ゆかりさまとほのぼのしたいだけのじんせいでした (織葉 黎旺)
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ゆかりさまとめおとになりたいだけのじんせいでした

 天窓から差し込む光で目を覚ました。丁度窓の中心から見える太陽が眩しくて、それを掴むように両手を伸ばし、大きく伸びをした。関節がポキポキと子気味良い音を立てた。疲れが溜まっているのだろうか。

 やっぱり天窓をつけたのは正解だったなあ、としみじみ思う。お天道様が目覚まし時計の役割を果たしてくれる。惰眠を貪りやすい、春という季節には丁度いい。この季節であの位置ってことは今は十二時過ぎくらいだろうか。夜明け前くらいに寝たはずだから、八時間くらいは寝たのだろうか。

 

「……んー」

 

 起きるか、もうちょっと眠るか。このままだらだらと過ごすか。まだ腹は空かないし、今日も今日とて特に予定はない。

 確か藍さんは今日も色々忙しかったはずだから、暇な私が手伝ってやるか――と立ち上がろうとしたのだが、腕をがっしりとホールドされた。

 暖かく、柔らかい気持ちいい感触が腕全体を包み込んでいる。端的に言って幸せである。首を右に傾けると、幸せそうな寝顔をした彼女の顔があった。

 

「……起きてたんですか?」

「…………」

 

 返答はない。狸寝入りだろうか。それとも無意識なのか。無意識だったらそれはそれで嬉しいが。見極めようとじっと彼女を凝視する。

 

「…………」

「…………」

「……可愛い」

「……っ」

 

 自然と言葉が溢れていた。可愛い。美しい。見てるだけで幸せな気持ちになってくる。しかし、効果はあったようで微妙に呼吸が変わったのを私は聞き逃さなかった。

 

「起きてるなら答えてください」

「…………」

 

 未だ返答はない。狸寝入りを貫くつもりか。寝惚けたフリ(?)をした彼女は、蛇のように滑らかに私に接近し、体を絡め巻き付いてくる。自然と心臓の鼓動が速くなるのを感じた。私だって男だ、流石にここまでくっつかれるとその……色々と、うん。この人のことだ、どうせ私をからかって反応を楽しんでるんだろう。しかし、長い付き合いである。対処法もしっかり知ってる。

 

「……紫さん」

「…………」

 

 耳元で静かに、甘く囁く。ピクっ、と小さく体を震わせたのが分かった。

 

「起きてるなら答えてください。さもないと……」

「…………」

「はむっ」

「ひゃんっ!?」

 

 可愛らしい声を上げて、紫さんは目を丸くして離れた。耳が弱いことは知ってるのだ。私で遊んだ罰である。下着姿で若干頬を赤らめてる姿が美しくて眼福眼福。

 

「やっぱり起きてたんですね、おはようございます」

「ええ、おはよう……」

 

 大きく欠伸をしながら答える紫さん。

 

「珍しく早起きですね」

「たまたまね……そのせいで、まだ眠いのよ」

「ゆっくり寝ててくださいよ」

「貴方が起きようとするから、そのせいで目覚めたのよ」

 

 再び体を近づけ、くっついてくる。布団の中がぬくぬくとあったかい。

 

「寝る時は、貴方と一緒がいいわ」

「あら、意外と寂しがり屋さんですね」

「そうかしらね?」

「でも、私も一緒の方が好きですね」

 

 紫の腰に手を回し、優しく抱き締めた。三寒四温。暦の上では春だが、今日はなかなかに寒い。二人でいれば、きっと丁度いい。瞼が重くなってきた。徐々に意識もぼーっとしてくる。

 

「おやすみ」

「おやすみなさい」

 

 もうすこしだけ、ゆめをみていたいんだ。さめないゆめを。



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ゆかりさまとおでかけがしたいっ!

 妖怪の山もすっかり秋の色に染まっており、木々は綺麗に紅葉している。栗とか柿とか梨とか桃とか、秋の味覚も後で少し頂いていこうか――などと考えながら、少し険しい坂道を登る。

 

「この歳になって山登りするとは思ってなかったわ」

「それこの前も言ってませんでした?」

 

 そんなことを言いつつも、隣の彼女は息一つ乱さず、涼しい顔でスタスタと一歩後ろを歩いてついてくる。インドア派な私は若干疲れてきているのだが、たまにはこういう運動も楽しいかななんて思う。

 

「大丈夫?そろそろ休憩しましょうか」

「そうですね、少し休みましょうか」

 

 少し開けた平原についたので、お昼ご飯でも食べて休むことにする。こういう時に彼女の不思議空間(スキマ)は便利である。四次元ポケットって感じだ。ブルーシートを取り出してもらって広げる。お弁当を取り出してもらって置く。ついでだからクッションを散りばめる。うーん、テントとか椅子とかも出せばしばらくここで暮らせそうな感じ。

 

「お弁当食べましょうか」

「そうね、貴方の料理はいつも美味しいから楽しみだわ」

 

 そう言ってもらえるとプレッシャーもかかるが、嬉しくもある。重箱の一段目を開けると、顔を出したのはおせち料理。おいそこ、季節外れとか言わない。普段は正月しか食べないけど、様々な料理が一度に味わえるっていいと思うんだ。割り箸を渡すと、彼女はまず紅白蒲鉾から手を伸ばした。

 

「うん、美味しいわ」

「そりゃあどうも」

 

 蒲鉾は流石に市販の物だから美味しいと言われるとちょっと微妙な気持ちになる。くそう、蒲鉾も手作りするべきなのか……でもあれ手作り出来るのかなあ……というか幻想郷に海が無いわけだから素材を手に入れるのが大変そうだなあ……川魚で作る……?

 なんてくだらないことを考えているうちに、彼女の箸は次の料理へと伸びていた。

 

「丁度いい甘さね」

「それはよかった。紫さん甘いの好きですから、ちょっと濃いめに味付けしといたんですよ」

 

 甘い物が食べたいなと思い、私も栗きんとんに箸を伸ばした。うまー。私としてはちょっと甘過ぎるような気がしないでもないが、彼女が美味しそうに食べてくれてるからいいのだ。いやあ、眺めているだけでお腹いっぱいだ。幸せで胸がいっぱいって感じです。

 

「ご馳走様でした」

「お粗末様でした」

 

 あっという間にお弁当は完食した。纏めて風呂敷で包むと、彼女がスキマを開いてくれたのでその中に入れた。

 

「お腹いっぱいになったら、ちょっと眠くなってきましたわ」

「そうですねえ」

「…………」

 

 私の相槌に不機嫌そうな様子の紫さん。この目は知っている。何かを察してほしいって目だ。

 

「ちょっと眠くなってきたわね」

「そうですね……眠い……眠くなる……あ、そういうことですか」

 

 紫さんのしてほしいことが分かったので、その場に寝転がる。

 

「……え?」

「え?添い寝じゃないんですか?」

「違うわよ」

 

 起き上がった私を見て、残念そうに嘆息する紫さん。私の後ろに移動したかと思えば、体を掴んで後ろに倒してきた。

 

「あー……そういうことですか」

「こうしてほしかったのよ」

 

 私の頭は紫さんの膝の上に乗せられている。俗に言う膝枕ってやつだ。気分は夢見心地、食後なのも相まって猛烈に眠気が誘われる。大きく欠伸をすると、仕方ないわね……という紫さんの声が聞こえた。頭にポン、と手が乗せられる。

 

「眠たいなら寝なさいな」

「でも紫さんも眠いんでしょう?」

「そうねえ……じゃあ、貴方が一時間寝たあと、私が二時間寝るわ。それなら平等でしょう?」

「どう計算しても不平等なんですけど!?」

 

 そんな軽口を叩き合いつつも。徐々に瞼は重くなってくる。細くしなやかな彼女の手に撫でられ、徐々に意識は遠くなっていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 少し肌寒くなってきたな――そう思いながら目を覚ました。動くからって薄着で来たのは間違いだったかもしれない。夢見心地のまま、いつもの癖で枕に抱き着いた。

 ――あれ、この枕いつもと違うような―――

 

「あらおはよう」

「ゆ、ゆゆゆ紫さん!?」

 

 頭上から響いてきた声に驚きつつ跳ね上がる。穏やかな笑みを浮かべた紫さんと目が合った。

 

「あ、膝枕ありがとうございました。気持ちよかったです安眠できました」

「それはよかったわ」

 

 ふわぁあぁ、と小さく欠伸をする声が聞こえた。紫さんも眠かっただろうに、迷惑をかけてしまったなあ――そういえば、今は何時くらいなのだろうか。辺りを見渡すと、若干日が傾いている。

 

「……今何時です?」

「四時半ね」

 

 確かご飯を食べ始めた十二時頃だったはずだから、寝始めたのは一時前後だったはず。三時間も寝てたのか……ううむ。ということはその間、ずっとこの体勢だったということで――

 

「……紫さん、膝疲れてません?大丈夫ですか?」

「一時間経って、そろそろ起こそうと揺すってみても起きないんだもの……疲れちゃったわ」

 

 紫さんはまた小さく欠伸をした。こうなると、もう今日の山登りは無理だろうか。

 

「その分遊ばせてもらったからいいけどね」

「ん……?」

 

 意味深な紫さんの笑みに首を傾げる。そのとき、紫さんの足元にペンが転がっていることに気づいた。

 

「……紫さん、もしかして落書きしました?」

「それはどうで……ぷぷっ!」

「紫さん!?今明らかに私の顔見て笑いましたよね!?」

 

 やはり何か書かれているのか……そう思い手鏡を取り出して自分の顔を見たが、特に何も変化はなかった。

 

「騙しましたね」

「ふふ、過ぎた二時間分の罰よ」

 

 まあこのくらいなら軽いペナルティだ、許すことにしよう。

 

「じゃあそろそろ帰ります?」

「動きたくないわ」

 

 ぐでー、と寝転がる紫さん。普段は昼寝ばかりしてるし、今日は久しぶりに動いただろうから大分眠いのだろう。しかし本当に動きたくなさそうだ。

 

「ここに泊まる気ですか?」

「それも悪くないわね、藍や橙も呼んでキャンプする?」

「……それは………ちょっと楽しそうかも」

 

 楽しそうではあるが、今日はひとまず家に帰りたい。そもそもキャンプの用意など出来ていないだろうし。今日は帰りましょう、と紫さんの手を引っ張ったが、微動だにしていない。意地でも動かないという意思が見える。

 

「帰りましょうよ」

「貴方のせいで疲れたから連れて帰ってくれるかしら?」

「……しょうがないですね」

 

 紫さんの腰に手を回し、膝裏に腕を通して一気に持ち上げる。紫さんはそんなに重くないから楽だ。

 

「……ちょっとキュンってした」

「それは良かった」

 

 帰るために家に繋がるスキマを開く。落とさないように気をつけつつ、その中に飛び込む。

 

「帰ったら、次は貴方が膝枕して下さる?」

「そのつもりでした」

 

 もっとも、正座が苦手な私が何分耐えられるかは分からないが――まあ、紫さんの寝顔を眺められればいいか。



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ゆかりさまとこたつでぬくぬくするだけ

 

 今年の夏は例年よりも長く、その帳尻合わせか秋は例年よりも短かった。ということで冬である。寒がりな私としては、とても嫌な季節だ。今日も今日とて仕事を終わらせ、炬燵で暖をとろうと急いで帰ってきた。

 

 「ふう……」

 

 炬燵に両手両足を突っ込み、体ごと潜り込んで大きく伸びをした。なんと心地よいのだろう、冷えた体を優しく暖めてくれる炬燵。疲れも相まって、徐々に眠くなってきてしまうほどだ。ところで、炬燵で寝ると風邪をひくとよく言われているのは何故だろう。体をあっためて寝る、という意味合いで言えば布団を被って寝るのと変わらないと思うのだが。不思議である。

 

 「ふわああ……」

 

 小さく欠伸をする。そろそろ起き上がらないと危ない、多分このまま寝てしまう。そうわかってはいても、なかなか布団から這い出せない。うつらうつらとそのまま過ごし、寝落ちしかけたその時。足首を、冷たい何かが覆った。

 

 「ひゃうぅっ!?」

 「あら失礼」

 

 慌てて起き上がると、悪戯な微笑みを浮かべる彼女の姿があった。首元のモコモコとした赤いマフラーのおかげか、いつもと違う印象を受ける。

「ちなみに炬燵で寝ると風邪をひく、といわれているのは炬燵で寝た時に体の体温調節機能が狂って、免疫機能が下がるからだそうよ」

「博学ですねえ」

 

おばあちゃんの知恵袋みたい――と考えた瞬間、彼女の視線がとても刺さったので思考を止めた。

 

 「暖かくていいわ」

 「くすぐったいんで撫で回さないでください」

 

 彼女の冷たい手が私の足をスリスリと撫で回す。恐らく博麗神社に巫女でもからかいにいっていたのだろう、そこでも似たようなことをやっていたのだろうなと想像し、霊夢に少し同情した。

 

 「じゃあこうすればもっと早く暖まりますよ?」

 「え?」

 

 炬燵の奥に両手を突っ込み、足首に触れていた彼女の両手を素早く掴む。指を絡め、してやったり、とドヤ顔で彼女を見る。

 

 「……ふふ、そうね」

 

 徐々に手も、心も温かくなってきた。カチ、カチ、と古時計の針の音だけが響く部屋の中で、二人顔を見合わせて過ごす優しい時間。こんなときがいつまでも続けばいいのに、そう思う。

 ――柄にもなく、少ししんみりした気持ちになってしまった。そんな私の様子に気づいたのか、彼女は胡散臭い笑みを浮かべた。

 

 「そろそろ蓬莱の薬でも二人で飲む?」

 

 その問いに、笑顔で答える。

 

 「お断りです」

 「知ってたわ。じゃあ妖怪にでもなる?」

 「幻想郷のルールを幻想郷の管理者が破っちゃダメでしょう」

 「万物は流転する(パンタ・レイ)。そのままの形で永遠に残り続けるものなんてないのよ」

 「そう、妖怪だって人間だって永遠に残り続けるものではないんですよ」

 「幻想郷が駄目なら外でのんびり二人で暮らす?」

 「笑止」

 

 冗談なのか本気なのか、まあ恐らくというか確実に冗談だろうが、彼女のそんなお誘いは何度目だろうか。でも残念ながら、私は自分の生き様と死に場所と死に時は決めてしまっているのだ。流転する現世の中でも、これだけは不動である。

 

 「あ、蜜柑あるけどいる?」

 「いただきます」

 「あーん」

 「ん……美味しいですね、あー炬燵にはやっぱり蜜柑ですねえ。紫さんもどうぞ」

 「頂きます」

 「痛っ!?ちょ、指ごと食べてますからそれ!噛まないでくださいよっ!いや、舐めろって意味じゃなくて!!」

 

 夜に近づき、寒さはどんどん増してくる。そろそろ彼女の冬眠の時期も近づいてきているな、なんて思って、少し寂しい気持ちを誤魔化すように、私は笑った。

 

 







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ゆかりさまととうみんしようか

書いててちょっとキャラ崩壊しちゃったかなーって思いましたがこんな感じの紫様も見たいなって思ったんであげちゃいます


 ほう、と小さく息を吐くと、それが白く染まっているのが分かった。まさかとは思ったが、仮にも家の中で息が白くなるとは……暦はもう師走、これから更に寒さが増してくると思うと、若干憂鬱だ。

 今日も今日とて炬燵から出られない。昨夜もここでぐっすり寝てしまった。幸いまだ風邪をひいた様子はないが、生活リズムが崩れるのは宜しくない。布団までいけば済むだけの話なのだが、廊下と居間の間の寒い空間を通ると思うとついつい炬燵に甘えてしまう。

 小腹が空いたので段ボール箱からミカンを取り出してもぐもぐと食べていると、少しボーッとした様子の彼女がやってきた。

 

 「おはようございます」

 「……おはよう」

 

 返答までの僅かなタイムラグ。ふわぁ、と小さく欠伸をする様。ここではないどこかを見つめるような表情。間違いない、冬眠の前兆である。彼女がどうして冬眠するのか何年か前に聞いた気がするが、よく覚えていない。兎に角、この時期になると春まで姿を見せなくなることだけは分かっている。冬眠とは言ったが、動物のように蓄えた食糧で冬を越すため寝て過ごすのか(食糧なんていくらでもあるのでわざわざ寝る必要はないと思われるが)、ただ単に春までぐっすり寝てるのか、英気を養っているだけなのかはよくわからない。聞けば済むだけの話なのだが、何故か聞く気にもならない。もそもそと炬燵に潜り込み、机の上のみかんに手を伸ばしている。

 

 「やっぱりそろそろですか?」

 「そうねえ……そろそろね」

 

 またも欠伸をしながら、彼女はみかんを剥き始める。先日もこのような光景を見た気がするが、しばらくはこれも見れなくなるのだろう。

 

 「…………」

 

 毎年のことだが、やはり一冬会えないと思うととても寂しい。こうして過ごす時間を大切にしなければ――

 

 「ねえ」

 「はい?」

 

 くいくい、と手招きする彼女の隣に座る。

 

 「んー……」

 「おっとっと」

 

 こくりこくりと船を漕ぎ、倒れかけた彼女の身体を支える。すると体重をこちらに預け、倒れ込んでくる。勢いもついていたため支えきれず、押しつぶされるように床に倒れた。

 

 「ちょ、重い!重いですから!」

 「誰が重いって……?」

 「誰も紫さんが重いとは言ってないですよー。きっと紫さんの服の重量のせいデスヨネー」

 「そうなのよ、服が重たくって重たくって困っちゃうわ」

 

 ゆっくり腰を起こし、彼女は私に跨った。ラフな格好をしていたせいか肩の辺りが少しはだけ、黒い紐が見えてるのが何とも妖艶。

 

 「えい」

 

 パチン、と指を鳴らす音が響いた。同時に感じる浮遊感、振り向くと、紫色の目玉だらけの空間に落ちていくところだった。スキマの中に入るのなんていつ以来だろうか――そんなことを考えてる間に、唐突に光が見えた。

 

 「へぶっ!?」

 

 ベッドの上に落下、ぼよんと弾んだ為着地の衝撃は少なかったが、続けて降ってきた彼女によって腹部に多大なるダメージが入った。

 

 「…………」

 「……あの、紫さん……?」

 

 私に覆い被さるようにした紫さんは、まるで離さないようにするようにぎゅっと抱き着いてきた。反射的に抱き返すと、小さく震えてるのがわかった。

 

 「……いつも、夢を見ていたわ」

 「夢」

 「夢の中で目覚めて、家の中を歩き回るの。でもそこで待っているのは藍と橙だけで、貴方はどこにもいない」

 「…………」

 「次に目覚めたときに幻想郷がなくなっているかもしれない――大切な人がいなくなっているかもしれない。そんな想像は幻想ではなくて、現実に起こりうるかもしれなくて」

 「いかないよ」

 

 ゆっくり、優しく背中を撫でる。いつの間にか震えは収まっていて、心做しか先程よりも密着している気がした。

 

 「わたしは、どこにもいかないよ」

 「……ええ」

 

 足元に転がっていた毛布を引っ張り、二人に重なるようにかける。離さないように、離れないように、優しく抱きしめた。

 

 「ずっとここにいるから」

 「……うん」

 「おやすみなさい」

 「おやすみなさい」

 

 大丈夫、夢の中でもきっと一緒だから――

 













ハーメルン1の八雲二次作家になりたいです(儚い願望)


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ゆかりさまととしをこしたい

 ぼーん、ぼーん……と。規則的に聴こえてくる鐘の音に耳を傾けてみる。心の中でも反響させてみるが、煩悩が消えていくような感覚はなかった。

 今日は師走の三十一日……年の瀬、大晦日だ。あと一時間ほどで今年も終わる。思い返すと色々あったような、なかったような……不思議と年が変わる実感が湧いてこない。除夜の鐘が聴こえてきてやっと、そうか今年も終わりかー、なんて呑気に思っているところだ。

 少しのびてしまった蕎麦をすすっていると、むくりと隣の美女が起き上がった。眠そうに瞼を擦り、小さく欠伸をした。ブロンドの髪が寝癖で少しクシャクシャになっている。

 

 「今年ももう終わりね」

 「思い返すと早かったですねえ」

 「妖怪的には一年なんて本当にあっという間よ」

 「寿命が違いますもんね寿命が」

 二人同時にずずずとお茶を啜る。先程まで忙しなくおせち料理の準備をしていた藍さんは湯浴みしに行ったようだし、久しぶりに彼女と二人きりだ。

 ぼーん。

 

 「除夜の鐘ね。今何回目くらい?」

 「さあ……?半分くらいは終わったんじゃないですかね」

 「そんな調子じゃ貴方の煩悩は全然消えないでしょうね」

 「そうかもしれませんねえ」

 ぼーん。ぼーん。

 

 「でもその方がいいんじゃないですかねえ」

 「そうね、欲深い方が人間らしいし貴方らしいわ」

 「まあ、今のままで割と満ち足りてるんですけど」

 ぼーん、ぼーん、ぼーん。

 

 「美人さん二人と暮らせて、時々美少女もやってきて、同性の友人が少ない点だけは残念ではあるけれど、交友関係は十分に恵まれてて。大して働かなくても三食食べられて昼寝も出来て、自堕落な暮らしをおくれて。これ以上求めたらバチが当たりますよ」

 「もういつバチが当たってもおかしくないレベルですわ。とくに最初の部分」

 「ですね」

 「ふふふ」

 「ははっ」

 くだらないことで笑い合える、これも幸せなことだよなあなんてしみじみ。

 

 「さて、今年もあと数分だけれど」

 「いつの間にかそんな時間でしたか」

 「今年やり残したこととかあるかしら?」

 「それ今言っても間に合わなくないです?」

 「物によっては間に合うかもしれないじゃない」

 「そうですねえ……あ、紫さん。目を閉じてみてください」

 「え、えっ? ま、まあいいけれど……」

 目を閉じた彼女に近づき、そっと唇に向けて――

 

 「はい、取れました」

 「…………………は?」

 「いやあ、ずっと紫さんの口元に蕎麦の麺が付いてたのが気になってたんですよ」

 「…………っ!」

 今が旬な林檎のように顔を赤くした紫さんはなかなかに新鮮である。いやあ目福目福……良い新年を迎えられそうだな、なんて思っていたら。唇に柔らかい感触が。

 

 「はぅっ!?」

 「あら失礼、口元に麺が付いてたから」

 先程までの赤面なんて嘘だったみたいに、不敵な笑みを浮かべる。全く、この人には敵わない……本当に。

 自分でもわかるくらいに頬が熱くなっていて、少し恥ずかしかった。

 

 「……ん、あけましたね」

 「あけたわね」

 ぼーんぼーん、クルッポウクルッポウと柱の掛け時計から愉快に鳩が飛び出した。新年か。何となく、今年も良い年になる予感がする。

 

 「今年の目標って何かあります?」

 「そうねえ……あ、一つあるわ」

 「ほうほう。何でしょう」

 「子供でも欲しいかなあって」

 「ぶはっ!?」

 ――全く。今年も、退屈しない一年になりそうだ



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かんびょうしてくれるゆかりさまはまだですか……?

