に入った泉美はまさかいるとは思わなかった相手がここにいてすぐさま冷ややかな視線と共に言った。その相手、すなわち生徒会室に逃げていた紅葉は悪びれもなく朝の挨拶を返す。

もう一度言うがすでに放課後である。そこで朝の挨拶を返すということは今日紅葉は泉美と初めて会ったということになる。

要はこの男、全部の授業をサボったのだ。

 

「おはようではないのですけど。阿僧祇さんが登校してるのは見たけど、教室にいないのはなんでですかという質問がなぜか私の方に沢山きて、大変だったのですが?」

「なんで泉美なんだ? その手の質問なら龍善に行きそうなのに」

 

紅葉はまさか泉美に迷惑がかかっているとは思わなかった。彼の予想では自分がいないことで矛先が向くのは、選抜戦に参加していて自身とよく話すクラスメイトの龍善だと思っていた。

龍善にだったらいくらでも迷惑をかけてもいいだろうと判断しての行動だったのだがあてが外れてしまったようだ。

 

「籠坂さんはHRの時はいたのですが休み時間の度にいなくなってました」

 

その言葉でどういうことか察しがついた。

つまり龍善は紅葉の姿がないことから面倒事が来そうと感じて紅葉の様に全部の授業をサボるのではなく、休み時間は逃げ、授業が始まれば戻ってきていたということだった。

 

「風紀委員って肩書きがあるからサボれなかったのかね」

「生徒会役員なのに堂々とサボってる人は見習ってほしいと思うよ」

 

紅葉の言葉にツッコミを入れたのは奥の机にいたあずさだ。

彼が授業をサボっているとあずさが知ったのは昼休みの時だった。昼休みが終わろうとしているのに一向に出て行こうとしない事になんでと聞いたらこの男は堂々とサボると宣言したのだ。それに驚きなんとか紅葉を生徒会室から出そうとしたが、あずさ自身が午後の授業に遅れそうになって渋々諦めた。

そして放課後、生徒会室に入ったあずさは泉美と同じように冷ややかな視線を紅葉に送った。小言を言いたい気分でもあったが、彼のことだから右から左だろうと諦めて仕事を始めたのが泉美が来る五分前のこと。

そして今、同じ心情であろう泉美が来たことで諦めていた小言を言えると思ってツッコミを冷ややかな視線とともに口にした。

 

「安心しろ。たぶん、今日ぐらいだこんな堂々とサボるのは」

 

だが、そんな視線を向けられて怯む訳もなく紅葉は背もたれに体重を預けてふんぞり返って二人を見た。

 

「「……」」

 

その二人は紅葉の言葉は信じられないようでジト目を向けていた。

その様子に「だよなー」と紅葉は小声で苦笑をもらす。

普段の言動から信じられないのは自分でもわかっていたし、今の言葉は自分でも信じられなかったからだ。だから今、何を言っても無駄だろうしと紅葉は先ほどまで見ていたモニターへと視線を戻した。

紅葉の行動にあずさは「もう」と小さく呆れながら呟き自分の仕事に戻り、泉美も何を言っても流されると思い自分の席に座って仕事を始めることにした。

 

 

 

「メンバーは決まったのか紅葉?」

 

生徒会室に主要なメンバーが集まったのは泉美が仕事を始めて三十分ぐらい経った頃だった。

残りの生徒会役員である五十里、達也、深雪、ほのかと風紀委員長の花音がほぼ同時に、最後に部活連会頭の服部が生徒会室に入ってきた。

これから決める事に必要なメンバーが揃ったのを確認した達也がきりだした。それに全員の視線が紅葉へと向く。

 

「まぁぼちぼち。一人は龍善にしようかと」

「龍善……あぁ籠坂くんですね風紀委員の」

「へぇ、籠坂選んだんだ。決め手は?」

 

紅葉の言葉にあずさがすぐに全員にわかるように全端末に龍善の情報を表示した。それに一番早く反応したのは龍善の上司でもある風紀委員長の花音だった。

 

「フォーメーションで考えて龍善は遊撃に向いてると思ってな」

 

モノリス・コードは森林や平原などのステージで敵味方各々三名の選手が魔法で争う競技である。戦略として攻撃、守備、遊撃というフォーメーションでこれらに当てはめて考えるのが基本となっている。

 

「遊撃ですか?」

「そ、遊撃。遊撃は攻撃と守備両方を側面支援する役割だからな。選抜戦で見せた空気の壁で足止めしたり圧縮解放で攻撃支援したりと遊撃にはぴったりだろ。それに風紀委員だから実戦慣れしてるし臨機応変に動けるだろ」

 

紅葉の説明に各々が頷く。それだけ反論しようがない内容だった。

 

「じゃ、異論はなさそうだし次な。攻撃(オフェンス)で七宝かなと」

「七宝か。その理由は?」

 

紅葉の口から七宝の名前が出るとは思わなかったのか、またはなにかと一悶着あった七宝だからかは定かではないが一瞬、場が静まった。だがすぐに服部が理由を促した。

 

「直に魔法をくらったからわかったんだが、あいつ、牽制で放った魔法なのに威力高かったんだよ。俺じゃなかったらあれで一発KOされてたぞ」

 

それは選抜戦決勝でのこと。

七宝が決勝前の試合で牽制の魔法を使っていたことから決勝でも使うと予想した紅葉は牽制なら威力は抑え目だろうと踏んでわざと当たった。だが、予想以上の威力に思わず声が上がりかけたのを思い出した。

