平和の使者 (おゆ)
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第一章 例えれば、春
第一話 帝国暦480年9月 平和な貴族


 

 

「季節は巡りて12の月、淑女が生まれて12の年、ああ、聖なる12の数は流りえたり。

 瞳はなおも映し出さん。出でたる白と深紅の12の宴を」

 

 

 あ、まぶしい。

 なんだかまぶしさを感じながらゆっくり目を開けた。

 

 わたしの前に人がいる。

 ん? でもこの人何言ってるの? 恰好も変だよ。

 袖の長いクリーム色のブレザー来て、襟元もフリフリ付けて。その上にヒラヒラの長いネクタイ? 結んでるんじゃなくて紫色の大きなボタンみたいな留め具をつけてる。

 髪はブロンドみたいな薄い色。でも髪型はおかっぱに近くて。

 いや人だけじゃなく部屋も見たことない。

 

 何でこんなとこにいるのか、まったく記憶がない。どういうことだろう。

 

 部屋は何がどうとも言えないが、とにかく豪華な雰囲気出してる。天井高くて少し黄色い光で輝いているシャンデリアが見える。カーテンが閉まってる。夜かな。

 宮殿? みたいな。宮殿見たことないけど。あ、お城には入ったことあるか。修学旅行か何かで。今は関係ない。

 わたしの目線もなぜか低い。目の前に居る人はそんなに大きな人ではないようだ。でも目線が低いから大きく見える。

 

「嘆く時あらば見よ。憂う時あらば聞け。人の移りし姿と声を」

 

 

 あ、わかった。これは夢なんだわ。

 うん、確かに一日終わってベッドに倒れた記憶がある。

 ナチュラル派っていうのか、化粧もしないで女子大に通ってるんだもの。疲れて帰ってきた日はそのままバタンよ。

 この夢なんだかリアル、なんだか本当っぽい。部屋が少し寒く感じる。

 体がきつい。着てるのがきついのか。

 うわ、何よこれ。白地に赤のアクセントを着けたフリッフリのドレス。

 こんなの結婚式場でしか見たことないよ。

 あ、わたしの手が小さい。全体も小さい。子供みたいだ。

 

「もう少し韻をきれいに踏んだ方がいいかなあ。でも今の詩は傑作だろう。アルフレット兄さんが作る詩はいつでも傑作だけれどね。まあ、それでも傑作中の傑作にするにはどうすればいいか考えてるんだよ」

 

 

 今のは詩?

 下手な演劇かと思ったわ。いちいち手の動きがおおげさなんだもの、この人。

 アルフレットと言う人なのね。自分のこと名前でいうのは珍しくない? でもおかげで名前がわかった。

 それにしても体が疲れてる。それに眠たい。夢の中でも眠いの? 眠りたいなあ。

 

「どうしたんだ、カロリーナ。こらこら、居間で寝るのかい?」

 

 その声を聞きながら意識をもう一度手放していく。

 

「ああ、もうこんな時間なのか。詩を作ってると時間が早く過ぎるなあ。仕方ない、運んであげようカロリーナ」

 

 

 

 目が覚めた。窓が明るい。

 次の日になったのか。私は寝る前と違う部屋にいて、ふわふわ過ぎるくらいなベッドに横たわっている。

 メイド服を着たおばさんみたいな人が起こしにきたらしい。

 

 貴族、だわこれ。

 わたしは誰? と聞くのも変だわね。そういや昨日の人にカロリーナって呼ばれてた気がする。

 メイド服を着たおばさんに着替えを手伝ってもらい、部屋から一緒に連れ出された。廊下にも赤紫のふかふかした絨毯が敷かれていた。とりあえず無言で歩くしかない。

 

「カロリーナ様はいつもおとなしくて良い子でいらっしゃいますのね」

 

 おばさんは親愛の情を感じさせるにっこり顔で言う。

 

「アルフレット様が、その、決してうるさいというわけではないのですけれど」

 

 いやいや昨日の人のこと、うるさいと思ってるでしょ。しかしそれはあくまで親愛の情を含んだものだった。

 

 

 そして食堂らしき部屋に入った。

 広さは学食くらいもあったが、ただし似ているのは広さだけ。

 壁には大小さまざまな絵画が掛けられ、その下には豪華な花束を受け止めている大きな花瓶いくつもあるが、どれも重厚で装飾の入った置台が支えている。

 部屋の真ん中には大きなテーブル、もちろん椅子もある。真っ白い大きなクロスが掛けられていたので食堂と感じたのだ。

 どれにも共通した特徴を一言で言えば、やたら曲線が多い造形である。

 

 本当に貴族だ。

 とにかくこういうとこにいる人間は。

 

 続けて食堂に入ってきた人が言ってきた。

 

「昨日は遅くさせて済まなかったカロリーナ。けれど言葉の海にゆられて眠りにつくことのなんと甘美なことか。詩はことばの溜め息なりて、聞く者の魂に安らぎを与えたまわん。アルフレット、言葉の使者なり」

 

 だんだんわかってきた!

 目の前の人物はやたらと詩をこねくりまわす、アルフレットなる人物。

 だったら一人しかいないではないか!

 

 ランズベルク伯アルフレットだ。

 これは、銀英伝の世界なのだ。

 わたしは昔から銀英伝が好きだった。今でも大好きだ。最近もう一度読み返したばかりである。

 本の中では生き生きとした人物像がそれぞれ彩られ、戦いも会話も息づかいも、まるで目で見てきたようだ。

 

 

 そうなのだろうか。本が窓なら、その奥はもう一つの別の世界。

 

 これは、たぶん転生なんだろう。

 しかし転生ってこんなもんだっけ? 普通、死にかけるかあるいは死んで魂が別の場所に行くんじゃないの?

 でもわたしは何もない日常でいきなりやってきた。こういうのもあるのか。

 

 どうするか。いや、どうすべきか。しかし結論は明らか、元の世界に戻るまで滞在するしかない。てかぶっちゃけ戻る方法もなにもわからないのだし、いつ戻れるかどうかも全然知らない。

 いや、それは後で考えた理屈で実際はワクワクしていたのが本当である。だって、あの銀英伝世界なのだ! どっぷりハマって、細部まで知っている。

 そのせいだろうか。もちろん心細いし、不安もあるのだが、少しでも早く原因を究明して元に戻りたいとまで考えなかった。特に今までの生活に不満はなく、逃げ出したいと思ってもいなかったのに。

 

 

 わかってること。

 わたしの名前はカロリーナ。アルフレットの妹という位置らしい。まだ体は子供だ。前の世界では19歳の女子大生、もう成長し切っていた頃だったのだけど。少し戻ったとは、少し嬉しい気もする。先に進むよりいい。

 そして大事なのは見かけだ。

 さっき着替えの時に鏡の前にいたんだから、ぼんやりしてないでよく見とけばよかった。

 今見える範囲で言うと肌はさすがに白い。一方で髪は茶色、いやそれより黒に近かった。下手な現代日本娘より黒いとは少しがっかり。白に近いブロンドだとよかった。

 

「兄上様、おはようございます。透き通るような光で気持ちのいい朝、今日は初めから天にも祝福されてるようですわ」

 

 わたしまで詩の趣味に毒されたのか、自分でも恥ずかしい挨拶を言ってしまった。元よりあまりものおじしないタイプだ。無駄にさばけてるともいう。

 

 あ、凍り付いてる。

 

 太ったおばさんメイドも、アルフレット兄さんも凍り付いて動かない。

 一瞬の後、同時に声を上げた。

 

「カロリーナお嬢様、なんと大人びたお言葉! どうしたわけでございましょう。でも少々仰々しいような気も」

「カロリーナ、やっと言葉を使うのが楽しくなってきたんだね! いやそれでこそアルフレットの妹。そう、今まで心に踊っていた言葉たちをそろそろ口から解き放ってごらん。来週はカロリーナの12歳の誕生舞踏会、この兄と詩を披露しよう。そうだ、それがいい」

 

 もう一つ情報が入ったが、思ったより幼い12歳なのか。どうりでまだ小さい体なわけだ。

 そして様子から察すると兄とは正反対に無口な子供だったみたいね。

 もっといろいろ探らなきゃ。

 

 それから一日かけての情報収集であらましのことはわかった。

 やっぱりカロリーナは無口で受動的で、おどおどした子供だったらしい。本当にわたしと全然違う。

 父母は既に亡くなっているとのことだった。宇宙船の事故で重傷を負い療養を続けた末のこととのことだ。

 以来、やや年の離れた現在21歳の兄アルフレットと二人で暮らしている。

 兄はやはりランズベルク伯爵家を継いでいる。

 伯爵というものがどんな程度の意味を持つのか、その標準がわからない。イメージする貴族というものをこの世界にもあてはめていいものだろうか。ただしこの星系を領地としてそれなりの財産もあるらしく、少なくともこの屋敷は大きい。

 この一日で執事、掃除や給仕のメイドたち、使用人を軽く10人以上を見ている。

 けれど使用人たちが口をそろえて言うには、兄アルフレットは物欲の異常に少ない人で、伯爵家として例外的に質素なものらしい。

 

 そしてアルフレット・フォン・ランズベルクの評判は意外にも上々だった。

 

 領地経営とか、統治とか、あまり本人も趣向しないし周りの誰もアルフレットに期待していない。だが逆にアルフレットは人に任せると余計な口を出したり足を引っ張ったりはしない。

 また贅沢や浪費をしない。

 もちろん詩を書くのにお金はかからないからだろう。

 それに何よりも暴力をふるわない。貴族の中には使用人を虫けらのように扱い、気に障ることがあると電磁ムチで「本人のための適切なしつけ」を繰り返すやからが少なくないらしいけど。

 更に言えばアルフレットは平民を差別せず、非常にフランクに接する。

 貴族としてはとんでもなく変わり者、それゆえに好意的に見られているのだ。

 

 要するに、忙しい時に限ってへぼな詩を聞かせてくる以外に害のない善良な人間なのである。

 そのせいかこのランズベルク伯爵領星系は銀河帝国首都星オーディンからだいぶイゼルローン寄りの辺境の地にありながらも、荒んだ空気はなく、人々はのどかであかるい生活を送っていた。

 

 

 さてこれからどうしよう。中身が入れ替わったのは全然バレないようだし、前のカロリーナの意識がどうなったのかは非常に気にかかるがどうしようもない。

 取り合えず素直に暮らそうと思う。そして詩のことは、わたしは一応大学では文学部にいたからには、兄に対応できなくもない。

 

 

 しかし事態が深刻すぎることに気が付いた!

 

 最大の問題は時期だ。

 今がいったいいつなのか。答えは帝国歴480年9月。

 

 何ということだろう。

 あと8年もしないうち銀河帝国は未曽有の内乱に陥る。

 世にいうリップシュタット戦役である。

 これで貴族社会は崩壊し、何もかもが変わる。

 兄アルフレットは余計なヒロイズムのため苦労を背負わされ、内戦に巻き込まれ非業の最期を遂げる。

 それが銀英伝の歴史だ! 既に分かっている。

 

 なんとかその未来を変え、激動を乗り切らなければならない。わたしにできるのか。

 

 銀河の支配権とかどうでもいい。目の前のささやかな平和を守るために。

 

 

 



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第二話 480年10月 舞踏会のお客様

 

 

 その日は朝からてんやわんやである。応援をあわせて大勢の人間が舞踏会の準備をしている。

 もちろん、わたしことカロリーナの誕生日のための舞踏会である。

 貴族社会で決して舞踏会など珍しくないはずなのに皆の慌てようは何なのだろう。

 

 事情は聞いてわかった。

 

 この辺りの星系で開く舞踏会としては十年に一度あるかないかの規模になるらしい。

 しかも、銀河帝国で最大の名門貴族、ブラウンシュバイク公爵家がわざわざ来賓する!

 

 ブラウンシュバイク公爵家は帝国発祥の時から存在する最も旧い貴族家、もちろん旧いだけではなく皇帝の娘アマーリエが嫁ぐほどの名門中の名門、一人娘の皇孫エリザベートを抱え、現在も帝国内で並ぶものなき権勢を誇っている。

 それだけでも驚くべきことなのに、更にリッテンハイム侯爵まで来賓するとのことだ。

 リッテンハイム侯爵家も負けず劣らず帝国の名門貴族だ。皇帝の娘クリスティーネが嫁ぎ、やはり一人娘である皇孫サビーネがいてブラウンシュバイク公爵家と激しくしのぎを削っている。

 

 これは、もうささいなミスも許されない。

 何かあれば弱小貴族ランズベルク伯爵家など首が飛ぶ。物理的な意味で。

 

 こうなったのは、何も偶然ではない。

 今回の舞踏会にランズベルク伯爵家と交友関係のある貴族が多く集まる。ここいらの辺境貴族の中に限定すれば、ランズベルク伯爵家はかなり名の知られた家なのだ。

 そして重要なことにランズベルク伯爵家はどこの貴族の派閥にも組していない。

 積極的に無派閥を宣言しているわけでなく、どの貴族にも仲良くしようという現当主の態度のため結果的にそうなった。

 そんな貴族が集まると聞きつけたブラウンシュバイク公が珍しくこんな辺境まで出席することに決めた。もちろん、現在では数少ない無派閥の貴族たちを自分の派閥に取り込むためなのは明らかである。すると、リッテンハイム侯も対抗上出てくることになる。

 

 集まってくる貴族社会の面々にとって舞踏会の理由や場所はどうでもよい。

 舞踏会は貴族にとって主戦場である。

 とにかく情報を得る、それが一つだ。当主の健康、能力を観察して手強そうなのか衰退に向かうのか、見当をつける。貴族にとって今後誰と重点的に交友するか、あるいは手を切るべきなのかは最重要の戦略なのである。

 

 次に出席者へ好印象を残す。

 大貴族であれば他の貴族を派閥に取り込み、小貴族なら逆に大貴族によしみをつなぐ。その親密さをアピールするかあるいは逆に隠す。

 敵対する貴族がいれば牽制する。またその傘下の貴族を引き抜く擬態をして動揺させる。

 

 要するに虚々実々の駆け引きが応酬される戦場である。

 

 

 さて、使用人たちが大騒ぎで準備する中、主催者のランズベルク伯は別のプレッシャーを感じていた。

 

「夜の闇もまた、高貴なる人々を囲む栄誉にひれふすなり。今宵の宴を永遠に忘れるあたわざるべし。う~ん、これがいいかな。いや、闇より帳がいいだろうか」

 

 ひたすら詩に悩んでいた! 誰しもの予想通りだ。

 

 さて、わたしはわたしで別のことを思う。

 ここ一ヶ月考えてやはり戦略的結論ははっきりしている。

 来るべきリップシュタット戦役をやり過ごすには、門閥貴族ときっぱり別れる。

 そしてなんとか勝ち組のラインハルト陣営に加わる。

 これは絶対だ。この先を知っている者としては。

 

 それとやはり領地を富ませ、ある程度の実力が欲しいところだ。

 できたら艦隊も欲しい。

 戦乱が及んだ時に防衛するためと、存在感を得るためである。

 聞いたらランズベルク領艦隊が今は四百隻あるそうなのだ。

 帝国正規軍で一個艦隊一万四千隻などという数字を見慣れてしまうといかにも小さい数字に見える。吹けば飛ぶようなものだ。

 けれども領地の人口を考えたらかなり多い部類らしかった。

 辺境の星系は開発が充分でないため農業が主だったり工業が主だったり、バランスが悪いところが多くて自給自足はできない。そのため必然的に交易量が多くなる。

 海賊が出やすくなるところなのだ。だから輸送船団護衛のための艦隊もそれなりの規模が必要になる。

 

 

 舞踏会はわたしにとっても情報収集のまたとない機会になる。ここで12歳の誕生日を迎えるとはラッキーなのかもしれない。

 素早く出席者の名簿を見たが、貴族の名前で知ってるものも少なからずあった。

 フレーゲル、コルプト、うわ、お知り合いになりたくない。レムシャイド、へルクスハイマー、ヒルデスハイム、このへんはどんな人物だったっけ。

 あ、出席者に意外な大物がいた。

 貴族出身の軍人も何人かは参加する。その中に帝国軍ミュッケンベルガ―元帥の名前もあった。

 

 グレゴール・フォン・ミュッケンベルガー、事実上帝国軍全軍を指揮するとんでもないお偉いさんではないの? 地位的には上にエーレンベルク軍務尚書がいるが、政治的な人物であり戦いの前線に出てくることはない。

 周りに聞いたらミュッケンベルガー家はなんでもランズベルク伯爵家に近い親類に当たるということだ。しかも、貴族の派閥に属していないアルフレットを非常に気に入ってるそうだ。これは何かに使えることだろうか。

 他に知ってる名前は無かった。貴族で軍人で、有能な人間はいるはずなんだけど……

 最初から欲張ってはダメね。実際会ったところで何をどう話したらいいのかもわからないし。

 

 

 舞踏会が間もなく始まる。

 

「フレーゲル男爵様、御到着~」 

 

 そういった到着を知らせる係りの人の声と共に屋敷には続々と人が入ってきた。

 緊張する。

 アルフレット兄さんは挨拶に忙しい。

 何しろ今日は何十家となく貴族が来るのだ。屋敷で普段使ってない一番大きい広間も一杯になりそうな雰囲気だ。

 わたしは部屋から扉を隔てた別部屋にいた。

 今夜の一応主役なので後で挨拶をするということだ。扉を少しだけ開いて、広間を覗き見る。

 所定の時間になり、アルフレットが兄さんが舞踏会の開会を宣言する。

 

「今宵は高貴な方々をお迎えし、この広間はさながら小さな銀河のごとくなり。人の声は星のさざ波……」

 

 うわあ、最初から詩になっちゃってるよ。これはもう長くなるよきっと。

 若い人もそうでない人も、殿方もご夫人も、いろんな顔はあっても表情は一つ。

(またこれが始まったか…… )

 

 執事のハインツが慌てて手でサインを送ってる。なんとか兄の始まりの言葉を止めさせたいんだろう。

 わたしが早めに広間に出て行った。

 

「 ……これが我が妹カロリーナ。12歳になり、12の年月はさながら魔法のごとく人を変え、」

「カロリーナ・フォン・ランズベルクと申します」

 

 どんな場合でも言葉をひねる兄を無理やり遮らざるを得ない。

 

「今宵はわたくしの12歳の誕生日を祝した舞踏会、このような高貴なる方々に集まっていただき望外の幸せに存じます。真に感謝に堪えません。今宵はどうか皆様にはささやかなる舞踏会を楽しんでいただければと思います。そして今後は、兄共々このランズベルク家をよしなにお取り扱い頂けますようお願い申し上げます」

 

 これでやっと舞踏会が始まった。

 最初は歓談という名の偵察タイムだ。忙しく、挨拶に来る人に対応しなくちゃいけない。

 人々はわたしに好意的だった。

 

「お誕生日、おめでとうございます。先ほどはあれを短かく止めて頂き、助かりました。もうどれだけ続くのかと」

 

 人の反応はだいたいこれに集約される。兄には聞かせられないなあ。おかげでわたしの株が上がっちゃった。

 

 

 ふと目つきの悪い人が来た。

 

「コルプト子爵と申します。12歳にして淑女の仲間入りですな」

 

 うわあ。てかなんでわたしの手を見てんの? ひょっとして手にキスする貴族のアレをしたいの?

 絶対無理だから。無理無理。

 

「では次に当家にも挨拶をさせて頂きますかな。12歳となって立派なものだ。だがまだまだ子供ですな。後で兄にも伝えてほしいものだ。やはりこのへルクスハイマー伯爵家がランズベルク家の後見になった方が万事うまくいくだろうに。さすれば兄も領地経営などせず毎日詩を作っていられるのだ」

 

 うむむ、ちょっと尊大な人が来てしまった。しかも言うことが怪しい。ちょっと考えてもランズベルク伯爵家をどうにかしたいことが分かる。本当に12歳ならば意味が分からないだろうが、あいにくこちらはもっと精神だけ年上なのだ。

 するとそこを遮る人が現れた。

 

「ヘルクスハイマー伯、卿のそれは後見、というものか。儂には何か別のものに聞こえるのだが、なぜだろう。納得のいく説明が欲しいところだ。」

「こ、これはブラウンシュバイク公! 公におかれましては、このような小さなお話し、お耳に入れるようなことでも」

 

 ヘルクスハイマー伯が慌てだす。やはり悪い企みがあったようで、素早く言い訳しながら去った。一方のブラウンシュバイク公も目的は達成、そしてわたしには何の興味もないらしく会話もしてこない。確かに12歳の令嬢など何の力もなく、取り込んでも意味は無い、ということだろう。

 

 

 とりあえずそこから離れ、少し観察した。

 最初は舞踏会というパーティーの華やかな雰囲気に圧倒された、特に豪奢なドレスと厚化粧と巻きに巻いた髪型のご夫人方に。これが貴族というものか。目が慣れてきたら少しゆとりが出てきた。

 兄アルフレットは、通りすがりに捉まった運の悪い人に自作の詩を聞かせている。

 声が聞こえない距離にいても、だいたい何言ってるかわかる。

 

 見ると舞踏会には子供もいる。とりわけ小さな子供が二人いた。

 どちらも10歳もいかないくらいだろうか。それぞれがもう少し年上の少女数人に取り囲まれて、二つの集団になっているようだ。

 母親らしき人は見当たらない。たぶん、外交に忙しくてどこかに離れていってしまったのだろう。

 その二人の子供は疲れてきたのか、同じように口をへの字にして機嫌が悪そうだ。

 

 そうだ、方法がある!

 実は兄アルフレットとわたしが詩の連作の朗読をする予定だった。それを、出席者に自作の菓子をふるまうのを引き換えにして断固拒否したのだった。

 実は菓子作りはわたしの趣味でもあり、そこそこの自信がある。

 もちろん屋敷の人たちには驚かれた。

 

「お嬢様がご自分で何かお作りなさるのですか!」

 

 そして菓子の内容を話すと余計に驚かれた。

 

「そのような菓子、見たこともございません。一体どこからお聞きになられたのでございましょう。ええ、食材も珍妙なものばかり、なんとか探せば用意できるとは思いますが」

 

 なんとか用意してくれて、作ることができたのだ。

 確かにここでは珍しいのかもしれない。わたしにとってはありふれたものなのだが。

 

 

 お菓子を持って小さな子の一人に近付いた。さっと人の輪が閉じて、周りの令嬢がきつい視線を投げてくる。わかった、この令嬢達は小さな子と仲のいい友達なんかじゃない。小さな子の取り巻きなのね。

 何よ、こっちは肉体12歳でも中身は19なんだからね。

 かまわず近付いた。

 

「疲れてる時には甘いものが一番でございます。こちらが、わたしの作りましたお菓子です。皆様でどうぞ」

「エリザベート様、なにやら不格好な菓子が出て参りましたが」「クリームも砂糖も見えない変な菓子」「奇妙なものを食べて、もしエリザベート様のお体にさわったら。」

 

 何なに? さんざんな言われよう。

 わかった。エリザベートとは、たぶんブラウンシュバイク公爵家のエリザベートね。

 その権力を狙って貴族の令嬢の取り巻きがくっついているのだ。

 

 まだあどけないエリザベートが言葉を発した。

 

「どんなものだろうか。家のパティシエはこのようなもの作ったことがない」

 

 やっと一つを手に取ってくれた。

 

「いけませんエリザベート様!」

 

 少しかじったが、周りの声にビクッとして手を下げた。

 

「変わった味だが、美味しいと思う……」

 

 しかし、残りをもう食べようとはせず盆に戻した。

 もちろん取り巻きはエリザベートの体の心配などしていない。たぶん彼女らはわたしがこのエリザベート嬢の気を引き、新たに取り巻きに加わることを警戒したのだろう。取り巻きが増えると自分の価値が薄まる、それはなんとも浅はかな根性だろう。エリザベートはそこまで気を回せず、またわたしや菓子に関心はなかった。

 

 菓子もいくつかの種類を作ったのだが、わたしもそれ以上勧める気をなくした。

 

「疲れましたら、別室に椅子と飲み物を用意してございます」

 

 一言は声を掛けて引き下がる。もはやその子も令嬢たちも関心がない無表情だ。

 

 

 別に政治的な意図はなく、心底美味しいお菓子を作ろうとしただけなのに。心が折れかけた。でもどうせ作ったんだし、もう一人の小さな子に持っていった。

 

「サビーネ様、田舎の菓子などお口に合いますまい」「自分で菓子を作るなど貴族も辺境に至ると落ちるものでございますね」

 

 反応は同じだ! 何またわたし、取り巻きに無茶苦茶言われてる?

 で、こちらの子は予想通りリッテンハイム侯の娘サビーネね。

 

「そちはカロリーナと申すものだな。よいよい、変わった味でもよい。退屈しておったところじゃ。舌も退屈しておる。驚かせてやるのもよかろう。どれから食おうかの」

 

 こっちの子はなんだか言葉は偉そうだが食いつきがいい。

 

「触った感じは良い。丸いワッフルで、けっこう重いの。中身が重いのか。こ、これは変わった味じゃ! 甘いがクリームとは全然違う。お、中身はなんと紫というか黒というか、ジャムというのもおかしいが、うむ美味いぞ!!」

「サビーネ様、そのジャムは豆を甘く煮たもので、オオバンヤキというお菓子でございます。」

「もう一つ食うてしもうたわ。そっちの白いのは何じゃ。早う食いたい」

 

 なんだろう。好奇心旺盛、というか食い意地がすごい。

 

「うむ、柔らかいがやはり重い。何じゃこの味は! なんと中にストロベリーが入っておる。丸ごとじゃ!」

「こちらのお菓子はダイフクというものにございます。お口に合いますでしょうか。さ、皆さまの分もありますのでどうぞ」

 

 しかし、取り巻きの令嬢たちは奇妙なものに手を出さない。

 サビーネが周りに言う。

 

「何じゃ、見てくれが珍妙なものじゃとて、味は良いぞ。初めてのものが食えぬとあらば、誰も母の乳を飲むことしかできぬではないか。何でも食うてみるものじゃ」

 

 意外にさばけた物の言い方をする。

 

「そのほう、妾の屋敷に来てパティシエどもにその菓子を教えてやるがよいぞ。妾が思うに、そちは他にもいっぱい菓子を知っていそうじゃ。よいかカロリーナ、必ず参れ」

 

 やたらと上から目線の俺様キャラだが、決して嫌な感じではない。

 この子とはウマが合う予感がした。

 

 

 後々、この出会いがわたしの運命どころか宇宙の運命を大きく変えることになる。

 

 

 

 



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第三話 480年10月 軍人と貴族と

 

 

 やっとわたしは目当ての人に近付いた。

 

 グレゴール・フォン・ミュッケンベルガー元帥、近くに行くほど精悍な軍人のオーラを感じる。

 何をどう話しかければいいのか思いつかないまま逡巡していたが、思いがけず向こうから話かけられた。

 

「おおカロリーナ嬢、大きくなったものだ。何年ぶりになるのか」

「ミュッケンベルガー閣下も壮健であらせられます」

「言葉使いが立派になったな。先ほどの挨拶も見事だった。本当にほめてやりたい」

「ありがとうございます。しかし、兄を差し置いて出過ぎたまねをいたしました」

「そんなことはよい。人それぞれ、向き不向きがあるものだ。アルフレットもあれで良い。儂には詩のことはよくわからんが、芸術と今の権勢、どちらが価値のあることだろう。百年経ったらここにいる人々の中でアルフレットしか名前が残っとらんかもしれんぞ」

 

 けだし卓見である!

 ミュッケンベルガーは堂々としてるだけで能力的には低いと思われているが、それは違うんだろう。

 でなければ、これほど長い間帝国軍の第一線の指揮官ではいられないはずだ。この時期自由惑星同盟はロボス元帥やらドーソン大将やら、そこそこ有能だが傑出した指揮官のいない時代であった。しかしそれらを相手にしてともかく帝国軍は優勢を保ってきたのだ。

 

「ただしそなたはまだ12歳だ。気を張ってるだろうが無理はいけない」

 

 いえいえ、19なのでそこはお気遣いなく。

 

「長い間、叛徒どもが儂を暇にさせてくれなんだ。本当ならもっと二人の元に行って見てやるべきであった。儂は父君にあれほど頼まれていたのに」

「そんな、お心だけで充分ですわ。しかしこれから甘えられるのでしたら、ぜひ領地経営の経済のこととか、軍事についても教えていただきとう存じます」

「なんと! 経済や軍事というか、これは変わったことを言う」

「特に艦隊戦なんかには興味がありますわ。ええ、本当に!」

 

 それは本当のこと過ぎる。掛け値なしだ。

 

「ううむ、これは何というべきか。そなたがしっかりしてるのは嬉しいのだが、さりとて難しいことを言う」

 

 ミュッケンベルガーが困るのは理由があった。

 後日になって嫌ほどわたしは知ることになったのだ。

 要するに貴族の令嬢というのは、衣装や芸術、そして殿方の見定めにしか興味がないのが普通だからである。経済や、まして軍事などかけらも関心がない。むしろそのような野蛮なことを嫌うのが当たり前である。

 こんな申し出は破天荒なことなのだ。

 もちろん良い意味ではない。

 他の令嬢から奇異の目で見られた上に、疎まれて貴族社会で立場をなくしたらかえって困ったことになりはしないか。いや、きっとそうなる。

 

 もう一つ、そんな令嬢と誰が結婚しようと思うだろうか。

 これは大変に重要な問題である。

 

「わかったカロリーナ嬢、ランズベルク領に近々また参ろう。そうだ、この場は貴族の舞踏会なので貴族出身のものしか連れてこれなかったが優秀な軍人も警備を兼ねて何人か連れてきておる。何かの縁でもある。紹介しておこう」

 

 

 たまたま近くにいた軍服の二人がミュッケンベルガー元帥の手招きによって近付いてきた。

 紹介される前にカロリーナは一人についてはわかったような気がした。

 白っぽい髪にやせ形の長身、なにより特徴的なのはその薄氷色(アイス・ブルー)の鋭い瞳。

 

「こっちがアーダルベルト・フォン・ファーレンハイト少佐。もう一人はエルンスト・フォン・アイゼナッハ少佐、どちらも先の楽しみな優秀な士官だ」

 

 やっぱり。ファーレンハイトだわ!

 攻勢に出たときの巧みさではあのビッテンフェルト提督を凌ぐといわれた烈将である。その戦術は機を見るに敏、タイミングを見て一気に攻勢をかけて戦局を変えるのを得意とした。

 ミッターマイヤーが艦隊運動の達人であり、艦隊を高速で運用して、ついてこれない敵艦隊を自在に翻弄して葬る疾風であるとするなら、それに対してファーレンハイトはここぞと見た時のタイミングで艦隊の攻撃力を最大限叩きつけ、敵を瓦解させる鋭鋒であった。

 もう一人のアイゼナッハの方は堅実で理にかなった用兵で信頼できる将である。両名とも、ぜひランズベルク伯爵家の私領付属艦隊に欲しい!

 

「まあ、頼もしい軍人さんですわ。ランズベルク領の艦隊を任せられればよいのに」

「ふむ、ランズベルク伯爵領はオーディンとイゼルローンの中間に当たる。辺境でも事があれば補給や後方支援に重要な地だ。治安を保ち、豊かにするのはあながち私情ばかりとも言えぬであろう。軍事顧問を検討しても良いな。」

 

 

 しかし、ここで期待にいきなり冷や水をかけられた。ファーレンハイト当人からの発言で皮算用が無残に破られてしまった。

 

「閣下のお考えなれど、叛徒がいつ攻め寄せるかわからない今、海賊相手の戦いなど辺境貴族の手で充分でありましょう。辺境貴族がもし本気であれば、ですが」

 

 わたしは驚くほかない。

 ミュッケンベルガー元帥に一介の少佐がなんという物の言い方だろう。

 一瞬で左遷でもおかしくないのだ。よほど世の中を斜に構えているのか、このファーレンハイトという人は。

 しかも発言内容は辛辣である。辺境貴族が弱者である立場を利用して甘えにかかってると思ってるんだわ。無能でやる気もないのを棚に上げて、と。なんかバカにしてる。

 

 

 ちょうどその時カーテンの後ろに待機していた楽団員たちが優雅なワルツを奏で始めた。舞踏の時間が始まる合図であり、話は途中で終わってしまう。

 

 アイゼナッハの声はついに聞けなかった。

 

 幾人かのペアが美しく回りながら広間の中央に集まってくる。

 音を立てない滑らかな回転も、ドレスの模様が動く様もさすがに美しい。

 わたしはそんな優雅なダンスを一瞬見ただけで背を向ける。急いで戦術的撤退を試みたのだ。つまり、壁の方に向かって逃げたのである。

 冗談ではない!

 わたしにダンスなんかできない。ダンスなんかフォークダンスのオクラホマミキサーか、わけのわからない創作ダンスを学校でやっただけだ。

 ワルツなんか絶対無理。わたしは元のカロリーナより年上なためうっかり失念していたが、何でもわたしの方ができるというわけではない。たぶん、少しはダンスを練習していた元のカロリーナより私はダンスができない。

 

 そこを遮って足止めしてきた人がいた。さっきのコルプト子爵だ。

 

「よろしければ、ダンスを一曲。伯爵令嬢。」

 

 うわ、顔が近い。

 こっちは肉体12歳だ。ロリコンかこいつは。

 どう断るかあれこれ考えて困っているとファーレンハイトが大股で歩いてきた。

 

「伯爵令嬢、先ほどは剣呑なお顔をされておいででしたな。話の続きがありましょう」

 

 あ、助けてくれるんだ。この人は。

 

「何だお前は。軍服ということは広間の警備か。下賤の者が、邪魔をするな。これから令嬢はダンスで忙しいのだ」

「こちらの話が先に始まったのです。令嬢はしばしお借りする」

「何だと! ふざけるな! 優しく諭してやっているのにつけあがりおって。誰と話をしていると思っている! 高貴なる身分のものに逆らうなど無礼であろう。令嬢と話があるならダンスが終わるまで這いつくばって待っておれ」

 

 

 わたしは少しキレた! 

 確かに帝国では貴族は絶対的に上であり、コルプト子爵の言うことが正しいのであろう。いや、むしろ本人の言う通り非常に優しい物言いなのかもしれない。しかし、こちらの価値観とは違う。

 

「何よ! 貴族だからって何? どんだけ違うっていうの? 天皇かあんたは! ファーレンハイトはね、帝国軍でも一番の烈将だわ。ミッターマイヤー、ロイエンタールくらい強いんだから! 実力であんたなんかかないっこないわ!」

 

 言ってしまった。

 いろいろと恥ずかしい。唖然とするコルプト子爵を残してすたこらさっさと逃げ出した。開いてる扉から中庭に出る。

 そこへ追いすがってくる人がいる。

 

「先ほどは面白いものを見ました。伯爵令嬢として、相当変わった方のようだ。いったいどのようなお考えをお持ちなのか」

 

 ファーレンハイトが苦笑に近い笑いでこっちを見ている。大笑いとかしないタイプなのね。でもいい表情だと思うわ。

 

「あの貴族が偉そうにしてるのが気に入らなかっただけでございます。それより、申し遅れましたが助けに入って頂きありがとうございます」

 

「カロリーナ嬢には助けは必要なかったようだ。相手は有力な貴族、こちらは一隻で一個艦隊に突入した気分だったが」

「相手の気が弱くて助かりましたわ。ファーレンハイト様は攻勢に強うございますが、かわされて側腹から分断、各個撃破でもされたらたまりませんわね」

 

 わたしは乗せられて軽口を叩いた。するとファーレンハイトは何やら考え込んでしまったようだ。言い過ぎたか。

 

 

(この令嬢はいったい何だ。12歳なのか、本当に。言葉遣いも機転も子供のものとは思えない。しかも貴族が偉そうにしてるのが嫌いなようだ。面白い、面白いじゃないか! それと天皇って何だ? ミッターマイヤー、ロイエンタール、そういう名は聞いたことがある気がする。確か士官学校の戦術科を優秀な成績で出た奴らではなかったか)

 

 

 この舞踏会は幾多の思惑を残して終わった。

 

 

 

 



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第四話 480年12月 転機至る

 

 

 あの舞踏会から数ヶ月が過ぎ、変わったことはいくつもある。逆に変わってないのは兄アルフレットだけだ。

 わたしは精一杯頭を絞り、ランズベルク領の経済を把握し、いくつかの改革を断行した。

 

 税制の簡素化、流通の促進、行政の迅速化などである。思いつくままにアイデアを書き、実現できそうなものだけを行う。決して無理はいけない。しかし自分ではまだまだな感じがする。

 

 もちろん周囲には大きな驚きを持って迎えられた。

 その内容自体というよりは令嬢自ら案を出して指示しているからだ。あの人一倍大人しかった令嬢が。

 

 大きな反発は無い。元々ランズベルク家と領民の関係は良好であった。

 

 しかも、真っ先に伯爵家の財宝・権利を売ってまで財政を助けることを表明したのだ!

 そんなことをする貴族など普通ではない。

 普通の貴族というものは平民からいかに多く搾取して、平民の富を貴族の館に移すかに腐心しているものだから。執事ハインツだけが名残惜しそうにしていた。いろいろな品について先代との思い出があるのだろう。

 

 兄アルフレットはわたしの行動を黙認した。

 正確に言えば黙認ではない。

 

「乙女は織りなす虹色の織を。天に羽ばたく日のためにこそ。雛は夢見る見下ろす大地、その日の至るべければなりや」

 

 よくわからない詩にして聞かせてくる。

 しかし決して邪魔はしなかった。最近、才気を見せるようになった妹を見守ることに徹しているのだろう。それもまた大きな優しさである。

 

 

 そんなある日、ミュッケンベルガ―元帥が約束通り来訪してくれたではないか。

 

「ミュッケンベルガ―閣下、早速の来訪ありがとうございます」

「なに、ランズベルク伯領で何やら面白いことを始めていると聞いたものでな。早く来なければいかんと思ったのだ。平民を富ませるようなことをはじめているとか。オーディンでは、ランズベルクがいよいよおかしくなったと噂になっておる」

 

 まあ、そうだろう。わたしとしてはいずれ始まる内戦に備えて、下らぬ家宝より目に見える力にしたいだけなのだが。

 

「今回儂が寄ったのは、経済や軍事の改革に役立ちそうなものを連れてきたからだ。話を聞けば面白かろう。それと先に注文された品、一応持ってきたが、いったい誰が何のために使うのだ? 学校でも作る気か?」

 

 あ、あれも持ってきてくれたんだ。頼んでてよかった。

 ランズベルク領には超簡易型のものしかなくて、あんまり使えなかったんだ。

 やっと本格的なのが来た。自分が使う? いやいやそれは無理だ。意味がない。誰かにさせる? まあいずれ必ず役に立つだろう。

 

「ありがとうございます、ミュッケンベルガー元帥。普通には売ってない品ですから。士官学校の廃棄品で充分でございます。艦隊戦三次元シミュレーターは」

 

「連れてきた主な人間を紹介しておこう、カロリーナ嬢。ファーレンハイトはもう知っているな。今回は実践的な人材が良いと思ってな。こっちはコルネリアス・ルッツ少佐、射撃の腕前はイゼルローンの軍人でも一、二を争うのだぞ。そしてカール・グスタフ・ケンプ中佐、カール・ロベルト・シュタインメッツ中佐。どちらも艦艇の操作が得意だ。数日滞在するのでその間急ぎランズベルク伯艦隊を見てもらうがいい」

 

 ルッツにケンプ、シュタインメッツとは。いい人選してくれるじゃないの。

 さすがにミュッケンベルガー元帥、よく見ているわ。

 

 それより早く艦隊戦三次元シミュレーターを見てみたい。ヲタではないと自分では思ってるんだけど、結構こういうの好きなんだよね。

 こんな立派なシミュレーターじゃないけど、よくネトゲの艦隊戦やってたし。

 

 

 設置が終わるとわたしは直ぐに操作を始めた。

 もともとあった超簡易型と操作自体は同じだ。しかし、ディスプレイがいくつもあり音響やナレーションがさすがに本格的だ。

 AI相手にさっそくシミュレーションをしていると、背後から声がした。

 

「小官の知らない間に、世の中も変わったものだ。伯爵令嬢が艦隊戦のシミュレーターで遊んでいるとは。そんな日は永遠に来ないと思っていたが。しかし、ここだけが特別なのか」

 

 思いっきりからかう声だ。これはファーレンハイトだわ。

 

「遊びとは? ほんのたしなみでございます。ファーレンハイト様。小なりとはいえこの領地には艦隊がございます。それぞれの艦長や指揮官の練度を高めていきませんと。そのためわたしが先ずは試しに」

「気のせいかな? カロリーナ嬢本人が楽しんでるように見えたんだが。それはそうとAI相手ばかりでは片手落ちなのを知っているのかな。AIはパターン化し過ぎていて、かえって実戦での勘が狂ってしまう。誰かが相手をした方がいいが、ここにいるのは小官、ではお相手いたしますかな」

 

 さっさと対戦相手シートに潜り込んでる。

 最初からこれが狙いなんだ! こっちを叩きのめしてぎゃふんと言わせたいのだろう。

 

「そんな、現役の少佐にわたくしなどが相手にもなりますまい。誰か代わりの士官を呼んでまいりましょう」

「もう起動した。一個艦隊一万三千隻、同数での対戦だ。艦隊編成はノーマル。障害物等の特殊条件なしだ。互いの艦隊が発見された遭遇戦の仮定で入力するぞ」

 

 聞いてないフリするな!

 そして指示通りシミュレーターから声がした。

 

「対戦シミュレーション開始します、推進剤・弾薬は通常装備、距離9光秒。相対速度40宇宙ノット」

 

 こうなるとわたしも俄然闘志が出てきた。負けられるか!

 

「少佐、どういうおつもりか存じませんが、一回だけお相手いたしますわ」

 

 つ、強い。さすがはファーレンハイト。隙が無い。それに攻撃を受ける時の圧迫感が半端ない。予測をはるかに超える速度と正確な艦隊運動だ。

 油断すると一気に全面攻勢に出られて崩される。正面からの撃ち合いなど論外だ。

 こちらは柔軟防御に徹した。

 崩されそうな場所を補填して、被害を受けた艦を下がらせ、他から上手に引き抜いた艦で防衛線を立て直す。敵の突進ポイントを予測して火力を集中し、集合を邪魔する。

 徐々に後退しながら粘り強く防御していった。今のところ損失艦数は五分と五分。

 敵を誘い出し、陣形を伸ばさせながら半包囲陣形を採るのだ。包囲さえすれば勝てる。

 刹那、急速に後退され努力がムダになった。めまいがする。

 

 次の手を打つ。敵の陣形再編を待たずに自陣の中にクロスファイヤーポイントを設定した。

 敵はあっという間に紡錘陣をとり急速接近してきた。

 こちらが包囲をあきらめ移動させたタイミングだ。このままでは分断され各個撃破されてしまうが、間一髪で敵の鋭鋒を避けた。

 しかしそれは予測の範囲内だ。設定済のクロスファイヤーポイントに火力を集中、出血を強いる。しぶとい反撃だ。

 だが向こうはその間にも旋回運動をしながら次々と艦隊の重要ポイントを攻撃してくる。

 こちらは防御に優れた艦を前面に出した小部隊を急いで編成し、敵紡錘陣の通過を待って側腹を狙い撃つ……

 

 

 シミュレーターが終わりを告げた。

 

「損耗率、初期設定値に到達。勝者ファーレンハイト、損耗率29%。敗者ランズベルク、損耗率38%」

 

「負けましたわ。ファーレンハイト少佐、お強いですね。一度も損耗率で逆転できませんでした。損耗率もこれだけ差がつけば、実際の艦隊戦だったら逃げることもできず壊滅させられてましたわ」

 

 わたしは素直にそう言う。負けてさっぱりはスポーツマンシップの基本よ。

 

 ファーレンハイトは返事も返さない。30秒はシートに座ったままだった。

 目の前にたったいま起こった出来事が信じられないようだ。

(経済や軍事に興味があるという生意気な令嬢をからかってやるつもりだったのだが…… それがシミュレータでこんなことになるなんて! そら恐ろしい12歳の令嬢だ。細緻を極めた用兵ではないか。粘り強い防御と、ダイナミックな策と。恐ろしく正確な予測。おまけに対応の早さ。信じられん。この令嬢は、どこかおかしい)

 

 ファーレンハイトは士官学校時代からシミュレーションで数知れず対戦してきた。

 そのほとんどは勝っている。

 特に攻勢に出た時の自分に強い自信を持っていた。最終局面で攻勢に出たら一気に勝負を決めた。シミュレーションでの少数の敗戦は、攻勢に出られないままずるずると損害を増やされた時くらいだ。

 それが今、その攻勢を止められて逆撃までされたのだから。なんと言えばいいのだろう。褒めればいいのか、けなすのがいいのか。

 

「伯爵令嬢、この先、その才能が無用のものであり続ければ一番いいのですが」

 

 わたしはにっこりうなずいた。

 

「その通りですわ。ファーレンハイト様、本当に」

 

 

 そのやり取りを見ていた者達がいた。ミュッケンベルガーと他の軍人たちである。カロリーナとファーレンハイトが部屋から出ていくとシミュレータの記録を調べた。

 彼らは皆、ファーレンハイトの言葉通りの感想を持ったのだった。

 

 

 

 それからわたしは数日の間、せっかくなので様々なことを吸収しようと思ったが、うまくいかないことが多かった。

 

 射撃の達人コルネリアス・ルッツに教授してもらったのだがさんざんだった。

 ルッツ曰く「12歳では、このくらいだと思います」丁寧な言い方だが、つまり並み以上とはいえないということね。

 シュタインメッツに艦の構造やら操艦を教えてもらったのだが、これもダメな部類だった。わたしは文系脳だわ。

 一行が帰途に就く直前、わたしはミュッケンベルガーに2つのことを聞いた。

 

「オーディンのいろいろな施設、特に軍の施設に行ってみたいですわ。士官学校とかも」

「軍の施設? カロリーナ嬢は興味が本当に幅広いのだな。普通にはそういうことは許可できんのだが。なにせそんなことを許せば、軍に入っている貴族の息子どもの親が来て大変なことになるゆえに」

 

 そりゃそうだ。そして親たちが特別待遇付けろとか言い出したらたまらない。これはわたしの考えが甘かった。

 でもなあ、有能な人物に早く知り合いたいんだよわたしは。

 

「ただし、儂が軍のため必要と認めた客人であれば大丈夫」

「それを早く言って下さい! ミュッケンベルガー様、それならぜひお願いします。もう一つ、お聞きしたいことがあるのです。帝国軍に所属している者をランズベルク領艦隊に招くにはどうすればいいのでしょう」

「それはまた難しい質問だ。それには様々な制限が付く。もし制限がなければ、有力な貴族が根こそぎ持っていくことになって収拾がつかん。先ず本人が納得して移りたいといわねばならん。軍内部なら辞令一つなのだが、この場合は形式上除隊だからな。そして、通例、階級が同じとする。それと一番難しいのが軍の上司が認めなければならんのだ。よほど無能か、性格に難があって嫌われているか、とにかく扱いにくいと思われてなければ普通は認めんだろう。事実上難しい」

 

 意外とハードル高いわ。簡単にヘッドハンティングというわけにいかないのね。でもがんばらなきゃ。

 

 

 

 



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第五話 481年 1月 オーディンの街角

 

 

 わたしはついに銀河帝国首都星オーディンに降り立った。

 大貴族の使うようなオクタワープエンジン搭載の超々高速艇なら一日の行程かもしれないが、わたしはは輸送船団の護衛艦隊に同乗してきたので九日もかかった。

 

 初めて見るオーディンの都だ。

 荘厳な建物あり、瀟洒な店先があり、歴史と文化、経済と芸術、ありとあらゆるものが存在する。

 さすがは人類社会の中心地を五百年も続けてきた都だ!

 人々も、粗末で汚れた衣服の下層民、機能的でシンプルな服をまとう商人、豪華な燕尾服または刺繍のちりばめられたドレスの裕福な者たちがいた。この雑踏感も都会ゆえだろう。 

 

 わたしは最初、そういう立派な出で立ちの人が貴族だと思った。

 そうではなかった。

 街で見るのは平民の中の比較的裕福な人に過ぎなかったのだ。

 それらの人々の上に帝国騎士(ライヒスリッター)に叙勲された者たちがいて、更に上の方に貴族たちがいる。もちろん、その貴族の中にさえ序列があるのだが。

 普段、貴族は街中を歩いたりしない。

 せいぜい乗り物に乗って通り過ぎるだけだ。稀に降り立つときも護衛に囲まれている。平民にとってはよほど没落した貴族でない限り、貴族を見たり聞いたりすることさえ滅多にはない。

 やはりランズベルクの家は例外的に貴族らしくないだけなのだ。

 

「どんだけ偉いのよ、貴族って」

 

 

 先ずオーディンに来た目的を果たす。

 カロリーナはリッテンハイム家のサビーネ嬢に会わねばならないのだ。口頭の軽い約束でも相手が大貴族ならばきっちり守らなくてはいけない。それが弱小貴族の基本である。

 

 サビーネとしたお菓子の約束のことをリッテンハイム家の執事に伝えたところ、快諾とのことだった。

 そして約束の日に向かったが、行けども行けども、屋敷に着かない。敷地広すぎ。

 不安になるくらいの距離を行った後、更に驚くことになる。

 以前ランズベルクの屋敷をでか過ぎる、と思ったが、そんなのは比較にならなかった。逆にどれほどランズベルク家が質素を好んだか理解できた。

 リッテンハイム侯爵家の屋敷は、壮麗にして豪奢、さながら宮殿か大聖堂のようだった。

 

 そんなところに行きながら、要件は手に持った菓子の箱一つとは!!

 

「カロリーナ、よう来た。妾の腹はそなたを待ちかねておったぞ」

 

 やっぱりお菓子を待ってたんだ! そんなにも。

 しかしそれだけではなかった。

 

「カロリーナの噂はよう聞いておる。経済や軍事というのに興味があるとか。そんなに面白いのか。妾は今までそういう面白げなもの、聞いたことがない。ぬかったわ。世の中にはいろんなことがあるのじゃな。妾の周りの者どもも、いろんな者がいたほうがよさそうじゃ。衣装の話などすぐ飽きるでの」

 

 何それ、10歳にしてなんか立派な王道を歩き始めたっぽいじゃないの。

 

「さすがはサビーネ様、その通りでございます。世の中には知っても知っても、まだ知らぬことが多いくらい広うございます」

「カロリーナは妾が言うのもなんだが、もうそのような年で世の中が広いことを知っておるのか。ならば、先ずは舌で世界の広さを知りたいものじゃ」

 

 そこか! わたしはとにかくお菓子の箱を出した。友達のアパートに行くようなノリで。

 この場にそぐわないことはなはだしい。

 すぐに驚くほど豪華な食器に盛り付けられて供された。

 

「うむ、これはフルーツコンポートのシロップ漬けじゃな。おお、これは前にも食うた紫色の豆のジャムが入っておるぞ。お、何じゃこのババロアのようなものは。固いな。しかし、口ではホロホロ崩れる。なんとも不思議な感じよの。色も綺麗じゃ」

 

「このお菓子は、アンミツというものにございます。今言ってくださったのはミルクカンテンでございます。下のほうにメインの具材が沈んでおります」

「うむ、この白いのがメインか。おお、美味い! これは美味いぞ!」

「シラタマ、というものでございます」

 

 夢中で食べてるサビーネが微笑ましい。

 

 カロリーナはいろいろ領地経営のことを考えた。自分の得意分野を生かすことを。やはり、趣味のお菓子作りを生かせないだろうか。

 今回オーディンに来たのはサビーネにお菓子を食べてもらうこと、そしてオーディンにアンテナショップを作れないかと思って来たのだった。

 

「持ってくるお菓子には限りがございます。サビーネ様のお屋敷のパティシエが作りやすいようなものにしました。それと今日のお菓子は分量と温度を変えるだけで、いろんな違うお菓子になりますわ。温かいオシルコにもなりますし、硬めにしてアンダンゴとかも」

「うむそれはよい。パティシエにもようく教えておくがよい。楽しみじゃの!」

 

 

 リッテンハイムの屋敷を退去したら、さっそくアンテナショップ作りだ。

 ランズベルク伯爵家のお店を作る。

 連れてきた使用人たちは最初はそうとう嫌がっていた。確かに前代未聞のことをするのである。しかし進めていくうちに、調子よくやってくれるようになってきた。

 たぶん、学園祭のノリだろう。

 嫌がっていてもやってるうちに盛り上がる。ショップが出来上がる前に宣伝を兼ねて屋台まで作るほどだった。

 主力商品は、見た目にインパクトがあるものだ。

 しかも具材でバリエーション豊富にもできる菓子、タイヤキである。

 唯一惜しかったのは、焼き型をつくる職人の感性が反映されて、タイヤキの顔の部分が何とも言えないバタくさいものに変わり果てていた。

 

 しかしわたしは考えが甘かった。

 使用人たちはカロリーナの十二歳という歳を知っている。その歳なら何をしてもたいていは許されるものであるし、そもそもランズベルク伯爵家はフランクな家風なので、影響の大きさがわからなかったのも無理はない。

 オーディンの人々は驚いた。伯爵家が店を出す? それで売るものがあまりに珍妙なお菓子だとは。いったいどんな発想をしたらこんなものができるのだ? デフォルメした太った魚の形のワッフルだ。なのに魚なんかどこにも入ってない。

 しかも、しかも、だ。伯爵令嬢がみずから店に出て菓子を売っているではないか。

 

 評判を呼び菓子は売れに売れた。

 

 しかしそんなことはどうでもいい。この悪ノリの代償は高くついた。

 貴族社会で悪い噂が広まった。オテンバがあまりに過ぎるという。

 一部の開明派貴族には好意的に受け止められたが、しかしほとんどの貴族にとって貴族社会の心得をないがしろにするものに見える。貴族社会の秩序を乱すようなことを無視していいものではない。

 貴族が、街角の市井の者どもと声をかわすとは、しかも菓子を売るとはとんでもない!

 もちろんわたし本人よりオテンバを許している兄アルフレットに非難を向けた。

 そしてわたしは知らなかった。アルフレットはそういう声を聞くと、普段あれほど呑気なのに、「当家のカロリーナの何が悪い」と毅然として言い放ったという。

 

 アルフレットには妹が何をしようとしてるかはわからなかった。しかし、妹を可愛いと思っていることは本物であったし、それだけで充分だったのだ。

 

 

 

 それから1年ほどの間、カロリーナは領地とオーディンの間をしばしば往復した。サビーネの元に通ったりいろいろなお菓子の販売を軌道に乗せたり、忙しい日々を送っていた。

 

 ああ、このまま楽しく充実した日々が続けばいいのに。

 

 だが、カロリーナの心には棘が刺さっている。

 それがいつも痛みをもたらして止むことがない。

 タイムリミットがあるのだ。

 

 

 今は平和な銀河帝国である。

 しかし、戦乱が暗く世を覆うまで、あとわずか。

 

 

 

 



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第六話 482年 9月 ぼんやりした思い

 

 

「カロリーナ、次はいつなのじゃ!」

 

 置かれた椅子に姿勢よく座りながらも若干顔を前に出し、口をとがらせてサビーネが叫んでいる。

 子供用の鏡台の前に座っているのだが、もちろん返事の来ようはずもない鏡に向かって独り言を言っているのではない。

 必要な時に鏡からヴィジフォンに切り替わる鏡台に向かっているのだ。

 

「お別れして今領地までたどり着いたばかりですわ、サビーネ様。次にオーディンに参るのは、日取りもまだ決まっておりません。申し訳なきことですが」

 

 こちらはヴィジフォンを通し、少女サビーネへ丁寧に返事を返す。

 

 もちろん、サビーネの質問が正確な日付を知りたいなどというものではなく、また一緒に遊びたいという欲求を訴えるものと知りながらのことだ。

 今はそういった甘えを受け止めてあげるのもよいのだと思う。

 

「カロリーナの菓子は、カロリーナが作ったほうがよいのじゃ。屋敷のパティシエの作ったものは味わいが足りぬ」

「レシピがあっても何回も作らなければ美味しくできませんわ。お屋敷のパティシエ達は一流ですもの。そのうち私めのものより美味しく作りますわ」

 

 サビーネが食いしん坊ではあるけれども、今は食べ物の話をしたいのではないということを知りつつ、そう返さざるをえない。

 

 

 今回二週間ばかりオーディンにいたのだが、わたしとサビーネは3日と開けず会っては一緒に菓子を食べていた。新作菓子のお披露目を兼ねての訪問だった。

 

 そして外交と領地経営の目的を充分達すれば、わたしは急ぎ領地に帰らねばならない。

 貴族の中には領地へ何十年も帰らず、ただオーディンで怠惰な日々を送る者も少なくない。大貴族になればなるほどその傾向は顕著であった。そういったことができないほどランズベルク伯爵家は決して貧乏貴族ではない。しかしわたしも兄アルフレットも、ランズベルク領惑星の穏やかな雰囲気が大好きだったのである。

 しかもやることがある。今、領地経営に情熱を注がねばならないのだ。

 菓子販売がきっかけだった。もちろん菓子の利益などたかがしれているのだが、ランズベルク伯爵家が斬新なアイデアで領地経営に熱心になったという噂は、確かに融資などの面で好影響を与えた。

 そのため、鉱山開発とか農地機械化といった案件が一気に進んだのである。

 

 

 再び目を戻すと、ヴィジフォンの画面には贅を極めた部屋が映っている。

 中央にいかにも貴族然とした容貌のサビーネ、その斜め後ろに侍女らしきものが三人もいる。

 それでもなお空間にはゆとりが有り余る広い部屋であった。

 視線を脇にずらすと、壁に掛けられた何枚もの立派な絵画が見える。天井は高く、上下に長い窓にはドレープの襞が幾重にも重なる厚いカーテンが掛けられている。さすがにリッテンハイム侯爵家だ。

 

 そしてサビーネの丁寧に結い上げられた明るい茶色の髪と、薄いが密な最上の布地で仕立て上げられたドレス、それらに対してシンプルなメイド服を着る侍女の際立った違いがそのまま隔絶した身分の差を現している。

 

「今度はお屋敷の柊が雪に隠れる前には参ります。それと、また新しいお菓子も完成させて持っていきます。サビーネ様が驚かれるようなお菓子になりますわ」

「新しい菓子か。それは良いな! 今回カロリーナの作ってくれたミソオデンより美味いものじゃな。きっとじゃ」

 

 サビーネは寂しくともそれ以上の我儘は言わなかった。

 尊大ではあるが11歳という年齢に見合った分別は持ち合わせていたのである。

 

 ヴィジフォンが切れた後もこちらは苦笑を続けている。

 

「あーあ、当分は新しいお菓子のネタがあるからいいけど。でも難易度上がってっちゃうんだよね」

 

 わたしは肉体年齢13歳の少女に似合いの澄んだ明るい声で独り言を追加し、そのままベッドに倒れ込んだ。

 こちら側の部屋は巡航艦の客人用居住室である。今回、輸送船団の護衛に就いていた巡航艦に同乗して領地に戻ることにしたからだ。

 

 ここは艦長室についで上等な部屋である。

 しかし宇宙艦内の部屋であることには間違いなく、わたしはその低い天井を見やった。先ほどヴィジフォン画面に映っていた黄色に輝くシャンデリアを見ていたためか、ここの照明が逆にやや青みがかって見えている。

 首を曲げて小さな窓を見た。

 航路はまもなく終わり、窓の中はもう到着予定地のランズベルク伯爵領惑星でいっぱい、そして宇宙港までもかすかに見え始めていた。

 

 

 再びヴィジフォンから呼び出し音がかかったが、これは艦内通信である。

 用件もはっきりわかっている。

 

「カロリーナ様。またリッテンハイム侯のお嬢様を宥められましたか。本艦は間もなく逆制動をかけて大気圏に突入しますので揺れに備えて下さい」

 

 恒星間通信が終わるのを待っていたのであろう。艦橋から連絡があった。むろんプライバシーを考慮して今は音声だけである。

 それは我らが伯爵家のオテンバ令嬢、カロリーナに対する節度ある親愛を感じさせる柔らかな声であった。

 

「わかりました。30分後に艦橋へ参ります」

 

 わたしがそう返事をすると、わずかな間をおいて声がした。

 

「お待ちしております。カロリーナ様。お申しつけの際は何なりと」

「ありがとうございます」

 

 なぜ間があったのかも分かる。

 貴族なら旅の終わりの手荷物整理となれば、侍従または侍女を使うのが当たり前である。

 何よりも到着後、居室に艦長自らの訪問を受け、その恭しい挨拶を聞いてからおもむろに出るのが慣例だ。おまけに、「退屈であった」「部屋が狭い」などと腹いせに文句の一つも言う貴族は少なくない。

 今のように一人で身支度をして艦橋へ出てくる貴族は通常ではない。

 そういったことが頭をかすめたのであろう。

 

 

 さあ、あともう30分、寝てられないわね、とつぶやきながら目を閉じる。

 疲れを感じるのは旅のせいではない。

 先のリッテンハイム侯爵家の一人娘サビーネのことを考える。

 

 出会いはカロリーナの誕生舞踏会の場だった。

 まだ小さな子、そう見えた。実はカロリーナと肉体年齢はあまり違わなかったのだが。

 疲れている様子を見てお菓子を持って行ったのが始まりだ。

 勘弁してよ、と言いたくなるくらい尊大で上から目線の子供だった。

 でも今は別の感情がある。

 

 友誼を重ねるうちにわかってきた。

 サビーネの周りには利害関係で集まってきたお友達ごっこをする取り巻きたちがいる。

 かしずいて命令を待つ侍女たちも、貴族としての心得から決して出ることのない母クリスティーネ・フォン・リッテンハイムもいる。

 しかし、真に心の内を話せる人間、暖かなまなざしを向けてくれる人間、そのどちらもが欠けていた。

 サビーネの尊大さは孤独感から来ていた。その裏返しでさっきの会話のように甘えてくることも最近多くなった。

 心根は決して悪くはない。頭脳も明晰といえる。

 よく考えたら、年齢以上に大人なしゃべり方をする。

 

 わたしは意識せずとも、この2年近くの交流はサビーネの心を解きほぐし、均整のとれた成長をするのに多大な貢献をしていたのだ。

 であればこそ帝国でも最有力の大貴族リッテンハイム侯爵家がたかが辺境貴族令嬢であるカロリーナ・フォン・ランズベルクに度々屋敷に出入りするのを許しているのである。

 

 

 だからこそ心苦しい!

 

 避けられない未来を知っているということで。

 今からわずか5年後、そのサビーネがガイエスブルグ要塞で最期を遂げることを。大貴族令嬢であるがゆえに逃げる道が初めから閉ざされていることを。

 

 わたしは他の貴族令嬢たちとも、礼儀上必要な程度だけであるが付き合いはある。

 正直言って彼女らは確かに流行の髪型とドレスと、見目麗しい殿方のことしか話題もなくうわさ話だけで何日も過ごせる人たちであった。頭がからっぽといっても間違いない。

 ただしそれはガイエスブルグ要塞の奥底で陰惨な最期を遂げる理由になるだろうか。

 それほど重い罰を受ける必要があるだろうか。

 積み重ねられた先祖の罪をなぜ彼女らがその身に受けねばならないのか。

 

 先祖の罪まで問うとしたら、鉄槌を下す側のラインハルトもまた貴族の側ではないのか。

 今は貧乏な下級貴族であり平民と何ら変わりないかもしれない。しかしミューゼル家の先祖が平民に苦しみを与えていなかった保証はない、のである!

 

 2年前ならばわたしの考えは単純であった。きたるリップシュタット戦役で負ける側からひたすら逃げ出すことを考えればいい。

 貴族連合に巻き込まれぬように立ち回る。できればラインハルト陣営に加わる。

 ヒルデガルト・フォン・マリーンドルフ嬢ほど才幹を発揮しなくてもいい。

 無名でよいから嵐をやりすごせばいい、と考えていた。自分の命とランズベルク家を守るために。

 

 今は、それだけでよいのか本当に自信がない。

 

 だからといって、貴族側に立てるわけがない。帝国は変わらなくてはならない。いや、もっとはっきり言えばラインハルトと戦うことになったら勝てるわけがない。相手はあまりに戦いの天才なのだ。

 

 

 

 …… 後の歴史家が「奇跡の四夫人」と書き記す。

 間違いなく人類社会の未来を拓き、展望を拓いた四人がいる。

 この四人には名前ではなく、それぞれ端的に功績を現した呼び方がある。

 

 「指揮者(ディリゲント)

 「国母(ライヒスムッター)

 「調停者(シュリッヒター)

 

 と呼ばれる三人、そこへ「守護者(シルマー)」の呼称をもって名を連ねることになるカロリーナ・フォン・ランズベルクであった。

 ついでにいえば彼女だけはもう一つ別の呼称を持っていた。一部の人間にとってはこちらの方こそ重要な功績に思われた。

 曰く「無敵の女提督(アドミラルコンクレンツローゼフロイライン)」である。

 

 

 物語は、いまだ始まったばかりである。

 

 

 

 

 



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第七話 482年12月 運命の会敵

 

 

 何事も突然起きる時には起きる。

 カロリーナは突然のことに声も出ない。

 

「敵と思われる不明艦隊の詳細出ました! 総数35隻、そのうち重巡航艦10隻、軽巡航艦7隻、残り18隻は小型の仮装巡航艦!」

 

 よく訓練された艦橋オペレータがしっかりと報告してきた。

 

「距離12光秒、14時方向からこちらに直進してきます。推定接触時間約2時間」

 

 

 ランズベルク領艦隊の旗艦である戦艦の艦橋に緊張が走る。

 艦隊指揮官は表情一つ変えない。老齢の准将である。ランズベルグ伯爵家に先代の頃より仕えている。幾多の海賊を討伐した歴戦で、しかもランズベルク家に対し忠誠心は揺るぎない。

 オテンバだが聡明な令嬢カロリーナ、へぼ詩人だが善良な性格のアルフレットをこよなく愛していた。

 旗艦艦長は少壮の武人であり、艦隊指揮官同様忠誠心に厚い。今は冷静かつ手早く指示を出し続ける。

 

「機関部、推進剤の量を逐一報告。エネルギー発生量は戦時最大。航行部は対物理フィールド・中和磁場フィールド全点検。砲術部はイオンビーム発生装置、レールガンにエネルギー予備注入開始、ミサイル格納庫1から3まで扉開け!」

 

 シミュレーションとは全然違う。これは本物の戦いだ。

 お伽噺ではない。負ければ悲惨な死が待っている。少しの判断ミスが自分も他人も殺してしまう。

 やりなおしは無い、のだ。

 

 極度の緊張に耐えられず、わたしは倒れ込んでしまった。誰かが対ショックシートに運んでくれる。

 青くなって対ショックシートに沈むしかない。

 とても足が震えて立っていられない。

 それでも指先がじんじんして動かせない。

 命の恐怖という大きなてのひらに掴まれて締め付けられている気がする。

 

 

 ランズベルク領艦隊はここまで輸送船団を護衛していた。

 積み荷はカロリーナが主導したお菓子などの食品、伯爵領特産の高級リンゴ酒、そして主力輸出品であるバナジウム・モリブデン鋼である。

 久しぶりに大きな輸送船団、稼働コストのかかる戦艦まで護衛に動員して航路を進んでいたが、そこをいきなり正体不明の敵艦隊に襲われた。

 わたしはたまたまこれに乗り合わせていたのだ。

 

 ゆっくりとした足取りでわたしに指揮官が近寄ってきた。

 

「カロリーナ様、ご指示を」

 

 要するに、戦闘指揮は艦隊指揮官がとるにせよ大筋の方針はここにいる最上位のものが決めなくてはならない。

 それがルールである。

 この場合の最上位とは、伯爵家令嬢カロリーナ、つまりわたししかいない。

 

 判断にはいくつかの選択肢が存在する。

 大まかに言えば、逃げるか戦うか。

 その他に、輸送物品をあきらめて放擲するのか否か。

 放擲するにしても、戦闘後に回収できる可能性をもたせるのか、敵に接収されないよう最初から爆散させるのか、考えなければならない。

 

 

 わたしは決めた。

 

「輸送船団は全て艦隊後方にまとめて、乗員は巡洋艦以上の戦闘艦艇に移乗、無人とします。敵に対して最適の迎撃態勢をとるように。編成などは全て艦隊指揮官に任せます」

 

 ただ逃げることはしない。しかし人命優先を明言する。

 

「乗員の保護を最優先とします。しかし積み荷は売却すればランズベルク伯爵領半年分の高蛋白食料、農業機械の引き換えになる予定のものです。最初から放擲はしません。敵はわが艦隊ほどの戦力はなさそうなので威嚇だけで交戦せずに済む可能性も充分ありますから。それにここは主要航路、海賊の意のままにしてよいところではありません」

 

 カロリーナは言葉を付け足した。

 青い顔のままだったが、理路整然として文句のつけどころがなかった。

 これを受け直ちに指揮官の声が飛ぶ。

 

「こちら旗艦。各艦いったん拡散した後、戦時コンピュータプログラム05に従い再編成、しかるのち、やや密集隊形をとり速度落とせ。そして敵のジャミングを考慮し通信周波数の変更、シャトルの用意」

 

 決して勝てない相手ではない、と指揮官は考える。

 大型輸送船団90隻の護衛とはいえ、今回の護衛は過剰とも思えるほどの戦力だった。

 戦艦は旗艦含め9隻、重巡航艦・軽巡航艦20隻、駆逐艦・フリゲート艦を合わせると54隻にも及ぶ。

 本来よりもこれほど充実した陣容なのは、カロリーナが同乗するためということも大きい。

 

 ランズベルク伯爵家は戦闘艦艇を全体で四百隻余り所持している。

 交易航路を海賊から守ることは生命線だったということもあるが、最近では伯爵令嬢まで軍備に熱心であった。

 貴族らしからぬ質素な生活を送り、新産業を起こして財政確立にやっきになっているにもかかわらず不思議なことに宇宙艦隊の増強を急ピッチですすめているのである。

 伯爵家の累代の財宝を売って財源を確保しているのだし、宇宙艦隊の増強はやがて近隣貴族の船団の護衛を請け負う商売を始めるための布石と説明されていた。

 

 

 もちろんカロリーナとしては来るリップシュタット戦役という大嵐に少しでも備えるつもりなのだ。

 

 しかし、残念なことに手持ちの戦闘艦艇のほとんどは稼働率の低い老朽艦であった。

 それもそのはず、貴族私領の艦艇は通常には帝国軍正規艦艇の払い下げである。耐用年数を過ぎただけならいい。ひどいものでは叛徒との戦闘で破損して応急修理をしただけのものまで含まれる。

 船体にひびが入っていたり、エンジンに焼け付いた跡が残っていたら、怖くて最大加速などできやしない。いきなりエンジンが止まったり防御のシールドが故障したらもうヴァルハラの入り口が見えている。

 私領で戦闘艦艇の生産を許されているのはブラウンシュバイク、リッテンハイム、カストロプ、ヘルクスハイマーといった数えるほどの大領主だけである。それでも空母は生産を許されていない。

 リップシュタット戦役で貴族連合軍があれほど弱かったのは作戦や指揮能力がまずかっただけではない。数を揃えただけで、既に艦艇の性能に大差があったのである。

 

 

 それにしても指揮官には小さな疑問があった。

 通常であれば海賊は圧倒的に有利な状態でしか仕掛けてこない。仕掛けてくるはずがない。

 海賊の狙いは積み荷だ。戦って勝つことではない。

 勝利の美酒を飲むことが目的ではない。それまでに死んだら何の意味があるだろう。

 そのため絶対に抵抗できない相手をいたぶるために姿を現すのである。

 今回、こちらの充実した艦隊陣容を確認したらすぐに諦めて逃げるはずではないか。それなのに悠々と近づいてくるのだ。

 54対35でそれをするのか、どう考えてもおかしい。

 

 正体不明の敵は海賊ではないのか?

 歴戦の老齢指揮官は経験から異和感を感じていた。

 しかし、迫る仮装巡洋艦は海賊の船である。仮装巡洋艦とは長距離用民間艦艇にレールガンやシールド発生装置を後付けで組み込んで武装した戦闘艦である。当然、大きさに比べて本来の戦闘用艦艇より大幅に性能が劣る。特に防御力で大差がある。

 民間商船や輸送船相手にしか強がれない代物なのに。

 

 指揮官は長距離砲戦でカタをつけるつもりであった。

 防御力の強い戦艦を前に出し、先手を取って一気に集中砲火で敵の重巡洋艦を叩く。あとは味方に損害が出ないよう有効射程距離ギリギリを保ちながら、残った敵を狙い打ちすればいいのである。

 

 敵が逃走すれば、追撃はせずに戦闘終了。カロリーナ様を守ってそのままの陣形で航行、とまで考えていた。

 

「艦隊再編終了。輸送艦所定の位置に着きました。乗員収容確認」

 

 次々に報告が上がる。

 

「敵艦隊、速度上げました。進路そのまま、あと50分で接触!」

「よし、各艦速度は第二戦闘速度のまま、長距離砲戦用意!」

 

 戦いを目の前にした力強い声だ。多くの者が一つの目的のため力を合わせる。

 

「イオンビーム発生装置にエネルギー充填開始、完了後中和磁場シールドにエネルギー切り替え、直ちに前方へシールド展開。艦内に無重力警報!」

 

 艦橋がいっそう騒がしい。わたしは座り込んだ状態で黙って見ている。

 エンジンが戦闘用の高いエネルギーを発生する感じたことのない振動、兵器類が稼働を始める音、非現実なまでの体感に体が動かない。

 頭だけは働かせ、司令官の戦い方も意図も理解した。

 そしてその小さい疑問まで同じように考えていた。

 

 

 その時だ。収まりかけてきた恐怖が急に強くなった。嫌な予感にたまらず叫ぶ。

 

「索敵を強化して下さい! 探査用ブイを展開、特に後方へ。敵のジャミングの強度に最大限注意。今後強くなるようなら直ちに発生源の特定できるよう用意」

 

 ひゃあ、言ってしまった!

 艦隊運用をいったん任せたんだから、これは司令官の指揮権への不当な干渉よね。

 ああ、言い訳が思いつかない。

 

「カロリーナ様?」

 

 近くにいた通信オペレータなどが複雑な表情で振り返った。

 艦隊指揮官もこちらを見る。

 

「カロリーナ様に従い、駆逐艦は直ちにブイ投下、索敵を最大範囲にとれ。最後方にいる駆逐艦5隻は本隊からやや離れ、偵察に回るよう」

 

 指揮官は怒らなかった。

「戦闘中の指揮に口を挟まないで頂きたい!」と怒っても当然の場面なのに。

 

 それどころか不思議なものを見る表情をしている。

 その間にも時間は進み、また多くの報告がオペレーターから上がってくる。

 

「敵、仮装巡洋艦を前方にして更に加速、これは仮装巡洋艦では考えられない速度に達しています!」

「敵に動きがあります! 巡洋艦18隻が全て右舷回頭で離れ、一方の仮装巡洋艦群17隻は密集隊形でまっすぐ突っ込んできます。砲撃イエローゾーンまであと十五分!」

 

 戦いは避けられない。なぜか相手の戦意が衰えていないとは。

 ランズベルク伯爵領艦隊もまた戦意を高めて敵を見据える。

 その瞬間のことだ。

 

 

 思いっきりの凶報がもたらされた!

 

「艦隊右舷後方より不明艦隊接近、艦種は、ジャミングのため識別できません!」

「更に艦隊左舷後方より不明艦隊接近!」

 

 オペレータが絶叫する。正面の敵ばかりではなかった!

 斜め後方にも敵がいたのを感知する。しかも、それは二方向だった。

 

「全力で不明艦隊の全容を探れ、速度と到達時刻もだ!」

 

 指揮官が直ちに反応する。詳細が判明した。

 

「右舷後方敵艦隊、概要で戦艦5、総数約40隻、到達予定、あと約二時間!」

「左舷後方敵艦隊も戦艦6、総数約45隻、到達予定、同じく約二時間!」

 

 ランズベルク領艦隊は三方から圧倒的多数の敵に包囲され、後手に回ってしまった。

 54対35などではない。実は54隻対120隻だった。

 

 

 仏滅と13日の金曜日が同時に来たわこれ。

 私は自分でもどうでもいいことを思ってしまった。

 恐怖に胃が締め付けられ・・

 

 吐いた。

 

 直前にブルーハワイのかき氷を食べたんだっけ。

 着ているのは白いドレスだったのだ。裾の方に水色の染みが急速に広がっていく。

 ははは、ひきつり笑いするしかないわ。きったなくて惨め。

 アルフレット兄、サビーネ様、ここにいない何人もの顔を思い浮かべる。ああ、走馬燈ってやつ?

 この世界にやってきて、何にもならないうちに敗死するのか。

 

 厳しい表情で艦隊司令官が歩み寄ってきた。

 

「どうやら敵はわが方を欺いて最初から包囲するつもりだったようです。最初に見えた敵に仮装巡航艦が多いのは、海賊に見せ油断させるための偽装だったのでしょう。今や三方向から迫られ、明らかに劣勢にあります。これほどの規模での襲撃、それに手際を見ても海賊の仕業などではありますまい。カロリーナ様を狙ってのことだと思われます」

「わたしを…… 」

「カロリーナ様、今のうちに本艦隊中一番の高速艦にお移り下さい。頃合いを見て脱出なさいますよう」

 

 そして向き直ると、漢の表情で各艦に通信を取る。

 

「本艦隊は優勢な敵に包囲された。直ちに球形陣をとれ。防御を固めろ。敵影の薄い方向を見定めて集中砲火をかけつつ、カロリーナ様を逃がした後、全艦盾となってお守りまいらせろ!」

 

 な、なにそれ!

 そんな、私以外死んじゃうじゃないの。

 盾になるって、犠牲になることよね。

 

 艦橋のみんな、索敵オペレータや通信オペレータ、砲術下士官、航行下士官も。凶報聞いて、驚いて、悲しい顔したよね。それは誰でも死ぬは嫌だよ。家族もいるんだろう。恋人も、未来も、希望もあるはずだ。

 でも今は爽やかな顔してるよ。

 どうして? 覚悟決めたってやつ?

 私を助けるために死ぬのに、怖くないの? 私を助けることが、そんなに意味あるの?

 艦橋の一人が、わたしの動揺するまなざしを見て、きれいな敬礼を返してきた。

 微笑んでいるようにさえ見えた。

 

 

 どうしてそんな顔できるの、いやだ。

 い や だーーーーーっ

 

 

 艦橋で一番遅く、わたしは覚悟を、決めた。

 

 

 

 



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第八話 482年12月 カロリーナ艦隊、誕生!

 

 

 わたしは言う。はっきりと。

 

「艦隊指揮官様、まことに勝手ではありますが、一時この艦隊の指揮権をわたくしにお貸し願えませんか。傲慢なお願いであることは重々承知しております。ただ、詳しく御相談している暇がないのです」

 

 この申し出に、指揮官は困惑の顔をした。その考えていることは明らかだ。

 一体何を? カロリーナ様はまだ小さくて、宇宙戦の何たるかかがわかっておられぬのだ。

 自分だけ逃げるのがお気に障ったのだろうか。優しい嬢なのだから。

 いやここは何といおうとカロリーナ様には逃げてもらわねばならぬ。伯爵家のために。かけがえのない御方なのだ。

 カロリーナ様の乗艦を除いた全艦隊が消滅しようがどうなろうが。

 しかし……

 毅然として言う姿はなんだろうか。

 もちろんランズベルク伯爵家の言うことは、いつ何時でも、例え14歳の令嬢だろうと従うしかないが…… 

 

 

 実際のところわたしは返事を待ってはいなかった。

 

「先ず艦隊の全艦へ通信を開いて下さい」

 

 吐いて汚れたドレスのまま対ショックシートから出て、通信画面の前に歩み出た。

 

「こちらの艦隊を二分します。戦艦を含めた主力30隻を編成し、最大戦速をかけつつ、最初の敵艦隊の巡航艦群を目指して進んで下さい。残りの24隻はエンジン臨界を保ったままその場に待機です。突っ込んでくる敵仮装巡航艦群のルートを計算し、そこから外れるよう輸送艦を牽引して下さい。それだけで構いません。攻撃は不必要です」

 

 通信スクリーンを見ていた全艦隊乗組員は驚愕した。

 14歳の伯爵令嬢が画面に出ている!

 しかも、この艦隊の指揮をしているではないか!

 

 その内容も驚くべきものだった。

 優勢な敵に包囲されようとしているのに、こちらは更に艦隊を二分割するというのだ!

 常識では考えられない。

 

 おまけに敵の仮装巡航艦だって相応の火力がある。それなのにこっちの艦隊は側腹をさらして通過することになる。まるで仮装巡航艦に戦力が無いように……

 

「皆さんの疑問はわかります。ですがここはわたくしを信じて下さい。わたくしはたった二人のランズベルク伯爵家の一人として戦います」

 

 戦うといっても、まともに考えたら何の根拠もない子供のセリフである。

 

「わたしのお菓子は美味しいのです。運命の女神様もわたしのお菓子を食べるのによだれを垂らして待ってます。だったらまだ生かしておくはずです」

 

 カロリーナは、自分でも気恥ずかしいセリフを付け足した。

 艦隊がカロリーナを信じて一致した行動をとらなければ、負ける。

 それではみんな死んでしまうのだ。

 生きのびるために、信じよ。

 

「必ず、勝ちます」

 

 カロリーナはドレスの裾の下半分を引きちぎって高く掲げた。

 

「この水色の旗に再び集まるとき、我らは勝利します!」

 

 

 全員が全員、いっとき14歳の少女ということを忘れた。

 全艦、カロリーナの指示に従い行動した。

 

「敵仮装巡航艦群、レッドゾーンを突破!」

「撃つ必要はないですし、シールドも最小限でかまいません。エネルギーは全て推進に使って下さい。そのまますれ違う格好で加速を」

「高速で接近、接触します! 距離、三、二、一、ゼロ!」

 

 ヒヤリとした。

 しかし、不思議なことに敵仮装巡航艦は散発的に撃ってきただけだった。しかも到底当たるはずのない雑な照準だ。

 

 それら仮装巡航艦群17隻をやりすごし、間もなく敵巡航艦群18隻と接触する。むろん、こちらが敵の主力だ。

 

「全艦一斉射撃用意! 敵をできるだけ早く殲滅します!」

「距離、イエローゾーン、まもなくレッドゾーン!」

 

 敵巡航艦はうろたえたように撃ってきた。こんなはずでは、という感じである。

 

「レッドゾーン突破!」

「よし、撃てェーーーー!」

 

 短時間だが激烈な砲火を応酬した。

 敵巡航艦は全て爆散した。こちらは30隻、数で大幅に勝る上に戦艦の攻撃力があるのだ。戦力がストレートに発揮されればこうなるのは当然である。

 被った損害は軽微なもので済んだ。

 

 

「そのまま速度を殺さず全艦右舷回頭、右舷後方に出現した敵の方へ向かい、食らいつくのです」

 

 更に指示を出す。三方から包囲されていた以上、まだまだ戦いは終わらない。

 

「それと通信を開いて、初めに残している24隻の艦隊に連絡。シールドを対物理シールドにして最強度展開、輸送艦を保護できる位置について敵仮装巡航艦の接触に備えるように」

 

 

 そのわずか二分後、まぶしい光とともに敵仮装巡航艦が自爆した!

 残してあった艦隊と至近だ。拡散する小片の波が襲い掛かってきた。

 しかし、あらかじめ展開してあった対物理シールドがそのほとんどを防いだ。被害は最小限で済む。

 

 わたしがいる方の艦隊は大きな旋回運動をすませ、右舷後方に出現した敵艦隊40隻をとらえようとしていた。

 敵艦隊はこちらの残してあった方の艦隊や輸送艦の方へと進路をとっていたが、ここで向きを変え、対処しようとしている。わたしの30隻の方が脅威と認識したのだ。

 

「今です! 残してあった24隻を最大戦速でこの敵艦隊へ。照準に入り次第攻撃開始! わたしのいるこの艦隊はレッドゾーンすれすれで減速、敵艦隊をひきずって艦列を乱すのに徹します」

 

 敵艦隊が撃ってくる中、むやみに突っ込まず整然と距離を保つ。そうすると、敵艦隊のうちで速度の速い艦、または戦意の高い艦が突出してくるのだ。その出て来た艦を狙い撃つと、それを見た他の艦まで慌てて下がることになる。結果として敵の艦列は存分に乱れ、ほころびが生じる。

 

 こちらの残してあった24隻がそんなところへ側腹から攻撃を加えたからたまらない。敵艦隊は40隻もあったのに、算を乱して効果的な反撃もできないまま次々沈められていく。

 

「頃合いです。前進して下さい。残敵に突進して猛攻を仕掛けるのです。必ずしも沈めなくてかまいません。戦意を刈り取れば良しとします」

 

 三方から包囲しようとした敵は、逆に包囲されて撃ち滅ぼされる。

 組織的抵抗が止んだところでわたしは攻撃を中止させ、損害状況の報告とエネルギーの補充を行った。

 さほど間を置かずしてオペレータから報告が飛び込んだ。

 

「先に左舷後方に発見された敵艦隊45隻、わが方へ突入してきます。接触まであと10分!」

 

 

 どうやら間に合った。

 カロリーナはここで再び全艦隊に通信回線を開き、水色に染まったゲロ付きドレスの切れ端を手に掲げた。

 

「皆さん、この旗の下また一つになりました。あと一歩です。最後の敵艦隊を倒して、勝利を手にするのです。堂々と進み、敵をすり潰してあげましょう」

 

 どの艦にもおおーーっと歓声が上がるのが分かる。

 ここまでくれば、艦隊の適切な編成は司令官に任せて、わたしはスクリーンを睨むばかりである。

 

「距離、イエローゾーンからレッドゾーン!」

「よし、撃てェーーー!」

 

 敵艦隊は45隻だが、今やこちらは合流してそれ以上の数になっているにも関わらず半包囲態勢で仕掛けてきた。

 こちらの布陣が崩せないのを見ると、一部の艦を突出させて陽動をはかってきた。

 次には密集隊形で突撃の構えを見せるや、一転して疑似敗走をして誘ってくる。

 敵は目まぐるしく作戦を変えて動く中、かえって損害を増やしていった。

 

 カロリーナの側は被弾した艦、エネルギーを使い過ぎた艦を下がらせながら、ゆっくり堂々と押していただけである。

 ついに敵は多大な損害に耐えられず本当に潰走を始めるが、それはあまりに遅い。敵艦にはほとんどエネルギーが残っておらず、簡単に捕捉、撃沈できた。

 

 

 全てが終わった後、ランズベルク領艦隊の各艦で最初は静かに、だが次第に熱狂的な叫び声が上がった。

 

「カロリーナ!  カロリーナ!  14歳の名将! 戦う令嬢! カロリーナ!」

 

 各艦ばらばらに叫んでいたが、最後は一致して叫び続ける。

 

「我らが艦隊! ランズベルクの水色の艦隊、万歳!」

 

 

 

 



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第九話 482年12月 報告と波紋

 

 

「カロリーナ様、あらかたの処理は終わりました。我が方の撃沈はゼロ、自力航行不能な艦は9隻、いずれも駆逐艦です。自爆の許可願います。他に大破が4隻、中破が3隻、小破が15隻、近くの星系に退避させるものと航行しながら応急修理するものとに振り分けます。輸送艦の被害はありません。人員は…… 」

 

 ここで指揮官は言葉を切った。さすがに艦隊戦で圧勝したからといって被害はあり、むろん死者がゼロでは済まない。

 

「かまいません。あとで死者の名前の入ったリストを下さい」

 

 平板な声でわたしは答えた。

 

 老指揮官は顔を伏せる。

 カロリーナ様はこの戦いで死者が出たというだけで胸を抑えて苦しがってる。責任感ゆえに死者の名前を知り自分で自分の心を痛めつけることを課しているのだろう。

 悪いのはカロリーナ様ではない。襲ってきた敵艦隊なのに!

 改めてランズベルク家への強い忠誠心と敵への憎しみがわく。

 

 

 それと、指揮官として絶対に答えをもらいたい質問があった。

 

「実務は我らがいたします。お心遣いなきよう。ですが、そろそろお聞かせ願いたいことがあります。わかってきたつもりですがはっきりとお教え下さい。この度はいかなる予測で艦隊を動かし、勝利へ導いたのでしょうか?」

 

 わたしはこの質問に対して答えることはやぶさかではない!

 

「ほっほ~、知りたい? ああいうのは奇策というかはっきり言って危ない橋だから、もう絶対しないし、やろうと思っても無理だから。無理無理」

 

 少し調子に乗っているのは自覚している。

 

「先ず海賊が明らかに不利なのに突っかかってくるのがおかしい。当然、増援あるいは伏兵を疑っちゃうわよね」

 

 口が思わず滑らかなのは、戦いの熱が残っているのかもしれない。

 

「次に、防御の弱い仮装巡航艦が前面に立つのはもっとおかしい。直線で突っ込んでくるし、エネルギーやエンジンのことをまるで考えてないようだった。ここで無人艦じゃないかと思ったわ。そう疑ってたら、敵の主力巡航艦が離れていったでしょう。これで確信に変わったわね。仮装巡航艦の方は確実に無人艦、ただの目くらましだわ。だったら足を止めないでスルーしてもいいはずよ。後の自爆も無人艦の有効活用としては定石の範囲ね」

 

「とにかく機動力だった。三つの敵艦隊が包囲を完成させたら負けだもの。その前に各個撃破しかないわ。一番弱い順から撃破しただけよ」

 

「二番目に相手をした敵艦隊には迷いがあった。包囲できなくなれば、さっさと後方に下がって他の艦隊と合流して再攻撃すればよかったのよ。そうすればまだ数では向こうが多いんだから。尤も、そうしてきたらこっちは輸送艦置いて全力で逃げたけどね。でも結局下がらなかった、わたしの方から対処しようと思ったんでしょうが、目的を達成しないうちに態勢を崩されて側腹攻撃の餌食よ」

 

「最後の敵艦隊は予想より遅かったわね。おそらく、この司令官は逆に後方に下がって再集結を考えたんじゃないの? 何も考えず一直線に駆けつけられれば厄介だったけど。そうしたらいったん引いて、敵が合流して一番混乱した瞬間を狙ったかな?」

 

「最終局面は押しまくるだけだわ。こちらが数でようやく優位に立ったんだから。戦意を高めて相手の自滅を待つだけ。敵の司令官は策を考え過ぎるタイプね。いろいろやった挙句、勝手に転んでくれたわ」

 

 

 ここまでのことをわたしは一気に話しまくった。

 

 すると、何と戦闘の詳細だけではなく、わたしの語録まで瞬く間に広まった。帝国の主要なニュースになってしまっている。

 というのもこれはわたしが思っていたよりはるかに大事件なのだ!

 帝国の公的主要航路での襲撃、しかも海賊行為ではなくカロリーナの首か、少なくともランズベルク領艦隊を屠ることが目的の大規模な戦いを仕掛けてきたようなのだ。

 犯人はわかっていない。

 鹵獲した敵艦とわずかな捕虜という手掛かりはカロリーナ達が取り調べる前に帝国政府が全て接収していった。

 しかも調査難航の札がつけられている。事実上の情報封鎖だ。

 

 

 事件を知った人々の感想は様々だった。

 ほとんどの人はニュースの見出しを見ただけで中身を考えようともしなかった。

 どうせ何かの間違いか、あるいは捏造されたニュースだろうと結論付けた。

 子供が艦隊指揮など茶番としか思えなかったのである。

 

 もちろん、それと違う感想を持つ人間がいる。

 リッテンハイム家サビーネは当然のごとく怒りまくった!

 

「カロリーナを襲ったとは、なんと憎き奴腹じゃ。友人たるこのリッテンハイム家にも泥を塗りおって。ヴァルハラ行きの特急は妾が予約してくれる! お父様、艦隊を一万隻ほど欲しいのですが。今すぐに」

 

 

 こと軍事に関連することだけに現役の軍人たちにも噂が伝わる。叛徒との正面戦争に比べると小さなものだが、曲がりなりにも艦隊戦なのだ。

 

 各人各様の反応を示した。

 ミュッケンベルガー元帥は、苦笑するばかりだ。

 

「あの伯爵令嬢、少しばかり才能があるのはいいが、オテンバが過ぎる。この先どうなるのか」

 

 先の艦隊戦シミュレーターの様子を知っているだけに、カロリーナがまぐれで勝ったのではないと分かっていた。

 そもそもまぐれで艦隊戦がこれほど一方的になることはあり得ない。

 

 他にもアイゼナッハ中佐は、

「 ………… 」

 

 ファーレンハイト少佐は、

「やるじゃないか伯爵令嬢、ま、これくらいはやってもらわないと俺も困るが」

 

 

 他の帝国軍将兵にも話は伝わり、興味を持ってカロリーナ語録を読みコメントを付ける者もいた。

 ビッテンフェルト少佐は

「艦列には必ず隙間がある。そこに集中砲火をかけて突撃すればもっと早く崩せたろうに」

 メックリンガー大尉は、

「芸術的な艦隊運動だ。ピアノで表現すれば…… ああ、曲が一つ思い浮かんできた」

 蜂蜜色の髪を持つ中尉もこの事件を知った。

「何? 貴族の令嬢が艦隊指揮とはいったいどういうことだ? しかしどうだ、二倍の敵に包囲される直前、高速機動で各個撃破したのか。おまけに中盤では敵の艦隊に対して逆包囲をしかけるとは…… そら恐ろしい戦術だ。まったく用兵ってのは奥が深いな、ロイエンタール」

 

 ラインハルトとキルヒアイス、今は雌伏するこの二人にも伝わる。

 

「キルヒアイス、どうだこの用兵は。相手の奇策を見破り、逆に奇策を仕掛け、最後は用兵の王道に立ち返った。なかなかできるものではない。この伯爵令嬢とはどんな人物だ。会ってみたいものだな」

 

 ラインハルトにしては珍しく他人に高い評価を下した。

 

「ラインハルト様が令嬢に興味をお示しになるとは珍しいことです」

 

 キルヒアイスが若干からかう目をした。

 

「バカを言うな。俺が興味あるのは、姉上とキルヒアイス、お前だけだ。この用兵をどんな人間がやれたのか興味があっただけだ。人は見てくれではない。そこいらの令嬢とは違う人物なのだろうか」

「ところでラインハルト様なら、この用兵に負けますか」

「ハッ、試すのかキルヒアイス。こんな程度、破るのはそう難しくもない。俺ならこの戦いのどんな局面からでも逆転してみせる。最初からいえば、伏兵の発見時期を自ら操作して主導権を握る態勢にすればよかっただけではないか」

 

 格が違う。

 ラインハルトの天才ははるか高みにあり、何人もそこに至れるものではない。

 

 

 この事件のニュースは半年もしてからはるか同盟領にまで届いた。

 もちろんごく些細なものでしかありえない。たまたま軍事的ニュースが少なくなった時期にニュースのネタとして過去の話題が取り上げられただけのことだ。

 しかし、伝わったことは同盟にとって将来を左右する幸運でもあったのだ。

 

 ほとんど全ての同盟人は、与太話として頭の片隅にも置かなかった。

 しかし、黒髪の自称歴史家、現在とりあえず給料分だけは軍人として働こうと思っている青年は違った。

 ニュースを見て、自分でも手に入る限りの情報を集め、相当の時間考えていた。

 

 そこで特に何も語らず、頭を掻いただけだったという。

 

 

 

 

 



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第十話 483年 2月 さらば、遠い日

 

 

 話は少し遡る。

 

 わたしはむろんタイムリミットを常に考え、少し焦っている。

 ラインハルトと貴族連合の戦い、リップシュタット戦役まであと5年しかない。

 早く人材が欲しい。

 

 急がねばならない理由はまたもう一つある。有能な人材ほど軍内の出世が早く、あんまり階級が上がってしまうとそもそもランズベルク領艦隊に呼べなくなってしまう。

 ここにあるのはなんといっても小さな艦隊である。規模が小さければ、将官級の人材に来てもらえるような魅力がない。

 呼ぶなら出世していない今のうちしかないのだ。

 帝国軍では少将でも分艦隊三千隻を指揮することさえある。准将でも六百隻を指揮するのが慣例だ。

 私領の場合だともう少しは少ないのものだが、ランズベルク伯領艦隊総数四百隻余りではあまり高い地位を与えられず、既に高い地位にある人間は招聘しようもない。さすがに降格で呼べるわけがないではないか。

 

 

 わたしは急ぎ有能な人材に手紙を書いてランズベルク領艦隊に招聘しようとした。

 そして障害はもう一つある。かつてミュッケンベルガーが言った通り、本人がたとえ希望しても帝国軍が許可しなければ移籍できないのである。無制限にそんなことを許せば、好条件を示す大貴族がやりたい放題に軍備を整えられることになるからだ。

 

 結果、ケンプとシュタインメッツにはあっさりと断られてしまった。

 ケンプは大変有能な人物ではなかったが現在辺境にあり、好条件を示せばあるいは、と思ったのだが…… それと数少ない妻帯者であり幼い子供達がいることを知っている。戦いで死なせるのは可哀想。ぜひとも招聘しておいてやりたかった。

 アイゼナッハからの返信には「せっかくですがお断りします」とだけ記されてあった。

 さすが沈黙提督、口だけでなく手紙も寡黙なのね。

 

 

 一方、ファーレンハイトは前向きの返事だった。

 

「令嬢、面白い人生にしてくれると言うなら、考えよう」

 

 意外なことにルッツも前向きだった。ファーレンハイトもルッツも、共通して出世欲は少ない。

 ルッツの場合は射撃などの個人趣味があったためかもしれない。

 

 早速この結果を踏まえてミュッケンベルガ―に甘えてみた。

 

「すぐに移籍はさせられん。少しでも早くというのであれば臨時の軍事顧問として送る手はある」

 

 先の戦いのせいか、融通をきかせてくれそうだ。

 ミュッケンベルガーとしても謎の艦隊がランズベルクと戦ったのは大いに気にかかる。今後のためにも有能な指揮官を移籍させるのは良いことだ。

 

 そして待ちに待った日が来た!

 ファーレンハイトとルッツが臨時の軍事顧問という立場ではあるがとにかくランズベルク領艦隊に来てくれた。

 

 

 しかし、わたしは下らないというか意外な面で悩まされることになる。

 

 先の謎の艦隊との戦いはなぜか水色の戦いと呼ばれているのだが……

 

「その名前、困るのよ。とっても」

「そう、伯爵令嬢のゲロですからね。腐っても貴族の高貴なゲロ。高貴であるからには匂いでも違うのですかな」

 

 何てことを! そんなことを言うファーレンハイトに向かって怒りのオーラが立ち上るのは当然だ!

 

 ルッツがこれはいけない、と間に入った。

 

「カロリーナ様、ゲロは恥じることではございません。どんな高貴な方々でもゲロが出る時には出ますれば」

「この…… 」

 

 今度はルッツに向かって怒りが燃え上がった。

 澄ました顔で、実は内心面白がっているのだ。そうに違いないぞ!

 

「軍人でも新兵の頃には戦いに際してゲロを出してしまうことは珍しくもございません。帝国の軍服は黒っぽいのでゲロでも染みが目立ちにくいだけでございます。カロリーナ様のスカートのような白であれば、ゲロでたぶん染みが」

「うるさいィー!!!」

 

「とにかくカロリーナ嬢、外に戻すのはどうだろう。ゲロにするための食事ではないだろうが」

「カロリーナ様、ちゃんと栄養分を採らないと、小さいままになったりしたら」

 

 とにかくファーレンハイトもルッツもイジりがいのある相手に容赦しない人間であった。

 

 「ふっふっふ、、ふっ、」

 

 これ以降、カロリーナの新作菓子の試食会には時折物凄い辛さのものが混ざることがあったという。「あら、何か調味料を間違えましたわ。ごめん遊ばせ。」

 

 

 実務としてはこの二人に艦隊についての編成や運動についてアドバイスをもらい、模擬戦闘を繰り返して着々とランズベルク領艦隊の練度は高まっていった。

 

 それと並行して、わたし自身の訓練も行われた。

 自分で率先して言い出したことなのだが、実は少し後悔していた。負けん気の強さで言い出さなかったが。

 

「あ、え、ふぎーーーーっ!!」

 

 見事にすっころばされてしまう。

 模擬ナイフを突き出され、うまく後ろに避けたまではよかった。

 体勢を戻すために前に重心をかけた瞬間、足を払われた。

 頭・肘・膝に防護用高強度ネットをかけているからとはいえ、痛いものは痛い。

 

「地面にキスするとは伯爵令嬢、よほど地面がお好きですなあ。最初の恋人はこの地面ですかな?」

 

 憎たらしい、ファーレンハイト、調子に乗り過ぎよ!

 眼前に地面を見て言う。

 

「こんな、茶色くてでかいの、恋人じゃありませんことよ!」

「前言撤回、では今恋人はおりません。たぶんこの先も、いえ言わないでおきましょう」

「無礼な! 伯爵令嬢に向かって無礼千万、何たる口の聞きようか! 妾は偉いんだ! すごく偉いんだぞ!」

「軽口を叩けるうちは大丈夫のようですな。 敵の第二撃があったら死んでいるところです」

「ううう、、」

 

 わたしとしては颯爽と、傍目からはふらふらと立ち上がった。

 

「転んでお顔が汚れて…… おや、転んで胸もつぶれてまっ平らになったようですが、以前の様子が思い出せませんな。はて、有れば思い出しようもありますが」

 

 精神面で痛撃をくらわせてきた。ファーレンハイトはわたしが子供扱いされたり、体型のことを言われるのが嫌いだと分かって言っているのだ。

 

「……ファーレンハイトォ、てめえブッ殺す!」

「おっ、下品な地を出すのははしたないですよ、伯・爵・令・嬢」

 

 護身術訓練している令嬢その二人を見ながら、ルッツは次の時間に行う射撃訓練に備えて待っている。

 そんな訓練を今日を含めて五回ほど行った。これからも週一回行う予定である。

 伯爵令嬢ともあろう貴族が護身術訓練や射撃訓練をすることなど通常あり得ない。身辺の護衛が常に付くのが当たり前である。けれど、令嬢は自分から訓練を言い出して行っている。

 とにかく変わった令嬢だ。

 決して嫌いではない。

 伯爵令嬢はこの訓練の前、午前中にはランズベルク領統治府で立派に来賓の応対をこなしたのだ。そこで貴族の気品と機転のきいた交渉力でまた一つ重要な通商案件を成立させているというのに。

 あるいはこんな平民娘もびっくりの悪態がもしや地なのか?

 

 

 後にわたしは懐かしく思い出す。

 

 冬の枯れ葉色の景色を。ファーレンハイト、ルッツと本音でふざけた様子を。

 さしっ、さしっ、と枯れ葉を踏む靴音を。結局飲む暇がなくて冷めてしまった紅茶のポットも。

 夕日になり、屋敷から影が長く伸びてきて、ひざから下だけ黒く変えていったのも。

 

 

 この日の様子を特に憶えているのには理由があった。

 最後の訓練になってしまったからだ。

 

 二度と訓練を受けることはなかった。

 

 

 

 



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第十一話483年 2月 陰謀のダンス

 

 

 そんなある日、オーディンから知らせが届いた。

 引き続き先の不明艦隊の出所を秘密裏に探らせていたのだが、手掛かりが見つかったらしい。急遽、わたしはルッツを伴ってオーディンに出立した。

 ルッツを連れていったのは、調査関係の仕事に意外と向いていると思ったからである。確か、記憶によるとルッツはラングの悪行を丹念に調べるとかできた人だったよね。

 今回のオーディンへの旅は、先の事件を鑑みて帝国軍の警備隊が同行してくれた。

 これではいかな陰謀家でも手の出しようがないだろう。何も事件らしいことがなく一行はオーディンの土を踏めたのだ。

 

 しかし、運命はまだまだカロリーナに飽きることがないようだった。

 さっそくその日のうちに運命は悪意に制服を着せて送ってきた!

 

 

「カロリーナ・フォン・ランズベルク伯爵令嬢、銀河帝国に対する叛逆の疑いあり。直ちに内務省に出頭せよ」

 

 帝国の内務省職員から有無を言わせない連行が待っていた。

 

 しかも理由があまりに重大なことだ! これ以上のことはない。

 帝国で叛逆といえばもちろん極刑、疑われただけでどれほどの災厄になるか見当もつかない。この罪だけは例え貴族家、例え14歳の子供でも関係ない。

 これにはその場の全員が魂を飛ばすほど驚いた。

 

 一人連行され、内務省の簡潔なオフィスでわたしは氏名・年齢を自分で名乗らされたあと、がらんとした部屋に通された。

 

 シンプルなテーブルと椅子が二脚あるだけだ。

 相向かいに座った行政官の、任意の質問とやらに半端ない圧迫感を感じながら答えさせられる羽目になる。

 うう、なんだか胃のあたりが締められるように……

 いけない、泣いても倒れてもいいからゲロだけは絶対ダメよ。

 

 無表情の行政官があらかじめ作製してあったらしい質問状を読み上げた。

 

「それでは質問を開始いたします」

「ちょっとお待ち下さい! どうしてこんな、いわれのない嫌疑をかけられているのでしょう。まずその経緯の説明を求めます」

 

 行政官は14歳という年の割にしっかりした令嬢だな、貴族とは思えない、取り乱したりしないのか、などの思いを無表情の下に隠した。

 

「第三者の告発があった、とだけお答えいたします。それ以上は申し上げられません」

「もう一ついいですか。ここは内務省ですよね。憲兵本部でも社会秩序維持局でもないのはどうしてでしょう」

「告発の内容によって、でしょうか。判断自体は内務省ではございません」

 

 全く要領をえない返答であった。

 わたしは急ぎ弁護士を呼ぶべきかと考える。社会秩序維持局による尋問でなければ、本人にかわって弁護士が一切やることは問題ないはずだろう。もとより叛逆なんて、絶対に無実なんだから。逆に答弁が的外れに終われば、そのまま拘禁されて処罰ということもあり得るのだ。

 

「それでは、質問を開始いたします。令嬢、これに見覚えはありますか」

「ええッ!」

 

 

 机の上に出されたものは、最近ランズベルク領内で生産の始まった戦闘時糧食(レーション)だった。食べやすく、飽きのこない味で将兵に一番人気である。今やぐんぐんシェアを広げている。

 

「それは、もちろん知っています。冷凍ニギリメシです。レーションとして今領内で生産している食料品です!」

「告発によるとこれと同じものが叛乱軍の艦内にあり、ランズベルク家が叛徒にも売り込んでいることは明白。帝国軍と叛徒の争いに乗じて双方から利益を得ていることは当然利敵行為にあたる、というものです。それは事実ですか?」

 

「ちょ、ちょっと待って下さい!! 最終的にレーションがどこに使われているかは分かりません。ですが、こちらは仲買人を通して帝国軍に納入されてるものとばかり思っていました。本当です。それ以外に売り込んだことなど一度もありません」

 

 そういえば、仲買人はフェザーン商人だ。

 レーションを同盟軍に横流ししていても、それはわからない。いや、ありえることだ。高く売れる方に売りつける、これがフェザーンの正義なのだから。

 肝を冷やしながらわたしは心で叫ぶしかなかった。

 助けて! それってあんまりじゃないの!

 

「それは本当です! 利益のために帝国軍以外に売ることなど、考えてもいませんでした。でも、そんなことを言うなら、帝国で作られた服でも椅子でも、向こうにいくらでも交易で渡って…… 」

 

 ここではたと気付いた。このレーションの問題など全然大したことないんじゃないかと。

 軍用物資と言えなくもないが、たかだか食料品、いくらでも代替のきく品だ。

 第一、禁輸項目はしっかり調べたことはないが、食料品が入っているとは思えない。

 

 突然ドアが開けられて、紳士が一人入ってきた。身なりはぴっしりしたタキシードに蝶ネクタイである。

 

 行政官に何事が耳打ちする。すると直ちに行政官がこちらに向かい直してきた。

 

「伯爵令嬢、調査はこれで終了です。ですがこれからとある方から屋敷へのお招きがあります。任意ですが参られますか?」

 

 いやだからその任意っての強制ですから!

 

 

 誰の屋敷かも分からないところに向かう間、何も会話がなかった。意外に遠い場所だなと思ったころやっと到着した。

 また驚いた!

 サビーネのリッテンハイム家のお屋敷より、もしかして立派?

 派手な彫刻も庭園もない代わりに、荘厳さと歴史の重さを醸し出すオーラは、本物を感じさせるものだ。

 到着して部屋に通されると、早々と挨拶があった。

 

「よく見えられたランズベルク伯爵令嬢、儂はこの屋敷の主、リヒテンラーデと申すもの」

「お目にかかれて光栄です! 国務尚書閣下」

 

 頭の中が真っ白くなりながらも頭を垂れてドレスの裾を引き挨拶を返した。

 またしても驚いた。今日何度目だろう。

 

 血統ではブラウンシュバイク家やリッテンハイム家が格上かもしれないが、現時点の権力であればリヒテンラーデ侯はそれらを軽く上回る。

 現銀河帝国皇帝フリードリッヒ四世の信任も厚く、ほぼ皇帝の次とさえ言える権力者ではないのか。

 なぜそんな方が? ニギリメシのレーションのせい? 混乱するのでとりあえず考えるのを止めた。

 

 最後に思ったのは、リヒテンラーデ侯といえば権謀術策の徒でつとに有名であるが、それはひとえに帝国を守るためであり忠臣中の忠臣である。

 そんなに悪い人ではないんじゃないの。

 

 リヒテンラーデ侯は時間がもったいないのであろう。とっとと要件を済ませようとした。

 特段の要件でもなければランズベルク家などの末端貴族にかかわずらう時間など1秒もないはずだ。

 

「今回の嫌疑にかかわる告発、中身などどうでもいいのじゃ。問題はそこではない。告発を受けたという事実が問題なのじゃ。令嬢、どう思っておる?」

 

 告発者が誰かなどわたしが知るよしもないが、たぶん先の不明艦隊の出所と同じだろう。それくらいは思った。

 

「告発者が誰かはわかりません。しかし誰かに恨まれたか、あるいはわが伯爵家に打撃を与えて利益を得るものがいるのでございましょう」

「若いが賢い令嬢よの。ならばわかっとるとは思うが、こんな告発で伯爵家を取り潰すことなどできはせぬ。貴族家はルドルフ大帝の御代に定められたことなのじゃ。うかつに変えられはせぬ。さすればどうして告発など行ったのか、答えが見えてこよう」

「なら脅し、でございましょうか。」

「ほっほっほ、賢いの。儂も好んでではないが、この手の争いを見た経験はたんまりあるでの。それに間違いなかろうて」

 

 ウソつけ。半分好きで策謀やってるくせに。

 

 

「脅しならば、そのうち具体的な圧力と、当家にとって嫌な決断を強いることが出てくるでしょう。それで告発者がわかります」

「令嬢、それでは遅いの。もう選択肢がないようにして決断を持ち出してくるじゃろう」

「……で、では防ぐ手立てはないのでしょうか?」

「そこは、国務尚書の儂がいる。伯爵令嬢には人間の暗い部分を見るのはまだ若いじゃろう。心配せずともよい。伯爵令嬢は相手を見つけようとしてるようじゃが、そうよの、すぐ近くにいるかもしれんとだけ言うておこうか」

 

 その悪人は誰のこと?

