シクラメンと新米団長 (泉絽)
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第1章 出会い
第1話


初めまして。
お越し頂き、ありがとうございます。
この話は導入部となります。
本格的なお話は二話以降となりますので、ご了承ください。


 電話から響く、無遠慮な音が、俺はあまり好きでは無い。

 

 そして、目の前で、発せられるその不快な音は、誰かが引導を渡すまで、延々と鳴り続ける事になるのは、この場にいる誰もが知っているはずだった。

 だが、そんな当たり前のことを知っているはずの皆は、机に向かい、自分の作業をこなす事で精一杯です……と言った姿勢を取り続ける。

 

 そうだな。面倒な事はしたくない。

 嫌なものはなるべく、誰かに押し付けたい。

 だからこそ、それをしてくれる誰かが現れるまで、自分は手を出さない。

 

 そうして、その不快な音が、何度も繰り返される中で、俺の精神力はゴリゴリと音を立てて削られていく。もし、俺の精神力が視覚化できるなら、それはもう、景気よく減っているだろう事は、想像に難くない。

 結局、そんな状況下に置かれた時、その誰かは、こんな不快な音を無視し続ける事の出来ない、俺だったりするわけで。

 

「はい。お電話ありがとうございます。○○商事です」

 

 その無意味なチキンレースは、今日も俺の一人負けだった。

 

 

「だんちょー、んで、何だって?」

 

 電話が終わると、当たり前のように軽い調子で声をかけて来た上司と言う名の無能を、俺は一瞥する。

 率先してあんたが取れよ。と、口元まであがって来た台詞を俺は、強引に飲み干した代わりに、嫌味が込められ先方さんの言葉を伝えた。

 

「もっと早く電話に出ろ、だそうですよ」

 

「あ、そう。じゃあ、次からよろしくね」

 

 あんたがな。

 そう心で毒づきつつ、俺は、電話で受けた要件を、上司に伝えた。

 

 駄目だ、心がすさむ。こんな事ではダメだ。

 

 心の底から湧き上がる、負の感情を自覚し、俺は、ひっそりと首を振った。

 最近、特にこの衝動的な感情が沸き起こる事が多い。

 前は気にならなかったことが、やけに腹立たしく感じる。

 嫌だ。こんな気持ちに支配されたままなのは、嫌だ。

 再度、俺はその嫌悪感を伴った重い感情を吐き出す様に、長く溜息を吐いた。

 だが、まるで粘性の高い液体の様な、その感情は、そんな事では落とす事が出来なかった。

 

「なんだ? だんちょー。お疲れか?」

 

「いえ、すいません。何でもありません」

 

 俺のそんな様子を見て、上司は俺のあだ名を呼びながら、首を傾げる。

 ちなみに、俺の本名は、壇 長人(だん ながと)。昔から、諸星やら、蜜やら、色々とあだ名をつけられたが、最も多かったのが、この『だんちょー』と言う呼び名だった。

 察しの良い人は分かるだろうが、単に苗字と名前を繋げただけである。

 この職場に配属になった時に、うかつにも飲み会でそんな事を話してしまったから、それからは見事に定着している。

 ま、親しみを込めてくれていると思えば、悪い気もしない。

 

 実際、目の前の上司だって、悪気がある訳ではないのだ。

 なるべく自分の仕事を減らして人にやって貰おうとしているだけ。

 たまたま、それが俺にとばっちりが来ているだけ。

 そう、社会人なら、そんなもんだよな。

 巧く立ち回れない馬鹿が、損するだけなんだよな?

 自分で自分をそう、納得させようとする。だが、そう心で言い訳すればするほど、虚しさは心に降り積もって行った。

 

 何で俺、こんな事やってんだろ?

 

 報告をしながら、俺は、心の片隅で、そんな事を漠然と思っていたのだった。

 

 

 

 この零細企業の入っているビルには屋上庭園がある。

 午前中に抱えてしまった澱を降ろす為、俺はその庭園へと足を運んでいた。

 

 幸いな事に、空は抜けるように青く、吹き抜ける風は、爽やかな気持ちと、一滴のやる気を、俺に齎してくれる。

 

 ふと、腰かけたベンチの横にそよぐ草が、視界の端に映り込んだ。

 その草は、植物特有の鮮やかな緑色を全身に纏い、ハート形の可愛らしい突起物が、その身を飾っている。

 

「へぇ、珍しいな」

 

 確か、春の七草として知られ、その特徴的な形から、皆に親しまれている……ぺんぺん草だ。

 今はもう、すっかり、見る機会が失われたように思う。

 

 そんな、思わず漏れ出た俺の声をさらうかのように、風が吹く。

 柔らかな風にのって、そのぺんぺん草は、ゆらゆらと揺れた。

 その様子は、まるで返事でもしているかのようで、俺の心に優しい明かりを、そっと灯してくれる。

 

 ――さま。

 

 ふと、声が聞こえた。

 辺りを見渡すが、人はいない。

 見ると時計は、昼休み終了5分前を告げていた。

 

 その数字に急かされ、俺は立ち上がる。

 

 ――ちょうさま。

 

 まただ、また聞こえた?

 

「誰か、いるのか?」

 

 俺は、自然と小さくなった声で、そう問いかける。

 しかし、返事は無かった。

 

 疲れでも、溜まっているのだろうか?

 そういや、最近、ずっと残業続きだしな。

 そんな風に、俺は理解できない現状から目を逸らすかのように、そう自分に言い訳を始めた。

 

 ――団長様。

 

 しかし、その努力は何の意味も無いようだった。

 今度は、耳元で、その声が、聞こえた。小さいながらも、ハッキリと、女性の声が。

 

「だ、誰だ!? 俺を呼んでいるのか!?」

 

 俺は振り返ると、つい、声を荒げて叫んでしまう。だがそこには勿論、誰もいない。

 再度周りを見渡すも、視界には人っ子一人いやしない。

 

 なんだこれは? 俺は、どうにかなってしまったんだろうか?

 しかし、これは、幻聴にしては、生々しすぎる様な気が……。

 

 そんな俺の不安を体現したかのように、突然、俺の足元から光が沸き立つ。

 複雑な幾何学模様の様な物が絡み合い、光を放っていた。

 

 何だよ、これ。

 思わず後ずさろうとするも、足が動かない。

 そんな風に、無様に動揺する俺に、静かに語り掛けられたその声は、誰のものだったろうか?

 

「団長様……どうか、スプリングガーデンを……お救い下さい」

 

 懇願するかのような、今にも泣いてしまいそうな、そんな悲痛な声がはっきりと聞こえた。

 その声がした方向に、俺は慌てて振り返る。

 視界の端にはあのぺんぺん草、そしてその横に立つ白い女性……。

 その儚い存在を認識した瞬間……俺の意識は、暗闇へと落ちたのだった。

 

 

 

 風が頬を撫でる感覚が、俺の意識を呼び起こした。

 目を開くと、雲一つない真っ青な空。

 

 恐々としながら、指を動かし、ゆっくりと拳を握りしめる。

 うん。動く。大丈夫だ。

 

 身体の状態を確かめた所、どうやら痛みも無く、動く様だ。

 そうわかった俺は、ゆっくりと上体を起こす。

 掌には、草と土の柔らかな弾力が伝わって来た。

 

 視界に広がるのは、草原。

 

 遠くに霞む山脈と、その裾野を縁取る様に広がる広大な森が見える。

 その雄大な光景に、暫しの間、俺は心を奪われ立ち尽くした。

 

 遥か彼方より、掠れたような鳥の囀りが耳に届く。

 そよぐ風は、都会では嗅ぐ事の出来ない程、雑多な匂いと、命の息吹を含んでいた。

 

 突然、視界に影が差した。

 怪訝に思い、見上げるとどう考えても小型飛行機に迫る大きさの鳥が、優雅に頭上を通り過ぎて行く。

 長過ぎる尾羽が、残光を放ちながら、空気中を泳ぐように揺れ、燐光を放ち、余韻を残す。

 

 草が揺れる。

 俺は、思わず身をすくませ、視線を向けた。

 そんな草葉の陰から、何とも形容のしがたい生物が、顔を見せる。

 それは、全長30cmにも満たない、人型の生物で、何故か葉っぱをかざしており、フードまで被っていると言う、突っ込みに困る出で立ちだった。雨の日ならば、完全防備だろうが、空を見れば間違いなく快晴である。

 いや、そもそもそれ以前に、その背丈で人型の生物と言う時点で、もうこれは、何だ? という事になるのだが。

 そんな極小の二足歩行生物と目が合う。

 

 しばし見つめ合う。

 

 しかし、謎生物は、突然震えだすと、正に脱兎のごとく、姿を消した。

 うーむ、声をかければよかったと、今更ながらに後悔する。

 ちなみに、フードの色は赤かった。保護色ですらない。

 彼――いや、もしかしたら彼女かもしれないが――が強く生きて行けるよう、何となく祈っておいた。

 

 ふと、何か耳障りな音が遠くより響いてくる。

 それは音と言うより、振動と言っても良いほどだ。

 その聞き覚えのある不快な音の正体に、俺が気づいた時、視界に信じられない物が飛び込んで来た。

 

 ハエだ。

 

 いや、ただのハエならば、俺もそう驚く事も無い。

 造りはやや雑な様な気もするが、姿形は俺の知っているハエに酷似している。

 だが、問題はその大きさなのだ。そのハエは、この距離からでもその正体が分かる程、大きい。

 恐らく、大人の頭を二回り程大きくしたら、丁度いいのではないだろうか?