 

「それにあのメンツの中で魔法の選択肢が一番多いのはあいつだろ。ぶっちゃけあいつ、どのポジションにいてもいいからメンバーにいれて損はないはずだ」

「思ったよりも七宝の評価が高いな」

「まぁ、見て戦った評価だな。ちょっと前の素行を加味するとまだマイナスだったりするがな」

 

思い出すのは新入部員勧誘週間。あの時の七宝は猪突猛進だった。

一昨日戦った七宝はどことなく態度が軟化しているようにも見えたが、紅葉の中ではまだ猪突猛進だった時のイメージが強すぎた。

 

「それは大丈夫なのか?」

「大丈夫な事を願いたいが、今のところ懸念してるのが連携とれっかなーってとこだからな」

 

いわずもなが、モノリス・コードは団体戦である。例外はあるが連携が取れなければ勝ち進むことが難しい競技なのだ。

 

「(俺と七宝が、というよりは龍善と七宝が、なんだけどな)」

 

口には出さないが自分の脳内でいがみ合う二人の姿が浮かんだ。

紅葉が懸念しているのは自分と七宝の連携ではなく、龍善と七宝の連携だった。

自分の方は七宝を制御はできなくてもいなす事はできる自信がある。

しかし龍善と七宝は絶対に衝突するだろうと思っていた。

その理由は紅葉が七宝と初対面した原因、すなわち新入部員勧誘週間でまっさきに衝突していた二人なのだ。後に、二人で交流があったかどうかは知らないが、紅葉が知る限りそんな機会なんてなかっただろうなと思っている。

 

「で、異論あります?」

 

懸念はあれど、嵌まれば強いと思っているからこそ紅葉の中でこのメンバーで行きたい。だから異論はないと助かると思いながら全員の様子を伺った。

それぞれ思うことがありそうな表情をしているが──達也はポーカーフェイスだが──異論がなさそうな空気の中、服部が手を軽く挙げた。

 

「連携は取れるんだな?」

 

服部は本選のモノリス・コードの選手だからこそ連携が大事だと知っている。

メンバーの実力は選抜戦を見ていたこともあって疑っていない。だから本番までの日数でその懸念が解消することができるのかという確認だった。

 

「ま、なんとかなるだろ」

 

はっきり断言しないその返答が思った通りだったのか服部は軽く笑みを浮かべた。

 

「……なら、俺はいい人選だと思う」

「服部が言うなら問題ないんじゃない?」

「司波くんはどうだい?」

「特に異論はありません」

 

服部が賛同したことに花音も異論はないと言いうと、五十里がポーカーフェイスのまま話を聞いていた達也に意見を求めた。だが、すぐに達也の賛同の言葉が出たので五十里はあずさを見た。

 

「なら、中条さん」

 

促されたあずさは端末を操作する。

 

「そうですね。新人戦モノリス・コードのメンバーは1-A七宝琢磨くんと1-B籠坂龍善くん、そして阿僧祇紅葉くんで決定したいと思います」

 

こうして、新人戦モノリス・コードのメンバーが決定しようやく第一高の九校戦メンバーが全て決定した。

 

 




いつも留年生を読んでいただきありがとうございます。
おかげさまでお気に入り数が1000を越えました。
本当にありがとうございます。

香澄と泉美が好きな人が沢山いてくれて嬉しいです。
だから二人がヒロインの作品増えませんかねぇ(ボソッ


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懐かしき日1

学校に隣接する丘を改造して作られた野外演習場。魔法科高校は軍や警察の予備校ではないが、その方面へ進む者も多い為、このような施設が屋内屋外、多種多用に充実している。

その野外演習場にある人工森林の中で二人の男子が激しく魔法を撃ち合っていた。

 

「(これで五発……あと二発)」

 

一人は魔法を放つ服部刑部。

 

「(相変わらず器用な奴だな!)」

 

もう一人は術式解体(やつかのつるぎ)でそれを撃ち消す阿僧祇紅葉。

 

なぜその二人が戦う事になったのか、それは少し時間が遡る。

 

 

 

 

 

紅葉がメンバーを決めた次の日の十七日火曜日。

放課後、メンバー決定を知らせる為に七宝と龍善をこの野外演習場に来るようにと呼び出した。

その野外演習場にはすでに紅葉の他に生徒会長のあずさ、部活連会頭の服部、風紀委員長の花音という第一高の最高幹部三人とモノリス・コード本選のメンバーである三七上ケリーと吉田幹比古とそうそうたるメンバーが揃っていた。

 

「お、来たな」

 

龍善と七宝が来たのを見た紅葉は全員揃っているのをざっと見回し確認したあと、あずさに視線を送った。それにあずさは一回頷き、一歩前に出る。

そこから龍善、七宝に対して新人戦モノリス・コードのメンバーに選ばれた事の説明が始まった。

 

二人に説明されたのを要約するとこうだ。

二人はメンバーに選ばれた。

ポジションは七宝琢磨が攻撃役(アタッカー)

遊撃に籠坂龍善

守備役(ディフェンダー)にモノリス・コード選抜戦を勝ち抜いて新人戦モノリス・コードのリーダーとなった阿僧祇紅葉が就く。

 

そこまで説明されて紅葉は二人の様子を伺う。

 

「(素直に喜べばいいのにな)」

 

その様子に苦笑が漏れる。

なにせ二人ともポーカーフェイスではあったが、ほんの少しだけ口角が上がってたり、後ろに回した手で拳を握っていたりと喜んでいる動作が見えていた。

 

