艦娘が伝説となった時代 (Ti)
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第一章 「そして、艦娘は伝説となる」
理想⇔夢 PROLOGUE


初めまして


ほとよく冷たい風が頬を撫でる。耳の奥でさざめく波の音が響く。

見上げた夜空に白い月の浮かぶ蒼い海の上。

随分と沖合の方なのか、瞼を起こして周囲を見渡しても島一つ見えない。完全に孤立した世界で私の身体は揺れていた。

 

薄っすらとした意識の中で何かのリズムをとるように揺れる身体は不思議な感覚に包まれていた。

沈むはずのこの身体は海面で反発する。水中と世界に拒まれるかのように。

背中、脚、腕、そのすべてに人間の体にはない重みを感じた。足にも海の冷たさではなく、お湯の中に入れてるかのような温かみを感じた。

頭の中でトーントーンと不思議なリズムを刻んだ甲高い音が絶えず鳴っている。

その音に不快感はないが、そのリズムに合わせて目と耳の感覚が冴え渡っていくような心地よさはあった。

 

そして、全身の肌に感じる強い圧迫感は、静かな海の上で起こっている異常を知らせていた。

 

ここは恐らく戦場。殺気立った特有の緊張感が喉の奥に形容しがたい息苦しさと不快感を与える。

 

あぁ、またこの夢だ。

何かの本で読んだが明晰夢というものだろう。そして、決して悪い夢でもないということも知っている。

軽く前に体重を傾けると、この身体は少しずつ波を立てて動き出す。

心臓の鼓動のように機関が動き始め、波を裂いてこの身体は加速していく。

転びはしないだろうが、バランスを我なりに取ってみたりする。実際、転びでもしようなら大変だろう。

 

我ながら稚拙な考えだが、まさか記念館で見たものそっくりに組み上げるとは私の脳も面白いことをする。

背中に背負ってるそれも、脚に取り付けられたこれも、足に履いているこれも、手に持っているこれも。私の知識から想像したものならば、まあ上出来なのだろう。

 

きっと彼女たちはこんな感じだった、という私の妄想の果てに見ている光景なのならば、こんな出来になるのは当然だ。

 

ふと、頭の中で響いていた不思議なリズムにノイズが走る。導かれるように右を見た。

何か黒いものが浮いている。形ははっきりとしない。なにか黒いものだ。そういうに尽きる。

反射的に手に持つそれを掲げて、遠くに見据える黒い何かに意識を集中する。

 

目標と照準が合致した、という感覚と同時にトリガーを引いた。

まあ、このトリガーを引くという感覚も私の意識がそう判断しているだけであって実物がどうであったかは知るところではない。

全身に衝撃、耳に爆発音、眼に黒煙と火花、鼻に硝煙の匂い、順を追って認知していく。

 

遅れて数秒後、遠方に見据える黒いものが爆発する。

ふぅ、と小さく息を吐くと腕をだらりと下ろした。

 

風が再び頬を撫でて頬にかかる髪が揺れた。火照った体を静かに冷ましていく。

月を見上げる。綺麗な満月だ。明かりのないこの海の世界を隈なく照らす道標。

 

その丸い月が放つ真っ白な光が徐々に私の世界を包み込んでいく。

そろそろ、起きようかな、と思ってすぐに目覚めた私は跳ねるようにベッドから降りた。

 

すぐに向かいにある私のデスクに座り、本棚から一冊の本を手に取った。

付箋の貼ってあるページを開いて、感嘆の溜息を漏らす。堪らなくなって本を顔に押し当てて悶えるまでが一連の流れ。

 

彼女たちに出会った幼い頃から、私の日課は変わることはない。

 

カーテンを開き、窓の外を見ると今日も港の方から朝日が昇る。

この街に朝が来る。この国に朝が来る。

 

 

彼女たちが、かつて艦娘が護った私たちの世界に朝が来る。

 

 

 



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憧憬

ずっと昔。もう当事者は生き残っていない時代。歴史の一部となってしまった時代。

 

第二次世界大戦という大きな戦争の中で、多くの命が散り、大地に 海に、沈んでいった。

 

 私たちは歴史の授業でその程度のことしか習うことはない。

 後にこの世界を呑み込んだ戦いに比べれば、その戦いは余程ちっぽけなものだったのだろう。

 

 深海棲艦との戦い。

 人類は制海権を失い、日々海から迫り来る脅威に怯える生活を強いられた。

 それは大戦の中で散っていった在りし日の戦船のその魂、そして共に散った英霊たちの魂。その中で渦を巻く怨念、未練、恐怖、絶望、怨嗟。黒い感情が沈んだ鉄の塊と結びつき、

 

 人類を破滅に導かんとした黒き存在。

 

 大戦時よりもはるかに進んだ技術力を持ってしても、私たち人類は深海棲艦の侵攻を止められなかったのだと言う。

 

 

 暗黒の時代の中に生まれた微かな光。

 在りし日の戦船の魂、その記憶を持ち、唯一深海棲艦と対等に戦うことができた最後の希望。

 

 

 それが「艦娘」―――怒涛の大戦期の海を駆け抜けた戦船の力を持った少女たちだった。

 彼女たちは各地に散らばり、日本から世界へと戦線を広げていき、数十年に渡る長き戦いの末に、深海棲艦に勝利。

 再び、この蒼い海に平和と自由が舞い戻った。

 

 

 それから、100年後。この時代に艦娘は一人もいない。

 海の平和が取り戻された後に、全ての艦娘は解体となり、戦いの日々から解放された。

 

 艦娘は伝説となった・・・・・・

 

 

「はぁ~、かっこいいなぁ・・・・・・」

 

 食い入るように目を向けていた文章から離れ、背もたれに曲がった背筋を伸ばすように凭れ掛かりながら、私は湧きあがった感嘆の声を思いっきり吐き出した。

 そっと閉じてその本を机に置くと、私の隣で呆れかえった目を向ける者が耐え切れずに溜息を吐いていた。

 

「何?またその本読んでるの?もう何度目よ・・・・・・?」

 

「100から先は数えてない」

 中身を全部暗記しているレベルだが、何度読んでも同じような反応をしてしまう。

 

「呆れた…ホント物好きね」

 

「だって、英雄だよ?海の女神だよ!?神様なんだよ!!カッコいいじゃん!!!」

 

「はいはい・・・・・・あんたの艦娘オタクはもう飽き飽きしてるわ」

 

「えー…ラクちゃんはつまらないなぁ…」

 わざとらしく唇を尖らせながら、積み上げられた本の山からまた一冊手に取った。

 

 が、その本は奪われて、(らく)ちゃんはパラパラとページをめくりつまらなさそうな目をしていた。

 

「だって、おかしいじゃない」

 

「……何が?」

 

 何を言っているか分からない。首を横に倒すと、友人はガクリと肩を落とす。

「あんたねぇ…よく考えてみなさい。戦争に女が駆り出されて戦ってたのよ?そんな世界だったら、私自分で死んでるわよ」

 

「でも、海軍には女の人もいるよ?」

 

「そういう問題じゃなくて……もういいわ。あんたに何言っても無駄だってわかるくらいには付き合い長いから」

 持っていた本を私に返すと、受け取った私はその本の表紙のシルエットを真似てみた。

 

「私は艦娘になってもいいけどなー、こう、艤装を操ってずがーん!って」

 右手を伸ばして指鉄砲を作る。ラクちゃんに向けてバーンと言ってみた。狙いを付けてるみたいに片目を閉じて。

 

「あんたのそれは男子のあれと同じね。ロボットに乗って戦いたいとかいう…死ぬのは自分かもしれないのに呑気なものね」

 

 銃口のように向けていた人差し指を掴まれる。あろうことか曲がらない方向に曲げ始めた。

「痛い痛い痛い!…ったくもう夢がないなぁ…そこは自分が主人公だって思わないと」

 

「そんな都合のいい世界だったら、艦娘なんて生まれてないわよ」

 

「?」

 

「その反応にはそろそろ飽きたわ・・・・・・それで、いい加減に帰らないとさっきからあの人睨んでるわよ」

 

 理解できない風な様子を察したのか、突いていた肘を伸ばして背伸びをすると、席から立ち上がった。

 ラクちゃんがちらっと向けた目線の先で図書館の受付の人がこっちをじーっと見ていた。

 

 咄嗟に立ち上がり時計を見る。

「えっ!?今何時?わあああっ!もう閉館時間すぎてるっ!!」

 

「私がここに迎えに来た時点でとっくに過ぎてたわよ……こんなに本の山を作ってるし」

 またラクちゃんが溜息を吐いた。溜息の分だけ幸せが逃げる、と前に教えたら、じゃあ、あんたの友達辞めることになるわと言われた。

 

未だによく意味が分からないが、今日だけでもすでに二桁は溜息を吐いている。

 

「ご、ごめんなさい!!ラクちゃん、片付けるの手伝って!!」

 頼もうとした前に本の山を崩してタグを見ながら本を手に取っていた。

 

「はいはい……まったく、あんたみたいに後先考えないやつが艦娘になってもすぐに沈むわよ」

 

「どうしよう……お店のお手伝いあるのに……」

 

「もう……先に借りる本の手続きしてきなさい。あんたの手際の悪さだとかえって遅くなるわ」

 しっし、と追い払うように手を振る。我ながら手際の悪さには自信があるので言い返す言葉がない。

 

「ご、ごめん……すみませーん!!」

 

「まったく……なんでこんな奴の友達やってるのかしら、私は…?」

 頭を押さえながら横に振って、ラクちゃんは片付けに入った。申し訳ないと思ってる。本当に。

 

 受付に付くと何度も頭を下げると「いつも熱心に読んでますもんね」と苦笑いを浮かべながら、手続きをしてくれた。

 手続きが終わった頃にはすでに本の山はなかった。ラクちゃんにありがとうと言ったら返事の代わりに思いっきりでこピンされた。

 

 

 私が大の艦娘好きだということは、皆が知っている。

 そのオタクっぷりにはすでに両親も諦めているし、女なのに過去の兵器に興味があるなんておかしい。だから奇異の目に触れることも度々ある。

 それでも、理解者はいる。ラクちゃんだって否定はしているものの、私が艦娘オタクだということを知っててもずっと友達でいてくれてる。

 私が艦娘に憧れるのは、ただ彼女たちの残した栄光に縋りつきたいためじゃない。

 私は知りたいのだ。ラクちゃんが言ったように、少女たちが立った戦場のことを。

 なぜ、彼女たちだったのか。なぜ、少女たちでなければならなかったのか。

 いや、それよりも、なぜ彼女たちが生まれたのか。

 

 幾多の謎が私の目の前にある。それが私の好奇心をくすぐる。

 手に届きそうにない存在だからこそ、憧れる。未知だからこそ近づきたい。

 いずれは、彼女たちを知ることでこの世界に何かもたらせる存在になりたい。

 何か、という漠然な夢。でも、確かに世界を守った少女たちは存在した。彼女たちになりたい。

 この蒼い海を見渡せる港町一つくらい守れる存在になりたい。

 

 まだ大人になり切れない、淡い私の幼い夢。

 

 

 

 



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私の町、私の家、私の生きる時代

 ラクちゃんといつもの十字路で別れると、住宅地の中を一気に駆け抜ける。

 木造の家屋が並ぶ既に真っ暗になった道でも、すれ違う人は皆知った顔なので安心だ。

 私の顔を見て「今日も元気だね」とか「お手伝いかい?頑張ってね」とか優しい言葉をかけてくれる。

 

 私はこの町が好きだ。とても優しい雰囲気に包まれるこの町で私は育ち、多くの優しさに触れて、この町が大好きになった。

 港も、市場も、商店街も、住宅地も、学校も、公園も、その大好きな町の一部一部が私にとってはかけがえのない大切なもの。胸を張って故郷だと言える私の町だ。

 

 さて、緩やかな傾斜の上り坂を駆け上がり、人ひとり通れるくらいの細い裏道に入ると、我が家はすぐそこだ。

 私の家は正面に入口があるのだが、私はそっちから入ることはあまりない。いつもはこの道に面している裏口から家に入る。

 今日はかなり急いで走ったせいか止まるに止まれず、ドアノブを掴んで通り過ぎようとする勢いを殺した。

 薄い赤色の扉の前で汗を拭いながら息を整える。ふぅー、と長めに息を吐くとドアノブに手をかけた。

 

「ただいまー、ごめん遅くなった」

 裏口から家に上がり、居間を抜けた先にある扉を開くと、同時に顔に生ぬるい空気が押し付けられる。

 お酒、煙草の匂いに混じって、夕方の空きっ腹には少し苦しい美味しそうな香りを含んだ空気がヘルメットのように顔の周りにまとわりついた。

 

「遅かったわね。すぐに手伝える?」

 割烹着を着た母が私の帰宅に気が付いたようで、野菜を刻みながら声をかける。

 

「うん、着替えてくる。ごめん、図書館で読み耽っちゃって……」

 

「また艦娘?相変わらず、熱心ね」

 そう言って微笑む母に「へへっ、ごめん」と少し申し訳なさそうに笑うと、「あまり無理はしないようにね」と笑った。理解のある母で助かる。

 

 とりあえず、部屋に戻って制服を上だけ脱ぎハンガーにかけ、下に着ていた汗ばんだシャツを脱いで丸めると、クローゼットから適当なTシャツを一枚選び、それに着替えてその上からエプロンを着ける。

 洗濯しなきゃいけないものを洗濯機に叩きこんでから急いでお店の方へと戻った。

 

 私の家は小料理屋を営んでいる。

 元は父方の祖母がやっていた店を母が嫁入りと同時に受け継いだ。

 父は漁師で仲間の人と一緒に沖の方まで出ている。獲ってきた魚などをこのお店で出しているが、

 よく父の友人の漁師の人たちが獲れた魚介類を持ち込んでくるのでそれをその場で調理することもある。

 

「ラクちゃんがいてくれて、本当に助かった。閉館時間過ぎても読み耽っちゃってた。あっ、このお皿は?」

 

「向こうの人。ラクちゃんにあまり迷惑かけちゃダメよ?ちょっと待って、これもお願い」

 

「うん、お待たせしましたー」

 

 ここでの仕事は注文を受けたり、料理を運んだりすることが基本。小鉢やおつまみなどの簡単に用意ができる料理は私が作ったりすることもあるけど、

基本的に母がやってしまうので、二番手としての仕事が多い。

 

「おー、お嬢ちゃん久し振りー」

 がっちりとした厳つい体系の男性が私の顔を見て手を振る。

 この店にいる人は大体常連さんなので、頼むメニューやお酒への強さまで大方把握している程度で知った顔が多い。

 

「いつもありがとうございます。牛すじ煮込みとごぼうの天ぷらです」

 

「ハッハッハ、少し背が伸びたかー?」

 同席していた筋肉の逞しい男性が背を比べるように手を水平に振りながら声をかけてきた。

 

「おじさん、いつもそれ訊いてますよ。す、少しだけ伸びましたけど」

…少し伸びた。五ミリほど。た、体重は…秘密だ。

 

「すみませーん、注文いいですかー?」

 

「あっはい、ただいまー。では、失礼します」

 

「はっはっは、じゃあ頑張ってね!」

 小さくお辞儀をすると、青年二人組の席へと向かう。

 その席に向かうまでの間に常連の方々に声をかけられまくって、着いた頃には青年に苦笑いを浮かべられていた。

 

「……あの子がいるとやっぱり賑やかになるわね」

 厨房にいた母は私の姿を目で追いながら、そっと呟いた。

 

「ふぅ……この時間は本当に忙しいね。これ注文ね……お婆ちゃんは?」

注文票を渡すと、Tシャツの袖で額に滲む汗を拭った。まだそれほど暑い時期ではないが、

店内は空調を効かせても消せない熱気が充満していた。

 

「お父さんと一緒に港の会合に行ってるわ。今日はちょっと遅くなるみたい。豆腐持ってきてくれる?」

 

「うん。そっか……じゃあ、今日は書斎には入れてもらえないかなぁ」

 

「それとお父さんが『しばらく港の方には近づくな』だって」

 冷蔵庫を開けて、ボウルに入った豆腐を手に取る。扉を閉めようとした手が、母の一言で止まった。

 

「えっ、どうして?」

 

「最近、変質者がうろついてるそうよ。危険だから絶対に行っちゃダメよ?」

 

 開いた口から魂が抜けていくような気がした。港の周りには私のお気に入りスポットがたくさんある。週末は主にそこを回るのが私の主義なのだが。

 それに近づくなと言われた私にとっては、まさに死活問題であった。

 

「……艦娘記念館」

豆腐を渡しながら尋ねる。

 

「だーめ、あのお皿とって」

 はぁ…と深い溜息を吐きながら、食器のある戸棚へと向かい、指定された皿を一枚とる。

 

 それを母に渡しながら尋ねる。次はもう少し大丈夫そうなところを。

 

「……英雄の丘」

 

「だーめっ、お父さんがいいって言うまで絶対に行っちゃだめ」

 終わった。私の艦娘探求ライフが今終わった。

 

「はーい……週末の予定がなくなっちゃったなぁ」

 豆腐に包丁を通しながら、私の様子を見かねたのか、母が提案してきた。

 

「偶には街の方に行ってみたりしたらどうなの?ラクちゃんとかと一緒に」

 

「人が多いところは苦手かな……うるさいし」

 静かな場所で彼女たちの戦いの記録を読み、その世界に浸るのがいいのだ。

 人の声や行き交う車の騒音で騒々しい街などに誰が好んで行こうか?

 

「じゃあ、お母さんと買い物にでも行く?」

 

「お母さんは私を着せ替え人形にするから嫌」

 

「……私も嫌われたものね」

 残念そうにそういった母にちょっとだけ申し訳なく思ったのだが、まあ嫌なものは嫌だ。

 一緒に市場で魚でも眺めていた方がずっと楽しい。

 週末の予定をもう一度考え直しながら、母が皿によそった料理に仕上げをしていった。

 

「はい、これをそこの席の方にね」

 

「はーい、お待たせしました。揚げ出し豆腐です」

 鉢巻を巻いた色黒の男性と、少し小柄な老人が同席して飲んでいた。よく見かける陽気な二人組だ。

 

「ほいほい、ありがとうな嬢ちゃん」

 

「―――そう言えば、港の方で何かあったんですか?」

 

「ん?あぁ、ちょっとな」

 

「しばらく女子供は水場に近づかん方がいい。そっちのホッケはわしのじゃ」

 

「あっ、はいどうぞ。変質者ですか……?それってどんな」

 二人の表情の色が少しだけ変わった。酔いに染まった陽気な顔からちょっと困ったような顔に。

 

「あぁ……変質者ね。あれだ……素潜りしてる、まっぱで」

 

「……女が近づくのを待って飛び出してくるそうじゃ」

 どうやら、言葉を選んでいたらしいが、どうも歯切れの悪い口調だった。

 気になるものの、これ以上深く聞くのはあまり良くないだろう。直感的にそう思い、ここは退くことにする。

 

「へ、へぇ。それは会いたくないですね……」

 

「だから、しばらくは近づいちゃダメだぞ?おじさんたちがその変態を捕まえるまではな」

 

「残念ですね。記念館は好きだったのに」

 

「記念館も当分は閉鎖するじゃろうな。人を集めちゃいかんからのぉ」

 

「そうですか……」

 席を離れる間際に老人に空いた徳利を渡され、おかわりの注文を受けた。

 空いた皿も一緒に運び、一度流しに運ぶと別の人がまた呼んでいた。熱燗のお替りをメモすると、すぐにその席へと向かう。

 

「――――おい、また見つかったらしいぞ」

 その途中、二人組の青年が小さな言葉で会話していた。

 

「――――また、黒い海か」

 『黒い海』、そのキーワードに思わず反応してしまった。少しだけ足が止まり、耳を傾けてしまう。

 

「あぁ……玄さんとこが見つけたらしい。会合の理由もそれだ」

 

「この町にいて大丈夫なのか?」

 

「分からん。ただ親父が漁は続けるって」

 

「おいおい、死ぬなよ。黒い海に入った船がどうなるか知ってるだろ?」

 どこかで目にしたことがある。あぁ、そうだ。『黒い海』は多くの艦娘に拘わる書籍に登場する言葉だ。

 だからこそ、勝手に反応してしまったのか。

 

「お嬢ちゃーん、こっちこっち~」

 

「何してるの?呼んでるわよ?早くなさい」

 

「あっ、ごめん……すみませーん!」

 母の声に現実に戻された。思えば、変な場所で足を止めてしまっていた。

 幸い、それがお客さんにどこか分からなかったのだろうと受け止めて貰えたようでよかった。

 ただ、立ち去るその瞬間まで、私の耳は二人の会話から離れることができなかった。

 

「―――船が食われたような形して沈んじまうんだ」

 

 去り際に聞こえた、本で読んだ一文と違わぬそのフレーズを、脳内で何度も読み返していた。

 

 

『―――《浸蝕域》:突如世界中の海洋に発生した海面の色が黒く染まっていく超常現象。迷い込んだ船などの船舶、海域上空を飛行する機体、そのすべてが通信が切断され、行方を眩ませた。後に、艦娘の誕生により近辺の探索が行われた結果、行方不明となった船舶の断片などを回収。その全てに形状の一致する破断痕あり。最深部への探索、また同海域で発生した戦闘記録、その後の経過などを鑑みるに、浸蝕域は――――』

 

 

 

『――――深海棲艦の発生源と思われる』

 

 

 

   *

 

 

 

「……玄さんの見たものは確かなんですね?」

 

 老婆は薄く口を開き、手元の古びた手帳の表紙を指で撫でた

 

「ええ、あれは日の当たり方とかじゃねえ。海の色が変わっていた」

 玄と呼ばれた黒い顎鬚が特徴的な男性は少し興奮した様子だった。それでも、必死で自分が見たものを伝えようとしていた。

 

「今月に入って別の町でも同じような報告が出てる。とうとううちでも出てしまった」

 細い目の若い男性は手元の紙を見ながら正面の白い髭の老人にそう伝える。白髭の老人は、訝しげな表情で老婆から男性へと目を移す。

 

「今のところ、女子供は近づけるなと町中に伝達はしておいた。問題はわしら漁師じゃ」

 この場にいる男の中では最高齢のこの偉丈夫には、事の大きさを理解する一方で、

自分の生業に情熱を燃やす男たちというものを理解していた。

 人生のほとんどを海の上で過ごしてきた老人には、海から離れたくても離れられない彼らの思いが分かるのだ。

 

「漁をしない訳にはいかんでしょう。この町は漁師が要だ。わたしらが船を出さなければ活気が消える」

 禿げた頭に滲んだ汗を浮かべる男性がそう切り出した。

 

「近海だけでも続けるべきです。遠洋に出てる者たちには控えるか、気を付けるように言うしかないでしょう」

 その言葉に賛同するように、若い男性も口を開いた。

 

「残念ながら、海の男の性というものですなぁ……我ながら呆れたものです」

 玄と呼ばれた男性は腕を組んで首を横に振った。彼の言葉に居合わせた者たちは思わず息を漏らす。

 その場にいた男たちすべてが恐らく退くつもりはないのだろう。

 だが、この場で最も長く海に触れてきた老人だからこそ、この異変に人一倍敏感だったのだ。

 

 普段は豊富な海産物を恵む母なるこの大洋ではあるが、激しい波の打ち付けるこの世界はただの命の宝庫などではない。

 光の届かぬ世界が存在する。声も届かない深い深い暗闇がこの青の世界には存在する。

 母なる海が人類にもたらすのは、命だけではない。自然災害がいい例だ。一歩間違えれば、この町さえも破壊する脅威だ。

 そんな海が孕む危険性を、老人は職業柄冴え渡ってしまった直感が感じていた。

 

 うーむ、と首を捻りながら、低い声を腹の底からひねり出した。

 閉じていた目をゆっくりと開き、その先にいた一人の老婆に頼らざるを得ないことを悟った。

 

「――――それで、どうです?あなたの意見が聞きたい」

 

「……知り合いに連絡してみます。恐らく、向こうも気づいてはいるでしょうが、なんせ向こうにとっても不測の事態。対応に困ってるでしょう」

 掠れた声で紡いだ彼女の言葉に老人は耳を傾けた。

 

「不測の事態?」

 

「ええ、すべて壊してしまいましたからねえ。あそこが一番よく知ってるはずです」

 

「な、なあ、婆さん。何が起こってるかはっきりと言ってくれねえか?」

 緊張の糸がこそばゆいのか、堪らず玄と呼ばれた男性が口を開いた。

 

「お、おお俺たちは知らない世代だ。話こそ受け継いできた。だが、詳しいことは知らない」

 続けて、禿げた男性も息を止めているような苦しみから解放されたというような口調で老婆に尋ねた。

 

「私の……祖母の残した手記に似たようなことが書かれています。『黒い海』のことも。あまりよくないことですね……」

 

 若い男性は自分の母であるその老婆の言葉に静かに耳を傾けていた。

 彼女からこんな話を聞くことは滅多になかった。実の息子であったが、未だに母がここにいることをはっきりと理解してはいないのだ。

 

「ただ、私もすべてを知っている訳ではありません。残った祖母の手記を元に受け継いだだけ」

 手に持っていた手帳を懐かしむように撫でる。

 

「……それだけの時間が流れてしまった。今は海軍に託すほかありません。本当は、船は出すべきではないでしょう。でも、一隻も出さずにいれば町の者たちに妙な不審を生みます」

 

 ふぅ……と息を吐くと、落としていた目線を持ち上げて、集まっている男たちを見渡した。

 

「この町の漁師たちは、嵐でも船を出そうとする大馬鹿者が昔からいました。そんな町です。余程のことがない限り、この港に船が並ぶことはない」

 男たちは皮肉めいたその言葉に思わず失笑する。こんな事態ではあるが、我ながら普通の漁師としてはありえぬことをしてきた。

 

「ですが、若者たちよ。忍耐は必要なことです。海軍の方がはっきりと情報が集まる。今は待とうじゃありませんか?」

 

「母さん。海軍に何かできるのか?俺たちは本当はこの町から逃げなきゃいけないんじゃないか?」

 若い男の言葉に禿げた男性が立ち上がった。

 

「馬鹿言うな。町を捨てられるわけがねえだろ!」

 

「だが、海軍が信用できるわけでもねえ。あいつら何をしてるか全くわからねえからな。じっとはできん」

 玄と呼ばれた男が諫めるように手を出しながら、自分たちの長である老人にそう言う。

 

「家族はどうなるんです!私たちは目に見えない何かと対峙している。心配じゃないんですか?」

 

「心配じゃないわけないだろ!だが、俺たちは漁師だ!海から離れてどうなる!!」

まあまあ、と玄と呼ばれた男性が宥めようとする。

 若い男性が再び口を開こうとしたとき、老人が立ち上がった。

 

「言い争って何になる。今は何もわからん。婆さんの言う通り、海軍の連絡を待つしかない。皆もよいな?明日は……仕方がない。何か適当なことを言って不審がられないようにしよう」

 老人の言葉にやや不満が残っている様子ではあったが、禿げた男性は腰を下ろした。

若い男性は言おうとしていた言葉を止められ、代わりに溜めていた空気を押し出すように長く息を吐いた。

 

 周囲の男たちはどうやって町に誤魔化すかを検討し始めた。

 その中に紛れずにぼんやりとしていた若い男性に玄と呼ばれた男性が声をかけた。

 

「竜さん、アンタのところの娘、スイちゃんだったか? 気をつけろよ。あの子は海を愛しすぎている」

 

「あぁ、ちょうど今心配してたところです。強く言っておきます。目を離すと飛び出してしまいそうだ」

 

「元気がいいのはあの子のいいところだが……少し危なっかしいところがある」

 

「艦娘が……大好きだと。彼女たちが作り上げたこの平和の中ですくすくと育ってしまった」

 若い男性は胸の前で拳をグッと握りしめた。

 

「あの子の生きる時代は平和であってほしかった」

 

 この時代に生きる者たちは幼少の頃から彼女たちの逸話を語り継ぐ。それは彼女たちが築き上げた栄光だけではない。その時代の様子まですべて、悲惨な現実の広がる世界を語り継いでいた。それは人間同士でこのような世界を作らぬようと戒めたものであると言われているが、状況が変わればその逸話の意味は一変するのだ。

 

 再び地獄の窯が開く。

 

 艦娘たちが伝説と呼ばれた傍らにあった人々の暮らしは決して平和と呼べるものではなかった。だからこそ、平和を愛するように教わった。だからこそ、平和をもたらした彼女たちに感謝する。

 

 人類最後の希望のその裏にある絶望―――その存在を忘れた者はいなかった。

 

 

 

 

 




勢いが欲しいです…


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平和の犠牲

 西日の差す教室に二人残り、ひとつの机に向かい合うようにして座る。

 茶色い木板の机の上にある一枚の紙に向き合うように見せかけて、船を漕いでいる者と頬杖突いてその様子をじーっと観察する者。

 

「……」

 こくりこくりと揺れる頭と、指で机を叩く音が苛立ちが増すほどに早くなっていき、

不思議と二人でリズムでもとっているかのような光景であるが、付き合わされておいて寝落ちされている少女の内心は当然穏やかではない。

 

「ちょっと、なに寝てんのよ?」

 我慢の限界が訪れ、手刀が私の脳天に打ち込まれた。

 

「痛っ!え?何?深海棲艦の襲撃?」

 

「縁起でもない。一体、何の夢を見てたのよ……?」

 

「えーっと、その、ごめん」

 寝不足のぼんやりとした頭を掻きながら、申し訳なさそうに目を逸らした。

 

 結局あの後、家にある艦娘に関する書籍を読み漁ってしまった。

 お婆ちゃんの書斎にはもっとたくさんあるので、そっちにも行きたかったが、今日の朝早くにお父さんと一緒に帰ってきたため、入ることはできなかった。

 

「また遅くまで本でも読んでたの?……艦娘の」

 全て見透かしているかのようにラクちゃんは言った。

 

「う、うん、ちょっと気になることがあって」

 

「飽きないわね、ホントに。それよりも、早く書きなさいよ」

 指でとんとんと机の上に置かれた一枚の紙を差す。

 

「……進路希望かぁ」

 

「ちょっと意外だったわ。あんたは研究者になると思ったから進学校に進学すると思ってたのに」

 呆れかえっていた表情から一転、ラクちゃんは面白い者でも見たかのような表情をした。

 いつも怠そうにしている目も、少しだけ大きく開いて私をじっと見つめた。

 

「うん……そうなんだけどね。ちょっとね」

 

「悩むほどのことかしら?」

 

「これでいいのかって思っちゃって。私のしたいことは本当にこれでいいのかって」

 

「違うの?あんたは艦娘について研究したいだけだと思ってたわ」

 確かに、艦娘について研究することが私の将来の夢であることは間違いない。

 だが、それはあくまで私が描く理想の中継地点なだけであって、その先にある確かな目標に対するビジョンが見えていないのが確かなことだ。

 

「……ラクちゃんに訊きたいことがあるんだ。笑わないで聞いてくれるなら」

 

「今更あんたのことで笑うことなんてないわよ。何よ?」

 随分と酷いことを言う。私はいつも笑われていたのか。

 

 それは置いておいて、こんな馬鹿馬鹿しいことを訊けるのは恐らくラクちゃん以外にいない。

 本当ならば、口にさえしたくないことなのだが、今の私は自分以外の誰かからの答えが欲しかった。

 

「ラクちゃんは――――ヒーローになりたいと思ったことはある?」

 

「…………は?」

 

 ポカーンとしていた。恐らく、今までで一番ポカーンとしている。ラクちゃんがここまで気の抜けた表情をするのはもしかしたら初めてかもしれない。

 

「絶対そんな反応すると思ったよ……あるの?ないの?」

 

「そ、そうね……しいて言えばないこともないかもしれないわ」

 ちょっと意外だった。でも、誰にでもあるものなのではないか?

 弱き者に手を差し伸べ、悪しき者を裁き、夢と平和のために戦う英雄に憧れることは。

 

「なにか人の役に立ちたいんだ。私は。そのヒーローみたいに。ヒロインの方が正しいのかな?まあ、英雄と読んだ方がいいのかもしれないけど」

 

「また、何か小難しいことを考えてるみたいね……結局、あんたが英雄とやらになりたいと言ったところで」

 ラクちゃんは前髪を掻き上げながら、窓の外の方に目を向けていた。その横顔には正直優しさとかは感じなかった。

 

 無表情とは言わないが、少し冷たい。

 ちょっと間をおいて、息を吐くとこちらに目を向けて、

 

「……結局、艦娘のことなんでしょ?」

 

 真っすぐに私の目を射抜くように、その眼を研ぎ澄ませて言葉と一緒に突き刺した。

 

「そ、そうなのかなぁ?ちょっと違う気がするから悩んでるんだけど」

 

「何が違うのよ。今のあんたは艦娘になりたいだけなんでしょ?自分が何か人の役に立っている。その実感が欲しいがために自分を理想に投影してるだけ。悩みなんて呼ばないわ。ただの妄想よ。それか理想と現実の差に困惑しているだけ」

 

 分からない。

 その時、何かが揺らいだ気がした。

 

「そういう訳じゃないよ。私は艦娘を知り、そのことで得られた何かで何か役に立てることがあるんじゃないかと思って」

 

「艦娘は今としてはロストテクノロジー。確かにその技術は私たちにとっては未知でしょうね。何か役に立つかもしれない」

 

 そう、失われた超高度技術の結晶。

 なぜかほとんど残されることのなかったその礎を探し求めることが…違う。そうじゃない。

 

私の中で艦娘とは一体、何なのか?憧れ?確かにそうだ。

私が描く理想は確かに艦娘だ。彼女たちに憧れて今まで生きてきた。

 

 彼女たちになりたいと思ったのは、決して嘘ではない。

 だが、それが現実にどう関係しているのかは別の問題だ。

 

 彼女たちになりたいからと言って、私の将来の夢が艦娘のいる世界だということではないのだ。

 

 気持ちの悪い矛盾が私の中で渦を巻き始めた。

 

「でも、よく考えなさい。当時は人類存亡の危機にあった情勢よ?そんな時代に使われていた技術が、この平和な世界でなんの役に立つの?きっと倫理も法も道徳も汚していたでしょうね。なんせ、少女たちを前線に出していたのよ」

 

「そ、それは……倫理とか、そういうのを捨てなきゃ勝てない時代だったから」

 

「そうよ。いつの時代の戦争もそういうもの。確かに戦争期に生まれた技術は私たちの生活の中にある」

 

 戦争期に技術が進歩を遂げることは歴史が証明している。

 コンピューターやGPSがその代表。私たちの生活の中に浸透したそれらの大元は戦争の中で開発された戦略兵器の一端だ。

 

「だからと言って、そのすべてが私たちを生かすためのものじゃない。そこには必ず兵器が存在する」

 

 それは人を殺す兵器もだ。

「艦娘は兵器。そうでしょう?法も倫理も道徳もない世界に産みだされた命を持つ最強最悪の最終兵器。それを人はヒーローと呼ぶ。女神と呼ぶ。そういう時代だったから」

 

「違う!私の見た艦娘の姿は―――」

 

 私の描く艦娘の姿とは―――――あれ?

 

 

 

 

 何だろう?

 

 

 

 

 

「平和な世界に英雄は必要じゃない」

 

 ラクちゃんの言葉が思考回路の止まった私の脳内に突き刺さった。

 

 

 

 

 

 英雄が生まれるのはいつだって世界に混沌がはびこる時代だ。

 その混沌を切り裂き、絶望の中で光となり、人々に希望をもたらす救世主が生まれる。

 でも、彼らが必要ではない時代は訪れる。奇しくも彼らの手によってもたらされた平和こそがその時代なのだ。

 

 伝説は語り継がれるものだ。そこに伝説を打ち立てた者たちの存在は必要ない。

 

 ある者は、こう言う。英雄(かれら)の存在そのものが、混乱の時代の象徴なのだと。

 

 艦娘が伝説の存在と言われるこの時代に彼女たちが存在しないのはきっとそのためだ。

 彼女たちが存在し続ける限り、この世界は彼女たちを求めているかのように錯覚する。

 

 真の平和を生み出すために――――平和の犠牲となる。

 

 私が作りたいのは彼女たちが犠牲となった証明ではない。

 だが、彼女たちを知ることで得られる答えはその犠牲の先で得られた今が存在することだ。残酷な真実だからこそ、私は戸惑っている。

 残酷な真実に理想を重ねるのはあまりにも酷なことだ。

 犠牲を憧れと呼ぶほどの皮肉はない。

 

「……伝説のままじゃいけない。彼女たちがこの世界にあったことを伝説なんかにしちゃいけない」

 

「英雄が必要な世界には争いがあるだけよ?あんたは争いを望むの?」

 

「だから、違う!彼女たちの生きた証が何か……何かになるはず!私はその答えが知りたい……ただ艦娘が世界を救ったこと以外に何かを」

 

「……間違った道を進まない自信があるなら、あんたの夢を信じればいいわ」

 ラクちゃんは優しい。きっとどんな道を行こうと私のそばにいてくれる。理由は知らない。

 否定はするが、断ち切ることはない。明確な道を示すこともないが、よくよく暴走する私を諫めてくれるのはいつもラクちゃんだ。

 

 ただ、それを優しさと呼ぶのは、甘えなのかもしれない。

 

「でも、これってどういう夢なのか、わかんなくて……」

 それでも、私は彼女を頼った。頼るしかなかった。

 これほど親身になって私に付き合ってくれる友は他にはいない。

 

「……前から思ってたけど、ラクちゃんって艦娘のこと嫌いだよね?」

 

「……悪いかしら?」

 分かり合えないのは、この点だ。私と彼女の間で最も差があるのは艦娘に対する想いなのだ。

 

 今日のように明確に艦娘が嫌いだということは滅多に無い。

 いつものように黙って私の語りを聞いてくれるラクちゃんの姿から見れば、周囲の人は艦娘が好きなのだろうと誤解するだろうが。

 

 ラクちゃんは艦娘が嫌いだ。

 お互いに分かり合えるほどの仲でも、これだけは互いに譲れないものであるらしい。

 それでも、私が艦娘に拘わることに極端に異を唱えようとはしない。今日のように、ある程度の持論をぶつけて、私の考えにある矛盾を指摘してくれる。

 そうやって何度も軌道修正を重ねて私を支えてくれる存在に変わりはないのだ。

 

 相反する理想を持つからこそ、私たちは親友なのかもしれない。

 

 あぁ、そうなんだ。

 大切な存在なんだ。

 私のかけがえのない親友だからこそ、私も思いのうちをぶつけたくなる。

 

 だったら、やることは一つだ。

 押しつけがましいかもしれないけど、ここまで私のことを想ってくれているのならば…真っ向からぶつかるのみだ。

 

「……決めた」

 さっさとシャーペンを走らせて、書き終えた進路希望調査票をラクちゃんに見せつけた。

 

「…………は?」

 さっき質問した時よりも、驚き具合が増した感じだった。

 私の思惑通りだ。まずは私の一勝と言ったところか……何の戦いをしているんだ?

 

 

『艦娘』

 

 

 私が調査票に書いたのはたったその二文字だ。

 

「ラクちゃんが艦娘のこと好きになるようにするのが私の夢。そのくらい艦娘のいいところを見つけてやるのが私の夢」

 

 さて、語るとしよう。

 私が描く幼稚な夢を。

 

「いつか私が艦娘のことを知り尽くして、その先に作った未来で、ラクちゃんが『この世界でよかった』というのが私の夢」

 

 肯定する。艦娘が存在したことの意味を。

 いつか肯定させてみせる。彼女が私と同じ方角を見ていることを。

 

「だから、私が艦娘になる。正確には艦娘くらい艦娘のことに詳しくなる!」

 あぁ…また訳の分からないことを口走ってると自覚しながらも、私はフンスッ!と胸を張って見せた。

 

 ラクちゃんは立ち上がるとしたり顔の私にぐっと迫ってきた。

 しかも、無表情で。

 あまりの色のない表情に至近距離から迫られた私は威圧される。

 だが、負けじと「ふんすっ!」と言ってみた。

 

 

 

 バチン。

 

「痛いっ!」

 でこピンがいい音を立てて私の額を撃つ。痛みに悶える私を他所に、ラクちゃんは深く溜息を吐いて鞄を手に取った。

 

「あんたバカぁ?……もういいわ。すっごく疲れた。書き終わったなら提出してさっさと帰りましょ」

 すたすたと教室の出口の方まで速足で去っていこうとした彼女を追って、

 

「あっ、ちょっと待ってよ!痛っ」

 立ち上がろうとして、思いっ切り膝を机に打ち付けて再び悶える。

 馬鹿している私の様子を見かねて、帰ろうとした足を止めて戻ってきた。

 

「夢が艦娘って何よ。小学生なの?『将来の夢はマスクライダー』とか書く幼稚園児なの?」

 

「ひどい!結構真面目なこと言ったはずなのに!!」

 

「はいはい、楽しみにしてるわ。私が言ったような結果にならないことを祈ってるわ」

 棒読みで一回も息継ぎなしに抑揚のない文をすらすらと口から吐いた後、ちょっと間をおいてラクちゃんは笑みを漏らした。

 

「……まあ、私が友達である内は、そうならないように諫めてあげるけどね」

 そして、私を小馬鹿にするように額にチョップを軽く入れる。

 

「もーう!決めたからね!絶対に言わせてやる!!今日から今まで読んだ資料全部読み返す!」

 筆記用具を鞄に仕舞い、席を立ちあがると、両腕を突き上げて大声で宣言する。

 そんな私の変わらない様子を見て、ちょっとだけ笑みを浮かべながら、わざとらしく溜息を吐いた。

 

「今日は寝不足なんでしょう?早く寝なさいよ」

 

「ううん!思い立ったが吉日だよ!早速、艦娘記念館に……あっ」

 

 あるキーワードに母から言われていたことがあったのを思い出した。

 戸締りをして、少し先を進むラクちゃんの後姿を追いかけて尋ねた。

 

「行っちゃダメだって言われてるんだった。ラクちゃん何か知ってる?」

 

「何って何を?」

 

「お父さんから何か聞いてない?港に行っちゃダメだって。その理由とか」

 

「何も聞いてないわよ。てか、軍の問題を娘といえど話すわけないでしょ?」

 

「ま、まあ、そうだよね……」

 顎に手を当てて、うーんと唸りながら考えてみる。と言っても、なんとなく答えは得ているようなもので、だが非現実的で確証がない。

 

 職員室の前まで来て、まだうーんと唸っていた私を見てラクちゃんは、

「不審者の話でしょ?解決するまで近づかなければいいだけの話よ」

 

 適当な答えを私に示して、職員室の扉を開けた。

 後を追うようにして私も中に入る。静かな空間に、残っている先生はほとんどいないが、空調が効いていて廊下より涼しかった。

 

「……ラクちゃん、『黒い海』って知ってる?」

 

「……黒海のこと?ヨーロッパとアジアの間にある」

 

「違うよぉ!海が黒くなってるらしいの。おかしいと思わない?」

 

「また酔っぱらいの変な話でも聞いたの?何はともあれ、大人が港に近づくなと言ってるの。近づかない方がいいわよ」

 

「……うーん、気になる」

 私たちの担任の先生の机に行くまでの間、そんなことを話してみた。

 

 目的地に辿り着いたところで先生の姿はなかった。

「あら?先生いないのね。仕方ないから置いて帰りましょ」

 

 

「うーん……」

 

「まったく……変なスイッチ入ってるわね……」

 職員室を後にしても、私は気が気ではなかった。もしも、私が今考えていることが事実ならば、それは只事ではない。

 

「ダメだ。気になる。今日も寝れそうにない」

 

「今日は寝なさい。それと……今日は一緒に帰れないわ。ちょっと用事があるから、迎えに来てもらってるの」

 

「そうなの?仕方ないね。また明日ね。気を付けて」

 ええ、とラクちゃんは返して廊下を走っていこうとしたが、途中で立ち止まって私を見た。

 

「危険なことはしないでよ?」

 

「うん、善処する」

 

「何かしたら明日殴るわよ?」

 

「う、うん…じゃあ、またね」

 最後まで怪しむ目を見せていたが、途中で諦めたように走っていった。

 

 

 ……。

 

 

 さて、ラクちゃんには言われたものの、

「しかし、気になる……思い立ったが吉日とも言うし」

 

 このままでは眠れないだろう。また、家の勉強机に座って本を読み耽ることになる。

 いや、艦娘の本を読むことに関して全く苦痛ではないのだが、明日が休みという訳でもないし、授業中に寝て、先生に閻魔帳で叩かれるのは勘弁だ。

 持っている知識の数だけ仮説というものが立てられていくが、それを証明する油断もなければ、私が仮説を立てている世界は「艦娘」という存在がこの時代にも存在していることが前提となる。

 この世界から少しかけ離れすぎている論が正しいとは一概に言えない。

 それこそ、現実と理想の差だ。

 

 まあ、この後私が何をしたかと言うと、私の安眠を守るためには結局行動あるのみなのだ。

 そんなこともあって、私の足は自然とある場所に向かっていき、気が付いた時には、

 

「結局、気になって来ちゃった……」

 行くなと言われた港にいた。

 

 今日は珍しく多くの船が港に停泊しており、行き交う人の数もかなり少ない。かなり離れたところに一人二人姿が見えるだけ。

 

 私はこっそりかつ大胆に港の探索を始めることにした。

 ……ちょっとだけ!ちょっとだけなら大丈夫!ちょっとだけだから!

 

 絶対に変質者とかじゃない。何かを隠してる。

 それほどの事態が起きてるってこと……なんでもいい。私の知的欲求が満足するような何かが。

 

 胸が高鳴ってじっとしてられない。

 何かを見つけないと多分ぐっすり眠れない……そのためにも、ってあれ?

 

 

「なんだろ、あれ?」

 身体を屈めて、誰の目にも付かぬようにこっそり移動して周囲の様子を窺っていた私の目に何かが映る。

 

「―――――――――――っ、――――――」

 桟橋の方に何かいた。

 この距離からじゃよく分からないが、とても小さい生き物のようだ。確かに動いている。

 鳥?動物?ネズミじゃない。ここからじゃ、よく見えない。

 

「もっと、近くで見ないと」

 私は思わず飛び出した。ただ、それを知りたいという知的好奇心という衝動に身体が突き動かされてしまった。

 大人たちが隠そうとしたのはあれなのかな?別に危険なものじゃないように思えた。

 動いてる。二匹……リス?違う、あれは人形?でも、動いてる。とても小さい。

 

 そんな……小人なんているわけな――――

 

 

 

 

「――――何をしている?」

 

 

 

「――――え?」

 腕を掴まれて私の意識は狭い一点から周囲の様子を把握するように広がっていった。

 私の腕を掴み、その動きを止めた存在を確認するために、私はさっと後ろを振り向いた。

 

「スイ……ここで何をしている?」

 高身長で締まった体をした細目の若い男性。それはよく知った顔だ。

 

「お、お父さん?」

 間違いなく私の父だった。

 とても芯の強い人で、自分の生き方に揺らぐことのない理念を持っている。

言いたいことははっきりという人で、周囲はとても厳格な人だと言うが、父はとても優しい人だ。

 少し過保護なところがあるのが目立つが、それは父の理念であり、子どもは責任をもって育て上げ、家族は自分が柱となって支える。

 父は理想の親の姿というものをよく私に語る。父は自分が父親であることを誇りに思い、それが自分の中で一番強い芯なのだと語った。

 

 決して悪い人だと思ったことは一度もない。叱られることもあったが嫌いになることはなかった。

 だが、私の腕を掴んだ父の表情を私は今まで一度も見たことがなかった。

 

「ここで何をしている?」

 私の腕を引きながら低い声で父は尋ねた。だが、そんな父の言葉を遮り、私の身体を突き動かした衝動の熱はまだ冷めてはいなかった。

 

「あっ、そ、それより、あれ?いない……」

 振り返り、桟橋の方に目を向けた。もう少しではっきりとその姿を得られたのだが、もうそんな影はどこにもなかった。

 がっくりと肩を落とす私の身体を起こすように、父は強い力で私の腕を引くと、もう片方の手を肩においた。

 

 何かの感情を孕んだ鋭い眼が私の答えを求めていた。

「ここで何をしていると聞いてる?港には近づいちゃダメだと言ったはずだ」

 

「お父さん、さっきあそこに小人みたいな――――」

 そして、私の頭は私の知的好奇心を満たす答えを父に求めていた。

 悪い熱を冷ますように、私の言葉を遮って、冷たい痛みが私の頬を打つ。

 

 

 パシンッ!

 

 

「……え?」

 冷たさが頭の中にあった何かを吹き飛ばす。

 頬を打った感覚が徐々に熱を帯びて鼓動に合わせて響きだす。

 歯を軋ませ、怒りの形相を露わにした父の顔を見た私は思わず一歩後ずさった。

 

「なぜ言うことを聞かなかった!!ここに来てはいけないといったはずだ!!お前の身に何かあっていたらどうしたつもりだ!!」

 

「え、え……お、お父さ」

 戸惑いが私の心と頭を激しく掻き乱す。

 

「もし、私じゃなくて本当に変質者だったらどうする?暴力を振るわれていたらどうする!もし殺されていたらどうする?」

 

「そ、それは」

 

 耳に反響する言葉が私の思考を掻き乱す。上手く言葉を紡ぎ合わせることができない。

 

「父さんはお前の身を思って忠告したんだ!お前には重ね重ね言ったはずだ!それなのにお前はここに来た!!」

 

 母からだけではなかった。

 朝、ちらっと父と会った時に、強く言われていたのを今になって思いだした。

 あの時私は夜遅くまで起きて、頭がぼんやりとしていたから、記憶がはっきりとしていなかった。

 

「それなのにどうしてだ!父さんの忠告一つ守れないのか!!お前は自分がしたことが分かっているのか!!」

 

 申し訳なさと恐怖が同時に襲い掛かり、私の身体は反射的に父を拒むかのように動いた。

 肩と腕を突き放し、混乱した頭を整理しながら、上がってしまった息を整える父の顔色を窺っていた。

 ただ、何をすればいいのかも瞬時に導き出せずに、父を宥めようと防衛本能が働く。

 

「そ、その……ご、ごめんなさい……ごめんなさい!ごめんなさい!!」

 

 頭を深く下げて、命乞いをするかのように必死で叫んだ。

 

 父は荒々しい息を整えて頬を伝う汗を拭って、身体の中の熱を追い出すように長く息を吐いた。

 恐る恐る顔を上げると、そこにはいつもの父の姿があった。

 

「……まっすぐ家に帰りなさい。絶対にどこにも寄り道はするな。父さんもすぐに帰る。帰ってから話の続きだ。いいな?」

 先ほどの剣幕が嘘であったかのように穏やかな声でそう言った。

 

「……はい」

 

「二度も父さんを裏切るな。絶対にまっすぐ帰りなさい」

 

「……はい」

 

「頬は痛むか?帰ったら冷やしなさい。母さんには父さんからちゃんと話す」

 

「……ごめんなさい」

 最後に私の頭を優しく撫でると、港の倉庫の方へと戻っていった。

 その背中をしばらく見つめていた後、真っ白になった頭は何も考えようとはしなかった。

 頬に残った熱が考えることをさせようとしなかった。ただ無心で家路に着いた。

 

 

 父が私をあそこまで叱ることは今までなかった。温和な父なのだ。叱るときも諫めるように優しく言葉をくれた。

 見たことのない剣幕の父に私はただ困惑した。自分が悪かったと自覚するのを忘れるほどに。

 

 最後に惜しむように一度だけ桟橋の方に振り返った。

 あの生き物はもういなかった。結局、私は何をしていたのだろう?