 

 そんなハエ型未確認生物が、3匹。

 まるで編隊を組むかのように、羽音を響かせ地面の上1m付近を、ゆっくりと飛んでいるのである。

 

 その光景は、何処をどう見ても、俺の知っている場所では見る事が出来そうにない。

 だが、価値観を根底から覆す様な、今迄、経験した事の無い体験が、次から次へと襲ってくる中で、完全に思考が停止した俺は、その光景が持つ意味を、考える事が出来なかった。

 

 だが、それも、ハエがこちらに気付き、進路をこちらに向けた事で、終わりを迎える。

 

 不味い。あれは、ヤバい奴だ。

 

 本能的な嫌悪感と、心に響く警鐘がない交ぜとなって、俺の足を強制的に動かした。

 俺はハエに背を向け、全力で逃げる。

 

 だが、背後より聞こえる羽音は、徐々にその音量を増していた。

 駄目だ、相手の方が早い。

 

 何か、武器になる物は!?

 

 焦りながら視線を巡らせるも、武器になりそうな長物も、石も視界には入って来なかった。

 それもその筈で、ここは草原だ。

 ゲームの様に都合よく、倒木なんてある訳無い。

 そんな現実に、軽く舌打ちしつつ、俺は逃げる事しか選択できなかった。

 

 せめて、視界を遮るものがあれば、やり過ごせるかもしれないが。

 そう思うも、無常にも目の前に広がるのは、ただただ、背の低い草が伸びる、広大な草原だ。

 どうにもならず、俺は歯ぎしりしながらも、足だけは動かす。

 

 だが、デスクワーク中心のサラリーマンが、都合よく超常的な力を発揮できるはずも無く、脇腹の痛みと、疲労によって足を取られ、無様に地面を転がる。

 

「っ!? はぁはぁはぁ……」

 

 肺が酸素を求めて、呼吸を激しく乱す。

 汗がしたたり落ち、視界を塞ぐ。

 そんな中、羽音が俺の耳元へと迫り、その嫌悪感から咄嗟に身を転がす事で躱した。

 

 耳を庇った俺の左腕に熱さを伴った痛みが走る。

 見るとスーツを切り裂き、ワイシャツをも引き裂いて、俺の肌を浅く削る様に傷が付いていた。

 それを見て、俺は頭に血が上る。

 

「ふざけんな……。ふざけんなよ……」

 

 そんな俺の怒りをあざ笑うかのように、3匹のハエは俺の周りを取り囲むように、ゆっくりと回る。

 いきなり超展開。見知らぬ場所で、ご都合主義の様に、いきなり襲われると言うこの仕打ち。

 それならばご都合主義宜しく、眠れる俺の力が目覚めるのかと思えば、そんな王道的な事も無い。

 

 けど、そんな、夢物語はどうでも良い。

 それよりも何よりも、俺にはどうしても許せない事がある。

 

「このスーツ6万したんだぞぉおお!! この馬鹿ムシがぁあ!!」

 

 俺は魂の叫びを迸らせながら、目の前のハエに体当たりをかました。

 どうやら、こちらが反転攻勢するとは思っていなかったようで、そのハエは俺ごと地面へと勢いよく転がる。

 背中から落ちたハエが、もがいている間に、俺は起き上がると、恨みの全てを込めて、ヤクザキックをかました。

 

「6万だぞ! ろっく、まん!! それだけ、あれば! プレ○テ4、買えるんだぞ!! 課金ガチャ、何回、引けると、思ってんだぁぁあ!!」

 

 何度も魂を込めた蹴りを入れている内に、徐々に熱が冷めて来た。

 見ると何度蹴られ、動きを止めたハエから、何か黒い靄のような物が立ち上り、そして俺が息を整えている間に、形を崩し、黒い靄と共に宙へと拡散し、消え去る。

 

 なんだ、こりゃ。

 

 でかいハエが、襲って来るのも驚きだが、溶けてなくなるのも驚きだった。

 もう、驚きすぎて、一周回って、笑えて来る。

 そして、そんな隙を、残った2匹が見逃すはずが無かった。

 

 迫る羽音に俺は思考を戻すも、目の前には鋭いナイフの様な口顎があった。

 

 あ、これ死んだ。

 

 そう思った次の瞬間……爆音と共に、目の前から横合いに吹っ飛ぶハエ。

 

「大丈夫ですか!?」

 

 こちらに駆け寄りながら、声をかけて来た美少女の声を聞いて、俺は意識を失ったのだった。

 




お読み頂きありがとうございました。
機会がありましたら、続きを配信いたします。
宜しくお願い致します。

9/23 表現修正

・会話文末尾の句読点を削除いたしました。
ご指摘ありがとうございました!


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第2話

 奴らが、迫って来る。

 不快感をもたらす虫の姿が、奴らの羽音が、俺を追い詰める。

 

 やめてくれ。もう、うんざりだ。何で、俺が、こんな……。

 

 暗闇の中、逃げようとしても、まるで泥の中を進んでいるかのように、全く前に進まない。

 それでも必死にもがくが、そんな俺の行動をあざ笑うかのように、徐々にその羽音は大きくなっていく。

 

 ああ、駄目だ。このままじゃ追いつかれる。誰か、誰か!!

 

 叫ぼうとしても、声が出ない。息が苦しい。胸が詰まる。

 そして、気が付いてしまった。もう、助からないという事に。

 俺は、こんな所で、こんなにあっけなく、終わるのか?

 

 誰か……助けてくれ!

 

 だが、その声は何処にも届かない。

 そうして、羽音が耳元に迫り、俺の意識が、絶望に飲み込まれそうになった時……ふと、誰かの声が聞こえた気がした。

 

 次の瞬間、温もりが俺を包む。

 それは、今迄の苦しみが本当に嘘だったと錯覚を覚えさせるような、そんな心地良さだった。

 例えるなら、春の麗らかな陽気に、木の下で風と共に遊ぶ、木漏れ日のような、心をふわりと浮き上がらせるような、暖かい物だ。

 

 ふと、誰かの手が優しく、俺の頬を撫でた気がした。

 それはまるで母親の様に、優しさと温もりに溢れていた。

 

 ああ、ありがとう。暗闇から救ってくれて、ありがとう……。

 

 そんな風に、俺は感謝をしつつ、意識を浮上させる。

 

 そうして、目を覚ました俺の目に飛び込んで来たのは、今迄経験したことが無い程、至近距離にある、美少女の顔だった。

 突然の出来事で、俺は今までの事も全て吹っ飛び、マジマジとその顔を見つめてしまう。

 同じ様に、向こうにしても突然の事だったのか、彼女も驚いた表情を浮かべたまま、目を見開いて固まっていた。

 

 そんな彼女の顔を、どこか夢心地のまま、観察してしまう。

 

 年の頃は高校生から大学生と言った所だろうか。

 きめ細かな桃色の髪をそよ風になびかせ、俺の顔を穴が開くんではないかと言う勢いで、見つめている。

 何故か前髪だけ異様に長いものの、肩口にも届くか届かないかといった程、短めに切りそろえられた髪は、風に乗ってその表情を変える。

 揺れる前髪の隙間から見えるその瞳の色は、燃えるような赤さに柔らかさ宿した朱色に近い物だ。見ているだけで、吸い込まれるのでは無いかと、錯覚してしまう程、その透明度は高い。

 

 ふと頬に温もりを感じ、何気なく俺は、自分の手をその温もりへと重ねる。

 俺の手が、その温もりに触れた瞬間、彼女がビクリと身を震わした。

 

 どうやら、彼女の手が俺の頬に添えられていたらしい。

 計らずとも、俺は彼女の手を上から握った形になる。

 

 ふむふむ、そうか。

 

 少しずつ意識が覚醒するに伴い、妙に後頭部から、何とも形容のしようがない、幸せな感触が伝わってくるのを俺は感じた。

 頭が、柔らかく、暖かく、良い匂いに包まれている。

 

 目の前の美少女。頭に当たる柔らかい感触。

 つまり、この状況の意味する所は……膝枕であろうか。

 

 そうか。膝枕か。なんと、心地よい感触だろうか。

 このまま、顔を埋めたくなる衝動が沸き起こるも、辛うじて残っていた俺の理性が、現実へとその意識を引き戻した。

 

 あれ? 何で俺、この人に膝枕されているんだ?

 

 やっと頭が回って来た俺に、更なる疑問が沸き起こる。

 そんな状況が飲み込めない俺が、改めて彼女のその整った顔に目を向けると、当の本人は、湯気でも出るんじゃないかと思う程、真っ赤になっていた。

 

「あ、あの、えっと、ご、ごめんなさい! わ、私なんかの膝枕で申し訳ないのですが、す、凄く苦しそうだったので、そのえっと……。うぅ」

 

 焦ったように捲し立てた後、顔を真っ赤にして黙ってしまった彼女の言葉で、俺は先程までの出来事を漸く思い出す。

 背後から迫る羽音。巨大な虫達。

 

 そうだ、俺、死にかけていたんだっけ?

 

「あ、もしかして、助けて、くれたのかな?」

 

 何気なく呟いたその言葉が、どうやら正解だったようで、彼女はおずおずと言った感じではあるが、頷きをもって俺の言葉を肯定した。

 

 そうか。彼女は、俺を助けてくれたのか。

 徐々に、先程体験した恐怖が、俺の心に湧き上がって来る。

 

 あの絶望感。焦燥感。怒り。そうした負の感情のるつぼから、彼女は俺を救い出してくれたのか。

 

「そっか。助けてくれて、本当に、ありがとう」

 

 何の迷いもなく、お礼の言葉が俺の口から、するりと漏れ出た。

 ああ、こんな素直な気持ちで礼を言ったのは、いつ以来だろうか?

 心の片隅で、そんな感動に似た何かの感情を噛みしめつつ、俺は彼女の反応を見る。

 

 何故か彼女も、俺の言葉に驚いたようで、こちらを凝視していた。結果、その視線が俺の物と重なり、暫しの間、見つめ合う。

 あれ、何か俺、おかしな事言ってしまっただろうか?