「(もしかしたら七宝は辞退するかもとか思ったが、そんな様子もないしとりあえず一安心だな)」

 

紅葉の思う七宝はプライドが高くて人の下に着くのを嫌いそうな性格だと思っていたから辞退の可能性は十分有り得ると思っていた。

だが、七宝から喜びの感情が見え、拒否する様子はない。

その喜びが素のものか打算的なものかは判断は出来ないが、メンバーを再選考しなくて済むと安堵した。

 

「では、阿僧祇くん一言お願いします」

 

そんな自分の中で安心していると突然あずさから話を振られた。

なんの事かと周りを見れば全員の視線が紅葉に集まっている。

そこで締め的な言葉を求められているのを察した。

 

「うん、まぁ、よろしく」

 

が、そんな体のいい言葉がすぐに浮かぶはずもなかった。

 

「お前、今絶対にボーっとしてたろ」

 

ありきたりな言葉を口にするもジト目の龍善から即座にツッコミがはいった。

 

「ボーっとはしてないぞ。ただ話を聞いてなかっただけだ」

「余計悪いだろ!」

「阿僧祇」

 

紅葉と龍善がいつも教室で繰り広げている言葉の応酬が始まりそうだったところに服部が割って入った。

 

「時間が勿体ないから始めるぞ」

「あぁ、そうでしたね。龍善、七宝、準備するぞ」

 

服部の言葉に確かにと同意した紅葉は説明不十分なのを理解したまま二人を促した。

 

「?」

「何をだよ?」

 

当然二人の頭には?マークが浮かび上がる。

それを見た紅葉は意地悪い表情を浮かべた。

 

「もちろん、本選メンバーと模擬戦闘だ」

「は、はぁ!?」

「っ」

 

龍善はわかりやすく声を上げ、七宝は逆に息を飲んだ。

 

「今からかよ?!」

「今からだな。というか気づかなかったのか? あっちは始めっから準備万端だったの」

「はあ? そんな訳……あったな」

 

龍善が振り返って三七上と幹比古に目を向ける。改めて見て二人の姿は模擬戦闘を行っても大丈夫な格好つまり実習服だった。

 

「さ、さすがに急すぎるだろ」

「まぁ、急なのは認めるが、一日も無駄にできないからな」

「どういうこった?」

「単純な話、俺達の練習期間はそんなにない」

「え? マジ?」

「マジ。今日入れて二週間しかない」

「今日入れなかったら?」

「二週間ないな」

「……」

「ってな訳だ。七宝も理解したか?」

 

ずっと紅葉は龍善とやりとりしながらも七宝の様子は見ていた。そして龍善の慌てぶりのおかげか、一足早く冷静になったように見えていた。その証拠に七宝は落ち着いている。

 

「ああ、わかってる」

「ってことで俺達も実習服に着替えんぞ」

「……わかったよ」

「それじゃ服部会頭。準備してきます」

「あぁ」

 

そう言って紅葉達は更衣室へと向かった。

 

「三七上、吉田」

 

紅葉達の姿が見えなくなったところで服部が軽く雑談していた二人を呼び寄せた。

 

「なんだ服部?」

「実は頼みがあるんだ」

 

服部の言葉に申し訳ないといった感情がのっているのを感じた二人はお互いに顔を見合わせたあと、服部の顔を見て言葉を待った。

 

「阿僧祇と一対一で戦わせてほしい」

 

その言葉に三七上は「へぇ」と妙に納得気に、幹比古は「え?」と困惑した反応だった。

 

「その、どうしてですか?」

 

服部の真意が理解出来ずに質問を返したのは当然ながら幹比古だ。

 

「……あいつの今を知りたくてな」

 

服部は少し言い淀んだあとにでた言葉は幹比古にはいまいちピンとこなかった。

 

「今を……知る? それはどういう?」

 

言葉通りの意味ならば今の実力を知りたいなのだろうが、それならば選抜戦で見て測れているはずだ。

なのに、わざわざ改めて知りたいというのは理解できなかった。

そんな困惑を見せる幹比古を見てか三七上が服部の肩に手を置いて軽く頭を振った。

 

「服部、それじゃ吉田は納得しないだろ」

「なら、どう言えば」

「簡単な話だ。正直に話せばいい。久しぶりにあいつと戦いたいとな」

「っ」

「久しぶりですか?」

 

選抜戦の時もそうだったなと幹比古は思い出した。

この二人は阿僧祇の事を知っている風だったなと。その事が関係しているのかと思って三七上を見るとニカッと笑みを返された。

 

「そういうことで、ここは服部の我が儘に付き合ってやろう」

「え?」

 

幹比古の疑問をマルッとスルーして三七上はこの話を強制的に締め始めた。

それに面食らう幹比古。

 

「他の二人も面白そうだからな。気を引き締めろよ吉田」

「は、はい」

 

結局そのまま三七上ペースで話は進み、幹比古の疑問は有耶無耶のままとなった。

その後、紅葉達三人を待つ間、準備運動を始める為に幹比古が少し離れたところで服部が三七上の背中を軽く叩いた。

 

「助かった」

「どういたしまして」

 

三七上のフォローに感謝し、お互い軽く笑いあった後、準備運動に入った。

そこから二十分後、実習服に着替えた紅葉達三人が戻ってきてモノリス・コード本選メンバーVS新人戦メンバーの模擬戦が始まった。

 