 

 言いつけ通りまっすぐ帰った。母は頬を腫らした私を見て黙って氷嚢を差し出した。

 父が電話したのだろう。

 父が帰ってきたが、一言「二度とするなよ」と優しく言ってすぐに出ていった。私がまっすぐ帰ったことの確認だろう。

 

 ラクちゃんに電話したら、鼓膜が破けるほどに怒鳴られた。明日殴られる予定ができた。

 

 

「…………っ」

 

 私は何をしていたのだろう……?

 

 

 

 




主人公の少女の名前は「(すい)」です。
主人公の友人の名前は「(らく)」です。

特に重要な名前ではないのですが、一応伏線的な意味合いはあります。
察しのいい人は気付かれているかもしれませんが…

艦娘という言葉は出るのに、本人たちが全く登場しない話が続いていますね(笑)
艦これタグ詐欺もいいところです。



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黒鉄

 

―――次の日――――

 

 

 チャイムが響き渡り、本日の全授業が終了する。

 HRを終えて、担任の先生に挨拶をし終えて、みんなと同じように帰る準備をしていた私の目の前に、にっこりと笑った先生が立っていた。

 職員室に強制連行である。

 

 

 一人の少女を残して誰もいなくなった教室に戻り、涙目の私は机に突っ伏せた。

 

「あ゛あ゛ぁ゛……今日は最悪の一日だぁ……」

 

「何汚い声出してるのよ……」

 

「だって、学校に来るなりラクちゃんに殴られ、進路希望で先生に呼び出されて、理科の宿題は家に忘れて、黒板消しを頭に落とされて」

 

「半分は自業自得じゃない」

 興味なさそうに私の言葉を流していく。

 変な唸り声をあげながら、冷たい机に頭をぐりぐりと押し付ける。

 

「ラクちゃんが私を見た瞬間殴りかかったのを見たクラスのみんなの顔見たぁ?」

 今日、学校に来るや否や、少し教室は騒々しかった。それは扉を開けばすぐにわかった。

 

 明らかに不機嫌な人物が一人。

 話しかければ殺されそうなその雰囲気に誰もが近づくのを躊躇っていた。

 私の姿を見るや否や、助走をつけて大きく踏み込み、何か訳の分からない言葉を口走りながら鉄拳を鳩尾にめり込ませた。

 

 身体が浮いたことに対する驚きより、真っ白になった世界の先で知らないお爺さんが河を挟んだ向こう岸で手を振っていたことに驚いた。

 その後、朝のHRが始まるまで何かを喚き散らしていたらしいが、半分意識が逝っていたので全く覚えていない。

 とにかく、その時のラクちゃんの剣幕は凄まじかったらしい。

 

「今じゃ私、ラクちゃんの親を殺したって言われてるんだよ~?」

 

「あんたの話聞いたとき、こっちは心臓止まりかけたのよ。親殺されたのと同じくらいの衝撃だったわ」

 

 まあ、ラクちゃんが本気で心配してくれていたことは十分すぎるほどに理解した。

 なんだかんだで、ラクちゃんは私を愛してくれているのだろう。愛されてるな、私。

 

 と、茶番はここまでにして、私が先生に呼び出しを食らった例のものをラクちゃんに見せた。

 

「……で、やり直し。タッタラタッタ ターラーラー、進路希望調査の紙~!」

 

「いちいち突っ込まないわよ。もう全部その辺りの高校でも書いときなさい」

 

 昨日はテンションがいろいろとアレだったせいで全く自覚がなかったが、やり直しになって当然だ。

 朝、学校に来て机の上に「艦娘」などという言葉しか書かれていない紙が置いてあれば、誰でも困惑する。

 幸か不幸か名前を書き忘れていたのだが、速攻で特定された。

 

 「お前大概にしろよ?」などと呆れかえった先生に長々と説教を受けた後に、提出してから帰れ、と新しい紙を渡された。

 

 

「うん、そうする。ラクちゃん第一どこ?」

 とりあえず、適当に埋めることにしよう。今の私はとりあえず、先にある目標だけは答えを得た。

 その過程も大事かもしれないが、まだ今の時期に真面目に決める気にもなれなかった。

 

「私進学しないから…」

 

「うんうん、進学しないっと……えっ?ええっ!?」

 『進学しない』の項目に丸を付けようとしたペンを止めて、私は驚きのあまり席を立ちあがってしまった。

 

「別に私の勝手でしょ?あっ、大丈夫。友達では居てあげるから」

 

「え?えっ?ちょっと待って……えー……」

 

 ラクちゃんは成績優秀だ。と言うか、学年首位だ。二位は私だが。

 先生たちも期待しており、是非とも有名な高校に進学させようとしたはずだ。私もそうなるものだと思い、同じ高校に行こうと頑張って勉強した。

 恐らく、先生たちの反応も同じだったはずだ。

 

 困惑しておろおろとしていた私からそれとなく目を逸らし、

「私にも夢はあるのよ……って、私の夢はどうでもいいのよ。さっさとその辺りの進学校でも書きなさい」

 

 そうとだけ言った。

 

「えー、やだなー。ラクちゃんと同じ高校に行きたかったなー……」

 それは本当だった。進学先などどこでもよかったが、できることならば、ラクちゃんと一緒の道を行きたかった。

 今からでも考え直してくれないだろうか?

 そんな気持ちを少し込めながらぶつぶつと呟いていると、「あーーーもう!」と声を上げた。

 

「早く書かないと私が書くわよ?もう私が書くわ。貸しなさい」

 そう言って私から紙とシャーペンを奪う。

 

「え?ちょっ……」

 やけに荒々しく奪ったと思いきや、ラクちゃんの雰囲気は一変した。

 

 そっとペン先を紙に当てると、スラスラと文字を綴っていく。

 荒々しくではなく、優しい雰囲気で、綴る文字にはどこか柔らかさがあった。

 ただの高校の名前なのに、一つ一つの文字に優しさが籠っている。まるで彼女が祈りを込めて書いたかのように。

 

「―――ラクちゃん…」

 

「……何よ?」

 

「私応援するよ。きっとラクちゃんの夢だから、安心できる。どんな夢でも応援する」

 

「そう…ありがと」

 

 たったの三校の名前を書くだけだったが、実際に経った時間よりもとても長い時間を過ごしていた気がした。

 私はラクちゃんの将来像を思い描いていた。

 簡単に想像できるものではなかったし、理想を押し付けた妄想でしかなかったが、ただ笑顔の彼女を描いた。

 どんな夢であろうと、大切な友が紡いだ夢の先に、彼女が笑える世界があるならばそれでいい。

 大切な人がいる未来に私がいるのならば尚更だが、その夢をこの目で見守ることができるのならば。

 

 願わくば、その夢を護ることができるのならば――――

 

 

 

「……はい、こんな感じでいいでしょ?さ、帰るわよ」

 ラクちゃんは書き上げると、その紙を私に返して鞄を持って立ち上がった。

 見事に県内外の超名門校の名前が並べてあった。その文字を見るだけでたじろいでしまうような雲の上の存在が。

 

「うわぁ……引くレベルで超難関ばかり。まあ、夢は高い方がいっか」

 だが、きっとラクちゃんが進むならばこの道を行くだろう。

 きっとどの大学にでも、それ以外の道にでも進めるだけの教育を受けられるだろう。

 

「早くしなさい。置いていくわよ」

 

「あっ、待ってよ~」

 紙を二つ折りにして、私は教室を出たラクちゃんの後を追った。

 立てつけの悪い木の扉を開くと、廊下の窓の外には港が広がる。日の入りは逆方向なので水平線はほんのりと薄暗い。

 

それがいつもの光景だった。

 

「…………」

 廊下に出て、最初に目に入ったのは鞄を落とした彼女の姿だった。

 窓の外を見て、目を見開いて震えていた。額から汗が滲み出て、頬を伝って床に落ちる。

 緊張感の張り詰めた彼女の雰囲気に思わず声をかけることさえ躊躇った。

 妙に喉奥に絡みつく唾液を飲み込んで、恐る恐る近づいた。

 

「え?どうしたの、友ちゃん?窓の外に何か見えるの?」

 

 

 

 

ウウウウウウウウウウゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥウウウウウウウウウウウウウウ―――――――――――――

 

 

 

 

 

 窓が震える。

 その震えが私の体にも起きた。共鳴するように。

 それはサイレンだった。港町で海岸からの退避を町中の人に伝えるような、災害が起こった時などに用いると父に聞いた。

 津波などが万が一町を襲えば、一瞬で何もかも飲み込まれてしまう。

 

 だが、津波なんかじゃない。当然、今日はサイレンの定期点検の日でもない。その日は町中に通達がいくようになっている。

 じゃあ、何が起こっているのか。

 

「えっ……何が起きてるの?ねえ、ラクちゃん?」

 

 けたたましく響き渡る異常な警報音。

 その音が刹那、別の轟音にかき消される。

 床が揺れる。視界が揺れる。町が揺れる。

 空気が震えて、視界に映る全てが訳の分からない色に覆い尽くされていく。

 

 咄嗟に耳を塞いで床に座り込んだ私は、周りの様子を慎重に窺いながら、窓の外へと目を向けた。

 

「何……あれ?」

 

 黒い――――水平線まで真黒な海が広がっていた。

 

 昨日までそこにあった青はなく、黒があった。

 

 

「……逃げよう。できるだけ内地の方に逃げなきゃ」

 鞄を拾い上げたラクちゃんは、見せたこともない焦燥の色を表情に浮かばせていた。私の腕を掴むと、一目散に走りだした。

 

「ちょ、ちょっと、待ってよっ!!何が起きてるの!?」

 

「説明してる暇はない!そのくらいわかるでしょ!?あの海は危険!少しでも遠くに離れないと…」

 

 走り出した。私は腕を引かれるままに。横目で見る窓の景色にぼんやりと煙が映る

 

 違う――――燃えている。港の方だ。漁火ではない赤い炎が黙々と昇る黒煙の中で揺れていた。

 

 私の脳裏を過ったのは、昨日訪れた港の様子。

 スライドが入れ替わるようにして、お店に来てくれる漁師のみなさんの騒ぐ光景。

 そして、今朝、家を出る父を見送った光景。

 

 ――――今日は一日中港にいる。帰りは遅くなる―――と言って父は家を出た。

 

 私への忠告を含めていたのだろう。

 ただ、今はその言葉の意味もスライドのように流れていった。

 

 いつの光景だろう。私は幼い頃に船に乗せてもらったことがある。

 

 港にいたおじさんたちはみんな私を可愛がってくれた。その鍛え上がった身体からは想像がつかないほど優しく抱き上げて船まで運んでくれた。

 風を切って進む船の上では父が落ちないように抱き絞めていてくれた。

 海風に触れた父の横顔は、いつもより逞しく感じた。

 

 

 学校を飛びだした私は外の空気に触れた瞬間に、ラクちゃんの腕を引いた。

 

「待って……待って、友ちゃん!!」

 

「何よ!?早く逃げないと」

 

「燃えてるの…港が燃えてる…」

 無理やり走らされて息が上がり切って、言葉が途切れ途切れになる。膝に手を当てて深い呼吸を繰り返して、肺の中に溜まった空気を入れ替えた。

 

「だから何?どちらにしろ、あそこは危険なの!?近づけないわ!!」

 

「ダメ……ダメだよ……あそこにはお父さんがいる……お父さんだけじゃない。みんないる」

 何を言いたいのか察したのだろう。焦りの色が徐々にラクちゃんの顔から失せていった。

 入れ替わるように、少しだけ悲しそうな顔をすると、眼を閉じて、小さく息を吐いた。

 開いた瞼の奥にあった目はとても冷たかった。

 

「……こんなことを言うのもなんだけど、諦めて」

 耳を疑うような言葉だった。

 それがラクちゃんの口から出たことを信じたくなくなるほどに。

 

「そんな……っ!!できるわけないよ!!家族なんだよ!!」

 

「行けばあんたも死ぬ!!私の友達をそんなところに行かせられるわけないでしょ!!」

 ラクちゃんは鞄を投げ捨てて足を少し開いた。

 

「行かせないわ。あんたを気絶させてでも絶対に止める」

 あぁ、まさかこんなことになるとは思いもしなかった。と言うより、こんな状況でこんなことになるなんて誰も思わないだろう。

 

「……ごめん。ごめんね。ラクちゃんは優しいよ。バカな私をいつも心配してくれる。昨日だって」

 

 彼女とケンカしたことは一度もなかった。些細なことで口喧嘩をしたり、何かを取り合ったり。

 ましてや、肉弾戦なんて、男子じゃあるまいし、したことなんてなかった。

 

 気づいたら私たちはいつも二人でいた。仲良くなったきっかけは何だったっけな?今は思い出せない。

 

 少し息を吐くと私は飛び出した。

 傷つける必要はない。ちょっと怪我を負わせるかもしれないが、私が通り抜ければ終わりだ。

 

 

 視界が一転した。

「―――――――――――ッ!!」

 

 

 まあ、簡単に通してくれる訳もないのだが。

 

 厄介なことにラクの家は軍人の家系だ。父親と兄は海軍に所属している。

 その影響からか幼少期からラクは武道を教わっていた。女だからと容赦なく、自分の身は自分で守ることを求められた。

 成長するにつれて技術も身に着けて、家の束縛も徐々に緩くなり、私とも付き合いやすくなった。

 

 要は、男子高校生の不良集団に囲まれても一人で伸してしまうほどに強い。

 

 何をしたかと言えば何もしていないのだが、思えば猪のように突っ込んだ私は馬鹿だ。

 それでも、彼女を越える必要があると思った。止めようとする意志に答えなければいけないと思った。

 

 腕を掴まれうなじを押さえられ、鳩尾を膝蹴りが貫き、体重の乗った足を払われ、浮いた身体を投げられた。

 一撃目ですでに意識が消えかけたが、背中から落ちた衝撃と腹部を走った衝撃に板挟みになった内臓が言葉にならない痛みに悲鳴を上げた。

 そのお陰で逆に意識が戻りかけていたのだが、すぐに馬乗りにされて襟足を掴まれた。

 

 兄弟もいなければ、今まで喧嘩なんてしたことのない私に殴り合いの仕方なんて知らなかった。

 ただ、必死だった私は、握られた右拳が私の顔を打つ前に、思いっ切り頭を振り上げた。

 

 石頭に自信はなかった。寧ろ、ダメージの方が大きすぎて、視界が一瞬真っ白になる。

 でも、身体に乗った重心の位置が少しずれて動きやすくなった。彼女を押しのけて立ち上がろうとしたが、すぐに後ろ襟を掴まれ、思いっ切り足を払われた。

 クルン、と空中で回転し、危うく後頭部を強打するところだったが、回りすぎて俯せに倒れこんだ。

 すぐに腕を取られ、腰の辺りで固められた。力を入れようとすると激痛が走った。

 

「行かせないわよ!!昨日約束したばかりじゃない!!私に言わせるんでしょ!?『この世界でよかった』って」

 

「そこを……退いてっ!」

 

「ふざけないで…あんたの腕折ってでも止めるわ」

 

「片腕くらいあげるよ…ッ!」

 

 あぁ、つくづく私の武器は頭しかない。体の柔らかさと脚の速さには自信があるが、こんな状況じゃ頭しかろくに使えない。

 何とか横目でラクの様子を窺う。腕を動かそうと抵抗するときに、やらせまいと固めた腕に力を入れる。

 その若干の力みの際に上体が倒れる。思いっ切り身体を反らせて頭を振り上げた。

 

 がちんとラクの顎を打つ。体を横に転がし振り落とすと、すぐに立ち上がってラクを見た。

 怯む様子はない。

 片膝を突いたが、そのまま低いタックルで私の足を払うか―――もしくは

 地面を蹴って飛び出した。待ち構える。タックル……ではない。

 

 経験則というものではあるが、恐らくラクに腹パンを入れられた回数は一番多い自信がある。

 鍛えているのに、簡単に拳を振るう。細い腕から放たれるとは思わないその凶器の威力は凄まじい。

 大きく踏み込んで―――多分、狙いは胸骨辺りだったのだろう―――振り抜かれた拳を私は予測した。

 身体を半身にして避けただけだが、ラク自身避けられるとは思っていなかったのか、私の顔を見る目には驚愕の色が見えた。

 

 

 柔道とか合気道とかやったことないし、私は武道とか格闘技はからっきしだが、伸びた右腕をとにかく握って前に体重の乗ったラクの身体を引きながら足を掛けた。

 走ってる人に足を掛けるようなものだが、ラク相手だとちょっと変わってくる。

 結局、私はどんな形であれ、彼女に何かを示さなければならない。思いついたのは、投げ飛ばすこと。

 下手な形だが、ラクの身体は背中から落ちた。受け身を綺麗に取ったので、ダメージはきっと全くない。

 ちょっと驚いた顔で私を見ると、すぐに殺気を込めて牙を剥いた。

 

「……もうやめにしよう?」

 

「……約束くらい守りなさいよ!!絶対にあんたは死なせない!!」

 

 起き上がろうとする彼女の意思に従い、腕を引いて体を起こそうとして、ある程度の高さで突き放した。

 突然バランスを失った身体は、もう一度地面に倒れ込む。隙と呼べるような隙じゃないが、私はスタートを切った。

 

「……ごめんね。行かなきゃ」

 

「待って……待ちなさい!!」

 立ち上がろとしたラクに振り返り目を向けることもなく、私は走った。

 小学校の頃から、私の方が足は速かった。だから、ラクは…ラクちゃんは私には追いつけない。

 

 

 小高い丘の上にある学校の坂道を一気に駆け下りる。

 大通り沿いを人の流れに逆らって走る。

 そのまま商店街と市場を駆け抜けるのが最短ルート。

 開けた世界が見えると、広い海沿いの公園がある。

 

 

「―――――――――――――ッッ!!」

 

 足が止まる。全身の筋肉が緊張する。

 金縛りのように固まって、一歩も動けなくなる。

 

 開けた視界は赤く染まっていた。

 一面を覆う白い煙を赤い光で染め上げる炎。熱気と煙に咽かえる空気。

 空の頂点には黒い煙が広がり、まだ夕方の空を夜と見間違える。

 

 私が硬直したのは、それが原因じゃない。

 

 

(なにあれなにあれなにあれなにあれなにあれなにあれなにあれ)

 

 

 ぬるりと煙の中から現れた奇妙な形の「それ」。

 

 黒光りするボディが地面に身体を引きずりながら這っている。引きずる度に金属の擦れ合う音が響く。

 

 落ち着け……知ってる。私はあれを知ってる。写真で見た。

 お婆ちゃんの書斎にあった資料の一つにあった。

 でも、写真より気持ち悪いし、怖いし、なにより大きい。

 

 写真と文章でしか見たことがなかったその姿。

 興奮と、恐怖と、少しの畏怖。

 恐ろしいその姿には、神々しささえ感じる。

 大いなる生命の一端でありながら、我々人間とは明らかに違う異形。

 形状で言えば、こんな魚がいたような気がする。

 しかし、弾頭を思わせるその黒い頭部はミサイルのようにも見える。

 よくよく見れば、後ろに小さな足が生えている。

 だが、私が読んだことのある文献によれば、あれは全身筋肉。

 魚に近いため、あの足で漕ぐことはない。

 だとすれば陸上での活動も想定したのだろうか。

 いや、今はそんなことはどうでもいい。

 

 

 

 これが―――――駆逐イ級。

 

 

 地面を這うようにして現れた真黒な塊。

 おおよそ生命が宿っているとは考えられないその躯体には生命を表す眼の灯が揺れる。

 揺れるその光が――――私を見た。

 

「―――――――!!」

 

「あっ」

 目が合った気がしたが、気のせいじゃなかった。野生の生き物とは目を合わせてはいけないというが。

 

 その瞳に仄かに点っていた青い光が激しく燃える炎のように光を増して焔を纏う。

 

 

「ガァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァアアアアアアア!!!!」

 

 

 今、私は伝説を見ている。100年前に滅ぼしたはずの伝説の脅威と。

 人類を絶滅まで追いやった史上最悪の脅威と。

 

100年という時を超えて、ここに再び―――――――

 

 

――――黒鉄の咆哮が轟いた。

 

 

 

 

 




あっ、ちょっと艦これっぽくなった気がする。


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開戦

「―――――兄さん、聞こえる?」

 

 

「……一生のお願い使ってもいいかしら?」

 

 

「そう……私の友達を助けたい。力を貸して」

 

 

「―――――すぐに迎えに来て」

 

 

 

 

 ライオンやゾウは図鑑で見ることができる。自分より遥かに大きな躯体を持ち、人間など簡単に屠る力を持つ。それが大自然が与えた生命の力なのだとするならば。

 

 いや、これは明らかに違う。

 同じ自然の中に生まれて、その根底にあるものが違う。

 命の炎を燃やす野生の生命のありさまはもっと力強く、美しい、壮麗なものだ。

 

 目の前にいる生物にそんな美しさはない。あるものは命を嬲る者としての深い闇。

 その姿は、生命が宿る者であるとは思えないほどに醜いが、これが神の悪戯によって生み出されたとするならば、この存在は奇跡であり神々しくも思える。

 

 身体を動かせば軋む金属。呼吸をするように漏れる排気。鈍い光を放つその体は金属であって生命を宿している。

 

「――――どうしよう?」

 私はその覗き込めば絶望に支配されそうになる黒い感情を宿した双眼に睨まれていた。

 ヘビ睨まれた蛙。まさにその通り。

 むき出しになった生え揃った白い牙がギギギと歯ぎしりのような音を立てて動き始める。

 

 ガシャンと音を立てて開いたその口の奥に広がる黒い空間。

 続けて黒い棒が伸び、真黒な丸い穴が私を見ていた。

 

「え?今どこから砲塔出したの?口から?すごい……じゃなくて!!」

 好奇心旺盛な私はその好奇心の収まりどころを知らずに、資料の上でしか見たことのないイ級に釘付であった。

 

 あぁ、確かに怖い。足が棒のようになってはいたが、それでも私の頭は観察する。

 艦娘と対を成す存在であるその存在さえ、私の守備範囲ではあるが、私を見ている黒い穴は私の死を意味するものであった。硬直が解け、反射的に体が横に動いた。

 

 ズガァァァァァァァン!

 

「きゃあ!!」

 地面に伏せた私の後方で何かが爆砕する。揺れる地面、響く轟音。鼓膜が震え脳が揺れる。

 

「ううぅ…耳が痛い…」

 キィィンと耳鳴りがする耳を押さえながら、その煩わしい音を飛ばそうと頭を横に振る。

 何が起きたのか把握しようとぼんやりとした目で後方を確認すれば、面白いことにそこにあった植木がなかった。

 途中から抉るように消えており、断面は黒く焦げてその臭いがここまで漂っている。

 

「……死ぬ」

 背筋を駆けた冷たさにすぐにイ級の姿を探した。

 ガシャンと音がして、その音の方向を見た。砲口から煙を吐き、ギョロっと目が私を見た気がした。

 黒く丸い頭がこっちへと向きを変え、再び私に照準を合わせた。

 

「え?ちょっと、装填早すぎ!!」

 水中でもがくように慌てふためいて、私はすぐに立ち上がり前に飛んだ。

 

 ズドォォオオン!!

 

 大きく地面を抉り、砂煙が立ち込める。

 

「ケホッ、二度も勘で飛んで助かるなんて……私って意外と運がいいのかな?」

 この距離で二度も難を逃れたのは相当運がいいのだろう。

 ある程度アウトドアでもあってよかった。動けるだけの身体は持っていたみたいだ。

 

 だが、安心してもいられない。

 私にはあれをどうとする策は一切ないのだ。鞄があればよかったのだが、あれはラクちゃんと揉めた時に置いてきた。筆箱にはさみとかあったからまだ何かできたかもしれない。

 

 しかし、当時の技術の進んだミサイルやトマホーク、機銃や砲弾でも全く傷がつけられなかった深海棲艦の装甲をはさみでどうとできるわけがない。どういう訳か、こちらの技術が全く通用しないからこそ、人類は海を追われたのだ。

 

 深海棲艦の持つ「深海装鋼」はただの金属じゃない。

 大きく展開した金属部分も、一見皮膚のように見える部分も、その全てが特殊な金属。零距離でも小銃もライフルもその弾は通用しない。歴史上、唯一貫いたのは艦娘の艤装から放たれた砲弾、それだけだ。

 

 そんなことを思い出しながら、私は顔を上げてイ級がいた方向を見た。

 

 

「―――――――――――――――――――――――――――」

 声を失い、我も失いかけた。想像を絶する光景が眼前に広がっていた。

 

(なにこれ汚い臭いこれ魚?海藻もあるし生臭いし鉄臭いし油臭い吐きそう)

 

 この距離からだと規則的にとは言えない白い歯が並び、摩耗した部位には海藻や何かの切れ端がこべり着いていた。

 異臭も凄まじく、アンモニアやホルマリンとは違った刺激臭が鼻腔を突き抜け、思考を掻き乱す。

 顔にかかる熱気は少し湿っており、人間の吐く息に似たものを感じた。

 

 深海棲艦の食に関する文献を見たことがある。余程の物好きが作ったのだろう、私が言えたことじゃないが。

 そもそも、食事などするのかという前提があるのだが、船を食いちぎるところからそういった仮説が立てられた、程度の文献であった。

 

 要は主食は鉄らしい。民間船を襲撃するのは、ただの捕食などといった話が持ち上がっているのだ。

 

 鉄は人間の体にも含まれている。血の味が、ちょうどそんな感じだ。

 

 

 食べられるの……?私……?

 そんな予備知識がなくても、否応なしにそう考えざるを得ない状況。大きく開いた口が目の前にあるのだ。

 

「嫌……いやぁ……」

 動くことはできなかった。全く身体が言うことを聞かない。

 なにが動ける身体だ。こんな時に限って、震えが意思伝達の邪魔をする。

 

「ガァァァァアアアアア!!」

 叫びと同時に、大きく開いた口が私に躍りかかる。

 何もできない私は覚悟するしかないことを悟り、半ば諦めた。

 

 あぁ、これが絶望なのか。

 

 目を閉じて現実を否定しようとした。それが死を待つだけの行為と知りながら。

 

 

――――キィイイン

 

 

 金属を叩きつけた音が響き、すべての音が止まった。うっすらと目を開き、私は自分の身に起きたことを把握しようとした。

 

「…………え?どうなったの、私?」

 

「ガッフ、ガッフ」

 

 大きく開いた口は私の目の前で止まっていた。

 イ級の口はつっかえ棒のようにあるものが挟まっていた。

 側にあったマンホールの蓋だ。直径一メートルくらいある厚い金属の板が綺麗に歯の隙間に挟まっていた。

 

「―――――こっちだ。聞こえればの話だが」

 

「え?」

 誰かの声がした。口を開いたマンホールの中から声がする。そこからは反射的に体が動いた。

 ようやく感覚の戻った体を起こし、一気にマンホールまで駆け寄って口が開いたマンホールの中に滑り込む。

 

 マンホールを見て思い出したのだ。ここから先は私にも考えはあった。

 この先にある水道は港まで続いている。そのことはこの土地について調べた時に把握していた。

 この町はかつて艦娘たちが拠点を置いていた場所だったため、成り行きでという感じだった。

 

 一体、あの時代の艦娘はこの町でどのような風に生活をしていたのか。残念ながらそういった描写が描かれているものはとても少ないのだが、お婆ちゃんの書斎には多くあった。

 

 そのうちの一冊に「避難路として設計された地下水道」があった。

 何度も読み返した私の頭の中にはこの町の地図は完璧に収まっている。当時の地形も、現在の地形も。

 

 水道は深海棲艦が侵入することはできないだろう。まともに動ける大きさではない。

 今一番の、安全な場所であった。

 

 

 

「―――――久し振りに見るな。この醜いものも」

 

「ガッフ……ガァァァァァァ」

 

「しかし、ここは君たちの領域ではないだろう?大陸まで汚すものではない。懐かしいものをあげるから海へ還り給え」

 

「酸素魚雷を改造したものだ。時限式にして信管は抜いておいた。単発だが強力だ。口内で起爆すれば駆逐艦一匹沈めるには十分だろう」

 

 

 ズガァァァァァァァァァアアアン!!!

 

 

 

     *

 

 

 

 梯子を下り切った後に、地上の方で爆発音がした。天井が揺れ、パラパラと埃が落ちる。

 

「はぁ……はぁ……怖かった。でも、お父さんたちのところに行かなきゃ」

 地下水道に明かりはほとんどなかった。ところどころに誘導灯が点いて、それが薄暗い空間を広げている。

 10センチほど張った水が一方向に流れ、内部は少しカビ臭かった。

 

「でも、あそこにイ級がいたってことは港の方にはもっとたくさんいるかもしれないってことだよね?」

 当然、深海棲艦は海からやってくる。陸で発生することはない。

 海に面しているのは港だ。私の父やその仲間たちがいるその場所にはここよりも多くの深海棲艦がいるだろう。

 

「……生きててね、お父さん、みんな」

 それでも、ここまで来たのだ。私は行かなければならない。

 もしかしたら、誰かがまだ残っているかもしれないし、怪我を負って倒れているかもしれない。

 父のような人たちはきっと逃げない。あの人は身体の言うことの聞きにくい年配の方を避難を誘導して、最後に逃げる人だ。

 

「――――まぁ、待ちたまえ。君、聞こえてるんだろう?」

 

「うん、聞こえてるよ……って誰?」

 水道の中で声が反響して、私は驚きながら一歩下がった。パシャンと足元の水が飛ぶ。

 

「私だ、私。上ばかりを見るな。足元だ」

 声に導かれ、私は自分の足元に目を向けた。

 

「えっ?足元……あっ」

 正確には足元ではなく、水のない水道の壁側にそれはいた。

 

「も、もしかして、あの時の」

 そのシルエットには見覚えがあった。二頭身ほどの小さな体。腕、足、顔、人型の小さな生物。

 身体に比べ、大きい不釣り合いな頭には茶色い髪が生え、ぱっちりとした目がこちらを見上げていた。

 ヘルメットを首から後ろに下げており、蒼色のワンピースのようなものを身に着けていた。

 

「あの時?はて、いつか会ったことがあったかな?まあ、どうでもいい。それにしても無茶なことをする」

 見た目が女の子だったので、どんな声かと思えば随分と男勝りな声で話しかけてきた。というか躯体の割りに声が随分と大きい。

 

 ともあれ、私が港で見たものは幻などではなかった。

 今、私が見ている光景が幻でない限りは。

 

「やっぱり、私は間違ってなかったんだ……あ、あなたは小人さんですか?」

 そう尋ねると、その生き物は顎に手を当てて考え込んだ。

 

「小人……か。いや、私たちは妖精と呼ばれている。と言っても、勝手に君たち人間がそう分類しているだけだが」

 

「妖精?」

 

「まあ、知らないのも当然だ。私たちが存在したのは艦娘が存在した時代だからな」

 

 艦娘―――妖精。

 そのつながりで私の頭の中の引き出しに検索がかかる。すぐに見つかるそのワードは艦娘を語る上では欠かせないものだ。

 

「あっ、本で読んだ。艦娘に妖精は欠かせない存在だって」

 

 妖精―――艦娘の歴史の陰に存在した謎。

 大人が子どもたちに話す童話の中では「悪さをすると妖精が大切な者を盗んでしまう」などと言って語り継がれる都市伝説であったりするが、

 艦娘の文献の多くにはその名が登場するのだ。

 だが、謎と呼ばれるだけあって、妖精そのものに対する記録がないと言えるほどに少ない。

 

「へえ、小さいんだね」

 私もこのとき初めて彼女たちの姿をはっきりと見た。

 図や写真、スケッチなどの視覚的記録がなく、姿かたちがどのようなものであったかが分からないのだ。

 ある文書には「艦娘の肩に乗って遊んでいる」だとか「艦載機の妖精もアイスを手にして嬉しそうだ」とか「鋼材や燃料を運び、慌ただしい」とかその大きさが特定できる文書がない。

 

「どうしてこんなところにいるの?」

 

「まあ、その辺りの詳しい話は後だが、港には行かない方がいい」

 

「え?なんで?」

 

「あそこに人はいない。いや、正確にはいたが全員避難した。何、海軍も無能ではない。住民の避難を第一に迅速に動いた」

 それは私にとって朗報だった。

 誰も残っておらず、全員したということはみんな無事でいてくれたということだ。私が向かう必要もない。

 

「海軍が……?助けに来てくれたの?じゃあ、今も海軍は戦ってくれてるの?」

 

「戦ってはいるが、見ての通り上陸まで許している事態だ」

 そうだ、私はこの目で見たのだ。イ級の姿を。

 海軍は戦っているかもしれないが、こんな私が言うのもなんだが深海棲艦には太刀打ちできないだろう。

 

「深海棲艦の侵攻が予想を遥かに超えて早かった。本来集結させる予定だったイージス艦も集めきれてない。まあ、あってどうなるというものでもないが」

 深海棲艦に人を殺す兵器は通用しない――――

 あれは人とは違うのだ。一つの町を焼き尽くす火力を持つ軍艦でさえ、あの生き物には敵わない。

 道を遮っただけで、深海装鋼の牙に船体を喰い千切られ、海底に沈んでいくのがオチだ。

 

 あれは悪魔だ。もしくは神なのかもしれない。

 それらを殺すには、悪魔、もしくは神に匹敵する力を手に入れる必要がある。

 ラクちゃんが言った通り、倫理も道徳もない「悪魔の技術」であったのだろう。

 

「君は内地に逃げるといい。この地下水路だと……向こうの方角だ」

 それは把握している。この水道をまっすぐ行けば、町役場の正面の下水道に出る。

 だが、問題はそこじゃない。

 

「ねえ……この町はどうなるの?」

 艦娘誕生以前の歴史は小学校の頃から、社会の授業で教わることである。戦争学習の一環として特別授業を設けることもある。

 その枠を超えて、艦娘の歴史を学んでいた私には、容易に想像がついた。

 

 歴史というものは私たちの意思や願いに反して繰り返すのだということをこのとき実感した。

 この状況は当時と酷似している。

 現代兵器をもってしても太刀打ちできない脅威に襲われた町がどうなったのか。

 

「恐らくだが、放棄される。深海棲艦侵攻地区として隔離される。あの時代もそうだった。君は艦娘という存在に詳しいみたいだが、それなら知っているはずだ。深海棲艦には艦娘の兵器しか通用しない」

 この時代には語り継がれていることだろう、と妖精は語った。

 

 あぁ、当然知っている。

 人間は海を追われ、内地で日々怯えるしかなかった。生存競争に負けた生物はその世界から駆逐される。当時の人類は深海棲艦に敗北した。

 

「イージス艦を集めても足止めがやっとだ。船を壁にして侵攻を防ぐという手もあるが。今の人類にあれを止める手はないよ。さあ、逃げよう。ここも安全とは限らない。手は早く打った方がいい」

 妖精の言葉を聞かずとも、理解していることを脳内で何度も反芻しながらも、私の意思は私の知識にすら反して別方向へと向かった。

 

「……待ってよ」

 

「君に何ができる?一時の感情に縛られるのは人間らしいがそれは愚かなことだぞ?君はまだ幼い」

 

「ねえ、妖精さん。この町がどんな町か知ってる?この町はね、かつて艦娘たちが歩いていた町なんだよ」

 

「…………」

 

「少し離れたところだけど、鎮守府が置かれてここは艦娘、いや人類の最前線だった。艦娘はね、私の憧れなんだ。今じゃ伝説になっちゃったけど、私は彼女たちのようになりたい」

 

「伝説は存在しないからこそ伝説として語り継がれるんだ。縋る者の存在しない世界に何を望む?」

 

「ただの伝説じゃない。姿形がなくても、この町がある。この町が失われてしまえば、彼女たちが戦った歴史さえなくなってしまう。私はそれが嫌だ。彼女たちが残したなにかを守って未来に紡ぎたい」

 

 

 いつか夢を語った。

 艦娘は私の憧れであり、彼女たちこそ私の理想だと。

 彼女たちになりたい。彼女たちが守ったこの世界に自分も何かを描きたい。彼女たちのように、と。

 彼女たちが残したものは、平和だけではない。それでは艦娘はただの犠牲として歴史の中に葬り去られる。

 艦娘が、多くの人々が平和を祈って戦い抜いたあの時代を、その意思がこの世界には受け継がれている。

 

 それを紡ぎ、伝えていくのは後世の役割だ。

 彼女たちの夢を紡いでいくのは、私たちの役割だ。それが幼い私が必死で思いついた唯一の道。

 

「その未来で私の守りたい人が笑ってくれるならそれでいい。だから、私はこの町を捨てない」

 

「戦うつもりかい?木の棒で要塞に立ち向かうようなものだ。無謀の二文字で君の人生は終わる」

 

「無謀なんかじゃない……艦娘の兵器があれば対抗できるんでしょ?あるよ、この町に。なにか使えるものがあるかもしれない。この町はまだ戦える」

 一歩も引くつもりはなかった。

 いわば、妖精たちも伝説の存在だ。艦娘たちとともに戦乱の世を駆け抜けた存在。

 それを前にしても私は一歩も引くつもりはなかった。

 

「そこに行けばあなたが何とかしてくれるでしょ?あなたがただの妖精じゃないとはさっき理解した」

 

「ほう、何を根拠に?」

 

「マンホールを投げるのは大人でも難しい。しかもあんなに的確に。どんな力してるか知らないけど」

 破綻した理論でしかないが、今の私が張り合えるのはこの程度のことしかない。

 

「そもそも、謎でしかない存在だもんね。でも、戦闘向きの妖精なんてどの本にも載ってない。唯一、力持ちとして私が知ってるのは」

 

 妖精の姿こそ残っていないが、妖精の様子ならば語り継がれている。それと、妖精たちの役割。

 

 艦娘たちの艤装の操作を補助する「装備妖精」。

 艦娘たちや多くの艤装の記録を管理する「図鑑妖精」。

 そして、最も主たる存在が、「艦娘を生み出すことができる妖精」。

 その存在は様々な文献に登場し、その様子は明記されている。

 

「工廠妖精。大量の資材と艤装を持ち運ぶ妖精たちは自然と力持ちになるって。ここに逃げ込んだ後に爆発音もしたし、きっと何か作ってそれを投げたんでしょう?」

 その妖精の役割は艦娘を生み出すこと、艦娘たちの使う装備を生み出すこと、艦娘たちが負った傷を癒すこと、それと解体。

 開発は得意分野のはずだ。

 

「悪くない洞察力だ。なるほど、平和ボケしている人間ばかりという訳でもないのだな」

 

「あなたなら動かせるようにできるでしょ?連れて行ってあげる!だから、力を貸して」

 

「私は君のその行為を勇気とは呼ばない。賭けと呼ぶに等しいだろう」

 妖精はぴょんと飛ぶと、私のスカートに掴まり、よじ登っていくと、私の肩に落ち着いた。

 

「だが、……なるほど。確かに君ならば賭けも悪くはない。連れて行ってくれ」

 

「うん!ちょっと走るから捕まっててね」

 港の方から途中にある分岐点の方に曲がると、私がよく向かう場所へと通じるようになっている。

 

 そこには、『艦娘たちの艤装』が残されている。正確には展示されているのだが。

 きっとそれが最後の希望だ。艦娘たちの武器、それを作り出すことのできる妖精の存在。この二つさえあれば私にも何かできるはずだ。

 まあ、艦娘のようにはいかないだろう。私がそれを装備できるはずがない。でも、置き砲台みたいな感じに扱えるはずだ。

 

 最悪、海軍に渡して船の艤装の一部として使ってもらえばいい。

 

 ともかく、諦めるつもりはない。この町を簡単に渡すつもりはない。

 浅はかな考えかもしれないが抗ってみせる。反抗期がきた記憶はないが、これは私の小さな反抗だ。

 

 私たちの希望が存在するその場所の名は「艦娘記念館」。

 

 

 

 

 

 

 

 




この妖精、しばらく出てきます。


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憧れ

『艦娘記念館』前

 

 

 

 マンホールがガタゴトと揺れて少し浮き上がると持ち上がる。

 少しずらして私の頭から妖精は外に飛び出した。この場所は港に近いために、もしかしたら危険があるかもしれない。そのために周囲の確認が必要であった。

 

「よし、大丈夫みたいだ」

 そう言って妖精は蓋をずらし切って、私が通れるようにしてくれた。

 

「よいしょ、っと。ふぅ、やっと着いた」

 

「ここは?倉庫のようだが?」

 確かに倉庫のように見えるのも無理はない。私にもそう見えるが、ここはれっきとした記念館だ。

 

「ここはね、艦娘記念館。海軍が開示しているほとんど全ての海軍の資料と――――解体されずに残った、艤装が残ってる」

 元は海軍の施設だったと聞く。その一つをとり壊さずに残し、艦娘たちの戦った証を残す場として利用した。

 扉の前まで走り寄り、開けようとして見たが鍵がかかっていた。

 そう言えば、お店でしばらくの間閉鎖するとかいう話を聞いた記憶がある。きっと最近はずっと閉鎖されていたのだろう。

 

「ちょっと待ってて。鍵を壊すもの持ってくるから」

 

「いや、必要ない。私に任せたまえ。下がってなさい」

 

「え?でも……」

 妖精さんは私に下がるように手で表すと、どこからともなく何かを取り出した。

 小さいものだったのではっきりとは分からなかったが、何かの工具のようだった。

 スパナ?

 

「……100年も経てば姿も変わるものだな」

 なにか呟いたように思ったが、その直後に響いたガラスの割れる音で遮られてしまった。結構な分厚さがあったはずのガラス戸が粉々に砕けていた。一体、何をどうしたのだろう?

 

「火事場泥棒みたいだね」

 

「事態が事態だ。手段を選んでいる暇はない」

 

「そ、そうだね……泥棒じゃないけど、使えるものは盗んでも使わなくちゃ……うわっ、暗いなぁ」

 記念館の中は非常灯の赤いランプのみが唯一の光源だった。だが、無料で入れるため1000回近くは訪れた場所だ。大体の場所は記憶している。

 

 エントランスに立つと、右手に手軽な飲食のできるカフェがあり、その隣にお土産屋。左手には資料室があり、貴重なものはその横の展示室でケースの中に収められている。

 

 そして、正面に行くとそこにあるのが「投錨の間」と言われている艤装の展示室だ。

 シャッターが下りていたために、妖精が持ち上げると、いつも目にしている光景がそこには広がっている。

 

 

「…………これは」

 どうもその声色は驚いた様子であった。

 始めてきた人は恐らく圧倒されるだろう。艦娘は身に着けていたその艤装の存在に。

 

 

 ここには様々な艦種の艤装が合計50点展示されている。

 

 正面最奥にあるのは、戦艦「長門」の艤装。他の艤装よりも一回り大きく、重厚な装甲、巨大な砲身を持つ「41㎝連装砲」、そのすべてが圧倒的な存在感を持つ。

 艦娘史における彼女は、連合艦隊旗艦。船であった時とは違い、艦隊を率いて最前線で戦い、同時にその場の指揮を一任され、勝利へと導く存在であった。

 その隣に並ぶのが、高速戦艦として多くの作戦で活躍した金剛型の艤装。ここにあるのは「榛名」の持っていた艤装だ。

 姉妹艦とは異なる少し特殊な艤装らしく、ダズル迷彩と呼ばれる縞模様が施されているのが特徴的だ。

 

 右手の方に目を向けるとそこには空母と重巡洋艦の艤装が残っている。

 正規空母「赤城」の飛行甲板。私の背丈くらいあり、少し霞んでいるが「ア」の文字が描かれているのが特徴的だ。

 彼女は空母機動部隊の旗艦として、すべての空を護る空母そのすべてを率いた存在だ。赤城についての逸話は非常に多く、たった一人で敵艦隊を壊滅させた話などが有名どころだ。

 その横にあるのが、空母「鳳翔」の飛行甲板。赤城に比べると一回り小ぶりなのだが、この世界に初めて生まれた空母の艦娘としての彼女の存在は大きい。

 本来船でありながら人の身体を得た艦娘たちの特に空母の戦闘方法を体系化し、あの赤城を育て上げた方なのだ。

 そして、艦載機「九九式艦上爆撃機」「九七式艦上攻撃機」「零式艦上戦闘機二一型」と空母が用いていた艦載機のレプリカが展示されている。

 

 左手には、軽巡洋艦、駆逐艦の艤装が展示されている。戦艦や空母には迫力こそ劣るが、そこには深く戦いの跡が刻み込まれている。

 軽巡洋艦「神通」の艤装が展示されているのだが、これはかなり壮絶なものだった。いわゆる大破状態のものなのだ。

「20.3㎝連装砲」「61㎝四連装酸素魚雷発射管」「探照灯」なのだが、魚雷発射管は亀裂が走り、おおよそ使えるものではなかった。

 だが、艦娘史における彼女はいわゆる轟沈はしていない。これは最期の戦いにおける損傷で、水雷戦隊を率いて多くの深海棲艦を屠った彼女の武功の証らしい。

 名指揮艦として名高かった彼女は駆逐艦の育成を行っており、水雷戦隊の文献では必ず彼女と「華の二水戦」の名前は登場する。

 そして、ちょっと離れ駆逐艦「雪風」の艤装が展示してある。

 奇跡の駆逐艦と呼ばれるほどの豪運を持っていたと言われる彼女は被弾した記録がほとんどない。その癖に参加した作戦は多くの被害が出た高難度のものばかりで、その作戦の中で展示されているその魚雷で多くの敵艦を沈めた武勲まで持っている。

 その他に「22号水上電探」になぜか双眼鏡を展示されているが、これは彼女を指揮していた提督から譲り受けたものらしい。彼女にとってはお守りのようなものだったと残されている。

 

 

 一部を掻い摘んだが、その他にも「高雄」や「妙高」「利根」「北上」「大淀」「響」「霞」などなど多くの艦娘の艤装が彼女たちのちょっとしたエピソードを添えて展示してあるのだ。

 少し錆が目立つが、終戦後解体となり修復もされずに展示されたこの艤装は、当時の戦況をそのままこの時代に伝える一つの架け橋であった。

た だの鉄の塊ではなく、平和の祈りと願いの宿る鋼の魂。

 

 広大なフロアに展示されるその全てが薄暗い空間の中にその存在を示すように微かな光を放っていた。

 

「どう?なにか使えそうなものはないかな?」

 

「……」

 妖精の表情は決して豊かとはいえない。しかし、どこか物悲しそうな目をフロア全体に向けていた。

 

「妖精さん?どうしたの?」

 

「少しだけ見て回らせてもらえないか?じっくりと見てみたい」

 

「……うん、わかった。私ちょっと他のところも探してくるね。気になるところがあるし」

 

 

 

     *

 

 

 

「―――君たちの魂はなぜここに留まっているんだ?もう戦いは終わったじゃないか……?」

 

 妖精は問いかける。

 返るはずもない問いを投げかける。

 

 

 

 

     *

 

 

 

 小学生のころだったか、夏休みの自由研究で私はこの町の歴史について調べ上げた。

と言うのも、この町にはそれなりの歴史、戦史があったので、多くの友達が同じような題目で作ってきていたのを知っている。

 

 そんな中で私が取り上げたのは、この町に残る多くの謎というものだった。確か私が小学6年、12歳の時だ。

 よくこの「艦娘記念館」に訪れていた私は、この施設の地理的な矛盾を感じていたのだ。

 

 まずは入口にある館内地図。これはネット上にも転がっていたため簡単に手に入った。もうひとつは、図書館で手に入れたこの町の記念館周辺の地図と、この記念館の見取り図。図書館にもよるが、歴史的建築物の設計図や見取り図のコピーが収められているところがある。この町は奇跡の復興を遂げた象徴となる建築物が多く存在しているために、それが保存されている。

 

 この2つを照らし合わせて、明らかにおかしな空間が一部。その場所は内部からも行ける場所なのだが、何もないのだ。ただの壁があるだけ。外からその場所を見てみても、ただの壁でなにもない。

 

 もうひとつ。見取り図のコピーなのだが、ページ数が飛んでいるのだ。しかし、足りない箇所は一切ない。私たちに見えていない何かがあるとすれば、もしかしたらこの記念館には何か隠されているのかもしれない。

 

 そんなことを6年生の頃に発表したら、結構いい評価をもらえた。あの頃は都市伝説なんかが好奇心をくすぐる頃だったので級友からも面白いとの声が多くあった。

 先生には「面白い話だが、好奇心猫を殺すという言葉がある。お前は夢中になりすぎるあまり周りが見えなくなるから気を付けなさい」とのコメントをもらった。

 そんなわけで私は資料室に来たのだが、何度見てもやっぱりここは壁なのだ。

 

「うーん、やっぱり何もないのかな?」

 擦ってみたり押してみたり叩いてみたりしたが、何も変化はない。近くにスイッチか何かあるんじゃないかと、書棚を推したり引いたりして見たが、結局何も見つからなかった。

「内側からじゃなくて外からなのかな……よし、一回外に出て……あぁ、外は危ないんだった」

 なにか仕掛けがあって隠し扉でもあるのかというのが私の考えだったが、そんなものはなかったらしく、私は肩を落としながら妖精のいる場所に戻ろうとした。

 

「あぁ。ここを嗅ぎつけるとは、君はいい鼻をしている」

 妖精はいつの間にか私の側の書棚に乗っていた。

 

「あっ、妖精さん。どうだった?」

 

「まあ、一通り見てなんとなく考えはまとまった。それでここに来たのだが、君がいるとは……そこを開けるのは君の力では無理だろう」

 そう言うと、妖精は書棚から降りて取り出したスパナで壁をぶん殴る。

 といっても、妖精の背の高さだとかなり足元になるのだが、そこの壁が剥がれ落ちた。

 

「こんなに分かりにくい仕掛けはない。まあ、作った私が言うのもなんだが…」

 

「…妖精さんってどのくらい生きてるの?」

 

「私たちに生という概念はないよ。話せば長くなるが、よしっ」

 小さなでっぱりがあり、それを引っ張り出すと、長い鉄の棒が現れる。途中に関節がありそこで折り曲げるとレバーのようになる。

 思いっ切り横に倒す。ガコン、と何かが外れたような音がして、壁が少しだけ浮き上がった。

 

「さて、これで道が開いた訳だ」

 

 

 

 ―――――地下

 

 

 壁が浮き、その先に道が現れた。と言っても、小さなスペースにあったのは階段。

 地下に続く階段がそこにはあり、真っ暗な口が開いていた。

 妖精はその先に何があるか知っているらしく、私もその後を続いた。

 それほど長くはなく、視界は悪かったので壁伝いにゆっくりと降りていくと、錆びた鉄の扉があった。

 なぜか鍵はかかっておらず、私はその扉をぐっと押した。

 

「―――何ですかこれは!?」

 扉を開けた瞬間に、その前に広がった空間に明かりが点っていく。

 その先に広がる光景に私は思わず声を上げた。

 

 壁を伝う大量の配管。巨大なモニター。コンソールがその下に広がり、スロット台のようなものに数字が並んでいた。

 

 クレーンが大量のコンテナの中から首を出して、まだ奥の方にも部屋があるらしかったが、地下にこんなに広い空間があるとは思いもよらなかった。

 

「あぁ、懐かしい装置だな。動けばいいが……」

 妖精は足を進めていき、正面にあった巨大な装置を眺め始めた。

 

「流石に劣化はしているが、私たちの技術だ。使えるみたいだな。ちょっとだけメンテナンスをしよう」

 

「えーっと、これは何ですか?」

 私は辺りを見渡しながら妖精の後を追った。

 

「君は知らないだろう。私も最初は気づかなかった。ここはかつて工廠だった施設だ。あぁ、錆がすごい…これは厳しいな」

 

「こ、ここが工廠?」

 

「艦娘は大戦後、すべて解体され、一部の艤装を除いてその技術も永遠に闇に葬られた」

 妖精はどこからか装置の内部へと入り、ぼそぼそと呟き始めた。「配線が切れてる」だとか「油を差さないと」だと。

 

「だが、人間は臆病だった。政府にばれないように一部の技術を隠ぺいしたんだ。こんな外観まで作り変えて記念館にしてしまって、地上にあった施設をそのまま地下に移転させた」

 小さな手が穴からひょこりと出て「その線をとってくれ」と言う。近くに巻かれておかれていた配線を取って渡すと手はまた引っ込んだ。

 中でバジジジと溶接をするような音がする。パチン、と音がすると、装置からモーター音のような音が響き始めた。

 これでよし、と妖精は穴から飛び出すと、今度は近くのコンソール板に乗り操作を始める。

 

「そ、それで、これは何なんですか?」

 

「これは―――建造ドッグ。艦娘誕生のすべてを司る母なる装置だ」

 

「えっ、じゃあ、艦娘を作れるの?」

 

「いや、流石に劣化が激しい。100年も経って使える機械など存在しない。だが、これを作ったのは私たちだ。少し時間がかかるが……なんとかなるだろう」

 妖精は金槌を取り出すと、再び私の目の届かないところにいく。カーンカーンと槌を振るう音が響き始めた。

 

「……ねえ、教えて。何をするの?」

 

「ざっと見たところ、ハード側は一部使える部分がある。取り換えが効く箇所もあるからな。ソフト側をもう一度構築し直して、別のシステムに切り替える」

 まあ、話すと長くなる、と話を切って、ふぅと息を吐く音が聞こえた。

 

「……改造ドックをこの場で構築する。建造ドックを壊してしまうことになるが致し方あるまい」

 

「これを壊すの?って、今から作るの?そんな装置を?」

 キィィィンと何かの機械の音がして私の声はかき消されてしまう。少し待って音が止むと、私はもう一度尋ねた。

 

「今から作るんですか?」

 

「私たちを舐めてもらっては困る。昔は十秒に一隻艦娘を作っていた時代もあった。おっと、これは内密に頼む」

 

「本当に妖精さんってすごいんだね」

 

 妖精の存在は多くの記録がある。その活動から様々な推測がなされたが、そもそも外部の人間に観測されたことがなかった。そのために彼らの技術には多くの謎が残っていたのだが、私は今それを目の当たりにしていることになる。

 しかし、彼らは一体どこから来たのだろうか?