  「……あー………」

 妙に肌寒くて目を覚ました。体の節々に走る痛みと、全身を包む倦怠感。頭痛がするわ喉が痛いわ、どう見ても典型的な風邪の症状だった……

 

 「……んー………」

 果たして体温計は何処に置いてあっただろうか。居間のテレビ台付近の戸棚に入っていた気がするが、わざわざそこまで行くのも面倒だ。迷った挙句、手頃なところで寝ていた彼女の額に手を当ててみる。ぴく、と小さく瞼が動いた。

 私の体温が高いせいか妙に冷たく感じる。自分の額にも手を当ててみると、何だか温かいような生温いような。何はともあれ、確実に熱だろう。さて、妖怪だから恐らく風邪なんかにはかからないと思うが、万が一があっては申し訳ない。別室で暖かくして休もう……そう思い、布団から静かに這い出――せなかった。何処かデジャヴを感じる柔らかい感触。

 

 

 「………………」

 「……起こしちゃいました?」

 「ええ、おはよう」

 後ろから抱き締められる形で引き止められる。そのまま体を回転させられ、優しく額同士が触れ合った。

 

 「ん……やっぱり熱があるみたいね」

 「ええ……そのようですね」

 心なしか、先ほどよりも彼女の額が熱くなっているように感じた。吐息が触れるほどの至近距離に鼓動が速くなる。やはりこの布団から離れるべきか……体を半回転させ再び布団から抜け出そうとしたが、どういう理屈か先程まで隣にいたはずの彼女に一瞬でマウントポジションを取られている。抜け出そうとしたが意外と重たくて抜けられない。

 

 「病人はちゃんと寝てないと駄目よ……それと、私が重たいんじゃなくて貴方の力が弱まってるだけですから」

 「は、はい……」

 そこだけ妙に強調して、彼女はすたすたと部屋を出ていった。ああ言われてしまっては流石に抜け出せない。

 

 「…………」

 ボーっと天井のシミを数えたり、天窓から見える空を眺めたりして数十分。わたわたと慌ただしく色々なものが運ばれてきた。氷の詰まった桶にスポーツ飲料のペットボトル、毛布と料理。そして何故か看護服を着た彼女が。

 

 「……なんでナース服なんですか?」

 「この方が雰囲気出るでしょう?」

 「えー……まあ確かに眼福ですしいいですけど」

 ふふん、と誇らしげに胸を張っている。豊満な物がより強調され小さく揺れた。

 

 「さて、じゃあ冷めないうちに食べましょうか」

 「そうですね」

 「口移しとあーんとどっちがいい?」

 「んー……ってなんですかその選択肢、自分で食べれますよもうっ」

 お粥をスプーンで掬い口へと運ぶ――が、急に力が抜けて落としてしまった。幸いお皿の上だったので畳や布団に被害はないが、彼女は不満げだった。

 

 「虚勢は張らない方がいいわよ」

 「ぐぬぬ……あーんをお願いします」

 「はい」

 ふー、ふー、と冷ましてもらったおかゆを食べる。普通に美味しい。この人料理も出来るんだよなあ、割と万能で羨ましい。ところで、あーんという行為に気恥ずかしさがあるのは理解出来るけど嬉しさがあるというのは理解出来ない。ただ食べさせてもらうってだけで何も疚しいことはないのでは?

 

 「美味しい?」

 「とっても美味しいです」

 「それはよかったわ」

 でも残念なことにあーんしてると大変食事の進みが遅くなる。正直途中からは自分で食べたかったが、"遠慮しなくていいのよ?"なんて言われ、結局二十分ほどかけてあーんで食べ切った。遠慮してないです。

 

 「ご馳走様でした」

 「はいはい、食器片付けてくるわね」

 「はーい」

 さっきまで食事に夢中であまり意識していなかったが、一人になった途端に頭痛がしてきた。よくよく考えると竹林の病院にでも行って医者に見てもらった方がいい気がするが、動くのも面倒だしいいか。

 食べてすぐ寝るのは健康上よろしくないが、体調が優れないことを言い訳に布団に潜り込んだ。

 

 「お待たせしました。薬持ってきたわ」

 「えっ? 市販のですか?」

 「いいえ、竹林まで行って医者から勝手に拝借…………処方してもらってきたのよ」

 「へ、へー……まあそれなら効き目は信用できますね。正しく処方されてるかは別として」

 間違った薬を処方されてたら割と本気で洒落にならない場合もあると思うのだが。渋々彼女を信用して、スポーツ飲料で錠剤を流し込んだ。

 

 「体温計持ってきたから計ってみなさい」

 「ありがとうございます」

 腋に挟むこと三十秒。ピピピ、という電子音が鳴ったので見てみると三十八度三分。普通に熱だ。体調悪いときって、それだけなら"あー、なんか体調悪いなー"で済むのに体温計って熱があると"あれ、めちゃくちゃ体調悪くない?"って気分になると思う。というか今なってる。

 

 「八度三分……まだ上がってきそうね」

 「そこそこ体がだるいですね」

 「冷えたお絞りで頭を冷やしときましょう」

 「わー」

 氷水でキンキンに冷えたお絞りはとても冷たく、ちょっぴりビクッとしたが、慣れてくると冷気が心地よい。段々頭がぼーっとしてきて、少々眠くなってきた。

 

 「寝て起きたらきっと治ってるわ。だから、ゆっくりお休み」

 「……おやすみなさい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ぽんぽん、と頭を撫でられる感触で目を覚ます。見上げると、二つの大きな山。少し視線をずらすと、愛おしそうにこちらを見つめる彼女と目が合った。

 

 「ん……膝枕ありがとうございます」

 「いえいえ」

 太股の感触が気持ちいい。寝返って頬擦りしたいくらいだが自重しておく。体温計で熱を測ってみると、七度三分。まだ微熱はあるが大分下がってきた様子。

 

 「紫さんのおかげでもう熱も下がりましたし、大丈夫ですね」

 「いえいえ、薬が良かっただけですわ」

 謙遜する紫さんだったが、何処か誇らしげだ。

 

 

 「でもまだ微熱があるでしょう?無理はしちゃ駄目よ」

 「はーい。でも、看病のお礼に夜ご飯だけは作らせてもらいますね」

 「ふふ……楽しみにしてるわ」

 紫さんの小さな微笑みに、私も料理を作るのが楽しみになった。



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ゆかりさま、あまいものはすきじゃないのですよ

 

 

 「♪〜」

 陽気な花歌を歌いながらチョコを湯煎する彼女の姿を見たら、幻想の少女達は一体どんな反応を示すだろうか。きっと博麗の巫女は訝しがりながらお祓い棒を構えるだろう。普通の魔法使いは笑いながら相手でも聞いて茶化すだろうか。瀟洒なメイドは……意外と作り方やら味付けやらに的確な口出しをくれるかもしれない。

 まあそんな考察はともかく。八雲紫はチョコレート作りに勤しんでいた。作る、と言ってもいくらなんでもカカオ豆や焙煎などの工程からはやらない。よくある、市販のチョコを湯煎して型に填めて冷やして、というタイプのアレだ。手際良く鍋の中のチョコをかき混ぜ、牛乳や砂糖を混ぜ込みながら時折味見をし、小さく首をかしげたり小さく微笑んだり困ったような笑みを浮かべる様は、どう見ても生娘。見てるこちらの心にくる。色々な意味で。やっと満足いく味になったのか、小さく頷いた彼女は鍋からハート型の大きな型にチョコを流し込み、冷蔵庫へと押し込んだ。サイズ的にギリギリ入ったようで、中のスペースを大きく圧迫したようなので、買い物に出かけている藍さんが帰ってきたら怒られることは必至だろう。それまでに固まるといいね、としか言えない。――さて、作り終えて満足した様子の彼女は昼寝でもするのか、寝室の方に向かっていった。重い緊張を解くように、小さく溜息を吐いた。

 

 「バレなくてよかったけど……バレなくてよかったのか……?」

 おやつでも作ろうか、と台所に向かっていたときにエプロンでチョコをかき混ぜる彼女の姿を発見し、隅に隠れて様子を伺っていた。何故急にチョコ?と首を傾げて、今日が何の日か思い出す。そう――二月十四日、血祭りが始まる日だ。外の世界にいた頃には全く縁がなかったし、幻想郷にはあまり浸透していない文化なので、存在を忘れていた。

 しかし難儀なものである。恐らく彼女は私を驚かせようと、普段なら私が外出してるこの時間を狙って作っていたのだろうが、残念ながら本日は寒いので家の中に引きこもっていた。普段は使わない別室で本を読んでいたので、お互いに気がつかなかったのだろう。彼女のサプライズを知ってしまったのは申し訳ないが、しかし――一つ、大きな問題があった。

 

 「……私、甘いもの嫌いなんだよなあ………」

 チョコとか本気で駄目。何というか、甘ったるい感じとカカオの風味が私の口には合わない。苦かろうが甘かろうが、チョコは大変苦手だ。見かけたときに声をかけようかと思ったが、しかし、彼女はとても楽しそうに作っていた。流石にそこで口出ししてその幸せと、大切な気持ちをぶち壊せるような屑にはなりさがれなかった。辛い。貰ってすぐに、「ごめん! チョコ苦手なんだ!!」と告白する勇気も私にはない。大人しく黙って食えよ、という話だがどう考えても表情に出てしまう。それを見逃さない彼女ではないだろうし、嫌いなものを無理して食べる様子というのは、作った人もあまりいい気持ちではないだろうし食べてる方も無論いい気持ちではない。そんなお互いに益のないことをして何になるんだ、と。

 

 

 ――要約すると、"私がクズなせいで選択肢が狭まってて八方塞がり"って感じだ。どうしよう。一言告げる勇気もない。でも後からチョコが嫌いでしたー、とバレるとそれなら無理して食べなくてよかったのに、と気を使われそうだし。悩みだすとキリがない。一番いいのはチョコを好きになってしまうことだが――そうか、その手があったか。橙のおやつ用に置いてあったチョコレートを、一つ手に取る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  ☆ ★

 

 「……状況が読めないけれど、大丈夫?」

 「……大丈夫……です、多分……」

 血の海に倒れ伏す私を心配そうに見つめる紫さん。無理してチョコをまるまる一個食べてみた結果、緊張と興奮と無理な我慢のせいか鼻血が噴き出してきて、運が悪いことに現在ティッシュを切らしており、とりあえず布か何かで押さえようと慌てて走り出した結果、垂れた血で滑って顔面から転けて、その際にまた鼻を打ち付け、尚更血が吹き出した上に痛みで悶えていると、いつの間にか血の海が出来てた。どうしよう。後で絶対に藍さんにどやされる。今のうちに証拠隠滅しなければ……

 

 「とりあえずお掃除しましょうか」

 呆れたように肩を竦めながら、彼女は雑巾やらないと思っていたティッシュやらを持ってきてくれた。なんだよあったのかよ。とりあえず鼻をティッシュで押さえ、ティッシュで床の血を拭き取った後に雑巾である程度綺麗にした。綺麗になった……はず。バレないくらいには。

 

 「ごめんなさい……ありがとう」

 「別にいいわよ。それにしても珍しいわね、貴方がチョコレートを食べるなんて」

 見透かされたような気がして、ドキッとした。

 

 「はは、偶には悪くないかなー……なんて思って」

 「嘘。無理して食べたんでしょう?」

 「ぐぬぬ……」

 クスクスと、何を馬鹿なことをとでも言いたげに上品に微笑む紫さん。いつの間にか取り出していた扇子で口元を隠し、空いた左手をスキマに突っ込む。

 

 「その……はい、ハッピーバレンタイン」

 「え……?」

 渡されたのはお皿に入ったフルーツポンチ。色とりどりの果物が目を楽しませ、芳醇な香りが心を踊らせる。いや、でもなんでフルーツポンチ……?

 

 「だって貴方チョコとかの甘いものは嫌いでしょう?でも果物は好きだから、それならフルーツポンチでいいかなーと思ったのよ」

 「お……覚えててくれてたんですか……っ!」

 「当たり前でしょう?」

 紫さんの小さな優しさに激しい感動を覚える。嬉しい。本当に嬉しい。

 

 「貴方のことだからさっきのチョコレートを自分宛だと勘違いして、断るか我慢して食べるかみたいなことで迷った挙句、チョコレートを好きになれば問題ないみたいな短絡的な思考でチョコを貪り始めたんでしょう?」

 「完全正解とはたまげたなあ……」

 「そのくらい容易にわかりますわ」

 私がわかりやすいだけなのだろうか。まあ、そんなことはどうでもいいか。

 

 「チョコが好きならアレをやる予定だったのだけどね」

 「アレってなんですか?」

 「聞きたい?」

 「聞きたい」

 「大事なところをチョコでコーティングして、溶けないうちに食べて♡ってやるやつよ」

 「ふぁっ!?」

 「冗談よ」

 「あー、なんだ……」

 そもそも現実的に体をチョココーティングは難しいのよ。すぐに溶けちゃうしお肌によくないしね、と夢を壊す情報を付け加える紫さん。

 

 「それが出来てたらチョコ好きになってたかもしれないんですけどねー、残念だなー」

 「固と溶の境界でも弄れば出来なくはないかもしれないけど」

 「あ、冗談なんで真に受けないでください」

 くだらないことを話しながら、いただきます、とフルーツポンチを食べ始める。胸焼けでもしてしまいそうなくらい甘くて、とても甘くて幸せだった。

 
















僕もチョコは嫌いです(唐突)


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じゅうなんせいはたいせつですよ、ゆかりさま

 

 「んー……!」

 長いこと横になってたせいで体が大分なまっている。大きく伸びをして、軽くストレッチして、全身をほぐしていく。

 

 「むう、爪先まで届かなあだだだだだだ!!?」

 「ちゃんと届いたじゃない、よかったわね」

 背中を思いっきり紫さんに押された。唐突に大きく伸びた腕に、アキレス腱が悲鳴を上げている。これ下手すると腱が切れちゃうんじゃないだろうか。

 

 「はい、股を開いて」

 「えー……絶対また強く押すじゃないですか」

 「押さない押さない、今度は優しく押しましょう」

 「それなら良いんですがね……」

 股を開き、両手を左足の爪先へ伸ばす。これは押されるまでもなく楽々届いた。今度は右足。多少苦労したが、辛うじて届く。そして鬼門の真ん中……ッ!?

 

 「いだだだだだだだだ!」

 「北斗百裂拳みたい」

 「いや強く押しすぎですから!!」

 クスクス、と少し小馬鹿にするように笑われた。全くこの人は……

 

 「はい、もう大分ほぐれたでしょう」

 「…そうですね、ありがとうございます」

 何か仕返しをしたいな、と考えていたところ名案が浮かぶ。

 

 「紫さん、ちょっと股を開いてください」

 「……真っ昼間っから何をされるのかしら?」

 「や、変な意味じゃなくて普通に!!普通にストレッチを!!」

 「ふふふ、はーい」

 仕返しをするはずが墓穴を掘って遊ばれてしまった。くう、不覚……

 大人しく股を開く紫さん(というと語弊が生まれそうだが全くもって疚しいことは無い)は、まず左足に両手を伸ばす。軽々達成。右足に伸ばす。楽々完成。鬼門の真ん中。余裕で胸の辺りまで畳にぺたりとついた。

 

 「むう、やっぱり少し固くなってるかもしれないわね」

 「いや何処が!?」

 そういえばこの人はなかなかに体が柔らかいのだった。猫のようにしなやかに体勢を戻すと、のそのそとこちらに這いより正座する私の膝に頭を乗せた。

 

 「あー、軽く動いたら疲れたわ」

 「そういえば最近は全く動いてる様子を見ませんし、運動不足じゃないですか紫さん?」

 「そんなことはないわよ、そこそこ歩いてるし」

 「どのくらい?」

 「……鳥居から賽銭箱くらい?」

 「目と鼻の先じゃないですか」

 「いえ、博麗神社の鳥居から守矢神社の賽銭箱くらいよ」

 「なかなかの長距離!?」

 どう考えてもこの人はそんなに歩いていないと思うのだが。私も人に言えるほど、よく歩くわけじゃないが。インドア派だし。

 

 「そういえば、もう暖かくなってすっかり春ですねえ」

 「暖かくなったから私は起きてきたのよ」

 「そうでしたそうでした、おはようございます」

 「一冬会えてなかったのに軽いわね」

 「まあ、隣で抱き枕させられてましたし」

 強いて言うなら、そのせいで私の体はなまっているのだと思うのだが。寝てばかりいるのも体にはよくないと学べた。

 

 「そろそろ桜も満開の頃でしょうし、お花見でもしましょうか」

 「いいわね、ついでに博麗神社で宴会でも開いてもらいましょう」

 「お酒飲みたいだけですよねそれ?」

 でも確かにお花見というのは、世間体を気にせず合法的に昼間からお酒を窘めるという素敵なイベントである。無論桜も楽しむが、桜が霞む程の美人が隣にいるのも考えものだな、と苦笑した。



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ゆかりさま、おはなみでも……あ、おだんごはでしたか

 「…………」

 ちびちびと日本酒を飲む。酒に弱くはないが強くもないので、私ごときが一気にかき込むとすぐに顔に出て、態度に出て、記憶が飛ぶところまでがテンプレートである。のんびり飲めばそこそこ強い方なので、お猪口でちょびちょびと芋焼酎を味わっていた。

 桜を肴に飲むというのは凄く乙なもので、年に一度のとっておきの贅沢だと思っている。一昨年なんかは件の異変の影響で春がやって来ず、寒さともどかしさで悶々とした日々を過ごしていたものだが、今年は例年通りの穏やかな春を迎えられて、私の酒もどんどん進む。

 

 「んー、つまみ取ってくるか」

 勝手に拝借してきた枝豆が底を尽きたので、恐らく人のいないであろう台所に忍び込んで何か貰ってこようと思う。

 

 「相変わらず良い場所に陣取るわね」

 「うおっとっとっ!?」

 「あら危ない」

 立ち上がった瞬間に背後に現れた彼女に驚き、体勢を崩して落下しかける。そこにぎゅっと抱き着かれ支えられて、どうにかその場にとどまれた。

 

 「足場の不安定な場所で脅かさないでくださいよ……」

 「それは失礼」

 まあ軽く良い思いも出来たので、これ以上は触れないでおく。彼女のことだから恐らく、良いつまみも持ってきてくれたのだろうし。

 

 「日本酒持ってきたわよ」

 「おお!それで、そのお酒に合うつまみは何処に!?」

 「ごめんなさい、台所に置いてきちゃったわ♪」

 「あああああああああ!!」

 とか言って頭を抱えてみる。フフフという小さな笑い声とともに、彼女はスキマに手を突っ込む。

 