泉美香澄成分が足らん


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懐かしき日2





「やっぱ、みたらし団子は旨い」

 

モノリス・コード本選組との模擬戦闘後、内容を振り返るために紅葉、龍善、七宝の三人は和菓子喫茶である那由多に来ていた。

那由多には普段は開放されていないが二階もあり、紅葉は店長である那由多隆弘に許可を取ってそこで反省会をすることに。

那由多に来たのだから和菓子は頼まないと、ということで各々頼みはしたもののやってきた和菓子に手をつけたのは紅葉だけだった。他の二人はというと、和菓子には見向きもせずにお互いに睨み合っている。その様子を団子を頬張りながら眺めている紅葉は内心でこうなる予想はしていた。

それほどまでに模擬戦闘の結果は酷いものだった。

 

「ズタボロだったな」

 

どちらからも話し出す気配がなかったため、紅葉は軽くため息をついたあとそう口にした。

 

「っ」

 

それに真っ先に反応したのはやはりというか七宝だ。しかし。紅葉を睨みはするが言葉は出てこない。ただ口を開けたり閉めたりしているだけ。すなわち七宝本人も悔しい事にこの結果を認めているということになる。

 

「二人してとっ込んで吉田先輩の魔法にまんまと引っ掛かり、そのまま三七上先輩の魔法でノックアウト……予想してたよりも酷い結果だったぞ」

 

紅葉の予想では、普段接する機会の少ない幹比古の精霊魔法にどちらか一人が翻弄されるも、それを残った一人がカバーし、なんやかんやあって善戦するのでは? と思っていたがそんな事は微塵もなかった。

 

「てか、なんで二人して突撃してんだよ? ポジションは伝えたろ。七宝がオフェンス、龍善が遊撃だって」

 

内心、作戦会議らしい会議をしていなかったのも原因なんだろうなとは思っているものの、少なからずポジションを知っていれば自ずとフォーメーションは取れるだろうと思っていた。

この二人は一科生の中では戦い慣れている部類でもある。だから少ない情報でも、七宝が前に出て龍善がカバーするといった形か、龍善が偵察に出て七宝が待つといった形をとれるのではと期待していたが蓋を開けてみれば二人して前衛の位置にいた。

二人同時にノックダウンしたと聞いた時に紅葉は「なんでだよ!」と自身が戦闘中にも拘わらず即座に口にしたのは仕方がないことだろう。

 

「それはわかってる。だから俺は訓練場が森林地帯だったから斥候は必要だろうと思って前に出たんだ。七宝にもここで警戒して待ってろって言ったんだが、こいつはそれを無視して前に──」

「お前が俺の話を聞かずに勝手に前にでたんだろ!」

 

紅葉の言葉に弁明するかのように龍善が話し始めたが、七宝が言葉を被せた。

 

「実力者相手に無策で行くとか考えなしかお前は!」

「だからそれを知る為に俺が前に──」

 

どうやら、お互いがどう動くかは考えていたようだ。

ただ、その意図が相手にまったく伝わっていなかったようだが。

 

「(結果はあれだったが思ったよりは悪くないな)」

 

お互いがお互いを考えていなければ、責任の押し付け合いの醜い争いになるが

 

「七宝お前、吉田先輩の精霊魔法に対応できるか?」

「っ。なんだ、お前は出来るっていうのか?」

「お前よりできるだろうよ。少しばかり精霊魔法に接する機会があったからな」

「なら、なんで対応できなかったんだ!」

「てめぇと一緒に嵌まるとは思わなかったからだよ!!」

 

と、こんな具合に語気は荒めだが話し合いのような感じにはなっていた。

 

「(こいつらなんだかんだでいいコンビになるかもな)」

 

妙にテンポのいい言い合いに、そんな事を思いながら紅葉は二人を眺めていたが突然、龍善の顔が彼の方を向いた。

 

「というか、てめえが『作戦はない! 任せた!』って言ったのも原因だと思うんだが?」

「そんなこと言ったか?」

 

言った。間違いなく、一語一句間違いなく言った。が、紅葉がそんな事を素直に認める訳がない。

睨み付けてくる龍善をよそに、二本目のみたらし団子を手に取りぱくり。

その謎の余裕に、龍善の額には青筋が浮かんだ。

 

「おう、てめぇはっ倒すぞ」

「ははっ、やれるもんならやってみやがれ」

 

開戦待ったなし状態の二人の間に「阿僧祇」と言って七宝が割って入ってきた。その顔の真剣さに紅葉は姿勢を正す……まではいかないが少しだけ気を引き締めた。

 

「どした?」

「お前は勝つ気がなかったのか?」

「勝つ気なしで勝負するわきゃないだろ」

 

七宝の質問に即座に真っ向から否定する。

 

「……あー、まぁなんだ」

 

ただ、その言葉を否定はしたが言葉に含まれる意図については返答しないといけない空気になっていると感じた。

 

「ぶっちゃけ、昨日の今日で作戦がたてられる訳がない」

「うわ、マジのぶっちゃけだ」

「うっさい。ただ、善戦する予想はあったぞ。その予想はそっこーで砕けたがな」

「勝てる予想はあったんだな?」

「数%程度だがな。大した話し合いはしなかったが俺たちは戦い慣れてる、と思っているからワンチャンあるだろうと。まぁ、課題は見えたんだが」

「へー、課題ってのは?」

 