 そして何をどこまでやってくれるのが皆目見当がつかない。が、リヒテンラーデ侯はもう何かを掴んでいて、動いているようなのだ。

 

「まことに、お礼の申し上げようもありません。」

「いやいや。ところで、伯爵令嬢はリッテンハイム侯のサビーネ嬢とずいぶん友諠が深いそうだの」

「こちらが過分にもお話し相手を務めさせていただいているだけにございます」

「それでも一番の慕われ方と聞いておるぞ。それで良い影響与えてるとも。若いものの友諠はうらやましい」

 

 その話はついでなどではなく、本題なのあろう。急な話題の振り方は意味があるに違いない。

 

 なんとなくわかった。

 国務尚書は気まぐれや好意でランズベルク家の災難を防いでやろうというのではない。

 これから成長するサビーネの性格や性質を探る布石を打っているのである。

 帝国の為政者にとってはサビーネの性質は重大過ぎるほど重大な事項なのだ。帝国の舵取りにまでそれは及ぶ。何しろ現時点で帝国を継げるたった二人のうちの一人なのだ。

 そう考えたら恐ろしい。帝国四百億人の運命がたった二人の性質にかかっているとは。

 

 リヒテンラーデ侯はサビーネと親しいわたしに一度接触し、今すぐではなくとも何かの判断の材料にしたい。老獪なことにそうはっきりとは持ち出さず、ゆるい話にまとめている。

 

 ならばいったんは味方とも言え、頼れる相手であるのは確かだ。

 そしてわたしは最後に一つ質問をした。

 

「尚書閣下におかれましては、細やかなお気遣い、しかしこれほどまでとは、なぜでございましょう」

 

 今度はリヒテンラーデ侯が驚く番だったようだ。

 目をわずか開けて本当に意外なことを聞くものだというような顔をした。彼にとっては当たり前過ぎるほど当たり前なことなのに。

 

 

「それはの、全て、帝国のためじゃよ」

 

 

 

 



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第十二話483年 3月 80歳提督

 

 

 ルッツが調査を進め、ようやく進展が見えてきた。

 先ずは破損した戦闘艦の修理用物資の流れや人の噂を丹念に探った。一方、金に困っているかあるいは野心のある貴族に絞り込んで更に調べた。

 するとほぼ間違いないと思われる貴族の名が挙がったのだ。

 

 ヒルデスハイム伯爵である。

 

 ランズベルク家とは親類筋にあたる。しかも、継承問題に口を出せるほどに近い筋なのだ。

 事実、先代のランズベルク伯爵、ロベルト・フォン・ランズベルクの逝去の後で兄アルフレットが伯爵家を継ぐのに異を唱えた事実がある。アルフレットがまだ若いのと、その性質が領地経営などの実務に全く向いていないことを理由にして。

 それは全く事実なので人々は納得しかけた。アルフレットの芸術家肌はよく知られていて、領地経営に向いているとはとうてい言えない。

 それは当のアルフレットさえもあっさりと認めた。

 

 しかし、ヒルデスハイムが後見人候補に挙げた人物の名を聞いて人々は首をかしげた。

 ヒルデスハイム自身の名ではなかったのだ。

 何とヘルクスハイマー伯爵の名を出したのである。確かにヘルクスハイマーは大貴族だが、ランズベルク家と血筋の交流がないこともないが、それほど濃くはない。

 そうこうするうちに、ランズベルク家顧問弁護士がアルフレットを当主にして後見は不要という先代の遺命があったことを盾にして話をまとめてしまった。

 親戚の一人であり、先代と交流のあったミュッケンベルガー元帥もまたそれを支持している。

 

 ヒルデスハイムは最初から自分が後見に名乗りを上げてさっさと押し切ればよかったと歯噛みをしたらしい。

 

 そのヒルデスハイムに絞って調査をしてみれば、最近ヒルデスハイム私領艦隊が大きな被害を受けていることが浮き彫りになったのだ! それは隠そうとしても物流によって明らかである。

 しかしながらそれがランズベルク領艦隊を相手にしての戦闘なのかどうか、証拠は手に入らない。そこが重要な点なのに。

 

 わたしはルッツを先にランズベルク領に返した。警備を厳重に付けて。それと、ランズベルク領艦隊に警戒を呼びかけるよう伝言を頼んで。

 わたし自身はまだオーディンでやることがある。

 

 

 

 一目見れば分かる。ヴェストパーレ男爵夫人は想像通りの快活な人だ。

 

「まあまあ、よくいらっしゃいました。今評判のランズベルク伯爵令嬢、お会いするのを楽しみにしておりましたのよ。今日はお菓子の話、宇宙艦隊の指揮の話、どちらを聞きましょうか。時間があれば両方聞きますわ」

「ありがとうございます、男爵夫人。そんな、大した話はございませんわ。わたしの話なんて。それでは、先に用件だけ済ませてゆっくりいたしましょう。今回兄アルフレットが芸術の春コンクールの詩の部門に出展することについてなんですけれど……」

「まあ、兄様はまた詩をお出しになるんですのね。昨年の秋のコンクールではあとほんの少しで入賞できましたのに、惜しいことでしたわ。いえ、私はとてもいいと思ったんですのよ」

「兄は今年こそ入賞目指すといって意気込んでますわ。毎回そう言ってるんですけれど。それで去年のような風邪声でなく、ランズベルク伯アルフレット、今年は本調子で詩の朗読に挑む所存なり、と伝えてくれと頼まれてまして」

「それは良いことですわね」

「いえ、入賞は詩の中身の問題、それと兄は朗読の時間制限をついつい忘れがちなので、失格しないかだけが心配」

 

 二人で大いに笑った。

 アルフレットのこれまでのことを思い出せば当然だ。

 

「男爵夫人、詩も大変ですけれど、コンクールではピアノや絵画の部門も大変なのでしょう。ところで一人で部門をいくつも出される方っておりますの? オーディンの芸術については男爵夫人ならたいていのことはご存知と思いまして」

「部門をいくつも? 一人で芸術を幾つもとは、普通にはあり得ませんわ。ですが今、その普通でない方が実はいるんですのよ! 本当にいろんな方面に才能ある方ですの」

 

 それそれ、それよ。やっぱりあの人でしょう。それが聞きたかった。

 

「知っております? エルネスト・メックリンガーという方ですわ。本職は軍人なのに、詩もピアノも絵もおやりになって。本当に芸術に愛されていますのね。昨年のコンクールでは詩で入賞してますわよ」

「それはすごい方! 詩はうちに一人詩人がおりますからまにあいますわ。でも、絵画とははいいですわね。その方の絵画を見れるところってありますの?」

「伯爵令嬢は絵画に興味がおあり? それなら、ちょうど個展が終わったところで、まだ画廊に何枚かは残ってるはずですわ」

 

 おいおい、我ながら下心てんこ盛り!

 ストーカーもびっくりね。ごめんなさい男爵夫人。

 画廊の名前聞いて何枚か買っておこうっと。

 話のきっかけにもなるし、どのみち後で絶対に値段上がるから。お得な買い物なのよ。

 

 

 そんな用事を済ませ、次はたまたまオーディンにいたミュケンベルガー元帥に会った。

 元帥はイゼルローン要塞などの軍事施設、技術部門、工廠の査察や訓練といった業務のためオーディンにいることは案外と少ない。

 少ない時間をやり繰りして忙しそうなので士官学校や幼年学校の視察のお願いなどは諦めざるを得なかった。

 せっかくラインハルト、キルヒアイスに会えるチャンスだと思ったのに!

 

 更にミュッケンベルガーはすぐにイゼルローン要塞に行く用事があった。

 そのためわたしのランズベルク伯爵私領艦隊に同乗してもらい、艦上でゆっくり話をすることにしたのだ。なぜならランズベルク伯爵領はオーディンからイゼルローンに向かう途上に位置し、時間を無駄にしない。

 更に、ルッツと一緒に輸送船団も返したことで身軽であり、速度も出せる。

 

 わたしはミュッケンベルガー元帥、その随行員と共にオーディンを後にした。

 いつものように素早く軍人の随行員リストをチェックしたが、今回はこれぞという人材はいなかった。

 ノルデンとかエルラッハとか、それこそどうでもいい名はあったが。

 

 

 

 それが…… どうしてこうなっちゃうんだろう。ルッツが無事に向こうへ到着したことで油断したのか。いや、そういう問題ではない。

 

 今回は前回より良いことと悪いことが一つずつある。

 

 良いことは、横に帝国元帥ミュッケンベルガーがいてくれるってこと。

 悪いことは、敵が圧倒的優勢で向かってくること。

 

「敵艦隊、距離7光秒、ランズベルク領星系を後背にして航路を遮断しています! 戦艦約50、重巡洋艦約70、総数およそ300隻、大艦隊です!」

 

 こちらは戦艦数こそ40隻あるが、総数は140隻しかない。

 戦力でかなり劣ると考えていい。

 前の戦いは敵は分散していて各個撃破もできたのだが、今回、それはできない。正面からぶつかればまともに数の劣勢を甘受するしかない。

 

「ううむ、これは、戦略的に敵に先手を取られたな」

 

 そうなのである。オーディンからの帰途、帝国軍警備隊がぴったりくっついていた。

 いよいよランズベルク領星系に近づき、出迎えのランズベルク領艦隊と合流した。

 そのため帝国軍警備隊は役目を終えたとして、離れていったのだ。

 といっても合流してもランズベルクの全軍ではないし、ルッツもファーレンハイトもいない。

 

 そんなまずいタイミングでいきなり敵と思われる不明艦隊と遭遇する羽目になったのだ。というよりミュッケンベルガー元帥の言う通り相手の作戦なのだろう。

 

「敵の情報が優っていたということだ。おそらくこちらの日程、航路、艦隊規模、全て掴んでいたのだ。その上でこのポイントで反応炉の火を落とし、慣性状態で隠れていた。申し分ない待ち伏せだ」

 

 その通りだとわたしも思う。相手は全く憎らしいほど見事な手を使っている。

 

「もう一つ、帝国の警備隊が本来より早く帰投についた気もしないでもない。これは根が深い策謀かもしれん。敵は数も多いが、編成を見ると高速戦艦が数隻入っている。これは有能な指揮官さえいれば打撃力は文句ないな」

 

 ミュッケンベルガー元帥は敵の論評までしているが、ちょっと落ち着き過ぎではないか。

 

「しかし、こちらにはミュッケンベルガー元帥という帝国軍の重鎮中の重鎮が乗っているんです! それを示せばすぐに退散するはずでは。だって、事を構えれば帝国軍と対峙するのと同じだと分かるでしょうに」

 

 わたしは青くなってそう言った。

 戦いともなれば、この前のように倒れ込むことはないが恐怖はある。

 

「カロリーナ嬢、それは少し違うな。敵対行動をしている時点でもう遅いのだ。今示せばかえって必死で織滅にかかるのが関の山だ。それに、実は儂の沽券に関わる。うっかりしていたのは儂の方だからな。それで戦う前にカロリーナ嬢だけでも脱出してもらいたいのだが、それはタイミングが重要だ」

「え、それは…… 」

「今脱出すれば、おそらく敵は高速戦艦で追跡して確実に沈めにかかる。カロリーナ嬢は、戦闘が始まって乱戦を作り出したのち脱出せい。これは命令だ」

「閣下はどうされるのです? 脱出は?」

「それを聞くのか? この儂に。」

 

 ミュッケンベルガー元帥は豪快に笑った。

 

「この数十年、儂の仕事は何だと思っていたのだ、カロリーナ嬢。本当に」

 

 わたしまでつられて笑うしかない。元帥の落ち着きは本当に心を鎮める作用がある。

 

「儂は普通ならケタが2つは違う艦隊を扱うのが仕事だが。ふむ、思い起こせばこれくらいの艦隊を指揮していたころもあったな。准将の頃か」

 

 こうなればミュケンベルガーの意思をわたしがどうにかできるものではなく、任せよう。

 

「分かりました閣下、仰る通りわたしは脱出いたします。ですが、それは味方が敗れる局面になったらの話です。約束したします。味方が必敗の状況になれば従いますが、それまでは共にいます」

「そうだ、敗れそうになったらすぐに脱出だ。今の言葉、決して忘れてはならんぞ」

 

 

 艦隊戦はごく平凡な形で始まった。

 互いに同じような陣形をとり、有効射程ぎりぎりで長距離砲を撃ち合った。

 イオンビームは中和磁場フィールドでほとんど無力化され、双方ともにさしたる損害は出ない。

 時折二か所同時に着弾してしまってシールドの負荷を超えた不幸な艦が損害を被るが、撃沈には至らない。

 けれどこのままの状態が推移すれば、陣容の薄いランズベルク領艦隊が先に破綻する。

 

「閣下、恐れながら多勢に無勢でございます。ここは犠牲を厭わず反転、オーディン方向へ退却なさるべきかと」

 

 そんな当たり前のことしか言わない随行の将にはミュッケンベルガーは眉を上げただけで、返事をする気もないようだ。

 

 すると、地味な撃ち合いに焦れてきたのか、敵の前衛部隊が速度を速めてきた。

 ミュッケンベルガーはそれを好機と見て指示を出す。

 

「各艦、エネルギーを防御シールドに振り分けよ。長距離砲を撃つのは戦艦のみ、他はミサイルを敵艦隊に向けて発射。当たらずともよい」

 

 それから、顔をわたしに向けた。随行している帝国軍人にではなく。作戦の意図が分かるわたしはにっこりと返した。

 

 一時間後、味方の損害も無視できないものになる。

 

「閣下、ここまでです。密集して退却を」

 

 またもや無能な随行員の意見をミュッケンベルガーが無視した。そのときようやく、敵の前衛部隊も足が止まった。

 

「今だ、全艦、エネルギーをイオンビームとレールガンへ。敵前衛へ撃って撃って撃ちまくれ!」

 

 いっせいに放たれた砲撃がみるまに敵前衛部隊を爆散させていく。

 その前衛部隊は長々と攻勢を続け、いや続けさせられていた!

 あと一歩という擬態を見せられたために力を抜くことができなかったということだ。そのため、もはや効果的なシールドを展開するエネルギーを残していなかったのである。

 限界点を見切られた敵前衛部隊は脆かった。

 

「お見事ですわ、釣り出しからの駆け引き。さすがは元帥閣下」

 

 今ので敵の三割は撃ち減らした。

 しかし、まだ戦力で五分と五分にもならない。

 敵は残存部隊を収容、艦隊を再編し、重厚な布陣に組み直した。そのままゆっくり押してくる。これは必勝の態勢だ。もう油断も焦りも禁物と学習し、素直に力勝負で勝ち切るつもりだろう。

 

 

 こちらランズベルクの将兵は、たまたまあの帝国軍ミュッケンベルガー元帥が艦隊指揮をとることになって驚きは尋常ではなかった。

 こんな辺境の小さな私領艦隊、せいぜい輸送船団の護衛と海賊相手に戦うのが関の山の艦隊を帝国元帥が。

 

 長く輸送船団の護衛だけを続け、せいぜい格下の海賊しか相手にしていない。まともに艦隊戦を演じた記憶はない。軍人というにもおこがましく、あまりに末端の存在だということは自覚している。

 それが今どうだ。

 よもや、帝国元帥に率いられて艦隊戦のひのき舞台に立てる日が来ようとは!

 

 その驚きはもちろんプラスに転じた。これは武人の誉れではないか。

 光栄だ。

 恥ずかしい戦いは見せられない!

 

 

「ふむ、このままではいかんな」

 

 口調はそれほど深刻ともいえない。

 ミュッケンベルガーは敵艦隊が全面攻勢に出られないよう巧みに要所を抑えていたのである。

 敵の司令官の力量もほぼ把握したつもりである。

 ただしかし、このまま押されれば数で負けるという事実は変わりがない。

 

 わたしは子供がポーカーでラッキーな札を引き当てたようなにんまりした顔でミュッケンベルガー元帥に近づく。

 

「閣下、うまくいけば、ですけれども」

 

 

 後に80歳の戦いと呼ばれる戦闘の幕が上がった。

 

 ランズベルク艦隊から別動隊がわずか3隻という数でひそかに発進した。

 

 大きく迂回して敵艦隊の後方に達した後、あらゆる砲門を開いてでたらめに射撃を始めた。それで実数よりはるかに多くの艦に見せかけるのだ。追い打ちをかけるように「うわあ、退路が断たれる」「まもなく敵には増援が・・」などという偽通信を送りつけた。

 

 数で劣る側がさらに別動隊を編成して派遣するのは非常識であるが、かといって無視もできない。

 

 敵艦隊はこの陽動によって一時混乱に陥った。

 そこをミュッケンベルガ―が正確に狙い撃つ。

 しかし、敵艦隊はまもなく態勢を立て直すと、有力な高速戦艦を中心とした20隻もの部隊を割いてまでこちらの別動隊へ向かわせてきた。

 

 だが、その20隻の部隊は拍子抜けした。

 その宙域にはたったの3隻、しかもわけのわからない射撃をしている小型の無人艦しかいなかったのだから。

 馬鹿な陽動に乗せられた怒りを込めてあっさりと撃滅し、本隊に帰投した。

 

 再び延々と砲戦が続いたが、またもやランズベルク艦隊から15艦ほどに見える小隊が分かれて戦場の外側を大きく迂回しようとした。

 敵艦隊は今度はまったく動揺しなかった。艦隊からまたもやさっきの部隊、20艦がその小癪な別動隊めがけて発進した。

 目障りな陽動だ。おそらく無人の小型艦だろうが、さっさと片付けてくれる。こんな無駄な小細工をするということは、もう苦し紛れなのだろう。

 

 

 接近した刹那のことだった。

 明らかに15艦程度とは思えない程の強力なビームの束が輝いた!

 馬鹿な、そんなことが、という声を虚空に残すのみだ。まともに食らった艦から順に爆散し、その20隻の部隊は消滅した。

 

 実はランズベルク艦隊別動隊の総勢は何と40隻あり、それらを簡単に蹴散らしたのだ。

 

 最初に使った別動隊無人艦3隻は数を多く見せるようにした。

 今度の別動隊はそれと逆だったのだ。

 わざと反応炉の火を落とした艦を曳航しつつ、数を少なく見せかけていたのだ!

 しかも、艦隊中で高性能艦を選りすぐっていた。これで敵の20隻を罠にかけたのである。

 

 その戦果だけに満足しない。

 せっかく敵艦隊に対し有利な位置につけたのだ。直ちに急速前進、敵の側面から猛撃をかける。

 その別動隊の旗艦艦橋でわたしは最も有効な砲撃ポイントを探り当てつつ、効果的な打撃を加えるよう指示を続けている。

 

 敵艦隊の司令官はやむを得ずそれを受け流し、迎撃態勢をとれるよう、艦隊全体を回転させる運動をしようとした。

 しかし、それはうまくいかなかった。

 恐怖にかられた艦がバラバラにこの別動隊にむかって回頭を始めたのである。

 

 ミュッケンベルガーのいるランズベルク領艦隊本隊は少数ながらも敵の攻撃によく耐えていたが、その混乱を見ると一気に逆撃に転じる。

 勝機を見極めたミュッケンベルガーが命を下す。

 

「全艦密集隊形、敵中央部を突破し分断せよ!」

 

 それをあたかも予期していたかのように、わたしの別動隊も動く。

 編成途中のミュッケンベルガーを攻撃しようとしている敵艦を狙い撃ち、邪魔などさせない。

 そのためミュッケンベルガーの突撃はうまくいった。

 敵艦隊を中央突破から背面展開、回頭途中の一瞬だけ敵にとってまたとない好機であったが、その時もカロリーナがありったけのビームとミサイルの弾幕で敵に的を絞らせはしない。

 

 勝敗は決した。

 

 分断され、更に後背を取られた敵艦隊は瞬く間に損害を増やしていった。

 反撃しようにも、わたしとミュッケンベルガー元帥、防御に攻撃に、巧みに入れ替わっては付け入る隙がなかった。

 もはや勝負がついた後、こちら側の二回にわたる降伏勧告も無視し、ついに敵艦隊は無理な逃走に移った。

 エンジンが焼け付いても構わないような加速をみせた。その過負荷による暴走でいくつかの艦は爆散、しかしそれはいい方なのかもしれない。艦の冷却が追い付かない場合は中の人間だけ蒸し焼きだ。おそらく敵艦隊で逃げられたのは二割もないだろう。

 もちろんこちらは無理な追撃はしない。

 

 

「ミュッケンベルガー元帥、万歳! カロリーナ、万歳! ランズべルク、万歳!!」

 

 各艦から勝利の大歓呼が聞こえてくる。

 優勢な敵に挑まれて、最後まで危ない局面など作らせないまま、壊滅させたのである。

 完勝だ。

 特に別動隊による陽動作戦、心理戦でも艦隊運動でもひときわ鮮やかな手並だった。

 その後も本隊と別動隊でこれ以上ない有機的な連携を行い、敵の反撃を一切許さなかった。

 

 どの艦が初めかわからない。

 ミュッケンベルガーとわたしの年齢のことだろう。

 

「66と14、合わせて80、80で勝った!」「80の勝利!」「80歳の司令官、万歳!」

 

 公式記録に80歳の戦いなどと馬鹿な呼称を記載するのにためらいのあった人間もいる。

 しかし、次の事実の前に声を失うしかなかった。

 

 

 別動隊を率いるためわたしとミュッケンベルガー元帥が別れたあと、あれほど艦隊の連携を見せながら、戦いを通して一度も通信した記録がなかったのである。

 

 

 

 



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第十三話483年 6月 友誼の結果

 

 

「元帥閣下、お見事ですわ。大型艦を割いた本隊でよく敵に気付かせないまま敵の攻撃を凌いでおられました」

「いいや、功というなら作戦を考えたカロリーナ嬢が勲一等だ。敵を欺瞞に嵌める心理戦は凄い。その後の別動隊の指揮もまた見事なものだ」

 

 二人は戦いの余韻に浸りながら言う。

 

「いつものオテンバ呼ばわりはないんですの?」

「今回は令嬢がオテンバで助かった。全く。大胆さも攻撃の狙い所も、タイミングも、どこをとっても見事という他ない。帝国軍の将帥でもこのようにできるか」

 

 周りにいる随行員たちは言葉もなく、下を見ているしかない。

 

「カロリーナ嬢、ただ一つ言うなら仮に欺瞞が破れた場合の備えが薄かったな。予備の置き方が今一つだ」

「うっ、その通りです。閣下も突入がもう少しでも遅かったら、敵艦隊の回頭を許してしまい乱戦になりましたわ」

「うっ、帝国元帥に何を申すか」

 

「カロリーナ嬢、才能だけで言えばそなたに一個艦隊も指揮させてみせたい。だがな、もう危ないことはせぬように。屋敷に閉じこもっておれ」

「それは嫌ですわ。閉じ込められたら地面に穴を掘ってでも逃げます」

「もう儂が言うても無駄な気がする。しかし、それでも言っておきたい。先代のランズベルク伯が亡くなったときはひどくがっかりした。その上、その娘まで死んだ知らせなど聞きたくはない。そのようなこと、耐えられぬ」

 

 ここで先代のランズベルク伯爵が亡くなった時のことをミュッケンベルガーは口にしたのだ。

 そしてその娘であるわたしに見せる親愛は本物だった。子のないミュッケンベルガーには我が娘のように思うのだろう。

 思わず、じん、とした。

 

「大丈夫です、閣下。わたしは死んだりしません。死んで兄の詩のネタにされてたまるもんですか。どんなことを書かれるやら」

 

 最後は敢えて笑いで締めくくった。湿っぽくしたくない。

 

 

 

 戦いの詳細はまたもや帝国のニュースになっていた。

 今度は規模が大きかっただけにより大きなニュースになるかと思いきや、そうでもない。

 何といっても帝国元帥、あのミュッケンベルガーが指揮していたのである。

 元帥が辺境の小艦隊を指揮、という意味では大変面白いニュースであったが、戦いの勝敗だけであれば勝っても別に不思議には思われなかったのである。

 

 だが見る目をもつ者には、傑出した指揮官が二人そろっていて初めて成り立つ作戦だったということがよくわかる。

 前回の戦いのニュースで嘆息したものは、より深く嘆息した。14歳の伯爵令嬢、カロリーナに対して。

 

「キルヒアイス、またあの伯爵令嬢だ。今度も劣勢から挽回とはな。面白い星の元にいるようだ」

「更に興味が湧きましたか、ラインハルト様」

「まあしかし、こんな戦いが続くかな。戦いは先ず数を揃え、戦略的要件をもってするものだろう。ただし令嬢もだが、ミュッケンベルガーも意外にやるものだ。堂々としてるだけの飾り人形だと思っていたが」

 

 

 

 

 わたしは今回の襲撃について、直ちに帝国政府に対し調査の要求をしている。

 当たり前だ。そして帝国政府としては言われなくても元帥のからんだ戦いなのであるから、むろん調査も真剣にならざるをえない。

 

 わたしもなあなあで済ませる気はない。それほど今回は用意周到で、命を狙いにきているものだ。

 敵艦の逃走方向だったのを理由にヒルデスハイム伯爵領地の立ち入り調査まで言い張ってみる。

 当然ながらヒルデスハイム伯は拒否した。

 下らぬ状況証拠だけで犯人呼ばわりとは、無礼に過ぎるではないか、と。

 帝国政府も説得を試みたが、はかばかしくなかった。帝国政府といえども確たる証拠がなければ強制力がないのだ。

 それが貴族私領というものなのである。領地は私物だ。そして貴族というものはルドルフ大帝の御代から続く帝国の秩序の根幹だ。現在の帝国政府は、ルドルフ大帝という不可侵の過去に対して無力であり、有力貴族においそれと命令はできない。そういう矛盾は今もなお続いている。

 

 

 

 だがしかし、話は意外な形で終結した。

 銀河帝国でも最有力の大貴族、リッテンハイム侯爵家息女にして皇孫でもあるサビーネが直接行政府にキーキー言ってきたのである!

 

 最初、職員はやんわり宥めるように対応したが、サビーネはかえってヒートアップした。

 

「妾の言うことが聞こえんのか! 汝らの耳は何のためについておる? 飾り物の耳なら妾が全員の耳を切り落としてもよいのじゃぞ? 刃物を持ってこさせるゆえ、それまでの間に耳が仕事を始めたものは妾の言うことに即刻従え」

 

 そんな無茶でも本当にやりかねない気性と、実行しても問題にならない権勢の両方を少女は持っているのである。

 

「お、お待ちくださいサビーネ様、先のようなことはおいそれと決められるようなことではございませぬ」「サビーネ様、リッテンハイム侯にはお話しされてるのでございましょうか」

 

「ふん、お父様に先に話せばどうなるかわからぬから真っすぐきたのに。もう一度だけ言う、はようせい! ランズベルク伯爵令嬢カロリーナの申す通り、ヒルデスハイム伯爵家の領地を探索せい! なに、逮捕しろというのではない。何も出なかったらそれでよいではないか」

 

 そしてサビーネは恐ろしいことまで言う。

 

「貴族私領だから探索できぬというか。皇位継承権とやらが妾にあるのでは、一言で逆賊に仕立ててもよいのだぞ。さすれば帝国全軍が立ち向かおう」

 

 無茶苦茶である!

 

 少女が父親であるリッテンハイム侯に相談しなかったのは当然であった。

 権勢を誇るリッテンハイム家にすれば、辺境のランズベルク伯爵家など惜しくも何ともない。何しろ一声掛ければ黙って従う貴族は他に何百となくあるのだ。

 それなのにランズベルク伯爵家にこだわり、わざわざ後の火種となるようなリスクを負う必要は全くないのだ。

 

 サビーネに対応する行政府としては苦慮する。

 普通に考えたら、リッテンハイム候がそんなことに首を突っ込まないようサビーネ嬢を諫めるはずであるし、それで終われば問題ないが……

 しかし、万が一リッテンハイム侯が娘可愛さのあまりそれを良しとしたら、どうであろうか。

 リッテンハイム家の言うことを不当に遅滞させたということで、文字通りの意味で首が飛ぶだろう。うかつには動けない。

 しかし、ほどなくして上層部より助けが入った。

 

「サビーネ・フォン・リッテンハイム嬢の口添えの件、良しとする。捜査にヒルデスハイム伯爵家領地をその範囲に含む。帝国政府の決定である」

 

 

 

 満足して行政府から出ていくサビーネが小さく見える。国務尚書執務室の窓辺に立ち、それを眺めていたリヒテンラーデが呟く。

 

「あの伯爵令嬢とサビーネ嬢の友諠は本物じゃわい。それが確かめられただけでも面白い見世物と言えよう。ヒルデスハイム伯もちっと欲をかき過ぎの御仁じゃからの。ここらで痛い思いをするのも致し方あるまいて」

 

 実は、その手には先の二回にわたる戦いに関してヒルデスハイム伯が関与している明白な証拠と報告書が握られている。

 

「それと、あやつがどう出るかの。それによって火の粉の大きさも変わってこよう。儂の手の平の上はまっこと踊りやすいじゃろうて」

 

 その証拠をどう使うか、持ち主の一存で決まる。

 これまで帝国内に何百となく生じた事件の暗部を掴んできたリヒテンラーデの目が鋭く光を放つ。

 

 

 

 

「サビーネ、何をしてくれたのだ! どこでもお前の話でもちきりだぞ! あの菓子の上手い伯爵令嬢をお前はそこまで…… 」

「お父様、勝手なことをしました。ですが、このことはなぜだか正しいことのように思えまする」

 

 サビーネに 責の真似事をしたが、リッテンハイム侯は口ほど怒ってなどいなかった。

 なにより可愛い娘なのである。この十倍、あるいは百倍大きい事件を起こしてもきっと赦すだろう。

 

「お前がそう言うならこの際ヒルデスハイム伯なぞどうでもよいのだが、変な逆恨みでもされたら困る。対処せねばならんな」

 

 この場合の「対処」とは、丸め込めたらそれでよし、そうでなければ即刻抹殺を意味していた。成り行きによって、社会的な意味になるか、言葉通りの意味になるかは別として。それだけの力がこのリッテンハイム家にはある。

 

 そして内心ではサビーネの行動はリッテンハイム侯をたいそう喜ばせていたのだ!

 今回の行動は、行政と法秩序に大貴族の横やりという否定的な声はあれど、12歳の娘ということで緩和されていた。

 それよりもあのリッテンハイム家の令嬢が下層貴族の友人のため行動を起こしたということが大きく評価されていたのである。

 それも執事を遣わすのではなく自分自身が足を運んで。

 

 サビーネ嬢は友情のために動く!

 

 サビーネ嬢と、ひいてはリッテンハイム家の好意的評価となった。

 それにしても、とリッテンハイムは思う。娘は変わった。この良い方向への変化はやはりランズベルクの令嬢のおかげなのだろうな。

 

 そう思ったのは実は以前からである。

 であればこそ、過去にブラウンシュバイク公の一人娘エリザベート嬢の誕生会パーティーの際にカロリーナ・フォン・ランズベルクを引き合わせたことさえある。

 エリザベートは政敵ブラウンシュバイク公の娘ではあってもリッテンハイムにとって姪に当たることは間違いない。

 エリザベートのためでもあるが、あわよくばカロリーナが仲立ちをしてサビーネと親交を深めればよいと思ったのである。

 結果は失敗であった。

 

 エリザベートとカロリーナは通り一遍の挨拶のあとは何も進展しなかった。エリザベートはもはや取り巻き令嬢にしか関心がないようなのだ。

 エリザベートの母、アマーリエ・フォン・ブラウンシュバイクはカロリーナに良い印象を持ったようだが、それでもリッテンハイム家とその一党は政敵、この思いから抜け出すことはなかった。それがエリザベートにもそれとなく伝わってしまったのだろうか。

 最近では、エリザベート嬢は癇癪を頻繁におこすようになり屋敷に閉じこもっているという。

 

 

 

 

 しばらくの後、帝国行政府からヒルデスハイム伯爵へ向けて通信が送られた。

 

「先のランズベルク伯爵領艦隊およびミュッケンベルガー元帥への襲撃事件の捜査のため、ヒルデスハイム伯爵は屋敷からの外出を禁ず。ヒルデスハイム私領軍艦艇の登録、及び航海記録、また宇宙港の出入記録を提出するよう。また主要艦の臨検を随時行う」

 

「ふん、その程度は予想の内だ。そんなものの言い逃れなどなんとでもなる。いざとなれば、あの方の後ろ盾もある」

 

 ヒルデスハイム伯爵は帝国政府の処分に対し不敵に笑った。

 その自信には根拠がある。

 私室の机の上には、つい一時間前に届いた通信文があった。とある貴族からのものである。

 ヒルデスハイム伯に対し政治的なことに加え、軍事的実力までの支援を確約するという書面であった。

 

 

 またしてもカロリーナ・フォン・ランズベルクの運命が変わる。

 後の世にバターナイフの戦いと呼ばれる戦いが間近に迫っていた。

 

 

 

 

 



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第十四話483年 8月 仕込みは充分

 

 

 わたしは再び帝国行政府との話のためオーディンに来た。

 もう油断はせず、行き帰りとも帝国軍警備隊に完全に護ってもらうのを忘れない。

 

 もちろん時間を作ってサビーネのいるリッテンハイム家の屋敷にも伺う。

 ますます可愛い盛りになったサビーネとひとしきり談笑した後、ふいに屋敷に数えられぬほどあるサビーネの私室の一部屋に導かれたではないか。

 

 足を踏み入れると、あまりの驚きに目を見張った!

 

「どうじゃ、カロリーナには馴染みのものじゃろう」

 

 サビーネは自慢したくて仕方ない新しいおもちゃを見せた。

 貴族趣味の贅をこらした部屋のど真ん中に、なんと、艦隊戦3次元シミュレータがセットされていたとは!

 

「カロリーナも12歳でこのようなものを使っていたと聞いておる。妾が使ってもよかろう?」

「サビーネ様が、これをお使いに?」

「さっぱりわからんのだが、でも面白いぞ」

 

 対戦相手のAIを最弱にして、こちら側には優秀な参謀がいて、しかも実務はほぼ自動でやってもらうモードにセットされていた。

 しかしそれでもサビーネはころころ負けていく。

 12歳の少女ではこれが普通なんだよなあ、と思う。

 しかし興味を惹かれる話はその次にある。

 

「それでな、貴族のうちで軍事を知ってるものを呼んでな、相手をさせているのじゃ」

 

 え? 誰を?

 サビーネが頼んで、というより命令して相手をさせている相手のリストを見てカロリーナは思わぬ幸運に天に感謝した。

 知っている名前があったのだ。

 一番の収穫は、フォルカー・アクセル・フォン・ビューロー、これはミッターマイヤー艦隊の中で分艦隊の指揮をとっていた有能な人物ではないか。

 この人を取り込められれば、その友であるベルゲングリューンもまとめて…… いやだめか。その二人はミッターマイヤー元帥の前にまだキルヒアイス提督の側にいたときから知り合ったんだっけ。そうだったかな。

 

 他にもいろいろな名前があった。ブルーノ・フォン・クナップシュタイン。

 こいつはダメだ。

 誘われただけとはいえ、帝国もロイエンタール元帥も裏切るから。すごく有能でもないし。

 トゥルナイゼン、これは絶対ダメ。使えない。

 テオドール・フォン・リュッケ、誰だっけ。名前しかわからない。

 とりあえずこのツテを使ってビューローにヘッドハントよ。

 

 わたしの人材収集は遅々として進んでいない。

 ファーレンハイトとルッツの後は、はかばかしくない。アイゼナッハとケンプには断られた。既に地位のあるメルカッツなどは全然無理だろう。何とかメックリンガーとビューローくらいはツテを辿って何とかしたいものだ。

 元々誘えば来る、という単純なものではなく、帝国軍の本流から離れて私領艦隊に来ようという人間はほとんどいない。有能な人間ほどその傾向が顕著であった。

 

 

 

 さて、当初の目的である行政府からやっと連絡があった。

 

「本来は事件の調査途中において外部に何もお話しできないのでございます。ですが今回、ヒルデスハイム伯爵領の捜査を依頼されたランズベルク伯爵令嬢、そしてリッテンハイム家のサビーネ様にのみ特別に非公式にてお伝えいたします。結果として、ランズベルク伯爵領から先の襲撃事件に関与する証拠は何も発見できませんでした」

「まさかそんな……」

 

「艦籍、航海記録、乗組員証言その他いずれも不審な点は見受けられませんでした。ひどい損傷を受けた艦もありましたが、宇宙海賊との戦闘が最近あったとのことにて確たる証拠にはなりえません」

「で、では書類や証言を改ざんして提出した形跡はなかったのですか! 他にも探せばもっと何か」

 

 わたしとしては確信があっただけに憤懣やるかたない。

 

「カロリーナ・フォン・ランズベルク伯爵令嬢、提出された書類について不備がなければ、艦船以外の領地を探すことはできません。それに申し上げにくいことながらヒルデスハイム伯は今回の捜査について大変立腹しておられました。」

 

 これだから貴族がのさばるのよ、と思った。

 わたしはついに切り札を切る腹を決めた!

 

「では、ミサイルで損傷を受けた艦の弾痕を調査していただきとうございます。特にそこに残されたミサイルの破片に塗られている塗料の組成を。先日ランズベルク領艦艇で使用したミサイルは、たまたま一般的ではない塗料を上に塗り足して使用しているのでございます。破片の塗料の組成がランズベルクの物と一致すれば、先の戦闘に参加した確たる証拠になるでしょう。その塗料の組成をお教えいたします」

 

「なるほど…… その件、承知いたしました。損傷部に残された破片を即刻調査いたします」

 

 

 仕込みが生きる時が来たわ!

 

 最初の水色の戦いの後、犯人探しをどうするか、わたしは考えあぐねていた。

 権力を持ったものが相手であれば捜査の邪魔をして迷宮入りにするのは簡単である。

 数か月前のある夜、そんなことを考えながらランズベルク領統治府の食堂にふらふら歩いて行った。ティーサーバーから紙コップに冷水を取り、更に考え込む。

 

 そこに偶然ファーレンハイトが通りかかった。

(あれ? 伯爵令嬢が一人で一般平民用の食堂なんかにいる。何だろう。何か飲んでいる。しかも紙コップで! 貴族なら部屋に執事か侍女を呼びつけて飲み物を持ってこさせるだろう。それが絶対普通だ。この令嬢は頭がおかしい)

 

「伯爵令嬢、こんな夜に、しかもこんな食堂で一人とは? 帝国軍でも士官食堂ならここよりずっとマシですが」

「ほっといて頂戴。こういうのが合うの。わたしには」

「床が汚いので、ドレスの裾がモップ代わりになって掃除になりますな。足より相対的にドレスが長すぎるのでは」

「!」

 

 わたしは裾を探って確かめてみる。

 

「冗談ですよ、令嬢。ドレスの裾の長さなど、着るものの足に合わせて作るものですから。どんな長さの足であっても」

「…… 何がおっしゃりたいんですの?」

 

 コラ、喧嘩売ってんのか?

 

「もう充分語ってるつもりですが。令嬢」

「全っ然分かりませんけれど?」

 

 ガキか、この軽口は! とは思いつつ今思ってる懸案をファーレンハイトに話した。そして二人でああだこうだ言い合った。

 ある考えを思いついたのは、ファーレンハイトであった。

 

「う~ん、今から証拠といっても難しそうだ。しかしこれから戦闘が起きるのであれば、方法がないこともない」

「ファーレンハイト、それは何?」

「宇宙の戦闘でビームなどはみな同じ、しかも後に何も残らない。しかしミサイルならば艦が爆散しなければ破片が残ってもおかしくない。そこに普通には使ってないものでランズベルクの艦独自のものがあれば、戦った証拠になるのではないか?」

「わー、すごい! そのアイデアいいわ!」

 

 具体的なことを考えた。

 ミサイルそのものは変更できない。規格があるので。

 金属? いや難しそうだ金属そのものを変えるのは。内部に何か仕込む? それもまた難しい。

 

「何か残ればいいだけなのに…… そうだ、塗料だったらどうかしら? 塗料なら、破片に必ずくっついてのこるはずだわ。ミサイルの塗料が何かなんて詳しくは知らないけど」

「確かにいい考えですが……」

 

 ミサイルの塗料なんてレアな知識、そんなの持ってる人間なんて………… いたわ!

 

 わたしとファーレンハイトはそのままルッツの部屋になだれこんだ。

 

「ルッツ少佐、急に変なことお尋ねします。対艦ミサイルの材質で、はっきり申し上げて塗られている塗料についてご存じですか?」

「は、はあ? ミサイルの何でございましょう、塗料と言われましたか」

 

 いきなりの来訪、そして驚くべき質問の内容。こんな内容の質問は予想できる者など誰もいるはずがない。「急に変なこと」とつけるのは間違いなく正しい。

 何をそのようなことを、と遮らずに答えを考え始めたのは、ルッツの生真面目さであった。

 

「宇宙艦隊の持っている対艦ミサイルのことでしょうか。宇宙では錆びの心配はございません。もちろん。しかし宇宙線などの放射線から保護する役割があります。プラスチックなどの部品に対して。ですので塗料には重金属を含んでいます。そして大事なのは超低温でも固くなりすぎてはがれてはいけませんし、振動にも耐えねばなりません。それはかなり難しい技術になります」

 

 やはりだ。思った通りルッツは武器弾薬にやたらと詳しい。

 

「そういうものはどこでどうやって作られてるのでしょう?」

「たくさんの場所で作っているわけではございません。ミサイルの部品関係は技術力のあるオーディン近くの帝国軍工廠で作られるのがほとんどでございます。わずかには、イゼルローン要塞内、そしてフェザーンにある会社でも作られているかと思います」

「その名前わかります?」

 

 ルッツは混乱しながら思う。

 どういうことだろう。伯爵令嬢とファーレンハイトがアポもなく夜にいきなり部屋に来るとは。普通ではない。

 用向きがあれば、令嬢の執事が時間を通達し、こちらを統治府に呼び出すのが当たり前ではないか。夜にいきなり押し掛けるものではない。

 しかも、その用向きというのもとんでもなく予想外のものだ。

 来訪自体は決して嫌ではない。

 軍にいて忘れかけていたが、これは士官学校時代のノリではないか! いい酒が手に入った時に友人の部屋に押し掛けるような。またそんなふうな時代が来るとは夢にも思わなかった。

 

 ファーレンハイトも考える。本当にノリのいい令嬢だ。

 一応、この令嬢は他の貴族令嬢に比べても水準以上に美しい。そんなこと本人の前では絶対に口に出したりしないが。もちろんあまたいる貴族令嬢の中には更なる美貌の持ち主は少なくないが、このカロリーナ嬢の良さはくるくる変わる表情と、さらに言えば内面にこそあるのだ。

 仕えるのは本当に面白い。

 

 三人は早速行動に移す。

 カロリーナはフェザーンの商人を通して、一般にはないミサイルの塗料を仕入れてランズベルク領艦隊のミサイルに塗り足させた。

 念には念を入れて、いくつかの工夫を仕込む。

 

 

 ついに証拠は上がった!

 

 帝国政府の調査の結果、ランズベルク領艦隊が使っているミサイルの塗料と同一のものが、ヒルデスハイム伯領地内のドックで修理中の損傷艦から発見された。もちろん言い逃れしようもない。ヒルデスハイム領艦隊に籍のある艦艇だ。

 動かぬ証拠であった。

 

 帝国の調査員がヒルデスハイム伯から丁寧に聞き取る。むろん相手は名門の貴族、気を使わなければならない。しかし今回は明らかな証拠があり、とりあえずそれを認めさせればいい。

 

 

「ヒルデスハイム伯、先ほども申し上げました通り、そちらの私領艦隊の修理中の艦にランズベルク艦から放たれたミサイルの破片が見つかっております。ミサイル破片の表面に残っている塗料から特定がついております」

 

「な、なに? ミサイルの破片だと? そんなものが何だというのだ。いつどこで入ったかも分からないだろうに」

「いえ、その散布状況から見てごく最近の戦闘によるものだと判明しています。しかしこの場合大事なのは破片に付いている塗料なのです。それによってランズベルク艦隊と交戦したものと特定されました」

 

「ん? ミサイルの塗料? なるほど意味が分かった。ランズベルク艦の使うミサイルと、我が艦隊の損傷部に残っていた破片が一致したとでも言いたいのだろう。しかしその種類、いくら何でもこの世に2つとないもの、というわけではあるまい。単なる偶然だ」

 

 そうヒルデスハイム伯は言い張った。理屈を捻り出す才覚だけはあったのだ。

 

「いいえ伯爵。単に珍しい塗料がそのまま使われているといったことではありません。その珍しい塗料は一般流通品と混ぜられてから塗られております。その混ぜた比率までが偶然一致することはとうていあり得ません」

 

 しかし、それでも反論をひねり出し、返してくる。

 

「ならば、海賊だ。その仕業に違いない。同じ海賊が当家の艦隊とランズベルク家の艦隊を襲ったことがあるのだろう。だからそれを知ったランズベルク家は同じような塗料を作りあげ、後で自分のミサイルに塗ったのだ。それだけのことではないのか。むしろそんな姑息なことをして当家を陥れようとしているランズベルクこそ糾弾されるべきだ!」

 

 確かによく作り上げた理屈だ。

 ただし憲兵調査員には少しの動揺もない。

 丁寧な言葉使いを崩すことはないが、ヒルデスハイム伯を決定的に追い詰めた。

 

「このうえ申し上げ難いのですが、塗料がミサイルに単に塗られていたのではありません。表面にパターンを描くようにして塗られていました。それはランズベルク家の家紋のようで、海賊がわざわざそんな風に塗ったミサイル使うことなど絶対にあり得ません」

 

 それでもヒルデスハイムは「誰かの陰謀」と申し立てた。

 

「これは悪辣な罠だ! きっとランズベルクの小賢しい娘がヒルデスハイム領地を狙って企んだのであろう」

 

 

 しかし同時にヒルデスハイム伯爵私領全戦闘艦艇に動員をかけた。

 もはや実力を行使するまでだ。

 ランズベルクを叩き潰し、降伏させればこの件もろとも有耶無耶になる。

 

 勝てばいいのだ。

 全力を出せば戦力はこっちがはるかに上回る。何だ、簡単なことではないか。

 

 

 

 



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第十五話483年 8月 決戦~デサイシブ・バトル               前編

 

 

 それは通常ではありえない反応である。

 ランズベルク家を軍事的実力で押し潰すとは……

 

 貴族同士の内紛、特に辺境貴族同士のいさかいは確かに珍しくない。

 帝国の政治が緩んでいるという意味ではない。

 貴族というものは、そういう戦いを華としてとらえる文化があり、おまけに名誉というものが絡んだ戦いは避けないのが通常なのだ。

 

 だがそれでも私領艦隊を全面的に使った正面戦闘をしたとなると、下手をしたら喧嘩両成敗で藪蛇に領地没収ということも考えられる。

 そのリスクを避けるため、貴族にはわざわざ代理決闘などが存在するのである。

 

 

 この場合、陰に事情がある。

 ヒルデスハイム伯に通信があった。

 さる国政について非常に重要な職にある方の密使という人物が言ってきた。

 一連の件、帝国行政府はヒルデスハイム伯の申し立ては言い訳にも値せず、と断じる。ランズベルク伯爵家への攻撃は貴族としての正々堂々としたものではなく卑怯であることが最も問題であり、貴族としての誇りを捨てた行為の報いを受けねばならぬ、とのことであった。

 

 ヒルデスハイム伯は帝国行政府の反応の意外な早さ、またその内容に驚いた。

 そして追い詰められていることを悟ったのだ。

 

「ほっほ、これでヒルデスハイム伯もコソコソ隠れていないで立ち上がらざるをえないじゃろうて。後ろ盾があると思えばこそ強気にもなる。後ろ盾も一緒に潰してしまうかの。ごみはまとめて燃やすがよいわ」

 

 帝国行政府の最も重要な部屋の主がつぶやいた。実はヒルデスハイム伯など最初から問題にしていない。あくまで狙いはヒルデスハイムの背後にいる者だったのだ。

 

 

 だがそれは、ランズベルクという弱小側にとってすれば死活問題である。

 予想と異なる事態の急変を知ったわたしは、慌ててランズベルク領への帰途についた。ある匿名の通信があったのだ。バレバレではあるが。

 

「すまんの。カロリーナ嬢。ヒルデスハイムが暴発しそうじゃ。艦隊を動かすつもりらしい。一刻も早く準備するのがよろしかろう」

 

 たぶんこの声の主からすれば、敗けても勝ってもわたしと兄さえ無事ならばそれでいいのだ。巨大権力によって後でいかようにも取り返しがつく、と。しかしそれではランズベルク家に関わる多くの人間に犠牲が出る。

 それは避けなければならない。

 

 ならば、勝つ。

 それしかない。

 悪意を持って迫るヒルデスハイム私領艦隊に勝つのだ。

 

 

 領地に帰り着くやいなや、直ちに必要な対処をしていく。

 ランズベルク領艦隊のほぼ全戦力を領内各所から発進させた。

 

 約450隻の陣容である。

 

 わたしはせっせと軍備増強に励んできたつもりだが、戦闘で足を引っ張るであろう老朽艦は随時外していったため艦数自体にはあまり変化がない。

 兄アルフレットは統治府に残す。

 伯爵家の二人が同じ場所にいるわけにいかない。たった二人の伯爵家なのだから。

 

 わたしはファーレンハイト、ルッツと連れ立って旗艦に乗り込んだ。

 さあ、他の大貴族の壮麗な艦隊には見劣りするかもしれないが、450隻の艦隊は美しく、頼もしかった。

 

「でも、なんで、なんで水色の艦が多いのよ!」

 

 理由はわかっているカロリーナだが、恥ずかしいのと腹が立つのと両方を感じていた。

 もちろん前の戦いにあやかって艦の定期塗り直しの際にわざわざ水色を指定する艦長が多かったのである。

 

 

 ランズベルク領星系内観測ブイから情報が届く!

 敵の艦隊らしきもの発見。星系内に侵入しつつあり!

 もちろん、わたしとランズベルク艦隊はそこへ向かった。

 

「お客さん、お話ししたらすぐ帰ってくれるかしら」

 

 その期待は裏切られた。

 お客さんは思ったよりもはるかにやる気充分であった。

 

「敵艦隊総数、およそ1100隻!」

 

 この報告はわたしも驚かせ、また各艦の艦長にも呻き声を上げさせた。

 

「!! なぜ、ヒルデスハイムにこんな大艦隊が………… 」

 

 敵は思わぬ大艦隊である。予想外だ。

 

 ヒルデスハイム伯爵家は武門の家柄ではない。

 それに、自給自足できる品目が多いという恵まれた条件にあったので交易は盛んではなく、そのため輸送艦の護衛の必要が薄い。

 ヒルデスハイム伯領地はランズベルク伯領地より人口は4倍も多かったが、所持している私領艦隊の規模はそんなに変わりはないはずであった。

 動員数は700隻からせいぜい800隻と考えていたのだ。

 

 実際のところ、確かに700隻ほどが動員された。しかし、ヒルデスハイム伯の後ろ盾になっている大貴族の援軍が400隻ほど合流したので大艦隊に膨れ上がっていたのだ。

 

「敵艦隊より通信文来ました!」

「そのまま読み上げてください」

 

 そして届いたヒルデスハイム側の前口上は、ひどく苛立たしいものだった。

 

「ランズベルク領艦隊に告ぐ。ランズベルク家は当ヒルデスハイム家に対しいわれなき誹謗中傷を繰り返した。先には帝国政府すら欺き事実無根の嫌疑を着せんと陰謀を企んだ。これ全て当家の領地及び富を狙ってのことであるのは明白である。長年誼を通じてきた家同士、忍耐を重ねてきたがもはや限度に達した。実力を持ってその身の程知らずの増長を正さん」

 

「返信はどうしますか。」

「よく言ってくれるわね。まんま自分のことじゃないのよ。向こうから挨拶してきたことだけは褒めてあげてもいいわ。返信は、そう、これだけ伝えて下さい。『長くは言わない。とっとと帰れ』と」

 

 わたしの横にいたファーレンハイトが笑った。

 数舜置いて、これを聞いていた艦長以下全員が笑った。これまで卑劣な襲撃を通してどちらの家に非があるのか、そんなことは考えるまでもない。

 

 

 通信が終わると、いきなりヒルデスハイム艦隊が撃ってきた。まだ遠く有効射程外なのに。

 

「景気づけに撃ち返して下さい。照準は特に定めなくて結構です。イエローゾーン近くまで接近し、そこで距離を守って」

 

 イエローゾーン寸前での撃ち合いを続けたが、この距離では敵味方ともほとんど損害はない。

 艦隊戦でイエローゾーンとは有効射程で、至近弾あるいは命中弾のあり得る距離のことだ。そしてレッドゾーンから艦のシールドを破れるような威力で到達するという意味なのである。

 

 

 ヒルデスハイム艦隊からいくつかの艦が突出してきた。

 それに柔軟に対処していたら、弱腰と見たのかそれに倣う艦が続出してきた。どうやらヒルデスハイム側は統制力が弱く、しかももう勝てたつもりのようだ。獲物をいたぶる競争でもしようとしているのか。

 

 

「今です!」

 

 わたしは短く命令を発する。

 ランズベルク艦隊の全員がこのタイミングを待っていた。

 

 そして誰もがヒルデスハイム艦隊の乱れに乗じて集中砲火を叩きつけ、少しでも撃ち減らして圧倒的なまでの艦艇数の不利を埋めにかかるのものと思っていた。数は敵の方が圧倒的に多いのだ。まともにやったらひとたまりもない。粘り強く敵のミスに乗じなければならない。

 

 しかしわたしの伝えた命令は、それとまるで違うものだったのだ。

 

「各小隊に分かれ、バラバラに退却に移るのです。そしてこの星系の小惑星帯の手前で再集結して下さい。ヒルデスハイム艦隊が追って来たら、再び分散して小惑星に隠れて下さい。ややこしいようですが」

 

 聞いているファーレンハイトとルッツは驚きの声を上げた。

 わたしは首をかしげて二人を見やり、にっこりすると何も言わずにまた視線を前に戻す。

 その二人の驚きは苦笑に転じた。

 

 この伯爵令嬢は敵の大軍を相手にして、並みの指揮をとるつもりがない!

 

 スクリーンに明滅する青白い輝きを頬に受ける。

 艦橋に立つ少女の横顔に白く光る輪郭が添えられる。

 幻想的に美しい。

 二人は柄にもないことを思った。

 この少女は本当に絵を描く。戦場という絵を。

 

 

 ヒルデスハイム艦隊の旗艦艦橋ではそのころ笑い声が上がっていた。

 

「ランズベルク艦隊は用兵上手という噂だったが、拍子抜けにも程がある」

「こちらの艦隊の連携が乱れたときにはヒヤリとしたが、その絶好機を見逃すとは。敵は素人同然ではないか。今まで生き延びてきたのは運が良かったのだな」

「あの無様な逃走を見ろ。こっちの艦隊規模に恐れをなしてパニックなのだろう。可哀想なくらいだ」

「まぐれで勝ってきた小娘など相手にもならん」

 

 ヒルデスハイム艦隊がとりあえず追走していくと、ランズベルク側が生意気にも再集結をはかるのが見えた。

 

「追い詰められ、戦うのを選んだということか。少しは根性があるようだ。」

 

 しかし、攻撃を開始するとレッドゾーンに入る手前で再び逃げ出してしまう。

 

「また逃げるとはな。無様にも程がある」

 

 

 しかしながら、ヒルデスハイム側もさすがに小惑星帯直前までさしかかると罠ではないかとの疑念がわく。

 何といってもここはランズベルク側からすれば勝手知ったる領地内なのである。何かあってもおかしくはなく、慎重に追う。

 

 だがランズベルク側は小惑星に隠れながら狙撃してくるどころか、追えば追うほど逃げ続け、ついには小惑星帯から全て逃げ散ったではないか。

 

「なんとやはり敵はど素人だ。数の不利を補う地形をみすみす捨てるとは。馬鹿ではないか。小惑星帯は単なる時間稼ぎだったようだ。こっちは小惑星から離れて様子を見る。再びかかってくるのならよし、そうでなければ領地惑星に進軍すると見せかけて嫌でもおびきだしてくれる」

 

 そんなヒルデスハイム艦隊の動きや意図は、カロリーナには手に取るようにわかっていた。

 小休止の間にカロリーナはファーレンハイト、ルッツに聞いた。

 

「ここまで見て、どうお思いになります?」

「どこから話せばよいのか、令嬢。先ず敵の艦隊は動きからして大きく二つの隊に分けられる。おそらく、大きい700隻の方が本来のヒルデスハイム艦隊だ。小さい400隻がそれとは違う貴族の艦隊だろう。巧妙に艦を偽装しているな。コンピュータの艦形照合でも出てこないくらいに。だからどこの貴族かはわからん。そんなことを令嬢は見たかったんだろう?」

 

 とりあえずファーレンハイトがそんな感想を述べる。

 次にルッツが補足する。

 

「小官もそう考えます。そしてヒルデスハイムの本隊の方が動きが鈍いですな。錬度の関係でしょう。そこまで分かれば、重点的に攻撃すべきなのは本隊のほうです。本隊が崩れる事態になれば応援の艦隊が踏みとどまる理由はありません。勝手に撤退すると推察します」

 

 安心した。わたしは嬉しくなった。この二人は信頼に足る能力を充分に持っている。更に一歩進んだことまで言ってくる。

 

「敵艦隊の練度は低い。指揮能力も大したことはない。応援貴族で艦の数は増えていても間隙が増えるだけだ。1+1は2にはならん。1にも0にもなる」

「小官もそう考えます。あとは、釣り上げるだけと心得ます」

 

 

 この戦い、負けるはずが、無い。

 

 

 

 



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第十六話483年 8月 決戦~デサイシブ・バトル               後編

 

 

 ヒルデスハイム艦隊は余裕を持ち、ゆっくりと遊弋している。

 そして、こちらのランズベルク艦隊が三度目の集結をはかっているのを見てとると突如急進してきた。

 

「行け行け! こんどこそ逃がすな! 小娘には戦う勇気などない。蹴散らして勝つまでだ!」

 

 有効射程からはるか手前で撃ち合った後、またもやランズベルク艦隊は逃げ出した。

 行く先は再び小惑星帯である。

 

「またか! 腑抜けが! やつらは時間稼ぎをする気だ」

 

 しかしこれではらちがあかない。

 もちろん、ヒルデスハイム艦隊はランズベルク艦隊を無視し、領地惑星に向かうという策もある。

 しかし、艦隊決戦を回避されてその後領地惑星まで進軍してしまえたとしても、そこからは困ることになるのだ。下手に正々堂々の勝負を仕掛けた以上、惑星から物資の強奪などできない。せいぜいランズベルク側が腰抜けだと宣伝する以外に収穫がない。

 あるいは艦隊を二分して、一隊を小惑星帯に突入させランズベルク艦隊を追い出しにかかり、他方でそれを待ち構えるという挟み討ちも考えた。

 艦数で相手の二倍以上だからこそ取りうる策だ。

 しかし、ちょうど待ち構えたところにランズベルク艦隊を追い込めるかどうかはわからない。忌々しいことに小惑星がやはり邪魔である。

 

 

 結果としてどちらの策も採らない。直接追う方を選択した。

 

 それは、小惑星帯の中に艦隊がまとまって航行できる広さを持つ回廊のような通路を発見できたせいだ。二回目ともなればそういうものも分かってくる。ならば艦隊を分散させるよりは最短距離で小惑星帯内の敵を追う方が良いと判断した。

 

 ヒルデスハイム艦隊がその小惑星帯内の回廊に突入してから、何も攻撃されることはなかった。しかし半分以上過ぎたころ、ようやく小惑星に隠れながら狙撃してくる敵が現れた。

 

「小癪な。防御に優れた戦艦を並べ、撃ち返してやれ」

 

 遠距離からの小型艦艇の狙撃では、ほとんど有効な打撃になりはしない。

 しかし対処のため艦隊を動かす必要はある。防御の弱い艦を下がらせるくらいのことをしなくては被害が出てしまい。

 ヒルデスハイム艦隊の隊列はしだいに伸びて行く。もともと速度の速い艦、比較的遅い老朽艦が混在していたのだ。その濃淡がはっきりしてきた。

 

 頃合いだった。

 

「そろそろですわね。下ごしらえが終われば、料理はできたも同然ですわ。あとはお任せします」

 

 そしてわたしはシートに倒れ込んだ。顔が青い。

 

 

 思わぬ弱点があったのだ!

 作戦を考えた時には気が付かなかったが、小惑星帯にはもちろん避けられない微細な岩石も多い。

 対物理シールドに守られていれば小さなかけら程度なら危険はない。だがシールドを介してさえ伝わる衝撃がある。艦体に音が鈍く響き、振動もある。

 わたしはそれに参っていた。

 素早く全艦隊にファーレンハイトとルッツの両名が指揮権を持つと伝える。二人の軍監という立場は意見を述べる補佐役であり、本来指揮権を持っていないからには必要なことである。

 それを済ませるとシートに倒れて浅い呼吸をするだけだ。

 

 

 間もなく、戦況は一変する。

 突如ランズベルク艦隊から出た十五隻ほどの部隊が鮮やかな艦隊運動を見せる。

 それはやすやすとヒルデスハイム艦隊を切り裂き、損害を与えるやいなやそのままの速度で去っていった。

 

「小癪な! 苦し紛れの抵抗か!」

 

 そうは言うもののヒルデスハイム艦隊の混乱は簡単に収まらない。別方向からまたもや違うランズベルクの一部隊が高速で突入してきては打撃を与え、鮮やかに去る。

 三度、四度、それが次第に激しく繰り返されていくではないか。

 

「慌てずに反撃しろ! 弾幕を張って突入速度を落とし、囲んで叩き潰せ! どうせ敵は小勢なのだ。撃ち負けるはずはない!」

 

 だがヒルデスハイム側の反撃はうまくいかなかった。態勢をとるのに間に合わないポイントばかり突入されるのである。

 理由がある。

 ヒルデスハイム本来の艦隊と支援貴族の艦隊の間隙が狙われていたのだ。

 それはバターナイフがバターを切るようにやすやすと切り裂かれ、止めることができない。

 加速度的に損害が増えていった。

 

「こんなに分断されては一方的にやられるだけだ。いったん密集隊形をとれ。全速で小惑星帯から出るぞ! 立て直せばまだまだ負けるような戦力ではない!」

 

 そして小惑星帯から早く出るためには、前進して抜けた方が距離が短いはずだった。

 ところがヒルデスハイム艦隊のオペレーターが妙なことを報告する。

 

「変です! 進路方向の通路が先ほどの観測より狭くなっています!」

「何だと? どういうことだ? 早く確認しろ!」

「間違いありません! 小惑星が移動しています。この回廊が塞がれつつあります!」

「ならば、通れるか艦隊の進行速度と併せて計算しろ!」

 

 今やヒルデスハイム艦隊から見えている。ランズベルク艦隊がまとまって後方から攻勢をかけてきている。

 

「くそ、罠か! こちらが通る前に進路を塞がれてしまうのか。やむを得ん、反転して後方の敵を無理やり食い破るか…… 」

 

 ヒルデスハイム側はしばし逡巡するしかない。

 

「計算の結果、なんとか通過可能です!」

「よし、ならば予定通り前へ進んで抜けるぞ! 各艦最大戦速で前進!」

 

 

 だが、もうわずかで小惑星帯を抜けるというところで、四方からビームの束が降り注いできた。

 

「ここは敵のクロスファイヤーポイントか! 最初からそう設定していたとは、なんと悪辣な!」

 

 クロスファイヤーを浴びれば小型艦には甚大な被害が出る。大型艦でも一撃でフィールドに過負荷がかかり、第二撃、三撃には耐えられない。

 しかし小惑星帯の出口が見えるところまで来ているのである。いまさら逆方向へ折り返すのもできない。

 

 ヒルデスハイム艦隊は大きな損害を出してから苦渋の決断をした。それはあまりに遅すぎたのだ。

 艦隊を敢えてバラバラに分け、クロスファイヤーになっている通路以外を使って辛くも脱出した。敵の狙撃や、それにもまして小惑星に偽装して潜む機雷の恐怖に耐えながら。

 

 これで勝敗は決した。

 

 なんとか小惑星帯の外に逃げ出せた艦でまとまった。といってもヒルデスハイム艦隊に編成も何もない。やっと集合できただけの体たらくであった。

 そこへ整然と艦列を整えたランズベルク艦隊が迫ってきた。

 数の上ではヒルデスハイム側になお数段の優位があったが、もはや戦うことなど考えられない。

 

 ヒルデスハイム艦隊はランズベルク領星系から無様に逃走した。

 不思議なことにそれをランズベルク側は追撃しない。

 捕虜にするための降伏勧告もせず、逃げるに任せた。   

 

 やっと体調が回復して立ち上がれたわたしは、どうしてか問われると「今はあれでいいのです。考えがあります」とだけ答えた。

 

 

 

 そしてランズベルク艦隊はまたもやお祭り騒ぎの最中にある。

 

「ランズベルク万歳! またもや勝利! 我らは常勝、不敗、無敵!」「14歳の勝利! しかし、来年は15歳の勝利!」

 

 少女だからといって能力に疑問を持つものはもはやいない。

 むしろ、そんな少女を司令官に戴くことが誇らしいのだ。

 長いこと歓声が鳴りやむことはなかった。

 

 今回の勝利についてもカロリーナの策は尋常ならざる冴えを見せたからである。

 味方であるランズベルク艦隊の兵でさえ皆、空恐ろしさを禁じえなかった。

 

 最初にわざと好機を見逃してやることで敵の油断を誘ったこと。

 数の優位を生かせない小惑星帯に戦場を設定したこと。

 擬態でもって敵を誘い込んだこと。しかも、敵が錯覚するエサでもって。

 

 実は小惑星帯には回廊のような通路は、最初から存在していなかったのである。

 小惑星にわざわざ推進機関を取り付けて自動で回廊を作るように仕掛けておいたのだ。

 見せかけの回廊でヒルデスハイム艦隊を誘い込んで後、戦いの終盤で小惑星を再び動かしたというだけだ。

 

 

 ただし恐ろしいのはそういう戦法のことではない!

 

 最も恐ろしいことは、ヒルデスハイム側の心理を読み、とりうる選択肢を狭め、ついには思う通りに動かした。

 ヒルデスハイム艦隊はさっさと回廊通過を諦め、多少の犠牲を覚悟の上一目散に小惑星帯から脱出してもよかったのである。それが、なまじ艦隊行動のできる回廊の存在に目先を奪われてしまい、自分で自分の選択肢を狭めるよう仕向けられてしまう。結果として取り返しのつかないことになったとは。

 そこがすさまじい罠になった理由である。

 

「ファーレンハイト様、ルッツ様の両名が非の打ちどころのない突入攻撃を繰り返して一度たりとも失敗しませんでした。そのおかげでなしえました。ありがとうございます。」

 

 カロリーナはそう言って謙遜した。

 ファーレンハイトとルッツは少しも浮かれることなく返す。

「ま、あんな艦隊相手だったら、少しも自慢にならん」「すべてカロリーナ様の作戦通りで、小官らの功に帰するものではございません」

 

 それだけならよかった。

 ファーレンハイトもルッツも余計なことを付け足した。

 

「戦闘なんかより心配だったことがある。令嬢のシートに汚れが付かなかったかだ。今度は大丈夫だったのか? それとももう片付けたのか? ゲロならまだしも小便をチビった日には、目もあてられん。黄色の艦隊ってのはしゃれにならんぞ」

「ゲロをお吐き頂いても小便をお漏らしになって頂いても、どちらの汚れも片付ければよいだけにございます。両方いっぺんにやっても問題はありません。カロリーナ様の使うシートは、カバーを余分に用意させてありますれば。そして、漂白剤もしっかりと」

 

「どっちもしてねえ! うるっせんだよてめーら!」

 

 カロリーナがブチ切れた。

 

 

 だがしかし、実は艦隊戦で勝った後の方が正念場であった。

 その後わたしは形だけでも屋敷に謹慎することにした。今回の私戦に対する帝国政府の裁決を謹んで待つポーズを取ったためである。

 

 間を置かずして帝国政府からの通信が届く。どうなったか、帝国はどう裁定したか、緊張してそれを開く。その処分は絶対のもの、何人も逆らうことはできない。

 

「ランズベルク伯爵家、及びヒルデスハイム伯爵家に通達する。この度の私戦についてである。どちらも古くからの貴族家、その争いは真に遺憾なことではあれど、それに至る経緯について考慮の余地がある」

 

 次の言葉は何だ。ランズベルク側にとって良い物であればいいが…… そうでなければ目も当てられない。両成敗なら勇気を振り絞って戦った甲斐が何もなくなるではないか。

 

「今回私戦を仕掛けた側のヒルデスハイム伯爵には蟄居を命ず。ランズベルク伯爵家には特に命ずることはない。また、両家が速やかに和解することを勧告する。それについてはランズベルク家が主導すること。遵守を貴族の誇りにかけて誓った後、その和解内容を帝国政府に提出するべし。

    銀河帝国国務尚書 クラウス・フォン・リヒテンラーデ」

 

 言い方がややこしいが、要するに、ランズベルク側はヒルデスハイム側にほぼ好き放題条件を突き付けられるということだ。ヒルデスハイムはそれを呑まなくてはいけない。

 そしてそれが守られるか帝国政府が監視してくれるということである。

 国務尚書! いいことしてくれるわ。

 

 

 わたしは考えてあった要求を提示した。ちなみに兄はわたしを信頼し、大それた政治駆け引きは全て任せている。

 

「当ランズベルク家から和解条件を提示したい。ヒルデスハイム伯爵家はその私領艦隊の艦艇を警備上必要なものを残し、それ以外は全てランズベルク側に譲渡すること。修理部品、補給物資も同様である。加えて、ヒルデスハイム伯爵領地の半分をランズベルク側に譲渡すること。ただし、三年内に賠償金という形で金銭を支払えば、領地の譲渡はなかったものとする」

 

 ヒルデスハイム側はこの条件をそのまま飲んだ。

 和解条件の初めにある艦艇譲渡について、ヒルデスハイム伯爵にすれば負けた艦隊などに未練は無く、正直どうでもよいことだった。

 それより、一番大事な領地を失わずに済む!

 なぜなら賠償金として提示された金額は支払うのが無理なほどではない。

 

「金の問題で済みそうだな。こちらが逆の立場なら、とんでもない金額を提示して見せ、合法的に領地を分捕っていたところだ。戦いではともかく、やはり考えの甘い小娘だな」

 

 負けても最悪の事態とは程遠く、ヒルデスハイム伯は安堵する。

 所定の手順にのっとり、とどこおりなく両家は誓書を交わす。

 

 これでわたしはほくそえんだ!

 なぜならわずか四年後のリップシュタット戦役で貴族はどうなるかわからないのである!

 

 領地もへったくれもないではないか。

 今、領地などどうでもいい。それより実力としての艦隊が欲しい。それに艦隊を維持する資金も。

 可哀想なヒルデスハイム伯爵は貴族の価値観に固執し、先祖伝来の領地を守るため一生懸命金を出してくれるだろう。

 

 しかしランズベルク側にも誤算があった。

 受け取るヒルデスハイム艦艇の兵にはこのままランズベルクの艦隊に移籍して残ってもよし、去ってもよし、と布告した。

 すると意外なほど多くの兵が残ったのである。

 仮にも戦った相手へ吸収されることに心情的な反発があると見込んでいた。

 しかし兵としてはこれから生き残れそうな場所に行く方が切実な問題なのであり、それと今までの無能なくせに居丈高な上官に対して忠誠心などあろうはずもなかった。

 

 しかし、兵は無条件で受け入れても、先の戦いで醜態をさらした司令部は受け入れなかった。

 結果生じた高級士官の不足は人材収集の必要性を改めて迫った。

 当座の資金不足の解消だけならば、またもや累積してある家宝を密かに売却してあてることにする。 それを兄アルフレットだけには相談したが、兄は何も言わずに許可した。

 

 動かぬ家宝など何に使えるのだ。

 生きて動く少女、最近ますます才智輝く妹のためにこそ使うべきではないか。

 

 

 しかし、ほどなくして執事にバレた。

 

「カロリーナお嬢様! 乱心なされたのですか! ランズベルク家代々受け継がりし家宝ですぞ! その錫も宝剣もティアラも!」

「御免なさい、本当に御免なさい」

 

 と言いつつしっかり持って、一目散に逃げだした。どうせ執事を心から納得させられるはずがない。

 

 部屋から屋敷の廊下へすたこら駆け出すわたしと、たまたまファーレンハイトとルッツの二人がすれ違う。

 

「おや、お子様がお子様らしく走っていくのが見えますな」

 

 ファーレンハイトはからかい半分にそんな声をかけてくる。

 思わずわたしは足を止める。

 

「何? ケンカ売ってんの? 今ならケンカもまとめて大人買いしてあげるわよ!」

「これは失礼、伯爵令嬢。走っても胸の揺れる様子が見えませんもので、お子様と見誤りましたかな。ならば失礼いたしました」

「小官も確認できませんでしたが、見えなかっただけなのでしょう。揺れる様子がなかったとは断言いたしかねます。小官は射撃のスコープなら見誤ることはございませんが、この場合に限って見誤ったのでございましょう」

 

「何! またこの二人!」

 

 

 それが一連の「バターナイフの戦い」の締めくくりとなった。

 

 

 



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第十七話483年 9月 高貴なる虜囚、アンネローゼ

 

 

 帝国政府へ正式に経緯報告をするためにオーディンに来ていたわたしは、その用事が済むとリッテンハイム家サビーネ嬢の元を訪れた。

 

 今回は一つの目的があったのだ。

 

「サビーネ様、今日はお誘いをするために参りましたわ。実はお菓子作りの達人がオーディンにいるんですの。今度、一緒に訪ねてみてはいかがでしょう」

「な、何と! カロリーナがそう申すからにはよほど美味いのじゃな? よい、早う行こう! 今日なのか明日なのか」

 

「…… そんな早くではありません、サビーネ様。先方も準備があるでしょうし」

「そうか。妾はいつでも良いぞ。ところで、そのものの名は何と?」

「それはまだ秘密でございます」

「よくわからんが、それでもよい。今回カロリーナが持ってきたサクラモチより美味いものが食えるかのう。楽しみじゃ!」

 

 食べ物にはまったく食いつきのいいサビーネだった。

 

 

 

 

 数日後、カロリーナとサビーネ、他に仲の良い貴族令嬢二人と連れだって出かけた。

 他の令嬢とはレムシャイド伯爵家の二人姉妹、ドルテ・フォン・レムシャイド、ミーネ・フォン・レムシャイドである。レムシャイド家は有能で無派閥、ランズベルク家と似た立ち位置で、しかも令嬢たちは年がわたしに近く、何より活発で気がいい。それで普段から仲良くしている。

 

 馬車に乗って行く。意外に長い距離を行ってから到着した。

 

「思ったより遠かったの。ここはどこじゃ? 皇帝陛下の後宮ではないのか?」

 

 

 

 そして四人を質素な屋敷の玄関を開けて出迎えたのは、顔立ちの整ったまだ若い夫人であった。

 連絡をつけていたわたしが代表して挨拶をする。

 

「お初にお目にかかります、グリューネワルト伯爵夫人。カロリーナ・フォン・ランズベルクと申します。今回、わたしの無理な願いを聞き入れて下さって感謝の言葉もございません」

「そんなかしこまらないで下さい、ランズベルク伯爵令嬢。わたしのことはアンネローゼとお呼び下さい。感謝など、もし今日のお菓子がお口に合ったら、その後で構いません」

「ありがとうございます。アンネローゼ様。わたしのこともカロリーナとお呼び下さい」

 

 何と皇帝の寵姫、アンネローゼ・フォン・グリューネワルト伯爵夫人、あのラインハルトの姉である!

 ひとしきり他の令嬢の紹介が終わった後、アンネローゼ様自ら案内していく。

 

「今はちょうど花の多い季節、お庭にたくさん咲いています。今日は天気も良いですし、お菓子はそこに用意しておきましたわ。皆様、どうぞ」

 

 

 

 屋敷の中庭の花壇に色とりどりの花が咲いていた。

 中庭の真ん中の、柔らかい芝生になっているところにテーブルと椅子が用意されていた。大きな白いテーブルだ。

 そのテーブルの上には花に負けないほど様々な色と形をしたケーキが乗せられていた。

 

 驚くのはその量だ!

 山のように用意されている。

 

 わたしがこのお茶会の話を持ち掛けてから、どれほどアンネローゼが心待ちにして準備していたか、わかるようであった。

 

「うわーこれは! 馬が食うても満腹するかの。しかし妾をみくびるでないぞ。甘いものほど食えるのじゃ。妾の腹は特別製じゃからの。別腹ではなく、菓子の種類ごとに胃袋があるのじゃ。皆は知っておろうか」

 

 それって何の自慢ですかサビーネ様!? 知るわけないでしょう。

 しかし、わたしも今日くらい食べ過ぎてもいいわよね。昨日から食べるの減らしてたし。てかそれでは食べ放題の前に腹を減らしてる子供かわたしは!

 

 

「皆様、今日はフルーツケーキを主に作ってみました。食べられる分だけどうぞ」

「で、ではアンネローゼ様、遠慮なく頂きます」

 

「 ………… 」早くもロールケーキにかぶりつくサビーネだった。添えられた紅茶に目をくれず、勢いよく食べるのでクリームからメロンの小片がはみ出している。

 ドルテやミーネもそれを見て、チェリー、オレンジ、ブルーベリー、色々なケーキをガブガブ食べ始める。

 わたしも食べるが、それらが量だけではなく、味も想像以上に美味い!

 

「これは美味しいですわ、アンネローゼ様!」

「いえそんな…… それよりカロリーナさんのお菓子の評判もたいそう良いものだと聞いておりますのよ。なんでも、豆を甘く煮た珍しいジャムを使うそうですね。それを薄いラスクの中に入れたもの、モナカって言うんでしょうか。それとか固いゼリーにすると、ヨウカンと言うとか?」

 

「そうじゃ、それも美味いが近ごろ食べたあれもいい。カシワモチというのじゃが、なんと菓子に本物の木の葉が巻いてあるのじゃ。妾も驚いたわ」

 

 菓子の話題となるとサビーネ様も茶々を入れてくる。

 

「わたしのお菓子はカロリーナさんのようなユニークなものはなくて、古くからあるものしか作れないのですよ」

 

 いやいやいやいや、こっちの和菓子のほうがよほど年寄りくさいですから!

 

 

 

 

 美味しいものを食べると皆笑顔になる。

 楽しく談笑した。

 白いテーブルに白いテーブルクロスのことが話に出た。

 

「たまたま今日は全て白にしたんですわ。白の犬でしたら面白かったのに。尾も白い、でしょ?」

「?」「!?」「 ………… 」

 

 分かってきたことは、アンネローゼはもしかして天然の人? 物憂げな表情を周りが勝手に深読みして、誤解してるのかもしれない。

 だとすると、アンネローゼが政治的なことに入り込まないのも理解できる。

 皇帝も、顔立ちだけでなくてその邪心のなさに強く惹かれたのだろう。

 しかしこの天然ぶりは、皇帝ならともかく若いキルヒアイスなどがわかってるんだろうか?

 ラインハルトやキルヒアイスの年齢だからこそ、アンネローゼが大人っぽく見えてるだけなのでは? あの二人は思い込みが強くて、一度崇拝したらずっとそう見ていそうだ。

 

 

 

「またいらして下さいね! 待ってますわ。カロリーナさんのお菓子もぜひ持ってきて下さいな。さっきの話にあった、甘くないライスクッキー、センベイとか、それを海藻で巻いてあるノリオカキとか、何か」

「アンネローゼ様、こちらこそ、今日は期待以上に美味しいお菓子を本当にありがとうございました。喜んでまたお伺いいたします」

 

 お茶会は楽しく終わった。いつまでも手を振り、アンネローゼが名残惜しそうに見送ってくれている。

 後宮に入る前、市井にいたころは平民の娘に混ざって街の路地を駆けまわったり、泉の水しぶきをかけあって遊んでいたものである。アンネローゼは本当に久しぶりに年下の娘たちと屈託のない話をして、気分が晴れ渡った。

 

 

 

 この会合の噂は瞬く間に広がった。

 

 あの二人にも、アンネローゼと小さい貴族令嬢たちが手作りお菓子の会を持ったことが伝わっている。

 

「くっ! 姉上は何を考えている! 貴族どもの娘に会って何が面白いのだ!」

「アンネローゼ様はお寂しいのです。周りは企みを持って近づいてくる者ばかりで、無邪気な娘と触れ合うことなどないのですから」

「それにしても菓子をふるまうことはないだろう。姉上の菓子は、俺とキルヒアイスの二人だけのものだ」

「アンネローゼ様のお菓子は美味しいのですから、もったいないことでございます」

「いいやだめだキルヒアイス、姉上の菓子は二人だけで食うのだ。そのためにも俺はこの宇宙を手に入れる!」

 

 菓子を独占するために宇宙を征服するというのだ。

 もはや壮大というべきであろう。

 

 

「どこからが冗談でございますか、ラインハルト様」

「冗談? 冗談など1ミリも入っていないぞ、キルヒアイス」

 

 二人は久しぶりに大きく笑った。

 

 

 

 

 



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第十八話483年 9月 意外な夜

 

 

 オーディンでまた舞踏会が催されている。

 それはヴェストパーレ男爵夫人の主催した秋の芸術コンテストの終了を祝っての舞踏会だった。

 

 さしあたってわたしには理由などあまり関係ない。

 それはわたしだけでなく、集まってくる貴族社会の面々にとっても理由はどうでもよい。舞踏会というものはいつだって貴族同士の駆け引きの場なのだ。

 

 まあ面白くもなんともない会であったが、わたしとしては新作の食料品を売り込むチャンスを逃すわけにいかない。

 だが、たまたま今回の舞踏会はリッテンハイム家に近しい令嬢の出席が少なかった。

 そのため、いつにもまして周りの視線が冷たく感じる。

 わたしは自分が知らない内に、貴族社会の中ではすっかりサビーネの派閥、サビーネ党の重鎮と思われていたようだ。だったら当然ながら他の派閥には目障りなんだろう。特にブラウンシュバイク公に連なる貴族にとって。

 そうでなくとも艦隊戦での活躍など貴族令嬢の外交にとってなんの意味もない。

 むしろ貴族らしからぬ振る舞いとしてひどいマイナス評価が積み重なっていくだけだ。

 おまけにわたしは先日皇帝陛下の寵姫と接触を持った。

 周囲の貴族には警戒心を持たれて当然だ。

 

 こっそり「こげ茶色の小娘」という馬鹿にしたような代名詞で呼ばれることすらあるらしい。むろん、髪の色からきている。

 

 

 わたしは初めに出席しているサビーネの元へ挨拶に行った。

 

「ふん、今日は出てくる菓子が不味いわ。目に入る貴族どもの顔まで不味く見えるってものじゃ。そこのやせ過ぎの狐は不味い菓子でももっと食わせればよいのじゃ。向こうの太り過ぎの狸には食わせぬがよいぞ」

 

 さすがに大貴族リッテンハイム家の令嬢だ!

 サビーネはどんな雰囲気の中でも堂々としたものである。13歳にして貫禄というものが備わっているではないか。

 サビーネの毒舌を少しだけ聞いてあげたあと、傍で困った顔をしているドルテ・フォン・レムシャイドにその役割を押しつける。ドルテは17歳、カロリーナを介してサビーネとは仲良くしている。やはりサビーネのお守りができるだけあって大人びた令嬢である。

 そういえば近頃、サビーネの元々の取り巻きになっていた意地悪な令嬢たちが逆にめっきりと数を減らしている。

 それはサビーネのためにも良いことだろう。

 

 さてわたしは貴族の中を泳ぎだすが、あまりいい顔をされない中、食料品が売り込めるものではない。もっと貴族社会にも知古を増やしたいのにとっかかりがない。

 困ったなあ。

 

 

 そこへ横からふいに声をかけられた。

 それは令嬢だ。年はわたしと同じくらいに見えた。賢そうな額に意志の強い瞳をしている。

 だが、一番目を引くのは髪、である。

 ブロンドの髪を貴族令嬢としては大変に珍しくショートカットにしていた!

 あえていえば適当に短く切ってしまったというのがぴったりである。

 

「お目にかかれて光栄です。ランズベルク伯爵令嬢。ヒルデガルト・フォン・マリーンドルフと申します」

 

 後にその智謀は一個艦隊に勝る、とまで言われることになる。

 銀河帝国随一の才媛の声だった。

 

 えええっ!! これは驚いた!

 有名人には偶然に出会うか、あるいはカロリーナの方からアプローチするかだったのだ。

 今は向こうからアプローチしてきたとは。

 

「こちらこそ丁寧な挨拶いたみいります。マリーンドルフ伯爵令嬢」

「以前からお話ししたいと願っておりました。ランズベルク領地の経営など、以前より興味深く思っていました。しかしそれだけではありません。先ごろは、その、戦いの上でも鮮やかな手腕を見せておいでで、正直興奮しました!」

 

 ヒルダはきちんとした話し方、そして耳に心地よい音程だ。しかも滑舌が良かった。

 話す内容もストレートで率直なものだ。

 でもちょっと待ってよ、経済や軍事に興味を持つなんて若い貴族令嬢として変わってるわ。やっぱり。わたしが言うのもなんだけど。

 ヒルダは最初からそういう方向に変人なのか。

 だったら後でラインハルトにくっつくのは必然ともいえる。

 

「いえそんな、非才無学でありながら必死でがんばっているだけでございます。マリーンドルフ伯爵令嬢。こちらはただの辺境貴族の身ですから」

「いいえ、そうおっしゃらないで下さい。産業の振興を先頭に立って進めておいでなんて、とてもすごいことだと思いますわ。領地経営に興味がある貴族を探すだけでも難しいご時世ですのに」

 

 貴族社会に対して批判的じゃない?

 リップシュタット戦役でラインハルトについたのは家を守るためと理論武装したが、そもそも体制に批判的で、貴族社会をぶっ壊す側に味方したかっただけじゃないかな。

 

「今日はそういうお話もしたいのですけど、宇宙の戦いについてどんなものか教えて下されば、と思います。ランズベルク伯爵令嬢」

 

 うう、ここで目の輝きが違う。

 それが興味の中心か。

 後には好戦的なラインハルトを諫め、たびたび政治的解決を進言することになるヒルデガルトだが、宇宙戦に興味がないわけじゃないのね。

 たまたまラインハルトが戦いばかりしようとするから止める方にまわっただけなのか。

 

 そこでわたしは先の戦いの要点を当事者目線で解説することになった。

 

「ありがとうございます。とっても面白いお話しが聞けて、今日は寝付けませんわ!」

 

 最後、ヒルダの目は、貴族令嬢らしからぬ仲間を見つけたという喜びの色で満たされていた。

 まあ、わたしとしてもヒルダのような颯爽とした令嬢と仲良くできて嬉しくないはずがない。

 

 

 そのあとわたしは人々から離れてしばらく一人、舞踏会を漫然と眺めていた。

 

 すると視界に何度も小さい少女が映ったではないか。

 仕立てのいいドレスを着て、姿勢正しくトコトコ歩いている。

 しかし舞踏会に知り合いがいないのだろう。

 貴族令嬢の輪にまっすぐ進んでは、輪の中に入ることかなわず、違う輪に進んでは輪に加えてもらえていなかった。

 気丈に顔を上げているが、実際のところ困り果てている。

 

 わたしはとても可哀想に思ってしまう。わたしどころではなく、社交界に入れていないとは。

 おそらく社交界デビューをしたばかりの子供なのだろう。

 意を決して話しかけた。

 

「お嬢様、私はカロリーナ・フォン・ランズベルクと申します。舞踏会は初めてですか?」

「マルガレーテ・フォン・へルクスハイマーです。初めてです」

 

 子供らしい声だがしっかりした返答だった。

 躾がいいだけではなく、頭も良さそうだ。

 しかし、この少女の親はヘルクスハイマー伯爵なのか。ヘルクスハイマー伯爵といえばリッテンハイム侯の有名な腰巾着である。そして何よりカロリーナにとっては先の後見人問題もあってあまりいい印象はないが、さしあたりこの少女には関係ないことだ。

 心細さに耐えている少女をほっておくわけにいかなかった。

 

「お嬢様に面白いものを見せましょう」

 

 テーブルにあったナプキンを使ってささっと折鶴を作った。

 もちろんこの少女には初めて見るものである。魔法のように紙から鳥の形が飛び出したとは!

 目を丸くした。

 

「折ってみたい?」

 

 少女がうんうんとうなずく。

 一番大きい紙ナプキンを2枚用意して、丁寧に一回折っては少女に真似させ、二人で少しづつ折り進めていく。

 

「これはね、オリヅルと言うのよ」

 

 ほどなくして、大きくて不格好ではあるがまごうことなき折鶴ができあがった。

 手にして喜ぶ少女を見て嬉しくなった。

 

 

 しかしそれだけではなく、わたしはこの少女を任せられる貴族を目で探していた。

 このまま最後までついてやってもよいのだが、それではこの少女が舞踏会に来た意味がない。何人か以上の令嬢と知り合わないと。

 ようやく探し当てた。

 主催者のヴェストパーレ男爵夫人がちょうど手が空いている。

 この男爵夫人は公明正大、気の良さで知られている。特に面倒見の良さには定評があった。

 少女と連れだってヴェストパーレ男爵夫人に挨拶をしに行く。

 目で事情を訴えたら、察しのいい男爵夫人は全てわかってくれたようだ。少女を預かり、貴族令嬢の輪の中に一緒に加わってくれた。

 

 小さく手を振って離れていくわたしを少女は振り返って見つめる。手にはまだ折鶴がある。

 

 優しいお姉さん、名をカロリーナ・フォン・ランズベルクという。

 少女はいつまでも憶えていることになった。

 

 

 

 

 



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第十九話483年 9月 烈将と堅将

 

 

 舞踏会の終了にはまだ少し間がある。

 この日あった盛りだくさんの出会いの最後の一つがやってきた。

 

 ゆったりしたピアノ伴奏のもと歓談の時間が過ぎていく。そして舞踏の時間に変わる。舞踏場付きの合奏団の華やかな演奏が始まり、あちこちでペアが優雅な踊りを披露していく。

 これが舞踏会のネックだわ。わたしは何年たってもダンスが上手くなっていないのだから。尤も、それは運動が苦手なくせにダンスの練習を熱心にしていないわたしの自業自得だ。

 ゆっくりと部屋の端に移動していくのはいつもの戦略的撤退、ダンスは苦手、私は空気、と唱える。

 そんなところへ斜め後ろから話かけられてしまう。

 

「ランズベルク伯爵令嬢とお見受けいたします」

 

 ん? なに? ダンスのナンパ? と険しい顔で振り返る。

 そこにいた人物は帝国軍人の軍服をぴったりに着こなし、黒髪をすらっと真ん中で分けて、口元には品のいいヒゲ……

 うわ、エルネスト・メックリンガー本人だ!!

 わたしは大急ぎで険しい表情を消してできるだけ柔和に見えるような表情を作りあげた。間に合ったか。

 

「は、はい、そうです。お初にお目にかかります」

「私はエルネスト・メックリンガーと申します。平民出の軍人で、大尉の身分ですから本来このような舞踏会に出られるものではないのですが」

 

 いやいや、そこは謙遜しなくていいよ。参謀によし、艦隊を指揮してよし、群を抜いた有能な提督ではないですか。

 

「それがこの度芸術の秋コンクールにて賞を頂き、友人たち共々このような華やかな場所にお招きに預かった次第です」

 

 うんうんそれは事前にチェックしてた。実はこの舞踏会で会えればって思ってたくらいなのだから。

 

「アルフレット様の詩は、今回とても残念でした。次回こそ入賞を信じております」

「いいえ、そこは全っ然お気になさらず。メックリンガー様の詩のほうが遥かに上でした。むしろ、メックリンガー様の詩が入賞するのは当然、そして油絵の優勝、ピアノも三位とか。おめでとうございます!」

「…… そう言って頂けるとは。ピアノについては、先ほど、小官のつたない演奏でお耳汚しをさせてしまいました」

 

 ああ、さっきもピアノ弾いてたのね。

 さすがは芸術家提督、凄いとしか言いようがない。たぶんヴェストパーレ男爵夫人の気の利いた趣向なのだ。

 

 

 しかしメックリンガーは単なる挨拶をしに来たわけではなかった。

 

「絵のことでお礼申し上げたく思います。半年ほど前に伯爵令嬢が小官の絵を買っていただいたと聞きまして。しかも4枚も一度に」

「いい絵だったからですわ。一目で気に入りました」

「ありがとうございます。あれは正直売れるとは思っていませんでした。自分で言うのもなんですが、少し題材が地味すぎて貴族の方のお目に止まるとはとても思わなかったので」

「いいえ、本当にいい絵でしたわ。他の絵は派手な肖像画や豪華な風景画ばかりで、メックリンガー様の絵のような、人の暮らしの一コマといった素朴なものはありませんでした。その方がよほど人に近いものなのに」

 

 この言葉は下心を持ってのことではない。わたしは本心からそう思っている。

 本当に貴族趣味の豪奢な絵ばかりが多い中、メックリンガーの絵はほっとする。

 

「ランズベルク伯爵令嬢、過分な褒め言葉恐れ入ります」

「いい絵ですもの。人柄が見て取れる感じがしますし。お礼を申し上げるのはこちらです。もっと絵を書いてほしいですわ。しかし絵に音楽に詩まで、たくさんの才能のある方は何でも上手ですから絵を書く時間は少ないのでしょうね」

「それならば時間は作れるものですよ。帝国軍でも後方勤務であればそう忙しくはありません」

 

 わたしの目は光った。

 ここは勝機なのか? 今話さないでどうする。

 

「軍において後方勤務が決して重要でないとは言いません。むしろ一般で思われているより大事なことは承知しているつもりです。しかしあえて言いますわ。勿体ないことです。艦隊の指揮をしてよし、参謀としてもよし、きっとそのほうが向いてるとわたしは思います」

 

 メックリンガーの身分では艦隊の指揮などもちろん一度もしたことはない。

 これからもあろうはずが無い。

 平民出が将官になるのはよっぽどのこと、非現実的に過ぎる。

 

「そんなことになればとは思っていますが」

 

 わたしの戦意は高い。もう一言、中央突破だ。

 

「これも機会ですから申し上げます。我がランズベルク領の艦隊に来ては頂けませんでしょうか。正直に申しますが、有能な指揮官が不足して困っています。返事は今すぐでなくて構いません。メックリンガー様、考えて下さい」

 

 ここでインパクトを加えておけ。

 知っている顔が見える今。

 

「後ろにおられる何人かの軍服の方はお友達ですのね。さすがはメックリンガー様、良い友人をお持ちですわ。その中のアウグスト・ザムエル・ワーレン大尉とナイトハルト・ミュラー中尉もランズベルクに来て下されば嬉しいですわ。とっても」

 

 わざと名指しで言った。

 メックリンガー、ワーレン、ミュラーはなぜ名前が分かられていたのか大いに謎を残す。

 こうしていくつかの出会いを運んで来ながら舞踏会が終わった。

 

 

 

 数日後、ようやく待ちに待った日が訪れた。

 軍監として今までランズベルク領艦隊にいたファーレンハイトとルッツが帝国軍から正式に移籍した。これで晴れてランズベルク領艦隊の軍人になったのだ。階級は1つ上げて共に中佐である。

 そして代わりの帝国軍軍監はまだ決まってはいないがそのうち赴任することになっていた。

 ランズベルク私領艦隊へのファーレンハイトとルッツの移籍自体は多くの者に歓迎されたが、しかし職については多くの人を驚かせることになる。

 わたしはヒルデスハイム伯から思い切り分捕った艦隊総数八百隻を三分割して編成したのだが、なんと二人をそれぞれ三百隻の艦隊の司令官に任命したのだ。残りの二百隻だけをわたしの直衛艦隊とした。

 

 もともとのランズベルク艦隊にはもっと階級が上の者もいる。

 もっと言えば三百隻を指揮するのは帝国軍であっても准将クラスが妥当なところである。中佐がそれだけの規模の艦隊指揮官とは前代未聞のことだ。

 わたしの決断なので皆は反対しないが、幾ばくかの疑問は残る。ここは火消しに回っておくべきだろう。

 

「ファーレンハイト中佐とルッツ中佐はもっと大きな艦隊を指揮する方です。むしろ申し訳ないくらいですよ」

 

 これが元々のランズベルク艦隊の指揮をさせたのであれば反乱とはいわずとも不協和音は生じたであろう。

 幸いにも貰い受けたヒルデスハイム艦隊であればこそ可能であった。ヒルデスハイム艦隊はファーレンハイトとルッツの切れ味の鋭い攻勢を受けた側であり、その有能さを嫌というほど知っている。

 

 ここで艦隊を与えられた二人の方はどう言っていたのだろう。

 

「元々食うために軍人になったのだ。与えられた場所でやるだけだ。そして旗艦で参謀という名の子守をするよりよほどいい」

「身に余る光栄に存じます。カロリーナ様のシートがいろいろな色で汚れることのないよう、鋭意努力し信頼にお応えする所存にございます」

 

 ぎゃふん。もうそんな話はいいって。

 

 

 

 それと同じ時、ここからはるか遠い場所で二カ月の間同じことをぐるぐる考えている人間がいた。

 その人、ヘルクスハイマー伯爵は大貴族リッテンハイム侯の腰巾着と言われ事実その通り振る舞ってきている。長いことリッテンハイム侯の情報収集や陰謀工作の数々をこなして厚い信任を得ていた。

 しかし、決して矜持を失ったわけではない。

 リッテンハイム侯のことを身に合わない大言ばかりの小心者と看破して忠誠心など欠片も持ち合わせていなかった。そして近頃ではヘルクスハイマーの矜持を傷つけるようなことが立て続けに起こった。

 ハイドロメタル鉱山の利権をシャフハウゼン子爵からうまく奪い取る策を練ったのに、結果として利権の半分を得るにとどまった。皇帝の寵姫の弟であるラインハルト・フォン・ミューゼルとかいう若者一人に邪魔されたのだ。利権の半分となったこと自体は皇帝の勅命によるものである以上いくら悔しがっても覆すことなど絶対に出来ない。

 

 ヘルクスハイマーにとって更に腹立たしいことがある。

 ヒルデスハイム伯爵という強欲者に加担してランズベルク伯爵家の乗っ取りをはかった。これは以前もランズベルク家の相続問題が発生した折にも企んだことだが、その時は根回しが不足して上手くいかなかった。

 それを教訓にして、今回は円滑に進むよう後ろ盾に徹するつもりであった。

 だが、ヒルデスハイム伯は思いの他浅慮であった。あれよあれよという間に力勝負を挑む構図になり、ヒルデスハイム艦隊とランズベルク艦隊との全面対決が不可避となってしまうとは。

 

 予想外のことだ。だが、ヒルデスハイムを負けさせるわけにもいかないではないか。

 むろん自分は表に出たくはない。なぜだかリッテンハイム侯の令嬢サビーネ様が当のランズベルク家の令嬢と強い友諠を交わしている以上、下手な動きでリッテンハイム侯の不興を買ったらかなわない。

 

 そこで巧妙に偽装を施し、三百隻もの艦艇をヒルデスハイム艦隊の支援にあたらせた。

 それで勝利を確実にさせるはずだった。だが結果は驚くべき惨敗に終わってしまう。

 コストや艦艇を奪われたことは問題ではない! 艦隊戦で敗北したこと自体がヘルクスハイマー家にとって屈辱の極みだ。

 ヘルクスハイマー家は代々、工学を旨とする家柄として通っている。領内に良質の鉱山をいくつも抱えている。そのため工業が発展、技術も優れている。

 もちろん、軍用艦艇も生産しているのだ。

 それら帝国軍に供給している軍艦は何と帝国軍技術工廠製のものより質が良い。帝国軍将兵はヘルクスハイマー領で作られた艦艇に乗り込む時は涙にむせぶ者すらいたという。生き残る確率が数段高いからだ。ヘルクスハイマー伯自身も工学技術、特に軍事技術には多大な関心があった。

 矜持を傷つけたランズベルク伯爵家、いつかこの借りは返してくれる。

 

 

 

 しかしながら、ヘルクスハイマー伯にとってそれどころではない情勢になってきたのだ。

 なぜか急にリッテンハイム侯が冷たくなった。

 いや、はっきり疎んじられているといっていい。理由は不明だ。

 リッテンハイム侯絡みといえば、侯のためにブラウンシュバイク公爵家の息女エリザベートに遺伝病の疑いあり、との情報を得たことがある。

 これはリッテンハイム侯の政敵ブラウンシュバイクに痛撃をくらわせるまたとない情報ではないか。褒められこそすれ冷たくされるいわれなどない。

 

 オーディンではもはやヘルクスハイマー家の主人たるリッテンハイム侯に切り捨てられたという噂が立っているらしい。

 尻尾を振る先を失ってもまだ尻尾を振っているうすのろの犬だと。

 泡吹いて無様に狼狽しているというものだ。どこから立った噂か。

 

 しかも、先のヒルデスハイム家の惨敗もヘルクスハイマーの応援艦隊が役立たずだったからだという噂まである。おかしい。なぜ応援艦隊を向けたことがそんなに早く噂になってしまったのか。

 腹立たしいことに事実ではない!

 敗けたこと自体はこっちに関係なく、ヒルデスハイム艦隊のせいではないか。 

 

 

 よし、ここらでヘルクスハイマー家の力を周囲に見せておくのも悪いことではない。

 

 狙うは因縁のランズベルク家。

 なに、別に伯爵令嬢を殺そうというのではないのだ。むしろ勝った後で寛大な処置をすればいいように転がるかもしれん。

 

 ヘルクスハイマー領の艦隊は総数七千隻にも及ぶ。ヒルデスハイム家のような軟弱な貴族家ではなく、もちろん基礎となる財力もある。

 それだけではなく高い技術力で作られた高性能艦揃いである。兵の錬度も高い。

 その力を見せつける戦いをすることでリッテンハイム侯にも見直してもらえるかもしれない。

 

 

 そのころ、オーディンの帝国行政府ではまたもや老人が執務机から窓の外の雨を見ていた。

 

「噂とは、流す相手がいるからじゃ。流す必要があるということは悪い方向に誘導したいがためじゃ。ヘルクスハイマー伯、自分が策を練るときには熱心でも策に落とされると弱いのう。釣り上げられたのも分からぬか」

 

 帝国の深淵から出る声のようだ。老人はいくつこうした経験をしてきたのか。

 

「伯は余計なことを知り過ぎた。いずれ消えるにせよ早い方がよかろうて」

 

 

 

 



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第二十話483年11月 会議室にて

 

 

 わたしにとても嬉しいことがあった。

 ドンピシャだ!

 

 思いがけず早めにファーレンハイトとルッツの代わりの軍監が来たのだ。

 これも異例なことで、普通は軍監が続けざまに特定の貴族私領艦隊に付けられることはない。

 

「ランズベルク伯のところは特別なのだ。当主が詩人以外の何者でもなく、代わってその妹令嬢がやむをえず宇宙に出て奮戦しなくてはいけない羽目になっている。可哀想だとは思わんのか! 早く楽にして令嬢にダンスなどの花嫁修業をさせてやるべきではないか」

 

 ミュッケンベルガー元帥が当事者であるカロリーナに入れ知恵されて、とってつけたような理由を棒読みで軍の周囲に話したせいである。けれども元帥の言葉であれば忖度もされようというものだ。

 

 そして、軍監の人選も思い通りであった!

 

 やってきたのは一つ昇進したばかりのメックリンガー少佐、ビューロー大尉、ベルゲングリューン大尉の三人である。

 説得に成功した三人だった。

 メックリンガーに対してひたすら手紙で口説きまくっている。わたしは詩人ではないが、必死になれば名文にもなろうというものである。

 決め手は「戦乱で美術品が失われるのには耐えられません。人類の遺産は何よりも大切です。わたしでしたら後世に残すべき美術品を大事にするというのに」

 芸術家提督にはこれがいい。

 ちなみに舞踏会で会っているワーレンとミュラーへの説得は見事に失敗した。決め手がないのはつらい。

 

 ビューローには、既に顔見知りとなっているだろうサビーネに頼んだ。なんとかうまく説得できたらいいと思ってのことだ。しかしあのサビーネに頼んだのがカロリーナの不覚であった。

 

「あいわかった。カロリーナ。妾がその者にランズベルクに行くよう口添えすればよいのじゃな?」

 

 実際サビーネが言ったことは……

 

「ビューローとやら、ランズベルクのところに行くのじゃ。妾にそう言われたことを終生名誉に思え。では早う行け!」

 

 え、本当にそんな風に言ったの? とカロリーナは後悔した。

 しかし意外にもビューローは軍監に応じてきたのだった。まさか、俺様キャラガールに弱いのか!

 更に嬉しいことにベルゲングリューンも一緒ではないか。

 実はこの二人は軍に入った時以来の仲で、最初から友人だったらしい。

 さっそく新しい軍監たちにランズベルク領艦隊の編成、艦種、装備、通信方法を覚えてもらった。

 

 その上でわたしはサプライズも伝えたのだった。

 

「我が艦隊に有能な艦隊指揮官が不足しているのは分かると思います。何かあれば艦隊指揮の方をお願いします。助言をするような第三者的立場ではなく、自分で判断して命令を下す指揮官として。もちろん、正しい戦いと思われた時だけで結構でございます。そしてお三方の能力は期待に充分応えるものであるとわたしは信じています」

 

 

 忙しいことに間もなくオーディンから通信が届く。

 さる帝国行政府の奥にいる方の使いと称する人物であったが、今更めんどくさい隠し方やめてくれない、とわたしは思った。

 一応は恭しく話を承る。

 

「こんな辺境貴族にわざわざのお心遣い感謝に堪えません」

「我が主人からの伝言を簡単に申し伝えさせて頂きます。伯爵令嬢。ヘルクスハイマー伯私領艦隊の一部がそちらの領地へ向かいました。一部とはいっても三千隻足らず、到着は八日後と思われます」

「! ええっ! なぜ、どうしてそんなことに」

「またわが主人から、ヘルクスハイマー伯の暴発が案外と早かった、効果的な対処がこの場合間に合わず、まことに済まんとのことでございます」

「はああ!!」

 

 なにそれどういうこと!

 ヘルクスハイマー伯はたぶんヒルデスハイム伯の後ろ盾だった。それは分かっている。

 だけどしかし、ケンカ売られてる?

 本当なの!? で、三千隻って何なの?

 

 たぶん嘘ではない。でも、帝国行政府は間に合わず、いや違うでしょ。おそらく政治的なことを考えてまたしても傍観の構えね。

 目の前が真っ暗になった。

 どうしてそんな大ごとになるわけ? こんな辺境貴族になんでみんなしゃかりきになるのよ?

 わたしは、火の粉を夢中で払ってるだけなのに! 