 

 そんな不安が顔に出てしまったのだろう。その表情の変化を認めたであろう彼女が、一転して、焦ったように顔を前髪で隠してしまった。彼女の頭から飛び出た一房の髪が、柔らかく揺れる。

 一瞬その動きを目で追ってしまったが、ふと見ると、見事としか言いようがない程、彼女は瞬間的に、顔を真っ赤に染めていた。

 そんな湯気の出そうな程、何かを恥ずかしがっている彼女の薄い唇が開き、言葉を紡ぐ。

 

「あ、いえ、あの、その、えっと……ありがとう、ございます」

 

 そして、何故か礼を言い返された俺。

 

 いやいや、何でお礼に、お礼を返すんだか。

 と言うか、何をそんなに恥ずかしがっているのだろうか?

 彼女は俺の命を救ってくれたんだ。感謝するのは、ごく自然な流れだと思うのだが。

 うーむ、彼女がそれを驚く理由が、更には、それに感謝で返す理由が、全く思い当らない。

 

 一瞬頭に浮かんだそんな疑問達だったが、目の前で「うぅー」とか、「ふぅー」と、無意識に唸りながら慌てる、彼女の様子がどこか面白くて、つい、俺はクスリと、笑みをこぼしてしまった。

 そんな俺の笑みを受けて、彼女はますます顔を真っ赤にしていく。

 しかも、どうやら、猫背の様で、俯くたびに、顔が俺に近づいてきて、それに気が付くと、彼女は慌てて離れる、と言う、何とも面白い状況を続けていた。

 

 うーむ、何この生物。ちょっと可愛すぎるんですけど。

 

 こう、思わず抱きしめて、頬をツンツンと突っつきたくなる、そんな凶悪な愛らしさを彼女は素で出していた。

 小動物のような、愛らしさと言うか、暖かさと言うか、そんな雰囲気を纏っている彼女は、男からすれば、絶滅危惧種に近いと思う。

 本来であるなら、降って沸いたような、この幸福な時間を手放す手はない。このまま彼女を見ていたいと思うのだが、俺の冷静な部分が、こんなことをしている場合ではないと告げていた。

 

 そう。先程の虫の様な奴が、まだいるかもしれないのだ。

 このような危険な所で、こんなことをしている場合ではないのだろう。

 

 真っ赤になって悶える彼女を見上げつつ、後ろ髪を引かれる思いではあったが、俺はそんな気持ちを振り切るように、明るく声をかける。

 

「あ、起きたいんだけど、良いかな?」

 

 そんな俺の言葉に、一瞬、首を傾げた彼女だったのだが、その言葉の意味に気が付いたのか、慌てて、彼女は背を伸ばす。

 彼女が前屈み気味なので、俺が顔を上げると、彼女に頭突きをかます形になってしまうのだ。

 一瞬、横に転がればいいじゃないと、思わなくもなかったが、それはそれで、どこか逃げるような感じで嫌だった。

 

「あ、はぃ。ど、どうぞ……」

 

 それに、こんな可愛い彼女を見られるのなら、普通に起き上がった方が良いだろう。

 何故か上を向いて背を伸ばす彼女を見て、改めて、笑みがこぼれる。

 

「ありがとう」

 

 そう言いながら、俺は状態を起こして、改めて姿勢を正すと、彼女を真正面から対峙する形になった。

 

 長く伸びた前髪が、彼女の可愛い顔を、覆い隠してしまっている。

 だが、その隙間から、チラリと垣間見える彼女の上目遣いの視線が、俺の視線とぶつかった。

 そして、「はぅ」とうめくと、恥ずかしそうに顔を伏せてしまう。ちなみに、今なお、彼女は耳まで真っ赤である。

 

 ただその場に一緒にいる。それだけで、心が洗われるような気持ちになったのは、生まれて初めての経験だった。

 時間がゆっくりと流れるような錯覚すら覚える。

 

 面白い子だな、と思う。そして、それ以上に、不思議だとも思う。

 

 ピンクの髪に、朱色の目。そんな子は、俺の世界には居なかった。

 そりゃ、ウィッグやら、カラーコンタクトやらで、そう見せる事は可能ではあっただろうが、そんなまがい物と、目の前の彼女を比べるのは、彼女に失礼だと思える。

 それ程に、彼女のその容姿は、自然であり、良く似合っていた。

 

 そんなあり得ない容姿、そして、先程の有り得ない出来事が、俺にその答えを告げている。

 

 ここは、俺の知っている世界ではないんだな。

 

 改めて、そんな実感が、胸の奥に根付いた。

 それならば、俺には、今、この子をおいて頼れる人はいないだろう。

 意識を変えなくては。ここでまず、俺は生き残らなくてはならない。

 その為、まずは言葉遣いを変える。なるべく、丁寧になるよう、心がけることにしよう。

 

「改めて、本当に危ない所を助けて頂き、ありがとうございます」

 

 俺は、改めて謝意を伝える為、腰を折り、礼を述べる。

 そんな俺の言葉に、慌てた様に手を目の前で振りながら、

 

「え、あ、い、いえ、こちらこそ、ごめんなさい! 私がもっと早く来ていれば、あんな危ない目に合う事もなかった……と思います」

 

 そう、申し訳なさそうに俺の言葉に答える彼女。

 その顔は多少、混乱でもしているかのようで、勢いもそのままに、頭を下げ返されてしまった。

 なんだか、どっちが礼を述べているのか分からない状態である。

 

「いえ、命を救ってもらったのは事実です。貴女がいなければ、私はどうなっていたか。本当に、ありがとうございます」

 

「そ、そんな! き、貴族様に頭を下げられるなんて、こちらが困ってしまいます。顔を上げて下さい!? それに、私は、准騎士とはいえ、花騎士(フラワーナイト)候補です! と、当然の事をしただけですから」

 

 今度は、饒舌に語るも、一気に捲し立てると、圧倒される俺の様子を見て、我に返ったのだろう。

「……ご、ごめんなさい」と、何故か真っ赤になって、俯いてしまう。

 

 今の一言で、何か色々と、解釈に齟齬(そご)がある事が分かった。

 そして、聞きなれない言葉もあった。

 

 花騎士(フラワーナイト)? それは何なのだろうか?

 

 その辺りを問いただしたいと思うが、今はそれよりも、誤解を解く方が先だと判断する。

 このまま、流れに任せてしまうと、とんでもない所に行き付いてしまいそうだからな。

 

「あ、私は、貴族ではありませんよ。一般市民です。しがない、サラリーマンですよ」

 

 そんな俺の言葉に、彼女は一瞬、驚いたように目を(しばた)かせると、次の瞬間、ふっと、柔らかな笑みを浮かべた。

 一瞬、ふわりと風が舞ったような気がしてしまう程、それは温かい物だった。

 

「そんな嘘を吐かれて、私を試していらっしゃるのですね? ふふ、大丈夫ですよ。貴族の方がお忍びで、こんな所に居たという事は、公言いたしませんから。さらりーまん? と言う、隠密行動中なのですね? お仕事、お疲れ様です」

 

「いや、ちょっと、ま……」

 

 何故か、良く分からないが、ど真ん中直球に投げたボールが、変な返され方をして、流石に俺は慌てて、修正しようと試みる。

 だが、そんな俺の言葉を遮るかのように、大音声が、草原に響き、俺の焦った声を掻き消してしまった。

 

「……クラメーェーーン!! 何処に居るんだぁ!!」

 

 遠くからでも良く通るその声は、俺の注意を引くだけでなく、呼ばれたであろう彼女から笑顔を奪う。

 

「あ、ご、ごごごめんなさい! わ、私、任務中、でした……」

 

 先程とは打って変わって、真っ青な顔になると、徐ろに立ち上がる彼女。

 

 考えてみれば、そりゃそうだよな。

 わざわざ俺を助けに来たというより、何かをしている最中に、偶然、俺を見つけて助けてくれたに決まっている。

 なら、本来やるべき事がある訳で、彼女は、まだそのやるべき事を、継続している最中(さなか)なのだろう。

 

 しまったなぁ。結果的に、彼女に迷惑をかけてしまった事になるな、これ。

 

 一人で色々と浮かれ上がっていたが、命の恩人でもある彼女に、これ以上迷惑をかけるのは、俺の本意ではない。

 なら、俺のやらなければならない事は、決まっているな。

 

 立ち上がった彼女に習うように、俺も腰を上げる。

 思わず、と言った様に俺に視線を寄越した彼女に、俺は落ち着いて、口を開いた。

 

「では、お邪魔でなければなのですが、私も一緒に着いて行っても宜しいでしょうか? この場所は危険でしょうし、私を助けて下さった、お礼も伝えたいですから」

 

 一瞬、俺の申し出に驚いたようだが、その意図がすぐに伝わったのだろう。

 迷うような素振りも見せたが、すぐに決めたようだ。

 

「そう、ですね。ここも確実に安全な訳でもありませんし。では、貴族様? 私に、着いてきて頂いても、宜しいでしょうか?」

 

壇 長人(だん ながと)です」

 

「え?」

 

「私の名前、壇 長人って言います。仲間からは、だんちょーって呼ばれていました。宜しければ、お好きにお呼び下さい」

 

 そんな俺の言葉に、目の前の彼女は、何故か驚いたように言葉を失っていたが、すぐに、顔を真っ赤にして震え始めると、今日一番の大声で、彼女は捲し立てる。

 

「ま、まさか、貴族様でもあり、団長様とは!? そんな凄い方とは露知らず、ご、ご無礼の数々、もももも、申し訳ありません、でした!?」

 

「いや、ちょっと……」

 