あの一戦だけで圧倒的に足りない事がハッキリと見えていた。

しかし紅葉としてはそれはあまり改善したくはなかった。でも改善しないといい結果を出せないのも見えている。

だから一時の事だと諦めることにした。

 

「コミュニケーション不足だな」

「……」

「……」

「……なんか言え。身に覚えがあるだろうよ」

「いや、もっとこう技術面とかそっちの課題は?」

「安心しろそっちはこれっぽっちも問題とはおもってねーよ。それよりもお互いの実力を発揮するためには連携が大事だってこった。今日だって連携が取れてれば善戦するだろうなって予想だったんだからな」

「……」

「……」

 

七宝と龍善がお互いを横目に睨みあっている。

何かを言おうとして言葉にならず言えないといった事をお互いしているのだ。

このまま待って二人が話始めるのを待ってもいいが、下手したら閉店まで話始めないかもしれないので紅葉はパンッと自分の掌を合わせてニッコリ――二人からしたら嫌な笑顔――と笑った。

 

「って訳で、九校戦までの間、俺たちはお互い下の名で呼び合うことにする。これは決定事項だ」

「え?」

「は?」

「なんだったらあだ名でもいいぞ。ま、よろしくな龍善、琢磨」

「「はあああああああああああああああああ!?!?!?!?」」

 

紅葉の思わぬ提案に二人は叫び、その声は一階にいた客にまで聞こえてしまい紅葉達三人は店主からお叱りをくらうのであった。



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懐かしき日3

「それで久しぶりに戦ってみてどうだったかな、服部くん?」

 

紅葉達が那由他で店主に叱られている時と同じ時間、生徒会室では服部とあずさがモノリス・コード組の事を振り返っていた。

その少し前まで五十里と花音もいて他の競技について話していたのだがこの話に入る前に五十里が花音を連れて出て行った。

花音としては服部の話を聞きたかったようだが、五十里がそれを許さないかのように珍しく花音をやや強引に連れ出した形だった。

 

()()()()()()()()()()()()()()よ。多少強引にいったが八握剣以外は使わなかったなあいつ」

 

苦虫を嚙み潰したような顔をしながら悲しい声色で服部は言葉を吐く。

戦闘中は楽しかった。

久しぶりに戦えた事もあって楽しかったのは間違いない。

だが、時間が経てば経つほど悲しさが胸に広がっていったのも事実だった。

 

「やっぱり昔のようにはいかないんだね阿僧祇くん」

「あいつが防戦一方の時点でおかしいだろ?」

「確かに。彼、攻撃一辺倒の人だもんね」

 

二人して昔の光景を思い出して笑いあう。

三人が同じクラスになって紅葉が服部に勝負を挑み始めたのが始まり。

その時偶然、あずさの目の前で事が展開されてしまい巻き込まれる形で審判をやらされるはめに。

それからというもの二人がなにかいざこざを起こせばあずさが巻き込まれるといった形が生まれて、あずさとしては困っていたがそれが楽しくもあった。

これがずっと続くといいなと思っていたが。

 

「中条、大丈夫か?」

 

笑いあった後、あずさの表情が沈んだのを服部は見逃さなかった。

 

「え? あ、うん、大丈夫だよ」

 

いけないいけないと顔を軽くパンパンと叩くあずさ。その行動が大丈夫ではないと言っているようなものなのだが服部はそれ以上踏み込むことはしなかった。

あずさが何を思って気が沈んだのかが少なからずわかるからだ。

 

「もう少ししたら閉門時間だ。俺達も帰るとしよう」

 

これ以上、紅葉に関係する話をしてもあずさの気持ちが沈むだけだと思った服部は鞄を手に取り立ち上がった。あずさに帰宅を促すと彼女はゆっくりと顔を上げお互いの視線が合った。

 

「……服部くん」

「なんだ?」

「まだ諦めてないよね?」

 

その言葉の意味はわかる人にしかわからない。

だからわかる人、服部は少しムッとした顔になった。

 

「俺が諦めたように見えるのか?」

 

少し怒らせてしまったかなとあずさは思うが、その顔に少しだけホッとする。

良かった全然気持ちが変わってなくて、と。

 

「ううん。そんなことないよ。……絶対に助けようね」

「あぁ、もちろんだ。おいそれとあいつを楽にさせるつもりはない」

 

そうして二人はまた軽く笑いあって生徒会を後にした。

 

 

 

 

 

「ぶえっくしょん!!」

 

龍善、七宝と別れた紅葉は突然盛大にくしゃみがでた。

幸いにも周りに人はいなかった為、人目を引くといった事はなかったが不意の盛大なくしゃみに少しだけ恥ずかしさがあった。

 

「あー。誰か、噂でもしてるのかねぇ?」

 

そう言葉をこぼしながら噂しているのは誰かなどと想像してみるが

 

「ひーふーみー……いっぱいいるなー」

 

第一高校内だけでも沢山いるというのに、学校外でも沢山いる予想が簡単についた。しかも数日前に増えたことを思い出し少しげんなりする。

 

「七草先輩に知られたのが少し怖いよな。あの人の情報網を使えばワンチャンありそうな気もするが、七草家に知られるのがだいぶまずいからな」

 

紅葉の抱える秘密は七草家というよりは十師族に知られたくないことだった。

知られてしまえば何が起こるか、考えただけでぶるりと体が震えた。

 

「姉貴の事だからそこら辺、釘はしっかり刺しているだろうけど」

 