 「まあ、わざわざ動かずとも取りに行けるのだけれどね」

 「流石ァ!」

 「……あなた、もう割と酔ってきてるでしょう?」

 チーズやらポテチやら枝豆やらを、もぐもぐ食べながらごくごく飲む。うーん、幸せ。いや、普段から割とこんな生活を送れなくもないが、やはり催し事の時だからこその格別さがある。

 

 「中々に良い趣味よね、あなたも」

 「どこがですか?」

 「祭りの喧騒に加わらず、それを遠くから眺めるだけとは」

 「まー私ごときじゃ、あの空気に呑まれてしまいますからね」

 「酒に飲まれてしまわないだけ、十分心得てるんじゃないかしら」

 ――本日は博麗神社の春季お花見宴二日目、まだまだ参加者は元気そうで、どんちゃん騒ぎを繰り返している。私はこういうのは、参加するよりも見守る方が遥かに楽しいタイプだから構わないのだ。博麗神社の屋根の上からの景色は、桜を上から眺められる中々良いポイントであるし。

 

 「ねえ、紫さ―――」

 何気なく会話を振ろうとしたとき、目を細めた彼女が、どことなくとても幸せそうな表情をしていることに気づく。恐らく自分でもなければ気づかないような、小さな変化ではあったが――それがとても嬉しかった。

 彼女の愛するものはここにあって。理想としたものは、幻想であったものはここにしっかりと存在している。隣の私とどちらが大切なのか、なんて無粋な質問が脳裏を過ぎったが、そんな答えの分かりきった質問はするまでもないよな、と彼女の持ってきた日本酒を持った。

 

 「一杯如何でしょう」

 「ふふ、一杯酌してもらおうかしら」

 人の愛らしさと、妖怪の騒がしさと、神々の微笑。最高の肴がそこにあった。

 


















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あめもおもむきがありますね、ゆかりさま

 忙しなく降り注ぐ雨音が耳に響いてくる。庭に目をやると、鹿威しの加減から相当雨が降っていることが伝わってくる。表に出てる藍さんは大丈夫かなー、なんて呑気に心配しながら煎餅に手を伸ばした。

 季節は梅雨。少し蒸し暑くなってきて、雨も降りやすいという割と人に嫌われる悲しい時分。私個人としては、割と好きな季節であるのだが。雨のザーザーと降り注ぐ音も、降る時特有の謎の匂いも、レインコートが雨を弾く感覚も好きだ。久々に、雨の散歩にでも赴こうか……

 

 「それなら一緒に如何?」

 

 いつの間にか隣に座っていた彼女に、是非と返して立ち上がる。レインコートを着込んで表に出ると、心なしか先程よりも雨量が増えているように感じた。

 

 「なかなか趣があっていいわね」

 

 いつも通りの紫のドレスに例の帽子、開いた上等そうな傘という出で立ち。レースだとかフワフワした造形だとかで日傘にしか見えないが、濡れている様子を見たことがない。不思議である。

 

 「そうですね。雨だからこそ、そこを抜けていく感覚が新鮮で楽しいです」

 

 雨天の道を歩く。雫が与える衝撃が気持ちいい。踊り出したいような心持ちだが、いい大人がそんなことをしてはみっともないだろ、と自重する。

 

 「大人も子供もないでしょう。やりたいことをやりたいようにやる、それが人間らしくて一番好きだわ」

 

 幻想を失った人間ほど面白くないものはないもの――そういって胡散臭い笑みを浮かべた。なるほど一理ある、と陽気に踊り出そうとしたが、落ち葉で滑ってよろけて転けた。

 

 「あらあら……大丈夫?」

 

 「あはは、まあ何とか……」

 

 差し出された手を掴み、ふらふらと立ち上がる。それだけでどうしようもなく胸が高鳴るので、まるで生娘のようだと自嘲気味に笑う。

 

 「綺麗ですね」

 

 「えっ?」

 

 「この紫陽花。こんな場所に咲いてたなんて知りませんでしたよー」

 

 「ええ……そうね」

 

 何故か苦笑する紫さん。長いこと生きてるわけだし、この程度の花は見慣れているのだろうか。或いは、もっと綺麗なものを知っているのか。

 水気を帯び、色鮮やかに咲き誇る大輪の数々は、これまで見た中では二番目くらいに美しく感じられた。

 

 「これからもっと綺麗になるわよ」

 

 「え?それはどういう……」

 

 言いかけて気づく。いつの間にか雨が弱くなっており、雲も薄くなっていることに。顔を出したお天道様が眩く辺りを照らす。咄嗟に目を細めるが、慣れた頃に開いてみると、日の光を受けた花々は爛々と輝き、先程よりも一層元気に開いているように見えた。

 

 「本当に綺麗ですね……!」

 

 「上の方も綺麗よ」

 

 「上……?」

 

 彼女が指差したのは空。見上げると、先程までの重たい雲は何処かへと消えてしまい、空には鮮やかな虹がかかっていた。

 

 「より強く、長い雨の後ほど――虹っていうのは綺麗に出るわよね」

 

 「綺麗ですね――特に、あの紫」

 

 「え、ええ……」

 

 「でも同じ紫でも、紫さんがいる以上霞んで見えちゃうのが残念ですね」

 

 「っ!?」

 

 話の転換が突然だったからか、動揺した様子の紫さん。てっきり『あらありがとう』だとか、『そこまで上手くないわ』みたいな返しがくるかと思ってたから少し意外だ。しかし可愛い反応だから良い。

 

 

 「六月はいいことが多いですね。雨に虹にサヤエンドウに西瓜に、ジューンブライドなんていうモノの旬ですよね」

 

 「果たして誰が結婚するんでしょうね?」

 

 余裕を取り戻した様子の紫さんが体を寄せてくる。濡れますよ、と離れたが、いいのよ。といってより密着してきた。

 パラパラと、肩に滴がかかった。見上げると少し雨が降ってきている。俗に言う、天気雨ってやつだ。

 

 「……狐の嫁入りね」

 

 「そうですね」

 

 我が家の九尾様を想いながら思う。白無垢が似合いそうだななんて考えたが、それよりも。隣にいる彼女に、ウエディングドレスを着てもらいたいな何て考えながら、雨の道を引き返し始めた。



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およぎましょ、ゆかりさまっ!

 

 

「あっつ……!」

 ミーンミンミンミン、と蝉は今日もけたたましく求愛活動に勤しんでいる。略すとすれば求活。なんか求道者っぽい。

 時は夏。八月の某日。幻想の夏は心なしか、外よりも断然暑く感じられる。陽射しの強さが段違いなのは気のせいだろうか。これで外よりも文明レベルが低いのだから熱中症患者が多発してもおかしくはないと思うが、まあ最初っからここに住んでればそれが当たり前なわけだし、熱中症で死んだなんて話は今のところ寡聞にして聞かない。とはいえ文明に溺れ切った外来人と妖怪には冷房なしの生活はとてもじゃないが耐えられないことのようで、別に私の希望というわけではないのだが、八雲家には冷房が設置されている。扇風機も置かれている。しかし私はここに来て以降、それを使用したことは一度もない。何か負けた気がするから使いたくないのだ。無闇矢鱈に機械に頼らないからこその幻想ライフ、そう思わないだろうか?

 

「奇特な人よね。別に誰が文句を言うわけでもないのに」

 いつも通りの神出鬼没な登場。ただ、暑いのだから抱き着くのは少しやめてほしいかなとも思う。いや当然嬉しいのだが、人である以上は私も汗をかく。暑い以上は、体がそれを冷まそうと発汗する。縁側で昼寝してたからか背中は汗でそこそこ湿っている。触れるとすぐにわかるくらいには。自分でも気持ち悪いし、抱きつかれた後に、やっぱり汗臭いと煙たがられ、離れられるとこちらとしてはその方が傷つくので、そうならない為にも離れていてくれたまえ、紫さん。

 

「はー、ひんやりしてて気持ちいい」

「ぐっしょりしてて気持ち悪いの間違いですよ、それは」

 能力でも使ってるのか、不思議と紫さんの体温は低く感じられて、このままいるのも悪くなかったが、まあ渋々……仕方なく引き剥がす。大妖怪とは思えないような、子供っぽい不満げな表情でこちらを見るが、我慢してほしい。貴女の為でもあるのです。

 

「私の為を思うなら、私の思うままにさせてほしいのだけれどね」

「ほう。して姫、貴女の思うままとは?」

 珍しく芝居がかった、冗談めいた言い方で聞いてみる。ニヤリと胡散臭い笑みを浮かべた紫さんは、そっとスキマを開いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて、泳ぎましょう?」

「えー……はーい……」

 乗り気ではないので、それが何処と無く語調に出てしまう。紫さんはそれを知ってか知らずか、ニコニコと楽しそうに私を川の中へ突き飛ばした。

 

「ぐごぼっ!?」

 大変情けない効果音だななんて自分でも思った。この気温だと言うのに、水は驚くほど冷たい。体操も何も行ってないわけだし、それこそ心臓麻痺になって死んでもおかしくなかったのではないか、と思うほどには。

 

「何するんですかー!」

「心ここに在らず、といった様子ででしたから。已むを得ない処置ですわ」

 已むを得ない処置だったのか、それならしょうがない。と、無邪気な微笑みに免じて彼女を許した自分がいた。我ながら激甘である。まあ彼女のことだから、心臓麻痺で死なないことも私がそこまで怒らないだろうこともわかっていたのだろう。ここで改めて周りを見渡して思う。

 

「しかしまあ――よくこんな穴場を知ってましたね」

「一応幻想郷(ココ)の管理者だもの」

 紫さんが連れてきてくれたのは妖怪の山の奥の奥、木が密接に絡み合って空からでは来るのが面倒である故、天狗すら立ち寄らないような何もなーい秘境の滝壺。激しく打ち付ける滝の音がうるさいといえばうるさいが、情緒があるといってしまえば情緒があるともいえる。

 あまり滝壺に詳しくはないのだがここはなかなかに広いようで、端から端まで泳げば十五メートル程はあるだろうか。距離間隔には疎いので確かなことは言えないのだが。

 紫さんの提案で、ここに涼みに&水浴びに来た。上手いこと日陰になっている上水場な為、いるだけでも十分心地いい。水の中に入っちゃえば涼しい。そして気持ちいい。一段高く切り立った岩に座り、風を受けて気持ちよさそうに滝を見上げる紫さんに、することといえば一つしかなかった。

 

「えいっ」

「ぎゃああああ!!」

 思いっきり突き飛ばした。私を、紫さんが。背後から近づいたというのにやっぱり気づかれたようで、容赦なく水へと錐揉み落下する。そこそこ水深があるお陰で、背中を思いっきり打ち付けるような事態にならないのは不幸中の幸いである。案外そこまでわかってやっているのかもしれないが。

 

「全くもう……一緒に入りましょうよ?」

「もう入ってるわよ」

 知らぬ間に入水して、ぷかぷかと浮き輪の上で浮いていた。いつの間にそんな用意を。折角なので、浮き輪を掴んでくるくると回して、遊んでみる。

 

「ふふふふふふふ」

 紫さんが回転しながら不気味な微笑みを浮かべるという、なかなかに恐ろしい状態が出来上がったが、段々回すことが楽しくなってきたのでそのまま続ける。くるくるくるくる。くるくるくるくる。

 しかしまあ、この人のことだからどれだけ回しても目は回さないだろうなあ、なんて思う。案の定回転が止まった瞬間平然と、何処からか取り出した扇子でコツっと私の頭蓋を叩く。

 

「いたたっ」

「そんなことより、何かコメントはないのかしら?」

 急に突き飛ばしてきたり何だり、てっきり不機嫌なものだとばかり思っていたのだけれど、どうやらそうではないらしい。コメント――コメントか、ふむ。そういうことか。

 

「水着似合ってますよ、紫さん」

「ありがとう」

 微笑む彼女に、フリフリのついた黒のパレオはとても似合っていた。普段の帽子は被っておらず、その代わりなのかリボン部分だけを頭に乗せている。いや結んでいるのか。私としては水着を見ると、どうしても体つきやバストを眺めかねないので、それは嫌かなあとなるべく見ないようにしていたのだが、彼女としてはそれこそが嫌だったようだ。

 

「水着というのは見られても構わないものよ。見られちゃいけないならそれは裸と変わらない――とまで、ゲームで言われてたわ」

 はて何のゲームだろう。その辺に疎い私には分からなかったが、要するに見てもいい。というか堂々と見てくれ、くらいの気持ちでいてくれているようなので、正面から眺めることにする。

 

「…………」

「恥ずかしいというか、よくもまあ、堂々と谷間だけを覗けるわね」

 言われるこっちが恥ずかしかった。確かに多少? 見る頻度は? 多かった? かもしれませんが?

 

「……とりあえず、泳ぎましょっか」

「そうね」

 ちゃんとゴーグルも持ってきたので、気兼ねなく水泳を堪能出来る。泳ぐのなんて下手すると数十年ぶりなので、感覚など全く忘れていたのだが――やってみると意外と楽しい。狭い故すぐに端についてしまうのが少し残念だが、水は綺麗だしクロールは気持ちいいし大変幸せだ。別に泳ぎが速い訳では無いが、行為自体は大変好きだったことをふと思い出した。

 

「なかなか早いじゃない」

 何往復かした後、顔を上げた私に紫さんが声をかけた。そう言ってもらえると嬉しいです、と笑って浮かべてあった浮き輪に飛び込む。足が着くくらいだし浮き輪使うほど水深があるわけじゃないが、こういうのは気分と勢いで楽しむのだ。紫さんも優雅にプカプカと、浮き輪で流れに揺られている。

 

「えいっ」

「きゃっ」

 少しボケっとした様子の紫さんに水をバシャっと飛ばす。不敵に笑って、さりげなく開かれたスキマ経由で変な場所に水をかけられた。冷たい。ここから水鉄砲合戦が始まったり二人きりの河岸バレーが始まったりするのだが、それは秘密の話。



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すずしくなってきましたね、ゆかりさま

 はっくしゅん、と大きく(くしゃみ)をして目を覚ました。少し肌寒い。まだ長月に入って間もない残暑の厳しい時期だと思っていたというのに、珍しい朝だ。この分じゃまだまだ地球温暖化とやらは、気にすべき問題ではないらしい。

 流石に布団も毛布もタオルケットも押し入れの奥にしまいこまれている。今日辺り暇だし、早めに衣替えしておこうか。

 

「んっ……」

 

 天窓から丁度太陽光が差し込んでくる。この季節でこの位置なら、さしずめ今は十時手前といったところか。そうなると隣で眠る彼女は、三時間ほどは起きてこない。

 

「…………」

 

 うだうだするか、働くか。腹は空いていないので、ご飯はまだいいとして。ひとまず洗面所に向かい、顔を洗った。いつもキンキンな井戸水が、いつにも増してキンキンに感じる。思わず鳥肌が立つ程度には冷たかったが、眠気覚ましには丁度よかった。

 

 

 軽くストレッチをして体を伸ばしたところで、衣替えを始めることを決意。押し入れの奥底から衣類の詰め込まれた箱を取り出し、とりあえず部屋の隅に積み始める。厚手の物は下に、薄めのものをなるべく上に。肌寒かったからついでに、一番上にあった紫のパーカーを羽織った。大して取り立てた特徴もない普通のパーカーだが、どことなく落ち着くのが不思議だ。

 ついでだからと同居人方の衣替えも行ってあげようかと迷ったが、彼女らは年がら年中似たような服を着ているので必要ないであろう、という事実に気づいたのでやめた。彼女は夏冬でドレスか導師服かの違いがあるが、結果的にはトータル四パターン程である。どれも好きだが、今度外の世界の普通の女の子っぽい服でも着てみてほしい。

 

「だーれだ」

 

 自分の分の整理がある程度纏まったので、押し入れを漁って暇を潰そうと手を伸ばしていたその時。視界を手で覆われた。だーれだもなにも、そんなことをしてくる知り合いという時点で対象は一人しかいない。

 

「おはよう、紫さん」

 

「おはよう」

 

 ふわぁあ、と気だるげに欠伸をし、眠たげに瞼を擦る姿も何処か愛らしく見える。今日も今日とて微妙に早いお目覚めだ。体を壊さなきゃいいが。

 

「あら、心配してくれてるの?」

 

 その旨を伝えると、少し嬉しそうに彼女は笑った。

 

「大丈夫よ。寝たいから寝るだけで、寝なきゃ死ぬわけじゃないのですから」

 

 眠い、というのは脳からの危険信号だと思うのだが。はて、それをそう易々と無視してよいものか。

 

「そう思うのなら、貴方がもう少し私の眠りに付き合ってくれればいいんじゃないかしら?」

 

「私は流石に、一日に十二時間も寝る生活は厳しいです」

「私はむしろ、一日に九時間しか寝ない生活が厳しいわ」

「子供じゃないんですし、一人で寝れません?」

「……意地が悪いのね」

 

 胸にふらりと、風が舞い込むように彼女が飛び込んでくる。程よい人肌の温もりが、心地よかった。

 

「衣替えなんて必要ないでしょう。寒ければこうやって、暖を取ればいいのだから」

「……そうですね」

 

 なんやかんやで私の体も、二桁単位の睡眠時間に慣れ始めている。不思議と瞼が重たくなってきた。

 

「えいっ」

 

 浮遊感とともに舞落ちたスキマの先は、いつもの寝室。大した距離でもないから抱えて動いてもよかったのだが、まあ楽なのは確かだし素直に感謝だ。

 

「おやすみなさい」

 

 柔い柔い柔い。温い温い温い。意識はすぐさま薄くなる。涼しいどころかむしろ暑かったが、悪い気持ちではなかった。くしゃりと頭を撫でられた気がした。丁度いいところにあった隙間に顔を突っ込み、安らかな呼吸のリズムとともに眠りに誘われていくのだった。















この作品も無事一周年です。超亀更新のこんな作品を読んでくださっている皆様、誠にありがとうございます。これからも気の向くまま、のんびりとした日常を描いていく所存です。よろしくお願いしますっ


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げっしょくですねゆかりさま

 

 

 手に持つ串団子を空に向け、月と見比べて目を細める。先程よりも若干欠けてきているな、と思い、何となく一口食べて、同じような形に寄せてみる。今宵は皆既月食、しかも何やら特別な皆既月食らしい。

 

「スーパーブルーブラッドムーン、というのよ」

 

「へえ。なんか中二病みたいなネーミングですねえ」

 

「そろそろ紅くなってくるんじゃないかしら」

 

 それだけ言うと、彼女はちらりと月を見て、そのまま居間に戻っていった。見なくていいんですか、と彼女が起きてきてから何度か声をかけたが、「まだ結構」とだけ言って、もぞもぞと炬燵に潜っていっていた。

 

「欠けた月を肴に飲むなんて、そうそうできない贅沢だと思うんですがねえ」

 

 今夜はオシャレにスプリッツァーなんて飲みながら、団子をもぐもぐ食べる。三色団子の緑と白を飲み込むと、丁度月も見事な紅に染まってきた。その鮮やかな色合いに思わず、おお、と感嘆の声が漏れる。

 

「月が綺麗ね」

 

「貴女ほどでは」

 

「あら、ありがとう」

 

 いつも通りの胡散臭い笑みを浮かべて、彼女は月を眺めた。つられて自分も月を見る。文明の発達が遅れている幻想郷は、本当に星が綺麗に見える。普段なら一面満天の星空だが、今夜は少し雲が邪魔していた。

 

「どうして月食が起きるのか知っているかしら?」

 

「寡聞にして知りません」

 

「それはね……」

 

 ニヤリ、と先程とは違う妖しい笑みで、彼女は月を指さした。少し影が濃くなり、暗く儚く私の目に映る。

 

「月が――」

 

「月が……?」

 

「こんな風に食べられちゃうからよ」

 

「あっ!」

 

 残しておいた三色団子の赤い一個を、ぱくりと一口分奪われた。嵌められた、と苦々しい気持ちになる。

 

「卑怯ですよ、紫さん」

 

「月食がどう起きるのか実演してあげようと思っただけですわ」

 

「月食って言っても本当に食べられるわけじゃないでしょうに」

 

「いえ、本当に食べられてるのよ」

 

 当然でしょう? と言わんばかりの、自身と確信で満ちた表情、言動に、担がれてるのか本当なのかと判断がつかなくなる。長い付き合いになるはずだが、こういう時は嫌でも、何処か違う生き物だということを感じる。いや、別に不快な訳では無いのだが。それは妖怪と人間だからなのか、それとも――

 

「じゃあ誰が食べてるっていうんです? 神様仏様ですか?」

 

「ふふふ」

 

 何処か乾いたその笑いから察するに、どうやら答える気はないらしい。大人しく一人で考えることにしよう。月――月ねえ。月といえば、古来より妖怪と切っても切れぬ関係にある。狼男しかり、吸血鬼しかり。や、今あげた二つとも西洋生まれだから妖怪と呼んでいいものか怪しいが……真の満月は人にも妖怪にも毒、と他ならぬ目の前の彼女がそんなことを言っていた覚えもある。

 

 仮に本当に食べられるとしたら、何故元に戻るのだろうか。食べたなら食べたまま、食べられたまま欠けたまま、そのまま元には戻らないはずなのに……

 

「赤い月こそが本当の月で、普段の黄色い姿は赤い月を覆う膜みたいな部分……とか? それで、誰かが膜を食べちゃうから、中身が一定時間露出して……それが段々再生して、元の姿に戻るとか?」

 

 我ながら面白い説だとは思うが、違う気がする。何処と無く近いような気はするが、どこかズレてるような……

 唸りながら月を見る。いつの間にか赤みは消え、話の通りの月食になっていた。そう、さっき一口食べられた私のお団子のように――

 

「……お団子?」

 

 お団子を見る。先程食べられたはずのそれは、()()()()()――()()()()()()()()()()()()()

 

「時間切れ、ね」

 

「えっ!?」

 

 見上げると、先程まで半分ほど欠けていた程度だったはずの月は、元の満月へと戻っていた。狐につままれたようなモヤモヤした気分になる。しかしまあ、お団子が戻ってきたのは幸せなことである。一口と言わず、丸ごと一本一気に食べてみる。美味しいけど食べづらい。

 

「紫さん」

 

「なーに?」

 

「次の月食の時こそ、答えを教えてくださいね?」

 

「ええ、次こそはきっと」

 

 きっとはぐらかすんだろうなあと思いつつも、それを少し楽しみにして、盃の月を飲むのだった。

 

 



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ふてねしますよゆかりさま!