 

 即座に主だった面々を招集して会議を開いた。

 

「先ずは戦うのか、戦わないのか、です。中途半端に戦っても兵の命が失われ傷つく者が出るだけです。その家族にも悲しみを与えるだけで何も得るものがありません。敗れた場合、下手にこちらの強さをみせていたらかえって講和条件が良くなるどころか復讐心を煽るだけでしょう。ランズベルク家が失われるだけでなく下手をしたら領民にまで乱暴狼藉を働く可能性があります」

 

 先ずは事実を述べる。感情はともかく、事実に間違いない。

 

「悔しいですがランズベルク家が降伏し、艦隊は戦わず、きれいに掃き清めて出迎えれば領民に手出しまではしないでしょう」

 

 

 この言葉を聞いている側のファーレンハイトには意外なことだ。

 伯爵令嬢が客観的に物事を語っている態度に。

 帝国軍の愚将なら「来るというなら返り討ちにしてくれるわ!」と怒鳴って終わることが多い。

 むしろその方が普通、今まで嫌というほど見ている。

 ルッツも同じようなことを思った。

 兵士と領民のことをこれだけ考える貴族、こんな貴族を見るのは初めてだ。

 普段の伯爵令嬢の貴族らしからぬ振る舞いを見ていてもなお、想像もしていなかった。

 

 メックリンガー、ビューロー、ベルゲングリューンもさっそく軍監として会議に出席していたのだが、先の二人以上に驚いていた。

 自分が傷付かない範囲であれば人はなんとでも優しくなれる。

 しかし、自分の尻に火がついて追い詰められた状況で他人を思いやるのは並大抵ではない。

 簡単に降伏というが、この令嬢はその後自分がどういう境遇になるのかわかったものではないのに。

 驚きから思わず皆同時に声が出た。

 

「見直しました!」

 

 

 会議の席上、先ずはファーレンハイトが若干の異を唱えた。

 

「少し考えが甘いのではないかな。向こうが艦隊をもって仕掛けてきた以上、こちらが直ちに降伏しても領民に対し紳士的に振る舞うとはとうてい思えん。命の無駄が減るかもしれないが。それもほんの少しだけだ」

 

 ルッツが堅実な言葉を継ぎ足す。

 

「そうしますと、今この時点で降伏というのも見直すべきかと。勝機が充分あれば戦いに入ってもよく、勝機に乏しくなれば無理に戦い続けることはしない。その時点で降伏ということに修正されたら、と申し上げます」

 

 それに対して、わたしも答える。あくまで主戦論に釘をさすつもりで。

 

「ルッツ中佐、まとめるとそうですね。しかし繰り返しますが、情勢が悪くなれば犠牲の拡大する前に降伏、です。本隊司令部がそう決めたら直ちに全艦隊は従って下さい」

 

 正直に言えば悔しくないはずがない。そんなわけない。

 領地経営も、これまでの宇宙の戦いも、一体なんだったのだろう。力の前に屈服するのなら全て無駄だ。それどころか簒奪者を喜ばせるためだったのか。

 

 次にメックリンガーが冷静に話を先に進めた。

 

「全体方針は了解しました。しかし初めから敵艦隊は三千隻とはこちらの二倍にもなる艦隊です。策が成るも成らぬも、無策では最初から話になりません。こういう会議を開く以上、カロリーナ嬢にはお考えがあるのでしょう」

「確信はもちろんありません。わたしの作戦案はいたってシンプルなものです。そのため、ここにいる皆様が通常より見事な働きをしなければ成り立ちません。平凡な働きでは全軍が崩壊します。わたしは今、皆様にその力量を期待してよろしいですか?」

 

 全員が一様に考えた。

 ここには、妬みで足を引っ張る同僚はいない。

 無能で忠誠心の持ちようもない上官などいない。

 何も考えなくていい。

 

 敵を打ち破るだけだ。どんなに優勢な敵が相手でも。

 

 駆け引きも何もなく、戦うことだけを考えていればいいのは軍人として素晴らしいとこではないか。全員がまとまったのを感じた。

 

 代表するかのように、ファーレンハイトが薄氷色、アイス・ブルーの瞳を細めて言い放つ。

 

「戦って、勝つ。それだけの話だ。何も難しいことはない。では令嬢、話してはどうか」

 

 

 

 

 



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第二十一話483年11月 迅きこと強きこと

 

 

 ランズベルク領星系外縁の策敵ブイから反応があった。

 敵、ヘルクスハイマー艦隊がいよいよこの星系至近に迫ってきた。

 

 一番近くの無人偵察艦をそれらへ向かわせる。通信が途絶えるまでの間に必要な情報を手に入れることができた。

 総数はやはり二千八百隻、話に間違いはない。

 艦隊を分散させることは無いようだった。ひとまず包囲しての持久戦ではなく、また別動隊を駆使しての本領惑星急襲の恐れはない。

 あくまでも短期艦隊決戦で小癪なランズベルク艦隊を叩き潰す気だ。

 

 こちらのランズベルク艦隊は、それらへルクスハイマー艦隊が星系に侵入する前に姿を現し、対峙しようとしている。

 ヘルクスハイマー側にとってかなり意外であった。相手はヒルデスハイム艦隊と戦った時、星系内の小惑星帯を利用する策を弄したのではなかったか。同じ手とは思わないまでも、てっきりそういう方法を取ると思っていたのに。わざわざ正面から来るとは。

 まあいい、隠れるものの無い場所の方が大軍には有利に決まってる。楽な戦いで終わりそうだ。敢えて難を言えば、弱い者いじめのようで後味が悪いことくらいだ。圧倒的戦力差ではないか。ランズベルク側は千三百隻、しかも艦の性能はそれほど良くないだろう。

 

 

 艦隊は接近し、戦いが始まるが、意外にもランズベルク艦隊が先手を取る。

 

 前衛である約六百隻が突進してくる。

 ヘルクスハイマー側は何も慌てることはなく、いったん防御の態勢を取る。これも余裕だ。

 するとランズベルク艦隊は最初の勢いはどこへやら、速度を殺して散発的な長距離砲戦に移った。無理な突入はしてこない。

 

 へルクスハイマー艦隊の司令官は言う。

 

「なるほど、ランズベルク側は数が少ないのを自覚して、こちらを翻弄したいのか。しかし動じなければ打つ手も無い。いや、恐怖心が甦ったのか。冷静に考えればこの戦いは自殺行為だからな」

 

 それならば数の力で圧迫するだけで潰走させられるだろう。整然と進撃し始めると、ランズベルク側は後退に移る。

 ただし潰走ではない。

 それどころか、突然ランズベルク艦隊の後衛から別動隊三百隻が分かれ、猛進してきた。

 

「何と破れかぶれの突撃か? 負けそうな側によくある決死隊という奴か。まあいい、その数なら問題にするようなものでもない」

 

 ヘルクスハイマー艦隊は三百隻の突入部隊に対する対応を整える。要するにコースを見極めて袋叩きにできる態勢だ。

 

 なおも三百隻は増速し続けるが、接触寸前、その部隊はなぜか突入せず進路をわずか変えて飛び去った。

 

「いったい何のマネだ? 臆したのか?」

 

 

 その時、ヘルクスハイマー旗艦のオペレーターが叫んだ。

 

「右舷に敵艦隊、総数約三百隻、たぶん向こうの後衛からまた出たものでしょう。突進してきます!」

「なるほど小賢しい。ランズベルクの本隊には千隻程もあてて動きを封じろ。残りは突入してくる敵部隊に迎撃態勢! 数で圧倒的に勝るのだ。焦る必要はない。敵の小細工を潰していけば勝手に自滅する」

「向こうの本隊が再び迫ってきています!」

「それは予想の内だ。唯一の勝機とみて、突入部隊の支援のつもりだろう。無理せず足止めだけしておけ」

 

 ヘルクスハイマー艦隊が戦意を高めて待ち受けると、またしてもそのランズベルク別動隊三百隻は接触直前で進路を変えた。

 やはり斜めに飛び去っっていく。

 

「ふん、突入をあきらめたか。追ってはならん。陽動からの兵力分散が敵の狙いかもしれん。追撃せず大軍を維持していれば、こちらが負けることはない。よし、さっきから目障りな本隊の方を潰すぞ!」

 

 ヘルクスハイマー艦隊は増速し、一気に攻勢を強めた。

 ランズベルク艦隊は支えきれず、更に後退を速める。戦線はよく維持して決定的なほころびは生じなかった。むしろ驚異的に粘り強かった。

 しかし艦数に数倍もの差がある以上、崩壊は時間の問題だろう。戦いは終局ヘルクスハイマー側が粉砕するだけだ。

 

 

 またもやへルクスハイマー旗艦のオペレータが叫んだ。

 

「今度は左舷に敵艦隊約三百隻、突進してきます!」

「しつこいものだ。今度は網をうまく張れ。見せかけの敵陽動部隊はどうせ進路を変えるが、その直後を狙え。側腹に最大火力を叩き付け、今度こそ宇宙の塵にしてやれ!」

 

「敵艦隊進路そのまま、なおも増速中!、突っ込んできます! 艦隊接触、回避できません!」

「な、何!?」

 

 当てが外れて戸惑う薄い弾幕をものともせず、その別動隊は接触からあっという間にヘルクスハイマーの大艦隊内部に飛び込んだ。そこからは文字通り一方的な狩りとなる。

 

「下手に敵部隊の前に立つな! 進路を予測して包囲、どうせ少数だ。横撃に徹して撃ち減らしていけ!」

 

 ヘルクスハイマー艦隊司令部の声は無意味だった。

 突入部隊は尋常ではない速度で食い破っていく。対応や予測はことごとく後手に回って追い付かない。

 とにかく攻撃の最中、速度をまったく緩めないのだ。

 流れるように次々と的確なポイントに攻撃を加えながら迷いなく進む。

 

 

「さ、最初の敵陽動部隊三百隻が戻ってきます!」

 

 いったん飛び去っていた最初の突入部隊は、宙に大きく弧を描いて、ヘルクスイマー艦隊に再び突入する進路をとっているではないか。

 

「やむをえん、いったん向こうの本隊は無視して防御を固めろ。機動力で後手に回った事実は認めよう。だがこんな奇策はまもなくぼろが出る。敵突入部隊の限界点は近いぞ。そうしたら反撃して袋叩きだ」

 

 

 しかし、距離をとろうとするとまた前方のランズベルク本隊が迫ってくる。

 そこに攻撃を仕掛けるとまた下がる。

 陣を再編して防御どころか隊形が伸びる一方になってしまう。先ほどのランズベルク本隊のうろたえたような動きではなく、明らかに巧妙だ。

 

 戻ってきた最初の部隊三百隻がやすやすとヘルクスハイマー艦隊への突入を果たして食い破る。

 すぐ次には二番目の部隊も大きく旋回して戻って来ていた。

 へルクスハイマー艦隊の編成は乱されてもう突入を防ぐ術がない。加速度的に損害が増えていく。

 

「慌てるな、何を慌てることがある! 損害は多くとも、残存艦だけで向こうよりも多いではないか。敵にはもう予備がない。ここを防御でしのげば逆転はたやすい!」

 

 その時、司令部の置かれた旗艦に強力なビームが直撃した。二撃、三撃。

 フィールドを破り大破に追い込んだ。

 重軽症者のみとなった司令部から、もう指示は届かない。

 

 

 効果的な防御をとれないと見るや、ランズベルク艦隊全体で半包囲態勢を作り上げた。

 見事に連携した艦隊運動である。数で劣っているのは確かだが態勢では圧倒的に有利になる。ヘルクスハイマー側が攻勢を一点に集中すれば簡単に食い破られるものだが、それができないと看破しているのだ。

 やがてヘルクスハイマー艦隊は我慢の限界を超えた。バラバラに崩れて逃走に移るしかない。

 

 

 またしてもランズベルク艦隊の完勝であった。

 

「カロリーナ万歳! 俺たちは強い! 俺たちは負けない! ランズベルクにいる限り!」

 

 各艦、歓声を上げた。

 元々の艦隊だけではない。

 驚いたことに旧ヒルデスハイム艦隊でも同様だった。

 有能な指揮官への信頼、その指揮官に率いられて戦う誇り、敵を圧倒する勝利、これでまとまらない筈がない。もうヒルデスハイムの自覚は消え去りランズベルクの勝利に歓声を上げる側だ。

 

 

 確かに今回の作戦はシンプルであった。

 

 ヘルクスハイマー艦隊の前方に伯爵令嬢の本隊が布陣、牽制を担当する。

 最初にルッツの指揮する突入部隊が近付き、そのまま飛び去る。

 次にメックリンガーの指揮する二度目の突入部隊も同様に近付いては飛び去る。実は、メックリンガーは艦隊指揮を執ることに躊躇していたのだが、強く推されている。

 

「やって下さいメックリンガー様。直衛艦隊を任せます。必ずできますわ。ビューロー様、ベルゲングリューン様も共に付けます」

 

 いよいよ最後にファーレンハイトの突入部隊が高速で突入しひっかきまわす。

 艦列を乱したところで全軍で攻勢に出て、あれよという間に包囲に持ち込み、止めを刺す。

 

 

 しかしこのやり方は各々卓越した能力がなければなしえなかった。

 ルッツ、メックリンガーらのダイナミックな艦隊運動とタイミングの取り方。

 そしてファーレンハイトである。

 攻撃指示の尋常ではない的確さと圧倒的な迅さ。結果として敵に対処を許さない程の苛烈な攻勢。

 だが本当に凄いのは本隊なのだ。ここが崩されていたらあっさり負けていたはずなのだから。柔軟な対応が光る。敵の攻勢への的確な対処、もう少し押せば崩壊、と敵に思わせる擬態の上手さ。逆撃に転じる冷静な判断。

 

 ひとしきり歓声が収まると、わたしは全艦に通信を開いた。

 

「よくやって下さいました、ランズベルク艦隊全ての皆様。ランズベルク領はいわれなき暴力から守られました。本当にありがとうございます。全員の力です。指揮をとってくれた、軍監のメックリンガー少佐、ビューロー大尉、ベルゲングリューン大尉もありがとうございます」

「いえ、カロリーナ様の策に乗っ取って動いただけのことにございます。」

 

「ルッツ中佐の部隊指揮、誠にお見事でした」

「いえ、カロリーナ様の対ショックシートにまた変な染みを付けないために努力したまででございます。」

「う…… そしてファーレンハイト中佐、突入部隊の攻勢は素晴らしいの一言です」

「令嬢が心配でまた吐かないよう、精一杯のことはやらせてもらった」

「うるせーっ! ゲロの話はもういいっつってんだよ! たった一回だろが! だいたいてめえら、見てもいねえくせに!」

 

 聞いてしまった将兵は唖然とした。

 つい今しがた圧倒的な敵艦隊と命を懸けた戦いをして、撃ち破ったばかりではないのか。

 それがまるで、ピクニックに遊びに来ているような軽口を叩いている。

 

 この戦いが「ピクニックの戦い」と名付けられたゆえんである。

 

 

 

 しかし、伯爵令嬢の反応が面白くてああ軽口を叩いたものの、ファーレンハイトは自分の功を誇る気にはとうていなれなかった。

 戦いに勝ったのは自分の能力のせいではない。

 

 第一に、突入攻勢は艦数よりも的確な機動力が重要なことを令嬢が初めから理解していたこと。

 

 第二に、その下準備をしてくれたこと。最初のルッツの突撃も、メックリンガーの突撃も、ファーレンハイトの突入を確実に成功させるための心理的駆け引きだ。しかも、突入に対する敵の対処とスピードをファーレンハイトに教えるための予行演習さえ兼ねている。もはや失敗するはずがない。

 

 第三に、そこまで自分の突入のため情報を与えて信頼してきたのだ。突入部隊が行動限界点に達するタイミングも考えて対処してくれるだろうという安心感。

 

 

 面白いじゃないか! カロリーナ・フォン・ランズベルク伯爵令嬢。

 我が忠誠を捧げるにふさわしい主君なのか。

 

 それぞれの感想をよそにカロリーナは艦橋で呟いた。

 

「要するに、殿方をだます厚化粧と、空威張りと、やんちゃ坊やで勝ったのね」

 

 滑った。

 周りからは苦笑しか返ってこなかった。

 カロリーナ様は艦隊指揮はともかく、冗談は下手だったのか、と皆は思った。

 

 

 

 

 

 



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第二十二話483年11月 守る誇り

 

 

 艦隊戦の敗けを知らせる報に、本領にいたへルクスハイマー伯は飛び上がらんほど驚いた。

 そんなはずはあるか!

 そこらの貴族私領艦隊よりはるかに強いヘルクスハイマー艦隊が。艦の性能も練度も申し分ない。第一、負けるはずのない数なのである。六千隻全軍ではないが、明らかにランズベルク艦隊を圧倒する二千八百隻を動員しているのに。

 

 しかし、悔しいが負けたのは事実であり、直ちに善後策を考えなくてはならない。

 

 これは私戦だ。それなら悪くすれば帝国政府から厳しい罰を食らう。これを好機と貴族どもが暗躍して領地を掠め取ろうとするかもしれない。

 それでなくともランズベルク側から和解という名の要求が来ることは避けられない。。

 先のヒルデスハイムの例からして、おそらく帝国政府は喧嘩両成敗とはせず、勝ったランズベルク側の要求を遵守させるように動くだろう。

 

 はたしてランズベルク側から書面が届いた。

 

「今回、両家で不幸な事故がありました。お互いの艦隊が相手を海賊と見誤り、誤解から思いもかけない戦闘になってしまいました。しかし、これは単なる事故です。事故は事故として遺恨を引きずってはなりません。そこで提案があります。二度とこういった行き違いの戦闘が起きぬよう、ランズベルク領艦隊の充実のため、ヘルクスハイマー領艦隊の半数を譲渡して頂きたいのですが。それと当面の艦隊運用資金を用意すること、艦艇の製造設備またその部材の製造工場の使用権を認めること、及び材料鉱石の採掘権も認めること、以上でいかがでしょうか。共に未来へ歩むために上記の約束をしようではありませんか」

 

 いけしゃあしゃあとふざけおって!

 なんだこの書面は。あからさまに要求を突き付けてきた。

 くそ、さしあたってのらりくらりと言い逃れる書面を送ろう。

 先延ばしにすれば事態も変わるかもしれず、先ずはリッテンハイム侯にお伺いを立ててみようか。これまでの忠勤はこういった時のためだ。

 

 

 すると確かに事態は変わった。

 思いがけず早く、しかしヘルクスハイマーのおそらく最も望まぬ形で。

 

 そんな私戦なんかよりもよほど問題になる事柄のために、ヘルクスハイマーは失脚した。あまつさえリッテンハイム侯から抹殺される運命になった。

 事態は急転直下、大貴族だったのに零落し、命からがら一家を連れて逃亡しなくてはいけない羽目になる。

 

 目指すは叛徒、いや自由惑星同盟の星系だ。

 

 途中でリッテンハイム侯の追手ではなく、何と帝国軍の艦艇に捕らえられてしまった。

 確実に自由惑星同盟に受け入れてもらうために手土産を用意していたのだが、それが仇となってしまうとは! ヘルクスハイマー領で生産するはずの兵器に関する機密、指向性ゼッフル粒子発生装置の試作品と技術データを持ち出したのが最大の運の尽きとなった。

 工業技術に詳しいヘルクスハイマーらしい落とし穴だった。

 帝国軍が秘密兵器情報の持ち逃げを座して見ているはずがない。

 おまけに不運が続く。捕らえられてからもなお無理な脱出を敢行し、哀れにもその際の事故で命を落とす。ヘルクスハイマー伯一行は10歳の娘マルガレーテ・フォン・ヘルクスハイマー1人を残して全て亡くなった。

 

 

 マルガレーテにとって父の仇は直接的には帝国軍であり、間接的にはリッテンハイム侯である。

 長年腰巾着と言われようと仕えてきた、それなのにリッテンハイム侯から殺されたようなものだ。

 

 ヘルクスハイマー伯は他の貴族同様領民には関心がなかったが、一方残してきた工業設備・科学技術に未練を持っていた。

 自分が亡命したことが判明すればさっそく大貴族どもが寄ってたかってすべてを奪いつくし、思うがままに利を貪るであろう。

 

 無念であった。

 それなら全て爆破した方がマシだ。

 

 あるいは、悔しいが、戦の上手いあのこげ茶色の小娘にでもくれてやった方がいい。その思いはマルガレーテも聞いている。へルクスハイマー伯が死に、1人マルガレーテが残された今、当然伯爵家当主はマルガレーテである。

 もちろん帝国からの亡命が成立した時点で裏切者として帝国籍を抹消されてしまう。

 それまで、ほんのわずかな間である。

 その短い時間に急ぎマルガレーテはランズベルクからの和解案に答える形をとった。

 ヘルクスハイマー領艦隊と工業設備、鉱山の採掘権のみならずその惑星ごとランズベルク側に譲渡する簡単な書面を残したのである。特に、ランズベルク側からの艦艇の半分という和解案に対し、遅延させたお詫びとして全ヘルクスハイマー艦艇を譲渡するとした。

 

 理由がある。

 マルガレーテにとって別の意味もあるのだ。

 ランズベルク家に財産を譲り渡すのは願うところだった。文書の最後に付け足す。

 

「この譲渡文書に上手になったオリヅルを添えて送ります。舞踏会で助けてくれた優しいお姉さんに。

       マルガレーテ・フォン・ヘルクスハイマー」

 

 

 

 そして領主不在、空白となったヘルクスハイマー領に迫ってきたのはリッテンハイム侯ではない。

 ブラウンシュバイク公である。

 リッテンハイム侯からすれば、今までのへルクスハイマー伯の功績忠勤を考えたら領地を奪うのは悪辣に過ぎる。その評判を恐れて動きが鈍かった。

 逆にそれを探知したブラウンシュバイク公が好機とばかりに出張ってきた。

 ブラウンシュバイク公にとってすればヘルクスハイマー伯は長年つばぜり合いを繰り広げてきたリッテンハイム侯の懐刀であり、幾度も謀略で煮え湯を飲まされてきた恨みがある以上、奪うのに遠慮するわけがない。

 

 これらの動きはもちろんランズベルク側の耳にも入る。

 それだけではなく、とんでもないニュースが飛び込んできた。

 ブラウンシュバイク公が言ったらしい。へルクスハイマー伯がいない今、領民が代わって懲罰を受けるべきであろう、と。ブラウンシュバイク公に長年敵対行為をしていた報いが必要だと。

 それはいったいどういうことか!

 領民にまで何の罪があるというのだ。

 

 

 わたしはこの事態を放っておけない。当事者の一端なのだから。

 酷いことが起きてしまう前、それを止めさせるべく行動に移そうとした。

 

 しかし、意外にも今回はファーレンハイトやルッツまで強い反対にあった。

 

「もうこうなった以上、ブラウンシュバイク公やリッテンハイム侯なんかの大貴族の舞台だな。そんなとこに行ってどうなる。令嬢、こういう言い方はしたくないが、身の程というものがある。何もできはしない。しない方がいい」

「カロリーナ様、ここはファーレンハイト中佐の言う通りです。逆らう力がない以上、目を付けられないよう縮こまっているのが、この場合最善と申し上げます」

 

 それでも見過ごすわけにはいかず、考えた末国務尚書リヒテンラーデ侯に面会を求めた。

 あっさりと面会は拒絶されたが、その日のうちに手紙が届いた。

 

「策を巡らせてはいるが今回は間に合わぬ。ちょうど叛徒と大会戦が予定されていて、帝国軍は動かせぬ。伯爵令嬢、あい済まん」

 

 

 そのうちに、ブラウンシュバイク公に連なる縁者の一人であるコルプト子爵の私領艦隊が先遣隊としてヘルクスハイマー領星系の一つに到達した。

 そこで領民に対する「懲罰」が始まった。

 ただの略奪である。金銀宝石、美術品およそ金目のものは奪い尽された。

 更に食料までも奪った。

 さすがに領民も抵抗したが、これに対して発砲という名の直接的な懲罰が加えられた。たちまち混乱が広まり、多くの人が命さえ奪われ、倒れていく。貴族にとってそんなことはためらう必要はどこにもなく、ためらうことのない非道はどこまでも酷いことができる。

 

 もはやわたしはその報を聞くと、独断で艦隊を発進させた。

 

「みなさん、ごめんなさい。目の前の悲劇だけは止めなくてはならないのです。今、ヘルクスハイマー領に行けるのは私だけです。譲渡の履行という名分で行き、領民への危害を止めてみせます」

 

 

「仕方ありません。お供させて頂きます。カロリーナ様」

 

 振り返ると、艦橋にはルッツがいた。

 

「本当にあのブラウンシュバイク公の艦隊を相手にするなら、敵は何十倍になりますか」

 

 メックリンガーが苦笑している。ビューローもベルゲングリューンも。

 その横で、ファーレンハイトが無表情で立っている。

 

 内心の感動を必死で表に出ないようにしているのだった。

 俺は今、伯爵令嬢と共に正義の側に立つ。怯んでなどいられるか!

 

 ランズベルク艦隊のうち高速で動ける約千隻が飛び立った。

 

 やがてヘルクスハイマー領星系に到達すると、コルプト子爵の艦隊は慌てて戦利品を持って宇宙へ上がってきた。

 艦艇数約八百隻である。

 両者は対峙した、のではない。

 ランズベルク艦隊は全く足を止めることがなく、巡航する艦隊運動を続けながら、同時に最適な編成を作り出した。

 戦いはあっという間にランズベルク艦隊が理想的な半包囲態勢を作り上げてしまう。

 それは芸術的なまでの高度な艦隊運動だ。

 突きくずしては包み込み、たちまちコルプト艦隊に爆散する艦が相次ぐ。組織的な抵抗ができないまで追い込めば、後は包囲を縮めて最終局面にもっていく。コルプト艦隊は無様な逃走にかかった。ランズベルク側はもちろん追わない。

 戦いにおいて、もはや同数以下の艦隊ではこのランズベルク艦隊の相手にもならなかった。

 

 

 

 その戦いを見ている者たちがいる。

 観測できる距離に静かに止まっていた。

 ヘルクスハイマー艦隊である。

 大小かき集め、総数七千隻以上の艦隊になっていながら、何もできないでいた。

 領民に対する略奪を止めたい。

 領民を守ってこその艦隊ではないか。

 

 しかし、今や主君たるヘルクスハイマー伯は逃亡の末に死んだ。滅亡は免れない。

 

 今さら何をしても、おそらくでしゃばってきた他の貴族が全てを手に入れる運命は変えられないのだろう。ブラウンシュバイク公か、あるいはリッテンハイム侯が文字通り富も領民の命も手に入れるのである。

 それに逆らって何になる。

 何の意味もないどころか、かえって領民への懲罰がひどくなるだけだ。

 いずれこの艦隊も解体されてどこかへ吸収される。それが運命だ。動けない。動いても仕方がない。

 

 しかしたった今、目の前でブラウンシュバイク公の先遣隊であるコルプト子爵の艦隊が破られた。ランズベルク艦隊によって。

 その意図はわからないが、これで略奪が収まったのは確かなことだ。

 

 ランズベルク艦隊はそんなヘルクスハイマー艦隊を見やった。

 

「まあ、何もできないのは彼らにとって致し方ない。こっちを攻撃してブラウンシュバイク公の覚えをめでたくするほど恥知らずではないようだ、令嬢」

「ファーレンハイト、それはそうですが一応伝えておきましょう。通信回線開いてください。通信は『何してる、アホウ』と」

 

 

 ヘルクスハイマー艦隊は恥じ入った。

 ランズベルク艦隊は惑星に降り立って混乱を収拾すると、領民のため一生懸命救護活動を始めていた。

 しかしそれをも見ているだけで、動けない。いずれ来るしっぺ返しが怖い。

 

 

 そこへまたしても艦隊接近の報が届いた。

 今度は五百隻ほどの小艦隊、おそらく、ブラウンシュバイク公艦隊の威力偵察隊であろう。

 小艦隊とはいえどれっきとしたブラウンシュバイク公自身の艦隊である。さっきのコルプト子爵の艦隊などとは意味が違う。

 ランズベルク艦隊もとりあえず惑星より発進して宇宙に戻った。

 すると威力偵察隊はまるでランズベルク艦隊もヘルクスハイマー艦隊も無視して、惑星上空に進むと驚くべきことを始めた!

 

 惑星居住区に対する爆撃の準備である。

 

 これを見てはヘルクスハイマー艦隊もランズベルク艦隊も急行する。

 しかし爆撃は粛々と始められようとしている。

 

 これが貴族の無抵抗の平民に対する「懲罰」というものか! 半分も殺せば見せしめとなり、多少「コストはかかる」が簡便な統治の方法だ。核爆弾ではないのが幸いだが、このままでは下に見たくもない被害が広がってしまう。

 

 ランズベルク艦隊が威力偵察隊に攻撃を始めた。

 ここまで沈黙を守っていたヘルクスハイマー艦隊も、ついに発砲を始めた。

 命令はなく、各艦勝手に始めたのであるが、多数の艦が参加した。

 威力偵察隊は驚いたように爆撃を中途で止め、急速撤退した。まさかブラウンシュバイク公私領艦隊に盾突くものがいるとは思わなかったに違いない。

 

 ランズベルク艦隊とヘルクスハイマー艦隊との間に今回、通信はなかった。

 しかし、お互いに分かっている。

 

 

 一日置いてブラウンシュバイク公艦隊の前衛隊が星系に姿を現した。

 たったの前衛隊なのにそれでも五千隻を超える大艦隊である。これが銀河帝国でもトップに立つ大貴族というものの底知れぬ力の一端なのである。

 

 これに対し、ランズベルク艦隊が流れるように陣形を整え、柔軟防御の態勢をとっていく。

 先に攻撃してきたのはブラウンシュバイク公前衛艦隊であった。遠慮なく撃ち放つ。ランズベルク艦隊はそれを受け流すと、逆撃を加えた。恐ろしく的確なピンポイント攻撃で、みるみる艦列に穴をあける。

 しかし艦隊の規模に違いがありすぎた。

 艦列の穴あっさり塞ぐと、ブラウンシュバイク前衛艦隊は大きく包囲をしかけてきた。するとランズベルク艦隊は機動力を発揮する紡錘陣に素早く整え、包囲される前に食い破り、逆に出血を強いる。

 傍から見てもランズベルク艦隊は目を見張る艦隊運動だ。

 しかし今は互角以上に見えるが、いずれランズベルク艦隊は負け、早いうちに逃げなければ危ない。いかに芸術的なまでに見事な戦いをしようとも弾薬やエネルギーは無限ではないからだ。疲労も蓄積されるだろう。

 

 

 ついにヘルクスハイマー艦隊は決断した!

 

 一気に戦場になだれ込み、ブラウンシュバイク前衛艦隊を次々爆散させていった。

 艦の性能も、将兵の士気も、比べ物にならなかった。

 

「ヘルクスハイマーの誇り! 好きなようにさせてたまるか!」

「我らの艦隊があるのは何の為ぞ!」

「ヘルクスハイマー艦隊の強さを思い知れ!」

「ヘルクスハイマー万歳! 現当主、マルガレーテ様万歳!」

 

 

 それは領民を守る艦隊としての意地と誇りだ。

 伯爵令嬢が身をもってそれを教えてくれた。

 

 

  



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第二十三話483年12月 いつか、また

 

 

 ブラウンシュバイク公の前衛艦隊は驚いた様子を示したが、無理することなく逃げ帰った。

 

 それを確認した後ヘルクスハイマー艦隊の総司令官がランズベルク艦隊との交信を求めてきた。

 こちらの艦橋のスクリーンには白髪の武人の姿が現れる。これがヘルクスハイマー側の総指揮官らしい。こちらがただの少女であることを見て取ると少なからず驚いたようだったが、それには触れずに率直に本題に入ってくる。

 

「失礼ですが、ブラウンシュバイク公の本隊が間もなく到着する状況ですので手短かに申し上げます。先ずはランズベルク艦隊へ感謝いたします。領民を守るべき我々の艦隊が狼藉に対し何もできずにいました。お恥ずかしい次第です。ランズベルク艦隊が我らの領民を助けてくれているのを見てようやく誇りを思い出しました」

 

 ここからが重要な話なのであろう。目に力が入った。

 

「結論を申し上げます。先ほどからの一連の戦闘については、わが艦隊が早とちりして仕掛けてしまったものです。偶然にもヘルクスハイマー領に紛れ込んだ不明艦隊と戦闘に及んだのは遺憾に思います。正式な交信がないので不明艦隊としかわかりませんが。つまり、そちらの艦隊にとっては事故に過ぎません。ともあれ後の始末は我らがいたしますので、ランズベルク艦隊には早急にお引き取り願いますよう」

 

 それきり、一方的に交信が切られた。

 わたしにも言いたいことは分かる。単純なことだから。

 今回の戦闘がブラウンシュバイク公の怒りを引き起こすことは必須、その怒りの矛先をヘルクスハイマー艦隊が引き受けようというのだ。

 領民を助けてくれたランズベルク艦隊を逃がし、守るために。

 

 おそらくこれから彼らは全滅覚悟の一戦をする。

 だが、その前に恩は返す。ヘルクスハイマー艦隊の誇りにかけて。

 

 

 

 ただし案外と早いうちにブラウンシュバイクの本隊が見えてきた。傷ついた前衛艦隊の報告を聞いて、足を速めたのに違いない。それも収容し艦艇数三万隻以上の威容を誇る大艦隊である。

 そこに旗艦ベルリンさえ含まれているからには、ブラウンシュバイク公自身が出てきているのだろう。

 

 わたしの見るスクリーンが艦艇で一杯に埋めつくされた。おそらくブラウンシュバイク公の持つ全艦隊の半分もでもないと理性では考えながら、そんなことは何の慰めにもならない筆舌に尽くしがたい圧迫感と絶望感、いやもはや非現実感しかない。

 

 その超大艦隊から問答無用でビームの束が降り注いできた。映しているだけのスクリーンそのものが白熱しているかのようだ。

 まだイエローゾーンでもなく、距離があるため実害はない。

 ランズベルク艦隊は急ぎ最も防御力の高い艦を前に出す陣形で対処する。ヘルクスハイマー艦隊は不思議にもそういう動きはしていない。

 

 いったん攻撃が止んだ。

 

 その刹那、ヘルクスハイマー艦隊が突進してランズベルク艦隊の前を覆った。

 包囲攻撃などではない。

 艦はみな、ランズベルク艦隊に背をさらし、ブラウンシュバイク艦隊にまっすぐ向いている。これはどう見てもヘルクスハイマー艦隊はランズベルク艦隊を守る態勢だ。

 

 

 

 そんなところへブラウンシュバイク艦隊から交信が入ってきた。

 

「我が艦隊の邪魔をする不埒な者ども。せめて宇宙の塵になって罪を贖え」

 

 それはブラウンシュバイク公から一方的かつ無慈悲な話であった。交渉ではなく、ただの宣言ではないか。

 ヘルクスハイマー艦隊が返信を送る。

 

「お待ちください。ブラウンシュバイク公爵様。ランズベルク艦隊は先の和約のために偶然居合わせただけにございます。今回の不幸な事件の責は当へルクスハイマー艦隊にあります」

「ふん、だから何だ。下らんことを申すな。どうするかなど儂が決め、その通りになるだけのことではないか」

 

 わたしとしてはヘルクスハイマー艦隊の好意に甘えているわけにはいかない。

 気力を振り絞り、大貴族ブラウンシュバイク公に訴える。

 

「お話しがございます。ブラウンシュバイク公爵様。ヘルクスハイマー伯領地は豊かで、工場も多く、立派な艦隊があります。そして当家はヘルクスハイマー家と交わしました先の和約の通りここに権利があり、そして順番で言えば当家が先でございましょう」

「今更何をいうか、戦端を開いておいて。そして権利を実行する力があるとでも申すか。こちらにはあるが。」

「そんな、力をもってして、というのは帝国の法にもとります。他の貴族や、帝国政府や、多くの人たちに判断を仰ぎとうございます」

 

 だが、話は通じない。

 強者は弱者に遠慮などしない。

 

「ふん、今度は脅しか、ランズベルク伯爵令嬢。そちらの親しいリッテンハイム侯は今回のことには及び腰だ。残念だろうがあてにはできんぞ」

「いいえ、ブラウンシュバイク公爵様。そのようなこと考えてもおりません」

「殊勝なことだ。今さら怖くなったか。それなら直ちに退去せい。せめて追わないでおいてやる」

「ただし、その権利がどうなるにせよ、どう扱われるか見守ることくらいはお許し頂きとうございます」

 

 ここでようやくブラウンシュバイク公は気が付いた。

 こんな大艦隊を前にして権利を守ることなど考えるはずがなく、領民にどういう態度をするのか監視するのが希望である。

 しかしそれこそ勘に触る。領主の消えた領地、領主のいない平民どもに何をそのような遠慮をするか! 爆撃で半分どころか全滅させても大貴族であるブラウンシュバイク家に面と向かって逆らうものなど出てくるはずがない。帝国政府だろうがそれは同じだ。

 

「公爵様、特にヘルクスハイマーの艦隊は勇敢で誇り高い艦隊です。よしなに扱い下さいますよう」

「ふむ、ランズベルク家はヘルクスハイマーの富と一緒に残存艦隊を貰い受ける和約をしたのであったな」

 

 ブラウンシュバイク公が周辺に何かの指示を出したようだ。

 いきなり攻撃が再開された。

 再び危険な量のビームの雨が降り注がれ、たまらずランズベルク艦隊はもっと距離を取るよう後退を始めた。

 ビームの大雨がますます激しくなる。イエローゾーンでもないが、これほど濃密な攻勢に防御フィールドの負荷が目いっぱいになる。このままではすぐに破られて危険な状態になるだろう。

 だが、もっと危地にいるはずのヘルクスハイマー艦隊はランズベルク艦を守る位置から動かない。やっとランズベルク艦隊が後退した時にはヘルクスハイマー艦隊の方に少なくない被害が出た。そこかしこに爆散の無残な雲が残っている。

 それでも、盾になることを止めなどしない。ヘルクスハイマーの誇りは文字通り命より重いのだ。

 

「ブラウンシュバイク公爵様! この無意味な攻撃は何ですか!」

「だから伯爵令嬢、ランズベルク家に受け取る権利があるのはヘルクスハイマーの残存艦隊なのだろう、残った艦隊を受け取るがよろしかろう。寛大にもそれを許す。ただしこれから更なる攻撃を受けた後でも残る艦があればだが」

 

 なんという非道な! 弱者の命を意味もなく刈り取るというのか! 自分の単なる腹いせで何万という人の命を。

 

「伯爵令嬢、怒るなら怒ればいい。誤解しておるようだが、そんな艦隊など儂にはもはやどうでもいいわ。考え一つで何とでもなることをせいぜい理解せい」

 

 

 

 わたしは激発を抑えるのに必死だ。

 理解できない尊大さ、これが貴族制度の成れの果てにある歪みというものか。

 

 その時、スクリーンの一つに明滅する輝点が現れた。

 

「後方より艦隊! 数およそ二万隻、大艦隊です!」

「え、どこのものです?」

「識別出ました! 所属、リッテンハイム侯艦隊と思われます!」

 

 今度はリッテンハイム侯の艦隊が来ている!

 おそらく、ブラウンシュバイク公が本当にヘルクスハイマー領に奪いにきたのか見るためだろう。

 だが助かったと喜べない。

 

 むしろまずい。

 

 まさかこのままブラウンシュバイク公の艦隊とリッテンハイム侯の艦隊が衝突するようなことがあってはならず、何としても避けなくてはならない。もしそんなことになったら、銀河帝国の存亡に関わる内乱になり、どれほど多くの人が悲劇に見舞われることになるか。

 いろいろなことを考えてるゆとりはない。どんな方法でも事を収めなくてはならない。

 

 一呼吸し、再び通信画面に向いた。

 

「ブラウンシュバイク公、それでは御家名に傷がつくやもしれません。一番よい道がございます。当家が何の譲歩もせず全てを手にするのではブラウンシュバイク公のお立場の都合もいろいろございますでしょう。ですがブラウンシュバイク公爵様が全てを貰い受けても、決してよい評判は得られますまい」

「何を申すか」

「当家と痛み分けとすれば、ブラウンシュバイク公の度量の広さが皆に知れ渡ることでしょう。この方がよほど理にかないます」

 

 

 要するにブラウンシュバイク公の側の立場をよくわかった発言であった。

 

 ブラウンシュバイク公が尊大なのは疑うべくもないが、それをよりいっそう大きくしているのには理由がある。

 何よりも「しめしがつかぬ」ことを恐れている結果だ。

 他の貴族に侮られてはならない。派閥の盟主としては虚勢を張る必要があるのだ。

 それは病的なまでの虚勢であるが、貴族社会の、それも首領として歩んできた人間としては地位を守るための仕方のないことかもしれない。

 

 だからといってあまり非道なこともどうかとは思っている。非道の汚名を着るのもあまり得策ではなく、良い評判も必要なのである。

 貴族社会はどこでどうつながって引っくり返されるかわかったものではないのだから。

 

 そこで両立する道を提案してやる。面子を立て、譲歩を引き出す。それには権利を言うのではなくこちらから手放すことだ。

 

「当ランズベルク家にヘルクスハイマー艦隊のうち、千隻だけを頂きます。工場で生産される艦艇も四年の間、当家で優先的に引き取らせて頂きます。それだけにとどめ、惑星の所有の権利などは一切頂きません。鉱山などの利権もハイドロメタル鉱山だけ頂ければ結構でございます。これで公爵様の寛大なお気持ちを明らかにし、他は全てお納め下さいますよう。ランズベルクの方から公式に譲歩いたします」

 

 ブラウンシュバイク公は一時の感情の高ぶりが収まると、その提案の合理的なことがわかった。

 

「ふむ、それは結構。こちらの実力を見る前に多くの権利を放棄するというのだな。それを許そう。まあ、先の和約にある通りへルクスハイマーの艦隊くらいは持っていくがいい」

 

 虚勢が満たされると、今度は度量を見せたがるというわけね。というか本当に艦隊はどうでもいいだけか。

 

「それではお言葉に甘えまして、半数の艦だけ連れて当家は退去いたします。このことでブラウンシュバイク公爵様の度量が人の口に上るでしょう。ブラウンシュバイク公爵様は誠意に誠意をもって応える方だと」

 

 

 それで話はまとまった。

 わたしはヘルクスハイマー艦隊から約四千隻だけ連れて、総勢五千隻となった艦隊を連れて星系を離れた。もちろん、領民にある程度の収奪は避けられないが、せめてブラウンシュバイク公が爆撃や過度の乱暴狼藉をしないことを確認してからである。

 

 今回の一連の戦いは綱渡りの末、辛くも終わった。

 この戦いに関しては大貴族に遠慮して名前が付けられず、そのためかえって「名も無い戦い」という妙な名前で知られるようになった。

 

 

 

 帰投の途中、カロリーナはリッテンハイム侯の艦隊に連絡した。

 

「当ランズベルク家はヘルクスハイマー家との和約に基づく権利の譲渡を終わったところです。そこでブラウンシュバイク公爵様の助言を受け、大半の権利を放棄いたしました。利潤の大半を占めるハイドロメタル鉱山の利権だけは当家が所持することになりましたが…… しかしこの鉱山の経営は当家に重きに過ぎること、ヘルクスハイマー家とご縁の深いリッテンハイム侯にお譲り致しますのでよしなにお取り扱いされますよう」

 

 要するに利権を渡すからこの場は収めてくれと身を切って言っているのだ。

 けっこうな利がないと今度はリッテンハイム侯が収まるまい。これは必要経費というものだ。

 リッテンハイム侯の艦隊はそこから進軍するのをやめ、やがて帰投していった。

 

 

 

 最後の最後、ヘルクスハイマー艦隊旗艦総司令官から通信があった。

 

「この度の御恩、ゆめゆめ忘れはしません。当司令部を含めた艦艇の方はおそらくブラウンシュバイク公の艦隊に組み込まれるでしょう。ただし将来、何か事があればランズベルク艦隊に必ずお味方します。それはヘルクスハイマー艦隊の誇りにかけて約束しましょう。ランズベルク伯爵令嬢、それまで壮健でいて下さいますよう」

 

 

 

 

 そして遠い場所からこの事件を注視している目がある。銀河帝国国務尚書執務室にその目の主は居る。

 

「ほっほ、そんなブラウンシュバイクとリッテンハイムとの全面衝突など儂がさせるわけあるまいて」

 

 しかしひどく満足げだ。本人もこれほど楽しく思っていることはざらにないと自覚している。

 

「ただし両家に仲良くされ過ぎても困るのじゃが。こたび、リッテンハイムの耳に入れるタイミングをどれだけ考えたことか。いやしかし、儂が考える前にあの伯爵令嬢がまとめおった。政治の感覚も備えとるようじゃ。楽しみがまた増えたわい」  

 

 

 

 ランズベルク領内にたどり着くと改まって皆を危険にさらしたことを陳謝した。

 

「わたしのわがままから始まったことで、迷惑をかけました。今回の戦いはまさに薄氷を踏むものでした」

 

 ファーレンハイトやルッツの答えはいつもの通りだ。 

 

「退屈だけはしないで済んだ。人生には冒険も必要だろう。疲れる子守だったが」

「いえ、伯爵令嬢、無事が何よりでございます」

 

 メックリンガーは黙って考えていた。

 

 この少女の生き様はまるで一つの芸術のようではないか。

 この先も生ける芸術を見ていたいものだ。

 いや、決して見逃してはならない。

 

 

 



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第二十四話484年 3月 楽しくお茶会

 

 

 わたしはアンネローゼ様とあれ以来、しばしばお茶会を楽しんでいる。

 アンネローゼ様はさすがに菓子作りが上手で、わたしのレパートリーの多くをものにするほどだった。

 そしていつも楽しく菓子を持ち寄ってはお茶会を開いているのだ。

 

 しかし、この日のお茶会だけは緊張せざるを得ない。サビーネなど他の貴族令嬢はむろん呼んでいない。

 今日は特別である

 何しろ、お茶会にはラインハルトとキルヒアイスが来ることになっていた!

 この世界にいれば、そんな日が来ることは避けられない気がした。むろん、いい意味ではない。貴族を窮地に陥れるラインハルト、そしてわたしはその帝国貴族なのだから。

 

 しかもこの茶会、おそらく二人は最初から機嫌が悪いだろう。

 アンネローゼ様と三人だけで気楽に話をしたいのに、わたしもそこにいるから。気遣いができ、感情を隠せるキルヒアイスならともかく、ラインハルトにそれは求められない。

 

 

 

「今日は三人かと思っていました。姉上」

 

 やっぱりそうきたか。会っていきなりだ。

 わかりやすい性格だけど、ちょっとダメじゃないかしら。肩苦しく、他の帝国貴族のように腹の探り合いをするよりはいいけれど。

 

「ラインハルト、こちらはランズベルク伯爵令嬢カロリーナさん。ラインハルトの好きなお菓子をたくさん教えて下さった人よ」

 

 アンネローゼ様は言葉通りに思っている。わたしをお菓子の友として考えていたし、当然そのように紹介した。

 

「!」

 

 ラインハルトとキルヒアイスは一瞬の間に緊張した。この二人にとってわたしの名は意味が違うらしい。少なくとも菓子とは関係ない。

 

「カロリーナ・フォン・ランズベルクと申します。いつもアンネローゼ様のお菓子の会に呼んでもらっています」

「これは、あのランズベルク伯爵令嬢とは…… 」

 

 次の言葉が見つからないラインハルトに代わって、キルヒアイスが言葉を引き継ぐ。

 

「こちらがアンネローゼ様の弟君のラインハルト様、私がお二人に長く親しくさせて頂いていますジークフリード・キルヒアイスと申します」

 

 うむむむ、気を抜くと魂を持っていかれそうになる。さすがにラインハルトも美形だが赤毛君はかっこいい。

 

 そこにやっとラインハルトが言葉を出す。

 

「ランズベルク伯爵令嬢。宇宙での幾度に渡る戦い、見事だと思っておりました。特に寡兵にして相手を破る戦術は」

 

 あら、ラインハルト、ほめてくれるの?

 

「貴族は戦いなど何も知らず、惰弱にして遊びほうけてるものだと思っていましたが、軍を動かせる方もいたのですね」

 

 あれれ、やっぱりちょっと帝国貴族に対し毒気がある。そこがラインハルトらしいといえばらしい言葉だなあ。

 

「ラインハルト様、わたしは軍学など学んだことはありません。ただ、貴族のいざこざに巻き込まれて、夢中だっただけでございます」

「それだけであれほどの艦隊指揮ができるとも思えないのですが。その聡明な令嬢が今度は姉上に近付いているとは。しかも令嬢は、あのリッテンハイム侯に近いという噂も聞いたことがあるような」

 

 うっ、ラインハルトの声のトーンが怖い。

 キルヒアイスがどこで会話に入ろうか困っている。アンネローゼはもっと困っている。

 

「ラインハルト様は貴族がお嫌いですか?」

「嫌い!? 嫌いというのは何もしない奴が言うセリフだ! 思うだけなら誰でもできる! 俺は自分で変えてみせる。キルヒアイスと二人で、この手で変えてみせる!」

 

 

 

「ラインハルト、まずはお茶とお菓子にしましょう」

 

 アンネローゼがヒートアップしたラインハルトを宥めにかかる。さすがに弟のことは分かっているのだろう。

 

「お茶は最初にこれにしましょう。カロリーナさんに持ってきて頂いたものなの。お茶の葉を取ってすぐに蒸して作ったものですって。緑のままのお茶できれいなのよ」

 

 アンネローゼが皆にお茶を配る。

 それらのティーカップに緑茶が入っている。若干の違和感はあるが、そういうものだ。

 

 緑茶を皆で飲む。ラインハルトは紅茶よりもコーヒーが好きなくらいの人間なので、妙な顔をした。

 キルヒアイスも表情に出さないがきっと変な味の飲み物に思っているのだろう。

 アンネローゼが二人を見やってくすくす笑った。

 

「このお茶は、こういうお菓子にいいのよ。ラインハルトもこのお菓子好きでしょう」

 

 ここでアンネローゼが山盛りのミタラシダンゴとゴマダンゴを持ってきた。

 何でも作り過ぎるのだ、この人は。

 てか、こういうお菓子が好きなのかラインハルトは。

 

 緑茶とダンゴの相性について納得したのだろう、ラインハルトとキルヒアイスは食べ進んだ。

 人間、食べると気が穏やかになる。

 わたしはこのタイミングを見計らい、努めて柔らかい音色で語った。

 

「ラインハルト様、この機会にわたしの考えをお話しさせて下さい。誤解がないようにお話ししておきたいのです。私も貴族は嫌いです。貴族制度を壊し、特権を廃止して、みんなが豊かに楽しく暮らせる国になればいいと思っています。帝国は作り変えられるべきです。ですが、ラインハルト様。わたしは貴族がいちがいに滅びればいいとは思っていません。傲慢で贅沢で、平民を苦しめるだけの貴族もいますが、罪のない貴族も大勢いるのです。無知で無能であっても本人だけのせいではありますまい。その人らはそういう環境に居て、そう育てられただけなのです」

 

 さあ一気に言ってやる。こうなれば後のことがどうなろうと最後まで言うだけだ。

 

「ラインハルト様、なんとか血を流さずに済む方法はないのでしょうか。それと更に誤解がないよう言っておきます。わたしは決してリッテンハイム侯の傘下についているのではありません。サビーネお嬢様が大切なお友達、なんです。サビーネ様は本当は人懐こくて頭のいい方です。それとアンネローゼ様の元に来ているのも、一緒にお菓子を作って食べたいためです。今ダンゴを食べたでしょ? アンネローゼ様はすぐに何でも上手にお作りになります」

 

 

 

 今の言葉の意味を考えて黙っているラインハルトに代わって、またキルヒアイスが言葉を継ぐ。

 

「アンネローゼ様は最近変わったお菓子を出されますね。ええ、おいしくいただいております。ラインハルト様、それはいいことではありませんか」

 

 よかった。キルヒアイスは敢えてはぐらかした言い方をしているが、少なくともわたしを敵とはみなしていない。

 ラインハルトは考え過ぎなのよ。言葉通りの意味に考えてほしい。

 

「わかった。伯爵令嬢。だが家を掃除するためには、まずごみを片付けなくてはならん」

「それは承知しております。その必要性も。わたしはラインハルト様が人々を大事にして下さる限り、お味方でございます」

「特に力など当てにしてはいないが、邪魔しなければ排除することもない。」

 

 最後まで素直じゃない。てか何を偉そうに!

 こうなれば言ってやろうかしら。

 

「理想を実現するためには用兵を上手にこなして実力を皆に知らしめる必要がありますが、ラインハルト様はいかがなのでしょうか、つまり、艦隊指揮の方は。そのような経験はまだ無いように思ったのですが。わたしの方はといえば、ええ、幾度かやむにやまれず、こなした経験があるのですが」

 

 この時のラインハルトはまだ少佐なのだ。小艦艇の艦長に過ぎないことは判明している。わたしなりの緊張させられたことへの意趣返しである。

 

「な、なに! 聞き捨てならん。艦隊戦の指揮を執って上手いか下手か、この俺に聞いているのか、伯爵令嬢!」

 

 あ、きたよきたよきたよ。

 

「御経験がなければ分からないではありませんか。同数の艦隊でわたしとやってみれば一番わかると存じますが」

 

 この時は冗談のつもりだった。それは本当だ。

 

 

 

 アンネローゼが厨房から戻ってきた。エビセンベイを取りに行っていたのだ。

 カロリーナとラインハルトが話が弾んでいると勘違いしたのか、アンネローゼはにこやかだった。

 雰囲気を壊さないよう歓談を続け、楽しく会は終わった、ように見えた。

 

 帰りの道すがら二人が話す。

 

「あの伯爵令嬢、馬鹿ではない。確かに他の令嬢とは違う」

「そうですね、ラインハルト様」

「言っていた。人を大事に、か。そうであれば味方だと」

「ラインハルト様、それならもちろん味方のはずです」

「理想論に過ぎぬ。しかし、あの令嬢の言うことも筋は通っている」

「ラインハルト様にはもうわかっておいででしょう」

 

 

 

 さて、こっちはわたしの方だ。

 ついに言ってやったぞ充実感に浸りながら帰りついた。

 

 すると何? 皆の様子がおかしい。わたしの顔ばかり見ている。

 

「何、何みんなこっち見てんの? 用事があるなら言ってよ」

 

 ルッツが言う。

 

「少し加工しているのではありませんか?」

 

 メックリンガーが答える。

「いや、光の加減でしょう。もともと表情によってだいぶ変わるお方ですから。加工ではなく、撮り方が上手いのでしょうな。この写真家の」

「え、みんな何、何を言って」

 

 わたしの言葉に答えず、ビューローまでも言う。

 

「15歳ではこれからお顔も変わられるでしょう」

 

 ベルゲングリューンも。

 

「今の時点の、ということです。通過点にすぎませんな」

 

 

 会話と手にした何かとを考えれば想像がついた。

 すばやく何かを取り上げる。

 

「あ、これは、わたしの、何で?」

 

 それは「カロリーナ・フォン・ランズベルク伯爵令嬢写真集 日常から艦隊指揮まで」

 げ!? 写真集!! うわぁ、なんだこれは!

 

「今、発刊されていて、かなりの人気だそうでございます。我が艦隊の将兵にもたいそう売れているとか。親しみを持つ意味で良いことではありませんか」

「良くないわルッツ! どんな撮ってんの!」

 

 しかし自分で中を見る勇気はない。

 

「どんなって、別にゲ……」

 

 そこでいらないことを言いかけたファーレンハイトを、口をルッツが、首をベルゲングリューンが、右からメックリンガーが、左からビューローが、みんなで寄ってたかって抑え込んでいた。

 

 皆は敬愛する伯爵令嬢の容姿について、15歳らしいかわいい令嬢だと思っていた。

 ひいき目に見てしまうからかもしれないが、そこいらの令嬢など足元にも及ばない。でも令嬢はなんだか自分では自信がないようだ。ことさら、関心がないように服や髪型にこだわらないのも不思議である。

 

 

 

「もう、なんだってのよ!」

 

 あ、思い出した。

 今の皆の会話は、あんまりにも失礼ではないか!

 

 

 

 



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第二章 陽光の夏
第二十五話486年 3月 カロリーナの災難


 

 

 それから二年ばかりは何事もなく過ぎ去った。

 決してタイムリミットを忘れたわけではないが、それなりに楽しく日常を繰り返してきた。

 

 

 さて、今日はまたしても舞踏会の日。

 多少の因縁のあるブラウンシュバイク公爵邸で開かれる。ただし舞踏会の場にそういうものを持ち込まないのが貴族の暗黙のルールであるし、そもそもブラウンシュバイク側に因縁の認識すらないに違いない。

 

 憂鬱なのはそこではなく、舞踏会そのものが今もって苦手なのだ。

 

 でもほんと貴族ってこれ好きだわね。

 ひょっとして、日ごろの運動不足解消してない?

 まあいいわ。仕事のうちよ!

 

 それに一段と美しくなったサビーネにまた会える。

 サビーネはもう15歳になっているが、元の遺伝がとりあえず最上級に良い。その上皇孫としての強烈なオーラをまとっている。

 それで美しくないわけがない! 性格は変わらないが。

 同時にわたしももう肉体年齢17歳になってしまっている。ああ、少女といえる時期ももうじき終わってしまう。

 気分は永遠の少女なのだが。

 万年少年のオッサンか、と一人でツッコミを入れる。

 

 などと下らないとしか言いようのないことを考えていた。

 しかしそんな時間は長くない。何気なしに聞こえた出席者の来訪を告げる声に、思いっきり心拍が速くなった!

 

「ウィルヘルム・フォン・クロプシュトック侯爵、御来訪!」

 

 え、えええっ、何ですって? クロプシュトック、クロプシュトック?

 あ、これはまずい、まずい、まずい!

 確かこれで事件が起きるはずだ。油断していた!

 これは爆破テロだわ。必ずそうなる。

 

 

 誰に最初に言おうかしら。信頼できる人に言わなくては。

 会場の警備の人にケスラーでもフェルナーでもキスリングでもいないの?

 今回、わたしの警護としてビューローが一緒に来ているが外の車で待たせてある。

 この場にいて、知ってる人が他にいないのか。

 

 確かラインハルトは嫌々でもこの舞踏会に来るはずだわ。どこかしら。

 

 そのあとどうする? あんまり早く明らかにしたらクロプシュトック侯は爆弾をどうするかわからないわ。

 最悪、早めに爆破ってことも。

 サビーネなどをどうやって避難させたらいい? ケガさせるのは絶対ダメ。サビーネを危ない目にあわせたくない。

 いやわたしは何考えてるんだろう。自分でやるんじゃなくて誰かに言うのが先よ。

 ああ、そうだ抜けてた。

 証拠がない段階でどうやって爆弾のこと説明する?

 確か、黒のケースだったはず。

 

 でも、黒のケースなんて、いっぱいあるじゃないの!!

 

 

 視界にクロプシュトック侯が入った。みんなの訝しげな視線を浴びながら悠然とワインを飲んでいるではないか。

 

 わたしが急いで視線をきょろきょろさせると、やっとラインハルトの姿が見えた。

 その豪華な金髪という目立つ容姿が役に立つ時もあった。

 人目もはばからず、だーっと駆け寄ったつもりだ。しかし舞踏会用のドレスは裾が長くて移動を邪魔するように出来ている。

 息を切らしながらようやく近寄れた。

 

「ん? ランズベルク伯爵令嬢か。舞踏会とはたまには貴族らしいこともするのだな。踊る前の走り方は滑稽だが」

 

 いきなり憎たらしいことを言うが、今はそれに構っていられない。

 

「ラインハルト様、緊急の用件でございます!」

「伺おう」

 

 ラインハルトはさすがに軍籍にいる者だ。「緊急」の一言でさっと頭が切り替わったのだ。これ以上なく頼もしい、怜悧な味方になってくれたのが嬉しい。

 

「この舞踏会で爆弾テロがございます。先ほどクロプシュトック侯がそうつぶやいているのを聞きました」

「何だと! 直ぐに警備の一番上の者に話そう。令嬢、他には何か?」

「爆弾のケースを持ち込んだ、このようなことも確か」

 

 歩きながら説明する。

 ラインハルトが警備の者と話した。直ちに何人かが走り出す。

 

 しかし遅かった! つい数秒前にクロプシュトック侯は広間から姿を消していた。

 

「それでは早めにおいとまします。老人は疲れやすいものでしてな。ブラウンシュバイク公、いつまでも壮健でありますよう」

 

 あまりに皮肉な挨拶を残して。

 こちらとしてはクロプシュトック侯を押さえて吐かせることができなくなった以上、急いで避難と爆発物の処理にかかる。

 避難は簡単ではないだろう。

 処理といってもケース、黒いケース、椅子の下の、そんなのいくつもある。

 

 

 どうする。0.1秒でも早く避難を。しかし貴族はきょとんとして誰も動いていない。

 主催者のブラウンシュバイク公もテロとは半信半疑なので無理やり避難はさせていないようだった。

 貴族の内紛など日常茶飯事の銀河帝国といえど、舞踏会で貴族の大量無差別テロなど前代未聞、あり得る話ではない。

 まして警備係りは無理やりなことはできない。かえって無礼者呼ばわりされて混乱がひどくなってしまうだけだ。

 

 仕方ないわ!

 警備係りがクロプシュトック侯の置いていったケースを目撃情報により特定した。

 それをすぐ持って行って!

 いや、持って行くわよ!

 ケースを誰よりも早くつかんで走った。広間のいくつかある出入り口を見て、そのうちの一つ、最短で庭に面している出入り口へ。

 わたしの様子に反応したラインハルトが手伝うために追ってくる。あ、でもラインハルトにもしものことがあったら大変! 一瞬だけ振り返って叫んだ。

 

「来ないで! ラインハルト。未来のためにあなたは死んじゃダメなの、あなただけは!」

 

 それ以上言う暇はない。わたしは庭に出てすぐケースを思いっきり投げた。安全なくらい遠くに放り投げたつもりだった。

 しかし悲しいかなケースの重量とこの運動不足の細腕だ。十メートルも飛ばない。

 投げなおす気はなかった。

 すぐに後ろを向いて、広間に逃げ戻ろうとした。

 

 だが目に映るものを見て驚いた。

 その出入り口から令嬢たちが出てくるではないか!

 おそらく意味もわからず慌てているわたしを追ってきたのだろう。先頭がサビーネだということだけわかった。

 駆け寄ると出入り口に令嬢たちを押し戻し、また何人かを広間の内側の、出入り口から陰になるよう左右に突き飛ばした。

 最後にサビーネをすっぽりと抱きかかえ、ケースの方から背を向けた。

 

 その状態から一瞬置いた後だった。

 

 体全部を殴られたような衝撃があった。もちろん息がとまった。サビーネごと倒れる。その途中、もう一度背中に衝撃を受けた。熱いのか痛いのかもわからない。

 

 意識が薄くなる。

 あ、これで終わるのか。

 長かったような気もする。いや、短かったか。でも、今までのことは決して悪くなかったわ。

 倒れ切る直前、意識がぷつん、と途切れた。

 

 

 

 ゆっくり目を開けた。

 頭がぼやっとしている。眠くはないのに。

 

 白い天井が見える。

 どこだろう、ここは。

 記憶がよみがる。舞踏会で、爆弾投げたんだった。

 わたしはそこで死んだのか。

 それで長かった転生から帰ってきたのかな。艦隊戦やったり、ラインハルトと会ったりしたなあ。全ては夢のよう。いや、きっと夢だ。

 

「あ、気が付いたようだ! ドクターはいるか!」

 

 そんな声がするほうに目を向けた。

 帝国軍の軍服の背中が見えた。

 見る間に遠ざかってドアから消える。背が高かった。

 

 え?ファーレンハイトだ。

 ということは死んでない。わたしはまだこの世界にいる!

 

 ひっ、せ、背中から腰のあたりが痛い。

 あれ、右手が動かない。どうしたの? まさかでしょう、怪我で手がなくなったの?

 急に恐ろしくなった。

 左手で分厚い毛布をばあっとはねのけた。

 右手はあった! ただし、肩にしっかり包帯があった。そして腹と右の腰の一部にも包帯がある。ぐるぐる巻きだ。

 元々体は丈夫な方で、今まで病院のベッドも包帯も経験がない。病院とは、こういうものなのか。でも背中、痛いよ。

 

 人が何人かドアから入ってきた。

 誰かな。医者らしい白衣の人がいる。そしてルッツ、ファーレンハイト、みんな……

 

 あああっ! わたし、包帯以外なんにも着てない!

 全力で慌てた。

 毛布を戻そうとするが、毛布の端が意外に遠くに飛んでしまってつかめない。やむをえず毛布の途中をつかんで戻そうとした。

 しかしそれどころではなくなる。

 もう動作の途中で「痛たたたたたっ!!」ひいいい。動作より先に心が折れるくらい痛かった。

 

 何人かが笑い始めたではないか。失礼な! 本当に。

 客観的にみれば滑稽かもしれないけどさ。

 素っ裸。

 正確には一部包帯があるものの、それは乙女が他人に見せてはならないいくつかの重要な場所は一つも隠していない。

 毛布つかんで体をひねったまま、何か叫んで凍りついてる。

 正確に言えば痛みで足のひざから下だけパタパタ高速で動かしている。

 

「まだ動かしてはいけません。伯爵令嬢。骨には異常ありませんが、いくつか破片を摘出したばかりです。固定が難しい箇所もありますので、無理に動いてはいけません」

 

 ドクターがそう言いながらやっと毛布を戻してくれた。遅いわ!!

 

 そして何があったのか、皆の慰問の言葉を聞きながら、だいたいのことはわかった。

 爆発の最初の衝撃、その直後飛んできたレンガの破片がいくつも体に当たったらしい。

 打撲と鋭い先が当たったところは刺さってしまった。

 しかしどうやらそんなに重傷ではない。回復にもそうかからないということだ。

 ずいぶん長いこと寝ていたような気もするが、まだ次の日の昼間だった。

 

「頭を打たなかったのが不幸中の幸い、いや幸い中の不幸か」

「お食事はリンゴをすりおろしたものにしましょうか。いや、お熱があるわけではありませんでしたか」

「むしろたくさん食べたほうが。しかし、あっという間に包帯がきつくなったりしたら、それも…… 」

 

 みんな勝手なことを言っている。本当に心配しているの?

 だがそれも、わたしの意識が戻り、ほっとしたから言えることだろう。

 

 兄アルフレットが明日には駆けつけてくれるそうだ。

 ありがたい、でもありがたくない。

 半分以上詩になった長いセリフを聞かされるのはわかっている。

 そういうのは体調が万全の時くらいにしてほしい。入院してて言うのもなんだけど。

 

 

 サビーネが夕方に来るそうだ。

 なんて聞いていたら、もうサビーネが来た。

 早い。

 レムシャイド家のドルテを伴っている。

 

「おうカロリーナ、妾のかわりにケガをしたのじゃな。礼をいう。妾は大丈夫、みんなカロリーナのおかげじゃ」

「サビーネ様が無事で何よりです」

「そう言ってくれるか。しかし、爆弾を仕掛けおって、クロプシュトックめ。許せぬ。今回、カロリーナのおかげで死んだものはいない。それでもけが人は多くおる。カロリーナが一番ひどいケガじゃ。でも一つ間違えばどのくらい人が死んだかわからぬ。帝国政府から許しがでれば、直ちに成敗じゃ」

 

 え? もしかして、それは、クロプシュトック侯の領地惑星に貴族が進軍てことだよね。

 で、領民から略奪が起きる流れ。

 それはダメよ!! 止めなきゃ!

 

「ブラウンシュバイクなんぞは許しが出る前に進軍しそうじゃ。あやつのエリザベートも少しケガをしたそうだからな。大層怒っておるそうじゃ。妾も怒っておるが」

 

 ドルテ・フォン・レムシャイドも話し出す。

 

「私も、ありがとうございます。それと、ブラウンシュバイク公も言っておられたそうですよ。今回のことではランズベルク伯爵令嬢には礼を言わねばならん、と」

 

 どうやらあのとき出入り口の中に突き飛ばした令嬢の中にエリザベート嬢もいたようなのだ。

 窓ガラスが割れて、そのかけらで傷がついた。ひどいことはないらしい。

 しかし、もしカロリーナが突き飛ばしていなかったら、まともにレンガを食らってカロリーナ以上のケガをしたかもしれない。あるいは死んでいたかも。

 

 

 その日、病室に意外な見舞客も来た。

 夕方にラインハルトがキルヒアイスを連れてお見舞いにやってきた。大きな花束を持っている。

 あれ、花束持って来れるじゃないの。キルヒアイスの助言かな?

 

「伯爵令嬢、昨日は勇気を見せてもらった」

「ありがとうございます。大きなバラの花束も。よもや結婚の申し込みかと思いました」

「何を馬鹿なことを!」

 

 やっぱり分かりやすい性格だわ。

 

 

 

 

 



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第二十六話486年 4月 天才とは

 

 

「ラインハルト様、令嬢がいつもと同じでよかったではありませんか」

 

 キルヒアイスもこのやり取りを見て、内心面白がっているのだ。笑みが隠しきれていない。

 それはさておき、ラインハルトは思っていた疑問を率直に聞く。

 

「ところで令嬢、あの時俺だけは死んではいけないと言った。確かにそう言ったはずだが、どういう意味だろうか」

「え~と、そうですね。そのまんまの意味です。ラインハルト様がいなければ帝国が変わりませんから。何にも増して大事なことだと思ったんです」

「令嬢は俺を買ってるんだな。帝国を変えられる人間になると。それはありがたく受け止めておこう」

「ところでラインハルト様、一つ心配がございます。クロプシュトック侯の領地に貴族が攻め寄せる情勢でございます。貴族が領地に行けばどんな略奪暴行があるか分からず、いやきっとあるでしょう。なんとかそれを止められないでしょうか」

 

 わたしは目下そこが心配なのだ。その顛末を知っている者としては。いや、ヘルクスハイマー領惑星で貴族たちが略奪し放題になった時にそれほど酷いことをするのか、目で見て知っている。同じようなことが繰り返されるはずだ。

 

「それを心配しているのか。クロプシュトックの領地領民のことを…… 令嬢、帝国軍が命令に乗っ取って出動すれば、そんなことはないだろうが、貴族どもが勝手に行ったのではそういうこともあるだろうな。しかも、勝手に行っておいて事後承諾になってもおそらく大貴族ならなんの咎めもないだろう。貴族というのは復讐が大義名分になる」

「復讐って、領民には何の関係もないじゃありませんの!」

 

「…… そうだ。しかももっと悪いことがある。自分が当事者でない貴族でも、派閥に属していれば復讐の助太刀とかいう名目でしゃしゃり出てくるものだからな」

「そんな、馬鹿な」

「残念だが、たぶん手続きを踏んでから動く帝国軍より、貴族の動きの方が早くなるだろう。策を取れるとすれば、下手な貴族が出張るまえに占領して守るか。あるいは大貴族の方に軍事顧問として抑えの効く人間を付けるか、しかし無理だろう」

「抑えの効く人間といっても…… 大貴族が言うことを聞くような人間なんてそうそういるわけが…… あ、ミュッケンベルガ―元帥がいれば抑えが効くと思いますわ!」

「令嬢、貴族の復讐に帝国元帥が立ち会うことなど、後の政治的な問題もある。とうてい非現実だろうな」

 

 わたしはここで決める。いや、決めざるを得ない。

 

「それでは仕方ありません。ランズベルク艦隊でわたしが参ります! 復讐という名分で言えば、わたしこそ行くべき一番の権利がありますので。そして貴族の横暴を止めます」

 

 ラインハルトもキルヒアイスも驚かざるを得ない。この伯爵令嬢はそこまでするのか、顔も知らぬ領民のために。この決意は何だ。

 

「伯爵令嬢、お体のこともあります。無理なさらずとも」「そうだ、令嬢はここで休んでいた方がいい」

 

「いいえ! わたしは死んだわけじゃありません。しかし、これから非もないのに死ぬ人間が出てくるのでは行かないわけにはまいりません。わたしは何としてもクロプシュトック領民を守ります」

「令嬢の言う、人を大事に、か」

「そうでございます。心配なら、ラインハルト様も軍事顧問として一緒に来て下さいませ」

 

 ラインハルトもキルヒアイスも黙り込む。様々なことを考え、しかし口に出さない。この場はそれで終わった。

 

 

 

 さて、わたしは傷が治りかけると、直ちにランズベルク艦隊に出動を命じた。

 当初、そんなに大規模にはしないつもりだった。まさかクロプシュトック侯の艦隊と戦うのではなく、貴族たちの領地占領を人道的になるよう横から監視するだけなのだから。

 しかし、結果として旧ヘルクスハイマー艦艇も含め、何と五千隻を超える大艦隊になった。

 なぜかみんな付いてきたというのが本当である。

 

 もちろん、当たり前だが最初はみんな反対した。

 

「伯爵令嬢自ら行く必要はありますまい!」

「ごゆっくりされたらよろしいのです。恒星間飛行は傷にさわりますので」

「ふん、子供じゃなくなったら今度は怪我人か。いつになったらお守りせずにいられるのか」

 

 ええい、うるさい!!

 

「最大の怪我人たるわたしが行かなければ、貴族が納得しないでしょう。直接言ってきかせなければ抑えられません」

 

 それは確かに言う通りで、貴族たちに物が言えるのは、直接の大義名分を持つものだけなのである。。

 さて、行くと決めたら、誰がついていくか。

 これもまた全員が手をあげた。誰もが令嬢と出陣したがった。結果として規模が大きくなってしまったのである。

 

 

 先の戦いの後でランズベルク艦隊は編成をし直している。

 ファーレンハイトには旧ヘルクスハイマー艦隊から千隻を割いて指揮をさせることにした。

 同様にルッツ、メックリンガーにも千隻の艦隊をそれぞれ任せた。

 ビューローとベルゲングリューンには約五百隻だ。

 その他にもヘルクスハイマー領にある艦艇工場から出る新造艦、あるいは近隣貴族から急ピッチで買い集めた艦艇を順次補充し、数を増やしていった。

 

 カロリーナの度を越えた艦隊造りは貴族の間で奇異の目で見られている。もはやランズベルク領に相応しい規模をはるか超え、維持経費は明らかに過大な赤字、仮にこの先傭兵業をするにしても博打のようなものではないか。

 

 人の噂では、伯爵令嬢が実際の艦隊戦で勝っているので、調子に乗っていると思われている。

 あるいはそれより好意的な意見であっても、伯爵令嬢は戦いで幾度も恐ろしい目に遭い、それがトラウマになって病的に戦力を欲している、可哀想な人間になってしまったと。

 いずれも実際とは違う。誰が頭の可哀想な令嬢なのよ!

 

 

 

 わたしが最小限立てるようになってから進発した。

 直後、帝国軍からこのランズベルク艦隊に今回だけの臨時軍事顧問二人が合流してきた!

 

 何と、ラインハルトとキルヒアイスである!!

 

 まさか本当になろうとは! 冗談で言ったのに。

 どうやらわたしがそう要求して、それを引き受けたいとラインハルトが軍に押し通したらしいのだ。自分も是非そうしたいと。

 どういう風の吹き回しだろう。ラインハルトはお礼のつもりなのか。

 

 わたしはそれ以上気が回らなかったが、お礼という意味だけではなかった。

 ラインハルトの方では伯爵令嬢の艦隊指揮に興味があった。それに叛徒と戦闘がない時は、退屈より何かをしていたい性分なのだ。

 

 しかしまあ、こんな事態があっていいものだろうか。あの英雄ラインハルトとわたしが一緒にいて、しかも味方同士であるなんて。あの日のお茶会以降の親交がこんな形にまでなった……

 あえて言えば、わたしの菓子作りが全ての遠因になったようなものだ。それがなければこんなことにはならなかったし、その趣味は凄い影響になったものだ。

 

 

 わたしは落ち着かない。なんか緊張してしまう。

 艦橋ではなく、療養と称して部屋で寝ていることが多かった。

 そこへラインハルトは空気も読まずに見舞いに来る。

 

「伯爵令嬢、傷はどうだろうか。……食の方はしっかり進んでるようだが」

 

 くっ、言葉だけ聞いたらまるでファーレンハイトの憎まれ口ではないか!

 しかしラインハルトはファーレンハイトとは違い、真面目に言っているのだが、しかしそれならいいとも言えない。

 

「お気遣いなきよう、ラインハルト様。クロプシュトック領に着くころにはしっかり治っております」

 

 はたと気づいた。

 あれ、ラインハルトはわたしのことを伯爵令嬢と呼んでる!

 確か、ヒルデガルト・フォン・マリーンドルフのことはフロイライン、と呼んでいるのではなかったか。同じ伯爵令嬢なのに。微妙なところで気になる。

 実際はラインハルトにとって特に意味などなかったのだが。

 

 クロプシュトック領に入って間もなく、艦隊に驚くべき情報が入った。

 

 ブラウンシュバイク公の艦隊が負けている! 領地を守るクロプシュトック艦隊に。

 ブラウンシュバイク公とそれに連なる貴族は三万隻という大艦隊で攻め寄せているのだが、それに対してクロプシュトック側は八千隻足らずしかない。クロプシュトック侯は名門中の名門で領地も豊かで広大。しかしあまり武門という家ではなく、軍事には力を入れていなかったはずだ。

 それなのに三万隻の方が負けている。

 

 詳細を知るとさもありなんという感じだった。

 数に任せて襲い掛かったブラウンシュバイク公の連合に、クロプシュトック艦隊はいったん防御してから鋭い逆撃を仕掛けた。

 すると、まるで砂の城のように三万隻のブラウンシュバイク艦隊の側が崩れ去ってしまう。

 

 理由は明らかだった。

 ブラウンシュバイク公の本隊はともかく、くっついてきた他の貴族の艦隊は豊かな領地を思う存分荒らしまわるつもりで来ていた。つまり勝ち馬に乗りたいだけだ。

 戦って危ない目に会うためではない。

 戦うつもりがないのだから、たいていの艦は敵艦が迫ると近くの味方に放り投げて逃げ惑う始末であった。それにブラウンシュバイク公の本隊も巻き込まれてしまい、本隊としても邪魔だからといって排除もできず非常に戦いにくくなっている。逃げ散ったり壊滅したりしないのは単に数が多いからだけである。

 

 

 クロプシュトック艦隊の気持ちはよく分かる。

 

 領地惑星の住民を守るために必死なのだ。そして以前のヘルクスハイマー艦隊と違うのは、積極的に戦う気概があった。

 それにも理由があるのだろう。

 おそらく、主君であるクロプシュトック家がブラウンシュバイク公を憎く思っているのと感情を共通させている。

 ただし悲しいことがある。どこまで抵抗したとしても無意味に終わるのだ。ブラウンシュバイク公艦隊の数の暴力にいずれは屈するというだけではなく、帝国政府もクロプシュトック側に非があると断じ、いずれ懲罰を図るだろうから。

 

 わたしはクロプシュトック艦隊を破る気になった。

 ここでいち早くクロプシュトック艦隊を破れば、発言力が増して領民保護にも有利になるに違いない。

 

「ブラウンシュバイク公の艦隊に通信お願いします。クロプシュトック艦隊は、わがランズベルク艦隊が破ります。安んじてお任せあれ、と」

 

 そしてわたしは主だった面々を集めて会議を開いた。

 

「方針を考えました。包囲する策はこの際採りません。こちらは五千、向こうは八千、向こうの方が数が多いのだし、窮鼠猫を噛むということもあります。まとまって突進してこられたら包囲が破られてかえって混戦になります。そこで通常通り、先ずは正面決戦をとります。距離を保ちながら前進と後退を繰り返して向こうの前面部隊を引きずり出し、隊列を延ばせるだけ延ばします。それが上手くいけば高速で別動隊を進発させ、大きく迂回して側腹から横撃、崩したら全面攻勢に出て決着を付けるのです。オーソドックスといえばそうですが、駆け引きの巧さなら負けないでしょう」

 

 他に誰も発言せず、黙ってその作戦説明が終わるのを待つ。それはいつものランズベルク艦隊のやり方だ。

 

「しかしながら向こうがあくまで隊形を崩さず防御中心であった場合が困難です。ブラウンシュバイク公の艦隊と戦うことを予定し、艦の損耗を防ぐのを第一にするかもしれません。その場合は順次艦の交代を図りながら、適切な距離を保って間断ない攻撃を繰り返します。向こうを物心両面から疲弊させるためです。回復力のないと知っている向こうは消耗戦で宇宙の塵になることを選ぶはずがありません。ならばいずれかの時点で逃亡するか自滅するかと思います。ここまでわたしが話しましたが、意見はありませんか」

 

 

 ラインハルトは余りの意外さに驚くほかない!

 

 てっきり伯爵令嬢は皆の意見を聞いた上で一番いい意見を採る調整型の指揮官だと思っていたからだ。あくまで周りにアイデア豊富な者がいて、それを上手に取り入れているものだと。

 しかし実際は全く違う。

 今の令嬢の姿は、自分が先ず卓越した意見を提示した上で補完を図るというまるでラインハルトのような型であった。

 

 そして言っている作戦案について異議はない。

 ラインハルトにすれば平凡に近い策ではある。しかしけれん味はなく、まずまず順当だろう。無能者揃いの帝国軍や叛徒の将に比べれば伯爵令嬢はかなり良将の部類に入るのは間違いない。

 キルヒアイスの方を見やり、同じ考えであることを目を合わせて確かめた。

 

 ここでルッツが手を挙げた。

 

「作戦全体について、まったく異議はございません。ただし最初の配置が特に要になると推察します。我々の配置についてお考えがあればお聞かせ願いたく存じます」

「ルッツ様の懸念についてお話しします。今回の作戦はどちらかと言えば防御が課題になります。数では多い向こうに撃ち減らされないよう高度な防御が求められます。それに、先ほどブラウンシュバイク公の艦隊と戦った向こうは少なからず疲弊し、それで限界点が来る前、逆に無理な突進をしかけてくるやもしれません。そこで、初めに旗艦にほぼ全員が残って効果的な防御の指示を出します」

「なるほどそうですか、カロリーナ様」

「ファーレンハイト様とビューロー様だけは最初からそれぞれ自分の艦隊にて個別に対処して下さい。敵に乱れが生じればその艦隊で攻勢に出ます。もう一つ、メックリンガー様には戦いと違った役割をしてもらいます」

「ん、その役割とは、令嬢」

 

 急にメックリンガーの方へ話を振られた。戦い以外の役割とはいったい何だろうか。

 

「メックリンガー様は戦いの最中ブラウンシュバイク公の艦隊に注意して下さい。もしも万が一、こちらの戦いを横目にブラウンシュバイク公が惑星に降下を始めるようならすばやくそちらへ赴いて下さい。領民とそれから美術品の保護をお願いします。クロプシュトック侯は古くからの大貴族、蓄えた美術品の数は膨大なものと聞いております。美術品の保護はそれぞれの価値の分かるメックリンガー様にしかできません」

「承知いたしました! 伯爵令嬢、美術品のことまでお考え下さるとはありがたい!」

 

 なるほど伯爵令嬢は戦いだけ頭にあるのではない。人類の尊い遺産である美術の価値を分かっている。メックリンガーにこそ新鮮な驚きになる。

 作戦会議はこうして終わった。

 

 

 

 なるほどクロプシュトック艦隊との戦いは想定通りオーソドックスな形で始まった。

 正面からの長距離砲の打ち合いである。

 こちらがわざと崩れてみせたり、退いてみせたりしたが、クロプシュトック側は決して乗ってこなかった。

 再三繰り返しても突出してくることはない。陣形が延びることもなかった。

 意外に長い時間我慢比べが続く。

 こちらは損失艦数のカウントが上がらないように細心の注意を払いながら地味な撃ち合いを続けざるをえなかった。

 

 本格的な持久戦に備えて前衛と後衛の組み換えを図った。

 その瞬間、仕掛けられた!

 クロプシュトック艦隊の後衛から二つの部隊が別れ、高速で左右を迂回するよう進撃してきた。おそらく、連携してこちらを翻弄しながら、頃合いを見て突入してくるつもりだろう。ここだけ見ると、まるで以前ヘルクスハイマー艦隊を破ったやり方の鏡写しのようなものだ。

 

「向こうの別動隊の進路にいる艦は急速退避、弾幕を張ることに徹して下さい。当てる必要はありません。目くらましだと思って盛大に撃って下さい。そして前面の隊に注目、必ず別動隊に呼応して攻勢に出るはずです。もっと距離をとって備えるように」

 

 急に忙しくなる。敵は油断させて仕掛けてきた。最初から持久戦のつもりなどなかったらしい。ルッツやメックリンガー、ベルゲングリューンが防御の細かい指示を出す。ランズベルク側にはこれだけ有能な士官がいる。崩れたり、艦列に隙間が空いたりする心配はない。

 

「ファーレンハイト様、ビューロー様、今のうちに艦隊を高速機動用に編成して下さい。終わったらそのまま指示するまで待機を」

 

 すると前面の敵が一気に攻勢を強めてきた。戦機と見なしているのだ。

 

「斉射をかけて足止めしたら後退、距離を取りなおしてください。敵を押し戻す必要はありません」

 

 実行は決して簡単なことではないが、なんとかやり切る。

 各艦の速度を考えながら調整し、取り残される艦がないようにきれいに退かなくてはならない。むろん余力のある艦は攻撃の弾幕で敵の攻勢を鈍らせる。

 

「艦隊中央部にわざと隙間をつくって向こうの別動隊を誘い込んで突入させます。艦隊運動の方、よろしくお願いします」

 

 陣形が乱れて隙間ができたかのように偽装した。クロプシュトックの別働部隊は弾幕の目くらましにうんざりしていたところなのか、そこへ突入の進路をとった。

 

「今です! ファーレンハイト様、ビューロー様は敵の別働部隊を高速で追尾、徹底して後方から撃ち減らして下さい」

 

 突入してきた二つのクロプシュトック別動隊の最後尾にそれぞれファーレンハイトとビューローの部隊が食らいついた。敵の別働部隊も高速で進撃していたが、弾幕を考慮して進路をいちいち決めなくてはならない分だけスピードは鈍る。執拗に後方から追尾しつつ撃ち減らす。突入部隊はついに艦隊を維持できない数にまで減らされ、逃走を図るも、しかしその時にはもはや脱出できる隙間は残されていない。それでは降伏しか道がない。

 

 それが片付いたとみるや、ランズベルク側は全艦隊で一気に逆撃に転じた。攻勢を強めながらひたすら前進する。クロプシュトック側は弾薬やミサイルが枯渇寸前で行動限界点に近かった。我慢比べで消耗し、望みをかけた突入部隊が壊滅した時点でもう対抗はできない。

 

 勝負はついたように見えた。

 押しまくるランズベルク側が明らかに有利、クロプシュトック側が瓦解するのも間近になる。更にダメ押しとしてファーレンハイトとビューローの部隊に側面を迂回して突進し、敵艦隊に横撃を加えるよう指示した。

 あともう少しで終わるはず。

 しかし、クロプシュトック艦隊に微妙な動きがあった。高速戦艦を各所から集めつつ、何処かへ紛れこませている。注視していなければわからないほど巧妙に。

 

 わたしはそこにやっと気付く。

 クロプシュトック側は別動隊を実は三つ用意していた。むしろ目立つ最初の二つが陽動だったのかもしれない。これが情勢を一気に逆転する、勝負を賭けた一手だ。

 

 

 

「俯角30度に火線を集中!」

 

 艦橋に澄んだ声が響く。

 

 各将皆驚いて声の主を振り返る。

 もちろん、わたしもだ。

 ラインハルトが立って指先を下に向けていた!

 

 間髪おかず、わたしも叫ぶ。

 

「その位置へ全艦で集中攻撃、急いで! 向こうの決定戦力が動く前に!」

 

 こちらの各艦は命令通りに攻撃した。すぐさま向こうの艦列の中、爆散していく艦が次々とスクリーンに映し出される。そこは隠された三つめの別動隊の集結ポイントだった。

 気付かれないよう、最初からまとまっているのではなく、一気に集結ポイントで形を成してから突撃する手筈だったのだろう。おそらく最後の別動隊の目標は最短でこちらの旗艦だ。敵は旗艦さえ倒せば、と思っていたに相違ない。事実そうなのだから。

 

「集結ポイントを充分叩いたら、そこに移動する動きを見せていた敵艦を狙って逃すな。おそらくそれが敵の切り札の高性能艦だ」

「そうして下さい。それと、この旗艦周囲の策敵の強化も。隠れて揚陸艦の突撃がありえます」

 

 ラインハルトの声と私の声が交差する。

 

 戦いは、クロプシュトックの最後の別動隊を片付けてからほどなく集結した。勝負あったと見て降伏してきたのだ。

 またしてもランズベルク艦隊は勝った。

 一般将兵はまた戦勝の喜びに沸き返っている。ただしそれは旗艦艦橋にまで及んでいない。それどころかいつもよりも静まり返っているくらいだ。それは、戦勝よりも、ただ一人の凄さを解釈するのに忙しいからだった。

 

 

 天才だ。この金髪の若者は。

 

 全員がその理解を共有した。わたしも無論そう思った。いや、前から知っていたのをこの場で確認できた。

 第三の別動隊を作ろうとする動きまではわたしも気付いていたこと。

 しかし、その集結ポイントなどわからない。さすがにそこまでは。

 

 しかし、既にラインハルトはこちらの旗艦を狙うのに最適な攻撃ルートを完璧に相手の立場で計算したのだろう。

 自軍のことをそこまで客観視などできることではない!

 しかも艦隊は常に動いているのだ。その計算は驚くほど速いと推察できた。

 ラインハルトは計算と勘を基に、相手別動隊のコースを鮮やかに思い浮かべたに違いない。その企みを完璧に打ち砕くために起点を叩く、そこまで可能にしてみせた。

 

 わたしは痛烈に思い知る……

 ラインハルトと戦うことなど考えるだけ無意味だ。天才と凡人には巨大な落差がある。

 次元が違う。もはや脱力感しかない。

 これに勝てるといえば、そう、ヤン・ウェンリーぐらいしか考えられない。

 

 

 ラインハルトはラインハルトで別な感想をもった。

 戦闘指揮をずっと観察していたが、伯爵令嬢は智と勇を兼ね備え、判断は見事なまで合理的で、しかも早い。今回敵の打つ手を完璧に返しきって勝った。

 オーソドックスな戦理も、その場のアイデアのどちらも素晴らしいものだ。

 最後の敵の別動隊のことも伯爵令嬢は見事に見抜いていた。集結ポイントのこともいずれは自分でわかったに違いない。

 

 戦いが始まるときには良将レベルだと思っていたが、今は帝国軍全てを見渡しても比肩するものが見当たらない。

 自分とキルヒアイス以外には。

 この伯爵令嬢についての理解はキルヒアイスもきっと同じだ。言葉にする必要もない。

 

 

 

 



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第二十七話486年 4月 地上の共闘

 

 

 一息ついて改めてスクリーンを見ると、ランズベルク艦隊から一部隊が分離していくのが見えるではないか。

 ほどなく通信が入ってきた。

 

「メックリンガーです。連絡の方が遅くなって申しわけありません。戦闘途中にブラウンシュバイク公の艦隊がクロプシュトック領惑星に向かっているのが見えましたので、急ぎ追っている次第です。ですが先回りには無理で、おそらく三時間ほど遅れて惑星表面に到達できるでしょう」

「メックリンガー様。お願いします。急ぎ領民と美術品の保護を。狼藉をはたらく貴族には実力を行使して構いません」

 

 ここでわたしは艦橋を見渡して言った。急いでメックリンガーの応援に向かわねばならない。

 

「わたしも惑星に向かいます。ルッツ様、共に来て下さい。その射撃の腕が無用になればよいのですが。他の方々はここで帰りを待っていて下さい。今さらクロプシュトック艦隊にもしもブラウンシュバイク公の艦隊が接近してくることがあれば、クロプシュトック艦隊を保護して下さい。もう戦いは終わったのです」

 

 明らかに不服そうな声が続いた。ラインハルトだ。

 

「伯爵令嬢、軍事顧問としては最後まで同行すべきと思うのだが。それはいけないことか」

「それはダメです。ラインハルト様に万一のことがあってはいけませんから」

 

 またしてもラインハルトの危険を減らすようなことを言う。過保護にも程がある。

 

「正直不服だ。それでは何のための軍監なのか。よろしい、それではキルヒアイスだけでも同行させよう。構わないな。キルヒアイスは射撃の腕なら俺よりも確かだ」

 

 何とキルヒアイスが惑星表面まで同行することになった。

 

 

 降下前にクロプシュトック艦隊に通信を入れておく。

 

「クロプシュトック領艦隊の勇戦に敬意を表します。救護物資の必要があれば遠慮なくおっしゃって下さい。それと、ブラウンシュバイク公の艦隊が復讐を考えるかもしれませんが、そうなればランズベルク艦隊が保護いたします」

 

 実際、幾度もブラウンシュバイク公にくっついて来た弱小貴族の艦隊が接近してちょっかいをかけてきた。それらをランズベルク艦隊が実力をもって追い払った。むろん、ランズベルク艦隊が本気だと分かるとそれ以上は来なくなった。

 クロプシュトック艦隊は驚く。

 今しがた敵味方として激しく戦ったばかりではないか。それなのに人道的な保護を考えてくれるとは、普通には考えられない。これにはランズベルク艦隊に心から感動してしまう。

 

 

 一方、わたしは惑星表面に降り立ったが、すぐにはメックリンガーと合流できなかった。

 それどころではなかったのである。

 地上はまさに分捕り合戦、無法地帯と化していた。

 略奪を止めに来つもりだったのだが直ぐに諦めた。あまりの惨状、どの貴族もその従者でさえも略奪に血眼だった。人間は何をしてもよいとなれば、ここまでのことができるのか。

 せめて直接的な暴力の阻止だけは止めよう。

 ラインハルトを連れてこなくてよかった。連れてきたら余計に貴族嫌いがひどくなるのは確実だわ。

 

 獲物を前にした貴族に言葉は通用せず、その時はルッツとキルヒアイスの威嚇射撃がたいそう役に立った。

 

 二人の神業のような威嚇である。

 貴族の手にしたブレスレットの中を射抜いたり、貴族の長髪の先だけを射たりした。

 略奪に酔っている貴族も命の危険を理解すると我に返った。

 それでも危ない場面もある。

 

 

「こげ茶色の小娘、リッテンハイムの犬めが!」

 

 いきなりわたしに撃ってこられたこともあった。

 

「ふん、気のきかないセリフだわ」

 

 などと言い返してやればカッコもついたかもしれないが、実際はまるで違った。

 わたしは青くなってへたりこむだけであった。

 ううう、怖い。チビったかもしれない。

 ルッツが最大限素早い動作で保護に入る。キルヒアイスがブラスターを持った相手の手を正確に打ち抜く。二人がいてよかった。

 

 結局、自分は足手まといにしかならなかった気がする。

 ルッツは途中から旧式の火薬式銃を使った。反動が大きい分だけ命中精度は劣るのだが、その音と迫力は威嚇として充分な威力を発揮した。キルヒアイスが興味深そうに見る。

 キルヒアイスもやっぱりそういう物に興味あるのね。

 あれ、よくわかんないけどここで友好を深められたら、せっかくここまで人材収集したのにラインハルトに持ってかれる? いやそれは邪推かも。

 

 キルヒアイスがシャンデリアのコードを狙って見事撃ち落とすのを最後にほぼ貴族たちの狂騒は収まった。見える限りは。しかし、他の場所は? メックリンガーは?

 

 

 わたしはいったん艦内に戻った。

 早速着替えようとして歩き始めたところ、ルッツがそっと耳打ちした。

 

「伯爵令嬢、すぐにお召し換えいたしましょう。用意させております」

 

 単に艦に戻ったから着替えるというには非常に切迫した声の調子だ。

 あ、ルッツに分かられている!

 もちろんチビってしまったことを。

 ルッツは皆に言わないと思うけど。キルヒアイスはたぶん知らない、よね。

 

 しばらくの後、メックリンガーから連絡が入った。

 

「ご報告します。尽力いたしましたが貴族どもの乱暴狼藉を止めるまで至らず、せっかくの伯爵令嬢の命でありますのに、その任を果たせず、真に申しわけございません」

「メックリンガー様が充分働いてくれたことはわかっています。こちらでも努力したのですが、食い止めることはできませんでした。ところで美術品はどうなりました?」

「美術品は幸いにも守れました。貴族どもは本物とレプリカの区別もつかなかったようです。見たら分かりそうなものなのに」

 

 いやいや、それあなただけですから!!

 普通の人にはわからないでしょうよ。

 

「それでわざとレプリカを目立つ場所に置いたら、よろこんでそれを持っていきました」

「さ、さすがです。メックリンガー様」

「伯爵令嬢、しかし悪い話を聞きました。ブラウンシュバイク公につけられた帝国軍軍事顧問であるミッターマイヤー少将が貴族の狼藉を止めようとした際、コルプト子爵の弟を射殺したそうです。それでかえって少将が収監されたらしく」

「え…… 」

 

 ああ、やっぱりそうなってしまったのか。向こうにはミッターマイヤーがいて、その正義感ゆえにピンチに陥る。

 

 そうこうするうちにブラウンシュバイク公から通信が入った。ちょうどいい。

 

「ランズベルク伯爵令嬢、そちらも復讐に来たのか。どちらかといえばこちらと共に来た貴族の邪魔をしているような報告を受けておるが…… まあいい。そんなことより、先日の事件では我がエリザベートを守ってくれて感謝しておる。伯爵令嬢は遺恨を残さないのだな」

「ブラウンシュバイク公爵様。そう仰って頂いて光栄に存じます。ですがわたしは自分の復讐に来たのではございません。クロプシュトックの領民を守るためにでございます。ブラウンシュバイク公、ぜひ領民に対する狼藉をやめるように貴族たちにお声をいただきとうございます」

「ふむ、領民、領民、またもや領民のことか。だが儂に付き従ってきた貴族たちにそう言ってやることはできん。復讐をなすことは貴族としての誇りであり権利である」

「クロプシュトック侯への復讐とその領民に対する略奪とは別でございます!」

 

 これは平行線だ。

 良い悪いで言えば、もちろんわたしは自分が正しいと思っている。

 しかしブラウンシュバイク公はまた別の価値観で育った。公は傲慢な帝国貴族の考えに染まり切っているが、今まで他の価値観に触れたこともなく考える必要もなかったからだろう。

 

「ではせめて軍事顧問のミッターマイヤー少将を解き放って下さい! 軍事顧問として騒乱を鎮めるためにした処置で捕らわれているのでございます」

「そのことは聞いている。頭の痛いことだが、それもまたコルプト家の問題でもある。貴族を平民が殺したとなればそれだけで正当な理由になろう。まあ経緯が経緯、儂も言って聞かせよう。すぐに復讐で殺させはしない。正当な手続きを踏まない限り」

 

 ブラウンシュバイク公は態度を少し軟化させた。これ以上は無理、よしとするしかない。

 

「ところでランズベルク伯爵令嬢、そちらも手ぶらで帰ることはあるまい。この領地で得たものはあるか」

「略奪をしにきたわけではないと先ほど申し上げたつもりですが」

 

「そう怒るな。伯爵令嬢。ではせめてクロプシュトックの艦隊でも持っていくか。帝国政府がこの領地を接収すれば、貴族私領艦隊であるその艦隊は当然廃棄処分になる。私領艦隊など帝国軍には不要のものだからな。まあ、余り物になれば儂がもらうつもりでおったが、令嬢は艦隊を整えるのが趣味だと聞いている」

「艦隊欲しさにここへきたのでもありません。ですが、ブラウンシュバイク公のお許しを頂けるというなら、艦隊の半数でも頂いて帰ります」

 

 ブラウンシュバイク公は悪いようにはしないつもりだ。たぶん、エリザベートを守ったことでわたしがリッテンハイム派閥でないと認識し、ならば宥和するのも得策と思っているのかもしれない。

 それならわたしも意地を張るべきでなく、ブラウンシュバイク公の顔が立つようにした方がいい。

 

 

 そしてわたしはクロプシュトック領惑星を後にする。クロプシュトック艦隊の半数、とはいえ先の戦闘で破損した艦艇も多かったが、その中で状態の良い三千隻あまりを選んで連れて帰った。

 その艦艇選びにはクロプシュトック艦隊はとても協力的だった。

 戦いの後、艦隊だけではなく、領民もランズベルク側が保護してくれたのを知っていたからだ。

 特に惑星表面へわたしが自ら降り立って尽力してくれたことを見た。領主クロプシュトックのために受けた傷も癒えないうちに。こんな令嬢がいようか! むしろ、カロリーナ艦隊に加えられる方の艦艇がうらやましがられた。

 

 

 一連の出来事の後、無事ランズベルク領内に帰投した。

 ラインハルトとキルヒアイスはこれで臨時軍監の任を終えて帝国軍に戻っていった。引き留めるのはあまりに無駄というものだろう。

 

「いろいろとありがとうございます。本当に助かりました」

「こちらこそ勉強になった。伯爵令嬢。菓子を作るばかりの令嬢ではなかったのだな」

 

「カロリーナ様、次はアンネローゼ様と一緒にお菓子を食べながらゆっくりお話ししましょう。ラインハルト様はアイスモナカも好物でございます」

「ばか、話が主で、菓子などついでに過ぎん。キルヒアイス」

「お二方共、またお会いするのが楽しみでございます。皆でまたお茶会をしましょう」

 

 本当に切実にそう思う。

 平和に、楽しく、皆がそうあればいい。

 

 わたしは平和の使者になりたいのだ。

 

 

 後日聞いたことには、ミッターマイヤーの件についてロイエンタールがラインハルトの方に救済を頼んでそちらの手で助けられたことを。

 

「どのみちブラウンシュバイク公は殺す気がなかったのにね。でも、双璧はやっぱりラインハルトの方に行ったんだわ。こちらから接近すれば来たかしら」

 

 いいや、そんな気はしない。ロイエンタールには多分に、ミッターマイヤーにもほんの少々の野心があるからだ。ラインハルトの側に行ったのもわかる。

 

 

 ランズベルク領私領艦隊、この頃からその実態を反映し、カロリーナ艦隊と言われる方が多くなる。

 そしてこのカロリーナ艦隊にいるものは皆出世欲がない。

 特に、ラインハルトとキルヒアイスに代わって次に来た軍事顧問は、極めつけに欲がなく清廉な人格を持った有能な人物だ。

 今回もミュッケンベルガーの根回しとわたしの説得が功を奏した。

 

 そのやってきた人物とは、ウルリッヒ・ケスラーだった。

 

 

 

 

 



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第二十八話487年 5月 ありえない作戦

 

 

 わたしは主に貴族同士のやりとりに関わり合ってきた。好きでそうしたのではないが、やむにやまれずそうしている。

 もちろん時の流れは常に意識している。

 

 いずれ、大きな流れが巻き起こるのだ。

 人類社会全ての者が、それに加わり、あるいは押し流され、運命を変えられてしまう。

 

 

 それに関わる不気味な胎動がある。銀河帝国と自由惑星同盟の戦いが加速度的にエスカレートし、恐ろしいほど終末に向かって歩を速めている。

 宇宙は既に動乱期にあった。

 150年も銀河帝国と自由惑星同盟は軍事衝突を繰り返してきたが、以前は小競り合いがほとんどだったはずだ。

 今までは、敵味方多くの犠牲を出す大会戦はそれこそ5年や10年に一回程度だけ、それ以外は大した戦乱はなかった。全く衝突のない年さえあったというのに。しかしその間隔が短くなってきている。

 

 銀河帝国は貴族社会の爛熟という危機に、一方の自由惑星同盟は民主政治の堕落という危機にあった。

 それが、あたかも熟れた果物が木から落ちるかのような頃合いになっていたのだ。

 

 

 大規模な戦いが相次ぐ中、ラインハルトはより高い地位に上っていった。

 しかし、わたしは気づいたことがある。詳細を見ると知っている戦いの様相とは違う点があるのだ。

 大勢において決定的に変わるわけではないが、少しづつ。

 レグニッツァの戦いではパエッタ中将の艦隊が壊滅ではなく単なる撤退になっている。

 続く第四次ティアマト会戦では、敵前を突っ切るラインハルト左翼艦隊が無傷では済まず、砲撃を受けて多少の打撃をこうむっている。結果、同盟軍の陽動作戦が不完全ながら功を奏した。やはり同盟軍は敗北したとはいえ、損害は半分以下で済んだ。

 

 そして例のアスターテ会戦である。同盟軍が動員した三個艦隊のうち、早くにパストーレ中将の第四艦隊がラインハルトに破られた。

 しかしその後、ラインハルトが第六艦隊と戦端を開く前に第二艦隊が駆けつけて合流に成功したのだ。ラインハルトはそれでもかまわずに戦いを仕掛けた。数で帝国軍が劣ることになり、しかも無能な部下がいるにもかかわらず、ラインハルトの天才は互角の戦いをしてのける。やがてラインハルトは無理を感じ、勝ち逃げに転じた。

 その結果同盟の損害は一個艦隊以内に止まった。

 

 

 ヤンだわ!

 

 つまりこれらは全てヤン・ウェンリーが少し戦いに積極的にかかわっているのが原因だ。そう考えたらすべて説明がついてしまう。上司のパエッタ中将が無視できないくらいヤンが強く進言したのだろう。

 なぜだろう。

 それはわからない。

 しかし、実はそうなる確かな事情があったのだ。

 ヤンの側で、カロリーナ・フォン・ランズベルク伯爵令嬢の戦いの詳報を得て考えるところがあったのだ。ヤンは最初は戦術に興味をもった。とても面白い戦術だと思ったのである。しかしやがてカロリーナ自体に興味を持ち、情報を積極的に集めている。

 貴族令嬢が艦隊に関わるとは驚きなのに、しかもその理由というのが余りに衝撃的だった。民の保護だ。民衆を思っての戦いだ。

 これはヤンにとって痛烈なアンチテーゼになった。

 現実、帝国の貴族にもそのようなものがいる。一方で自由の国、自由惑星同盟はどうだろうか。

 政治家は腐敗し、票を取るための無益な戦役を繰り返している。そして軍は民の保護という軍隊の最も崇高な意義を捨てたようだ。ただ自分の出世と派閥のために戦っている。

 

 ヤンは自分も少しばかりは勤勉になって役割をもっと果たそうという気になった、それが上司である艦隊指揮官パエッタ中将に進言を強くした理由である。

 

 

 わたしはわたしで、ちょっと別のことを夢想してしまった。

 

 同盟がそれほど弱体化しなかったとすればあるいはラインハルトによる貴族の討伐は実現しないんじゃないの。そしてリップシュタットの悲劇は避けられるのでは。もちろん帝国の有様をこのままにしていいというわけではないが、ゆっくり改革する道はないものか。

 

 それには同盟軍のアムリッツァの壊滅的敗北がなければいいのに。

 それだけなのだ。

 あれのために同盟は帝国に対しもはや対抗できなくなった。戦力において決定的に均衡が崩れ、もはや対等な勢力ではなくなり、自由惑星同盟は早いか遅いかの違いだけ、やがて滅びる運命に定まった。

 

 アムリッツァを防ぐ。つまり帝国領侵攻作戦をさせないためには、とどのつまりはイゼルローンが同盟の手に渡らなければいい。そうすれば同盟は帝国領に出ることはなく大敗北もない。

 ヤンがイゼルローン要塞を奪取するのを防ぐよう動くべきか。それには実はわたしでもできる方法がある。ミュッケンベルガー元帥を通してわずかな修正を加えればいい。わずかな齟齬でヤンの作戦は失敗するかもしれない。例えば、要塞のゼークトとシュトックハウゼンを入れ替えるとか。緊急事態でも軍籍の照合を厳格化するとか。いや、内部潜入から司令部制圧ができるという可能性を言うだけでもいいかもしれない。

 

 だが、ヤン・ウェンリーは帝国と同盟の和平を願って作戦に踏み切ったのだ。そのヤンを死なせていいわけがない。わたしにそんなことはできない。

 

 もしかして同盟がアスターテ会戦などの傷が浅く済んだので、ヤンに無謀なイゼルローン攻略を命じないかもしれない…… これが一番いいのに、と心底願った。

 

 

 ところが、願いはむなしくイゼルローンはヤンに攻略されてしまった!

 

 そして次のステップ、同盟軍による帝国領侵攻が間近に迫っていた。

 同盟軍を迎撃するのにほんの少し前に元帥になったばかりのラインハルトがその任についた。

 同盟からの侵攻に対する帝国側の作戦は焦土作戦と決まった。

 これは軍事的に極めて有効な策である。敵が大軍であればあるほど。

 距離そのものを武器として敵の兵站を延ばし、補給をままならなくして撤退へ追い込む古来からの策である。敵の予想される進路上の領地から補給物資を徴用されないよう、その星系領民からあらかじめ物資を根こそぎ奪っておく。

 が、そこに巻き込まれた住民は地獄を見る。

 敵軍が空から降下してくるだけでも恐怖なのに、その上欠乏した物資を奪い合う。でなければ死ぬしかない。

 

 

 今まで世の動きを少しばかり客観的に見過ぎていた。

 今、自分とランズベルク領が動乱に叩き込まれる。どうにもこの位置的関係は他人事では済まないのだ!

 

 今回の動乱にはぞっとする。ランズベルク領も含むイゼルローンに近い辺境星域の住民はどうなってしまうのか。

 焦土作戦とはあまりなことではないか。

 苛烈という言葉では足らない。

 作戦という名がつくからまっとうなように思えてしまうだけで、その意味するところはただの切り捨て、飢餓地獄に近い。

 

 直ちにラインハルトに直訴しようとした。

 

 しかしそれは無理だった。一介の辺境貴族は作戦行動中の帝国元帥に取り次いではもらえない。

 他の人でもいい。そう思っていろいろやってみた。なんとかキルヒアイスに取り次いでもらえたのは僥倖である。

 

「キルヒアイス様、今回、帝国では焦土作戦と決まったようですね。当家にも早急に供出すべき物資の目録が送られてきました。食料品の中には赤ちゃん用のミルクまで! この作戦は辺境星系の民衆のことを考えているものですか。いいえ民衆を飢えさせてむしろ武器に使う策でございましょう」

「伯爵令嬢、言い訳はしません。お考えの通りです」

「言わせて頂きます。軍隊というのは民衆を守るためにこそあるのではないですか。民衆をなぜこんな目にあわせようとするのですか」

 

 キルヒアイスをいじめたくなどない。こんな言い方はしたくないのだが、言うしかないのだ

 

「本当に令嬢の仰る通りです。ですがこれが最も確実に敵を破る策なのです。叛徒に勝って帝国を彼らの手から守らねばなりません。今回この策で徹底的に叛徒を叩けばしばらく平和でいられます」

「徹底的に叩くのは何のためですか。他に何かあるのでございましょう。帝国のためと仰いますが本当に帝国のためでしょうか」

 

 これもまたキルヒアイスにとって痛撃だ。

 叛徒にしばらく立ち直れない損害を与え、邪魔させない隙に帝国の貴族を一掃するのがラインハルトと考えた既定路線なのだから。

 

「キルヒアイス様を困らせたくて言うのではありません。本当です。焦土作戦を取らなくともラインハルト様の天才なら叛徒に勝つことができるでしょう。有能な提督もあまたおられますし。どうか辺境の住民を酷い目にあわせないで下さい。お願いします」

「伯爵令嬢、努力いたします」

 

 

 わたしはそれ以上キルヒアイスを追い詰めることはせず通信を切った。

 本当に努力してくれるだろう。上が決めたことだから、などと逃げ口上は一切言わなかった。

 分かり切っているが、キルヒアイスは誠実な人なのだ!

 だが、多少の手心が加わるだけで焦土作戦自体が取りやめになるとは思えない。

 わたしはランズベルク領内の物資の配給計画を綿密に練った。そして食料の生産プラントをいつでもフル生産できるよう準備を入念に行った。

 

 ついに帝国軍から発令がある。

 辺境にいる各貴族の私領艦隊の撤去を命ぜられた。

 

 貴族家はオーディンまで一時移動するようにである。私領艦隊も同様だ。しかし護衛艦、警備艇、連絡艇などの比較的小型の艦は残してもよいとのことである。

 本音が透けて見えた。

 同盟軍と貴族私領艦隊との間に大規模な衝突があったら作戦自体に齟齬をきたす。同盟軍を帝国領に深く誘い込むのが作戦に必要、途中で同盟軍に断念されては半端になり、そうなってはならない。

 そういった偶発的な戦闘が起きたりしないよう、貴族の私領艦隊を予め遠ざけておく。戦力がなければ戦闘にもならないという理屈だ。しかし逆に小競り合いくらいはあった方がいい。その方が焦土作戦を確実にできる。下手に疑問を持たれないという意味でも。

 まあ、帝国軍にとって貴族の艦艇などいくらすり潰されてかまわないのは本当だ。

 

 わたしは艦隊に食料を積み込みオーディンに出立させた。しかし本当にオーディンへ向かったものは多くない。帝国軍の命令通りに目立つ大型艦だけだ。

 比較的小型の他の艦は、急ぎ適当な輸送艦を宇宙に上げてその護衛の任という名目で随伴させ、星系近くに留め置いた。そこにファーレンハイトや主な将兵を付けている。

 

 

 次の月、果たして同盟軍はランズベルク領までやってきた。

 

 この方面を近隣星系と共に管轄したのは同盟軍第三艦隊ルフェーブル中将らしい。

 わたしはそれを予定通り無血開城で受け入れる。

 ランズベルクの屋敷や統治府の者は、初めて見る叛徒の軍、およそ生きている限り会うはずのなかった者たちに会って怯え切っていた。

 

 それを落ち着かせ、下手な抵抗をしないようにするだけで精一杯、その後同盟軍への応対に出る。

 

「これは自由惑星同盟の皆様。わたしがこの惑星を治めておりますランズベルク家のカロリーナと申します」

 

 もちろん気を使って叛徒とは言わず、丁寧なお辞儀と挨拶で出迎えた。

 思いがけずルフェーブル中将が尊大に言う。

 

「貴族のものか。おとなしく全て明け渡してもらおう。我々は貴族に虐げられた民衆を開放し、民主主義の太陽のもとに連れ出すために来た。長いこと民衆を搾取してきた貴族などは必ず罰せられる。とりあえずは各種尋問を行う。直ちにこの者を拘禁せよ」

 

 銃を抱えた大勢の兵士に前後左右全て取り囲まれる。

 そしてドレスのまま膝を折りたたみ、床に着けさせられた。これは、まるで犯罪者の逮捕のようではないの!