その釘がどこまで機能するかはわからない。

紅葉は真由美の事は信用しているが、七草家含む十師族というか()()()()()()()()()()()()()はまったく信用していない。その中でも、とまで思考して止めた。

 

「はぁ、やめやめ。今は九校戦の事だけ考え……そういえば」

 

これ以上自分の事を考えても一切プラス思考にはならない。

それならば今、楽しいと思える事を考えようと九校戦の事を考え始めようとしてこれも一旦停止。九校戦よりも前にやっといたいことがあったのを思い出した。

 

「姉貴の誕生日プレゼント買っとかないとな」

 

姉の双葉の誕生日が近い……九校戦後ではあるが。

ただ、その付近はもしかしたら色々と忙しいかもしれないので買ってる暇はなさそうだなと思っていた。

 

「次の休みに買いに行くか」

 

そうこうしている内に自宅が見えてきた。

明かりが灯っている事から母親はもう帰宅しているのだろう。

その光景に思わず言葉がもれる。

 

「これがあと何日続くんだか」

 

ハハと乾いた笑いでもれた言葉をなかった事にして「ただいま」と玄関をくぐった。

 

 

 




次話より泉美ルートへと入ります。


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叶わぬ夢1

七月二十一日土曜日の午前。紅葉は渋谷副都心のファッションビルにいた。

目的は姉である双葉の誕生日プレゼントを買いに来ただけ。なので長居するつもりはなかったのだが、かれこれ三時間ぐらいが過ぎようとしていた。

本当ならばさっさと買って帰って寝るつもりだった。だから何を買うかもある程度は決めてはいたが、いざ商品を目にしてそれを双葉にプレゼントした様子を想像すると

 

「あー、これもダメだな。ノータイムで正拳突きが飛んでくる」

 

なんとも痛々しい未来しか見えなかった。

この想像が何度も続いていてプレゼントを決めきれないでいた。

なぜそんな怖い未来しか見えないのか。その理由はわかっていた。

 

「思ったより、なにを送っても祝ってるようには見えないな」

 

誕生日に送るプレゼントは普通なら誕生した事を喜び祝って贈り物をするのだが、紅葉が送るつもりのプレゼントには別の意味を含まれようとしていた。そしてその意図は双葉にとって喜べるものではないと紅葉はわかっていた。なんだったらキレるだろう。

 

「直接渡さなければいいか。……それはそれで怒涛のコールが来そうだな」

 

姉のお叱りをくらわないように何かしらの対策を取ろうとすでに何個か案を巡らせているが、どれも突破されむしろその対策の所為で倍怒られそうまであった。

 

「俺の考えがばれないプレゼントってなんだ?」

 

出来れば姉には喜んでもらいたいと考えている。誕生日に贈るのだからその考えは当たり前だろう。なら別の意図は含まなくていいだろうとなるが、その意図を贈るタイミングがどこにもなかった。だから誕生日プレゼントに含めるしかなかった。

 

「んー、どうすっかなー」

 

悩んでも悩んでも答えが出てこなかった為、一旦周りを見て何かないかと見まわす。目に入ったのはカップル、親子連れ、友達と一緒など複数人で買い物に来ている人達。

 

「誰かと一緒に買った物ならいけるか?」

 

自分だけでは意図がバレバレ。では自分だけではなければ?

 

「ありだな。なら、姉貴を知ってる奴を呼ぶか」

 

プレゼントを渡す際に誰々と一緒に買ったと言えば双葉もすぐには紅葉の意図には気付かないだろう。疑われはしそうだが。だが、ノータイムフルボッコよりはマシだろうとポケットから携帯端末を取り出し誰を呼び出すかと一覧を開く。

 

「しっかし、服部達はやめといた方がいいか。あいつら以外となると誰だ?」

 

一番呼び出しやすいのは仲が良い服部やあずさ、五十里なのだが残念なことに双葉のように紅葉の意図を速攻で看破する可能性のある面々なため、今回は呼べないと判断。

 

「柊とかならちょうどいいか。……いやまて」

 

元クラスメイトである柊蒼真なら双葉も知っているし彼女がいるのだからプレゼント選びでも良案をもたらしてくれるだろうと考えてコールを押そうとして留まった。

紅葉が思いとどまったのは彼女の点。今日は休日なので蒼真は彼女、久我原黄泉と一緒にいる可能性が高い。

蒼真を呼ぶのは構わないが黄泉は呼びたくなかった。

 

「試しにかけてみるか? 絶対って訳じゃなさそうだし。いやでもなぁ」

 

あの二人は学校でも二人で居る事が多い。であれば休日ぐらいはとも思うが黄泉の性格を考えれば休日でも一緒にそうではある。

なぜ、紅葉は黄泉を呼びたくないのか。単純にうるさいからだ。

抑える役目でもある蒼真がいれば要所要所で宥めてくれるが、基本的には騒がしいのが久我原黄泉という女性である。

 

「……見送るか。久我原がいたら絶対に目立つ」

 

今日は同級生(いちねんせい)に会っても阿僧祇紅葉だとわからない格好をしてきている。普段は前髪をおろしているがその前髪を後ろに撫でて顔をはっきり出し、伊達メガネをかけている。普段とは違った雰囲気や服装も相まって制服姿の紅葉と今の紅葉を比較しても同一人物には見えなかった。

ただし同一人物に見えなくても名前を呼ばれたらわからない格好をしていても意味はない。

蒼真なら紅葉の恰好を見て察するだろうが、黄泉は絶対に笑う。その様子が容易に想像できる。

ただでさえ騒がしい奴がさらに騒がしくなるのだったら呼ばない方が正解だろう。

 