 今年の桜は例年よりも数割増しで散るのが早く、花見の時間が少なかったのが悲しかったな、と博麗神社の桜の木の下で寝転がりながら思う。すっかり衣替えに入った葉桜を眺める物好きは幻想郷にはおらず、敷かれっぱなしにされていた広いブルーシートは、私一人が独占していた。

 

「あー、酒切れた……」

 

 幻想郷に似つかわしくない、空になった缶ビールを乱雑に放り投げた。後で巫女さんやら彼女やらに怒られそうだが、すっかりアルコールに浸った頭は、そんなものドンと来い、とすっかり気持ちを大きくしていた。

 

「貰ってくるかあ……」

 

 と呟いたものの、本殿の方で掃除をしているだろう博麗の巫女が快く酒を分けてくれるとは思えない。はてさてどうしたものか、と天を仰いでいると、枝先に妙な空間の裂け目が開いた。

 

「あ痛っ!!」

 

 そこから勢いよく、何かが落下してきた。落下してきた何かは私の額を直撃し、私を悶えさせる。頭を抱えていると、今度は後頭部に先程よりも重たい何かが降ってきた。

 

「いったあ……何するんですか、紫さん」

 

「幻想郷はポイ捨て禁止なのよ」

 

 なるほど、額を直撃したものはどうやら、先程ポイ捨てした空き缶らしかった。じゃあ後者のものは何だろう、と振り返ると、開いていない缶ビールが見つかった。

 

「……折角ですが、遠慮しておきます」

 

 貰ったものをそのまま突き返すと、紫さんは困ったように肩を竦めた。

 

「……まだ怒ってる?」

 

「そりゃあ、まあ」

 

 はあ、と大きなため息が聞こえた。んーと悩むような声も。可哀想にも思えたが、今日の私の決意は固い。まだ許すわけにはいかなかった。

 

「何もそんなに怒ることないじゃない」

 

「それは第三者が言うべき台詞であって、争いの渦中にある人の言葉ではないです」

 

「ごめん遊ばせ?」

 

「反省の色が見えないんですが」

 

「言ってはなんだけど、正直貴方が何故そこまで怒っているのか皆目見当もつかないわ」

 

「そりゃあ怒りますよ」

 

 何せ彼女は、一瞬で私の数時間の努力を無に帰したのだ。怒らずにはいられない。

 

「紫さんが急に現れたせいでトランプタワーが崩れたんですからね。折角八段まで出来てたのに」

 

「ちゃんと謝ったししっかり作り直したじゃない。二段増しで」

 

「それはもう私のトランプタワーじゃなくて紫さんのトランプタワーじゃないですか! しかもひょいひょい、と気軽にやってのけてたし……」

 

「もしかして悔しいの?」

 

「当たり前です」

 

 意地悪な微笑と共に紫さんはスキマを開いた。

 

「ならこうすればいいんじゃないかしら?」

 

 降ってきたのは大量のトランプ。花弁が舞うように、ヒラヒラと舞い落ちる。

 

「今度は二人で作り直しましょう?」

 

「……はあ」

 

 足を引っ張らないでくださいよ、とぶっきらぼうに呟く。こっちの台詞よと彼女が笑って、空へ空へと、積み重ねていくのだった。





ゆかりさまと些細なことで喧嘩したい……したくない?


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ゆかりさまと〇〇〇

アレの余韻から勢いで書き上げてしまいました。なんでも許せる人向け。伏字にはいやらしい言葉が入ります


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「例大祭?」

「そう、例大祭よ」

 

 五月初旬。確か始まって一週間経つか経たないか、そんな頃合。暇を潰そうとハードカバーを手に取っていた私に、紫さんが声を掛けてきた。なんでも、出かけたいとかなんとか。

 

「例大祭って神社で行われる神事でしたっけ。出店とかもある、お祭りの」

「ええ」

「ってことは博麗神社で?」

「博麗神社例大祭よ」

 

 紫様は可愛らしく口元を歪め、どうかしら? と首を傾げる。お祭りか。お祭りは、好きだなあ。

 

「そうですねえ、行きましょうか。準備しますからちょっと待っててください」

 

 ハードカバーを閉じて立ち上がると、「待って」と腕を掴まれた。

 

「こまめに水分を摂るための飲み物にタオル、それに連絡用の携帯端末と、それを充電出来るバッテリー。あとは暇を潰せるものなんかがあるといいわ」

「え、そんなものが例大祭に必要あるんですか?」

「必需品よ? 少なくとも水分は、持っていかないと……死ぬわね」

「ええっ!?」

「最悪現地で調達すれば済むんですけれど」

「紫さん、何処のどんなデンジャラスな博麗神社に行こうとしてるんですか……?」

「そりゃあもう。ねえ?」

 

 ねえと言われましても、さっぱり伝わって来ない。紫さんは頭が良いので、時には私如きの思慮が及ばない何かを考えているのだろうなあ、と思考して納得することにした。

 

「最優先で必要なのはカタログだけれど、それに関しては現地で買った方が割安なのよね」

「かた? ろぐ? 何かを注文するんですか?」

「んー、色々注文するかしら」

「はあ。じゃあ、前述のものを用意してくればいいんですね?」

 

 自室に向かおうとすると、掴まれていた左腕が強く引っ張られた。思わず振り返ると、彼女の吸い込むような紫水晶(アメジスト)の瞳が目に映った。

 

「今回は手間を省く為に既に用意してあります」

「料理番組みたいですね」

 

 便利空間(スキマ)に手を突っ込んで、前述のものを引っ張り出す紫さん。はい、と渡されたので、それらを手元にあったそこそこの大きさのナップザックに詰める。

 

「うん、そのくらいの大きさなら戦利品も十分入るわね」

「戦利品!?」

 

 え、神社の例大祭に行って戦利品を得るって何!? 御神体でもパクってくるつもりですか!?

 混乱する私を尻目に、紫さんは足元に二人分の大きなスキマを開く。急に足元が消えて無重力を感じるこの現象は、何度経験しても慣れない。

 

「ふおおおおおうあ!?」

 

 パニックになり手足をばたつかせて暴れ出す私。いや、唐突にくるとスキマへの落下は本当に怖い。暴れる私の手を、ガシッと紫さんが掴んだ。手袋のすべすべとした感触と、漏れ出る体温が伝わってくる。

 

「落ち着いて」

「落ち着くどころか現在進行形で落ちてる真っ最中じゃないですか」

「ふふ」

 

 紫さんに手を握られると、確かに何故か落ち着いた。落ち着くとすぐにスキマも出口に繋がり、コンクリートだらけの殺風景な場所に落ちた。ガラガラのバスが数台目に入る。とりあえず幻想郷の外の世界のようだが、バスターミナルか何かだろうか。

 

「バスターミナル兼駐輪場かしらね」

 

 言われて振り返ると、背後には無数の自転車が止められていた。ママチャリからロードバイク、子供用の三輪車までその種類は様々だったが、一台、異様に目を引くものがあった。

 

「霊夢……?」

 

 ビッ! と格好良く御札を構えた、躍動感溢れる霊夢。そんな霊夢のイラストが、その自転車の側面には描かれていた。

 

「あー、良く出来てるわ〜」

「すごいですけど……これは一体?」

 

 まさか霊夢の……自作!?

 

「いえいえ、これはファンの方が描いた、痛車ですわ」

「イタシャ?」

「イラストが描かれた車のことよ」

 

 外にいた割に知らないのね、と意外そうな反応を見せる紫さん。いやいや、サブカルチャーには詳しくなかったので。

 

「まあ今から、そういったものがバンバン見られるわ」

「そ、そうなんですか……」

 

 紫さんはビッ、と指を立てて、決め台詞を言う。

 

「例大祭はサークル参加も一般参加も全てを平等に受け入れるのよ、それはそれは素敵な話ですわ」

「はあ」

 

 いい感じの台詞だったが、右から左へと流れていく感じで、イマイチ私の心には届かなかった。

 

 

 

 

  ☆★☆★☆★☆

 

「入場される方はカタログの提示をお願いしますー!」

 

 係の方の指示に従って、カタログを頭の上まできちんと上げる。両肩に確かな疲労の波動を感じながら、紫さんに指示されたサークルを回っていく。場所と買うものが記された、子供のお使いかって感じのメモを見ながら。

 

 

 駐輪場を出た私たちは、そのまま上がっていき、逆三角形が二つに三角形が一つ並んだような、愉快なデザインの建物の中へと入っていった。そういえば紫様の格好では人の目がキツいのでは、と隣を見てみると、いつの間にかカジュアルな格好になっていた。恐らく度の入っていない赤渕の眼鏡に、『Welcome♡Hell』などと描かれた独創的な黒Tシャツ、それにジーンズという、何処にでもいそう(?)な至って普通のファッションであった。

 

「入場前からのコスプレはルール違反なのよ」

「いや、確かにいつもコスプレかってくらい独特なファッションですけれど……祭りの割にドレスコードが厳しいんですねえ」

「祭りだからこそ、かしらね」

 

 たまにはこういう格好も悪くないわね、といって一回転して見せる紫さん。確かに悪くない、Tシャツのセンスを除けば。

 そんなことを考えていると、隣からも何かを考えているような声が聞こえた。

 

「んー」

「どうかしました?」

「貴方の格好が普通過ぎて、逆に浮いてるわ、と思って」

 

 確かに至って普通だ。白いTシャツに黒いチノパン、寒くなった時の為にパーカーも持ってきてはいるが、それこそどこにでもいそうな格好だ。対して周りには、知り合いの誰かしらが描かれたTシャツやら、缶バッジやら、キーホルダーやらが並びまくっている。確かに何もない人の方が浮く。

 

「これでも被ってみたらどうかしら?」

 

 ぽふ、と頭に何か置かれた感触。外して見ると、それは紫様愛用の白い帽子だった。赤いリボンがぽにょぽにょと弾んでいる。微かにいい香りがした。

 

「じゃあお言葉に甘えて」

 

 帽子を深く被って、前の列についていく。微かに熱が残っていたソレは、着けていて心地が良かった。

 

「ようやく動きが止まりましたね」

「そうね。あと三十分くらいで開会かしら」

 

 腕時計を見ながら紫さんが答える。現在十時。とはいえ、歩いてきて見た感じ、まだまだずーーーーーっと先にまで並んでいる人がいるみたいだ。果たして何時から並んでいるのか……まさか徹夜?

 

「徹夜はルール違反だからないと思うわ」

「あ、そうなんですか」

「でももしルールを破るような悪い人がいたら、それはもう……ふふ……」

 

 幻想郷の管理者たる彼女は、人一倍ルールには厳しいらしい。晩ご飯の品が増えないことを願いながら、持ってきたお茶を飲み始めた。

 

「確かにこれ、飲み物がないとしんどいですねえ……」

「冬以外のイベントであれば、熱中症なんてザラな界隈だもの」

「はえー、恐ろしい……」

 

 などと話していると、いつの間にかペットボトルは空になっていた。どうしよう、この一本しか持ってきていなかったというのに。

 

「開場すれば中には自販機もあるし、買い足せるわよ」

「そこまでは我慢、ですかね」

「我慢で倒れちゃたまったもんじゃないでしょう?」

 

 飲みかけで申し訳ないけど、と言って、紫さんはスポーツ飲料水を私に手渡した。保冷剤でも入っていたのか、適度に冷えていて持っているだけで気持ちいい。

 

「ありがたく頂きます」

 

 二口ほど飲んで、ありがとうございますと感謝して返した。今更初々しい気恥しさなどはない。

 

「じゃあ今の飲み物のお礼がわりに、少し働いてもらおうかしら?」

「ええ、構わないですよ」

「中に入ると会場はざっくり二箇所に分かれているのだけれど、移動に手間がかかるからお使いを頼まれてほしいのよね」

「はあ、上手くやれるかわかりませんがやってみます」

「壁沿いのサークルは狙ってないし、多分粗方買えると思うわ」

 

 最後の一言だけはよく分からなかったが、とりあえずお使いを頼まれたことだけは分かった。晴れて開場すると、少し不安ではあったが紫さんと別れて動き出す私だった。

 

 

 

 そして今に至るのであるが、この会場は精神衛生上大変よろしくない。人が多くて動きづらいし、知り合いそっくりの格好をした人が沢山いるし(何回か間違えて声をかけてしまってめちゃくちゃ恥ずかしかった)、どう動けばいいのかよく分からなくて怖い。はじめてのおつかいの難易度が高すぎる。

 

「紫さん……」

『あら、買い物は終わった?』

「いや、全然終わってないです……文字と数字で探すの大変過ぎて……」

 

 困った挙句、最終手段として紫さんに連絡することにした。ワンコールで出たので少し驚いた。

 

『こっちは買い物終わったし、二人でゆっくり回りましょうか。そっちに向かうから待ってて』

「すみません、ありがとうございます」

『今どこ?』

「えーと、東2の……」

「企業ブース付近ね、なるほど」

「うおおっ!?」

 

 スマートフォンを片手に、いつの間にか彼女が隣にいた。もう片方の手には大量に物が入った、イラスト付きの紙袋を提げ、どこか満足気な顔をしている。

 

「むう、確かに初めて来る人には難易度の高い買い物よね」

「紫さんは何かこう、めちゃくちゃ慣れてる感じですね……」

「そうねえ、初回から来てるし」

「え」

 

 今あっさり明かされる衝撃の新事実。驚く私を尻目に、駆け足で動き出した紫さんを追いかける。

 

「何年前から来てるんですか!?」

「春季は今年が十五回目だから、十五年前かしら?」

「うわあ、最古参だ」

 

 そりゃあ慣れてるわけだ、と一人納得。その後は紫さんについて回り、リズムゲームで遊んだり、祭りっぽい縁日のゲームに興じたりして遊んだ。

 

 

 

 

 

 

「いやー、楽しかったー!」

「ふふ、誘ってよかったわ」

 

 閉会の時間になってしまった為、帰ることになった。アフターイベントもあるらしいが、紫さんは眠いので帰るらしい。マイペースだ。

 

「小説に漫画、音楽にゲームにグッズとすごいレパートリーですよねえ……しかもみんな、プロじゃなくて一般の人がやってるなんて」

「最近は、プロと呼ばれるような人も参加してるわね。同人活動が切欠でプロになる人もいるし」

「好きこそ物の上手なれ、ってことですかね。自由な感じがして、熱気があって活気があって、すごく良かったです」

「それもこれも、()があってこそってことを忘れちゃいけないけれどね」

「……そういえば、何で紫さんたちが」

 

 ふと浮かんだ疑問を投げかけようとした時、紫さんが胡散臭い微笑でこちらを見つめているのがわかった。「知りたい?」と言いたげに。

 こくり、と頷く。

 

「それは、ね……」

「……それは……?」

 

 

 

 

 

 

「私の方が早く酔い潰れたら教えてあげましょう」

「えっ」

 

 いくら何でも妖怪より飲むなんて厳しすぎるっ!?

 行きのように私の手を掴み、紫さんはスキマを開く。

 

「打ち上げといえば焼肉にビールよね♪」

「え、私お金持ってないんですけど!?」

「私より飲んだら奢ってあげましょう。負けたらその時は、体で支払ってもらうしかないわね?」

「……上等っ!」

 

 肉の香りとビールの喉越しを思い、想像するだけで心を踊らせながら、彼女に手を引かれスキマを潜るのだった。








例大祭行く度に東方ってすごいよなあって思いますね。いつかはサークルで何か出してみたい……
これっていいのか……?って書きながら首傾げてたんでダメそうなら消します


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ゆかりさまとねったいや

 

 何もせず、ただそこにいるだけだというのに汗が止まらない。気にするなと自分に言い聞かせて目を瞑ろうとも、瞼の裏でも「暑い」という一言がぐるぐると燃え上がって回る。

 困るなあ、と思いながら時計を見た。午前二時半。草木も眠る何とやらだ。いくら草木でも、この季節は寝苦しいんじゃないだろうかとくだらないことを考えて、笑った。笑ってみると、少しくらい重さを感じていた瞼がみるみるうちに軽くなってきて。とてもじゃないが、寝ていられなくなってきた。むくりと起き上がって、小さく欠伸。喉の渇きを感じたので、月明かりだけが照らす、ほぼ真っ暗な居間を捜索して、安い日本酒を調達した。お気に入りのグラスに注いで、縁側に座った。

 

「……暑い」

 

 思わず口から言葉が溢れた。するとより暑くなったような気がして、嫌な心地になる。盃を煽った。

 ふと耳に、蝉の鳴き声が聞こえた。今は夜だぞ、昼夜間違えるなんて阿呆な奴だと微笑ましく思う。でも案外、夜に鳴く習性を持つ妖怪ゼミだったりするのかも、と思って耳をすまして聞いてみた。カナカナカナカナ……と鳴いている気がする。この鳴き方は何だっけ、確かヒグラシだったはずだ。

 

「ヒグラシねえ……」

 

 その日その日を必死に生きる、って感じがして、ピッタリな名前だと思う。第二候補としてはカナカナゼミなんてのを推したい。

 

「暑いわね」

「そうですねえ」

 

 グラスを持って現れた彼女が隣に座った。藍色の浴衣に身を包んでいるが、帯の締めが緩いのか若干だらしない感じになっていた。腰までかかる長い金髪も珍しく微妙に乱れ、寝癖がひょこんと付いていた。

 

「珍しいですね、髪が爆発してますよ」

「あら。お風呂入ってすぐに横になっちゃったからかしら」

 

 まあ私も人のことは言えないくらい普段から爆発させまくってるのだが、彼女にしては珍しい髪型だったのでつい指摘してしまった。二つのグラスに日本酒を注ぎ、小さく乾杯して飲んだ。

 

「紫さんも寝苦しくて起きてきたんですか?」

 

 私の質問に、紫さんはくすくすと笑って答える。

 

「夜は妖怪の領分よ? でもまあ、確かに寝るのは苦しいわ」

 

 暑さのせいか、うっかりして阿呆みたいな質問をしてしまった。何分姿が変わらないものだから、こちらの常識をあちらに当てはめてしまう。

 

「貴方は、寝苦しくて起きてきたんでしょうね」

 

 近頃は本当に熱帯夜だものね、と言って扇子でパタパタとこちらへ扇いでくれた。いい気持ちだ。

 

「扇風機、早く直りませんかね」

「出したのが三日前だしそろそろ帰ってくるとは思うのだけど」

 

 出した先が河童だからなあ、と嘆息する。一部を直すだけで済むのに、興味本位で丸ごと解体――なんてこともしかねない。

 

「やっぱりクーラー買うのが早いんじゃないかしら」

「んー、あんまり好きじゃないんですよねえ」

 

 設定温度はいつも健康的に二十八度なのだが、それでも少し寒く感じる。付けないと暑いのだが、付けっぱなしだと寒い。外で動いてきた後の数十分はキンキンのクーラーに感謝するのだが、汗のせいで速攻で寒くなってきて温度を上げるまでがテンプレートな流れだった。懐かしい。

 その点、扇風機は優れものだ。首が回るから家族全員に平等に優しい風が行き渡るし、その上温度も丁度いい。当たってないと暑いが、当たりすぎてても体に悪いから偉い。あと扇風機の羽音も好きだ。前に座って「あ〜〜〜〜」と声を出して遊んでいた幼少期を思い出す。

 

「あら、蝉の鳴き声」

 

 カナカナカナ――と、またもやヒグラシの鳴き声が響く。折角なので先程湧いた疑問を、幻想郷の管理者たる彼女に聞いてみる。

 