 ついで両手を頭の後ろに組まされ、それを用意された手錠で後ろ手のまま固定される。

 

 わたしはこの場にたった一人の見世物だ。

 あまりの屈辱に並の貴族令嬢だったら狂乱するか卒倒したろう。

 

 考えが甘かったのだ。

 

 長く帝国と戦ってきた同盟にとっては帝国貴族などいくら憎んでも足らない敵なのである。扱いが犯罪者なのも当然、民衆を弾圧した犯罪者そのものなのだから。

 いくら丁寧に出迎えようと犯罪者、戦時捕虜にも劣る存在でしかない。

 

 もはや頭が空白になる。

 

 

 

 



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第二十九話487年 5月 捕虜の令嬢

 

 

 ああ、どうしてこうなった。

 軍人でなければ捕まったりしないと思っていた。

 

 しかし、それでもまだ甘かったのだ。

 

 単に閉じ込められるものだと最初は思った。単に監視がついて自由に動けないくらいに。それは軟禁という。

 自由惑星同盟軍は帝国貴族より柔和で対話的だという思い込みが全ての間違いの発端である。同盟軍でも軍は軍、敵とみなした存在に対し、甘さも緩さもない。

 

 本格的な拘禁室に入れられて初めて現状を理解した

 つい半日前は豪華な貴族の屋敷にいたはずなのに。

 それが今はあまりに無機質で灰色の狭い部屋にいた。狭く、陰湿で、しかも鉄格子付きの。

 一枚だけ毛布のある小さくて硬いベッドと、部屋の隅に小さいトイレがある。他には装飾と言えるものは何一つない。

 ドレスは脱いで藍色の囚人服のようなものに着替えさせられた。

 アルフレット兄さんをオーディンに送っておいてよかった。たった二人の伯爵家、同じ場所にいるわけにいかない。もちろんアルフレットは残る方にと言ってきかなかった。そこを、おそらく領地領民に関する調べがあるだろうからとわたしが押し切っていた。

 

 これからどうなるのだろう?

 痛いことはないよね。きっと、たぶん。

 いきなりこんな状態になるとは、夢のようで信じられない。

 領民の混乱を防ぐため同盟軍への説明係りになろうと思って残ったのに。他の辺境貴族はみな領地をほったらかしてオーディンに避難している。

 

 確かに同盟軍は一時的に寄ったつもりではなく、恒久的に同盟領にするために来たのだ。敵とみなす帝国貴族に対し尋問というのも厳しくなるだろう。住民を虐待した事実があれば恐ろしい罰になるに違いない。

 

 

 しかしわたしには絶望しなくてよい充分な根拠があった。

 拘禁は少しのことになるはずである。そう遠くない日、帝国軍の逆襲が始まるまでの。

 

 少しのことが、本当に少しになった。たった3日もなく。

 拘禁されて3日目の夕方、妙な騒ぎが聞こえた。鉄格子の方に近づいて様子を知りたかったができなかった。足がすくんでしまうのだ。

 

 わたしは恐怖の記憶が鮮明に残っていて動けない。

 拘禁された最初の晩のことだった。硬いベッドに寝つけず、途中で起きてしまった。そして不用意にも鉄格子に近付いてしまった。

 すると、監視兵に格子越しに銃の先で体を突つかれた!

 部屋の奥へ押し戻すためなのだろうが、それは名目なのだろう。必要な力とは比べ物にならない位の勢いで、鋭く肩を突っつかれたのだ。それもわずかに避けたからそうなっただけで全く動かなければ鎖骨に入っていたはずである。

 

 銃の先は刃物ではないが、人に対する物としては充分に凶器たりえる硬さと鋭さがある。

 痛いのと急なことで唖然とし、一歩だけよろめく。そこで何と今度はみぞおちに思いっきり銃の先を入れられた。

 

 それは純粋に痛み苦しみを与えるための、何も遠慮のない力一杯の突きだ。

 

「ぁ…… ぁがぁぁ…… 」

 

 わたしは息を吐き切り、吸えることなどない。すぐに崩れ、頭から床に突っ伏して呻いた。床に打った頭の痛みがむしろ気持ちいいとさえ感じるほどみぞおちから苦しみが来て止まない。

 無様に開いた口からよだれが出る。

 悶え苦しみ、不自然なまでに曲げた首のところに第二撃が届いた。

 

 わたしは意志の力を振り絞り、懸命に転がって部屋の奥に逃げた。第三撃は足にかすっただけで済んだ。

 床に転がったまま、やっと息を吸えるようになると、その監視兵を見上げた。

 こんな、こんな無防備なわたしになぜ暴力を加えるのか。

 柔らかい人間の体になぜ酷いことをするのか。

 理不尽に対する抗議の激情を瞳に込めたつもりだ。弱弱しく負けを認めせめてもの憐れみを求める奴隷、そんな者になった気はない。

 

 しかし、わたしの瞳などより強い光がその監視兵の目にあったのだ。

 

 明らかな強い敵意である。

 同盟軍兵士として帝国を憎むよう教育されたなどという程度のものではない。たぶん同盟と帝国の戦いで、友人か、家族かが犠牲になったのかもしれない。

 こっちの方が怯んでしまう。

 

 

 

 そこから二日、つまり三日目の番だ。

 何か騒ぎが聞こえる。何かと思い、耳をそば立てる。鉄格子の方を見るが、今は監視兵はいないようだ。ゆっくりと鉄格子に近付き、廊下の方を見ても誰も。

 と思っていると遠くから人が来る。

 警戒していたわたしはぴゅっと鉄格子から離れて部屋の奥に逃げ込む。また銃で突つかれてはたまらない。その経験だけは繰り返したくない。

 やっぱり兵士が来たらしい。そして鉄格子の電磁錠を開けていくのが分かる。

 ああ、尋問の夜の部があるのか。またしてもどのくらいの時間責められるのだろう。

 尋問とは、延々と続く質問と気を一瞬も抜けない説明の繰り返し、むろん極度の疲労をもたらす。たぶん、情報を引き出すためではない。ただのいじめだ。そして疲労の余り罪状につながるような話をうっかりしゃべることを期待しているのだろう。

 

 気分はどんより暗くなる。

 泣きたい。実際に涙が出てきた。もううんざりだ。

 

 

 

「カロリーナ様、早く出られますよう」

 

 しかし、掛けられた声は違う。

 あっ、ケスラーの声だ。見ると同盟兵士服装をしたケスラーの姿だった。

 

「そう長くはごまかせません。早く抜け道の方へ」

 

 こんな建物の深部までケスラーが助けにきてくれたのだ。どうやって?

 ケスラーの案内で廊下を走り、別の小部屋に入った。その窓のない部屋の壁に、更に奥へ行ける穴が開いている。

 

「点検シャフトの一番近いところから壁を開けて侵入したのです。叛徒は建物の構造など知りませんから容易にできました」

 

 建物は統治府の一部である以上、それもそうだろう。とはいっても少なくない数の警備兵がいただろうに。さすがにケスラーだ。

 建物を抜けると用意されていた車に乗ったが、その運転席にルッツがいた。街はずれまで行き、何とそのまま森に突っ込み、手動運転に切り換えるとルッツがたいそう器用に運転して進む。

 すると森に隠された小型宇宙艇が見えた。

 わたしを含め三人は直ちに乗り込んで発進、この間わずか30分もかかってはいない。

 その時、宇宙港の方から派手な爆発音がした。たぶんこっちから目をそらすための仕掛けをしておいたというところだろう。

 

「手際がいいですわ。さすがはケスラー様、ルッツ様」

「伯爵令嬢、作戦は全てケスラー軍事顧問が立てたものにございます。令嬢救出に電光石火で行動されました」

「カロリーナ様、無事でなによりです。宇宙港はやむを得ず一部破壊せざるをえませんでした。そして、事を急ぎましたのは訳がございます。捕縛された貴族は明日にはイゼルローンに身柄を移されるとの情報を得ました。欺瞞ではござません」

「そうですか。それで無理しても…… 」

 

 そうなのか。では危なかった。確かにイゼルローン要塞まで連行されたらもうどうにもならない。最悪わたしは民衆の敵として裁判、処刑を待つばかりだったかもしれない。

 

「うかつだったのです。叛徒にとっては帝国貴族は敵そのものなのですから。わたしの考えが甘かったばかりに、お二方にも危険な目にあわせました。本当に反省しています。すみませんでした」

「無事に戻ればいいのです。カロリーナ様は領民のために残ったのです」

「そうです。むしろ領民や将兵にとって大きな励ましになるでしょう」

 

 二人は優しく労わってくれた。

 それにしてもルッツやケスラー、特にケスラーはこういう行動に長けている。もちろん艦隊指揮も水準以上と思うけど。

 わたしは自分でもつまらないと思うことを考えてしまった。

 確か、後にケスラーはマリーカ嬢というずいぶん年の離れた少女と結婚するような。ロリっ気があるはずだわ。わたしも18歳、まだ少女の範疇にまだぎりぎり入る。ひょっとしてそれで頑張ってくれた? やっぱり違うか。

 

「ですがカロリーナ様、ここからが問題でございます。叛徒の艦艇は地上ではなく主に宇宙にあります。哨戒網を突破いたしませんと」

 

 

 

 その通りだ。同盟軍艦艇が領民との軋轢を嫌って降下してこないのではない。そもそも降りることを考えて作られてはいない。

 

 ちなみに帝国軍の艦艇は地上まで降り立てるが、それは民衆の反乱を速やかに治めるためといいながら、実際のところは貴族士官が乗り換えの手間を嫌がったというのが真相である。

 それで帝国の艦は無駄に大気圏内性能まで考慮されている。

 逆に同盟軍の艦艇は宇宙での行動に特化、だから空気抵抗を考えない無骨なスタイルをしている。また艦後方のプラズマエンジンの先に長いスカートのようなガイドレーンを取り付けてエンジン性能を上げることも可能になっている。ずっと合理的な構造なのだ。乗り降りには地上からシャトルを使わねばならないという手間はあるが。

 シャトルの話ならば、もちろん宇宙に出るのにはフェザーンのような軌道エレベーターがあれば一番いいに決まっている。

 しかし同盟においては建設費の面で無理である。

 帝国においてはルドルフ大帝の像の高さを超える建築物は作ってはならないという不可思議な絶対法のため設置できない。

 

 ともあれ結果として同盟軍艦艇の方が宇宙性能で勝る下地があった。

 しかし逆に同盟軍の艦艇にはコストの面での制約がある。同盟は帝国の半分しかない人口で軍を支えねばならないため、コストカットの要求はきつく、艦体の合金などの材質面において低水準なものを用いなくてはならない。また量産性を徹底的に考慮したシンプルな設計にするのも必然である。もちろん艦隊旗艦が特別製の戦艦などという贅沢は考えてもいない。

 このため戦闘艦としてのハード的な性能はどっちもどっちのところに落ち着いている。帝国の人口と生産力が非合理的な構造を補っているともいえる。

 

 

 

 さあ、宇宙での脱出行、わたしが今後を指示する。

 

「叛徒の艦艇が宇宙空間にあることは知っています。逃げ切りましょう。先ず、真っすぐ星系の太陽へ向かって下さい。探査システムは太陽風で多少妨害されます。そればかりではなく、叛徒としたら星系の外に逃げるものとばかり思っているでしょう。星系の内側に逃げるとはあまり考えないはずで、その盲点を突きます」

「なるほど…… 確かに心理上、外に逃げるのが普通、それは盲点です」

 

「太陽に接近したら、そのぎりぎりを通り抜け、進路を変えながら加速を続けてそのまま進んで下さい。それとできたら無人艇を用意して、でたらめの方向に進ませて下さい。その無人艦は、停船信号を受けたらそのままゆっくりと停止するようにセットしておき、決して自爆させてはいけません。いちいち扉をこじ開け臨検しないといけない手間がかかったほうが時間が稼げます」

 

 ケスラーは警備や憲兵の仕事が長かった。

 艦隊戦より欺瞞工作や情報戦の面で多少長けているという自負があった。しかしこの令嬢の策では自分が叛徒側だったらきっと欺かれる。

 ケスラーもルッツも思った。

 

 この令嬢は一体なんだろう。すさまじい手ではないか。

 

 

 

 

 一行は逃げ切ることに成功し、小惑星帯に隠してあった艦隊と合流できた。

 

 カロリーナ艦隊は輸送艦の護衛の任という偽装をしていたが、途中で離れてこの場所に集結し潜伏していたのだ。

 その数、五千隻あまり。

 しかし帝国軍の指令に従って戦艦に類する大型艦は入っていない。それは遠くオーディンに送ってしまった。つまり、数ではそこそこ多くとも大型艦の防御力や火力にはとうてい対抗できない戦力に過ぎない。

 

 それを百も承知でわたしは皆に言ってのけた。

 

「そろそろ叛徒は物資が欠乏して限界がきます。でもそうなると逆に領民に被害が及んでくるでしょう。領民から食料を奪わせてはなりません。ここは、その前に叛徒の軍と一戦して勝利し、星系から追い払うのです」

 

 この隠れ蓑である小惑星を出て領地惑星に向かう。

 当初わたしは武力行使までしようとは考えていなかった。艦隊を潜伏させたのは万が一のために過ぎない。わたし自身は民主主義を信じ、政体としてはもちろん帝国より同盟の方を応援したい。だから敵愾心を剥き出しにして同盟軍と戦うなど思いもしていなかったのだ。

 それに何より、どうせ短期間しかいないことになる同盟軍、平和裏に交渉出来たら問題ないと思っていた。

 だが物資を巡って理性的な交渉が難しいことは拘禁の経験で分かった。

 同盟軍の方は貴族を深く憎んでいる。少なくとも同盟軍のここの司令官とわたしは話ができない。

 

 

「賛成ですな。ルッツとケスラー殿にばかり働かせてしまってそろそろ自分も給料分働きたく思っていました」

 

 ファーレンハイトは軽口を叩いたように見えたが、これ以上ないほど固い決意をもって戦うつもりだ。

 たとえ戦力で大幅に不利であっても、絶対に戦う。

 そして叩き潰してくれる!

 

 見えるところだけで伯爵令嬢の額と首に傷があるのだ。

 令嬢はなぜか決して事情を語らなかった。怯えるだけで。

 しかし皆には想像できたのだ。たったの三日だけでも受けた待遇の苛烈さを。

 

 

 全員がやる気になっている。

 

 おのれ見ておれルフェーブル中将とやら!

 伯爵令嬢の艦隊の戦い、その身をもって思い知るがいい。

 

 

 

 

 



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第三十話 487年 5月 対同盟軍

 

 

「今回の作戦もまた、危険が大きいのですが、皆様の力を信じています」

 

 

 その言葉で作戦が始まった。カロリーナ艦隊初めての自由惑星同盟軍との戦いだ。

 

 小惑星帯を出て、布陣を組んで遊弋する。

 カロリーナ艦隊が姿を現すと同盟軍は慌てて準備を整え、その艦隊を整えてきたようだ。

 こちらから先んじて通信を送った。

 

「これまでの不当ないきさつについて恨みはしません。動機は理解できるだけに。早く帰って頂ければ結構です、ルフェーブル中将」

 

 当たり前だがルフェーブル中将は帰る気などない。

 

「我らは帝国の圧政から民衆を救うのだ。自由惑星同盟の存在意義はそこにあり、全ての民衆を解放するまで止まることはない! 民衆を搾取する帝国貴族の言うことなど聞けるか! 戦うというなら帝国軍相手よりむしろ本望だ」

 

 その民主制を奉じる信念は崇高であり、それに基づいて今なお意気軒高である。

 ただし、実際のところ領民には多大な迷惑でしかなかったわけだが。

 

 

 まあ、ルフェーブル中将が逃げず戦おうとしているのは一理ある。というか充分に勝てると思っている。

 同盟軍は帝国領に侵攻した後、辺境星系の占領のためあちこちの星系に軍を散らしている。帝国にとってはさして価値のある星系ではないが同盟から見れば解放を心待ちにしている民衆の惑星たちであり、無視することはない。特にこのルフェーブル中将は欲張って分散させていたため、麾下の同盟第三艦隊のうち、ここランズベルクには分艦隊一つしか残していなかった。

 その数三千五百隻。

 数は確かにカロリーナ艦隊の五千隻より少ないが、しかし大型の戦艦と空母を多数含んでいる数なのだ。おそらく戦力としては逆にカロリーナ艦隊の数倍にはなる。

 ルフェーブル中将から見ればカロリーナ艦隊は小型艦の雑魚ばかり、ここで退く道理はない。

 

 

 それでもカロリーナ艦隊はゆっくりと接近した。対するルフェーブルは意外に思ったが、やがて侮蔑に変わった。

 

「馬鹿な小娘には馬鹿な艦隊しか作れないのだな。数で勝てるとでも思っているのか。ふん、奇襲でもかければ少しは勝機があったろうに、こちらに布陣を変える時間をくれたようなものだ」

 

 ルフェーブルは尊大ではあるが全くの無能ではない。防御、火力共に優れた大型艦を前面に並べる布陣に艦列を再構成させ、万が一にも負けることがないように取り計らう。このままやりあえばカロリーナ艦隊は一方的に破壊され消滅、まるで猫とネズミが相対するようなものだ。

 

 突如、カロリーナ艦隊から一千隻の艦艇分かれ、突進していく!

 

 同盟軍はただちに大型艦の火力を叩き付けた。

 さすがに実戦を知り、鍛え上げられた軍だ。その反応性も精度も、カロリーナ艦隊が今まで戦ってきた貴族私領艦隊とは全く違う! 一千の艦艇はそのままの速度で迫ったが、その整った大火力に何も反撃できず、同盟軍に突入すらできず全て破壊された。

 

 ただし、混乱した通信もなく、変に逃げる挙動もない。

 

「なるほど、無人艦だったか。小娘の艦隊は兵士も臆病で向かってこれないか。まあ、民衆の兵士を無駄に磨り潰さない姿勢だけは褒めておこう。よし、遊びは終わりだ。最大戦速、貴族艦隊など一気に踏みつぶせ!」

 

 ルフェーブルは一応の様子見をしたがそれももう終わり、さっさと勝ちに行こうとする。

 だがまたしても機先を制するように、再びカロリーナ側から八百隻の艦艇が分かれて突進してくる。ルフェーブルがいったん足を止め、砲撃を行うと、その八百隻はみるまに撃ち減らされて消滅していく。

 

「また無人艦か。あの貴族艦隊には兵士がいないのか? つまらん。これではもはや演習にもならんな。苦し紛れの脅しなど蹴散らし、もう終わらせてくれる」

 

 

 ルフェーブルの同盟艦隊の前進に、カロリーナ艦隊は怯えたように後退する。しかし同盟艦隊は最大戦速だ。みるまに距離を詰めてくる。

 

 そこで飽きもせずカロリーナ艦隊から小部隊が分かれる。今度は六百隻の艦艇である。

 

「そんなものに構うな! 丸ごと踏みつぶしてやれ!」

 

 しかし、意外にも今度はその六百隻がどんどん増速してくるではないか。

 

「今度は無人艦ではないのか? 小癪な。結果は同じだ。砲撃用意!」

 

 お互いが真っ向から最大戦速である。相対速度は通常戦闘よりはるかに速い。

 レッドゾーンに突入し火力を応酬する刹那、同盟軍の大型艦の方がむしろ爆散した。

 

 この不思議には理由がある。

 ファーレンハイト率いるその別動隊が準備しているとき、わたしはこう指示した。

 

「大型艦にただ撃っても防御を貫けず、効き目はありません。四隻の艦でまとまり、常に同じ艦を同時に攻撃するのです。それなら大型艦の防御を破ることができます」

「ん、なるほど、伯爵令嬢」

「むろんこちらの砲の射程が短いことや防御が弱いのは変わりませんが、それは速度を上げることで対応できます。そのための手立ては用意します。そして何より、超高速での一瞬勝負においてファーレンハイト様が負けないことが前提になります。期待してよろしいでしょうか」

「では努力はする。そして無駄な努力はしない主義である以上、成果は期待してもらおう」

「ふふ、ではこの突入作戦、安心して見ています」

 

 手立てはうまくいった。

 同盟艦隊はファーレンハイトの部隊を無人かもしれないと侮ったために、速度を落としたりしなかった。突入する艦の数が少なくなればなるほど普通には無人艦だと思うだろう。

 

 同盟艦隊に突入した後、速度を落とさずファーレンハイトは突っ切って進む。この力量はさすがに烈将だ。そして背後に抜け、反転する。

 こうなると同盟艦隊の後衛がむしろ相手になるが、それは小型艦ばかりだ。

 同盟艦隊では大型艦が最前列に布陣した以上、当然、残りの後衛は小型艦が並んでしまうことになる。それならば火力差に問題はなく、機動力を存分に生かし、攻撃するまでだ。

 

 

 

「しまった! 最初から背面を狙っていたのか。しかし、しょせん小手先の奇策に過ぎん」

 

 ルフェーブルはそう言った通り、大型艦を投入すれば勝負がつくと知っていた。慌てず大型艦の一部を後衛に移動させようとする。

 

 しかし、最前列にいた大型艦が回頭して移動しようとした瞬間のことだ。

 いきなり爆散する艦が相次いだ。

 

「なに! どうした!?」

「機雷です! 敵突入部隊の後尾から機雷が撒かれていた模様!」

 

 ファーレンハイトの六百隻の最後尾には工作艦が十隻付けられていた。それを担当したベルゲングリューンの指揮のもと突破した穴に機雷を置き土産にしていたのだ。そつなく仕事をしっかりやりきるのがベルゲングリューンである。

 

 ルフェーブルがそれを少しも予期せず、驚いたのは無理もない。

 

 敵中突破と同時に機雷散布とは常識外れである。

 

 通常、突入した部隊が一番恐れるのは退路を断たれて包囲されることだ。本隊合流のための退路になりえる穴を自分から機雷で塞ぐなど考えられない。よほど突破力に自信があるか、戦いが早期に終わる予想があるかのどちらかの場合しかない。

 

 結果的に同盟の大型艦は身動きできなくなる。突破された穴を通って追うことはできず、かといって全ての艦を動かして再編することもできない。カロリーナ艦隊本隊が接近し、盛んに牽制をしているためどうにもならない。

 ファーレンハイトはこの隙を見逃さない。

 初めから同盟艦隊の旗艦を見定めていた。その一点を目指して攻勢をかけたのだ。

 

 それに対し、ルフェーブル中将は状況の変化に追いついていなかった。

 同盟艦隊にとって起死回生となる一手があまりに遅すぎたのだ。

 それは空母からの艦載機発進である。

 艦載機は航続時間の関係上、艦隊決戦において初めから発進などしない。戦いが接近戦に移行した時、あるいは掃討戦の時に出る。しかしこの場合は艦載機で充分に墜とせる小型艦相手になるのだ。また何より相手には空母や艦載機がない以上、一方的に制空権が手に入る。

 やっと気付いたルフェーブルが指示を出し、あまりに遅く艦載機が空母から発進しようとした。

 だがこの時がもっとも空母が弱い瞬間なのだ。それがわからないファーレンハイトではない。同盟艦隊へ再突入し空母部隊を見定めて砲撃一発、それで勝手に誘爆を起こし撃沈する。

 

 ついに同盟軍旗艦を捉えた。

 

 

「そんな、あり得ない! たかが小型艦しかない貴族艦隊風情が!」

 

 次の瞬間、ルフェーブルの絶叫と共に旗艦は大破に追い込まれる。

 大勢は決した。

 旗艦を大破され司令部の機能しない同盟艦隊は無様に撤退するしかなかった。

 

 

 カロリーナ艦隊はまたもやお祭り騒ぎの最中にあった。

 より熱狂的になるのは、兵にとって今回の戦いが他でもなく故郷の惑星を守る戦いだったからだ。

 

「カロリーナ、万歳!」「無敵の女提督、万歳!!」

 

 戦いを幾度重ねても全てに勝ち進む伯爵令嬢。

 兵たちは畏敬を込めて「無敵の女提督」とささやきだした。

 これがその最初になる。

 

 

 感嘆に打たれていたのは司令部の皆も同じである。

 カロリーナ艦隊全艦の三分の一までも無人艦にして使い潰すとは!

 突入部隊に敵が油断し、速度を落とさなくさせる、ただそれだけのために。

 あまりに常識はずれで大胆に過ぎる。

 しかも最初にわざとゆっくり行軍して、敵の大型艦を前衛に釣り出した。

 全ては突入部隊が突破した後の背面展開に備えてのことだ。

 

 メックリンガーは戦いの中で光り輝く少女をこっそり撮影した。正確に言えば艦橋を映す監視カメラの映像の設定を変えた。時間ごと上書きして消去するモードからまめにデータを保存するモードにしたのだ。

 もちろん、これをもとに絵を描くためである。

 

 出来上がった絵は、後世において美術的価値と歴史的価値の両方を持つことになった。

 

 

 

 しかし戦いはこれで終わらない。

 同盟からの帝国領侵攻軍は帝国辺境の二百もの星系を開放の名のもと占領している。

 そのあちこちで物資の欠乏から略奪が始まっていた。頼みの綱の補給部隊をラインハルトが冷酷に叩き潰しているせいだ。ランズベルク領は同盟艦隊を早く叩き出し、略奪は未然に防がれた。そして食料などの生産プラントはフル稼働している。

 カロリーナ艦隊に生産物を積み込むと近隣の貴族領の星系に運ばなければならない。

 暴動や餓死などを防ぎ、民衆を守りたい。

 

 同盟艦隊のいる幾つかの星系に赴いたが、既に浮足立っていたのか、たいがいの場合三千隻余りのカロリーナ艦隊が近付いただけで撤退した。

 もちろん深追いはせず、深刻な欠乏の中にいた民衆に食料を分け与える。

 涙を流し、感謝する民衆はいつしかカロリーナ・フォン・ランズベルクを「辺境解放の英雄」と呼ぶまでになったのだ。

 

 

 しかし、カロリーナ艦隊が最後に赴いた星系では奇妙なことが起こっていた。

 偵察すると、その星系にいただろう同盟軍はその半個艦隊約七千隻の艦隊が既に惑星軌道から離れ、布陣を終えていたのだ。

 カロリーナ艦隊はそれでも退くことなく、星系の小惑星帯を通り抜け、なおも進軍した。

 ファーレンハイトほか全員、誰も伯爵令嬢が退くと言わない以上退くことなど思いもよらない。

 

 

 だがしかし、ここの同盟艦隊は一筋縄でいくはずがなかったのだ。

 

 その同盟艦隊、旗艦の名はヒューベリオン!

 それを最初に分かっていたならわたしは決して戦うことなどなかったのに。

 

 いつだって後悔というものは先に立たない。

 

 

 

 

 



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第三十一話487年 5月 二つの艦橋

 

 

 カロリーナ艦隊とその同盟艦隊は距離を取って対峙した。

 互いに慎重さを崩さない。

 カロリーナ艦隊は少数のためうかつに決戦に入れず、しかし同盟艦隊にとってはここは敵地、少しの消耗も避けたい。

 

 突如、カロリーナ艦隊から百隻の艦艇が分かれて突進してくる。同盟軍は引き付けてからやすやすとそれを撃破した。それは無人艦だっだ。

 

 それが終わるやいなやカロリーナ艦隊は二手に分かれる。

 二千五百隻ほどが元の場所から移動を始め、同盟艦隊から見れば斜め方向に発進し、しばらく速度を上げたあとは等速で飛び続ける。

 もう一つ、カロリーナ艦隊が元いた場所に、未だ数千の艦影が静止しているようだ。

 

 同盟艦隊は移動して去った方の艦隊ではなく、元の場所に留まっているカロリーナ艦隊に迫った。

 途中わずか陣形を広げたのは、同盟軍は数の優位を生かして半包囲態勢を敷こうとしているのだ。その動かなかった方のカロリーナ艦隊はそれでも慌てて動いたりはせず、散発的に長距離砲を放ってくるだけだ。

 

 しかし突然、同盟艦隊は前進をやめた。

 半包囲態勢を順次解除、やがて全ての艦が回頭し、整然と後退に転じる。そして先に移動を始めた方のカロリーナ艦隊を追う態勢に変わった。

 

 その直後だ!

 ジャミング工作で見えなかった方角から高速で何かが接近してきた。

 それらは形状からして数十の小惑星のようだ。真っすぐ猛スピードで戦場に飛び込むと、動かなかった側のカロリーナ艦隊の艦列に衝突する!

 その刹那、艦列は突然何千何万もの岩石に化け、あらゆる方向に高速で散っていく。

 静止していた艦列は、艦ではなかったのだ

 岩石を艦艇に似せて作ったダミーなのである。

 今、飛び込んできた小惑星の衝突でバラバラに砕け、破片どうしがぶつかり更に破片を呼ぶ。細かく、しかしそれぞれが高速のエネルギーを保持し、艦の物理シールドの許容量をはるかに超えるものだ。もしも当たれば艦艇など粉微塵になる。

 つまり無数の凶器だ。

 しかし同盟艦隊はすんでのところで反転、離脱していたので被害はなかった。

 

 

 同盟艦隊は、しかし移動しているカロリーナ艦隊を追撃することもやめた。

 かえって星系から退くように進もうとする。

 

 

 

 一人わたしは背中に冷や汗を流していた。

 

 必殺の策を破られてしまった!

 カロリーナ艦隊の皆は同盟艦隊を驚かせて撤退に追い込んだと思って歓声を上げている。

 冗談ではない!

 同盟艦隊は撤退するようだが、あのまま戦いを続けていればこちらが必敗だった。むしろ、なぜ戦わずに星系から去る方を選んだのか不思議だ。

 

 

 同盟艦隊旗艦ヒューべリオンでも冷や汗を流している者がいる。

「こいつは…… 先輩、危ないところでしたね! 敵がこんな大技を使ってくるなんて」

「アッテンボロー、帝国は軍人に有能な将帥がいくらもいる。でも民間にさえ有能な指揮官がいるとは。貴族艦隊すら侮れないなんてまいったね。早く帰ろう。紅茶の補給が切れるまえに」

「紅茶を飲みにここまできたんですか。ヒューベリオンは移動喫茶じゃありませんよ」

 

 

 

 わたしは思い切って同盟艦隊に通信接続を求めた。もう戦いにならない以上、その疑問を解消するのもいいかと思ったのだ。半分以上ダメ元のつもりだったがしばらく待って通信が繋がった。

 

 どちらの驚きが大きかったろう!

 

 こっち側のスクリーンに映るのは、ベレー帽が落ちそうな黒髪の冴えない指揮官、手には紙コップ。間違いない! あのヤン・ウェンリーが映っている!

 これがヤン・ウェンリー、不敗の名将、あのラインハルトさえ追い込む智謀の主だ。

 

 これではわたしの策など通じるはずがない。

 

「カロリーナ・フォン・ランズベルクと申します。かの有名なヤン・ウェンリー提督とお見受けします。戦場で言うのもなんですが、ご無事で何よりです」

 

 ヤンの側のスクリーンには一人の少女が映っている。

 軍服ではない。ドレス姿であるが華美ではない。地味な普段使いといった感じだ。そして小さくかわいい顔が驚いた表情を作っている。

 これが過去数年、巧緻を極めた戦術でいくたの敵を破ってきた伯爵令嬢か!

 

「ヤン・ウェンリーです。伯爵令嬢のことは昔から興味があって知っていました。あ、いや違います。写真集じゃなくて、戦術指揮官としてですけど」

 

 殿方に長いこと興味を持たれて女冥利に尽きますわ、フフ、などというセリフを言ってみたかったが、ここはこらえた。

 今はお互い貴族私領艦隊指揮官と同盟軍提督の立場なのだ。

 

 

「先ほどはわたしの策を見事に破られました。お見事です、さすがはヤン提督」

「令嬢の策は見事でした。最初に無人艦を見せつけてから、単調な発進をして、これで移動を始めた方の艦艇と、残った方の艦艇とどちらが欺瞞なのか迷わせました。こちらが残った方の艦艇を狙い、そして包囲しようとするタイミングも令嬢には計算の上だったのでしょう。下準備は申し分ありません」

「まあ、そう評価して頂けて…… 無駄に終わりましたけれど」

 

「いや、見事な策です。そしてそのタイミングで小惑星を突入させるとは! ただ小惑星を艦隊に突入させただけでは避けられて被害はたかが知れています。艦に偽装した岩石は小惑星から選んで持ってきていたものでしょうが、これにぶつけることで無数の破片に変えて攻撃するとは恐るべき戦術です。ほんの少し気が付くのが遅ければこちらは全滅していたかもしれません。掛け値なしに凄いと思います」

「しかしヤン提督はあっさりと見破られた……」

 

「それは艦に偽装した岩石から撃ってきたからです。よりダミーを艦隊らしく見せ掛けるためだと思いますが、本当に艦隊なら撃つ必要がないでしょう?」

「わざわざ自動砲台まで取り付けたのに、ダメですね。わたしなど、まだまだ。いいえ、ヤン提督のレベルに近付けもしませんわ」

 

 お互いの艦橋にいる二人以外の人間は、それほどまでの頭脳戦が繰り広げられていたことに対して改めて畏れの感情を抱いた。

 

 伯爵令嬢は恐るべき策を立て、それがうまくいくよう幾重にも組んでいる。

 だが、ヤン・ウェンリーは少しのことから真実を見破り、それを無にしたのだ。

 

 

 

 

「伯爵令嬢、こちらが撤退するのはここで戦っても戦略的に意味がないからです。撤退は既に決めていましたし、それが遂行されれば充分です」

「ヤン提督は戦略こそ重視しますものね。今回のこちらの作戦ですがもしうまくいっていたら、艦艇と人員に大きな被害が出るところでした。もし戦力差がなければこんな方法はとらなかったのですが。とにかくこんな作戦にしたこと、お詫び申し上げます。ごめんなさい」

 

 それはわたしの本心、深く頭を下げた。

 まさかヤン・ウェンリー、この天才かつ民主主義の砦をわたしが失わせることなどやっていいものではない。

 

 逆にヤンも不思議に思っている。

 なぜかこの貴族令嬢は同盟軍を嫌っていない。むしろ兵の命を心配している。味方のも、敵のも。

 

 

「ヤン提督! 女の子にごめんなさいさせて、何黙ってるんですか! 早くベレー帽取って頭下げて」

「え、アッテンボロー、なんで私が。いやこっちこそ、お気遣い頂いていろいろすみません」

 

 ここでヤンの横からアッテンボローが茶々を入れてきた。

 ついついわたしはおかしくなってスクリーンの端に見えるアッテンボローに声をかける。

 

「よく気のつくアッテンボロー提督ですこと。どうしていつまでも揃って独身なんでしょう」

 

 ひゃあ、いらないこと言った?

 ところが返事は思いがけずこちらの艦橋から返る。

 

「令嬢も人のことは言えませんな。虫一匹つかないで枯れる花は哀れだぞ」

「カロリーナ様はとびっきり遅咲きなだけにございます」

 

 ファーレンハイトとルッツが横でもっと余計なことを言っている。他のメックリンガーなども完全同意の顔をしているのが憎らしい。

 

 

「話を戻しますが、こちらもすぐに撤退いたします。ヤン提督がおられた星系では物資の強奪など決してあるはずないでしょうから。民も安心だったでしょう」

「それはどうも。なぜか信用して頂いて。ですが他の星系では同盟軍が、その、迷惑をかけている可能性も」

「ヤン提督に責任はありません。元はといえば辺境星系の住民のことなど考えない焦土作戦をとった帝国軍が一番悪いのです。それははっきりしています。民を守るために軍隊があるのです。民を害するなど軍隊ではありません」

「私もそう思います。全く」

「それでは、また会う日まで ………… 」

 

 わたしはにっこり会釈してから、声に出さない口を動かし、そして通信を切った。

 

 

 

 その後、しばらくヤンは考えていた。

 お互い恐ろしいほど軍隊らしくない艦橋だった。雰囲気が非常に似ていたとは。

 面白いことだ。伯爵令嬢は思っていた以上にフランクでさばけた人柄だった。

 

 真剣にならざるを得ないのは、民を守るための軍隊、令嬢は確かにそう言った。

 

 本来は帝国ではなく同盟の軍隊が高らかにそれをうたうべきだ。

 しかし現実は帝国に令嬢のような人物がいて、それを力の限り実践している。

 かたや同盟の軍隊は民のためか? 無意味な戦役ばかり繰り返し、手に入りそうな平和を遠ざけ、結果戦災孤児と未亡人を増やしているだけではないのか?

 

 令嬢が最後に声に出さない言葉、おそらく証拠を残さないでメッセージを伝えるためだろう。

 その解析が終わってヤンの元に文章が差し出された。

 

「ハヤク テッタイヲ アツマラナイデ スグニカエッテ テイコクグンガ クル」

 

 

 

 同じ時、わたしの方もいろいろ考えた。

 ヤン・ウェンリーは確かに風采は上がらない。でもなにかしら魅力がある。

 フレデリカさんがつきまとうはずだわ。ジェシカさんにはわからないのか。

 アッテンボローはいい人だ。おそらくポプランとシェーンコップがいなければモテたはずだ。

 いや、実際はモテているかも。他人のことは目ざといが自分のことはてんでわからない人っているから。

 

 ヤンとは考えるレベルが100倍違う、その自覚だけはあった。

 

 

 

 



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第三十ニ話488年 2月 捕虜交換式

 

 

 ラインハルトはいらだたしさと、その半分の安堵とが入り混じった感情にあった。

 

 アムリッツァ会戦のことである。

 帝国軍の焦土作戦は中途半端に終わってしまった。何と貴族の私領艦隊が出しゃばり、勝手に戦端を開き、あまつさえ同盟艦隊を次々と撤退に追い込んだからだ。これで同盟軍は早めに戦線縮小に転じ、帝国軍によって徹底的に各個撃破するのは不可能になった。

 

 それでもアムリッツァで再び同盟軍は集結し大規模な会戦になったが、もう同盟軍は撤退を決めていたのだろう。決定機が訪れる前に撤退した。キルヒアイスの指揮する帝国軍別動隊が挟撃のため背後から迫る頃にはほぼ撤退していったのである。

 むろんラインハルトは知るはずもないが、ヤンとビュコック、ウランフなどの提督たちや司令部参謀長グリーンヒル大将が、身心喪失していたロボス元帥を病気療養という名目で押し込めた結果なのだ。

 同盟軍に死亡した指揮官は数名しかいない。ほとんどは生き残った。特にウランフやボロディンといった勇将が生き残った。生き残ったということは司令部が健在で、その分多くの艦艇も助かっている。

 この帝国領侵攻で同盟軍の損失はもちろん数百万人以上に及んだが、壊滅というほどではない。

 

 帝国軍は貴族私領艦隊に交戦を禁じてはいなかった。小型の護衛艦などは残してもよいとした。

 

 だがこのような結果になるとは思いもよらない!

 いくら同盟艦隊が分散し、一つ一つの戦力が大したものではなかったとしても、貴族私領艦隊が戦えたとは。そんなものは正規の帝国軍からすれば戦力の端くれとも考えていなかったのに。

 

 原因はもちろんカロリーナ・フォン・ランズベルクである。

 彼女はいまや辺境開放の英雄であった。

 

 

 反面ラインハルトが安堵したことというのは、焦土作戦そのものが半端になったおかげで、暴動や餓死が最小限だったことである。オーベルシュタインの立てた焦土作戦はラインハルトやキルヒアイスにとってわだかまりの残る作戦だった。民衆の犠牲など好んで出したくはない。

 もう一つ、カロリーナがいったん同盟軍に捕まったのに無事で帰ってきたことだ。

 これにもラインハルトは素直に嬉しかった。

 

 

 

 その頃、宇宙の片隅ではゲームを楽しむかのように大局を語る者がいる。

 商業で栄える華やかな惑星、しかしその会話は陰鬱な部屋の中だ。

 

「ルパート、それで同盟側の損失はどうなった」

「およそ遠征艦隊の四割弱の損失、グラフではこうなります」

「ふむ、イゼルローン要塞を陥としたことでやや同盟有利になっていたが、この大敗でバランス的には帝国が大幅に有利に転じたか」

「自治領主、フェザーンもいよいよ方針の転換ですか」

 

 性急だな。

 このような性急さではとても宇宙を扱えん。若さのゆえか。

 自分もこんな年頃にはこれくらいなものだったか。

 いや違う。もっと深く物事を考えていたはずだ。

 失望させてくれるな、ルパート。

 

 フェザーン回廊を支配するフェザーン自治領、その自治領主アドリアン・ルビンスキーはそんならちもないことまで考える。

 

 

「いや、まだだ。同盟は会戦で負け、帝国領から叩き出されたとはいうものの、壊滅というほどではない。ルパート、かろうじて同盟は命脈を保っている。まだ併呑させるべき時期ではない」

「ではまだ様子見ですか。同盟がぎりぎりのところで踏みとどまっている以上は。それともバランス維持を考えるなら同盟に有利なように操作を?」

 

 ルビンスキーに対するルパート・ケッセルリンクもまた、言葉と内心は見事なまでに乖離している。表面の淡々とした会話は見せかけであり、感情はよほど激しく動いている。しかもあまりいい感情とは言えない。アドリアン・ルビンスキーといる時はいつもそうだ。

 

 何を偉そうな。ルビンスキー、宇宙の大勢をしたり顔で語っている。だが、あんたにできるのはせいぜい情報を加工して小出しに流すくらいなものだろうが。それで宇宙の主役になどなれるものか。

 

「ルパート、まだ何もする時期ではない。帝国にも同盟にもいずれ発火しそうな火種はある。情勢はこれからいくらでも動き、それを見てから考える。待つのも立派な手だぞ」

 

 そんなルパートの内心など最初からアドリアン・ルビンスキーには筒抜けだ。

 役者が違う。

 

(若者め。せめてその表情に出るのを抑えるすべを身に付けろ。野心を隠すくらいには)

 

 

 

 それから数か月後、帝国と同盟でお互いの捕虜交換式が行われる。

 それは帝国から申し入れて実現したものである。

 過去にそういうことが無いわけでもなかったが、珍しいことなのは確かだ。なぜなら帝国は共和主義の捕虜を「思想矯正」という名の奴隷労働力に使うのが普通であり、逆に帝国から捕虜になった場合は貴族であった場合を除き、平民の場合は失われても歯牙にもかけない。

 

 今回の捕虜交換は過去になかったほど大規模なものだ。もちろんどちらにも益はある。人道的、ということで同盟側はこの成功を政治的にも重要視している。

 交換されるのは主にイゼルローン要塞で捕虜になった帝国軍将兵と、主にアムリッツァ会戦で捕虜になった同盟軍将兵である。もちろん、それら以前からの捕虜も含まれる。

 

 実際の捕虜交換に先立って式典と調印式が執り行われる。場所はイゼルローン要塞、これもまた異例なことであり、今では同盟が実質支配している領域を使う。

 その式典に帝国からキルヒアイス大将、同盟からトリューニヒト議長が出席する。

 

 他にも随行する将兵は多数にわたる。

 そこにわたしまで加わっている!

 辺境星域の当事者として。また同盟軍ルフェーブル中将を捕虜にした私領艦隊司令官として。あの戦いの後に第三艦隊司令部を捕虜としていた。もちろんルフェーブル中将を丁重に扱い、かつて自分の受けた待遇の意趣返しなど微塵も考えていない。それがルフェーブル中将に崇高なメッセージとして伝わったかどうかまで聞く機会はなかったが。

 

 先ずは式典の前にわたしはキルヒアイス大将に短い挨拶を済ませた。忙しそうなので邪魔してはいけない。

 

「キルヒアイス様、お久しぶりです。この前はわたしのお願いに尽力して頂き感謝します」

「いえ伯爵令嬢、お役に立てなくてこちらこそ本当に申しわけありません。ですが、あの焦土作戦は決してラインハルト様も平気ではありませんでした。このことはお伝えいたします」

 

 キルヒアイスはやっぱり本心から申し訳なさそうだった。ならばもうそのことは言うべきではない。

 

「わかっております。キルヒアイス様。また今度、アンネローゼ様のところでお茶を飲みましょう」

 

 

 さて、肩の凝る調印式が無事に終わって記者会見も終われば、夕方からは非公式の懇親会だ。

 楽しみだ!

 先ずは目で探る。知っている同盟軍の人物を探していく。決して、興味本位ではない! と思いたい。

 

 直ぐに何人も見つかったではないか。むろん、ヤン艦隊の皆は曲者揃いの有名人ばかりなのだから。

 あれがたぶんオリビエ・ポプラン中佐だわ。

 その向こうはワルター・フォン・シェーンコップ准将ね。

 う~ん、さすがにどちらもかっこいい。

 きりっとした精悍さと大人のゆとりがある。半径3メートルは危険宙域!

 でも、わたしの方が相手にされないと思う。勝手な想像でかえって気分が暗くなる。

 

 ところが目で探っていたのは決してわたしの方だけではなかった!

 

「伯爵令嬢、あの時はスクリーン越しで失礼しました。間近で拝見しますと…… いえ、同じですね」

 

 いきなり軽口が来た。

 間近で見たら綺麗で驚いた、くらいに言ってよね。

 

「アッテンボロー様、そんな軽口を言ってますと、あそこのお二方に女性兵をみんな取られてしまいますわよ」

「いいんです。今はあの連中よりそちらの赤毛の大将が一人占めですから」

 

 それは、わかる。

 わたしから見れば、あのラインハルトの友にして腹心というのが大きいから最小限の引力しか感じないだけで、キルヒアイスが女性兵のハートを掴むのは当たり前だ。

 

「しかし、女性にも一途な方がおりましてよ。そちらのヤン提督にもすぐ横に十年一途な方がいるでしょうに」

 

 それが誰かなど言う必要もない。ヘイゼルの瞳を持つ可愛い副官のことなどは。アッテンボローも分かっているはずで、知らぬはヤン・ウェンリーだけなんだろう。

 しかし軽口もここまでにした方がいい。

 カロリーナには話すべき目的があるのだ。

 

 

「ところでこの捕虜交換ですけど、ヤン提督には、その、意味がおわかりでしょう?」

 

 アッテンボローはあんまり表情を変えない。

 たぶん、アッテンボローは同盟の運命も、夕食のメニューも同じ表情で考えるのだろう。いつもひょうひょうとした楽し気な表情で。

 

「伯爵令嬢、そのことはヤン提督から聞いてますよ。おそらく、荷物にネズミがくっついていると。少し厄介なやつが」

「やはりヤン提督は分かっていらっしゃいましたか。それならば安心です。わたしもネズミは嫌いですので退治には協力します。」

「伯爵令嬢が? 同盟に来るネズミを?」

 

 この意味だけはアッテンボローに分からない。同盟に痛めつけられたばかりの帝国辺境星系の人間がなぜ同盟を助けるのか。あらゆる意味であり得ない。

 

「ヤン提督に後で伝えて下さい。できるかぎりのことはします」

 

 アッテンボローに最後の言葉はもっと謎となる。

 

「わたしも、民主主義は嫌いじゃありませんから」

 

 

 

 最後に亜麻色の髪の少年を探した。

 特に用事という用事はなかった。それこそほんの興味本位だ。

 

 いたいた。そそっと近づく。

 

 先ずは観察する。サビーネと同じような年頃、そして瞳がきれいだ。この瞳で、これからヤン提督の教えをすべて吸収するのだろう。

 向こうからぎこちない会釈をしてきた。寄ってきたのが分かったのだろう。先手をとられた。

 とりあえず話せる距離まで近づく。そこでにっこりと会釈を返した。

 あー、でも何話そう。

 考えてなかった。まずい、どうしよう。

 

「ユリアン・ミンツ様ですね。カロリーナ・フォン・ランズベルクと申します。ヤン提督の紅茶をいつもおいしく淹れて頂き、ありがとうございます」

 

 わたしはいったい何を言ってるんだろう。でも一応言葉をつむぎ出せるのは年の功か。

 

「僕はヤン提督のお世話をするしかないので、紅茶もおいしく淹れようと頑張ってます」

「偉いですわ。いろいろ大変なのに。それなら、紅茶だけでも提督の副官さんにお教えすればよろしいのに。料理は、ちょっと難しいかもしれませんが。提督はオルタンスさんの料理で舌が肥えてるかもしれませんわね」

「提督は、紅茶と違って料理にはそんなにうるさくありません。特に考え事をしてると今何を食べているところかさえ頭にないときもありますから」

 

 ユーモアのセンスはさすがに周りの影響を受けている。軽く笑った。

 ユリアンの方は、わたしが噂でヤン提督のことを知ってるんだろうと考え、それで疑問には思わなかった。キャゼルヌ中将のところによく食べに行っていることなんかも。

 

 この捕虜交換式で、後にもっとも重要になることをわたしは企まずして行った。

 ユリアンから教えてもらった上手な紅茶の淹れ方のために、ヤンの中でそのヘイゼルの瞳を持つ副官、フレデリカの株が急上昇したのである。

 

 

 

 



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第三十三話488年 2月 選択の時

 

 

 この捕虜交換式に先立ち、やっておいたことが一つあった。

 それはミュッケンベルガー元帥に会って、ひたすらお願いしたことだ。

 

「聞いて頂きたいお願いがあります! 今、帝国の捕虜になっている叛徒のアーサー・リンチ少将ですが、この方を向こうに返さないで済むようにしてほしいのです」

「何と! カロリーナ嬢、それはいったいどうしたわけだ」

 

 それはミュッケンベルガーにとって思いもよらないものだ。

 お願いの種類もとんでもないことだが、更に驚くことがある。令嬢がピンポイントで指定してきた人物、そのアーサー・リンチとは何者だ。

 

 

「元帥、理由があるのです。その人物が帝国軍の関知しない陰謀の密命を帯びているからです」

「な、なぜそんなことが言えるのか」

「え、ええと、それはあの叛徒と接した時にそんな名が出たような気が……」

 

 うわあ、そこは慌ててごまかすしかない。

 

「いやそれはともかく、どうしたものだろう。さすがに捕虜交換で叛徒の将官を返さないというわけにはいかんな」

「方法はあります! 今度の捕虜交換では、どうせ情報工作員を何名か身代わりに仕立てて向こうに潜入させるのでしょう? その一人として含めてしまえばよいのでは?」

 

 ひたすらわたしは入れ知恵をする。ここは要らぬ工作を始めるアーサー・リンチを同盟に帰してはならない。あの同盟クーデターの悲劇を未然に防ぐためには。ラインハルトには悪いがその陰謀は妨害しなくてはいけない。

 

「よく知っているな。カロリーナ嬢。それで今、帝国軍に捕虜の情報照会がひっきりなしに来ている。能力や経歴などの。数人はこちらの工作員にすりかえるが、どの人物にするか選ぶのは人選自体は帝国軍ではない。軍事だけではなく、諜報活動には政治や経済の諜報も入るのでな。内務省が選ぶはずだ」

「ではリンチ少将のことを内務省にこうお伝え下さい。叛徒の方では裏切り者として扱われ孤独なので工作員が身代わりになるのに都合がいいこと、それを強調してすりかえには適任だと」

「わかった。やってみよう。カロリーナ嬢がそれほど言うならば」

「是非お願いします。重要なことなんです」

 

 結局それは通った。捕虜交換寸前でアーサー・リンチには身代わり工作員が入ることになり、本人は捕虜のまま帝国に止めおかれた。これは内務省管轄なので帝国軍にさえも問い合わせがなければ教えられることはない。それでラインハルトには伝えられなかった。

 よかった! これで同盟の軍事クーデターが当面は回避できる。

 ただし、ラインハルトが考えてリンチに持ち込ませるはずだった計画案がなくとも、同盟軍内部にはどうしようもない政治不信が渦巻いている。この先クーデターが起こらない保証はないのだが。

 

 

 

 

 

 そしてこの年、銀河のほぼ全ての人間の運命に影響を与える大ニュースが駆け巡った。

 

「皇帝崩御」である。

 

 ついに、ついに銀河を揺るがす激動の時代が幕を開ける。

 ああ、それに比べれば今までがまるで春のように平和だった。

 そして今からが本番だ。

 激動をくぐり抜け、大切なものを守り、幸せな明日へとつなげたい。

 ラインハルトも、ヤンも、サビーネも、大事な人々なのだ。もちろんわたしも、兄も、ファーレンハイトやルッツたちも。

 

 

 これからは一歩間違えば即座に終わる。

 最初の気がかりは、リヒテンラーデ侯とラインハルトの意外な協調が生んだエルウィン・ヨーゼフ二世幼帝の後継者としての擁立についてである。

 これが成功したためにラインハルトは帝国軍を完全に掌握し、大義名分を得て貴族連合を逆賊扱いにできたのだ。

 この事実は大きい。

 何といっても皇帝が治めてこその帝国なのだ。

 帝国を動かす巨大な官僚・行政機構は皇帝を要とした組織である。

 

 反対にもしも逆賊にされてしまえば公式には全てを失う。軍事的なことを抜きにしても信用を失う。これはただちに通商、経済に破滅的な影響を及ぼす。誰が逆賊の汚名を着たものと取り引きしたり、先行きのわからない者に投資したりするだろうか。要するに立ち行かなくなるのである。

 

 

 わたしは、ある決意をもってリヒテンラーデ侯に面会を申し込んだ。

 

 ダメかと思っていたら、その日のうちに面会できた。

 

「ランズベルク伯爵令嬢、そなたには借りがあるでの。儂には断れなんだ。朝から面会申し込みが何十家となくあったのじゃが」

「本当にありがとうございます。国務尚書様のお時間を取らせませんよう、単刀直入に申し上げます。国務尚書様は幼な子を皇帝にしようとしておいでです。それはかえって帝国を危うくします」

 

 本当に単刀直入に述べた。言葉にすればわずか数文字、だが意味するところは帝国にどれほど重要なことか。

 

「…… たぶん、伯爵令嬢はサビーネ嬢を皇帝にしたいのじゃろうな。今、皇帝になれるのは三人しかおらぬ。アマーリエ様とクリスティーネ様は降嫁されておられるので、エルウィン公の他にはエリザベート様とサビーネ様しかおらぬ」

「……」

 

「聡明なそちならわかると思うが、ブラウンシュバイク家とリッテンハイム家を争わせればどのような大乱にならんとも限らん。帝国の存続が危ういどころか吹き飛ぶ。さすれば、残りのエルウィン公を立てる他あるまい。軍事的実力をもつ後ろ楯をつければ正面だって文句は言われまい。儂は今までブラウンシュバイク家とリッテンハイム家、どちらかが強くなり過ぎんよう長年努力しておった」

 

 リヒテンラーデも率直に返した。秘中の秘である構想、自分とラインハルト・フォン・ローエングラムでエルウィン・ヨーゼフを立てることを。

 

「よくわかりますわ。今までのリヒテンラーデ侯の努力も。ですが、ブラウンシュバイク家とリッテンハイム家を併せたよりももっと強い者が現れたらどうなりますか。国務尚書様が手を組もうとしておられるローエングラム公とか」

「そこまでお見通しか。賢いの。まあ考えたらわかるじゃろう? 儂は帝国宰相となって位は高いが軍事力はない。帝国軍で最も力のあるローエングラムと手を組み、エルウィン公が成人するまで貴族を抑えねばならぬ。残念じゃが伯爵令嬢に親しいミュッケンベルガーでは力が足りぬ。イゼルローンを喪った時にエーレンベルクが引退したのが惜しまれるの」

「ローエングラム公は貴族を抑えるのではなく丸ごと焼き払ってしまわれる、と思いますわ。その後のことは推して知るべしでございます」

 

「ふむ、では令嬢はどうすればよいと思うか」

「サビーネ様を擁立しなくても結構でございます。皇帝位はしばらく空位でもよろしいのではございませんか。もちろん貴族が騒ぎ立てるのは当たり前ですが、謀反までは起こしますまい。それこそ粛清される大義名分になります」

「それはいかん。必ずや継承者候補の暗殺がおきる。消去法が確実だからの。それに行政機構も完全には回らん」

「それでも、でございます。丸ごと失われるよりは」

 

 

 結局、わたしの説得は効をなさず、次の皇帝はエルウィン・ヨーゼフ二世が立てられた。

 国務尚書リヒテンラーデ侯と帝国軍元帥ラインハルト・フォン・ローエングラムが後ろ盾となり、強引にブラウンシュバイク家とリッテンハイム家を抑えて。

 もちろん何千という貴族家が不服の大合唱だ。

 しかし、行政機構をリヒテンラーデ侯が味方につけ、帝国軍をラインハルトが掌握した以上、簡略でも帝位継承は妨げられない。

 

 

「なにもかもうまくいくわけはないわ。でも、どうしよう」

 

 いや、ここでめげていてはならない。

 わたしはまだやっておきたいことがあった。

 次の手、妨害といえば聞こえが悪いが、ラインハルトの麾下に加わる将を減らしておきたい。

 確かヘルムート・レンネンカンプなどはリップシュタット前には麾下に加わっていないはずだ。

 ところが調べるとおかしなことに既にラインハルトの元に呼ばれていた。

 ラインハルトの方でも熱心に人材を求めていたせいだ。

 なぜ? と思う。

 たぶんメックリンガーやルッツ、ケスラーがわたしのところにいるから、ラインハルトも有能な将が足りていないのかもしれないわ。更に調べると、クナップシュタインやグリルパルツァーまでもが将として、半個艦隊ほどを与えられている様子だった。

 

 

 事態はどんどん加速していく。

 歴史に大きな文字で残されるであろう出来事の瞬間がやってきた。

 リップシュタットの盟約、である。

 

 このとき帝国門閥貴族のほとんどが、オーディン郊外にあるブラウンシュバイク家のリップシュタットの館に集まり盟約を結んだ。

 幼帝を擁立し、思うがままに扱い、専横をきわめるラインハルト・フォン・ローエングラムを弾劾すべし、と。そこに集まった貴族の数は三千七百家にも上る。

 逆にラインハルトの側にもごくわずかの貴族が付いた。

 ヒルデガルトのいるマリーンドルフ伯爵家ははっきりとラインハルトの側に立つことを表明した。

 

 もちろんわたしや兄のランズベルク家はそのどちらにも加わらなかった。

 兄アルフレットはまたしてもわたしの言うことに唯々諾々として従った。どうせ他の貴族に義理を感じるほどの付き合いはなく、それにアルフレットには政治的なことなどわからない。ただ妹の言う通りにしてやりたい、それだけの話である。

 

 

 今、帝国の多くの目がランズベルク家に注がれている。

 

 帝国貴族にとって直接軍事力が必要になる時代が来るとは露ほども思わなかった。今まで着々と私領艦隊を増やし続けているランズベルク家のことを馬鹿にしていた。しかし今やその軍事力は、貴族家の中でも辺境貴族の枠を越え、上級貴族に迫るものである。

 

 しかも艦隊の規模だけのことではない。

 これまでの実績は誰も無視できないものだ。

 カロリーナ・フォン・ランズベルク伯爵令嬢は敗北を知らず、無敵の女提督の名を馳せている。そのカロリーナ艦隊といわれる艦隊にも有能な者がそろっているらしい。

 

 さあ、ランズベルク家はいったいどうするのか。

 態度保留とは何をもったいぶっているのだ。煮え切らない態度は何だ。

 高く売りつけようとでも考えているのか。共倒れで漁夫の利でも狙っているのか。

 

 

 

 その一方、わたしは悩みに悩んでいた。

 正確にいえば感情と理性で折り合いが付かないのだ。

 

 理性は叫んでいる。

 

 ラインハルトが勝つのだ。何を迷うことがある? 考えるべきはそこしかないではないか。勝つ方に付かなければ破滅に決まっている。

 もう一つ、大きな目でみれば帝国の民衆にとって門閥貴族よりラインハルトの方がいいに決まっている。門閥貴族の旧態依然の治世は変えられるべきだ。

 ここでラインハルトの側に付いて協力すれば、ランズベルク家も大きな権力を持てるかもしれない。その力を使って善政を敷けば、それまで何があったとしても贖罪には充分ではないか。

 とにかく、大局を見誤ってはならない!

 

 感情もまた叫ぶ。

 

 サビーネは待っている。おそらくわたしが来るのが当たり前だと思っている。

 それを裏切るのか。

 あまたの貴族、令嬢も幼子さえも裁かれるのだ。ただそこに生まれたというだけで。罪が無いのに。

 その悲劇を黙って見過ごして、それで人間と言えるのか。

 たった一つの命を散らしていく人たちに、あとで善政を敷くから償いになるなど言えるものか。その言葉がどれほどむなしくて、自分可愛さの欺瞞であることか。

 

 

 やるべきことは両陣営に対して説得することだ。激突しないように。

 それが無理だと知っていても。

 わたしの気を休めるためのただのごまかしであり、それを自分で知るだけによけい自分が嫌いになった。

 

 カロリーナ艦隊にいる者たちはもっと単純で気楽だった。

 何がどうであろうと令嬢に付いていき、全力を尽くすだけのことだ。

 ファーレンハイトもルッツも、ビューロー、ベルゲングリューン、メックリンガーも、カロリーナ艦隊に来て日は浅いがケスラーも同じくそう思っていた。

 

 生きるも死ぬも関係ない。

 

 ファーレンハイトは考える。

 なに、自分のことに限っていえば、どんな最悪でもたかが死ぬだけだ。

 それだけではないか。

 

 その考えはファーレンハイトの半生に大いに関わりがある。人生あんまり楽しい時期は少なかった。自分は長く貧乏貴族の家で過ごしてきた。

 他の貴族はそんな家に冷たかった。

 平民はもっと冷たかった。貴族に対するやっかみが無力な貴族に八つ当たりとしてぶつけられたのだ。

 食うために軍人になっても無能で意地の悪い上司から散々な目にあった。

 それでますます依怙地になり、更に風当たりが強くなった。

 しかしその運命は大きく変わった。伯爵令嬢の元に来てからはもうそんな悩みがもう思い出せないくらいだ。

 ここに仕えてよかった。あの舞踏会は自分にとって本当に幸運だったと思える。

 

 これからおそらく大きな戦いに向かうことになる。

 

 よろしい、本懐である。

 今自分は仕えるべき主君に仕えているのだ。

 面白くて、一生懸命で、ファーレンハイトの中ではまだ12歳の可愛い娘に。

 

 

 迷うことなど、何もありはしない!

 

 

 

 



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第三章 峻風の秋
第三十四話488年 4月 さよなら


 

 

 わたしは初めにラインハルトに通信を申し込んだ。

 

「ラインハルト様。ご機嫌はよろしゅうございますか? 甘いものでも食べてお考えはお変わりになりました? 人間に甘い菓子は必需品ですのよ。心が安らかになります」

 

 わざと軽口のように話し出す。

 そうでもしなければ余りに重い話に押し潰されそうなのだ。

 もちろんラインハルトの方も充分わかっている。何を意味しての言葉なのか、何のためにわたしが通信してきたのか。

 伯爵令嬢はもったいぶって態度保留にしたのではない。自分の価値を高く売りつけるようなこすからしい性格ではない。純粋に迷っていたのだろう。

 

「伯爵令嬢、挨拶は抜きにして本題だけ話そう。変わらない。変わりようがない。リップシュタットにいた貴族らを帝国の逆賊にしてしまった。割りかけた卵はもう割ってオムレツにするしかない」

「…… やはり戦いは避けられないのですか。奢った貴族たちをまとめて叩き潰すと。わたしの大切なお友達もそうなるのですね」

「そうだ。仕方がないことだ。そこに罪のない者も幼子もいるに違いない。それでもやらざるを得ないのだ。一掃し、帝国を全く新しくする」

 

 少しばかりラインハルトは動揺している。それは続く言葉で明らかになる。

 

「しかし伯爵令嬢、そちらは同じではない。邪魔さえしなければそれでいいのだ」

 

 わたしを助けたいと願っている!

 

 ラインハルトにとってわたしは凡百の貴族ではなく、むしろ助けるべき側の人間なのである。それはアンネローゼ様の菓子の友としてだけのことではなく、親愛を感じる。

 

 わたしは素直に嬉しいと思う。その誠実さも嬉しい。

 

 おまけにラインハルトはカロリーナ艦隊を味方につけて得をしようという計算で語っているのではない。逆にいえば自分が勝つことを何も疑っていない。

 

「そうですか。しかしわたしはお茶会の時と変わらず、もう一度言います。罪のない者を大事にしてください。そして、ラインハルト様もご無事でありますよう。それもまた本心です。それでは」

 

「待て!伯爵令嬢!! 」

 

 このときのラインハルトの顔は忘れない。思わず立ち上がっているその様子も。

 

「考え直せ!」

 

 あ、言い忘れてたわ。

 

「ラインハルト様、マリーンドルフ家のヒルデガルト嬢は良き方ですわ。それと逆にオーベルシュタイン大将の策謀はあまりに人の血が通わないものです。ラインハルトさまの正義と相反するときには、ぜひとも自分の道を貫いて下さいませ。」

 

 これで通信を切った。未練は…… 無いと信じたい。

 

 

 

 次にサビーネに連絡を取った。

 

「おう、カロリーナ、この丸い基地も狭いかと思うたら入れば意外と広いものじゃな。カロリーナの菓子工房の十個くらい作れそうじゃ」

 

 いつもの声だ。ふふ、と笑みがこぼれてしまった。

 わたしはダメね。ほんと、ダメダメだわ。感情で動いてしまう。

 わたしというのは、元々そういう人間なのだ。

 

「サビーネ様、貴族が貴族らしくないよう変わることって、できると思われます? いやそうしなければならないとしたら?」

「…… 正直に言うてやろう。わからぬ。考えることもできんというのがほんとじゃ。しかしカロリーナの言うことはたぶん正しいのじゃ。だから、できる」

「できますでしょうか」

「それは妾がカロリーナを信じているからではない。カロリーナが妾を信じているゆえじゃ。わかるな」

 

 ああ、大人になったわ、サビーネ様。

 え、でも正直言うけど、よくわかんなかったよ。意味。

 

 

 わたしはカロリーナ艦隊の皆を招集した。

 そして話すことを、全員が驚きをもって聞いていた。

 

 戦いに臨むこと、その相手がラインハルト・フォン・ローエングラム元帥だからではない。

 指示内容からしてわたしの戦略的なセンスの一環を垣間見たためである。

 

「長らくお待たせしてしました。本当にこの決断は重いものでした。たくさんの人の運命を巻き込むものですから。わたしと皆様は戦いに出ます。引っ込んでやりすごすということはありません。戦う相手はラインハルト・フォン・ローエングラム元帥です。この時代最高の軍事的天才を相手にします。本心を言います。この戦い、絶対に勝てません」

 

「令嬢、あのラインハルト・フォン・ローエングラム元帥が相手、しかし戦う前から絶対に勝てないとは…… 」

 

「勝てません。しかし戦うのは講和のテーブルに持ち込むのが目的なのです、ファーレンハイト様。そのためにわたしどもは善戦しなくてはなりませんが、むろんそれさえも難しいのです。今貴族連合軍は十九万隻の艦艇をガイエスブルク要塞周辺に集めております。ローエングラム元帥は十万隻を超える程度でしょう。しかし兵の錬度、士気、艦の編成、性能、作戦能力、どれをとっても雲泥の差があります。特に指揮をとる将帥の才に決定的な差があります。まともに戦えば貴族の艦隊は鷹に襲われた鶏の群れのように戦いにすらなりますまい」

 

「令嬢も捨てたものではないのではないか。そして貴族の側にはあのメルカッツ提督がいるとも聞く。その実力は知っている。メルカッツ提督ならばむざむざ大敗するとは考えにくい」

 

「いいえ、それでもダメ、善戦するにはよほど戦略的に優位な状況を作り上げるか、ローエングラム元帥に匹敵する才幹で対抗するしかありません。そこで指示を出します。最初にすべきなのは、ベルゲングリューン様、艦隊五百隻を率いてフェザーン方面へ赴いて下さい。具体的なことはあとで指示します」

「は、カロリーナ様。しかしフェザーン方向とは……」

 

「そして高性能艦五千隻を選び、わたしとファーレンハイト様、メックリンガー様、ビューロー様でガイエスブルク方面に向けゆっくりと航行します。残った四千隻はルッツ様、ケスラー様が率いて辺境星系へ向かって下さい」

 

 アムリッツァの戦いのあと領地を切り売りしてまでも艦艇を買い集めた。ヘルクスハイマー領の工廠から急ぎ新造艦を回送させた。そして先の焦土作戦でカロリーナに感謝する辺境貴族から私領艦隊を委託されたのも若干ある。

 それらを全てまとめてこの数字だ。

 九千五百隻、この艦隊がカロリーナ艦隊の全戦力である。

 

 帝国軍ならこの数字は半個艦隊程度のものであろうか。

 ラインハルトの艦隊に対してなんと無力だろう。

 

 

 今、そこから更に分け、わたしは五千隻と共に行軍を開始した。

 ゆっくりと行軍したのにはもちろん理由がある。

 

「ガイエスブルクにはそんなに早く到着したくありません。当家は皆様のおかげで戦上手と思われていますが、艦艇とすればわずか数千に過ぎません。ひとからげで他の貴族の艦隊と合流させられて扱われれば滅びるのを待つばかりです。貴族軍総司令のメルカッツ提督には申しわけないのですが、カロリーナ艦隊はできるだけ独立して行動します」

 

 これには皆も大賛成である。

 何より心配だったのがその点だ。

 他の貴族と一緒にされて、その指揮下に入ったのでは何の良さも発揮できぬうち消滅するだけだ。

 しかしそれで具体的にはどうする?

 

「ゆっくり行軍すれば前哨戦に遭遇することもあるでしょう。その規模でこそ当艦隊が最も生きてきます」

 

 果たして貴族側とラインハルト側の前哨戦が行われる様相がしだいに形をなしてきた。

 ガイエスブルクの貴族側から艦艇数一万六千隻、一個艦隊規模で進発している。目的は不明だがおそらく航路からしてオーディンに向かっている。ラインハルト側の本拠地を直撃し、かつ大義名分を得るためだろう。

 それに対してラインハルト陣営から一万四千隻の艦隊が迎撃に出動した。それはミッターマイヤー大将が率いると公言されている。

 

 

 途中でこれだけの情報が手に入った。

 わたしは進路を変更し、想定される戦闘宙域、アルテナ星系へ向かった。

 

 どうやら間に合ったらしい。

 貴族陣営艦隊の旗艦に連絡を取ると司令官シュターデン中将が出た。

 

「ランズベルク伯爵令嬢、そちらの艦隊は今になって行軍していましたか。この宙域で間もなく戦闘が始まるはずです。早くガイエスブルクに向かわれたらよろしいでしょう」

「シュターデン提督、今の情勢はどうなっているのでしょう」

 

「こちらは、リップシュタット陣営のオーディン攻略軍としてこの宙域までやってきました。そして、オーディンから迎撃にやってきたローエングラム公のミッターマイヤー艦隊と対峙し、もう三日になります。敵は機雷原を分厚く展開してわが方の進路を抑えています。それはローエングラム公の本隊の到着を待つためだという情報がたった今手に入りました。その前に仕掛けると決め、部隊編成をしているところです」

 

 なんだか事務的な人だ。

 しかしそんなに嫌味ではない。

 今頃あわてて尻尾を振りにきたのか、くらいに言われるかと思った。それに戦闘開始を間近に控えて追加戦力が欲しいはず。このまま麾下に加われと言われたらどうしようかと思ってたので一安心だ。

 

 しかしこれは状況としてはまずい。

 ラインハルトの本隊が来るというのは偽情報なのだ。

 焦った貴族どもがシュターデンの手から離れて勝手に進撃して滅んでしまう。

 しかし貴族をシュターデンの指揮に従うよう説得するなら率先してカロリーナがシュターデン指揮下に入らねばならない。それもできない。

 

 矛盾に悩んだが、次善の策として情報は伝えた。

 

「シュターデン提督、ローエングラム公が来るというのは敵の謀略です。ここに来る途中そんな情報はありませんでした。それを貴族の人たちに周知させて下さい」

 

 まあ、それだけでは貴族を抑えられないだろう。彼らは戦いの何たるかも知らずに無謀にも戦いたがっているのだ。無駄な戦意は戦いを欲してやまず、それが消えるのは彼らの命が絶たれるときだ。

 

 わたしがしばらく静観しているとおよそ八千隻ほどがシュターデンの元から別れて発進するのが見えた。

 これは貴族の私領艦隊の方なのだろう。

 残されたのが一万隻が元々シュターデンの指揮下にあった帝国軍らしい。

 

「こちらも動きます。メックリンガー様、五百隻を率いてあの動き始めた方の艦隊を追尾して下さい。必ず敵の大部隊と遭遇するはずですで、どのみちあの艦隊は何をしても負けるでしょう。ただし、敵を攪乱し逃げるすきを与えてやるのです。それが終わればメックリンガー様は素早く安全な位置に退避して下さい」

 

 始めにメックリンガーを進発させた。

 そしてファーレンハイトにもまた五百隻を与え、戦場からやや離れた位置に布陣させた。

 

「ミッターマイヤー提督は強いです。索敵にも手抜かりはないでしょう。ですから索敵で探知されないぎりぎり遠くの距離にいて下さい。ただし戦闘が始まれば相手が高速で動く分、こちらは索敵しやすくなり、逆に向こうはこちらを見つけにくくなります。戦闘開始が分かればこちらへ近づき、ファーレンハイト様の思うような攻撃を仕掛けて下さい」

 

 

 これらの仕込みを終え、またスクリーンに映るシュターデンの艦隊と機雷原を見やる。

 

 それにしても、と思う。

 どうしてシュターデン提督は律義にも機雷原に向かって艦首を並べているのか。こんな分厚い機雷原から来るはずがないではないか。

 

 わたしは逆に自分の四千隻の艦隊をことさら機雷原に背を向けるように布陣させた。

 その形でシュターデン側に加わっても、それでもシュターデンの方はかたくなに変える様子がなかった。

 このままでは何もできないうちに負けるだけだ。その間抜けさにわたしは呆れ、シャトルに移乗して艦を出た。シュターデンの旗艦に向かい、面と向かって意見を言いたかった。今の艦隊の布陣もそうだが、戦って劣勢になった場合の撤退方法を進言しなくてはならない。

 

 まさかそのタイミングで敵艦隊が現れるとは!

 それは予想もしなかった。わたしの完全な油断だった。

 

 

 時は少し遡る。

 わたしの危惧した通り、貴族の私領艦隊はミッターマイヤーの暴風にもてあそばれていた。

 ミッターマイヤーの疾くて美しい艦隊運動に貴族艦隊の対応など一拍遅れ、いや三拍は優に遅れている。完全に一方的な戦いとなった。このままでは全滅だ。

 それをメックリンガーはしばらく見ていたが暴風に手を出しかねていた。下手に暴風に手を出せば腕ごと持っていかれる。

 

 しかし伯爵令嬢の命である。せいぜい嫌がらせくらいはしよう。

 そこでメックリンガーは艦からゼッフル粒子を垂れ流しつつ適当に戦場を往復した。もちろんそこにうまくミッターマイヤー艦隊が差し掛かるとは限らないが、細い線状の行動制約線が引かれる。

 これが意外なほどミッターマイヤーを悩ませた。艦隊ごと高速運動をさせるミッターマイヤーにとっていちいち進路のゼッフル粒子を爆砕するのは手間がかかり過ぎる。

 

「くそっ! やるな、あの部隊は。艦隊運動の効果的な邪魔とは、味な真似をしてくれる。しかしたかだか小部隊だ。ジンツァー! ドロイゼン! あの敵部隊を挟み撃ちにして消してしまえ!」

 

 ミッターマイヤー麾下の有能な中級指揮官が出てくる。その数はメックリンガーの部隊より多く、しかも戦意が高くて危険だ。

 しかしメックリンガーはまともに戦う気などなかった。

 逃げるだけだ。その間にもしつこくゼッフル粒子を流しながら。

 

 

「ふむ、油絵を主にやるようになったら久しく線画は描いていなかった。宇宙にゼッフル粒子で線画を描くのも趣があるものだ。惜しむらくは美術館に入れるのが難しいことか」

 

 語るのがメックリンガーだけに100%の冗談とも言い難い。

 おそらく、それを聞いたらジンツァーたちはさぞ悔しがったろう。

 

 

 

 

 



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第三十五話488年 4月 アルテナ星域、疾風を叩け!

 

 

 メックリンガーがゼッフル粒子を上手く使い、ミッターマイヤー艦隊の動きを大いに妨害をする間に、貴族の艦隊は続々と逃げだしていった。

 威勢良く戦いに向かった貴族の連合艦隊は、逃げる時には恥の掻き捨てとも言わんばかりだ。矜持もなく、自分ばかりが逃げようと脱出路で押し合いへし合い、醜態を晒す。メックリンガーもやれやれと言うばかりだがこの救助も伯爵令嬢の命である。

 

 そしてミッターマイヤーの側では早めに諦め、対処に移っているのはさすがである。

 

「まずいな。もっと貴族どもを撃ち減らしておくのだった。理屈倒れのシュターデンに再び合流されても始末に困る。バイエルライン、分艦隊を率いて先にシュターデンのところに行き、後背から奇襲をかけろ。こちらも後から行く」

 

 数が少ない方が艦隊行動は俊敏になる。これを分かっているミッターマイヤーは最も信頼する部下、バイエルラインを先行させたのだ。そのバイエルラインはミッターマイヤーの見るところ未熟ではあるが、攻守にバランスよく、理性と勇気のどちらも備えている有望な若者だ。

 

 さすがにメックリンガーの持つ戦力では躱して逃げたのが精一杯、バイエルラインの分艦隊を阻止することができるはずもない。

 

 その分艦隊三千五百隻が進み、貴族側の本隊であるシュターデンのところに姿を現した。

 それはあまりに間が悪い!!

 わたしはちょうどその時、シュターデンと面談するために向かう途中、つまり自分のカロリーナ艦隊からシャトルで既に出てしまっていた。

 戻ろうにも戦闘が開始されたら戻れない。

 万が一でも流れ弾が当たったりしたら防御のないシャトルは粉微塵だ。

 距離的にはシュターデンの艦の方が近く、そこに行くしかない。

 

 わたしはシャトル内からカロリーナ艦隊旗艦に連絡をとった。

 

「ビューロー様、どうぞ指揮をとって敵艦隊に当たって下さいませ。信頼しています。わたしはやむをえずこのままシュターデン提督のところにおります」

 

 ビューローが全く予期しないことで艦隊指揮をとることになった。

 

 アルテナ星域会戦の主役は誰しもが思いもつかない形になったのだ。

 フォルカー・アクセル・フォン・ビューローとカール・エドワルド・バイエルラインがここに対峙する。どちらも優秀な指揮官、しかも艦数はほぼ互角とは。

 

 バイエルラインの側の不幸はてっきり奇襲をかけたと誤解していたところだ。

 うまく迂回し、後背をとったはずなのに。

 

 しかしちょうどそれはカロリーナ艦隊があらかじめ奇襲を予期して艦首を向けている方向だった。

 バイエルライン分艦隊の急速接近を知ると間髪入れずビューローの指令が飛ぶ。奇襲をかけたと思っていたバイエルラインの方がむしろ機先を制されるとは皮肉だ。

 

「直ちに砲撃開始! 同期は要らない。とにかく手数を増やすのが優先だ。そして敵艦隊の陣形の左右の端を狙え!」

 

 ビューローがそういう指示を出した理由がある。

 艦影密度の高い中央部を狙って火線を集中するのが常道である。その方が威力が大きい。

 しかしビューローは敵が進路を変更し、このカロリーナ艦隊ではなくシュターデンの艦隊の方を襲うのを危惧していた。

 シュターデンは士官学校の教官だ。その戦術思考の硬直さはミッターマイヤー、バイエルラインならずともビューローもよく知っていた。急速かつ柔軟な対処など期待できるはずもない。

 

 ビューローの策が当たりバイエルラインは下手に進路変更できなくなった。

 そうしてしまえば、砲撃を受けて航行不能になっている味方艦が左右両翼どちらにも存在する以上、どちらかを敵中に見捨てる形となってしまう。

 その迷いのせいもありビューローの側が次第に有利になった。

 そしてビューローは更に火線を両翼からゆっくりと中央に寄せ、いっそう大きな打撃を与えていく。

 

 

 バイエルラインは第一幕で負けた。

 砲撃戦で不利になったことを悟り、無理押しはせずいったん後退して陣の再編に取りかかる。バイエルラインもこの辺りは決して無能ではない。

 その後再び接近に転じる。このまま引き下がればがっちり守備隊形を取られ、後からやってくるミッターマイヤー本隊に苦労させてしまう。ここはちょっかいを出し続けることが大事なのだ。

 

 またもビューローの側では同じことを繰り返した。

 

 しかし、今度はバイエルラインにも考えていることがあった。相手のやり方の弱点を突き、逆に利用することを。

 

「今だ、敵中央部に集中砲火! 一気に突入して分断する!」

 

 タイミングを見てバイエルラインがそう叫ぶ。

 分艦隊はいっせいにビューローのカロリーナ艦隊に突入してきた。ビューローは左右に砲撃を振り分けさせていたため、バイエルライン分艦隊の中央部に照準を合わせるのが遅くなる。突進のスピードに間に合わない。

 バイエルライン分艦隊の突入はうまくいった。そのままカロリーナ艦隊を突破し、分断に成功したのだ。このまま後背をとれば勝ち、続けて背面展開をしようとした矢先のことである。

 

 爆散する艦が相次いだ。

 

「な、何ごとだ! 何が起こっている!」

「機雷です! これは、わが軍が最初に撒いた機雷です! それに接触しているものかと」

「なぜ、そんなことが!」

 

 それはなぜか。

 ビューローはバイエルラインに気取られないままゆっくりとカロリーナ艦隊を後退させ、もともとあった機雷原ぎりぎりまで寄せていたのである。本来ならばかえって行動を制約される背水の陣であったろう。

 

 だが今、突入戦術を取ったバイエルラインの分艦隊がそれのために進路を取れなくなってしまった。背面展開に移行もできないまま逆に地雷原の間に挟まれたバイエルラインをカロリーナ艦隊が袋のネズミにして押し包む。

 辛くも強行突破して脱出はできたが、これで千五百隻を失い、分艦隊は傷ついた艦二千隻足らずに減らされた。もう戦いを挑める態勢ではない。

 

 第二幕もまたビューローの勝利に終わった。

 ビューローはバイエルラインが退いたのを見ると、艦隊へ伯爵令嬢の帰還を待った。

 

 

 

 しかし還ってこなかった。

 

 この戦場についにミッターマイヤーの本隊一万隻余りが到着している。それはやはり機雷原とは反対側の後背から、恐るべきスピードで迫りつつある。その迫力はバイエルライン分艦隊とは雲泥の差があるものだ。

 

 戦うべきシュターデン中将は緊張の中にあった。

 

 そしてついにシュターデンの心の糸が切れてしまった。これまで軍事を知らない貴族にさんざん叩かれて叩かれて叩かれ続け、心労の極みにあり、ついには作戦行動中に勝手に別れて進撃されてしまった。帝国軍であれば有り得ないことだ。

 シュターデンはメルカッツとは違う。教官を務めていただけあって理論派であり、メルカッツのような、トラブルがむしろ当たり前、という諦観など持ち合わせてはいなかったのである。

 そこへ予期せぬ後背からの敵襲である。

 

「ありえない、敵は前方なのだ。これは、ありえない、現実であるはずがない」

 

 そんなことをうわ言のように繰り返し、シュターデンはついに倒れた。艦橋から担架で運び出される。指揮官が戦闘中に失神するなどむしろその方が非現実なのは皮肉だ。

 

 

 そこにわたしが居合わせた。

 シャトルを接舷させ、この旗艦に移り、今やっと艦橋に上がってきたばかりのわたしもどうしたらいいかわからない。

 こういった場合、帝国軍規定では臨時指揮官が指名されるが、その指名すら不可能だった場合は階級序列で次の者が指揮を引き継ぐ。その者は戦闘中であれば、作戦がよほど順調の場合に限って続行、それ以外は撤退を指示するのが慣例である。

 

 この艦における次席将官ノルデン少将は狼狽するしかなかった。

 元々が臆病な人間である。ノルデン少将がかつてラインハルトの幕僚であった頃は臆病な進言を一喝されたこともあるほどだ。

 

「後背に現れた敵艦隊の詳細出ました。総数一万隻、旗艦はベイオウルフ、ミッターマイヤー艦隊の本隊です! 」

「て、撤退はできないか」

「それが、通常ではない速度で接近しつつあり! イエローゾーンまであと推定10分しかありません」

 

 ノルデン少将は蒼白になり何もできない。

 相手はあの有名な疾風ウォルフだ。ローエングラム元帥の最も信頼するといわれる将である。

 先手をとられ、既に振り切れないところにいる。

 しかも今、当初とは違ってシュターデン艦隊は貴族艦が勝手に進発したため数が半分以下の七千隻しかない。

 カロリーナ艦隊四千隻を合わせてみたところで、あの獰猛なミッターマイヤー艦隊に戦力で勝るとも思えず、状況は絶体絶命だ。

 

 

 わたしの方もいかんともしがたい。

 貴族側の立場で戦っているシュターデン艦隊であってもそれは貴族所有の艦隊ではないのだ。わたしとノルデン少将が個人的に話し合って指揮権をどうこうするわけにはいかない。

 それはつまり、正規の帝国軍というものはしっかりと規定があり、守らなくてはいけない。

 あくまでシュターデンが指揮し、倒れた今はノルデンが指揮をとる。その命令系統は絶対である。

 

「どちらに移動しますか? 攻撃目標は? 防御に専念ですか?」

 

 オペレーターは困惑し、周囲の誰もが焦れて不安がる。命令を促されて窮地に立たされたノルデン少将はしだいに幼児的退行を示す。シュターデンと似たり寄ったり、修羅場をどうにかする胆力などない。

 

「た、頼む…… 誰か、どうしたらいいのかわかる者はいるか?」

 

 ついにそこまで言った。

 

「誰でもいい! 代わって指揮を取れる者はいないのか……」

 

 

 

「この文書をもって、わたしがこの艦隊の指揮を引き継ぎます!」

 

 ここでわたしは宣言してのけた。この非常時、出しゃばりはいけないなどと淑女ぶってはいられない。わたしだって負けて死にたくなどない。

 

 艦橋の全員がわたしを見てきょとんとするしかなかった。

 帝国軍の艦隊である。わたしはただの部外者、しかも今来たばかりだ。誰でもカロリーナ・フォン・ランズベルクの名を知っていて、艦隊指揮をとった経験が幾度もあることは分かっている。だが貴族令嬢に過ぎないこともまた確かで、帝国軍における何の士官でもない。

 それともう一つ、何と言った。文書とは何のことか。

 

「皆様は訝しく思っておられることでしょう。中身を簡潔に読み上げます。『カロリーナ・フォン・ランズベルクは帝国軍将兵に属してはいないが、当該艦隊指揮官の移譲の意があれば指揮権を一時行使することができると定める。帝国軍元帥 グレゴール・フォン・ミュッケンベルガー』」

 

 どういうことなのか。艦橋がざわめく。

 

「ミュッケンベルガー元帥はこの内乱の開始直前に軍務を退いています。ですが、それ以前の日付をもって帝国元帥として正式にこの命令書を交付されています。この根拠をもって今わたしが指揮を取ることが可能なのです」

 

 そう、ミュッケンベルガーは帝国の内乱をたいそう憂えて軍務から身を引いた。

 叛徒だったら存分に戦ったろう。しかし、帝国軍同士で争うことはできない。

 

 かつて一度行ったように、わたしはミュッケンベルガー元帥と一緒に戦いたかった。その力量もそうだが、人格面においてたいそう惹かれるものがある。

 内乱に関与しないことを決めたのは残念であるが、いかにもミュッケンベルガーらしい。ここでミュッケンベルガーを強引に貴族の側に引き入れたら賊軍とされる。それは長きにわたって帝国のために粉骨砕身忠義を尽くしてきたミュッケンベルガーにあまりに酷である。ならば無理に引っ張り出すことはしないでおこう、寂しいがそう決めた。

 

 ただし、ミュッケンベルガーはミュッケンベルガーの方で、貴族に与するわたしのことを案じていた。敵となるラインハルトの力量を理解する数少ない者の一人だからである。それでせめてできる支援をしてあげようと考え、そんな命令書を交付したのである。

 せめてものたむけであった。

 

 

 しかしよく考えたらただの屁理屈でもある。

 書面の交付時点ではどんな奇天烈な内容でも有効かもしれないが、現にミュッケンベルガー元帥は退役しているのだ。その効力には疑問符がつく。

 

 しかし緊急事態を目前にしてそこを指摘するものはいなかった。

 

 誰も積極的に動いて全将兵の命の責任など取りたくはない。それならば一応書面を持っている伯爵令嬢でいいではないか。

 

 わたしは皆が賛成するのを待って艦橋に立つ。

 

「直ちに全艦隊に通信を開いて下さい」

 

 今は慣れ親しんだカロリーナ艦隊ではないどころか貴族私領艦隊ですらない。帝国軍の艦橋から帝国軍正規艦隊へ申し伝える。

 わたしは大きく息を吸ってから語った。

 

 

「カロリーナ・フォン・ランズベルクです。今からわたしが艦隊指揮をとります」

「!!!」

 

 全艦隊に声なき声が満ちる。誰だ、何が起きた、本当か。あらゆる意味で信じられない。

 そう思われるのはあまりに当然、わたしも理解するが、今は細かいことを説明する時間はない。さっさと指示を伝えなくては生き残れない。

 

「本艦隊はミッターマイヤー艦隊を前にして不利な状況にありますが、これを破って撤退をしなくてはいけません。わたしの言う通りに行動して下さい。そうすれば犠牲は出ません。全艦落ち着いて指示に従って下さい」

 

 

 



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第三十六話488年 4月 届かぬ疾風

 

 

 一方、ミッターマイヤー艦隊の方では手抜かりなくこちらの通信を傍受しようと試みていた。当然作戦行動中の艦隊は高度に暗号化されるものだが、この場合は叛徒相手ではなく同じ帝国軍艦艇であり、一部は傍受できていた。

 そこでミッターマイヤーはシュターデンが何かの理由で指揮を取れなくなり、艦隊指揮官が変わったのを知ることになる。

 

 そこまでは不思議というほどのことではない。シュターデンについてもわずか気の毒だとは思わなくもないが、敵味方になったのは不運、攻撃の手を緩めるつもりはない。

 

 だが、次の指揮官がカロリーナ・フォン・ランズベルク伯爵令嬢というのは何だ!

 冗談だろう? 貴族令嬢が帝国軍を指揮? 理解できない事態に、しばし静観した。

 

 

 わたしは自分のいるシュターデン艦隊とミッターマイヤー艦隊との間のいくつかのポイントに大急ぎで機雷を敷設させ始めた。それを見るミッターマイヤーは訝しく思ったが、さしたる意味があるとも思えず、慌てることもない。

 

「なるほどそうやって隠れ蓑を作るつもりか。だが戦術的には意味のない時間稼ぎだ。攻撃に顔を出した瞬間叩き潰す」

 

 ミッターマイヤーの側ではその時間を使って念には念を入れて攻撃態勢の布陣を強化する。それには先に敗退したバイエルラインの分艦隊を収容し、簡易修理を施して戦列参加させることも含まれている。

 シュターデン艦隊は機雷の敷設をせっせと続け、ミッターマイヤー艦隊に向け回頭すらしてこない。

 

 ミッターマイヤーはわずかに疑念を抱く。

 戦いを少しでも有利にするための陣地形成ではないのか? 機動力を削ぐための。

 

 いくつかの場所に機雷が敷設されても、そこに隠れての狙撃の態勢を取らない。

 それどころか幾つかの機雷原の隙間を埋めるようにまたしても機雷の敷設を始めてきたではないか。

 

「そうか! 奴らは最初から戦う気などなかった。逃げるための障害物を作ったのだ。最初に我が軍が厚く機雷を敷設した意趣返しか。小賢しいマネを。だがしかし、多少妨害しても逃げ切れるものか。奴らが逃げ始めたところから、追い付き、後背から仕掛ける!」

 

 ミッターマイヤーの決断は早い。そうと決めると艦隊を急速前進させた。もちろん疾さには充分な自信がある。

 

 

 わたしも全艦隊へ直ちに発進を命じた。

 

「敷設した機雷の内側に沿い、横方向に最大戦速!」

 

 今敷設させた機雷源の内部を航行していく。そして、機雷源は横に進むにつれこちらのシュターデン艦隊から見て手前側に来るようカーブしていた。それに沿って艦隊もカーブを描く。

 

 ミッターマイヤーの方もその機雷源を盾にした逃走を見ている。

 

「やはり奴らは逃げている。曲がりつつ進行しているようだが、こちらはその頭を抑えてやる。先回りだ!」

 

 ミッターマイヤーが進路を変えさせた。

 その時オペレーターが叫んで知らせる。

 

「提督、ダメです! ここにも機雷があります!」

「何!?」

 

 なぜ、と思ったのは一瞬だけであった。

 ミッターマイヤーはすぐに悟った。

 何とミッターマイヤーの方が最初に置いた機雷に邪魔されている。

 つまりシュターデン艦隊は自分の艦隊の前方と後方を機雷で挟むように敷設していたのだ。もちろん後方の機雷はミッターマイヤーが敷設したものをそのまま利用して。

 ミッターマイヤーは追い付くのが難しくなったことを悟った。下手な先回りはできない。

 

 シュターデン艦隊は真っすぐではなくてミッターマイヤーの機雷原を包むようなカーブで機雷を敷いている。今、その間の内周の狭い空間を進んでいる。ミッターマイヤー艦隊は大きくそれらの外周を廻らざるを得ない分だけ距離が長くなってしまうのだ。

 

 ここでカロリーナ艦隊の指揮を一時とることになっているビューローは思う。自分もミッターマイヤー艦隊が敷いていた機雷を戦術に利用したが、さすがにカロリーナ様だ。更にダイナミックに利用しているではないか。

 

 だが、ミッターマイヤーは決して諦めていない。

 ミッターマイヤーは自分の艦隊の速度に自信がある。例え距離の面で不利になろうとも追い付ける可能性は充分残っているはずだ。

 

 

 しかし事態は急変した。

 またもやミッターマイヤー艦隊のオペレーターが凶事を告げる。

 

「て、敵襲です! 艦隊後方から急速接近!」

「何だと! 後方からとはいったい…… 」

 

 見る間に艦隊後方から撃ち崩されていく。それもまた尋常ではないほど疾い。

 

「今別動隊が分かれたのではない。奴らは探知外に最初から伏兵を仕掛けていたのか!」

 

 驚きは更に大きくなる。最大戦速をかければ、このミッターマイヤー艦隊ならあっさり引き離せるはずが、後方から崩されることが止まらない。

 迅い、迅すぎる。どうしてだ。

 この伏兵は高速のミッターマイヤー艦隊の更に上を行く速度である。

 

 むろん、伯爵令嬢の命により潜んでいたファーレンハイトの別働隊である。

 烈将ファーレンハイトは今こそ高揚していた。

 

「これが疾風ウォルフか。凄いな。だが知っておくがいい。わが伯爵令嬢の知謀の前にはお前ごとき相手にもならん」

 

 

 完全に奇襲を受け、振り切れない。

 

「しまった、謀られたか…… 」

 

 ミッターマイヤーはこの戦いの失敗を受け入れた。蜂蜜色の髪をかきあげ、潔くそう認めるのはやはり有能である証拠だ。

 

「奴らは我が艦隊が大きく迂回して攻勢をかけることを読んで、更にその外側に伏兵を用意していた。追撃は断念する。防御を固めて、撤退に移る」

 

 この伏兵は小勢といえど本気で対処を開始すれば速度が鈍る。下手をしたら機雷の内周を回り切ったシュターデン艦隊に逆に追い付かれてしまう。

 そうなれば目も当てられない。

 

 

 数年前から帝国軍でも話題になっていた。

 カロリーナ・フォン・ランズベルク。

 艦隊を指揮して決して敗れることのない伯爵令嬢。

 「無敵の女提督」

 周りの人間が写真集を買う中、ミッターマイヤーは買わなかった。

 

「エヴァンゼリンほどかわいくはない」

 

 買っておけばよかった。人となりが少しでも伺えたのに。

 

 

 ミッターマイヤーは思い直しシュターデン艦隊へ通信を申し込んだ。

 直ちに回線が開いた。

 スクリーンに少女が映った。思っていたより小柄であり、空恐ろしい戦術を使う艦隊指揮官にはとても見えない。

 

「ローエングラム公麾下ミッターマイヤー大将です。今回の戦いではしてやられました。これでバイエルラインのことを怒ってやることもできなくなりました」

 

 少女はうふふ、と笑う。

 

「これはミッターマイヤー閣下、お目にかかれて光栄に存じます。カロリーナ・フォン・ランズベルクと申します。今回は正直言ってできすぎです。危ないところでした。閣下もまた撤退されてうれしく思います。お互いの兵の命を無駄に失わずに済みましたから」

「ですが、戦いは終わらず、次があるように思いますが」

「そうですね。でも、なければよいのに。そうは思いませんか。戦う必要はないのに」

「…… このような形ではなく伯爵令嬢とお話ししてみたかったものです」

「全くそう思います。それではまた。あ、大将閣下、またエヴァンゼリンさんのためにバラの花束を買い占めたらいいですわ。女は、二度、三度でも嬉しいものです」

 

 何とも不思議な感触のうち通信は終わった。

 ミッターマイヤーはまたあの伯爵令嬢とは戦いたくないな、と思った。

 

 勝つことよりも犠牲の少ないのを喜ぶ。少しも高ぶらず、理知的でありながら情に深い。

 むしろ味方として一緒に戦えればいいのに。

 

 どんな令嬢であったか、今度ワインを飲みながらロイエンタールに聞かせてやろう。

 

 

 



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第三十七話488年 4月 救出作戦

 

 

 わたしはこのアルテナ星域においてあのミッターマイヤー率いる艦隊に勝利した。正確に言えばどちらも撤退だが、実質勝利なのは誰しも認めるところだ。

 戦いの後は救出活動、艦の応急修理、再編など幾つも仕事がある。

 それをこなしながら、何より戦いの立役者、ビューロー、メックリンガー、ファーレンハイトをねぎらう。

 

「皆様よくやって下さいました。貴族たちの艦隊を最大限守り、無事に撤退を完了させ、この大きな意味を持つ前哨戦で存在感を示せました」

 

 次にやることは、シュターデン艦隊全体に向けて声明を出すことだ。

「この中で、わたしの指揮に入ることを良しとする者は残って下さい。そうでない人は離脱してかまいません。ローエングラム公のもとに行くのも許可しましょう」

 

 シュターデン艦隊の将兵は驚いた。敵の元に行くのも許可するとは。

 

 戦いにおいては見事な采配を振り、驚くべき戦術を展開したカロリーナ・フォン・ランズベルク伯爵令嬢、その凄さは噂以上であることを目の当たりにした。疑う余地は全くない。今までどんな指揮官でもやらなかった戦いをしてのけたのだ。

 本心から言えば、シュターデン艦隊のままであるより素直に伯爵令嬢麾下に入りたいのは山々だった。

 

 しかしそれでも躊躇してしまうのは、帝国軍の軍人らしく指揮命令系統がどうなるかが気になる。軍人としての思考が身に付いていた。現在のところ一時的に伯爵令嬢へ指揮権は移譲されている。ミュッケンベルガー元帥の命令書を持って。艦隊としては令嬢の指揮下にある。

 しかしよく考えれば現存する帝国軍の最高位は宇宙艦隊司令長官ローエングラム元帥である以上、シュターデンやノルデンの司令部がなくなった今、むしろローエングラム元帥に参じるのが帝国軍としての本道かもしれない。

 

 結局、艦隊将兵の反応は別れた。

 

 八千隻の中で六千隻近くは残った。二千隻は去っていった。

 正確に言えば、去ることを望む人員にカロリーナ艦隊の老朽艦や小型艦を与え、食料と推進剤、そして一定の財貨を付けて去らせた。

 艦艇そのものは残させた。

 不足した人員は、他の貴族の私領艦隊からの余剰人員を当てた。貴族の艦隊は先にミッターマイヤーにさんざん痛めつけられて、心神喪失していたのである。人員や艦艇もカロリーナ艦隊に委託するのに異議はなかった。

 

 かくしてカロリーナ艦隊はこの場所にいるだけでも一万隻一千隻という規模にまで膨れ上がった。

 しかも待望の最新鋭戦艦、そして空母が手に入ったからには取れる戦術バリエーションが格段に広がり、何より接近戦でも戦える。

 ただしにわかの混成部隊であることは間違いない。

 また階級の問題もある。取って付けたようなことだが急遽ファーレンハイトとメックリンガーを准将に、ビューローは大佐に昇進させた。この場にいないルッツやケスラー、ベルゲングリューンは後にする。

 これで指揮系統的な体裁は整う。

 

 

 さあ、改めてカロリーナ艦隊が次にするべき軍事行動を考える。

 止まってはいられない。機動力を駆使して動かなければこの鉄火場にはいられない。

 

 さて、ラインハルト側の次なる目標はレンテンベルク要塞だろう。これは別に不思議でもなんでもなく、オーディンから貴族連合の本拠地ガイエスブルク要塞へ進軍しようとすれば途上に位置する要衝、これが狙われるのは当然だからだ。

 レンテンベルク要塞は人工天体ではなく、小惑星をくり抜いて安価に作られた基地である。大規模なものではなく、せいぜい補給物資の集積所や艦艇乗員の休息をする場所としての価値しかない。

 ラインハルトにすれば目障りであり、後顧の憂いを絶つためだけに攻略を図る。

 

 それでもラインハルトの本隊がわざわざ来たには理由がある。元が小惑星なだけにいくら艦砲で攻撃しても中枢部のある内部はビクともしない。反応炉とメインコンピューターは内部深くに置かれている。

 また、わざわざ岩石を掘って新たな通路を作ることも不可能であり、地道に既存の通路を制圧しながら内部に進むしか手がない。つまりは規模の割に防御力だけはかなり高い要塞になっている。

 そのため意外に手間どる可能性を考えてラインハルトの本隊を含む大部隊で来たのだ。

 

 

 しかしラインハルトが到着する前に、いち早くわたしがレンテンブルク要塞へ近付いた。選び出した高速艦五百隻だけを連れて、そしてビューローを伴っている。

 わたしがここへ来た理由はただ一つ、まだ残っている貴族の令嬢たちを救出するためだ。

 あまりに戦況を楽観視している貴族連合はガイエスブルクに急がなかった。それで急速な事態の進展についていけず、戦闘参加の可能性がある青年はともかく令嬢は途中で取り残される例が少なくない。呑気に構えていた貴族令嬢たちの自業自得とも言えなくもないが、中には本人の責任でないことも多い。全く酷い話だが、貴族家にとってあまり価値のない二女三女を軽視する結果だったこともあり、酷い例になると置き去りにしている場合すらあるからである。

 

 ここレンテンベルク要塞はそういった貴族令嬢がいったん集まり、身を寄せ合っている場所なのだ。

 

 それら令嬢の中にはわたしがサビーネ共々仲良くしていたレムシャイド家の令嬢姉妹ドルテとミーネもいるはずだった。当主のレムシャイド伯爵は外交官としてフェザーンに趣いていたので、それら姉妹のオーディン脱出が遅れてしまった。

 

 わたしはレンテンベルク要塞に近付くと、直ちに通信を取る。貴族令嬢たちはこのままでは戦禍に巻き込まれて命を失ってしまう。急がなくてはならない。

 

「カロリーナ・フォン・ランズベルクです。端的に用向きを言います。この要塞にまだ貴族令嬢が数十人いると思いますが、ローエングラム公が戦いを仕掛ける前にガイエスブルクへお送りしようと思って来ました。ここの最高司令官は誰ですか」

「そりゃ、儂だ。援軍かと思ってみたら、なんだこげ茶色の令嬢か」

 

 あはっ 笑ってしまった。

 たぶん普段は「こげ茶色の小娘」と言ってるんだわ。

 でも実際本人を目にして、言わないようにしようと思ったから、中途半端な言い方になっちゃったんだ。

 この不器用さんはもちろん装甲擲弾兵総監オフレッサー上級大将、このレンテンベルク要塞の守備を任されている。その特質上、白兵戦が主となるからには適任といえる。

 

 通信スクリーンに映るその姿、さすがに大きく、もちろん顔もいかつく、大きい。髭も立派。

 でも目は誠実そうな人だ。

 

「オフレッサー閣下、急ぎ脱出の手配を。そこにいる令嬢たちも、もちろん兵や閣下も。ローエングラム公は絶対に攻略する決意を持ち、大部隊でやってきます」

「そうか。では令嬢たちはすぐ脱出の用意をさせよう。しかし、この儂の心配はやめてもらおう。戦う前から脱出などせん。あの金髪を血で赤く染めてやらねばならん」

「閣下…… ここを守るよりガイエスブルクで待ち構えた方が良いと思います。金髪も少しは伸びてる方が染まりやすいでしょう」

 

 あえて、このレンテンベルク要塞を守るのが無理だからとは言うまい。そんな武人のプライドを傷つけることはしたくない。

 オフレッサー上級大将にもそれがわかったようだ。

 

「令嬢、今だからこそ言うが儂はそなたが嫌いではなかった。屋敷に閉じこもって噂とダンスで日を過ごすのが普通なのに、カロリーナ・フォン・ランズベルク、そなただけは違う。宇宙に出て自ら戦う小娘、ずっと面白いと思っておったぞ。ミュッケンベルガー殿はいつも困った様な顔をしながら自慢していたのを知っておるか」

「いえ、そんな…… 」

「だがここは武人の場だ。大軍を相手に戦うことこそ武人の誉れ。長きこと陛下にお仕えせし武人が敵から逃げてなんとする。ここは儂が一人で残る」

 

 さすがに武人である。そう言い切って清々しい顔をしている。

 もはや覚悟を決めているオフレッサーの説得はおそらく無理だ。

 しかし他は絶対に救出しなくてはならない。

 

 

 令嬢たちの脱出準備を待っているとはたしてローエングラム公の大部隊がもう見えてきた。識別するとその中にミッターマイヤー艦隊もロイエンタール艦隊も含んでいる。掛け値なしに宇宙で最強の部隊だろう。

 急がねば。

 意外に時間がかかっていた。わたしは手のひらを腰にぱんぱん当てながら焦る。

 

 真っ先にそのローエングラム公の先遣部隊と思われる約六千隻の艦隊が迫ってきた。

 

「敵艦隊、約六千隻! レンテンベルク要塞に向けて長距離ミサイルの発射を確認!」

「直ちに迎撃ミサイルで対処を!」

 

 迎撃ミサイルを発射させた。この長い距離ではたぶん迎撃は大丈夫だ。先ずは様子見らしく、数に任せての飽和攻撃でないのが幸いした。

 

「敵ミサイル全て迎撃確認。敵ミサイル目標、おそらく当艦隊ではなく、レンテンベルク要塞表面です」

「何ですって?」

 

 しかしこれは向こうにとってすれば順当な攻撃かもしれない。

 六千隻の接近を間近にしながら、たかだか五百隻の艦隊が逃げず、なおも要塞に接近しているのだ。とすれば目的は要塞からの要人脱出しかありえない。それなら要塞を攻撃することでいったん脱出を妨害し、艦に移乗するのを止める。その後距離を詰めた上で艦隊ごと包囲するのが正しい。

 

 そもそも要塞表面の岩石にビームは有効ではない。そう硬くないが分厚い岩石には物理的打撃力の大きいミサイル攻撃が一番適している。なかなかそつのないやり方だった。

 

「敵ミサイル第二波来ます!」

「とにかく迎撃して防衛をはかって下さい。それと敵の先遣艦隊に通信を」

 

 通信回線を開くことは可能だった。ならば言うことは一つだ。

 

「カロリーナ・フォン・ランズベルクと申します。このレンテンベルク要塞にはまだ貴族令嬢たちが残っているのです。その人道的救出にご配慮をお願いします。戦闘は一切いたしません」

「ローエングラム元帥からこの艦隊を任されておりますグリルパルツァー少将です。お言葉を返すようですが、ここはもはや戦闘宙域です。相手が男だろうと女だろうと、戦場では区別などありませんが」

 

 それが正論だとも思えるが、わたしとしてははひたすら交渉、いや頭を下げてお願いするしかない。

 

「グリルパルツァー閣下、仰ることはもっともだと思います。しかし、か弱い令嬢たちを逃がしても戦闘力に何ら影響ありますまい。彼女らには聞き出すべき情報もなく軍事的な価値は何もありません。お願いします。脱出させてあげて下さい」

「これは戦闘であり、相手は貴族。我らは帝国貴族と敵対し、その一掃を掲げています。攻撃に躊躇する理由が一つでもありますか?」

 

 それを言われてしまったら、これはもうダメだ。

 確かにグリルパルツァーの話の筋道はもっともだ。貴族と戦うための軍にとって貴族を殺すのはその存在意義なのだろう。

 しかし考慮してもいいではないか!

 武人であれば堂々と真っ向から勝負すべきだ。何も抵抗できない令嬢たちを殺さなくとも。

 

 

 ああ、ラインハルトなら、きっとラインハルトなら令嬢たちの命を奪ったりするはずがない。黄金の覇王たる矜持にかけて、そんな酷いことは考えないに違いない。

 ラインハルト、本隊に通信は届いていないの?