 先ほどははぐらかされたが、この妖精はこの場所を知っているらしかった。

 ここが作られたのは、96年前、大戦がが終了してしばらくしてだが、それだけの月日が流れている。

 

「生という概念もない」と言った。じゃあ、目の前で生きているこの生き物は生き物ではないのか?

 

「……ねえ、どこから来たの?なぜあなたたちは存在するの?」

 艦娘に対してと同じような疑問を抱いた。

 

「話せば長くなる。今はそんな時間はない。あれを持ってきてくれ。押せば動くはずだ」

 先程から話せば長くなる、とばかり。簡単な存在でないことは理解している。

 

 だが、知るということを焦らされているこの状況はとても気持ち悪いのだ。

 いつもは図書館に駆け込んで調べ上げれば分かることが多くあった。簡単なことなら携帯端末からネットにアクセスして調べればわかることだ。

 だが、妖精の存在は、歴史上の謎なのだ。

 そもそも、艦娘について知らなければ、その存在そのものを知ることがないくらいにその存在はあやふやだ。単に艦娘の存在が大きいだけなのかもしれないが。

 

「う、うん、また変な装置だなぁ。よいしょ」

 私はベッドのようなクッションの付いた装置を押して運んだ。

 

「うーーーーん」

 キャスターが付いている訳でもなく、押せば動かないこともなかったのだが、それなりに重く床を擦りながら動かした。

 

「……ところで、君はマルロクイチ計画を知っているか?」

 ガチャガチャと音を立てながら、作業を続ける妖精は私にそんなことを訊いてきた。

 

「う、うん。第三次東京湾海戦から第一次近海奪還作戦の間に行われた計画、一番最初に艦娘が建造された計画だよね?」

 艦娘史では欠かせない計画名だ。

 すべての伝説の始まりであり、人類が反撃の狼煙を上げた始まりの計画。

 

 今度は外に出てきて外部を槌で打ち始めた。リズムのいい音が静かな空間に響く。

 

「艦娘がどのようにして生まれたか、知っているか?」

 

「流石にそこまでの情報は……妖精さんが持ってきた謎技術ってことくらいしか」

 艦娘は妖精がもたらした技術によって生まれた。

 マルロクイチ計画は、有名な割にそれに関する資料が異常に少ないことでも知られている。

 残っているものは、当時の防衛大臣の書状とその計画の概要を記す資料の断片のみ。計画そのものは別の資料に名前が登場し、これが艦娘の始まりだと考えられた。

 どのようにして、艦娘を生み出す技術が生まれたのかは一切合切謎なのだ。

 その後、登場した妖精と言う謎の存在が大きくかかわっているというのが今の段階での推論なのだが、妖精は首を横に振った。

 

「違うな。私たち妖精は艦娘たちより後に発見された。最初は人間の完全な試行錯誤だった」

 電動ドライバーの音が響きながら妖精は大きめの声でそう言った。

 

「艦娘は人間をベースにして作られたんだ。一番最初はな。だが、150の実験を行い、3人だけしか成功しなかった」

 思わず、装置を押していた手が止まった。

 

「他はみんな……死んだの?」

 

「あぁ、体が拒絶反応を起こした。負荷に耐えられなかったんだ。このケーブルを同じ色の端子に繋いでくれ」

 衝撃的な話だった。

 艦娘の始まりは人間であり、その過程で多くの犠牲が生まれていたことは。

 

 私は彼女たちの武勇だけを見てきたわけではないが、彼女たちの記述はほとんどが華々しいものであり、また血生臭い戦いの中で勇壮に立ち振る舞う彼女たちの姿なのだ。

 しかし、その姿が生まれるまでに、彼女たち自身にも闇というものが存在していたことに私はこのとき気づかされた。

 

「ちょ、ちょっと待って。50人に1人の割合って……艦娘は少なくとも200人はいたはずだよ?一体、どれだけの犠牲が」

 装置を妖精の下まで運び終えると、ケーブルを投げ渡された。それを拾いながら問いかけた。

 

「だから、私たちが現れた。そもそも、人間の体に艦船の力を与えることが間違いだった」

 

 つまり、歴史の順序が逆になる。

 今までは妖精の登場が先だと考えられていた艦娘誕生秘話が覆る。

 ……あれ?私は今とんでもない話をしているんじゃないんだろうか?

 

「そうなるように設計した人工的な体を作るべきだったんだ。それが建造システムの始まりだ。あぁ、こっちを直視しないでくれ。光で目がやられるぞ」

 妖精は溶接を始めるらしかったので私は背を向けながら、ケーブルを一つ一つ繋げていく。

 

「デザインベイビーみたいなこと?」

 

「簡単に言えばな。だが、面白いことに人間をベースにした艦娘。その3人だが他の艦娘よりずば抜けて強かった。それこそ欠陥はあった。だが、彼女たちは人間らしかった。人間だからこそだろう。あそこまで強かったのは」

 

「繋ぎ終わったよ。他にすることはある?」

 

「いや、これで終わりだ。さて、起動しよう。離れているんだ」

 ピピピピピと音を立てながらコンソールを操作し始めると、装置が不思議な音を立てて起動したらしかった。

 鍵が外れていく音がした後に、少しぎこちない動きではあったが、装置は大きく展開した。

 

「開いた……手術台みたい」

 

「なんとか起動までは持ち込めたな、ひとまず改造ドックを構築することができた」

 

「そ、それで、上にある艤装を運べば――――」

 

「さて、賭けをしよう」

 

 そんな言葉で私の言葉はかき消された。その声が妙に重たく私は思わず言葉を絶つ。

 

「君を50分の1ギャンブルに参加させてあげよう」

 

「……え?」

 

「――――君が艦娘になるんだ。それか死体か。どちらにしても、君は私の前で啖呵を切ってここまで来た。覚悟はできていたんだろう?あれと戦う覚悟が。私は手を尽くしたぞ?」

 

 耳を疑った。疑わざるを得なかった。

 

「ちょ、ちょっと待ってよ。私なんかが艦娘になんて……」

 

「君は言った。この町には艦娘の兵器があると」

 

「私はここに展示されている艤装を使えば、戦えるんじゃないかって……置き砲台にとかできないの?台車に乗せて大砲みたいにしたり―――」

 

「何を言っている?艦娘以外の人間が艤装を扱えるわけがないだろう?あれはそんなに単純なものではない」

 

 妖精は私の言葉を強く切り捨てた。

 

「そもそも艤装とはデリケートだ。ろくに整備されていない展示品など使えば爆発するぞ?」

 手に持っていた槌を床に投げ捨てる。

 ゴン、とコンクリートの地面に叩きつけられ、無言の私の耳に強く響いた。

 

「私は確信していたよ。この町にある艦娘の兵器、それは艦娘になり得る最高の素材、つまり君だ」

 

「そ、そんな……ど、どうして私なの?」

 

「初めから天秤にかけられていたことに気づいていないのか?」

 

 

「君は私が見えているんだろう?それが何よりの素質だ」

 

「あっ……」

 

 妖精の存在が知られていながら、その存在が外部の人間に全く観測されずに記録が少ないことについて一つの仮説があった。

 そもそも、妖精の様子などが明記されている資料の多くは艦娘自身が書いた手記や報告書などが元になっている。そこから妖精と言う存在が艦娘と共にあったのだという事実が知られたのだ。

 艦娘が町の中を歩く光景があったとしても、妖精たちがそこにいることはなかった。

いや、なかったのではなく、「見えなかった(・・・・・・)」のだとしたら?

 

 妖精と艦娘は切っても離せない存在だ。彼女たちの間に何かしらの特殊な関係があってもおかしくはない。

 

 妖精は人間には見えない。

 それは逆に言えば、「妖精は艦娘には見える存在」と言うこと。

 私が見ているものがすべて、イ級にこの命を屠られた後に見ている夢でないのだとしたら、私には妖精の姿が見えている。

 

「だから、建造ドックは不要なんだ。行うのは人体を艦娘に『改造』することだ」

 私の思考は一度妖精の言葉に遮られた。

 

「ここにある設備と私の技術なら君を艦娘にできるかもしれない。確率こそかなり低いが…安心しろ。最高の艤装を作ってやる。簡単に沈むことはないさ」

 妖精がコンソールを叩くと、装置の近くにあったクレーンが動き始める。

 コンテナを持ち上げるのではなく、その先の釣り針でコンテナを叩く。衝撃で扉がひしゃげ中身がぶちまけられた。

 

 大量の弾薬、鋼材、ボーキサイト。

 その奥のコンテナは丁寧に扉がはがされ、大量のドラム缶に詰まった燃料。

 艦娘を運用するには十分な……いや、一つの鎮守府が動かせるくらいの量がそこにはあった。

 

「覚悟を決めろ。守りたいならその身を捧げ。悪魔を倒すには悪魔の技術に頼るしかないんだ」

 

 私自身が語ったことだった。深海棲艦は悪魔だ。もしくは神なのかもしれない。

 それらを殺すには、悪魔、もしくは神に匹敵する力を手に入れる必要がある。

 倫理も道徳もない「悪魔の技術」なのだ。艦娘たちは悪魔を殺すために悪魔の力を得た存在。もしくは、神を殺すために神の力を得た存在。

 

 どちらにせよ、代償としてその体は人のものではなくなる。

 

 並の重圧ではなかった。

 発表会で前に立つ時よりも、プールの飛び込み台から飛び込む時よりも、強い。心臓を鷲掴みにされているかのような痛みに間違うほどの息苦しさ。

 

「……ねえ、一つだけ聞かせて。あなたが私の前に現れたのは偶然? それとも必然?」

 

「……それは私の知るところではないだろう」

 

「だったら、どうしてあの場所にいたの?」

 

「さあ、偶然じゃないだろうか?」

 

「私はね……艦娘にずっと憧れていた。駆逐艦も軽巡も重巡も空母も戦艦も……その他のすべての艦種の艦娘に。こんな形で近づけるだなんて、思いもしなかった」

 

 あぁ、そうだ。艦娘は私の憧れなのだ。永遠に手を伸ばし続けたい夢の存在。

 海の女神に憧れ、彼女たちと同じ道を歩もうと、彼女たちを知り、彼女たちのように生きて、何かの役に立つことを彼女たちから学びたいというのが私の夢。

 そのことを真っ向から否定した友人のことを私はふと思い出した。

 

「私には友達がいるの。その友達がね、『平和な世界に艦娘は必要ない』って……『艦娘は平和ではない証』だって」

 

 彼女は正しかった。ただの綺麗事を私の理想に重ねて夢を見ているに気付かせてくれた。

 

「正しいよ……悔しいくらいに正しかったよ。否定できなかったから誤魔化しちゃった」

 私の根幹が揺らいだ。

 彼女たちに憧れた私というものが揺らいだ。

 

「艦娘の存在意義は戦うこと。紛れもない兵器。それになるなんて……いくら憧れでも私一人じゃ決断できないよ」

 揺らぎに揺らいだ私の脳裏に浮かぶのはかけがえのない存在。

 仮に私が艦娘になったとしたらどうなる?私はその身を賭して人類防衛のために戦う身となる。

 

 それこそ、護国献身。

 己を顧みず、脅威に立ち向かうために、それ以外のものを切り捨てる勇気と覚悟がいる。

 

「お父さんもお母さんもお婆ちゃんも、友ちゃんも、うちに来てくれるおじさんたちも、学校のみんなも先生も…私には大切な存在だから、捨てきれないよ……怖いよ」

 

 一歩先に踏み出すには、私の後ろ脚を引く存在が多すぎた。

 一歩先に踏み出すことは―――いや、私にはスタートラインに立つ覚悟も勇気も資格もない。

 

 所詮は「憧れ」という言葉で誤魔化し続けた卑怯者だ。

 

「――――ごめんなさい」

 

 

 私は逃げ出した。

 

 

 

 

 




日曜の間に完結させたかった…


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弱さ

「……困ったものだ。思えば、あの時とは状況が違いすぎたか。失うものの大きさが」

 

「しかし、ここは私にとっても惜しい場所だ……小さな装備程度なら私にも開発できるが……満足に戦えはしないな」

 

「ここでちまちまと新しい兵器を開発するのも悪くはない。無人で動く艤装とか……無理か」

 

 

―――――記念館「投錨の間」

 

 

 

 何時間経ったか分からない。私は眠るように息を潜めて蹲っていた。

 外では爆音が響いている。今、外に出れば危ないだろう。ここはただでさえ港に近い。一歩でも外に出れば、深海棲艦と鉢合わせになるかもしれない。誰かに救われることは、二度目はきっとないだろう。

 

 だから、「投錨の間」に私は身を隠した。

 ここは1000回以上訪れた場所で、私がもっともも好きな場所。

 彼女たちが生きていたことを最も実感できる場所で、今と100年前を繋ぐ場所。私には家と同じくらい安らぎを覚える場所。

 

 なにより、私の憧れが私を見守ってくれる、そんな場所。

 

 

 

「……どうしよう、かな。お父さんたちは妖精さんの話だと無事だし」

 

 

 そう言えば、ここ港の近くなんだよね……危ない場所なんだよね。

 昨日、父にぶたれた頬がふと気になった。手で触れると、そこに昨日の痛みは感じない。

 

「お父さんごめんなさい……また約束破っちゃった」

 心配してるだろうなぁ。お父さんもお母さんもお婆ちゃんも。でも、きっと大丈夫。みんな無事だし、ここにいれば安全なはずだ。最悪の場合、あの地下に逃げ込もう。

 

 じゃあ、ここじゃなくてあの部屋にいた方がいいのかもしれない。でも、あの場所に戻るのには勇気がいる。

 ふと立ち上がろうとしたら、お腹と背中、それに肩と脚に痛みが走った。

 そう言えば、ラクちゃんと喧嘩したんだった。きっと向こうは本気じゃなかったはず。手を抜いたはずだ。

 

 でも、私を行かせないと言ったあの気持ちは本物だったはずだ。

 その想いさえ振り切ってここまで来た私は今何をしている?

 ゆっくりと腰を下ろして、その手を解いてしまった友人のことを思い出した。

 ラクちゃんも怒ってるだろうなぁ。もう絶交かも。

 

 ラクちゃんは現実的だ。艦娘が嫌いだ。でも、言ってることは大体正しい。

 理想が現実に必ずしも追いつくとは限らないことも、憧れだけじゃいけないことも、知っている。それじゃ、何も守れないことを……何かを犠牲にして、自らを犠牲にしないと、何も守れないことを。

 

「この町は守りたいよ……でも、いざ戦う手段を手に入れたとなると……分からないよ」

 覚悟が揺らぐ。思いの強さだけでは足は前には進まない。スタートのラインを超える程度の表現では足りない。

 

 一体、彼女たちはどうやってこのスタートラインを越えることができたのか?

 いや、どうやってそこに立つ勇気を手に入れたのか。

 妖精の話だと、彼女たちは作られた存在だ。在りし日の戦船の魂と、共に戦った多くの英霊たちの魂を携えた存在だ。だとすれば、彼女たちの戦う理由はきっと変わらない。彼女たちが船であり沈んだあの時代から変わらない。

 

「国」のためなのか?

 そんなはずはない。彼女たちはただの鉄の塊ではなかったのだ。平和を祈ったその身には他の想いがあったはずだ。彼女たちだって、最初は戸惑ったはずだ。人間の体を得て再誕した時には困惑したはずだ。

 そこから戦いに挑むまで彼女たちには何か思うものがあったはずだ。それは一体何なのか?

 

「艦娘って……なんなの?ねえ、教えてください」

 見上げた空間に広がるのは、多くの戦いの跡が刻まれた艦娘たちの一部。

 艤装という彼女たちの命のような存在が私を見ている。そんな空間で問いかければ、なにか答えが得られると思った。

 

「私にはあなたたちは憧れ――――どこまで行っても『憧れ』のまま。私にはあなたたちのようになる心がない。勇気がない」

 

 突然、疲れが押し寄せた。

 思えば、今日は散々な一日だった。親友と喧嘩して、町を走って、イ級を初めてこの目にして、必死で生き延びて、妖精に救われて、ここまで逃げてきて。

 妖精に、艦娘になれる素質があると教えられて―――私の頭で収まる容量を超えることが半日の間に起き過ぎた。

 

「素質があると言われても……妖精さんが見えても……臆病な人間でしかない。私は弱いもん……」

 疲れに身を委ねて、私は静かに瞼を閉じた。

 背後にあるショーケースに体重を預け、ゆっくりと意識を手放していく。

 すぐに視界は暗転して、意識は深く沈んでいった。どれほど疲れていたのだろう。

 

 

 音も光も手放して、私の身体は休もうとする。

 だが、それを拒むかのように誰かが私の手を引き上げた。

 

 

『――――今、君はスタートに立てた』

 

「え?」

 その声は私の弱い考えを否定した。

 

 

 

 

     *

 

 

 

 

 ほどよく冷たい風が頬を撫でる。耳の奥でさざめく波の音が響く。

 

「えっ……えっ?なにこれ」

 私は目を擦る。自分の目を疑い、それが現実かどうかを確かめるために。

 しかし、私の目に映る景色は一切変わらない。眼前に広がる夜の海。月の光は水平線で広がってこちらに伸び、丸い満月が深い青のスクリーンに浮かび上がっていた。

 

 そして、感じる気配。膝を抱えて座りこける私の隣に誰かが立っていた。

 結構、高身長で下から見上げると艶やかに伸びた黒い髪が海風に靡いているのが窺えた。肩幅に足を開き、その眼は遥か先を見据え、胸の前で腕を組み静観と佇む姿は凛として美しく、勇ましくて力強い。

 

「―――――君は自分の無力さを知った。その無力さを受け入れた。スタート地点に立った。戦う者として」

 

「あれ?確かに聞こえる…夢じゃない…あなたは……?」

 彼女はこちらを見下ろすとキョトンとした顔をした。

 

「訊かれたことに答えたまでだが…おかしかったか?少なくとも私はそう考えている。最初は誰だって無力だ。そのことは誰もが知っていることなんだと」

 

 私は困惑していた。

 一体、この女性は誰なのだろうか?私が訊いたことに対する答え?

 ダメだ、さっぱり分からない。

 それよりもここはどこだ?私は艦娘記念館にいたはずなのに、気が付けば全く知らない場所にいる。レンガ造りの建物、遠くに見えるクレーン、扉の開いたドック、周辺を照らす夜間灯。

 

 そして、女性のすぐ側に置かれた――――41㎝連装砲を携えた艤装。

 

「……あっ」

 

「なに、迷うことはたくさんある。そもそも、戦いの先に答えなんてないんだ。だが、戦わずに仲間が散っていく様を見るのは後悔が残る。自分の弱ささえ乗り越え、友の隣に立ち、戦い、守る。明日も生きるためにだ」

 それが私の戦いというものだ、と言って女性は私から目を離して再び遠くに目を向けた。

 

 間違いない。

 彼女たちの姿は写真として後世に伝わることはなかった。だから、その姿に確証こそないが……

 その艤装を持つ者は艦娘史において数えられるだけしかいない。何よりもそれは、私が1000回以上目にしてきたものだ。

 

 この人は―――――――

 

「でも、生きることは戦うことなんです。それは人間も私たちも同じ。いいえ、私たちが戦船として鉄の塊であったころから変わりませんよ」

 背後からした声に私たちは振り返る。

 

「避けられぬ戦いの中で必死に運命に抗って生きていくのです。厳しいことかもしれませんが」

 そこに立つのは、弓道着姿の女性。長く黒い髪に赤い袴を履き、まっすぐに私を見る目は力強く、射抜くような鋭さを持つ。

 肩から飛行甲板を下げ、手には弓、背には矢筒を背負い、まるで戦に赴く弓兵のような佇まいであった。

 

「なんだ、お前も来たのか?」

 

「ええ、気になるものがありましたので。私もお力になれればと」

 胸当てと飛行甲板に記された識別するための「ア」の文字は忘れもしない。

 

「どうして……あなたたちが……?」

 

「その答えは……すでに得ているのではありませんか?」

 分からない。どうして私はこんな夢を見ているんだろう。

 私がすでに得ている答え。こんな夢を見ている理由を私は知っているのだというのだろうか?

 弓道着姿の女性は、悩む私の姿を見てか優しく微笑んだ。

 

「私たちは神の悪戯が生んだものではありません。多くの祈りと願いが、身体は朽ちても魂こそは戦い続けようとした多くの想いが作っているのです」

 

「それでも、人間の身体を得たというのは不思議な感覚だ。だが、悪くはないものだ」

 

 その言葉にようやく彼女たちが何者なのかの確証を得た。

 彼女たちは――――――

 

「怖いですか?」

 

「え?」

 弓道着の女性は私の顔を見てそう訊く。そっと胸に手を当て、笑みは消え瞳は揺れる。

 

「時には多くの死を見ることもあります。多くの別れがあります。何度も挫けそうになります。守るはずだったものが、共に生きていくはずだった者たちが目の前で散っていく」

 怖いですよ、私たちも、と彼女は言った。少し弱弱しく笑って見せながら。

 

「『あの時そこに私がいれば』と思ったことは数え切れないな。たられば、の話ならば数え切れないほどある」

 少し視線が落ちて、横顔に悲し気な笑みが浮かんでいた。もう会えない、遠くにいる誰かを懐かしむような、そんな笑みを。しかし、彼女はすぐ顔をあげる。振り返らぬように、立ち止まらぬように。

 誰かに「立ち止まるな、振り返るな」と背を押されているような強い光を眼差しに宿して。

 

「だが、そんな戦いの中で強さを知る。私たちは自分たちの弱さを知って、強さの意味を知っていく。失ったものさえ力に変える。悲しみも、苦しみさえも、踏み越えていく」

 

「失った人たちの優しさが、強さが、私たちに力をくれます。そして、誰も失いたくないという強い意志を生みます」

 

「怯えず、挫けず、大切なもののために戦い抜く想い……それが強さだ」

 

「私は……私は……」

 きっとこの二人の言葉は本物だ。夢だとしても本物なのだろう。

 多くの仲間を失い、それでも戦い続けてきた。その果てで得たゆるぎない強さ。

 彼女たちを伝説たらしめる多くの武勇がそれを証明する。

 

 だが、一つだけ納得できない。

 私と彼女たちは違うのだ。どれだけ近づこうと同じになることはできない。

 

「失ってからでは遅い。お前は何かを失う前に、自分の弱さを知ることができた。争いのない平和な世界の中でそのことに気付けたんだ」

 

「ええ、自分の力に慢心せずに、あなたは自身を弱いと認めることができた」

 私は弱い。それは彼女たちのいうような「弱さ」じゃないのだ。

 

「やめてください……私は自分の弱さを知っても、あなたたちのように強くはなれません」

 

 力が強いのか?いや違う。

 心が強いのか?いや違う。

 

 本当の強さとは、己の弱さを知るところから始まる。それは確かにその通りだろう。

 だが、私には「弱さに気付けるだけの強さを持っていた」としか考えることができないのだ。

 

「あなたたちには元々、力があった。強さを得るだけの力が。それは私にはない。たとえ、弱さを知ったところで何になるんですか?」

 

 何度も言葉にせずに否定し続けたのは、少しの成長だったのかもしれない。

 憧れと言う言葉さえ言い訳にし続けてきた私が、私自身を否定する。

 

「ならば、すべて諦めるのか?」

 隣に立つ女性は小さな声でそう問いかける。

 

「何かしたところで何も変わりませんよ。私には何もないんですから」

 

「大丈夫……あなたならできるよ」

 別の少女の声。他にも誰かいるのか。

 この際だから、全部吐き出してやる。この人たちは私の「憧れ」なのだ。

 だったら、全部聞いてほしい。

 

「だから、私は―――――」

 立ち上がって振り返る。思いっきり息を吸って私は叫ぶように声をあげた。

 

 振り返った先にいた優しく微笑む少女の姿に私は言葉を失った。

 

「大丈夫。あなたは私たちを愛してくれたから」

 

「あ……ど、どうして……?」

 

 夢の中で目を疑うことも耳を疑うこともするとは思いもしなかった。

 いや、夢なのかどうかは分からないが、少なくともこのビジョンで、私がこんなことを体験するとは思いもしなかったのだ。

 

 

 

 そこには、紛れもなく私がいた。

 

 

 

「私たちの愛するこの町を愛してくれるから、あなたは強くなれる。愛する者があるから強く立てる」

 動けなくなった私にゆっくりと歩み寄り、小さな子どもに絵本を読むかのような優しい声で、その少女は語る。

 

「どんな敵にも負けない強い想いがあなたの中にはある。今は気づかないかもしれないけど、それは勇気になる。どんな困難の中でも光る最強の武器に」

 

「……勇気?」

 

「私たちがあなたの背中を支えてる。あなたが愛する者たちすべてがあなたの背中を支えてくれる。あなたがしっかり立てる強さをくれる」

 

 海風が強く吹き抜けて、私は咄嗟に髪を押さえて、眼を閉じた。

 ゆっくりと目を開くと、多くの気配を感じた。夜闇に紛れてはっきりとその姿を見ることができないが、間違いなくそこに立っている。

 海岸線に一列に。その全員が各々の艤装を身に付け。

 

「だから、あなたは戦える。私たちがそうであったように、誰かを護りたいと願い続ける限り、私たちは戦う」

 一体、どこへ向かおうというのか?

 彼女たちは何のためにそんな装備を身に着けているのだろうか……?

 

 

 ……護るため。

 

「最強の武器が私たちにはあるから―――――」

 力なく垂らしていた私の手をそっと両手で包み、少女は笑った。

 温かかった。そして、声を感じた。

 

 あぁ、この声は知っている。

 お父さん。お母さん。お婆ちゃん。ラクちゃん。クラスのみんな。学校の先生。港のおじさんたち。市場のみなさん。道ですれ違うおじさんやおばさん、公園で挨拶を交わすお爺さんやおばあさん、熱心に展示品を眺める私をそっと見守ってくれる記念館の館長さんたち。

 その他にも、自警団の方々。交番のお巡りさん。病院の先生。消防署の消防隊の方々。

 

 この町には声が満ちている。

 私を見守る声が。私を包み込む声が。私を支えてくれた声が。

 この声が深海に沈み消えてゆく。二度と声も光も届かぬくらき海の底へ。

 

 ダメだ。それだけは絶対に―――――

 

 ガシャンと大きな鉄の塊が動く音がした。

 私の隣で海を見ていた女性が、傍らに置いていた艤装を身に着け、精悍な眼差しで私をみた。その反対側に弓道着姿の女性が立つ。ちらりと私を見て微笑むと、小さく息を吸って真剣な表情となる。

 

「私たちはこの町を愛している」

 

「この町を失いたくありません」

 

「たとえ、この身を失い、この拳を振るえずとも」

「たとえ、この身を失い、この矢を射れずとも」

 

「この町を愛する友として、あなたの背中を支えることならできる!!」

「この町を愛する友として、あなたの背中を支えることならできます!!」

 

 多くの影たちが海へと進んだ。二人の女性もその後を追うようにして足を海面に付けた。

 

「だから、お願い――――この町を守って。未来を繋いで」

 ぎゅっと手を握ると、彼女も海へと駆け込んだ。いつの間にかすべての艤装を身に着けて。

 

「大丈夫、安心して」

 そして、振り返り私を見る。大きく横に手を広げる。私はそれに釣られて遠くを見た。

 

「私たちが付いているから!!あなたならきっと届くよ!!護りたい人にその手が。叶えたい夢にその手が!!」

 

 私の視界一杯に広がる私の「憧れ」の隊列。

 不思議な気持ちが。言葉だけで紡がれてきた彼女たちの存在がこんなにも近くにいるのだ。

 本当はその姿をはっきりと見たいし、飛びついて話を聞きたいし、やりたいことは山ほどあるのに、卑屈になりすぎた私は自分が何が好きだったかさえ忘れ去ってしまっていた。

 

 ―――そこまで私は行けるだろうか?私にはなれるのだろうか?

 誰かを護れる存在に。この世界を護れるそんな何かに。

 

「あなたは誰?どうして私の姿をしているの?」

 

「すぐに分かるよ。あなたは自分で答えを見つけ出す」

 水平線から日が昇る。

 訪れた暁は私の目に映る世界を徐々に白く白く染めていく。

 意識さえ白く染まっていく世界の隅っこで、勇ましい誰かの声が響き渡る。

 波として私の脳の中で揺れ続けるその声は、不思議と不快なものではなく、私を鼓舞させる力強さを持っていた。

 

 

 

 

     *

 

 

 

 きっとラクちゃんに話せば頭の病院に送り込まれるだろう。妖精のことも、展示ホールで見たことも。

『艦娘になる素質』なんて、まるで夢物語だ。幼稚な夢を綴ったちょっと痛い小説みたいな。

 夢だ。こんなのきっと夢なんだ。私の見てるおかしな夢。

 

 夢―――――私の夢は何?

 

 そんなもの決まっている。堂々とラクちゃんの目の前で言い放って見せたじゃないか。

 だったら、やるべきことは1つだ。

 

「―――――妖精さんッッ!!」

 階段を駆け下りて部屋に飛び込んだ私はすぐにその姿を目で探しながら叫んだ。

 

「戻ってきたか。ちょうどよかった。今、無線で面白い話を聞いた――――っと」

 その姿を見つけると、迫り寄って机を両手で叩いた。

 

「……どうしたんだい?もう君を艦娘にしようだなんて思ってはいないよ」

 

「私の夢はッッッ!!!」

 走った分の息切れと、変に叫んでしまった分で、空気が足りず息が詰まってしまった。

 

 呼吸を整えるために落ち着いて深呼吸をする。

 呼吸が落ち着くと、不思議と頭の中も澄み渡っていった。だが、この身体の中心で高鳴る鼓動は収まる気配がない。

 

「……私の夢は、私の大切な人たちが笑ってくれる未来を作ること。艦娘がこの世界を守ったように、誰かの幸せを守れるような何かをすること。この世界でよかった、って言ってもらいたい。だから……だから……っ!!」

 

 言葉を選ぶ。自分が何をやるべきなのか。

 それは逆算だった。私がしたいことのために、何が必要なのかを。その答えは、

 

「―――――私の作る未来に、あいつらは必要ない」

 

 声を絶やす存在を葬り去る。それだけだ。

 過激な発想かもしれない。自分に都合の悪いものを排除していく考えは確かに危険だ。

 でも、仕掛けてきたのは向こうだ。逃げ続けても死を待つだけだ。戦わなきゃいけない。

 戦いには理由がいる。戦いには戦う術がいる。

 理由は既に得た。後は、戦う術のみ。

 

 

「私は艦娘になる」

 

 

 卑屈になりすぎた私の頭が夢から覚めたような感覚だった。

 一気に靄が晴れていき、この身体に強い柱を一本打ち込まれたかのようなしっかしとした芯を感じていた。

 憧れなどという言葉を言い訳と呼ぶのはもうやめよう。

 イ級の姿を目の当たりにした私は恐怖を実感し臆病風に吹かれていたのだろう。

 明確な死と言うビジョンが刻み込まれてしまった。だが、それでもその弱さを一歩目と彼女たちは言った。

 何もかも受け入れよう。私が艦娘に憧れていたことも。戦うことが本当は怖いことも。ラクちゃんが言っていたこともすべてを。

 そんなものよりも、私の想いの方が、今はずっと強いはずだ。

 

「……いいだろう。装置に横になるといい。事態が少し変わってきたからね、急ピッチで進めることにしよう」

 妖精はあっさりと承諾した。

 先程まで、もうあきらめたという感じだったのに、まるでこうやることを知っていたかのように、準備を始めた。

 

「……いいの?本当に私で」

 

「君には素質はある。だからと言って、成功を約束できるわけではないが……何でかな、失敗する気がしない。そこに靴を脱いで横になるといい」

 横になってみて歯医者さんのベッドのようだと思った。

 

「これを頭に被れ。力はできるだけ抜いておくことだ。それと何も考えないこと。余計なことは考えない方がいい」

 目元まですっぽりと隠してしまうヘルメットのような機械を渡され、妖精の言葉に従い頭に被って横になった。

 深く息を吐いて目を閉じる。不思議と緊張はなかった。体の力はゆっくりと抜けていった。

 すぐ近くでカチカチと装置をいじる音が聞こえる。

 

「妖精さん……私は艦娘に憧れていた。彼女たちのような英雄になりたいと思った」

 

「英雄か……物語の主人公、ヒーローやヒロインはいつだって特別な存在だ。彼らは周りとは違う。でも、彼らのような存在でない限り、物語は始まらないんだよ。まあ、彼らにもそうなった理由があるんだろうけどね」

 ある人はそれをご都合主義というけどね、と言いながら妖精がコンソール板を操作するピピピという音が響いていた。

 

「主人公都合がいいように物語が進むからね。でも、それは物語のせいなんかじゃないんだ。物語は主人公に支配される。そうなっているんだ。その世界もね……主人公という存在には逆らえない。そもそも、そうじゃないと物語は生まれない」

 

「語り継がれる者にも語り継がれる理由があるんだよね、実話にせよ、創作にせよ」

 

「そういうことだ。まあ、何が言いたいかというと、都合がいいことが君には起こるだろう。そもそも、私がこんなところにいること自体が都合がよすぎるんだ」

 

「やっぱり偶然じゃなかったんだね。でも、それは……きっと私のせい」

 だとしたら、私はなれるのだろうか?

 語り継がれる存在に――――伝説として語られる彼女たちのような存在に。

 

 ふと、身体がベッドに沈み込むような感覚がした。ちょっとだけ触覚がおかしい。ぼんやりとした感触しか感じなくなる。

 

「さて、始めよう。最後に……君の名前を聞いておくよ。知ってると思うけど、君は艦の記憶を背負う。混濁して君は自分の名前を忘れるかもしれない」

 

「私は―――私の名前は、(すい)。お婆ちゃんがつけてくれた」

 

「……分かった。いい名だ」

 

「ありがとう」

 ガシャンとレバーを下ろす音が聞こえて、私の身体は装置ごと動き始めた。

 

「すぐに意識が薄れていく。20分くらいしたら勝手に目が覚めるだろう。変な夢も見ると思うが、変に考えちゃダメだ。じゃあ、お休み」

 何も聞こえなくなる。何も見えなくなる。意識があるのにすべての感覚が消えていく。

 その意識も徐々に薄れていく。五感のすべてを失った世界で意識を失っていくのは、とても不思議な気持ちだった。

 

 

 

 

 とても、不思議な光景だ……真っ白な霧の中にぼんやりと立っているみたいな。

 海を、空を割る轟音が響き、鉄を砕く音が鼓膜の奥で反響した。不快な音。揺れる身体に定まらない視界。

 自分の意識以上に大きく感じる身体と、自分の目では到底捉えきれない世界を見渡す私の視覚と聴覚。

 規則的に響く機械的な音が波打つ世界に広がっていき、走るノイズが形となって私の意識に伝わる。

 

 波を割いて進むこの体は全身に風を受けて、熱いほどに高まる英霊の士気を冷まそうとしていた。

 この鉄の体が融けるほどに熱い。

 

 

 

大日本帝国海軍ワシントン条約下特型駆逐艦第三十五号駆逐艦

一九二六年六月十九日舞鶴工作部より起工一九二七年十一月十五日進水一九二八年八月十日竣工

二段式甲板革新的外洋航行性能駆逐艦の重武装化の実現12.7cm50口径連装砲3基7.7mm機銃2基61cm三連装魚雷発射管3基9門艦本式タービン2基2軸艦本式ロ号専焼缶4基

第十一駆逐隊編制

一九三一年第二十駆逐隊編制

一九三五年第四艦隊事件

一九三六年第十一駆逐隊編制第二航空戦隊編制

一九四〇年紀元二千六百年特別観艦式

一九四一年第三水雷戦隊編制マレー半島上陸船団護衛ボルネオ島攻略戦クチン攻略作戦船団護衛

一九四二年エンドウ沖海戦バタビア沖海戦北部スマトラ掃蕩作戦アンダマン攻略作戦

     ベンガル湾機動戦ミッドウェー海戦ガダルカナル島の戦い

 

一九四二年十月十一日 サボ島沖海戦 沈没

 

 

 一気に文字が流れ込んでくる。不規則な順に『私』の記憶を塗り替えていく。

 鉄の塊、硝煙の匂い、潮の香り、油の匂い、冷たい魚雷、知らないはずのそのすべてが懐かしい感覚へと変換されていく。

 青く…青く…溶けていく。私は海に抱かれている。

 ゆっくりと沈んでいき、私は『私』に出会う。

 青と黒の境目、暗い海の底で、私の目に映る一番星のように輝く一つの光。

 その形は美しいまま残っていた。少しの傷もなく、海の底で静かに眠っている『私』。

 そっと触れた船体は心なしか暖かく感じた。多くの人の温もりを感じた。多くの人の声を感じた。

 

 笑い、泣き、叫び、歌い、囁き、怒鳴り、

 呟き、祈り、励まし、紡ぎ、恨み、語り、勇み―――

 

 幾多の声は私の中に溶けていく。溶けそうになるほどに、この身体は熱を帯びていく。

 

 

二X三九年 横須賀工作部により建造第五次東京湾防衛作戦

二X四一年 沖ノ鳥島沖戦闘哨戒、鉄底海峡攻略作戦

二X四二年 ピーコック島攻略作戦、AL/MI作戦

二X四三年 第二次SN作戦FS作戦、第二次本土防衛作戦

: 

二X六五年 横須賀工廠にて解体

 

 

 

 

 




連休中には一章は完結させる予定です。

ようやく艦これタグ詐欺が終わります…ふぅ


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払暁

「……おはよう。気分はどうだい?」

 手を引かれるように目を覚ました。

 まるで水の上に浮いているような感覚。耳元で雫が落ちる音がして私は目を開く。

 目の前に広がった世界は少し焦点を合わせづらくてぼやけていた。頭も少し重く、音もはっきりとは聞こえない。

 

「耳鳴りがします。ちょっと頭も重いかも……でも」

 

「どうしたんだい?」

 上体を起こす。まだノイズの混じった音が響く鼓膜のその奥で、何か不思議な音がした。

 それは波の音に似ていた。引いては寄せる潮の音。まるで私を手招くように。

 

「呼んでる……」

 そうだ。あの青い世界が私を呼んでいる。行かなければならない。

 近くのディスプレイに多くの文字が流れていく。その一つも理解できなかったが、妖精はそれを見てにやりと笑った。

 

「……控えめに言っても完璧だ。君は歴代の艦娘でも最高傑作だよ」

 歴代の艦娘の中でも最高傑作。

 初期の建造を除いて、艦娘はすべて同じように作られたのではないのだろうか?傑作などあるのだろうか?まあ、今は無理に理解しようとする必要はないだろう。

 

「ありがとうございます。それより、妖精さん。外はどうなっていますか?」

 

「まあ、これを見たまえ」

 妖精はディスプレイの下にあったコンソール板を操作すると、壁にあった巨大なディスプレイに緑の光が点る。

 黒い画面に緑色の文字が流れていき、いくつもの線が形を成していく。

 十字に交わった二次元座標に直交する三次元方向に何か人形のようなものが形を成した。

 

「これは敵の中枢部隊だ。ここから沖に30㎞ほど離れた場所に展開している」

 公園で見たあの形から、口から人の腕が飛び出ているような個体、人の形をして両腕に鎧のようなものを持っている個体。

 そして、最奥にいる―――巨大な盾のような砲塔を両手に持つ長身の女性のような個体。

 

「戦艦級1、重巡級2、軽巡級6、駆逐級20。旗艦は戦艦ル級だ。駆逐級は上陸している個体もいるようだが…」

 ブリーフィングのようなものだろうか。とりあえず、このぼんやりする頭を醒ましていく。

 さて、こちらの戦力は実質私一人だ。多勢に無勢は明らかだ。

 ついでに私は戦術や戦略は全く勉強してない。

 しかし、私の頭の中には残されている過去の艦娘たちの戦いの記録がある。少数で多数の敵艦隊との戦闘を勝ち抜いた過去の戦いがある。

 

 深海棲艦には一応、艦隊としての性質がある。稀に近海に単艦で現れることもあるらしいがそれは艦隊から逸れてしまった個体らしい。

 単体、または複数の指揮系統が存在する。つまり、必ず艦隊には旗艦が存在し、その指示で艦隊は行動を行う。

 

「一つ質問させてもらいます。深海棲艦の艦隊は旗艦を潰せば撤退する。その性質に変化は?」

 

「恐らくないだろう。だが、どうする?戦艦に駆逐艦如きの砲は通じない」

 

「いいえ、駆逐艦には戦艦に匹敵する武器があるはずです。艦娘戦史の中で火力の小さい駆逐艦たちが活躍したのもその功績が大きい」

 戦史上でそれは駆逐艦にとって切り札であり、一撃必殺の破壊力と日本の技術を結集したまさに最強の武装であった。

 しかし、航空機の時代となっていた戦史ではその射程に至るまでに装甲の薄い駆逐艦は大きな損害を受けることになる。

 艦娘史でその存在に再び光が差す。人の身体を持つ艦娘にはその使い方が大幅に応用が利いた上に、相対的な尺度の変更による射程のバランスがかなりあいまいになったためだと言われている。

 輸送、護衛、夜戦奇襲、どれにおいても水雷戦隊の火力の中核を担う存在。

 

「この国の妖精たちの得意分野だったと聞いています……私は『あれ』を積めますか?」

 唯一の問題は私がその武装を持てるかどうか。

 

「あぁ、『あれ』は私も大好きだ。それに私もそのつもりで準備させてもらった。それと…君は通常の艦娘とは違う。建造ではなく『改造』したからね。装備もそれに合わせて作っておいたよ」

 改造…よく違いが分からないが、ともかく私は艦娘になり、例の武装も積むことができるのだろう。

 だったら、問題ない。ベッドから降り、身体の感覚を一つ一つ確かめていった。

 最初は身体のバランスがおかしくなるかと思ったが、特に変化もなく普通に立つことができた。

 

「服も……髪型も……結構変わってるんですね。ちょっとだけ身長と体重は……変わってないんですね」

 いつもは肩にかかるくらいに伸ばしてる髪も、うちの店の手伝いをしてる時みたいに束ねてあった。

 服はセーラー服。うちの学校とは違うデザインのものだった。

 

「さて、作戦の簡単な整理をしよう。君はここから出撃することになる」

 ディスプレイの地図にある海岸線の一部からシグナルが出る。そこが現在地だろう。

 

「時刻は夜明け前。君は駆逐艦だ。高速力を生かして、敵艦隊を奇襲。日が昇る前に旗艦を叩く」

 矢印が伸びていき、敵艦隊にぶつかる。妖精は「こういうことだ」と言ったが…

 

「私、ついさっき艦娘になったばかりなんですけど…簡単に言いますね…」

 

「時間もあまりない。海軍も壊滅的被害を受けている。それと、君にはできる。それは君自身が分かっているはずだ。まあ、海の上に立てば分かるだろう。君は今、艦娘なんだ」

 ディスプレイが消えて、妖精はデスクから飛び降りた。

 

 

「君の中に宿る魂が、戦い方くらい教えてくれる」

 

 

 

     *

 

 

 

 奥の部屋に進むと、長い廊下が続いて壁には多くの扉が並んでいた。

 扉の上に書かれてある文字は掠れていて薄暗さに相まってほとんど読めない。

 その廊下を置くまで進んだ突き当りの場所に天井の高い空間が広がっていた。

 

「一番手前のレーンに、そう、そこだ。動くな」

 妖精の言う通りに、私は所定の場所に立たされた。足のマークが描かれており、コンクリートのようにも見えたがよく見たら切れ目が入っている。

 その瞬間、ガクンっと足元が沈み込み、小さなロボットアームが大量に現れた。

 天井から鎖が音を立てながら降りてきて、一緒に降りてきた鉄の塊が私の身体に固定される。

 手に、脚に、装備が取り付けられていき、同時に頭の中に多くのデータが流れ込んできた。

 全ての行程が終わると、妙に五感が澄み渡る。鋭く研ぎ澄まされた感覚が微細な変化にさえ捉えてみせる。

 

「これが私の艤装ですか?すごい……すっーと体に馴染んでくる感じがします」

 

「もう少し待ってくれ…ここのシステムと同期する…よしっ、では出撃といこう」

 

「えっ?あっ、はい……何ですか、これは?」

 足元が動いて勝手に前に押しやられると、前方にあった壁が開いて細いレールの通った通路から海水が流れ込んでくる。

 私の手元に手摺のようなものが現れて、なぜか足の艤装が固定された。

 

「ここは地下だ。海面より下にある。だから、レーンを伸ばして水面までの道を作る。つまり上り坂だ。登っていくのは手間がかかるし、歩いて港まで行くなんて遠回りにもほどがある」

 もはや、どこにいるのかさえ分からない妖精の声が響いていた。

 私は徐々に心の中で確信に変わってきた嫌な予感にうっすらと冷や汗を流しながら声に耳を傾ける。

 

「だから、カタパルト射出する」

 そら見ろ。ろくなことじゃない。

 

「私、海面に叩きつけられて死ぬとかそういうオチにならないですよね?」

 妖精は微笑を洩らした。

 

「武運を祈るよ。準備ができたら教えてくれ」

 まあ、やるしかない。ここで止まる訳にはいかない。

 何より時間がないのだ。主に私がもたついてしまったせいなのだが、遅れを取り戻すためにも迷っている場合ではないのだ。

 

 ……でも、カタパルト射出ってロボットアニメじゃないんだから。一応、こっちは人間体だ。艦娘が人間より頑丈だからと言っても馬鹿げてるだろう。

 ここの設計をやったやつの浪漫とやらが窺えるが、今は文句を叩きつけてやりたい気分だ。

 

 茶番はさておき、眼を閉じて深く息を吐いた。

 覚悟はできている。後は、臨むのみ。

 

「準備できました」

 みんな、待ってて。私がこの町を守るから。

 あんな奴ら、私がやっつけちゃうんだから。

 負ける気がしないんだ。だって、私、今―――――――――

 

 

「――――抜錨します!!」

 

「よし!行って来い!!」

 

 みんなに支えられて、とても強く立ててるから――――――っ!!