「蝉って普通昼に鳴きますよね? 夜に鳴いてるってことは妖怪の類なんです?」

「貴方はどう思う?」

 

 ニヤニヤと、胡散臭げな笑みを浮かべて彼女は頬杖をつく。わからないから聞いてるんです、と言いかけたが寸でのところで止めた。

 

「……蝉は夜行性の虫ではないですし、こんな時間に鳴いているのも聞いたことがないです。やはり妖怪――」

 

 言いかけて、しかしどうなのだと首を傾げる。私は普通の人間であるが、妖怪と応対すれば大なり小なり妖気と呼ばれるものを大体感じる。力の弱い妖怪であったり、距離が遠いから――という可能性もあるが、何となく、純粋な蝉である気がする。

 

「――とも言い難いですね。やれやれ、私にはお手上げですよ」

 

 身振りもいれて、おどけて笑った。彼女が、グラスを揺らしながら言う。

 

「貴方も相当胡散臭いわよ」

「きっと誰かさんのが移ったんですね」

「あらあら、それはそれは」

 

 移るものでもないでしょうに、という紫さんの言葉に、「好きな人の仕草や性格って、自然と移るみたいですよ?」とこの前何かで見た知識で返した。言いながら、邪念が少し心の端を過ぎった気がした。

 

「で、あの蝉は何なんですか?」

 

 逸れていた話を戻す。一度気になったものはやっぱり気になるのである。

 

「あの蝉はね、普通の蝉よ」

 

 多分、という不確定な補足が加わった。どっちですか一体。

 

「今のところは普通の蝉だけど、直にそうではなくなるかもしれない。だから断言はできないわ」

「本当に普通の蝉なら、こんな時間に鳴かないのでは?」

「昼間寝過ごしちゃった、のんびりさんな蝉なのかもしれないじゃない?」

 

 言い方が可愛らしく感ぜられて、毒気を抜かれた。確かにそうかもしれない。どころか、むしろきっとそうに違いない、という謎の確信が湧いてきた。

 

「蝉も、寝苦しいのかもしれないですしね」

 

 ヒグラシはまだ鳴き続けていた。あいつも、誰か好きな子の隣にいるのだろうか。何か移せているのだろうか。私は、彼女に何を――――なんて考えたところで、戯言だなと笑い、温くなったグラスを突き合わせるのだった。



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ねむれませんねゆかりさま

「…………」

 

「…………」

 

「……眠れないですね」

 

「ええ、そうね」

 

「貴女は妖怪ですし、別に寝なくてもいいのでは?」

 

「別段夜に寝る必要は無いけれど、寝ようと思えばいつでも寝られますわ」

 

「そうだったんですか……え、っていうかそれなら私を待たずに眠ればいいじゃないですか」

 

「眠れない貴方を見ているのが面白いのよ」

 

「いい性格してますね」

 

「そうね」

 

「…………」

 

「急に黙られると寂しくなるわよ?」

 

「ああいえ、喋っているから寝られないのかなーと思って。それで黙ってみただけです」

 

「本当に眠い時は喋ってようが黙ってようが寝られるんじゃないかしら」

 

「眠い時と眠りたい時は別だと思います」

 

「そもそも、眠る必要なんてあるのかしら?」

 

「健康的で文化的な生活を送るためには最低限の睡眠は必須かと思われます」

 

「眠くないってことは体が睡眠を求めていないということなのだから、昼間に眠くなった時にでも寝ればいいんじゃない? どうせ暇人なのだし」

 

「ぐぬぬ、一理あるし突き刺さるお言葉……!」

 

「起きて晩酌でもしましょうか」

 

「実は貴女が飲みたかっただけなのでは?」

 

「八割くらいね」

 

「どっちがですか!?」

 

「ご想像にお任せしましょう」

 

「絶対飲みたかっただけだ……絶対飲みたかっただけだよ……」

 

「晩酌っていうには微妙な時間になっちゃったけれどね」

 

「午前三時半ですか、空が傾き始める頃ですね。うーん、やっぱり私は寝ようかなあ」

 

「つれないわね」

 

「徹夜して幾度となく酷い目を見てきたので」

 

「今度も見るとは限らないでしょう?」

 

「まあ、そりゃそうだ。とはいえ統計的にはほぼ確実に見ますもの」

 

「いつだって歴史を作る者は、そんなつまらない統計を壊してきたのよ? そんな姿勢でいいの?」

 

「まあ背伸びしようが逆立ちしようが私は凡人ですので、そんな姿勢で生きていこうと思います。ということでおやすみなさい」

 

「もう、しょうがないわね。おやすみなさい」

 

「…………」

 

「…………」

 

「……紫さん」

 

「あら? どうしたの、素敵な上目遣いをして」

 

「どうしたのはこちらの台詞です。何故くっついてくるのでしょう」

 

「くっついて寝た方が寝やすいもの」

 

「それは紫さん基準でしょう、自分の物差しを人にもあてはめるのはよくないですよ。悶々としてどう考えても寝づらいです。寝かせる気あります?」

 

「言ったでしょう? 今夜は寝かさないわよ、って」

 

「……言ってましたっけ?」

 

「今言ったわ」

 

「……はあ、そんなに私を寝かせたくないというなら、こっちにも考えがあります」

 

「あら、何かしら」

 

「どっちが長く起きていられるか勝負しましょう。先に寝た方が負け、そして敗者は勝者の言うことを何でも一つ聞くということで」

 

「ふうん、面白そうじゃない」

 

「じゃ、今からスタートってことで」

 

「……あれ、起きないの?」

 

「何で起きる必要があるんですか? 先に寝た方が負けのチキンレースなんですから、布団の中で行うべきでしょう」

 

「お、お酒は」

 

「お酒を飲んだらアルコールの影響で勝負の平等性が損なわれます。駄目ですね」

 

「……そう、ふふ、わかったわ……この勝負に勝てばいいだけだものね、精々私に挑んだことを後悔するがいいわ……!」

 

「それはこっちの台詞です。私は、自分がほぼ確実に寝ない方法を知っているのだから……!」

 

「はうっ!?」

 

「可愛い声ですね紫さん! まったく、ドキドキして寝られたもんじゃありませんよ!! でも私は知っている、紫さんは抱かれてるとポカポカしてきて眠くなっちゃうって!!」

 

「……ふふ、どうやら誤算だったようね」

 

「なん……ですって……!?」

 

「ほら、ここ。……ね、わかるでしょう?」

 

「く……互角、みたいですね」

 

「そのようね」

 

「申し訳ないですが、今回は賭けているものが大きいのでね。容赦なく寝かしつけさせてもらいますよ!」

 

「それはこちらの台詞よ、今夜は寝かせるわよ……?」

 

 おかしな言葉に、お互いくすりと笑った。夜明けは近かった。それでも、不思議と眠くはならないのだった。



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あにばーさりーです、ゆかりさま。

 かち、かち、と律儀に秒針が進む音だけを感じていた。

 耳をすませるだけで眠りに誘われそうな安らかなリズム。それに身を委ねようかと思案していた時に、目の前にスキマが開いた。

 

「お誕生日おめでとう」

 

「ああ、ありがとうございます」

 

 不思議な空間の裂け目から、見慣れた別嬪さんがひょっこり顔を出し、そのまま抜け出してきた。最近は寒くなってきたからか大体導師服着てるな、と思った。

 

「ドレスの方がお好きかしら?」

 

 くるりと回りながら問う彼女には、私の考えなぞお見通しらしい。

 

「いえ、服自体のデザインは導師服の方が好きです」

 

「ああ。あっちの方が露出度高いものね」

 

「紫さんに似合ってるからですよ」

 

 いやまあ、その理由もないわけではないのだが。ドレス姿の時の方が思い出が多い、というのが大きいかもしれない。

 

「というか、よく覚えてましたね」

 

「忘れてるとでも思ったの?」

 

 もう何回も祝ってるのに、とクスクス笑いながら言われた。

 

「私自身が忘れかけていたからですかね」

 

「あら、自分のアニバーサリーを忘れるだなんて」

 

「子供の頃なんかはそりゃあ、プレゼントだパーティーだとワクワクドキドキしたものですが、こんな歳になってしまってはね。むしろ増えないでくれー、と願うばかりですよ」

 

「私は、幾つになろうがめでたいものだと思いますけれど」

 

 貴方がこの世に生を受けた、素晴らしい日だもの――そう言って、彼女は小包を差し出した。

 

「ささやかながら、お祝いの品ですわ」

 

「おお、ありがとうございます!」

 

 思わぬ品に、自然と頬が緩んだ。「開けても?」と聞くと、ゆっくり頷かれた。

 

「おー……!」

 

 橙のラインの入った紫の小包の、藍色のリボンを解く。中から顔を出したのは一本の扇子であった。

 

「これは……いいせんすですね」

 

「突っ込まないわよ?」

 

「中途半端にぼかしたのにバレましたか」

 

 開いてみる。紫色を基調とした、"和"って感じのお洒落な扇子だった。桜の花弁を模した紋様が綺麗である。しかし、どこか見覚えがあるような……?

 

「……もしかして、紫さんのとお揃いのやつですか!?」

 

 こくり、と頷く紫さん。しかし微妙な表情を浮かべ、

 

「嫌……だったかしら?」

 

 と上目遣いで聞かれた。いやいやそんなはずないです!!

 

「嫌なんかじゃないですよ! むしろめちゃくちゃ嬉しいです。いい誕生日プレゼントを頂けました!」

 

「ふふ。それならよかったわ」

 

「いつも涼しそうな扇子だなーと羨ましく思ってたんですよね」

 

 パタパタ、と扇いでみる。雅な風を感じる。涼しくていい心地である。

 

「涼しいだけじゃないのよ?」

 

「え?」

 

「ちょっと縁側に出てみましょう」

 

 部屋の中と違って、秋の夜長の縁側は少し寒かった。月が空に寝そべっている。

 

「さあ、少し扇いでみて?」

 

 言われるがままに扇いでみる。すると、涼風ではなく暖風が吹き出してきた。

 

「おお……! すごい扇子ですねこれ!! 素晴らしい物を頂けましたなー、ありがとうございます!」

 

「喜んでもらえたならよかったわ」

 

 秋風を受けて靡く、絹糸がごときサラサラな金髪。星々を背後にして優しく微笑む紫さんの姿が眩しくて、そんな姿を見れただけで素晴らしい誕生日だったな、なんて思うのであった。









滑り込みセーフ!!! 日頃この作品をお読み下さり、少しでも楽しみにしてくださっている皆様ありがとうございます!この作品も晴れて二周年を迎えました!!
これからものんびり、ゆかりさまとの日常を綴っていけたらなあ、と思います!これからもよろしくお願いしますー!


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かんしょうてきです、ゆかりさま。

「はーあー」

 

 衣替えで敷かれた、ポカポカのカーペットの上に寝転がって、天井を見上げた。何をするわけでもなく、ただ天井を見る。したいことはある、でもわざわざそれをする気にもならない。別にこうしていたいわけじゃない、でもこうしていたい。そんな感じの、よくわからない気分だった。多分、五月病とか厨二病とかそんな言葉で説明がつく心情だと思う。それにしては時期遅れすぎるが、と伸びをしながら考えた。

 

「ん〜〜〜」

 

 コロコロ転がって、三回転ほどしてうつ伏せになった。新品のカーペットって感じの匂いがする。去年使ったとはいえ、まだ二年目だからだろうか。結構気に入ってたんだけどなあ、前のも。そう思い出して、また微妙な気持ちになった。こういう気持ちは大抵、何をしても何もしなくても、優しく連鎖していく。

 

「ぐえっ」

 

 体が圧迫されて、さながら膨らんでいた風船が萎むように、空気と情けない声が漏れ出た。背中の辺りに、覚えのある柔らかさと人肌の温もりを感じた。

 

「平日の昼間から楽しそうね」

 

「それはどうも」

 

 楽しいのは私ではなく、見ている貴女なのでは? と思ったけど、突っかかるとそれはそれで虚しくなりそうだからやめておいた。

 

「話なら聞いてもいいわよ?」

 

「いえ、別に話すほどのことがあるわけでもないのでいいです」

 

 これが思春期くらいなら、この言い様のないセンチメンタルな何かを拙い言葉で伝えたのだろうか――なんてくだらない戯言を考えた。話したところで聞いたところで、もう意味が無いことはわかってしまっているのだ。「そう」と短く言って、紫さんは私の背中から退いた。瞬間感じた肌寒さについ、「もうちょっと乗っておきません?」と変態じみた提案をする。やっちゃったなあ、と頬を掻きながら彼女を見ると、予想外だったのか少し大きく目を見開いて、そしてすぐに「ええ」と胡散臭く笑って、背骨の辺りに座り直した。

 

「寝癖ついてるわよ」

 

「いつも通りじゃないですか」

 

 彼女の手ぐしで髪を整えられる。早すぎず遅すぎず、丁度いい緩急で跳ねていた後ろ髪が正されていく。頭を撫でられるのとは少し違う、不思議な優しい感覚だった。

 

「妖怪って、センチメンタルになったりするんですか?」

 

「んー?」

 

 珍しいことを聞くわね、なんて言われて、本当にその通りだなと思う。失言だったかな、と思ったが、寝癖を直す手が止まっていなかったので、まあ大丈夫かなと目を細めた。

 

「まあ、人間ほどはならないでしょうね」

 

「なるにはなるんですね」

 

「そりゃあ、思考して生きているんだもの。悩みの一つや二つはあるでしょう」

 

 果たして悩んでいるもののスケールは同じなんだろうか、と考えてしまったが、下手に触れて種族間の差を感じて悲しくなったら嫌だなーと思ってやめた。

 

「それこそ人間レベルの悩みだって沢山あるわ。恋、とか」

 

 耳元での囁きに、私はたじろがない。

 

「あれま。他に好きな人でも?」

 

「いたらどうする?」

 

「悲しくなりますね」

 

 でも諦めますね、と言った。

 

「紫さんはどうします? 私が浮気してたら」

 

「そうね、諦めるわね」

 

 諦めて――

 

「待つわね」

 

「待つでしょうね」

 

「貴女みたいな人と付き合えるのは私だけでしょうから」

 

「貴方みたいな人と付き合い続けられるのは、私だけでしょうから」

 

 背中から退いて、紫さんは隣にきた。一つの毛布にくるまって、向かい合うように横になり。どちらからともなく指を絡めた。

 

「もうちょっとくっつかないと、毛布からはみ出しちゃうわよ?」

 

「私は寒くないので大丈夫ですよ?」

 

「強がることないじゃない、寒いでしょう」

 

 心音が聞こえそうなほどピッタリくっついて、そうですねと頷いた。

 

「でも、しっかりあっためてもらったんで大丈夫ですよ。ポカポカしてます」

 

「冷えないとも限らないじゃない」

 

「……そうですね」

 

 このまま甘えることにした。まだ少し感傷は残っていたが、この人といれば、大体どうでもよくなるから。

 

「……紫さん?」

 

 すー、すー、と寝息が聞こえ始めた。まったく、私を置いていってしまうなんて酷い人だ。だから、折角なので言わせてもらうことにした。

 

「紫、好きだよ」

 

 頬が少し赤くなった彼女を見て、愛おしく、優しく抱きしめるのだった。



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おこたでぬくぬくゆかりさま

 

 

「紫さん」

 

「んー?」

 

「退屈で死にそうです」

 

「そんなもので死ねるなら、貴方はとっくに死んでいそうだけれど」

 

 確かにそうかもしれない、と思って深く頷いた。

 

「最近は読む本もなくなってきて、滅法暇なんですよねえ」

 

「偶には読み返してみたら?」

 

「生憎、一度読んだら満足しちゃうタチでして」

 

 飽き性ねえ、と呟いて一歩こちらに転がった。

 

「好きな作家の新刊が読みたいんですけど、中々幻想入りしてこないので困りものですね」

 

「何なら私が取り寄せましょうか?」

 

「んー……いえ、遠慮しておきます」

 

「遠慮しなくていいのよ?」

 

「待つ時間を楽しむのが大人というものです」

 

 まあ幻想入りしてこないということは、逆説的に忘れるような人のいない人気の本というわけで、ファンとしては喜ばしいに決まっている。勿論、マイナーだから好き、と主張する層がいることも十分わかっているが。

 

「それなら私は、少女でも構いませんわ」

 

 私の先程の言葉に、待つのが嫌いそうな紫さんはそう返した。

 

「そうだろうとどうだろうと、貴方は少女がよろしいでしょう」

 

「あら、子供扱い?」

 

「いえ、いつまでも麗しき令嬢(マドモアゼル)だってことですよ」

 

「今日は中々キザですこと」

 

 また一歩、今度はこちらから近づく。

 

「そういう日もありますよ」

 

「大人になったわね」

 

 色々と、と意味深に付け足して、ポンポンと頭を撫でられた。気持ちよくって、思わず目を細める。

 

「こういうところはまだまだ子供だけれどね」

 

「うみゅっ」

 

 突然の抱擁に、情けない声が漏れた。何処かが大人になろうが、発言に威厳が伴わないうちは子供に見られるんだろうな、と思った。威厳が出ようが何だろうが、こうしてそうな気もするが。

 暖かさを全身に感じながら、意識を感覚に集中させて一言。寒い、と思った。

 

「え、なんかやけに寒くないですか? 炬燵点いてます?」

 

「いえ、どうやら点いてないみたいね」

 

「しかも何か、私の背中に強風を感じるんですけど……」

 

「あらあら」

 

 パチン、と指を鳴らす音が響いた。同時に、背中の風も止む。

 

「文字通り、背後にスキマが空いてましたわ」

 

「それはそれは、奇怪な話ですね」

 

「炬燵っていうのは、一箇所空いてると、そこから驚くほど冷たい風が差し込んでくるものなのよ」

 

 なるほど、寒さに耐えかねた私を温かい方へと引き寄せる算段だったのか。実に策士だな、と一目置きながら腰に手を回した。炬燵の中特有の橙色の照明が、なかなかいい味を出していた。

 

「でもまあ、流石にコレだと暑すぎますかね」

 

「それならアイスでも食べれば丁度いいでしょう」

 

「とっても素敵で文化的生活の波動を感じますね」

 

 絶対暑苦しくなるだろうなーと思いながら、ゆっくり目を閉じた。とはいえ、眠気は微塵も感じなかった。

 

「じゃあアイス、取りに行ってきましょうか?」

 

「そんなことしなくてもほら、冷蔵庫にスキマを繋げれば取れるわよ?」

 

「いやいや、それスキマ越しに冷凍庫内の冷たーい空気が入り込んでくるじゃないですか。しかも炬燵内の熱気で、冷凍庫の中のものがダメになっちゃうじゃないですか」

 

「冗談よ」

 

 ウィンクしてみせる紫さんに、ほんとかなーと疑いの目を向ける。この人なら意外と、そんなうっかりもやりかねないなあ、と口元を緩めた。

 

「で、どう? 退屈は凌げた?」

 

「むしろ大忙しですね」

 

「素敵なことね」

 

「お陰様で」

 

「それならよかったわ」

 

 蜜柑でも食べようかしら、という呟きが聞こえる。たしかこのへんにあったよなあ、と腕を炬燵内から机上に器用に伸ばす。ネットを掴んで引き寄せ、中から一個適当に掴んで回収した。

 

「それなら私、剥きましょうか?」

 

「あら、ありがとう。ついでに食べさせてくれると助かるわ」

 

「随分甘えんぼさんですねえ」

 

「当然口移しでね?」

 

「胸焼けしそうなほど甘々ですね」

 

 秋だろうと冬だろうと、この人といると温かくて幸せだな、と蜜柑を剥きながら思う。そんな昼下がりだった。



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めりーくりすます、ゆかりさま

 

「クリスマスね」

 

「イブですけどね」

 

 本日は12月24日であり、つまるところそういうことであった。引き戸の外でしんしんと降り積もる雪を眺めながら、蜜柑を一粒口に運んだ。

 

「聖夜だろうと貴方はいつも通りね」

 

「いやいや、紫さんもでしょ」

 

 私と同じく炬燵に潜り込みながら、紫さんはピコピコと携帯式のゲームに勤しんでいた。懐かしのDSだ。しかもLightじゃない方。何のソフトだかは分からないが、ここ最近只管遊んでいるご様子なのだ。

 

「まあ今日の晩ご飯はピザとフライドチキンでしょうし、それ食べとけばクリスマスっぽくなりますよ」

 

「聖人に怒られるわよ」

 

「それはそれで、神秘の証明ってことになるので素敵ですね」

 

 一区切りついたのか、紫さんはDSを置いて起き上がった。頭に乗っていた帽子が少し傾いている。気になったので直すことにした。

 

「ちょっと動かないでくださいね」

 

「ん」

 

 炬燵から抜け出すのも億劫だったので、むしろ中に潜り、対角線上の紫さんの元へと潜り抜ける。途中変なところに触れてしまったようで、「ひゃんっ!?」と声を上げながら蹴られた。右肘が痛い。

 

「動かないでって言ったじゃないですか……」

 

「横着する方が悪いでしょう」

 

 ごもっともである。のそのそと炬燵を這い出し、いつの間にかまた横になっていた紫さんの帽子を外して、被ってみる。温かくていい匂いがする。そして、少し跳ねた彼女の髪を整え始めた。

 

「紫さん、私思ったんですけど」

 

「何かしら?」

 

「最近、意図的に髪跳ねさせてません?」

 

 ここ最近、やけに紫さんの髪型は爆発している。今までそんなことはなかったというのに、だ。これはもう、意図があってやっているとしか思えない。彼女は目を細めて胡散臭く微笑む。

 

「気の所為ですわ」

 

「本当ですか?」

 

「そんなことをする必要性がないでしょう?」

 

「まあ、それは確かにそうですね」

 

 だって――たとえ跳ねてなくても、私なら、紫さんの髪触りますもんね。

 

「……本当?」

 

「本当ですよ。直してるうちに病みつきになっちゃったので」

 

「それならもう、寝癖をつけるのはやめようかしら」

 

「やっぱりわざとじゃないですか」

 

 二人、クスクスと笑った。彼女の髪はさらさらで、撫でる度に桃のような甘い香りがした。

 

「あ、雪ですね」

 

「ホワイトクリスマスね」

 

 窓の外ではポツポツと雨が降り始めていた。今年はホワイトクリスマスとはいかないらしい。

 

「メリークリスマス」

 

「メリークリスマス」

 

 どちらともなく、思い出したように呟く。用意してあった赤い小包を手渡した。

 

 

「ささやかですけど、クリスマスプレゼントです」

 

「ありがとう。開けてもいいかしら?」

 

「どぞどぞ」

 

 中から出てきたのは、モコモコとした白いマフラー。いつも少し首が寒そうだなー、と思っていたのだ。まあ妖怪だし気にならないかもしれないが、何となく、彼女に似合うと思ったのだ。

 

 

「いいマフラーね、暖かそうでモコモコしてて……嬉しいわ、ありがとう」

 

「喜んでもらえたなら何よりですっ!」

 

「実は私からもプレゼントがあるの」

 

「お、ほんとですか?」

 

「ええ。喜んでもらえるかわからないけれど――」

 

 雨はいつの間にか、綺麗な雪へと変わっていた。

 








間に合ったあああ!!今年も一年、ありがとうございましたっ!来年もよろしくお願いします!!