「そんな方に、わ、私、膝枕、とか……わ、私なんかの膝で、本当にお詫びのしようも、あ、ありません」

 

「いや、だから……」

 

「そ、そうですよね。そんなお高そうな服装に加えて、弱い害虫とは言え、お一人で倒してしまったんですから。ほ、本当は、私なんかでは、声をかける事すら許されないような、高貴な方に決まっています! そ、それを、私ったら……」

 

 益々、妄想が妄想を呼び、俺の地位が神格化されて行くのを、流石に見ているわけには行かなかった。

 

「ちょっと待てぃ!?」

 

「ひゃぃ!?」

 

 思わず、叫ぶようにツッコミを入れてしまったせいで、ただでさえ混乱していた彼女は、その長い前髪の隙間から、上目遣いで俺を見上げつつ、生まれたばかりの子犬のように震えて様子を伺うだけになってしまった。

 

 うん、どうやら、俺は事態を悪化させたようだ。

 しまったなぁ……何でこうなった……。

 

 そう思いつつも、目の前で混乱したように震える彼女が悪いわけではない。

 まぁ、若干、そそっかしい所があるようだが、彼女は本当に、俺を心配して、助けてくれたんだよな。

 自分の仕事を投げ打ってでも、俺を救ってくれたんだから。

 

 ならば、まずは、彼女がこれ以上、自分を追い込まないようにする必要がある。

 だから伝えよう。結局、それしかないだろ。

 俺がどれだけ、感謝しているか。どれだけ、嬉しかったか。

 俺の言葉で、彼女に伝える。それが、少しでも彼女の自信に繋がるならば、俺にとっても、彼女にとっても嬉しいことになるはずだ。

 

「私は、死にかけていました。それを、貴女に救われたんです。恥ずかしい話ですが、あの虫達が怖かった。逃げ出したくて、けど、どうにもならず絶望していた私を、救ってくれたのは、貴女なんです。それは、紛れもなく、貴女のおかげなんです」

 

 俺の言葉を受けて、彼女は何かに気がついたように、ハッと顔を上げる。

 そんな潤む朱色の目を見返し、俺は更に感謝を述べた。

 

「膝枕、とても暖かかったですよ。それ以上に、心配してくれたその心遣いが、私には嬉しかった。だから、何度でも言います。本当にありがとう。私が何者であれ、私を救ってくれたのは、貴女なんです。感謝の気持ちを伝えたいのも、貴女になんです。それだけは、お願いですから、否定しないで下さい」

 

 呆けたように、俺の言葉を聞きながら、彼女は、真っ赤な顔を、まっすぐに向けていた。

 

「私……で、良いんでしょうか?」

 

 思わずと言った感じだろう。漏れ出た様に、そう呟く彼女に、俺は強く頷く。

 

「貴女しか、いませんよ。……いや、貴女が、良いです」

 

 俺のそんな言葉に、彼女は目を潤ませると、顔を伏せてしまう。

 相変わらず、頬だけでなく顔を真っ赤に染めながらも、小さく頷いたのを、俺は見逃さなかった。

 

 良かった。何とか分かって貰えただろうか。

 これで、少しでも彼女の自信が育ってくれれば、嬉しいと思う。

 いつの間にか、俺は微笑んでいた。

 彼女も、そんな俺に釣られるように、控えめな笑みを見せる。

 

 緩やかで温かい空気が、俺と彼女を包んだ。

 それは、再度、彼女を呼ぶ声が響くまで、ゆったりと続いたのであった。



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第3話

「で? つまり、この貴族様を保護した後、のんきに草原の真っただ中で、日向ぼっこをしていたと?」

 

 目の前で腕を組み、静かに目を閉じながら、そう口にしたのは、元の世界ではお目にかかる事の無い金属鎧を着こんだ壮年の男性であった。

 腰には、ただでさえ丸太の様な太さをしている腕より、更に一回り大きい剣をぶら下げている。見ただけで、素人の俺でもわかる程、歴戦の者という言葉がしっくりと来る風貌と、雰囲気を纏っていた。

 そして、その口調は淡々としている物の、有無を言わさない迫力がある。

 

「うっ……は、はぃ……。その、団長さんの気分が優れなかったようなので、つい……」

 

 そんな押しつぶされそうな雰囲気を纏う言葉に、意外にも、彼女は尻込みしながらも、しっかりと受け答えしている。

 

「団長?」

 

「あ、はい。団長さんだそうです」

 

 その言葉を受けて、鋭い視線が俺に飛ぶ。

 まるで突き刺さるかのような目力を感じ、それだけで踏鞴(たたら)を踏みそうになるも、それを堪えた俺は、思わず頬を掻きながらどう返答した物かと、迷う。

 その一瞬の迷いを読み取ったのだろう。その壮年は、一つ溜息を吐くと、それでも良く通る声で、現実的な提案を口にした。

 

「まぁ、なんだ。まずは、街へ帰るか。詳しい話はそれからだ。おい、クフェア、殿(しんがり)は任せるぞ」

 

「ああ」

 

 今迄、気配すら感じなかったが、ふと声のした方に目を向ければ、一人の赤い女が、木にもたれかかったまま、こちらを横目で睨んでいた。

 その視線が俺と交錯したその瞬間、冷気が背筋を伝い、本能に基づいて、反射的に体が強張る。

 

 なんて目をしていやがる……この女。

 

 例えるなら、飢えた獣の様な、そんな目だった。服は黒と赤で統一されており、仄暗き夕日を連想させる。

 また、ネコ科を連想させる細い瞳の奥底には、まるで燃え盛る炎の様な、凶悪な感情と、隠し切れない激しい衝動が宿っているのを俺は感じた。

 手には壮年が腰に掛けていた物とは、比べ物にならない程大きな一振りの大剣。

 それを大地に突き刺したまま、こちらの様子を伺っていた。

 

 そんな女は、声も出せずただ喘ぐ事しか出来ない俺の様子を見て、一瞬、ニヤリと口元を歪ませると、そのまま視線を外し、森へと消えた。

 対して俺はと言えば、女が姿を消した方を、放心しながら、見つめる事しかできない。

 心臓が激しく鼓動し、その拍動が俺の耳を痛い程、叩き続ける。

 まるで、全ての血液が俺の身体から飛び出してしまうのではないかと、錯覚してしまう程だった。

 

「……団長さん、行きましょう?」

 

 ふと、優しい声が響いた事で、そんな呪縛から解放される。

 控えめで小さいが、何故か心に響く、そんな不思議な声だった。

 

 見ると心配そうに俺を見上げる澄んだ1対の瞳がそこにあった。

 ……俺の命の恩人であり、壮年にシクラメンと呼ばれていた子だった。

 

 そうだな。ビビっている場合じゃない。

 俺は静かに目を瞑り、心の中でゆっくりと三秒数えて、目を開く。

 

 ここぞという時、落ち着きを取り戻す方法。

 自己流だから、詳しい事は不明だが、自己暗示の一種なのかもしれない。

 ただ、これは、社会人になってから身に着けた、数少ない俺の特技だった。

 

 視界がクリアーになる。先程まで耳奥で暴れていた鼓動音が、徐々に熱を失ったかの様に、落ち着いていった。

 

「すいません。ちょっと驚いていました」

 

 そう自然に口を突いて出た言葉と、微笑みを確認して、彼女は少しホッとした様に、表情を緩ませる。

 

「クフェアさん、ちょっと雰囲気が……その……と、特殊ですもんね。けど、凄く頼れる方なんですよ」

 

 敢えて、恐ろしいとは言わない所が、この子らしいと言うか。

 そんな事を思いながら、「そうなんですか」と相槌を打ちつつ、彼女に従って歩き始める。

 

 そんな当たり前の様に俺の横に並ぶ彼女を見て、ふと、俺は、彼女からまだ名前を聞いていないと思い至る。

 なんかドタバタしてたしなぁ。俺の名前は伝えたけど、変な形で理解されているみたいだし。

 

 それに……。

 

 前を歩く壮年の背中へと視線を移す。

 その背中は、まるで壁の様だった。纏う雰囲気は、正に頼れる男をそのまま体現しており、現代に生きる俺とは全く別の生き物だと、理解させられる。

 

 そんな男が、何も考えずに、得体の知れない俺と言う存在を野放しにするのか?

 しかも、見た感じまだ素人っぽいこの子に任せる事が、とても不自然に思えてならない。

 となると、彼の中で、何か意図があり、この状況は、それによって作り出された……そう考えるのが妥当だろうか?