 

「閣下、それでは令嬢たちを降伏ということで渡した場合、命はもとより人道的な配慮をしていただけますか?」

 

 要塞はもはや降伏しかないだろう。令嬢たちの命を助けるため、なんとかオフレッサーを必死で説得し、被害が及ぶ前に降伏させるしかない。

 

「ランズベルク伯爵令嬢、お約束はできません。人道的な配慮ですか? いまさら貴族に対して?」

 

 グリルパルツァー少将はなぜだかにやにや笑っている。

 気持ちが悪い。

 

「普通の捕虜待遇よりも貴族に対して厳しくなるのは当然、たっぷり後悔させてやらなくては。貴族令嬢たちにはいろいろな意味で厳しいものになるでしょう。令嬢たちはあの時死んでおけばよかったと思う境遇になり、毎日涙するくらいに」

 

 この人、七三分けで折り目正しく眉目秀麗な顔立ちをしている。

 だがその中に小悪党の腐ったものを隠している。

 少なくとも武人ではなく、清廉な気概など微塵もない。

 

 

 

「くッ、ゲスが!!」

 

 その時、横からの声に驚いてしまう。

 ビューローだ。

 どうしたんだろう。普段一番冷静な人なのに、そんな激情を発するとは。

 

「ミサイル第三波来ます!」

 

 通信が物別れに終わったあと、間髪入れずにまたしてもミサイル攻撃が来たが、今度はあまりに数が多すぎた。撃ち漏らしたミサイルが要塞表面に着弾し、いくばくかの岩石を吹き飛ばす。振動は激しく全く無傷ともいかないだろう。

 

「要塞の被害確認を急いで。宇宙港の入り口は?」

 

 レンテンベルク要塞はもちろん帝国軍のもの。設計はデータとしてこちらのコンピューターにもある。

 

「宇宙港は被害ありません。しかし、しかし着弾したのは居住区です。見える様子ですと、もう全壊かと…… 」

 

 そしてオフレッサーから通信が割り込まれた。

 

「伯爵令嬢、早く逃げるがいい。残念なことだがもうここにいる理由はなくなった。死んだ令嬢たちの仇は儂が取ってみせる」

 

 わたしは目の前の敵先遣艦隊に対し敵意が湧いた。これまでにないほど、強く。

 

 

「おのれおのれグリルパルツァー、お前だけは、絶対に生かしておくものか!」

 

 目を見開き、言うまいとしても言葉が口から洩れる。

 

 

 

 



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第三十八話488年 4月 レンテンベルクの英雄

 

 

「最大戦速、突撃!」

 

 わたしはそう命じたが、言うまでもなく横のビューローがすでにそう動いている。

 唇を引き絞って言葉は何も発さないが、抑えた巨大な感情の片鱗を感じる。すさまじい気迫だ。

 

 わたしは少しばかり我に返る。今、兵を率いてここにいる以上、兵の命も守らねばならない。令嬢たちのことばかり考えるのでなくその責任を忘れてはならない

 冷静になれ。冷静になれ、わたし。

 

 先ずはグリルパルツァー艦隊の動きを見極め、それをかいくぐる。死角からの一斉射撃で先ずは突き崩す。

 そこを補充するようにグリルパルツァーが艦列を動かすのは、決して無能ではない証左なのだがそこを利用させてもらう。下手に動きが読める分だけ戦いはしやすい。逆に艦の移動のために混乱しているところを狙い、急進突撃の構えを見せる。

 頃合いだ。この擬態でグリルパルツァーは慌てて立て直しにかかるだろう。

 六千隻という数を相手にしてはこれが精一杯ともいえる。

 

 その隙に逃げよう。

 ラインハルトの本隊がそこまで近付いている。

 このときレンテンベルク要塞から通信が届いた。

 

「令嬢たちは無事だったぞ! ちょうど皆で手荷物を選びに倉庫に行っていたらしいのだ。今、やっと宇宙港についた」

 

 ああ、少し遅かった。

 それでもわたしはレンテンベルクの宇宙港へ急ぐ。何とかして助けたいのだ。あんなグリルパルツァーなどの手に陥らせるわけにいかない。

 

 レンテンベルク要塞に急速突入すると、宇宙港には八十人余りの令嬢とその従者達が待っていた。その中を素早く探すとレムシャイド家のドルテとミーネもいた。泣き顔だが足取りはしっかりしている。

 

 急げ! 令嬢と従者たちを手早く艦に乗り込ませる。

 その後直ちに脱出にかかるが、宇宙港から出る直前、敵ミサイルが至近に着弾する。

 艦に振動はない。要塞の大きな破片が当たるとき以外は。

 しかし振動していると錯覚してしまうのは、スクリーンに見えるレンテンベルク要塞の方が振動しているためだ。

 これは危ない。要塞を震わすほどの遠距離大型ミサイルが当たれば艦などそれで粉微塵になる。

 やむを得ずいったん宇宙港内部に後退したが、しかし攻撃は激しくなる一方だった。

 おそらくラインハルトの本隊からの攻撃も始まったに違いない。これでは待っていても攻撃に間断などなく、要塞から出ることができない。

 

 わたしは初めて絶体絶命の危機にさらされる。どうにもならない。脱出は不可能だ。

 みんな、ごめん。わたしが悪い。

 

 今回救出に来たというのになんにもならず、全員がここで死ぬことになる。

 手を握り締め立ち尽くす。いずれ訪れる爆散という運命を待つほかない。

 

 

 その時、レンテンベルク要塞からラインハルトの乗る旗艦ブリュンヒルトへ通信が飛ぶ。

 

「金髪の孺子! 怖くて飛び道具しか使えんとは笑わせてくれる。そんなもので儂を殺せるものか! 儂は逃げも隠れもせん。この第六通路で待っている」

「オフレッサーか。相変わらず無駄な蛮勇だな」

 

 ラインハルトには何の感慨もない。むろん、ラインハルトにも戦いに対する矜持はあるが、それには白兵戦での勝負など含まれない。

 ただし、平然としていたのは次のセリフを聞くまでの短い間だった。

 

「儂が怖いか孺子。ふん、姉共々陛下をたぶらかし奉りおって!」

「姉上に何を言うか! 攻撃を止めさせろ! 白兵戦だ! ミッターマイヤー、ロイエンタール、あの原始人をここまでひきずって来い!」

 

 姉アンネローゼのことを言われたのだ。ラインハルトがこれで激高しないはずがない。特に今は落ち着かせるキルヒアイスを辺境星系の討伐に行かせているので抑える者がいない。命令を聞いたミッターマイヤーとロイエンタールがやれやれ困ったと言うばかりである。

 

 

 ミサイルでの攻撃が止んだ。

 今だわ! 今しかない!

 この隙を逃さず、わたしは宇宙港から艦を出させ、要塞を脱出できた。

 

 そしてわたしの艦隊に対して何も攻撃はなかった。

 なぜなら、ラインハルトはオフレッサーがあんなことを言っておいて要塞から逃げるとは考えてもいなかったからである。ならばこんな小艦隊などどうでもいい。

 

 わたしがこうしてレンテンベルク要塞から離れる途中、一瞬だけ要塞から通信があった。

 

「良かったな。伯爵令嬢。あとは無事に着くよう願っている」

「オフレッサー上級大将、わたしのために、わざとあんな通信を敵に送ったのですね」

 

 わたしには分かっている。いったんラインハルトの遠距離攻撃を止めさせるため、そんな手を打ってくれたのだ。白兵戦に移るのならミサイルは使わない。

 ただし、ただしだ。

 ラインハルトを怒らせた以上、どんなことがあってもオフレッサー上級大将が命をつなぐ道はない。自分で死刑執行のサインをしたようなものだ。それもこれもわたしと貴族令嬢たちが脱出する隙を作る、ただそのために。

 

「伯爵令嬢が命をかけて飛び込んできたのだ。儂がなんとかせねば名がすたる。令嬢に対して言うのもなんだが、そなたは立派な武人だからな」

「わたしが自分の思いばかりで無茶をしたために、オフレッサー閣下は…… どうお詫びしてよいか」

「詫び? 無用だ。それより人生の最期に意味を持たせてくれた令嬢に儂の方こそ礼を言う。ん、金髪の孺子の部下が来たようだな。蜂蜜色の方か。では」

 

 わたしが最後に見たのは、漢の顔だった。

 それはまさに英雄というのにふさわしい。

 

 

 

 何とか脱出が成功し、戦闘態勢を解いた。そこでわたしは艦に乗り込んだ貴族令嬢たちを見舞う気になった。

 

 もう少しで令嬢たちのいる大部屋に着くところまで歩いて行ったのだが、ふいに通路の引っ込んだ暗がりに人がいる気配を感じた。

 そして見てはいけないものを見てしまう。

 

 あのビューローとドルテがしっかり抱きしめあっていた。

 

「来ては下さらないかと思いましたわ。心の隅にでもビューロー様を疑ったことお許し下さい」

「何を言う! こっちが遅くなったのだ。怖い思いをさせてしまって済まない」

「しかしあの舞踏会の時と同じ、ビューロー様は必ず助けてくれます。ドルテは幸せです」

「もう危ない目には合わせない。でもそんな時には、必ず助ける。何度でも」

 

 ええっ、うひゃあああ!!

 なによそれ。本格的ってやつ? ビューローの奴め、隅に置けない。やけに救出作戦に感情が入っていたのはこのためだったのか。いや、もちろんそれなら当然のことだ。

 

 こちらが気を遣うのもなんだけど、ここはお邪魔しちゃいけない。

 すすすっと音を立てないように後退する。

 続き、もうちょっと見たかったわ。

 言ってたわ。舞踏会? 助ける? そうだ、きっとクロプシュトックのテロ事件の時だ。

 確かあの場にビューローもドルテもいたんだわ。

 ああ、よかった。

 このレンテンベルクの救出戦は危ないことだらけだったが、やってよかったのだ。

 

 

 その後、レンテンベルク要塞での白兵戦後の様子を聞いて知ったわたしはそっとつぶやく。

 

「オフレッサー上級大将、安らかにお眠り下さい。武人の魂と一緒に」

 

 

 

 一方、ラインハルトの方である。

 激烈な白兵戦を終結させ、レンテンベルク要塞を陥とし、やっと一息入れる。

 そこへ先の伯爵令嬢とグリルパルツァーとの交信内容が届けられた。

 

 ラインハルトは長い溜息をつくと、グリルパルツァーを呼び出した。

 

「グリルパルツァー。今回の卿の行動は、軍規において特に失態というべきものはない。艦隊戦で手玉に取られたのも不問に付す」

 

 ラインハルトの表情は複雑なものだが、決して良いものではない。

 

「ただし、ただし言っておく。その性根を直しておけグリルパルツァー。我が艦隊にふさわしくないどころか、いずれ卿は晩節を汚すことになる。肝に銘じることだ」

 

 

 

 



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第三十九話488年 4月 ベルゲングリューンの旅

 

 

 それと時を同じくして、遥か彼方を旅している者がいる。

 

 初めに受けた指示通りにベルゲングリューンが遠くフェザーンを目指していた。

 ランズベルク領はイゼルローン回廊に近い位置にあり、フェザーン回廊とは非常に長い距離がある。航行を続け、やっとその外縁までたどり着いた。

 

 ベルゲングリューンはしばし瞑目する。

 今回命じられた作戦は小さいといえば小さいものだ。

 

「フェザーン回廊の叛徒領側出口から、航路に沿って帝国軍の艦艇を押し出して下さい。もちろん無人艦です。最少二、三隻でもかまいませんが多い方が結構です」

 

 これはあまりに奇妙な作戦だ。

 貴族連合とローエングラム公が決戦をしようというこんな時期も時期。

 しかも内容が突飛すぎて意味がよく分からない。

 ベルゲングリューンはもやもやと疑問を抱き続けるよりも、率直にその目的を聞く方を選んだ。

 

「伯爵令嬢、これは一体何の作戦でしょうか」

「んー、それは簡単に言うとですね、叛徒の政府に危機感を持たせるためです」

「叛徒の政府に危機感ですと!?」

 

 ベルゲングリューンはオウム返しにするしかなかった。余計に意味が分からない。帰属連合でもなく、ラインハルト陣営でもないとは。しかも何の危機感で、それでどういうことになるのか。

 

「そうです。叛徒の政府に帝国軍の侵入を見せつけるのです。そうすれば危機感のため向こうに内乱が起きるのが多少とも防げるでしょう」

「叛徒の方でも内乱などあるのですか? こちらと時を同じくして。向こう側には皇帝も貴族もないと聞いていますが?」

「人の信念、政府の権力、こういったものはどこにでもありますわ」

「それはわかりました。しかし内乱をなぜ防ぐのですか? 叛徒同士で争うなら放置すればよろしいのでは?」

 

 民主主義のためよ、とはこの場では言えるはずがない。しかし、この作戦は本当に大事なことなのだ。

 

「叛徒、いえ自由惑星同盟と言い換えますが、彼らの力を借りることも出てくるでしょう。この宇宙にローエングラム元帥と戦える力があるのは自由惑星同盟しかないのですから」

「わかりました。正確にはよくわからないところもありますが本作戦を遂行いたします」

 

 

 作戦内容はこの場合戦闘よりも欺瞞が主である。

 先ずはいくつかの艦艇に偽装工作を施す。偽装といってもこの場合は艦にすっぽりと覆い被せて大型の輸送艇のように見せかけることを意味する。

 ベルゲングリューンほか兵はみな軍服を脱いで、民間宇宙船乗りの平服に着替えた。

 

 最初の関門はフェザーンの帝国側検閲所であり、ここを抜けなくてはフェザーン回廊に入れない。

 

「輸送艇十隻、及び警備艇五隻、併せて十五隻通過許可願います」

「そこそこ大きい船団だな。それで、到着予定地は?」

「フェザーンの同盟側検閲所付近、そこで積み荷の交換を行います」

 

 ここからは叛徒という言葉は使えない。フェザーンは帝国に属するとはいえ、同盟とも通商関係にあり、というよりその通商が生命線だ。何食わぬ顔で通行許可を求めるベルゲングリューンもそれに倣う。

 

「艦艇重量が…… えっ、これは大きいが、積み荷の種類は?」

「ハイドロメタル精製品、けっこう重いやつです」

「なるほど結構、それでは禁輸品がないか臨検を行う」

 

 外部検知装置で艦艇総重量を測った検査官がそう言ってくる。

 そして一定重量を越えるものには臨検が必要になる。高度工業製品、特に軍事用に転用できるものは当然だがフェザーン回廊に持ち込むことはできないのだ。

 むろん、この場合それどころではなく、戦闘艦艇そのものなのだ。

 絶対に臨検などされるわけにいかない。

 

 

 ここでベルゲングリューンはニヤニヤしながら手をカバンに突っ込む。

 

「ちょっと急いでるんで、なんとかなりやしませんか?」

 

 カバンのわずか開いた先に、金色の小粒が詰まっている。

 スクリーン越しでもチラリと見えるようにカバンの先の角度を調整する。

 

「ふむ、今日は輸送艇が普段より多いな。業務の都合上、報告書を提出のみとする」

 

 いつの時代であっても賄賂はその金額に見合った仕事をしてくれる。

 

 ベルゲングリューンはその賄賂を持って検閲所に向かった。

 検閲所でベルゲングリューンはやや危ない物を取引して稼いでいるオヤジを装う。立派な髭を持ち、年齢の割には老けて見える風貌を最大限利用したのだが、自分の小悪党姿が全く疑われないことに逆に不満なのは口にしない。

 

 賄賂を渡したらそのまま通過、次はフェザーン自治領首都星フェザーンである。

 

 

 フェザーンの富と繁栄の象徴、軌道エレベーターから地表に降り立ったベルゲングリューンは目を回すことになる。

 

 なんだこの華やかさは!

 

 これが二大国家間の中継貿易の利を貪るフェザーンの繁栄か。

 オーディンはもちろん古くからの荘厳な建物は数知れない。建物の数自体も多い。

 しかし、このフェザーンと比べたら、古びた都と言うにふさわしい。

 フェザーンにはオフィスや商店が立ち並び、その建物も近代的で、強化ガラスがふんだんに用いられている。

 何よりも種類豊富な商品が所狭しと陳列されているではないか。

 人々も明るい顔で歩いていて、気のせいか声の音量も大きい。

 

 品性においてはオーディンが勝るかもしれないが、活気と人間らしさではフェザーンが断然上だ。

 夜になると更に差が際立つ。

 フェザーンのライトがこれでもかというほど街を照らし出す。

 そこで見えたものにベルゲングリューンは仰天した。

 なんと街角に賭博のオッズが掲げられていたとは、そしてその中身が重大である。

 

  ローエングラム元帥:  倍率1.2

  リップシュタット陣営: 倍率3.8

 

 ここフェザーンでは宇宙の覇権さえも賭け事の対象なのか!!

 自分たちの明日に直結する出来事ではないか。何だろう、この自由さとユーモアは。

 

 しかも倍率を見ると、ローエングラム元帥が圧倒的に優位と喝破しているのだ。

 

 その下のニュースもまた驚かせる。

 

「昨日から今日にかけ、ローエングラム元帥倍率は大幅に変化」

「アルテナ星域においてカロリーナ・フォン・ランズベルク、ローエングラム元帥のミッターマイヤー艦隊を撃破」

「無敵の女提督、戦力を率いてついにリップシュタット陣営に参戦か」

 

 次々に流れる最新のニュース、この時点ではベルゲングリューンさえも知らなかったことなのに。

 

 

 宇宙にはこういう不思議な場所もあるのかと思いながら、急ぎベルゲングリューンはフェザーンを離れ、今度はフェザーン回廊の反対側、同盟側検閲所を目指す。

 またしても賄賂を渡すオヤジを演じた。二度目になれば慣れたものだ。

 同盟領に入るといち早く輸送艇に偽装したものを偽装を解き、無人のまま航路データを入力し発進させた。

 

 あとは逃げ帰るだけ、ちょっとは困難かもしれないが、もう下手な演技などしなくていいので気は楽だ。

 

 

 全速で引き返す。検閲所も強硬突破、フェザーンにも寄らない。

 補給物資は行く道でたっぷり買い込んである。

 しかしそれでも、フェザーンの警備隊が急を聞いて集まってくる。フェザーンは無用に帝国の警戒を招かないよう、軍備は海賊を追い払うのに必要な大きさの艦艇しか持っていないが、小さな艦艇でも数がそろえば手強くなる。

 あえて逃げなかった。

 ベルゲングリューンの五隻の統一した攻撃で一気に相手十隻も葬る。警備艇が怯んだところを堂々と押し渡る。ベルゲングリューンは目立たないが指揮官として一流の能力を持ち、警備艇相手の戦いなら危なげなく進められる。

 結局フェザーン警備隊はベルゲングリューンが帰るに任せた。何の目的か不明だが、フェザーンに攻め寄せるわけでもない以上、帰るならわざわざ追う必要はない。

 

 

 その少し後、同盟政府は大騒ぎになった。

 帝国軍の軍艦が同盟領に十隻まとめて出現である。しかも全て無人で。

 航路はなんとフェザーン回廊からというデータが残っていた。

 帝国軍の意図はどうにも分からない。

 

 だが、帝国軍がフェザーン回廊から来たという事実が問題なのだ。

 直ちに警戒レベルを上げ、帝国軍の動きに備えざるを得ない。フェザーン方面にはボロディン中将の第十二艦隊を向かわせて警戒に当たらせた。

 イゼルローン方面には既にヤン・ウェンリーの第十三艦隊がいる。

 そこへ更にアップルトン中将の第八艦隊、ウランフ中将の第十艦隊をシャンプールからエルファシルまで移動させて備えた。

 

 

 

 ヤン・ウェンリーは独り考える。

 こんな妙なことをして利を得るものは誰か。フェザーンではない。もちろんラインハルトでもない。

 今、同盟を刺激し、軍事的に警戒させることに何も利点はないではないか。

 とすれば消去法で残るはリップシュタット陣営、具体的にはあの小柄な伯爵令嬢だけということになる。

 

 伯爵令嬢は捕虜交換式典でアッテンボローに帝国の工作員を妨害すると言ってきたらしい。

 たぶんそれは事実で、やってくれたに違いない。何も証拠はないが信じるに値する。

 それに加えてこの事件だ。これほどの緊張と警戒態勢があれば、同盟軍の軍事的暴発、すなわちクーデターは起こしようがない。伯爵令嬢の狙いはこれか。しかしそれは素直にありがたいことだ。

 

 ただし、それだけなのか。

 

 

 

 



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第四十話 488年 7月 キフォイザーの星

 

 

 一方、ルッツとケスラーは伯爵令嬢の本隊と離れ、辺境に派遣されている。

 そこで命じられたことを地道にこなしているのだ。

 

「お二方にやってほしいのは、辺境星域にローエングラム元帥への協力をさせないようにすることです。うまく工作して下さい。おそらくローエングラム公の陣営から辺境星域に来るのはキルヒアイス上級大将、ワーレン中将、レンネンカンプ中将です。その平定活動を最大限邪魔するのです」

「なるほどカロリーナ様、その工作を成し遂げましょう」

 

「それと帝国軍の駐留星域を襲って、そこにある艦艇をなるべく無傷で奪って下さい。こちらは戦力が絶対的に足らず、いくらかでも艦艇を増やしたいのです。工廠も襲って、竣工間近な艦があれば持ち去って下さい。もう一つ、一番やってほしい大事なことを言います。幾つかの補給基地も奪って下さい。そして表面上は何事もなかったかのように偽装するのです」

「分かりました。併せて三つのこと、お任せ下さい」

 

 

 二人の能力は信頼に足るものであった。

 元々ケスラーなどはこういう工作の方が得意である。

 

 先ず辺境星系のローエングラム公への協力阻止はいとも簡単なことであった。このあたりの辺境星系では焦土作戦を行なったローエングラム公に根深い反感がある。強い恨みといってもよい。

 

 

 

 

 だが、既にラインハルトは手を伸ばし、キルヒアイスの艦隊を派遣して辺境星系を平定しようとしていた。

 辺境星系民衆は大きな武力に逆らえず内心の反感を隠しつつ渋々従っている。

 

 そこへタイミングよくケスラーの工作が入った。

 表面上は逆らわないが、事実上何の協力もしない方策を入れ知恵して回ったのだ。

 

「食糧はちょうど収穫期前ということで、在庫なしの帳簿を作れます。工業製品は規格が合わないと強弁して供出を拒めるでしょう。宇宙港は整備中で。受け入れ余裕なしとでも言えば」

 

 

 キルヒアイスらの辺境星域平定は表向き順調であるかのようだが、しかしこのケスラーの工作によって実のないものになっている。妨害工作の存在にキルヒアイスが気付かないわけがない。そういう暗部に疎くとも、生来の鋭敏さは余人の及ぶところではない。

 ただし、キルヒアイスは平然としている。

 

「名があればよいのです。実は要りません。領地を続々と失いつつあることを貴族に教えてやれば充分、貴族が焦り出すことこそ目的なのですから。辺境星系には無理をしてはいけません」

 

 キルヒアイスはラインハルトに命じられた辺境星系平定の戦略的意味を正しく理解していた。それと先の焦土作戦の後悔があり、決して辺境星系の民衆に対し、強圧的な態度はとらなかった。

 しかしそんなキルヒアイスの気持ちを理解しないものもいる。

 レンネンカンプは表面上従うと言ったくせに裏でコソコソ策動する者がどうしても許せず、いきりたっていた。

 無理やり調査をして首謀者をあぶりだしては逮捕した。多少強引でも、将来の禍根を断つ方を優先させたかった。

 しかしこれはしたたかに逆撃を食らうことになる。勝手のわからない惑星での突発的な逆撃、レンネンカンプはそこで命を失うことになった。先の焦土作戦での民衆の恨みの程度を分からず、飢餓や欠乏を文字でしか理解しなかった報いである。

 

 

 一方、ルッツはケスラーと違い、帝国軍基地から艦艇を奪取する方に従事している。。

 もともとこの辺境に残っているということは、それらの艦艇はローエングラム元帥に積極的に加わることを良しとしなかったともいえる。

 さしたる抵抗は受けずにことが進んだ。

 補給基地の攻略は軍事行動を伴う分難事ではあるが、そこでも決死の抵抗など受けないうちにいくつかは占拠できた。

 

 

 

 

 目的達成の目途がついたところでルッツ、ケスラーはカロリーナとの合流を目指す。

 ついに、ベルゲングリューンの五百隻以外は全てのカロリーナ艦隊が合流する。ファーレンハイト、メックリンガー、ビューロー、ルッツ、ケスラーの諸将を擁し、艦艇数は合計一万六千隻に及ぶ。

 これはほぼ一個艦隊といっていい規模になる。

 

 

 艦隊の再編を終え、進発する。

 ケスラーだけは使命を与えて別行動に遣わすが、残りは揃って新たな戦場へと向かう。

 

 その目標はキフォイザー、取り立てて特徴があるわけでもない辺境の星系である。

 ただしその意義はこれから生じるのだ。

 宇宙の運命を決める大会戦が行われ、歴史書にキフォイザー星系の名が記される。

 

 ローエングラム陣営の辺境平定艦隊、つまりキルヒアイス、ワーレンの艦隊四万隻が集結している。

 

 それに挑もうとするのはリップシュタット貴族連合別動隊、つまりリッテンハイム侯の私領艦隊と付き従う貴族の艦艇あわせて五万隻以上。

 どちらも凄まじい大艦隊だ。

 スクリーンの倍率を通常より低倍率にしなければ全体を見ることさえできない。

 そうすると、まるで艦隊が雲のように見える。

 

 この会戦、先に攻撃したのはリッテンハイム侯である。

 

「撃て! 赤毛の手下など撃ち滅ぼせ!」

 

 自信を持っていた。むしろ、相手がローエングラム公ラインハルトでないのが不満なくらいだ。

 伝統と格式ある貴族に逆らう艦隊が何ほどのものであろう。数もこちらの方が多いのだ。

 

 それに対し、キルヒアイスとワーレンは当初平凡に撃ち返した。

 だが平凡に見えても、奇妙なことに損失艦数が等しくはなく、リッテンハイム艦隊の方が数倍多い損失を被る。

 

「何だそれは! なぜ数が多いこちらが押し返されている! 撃て撃て、もっと撃て!」

 

 リッテンハイム侯は認識できない。

 全体を大きく見れば雲同士が一部重なり合い、接触しているだけに見える。だが局地的には指揮でも連携でも貴族艦隊は圧倒されていたのだ。実戦経験の違いはあまりに大きく、各艦長や下級指揮官の能力も比べ物にならない。

 

 

 

 その戦場へ今こそカロリーナ艦隊が迫りつつある。

 

 それを知ったキルヒアイスはわずか眉を曇らせた。

 この戦いは、少し困難かもしれない。戦力のことを考えてのことではなく、伯爵令嬢と戦いたくない思いがあるからだ。

 

 それはわたしも同じ、キルヒアイスと戦いたくない。

 

 

 しかし始まった以上、どう思おうとも戦いは拡大するものだ。

 カロリーナ艦隊は後発の利を活かし、うまくキルヒアイス艦隊左翼の側面についた。正面から戦うリッテンハイム家の艦隊とあわせ、理想的な半包囲かと思いきや、抵抗が激しくて思うように前進できない。

 艦艇数が分厚い。

 キルヒアイスがカロリーナ艦隊に対する部分には他から大幅に艦艇を割いて加えていた。カロリーナ艦隊の力を侮らず、決して崩されぬよう過重なまでの数を揃えている。

 キルヒアイスは機を見るに敏な将であるが、戦理を正しく理解して念を入れる側面がある。

 

 ここまですればその分キルヒアイスの艦隊は他が手薄になるはずだが、相変わらずリッテンハイム侯の艦隊を圧倒している。リッテンハイム侯の弱さをしっかり見定め、余剰戦力分を他に回せるゆとりを持っている。

 

 

 

「このままではいけませんな。伯爵令嬢」

 

 ファーレンハイトはいつもの通り、突進攻勢を掛けたがっている。そのための戦場のほころびと攻勢をかけるべきポイントを探り当てようとするのだが、さすがにキルヒアイスの艦隊にそれは見つからない。

 

 会戦は次第に混戦模様になってきた。

 といってもやはりリッテンハイム侯の損害の方が大きく、これでは遅かれ早かれ破綻し、カロリーナ艦隊もそれに巻き込まれれば壊滅してしまう。

 

 わたしは皆に命じ、いったん戦場を放棄した。

 編成を組み換え、ルッツに命じワーレンの司令部付近を目指し猛攻をかけさせる。

 

「ルッツ様、攻勢の機敏を期待しております。六千隻を割き、それを指揮して下さい」

 

 一気呵成の攻勢で相手の司令部さえなんとかすれば、逆転の目はある。

 

 

 キフォイザー星域の戦いの第一幕は平凡なものだった。

 だが、ここからの第二幕は意外な形になる。それは二人の将の手に委ねられた。

 良将アウグスト・ザムエル・ワーレン対堅将コルネリアス・ルッツである。

 

 といっても華麗というべき戦術は終始なく、通常の砲撃戦が主体になるが、それには理由がある。

 艦数はワーレンが一万五千隻を率いる。これには死んだレンネンカンプの指揮していた艦隊が含まれ、この数になっているのだ。

 対するルッツは六千隻に過ぎない。

 数で大差がある以上、ルッツは下手に全面攻勢には出られない。

 かといってワーレンも思うように動けない。戦局全体では敵であるリッテンハイム侯艦隊とカロリーナ艦艇の方がやはり多く、行動にはどうしても制約がつきまとう。

 

 ワーレンは良将である。

 大局を俯瞰してのダイナミックな艦隊運動を得意としている。また豊富なアイデアをもつ用兵巧者である。しかしこの場合には制約されて長所を生かすことができなかった。

 逆に、ルッツは自身が射撃の名手であることからもわかるように、敵の急所を狙って撃ち抜くのが真骨頂である。

 今回ついにそのポイントを見つけた。

 本来のワーレン艦隊と旧レンネンカンプ艦隊との間隙を見だし、そこを狙って最短距離で司令部に近づく。

 

「敵艦接近、旗艦へ高エネルギー反応来ます! 直撃!」

 

 いくつかの不運が重なってしまう。

 ワーレンの旗艦サラマンドルは艦橋付近に被弾、艦は持ちこたえたものの司令部には怪我人があふれた。そしてワーレンは右腕に深手を負ってしまった。腕を切断するほどではなかったものの、どうしても麻酔が必要な怪我のため、指揮を一時とれない状態になる。

 

 

 

 この間、メックリンガー、ビューローはわたしと一緒に忙しく防御と攻撃の指示を出していた。ルッツに分けた分、艦数は減ったがそれでも押されてはならない。崩されればリッテンハイム侯の艦隊にまでそれは及び、崩壊する可能性がある。

 なぜなら、今やリッテンハイム侯艦隊がカロリーナ艦隊に依存しているような形になってしまっているからだ。

 ファーレンハイトは選りすぐりの高速艦千隻を統率し、出番を待っている。

 

 ここでワーレンの戦闘不能により、戦局は貴族艦隊側に傾いたかのように見えた。

 

 しかし、キルヒアイスは何も慌ててはいない。

 

 予定のことを予定通りやるだけのことである。

 それからもしばらくリッテンハイム侯艦隊を観察していたが、ついに動いた!

 

「旗艦バルバロッサを先頭に突入します。数は八百隻ほどで充分でしょう」

 

 

 

 何と艦隊旗艦が突入攻勢をかけるとは!

 しかも、八百隻が五万隻に立ち向かうのだ

 それだけでも驚くべきことなのに、実際突入した戦果が驚異的である。

 

 迅い! しかしそれだけではない。

 多数の艦で一つの艦を攻撃、一つの艦で多数の艦を攻撃、変幻自在である。まるで紙吹雪の中を走るように全てを撥ね退け、自由に宙を舞う。

 これがキルヒアイスの真骨頂。

 とうてい人間業ではない。誰もそれを止められはしない。

 戦場はこの時、魔に魅入られたようになる。誰もが信じられないことを目にしてしまったのだ。

 

 だが、ここでわたしは叫ぶ。

 

「いけない! ファーレンハイト様、急ぎあの突入艦隊を追って下さい。なんとか食い止めなければこちらは崩壊します」

 

 ファーレンハイトは勢いよく発進してキルヒアイス突入部隊の後を追った。

 しかし、驚くべきことにファーレンハイトの迅速を持ってしても追いつけない。

 本来逃げるより追う方が最短で行けるので圧倒的に有利なはずである。それが追いつけないとは、どういうことだ! 迅さには絶対の自信のあるファーレンハイトは驚くほかない。

 

 わたしもファーレンハイトばかりに任せず、戦況の急激な悪化をただ待っているわけにいかない。キルヒアイスによってリッテンハイム侯艦隊は浮足立ち、全面崩壊しかかっているのだ。

 わたしはリッテンハイム侯艦隊の外側を回りこみ、キルヒアイスの突入部隊を外側から追った。

 やっとファーレンハイトが追い付いてくれたと思った瞬間、キルヒアイスのバルバロッサがリッテンハイム侯艦隊を食い破って飛び出した!

 

 そこは、わたしのいる旗艦の目の前だった。

 

 だが、反射的に攻撃命令を出すところをためらった。手を震わせるだけで、命令の声を出さなかった。

 キルヒアイスの方も至近で向かいながら攻撃しなかった。

 2つの艦が交錯し、そのまま離れていく。

 わたしは欺瞞の固まり、戦場なのにキルヒアイスを殺すのを躊躇してしまった。

 

 戦局全体に目を戻すと、もはや手の施しようがないと思わせた。

 

 キルヒアイスの神業にこれまでの努力がいともあっさりとひっくり返されてしまったとは。

 リッテンハイム侯の艦隊はしばらく形をなしているように見えたが、いきなり崩れた。

 砂の城が限界に達したごとく、はかなく溶けてゆく。

 

 

 

 キフォイザー会戦は貴族側の敗戦に終わると決まった。

 こうなればわたしのやるべきことは損害が最小限になるよう支援し、脱出する道を開くことだ。

 かさにかかって追いすがってくる敵艦を打ち払い、突撃してくるものに逆撃を食らわせ、わたしはリッテンハイム侯艦隊のために退路を確保する。

 

 目まぐるしく戦いを続ける中、ふとリッテンハイム侯自身がどうなっているか気になった。

 既に逃走できただろうか。リッテンハイム家の旗艦オストマルクを探す。

 

 すると絶望的な光景が映し出された!

 

 オストマルクは敵に二重三重に包囲されているではないか。豪奢に作られ、威容を誇る大戦艦といえどもこの状態からでは脱出は不可能である。

 

 

 

 なんとか通信がつながった。わたしが口を開く前にリッテンハイム侯が言ってくる。

 

「ランズベルク伯爵令嬢か。見ての通りの体たらく、何の言い訳もできない。金髪の孺子の手下にさえ負けた。力の差を弁えず、うかつに戦いに及んだ者の末路、ここで潔く散ろう」

「侯爵様、そんな気弱ではいけません。なんとか脱出し次につなげましょう。僭越ながら助力いたします」

 

 しかし、リッテンハイム侯はもはや脱出が不可能なことを正しく認識し、その上で伝えようとしている。

 

「伯爵令嬢、そなたにはサビーネが本当に世話になった。あれはあれで言葉使いはなんだが、良い娘に育ったと思っておる。親のひいき目か。いや、そなたのおかげであろう」

「いいえ、わたしなどお役に立っておりません。サビーネ様は元からそういう良い気性なのです」

「そう言ってくれるか。うれしく思うぞ。では伯爵令嬢、サビーネに伝えてくれ。正式にサビーネ・フォン・リッテンハイムがリッテンハイム家を継ぐのだ。サビーネがこれからのリッテンハイム当主である」

 

 この最後の瞬間、リッテンハイム侯はきちんとした大貴族の気概を見せた。時代に抗えず、滅びゆく貴族でもその矜持は忘れない。

 

「そして、カロリーナ・フォン・ランズベルクよ。そなたにリッテンハイム家の全兵権を与える。リッテンハイム家とそれに従う全ての貴族の艦隊を統括し、その力でサビーネを助けよ」

「ええっ! そんな! 侯爵様、他家の人間がどうして」

「いや、そなた以外が扱っても宝の持ち腐れだ。どうか有効に使ってくれ。頼む」

 

 

 そして表情を和らげた。侯爵からただの一人の父親へと変わる。

 

「それとな、サビーネに幸せになるようにと言ってはくれまいか。儂は父親として甘やかすばかりで良きことは何もしてやれなんだ。悪い父親だったろう。だが、サビーネが幸せになるよう願っておったのだ。いつも、いつも、変わらず」

 

 

 ああ、わたしは涙が出てきた。

 それは垣間見えた人の真実、純粋な愛情だ。

 

「必ず伝えます! 侯爵様」

「これからはせめて星になって見守ろう。わが愛する娘よ、いつまでも愛している。では伯爵令嬢、さらばじゃ」

 

 通信が切れると同時にオストマルクは爆散した。

 

 わたしは大声をあげて泣いた。どうしようもなく涙が流れる。

 リッテンハイム侯、あなたは立派な父親でした。

 

 

 視界の片隅にキフォイザーの光が滲んでいる。優しい緑の光が。

 

 サビーネにはそのことも伝えよう。

 

 

 

 



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第四十一話488年 7月 急げ! バルバロッサ

 

 

 リッテンハイム侯艦隊とそれに従う貴族の艦隊は、カロリーナ艦隊の奮戦によってキフォイザー星域から三万隻以上は逃げだすことができた。最後の掃討戦は避けられたからだ。

 しかし当初は五万隻以上あった艦隊なのだから大幅に撃ち減らされたのは事実である。その上リップシュタットの副盟主、リッテンハイム侯自身を失ってしまった。

 

 しずしずと退き、ガイエスブルク要塞への帰途につく。全ての星系を放棄してガイエスブルクへ兵力を集中させるのが肝要になる。負けて失われた戦力は貴重な授業料である。

 わたしはそれらの敗残艦隊を一万隻ずつ三つの編成に分けた。

 それぞれを暫定的にファーレンハイト、ルッツ、メックリンガーの指揮下に置く。

 

 反発は驚くほど少なかった。

 

 リッテンハイム侯の遺命によりランズベルク家が指揮することは通信を漏れ聞いて全艦が知っている。そのため問題なく受け入れた。

 というよりも茫然自失、思わぬ敗戦に、今度は逆に生存本能が出る。ならば優れた指揮能力のある方へ委ねる方が生き残る確率が高くなる。

 ガイエスブルクまでの帰途の時間を活かして連携の取り方、艦隊運動、一から訓練し直す。

 再びさっきのような戦いをすれば今度こそ本当に生き残れない。各艦とも必死に訓練についてきた。

 

 

 一方、わたしと元のカロリーナ艦隊は途中でそれらと離れ、ゆっくりとガルミッシュ要塞の方へ向かった。このガルミッシュ要塞はレンテンベルク要塞と違い、完全人工要塞である。規模も大きく、艦艇のドックや工廠を備えている。

 キフォイザー会戦の前までは貴族側がそこを押さえていたが、そこにいた艦艇や人員は既に逃げ出している。わたしがそうなるよう戦いの結果を教えたのである。

 そのため、わたしより早く要塞に辿り着くはずのキルヒアイスはそのまま無血占領しているだろう。

 

 ガルミッシュ要塞にわたしが向かっているのは戦うためではない。

 要塞が見えるところまで近づくと、キルヒアイスに連絡をとった。

 

「キルヒアイス様、先の戦いはお見事でございました。あれほどの少数で大艦隊をあっさり瓦解させるとはさすがですね」

「伯爵令嬢こそお見事でした。おかげでワーレン中将はしばらく療養が必要です」

 

 この突然の連絡にキルヒアイスが驚くのは当たり前だが、しかし穏やかに、フランクに接してくる。

 そしてお互いに相手を殺せる態勢に一度はついたことは言葉に出さない。

 出す必要もない。

 

 

「ところで、単刀直入に言います。キルヒアイス様、このスイッチが何かおわかりになりますでしょうか」

 

 わたしは恐ろしい意味の言葉を口に出す。右手には細いコード付きの押しボタンスイッチが握られている。そして手の平の側をスクリーンに向け、キルヒアイスにもスイッチが見えるようにする。

 

「!」

「そう、これはガルミッシュ要塞を爆破できるスイッチです。これで低周波爆弾を起動できます」

「…… 伯爵令嬢、いつの間に…… 要塞はよほど精査したつもりなのですが」

 

 わたしの方が青ざめ、鼓動が早くなる。これから賭けに出るためだ。

 

「こちらには有能な方がおりますの。普通、どこかの部屋に爆弾を仕掛けてあると思うでしょう。そうではありません。あらかじめ部屋ごと一つ作り足したのです。壁に爆弾を仕込んで。これなら探しても部屋には何も見つかりっこありません」

 

 そう、わたしは事前にケスラーに二つのことをお願いし、遣わしているのだが、このガルミッシュ要塞への爆弾工作がその一つだ。

 本当にしっかりやってくれた。

 

「それで令嬢、わざわざ通信とは、何でしょう」

 

 キルヒアイスは声のトーンを少しも変えず、自然体を保っている。わたしが爆破するつもりなら最初から通信をしてこないと分かっている。いや、そうでなくともキルヒアイスは優しい微笑みを崩すような人間ではない。

 

 

 

 緊張の瞬間が過ぎる。

 

「停戦です。キルヒアイス様、しばらく停戦しましょう。要塞の爆破などしたくはありません」

 

 わたしの本心だ。キルヒアイスを殺すなどしたくない。

 それに、もしもキルヒアイスを殺したらラインハルトに千回殺される。おそらくラインハルトの気迫だけでわたしは自殺してしまう。

 

「貴族側との停戦などについてはラインハルト様にしかお決めになることはできません」

 

 自分の命がかかっていても全くブレることがない。

 さすがにキルヒアイスだ。帝国貴族打倒のラインハルトの夢を損じるくらいなら進んで犠牲になって悔いはない、それがよく分かる。

 

「いえ、お考えになっているようなことではございません。停戦はわずか数日のことだけなのです」

 

 わたしの方がしだいに涙目になってきた。お願いよ、キルヒアイス。

 

「その数日に何の意味があると仰るのです?」

「意味があります! キルヒアイス様、これはラインハルト様のためになる重大なことなのです」

「ラインハルト様に……」

 

 その言い方でキルヒアイスも思慮し、態度を軟化させるが停戦に合意はしなかった。

 ならばわたしの方が折れるしかない。

 

「わかりました。スイッチは押しません。爆弾を見つけて処理して下さい。しかし、事の次第がはっきりしましたら数日でも停戦とわたしへの協力をして下さい。お願いします」

 

 最後はキルヒアイスの誠実さに賭けるのだ。

 

 

 

 その日のうちにはっきりした。

 ケスラーに与えた二つ目の任務はガイエスブルクで貴族の言動や様子を見張ることである。

 

 それで驚くべきニュースが手に入った!

 ブラウンシュバイク公領地惑星の一つ、ヴェスターラントの住民への核攻撃である。反乱を起こし、ブラウンシュバイク公の親類縁者を追放した惑星の住民への報復としてブラウンシュバイク公がそう決める。

 ヴェスターラントは開拓途中の惑星で、領民二百万人という取るに足りない規模である。ブラウンシュバイク公にとってすればどうでもいいようなもの、怒りに任せて壊滅させても惜しくはない。蚊を潰すようなものである。

 ただし報復される住民側にとってはあり得るべからざることだ。

 

 その攻撃が本当に行われるのか、その日付がいつかをカロリーナは知りたかった。

 もちろん暴挙を止めるためである。二百万人が核の火で焼かれるのを防がないといけない。

 

 また、これはラインハルトとキルヒアイスに深刻な亀裂をもたらすのだ。そしてラインハルトに終生苦しむ心の傷を与える。断じてそうさせてはならない。

 

 しかし知った日付まであまりに時間がなかった。わたしは再びキルヒアイスに連絡する。

 

「キルヒアイス様、今通信が届きました。ヴェスターラント住民への攻撃が行われます。惑星表面への核攻撃です。貴族が平民へのみせしめのために行うのです。こんなことはあってはいけません! なんとしても阻止いたしましょう!」

「そんな、そんなことがありえるのですか。禁忌である核攻撃を、無力な惑星住民に…… もちろん絶対に阻止しなくてはいけません!」

 

 予期した通りだ。どんな事情があろうとキルヒアイスがそんな暴挙を許すはずがない。

 

「しかし伯爵令嬢、ヴェスターラントならばラインハルト様の本隊の方がここより近いのでは。そこに通信した方が確実と思います」

「そうではありません! そうではないのです。もうラインハルト様にも伝わっているはずです」

「安心いたしました。それなら問題はありません。」

「キルヒアイス様、それは違います。ラインハルト様は阻止に動かないのです」

「! なぜです。ラインハルト様が動かないはずがありません」

「オーベルシュタイン大将が邪魔をするからです。おそらくニセの攻撃日を伝えるか何かで。オーベルシュタイン大将は貴族の非道な行いを政治宣伝に使いたいのです。このままではヴェスターラント住民が焼かれ、そしてラインハルト様が深く傷つきます」

 

「わかりました、令嬢。それで停戦と」

「停戦だけではダメです。核攻撃まで日がありません。そこで戦艦バルバロッサを使って一緒に止めに行くのです。先の戦いでもわかっていますが、その戦艦は特別製でとても疾いのでしょう」

 

 そう、キルヒアイスの旗艦バルバロッサは特別製である。

 あのラインハルトがキルヒアイスのために作らせた艦なのだから並みの戦艦であるはずもない。ラインハルトの乗るブリュンヒルトに勝るとも劣らず、帝国軍の技術、材質、労力の粋を極めて作られている。

 この宇宙で掛け値なしの最強戦艦、何よりも高速性能に優れている。

 もちろん戦果を上げるためには、指揮官の的確な能力が不可欠で、単に高速なだけでは意味がない。先の戦いではキルヒアイスの常人離れした能力とバルバロッサの性能があいまって戦果を上げたのだ。

 

「今からわたしがシャトルで向かいます」

 

 キルヒアイスの承諾など聞いてはいないが、否はないと知っている。

 

 並みの将ならば自分だけの功とするためにカロリーナを同乗させなどしないだろう。しかしキルヒアイスなら絶対にヴェスターラントの住民とラインハルトのことしか考えないはずである。

 カロリーナ艦隊はビューローに預け、ガルミッシュ要塞から遠ざけて置いている。それは何かあってもわたしを助けには来れない距離であり、まさしくキルヒアイスの懐に飛び込んでいる形になる。

 

「伯爵令嬢、無茶をなさる方ですね」

「ふふ、しかしこれに乗じてわたしを捕まえることなど欠片も考えておられなかったでしょう。違います?」

 

 キルヒアイスはいつもの柔らかい微笑みを絶やさなかった。

 わたしの賭けは、完全なまでに勝ったのだ。

 そして準備ができれば、バルバロッサがわたしとキルヒアイスを乗せて最高速で進発した。

 エンジンからの音が最初は蜂の飛ぶ音のような鈍い音だった。それがみるみるうちに高い音に変わっていく。ぶうん、からひィーん、と。滑らかな分だけ音量はかすかにしか聞こえないが、宇宙艦で聞いたことがないほど高い音程に達する。

 

 急げ! バルバロッサ。

 

 航路の途中で出会うラインハルト陣営の艦艇に対しては、ヴェスターラントに行くことだけ伝えては置き去りにして飛び去る。

 

 そして間に合った!

 核攻撃に向かっていると思われるブラウンシュバイク公の艦艇をヴェスターラント直前で捉えた。

 降伏勧告をしても応じてこない。しかし直後、爆散した。おそらく家族の命でも人質にして、やりたくもない核攻撃をさせられていたのかもしれない。それなら降伏もせず核攻撃もしない道を選んだのだろう。それもまたひっそりと咲いて散っていった勇者たちといえるのだ。誰にも知られず、誰からも賞賛されない勇者たち。

 わたしとキルヒアイスはどちらも同じ表情をしているに違いない。

 暴虐な貴族はいなくなった方がいい! ただし、わたしは血を見ずに改革したいのだ。

 

 バルバロッサとその自爆した艦艇のことをオーベルシュタインの遣わした監視船が空しく撮影していた。

 

「…… とにかく間に合いました。核攻撃を防ぐことができて良かったですわ」

「伯爵令嬢、情報は確かでしたね。お礼申し上げます」

「人が守られるのはいいことですわ、本当に」

 

 

 

 

 守護者<シルマー>

 キルヒアイスは、ふとそんな単語が頭に浮かんだ。

 伯爵令嬢、全ての人を守ろうとする守護者。

 

「それにしてもオーベルシュタイン大将の計算は、その、クソですわクソ。ゲロ以下です」

 

 わたしは大元の原因であるオーベルシュタインについてなんともいえない下品な批判をした。

 

「令嬢、それはそれで考え方というものがあるのでしょう。しかし、令嬢と私とラインハルト様だけはそういう考え方をしません。それでよろしいではありませんか」

 

 キルヒアイスの言葉にわたしはかすかな不安を感じざるを得ない。

 

 ああ、優しすぎる。優しすぎるのよ。あなたは。

 

 

 

 



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第四十ニ話488年 7月 ろうそくの灯

 

 

 バルバロッサはヴェスターラントから帰還し、ガルミッシュ要塞に戻った。

 わたしとキルヒアイスはいったん停戦し、それが終わったことになる。そしてもちろんわたしは捕らえられることなくそのまま丁重に出されてカロリーナ艦隊に戻ることができた。

 一連のことは口約束だったが、やはりキルヒアイスは予想通り紳士だったのだ。

 

 

 キルヒアイスは間もなくガルミッシュ要塞から進発し、辺境星系を抜け、ラインハルトの本隊に赴く。

 そしてラインハルトと他の諸提督たちの前で報告を行う。

 

「辺境星域の平定が終わりました。残念なことに、その途中レンネンカンプ中将が亡くなりました。次にキフォイザー星域においてリッテンハイム侯爵及びランズベルク伯爵令嬢の連合軍と交戦し、ワーレン中将が重傷を負いました。リッテンハイム侯の死亡は確認しましたが、その艦隊の半数以上は取り逃しました。せっかく辺境星系攻略を命じられましたのに充分な戦果を上げることができず、まことに申し訳ありません。ラインハルト様」

 

 どのみち詳しいことは既に報告書にして届けてあった。

 その報告書でもそうだが、今も自らの功を誇らず客観に徹したものであった。

 

「うむ、ご苦労であったキルヒアイス。艦隊戦で貴族どもの副盟主リッテンハイムを破り、敗死せしめたのだ。辺境星系の平定と併せ、充分過ぎるほどの戦果だ。誰もそれをそしることなどできはしない。ゆっくり休め。ワーレンもしばらく養生しているがいい」

 

 ラインハルトは本心からキルヒアイスをねぎらう。戦果が充分でない? キルヒアイス以上のことをできる者が他にいるものか。優勢な敵を相手にきっちりリッテンハイム侯を斃したのだ。貴族の艦艇が思ったより残ったといえど後でまとめて討ち果たせばいいだけのことである。

 

 

 しかし、ここで傍に控えていたオーベルシュタインが言葉を遮る。

 キルヒアイスよりも一歩前に出てラインハルトに向く。

 

「お待ち下さい元帥閣下。キルヒアイス上級大将には重大な軍規違反の疑いがあります」

 

 オーベルシュタインは何を言い出すのか!

 軍規違反の告発とは穏やかな話ではない。しかもいきなりこの場でそれを成すとは。

 しかし表情はいつものままで変わらず読み取れない。

 

「キルヒアイス上級大将は目下の敵であるカロリーナ・フォン・ランズベルクと何かしらの取引をし、あまつさえ旗艦バルバロッサに同乗までさせていたこと。そして更には命令もされていない軍事作戦を共同で行っていたという事実があります」

 

 諸将も思わぬことに動揺する。どうにも理解できないのは内容とあのキルヒアイス上級大将がやったということの両方だ。

 

「告発は憶測で行っているのではありません。はっきりした証拠としてバルバロッサの映った映像も残されています。これ以上なく重大な軍規違反、正に利敵行為以外のなにものでもありません。弁明なさらないのは大変結構。ではローエングラム元帥閣下、全軍の軍規を正す意味で、公正なる判断をなさいますよう」

 

 オーベルシュタインの冷徹な弾劾がラインハルトの決断を待つ。

 それを聞くキルヒアイスもまた表情を変えず、しかもオーベルシュタインの言う通り弁明を一切しないとはそれが事実であることを意味する。これでは降格で済めばまだいい方で、最悪逮捕と軍事法廷が待っているではないか。

 

 

「無用である」

 

 一切の反論を許さないラインハルトの言葉であった。

 キルヒアイスに対し、それが事実かなどと問いただすことさえしない。そんな必要は欠片も存在しない。

 

「キルヒアイス上級大将の行うことは一切がこの私のために行うことである。利敵行為など最初から存在することはない。不可解に見える行動であっても、全て何らかの理由が存在する。疑うべきことは微塵もない。あらかじめ言っておくが、今後同様のことがあったところで進言にすら及ばん」

 

 これ以上きっぱりした言葉はない。

 だが、普通の人間なら怯むようなラインハルトの気迫を受けてもオーベルシュタインは動じることはなく、あくまで述べる。

 

「元帥閣下、それでは秩序が成り立ちません。元帥閣下の元に全ての配下は正しく律せられなければなりません」

 

「オーベルシュタイン、この際だから卿に言う。他の者も聞いておけ。キルヒアイスは他の者と等しい配下などでは決してない。将来もしも私が至尊の座についた時には副帝になる。これは決まっていることだ」

 

 そう、遠い昔から決まっている!

 姉上、キルヒアイス、手に入れる宇宙、ラインハルトにとって全ては決まっていることだ。

 

 明言しようがするまいが諸提督にも既に分かっていることだった。

 キルヒアイスが特別扱いされることについても不満はなく、第一キルヒアイスはそれに相応しい能力も持ち合わせている。

 

 キルヒアイスにとってはどうか。

 

 昔のまま。

 

 ラインハルト様はちっともお変わりになられない。それが一番なのだ。いつまでも自分は柔らかな微笑みを絶やすことはなく、ラインハルトと共に歩いて行けるだろう。

 

 一方、オーベルシュタインはそれで引き下がった。

 キルヒアイスを弾劾しようとして逆にキルヒアイスが特別であることがはっきりしてしまうといういわば逆効果に終わったが、気に留めている風でもない。むしろ分かっていることを確認する作業をしたという風情で、悔しがる様子はなく、その胸中は誰にも分からない。

 

 

 

 

 それと時を同じくして、変わりゆくことに対して抗う者たちがいた。

 首都オーディンの帝国宰相府にそれらの者が集っていた。

 

「儂も長年苦労してきたが、最後の最後に誤ったかの。帝国を傾けるのはブラウンシュバイクでもリッテンハイムでもなかった。貴族でもない。若者だった。あのラインハルトという若者だったわい」

「リヒテンラーデ、確かにそうだ。フリードリッヒ四世陛下からの代替わりが通常のようにはいかず、帝国がこれほどの危機に直面するとはな。この時代に居合わせたのは不幸だったのか、当事者の一端だった責任を免れる気はないが少しは嘆いてもよかろう」

 

 この部屋にはリヒテンラーデ銀河帝国宰相、そして長年軍務尚書の職にあったエーレンベルク退役元帥がいた。リヒテンラーデとエーレンベルクはライバルでもあり盟友でもある。他にも年のいった要人が数人いる。

 

「そうじゃの、エーレンベルク。この戦いは若者が勝つだろうの。若者が全ての敵を滅ぼした後、エルウィン陛下がどうなることか。ゴールデンバウム王朝も」

「そこまで言うなリヒテンラーデ、まだ終わったわけではないぞ。まだ王朝が終わったと決まったわけではない」

「エーレンベルク、確かにそうじゃの。だから今日は集まった」

 

 ここで別の者が会話に入る。

 

「そうです閣下。行く末はまだわかりません。あの若者に敵対する貴族たちは惰弱と言えど、勝負はこれからです。貴族たちの側にカロリーナ・フォン・ランズベルクが付いたと聞いています。あの者が立ちはだかる限り易々と下せはせんでしょう」

 

 ここでミュッケンベルガー退役元帥がそのことを指摘したのである。

 その通り、戦いはまだまだこれからだ。

 

「あの伯爵令嬢か…… そうじゃな。確かにこれまで儂の目にかなった働きをしてくれた。こうなることも予期していたのか、せっかく進言してくれたというに儂は聞かなんだ。後悔はいくらもするがそれでは何も解決せぬ。それで、今更じゃがやり直しをしよう。年寄りの最後のあがきじゃ。帝室のため生きている限り最後まで働かねばならん」

 

 リヒテンラーデは何事かを成そうとしている。

 それに合力するためにこの部屋へ皆が集まったのだ。その作戦とは何か。

 

 

「リヒテンラーデ、それで必要なのはエルウィン陛下の御自筆のサインと国璽だな」

「そうじゃ、エーレンベルク。その二つがあれば形は整う」

 

 老人たちは手早く行動した。

 目指すは国璽を厳重に保管している皇帝書記室保管庫である。

 その保管庫の前まで行くと、衛兵に向けリヒテンラーデが言う。

 

「ここにある国璽に用事がある。帝国全土に向け法改正を行うにあたり、皇帝の印璽が必要なのじゃ」

 

 リヒテンラーデの前に衛兵たちは下がり、ここは素直に通れた。

 国璽を使って何かの文書に印を記すフリをしながら、衛兵の目を盗んで素早く国璽を偽物と入れ替える。

 

 

 次は皇帝に謁見しなくてはならない。

 一行は皇帝の居室に向かい、またもやそこの衛兵に言う。

 

「帝国宰相リヒテンラーデである。皇帝陛下にお目通り願おう」

 

 だが、今度は簡単にいかなかった! 衛兵はリヒテンラーデに対して思わぬことを言ってくる。

 

「宰相閣下、申し訳ございません。ここはいかなる者であれお通しするわけには参りません」

「な、何と! 帝国宰相が皇帝陛下に会えぬとは、いったい何ということを申すか」

「申し訳なきことながら帝国軍務尚書ローエングラム元帥のご命令でございます」

「思い違いをするでない。帝国宰相は皇帝陛下にのみ従う臣下であるぞ!」

「恐れながらローエングラム元帥の同席なしには陛下に何者の謁見もかなわぬとの命令を受けておりますれば。ご容赦のほどを。ローエングラム元帥のオーディンご帰還までお待ち頂きたく存じ上げます」

 

 衛兵は元から帝室付きの者たちではなかった。帝国軍から新たに派遣されてきている者たちであり、その命令を守ろうとする。

 話は堂々巡り、衛兵も折れることはなく、これではらちがあかない。

 ここでエーレンベルクが助け船を出す。

 

「前任の軍務尚書エーレンベルク元帥である。帝国軍の軍人なら分を弁えよ。帝国宰相に対して礼を持って従わぬか」

 

 これまで口を出さなかったのには理由がある。

 リヒテンラーデとエーレンベルクが共にいれば必ず目を引く。エーレンベルクは特にローエングラム公から危険分子とされ、近々捕縛の予定にされていた。

 

 衛兵たちは幸いにしてローエングラム公直下の部下ではなく、古参の帝国兵であり昔からの価値観を持つ兵であった。

 やっとここを通ることができた。。

 居室というよりも乱雑な遊び部屋に行ってみると、幼児である皇帝エルウィン・ヨーゼフ二世はおもちゃが気に入らないと侍女に八つ当たりしていた。わがまま過ぎる幼児、とにかく困難であったが、なんとかなだめすかして用意してあった文書にサインをさせる。

 ここで大騒ぎになればなにもかも終わりである。雑でも何でも字を書かせ、この際なんでもいい。皇帝自筆であれば。

 終わるやいなやすばやく退出した。ここからは時間の問題である。

 

 侍女の定期報告があるだろう。それはどうにも抑えることはできず、リヒテンラーデらが妙な動きをしたことはすぐに伝わる。

 間が悪いことにその定期報告の時間は退出の直後であった。

 事態を察したローエングラム公直属の部隊がリヒテンラーデの屋敷に向かっていく。むろん詰問と捕縛のためだ。

 

 こうなればリヒテンラーデの側では時間を稼がなくてはならない。

 屋敷の入口に簡単なバリケードを設け、数人が守りに入った。

 

 何としたことか。

 銀河帝国中枢部であるリヒテンラーデ侯の屋敷が、軍事制圧の舞台になってしまうとは!

 

 意外なことに銃撃戦では片がつかなかった。もちろん守るリヒテンラーデ側は少人数であるが軍事というものを知っていたからだ。

 しかし、焦った捕縛側の部隊が重火器を持ち出せばそれに対抗できるものではない。数十人にもなる部隊側が本気で作戦を展開し、屋敷を爆発の煙と轟音で満たし始める。豪奢な屋敷は要塞ではない以上、もう耐えられるはずがない。

 

 ついにバリケードが突破される瞬間、そこを守っていた者の一人が言う。

 

「あのときもう少し名を惜しんでいたらな。変わっていたのだろうか。今にしてあのゼークトと同じ言葉を言うとは皮肉なものだ」

 

 それはシュトックハウゼン元帝国軍大将だった。

 ヤン・ウェンリーにイゼルローン要塞を陥とされ、そのとき要塞司令部でシェーンコップの人質になり、捕虜交換で戻ってきている。今の後悔は自分の無様な行動のせいで最重要のイゼルローン要塞が陥ちたからだ。もしもあの時違う選択をしていれば。

 今、バリケードから悠然と姿を現し、あちこちに仕掛けた爆弾のスイッチを押す。

 

「帝国、万歳!」

 

 その犠牲により貴重な数分を稼ぐことができた。

 

 ミュッケンベルガーが国璽と文書を持って屋敷の隠れ通路から無事に逃走できた。

 もう足止めは必要ない。

 屋敷の私室にいるリヒテンラーデとエーレンベルクにもそれが分かる。

 間もなく兵がやってくるが、もう心配なく、やるべきことは終わった。

 

 この二人は盃を交わす。

 互いにかけがえのない旧友だった。

 ここで二人になるのは何の因果だろうか、しかし悪くない。

 

「ほっほ、これでやることは全て終わったの」

「老人の宴もここまででいい」

「エーレンベルク、儂らは帝国を支えてきた。思えば長いようで短いものじゃ」

 

 

 忠臣リヒテンラーデは陰になり日向になり、ここまで半世紀もの間帝国を支えてきた。私心などかけらもない。文字通り身命を賭してきたのだ。帝国のために。

 瞼には前皇帝フリードリヒ四世と共にあった日々を思い浮かべる。

 そしてこれからの銀河帝国を託す者たち、サビーネやカロリーナのことを思う。

 

「帝国を頼むの、ガイエスブルクの娘たち。良き国を作るのじゃ。必ずできると思うておるぞ」

 

 リヒテンラーデとその友エーレンベルクは毒酒を入れて最後のグラスを交わした。

 

 ここに至り、ろうそくの灯のように消える前に輝き、成すべきことを成した。

 思い残すことはない。

 

 

 

 

 



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第四十三話488年 8月 要塞に軽い訪問

 

 

 わたしはガルミッシュ要塞から自分のカロリーナ艦隊に帰り着くやいなや、急ぎ出立の命令を出した。

 その慌てぶりはともかく、今度こそガイエスブルクに行くと思っていた将兵は驚くほかない。

 

 今度の行先は何と逆方向、それも最終目的地イゼルローン要塞を指示されたのだ!

 

 考えられない命令だ。今たけなわである帝国の内乱をよそに叛徒側の領域に近付くとは。

 そしてイゼルローン回廊の帝国側出口付近に艦隊を停泊させると、わずか二千隻のみ選ばれ、回廊に侵入する。他の艦は入らない。

 もちろんわたしは回廊に入った側であり、艦を絞ったのはあまり数が多いと無用に警戒されて話ができないと思ったからだ。別にイゼルローンをどうこうするために来たのではない。逆にあまりにも少ないと要塞に辿りつかないうちに撃退されるか捕らわれるかしてしまう。

 考えた末の艦隊規模である。

 

 なるべく遅い方がいいとは願っていたものの、やはり途中で同盟軍の哨戒部隊に発見されてしまった。

 だが哨戒部隊だけではせいぜい数百隻の規模だ。わたしの二千隻を相手にはできない。

 思惑通りイゼルローン要塞の手前まで行って布陣できた。要塞の方でも二千隻といえば要塞巨砲トゥールハンマーで一瞬にして殲滅できる数であり、いったん静観の構えだ。

 

 

「でかいわ、やっぱり。」

 

 目の前にあるイゼルローン要塞はあまりに大きい。

 よくこんなものがある。これのために長いこと帝国と同盟が争ってきたのね。

 ともあれ、わたしは直ちにイゼルローン要塞へ通信を送らせた。

 

「カロリーナ・フォン・ランズベルク伯爵令嬢です。応答願います。イゼルローン要塞へわたしは用事があります」

 

 ここまではいい。

 しかし、次の言葉に何万何十万もの人間が驚きで声を失った。たぶん一生で一番の驚きになったろう。

 

 

「イゼルローン要塞のトイレを貸して下さい」

 

 えっ!? 今、何と言った?

 慌ててスクリーンに出てきたのはヤン・ウェンリーではなかった。

 まだ若いが落ち着いた雰囲気の整然とした人である。

 

「自由惑星同盟軍イゼルローン要塞副司令のアレックス・キャゼルヌ中将です。司令官のヤン・ウェンリー大将は間もなく来られますが、その、今何と言われましたか? 何か聞き違い、いや通信障害が起きたようなのですが」

 

 すぐにキャゼルヌは横の士官に向いて、おい、早くヤンを起こしてこい、いいから奴さんを叩き起こせ! と言っている。

 聞こえてるわよキャゼルヌ中将。

 

「通信障害? ではもう一度言いますが、そちらの要塞のトイレを貸してほしいんですの」

 

 キャゼルヌは頭の痛い表情をした。

 

「小官の聞き間違いであればよかったのですが。伯爵令嬢、それはいったい何の話ですか? 何かの例え話でしたらもう少しばかり平易にお話し頂きたい」

「例え話? いいえ、トイレそのものです! 要塞にある、トイレです! おわかりになりました?」

「…… トイレは分かりました、いや分かりません。そちらの艦艇にもトイレはあるのではないですか。どんな宇宙船にもトイレがついているものです。帝国艦艇でしたら数までは知りませんが」

 

「それが、婦人用のものは壊れてしまいましたの」

「トイレはまさか一つではありますまい!」

「まあ、キャゼルヌ中将はわたくしに殿方用のトイレを使えと仰る。同盟軍ではご婦人は殿方用のトイレも使うんですの? 聞いたことがありませんわ!」

 

 もう助けてくれ!

 なんでトイレの話を要塞と艦隊の間でせねばならないのか。

 キャゼルヌはもはやこれが夢か何かだと思うしかない。いや、そう思いたかった。

 

 そのときやっとヤンが来た。制服に袖を半分通して、ベレー帽をユリアンに被せてもらっていた。遅刻をして校門まで走った学生のようだ。

 キャゼルヌはとにかく早くスクリーンに出ろとばかりに引っ張り、袖をそのままにした不格好なヤンが出てくる。

 

「ええと、話は何だろう」

「ヤン司令官ですのね。ええ、そちらの要塞のトイレを借りる話ですわ」

「伯爵令嬢、トイレですか。困ったなあ」

「困っているのはこちらですわ! 同盟軍ではわたくしにトイレは貸さない、適当にそのへんでしてしまえと仰るんですか。それならわかりました。イゼルローンにわたくしのをかけて流体金属の表面を黄色にしてあげますわ!」

「それも困ったなあ。伯爵令嬢に黄色の要塞に変えられては。では仕方ありません。要塞にお越し下さい」

 

 要塞司令部の皆が驚く。

 

「おい、ヤン! そんなのいいわけないだろうが! 要塞に帝国貴族を入れるとは重大な政治的案件、そもそも欺瞞の攻略部隊かもしれないんだぞ」

「いいじゃないですか、キャゼルヌ先輩。伯爵令嬢はたぶん一人で来ますよ」

 

 

 わたしはシャトルで発進し、直ちに要塞宇宙港へ向かった。

 乗るのはわたし一人だが、それでは操縦ができない。自動操縦のできる位置まで要塞に近づいてからの発進である。もちろんそこはトゥールハンマーの射程内だ。

 

 要塞に着くと直ちにトイレに案内された。

 

 カロリーナ艦隊の人間もイゼルローン要塞の人間も、誰もわたしがトイレのことで来たとは思っていない。

 しかしわたしは本当にトイレに入りそして出てきた。シャトルでまた戻る。

 

 そしてもちろん礼を言う。

 

「ありがとうございます、ヤン司令官。おかげで助かりました」

「それはどういたしまして。お互い様ですよ。またいつでも、とは言いかねますが」

「とにかくありがとうございます。お礼に今度は家に遊びにいらして下さい。キャゼルヌ中将のオルタンス夫人より料理は下手ですが、菓子ならそこそこ作れましてよ。これでも評判はいいのです」

「菓子ですか。せっかくですが甘いものは苦手なんです」

 

 この会話に政治のせの字も入っていない。聞いているキャゼルヌやムライ少将以下要塞司令部の皆は困惑と拍子抜けの両方にある。

 

「あら、ヤン司令、ではお好きなブランデーでも入れて差し上げますか?」

「それなら食べられます」

「ふふ、お待ちしておりますわ」

 

 会話はそれだけであった。

 帝国の情勢とか、何らかの交渉とか、政治的なことは最後の最後まで一切言っていない。本当に道すがら寄っただけのような塩梅だ。そしてあっさりイゼルローン回廊から帰って行った。いったいどういうことなのか。

 

 

 

 

 それと同じ時、ひどい騒乱に陥っている場所があった。

 ガイエスブルク要塞である。

 先のキフォイザー星域での戦いの様相が伝えられたからだ。

 それは思いもよらぬ敗戦、戦力的にも精神的にも痛手は大きい。

 貴族連合軍が艦の数では大いに優っていたのに、いいようにしてやられたのだから。

 しかも、ラインハルトどころか辺境平定の任についていた赤毛の部下を相手に。

 

 短慮な貴族の中には報復だ! すぐに雌雄を決すべし! と大声を上げる者もいた。逆に戦いに恐れをなして陰に隠れる者も、希望を失って後悔する者も、自暴自棄になる者もいた。ついにラインハルト陣営の軍事的実力が判明して思考が麻痺しているのだ。こんなはずではなく、一捻りで終わり、勝ち組に入れるはずだったのに。

 

 しかし騒乱を抑える者もいた。

 サビーネ・フォン・リッテンハイムである。

 

 遺言に従い、今はリッテンハイム侯爵家の当主の座についている。母クリスティーネ・フォン・リッテンハイムは痛手から立ち直れず塞ぎ込んでいるのと対照的に泰然としたものだ。

 

「皆の者、うろたえるな。見苦しいぞ。妾は何も諦めてなどいない」

 

 サビーネ、この少女とて父親を喪っているのだ。しかし表面上サビーネが取り乱しているのを見たものはいない。どのようにして悲しみを消化したのか、誰も知らない。サビーネは傲然とした態度に当主としてのオーラまでも身に付け、誰もを納得させる雰囲気を纏っていた。

 そしてリッテンハイム派閥としてキフォイザーの戦いに艦隊を同行させていた貴族たちはサビーネの言葉によって落ち着きを取り戻した。

 

「うろたえた者は後で皆の笑いものになるだけじゃ。これからどんな戦いになろうとも、カロリーナがおる! まだあの者がおるのだ。我らは決して負けなどしない!」

 

 

 具体的な軍事的方策としては貴族連合軍を統括するメルカッツ上級大将が既に定めてある。当初からのその案を繰り返した。

 

「よく分かったろう。兵の錬度も指揮能力も残念ながら向こうと大差がある。下手に分散せずこのガイエスブルク要塞の力を生かすしかない。ここから離れることなく冷静に対処するのだ。ガイエルブルクはイゼルローンに次ぐ強固な要塞であり、簡単には陥とされない」

 

 しかしそのガイエスブルクへラインハルトから強烈な挑戦状が叩きつけられた。

 

「無能で臆病な貴族どもよ。そこの穴倉で死ね。せめて掃除の手間だけはかけさせるな」

 

 この侮辱に貴族たちは一気に要塞から出て戦う意見に満ち満ちた。

 もう抑えられない。盟主たるブラウンシュバイクも抑えようとしない。ここへきてもブラウンシュバイク自身はラインハルト陣営を侮っていたのだ。どうせ平民、この意識が正常な判断を致命的に歪めてしまう。

 

 ついにガイエスブルクから主力となる艦隊が出兵した。

 

 サビーネを中心とするリッテンハイム派貴族たちは静観した。どのみち艦隊はリッテンハイム侯の遺命に従いカロリーナに預けられていて、ガイエスブルクにはない。

 これで更にブラウンシュバイクは上機嫌になる。

 もうリッテンハイム家とは大きな差をつけた。負けて萎れたリッテンハイム家などいい気味だ。後は生意気なローエングラム公ラインハルトに勝てば、いよいよ帝国貴族の唯一の盟主の座は揺るぎない。

 

 一貫して要塞から離れることに反対を続けるメルカッツは、一万五千隻の戦力と共にガイエスブルクに留まった。

 それでもブラウンシュバイク公を中心とした貴族連合の十万隻以上が出撃していく。

 対するはラインハルト陣営だが、こちらも続く戦いで多少数を減らしているとはいえ総数九万隻になる。

 

 あのアムリッツァの輝きからそう時を経ないうちに、宇宙は再び大きく輝こうとしていた。

 

 

 

 



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第四十四話488年 9月 第一次ガイエスブルクの戦い~諸将の奮戦

 

 

「万事手筈通りだ。ここが貴族どもの墓場になる」

 

 ラインハルトが言う。さほど高揚も感じさせない声だった。ラインハルトにとってこれから行う決戦は部屋の掃除と同じこと、冒険でもなんでもなく、ただの作業に過ぎない。

 

「先ずはミッターマイヤー、卿に頼みがある。料理の下準備を頼む」

 

 横に立つキルヒアイスが思わずクスリとしてしまった。

 ラインハルトの言い方、あの伯爵令嬢に似ている。感化されたのだろうか。

 

「お言葉通り、とりあえず敵を引き延ばせるだけ引き延ばします。しかしローエングラム公、料理の方もお任せ下さいますよう」

 

 ミッターマイヤーの方も淡々と答える。

 しかし、さすがに大きな戦いを前にしている以上、緊張した面持ちは隠せない。決戦は規模だけ見れば叛徒とのアムリッツァ会戦より大きいのだ。

 

 ここにはロイエンタール、ミュラー、ビッテンフェルト、アイゼナッハ、ケンプ、シュタインメッツ、クナップシュタイン、グリルパルツァーの各艦隊司令が揃っている。また、他にもラインハルトの傍には副官のようなキルヒアイス、幕僚長としてのオーベルシュタインが付き従い、またラインハルトの本隊直衛としてアルトリンゲンなどの中級指揮官もいる。

 

 全軍でガイエスブルクに向け出動する。

 

 

 ついに壮大な作戦が始まった。

 ガイエスブルクから出てきたリップシュタット貴族連合十万隻以上の大軍に、一万ニ千隻のミッターマイヤー艦隊が先頭を切って仕掛ける。

 当然、十万隻からすればこの一個艦隊すら小勢のエサに見え、我先に挑みかかった。

 ミッターマイヤー艦隊は怯えたように算を乱して後退していく。

 もちろんそれは哀れなエサを装う擬態だ。

 貴族連合艦隊の中でもその擬態を見抜いたものがいないわけではなかったが、下手に踏みとどまれば味方の濁流に飲み込まれてしまう。

 貴族連合の十万隻はとにかく前へと進む。この巨象が動き出したら止まらない。

 ブラウンシュバイク公は艦隊指揮といえば弱者をいたぶる時にしかしたことがなく、今も小勢を追い回す自分の艦隊にご満悦だ。圧倒的な力の前に敵はひれ伏すものであり、そうなる未来を少しも疑ってなどいない。

 

 横にいる甥のフレーゲルも言う。

 

「平民の艦隊など所詮こんな程度。我ら帝国貴族のような矜持も無く、無様なもの。戦いには勢いが大事です、叔父上。この勢いのまま一気に打ち滅ぼせば!」

 

 十万隻の軍には、かさにかかってどんどん先へ進んいんでいく隊もあり、比較的慎重な隊もある。そういう差がみるまに広がってきた。

 ブラウンシュバイク家の持つ艦艇で構成された本隊はさすがに三万隻ほどのまとまりがついていたが、その他は一万隻弱のいくつかの固まりに分散してしまった。連合軍というのは得てしてこういうものだ。

 

 ここまで引きずり回し、役目を果たしたミッターマイヤーは言う。

 

「少しうまくやり過ぎたか。うっかり敵が無能過ぎるのを忘れていたようだ。分断したはいいが、それぞれが離れ過ぎてしまうとは。これでは味方も連携が難しい」

 

 思わず苦笑してしまう。敵である貴族連合艦隊は数が多いだけであまりに無能だ、思った以上の結果となった。ふと逆に有能すぎる敵、あの伯爵令嬢のことを思い浮かべる。ここに伯爵令嬢はいないようだが、今どこにいるのだろうか。キフォイザーやガルミッシュ要塞から進発しているはずなのだが。

 

 

 状況を見て、いよいよラインハルトが総攻撃の指示を下そうとしている。

 どのみち勝つのは分かりきっていたラインハルトであったが、それでも作業が必要なのは間違いない。

 

「全軍、突撃!」

 

 麾下の提督たちがそれぞれ獲物を求めて宇宙を駆ける。

 貴族艦隊など一隻残らず撃滅してくれる、その気迫を持って。

 

 

 

 そんな戦場を遠巻きに俯瞰している一団があった。

 ファーレンハイト、ルッツ、メックリンガー、ビューロー、それとガイエスブルクから合流したケスラー、遠くフェザーンから帰還したベルゲングリューンたちである。艦はリッテンハイム家のいわば借り物の艦隊だが、この頃にはもう自由に采配することができている。

 

「伯爵令嬢の命です。貴族を助けて逃げ道を作ってやらなければなりません」

「それでは、ローエングラム公麾下の各艦隊がどこに向かってるか見極め、それを叩くことに」

「仕事に取り掛かりましょうか」

 

 それぞれの言葉はケスラー、ビューロー、ベルゲングリューンのものだ。

 ファーレンハイト、ルッツ、メックリンガーも続けて意見を言う。

 

「しかし、思い切ってこの三万三千隻を分けず、手薄になったローエングラム公の本隊を急進して襲うのも、面白いと思うが……」

「そうすると危険もありましょう。ローエングラム公とその腹心キルヒアイスの戦術手腕は計り知れず、どのような手を打たれるかわかりません」

「ローエングラム元帥の相手をするのはカロリーナ様を待とう。どのみち目の前の貴族を見殺しにもできんだろうし」

 

 ファーレンハイトの案にルッツは否と応えた。それはキフォイザー星域の戦いを見ていることも多分にある。

 兵力分散の愚は承知の上、だがこの場合は貴族艦隊の逃げ道を作ってやるために敢えてそうする。それに貴族と将兵の命を救うのが伯爵令嬢の命令だ。

 それぞれの戦場を見定めると、分かれて戦う。

 

 

 今、ファーレンハイトが見ている戦場は酷いものだった。

 貴族側の艦隊は既に四分五裂に崩されているではないか。数だけは八千隻ほどもあったが、もはや軍勢の形をなしていない。

 的確な攻撃に混乱させられ、右往左往しているばかりだ。

 そうやって崩すのが向こうの将の狙いに見える。混乱が加速度的に増し、その極みに達するのを待ち、最後にまとめて料理するのだろう。

 そういう巧緻な用兵をしている。

 その敵はローエングラム公ラインハルト麾下の将の一人、ミュラー中将であった。艦艇数は一万一千隻もあるだろうか。

 

 ここに烈将アーダルベルト・フォン・ファーレンハイトと守将ナイトハルト・ミュラーとの戦いが始まる。

 

「何だこの新手は…… 貴族側にも良い将がいるようだ」

 

 相対して直ぐに互いの力量がわかる。

 ミュラーには意外だった。無様なほど脆い貴族の軍に今度は整然とした新手が加勢に付いたのだから。能力も数も劣る貴族艦隊八千隻など難なく片付けられると思っていたのに。新手は艦艇数としては七千隻ほどだが、明らかに貴族艦隊とは別格の統率がある。

 

 互いの艦隊がゆっくりと近づく。ゆっくりと。

 

 気を高めあいながら近づく。攻勢の苛烈さで勝負が決まる。その火力と正確さで。

 勝負は一瞬。

 宇宙が急に白熱した! 互いのビーム、レールガンが宙を染め上げ、ついでシールドがエネルギーの暴虐にまばゆく光る。

 

 軍配はファーレンハイトに上がった。艦数では劣るものの攻勢の苛烈さでミュラーを上回り、その自慢の防御をかき乱すことに成功したのだ。

 ミュラーの乗る艦隊旗艦リューベックまで被弾してしまう。

 それを知るとミュラーは躊躇なく乗り捨てて、新たな乗艦を旗艦と定め、反撃に出ようとする。

 

 ファーレンハイトは長く戦闘をする気はなかった。

 この一撃で充分と考えたのだが、貴族艦隊が逃げるのが予想より遅いのがわかる。

 助けに来るのが早すぎたのか? 貴族どもはもう少し痛い目に会っていてれば逃げ足も早かったろうに。

 仕方がない。もう一度だけ攻勢に出て突き崩そう。ミュラー艦隊の一点めがけて突進する。

 しかしファーレンハイトに今度は意外な結果が待っている。

 破れない。

 艦列の隙間に入ったはずなのに素早く先が埋められている。方向を変えようにもちょうどその方向に布陣が厚くされているではないか。

 恐ろしく巧緻な柔軟防御、そのまま取り込まれ撃滅されることがないのはさすがにファーレンハイトであるが…… 息苦しい。まるで網を二重三重にかけられている気分になる。

 

 やるな。この守りは只者ではない。

 

 損害はまだ多くないというものの、しかし突破も分断もできない苦しい状態で艦隊運動を続ける。

 

 どちらが不幸だったろう。

 たまたまファーレンハイトの向かう先にミュラーがいた。そしてその乗艦は防御が弱かった。本来の艦隊旗艦ではなく普通の戦艦だったからである。

 ファーレンハイトの攻勢にシールドを破られ、艦橋に直撃を食らってしまう。

 強い衝撃に機材の破片が散らばり、その中にミュラーは倒れた。担架で運び出される。

 

「艦を移し、そのまま司令部を維持…… 」 と言いかけたが意識が混濁した。再び意識を取り戻すのは戦闘が終わって数日後のことになる。

 

 ファーレンハイトはそんな様相を知らず攻撃を続行しようとしたが、ふいに斜め後ろからビームを食らった。

 

「何だ?」

 

 それはミュラー艦隊のものではない。狂騒に走った貴族の艦隊のものであった。もちろんミュラー艦隊を狙ったものであるが、ファーレンハイトの艦隊運動が速いのと照準が悪いのとでたまたま流れ弾になったものだ。

 これでファーレンハイトの気が削がれ、目的である貴族艦の脱出支援という目的を達するとそのまま撤退した。

 

 

 

 その頃、違う場所でも激戦が展開されていた。

 メックリンガーとその艦隊七千隻が向かった戦場は異様な様相を呈していた。

 

 そこではラインハルト麾下の一艦隊が、やはり一方的に貴族側の艦隊を討滅していたが、異様といったのはその戦い方である。

 艦隊が突進してとにかく突き破るというもので、艦隊運動というよりは直線的な猛進だ。

 貴族連合艦隊を突き破ったらまた反転して再び突進してくる。貴族側はもはや怯えてしまい、何をしても突破されることを学習して気力を全く失っている。鋭鋒から悲鳴を上げて逃げ惑うばかりだ。

 

 またその突進する艦隊は色も変わっていた。全艦漆黒に塗られている。

 数はちょうど一万隻、ここにいる貴族連合艦隊一万二千隻を壊滅に追いやろうとしている。

 

「ふむ、これでは黒い猪とでも言ったところか」

 

 ばらばらにされて戦力ともいえなくなった貴族連合艦隊の代わりにメックリンガーが交戦に入る。

 

 ここに賢将エルネスト・メックリンガーと猛将フリッツ・ヨーゼフ・ビッテンフェルトが会いまみえる。

 

 メックリンガーは初めビッテンフェルトの突進を受けてしまった。

 辛うじて避けられたが、正面から受けると想像以上の迫力だった。

 どんなに反撃しても相手は怯むことも止まることもないのだ。何をしても無駄と思わせる圧迫感が半端なかった。

 

 再び突進をしてくる相手にメックリンガーは手を打った。

 わざと艦隊の中央部に艦を密集させたかたまりの部分を作り、囮として使う。

 すると予期した通り、単純にもそこへ敵の黒い艦隊が突進してきた。反撃をせず逃げるだけを予め命じていたので、囮の方はひらりとかわす。

 

「むしろ闘牛士の気分だ」

 

 しかし、メックリンガーはこれでわかった。

 その黒い艦隊はわざわざ相手の一番強そうなところを目がけて突進し、必ず破ることで効果を上げている。戦力的にも、精神的にも。

 決して艦隊運動自体が優れているわけではない。

 

 次の突進が来た。これで仕留めると言わんばかりの決して立ち止まらない猛進だ。

 メックリンガーは精緻な計算をしている。今度はタイミングをギリギリまで見計らい、本当の紙一重で避け、その瞬間から激しく横撃を加えた。

 ぴったり追いすがりながら、間断なく横撃を続け、逃さない。

 さすがの黒い艦隊も損害は大きい。メックリンガーの狙い通りたまらず回頭を始めるが、しかしそういう急角度の艦隊運動には慣れていないのだろう。早く回頭できた艦、遅くなった艦、編隊がみるまに乱れていく。そこを的確にクロスファイヤーで倒していくのだ。

 

 互いの艦隊が離れた時には明らかにメックリンガーの方に分があり、充分に目的を達成したとみたメックリンガーは悠然と撤退した。

 

「リズムとタイミングは演奏の基本、いや、どんなことでも同じではないかな」

 

 

 

 

 



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第四十五話488年 9月 最強の敵手現る! その名はオーベルシュタイン

 

 

 この大会戦は舞台が多く、同時に幾つもの戦いがある。

 

 その場所でも激戦が展開されていた。

 ビームやミサイルの飛び交う戦いではない。それは情報の戦いだ。

 仕掛けているのはケスラー、仕掛けられているのはラインハルト麾下のケンプ艦隊である。

 

 知将ウルリッヒ・ケスラーと雄将カール・グスタフ・ケンプが対峙している。

 

 といってもお互いに姿を見てはいない。

 ケスラーが初めから電磁波妨害を濃密にかけているのだ。電磁波妨害をするブイを戦場へ大量に投下している。これでどちらも相手艦隊の位置が見えず、あくまでも少ない情報から類推しなくてはならない状態に置いている。

 ケスラーはそれと無人艦を数隻用意させた。それらに、間欠的にエンジンを使い、更に進路もデタラメに変えながら進行するプログラミングを入れて発進させる。もちろん欺瞞工作の一環だ。

 

 ケンプはいらだっていた。

 

 何か敵の反応があったと思って向かえばただの無人艦、こんなことが五回も続くとは。

 しかし、次の瞬間には敵の大部隊にふいに出くわさないとも限らないのだ。ゆめゆめ油断はできない。緊張が疲労となって蓄積される。

 

 一方、ケスラーはケンプ艦隊の心理を読み、思い通りに誘導している自信があった。

 徐々に死地を構築していく。

 

 

「やむをえん。有視界の範囲を広げる。大規模に艦載機を発進させ、哨戒させろ」

 

 焦れたケンプが命じる。

 すると幸運にも相手艦隊が見つかった。ケンプの艦隊九千隻よりも少ない五千隻しかいないではないか。

 

「小癪な。よし、位置が分かればもうこっちのものだ。急行して叩く!」

 

 ケンプは喜んだが、それはケスラーの思い通りの誘導なのだ。

 これで予定の時間に予定の場所に導いた。

 

 戦闘は平凡な砲撃戦から始まった。ケンプ艦隊が押しまくり、小勢のケスラー側が退きながら対処していく。

 

 

 突如としてケンプ艦隊から爆散する艦が相次いだ。

 

「なにっ、何ごとだ!」

「機雷です。機雷に接触した模様!」

 

 急きょ艦隊を停止させれば今度は狙い撃たれる。

 艦隊を動かすとまたもや機雷に接触する。

 

「いったいどうなっている! なぜ向こうだけが自由に動けるのだ」

 

 この場所には小さな機雷原が数十にも複雑に入り組んで配置されていた。

 配置したケスラーにはその場所がわかっても、ケンプにはもちろんわからない。

 まさに死地、である。

 

 機雷を慎重に見つけ出しゼッフル粒子でそれを除去しなくてはいけない分、どうしても艦隊行動に遅れが出る。この状態ではもはや勝負は決しているのだ。しっかりと準備をしたケスラーは勝利し、艦隊を見つけて得意の近接戦にすることばかり考えていたケンプは負ける。

 

「またもや一斉砲撃来ます!」

「やむを得ん、全艦右舷回頭し退避!」

 

 無理な行動をすると、機雷に接触する艦が出てくる。損害が増えるばかりだ。

 ついにケンプの旗艦ヨーツンハイムが接触してしまった。艦の損傷は思いの外大きい。

 

「閣下、この艦から脱出しましょう」

 

 ケンプ艦隊参謀パトリッケンが言う。だがケンプは答える。

 

「これを見ろ、俺はもう助からん」

 

 ケンプの腹から大量の出血があった。運悪く爆発の拍子に何かの破片が飛んできたのだろう。

 残兵の撤退を命じたのを最後に逝去した。

 その逝去の情報は混乱した通信を通してケスラーにまで伝わった。

 ただちにケスラーは起立、敬礼し、戦場から去る残存ケンプ艦隊をそのまま見送った。

 

 

 

 同時刻、カロリーナ艦隊から出た者たちばかりが勝ったわけではない。

 ルッツはまみえた敵将の力量を見て取り、勝つのは困難であると結論付けている。その敵将とはアイゼナッハ、地味だがどこをとっても破綻がない。ルッツは牽制に徹し、貴族連合軍をある程度支援すると無理はせず撤退した。

 

 違う場所に赴いているビューローもまた無理なことはしなかった。今回は勝つのが目的であり、優れた敵将と組み合う必要はないのだ。こちらの敵将はシュタインメッツであった。

 

 

 ただし、必ずしもそういうことができるとは限らない。いくら無理せず撤退にかかっても、それすらできない場合があるのだ。

 ベルゲングリューンがその状態に置かれてしまった。

 敵将が強い。強すぎる。

 いくら艦数で劣るとはいえ、こちらは何も手を打てず、局面に光明など一つもない。

 その敵とは驍将、オスカー・フォン・ロイエンタールだった。

 

 そのロイエンタールが淡々と相手を評する。

 

「なるほど、相手はそこそこやるようだ。あの伯爵令嬢の部下だからな。ここで俺に当たったのが不運というべきか。バルトハウザー、最終局面で行けるよう準備しておけ」

 

 ベルゲングリューンがいくら艦隊運動をしても取り込まれる。集中砲火でもかいくぐれず、分散して奇策をしかけようにも隙が無い。

 負けるのは確定、それどころではなくしだいに追い込まれ、壊滅が近い。

 

 しかし突然敵が消えた。

 

 あっという間に撤退していったのだ。何も前触れなく、付け入る隙もなく、きれいに。

 

「助かった。しかし、何があったのだ」

 

 ベルゲングリューンに分かるはずもなかったが、急な移動命令が本隊からロイエンタールに出ていた。ロイエンタールは目の前の戦いにこだわるような者ではなく、惜しげもなく眼前の勝利を捨てた。むしろこの移動命令の方に興味が移っていたのだ。

 

「オーベルシュタインから移動命令か。ここは奴に従ってやろう。俺が必要なくらいの敵がいるのなら、そっちの方が面白い。だが妙だな。ミッターマイヤーが予備兵力で残っていたはずだが…… 」

 

 

 

 別の場所ではブラウンシュバイクのいる貴族連合本隊とラインハルトの本隊とが戦っている。

 他の場所の戦いより規模は大きいが、それはもはや戦いというべきではない。

 ただの草刈りだった。

 ラインハルトとキルヒアイスのどちらもいる艦隊に誰が立ち向かえるというのだろう。

 ラインハルト側の本隊はたったの一万八千隻、それでブラウンシュバイクの三万隻をまったく一方的に薙ぎ払っていった。

 

「面白くないな。キルヒアイス。戦いの範疇にも入らん」

「それでも次の世を作るため必要な作業です。ラインハルト様」

「叛徒どもより無能なものがこの世にあるとは思わなかった。下には下がいるものだな」

 

 しかし、この戦いはそれで終わらなかった!

 ガイエスブルグ要塞から新たな貴族側の応援艦隊が到着したのだ。

 それは一万五千隻、ブラウンシュバイク公の壊滅寸前の本隊とラインハルトの間に割って入ろうとする。

 

 ラインハルトの鋭鋒がそれを挫かんとする。

 だが、それまで弱いブラウンシュバイク本隊を相手にしていただけに、わずかな緩みがあったのだろう。逆に応援に来た艦隊は決して弱くなかった。

 強引に浸透してくるやいなや、特徴的な戦法を使ってきた。

 

 近接戦法である。

 

 多量の艦載機を飛ばしてきたのだ。局所的な優位から接触点を確実に侵食していく。

 大型艦はともかく小型艦では小破大破が相次ぐ。急ぎ距離を取って駆逐艦や巡洋艦の艦砲で弾幕を作り、撃ち落としにかかるが艦載機の数が多い。

 

 それにもまして厄介なのは、小破させられた艦の扱いだ。

 速度は出せなくともこのまま艦隊に留めるのか、それとも後方に下がらせるのか、邪魔になるので廃棄するのか判断が難しい。

 

 近接戦法は利点の多い良い戦法である。損害を与える艦種も程度も選ぶことができ、小技を効かせるにはこれほど適した戦法はない。

 しかし重大な欠点もいくつかある。

 航続距離の短い艦載機の補給を行うため、空母をよほどうまい配置にしなくてはならない。それができなければ艦載機は敵中に取り残されたままエネルギー切れの絶体絶命になり、艦載機はそれを怖れて突進などできなくなる。

 とはいえ空母運用はかなり難しいことで、なぜなら艦載機はいったん離艦すればコントロールが難しく、戦場の設定ができない。予想と異なるのが普通だ。

 

 そこを的確に予想し艦載機群をうまくまとめることのできる将、それがメルカッツだ。

 

「なるほど近接戦法…… とすればあの貴族側応援艦隊はメルカッツの指揮か」

「そのようです、ラインハルト様。メルカッツ提督ならば侮れません」

「奴は近接戦法には手腕があったな。ここは仕方がない。いったん退き、編成を組み直せ。艦載機を追い込める態勢に」

 

 

 さすがにラインハルトもメルカッツの手腕を甘く見ることはなかった。負けるとは全く思っていなかったが、惰弱な貴族の艦隊とは違い、単純に押せば勝てるものではないと理解している。

 

 その時、ラインハルト本隊に通信が入った。

 

「ミッターマイヤーです。何やら面倒な敵が入ってきように見えました。小官が追い払いましょうか?」

 

 ラインハルトが少し迷う。

 別にラインハルトはメルカッツを破れないわけではないが、しかしラインハルトのみ戦ったのでは時間がかかってしまうのも確かである。その間に貴族の盟主ブラウンシュバイク公を取り逃がすかもしれないのだ。いや、むろんメルカッツはそのために来たのだろうから。

 

 一瞬おいてまたしても通信が入ってきた。

 今度はロイエンタールからである。

 

「なるほどメルカッツが相手というのであれば、凡百の貴族艦隊などとは格が違い、小官に移動命令が出されたのも納得がいきます。とすればここは小官の出番でしょうか」

 

 

 ミッターマイヤーかロイエンタールにメルカッツを押さえてもらい、その間に急進してブラウンシュバイクバイクを斃すべきか。

 だが、その迷っているラインハルトを差し置いてスクリーンにオーベルシュタインが出た。

 

「ミッターマイヤー大将、ロイエンタール大将、お二方にはその場で待機していただきます。メルカッツ提督の相手をするために動く必要はありません」

「何? だがこれではみすみす敵の首魁を取り逃がしてしまうではないか」「ブラウンシュバイクを要塞に逃がして、この戦いになんの意味があるか」

 

 オーベルシュタインからの言葉を聞き、ミッターマイヤーもロイエンタールも同じことを言った。二人のどちらも必要ないとは理解できない。

 

「だからどうだと言うのですか。お二方は待機です」

 

 オーベルシュタインが全く動ぜず、何も意見を変えない。

 この結論はラインハルトが申し渡した。

 

「ミッターマイヤー、ロイエンタール、その場に留まるようにせよ」

 

 

 ラインハルトが言うのであればミッターマイヤーとロイエンタールは引き下がった。

 そのすぐ後に二人だけで言う。

 

「オーベルシュタインには何か考えがあるのだろう。ローエングラム公もそれを良しとされた」「俺もそう思う。奴には奴なりの理屈があったのだろう。ただし、オーベルシュタインの奴に命令されるのだけは我慢ならん」

 

 

 

 ラインハルトが再編を終え、戦闘が再開された。

 的確な遠距離砲撃を始め、隙をついた見事な集中砲火でメルカッツの艦隊にいくつも穴をあける。

 やがてメルカッツはそれ以上の戦闘継続を止め、後退を始めた。ブラウンシュバイク公がようやく戦場を脱したのを見て取ったのである。救援という目的は果たしたのだ。

 ラインハルトはある程度追撃し逃げ遅れた貴族を掃討するが、目的は半分しか達成できなかったことになる。

 

 

 これで第一次ガイエスブルクの戦いは終結した。

 ラインハルトの側はミュラーが重傷を負い、ケンプが死去した。

 ビッテンフェルトは無事だったが艦隊は深く傷ついた。

 無様なのはクナップシュタインとグリルパルツァーである。

 伯爵令嬢側の諸将が来ていないのにも関わらず、ただの貴族の艦隊に負けてしまっていたのだ。いくら貴族の艦隊の中ではたまたま強い部分に当たったとはいえ醜態であり、恥じ入るばかりである。

 ラインハルト陣営の艦隊総数は九万隻から七万隻足らずに減っている。

 それなりの打撃を被っていたのも確かだ。

 

 一方、貴族連合艦隊の側はブラウンシュバイク公は要塞に逃げ込めたものの、全体としては壊滅に近い。メルカッツ提督の艦隊を除いた貴族艦隊は何と三万八千隻しか戻れなかった。当初十万隻を優に超えていた艦隊が、である。

 戻る途中で無理な加速をしてエンジンを壊した艦も多かった。

 それにもまして逃げる途中で退路を巡って同士討ちをする艦までいたのである。

 

 まとめて言えばラインハルト陣営には多少の損害、貴族側は大打撃という結果であり、ラインハルトは勝利を大々的に謳ってもよかった。しかしそうする気にもならないほどラインハルトには不満が残る。貴族を全滅させられず、ブラウンシュバイクを取り逃がした。

 

 

「骨を折った割に果実が少ない。これで良かったのか、オーベルシュタイン」

「これで良いのです。元帥閣下。戦いばかり好む近視眼の輩には見えないでしょうが」

 

 オーベルシュタインが他の将帥をばっさり切り捨てる。

 勇将ミッターマイヤーも驍将ロイエンタールもオーべルシュタインには近視眼にしか見えない。

 

 オーベルシュタイン、この冷徹なる男には全てを見通す目と底なしの知謀がある。

 

 

 

 



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第四十六話488年10月 生贄の少女

 

 

 ラインハルトがオーベルシュタインに向かって言葉を続ける。

 

「おまけにブラウンシュバイクは取り逃がしたぞ。これで貴族どもの命脈は断たれず、仕事は先延ばしだ。オーベルシュタイン」

「全く問題ありません。今回は元帥閣下が私めの策の通りにしていただき感謝します」

 

 そう、実は以前ラインハルトがオーベルシュタインの進言に従わないことがあった。

 レンテンベルク要塞でのことだ。

 オーベルシュタインがオフレッサーの生け捕りを主張したときである。

 ラインハルトも最初は同じ意見であった。意味は全く違えど。

 ところがオフレサーが捕縛されても戦う意志を捨てず、なお暴れていたためやむを得ずラインハルトは射殺を命じた。

 オーベルシュタインは手足をなくしても使い道があると言っていたのだが。ガイエスブルク要塞の貴族の間に相互不信の種をまく用途を想定していたのにこれで不可能になってしまう。

 

「元帥閣下、この件については昨日お話しした通りです。貴族どもとの戦いはブラウンシュバイク公などが相手ではありません。カロリーナ・フォン・ランズベルクです。これを倒した時にこそ戦いは勝ったと言えます」

 

 

 

 

 この第一次ガイエスブルクの戦いの前日、戦略についての建議をオーベルシュタインからラインハルトは聞いていた。

 

「この時期に進言とは何だ、オーベルシュタイン」

「是非お聞き頂きたい策がございます。今回の戦い方の本筋において異議はなく、隊列を崩しての各個撃破そのものは正しいと存じあげます。ただしその締めくくりが重要かと」

「勝って貴族どもを根こそぎにすればいいのだろう。そして盟主のブラウンシュバイクを叩けば」

「閣下、それの話です」

 

 オーベルシュタイン、この知謀の将は現在の事態を正確に喝破している。

 

「ブラウンシュバイクなどこの際どうでもいいのです」

「何? なぜだ。ブラウンシュバイクは帝国一の名家であり、貴族どもの盟主になっている。馬鹿でも貴族どもの頂点、これを除かねば何も成せない」

「いいえ、それが誤解だと申し上げます。ブラウンシュバイク公はただの飾りです。殺さなくとも問題ありません。貴族どもの精神的な支柱は今や別の者にあります」

 

「…… なるほどオーベルシュタイン、言いたいことは分かる気がする。しかし、今一度確認しておこうか」

「カロリーナ・フォン・ランズベルク伯爵令嬢です。閣下。お分かりでしょう。無敵の女提督、辺境解放の英雄です。かの者は貴族どもにとって大きな希望になっています。ブラウンシュバイクを倒しても伯爵令嬢がいる限り貴族は希望を捨てず、戦いは終結しません」

「それは厄介なものだ。かの者は、強いぞ」

 

 そう、ただし強いだけではない。

 ラインハルトは伯爵令嬢の小さな顔を思い浮かべる。

 あの茶会の席、そこで伯爵令嬢は宣言したのだ。貴族だろうと罪のない者を守ること、あくまで人を大事にすることを。有言実行、今もそのために比類ない才能を振るい、知謀を尽くして戦っている。ラインハルトにとって尊敬するに足る敵手だ。

 

 

 そこへオーベルシュタインの声が続く。実はオーベルシュタインもまた伯爵令嬢を軽視せずその価値を正確に捉えている。ただしその結論はどこまでも辛辣なものであった。

 

「だからこそ良いのです。これは非常なる好機が手に入ったのです、閣下。希望の拠り所を打ち砕かれた時、貴族どもはもはや抵抗する気力も残らないでしょう。こちらの戦略上伯爵令嬢の存在は願ってもない切り札なのです」

 

 そういう意味の利用とは!

 何とオーベルシュタインはカロリーナをも戦略に組み込んでいるのだ。

 貴族の希望を砕くための、ただの装置として。

 オーベルシュタインにとって伯爵令嬢はヴェスターラントの政治宣伝を妨害された経緯があるが、しかし今考えるのはそれを補って余りある。

 

 ラインハルトは考える。恐ろしい戦略だ。

 伯爵令嬢は彼女なりの思いがあって戦っているのだ。人を守るために力を尽くす。その思いを分かっているのか、オーベルシュタイン。

 

「そのために閣下、明日の戦いでは伯爵令嬢が出てくるのを待つのです。手を抜いて戦うわけではありません。しかし、戦いに際してある程度の予備兵力を残しておく必要があり、それには速さのあるミッターマイヤー提督が適任かと存じます。おそらく貴族どもの艦隊を守るために伯爵令嬢の艦隊が出てくるでしょう。その艦隊の中で最も強い部分を探って令嬢の所在を明らかにし、何としても包み込んで叩くのです。そのための予備兵力です。ブラウンシュバイク公など捨て置いてかまいません」

 

 伯爵令嬢を殺すのが優先かつ必須だと言ってのける。そして必殺の策を用意している。

 

 実際、ラインハルト陣営はそれぞれの戦いをよく観察していたのだ。そこでファーレンハイトの艦隊が最も強いのではないかと見て取っていた。

 それを押し包んで叩くべく、オーベルシュタインは優勢な戦いをしていたロイエンタールまでもわざわざ移動を命じたのである。かつてアルテナ星域で伯爵令嬢に手玉に取られたミッターマイヤーといえど、ロイエンタールと組み、両将で戦えば伯爵令嬢といえどヴァルハラ行きは免れないだろう。

 

 しかしその艦隊は伯爵令嬢が指揮をするものではなかった。

 

 それがわかった時点でこの作戦は意味がない。ミッターマイヤーもロイエンタールもそのまま待機を続けさせるしかない。

 他の艦隊を探ってみても伯爵令嬢はいない。

 それもそのはず、今回の戦いには最初から参加していなかったのだから。イゼルローンから戻るのが間に合わなかったのである。そのあたりの事情をラインハルトやオーベルシュタインの側で知るはずはない。

 

 

 

 オーベルシュタインの第一の手は空振りに終わった。

 

 しかしさして残念がる様子はなく、淡々と第二の手を打った。

 オーベルシュタインは当代随一の策謀家、その知謀は状況に合わせいくつもの罠を編み出す。それに対抗できるものはいない。

 

 ただしオーベルシュタインによる第二の手はラインハルトとキルヒアイスにとって非常に苦いものだった。

 

 伯爵令嬢をそのような手で葬るとは!

 

 人を守るために一生懸命戦ってきた令嬢なのに。その令嬢を絶望のうちに葬るのだから。

 あのかわいい令嬢が苦悩に沈みながら死んでいくことになるのだろうか。

 自分が守った人間に裏切られ、最後は人を呪う言葉を吐いて。

 この手はやってはならない。

 しかしオーベルシュタインの言うことはあまりに冷酷だが合理的でもあり、内乱を早期終結させ犠牲を減らせるのも確かなことである。

 

 

 

 わたしはカロリーナ艦隊と共に、ようやくイゼルローン回廊から長い旅路を経てガイエスブルク要塞に到着したのだ。それは第一次ガイエスブルクの戦いが終わった直後のことである。もちろん直ぐにガイエスブルク要塞に入り、ファーレンハイトなどから報告を聞き、充分に労う。

 

 

 偵察によってそれが分かったラインハルト陣営はガイエスブルクに向け通信を送る。

 このたった一つの通信だけでカロリーナ・フォン・ランズベルクの命を絶つ。

 

「貴族連合の勇戦に敬意を表する。

 あなたがたの帝国に対する強き思いがここに至ってようやく理解できた。

 帝国を真に支えてきたのは貴族であった。帝国に貴族は必要である。藩屏たる貴族がなければ成り立たない。

 不幸にも誤解によりお互いに深く傷つき、慙愧に耐えない。

 今はそれを癒し、互いを称え、共に帝国のために尽くすべきである。

 我らは和解を望む。共に歩もう。

 しかし和解の象徴として望むことがある。

 これまで互いの誤解を解く機会を失わせた犯人の処罰が不可欠だと断ずる。

 すなわち、犯人とはカロリーナ・フォン・ランズベルク伯爵令嬢のことである。

 罪状はいたずらに戦いを長引かせ犠牲を増やしてきたことである。

 要塞にいるカロリーナ・フォン・ランズベルクを生死にかかわらず引き渡すことを要求する。

 もう一つ、ガイエスブルク要塞の主砲ガイエスハーケンの破壊と封鎖を求める。もって和解と平和の証しとなす。

 これらが実行されれば、貴族には生命の安全及び領地の安堵を約束する。

 これからは手を取り合って帝国のため進もうではないか。     

                  ラインハルト・フォン・ローエングラム 」

 

 

 

 わたしはガイエスブルクに着くやいなや、突如死地に追い込まれた。

 

 今、味方であるはずの貴族連合から生贄にされようとしている。

 

 

 



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第四十七話488年10月 指揮者、登場!

 

 

 オーベルシュタインの策謀の効果はてきめんであった。

 この通信文一つだけでガイエスブルク要塞の雰囲気は一変したのだ。

 要塞に入ったばかりのわたしを剣呑な雰囲気が取り囲む。

 わたしを差し出せば、自分たち貴族はこんな危険な戦いの場から元の領地に帰れる。また昔と同じ生活ができるのだ。それをしない方はない。

 大体にしてあのローエングラム公ラインハルトを敵とみなしたのが間違いであり、自分たちを安楽に暮らさせてくれるのならば誰が上に立とうがどうでもいいではないか。

 

 この嫌な雰囲気、わたしには精神的に堪えるものだった。あんな見え透いた通信文を信じる、いや信じたい人間が多過ぎる。

 そんなわたしをサビーネは暖かく迎えてくれた。

 

「よう来た。カロリーナ。さっそくじゃがこの要塞にある食材で菓子を作ってくれ。アズキは無いが、されどハーブの棚にこれを見つけたぞ」

 

 さすがは食い意地の張ったサビーネ様、よくガイエスブルクの食糧庫に行ってきたものだ。

 そして何と赤シソの葉を持っている。

 サビーネはシソの葉ジュースも飲むのだ。今度プラムの塩漬けにシソの葉を使った物を作ってみようかしら。サビーネはどう言うだろう。その漬けたものはウメボシというのだけれど。

 

「アズキがなくとも、いろいろ作れますわ」

 

 ああ、サビーネは変わらず接してくれる。心暖まるひと時を歓談して過ごした。

 そして最後の最後に、サビーネが何事でもないかのように付け加えた。それはわたしを安心させるための配慮だろう。

 

「明日は皆で会議じゃそうな。安心せい。なに、アホウを黙らせたらことが済む」

 

 

 

 ここガイエスブルク要塞で皆が一同に会する大会議が開かれた。

 人数が多いので会議室ではなく大広間である。椅子がいくつか奥に用意され、大貴族だけそこに座る。

 

 ひときわ大きい二つの椅子はそこに座る貴族の身分を現わしている。

 

 一つはこの貴族連合の盟主オットー・フォン・ブラウンシュバイクのため。もう一つは現在でも名目上副盟主でありリッテンハイム家を継いだばかりのサビーネ・フォン・リッテンハイムのためにある。

 

 貴族以外にも軍部の主だったものが集められている。

 メルカッツ上級大将、アンスバッハ准将、シューマッハ大佐などである。

 もちろんカロリーナに付き従うファーレンハイト、ルッツ、メックリンガー、ケスラー、ビューロー、ベルゲングリューンもいる。

 

 

 異様なざわめきの中で会議が始まる。

 細かなことはみんな上の空だった。食糧の配分なども大事な議題ではあったが、それさえ余り聞いているものはいない。

 大事なことはたった一つしかないのだ。

 今日決定するのは、敵ローエングラム公ラインハルトが提示してきた和解案に乗るのか、突き返すのか。どちらにするのか。

 和解ならばここにいるカロリーナ・フォン・ランズベルクを差し出す。あるいは殺す。

 和解条件にはどちらが処罰するかは決まっておらず、別に生きたまま捕らえて引き渡さなくとも、抵抗すれば要塞の中で殺してしまってもいいのだ。何となればこの会議室で。

 

 会議は進み、ついに本題に入る!

