赤崎君のダークヒーローアカデミア (もちもチーズ)
しおりを挟む

1時間目!

 ───全く今日は、厄日だ。

 

 リュックを肩に担ぎながら、赤崎 葵(あかさき あおい)は目の前の状況をそう断じた。朝の占いを普段見ない葵だったが、もし今日たまたま確認していたりしたら間違いなくワースト1位だったんだろうなぁ、と現実逃避気味に考える。

 

 今の状況を簡潔に述べるならば、葵の視界には二人の男と、人質となっている一人の女性。女性は首に刃物を突き付けられ、恐怖で震えている。男二人は俗にいうコンビニ強盗というやつだった。

 

「てめぇはさっさと、金だけだしゃあいいんだよぉ!!」

 

 片割れの金髪の男が乱暴な口調でコンビニ店員に詰め寄っている。コンビニ店員も、こういった際のマニュアルはもらっていないのかワタワタと慌てている。

 

 そんな中、葵は籠に朝ご飯用のサンドウィッチ2つとブラックコーヒーを入れて、レジに詰め寄るコンビニ強盗の後ろで悠長に順番待ちをしていた。

 

 普段であれば葵という人間はどちらかというと極めて時間にルーズな人間である。本人曰く、人とは自由でなくてはならないという言い訳のもと行動しているらしい。

 

 だが今日ばかりは違う。葵はとある高校の入学試験を受けにいかなければいけない。行かなければ親もいない自分を家族同然に育ててくれた方に申し訳が立たない。というのは冗談でサボったのがバレた場合、葵の命はその日の内に潰えるためである。

 

 ────店員も、金出すなら出すで早くしろよ。

 

 何故か謂れのない中傷を受けるコンビニ店員。そんな彼の葛藤が終わり、ようやくレジからお金を出す決意を固めた彼の手がレジへ伸びた時、女性にナイフを突きつけていた黒髪の男が、ようやく後ろに並んでいた葵に気付く。

 

「てめぇ、何してんだ?」

 

 流石の男も呆気にとられた顔で葵を見下ろす。葵の身長は低く、ガタイのいい男達からすれば頭1個分は軽く低い。葵は見下ろされていることに多少不快感を抱きながらも並んでます、と男の問いに律儀に答えた。

 

 そのやり取りに金髪の男も葵の存在にようやく気が付いた。顔面神経痛のような面を更に歪ませ、葵を眼力で怯ませようとしてくる金髪の男に、やるなら早く済ませてくださいよ、と葵は表情を変えずに告げた。

 

 その言葉にレジの男性と人質となっている女性はぎょっとした。助けるでもなく、助けを呼びに行くでもなく、犯罪を見過ごした。世間一般で見れば、こんな子供に何を期待しているのかとも思えるが、それでもこれほどあっさり見捨てられるとは。コンビニ店員が失望していると、金髪の男が早くしろ!とがなりたてる。

 

「お前、頭ちょっとおかしいんじゃねえか?」

 

 黒髪の男が葵に怪訝な表情を向ける。テレビの中でも、おとぎ話の中でもない、現実に自分の目の前で起きている犯罪に対して、葵の状態は極めて普通だった。まるでこんなことは飽きるほど見てきた、というように。

 

 男達から見て、葵は極めて普通ではあったが、葵の内心は焦りが見え始めていた。人様の邪魔は出来るだけしないほうがいいのは当たり前だったが、このまま待っていれば時間だけが過ぎ、入試に遅刻する可能性は高い。

 

 ───いっそ朝飯を諦めるか?

 ───いや、朝飯を抜けば能力の行使に影響が出る。

 

 降って沸いた考えを即座に否定したその時、葵に妙案が思い付いた。

 

 ───そうか。事情を話して先に買わせてもらおう。

 

 そう考えると、葵は黒髪の男に話しかけた。

 

「あのーすみませんけど俺これから雄英の入試行かないといけなくて、先にレジ打たせてもらっていいですか?」

 

「あぁ? 雄英の入試? やめとけやめとけ。お前みてえなチビじゃ受からねえよ」

 

 ぴくりと葵の指が痙攣した。男は葵から既に視線を切り、金髪の男と同じようにレジに詰め寄りお金を催促している。

 

 黒髪の男はそんなこと気にも止めておらず、金髪の男は黒髪の男と葵のやりとりすら知らない、コンビニ店員は、どうやってこの窮地を凌ごうと孤軍奮闘中。そんな中、人質の女性だけが、葵の変化に気付けた。

 

 男にしては長い、肩にかかるほどまでの艶のある黒髪をゆらゆらと立ち上げる葵。 黒髪が形を成し始める。二人は気づかない。

 

「"変異"」

 

 ぼそりと葵が口走ると、髪は一気に大きな手へと変貌を遂げた。それを二つ出来上がると、髪の手は意思を持つように強盗二人の頭をがしりと掴んだ。

 

「「ん?」」

 

 強盗二人が何が起きたか把握しようとした刹那、それは振るわれた。

 

「だぁーれが、顕微鏡で見ないと確認できないぐらいのチビだとぉ!?」

 

 ゴシャア!という何かが砕けた音。葵は髪の手で強盗二人の頭を掴んだ後、それを机に叩きつけた。強盗二人の頭から夥しい量の血液が流れ出す。でもこれだけは言わないと、と意識を繋いだ黒髪の男が最後に言葉を発した。

 

「そ、こまで、いってな───」

 

 言い切ること叶わず、男の意識は闇の中に消える。私情のついでに助けられたような感じになったコンビニ店員と女性だったが、お礼を言う前に葵は姿を消す。

 

 本来個性と言うのはそう大っぴらに使用して良いものではない。しかも、バレないように使用したわけではなく完全に戦闘行為として葵は使用していた。これでは警察が駆けつけた時、犯人と同じく葵も御用となる。そうならないための脱走だったが、葵は忘れていた。こういう公共の場においては必ずあるものを。

 

  ▼

 

「あー間に合ったか」

 

 急いでいた葵が足を止めた先は、目的地である雄英高校。続々と葵と同じくこの高校の入試を受ける者達が集まってきていた。

 

 ───俺も行こう。

 

 そう思って葵が1歩を踏み出した時、葵の前を歩いていた少年が突如姿勢を崩す。葵はコンビニでも見せた髪の手を作り出し、がしりと少年を掴む。

 

「うぇぇ!?」

 

 急に身体が宙に浮いたことに少年は戸惑いを隠せず、暴れる。その時、葵の横にふわふわした、麗らかとした感じの少女が駆けてきた。

 

「先に助けられちゃった」

 

 どうやらこの少女も少年を助けようとしていたらしい。葵はパッと少年を離し、髪を元に戻す。地面にびたん、と落ちた少年のぐぇ、という声が聞こえた。

 

「ちょ、ちょっと大丈夫?」

 

 赤くなった鼻をこすりながらも、少年は大丈夫大丈夫と少女に言い、葵は二人に注目された。

 

「何?」

 

 

 こてん、と首をかしげる葵に少年はいや、なんでもない!と焦った風に声をだし、助けてくれて有り難うと葵に礼を述べた。

 

 対して麗らかな少女はもうちょっと優しく降ろしてあげても良かったんじゃない?と不服気味だった。

 

「俺、先に行くから」

 

 葵はそんな少女の気持ちを知ってか知らずか、ふいっと少女から視線を逸らして校内へと入っていく。

 

「なんだか無表情な人だね」

 

「あの個性は髪を操るのかだとすれば操れる髪の量によって威力が上がったりそもそもあんな大きな腕を僕が転けるのを見てから作り出して僕を助けてくれるなんて自分の個性をよほど把握してないと無理なんじゃないかならあの人は」

 

 麗らかな少女は突如豹変した少年に多少引いていた。

 

 ▼

 

 ───アホみたいにデカい試験会場だな。

 

 誰もが思ってるようなそんな感想を葵も思っていると、葵は人混みの中に見知った顔を見つける。それは相手も同じだったらしく、小走りでこちらに駆けてくる。

 

「さっきの人だよね!同じ会場だったんだね」

 

 葵に話しかけてきたのは、先程校門で出会った麗らかな少女だった。葵がじっと少女を見てると少女は何かに気付いたように手を叩いた。

 

「あ、自己紹介まだだったね。私は麗日 お茶子。君は?」

 

「赤崎 葵。いいのか?俺なんかと喋ってて。さっき落ち着くために深呼吸してたみたいだが」

 

 葵の指摘に麗日は見られてたかー、と麗らかな笑みをこぼした。どうやら知らない人の中で、緊張を解そうとしても中々に解れず。ならば知ってる人間と会話して緊張を解す作戦らしかった。

 

「俺、お前と会話した覚えがないんだけど」

 

「ひどいね・・・。ま、まぁいいや。それより赤崎くんの個性って」

 

 《ハイ、スタート!》

 

「「え?」」

 

 その声が響いてから数十秒後、受験生達は呆気に取られる葵と麗日をおいて我先に試験会場に雪崩れ込んでいった。後先程校門で葵が助けた少年も出遅れていた。

 

「ちっ! 後でな!」

 

「う、うん!」

 

 すぐに意識を切り替えた二人。葵は翼を生やして空から策敵を行い、獲物めがけて急降下した後髪の手でロボを粉砕していく。

 

 ───へぇ。あいつは触ったものを浮かす個性か。

 

 葵は策敵の最中に麗日に目をやると、彼女は彼女で触ったロボを次々に浮かしていた。

 

 ───あれも撃破扱いになるのか。基準がわからないな。

 

 そんなこんなで時間は経過していき葵はふと、空気が痛くなったのを感じた。次の瞬間、地面を突き破って超巨大なロボが姿を現す。プレゼント・マイクの話していた0pointのお邪魔虫。あまりのスケールのでかさに葵は呆気に取られるが、これは試験だと思い直す。

 

 ───死人が出ないように調整ぐらいはされてんだろ。

 

 本来ならば倒しても意味のない相手。だが、赤崎 葵という男のスタンスは今も昔も変わらない。『邪魔するやつはぶっ潰す!』

 

 どうやら敵も葵を倒すべき敵として認識したらしく、その超巨大な腕を葵めがけて薙いでくる。それを葵は滑空することで回避し、そのまま急上昇して、ロボの顎を髪の手でぶん殴る。強盗達を鷲掴みにする手の数倍の大きさで、殴ったはずがロボは少々よろめくだけですぐさま再び腕を薙いでくる。

 

 葵が避けた腕がビルに直撃し、数多のコンクリート塊を雨のように降らせる。葵はそれを翼を肥大化させて、傘の代わりにし、コンクリート塊を防ぐが、ロボが横から薙いでくる腕に意識が向かなかった。

 

 その攻撃に気付けた葵は、片翼で防御の体勢に入るが、質量差というのは変わらない。人間が蟻にデコピンをすると、面白いほど吹き飛ぶように。葵もまた吹き飛んだ。

 

 地面を抉りながら吹き飛ぶ葵は、爪を獣のごとく変化させ、それを地面に食い込ませて衝撃を止めた。

 

「やりやがって!」

 

 こちらに向かって歩いてくるロボ。それを迎え撃とうと再び両翼を展開した時、葵には聞き覚えのある声が聞こえた。

 

「あいつ・・・!」

 

 突如として現れたロボ。そして少女も逃げたはずだ。実際ロボの歩く速度は遅く、逃げようと思えばいくらでも逃げれるだろう。そう、空から降り注ぐコンクリート塊の雨がなければ。

 

 麗日は序盤の遅れを取り戻そうと、会場の中心近くまで歩みを進めていた。故にロボ出現時に逃げるのが遅れ、コンクリート塊の雨により、足に怪我をしてしまっていた。

 

 ロボが麗日を踏み潰すまで後四歩。葵はロボの気をそらそうと立ち上がった時、ハッとした。見たくないものが見えた。

 

 ───火の雨が降った。厄災が降り注ぐ。絶望が感染する。そこにはただ、地獄があった。

 

 一瞬だけ見えたビジョンだった。葵が麗日を見ると、麗日は足を引きずりながらも必死に逃げようとしていた。だから葵は───

 

「もう、大丈夫だ」

 

「───え?」

 

 ───あぁ。なんで今なんだ。あの時ではなく何故今なんだ。その答えはホントにここで見つかるのか。なぁオールマイト。

 

「俺が、いる!」

 

 爪も翼もいつの間にか葵から消失していた。しかし、代わりに葵からは赤い蒸気がうっすらと上がっていた。

 

「目え瞑ってろ」

 

 麗日の返事を聞かず、倒れている麗日の一歩前に出る。ロボは一番近い葵を敵と認識し、その腕で葵を潰そうとしてくる。

 

「赤崎くん!危ない!」

 

「邪魔だ」

 

 ロボの手が触れる瞬間、ロボの手のひらに葵の振るった拳が当たった。接触音であるパシンという音とほぼ同時にロボの片腕が崩壊する音とともにロボの体勢が崩れる。ロボが最後に認識したのは、十メートル近くあるはずの自分の顔付近まで跳躍してきた、緑の髪をした少年の、泣きそうになりながら放つ光る右手だった。

 

 その光景に、麗日と葵は絶句した。右手一本でロボの片腕を破壊した葵だったが、あの少年は右手一本でロボを全壊へと追い込んだ。その光景に声が出なかった。

 

 ───アレは、オールマイトの・・・?