 

 ま、もしかすると、何も考えてないという事もあり得るだろうし、そこまで俺を不審人物と考えていない可能性もある。

 或いは……俺如きが何をしても、彼女を害する事すら出来ない……と、思われているのかもしれない。

 

 まぁ、いずれにせよ、ここで彼女と話をしておけば、後で色々と話す手間も省けそうだというのは間違いなさそうだ。

 彼女の口から伝わるにせよ、背中はむけているが、俺達の会話に耳を傾けているにせよ、情報は多い方が良いだろうし。って言うか、当たり前の様に、彼女を俺に着けたのは、そういう意図があるからかもな。

 そう考えると、全く、なかなかどうして、食えない人である。

 

 じゃあ、何にせよ、この時間を有効に使わせてもらうか。

 そう決めた俺は、早速、隣を歩く彼女に声をかけた。

 

「えっと、ちょっと良いでしょうか?」

 

「は、はぃ。何でしょうか?」

 

 若干、どもりながらも、しっかりと答えた彼女を一瞬見て、前を歩く壮年の様子を確認した後、俺は、話を切り出す。

 

「実は、どうしても、聞きたい事があって……いいですか?」

 

「あ、は、はははい! わ、私で、その、宜しければ……ですが」

 

 何故、そこまで緊張する。そう思ったが、この子は俺の立場を誤解している事に思い至り、まずは、そこから訂正する事にした。

 

「いや、えっと、まず、さっき、貴女は、私の事を貴族とか、団長って呼んでいましたけど、それ違いますから」

 

「へ?」

 

「実は、私、何の地位も持たない、ただの一般市民なんです。なんだか、誤解させてしまい、申し訳ありません」

 

「え、あれ? けど、先程、団長と」

 

「それは、私のあだ名……えっと、通り名みたいなものなのですよ。本名は、(だん) 長人(ながと)と申しまして、別の読み方をすると、ほら、団長って読めますから。昔からそんな風に仲間内で呼ばれていただけなんです。紛らわしくて申し訳ない」

 

 そんな俺の言葉を聞いていたのだろう。一瞬、前を歩く壮年の肩が、大きく上下に揺れた。

 きっと、溜息でも吐いたんだろうな。そして、心の声まで聞こえる気がする。

 そんな事だろうと思ったよ。ってね。

 

「え、えぇええええ!?」

 

 そして、こちらはやはりと言うか、思った通りに、パニックを起こしていた。

 まぁ、得体の知れない俺を、貴族様や団長様と誤認したまま、上司に報告してしまったんだから、そりゃそうだよな。

 

 うーん、本当は報告する前に、止められれば良かったんだが、そんな暇なかったからなぁ。

 

 それに、勘違いするにしても、裏も取らずに報告したのは、きつい言い方にはなるが、職務怠慢だ。

 少なくとも社会人なら……それが重要な情報である程、思い込みで報告とかする前に、確認位するしなぁ。

 とは言え、俺も人の事は言えず、社会人1年目には、彼女と同じような事をやらかしているしな。こればっかりは、経験して痛い目見ないと身につかないし。結果的にはこれで良かったのかもしれない。

 

「シクラメェン!!」

 

 そんなちょっと薄情にも思える事を考えていた俺の思考を、背中を向けたままである壮年の一喝が吹き飛ばす。

 こちらを向いていないのに、この声量。……化け物か。

 

「は、はぃい!」

 

 対して半ば反射的に返事を返す、彼女の姿が、酷く痛々しく感じられた。

 

「帰ったら、報告書と反省文、提出な」

 

「はぃ……」

 

 低いが良く通る声で、そう指示された彼女の返事から、哀愁が漂っていた。

 そして、気になって横を向けば、ただでさえ小柄な彼女が、更に一回り縮んだように見えた。

 

 おう、何か居たたまれない。

 

「えっと、何か、本当にごめん」

 

 思わず、素でそう口をついて出た言葉に、しまったと、慌てて口を噤むも遅かった。

 そんな俺の身勝手な言葉に、彼女はすぐに顔をあげ、首を振る。

 

「いえ、私の方こそ、ごめんなさい。……いっつも、こうなんです。私、どんくさくて……」

 

 まぁ、そりゃ、こういう話にしかならない訳で。

 俺の馬鹿。今までのこの子の言動を見ていれば、こう返すに決まってるだろう!

 少しでも俺が楽になりたくて、思わず出てしまった謝罪など、彼女の足しになるどころか、邪魔にしかならないだろうに。

 社会に出て、本当に思い知った事だ。その経験を、活かす事の出来なかった自分に、腹が立つ。

 

 何とか俺の不用意な言動で傷付いた彼女の心を、少しでも癒したかった。

 

「いや、そんな事は無いです。貴女は……右も左も分からない私を、命がけで救ってくれた! この世界に来て、不安で一杯だったこの私を、心も含めて救ってくれたんですよ」

 

 そんな俺の本心であり、思いの全てを彼女にぶつける。

 俺の言葉を受けて、呆然としながら、彼女は顔を俺に向けた。

 

「訳も分からない世界に突然放り込まれて、あんな訳の分からない物に襲われて……諦めかけていた私を、救ってくれたんです。……私にとって、貴女は、一条の光のように見えたんです」

 

 歩みを止めた彼女の目を見ながら、俺はそう声をかけた。本心でしかない、その心を晒した。

 そんな彼女が何かを口にしようとした時、

 

「なぁ、あんた……今、()()()()って言ったよな?」

 

 何時の間にか、俺のすぐ横に立っていた壮年の声が頭上より降り注ぐ。

 視線を彼女から外し、声のした方へと向けると、吸い込まれそうな二つの穴が、俺を見下ろしていた。

 

「あんた……異世界人か?」

 

 その問いの意味を理解するまで、俺は身動き一つ取る事も出来なかったのだった。

 




お読み頂き、ありがとうございました。


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第4話

 俺は今、応接室のような所で、一人思いにふけっていた。

 先程までここで、俺に対してこの世界の在り方を説明してくれていた、あの壮年は、今席を外している。

 

 異世界人。

 

 その言葉を聞いた時、俺の心に浮かんだのは、「ああ、やっぱりな……」と言う諦めにも似た理解だった。

 

 俺の生きて来た世界に、あんなデカい虫はいない。

 俺の生きて来た世界に、あんな鎧を身に纏った、筋骨隆々の壮年は闊歩していない。

 そして……俺の世界には、あんなに可憐で華やかな()()()()()をした女性など……いなかった。

 

 ここは、俺の知っている世界とは別の世界だ。

 それを漸く、心から認めるに至り、次に俺の胸に落ちて来たのは、圧倒的な絶望感だった。

 

 誰も俺の事を知らない世界。

 俺の常識が殆ど通用しない、異世界。

 生活基盤の欠片も無いこの地で、俺が生きていくビジョンが、どうしても浮かばなかった。

 

 そんな俺の胸中を見透かしたかのように発せられた壮年の言葉を、俺は思い返す。

 

「異世界人である君には二つの選択肢がある。一つは、異世界人であることを隠しつつ市井(しせい)に降り、一般人として暮らしていく方法。そしてもうひとつが……」

 

 軍人として、戦いに身を投じる方法。

 

 そう。この世界は、戦いに満ち溢れている。

 それも、聞いてびっくりしたが1000年以上前からだそうだ。

 

 1000年前、この世界――春庭(スプリングガーデン)と呼ばれているようだ――が、外世界から侵攻した害虫の脅威にさらされ、滅亡の危機に瀕したらしい。

 その時、この世界を救ったのが異世界の勇者と、その勇者に導かれたフォスと言う初代花騎士(フラワーナイトガール)だったとか。

 

 以降、1000年にも長きにわたり、この世界の人々は、害虫の脅威と戦い続けて来たらしいのだ。

 

 俺のいた世界も、戦乱の歴史は数あるが、全て同族との戦いであった。

 多くの国同士が、いがみ合い、騙し合う事で、俺のいた世界は成り立っていたように思う。

 結果、不信感と善性がせめぎ合い、個人主義が台頭する、空虚な世界となっていた。

 

 しかし、この世界の人々は、外敵の脅威から身を守る為、今なお一丸となって戦い続けているのだから、その違いも納得である。

 隣人を信じられなければ、そもそも戦えないのだ。

 その脅威から身を守る為に、隣人同士が手を取らざるを得ない世界。それが、この世界だった。

 

 しかし例外もやはりある様で、ごく一部の国は閉鎖的な国政を敷いているようである。

 ロータスレイクと呼ばれるその国は、幻の国と言われるほど、他の国と国交がなく、その正体もベールに包まれたままでいるようだ。

 また、ベルガモットバレーと呼ばれる国も、閉鎖体質で有名らしく、その国の全容は、見通す事が出来ないらしい。

 そんな危ういバランスの中、手を取り合っている各国同士が、今この瞬間も、害虫達の脅威と戦っている。

 

 そんな世界が、この春庭(スプリングガーデン)であると、説明を受けた。

 

 俺が襲われた、あの大型の虫の様な怪物。

 あれが説明に出て来た害虫と呼ばれている脅威で、そいつらは大抵の場合は、無差別に人を襲うらしい。

 

 基本的には獰猛(どうもう)な種が多く、狂暴な物ほどその体躯が大型になると言う。

 大きい物だと、軽く家数軒分にもなるそうだ。そんな物、どうすればいいんだろうか?

 

 更には、大昔の伝承によれば、山の様に大きな害虫とも戦ったと言われている。

「流石に、おとぎ話レベルの話だから、眉唾物ではあるのだがな」と苦笑しつつそんな言葉を口にした壮年の表情は、どこか苦いものではあった。だが、そんな害虫が居るかもしれないと言われても、納得できてしまう下地が、この世界にはあった。

 

 そんな脅威と互角に対峙し、人々の生活を守る存在。

 それが、花騎士(フラワーナイトガール)であると言う。

 

 花騎士(フラワーナイトガール)達は、不思議な力をその身に宿し、超常的な力を持って、害虫と戦う事が出来るらしい。

 その力は、世界花と呼ばれる、この世界を支える存在から与えられると聞いた。

 

 知徳の世界花 ブロッサムヒル

 深い森の世界花 リリィウッド

 常夏の世界花 バナナオーシャン

 風谷の世界花 ベルガモットバレー

 雪原の世界花 ウィンターローズ

 

 それぞれの国の名を冠した世界花が、その国の中心にあり、そこから祝福を得て力を与えられるとの事だ。

 

 ちなみに、ここは、ブロッサムヒルであるらしいと、先程、話の合間に説明された。

 そして、ここは、そんな世界花の祝福を受け、花騎士(フラワーナイトガール)を志す者達が集う騎士団学校なのだそうだ。

 

 耳をすませば、遠くから微かに甲高い声が聞こえてくる。

 それは、元の世界の学校の喧騒を思い起こさせる物ではあったが、彼女達と元の世界の学生とは、いずれその身を戦果に投じると言う一点において、その未来が決定的に違っていた。

 

 なんて所だと思う。

 

 時間が経てば経つほど、その恐ろしさが、実感を伴って染み渡り、俺の心を徐々に冷やしていく。

 如何に自分が平和というものを、当たり前のように享受していたのか、今更ながらに思い知った。

 

 唐突に、先程のあの害虫と呼ばれる存在を思い出し、息を詰まらせる。

 恐ろしかった。あの強靭な顎を持ってすれば、俺の命など容易(たやす)く吹き散らされるだろう。

 

 市井に下れば、最低限の援助を受けながら、暮らすことは可能なようだ。

 だが、それでは……。

 

 ふと俺は、シクラメンと呼ばれていた、あの可憐な女性を脳裏に描いた。

 そうだ、彼女も、戦っているんだ。

 

 自分の意志に反して、身体が勝手に震えた。

 

 そう。文字通り、あんな虫も殺せ無さそうな子が、戦いに身を投じる。そういう所だ、ここは。

 市井に下るということは、彼女のような子達に、守ってもらうということだろう?