「じゃあ、他に……歌倉は連絡先しらねぇし。んー」

 

色々と候補を上げていくが三年生に連絡をつけれる人が見つからなかった。では同級生か二年生かとなるが、そこで連絡先を知っている人たちはいない。そもそも姉の双葉を知っている人はいなかった。

 

「仕方がない、諦めて買うだけ買うか」

 

人と一緒に買う作戦を実行できそうにないので諦めて、買う予定だった物を取りに行こうとした時だった。一人の女性とすれ違って紅葉は「ん?」と足を止めて振り返った。

 

「泉美?」

 

その姿よく見知ったひとだった。平日であれば毎日見ている七草泉美だ。

泉美は紅葉に気付いた様子もなく歩いていく。その後姿を見たまま思案する。

 

「(泉美なら姉貴知ってるし、こっちの事情は知らないと)」

 

頓挫しそうになった作戦を実行するのに泉美は今のところ一番条件に合っていた。

それならと紅葉は泉美の後を追って声が届くところで名前を呼んだ。

 

「っ?!」

 

突然、名前を呼ばれた泉美は肩をビクリとふるわせてからゆっくりと後ろを振り返る。

驚きはしたものの名前を呼んだのだから知り合いだろうと思っていたが、そこにいたのは見慣れない男性だった。

いや、どこかで見た事があるようなと小首を傾げている。ただ警戒しているのはまるわかりだった。

 

「そんな警戒するなって、阿僧祇だよ。これでわかるだろ」

 

そう言って紅葉は伊達メガネを外し、少しだけ前髪を前に流す。ここで泉美は目の前の男性が知っている人だと理解した。

 

「阿僧祇さん?」

 

ただ理解はしても普段の気怠い雰囲気がなかった為、完全に一致とまではいかないようだった。

 

「まだ疑うか。これ以上は証拠を示しづらいんだがなぁ」

「いえ、その、すみません。阿僧祇さんだというのはわかっているのですが、普段とその……装いが違うもので」

「まぁ、完全に外行き用だからな。てか、なんかよそよそしくないか?」

「そんなことは、ないと思いますが」

「そうか? まぁいいか。今日は香澄と一緒か?」

 

どことなく歯切れが悪いというか元気がないように見えるが、これ以上深く踏み込むものでもないかとその疑問は頭の片隅にでも置いておき、別の事を尋ねた。

紅葉はどうにも泉美が渋谷副都心(こういうば)に一人でいるイメージがなかった。双子である香澄か彼女の姉である真由美と一緒に買い物に来ているイメージが強い。だから当然誰と一緒にいるのかと思ったがそうではなかったようだ。

 

「香澄ちゃんですか? いえ、今日は一人です。双子だからといって四六時中一緒にいるという事はありませんよ?」

「そりゃそうだ。ならちょっとした買い物って感じか?」

「そう、ですね。少し見て回ってなにかあれば買おうかなと。阿僧祇さんも買い物ですか?」

「(んー? なんか変だよな?)」

 

二、三言葉をやりとりしただけだがやはり気になる。

今日の泉美は少しおかしい。

 

「阿僧祇さん?」

「ん? あぁ、今日は姉貴の誕生日プレゼントを買いに来たんだ」

「お姉さん、双葉さんのですか?」

「そう。ただちょっとプレゼント選びに難航しててな」

「そうなのですか?」

「そうなんですよ。そんでな泉美」

「なんでしょうか?」

「少し時間あるか?」

「……ありますけど、それがどうかしましたか?」

「一緒にプレゼント探してくんね?」

「……」

 

珍しく泉美が固まった。

ホント、今日のこいつはどこかおかしいなと思いながら紅葉は泉美が口を開くのを待った。

 



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叶わぬ夢2

偶然会った泉美を半ば強引に誘い姉の双葉の誕生日プレゼントを選び始めたのが一時間前。

泉美があまり乗り気ではなさそうに見えた紅葉は元々選んでいた三点程を泉美に見せて意見を聞くという方法を取った。

その際、泉美から「これ、私の意見いりますか?」などとあまりにも当然な事を言われはしたが、紅葉は聞こえないふりをしてその言葉をスルー。

『なんでそこまでして私の意見がほしいのでしょうか?』と疑問に思いながらも、泉美は泉美で見せられた三点の商品にそれぞれしっかりと意見を述べ、それを聞いた紅葉は「なら、これだな」と一つの商品をレジへと持って行ったのが十分前。

これで解放されるかと思った泉美だが、紅葉から「なんか奢るぞ」とこれまた強引に喫茶店に連れていかれ今に至る。

二人席に案内された後、それぞれが注文し終えそれが来るのを待っていると頬杖をついている紅葉から言葉が飛んできた。

 

「今日はサンキューな助かったわ」

「……先ほども言いましたが、私は必要でしたか?」

「そりゃ、俺一人じゃ決めきれてなかったからな。あ、コーヒーはこっち」

 

ウェイトレスが持ってきたのがどちらかのモノか軽く言ってから手振りで『ありがとう』と謝意を伝える紅葉。ウェイトレスもそれがあったからかは定かではないがにこやかにお辞儀して下がっていった。

 

「……なんだその顔は?」

 

コーヒーカップを手に取り一口つけようとしたところで泉美のジト目顔が目に入った。

突然なんでそんな顔になってるのか紅葉にはさっぱりわからないから素直に聞いてみるしかない。

 