 

 だがロボを殴り倒した少年はまるで力を制御出来ていないように思えた。今だって着地するのにすら、まるで命をかけているような。

 

「お茶子。もうちょい待て」

 

「う、うん」

 

 葵は翼を生やして、軽く地面を蹴る。ぎゅん!と上昇する葵は、落下してくる少年を受け止める。

 

「大丈夫か、ってあまり大丈夫には見えないな」

 

「ご、ごめんね。何度も君に助けてもらって」

 

 葵は変色している少年の右腕を見た。一目見ただけでわかる重症っぷり。これが少年の個性なのか。

 

 ───オールマイトとはまた別の個性か?あれはこんな反動なんか出ないだろうし。そもそも同じ個性が二人の人間に発現することなんてあるのか?

 

 思考もほどほどに葵は地面に着地し、少年を降ろす。良く見れば腕だけではなく、足にも損傷があった。強大な力を得る代わりに自身の身体に多大なフィードバックが発生する個性。そういうものだと葵は少年の個性に関する考察を打ち切った。

 

「わ、私も助けてくれたらなって」

 

「あ、忘れてたわ」

 

「ひ、ひどい・・・」

 

 麗日の足を下敷きにしているコンクリート塊を翼でどける葵。潰された両足が見えると踏んでいたが、そこには立派な2本の足があった。

 

「え、なんで?」

 

「私の個性で浮かせてたの。でも疲れてて気を抜いたら個性が解けそうだったからそんなに動けなかったんだ」

 

 葵の身体からドッと疲れが吹き出た。葵は溜め息を吐きながらも麗日を起こした。

 

「ありがとね赤崎くん」

 

 もう麗日は自分で立てる。だと言うのに葵が麗日の手を離すことはなかった。むしろより強く握りしめられている。

 

「あ、あの赤崎くん? そんなに握られたらい、痛い」

 

 苦悶の顔を浮かべる麗日に葵はハッとなり手を離す。そしてすぐ、すまねえ、と頭を下げて麗日に謝罪した。

 

「い、いいよいいよ!元々避けられなかった私が悪いんだし」

 

 麗日から見て、赤崎 葵という少年はとてもクールな人だという印象だった。表情を変えずに、淡々と生きている。こういう人は、身体に芯が通っているのを麗日は知っていた。

 

 麗日の父親がそれだった。普段の父親は麗日のことを甘やかしてはいたが、こと仕事になるととても真剣な表情になる。葵のことも、麗日は同じような目で見ていた。

 

 だが今の葵はどうだろうか。通っていたはずの芯はどこか彼方へと消え、そこにいるのは不安定な何か。放っておけば消えてしまいそうになるほどの危なっかしい何かだ。

 

「せめてこれぐらいは」

 

 葵はその場に座ると、麗日の両足に触れた。ズキン!とした痛みが麗日を襲う。疲労もあり、立っているのがやっとのところの傷を刺激された。

 

 彼は何がしたいのか。麗日が葵の方へ目を向ける。葵は麗日のジャージをまくり、傷口を露出させていた。なんだ治療か、と麗日はホッとした。

 

 それにしても髪の手を作ったり、翼を生やしたり、ものすごいパンチを繰り出したり、と彼の個性は一体、と麗日が思考を巡らせていると、ヌルリ、と生暖かい何かが麗日の足を這った。傷口に何かが侵入してくる感触は、痛みを断続的に麗日に与えるだけではなく、それ以外のゾクリとした何かをも麗日に与えてくる。

 

「ひゃあ!?」

 

 驚いた麗日が下を見ると、葵がちょうど指を舐め、付着した唾液を麗日の傷口に塗り込んでいるところだった。感触は、傷口に消毒液を掛けられるものより優しくジクリとした痛みで、それが擦過傷の分だけ麗日に痛覚として発信する。と同時に痛みに以外にも何かが足を伝って麗日へと感覚として発信される。

 

「・・・・・・」

 

 一瞬の空白。思春期ど真ん中の麗日は現在進行形で体験しているアブノーマルなアレに、麗日は自分の顔色がどんな事になっているか想像がつかなかった。更にはそれを眺めていた少年とばっちり目が合い、少年はその光景に口をぱくぱくさせていた。

 

「な、ななななななにをしちょりやがってんですますかぁ!」

 

「え、な──がふぉ!」

 

 羞恥心で爆発してしまいそうだった麗日はセクハラを働いた知り合いの顎に蹴りをかます。今後二度と使わないであろう言語と共に。そして気付いた。怪我をしていたはずの足で人の顎を蹴ったというのに足が全く痛くないことに。

 

「ふー! ふー! あ、あれ?足が痛くない」

 

「当たり前だ。治療してんだから」

 

 むくりと無表情に起き上がる葵に、麗日は先程のことを思い出しながら赤面し後ずさる。やれ変態だのエッチだのと葵は散々に言われる始末。

 

 葵が近付くと顔を赤らめ後退りながら罵詈雑言が飛んで来るので葵は麗日の治療を一旦諦めた。そして葵は少年に向き直る。

 

「まぁ正直あいつよりお前のが重症だな。相性によるんだけど───痛みは引いたか?」

 

 葵は少年にも麗日と同じように傷口に唾液を塗り込む。

 

「い、いやあんまり」

 

 

 少年は痛みに必死に耐えながら言葉を吐く。

 

「そうか。じゃあ相性が悪いのかもしれない。とりあえず戻ろう。試験が終わってそれなりに時間も経ってる」

 

 葵は少年を担ぎ、歩き始める。その後ろを何とも言えない表情で麗日がついてくる。こうして多難に満ちた赤崎 葵のヒーローアカデミアは幕を開ける。彼がこれから先、どういった未来を歩くのか。それでは──"plus ultra"!!

 

 

 余談だが、この三人の様子は中継で今回の受験生、及び先生方には筒抜けだ。それが意味することは何も言うまい。

 

 

 ▼

 

 その日の晩、葵はとある場所に来ていた。葵は何かがあるとここに来る。全ての始まりと終わりの場所。いや葵の中でまだそれは燻っている。その答えを見つけるために葵は雄英を受けたのだ。ヒーローになるなどどうでもいい。

 

「赤崎少年」

 

「来ると思ってた」

 

 葵は背後から自分を呼ぶ声に振り向かず、返事をする。

 

「なぁオールマイト。俺はどうするべきなんだ。今日、見てたかもしれないけど麗日がやられそうになった時、俺はあの地獄を思い出したよ」

 

 相手の返事を聞かずに独白のように話し続ける葵。彼が饒舌になる時、それは彼の心が弱っていることをオールマイトは知っている。

 

「ホントに雄英に入学すれば俺のこれは消えるのか」

 

「雄英は数多のヒーローとのコネクションがある。君が雄英の中で結果を残し続ければ、いずれ君の苦悩を消し去ってくれる君だけのヒーローが現れる」

 

 オールマイトは自らの舌を噛みきりたい気持ちに苛まれていた。今回のオールマイトによる赤崎 葵の雄英への推薦入学。少しでも彼が楽しく生きていけるようにとのつもりがまさかの最悪の事態を引き起こしてしまった。

 

 "平和の象徴"として自惚れでもなんでもなく、多くの子供達のヒーロー像が私だろう。だがいくら強くても、いくら子供達の人気を一身に受けようとも、『オールマイトは赤崎 葵のヒーローにはなれない』。

 

 オールマイトは遅すぎた。そこにオールマイトによる落ち度はない。何故なら人の身では、広大な海全てを掬い上げることが出来ないように、全ての人命を救い上げることなど人の身では無理なのだ。

 

「そういえばオールマイト。今日面白いやつにあったんだ」

 

 気分を変えるかのように、葵の声が少し明るいものになる。恐らくは緑谷少年のことだろうな、とオールマイトも意識して声色を明るくする。

 

「オールマイトと同じようなやつだったよ」

 

「そ、そうか・・・」

 

 明るくした瞬間に、暗くなった。流石赤崎少年は勘が鋭いなぁ!とオールマイトは心の中で焦りを隠す。まぁ彼の場合は私の個性を力をブーストする類いの個性と考えているからだろう。

 

「ん、勘違いしてないかオールマイト」

 

 ようやく葵はくるりとオールマイトの方を向いた。艶のある黒髪に影が射し、髪の一部が隠れる。

 

「個性じゃなくて在り方が、だよ」

 

 その言葉を聞いた瞬間、オールマイトはあの泣き虫な少年を後継者に選んでよかったと心底思った。オールマイトが蒔いた種は確実に芽吹き始めている。

 

「でも今日は、君だって格好良かったぜ!」

 

 オールマイトはグッと親指を立てて葵へとサムズアップする。無表情だった葵の表情が少し、ほんの少しだが柔らかくなったような、オールマイトはそんな気がした。

 

「そういえば今日お昼ぐらいにね、警察から連絡があってね」

 

 ぐるん、と葵はオールマイトに背を向けた。心なしかその小さな背は更に縮み、小刻みに震えているようにすら感じる。

 

「雄英の受験生がコンビニで個性の無断使用をして───あ、赤崎少年!」

 

 逃げる。葵はたまらず逃げる。が、逃げれる訳がない。相手はあの平和の象徴。オールマイトなのだから。

 

「あーくそ。まじチートだろそれ」

 

 葵は普通に捕まり、借りてきた猫状態でオールマイトへ悪態をつく。

 

「HAHAHA! それはそうと赤崎少年。私は別に君を怒ってるわけじゃない。警察だって話を聞きたいだけらしく君を捕まえようとはしていない、と言っていた」

 

「忘れたのかオールマイト。俺はあんた以外のヒーローを信じてない。警察も同じだ」

 

 並みの人間なら卒倒してしまうほどの威圧感を放つ葵。オールマイトは何かを言いかけその口を閉じる。葵が身体をねじりオールマイトの拘束から抜け出す。

 

「じゃ、今日はもう帰るわ」

 

 スタスタと歩く葵に、オールマイトは何か声をかけようと口を開くが出てきたのは声ではなく、血だった。くそう、活動限界か・・・!とオールマイトはゴホゴホと気道の血を全て吐き出し、マッスルフォームを解除する。

 

「だが今日の少年は、どこか柔らかかったな」

 

 葵の人生がプラスへと向かっている。オールマイトはそう信じるしかなく、歩いていく葵の背中を見送った。

 

「ただいまー」

 

 葵の家は小さな孤児院だ。30半ばの夫婦が経営しており、葵の他に中学一年生の少女と、小学三年生の少年がいる。孤児院自体は夫の父親からの引き継いでいる。葵はその父親の代からお世話になっている。

 

「遅かったねー」

 

 ひょこっと玄関に顔を出したのは、桃色の髪をサイドテールで纏めている、赤崎 明。血は繋がっていないが、葵の妹である。明は4歳の時に捨てられているところを赤崎夫婦に拾われた。親に捨てられた悲しみから口が全く聞けなかったが、皆の世話の甲斐あって何とか克服した過去がある。

 

「あー。オールマイトと話してた」

 

「えぇっ!オールマイト来てたの!?」

 

 ドタドタと玄関に現れたのは、葵よりまだ更に背が小さい黒髪の少年。ちなみに葵と明の背比べは明に軍配が上がる。ちなみに明がこれを弄ればもれなく、数多の髪の手によるくすぐりプレイが待っている。

 

「あー。今回の試験の話な」

 

 嘘をついた。だが話すわけにも悟られるわけにもいかなかった。葵がそう話すと少年──赤崎 翔はキラキラした目を葵に向けながらいいなーと言っていた。

 

「とりあえず風呂いってくる」

 

 葵はそのまま風呂場を目指す。翔と明は二人目を見合わせて、何か変、と呟いた。

 

 風呂から上がり、居間へ顔を出すとテレビの前には翔と明。それを見つめる夫婦がいた。

 

「ただいま」

 

「「おかえりー」」

 

 居間の扉をパタンと閉め、葵は自分が母と呼ぶ女性の隣へと腰かける。夫婦の視線が明と翔から葵へ向く。

 

「どうだったの試験は?」

 

「まぁ葵の個性なら心配はないと思うけど」

 

「子供の口から聞きたいのよそういうのは」

 

「大丈夫だよ母さん。あれで落ちたら今回は化け物揃いだ」

 

 ───一人いたけどな。あの爆発させる個性のやつ。

 

 葵は疲れたようにぐでーっと椅子にもたれかかり、麦茶を飲む。

 

「ようやくなんだ。ようやく救われる」

 

 手のひらを上に向け、何かを握るような仕草を見せる葵。そんな葵を赤崎夫婦と明は何も言えない表情で見ていた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

2時間目!