 彼女たちが傷つき戦い続ける中、俺はのうのうと人生を謳歌するのか? いや、そもそもそんな事できるのか?

 

 できる訳がない。冗談じゃないぞ。

 

 何故か、今度はやり場の無い怒りが湧いてきた。

 敢えて言うなら、その怒りの矛先は、この世界自身のあり方に対してであり、何よりも本当に一瞬、『それでも良いかもしれない』と思ってしまった自分自身に対してだ。

 

 ダメだ。俺は、ここで背を向けたら、もう前を向いて生きていけない。

 

 どんなに言い訳を並べても、俺は俺自身を許せないだろう。

 そういう面倒くさいところがある奴だというのは、自分自身が一番知っている。

 

 考え込む内に、いつの間にか、俯くように下がっていた視線をあげる。

 そして、深呼吸を一つ。立ち上がり、部屋に一つだけある窓へと、俺は近づいた。

 

 外は快晴。空を見れば抜けるような青空だ。

 視線を移せば、グラウンドの様な広場で、まだ女と呼ぶには抵抗があるくらい可憐な乙女たちが、声を上げ鍛錬に励んでいる姿が飛び込んできた。

 

 そんな乙女たちの中で、一瞬、桃色の髪が揺れるのを、何故か認識できたような気がした。

 髪の色など認識できないほど、離れているはずなのに、それが彼女であると、何故か確信できた。

 

 彼女の命を、少しでも永らえることができるなら、戦うのもありかもしれない。

 本当にごく自然に、そう思える。本当に、不思議だ。こんな静かに激しい思いを、俺は今まで生きて来て感じたことは無い。

 これが、本当の恋と言うものなのだろうか? それとも、自暴自棄になった心が見せる、単なる幻想なのか?

 

 だが、いずれにせよ、あの時、彼女に拾われた命だ。ならば、この生命……彼女の為に使うのも、悪くはないだろう。

 

 そう心の底から静かに湧き上がった決意を、俺はすんなりと受け入れたのだった。

 

 

 

「そうか……戦うことを選ぶか」

 

「はい。私には、何の力もありませんが……ここで背を向けたら、私は私自身を許せそうにありません」

 

 暫くして戻った壮年の男に、俺はそう告げる。

 俺の目を射抜くように見つめるその瞳には、探るような色が見て取れた。

 

「半端な正義感など、この世界では簡単に潰されるぞ?」

 

 俺を試すように、そう、ゆっくりと吐き出された言葉に、感情は無かった。

 ただただ、事実を述べている。俺にはそう感じられたのだ。だから俺も、嘘偽り無く、当たり前のように口にする。

 

「そんな大層なものではありませんよ」

 

 俺のそんな軽い言葉に、壮年は眉をひそめるも、そのまま続き促すように口を閉じたままだった。

 

「ただ、私は……可愛い女の子達に守って貰って震えて過ごすぐらいなら、守る側になりたいってだけです。男ってそんなものでしょ?」

 

 続く俺の言葉を聞いて、壮年は口の端を静かに持ち上げる。

 

「馬鹿だな、お前」

 

「ええ、自覚はしてます」

 

 俺のさらなる言葉に、壮年は思わずといった感じに、軽く鼻を鳴らすと、

 

「だが、嫌いじゃない」

 

 そう言いながら、立ち上がり、手を差し伸べてきた。

 それを一瞬見つめ、俺も立ち上がり、しっかりと握りしめる。

 

「ようこそ、この滅びかけた世界へ」

 

 そんな言葉とともに、俺はこの世界に改めて迎えられたのだった。

 




お久しぶりです。
お読み頂きありがとうございます。

本当に若干ではありますが、進められたので、短いですが投稿します。
次から本編を進行していく予定ですが、いつになることやら……。

お暇な方は、お付き合いしてやって下さい。
それでは、今後共、宜しくお願い致します。


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第5話

 次の日から、俺の生活は一変した。

 

 いや、人生そのものが変わったと言っても過言ではない。

 何せ、知らない世界のことを学び、使ったこともない剣を担ぎ、鈍った身体を鍛え直す訳だから。

 

 朝は早い。日が昇る前には、用意を始める。

 

 幸いにも、俺は個室を与えられた。

 異世界人なのだから、いきなり他の奴と組ませるのにも不安が残るという側面があるだろうが、恐らく、単純に俺の心情を配慮した結果なのだろうと思う。

 この世界で軍属として生きると決めてから、初めての夜。俺は、泣いた。

 声を押し殺して、ぶつけどころの無い恨みつらみや、言いようのない不安、全てを涙に溶かし込むように流した。

 きっとそうなることを、見透かされていたのだろう。

 

 だが、そんな不安も、日々、身体を動かす中で考える暇すらなくなっていったんだ。

 それに今、俺の立場は非常に微妙なものだ。

 

 何故って? それは、どうやったって、今の俺はお荷物以外の何者でもないからだ。

 それを、少しは使えるように鍛え上げる。その為に、戦える人たちの時間と労力を使い潰しているという現実がある。

 

 勿論、教育は重要だ。後進を育てなければ、先は続かない。

 だが、害虫との生存闘争の真っ只中において、現状は一進一退。

 願わくば、なるべく早く、しかし、驕ること無く強くなって欲しい。

 そんな願いにも似た意図がひしひしと伝わってくるのを肌で感じていたのだ。

 

 そういった状況での座学であり、訓練である。泣き言を言う暇も、悔やむ暇も与えられなかったし、俺もそんな事に時間を使いたいとも思わなかった。

 そんな訳で、俺は、最初に連れてこられた騎士団学校と呼ばれる場所で、徹底的に再教育を受けている真っ最中である。

 

 だが、その生活は勿論辛くはあったが、不思議と嫌ではなかった。

 恐らくではあるが、明確な目的意識があるからだろうと、思い至ったのは、暫くしてからだ。

 とは言うものの、そんな日常は、そう単純なものでもない。

 今日も今日とて、もはや一日の日課となった事が、広場で行われていたりした。

 

「どうした、団長! ほら、もう一回!」

 

 軽い言葉とは裏腹に、恐ろしい速さで剣を振るう壮年こと、グレッグ騎士団長。

 それを何とか、剣の腹でいなすと同時に、硬い金属音が響く。

 

 そう、偶然、俺を拾い、この騎士学校に連れてきたのは、紛れもなく現役の団長様だったわけだ。

 しかも、超ベテランだというのは、ここで学ぶうちに、自然と耳に入ってきた。

 ちなみに今は臨時講師として、この騎士団学校に派遣されていると言っていたが、定期的に害虫討伐にも出ているようだ。

 だから、一応、講師という立場でもある以上、俺に稽古の形を取ったシゴキを加えるのは、百歩譲って分からないでもない。

 分からないわけでもないのだが……。

 

「ちょ、ちょっと、熱心過ぎや、しま、せんかねぇ!?」

 

 弄ばれるように、右に左に良いように振り回される俺の悪態も、笑顔でいなすこの悪魔に、殺意すら湧く。

 

「ほう、まだ元気だな。ほぅら、どうした! そんな事では、あっという間に害虫の餌だぞ!」

 

 そんな挑発にイラッと来るも、事実ではあるので、気力を振り絞って、何とか彼の剣戟(けんげき)をいなし続ける。

 そう、遊びではないんだ。一応、刃は潰しているとは言え、まともに当たったら痛いだけではすまない。

 

 幸い、この世界には魔法がある。その中には、癒やしの魔法も存在する。

 それは本当に冗談のような効果を持つもので、折れた骨すら一瞬で元通りだ。

 だが、至極当然のことだが、骨が折れれば痛い。動きも阻害されるし何より、あののたうち回るような苦痛を望んで受けたいとは、全く思わない。

 

 だから、俺はそんな事態を全力で避けるべく、集中しつつ、彼の剣戟を目で、肌で、五感のすべてを使って感じ、何とか受け流す。

 だが、それも数合まで。彼の剣圧は、控えめに言っても、人間の物とは思えなかった。

 

 一際大きな金属音が響き、俺の手から金属製の模造刀が弾き飛ばされる。

 同時に容赦なく迫る横殴りの斬撃。

 

 だぁ!? ダメだ、これは食らう。

 

 痺れる手に構う暇も無く、俺は斬撃方向に逆らわずに、敢えて軌道に乗るように横っ飛びした。

 その刹那、かろうじて差し込むことが出来た籠手に斬撃が食い込み、俺はそのまま冗談のような軌道を描き、宙を舞う。

 土煙を上げながら、俺は広場を転がり続け、広場の脇にある木にぶつかって漸く止まった。

 あ、あだだだ……。どう考えても、俺の知っている人類の腕力じゃねぇ。

 痛む身体を無理やり押さえ込み、ふらつきながらも立つ。

 

 すぐに立たないと……。

 

 害虫は、俺が吹っ飛んだって、動かなくなったって容赦はしてくれない。

 生きるためには、最後まで足掻かなければならないのだ。それは、このシゴキを通して痛感したことだ。

 

 砂埃の向こうに、一瞬、斬撃が見えた気がして、俺は痛む身体にムチを打ち、咄嗟に回避する。

 一瞬遅れて、冗談のような風圧を伴い、剣戟が通り過ぎていった。

 薙ぎ払われた砂埃の向こうで、グレッグ騎士団長が、関心したように、「ほぅ?」と呟くのが見える。

 

 今のは間一髪だった……。最近、ずっと気絶するまでしごかれているからだろうか?