 

 

 

 

     *

 

 

 

 

 ――――展示ホール「投錨の間」

 

 

「―――あの子は行ってしまったよ。どうせ、君たちが発破をかけたんだろう?まったく……」

 

「随分と静かになったじゃないか…暇なんだから話し相手にでもなってくれよ。誰もいないのか?」

 

「……みんなあの子に着いていったのか…そうか。そういうことか」

 

 

「護ってやってくれ。共に戦ってやってくれ。君たちが選んだ未来と共に」

 

 

 

 

 勢いよく飛び出した私の身体は緩やかな弧を描きながら着水する。

 膝を曲げて少し勢いを殺すと、そのまま前へと進んでいった。

 頬を撫でる風がとても心地よい。不思議な気分だ。この海に立ったその瞬間、一気に感覚が冴え渡った。

 水面を伝って私に届く、すべての景色。月のない暗闇にも拘わらず、私の視界ははっきりとしている。

 そして、誰がどこにいるのか。この海の上にいるすべての存在を感じ取れた。

 

 夜戦――――この記憶にあまりいい思い出はない。でも、昂揚するこの体は……強い衝動で私の体を前へと押し出した。

 徐々に速度を上げていき、最大戦速で海上を駆ける。機関の唸る音が私の拍動に合わさる。

 

 光のない黒い海の上。闇の中に浮かぶ黒い影を私の目は捉えた。

 

「――――敵艦、見ゆ…」

小さく呟く。自分にスイッチを入れる。自己催眠をかける言葉のように。

 

 

「ガァァァァアアアアア」

 駆逐ロ級、私の接近に気付き奇声をあげると、すぐさま砲塔をこちらに向ける。

 

「――――!」

 落ち着いて主砲を掲げる。

 12.7㎝連装砲B型改二。妖精さんの用意した主砲は展示の中にはない型だったが、このときはそれほど気になることもなく、私は引き金を引く。

 

 砲撃音、命中、直後爆発音。黒い海を炎が赤く照らす。

 

「シャァァァァァァアア」

 軽巡ホ級。ロ級の爆発音に気付き、真横から接近してきたが、そこにいたのは分かっていた。

 

「――――っ、――――!!」

 焦ることなく照準を合わせて、1発。間を取って2発。

 共に命中。砲撃も撃たせることなく、ホ級は爆発、轟沈する。

 

 妖精の言う通りだった。海の上に立った瞬間から迷いは一切なく、艤装も扱えた。

 主砲の撃ち方も照準の合わせ方も、身体が勝手に動く。過去の誰かの動きが重なるように。

 

 

「……」

 声をあげることなく、急速に接近してきたのは重巡リ級。

 人の形をしたその型の深海棲艦は冷たい肌に張り付いた憎悪に満ちた表情に思わず戦慄した。

 射程もこちらより長い。私が主砲を向けた瞬間には、すでに砲撃を許してしまっていた。

 急いで、進路を変えて、更に折り返し、横に大きくジグザグに動いて回避を試みた。

 こちらの射程に入るまで、砲撃を許してしまうことになり、2発目で狭叉した。

 

「――――っ、――――あぅ!!」

 3発目、被弾した。体全体を殴られたような鈍い衝撃が走った。

 ……でも、痛くない。不思議だ。バランスを崩すこともない。

 ただ、ちょっとだけびりびりとした感覚が気持ち悪いだけ。

 やられてばかりにもいかないので、軽く照準を合わせて砲撃する。

 引き金を引き、リ級に飛んで行った砲弾は命中したものの、かなり浅い当たりとなってしまった。

 怯む様子は一切ない。先を急いでいる。主砲で相手していれば時間がかかる。

 

「―――魚雷発射準備」

 太ももの辺りに取り付けられた魚雷管がガシャンと音を立てて起き上がる。

 61㎝四連装酸素魚雷――――これこそ、駆逐艦の切り札。水雷戦の華。

 

「お願い……当たってください!!」

 少し腰を屈めて四本すべてを発射する。

 結構、闇雲に放った気がしたけど、魚雷は吸い込まれるように重巡リ級に飛んで行った。

 

 酸素魚雷――――雷跡を残さないこの国が生み出した魚雷。

 炸薬量、雷速、射程が従来の魚雷を遥かに上回り、そして雷跡を残さずに海面下を行く。

 敵はどこから来たかも分からず、船底に突き刺さる雷の槍を避けることはできない。

 着弾、直後に天から雷が海を撃ったかのような爆破音が響き渡る。

 

「次発装填……旗艦はどこ?」

 放った四発の魚雷を装填し、周囲の状況を目視で観測する。敵影は見当たらない。

 敵艦隊とはすでにぶつかっているはずだ。だが、肝心の旗艦が見えない。

 夜間の海上の視野は最悪だ。目に頼るのはあまり得策とは言えない。

 

 静かに目を閉じる。感覚が冴え渡り、海に私の目や耳が映ったような感覚に陥る。

 水滴が水面に落ちて広がる波紋みたいに。たっだ波に触れたものすべてをリアルに感じる。

 巨大な盾のようなものを抱えた巨大な影を感じる。左舷の方向――――

 

「取り舵、両舷最大戦速――――」

 方向転換すると、やや落ちていた速度を戻して、一気に本丸へと飛び込んでいく。

 ふと、感覚の波に触れた存在がこちらを見たのが分かった。

 

「―――――気づいたっ!!」

 

 ズドォォオオン!ズドォォオオン!

 まだ距離はあるにも拘わらず、遠くから砲撃音が風に乗って伝わった。

 私の後方に着弾し、巨大な水柱が登る。振り返ることなく、まっすぐに突っ込んでいく。

 

 そして、私は両手に携える主砲から煙を吐く、戦艦ル級と対峙する。

 

「すごい射程距離……えい!」

 まず、試しに1発。

 しかし、縦のように主砲を動かし、私の主砲が放った弾丸は鈍い金属音を響かせて弾かれてしまった。

 

「そんなっ、弾かれたっ!!」

 呑気に驚く暇など戦艦ル級は与えてはくれなかった。

 巨大な盾を開くと、海面に叩きつけるようにして私に照準を合わせる。

 

「―――――ッ!!」

 再び、大気を振るわせて砲撃音が轟いた。

 面舵をきり、大きく横に動くと、主砲をル級に向けてただひたすらに撃ちまくった。

 

「いっけええ!!」

 

「――――――ッ!!ガァァァァァァァァァァッッ!!!」

 だが、弾が装甲を抜くことはない。すべて弾き返されて、さらに直後に反撃まで受ける。

 

「やっぱり主砲じゃダメかぁ……」

 大きく弧を描くように動きながら、砲撃を回避する。前方と後方で巨大な水柱が立った。

 大きな波が立ち、身体が大きく左右に揺れる。何より、狭叉した。

 

 全弾命中していることに違和感はなかった。それが当然のように思えた。

 問題は装甲を抜けない――――戦艦に駆逐艦の弾は軽すぎる。

 逆に戦艦の弾が当たれば、私の体は消し飛ぶ。想像するだけで身震いがする。

 まだ人間だった時にイ級と対峙したが、恐怖も圧迫感もそれの比じゃないくらいに強い。

 それなのに、昂揚している私はおかしいのだろうか?

 私が笑っていたのは、面白いくらいに負ける気がしないから。

 

 夜戦という戦場に駆逐艦と戦艦のパワーバランスは崩壊する。

 

 さあ、ここからが勝負だ―――――

 

「両舷――――一杯!!魚雷管発射用意!!」

 一気に機関を最大まで動かす。身体は一瞬遅れるかのように引っ張られ、徐々に速度に乗っていった。

 向かうはル級。真正面から突っ込む。

 

「―――――ッッ!?!?」

 驚いたル級はとにかく撃った。当たってもおかしくはなかったが、照準がずれていた。当たらない。

 

「魚雷発射!!」

 8門の魚雷をすべて発射する。

 扇状に広がる多数の見えない魚雷。タイミングをずらして2本の魚雷がル級の船底を打つ。

 その身体が浮き上がるほどの爆発がル級の身体を襲った。

 

「次発装填!!」

 隙を見せてはいけない。完全に敵が沈黙するまで徹底的に叩き込む。

 

「ガァァァァァァァ!!」

 揺れるル級の前に周囲を周回していた駆逐イ級とロ級が現れる。私に砲撃を撃ち、1発が肩を掠めた。

 

「魚雷発射!!」

 再び魚雷を放つ。吸い込まれるように3隻に迫る8本の槍は小さな駆逐艦の身体に命中する。

 

「―――ッ!?」

 

「―――ッ!?」

 ル級は主砲を盾のように海面に突き立て、本体への損傷を防いでいた。

 加えて2隻の駆逐艦が壁になるように動いたため、ル級へのダメージはかなり少なく思えた。

 

 深海棲艦にも仲間を庇うなどという感情があるのか…少し意外だ。

 

「外しちゃった……でも、次は……」

 幸いにも魚雷がル級の正面で爆発し水柱が立った。それがちょうど目晦ましになっていた。

 両足の主機がおかしな音を出し始める。ちょっと無理しすぎているのかもしれない。そのせいか息が上がる。

 

「はあ……はあ……次発装填!!」

 一気にル級めがけて突っ込んでいった私は、掠っても致命傷になるほどの近距離を一気に駆け抜けた。

 すれ違いざまに見えたル級は、片方の主砲がひしゃげて使い物にならなくなっていた。

 

 そのまま、ル級の真後ろに回り込むと、一気に180度、体を反転させる。

 一瞬、上半身がねじ切れそうになる。

 

 ふと、目が合った。

 暗闇の中でも視線ははっきりと感じるものだ。

 黒い感情―――――怨念。遺恨。怨嗟。嫉妬。

 私たち命あるものすべてを蝕む黒い感情。ずっと昔から続いてきた負の連鎖。

 その連鎖に、私の大切なものが巻き込まれてしまわないように―――――断ち切らなければならない。

 黒に呑まれそうになった私は、腹の底に溜まろうとする黒い感情全てを吐き出すために大きく息を吸い込んだ。

 

「私が……あの町も、みんなの未来も、この海も―――――――――」

 

 装填を終えた魚雷管が私の呼吸に合わさりガシャンと音を立てて動く。

 暗闇に光る八本の槍がその先をまっすぐにル級の身体を捉えていた。

 荒々しい呼吸を整える暇もなく、吸い込んだ空気全てを、想いを乗せて一気に吐き出す。

 

「私がみんなを護るんだからぁッッ!!!いっけええええええええええええ!!」

 

 魚雷が静かに着水する。

 水中で一気に加速し、吸い込まれるようにル級の下へと飛んで行った。

 小さくその弾頭がル級の船底を叩く音が聞こえた。

 それがル級の最後の声であるかのように――――――

 

 

 終わりを告げる轟音が、すべての闇を払っていった。

 

 

 暖かい光を感じた。そっと水平線から浮かび上がる新たな一日の光。

 

 暁の水平線に刻まれたこの勝利に、私は力強く握った拳を高く掲げた―――――

 

 

 

     *

 

 

 

 白みを帯びていく空の下、涼しい風を切りながら私の身体は港へと向かう。

 

「――――あっ、妖精さん!!」

 唯一待っていたのは小さな妖精。ヘルメットを傍らに置き、髪を潮風に靡かせていた。

 

「上手くいったみたいでよかった。申し分のない仕上がりだ」

 

「妖精さん!私、やりました!!みんなを護れました!この町も!妖精さんのお陰です!!ありがとうございました!!」

 戦いに勝利した私は誰かにこの喜びを伝えたかった。

 

 とても疲れた。恐怖と緊張の張り詰めた戦場の空気は重くて、すべてが終わった後にどっと疲れがのしかかった。

 そんな疲れさえも吹き飛ばしたのが言葉じゃ表しきれないほどの達成感だった。

 

「戦ったのは君だ。それに君には元から素質があるといったはずだ。ル級を沈めるに至る実力、すべて君のポテンシャル。私はそれを引き出しただけだよ」

 

「そんなことないですよ!もう何から何まで完璧でした!!とても使いやすい装備ばかりで」

 

「それは作った甲斐があるというものだ」

 一通り発散した私は、ふぅ…と一呼吸おいて町の方を見た。

 

「……護れたんですね」

 

「ああ……」

 まだ煙が昇っているが、深海棲艦の影は一つもない。

 少しだけ酷い状態だが、誰かが戦って護らなければ、この町は跡形すら残っていなかったかもしれない。

 その誰かに私がなれたことが、嬉しかったのだが、少しだけ複雑な気持ちだった。

 

「――――それで、どうする?」

 町を見る私の横顔から何かを察したのか、妙に真剣味を帯びた声で妖精は尋ねた。

 

「え?どうするって何をですか?」

 

「この町は君のお陰で護られた。もうその力も必要ないんじゃないか?必要ないなら解体して、君を普通の女の子に戻すこともできる」

 それは…戦後の艦娘たちと同じ道だ。

 彼女たちは解体されて、普通の人間としての生活を送ったとされている。

 

「君の人生を戦いに費やす必要はない。海沿いは危険になるだろう。もっと内地の方で今まで通りとはいかないが普通に生活することもできる……どうする?」

 

 

 

 

 

「――――――え?私続けますよ、艦娘」

 私の答えは決まっていた。

 あの夢から覚めて、走り出したその時から。

 

「だって、私の夢に深海棲艦は必要ないですもん。戦ってはっきりと分かりました」

 希望。その光さえも飲み込もうとする黒い絶望。腕を掴まれれば引き込まれ声は形を持たず届かない。

 愛しい者の声が1つ1つ消えていく。果てのない闇の光。

 深海棲艦の中にあるのはその光だ。

 

「あれは、私たちの手で葬らなければならない存在だって」

 

 私たちの中にあるのは―――その逆だ。

 熱いくらいに温かく、どんな恐怖にさえ怖気づかず、声を辿り、その手を差し伸べる。

 何よりも、船は1人で動かしている者ではないように、艦娘である私たちは1人で戦っているわけではない。

 心は鉄の塊であった時から変わらない。愛する者の数だけ力を得る。

 

「もう、怖くないです」

 

「……そうか」

 

「もう一度、この戦いを終わらせてみせます。もっともっと大切なものを増やして、もっともっと強くなって、みんなを護って」

 スタートは切った。

 多くの支えがあって今ここに立っている。

 これから多くのものと出会ってこれから先も強く立って見せるために。

 

「『この世界に生まれてよかった』って、みんなが笑えるような世界を作りたいから」

いつか私の夢を叶えることができると信じている。

 そんな世界になった頃には、きっと私は彼女たちを知ることができるはずだ。

 なぜ、彼女たちが存在し、なぜ彼女たちが戦い続けたのか。その理由を完全に知るために。

 

「大事な人たちと一緒に笑って、日向ぼっこでもしながら、平和にお昼寝でもできるような、そんな世界を作りたいから」

 いつか訪れる平和を再び愛しい者たちと分かち合うために。

 

「私は艦娘を続けます!!続けさせてください!!」

 今は、ただ戦い続けてみようと思う。

 多くの理不尽にも、悲しい運命にも抗って、1つの「救済」を結んでいくために。

 

「ふふっ、君は彼女に似ても似つかないね。でも、どこか同じ温もりを感じる……」

 妖精は笑う。ちょっと意気込みすぎたかなと照れていたら、その眼は私を暖かく受け入れてくれた。

 

「いいだろう!だったら、刻め!!その名を、その勝利とともに、あの暁の水平線に――――」

 私の身体は鼓舞されて震える。

 気迫に満ちた声が、私の中にある芯に直接叩き込むように問いかける。

 その眼はしっかりと私と言う存在を受け止めるために瞬きさえ忘れ、この姿を捉えていた。

 

「……もう一度訊こう。この戦史に刻まれる君の名を」

 

 そして、時代は数奇な運命と共に巡る。

 

「私は……私は――――――――――」

 100年も昔の話。深海棲艦という脅威から人類を救った海の女神たちがいた。

 

「私は、特一型駆逐艦……吹雪型、一番艦」

 

 深海棲艦に勝利し、人類を勝利に導いた彼女たちは―――艦娘は伝説となった。

 

「私は吹雪型駆逐艦一番艦――――《吹雪》――――」

 

 そして、100年の年月を超えた今、彼女たちと同じこの青い海の上で

 

 

 

 

 

 

「私っ、がんばります!!」

 

 

 ―――――――私たちは伝説となる。

 

 

 

 

 

 

 

 




次話が第一章の終わりとなります。



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在りし日の記憶 EPILOGUE

 

「――――おい、あいつはどこに行った?」

 

「何か探し物があるとか言っていたのです」

 

「はぁ~、終わったんですし、早く帰りましょうよご主人様ぁ」

 

「探し物…一人で大丈夫でしょうか…?私もお手伝いに」

 

「あーあー、勝手に行動するな。あいつは放っておいてもいい…そういうやつだ」

 

 

 

     *

 

 

 

「……ここね、あの子の家は。最後の頼みの綱ね」

 町の中を駆け回り、その途中で薙ぎ払った深海棲艦の数はもう数えていない。

 駆逐級も軽巡級も私の前を遮る邪魔なものはすべて消し飛ばした。

 そこに焦りがあることは知っていた。余計な感情が戦闘に支障を来すことは重々承知していた。それでも、私はそうする他になかった。

 後悔が私を駆り立てる。あの時、どうして全力で殴ってでも止めなかったのかと。

 

「スイっっ!!いるの!?いるなら返事をして!!」

 あの子の家の戸を壊し、中へと入る。

 表から入ればそこは誰もいない静かな小料理屋だ。明かりもなく、人気もないこういう場所は死んでいるようにも思えてしまうから不思議だ。

 

 裏の方に回り、居住スペースの方へと向かう。

 よく出入りするから大体の間取りは頭の中にあった。彼女がいる場所にもおおよそ見当がついていた。

 と言っても、港に向かった彼女が一体どこに隠れているのかは全く見当が付かなかったのだ。港の付近には彼女がよく行く場所が多すぎた。その一つ一つを探していくのにかなり時間がかかったのだ。

 一番離れている記念館だけは逆に可能性が低いと考えた。

 あそこの扉はガラスに見えてかなり強固な素材を用いてある。女子中学生の腕力で割って入れるような場所ではない。あの場所には歴史的にも技術的にも重要なものが大量にあるので当然の警備ではあるが…

 なんだかんだあって、最後の最後に彼女の家まで来たのだが。

 

 居住スペースの方に来てようやく人の気配を感じた。

 とても静かに息を潜めている。ここまでかくれんぼが得意だったとは思えなかったが。

 二階にある見慣れた彼女の私室ではなかった。

 今の奥にある廊下の先、物置のように見えるその部屋から気配を感じる。

 古びた木の扉だった。軽く戸を引くとカチンと音がした。

 

「鍵がかかってる……ここに逃げたのかしら」

 この先は私も何があるか知らない場所だ。

 あの子の祖母の部屋と聞いたことがあるような気がするが、好きな時に入れるような場所ではないらしい。

 

「……あとで家の人には謝るわ」

 だが、事態が事態だ。

 鍵の部分をむしり取って扉をこじ開けた。

 艤装を折りたたんで、扉をくぐると本棚の並ぶ広い空間があった。

 部屋の中央辺りまで歩いていき、とても不思議な空気が流れているのを感じた。

 まるでここは時が止まっているかのような。

 

 書斎机の上にあった一冊の手記にふと目が止まる。古びて表紙に書いてある文字が読めなかった。日付のようなものに見えたが、とりあえず手に取ってみた。

 

『―――――○月○日、新たな「浸蝕域」が確認された。私は川内さんが旗艦の水雷戦隊に編成され、偵察に赴いた』

 

『沖ノ島付近に新たな敵艦隊の展開を確認。航空戦力はそれほどないが、強力な戦艦を数隻、中には「Flagship級」も確認した』

 

『深海棲艦との交戦には運よく至らなかった。川内さんがやや不満そうではあったが、私としてはほっとしている』

 

『―――――×月□日、私たちが偵察に行った「2-5海域」の攻略が開始された。主力艦隊は呉のみなさんで私たちは邀撃に回った』

 

『夜戦による奇襲は成功したらしく、その後払暁と同時に敵艦隊と交戦。見事に勝利を収めた。肝心の私は小破してしまったが、無事に帰って来れた』

 

 内容に目を通して私は驚いた。

 これは人間の書いたものではないことは誰が読んでも分かる。

 

「……艦娘の日誌、どうしてこれがこんなところに―――っ!?」

 

 手記を近くの机に置いて私は本棚に駆け寄った。

 背には日付が記されている。一回も途切れることなく、ずっと続いていた。

 徐々に日誌そのものも上質な冊子になっていき、保存も聞くようになっている。

 これを書いた者の身辺の変化がよく窺えた。

 

 適当に一冊引き抜いてページをめくっていく。

 

『―――――まさに地獄だ。こんな戦場になぜ私たちが立っているのかと何度も問いかけた。答えを返す者は誰もいない。満足に口を開けるものが誰一人残っていない。唯一小破で生き残ったのは私だけだ』

 

『司令官は優秀な方だ。それだけに随分と堪えるものがあったらしい。今は大本営が打ち出している《例の作戦》だけは避けなければならない。私たちは消耗品なんかじゃないと言ってくれた友のためにも、私が司令官を支えなければいけない』

 

『でも、鉄底海峡で思い知らされた。私は……弱い。私に守れるだろうか? 司令官が、みんなが―――到底無理だ。足が竦んで回避さえ忘れていた。あの時、助けてもらわなかったら私は沈んでいた』

 

『戦わなくちゃ…今度こそは』

 

 本棚に収め、少し離れると別の一冊を手に取った。

 

 

『――――帰投した私の耳に届いたのは凶報。一つの鎮守府が壊滅した。提督は殉職。さらにこの国の誇るべき機動部隊まで壊滅の危機にある。それほど恐るべき強敵が現れた』

 

『唯一、近辺の鎮守府に流れ着いた駆逐艦の証言によれば、機動部隊を壊滅させたのはたった一隻の駆逐級の深海棲艦だというのだから驚いた。後方支援に回っていた私に指令が出て、私は壊滅した鎮守府に向かうことになる』

 

『横須賀には友人がいるのだが、彼女も派遣されたらしい。その彼女が私を呼び出したのだという。派遣されるのは私一隻。本土空襲が起こったのを警戒して、ここにも戦力を残す必要があるのだと』

 

『顔を合わせるのは半年ぶりだ。少し楽しみな気持ちもある』

 

 

『――――不思議なものだ。これほどの相手を前にしてもちっとも怖くない。それが今日の感想だ。壊滅した例の鎮守府に訪れた訳だが、まだ少しだけ機能はしているらしく、それを完全に潰すために再度敵艦隊が襲撃してきた』

 

『迎え撃つのは私と、私の親友。敵艦隊は二〇〇を超える大艦隊。本格的にこちらを潰しに来ているが、彼女に背中を預けた私に絶望なんて文字は一切なかった』

 

『あぁ、思えば、こんな絶望的な状況が昔あった。あの時の私は弱かった。何もできずにただ誰かがどうにかしてくれることを待っていた』

 

『今は違う。私には夢がある。だから、負けられない。新規参入した補給艦の子も駆けつけていた。修理の手を増やすために工作艦も回されていた。そのお陰で戦い続ける事ができた。ドックに入らずに補給を繰り返し、小さな損傷は応急処置を繰り返して凌いで、ひたすらに海の上を走り続けた』

 

『とは言え、二度とこんな戦いはしたくない。死ぬほど疲れた。昔の人間の戦じゃあるまいし、たった二隻で二〇〇の艦隊に挑むなんて馬鹿げてると終わってから思ったが今度は守ることができた』

 

『まったく、無茶をする。私も、あの子も』

 

 

 当時の情勢だと、艦娘たちは英雄。

 その裏にあった都合の悪い事情はすべて消し去ろうとしたはずだ。

 艦娘には機密事項が多い。すべてが語り継がれてきたわけじゃない。

 彼女たちの手記もいくつか残っているが、大体どうでもいいことばかり書いてあるものばかりだ。もしくは、余程の活躍を記したものなど、彼女たちがいかに素晴らしい英雄であったかを記すものばかり。

 

 英雄の面子は守りたいという訳だ。

 彼女たちは敵に臆することもなく立ち向かい続けたのだと。

 

 今になってあの子の言葉の意味がはっきりと分かる。

 彼女たちの心を語り継ぐものは少ない。その心こそが戦争の真意にも拘わらず。

 残されたもの、語り継がれたものの真実性など当事者がいない限り分かりもしない。

 既に艦娘たちが伝説などと言う皮肉で呼ばれているこの時代に、真実を知る術などほとんど残されていない。

 

 ここには、記した彼女の心がはっきりと残されている。

 恐怖も不安も、勇気も疲労も躊躇いも呆れも、何もかも。

 

「よく守り抜いたわね…これほどのものを」

 

「ええ、これは私の宝物ですからねぇ……」

 背後からした声に驚いて、咄嗟に振り返る。

 

「随分と可愛らしい深海棲艦もいたものですねぇ…私の孫と変わらないくらいの年ですかね?」

 車椅子の上に老婆が一人。眼鏡の奥には優しい眼差しがあった。

 膝掛の上に一冊別の手記を置いており、それを私の見ていた棚に収めた。

 

「……生憎、私は深海棲艦じゃないわ」

 

「へぇ、じゃあその艤装は…なるほど、まだ残っていましたか」

 

「ここは何?どうしてこれほどの価値の高い資料が残っているの?」

 

「ここは何も、ここは私の書斎です。正確には私の祖母の書斎を受け継いだもの。その棚にあるものは全て、私の祖母が書いた手記ですよ」

 そう言いながら、コロコロと車椅子を転がして書斎机まで行くと、引き出しを開けた。

 部屋の中を見渡すと、入り口とは別に扉があった。

 あの部屋にこの老婆はいたのだろう。そう言えば、この部屋に誰かの気配があったのを忘れていた。

 

「じゃあ、あなたの祖母に当たる人物は艦娘だったということね」

 私は老婆の後を追って書斎机の前に立ち、そう尋ねた。

 

「ええ、その通りです。解体後、祖母は祖父と出会い結婚した。そして、私の母が生まれましたが……私を生んで間もなく早死にして、私は実質祖母に育てられたようなものなんです」

 

「実の艦娘からその武勇を語り継ぐ存在…」

 

「どれだけボケても祖母から語り継いだことだけは忘れません。そして、ここにある母の遺した生きた証は私の宝物…いいえ、人類の遺産です。さて、はたまた偶然か」

 

「……」

 老婆は引き出しの中から一枚の写真を取り出すと私に見せた。

 二人の少女がカメラに向かって微笑んでいる。一人は脚を怪我しているのか車椅子に腰を下ろしており、もう一人がその隣に寄り添うように映っていた。

 色褪せてしまっていて、決して鮮やかとは言えないが、そこには紛れもなく彼女たちが存在した記憶がある。

 

「私の祖母の隣にいるこの子は、あなたによく似ていますねぇ…」

 

「ええ、ホントね…あなたのお婆さんは…私のよく知る人にそっくりだわ」

 

「この写真は生前の祖母を移した唯一の写真です。艦娘の映像や画像は全て海軍に押収されてしまい、遺されたのは彼女たちの艤装の一部と、その武勇伝のみ。彼女たちの生きている様子は一つも残されていない。表情も声も、一つも残されていない」

 

 悲しげに、そして密かに怒りを織り込んで震える声は、強く私に訴えかける。

 

「彼女たちの心は何一つ語り継がれなかった。だから私は祖母が遺したここにある全てを護っているのです。いつか、誰かが本当の艦娘の姿を語り継いでいくために」

 

「逃げないでよくやるわね…それほど大切なこと?」

 

「ええ、戦争を知る者がいない時代となったからこそ。我々は平和に淘汰されてはいけない。彼女たちがその小さな手で何を掴み、何を護ろうとしたのか、本当の理由を知る者はこの世界にはほとんどいないでしょう」

 

「……それを知ろうとしている人を私は知っているわ」

 考えることは同じなのか。

 きっとあの子が艦娘好きになったのも、この人の影響だろう。

 彼女がここまで艦娘に取り入る理由はもしかしたらここから始まったのかもしれない。

 

 だとしたら、あの子は全て知っていたはずだ。

 艦娘が決して讃えられるような存在でもなく、美しい存在でもなく、歴史の陰でどれだけ闇に触れ、呑まれ、そのたびに足掻いてきたか。その命を賭してまでして、この世界で深海棲艦との戦いの他に、何と戦ってきたかを。

 そのすべてを知って、それでもあの子は艦娘を愛することができるほどの、優しい心がここには残っていたのだとするのならば――――

 

 もし、それをもっと早く私も触れることができたのならば…

 

 

「少しだけあそこにあるものを見てもいいかしら?」

 

「ええ、いいですよ。私の目の届くところであればどこでも」

 

 私は棚にもう一度近づくと日付順に並んでいた一番最後の冊子を抜き取って適当なページを開いた。

 

『―――――△月●日、この日を迎えられたことを本当に光栄に思う。幾多の仲間たちの想いが今日という日に結びついた。私たちの勝利を叫んだ日』

 

『膝から崩れ落ちそうになったのを白雪ちゃんが支えてくれた。嬉しいのに溢れ出す涙を堪えることができなかった。涙、今思えば私たちが流すはずのないものだ』

 

『それでも、私は艦娘として戦ってきたのだ。この二本の足で立ち、この手で多くの敵と戦ってきた』

 

『この目で多くの仲間の死を見てきた。この耳にはまだ砲撃や爆発の音が響いている。鼻には火薬の匂いや油の匂いが』

 

『本当に長い戦いだったと思う。この町にも随分と身が馴染んできた。私の第二の故郷だと思えるほどに、ここは私の帰るべき場所だった』

 

『楽しいとは言えない。きっと辛かった。苦しかった。でも、一度たりとも逃げたいとは思わなかった。私にも守りたいと思うものができた』

 

『なにはともあれ、戦いが終わった。これから先、この戦いのために生み出された私たちがどうなるのか、今はまだわからない』

 

『きっとあの鎮守府の提督さん主体で私たちの処遇は決められていく。不思議な気持ちだ。戦いの後のことなんて考えたことはなかった』

 

 この一冊を一日で書いてしまったのだろう。日付は一切変わることなく、ずーっと文字が続いている。時間を忘れて、これを書いた者と会話しているかのような気分になり、私は読み耽っていた。

 

『―――――思わず、ペンを走らせすぎてしまった。この日記帳も最後のページになってしまったが、戦いの終わりを締めるにはちょうどいい』

 

『私はこの海で生き、この海で戦った。そのことに変わりはない。私の艦生はそれに尽きる』

 

『それが私のすべてであり、艦娘として戦い抜いたその艦生こそが』

 

『――――私、駆逐艦《吹雪》の誇りだと。そのことだけはきっと、これからも変わらないはずだ』

 

『永遠に、この青い海に平和が訪れることを祈って、この日記を締めくくりたいと思う』

 

 

『私は、私たちは、ここに生きていた』

 

 

「ここに…ここにいたのね…吹雪」

 小さく呟いて、丁寧に日誌を閉じ棚に戻すと、私はスイの祖母を見た。

 

「…それでお婆さんはここに残っているつもり?連れていくわよ、海軍の下まで」

 

「ええ、家族がいずれ戻ってくるその時までねぇ」

 

「そう、私まだ人探しの途中だったわ。お邪魔したわね」

 私は背を向けて、小さく手を振りその場を去ろうとした。

 この老婆と同じ空間にいると、不思議とあの子を思い出したのだ。

 もう少しだけ足掻いてみよう。きっと会えるはずだ。

 

「―――名前くらい残していきなさい。鍵を壊したことはそれで忘れてあげることにしますよ」

 

「名前…?そうね、どっちがいいかしら?」

 

 ふと、脳裏を過ったのはあの子の顔。全くこんな化物が好きだなんて馬鹿みたいだ。

 でも今はあの子が好きな―――艦としての名前を語るのも悪くはない。

 

「ふふっ、そうね。私の名前は―――」

 あの子が愛する艦娘などという陳腐な存在に与えられた鋼の意思の名を。

 

「吹雪型特型駆逐艦五番艦―――《叢雲》よ」

 

 

 

 第一章「艦娘が伝説となった時代」           -終-

 

 

 

 

 

 




えーっと、ちょっとだけ長ったらしいあとがきを書きます。

初投稿の作品でしたがいかがでしたでしょうか?
簡潔に内容説明や経緯、自己評価などをここで書かせていただこうと思います。

まず、この小説は元々台本式SS用に作ったもので地の文は一切ありませんでした。
それを小説として投稿したために、少し無理やり地の文を当てたところがあり、ちぐはぐな分になってしまったところが多かったかもしれません。申し訳ない…

作成に当たっては世界観を「一つの艦娘の戦いが終わったその一〇〇年後」という舞台にしています。そのため、「以前の艦娘の戦い」に関して、筆者独自設定の歴史があり、やや現代と矛盾するものがあったかもしれません。いずれ、以前の戦いについても書かせていただこうと思います。

どういう経緯で思い付いたのかと言いますと、提督の友人とのちょっとした談議の中でどんな艦これの物語を作るか、という話題がありまして「艦娘の戦いが終わった遥か後の時代に一人の少女が偶然見つけた艤装を使って、突然現れた深海棲艦と戦う話」と言うのが一つ上がり、それが妙に頭から離れず、とりあえず文にしてみました。

本当はどこにも投稿する気はなかったんですが、その友人に「上げれば?書いたのにもったいない」と言われて、投稿することにしました。結構、楽しかったです。

さて、気になっていた方もおられたかもしれませんが、主人公とその親友の名前の由来です。かなり、適当ですので「へえ」程度に収めていただくといいのですが…
彗:吹雪からとろう→ユキは安直なので「吹」を使おう→音読みで「スイ」にしよう→文字を適当に当てて「彗」。なんとなく名前っぽいしいいか
楽:叢雲からとろう→どっちの文字も音も使いづらい→「むらくも」の「らく」を使おう→文字を適当にあてて「楽」。某ハーレム漫画にもいたし名前っぽいからいいか。

以上です。モブのみなさんに関しては、その時の思いつきです。適当ですみません。
と言うのも、元々SS用でしたので「少女」「友」という感じに付けてました。それを名前にした方が地の文がいくらか自然だったので、適当に名前を付けた次第です。

勢いだけで書いたのに勢いがなく、中身が絶妙に薄い仕上がりとなっていたと思います。ついでに艦これタグ詐欺も発生した上に、コンセプトである「艦娘が過去の存在となった」という点があまりないように現れてないような気もして、筆者本人としての評価はかなり低いです。ですが、とにかく最後まで書くことが大事だと言われましたので、最後までやってみようと思い、二章「始まりの五人」も用意しております。
また時間があったら、投稿させていただこうとおもいます。

最後になりますが、目を通していただきありがとうございました。



あっ、ちなみにゲームの方での初期艦兼嫁は叢雲です。

ありがとうございました。






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第二章 「始まりの五人」
世界か、君か―――PROLOGUE


 

《私が初めて目を醒ましたのは、真っ暗な部屋だった――――》

 

 

 

 100年前、人類は深海棲艦との生存をかけた戦争を行っていた。

 しかし、人類の持つ兵器は全く深海棲艦には効かず、序盤は人類は一方的に嬲り殺され、駆逐されていき、世界の人口は一気に減少した。それこそ、滅んだ国もあったらしいし、上陸を許し、街そのものが跡形もなく消し飛ばされたか、深海側の手によって基地に作り替えられたり、人類が築き上げた彼らの生存権は次々と黒く染め上げられていった。

 

 数多くある島国の中でも先進国であった日本国は周囲が海であったため、深海棲艦との戦いはまさに国家の存亡を賭けたものであった。だが、同時に全てを包囲されることもなく、上手くやれば、どこにでも海と繋がることができるという利点と、それを可能とする技術が少しだけ生きていた。

 

 そして―――希望を生む最初の計画が遂行される。

 

《マルロクイチ計画》―――別名「第一建造実験計画」。

 

 人体をベースとして深海棲艦に対抗できる可能性のある仮説を基にした実験により、脅威に対抗しうる存在を作り出す計画。

 その仮説こそが「深海棲艦は大戦時に沈んだ戦船の負の感情が形を成したもの」という突拍子でもないものであったが、その存在が艦隊行動をとることやこれまでの発生地点などを元に提唱されたこの仮説は、見事に的中した。

 

 年齢層は広く八歳の孤児から、三〇代の死刑囚。性別は男女ともに関係なく。

 人類は追い詰められていた。もはや倫理など失われた実験。異を唱えたものは非道的に抹消されていき、国家でさえそのことを肯定した。無論、反対する者も多かったのだが、国民の大半、いや国民どころではなく、地球市民のほとんどが、この実験計画に賛成したのだ。

 

 結果、被検体五〇名―――――成功、十四歳少女一名。

 

 後の建造ドックの前身となる装置から目覚めた彼女は、名前を聞かれてこう答えた。

 

 吹雪型駆逐艦、《叢雲》である、と。

 これが世界で最初に誕生した深海棲艦に対抗する希望であり、最初の艦娘であった。

 

 

 ―――――と、言うのが艦娘史の始まりだ。

 

 この実験、艦の記憶と魂を身体に定着させるだけなどと言う簡単なものではなかった。

 当時の技術すべてを人間一人の身体に押し込んだのだ。彼女の身体を調べれば当時の科学技術すべてがどの水準にあったのかが分かるくらいに。

 そのせいで、性能はぶっ飛んだものとなった。

 速度、機動性、航行性能、規格外。消費資源は大和型並み。

 対人近接戦闘は負けなし。砲撃訓練雷撃訓練、すべて命中。

 

 在りし日の戦船が人になったどころの性能ではなかった。逆にこの艦娘を船にして大戦期に送り込めば無双できるほどのチート性能だった。

 

 当然デメリットもあった。消費資源のこともあったが、後の技術に付いていけなくなった。例をあげると、後に開発された「高速修復材」が彼女には機能しなかった。

 

 そんなデメリットを背負いながら、色々とあった彼女は一人の提督を育て上げる。

 その代償として両脚を失い、半生を車椅子と義足の生活に捧げることになったのだが、彼女が育て上げた提督はすこぶる優秀だった。

 

 結果として、終戦までに最も功績を上げ、人類の勝利に大きく貢献した。

 

 

 

 そろそろ、なぜ私がこんな話をしているか教えよう。

 この提督と叢雲が私の家系の祖だからだ。そのせいで私の家系は代々海軍に属する者を輩出し続けてきた。祖父は引退し、今は父と私の兄が従軍している。

 

 そして、私は――――艦娘だった。それは生まれた時から。

 いや、私は少し特殊だった。非常にややこしい話なので簡単には説明できないのだが、終戦時に連合艦隊総旗艦であった叢雲は、今後の未来を危惧していた。

 全ての深海棲艦を葬り去った。そして、今この力は必要ない。艦娘はみな解体されるべきだ。

 

 ――――それが本当に正しい判断なのか?

 そして、私の一族は一つの役目を背負うことになる。

 それが「代々、艦娘を生み出す役目」だ。いわゆる、巫女のようなものだ。

 この世界と艦娘の存在を決して断つことなく、結びつけておく役目。

 具体的には、妖精の召喚と観測。深海棲艦の発生を知らせる存在、などなど。

 理由は多くあったが、とにかく私は生まれた瞬間から艦娘だったのだ。しかも、父と母の遺伝子から生み出されたのではなく、初代叢雲のクローンに近い方法で生み出された。

 それは初代が、元々人間だったからだ。あくまで私は人間社会で生きる。そのことだけは重要視された。だから、私は自我こそ確立していたが、赤ん坊の状態で生まれ、普通の女の子のように成長した。何より、艦の記憶というものがそれほどなかった。

 思い出そうとすれば確かにうっすらと覚えているのだが、記憶に飲み込まれると言ったとはあまりなかった。

 

 生まれた瞬間から自分の生き方を決められ続けた私は相当荒れていた。

 艦娘が何か。艦隊運営が何か。戦略・戦術論、防衛論、云々。

 加えて先代譲りの髪色だ。多少顔立ちはよかったが、当然奇異の目に触れた。

 

 小学校に入った頃は酷かった。

 私の髪の色を馬鹿にした男子を病院送りにした。一気に札付きになった。異性の友達はおろか同性の友達さえできない上に上級生に目を付けられ、散々な学校生活になるだろうと思ったのだが、そんな私にも運命の出会いとやらがあった。

 

 休み時間は基本的に図書館にいた。外で遊ぶにも遊ぶ相手がいなかったし、ここで争い事を起こそうとする者はいなかった。私が来ると少しざわつくのだが、比較的に静かで落ち着く場所だ。

 で、その日は何の気紛れか、私は艦娘についての本を読んでいたのだ。確か「妖精のひみつ大特集」などという変な本だったが、実は私はそういう力があるとは言われてきたが、妖精を見たことはなかった。

 それで、そんな変な本を読む者は私くらいかと思ったが、それを読んでいて食いついてきた人物がいた。

 

 それが、彗だった。

 

 曰く「自分以外に読んでる人を初めて見た」とのことで食いついてきたのだ。

 右手には「艦娘マル秘研究ノート」と慣れない漢字を頑張って書いたらしいノートを持っていたのをよく覚えている。

 

「ねえねえ、シンカイセイカンって何を食べると思う?」

 そして、唐突にこんなことを聞いてきた。私が同類とでも思ったのだろうか?

 

「てつを食べるらしいよ!!知ってた!?」

 当然知っている。前回の戦争でどれだけの民間船が食い散らかされたことか。

 

「でね!にんげんのからだっててつを持ってるんだって!つまりね、シンカイセイカンってにんげんも食べるのかな?」

 

「ぶふぅ!!」

 こんな感じで噴き出した。今考えれば噴き出すようなことでもなかったのだが、不意打ちだったというか、女子小学生の考えることじゃない。

 一気に視線が集まって恥ずかしかったし、とにかく私はこの場から離れたかった。それで席を立ったのだが、仲間を見つけたと言わんばかりの視線を突き刺しながら私に付いてきて、延々と艦娘の話をしてくるものだから、途中で足を引っかけて転ばせた。

これで終わればよかったのだが、次の日私の教室に来た。

 

「どうしてそんなに艦娘が好きなの?」

 

「んー?かっこいいから!!」

 本当に純粋だ。本当はどんな存在だったかも知らずに。

 

 それで札付きだった私に絡むものだから当然目を付けられた。以前伸してやった上級生に掴まったのだ。しかも、仲間も大勢。体格差もあり、まとめて相手するのはとても面倒だった。 特に何も考えずに主犯の奴をもう一度伸してやり、スイを奪還すると一目散に逃げた。

 手を掴んで必死に走った。とにかく逃げ切れば勝ちだった。

 

「あんたもう私に関わるのやめた方がいいわ」

 そう忠告しようと思った瞬間、詰め寄られた。目をキラキラ輝かせて、

 

「すごいよ!!とってもかっこよかった!!カンムスみたい!!」

 

「あんたっ、自分がどうなったか分かってないのっ!?」

 

「あのくらい大丈夫だよ。わたしはカンムスになるから、あのくらい平気。それよりラクちゃん!どこであんなに強くなったの?」

 

「…バカなの?」

 

「えっ?酷い!!」

 

「ホントにバカね…ホント…ふふっ」

 

「ん?なんで私笑われたんだろ?まあ、いいや。それよりね、せんすいかんのせんこううぎじゅつはね―――」

 

 

 

 

「ねえねえ、ラクちゃんは優しいね」

 

「はあ?あんた何を見たらそう思えるのよ」

 

「わたしのお話しちゃんときいてくれるのラクちゃんが初めて。みんなつまらないってきいてくれないから」

 

「……あんた友達いる?」

 

「ううん、でも寂しくない。わたしにはカンムスがいるから」

 

「そんなに万能じゃないのよ、艦娘は……」

 

「……どうしてカンムスって生まれてきたんだろうね?どうしてカンムスは戦いつづけたのかな?なんのために?そういうふうにつくられたから?ううん、それはちがうと思う」

 その通りよ、絶対。そういう風に作られたのよ、艦娘という化物は。

 

「だいすきなひとがいたのかなぁ?」

 

「は?」

 

「カンムスはきっとだいすきな人にずっと笑ってほしかったんだと思う。ずっとその声をききたかったんだと思う。だから、とぎれないようにその声がずっととどきつづけるように。海の底にしずんでしまわないように」

 そう語るあなたの横顔は不思議なほどに穏やかで、

 

「いつか、平和になったせかいで、だれかといっしょに笑いたいから」

 

 悲しいくらいに純真無垢で

 

「それにね、カンムスのぎじゅつはすごいんだよ!今はつくれないみたいなんだけどもしつくれたら何かのやくに立つかも!」

 

 私が穢れていると思えるほどに、

 

「これってせかいまもれるよ!カンムスになれるよ!!」

 

 眩しかった。

 

「ねえねえ、ラクちゃんも笑いたいんでしょ?」

 

「え?」

 

「だったら、わたしがカンムスになってラクちゃんが笑えるせかいにする!!」

 

 艦娘はそんな存在じゃない。戦うためだけに生み出された存在だ。

 ただ、人間が自分たちの将来を護るためだけに生み出された残虐非道の結集なのだ。

 倫理も道徳もない血と涙の世界に生まれた―――

 

「そうね、楽しみにしてるわ」

 

「あっ、ラクちゃん笑った!わたしカンムスだぁぁぁああ!!」

 現実なんてどうでもいい。事実なんてどうでもいい。

 ただ、伝説と成り下がった彼女たちの姿を追いかけて、目の前にいる子の少女がどんな未来を描くのか。艦娘と同じように平和のために犠牲となるのか。それとも……

 

 家族以外の誰かと二人きりでこれほど長い時間を過ごしたのは、多分初めてだった。

 

 

 

 あの子の夢はいつも非論理的だった。突拍子もない仮説を立てては夢を語る。

 でも、いつも心に触れようとするあの子の思いは真っすぐだった。

 もしかしたら…もしかしたら、艦娘の本質は私が知っているようなものではなくて、あの子の方が私よりずっと艦娘らしいのかもしれない。

 

 ただ一心に「愛するものを護りたい」という想いこそが艦娘の本質なのかもしれない。

 

 

 私は彼女の行く末を見守りたいと思った。

 この娘こそが艦娘の守った未来を、次の未来へと繋げていく存在なのだと信じていた。

 気付けばいつもあの子の側にいた。誰も耳を傾けないであろう彼女の言葉に耳を傾けて彼女が描く未来地図に私も心を馳せていた。

 あの子はよく笑った。私もつられてよく笑うようになった。

 そのお陰で少しずつ周囲とも打ち解けていった。

 級友と言葉を交わすことも増え、逆に拳を握ることは減っていった。  

 とても些細な出会い方だったのだが、私の人生にはとても大きなものだった。

 

 それでも、時々本音が出そうになる。楽しそうに話す彼女の口から「艦娘」という言葉が出る度に胸が騒ぐ。ついついきつい言葉を吐いてしまうが、常日頃から少し口調がきついからか、あの子はあまり気にしない。あの子がそういうのを気にしない質であったのも幸いしたのだろう。

 でも、彼女の夢を否定する度に、私の人間の部分が少し痛んでいく。

 

 この頃から妙な感覚を感じるようになった。

 突然、意識が変な方向に飛んで夢を見るようになったのだ。

 それは海上を走る自分の姿。青い海は突然途切れ、深海の闇に似た黒が広がる。

 空は暗雲が立ち込めて、頬を撫でる風は生暖かい。

 そして、現れる黒い影。こちらに向ける悪意に満ちた赤い目は、私の心臓を握り潰すほどの威圧を私の身体に突き刺した。

 

 そして、目が覚める。

 いつも記憶に特に支障はないことから、ほんの一瞬の間にあの映像を見ているのだと察した。

 誰から答えを与えられたわけでもない。

 この身体に染みついた魂の記憶が答えを知っていた。

 先代の予感は当たっていたのだと――――

 

「艦娘は平和の犠牲になった」

 どれだけあの子を傷つけたか分からなかった。でも、彼女の未来を決めるにあたって、現実から目を背けさせ続けてはいけない。真実を継ぐ者としていつか彼女に全てを知らせなければいけない。

 決して美しい世界ではないことを。

 

「私、艦娘になる」

 初めて会った時のことを思い出した。

 全く変わらない。馬鹿がつくほどの純粋な目でそんなこと言われたら、もう何も言い返せない。誤魔化すように席を立ってしまった。

 

 

 海軍は早急に準備を始めた。

 深海棲艦の強襲に備えたシミュレーションは極秘に行われており、艦娘を作り出す技術の復元もある人物の協力があればすぐに行えることであった。

 だが、そのある人物が協力を拒んだ。

 

 まあ、私なのだが。

 

 艦娘の建造に不可欠な妖精と言う存在。私と言う存在がこうして現代にも残されているのは、艦娘が唯一妖精と対話し、彼らを召喚する力を持っているからだ。

 私は妖精を呼び出すことを拒んだ。

 私は艦娘になることを拒んだ。

 

 だが、私があの夢に魘されることは日を追うごとに増えていった。

 夢を見なくても、胸騒ぎを感じるようになった。

 

 そして、とうとう漁協組合が浸蝕域のことに気が付いた。もはや、海軍がこれ以上水面下で何かを行うのは限界があり、公に行動を起こすしかなくなっていった。

 

 私は妖精を召喚した。

 その瞬間に私は艦娘としてのすべての力を得ることとなった。

 妖精は艦娘である私の指示の下で、早急に建造技術の復元を行った。

 そして、三人の艦娘が建造された。

 

「私は戦わない」

 役目が終わると、私は父にそう言った。父は何も返さなかった。 

 

 私はこの国のために、この世界のために戦うつもりは一切ない。たとえ、この身を艦娘などと言う悪魔に売り渡したとしても、私が護る者はただ一つだ。

 栄光なんていらない。名声なんていらない。

 私が護りたいものは、あの日私に初めて夢を見せてくれたあの子が作る世界。

 

 艦娘が守り、作り出した平和な世界なんて必要ない。

 私のすべてをあの子に捧げよう。不確定な未来に投資しよう。どんな手段を使ってでもあの子だけは護り抜く。たとえ、父と敵対することになったとしても。

 

 私が護るべきものは、世界か、それともあなたか。

 答えは私の中でとうの昔にできていた。

 

 

 私は艦娘が嫌いだ。

 

 こんな不完全な艦娘として生まれてしまった、私が嫌いだ――――

 

 

 

 

 




少しずつこの作品の世界観も出していきたいと思い、この話を第二章の始まりとして持ってきました。


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忘却

前回までのあらすじ

艦娘が伝説になった世界
一〇〇年前に深海棲艦との長きに渡る戦いが終戦。
全ての艦娘が解体され、語られるだけの存在になった世界。

平和が訪れた世界で突如『黒い海』が出現し、深海棲艦が襲撃する。
艦娘オタクの少女、彗は自分の町が深海棲艦に襲撃され、謎の妖精に救われる。
この町を妖精と協力して守ろうとし、向かった艦娘記念館の地下でかつての工廠の装置を見つける。
少女は妖精の手で「改造」を受け艦娘、駆逐艦《吹雪》となり、深海棲艦を撃退する。



 

 

 港前の広場。海軍により保護下にあった人々はそこに集まり、やってきた補給艦から必要なだけの支援物資を受け取る作業をしていた。その集団の中に私は目を走らせた。

 

「――――あっ、お父さーん、お母さーん!」

 その姿を見つけるや否や、私は大きく手を振って2人に叫んだ。

 2人は色んな人に何かを聞きこんでいるらしかった。恐らく、私の事だろう。

 そんな2人が私の声に反応して、周囲を見渡した。そして、母の目が私に止まる。

 

「―――ッ!!あなた!!」

 

「……っ!!」

 人ごみを掻き分けて父がこちらへと走ってきた。

 正直どんな顔を向ければいいか分からずに、申し訳なさげに笑みを浮かべていたのだが、父は走った勢いを抑えながら私を強く抱きしめた。

 

「うわっ!ど、どうしたの?」

 

「どうしたじゃない!今までどこにいたんだ!?心配したんだぞ?」

 あぁ、まあ、こういう事になることは分かっていた。私が言うのもなんだが子煩悩な父の目からこんな事態で離れていたのだ。

 遅れて追いついてきた母も父と入れ替わり私を抱きしめると、目尻に浮かべた涙を拭いながら私の頬を撫でた。

 

「海軍の方に訊いてもあなたみたいな女の子は救助リストにはいないって……でも、無事でよかった」

 

「よかった……とにかく無事でよかった!!今までどこに隠れてたんだ?」

 

「え、えーっと……か、艦娘記念館に」

 その言葉を聞いて、父は驚いた顔をした。

 

「艦娘記念館だとっ!?あそこは港に近いじゃないか!!危なくなかったのか!?」

 

「ど、どこに逃げればいいか分からなくて、ほ、ほら!あそこには地下シェルターがあるから」

 

「地下シェルター?そんなものがあそこにあるの?」

 

「あ、あるんだよ!あそこは元々海軍の施設だったから……ほ、ほら、私艦娘についていろいろと調べてたから、あの施設は特別頑丈にできてるんだって。警備の都合云々で」

 二人は途中まで信じられないような顔をしていたが、その表情も徐々になくなっていった。

 その話を聞いて、父は厳しい表情を崩してフッと笑った。

 

「まさか、お前の趣味が幸か不幸か、お前の身を救うことになるとは」

 

「ええ、艦娘さんたちには感謝しないといけないわね。ところで、疲れてる?まだ少し動けそう?」

 

「え?う、ううん。地下シェルターは静かだったから、昨日はぐっすり眠っちゃって」

 嘘である。実はあの後、倒れかけるくらいに疲れてた。

 寝てはいないのだが、あの施設にあった入渠ドックを妖精が使える状態にまで戻していてくれた。

 不思議なことに浸かると疲れが抜けていくのだ。30分も経たずに頭も体もすっきりしていた。

 

「それなら、手伝ってちょうだい。婦人会のみなさんで炊き出しの準備をすることになったの」

 

「動ける若い者が働かないといけない。私もお前を見つけたら、手伝いで動き回る予定だった」

 

「とりあえず、一旦使えそうな道具を取りに家まで戻ろうと思うの。危ないから海軍の人に着いてきてもらってね」

 確かに私の家は小料理屋だから、何か使えるものがあるかもしれないが。

 いや、そもそもこんな時に自分たちで炊き出しをやるのか……

 

「そ、そうなんだー……うん!頑張る!」

 突然大きな声を出してしまい、父は肩をびくりと跳ねた。

 

「お、おう……いつもに増して元気がいいな。本当に大丈夫か?」

 

「え?そうかな?」

 

「元気なことはいいことじゃない。じゃあ、あなた。頑張ってね」

 母は父と違ってニコニコと笑っていた。先程までの心配していた様子はない。いつもの母だ。

 

「ああ、行ってくる……スイ、母さんを任せたぞ」

 

「はい!」

 大きな声で返事をして、父は港にある倉庫の方に走っていった。

 

 ……ふぅ、なんとかごまかせたぁ。

 大きく息を吐いて、肩に入っていた力がすーっと抜けていった。

 打ち合わせ通りに嘘半分本当半分織り交ぜて上手く誤魔化す作戦は成功した。

 

 

 

     *

 

 

 

「君が艦娘であることは誰にも打ち明けない方がいい」

 ドックから出てきた私に妖精はそう提案した。

 

「え?何でですか?」

 

「両親や友人が君の心配をするだろう。彼らを納得させるだけの材料が足りない。君は戦場に行くのだ。軍の兵士たちと何の変りもない。戦場に我が子を送り出すのはこの時代の親には酷だろう」

 

「あっ……」

 

「それと、これに着替えたまえ」

 タオルを巻いていた私に妖精は私の学校の制服を取り出した。

 

「あっ、私の学校の制服……どうして?」

 

「親の元に戻って服装が変わっていたら怪しまれるだろう?石油から繊維を作って合成した」

 

「は、はぁ……なんか妖精さんって万能すぎませんか?ずるいです」

 この謎の存在には不可能と言う言葉はないのだろうか?