 月日は流れて、雄英高校の入学日となる。当然とばかりに葵は合格を勝ち取り、その基準となるポイントも稀に見る三桁へと到達していた。

 

「さて、と。んじゃ行ってくるわ」

 

「いってらっしゃーい」

 

 送り出してくれるのは、赤崎妻と明。そんな二人に背中越しに手を振りながら葵は家を出る。

 

 前に通ったコンビニを大きく迂回するように雄英を目指す。結果前より10分ほど遅れて葵は雄英へと到着する。

 

 ───いかん、あの日から警察に少し苦手意識が。

 

 そんな風に思いながらも、葵は自らの教室である1-Aの教室を開ける。途端にクラス中が葵へと向く。

 

 ───お茶子とあいつはまだか。

 

 葵は黒板を見て、自分の席を探す。黒板によると葵の席は窓際の一番奥だった。これは寝るのにも好都合だと少し上機嫌になりながら席へ向かおうとすると、オイ、と声をかけられた。

 

 葵が声をかけられた方を向くと、目付きの悪い特徴的な髪型をした少年が机に足をかけながら不機嫌そうに葵を見る。

 

「てめえだろ。入試を一位で通過したっつうクソ野郎はよお!」

 

「だったらなんだよ」

 

 ギラギラとした目付きと、無表情の絶対零度の瞳。一触即発の空気に流石にマズイ、と思ったのかメガネをかけた高身長の七三分けをした少年が止めにはいる。

 

「やめないか君たち! こんな初日に喧嘩みたいな野蛮なことは!」

 

 その時、ガラガラ!と扉が開く音がする。葵がそちらの方をチラッと見るとそこにはあのオールマイト擬きの個性を持った少年がいた。

 

「そもそもそっちの君! 机に足をかけるな!雄英の先輩方や机の製作者方に申し訳ないと思わないのか!」

 

「思わねーよてめえどこ中だよ端役が!」

 

「あー俺はもう行くぞ」

 

 二人の口論により、弾かれた葵はスタスタと自分の席につく。ふー、と席につくと前の席に座っていた少女がくるりと振り返ってきた。

 

「ああいう野蛮な方は何処にでもいますわね」

 

 葵は黒板により、目の前の少女の名字だけは知っていた。少女にしては背が高く、葵の頭一つ分は高い身長、端正な顔立ちに出ることは出て引き締まるとこは引き締まっているスタイル。

 

「敵だな」

 

「え?」

 

 思わずの高身長に呟いてしまい、すぐになんでもないと言葉を訂正する葵。少女も小首を傾げていたが、特に気にしなかったのか、話題を変えてくる。それは葵が入試をダントツ一位で通過したというものだった。が、葵はそれを知らなかった。

 

 葵がそれを知らないのも当然だった。葵に宛てられたプロヒーローによる合格通知のビデオを葵は見ていない。合格なのはわかりきっているのだから見る価値はない、と入学の書類だけ抜くと後は全てゴミ箱にポイしてしまっていた。

 

 私もかなり自信はあったのですが、と葵の目の前の少女は自身の不甲斐なさに少ししょげる。

 

「じゃあお前は二番だったのか」

 

「乙女が傷付いてるところに塩塗りたくるような真似するんですのね」

 

 少女は戦慄したように葵を見る。まぁ最早言うまでもないが赤崎 葵という男は空気を読むという言葉を知らない。思ったことを言うし、思ってもないことは言わない。良くいえば素直で悪くいえばKYなのが赤崎 葵という男である。

 

「あのような痴態を見せた上で一位なんて───」

 

「おいまて痴態ってのはどういうことだ?」

 

 痴態。愚かな振る舞いや馬鹿げた態度のこと。だったと葵は記憶している。だが良く良く思い返したとて自分があの試験の日にそのようなことをしただろうか。いくら考えてもその答えはNOであり、少女が下した評価の意図がわからない。

 

「ほら、あれです。救助した少女の足を───」

 

「ちょっと、待ったぁー!」

 

 ゼーハーゼーハーと海賊王に一番近い男よろしく息を切らして顔を赤らめながら少女の発言を切ったのは、ちょうど話題の渦中だった麗日である。

 

 おはよ、と気軽に声をかける葵を麗日はキッと睨んだ後、少女の肩を掴み、頼むからそれだけは止めてくれ、とあまりの必死さに少女が引くぐらい懇願すると少女は、わかりましたわ、と引き下がってくれた。

 

「あいつ何キレてんだ?」

 

「それを本気でいってるなら尊敬しますわ」

 

 ぷりぷりと怒りながら席へ戻る麗日に小首を傾げる葵。そんな葵を見てやれやれと頭を振る少女。そうしていると、ガラガラ!と扉が開き、寝袋が入ってきた。

 

 クラス一同が何故寝袋?と心を一つにするなか寝袋が独りでに開き、中からひょいっと男の首が現れた。やがて男は寝袋から全身を外気に触れさせ、教卓にある机の角に手を添えて、1-Aの面々を見渡す。

 

「ハイ。静かになるまで8秒かかりました。時間は有限、君達は合理性に欠くね」

 

 髪は葵と同じく肩ほどまで伸びており、目は少し腫れぼったく、多少は整えられているが剃り残しが目立つ髭。街中で見かければ間違いなく不審者発見!と通報しそうな見た目だが、ここは雄英高校である。

 

 普通学校には先生と生徒しかいない。どう見たって生徒には見えない、となれば必然的に目の前のこの不審者紛いの男は、

 

「担任の相澤 消太だ。よろしくね」

 

 簡単に自己紹介だけ済ますと、相澤は自身が入っていた寝袋をゴソゴソと触りだす。そこから取り出されたのは、雄英高校の体操着だった。

 

「早速だが体操服着てグラウンドに出ろ。そこでお前らにはしてもらうことがある」

 

 相澤の有無を言わせない発言に麗日が立ち上がる。

 

「あの・・・! 入学式やガイダンスは!」

 

「ヒーローになるならそんな悠長な行事、出る時間ないよ」

 

 ここは雄英高校。ヒーローになるための高校。雄英には自由な校風というのが存在するが、それは生徒にだけ当てはまるというわけではない。つまり、この雄英高校。先生によるパワハラを耐えれたものこそがプロヒーローとしての道を切り開ける高校なのだ。

 

「ようこそ、雄英高校へ。ヒーローの卵達」

 

 個性把握テスト。ソフトボール投げ、立ち幅跳び、50m走、持久走、握力、反復横跳び、上体起こし、長座体前屈、およそ中学までで誰しもやったであろう体力測定。それをここ雄英高校では個性を使って行う。超常の力を使って行われる体力測定。当然普通の結果が出るわけもなく、

 

「爆豪、ソフトボール投げ705.2m!」

 

 といった規格外な値が出る。おぉー! と皆が感嘆の声を漏らす中、葵は一人そわそわしていた。それに気付いたのは、赤い逆立った髪の少年だ。

 

「おめー何そわそわしてんだ? 体力測定初めてじゃねえだろ?」

 

 小学、中学、と上がっていれば当然行っているはずの体力測定。少年が葵のことを緊張してるのか、と肩を叩いて緊張を解そうとすると思いもよらぬ答えが返ってくる。

 

「初めてだよ。なんだよ長座体前屈って字面だけじゃまじわかんねえ」

 

「へっ!?」

 

 そう。この赤崎 葵は小学、中学、ともに学校へは通っておらず、オールマイトの推薦というのと一応中学卒業レベルの学力はある、ということでの異例の高校入学というわけである。

 

「じゃあ次、赤崎投げろ」

 

 相澤から呼び出しがかかり、どういうルールなのか分からずにサークル内に入る葵。先程の少年が葵に近付きルールを説明してくれる。

 

「つまり、足が円の外に出ないようにしてこのボールをどれだけ前に飛ばせるかってことか」

 

「そうだけど、まじで知らなかったのか」

 

 今の二人の会話で大体の者が、葵が体力測定を知らないことが分かり、ざわめきが起きる。それを気にも止めず、葵はぶんとボールを投げた。

 

『赤崎 葵 ソフトボール投げ 71m』

 

「こんなもんか」

 

「おいおい! 個性使わないでどうすんだよ!」

 

「こいつ馬鹿か」

 

 記録にうんうん、と納得していた葵に赤髪の少年がツッコミを入れ、担任の相澤がはぁ、と溜め息を吐く。そんな二人の反応を見て、あ、と呆気に取られる葵。

 

「もう一回ある。真面目にしろよ赤崎」

 

 相澤から投げ渡されたボールをしっかり握り混み、葵は相澤に確認をとる。

 

「足が、出なければいいんだよな?」

 

「? あぁそうだが」

 

 その言葉に葵はよし、と呟きボールを少し上に放った。周りが何を? と疑問を持った瞬間に葵の髪を全て纏めあげた髪の手が出来上がる。あまりの規格外の大きさに皆が声を失っていると、髪の手は動きだし、対比で豆粒程度のソフトボールを遥か前方に向かって吹き飛ばした。

 

 一瞬で見えなくなるソフトボール。葵は髪の手を解除し、記録を待つ。そんな時、バシッと肩を叩かれた。

 

「おめーすげえ個性持ってんなぁ!」

 

「あーさっきはありがとな。切島だっけか?」

 

 切島 鋭児郎。それがこの赤髪の少年の名前である。硬化という個性を持ち、人当たりのいい、元気な少年である。

 

「俺も見てたぜー! いやーすげーよお前の個性!」

 

「ほんとほんと! 髪を操る個性なの? あ、でも入試の時は翼生やしてたよね」

 

 続いて現れたのは褐色の肌をした少女と、金髪のチャラチャラした風体の少年だ。

 

「えっと芦戸と上鳴だっけか?」

 

「すげえ。席順の紙見ただけだろ。よく覚えてんな」

 

「ソフトボール投げは知らなかったのにねー」

 

「うるせえ。知らねえもんは知らねえんだよ」

 

「おいお前ら。くっちゃべってると除籍するぞ」

 

 相澤から釘を刺されて、口をつぐむ四人。相澤のいったその言葉に嘘偽りはなく、今回のこの体力測定。順位が最下位だったものは除籍という、極めて不条理な罰ゲームが待っている。

 

 ピピっという音とともに葵のソフトボール投げの計測が終了する。

 

『赤崎 葵 ソフトボール投げ 1,018m』

 

「次は立ち幅跳びか」

 

 葵は飛んだ瞬間に翼を生やし、相澤の方へ向く。

 

「どこまでも飛べるけど?」

 

「飛ぶんじゃなくて跳ぶんだけどな」

 

『赤崎 葵 立ち幅跳び ∞m』

 

「おぉ!立ち幅跳びで∞が出たぞ!」

 

「ソフトボール投げでも出てんぞ!」

 

『赤崎 葵 持久走 1分07秒』

 

『赤崎 葵 50m走 3秒21』

 

『赤崎 葵 握力 測定不能』

 

『赤崎 葵 長座体前屈 14m』

 

『赤崎 葵 上体起こし 97回』

 

 イカれているとしか思えない個性を打ち立てていく葵に皆の視線が一様に集まる。ちなみに上体起こしは髪を操り倒れたら髪で地面を叩きすぐさま起き上がるという技をやってのけた。そんな葵の最後の種目が反復横跳びだった。

 

「最後か。これは確か白線を跨ぐのは繰り返すんだったよな」

 

「そうだよ。流石にこれには葵の個性も使えないんじゃね?」

 

「無理だな確かに」

 

『赤崎 葵 反復横跳び 91回』

 

「いや十分すぎるわ化け物か」

 

「そんなことねえよ。それより───」

 

 葵がチラッと見ると、そこにはあの緑髪の少年がソフトボール投げで46mを出していたところだった。

 

「あーあいつか。今のところすげえ記録は一つも出てないはずだぜ」

 

 個性が発現しなかったことに慌てる少年。だが真実は担任である相澤の『消失』という個性による不発だ。少年の個性は自身に莫大なブーストをかける代わりに身体を負傷する。

 

 個性を使う度にそういったことが起こり、また誰かに助けてもらう。そんなヒーローにお前はなるのか、と相澤に告げられ、少年は何かを考えるようにうつむき、ボールを持ってぶつぶつと呟いている。

 

 そんな少年を心配そうに見つめる麗日の隣に葵が立つ。

 

「あいつが心配か?」

 

「赤崎くん。うん、やっぱり助けてもらったのもあるし」

 

 葵は少年を見る。何かを決意したかのように顔をあげる少年を見て、葵は麗日の頭に手を置く。

 

「あいつは大丈夫だろ。こんなとこで諦めるようなやつがあの時お前を助けたり出来ない」

 

「むっ! 君は確か赤崎くんだったか」

 

 麗日の隣にいた眼鏡をかけた高身長の少年が葵へ声をかけてくる。

 

「敵だな」

 

「え?」

 

 あの少女と同じ反応を示した葵に少年は少女と同じ反応を示す。その後三人が自己紹介を交わした瞬間、緑髪の少年が705.3mという数値を叩き出した。

 