 何となくではあるが、危険が迫っているのが感じられた気がしたのだ。

 

 しかし、そう何度も奇跡が続くはずもなく……その数瞬後には、俺はきっちりといつもの様に、意識を刈り取られ、地に倒れ伏したのだった。

 

 

 時間にして数十秒だろう。気絶していた俺は、水をかけられ、強制的に覚醒させられる。

 

「よし、今日の訓練はここまで。後で医務室に行くように」

 

 ずぶ濡れのまま大地に伏せる俺に、頭上からそんな無慈悲な言葉が降ってきた。

 

「あり、がとう、ございまし、た」

 

 俺は突っ伏しながら、そう呟くことしか出来ない。

 身体のあちこちが悲鳴を上げて、動くことを拒否しているのだ。

 

 暫くは動けそうにない。

 そんな潰れたカエルのような姿であろう俺の耳に、いつも通り、風に乗ってヒソヒソと乙女たちの哀れみに似た言葉が聞こえてくる。

 

「あの人、今日も、グレッグ団長にズタボロにやられていたわね」

「けど、あれでも、団長候補らしいですわよ?」

「嘘でしょ? あんなに弱いのに?」

「けど、あのグレッグ団長の剣をあんなに受けるのは、断じて普通の人には出来ないかも?」

「グレッグ団長が、かなり手加減しているからかもしれませんわね?」

「あ、それはあるかもね。それにどうやら噂では……グレッグ団長のコネで、強引に団長候補になったって」

「もしかすると貴族様? それなら可能性もあるかも?」

「さぁ? けど、そうだとしても、家から追い出された三男坊とかじゃないの?」

 

 あの子達……好きな様に人のことを……。しかし、この世界の貴族もコネで団長になったりするものなのか。

 やはり団長業と言うのは、それなりに箔の付く職だったりするのだろうか?

 まぁ、俺は、実際には、貴族でもない単なる異世界人です。身寄りもない所を考えると、平民より質が悪いかもしれない。

 

 俺はそんな乙女達の噂話に耳を傾けつつ、何とか動く様になった身体を動かし、ゴロンと大の字に仰向けになる。

 それを見たのだろう。乙女たちの興味深そうな、もしくは哀れみを含んだ視線は散り、いつしか俺は、静かな広場に取り残されることになった。

 

 ああ、空が……高い。

 

 今日も全然歯が立たないどころでは無かったが、それでも、確実に成長しているという手応えはあった。

 尤も、まだまだ足りないと言うのは、自覚しているが。

 

 そもそも、この世界の住人の身体能力がおかしすぎるんだよ。

 この前なんか、配達に来ていた金髪のお姉さんが、大八車みたいな物に荷物を満載しつつ、当たり前のように引きながら、超速ダッシュしてたよ。

 100m9秒台とか出てたんじゃないの? もう、この世界本当に、俺の常識が通用しなくて困る。

 あの領域に達するには何年……いや、何十年かかることやら。

 いや、それ以前に、異世界人の俺に可能なのかも怪しい所だ。

 

 だが、それでも目指すと決めたなら、やるだけだ。

 

 空を流れる雲の合間に、ちらりと何かがよぎったのが見えたような気がした。

 それは、赤い……そう、例えるなら綺麗な透き通る羽を持った竜のような、そんな存在だった。

 

 流石、異世界だ……不思議生物が多すぎる。

 

 だが、よく思い返すと、昆虫のたぐいは未だに見たことがない。

 これだけ自然が豊かなんだ。蟻や蝶などいてもおかしくないんだが。

 やはり、害虫と何か関係があるのだろうか?

 

「あ、あの……大丈夫、でしょうか?」

 

 そんな考え事に没頭していると、影がさし、控えめな声が上から降ってきた。

 忘れもしない、桃色の髪。それが太陽からの光を透かして、輝いていた。

 

「ああ、こんにちは。シクラメンさん」

 

「あ、はい、こんにちは」

 

 そうして挨拶した後、静寂が場を支配する。

 彼女の表情は逆光になっているため、うかがい知ることは出来ないが、きっと、いつもと同じように、熟れたリンゴの様に、真っ赤になっているのだろう。

 

 彼女とは、あれから何度か、この騎士学校で話した。

 だが、最初のうちは、こちらから挨拶しても、

 

「ご、ごご、ごめんなさぁいぃ!!」

 

 と、ドップラー効果を起こしながら、脱兎の如く逃げられる始末。

 正直、かなりへこんだ。そんなに嫌われるようなことをしてしまったのかと、鬱々とした日々を過ごしたものだ。

 

 だが、座学から実技に移り、グレッグ団長のシゴキが始まって、今日のように広場でぶっ倒れる様になってから、初めて彼女が話しかけてきてくれたのだ。

 そして、ポツリポツリと話すうちに、その原因がわかったのだ。

 

「そ、その、私、団長さん事、団長って勘違いとかして、えっと、違うんです、つまり団長さんが団長ではなくて、えっと、うううぅ」

 

 そんな彼女の言葉を聞いて、俺は体の節々から悲鳴が上がっている状態だったにも関わらず、思わず大笑いしてしまい、のた打ち回るベタなことをしてしまった。

 何てことはない。彼女は、最初に、俺の素性を勘違いしていたことが、恥ずかしかっただけなのだ。

 なのに、俺が広場で潰れていると、思わず駆け寄って声をかけてしまったそうな。

 

 優しい子だなと思う。

 

 そんな彼女が一歩近づいてくれたことで、時折、こうして話す仲になれた。

 俺が瞑目し、そんな事を思い返していると、額に手が当たる感触が。

 

「あ、あの、本当に大丈夫ですか? どこか、強く打ったとか」

 

 ひんやりとした彼女の手の感触が心地よい。

 だが恥ずかしがり屋な彼女が、こうして勇気を出して、しかも心配までさせているのは心苦しくもある。

 だから俺は、ほんの刹那な幸福の時間を終わらせるべく顔を上げ、

 

「ああ、すいません。大丈夫、で、すよ」

 

 すぐに目を固く閉じる。

 

 あかん、見えてしまった。素晴らしいピンクのストライプ。

 しましま、だと? この異世界で? あんなにはっきりと? このやろう、異世界の癖に!!

 いや、落ち着け、俺。あれは、ただの、布地なんだ。そう、布地。

 

 そもそも、この騎士学校の制服がおかしいんだよ。

 何でよりにもよってセーラー服なんだよ。しかも、異様にスカートの丈が短いし。

 

 と言うか、冷静になって考えると、この学校の生徒達がおかしいのだ。

 皆、素肌を惜しげもなく見せる。いくら男性が少ないとは言え、俺やグレッグ団長の様に、他にもいるのだ。

 中には露出狂か!? って言うほど、モロに見せている子もいる。

 

「あ、何だか急に体温が……団長さん、大丈夫ですか? 肩、貸しましょうか?」

 

 しまった、思い出したら益々、恥ずかしくなってしまった。

 

 そして、更なるピンチ。このままでは、色々と不味いことになる。そう、息子がとっても元気になってしまう。それは、色々と不味いのだ。

 彼女には幸い、俺がシマシマを見たことは、まだバレていない。ならば、このまま颯爽と立ち上がり、颯爽と去れば良いのだ。

 それには、まず、彼女の手をどける。そう、自然に、さり気なく。

 そんな心配する声を受けて、瞬時に判断した俺は迷いなく、額に置かれた彼女の手を取った。

 

「へ?」

 

 そして、その手をゆっくりと額から遠ざけると……目を閉じたまま、ゆっくりと身を起こす。

 

 よし、ここまでは完璧だ。そして、目を開く。

 目の前に、素晴らしいストライプが再び。しかも、近い。

 

 ん? なんだ? 何が起きている?

 

 彼女から匂い立つ甘い香りが……それより何よりも、顔が心地よい温かさに包まれたように感じられる。

 

 なんだ、ここは楽園か??

 

 そうして、顔を上げる。後頭部に感じる軽い布地の感触。

 前が見えない。ん? 何がどうして、どうなって……。

 

「だ……」

 

 混乱した俺の頭上、薄い布越しより声が降ってくる。

 この布地、この色、まさか……。

 

「団長さんの、えっちぃいい!!!!」

 

 ブワッと、風が起こり……俺を包む温かさが、悲鳴とともに駆け去った。

 そんな中、恐ろしい速度で遠ざかるストライプを見送り、俺は、ただ、呆然とするしか無かったのだった。




すいません、調子に乗りました。だが、後悔はない(変態)
真面目にやろうとしたけど、もちませんでした。神が降臨なされたのです。

不快に思った団長様がいましたら、本当にごめんなさい。
でもできれば、許して下さい。

多分、今後は、こんな感じの路線と、真面目なところがごっちゃになる感じです。
そんな感じで、これからものんびりやります。宜しくです。


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第6話

 やってしまった。

 

 脳裏に素敵なしましまが(よぎ)る。

 

 いや、違う。あれは、不可抗力だ!!