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おやすみなさい、ゆかりさま

ちょっと暗いので閲覧注意でお願いします

























 

 

 

「ん……」

 

 左手の感覚がなくなってきたな、と右手をグーパーしながら思った。すると彼女もそれを察したのか、反対側に回って右手を握り直した。あたたかい。私もまだ、あたたかい。

 

「わざわざ動いてもらってすいません」

 

「いえいえ、構いませんわ」

 

 そういうと、彼女は右手どころか、右腕に抱きついてきた。絶対に放さない、といいそうなほど強く。ただ、このやわらかさも、あたたかさも、もうそれほど長く続かないであろうことは、ぼんやりとわかってしまっていた。

 

「怖い?」

 

 いつもみたいに胡散臭く笑う彼女に、いいえ全然、と答えた。

 

「ああ、でも、私がいなくなったあと、貴女が寂しがらないか心配ですね」

 

「あら、人が一人いなくなった程度で、私が動揺するとでも?」

 

「ですよね、それならよかったです」

 

 はあ、と嘆息し彼女は右腕どころか、全身へと抱きつき、「酷い人ね」と一言言った。その声はどう聞いても震えていて、何かを堪えているようで、だから私は、感覚の消えかけた左手を、彼女の頭へと乗せた。上質な金糸のような感触は、まだ味わうことが出来た。

 

「……ごめん、ごめんね」

 

「長生きしないと、許しませんわ」

 

「……努力します」

 

 頭に乗せた手は腰へと回された。深く抱き合う体勢。落ち着くなあ、と目を細めた。彼女の腕の中で逝けるなんて、私は前世でどれだけの德を積んだ幸せ者なんだろう。

 

「まったく、人間風情がよく頑張ってきたものね」

 

「好き勝手生きてきただけですよ」

 

「本当にね。逝く時まで、勝手なんだから」

 

「紫……」

 

「でも、そんな貴方が好きでしたわ」

 

「……照れますね」

 

「ふふ」

 

 彼女は微笑む。声はもう、震えていない。

 

「何年も、何十年も一緒にいた気がしますけど――本当にあっという間でした。外にいた頃の時間はあんなに長く感じられたのに、貴女に会ってからは本当に……」

 

「……ええ」

 

「貴女からしたら、私以上にあっという間だったでしょうが――」

 

「いえ――むしろ、とても長かったわ」

 

 彼女はゆっくりと目を瞑る。つられてそうしてみると、思い浮かぶのは二人で過ごした日々だった。色んな思い出が、脳裏上に浮かんでは消えていく。彼女も、同じ景色を夢想しているのだろうか。

 

 

「私の日々は、深い眠りと幻想郷の管理――監視、ほとんどその繰り返しでした」

 

「…………」

 

「でもある時家族が出来て、友人が増えて、そして貴方が来た。そこからは本当にもう、一日一日が千の秋を越えるかのごとく、長く感じられましたわ」

 

 シクシクと泣いて見せる紫さんに「……いや、流石にそれは嘘でしょう」と返すと、「前半は本当よ」とケロッとした顔で言われた

 

「貴方にはたくさんの物をもらったわ」

 

「……私の方こそ、もらってばかりでした」

 

 居場所も、生活も、家族も、愛情も――みんなみんな、彼女がいなければ私にはなかった。迷って落ちて、野垂れ死ぬだけの命だった。目頭が熱くなる。

 

「それがこんな風に大往生するところまできたんですから――ええ、感謝しかありません」

 

「あら、泣いてるの?」

 

「ええ、感謝と感動で」

 

「そう」

 

 紫さんは目を細めて、優しく私の頭を撫でた。体の震えが止まる。どうやら、私ごときの嘘はお見通しらしかった。

 

「……もう少しくらい、貴女の隣にいたかった」

 

「まだいますわ、ここにしっかりと」

 

「あと一歩だけでも、貴女と共に歩きたかった」

 

「こうやって共に寝ている方が、私たちらしいと思いますわ」

 

「それもそうですね」

 

 苦しみはとうに消えた。かわりに眠気が、耐え切れないほどの眠気が目蓋を叩いてくる。永遠の眠りとは言い得て妙で、死っていうのは意外と安らかなものなんだな、とぼんやり思った。運がいいだけだろうか。

 

「……そろそろ、寝そうです」

 

「ええ、ゆっくりおやすみなさい」

 

「……紫さん、幸せになってください」

 

「……貴方のいない世界で幸せになれ、なんてそんな――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………はっ」

 

 意識が覚醒する。はっきり、明瞭に。私は死んだのだろうか。さてはここは天国? そう思いながらキョロキョロしてみるが、いつも通りの寝室であったし、いつも通り、隣には彼女がいた。寝息も立てず、とても静かに眠っている。そういえば、もう冬眠の季節だったかもしれない。

 

「夢――か?」

 

 それにしては嫌にリアルだった、と思う。今でもさっきの感覚が残ってるし、感情まで残ってる。

 

「あー……なんか涙出てきた」

 

 着物の袖口で目元を擦って、傍らに眠る彼女の、錦糸のような手触りの髪を撫でた。――絶対に長生きしよう。そう誓って、布団から這い出すのだった。












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うそはよくありませんよ、ゆかりさま

 

 

 

「貴方に言わなければならないことがあるの」

 

 春。桜咲き、花粉が舞ってくしゃみが止まらない季節。縁側でのんびりしていると紫さんは唐突に神妙な顔をしてそう切り出した。その表情に胡散臭さはない。思わず唾をごくりと飲み込み、「一体何ですか」と彼女に問う。

 

「聞きたい?」

 

「そりゃあ、まあ」

 

 やけに勿体ぶるなあ、と考えながら次の一句一言を待つ。言わなきゃいけない程のことならさっさと言ってほしいのだが。

 

「実はね……」

 

「はい」

 

「その……できちゃったの」

 

「できた、とはその……いったい何が……?」

 

 なんとなく予想しつつも、一応核心には触れず、彼女の口から答えが出るのを待つ。

 

「赤ちゃん」

 

「あ、赤ちゃん!?」

 

「最近面倒みてたワンちゃんに……」

 

「わ、ワンちゃん!?」

 

 予想の斜め下くらいから飛んできた変化球に驚きを隠せない。ワンちゃん、というかわいらしい単語がお美しいこの人の口から出てきた破壊力も大きい。犬、って普通に言いそうな雰囲気があったのだが。

 

「まあ春ですもんね。そういうこともあるでしょうね」

 

「ええ。で、無事に子ワンちゃんが生まれたのだけれど」

 

「子ワンちゃん!?」

 

 聞きなれない単語に思わず話の腰を折ってしまった。いくら何でも子ワンちゃんって、それは。

 

「ワンちゃんの子どもなのだから子ワンちゃんに決まってるでしょう?」

 

「いや、決まっていないどころか酷く一般的ではないと思いますよ?」

 

 というかその話のどの辺が、神妙な顔をするほどに私に話さなければいけないことなのだろうか。ただのほのぼのとした世間話にしか聞こえない。

 

「赤ちゃんって小さくて可愛くていいと思わない?」

 

「いいと思いますよ?」

 

「それはよい心がけですわ」

 

 にっこり、といつも通りのどこか胡散臭い笑みを浮かべる紫様。何か風向きが変わった気がする。

 

「赤ちゃん、欲しいわよね?」

 

「え、ええ……でもほら、赤ちゃん育てるのって色々大変ですし……」

 

「大丈夫ですわ、面倒はすべて私が見ますから」

 

「絶対無理だと思います」

 

 これはシンプルに活動時間の都合上の問題だ。彼女には赤ちゃんと同じ時を過ごし続けることはできないのである。

 

「だから、ねえ……いいでしょう……?」

 

「うっ……」

 

 一歩、また一歩と、彼女がこちらに擦り寄ってくる。艶やかな微笑に断りがたく思えてきてしまう。目をそらして、小さく首を縦に振った。

 

「じゃあ飼わせてもらうわよ、子ワンちゃん」

 

「……はい?」

 

「許可は取ったもの、もう文句を言われる筋合いはないわよ?」

 

 してやったり、という表情で紫さんは笑った。やられた、一杯食わされたのか。

 

「……ちゃんと藍さんの許可を得てからにしてくださいよ?」

 

「ふふ、そうしますわ」

 

 子ワンちゃん。うちの猫さんと喧嘩しなかったらいいな、と思いながら笑った。

 



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紫陽花が綺麗ですね、紫さん

 

 

「…………」

 

 雨で足元がぬかるむことを苦々しく思いながら、獣道を突き進む。鬱屈と生い茂る草木の中を、肌が傷つくのも気にせず抜ける。こんなのは所詮一過性のものだ、直に全てなくなる。

 

 何を探しているのか、何処に向かっているのか、そんなことは分からなかった。考えていなかったといえば嘘になるが、考えたくはなかったし、なるべく思考から切り離していた。ただ一つ、遠くへ、遠くへ行きたいという欲求だけが、俺をつき動かしていた気がする。

 

 険しい獣道は終わりを迎えた。さながら獲物を逃さぬよう口を閉じる蝿取草のように出口を塞ぐ、絡まりあった枝を蹴りでへし折って抜けた。そして現れた光景に、思わず溜息が漏れた。

 

「……!」

 

 そこは花園だった。降り続く雨を吸い込むように、大きく花弁を広げる紫陽花の数々。見渡す限り何処(どこ)彼処(かしこ)も薄紫、水色、藍色。緑色。異世界に迷い込んだんじゃないか、と思った。辺鄙な山の一角に、こんな場所があるとは思わなかった。或いはここならいいのだろうか。リュックサックを背負い直して、花園の中を歩き出す。獣道に比べれば足元は良好で、薄ら香る花の匂いを感じた。

 

 花々が手入れされているようには見えないが、この場所自体の構造には何者かの手が加わっているような気がする。そう思った時、花園の中心に建造物を見つける。ガゼボ、というのだったか。公園の一角によくある雨宿りできそうな場所があった。今更濡れることなどどうでもよかったが、足の疲労は癒したかった。中に入れさせてもらい、紫陽花を眺める。雨足は弱まることなく、それどころか強まっているように見える。ここらが潮時か、と鞄を下ろした。

 

「あら」

 

 後ろから声が聞こえた。鈴を転がしたような凛とした綺麗な声。もしかしてここの管理人だろうか。だとすれば勝手に間借りしていることを謝らなければ、そう思いながら振り返る。

 

「こんなところに人間とは、珍しい」

 

 安直な表現で言えば、極めて美しい女性だった。無数のリボンをつけた、流れるような美麗な金髪。整った顔立ち。紫のドレス。

 珍しい、という割に驚いたような感情は読み取れなかった。「ご一緒してもいいかしら?」と言われたので、どうぞ、とおざなりに答える。雨粒のついた様子のない傘を閉じ、女は俺の隣に立った。振り返る前に言おうと思った言葉は、見た瞬間に何故か雲散霧消した。お互い何も語らず、ただ紫陽花と、降り続く雨を見ていた。不思議と何も喋る気にはならなかったし、退屈だとも思わなかった。

 

「貴方は、どうしてここへ?」

 

 どれくらいそうしていたのか。ある時、女はそう言った。どうして。それは俺にもわからないことだったし、聞きたいことだった。

 

「山登りが趣味でしてね。何気なく登ってたら、ここに。貴女はよく来られるんですか?」

 

「いえ、ほとんど。ここ数十年くらいは来ていなかったわ」

 

 そうですか、と貼り付けたような微笑へ相槌を打つ。読めない人だな、と思った。

 

「山にはよく登るの?」

 

「そうですね、月一くらいで」

 

「嘘ね」

 

 ザー、と静寂が雨音を強めた。変わらぬ微笑で女は言葉を紡ぐ。

 

「山によく登るのならそんな軽装で、しかもこんな雨の中進むはずがないわ」

 

「まあそうですよね」

 

 何となく吐いた嘘だったので、別にバレたことはどうでもよかった。向こうも何となく暴いただけだったのだろう、それ以降また会話はなくなった。

 

「それで、いつ死ぬのかしら?」

 

「……え?」

 

「死ぬつもりできたんでしょう?」

 

 変わらぬ微笑は、しかし印象を変えてみせた。金の瞳は獲物を狙う猛禽のように見える。だがそれでも、恐怖はなかった。

 

「そうです。多分、俺は死に場所を求めてた。このロープは登山じゃなくて、首をくくるために持ってきた。もっとも、この雨だし丁度いい高さの木はないしで、辟易してたんですけど」

 

 そう、と女の口角が上がった。何か()()()()がした。

 

「それならその命、私に頂けないかしら?」

 

「ええ、別にいいですよ。なるべく苦しくないなら願ってもないことですけど」

 

 俺なんかの命がこの人の役に立てるなら、俺の苦しみなんかどうでもいい気がした。尤も、この人は人じゃないんだろうけど。何となくそう思った。

 初対面の女にそこまで入れ込むとは、死を前に自暴自棄になっているのだろうか。自嘲気味に笑う。

 

「代わりに一つ、お願いしてもいいですか?」

 

「何かしら?」

 

「俺の話を聞いてもらってもいいですか? 俺には何もなかったけど、それでも誰かに覚えていてほしいから」

 

 雨足が弱まっていく。青天井なら死に日和だなと思った。雲の隙間から微かに日が差す。雨粒を受けた紫陽花が、キラキラと輝いた。

 

「名前を聞いてもいいですか?」

 

「八雲紫よ」

 

「やくも、ゆかり」

 

 紫の花弁に目がいった。綺麗だ、と呟く。

 

「綺麗な名前ですね。俺は──」



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さがしものはなんですか、ゆかりさま?

「服を買いに行きたい」

 

 ふと思い浮かんだそれは、気がつけば口に出ていた。そんな独り言はしっかり聞かれていてしまったようで、最近押し入れから引っ張り出した炬燵にてお煎餅を齧っている、隣の彼女が食指を止めた。

 

「珍しいわね、てっきりお洒落に気を使うタイプじゃないと思ってたわ」

 

「実際その通りなんですけど、いくらなんでもこの服も着飽きたなーと思いまして」

 

 当然ながら、幻想郷には和服が多い。というか、和服しかない。稀に無縁塚に奇抜な洋装だとかが流れ着くこともあるが、里の呉服屋は和服しか置いていないし、私に一から洋服を作るセンスも気概も存在しない。

 そんなわけで基本和服で過ごしているわけなのだが(和服も好きなので、その点に文句はない)この季節──春と秋の過ごしやすい時期だけは、ここに来た時に来ていた、外の世界の服装に身を包んでいる。とはいえもう、幻想入りしてから結構な月日が経っている。藍さんの神がかり的な家事スキルにより経年劣化を最小限に抑えてきたパーカーとジーンズであったが、ジーンズはともかくパーカーがそろそろ寿命なのだ。彼女の言う通りお洒落に気を使うタイプではないけれど、流石にこれでは表を出歩けまい。

 

「そもそもほとんど表なんて出歩きませんし、別にあってもなくてもいいんですけど……何となく、洋服が着られなくなるのは嫌だなーって」

 

 改まって言うほどのことでもないけれど、和服には和服の良さがあるように、洋服には洋服の良さがある。それに──別に未練があるわけではないけれど、服一つとっても外の世界の──故郷の思い出みたいなものだと思うのだ。

 

「うーん、どうせ暇だし洋服づくり勉強しようかなー」

 

 その勢いで家事スキルが上がれば儲けものだし一石二鳥だ。ミシンくらいは香霖堂辺りに転がってそうだし、案外いけるんじゃないか? いや、いける。問題があるとすれば、私が天性の不器用ってところくらいだ。

 

「やめなさい、慣れないことして手でも縫ったら大変だわ」

 

「紫さんが普通に心配してくると逆に違和感があるんですけど」

 

 そういうと彼女は「人が厚意で心配してあげてるのに酷いわね」と不満そうに口を尖らせた。いやまあその通りなのだけれど、普段から胡散臭い貴女が茶化しもからかいもせずに心配してくると、微妙に違和感があるのだ。或いは、彼女にそうさせてしまうほどに私は不器用なのだろうか。

 

「自分、不器用なんで」

 

「知っていますわ」

 

 呆れた表情で彼女はネットの上の蜜柑に手を伸ばした。そういえば今冬初蜜柑かな。一切れください、とせがんでみる。

 

「だーめ。働かざる者食うべからず、蜜柑が欲しかったら仕事することね」

 

「成程、含蓄のある言葉です。ぐうの音も出ないくらいに。して、この家事からっきしにして鍛え下げられた細腕の私に、どんな働きをご期待で?」

 

「んー、手っ取り早いのは夜」

 

「手っ取り早くないのでお願いします」

 

 何となく不穏な雰囲気があったので遮って断っておく。案の定冗談か何かだったのか、彼女はそれに文句を言うこともなく、用件を続けた。

 

「それなら探し物ね。無縁塚でちょっと拾ってきてほしいものがあるのよ」

 

「えっ」

 

 無縁塚。幻想郷の中でも危険度激高な地帯。その名の通り、無縁者の墓塚。(ゆかり)なき者たちの眠る場所。その環境から外の世界の物品がよく流れ着き、その異質な環境自体が危険とかなんとか。幻想郷に来たばかりの頃に、他でもない目の前の彼女に聞かされた話だ。私が一人で行ったりなんかしたら、すぐさま無縁仏の仲間入りだろう。

 

「えっ……もしかして遂に私もお役御免ですか? 不要な扶養家族として不法投棄ですか……?」

 

「本気で泣きそうな顔しなくても、ちゃんと結界張っておくから大丈夫よ。間違っても貴方に危険な真似はさせませんわ」

 

「ですよね、よかったです!」

 

「危ない目に遭って、食べるところが減っちゃったら困るもの」

 

「えっ」

 

 まあそんな、冗談交じりのやり取りはさておき。手を取ってスキマを抜け、私たちは無縁塚に降り立った。周りを木々に囲まれ、なんというか陰気な場所である。

 

「仕事を斡旋した割に、雇い主さんも来るんですね?」

 

「現場監督よ。帰った方がいいなら帰るけれど、()()が必要でしょう?」

 

「あー、なるほど」

 

 確かに。この()()なら、間違っても襲ってくるような間抜けはいるまい。八雲印のお墨付きである。

 

 安心したところでドキドキしながら、ぎゅっと手を握って無縁塚を歩き始める。付近は一歩間違えばゴミ捨て場と見まがうような様相になっていた。見覚えがあるようなないような我楽多(ガラクタ)だとか、何かの骨だとかがそこかしこに散らかり放題。てっきり共同墓地的なアレがあるのかと思っていたが、どうやらそんなこともないらしい。うっかり仏さんを踏んでもおかしくないので、とりあえずそこら中に手を合わせておく。