「まだ───動けます!」

 

「すごい・・・」

 

「大丈夫だったろ?」

 

 その時麗日は初めて葵が笑ったようなそんな気がした。そしてそんな葵に自分が見惚れていることに気がつき、頭に乗せられている手を払いどけた。

 

「女って難しいな天哉」

 

「ぼ、俺に振らないでくれるか!」

 

「リア充爆発しろぉ!」

 

 こうして様々な決意を新たに、体力測定は終わりを迎えた。葵も新たに飯田、切島、芦戸、上鳴との会話を経てクラスの輪に溶け込む。葵の雄英での生活は順調なように見えた。

 

 ▼

 

 そんな個性把握テストから一夜明けての次の日。どこの高校でも変わらないような淡々とした授業を受けての、午後の科目。ヒーロー基礎学。

 

 ヒーローになるための基礎を学ぶ科目であり、そのジャンルは多岐に渡る。そして何より、この科目を担当するのが、平和の象徴、オールマイトである。

 

「今日君達に行う訓練はこれだ!」

 

 オールマイトが快活な声をあげ、『BATTLE』と書かれたプレートを取り出す。その為だけに作ってきたとすれば、いかにも新任教師らしい力の入れ具合だった。

 

「戦闘訓練!! それに伴って用意したのが───こいつだ!!」

 

 ヒーローに欠かせないもの。その問いを投げ掛ければ様々な答えが返ってくるだろう。その中の一つとして外せないのがこの戦闘服である。自らがヒーローであることを端的に示し、敵には畏怖を、味方には安心を与える。それが戦闘服の役目である。

 

「戦闘服、ねぇ」

 

 葵は自らに配られた戦闘服を見つめ、ぼそりと呟く。

 

「どーしたんだよ、赤崎。着替えて早くいこうぜ!」

 

 戦闘服を持ったまま固まる葵を不審に思ったのか、上鳴が葵に声をかける。

 

「あー先にいっといてくれ。すぐ行く」

 

「お、おう。そうか」

 

 いつも通りの無表情に上鳴は何か事情があるのか、と引き下がり、更衣室から姿を消す。先ほど緑髪の少年も部屋を既に出ており、部屋には葵しか存在しない。

 

「戦闘服、ねぇ」

 

 もう一度同じ言葉を呟き、葵も更衣室を出ていった。

 

「さぁ始めようか!!有精卵共!!」

 

 葵が入試にも使われた演習場へ出ると、オールマイトがそう宣言した直後だった。

 

「ん!? 赤崎少年、戦闘服はどうしたんだい!?」

 

 葵の姿に一番に気付いたのは、葵の対面にいるオールマイトだった。オールマイトの声によってクラスの皆は、葵が雄英の体操着を着ているのに気付く。

 

「あーそれだけど、この科目って戦闘服必須ですか?」

 

「んー必須というわけではないけど、作られた戦闘服の着心地とか要望通りに再現されてるか、とかも兼ねてるから着てほしいのは着てほしいんだけどな!!」

 

「あ、じゃあ大丈夫です。確認はしたんで今日は体操着着てやります」

 

「そ、そう」

 

 有無を言わせない葵の発言にオールマイトは強く出れなかった。そこに飯田が現れる。

 

「赤崎くん! そうやって一人勝手な行動を取ってクラスの輪を乱すのはどうかと俺は思うぞ!」

 

 葵の態度に物申した飯田に葵はその無表情を向ける。

 

「今この場において決定権を持つのは天哉、お前じゃない。オールマイトだ。そのオールマイトが認めてんだ、天哉の出る幕じゃねえ」

 

「ぐぬぬ・・・!!」

 

「わぁ。あの飯田君を言いくるめてる」

 

「着たくない理由でもあんのかな赤崎」

 

「さぁ。始めようぜオールマイト」

 

「あ、あぁ」

 

 オールマイトはしどろもどろになりながらも、自身作成のカンペを確認する。

 

「今回君達に行ってもらうのは、屋内での対人戦闘訓練さ!! このヒーロー飽和社会、真に賢しい敵は屋内に潜む!」

 

 オールマイトの話を要約すれば、これから葵達1-Aは『ヒーロー組』と『敵組』の2チームに分かれ、二対二のチーム戦を行う。『ヒーロー組』の勝利条件は制限時間内に『敵組』に確保テープと呼ばれるテープを巻き付けるか、人質扱いの『核兵器』に触ること。逆に『敵組』の勝利条件は、制限時間内に『核兵器』を守り抜くか、『ヒーロー組』に確保テープを巻くこと。なお、チームは籤で決める。

 

「先生!ですが我がクラスは21名です! 一人余りが出ますがどうされるのでしょうか!?」

 

「そこは大丈夫!! 最後の一人はどこかのチームに入ってもらうからね!! 三人という変則チームでどう戦うかもヒーローとして重要な課題だ!!」

 

「お前とか」

 

「文句ある?」

 

 葵のペアとなる相手は、特徴的な耳と目下に逆三角のペイントを施した少女だった。そして第一試合は、緑髪の少年───緑谷出久と麗日が『ヒーロー組』。『敵組』が爆豪と飯田だ。

 

「一応初めてだし自己紹介しとくよ。私は耳郎 響香」

 

「俺は赤崎 葵。まぁなんとでも呼んでくれ」

 

「じゃあ赤崎で。赤崎ってさどんな個性なの?」

 

「あ? あー言いたくねえ」

 

 葵はめんどくさそうに拒否を示す。だがそれに納得いかないのは耳郎である。なんで?と疑問を葵へと投げ掛けるが、葵は言いたくないの一点張りで通す。

 

「チームでしょ! お互いの個性が分かってないと作戦立てられないじゃん!」

 

「あー正直いうと一人でやれる。ヒーロー側だろうが敵側だろうがな。そういう個性なんだよ」

 

 なにそれ意味わかんない!と耳郎は葵の発言にご立腹である。ここにきて葵のありえないまでのコミュ力が発揮された瞬間だった。

 

 その刹那、建物全体が大きく揺れる。どうやら爆豪が屋内において最も悪手である広範囲爆撃を行ったことによる衝撃らしい。

 

「授業だぞこれ!」

 

 切島が叫び声のような声をあげる。葵が訓練の内容を映すモニターへ目を向けると、最早敵を体現したかのように凄惨にぶちギれて笑っている爆豪の姿があった。

 

「最早敵そのものだなあいつ」

 

「私もそう思うわ」

 

 葵のぽっと出た感想に便乗するように、隣にいた少女が声を出した。葵がそちらに目を向けると少女も葵の方を向いていた。

 

「私は蛙吹 梅雨。赤崎 葵ちゃんよね?」

 

「ちゃんはやめろ。ちゃんは」

 

「分かったわ赤崎ちゃん」

 

「お前絶対わかってないだろ」

 

 ケロケロと笑う蛙吹にはぁ、と溜め息を吐く葵。同じやり取りを繰り返すのもめんどくさいと蛙吹の呼び方の訂正を諦めた葵は、モニターに顔を向ける。

 

 モニターの中では、いよいよ大詰めを迎えていた。葵の元へ声は聞こえないが、何か思いの丈をぶちまける緑谷。それを受けて今までで一番凄惨に表情を歪める爆豪。有利であるはずの爆豪の方が不利なように錯覚する中、オールマイトの待ったより数瞬早く、二人の拳が交錯しあう。

 

 結果、勝った方はボロボロで負けた方がほぼ無傷というなんとも珍しい結果に終着した。勝ったとはいえ、身体がボロボロだった緑谷を保健室へ送り、残った面子で今回の訓練の講評が行われる。

 

「常に下学上達! 一意専心に励まねばトップヒーローになどなれませんので!」

 

 本来であるならば麗日、飯田、爆豪の評価をオールマイトが下すところをこの少女、八百万 百が全て話しきる。オールマイトは八百万の状況把握能力にただただ舌を巻くばかりだ。

 

 ───へえ、状況把握能力に長けたやつもいるんだな。敵だけど。

 

 続いて二回戦。葵の手番が回ってくる。相手は状況把握能力に優れた八百万とそんな八百万と同じく推薦での入学を果たした轟 焦凍である。『敵組』となった葵と耳郎は先に屋内へと入る。

 

「赤崎、アンタほんとに協力しあわないつもり?」

 

 核兵器の部屋で再び話し合いになる葵と耳郎。やはり話し合いの論点は葵の個性についてだった。

 

「確かにアンタの個性は横から見てても万能で一人でなんでも出来るかもしれないけど、これはチーム戦なんだよ?」

 

「協力する気がないとはいってない。ただ俺は自分の個性について話さない、といっただけだ」

 

「だからそれが協力する気がないっていってんでしょうが!」

 

 ヒーローにおける個性というものは確かに、あまりベラベラと話していいものではない。情報が広まれば、敵側に対策され、仲間の足を引っ張ったり、戦闘を長引かせ周りへの被害が大きくなる。

 

 だが耳郎も言った通りこれはチーム戦である。仲間の個性も把握せずに戦っていたのでは連携も何もあったものではない。こと防衛戦においてはそれが如実に現れる。それを危惧しているからこその耳郎の発言である。

 

「確かにアンタみたいな才能マンからしたらウチは足手まといかもしれないけどさ。それでもチームなんだから個性ぐらい教えてもらえないと連携の取りようが!」

 

 耳郎の不満たっぷりの声に、瞑目し耳郎の話を聞いていた葵がパチリと目を開け、耳郎の方を向く。「何よ?」と耳郎がジロリと葵へ訝しげな目を向けると、葵は耳郎の肩を掴む。

 

「へ、ちょっと何!」

 

「俺の作戦だ」

 

 そういって葵は耳郎の肩に置いていた手を下に下げ、耳郎の腰あたりに手を寄せ、耳郎を片手で持ち上げる。

 

「え?」

 

「はぁぁぁぁぁ!?!?」

 

 その様子をモニターで確認していた葡萄頭の少年、峰田 実が吠えた。その声はまさに魂の叫びであり、爆豪と同じぐらいブチギレていた。

 

「あいつなんなんだよ美味しいとこばっかり持っていきやがってえええ!! 入試の時だって麗日にあんな───」

 

 激昂する峰田の肩にポンと手を置かれる。なんだよ!耳郎のラブコメ反応見てんだよ!と峰田が勢いよく振り返ると、麗日してない麗日がそこにはいた。

 

「うん! 峰田少年、時に言葉は人を傷つけるということを覚えておくんだぞ!」

 

「麗日ー!正気に戻れ!」

 

「マッサツ。マッサツ」

 

 顔を真っ赤にしながら峰田の葡萄を引きちぎろうとする麗日。

 

「オイラまだ死にたくねえ!」

 

「うるっせえぞクソモブ共がぁ!! モニターに集中出来ねえだろうが!」

 

 そんなワイワイ盛り上がってるのをオールマイトがこれが青春だよな!!と嬉しそうに見ていると、うおぉ!!という上鳴と切島の声が上がった。

 

 皆がそちらに目をやると、視線の先、モニター内では屋内戦用に建てられたはずのビル一棟が丸々凍り付けにされていた。

 

「こんなんありか!!」

 

「でも見ろ!赤崎と耳郎の姿がない!」

 

 ビル内の至るところへ仕掛けられている監視カメラ。だがそのどれにも赤崎と耳郎の姿はない。ビルの入り口に防寒着を着た轟と八百万のみがモニターから視認できる人影である。

 

「あいつらまさかビルからトンズラこいて二人でイチャイチャと!」

 

「そんなわけないでしょ!」

 

 バチーン!と峰田に強烈な張り手を食らわせる麗日。凶暴化した麗日に、皆が戦々恐々としているうちに轟と八百万は核兵器のある部屋に到着していた。

 

「いませんわね。あの二人」

 

「ここにいないってんなら俺達を迎撃するために何処かの通路で待ち伏せしてるうちに凍っちまって身動きが取れないか。それともこの状況を読んでの罠か。どちらにせよ、八百万は後ろで何かあった際の援護を頼めるか」

 

「分かりましたわ。耳郎さんはあまり罠を仕掛けたりする方には見えませんが、はっきりいって赤崎さんは未知数です。気をつけて」

 

 あぁ、と轟は短く返して核兵器に向かって歩く。後5歩で核兵器。八百万は、轟に何があっても対応できるように構える。だから、気づかなかった。自らの首に確保テープがかかっていることに。

 

「えっ!?」

 

「ごめんね、ヤオモモ」

 

「耳郎さん!?」

 

「何!?」

 

 大声をあげた八百万につられてバッと振り向く轟。その轟の首にはあと少しで巻かれる確保テープが───。

 

「ちっ!」

 

 自らの背後。何もないはずの空間に特大の氷塊を形成する轟。だがその氷塊は見えない何かにより叩き潰される。

 

「それがお前の個性か、赤崎!」

 

「妙なところで勘がいいな」

 

 何もないはずのところから葵が姿を現す。その現象を八百万は目をぱちくりさせながら見る。耳郎は訳がわからない、といった風にしている八百万に息を吐く。

 