 議長を務めているフレーゲル男爵が提議する。

 

「さて先日ローエングラムめから出された提案について、どう返答するかここで決めようではありませんか。内容はもう皆さんがご存知のはず。ランズベルク伯爵令嬢を差し出し、要塞の一部を壊し、和解に応ずれば貴族に咎めはなし」

 

 もう話の途中から人々のざわめきはどんどん高まっていった。

 

「そんなの決まっておる! 和解じゃ!」

「我らの大義は示された!」

「今頃向こうは貴族なしでは成り立たんとわかったのだ。それで充分」

「向こうから持ち掛けてきた話。受けてやるのが礼儀だろう」

「全ては帝国のため。ここに籠ってなんとする」

「確かにランズベルクのせいで戦が長引くのは事実ではないか」

「考える必要もない。向こうの気が変わらんうちに早く返事を!」

 

 人々は和解を口々に叫ぶ。人は仲間が多いと自然に声が大きくなる。もはやほとんどがそれに呑み込まれ、大勢は決しようとしていた。

 

 だがしかし、意外にも議長のフレーゲルが反対したのだ。

 

「いや、これは金髪の孺子が我らを恐れた証! 先の戦いでまぐれで勝てたが、実力の差が分かって実は震えていたに違いない。和約など笑止。これまでの行いの数々を償わせて、たっぷり後悔させてくれようぞ!」

 

 このような意見はあまりに少数派、無鉄砲な青年貴族しか同意するものがいない。

 

「今ぞ金髪の孺子を倒す好機! 勝ち逃げなど許すものか。次は貴族の矜持を見せつけて倒してくれる!」

 

 その声は通らない。人々はもっともらしいことを言いながら、実は命拾いしたとほっとしている。フレーゲルの言う貴族の矜持などもう無きに等しい。

 この際命が助かるなら他はどうでもいい。

 この目の前の少女が死んでくれれば自分は助かる。

 早く死んでくれないか。

 

 それは、あまりに自分本位の醜い考えであった。

 

 

 わたしは自分の命がかかったこの場で、何か言おうと努めた。

 そんな和約など絶対嘘だから! 見え透いた罠だから! 

 貴族を赦す? ラインハルトが本心からそう思ってるはずがない! 貴族を一掃し、帝国を作り変えるのがその狙い。絶対に貴族へ領地安堵などするものか。

 

 しかし声は何も出てこない。

 この場の数百数千人の、お前が死ね、という思念を一身に受けている。

 お前が死ねば全ては丸く治まるのだという。

 わたしはうつむき、涙をほろほろとこぼす。

 青ざめて生気を失った頬を伝う。

 

 どうしてこうなったの? わたしは、どうして。

 

 そんなわたしを諸将が気遣う。

 この会議にいても無用だ。

 もし誰かがブラスターを隠し持っていれば公然と射殺できる。そんな雰囲気なのだ。

 これは危ない。ベルゲングリューンがわたしを支えながら広間を退出していく。前をルッツが広く俯瞰しながらカバーして歩く。

 令嬢に何かしてみろ。

 俺がこの広間の全員を射殺してくれる。そうルッツは思っていた。

 

 ファーレンハイト達は広間に残った。

 内心はルッツに負けず劣らず闘志に溢れている。

 会議で伯爵令嬢を殺すことに決めるがいい。

 すぐさま令嬢を艦に乗せて宇宙に脱出し、その後はこの要塞ごと火球に変えてやる。令嬢が守ろうとしてきた貴族ども。裏切りの代償は貴様らの命しかない。

 俺が、必ずそうしてやるからな。

 

 

 

 ブラウンシュバイク公は会議の行く末に満足していた。和解に決まり、命も領地も助かりそうだ。正直甥のフレーゲルには困ったものだ。変な意見は出さず、黙っていればいいものを。

 

「皆の意見はわかった」

 

 自分は意見を言わず、皆の考えを集約したという形にするのが一番いい。それが当り障りなく和解案を決議できる。あのランズベルク伯爵令嬢は皆のため消えてもらう。たった一人の下級貴族、犠牲というほどのものではない。

 

 

「皆の意見はわかった!」

 

 だがここでブラウンシュバイクの次に声を上げてきた者がいたのだ。

 それは隣に座っている副盟主サビーネ・フォン・リッテンハイムである。

 

「皆が暗愚で恥知らずなこともようくわかったぞ。貴族? 貴族の誇りがどこにある! カロリーナ・フォン・ランズベルクに何の罪がある! 罪のないものを引き渡すとは、盗賊にも劣る畜生の所業じゃ! カロリーナに罪を見つけてみい。カロリーナは皆を助けようと頑張ってきたのじゃ。その者に恩を返さねばとは思わんのか」

 

 サビーネが静かに立ち上がる。その身は炎に包まれているようだ。声はこの場の隅々まで強く届く。

 

「和解が何ほどのものだというのじゃ。誇りを捨てて拾う命などいらん! 妾はカロリーナを断固として引き渡したりなどせぬ。サビーネ・フォン・リッテンハイムである妾の誇りにかけてじゃ! 今こそ妾はリッテンハイム家に生まれたことを幸せに思う。このような時に正しきを尊ぶ貴族の誇りを持てたからじゃ!」

 

 サビーネ・フォン・リッテンハイムはどうしたことか。

 まるでそこだけ輝くようなオーラを発散している。

 選ばれた者だけが持てるカリスマを身にまとった少女は話を続ける。

 

「ラインハルトなる者、底が透けてみえるわ。要塞の者を使送してカロリーナを葬ろうとは、ただの匹夫の考えること。さればこの者の和解を信じるなどたわけじゃ。和解の二つ目をようく見てみよ。この要塞の武器を封ずるとは、後で攻めてくるために決まっていよう。当たり前じゃ。その時に武器が使えなかったらどのようなことになるか。ここにメルカッツはおるか、はっきり申してみよ!」

 

 声に動かされ、メルカッツが進み出て静かに言う。

 内心は感動していた。

 サビーネ嬢はただの令嬢ではない。友情に厚く、正しきを尊び、誇り高い。それに物事を正確に見ているではないか!

 

「サビーネお嬢様、まことに慧眼でございます。武器を和解案で潰すとは計略以外の何物でもないと心得ます」

「その通りじゃ」

「ガイエスハーケンが使えないガイエスブルク要塞など、攻略するのに造作もないでしょう。その時点として要塞は終わりです。要塞からただの家に成り下がり、我らの負けが決まります。もし向こうが手の平を返せばなすすべもなく滅びるばかりになるでしょう。小官もこの計略の見える和解案に乗ってはならないと断じます」

 

 

 するとこの和解案はあのラインハルトの計略なのか。貴族を一挙に葬るための。

 皆は戸惑い、サビーネの言うことももっともだと言いつつある。

 

「皆の者、安心せい。我らはカロリーナを信じていればいい。あの者は信じてやれば必ず期待に応えるのじゃ。相手がローエングラム帝国元帥? ふん、カロリーナが負けることなどないわ!」

 

 会議は急転直下、和解案を受けないことで決まった。

 皆はサビーネ嬢のカリスマに驚くばかり、あの広間の雰囲気をたった一人でひっくり返したのだ。

 あたかも、皆の意思を導き一つにする者、指揮をする者のごとくに。

 

 

 

 要塞の会議の結果を聞いたラインハルトは言う。

 

「貴族どもは和解案に乗ってはこなかったな。オーベルシュタイン。そこまで馬鹿揃いではなかったということだ。尤もあんな見え透いた策に乗ってこられては興覚めもいいところだった。伯爵令嬢の首は届けられなかった。さて、ここからどうする」

 

 それを聞くオーベルシュタインは思う。

 ローエングラム元帥はこの策がうまくいかなくて内心喜んでいる。言葉の端々に安堵したような調子が漏れている。

 伯爵令嬢と華々しく戦うのはまだしも、謀殺は決して好きではないのだ。

 

 馬鹿馬鹿しい。

 同じ死ぬのに、名誉の戦死も惨めな謀殺も区別などないではないか。

 

「今回の策は次の下準備に過ぎません。打つ手を打っていくだけです、元帥閣下」

「そうか。卿の謀りごとは底が知れんからな」

 

 そう、オーベルシュタインは底が知れない。

 敵として謀られることになった時点で、伯爵令嬢の命脈は尽きているのか。

 

 オーベルシュタインの第三の手はすでに伸ばされていた。

 

 

 

 



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第四十八話488年10月 ピアノを一曲

 

 

 事はガイエスブルク要塞の片隅からひっそりと始まった。

 

 先にラインハルトが提示した和約は貴族の会議にて破棄され、そのことは下級兵士にも伝わっている。

 それで彼らは不安のただなかにいた。兵士には貴族の誇りも関係ない。生き残れるかどうかが全てであり、勝敗はそれのついでのことに過ぎない。忠誠心はなく、給料がもらえればいいだけなのだ。決して戦いなど欲していない。

 そんな兵士の不安を拡大させようとする者がいれば一気に燃え盛る。

 

 いつの間にかガイエスブルクに公然と反抗的な一団が生まれてしまい、事あるごとに反抗とサボタージュを繰り返していたが、ある時から静かになった。

 上官たちは胸をなでおろしたが、事実は逆である。

 軍事的な決起が決まったからこそ大人しくなったのだ。

 

 その日が訪れた。

 

 いきなり要塞の電源が落とされた。

 要塞維持コンピューターや空調などの本当の重要区画には予備ジェネレーターが置かれていて、それらは直ちに作動した。ただしエレベーター、隔壁、保安灯以外の照明などは全て動作不能になってしまった。

 

「なんだ、なにが起きたのだ!」

 

 誰もが異口同音に皆が叫ぶ。要塞保守点検部門の要員がひとまず報告してくる。

 

「主反応炉には異常ありません。中継点に何かの障害があったようです。場所と原因を調査中ですが、復旧までそう時間はかからないでしょう」

 

 それだけなのか。いったん安堵し、修理を通常通り進ませるだけだ。

 

 

 だがしかし、静かに事は運ばれ、破滅へと導かれつつあったのだ。

 

「この時期にタイミングよく大規模な故障など何かおかしい。テロの可能性がある。念のため令嬢を艦に移しておこう」

 

 これはファーレンハイトの判断であるが、他の将も等しく同じことを思った。

 わたしはファーレンハイトらと共にドックに係留してある旗艦に移ることになった。

 

 そしてわたしは親切心から一つのアイデアを思い付いたのだ。

 

「そうだわ、せっかくだから艦の電源を要塞に供給できないかしら。せめて照明だけでもつけてあげられたら皆の不安も和らぐでしょう」

 

 それが可能か技術部に問い合わせて、可能との返事をもらったので電源を接続しにかかる。

 ドックに係留してあった大型艦に次々とケーブルを接続し、それを要塞につなぎ、艦から要塞へとエネルギーを供給した。

 

 自分でもなかなか良いアイデアだったわ!

 そのおかげで要塞機能の一部が復旧できた。

 

 それは全くの幸運であった。要塞の置かれた驚くべき事態が明らかになったのだ!

 

 なんとガイエスブルク要塞の攻撃の要となる主砲ガイエスハーケンの制御室が制圧されかかっていたのである! 兵士の反乱勢力によって。

 よほどうまく計画されたのだろう。警報は全てその経路を切断されていたのだ。そしてこのエネルギートラブルは監視なども停止させていた。これで明らかだ。この要塞のトラブルはガイエスハーケン制御室を乗っ取る、その一点だけのために仕組まれたものだった。

 

 

 それは現場の区画から逃げてきた士官が、ようやく要塞内を移動可能となったために知らせに来れたおかげである。

 

 

 しかし事態は深刻だ。もしも主砲制御室が乗っ取られたらどうなることか。

 いや一部でも破壊されたら修理される間、要塞はラインハルト陣営艦隊からの攻撃に持ちこたえられはせず、ガイエスブルク要塞は陥ちてしまう。

 なんといっても主砲あっての要塞なのだ。

 

 まだその制御室にあるメインコンソールまで反乱兵士勢力は届いていない。だが、わずか壁一枚隔てたところまで来ているとのことだ。

 まごまごしていられず、とにかく少しでも早く反乱勢力の討滅が必要だ。

 もちろん要塞守備隊からの兵が急行した。

 しかし反乱勢力は事前にあちこちトラップやバリケードを築いていて思うように進めない。そして通常ならこういう時のために設置された保安手段、ガスを流したり隔壁を操作したりという手段は使えない。なぜならまだ要塞の電源は完全ではなく、おまけに逆に要塞機能を部分的に乗っ取られてもいたのだ。

 これは突発的な反乱にしては鮮やかすぎる。

 

 

 たまたま、制御室に近いところにカロリーナ艦隊の者が二人いた。

 メックリンガーとケスラーである。

 

 もちろん反乱鎮圧の応援に向かう。そして走りながらメックリンガーが言う。

 

「こういうことを今の状況で言うのもなんですが、応援に赴いても私が役に立つとは思えず、銃撃戦も格闘戦も全く不得手で」

「メックリンガー殿、小官にはブラスターを撃つよりもピアノを弾く方が難しいと思えますが」

「この場合にはあまり意味がありませんな、ケスラー殿」

 

 二人は不毛な会話をしながら、やっと現場に到着した。

 そこにゼッフル粒子はない。

 もしそれがあれば銃ではなくトマホークの戦いになり、それこそピアノと比べることもできないだろう。

 見ると反乱勢力は制御室近くの通路にバリケードを築いて銃撃戦を持ちこたえていた。ここで鎮圧を妨害し、制御室を乗っ取る時間を稼ぐつもりだろう。

 

 要塞主砲制御室のドアはまだロックされていて、そこを開けにかかっている反乱勢力がいる。ということはすんでのところで反乱勢力に破られていない。

 直ちにその銃撃戦に二人も参加する。通路の角に隠れながら間欠的に撃ちかけるのだ。

 

 ある程度の成果を挙げたのだろう。反乱勢力の撃ってくる銃撃の勢いが弱まった。

 ここで出ようとするメックリンガーを慌ててケスラーが押しとどめる。

 

「まだです」

 

 角から出て行った守備兵数人がすぐに撃ち倒された。

 

「市街戦などではよくこういう欺瞞が使われます」

 

 

 またもや銃撃戦が続くが、今度こそ本当に弱まる。

 鎮圧に当たる守備兵たちが再び物陰から出て、ようやくバリケードを制圧にかかった。この二人も飛び出す。

 

 ちょうどその時主砲制御室のドアが反乱勢力に破られた!

 その中に入られれば何も遮るものはない。制御コンソールがあるばかりだ。

 

「間に合わないか!」

 

 ケスラーが走る。

 メックリンガーが倒れている兵を不格好なステップで避けながら遅れて続く。

 

 制御室の入口付近にいた反乱勢力をあっさりケスラーが撃ち倒すが、もう数人は中に入ってしまった。

 制御室の中から銃撃戦の音が聞こえてくる。

 そこにも一応守備兵はいたのだろう。反乱勢力と戦っているが、しかし、間もなく音はやんだ。しっかり準備をしている反乱勢力が圧倒し、ついに制御室を占拠したらしい。

 

 ケスラーはドアに近づくが、いきなり飛び込むことはしない。

 音を立てないステップで体勢を変え、慎重にドアの影を見やる。

 はたして陰に隠れて待ち伏せしている者がいた。かがみこんでから突入し、まずはそれを打ち倒す。

 素早くその場の状況を見た。

 部屋の中には生きているものが二人いた。もちろん反乱勢力だ。

 一人は制御コンソールの前の椅子に座り、既に何かの操作をもう始めてしまっている。

 あとの一人がいち早くケスラーに銃を向け狙いをつけた。

 その時のことだ。

 

「警告します! 主砲ガイエスハーケン、エネルギー過充填です。危険水準を40%超えています。すみやかに対処して下さい」

 

 警告のための大きな機械音声が聞こえた。

 ケスラーにブラスターを撃とうとした男はそれでわずか気がそれた。

 

 その時にはメックリンガーがケスラーに追い付き、この制御室に入っている。

 ケスラーが危ないと見て取り、ブラスターを持ち上げ相手の男へ撃つ!

 

 ケスラーもまたほぼ同時に撃つ。

 男も一瞬遅れて撃つが、ケスラーのすぐ脇をかすめて壁を焦がしただけに終わる。

 その後、男はゆっくり崩れ落ちる。こちらには確かに当たっていたのだ。

 

「もう間に合わない…… これでガイエスハーケンは……」

 

 男は嘲るような笑いを浮かべ、それだけを言ってこと切れている。

 

 

「早く、なんとかしなくては」

 

 男の言いようだと間に合わないのか。ケスラーは急ぎ制御コンソールへ向かうが、先ずは制御コンソールに座る者を片付けなくてはならない。

 

 しかし、その者は動かない。

 ケスラーが銃を構えながらなおも近付く。妙に思いながら椅子を蹴ると、男は床にそのまま倒れる。

 気を失っているようだ。コンソールに血痕があり、既に撃たれている。

 

 それを考えるのは後、ケスラーがコンソールを見ると、最終安全装置の作動を示すディスプレイが点滅している。

 ガイエスハーケンはすんでのところで自動停止し過充電をやめていたのだ。

 しかし、その最終安全装置をコンソールの者が解除しようとしていたのは明白だった。

 きわどいところで助かったのだ。

 ガイエスハーケンから過充電のエネルギーが溢れたら、ここの損傷どころか要塞そのものがどれほどのダメージになったかわからない。

 

 

 安堵したケスラーは、事態を間もなく把握して言う。

 

「小官もこれほど難しいことをしたことはありません。メックリンガー殿は銃を持った男に真っすぐ向いて撃ったはずなのに!」

「そうですが……」

「しかしコンソールの椅子に座った男に当たった、いえ当ててしまわれるとは」

 

 メックリンガーが難しい顔をして言った。

 

「ピアノでノクターンを弾こうと思ったら、マズルカを弾いてしまった、そのようなものでしょうか」

 

 

 ケスラーがもっと難しい顔をした。

 

 その例え話、よくわからないんだが。

 

 

 

 



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第四十九話488年11月 オーベルシュタインの支配の下で

 

 

 ようやく反乱兵士を装ったテロが落ち着いた。

 ガイエスハーケンの制御コンソールについていた男が意識を取り戻すのを待って尋問する。名はハウプトマン大尉といった。

 

 事件の真相はやはりラインハルト側の破壊工作であった。

 要塞の不満分子を糾合し、あらかじめ作製してあったマニュアルに沿ってガイエスハーケンの破壊を企んだのだ。

 最初は言いよどんでいたが、破壊工作がもしうまくいけばあのガイエスハーケン制御室こそエネルギーの逆流の餌食になり、真っ先に吹っ飛んでいたことを教えると協力的になった。

 破壊工作を指示した黒幕のことも話した。

 ラインハルトの側にいて策謀をめぐらす冷徹なる参謀、パウル・フォン・オーベルシュタインが全て作り上げた策ということだ。

 

 わたしはその報告を聞いて嬉しく思った。ああ、この卑劣な策はラインハルトが考えたんじゃなかったのね、やっぱり。

 先にわたしを窮地に追い込んだ欺瞞の和約の陰謀もおそらくラインハルトの指示でじゃない。

 ラインハルトはそんな人ではない。矜持がある。武を尊び、決して卑怯なことはしない。

 

 しかし、あの絶対零度のオーベルシュタインが相手とは。事態はむしろ悪いかもしれない。

 わたしはあまりに強大な敵手の存在に慄然となってしまう。

 

 

 

 このガイエスハーケン破壊工作の失敗についてはラインハルト側も把握している。

 

「オーベルシュタイン、今度の策も防がれてしまったようだ」

 

 ラインハルトがむしろ楽しそうに話している。

 

「そのようです元帥閣下。残念ながら」

「オーベルシュタイン、こうなれば正々堂々と要塞も艦隊も併せて打ち滅ぼすしかなさそうだな。真っ向勝負もまた面白い。貴族の馬鹿どもに反省する時間をたっぷり与えられる」

「いいえ閣下。これは心外でございます。仕上げの策はまた別に用意してあるのです。実のところ、今回の策はうまくいけばそれで良し、成らなくてもかまわないといった類のものです。次の策こそ最良のものであり、勝敗などという次元ではなく後につながる政治的な意味もあります」

「何だと…… 聞こう。仕上げの策とはいったい何か」

 

 オーベルシュタインの話が終わると、またしてもラインハルトは暗い顔になった。

 それは意外なものだったのだ。

 

「なるほど…… これほど有効なことはない、それは認めよう。だがそんな風に伯爵令嬢を葬るのか。覇業を成すというのは酷なものだ」

「左様にございます、元帥閣下」

「伯爵令嬢を命だけでも助けられないか、オーベルシュタイン。むざむざ殺すには及ぶまい」

「いいえ閣下、むしろカロリーナ・フォン・ランズベルクを助ける方が難しく、たとえこちらが助けたいと思っても助かる道はございません。これは必殺の策ですので」

 

 

 

 そのころわたしはガイエスブルク要塞の増強にいそしんでいた。

 正確にいえば要塞に到着した直後から始めていたことだ。

 要塞にある部材を惜しみなく使い、工事を進める。部材が足らなければ要塞の工廠をフル稼働させ、それでも足りない分は積極的にフェザーン経由で買い集めている。対価は充分にある。

 

 この要塞には致命的な欠乏がなく、食糧と反応剤、推進剤、ミサイルなどはまだまだ豊富に在庫がある。それを知っているラインハルト陣営は兵糧攻めを考えていなかったので、対峙はしても完全包囲の形ではない。買い付けて運び込むのはさほど困難ではなかった。

 そして財政的にもまだまだ余力があった。

 もちろん賊軍と認定されガイエルブルクに籠っている以上、経済的な取引や投資があるはずはない。ただしその影響は将来のこと、現時点では貴族たちの持ち込んだ貨幣財宝は膨大な量になる。伊達に数百年も平民から搾取してきたわけではないのだ。

そしてフェザーンに支払う対価など、先の戦いで艦ごと消滅してしまった貴族家の財宝を接収して使えばいい。

 サビーネの許しを得てわたしはそれを進める。

 それと同時にベルゲングリューンにまた密命をことづけて二千隻程度と共に要塞から送り出した。

 

 

 あの欺瞞の和約を破棄して以来、要塞の空気はまた変わった。

 むしろ主戦派の勢いが増していたのだ。

 その筆頭はやはり貴族の力と矜持を信じるフレーゲル男爵だった。

 メルカッツが軽挙妄動をしないように主戦派の貴族を事あるごとに諫めているが、彼らは不満に言い立ててやまない。暴発してしまわないだろうか。

 わたしは警戒心を持つ。

 これは、またもやオーベルシュタインが影にいて、陰謀を操っているのか?

 ああ、胃が痛い。

 わたしは広間で吊るし上げられたような思いは二度としたくない。

 

 実際のところそれはオーベルシュタインの策謀ではなかった。

 オーベルシュタインは無駄な策謀はしない。

 策謀を巡らすまでもなく、貴族の暴発などただ待てばよいだけだ。必ず至る未来とわかっているのだから。

 どうせ貴族には籠って情勢の変化を待つという辛抱などできはしない。

 

 やがて貴族が幾度か無断で出兵することさえあった。それに対しラインハルト陣営はいつも本格的な戦闘はせずに退いていった。もちろん、それも誘い出しの一つであることは明らかだが、わたしやメルカッツがそう思っても貴族たちが同じように思うわけがない。

 

 

 

 その頃、またしても宇宙の片隅では、陰鬱な部屋で会話している者たちがいる。

 

「それで帝国貴族とラインハルト・フォン・ローエングラム元帥は膠着状態か。一気に決着がつくと思っていたが。誰がどう見ても麾下の将の質は圧倒的な差があるだろう。貴族がここまで戦えるとは少し意外だ」

「自治領主、こんな状況になったのは貴族側にあのランズベルク伯爵令嬢がついたためかと」

「そのようだな、ルパート。しかし戦いが長引けば帝国の損耗は想定以上になる。漁夫の利を得た同盟が一息つけることになった。帝国に干渉する好機と見て積極策を取る気概まではないだろうが、少なくともゆっくりアムリッツァの傷を癒すことはできる」

「それは良いことでしょうか。自治領主」

「どんな形に決着するにせよ、充分我らのコントロール下に置いておける。ルパート、待つのも策だぞ」

 

 グラスの氷をからん、と一度鳴らした。

 

 

 

 メルカッツが今日もまた血気にはやる貴族を諭す。

 

「明らかに擬態、向こうが弱気に見えても決して要塞を出てはならん。逆に言えば要塞から出なければ向こうに決め手がなく、その意味で必死に誘い出しをかけているだけだ。時期を待つ、この方針は変わらない」

 

「いや、先に和約をもちかけたのも我らを恐れたためだ!」

「一気に決着をつけてやる!」

「今頃になって金髪の孺子は後悔しているのだ。孺子に帝国を動かせるものか」

 

 話の通じない貴族たちはまともに考えもせず、主戦論を言うだけだ。

 まあ、この程度の感情的な話であればまだしも説得できる。

 

 しかし、メルカッツといえども説得ができない種類のものが存在する。

 それを青年貴族が口にすれば、容易に反論ができない。

 

「こうしている間にオーディンが心配ではないか。金髪の孺子は皇帝陛下をないがしろにしているに決まっている。帝国の藩塀たる我らが皇帝陛下を守れずになんとする。ここに籠っているだけでは大義がない。早くオーディンに進撃し皇帝陛下を救い出し、金髪の孺子こそ賊軍であることを天下に知らしむるべきである」

 

 皇帝を持ち出されると全て正論ともいえる。これを一蹴することはできない!

 特にメルカッツは帝室を守る帝国軍として人生の大半を送ってきたのだ。オーディンの帝室の現状を憂いていることは貴族にも劣らない。

 

 いよいよ主戦論が盛んになり決戦の機運が高まった。

 

 制止も空しく、フレーゲル男爵を中心とする若手貴族六千隻の兵力が出陣していった。これまでの無断出兵とはケタが違う。

 

 やむを得ずメルカッツが一万五千の戦力を率いて追う。どうせ壊滅させられるだろうが、その前に助けられる者を助けるためだ。それは先の第一次ガイエスブルクの戦いでブラウンシュバイク公を救援したことと同じである。

 

 ラインハルト側では疑似敗走と挑発を織り交ぜて貴族の艦隊を要塞から引き離しにかかる。それはいとも簡単な作業であった。結果、メルカッツの艦隊と距離が縮まってこない。

 

 要塞から見ていたわたしはは擬態の見事さと味方の危うさを見て取った。

 

「やむを得ません。メルカッツ提督だけでは難しいでしょう。いいえ、メルカッツ提督も危地に陥る恐れがあります。あの方は分かっていても貴族を見殺しにはできない優しい方ですから。手遅れになる前に直ちに艦隊を出し、一戦して味方を救出したあと撤退します」

 

 わたしはサビーネにもそう伝え、皆を率いて要塞を出た。その直後意外なことにブラウンシュバイク公も自ら出陣し全艦を率いて出たのだ。

 

「フレーゲルは我が可愛い甥である。これを助けるため、儂自ら出陣する」

 

 思いがけず大兵力になってしまう。

 わたしのカロリーナ艦隊が一万八千隻、預かっているリッテンハイム家艦隊が三万二千隻、ブラウンシュバイク公が率いているのが三万一千隻である。

 先の艦隊を併せ、全て合計すると九万隻になる。

 

 これはうかつに誘き出しに乗ってしまったとも言えるが、それを仕組んだラインハルト側にとっても想定できない大兵力のはずだ。いったん手を引いてくれればよし、だがラインハルトは好機と見て大会戦を仕掛けるかもしれない。

 こちらはまとまってガイエスブルクへ撤退できるかどうかが鍵になる。

 

 ラインハルトの攻勢のタイミングと鋭さ次第。無事に戻れればよいが。

 

 

 一番早く出て行った青年貴族たちの艦隊は、巧緻な擬態に引きずられ、要塞から相当の距離まで進行してしまった。少しも速度を緩めないからである。

 まずい、離れ過ぎた。

 わたしの頭に危険信号が灯る。

 

 ようやくメルカッツの艦隊がそれらに追い付く。

 貴族たちの艦隊はラインハルトの偽装によるわずかな勝利に酔っていた。呑気なものだ。

 わたしの艦隊も追い付き、やがてブラウンシュバイク公艦隊も合流してくる。これでガイエスブルク要塞のほぼ全ての艦艇が集まったことになる。

 急ぎ帰ろう!

 逆にいえばこんな大兵力、決して崩されずまとまっていれば撤退は困難ではないはずだ。動きはその分遅くなるが仕方がない。

 

 はたしてラインハルト側が仕掛けてきた。

 ラインハルト麾下の諸提督がこちらのガイエスブルクの艦隊を囲むように接近する。

 

 ラインハルト側は約七万隻、艦艇総数では未だガイエスブルクの艦隊の方が多いのだ。

 慌てず防御して要塞に戻ろう。

 もちろん血気にはやった貴族が突出しそうになる。そこをなんとか抑え、要塞へのコースを辿った。

 砲戦がしだいに激しくなる。陣はまだ崩れないものの双方に損害が出始めた。

 

 おかしい、そんなはずはない!

 ラインハルトが単なる消耗戦を仕掛けるはずがない。これではどちらも消滅するだけだ。

 

 ここでラインハルトの諸提督のうち、二つの艦隊に動きがあった。

 一万隻以上の艦隊なのに美しく一糸乱れぬ艦隊運動だ。

 

 オペレーターが艦型照合を行い報告してくる。

 

「戦艦ベイオウルフ ミッターマイヤー提督の艦隊です」「戦艦トリスタン ロイエンタール提督の艦隊です」

 

 やはり双璧が出てきたか。こんなにも早くに。

 ラインハルトは本気になっている。

 

 

 この戦いは後世、第二次ガイエスブルクの戦いと呼ばれることになる。

 それは悲劇の戦いとして名高い。

 

 幾多の人々の運命を狂わせる戦いの幕は、こうして上がった。

 

 

 

 



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第五十話 488年11月 第二次ガイエスブルクの戦い~尽きざる魔手

 

 

 やはりラインハルトの双璧は強い。まともに戦ってみるとそれがよく分かる。

 

 格が違うとはこういうことであり、その二つの艦隊に面したところははっきりと押されている。

 わたしは対処としてミッターマイヤー艦隊の方にルッツを、ロイエンタール艦隊の方にファーレンハイトを急ぎ向かわせた。

 戦い方の相性を考えてのことである。

 

 ミッターマイヤーのダイナミックな艦隊運動にはルッツの狙撃的に構えた攻撃がいい。

 ロイエンタールの知勇のバランスにはファーレンハイトの有無を言わせぬ苛烈な攻勢がいい。

 

 この采配は思った以上の効果を上げた。

 

 ルッツはミッターマイヤーの艦隊運動に惑わされることはなかった。下手に対処を図ればかえって陣形を乱され、疾さに分断されるだけだ。陣を堅く保ち、決して隙を作らず、タイミングを見て的確な一撃を加えることに徹する。絶対に深追いはしない。

 そうなるとミッターマイヤーといえども攻めあぐむ。

 全体としてはミッターマイヤーが押していても、損害で見れば互角、瓦解させられる心配はない。

 

 ロイエンタールは堂々としてけれん味のない艦隊を組み上げて迫る。そこへファーレンハイトが怯えることなく切り裂くような苛烈な攻勢を仕掛ける。思いがけず守勢に回っても逆撃を加えるところはさすがにロイエンタール、しかし捉えきれるには至らない。これを二度、三度、時間ばかりが過ぎていく。

 

 

 わたしの方はそれらの戦いばかりに注目しているわけにはいかない。

 様々な戦いが同時に展開されており、それらより近くにも戦いを挑んでくる相手がいるからだ。黒色に塗られたその艦隊は、有無を言わせぬ速度で直線的に迫ってくる。

 わたしには艦型照合など不要だ。黒色槍騎兵、つまりビッテンフェルト提督。

 突進してくる先にはちょうどメルカッツ提督の艦隊がある。わたしは急ぎメルカッツ提督に通信を送り、重要なことを伝える。

 

「あの黒い艦隊には近接戦闘は効果がありません。怯むどころか突撃が速くなるだけです。とりあえず避けて受け流してから反撃して下さい」

 

 それでメルカッツ提督は何とか凌ぐことに成功したようだ。だがそれだけではなく、まだまだ迫ってくる艦隊があった。ラインハルト陣営は本気で大攻勢を仕掛けてくる。

 ここで乾坤一擲の勝負を仕掛けてくるつもりだろうか…… 

 少し妙な感じがするのは、艦数的なこともあるが、全体として戦場はガイエスブルク要塞の方へ移動しているはずであり、ラインハルト陣営には時間の余裕もない。

 それなのに大勝負とは、よほど実力差で押し切れる自身があるのだろうか。

 

 こちらはもちろんまとまって守備陣の形をとるが、またしても食いついてくる艦隊がある。

 

「新たな艦隊接近、旗艦艦型照合、戦艦フォンケル確認しました。シュタインメッツ提督の艦隊です!」

「戦艦ヴィーザル、アイゼナッハ提督の艦隊です!」

 

 ラインハルト陣営にはまだまだこれだけの有能な提督たちが揃っている。

 負けてなるか!

 これらにはメックリンガーとケスラーを向かわせた。言うまでもなく、目的をきちんと理解した無理のない戦闘をしてくれるだろう。

 今必要なことは時間稼ぎだけである。戦闘の勝ち負けではない。

 陣を保ちながら移動して要塞に帰りつけばいい。そしてもう要塞は見え始めているではないか。あともう少し、もう少しで逃げ切れるのだ。

 

 わたしの手持ちの隊は、元からランズベルク家に仕えていた護衛艦隊と、最初期にヒルデスハイム伯などから接収して今ではすっかりカロリーナ艦隊として馴染んだ艦、新造艦などからなる五千隻だけだ。それらの指揮をさせるため手元にビューローだけを残している。

 しかし危ないことはない。なぜならすぐ横にはブラウンシュバイク公の大艦隊がいる。今、あまり積極的に戦いに加わっている様子はないが、これは下手に出しゃばられても困る。崩れたりしたらそこからつけ込まれるかもしれず、それにかえって救援に手間取ってしまうかもしれない。

 案山子で充分、それでも弾除けくらいにはなるだろう。数だけは多いのだから。

 

 

 戦いはそれぞれ良い悪いが交錯し、全体として混戦模様になっているが、大勢として不利ではない。わたしの諸将はそれぞれの持ち場で奮闘し、時間稼ぎの役割を果たしている。こちらの防御陣はまだ大丈夫だ。密集して隙はなく、当面崩れることはない。

 時間が長く感じられたが、やっと要塞が大きく見えてきた。あの要塞主砲ガイエスハーケンの射程内まで入れば一安心である。あとほんのわずかで着けるだろう。

 

 

 

 信じられないことというのはこういうことを言うのか。

 

 

 わたしはもとより、諸将も、兵の一人に至るまで信じられないものを見た。

 ガイエスブルクからこの戦いの様子を見守る兵、貴族、そしてサビーネにも。

 いやそれだけではない。攻勢を掛けている方であるラインハルト陣営の諸提督さえ同様に驚愕した。

 

 突如としてスクリーンが白熱、つまりほんの近くにエネルギーの奔流が通り過ぎる。一瞬後、わたしの艦の近くで爆散する艦が相次ぐ。

 

 

 何が、何が起きた!

 

「裏切りだ!!」「ブラウンシュバイク公が、寝返った!」

 

 突如としてブラウンシュバイク公の艦隊が発砲してきたのだ。

 

 わたしの本隊へ向けて数百条の白い線が来る。味方であったはずのその艦隊から、こちらの艦列の無防備な側面に突き刺さる。

 艦隊陣形などみるまに崩壊した。

 当たり前である。こんなタイミング、こんな体勢、こんな艦数差で攻撃を食らえばどんな艦隊でもひとたまりもない。

 

 

 驚愕の事実が展開される。たった一つだけ幸いなことがあったとすれば、ラインハルト陣営の諸将は武人であり、こんな裏切りは憎むべきものであってチャンスなどとは考えもしない。むしろ固まってしまい、いったん攻撃を手控える者が続出する。

 

 それもまた予期していたのだろう。タイミングよくオーベルシュタインが司令部から諸将に命令する。

 

「今こそいっそうの忠勤を。ミッターマイヤー提督、あの伯爵令嬢を葬りに行っていただきましょう。ブラウンシュバイク公の艦隊だけでカロリーナ・フォン・ランズベルクを殺せるはずなれど、そこは念には念を入れて、確実に亡きものとするのです」

 

 これに対しミッターマイヤーは武人の矜持をもって反論する。

 思わぬ味方の裏切りに遭った伯爵令嬢に同情はすれど、裏切りの方へ加勢するのは論外だ。

 

「お言葉ですがオーベルシュタイン大将、伯爵令嬢は今まで女ながら武人として正々堂々戦ってきました。ここで味方の裏切りによる苦境、そこに付け込むなど我らの道に反するものです」

「ミッターマイヤー提督、それは聞き捨てならない。勝利のためにある艦隊を勝利に使わないとは、どういう矛盾か理解しておられぬか。それにこれは司令部としての命令、従わぬとあれば重大な命令違反と見なされることはご存知のはず」

 

 

 ここでスクリーン越しに思わぬ睨み合いとなる。そこへロイエンタールが歯に絹着せずミッターマイヤーに加担する。

 

「いいやこれからの進むべき道を考えたら、小賢しい謀略で勝利をつかむなど汚点を残すばかりだ。こんな謀略はオーベルシュタイン参謀長、なるほど卿が考えたのだろう。謀略で勝利を拾うとは我らなど飾りに過ぎんということか。この戦いを記すだろう将来の歴史家にどう釈明するつもりだ」

 

 

 シュタインメッツも言ってくる。

 

「小官もロイエンタール提督に同意いたします。謀略も使いようによっては有効ですが、最後を締めくくるには多少後味が悪い手段かと」

 

 ビッテンフェルトは言うというより吠え立てる。ビッテンフェルトにもこの驚くべき裏切りがオーベルシュタインの策謀した結果だということは想像できている。

 

「何が策略だ! そんな策など見たくもないし、要らん! シュワルツランツェンレイターで敵を倒し、勝利すれば済むことだ」

 

「……」アイゼナッハだけは、無言ながら同意してると皆は勝手に思っている。

 

 諸将は堂々と戦って勝つことを望んでいる。

 だがしかし、オーベルシュタインはそんな反論を受けても全く動ずる気配はなく、話を続ける。

 

「卿らは誤解しているようだ。勝利は勝利。どういう手段かに関わりなく、犠牲を少なくして勝利することが重要である。それこそが正義なのだ。速やかに勝利を得るため、どうあってもカロリーナ・フォン・ランズベルクを生かしておいてはならない」

 

 そしてこれまで傍らにいながら何も言わずにいたラインハルトに振り返った。

 

「ローエングラム元帥閣下。どうも諸提督は発想の切り替えが上手ではないようです。問答をするのは後でもできること、機会を失う前に司令部から艦隊を出し、最後の始末をすべきかと存じます」

「何、ここから派遣するだと」

「大艦隊は必要ありません。機動性に優れ、乱戦の中でも確実に進める艦隊であればよろしいのです。僭越ながらキルヒアイス上級大将閣下が適任かと」

「キルヒアイスを! そんな作戦にキルヒアイスを出せと言うか!」

 

 オーベルシュタインの進言を横で聞いているキルヒアイスは瞳が静かなままだ。動揺して声を上げているのはラインハルトだけである。その瞳のまま穏やかにキルヒアイスが答える。

 

「覇業のためならやむを得ないことなのでしょう。ラインハルト様、行ってまいります」

「キルヒアイス、お前にそんなことはさせられない! 姉上にお前一人が言い訳などさせない。菓子の友である令嬢を殺したと姉上に言わねばならんのだぞ……」

 

 オーベルシュタインの言が正しいことは分かっているが、キルヒアイスも心中は苦しかろう。そこでラインハルトは言う。

 

「…… ならば俺も行く」

「ラインハルト様…………」

 

 贖罪は友だけに負わせず、二人で担うのだ。そして本隊司令部がこの通りに動く以上、ミッターマイヤー達も決断し、後に続く。

 

 

 しかし、ラインハルト陣営の動きがどうであろうとわたしの方の命運は尽きていた。

 いかにブラウンシュバイク公艦隊の錬度が低いとはいえ完全な不意打ちである。

 幸いなことにこの裏切りの攻撃に参加している艦の割合は高くなかったが、それはブラウンシュバイク公艦隊にとっても驚きの命令だったからだ。半信半疑になるのも無理はない。しかし何といっても元が三万隻の艦隊なだけに、攻撃は半端なものではない。おまけに直接接しているといってもよい至近からのものだ。

 

 わたしの乗る旗艦の周辺もたちまち撃ち減らされていく。

 白い棒が横から次から次へと突き刺ささり、一瞬おいて光の球に変えていく。

 その爆散の様子が旗艦のスクリーンにひっきりなしに映っている。

 

 各艦は被弾のためもはや爆散が避けられない未来と見るや、通信を開いて叫ぶのだ。

 

「伯爵令嬢、万歳!」

 

 それらの艦の多くはまだわたしが14歳の頃、水色の戦いの以前からランズベルク家に従っていた艦である。わたしの成長と共に幾多の戦いに臨んで勝利を重ねてきた。

 今、旗艦を守って斃されるのはむしろ栄誉である。

 この愛すべき令嬢のために散るのは本望だ。命の限り令嬢を守る。

 

「ランズベルクに栄光あれ!」

「ありがとうございます。これまで、いい夢を見させてもらいました」

「我らに後悔なし! 令嬢はどうか自分の道を、歩んで…… 」

 

 ああ、そんなことがあっていいものか。

 今まで勝利してきたのは何のためだろう。彼らをここまで連れてきて、結局死なせるためなのか。いいえ、いくら満足して死ぬとはいえ、それでいいはずがない!

 

 わたしは予想もしない裏切りに顔を青ざめて立ちすくんでいる。この旗艦をかばって爆散する艦たちを瞬きもせずスクリーンに見る。

 一応、防御のためのいくつかの指示を出すのが精いっぱいだ。

 甘かったといえばそうである。真に戦略家ならば全ての場合を考え、用意を怠らないものだろうに。ブラウンシュバイク公の裏切りは予想し得るものだったし、そもそも助太刀にブラウンシュバイク公自身が要塞から出てくる時点で怪しいといえば怪しいものだった。

 しかしわたしは人を信じ、疑うことはなかった。おまけにそれをいいことのように思っていた。だが結果はどうだろう。自分が死ぬだけならまだしも、今、ランズベルク家に仕えてきた多くの忠義の者を失うことになっている。わたしは何をやってきたのだ。

 

 

「大丈夫です。すぐに味方が来ます。令嬢、初めに誰がくるか当てっこしましょうか」

 

 横にいるビューローがそう言って励ましてくれた。忙しく指示を出しているビューローだが、わたしの心中を察して気遣ってくれているのだ。

 下手な軽口まで使って。

 

 似合わないわよ。

 ドルテさんはたぶん真面目なあなたが好きなのよ。

 ごめんねビューロー、あなたをおそらく結婚式まで生かしてあげられなくて。

 ドルテさんもごめんね。花嫁衣裳を選んで、ビューローの隣に並んで結婚式を挙げるのが夢でしょう。そして二人で新しい生活を始めるのを。

 みんな届かない夢にしちゃったね。わたしのせいで。

 

 もう涙で世界の全てが濡れて見える。

 わたしはブラウンシュバイク公に通信をとる気もしない。

 わかっている。安っぽい謀略に踊らされてしまったのだろう。命を助ける、領地を取らない、おそらく高い地位も約束されたのだ。それは国務尚書? 帝国宰相? どうせラインハルトが裏切者になど与えるはずがないのに。

 

 

 その頃、もちろん麾下のファーレンハイトが、ルッツが、ケスラーが、メックリンガーが死に物狂いで本隊に近付こうとしている。伯爵令嬢を何があっても守るのだ。その気迫は暴風のように荒れ狂い、立ちはだかる敵艦をことごとくなぎ倒すが未だ距離があり、届かない。

 

「おのれブラウンシュバイク! ここが俺の死に場所か。願わくば俺の命と引き換えに令嬢が無事であらんことを!」

 

「カロリーナ様、これからもコルネリアス・ルッツの名を憶えておいて下さいますでしょうか。ファーレンハイトと命日が一緒なら、墓に来る手間も一度で済みます」

 

「伯爵令嬢、お命は最後の一瞬まであきらめてはなりません!」

 

「ブラウンシュバイク公は幸運だ。あと一時間猶予があればよかったのに。公のために地獄のレクイエムを作曲してやれたものを」

 

 

 その時、天祐が起こった!

 

 ブラウンシュバイク公艦隊の中で、まとまった一団があった。

 その艦隊があろうことかわたしを攻撃している艦に向かって猛然と砲火を吹いた!

 凄まじい攻撃だ。

 それも同じブラウンシュバイク公艦隊の中での同士討ち、加速度的に混乱が広がる。

 

 こうなった原因はすぐに判明した。

 いきなり同士討ちを始めた一団が通常回線を開いて叫んでいる。

 

「今こそ恩を返す時だ! わがヘルクスハイマー艦隊は伯爵令嬢と共にあり。全艦撃って撃って撃ちまくれ!」

 

 それはかつてわたしと共にブラウンシュバイク艦隊に立ち向かったこともあるヘルクスハイマー艦隊だった!!

 

 その半分はわたしが接収したのだが、残り半分の艦隊はブラウンシュバイク公の艦隊の一部として吸収されてしまっていた。

 ただしわたしがヘルクスハイマー領民を守ってくれた恩は決して忘れない。

 いつかその恩を返したいと願っていたのだ。そしてこのブラウンシュバイク公艦隊の裏切り、同調するはずもなく全力で妨害にかかっている。

 

「ヘルクスハイマーの誇りにかけ、令嬢をお守りまいらせよ。全艦、突撃!」

 

 元々ヘルクスハイマー製の自慢の高性能艦がそろった一団だ。

 いかんなくその性能を発揮して蹴散らしながら進む。

 

 

 それとは別に、もう一つの艦列が迫ってきていた。それらもまたわたしを守るためだった。

 壊滅に瀕しているわたしの本隊とブラウンシュバイク公艦隊の間に割って入り、その攻撃を遮断すべく猛進してくる。

 

「わがクロプシュトック艦隊は伯爵令嬢を害するものを許さん。絶対にだ!」

 

 それもまた驚くべきことだった。

 彼らは旧クロプシュトック艦隊の残りであった。わたしが接収した残りは、やはりブラウンシュバイク艦隊の一部として吸収されていたのだ。そしてヘルクスハイマー同様、クロプシュトック領民を守護してくれた恩を忘れていない。

 

 今、絶体絶命の伯爵令嬢に恩を返さないでどうするのだ!

 守護者カロリーナをなんとしても救い出せ!

 

 戦巧者の指揮官の元、直ちに戦場に楔を打った。クロプシュトック得意の高速戦艦戦術が冴えわたる。

 

 

 

 

 



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第五十一話488年11月 矜持

 

 

 わたしは、旧ヘルクスハイマー艦隊と旧クロプシュトック艦隊に守られようとしている。

 元々こうなるように仕組んだのではない。かつてわたしがどちらも半分しか接収しなかったのは、後で助けてもらえるように考えたものではない。たまたまこのタイミングでブラウンシュバイク公が裏切り、危険を承知で恩返しに動いてくれたのだ。

 

「偶然ではありません。伯爵令嬢は今まで人を助けるために動いてきたのです。それが形になって返ってきたということです」

 

 ビューローがそんな嬉しいことを言ってくる。この恩返しは、やってきたことが無駄ではなかったことの証だと言いたいのだろう。

 ともあれこれでブラウンシュバイク公艦隊は四分五裂、やっと一息つける。

 

 

 恐慌をきたしたのはもちろんブラウンシュバイク公爵の方である。

 三万隻という圧倒的な大戦力で伯爵令嬢をたやすく葬るだけ、それは造作もないはずだった。そしてそのまま金髪の孺子の元に駆け込む簡単な話ではなかったか。

 

 それがどうしたことか手間取っている。同士討ちによって艦隊が機能不全だとは、予想外もいいところだ。

 もしも伯爵令嬢を撃ち漏らしたらどうなるか。

 当たり前だが要塞には戻れない。

 この貴族連合軍への裏切りはガイエスブルク要塞でも見て驚いているだろうし、天下にそれを知らしめている。いくら正道に帰っただけだと強弁しても、貴族連合軍の盟主である以上はどんなに繕っても変節を言いくるめることはできない。

 だからといって金髪の孺子のところに行っても扱いは多少悪いものになるだろう。令嬢を討ち取る見返りとして帝国宰相の位を与えると言ってよこしているのだが、単に裏切りだけに終わってしまえば。

 

 いやそんな心配は杞憂だ! どのみち伯爵令嬢は逃げられない。

 向こうから金髪の孺子の艦隊が押してくるのが見えてきた。こちらが思わぬことになって片付けられなくとも、伯爵令嬢は金髪の孺子自らが討ち取る。

 そうすれば何も問題はないではないか。ブラウンシュバイクは胸をなでおろした。

 

 

 ファーレンハイトや他の諸将は正に決死の奮戦をしたが、それでもなお届かない。

 ラインハルト本隊がカロリーナ本隊に迫る方が早い。

 

 わたしはほんの少しで要塞に辿り着けるのに。

 ここにきて再び白い線がそこかしこに伸び、爆散する艦が相次ぐ。ヘルクスハイマー艦隊やクロプシュトック艦隊もわたしを守ろうと必死に頑張ってくれる。彼らは決して弱兵ではないのだが、しかしさすがにラインハルト直衛の本隊、精鋭だ。着実に抵抗を排除しつつある。危機は去るどころかいよいよ切迫してきている。

 

 しかし、ここでまたしても割って入る艦隊がいる。

 

 その艦隊は敵からも味方からもまるで無視され、戦力として計算されていなかった。そこまで軽視されていた艦隊だ。今、その艦隊はいっそう狂乱し、感情のままに通信をまき散らしていた。

 

「叔父上! 叔父上は何ということをしているのですか! 戦いの美学どころか裏切りとは、帝国貴族がそんな恥知らずであってはなりません。貴族の誇りを失うようなことは!」

 

 フレーゲル男爵の率いる貴族艦隊だった。

 勢い込んで要塞を進発したはいいが、めぼしい敵からは無視され、挙句の果てに味方から守られながら要塞に帰還させられようとしていた。全く不本意である。そんな鬱屈したところでブラウンシュバイク公艦隊の裏切り行為を目の当たりにしてしまったのだ。

 

 あまりのショックに狂奔といえる艦隊運動をした上、何とラインハルトの前に立ちふさがる!

 

「叔父上の行為は貴族のものではない! かくなる上は正々堂々一騎打ちで真の帝国貴族の誇りがどういうものか見せてくれる! 金髪の孺子、前に出てこい!」

 

 貴族たる矜持で生きてきたフレーゲルには仮にも味方である伯爵令嬢への裏切りは決して容認できない。そこで自分が貴族としての最後の意地を貫こうというのだ。

 

 

「何という幕引きか。あの馬鹿が最後に邪魔に入るとはな」

 

 熱のないラインハルトの声だ。だがしかし、フレーゲルの心情を理解できないことはない。フレーゲルの行動は理性的でも合理的でもなく、愚かとさえ言えるものだが、ラインハルトは冷笑で済ますことはできない。いや、それこそ諸将のうちでラインハルトほど理解できるものはいない。形は違えど誇り高いことは共通なのだから。

 

 ラインハルトなりに礼を尽くすべきと考えた。

 艦隊の前面に旗艦ブリュンヒルトとバルバロッサが静かに出る。

 

 それを認め、フレーゲル男爵の旗艦から数条のビームが放たれる。

 ブリュンヒルトからも同様に放たれる。

 ブリュンヒルトのシールドが一瞬輝く。一発だけ直撃してしまったのだ。しかし危険はない。この距離とブリュンヒルトの性能からすれば最初から貫けるはずはない。

 逆にブリュンヒルトから撃った砲撃は正確かつ強力なものだった。フレーゲルの旗艦に同時にいくつも着弾する。それはシールドを破るに足るものであり、あっさりと艦橋を貫いた。

 

「帝国貴族の誇り、帝国貴族の………」

 

 艦の性能も練度もまるで違う以上、最初からこうなることは誰が見ても分かりきった結果ではあるが、形の上では正々堂々の戦いだった。

 

 フレーゲルは苦しむことなく逝った。

 貴族の誇りだけを守り抜いて。

 

 

 

 

 わたしの艦隊は傷つき、ボロボロに成り果てながら、ようやく要塞主砲射程圏内に辿り着いた。

 

 全くひどい有様である。無傷の艦などなく、エネルギーや弾薬も尽き果てている。

 しかしようやく安全圏にきたのだ。

 わたしを守ってくれたヘルクスハイマー艦隊とクロプシュトック艦隊も辿り着く。最後に盾となったフレーゲル男爵の艦隊は残念なことにほぼ全滅している。

 

 ファーレンハイトらの諸将はカロリーナ本隊が要塞に着くのを遠目に見て、心から安堵した。

 それだけが問題だった。

 

 しかし、これからラインハルト側の有能な提督たちを相手に自分たちが困難な撤退戦をしなくてはならない。まだ戦いは終わっていないのだ。

 これにはメルカッツが殿役を買って出た。

 

「そちらの艦隊はみなエネルギーが尽きかけている。だいぶ無茶をしたのだろう。こちらの方がまだマシに見えるのでな」

 

 メルカッツは得意の近接戦法で最後の攪乱にかかる。わざと敵艦を小破にとどめて足止めに使うのだ。とはいえ困難は困難、決して少なくない犠牲を払うことになった。

 やっと全ての貴族側艦隊が要塞に帰還できた時は、もはや動いているのは病院船だけという始末である。

 

 これを見て尚もしつこく追撃しようとするラインハルト側の艦隊もあった。もう少し戦果を得て昇進したいという欲に駆られた者たちもいたのだ。

 

 

「ガイエスハーケンを放て! 艦隊を守るのじゃ!」

 

 ここでサビーネの指揮の元、ガイエスブルク要塞がようやくその凶暴な鍵爪を伸ばす時がきた。

 戦いの様子を見て、要塞主砲ガイエスハーケンの射程内にまで入り込んだ敵に容赦するサビーネではない。傷ついた貴族艦を尚も追いかけ回す敵にたっぷりと代償を払ってもらわなければ気が済まない。直ちにサビーネは要塞主砲制御室に発射を命じたのだ。

 

「ガイエスハーケン照準固定、エネルギー充填よし、安全装置解除、発射シークエンス完了!」

「撃つのじゃ!」

「ガイエスハーケン、発射します!」

 

 要塞主砲の凄まじいエネルギーが解放される。

 白熱の帯が直線で伸び、ラインハルト本隊から突出していたカルナップ艦隊に直撃する。千隻もの艦隊が瞬時になぎ倒された。

 

「どんどん撃て!」

「ガイエスハーケン第二射、発射します!」

 

 またもやうかつに要塞に近づいていたトゥルナイゼン艦隊に命中し、こちらも一瞬で塵に変わる。

 結局四回まで撃った。これでどんな者にも戦闘継続の無理さが分かったはずだ。

 ラインハルト陣営もまとまって撤退していく。

 

 

 

 第二次ガイエスブルクの戦いは終結した。

 貴族艦隊側は大敗を喫した。

 

 それも通常に戦力差で負けたのではなく、貴族連合軍盟主ブラウンシュバイク公の裏切りという思わぬ事態によるものだ。艦隊も傷ついたが、それ以上に気力も失った。何のために集まり、何のために戦いをしてきたのか。ブラウンシュバイク公の気のきいた手土産にされるためか。

 

 一方のラインハルトである。

 いったん退いている途中でブラウンシュバイク公とわずかな艦隊が合流してきた。三万隻の大艦隊は見る影もない。混乱の途中で大半は沈められ、あるいはブラウンシュバイク公を見限ってガイエスブルク要塞の方へ向かってしまったからだ。

 

 ラインハルトは補給基地化していた惑星にしつらえた建物の広間で、ブラウンシュバイクに会う。

 

「ブラウンシュバイク、カロリーナ・フォン・ランズベルクは逃がしてしまったようだな」

 

 最初から不愉快をあからさまにした声だった。しかも上座に座って立ち上がろうともせず、ぞんざいな態度だ。

 これがブラウンシュバイクの勘にさわる。

 ブラウンシュバイクは帝国一の貴族として今まで常に見下す側であり、最上級のへりくだりを受ける側だった。

 

 なんだその言葉は! ふざけおって!

 明らかに上に立つものの言い方ではないか。随一の大貴族にして帝国の藩塀たるブラウンシュバイク家の当主に向かって何を。

 高貴なる血筋に対して敬意を払わぬとは何たることだ。この金髪の孺子めが。たまたま時流に乗り、力を持ったからといってそこまでつけあがるとは許し難い。

 

「それはそうかもしれん。だが儂はうまく味方してやったつもりだ。帝国宰相とまでは言わん。国務尚書で我慢しておいてやる」

 

 さすがに裏切りという言葉は使わなかった。しかし味方してやって助かっただろう、感謝しろという態度は変えない。謝礼の地位も少しは譲歩したつもりだ。

 

「ふむ、俗物というのは物事を理解することができぬようだな。ブラウンシュバイク、元々賊軍になっておきながら何か言える立場にいると思っているか?」

「だから正道に立ち返り、そっちの言う通りにしてやったのだ。もう賊軍ではないわ! 皇帝陛下に忠義を捧げる身だ。それで恩賞はどうした! 裏切ってやったのだぞ!」

「裏切りを認めたかブラウンシュバイク。そんな者に新しい帝国で居場所があるとでも思ったか。この者を引っ立てよ!」

 

 元々自我ばかりが肥大しているブラウンシュバイクには状況が分からない。

 この期に及んでも動揺するばかりで、自身の危機を察知できないでいる。

 

「何だと!? ローエングラム、一体どういうことだ! 約束はどうした!」

「カロリーナ・フォン・ランズベルクを討ち取れば考えもしよう。そういう話をした覚えはあるが、他に何かあったのか。そろそろ顔を見るのも耐えられる限界だ。さっさと連れて行け!」

「何! ま、待て、ローエングラム公。なにか行き違いがあったようだ、誤解しているのだ。す、すまん。恩賞はいらん。せめて命は……」

 

 衛兵の手を必死に振り払って絶叫する。ここに至ってラインハルトが本気であり、自分が何の力も持たない無力な存在だということが分かってきたのだ。高貴な血筋など1グラムの価値もなく、命令をこなす衛兵に抗う術などない。

 

「そ、そうだ、そこにいるオーベルシュタインという輩から話を持ち掛けられたのだ。儂は何も悪くない! 頼む、助けてくれ! 財宝は全部やる。そ、そうだ、我が娘エリザベートはどうだ? エリザベートと結婚すれば帝国の後継者の一端になれるぞ。どうだ?」

「下らん。血筋による正当性など必要ない」

「し、しかし、銀河帝国はそれでつながってきたのだ。そっちも助かるのは事実、悪くない話だろう。エリザベートはガイエスブルクにいる。ここに呼び、直ぐにでも話を決めてやる」

「な、何!? 息女エリザベートをガイエスブルクに置いてきただと!!」

 

 

 この瞬間、ブラウンシュバイクは自分の死刑執行を100%確実なものにした。

 

 たぶん裏切りを怪しまれないようにするためだろうが、娘をガイエスブルクに置いてきたのであれば、今頃生かされてはいまい。それほどブラウンシュバイクの裏切りは罪が深いのだ。怒りに見境のなくなった残存貴族は復讐の刃をブラウンシュバイク家に向けるだろう。ブラウンシュバイクは大貴族で生きてきたせいで驚く程そういった感性が鈍くなっている。

 

「もういいブラウンシュバイク、貴様の無益な言葉など聞きたくない! 衛兵、広間を汚さぬよう別の部屋で処罰を済ませてしまえ」

 

 ブラウンシュバイクは強制的に部屋の外に引きずられ、見えなくなった。そしてもう永遠に見ることはないだろう。

 最後まで命乞いを続け、暴れる様が見苦しかった。

 帝国一の大貴族がこれほど無様な最期を飾ろうとは。

 

「最後の最後まで失望させてくれたなブラウンシュバイク。言っておくが、甥のフレーゲルの方がお前より一万倍も立派だったぞ。無能でも最後まで矜持は捨てなかったのだからな」

 

 その場にいた諸将はラインハルトの言葉の一字一句にいたるまで完全に同意している。

 

 

 

 一方ガイエスブルクではわたしがサビーネに報告している。

 

「サビーネ様、リッテンハイム家からお預かりしておきながら、その大切な艦隊の多くを損ねてしまいまことに申し訳ありません。この始末は全てわたしの責、謹んで処分をお待ちしております」

「何を言うか! カロリーナ、無事で戻ってきただけで良いのじゃ。妾にはそれで充分なのじゃ。こたびの負けはブラウンシュバイクの奴腹が裏切りおったためじゃ。あやつのせいであって、カロリーナが悪いのではないぞ」

「その裏切りも予見できず、兵の多くを損ないました……」

 

 要塞の皆は絶望している。

 ローエングラム陣営の艦隊は強い。麾下の諸将は強すぎる。これまでの戦いで骨身にしみて分かった。

 

 艦隊も今まではローエングラム公の艦隊より質はともかくこちらの方が数だけは多かった。

 それが今やどうなったか。

 負けて多くを失い、特に裏切ったブラウンシュバイク公の艦隊はほとんど消えた。

 

 未だローエングラム陣営の艦隊は六万四千隻は残っていると見積もられる。。

 それに対し、こちらはブラウンシュバイク公の残存艦隊、といっても旧ヘルクスハイマーと旧クロプシュトック艦隊を中心として八千、カロリーナ直下の艦隊が九千、預かっているリッテンハイム家の艦隊が一万六千、メルカッツの艦隊が九千、合計四万二千隻ほどしか残っていない。

 これで数の面でも大差で劣ってしまった。もはや勝ち目があるのか。しかも盟主ブラウンシュバイク公はもう逃亡している。

 

 

「カロリーナよ、うつむくな!! 」

「あ、サビーネ様…… 」

 

 ここでふいにサビーネが言い切る。

 その顔は普段と少しも変わらず、少なくとも絶望の影すらない。

 

「気に病む必要がどこにある。次にローエングラムめを片付ければ済むことではないか。それだけのことじゃ」

 

 

 サビーネは次と言った。

 何も諦めていない!

 この少女は美しいだけではなかった。ルドルフ大帝以来帝室に流れる剛毅な血筋を確かに受け継いでいたのだ。

 

 そして勝利を疑わない、いいえ、わたしが勝利することを疑っていない。

 今改めてサビーネの度量を見た。

 それならばわたしもこのままではいられない。

 毅然として顔を上げる。

 負けたままで終わってなるものか。オーベルシュタインの謀略などに負けていいはずがない。わたしにはまだ力がある。信ずる諸将もいるではないか。

 

「そうです。サビーネ様」

 

 今、わたしに再び闘志が湧き上がる。

 

「次は勝ってごらんにいれます。必ず」

 

 

 最後にサビーネはとても嬉しいことを言ってくれた。それもまたサビーネの度量を示すものだった。

 

「そうじゃ、カロリーナ。後でエリザベートへ菓子を持って行ってはくれぬか。ふさぎ込んでいると聞いた。菓子を食えば元気も出るじゃろう」

「まあ! ブラウンシュバイク家のエリザベート様を? ではやはり保護されて」

「ブラウンシュバイク家だからといって親のことで八つ当たりしてくる者がいるかも知れぬ。エリザベートは妾のいとこでもあるしの。庇うのは当たり前じゃ」

 

 やはりサビーネは識見がある。感情のままに動いたりしない。

 

「ああカロリーナ、言うまでもないことじゃがエリザベートに作る菓子は余分に用意せい。妾の分も忘れるでないぞ」

 

 少し撤回しよう。

 食い意地だけは正直だ。やっぱりサビーネ様である。

 

 

 

 その後、次なる戦いが始まる前、わたしは少しばかり動く。

 輸送艦をいくつか用意させ、若干の食糧を詰め込んだ。それらを密かに発進させてある程度進んでからまた要塞に引き返させる。

 ここまですれば、当然ラインハルト側の哨戒艦隊に発見される。

 わずかな護衛艦はすぐに逃げ出し、輸送艦はそのまま食糧ごと拿捕されラインハルト側に渡る。

 

 この動きは味方にとっても不思議であり、サビーネに問われる。

 

「何の意味があるのじゃ、カロリーナ」

「向こうへわざと食糧を分けてやるのです。そうして、持久戦が取れる恰好にさせます。幸いガイエスブルク要塞の食糧の備蓄と生産プラントには充分な余力がございますので、こちらが困ることはありません」

「……持久戦にさせるのか。しかし、向こうが持久戦も取れるというだけで、必ずしもそうとは限らんし、選択肢を増やしてやるだけじゃ…… まあカロリーナがわざわざ策を練るのだから、意味があるのじゃろうな」

 

 わたしの策はしかし、オーベルシュタインに更に上を行かれた。

 この冷徹な参謀長には恐ろしいほど見通す力があったのだ。

 

「ローエングラム元帥閣下、敵の動きがおかしゅうございます。さきほどの食糧奪取はあまりに簡単すぎるもので、まるでわざと取らせたように思えます」

「わざわざこっちに食糧を与えるというのか。オーベルシュタイン、それはなぜだ」

 

 それはおかしい。明らかに逆だろう。遠征軍には補給分断が定石、奪うのならわかるが、むしろ与えるというのは理解できない。

 

「小官もはっきりとはわかりませんが、持久戦を容易にさせる狙いかもしれません」

「向こうが持久戦を望む? そんなはずはあるか。持久戦というのは相手が勝手に瓦解するか、あるいは味方が応援に来る場合に有効な戦術だろう。この場合敵にはどちらも期待などできない。要塞に篭って時間を稼いでも無駄だ」

 

「元帥閣下、必ずしもそうとはいえますまい。ここに我らを釘付けにしておいて辺境の蜂起を狙うのかもしれません。あるいは、オーディンで策謀を巡らしているのやもしれません」

「オーディンでか…… なるほどそれはあり得る。そうなればゆゆしきことだな」

 

 ラインハルトは考える。オーディンと指摘されて気づくが、もしも姉上の身になにかあったら一大事だ。兵力分散は痛いが、仕方がない。姉上の身には何物をもってしても変えられるはずがないではないか!

 

「よし、艦隊を一部派遣しよう。シュタインメッツ、クナップシュタインの両名をオーディンに差し向けよ。それで何があっても対処できるようにするのだ。貴族残党どもがオーディンで何かしてくるというなら容赦はするな」

「御意。それと敵はフェザーン方面と取引しているようですのでそちらへも対処を」

「そちらにはアルトリンゲンで充分だろう」

 

 

 次の月まで戦いはなかった。睨みあいだけが続く。

 

 そうしているうちにガイエスブルクの貴族の中から無理に脱走しようとするものが相次いだ。元々ブラウンシュバイク派だった貴族はもとより、リッテンハイム派だった貴族さえ多数含まれる。ヒルデスハイム伯などが命からがらの脱走していった。

 あえてサビーネも説得しようとはしなかった。

 

「呆れた者たちじゃ。どうせ領地に帰ったとてラインハルトの奴がそのままにするはずがあるまいに」

 

 脱走貴族はそれ以前に領地に戻れることもない。ほとんどはあっさり捕捉され撃滅されてしまう。

 

 

 

 そんな日のこと、宇宙全体を揺るがすとんでもないニュースが駆け巡った。

 

「オーディン陥落」

 

 誰もが信じられないことに息を呑むことなった。

 それは想像のはるか彼方、驚愕のニュースであった。

 

 

 

 

 



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第五十二話488年12月 ご招待

 

 

 その日、いつものように同盟軍巡航艦ユリシーズがイゼルローン要塞から出て、回廊帝国側出口への哨戒任務についている。

 

 帝国の内戦はもう同盟でも大きなニュースとして取り上げられ、重大な関心を引いている。むろん、帝国が弱るのは同盟として願ってもないことである。帝室も貴族も勝手に争い、混乱し、傷つくのは拍手喝采だ。

 ただしこれを好機と見ての積極派兵には至っていない。

 なぜならアムリッツァの大敗は同盟軍からそんな余力を奪っているだけではなく、積極的意見を言うだけでもタブーとなっているからだ。

 自由の国にも立派なタブーは作られる。この時期、派兵を言おうものならアムリッツァを思い出せとばかりにヒステリックに叩かれる。かつて帝国領派兵に賛成し、心酔した市民こそ叩く側に回っているのは皮肉としか言い様がない。人は手の平を返す時には理性を捨て去る。

 

 

「帝国艦隊発見!」

「お客さんが来たのかい。久しぶりだな。あんまり大勢だと困るなあ」

 

 流行らない店の留守番のようだ。

 のんびりした口調で哨戒艦隊指揮官としてユリシーズに乗るアッテンボローが感想を述べる。

 しかし哨戒は立派に任務を果たした。帝国は内戦によってイゼルローン方面に仕掛ける余裕はないと思われるが、逆に何か変事があってもおかしくない。亡命貴族やら独立勢力などが出るかもしれず、哨戒をゆめゆめ怠ることはできない。

 

「どのくらいだ、敵さんは」

「帝国艦隊、総数およそ百隻!」

 

 思ったより多かった。慌てるほどではないが。

 

「直ちにイゼルローン要塞に報告だ。本艦隊は敵帝国艦隊の牽制に出る。そう伝えておくんだ」

 

 帝国艦隊に相対し、出方を伺う。こちらの哨戒艦隊はわずか六十隻ほどではあるが敵の出方を見るくらいのことはできる。いざとなれば逃げきれるという敗走の名人アッテンボローの自信は揺るがない。

 すると帝国艦隊はかなりの火力で撃ってきた。まだ距離は遠く、イエローゾーンなにも入っていないのに。そして砲撃を続けながらイゼルローン回廊を進んでいこうとしているではないか!

 

「イゼルローンに至急来援を求めろ! なんだって勤勉なんだ奴らは。年金が少ないのか」

「敵艦隊、艦型照合終わりました! これは、帝国軍の正規のデータベースにありません。帝国貴族の持つ私領艦艇でしょうか」

「え、帝国貴族…… 」

 

 何だろう。また伯爵令嬢なのか? しかしこの前の時は何も攻撃などしてこなかったはずだが。

 それにこれほどあっさり哨戒に見つかるなんて、ユリシーズの運がいいのか?  

 おかしい。アッテンボローにはいくつも疑問が浮かんだ。

 

 

 そしてイゼルローン要塞から救援のため千隻が急ぎ発進してきた。

 ところが次の行動も不可解なものだった。

 

 こちらの同盟艦艇千隻の接近が、帝国艦隊にも分かったはずだ。

 ところが予想と違って逃げ帰ってくれない。帝国側が撤退行動に移ってくれれば、こちらも深追いせずにすぐに要塞に戻るつもりなのに。

 互いに戦略的に意味のない遭遇戦など望むはずがないのだが……

 

 やむを得ず砲戦を仕掛けるとさすがに少し引くが、やめると近寄ってくる。

 

「帝国の奴らめ、このしつこさは何だ」

 

 こうなれば急進して一気に叩き、追い散らそうとしたが、その刹那オペレーターが叫ぶ。

 

「ジャミングに隠れていました! 別の帝国艦隊がいます、数、千隻以上!」

「……なるほど敵さんはしっかり策を打ってたということか。本当に勤勉だな。イゼルローンにまた連絡! 来援艦隊が敵の伏兵にあった!」

 

 これはまずいな。こんなところで伏兵とは。窮地というほどではないが、少しばかり厄介になった。

 

 イゼルローン要塞は一気に慌ただしくなる。

 

「アッテンボローが交戦中だ。ここはできるかぎりの大兵力をもって敵を圧倒し救出を図る。第十三艦隊ほぼ全艦で発進。要塞周辺の警戒については近くのウランフ提督にお願いしよう。至急連絡を取ってくれ」

 

 ヤンはこう言うと要塞駐留の第十三艦隊一万六千隻を引き連れ、イゼルローン回廊を帝国側へ向かう。

 途中アッテンボローと似たようなことを考える。

 おかしい。今、帝国は内乱の真っ最中、妙な策を弄してまでイゼルローン要塞に仕掛けるのは解せない。

 

 戦場に到着した。

 帝国艦隊千隻は動じた風でもなくゆったりと引いた。しかし、だからといって同盟側が引くとまた近づいてくる。アッテンボローの救出は難なく達成されたが敵の意図が不明だ。

 

 その時、同時に二方向から新たな敵影が見えた! 時間差をつけての釣り出しだったのか。

 しかしそれにしては数があまりにも少なく、わずか三百隻程度である。

 だが第十三艦隊の数を見ても怯むことなく近づいてくる。

 

 ヤンはその間、アッテンボローを旗艦ヒューベリオンに呼んで敵艦隊発見から今に至るまでの経過報告を全て聞いた。

 誰もが帝国側の謎の行動に頭をひねる。ヤン以外は。

 

 

「なんだ、そういうことか。アッテンボロー、とりあえずのんびりしていい。あ、グリーンヒル中尉、紅茶にブランデーを入れて持ってきてくれないか。それからイゼルローン要塞に連絡を」

 

 紙コップの紅茶を飲みながら、要塞との通信画面を開く。

 

「キャゼルヌ先輩、ちょっと行ってきます。ええ、この前の伯爵令嬢から招待状が届いたので。要塞の方は先輩にお任せします。じきにウランフ提督も来るでしょう」

「何だって!? 待て、ヤン! お前さん何するつもりだ」

「ちょっと遠足ですよ」

 

 ヤンの言葉にヒューベリオンの面々は驚いて固まるしかない。帝国艦隊を圧倒してから速やかに要塞へ帰還ではないのか。これから何処へいくというのだろう。

 

「ヤン、まさか、まさかだがもし回廊を抜けたら帝国領だぞ! アムリッツァの二の舞いだ!」

「そんな危険はありませんよ、先輩。伯爵令嬢が招待してくれてるんだから」

「何言ってるかちっともわからん。このまま行けばまたアムリッツァだ! それにヤン、大規模な作戦行動は政府の承認が要るのは知ってるだろ!」

「現実にこちらの哨戒艦隊が伏兵に遭って戦闘が拡大してるんです。やむを得ないことですよ。帝国側が次々と新手を出して、撤退の契機がつかめないですし」

「お前さんならどうにでもできるはずだ。それなのに…… 報告書は自分で書けよ、ヤン。手伝ってやらないからな」

 

 キャゼルヌは通信を切らざるを得なかった。

 まったく、ヤンの奴は。

 のれんに腕押し、ちっとも話にならない。しかし分かったことは、ヤンが帝国領に入ることをもう決めているらしいことだ。理由は分からない。

 ただしあのヤンが危険はないと言うのだから、おそらくその通りだろうが。

 それにしてもいったいどこまで行くつもりだ?

 

 そんなキャゼルヌの横に来て、呑気なことを言う者がいる。

 

「ヤン提督にアッテンボローやポプランまでピクニックに行ったってのに、要塞に置いてけぼりはないでしょう。副司令官殿、追いかけていっていいですかね?」

「お前さんもか!! どうなってるんだ!」

 

 キャゼルヌがシェーンコップを呆れて見るしかない。

 

 

 一方の第十三艦隊の方では、特に混乱はない。ヤンの意図を掴みかねているのは全員だが、それ以上にヤンへの信頼があるからだ。どういうことになってもイゼルローンに帰れると確信している。ならば冒険も面白いではないか。

 先の帝国艦隊の謎の行動については簡潔に説明されている。

 

「あれは伯爵令嬢の御招待だよ。そもそも帝国軍正規艦じゃないだろ。それに遠距離砲撃ばかりで実害はなく、本気で戦うつもりがないのは明白だ。それに何より、言い訳を用意するためさ。この妙な時間差を置いた伏兵は。言い訳とは、もちろんこっちが帝国領に入るためのものさ」

 

 その通り、この帝国艦隊はカロリーナ艦隊から先に分けられ、ベルゲングリューンが命じられて動いたものだった。

 正直ベルゲングリューンもまた意味が分からないのだが、命じられた通りの行動をしっかり成し遂げている。同盟の艦隊に付かず離れずの実害のない行動だ。

 

 

 ヤンと同盟軍第十三艦隊はついにイゼルローン回廊を抜け、帝国領を航行している。

 

 あれほど苦労したアムリッツァ周辺さえ通り過ぎる。

 ただしヤンも敵襲がなければどんどん行けるとまで考えてはいない。艦隊は補給がなければ動きようもなくなり、帝国領内でそうなれば万事休すである。

 しかしヤンはそれもまた解決できるのではないかと内心思っていたのだ。

 

 そしてふいに帝国軍の補給基地と思われる場所から救難信号が出ているのをキャッチした。

 

「敵襲に遭う! この補給基地はやむを得ず放棄する! 現在ここに保持している物資は備蓄食料五万トン、推進剤十万トン、反応炉触媒五千トン」

 

 ヤンがそこへ偵察に赴かせると、信号の場所には放棄されて無人の基地があった。

 またその通りの補給資材が置かれていたではないか!

 これでまたしばらく艦隊行動には困らない。

 そして、丁寧にも物資の箱の上には上等の紅茶とブランデーが一つずつ置かれてあった。

 ヤンはアッテンボローとフレデリカに言う。

 

「やれやれ、伯爵令嬢はおやつまで用意してくれた。元気を出してくれってさ」

「ヤン先輩、それはどういうことですか?」

「伯爵令嬢は第十三艦隊のことを考えてくれていたのさ。補給の心配がないように予めこれらを用意してくれた。いやまあそうじゃないかと踏んでいたんだが、これで確信したよ。アッテンボロー、次に補給の心配が出る前にまた無人の補給基地が見つかるはずだ」

「それで先輩の好きな紅茶まで用意して? 伯爵令嬢も気が利いてるなあ」

 

 確かにその通りだった。ちょうどいい具合に無人の基地を次々見つけ、補給の心配のないまま航行する。

 もちろんその無人の補給基地というのは伯爵令嬢が以前ケスラーに命じて攻略させていたものである。イゼルローン回廊から、帝国辺境星域、そして更に奥まで。

 

 

「でもヤン先輩、伯爵令嬢の招待というのが分からないんですが。同盟軍に便宜を図って呼び込むなんて、帝国からすれば重大な利敵行為じゃないですか?」

「う~ん、それはどうかなアッテンボロー、何やら伯爵令嬢は考えてることが違うようだ。あの令嬢はおそらく帝国や同盟という枠にこだわってないんじゃないかな。どちらも人の住む国だ、という程度の」

 

「ではどうしたいんでしょう、令嬢は」

「正直どんなふうにしたいのかまでわからない。既存の帝国を使って思想だけを同盟と共存できるものにするのか。単に停戦したいのか。あるいは全て壊して新しい国を作りたいのか…… こちらは給料をもらって働く身分だから自由がない。帝国貴族が少しうらやましく思うよ」

「先輩は充分自由にやってますよ。勤務時間中に昼寝をしててもいいんですか」

 

 

 こんな帝国領深くに同盟軍が侵攻したことは歴史上かつて一度もない。

 戦いは常にイゼルローン回廊内か、同盟側出口付近で行われていただけだからだ。

 

 第十三艦隊の将兵は不安と高揚が入り混じり、ただならぬ雰囲気の中にいた。

 奇跡のヤンがいるが、この旅路は喜劇に終わるのか、悲劇に終わるのか。

 ただし一つだけ言えることがある。

 今や同盟軍人として夢見た場所にいるのだ。これまでいったいどれくらいの同盟軍人がこの帝国の諸星系を見ようと志しては倒れていったことか。

 ここに歴史が作られようとしている。

 

 興奮が異様なまでに高まり、それがピークに達する時が来た!

 それはイゼルローンを出て十八日目である。

 

 眼下に輝く惑星が見える。

 

 ああ、これが銀河帝国首都星オーディンなのか。

 

 艦隊の誰もオーディンを見たことはない。しかし、幾度疑って確認してもコンピューターは間違いなくオーディンであると指し示している。

 スクリーンに映っている惑星は、その夜の側にも明かりがまるで砂糖をまぶしたように細かな光を放っている。これまで見たどんな惑星よりも膨大な人口の人間が住んでいる確かな証拠だ。それこそ同盟首都星ハイネセン以上に。

 

 

 

 このヤン提督のオーディン行きという驚くべき事件について後世の歴史家は様々な解釈を試みることになった。

 民主主義を頑ななまでに奉じ、シビリアンコントロールを絶対とするヤン提督がなぜこの挙に出たのか。それはこの時期オーディンまで帝国領にまとまった機動兵力が存在しないことを喝破していただけではとうてい説明がつかない。

 

 ヤン提督の胸中にくすぶっていた野心、政府への不満を理由にする者もいたが少数派である。

 ヤン・ウェンリーに野心などあるはずがないのだ。

 

 ただしヤンは謹厳実直というには程遠い。

 自分に課した民主主義庇護などの他は、驚くほど自由に活動しているというのが本当のところなのだ。そこには既成の軍人の枠など存在しない。正しくヤンはヤン・ファミリーの中心人物らしく、闊達さでは引けを取らない。ちょっぴり怠惰な性質と民主主義に対する頑なな行動のために誤解されている。

 スタンドプレーを嫌い、華やかな行動をしないというのも間違いである。それならばイゼルローン要塞を驚くほどの機略で陥とした理由にならない。

 

 そしてヤンの民主主義に対する思いは、権力に対する反骨精神が大いに寄与している。個人個人を大切にするのがいかに崇高なことか、権力の適切な運用がいかに大事かを常に考えている。つまり政府を信奉することとは真逆であり、民主主義を守るだけのことだ。

 

 この場合、伯爵令嬢の招待が巧妙であり、ヤンのそういう矛盾したような性質を見抜いたように同盟政府に対する言い訳が用意されていた。軍事行動継続のため撤退困難というこの言い訳のせいで、ヤンが同盟の最善の道と信ずることを実行できた。今もたぶん伯爵令嬢の艦隊ニ千隻ほどが付かず離れずのところに遊弋している。

 

 むろん、この行動が令嬢の利になることも理解している。しかし不快ではない。令嬢は自分のために行動しているのではなく、あくまで人に優しく、みんなが幸せになるのを願って動いているのだ。これまでの行動と、イゼルローン要塞での言動から自素直に信じられた。

 

 

 全く抵抗が無かったわけではない。

 六千隻ほどの帝国艦隊がオーディン防衛のために出動してきたのだ。今度は帝国軍の正規艦隊、第十三艦隊も緊張して戦闘に入ったが、帝国艦隊は上手な用兵ではなく難なく退けることができた。

 ヤンは知らなかったが、それは負傷したワーレンがオーディンで療養しているのに従ってたまたまオーディン近くにいた艦隊だった。

 

 

 これで万難を排した。

 オーディンの帝国政府に通達するとそのまま艦隊で囲んだ。

 

 オーディンにはアルテミスの首飾りのような防衛システムはない。

 優勢な宇宙艦隊が囲んだ時点で事実上の占領である。降下して兵を送り込むことをしないにしても。シェーンコップは少し不満そうな顔をしたが降下命令は出ない。

 ヤンはなるべくパニックを防いで穏便に済ませようと思っていたため、極力刺激的行動はしない。

 

「どのみち帝国を同盟が恒久占領などできっこない。戦力的にもそうだが、民衆の意識の方が問題だ。こんなに統治形態が異なるものを統合しようという方が無理なんだ。意識を変えるということには想像以上の長い時間が必要になること、それは幾多の歴史が証明している。帝国政府にはこう通達してくれ。『迷ったら来てしまったので、ちょっとだけお邪魔します。あと帰ります。治安が問題なら協力します』とだけ」

 

 帝国政府にとってこれは悪ふざけとしか思えない。動揺するに決まっている。

 

 オーディンから脱出する宇宙艇がひっきりなしに出る。ヤンはそれらを止めない、止めるつもりがない。仮に皇帝が脱出するものであったとしても。

 

 

 その中の一隻には皇帝が乗っていたわけではないが、それに等しいほど政治的に重要なことが含まれていたのだ!

 

「このオーディンで叛徒の艦隊を見るとはな。今や何があってもおかしくはないということか。フリードリヒ四世陛下の御代からたったの一年ではないか。それまでは帝国軍も貴族も永遠に続くと思っていたが。しかし、叛徒のおかげでオーディンを出られるチャンスが巡ってきた」

 

 それは何とミュッケンベルガー元元帥だった!

 今までオーディンの厳戒な哨戒網を考えて宇宙に出られなかった。それは絶対に失敗してはならない逃避行であり、ここまで辛抱してきて時期を待ってよかったのだ。

 

「早くこれを届けねば、儂は先に逝ったエーレンベルク軍務尚書とリヒテンラーデ宰相に怒られよう」

 

 今、ミュッケンベルガーは国璽とエルウィン皇帝のサインの入った文書を持ってオーディンを脱し、サビーネらのいるガイエスブルク要塞を目指す。

 

 

 

 宇宙は急変する。

 

 銀河帝国首都星オーディン陥落、皇帝脱出できず!

 ニュースの届いた宇宙のあちこちにあらん限りの大声が飛び交う。

 

 もちろんイゼルローン要塞ではキャゼルヌが呆れて言うほかはない。

 

「やってくれたな! ヤン、俺は本当に知らんぞ。もうオルタンスの料理は食わせんからな」

 

 そして同盟首都ハイネセンでは政府が対応に追われていた。

 もちろんヤンのしでかした史上最大級の不始末に対してである。

 議論は白熱して何も決まらない。

 想像のはるか彼方の事態だ。あらゆる議論が噴出した。実務官僚も政治屋も、上から下まで大騒ぎである。

 おおまかに分けると声の大きいほうから余勢をかって帝国全土の占領という勇ましいものだ。次は真逆の消極意見、帝国を刺激しないようヤンの処罰とすみやかな撤退というものである。そして一番小さな声はこれを機会とした帝国との交渉と有利な和平案であった。

 

 しかし、同盟市民の反応はもっと正直なものである。

 同盟軍第十三艦隊、銀河帝国首都星オーディンを陥とすという報が届いてから熱狂の渦にある。

 

「奇跡のヤン! 魔術師ヤン! 帝国をやったぞ!!」

「自由惑星同盟、建国して三百年、ついにこの日がやってきた。ついにこの日が!」

「アーレ・ハイネセンよ。あなたの息子たちを見届けましたか。今こそ安らかにお眠り下さい」

「四個艦隊で成しえなかったイゼルローン攻略を半個艦隊でやってのけた。八個艦隊でもできなかった帝国領侵攻を一個艦隊で成功させた。ヤン提督には当たり前なのだ!」

 

 

 史上最高の一日、同盟市民は夜を徹して歌い、踊り、心ゆくまで幸福に浸った。

 

 

 

 



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第五十三話489年 1月 最終決戦

 

 

 わたしもガイエスブルクでニュースを見る。

 ヤン・ウェンリーの第十三艦隊、首都星オーディン制圧、それはしてやったりだ。

 

「ふふっ、ヤン提督はやっぱりお客様になってくれました。直接お会いできなくて残念だわ」

 

 

 次にわたしの予想もしない出来事がある。

 ニュースにわずか遅れてガイエスブルクにミュッケンベルガーがやって来たのだ!

 

 オーディンを出られても、今度はガイエスブルク要塞周辺にラインハルト陣営の哨戒網がある。しかし元帝国元帥の手腕は並ではなく、難なくかいくぐって要塞に来た。

 

「まあ、ミュッケンベルガー元帥! 御無事で何よりです」

「カロリーナ嬢、まことに済まん。儂は引退して中立を守ったが、それは大間違いだった。ローエングラム公が皇帝陛下をないがしろにして国政を壟断し、簒奪をたくらむとまでは思わなんだのだ」

 

 そういって頭を下げる。わたしは慌ててそれを遮った。

 

「いいえ、ミュッケンベルガー元帥、そんなことは仕方ないことです。」

「それでカロリーナ嬢、儂だけではなくリヒテンラーデ宰相もたいそう後悔しておったぞ。令嬢に詫びてくれと言い残された。それでな、儂らはせめてできることをしたのだ。リヒテンラーデ宰相は自分の命と引き換えにそなたにこれを託したの」

 

 わたしの頭には、オーディンのいたずらっぽい老人の顔が思い浮かんだ。

 その老人にはずいぶんと困らされた気もする。

 だが帝国のために老人は誰よりも忠義を尽くした。その一生を帝国に捧げたのだ。文字通り最後の瞬間まで。それがどれほど崇高なことか、わたしには想像もできない。

 

 

 そしてミュッケンベルガーが持ってきたものを見て目を丸くした。

 銀河帝国の国璽ではないか!

 それと一つの文書があり、こう書かれてある。

 

「銀河帝国皇帝エルウィン・ヨーゼフ二世、従妹の血筋であるサビーネ・フォン・リッテンハイムに皇帝位を禅譲」

 

 幼児皇帝の殴り書きのサインもされている。これで文章は正式のものだ。

 

 国璽とこの文章をもって、何とサビーネが新しい銀河帝国皇帝になれる!

 

 賊軍の汚名を晴らすなどというだけの話ではない。

 銀河帝国に対する全ての命令権を手にする。

 帝政を敷く銀河帝国はその全てが石ころの一つに至るまでサビーネのものとなり、サビーネの指先一つであらゆるものが従うのだ。帝国の巨大な行政機構は全てそのために動く。

 そして当然のごとく敵対するラインハルト陣営を賊軍に変えられる。

 

 リヒテンラーデの命をかけた置き土産はとんでもないものだった。

 わたしは直ちにサビーネのところに飛んでいく。

 

「サビーネ様、これで銀河帝国の皇帝になって下さい!」

「もちろんじゃ、すぐに皇帝になる。戴冠式なぞせんでもよいぞ。妾はそんな冠なぞなくとも、見栄えが悪うはないからの」

 

 さすがはわたしのサビーネ様だ! 逡巡とか遠慮とか、そういったものからは無縁だった。

 堂々たるものだ。

 見栄えに関する自己評価も今まであまり聞いたことがなかったが、今まで言う必要がなかったというだけで、決して低いことはなさそうだと発見した。

 

 しかしサビーネの次の言葉はわたしを少なからず驚かせた。

 

「そこで皇帝になった時、カロリーナにも命ぜねばならぬ。帝国宰相じゃ。それでなくば軍務尚書じゃ。よいか」

「えっ! それはサビーネ様、わたくしには地位など考えたこともなく」

 

 これは混乱せざるを得ない。そんな地位や肩書など欲したこともなく、考える暇もなかった。第一わたしはそんな柄ではない。伯爵令嬢というのにも最近慣れてきたばっかりなのに。

 

「ミュッケンベルガー元帥も、メルカッツ提督もいます。サビーネ様、もしわたしにその地位を命ずるなら臨時とか代理とか付けて下さい」

「何じゃそれは。カロリーナ、軍務尚書代理とは何とも締まらん肩書よの」

「とにかく次に勝つまで、臨時でしたらお受けいたします」

 

 

 

 ラインハルトの方でも寝耳に水の驚愕のニュースだった。

 

「何! 何だと! オーディンが、叛徒の軍にか」

「そのようでございます。ローエングラム元帥閣下。叛徒の軍は一個艦隊、第十三艦隊とのことです」

「くそ、一個艦隊で来たというのか。さすがにヤン・ウェンリー、奴は並みではないそれでオーベルシュタイン、オーディンの様子はどうだ」

 

 姉上、アンネローゼはどうなんだとはさすがに口に出さなかった。

 もちろん心情としてはそれが全てを占める。オーディンの占める位置、経済力、戦略的影響を考えるのはその次だ。

 

「叛徒は艦隊で囲むだけで、オーディンの地上には降りていないようです。兵を送り込む様子は今までのところありません。それのみならず、『気にしないで通常通り活動してほしい』とまで通信を送ってきたとか」

「ふざけているのか。それで安心などできない。オーディンを早急に解放せねばならない」

「元帥閣下、既にシュタインメッツとクナップシュタインの両提督をオーディンへ送っております。また、ワーレン提督の残存艦隊もあれば、敵よりも既に戦力上優位にあります」

 

 そんなことで安心できるか!

 ラインハルトは叫び出したかった。もしも姉上に何かあれば、宇宙を手に入れても何になろう。

 

「しかも元帥閣下、一個艦隊で帝国領を保持などできるわけがありません。いずれは撤退する軍です。イゼルローン回廊から敵の増援が来ている情報はありません」

「しかし叛徒全軍をあわせた総数は、どのくらいになろうか」

「アムリッツァで撃ち漏らした艦隊が思いのほか多く、敵は総数で九から十万隻程度の動員が可能と試算しております。ですが彼らの政体ではまとめて適切に運用できるかどうか」

 

 オーベルシュタインはさすがに同盟側の政治形態などにも一定の知識がある。またきちんと情報収集は怠らない。

 

 

「……そうだとしても早急に決める必要がある。直ちにオーディンを解放するために戻るか、一戦してガイエスブルクに籠る貴族を滅ぼしてから戻るか、二つに一つだ。ここで長期戦をするという選択肢はもはやない」

 

 早く戻りたい。姉上に何かあってからでは遅すぎる。

 しかし叛徒の政府にクーデターを起こすという策はどうなったのか。たぶん失敗したのだろう。考えが甘かったか。

 ラインハルトはアーサー・リンチが同盟領に戻れなかったことを知らなかった。身代わり工作員が立てられていたからである。そのためクーデター作戦が書かれた冊子はただの紙クズとなり果てている。

 

 

 結論を一日持ち越しているうちに事態は更に悪化した。

 今度はサビーネの皇帝即位の情報が入ってきたのだ。

 

「何だと! 国璽と皇帝位禅譲の文書、そんなものが向こうにあったのか…… だが今さら皇帝など名乗ったところで戦力の足しになどなるものか。そうであろう、オーベルシュタイン」

「さようです。閣下。ですがこちらの将はともかく末端の兵には少なからず動揺をもたらすでしょう。それに今後の国家運用に支障をきたすのは必定です」

「だがこれで方針は決まったな。迷う必要がないのはむしろ気分がいい。とにかくガイエスブルクの貴族を速やかに打ち滅ぼす!」

「御意。閣下、しかしこれはまたとない幸運かもしれません。ヨーゼフ幼帝を廃すれば皇帝位を無理に簒奪したとの汚名は免れませんが、ここでガイエスブルクを徹底的に破り、サビーネ・フォン・リッテンハイムを捕らえれば皇帝位を自ら譲り渡させることも可能でしょう」

 

 

 そうと決まればただちに貴族との決戦だ。

 ラインハルトに闘志が甦った。顔が紅潮する。

 

「キルヒアイス、わかっているだろう。決戦だ。負けられない戦いになる!」

「そうですね、ラインハルト様」

 

 オーディンを叛徒に囲まれている。猶予はない。絶対に勝つ必要がある。

 短い言葉だがお互いにわかっている。

 これはアンネローゼを守る戦いだ。二人の聖戦なのだ。

 

 今まで伯爵令嬢のことが気にかかっていた。できれば殺したくない。

 その思いが戦いへの見えざるブレーキになっていたのかもしれない。それが知らず知らずのうちに覇気を鈍らせていたのだ。

 しかしそんなことは今やどうでもいい。アンネローゼに比べればさしたる問題ではない!

 今、ラインハルトは覇気に輝く。

 

 

 ラインハルト陣営は全軍をガイエスブルク前に布陣した。

 短期決戦の構えだ。多少の犠牲は覚悟の上。

 もしも貴族側が出てこなければ多方面から同時侵攻をかける。

 ガイエスブルク要塞自体には艦砲は無意味だ。ガイエスハーケンで多少の犠牲は出るだろうが、とにかくレーザー水爆で宇宙港だけは潰す。そうして艦隊を閉じ込める。

 そこまで行けば、後は出方を伺いつつ白兵戦力の大規模投入だ。

 ガイエスブルクの貴族側は要塞の大きさや艦艇数に比べて白兵戦力に乏しいことは分かっている。末端の平民兵士の数に限りがあるからである。攻略は不可能ではない。

 

 後から取り付けたのだろうか。見ると何やら要塞に武器のようなものを多数取り付けてある。だが注意すべきはガイエスハーケンのみだ。通常武器なら艦隊からでも狙って破壊できる。対処できないものではない。

 

 もしも貴族側が艦隊を出して決戦に応じるならそれも良し。

 

 ラインハルト陣営方が明らかに戦力は多い。それは少なくない差だ。

 しかもミッターマイヤーやロイエンタールを始めとした麾下の提督たちの力量は申し分ない。

 ガイエスハーケンの射程内に決して入らないよう気を使う分だけ戦いにくいが、そんなハンデなどものともせず勝ちにもっていけるだろう。

 

 

 ラインハルト側の動きを察すると果たして貴族側は艦隊を出してきた。総数三万九千隻、先の戦いで修理不能艦を廃棄し、おそらく全軍である。

 望むところだ。

 ラインハルト陣営はシュタインメッツらをオーディンへ派遣した分を差し引いても五万隻を残している。

 

 戦いは通常通り長距離砲戦から入った。

 

 やはり貴族側艦隊はガイエスハーケンの射程を考えて要塞から突進してこない。不利になればガイエスハーケンの傘の下に戻れるという算段だろう。

 長距離砲戦をしながらお互いに動きや艦型データから各提督の居場所を突き止めにかかった。

 

 ラインハルト陣営には自身の本隊、ミッターマイヤー、ロイエンタール、ビッテンフェルト、アイゼナッハ、グリルパルツァーの諸提督の艦隊がいる。

 

 対する貴族側には伯爵令嬢本隊、メルカッツ、ファーレンハイト、ルッツ、メックリンガー、ケスラー、ビューローの各艦隊が展開している。今回ミュッケンベルガー元元帥は艦隊戦に参加せず、要塞のサビーネのところに残してある。

 

 貴族側艦隊が先に動いた。陣形を変え、意外なことに短期決戦の横陣である。

 

「なぜだ。通常なら罠を仕掛けやすい縦陣を取るだろうに。ガイエスブルクの方でも短期にせざるを得ない事情でもあるのか。ともあれこれで勝ちは疑いないが」

 

 ラインハルトはそう言い、同様に横陣をとる。この態勢では諸提督の力量と艦数の差が直接結果に出るのは明白だ。

 

 

 先陣を切って仕掛けてきたのはやはりミッターマイヤー艦隊だった。

 得意の一糸乱れぬ艦隊運動で相手を乱し、重く回復不能な打撃を与えようとする。これに対処するのはまたルッツになる。

 

「ミッターマイヤー提督の艦隊行動に惑わされるな。ただ一点だけを静かに待て。焦れて分艦隊を出してきた時がチャンスだ。先に分艦隊を叩いて戦力差を縮めていけば」

 

 しかしミッターマイヤーもそれは読んでいた。あくまで艦隊を崩さず狙いを絞らせない。

 

 

 別の場所ではビッテンフェルトの猛攻にケスラーが対処していた。ケスラーはさすがに艦隊の要となるポイントを容易にはつかませない。各小隊を動かして相手を幻惑させ、突入のタイミングを狂わせていた。

 しかしビッテンフェルトはそれで諦めるような人間ではなかった。

 

「ええい、どこに行ったらいいかわからないなら、どこでも同じということだ。とにかく突入せよ!」

 

 こんな無茶な命令もないが突入態勢をとった。それが思わずケスラーの意表を突いてしまう。

 

 

 ロイエンタールとメルカッツは対峙しながら互いの力量を知る。

 

 向かい合ってから、時に激烈に、時に静かに戦いをすすめていた。しかしメルカッツには大いに不利なことがある。先の戦いで艦載機の大半を失っていたのが痛すぎる。得意の近接戦法に持ち込むことができないまま消耗戦に引きずり込まれてしまう。

 

 

 ラインハルト本隊とわたしのカロリーナ本隊同士がぶつかり合って戦いに入った。これは初めてのことだ。どこが中核とも知れない横陣だからこそ生じた戦いだ。

 わたしはひたすら柔軟防御の態勢をとる。相手は天才ラインハルトにキルヒアイスなのだ。まともに攻めて勝てるとは思えない。守って守って守るしかない。

 だが思いもよらないところから攻勢が来ることもしばしば、気を抜けばあっという間に破られる。

 

「ふむ、やはり伯爵令嬢は強いな。だがこちらへの対処ばかりで余裕はないはずだ。押していけばいずれは破綻させられる」

 

 戦いの天才ラインハルトはそう見た。キルヒアイスも全く同意見である。

 

 

 第三次ガイエスブルクの戦いが始まった。

 ラインハルト陣営と貴族側艦隊、お互い最後の戦いになるだろう。

 

 その第一幕はラインハルト側が圧倒的に有利な態勢を作り上げている。

 

 

 

 



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第五十四話489年 1月 第三次ガイエスブルクの戦い~逆襲

 

 

 だがしかし、わたしは全体の戦況を俯瞰し、ラインハルト陣営に意外な穴があるのを見いだす。

 ラインハルトの諸将の中でやはりグリルパルツァーは一段劣る。

 

「向こうのグリルパルツァー艦隊に集中して攻勢をかけて下さい! 近隣の艦隊は戦場を狭めてできるだけ応援を」

 

 ビューローがそれにいち早く反応した。

 先のレンテンブルク救出戦の因縁があるのだ。グリルパルツァーというゲスが貴族令嬢にどういう仕打ちをしようと企んでいたか忘れるはずもない。ビューローはグリルパルツァーに思い切り大攻勢をかけた。

 

「その節のツケを払ってもらおう。弱い者をいたぶったツケを」

 

 その近隣でアイゼナッハ艦隊の相手をしていたメックリンガーもまたビューローに応援を出す。

 これらによりグリルパルツァー艦隊はさんざんに破られた。旗艦だけはいち早く後退して逃れおおせたが、これにビューローが大いに口惜しがる。

 ラインハルトの方もそれを見て舌打ちした。

 

「グリルパルツァー、なんと無様な」

 

 しかし現実にその穴から染み出してきた貴族側が深く進出し、他へ横撃を加えてくる。急速に大穴に変えつつあるのだ。このままにしてはおけず、先ずはそこへの対処が優先になる。

 

 

 戦いの第二幕は貴族側が一矢報いた。

 

「まずいな。あの箇所のせいでこちらが先に崩壊してしまう。キルヒアイス、令嬢は俺一人で充分だ。ブラウヒッチを連れてあの箇所の敵を押し戻してきてくれ」

「わかりました。ラインハルト様」

 

 キルヒアイスが静かな瞳で言う。ラインハルトにとってこの瞳がある限り何も心配はいらない。

 ラインハルトの期待通りわずかな艦隊を使っただけで穴は塞がれた。

 キルヒアイスの戦術指揮は恐ろしく的確であり、しかもバルバロッサの性能の高さは群を抜く。

 これでまたどちらも決め手を欠き、攻勢に出るタイミングを失う。

 

 

 だがラインハルトはいつまでも膠着状態を良しとはしなかった。

 戦いの第三幕は再びラインハルト陣営の前進から始まり、ついにラインハルトは最終攻勢のタイミングを見出す。

 

「よし、最終局面だ! 各自持ち場にて一気に攻勢に出ろ。これで押し切る!」

 

 もはや勝負はついた。

 貴族艦の多くは傷つき、有効な反撃もできず艦列の維持に精一杯、瓦解しないのが奇跡なくらいだ。ガイエスハーケンの有効射程に近いところで砲戦が展開されるが、もう貴族側は有効な反撃もできず、かといって退却さえ難しい。

 

 

 

 そのとき思いもかけない転機が訪れる!

 

 ラインハルト陣営の諸将に不意に光の渦が押し寄せてくる。

 

「ガ、ガイエスハーケン来ます!!」

 

 驚愕と絶叫が艦隊を包む。そして光はそれらを呑み込み、消し去る。

 

「何だと!」「そんなはずがあるか!」「ガイエスハーケンの射程ではない!」

 

 ラインハルト陣営の諸提督は大声が事実を確認するが、ガイエスハーケンが猛威を振るったのは間違いない。

 たちまちミッターマイヤー艦隊の後尾が光に飲み込まれる。

 どうしてだ! ガイエスハーケンの射程距離を見誤るなどするものか。

 

 

「今こそ切り札を使う時じゃ!」

 

 ガイエスブルク要塞の指令室に皇帝になったばかりのサビーネがいた。

 

「頼むぞミュッケンベルガー。朝敵をしかと叩けよ」

 

 サビーネの横には元帝国元帥ミュッケンベルガーがいる。

 ミュッケンベルガーはガイエスハーケンの使いどころも威力も充分に知り、的確な指示を出す。

 

「敵艦隊の行動予測を怠るな。分散が遅れているところから叩くのだ。儂が照準指示を出す」

「ガイエスハーケン発射態勢完了!」

「よし、発射!」

 

 イゼルローンのトゥールハンマーとガイエスブルクのガイエスハーケンはよく似ている。ミュッケンベルガーにとっては旧知のもの、その指揮によるガイエスハーケンは格段にその精度を増す。武器は使い方によってまるで異なり、攻撃力は雲泥の差だ。そのままラインハルト陣営には悪夢になる。

 

 ミュッケンベルガーは万感の思いだ。

 

 長きに渡って帝室に忠誠を誓い、戦いの場にいた。

 ただしそれは主にイゼルローン回廊近辺での話であり、オーディンの帝室とは距離があり、戦いの後で報告し、オーディン無憂宮の黒真珠の間で報償をもらうだけであった。

 ところが今は何としたことだろう。

 銀河帝国皇帝の横で腕を振るうとは!

 こんな忠臣冥利に尽きることは想像もしていなかった。

 

 そして皇帝サビーネの方は目の前のスクリーンの光芒を凝視して呟く。

 

「カロリーナは菓子を作っても上手いのじゃが、戦いも本当に上手いのう。誰も思いもつかんことをする。さすがはカロリーナじゃ。この戦い、先が見えたわ」

 

 ガイエスハーケン第二射第三射がアイゼナッハ艦隊を叩く。

 第四射からロイエンタールの艦隊を叩き始める。

 

 

 諸提督はようやく仕組みを理解した。どうしてこんなことになったのかを。

 ガイエスブルクに不格好に取り付けられてある武器、それは武器ではなかった。

 偽装したエンジンだ。

 要塞は今や推進力を得て航行を開始している!

 そんなに速くはない。さすがに直径四十kmの大要塞、艦用のエンジンを幾つ付けても推進力は足りない。

 だがそれでも少しの移動が大きな脅威になるその迫力とガイエスハーケンという絶対的な破壊力がある限り。

 

 宇宙を羽ばたくガイエに誰が立ち向かえるというのだろうか。

 一気にラインハルト側が浮足立ち、逆に貴族側の各艦隊は生気を得て反撃に転じる。

 

 

 

「うろたえるな!」

 

 ここでラインハルトの声が響く!

 

 ラインハルト陣営の諸提督は動揺を素早く鎮める。

 そう、自分たちは黄金の覇王、常勝提督に従っていたのではないか。

 いかに予期せぬ事態になっても無様な姿は見せられない。ガイエスブルク要塞が動くというのは確かに驚くべきことだが、ひとつの戦術に過ぎない。別に魔法というわけではないのだ。

 

「あんな奇策にうろたえてなんとする。艦列を乱すな。長距離砲をもつ艦は全て連携せよ」

 

 諸提督はやがて立ち直る。勝利できないと決まったわけではない。覇王ラインハルトある限り。

 

 そして期待通り、戦いの天才ラインハルトがこの奇策を破る方法を思いつくまで一瞬もかからなかったのだ。

 

「長距離砲の照準を全て一か所にまとめろ。あの左端だ」

 

 諸提督もようやく理解した。

 なるほどそういうことか!

 要塞そのものでなく取り付けてあるエンジンを狙うのだ。装甲が要塞本体より厚いはずはない。

 長距離砲の斉射で破れるだろう。

 

 もしガイエスブルク要塞を動かしているエンジンを一部だけ破壊すれば、たちまち推進力のバランスが崩れる。

 まっすぐ進むこともできなくなりスピンを始めるに違いない。

 ガイエスハーケンも無力化され、当面の危機は去る。

 それどころではなくオマケがある。ガイエスハーケンがスピンによって定まらなければ、要塞の攻略がかえって容易になるではないか。

 要塞に侵入し占拠するのがかえって容易になった。災いを見事福に転じられる。

 

 さすがは常勝のラインハルト・フォン・ローエングラム、天才だ!

 

 

「よし、撃て!!」

 

 ラインハルト側の一斉砲撃が一つの帯となり、ガイエスブルク要塞のエンジンへ向かって伸びる。そしてその一つを見事爆裂させたのだ。

 誰もが要塞のスピンを予想した。

 だが、そうはならなかった!