 

「心がけはいいでしょうが、中途半端な弔いはどちらのためにもならないわよ。長居は無用、さっさと探しましょう」

 

「はい」

 

 霊的というか妖怪的なものに疎い私なのでよくわからないけれど、まあ彼女がそういうなら正しいのだろうから、鵜呑みにして手を握る。何か踏んでしまったら嫌だな、とある程度足元を気にしながら歩く私に対し、彼女は亡骸には何の興味もないようで、敢えて踏みにいってるんじゃないかってくらい正確無比に屍を越えていく。彼女の美しいロングブロンドと精魂尽き果てた者たちの対比で、そうしていると何だか、御伽噺にでも描かれていそうな幻想だった。

 

「ないわね」

 

「ないんですか。っていうか、一体何を探しているんですか? 結局紫さんが探すばかりで、私は何もしてませんし」

 

「恐らく袋に入っているものよ」

 

 この時期ならまだ拾われてないと思ってきたのだけれど、拾われていないせいで逆に探しづらいわね──と彼女がぼやく。予想はしていたが、外の世界から流れ込んだものを探しているらしい。それにしても、ピンポイントで何を探しているのやら。

 

「あー!」

 

 数メートル先、そこに何か、見覚えのあるものが落ちている。懐かしさからか思わず浮足立ち、走り出す──その時だった。

 

「ぐうっ……!?」

 

 視界が歪んだ。脳みそを掻き回されるような不快な感覚とともに、体の──己の境界が、揺らいでいくのを感じた。『無縁塚では存在の維持をすることが困難なことがある』、なんて、そんなどこかで見た記述を思い出した時にはもう遅かった。存在が揺らぐ、歪む、微睡む、瞬く間に、消える──────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………あれ?」

 

「……貴方ねえ」

 

 消えていない。私はまだここにいる。我ここにあり、そして抱き着く彼女は珍しく、酷くご立腹な様子。

 

「危険地帯だとわかっていながら、あんなに不用意な行動を取るほど貴方が愚かだとは思いませんでした」

 

「……返す言葉もございません」

 

 そうか、要はアレが起きるのを防げるように、紫さんは私と手を繋いでたのか。

 

「いえ、それは繋いでいたかったからだけど」

 

「あ、そうなんですか」

 

「でもある程度距離を取っちゃうと、いくら私でも支えるのが厳しくなるのよ」

 

「なるほど」

 

 後は持ち前の『境界を操る程度の能力』でどうにか助けてくれたという訳か。何から何まで、本当に頭が上がらない。

 

「……あの、そろそろ体がつらくなってきたんですけど……一回離れません?」

 

「駄目よ」

 

「えー」

 

 抱き締める力が前にもまして強くなった。喋れないレベルに。

 

「貴方、一瞬本当に存在が消えかかったのよ? これはその状態から助けてあげた、私への報酬」

 

「むう」

 

 そう言われると私としては、何も返す言葉はない。彼女への感謝とちょっぴり役得な気持ちを込めて、熱い抱擁を続けた。

 

「あっ、そういえば」

 

 色々ありすぎてどのくらいそうしていたかわからないが、力も緩んできていたところで、ふと先程の見つけ物のことを思い出した。もう答えは見えているけど、やはりアレは──

 

「……やっぱり」

 

 埃などで袋自体は薄汚れていたが、中の物はまだ綺麗そうだ。見覚えのある紫色のパーカーが入っているそれは、間違いなく私の所持品だった。確か幻想入り直前の時期に、クリーニングに出してそのままにしていたモノ。懐かしさと喜びで、自然と口元が緩んだ。

 

「嬉しそうで何よりだわ」

 

「もしかして、知っててここに連れてきてくれたんですか?」

 

「流石に知らなかったわよ。でも、忘れ去られるならそろそろだろうと予想を立ててはいたわ」

 

 パーカーが忘れ去られて、また一つ外の世界から私の生きた痕跡が消えた悲しみよりも。思い出の品が来てくれた喜びと──何より、彼女の優しさが嬉しかった。

 

「本当にありがとう──紫」

 

「いいえ、見つけたのは貴方だもの。私は切欠を作ったに過ぎませんわ」

 

 感謝の気持ちは態度で示してくれればいいわ──と可愛くウィンクする彼女を、強く抱き締めた。残念ながら、俗世に無縁な私が彼女にあげられるものなんて、この身一つしかないから。くすっ、という小さな笑い声とともに、腰に華奢な手が触れたのを感じた。

 

「とんだデートだったわね」

 

「あ、そういえばそうですね。二人で表を出歩くってこと自体、中々久しぶりでしたし」

 

「あら、意識してたのは私だけかしら? 悲しいわぁ」

 

「わざとらしい泣き真似しても、可愛いだけですよ」

 

「あらあら。それじゃあ、帰ってからたっぷり泣かせてもらうことにしましょうか」

 

 スキマが開いた。感じる浮遊感。体全体に感じる心地よい温もりの中、私の胸にはただ、彼女への感謝だけが満ち満ちていた。

 

 

 













※後語りフェイズ





お陰様でこの小説も三周年を迎えましたー! ここまで読んでくれてる皆様、いつもいつも本当にありがとうございます!本来なら例年通り9月22日に更新する予定だったんですけど、気づいたら過ぎてた上にネタが思い浮かばなかったのでここまでもつれ込んでしまいました。僕の脳に浮かんでこないだけで、まだまだ書けていないシチュエーションは沢山あるはずなので、これからも気ままに更新していきたいと思います。また一年、どうぞよろしくお願いします。


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はろうぃんですよ、ゆかりさま

 

「……今日何かあったっけ」

 

 出不精の私にしては珍しく、人里をぶらぶらと宛もなく歩いていたところ、各所に施された妙ちきりんな飾り付けが目に留まった。家々から南瓜、ランタンなどの装飾が垂れ下がる。極めつけにはとんがり帽子の魔女だの白シーツを被ったオバケだの、どういう理屈かデュラハンの仮装などをした子どもの集団が練り歩いている。見渡せば、道行く人々も足早に急ぎ、心なしか浮き足立っている。はて、何の催し物か。俗世から離れきってしまった私は、駆け寄ってきた幼女に声をかけられるまで気づくことが出来なかった。

 

「とりっくおあとりーと!」

 

「と、とりっくおあとりーと」

 

 予期せぬ接近と予期せぬ来客に、思わず面食らってしまい、新手の挨拶か何かと勘違いしてオウム返ししてしまった。しかし差し出された小さな手のひらを見て、ようやくこれが何の催しか思い出した。ハロウィンである。Trick or Treat.(お菓子をくれなきゃ悪戯するぞ)この少女は、私にお菓子を求めているのだ。

 

「…………」

 

 はて、困った。流石にお菓子は持ち歩いていない。とはいえ、純真無垢なまんまるの瞳で明らかにトリートを期待する幼女に、『トリックでお願いします』と答えるのは色々と忍びない。何かあげられる物はなかっただろうか、とポケットをまさぐってみる。

 

「はい、どうぞお嬢さん」

 

「ありがとう、おねえさん!」

 

 紫色の手袋に包まれた華奢な腕から、幼女の両手いっぱいの飴玉が渡された。幼女は顔をぱあっと輝かせ、喧噪の中に駆けていった。と思ったら戻ってきて、「はい!」と私に何かを握らせ、帰って行った。

 

「……飴だ」

 

 先程彼女から貰っていた物の一つだ。子どもなら一つたりとも手放しがたい大事な甘味であろうに、何故くれたのだろう。

 

「貴方が軽率にTrick or Treatなんて言うから、それに応えてくれたんでしょう」

 

「なるほど、迂闊でした。窮地を救ってもらって感謝します、紫さん」

 

「対価として飴を求めますわ」

 

 どうぞ、と手渡す。そもそもこの人の物だったのだから何の異存もない。包み紙から赤い飴を取り出し、口に運ぶ紫さんの様子に私は目を奪われた。

 

 彼女は普段通りドレス姿ではあったのだが、その色が普段と比べて全体的に濃いめの紫だった。白い帽子は旬の甘藷のように紫だったし、何なら悪魔みたいな小さな角が付いていたし普段は赤いリボンが、髪の物も含めて全て薄橙だ。腰元には猫耳のついた南瓜型のポーチがついていて、つまりまあ、彼女なりの仮装ということだろうか。

 

「大変お似合いですよ」

 

「あら、ありがとう」

 

 くるりとその場で一回転。スカートの先の方は橙との美しいグラデーションになっていて、それが西日に映えながらひらりと舞う。よく見ると太股から足先にかけて紫色のリボンがぐるりと巻き付いているが、何のラッピングだろうか。私だったらもつれて転けてしまう自信がある。

 

「折角返ってきたパーカーで出歩きたいな、と思って着て来てみたんですけど、日取りを間違えましたね」

 

「てっきり、知っててきたのかと思っていたわ」

 

「いえ全然。ここ数年、ハロウィンだとかイースターだとか、そういうイベントとは無縁の生活でしたからね。今の今まで忘れてましたよ」

 

 それにしても、と続ける。

 

「幻想郷にもハロウィンってあったんですね」

 

「誰が言い出したかわからないけれど、ここ数年で広まったようね。ハロウィンはそもそも秋の収穫祭だし、それもあって定着しやすかったみたいよ」

 

「なるほど」

 

 厳しい冬に入る前の一つの節目だし、行事と聞けばとりあえず集まって騒ぐのが幻想郷の住民である。私が知らなかっただけで、恐らく博霊神社でも宴会があるのではなかろうか。

 

「さて、少し歩きましょうか?」

 

「そうですね。あー、紫さんがおめかししてくるなら、私も何か仮装してくればよかったですね」

 

「貴方も立派な一張羅じゃない。それに、現代人の仮装って言えば通るでしょう?」

 

 くすくすと楽しそうに笑う紫さんを連れて、喧噪の中をゆく。今年は例年よりも取れ高がいいらしく、立派に育った作物を見ながら夜ご飯の話をしたり、数軒出ていた屋台に寄って、射的に興じたり。何気ない話をしながらずんずん足を進めていく。幸せな時間はあっという間で、夜が降りてくる頃にはもう人里を一周してしまっていた。賑わっていた街路からはほとんど人が消えている。大人は飲み始める時分で、子どもは家に帰る時間だ。誰彼時である。

 

「楽しかったですね。そろそろ帰りますか」

 

「その前に」

 

 足を止めた彼女を振り返る。ランタンの光に照らされて、彼女の金髪が煌めいていた。

 

「Trick or Treat。お菓子をくれなきゃ悪戯するわよ?」

 

「一択問題じゃないですか」

 

「ならTrickね」

 

 目を瞑りなさい、とベタな展開を要求される。私は言われるがままそうする。唇に柔らかい物が当たる感触。どきっとしたのも束の間、口内にそれが入ってくる。甘い味がした。

 

「ふふふ、美味しかったかしら?」

 

「……マシュマロですか」

 

 もきゅもきゅと口の中で溶けていく感触を味わう。甘いものは不得手なんだけど、不思議と美味しく感じた。

 

「あら? 何か残念そうね?」

 

 いつも通りの胡散臭い雰囲気で彼女が笑う。

 

「いえいえ、満足ですよ。ただ、求めていたはずのトリートを消費しちゃってよかったのかなと思っただけです」

 

「トリックの犠牲になったのだから、トリートも本望だと思いますわ」

 

 その言葉を聞いて閃いた。「とりっくおあとりーと! お菓子をくれなきゃ悪戯しますよ!」と高らかに叫ぶ。

 

「あらあら、困りました。今のが最後のお菓子だったのよね」

 

「ふふふ、なら甘んじて悪戯を受け入れて貰うしかないですね」

 

 目を瞑ってください、と囁く。「どんな悪戯をされちゃうのかしら?」と艶のある声で嘯いて、彼女が瞳を閉じる。私は──



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いべんとですか、ゆかりさま



今回東方二次創作ゲーム「東方キャノンボール」の要素が少しだけ入っておりますので、ご理解ください。
※微塵も知らなくても問題ないので、気になる方だけブラウザバックでお願いします


「さ、寒……!」

 

 部屋の布団の中から居間の炬燵の中まで数十メートル。ガクガク震えながら冷たい縁側を小走りで抜けて、勢いよく炬燵に潜り込む。師走も中頃、すっかり冷えこんでくる時分。もう布団に帰らず、ずっと炬燵で生活しようかしらん、なんて思って嘆息した。流石に白くはならなかった。

 

「もう八割がたそうしてるじゃない」

 

 先に来ていた彼女が呆れたように言った。よくよく考えると、胡散臭いという定評のある彼女をここまで呆れさせることが出来ているというのは、なかなかすごいことじゃないかと小さな感動を覚えた。

 確かに最近は布団で八時間、炬燵で十五時間、その他諸々に一時間を費やして一日が終わるという大変健全で退廃的な生活を送っている。つまり一日の約三分二を炬燵に潜って過ごしているわけで、割合で言えばもう既に十分炬燵で生活しているといえる。ここまできたら残った三分の一部分を炬燵に回したところで、何ら変化はないともいえる。結局炬燵でも昼寝しているし。

 

「そうですねえ、じゃあいっそのこと炬燵で生活することにしますか」

 

「あら、それは駄目よ」

 

「どうしてですか」

 

「だって布団の中が寂しくなるもの」

 

 にっこりと、そんな可愛らしい笑顔で言われてしまっては、もう何も返す言葉はない。何となく照れてしまって、言葉もなく頷いた。

 

「とはいえ、家にずっと引きこもってるのは体によくないわよ?」

 

「うーん、でも出かける用事もないじゃないですか」

 

 私がそういうと、彼女は「それもそうねぇ」と頷いた。のどかな幻想郷の欠点は、のどかすぎて暇を持て余すことである。いや、忙しい人は忙しいけれど。我が家の式神さんとか。

 

「いっそのこと、何か行事でも執り行ってみたらいいんじゃないですか? そういうのって多分経済の活性化とか、士気の向上だとかに繋がりますし」

 

「両方とも、幻想郷にはほとんど必要ないのだけれどね」

 

 しかし行事という意見はお気に召したようで、顎に手を当て、紫さんは何かアイデアを練り始めたようだった。そういえば、一応忘年会という行事は確定していたはずなので、年末になれば否が応でも一度は外出するな、と思った。

 もう年の瀬なんて、一年とはかくも早いものである。先日花見をしたばかりのような気がするのに、また春が目前に迫っている。そう考えると、あっという間に過ぎ去っていく時を、こんな無為に過ごしていいものかと首を傾げたくなるが、これはこれで大事な一時なので気にしないことにする。が、ここまでぐうたらしてしまっていると貴重な時間が将来的に大きく縮まりそうなので、彼女のアドバイスを受け入れて今後は多少散歩にでも赴くことにしよう。

 

 思考を行事の話に戻す。年が明ければ新年会が待っているし、その次は花見酒だろうか。間に異変でもあればそれを口実に宴会だろうし、そうでなくても何かの拍子に集まるだろう。飲む行事だけなら死ぬほど思い浮かぶ辺りが、流石幻想郷だ。ひとたび考え出すと酒以外の方向に思考が進まず、これ以上何かが浮かんでくる気配はなかった。熱燗でも飲みたいな、と思い始めた辺りで、ふと気になったことが出てきた。

 

「紫さん、来年の干支ってなんでしたっけ?」

 

子年(ねずみどし)よ、正確に言えば庚子(かのえね)ね」

 

「十干十二支でしたっけ、流石にそこまでは覚えてなかったですね」

 

 正直に言えばそこまで聞いてもいなかった。そして次の瞬間、ぽんと彼女が手を叩いた。

 

「いいわね、干支を使いましょう!」

 

「え?」

 

「モチーフよモチーフ、開催するイベントの」

 

「ああ、なるほど……?」

 

 わかったような、わからないような。一つだけ言えるのは、彼女が恐らく今回の思い付きに大変自信を持っているということだけだ。

 徐にスキマに潜り込んでいった彼女は、十分ほどして炬燵の中へと帰ってきた。どうやら何か根回しを終えたらしい。私が啜っていた湯飲みを奪って飲み干していくと、慌ただしくスキマに帰っていった。暇が加速した私は、みかんを三個ほど食べ、お腹が膨れたので昼寝した。

 

「あら、寝ちゃったの?」

 

「……今起きました」

 

 大きく欠伸、伸びをして起き上がる。帰ってきた彼女の姿を見て思わず、驚きの声を漏らした。先ほどまで着ていた道士服姿でなく、もこもこの毛皮のついた、振袖のような服に身を包んでいた。所々露出が見えるが、防寒よりもお洒落を取るという女性特有の精神の顕れだろうか。毛皮は腕や背中をぐるりと覆って浮いており、さながら天女に見えた。

 

「控えめに言って、とっても似合ってます。眠気が一瞬で吹き飛ぶくらいには」

 

「うふふ、ありがとう」

 

 その場でくるりと回る彼女の姿に少しデジャヴを感じたが、この美しさの前には些細なことだった。それにしても、どうして急にこんな衣装を着てきたのか。イベントに関係することなのだろうか。

 

「そうなの、これは名付けて『新天干地支選定競争』のレース衣装なのよ」

 

「は、はあ……?」

 

 困惑する私をよそに、彼女は説明を始めた。なんでも、十二支にもうひと枠足して十三支にして、そのひと枠に入る生き物をレースで決めたら面白いんじゃないか、とのこと。最初の十分で参加者を募ってきて、今の今まで衣装を見繕っていたらしい。

 

「別に私が出る予定はないのだけれど、みんなの衣装を用意してるうちに私も着たくなってきちゃったのよ」

 

「いいんじゃないですかね、主催者ですし」

 

 何より私が目福だし。レースへの不安はすごかったが、それよりも好奇心と、何より楽しそうだなという期待があったので、ワクワクしながら待つことにした。

 

「ちなみにいつ開催なんですか?」

 

「大晦日よ」

 

「そこまで暇だぁぁぁ!」

 

 結局暇と運動不足が解消されなさそうなことを嘆く私に、彼女が苦笑した。

 

 

 

 

 

 










全然遊んでなかったんですけど新衣装が好きすぎて復帰しました。出ないので書きました。出て(血眼)


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うんどうしましょう、ゆかりさま

「やっ──やめてください」

 

「ふふ、そう言われて大人しく聞くと思うかしら? えい」

 

「うえっ!? ちょ、そこは……」

 

「弱いんでしょ? 手に取るように分かりますわ」

 

「っていうか手で触ってるじゃないですか!」

 

「あら、揚げ足を取るような人にはこう」

 

「あっ──ははははははははははははは笑い死ぬのでやめてくださいっ!!!」

 

 ──急に水無月という呼称に即したように、やけに雨の降らない梅雨の、とある昼下がり。私は腹筋を彼女にまさぐられていた。というのも、ふとした事が発端だった。

 

「貴方、最近ちょっと逞しくなってきてない?」

 

 お煎餅をつまみながら、紫さんは私を見て不思議そうな顔でそう言った。その言葉に思わず、「あ、わかります?」と声高らかに語り出す私。

 

「実は最近筋トレを始めたんですけど思いの外ハマっちゃいまして! で、そこそこ筋肉がついてきたところなんですよ! いやー、一発で見抜いてくれるなんて流石紫さんですね! 次は藍さんの協力も仰いで、食事制限も意識し出そうかなと思っている次第です!」

 

「──ちょっと待って。私、筋トレを始めたなんて聞いた覚えはないのだけれど」

 

「ええ、言ってませんでしたもん」

 

「いつから始めてたの?」

 

「えーっと……ひと月くらい前から?」

 

「脱ぎなさい」

 

「……え?」

 

「今すぐ服を脱ぎなさい」

 

 朗らかながらも底冷えするような声に、ぞーっと背筋に悪寒が走るのを感じた。これはアレだ、永い時を生きてきた、力の強い妖怪故のオーラとか威圧感だとかそういった何かだ。そういった技術を無駄にここで使ってきているのだ。困惑しながらもその言葉に従い、渋々上裸になる。

 

「ふむ……」

 

 ぺたぺたと品定めするように、彼女は全身を触り始めた。鍛えだしたといってもまだ一ヶ月、しかも専門的知識は何一つ持っていない。故に、正直に言ってしまえば今の私の体は大したことがない。二の腕は多少力こぶが浮き出るくらいだし、胸筋はよく分からないし、腹筋は少し筋が入って割れ目が見えだした程度だ。足に至ってはまだほとんどプニョプニョである。最早、多少イキった回答をしてしまったことを後悔するレベル。

 

「え、えーっと、如何でしょうか?」

 

「…………」

 

 中途半端な沈黙に耐えかね、思わず口を開く。が、彼女からの返答はない。尚も体を触り続けるだけであった。そのうちそれは、検分から擽りへと体を変えていき──

 

 

 ──そして冒頭に戻る。

 

「はあ、はあ……笑い死ぬかと思った……」

 

「中々だったわよ」

 

「それならよかったです……」

 

「ええ、なかなかの反応だったわ」

 