「アレ光の屈折を利用してるんだって。轟の技を避けたのはあいつの翼で二人して浮いてたの。それでもって油断してるはずの轟とヤオモモどちらか片方にテープを巻くのが作戦。ウチも最初は半信半疑だったんだけどさ」

 

「私が、油断・・・?」

 

「油断とは違うぞ百」

 

 自らの怠慢が招いた結果なのか、とショックを隠しきれない八百万に葵が待ったをかける。

 

「お前は最善を期していた。お前の個性は全てに通じる万能の個性だ。それに対してペアである焦凍は戦闘向け。ならお前は遊撃に回るしかない。となればお前の役割は焦凍の援護だ。意識の大多数を援護相手に向けるのは当然だろう。俺はそこをついた」

 

「ならあなたは、最初から全てを読んでいた、と?」

 

「助かったよ百。お前が焦凍の命令通りにしてくれて」

 

「ちょっと赤崎! 言い過ぎじゃ───」

 

 耳郎の言葉をかきけすように細かな氷塊が葵に殺到する。葵は翼を畳み広げることで起きる風により、轟が発生させた氷の礫を回避する。

 

「厄介な個性だ」

 

「お前に言われたくないな」

 

 轟は勝機を見出だしていた。確かに八百万は確保され二対一の状況は普通に考えればあまり良いとは言えない。だが、轟にはあらゆるものを凍らせる個性がある。今地面にいる耳郎は今すぐにでも凍らせて無力化することが出来る。ならば目の前でうっとうしく飛んでいるあの野郎を地面に叩き落として凍らせれば勝ちだ、と轟は葵に接近戦を仕掛ける。

 

「いや既に"詰み"だよ焦凍。耳郎」

 

「ほ、ホントにやるの?」

 

「?」

 

 轟は足を止め、葵への警戒を切らさないように耳郎の方を見る。

 

「ご、ごめんねヤオモモ。少し立てる?あ、ありがとう。え、えーと・・・ごほん。あー。あー。う、う"ん! よし、人質を返して欲しくばその場から動くなー!」

 

「・・・・・・・」

 

「・・・・・・・」

 

『・・・・・・・』

 

「・・・・・・・下手くそ」

 

 葵の辛辣な言葉に耳郎は自棄になりながら叫ぶ。

 

「うるっさいわね! なんで私がこんなことしないといけないのよ!」

 

「いや俺達『敵側』なんだから捕虜捕まえたなら有効に活用しないと、なぁオールマイト」

 

『あ、あぁまぁヒーローなんだし演技の上手い下手はいいんじゃないかな。演技なんだし』

 

「だってよ。下手だったらしいぞ」

 

『ちょっ!? 赤崎少年!? 私はそんなこと一言も───』

 

「はぁ。仕方ないな」

 

 観念したように轟が両手をあげる。後は葵が確保テープを巻き付けこれで訓練は無事終了、とはならなかった。近付いた葵が確保テープを轟の手首に巻こうとした時、轟が葵の手を掴む。

 

 ビキビキと葵の顔以外が凍りつく。

 

「響香!」

 

 葵の叫びにハッとなる耳郎だったが、遅い。轟の氷により、無理矢理八百万との距離を離される。

 

「これで、形勢逆転だな」

 

 轟は救出した八百万の確保テープを破る。その行為に耳郎が驚き、オールマイトが待ったをかける。

 

『轟少年! 確保テープを一度巻かれた人間が再復帰することは───』

 

「『敵側』は八百万を人質として用いました。ということは今回の設定に当て嵌めるなら、仲間が捕虜となりそれを俺が救出した形です。それなら仲間が戦線復帰してもおかしくないでしょう」

 

 本来確保テープを巻かれた人間は戦線を離脱し、決着がつくまで待機するという言わばモニターを見ている麗日達と同じく傍観者になるべき人間である。

 

 それを葵達は再び人質として舞台に上げた。ならば救出出来れば戦線へと復帰するのはおかしな話ではない。轟は、言外にこう言っていた。「仕掛けてきたのは向こうだ」と。

 

 その言葉にオールマイトがううむ、と唸っていると、葵を包んでいた氷塊が砕け散る。どうやら耳郎の心音爆撃で氷を叩き割ったらしい。耳郎の攻撃をダイレクトに受けている葵は頭がぐわんぐわんするのを一度振り意識を切り替えて轟を見る。訓練終了まで残り7分───。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

3時間目!

 屋内訓練所用に建てられたビル。その5階の一室の気温は他の部屋と比べ著しく低下していた。その影響をもろに食らうのは葵と耳郎の『敵側』ペアである。『ヒーロー側』である轟と八百万は八百万の作った防寒着を着ていることもあって身体の動きが鈍ることはない。

 

「ふっ!」

 

 幾度となく行われた氷塊による攻撃。それを葵は髪の手により砕く。そのまま葵の動きは止まらず、髪の手で地面を掴みながら加速し、轟へ向かう。

 

「どうした? 動きが鈍いぞ」

 

 蹴りを放つ葵だが、片手で簡単に防がれ足を轟に掴まれそうになるところで髪の手の拳が轟に迫る。それを轟が紙一重で避けると、追撃とばかりに自身の拳も加える葵。

 

 ブン!と轟の脇から唐突に棒が突き出る。殴るための拳を受けに変え、突出してきた棒を先端を払い、棒の突きを避ける。だが目の前にいる轟に対しては無防備だ。轟が無防備な葵へと手を伸ばそうとするそんな二人を音の暴力が叩く。

 

 バッと弾かれたように下がる葵と轟。両者の実力はほぼ互角で、相棒による差が大きくなってきていた。方や万能の個性と言われた八百万。方や音による広範囲攻撃を可能とする耳郎。遊撃の適性としては八百万に軍配が上がり、葵達は徐々に押されていた。

 

「あー寒い! ホントに風邪引きそうなんだけど!」

 

「我慢しろ。俺だって寒い」

 

 二人が吐く白い息が物語るように、室内の気温はもはや真冬の外とほぼ変わりなくなっている。防寒機能を備えている戦闘服を着ている耳郎はまだしも体操着を着て動いている葵は、最早手足の感覚が無くなってきていた。

 

「早めに降参しないと凍傷になるぞ赤崎」

 

「悪いが、悪党としての誇りがあってな」

 

「ふっ。そうかよ」

 

「耳郎。次で取りに行く。あれやるぞ」

 

「え、あれ?」

 

「なにかやる気ですわね」

 

「油断するなよ八百万」

 

「最初からしてませんわ!」

 

「何で怒ってんだ?」

 

 次で決める。轟はそう確かに葵の眼から迸る意思を感じ取った。八百万と漫才を挟みながらも、そう思った轟は出鼻を挫こうと葵と耳郎の足を凍らせようとした時───

 

「喰らえぇぇぇぇぇー!!!」

 

 爆撃では済まないほどの音が衝撃となり、轟と八百万を吹き飛ばす。壁に叩きつけられる二人が見たのは、へたりこむ耳郎だけだった。

 

「ぐっ! あいつまた消えて───八百万!」

 

「私じゃありません!轟さん!」

 

 しまった───。狙いは俺か! 轟はほぼ無意識に背後に氷の壁を形成する。そして轟は自分の判断ミスに気付いた。すぐさま氷を溶かそうと個性を使う、そのタッチの瞬間、氷の壁が砕かれ、大量の氷の礫が轟と八百万に飛来する。轟はなにも考えず、ただ目の前に火柱を形成するが、氷というものは火で炙られたからといって早々消滅はしない。

 

「ぐっ!」

 

「ぐぁっ!」

 

 轟と八百万。二人の身体を氷の礫が打ちのめした時、轟の手首が引かれた。ぐるん、と遠心力をその身に感じた轟は壁に背中を叩きつけられる。バァン!と大きい音が響き、轟の肺から酸素が吐き出される。

 

「がはっ!」

 

 その隙に葵は轟の手首に確保テープを巻く。続く標的は八百万、と言わんばかりに葵が八百万の方を向くと八百万は何かのゴーグルを付けており、葵の目の前には丸く黒い何かが放り投げられていた。

 

「赤崎、目を瞑って!」

 

 ───スタングレネ──。

 

 そこから先は光の爆発により、遮られた。決して弱くない光の爆発に葵の視覚と聴覚は使い物にならなくなる。そんな中、遮光性の高いゴーグルを装着した八百万だけが動ける。その八百万が駆けるのは、本来の勝利目的である核兵器へのタッチ。それを成すべく核兵器へ向かうと、バッ!と目を瞑り、周囲の状況が分からないはずの耳郎が立ち塞がる。

 

「耳郎さん。なるほど音波をレーダー代わりにしているというわけですか」

 

「私だっていつまでも赤崎におんぶにだっこじゃないからね」

 

 片方は核兵器を奪取すべく、もう片方は核兵器を死守すべく、生々しいキャットファイトが始まる───ようで始まらない。

 

 対峙する二人の足を何か柔らかいものが掴む。

 

「え!?」

 

「な、なにこれ!?」

 

 耳郎は音波によって、八百万は視覚によって自らの足が何によって掴まれているかを把握した。それは葵の髪の手だった。

 

 この髪の手。音と光によって周囲の状況が全く読めない葵の苦肉の策だった。葵はこの髪の手で掴んだものを触覚で感じることが出来る。

 

 ───ん、なんか棒? 熱めの棒だな。そんなものこの室内にあったか?

 

 葵は正体をはっきりさせようと、葵本人は知らないが、耳郎と八百万の足に髪を這わせる。その瞬間、耳朗と八百万の二人の背筋がゾクゾクとした。

 

「「~~~~~~っ!!」」

 

 どうでもいい話だが、葵は身だしなみにはそれなりに気を使う人間であり、普段から自分が個性でよく使う髪などはすぐに汚れてしまう。故に葵は神経質なまでに髪を洗う。葵の手により大切にされてきた髪は個性として使用されても、そこらの女よりキューティクルバリバリサラサラの艶がある髪をしているのだ。ようするに二人はとてもくすぐったかった。

 

 耳郎は考える。流石にこの訓練中、味方を攻撃するのはまずい。ならこの責め苦を耐えるしかないのか。

 八百万は考える。耳郎は今自らを掴んでいる髪の手に夢中だ。一方八百万自身の足を掴んでいる髪の手だが、拘束力はなく、動こうと思えば動ける。なら耳郎の一瞬の隙をついて飛び込めば核兵器にタッチできる。急がなければ、葵の視界が戻れば轟、八百万ペアは敗けが決まる。

 

 ───なんか片方の棒がじりじり離れようとしてる。まじでなんなんだこれ。気持ち悪いな。

 

 二人の膝より上を髪がサワサワ、とくすぐる。途端に耳郎が膝を折る。好機!とばかりに八百万が核兵器に飛びかかる。

 

「ひぁ・・・!?」

 

 耳郎がしまった、と上を見上げると空中でビクリと身体を震わせた八百万が落ちてきた。「えっ?」と疑問の声をあげる間もなくドターン!という音と共に二人は倒れ込み、八百万が耳郎を押し倒すような格好となっている。

 

 耳郎が八百万を掴んでいる髪の手へと目をやると、髪の手は既に八百万の太ももを優しく掴んでいた。髪の手は急に動き出した物体を詳しく調べようとしているのか、ワサワサと八百万の太ももを更に上ってくる。

 

「ちょっ、いい加減に・・・!」

 

「ヤオモモエロすぎない?」

 

「えぇっ!耳郎さん、そんな反応ですの!?」

 

 これ以上の進行は許すまじ、と八百万と葵の髪の手が争っていると、それを間近で見ている耳郎は、乱れてきた八百万の肢体に目が行き、少し顔を赤らめる。それを見て八百万が耳郎に対して少し引き気味になる。

 

 ───こいつ抵抗しやがるな。もうちょいで目が慣れるし、拘束しとくか。

 

 ギュルン!と髪の手が形を変え、手当たり次第に八百万の身体を拘束していく。

 

『はい、アウトォォォォォ!!』

 

 オールマイトはモニターを消した。考えることはなかった。これ以上はだめだということを本能的に察したのだ。今私はすごく立派なことをした、とオールマイトは自分で自分を褒め殺したくなった。と、同時に殺気を隣から感じた。その殺気はオールマイトがヒーロー活動をしていた時期も含めて、感じたことのない禍々しい私怨に満ちたものだった。

 

「うつせぇ・・・やおよろずをうつせぇ・・・」

 

 最早何かに取りつかれたとしか思えない、幽鬼のごとき表情と歩調でオールマイトに詰め寄る峰田。そんな峰田に足をかけたのは、芦戸だった。

 

「えい」

 

「あっ」

 

 べちゃり、と地面に倒れた後、峰田は動かなくなった。

 

「悪は滅びたね」

 

「なんだこいつ。すげえ怖かったんだけど」

 

「うぅむ。峰田にも引けぬ一線があったというわけか」

 