 今まで黙ってみてきたが、建造ドックを別の装置に作り替え、たった一人で私を艦娘にして見せた。

 

「いいから黙って着替えたまえ。君には注意しておくべきことがいくつかある」

 

「はーい……」

 妖精に対する謎が増える一方であることに頭を悩ませながらも、とりあえず手渡された制服に着替えた(下着まで完璧に復元されていたのは触れないでおこう)。

 

 その後、両親や友人を誤魔化す術について妖精から教授した。

 記念館に地下シェルターがあったことにする。その存在について詳しく知らない者には、付け加えて元々海軍の施設だった、と言うことを伝えればいい。私はそういうのを調べ尽していることを両親も知っているので突き通せる。

 そこで寝ていたとでも言えば、昨晩のことは大体隠し通せる。

 と言っても、私はあまり嘘を吐くのは苦手だった。演技もうまくいくか分からない。

 

 だが、妖精さんの言う通りにやって隠し通せてよかった……。

 

 

「―――イ、行くわよー」

 でも、注意することが多すぎるんだよね。いちいち言葉に注意しないといけないの大変だ。

 

「ちょっとスイ、聞いてるの?」

 

「うーん……」

 さて、問題はもし海軍にどこにいたのか聞かれることになった場合だ。

 私は昨晩行方不明と言う扱いになっていたはずだ。もしかしたら、私の消息が判明して海軍が聴取に訪れるかもしれない。

 

 

「――――スイっ!大丈夫なの?」

 

「わっ!え、えっ?私?」

 突然、耳元で大きな声で叫ばれ、私は大きく横に飛んだ。

 困惑しながら辺りを見渡して自分の身に何が起きたのかを把握した。

 少し、顔に皺を寄せた母の顔を見つけた。私に歩み寄って、

 

「ずっと名前を呼んでたのに気づかないなんて……本当は疲れてるんじゃないの?」

 そう言われた。全く気が付かなかった。

 ここで要らぬ心配をかけてはいけない。私は笑って、

 

「う、ううん!私は大丈夫だよ!」

 と誤魔化した。母は少し怪訝な顔をしたが、頭を撫でながら、

 

「本当に?だったら、いいけど……ほら、急ぐわよ。海軍の方を待たせてるから」

 

「うん……」

 母の後に付いていきながら、私はまた頭に悩みを抱えていた。

 一体、さっき私に何が起こっていたのか。あの距離で名前を呼ばれれば普通気が付くはずだ。母の言う通り、本当は疲れているのだろうか?昔から一度集中したら、なかなか周りに意識が回らなかったが、それほど集中していたつもりもない。

 

 名前?

 

 あれ……?私、今自分の名前を忘れてた……私の……名前?

 ちゃんと覚えてるんだけど、時々もやがかかるような。変なノイズが走って邪魔をする。これは何だろう?

 

 気をつけなきゃ……大切な名前なんだから。

 

 

 

     *

 

 

 

「――――――おじさん!!」

 倉庫の方に向かうと私は見慣れた顔を見つけた。汗を拭って駆け足で友人の父親の下へと向かった。

 大きな箱を抱えて歩いていたが、私の声に気付いて足を止めてくれた。

 

「おっ、楽ちゃん。どうしたんだい?って、そのセーラー服は何だい?」

 

「これは……少し父の手伝いを」

 そう言えば、今はこの格好なのを忘れていた。何分、慌てていたものだから着替えてくるのを忘れていた。

 まあ、今はそんなことはどうでもいい。

 

「ああ、そう言えばお父さんとお兄さんは海軍で仕事をされてるんだったね。助かったとお礼を伝えてもらえるかな」

 

「は、はい……じゃなくて、あいつは!?スイは大丈夫なんですか?」

 尋ねると、申し訳なさそうに頬を指で掻くと、

 

「ああ、うちの子か。いつもお世話になってるね。さっき、ひょこっと帰ってきたよ」

 その言葉を聞いて、一気に体から力が抜けた。今まで気が付かなかった早まっていた鼓動をはっきり感じるほどに落ち着いて、それが普通に戻っていくまで徐々に冷静さを取り戻していく。

 

 深く息を吐いて胸を撫で下ろす。その様子を見て、スイの父親はホントに申し訳なさそうに笑った。

 

「無事……無事なんですね?よかった……でも、一晩中どこに隠れてたんですか?」

 

「それが、港の方に艦娘記念館があるだろう?あそこに地下シェルターがあったらしくてそこに隠れてたんだとさ」

 

「艦娘記念館?地下シェルター?」

 確かにあそこなら……でも、どうやって入ったのだ?

 あそこの警備は厳重に行うように軍から言い渡されている。艤装や資料はかけがえのない記録だからだ。

 忍び込む場所もないはずだ。正面の扉のガラスも特殊な強化ガラスを用いてある。

 だから、あの場所はないと省いたのだ。

 一体、どうやって…?

 

「心配かけてごめんね。じゃあ、お手伝い頑張ってね。私も物資の運搬の手伝いがある」

 今はどうやって生き延びたかは考えないでおこう。

 とにかく私は、生きているあいつに会いたかった。

 

「あ、あの、おじさん、あいつは今どこにいますか?」

 

「妻と一緒に家に戻ったよ。うちは小料理屋やってるからね。いろいろと使えるものがあるから取りに向かった」

 あの子の家か…ここから行けば結構距離があるし、入れ違いになるかもしれない。

 私も暇なわけじゃない。今すぐ会いたいのだが、与えられた時間でこの用事を済ませるのは難しい。

 仕方がない。後で広場の方を訪れよう。婦人会の手伝いをしているのなら、会えるはずだ。

 

「ありがとうございます。それと……」

 

「ん?どうかしたかい?」

 

「一発だけあいつをぶん殴ってもいいでしょうか?」

 散々心配かけたんだ。今度こそ、ぶん殴らせてもらおう。それでちゃらだ。

 仮にもか弱き乙女を殴るのは、父親として複雑だろう。だから、許可を一応聞いた。

 スイの父親はよく私を知っている。それを悟ってくれたのか、少し仕方なさそうに笑って、

 

「……傷が残らないようにお願いするよ。随分と心配をかけてしまったみたいだね」

 そう言って、小さく頭を下げた。

 

「はい、お邪魔してすみません」

 

「いいよ、これからもあの子をよろしく頼む」

 足元に置いていた大きな箱をもって、倉庫の中へと入っていった。

 

「……」

 私は来た道を引き返した。

 残念なことに、兄に協力を頼んだために、私には貸しができてしまった。

 そのために今から少しこき使われることになるだろう。

 そもそも、父に発破かけた私が悪いのだが……

 

 とにかく今は…無事でよかった。そのことだけで十分だ。

 

 

 

     *

 

 

 

 

「よかった、お婆ちゃんもみんなも無事なんだね」

 祖母の姿がずっと見えず、私は堪らず母親に尋ねたのだが、どうやら家に隠れていたのを海軍に保護されて公民館に送られたらしい。

 

 と言っても、見つかったのは朝方で頑固に動こうとしなかったらしく、海軍の方たちも首を捻ったらしい。

 

「ええ、海軍のみなさんのお陰ね。少し怪我をした人はいたみたいだけど、死者がいなかったのは本当に幸いだったわ」

 

「……よかった。みんなを護れたんだ」

 そう小さく呟いた。

 私は今更ながら、達成感というものが湧きあがってきた。

 私は護ることができたのだと。この町を、大切なみんなを全て守ることができたのだと。

 少なくとも、艦娘になれてよかったのだと。

 

「これと……これと……あった!とりあえずはこれだけあれば大丈夫ね」

 

「お母さん、しばらくここには帰れないのかな?じゃあ、持っていきたいものがあるんだけど」

 今後のことは私にも分からなかった。湾岸の方は家屋が結構破壊されてしまい、とても居住できるような状況ではなかった。

 私の家は少し内地の小高いところにあったため、被害こそなかったが、住民は海軍の保護下に置かれる可能性がある。

 要は住居の倒壊などの二次災害を防ぐために目の届くところに海軍側としてもおいておきたい、それに町の状況をまだ完全に把握できていないうちには安全とは断言できない。

 海軍による調査が行われた後に家がある人は家に帰れるだろうが、それまで数日かかるだろう。

 

「そうねぇ……急いでとって来なさい。あまり多くはダメよ?」

 

「うん、ちょっと待っててー」

 居住スペースの方に向かい、二階にある私の部屋に駆け上がった。

 勉強机の本棚にある一冊のノートを引き出して、その表紙をまじまじと見た。

 

「えーっと、確かこの辺りに……あった。これこれ!」

 汚い文字で『艦娘マル秘研究ノート』と書かれたノート。これには私が考えた「艦娘の謎に対する考察」が綴られている。つまり、私が抱いてきた多くの疑問に対する私の仮説が記してある。その根拠となる文献のコピーなども挟み込んだり、貼ったりしてるのでかなり分厚くなってるが。

 

「よしっ、これでいいや……あれ?」

 階段を下りていき、お店の方に戻ろうとしたとき、ふと私の目にあるものが止まる。

 廊下の奥にあるお婆ちゃんの書斎。なぜか扉が開いている。

 

「なんでお婆ちゃんの書斎の扉が開いてるんだろう?」

 そう言えば、ここにお婆ちゃんは隠れていたとか聞いたような。

 それにしても鍵もかけずに出ていくだろうか?お婆ちゃんは外出するときは必ずここには鍵をかけていく。

 

「荒らされてる様子はないけど……お婆ちゃん閉め忘れたのかなぁ」

 中を覗いてみたが、本棚の本は綺麗に収納されており、几帳面な祖母の性格を表すようなきれいな部屋のままだった。

 とりあえず、扉だけでも閉めておこうと手を掛けた時に私の手は空気を掴んだ。

 

「あれ?……鍵が壊されてる。どういうことだろう?」

 突然私は怖くなった。もしかしたら、誰か隠れているのかもしれない。

 急いで扉を押して閉めると、お店の方へと戻り、母の下へと駆け寄った。

 

「お母さーん、お婆ちゃんお部屋の鍵が壊れて開いてたんだけど?」

 

「え?あら?空き巣かしら?でも、お婆ちゃん大事なものはいつも持ってるし……」

 

「どうする?特に荒らされてる感じはなかったけど」

 

「もしかしたら、海軍の方がこじ開けたのかもしれないわね。お婆ちゃん知らない人を部屋に上げようとはしないだろうから、鍵を開けなかったのかも」

 

「あー、なんとなく筋は通ってるかも」

 心配そうな顔をしていたのか、母は私の頭を撫でて落ち着かせるように優しく笑った。

 

「……きっと大丈夫よ。それに今は自分の心配している場合じゃないわ。急いでみなさんのところに戻りましょう。きっとお腹を空かせているわ」

 

「うん、そうだね……この寸胴鍋、ふんっ……すっごい重いんだけど」

 そこには、風呂敷の中に納められた大きな寸胴鍋があったのだが、私が持ち上げようとしてもビクともしない。

 母は目を反らした。それでもじーっと見る私をちらっと見ると、申し訳なさそうに笑った。

 

「えーっと、その……詰め込みすぎちゃって持ち上がらないの?どうしよう…かしら?ハハハ…」

 

「もう……」

 我が母ながら、呆れたものだ…。

 

 結局、着いてきてもらった海兵の方々に運んでもらうことになった。申し訳ないことをした。

 

 

 

 

――――――――正午過ぎ

 

 

「ふぅ……疲れたぁ。でも、達成感あるなぁ」

 適当な日陰に腰を下ろして、もらったおにぎりを口にした。

 白おにぎり、炊き込みご飯、鯛めし、の三つのおにぎり。飽きない組み合わせなのがうれしい。

 というか、こんな事態にこんなものを作れてしまうのが怖い。贅沢すぎやしないか?

 

 食料は十分すぎるほどに足りた。

 保存の効く海軍の持ってきた非常糧食は後日にとっておき、今日は町のみんなが持ってきたもので食事を作った。

 商売はしばらくできないだろうし、保存も難しいとお魚や野菜、お米をタダで市場の方々が提供してくれたお陰だろう。

 町の電線が無事だったので、ほとんどの海産物が新鮮なまま保存できていた。

 市場のみなさんも損得関係なしにすべて持ち寄せてくれた。それを様々な料理に変えていった。

 

 婦人会のみなさんは凄まじかった。

 巨大な魚を一瞬で捌いていき、十数個もの寸銅鍋を一気に相手にしていく。

 百人でもかかってこいと言わんばかりの気迫で仮設の調理場で包丁を振るい、町のみんなに行き渡る量の食事を作り上げてしまった。

 

 実を言うと、海軍の給糧艦が来るより早く婦人会が動き出してしまったのだ。

 そして、さっさと食事の配給を始めてしまったので、給糧艦が到着したころにはもう皆が食事にありつけていた。

 

 活気は以前と変わらない、いつもの町の光景。

 昨日、訳の分からない化け物に襲われたというのに、元気のある笑いに溢れ、影の落ちるところのない。

 護れてよかった。心の底からそう思った。

 

 あと、給糧艦なのだが、でっかい冷蔵庫があったのでそこで町の食材を保存させてもらった。こんな使い方をするのは間違っている気がするのだろうが、海軍の人たちが思っていた以上に、この町の人は強かった。

 内心、私も驚いている。

 

 港には多くの船が並んでいた。こう並んでいるのも壮観な光景だ。

 銀色の船体。コンパクトな艦橋。旧式の軍艦に比べてシンプルな形だが、シンプルさにも良いものがある。

 ちょっとばかり、風が強くなり始めたころ、一隻の船が港にやってきた。

 イージス艦でも給糧艦でもない、小さな船。

 降りてきた白い軍服の青年は帽子が風で飛ばないように押さえながら、少しだけ空を見上げていた。

 

 いつの間にか広場の一角に設営されてた学校の朝礼台(恐らく、近所の小学校から持ってきたのだろう)

 その上に登ると、軽く咳き込んで、マイクを手にした。

 

 

 ピ――――――――ザァ――――――――――――

 

 ハウリングとノイズが広場中に響き渡り、一気に青年へと注目が集まっていった。

 

 

 

 

 

 




艦これの文章書いてて一番大変なのは、口調です。

艦娘がいまだにたくさん出てこないこの作品書いてる私が言うのもなんですが…


恐らく、次話投稿は週末になると思います。


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核となるもの

今言うのもなんだけど、この章ちょっと無理してる



 

「あーあーあー、えーっとみなさん聞こえますか?どうやら、大丈夫みたいですね。よかった」

 白い軍服の青年はマイクチェックを済ませると、もう一度咳ばらいをして、目つきをキリッと整えた。

 

「えーっと、お疲れのところ申し訳ありません。少し私に時間を頂けると幸いです。勿論、強制ではありませんので、聞き流していただいても構いません。お疲れの方もいるでしょうし」

 そうとは言ったが、青年に皆が注目していた。それに、そういう言動は逆に人の耳を傾けさせる。

 それを狙ったのだとしたら、面白い話だが。

 ある程度、ざわつきが消えてから、深く頭を下げて青年は口を開いた。

 

「では……こんにちは。私は海軍特殊災害対策部横須賀支部の御雲(みくも)というものです。えーっと、一部の方々にはお久しぶりです、といった方が正しいのでしょうか?ともあれ、私がこの町にやって参りました」

 一気に大衆がざわついた。

 

「……あっ、ラクちゃんのお兄さんだ」

 私もその人を知っていた。というより、この町では知らない人は少ないと思う。

 と言っても、私が直接会ったことは……一度くらいだと思う。見覚えのあるその顔はラクちゃんのお兄さんだ。

 海軍士官学校を首席で卒業した秀才。人柄もよく、町では結構有名な人だった。

 

「この場で海軍を代表して、被害を水面下で止めることができなかったことをお詫びさせていただきます。大変申し訳ありませんでした」

 帽子を脱ぎ、もう一度深く頭を下げた。

 そして、顔を上げると帽子を被り直し、手を腰の後ろで組んだ。

 

「さて、私がこの場に来た理由は、先日の事件について、その詳細を皆さんに公開するためです。みなさんは被害に遭われた立場。知る権利はあって当然だと私は考えます。故に、今後のみなさんの生活のために包み隠さずすべてお話しします」

 あぁ、なるほど。こういう形で発表するのか。

 妖精との話の中にあったことだ。海軍は今回の一件を何らかの形で公表することになると。

 恐らく、深海棲艦の存在もすべて公表する。

 

『そうなると、ある可能性が持ち上がるのだが…』と、それは妖精もまだ確証がなかったらしく、適当にはぐらかしていた。

 

「まず、みなさんの町を襲ったのは、『深海棲艦』。ご存知の通り、一〇〇年前に我々人類を滅亡の危機にまで追い詰めた伝説の脅威です」

 

「深海棲艦だと……!?」

 

「そんな、とっくに絶滅したはずじゃ……」

 

「100年前の大戦で深海棲艦すべてを倒し、我々は勝利しました。そのことはよくご存じかと思われます。何故、彼らが今になって復活してしまったのか、その理由は今のところ分かっておりません。しかし、兆候こそ現れていたため、やや迅速な対応をとることができました」

 

 やや迅速な反応か。

 兆候が現れていたのなら、避難勧告でも出せばよかったものを、そうできない理由でもあったのか。

 だが、被害者が一人も出なかったという点では確かに海軍の対応はよかったのだろう。町はこんな風になってしまったが。

 海軍としては、深海棲艦の復活など認めたくはないだろう。

 100年前に全滅させたはずの脅威だ。その功績で一時は軍を捨てたこの国に未だに海軍が健在なのだ。

 私たちは間違ってました、深海棲艦は実は生き残ってました、ごめんなさい、で済む話ではない。

 今からどうせ話すのだろうが、深海棲艦には人間様の兵器は通じないのだ。

 艦娘を全て解体していることしか知らされていない国民は大混乱するだろう。まあ、技術はこっそり残っていたので私が艦娘になれたのだが。

 

「100年経った今でも、深海棲艦については不明な点があります…と、あまり長い話をしていても疲れるでしょうから、早速、今後の我々の方針について説明させていただきます」

 そう言って、話を一度切ると、ラクちゃんのお兄さんはやや早口で話を進めていった。

 

 曰く、深海棲艦には現代の兵器をもってしてもそれほどのダメージを与えることができない。情報こそありますが、我々は立ち向かう術を持ってない。

 

 曰く、奴らは『浸蝕域』と呼ばれる原因不明の黒い海より発生し、基本的には深海に潜んでいるが、水上で艦隊を組み行動すると。

 

 曰く、原因は100年前から言われているが、最後の人類間の大戦によって散ったありとあらゆる国家の海兵たちの怨念や無念といった負の感情だということ。

 

 曰く、付喪神というものがあり、大戦中に亡くなった方々の強すぎる想いが、海底に沈んだ軍艦と結びつき、鉄の体を持つ存在を生み出したと。

 そして、先の戦で考えられた深海棲艦の発生の原因である、同時にこうとも言われたと。

 

 

「負の感情に対を成す、正の感情を有する存在もあるのでは、と。その結果生まれたものが――――――彼女たちです」

 地下施設での妖精との会話が脳裏を過る。

 

『可能性って?』

 

『まあ、君には遠からず訪れることかもしれない。海軍側もすでに作り出しているかもしれないということだ』

 

『え?もしかしてそれって…?』

 

「……みんな、こっちにきなさい」

 お兄さんの声に従い、三人の少女が朝礼代の前に並んだ。

 

「ふぅ、やっとですかご主人様。待ちくたびれましたよ~」

 欠伸をするような素振を見せるピンク色の髪の子。

 

「恥ずかしいところ見せないようにしっかりしなきゃ……あっ、わぁぁぁ!」

 意気込んだはいいが、何もないところで躓いた青い髪の子。

 

「はわわ!五月雨ちゃん、危なかったのです……」

 その子を転ぶ寸前で止めた茶髪の子。

 

 突然の幼い少女たちの出現に大衆は当然ざわめき始めた。

私の心もそうだ。どちらかと言えば驚きと言うよりも、そこに存在していたことに対する感動。

 このとき、彼女たちが何者か、すでに気が付いていた。

 

「――――あの子たちが…」

 そう、かつて私が憧れ続けた、蒼き海を取り戻した女神たち。その姿格好は一切の資料が残っておらず、彼女たちの手記や記録から、どんな姿だったのか夢を馳せる日の報いがようやく訪れたような気がした。

 

 立ってる。動いてる。生きてる。

 私の目の前で、在りし日の伝説が生きている。

 鼓動が早まる。体が今にも飛び出して彼女たちの下に駆けつけてしまいそうだ。

 

『あぁ、君の予想通りだろう。彼女たちは存在している』

 妖精の声が脳裏で再生されていく。

 

「かつての大戦で人類を護った存在、海の女神、それが彼女たち『艦娘』です」

 それが不思議と、お兄さんの声と、

 

『君と同じ存在…艦娘はね』

 艦娘という共通点で重なった。

 

 

「―――綾波型駆逐艦《漣》です。えーっと……ヨロシクオネガイシマス」

 

「―――白露型駆逐艦《五月雨》っていいます!よろしくお願いします!」

 

「―――暁型駆逐艦《電》です。どうか、よろしくお願いいたします……」

 

 各々がその名を名乗り、体躯に見合わぬ見事な敬礼を見せる。

 だが、周囲の大人たちはその敬礼なんかよりも、その容姿の方が気になるらしく、いつまでもざわめいていた。

 

「ほ、本当にその子たちが艦娘なのか……?」

 

「うちの一番下の子とそれほど変わらないように見えるぞ……?」

 まあ、当然の反応だろう。実際、私も驚いているのだ。

 駆逐艦娘が幼い容姿になるのは私も知っていた。だが、幼いの基準がいまいちパッとしないので、どのくらいかと思っていたら小学生くらいの子まで出てきた。

 

「ご安心ください。正真正銘の艦娘です。今は安全のために艤装を外していますが……先日の襲撃の際にも早速活躍してもらいました。陸上の被害が今のラインまで留まったのは彼女たちの働きあってです」

 

 昨日からいたのか。

 私はずっと沖合にいたから分からなかった。思えば、イ級が上陸していた。他にも上陸していたはずだ。

 それを撃退するのは恐らく人間じゃ無理だ。ちゃんと考えてみれば分かることだった。

 妖精はそういうところから予想を立てていたのだろうか?

 

「恐らくみなさん、艦娘を見るのは初めてでしょう。信じられないのも無理はありません。かくいう私もそうでした。みなさんの心境はきっと『こんな子どもたちが戦えるのか?』でしょう。しかし、彼女たちは見かけによらない力を秘めている」

 

「本当かよ……」

 

「少女の姿をしているとは聞いていたが、実際に見るとな……」

 少女と言うより、もはや幼女だ。

 

「もし、理解に苦しむというのならば、理解していただく必要はありません。近いうちに結果で示すことになります。彼女たちがあなたたちを護れるだけの力があることをきっと理解していただける日が……その日はきっと近くまで迫っている」

 お兄さんは徐々に言葉に込める力を強めていった。

 

「もはや迷っている暇はありません。今一度、この時代に艦娘の艦隊を結成し、みなさんをお守りします。私からのお願いは、私たち海軍を、艦娘を信じてほしい。それだけで―――」

 

 

「―――――――おい、ちょっと待て」

 大衆の中から一人の男性が立ち上がり、朝礼台の前まで歩み出た。

 目を凝らしてみれば、見覚えのある。後姿だ。いや、見覚えがあるどころじゃない。

 今朝、見送った背中じゃないか?あれは…

 

「お、お父さん……っ!?」

 どうやら、私の父はラクちゃんのお兄さんに物申したいらしい。

 いや、私の父のことだ。何が言いたいのかは分かる。私がこれまで鵜呑みにしてきたことだろう。

 艦娘という存在に対して、彼女たちは伝説として見られているにも拘わらず、その素性があまりにも謎すぎる。

 だが、今日こうやって彼女たちは再び国民の前に姿を現した。

 人がどんな姿を思い描いていたのは見当がつかないが、確かに衝撃的ではあっただろう。なにか言わずにはいられない。

 

「私は納得いかない。力のある男たちが戦うならまだしも、その子たちは何だ。うちの子よりも小さいじゃないか?そんな小娘を戦場に送るだと?馬鹿馬鹿しい。黙ってみているという方が無理だ。みんなもそう思わないのか!?」

 娘である私の口から言わせてもらえば、父はいい人だ。

 前も言ったが、言いたいことははっきりと言う。ややきつい口調になってしまうことが多いため、周囲は父を厳格な人だと誤認するが優しい人だ。

 そして、父はなによりも親であろうとする。そして、父であろうとする。

 それこそが父を父たらしめるものなのだろうが、その域が時々超える。

 

「そもそも、その子たちの親はどうした?親が居てその子たちを戦場に送り出すことを認めたのか?それとも孤児か?親のいない子たちなら兵器同然に扱っても大丈夫だというのか?確かに私たちは無力だ。深海棲艦に立ち向かうことはできない。だが、私も親だ。小さな子どもたちを危険に晒すのを黙って見過ごすわけにはいかない。なあ、月影(つきかげ)。包み隠さず話に来たなら、教えてくれ。その子たちは本当に戦うことを了承しているのか?」

 

 父がそのように言うと、お兄さん―――月影さんはまるで今まで無理やり誠実そうに整えてたかのように、表情を崩してフッと笑った。

そして、懐かしむように父を見ると、子どものようなあどけなさを見せた表情をしていた。

 

「――――お久し振りですね、竜さん。相変わらず子煩悩なようで……昔は無茶をしてはあなたによく叱られたものだ。娘さんはお元気ですか?

 

「あぁ、お前に似て無鉄砲な子だが、お前と違って真っすぐで優しい子に育った。それと、まだ説教食らいたいか?俺の質問に答えろ。話を捻じ曲げるな」

 

「あなたには勝てそうにありませんね……いいでしょう、説明します」

 諦めたように笑うと、帽子のつばを少し下げて、再びそこに海軍の軍人としての顔を整えると、その口を開いた。

 

「彼女たち、艦娘たちは100年前と同じように、海軍の持つ『建造システム』で肉体から艦娘になるように作り出された存在です。つまり、親などいません」

 ざわめきではなく、静寂。意味を理解してか、意味が理解できないでか、誰もが言葉を失った。

 父でさえ、しばらく押し黙って複雑な表情をしていた。

 だが、すぐに表情に怒りを露わにして、父の優しい顔は激しく歪む。

 

「……なんだそのシステムは……人道はどこにいった?倫理はどこに行った?お前は士官学校で道徳を忘れろと教わったのか!?兵器になるように生み出したということだろう?お前たちは生きた兵器を作り出したのだろう!?命を何だと思っている!?」

 

「失礼ですが、私は彼女たちを兵器とは思っていません。一人の人間として扱っています。それと……存じていなかったかもしれませんが、艦娘はかつて大戦中に沈んだ戦船の魂を持つ存在です」

 

 お兄さんは父の声を遮るように大きな声でそう言い放つ。

 

「簡単には死にませんし、自ら戦う意思を持っています。当然、私は彼女たちを指揮する立場として彼女たちを誰一人として沈めるつもりはございません」

 ふぅ…と息を吐いて、一度呼吸と選ぶべき言葉を整える。

 

「……確かに、艦娘は人間に兵器の力を持たせたようなものです。そうなるように生み出した。それは人としてどうなのか。私も悩みました。でも、竜さん。艦娘を建造するには欠かせないものがあります。それが何かご存知ですか?」

 

「……なんだそれは?」

 

「それは……『故郷を守りたい』『大切な者たちを護りたい』というかつての英霊たちの強い想いです。彼女たちはそれをその体に背負っている」

 ふと、身体の奥底で何かが疼いた。

 英霊たちの強い想い。その身を背負うのが艦娘。だとしたら、突然騒ぎ始めた動悸のようなこの高鳴りは、私の身体のうちに眠るそれが共鳴でもしたのだろうか?

 

「姿こそ、少女です。ですが、その体は多くの英霊たちが紡ぎ出した強さを、その心は多くの英霊たちの鋼の堅さを持ちます。英霊たちの祈りが、願いが、この国を護れと紡ぎ出した存在を否定してやってくれないでほしい。彼女たちを信じてほしい」

 

 これでは、いけませんか、と父に尋ねた。

 一気に捲し立てたお兄さんの威圧に父はやや押されているらしかった。お兄さんは本気で父を説得しようとしている。いいや、この町を始めとして平和に淘汰された世界を本気で説得するつもりなのだろう。

 

 だが、艦娘というものは不確定すぎる。

 英霊たちの想いだの祈りだの願いだの、そんな言葉言われたところで、多くの人はその英霊が散った戦争を実際に知るはずがない。

 言葉がどれだけ力を持とうが、言葉は存在以上にはならない。実際に目の当たりにしなければ、彼らの思いの強さなんかほとんど伝わらない。

 何より、先の人類の大戦は、艦娘と深海棲艦の大戦によって、塗り潰されてしまっている。

 歴史上の小さな出来事でしかないくらいに時間が経ってしまった。その時間の経過が考えや意識さえ変化させた。

 結果として、目の前にあるのは「艦娘」と呼ばれる幼い少女たち、それだけになってしまうのだ。

 

 それは私だから分かる。私は艦娘だけを愛していた。艦娘の事だけを見ていた。

 艦娘になって分かったのだ。私と言う名を支え続けた英霊たちの、この身を焼き焦がすほどに熱い想いが。

 身体を突き動かす強い想いが。何に変えても護り抜こうと考えてしまうその祈りが。

 

 だが、それは常人には理解できない。到底世迷言だと馬鹿にされる。たとえ艦娘が伝説となって語り継がれる時代であっても。

 父を説得するには至らなかった。

 

「……過去の英霊なぞ知るか。私は今の話を――――――――――――――」

 

 だが、艦娘を理解する人物がいた。彼女たちの根幹にあるものを理解する者がいた。

 その人が、その見た目に見合わぬ鋭い声で父の言葉を遮ったのだ。

 

「もうお止めなさい、竜。みっともない姿をさらすんじゃない」

 

「……母さん」

 父と私が目を向けた先にいるのは、車椅子の上に座っていた一人の老婆…私の祖母だった。

 その眼はいつものような穏やかさはなく、これから子を叱るかのような力強くどこか怖さを感じる目つきをしていた。

 

「お前はどこを見ている?あの子たちを見てごらん。確かに姿こそ幼い。だけどね、 まっすぐと芯が通っている。逞しいじゃないか。一端の男よりずっと逞しい。強いよあの子たちは、大人の心配なんかいらない」

 大衆の中を進みながら、そう語る祖母の姿を誰もが目で追っていた。

 

「お前は子どもを心配しすぎだ。普段はほっぽりだして海に出るくせに、ふとした時は嫁にやる気もないと言わんばかりに過保護すぎる」

 父の隣まで行くと、その背中を杖で思いっきり叩いた。

 

「いつか子は巣立っていくんだよ。私たちの知らないところで、私たちが知っている姿よりずっと逞しくなって」

 

「……」

 

「お婆ちゃん……」

 祖母は項垂れた父にふんっと言ってやると、満足したかのように優しい目つきに戻って車椅子を進めていった。

 

「どれ、お嬢さんたち。私に顔を見せてもらえるかい?」

 三人の艦娘の真正面まで行き、優しい声でそう尋ねた。

 事態の進展に着いていけてなさそうだった三人はお互いに目を見合わせていたが、なるようになれと言わんばかりに気を付けをした。

 

「はいっ!」

 

「ほいさっさー」

 

「はわわ……」

 その姿を見て祖母は表情を解いた。にこりと笑って、ふふふと声を出した。

 

「変わらないねぇ。強さの他に、目にはちゃんと優しさがある。いい子たちだ。お嬢さんたち。私の祖母は艦娘だったんだよ」

 

「そ、そうだったんですか?」

 青い髪の子が驚きの声を上げた。その後、しまったと言うかのように口に手を当てていた。

 

「いいんだよ、別にそう気を張らなくても……そう。それも、あなたたちと同じ駆逐艦。戦い抜いて、艦娘をやめて、祖父と出会い、母が生まれた。そして母が私を生んだ」

 

「ほえー、感慨深いものがありますねー」

 祖母の言葉に完全にフリーダムになった子が一人。

 ピンクの髪の子だが、もはや二人と並ばずに祖母の周りをぐるぐる回って、いろんな角度からまじまじと見ていた。

 

「ふふっ、面白い子たちだ。だから、あなたたちには忘れて欲しくないことがある。あなたたちはもう船ではない、艦娘。人間と同じように二本の足で立っている。そして、あなたたちには人間と同じように未来がある。誰かと家庭を持つかもしれない未来が」

 

「か、家族ですか…?」

 

「そう、家族。戦船だけの存在から解放される日が必ずやってくる。戦いもいつか終わり、必ず本当に護りたいものができるはずだ。だからこそ、絶対に沈んじゃいけない。絶対に諦めちゃいけない」

 祖母の言葉が強く響く。

 項垂れていた父も顔を上げ、ただ祖母の言葉に耳を傾けていた。

 

「戦い続けるあまり、大事なことを忘れちゃいけないよ。あなたたちは生きているのだから……」

 しばらく、三人は圧倒されたかのように呆然と立ち尽くしていた。

 やれやれと言った表情で、お兄さんは溜息を吐くと、

 

「……返事」

 

「「「はい!」」」

 

 そう言って、三人は我を取り戻し、元気のいい声で返事をするのだった。

 そんな様子を見て、祖母はにんまりと笑うと、一転して刃物のような目つきでお兄さんを睨みつけた。

 

「……それと、長男坊。しっかりと守りなさい。一人でも沈めるんじゃないよ?私は化けてでもでるからねえ!?」

 ここから見ていても感じる。

 怖い。

 

「ははは、敵わないや……勿論、そのつもりです。そんなことをしてしまった時には、腹を切って死にましょう」

 祖母はその言葉に首を横に振った。

 

「それと、あなた自身もだ。あまり早く死ぬんじゃないよ?婆は若いのが成長していくのが楽しみなんだ」

 

「勿論、この子たちを護る使命があります。簡単には死ねません」

 

「よろしい。みんなも納得したでしょう?信じてやりなさい、この若者とこの子たちを」

 

 祖母はゆっくりと振り返ると、広場にいた人たちにそう呼びかけた。

 しばらく語り合う声が聞こえていたが、少しすると、

 

「……婆さんが言うならな」

 

「ああ、信じよう」

 

「うん、とても頼もしく思えてきた」

 

「少し、心残りだが、悩んでいて解決するわけでもないしな」

 

「てか婆さん、艦娘の孫だったんだな。俺初耳だぞ」

 そんな声で溢れ返り、この場にいる町の人たちがお兄さんたちを信じようと団結することになった。

 

「お婆ちゃん……なんかかっこいい」

 

「…………」

 父は座ることもせずにしばらく立ち尽くしていた。不意に後ろから肩を叩かれて振り返ると、そこには漁師仲間の玄さんがいた。

 

「竜さん、賭けてみようじゃねえか」

 

「玄さん、でも俺は」

 

「とりあえず、信じてみろってんだ。船乗りが船を信じねえでどうする?おっと……形こそ子どもだが」

 形こそ子ども。父が頷けずにいるのは恐らくそのせいだ。

 あんな姿の艦娘がとても化物を圧倒する力を持っているとは俄かには信じがたい。

 

「まだ納得はできません。少し時間をもらいたい」

 

「じゃあ、いつも通り仕事でもするか。ほら、船でも見に行こう。昨日のでやられてねえか心配でな」

 

「……そうですね。行きましょう」

 そう言って、父たちは港の方へと脚を進めていった。一度止まって、三人を一度だけ父は見た。

 その眼にはまだ疑いの色が残っていたが、父は何も言わずにその場を去っていった。

 

 

 

「では、これくらいにして私たちは戻らせてもらいます。多くの仕事がありますので。失礼します」

 大きくお辞儀をすると、お兄さんは朝礼台から降りて三人の艦娘の前に歩み出た。

 

「五月雨。お婆さんの車椅子を押してあげなさい。この場を収めていただいたお礼です」

 

「はい!お任せください!さあ、お婆ちゃん、どこにでも連れて行ってあげますよ?」

 

「ふふふっ、優しいねぇ~。じゃあ、公民館まで送ってくれるかい?」

 

「公民館ですね!分かりました!」

 祖母を送っていく艦娘を見て、茶髪の子が笑った。

 

「……五月雨ちゃんはお婆ちゃんっ娘がとても絵になるのです」

 

「そうだね~。で、ご主人様、漣たちはどうするの?今べた褒めされたから、ちょっとやる気湧いてきたよー、ktkr!」

 

「司令官さん、電もなのです!今ならどんな敵とも戦えそうなのです!」

 

 一悶着あったが、お兄さんはこの町の人たちの信頼を得ることができたみたいだ。

 まだ、お兄さんに会うのは早すぎるだろう。

 あの子たちにも……まだ会うのは早いだろう。憧れであって、今すぐサインをもらいたいくらいだが、今は事情が事情だ。

 

 何はともあれ、彼女たちは艦娘だ。頼りになることは自分自身が証明している。

 彼女たちに任せても大丈夫だ。私も、彼女たちを信じることにしたい。

 同じ艦娘なんだから、きっと大丈夫だ。今はまだ一緒に戦えなくてもいつかは手を取り合って前に進めるはずだ。

 

「ははは、じゃあ、本部に戻ったら早速哨戒をしてもらおう。その前に叢雲の奴を探さないといけないんだが」

 

「そう言えば、ずっといなかったね~、うっくぅ…探すこっちの身にもなってよぉ~……」

 

「すぐに探して哨戒に行くのです!やるのです!」

 

「お、おい!ちょっといきなりどこかに行くな!」

 

 

 ……多分大丈夫だろう。

 

 

 

 

 




・ネーミングセンスが欲しい
・漣の口調が難しい
・サブタイトルが思いつかない

提督になりそうなこの青年の名前は御雲月影(みくもつきかげ)です。
相変わらず適当です。叢雲の親族っぽくした結果です。
そしたら、厨二っぽくなったけど、提督だしいいや。


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その名は

 

 母の下に戻ると、私の顔を見るや否や、不安そうな表情を浮かべて母が駆け寄ってきた。

 

「あら、どうしたの?元気がないわね」

 

「え?そう?ちょっと疲れちゃったのかな……」

 艦娘との出会いに興奮しすぎたせいか、それともあの時、謎の動悸がしたせいか。

 少しだけ気怠く感じて足が少し重かった。

 

「そうね。今日は頑張ってもらったし、座って休んでなさい」

 母は私の頭を撫でると休んでいるように言った。

 

「うん……」

 なんだか落ち着かない。腰を下ろしたが、それは逆効果だったようで、この身体は動いていないと落ち着きそうになかった。

 

「どうしちゃったんだろうなぁ、私……?」

 とてつもない違和感が自分の中にあるのを感じていた。

 嫌ではないのだが、少し気持ち悪い。

 

 ……海が見たい。

 

「お母さん、ちょっとだけ散歩してきてもいい?」

 

「ダメよ。今はできるだけ目の届くところにいなさい」

 

「じゃあ、なにかやることない?少し歩きたい……」

 母は溜息を吐くと、近くに置いてあったかごを指さした。食器やガスコンロ、私の力でも運べそうなものが入っていた。

 

「……仕方ないわね。そこにあるかごに入ってるもの、海軍の方から借りたものだから返してきてくれる?」

 

「うん、これね」

 

「返したらまっすぐ帰ってくるのよ。何かあったら海軍の人の言うことをちゃんと聞くこと。いいわね?」

 

「分かったよ。いってきます」

 別れ際に母は少し心配そうに私を見ていたが、きっと大丈夫だろうと笑って作業に戻る。

 本当はこんな時は母の側にいるのが一番なのだろうが、どこか落ち着かないこの気持ちを紛らわすにはじっとしていられないのだ。

 

 何かを忘れている気がしてならない

 

 そうだ。私は確かめなければいけない。昨日、私は訊くことができなかった。

 それ以上の衝動に駆られて走り出してしまった。でも、確かめなければならない。

 艦娘とは何なのかを。深海棲艦とは何なのかを。この戦いは何なのかを……

 

『――ザァァァ――か――――え―――ザッ―――かえ―――ザザッ―――たた――え』

 耳の奥に響くこのノイズは何なのかも。

 ずっと響いてる。誰かが呼ぶようなこの声の原因も……きっとあるはず。

 そうだ。そもそもおかしいことは他にもある。どうして私は戦えたの?訓練なんてしてないのに。

 変な感覚もあった。海に立てることに違和感もなかった。主砲の撃ち方も魚雷の撃ち方も知らなかった。ただ、撃てることだけは分かっていた。

 

 でも、妖精にも会う暇はない。ラクちゃんのお兄さんや艦娘の子たちにも……訳を話さずに会える訳がない。私が艦娘であることを話せば、もう両親には会えなくなるかもしれない。

 

 ……艦の記憶か。不思議な気持ちだ。

 私が私であるのに、私ではない私がそこには居る。

 まぁ、上手く立ち回れたのは私がそれなりに知識を持ってたお陰だろうけど……おかしい点は数え切れないほどにある。

 酸素魚雷なんて駆逐艦《吹雪》は積んでいなかった。艦も艦娘も。そんな記録はない…改装を経て艦娘の方は一時期つけていたかもしれないが。

 

 私の記憶が正しければ、特型駆逐艦一番艦《吹雪》は艦娘の歴史上に名を遺す存在だ。

 生まれは横須賀。艦娘の中でも随一の努力家であり第三水雷戦隊に所属し、偵察、邀撃任務を行った。

 その後、当時の五航戦に編入。主力であった空母機動部隊の護衛に就き、獅子奮闘した。撃墜数はあの秋月型に匹敵するレベルだったらしい。彼女は建造後に派遣された舞鶴駆逐隊の要であった。

 しかし、記録によると五航戦はとある作戦時に壊滅。《吹雪》は呉に異動となり、そこで特殊作戦部隊に組み込まれる。

 この部隊については記録が少ないのだが、所属していたもう一人の駆逐艦娘と二人で敵艦隊を迎撃し勝利している。

 

 敵艦数は百を超えていたと言われており、それを一隻残らず轟沈させた記録は艦歴でも際立っていた。

 最後の戦いにも参戦し、敵正規空母を五隻轟沈させる活躍を見せ、終戦を迎えた。

 終戦後、横須賀に異動。復興に尽力し、解体。艤装は艦娘記念館に展示されている。その後の足取りは不明だ。

 

 

 

 私は《吹雪》だ。だとしたら、あの時記念館で会った私にそっくりな艦娘は《吹雪》なんだろう。

 あれが過去の私か……もしかしたら、もう一度あの場所に行けば会えるかもしれない。

 

 

「でも、お母さんがダメだって言ってるし……うーん、あっ」

 そんなことを考えているうちに、海軍の補給艦までやってきていた。

 そこから先は入れてもらえそうにないので、人を探してみたのだが、なかなか見当たらない。

 少し離れた場所に、三人ほど白い礼装を纏った人たちを見つけた。何か会話しているらしかったが、他に誰も見当たらないのだし仕方がない。

 勝手に補給艦の中に入って倉庫に直してくれば、怒られるのは間違いないだろう。

 

「あの人たちでもいいかなぁ?話してるみたいだけど、他に人いないし……あの~……すみませーん……」

 近づいていくと、三人ではなく、座っている誰かを囲んで四人で会話しているのが分かった。

 

「――――に突入するわ」

 

「分かりました。そう言う予定で部下にも伝えておきます」

 

「それで少尉、――――は今どこにいると?」

 

「分からない。ただ、今は施設を押さえるのが先よ」

 

「常時見張りをつけています。動きがあった場合すぐに伝わるはずです」

 

「あのっ!」

 

 

「「「――――ッッ!!」」」

 

「……っ」

 真後ろまで近づいても誰も気づかなかったので大声で呼んだら、ようやく三人が振り返った。

 それも、まるで私が突然現れたかのような慌てっぷりで振り返ったので、私も驚きかけた。

 余程熱心に会話していたのだろう。もしかしたら、重要なことを会議していたのかもしれないのなら少し悪いことをしたように感じる。

 

「お話中のところすみません。お借りしていたものを返しに来たのですが……」

 

「あっ、あぁ、それなら……おい、お前」

 その人は私が何をしに来たのかようやく把握すると、荷物をもって近くを通った下士官を呼び止めた。

 

「はい、何でありますか?」

 

「この方がわざわざ備品を返しに来ていただいた。これも持っていけ」

 

「はっ!では、それをこちらに」

 荷物の上に荷物を積む羽目に…

 

「す、すみません」

 軽々と持ち上げると、小さく会釈をしてすたすたと運んで行ってしまった。

 

「いえいえ、ありがとうございます。帰り道お一人では不安でしょう。誰かに送らせ――――」

 

「いえ、その必要はないわ」

 言葉を遮り、三人の奥から誰かが立ち上がった。妙に苛立ったように足音を響かせて三人に退くように指示する。

 顔色を窺ったのか、私を対応してくれた方の顔色が変わった。気まずそうに眼を逸らして道を開ける。

 

 

「……あっ」

 

「随分と元気そうね?ちょっと腹に力入れなさい」

 

 ブチ切れモードのラクちゃんがそこにいた。

 

 あっ、私死んだ……。

 

 

「えっ、えーっと!そのっ!ちょっと待って!」

 

「ふんっ!」

 シュッと空を裂く音が聞こえた瞬間に腹部に強烈なボディブローが突き刺さる。

 メキメキィという音がしたようなしなかったような。綺麗なお花畑が一瞬見えたが、残念なことにジンジンと響く激痛が私を目覚めさせては意識を奪おうとする。

 

「うっ!うぅ……」

 綺麗に膝から崩れ落ち、お腹を押さえて蹲った。

 既に消化されたはずのお昼ごはんが口から出そうだ。いや、胃そのものが飛び出てきそうな…

 何はともあれ、今までで一番強烈な奴だこれ。私が勝手にラクちゃんのプリン食べた時より激おこだ。

 

 突然、ラクちゃんが私に鉄拳制裁をしたのを見て、呆然としていた三人の軍人は我を取り戻すや否や声を荒げた。

 

「しょ、少尉!民間人に何をっ!」

 

「問題ないわ。私の友人よ。親の許可もとっているわ……あなたたち配置に戻りなさい。続きは後よ」

 

「わ、わかりました……その方はどうされますか?」

 

「私が責任をもって送り届けるわ。兄には少し離れると伝えておいて」

 鬼気迫る殺気が後頭部のセンサーに嫌なほどに感じる。それに圧倒されたのか、三人はそれ以上は何も言わずにその場を立ち去って行った。

 パキポキと指を鳴らす音が聞こえる。

 冷や汗と脂汗が同時に吹き出して、ろくに空気も吸えずに悶えていた私には、泣きっ面に蜂状態。

 

 しかし、ふぅ…と息を吐く音がした後に、ぽんぽんと軽く私の肩を叩いた。

 顔を上げた私の目の前で、何気ない表情でラクちゃんが手を差し出していた。

 

「……さて、少し話しましょう?掴みなさい」

 よかった、殺されることはなさそうだ。

 少し苦笑いを浮かべながら、私はラクちゃんお手を取りゆっくりと立ち上がる。

 

「い、いきなりは卑怯だよ。お昼ごはん出てくるかと思った」

 

「まったく……本当に無事でよかったわ」

 立ち上がった私の手を引き、ラクちゃんが私を抱きとめる。

 一瞬、戸惑った。一体、どんな技で殺されるのかと。

 

 だが、少し湿った音で私の耳に届いたラクちゃんの声に、心臓をまさに殴られたかのような衝撃を受けた。

 どれだけ彼女に心配をかけたことだろうか?私の勝手で、どれだけ辛い思いをさせただろうか?