「いえ、別に」

 

泉美はティーカップを持ち一口。そんな綺麗な所作に紅葉は流石はお嬢様などと思いながら思わず見入ってしまった。

だからか、今度は泉美が聞く番になった。

 

「なんですか?」

「いや、別に……」

 

見入っていたなどと口にする訳もなく、ついた言葉が少し前の泉美の言葉と殆ど同じ返しになった事に気付いた紅葉は軽く咳払いしてから話を戻した。

 

「てか、俺がお前のその顔を見る時は大抵、誰かが何かやらかしている時だと思うんだが?」

「どの顔の事をいっているのですか? そもそもやらかしている自覚はあるのですね?」

「誰かっつてんだろ。つーか俺、そんなにやらかしてるか?」

「自覚がないんですか?」

 

この時、紅葉は今日初めて泉美の笑み――薄っすらとではあるが――を見てやっといつもの空気に変わったと感じた。

 

「あると思うか? それよか二年生共や琢磨とか香澄の方がやらかしてるだろ」

「それは失礼では?」

「本当にそう思うか?」

「……」

 

紅葉の挙げた人達がやらかしてないとは言い切れなくて泉美は黙ってしまう。その様子にほらみろと言わんばかりに少しドヤ顔してみる。

その顔にうっすらと青筋がたちそうになるのを我慢して、この胡散臭い年上同級生が事件事故の渦中にいないかと思い出してみるが。

 

「残念ですが、阿僧祇さんは巻き込まれているだけですね」

「ほらみろ。って残念ですがってどういうことだ?!」

「そんなこと言いましたか?」

「このやろう」

 

お互いの軽口の応酬。

少し暗かった空気が晴れたことでこれなら大丈夫かと紅葉は切り出した。

 

「んで、何か悩んでるんだったら相談にのるぞ」

 

その問いに泉美は数瞬固まった後、「何がですか?」ととぼけた。

 

「とぼけるなって。買い物に来ましたって雰囲気じゃなかったし」

「そんな事は、ありませんが? なぜそう思うのですか?」

「なぜって、目的もなくぶらついてるとかお前らしくないだろ。香澄ならまだしも」

 

くしゅん、とここにはいない香澄がくしゃみをしたとかしなかったとか。

 

「まぁ、ほらここには頼れるお兄さんしかいないんだ、さっさと吐いちまえって」

「……」

 

自分や香澄の事を知ったような事を言う紅葉を睨みつけるような目線を送りかけたところで、聞きなれない言葉が飛んできて彼女の頭は思考を停止してしまった。

 

「ん? おーい、泉美?」

「誰が頼れる、ですか?」

「目の前にいるだろうが。さっきお前が言ってたじゃねーか、トラブルに巻き込まれてるだけだって。トラブルに巻き込まれて解決してんだ。ほら、頼れるだろ?」

「それは……言いましたけど……」

 

泉美自身が言ったからこそ、強めに否定はできなかった上に思い返せば確かに解決もしている。

だからと言って素直に認める気にはならなかった。

それはなぜか。理由は簡単だ、目の前で紅葉がドヤ顔しているのだ。これはむかついても仕方がない。

さらに言えばいつになく大人びて見える。だからか泉美の心情は乱高下していて落ち着かなかった。

そんな落ち着いていないのを紅葉に悟られないよう、軽く一息ついた。

 

「そもそも、私は悩んでいなっ」

 

このままこのいつもと違うように見える年上同級生を相手にしていたら、遅くない時間で自身の心が暴かれてしまうと危惧した泉美はもう強く否定してこの場を終わらせようとした。

だがその判断は遅かった。

泉美の強い否定が言い切られる前に紅葉の言葉が差し込まれた。

 

「悩みの種は十中八九、九校戦なんだろうけどな」

「っ」

 

見破られて言葉が詰まる。そんなにわかりやすかったのかと泉美は顔を下げて今までの自分の行動を思い返し始めた。

その様子を見て少し踏み込みすぎたかと瞬時に反省する紅葉。

このままだと今日以降の泉美との関係が少しばかりギクシャクすると思ったから、こっちが本心を明かすしかないと意を決した。

 

「今日はな、泉美」

 

そんな必死に思い返している泉美に、いつもより優しい声色で声をかけられ彼女の頭で行われていた思い返しは止まり顔を上げた。

そこには今まで見たことがない優しい笑顔の男性、阿僧祇紅葉がいて目を奪われる。

 

「お前に本当に感謝してるんだ。偶然とは言え、俺の我儘に付き合ってくれた。だから、何かに悩んでいるお前を見たら助けたいと思ったんだ」

「……」

 

紅葉から発せられる言葉一つ一つが素直に泉美の耳に残る。

 

「話したくなかったらそれでいいさ。でも、俺はいつでもお前の味方だからそれは覚えておいてほしい」

 

意を決した言葉は少し恥ずかしくなる言葉だったからか、恥ずかしさを隠すように少し冷めたコーヒーを一口のどに流しいれた。

泉美の様子を窺うとすこし顔を伏せていて感情までは読み取れない。

 

「(今日は解散かな)」

「……っ」

 

これ以上踏み込む気はないと、伝票を手に取ろうとして泉美から小さな声が漏れ聞こえてその手を止めた。

 

「……阿僧祇さんは」

 

そこから少し恥ずかし気に小さな声で泉美は話始めた。



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