「いや。ただのアホだぞこいつ」

 

 制限時間がきた瞬間に、オールマイトが再びカメラを映す。せめて、少年少女がマトモに見れるような絵面になっていてくれ・・・!! という期待を込めて。

 

 また峰田が復活し、モニターに目を向ける。八百万の恥態をもう一度! という期待を込めて。

 

 モニターに映し出された絵は、ロープで天井に磔にされた葵を、下から轟が火であぶり、それを見て下卑た笑みを浮かべる八百万と、そんな三人を引いた目で見る耳郎だった。

 

 一切の迷いなく、モニターを消したオールマイトは人知れず涙を浮かべた。

 

『(教師って難しいなぁ・・・!!!)』

 

 ▼

 

「来なきゃ良かった・・・」

 

 あの凄惨な事件から数日経った休日。ワイワイガヤガヤと葵達1-Aヒーロー科に属するクラスメイト達は新しく出来た大型デパートへとやって来ていた。メンバーは発案者である、上鳴、切島、飯田、芦戸、峰田、葉隠の6名、それからその意見に賛同した緑谷、麗日、八百万、蛙吹、葵、瀬呂、常闇、尾白、轟、爆豪、障子の11名。計17名の大所帯である。

 

「む! どうしたんだ赤崎君! 元気がないみたいだが?」

 

「俺はあんまり人混みが好きじゃねえんだよ」

 

 発案者その1である上鳴によると、今回こうして1-Aヒーロー科の大半が集まったのは、互いのことをもっとよく知ろうという、所謂親睦会みたいなものである。参加しなさそうなやつは強制的に召集だ、ということで朝っぱらから葵の家をピンポン連打していた。

 

 轟や爆豪が集まったのはそういうわけである。青山や、砂糖、口田達はどうしても抜けれない用事のため不参加とのこと。

 

 ───それありなら俺もしとけば良かった。

 

 と後悔しても後の祭り。葵ががっくり項垂れていると、葵の視界に誰かの靴が入る。その人物の靴の爪先が葵の方へ向いていることから、葵に用があるのは明白だろう。

 

 葵がゆっくり顔をあげると、そこには普段とは違った麗かとした麗日がいた。

 

 長袖の白いブラウスの上に袖無しの白と黒のツートンカラーのチェックシャツ。下はシンプルに紺色の膝までのスカート。頭には青いベレー帽を身に付けており、葵的には普通に好きな服装だった。

 

「・・・・・・」

 

「・・・・・どう、かな?」

 

 麗かとした麗日を見て何の言葉もない葵に、痺れを切らした麗日は、葵に問う。あぁまあいんじゃね?と投げやりな態度を見せる葵。

 

「う・・・、ま、まぁ予想通り、予想通りよ私。そ、それで赤崎くん、話が───」

 

 それを見ていた峰田が眼光だけで人を殺せそうな目を二人に向ける。

 

「まぁまぁ。落ち着けよ峰田」

 

「はーい!じゃあみんな集まってー!」

 

「何か始まるみたいだし、後でな」

 

「あ───」

 

 これから行われるのはチーム決め。流石に大型デパートとはいえ、この大人数で回ることはできない。そのためのチーム決めである。なお、芦戸が眠気と戦いながら製作したためにどれを何個作ったかは覚えてないらしい。結果が、

 

「よろしくね赤崎ちゃん」

 

「おぅ」

 

「一緒だね! デクくん!」

 

「そ、そうだね!」

 

 葵、蛙吹、緑谷、麗日のペアとなった。その後はペアで別れ各個解散となり、葵達はふらふらと一階へ到着する。

 

「さて、どこ行きましょうか?」

 

「どこでもいい」

 

「私も、よく分からないし」

 

「ぼ、僕も・・・」

 

「ケロ。凄まじいまでに協調性のないペアになったわね」

 

 何かないものか、と蛙吹が辺りを見回すと1枚の用紙が目が入る。それはオープンして間もないこのデパートが客寄せの為に開催する、イベントのチラシだった。

 

「何か面白そうなのがやってるわね」

 

「あ、この人知ってる! すごい歌上手い人だよね!」

 

「こんな人が来るんだ・・・。すごいなぁこのデパート」

 

「興味ねえな」

 

 チラシの中にはデカデカと、歌姫、来場!と銘打たれていた。最近流行りだした歌手で、彼女の歌を聞いたものは励まされたり、元気が出たりとするという。

 

「あ、でもまだ少し時間あるわ。デパートをぐるりと回ってみましょうか」

 

「さんせー!」

 

 葵達が最初に足を運んだのは、1階ということもあり、食品売り場のお菓子コーナーだった。

 

「わーこれ懐かしい。昔よくコレについてた人形のパーツ集めてたなぁ」

 

「麗日ちゃん。それ私もしてた。パーツ買い逃すと片腕や片足がない不気味な人形が出来たのよね」

 

 あるあるー!と蛙吹、麗日がガールズトークに花を咲かせている傍らで、緑谷がチップスの袋を持ってワナワナと震えていた。

 

「何かあるのか?」

 

 葵が緑谷の状態に気付き、声をかけるとバッ!と緑谷が葵の方へ向く。

 

「こ、これは発売後直ぐに人気が出て、瞬く間にお菓子コーナーから消えてしまい付録のカードは何万という値段で取引されている伝説のヒーローカード入りチップス! それが最後の1つ残ってるなんて・・・!」

 

 感激のあまり、足元に水溜まりを形成している緑谷を引き気味に見ながら葵は、よ、よかったなと声をかけた。

 

「あ、私喉乾いたからちょっと飲み物買ってくるわ」

 

「ぼ、僕これ買ってくるね」

 

 スタコラ、と二人はいなくなりお菓子コーナーに居るのは麗日と葵の二人となった。

 

「あ、あの・・・」

 

 これ見たことあるなー、とオールマイトの髪の形をしたチップスが入っている袋を見ていた葵に決心したように麗日が声をかける。

 

「?」

 

「前は言いそびれて、さっきも言いそびれたけど、雄英のにゅ、入試の時、助けてくれてありがとうございました!」

 

 ガバッと頭を下げて、麗日は葵からの反応を待つ。このことは麗日の中ではしこりとなっていた。簡単な礼は述べたが、あの日のあの行為以降、葵と目を合わせるのが気恥ずかしかった麗日は今の今までちゃんとした礼を述べる機会がなかった。

 

 そんな時に、この親睦会の誘いがあり、これはチャンスだと意気込んだ麗日は参加を即答した。

 

 葵からの返答がないことをおや、と思い麗日が頭を上げると、はぁ、と葵が溜め息を吐いていた。

 

「え、何その反応!?」

 

「いや別に。難儀な性格してるなぁって」

 

「ケロケロ。無事に仲直り出来たみたいね」

 

 あーだこーだ話している二人のもとに飲み物を手に蛙吹が戻ってくる。

 

「仲直りって、別に喧嘩してたわけじゃないんだけどな」

 

「でもあの件は私忘れないからね!」

 

「だからあれは不可抗力だろうが」

 

「ごめーん! みんなー!」

 

 そんな三人のもとに買い物袋を下げた緑谷が帰還する。

 

「そのカードが?」

 

 うん、と頷く緑谷の手には黒い長方形の袋があった。中にヒーローカードが入ってることを麗日と蛙吹に告げると、面白そうね、開けてみましょうと蛙吹が言う。

 

 ピリピリと袋を開け、四人の目に飛び込んできたのは、カード全てがホイル加工され、キラキラと光輝くオールマイトが映っているカードだった。

 

「オールマイトか」

 

「よかったね!デクくん!」

 

「緑谷ちゃん、嬉しくないの?」

 

 カードを持ったまま固まる緑谷に三人が怪訝な顔を浮かべ、その中で葵がひょいとオールマイトのカードを緑谷の手から抜き取る。

 

「にしてもこれいくらぐらいするのかね。出久が言うには一枚何万円もするのもあるらしいしな」

 

「え、すごいわねそれ」

 

「光ってるし案外お宝カードかも?」

 

「最低価格、22万6千・・・」

 

 ボソッと呟かれた言葉を、三人は聞き逃さない。

 

「こ、このカード一枚で!?」

 

「なんていうか、そういうのをコレクションしてる人たちってほんとすごい」

 

「こんな100円菓子に入ってていいカードじゃねえだろ」

 

 流石の葵もこれにはびっくりしたようで、カードを傷つけないように慎重に、緑谷へと返す。もらう方の緑谷も、おずおずといった感じに受け取り、大事そうに鞄へしまう。

 

「そういや梅雨、さっき言ってた歌手のイベントは何時からだ?」

 

「梅雨ちゃんと呼んで。後15分くらいね」

 

「じゃあ先に向かっとくか。座れるなら座りてえ」

 

「スルーなのね」

 

 こうして四人は1階中央にある、イベント会場へ足を向ける。イベント会場の設営は既に終了しており、ずらりと椅子が並べられていたが、席はどこも満席だった。

 

「あっ。あそこ空いてない?」

 

 麗日が指差した先には二人ほど座れそうなスペースが空いていた。

 

「お前らで行けよ。俺と出久はここで立って見とく」

 

「私に名案がある」

 

「梅雨。お前そんなキャラだっけ」

 

 ちなみにこういう場合、葵にとっては必ず良いことにはならず、今回の場合は緑谷すらその被害を被った。

 

「・・・・・・これがお前の名案か梅雨」

 

「名軍師梅雨ちゃん、と呼んで」

 

 二人分ほど空いていたスペースは、緑谷と葵によって埋められ、その二人の膝の上に緊張のあまり、カチコチになっている麗日といつも通りの蛙吹がいた。

 

「緑谷ちゃん大丈夫? 重くない?」

 

「う、うん。蛙吹さん軽いから大丈夫だよ」

 

「名軍師梅雨ちゃん、と呼んで」

 

「あ、赤崎くん、重くない?」

 

「重い。てかお茶子って思ったより尻が───」

 

 バチコン!と隣からビンタが飛んできて葵の言葉を封殺する。

 

「それ以上言うなら水攻めよ赤崎ちゃん」

 

「なんで今日はそんなに軍師キャラしてんだよ・・・」

 

 異性に重いと言われてしょげる麗日の空気に、どうすんだよこの空気、と緑谷と蛙吹に攻められる葵。だが葵としては嘘偽りない本音である。膝の上に何もない状態と、麗日が座っている状態とじゃあ麗日が座っている方が重いのは明確である。

 

「あーお茶子。さっき重いとはいったが───」

 

 あの無表情を極め、誰に対しても無愛想で思いやりの欠片もないと思っていた葵がフォローをしようとしている。その事に、緑谷も蛙吹も変わったなぁと───

 

「蛙吹よりは軽い」

 

 バチコン!バチコン!と強烈な音が2発分会場に響いた。

 

「あ、もう始まるみたいだよ!」

 

「あ、そうだね。ほ、ほら!二人とも!」

 

 この死んだような空気を少しでも回復させようと頑張る麗日と緑谷。

 

「らしいぞ梅雨」

 

「梅雨ちゃん、と呼ばなくていいわ」

 

 そんな二人の努力むなしく、うわべの会話に興じる葵と蛙吹。そんなでこぼこな四人を差し置いて、音楽が流れだし、会場の雰囲気は盛り上がり始める。

 

「みんなー! 今日は唄のためにありがとー! そんなみんなのために唄、がんばりまーす!」

 

 歌音 唄。彗星のごとく現れた彼女は、その類いまれなる歌唱力で、瞬く間に飛躍する。彼女の唄には聞いたものを元気にするという力があった。

 

 彼女が唄い始めると会場の雰囲気は一層盛り上がる。気付けば、麗日なんか葵の膝の上でがっくんがっくん揺れて盛り上がっていた。蛙吹を見ても音楽に合わせて身体を小刻みに揺らしている。

 

 葵と緑谷は目を合わせて、葵は仕方なさげに、緑谷はアハハ、と笑いながらまた歌音のステージを見た。

 

 葵と緑谷は本来こういった場所には慣れていない。だからステージに集中せずに周りを見ていた。だからこそ、この場所でたった二人だけが異変に気付けた。不気味に舞台横に立つ、二つの黒い影に。

 

 突如としてステージに煙幕が投げ込まれる。

 

「え、なに?」

 

「出久!」

 

「う、うん!」

 

 飛び跳ねるように席から起立する葵と緑谷。

 

「わっ!」

 

 膝の上にいた麗日と蛙吹が前に押されるが、前の椅子の背もたれの縁を掴んで、前の人との衝突を避ける。

 

「二人とも急にどうした───」

 

「僕は避難の方を! 赤崎くん、向こうは頼める!?」

 

「任せろ」

 

「麗日さん、蛙吹さん! 僕と一緒に避難を呼び掛けてくれる!?」

 

「わ、わかったよ?」

 

「赤崎ちゃんは?」

 

「元凶の方を任せた。僕らの中で一番力があるのは赤崎くんだから!」

 

 翼を作り出し、上空からステージへ滑空し、翼から巻き起こる風で、ステージの煙幕を吹き飛ばす葵。だが、犯人達の姿はなく、また歌音の姿もなかった。

 

「ちっ。誘拐目的か!」

 

 ───なら出来るだけ人目につくのは避けたいはず。なら奴らの逃走経路は・・・近くの非常階段からの地下!!