 

 心で俺は誰にともなく、言い訳をするも……次に浮かんでくるのは、耳まで真っ赤に染め上げて、遠ざかるしましま……ではなく、シクラメンだった。

 

 はぁ……なんで、またあんなタイミングで、彼女は近づいてきたのだろうか。しかも位置的に、どう考えても俺を跨いでいるんだが。

 いや、違う。彼女は悪くない。そもそも悪いのは周囲を良く確認せずに無理に起き上がろうとした俺で。

 

「あだぁ!?」

 

 

 突然、額を撃ち抜かれたかの様な激しい衝撃に、俺は思わず声を上げて仰け反る。

 

 いてぇ、超痛い。

 

 涙を目の端に浮かべながら視線を向けると、そこには、張り付いたような笑みを浮かべた妙齢の女性が一人。

 

「あらぁ、団長さん? 私の講義、そんなに面白くないかしら? ねぇ?」

 

 前言撤回、般若がそこにいた。

 

「今、良からぬことを考えてましたね? 例えば、そう。私がおば、おばさんだとか」

 

「いえ!? ち、違います。ヤグルマギク先生は、お若いですし、お綺麗ですから。間違っても、俺がおばさんとか考える訳ありませんよ!?」

 

「あ、あら、そう? そうよね、私もまだまだ、()()()わよね?」

 

「ええ、も、もちろんですよ! 私の世界なら先生みたいな、若くて綺麗な先生を生徒が放っておきません」

 

 

 そんな俺の過剰とも取れる言葉を聞いて、「そんな、それは言いすぎよ」と口にしつつも満更でもない表情を浮かべる。

 

 良かった。ようやく、般若……もとい、ヤグルマギク先生は、落ち着いてくれたようだ。

 彼女にとって歳の話は、戦略級の地雷である。しかも、なぜだか自分からその地雷を踏みに行くという癖があるのを、この数日の授業で嫌という程、体験してきたのだ。

 そして、今は彼女が講師をする座学の時間だった。しかも、授業を受けているのは、何故か俺だけである。

 

 ちなみに、歳の話は上手くフォローできないと、その後は、鬱モードに入ったヤグルマギク先生を、励まし続けるという苦行が待っている。そうなると、授業は必然的に無くなり、俺の教育は遅れていくわけだ。

 

 そんな過去数日のトラウマを回想していた俺だが、

 

「では、何故、私の授業を上の空で聞いていたのかしら?」

 

 そんな彼女の言葉に、俺は意識を引き戻された。

 見れば先程までではないにせよ、その目に厳しさを(たた)えたまま俺を見据える彼女の姿があった。

 一瞬、俺はどう答えようか迷う。だが、考えてみればこれは、良い機会なのかもしれない。

 彼女は教師であり、花騎士達の事をよく知る人物である。

 ここは恥を(しの)んで、素直に相談してみることにする。

 

「実は……ある花騎士との関係で悩んでおりまして」

 

「か、関係!?」

 

「あ、いや、関係と言っても男女のものではなく」

 

「男女!?」

 

「いえ、だから……」

 

 それから、数分間、俺は背中に変な汗を浮かべながら、ヤグルマギク先生へ弁解のような相談をすることになったのであった。

 

 

「……団長さんも、大胆ねぇ」

 

「それに関しては、申し開き用もなく」

 

 事の顛末を語った俺は、改めて小さくなりつつも、彼女の言葉を待つ。

 

「謝ることはできたのよね?」

 

「一応……ですが、すぐに逃げてしまいまして、逃げる背中に声をかけるのが精一杯といいますか」

 

 そうなのだ。実はこの数日間、なんとか謝罪をしたくてシクラメンを探しては、エンカウントした瞬間的に逃げられるという状態を繰り返している。

 顔ばかりか耳まで真っ赤に染めつつ「す、すすすみませぇえーぇ……」と、ドップラー効果を起こしつつ去っていく彼女には、「ごめん」の三文字すら届けるのが至難の業な状態だったりするわけで。

 

 正直、ちゃんと向かい合って、謝罪をしたいのだが、この状況ではそれすらままならない。

 せめて手紙を書こうと思ったのだが、そもそも文字が違っていて既に挫折した。さすが異世界。

 ちなみに、文字の勉強は後回しにされている。とりあえず、その辺りは追々でも何とかなるというのが上の判断らしい。

 一応、自分でも勉強はしているのだが、訓練で限界まで追い込まれている日々では、一向に(はかど)らないのが現状だ。

 

 だからこそ、ヤグルマギク先生への相談に期待したのだが、帰ってきた言葉は、俺には意外なものだった。

 

「そうね、それならば良いのではないかしら?」

 

「良いと、言いますと?」

 

「もう、これ以上、団長さんから何かしなくても良い、と言うことよ」

 

「それは、不味いのではないでしょうか?」

 

「そうかしら? むしろ、団長さんがシクラメンさんを追い回す方が、色々と問題になると思うのだけれど」

 

「うっ、確かに」

 

 考えてみれば今、俺がやっている事を傍から見れば、逃げるシクラメンを追い回すストーカーみたいだし。

 それに、謝罪したいというのは、あくまで俺側の都合だ。それを逃げる彼女に押し付けることは、単なる自己満足でしか無いのではないか?

 そんな簡単なことにすら気づけなかったとは、思った以上に俺も、焦っていたのだろう。

 

「それに……」

 

 ふと、言いよどむ彼女の言葉を待つように、俺は視線を向ける。

 

「女は、追いかけ回されるより、追い回したいものなのよ」

 

 そんな風にちょっとだけ茶目っ気を出しつつ、微笑む彼女を見て、一瞬、心臓が小さく跳ね上がった。

 

「って、ちょっとふざけ過ぎたわね」

 

 俺の表情を見て何かを察したのか、彼女まで一瞬で顔を赤くする。

 それを取り繕うように、「柄にも無いこと言ったから、恥ずかしいわ」と、手で顔を仰ぐ仕草が、妙齢の女性の雰囲気と相まって、何とも言えない魅力を引き出していたのだが、俺はその事実を心の中に留めておく。

 

「と、とにかく」

 

 そんな風に、場の雰囲気を無理やり切り替えるように、彼女は少し大きめに声を張ると、咳払いを一つ。

 

 

「団長さんは、暫くシクラメンさんの事は忘れて、目の前のことに集中すること。いい?」

 

 人差し指を立てつつ、完全に教師の雰囲気をまとった彼女からそう言われては、俺の返答は、一つしか無い。

 

「はい、わかりました!」

 

「よろしい。では、授業に戻ります」

 

 そうして、俺は、暫くの間、シクラメンとの接点を自主的に断つことにしたのだった。

 

 

 あれから、一週間が経った。

 

 

 俺は心の端でモヤモヤを残しつつも、日々の訓練に明け暮れていた。

 それ程に、訓練は苛烈であり、実際、雑念など抱いている暇すら無いのが現状だ。

 

「ほら! もう一発!!」

 

 どう考えても人間が為せるものでは無い速度で、剣が振り下ろされる。

 グレッグ騎士団長は、相変わらず俺につきっきりで稽古をしてくれていた。

 

 それを弾く。角度を少しでも間違えると、次の瞬間には、地面を舐めることになる。

 最初こそ命を削るような一合であったが、最近、慣れてきたせいか、少しだけその剣筋が見えてきたように感じる。

 

「ほう? それ、これはどうだ!」

 

 この角度、ならば……こう!

 

 響く金属音。すぐさま、次が来る。

 

「そら、そら!」

 

 更に甲高く響く音が、徐々に間隔を(せば)め、まるで楽器を演奏しているかのように打ち鳴らされる。

 その状況が楽しくて仕方ないように、場違いな笑みを浮かべつつ尚も剣を振るうグレッグ騎士団長。

 

 このやろ、こっちは精一杯だっちゅーの!

 

 一瞬でも対処を間違えれば、俺はこの剣に打ち据えられて、意識を失う。

 それは、戦場では死を意味する。

 そして、俺の死は、即ち、部隊の壊滅を意味する。

 

「団長くんは、部隊を率いて戦わなくてはならないの。つまり貴方は、花騎士達の命を担う存在なのよ?」

 

 ヤグルマギク先生の言葉が、俺の脳裏に(よぎ)った。

 俺の失敗で、俺一人の命が潰えるなら、まだそれは良い。

 だが、他の人の命を背負っているとなれば話は別だ。

 だから俺は、絶対に死ぬことができない。それを、俺自身が許容できない。

 ならば、強くならねばならない。いずれ俺のを支えてくれる人達のためにも。

 

 一瞬、脳裏に浮かぶ彼女の姿。儚げに微笑む彼女を幻視し、

 

「俺は、死ねない!!」

 

 思わず声が出た。

 

「良い気迫だ!!」

 

 その一瞬で、更に速度が上がる。

 

 立ち位置を間違えるな。

 体制を崩すな。

 呼吸を合わせろ。

 しっかりと、剣筋を感じろ。

 全てを無心で、しかし冷静に行なえ。

 

 一合打ち合うごとに、その速度は増し、重さも増す。

 それをその時、その瞬間に対処する。

 切り込む必要はない。ただ、いなす。

 

 呼吸を乱さず、ただ、そこに存在すればいい。

 

 そうすれば、花騎士達が来てくれる。

 異世界から来た俺には、特別な力はない。だから、生き残るために死力を尽くさねばならない。

 その為の訓練。その為の技術。全ては、1分1秒でも戦場で生き残るための力を得るために。

 

 そうして、幾瞬か続いた剣戟は……一際、甲高い音が響いた瞬間に、

 

「見事だ」

 

 天から降ってきたその言葉と共に、俺の意識を刈り取り、終わりを告げたのだった。




間が空きましたが、とある方のとある支援により続きを書きました。
これからもマイペースに続けていければ良いなと思っています。

少しでも興味を持ってくださった方は、是非、感想や評価を頂けると嬉しいです。

では、次回も宜しくおねがいします。


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