「筋肉のことじゃなくて!?」

 

「そんなの私にはよくわかりませんわ」

 

 紫さんは口元を扇子で隠して、素知らぬ顔をする。やられたな、と思った。

 

「私にわかるのは、中途半端に筋肉がついているせいで角張って不味そうってことだけよ?」

 

「食品的目線やめていただけます? 芸術品的観点からの評価をお願いします」

 

「そうねえ、鏡を見て誇れる自分になってから出直した方がいいと思いますわ」

 

「的確なコメント……! それでいて茶を濁した回答……!」

 

 辛辣なコメントから、ようやく彼女の心に気づく。

 

「え、もしかして拗ねてます? 私の陰ながらの努力に気づけなかったことに拗ねてます?」

 

「陰過ぎて目に入らなかっただけじゃないかしら?」

 

「陰キャで悪うございましたね!」

 

 と舌戦を繰り返している間に、ふと降り立つ閃き。

 

「私の体を散々に言ってくださいましたが紫さん、貴方の方はどうなんですか? 人に誇れるようなお腹をしておられるんですか?」

 

 そう口にしてみたが、紫さんは口元を歪めて笑う。

 

「私の体が見たいって言うのかしら?」

 

「えっ──ええ、見たいです」

 

 何か語弊がある言い方にすげ変わった気がするが、四の五の言っていられない。一ヶ月鍛えた以上、私にも多少のプライドはある。ここで退くというのはそれらを投げ捨てることに他ならない。少し張りつめた空気の中、向かい合う私と彼女。「いいでしょう」の一言と共に、捲り上げられる白ニット。チラリと見えた黒から視線を下げると、引き締まりすぎず、それでいて余分な肉がついている訳でもない、言うなればその境界線上にあるようなお腹が顔を出した。別に初めて見るものでもないはずなのに、負けた、と、確かにそう思わされた。よく分からないが、そう思わされる魅力があった。

 

「そもそも妖怪だから、人とは肉の付き方が違うのよね、多分」

 

「うわ、ずるい! 卑怯ですよ! 言うなれば太りやすい人の前で『私、どれだけ食べても太らないんですよねー』ってドカドカ肉を食べるくらい卑怯ですよ!」

 

 心なしか女子みたいなツッコミをしてしまったがしょうがない。この一ヶ月間、酒と間食をほんの少し制限していた故に、理想の肉体を求める彼女らの気持ちを理解してしまったのだ。というか、極論境界を操作すれば(チートを使えば)どうにかなりそうな紫さんに、体で勝負を挑んだのが間違いだったのかもしれない。

 

「負けました。大人しく筋トレしてきます」

 

「お待ちなさいな」

 

 突如開いたスキマから、投げつけられたのはジャージだった。お日様の香りが鼻腔をくすぐった。

 

「走るわよ」

 

「それは願ってもないお誘いですが、え、紫さんも走るんですか?」

 

「ええ。知らない間に置いていかれるなんて、嫌ですもの」

 

 気丈な言葉に小さく笑い、「ペースを落としたりなんてしませんからね?」と挑発するように呟く。縁側から見上げれば、今日も雲一つない、憎たらしいくらいの快晴だった。

 

 



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乾杯しましょう、紫さん

「こっちよ」

 

 目の前の妖しげな女性──八雲さんに着いて、細い山道を歩く。先程までのガゼボのような建築物などとうに消えており、進めば進むほど道は何処か寂しげに──いや、人の痕跡などが消えていくようになっていく。深い森、寂れた道路、苔むした階段、古びた鳥居。そしてその鳥居の前で、八雲さんは立ち止まり、こちらに振り向いた。

 

「この鳥居が境界。一度ゆけば、二度と還ることはない。戻るなら──これが最後のチャンスよ?」

 

 こちらを貫くのは鋭い視線だった。金の瞳は俺を射抜き、磔にする。威圧といっても過言ではないだろう。文字通りの最後通牒をくれたのだと、そう思った。しかし今更()()()()()なんてどうでもよくて、「見返り美人ですね」なんて、格好つけて返した。一瞬だけきょとん、とした顔を浮かべた後、彼女は「いいでしょう」と胡散臭く笑った。

 

「それでは貴方を、別の世界にお招きします」

 

 右手に柔らかな、暖かな温もりがあった。驚く暇も感じる暇も与えず、彼女は強く俺の手を引く。

 

「──ようこそ、幻想郷へ」

 

 鳥居を抜けた先は、鳥居だった。先程まで見えていた淋しい本殿は何処へやら、俺は振り向いたように階段を見下ろしている。しかしそれが先程までのものと違うのは明確で、今目の前にあるのは少し汚いながらも、人の手で整備されている様子の見られる参道だった。顔を上げる。そこには、幻想の世界が広がっている。

 

 ──夕日に照らされる山があった。

 

 ──橙に染まる湖があった。

 

 ──賑わいを見せる里があった。

 

 そして何より、その光景を尊ぶように見つめる隣の彼女の姿があった。風に揺れる長髪を、黄昏を帯びた金糸を撫でながら、優しい微笑をたたえている。

 

「ここが、貴方を求めている世界。人と神と妖怪が集った、最後の楽園」

 

「──それはそれは、素敵なところですね」

 

「ええ──さて」

 

 彼女が徐に指を鳴らす。するとどういう理屈か足元に浮遊感を感じ、落とし穴に落ちるように不思議な空間の裂け目へと落下した。目玉だらけのその不思議な空間は数秒で終わり、どこかの居間の、柔らかなクッションへとおしりから落ちた。どういう理屈か彼女は先回りしていたようで、恐らく台所の方から、盃と酒瓶を抱えて帰ってきた。

 

「難しい話は抜きにして、飲みましょうか?」

 

「……実は酒、飲んだことないんですよね。苦手意識もあって」

 

「あらあら。それなら、ここで飲んでみましょうか?」

 

 どうやら意地でも飲ませたそうなので、嘆息して、観念して頷く。くすりと笑った彼女が、二杯の盃に液体を注いでいく。ラベルを覗き見る。学がないせいで名前はわからなかったが、どうやら日本酒らしい。

 

「それでは、この出会いを祝しまして」

 

 茶化すように言って、彼女が盃を掲げる。つられて俺もそうした。

 

「乾杯」

 

「……乾杯」

 

 盃を交わし合うと、すぐさま彼女はゴクゴクと水でも飲むように酒を煽っていく。つられて自分もそうしようとしたが、鼻腔をつく独特の香りに一瞬だけ躊躇して、それでも口に運んでいく。最初に感じたのは、米の芳醇な香り。慣れない味に戸惑ってすぐ飲み込むと、喉を伝い、食道を通り、胃へと届くのがハッキリと伝わってきた。同時に徐々に、身体は熱くなり、少しだけ視界が揺らぎ出す。

 

「どうかしら、初めてのお酒は? 比較的飲みやすい物を選んだとは思うのだけれど」

 

「不思議な感じですね、でも悪くない──いや、むしろいいです」

 

 もう一度、今度は先程よりも多く酒を口に含む。もうすっかり独特な香りにも慣れ、確かにこれは美味いな、とごくごく飲んでいく。熱の時のような火照りと、世界が回るような感覚に、これが酩酊感かと納得する。でも決して、悪い気分ではなかった。

 

「酒なんて、生涯飲むことはないと思ってましたよ」

 

「あら、なんて勿体ない。死ぬ前に飲めてよかったわね」

 

「ええ」

 

 死ぬほど物騒な会話ではあったし、不謹慎とか失礼とかそんな言葉も思い浮かんでくるが、別に不快じゃないし、むしろその通りだと頷いている。

 

「おかわり、いいですか?」

 

「勿論。ペースには気をつけてね」

 

 とくとくとく、と音を立てて注がれる様が気持ちいい。盃に、溢れんばかりに入ったそれを、おっとっとと戯けて零さぬように啜る。早くも程度の低い酔っ払いだな、と自嘲気味に笑った。

 

「酒に苦手意識があったのは、親の酒癖が悪かったからなんですよね。だから自分は同じようにならないように、って飲まないようにしてたんですけど……この分じゃ、蛙の子は蛙になりそうで怖いです」

 

 唐突によく分からないことを語ってしまう辺りも酔っ払いだ。密かに自己嫌悪を強めていると、盃を揺らしながら八雲さんは言った。

 

「お酒を飲むと、人の認識の境界は揺らぐ。モラルが下がったり、人が変わったり、記憶が混濁したりね。でも本音を吐けるし、酩酊は気持ちいいし、何よりお酒は美味しいし、悪いことばかりじゃないでしょう?」

 

 そもそも、と彼女は続ける。

 

「酒に飲まれる方が悪いのであって、酒に罪はないわ。節度が大事よね、何事も」

 

「まあ、そうですよね」

 

「ああ、ちなみに私は素面ですわ。酔っぱらいが管を巻いたわけじゃないわよ?」

 

「それ、酒入れたら絶対言っちゃいけないやつですよね?」

 

 二人、静かに笑って酒を飲む。酩酊感は尚のこと強まり、少しだけ目が回ってきた。調子に乗りすぎたかなあ、と立ち上がった。

 

「結構、酔ってきました。少し風に当たってこようと思います」

 

「そこの廊下をいくと縁側よ。お水持ってくるから、ごゆっくり」

 

 歩き出すと尚のこと、酔っている自分を感じて、最早笑えてきた。言われた通りに廊下を抜けると、縁側はすぐそこだった。夜風は優しく火照った体を冷やしてくれる。縁側に座り込んで、何気なしに風景を眺める。息を飲んだ。

 

 

 何処からか聞こえる虫の声。電灯一つない庭先において、一寸先は闇。しかし見上げればそこには、藍色の空を星が満たしていた。都会だろうと田舎だろうと、こんな空にはお目にかかれないだろうという幻想の産物。星座なんて特定できなさそうなくらいに、淡い光で満たされていた。

 

「綺麗でしょう?」

 

 隣から響いてきた声。二つのコップを手に、彼女は優しく笑っている。瞳には星が写っている。月明かりを受けた金髪は夜に映えている。

 

「ええ、とっても」

 

 絞り出すように俺は言う。言いきれなくて、すっかり覚めてしまった酔いを恨んだ。

 

「はい、水よ」

 

「ありがとうございます」

 

 ごくごくと飲んでゴホゴホと噎せた。口内も喉も胃も焼けるような感じがする。そして仄かに香る芋の香り。

 

「こ、これ絶対芋焼酎じゃないですか!!」

 

「ええ、よくわかったわね。そろそろ酔いの覚めてきた頃かと思っていたから、気を遣って差し上げましたわ」

 

「気の遣い方絶対間違ってますよ……」

 

 なんてボヤきながらも、あまり嫌な感じはなかった。不思議な感覚である。とりあえず、酒のせいにしておくけど。

 

「……あの、八雲さん」

 

「紫」

 

「え?」

 

「八雲だと少し紛らわしいのよ。気にせず紫でいいわ」

 

「……紫さん。あの、俺──」

 

 言いかけた言葉は、口に当てられた人差し指で塞がれた。

 

「大丈夫。急ぎじゃないし、少しくらいは待ちますわ」

 

 彼女は全てを察したように笑う。

 

「何も知らない、無垢な人間を無慈悲に屠殺するような真似は出来ません。幻想郷は全てを受け入れるのよ──それはそれは、残酷な話ですわ」

 

 彼女は、誤魔化すように胡散臭く笑う。満月に優しく照らされた姿は、それはそれは、素敵な笑顔だった。



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あつかんですね、ゆかりさま

 廊下を足早に歩く。炬燵やストーブで暖められた室内から一歩出ると、途端に冬の乾いた香りがして、刺すような寒気にぶるりと身を震わす羽目になる。厠を経て台所に向かい、徳利を片手に居間に戻る。すると、細い腕と橙の果実がお出迎えしてきた。

 

「んー!」

 

「お帰りなさい、寒かったでしょう? お駄賃代わりにどうぞ」

 

 口の中に放り込まれた蜜柑にびっくりして、彼女の手ごと噛みかけたが、うまいことかわしてくれたらしく、口の中には甘酸っぱい果汁だけが広がった。が、それが喉に跳ねてしまって、ケホケホと噎せる羽目になった。優しく背中を摩られる。

 

「あらあら、大丈夫?」

 

「まあ、何とか……」

 

 誰のせいだと思いつつも、怒るのも面倒なので嘆息するのみに留めた。小さな葛藤を知ってか知らずか彼女はクスリと笑い、「お酌しましょうか」とおどけるように言った。

 

「お願いします」

 

 小さなグラスにとくとくとく、と透明な液体が注がれていく。室内には湯気とともに仄かな酒気が広がっていった。注ぎ返そうと思ったのだけれど、自分の分はぬかりなく用意していたようなので、つまみのさきいかを差し出すに留めた。

 

「乾杯」

 

 ごくごく、と二口一気に煽る。40℃程度に温められた20度のお酒が、食道を通り胃に落ち、全身を熱が巡っていくのをひしひしと感じる。一言で言えば心地いい感覚だった。これぞ熱燗の醍醐味といえる。

 

「はー、すっかりこれが美味しい季節になりましたね」

 

 長く太く息を吐いてそう言うと、「そうね」と、彼女もしみじみと頷いた。炬燵机に頬杖をつくその顔は、既に少し上気しているように見受けられるが、珍しく回りが早いのだろうか。人のことを言えない私は、続けてグラスを口に運ぶ。鼻をつく、噎せ返るような酒の香りに一瞬たじろいだが、喉に入れてしまえばそんなものは関係ないのだった。

 窓の外を覗いてみれば、降り始めた雪が庭を白く化粧している。紫様がぼそっと呟いた。

 

「映えるわね」

 

「えっ?」

 

「味の話よ」

 

「ああ、なるほど」

 

 てっきりイマドキのSNSの話かと思った。燗酒の味はそういう風に褒めるんだっけ、と記憶の隅から掘り出して納得した。熱したことで味が開く、とか映えるとか。私にはよく分からない、常温で一杯飲んどきゃよかったか。

 

「おつまみは如何?」

 

 机上に開いたスキマに手を突っ込み、チー鱈カルパス生ハム菓子類と王道の肴セットをポンポン机の上に出していく紫さんに、「いただきます」と頷いていくつか貰っていく。スキマをそんな風に使われると、脳裏には青猫ロボットのポケットしか浮かばない。もらった肴をダラダラとつまんで、少し酔いの冷めた頭になって気づく。

 

「え、それならわざわざ私に徳利取りに行かせた必要なくないですか?」

 

「あら、そんな野暮なことを言うの?」

 

 少し眠そうな、とろん、とした瞳で彼女は胡散臭く笑う。

 

「貴方に持ってきてもらう方が、何倍も美味しいからに決まってるじゃない」

 

「……紫さん」

 

 それは──人を使っていることから生じる優越感では? 

 聞いてみると、「つまんないこと言うわねえ」と呆れたように嘆息された。

 

「なら貴方にも、何か取ってきてあげましょうか?」

 

「大丈夫です。私はもう──十分満たされているので」

 

「欲がないわねえ」

 

 もぞもぞと、猫のように体をよじらせてこちらに擦り寄ってくる。「暑くなってきましたね」なんて苦笑して、彼女の口内に蜜柑を突っ込んだ。



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ゆかりさまとねこをなでるだけ

 三寒四温の四温側と断言できるような、ポカポカした気候のある日。つまり春先。

 

「よしよし、おいで」

 

 おやつ片手に手招くと、にゃーごと黒猫が鳴き、白猫が気だるげに伸びをした。寄ってきた三毛が手に持つスティックをチロチロと舐め始め、それを皮切りに他の猫たちも近づいてくる。

 

「こらこら、そんなに寄られると困るよ」

 

 足や腕に擦り寄ってくる猫たちに、なんだか懐かれたような気持ちになって、思わず口元が緩む。

 

「随分モテモテじゃない」

 

 膝に乗せた黒猫を撫でながら、彼女は言った。

 

「モノで釣ってるだけですよ、仮初の人気です」

 

「仮初のカリスマね」

 

 どうだ、と言いたげな表情をしていたので、とりあえず流した。

 

 今私たちがいるのは古びた日本家屋、又の名をマヨヒガ。彼女の式の式、橙が根城にしている場所である。

 しかしそんな橙は現在、紫さんの所用を任された藍さんからの指示で、泊まりがけで働いているらしいので、彼女が式代わりに運用し、面倒を見ている猫たちの世話をしているのだ。

 

 それにしても、仕事が順繰りに下に流れていく感じがひどく会社じみてて面白いし、その結果末端の仕事を組織のトップが請け負っているのもウケる。経験を積ませるという意味ではいいことなのだろうか。

 

「まあ、楽ができるならそれに越したことはないから、別になんでもいいわ」

 

 彼女が黒猫のお腹をカリカリと撫でる。猫は気持ちよさそうに身をよじらせ、爪がふわふわと宙を切った。

 

「…………」

 

「あら、手が止まってるわよ?」

 

「大丈夫ですよ、ちゃんと遊ばれてるんで」

 

 猫たちはぐりぐりと、頭を私の身体に押し付けてくる。伸ばしていた手、脇腹、太腿。またたく間に私の全身が毛まみれになる。またたびでも使ったみたいに擦り寄られている。

 

「さっきふりかけといたわよ、たくさん」

 

「何か変な匂いがすると思ったら貴女のせいだったんですね」

 

 もはや猫に襲われているといっても過言ではない様相になってきた。が、少しすれば猫たちは私に見向きもしなくなった。またたびと餌の効果(バフ)が消えたのだろうかと思ったが、そうでもないらしい。

 

「ふにゃあああ」

 

「にゃああああ」

 

 猫同士が戯れあっている。またたびに酔ったせいか、声がなんだか変だ。何か、ただ遊んでる感じじゃないっていうか妙にベタベタしてるっていうか────

 

 

「盛ってるわね」

 

「えっ」

 

 そういえば春だし、そういう時期なのだった。猫たちは人前だというのもお構いなしに、今にもおっぱじめそうな雰囲気である。少しだけソワソワしていると、猫たちがいたところに空間の裂け目が生まれた。

 

「うおっ!?」

 

「あとは若い者でごゆっくり、って感じね」

 

 驚く私を尻目に、彼女は手元の黒と呑気に戯れ続ける。緩急をつけた撫で回しやツボへの的確な刺激に、猫もなんだか喜んでいるようだった。

 ぼーっと眺めていると彼女の手が止まって、猫ではなく宙を切るように撫でる。スキマが開く。そこに手が伸びる。

 

「えい」

 

「ひゃん!?」

 

 突然走った腹部をまさぐられる感触に、身体は大きく跳ね、思わず変な声が出た。あんなに擦り寄ってきていた猫たちは成人男性の痴態に恐怖を感じたのか、すぐ散り散りに逃げていった。

 

 

「何するんですか」

 

「羨ましそうに見ていたものだから、つい」

 

 悪びれる様子もなくそう言った彼女は「嫌ならやめておくけど」とスキマから手を引っこめる。

 

「──まあ、もう少し撫でさせてあげてもいいですけど」

 

 我ながら、古のツンデレみたいな気持ちの悪い反応になった。彼女はクスリと胡散臭い笑みを浮かべて、手を伸ばした。

 

「うふふ」

 

「ちょっ、それ、なんか違ははははは!!!」

 

 今度は脇腹を触られたかと思えば、指が的確に肋骨や腹筋をくすぐってくる。身をよじらせて逃れようとすれば、何故か二三本増えた手で拘束、更に追加の責め苦を受ける。

 

「やめ、めっちゃ苦しあははははは!!!!」

 

 永遠にも思える数分の責め苦の後、息も絶え絶えに寝転がる私を尻目に、彼女が「どうだった?」と可愛らしく小首を傾げて聞いた。

 

「いや、普通に地獄でした」

 

「そう」

 

 うつ伏せでへたり込む私の背中に、温かな重みが加わった。唐突な感触にぐえ、と苦しげな息を漏らすと、「そんなに重たいかしら?」と珍しく不安そうな声が聞こえた。

 

「軽いもんですよ、何ならこのまま筋トレしたいくらいです」

 

「ふふ、ならよかった」

 

 背中に彼女の指が這う。先程のことを思い出して反射的に笑いそうになってしまったが、今度は優しく体重が加えられる。

 

「いつも揉まれている分、たまにはね?」

 

 彼女の細い指が、私の体の節々に沈み込んでいく。ツボを刺激され、肩こりが解れていくのがよくわかる。どうやら人体の隙間にも詳しいらしい。

 

「んっ……あっ…………」

 

 身体を前後させるような衣擦れの音が聞こえる。妙に声が艶っぽいのはきっと気のせいだと思いたい。

 

「っていうかその声出すべきなのは私の方では?」

 

「つまらないこと言わないの、こういうのは雰囲気を楽しむのだから」

 

「まあ、そうですね」

 

 貴女といればいつでも楽しいですよ、なんて言葉は飲み込んだ。何処かで猫がにゃんと鳴いていた。

 

 

 

 

 



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