 

 わたしはそうしてくることを予期していたのだ。

 要塞を出撃する時に、サビーネに言い残している。

 

「きっとエンジンの一部を狙って攻撃してきますわ。でも大丈夫です、サビーネ様」

「ん、カロリーナ、どうするのじゃ」

「狙われた場所が分かったら、すぐにその対角線の位置にあるエンジンを止めて下さい。それで要塞の進行方向が保てるでしょう」

 

 はたしてその通り、ガイエスブルク要塞はそのまま何事もなかったかのように進んでくる。

 わたしの授けた対応策についてもラインハルトはあっさり喝破したが、しかし当面打てる手は続けてエンジンを攻撃することくらいしかない。

 

 要塞はスピードを落としたがなおも進む。

 

 戦場は艦から発射される細い白い線が数百数千となく輝いて狭い宙域を染め上げる。

 時折、暴力的な鍵爪がそれらをまとめて引き裂くように伸びる。

 

 艦隊戦はガイエスハーケンの及ばない所ではラインハルト側が有利、ガイエスブルクに近いところでは貴族側が有利である。ラインハルト側は常にガイエスハーケンに注意を払い、要塞の進行方向に戦場設定しないように気を使わなければならない。それは戦術の選択肢に非常な足かせとなる。

 

 全体の趨勢ではやっと貴族側が互角以上に持ち込んだといえる。

 

 

 わたしはこのタイミングでラインハルト側へ停戦と交渉を持ちかけた。

 驚いた顔をする諸将に説明する。

 

「オーディンのことを考えたら、ローエングラム公は決して消耗戦はできません。ここが交渉のしどころなのです」

 

 

 

 この戦いの最中、オーディン方面から急報がもたらされた。

 ラインハルトが先に遣わしたシュタインメッツ、クナップシュタイン艦隊敗れるという報である。

 

 戦いの様相は以下の通りであった。

 予め航路の情報を得ていたヤンは第十三艦隊を巨大恒星の前面に展開させた。シュタインメッツらはオーディン直撃するより、ヤン第十三艦隊の撃破を優先させ、それと対峙する。

 

 シュタインメッツらは一万三千隻をもって発しているが、さすがに帝国領であり航行途中で糾合し、数を増やしている。先のワーレン、レンネンカンプ艦隊の敗残も加えて二万二千隻にまで増やし、これが自信の元になる。

 艦数の絶対的優越を背景に半包囲陣形をもってヤン第十三艦隊に迫る。

 後方へと逃げられない相手に対する当たり前の戦術である。

 だがここでヤン第十三艦隊は急速に紡錘陣形に組み換え、易々とシュタインメッツらの陣を中央突破し、背面展開から逆に恒星に押し込めたのだ。こうしてシュタインメッツらは恒星と艦隊に挟まれ、態勢を入れ替えることもできないまま少なくない犠牲を出して逃走するしかなかった。

 その結果またもやオーディン周辺は第十三艦隊の制圧下にある。

 

 もはやラインハルトには時間の猶予もない。

 オーディンの解放のため、自分で行かなければならない。

 それには急戦で目の前の貴族艦隊を破る必要があるが、それが直ちに可能な状況ではない。消耗戦はもとより望むところではなかったが、今や艦隊の温存のためにも消耗戦は絶対にとれない。

 

 ラインハルトの横には戻ってきたキルヒアイスがいる。

 

「キルヒアイス、負けたな。俺たちはここまでやってきたのだが」

「ラインハルト様。これは負けではありません。オーディンへ行くためいったん停戦の交渉に応じるというだけです」

「いや、これは負けだ。このようなタイミングでオーディンに変事が起きるのはどう考えてもおかしい。これは策だ。あの伯爵令嬢の策だろう。かなり前から準備していたに違いない。この俺が戦略において遅れをとってしまった」

「ラインハルト様……」

 

 ラインハルトの明晰な頭脳はそこまで読んでいた。

 同盟艦隊の急速な侵攻、これは絶対に手引きをする者がいなければ実現できない。少なくとも補給面を考えたらそうである。

 

「キルヒアイス、付け加えるなら戦術面でも遅れをとっている。要塞を動かしてくるとはな。予想外だ」

「ラインハルト様、もう一度申し上げます。決して負けではありません。なぜなら伯爵令嬢とは最初から敵ではないのですから」

「だがキルヒアイス、貴族どもを滅ぼさねばならない。そこに伯爵令嬢がいる以上、嫌でも敵ではないか」

 

 

 しかしキルヒアイスはあのお茶会のこと、ガルミッシュ要塞の会話、そしてヴェスターラントの爆撃阻止のことを思わざるを得ない。

 カロリーナ・フォン・ランズベルクは敵ではない。

 全てはボタンの掛け違えだけのような気がするのだ。

 ラインハルト様が自嘲気味に勝敗にこだわるのはそもそも必要ない。

 

「いいえ、少なくとも伯爵令嬢の方では敵と思っていないような気がします。ラインハルト様」

 

 

 

 ラインハルトとキルヒアイスの会話を聞きながらオーベルシュタインは思う。

 

 甘いな。二人とも。

 

 その甘さの根源はおそらく伯爵令嬢などではない。

 ローエングラム公の姉、アンネローゼだ。

 あの者が生きている限りローエングラム公はあたら才能がありながら足かせがとれず飛翔できない。

 それに比べたら伯爵令嬢などさしたる問題ではない。

 足かせさえ取れれば、ローエングラム公はその時こそ覇王に変貌できるのだが。目的のために手段を選ばない真の冷徹さと苛烈さを持てるだろう。それらが覇王に必要なのだ。

 ならば足かせを取ってやるまでだ。覇王によって宇宙を変えるために。

 オーベルシュタイン、この者の策謀に限界などない。

 

 考えたあげくラインハルトは決断した。

 

「停戦に応じる。各艦隊はいったん攻撃を止めよ。ただし臨戦態勢のまま待機」

 

 ラインハルト陣営の様子を見て、わたしの方でも応じる。

 

「停戦です。ガイエスブルクにも連絡を。ガイエスハーケンの発射中止とエンジン停止を。わたしは直ちにガイエスブルク要塞に入ってサビーネ陛下とお話しします」

 

 

 そしてわたしが要塞に戻るとサビーネの方からやってきた。

 

「これで勝ちと決まったの。ローエングラムはさぞ悔しかろう。カロリーナ、ようやってくれた。まあ、勝つことはわかっておったが」

「勝手なことながら、いったんの停戦をいたしました。お互いに消耗戦にするわけにはいきません」

「そうか。でも停戦は方便、ローエングラムめが帝国にまたしても逆らうというのなら、遠慮なく叩き潰してやるまでじゃ。確実にそうなるじゃろうの」

 

 意気軒高たるサビーネをここで説き伏せる必要がある。

 

「いいえ、停戦は方便ではありません。できれば交渉の上、講和で終わらせたいのです。ローエングラム公の言い分を聞きましょう。ローエングラム公を滅ぼすのはお考えになりませんように、陛下」

 

 わたしの言葉に対し、ある程度の反論はされると思っていた。

 しかし予想以上の反発があったのだ。

 

 

「なぜじゃ。ローエングラムを倒さねば死んでいった者たちも浮かばれまい!」

 

 ああ!

 わたしは何と重要なことを忘れていたのだろう!!

 

 人として大事なことを、なぜ忘れていた。

 サビーネがややうつむいて言うではないか。

 

「お父様も、無念のままじゃ。そうではないか、カロリーナ」

 

 

 わたしは馬鹿だ。

 

 うかつにも失念していたことを突かれた。

 サビーネは父親のリッテンハイム侯を亡くしてから、話題にすることはなかった。聞いたのはこれが初めてのことである。

 それはサビーネの剛毅さのゆえだった。彼女なりにリーダーとして振る舞った結果だろう。

 だが内面は喪った父親のことをゆめゆめ忘れてはいなかった。

 仲の良い父娘だったのだ。思わない方がおかしい。そしてたぶん仇を討つことをずっと考えていた。

 

 わたしは気が重い。

 サビーネの心情はよくわかる。できれば仇討ちをかなえてやりたい。

 だが、事は銀河の歴史に関わることであり、個人の心情より大きなことなのだ。

 敢えて言わねばならない。

 

 サビーネ様、ここで試させて頂きます。

 

 ただの貴族令嬢なのか、それとも人類社会を背負って立てる器なのかを。

 

 

 

 

 



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第五十五話489年 2月 舌戦のサビーネ

 

 

 わたしはサビーネに向かって話を続ける。

 

「それはその通りでございます。サビーネ陛下。わたしもそう思います」

 

 ゆっくりと区切り、言葉を選びながら話す。

 

「ですが、ここであえて生きている者たちのために申し上げます。ローエングラム公は覇気があり純粋な方です。卑怯と怠惰を憎む方です。ゆえあって帝国の貴族たちを憎んでいますが、もとから邪悪なのではありません。万民のための為政者として得難い人物なのです。討つのは民衆のためにも決して良いことではありません」

「カロリーナはいつも皆のことを考えているのじゃな。しかし仇討ちをせねば気が収まらぬわ」

 

 サビーネはそう言うが、決して大きな声は出していない。

 わたしは安心する。

 

 サビーネはきっと乗り越えてくれる。憎しみの連鎖ではなく、その次へ向かって。

 

「皆のために何が大事なのかもう分かっておいででしょう。サビーネ陛下には」

「カロリーナはあくまでそう申すのじゃな。よし、分かった」

 

 サビーネは考え込むようなそぶりはなく、すぐに返事を返してきたではないか。

 自分の感情の葛藤にいつまでも囚われていない。

 やはり人の上に立つ器がある。わたしもまた嬉しい。

 

「それでカロリーナ、今は何をすればよいのじゃ。ローエングラムとの交渉といっても何を話せばよい」

「わたしに腹案がございます。申し上げにくいことながら、それはサビーネ陛下には辛い選択になるでしょう。そこを曲げてお願いいたします」

 

 

 

 ラインハルトとサビーネとの和平交渉は即日ではなかった。

 その前にやることがある。わたしはルッツに書簡を持たせてオーディンに急派した。通信では証拠が残るが、書簡はその場で読み上げるだけで渡さないようにすればいい。

 内容はごく簡単なこと、それがヤン・ウェンリーに伝わればいい。

 

「今回のお誘いにおいで下さって大変ありがとうございます。直接わたしの菓子でおもてなししたかったのですが、それができなくて残念です。またの機会にお会いしましょう」

 

「それはいったい何ですかヤン先輩」

 

 ヤンと共にメッセージを知ったアッテンボローにはわからない。

 というより、まるで週末パーティーに招いたくらいの気軽な文面に開いた口がふさがらない。

 こちらは帝国領の中を18日もかけ、とんでもない距離を来ているのだ。しかも一個艦隊二百万人で。

 

「伯爵令嬢の言いたいことはわかる。ぼちぼちイゼルローンに帰ろうか、アッテンボロー」

「え! 今帰るんですか! 帝国の首都オーディンを制圧してるんですよ。今後何かの交渉をするにしても有利じゃありませんか」

「首都にいるからこそ話し合いをするのが難かしくなるんだよ。相手は何がなんでも戦うしかなくなってしまう。交渉どころか敵愾心しか持たないだろうね」

「そんなものですかねえ…… 」

「政府は場当たり的な命令しか送ってよこさないし、混乱するのはわかるが、イゼルローンから後続の艦隊や補給が来るわけでもない。アムリッツァのことをどうしても考えてしまうんだろうなあ」

「政府が本気になれば変わりましたかね」

「うん、まあ、しかしこれが一番いいような気もしてきた。伯爵令嬢が頃合いだというのだからね」

 

 ヤン第十三艦隊は撤退の準備にかかった。帝国の輸送艦を接収し、帰り道分の物資を積めるだけ積み、それらと共に悠々とオーディンから離れていく。

 しかし一部の将兵には納得しかねた。

 

「ヤン提督、いっそのこと、オーディンで皇帝を名乗ったらどうですかね。」

「何の冗談だい、シェーンコップ」

「なにね、ベレー帽より王冠が似合うかもしれないと、思ったわけでしてね」

「王冠にも王座にも興味はないよ。今のベレー帽が似合うかわからないけれど、この方がマシだ」

 

 思わず本音を言った。

 

「オーディンの図書館だけは、手に入れたかったんだけどなあ」

 

 

 

 ついにこの時が来た。度重なる戦いと犠牲の末に。

 ラインハルト・フォン・ローエングラム元帥と貴族連合軍副盟主サビーネ・フォン・リッテンハイム、今は即位に伴って改名したサビーネ・フォン・ゴールデンバウムが会し、交渉のテーブルについた。

 この内戦で仇敵となった同士、話をつけられるのだろうか。

 

 ラインハルト側はオーベルシュタインとキルヒアイスが同席する。

 サビーネ側はわたしとメルカッツ提督が共にいる。

 

 その場でわたしはいきなり緊張してしまう。ラインハルトより先にオーベルシュタインが目に入ったせいだ。初めて見る。これが絶対零度の参謀長オーベルシュタイン上級大将。あまりに冷たい視線に感じるのは義眼のせいか。

 いくども危地に追い込んでくれた敵手、だがこの人も自分の信じる正義を貫く人であることは間違いない。私利私欲のために動く人ではないのだ。

 よく見ると誰にも冷たい視線を投げているようで、決してわたしに対してだけではない、つまりは私怨ではない。

 

 まあいいわ。

 この交渉の場はそんなに難しい話じゃないのよ。納得するかしないかだけのこと。

 

 ラインハルトが交渉の口火を開く。

 

「話を始める前に大きな前提を言っておこう。現在停戦しているが戦闘では明らかに我が方が有利だ。艦艇数も未だ多く、要塞を包囲するに足りる。この状況は変えがたい」

 

 あっという間にサビーネがやり返す。

 

「ふん、賊軍が思い上がりおって。忘れるほど耄碌したのか。では思い出させてやるが帝国では皇帝である妾が全てじゃ」

 

 オーベルシュタインが冷静に言う。

 

「賊軍と仰いますか。しかし今は形式よりも戦力の方が肝要だと述べましょう。その賊軍が戦力上優位だと言っているのです。理解していただけましたか」

 

 それについて、またしてもサビーネがやり返す。

 オーベルシュタインを恐れるどころか負けてなどいない。わたしにはそんな豪胆さがうらやましいくらいだ。

 

「何、優位とな。それなら妾はガイエスブルクで昼寝をしといても構わんのじゃぞ。帰る家もないくせに。そなたらは帝国で居場所などない」

 

 

 わたしが口を出す必要もないくらいサビーネが見事に切り返す。

 ここで困ったようにキルヒアイスが言葉を足す。話をまとめる方向へ持っていこうと気を使っているのだ。

 

「ここは交渉の場です。お互いの条件などを聞いた上で話をしましょう」

 

 ラインハルトも決して楽しい表情ではないが理性的に言う。

 

「一応、条件など聞いておこうか」

 

 それでもサビーネは動じない。

 

「ほう、一応聞いてみるだけと申すか。ではメルカッツ、説明してやれ」

 

 サビーネの言葉を受け、メルカッツが的確に現状を説明する。

 

「純軍事的に見れば、この状況はお互いにとって決着をつけるには難しい状況です。決め手を欠き、少なくともガイエスブルクを短期で攻略できることはありません」

「そうじゃな。こちらは待つだけじゃ。カロリーナの美味い菓子でも食うてそっちが立ち枯れる様を見物してやるわ」

 

 サビーネの口は悪いが状況は全くその通りである。

 

 ラインハルト陣営の諸提督は有能で、持てる艦隊戦力は今でも大きい。貴族側はガイエスブルク要塞の力で対処しているだけなのだ。

 もし貴族艦隊が要塞を離れてオーディンへ進軍しようとしたら勝てるはずはない。

 絶対に撃滅されるだろう。

 おまけに要塞は長距離を移動できない。

 ワープエンジンを搭載することは無理なのだ。時間や資材という面もあるが、何よりこれだけの大きさのものをワープで空間転移させるのは技術的に途方もなく高いハードルである。ワープエンジンの完全同期、その安全性に100%の保証がない限り選択肢にならない。

 

 かといって逆にラインハルトの方としては、貴族側が要塞に籠る限り決め手に欠く。

 容易に陥とせるような代物ではなく、少なくとも急戦で勝つことはできない。

 先の戦いでラインハルト陣営も艦数を減らし、四万隻を切る数、これは要塞を飽和攻撃できるかギリギリの賭けになる。

 長期戦であれば、いずれ要塞側は戦力の補給ができずジリ貧になるだろうが、それがいつのことになるか不明だ。要塞には膨大な物資と財貨、それに工廠まで備えられている。

 

 時間がかかればその間、オーディンでどのようなことが起きるかわかったものではない。サビーネ皇帝に味方という大義名分をつけるならば、反抗でも蜂起でもなんでも可能なのだ。

 更にそれだけではなく、仮に同盟軍が大挙して侵攻してくる事態になったら、挟撃にあって壊滅してしまう。そんな可能性すらあった。

 実のところ、むしろわたしの方がヤン達を先に撤退に導いている。それはヤンを無事にイゼルローンへ返すためでもある。しかしその撤退を未だラインハルトは知らない。

 

 

 

 互いの舌戦が続く。

 ひとしきり終わったあとオーベルシュタインがキルヒアイスと同じことを言う。

 

「交渉とは互いのカードを切って、譲歩を引き出し、合意に持ち込むことです。今回どのような案を持って臨んだのか、そろそろ言うべき時と存じ上げます」

 

 これにはわたしが答える。既にサビーネと話し合って決めていたことだ。

 

「それでは申し上げます。先ずは休戦を提案します。代わりにこちらの艦隊もそちらを追わず、仮にそちらが叛徒と戦うことになっても敵対行為はいたしません」

 

 これはラインハルトの側でも想定したことだ。否はない。

 当面貴族を生かしてやることになるが、致し方ない。オーディンへ急ぎ引き返し解放するためには。

 

 しかし、わたしの次の言葉にはラインハルト側の誰もが驚かざるをえなかった。

 

「それと今後の抜本的和解案についても申し上げます。こちらの譲歩は一つ、銀河帝国皇帝の位をローエングラム元帥に禅譲いたします」

「何だとっ!」

 

 驚きが満ちるのは無理もない。

 これでラインハルトは何の憂いも無く銀河帝国の至尊の座に着ける。

 汚名のそしりを受けずに済む。幼帝エルウィン・ヨーゼフ二世からの簒奪でもなく、皇帝サビーネの弑殺でもなく、堂々と。

 

 

 

 これは先にわたしが恐る恐るサビーネに申し上げたことだ。

 いったん皇帝になって何ぞ譲らねばならん! と一喝されるかと思っていたが、予想は見事良い方に外れた。

 

「そう言うか、カロリーナ。よい、皇帝などくれてやってよい。妾はそんな地位におらぬとも生まれも中身も高貴じゃからの。もちろん、見映えもじゃ」

 

 うーん、どこまでいってもサビーネ様はサビーネ様だわ!

 

 この銀河帝国皇帝の地位は宰相リヒテンラーデが命をかけてサビーネに渡したものだ。

 しかしここで譲歩のため使わなければならない。

 それにラインハルトが皇帝になった方が、帝国の民衆のためよほどいいことなのだ。リヒテンラーデには悪いが、帝国はゴールデンバウム王朝が継ぐよりラインハルトが作り変えた方がいい。

 

 ラインハルトが即位するのを形の上で整える、こちらが最大のカードを切れば、次に相手の譲歩を引き出す。

 

「その交換条件としてリッテンハイム侯爵領、それに亡きブラウンシュバイク公の領地はこちらに保全してもらいたく存じます。また首都オーディンは共同統治として貴族の在住、通行を妨げないこともお願いします」

 

 要求する領地は案外大きい。リッテンハイム侯爵領とブラウンシュバイク公爵領を併せれば、帝国の一割とは言わないまでも決して無視できない大きさになる。

 ラインハルト側は即答せず、いったん持ち帰る。

 

 

 

 既にラインハルトの心は決まっていた。あまり細かいことにこだわって交渉を長引かせることなく、オーディンへ行きたいのだ。

 オーベルシュタインの意見も聞いてみたが、意外なことに全く同じだった。

 

「小官はこの交換条件について異議ありません。むしろこの交渉は大成功と言えるでしょう。リップシュタットからのこの戦役の意義は達成されたと見るべきです。何よりも正しい道で銀河帝国皇帝になることこそ重要かと」

「なるほどな、オーベルシュタイン。細かい領地などどうでもいいか」

「左様でございます。皇帝になりさえすれば、政略はいかようにでもできます。領地などいったん預けただけと考えて充分でしょう」

 

 翌日回答し、それで決まった。

 

「当方はそれで承諾した。サビーネ皇帝が退位された後は大公として領地を治めることを認める。オーディンの在住と通行も許可する。併せて今後軍事的な干渉はしないことを約束する」

 

 大公とは貴族位の最高位にして普通は即位前の皇太子、あるいは任を終えた摂政が着く地位である。

 

「それでは皇帝位の禅譲を約束します。ついでに和約の証しとしてガイエスブルク要塞のエンジンを外してガイエスハーケンの封鎖も行います」

 

 たったこれだけといえばこれだけだ。

 だが、そこに至るまであまりに多くの悲劇が生まれた。しかしついにガイエスブルクの和約と呼ばれる盟約が誕生する。

 

 

 今、これをもってリップシュタット戦役は終結する。

 

 それはアルテナ星域の前哨戦から始まり、長く厳しい戦いだった。

 

 

 

 



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第四章 霜日の冬
第五十六話489年 3月 新たなる日


 

 

 ラインハルトは貴族側と和約を結ぶやいなやオーディンへ向かった。

 撤退にかかっていたヤン艦隊とはすれ違いの恰好になったので戦闘はない。両者とも知らなかったがきわどいタイミングだった。

 

 ラインハルトは到着するとオーディンを掌握し、また直ちにキルヒアイスをアンネローゼの元に遣わす。

 アンネローゼ無事、この報はラインハルトを心から安堵させた。

 

 

 オーベルシュタインはさっそく皇帝即位のための戴冠式の準備を始めている。

 

「元帥閣下、政治的な宣伝の意味もありますので戴冠式は大々的に行ないたく存じます」

「好きにせよ。任せる」

「御意」

 

 ラインハルトは銀河帝国皇帝になる。

 皇帝になれば堂々とアンネローゼに会いにいける。これがラインハルトにとって大事だ。

 また三人で過ごせるのだ。遠い昔、キルヒアイスの家の隣に姉弟で引っ越してきたあの頃のように。失った年月はもう取り戻せない。しかし、未来は再び光に満ちるだろう。

 

 

 しかし全てが順調ではなく、いつの時代も策謀が策謀を呼び寄せるものである。

 暗い一室の中に決意を持った男とそれを利用しようとする男がいた。

 

「このまま幸福なローエングラム王朝など来させてたまるものか! 必ずや我が主君の無念を晴らしてくれる!」

「意気込みはいいがアンスバッハ准将、具体的な手立ては用意はできるのかな。そうでなければゴマメの歯ぎしりだ。寡聞にして呪い殺せる方法など知らん」

「手立てはない。正直それで困っている。オーディンへの潜入も、武器の入手も、仲間の手配も必要なのに。俺をローエングラム公に突き出さない以上、こちらに力を貸してくれると期待していいんだな。アドリアン・ルビンスキー」

「これは聞こえが悪い。フェザーンは中立の立場。困っているものに力を貸すだけのこと、商売上の保険という奴だ」

 

 アドリアン・ルビンスキーは軽くグラスを揺らし、中の氷が躍るのを見ながらそう言った。

 

 対するのは帝国の軍服を着た実直そうな男だ。

 

 アンスバッハ准将、ブラウンシュバイク公私領艦隊の運用を実質的に努め、その主がラインハルトのところへ向かった直後に離脱していた。

 その時、何度も諫めている。ラインハルトがブラウンシュバイク公を迎え入れることなど絶対になく、むざむざ死にに行くようなものだと主張して。

 だがそれは聞き入れられることはなく、かえって謹慎を命じられる始末だった。

 そして離脱したのは逃げるためではなく、主の死を予期した上で自分の為すべきことを考えたからである。忠義というものに捉われ、一命を賭して何かを成そうとしている。

 

「詭弁だな。おそらくローエングラムが邪魔なのはフェザーンも同じなんだろう。自分の手を汚したくないだけと思える。だがそれで助かるのも事実だ。フェザーンの助力がなければ達成は困難だ」

「そう困難でもない。オーディンで必ずしも警備が厳重とは限らない。場所によっては。アンスバッハ准将、ローエングラム公に仇討ちをしたいのなら、死以上に打撃を与える方法がある。その方がいいだろう」

「何、どういう意味だ、ルビンスキー」

 

「人間の思惑というものはたいてい違うものだが、偶然重なる時もある」

「 …… 」

 

 不可解な顔をするアンスバッハの顔をもうルビンスキーは見ていない。

 ルビンスキーが今思うのは別の者の顔である。

 

 そう、ラインハルトを狙うのであれば、どうあっても成功させないだろう。だが、キルヒアイスかアンネローゼのどちらかが狙いであれば、積極的な邪魔はしないはずだ。アンスバッハのテロ計画に気付いたとしても。

 そうだろう、冷徹な参謀長オーベルシュタイン。

 

 お互いに思惑は分かっている。一つ貸しにしておくぞ。

 

 フェザーンとしてはラインハルト自身を除ければ一番いいのだが、そうでなくともキルヒアイスかアンネローゼを害すればいい。

 オーベルシュタインはその方が良いと思っているようだが、ルビンスキーの見立ては違う。

 それどころか真逆にさえ思っている。

 それを失ったラインハルトが変質し、暴走すると見込み、期待するのだ。その結果ラインハルトが無理に同盟へ突っかかり敗死でもしてくれれば喜ばしい。強力で盤石な新帝国など作られたらフェザーンの独立が危うくなってしまい、そうさせなければ何でもいい。

 結果としてオーベルシュタインとルビンスキーの思惑が一致するのは何とも皮肉である。どちらも一流の策謀家と自認する者同士が。

 

 

 

 戴冠式の前にラインハルトはやっておくべき仕事がある。

 一つはサビーネとの約束通り領地の認定を行う。ブラウンシュバイク公爵領とリッテンハイム侯爵領をサビーネ大公の領地とする。

 

 サビーネはこれを合わせてリッテンハイム大公国と命じた。

 

 人口およそ三十五億人、これはかなりの規模になる。

 銀河帝国はその四割ほどが貴族私領である。帝国の建国当初からそれほど大きかったわけはないが、幾度か登場した暗愚な皇帝たちは、国庫が疲弊する度に貴族たちへ割譲を繰り返していた。あるいはお気に入りの貴族の歓心を得るために分け与えていたのだ。その逆に貴族の領地を帝国が召し上げることはそれほどない。そのために貴族私領は五百年のうちに次第に規模が肥大していった。帝国はどのみち木から落ちるばかりに爛熟していたのだ。

 何といっても帝国で他に冠絶するニ家を併せたのだから、その私領地は大きい。それを今から私領ではなく、形式上帝国に属するものの高度な自治権をもった国にする。

 

 これも良い面と悪い面がある。

 

 今までは中央の官僚及び行政のコストは貴族が負う必要はなかった。

 中央へ税を収めず行政機構を利用するだけだ。それが特権というものである。だから帝国の国庫が厳しくとも貴族私領は常に財政が豊かであり、貴族は優雅な生活を送り無駄使いもできたのだ。ダンスに興じ、宝石を買い求め、屋敷を構えることもできた。人口の割に大規模な艦隊を持つことが可能なのもそのためだ。

 

 今、国家形態にするのでは官僚の育成その他でコストがかかる。

 航路監視も、税関も、新しい負担になる。

 

 ちょうどよいというべきか艦隊が総数で二万七千隻という数まで減っていた。カロリーナ艦隊も、元ブラウンシュバイク艦隊も、メルカッツ提督の艦隊も含めてこの数字である。それは激しいリップシュタット戦役の結果だ。思えば戦役前はリッテンハイム侯とそれを取り巻く貴族の艦艇で五万隻余も所持していたのだが。

 しかしこれで艦隊の維持コストはだいぶ節約できる。

 

 

 

 さあ、ラインハルトはサビーネとの約束を済ませると、次はまた新しい仕事に取り掛からなければならない。しかも困難が予想される。

 

 それは自由惑星同盟との交渉であった。

 今、ヤンの第十三艦隊は既にイゼルローン要塞まで退いている。

 しかしいったんオーディンを同盟が手に入れたという事実、そこで艦隊戦に連勝したという実績があるのだ。

 そして現段階で同盟側が帝国側に対して高い戦力を保持しているという状況もある。

 欺瞞でも一時的でも和平交渉は必要だ。

 

 帝国は同盟に対しいくつかの譲歩は覚悟しなければならない。

 いずれ帝国は艦隊を再建する。しかししばらくの時は必要なのだ。幸いにして同盟側も大攻勢を掛けてくる気はなく、交渉の余地が全くないわけではない。

 

 自由惑星同盟から交渉のためオーディンにやってきたのは最高評議会議員ジョアン・レベロとホアン・ルイの二人である。

 

 本来、人的資源委員など対外交渉に出るはずがないのだが、他の委員が尻込みしたのである。急病と、婚姻葬儀、あらゆる言い訳が動員された。遅刻をした学生の方がまだマシな言い訳をしただろう。

 誰もが行きたくないのはもちろん理由がある。

 何をしても非難されて有権者からの支持が下がるのは分かりきっているのだ。

 もしも現実的な交渉をすれば、民衆の心理を逆なでするだろう。同盟の民衆はもはや帝国に勝った気でいるのだ。バラ色の未来を思い描いている者にとって現実的な交渉は受け入れられず、たちまち弱腰と非難の大合唱をするだろうことは目に見えている。。

 とはいえ帝国に対しあまりに強気で挑んでは得る物が少ない。帝国は未だ同盟より人口は二倍も多く、本気にさせてはいけない。それを知る合理派の知識人からすれば、下手な高圧的な態度は馬鹿にしか見えないだろう。どうにも交渉役は貧乏クジを引く役回りだ。

 ジョアン・レベロとホアン・ルイも不承不承引き受けたのだが、それは誰かがやらねばならないということを他の人間よりも少しばかり深く考えてしまった結果である。

 

 

 この一連の騒ぎをおこした張本人は来ていない。

 ヤンはイゼルローンに籠っている。政府も今回のことをどう扱うか結論が出ていないのは、ヤンがどう詭弁を使っても勝手に戦端を開いた責任があるが、しかし武勲があまりに巨大過ぎるからだ。

 

 まあヤンの方でも決して昼寝をしていたわけではない。

 テレビや雑誌のインタビューから逃げ回っていた。また熱狂的なファンからと称する手紙が山ほど来ていて、それを片付けるだけでも一苦労だ。いつもならそれを手伝うキャゼルヌがここぞとばかりに押し付けてくる。

 

「それくらい忙しいのも罰のうちだ。ユリアンには迷惑かけるなよ。お前さんと違って言い付けをちゃんと守るくらい出来がいいんだ」

「キャゼルヌ先輩、それじゃあシェーンコップやポプランが余計なことを言うのを止めてくださいよ。話を膨らませて、いつのまにかトマホーク振るって一人で千人倒したことになってるじゃないですか」

「映画の主演になる時までにはトマホークも練習しておくんだな、ヤン。せめて栄養くらい付けさせてやるか。夕食はどうだ。ユリアンと副官の分もあわせて用意しとく」

 

 

 最終的に帝国と同盟の間でいくつかの同意がなされた。

 一つ、帝国は自由惑星同盟の存在を認め、これを国家として承認すること。

 一つ、付随して叛徒という言葉を公式には使用しないこと。

 一つ、停戦とお互いの軍備状況について年一回の報告をすること。

 一つ、お互いの首都星に大使館を設置すること。

 

 だが全てについて合意したわけでもないし、帝国が譲歩したわけでもない。

 年号の統一は帝国側が拒否した。

 最大の問題である領土交渉については、どちらにも言い分と意地があり、難渋を極めた。十日も費やして主張と妥協のつばぜり合いの末、やっと決着した。

 

 結果としてイゼルローン寄りの帝国辺境星系が割譲されることになった。そのほとんどは開拓途上の惑星で人口も少なく、大した価値はない。開拓余地はあるとはいえ人口にすれば全てひっくるめて五億人ほどになった。帝国全体の二百五十億人に比べればほんの少しといえる。

 しかし政治的な威信という面では別である。

 つまり帝国に対しあまり実害はなく、しかし同盟にすれば初めての帝国側領地割譲という歴史的意義がある、そういう妥協点だ。そしてお互いにとってこれは緩衝地帯ともいえる。

 

 問題はその統治である。

 今回の割譲には同盟軍の帝国領侵攻作戦で焦土作戦が行われ、民衆の恨みをかった星系も多く含まれる。もちろん民衆は作戦を行った帝国を怨んでいるが、元の原因である同盟をそれ以上に怨んでいる。同盟艦隊が最後の最後に行った物資の略奪などの記憶が残っているのだ。

 

 これでは統治に対する反発は大きなものになるだろう。

 だが、帝国側が渡りに船の提案をしてきた。

 

 この割譲地にランズベルク家領地が含まれるが、そのカロリーナ・フォン・ランズベルク伯爵令嬢を当面の間の委任統治者に任命すること、である。

 辺境解放の英雄である伯爵令嬢ならば委任統治もスムースに行くだろう。

 同盟側でもこの伯爵令嬢が委任統治の枠を超えて支配することはせず、加えて民主化に理解があることも既に分析していた。もちろん、ヤン・ウェンリーの報告で大きく取り上げていたからだ。

 

 一方帝国にもしたたかな計算がある。帝国にとってそんな辺境星系よりも警戒すべきなのはサビーネのリッテンハイム大公国の方だ。それに伯爵令嬢が参画し続けるのは脅威となる。リッテンハイム大公国から引きはがしておく必要があるのだ。

 辺境星系の民衆のためという名目があればおそらく伯爵令嬢は断れないだろう。

 

 努力の末一連の成果をあげて帰還したレべロとホアンの二人だが、予想通りいろいろな主義主張の人から罵られることになる。

 覚悟の上とはいえ精神的に堪える。

 ひょうひょうと批判をかわすホアンはまだしもレべロなどは目の下に隈を作って独り言を言うようになった。もはや半分壊れている。しかしこの合意だけでも一生分の仕事はしたと言えるものだろう。

 

 

 

 それらが済み、ついにラインハルトの皇帝即位の戴冠式が行われた。

 居並ぶ文官武官に混ざってわたしも戴冠式を見届けた。

 さすがに正装したラインハルトは彫刻のように美形だ。隣にいるアンネローゼも美しい。もちろんその二人に次ぐ場所にいるキルヒアイスもだ。キルヒアイスについて正式発表はされていないが、ラインハルトが副帝に擁立しようという意向なのは知れ渡っている。

 

 わたしはまたサビーネのリッテンハイム大公国の発足式にも出席した。

 こちらのサビーネも輝くように美しい姿、文字通りの女王の姿だ。

 サビーネの自信満々なのと口の悪さを知らなければ、どんな人でも祝福するだろう。

 

 しかしリッテンハイム大公国の前途は課題山積である。財政的には貴族の蓄えた美術品や財宝で当面は賄える。しかし、あらゆる面で官僚機構の整備を行わなければならない。

 行政も法体制もあまりに未熟である。

 今までは貴族の気まぐれの意向で動いていただけであり、コネや賄賂が横行していた。それもまた平民が貴族に反発する原因になっている。

 これを公正で清潔なものに変えるのだ。わたしが改革のため目をつけていたシュトライトやカールブラッケは既にラインハルトに取られていた。仕方がない。

 

 だが、改革自体がゆっくりでも進むだろうことには確信がある。多少わがままで気まぐれなサビーネだが正しきを尊ぶことは確かなのだ。サビーネが上に立つ以上、腐敗や圧政の心配はない。

 おまけにわたしは民主主義の平和的導入についても考えを巡らせた。大公の権限縮小、憲法制定、三権分立、議会導入、選挙の実施、いろいろなことが一気に思い浮かぶ。

 

 ああめんどくさい!

 とりあえずは考えるのをやめた。そういうのを一人が考えないのがそもそも民主主義じゃないの?

 

 

 宇宙も多少は平和になったのだ。

 少しくらい楽しんでもいいじゃない。

 というわけで先ずはお茶会の開催だ!

 

 わたしが主催した。オーディンのリッテンハイム家屋敷の広間を使い、ざっくばらんな立食パーティー形式にする。

 招待状を出したが、各人忙しいだろうからどれくらい人が来るかわからなかった。しかし思いのほか多くの人が来てくれた。

 

 メックリンガーの穏やかなピアノで出迎える。

 

 あえて仕組んだのだが横で見ていると面白い。来場者は皆、ただの楽団員の一員だと思って見過ごすが、艦隊指揮官メックリンガーだと知ると口を開けて驚く。

 

 艦隊戦で手玉に取られたビッテンフェルト提督などはピアニストに敗れたのだと知ると、手を振り回してやるせなさを表現した。その手が参謀のオイゲンに当たる。

 

 わたしは腹をかかえて笑った。まるで漫才だ。

 

 

 

 

 



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第五十七話新帝国暦1年9月 いざ、旅行に出発

 

 

 このお茶会には負傷から癒えたワーレンとミュラーも来た。

 さっそくわたしは挨拶に赴く。

 

「お二方ともケガを治されたようでよかったですわ。痛い思いをさせたことをお詫び申し上げます」

「とんでもない伯爵令嬢! これは戦場でのことです。負傷した我らこそ情けなくて顔を上げられません」「小官も同様です。しかし令嬢の艦隊は強い。もう戦うことがないよう願います」

 

 その反応は予期した通りである。やはりラインハルト麾下の提督たちは能力もあるが性格も良く、公正なのだ。

 

 提督たちといえば、向こうでルッツが火薬式銃についての講義をしているようだ。どういう経緯でそうなったのだろうか。その手前でファーレンハイトとメルカッツ提督が話をしている。こちらは戦術論、たぶん近接戦闘か何かについてだと思う。

 お茶会は盛況だ。開催して良かった。

 

 

「おう、カロリーナ。今日はタイヤキ尽くしかの。甘くないのも美味いの。チーズ入りが殊の外美味いとは意外じゃったわ」

 

 今日初めて菓子について論評された。相手は言うまでもない。

 

「サビーネ様、食べ終わったら提督たちともお話して下さいね」

「わかった。妾と話をしたいと言う者があれば、話をしてやらんこともないぞ。しかし一通りは食べてからじゃ」

 

 あんまり変わんないなあ、そこがいいのだけれど。

 

 話といえば、広間にビューローとドルテがいる。

 あれれ、広間の対角線にいて近づこうとしていない。逆にそれはわざとらし過ぎて目立つ。

 出席しているミッターマイヤー提督とエヴァンゼリン夫人のように傍目から見ても仲良くみえるのも良いことよ。

 どちらかというとミッターマイヤー提督が夫人をガードしてるように見えるけど。

 

 

 あ、そうだ、仲良くといえば忘れてはならない人がいる!

 わたしはブロンドを短髪にした令嬢に近寄った。

 

「ヒルデガルト様、お久しぶりです。お茶会に来て頂いてありがとうございます」

「これはカロリーナ様、こちらこそありがとうございます。それにしても宇宙での活躍、凄いですわ。知謀を駆使して戦い続けるなんてびっくりするしかないです」

 

 うわ、キラキラした眼差しだ。元が率直な人である。思った以上に感動してくれているのだろう。

 

「そちらこそ、ヒルデガルト様はこの度ラインハルト皇帝の秘書官長に立てられたとか。そのお立場からどんな活躍をされるのか楽しみです」

 

 そう、それよりも仕事以外でラインハルトとどうなるか楽しみだ。

 

「そしてヒルデガルト様、皇帝陛下はどうですか。いえ政治的なことではなく個人的な魅力については?」

 

 わたしも完全にオバさん根性だわね。

 

「皇帝陛下の魅力でしょうか? それは烈しい方で、純粋で、目が離せない感じの…… とにかく普通ではありませんわ。誰でもそう言うでしょうけれど」

 

 普通でないのはあなたも同じよ。だからこそ二人はお似合いなのだ。

 

「では、ヒルデガルト様としては好きなのですか?」

「え! いえそんな皇帝陛下に対し不遜な感情など、とんでもないことです!」

「皇帝陛下もいつまでも独身というわけにはいきませんでしょう? 誰か他の平凡な令嬢と結婚されることが想像できます?」

 

 思わぬ話の成り行きに目を白黒させているヒルデガルト嬢を見つつ考える。

 あなたこそ将来ラインハルトを支え、帝国の国母ともなる人なのに。頑張れ!

 

 

 

 宇宙は平和だ。

 いつまでもこんな平和が続けばいい。

 

 楽しくお茶会を終えたと思えば次にわたしは旅行に行くことを宣言した。

 この忙しいのに、と周りの誰しもが思った。

 確かに忙しい。

 わたしはオーディンにいる間中サビーネの相談役、いやお茶の相手をすることも多い。

 ランズベルク領に帰っているわずかな時間も仕事が目白押しだ。帝国から委託された、同盟による辺境統治の補佐役としての責任がある。

 これもまたバランス感覚が要求される困難な仕事である。

 下手に同盟が理解不足のまま民主主義を押し付けても騒乱が起きるだけだ。良かれと思って成しても迷惑でしかないことも多く、お互いの理解はそう簡単でない。

 わたしは同盟と辺境星系の住民と両者の意見を聞いて円滑に事が進むよう取り計らう必要がある。

 

 そしてわたしと共にランズベルク領にいるのはファーレンハイトとメックリンガーだけだ。といってもメックリンガーはランズベルク領とオーディンの連絡役にしている。それはわたしなりの計らいであり、時折はオーディンにいることによってメックリンガーは芸術的な刺激も受けるだろう。

 

 他、ルッツとケスラーはオーディンに留め置いている。情報収集と外交をやってもらうつもりだ。

 

 そしてビューローとベルゲングリューンをリッテンハイム大公国へ軍事補佐役として出している。向こうはメルカッツ上級大将しかいないので大変だろうと思ったからである。

 

 一方、ミュッケンベルガーは今度こそ本当に引退した。

 

「もう何も思い残すことはない。儂のすべきこともない。これからカロリーナ嬢と帝国を見守って過ごそう」

 

 一つの時代の区切りである。

 わたしの胸に数年来の思い出が去来する。14歳の時に共に戦ったことも、その前からのことも。万感の思いだ。

 

 

 

 

 今回わたしの言いだした旅行は予想を超えた遠方へものである。

 なんとフェザーンとハイネセンを含んでいる。それは今まで行ったことのない場所を見たいという動機だった。

 この平和になった時に行かないでどうする!

 準備には数か月を要し、ついにみんなの呆れ顔を尻目にファーレンハイトとメックリンガーを連れて出発した。

 

 むろん最初の目的地はフェザーンである。

 軌道エレベーターで降りるとそれはきらびやかな美しい都会だった。ベルゲングリューンから聞いていた通りである。

 高い建物が多い。

 しかもオーディンと異なり看板が多い!

 建物に取り付けられた色とりどりの広告が様々な商品を宣伝し、購買意欲を競って煽り立ててくる。わたしはよっぽど買い物を満喫しようかと思ったが、やめた。根が貧乏性なだけに選択肢が多いとかえって選べなくなる。

 サビーネが来たらどうだったろう。

 

「妾には何でも似合うのじゃ。妾のせいでどんな服でも輝くからの!」

 

 とか言っただろうな。高いものだろうが安いものだろうが自信をもって選びそうだ。

 

 しかしのんびり観光ばかりしているわけにいかなくなったではないか!

 フェザーンで意外な人が面会してきたのだ。

 どうせこそこそ自治領主が後をつけさせるくらいのことはしているだろうとは思ったが、正面切って面会をしてくるとは思わなかった。

 

 ぴっしりと仕立てのいいクリーム色のスーツを着こなす人物が言う。

 

「ルパート・ケッセルリンクと申します。お目にかかれて光栄です」

「カロリーナ・フォン・ランズベルクと申します。こちらも光栄に存じます。それで今回の用向きは何でございましょう」

 

 少しばかり警戒心が滲む。

 この人はあのアドリアン・ルビンスキーの息子。何の目的なのか。ここはフェザーン、宇宙一油断がならない。

 

「用向きというほどのことはありません。ただ令嬢にお目にかかりたいと思いまして。それだけではいけませんか」

 

 その姿を見てわたしはちょっぴり考えを変えた。

 あれ、この人なんだかファーレンハイトに似ているわ。

 世の中を斜に構えて荒んだオーラをまとっているが、その奥に純粋な心を感じる。

 この人はあのルビンスキーを超えて自分が上に立とうともがいている人である。その野心のためにあたら能力が空回りし、目が曇っている。本当の望みはたぶん自分が思っていることと違う。父親に褒めてもらいたいだけではないか。

 

「わたしのことを見てどうでした? 周りはみんな茶化すんですのよ。」

「いたって普通です」

「ん~~、それもちょっとなんですけど変だと言われないだけマシだと受け取っておきます。」

「反応は変です」

 

 一方のルパートもまた奇妙な思いに捉われる。

 おかしい、柄にもなく軽口を叩いてしまった。常に周りを警戒し、情報を絶え間なく分析するのが習い性の自分が。この令嬢のもつ雰囲気のせいか。

 会えば今後役に立つ何らかの情報が得られるかと期待して近づいたが、そんな感想になるとは。

 

「いえ、済みません。立派でお綺麗な令嬢です」

「今になって言われても、かえって真実味がありませんわ」

 

 わたしとルパート・ケッセルリンクはしばらくフェザーンの経済や官僚機構について話した。

 ルパートは策謀などを一切感じさせず、率直にフェザーンのことを説明してくれたが、それには重要な示唆が含まれている。わたしが目下直面する問題は統治の官僚機構である。違う政体の背景を持つ者同士がどう折り合いをつけるか、まさに辺境星系にとって重要なことだ。それには帝国と同盟のはざまで長年調整してきたフェザーンの知恵がうってつけである。

 わたしにとって意外に実りのある話になり、いくつも貴重な意見を聞けた。

 

「それではまた。オーディンで続きのお話しができればよいのに。是非いらして頂きたいですわ。わたしの菓子もごちそういたします。自慢ではありませんがこう言うとたいがいの人は来ますのよ」

 

 そう、あのヤン・ウェンリーも来たくらいだもの。

 

 

 こうして名残惜しい華やかな惑星を後にした。

 わたしの一行は次の目的地に向かう。それは同盟首都ハイネセンだ。和平条約の前なら到底考えられない旅である。

 

 到着するとハイネセンは陽光のまぶしい明るい都市だった。

 それは民主主義の都である。フェザーンほど活気はないがガツガツしていることもない。人々は屈託がなく笑顔が多い。

 

 ここで事件が起きてしまうとは誰も想像していなかった。

 

 

 

 

 



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第五十八話 1年 10月 動乱の予兆

 

 

 今は帝国と同盟に和平条約があるとはいえ、さすがにフリーというわけにはいかず、一応同盟政府に訪問のことを申告している。無用な軋轢を避けなければならない。別にスパイに来たわけではないのだ。

 すると同盟政府から政府要人との非公式会談を打診された。

 それも当然だ。わたしは辺境星系の統治に関して責任を負う人間であり、同盟政府としてはこれを機会にいくらでも話すべきことがある。また色々な人が色々な思惑を持つものだ。

 

 しかし今回はそれらをみな断った。せっかくの旅行なんだもの。遊びに来たのよ!

 

 しかし、のんびり観光というわけにはいかなくなった。

 どこから情報が漏れたのだろう。報道陣といういけ好かない群れがつきまとってきたからである。

 

「今回の帝国の内戦について一言」

「リッテンハイム大公国が民主化するという噂は本当ですか」

「ハイネセンに来た目的は、やはり軍の偵察ですか」

 

 矢継ぎ早に質問が浴びせられてくる。こんなことに慣れてもいないファーレンハイトとメックリンガーは剣呑な顔をするが、報道陣というものは顔の皮が厚いとみて怯みもしない。さすがはこれで飯を食っている連中である。

 コメントを出さなければ通さない気ね。

 気分がささくれ立っていたわたしは、一つの質問を選び出して答えた。

 

「ヤン提督がオーディンを陥としたことについて、タイミング的に見て令嬢と共同作戦という憶測があるのですが」

「ヤン提督は単独でもオーディンを陥とすのは容易ですわよ。わたしから見て帝国の誰をも倒す名将に見えます。何かに縛られさえしなければ」

 

 多少よくわからないコメントを残した。あとは百通りもの勝手な解釈を付け足して報道してくれるだろうか。

 

 

 しかし、この報道が思いがけない幸運を運んでくるとは。

 なんと、知っている人物が訪ねてきた!

 

「ハイネセンに見えられたと聞いて飛んできました」

 

 目の前には前髪を巻き毛にした少女がいる。

 あれから五年経つわ。

 大きくなった。目元がよりくっきりして美しくなった。しかも賢そうだ。

 

「まあ御立派になられて。マルガレーテ様」

「ここでは言葉使いも簡単なんですよ。カロリーナさん。また会えて嬉しいです」

 

 この少女こそマルガレーテ・フォン・ヘルクスハイマー、ヘルクスハイマー伯の一人娘である。

 わたしとは舞踏会で一緒に折鶴を折ったこともある。

 その時はトコトコ歩く幼い少女だった。

 マルガレーテはその後帝国から同盟へ亡命したのだが、途中で父ヘルクスハイマー伯を喪っている。

 

 それからハイネセンで暮らしていたのか。

 年はカロリーナより五歳下のはず、今十六歳だろう。

 

「それではこちらも言葉も変えましょう。マルガレーテさん、その節はお世話になりました。艦隊の譲渡の件です。それとつい最近もヘルクスハイマー艦に助けられました。それがなかったら危ないところでしたわ」

「それはよかったです。少しでもお役に立てて」

「ハイネセンでの生活はどうですか。大変なことはなかったですか」

 

 そう、マルガレーテは帝国からの亡命者、いろいろ辛いこともあったろう。

 

「最初は大変でした。でも今はとても恵まれています。親代わりの優しい人のところにいますから」

 

 そうなのか。本当によかった。

 

「正式に養女になれば苗字も変わるかもしれません。ソーンダイクという名前に」

 

 え? ここでわたしの思考が回り出す。

 ソーンダイク? それはジェイムズ・ソーンダイク、反戦派代議士。

 わたしの心にさざ波が立った。

 

 宇宙はまだ安定していない。

 

 

 いや、もう次の日に事件が起きた!

 わたしの一行がアーレ・ハイネセンの像を見物してからホテルに帰るまでの間に。

 

「でかいわ。でか過ぎる。何だか人物像って実際より大きなものは威圧感があって変な感じよねえ」

 

 わたしはこんなどうでもいい感想を言っていたが、ファーレンハイトからまるで違う返事が返る。

 

「令嬢、もっと早く歩いた方がいい。コンパスが短いのはさておいて」

「はあ? ここでも喧嘩売る気? ファーレンハイト、何を急に」

 

 途中で言葉を切った。

 ファーレンハイトは真面目な顔だ。これは軽口を言う顔ではない。

 何だ。

 いやな雰囲気がする。

 周りをぐるりと見渡すと、ファーレンハイトがそう言った原因が理解できた。

 

 視界に小さく集団が見えた。変な旗を立てながら。

 そして近づいてくる。奇妙なマスクをつけて、手には電磁棒を持っているようだ。

 

 これは、この格好は知っている。憂国騎士団!

 まずい! わたしは同盟政府との会談も警備もみな断って、お忍びの観光にしたのだ。情報が漏れてなければ安全のはずなのに。

 向こうは二十人はいて、明らかにこちらを害そうと狙っている。

 

 わたしはファーレンハイト、メックリンガーと共に早足、そして駆け足になった。

 隠れる場所はないのか。あるいは人の多い場所に急がなくてはいけない

 しかし当然ながら皆ハイネセンポリスの地理など不案内に決まっている。

 

 

「あの、今更で申し訳ないが、私が護衛というのはあまり役立ちそうにもない」

「メックリンガー殿、ブラスターを撃つ方がピアノを弾くよりも簡単だと思うが」

「前にもどこかで同じことを言われた気がする」

 

 そんな会話をしながらファーレンハイトは状況が極めて良くないことを分かっている。

 迫ってくる相手は珍妙とも言える目立つ格好だが、基本は防護服なのだろう。歩兵銃ならともかく、携帯しているブラスターでは貫通できるかも怪しい。

 とにかく令嬢を守るのだ。

 倒れても守って守って守り抜いてやる。相手は電磁棒が武器らしいが、令嬢をメッタ打ちの撲殺などされてたまるか。

 相手も速度を上げて走ってくる。隊列を組んでやる気充分だ。

 

 

 そのとき、車が一台猛スピードで迫ってきた。

 これは速度もレーンも無視の手動操縦だろう。一行と憂国騎士団との間に割り込んできて、急停止するやいなやドアを開けてきた。

 

「早く乗って!」

「誰か分からんが助かる。令嬢、早く!」

 

 車はわたしたち三人を乗せると憂国騎士団を後にして快速で飛ばす。

 助かった。

 助けてくれたのは誰だろう。先ほどの凶悪な集団から逃がしてくれたからには味方、とりあえず礼を言う。

 

「カロリーナ・フォン・ランズべルクです。助けていただきありがとうございます」

 

 わたしも少しは大人になったものだ。チビってへたり込むことはない。この状況でも顔は青いが言葉は出る。

 

「ジェシカ・ラップです。詳しい話は後で」

 

 ええ!?

 ジェシカ・ラップ? この人はジェシカ・エドワーズだったのか! あのヤンが好きになった人。

 なるほど細身の美人だ。雰囲気も細身の刀剣のようだ。

 しかし、苗字がラップ。そうか、ジャン・ロベール・ラップと結婚したんだ。するとラップはアスターテで死んでいない。確かにムーア中将の第六艦隊は壊滅しなかった、だから生きていたんだ。それはよかった。

 あ、それならヤンは何を未練がましくグズグズしているのか。早く吹っ切ればいいのに。

 

 などと思っているうちに車は街中に入り、小路を通って建物の前に着いた。

 皆で建物に入る。

 そこには数人いたが、その中から代表らしい人が進み出て名乗ってきた。

 スーツを着込んだ四十歳くらいの身なりのいい紳士だ。

 

「ジェイムズ・ソーンダイクと申します。ハイネセンに来られたのに変な事件に巻き込んでしまい、まことに申し訳ありません」

「カロリーナ・フォン・ランズベルクです。本当にありがとうございます。助けて頂いて。しかし、あの人たちはなぜわたしどもを狙うのです?」

「あの憂国騎士団というのは主戦派の暴力部隊で、あのようなものがいること自体がそもそも問題なのですが、おそらく誰でもいいから帝国側の人間を襲うのが目的でしょう。そして騒乱を起こし、外交的問題にできればいいと。つまり帝国との和平が不満で壊したいのです」

「そうですか。どこにでも平和の尊さを知らない人はいるものですね」

 

 こんなことで和平を壊されてはたまらないわ!

 やっと結んだ条約なのに。

 

 そして同盟側に存在する帝国への敵愾心の強さを思う。帝国から見れば同盟はしつこい害虫、駆除すべき対象である。それもまた思い上がりのゆえであり、決して褒められたものではないが、同盟側からのものとは質が違う。

 改めてマルガレーテの苦労が偲ばれ、またマルガレーテを守って養女にしようとするこの代議士は高潔な人なのだろう。

 

 そういえば、よくよく考えるとハイネセンの街のあちこちに和平反対、帝国打倒、宇宙統一…… 様々なポスターが貼られていたような気がする。好戦的な人間がくすぶっている。

 同盟の側は決して一枚岩ではない。

 それどころか、主義主張の違いで分裂しかかってるようなきな臭い雰囲気なのだ。

 

 

 

 騒動はこれで終わらない!

 突如、建物の窓ガラスを割って発煙弾が投げ込まれた! 憂国騎士団は思いのほかしつこく、ここも安全ではなかったらしい。実力を使って一気に事を決めにきたのだ。

 

 煙で視界が失われ、咳が止まらない。早く逃げたいのに。

 

「令嬢、奥の方が危険です。こういう場合時間を置いて裏からも突入してくるものです」

 

 慌てて逃げるのを待ち構えるのが襲撃には多いと言う。

 ファーレンハイトが落ち着かせるようにわざと声のトーンを低くしてわたしに注意してくれている。

 顔は厳しいままだ。

 そしてわたしを部屋に置いてあるソファの後ろに這いつくばらせて隠すと、自分は立ってブラスターを構えた。

 

 頃合いと見て憂国騎士団が突入してきたようだ。

 電磁棒を武器にしている者が多いが、歩兵銃を持っている者も何人かいる。

 ファーレンハイトが果敢に先制攻撃に出た。防護服の及ばない腕、足、首を狙って撃つ。一秒に一回の割で撃っていく。リズミカルで迷いもないものだ。ファーレンハイトはルッツほどではないものの、射撃の腕もたいそうなものだった。煙にかすんで憂国騎士団が一人また一人と倒れる様子がわかる。

 隣でメックリンガーがもっと高い頻度で撃ちまくっている。メックリンガーはどうせ自分が狙い撃ちをしても当たりはしない。それなら数を撃って敵を牽制した方がいい、そういう判断をしているのだろう。

 

 思わぬ激しい抵抗に遭い、憂国騎士団は進めないでいる。このまま時間が過ぎればさすがにまずいと感じたのか撤退に転じたようだ。

 銃撃が止み、煙がしだいに晴れてくる。

 この部屋には今、割れたガラス、壊れたテーブル、呻いているケガ人が何人も倒れている。

 

 わたしはソファの陰から半身を起こして部屋の惨状を眺め、茫然とした。

 ファーレンハイトが安否を確かめるため、そこへかがんで声をかけようとしていた。

 

 

 銃声が一発。

 

 ファーレンハイトの動きが止まり、胸に赤い染みが広がる。

 

 メックリンガーが何か叫んでいた。ブラスターを一回、二回、五回も撃って、ようやくファーレンハイトを狙い撃った者を動かなくさせた。先に重傷を負った憂国騎士団の一人がどうせ捕まる前にと悪あがきをしたのだ。

 

 

 だが、わたしには何も聞こえない。

 

 ファーレンハイトは静かに倒れた。

 とても柔らかい表情を見せた。

 

 

「あ、あーーーーっ!!」

 

 わたしは自分でも信じられない大きな声を出した。

 

 人は驚いた時には声は出ないものだ。しかし、この場合は見ているものをその大声で吹き飛ばしてやりたかった。

 現実を壊してやりたかった。

 

 ファーレンハイト、わたしと五年も一緒にいたのだ。いつまでもいると思ってた。

 ここで突然ファーレンハイトのいない世界に行けというのか!

 そんな世界に一人で行けと。

 

 

 

 アーダルベルト・フォン・ファーレンハイト、比類なき烈将としてこの五年間伯爵令嬢を守り戦ってきた。軽口を叩きながらも全身全霊で尽くしてきたのだ。

 

 それはファーレンハイトにとり、心から幸せな年月だった。

 今、静かに目を閉じる。

 

 

 この時のわたしの狂乱をメックリンガーは後に絵にした。

 その絵はあまりに見る者の心をかき乱すことで有名になった。

 

 題名「これは嘘」 エルネスト・メックリンガー、渾身の作といわれている。

 

 

 

 



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第五十九話 1年 10月 二人の活躍

 

 

「そのあと救急車が行くのを見送ったら、伯爵令嬢はそのまま身動き一つしなくてマネキンのようでした。声も聞こえていないようでしたので、どうしようかと」

 

 メックリンガーがあの時の様子を説明する。

 

「心臓さえ止まっているような、まるで彫刻のようでした」

 

 顔を赤くしているわたしの横でなおも言い続ける。悪気がないのは分かっているが、そういう問題じゃなく、いい加減やめろってば!

 

「なるほど。で、令嬢はそれについて何かコメントがありますかな?」

 

 ファーレンハイトが調子に乗っている。

 

「だから何? うるさい!!」

 

 

 何もジェシカさんが見舞いに来てる時にそれを言わなくてもいいだろう。

 ファーレンハイトが撃たれて重傷を負い、入院したというので、わざわざ病室にお見舞いに来てくれたのだ。

 そしてこちらの軽口の応酬に困った顔をしている。

 

「あ、でもファーレンハイト、あの顔は作ったでしょ。絶対わざとだわ。何の演出してくれたのよ!」

「何のことだろう。令嬢、撃たれた痛みで覚えてませんが」

 

 違う、わざとだ!

 軍が長いファーレンハイトなら致命傷かどうかくらいわかりそうなもんだ。何だあの演技は。

 まあいい。こちらは来客のジェシカさんの応対をしなくてはならない。

 

「ジェシカさん、そちらはどうなんですの?」

「ええ、こちらも軽いものではありませんが回復に向かっています。こちらのお二方が戦ってくれたおかげです」

「そうですか。それはよかった」

 

 本当によかった。あの憂国騎士団の襲撃でソーンダイク代議士も怪我を負ったと聞いていた。

 しかし命に別状はないらしい。マルガレーテのためにも死ななくてよかった。

 

「でも、それではしばらく大変ですね。ジェシカさんも」

 

 そう、ソーンダイク氏はヒマなファーレンハイトとは違い、政党を率いて仕事をする人間なのだから。

 

「そうですね。それでソーンダイク代表が今度のテルヌーゼンの選挙に出るはずだったのですが、それは無理で…… しかしそれこそ憂国騎士団の思う壺、ですので選挙には代わって私が出ると思います。夫のジャンは軍籍にいますし」

 

 え、やはりジェシカさんは政界に出るんだ。反戦派の代表として。

 気をつけて。本当に。

 

 

 ジェシカの決意を固めさせたのは、実はわたしたち一行だった。

 ジェシカにとって帝国の人間を見るのは初めてのことである。

 それが想像とはまるで異なるこんな軽口な人たちだとは! 話に聞いていた冷酷な人でなしとは違う。

 

 この雰囲気、まるでジェシカの学生時代のようだ。

 

 ジャン・ロベール・ラップ、ヤン・ウェンリー、その二人の他にも士官学校にいたキャゼルヌ先輩、アッテンボロー後輩、みんなで笑って楽しかった。そんな楽しい思い出と重なる。

 

 帝国貴族というのは、部下を恐怖で支配するものではないのか。

 そうではない人間もいる。いや、同盟と人間自体は同じなのだ!

 同盟と帝国はどちらかを消滅させなければならない仇ではない。ならば、和平と共存が可能ではないか。

 反戦は、間違いじゃない。

 調停をすればいい。

 

 

 

 そして一週間後のことだ。

 

「それじゃファーレンハイト、置いてくわよ。」

 

 それは仕返しだ。療養中のファーレンハイトを一人ハイネセンへ置いて、わたしとメックリンガーは先にオーディンに帰る算段をしている。

 

「は? 令嬢、それはいったい?」

「もう日程超過だから。後からオーディンに帰ってきてね」

 

 さっさと病室を出ていく。

 すぐにシャトルには乗らずに一日待つ。

 どうせファーレンハイトが無理に退院してくるに決まってるわ。

 その慌てぶりを見てから本当に出発しよう。

 

 ファーレンハイトを慌てさせて満足すればオーディンへ急ぐ。

 

 

 

 しかし急いだことに意味がなくなった!

 

 それは思いもよらない事態だった

 オーディンが封鎖されている!

 この銀河帝国首都星オーディン、宇宙一の人口と規模を持つ惑星が、宇宙艇の一隻たりとも出入りさせなくしている。

 こんな驚くべきことがあり得るとは。

 

 何かとんでもない変事が起こったのだ。オーディンに。

 

 

 そのころオーディン表面はてんやわんやの大騒ぎだった。

 あらゆる憲兵、警備兵が全て動員されて、必死の作業をしている。

 

 

 事は数日前に遡る。

 ラインハルトの姉アンネローゼの住む館に電気系統の点検が入った。

 偶然にも庭園の方では庭師の手入れも大々的に行われた。

 

 その次の日の夜のことだ。

 館の電源がいきなり切れた。それだけならまだしも、おかしなことに非常電源も起動せず、照明も自動警備システムも切れたままだ。帝国の最も重要な館において有り得るべからざることである。

 

 そこへ忍び込む者たちがいた!

 

 むろんアンネローゼの住む館、三十人もの数の警備兵が常時詰めているのだが、手際のいい襲撃でいきなり半数以上が倒されてしまう。

 しかし、バッテリーで動く警報と通信機は全方面に変事を知らせることができた。

 オーディン中に緊急通信が行き渡る。

 

 警報を聞き、館の侍女たちが慌てふためきながらこういう場合のマニュアルについて思い出そうとする。

 そうだ、館の端に緊急避難用のシェルターがあったはずだ。

 アンネローゼ様を連れてそこへ行けばいい。

 しかし暗闇が邪魔をする。わずかな灯だけでは思ったように進めない。

 

 警備兵は警備兵で襲撃者と必死に銃撃戦を展開し、簡単には動けない。無理に走ってアンネローゼの居室に向かおうとしても、背中から撃たれる。

 襲撃者は十人弱のようだが準備万端、暗視用のスコープと高性能の狙撃銃を持っているようだ。

 ならば足止めに徹した方がいい。

 銃撃戦でいくら分が悪くとも警備兵はみな士気が高い。後宮から出たアンネローゼはこの館に移ってから日が浅いが、警備兵はアンネローゼの優しい顔を見ている。中には声をかけてもらった者さえいる。帝国の貴人中の貴人であるにも関わらずアンネローゼは貴賤の区別なく気を遣う御方なのである。

 この非常時に身を投げ打たなくてどうする!

 あと五分、十分粘ればたちまち応援が駆け付け、襲撃者どもを圧倒できるはずなのだ。

 

 

 変事の通信が入るやいなや、各詰所の警備隊はみなアンネローゼの館に向かう。

 帝国でこれほど守るべき重要人物はいない。

 

 そのころ、オーディンで疲れる外交の一仕事を終えたルッツとケスラーがたまたま外で食事処を求めて歩いていた。そしてこの館と遠くない位置にいた。

 二人は警報の高く鳴り響くオーディンのただならぬ雰囲気を感じ、直ちに行動にかかかる。

 もちろん二人には行動するべき責任も義務もないが、軍人としての責務としてごく自然に動いた。

 

 

 館に続々と応援の警備兵が到着したが、思わぬ反撃に遭ってしまう。

 トラップだ。

 館の庭のそこかしこから小型ロケット弾が飛んでくる。動くものを感知する自動システムらしく、これは厄介なものが仕掛けられている。いかに周到に用意された襲撃なのか分かる。ここオーディンで本格的な武器を持ち込んだり運んだりできるはずがないのに。

 それだけではなく、対人用指向性地雷までも設置されてあった。

 これではうかつに近付くこともできない。

 

 ようやくそういったトラップが片付けられたころ、ルッツとケスラーも現場に到着した。

 

 

 様子を一目見て、不味いな、とケスラーは思った。

 

 慌てて各詰所から警備兵が駆けつけているため、明らかに混成になってしまっている。自分たちのことをさておいて言うのもなんだが、それぞれの個人照合などあったものじゃない。

 

 これが襲撃者の狙いならきっと警備兵に変装して紛れ込むはずだ。

 そうして第二陣を用意しているのが常套手段である。襲撃を確実に成功させるためにはそこまでやるに違いない。こういった経験の多いケスラーには自明のことだった。

 

 ゆっくり観察する。

 銃声がする騒がしい方に警備兵が集まって行こうとしている。これは当たり前のことだろう。

 だがしかし、それとは違って、館の端に向かおうとしている警備兵の集団が見えるのだ。

 

 そちらに守るべき貴人がいる情報があるのか?

 

 いや、それならもっと声をかけて応援を増やすはずだ。明らかに目立たないよう移動しているところが怪しい。

 ケスラーとルッツはその集団の方を追っていく。

 

 

 はたしてその怪しい集団の向かう先に、別の集団が見えてきた!

 

 その集団は、この暗さで白い服しか見えない。数人はいるようだ。白いヒラヒラしたもの、ドレスのようなものを着ているのか。とすれば館の者である。貴人とその侍女たちに違いない。

 

 

 怪しい集団もまたそれに気付いたらしく、速度を上げて貴人の方へ向かう。

 そろそろ牽制しておかないと危ない。

 ルッツが声をかける。

 

「我々は中央から来た。応援だ。そこの貴人をお守りするために加勢しよう」

 

 返事のかわりにいきなり撃ってきた!

 これで襲撃者の側だと確定だ。やはり警備兵に偽装した第二陣だった。

 ルッツが狙いをつけてリズミカルに撃つ。

 撃つたび確実に敵を倒していく。

 さすがにコルネリアス・ルッツ! 他の追随を許さない射撃の名手、偽装警備兵の何人もが撃ち返してくるが、射撃の技量の差は歴然としている。

 

 その隙にケスラーが先回りを図り、ルッツも追って走り出す。

 

 偽装警備兵の一人もまたルッツやケスラーに構わず白い服に向かって走り出す。危ない。あとわずかで接触だ。

 

「何者だ!」

 

 少しでも牽制をかけようとケスラーがあえて問うたが、意外にも無視せずに答えてきた。

 

「アンスバッハ准将というものだ。長年ブラウンシュバイク公爵家に仕えてきた。今夜はわが主の無念を晴らすため、ローエングラム公の最も大事にしているものを奪う」

 

 

 アンスバッハは牽制のためか銃を連射してくる。

 この音に恐怖心を煽られたのか、貴人と侍女たちは今や散り散りに逃げている。

 

 ケスラーがアンスバッハを撃つ。どこかに当たったようだが、しかしかすり傷らしくアンスバッハは倒れない。

 そして内ポケットから何か取り出しているではないか。それは手榴弾のような爆発物のようだった。貴人を銃よりも確実に仕留めるためにそれを選んだのだ。自分も無傷で済むはずはないが、もとより生還など考えず、覚悟の上なのだろう。

 一秒の猶予もない。

 ルッツがケスラーに追いつくやいなや走りながら撃つ。

 同時にアンスバッハもルッツに向かって撃つ。ルッツはもんどりうって倒れた。

 

 アンスバッハは立っていたがやがて手榴弾を取り落とし、ゆっくり倒れる。ルッツの銃撃は的確であり、致命傷を与えている。しかしアンスバッハの表情に後悔はない。一瞬だけ銃撃は遅かったのだ。

 

「危ない、伏せろ!」

 

 ケスラーが叫んだ瞬間、激しい爆風に吹っ飛ばされた。

 それほど近くなかったにもかかわらず地面を二転三転してしまう。爆発は通常の手榴弾よりもかなりの威力を高められたもので、やはりアンスバッハは自分の生還を考えていなかった。

 ケスラーは体のあちこちが痛かったが、それでも立ち上がり貴人の方に向かう。

 手榴弾が投げられていたらバラバラになっただろうが、そうでなくとも爆風により貴人も飛ばされていた。倒れたまま動いていない。

 

 隣で黒髪の少女が叫んでいる。侍女だろうか。

 

「助けて! アンネローゼ様が目を開けないの!」

 

 ケスラーが寄り、貴人の脈と呼吸を確かめる。

 

「大丈夫だ。生きている。このまま病院に運べば」

 

 

 爆発音に驚いてこちらへ向かってくる警備兵たちが小さく見え、ケスラーは声をあげて呼ぶ。

 

「こっちだ! 怪我人がいる、早く病院へ!」

 

 直ちに集まった警備兵に貴人の搬送を頼み、ようやく安堵する。

 するとまだ先ほどの侍女がいるのに気付く。その侍女と目が合い、ケスラーが何か言う前に声をかけられる。

 

「すごい、大佐さん、ありがとうございます! 私はアンネローゼ様の侍女マリーカといいます」

 

 侍女というにも幼く見えるマリーカ・フォン・フォイエルバッハはためらいもなくケスラーの手をとって振り回すではないか。

 要するに、アンネローゼ様が襲撃者から救われた喜びを表現したものらしい。

 ケスラーはその無邪気なダンスに付き合った。

 

 

 その姿を薄目を開けて見ているものがいた。

 

「ケスラー、おい、楽しそうだな。少しくらいこっちの方を気にしてくれてもいいと思うんだが」

 

 倒れて動けないままのルッツであった。

 ケスラーがその幼い少女とのダンスを決して嫌がっているわけではないことくらい分かっている。

 

 

 

 

 

 



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第六十話  1年 11月 大事な夜

 

 

 だがそれはあまりに大きな事件だった。帝国にとっても、個人にとっても。

 

「アンネローゼ・フォン・グリューネワルト、襲撃され重体」

 

 このニュースがオーディン中を駆け巡り、最も衝撃を受けたのはもちろんこの二人だ。

 銀河帝国皇帝ラインハルトの意識は、いきなり無彩色の世界に閉じ込められた。

 

「皇帝として命ずる! オーディンを直ちに封鎖! 事件の犯人は死亡したとはいえ、関係者を絶対に逃すな。手引きした者がいるはずだ。どんなことをしても真相を究明しろ。これが全てに優先する。なお、しばらく公務については余に代わりオーベルシュタインがとる」

 

 これだけ言うともはや動けなかった。

 誰もが病院にすぐ駆けつけ、アンネローゼの傍に行く思っていたのだが、ラインハルトにはその現実さえ見る気力がなかった。その事実を直視もできないほどアンネローゼの存在が大きい。

 

 キルヒアイスも似たようなものだ。この衝撃はラインハルトに優るとも劣らない。

 しかし責任感を振り絞り、一応病院に行き、アンネローゼの眠っているような顔を見てからラインハルトの元へ報告に向かった。

 

「キルヒアイス」

「ラインハルト様、アンネローゼ様は目をお明けになりませんが、医師の話では回復に向かってるそうです」

 

「キルヒアイス」

「ラインハルト様…… 何でしょう」

「お前は、どこへも行くなよ」

「行きません。ラインハルト様」

 

 宇宙を手に入れるのはこの三人が笑って暮らすため。それが唯一最大の望みだ。それが絶たれるかどうかの瀬戸際、ラインハルトにはその悲痛な言葉しか言えるものがない。

 

 

 だがラインハルトの立場は帝国皇帝である。

 それが動きを止めれば、代わって政務をとるものは多忙である。

 しかし、そのたった一人の者に同情したり気の毒に思っていたりする人間は皆無であった。

 政務を一身に引き受けているオーベルシュタインはそんな空気など無視し、やるべきことを行っている。

 

「オーベルシュタインの帝国だな。実質を言えば」

「口を慎め、ロイエンタール」

「ミッターマイヤー、卿が俺より人間ができていることは知っていたが、こんなに差があるとは思わなかった」

「俺だって平気なわけではない。このままあの方が前へ進めないとは思ってないだけだ」

 

 それは元帥に昇進したばかりの帝国の双璧、ミッターマイヤーとロイエンタールだ。半ば公然とそんなことを言っている。

 

「今回の襲撃の裏に誰がいるのか、アンスバッハ一人がこんな大それたことをやれるはずはない。利益を得るものが一番怪しい」

「だからうかつなことは言うなロイエンタール。それにローエングラム公が元に戻れば全ては杞憂に終わる」

 

 襲撃の実行犯、アンスバッハ准将とその部下は全員死亡しているが、その裏にいた者はどんな努力をしても突き止められなかった。

 

 

 一方、政治的なこととは関係なく、ラインハルトのことを心配し、心を痛めている者がいる。

 ヒルダ、つまり秘書官長ヒルデガルト・フォン・マリーンドルフである。

 

 皇帝ラインハルトは一人で執務室に籠って、ぼんやりと過ごしている。アンネローゼは目を閉じて眠っているが、皇帝ラインハルトは目を開けていても意識は眠っている。

 ヒルダは衝撃に打ちひしがれた少年に強い同情と憐れみの心を持った。

 皇帝はまだ一人の少年なのだ。普通よりもひどく繊細なままの。

 

 いけない。このままでは、いけない。

 

 

 ヒルダはオーディンの封鎖に対する商業者の悲鳴を文書にしたものを手にして、執務室に入った。商業者にとって物流の停止は死活問題である。

 一つ大きく息を吸って吐き、勇気をもって執務室に踏み込む。

 

「陛下。オーディンの封鎖に対して、見通しを求める陳情書でございます」

「全てオーベルシュタインに任せよ。そう言ってあるはずだ」

「陛下、敢えて申します。オーベルシュタイン閣下に全て任せるには政務が過重であるように思います」

 

 これは嘘だ。

 ヒルダはラインハルトの精神を鼓舞しようと大嘘を言った。何でもいいから意識を他に向けて活動してほしい。

 

「わかった。机に置いておくように。そうしたら出ていってよい。」

「陛下、お言葉を返すようですが、きちんと目を通し、決定をお伝え下さいますよう」

「何! フロイライン、余がいつもあなたの忠告を喜んで聞くと思ったら大間違いだ!」

 

 ラインハルトはいきなり激昂する。

 覇王の裂帛の気迫を受け、ヒルダは身じろぎしたがそれでも出ていかない。ヒルダは純粋に良かれと思って行動しているのだ。それは打算とは対局のものであり、ヒルダは自覚していなかったが、ラインハルトのためを思う心は強くそれがヒルダ自身に力を与えている。

 

 やがてラインハルトは急速に熱を失った。自分が苛立ちを単に八つ当たりしている自覚はあった。ヒルダの方が正論なのだから。

 

「わかった。フロイライン、そこに座って待っててくれ」

 

 

 ラインハルトはうわの空で書類に目を通し、まともな決定をした。

 

「調査は行き詰まり真相はわからずじまいだ。これ以上の封鎖は無意味だろう。オーディンの封鎖は明日をもって解く、そう伝えよ」

「承りました。封鎖が解かれれば商業者も安心するでしょう」

 

 二人は時間のことなど考えてはいなかった。

 ヒルダが時計を見直すと、思いがけず夜もだいぶ更けた時分だった。

 

「陛下、この時間ですと伝えるのは遅すぎます。明日早く通達いたします。もう夜ですので陛下もお帰りになられましたら」

 

 

「待て、フロイライン」

「はい、陛下」

「余を一人にしないでくれ」

 

 ヒルダは傷ついた少年のため、この夜は自分のなしうるどんなことでもやってあげたいと思った。

 

 

 

 まるでそれを待っていたかのように、翌日アンネローゼは目を開いた。

 

「長い夢を見ましたわ」

「どんな、どんな夢ですか。一生分の夢ですか。アンネローゼ様」

 

 横に詰めていた侍女マリーカが勢い込んで尋ねる。

 

「いいえ、カロリーナさんのお菓子を全部つくろうと…… でも上手にできなくて」

「えっ」

「夢でも味がわかりますのね。初めて知りました」

 

 ここまでの天然だとは。

 思わず返答に窮したマリーカだった。

 

 

 オーディンの封鎖が解かれた。

 待機していたわたしたち一行もようやくオーディンに降り立ち、ルッツのいる病院へお見舞いへ向かった。

 アンネローゼ襲撃の事件とケスラー、ルッツの活躍のことは詳しく聞いている。

 

「一対一で肩を撃ち抜かれるなど、不覚をとりました。カロリーナ様」

「何言ってるの。見事よルッツ。その働きがなかったらアンネローゼ様はもっと大変なことに」

 

 そう、たぶん襲撃は遂げられたはずだ。もしそうなれば歴史の歯車は大きく狂ってしまったに違いない。ラインハルトとキルヒアイスの心に深刻な影響を与え、常に戦いを仕掛けなければ満たされない傷になっただろう。

 

「それに一対一で相手を倒したんでしょ。凄いわ。世の中にはただ撃たれただけの人もいますからね」

 

 してやったり!

 横にいるファーレンハイトに我ながらしつこい復讐だ。

 

「なるほど、ただ撃たれただけの人ですか…… しかしそのただ撃たれた人をただ見ていただけの人もいますからな」

 

 ぎゃふん!

 

 

 

 

 



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第六十一話 1年 12月 それぞれの民主主義

 

 

 わたしはその後も数回病院にルッツを見舞いに行ったが、そのうち気付くことがある。

 あれ、見舞いに行くと常に同じ看護師がついているじゃないの。

 太目だが美人で愛想のいい看護師である。

 

「あの看護師がルッツの担当なの? いつもいるけど」

「いえ、カロリーナ様、担当というわけではありません。この病院はそういう担当を決める仕組みはありませんので」

「でもいつもおんなじ人よ」

「いえ、今日などはもう勤務時間を終わっています」

 

 はあ? なおさら怪しいじゃないの。

 今度は調査能力で随一のケスラーに探ってもらおうかしら。

 いや、それを言うならケスラーはケスラーで最近ちょっと怪しいけど。

 夫人服、というよりは少女服のカタログ見てたの知ってるし。怪しいどころの話ではない。

 

 

 

 そんな下らないこととは関係なく、宇宙の別な場所で真剣な話をしている人々がいる。

 

 帝国との和約締結以後も自由惑星同盟は議論のさなかにあった。

 政治家だけではなく、一般市民もそれぞれがそれぞれの戦略を語り合った。今まで政治熱がこれほど盛り上がったことはない。

 

 二つの極論がある。

 一つは和約を破棄し直ちに帝国を武力で征服という勇ましいものだ。

 もう一つは現状維持と軍縮、経済再建優先である。

 これらの中間の案として考えられる限り無数のバリエーションが存在する。

 いずれにしても、現在の同盟戦力が帝国の戦力を上回っているという楽観的状況が前提にあるのだ。帝国は勝手に内戦で転んでくれた。

 

 それともちろん第十三艦隊が帝国首都星オーディンまで長駆して陥としたという事実が同盟市民の精神を高揚させている。

 

 しかし一方では、帝国の人口は同盟の人口を圧倒的に上回るのも事実、あと数年もしたら戦力的優位が失われるという確実な予想もある。

 新しい銀河帝国皇帝ラインハルト・フォン・ローエングラムは政治を刷新し、帝国民衆の熱狂的な信望を集めている。また財政的にも貴族から接収した分で当面は豊かだった。戦闘艦艇の生産もフル稼働である。内戦でも工廠や材料には被害はなかったからである。ついでに言えば、リッテンハイム大公国との軋轢や緊張は今のところ全くない。

 

 ここで初めて同盟政府は、帝国との和約の際に辺境星域の割譲などを要求するのではなく、財政バランスをとるために経済的に帝国を圧迫すべきだったとの議論がわいた。

 安全保障税などの名目を作ればよかったではないか。

 政治的メンツのための領土割譲は実質的に益をもたらさず、それにこだわるべきではなかった。

 そういった批判を受けたジョアン・レべロは精神を病んで入院した。

 

 

 市民のレベルでの政治熱は大いに結構であったかもしれない。

 しかし、軍人が政治を意識しすぎると不幸が起きる。

 

 現状での帝国に対する軍事的優位と将来それが失われることは、軍部の焦りにつながる。市民とは違い直接の死活問題なのだから。それは主戦派を駆り立てる大きな原動力になる。

 もともと軍部には勢いのいい主戦派がいつの時代にも存在する。

 武器を持ったら使いたくなるものだ。戦いは慎重にすべきだというコンセンサスときちんとしたシビリアンコントロールの下にあるからこそ主戦派は動けないだけだ。

 それに何より必ず勝てるという前提がなければ無茶はできない。ところが今同盟は明確な戦力的優位にある。帝国側は機動兵力五万五千からせいぜい六万隻、対して同盟には八万隻、無理すれば九万隻集められる。今が乾坤一擲のチャンスなのだ。

 

 主戦派の主張もその意味では大いに現実に即した判断であり、和約を結んだ政府に不満を持つのも仕方がないと言える。

 手続きに乗っ取り、正々堂々の議論を経ていれば何の問題もなかったはずだ。

 

 しかしここに軍内の不満分子、特に旧ロボス派と言われる派閥に属する将官たちと化学反応を起こした時に事態は急変する。旧ロボス派はアムリッツァ以降力を失い、鬱屈した日々を送っていた。何でもいいから変事を望んでいたのだ。そこには正義も理屈もない。

 

 

 

 あっさりと、平日の明るい昼間にあっさりクーデターが完了してしまった。

 

 その日統合作戦本部で将官会議が開かれた。

 イゼルローンに駐留するヤン大将、各方面に警戒に出ているアップルトン、ボロディン、ウランフなどの前線将官は出席していない。

 それでも少なくない将官が勢ぞろいしている広い会議室で、初めにロックウェル少将が会議の開始時間になったことを告げ、さっさと退室していった。

 すると部屋の照明がやや落とされ、壁に付けられたスクリーンに何かが投影される。自然と皆がそこへ注目する。

 スクリーンにドーソン大将が映る。

 いったい何だ? これは。

 

「ここにお集まりの自由惑星同盟軍の諸将にお知らせします。本日この時間をもって自由惑星同盟は、その政府機能の全てを停止し、救国軍事会議が一時代行することになります。同盟軍籍にある者もすみやかにその統制下にお入り下さい。この救国軍事会議の目的は銀河帝国との共存ではなく打倒を図ることであり、またそれを可能にするため自由惑星同盟の意志を一つにまとめるものです。諸将は進んでこの挙に賛同するものと信じていますが、念のため意見の分裂がはなはだしい場合に備えこの統合作戦本部に爆発物が設置されていることをご承知下さい」

 

 何を言っているのだ! 政府機能を停止とは、まさかクーデターでもしたというのか?

 冗談だ。そうに違いない。あのドーソンだぞ。

 しかしスクリーンの映像だったことが逆に真実味を与えた。顔を合わせて宣言するのが怖いのだろうが、それはまたドーソンらしいことだ。

 しかし、一人でクーデターなどやってのけられるはずがない。

 

「これはロボス退役元帥の仕業だ! ドーソンがリーダーなんて信じるものか!」

「クーデターなど軍の汚点だ。後で政府に返せない借りを作るぞ。同盟軍が余計弱くなる。」

「馬鹿な! 同盟が内乱になったら、逆にこの千載一遇の機会を失う。そのことを孫子の代までどう釈明する!」

 

 口々にそう叫ぶ。

 だがはっきりしていることがある。爆発物などと言っていたがあのドーソンが実際に使う度胸などあるものか。脅しに過ぎない。しかし、もしも万が一それが本当で、使えばどうなるか。

 同盟軍はお終いだ。これほど多くの将を一気に失っては。こんなクーデターに賛同するわけはないが、いったんは言う通りにするしかなく、軟禁場所に連れていかれる。

 

 

 クーデターを決行した救国軍事会議は将官たちを連行すると、いよいよメンバーを明らかにする。

 

 ブロンズ中将、ルグランジュ中将、ルフェーブル中将、アル・サレム中将、ホーウッド中将、ムーア中将、アラルコン少将、モートン少将である。ほとんどが旧ロボス派に属する。情報将官も前線将官も揃っている。ということは手元に艦隊兵力もあるということである。

 そこへドーソン大将が合流、すぐ後にロックウェル少将がクーデターの進展を報告に来た。

 

「政府関係者はほとんど拘束しましたが、ヨブ・トリューニヒトだけは取り逃がしました。警察、放送局はエベンス大佐が抑えにかかっています。議会方面はクリスチアン大佐が向かっています。宇宙港管制コンピューターはバクダッシュ中佐が使用不能にしました」

「滑り出しは上々だな。あとの問題は宇宙艦隊か」

 

 それが難問だ。軍事的実力であるそれを掌握できない限りクーデターは立ち行かない。

 

 

 ハイネセンのバーラト星系に最も近い場所に停泊しているのはアレクサンドル・ビュコック提督の第五艦隊である。

 そこの将官は頑固だった。

 ビュコックが拘束されたと知ると、頑として協力を拒否してきたのだ。

 

「第五艦隊をビュコック提督の留守に預かっております、ラルフ・カールセン少将です。ビュコック提督の命がなければ第五艦隊を動かすことはできません。要請はお断りさせて頂きます」

 

 救国軍事会議は他の艦隊にも幅広く呼び掛け、大義を訴え、クーデターに同調して参加するよう説得にかかる。

 しかし、その中の一人ボロディン中将ははっきりと参加を断った。

 

「小官は政府を転覆したものの指示など一切聞くつもりはない。もしクーデターが続くなら秩序を回復するため一戦も覚悟している」

 

 そう断ったあと、周囲に漏らしている。

 ドーソンの奴が悔しがる方に行くだけだ。

 それが冗談なのかそうでないのか、本人しか知らない。

 

 

 だが、他のアップルトン中将とウランフ中将は意外なことにクーデター寄りの態度を示した。秩序を重んじ、見識も高い両将がどうして。

 

「クーデターが正しいかどうかこの際どうでもいい。それよりも帝国を今叩けるかどうかだ。その救国軍事会議とやらが本当に挙国一致を成し遂げるか、見てからでも遅くはない。何より帝国と戦い宇宙統一を成し遂げる方が重要だ。同盟全軍が帝国に進撃するなら先鋒を買って出てやる。」

 

 それはあくまで主戦派としての立場であった。

 もちろん同盟軍としての立場も何もかも理解した上で、それでも帝国と今戦うことを優先させたのだ。

 クーデター側にもルグランジュ提督など有能な諸将がいる。クーデター鎮圧のためにそれらと戦えば、同盟はあっという間に力を失い、このチャンスを逃すだろう。

 同盟軍二百年の思いが詰まったチャンスなのである。

 それを活かすのがこの時代に生きる者の責務、そして大義だ。

 

 

 今、同盟のすべての目がイゼルローン駐留の第十三艦隊とその指揮官ヤン・ウェンリーに注がれている。同盟軍で最大戦力であり魔術師ヤンの名声は高い。

 クーデター派も反クーデター派も艦隊戦力がある。

 この均衡を決定的に破る可能性があるのが第十三艦隊だ。

 

 

 救国軍事会議からイゼルローン要塞に通信が入る。

 

「救国軍事会議臨時代表のドーソンだ。ヤン・ウェンリー提督に会議への参加を要請する」

「ドーソン大将、いやドーソン代表、クーデターという非合法手段をとった政治代表を第十三艦隊は同盟の政権と認めることはできません」

 

 丁寧に、そして断固ヤンはクーデター派の要請を断った。しかも当たり前の筋論で。

 

「当然それに従う根拠はなく、よって第十三艦隊は救国軍事会議に参加することはできません。ドーソン代表、これは個人的な意見、いえお願いですが混乱を招かないよう速やかに解散下さい」

「…… 話をする余地はあるかな、ヤン提督」

「民主的政治代表を復帰させる責任が同盟軍人にはあります。もちろん小官にも」

 

 

 話は最初から決裂している。ヤンが民主制に反するクーデターを容認するはずがない。

 ただしドーソン大将はここで意外なことを言ってきた。

 

「それではヤン提督、民主的政治代表であれば問題なく従うと言うのだな」

「もちろんそうです。それにのみ同盟軍は従うべきです」

「それでは言うが、我々はあくまで同盟の臨時代表であり近々選挙を行う予定である。恒久的独裁と勘違いしてもらっては困る。選挙によって挙国一致、帝国打倒を掲げたこの救国軍事会議が是か非か問うのだ」

「…………」

「もしもそれで同盟市民がこの会議を今までの委員制より良いと判断すれば、すなわち民主的政治代表ではないか。ヤン提督」

 

 さすがのヤンも少し返答に詰まってしまう。

 

「いえ、お言葉を返すようですが、それだけでは民主的政治代表とは言えません。きちんと法に乗っ取った選挙とはいえず、市民の信任として有効ではありません」

「それではヤン提督、仮にそう推移したとしよう。この会議が選挙で認められたと。すると君は、選挙の結果は同盟市民の意見ではないと言うのだな。これはおかしなことだ。同盟市民の意見より選挙の手続きが大事だとは。どこが民主主義だろう」

 

 ヤンはすぐに言葉を返せない。反論はできるが、ドーソン代表の言うことも理屈では通らなくもないのだ。

 

「ヤン提督、もう一つ言うが、通常なら次の選挙まで二年近くあるのは分かっているだろう。委員会の方から解散・選挙を言い出さなければ最悪それまで現在の政府見解が続くことになる。帝国と戦わないという見解がね。その二年というのが軍事的にいかに重要か君も分かると思うが」

「……」

「取り返しのつかない期間になるのではないか。二年間、同盟市民の意見が政府に反映されないのが君の守る民主主義かね」

 

 ドーソン大将は、確かに後方勤務が軍歴の中心だった。

 こういうことを考えていたとは、ただの平凡な実務家などではなかった。

 

「もしも救国軍事会議が充分な得票を得たら法改正ができる。君が何より大事とする法手続きそのものが変わるかもしれん。それでも今の手続きが重要なのか、考えてみたまえ」

 

 

 ヤンは考えざるを得ない。法そのものは、一時の大衆の熱狂を暴走させないための装置という側面もある。人の不完全さを前提としてそれを補うための。

 それを考えたら自分の方が明らかに正しい。

 しかし、もし選挙がされたらおそらく同盟の民衆のかなりの部分が会議を支持するだろう。主戦論は慎重論より燃え盛りやすい。

 

 その時、法手続きにこだわり、帝国への勝機を失ったことに対してどう反論したらよいのだ。もちろんその時の法に従っただけと言ってのけるのは簡単だが、それでいいのか。

 

 いけない、詭弁だ。

 政府を転覆したという事実だけで法的にこの会議は全てを失っている。

 主張を聞くわけにはいかず、それを叩くべきだ。

 

 

 

 

 



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第六十二話 2年  1月 欺瞞の惑星

 

 

 自由惑星同盟で軍部によるクーデター発生!

 そのニュースはたちまち人類社会を駆け巡る。

 フェザーンを経由して銀河帝国首都オーディンにも届いた。

 

「向こうから皿の上に乗ってきた。ナイフとフォークを準備しようか。キルヒアイス」

「そうですね。ラインハルト様」

「艦隊の充実を急ごう。戦う時期については艦隊の再編と向こうの推移を見てからにする」

 

 ラインハルトは宇宙統一を決して諦めたわけではなく、いつか必ず達成すると思っている。

 ただし、名分もなく和約を反故にするわけにもいかない。

 だが今回の同盟クーデターはまさに自滅のようにラインハルトの目に映ったのである。

 戦力の上でもそうだが、和約を交わした政府が消滅したと強弁すれは反故にできるではないか。

 

 

 

 一方、イゼルローンのヤン第十三艦隊はようやく動き出した。

 艦隊はヤンの心の迷いを現すかのように鈍い動き方だった。むろん進路はハイネセン方面であり、その目的はクーデターを起こした救国軍事会議の排除である。

 

 最初に遭遇したのは位置的に一番近かったウランフ提督の第十艦隊となった。

 互いの旗艦に通信画面を開く。

 

「ウランフ提督、これは全く馬鹿げたことです」

「そうだな、ヤン提督。完全に同意する」

 

「艦隊を退いては頂けませんか。われわれが戦う理由はないはずです」

「それはこちらも考えた。ハイネセンへ行きクーデターの方を電撃戦で叩いてしまうという方法も。そうすれば確かに同盟軍の傷は最小限で済む。だがヤン提督、その後はどうなるというのだ。反動により政府は軍の統制を余計厳しくして、我らの意見など通らなくなるだろう。帝国への外征など決してさせたりせず、帝国打倒など夢のまた夢だ。それでいいのか」

「ウランフ提督、今現在自由惑星同盟の民主主義が損なわれています。そんな状態の国が帝国を征服することに意義があるでしょうか」

「そうともいえるな。否定はしない。では」

 

 話がまとまるはずはない。どちらも同盟のため、しかしそれぞれ奉ずる大義が違う。

 互いに苦渋の決断の末第十艦隊と第十三艦隊は戦闘に入った。

 

 ウランフ提督は同盟軍でも猛将で知られている。

 

 しかしただ突進するばかりではなく、配慮も細かい。ヤンの誘いや逃走する擬態には容易にひっかからず、かといって消極姿勢を見せると急進して食い破られる。

 ヤンは丹念な防御と集結ポイントへの集中砲火を行い、どうにか優勢を保っている。

 

 ヤンは本気で戦うのであれば勝つ方策を幾つも立てられるだろう。

 しかしこんな馬鹿々々しい戦闘で犠牲を出したくはない。自分の艦隊も、相手のも。ヤンの嫌うガチガチの軍国主義者で話の通じない相手だったらともかく、ウランフ提督は有能で同盟軍に必要な人間なのだ。

 クーデターを止めるために戦わなければならないがどうしてもヤンは消極的になってしまう。それでも戦闘が開始された以上、双方に損害が拡大するのは避けられない。

 

 どちらもいったん退いて軍の再編にかかるが、やがて決着をつけることを放棄して戦場を離脱した。互いの心情は似たようなものだ。

 

 ヤンはイゼルローンに帰投した。損傷した艦艇の修理と消耗物資の補給を名目として。

 それは自分への言い訳なのかもしれない。

 

 多少の犠牲を覚悟してウランフ提督を破ってもその後少なくともハイネセンまでアップルトン中将がいる。他にも出てくるだろう。

 相打ちは同盟にとって決していい結果にならず、銀河帝国は同盟の弱体化を見過ごしてくれるほど甘くない。それならばいっそのことイゼルローンを堅守することに意味がある。

 あの新皇帝ラインハルトは遠大な戦略を立てられる人物であり、おそらくイゼルローンにこだわることはないが、しかしここを空にするわけにもいかない。少なくともイゼルローン回廊をあっさり帝国軍に通らせては。

 

 

 

 その同じ頃、同盟領フェザーン方面ではもっと激烈な戦いが展開されていた。

 

 ボロディン中将の第十二艦隊が反クーデターとして戦う。

 それに対するクーデター派はルグランジュ中将の第十一艦隊とアル・サレム中将の第九艦隊が加わった混成部隊だった。第十一艦隊も第九艦隊もこれまでの帝国との戦いで痛手を被っているのだが、さすがに併せれば第十二艦隊を上回る数になった。しかし戦いに入ると、さすがに戦巧者で名声のあるボロディン中将である。相手の間隙をうまく突いて前後に分断することに成功し、優勢に進めていく。

 

 しかし、戦いの趨勢が明らかになってもクーデター派の両将はなかなか降伏しない。

 結果、どの艦隊も大きく傷つき、本当の意味での戦闘継続不能となって後退せざるを得なかった。

 

 

 

 これら宇宙の戦いとは別にハイネセン地上でも激しい戦いがある。

 それは武器を使用するものではないが、宇宙の戦いに優るとも劣らない重要なものだ。

 

 大衆の意見操作が救国軍事会議のバグダッシュ中佐らによって行われている。

 

 まずはテレビ放送を好戦的なものに差し替えていく。

 ニュースも恣意的に選ぶ。

 討論のある番組ではコメンテーターと称する知識人を全て裏で操作した。

 そんなことは国家の権力には造作もない。それに救国軍事会議が新たに思いついて始めたのでもなく、今までの同盟政府もマスコミには散々関与していたのだ。いつの時代も公正中立なマスコミなど存在しない。常に大衆の意思は操作されるものである。

 

 連日帝国打倒・挙国一致の機運が高まっていく。

 

 帝国の悪逆を大げさに報道して感情を煽り、その上で知識人の客観的データと称する恣意的な理詰めがそれを補強する。

 それに付随して救国軍事会議がやむにやまれず決起した正当なもののように思わせられる。

 あたかも自分で考えた結論であるかのように意思を植え付けられた。

 いったん結論めいたものが頭に入ると、自ら恣意的に情報を取捨選択してますます感情を高ぶらせるのが人間であり、おまけにそういった人間は自分だけでなく他の人間をも同調させにかかる。これが大衆の性質なのである。

 

 こうしたことを熟知している情報部の将たちは、挙国一致の熱が自動的に高まるのを確認してほくそ笑んだ。

 

 更に救国軍事会議に人間的な親しみと好意を持たせるため、ドーソン大将の日常まで連日放送した。

 大衆はドーソン大将の経歴や家族を否が応でも知らされる。

 そうなれば知らず知らずのうちに親密感を持たせられ、疑似的な仲間意識まで醸成し、それに取り込まれる。

 

 ドーソン大将は政治経済よりむしろお笑いや料理番組に登場した。

 

 歌も歌えばチェスもする。

 エプロンをつけてポトフを作ったりもした。

 街角に現れては評判のコロッケを買った。

 ドーソン大将が愛犬の毛並みを優しく整えていたら、蹴られて後ろにひっくり返った面白映像まで流された。

 

 大衆は簡単に騙される。全ては計略である。

 

 

 

 その危険な風潮に対抗しているのが、反戦運動の今やリーダー格になっているジェシカ・ラップである。

 民主主義堅持とクーデター一掃を掲げ、決して退かない。

 妨害に屈しない強い意志を持って大衆に訴え続けた。今こそ民主主義が試されているのだ。

 

 地道な努力が実を結び、一定の支持を集めたことに自信をもったジェシカは、次に大規模な市民集会を計画した。

 

 クーデター容認の空気が全てを被う前に、決起集会で食い止める!

 今こそ反戦の旗が倒れてないことを示すのだ。

 

 決起集会はハイネセンスタジアムをその場所に選んだ。

 クーデター側はむろんそれを問題視し、クリスチアン大佐を派遣して警戒に当たることを決めた。

 

 

 悲劇は間もなく幕を上げようとしている。

 

 

 

 

 



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第六十三話 2年  1月 路上の勇者たち

 

 

 このクーデターが行われた日、ハイネセンにいたのにもかかわらず、クーデター派に軟禁されることがなくて済んだ将官がいた。

 

 パエッタ中将である。

 

 たまたま胃潰瘍で入院していたのだ。。

 将官会議の日にはまだ入院しているはずであったが、予定より早く病院から退院できる許可が降りた。将官会議出席などの実務を行うまでは許されなかったが、自宅療養に切り換えてもよくなった。

 それで家にいたのだ。

 

 クーデター派はもちろん病院へ捕縛に向かっていたが空振りに終わった。将官ともなれば所在を常に統合作戦本部に教えなければならない規定だが、パエッタがその変更登録を怠っていた怪我の功名である。そして、ほんのわずかの差で先に情報を得て自宅から逃亡し難を逃れた。

 

 とりあえずハイネセンに潜伏したはいいものの、パエッタ中将は途方にくれる。

 宇宙港は厳しくチェックされるのでとてもシャトルに乗ることはできず、宇宙には出られない。

 そしてもちろんパエッタもクーデター派に同調する気はない。

 手持ちの部下も戦力もないから困っているだけだ。

 

「先ずは仲間が欲しい。どうしたらいいか指示してくれる上官なら尚いい。」

 

 さしあたって軟禁されている他の将官の状況を調べた。

 意外なことに各将は厳しい状態に置かれていない。

 救国軍事会議はあくまでも体制がしっかり固まるまでの軟禁のつもりであり、いずれ将官たちを艦隊に戻して帝国軍と戦う予定だったからである。

 とはいえ、さすがにクブルスリー本部長、ビュコック提督となると必ず反クーデターであると目されていただけに監禁は厳重であった。

 

 ところが一人、あまり厳重に監視されていない人物がいた。

 

 クーデター派ではないが、さほどクーデター派からは危険視されていない人物だ。同盟軍きっての良識派であり手続きが整えばクーデターに反対しないと思われていた。それにロボス派ともこれまで軋轢なくやってきた経緯がある。

 ドワイト・グリーンヒル大将その人である。

 

 

 

 パエッタ中将は艦隊指揮も部下の把握も情報収集も、更に言えば空戦も地上戦も凡庸な人物である。しかし逆に言えばどの分野でもそこそこの能力はあった。だからこその中将だ。

 手筈を整え、グリーンヒル大将をなんとか解放することに成功する。

 

「ありがとう。パエッタ君。今回のクーデター騒ぎはあまりに残念だ。若い主戦派を抑えるのが同盟軍内での私の役割だというのに。むしろクーデターに加わって内部から暴挙を抑えた方がよかったのだろうか」

「いけません閣下。それでは閣下がむしろ汚名を着ることになるのでは。」

「構わんさ。私は妻に先立たれていてね。一人娘がいるのだが、今ではその娘は一番好きな人の横にいる。その男は私の考えるところを理解してくれるだろうね」

 

 パエッタはもちろんグリーンヒル大将の娘フレデリカがヤンの副官であることは知っていた。

 しかし疑問は別の所にある。

 フレデリカがヤンを? せめてアッテンボローの方ではなくて? なんという物好きな。

 パエッタからすればヤンはとてつもなく有能で、これまで何度も助けられてきたが、魅力については理解不能な人物だった。

 

「それはともかく、この情勢で最善のことをしなければいけない。市民が軍に不信感を持てば取り返しのつかないことになる」

「しかし、具体的な手立ては……」

「他の将官を助けようにも、私が脱出したことで警備はいっそう厳しくなるだろう。

下手に戦ってもかえって暴挙に出る恐れがある。クーデター派はハイネセンの同盟市民を人質にしているようなものだ。パエッタ君、しばらくはクーデター派から市民を守ることに徹し、宇宙での情勢の変化を待とう」

 

 

 

 ちょうどその日だったのだ。

 

 数万人を集め、ハイネセンスタジアムで大規模な反戦集会が開かれた。

 ジェシカは同盟と帝国との共存が可能であることを声を上げて訴えた。

 それと、平和がどれほど貴重なものか、それを保つために努力すべきであることを訴えた。

 

 クーデターを起こした救国軍事会議を倒せとは決して言っていない。

 そこには慎重を期した。

 もしもそんなことを言えば、なるほど感情の高ぶった市民は動くだろう。熱気のままに救国軍事会議のいる統合作戦本部に波のごとく押し寄せるかもしれない。しかしそんなことになればただのデモで終わるはずがなく、おそらくは衝突、流血になる。武器をもっていない市民の多くが倒れることは明らかだ。

 

 それではジェシカは今までいた政治家とやっていることが同じだ。何も変わりはしない。

 

 自分の目的のために市民を扇動し、使い潰す。同じことだ。

 

 衝突が衝突を呼び、市民の方も武装を始め、憎しみを高ぶらせ感情のままにぶつかる。犠牲が出て、その数はどれほどか。

 逆に言えばクーデター側の兵士だって人間だ。

 家族がいるのだ。

 信念は違えど、人間なのである。機械ではない。

 そこへ市民が義勇兵気取りで暴力を振るい、数の力で襲いかかるとは何が正義だろう。

 

 それはジェシカにとり悪夢でしかなく、絶対にさせてはならない。

 

 しかし、決起集会が進むにつれ次第に熱を帯びた市民はスタジアムに留まっていることができなくなった。

 口々にクーデター打倒を叫びつつ市民の集団はついにスタジアムを出て移動する。

 ジェシカは慌てて止める方に回る。

 

 ジェシカの目には市民安全保障隊と名乗るクーデター勢力の軍がスタジアムを取り囲んでいるのが見える。名前は優しく改名しているがこれはまさしく軍である。兵と銃、それに戦車まで用意してある。

 

 これは、いけない。衝突すればとんでもない数の犠牲が出る。

 

 最悪の事態を予想したが、不思議なことに市民安全保障隊は無理な鎮圧はせず、勢いに呑まれる前に退いていった。

 ここを指揮していたのはバグダッシュ中佐である。

 本来、クリスチアン大佐がスタジアム監視の任であった。しかし、パエッタ中将の手引きによるグリーンヒル大将逃走の報が入ったことにより、他の将の監禁を強化するため移動していたのである。

 

「情報や思想を相手にするならともかく、生身の人間を相手にするのは気分が良くありませんな」

 

 そんな言葉を残してバグダッシュは徹底して市民との衝突を避けた。

 

 

 

 スタジアムにいた市民だけではなく、ハイネセンポリス各所からこのデモに参加するために続々と人が出てくる。数は膨れ上がる一方だ。ジェシカは懸命に理性的な行動を訴え続けたが、その声が全ての人に聞こえているわけではない。

 

 クーデター勢力が抑え切ってなかったテレビ局がクルーを派遣して放送を始めている。

 この異様な熱を帯びた雰囲気の中でグリーンヒルとパエッタの二人もデモ隊に紛れ込んだ。

 

 

 ついに市民の群れは同盟軍統合作戦本部が見えるところまで来た。

 

 そこがクーデター派の本拠地になる。

 ビルにつながる横に広い階段の前に兵を並べて威圧し、市民側の圧力が強まると発煙弾を撃ってきた。先ずは脅かしだ。クーデター派も退く気はない。

 

 市民の方は何も武器を持っていないか、せいぜい棒を持っているくらいだ。

 銃を持っている者はわずかである。

 離れた距離の相手に対するには投石くらいしかないが、それを始めてしまう。次第に激しくなり、勢いづいた市民は数の力を背景に押し寄せていく。

 

 このまま決定的に衝突すれば必ず犠牲が出る。もはやそうなることは避けられない。

 

 これを見たジェシカは勇者の戦いに出た!

 

 なんとか最前列に出て、デモ隊のそれ以上の進行を抑えようと頑張る。

 細い腕を目いっぱい開いて力の限り押し戻す。

 転び、踏まれる。

 それでも再び立ち上がりまた腕を開く。

 何としても衝突を抑える。犠牲を出してはならない。今、この身が砕けても、精一杯できることはやるのだ。

 

 

 

 別の所からデモ隊を抜けてグリーンヒルとパエッタが駆け出した。

 そしてクーデター勢力の兵士とデモ隊市民との中間の所まで来ると、デモ隊の方へと向き直る。

 

 途中、グリーンヒルはパエッタにこんなことを言っている。

 

「パエッタ君、確か君は胃潰瘍で入院だったな。退院したばかりの君に言うのはなんだが、今度は外科で入院することになったらまことに済まない。ただし私よりマシであることは約束する」

 

 これは生真面目なグリーンヒル大将のジョークなのだろうか。

 

「それと万が一の時、フレデリカに言ってくれ。花嫁衣装は母のがきちんとしまってあるのだ。使ってくれれば嬉しいと」

 

 そして居住いを正してデモ隊の市民に言った。

 

「同盟軍ドワイト・グリーンヒル大将である」

 

 その威厳は自然と注目を集める。投石が止んだ。

 

「同盟軍の軍人として市民諸君にお詫びする。この混乱は軍の一部の暴走によるもの。民主主義の精神を損ない、政府をないがしろにして迷惑をかけた。本当に申し訳ない」

 

 多数の市民はグリーンヒル大将の言うことに耳を傾けた。何といってもグリーンヒルの名は同盟軍きっての良識派として聞こえている。しかし、一部の暴徒化した市民の不満の声は決して止んでいるわけではない。

 

「軍の多数は決してクーデター勢力に参加していない。この騒ぎはいずれ軍自身の手で終息に向かうと約束する。市民にもお願いする。これ以上の暴力はいけない。衝突してはいけない」

 

 話の途中から罵声が大きくなった。

 どっちつかずの犬め、しょせん軍人、口先だけだ、向こう側のくせに、などと口々に騒ぎ立てる。

 市民側から再び激しい投石が始まった。

 グリーンヒルはパエッタを横に押しやり、投石から逃した。それは約束通りのことで、パエッタは生涯の間そのグリーンヒル大将の顔を忘れることはなかった。

 

 デモ隊は膨大な数の市民である。

 その投石がグリーンヒルただ一人に集中して投げつけられる。

 グリーンヒルに当たり出す。それでも倒れない。

 しかしついに目の上に当たる。

 よろけたところへさらに飛んできた。

 そのうちの一つがこめかみに当たり、打ちどころが悪かったのだろう。ばったり倒れこむ。

 

 

 ドワイト・グリーンヒル大将、同盟軍きっての良心、長いことロボス元帥の側にあって同盟軍を支え続けてきた。

 派手な活躍はしないが誰もが認める功績を積んできたのだ。

 シトレ元帥とロボス元帥の架け橋にもなり、決定的な亀裂を防いできた。

 また若手の将の意見も良く聞いた。ヤンのこともいちはやく理解した。

 それに加えて娘フレデリカの恋も父親として応援してきた。

 

 ここにその生涯を閉じる。

 

 全てのものの理解者になろうと努めてきた男にふさわしい最期であった。

 最後は何を思っただろう。

 同盟の将来か。

 それとも見ることのかなわなくなったフレデリカの花嫁衣裳だろうか。

 若き日、その衣装を着た妻とドワイト・グリーンヒルは結婚した。大層愛妻家だったが、早くに妻を病気で亡くしてしまった。それから一人娘のフレデリカを愛情込めて育て上げ、後でもっと家事をさせておけばよかったと後悔したくらいなものだ。

 

 そのドワイト・グリーンヒルが今、妻のいるところへと旅立つ。

 

 後にフレデリカはヤンと結婚した際、フレデリカ・グリーンヒル・ヤンと名乗っている。

 グリーンヒルの名を残したことについて、ヤンから問われたことはなかった。そこまでヤンは野暮ではなかったのだ。

 

 

 

 ジェシカはゆっくり歩み、もはや動かないグリーンヒル大将に近付いた。

 

 市民の方に向き直ったが、それは誰もが怯む表情だった。

 

「また罪のない者が死んだ!

 罪のない者が殺された!

 宇宙の戦いで無駄に死ぬ人間がいる。

 ハイネセンで倒れる人がいる。

 もう充分でしょう。

 誰かが死ぬのが民主主義ですか!

 もう充分でしょう」

 

 もはや投石も怒号もない。ジェシカの言葉が集まった人々に染みわたっていく。

 それからジェシカは兵士と統合作戦本部の方へと振り向いた。

 

「話し合いを求めます。グリーンヒル大将のことは、お互いに残念なことでした。ここでお互い民主主義の誇りに誓って、話し合いましょう」

 

 

 突然投石が飛んできた。また何人かが投げ始めた。

 ここに至っても市民の不満ははけ口を求めていたのだ。

 

「この日和見が!」「裏で取引しやがったな!」

 

 ジェシカは今度は大声で言った。

 

「石を投げるのが民主主義ですか!

 いくらでも投げてみなさい!