 こうやって抱き締めてくれるだけで私は幸せなのだろう。

 こうやって、抱き締めてくれるラクちゃんという友達を持てた私は幸せ者なのだろう。

 

 絶交されてもおかしくはなかった。

 それを許してくれた。

 私がどれだけ酷いことをしたのか、このときようやく全て理解した。

 どんな気持ちで私を止めようとしたのか、あの時のおかしかった私には理解できていなかった。

 

「ごめん…ごめんね、ラクちゃん…」

 ようやく言葉にできたのは謝罪の言葉だった。

 当たり前の言葉だ。弁明などする前に私はこの頭を地面に叩きつけて謝らないといけなかったのだ。

 

「あ、あのときはごめん……なさい。その私……」

 

「もういいわ。無事だったんだもの。それで十分よ」

 肩に手を置いてラクちゃんが私から離れると、ちょっと不器用に小さく笑った。

 

「二度とあんな真似しないで。そう約束できるなら…全部許してあげるわ」

 

「うん…本当にごめんね」

 この程度で許されていいはずがない。そう思いながらも、私は許されたのだと思ってしまう。

 ラクちゃんは…少しずるい。

 

「歩きましょう。こんなところで話す気分じゃないわ。海沿いにでも行きましょうか」

私の手を取ると、ラクちゃんは前へ歩み出て手を引いた。

 

「う、うん…そうだね」

 

「あっ、少し待ってて。あんた鞄置いていったでしょ?」

 

「あっ、言われてみれば」

 

「私が預かってるから取ってくるわ。ここで待ってて。逃げたら今度こそ許さないわよ?」

 

「大丈夫だよ。どうして逃げないといけないの?」

 

「……そうね」

 そうとだけ返してきた道を戻り、ラクちゃんは少し離れた場所にある船の中に駆け込んでいった。

 

 無事でよかった。そう思ったのは私もだ。

 もう一度会えてよかった。もう一度言葉を交わせてよかった。

 護れてよかった。

 艦娘になって――――よかったのだろうか?

 

 その疑問はふと私の中に湧きあがった。

 

 

 

 

      *

 

 

 

 

 少し風が強い。

 潮風が昼過ぎの海辺を吹き抜けて、戦火の匂いをそっと掻き消していく。

 嵐の前が静かだと言うのなら、少し強いこの風は私の中ではよいものであった。

 騒がしさ。この町にはそれが似合う。

 だが、皆が避難して生気を失ってしまった海岸沿いの町の景色はあまり良いものではない。

 風が吹き抜ける音と、一歩分の隣を歩く軽やかな足音だけが、私の心を癒してくれていた。

 

「―――――へえ、おうちの人のお手伝いを」

 

「そっ。事態が事態だもの。それに父も兄も私をそばに置いてた方が安心でしょうし」

 真っ白なセーラー服調のワンピースに赤いネクタイ。下には寒さ対策かタイツを履いているが、どことなく海を感じさせる衣装だ。

 聞けば海軍一家である家の手伝いをして回ってるだとか。一応、この服も由緒正しいものらしく、正式な海軍一員として所属していることになるらしい。

 

 適当なところで腰を下ろして、二人並んで青を取り戻した海を眺めるように座った。

 

「そのワンピースいいね。私も着てみたいかも……」

 

「あまりいい気分じゃないわよ。それにしても、あの後大丈夫だったの?どうやって記念館まで逃げたの?」

 

「あ、き、記念館に逃げたのは知ってるんだ」

 

「おじさんから聞いたわ。あの時港の方は奴らが来てたはず。あそこまで逃げるのはかなり危険だったはずよ?」

 

「地下水道を使ったんだ。この町には避難路としても使えるくらいの大きい水道が地下に通ってるから」

 

「そんなことまで調べてたの?あんたは勉強熱心ね……」

 

「ははは……実は、その、途中でイ級に襲われちゃって」

 

「はぁ!?!?!?!?」

 ラクちゃんは驚きすぎて立ち上がっていた。

 話そうか迷ったが、話さなかった方が良さ気だった感じだ。

 

「け、けがはしてないよ?急いで水道に逃げ込んだから。流石に焦りはしたけど」

 

「ほ、本当にあんたよく生きてたわね。艦娘に憧れてるからって戦ったりはしてないでしょうね?」

 落ち着きを取り戻してもう一度腰を下ろすと、じとーっとした目を私に向ける。

 

「うっ……も、もちろん!あの時は必死だったし」

 実は艦娘になって、海に出て、戦艦級沈めたなんて言えない。まあ、言っても信じてくれないだろうが…

 

「そ、そうだ!楽ちゃん!ラクちゃんは知ってたの? 海軍が艦娘の研究をしてたこと?」

 そう言えば、気になっていることがあったのだ。

 せっかくだからラクちゃんに訊いてみよう。何か知っているかもしれないし、ラクちゃんなら私の話を聞いてくれる。

 

「え? あぁ、昼間のあれね……あんな感じで艦娘の存在を堂々と公表する必要なんてなかったのに」

 

「艦娘はすでに用意されてたってことだよね?じゃあ、海軍は深海棲艦が復活したことに気づいていたの?」

 

「私がそんなこと知ってると思う?娘にそんなこと教えないわよ……」

 

「そ、そうだよね……じゃあ、聞いて!私が立ててる仮説なんだけど」

 

「ふぅ、あんたは本当に好きね。艦娘のことが。そういう話になると目の色が変わってるわ」

 そんなことを言いながら、ちゃんと聞いてくれるところ辺りがやっぱりラクちゃんだ。

 やっぱり持つべきものは友達だ。ちゃんと失わないようにしなきゃ…

 

「まあまあ。それより、実は海軍は終戦の時艦娘を全部解体してなかったんじゃないかな?いくらなんでも対応が早すぎると思うんだ。もしかしたら、海外でも似たようなことが起きてるのかもしれない」

 突拍子もない話ではあったが、十分に事実として扱えるだけの仮定は考えた。

 ラクちゃんのお兄さんは「兆候があった」と言った。それは『浸蝕域』のことだろう。

 だが、私には引っかかるのだ。『浸蝕域』がこの町で確認されたと話題になった日は、襲撃からさほど離れてはいない。

 

 それから町が海軍に連絡を入れて、海軍が調査に出ていては遅すぎる。

 町の人全員を完璧に避難させるほどの準備をこの短期間で行うのは難しすぎる。どう襲ってくるかもわからない敵に立ち向かうには手際が良すぎた。

 

「この町の周辺だけじゃなくて、この国の周辺の海でも、深海棲艦が現れた報告があったのかもしれない。海軍はずっと前から備えていた。再び訪れる戦いに。それはきっと報告が先なんかじゃない」

 だとしたら、海軍は「艦娘が伝説になったなど、ただの戯言」だということに気付いていた。

 いつか必ず、深海棲艦が復活すると信じていたはずだ。

 

 なのに、なぜ先の戦いで艦娘をすべて解体した?

 なぜ、先の戦いは終結したと語り継がれた?

 終わっていないと知りながら、国民に平和の根を張らせて平和ボケさせてまで何がしたかったのだ?

 

 それを否定する事実があるのならば、それは全て証明される。

 

「大分前に見た資料にね、面白いことが書いてたんだ。深海棲艦の発見は主に偵察によって見つかるものだって」

 これは艦隊行動でも当たり前のことだ。偵察→戦闘が一般的であって、敵の数を先に把握し、最も効率の良い倒し方で殲滅する。

 

「でも、『海より生まれ落ちた艦娘は、海の声を聴くように敵の襲来を直感的に予期する者がいた』って」

 無論、一般の範囲を飛び越える存在はこの世界に存在する。それは、私の読んだ本が正しければ、艦娘においても言える話だ。

 

「海軍はずっと艦娘を抱えていた。外部に漏れないようにごく少数。そして、彼女たちが再び戦いを予期した」

 

 艦娘はすべて解体されていなかった。

 戦いは終結していなかった。

 海軍はすぐに叩けると分かっていた。

 ありとあらゆる対策を100年前から立てていた。

 混乱が起きる前に、国民が気付く前に、深海棲艦を叩けばいい。

 

「海軍は深海棲艦の再誕を知り、襲撃より先に過去の技術を復活させた…いいえ、元々残していたって話ね。面白い仮説だわ」

 

「ま、まあ、仮説に過ぎないし、友ちゃんのお父さんたちを疑うような真似になっちゃうんだけど」

 海軍を疑うことはラクちゃんの一家を疑うことになり、そのことをラクちゃんに話すのはいつも気が引ける。

 

「別に構わないわよ。私にも何を考えているか分からないような父と兄だし」

 まあ、気にしたところで、いつもこういう反応をされるのだが。

 

「でも、おかしいわ。もしその仮説が正しかったとしたら、どうしてこの町は被害に遭ったの? もっと早く艦娘を配備していたんじゃない?」

 

「……たしかに。なにかそうできなかった原因があるのかもしれないけど」

 

「調整でもしていたのかもしれないわね。船にもメンテナンスは欠かせないでしょう?そういうことでいいんじゃない?」

 

「そ、そうだね。一応、この仮説はノートに書いておこうっと……」

 

『艦娘マル秘研究ノート』。私の立てた仮説はすべてこの中に納められている。

 いつか私がこの中にある全ての仮説を検証できるだけの知識と力を手に入れるという夢への道しるべだ。

 

「……ふふっ、懐かしいわね、そのノート。私と初めて会った時にも持っていたわ。まだ捨ててなかったのね」

 

「うん。いろんなもの閉じこんだり、ページ増やしたりしてたらそこそこの分厚さになっちゃったけど」

 ただの大学ノートだが、今は厚さは3倍くらいになってしまっている。そろそろ別のノートにした方がいいのだろうが、変に愛着が湧いてしまってこのノートに書き込み続けてしまうのだ。

 

「これは私の宝物だから。いつかここに書いてあることすべてを確かめる私の夢の道標だから」

 

「……それを書いたら戻りましょう。勝手に連れてきてしまったわね。きっとおじさんたちが心配してるわ」

 

「あっ、そうだね。結構時間経っちゃった」

 随分と日が傾いていた。時間の流れが特別早く感じた。

 今までの時間が長く感じ過ぎたんだ。多くのことが起こりすぎたんだろう。

 

「私も行って謝るわ。おばさんは元気?最近会えてなかったけど」

 

「うん。今日も朝からずっと張り切ってた。あっ、そうそう。他にも話したいことがあったんだー」

 

「はいはい、帰りながら話しましょう」

 ワンピースの裾を叩きながら、先に立ち上がったラクちゃんは私に手を差し出した。

 

「うん、ありがとう」

 ノートを鞄の中に仕舞うと、差し出された手を取って立ち上がろうとした。

 

 

 

「―――――――――――――――ッッ!!」

 

「―――――――――――――――ッッ!!」

 

 

 突然、耳鳴りはして、意識が遠くへと飛んでいく。身体と言う概念を飛び越えて旅立つ私の意識は風のように青い海の上を駆けていく。

 目の下に映るのは黒い海。かなり沖合の方まで来たが、波を割いて進む船の音がする。それと同時に、空に広がる虫のような黒い点……

 風を切って空を飛ぶ黒い塊。その下を列をなして進む黒鉄の異形。

 

 ―――――奴らが来る。

 

 クラゲのような形をしたのが……一、二、三、四杯の空母。

 それと、一際異彩を放つのが、あの杖を持った存在だ。あれはよく知っている。図鑑で何度も見た。

 

 空母だ――――空母ヲ級。クラゲのようなのは空母ヌ級……艦隊数は二。随伴艦が重巡リ級から駆逐イ級までの7隻!

 戦艦こそいないが、航空戦力の脅威は戦艦を上回る。

 爆撃するつもりだ……この町を。

 

「ラクちゃん!私―――――――――」

 手を引き立ち上がった瞬間に、その手を強く握り叫んだ。

 

「あんたは逃げなさい。今度は逃げるのよ。多分すぐに誘導が始まるわ、その波に乗って逃げなさい」

 が、ラクちゃんはいつになく真剣な表情で私の手の上に手を重ねた。

 

「今度こそ、危険なことはしないで。おじさんやおばさんに心配かけちゃいけないわ」

 

「うっ……え、えーっと、う、うん!ラクちゃんも急いで逃げないと……っ!」

 

「私はこの辺りに逃げ遅れた人がいないか確かめてから行くわ。大丈夫よ、私は軍人の娘なんだから」

 

「わ、分かった……ま、また、無事に会おうね」

 

「そうね……また」

 ラクちゃんに手を離されて、そっと肩を押された。

 その勢いのまま私は小さく手を振り駆けだした。

 

 私がラクちゃんに黙って従い、この場を離れたのにはちゃんと理由がある。

 いや、離れなければいけなかった。

 

 私には戦える武器がない。艦娘記念館の地下にある工廠にすべての艤装を隠している。そこまで急いでいかなきゃいけなかった。だから、今は逃げたふり。

 

 どんな脅威が来ようと、たとえ私の他に艦娘がこの町にいようと、私が戦わない理由にはならない。

 艦娘になると決めた時に誓ったことだ。

 

 この町は、私が護るんだから――――ッ!

 

 

 

 

     *

 

 

 

 

「――――――――妖精さん!!」

 地下工廠に走りこんだ私は妖精の名を叫んだ。妖精はいつものヘルメットを机の上に置いて、代わりにヘッドホンを耳に当てていた。

 

「やあ、やはり気付いたか。少し電探の精度がよすぎるみたいだな。日常生活に支障が出なければいいが」

 ヘッドホンを外すと、いつものようにヘルメットを被り、床の上にぴょこんと飛び降りる。

 

「そんなことより!私の艤装の整備は終わってますか!?」

 

「勿論。いつでも使えるように整備している。というか私にはそれくらいしかすることがなくてね。暇なのだよ」

 

「私、出ます!すぐに出ます!今すぐ出撃します!」

 時間がない。敵の爆撃機がすぐそこにまで迫っている。

 昨日のように迷っている暇に敵の手はこの町を焼き尽くすだろう。

 

「……いや、その必要はないだろう。この町にはすでに艦娘が配備されているだろう?君が出る必要があるのかい?」

 だが、妖精は首を横に振った。

 

「ダメです!」

 

「じゃあ、聞くが君は対空戦闘はしたことはあるのかい?彼女たちは恐らく演習を積んでいる。君が居ても邪魔になるはずだ。どれだけ機銃を積んでも、高角砲を積んでも、艦載機に当てるのはかなり難しいんだ」

 

「えーっと、それはなんとかします!頑張ります!」

 

「はぁ……どうして君はいつもそうせっかちなんだい?」

 

「それは……その……」

 上手く説明できはしなかった。らだ、大切な町を護りたいという思いだけで走っているような気がしていたが、一度落ち着いて立ち止まりよくよく考えた。

 

 それだけじゃない。

 あの声が響く。動悸のような拍動が私の身体を突き上げる。立ち止まるなと、海に向かえと。

 これは私の意思なのか?いや、分からない。

 

「―――――――――海が、海が呼んでいる気がするんです」

 そんな感じだ。

 この逆らえそうにない誘惑はきっと海が呼んでいる。

 

「海が呼んでいる?」

 

「はい……うまく説明できないんですが、呼んでいる気がするんです。頭の中で声がする。青い海の中から声が」

 

 

 

『―――戦え』『――――護れ』『――――その身を捧げよ』

 

『―――護国のために』『―――戦え』『戦え、戦え、戦え』

 

『戦え』

 

 

「戦え……戦え戦え戦え、海を護れ、家族を護れ、友を護れ、国を護れ……戦え」

 口が勝手に言葉を並べていく。

 幾度も繰り返し、口に刻み込んだお経のように私の脳内を巡る声が私の口から紡がれていく。その一つ一つを言葉にする度にエンジンがかかったかのようにこの身体は熱を持っていく。

 今すぐ走り出さないと爆発しそうな、この激情を冷ますには海に行くしかない。

 

 戦え。

 

 

「……予想以上に馴染みすぎているな。少し、マズい事態でもあるが」

 妖精は小さく舌打ちをして呟くと、近くの台に飛び乗り私の目をじっと見つめた。

 

「君は自分の名前を憶えているかい?」

 

「え?あっ、はい!えーっと……えーっと……あれ?」

 変な質問だと思った。

 自分の名前を覚えているかと突然訊かれれば、誰もが変な質問だと思うだろう。

 もう十年以上その名を語ってきたのだ。それなのに、忘れるはずがなかったのに。

 

「あ、あれ?私は―――え?どうして…?」

 

 

 

 ―――思い出せない。

 

「やっぱりか。まあ、艦娘になったために仕方のないことではあるが、君は駆逐艦《吹雪》の記憶を受け継いだ」

 妖精は溜息を吐くと、ヘルメットを脱いで腰を下ろした。

 

「それが君はもともと人間であったために影響が強い。人間としての記憶、艦としての記憶、その二つが入り乱れている」

 

「本来の艦娘には人間としての記憶がない。あるのは艦の記憶だけ…それが私の違い…?」

 

「そうだ。私の想定ではもう少しゆっくり馴染んでいくものだと思っていたが、君は素質がありすぎた」

 素質。そうだ、私がここで妖精に言われたことだ。

 それの意味がいまいち理解できていなかったのかもしれない。

 

 そもそも、素質とはなんだろう? 艦娘になりやすい素質って何?

 妖精が見えるとか、そういうのだけじゃない。その言葉の意味はもっと深くて…別の意味なんじゃないのか?

 

「君の体は艦娘の器として優秀すぎた。君はそのせいで戦いの衝動に強く駆られてしまっている」

 

「これは……大丈夫なんですか?」

 

「すぐに影響が出るものじゃないだろう。ただ、君は人間でもまだ未熟な頃に改造を受けて艦娘になった。精神の方が不安だ。もしかしたら、精神的に何か異常が出るかもしれないが……それは君次第だ。強い心を持て」

 

「強い心……?」

 

「ああ、君の中にある核とでも言うか。君という存在を支える根底にあるもの。それが揺らぐことないように自分を強く持て」

 妖精は重たそうに腰を持ち上げると、ヘルメットを手にもって台を飛び降りた。

 

「今はこれしかない。それと……今の君には戦場に立たせた方がよさそうだ」

 そう言ってドックの方に向かっていく。

 

「艤装を出そう。君も準備したまえ。服はそこにある」

 勝手に近くの装置が開いて、艦娘だったときの私のセーラー服がハンガーにかけられて飛び出してきた。

 それを手に取りながら、私はずっと妖精の言葉を心の中で反芻していた。

 

「私の核……私を私たらしめるもの―――――――――」

 

 分かっているようで手に掴めそうにない。

 掌の上にあるのに指の間をすり抜けて落ちていく水のように。

 

 愛とは不確定なものだ。

 でも、きっとこの町を、この町の人々を愛する私の心こそが、私の核なんだと思う。

 

 今は、まだ疑問が多すぎる。ひとつひとつ考えている暇はない。

 戦おう。着替え終わった私は、妖精が向かった出撃レーンの方へと走っていった。

 

 

 

 




なんか某映画みたいなタイトルになったが、気にしないでおこう…


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双璧

 

『――――――大佐っ、偵察機より映像届きました!艦隊数は二!』

 荒々しい声の響く艦内で一人静寂を保って机に肘をつく青年の下に、焦燥に駆られる通信が届いた。

 

『空母ヲ級一、空母ヌ級四、重巡リ級二、雷巡チ級二、駆逐イ級三っ!!』

 

「……報告通りか――――了解した。動けるイージス艦を出してくれ」

 小さく息を吐いて背伸びをする。机の上の別の通信端末を操作しながら、青年は指示を出す。

 

『イ、イージス艦ですか。あれは全く歯が立たなかったじゃないですか?』

 

「ミサイル防衛システムを使う。落とせなくても当たればなんとかなるはずだ。水上戦ならともかく、対空戦ならばイージス艦でも戦える。艦娘の手助けにはなるだろう」

 少しの間をおいて、電信員の声の落ち着いた声が返ってきた。

 

『今動けるのは……二隻のみです。急いで配備します。それと他には―――――』

 

「ああ……ああ、そうだ。そういうことで頼む――――――とうとう来たか」

 通信を切り、別の通信機に少女の声が飛び交った。

 

『――――ごっ主人さまー、敵艦載機見つけたよー』

 

『うわぁ、すごい数です……私たちだけで大丈夫でしょうか?』

 

『やるのです!電たちが頑張るのです!』

 

『あら、珍しいわね。電が意気込むなんて……その意気よ。それで?』

 やる気に満ち溢れた彼女たちの声を聴いて、青年は机の上に置いていた軍帽を深く被った。

 一度深呼吸をして、脳内に送る空気を新鮮なものに入れ替えていく。

 

「対空戦を展開する。漣、五月雨、イージス艦で敵艦載機を迎撃、本土への爆撃を阻止する」

 提督として、指揮官として、この少女たちを守りながら、この町を護らなければならない。

 だが、戦いに送り出す者として、その両肩は妙に重い。そろそろ慣れそうな自分が怖いが、いちいち臆している暇もない。

 両方守れるように戦術を練るのみ。人間として、今できるのはそのくらいだろう。

 まったく、こっちは前線で戦っているというのに、上は嫌な重圧を与えてくる。

 今はそんな愚痴を吐いている暇もない。

 

「電、叢雲、お前たちは敵艦隊を迎撃。無理をする必要はないが、空母に損害を与えれもらえると助かる」

 

『了解したわ。漣、五月雨、私の町を任せたわよ?』

 

『はいっ、お任せください!』

 

『ほいさっさー、よーし、やるよ~!』

 

『電、あまり無茶な行動はダメよ。私にしっかりついてきなさい』

 

『はい、なのです!』

 

 深く息を吸え。余計な心配や不安さえ胸の中で騒ぐ嫌な空気と一緒に吐き出せ。

 今は信じろ。

 伝説の名を引き継いだこの少女たちを。

 

「よしっ、では作戦開始だ……暁の水平線に勝利を刻んで来い!!」

 

 

 

 

     *

 

 

 

 

「―――少し、タイミングを見計らう。恐らく、ここにきている艦娘は二手に分かれるだろう」

 

「本土防空と、艦隊迎撃ですね?」

 カタパルトの足のかかり具合を確かめながら、私はそう答えた。

 

「ああ、その通りだ。君は後方の敵艦隊、空母ヲ級の横っ腹を突け。空母を叩くのが一番早い」

 

「前と同じですね。旗艦を叩けば、敵艦隊は司令塔を失い、帰っていく」

 

「駆逐艦にできることはその程度だが……今回は戦艦はいない。今回の空母程度の装甲も駆逐艦の主砲で十分に貫ける」

 

 今回の艤装は前回とは少し異なっていた。主砲ではなく高角砲。主砲より威力が少し落ちるが、連射性が少しだけ上がる。

 電探も少しグレードアップしているらしく、いつもより音の冴え渡りが違う。

 

「とにかく、君は駆逐艦の高速力を生かして敵艦隊に奇襲。魚雷で攪乱させ、その隙に砲撃で徐々に損害を与えればいい。奇襲を成功させるんだ。それだけで敵を混乱させることはできる。戦況は少しながら有利になる」

 

「分かりました。準備できています…」

 さあ、静かに燃えろ……私の中に眠る魂たちよ。

 今はまだ騒ぐな。戦場へ連れて行ってあげる。

 だから―――力を貸して。

 祈りを、願いを、力を―――爆発させろ。

 

「―――――駆逐艦《吹雪》、出撃します!!」

 

 答えは海にしかない。

 

 

 

 昼過ぎの海は少しだけ騒がしかった。風が強く波も高い。容赦なく打ち付ける潮風が冷たい。

 だが、空は打って変わって晴天。水平線まで雲一つないのが何とも季節外れだ。

 その水平線から黒い影が徐々に目に映り始める。空には黒い虫のようなものまでたくさんいる。

 昼間の戦闘だからやや前回とは違うし、敵にも見つかりやすい。

 

 ふと、視界の端に海上に立つ煙が見えた。恐らく「彼女たち」の戦闘が始まっている。少しだけ好都合だ。

 敵にどれほどの情報があるかは当然分からない。海軍にのみ艦娘が存在しているという情報までか、もしくは私の存在もばれているか。

 なんとなく後者な気がするが、私も海軍所属と思われているのが妥当だろう。だとすれば、前方の敵に私がいると考えるはず。

 

「――――両舷第三戦速」

 速度を上げたのはある予感がした瞬間。

 やや出遅れたのを悔やみながらも私は速度を上げた。

 

「気付かれた……電探にかかったのかな?」

 急速に接近してきた黒い影。両腕に黒い装甲と砲塔に魚雷管。

 白い牙の生え揃った口から黒い砲塔が覗いている。

 極めて人型に近い。背中から伸びる黒いチューブが両腕の艤装に接続している。青い目には狂気が深く刻み込まれていた。

 正面から向かってきてるのはリ級か……簡単に仕留められる相手じゃないけど。

 

「お願い、当たってください―――――ッ!」

 あくまで牽制するための砲撃。反航戦のこの状態。

 上手くやり過ごして一気に敵の本陣に突っ込む。

 鈍く響く鉄の音。

 リ級の装甲をかすめる。少し損傷を与えたが、すぐに反撃を受ける。

 叫び声を上げながらその感情を高めたリ級の砲撃が私が通った後の海を割っていく。

 

「……あなたに構ってる暇はないの」

 鉄が突き刺さるような音がして、リ級の足元から何かが吹き飛んだ。

 恐らく、機関部に命中した。船速が落ちていき、それだけを確認してただまっすぐ進んだ。

 

 敵艦隊が本格的に目視で見える距離までやってきた。

 手前にヌ級が三隻とその奥にヲ級。

 こちらに振り向く前に魚雷を隊列に撃ちこむ。この距離なら十分だ。

 

「魚雷発射用意っ!!」

 

 ふと、大きな帽子のような艤装を頭に乗せた深海棲艦が私を見た。

 白い髪、白い肌。青い目。とてもきれいな顔をしている。

 まるで深海の水のような冷たさ。そんな色を感じさせるヲ級の目が私を捉えていた。

 

 突然、目の前に壁が現れたような錯覚を見た。魚雷を着水させる水面から目線を上げて空を見る。

 真黒な壁のように感じたが、実際それは壁に見えるほどの数ではなかった。

 大量の黒い機体。青い空を汚す鳥でも虫でもない鈍い光を放つ飛行体。

 その緑色の複眼のような目と一瞬だけ目が合った。途端に、飛行体の高度ががくんと下がり、急降下する。

 

「わっ――――あっ」

 一瞬で私の視界は爆撃の水柱に包み込まれていった。

 

 

 

     *

 

 

 

 

「――――なのですっ!」

 変な掛け声と共に私の背中を守る子がイ級に砲撃する。

 

「ガァァアッ!!」

 見事に命中し、イ級は変な悲鳴を上げながら爆発する。

 そんな光景を横目で流し見しながら艤装を操作し、魚雷管を水面に近づける。

 

「邪魔よ!!」

 空を飛ぶ虫は一匹もいない。

 撃ち落とされる心配のない水中を駆けていく槍はまっすぐにクラゲのような深海棲艦の船底に突き刺さる。

 

「――――ッ!!」

 ヌ級は悲鳴を上げる間もなく爆発して海上に黒い煙が立ち上る。

 艦載機の破片、ヌ級やイ級の残骸がその辺りを漂い、なんとグロテスクな光景だろうか。

 地獄絵図とはこのことだろうか?全く戦場はあまり好きにはなれないが、私の中に宿る魂はこの身体を突き動かす。

 難儀なものだ。艦娘とやらも。

 

「ふぅ、なのです!」

 

「息をついてる暇はないわよ。ようやくヌ級一隻落としたんだから。ほら、次が来たわよ」

 ようやく青さを取り戻したと思った空を再び虫の群れどもがのこのこを汚していく。

 緑色の複眼をにらみつけて標準を合わせると、主砲が火を噴いて空を薙ぐ。

 

「はわわわっ!」

 電も随分と動きがよくなった。まだ動きにぎこちなさが残るし、愛らしい声を上げて慌てるのもいつまで経っても直りそうにない。

 対空戦を続けながら、私の目は愛情で重油を漏らしながら息を繰り返す生き物を捉えた。

 

 全く目障りだ。

 

「電、右のイ級。大破状態でも残しておくと面倒になるわ。トドメを刺しておいて」

 

「はいなのですっ!」

 一通り撃つと、電は取舵を取って回頭する。目に勇ましさを持つようになった。背中を預けられるほど逞しく。

 虫の息となったイ級にトドメを刺すために、電は魚雷管をイ級に向ける。

 

「……ガ」

 イ級は大量の体液を口から吐きだしながらも拉げた砲塔を電に向ける。

 こんなに姿になってでも戦おうとするのか。一体、その怨念とやらは何なのか?

 

「ごめんなさい……なのです」

 電が謝罪の言葉を紡ぐ。そう言って、魚雷を撃とうとした。

 

 

 

 

 

 

『――――――――――――――――ですか?』

 

「……えっ?」

 

『戦争に―――――――けど――――――すか?』

 

『生ま――ったら、平和な―――――と―――――いな――――』

 

 

 

 

「―――――――あれ?あっ……あれ?」

 突然電の顔が青ざめて、魚雷管が力なくガシャンとぶら下がる。

 全身が震え始め、海が波打っていた。焦点がぶれ、その手は頭を抱えて、その頭を何か振り払うように大きく横に振っていた。

 完全に無防備を晒して様子が急変した電を見て、私は対空砲火の砲音に消されないように大声で呼びかけた。

 

「どうしたの電!?早くやりなさい!ここに長居はできないわよっ!」

 

「あ……い、電は――――は、はっ……あ……」

 呼吸が大きく乱れて、肩が激しく上下していた。

 額から頬を伝って大量の汗が溢れだして海に落ちていく。

 

「電はっ……電はぁっ!!―――――――――っ」

 訳も分からないことを叫び散らした電のスイッチが落ちたかのように、項垂れる。

「……」

 

 無言のまま、海の上に立ち尽くす。格好の的だが、虫の息のイ級は唸るような声を上げるだけでまともに砲撃もできない。命の焔が燃え尽きようとしている光景を見た電は、光のない眼差しをその生物に向けた。

 

「敵だから……戦争だから、戦わなきゃいけないのは分かってます。でも……」

 一体何を口走っているのか。

 焦る私の耳が、電探が突然左舷から接近する敵影を感知する。

 

「あんた何を―――――――ッッ!!電っ!左舷雷跡!!」

 迫りくる爆撃機をひとまず墜とし、私も転身して電の下に向かおうとしたが、私の目に映る幾本もの白い影。咄嗟に叫んだが、距離が離れすぎていた。手は届かないし、声が届くのにも時間がかかった。

 

「……えっ?」

 ようやく、我を取り戻した電が顔を上げる。自分に何が起きていたのか。状況をうまく飲む込めずに辺りをきょろきょろと見渡して、雷跡を見つけた。

 

「何ですかっ、この数ッ―――――避けきれな」

 無慈悲にもその声は、耳を劈くような爆発音に遮られてを巨大な水柱の中に小さな体も飲み込まれていった。

 近付こうとしたが、敵戦闘機の機銃が私の行き先を阻む。振り返り、主砲に火を吹かせ、三機中一機を撃ち落とし、すぐに電の姿を探した。

 水煙が辺りに立ち込めて視界がかなり悪い。かなりの数の魚雷が爆発したはずだ。

 

「―――ちっ、何をやってるのあの子はっ!?」

 電探が敵艦を探知、その方角に目を向けると、仮面のようなものを被った青い目の深海棲艦がこちらを見ていた。

 明らかに数のおかしい魚雷発射管を携え、激情を剥き出しにして叫び声をあげる。

 

「ォォォォォォォォォォォォオオ!!」

 

「雷巡……こんな時に面倒な。電ッッ!無事なら返事なさい!!」

 チ級が急激に速度を上げて接近してくる。これ以上距離を詰められれば、こちらからも魚雷の有効な距離になるが、向こうの方が数が多い。

 まだ、敵制空圏下。圧倒的不利の状況で、仲間が一人、消息不明。

 

「本当に何してるのよ……ッ!」

 最大戦速で水煙を抜けて、チ級から距離を取ろうと舵を取る。砲撃で牽制しながら、一方で電の姿を探していた。

 

「ォォォォォォォォ!!」

 怒号を上げて魚雷を装填。こちらにその弾頭を向ける。

 

「ったく、あんたの相手をしている暇は――――」

 だったら、迎え撃つまでだ。こちらも魚雷で迎え撃つ。ちまちまと砲撃で相手している暇はないのだ。

 どれだけ多くの魚雷が飛んでこようが、全部撃ち落として避けるまで。私からすれば造作もない。

 魚雷管を構えた時にふと、私とは別の方向からチ級に向かって雷跡が伸びた。

 

 酸素魚雷。普通は目に映らないが、私の目にはその雷跡が見えていた。

 チ級は全く気付くことなく、その餌食となり下から突き上げられるように体が吹き飛んだ。さらに魚雷に誘爆し、戦艦の砲撃でも受けたかのような水柱と黒煙が海上に立ち上がった。

 

「……は?」

 雷跡が伸びた方向に目を向ける。

 水煙の中に膝を突いた状態で魚雷管を構える人影が一つ。

 

「……」

 感情のすべてを捨て去ったかのようなその暗い瞳は、ゆっくりと振り返ると、大破状態のイ級に砲塔を向けて一発撃った。動けないイ級に避けることもできずに、格好の的でしかないイ級は爆破炎上し、そのまま沈んでいった。

 

「……」

 全てを終え、立ち尽くすボロボロの電の下に駆けつけて、私は対空砲撃を続けた。

 

「……ふぅ、無事だったのね。被害状況を報告しなさい」

 

「魚雷管が今のでダメになっちゃったのです……主砲はまだ打てます。左舷浸水、注水復元を始めるのです」

 ぐちゃぐちゃになった魚雷管をパージし、主砲の動きを確かめながら、電は冷静に注水を始めて傾いた身体を水平に戻し始める。

 よく見れば、盾のように付いていた装甲がなくなっていた。

 咄嗟にあれを盾代わりにして使ったのだろうか?

 

「ごめんなさい、なのです……中破みたいです」

 作業の終わった電は私に背を向けて、対空砲火を撒き散らし始める。

 やや覇気も勢いもリズムもない砲撃だった。相当堪えているのだろう。

 

「そう、戦えるならまだいいわ。言い訳は後で聞いてあげるわ」

 

「……叢雲ちゃん」

 冷たい声で私の名前を呼んだ。

 

「何よ。今は余計な話をしている暇はないわよ」

 

「電たちは艦娘です。深海棲艦と戦うことが使命です。だから、敵と向かい合ったら戦わなきゃいけないのは分かっているのです」

 

「何を当たり前のことを言ってるの?」

 

「電は沈みたくはないのです。この戦争には勝ちたいです」

 砲撃音に掻き消されそうな小さな声で、淡々と言葉を紡いでいく電の声が徐々に力強くなっていく。

 

「それでも――――――それでも、命は助けたいと思うのは……おかしいですか?」

 

 艦の記憶。

 

 電と初めて会った時、私は「この娘は使えない」と思った。

 優しすぎる。戦う技術も力も覚悟もあっても、彼女には敵の命を奪うことに躊躇いを覚えている。

 戦わずに分かり合えるのならば、それは良い事だ。だが、私たちが向かうのは言葉も通じない一方的な殺戮が行われる戦場だ。

 余計な感情は、ただの障害になる。

 

 一体、電の記憶が彼女と言う人格にどう影響しているのかは分からない。

 ただ、戦闘に支障を来すのならば、邪魔者でしかないし、悪く言えば足手まといでしかない。

 

 私が彼女を戦場に連れてきたのは、訓練に向き合う想いが誰よりも強かったからだ。真面目に、真剣に、必死に、もがき苦しみ、どんなにきつい訓練にも一切音を上げなかった。

 根性だけは一人前。兵士としては他は全部半人前だ。

 

「……知らないわよ。そんなこと。ただ、自分の身を守るのに一番早い手段は敵の息の根を止めること」

 

 一度は立ち止まった電がどうしてチ級に雷撃を撃ち、イ級にトドメを刺すことができたのか。それは私にはわからない。

 本来、艦娘に宿る戦う意志がダメージを受けたことで喚起されたのかもしれない。

 

「戦争に勝つというのは、何かの犠牲の上に立つということなの。闘争や革命とは違う」

 

 戦うことができるのならば、それでいい。私たちは戦うことで存在意義を示す。

 

「戦争からは何も生まれないわ。ただ、失っていくだけ。それだけよ」

 

 鉄の塊だったころから変わらない私たちのレゾンデートル。

 守るために命を奪うことを躊躇うな。戦場は命を駆け引きを行う場所なのだ。

 

 そう言う覚悟のない者は、邪魔だ。

 私の理想のために必要のない者は邪魔だ。私の背後は任せられない。少し期待していたのだが、彼女はまだ足枷に囚われている。

 もしかしたら……その枷を解き放てるだけの時間を、彼女はまだ過ごせていないだけなのかもしれない。

 人としての形を得てから、まだ時間が経っていない。

 何かの出会いが彼女を変えることができるのならば、それはいい。

 

 いずれにせよ、ここで失うには惜しい。もう少しだけ可能性を信じてみよう。

 

「……あなたは戻りなさい。この先その損傷では厳しいわ。今はちょうど敵が引いてる、時間は稼げるはずよ」

 

「はい……なのです」

 自分は使い物にならない(その)ことを自分で理解していたのか、異を唱えることはしなかった。。

 

「対潜警戒だけは怠らないように。今までソナーにかかってなかっただけで潜んでいる可能性もあるわ。気をつけなさい」

 目に映る一番近い艦載機を撃ち落とし、電が退く隙を作る。

 できる限りの船速を出しながら、電は振り返ることなく戻っていった。

 

「……兄さん、聞こえる?」

 

『あぁ、どうかしたのか?あと、司令官と呼べ』

 

「電が中破したわ。そっちに戻した」

 

『……はぁ? じゃあ、お前ひとりなのか?』

 

「だから、二人ともこっちに寄越しなさい。どうせ本土の方には爆撃機が向かってないんでしょう?」

 

『まあ、確かにそうだが。もう一つの艦隊はどうなっているんだ?』

 

「なぜか奥の方から動いてないのよ。だから、全戦力で叩くわ。私ひとりでもいいけど、念のために2人を向かわせなさい」

 

『分かった。五月雨と漣をそちらに送る…健闘を祈る』

 

「さて、私も私で面倒なことになったわね……1人でヲ級を相手にするとは思ってもいなかったわ」

 

 そもそも、駆逐艦2隻で空母機動部隊を相手にするのに無理があるのよ……相変わらず、賭けのような戦いしかできないのね。

 ろくに哨戒もできないからこんなところまで攻め込まれるし、いつも後手に回されるわね。私たちは。

 そんなことを考えながら、最大戦速で一気に敵本体へと向かっていく。

 

「ァァァァァァァァァァァァ!!!」

 その途中でリ級が私の目の前に立ちはだかった。

 

「……ちっ、次から次へと。あら?」

 

「アァァァァァァ」

 すでに中破状態に近い。機関部がろくに動いてない。振り切ろうと思えば振り切れる程度の速度しか出せていない。

 

「……邪魔よ」

 砲撃を2発、魚雷を3本放ち、リ級を撃沈する。

 先を急ぎながら、私の頭の中に疑問が浮かび上がる。

 中破したリ級。それと明らかに少ないこっち方面に飛んできた艦載機の数。

 イ級2隻、ヌ級1隻、チ級1隻、リ級1隻、こっちで片付けたのはこれだけ。ヌ級が3隻、ヲ級が一隻残っている。でも、今こっち側には数機しか飛んでこない。本土に爆撃が行ったのも最初の第一波のみ。

 

 考えられるのは、温存か、別の誰かと交戦中か。

 

「居ると言うの? 私たちの他にも艦娘が……この先に」

 

 

 

     *

 

 

 

「うわあああああああああああああああああああ!!!」

 叫び声を上げながら、無理やり主機を動かして両舷一杯で逃げていた。

 

「ブゥゥゥゥゥゥゥン」

 虫のような音を立てながら迫る敵機の数は全く減る様子がない。機銃が海を打ち、爆撃機が次々と爆弾を落としていく。

 少しでも立ち止まれば、一瞬で蜂の巣になるか、身体に爆弾が当たってしまえば、胴と脚がさよならだ。

 だが、逃げ続けるのもあまりいい気分じゃない。

 後方から迫る艦載機から一気に距離を取り、振り返る。

 

「―――ッ、えいっ!」

 狙いを付けて高角砲が火を吹いた。濃い弾幕が展開され、空を飛ぶ虫のような敵機を薙ぎ払っていく。

 1機、2機、3機と落とし、向きを変えて戦闘機を撃墜していく。

 残った爆撃機も帰っていき、随分と離れた場所にいる空母の下へと着艦していく。

 

「はぁ…はぁ…流石に多すぎだよぉ」

 汗を拭って、上がった息を少しずつ整えていく。

 弾薬はまだ結構残っているが、燃料の方が心配だ。かなり機関を無理して動かし、速度を上げていった。普通じゃありえない行動をしてしまったので、かなり消費してしまい残量が心配だ。

 遠くに見えるのは3杯の軽空母ヌ級。海に浮かぶ巨大なクラゲのようなその姿に巨大な目と口が開き、その下に頭と明らかにバランスがおかしい身体が付いていた。

 

「……ヌッ」

 

「……ヌッ」

 

「……ヌッ」

 妙な掛け声で大きく口が開くと大量の黒い物体が飛び出してきた。

 

「「「ブゥゥゥゥゥゥゥン」」」

 

「「「ブゥゥゥゥゥゥゥン」」」

 羽音のような音を立てながら、敵機が一気に空に展開し私に迫ってくる。

 

「遠いなぁ……それにろくに近づけさせてももらえない」

 一度大きく回り込む?でも、私の速力で逃げ切れる自信はない。

 こう迷ってる間にも敵は少しずつ前に進んでいる。私の燃料も弾薬も無限にあるわけじゃない。

 退けば守るべきものを見捨てることになる。それは絶対にできない。

 近付いてきた敵機を撃ち落とし、他の艦載機も牽制しながら、魚雷管を海面に向けて腰を低く落とす。

 一気に接近して魚雷をばらまいた。

 

「魚雷発射!お願い!」

 ヌ級に向かって真っすぐに進んでいく四本の魚雷。どれか一本が三杯のうちのどれかに当たればいい。

 しかし、その進路上空を敵艦戦が飛来し、海中に機銃を向けた。

 

「「「ブゥゥゥゥゥゥゥン」」」

 機銃音が轟き、海中で低い爆発音が四回響いた。どうやら全て落とされてしまったようだ。

 

「ダメだ……やっぱりここからじゃ魚雷も通らない」

 ジグザグの航跡を描きながら、ヌ級となるだけ等距離を保ちながら最大戦速で海上を駆けていく。

 

 落ち着いて状況を整理しよう……私は今敵艦隊と全体的に見て同航戦の状態。横から奇襲したつもりが足止めされて一緒の方向に進んでいる。

 私の予定だと正面から海軍所属の艦娘が来て、挟み撃ちにすることになっていた。

 奇襲による攪乱、挟撃、この二つで敵にある程度の損害を与え、撃退する。

 そのために必要なのは、旗艦のヲ級に損害を与えること。ずっと見ていたけど、ヌ級の奥にいるヲ級は一機も艦載機を出してない。

 温存しているんだろう、本土爆撃のために。それでも、こっちが押され気味なのは確かなことだ。

 結果として、水上艦はほとんどあっちに向かった。私が相手するのは空母だけという有利な状況ではあるけど。

 1人でこの数を相手にするのは流石に無理がある。

 

 ふと、ヲ級がある方向を向いた。

 私から見て左舷の方に水柱が立った。水煙が立ち込めて様子がよく分からないが、激しい砲撃戦が繰り広げられているらしい。

 攻撃機が放った魚雷を迎え撃ちながら、放った魚雷を次発装填する。

 

「……ヌッ」

 

「「「「ブゥゥゥゥゥゥゥン」」」」

 ヌ級と艦載機の大半が向きを変えた。左舷の方向、海軍の艦娘が戦闘している方向に航空戦力を向かわせたのだろう。

 僅かではあったがあっちに意識が向いた――――今だ。

 

「両舷一杯!魚雷管発射用意!」

 弧を描くようにヌ級の後方に回りながら、さらに距離を詰めて一気に魚雷をばらまく……1発でもいい。当たれば十分に屠れる。

 軽空母程度の装甲なら魚雷一発で十分に行動不能にできるはずだ。

 正規空母でも当たれば十分に損害を与えられる。動きを止めたところで、飛行甲板を破壊して戦力を削ぐしかない。

 駆逐艦にできるのはそのくらいだ。

 

「当たって……くださいっ!!」

 4本。更にもう片方の魚雷発射管も向けて4本。合計8本の魚雷が扇状に広がり、静かに海中を飛んでいく。

 狙うはヌ級の奥にいるヲ級。指揮は間違いなくヲ級が採っている。

 

「……ッ!!」

 ヲ級も恐らく向こうから来た艦娘に意識を囚われていた。そのためにこちらの魚雷に気付くのに時間がかかった。

 

「よしっ!」

 

「……ッ!」

 その時、突然私の視界にヌ級が飛び込んできた。それは魚雷の進路上。

 まさに壁になるように、盾になるように。

 

「え?」

 ヌ級のいた場所で魚雷が炸裂する。ヲ級に当たりそうだった魚雷が阻まれ、ヲ級は壁になったヌ級の背後で落ち着きをもって逃げていった。

 

「ヲ級を庇った……そんな……くっ!!」

 

「…ッ…ッ」

 混乱したのは私の方だった。ヲ級に向かって砲撃を放ったが、炎上しながらもヌ級は盾として、すべての砲撃を受けきった。

 1発が装甲を貫き、ヌ級は一気に膨れ上がって大爆発した。

 

「……ヲッ」

 

「「ヌッ…ヌッ…」」

 ヲ級は杖を私に向けた。残ったヌ級が私の方を向いて大きく口を開いた。

 残った敵機が一気に私の方へと迫り、大量の爆弾が海を割っていく。耳に爆音が響き、頭が痛い。

 

「あー、もうっ!」

 急降下して向かってきた爆撃機を迎え撃ち、私の目は鋭くヲ級を捉える。

 息が上がる。全身に徐々に疲労が溜まってきたのか、高角砲も重く感じ始めた。

 

「次発……装填っ!!」

 多分私は長期戦に向いていないのかもしれない。机には何時間も座っていられるが、何時間も走れと言われると多分無理だ。

 

 両脚の魚雷管に魚雷を装填してヲ級に迫っていく。

 ここで終わらせる。爆撃で立つ水柱の間を縫うように進んでいき、視界が晴れたところでヲ級をもう一度見据えた。

 

「……ヲッ」

 その時、ヲ級が艦載機を発艦した。

 

「―――――ッ!!そんなっ、ヲ級が」

 数が違う。艦戦隊、爆撃隊、雷撃隊、ヌ級と数も…恐らく質も違う。

 まさかと思ったが、このヲ級は――――

 

 私を見る目が明らかに変わった。ここで叩き潰しておくべき危険として認めたのか、明らかにこの肌を突き刺す威圧が変わった。

 同時に全身から悪意の塊のような黒い正気が広がり、心なしか黄色く光っているように輝き始める。

 顔を上げたヲ級の蒼かった目は……危険を表すかのように黄色い炎を纏わせて薄暗い闇に光り輝いていた。

 

 予想だにしていなかった最悪の事態―――ヲ級flagshipとの邂逅。

 

 ヲ級なんかとは比べ物にならない。

 火力、装甲、艦載数、全てにおいて空母の中でも最強の部類に当たる強敵。

 駆逐艦1隻でとても太刀打ちできるような敵じゃなかった。そのことにここまで来て気付くことができなかった。

 

「―――――くっ」

 対空砲火を散らしながら、避けていくが爆撃と雷撃が逃げ場を徐々に追い詰めていく。水しぶきが幾度もこの身体に吹きかかり、服も艤装も徐々にずぶぬれになっていく。何よりもさっき機関を蒸かしすぎたせいで速度が……

 

「ダメだ、避けきれない……ッ!!」

 水柱の陰から艦爆隊がこちらへと迫っていた。咄嗟に高角砲を向けたが、当たった時には既に爆弾を投下していた。

 息を呑んだ。

 徐々に迫ってくる黒い塊が私の目の前に吸い込まれるように落ちてきて―――――

 目を閉じて腕で顔を守った。

 衝撃が全身を叩きつけ、身体が抗いようのない力で後ろに吹っ飛ばされていく。

 

「きゃああああああああああああ!!」

 1回、2回、3回、海面に叩きつけられ、顔から思いっきり海水の中に突っ込んだ。

 

「うっ……ううぅ……」

 服が焼け焦げたにおいが鼻をかすめる……痛い。

 足もヒリヒリするし、肩に鈍い痛みを感じる。

 耳鳴りが止まない。視界もグラグラとしており、波に身を揺られているのも相まって、とても気持ち悪かった。

 ――――魚雷管が片方飛ばされた……でも、主砲はまだ使える、運よく浸水もない。

 

「まだ……戦える」

 足をうまく折り曲げて立ち上がり、顔に付いた海水を拭った。ふら付きながらもまっ すぐに立ち上がり、身体の中に籠った空気を一度大きく吐き出した。

 

「ヲッ、ヲッヲッ!」

 黄色い炎を目に灯しながら、杖で残ったヌ級たちに指示を出し、発艦を促す。

 恐らく、ヌ級にはあまり艦載機は残っていない。しかし、ヲ級flagshipの艦載機が航空戦力をかなり底上げしている。

 

「ヌッ……」

 

「ヌッ……」

 残ったすべての艦載機が飛び出してきた。ヲ級の周りを飛んでいた艦戦隊が私をけん制しながら、艦攻隊が魚雷を投下していく。

 残りの燃料全てを絞り出してでも走り出せ、身体はそう告げた。

 走れ。息の根が止まるまで走り続けろ、と。

 

「私は負けない……護らなきゃ、いけないものがあるからっ!!」

 最悪の事態であろうが何だろうが、たとえ敵が私ひとりじゃ太刀打ちできないものであろうが、ここで誰かがやらなきゃいけない。

 もう少し耐えれば海軍所属の艦娘たちがこっちまで来るはずだ。彼女たちの力を借りれば、きっと…きっと…

 

 まだ、私は戦える―――――

 

 

 

     *

 

 

 

「……」

 大量の魚雷が私に向かってくる。その1つ1つを撃ち落としながら、お返しと言わんばかりに魚雷を撃ち返す。

 

「ったく――――」

 器用に躱しながら、もう片方の魚雷管から魚雷を放つ。

 両舷合わせて40門。こんなバカげた軍艦を大昔に作らなければ私たちが苦労することもなかっただろうに。

 

「雷撃が本当に面倒ね……数が多すぎるわ」

 砲撃で魚雷管を狙い、何とか誘爆を狙おうとするが、盾のような装甲で弾かれてしまう。

 その向こうで赤く光る眼、チ級eliteか……面倒だ。まさか中位個体が攻めてきているとは報告になかったし、気付かなかった。

 戦闘状態に入るまで、別の言葉で言えば、興奮状態に移行するまで目の色が変わらないのが難点だ。

 敵の構造もよくできているなどと感心しながら、冷静に大量の魚雷を回避していく。

 

「ガァァァァァ!!」

 

「―――――邪魔なのよッ!!いいからさっさと……沈めっ!!」

 直撃コースの魚雷をすべて撃ち落とし、

 

「――――――ッ!」

 お返しにこちらの魚雷をぶつけてやる。

 

「ガァァァァァァァァァァ!!!」

 だが、生憎私の魚雷は旧式。十分に戦えるから別にいいのだが、雷跡がはっきりと見えるため、全て撃ち落とされるか避けられるか。

 そんなのは分かっている。だったら。どちらかに避けるしかないように撃てばいい。

 

「もらったわッッ!!」

 逃げた先に砲撃を集中させる。

 1発、2発、3発。チ級がやや押されて後方に押し込まれたが、盾の装甲が分厚すぎる。

 

「―――――ッ!!」

 シュゥゥゥと煙が立ち、私の砲弾は一発も装甲を抜けずに弾き返された。

 

「ちっ……」

 こいつの相手をしているのは面倒だ……とっとと空母を全部沈めてしまった方が早い。

 でも、背後に重雷装の敵、周囲には敵艦載機の群れ。下手すれば痛手を負う。

 いっそ、距離を詰めて格闘に持ち込んでダメージ与えた方が早いかもしれない。艦娘の状態と艦娘の力なら、鍛えれば深海棲艦の装甲を撃ち抜けるくらいの拳なら放てるだろう。実際、過去の戦いにおいて駆逐艦を殴り飛ばして沈めた戦艦もいると言うし。

 

 などという、雑な思考が邪魔をする。

 

 誰かこの先にいるなら合流した方が……でも、やっぱりこいつは始末した方がいい。

 面倒引き連れて合流なんてすれば、私の面子に関わる。

 

「ァァァァァァァァァァ!!!」

 

「さぁ…とっとと決着をつけましょう……」

 主砲を構え、チ級eliteと向き合った時、ふと背後で水柱が立つ。対空電探が反応し、上空の敵機を捉えた。振り返った瞬間には爆撃が一帯を覆っていく。近くに味方がいるにも拘わらず。

 それにしても、この絨毯爆撃は普通のヲ級じゃできない火力だ。

 報告と違う。ただのヲ級じゃない。

 爆撃を掻い潜りながら、上空に対空砲撃を放つ。そして、眼にした艦爆の種類がヲ級のものではないことに気付く。

 

 flagshipか……また面倒な相手だ。

 これは私一人で向かうより、後方からこちらに向かっている五月雨と漣を待った方がいいかもしれない。

 一瞬で海水が巻き上げられ、辺りに水煙が立ち込める。視界が悪くなり、チ級eliteの姿を見失った。

 この状況は避けたかった。チ級とヲ級に挟撃されるこの状況はあまりにも分が悪すぎる。

 

「――――そこね!!」

 

「ガァァァァァァ!!」

 水柱の立った方角に主砲を向ける。

 海面に伸びる水の壁を突き破り、こちらに砲塔を向けた赤い眼。

 距離を詰めて接近戦に持ち込んできた。口を馬鹿みたいに開き、甲高い奇声を上げながら左腕の艤装を伸ばしてくる。

 咄嗟に砲撃したが、右半身の盾のような艤装の右半分を抉り飛ばしただけ。

 仮面から覗く赤い眼が私の目を強く睨みつける。怨念とやらが渦巻く赤い炎。その奥に広がる黒い闇。

 それがどうした?私を恐怖させることが目的か?