 

 事前に1階の地図を見ておいて良かった、と葵は非常階段へ駆け込む。耳を済ませばカンカンカン、と急ぎ足で地下へと向かう足音が3つ。実行犯と歌音のものと推測した葵も、急ぎ足で犯人を追う。

 

 地下駐車場に到着した葵が左右を見渡すと一つの影を見つける。それは歌音を誘拐した犯人の片割れだった。

 

「囮置いて逃げる算段か。逃がさねえぞ」

 

「いやぁドクターに聞いた通りだね君」

 

 ドクター。その言葉を聞くだけで葵から嫌な汗が吹き出る。

 

「どく、たーだと?」

 

 ───いやあいつはオールマイトにぶちのめされたはず。二度と再起できないように徹底的にやられた後、俺がこの手で。

 

「その様子だとドクターが生きてるってことを知らずに今までのうのうと生きてたってわけだね」

 

 随分とまぁ、平和ボケしちゃって───お兄ちゃん。犯人が葵に飛びかかる。その時、ちょうど緑谷達が地下へ到着する。

 

「smash!」

 

「おぉっと!」

 

 咄嗟に飛び出た緑谷はソフトボール投げの時と同じく、指先のみに個性を発動させ、牽制目的で犯人に手を伸ばす。その緑谷の牽制を犯人は常人ではありえない動きでひらりと避ける。

 

「だ、大丈夫赤崎くん!?」

 

「あ、あぁ」

 

 そういいながらも動悸が荒く、冷や汗が止まらない葵を麗日達はとても大丈夫そうには見えなかった。

 

「麗日さん、相手は一人だ! 恐らく目の前の人は囮なんだろうけどここで無力化しておくと後の犯人は辛くなるはずだ。今、ここで───」

 

「やめろ、出久。あいつとお前らじゃ相手にならない」

 

 飛び出そうとした緑谷の手を掴み、離さない葵。それを怪訝そうに見る麗日と蛙吹。そしてそんな彼らを楽しそうに見る犯人。

 

「何言ってるのさ!今ここで犯人を捕まえないと、誘拐された人が───!」

 

「だったら!」

 

 珍しい。葵からすれば珍しいまでの大声だった。葵が大声で怒鳴る、それを初めて聞いた緑谷は言葉を紡ぐのを忘れる。

 

「お前はあいつを殺す覚悟があるか?」

 

「キャハ」

 

 葵が指差した先にいたのはこちらを見てクスクスと笑う犯人。よく見ればフードが少し脱げ、赤い前髪がチラリと確認できる。

 

「あの人を───殺す?」

 

 緑谷 出久に突きつけられた選択。緑谷の脳内にはいつも快活に元気よく笑うオールマイトの姿が浮かんだ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

4時間目!

「それが出来ないなら、お前らはもう片方の犯人を追ってくれ。ただし、絶対に交戦はするな」

 

 今まで聞いてきた葵の声色の中でも一番冷たくどす黒い声だったとこの時、全員が思った。有無を問わぬ口調、同じ年の人間とは思えない、凄みがあった。

 

「いいのー? そんな体調の悪そうなお兄ちゃん一人で?」

 

「アホか。お前みたいな社会のクズ5秒だ」

 

 早く行け、と急かす葵に緑谷は問い掛けたかった。君はさっき、殺す覚悟があるか、と僕に言った。だったら君は・・・犯人の前に立つ君はその覚悟が───。

 

「だったらここは二人組で二手に分かれましょう」

 

 緑谷、麗日ペアと蛙吹、葵ペア。人が相手なら無力化するだけなら麗日と葵は分ける必要がある。麗日は個性により、葵は戦闘力により敵を無力化することができる。

 

 麗日と蛙吹が固まると、火力不足により万が一の場合の対処が効かなくなる。故の名軍師梅雨ちゃんの判断である。

 

「あ? 俺はいいから三人で───」

 

「そんな青白い顔して、動悸も荒くていつも通りじゃない赤崎ちゃんを置いていくなんて出来ないわよ」

 

「いーい友達を持ったねえお兄ちゃん。羨ましいよ僕は」

 

 犯人がバサッとフードを取る。

 

「もしかしてお兄ちゃんって兄弟かしら?」

 

「初めまして皆さん、葵の弟の紅です。以後宜しく」

 

 葵に似た顔立ちで真っ赤な髪に真っ赤な瞳を持つ少年は恭しく礼と挨拶をのべた。

 

「で、いいの?このままだと雅逃げちゃうよ?」

 

「ちっ! わかった、それでいいから向こうを頼む。これを付けるだけでいい!発信器だ! 絶対に戦うなよ!」

 

 バッと緑谷に小さな黒い箱を渡す葵。緑谷と麗日は力強く頷くと、葵達に背を向けて走り出した。

 

「さーて、手早く終わらせてもらう」

 

 葵がいつものごとく髪の手を二本作り出す。

 

「好きだねえそれ」

 

 紅も葵と同じく髪の手を二本作り出した。

 

「同じ個性!?」

 

「梅雨。言っとくがするならサポートだぞ。する暇があるなら、だけど」

 

 え、赤さ───。ゴッ!と蛙吹の呟きを遮り、両者は激突する。大質量を持つ髪の手同士がぶつかり合い、押し出された空気が両者と蛙吹を巻き込んで叩く。その隙間を縫うように紅の拳が突き出てくる。中々に鋭い突きを葵はそれを冷静に払い、蹴りを放つ。

 

 カウンターの要領で放たれた蹴り。決まる、蛙吹がそう思ったとき、紅の肩から刃が生えた。その刃はそのまま葵の足めがけてひとりでに落ちる。蛙吹が次のシーンを想像して目を閉じる。直後にガキィン!と金属同士が接触したような音が響く。葵の蹴りの勢いは止まらず、紅の肩に精製された刃ごと紅の頬を蹴り飛ばした。

 

 蛙吹が目を開けると、五体満足な葵と蹴り飛ばされ宙に浮く紅。だが紅は小さな髪の手を二本作り出し、駐車場の支柱を掴む。まるでゴムの反動を利用するかのように跳ねて再び葵へと向かう紅。

 

「アッハハハ!! 効いたねえお兄ちゃん!」

 

「はやっ!?」

 

 慌てて回避する葵の脇腹に鮮血が舞う。紅の身体中から飛び出るのは、昆虫の足のような細い糸のようなものの先端に小さな鎌がついている。

 

「赤崎ちゃん!」

 

「蛙吹、大丈夫だ」

 

 蛙吹に待ての合図を送り、支柱に鎌を食い込ませ、先程と同じように反動でこちらへ高速移動してこようとする紅を睨む。

 

「つっぎはー、避けれるかな!?」

 

 ヒュン、という風を切るような音と共に葵の片腕に深々と鎌が突き刺さる。焼けるような痛みを葵が襲うが、そこで葵が動きを止めることはない。鎌を取り付けている糸のような棒状の何かを一気に手繰り寄せる。

 

「おぉっと!?」

 

 体勢を崩した紅が、葵の元へやってくる。紅は無数に出ていた残りの鎌を持ってして葵の迎撃に当たる。それらを葵は髪の手で殴り飛ばす。だが紅には二本の髪の手がある。加えて葵の現状で動かせる髪の手は一本。

 

「赤崎ちゃん!」

 

「梅雨!」

 

 まだ待つの、と蛙吹は直ぐにでも飛び出したくなった己を堪える。

 

 葵の髪の手と紅の髪の手が再びぶつかり合う。これで葵に手は無くなった。紅の残った髪の手が、葵を捉える。大質量のそれは食らえば葵などまるで踏み潰される蟻のように無惨に死体へと変えるだろう。

 

 だが、葵はいつになく落ち着いていた。ゆっくりと向かってくる死の一撃に対して、葵は静かに右手を構えた。ゆらりと葵の拳に忍び寄るのは赤い蒸気。

 

 それを見た瞬間、紅の表情が豹変する。

 

「それは僕のものだろぉぉぉぉがぁぁぁぁ!!!」

 

 紅の背中からあの鎌が生えてくる。目前に迫る髪の手に葵は自らの拳をパシン、と当てる。蛙吹から見れば葵の拳は小さな小さなものだった。次の瞬間には葵は髪の手に押し潰されるか吹き飛ばされ、敵の背中から生えている鎌により致命傷を受ける。───赤崎ちゃん、これ以上何を待て、と。

 

 そして次の瞬間が訪れる。葵の拳が数百倍はあるであろう質量差をひっくり返し、髪の手を破壊するのを蛙吹が見た。髪はバラけて、元へと戻る。葵の反撃が始まる。

 

「とでも思ってたぁ!?」

 

 背中から生えた鎌が真っ直ぐに葵へと突き刺さろうとする。蛙吹と葵の間に最早言葉は要らなかった。そして紅は気付いた。葵は迫り来る凶刃など見ていなかった。葵が見ていたのはただ、目の前の敵。

 

 こいつ死ぬ気か!? 凶刃は最早避けれぬ位置まで来ている。後はこの凶刃が葵の脳天を突き刺して終わり、のはずだった。

 

「最後の最後まで気付かなかったな」

 

 がくん、と空中の紅が何かに引っ張られ姿勢が崩れる。紅の視線の先には、鎌と背中の間、糸のような部分を蛙吹の舌が巻き付いているところだった。

 

「ヒーローを、甘くみんなよ」

 

 紅の眼前には、既に拳を引いている葵がいた。

 

 数百倍もの質量差をひっくり返した拳が今、紅へ突き刺さる。

 

 バキィッ!!と駐車場全体へ響き渡る程の殴打音。葵の拳が振り抜かれた瞬間、ものすごいスピードでいくつもの車を巻き込み破砕しながら吹き飛ぶ紅。糸を引っ張っていた蛙吹も思わず引っ張られそうになったために慌てて糸を離す。

 

「赤崎ちゃん、やりすぎじゃない?」

 

「これは俺からあいつらへの宣戦布告。やり足りないぐらいだ」

 

 葵の腕から、赤い蒸気は既に姿を消していた。ともあれ紅との戦闘に勝利した二人は急いで緑谷達の元へと向かおうとしたその時、凶刃再び。

 

「あぶねぇ!!」

 

 狙いは蛙吹だった。それに気付いた葵は咄嗟に蛙吹を抱き寄せる。蛙吹からすれば一瞬だったが、気付けば自分がいた位置にあの鎌があったのだ。葵がいなければどうなっていたか、想像には難くなかった。

 

「あ、ありがと。赤崎ちゃ───!?」

 

 蛙吹は無事だった。葵の右腕と引き換えに。ぼとり、と葵の右腕が駐車場へ落ちる。

 

「ちっ。持ってかれたか」

 

「アッハハハハハハハハ!!!!!」

 

「なんで生きてられるの!?」

 

 蛙吹は我が目を疑った。紅の状態は最早人間ではあり得ない域に到達していた。全身にくまなくガラス片が突き刺さり、右腕には車のパーツとおぼしき棒が貫通しており、頭の左側は、車の扉が突き刺さっている。真っ赤に染まった眼球にも多量のガラス片が散っているのがわかる。

 

「う、でも流石に僕も限界だ。血を流しすぎたね」

 

 血、という言葉に蛙吹はハッとする。葵の腕の止血をしないと、と葵の方へ振り向くと葵の右腕はそこにあった。

 

「え?」

 

 確かに切り飛ばされ、地面に落ちたはずの葵の右腕。それがいつのまにか再び葵の元へと戻っていた。

 

「腕を切り飛ばすくらいじゃあ無理かぁ」

 

  そういいながら、ドロドロと紅は溶けていく。

 

「向こうも邪魔があったみたいだけど最低限の目的は果たした。じゃあお兄ちゃん、また会おうね」

 

 そういって紅は完全に地面に溶け、その姿を消した。

 

「な、なんだったの・・・」

 

 脅威が今度こそ確実に去った安堵感。衝撃なまでの現実の数々に、蛙吹はぺたりとその場に座り込んでしまう。だが一刻も早く緑谷と麗日の様子を確認しにいきたい葵は、蛙吹に早く立てと急かす。

 

「い、色々ありすぎて腰が・・・」

 

 そんな蛙吹に葵は背中を向ける。

 

「赤崎ちゃん?」

 

「おぶる。だから早く行くぞ」

 

 蛙吹はそっと葵の背におぶさる。葵はスッと立ち上がり、一度蛙吹の位置を調整してから走り出す。

 

「にしてもあれだな梅雨」

 

「何?」

 

「麗日よりは軽い」

 

「・・・・・・許してないわよ」

 

 葵の背に顔を埋め、ぼそりと呟く蛙吹。

 

「やっぱ胸の差かな」

 

「さいってい!」

 