 今度は私に投げたらどうですか。

 もう一人ついでに殺してみたらどうですか」

 

 顔は、下げない。きっぱり上げ続ける。微塵の恐れもない。

 細身の長身が、まるでしなやかな刀剣のような勁さだ。

 

「このデモに加わっていない市民も大勢います。その人たちが軍事会議を支持しているのかもしれません。それも無視してはなりません。私たちは自由惑星同盟、誇りある民主主義の使徒なのです!」

 

 ジェシカの気迫がこもる。後に伝説となる瞬間だ。

 

「一時の熱狂が何になります。数と暴力で何が得られるというのですか。民主主義は大声や石を投げて作るものではないはずです」

 

 

 

 それでこの夜の騒乱は終息に向かった。

 全ての様子はテレビがしっかり伝えていた。

 

 ジェシカは烈女、鉄血の代議士などという異名も賜ったが、ジェシカの正しい意図を汲んだ呼ばれ方が最も多かった。

 

 

 「鋼の調停者」、これからの名である。

 

 

 

 



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第六十四話 2年  2月 皇帝の親征

 

 

 あの騒然としたデモ騒動の夜が明け、さっそくジェシカは統合作戦本部に赴いて救国軍事会議と会談を持った。ジェシカは口だけではなく、今は市民の代表としてきっちり話し合いをする責任がある。

 

 クーデター側で相手をしたのはブロンズ中将だ。クーデター勢力の中では柔軟な姿勢で定評のある人物である。ジェシカの痛々しい包帯姿に一瞬戸惑ったが、直ぐに話し合いを始めた。

 民主的な選挙の実施やその範囲などの話を進めるが、クーデター側としても選挙は既定路線であり、それほど難色を示すことではない。

 

 

 

 概ねそれが終わろうとした時、突然ブロンズ中将から中断してきた。

 何かの連絡が入ったからである。

 

 しばらく待たされたジェシカはブロンズ中将の硬い表情に驚いたが、その言葉にもっと驚かされることになった。

 

「話し合いはここまでとします。取り決めはその通り発表してもらってかまいません。いえ、これ以上話し合う意味がなくなるかもしれませんので。今入ってきた情報によりますと帝国軍がフェザーンへ侵攻を始めた模様です。発表は情報が確定してからになりますが」

「帝国がフェザーンへ! イゼルローンではなく」

「見事に裏をかかれたというわけです。このクーデターは早過ぎたか、遅過ぎたか、どちらかになりました。挙国一致体制の実を得る前の混乱のピークでやられるとは。せっかく市民と宥和しようとする矢先なのに」

「…… どうなるのでしょう。何か協力できることはありませんか」

「帝国が同盟に侵攻してくるのも時間の問題と思われます。できれば避難計画の方を先にお願いしたい」

 

 そして統合作戦本部ビルの上層階でドーソン大将が窓の外を眺めている。

 

「クーデターは歴史の審判を受けることになるだろう。意図と結果というのは得てして異なるものだ。こうなれば仕方がない、ロックウェル少将はいるかな」

「…… ここに」

「君やモートン少将も迎撃に行ってもらう。軟禁している諸将も解放する。それとイゼルローンのヤン大将にも連絡だ。これからは自由裁量で戦っていいと。ふふ、あのヤンのことだ。おそらく法的手続きを経ない政府からの命令もまた無効であるとか、おそらくそんなことを言うだろうが」

 

 

 

 

 ラインハルトは拙速を避けている。

 オーディンにとどまり、内政に力を入れつつ同盟の情勢を探ることに徹した。

 

 同盟のクーデターからの内戦は帝国からの工作ではなく勝手に始まった。帝国のゴールデンバウム王朝も爛熟の極みにあったが、自由惑星同盟もまた建国の民主制の熱気はとうに薄れ、変質していたのだ。

 そして同盟軍同士の戦いはクーデター側の第十艦隊とヤンの第十三艦隊が戦い、消耗戦に至る前に軍を引いたという情報だった。一方、別のところで第九、第十一艦隊と第十二艦隊は激しく戦った。これはどちらも損害が多かったようで、再び対峙を始めたものの戦いには入っていない。潰し合いもそれ以上やると共倒れと分かったのだろう。

 

 仕掛けるには頃合いのタイミングになった。

 

 ラインハルトは諸提督を糾合し、直ちに艦隊を出立させる。

 オーディン近辺にはロイエンタール、グリルパルツァー、クナップシュタインの諸将を残したが、艦艇数にすれば二万四千隻である。

 

 その程度の規模の艦隊はオーディン周辺に残しておく必要があった。

 

 ラインハルトの率いる親征はイゼルローン回廊を通らず、フェザーン回廊を通ることが決められていたが、その隙にまたイゼルローンからヤンの第十三艦隊に出てこられては困るからだ。

 それに加えてリッテンハイム大公国と帝国とはむろん不戦の条約を結んでいるが、世の中に絶対はない。リッテンハイム大公国が三万隻弱の艦隊を保持する以上、その程度の抑えは必要である。

 

 フェザーン回廊を通り同盟に攻め込むのは皇帝ラインハルトにキルヒアイス、ミッターマイヤー、ビッテンフェルト、アイゼナッハ、シュタインメッツ、それと傷が回復したミュラー、ワーレンも加わる。艦艇総数は四万隻四千隻程度だ。

 これでは諸将に本来の一個艦隊は与えられず、せいぜい半個艦隊しか無理だ。

 総数も同盟軍の総数よりは少ないと見込まれる。

 

 ラインハルトは元々戦略的条件を整えるタイプの人間であり、その価値を知っている。

 負けない大軍を揃えることの重要さを知り、大軍で圧倒することが正しいと考える。逆に少数で大軍を破ること自体にあまり美学を感じない。戦略のできない愚か者と紙一重ではないかという頭があるからで、勝利したということだけを称賛する。

 今回の外征も本来ならば数年待って艦の数を増やしてから行動するべきか。大艦隊を整え、どう転んでも勝てる戦略を立ててから戦うべきだったろうか。

 しかし、ラインハルトはこの諸将とキルヒアイスがいる限り負ける気がしなかった。

 勝つ以上、ここで戦いに出るのは蛮勇ではなく果断に他ならない。

 

 

 

 初めに布告を出す。

 帝国と同盟がこれほど長く戦ってきたのに、形式に乗っとるとはおかしなことのようだが、大義を示すのも全く無意味なことではない。

 

「銀河帝国皇帝ラインハルト・フォン・ローエングラムは布告する。

 先に帝国と和約を交わした同盟政府はもはや存在しない。

 よってせっかく取り結ばれた和約の精神は損なわれ、帝国としては遺憾ながら和約を守る先を失った。

 この罪は今現在自由惑星同盟を代表していると宣言している政体にある。

 その政体は救国軍事会議と名乗り宇宙を混乱に陥れあちこちで戦闘を引き起こした。秩序を正し、新たなる和平をとり結ぶため銀河帝国はやむを得ず進軍する」

 

 帝国艦隊は急進し、一気にフェザーンを制圧した。

 

 歴史始まって以来の暴挙に人々は驚愕するしかなかった。

 もちろんフェザーンには艦隊戦のできる戦力などなく、占領自体はたやすい。しかしフェザーン企業の協力と補給物資の購入、情報の入手は絶対に必要なことであり、これから長駆する艦隊行動のため補給基地化しなくてはならない。

 参謀長オーベルシュタインは傀儡に適する人物としてニコラス・ボルテックなる追従のうまい男を連れてきて、フェザーンの名目上のトップに据える。

 

 その大混乱のさなかだ。むろんアドリアン・ルビンスキーの周囲にも異変がある。

 ルパート・ケッセルリンクが感情を隠してルビンスキーに言う。

 

「自治領主、皇帝が軍を連れてやってきました。これも予想のうちだと言われるのでしょうか」

「皮肉に磨きがかかったようだな、ルパート。正直に言えばまさかこうなるとは思わなかった」

「ではフェザーンをどうやって救いますか。とうてい軍事的には手の打ちようがありません」

「占領自体は避けられん。今回は後手に回った。だが全て終わったわけではなく、挽回の手立ても考えられよう」

 

 そう、実はルパートが知らない事実があり、ルビンスキーは単に愚かで油断していたのではなかった。

 

 ルビンスキーはオーベルシュタインとゆるい密約を結んでいた。文書化は決してしていない約束だったのだが、見事に反故にされた。アンネローゼかまたはキルヒアイス、いずれはミッターマイヤー、ロイエンタールを排除する協力と引き換えにフェザーンの繁栄を保障するのではなかったか。

 しかしルビンスキーは悔しいとは思わない。

 しょせん謀り事は成功した方が正しくて、謀られた方が悪いのだ。

 

「私はしばらく隠れる。絶対にみつかりそうもない場所を確保してある」

 

 もちろん、アドリアン・ルビンスキーともなれば普段からそれぐらいの備えをしているのは当然である。

 

「隠れていれば情勢も変わる。それを充分見極めるのだ」

「それで、フェザーンをどう救うんです? 救わないんです? どうするんです?」

 

 ルパート・ケッセルリンクは耐えられなくなり、ついに感情が決壊する。

 

「あんたは最初からフェザーンを利用するだけだった! フェザーンなどどうでもよかった! あんたにあるのは自分だけだ。他の人間のことを考えたことなどなかった。家族のことも、俺のことも!」

 

 激しくなじるルパートとは対照的にルビンスキーは落ち着き払っている。

 

「ルパート、最後まで追いつけなかったな。努力だけでは褒めてやらんぞ」

 

 

 

 その時のことだ。低い地鳴りが数秒ほど鳴り響いた。

 

「自治領主、いやルビンスキー、今のは何かわかったか。これであんたの隠れ家は粉微塵だ。もうどこへも隠れる所はない」

「何だと! なぜそんなことが」

 

 これにはルビンスキーも声にわずか動揺が入る。

 備えが無駄になったこともさることながら、ルパートが予想外に事を進めていたからだ。そして隠れ家を潰すということはルパートにとって得策ではない以上、なぜそうしたかは明らかである。ここで復讐の挙に出ているのだろう。

 

「ルパート。お前がいずれ裏切るのはわかっていたが、なるほど今だったか」

 

 

 おまけにルパート・ケッセルリンクはルビンスキーの言葉を聞き終わることなくブラスターを撃った。

 

 部屋の床一面にガラスが飛び散る。ただしそこにあるのはルビンスキーの死体などではなく、ただの投影機器の欠片に過ぎない。ルビンスキーの姿は投影されていた偽物だ。

 

「だが詰めは甘かったな。ルパート」

「そうか。そう思っていろ。少しの間だけ」

 

 ルパートにはルビンスキーともあろうものが備えをしていないはずはなく、本人がそこにいないことは知っていた。撃ったのは自分に対する気持ちの区切りの意味のことでしかない。

 別の場所にいたルビンスキーは、万一のためその部屋の陰に待機させてあった部下にルパートの殺害を命じた。だが一向にルパートを斃す気配がない。

 

「まだ声は聞こえているんだろう。ルビンスキー、あんたはもう詰んでいるんだよ」

 

 ルパートはルビンスキーの部下達を既に買収して味方につけていたのだ。逆撃の用意をもう整えている。そして本当のルビンスキーの居場所を突き止め、既に密告している。

 

「これも伯爵令嬢のおかげだな。あのとき、注意をもらっておいたおかげだ」

 

 そう、ルパートはフェザーンに来た伯爵令嬢に会った時、注意を受けていた。

 ルビンスキーは用心深い。ここぞという時には逃げ道を用意していると。

 また、他人を買収したり寝返ったりさせるには油断せず思い切った額を提示するようにと。

 

「努力だけじゃない。俺は追いついたんだ、ルビンスキー。あんたに俺を褒めてくれとは言わないが」

 

 ルビンスキーの居場所を密告という形で知った帝国軍はすみやかに捕縛し、監禁した。

 ところが密告をしたルパート・ケッセルリンクの行方はいくら調査しても掴めなかった。

 

 

 

 

 再び激動の情勢、それは宇宙のあちこちに波紋を呼ぶ。

 わたしの方はサビーネに急遽呼ばれる。

 

「またあやつめが戦をするようじゃな。勤勉なことよ。菓子を食うてのんびりすることも知らぬようじゃ」

「お菓子を食べて何もしないでは太るのでしょう」

「カロリーナ、妾は太らんぞ!」

「サビーネ様が特別なのでございます。まるでお菓子を食べるために生まれてきたような」

「ん? それは褒めておるのか? 何やら複雑な感じがするの。けれどカロリーナの方は特別ではないようじゃが」

「! こちらも太ってはおりません!」

 

 先ずはちょっとした軽口の応酬だ。

 久しぶりにそれをするのも楽しいが、そろそろ本題に入る。

 

「それでカロリーナ、あやつはフェザーンへ行ったが、更に向こうへ行きそうだと聞く。カロリーナ、その留守に帝国を全部取ってしまうのはどうじゃ」

「サビーネ様、それはダメでございます」

「それはまたなぜじゃ。今なら簡単なように思うが」

 

 当然、内容はラインハルトの動向についてだ。この話し合いはそれに対応し、最も良い道を見つけるためのものである。

 

「大公国と銀河帝国は不戦を取り交わしております。ここで信義にもとることはできません。サビーネ様、それに今オーディンに残してある帝国の艦隊兵力は、大公国と大差ない程度です」

「だからできるのではないか。こたびは叛徒の手伝いも必要あるまい」

「いいえ逆です。皇帝ラインハルトが大公国を信頼している証しです。それを裏切ってはなりません」

「カロリーナはそう言うか。ならば信義を大事としよう。あいわかった、動かずにおこう」

 

 サビーネはそう言ってあっさり引き下がる。

 これはたぶん自分でも信義にもとることはする気がなかったのに違いない。わたしを呼んだのは単に確認するだけだ。

 そして信義を重要視するのは基本的に欲がないことの裏返しでもある。帝国の支配を目指さないのは自分の血筋、そしてひょっとすると容姿に自信があるためだろうか。

 

 結論として一応、帝国に対して警告という形だけはとった。

 

「今回の自由惑星同盟の内乱は遺憾なことではあるが、これをもって銀河帝国が武力侵攻するのは不当である。リッテンハイム大公国はあくまで話し合いによる平和裏の解決を望む」

 

 

 

 一方、オーディンに残されたロイエンタールらはしばらく動かずにいた。

 

 リッテンハイム大公国は敵対しないとラインハルトは思っていた。理性的な判断というよりも感情的な面でそんなふうに思っていた。伯爵令嬢は動かない。人を大事にする令嬢が火事場泥棒のようなマネをすることはない。

 

 その通り、大公国が帝国に武力を用いてまで敵対行為をしないことを見てとった後にロイエンタールら帝国艦隊はゆっくりとイゼルローン方面に移動した。

 

 ラインハルトからロイエンタールが受けている命令は、イゼルローンのヤン艦隊が帝国領にまた侵攻しようとすればそれを防ぐこと。

 もしも逆にヤンがハイネセン方面に救援のため動こうとしたら直ちに後背に食らいつき阻止すること。

 このニつであった。

 イゼルローンを陥とす、あるいはそこから長駆するという命令は受けていない。

 

 今回の戦略上その必要はなく、牽制で充分である。。

 つまりロイエンタールとしては、ヤン艦隊がイゼルローン要塞から出てこないうちは睨み合いを続けるだけのことで、下手にこちらから仕掛けて逆撃を食らえば戦略に齟齬をきたす。

 こういった辛抱ができることと、武勲が派手にならなくとも納得することを見込んでロイエンタールが選ばれたのだと思っている。

 

 戦略的武勲が巨大なのだから自分の矜持は満たされ、そして分かる者には分かるだろう。それ以上求める必要はない。

 

 

 

 そしてフェザーンを抑えたラインハルトの方は、補給の体制を整えるとついに同盟領に侵攻した。

 途中、占拠したガンダルヴァ星系ウルヴァシーを中継基地化するために一度止まったが、それ以外は急進を続ける。

 ラインハルトの統率力とそれを支えるキルヒアイスなどの諸将の力量は尋常ではない。

 もちろん兵士たちも勝利を信じて疑わず、望郷の念など忘れている。

 

 

 

 ハイネセンの救国軍事会議は、この恐るべき危機的状況について、同盟市民に包み隠さず情報開示した。

 同盟市民はもちろん驚愕する。

 帝国を征伐する情勢だったのに、逆に帝国から大規模侵攻を受けているとは!

 そして恐怖を感じながらも、同盟艦隊に望みを託した。むろん一時的にせよクーデターが是か非かという論議は棚上げになった。

 

 救国軍事会議を構成する将はもとより、監禁を解かれた諸将たちも次々と宇宙に上がる。

 ビュコック大将、パエッタ中将、ルフェーブル中将、ホーウッド中将、ムーア中将、アラルコン少将、モートン少将、チュン・ウー少将、他にもオスマン、ビューフォート、ザーニアル、マリネッティ、同盟軍の名だたる将が集結し迎撃態勢をとる。

 フェザーン方面にいたルグランジュ、アル・サレム、そしてボロディンの残存艦隊、といってもわずかなものだが合流した。今度は共に戦う。「帝国相手なら文句はない」

 ヤン艦隊はイゼルローンからまだ動けない。

 イゼルローン方面にいたウランフ、アップルトンは急行しているが間に合わない。

 

 同盟軍は艦艇総数五万二千隻、想定戦場星域ランテマリオに集結し、ラインハルト率いる帝国軍四万四千隻を待ち受けた。

 艦数と地の利は同盟の側にある。

 

 今、国家の存亡を賭けた戦いの幕が上がった。

 

 

 



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第六十五話 2年  3月 要塞をちょっと拝借  

 

 

 同盟軍の防衛ラインはランテマリオ星域である。

 

 ようやく帝国軍もそこに近付く。偵察すると同盟軍は迎撃のためのほぼ全軍を集結させ、迎撃態勢を整えているのがわかる。本来敵の遠征軍は領内深くに誘い込む方が有利なのだが、ここらが限界なのだろう。これ以降有人惑星が多くなる。そして同盟の政体からすると焦土作戦は取れないらしい。帝国軍としては補給の問題がないため好都合なことだ。

 

 その同盟軍の数、編成、陣形などを調べるが、ラインハルトは詳しい報告など聞くまでもなく一瞥しただけで相手の意図をすぐに看破した。

 

「なるほど、双頭の蛇か。陳腐だな。キルヒアイス」

「ラインハルト様、向こうはこちらより数が多く、提督も多いようです。順当な陣形だと言えるでしょう」

「そういう言い方もできるな。逆に言えば敵には将に将たるものが定まっていない。要するにその結果に過ぎないのだ。それは向こうの都合だけであり、こちらのことを考えたものではない。大勢でこちらを分断しつつ押し包むつもりのようだが、うまくいくものか」

 

 キルヒアイスも敵を見て、わずかに憐憫の情がわいた。ラインハルトの言う通りである。

 この陣形を見ただけで結果が見え、どうやってもこちらが勝つだろう。

 ふと伯爵令嬢のことを考えた。別の策でやってくるに違いない。そして自分の兵も敵の兵も、どちらの犠牲まで抑えようとするはずである。

 

「片付けを済ませようか。キルヒアイス」

 

 ラインハルトも同じことを考えているのだろうか。熱のない言葉であった。

 

 

 

 決戦はわずか一日で決着した。

 戦場には同盟軍艦艇の残骸がむなしく漂う。

 

 華々しい戦術も見事な奇策もなかった。数で大幅に優っていた同盟軍の双頭の蛇は、あっさりと帝国軍先鋒であるミッターマイヤーの艦隊運動にかわされ、またミュラーの防御に取り込まれてしまった。

 その上で帝国軍は反撃に出る。

 ワーレンが同盟艦隊の結節点を攻略し、その統率を無に帰す。

 そしてビッテンフェルトの黒色槍騎兵が同盟軍艦隊の中枢を撃ち抜く。

 

 これで意図した混戦に巻き込む。

 本来なら混戦になれば数が多い同盟艦隊が有利だろう。しかし、この場合はまるで逆になった。

 それぞれの提督の力量が違ったのだ。

 ビッテンフェルトはムーアやルフェーブルなどをいともあっさりと破り、余裕綽々の構えを見せている。ミッターマイヤーはビュコックとチュン・ウーに多少てこずったが負けたわけではない。ミュラーはボロディンの攻勢によく耐え、逆撃でこれを壊滅させている。他、ワーレン、アイゼナッハ、シュタインメッツもまた次々と同盟軍を破った。

 ラインハルトの各将は地力を発揮したのだ。

 

 そうなる一番の要因はラインハルトが総大将として輝きを増していたからだ。

 各将の戦闘状況を見て、同盟艦隊の中で弱い艦隊を看破し、的確な戦力移動を的確なタイミングで行った。

 艦隊戦の最後はキルヒアイスの高速別動隊が無敵の強さを見せつけ、決着をつける。

 

 同盟艦隊は指揮官の多くが斃れ、艦隊も多くを失った。

 やっとのことで壊滅は免れた。

 戦いの終盤、イゼルローン方面から長駆してきたアップルトン中将、ウランフ中将の艦隊が姿を現したからである。といってもまともに戦いに加わったのではない。そこまでする力はなく、かえって帝国軍の退路を断つ陽動を仕掛けたのだ。

 もちろんラインハルトはすぐさま陽動と見抜き、にいささかも動揺はない。だが掃討戦まではせず、補給物資に余力を残してあるうちに早めに退いた。

 

 いったんウルヴァシーに戻ったラインハルトだが、補給を充分に済ませると再び出動の準備をする。今回の外征は同盟首都星ハイネセンの攻略がその最終目標だからである。

 

 

 だが、ここで同盟側はハイネセンから情報戦を仕掛けた。

 今度は情報部の戦いだ。

 

 ビロライネン少将の案をブロンズ中将が修正し、エベンス大佐やバグダッシュ中佐が実行していく。それは同盟領全ての惑星情報、航路、補給基地の所在などについて本当の情報と偽情報を混ぜて撹乱することだ。民間企業も各惑星政府も市民も、多少の生活悪化など無視してそれへ協力を惜しまない。

 

 同盟は総力を挙げる。

 皮肉にもここに至って挙国一致が実現している。

 ジェシカも市民の混乱を一生懸命抑え、生産力の低下を防いだ。わずかなことでもこの国難への対処に協力するのだ。

 

 しかし、情報戦になればラインハルトの側にはあのオーベルシュタインがいる。オーベルシュタイン一人の前にそういった情報戦の大半は砕かれてしまう。むろん、手痛いことがなかったわけではない。帝国軍補給担当のゾンバルト少将は航路に迷い、奇襲にあって敗死した。

 

 

 二度目の大規模な会戦はやはり平凡な形で始まった。

 

 バーミリオン星域にて両軍は正面から対峙する。

 今度は同盟四万三千隻対帝国四万一千隻、ほぼ同数の艦数での戦いとなる。

 同盟艦隊は嚆矢陣を取り、逆に帝国軍は横陣をとって機動力を生かす柔軟な陣形とした。

 この戦いの華は同盟軍きっての猛将ウランフ提督とビッテンフェルトの黒色槍騎兵との戦いだ。それは語り継がれるほどの激戦を展開した。

 

 結果だけをとればまたしてもラインハルトは大勝し、同盟軍は組織的な抵抗力を失った。祖国防衛の決死の戦いも天才ラインハルトを拒むことはできなかったのだ。続くマル・アデッタでのゲリラ戦も侵攻を鈍らせるに過ぎない。

 

 

 その頃、イゼルローン要塞ではヤン・ウェンリーが焦りながらも要塞放棄のタイミングを掴みかねていた。さすがにロイエンタールは当代一流、第十三艦隊が下手に要塞を後にしたら、後背に急進されてしまう。

 ヤンは第十三艦隊だけなら追い付かれない方策も立てられるだろう。よしんば戦いになっても負けない算段くらいはある。第十三艦隊一万六千隻へロイエンタールの二万四千隻が襲いかかってきたところで、ヤンにはその自信がある。

 

 なぜならロイエンタールの艦隊の中でクナップシュタインとグリルパルツァーの指揮する部分が不協和音を発しているのを看破したのだ。

 つまりクナップシュタインとグリルパルツァーはこのイゼルローン方面に回されたのを大いに不満に感じ、武勲を立てられないのを嘆いている。ロイエンタールのような大局的な視点がないからだ。結果、焦って動きすぎる艦隊運動をすることがヤンに見られていた。

 

 ただしそれでもヤンが動けなかったのには理由がある。

 

 ロイエンタールはヤンに対し余りにも有効な手札を打っている。

 それはわざと情報を漏らしていることだ。

 

「イゼルローン要塞の民間人を捕らえれば、帝国は思想矯正のため速やかに帝国領内に移動させるだろう」

 

 本当にロイエンタールがそうするかどうかは関係ない。

 その可能性がわずかにでもあればヤンは民間人を残して出ることはできず、艦隊に全て乗せなくてはいけない。とすればそのまま艦隊戦など論外、それこそ守り切れる保証はなく、そんな危険は冒せなかった。ロイエンタールのたった一言がヤンをこれほど縛ることになってしまう。

 

 だがそこでヤン・ウェンリーは一計を思いつく。

 

「なんだ、自分でも思いつくのが遅かった。うん、それがいい」

 

 

 

 その頃、わたしは再びリッテンハイム大公国の艦隊に乗り、一応様子見をしている。もちろん戦闘に介入する気は微塵もなく、また帝国軍に疑惑も持たれないよう相当の距離を取っている。

 

 そしてイゼルローンのヤンから通信が届く。

 

「伯爵令嬢、お話し、いやお願いが」

「ヤン提督、こちらからも提案が、あ、失礼しました。済みません。お先にどうぞ」

「いえいえ、令嬢こそ、どうぞ」

 

 二人とも焦り過ぎだ。それが分かって何かおかしくなり、笑みがこぼれる。

 

「お話しはたぶん同じものだと思いますわ。違いますかしら。イゼルローン要塞を一時お借りします」

「まいったな。こちらの話も同じです。要塞をリッテンハイム大公国にお貸しします」

 

 そう、これが妙手だ。

 イゼルローン要塞を民間人ごとリッテンハイム大公国に貸す形をとれば、帝国に手出しはできない。帝国と同盟の和約は崩れても、帝国とリッテンハイム大公国との取り決めは生きている。そしてこれは帝国との取り決めにギリギリ抵触しない範囲である。これで民間人の保護が可能になり、ロイエンタールの脅しはもう意味がない。

 

 話がついたところでなぜかアッテンボローがスクリーンの前にキャゼルヌを引っ張ってきたではないか。

 

「ほら、キャゼルヌ中将。」

「アッテンボロー、お前さんがそんなにしつこいとはね」

 

 何だろう。何かの寸劇だろうか。

 

「伯爵令嬢、先日は小官が大変失礼いたしました。要塞はトイレごとお貸しします。お使い下さい」

 

 ああ、その話か、わたしは大いに笑う。

 

 

「そう、令嬢はけっこうトイレを使いますからな」

 

 え! その声は隣にいるファーレンハイトが口を挟んだものだ。いらない個人情報を。

 

「トイレは綺麗にしてお返しいたします」

 

 ルッツまで別に言わなくてもいいことを。どうせ二人とも面白がっているんだわ。

 

「充分お使い下さい。トイレの能力には余裕があります」

 

 キャゼルヌまでが下らない寸劇に乗るとは。

 しかしその直後、横から咳払いが聞こえたが、おそらくムライのものだろう。

 

 

 直ちにわたしはイゼルローン要塞に入るがもちろんロイエンタールにもそれは手出しできない。入れ替わりに第十三艦隊が要塞を出ていき、救援のためハイネセン方面へ進路をとる。

 

 ロイエンタールが第十三艦隊を追いかけにかかるが、ほんの少しはイゼルローン要塞の動向を確認する時間が必要だった。間違ってもトゥールハンマーを撃たれたらたまらないからである。

 そのわずかな遅れを取り返すことはできなかった。

 エル・ファシル、シヴァ、シャンプールと進んでも追い付けない。さすがに同盟領深くになれば航路情報の完全でない帝国艦隊はどうしても速く進めない。ここでしばしロイエンタールも考えてしまう。追いかけるのを続けるか、それともフェザーン方面のラインハルトらに合流するか。

 

 

 ところが突然ロイエンタールは迷う必要がなくなった。

 

 オーディンで変事、この急報が届いたのだ!

 オーディンにて同時多発のテロ事件が発生したらしい。その場所は行政府、無優宮、そしてアンネローゼの住む館から遠くないというのも憎らしい。これは誰にも先のアンスバッハ准将の襲撃を思い起こさせる。

 

 ロイエンタールはこの報を聞くと、直ちに同盟領から引き返した。

 最優先事項であるオーディンの治安のため戻るのだ。

 

「もしヤン・ウェンリーの艦隊に追い付こうが巨大な武勲を立てようが、皇帝の姉君に何かあれば俺などは粛清されるしかないだろうな。それだけは確実だ。それを考えたら武勲など空しいものだ。ミッターマイヤーならどう思うだろう」

 

 このタイミングでのテロ事件、誰しも同盟の関与を疑ったが、その証拠は何も出てこない。というよりどんな証拠も出てこなかった。

 事実はルビンスキーの手の者によるのだが誰も知る者はいない。せいぜいオーベルシュタインが一瞬顔をしかめただけなのだが、それはルビンスキーのまだまだ使える実力をあたら無為にしたことを示す意趣返しなのを見通したためである。

 

 

 一方、同盟ではせっかくイゼルローンを脱した第十三艦隊もまた間に合わなかった。

 ラインハルトらの艦隊は既にバーラト星系に入ってしまっていたのだ。そして首都星ハイネセン防衛の頼みの綱であるアルテミスの首飾りはキルヒアイスがゼッフル粒子を使って綺麗に無力化してしまっている。

 

 帝国軍艦隊に囲まれても同盟は簡単に降伏に応じない。

 

 帝国軍があまりに民間人に無茶をすれば、その後の統治など不可能になる。帝国軍の方でもそれはよくわかっていることで、先の同盟軍による帝国領侵攻が反面教師になる。同盟側はそこを見透かしての交渉に臨む。

 

 それにまだ同盟にも戦力がないわけではない。ヤンの第十三艦隊が残っている。他にはバーミリオンやマル・アデッタで少なくともビュコック、ボロディンの生存が確認されているのだ。

 

 交渉にはドーソン大将が粘り強く当たった。

 

 しかしハイネセンは固く包囲され、民需物資も不足してきた。帝国軍が市民を餓死させるとは考えられないが、圧迫を緩める気もないらしい。

 

 そして同盟内部で卑劣な行為をとったものがいる。

 ロックウェル少将とクリスチアン大佐は仲間を集め、ビロライネン、エベンス、ベイらの要人を襲って殺害し、何とそれらを手柄と称してラインハルトに助命を嘆願した。

 それはあまりにも愚かな行為、かつてブラウンシュバイク公がどういう運命を辿ったか考えもしていない。これらの者は自分の発想でしか物事を見ることができないのだ。もちろん恭順の手土産として行ったことがそのまま罪状になる。

 ラインハルトは先の戦いで同盟に殉じて散っていったウランフ提督らを思い出しながら、投降してきたロックウェル少将らを乾いた感情で刑に処した。

 

 ついにドーソン大将は事実上の降伏を受諾する。

 

「自由惑星同盟は銀河帝国と、軍事上の和平を条件とした協定を結ぶ。再建のため行政的な支援人員を受け入れ、帝国の保護の元で新たに出発することを宣言する」

 

 自由惑星同盟の名が消滅することを先延ばしにする、それが精一杯であり、長く続いた戦いが敗北で終わったことは明らかだった。同盟はその歴史的使命を果たし終えた。

 

 ドーソン大将はまたラインハルト側に伝えたことがある。

 

「私も含めた指導部はいかようにもすればいい。責任を免れようとは思わない。ただし同盟市民には手出し無用で願いたい」

 

 そしてドーソン大将とブロンズ中将は帝国軍に拘束されたが直ぐに軟禁というものに緩められ、やがて監視程度にされる。

「立派な男たちだ」そうラインハルトがつぶやいたからだと言われる。

 

 

 



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第六十六話 2年  4月 慶事

 

 

 ヤン第十三艦隊はハイネセンまであとわずか二日の距離まで来ていながら、この事実上の降伏のニュースを聞いた。

 

 もはやハイネセンに向かう意味がなくなった。

 政府が降伏したからには無理に戦闘をするわけにはいかず、自分が建国するつもりでなければハイネセン解放などできない。シェーンコップはもちろん不満に思うだろうがヤンは市民の軍であり続けることに誇りがある。

 ただし逆に第十三艦隊の破棄を命じられてものらりくらりと言い逃れをすることはできる。

 今の同盟政府は正規のものではなく、第十三艦隊へ命令できる法的根拠がない。もちろん帝国側が同盟市民を人質にとって戦力放棄を迫ればヤンとしてもどうにならず従うしかないが、今のところ帝国はそうする気がないようだ。むしろ同盟市民の安全や経済活動の再開を企図している。帝国は懐柔的に同盟を手に入れたいようで、威圧的なことを避けているようだ。これもまた帝国軍の同盟への敵愾心さえ上回るラインハルトのカリスマのゆえだろう。

 

 ともあれヤンは形だけの自治、帝国の保護国に成り下がった同盟を見守るだけだ。そして自分は第十三艦隊と敗残の同盟艦隊とをとりあえず保持していく以外に何もすることがない。

 

 

 

 一方、ラインハルトである。

 いつもならこんなことはしなかったろう。

 むしろその最大限の努力を褒めたかもしれない。実際、誰もそれ以上のことはなしえないはずだ。それなのに。

 

 ラインハルトは体の調子がおかしいのを感じていた。

 熱っぽい。

 それでロイエンタールに対し叱責の言葉を出してしまった。

 

「ロイエンタール、この通信が届くころにはオーディンの騒動も収まっているとは思う。しかし騒動が起きたことには卿にも責任がある。なぜなら卿の任は言うまでもなくオーディンの治安が第一であった。長年の卿の貢献を考えて処罰はないが以後反省するように」

 

 ラインハルトとしてはオーディンの安全のためにロイエンタールを残したのである。

 もしもイゼルローンへ艦隊を動かすなら、それはオーディンが安全であるのが前提ではないか。

 

 しかし、これはロイエンタールの矜持をいたく傷つけた。

 

 ロイエンタールとしては自分は宇宙統一のための大戦略の一端を担い、イゼルローン方面の牽制を任されたのではないか。

 フェザーン方面で行われた華々しい決戦に参加できなかったのはそう思ってきたからである。

 それが武人の任だ。

 

 今回オーディンが騒乱したといっても何かの艦隊が攻めてきたわけではなく、隠れたテロ行為ではないか。しかもそれを完全に防げることなどあり得ない。

 

 いや、百歩譲ってオーディンの治安を完璧にしなかったのは俺の責任なのかもしれない。

 しかしそれにしても陛下が大事にしているのは姉アンネローゼのことだけだろう。他の部下、将兵、もちろんロイエンタールのこともはるか下なのだろう。ならばそんな警察のような仕事はオーベルシュタインかその手下のラングとかいう輩がすればいい。自分は艦隊を率いて戦う帝国元帥だ。

 

 

 この顛末を聞いたミッターマイヤーは驚き、直ちにラインハルトに上奏した。

 

「陛下、ロイエンタールは職務を果たしました! 同盟軍ヤン・ウェンリーは戦場に到達できず、これはロイエンタールの大きな功績でございます。もしもヤン・ウェンリーがランテマリオにいれば難しい戦いになったはず、陛下も否定しえないと存じます。ロイエンタールの功績に対しいま一度御配慮賜りますよう」

 

 これに対しオーベルシュタインが前に出てミッターマイヤーを遮る。

 

「ミッタ―マイヤー元帥、いかにロイエンタール元帥が昔からの知古とはいえ、陛下の御判断に横やりとはいかがなものか。しかもランテマリオの戦いでヤン・ウェンリーがいれば負けたような物言い、陛下に対し無礼であろう」

「何が言いたい。オーベルシュタイン元帥」

「陛下を軽んじ、あげく友としてのロイエンタール元帥ばかりをおもんばかっているようだが」

「こちらは事実をもって陛下に申し上げているだけだ。卿こそ言葉を弄すること明らかではないか!」

 

 ラインハルトがぼんやりした頭で答えた。

 ミッターマイヤーが正論であることは分かっているし、オーディンも結局は無事だったからにはこの問題を引きずるべきでない。

 

「分かった、ミッターマイヤー。ロイエンタールはよく働いてくれた。イゼルローンにいたヤン・ウェンリーを牽制し、戦略に多大な貢献を成したことを明言しよう」

 

 ミッターマイヤーは不安のまま退出した。

 ラインハルトがもっと裂帛の気迫でオーベルシュタインを押さえてくれてもよかったのではないか。武人の矜持というものはもっときちんと考えるべきものだ。

 

 もう一つ、薄々思っていたことだが、オーベルシュタインは明らかに諸将の力を抑えにかかっている。

 帝国がもう軍事的に盤石であり、戦力保持が必須でない以上諸将の力は必要ない。それどころか有害とさえ思っているに違いない。これからの帝国を考えたらそうなるのかもしれないが、しかし建国に携わった諸将をないがしろにすることは看過しえず、公明正大でもない。

 

 

 

 同盟は残された議員のホアンやアイランズ、そしてジェシカが懸命になって交渉している。

 

 他の議員は雲隠れしたか、病気を理由に辞職して逃げた。

 同盟を担う責任よりも、帝国の思惑一つで身に危険が及ぶかもしれないことから逃げたのだ。

 

 帝国との交渉は非常に忍耐のいる仕事である。しかし諦めず最後までやり遂げなくてはいけない。

 事実上の敗戦と降伏には違いないが、同盟側の要望を最大限盛り込んで、帝国の支配を有名無実にするのが目的である。

 帝国としても民主主義の者をいきなり皇帝の支配に従わせるのは困難であることは知っている。上から押さえつけることはできない。まして艦隊の武力で脅かしつけることで全て事を運ぶことなど不可能である。騒乱が収まらなければかえって帝国の経済を消耗させ、警備人員を吸い取られるだけになってしまう。何も益がないどころかテロの多発は帝国軍兵士の命をいくらでも要求するだろう。それでは何のために勝者になったかわからない。征服の果実はまだまだ手が届かないところにある。帝国は譲歩するところは譲歩しておとなしく従わせるように計らいたい。

 

 ジェシカらはそこに付け込む。

 しかし、だからといって帝国は無制限な譲歩などもちろんしない。基本は帝国の益のために支配するのだから。

 

 ジェシカの交渉は帝国に勝利という名を取らせ、益も与える。だが民主主義の精神と雛形を残す、そこにかかっている。最善を言うなら自治領的な政体にもっていいき、限定的な権限であっても選挙と議会という形を残す。

 

 この駆け引きを同盟市民は固唾を飲んで見守っている。

 

 一時同盟市民はどん底に突き落とされ、悲嘆にくれていた。よもやハイネセンで帝国軍の制服を見ることになろうとは! これまで同盟を守るために戦ってきた英霊たちに申し訳が立たない。自分たちの代で同盟の幕引きになるとは想像もしていなかった。

 

 だがジェシカはそういううなだれた市民たちを鼓舞した。

 

「まだ終わっていません! 今こそ同盟の底力を見せる時でしょう」

 

 また帝国相手の交渉は理性的で見事な手腕だった。

 そのため余計にジェシカは「鋼の調停者」あるいは単に「調停者」と呼ばれることが定着した。

 

 

 

 そのころ宇宙の片隅で事件が起きる。

 

 地理的にイゼルローン回廊に近いがゆえに、帝国軍の脅威に晒されることが多かった惑星がある。そのためかえって共和主義がしっかりと根づいていた。

 

 同盟が帝国に降っても、この惑星は決して民主主義の旗は下ろさない。ならば同盟を離脱するしかないではないか。

 

 その惑星、エル・ファシルが独立宣言をした。

 

 そしてエル・ファシル共和政府は何とヤンに対し共闘を呼び掛けたのだ。

 

 

 ヤンはこの頃同盟政府の武装解除の命令からのらりくらりと逃げている。それは既定路線だが、しかしいつまでそうできるかは分からない。

 だがエル・ファシルに所属する軍ということにすれば立派な名分がつく。

 ヤンは迷いながらも結局はエル・ファシルの呼びかけに応え、誕生したばかりの共和政府を守ることにした。お互いに必要なものを持っているのだ。共和政府には軍事力と名声、ヤン艦隊には正統性と拠点が必要だ。一瞬迷ったのはエル・ファシルの今後と住民保護のことが頭をよぎったからである。

 

 もちろんエル・ファシルに到着したヤンは歓呼の嵐で迎えられることになる。

 

「エル・ファシルの奇跡を再び!」

「英雄はまたここから伝説を作る!」

「帝国くたばれ! 魔術師ヤン・ウェンリーに勝てるものか!」

 

 あんまり期待されてもなあ、とヤンは思う。エル・ファシルの置かれている条件は余りにも悪い。だからといって今から絶望させるのも益はなく、ヤンはエル・ファシル市民に苦笑いと手を振ることは忘れない。

 

「そうそう、それでいいんです先輩。市民の期待を裏切らない方法が一つだけあります。勝てばいいんですよ、帝国に。それだけじゃありませんか」

「酔狂なことを言うなあアッテンボロー。そんな難しいことに挑むんじゃなく、退役して年金暮らしをするのが夢だったんだが」

「先輩が退役しても謀殺されるだけですよ。この選択は消去法ですが、消去法だって立派な選択です。あ、今さら勝ち続けてきたことを後悔しても遅いです。だったら先輩、最後まで勝ってやりましょうよ」

 

 

 

 帝国軍はこの動きに直ちに対応する。いや、そうせざるを得ないところに追い込まれたといっても過言ではない。。

 この調子で同盟領内に次々と独立勢力が生まれていってはたまらない。

 同盟政府と共にいくら枠組みを作ろうと協定を結ぼうと、何ら意味をなさなくなる。それは為政者にとり悪夢であった。いったん分裂が始まれば再統合は途方もない時間がかかるだろう。艦隊で威圧するといっても途方もない回数がかかる。

 また、ヤンはイゼルローン要塞をまた手に入れている。これは簡単なことで、リッテンハイム大公国に預けてあるものを返してもらうだけのことである。

 

 ヤン第十三艦隊、いやもう同盟軍でなくなった以上第十三艦隊とは呼ばれずヤン艦隊としか呼ばれなくなったが、エル・ファシルとイゼルローン要塞を拠点として反攻を仕掛ける。

 帝国軍は必ず来る。

 最高の魔術師ヤン・ウェンリーと皇帝ラインハルトとの決戦、皆はその予感に身震いした。奇跡のヤンと戦争の天才ラインハルト、常勝対不敗、イゼルローン回廊を舞台にしてこれまでにない激戦になるだろう。それで人類社会の命運が決まる。

 

 

 しかし、この戦いは実現しなかった。その前にたった一つの小さな出来事があったのだ。

 

 一つの慶事がラインハルトの元に届く。

 通信の主はヒルダである。

 秘書官長ヒルダは体調不良という理由で戦いには加わらずフェザーンに留まっていたのだ。

 いったい通信とは何だろう。

 

「陛下、一つ御報告がございます。陛下のお帰りまで待てないことでございます。実はその、懐妊いたしまして」

「フロイライン、懐妊とは?」

「陛下、懐妊でございます。ええ、平たくいえば妊娠ということです。このわたくしが」

「な、何! それは、何というか、良いことではないか!」

 

 もちろんラインハルトには思い当たることがある。あの一夜だ。

 

「そういって頂けますか、陛下」

 

 ここでヒルダの目に涙が光る。

 

「もし、陛下がそれでお気に病むことがあれば、別の方法を取らざるをえないと考えておりました。そのお言葉を頂けてとても嬉しく思います」

 

 ヒルダは涙を流し続ける。

 

「それで、フロイライン、もしもその、フロイラインさえ良ければ結婚の返事をもらえないだろうか。いや、フロイラインがそれで良いのならば」

 

 実はラインハルトはあの日から一度、ミッターマイヤーから聞いた話通りにバラの花束を抱えてマリーンドルフ伯爵邸に赴いたことがあった。もちろん結婚の申し込みである。

 しかし、その時は返事をもらうどころか会うこともできなかった。

 マリーンドルフ伯爵にそのまま預けた形になっていたのだ。

 

「ええ、陛下、わたくしでよろしければ。是非、陛下」

 

 ヒルダはラインハルトという純粋な少年に自分もまた愛情を感じている。

 自覚したのは最近だが、そのずっと前、いつから愛は始まっていたのだろう。

 

 

 

 そのころ、イゼルローン要塞の中でも部屋を行ったり来たりしていた人物がいる。

 イゼルローンの司令官室である。

 これから待っているのはあまりにも大きく厳しい戦いだ。イゼルローン回廊の戦いはまさに決戦になる。結果はもちろんわからない。

 その戦いを前にして、言わなければ後悔してしまうことがある。

 本来ならば不謹慎極まりない。

 戦いのことをさておいても相手は父親を亡くしたばかりなのだ。

 

 しかし、ここで言わなければ言う機会が永遠に失われるかもしれない。

 

 ヤン・ウェンリーは副官フレデリカ・グリーンヒルがドアをノックしてきた音を聞いた。

 

 ヤンはなけなしの勇気で覚悟を決める。

 有能で、かわいい副官が部屋に入る。

 

「その、何というか、何というべきか…… 」

 

 そして、ヤンはグリーンヒル大将とその妻が七つ年の差があったという小さな情報と、これからの人生を二人で過せるという大きな情報を得る。

 

 

 

 回廊の戦いはなくなった。

 

 ラインハルトはヒルダの献策通り、イゼルローン回廊の封鎖だけ行い、その戦略的価値を失わせるにとどめた。

 そしてフェザーンへの帰途につく。

 なぜならなるべく早いうちに結婚式を取り行わなければならないからである。同盟領内部にはワーレン、ミュラーとその艦隊を残して急ぐ。

 

 途中で帝国全土に向け布告を行なった。

 皇帝ラインハルトはヒルデガルト・フォン・マリーンドルフを皇后として迎え入れる。

 ジークフリード・キルヒアイスを帝国の副帝として立てる。

 そしてもう一つ、オーベルシュタインを帝国宰相にするというものだった。

 

 

 大きな慶事だ!

 

 ついにあの皇帝が結婚する。

 諸将も我がことにように喜んだ。

 誰も口に出して言わなかったが、本当に結婚できるか確証がなかったのである。

 しかし、オーベルシュタインを帝国宰相にすることには穏やかにいられるはずもない。オーベルシュタインの冷徹なやり方も、近頃とみに諸将の力を削ぐことを企図していることは明白である。

 

 ラインハルトの発熱が治まらず、しだいに痩せてきていることを諸将は未だ知らない。

 結果としてラインハルトは少し急ぎ過ぎた。オーベルシュタインを宰相につけて地位を確立させることを。

 オーベルシュタインを宰相にする以上、その上にキルヒアイスを立てる。これは必ずだ。帝国は冷徹な合理主義だけではおそらく立ちいかない。それを包み込む大きな優しさ温かさで人々を導く。

 しかし諸将はキルヒアイスの戦いにおける力量、その深い見識、穏やかな人格は大いに認めて賞賛してはいたものの、オーベルシュタインの専横を抑えることについてはかなりの不安があった。このままオーベルシュタイン色に帝国が染まる可能性を否定できないのは考えただけでも身震いする。人類の歴史上、家宰の立場が権力を握るのは珍しくないのだ。

 

 一番早く不満を表明したのはビッテンフェルトである。

 

「オーベルシュタインの下で戦うなど我が家の家訓が許さん!」

 

 副官である真面目なオイゲンが目を白黒させる。

 

「提督、そんな家訓とは大げさな。誠でしょうか」

「うるさい! ビッテンフェルト家は冷血の下では戦わんのだ。その家訓は今俺が作った!」

 

 

 

 



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第六十七話 2年  4月 ガイエスブルク再び

 

 

 ビッテンフェルトのように騒ぐだけなら罪はない。

 しかし、矜持と野心、それに実力のあるものが熟考してしまった時、危険な方向に決断することがある。

 

 今しかない。

 同盟領は征服したばかり、未だ安定していない。これでは軍事的に助けになるどころか駐留軍が必要になるばかりで足枷にしかならない。

 

 そして、まだラインハルトは結婚していない。

 このたった一人の個人を斃すだけで全てを変えられる。

 今はまだ英雄が歴史を回せる時代なのだ。

 やるのなら、今しかない。

 

 とどめにオーベルシュタインが帝国宰相になり、内務省に権力を集中させようとしている。配下に実直なフェルナーではなくラングなるものを登用し、謀略を運用するのに適した体制にしようとしている。

 相対的に軍部は軽視される。そしてオーベルシュタインは金喰い虫の軍部を縮小することを図っている。それだけならまだ許せよう。しかし帝国の将来のため、有力な諸将を葬るつもりだ。何もやましい所の無い清廉な将まで。

 

 さしずめラングに嫌われている者から誅殺されるのだろうが、それが成功すればいずれはあのミッターマイヤーまで排除されるかもしれないのだ!

 それはどうあっても許せない。

 ここで挙に出るのは叛逆ではなく先制攻撃であり、無様に謀殺される前に行う自衛であるのは明白だ。

 

 

 

 

 オスカー・フォン・ロイエンタールが全銀河へ向け布告した。

 

「長年国政を壟断してきたオーベルシュタイン元帥が、ついに牙をむき帝国宰相という地位につかんとしている。このままでは銀河帝国は危うい。オーベルシュタイン元帥は自己の意志のみを押し立て、皇帝をないがしろにし、政治権力を手に入れ、銀河帝国を私物化している。

 そこで我オスカー・フォン・ロイエンタールは君側の奸を排するため立つ。

 オーベルシュタイン元帥を排し、銀河帝国を正常化するためのやむを得ない決起である」

 

 この報を聞いて最も驚愕したのはその友ミッターマイヤーである。

 にわかには信じられない。

 ようやくそれが真実らしいと分かると、ミッターマイヤーは急ぎロイエンタールに会いたがった。

 

「止められるのは自分しかいない。いや、必ず止めてみせる。そしてロイエンタールがこんなことを考える原因になったオーベルシュタインとは俺が決着を付けてやる」

 

 これはしかし、叶えられなかった。

 ラインハルト自身がミッターマイヤーとロイエンタールの会談を許さなかったのだ。

 ラインハルトには、親友のことを思うミッターマイヤーの心情はよく分かる。

 それで苦悩するミッターマイヤーにこれ以上の負担をかけさせたくなかった。それにいったん叛旗を翻したからには、ロイエンタールが思いとどまるとはもはや考えられない。

 ロイエンタールの矜持もまた充分に理解できるからには。

 

 そして帝国の諸将たちは単純な驚きばかりでない人間の方が多い。

 むしろ納得に近いものがある。

 ロイエンタールの野心と矜持をわかっている人間の方が多かったのである。

 むろん、ラインハルトさえロイエンタールがそうだということを知っていた。おそらくミッターマイヤーは自分が忠義なために親友のその面をあまり考えていないのだ。

 

「帝国の将来などというのは方便だろう。おまけにオーベルシュタインのこともついでなのではないか。戦いたいのだろう、ロイエンタール。自身の能力と資質の限界をかけて」

 

 そしてやることは決めている。

 

「ならば、ミッターマイヤーを先に送ったりなどしない。余が行くのを待つのだ」

 

 ラインハルトはフェザーンに帰り着くやいなや情勢の報告を聞いた。

 ロイエンタールはオーディン近傍に置かれた麾下の艦隊二万五千隻を脱落も出さずにまとめ上げていた。それは見事なものだ。

 将兵の多くはオーベルシュタインの専横を排除するという謳い文句を本気で信じている。日頃からのロイエンタールの公明さに心酔しているのだ。

 そして意外なことにクナップシュタインとグリルパルツァーまでもそのまま配下として従っていた。

 

 

 

 新帝国始まって間もなくの内戦、全銀河にとりこれほど驚くことはない。

 そして次に注目するところがある。

 イゼルローンのヤン・ウェンリー、この名将はいったいどうするのか。

 

「エル・ファシル共和政府は今回の戦いに関与しない。これは単なる帝国内の私戦である。皇帝にもロイエンタール元帥にも組しない」

 

 こういった宣言を出していた。ヤン艦隊は動かない。

 

 これについて、実はヤン一党でも意見は分かれていた。

 

「皇帝の方が有利だ。ここは共同歩調をとってロイエンタール元帥を叩き、恩を売るべきだろう。それを交渉材料に使える。そして共和政府の地位を確固たるものにすれば」

「いや、ここは逆に皇帝と戦うべきだ。その方が共和主義としての筋が通る。それにこれは大きなチャンスだ。ロイエンタール元帥は同盟領に興味はない。同盟の再建を考えたら帝国はロイエンタール元帥に任せたほうがいい」

「現時点で判断は早い。成功よりも失敗しない方が重要だ。静観がいい」

 

 どの意見も道理は通っていて、一つの真実をついていたが、ヤンは原則に乗っ取った。共和勢力としてはどちらの側に加担することもできない。

 同盟を降伏させた帝国に味方はしない。

 まして共和主義者でもないその臣下の反乱に手を貸すことはない。

 

 

 

 ラインハルトは時を置かずキルヒアイスの他、ビッテンフェルト、シュタインメッツ、アイゼナッハを連れてフェザーンを出立した。

 フェザーンにはオーベルシュタインとミッターマイヤーを残した。

 ミッターマイヤーは最後まで自分が行くと言い張ったが、ラインハルトはそれを許さなかった。

 ラインハルトにすれば、もしも、もしも自分がキルヒアイスと戦うことになったら、などという想像はあまりに不可能だ。同じようにミッターマイヤーを親友と戦わせることはできない。

 

「ミッターマイヤー、卿の気持ちは余にはわかる。しかし今回は戦わせるわけにはいかない。ロイエンタールは余と戦うのを望んでいる。その挑戦を受けてやらねば、かえって非礼になるだろう」

 

 叛乱討伐に付き従う艦艇はわずか二万八千隻である。

 しかしラインハルトには自信があった。自分だけでもロイエンタールに負ける気はないが、付き従う将はキルヒアイス、他にも良将が揃っている。

 

 

 

 

 ところが事態はますます容易ならざる状況になった!

 ロイエンタールが先手を取った利を活かし、戦略的に重大な手を打ったからである。

 

 何とロイエンタールは直接フェザーンのラインハルトに向かうのではなく、ガイエスブルク要塞をいち早く奪取したのだ。

 そしてガイエスハーケンの封鎖も解いている。

 これは大きい。

 ガイエスブルクは所属が棚上げになっていた。

 皆は失念していたが、リッテンハイム大公国は帝国に返還するとは言ってない。

 むろん通商にも使い勝手が悪い軍事要塞なので、ガイエスハーケンを封鎖し、最小限の守備兵をおいて保守していただけである。

 帝国側もリッテンハイム大公国、というよりも伯爵令嬢が和約を反故にするとは考えてもいなかったため、接収していなかった。その狭間をロイエンタールが狙ったのだ。

 

 またあのガイエスブルクが戦場になるのか!

 

 リップシュタット戦役で名を轟かせた大要塞、ガイエスブルクの名がその凶暴な鍵爪と共に甦るのか。

 

 

 

 更にロイエンタールは巧妙な偽情報を流した。

 ガイエスブルクにワープエンジンを取り付けられないか研究中、というものである。

 実際のところ荒唐無稽であったが、ラインハルトにとってはもしも万が一、超短距離であってもワープが実現したら、という可能性を考慮すると戦術的な選択肢が極端に狭められる。

 

 最後の一手、ロイエンタールはフェザーンや旧同盟領に向け、もしこの挙に賛同してくれたら旧来に復し、フェザーンや同盟領から手を引くことを約束すると宣伝した。帝国は元の鞘に収まり、他は求めないと。

 

 これで一気にハイネセン始め各星系で動乱が勃発する。

 

 ただでさえ同盟領では抵抗勢力が星の数ほど出ていて、次から次へとゲリラまがいのことをしていたのだ。いつでも抵抗勢力というのは威勢がいい。

 これで同盟領を保守していたワーレンとミュラーは奔走させられ、同盟領から出るどころではなく、かえって帝国本国から応援を願いたいくらいになる。

 ただし、ここでジェシカが市民の暴発を抑えるのに協力を惜しまなかった。

 ジェシカは一時的な動乱の尻馬に乗るのは意味がなく、一部占拠を成功させてもどうにもならないのを理解している。むしろ秩序を保つことで帝国との信頼を高めた方がいいと判断していたのである。

 

 ついでにいえば、フェザーンでも帝国支配を良しとしないゲリラが活動していたが、こちらにはオーベルシュタインがいる。冷酷かつ非情な弾圧を加え、その芽をことごとく圧殺している。

 

 

 

 戦いの機は熟した。

 

 どちらも万全の準備を整え、ついにラインハルトとロイエンタールの軍が激突した。

 

「戦ってやる、ロイエンタール。オーディンを人質にしないところはさすがに卿の矜持だな。それに免じて堂々と覇を競おう」

 

 戦いが始まれば、やはりラインハルトの華麗さが目に付いた。ロイエンタールも優れた将なのだが、勝利に至る道筋を作れていない。

 第一幕が終わり、双方、決定的なところに至る前に軍を退く。

 小休止だ。ロイエンタール側にはガイエスブルク要塞があり、ここに退かれるとさすがに突破することはラインハルトにも無理である。

 

 ロイエンタールはガイエスブルクで補給と休養をとりながら、戦いを振り返る。

 やはり、ラインハルトとキルヒアイスは強い。敵として戦ってみて、ロイエンタールは初めてその理解に到達した。自分は一歩だけ劣るといえばそうなのだが、しかしその一歩があまりに巨大な壁だった。

 客観的に見れば、一方的に敗れたわけではない。ロイエンタールも用兵家として当代一流なのは間違いなく、特に複数の前線を自在に操り、大局的にまとめあげる才があった。それでラインハルトの側のブラウヒッチとアルトリンゲンを倒し、また偶然にもシュタインメッツの旗艦フォンケルを大破させ、重傷を負わせた。

 それでも結果を言うとロイエンタールの艦隊の方が数倍の損害を被ってしまったとは。

 

 ロイエンタールはまたカロリーナ・フォン・ランズベルクの真の偉大さも理解した。

 貴族連合という決して戦いに向いていないものを率い、幾多の危機に会いながら、優れた戦略と戦術の両方をもって最後まで戦い抜いた。援軍もなく、自分以外に頼れる者もいないというのに。

 伯爵令嬢、まさに無敵の女提督というにふさわしい。

 

 

 

 その頃、ラインハルトは外に小さく見えるガイエスブルクを凝視しつつ、またしても体調の悪さを感じていた。

 フェザーンで少し回復したと思っていたのだが。

 それが微妙な焦りにつながったのだろうか。

 もちろんラインハルトの天才の閃きは余人の及ぶところではない。この戦いでも遺憾なく発揮して緒戦は勝利した。しかし相手はあのロイエンタールである。その強さはラインハルトが勝ち切ることを許さなかった。

 

 ならばこれ以上ヒロイズムに酔っていても仕方がない。

 戦いの正道に立ち返る。つまり戦略的に全てを整え、完全なる勝利を企図するべきだ。

 大兵力を整え、ロイエンタールを圧倒するのが先決であり、戦う前に勝利を確定する。

 そのためにハイネセンからワーレンとミュラーを呼び戻す挙に出た。旧同盟領のことはいったん手放し、抵抗勢力を喜ばせることになろうともどうでもいい。どうせそんな泡沫勢力はロイエンタールに勝ってからの後回しで充分だ。

 

 一方のガイエスブルクでも微妙なものが存在する。

 

「グリルパルツァー、先の戦いではどうも消極姿勢が目立ったようだが。卿らしからぬ働きのように見えた」

 

 それは単に疑問を解消するものではなく、また叱咤するものでもない。

 

「ロイエンタール提督、ちょうど我が艦隊がビッテンフェルト提督の前に当たり、下手に正面から戦うより鋭鋒を避け続け戦力を温存するのが最善と判断しました」

「なるほど言うことは理にかなっている。この件はそれでよしとしよう。これからの卿の働きに期待する。だが一応言っておく。器用すぎることは決していい方向にはいかないものだと」

 

 ロイエンタールの慧眼は微妙なところを突いていた。

 

 

 

 ワーレンとミュラーがラインハルトの命令に従い、ハイネセンをいったん後にして進発したところ、やはり旧同盟軍の決起が一つの形をなしてきた。

 それは意外に大きな勢力になっていた。バーミリオンで辛くも脱出し、命を取り留めていたボロディン中将、カールセン少将、マリネッティ准将を中心として旧同盟軍一万隻以上もの数が集結したのである。

 老朽艦、小型警備艇だけではなく、隠れて行方不明とされていた戦艦などの大型艦艇も多く参加してきた。

 動くシャーウッドの森、それを考えたものは同盟の将で少なくなかったのである。

 

 その艦隊はフェザーン方向へ進みつつあるワーレンやミュラーに立ち塞がることはしなかった。この艦数で戦えば死闘になり、少なからず消耗してしまう。主戦場でないところで戦っても仕方がない。

 むしろイゼルローン回廊をすみやかに通り、帝国内入ってロイエンタール元帥の反乱に手を貸すのだ。もしも皇帝ラインハルトを斃せたら起死回生、同盟優位な新秩序を打ち立てられる。

 

 ボロディンらは楽観的に考え過ぎていた。

 しかし、戦いになる以前に思いもよらないことに直面する。

 何とヤンのいるイゼルローン共和政府は回廊の通過すら許可しなかったのだ!

 

「ヤン提督! 今はイゼルローン共和政府という独立勢力であっても、同じ同盟ではないか。宇宙に共和主義を回復するために行動するのをなぜ止めるのだ」

「ボロディン提督、帝国の私戦に巻き込まれるのは得策ではありません。一時的に優位に立っても無駄に終わり、皇帝と対立した事実だけが残ります。決して良い結果になりません。これは心からの忠告です」

 

 これでは回廊を無理に通ることもできず、ボロディンらは空しく遊弋するばかりだ。

 

 

 

 

 そして宇宙では思いもよらない事件が起きてくる。

 ラインハルトとロイエンタールの決戦が始まりわずか数日後、フェザーンで重大な事件が発生した。

 テロ事件である。

 その標的はオーベルシュタイン元帥だった。

 首謀者は明らかにできなかったが、誰しもほぼ同時期に脳腫瘍にて死去したルビンスキーとの関連を疑った。

 

 たいがいそういう憶測は間違っているものだが、この場合に限ってまったく事実である。

 ルビンスキーは復讐などという非生産的なことを考えもしない人間だが、逆に言えば必要なことと思えば断行する。先のオーディンでのテロ騒動に続き最後の最後に一つだけやってのけた。

 

「手に残った実働部隊も残りわずか、オーベルシュタインを除くのに使おう。これはフェザーンにとって重大な益になるだろうから無駄ではない」

 

 もちろん、オーベルシュタインほどの者がテロの可能性を熟知していないわけがなく、情報収集と警備を怠ってはいない。

 

 

 

 それなのに結果としてテロは成功してしまう。

 

 なぜならこのテロ部隊はルビンスキーのホームグラウンド、フェザーンで動いているのだ。

 隠れることも、資材の調達も、資金も、あらゆる面で巨大な利があり、それがオーベルシュタインの頭脳をほんのわずか上回ってしまった。

 テロは単純な襲撃だけではなく、買収、爆弾、毒、二重三重の罠を張り巡らせている。

 最後の最後、何と執務室の照明のランプに置き換えられていたプラスチック爆弾が決着をつけた。

 

 その爆発で致命傷を受けてさえオーベルシュタインは平然とした表情を崩していない。

 それどころかアントン・フェルナーに自分の死後に行うべき指示を伝える。その落ち着きは間もなく死にゆく人間の言葉とは思えない。

 

 人事の指名から経済的な方策にまで実に数多くの指示を出した。

 

 日頃から考えてあったものなのだが、特に、内務省安全保障局長のラングを閑職に回すよう厳命した。

 

「悪い男ではない。しかし、偏りすぎなのだ。抑える者がいなくなれば害にしかならない」

 

 それらの指示が一段落つくとオーベルシュタインは微笑みを浮かべる。今の今までフェルナーはこの冷徹な上司が微笑むところなど見たことがなかったのだが。帝国を支える責任からやっと解かれるからだろうか。

 

「それから、これだけは絶対に頼む。うちの犬は柔らかく煮た鶏肉が好物だ。もう老犬で先は短いからには、好きなだけ与えてやってくれ」

 

 それを最後に意識が混濁した。

 

「…… ゴールデンバウム…… 戦い…… これから…………」

 

 最後の言葉は、ゴールデンバウム王朝を倒して満足だと言ったのか、これからラインハルトにゴールデンバウム王朝のようになってほしくないという注意なのか。書き留めたフェルナーにも判然とはしなかった。

 

 

 ともあれパウル・フォン・オーベルシュタイン、この時代に輝き、歴史を変えた一人である。

 

 誰にも理解されずとも、自らの信念を貫き通した。

 今、生きているものに望みを託し、孤高の英雄は最期を迎えた。

 

 

 

 

 



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第六十八話 2年  5月 友よ、ありがとう

 

 

 

 

 宇宙は再び激動を迎えている。

 

 わたしはその平和と安定を考え、一つの決断をしたのだ。サビーネ大公と相談して許可を得、リッテンハイム大公国の艦隊を動かす。

 

 今、再びわたしは艦上の人となる。

 ほんの少し前までは当たり前だった戦艦の艦橋、それが懐かしく感じられた。

 その音も匂いも懐かしい。

 付き従う諸将もファーレンハイト以下、全員だ。申し分ない。

 

 将兵たちも艦橋にいるわたしを見やり、歓声を上げてくれている。

 

「この艦隊はやはりカロリーナ様のものだ!」「伯爵令嬢、無敵の女提督、万歳!」

 

 今、大公国の全艦隊を率いてわたしは進む。先ずはオーディン、そこを押さえる。

 

 

 

 この情報は、たちまちガイエスブルクのロイエンタールにもたらされる。

 

 ロイエンタールにとって最悪に近い内容だった。

 リッテンハイム大公国の艦隊がオーディン及びその周辺航路を占拠した、それではロイエンタールは本拠地を失ったことになる。もしガイエスブルクで膠着状態を続けても、もはや補給もままならず、ジリ貧になるだけだ。もはやガイエスブルクでの籠城している意味はない。

 むしろ、ラインハルトと伯爵令嬢が合流という悪夢になる前に各個撃破をはかるしかない。

 

 ならば先に伯爵令嬢か、先にラインハルトか。自分はどちらと先に戦うべきか。

 

 ロイエンタールはこの反乱に至った動機を考え直した。

 自分は皇帝ラインハルトと用兵家として覇を競いたかったのだ。

 それをはっきり自覚した今、ロイエンタールは全艦隊をガイエスブルクから出してラインハルトの方に急襲をかける。

 

 二度目の決戦だ。

 ラインハルトは、いったん退いて応援に呼んだミュラーらの応援を待つなどということはしない。ロイエンタールは決戦を挑んでいるのだ。それに応じる。

 この戦いは艦数において二万六千対二万、ラインハルトの方が多いのだが、それ以上に戦いは差が大きい。

 思いもかけない所への攻撃、ウィークポイントへの素早い艦隊移動、ラインハルトはあまりに強い。

 ロイエンタールとて普段以上の指揮をとり最高水準の用兵ができたつもりだ。

 歴史に残すべき激しく美しい戦術を展開する。

 しかしそれでもラインハルトに及ばない。天才の域に辿り着くことは決してできない。

 

「我が事、成らず、か」

 

 自嘲気味にロイエンタールはつぶやく。

 ロイエンタールの側では既にクナップシュタインが戦死した。そこから防御網が破られ損害が拡大しつつあり、それを押し戻す余剰戦力は尽きている。もはや勝負の行く末は明らかだ。

 

 

 そこでふとグリルパルツァーが提言してきた。

 

「ロイエンタール元帥、このままでは時間の問題でしょう。やはりガイエスブルク要塞の力を借りなければ勝負になりません。先に要塞に戻りますので、元帥も続いて戻られますよう」

 

 そう言い残すや否や自分がさっさとガイエスブルクに戻る。ロイエンタールもまたガイエスブルクに戻っても戦略的に意味がなく、更に苦しくなるだけと分かりつつ、その進言を受け入れた。このまま宇宙から消滅してもロイエンタール自身はともかく付き従った将兵に申し訳が立たず、また疲労の極にあった。

 

「しかし、これで満足といえば満足だ。結果はどうあれあのローエングラム陛下と戦えたのだから。栄誉といえばその通りだ」

 

 ロイエンタール本隊も徐々にガイエスブルクに後退する。

 

 

 

 ここで誰もが信じられないことが起きた!

 要塞の一点に光が生じ、急速に輝きを増しているのだ。

 その意味は明らかである。むろん最悪の意味で。

 

 オペレーターが絶叫する。

 

「ガイエスハーケン、来ます!」

 

 光の線が凶暴にロイエンタールの艦隊を叩いた。

 旗艦トリスタンはかろうじてその鍵爪にはかからなかったが、艦隊には甚大な被害が出る。

 

「そんなバカな! ガイエスハーケンがこちらを…… 裏切りなのか!?」

 

 多くの艦長はあまりの驚きに思考停止した。

 

 だがロイエンタールの反応は早い。

 全艦隊を鼓舞し、直ちに急速散開させる。

 

「あの小才子が、この時を狙っていたか。ふん、しかし旗艦を仕留められないとは無様だな」

 

 さすがにロイエンタールである。ガイエスハーケンの狙点を見切り、それを惑わし、その才を極めた艦運動はガイエスハーケンの射程外へ逃れ切るのに充分だった。

 

 ラインハルトの側でも驚きは一緒だ!

 むしろ怒りの凄まじさはロイエンタール以上のものがあった!

 グリルパルツァーが叛乱討伐のお手伝いをしますと、まるで手柄を挙げたかの連絡を送ってきていたが、そんなものに答える気もしない。叛乱の最初から連絡しているのならともかく、いやそれでもロイエンタールとの決戦を邪魔するなと言っただろう。

 

「グリルパルツァーがロイエンタールを裏切ったか! 余とロイエンタールの戦いを汚す権利があるとでも思ったのか。少しでも想像力があれば、余があのような小才子、どうするかわかるだろうに」

 

 逃れたロイエンタールはなんとか残存艦隊をまとめ上げ、編成を組み直す。この時に及んでも脱落を出さないのはさすがにロイエンタールである。しかし、もはやラインハルトに艦隊戦を挑める陣容ではない。

 

 

 

 

 ちょうどそのタイミングでロイエンタールにもラインハルトにも同じ情報がもたらされた。

 それは驚くべき報だ。

 フェザーンでテロ発生、帝国宰相オーベルシュタイン死去という内容である。

 

「オーベルシュタインの奴がよもや死ぬことができるとは思わなかった。こんなタイミングで消えてくれたのは皮肉としか言いようがない。俺の戦いは最初から無駄だったか。いや、勝てなかったのは残念だが、陛下と戦うのは必然だったはずだ」

 

 そう言うロイエンタールだが、これで挙兵した名分を失ったのが分かる。

 帝国を害すると言われたオーベルシュタインがいないのであれば、もはや将兵たちも子飼いの者以外は戦う気を無くす。

 

 そして見ると、ラインハルトの艦隊はひとまずガイエスブルク要塞を接収するためそちらへ近付いていくところだ。

 ここでロイエンタールはラインハルトに通信をとった。

 

「陛下、小官と戦っていただき、感謝します」

「ロイエンタールか。余と戦うのが望みだということは、わかっていた」

「ありがたいことにその望みは果たされました」

 

 もう一つ、急ぎロイエンタールは伝えねばならないことがあるのだ。

 

「今、ガイエスブルクにはあの小才子がいます。陛下、速やかに要塞から離れて頂きますよう」

 

 一瞬の間があったが、ラインハルトは全て理解し、うなずく。

 ロイエンタールはまた最後に一言付け足した。

 

「ことこうなってから小官が申し上げるのもなんですが、宇宙をお願いいたします。陛下」

 

 

 

 ラインハルトはガイエスブルク要塞から離れるように艦隊を反転させた。

 ロイエンタールがそれを見届けてから手に持ったスイッチを押す。

 その瞬間から、ガイエスブルクの中心反応炉は暴走を始める。

 

 やがて宇宙の一角はまばゆい光芒で満たされた。

 巨大要塞ガイエスブルクが自爆した。

 

「な、なんだと!? どういうことだ、誰か助け…… 」

 

 そんなグリルパルツァーの最期の言葉など残されるはずもない。

 かつてラインハルトが言ったはずだ。

 性根を叩きなおさないと晩節を汚すと。まさにその通りになっただけである。

 

 音の無い宇宙でもその光が教えてくれる。様々な色が混ざり合い、最後はスクリーン目いっぱいの白一色になり、しばらく収まる様子もなかった。

 艦の爆裂とはスケールが違う。桁外れのエネルギーが宇宙に放出された。

 居合わせた者たちは、巨鳥ガイエの最期に畏敬の念さえ持った。

 幾多の戦いの舞台になった大要塞は、ここに消える。グリルパルツァーと裏切りの艦隊を全て巻き込み盛大に爆散した。

 

 ラインハルトを助けたのはロイエンタールの矜持である。やる気ならラインハルトごと自爆させれば勝てた。いや、その方が艦隊戦などより確実である。

 しかしそれをせず、あくまで艦隊戦で勝負を付けようとしたのは武人の矜持と、ロイエンタールの望みのゆえである。

 

 

 

 そしてロイエンタールもまた、ここで死ぬことはない。

 

 まるで艦隊戦の結果が出るのを待っていたかのようにラインハルトの病状が進行したのだ。

 体に力が入らず、伏したままである。

 この重大事、やむなくフェザーンへの帰途についた。そのためロイエンタールの艦隊を追撃することはなかった。

 

 

 そしてわずか四千隻の残存艦隊と共にオーディンへ向かったロイエンタールは、しかし順調に航海できることはない。

 今度はリッテンハイム大公国の艦隊二万隻以上と対峙することになる。

 戦力差は大きく、もう戦いにもなりはしないだろう。

 まして相手はあのカロリーナ・フォン・ランズベルクなのだから。

 

「最後は伯爵令嬢か。俺の人生はフルコースだな」

 

 しかし戦いに入ることなく、ロイエンタールの元へリッテンハイム大公国艦隊から通信が入った。

 

「ロイエンタール元帥、叛乱を起こされたことはとても残念でございます。しかしそれも終わったことです。そこで、どうされますか。もしも元帥が亡命を希望されたら取り計らいますが」

 

 これはあまりに意外な申し出だった。

 どういうことだろう。伯爵令嬢にそんなことをする利があるとも思えない。

 

「伯爵令嬢、ここで俺を討ち果たすか捕らえて帝国に売った方が政治的に有利だろう。それに亡命を受け入れてくれる所もなく、もしそれが可能だとしても亡命先に迷惑がかかる」

「いいえ、陛下はロイエンタール元帥が死ぬのを望んではいません。思い違いをしないで下さい」

 

 わたしは真顔でラインハルトについて語る。

 

「元帥、お側に長くいながら陛下のことをわたしよりもわかっておりませんですのね」

 

 そう、天才少年ラインハルトの甘いヒロイズムのことをわたしは知っている。

 それを覆い隠していたオーベルシュタインはもういない。

 

「それに何より、ここで死なれたらミッターマイヤー元帥が悲しみますわ」

 

 結局のところわたしの言に従い、ロイエンタールは亡命の道を選んだ。

 

 行先はまずはイゼルローン、そして後日ハイネセンに移る。

 先の帝国による同盟領侵攻にロイエンタールは参加しておらず、更に以前の同盟からの帝国領侵攻によるアムリッツァ会戦でも、ロイエンタールはビュコックと対峙したがそう大した打撃は与えていない。つまり同盟にはロイエンタールへの恨みがない、それもまた幸いなことだった。

 

 ロイエンタールはハイネセンで客将の待遇をもらい、終生暮らすことになる。

 

 

 

 

 ラインハルトは間もなくフェザーンに帰り着き、療養に入った。

 少し回復したところで何より先に済まさねばならないことがあった。

 

 ヒルデガルト・フォン・マリーンドルフとの結婚式である。

 

 ラインハルトは姉アンネローゼがオーディンにいるため出席できないのを残念がったが、仕方がない。出産が近づいている。結婚式をこれ以上延ばすわけにいかない。それに安全のため移動は避ける。特にヒルダは妊婦のため恒星間飛行は控えねばならなかった。

 

 フェザーンで結婚式が盛大に開催された。

 ビッテンフェルトの場違いなほどの大きな掛け声もご愛敬だ。

 ラインハルトとヒルダの彫刻のような美しさは長く語り継がれる。

 

 誰しもが祝った。帝国最大級の慶事なのだ。

 

 結婚式が終わり正式に皇后に立てられたのち、ヒルダは出産した。

 元気な男児である。

 ローエングラム王朝はこの子によって引き継がれるのだ。

 そしてラインハルトとヒルダ夫妻、その子はオーディンに移り住む。

 その頃にはわたしのリッテンハイム大公国艦隊はオーディン周辺からきれいに退いている。ロイエンタール元帥の叛乱は片付いたし、ラインハルトにも一つ貸しを作ったことで充分だ。

 

 それから数ヶ月、若い皇帝夫妻は優しく穏やかな日々を過ごすことになる。

 皇妃ヒルダはとても幸せだった。

 

 だが、逆に不安になる人間が二人いた。

 アンネローゼとキルヒアイスである。

 

「ジーク、弟は烈しく燃える運命なのです。ここ最近の穏やかさは不自然に思えてなりません。その覇気が消えうせた時、全てが終わるのでは」

「アンネローゼ様、そのようなことをお考えになるときではありません。まだ、そのようなことは」

 

 

 

 

 この間、宇宙の別のところでも騒乱があった。

 

 ボロディンらの旧同盟軍はもはやイゼルローン通過を諦め、フェザーン方面に移動している。途中、次々と旧同盟艦が合流してきて、勢力を増す。

 ロイエンタールの叛乱は収まったが、もはや止められはしない。

 こうやって決起した以上、帝国と戦うしか道はないのだ。

 

 そしてフェザーン回廊付近でワーレン、ミュラーの艦隊に噛みついた。

 この戦いは艦数においては大差がなかったが、旧同盟軍の気迫が帝国軍を上回った。おまけにワーレンらはロイエンタールの叛乱が鎮まったことにより、せっかくフェザーンまで来たところを反転してハイネセンへ戻ろうとしたばかりで、わずかな気の緩みがあった。

 ワーレンらは緒戦で敗北したが、あえて無理に戦い続けることはせず、フェザーンまで後退した。そこで反攻の機会を伺う。

 この事態にラインハルト自身も親征を考えたのだが…… 医者とヒルダに止められ、自分が行くことはできない。

 

 

 

 この状況を見てわたしが決断する。

 

 これ以上、帝国と同盟を争わせてはならない。

 互いの憎しみを増やしてはならないのだ。

 

 ここでわたしは大公国艦隊を率いてフェザーン方面に長駆し、旧同盟軍艦隊と対峙した。

 

「この戦いは撃滅することが目的ではありません。一戦し、撤退に追い込むことが目的です。犠牲が増えないうちに戦意を挫くのです。そのためにはつけ入る隙を完璧に無くし、相手に最初から最後まで勝てる可能性を微塵も感じさせないようにしなくてはなりません。ただ勝つよりよほど難しいのですが、やり遂げるしかないのです」

 

 そう厳命した。

 わたしだってボロディン以下旧同盟軍の勇将たちを損ないたくはない。

 

 大公国艦艇二万隻でもって旧同盟一万四千隻を破る。

 こちらの諸将は各人持ち味を発揮し、期待通りの働きを見せた。

 ファーレンハイトは誰もついてこれない迅速な艦隊運動を、ルッツは狙いすました火力の集中を、メックリンガーは柔軟かつ戦理に乗っ取った布陣を、ケスラーは幻惑させるような心理情報戦術を見せた。戦力的にも戦術的にも違いを見せつけるのだ。

 早く、早く戦意を刈り取るのだ。

 旧同盟軍は早いところハイネセンへ撤退してくれた。わたしは戦場の救助活動をきっちり済ませ、後のことはジェシカに任せた。

 

 

 

 ここから同盟、イゼルローン共和政府、フェザーン、リッテンハイム大公国、これらと帝国は長い交渉に入った。

 帝国は少なくとも今武力を用いて再遠征し、力で全てを手に入れる気はない。

 陣頭に立つべきラインハルトを欠いている。

 

 交渉ではそれぞれがそれぞれに言い分がある。

 特にサビーネが遠慮なく言う。

 

「オーディンを与えただけでも嬉しく思え。この隙に奪うのなら簡単じゃった。なんなら帝国の半分くらいもらっても良いぞ。いや、逆じゃ。半分を残しておいてやる」

 

 一方、同盟の方では最低でも自治権獲得を目指している。

 あわよくば独立国家に立ち戻るのが悲願である。

 そしてフェザーンはもちろん帝国領になったままでは窮屈であり、独立して自由な商売をしたいのは山々だ。

 

 帝国と皇帝は戦いに倦む。

 これが交渉の基調であったが、もちろん帝国も譲歩だけではなく突っぱねるところは突っぱねた。

 交渉は行きつ戻りつになるが…… ここでラインハルトの病状が悪化する。

 

 

 

 覇王ラインハルトにいよいよ最期の時が近づいた。

 

「これからのことは皇后に任せる。余よりよほど上手く統治するだろう」

 

 ラインハルトの生涯で最大ののろけを語った。

 そして居並ぶ廷臣と諸将の中からミッターマイヤーを呼び出し、命じる。

 

「帝国軍全軍を指揮せよ。大元帥の地位を与える。ミッターマイヤー、大軍の戦略を考えられるのは、もはや卿しか残っていないのだから」

 

 最後にラインハルトは姉アンネローゼの方を向いた。

 これから重大な仕事がある。心残りを全て解消しなくてはいけない。

 

「姉上、これまでありがとうございました。姉上の弟で本当に幸せでした」

「ラインハルト、どこかへ行くのなんて私が許しません。また菓子を食べましょう、そうしましょう、ラインハルト」

 

 ラインハルトはそれに答えず、両手を使ってキルヒアイスとアンネローゼ、二人の手をとった。

 二人が驚いたほど、弱い力だった。ラインハルトの命数は尽きている。

 

「姉上、長いことキルヒアイスをお借りしていました。今、お返しいたします」

「ラインハルト…… 」

「キルヒアイス、姉上を頼む。お前だけだ、それができるのは」

「承知いたしました、ラインハルト様」

「キルヒアイス、全てお前のおかげだ。今までお前だけはいつも一緒にいてくれた」

 

 ラインハルトは目を閉じて微笑んだ。

 幼年学校から、あるいは隣の家に越してきたときからのキルヒアイスとの日々を思い出しているのか。

 

 二人で地上戦を一緒にこなしたことか。

 初めて小さな駆逐艦に乗って長駆したことか。

 貴族や無能な上司にいらだったことか。

 大艦隊を思う存分指揮したことか。

 

 共に宇宙を駆けた夢のような日々。

 

 誰も見られなかった夢を見た。激しくも美しい夢を。

 しかも一人ではない。いつも友と二人で。

 

 

「キルヒアイス、ありがとう」

 

 英雄ラインハルトはヴァルハラへ飛翔した。

 

 

 

 

 



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第六十九話 3年  4月 本来の姿

 

 

 皇帝ラインハルトの逝去、新銀河帝国は寂雨に包まれた。

 ついでその葬儀が万人の惜しむ中滞りなく行われる。

 その子が即位し、新銀河帝国ローエングラム朝二代目皇帝になる。ただし当然ながら政務は全てその母ヒルデガルト皇太后が担う。

 

 一方、同盟では先日来から流行りの言葉があった。

 

「やあ」

 

 という少し間の抜けた挨拶である。

 本人はそれを流行語にしようとは全く考えもせずに使ったのだが。

 

「やあ。諸君」

 

 帝国軍のワーレンとミュラーが去ったしばらく後、未だ混乱していたハイネセンに姿を現したのは、何とヨブ・トリューニヒト最高評議会議長であった!

 これには皆が唖然としてしまう。

 帝国軍来襲という非常事態、同盟が一番大変だった時に議長はいったいどこへ行っていたのか。

 救国軍事会議も帝国軍もいなくなって今になって現れるとは。

 

 誰も相手にしようとする者はいない、それは当たり前だ。政治家の責務を果たさなかった者に対する視線は冷たかった。

 

 むしろ衆目の一致するところ、今やジェシカ・ラップが実質的に同盟を率いる指導者である。

 しかし、ジェシカ自身は不思議なことにヨブ・トリューニヒトを議長として旧に復し、政府を元通りにするのに尽力した。

 不思議がったマスコミの攻勢に、ふとジェシカの本音が漏れたときがあった。

 

「法は生きています。ヨブ・トリューニヒト氏は現在も同盟の法では議長です。これを守ってこそ民主主義です。ただし、選挙までのわずかな間だけのことですが」

 

 その言葉通りほんの短い間になる。議員の多くが帝国軍の侵攻に伴い、無様にも逃亡していた。危急のときにこそ人間の心証が問われるものだ。帝国軍はきっと同盟政府の評議員など捕らえて処刑するだろうと考え逃亡した。ラインハルトの新帝国がむやみにそんなことをするはずはないのに。いや、道徳心がないことに加えてそんな洞察力さえなかったということになる。

 逃亡した議員のほとんどはその恥のために復職せず、そのため同盟の規定にのっとり評議会総選挙が行われた。結果は前評判通りジェシカのいる党が第一位を占めた。それで、党の代表であるジェシカが最高評議会議長に就任することになる。ヨブ・トリューニヒトはもちろん落選し、人々から忘れられた。

 ジェシカの最初にして最大の仕事は帝国との折衝である。この調停の結果が同盟の運命を決める。

 

 

 フェザーンにて最終交渉が行われた。

 

 それに先立ち、わたしの方はヤン・ウェンリー達と会談をしている。元ランズベルク伯爵領からイゼルローン回廊を通り、ヤンのいるエル・ファシルまで赴いたのだ。

そしてエル・ファシル共和政府は、帝国軍襲来の可能性が高まった時ロムスキー代表らが辞職し、事実上ヤンがその代表のようになっていた。エル・ファシルの市民が帝国への抗戦を諦めたわけではなく、そうした方がエル・ファシルを保つのに良いというロムスキーの判断である。

 ヤンは常々政治に関わるのは嫌だと言ってきたが、仕方なく表に出ざるを得なくなった。これほど似つかわしくない国家元首もないだろう。

 

 わたしはリッテンハイム侯の遺言としてリッテンハイム家の軍の統率を今まで拝命し、まるでリッテンハイム大公国の提督、あるいはサビーネの親しい廷臣のように思われることも多かった。しかし公的に言えば今でも同盟に割譲された旧帝国領の委任統治者という立場だったのだ。同盟が焼失した今になっては有名無実であっても。

 それならばわたしがイゼルローン回廊近辺の責任者としてヤンに会っても全然おかしくはない。

 そしてわたしとヤンはこれからのイゼルローン周辺星域のことを語り合い、その大枠についての意見を共有した。

 

 そしてわたしが交渉のためフェザーンへ赴く。この形をとったのはヤンのエル・ファシル共和政府と帝国は事実上停戦であっても公式には戦争状態にあるので、直接の交渉ができないためである。そしてヤンの方でもわたしを充分信頼してくれている。

 

 さてわたしがフェザーンについた早々、サビーネが何かにまにましながらやって来た。

 

「おう、カロリーナ、この者が実は大公国に来ておったのじゃ」

 

 わたしを驚かせようと思っていたのだろう。そして確かにわたしは驚いてしまい、サビーネを喜ばせることになったのだ。

 横の人物は何とルパート・ケッセルリンク! 意外な取り合わせではないか。

 

「それでこの者はカロリーナに招待された、菓子を食う権利があるから会わせろと言ってくるのじゃ」

 

 これにもわたしは笑うしかない。

 

「サビーネ様、そうです。その通りです。そしてその者は優秀な行政官でもありますわ。きっとサビーネ様のお役に立てます。特に統治機構や経済について任せてみたらよいでしょう」

 

 そしてルパートに向き直って言った。

 

「やっぱり私のお菓子は人を引き寄せますわ。あの時言った通りになりました」

 

 いたずらっぽくまた笑う。

 ルパートの方は生真面目に答える。

 

「先日は助かりました。令嬢。それと、行政の手腕について高い評価をいただけて感謝します。しかし、私はフェザーンに戻りフェザーンのために力を尽くす責任を感じています。父のように祖国を売るというのは、できればしたくないものです」

「ふふ、そうですね。だったら期待しておいて下さい」

 

 

 

 その翌日から本格的に交渉が始まった。皆が主張を出し合うが、やはり簡単には決着がつきそうにもない。

 

 いったん解散してから、夜にわたしは茶会という名目で数人を非公式に招待した。

  サビーネ・フォン・リッテンハイム

  ヒルデガルト・フォン・ローエングラム

  ジェシカ・ラップ

 この三人である。

 その夜の集まりは後に四夫人の密会と呼ばれる。

 

 翌日、交渉は大きく進展し、大筋の合意を見た。

 平和をもたらす宇宙の枠組みがこれで定まったのだ。

 

 

 一つ、サビーネのリッテンハイム大公国はフェザーンを併合し、「フェザーン大公国」に改名して新たに出発すること。

 

 一つ、自由惑星同盟は帝国の保護国家を脱して国家主権を取り戻すこと。しかし、フェザーン回廊に近いウルヴァシーより向こうをフェザーン大公国に割譲すること。加えてイゼルローン回廊に近いパルメレンド、シャンプールなどについても後に述べるイゼルローン共和政府に割譲すること。

 

 一つ、銀河帝国はイゼルローン回廊に近い辺境星域を正式に割譲し、エル・ファシル共和政府に渡すこと。それらを併せてエル・ファシル共和政府は「イゼルローン共和国」として出発すること。

 

 これらは妥協点を見いだしたという以上に、大胆な変動である。

 それと軍縮と今後の相互交流についても決められた。平和を保つ上で大きな前進だ。お互いへの無理解が戦争への土壌となってしまうからには、それを防がなくてはならない。

 実はこれらはほとんどわたしの原案通りになる。

 

 

 

 一方、キルヒアイスは帝国の副帝の立場でもほとんど政治の表舞台には出てきていない。

 その方が良いと思っていた。ヒルダがいればそれで充分、そしてヒルダに権力が集中した方が絶対にいい結果になると思っている。

 

 それに銀河を巡る政治や軍事にはもう興味はなかった。

 

「ラインハルト様と、人が見られぬ夢を見ました」

 

 あの激しい宇宙の戦いが、今は夢の中のことだった気がする。

 ラインハルトが見せてくれた夢だ。

 あの日立てた誓いも、もう果たされた。

 二人で駆け抜けたのだ。誰も成し得なかった宇宙の果てへ行きついた。

 

 

 キルヒアイスとアンネローゼはごく自然な形で共にいる。

 そしてオーディン郊外の緑豊かでなだらかな丘の上、そこに立つ小さくて質素な館に住んだ。

 風が柔らかく吹きぬける。

 小さくて色とりどりの花が揺れている。赤クローバーやシャスターデージー、ピンクのはフェアリーベッチだろうか。

 白い低い柵をした庭には、いくつかのラズベリーとブルーベリーの木が植えられている。アンネローゼが摘んでお菓子に入れるのだろう。ハーブティーの材料もある。アンネローゼはとりどりのお菓子を作り、かつてのようにそれを楽しむ。

 また、一匹の猫も飼った。

 まるでラインハルトの豪奢な髪のような黄金色の猫だった。名はシェーンヴェルト、美しい世界という。

 

 これが、本来の姿だ。

 

 何もなければ、アンネローゼが皇帝の寵姫になるという事件が起きなければ、最初からアンネローゼはキルヒアイスとこうしてささやかな生活をしたはずだ。

 正式な婚姻はしていない。

 それは政治的な配慮による。幼帝と皇太后の政治の対立軸に見られることは何としても避ける、そのメッセージの意味を含んでいるのだ。先帝の姉と副帝というのは大きすぎる旗なのである。

 二人の実態はもちろん仲睦まじい夫婦である。

 子はなかった。かわりに、後年ケスラー夫人になった侍女マリーカの子供たちをとてもかわいがったと伝えられている。

 

 もう一つ、館の従者らの証言によると、二人の呼び方は「ジーク」「アンネローゼ様」、生涯これは変わらなかったという。

 

 

 

 



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第五章 再び春が来て
最終話          平和の使者


 

 

 銀河帝国と自由惑星同盟が長いこと存亡をかけて戦い合った時代、それはもう過去のことになった。

 

 銀河には今や四つの勢力が存在する。しかも平和的に。

 皇帝の治めるローエングラム朝新銀河帝国、自由惑星同盟、そしてサビーネの治めるフェザーン大公国とイゼルローン共和国である。

 それぞれ権力世襲の帝政であったり、選挙を行う共和制であったりする。これだけ政体の違うものが共存しているのも凄いことだ。

 そしてどれも新しい発展の時代を迎え、人口の上でも経済的なことでも着実に伸びている。

 いずれは五百年前の人類社会最盛期のようになるのだろうか。加えてどの政体が人類に相応しいものなのか分かるかもしれない。ただしそれははるか未来のこと、今はお互い平和を楽しめばいい。

 

 

 

 正確に言えばフェザーン大公国は統合されたとはいえ旧フェザーン自治領と旧リッテンハイム大公国の間に少し違いがある。自由な商人の惑星フェザーンと、リッテンハイム家やブラウンシュバイク家の貴族の私領、その過去からくる隔たりはあらゆる面で大きい。

 その差はしかし、縮まっていきやがては融合するだろうと見られていた。

 自由、言い方を変えれば気ままな大公サビーネと、その逆に生真面目で有能な能吏ルパートの努力によって。

 

 大公サビーネは旧リッテンハイム領にこだわることなくフェザーンに住んでいる。呆れるほど自由なサビーネはフェザーンの空気を楽しんでいた。そして一番の目的がある。

 

「街もきれいじゃ。多少騒がしいのも妾は気に入ったぞ。そして何より、食べ物が美味い!! オーディンしか知らぬで生きていたら損するところじゃったわ」

 

 最後まで食い意地で決めている。

 フェザーンの民衆もそんなサビーネであればこそ受け入れた。ただの姫君や貴族だったなら受け入れなかったろう。

 

 市民にとって、サビーネの居丈高だが正直ではっきりしていて、何より見飽きないところが良かったのだ。決して見栄えだけのことではない。

 雑誌に年中サビーネのことが載らない日はなかった。見出しは日により様々だ。

 

「サビーネ大公、今日は腹痛。昨日は食べ過ぎか?」

「大公、靴を買う。これからは4.2cmアップの大公に」

 

 そして何とフェザーン名物の賭けのオッズも健在だった。

 

 大公の花婿候補

 フェザーン大公国首席行政補佐官 ルパート・ケッセルリンク 1.9倍

 イゼルローン共和国駐在武官   ダスティ・アッテンボロー 5.4倍

 

 こうした陽気な空気も実はサビーネはお気に入りだったのである。

 

 

 

 ヤン・ウェンリーは嫌々ながらイゼルローン共和国の一応の首長を続け、第一代表と呼ばれる地位にいる。

 何度選挙をやってもヤンが選ばれるのだから仕方がない。

 もちろんヤンは早期引退を考え、その回数制限を作ろうとやっきになっている。しかしながら議会で回数制限のことが出ると必ず流されてしまう。それに従わざる得ないのも民主主義である。最初にそれを決めていなかったロムスキーを怨むがもう仕方がない。もちろん選挙そのものに出ないということは、ヤンファミリーが結束して許さず、アッテンボローなどがおだててなんとかしている。

 

 そのイゼルローン共和国もまた大きく出目の違った二つの領域からなっている。イゼルローン回廊から帝国辺境側の領地と、反対側の出口付近にある旧同盟側の領地である。比率からすれば旧帝国だった領地の方がずいぶん広い。

 ただし首都は同盟領に属していたエル・ファシルにそのまま置かれている。ヤン達のゆかりという意味ではなく、最も民主的なところだからだ。この国は民主共和制を国是としてやっていくのだ。

 むろん一気に政体を同一化するには無理がある。ゆっくりと旧帝国領地の方も民主化を実施しなくてはならず、それには選挙、議会、憲法、こういったものに慣れていく必要がある。

 

 フェザーン大公国とは違う意味で意識改革を伴う実験国家なのだ。それが終わってやっと一つの国となれる。

 

 そして共和政体という点では自由惑星同盟と同じかもれない。しかし細かなところでヤン・ウェンリーの思想が色濃くあらわれている。

 

 ヤンは同盟で起こったクーデター騒ぎや、そこでドーソン大将の語った言葉の重みを決して忘れていない。政治家個人や民衆をも信用せず、その暴走とポピュリズムを抑える方策は必要であり、それこそかつてのルドルフは共和政府から発生してしまったものなのだ。ヤンはそれに対する方策も考えている。

 ヤンはそういう違いこそが同盟ではない共和政体として存在するイゼルローン共和国の意義だと思っているのだ。

 

 また、それはこれまでの戦いで亡くなった大勢の将兵のせめてもの弔いではないかとも考えていた。今まで百年以上にも渡り戦争が続いた。その結果であるからには。

 その膨大な犠牲が無駄ではなかったとするためには、まだ生きている者が意義あることにしなくてはならない。

 

「政治家個人の良心に頼るような政治は不健全だ。そこへのみ期待するのはもっと不健全じゃないかなあ」

 

 そう言うヤンにキャゼルヌがあっさり返した。

 

「ヤン、とりあえずお前さんには勤勉に働くという良心を期待させてもらうよ」

 

 エル・ファシルには第一代表ヤンとフレデリカの夫妻が住む。またその近くには補佐役のキャゼルヌ一家などヤン一党が多く住んだ。ユリアンとアッテンボローはひとまず駐在武官としてあちこち転任する役についた。

 

 しかしすっかり職務を辞めて離れる人間もいる。

 

 ポプランはより自由な方を求めてフェザーンへ旅立った。

 そこに偶然にもシェーンコップが乗り合わせてしまう。

 

「おいポプラン、モテ競争のリベンジのためにフェザーンまで行くとは、ヒマなお前さんが考えそうなことだ」

「リベンジってのは、負けた方が使う言葉でしょう。一人称と二人称を取り違えるような中年にはなりたくありませんね。それに、撃墜スコアはワルキューレ以外にはつけてませんよ。量より質にこだわりたいんで。それで、中年こそフェザーンに何の用が?」

「フェザーンで海賊相手の傭兵募集だそうだ。トマホーク持って柔軟体操でもやってくるさ。ポプラン、カリンの結婚式くらいには来るだろ? それまで死ぬなよ。お前さんは軽口で死ぬ相が出ているのが見えるぞ」

「死ぬには順番てものが存在してるんで。お先にどうぞ、シェーンコップ准将」

 

 

 

 

 わたし自身は旧ランズベルク伯爵領に住んでいる。

 

 そこはイゼルローン共和国内の旧帝国領に属し、要するにわたしはこの地域で民主化を進めていくための取りまとめ役だ。ヤンの努力によってこの地域も同盟への敵愾心はなくなったが、それでもガチガチの民主派であるエル・ファシルに追い付くためにはわたしも頑張らなくてはいけない。

 そして連絡や通商のためにエル・ファシルとオーディンへしばしば赴く。

 フェザーンやハイネセンは遠いのでさすがに数多く行くことはできない。

 

 しかし、逆に行かねばならない用事がある。

 それは「大会議」のためである。

 

 年に一度、この四つの国の政府高官が一堂に会する機会を設けているのだ。場所は順番に持ち回りにしている。その会議で国同士の意見をぶつけ合う。しかし武力をぶつけ合うよりよほどいい。

 この大会議は楽しみであり、わたしもサビーネやジェシカさんと会える。

 わたしの立場は地域の顔役というだけであり、高官や首脳部とはとても言えない、小さな立場である。

 それなのに、どこの国の高官もわたしを知っていて、親し気に声をかけてくれる。

 

「カロリーナが来ぬと話にならんのじゃ。むろん、レシピも持って参れ。舌が期待しておるぞ」「カロリーナ様とお話しとうございます。お時間取って頂けますか?」「カロリーナさん、お元気ですか?」

 

 どうもこの大会議にわたしが出るのは当たり前にとらえられているようで、ありがたいことだ。

 

 

 

 また、この大会議によって離れた友に会える人がいる。

 ミッターマイヤーはロイエンタールと年一度は一緒にワインを飲むことができるのだ。

 

 オスカー・フォン・ロイエンタールは将帥の多くを失ってしまった自由惑星同盟で丁重に扱われた。理論と実践のバランスのとれた貴重な客将として誉れ高い。いずれ士官学校の校長に、との話もある。

 一方のミッターマイヤーは退任したマリーンドルフ伯の後任として国務尚書に就任した。そこで公明正大をモットーに忙しい毎日を送っている。そして、今帝国が上手く回っているのは死んだオーベルシュタインが礎を据え、不要物を焼き払った結果だということがようやく分かってきた。あの嫌われ者の孤高の英雄は、たしかにその劇薬のような政治で見事なことをしたのだ。

 帝国軍はミュラーなどの元帥に任せていた。自分では事があれば第一線に出るつもりでいたが、それは先帝ラインハルトが任じてくれた大元帥の称号を忘れていないためだ。しかしその機会は訪れそうにない。

 この年一回の大会議も暇ではないがロイエンタールに会えるのは何よりも楽しみ、しかしやっと授かった一人息子フェリックスの世話に忙しいエヴァンゼリン夫人は「家にいるより大会議に行く方が楽しそうですのね」と夫にチクリ言うようになった。

 

 

 

 

 これで宇宙はやっと安定を取り戻した。

 

 二つの大きな勢力が直接接さなくなったのが大きい。

 フェザーン回廊でもイゼルローン回廊でも帝国と同盟とが接することはなく、フェザーン大公国とイゼルローン共和国という緩衝地帯がある。

 

 もう一つ、人口の配分が安定に寄与している。

 

 今までは帝国が人類の三分の二を占めていた。これでは、イデオロギーの問題をさておいても、弱者である自由惑星同盟は、生き残るために必死で噛みつくしかない。

 今の人口は自由惑星同盟が120億人、フェザーン大公国が60億人、イゼルローン共和国が30億人、そして銀河帝国が190億人となっている。これで銀河帝国が全体の半数を割り込んだ。

 これは決して偶然などではない。

 先の領地交渉の際、そのことをわたしは強く意識していた。

 人口と生産力を背景とした帝国の高圧的な態度は他の三国が協調すれば対抗できる。そうすれば帝国のありようもゆっくりと軟化し、絶対的な帝政も変わらざるをえないだろう。それができる人口配分、わたしの長期的な策といえる。

 

 

 もう一つのことを考えた。

 各首都星の性格付けである。

 オーディンは文句なく歴史と芸術の都だ。フェザーンは活気あふれる商業の都。ハイネセンはその気風で学術の都ともいえる。

 そしてエル・ファシルはどうだろう?

 わたしは文化の都にしたかった。もちろん、食文化の方だ。

 そんなことを考えていられる戦いのない時代、それがいつまで続くのか誰にもわからない。

 しかし、見通せるかぎり戦乱の足音は聞こえてこない。

 

 

 わたしは思う。

 

 平和の使者に、なれたのかしら。

 

 

 

 

 さて今日も新作菓子の発表だ。

 菓子を作るにも気合が入る。

 

 次の大会議はエル・ファシルの番なのだ。サビーネ様はもちろんのこと、皆に渾身の作を振る舞う。菓子作りの誇りにかけ、斬新なアイデアと素晴らしい味を楽しんでほしい。

 そういえば、次の大会議にはマルガレーテ・ソーンダイクも来ると聞いた。養父にならい政治家を志しているそうだ。聡明な彼女はきっとジェシカの片腕になるだろう。イゼルローン共和国のユリアンといい、次世代の萌芽が成長している。

 

 

 菓子作りというものは工夫と試作の繰り返しが必要である。

 最近、ヨモギが生クリームに合うのを発見した。少しの苦みが味に奥行きを与えてくれる。しかしその微妙な配分を間違えたら何にもならず、そのため試作を繰り返す必要がある。

 試作菓子を消費してくれるのはまた今日もファーレンハイトだ。

 さすがに連日なのは気が引けるが仕方がない。メックリンガーはオーディンの芸術コンクールで忙しい。

 

 わたしは慣れた手つきで紅茶をポットから取り、カップに入れて差し出す。

 そこにヨモギ入りのタルト、ロールケーキ、エクレアを並べて出す。

 

「令嬢…… 辞書にある飽きるという言葉の意味を引いて見たほうがいいでしょう。さすがに」

「何言ってんのよ、ファーレンハイト。お酒の方は飽きないの?」

 

 そう、知っている。

 先月にはビューローの結婚式があった。つい三日前にはルッツの結婚式があった。

 いずれも美しい花嫁がいる。皆が祝福する華やかな結婚式だ。それを見ながら、ケスラーがウェディングドレスの感想とメーカーをこっそりメモしてるのをみんな知っていた。マリーカ嬢のウェディングドレスくらい本人に選ばせてやれよ、ケスラー、と皆は思った。

 結婚式のあと独り身のファーレンハイトは、同じく独り身のベルゲングリューンとずいぶん深酒をしている。

 

 

 

「それ食べ終わったら感想とか、思いついた工夫とか聞かせてよ」

「今日の内に全部ですか、令嬢」

「賞味期限がありますからね」

「賞味期限ですか。菓子もそうですが、令嬢もそろそろ期限が」

 

 また何という憎まれ口を言う!

 激動の時期を続けてこの歳になってしまっただけなのよ。

 

「な、何ですって!? でもお生憎様。ファーレンハイトの方がとっくに賞味期限を過ぎてますわよ」

 

 そうだわ。年齢を言うならそっちが先よ。まいったか。

 

「令嬢、令嬢は賞味期限など気にする性格でしたかな。菓子でも、自分の相手についても」

 

 

 何、今の言葉は。

 ファーレンハイト、何、目をそらしてんのよ。しっかりこっちを見なさい。

 

 ほら今よ。待っててあげるから。

 もう何年も待っていたのよ。もう少し、何分かなんて待っててあげるわ。

 

 

 女には、はっきり言ってほしいときがあるものよ。

 

 

 

 

                    - 完 -

 

 

 

 

 




 
 
ここまでお読み頂いてありがとうございます。

エピローグが一つありますが、それは第二弾作品「見つめる先には」への橋渡しです。
そちらもまたよろしくお願いします。
カロリーナの物語はここで完結しています。
完結できて、本当に感無量です。


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エピローグ&プロローグ  亡国の妹

 
 
 決してこれは夢落ちではありません。
 もう一つのカロリーナの物語、「見つめる先には」そこへつながるエピローグ&プロローグです。



 

 

 また、夢を見た。

 

 私は、昔から長い夢を見る癖がある。

 見る夢は二つある。

 一つは、二ホンという国に生まれ、平和のうちに過ごす夢だ。

 小学校も中学高校大学も、平凡に過ごす。

 それなりに楽しくそれなりにしんどいこともあった。

 平均にすれば、ほんのちょっぴり楽しいことが多いくらいだ。

 しかし、この夢にははっきりとした終わりがある。

 19歳より先が無いのだ!

 まるっきり唐突に生活が終わる。

 

 もう一つの夢は、私がカロリーナという名で呼ばれている。なぜか私の名が帝国風になってるのはどうしてだろう。

 そこでいろんなことを体験する。

 特に、軍を率いて艦隊指揮などをやり、そして勝ったりするのだ。

 気持ちがいい。

 私の願望が現れているのか。私にそんな願望があるのか。

 

 夢の最後、帝国と自由惑星同盟が平和に共存していく。

 そんな幸せな終わり方なのだ。

 この夢はあまりにリアルであり、単なる頭の中の作り物には思えない。もしかすると本当に誰かがそんな人生を歩いたのかもしれないほどに。この人生を私は知っている気がする。誰かに話せば一笑に付されるだろうが、私はそういう思いを捨てきれない。

 おかしいことだろうか。

 夢は覚めている時に振り返るから夢なのだ。

 夢を見ているときはそれが全て、誰がそれを本物でないと言えるだろう。

 

 夢が大事なのはリアルなだけのせいではない。その夢のおかげで知っていることがある。

 

 自由惑星同盟が危機にさらされることを。

 その危機をもたらすのが、私の大好きな兄であることを。

 これからのことを知っているという感触が切ない。

 変えたい。これを変えたい!

 どんなことをしてでも。兄と、私と、滅びゆく自由惑星同盟のために。

 

 

 

「キャロル、またなんか妄想?」

「学年一の天然さんに言われたくなーい」

 

 そう、自分の思いに捉われ、ついついぼんやりしてしまった私に話しかけてきたこの子がフレデリカ・グリーンヒル。

 女性士官学校の同期であり、私とは入学以来いちばんの仲良しなのだ。

 

 フレデリカの特徴はヘイゼルの瞳を持ち、少しタレ目の美人さん。しかしその能力は見かけよりもはるかに高い。常人に真似のできない正確な記憶力と計算の速さ、しかも見かけによらず体力もある。

 この女性士官学校では成績2番か3番、それより下に落ちたことがない。

 

 でも私は知っている。

 彼女は意外に抜けたところがあり、そのため料理や洗濯も生活に関わることはまるでダメだ。私が菓子作りが趣味なのと違って。お父さんが過保護でそういったことを全然させてもらえなかったためだと言っていた。

 しかも、彼女は男性の好みがはっきりしていて、「ぼさっとした、黒髪」ときている。おまけに「身長175cm」。

 当てはまる幸せ者の名を知っているのは私だけだ。

 私だけに教えてくれた。

 本当なら、好きな人をこちらも教えてあげるのが礼儀というものだろう。

 しかしそれができない。こちらは兄ばかり追ってここまで来たからだ。

 

「そうね、キャロルはお兄さん子、一人娘にはわからないわ」

 

 フレデリカに呆れられるしかない。

 

 

 そう、私の兄は鋭い知性を持ちながら、中身はロマンチスト。現実と合わないくらいの理想家肌。

 それがいいのだ。

 兄に憧れたせいで真似事をするように私は女性士官学校に入った。もう少しで卒業だ。

 

 兄の方はもう三年前に士官学校を卒業していた。

 しかも首席で。

 アンドリュー兄さんは私の誇りだ。

 追い付きたい。フレデリカには悪いが私だって頑張って学年成績一位は譲らない。

 

 来年、宇宙歴794年に私たちは卒業するだろう。

 今、宇宙は帝国と同盟の戦いが近年にないほど激しくなってきている。ティアマトやヴァン=フリートが戦場になり、年中行事のように大規模な艦隊戦がある。

 

 私たちの卒業後はどうなるのか。

 自由惑星同盟軍では、女性ももちろん士官学校を出れば士官として入れるのだが、いいところ中佐止まりなのである。艦隊指揮どころか艦長にすらなれない。通常には補佐の副官職で過ごす。

 

 それでも私は頑張りたい。

 決して夢で見た筋書きになんかさせない。

 

 

 今、キャロライン・フォークの物語がここから始まる。

 

 

 

 

 




 
 
ここまで読んで頂いて、お気に召しましたら、是非カロリーナシリーズ第二弾をご覧ください。
同盟側キャラの奮闘です。



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