 もう一度砲撃を撃ちこむ、盾が完全に吹き飛ぶが、怯むことなくその牙を私に向ける。

 

「―――このっ!!」

 右手のマストに力を込めた。一応、刺さりはするだろうが、まあなるようになればいい。

 

――――――ヒュンッ、ガンッ

 

 私の顔の真横を熱が掠める。耳に響く砲撃音。肉を撃ち抜く鉄の咆哮。

 

「ガッ――――」

 チ級の腹部に巨大な穴が開いていた。色の悪い液体が溢れだし、海面に広がっていく。

 

「……沈みなさい」

 ほとんど零距離。外れるはずもなく当たれば必殺。

 顔に照準を合わせた主砲が火を吹いた。

 チ級の顔が吹き飛び沈黙する。加えて魚雷を2本放って後方に下がる。

 チ級の身体が爆発に飲み込まれ、黒煙に包まれて海底に沈んでいく。

 

 そのまま転身して、一気に飛び出すとすぐそこにヌ級が迫っていった。

 誰かの方を向いている、完全に隙だらけだ。

 残った2本の魚雷を放ち、ヌ級へと雷跡が伸びていく。

 

「―――ッッ!!」

 両方が命中し、ヌ級の下半身が吹き飛んだ。そのまま、飛行甲板が吹き飛び、誘爆。

 一気に爆炎を上げて沈んでいった。

 

 静寂が訪れたかと思えば、恐らくヲ級の艦載機だろう。

 休む暇もなく、こちらに戦わせるつもりか。爆撃機が3機急降下してくる。主砲を迎え撃つように向けたが、3機とも爆弾を落とす前に撃墜される。

 

 

 ―――――誰だ?

 

 足を止めた私の背後にふと気配を感じたが、振り返る寸前に私の目の前から敵艦戦が機銃を放つ。意識を向ける暇もなく、対空砲火を広げていく。電探が後方からの敵機接近を知らせていたが、どういう訳か全て撃ち落とされていく。

 いや、すぐ側で砲撃音がしている。真後ろに…誰かがいる。

 

 

 

 

「――――ねえ、あなたは海軍の艦娘?」

 

「そういうあなたは誰?」

 

 

 

 

 

 この子が……ル級を仕留めた艦娘なの……?顔を見る余裕がないわね。

 振り返ろうとしても、敵機の数が多い。後ろにいる何者かと私を包囲するように大量の敵機が円を描いて上空を飛び交っている。

 

「あんたは艦娘でいいのよね……?」

 

 

 

 

 とても凛々しい力強い声。一歩も引く気のない覚悟と力を背中越しに感じる。

 どの子だろう?顔見たいけど、振り返る余裕がない。

 

「うん……多分、それで合ってる。きっとこの場にいる目的も同じのはず」

 私は恐らく艦娘で合っている。この人たちにとったら艦娘ではないのかもしれないが、私は艦娘だ。

 

「だったら、それでいいわ。誰だろうとどうでもいい。力を貸しなさい」

 だが、信じてもいいだろうか?私は海軍からみたらアンノウンだ。

 要注意人物、いや要注意艦娘のような扱いをされているのではないだろうか?

 

「……私はあなたを信じてもいいの?」

いや、あなたは私を信じても大丈夫なの?

 

 

 

 

 

 信じてもいいか。

 確かにこの子の素性は全く分からないし、私たちが表に出たのも昨日だ初めてだ。

 この子自身、自分が何者か分かっていない可能性がある。艦の記憶とやらに導かれてただ戦っていただけかもしれない。

 海軍が健在だということを知らないのか、それとも海軍を信じられないのか。

 今はどちらでもいい。戦える力が、生き残れる力があるのならば――――――

 

「信じなさい。私もアンタを信じてあげるから」

 背中を預ける、いや背中を守ることで信頼を得ることはできるだろうか?

 

 

 

 

 明確な根拠はない。

 ただ、背中越しに感じる自信に満ち溢れた存在感。凛々しい声から伝わる気迫。

 この人は強い。この人は頼れる。味方にいてくれて心強い。曖昧だけどそう思った。

 これが本物の艦娘なのだろうか?実際の艦娘とここまで近づいたのは初めてだ。少し昂揚しているのも嘘ではない。

 

 疑う?信じられない?彼女は誰だ?

 私が憧れた艦娘そのものなのだろう?だったら、元から私がやるべきことは決まってたんじゃないか?

 

「分かった、信じる。ううん……信じさせて欲しい」

 

「……悪くないわ。じゃあ―――――あんたの名前は知らないけど」

 

 

 

 

 そう名前は知らない。

 だが、共に海の上で戦う者として。艦娘という戦船の魂を背負った者として。

 

「―――――背中預けたわよ。私についてらっしゃい!」

 

 

 

 

 名前も顔も知らない。

 だが、私の憧れとして。同じ人類を護る英霊の魂を継ぐ者として。

 

「―――――うん、預かった……!あなたの背中は私が守る」

 

 

 

 

 共に戦おう。護るべき者を護るために。

 

 

 




えっ?普通顔くらい見えるだろうって?
ご都合主義です(にっこり)


ところで第二章完結してませんが、第三章の構成が大体できました。
第三章はなんと、主人公が不在です(盛大なネタバレ)。
第一、第二章と違って短編になります。
と、いうか一章と二章が予想より長くなりすぎただけですが…あっ、嫌な気がする。

では、第二章を頑張って仕上げていこうと思います。
恐らく、残り2~3話。来週までには完結する予定ですのでよろしくお願いします。


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神の盾

『いいでしょう―――ザザッ――がお相手します……ッ!!かかって来なさい!!』

 

『――――お願いっ、撃って!!一機でもいい、引きつけて……ッ!!』

 

『まだ終われません…お姉様たちが命を賭して守ったこの大地を―――守らなくては……』

 

『主砲っ、対空砲っ、撃ち続けて!!この国を守るためならこんな身体どうなろうと大丈夫です!!』

 

『当たって―――当たってッ!!ああっ――――!!』

 

『被弾、した……ま、まだやれます……主砲撃て!!』

 

『こっちを向いて。こっちを狙って……届いて……届いてッッ!!』

 

 

『―――――――――――』

 

 

 

『お姉様、ごめんなさい……』

 

 

『これが、これが、残された―――ザァ――の運命ならば……これが――ザァ――の背負わなければならない運命だと言うのならば』

 

 

『全て…受け入れます…』

 

 

『ごめんなさい……』

 

 

 空を仰ぐ度に脳裏に過るこの映像は何だろう?現実の空と重なり空に伸びるこの手は何だろう。

 黒い空、青を阻む鉄の城。その向こうにあるなにかを求めて、喉が焼き切れるほどに叫び続けるこの声は―――誰?

 私の中で未だに空に手を伸ばし続け、その頬に涙を流すあなたは、誰?

 

 

 

 

     *

 

 

 

 

「――――御雲司令ッ!呉、舞鶴より入電!まもなく到着するとのことです!!」

 

「はぁ…やっとか。結構ギリギリだったぞ…」

 水平線より流れ出る黒煙に目を細めていた御雲月影は、長い間遠くを見過ぎたせいで凝ってしまった首をぐるりと回し、窓から離れ席に着く。

 あまり座りごこちは良いと言えない革の椅子に腰を掛けると、深く溜息を吐いて、電報内容を読み上げる部下の声に耳を傾けた。

 ここにきてようやく遅れを取り戻せる。十隻しかこの国に配備されていないイージス艦を2隻失い、さらに残った2隻は先程の本土空襲で僅かであるが損傷を受けた。

用意していた12隻の護衛艦は昨晩、艦娘の到着までに奮闘したが、装甲を紙のように貫かれ健在しているのは5隻。うち損傷がないのは後方に下げていた3隻のみ。

 実際に目の当たりにして実感するその脅威。大きさは人と変わりもしないのに、神の如く人類の産物を踏み砕いていく。

 技術力、兵装の性能、どちらも第二次大戦時よりも遥かに進んだ技術だ。

 

 それなのに、あの黒鉄の肉体に孕む怒りを掻き消すには能わない。

 一体先人たちはこの化物たちからどうやって生き延びてきたのだろうか?

 艦娘などという希望さえ存在しなかった世界で。

 

 

 先程の防衛戦は少なくとも我々の勝利だった。

 予想していたよりも敵機の数が少なかったため、2隻のイージス艦と2人の艦娘の連携で上手く撃墜することができた。

 艦艇と艦娘の共同戦線。過去に事例があったかどうか、少なくとも月影自身は知らないため、うまく行くかどうかの自信はなかった。

 だが、今回の戦闘データを元に何かしらの策を練ることができるかもしれない。

 

 なにより、我々人類には艦娘の数が少なすぎる。たとえ、性能が劣ると分かっているとしても、既存の護衛艦隊を盾にしてこの国を守らなければならない。

 

 どのようにして奴らとうまく戦うか―――この時代の艦娘艦隊の司令官としてその手腕が問われる。

 そのプレッシャーは「修羅」と謳われる父と無言のまま2時間向き合って座っていたあの時よりもずっと重い。

 

「―――《こんごう》と《きりしま》は一足先に横須賀に返すと報告しろ。戦闘も反撃されないように。接近を許したら即海域を離脱しろとも」

 近付かれればおしまいだ。昨晩に至っては距離を取ろうとも戦艦の射程に苦しまされた。こういった生の経験を積み重ねて戦場を知るしかない。今は過去の情報だけではなく、現在の情報さえも必要なのだ。明日起こるかもしれない敵艦隊の侵攻のためにも一つでも多くの情報がいる。

 

 語り継がれるだけでは知りえない実際の脅威の姿。

 我々、人類の力だけでは勝てない。そう痛感することしかできない。

 だから、彼女たちに全てを託すしかない。

 

「戦闘を行い、データが欲しいのならば、うちの艦娘たちの邪魔はするなとも伝えておけ。特に呉のあの馬鹿にはよーく伝えておけ」

 

「はい!では失礼します!」

 焦るな。だが、急げ。

 一刻も早くあの時代に追いつけ。

 この世界を一度守って得た名声、海軍としてその矜持を保つために、この地を奴らの血で汚すことはさせない。

 

 古き兵たちの声に耳を澄ませ――――希望(みち)はそこにあるはずだ。

 

 

 

     *

 

 

 

 杖を前に突き出す。

 頭部の口が開き、次々と溢れだすように小さな黒が飛び出していく。

 

「ヲッ!」

 一気に空に広がる艦載機の数が増えた。溢れ出すようにヲ級の格納庫からUFOのような艦載機が複眼を光らせて私たちの頭上を飛び交う。

 

「―――ッ!…ッ!…ッ!!」

 この光景はいつかテレビで見たような気がする。

 イルカが小魚の群れを追い込むあれだ。

 私たちの周りを囲む艦載機の大群はまさに黒い壁。一歩も退くことも進むこともできないように、狩りのように私たちを追い詰めていく。

 

 しかし、退く必要はない。後ろには彼女がいる。

 顔も知らない、名前も恐らく知らない。そんな彼女だが信頼できる。

 彼女の存在が私を支えている。私を強く立たせている。

 後は私の体の中で燃え上がる闘志を爆発させるだけだ。私の手にある高角砲が火を吹き、黒い壁を火の玉に変えていく。

 

「……」

 焦る気配もない。戸惑う気配もない。急降下爆撃をしようとした爆撃機、雷撃を放とうとする雷撃機、こちらに機銃を向けて迫る戦闘機。多くの敵機の中から最も迅速に対応しなければならない機体がこの子には見えている。

冷静に主砲のトリガーを引き、淡々と正面からくる敵機を撃墜していく。

 

「左、雷撃」

 

「うん―――――ッ!!」

 背中越しに届く声に答えて、私たちは立ち位置を変えて、雷撃機が放った魚雷を撃ち落とす。

 

「―――――ッ!」

 更に入れ替わり、飛び去ろうとした雷撃隊を殲滅し、その直掩機に砲口を向ける。

 めちゃくちゃに機銃を撃ちながらこちらに突っ込んでくる艦戦隊が右舷から迫る。

 

「……ちょっと押すわよ」

 

「えっ、ちょっ……!?」

 背中に負っている艤装同士が激しくぶつかりバランスが崩れる。

 彼女の目と鼻の先を機銃の弾が横切って水飛沫が上がっていく。

 そんな悪い体勢で彼女は主砲を動かして、艦戦に1発2発3発、3機すべてを撃墜。少し前のめりになった姿勢をすぐに正して、急降下してくる爆撃隊に向かって弾幕を展開する。

 

「ふっ……」

 火薬の匂いが鼻を掠める。砲撃の反動が身体に響き、私の心は昂揚していく。

 

 ここが私たちの戦場。

 答えを求めた海の上。

 放たれた弾丸が小さな機体を撃ち抜き、翼を抉り、狂気の爆弾魔の魔の手が私たちに届く前に叩き落とす。

 

「ありがとう……」

 

「口開く暇あるなら撃ちなさい……」

 水柱が立つ。掃射された機銃が海を穿つ。海中で爆発する魚雷が、爆弾が、低く唸って炸裂し、私たちの足下から海を突き上げる。

 

 トリガーを引き続ける。仰角を大きくとり空を仰ぐ砲身から弾丸が滑り出すように飛び出して、空を駆る黒い鉄塊を撃ち抜いていく。

 

 残った弾薬全てをフルで回す。それは自動装填じゃない。私の意思で行われる。敵に照準を合わせ、電探に耳を傾け、高角砲を持ち上げて撃ちこむ行程全てに意識を休むことなく回し続ける。

 

 身体的疲労に相まって精神的疲労が積み重なっていきながらも、鳴りやむ気配のない爆発音、機銃音、砲撃音。不思議な戦場のリズムが私の意識をより鮮明に研ぎ澄ましていく。

 

 不思議な気分だ。戦場に意識が没入していく。

 そして、ようやく現れた敵の穴を私は見逃すことはしなかった。

 

「……あっ」

 孤立して無防備なヌ級。背後の子に息を合わせながら反転し、魚雷管を水面に向ける。私に向かおうとした敵機に向かって彼女が無防備な横っ腹を撃ち抜いて、残りは牽制しながら私の時間を作った。

 

「当たって……っ!」

 この距離なら当たる。残った右脚の魚雷管から四本の魚雷を放ち、海水に触れた魚雷は生を得たかのように泳ぎ、ヌ級へと向かっていく。

 

「……ッッ!?!?」

 沈んだ半身に魚雷の弾頭が食い込む。酸素魚雷の炸薬が起爆し、炸裂した爆風が海に響き渡る。

 

「よしっ!」

 これで残るのは僅か。勝敗が決するまで…それほど時間はかからない―――――

 

 

 

     *

 

 

 

 背後で爆音が響き、海上にヌ級の破片がまき散らされる。

 どんな生き方をしていたかは分からないが、対空戦闘が少し下手だが、魚雷の扱いには慣れている。

 

 この子……強いわね。

 

「ガァァァァァァッ!!!」

 真正面からどこに隠れていたのかイ級が飛び出し、大きく口を開く。不潔感漂う口内から黒く主砲が伸びる。

 

「キシャァァァァァァァァァァァァァ!!!」

 加えて右舷から重巡リ級まで。恐らく、襲撃してきた深海棲艦はこれで全てだろう。

 この戦いも終局へと向かってきたというところか。いずれにせよ、私に降りかかる火花は消すだけじゃ済まさない。

 踏みつけて、潰し、砕き、引き裂くまで徹底的にやる。すべてを蹂躙しつくして私は勝利を得る。

 情け容赦など、こんな異形の生物どもには必要ないだろう。

 

「……邪魔よ」

 

「ガッ……」

 アームを動かし、上空に向けていた砲口をイ級に向け、間髪置かずに撃つ。砲塔を吹き飛ばし、イ級の腹が見えたところに砲撃とほぼ同時に放った魚雷が突き刺さる。

 小さなイ級の身体が粉々に爆散する。それを見届けると対空砲火を強めながら、横目でリ級を見据える。

 

「―――――ッ!」

 1発砲撃を放つ。まっすぐに空を切り飛ぶ弾丸はリ級が掲げた砲塔に命中し、腕ごと抉り取る。

 

「ガッ…っ!?」

 隙だらけだ。回避行動をとるか距離を取ればいいものを。

 魚雷を装填。射線上を飛ぶ煩わしい蠅どもを追い払い、四本の魚雷を放った。

 

「……くらいなさいっ」

 雷跡が広がり、リ級が逃げる方向にも伸びていく。

 

「ヲッ!ヲッ!」

 味方の危機にヲ級が反応した。杖を振り、リ級の近くを飛んでいた艦戦隊を呼び戻し魚雷を迎撃させるように指示する。

 

 機銃が海面を激しく撃ち、1本、2本、3本と海中で爆破して無駄になる。

 だが、1本がまっすぐリ級の足元に突き刺さり、海面を盛り上げた。

 

「!?!?」

 その一撃でリ級の身体は大きな水柱の中に消える。打ち上げられた海水が落ちていき、海面に大量の体液が漏れ出していた。

 死んだ敵に用はない。そう思って目を背けた時に、電探になぜかその反応がかかる。

 

「……ちっ、こいつもかッ!!」

 煙る海上に赤い光が灯り私をまっすぐに見据えていた。魚雷管や片腕が捥げたその姿は今にも崩れ落ちそうであるが、全身から溢れだす狂気の威圧は逆に増していく気配を見せる。

 直撃したにも拘らず立っていられるほどタフではないはずだ。だが、存在している以上、上手く避けたのだろうか。

 何はともあれ、ここでリ級eliteの相手をしている暇はない。制空圏下のないこの状況下で重巡を相手にするのはマズい……

 

「キシャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」

 断末魔のような奇声が鳴り響く機銃と砲音に紛れて、強い潮風を裂き私の耳に反響する。

 

 これほど苛立ちを覚える声はない。不快な音は私の世界から消えてしまえ。

 だが――――

 

 私は遠くのヲ級を睨みつけた。

 動揺も焦りも怒りも、何の色も見せない白い肌。

 全く変化しない冷たい表情に、黄色い炎を灯す眼は私を冷たく射止めている。

 明らかに押されていると分かりながら、冷静な判断。

 私にリ級を相手する暇を与えないように、艦載機たちに指示を与えている。

 

「このっ――――ッッ!!」

 焦りからか、それとも怒りからか、自分の中でぐちゃぐちゃになった感情に声を上げた時、私の頭上を何かが翔けていく。

 空を仰ぎその姿を見た。武装はない。機銃も爆弾も魚雷も何もないが疾い……。

 チカチカと何かが光り、そのまま頭上を去っていく。呼応するようにリ級の砲塔がこちらを見た。距離はある、が私の背筋を冷たい汗が駆け下りていく。

 

 間違いない……あれは偵察機だ。どちらのものかは分からない。でも――――

 

 これほど狼狽えたのは初めてだった。

 いや、逃げるな、臆するな。戦場に立つことを決めたのは私だ。傷つくことを選んだのは私だ。

 1秒にも満たない瞬間で多くのことが脳裏を過っていく。作業のように主砲は火を噴きつづけるが。

 認めてやる。一撃くらい受けてやる。

 

「――――撃ってきなさい」

 赤い瞳が私に焦点を合わせた。頬が抉れて剥き出しになった牙がギリギリと軋み合わさるのが窺えた。

 

 その一撃程度耐えてやる―――

 

 

 

「―――――任せて」

 背後からその声が聞こえた瞬間に芯のあるしっかりとした背中に、強い力でこの背中を押し込まれた。

 

 

 

     *

 

 

 

 左肩に力を入れて、少し体を左に動かして身体を捻るようにして押し込んだ。

 脚は大きく後ろに踏み込んで(踏み込むという動作は艦としてどうなのか?)、もう片方の足を少し前に踏み出す。背後の艤装がぶつかり引っかかり、私たちは回るようにして場所を入れ替わる。

 その赤い眼と対峙した刹那、高角砲の仰角を下ろしリ級に方向を向ける。

 結構、賭けだった。敵機も迫っているし、正面じゃなくて真横に撃つような形だ。

 トリガーを引き、弾丸が緩やかな弧を描いていく。

 リ級の仰角を私たちに合わせた砲塔を1発の弾丸が撃ち抜いた。続けてもう1発が腹部に突き刺さり爆発する。

 

 背中を守られ続けた。迫ってきたイ級もリ級も片付けてしまった。

 ただ守られるのは嫌だ。彼女にこの背中を任された以上、何かを返したい。その一心で身体が動いた。

 ここは彼女だけの戦場じゃない。私の戦場でもある。ただの置き砲台なら鉄の塊でもできる。

 私は艦娘だ。その手を伸ばし、守ることができる。

 

「……へぇ、やるじゃないあんた……助かったわ」

 

「えへへ……うわっ!!」

 上機嫌になっていたところを爆撃が襲う。間一髪のところで直撃は避けたが、熱と破片が身体を打ち、服を焼き焦がしていく。

 リ級の撃沈がまるでひとつの括りで、ここからは別の戦いだと言うかのように一斉に爆撃隊と雷撃隊が襲い掛かってきた。

 

「残ってるのはもうヲ級だけよ!!気張りなさい!!」

 

「うん!任せて」

 両目を閉じることなく空を仰ぎ続ける。

 黒い壁の奥に見える青い空を、必ず取り戻す―――

 

「……ヲッ」

 仲間の死に怯むことなく、残った艦載機を発艦し、戻ってきた艦載機を着艦させる。

 空を仰ぎ、敵機を狙ってトリガーを引いていく。撃て、撃ち続けろ。弾薬が尽きるまで撃ち続けろ。

 逃げる敵機を追うように照準を修正して、高角砲を撃ち続ける。

 

 

カチンッ……

 

 

 

「あっ……」

 空虚な音を響かせて、突然私の高角砲が黙り込む。トリガーが軽く空を切り、身体に響いていた衝撃もなくなって突然身体に虚無感が訪れる。

 

――――弾薬が切れた。

 

「う…そ…」

 最悪の事態だ。ただでさえ敵の攻撃が激しくなったというのに、ここで私ができることがなくなってしまった。

 いや、予備の砲塔がある。本来艦娘として生み出された私は元になった駆逐艦《吹雪》にそこそこ忠実に作ってある。砲塔は1つだけじゃない。12.7㎝連装砲を予備の砲塔として艤装に積んでいるのだ。

 だが、電探が警報を鳴らす。こちらに煙を吐きながら突っ込んでくる爆撃機が1機。

 既に被弾している。それでも執念だろうか?暗い眼光がまっすぐに私を見据えていた。主砲を取り出すのには時間がかかる。少なくとも、敵艦載機に囲まれているこんな状況下でできるものじゃない。

 

 間に合わない―――その前に敵機が来る。

 後ろの彼女に助けを呼ぶには精神的な余裕がなかった。ここに来て何か大切な気持ちが途切れてしまった。

 恐怖が身体を支配する。腰から下が全く言う事を聞かない。

 視界が暗くなる。電探音が聞こえないほどに鼓動が強く、早まっていく。

 怖い。嫌だ、逃げ出したい。

 

 絶望が…私を飲み込んでいく――――――

 

 

 

 

 いや、違う。

 艦娘(わたしたち)とは何だ?艦娘と敵の違いは何だ?

 似ている。私たちは在りし日の戦船の魂の残滓。その意志を受け継ぎ、生物の肉体を得た者同士。

 

 対となる、感情をその身に抱く者たち。

 

 私たちには必要ない。絶望などと言う負の感情は…それは深海棲艦(あちら側)のものだ。

 私が抱くべきものはただ1つ。

 

 諦めない。希望という光こそが私たちの核なのだから。

 

 

 視界が冴え渡り、光が戻る。全身を縛っていた恐怖の鎖が解け、私の頭は、私らしく、無茶なことを考える。

 それがただひとつ私にできることだ。何かできるのならば、それこそが光だ。

 最後の掴む糸が切れた時に絶望すればいい。糸が残っているうちは目を閉じるな。自分に言い聞かせろ。

 

 

 戦えッッ!!

 

 

 高角砲には簡単に手放さないようにベルトで固定してある。万が一落としてもすぐに手繰れるようにだ。

 それを引き千切って、私はそこそこの重さのあるそれを片手で持つと、肩の上に担ぎ上げて、身体を少し捻った。

 

 そして、投げた。

 

 

 艦娘の体の構造がどんなものなのか、私は詳しくは知らない。人間と差ほど変わらないとは聞いている。だが、こんな重い艤装をもって動き回るのだから、何かしらの肉体強化はされているのだろう。

 私の場合はそれがあまりなかったのか、元々の身体が貧弱過ぎたのか。

 肩から腕にかけて、今まで感じたことのない痛みが走った。

 

 

 船とか艤装とか、そんな概念、別に破ったっていいだろう。

 私たちは艦娘だ。人の身体をしていて、人と同じように体は動く。

 

 何より、私は元々人間だ。

 船の記憶に拘束され続けるようなことはないはずだ。常識を守れと言われた方が困る。

 

 人間には火事場の馬鹿力というものがある。

 人間は本当の全力を出さないように制御がかけられているとかいう話だが、危機的状況などではそれが外れることがあるのだと言う。

 まあ、迷信なのだが要は気持ちの問題だろう。とはいっても、本当の全力を出せば身体がぶっ壊れる。

 

 自分の骨が耐えられる力以上の力を出せば、骨は悲鳴を上げるのは当たり前だ。筋肉も同じ。とにかく、自分の身体がどうなったのかわからないが、無理やりこじつけてでもしないほどに、痛かった。

 

 それで、高角砲だが、不思議と当たった。

 メキョ、とか鈍い音がして、こちらに墜ちてきていた艦載機はそのまま真下に急降下して私のところまでは来なかったのだ。

 

 運に救われた、そう思うしかなかった。

 投げた高角砲は敵機を叩き落とした後、急な放物線を描いてぼちゃんと海面に着水した。そのまま浮いてくることはなかった。

 

 

 ふと、思ったが今の私はどういう状況だったのだろう?砲塔が吹き飛んだみたいな状況なのだろうか?

 

「ふぅ…助かった」

 何はともあれ、命拾いをした。

 あの状況で身体があんな風に動いたこと自体が奇跡だ。

 

「―――ッ!?」

 そんな呑気なこと考えながら息を吐いて顔を起こした瞬間に、額に軽く鋭い衝撃が走り後ろに少しのめる。反射的に閉じた片目の代わりに、空を仰ぐ私の目に映る3機の黒い影。

 

 しまった―――終わったつもりになっていた。

 当然だ、あんな数いたのだからまだかなり残っているはずだ。油断したところを額に機銃の弾が掠めたのだろう。

 すぐに体勢を立て直して、顔を拭う。

 左手にはべっとりと血が付いていた。さっき掠めた弾丸が額を切ったのだろう。かなりの量だ。

 

 その鮮明な赤に意識を囚われてる間に、次の爆撃機が私に襲い掛かってきた。

 もう投げるものはない…そもそも、投げられる腕がない。右腕は壊れてしまっている。

 今度こそ、覚悟を決めた方がいいのかもしれない。

 だが、眼は閉じない。最後に目を向けたのは、唯一残ったヲ級。絶対に目は逸らさない。この眼光で射抜くくらいの気迫で。

 

 ここで私が逃げて沈むのならば、それは私の負けだ。

 最後の最後まで向き合って、私は私の運と戦って見せる――――

 

 

 そんな激しく揺れる視界の中で、私の目に映るヲ級に天から訪れた巨大な白い矢が叩きつけられた。

 

 刹那、強烈な爆発音と熱風が私たちを襲う。気流が掻き乱されて行き、海上に巨大な炎の柱が上がった。

 そんな風に紛れて、勇ましい少女たちの声が響いてくる。

 

 

「―――――お任せください!やぁーっ!!」

 

「―――――これが!漣の!本気なのですっ!!」

 

 

 

 

 真横から薙ぎ払われて投下する直前で火に包まれて、敵艦爆は四散した。

 砲撃音、機銃音が響き続ける。私の他に3人の砲撃音が……

 

「えっ…?誰が……」

 目を開けた私の身体は健在だった。浸水も損傷もない。ちゃんと海の上に立てている。

 

「ふふっ……遅かったじゃない、二人とも」

 背後の少女が笑いながらそう呟いた。

 

 2人…? そうだ、誰かの声がした。

 あの声はどこかで聞いた――――――

 

 次々と敵機が私たちから剥がされていく。私たちの砲撃じゃない。他の誰かの支援砲撃だ。そのお陰で状況を整理できるだけの余裕ができた。

 まずは私は生きている。後ろで弾幕を張っている彼女も健在だ。

 

 そして――――こちらに向かってくる2つの人影。

 海上を滑走し、両手に持つ主砲と高角砲を空に向けながら、その砲口は火を噴いて敵機の接近を許さない。

 

「徹底的にっ!やっちまうのね!!!」

 そう叫びながら、片目を瞑って気取るピンクのツインテールの子。スカートはメイド服のようなもので、箱のような主砲の上になぜかウサギが乗っている。

 

 駆逐艦《漣》、彼女の名前は確かそうだ。

 

「もう、どじっ子なんて言わせませんからぁ!!たぁーっ!!」

 必死に声を張って勇みながら真剣な顔つきで高角砲を持った手を伸ばす青いロングヘアの子。袖のないセーラー服から覗く腕は興奮からかうっすらと赤みを帯びている。

 

 駆逐艦《五月雨》、彼女はそう名乗っていた。

 

 

 海軍の艦娘たち。確かもう一人いたはずだが、ここに3人集結した。

 救援が来たことに安心して胸を撫で下ろす。良かった……助かった。

 

 いや、それだけじゃない。

 私はヲ級の姿を目で追った。黒煙に呑まれた海上に浮かぶ物体。一体、何が起こったのか全く理解できない。

 いや、理解するよりも早く電探が感じ取った。私たちの右舷後方。水平線のさらに向こう側に何かの反応がある。

 

「――――敵?」

 

「敵じゃないわ。味方よ」

 私の声を聴いたのか、背後の少女がそう答えた。

 ということは彼女の仲間なのだろうか?

 

「え?い、今のは?」

 

「あれはハープーンよ。本当は昨日来るはずの馬鹿どもがやっと駆けつけたのよ……」

 そう言いながら彼女は遥か水平線に目を向けた。

 

 

「――――――この国の神の盾が」

 

 

 




オルフェンズ観てます。大好きです。日曜の楽しみです。

賛否両論ありますが、自分はあの泥臭い感じが堪りません。

やっぱりすげえよミカは…




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衝撃

実は護衛艦とかイージス艦とか実艦とかあんまり詳しくないという……
にわか晒したりしたら許してください…m(_ _)m


「―――《空母ヲ級》、健在です」

 

「よしっ!もう一本撃っとこう。」

 

「た、大佐!!近くに艦娘がいたんですよ!!今のは危険すぎます!!」

 

「アハハっ、大丈夫大丈夫!!艦娘はそんな簡単には沈まないよ。その証拠にヲ級には全く効いてないでしょ?まあ…その反応を見たいんだけどね?」

 

『ザ―――ザザッ―――――おい、ハープーンぶちかましたのはどこの馬鹿女だ?』

 

「おっ、久しぶり~!舞鶴の生活はどう?」

 

『……お前は相変わらずだな。これから艦娘の提督になるかもしれんのに、その破天荒な性格は直らんのか?』

 

「んー?これは私の生まれつきの性格だからこれは直らないかなぁ?私のところに配属されたら慣れてもらうしかないなー」

 

『もういい。お前は御雲大将の説教でも受ければいい。人の上に立つ者としての在り方をもう一度叩き込んでもらえ。そのまま死ね』

 

「んー、私一人じゃ嫌かなぁ?それより、オート・メラーラ砲も試したいから援護してくれないかなー?」

 

「ちょっ、大佐!!」

 

『水平線から先に出れば敵に目視で観測される。御雲からの報告を聞いただろ?こっちは深海棲艦に比べたら紙みたいな装甲だ』

 

「でもさぁ……君さ深海棲艦見たことある?」

 

『映像でなら見た。この時代(・・・・)の艦娘も見た。あれは…《叢雲》だったか?』

 

「生で見たことはないんでしょ?じゃあ、この目で見なきゃ。私たちの時代でどれだけ抗えるか試さなきゃ」

 

『先の戦いのように犠牲を生みながらか?』

 

「犠牲を生んででも進み、最後に勝ったのが伝説の時代だよ。ただでさえ、敵にも伝説にも遅れてしまった私たちが軍人として国を守るとするのなら」

 

『……』

 

「――――敵の力を知らなきゃ、護るものも護れないよ?」

 

「って、ことでハープーンをもう一発撃って様子見をしてみよー!あっ、ついでにVLSのSAMも航空機にぶつけてみて?」

 

『もう知らん、勝手にしろ。沈んだら助けてやる』

 

「艦娘の頭上にですか?戦闘に支障が出ると思われますが……」

 

「大丈夫大丈夫!そもそも、君は勘違いをしているよ?」

 

「――――私が試してるのは、別に深海棲艦だけじゃないんだよ?」

 

 

 

     *

 

 

 

 続いて、火に包まれたヲ級の真横からぶん殴るように白い槍が突き刺さり、肉を潰しながら炸裂する。

 私の知らない圧倒的な力。私の目の届かないところから迫る銛のような強力な一撃。

 

 私は艦娘の事ばかり知ってきたから現代の艦艇にはあまり詳しくないのだが、これが現代海軍の誇る「神盾(イージス)」。

 なるほど。確かに強力だ。対艦戦ならば、私たちの基となった軍艦の時代ならば、その力を存分に発揮できるだろう。

 深海棲艦の滅んだ世界で人に対して向けるには十分すぎる矛だ。

 

 

 

 

『どうして艦娘の攻撃はどんな兵器も弾き返す深海装鋼を破壊できるのか?』

 あの地下工廠で妖精は唐突にそんな感じに話を始めた。

 

『理由は簡単だ。人間が使っている鉄鋼、炸薬、そのすべてと艦娘の艤装は違う。詳しいことまで話せばかなり長い話になるが、深海装鋼はこの世界のあらゆる物質に見られない特殊な波長でその構成物質の分子が振動している。これが外部からの衝撃に対して変化し、時には強く、時には靭く、分子間の結合強さを変化させる。万物を破壊する共振兵器が深海棲艦に効かないのは、固有振動数さえ変化するからだ。非定常な振動数に共振兵器が固有振動数を特定することができず共振が発生しない。その他にも熱、化学物質、放射線さえも深海装鋼表面の特殊振動によって内部への侵入を阻害される』

 

 正直理解できなかったのだが、なにはともあれ、深海棲艦を形作っている物質が凄いということは分かった。

 

『そして、艦娘の装甲も似たような物質で作られている。似て異なるものではあるが、その異なるというのもかなり微妙な違いだ。前の時代では《FGF(Fleet Girls Frame)》などと呼ばれていた。どうやって生み出されたかは完全にブラックボックスだ。まさに神が生み出したと言ってもいい。何?妖精はなぜ作り出せるのかって?それは考えたことはないな。私たちは「そう言う存在」であってそれ以上でも以下でもない。そもそも、私たちは考えることなんて本来ないのだよ。ただ与えられた命令に従って作業を行うアルゴリズムを組み込まれた世界のプログラムのようなものだ……話が逸れたな』

 

 そんなめちゃくちゃな…

 

『FGFは物質というよりは構造なのだが、深海装鋼の発する振動に干渉することができる。しかもこの干渉波があらゆる衝撃に対応する特殊な振動を打ち消す方向に働き、深海装鋼の強度が一気に落ちることになる。あとは弾丸や魚雷の持つ運動エネルギーや炸薬で破壊する。ん?では、艦娘の装甲を近代兵器に取り付けて戦えばいいのじゃないかと?君の主砲をミサイルに括り付けてぶつけてみるかい?』

 

 そうとは言ってない。私の主砲がミサイルのように飛んで来たらそれはそれで嫌だ。

 

『面倒なことにFGFはそんな便利なものじゃないんだ。ここから先は本当にブラックボックスで私もよく知らないが、干渉現象を起こすにはかなりの条件を満たす必要がある。それでその条件がかなり曖昧なもので一つ目から「在りし日の戦船の魂の放つ特殊な波動が発動条件」などというかなり訳の分からないものがある』

 

 あれ?それって。

 

『そうだ、君たち艦娘にしか扱えない。ものがものだけに扱いが難しいというやつだ……はぁ、君は理解してないから今の話を簡単にまとめると、つまりだな――――』

ハハハ、申し訳ない。

 

『艦娘以外の兵器で深海棲艦を打倒することは不可能だ』

 

 

 

 

 果たして魂が波動を放つのか、振動するのか、そんな議論をしていれば日が暮れる。

 私がこんな頭が痛くなる話を持ち出したのには、立ち上る黒煙の中で消えることなく、黄色い炎が揺らめいているからだ。

 あれだけの威力を発揮する現代兵装でさえ、全くものともせずに炎の中に立ち尽くすその姿。過去の人類はこの姿に数え切れない絶望を積み重ねてきたに違いない。現に私だって少し膝が震えている。

  

 こちらの力が通じると分かっているからこそ戦える。あちらの兵器はこちらに通じると知っているからこそ戦いを拒もうとする。

 かつての人類の戦いはこうだった。

 

 だが、こちらの兵器は全く通じない。あちらの兵器はまるで理解できない。

勝てないと思って戦う人はいない。みな、自分の命が、大切な人と送る明日が惜しいに決まっている。どれだけ勇み口を叩こうが本質はそうなのだ。

 

 だからこそ、この存在だけは――――唯一戦える私たちが還さなければならない。この海に。

 

 時間は神に与えられた。片腕でなんとか主砲を換装し、トリガーの感触を確かめる。

 内蔵されている僅かながらの弾薬を装填。痛めた右腕を添えるだけ添えて、もう一度空を仰ぐ。

 

 と、その時、上空を飛ぶ艦載機群に横から幾本もの矢が薙ぎ払い、蹴散らしていく。

 これもイージス艦からの攻撃なのだろうか?糸に引かれるように命中していくミサイルは弾頭を黒いボディにめり込ませ炸裂する。

 ヲ級を撃破できていないことにはイージス艦側も気づいているはずだ。それなのに、攻撃を加え続ける理由は何だろうか?火の粉は私たちにも降り注ぐ。

 だが、その様子はまさに蹴散らす。敵機の破壊まではいかずに、バランスを崩した多くの艦載機がすぐに体勢を立て直して飛び去ろうとする。

 その一瞬を見逃すわけにはいかなかった。

 爆炎から飛び出した小さな的を狙い、トリガーを引く。

 今までより重く感じる反動。ずしりと腕から胸に響き心臓が一瞬飛び跳ねたように身体が弾む。

 

 放たれた弾丸は確かに敵機を穿つ。これならいける……確信が徐々に形となっていく。

 それでも、ヲ級の目は一切の焦りの色も見せることなく、冷たく私たちを見据えていた。

 

 

 

     *

 

 

 

 ここまで追い込まれておきながら冷静に対応するその精神力は敵ながら認めてやろう。

 黄色く光る眼には冷静さの中に潜む黒い炎が揺らいでいる。

 今度はヲ級にめがけて魚雷を放った。無論、命中させるつもりであったが、半分は試すため。

 ここまで冷静に対処されると相手の焦りを把握したくなる。この乱戦でどれだけの敵機を削ったか把握してもいない。

 どれだけの余力があるか確かめた4本の魚雷を飛ばす。

 

「ヲッ!」

 ヲ級の対応は極めて冷静であった。体を覆っていた炎を振り払い、横に身体を進めながら、艦戦に迎撃させていく。

 扇状に広がった魚雷は1本がヲ級の逃げた先に向かったが、その1本も命中することなく、ヲ級の左舷方向の離れた場所で起爆した。

 大きな波が立ち、ヲ級の体勢が若干崩れたがそれを補うように、艦戦、艦攻隊が波状攻撃を仕掛けてくる。

 

 上手い、敵ながら見事だ。とでも言っておこうか?