 バチコン!と小気味いい殴打音が駐車場に響いた。

 

「あ、赤崎君!」

 

 葵が駐車場内を回っていると、少し先に麗日と緑谷、そして緑谷の腕の中にはあの歌音がいた。

 

 ───助け出したのか。あいつらボロボロだ・・・ってやっぱり交戦してんじゃねえか。

 

「そっちはどうだったんだ?」

 

「な、なんとか撃退出来たよ。人質の女の人は助けたんだけど発信器はつけれなかったんだ」

 

 身体中をドロドロに溶かし、コンクリートと同化して逃げる相手にどこに発信器を付けるんだ、という話である。それに関して葵が言うことはない。ただ葵が言いたいのは、

 

「無茶しやがって! 交戦するなって言っただろ!」

 

 緑谷の外傷は右腕に裂傷と腫れ。間違いなく個性を行使した代償だろう。麗日は全身に小さな擦過傷と、腕に少し深めの傷があった。

 

「で、でも私たちが助けなかったらこの人は───」

 

「確かに。ヒーローを目指すためにはそういった自己犠牲も大事だけど、お前ら自身だって守る対象だってことを忘れんな」

 

 ヒーローは自己犠牲を省みない。だがそれで自らの命を失ってしまっては本末転倒。葵が緑谷と麗日に伝えたかったのはそれである。

 

「体調悪いのに一人で敵を倒そうとした赤崎ちゃんが言っても説得力ないわね」

 

 言われてみれば、と怒られていた二人が一転攻勢。じーっと葵を見つめてると、葵は背中の蛙吹を地面に落とした。

 

「ふぎゃ! い、痛いわ赤崎ちゃん」

 

「お前が悪い」

 

 葵は無理矢理この話を打ちきり、歌音に外傷が無いかを確認する。

 

「これは」

 

 歌音の首筋。既に傷口は塞がっているが、何かを首筋に刺したような後があった。

 

「大丈夫か、君達!」

 

 その時バタバタ、と数名の大人の男性が駆け付ける。

 

「歌音さん!? 歌音さんの容態は!?」

 

「やかましい。大丈夫だよ、この二人が助けた」

 

 緑谷と麗日を指差し、葵はスタスタとその場を去ろうとする。

 

「え、ちょ、赤崎君!?」

 

「待ってよ赤崎くん!」

 

「ケロ」

 

 緑谷と麗日は歌音を男性に預け、葵の方へ走っていく。蛙吹は舌を最大限伸ばし、葵の首筋に巻き付け、葵を支えにして葵の方へと飛んでいく。

 

「アホかお前。殺すぞ!」

 

 首に蛙吹の全体重がのし掛かり呼吸が不可能になった葵は、再び背中におぶさった蛙吹に不満の声を漏らした。

 

「赤崎君、かっちゃんみたい」

 

「重くないんでしょ?ならいいじゃない」

 

「普通に重いわ!」

 

「「あ」」

 

 バチコン!と小気味いい殴打音が再び駐車場内に響いた。

 

「また今度きちんと話すことにする」

 

 今回の一件、緑谷も麗日も蛙吹も、色々と聞きたいことがあった。だが、葵がこういうなら今日のところはこれでいい、と三人は思った。

 

「さて、とりあえず治療だお前ら」

 

 無傷な蛙吹はいいとして、腕に深めの傷を負っている麗日と右腕すべてがやばい緑谷。応急処置しか出来ないが、と葵が近付くとザザッ!と麗日が後ずさった。

 

「・・・出久は相性の都合でホントに応急処置しか出来ないけどお前は相性いいから完治できるぞ?」

 

 葵が一歩近寄ると、麗日は一歩下がる。

 

「痕が残るぞ」

 

 その言葉に麗日の足がピタリと止まる。

 

「お願い、します」

 

「あれね。赤崎ちゃん詐欺師になれるわね」

 

「口悪いなお前」

 

「赤崎君も大概だと思うけど・・・」

 

 麗日の願いで、治療中蛙吹と緑谷には離れていてほしいといわれ、二人は扉一枚隔てることになった。

 

「なんで麗日ちゃんあんなこと言ったのかしら? 確かに人の唾液で治療してるとこを見られたくないのは分かるんだけど」

 

「あー赤崎君の唾液での治療ってなんかものすごくくすぐったいんだ。僕なんか相性悪いから対して効果がないはずなのにすごくくすぐったかったから」

 

「なるほど。じゃあ見てみましょうか」

 

「えぇ!? 絶対見ないで聞かないでってなんども念を押されてたのに」

 

「探偵というのは知的好奇心には勝てないのよ緑谷ちゃん」

 

「蛙吹さん軍師じゃなかったけ?」

 

「名探偵梅雨ちゃん、と呼んで」

 

 がちゃり、と出来るだけ静かに扉を開け、隙間から麗日と葵を覗く蛙吹。と緑谷。

 

「緑谷ちゃんも気になるんじゃない」

 

「いやー。ははは」

 

 辺りを見回していた蛙吹と緑谷だが、やがて視線は一点に固定される。二人の視線の先には葵と麗日がいた。

 

「ふっ・・あ・・・くぅ」

 

「お前聞かれるのが嫌なら声抑えろよ」

 

「「!?!?!?」」

 

 蛙吹と緑谷がピシリと固まる。

 

「いや、待って。落ち着いて。落ち着くのよ緑谷ちゃん」

 

「落ち着いてないのは蛙吹さんだよ」

 

 これは一体どうしたのだろうか。治療行為をしていたはずのクラスメイトが喘いでいた。その事に顔には出ないまでの脳内お祭り騒ぎの蛙吹と、一度それを見ている緑谷は比較的落ち着いていた。顔は赤くなっているが。

 

 葵の背中と麗日の顔が見えている位置にいる蛙吹と緑谷。二人から見える麗日の顔はとろんとしており、目の焦点があっていないように思えた。

 

「ふぁ!?・・・んっ、はぁ・・」

 

 麗日の中で、怪我による痛みは最早なかった。葵の唾液が腕を這う度に甘美な痺れが麗日を襲う。ジンジン、とした優しい痛みは麗日の中では寧ろ良い感覚として享受される。

 

 それとは別に身体の中で、何かが込み上がってくるような気分になる麗日はその気分を我慢しようと嫌々、と首を振りながら出そうになる声を押し殺す。

 

「お前、その顔なんとかなんないの?」

 

 自分が一体どんな顔をしているのか。頭の中に薄くもやのかかった麗日は、想像が出来なかった。ただ身体が熱く、火照るように身体が熱かった。

 

 携帯を鏡代わりにして麗日は自分の顔を見てみると、なんともふにゃりとしたしまりのない顔だった。熱さゆえか顔も赤くなり、息も荒い。知らない人が見たら間違いなく誤解される一面だった。

 

 こんな顔、クラスの人には見せれないなぁと不意に葵の後ろを見た。麗日の思考回路が瞬く間に吹き飛んだ。声が出ない。ぱくぱく、と金魚のように口を動かす。

 

 気まずそうにごめんね、と謝る蛙吹と最早林檎より真っ赤な純情少年緑谷がいた。ボシュウ!と麗日の顔が羞恥で真っ赤に染まる。

 

「ちょ、ちょっと待って!赤崎く───ひゃあ!」

 

 先程まで我慢できていた感覚に麗日は何故か我慢できなくなっており、ビクビクと体を震わせる。

 

「どうしたの緑谷ちゃん?そんな前屈みになって」

 

「いやぁちょっと僕のワン・フォー・オールが」

 

 見られたぁぁぁぁ!!!と脳内で暴れまわる麗日の腕からようやく待ち望んだ瞬間が、葵の指が離れた。葵が治療終了を告げる前に麗日は葵に触り葵を無重力にした後、葵を掴みながら蛙吹達の方へと向かう。

 

「まずい・・・!麗日ちゃんがこっちに来る! 緑谷ちゃん、逃げるわよ」

 

「え、ちょっと待って。今僕動けないんだけど!」

 

「じゃあ諦めて」

 

「あんまりだぁぁぁぁ!!」

 

「でぇぇぇぇくぅぅぅぅくぅぅぅぅんんん?」

 

「ひ、ひぃぃぃ!?」

 

 がちゃりと扉を開ける麗日。麗かどころか般若として覚醒していた麗日を見て脱兎、いや脱蛙のごとく逃げる蛙吹の元に葵が投げ込まれ、無重力を解除された葵は弾として蛙吹に発射された。

 

 ガチン!と頭同士がぶつかりあい、ぐらりと二人が倒れる。

 

「あ、あぁ・・・蛙吹さん、赤崎君!」

 

「デクくん」

 

 絶望し、手を二人に伸ばそうとした緑谷の肩をぽん、と麗日が叩く。緑谷が麗日の方を向くと、麗かとした笑顔を浮かべる麗日がいた。助かった?そりゃそうだ。僕は蛙吹さんに巻き込まれただけで悪いことなんて何も───

 

「忘れろぉぉぉぉぉ!!!」

 

 豹変し、顔を真っ赤に染めた麗日がガン!と緑谷に制裁を加えた。偉い人は言いました、最後に立っていた奴が勝者だと。麗日 お茶子は勝者となった。

 

 ▼

 

 あの酷いオチから一夜明けた登校日。どうやらあの日は皆が皆、あのデパートで色んな事件に巻き込まれていたらしい。皆が皆、帰る頃には疲れ果てていた。

 

 次の日が学校とは憂鬱だなぁ、と思っていたなか、葵の携帯に知らない番号から着信が入った。

 

「はい、もしもし」

 

『おう、俺だ。今日学校に来たらとりあえず職員室に───』

 

 ブツッ、と葵は電話を切った。電話の相手は担任の相澤だった。電話の内容は見当がついていた。

 

 ───オールマイトのやろう・・・。

 

 再び携帯に着信が入る。

 

「はい」

 

『次に切れば除籍させるぞ』

 

「職権濫用じゃねえか」

 

『切らなきゃいいんだろうが。全く手間かけさせやがって。とにかく、来いよ職員室』

 

「わかった」

 

 ブツッ、と寡黙な人間と合理的な人間との会話は5秒で終了した。

 

 そうして休もうかとも考えた葵は現在、職員室前にいる。

 

「来たか」

 

 スーっと引き戸を開け、葵が職員室に入ってくる。色んな教師の目が葵へ向くが、葵はそれらを気にせず担任である相澤の元へと向かった。

 

「大体見当はついてると思うが、来い。校長がお呼びだ」

 

 有無を言わさず校長室に連行される葵。校長室の中には校長とリカバリーガールがいた。

 

「オールマイトは居ないのか?」

 

「人助けで遅刻だ」

 

「それヒーローとしてはいいけど教師としてはどうなんだ?」

 

「さて、赤崎君。率直に聞こう。ドクターとは何者だ?」

 

「あんたらに話す気はない」

 

 葵の拒絶に迷いはなかった。

 

「おい赤崎!」

 

 厳しい声を飛ばす相澤。だが葵が態度を変えることはない。葵の根幹を成す問題は、あのオールマイトですら容易に踏み込むことはできない。

 

「除籍か? するならしろよ。これに関して俺が言うことは何もない」

 

 来客用のソファーにドカッと座り、葵は瞑目する。

 

「ふむ。オールマイトに聞いてた通りじゃな。何故そこまで話したくないかは教えてくれないかね?」

 

「知ったところでどうするつもりだ? 何も出来ないだろうが」

 

 ───ドクターが生きているとすれば、あのオールマイトにフルボッコにされ、俺に止めを刺されてもなお生きているとすれば、こんな生ぬるい連中じゃあ被害を増やすばかりだ。

 

「プロのヒーローを数多く有するこの雄英が相手になっても?」

 

「じゃあそのご自慢のプロのヒーローかき集めてオールマイトに勝てるか?」

 

「・・・・・・・相手はオールマイト級だと?」

 

「ドクターの研究が完成してるならオールマイト級もしくはオールマイトすら越えるやつらが複数だな」

 

「一体どんな研究したら、そんなやつが・・・」

 

 葵の言葉に戦慄を隠せない三人。オールマイトの強さを身に染みて分かっている三人だからこそ恐れた。オールマイトが複数敵として存在する、その戦力差を。

 

 葵が葵の身に起きたあの凄惨な事件を話さないのは、それを聞いたものが巻き込まれるのを防ぐためなのである。ドクターと呼ばれる人物の狡猾さ、残忍さを葵は誰よりも知っている。彼が秘密主義なのを知っている葵は、一時期ドクターの研究成果を嗅ぎ回るやつらを翳した。自らの研究を決して外部に漏らさない。その徹底的なまでの秘密主義に葵は恐怖していた。

 

 ───俺のツケを別のやつに払わせるわけにはいかない。

 

 それでも、己を省みず葵を助けてくれるようなやつが現れた時───。

 

 ───そいつはきっと、何よりも、誰よりも、格好いいんだろうな。

 

 葵がチラリと時計に目をやると二時間目が始まっている時間だった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。