 魚雷を装填し、背後の彼女の様子を見た。ところどころ服が裂けていたり肌が焦げていたり、一度爆撃をまともに受けたか。

 最後まで私に着いてこれるだろうか?まあ、いい。

 ここで試させてもらうことにするわ、謎の艦娘。

 

 

 

     *

 

 

 

 すごい……一瞬の隙であんな正確に魚雷を撃てるなんて…。

 私じゃあんな隙は付けない。

 主砲と魚雷を間髪置かずに撃つなんて複雑な思考を回すことは難しい。

 私が魚雷を撃つ時は助けてもらった。私に向かっている敵機を上手く引き寄せているのも彼女だ。

 

 助けられてばかりだ。私も、私ももっと頑張らなくちゃ。

 ヲ級の体が私たちから外れる。その眼が水平線の方向に動き――――水平線から覗く鋼鉄の塊に目が向いた。

 

 その体は海を翔けていく。マズい…あの方角は。あの船は。

 

「―――ッ!あいつ…ッ!!!」

 彼女も気付いたらしいが、飛び出そうとした瞬間に艦攻隊の魚雷が迫ってきた。

 それを迎撃するのに意識を取られ、出遅れる。海中で魚雷が爆発する衝撃が足の裏から伝わる。

 背中越しに密かな焦りが伝わってくる。まるで進むのを妨害するように攻撃はせず私たちの周りを飛び交っていく。

 

 彼方に浮かぶ艦が砲撃した。ヲ級にぶつかり激しい音が響く。私たちの主砲なんかよりもずっと早く、多くの弾丸がヲ級の身を撃つ。鋼がぶつかり合い軋む音が何度も何度も何度も何度も――――響けど、悪魔の身体は止まらない。

 

「五月雨ッ!漣ッ!《ちょうかい》の援護に向かいなさい!!」

 ダメだ、彼女たちじゃ間にあわない。まだ随分と後方にいるのだ。

 私たちを挟んでヲ級とかなりの距離がある。前に回り込んで止めることなんて難しい。

 あの場所からじゃ、駆逐艦の主砲じゃ、ヲ級には届かないだろう。

 ヲ級を間合いの中に収めているのはあの船と、私たちだけだ。

 

 

「……私がやるよ」

 主砲をヲ級に方向を向ける。

 結構、賭けだった。敵機も迫っているし、正面じゃなくて真横に撃つような形だ。

 

 ゆっくりと息を吸い込む。

 

 近くで聞こえる音が徐々に薄れていく。

 感覚のすべてが薄く 鋭く 狭く 研ぎ澄まされて遠くなっていく。

 

 

 海上に張り巡らせていた意識が糸を束ねるようにして太く一直線になり、ヲ級の足に絡みつき

 

――――捕まえた。

 

 感じ取った瞬間に人差し指を折った。

 ノックバックが肩を打ち、放たれた弾丸が緩やかな弧を描いていく。

 

「あら……?」

 

「――――ッ!!」

 

 ヲ級の黄色く光る眼を的にしたかのように、1発の弾丸が撃ち抜いた。もう1発が頭部の格納庫に突き刺さり爆発する。蓋のような箇所が吹き飛んで、中にいた艦載機が爆発で飛び出して火の玉になって落ちていく。

 

「……やったわね、あれで発着艦はもうできないわ」

 

「えへへ……うわっ!!」

 上機嫌になっていたところを爆撃が襲う。間一髪のところで直撃は避けたが、熱と破片が身体を打ち、服を焼き焦がしていく。まるで着艦していた仲間の恨みと言わんばかりに、一斉に爆撃隊と雷撃隊が襲い掛かってきた。

 

 ここにきて、一気に追い込んできた。何が何でも私たちをここで仕留めるつもりだ。

 駆逐艦娘たかが2隻にここまで追い詰められて、焦っている様子がうかがえる。

 

「向こうも追い詰められてるわ。さっ、とっとと終わらせるわよ」

 

「うん……っ!!当たってっ!!」

 

 

「……っ、……ヲッ」

 思い出したかのように私の目はヲ級を追った。立場が一瞬で入れ替わったことに気が付いたのだろう。いくら神の盾の攻撃を弾き返そうとも、弾き返せない想いがあったことをヲ級は知らなかったのだろう。

 

 確かにflagship級のその力は絶大だった。呼吸を吐く間もないほどの波状攻撃。近くに落ちれば衝撃で足の骨が軋み、機銃が掠めればこの肌を切り裂いていく。

 私たち身動きもできないほどの数の艦載機を操り、圧倒的火力で終始押し続けた。

 味方がどれだけ目の前で沈んでいこうとも、冷静に私たちの光を掻き消すために。

 

 その絶望に私たちが飲まれることは永遠に無い。

 

 大破状態のヲ級がこの場からは退くべきだと判断するのに無理はない。もはや、空を飛ぶ艦載機の数は僅か。自身も発着艦もできずに海に浮かぶただの的。

 この状況では、完全に私たちは優位だ。

 

「――――っ、逃がさないわよ!!五月雨!漣!援護しなさい!!」

 

「ほいさっさー!」

 

「お任せください!」

 そう言うと、対空射撃をやめて彼女は飛び出した。その後を追おうとした艦載機は後方から駆け付けた2人が上手く牽制して追い払っている。

 

「あっ、ちょっと!!」

 私もここで止まっている訳にはいかず、彼女の後を追う。ヲ級を守ろうと敵艦戦が襲い掛かってきたが、私の背後に着いた瞬間に撃墜されて海に叩きつけられた。

 ガタが来ている主機を無理やり動かして何とか追いつき、彼女と横並びの状態でヲ級へと迫っていった。

 

「魚雷を撃つわよ!全部撃ち尽くしなさい!ここでトドメを刺すわ」

 

「う、うん――――魚雷管発射用意!」

 横並びになって残った魚雷管をヲ級に向けると、ふと彼女の姿を見た。

 

 海に溶けるような薄い水色の髪。

 それが広がってよく顔は見えなかったけど、眼はまっすぐに標的を捉えて――――

 

 狩人のようだった。

 

 だが、海上に立ち、今にも魚雷を放とうとする彼女の姿は雄々しくも凛々しく―――

 

 

 ふと、見惚れてしまっていた自分に気付くまで、とても長い時間が経った様な気がした。

 

 どこか納得したように私は頷いた。

 

「―――――行こう!!」

 意気込んで叫び、並び行く彼女に負けないだけの気迫を示す。

 負けていられない。私だって艦娘だ。駆逐艦だ。

 

 この雷撃だけは絶対に外さない。

 

 ヲ級と目が合った。

 以前ル級を倒した時と同じように。だが、あの時とは違う光があった。

 潰れた片目ではなく残った片目には、おそらく彼女の中にある負の感情―――

 

 きっと、悲愴―――それが溢れだしていた。

 何度も崩れ落ちそうになる身体を何度も持ち直しながら、海を進むその姿に一瞬だけ躊躇いを感じたのだ。

 逃げようと舵を切った瞬間に、その体を3本目の神の銛が撃ち抜いた。爆炎に包まれ、視界を遮られ私たちの姿を見失う。

 

 

 きっと、彼女は還りたかったのだ。還るべき場所に。悲痛の叫びが伝わってきた。

 でも、彼女が還るべき場所はそこではない―――

 

 彼女がまだ囚われているというのならば―――――

 

 

 私たちが還すべきなのだ。

 

 対を成す正の存在として。

 きっとそれが私たちの使命なのだと。

 

「海の底に――――――――消えろっっ!!」

 最高に昂った鬼気迫る彼女の叫び声に合わせて、魚雷全てを一気に放った。

 

 

 

 爆炎の中に包まれる彼女は、魚雷が命中する少し前に膝を突いた。

 そして、青い空を仰ぐ。残された生きる時間のすべてをもって空の色を目に刻むかのように。

 左手を力なく空に伸ばした姿に、私は少しだけ目を瞑った。

 

「―――――ヲッ……」

 ハープーンの爆炎を掻き消して、計8本の魚雷が炸裂した。海上に立つ水と炎の柱はまるでここまで奮闘したヲ級という強敵に対して、私たちの中にある英霊の誰かが捧げた墓標のようで。

 戦いの終わりを自覚する瞬間まで、私は身動きひとつとることなく、打倒すべき敵の最期にこの両眼を囚われていた。

 

 

 

 

「はぁ……はぁ……勝った」

 勝利を自覚した私の中で急速に時間が動き出す。突然、おもりを背負った子どもに背中に飛び乗られたかのようにずしりと疲労が襲い掛かった。

 筋肉と骨が悲鳴を上げ、通る熱気と冷気に喉が擦り切れるかのように痛み、頭は熱でもあるかのようにぼんやりとしていた。

 身体の回復を促そうと、大量の酸素を身体に補給するために肺が激しく膨らみ萎む。ゆっくりと体の中を巡っていく空気、海洋を走るこの風に身体を冷まされて、徐々に私の呼吸も整っていった。

 

「……まぁ、当然の結果ね」

 息を乱す様子も見せずに小さくそう言い放った真横にいる彼女。

 辺りには散らばる何かの残骸たち。その中にただ1人、明確な青という色を持って立つ彼女は凛々しいものだった。

 同性の私が思わず見惚れてしまうくらいに……

 

「……えーっと」

 話しかけたのは私の方からだった。

 

 思えば、私は彼女たちからすれば謎の存在のはずだ。突然現れて、どこの所属かも分からず、戦場で出会った。本来ならば、攻撃されてもおかしくなかったのだろう。

 もしかしたら、この後用済みになった私は消されるかもしれない。海軍に拘束されて尋問を受けるかもしれない。

 

 多くの不安が頭の中を巡り巡り、今すぐこの場から大急ぎで逃げることも考えたが、今の私の機関は彼女たちの全力にすぐに追いつかれるだろう。

 何をされるか分からずにびくびくしながら話しかけた私に「あっ」と声を出して彼女はこちらを見た。

 

 

「……そうそう、あんた一体どこから」

 

 内心、一体どんな子なのだろうと期待していた。

 一体、どんな顔をして、どんな眼をしているのだろうと。

 

 

 視線が交錯する。

 

 

 私はこの時どんな顔をしていたのだろう?その場に鏡がなかったのが残念だ。

 

 いや、鏡の代わりになるものならあった。彼女こそがまさに私の鏡だったのだろう。

 

 ぐしゃりと崩れていくその表情が、私の心に浮かび上がった感情を表現するならば、といった感じをまさにそれだったのだ。

 

 

 考えていたことは同じだと言うことだ。

 いや、もしかしたら真逆でこの衝撃で私たちは0に収束して重なったのかもしれない。

 

 お互いに一歩下がり合った。

 2人の間を流れる現実を拒み、離れようとするかのように、何歩も下がっていく。

 

 彼女の顔がどんどん青ざめていき、私の身体から体温が消えていく。

 

 主砲が手から離れ、海の上に落ちた。

 

 彼女の手にあった槍のようなものが、その手を離れ海面に叩きつけられる。小さな飛沫があがる。

 

 広がった波紋が私たちの足にぶつかった瞬間に

 

 

 

 2人の時間は止まった。その一瞬が2人の永遠であるかのように。

 

 

 

 

 

 

 




秋刀魚集めなきゃ…


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Answer





※ シリアス成分注意!!!





申し訳ない。作ってたらなぜかこうなった!


 

 答えは既に決まっていた。

 私が護りたいものは、あの日私に初めて夢を見せてくれたあの子が作る世界。

 艦娘が守り、作り出した平和な世界なんて必要ない。

 私の命はそれでいい。私の人生はそれでいい。

 

 例え、私の願いのために今はあなたに嘘を吐くことになったとしても、全てあなたの未来のためになるのならば、今はこの苦しみも罪悪感も耐えてやる。

 

 

 

「艦娘記念館に……あっ、行っちゃダメだって言われてるんだった。ラクちゃん何か知ってる?」

 

「何って何を?」

 

「お父さんから何か聞いてない?港に行っちゃダメだって。その理由とか」

 

 ええ、知ってるわ。

 この町の沖合に浸蝕域が出たのよ。危険だから近寄らないでおきなさい。

 

「何も聞いてないわよ。てか、軍の問題を娘といえど話すわけないでしょ?」

 

「ま、まあ、そうだよね……」

 

 嘘よ。全部知っているわ。一度私は近海まで偵察に行ってるのだから。

 まあ、もう少し時間はあるわ。大丈夫、あなたが逃げるくらいの支度はしてあげるわ。

 

 

 あなたが港に近づいたと聞いて椅子から転げ落ちた。

 頭の中が真っ白になった状態で喚き散らしていた。自分で何を言っているかも分からないで。

 終わった後に覚えていたのは明日あなたを殴ると言う約束をしたことくらい。

 脚の力が抜けて床の上に情けなく腰を落とした。気が付くと頬を涙が伝っていた。

 

 お願いだから、危険な真似はしないで。

 

 

 

「待って……待ちなさい!!」

 あなたと身体でぶつかったのはきっと初めてだった。それが私にも怖くて思うように力が入らなかった。

 あなたの言葉に耳を傾けている余裕なんてなかった。

 準備がまだ整っていない状態で、こんな事態に陥ってしまったことに対する焦りが、後悔が私の身体を走らせていた。

 そのせいで身体をうまく使えずに、突然あなたが離した手に戸惑ったまま、背中に地面の冷たさを感じていた。

 

 私にあなたを傷付けることなんて無理なんだと理解した。

 でも、あなたが傷付くことはもっと無理だ。

 

 私の、人間の部分が痛む。

 

 

 何でも利用してやる。彼女を守るためなら、親も兄弟も。

 父との縁を切るような真似をしたのは私だ。力を貸せと言ってもきっと聞く耳を持たない。

 

「―――――兄さん、聞こえる?」

 頼りは兄だけだった。私が兄を頼ったことは一度もない。優秀だと周囲はもてはやすがそれほどでもない小さな男だ。

 

「……一生のお願い使ってもいいかしら?」

 でも、私の頼みはきっと聞き入れるだろう。父を説得して協力してくれるはずだ。

 

「そう……私の友達を助けたい。力を貸して」

 見つけないと。護らないと。私があの子を守らないと。そのために手段がいる。力がいる。

 

 例え悪魔にこの身を売り渡し、過去の産物に縋りつくような力を得たとしても。

 

「―――――すぐに迎えに来て。私の艤装をもって、あの子たちも連れて今すぐ」

 

 

 栄光なんていらない。名声なんていらない。

 待ってて、今行くわ。

 

 

 そして、あなたの家で意外な出会いをした。

 私の中に宿る他の艦娘とは違う、戦船ではない先代の艦娘の記憶。

 彼女が一生を共に過ごした伴侶の他に、愛した朋友の記憶に触れた。

 いつでも、彼女だけは頼り続けた。彼女の声にだけは耳を傾け続けた。彼女と一緒に夢を語り合い、背中を預けて戦った。

 

 何よりも信頼し合う、友さえ超えた相棒という存在。

 羨ましいと思った。こんな存在に出会えた私の祖先が。

 

 私はあの子を戦場に立たせたくはない。夢を語り合うことはきっとできない。彼女に私の背中を守らせることなんてできない。

 あの子が私の心の支えであったとしても、この穢れた背中を無垢な背中で支えてもらうことはできない。

 

 

 あの子の夢を守ることができても、私には――――

 

 

 

 

 

 兄に貸しを作ってしまい、しばらくの間兄の指示に従うことでなかったことにすることになった。

 癪ではあるがこの男の指揮に従ってやろう。こんな縛りなければ、いますぐあの子のところに向かうのに。

 

 などと考えながら、兄の部下と話をしていたところに偶然あなたがやってきた。

 

「す、すみません」

 移り変わるその表情が、慌てふためくその声が、こんな状況でも笑顔のあなたを見て、ようやく私は安心することができた。

 後ろに倒れそうになるのを必死に堪えて、この感情を悟られないようにゆっくりと立ち上がる。

 

「いえ、その必要はないわ」

 少し声が震えてしまう。誤魔化すために少し怒ってる風に表情を整えよう。

 

 とりあえず、この子と2人になる時間が欲しい。

 少し仕事をさぼることになったが、どうでもいいか。この町には私以外にも艦娘がすでにいる。

 

「まったく……本当に無事でよかったわ」

 私の差し出した手を申し訳なさそうに掴む弱弱しい力が生きている、夢じゃないという証明だった。

 あなたを抱きしめた時に、この両腕に感じる柔らくて細いあなたの感触がそこにいると言う証明だった。

 

 このとき発した言葉に一切の嘘はなかった。

 本当に無事でよかった。もう今日という日がこれで終わってもよかった。

 なんの不安も心配もない明日になってもいいとさえ思った。

 

 そう言えば、あの子が鞄を投げ捨てていったのは予想外だったのだ。

 彼女の携帯端末から現在地を特定することができたのに、鞄ごと投げ捨てていくからどこにいるか全く分からない。

 今度はちゃんと離さないように返しておかないといけないわね。

 

 

 

 まさか地下水道を知っているとは思いもしなかった。この子は一体どこまでこの町を調べ上げているんだろう。

 

「そんなことまで調べてたの?あんたは勉強熱心ね……」

 

「ははは……実は、その、途中でイ級に襲われちゃって」

 

「はぁ!?!?!?!?」

 まさか深海棲艦を目にしていたとは驚きだった。あれと遭遇して無事でいられる人間なんて滅多にいない。

 

 トラウマになっていないだろうか?

 ふとした拍子に恐怖で怯えるような精神疾患に陥ったりしていないだろうか?

 

 こんな危険な目に合わせてしまったのは私が遅かったからだ。躊躇ったからだ。

 ごめんなさい。あなたに怖い思いをさせてしまって。

 

 

「そ、そうだ!ラクちゃん!ラクちゃんは知ってたの?海軍が艦娘の研究をしてたこと?」

 

 話を逸らすのが上手いわね。艦娘のことになればあなたが黙っている訳がないだけかもしれないけど。

 

 えぇ、知っていたわ。海軍はずっと艦娘の研究をしているわ。

 あの戦争が終わってから100年、ずっと。

 

「艦娘はすでに用意されてたってことだよね?じゃあ、海軍は深海棲艦が復活したことに気づいていたの?」

 

 その通り。私という艦娘の成り損ないが存在していたの。復活していたことに気付いていたのは海軍じゃなくて私。

 

「私がそんなこと知ってると思う?娘にそんなこと教えないわよ……」

 

 嘘よ。全部私が海軍に教えて、急いで準備が始まったのだから。

 

「まあまあ。それより、実は海軍は終戦の時艦娘を全部解体してなかったんじゃないかな?いくらなんでも対応が早すぎると思うんだ」

 

 あら? 半分正解よ。全部解体したことにはしたのよ。

 でも、一部は引き継いでいった。次の世代に、その時代の海を守る艦娘として。代々私の家が継いでいったの。

 

 海外では恐らくまだ起こってないわ。対応が早かったのは――――私がいたから。

 

「海軍はずっと前から備えていた。再び訪れる戦いに。それはきっと報告が先なんかじゃない」

 

 前々から勘の鋭い子だったけど、ここまでの洞察力があるとは思ってなかったわ。

 

「海軍はずっと艦娘を抱えていた。外部に漏れないようにごく少数。そして、彼女たちが再び戦いを予期した」

 

 大正解。

 でも、これが正解だとはあなたには言えないわね。いいえ、誰にも言えないわ。

 あなたたちが信じた艦娘の伝説も歴史も変わってしまうもの。

 夢は美しいままの方がいいでしょ?

 

「でも、おかしいわ。もしその仮説が正しかったとしたら、どうしてこの町は被害に遭ったの?もっと早く艦娘を配備していたんじゃない?」

 

 これは私からの意地悪。これ以上あなたは歴史の真実に…いいえ、私の家が抱えている闇に近づいてはいけない。

 

「……たしかに。なにかそうできなかった原因があるのかもしれないけど」

 

 その原因はまさしく私よ。私が妖精の召喚を拒み続けたのだから。

 だから、この問いかけは私自身に対する皮肉だったのかもしれない。

 

 私がもっと早ければ、この町は被害に遭わずに済んだ。そういうこと。

 

 あなたがこの町を好いていたのは知っているわ。だから、ごめんなさい。

 罪悪感が私の胸を締め付ける。的確に秘密の裏を突こうとしてくるあなたの眼差しにいつか見透かされてしまいそう。

 

 でも、そんな風に純粋に疑問を抱き、真剣に考えて向き合おうとするあなたのその姿勢は嫌いじゃないわ。

 

 

 見覚えのあるノート。

 この世界が大っ嫌いだった幼い私の記憶に鮮明に残るあなたとの記憶。

 

「……ふふっ、懐かしいわね、そのノート。私と初めて会った時にも持っていたわ。まだ捨ててなかったのね」

 

 あの頃よりもずっと分厚くなって、ボロボロになって、汚い字で書かれた表紙の文字が懐かしい。

 

 いつかその中にある仮説のすべての真偽を確かめる、か。

 私が一つ一つ答えを教えてあげてもいいのだけれど。

 

 あなたの夢を奪っても面白くないわよね? 

 私は見守らせてもらうわ。あなたがどうやってこの世界の真実に近づいていくのかを。

 

 艦娘が護った世界で、もう一度戦いが起こる。

 その中であなたは否応なしに触れていくはず。

 艦娘という存在がどれほどこの世界からして歪なものであるのかを。

 でも、あなたが打ち立てた仮説と、あなたが私に誓った夢に何の問題もない。

 

 あなたの武器であるその真っすぐな心と強い好奇心、真摯に向き合う誠意、そして愛する者のために尽くそうとする勇気。

 

 試してみなさい。そして、私に見せて。

 あなたが答えを見つけ出して、この世界の上に新たに描いたあなたの世界を。

 

 それまで私は、あなたの行くべき道の上に転がった汚物を払ってあげる。

 壁はあなたの力で乗り越えなさい。

 

 その時は私は人間でなくなって、あなたの隣に立つことはできないかもしれないけど。

 

 大丈夫、私はあなたをちゃんと見守っているから。

 

 

「あんたは逃げなさい。今度は逃げるのよ。多分すぐに誘導が始まるわ、その波に乗って逃げなさい。今度こそ、危険なことはしないで。おじさんやおばさんに心配かけちゃいけないわ」

 

 懲りずにまた来たのね、この世界のゴミどもが。

 あなたたちはこの世界に要らない。あの子が未来を描くキャンバスに落ちる黒い染みだ。

 全て沈めてやる。海の底で物言わず眠っていろ。

 戦いは全て私が背負う。あなたが背負うのは私との約束。

 だから、生き延びなさい。

 

「わ、分かった……ま、また、無事に会おうね」

 

「そうね……また」

 

 走り去っていくあなたの背中にふと不安を覚えた。

 あの子があの子じゃないかのように。いつの間にか知らない背中になっているようで。弱弱しさを感じない強い芯の通った背中。嫌な予感が私の脳裏を過る。

 

 いや、そんなはずがない。あの子は幼いころに出会ってずっと人間だった。

 この世界には人間を化物に変える技術は残っていない。あんな不安定なプロトタイプは全て壊してしまったはずだ。

 

 

 大丈夫。何も心配することはない。

 

 この世界に戦火を持ち込んでしまった者として、あの子の愛するこの町を護るだけだ。

 

 

 

 

 

 穢れ役は私でいい。

 あの子の目に映る世界も、いつかあの子が誰かに差し伸べる手も、全て綺麗なままで。艦娘などという化物の本質にあの子が触れれば、きっと何もかもを失う。

 

 そんなに美しい世界じゃない。

 故郷を守りたい。大切な者を守りたい。そんな祈りや願いが紡ぎ出した存在なんていうのは海軍が外部に彼女たちの力を正当化するための嘘だ。

 在りし日の彼女たちが戦った、その原動力となりえたものはそんな綺麗なものじゃない。

 

 誰もが、自分たちと対を成すあの深海棲艦(ばけもの)と対峙した時に気が付くのだ。

 どうしてこの世界に生まれ落ちたのかを否応なしに理解させられるのだ。

 

 自分たちが生まれ落ちた瞬間から背負わされた「罪」を――――

 

 

 

 私は艦娘が嫌いだ。

 

 こんな不完全な艦娘として生まれてしまった、私が嫌いだ――――

 

 こんな不完全な私の背中を彼女に守らせるわけにはいかない。そのためには人間でも、艦娘でも、深海棲艦でも、何でも利用する。

 私の理想のために、あの子の未来のために、道徳も倫理も人道もない修羅の道にこの身を落とそうとも、幾度となくこの身体が吹き飛び、この身体に傷が刻み込まれようとも、いつかこの海の上で誰の目に触れることなく力尽きることになったとしても。

 

 私が生まれたこの意味を、あの子という存在に見出すことができるだけの生き方を私ができれば、それでいい。

 

 

 歪んでしまった私をあの子は許してくれるだろうか?

 

 

 

 青さを失った黒い海で、全てを焼き払う圧倒的火力を誇る敵を前に、私たちは出会った。

 戦闘に雑さは目立っていたが、実力こそ確かだった。自然発生した艦娘にしてはよく戦える。

 私の背中を任せてもいいだろう。実力さえあれば誰でもいい。私は使えるものは全て利用する。

 少しだけ様子を窺えば、損傷している。肌がところどころ破けて血が滲んでいる。

 それでも臆することなく戦い続けるこの子の芯は何だろうか?

 

 

 そして、私を幾度となく救って見せた。

 重巡リ級eliteの弾着観測からも、《ちょうかい》に向かった空母ヲ級flagshipからも。

 

 最後は私に合わせて魚雷を放つところまで見せた。それも私が見た中では放った魚雷はほとんど命中させている。

 思えば、私と出会ったあの瞬間にチ級eliteをはっきりとしない視界の中撃ち抜いて見せた。重巡リ級の機関部を的確に打ち抜き、戦力の低下までさせるとは、かなりの実力者だ。

 

 あの子とは違った魅力を感じた。私を信頼しきって、私は信頼しきっていた。

 こういう子と肩を並べて戦うのは悪くはない。是非とも同じ艦隊で幾多の戦場を駆け回ってみたいと思った。

 

 いつか先代の愛した《吹雪》のような相棒になってくれるかもしれないわね。

 艦娘という世界で生きる私の相棒として、この戦いの終わりまで戦い抜いてくれるかもしれない。

 

 一体、どんな子なの?どうやって艦娘になったの?

 

 

 

 そして、私の目に映った彼女の姿は、私の中にあったすべてを滅茶苦茶に壊し切って見せた。

 

 

 

 私の穢れた背中を守らせてしまった。

 もう拭うことのできない血の道を歩ませてしまった。

 

 壊れていく。私が壊れていく。

 

 始まった崩壊が止まらない。世界の色さえ失われて、音は全て奇妙なトーンに歪んでいく。上も下も右も左も分からずに、自分が本当にこの世界に存在しているのかどうかさえ怪しくなってきた。

 

 これは夢ではないのか?

 いつも見ているようなあの予知夢。そうなのかもしれない。

 

 だとしたら、早く覚めてあの子のところに向かわなければいけない。

 ダメだ。こんな未来肯定しない。全て否定してやる。

 

 夢じゃないのならば―――――――――――

 

 

 

 ねえ、教えて。

 

 どうしてあなたがここにいるの?

 

 どうして海の上に立っているの?

 

 どうしてそんなものを身に着けているの?

 

 どうしてそんなに怪我をしているの?

 

 

 ねえ、教えて?

 

 私が護ろうとしたあの子はどこなの?答えてちょうだい?

 

 あなたは――――誰?

 

 

 これは夢でしょう?

 

 覚めるなら覚めなさい。

 

 私の機嫌を損なう前にこんな質の悪いことやめた方がいいわよ?

 

 ……いいわ、分かったわ。そっちにその気がないのならば。

 

 壊してあげる。こんな世界(ゆめ)――――

 

 

「――――――――――――――え?」

 まずは、私の大事な人の真似をして今一番私の機嫌を損ねているこの物体から。

 

「―――――消えなさい」

 

 

 

 

     *

 

 

 

 モニターに映るマーキングされたヲ級の反応が消えた。どうやら彼女たちは成功したようだ。

 前回とは違い、襲い掛かってきた艦隊を殲滅。圧倒的な数の不利にも拘わらずに勝利を飾ることができた理由はいくつかあるだろうが、何よりも「彼女」の存在。

 

「一刻も早く接触をはかる必要がありそうだな……」

 昨晩のル級を仕留めたその実力に加え、敵艦隊を単艦で奇襲し、見事に本土への意識を削いで見せた巧さ。

 合流後に上手くこちらの艦娘と連携を取ることができた柔軟性。

 既に艦娘として完成されつつある彼女の実力が――――欲しい。

 

 上手く叢雲たちが彼女を説得して連れて帰ってきてくれればいいが……まあ、失敗しても彼女の拠点は既に抑えている。

 まさか元横須賀鎮守府の工廠の一部であった施設を改築して造った艦娘記念館にあんな場所があるとは。噂にこそ聞いていたが、あの場所だけで艦隊運営をギリギリ行えるほどの設備が整っていると報告があった。

 

 しかし、誰が彼女を作り出した?

 艦娘を生み出すためには、妖精と対話することができる能力―――提督となる素質のある者が必要だ。

 いや、それだけじゃ足りない。もっといろんなものが必要だ。

 

 報告だけでは分からないことが多すぎる。後で直接赴くしかないようだ。

 一番良いのは、彼女が快く叢雲たちに同行してくれることなのだが。

 

 

 そんなときに突然通信が入った。

 叢雲と謎の艦娘の援護に向かった《漣》からのものだった。

 どうしたのだろうか?秘密保持のために必要以上の通信は避けろと言っているはずだ。

 

 戦況はこちらからでも窺えるため、戦勝報告は必要ない。万が一、誰かが負傷して戦闘続行不可能な場合や、予想外の敵襲を受けた時、自分に指示を仰ぐ際に開くようにしているはずだが。

 

『――――あっ、ご主人様!』

 

「どうした?戦闘は終了したはずでは……?」

 

 

 

『それどころじゃないですよ~~~~~~~~~~~~~~ッッッ!!!!』

 

 

 

 突然の大声に指令室にいた者たちが全員耳を塞いだ。この馬鹿ッ……

 だが、ふざけているような声ではない。本当に困惑しているようなトーンだ。

 

「どうした?落ち着いて説明しろ」

 

『どうしたも何もっ!叢雲が激おこぷんぷん丸で……あっ!サミィが吹っ飛んだ!やべっ――――プツン』

 

「お、おい!!ちゃんと説明しろ!!何が起こっている……くそっ!!」

 椅子に腰を下ろして頭を抱えた。ぐちゃぐちゃに掻き乱された思考を何とかしてまとめようとする。

 漣は叢雲が怒り狂っているようなことを言っていた。五月雨が吹っ飛ばされたということは、敵味方なしに暴れているということでいいのだろうか?

 

 

 あいつが?

 

 まさか、そんなことをする奴じゃない。常に冷静に物事を判断でき、客観的に戦場を見ることができる。時に厳しく切り捨てる判断も、味方を守るための的確な判断も取れるあいつの実力は正直自分が司令官として必要ないくらいにある。

 

 そんな叢雲が同士討ちをしている……馬鹿な、ありえない。何度考えても――――

 

 

 ――――まさか、謎の艦娘が原因か?

 

 

「―――《みょうこう》と《ちょうかい》に繋げ!!」

 今は何が起きているか明瞭に把握する必要がある。戦場の近くにいる者たちに把握してもらうしかない。

 だが、叢雲が砲を向けたらどうする?あいつの実力ならば、イージス艦2隻程度造作でもない。

 

 万が一の場合は――――

 

 

 

 

     *

 

 

 

 どうしてラクちゃんがこんなところにいるのかが分からなかった。

 見間違いだと思って、自分の目を何度も疑い、夢か現実か何度も確かめた。

 

 背中に背負う艤装、主砲と魚雷管を接続するアーム、頭部に浮かぶユニット。槍のような武器。

 それを除いてしまえば、つい先ほどまで言葉を交わしていた彼女に寸分違わない。

 

 風に靡いて空に溶けていきそうな青い髪。整った凛々しい造形の顔立ちに浮かぶ赤い瞳。頬の横の髪を赤い紐で束ねて広がらないようにしているのはいつもと違うが。

 

 どこからどう見てもラクちゃんなのだ。

 

 

 どうして海に立っているのか。どうしてそんな格好でここにいるのか。

 私は冷静だったのかもしれない。信じられない事実よりかは確証なる説を信じられるだけの余裕があった。

 

 ラクちゃんは――――御雲 楽は、艦娘だった。

 ありとあらゆる要素を除外していって残った事実がそれならば、それが真実だと。

 

 それでも私の頭はどこか彼女が艦娘であることを否定しようとしていたのだ。

 何よりも、私が危険な真似に走ることを拒み続けた彼女が、私がまさに危険な真似に走っている場所に、同じように危険な真似に走っていることが受け入れられなかった。

 

 非日常というものならば、私が艦娘になった瞬間から訪れていたのかもしれない。

 ただ、すでに歴史上に艦娘も深海棲艦も存在しているこの世界で、それは非日常と呼ぶに能わないのかもしれないが、少なくともラクちゃんとの日常を積み重ねてきたはずの私の日常はこの瞬間に非日常になり替わってしまった。

 

 そして、もう1つ。約束した。二度と危険な真似はしないと。

 

 ラクちゃんを含め、この町の人たちにばれないように戦い続ければいいとは思っていなかった。

 いつかこの想いをちゃんと伝えて、父も母もラクちゃんも説得して、私はこの町のために戦うつもりだった。

 それでも、タイミングが悪すぎるのだ。もう少しだけちゃんと戦えるようになってから自信が付くというものだ。今の私はまだ不完全過ぎて誰にもこんな事実を打ち明けられる実力がなかった。

 

 それなのに、約束を破った場面に友人が存在していたのだ。

 彼女を裏切ってしまったという罪悪感が胸を締め付けていき、呼吸がままならなくなる。

 

 もはや誤魔化すことなどできない。だが、確かめることはできるはずだ。

 先程から様子がおかしいが、私の声は聞こえるだろうか?

 もしかしたらラクちゃんの親族なのかもしれない。

 

「――――も、もしかして……ラクちゃん?」

 反応はなかった。私の声が届いている気配もない。

 少し俯いて目元に陰りができており、一体どこを見ているのかも分からない。

 

「ね、ねえ……ラクちゃんなの?」

 一歩踏み出してそう尋ねてみた。

 いや、確かめるのならば、もっと近づいて声を届けなければならない。

 

 私が聞こえたつもりになっているだけで、もしかしたらこの声はか細くて聞こえていないのかもしれない。そもそも私は声を発せていないのかもしれない。

 

「ら、ラクちゃん……どうしてこんなところに?」

 歩み寄っていき、あと2、3メートルというところまで近付いて、その肩に手を触れようとした時の事だった。

 

 アームが動き、その砲口が私に向く。真黒な点が私を見つめている。

 

「――――――――――――――え?」

 

「消えなさい」

 私の知らない彼女の声。

 まるで深海の底、光の届かない水の中にこの身体を落とされたかのような、一瞬で全身を凍えつかせる冷たい声。

 

 声が出ない。喉の奥が凍り付いているかのようで空気が行き来しない。

 全身から嫌な汗がに滲み出したのを感じながら、私は必死に身体に命令し続けた。

 

 光のない赤い瞳が私をまっすぐに捉えていた。

 その眼を見てしまった瞬間に、恐怖が身体を縛り付けかけた。

 

 咄嗟に目を閉じて横に飛んだ。

 

 砲撃音。私がいた場所を薙ぎ払う。

 

 音が聞こえた瞬間に目を開けた。

 周りの状況をちゃんと把握しながら、足元をちゃんと確認して着水する。

 

 だが、その眼は私を見逃すことはなかった。

 足で海に落とした槍のようなものを踏みつけて、拾い上げると、そのまま私に躍りかかった。

 この両脚に溜まった疲労も限界だ。

 連続してあんな素早い反応できる訳もなく、慌てた足が縺れて尻もちを突いた。

 

 

「――――ッ!!」

 水面にお尻を打った痛みに怯んでいる間もなく、顔を上げた私を見る鋭い眼光。殺意と狂気、その両方を持った光のない瞳。

 

 艦娘がこんな眼をすることがあるのだろうか?

 いや、私の知っているラクちゃんがこんな眼をするのだろうか?

 

 槍が振り上げられた。

 その先端がどこか分からないが、狙うのは首か腹か足か、大穴狙って目だろう。

 

 こんな危機的状況の時に限って、切った額から流れ出した血が私の目に流れ込もうとする。

 

 それを拭った瞬間、視界が暗転する。

 反射的に体を横に転がした。どちらに逃げれば助かるか、50%50%の賭けに託すしかない。

 

 冷たい海水に身体を浸しながら、それでも沈むことのない私の身体は海面で転がる。

 直後、海を割るような音が聞こえて、すぐさま血を拭ってラクちゃんを見た。

 

 グリン、と首が回ってこちらを見る。槍の先端を海面い突き刺したまま、こちらに駆け寄ってきて海面を切りながら私にその切っ先を振るった。

 咄嗟に身体を倒しながら顔を守った左腕を先端が掠めて皮膚が裂ける。

 

「いっ―――たぁ……」

 

 どうしてこんなことになっているんだろう?理解できない。痛みが混乱する私の頭の中を逆に鮮明にしていく。

 

 説明が欲しい。どうして殺し合っているのか。

 

「ラクちゃん!どうして――――」

 

「喋らないで」

 真正面に立っていた彼女の足が腹部にめり込んで、尋常じゃない力で海面上を吹き飛んだ。

 

 

「その声で、その顔で、これ以上喋らないでちょうだい。耳障りだわ」

 

「がっ……あっ、かはっ……ごほっ、げほっ……おえっ」

 

 お腹に穴でも開いたかと思ったが、割と頑丈にできているようでよかった。それでも腹と胸を押し潰した加減の一切ない蹴りは空気も胃の中身も全部押し出してしまった。

 海に胃液を吐き出しながらも、私は必死で頭の中を整理し続けた。

 

 どうして、ラクちゃんは私を殺そうとしているのか?

 顔を起こした瞬間に黒い穴と目が合う。火を噴く寸前にもがくように這って何とか1発目を避ける。すぐに起き上がって前に転がって2発目を避ける。

 

 起き上がると顔に迫ってきたのは脚。

 鼻を潰す勢いで顔面にめり込んで私の背中を海に叩きつける。

 

「――――どうしてよ……ッ!?」

 

「はぁ…はぁ…」

 

「どうしてあなたがここにいるのよ……ッ!?」

 視界が真っ白に染まってぐるぐると何かが回っている。

 輪郭のようなものは見えるが、何が起こっているかが全く分からない。

 

「これは夢、きっとそう。そうに決まっているわ」

 

「ゆめ……?何を言っているの!?」

 

「じゃあ、あなたは何者?私の大切な人の形を上手く真似ているようだけれど、何の目的なの?」

 

「私は……私だよ……私は―――――」

 

 あぁ、もう。またこれだ……

 

 自分の名前が思い出せない。こんな脳震盪でも起こしてそうな状況だと尚更だ。

 私が何者か、そんなもの私が聞きたいくらいだ。

 

 

「答えられないってことはあの子じゃないんでしょう?だったら、目障りよ。ここで沈みなさい」

 ガシャン!と彼女の艤装が動いたような音がした。

 だが、どこを狙っているのか全く分からない。

 起き上がろうにも身体が全くいうことを聞かない。

 

「どうして……私を沈めようとするの?」

 

「あなたがここにいるのは私の理想に反するのよ。本来あなたはここにいるはずがない。だから、あなたは偽物」

 

「理想?そんなの……何だって言うの?」

 

「あなたに馬鹿にされる筋合いはないわ。私はあの子を守ろうと誓ったあの日から、あの子がいつか作り出す未来と夢のために全てを擲つと誓ったの。艦娘などという穢れた世界に踏み込まないように、代わりに私がいつかあの子が夢を描くこの世界を守ることで」

 

「……ははっ、その艦娘嫌いなところ。私の知ってるラクちゃんにそっくりだよ」

 

「……もう一度だけ訊くわ。あなたは何者なの?」

 

「私は―――――」

 

 私の名前は――――何だろう? 

 

 ダメだ。

 

 私の名前を背負った私という存在が、私でないかのように、私の中に彼女の記憶が存在しないかのように、「私」という名前にノイズが走ってしまっている。

 ラクちゃんの言う通り、私は彼女の知る私ではないのかもしれない。きっと全く違った存在。きっとそうなのだ。

 だったら、もういいや。人間だった時の私の名前なんてきっと関係ない。

 

 この海の上に立っている私の名前は――――なんだ?

 

 それははっきりと覚えている。

 

 

 

「――――吹雪型特型駆逐艦一番艦《吹雪》、それが私の名前だよ」

 

 

 

 

「……吹雪」

 

 この海の上にいる以上、私は艦娘だ。

 だったら、背負う名前は艦娘としての名前でいい。

 郷にいては郷に従え。海の上にいる以上、海の上にいる者としての名を名乗れ。

 今の私はそれでいい。少なくとも今だけはそれでいい。

 艦娘としての名を誇ることこそが、この名を守ってきた者たちに対する敬意だろう。

 

 

 

 2人の間を流れる静寂を裂くように、砲撃音が響き渡った。

 

 

 

 




一つは、楽と彗のやり取りの中にあった答え合わせ。

もう一つは、艦娘として導き出した彗の答え。


きっと誰も間違ってはいなかったはずだった――――


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夢の色

なんかすごくたくさん書いた気分。

不思議。


『―――どうしてだ!なぜ私を出さない!!私はまだ戦える!!』

 

 

『……金剛も、赤城も、大和も武蔵もっ、みな戦って死んでいったのだ!!私が…私が出なくてどうする!!』

 

 

『動けない…?だったら、引け!この私を戦場まで連れていけ!!』

 

 

『なぜだ……私は、私たちは、戦うために、守るために生まれたのに……』

 

 

『何が連合艦隊旗艦だ……何がビッグ7だ……何も守れずに得る名など要らない……』

 

 

『誰か私を連れ出してくれ……』

 

 

『―――――――――――――――――――――――――――――』

 

 

『戦艦――――、出撃する』

 

 

『――――よかった、私は海で散れるのだな。最後まで戦えなかったことは残念だが』

 

 

『それにしても珍しい光景だ。これほどの艦を集めて何を……中には私が戦った相手もいるのだな』

 

 

『終戦か……それを歴史に印すための何かの式典でも行うのだろうか?私たちがこの国の代表として選ばれたのならば、胸が熱くなるものだが』

 

 

『ん?なんだあれは―――――――――――』

 

 

『……眼が痛む。身体もあちこちが……こんな痛み戦いで味わったことはない』

 

 

『何が起きているのだ?どうしてこれほど痛むのに私はまだ浮いている……』

 

 

『あぁ…そうか。あなたたちなのだな。私の背中を支えてくれているのは…』

 

 

『本当にすまなかった。私はあなたたちのために何もできなかった』

 

 

『……しかし、金剛、赤城、大和、武蔵、お前たちはこの空を見ることができたのか?』

 

 

『ははっ、今の今まで気付かなかった。世界のどこにいようと見上げる空は同じなのだな。私たちはこの世界にいる限り同じ空の下に、同じ海の上にいたのだな』

 

 

『そうか……美しいな。最期にこんな空が、美しいこの青が見られたのならば……この瞼の裏に焼き付けて逝こう』

 

 

『……本望だ』

 

 

 まただ。朦朧とする意識の中で映るビジョンと誰かの声。

 私の中にある誰かの声。祈りの声。

 目を閉じても広がるその青は永遠のように思えて、終わりを告げる白は全ての希望を断ち切る刹那の終焉を象徴しているように思えた。

 

 

 

 

     *

 

 

 

 

 覚悟は決めていた。正直、この状況を切り抜ける自信がない。

 どれだけ足掻いても彼女は私の一歩先を行く。

 

 この砲撃音が私の身体を貫いたものだと確信していた。案外、痛みは感じないものだと。

 

 私は死ぬのだろうか?

 

 それとも沈むのだろうか?

 

 沈むのは苦しいのだろうか?

 

 艦娘が沈むとどうなるのだろうか?

 

 死ぬ間際にも拘らず、私の頭の中に浮かんでは消えていく新たな疑問。

 好奇心が探求せよと語り掛けてくるが、生憎私はここで終わりなのだ。

 

 そもそも、「死ぬ瞬間はどんな感じなのか?」などと聞いて答えられるはずがない。

 死ねばそこに残るのは物言わぬ肉塊。いや、今の私は鉄塊になるのだろうか?この際どうでもいいことだが、死というものを明言することはできない。

 

 だが、船としての魂も宿った以上、私自身は死を定義できるのかもしれない。

 ある人が船は何かを乗せて運ぶものだと言った。船は本来、人や物資を海を越えて渡す架け橋なのだと。

 

 戦船も結局本質は変わらない。

 人を乗せて運べるかどうか。それができなくなった時に船は死ぬのだ。

 

 にしてもおかしい。なかなか、この意識も消えないものだ。

 もしかしたらすでに私は死後の世界にいるのかもしれない。幽霊や死後の世界などは非科学的だとはいうものの、艦娘が在りし日の戦船の魂を宿す者たちなのならば、一概に蔑ろにはできない。その存在の否定は今や自分自身の否定になってしまう。

 

 

「―――ッ!!何よ!!」

 突然、ラクちゃんが私の近くから動いた音が聞こえた。海を裂いて進む音と急速に回転したスクリューの音。海に横たわっていると色んな音が聞こえてくる。

 

 そんな私の耳の奥で、何度も砲撃音が響いていた。

 砲弾が海に叩きつけられて水柱があがる音。

 巻き上げられた水飛沫が海面を叩きつける音。

 そして、また響く砲撃音。

 

 

 

「あれ……?」

 私は生きているらしかった。

 

 でも、どうしてだろうか?

 脳震盪は治まり、顔はヒリヒリするが鼻は折れていないらしく、両目も潰れていない。両腕もちゃんと付いてる。両脚も付いてる。お腹にも胸にも穴は空いていない。

 あちこち痛むがまだ沈んではいない。痛いから夢でもない。

 

 何が起こっているのかと、目を擦って辺りを見渡すと、

 

「あぁ~、大分ボロボロにやられてしまいましたねぇ~」

 しゃがみ込んで私の顔を間近から観察している女の子がいた。

 

「あっ、あなたは確か……」

 

「ん?漣を知ってるの?ふふーん、漣もなかなか有名になったものですなぁ~、えへっ」

 あぁ、なるほど。この子はこういう子なのか……

 ピンク色の髪をさくらんぼのような髪留めでツインテールにまとめている。こうやって近くで見てみると、かなり可愛らしい顔立ちをしている。凛々しいといった印象のラクちゃんとはまた違う。

 

 今は頭にピースサイン乗せてキメポーズのような格好をしているが、ゴホンと咳き込んで真面目そうな顔つきに戻ると、また私をまじまじと見始めた。

 よく見たらスカートにエプロンのようなものを付けている。さらに肩に小さなウサギが乗っている。

 

 何だろうこの子……一度見たら忘れそうにないほど印象が強すぎる。

 しかも、肩に乗ってるウサギ…これ生きてないか?

 

「ふむふむ、なるほど。見たところ漣と同じ駆逐艦のようですねぇ~。どこから来たの?」

 

「え、えーっと……それは……元々私は―――」

 答えようとしたときに、どこからともなく悲鳴を上げながら駆け回る声が聞こえる。

 

「ちょっと漣ちゃん!私ひとりに任せないでくださいよ~!!叢雲ちゃんを独りで相手するの無理ですよぉ!!」

 怒り半分、弱音半分でピンク髪の少女の名前を叫んだ青い髪の少女は、降り注ぐ弾丸の雨を華麗に避けながら近づいてきた。

 

「ちょ、サミィ!らくもー連れてこっち来ないでよぉ!!

 

「私にだけ押し付けないでください!!」

 涙目で喚きながらも、ちゃんと逃げるだけじゃなくて撃っているところがしっかりしているなぁ…元々艦艇としての意思があるから戦うことに関して恐れなんかが薄いのかもしれない。

 

 だけど、それを上回るほどの弾幕がラクちゃんから展開されて私たちの周囲の海を裂いていく。

 

 眼ではどこにいるのかさえ分からない。

 ただ、凄まじい勢いで私たちを追い込んでいるのだけが分かる。

 

「――――漣ちゃん、だっけ?」

 

「ん?お呼びですか?」

 

「ちょっとだけ力を貸してくれないかな?」

 そう言って彼女に手を伸ばした。

 その意味を即座に理解して彼女は私の手を掴み、引き上げる。

 何とかして立ち上がった私ではあったが、足がガクガクだった。少しでも動かそうとすると、鞭で打たれたかのような痛みが走る。

 

 右腕は主砲を支えられない。頭から血を流しすぎたせいか、少し眩暈がするが立てないほどでもない。

 

「えー……大丈夫ですか?いやぁ、見たところ大丈夫じゃないですね。曳航するしかないみたいですけどどうします?」

 

「結構無茶したからね……それより、私は」

 

「あー、ちょっと待ってくださいねー。ご主人様に謎の艦娘と接触できたことを報せないと」

 

「いや、今はそれどころじゃ―――――漣ちゃんっ!!」

 視界の隅に映りこんだ雷跡、とっさに伸ばした左手が彼女の腕を掴み引き寄せる。

 真正面で魚雷が炸裂し、大量の海水が吹きかかる。目を覆った次の瞬間に、私は手を引かれ飛び出した。

 

「…けほっ、ちょっとマジでらくもー沈めに来てるっしょ…これ」

 私の手を引きながら全速で海域を翔ける漣ちゃんは今いる場所から距離を取ろうと動いた。

 

「ごめん…多分原因は私にあるんだと思う」

 

「漣には事情はよく分からないけど……さっきまでいい感じに協力してたのに。とりあえず、ご主人様に」

 その時、至近弾が海を割る。

 咄嗟に互いに手を放して目を覆って回避を行ったせいで、私と漣ちゃんの間に距離が開く。

 

「ちょっとサミィ!こっちは曳航してるんだからちゃんと引き付けててよ!」

 

「無理がありますよぉ!!練度が違い過ぎるんですからぁ!!!」

 駆逐艦2隻が撃ち合いをしているとは思えないほどの砲撃音が響き続ける。

 数で言えば一方的なものだが、反撃の砲音も少し聞こえている。練度の差とか言っているが五月雨と名乗った青髪の彼女もかなりの実力があるのだろう。

 

「いや、あの子1人に頼るのは流石に無理があるんじゃ……」

 だが、牽制している程度だ。いや、ラクちゃんは牽制されているとも思っていないだろう。やろうと思えば、私のところまですぐに来れるはずだ。

 

「ん?そうですか?でも仕方ないですね、漣はご主人様からあなたを連れて帰るように言われてるので」

 

「ご主人様って……あぁ、月影さんの事かな」

 

「ご主人様をご存じなんですか?不思議ですね、あなたさっきからまるで元々人間だったみたいですよ」

 

「いや、その私は」

 

「らくもー……叢雲は元々人間、いや艦娘として生まれて人間として生きてきたらしいです。ですが、人間として生きてた頃の話は全くしてくれないですねぇ」

 

「……え?」

 

「漣とサミィと電たんを育てたのはらくもーですよ。艦娘として漣たちの前に立ってました。艦娘が最初なにかも分かりませんでしたが、とりあえず連日で鍛え上げられましたよ……あっ、思い出すと吐き気が」

 

 途端に顔色が悪くなり、手を口で押える素振を見せる。

 だが、すぐにケロッとした表情に戻り、流れ弾を華麗に避けながら私の手を引きつづけた。

 

「いやぁ、随分と漣たちよりも早く生まれたらしくて、練度も歴然の差でしたけどね。人間の学校に通ってるなんてご主人様に聞いた時は驚きましたよ。らくもーみたいな子が人間の学校に通ってわいわいやってる姿なんて思いつかなかったからですねー」

 

「……まるで別人みたい」

 知らない友の姿。知らなかった親友の真実。

 

 何よりも私の胸を打ったのは、彼女が完全に人間であったことを否定していることだった。

 

『ラクちゃんって艦娘のこと嫌いだよね?』

 

『悪いかしら?』

 

 いや、私はもしかしたらずっと……ラクちゃんの本音を聞いていたのかもしれない。

 その言葉に隠れた本当の彼女に気付くことができなかったのは……私の方だったのかもしれない。

 

「ラクちゃん……」

 

 艦娘となり、ただの人であることを止めてしまった私の声はまだ、彼女に届くだろうか?

 

 

 

     *

 

 

 

「叢雲さん!あなたのやってることは間違いです!!」

 

「……」

 

 砲音に紛れて届く遠い声。

 

「どうして、どうしてそんなことをしているんですかっ!?」

 

「……うるさいわね」

 

 知っているようで知らない声だ。

 

「もうやめてください!!」

 

 そう叫ぶ変な形をした歪な物体が私に何かを向ける。

 ガラスを砕くような音が響き、何かが破裂したような音が聞こえる。

 

 紅い海、黒い空、緑色の太陽、正体を現した幻想は姿を歪めていく。

 

 

 海の上に立つ黒い影のような土塊。

 人の言葉で私に語り掛けるその姿はさながら人を惑わすために悪魔が作り出した失敗作だろうか。

 

 躊躇いなく引き金を引く。

 しかし、随分と柔軟に動く泥人形は私の砲撃をするりするりと避けていく。

 

 また舌打ちをしてしまう。

 仕方がないだろう、こうも苛立っていては。

 

 夢には多くの定義がある。眠っている間に見る夢にさえ多くの解釈がある。

 そのうちの一つが夢とは脳が生み出した一つの世界の姿だと言うが、私の脳はこうも歪んだ景色を鮮明に見せるのか。

 

 これが私の脳が導き出した一つの世界だと言うのだろうか?

 

 自分自身さえ歪め続けてきた私が見る夢には相応しすぎてもはや笑えない。

 

 徐々に、間隔さえ浅くなっていく。

 音も熱も風も痛みも遠くへと旅立っていき、私の眼だけが鮮明に世界を網膜に焼き付ける。

 

「何が……何があなたをそこまで」

 

 それを聞くのは野暮でしょう。

 答えは既に知っておきながら、まだ求めるの?

 だから、早く消えなさい。

 

「いい加減にしてください!!」

 砲撃を掻い潜り、急接近してきた何かから腕のようなものが2本伸びて私の身体を掴もうとする。

 

 反射的に腕が動き、片方を掴み強く握り潰そうと力を込めながら捩じったが、それを塞ぐように手首を掴まれて一気に体を寄せられる。

 

「仲間割れしている場合じゃありません!いい加減正気を取り戻してください!」

 

「……仲間?あんたなんて知らないわ」

 右手に持った槍のようなマストで殴りつけたが、受け流すように腕のようなものが上に力を逸らす。

 

 仕方ないので左腕を腕に持ち上げて開いた腹部に前蹴りを撃ちこむ。

 変な声を上げて身体が折り曲がったと思った瞬間、空いた方の腕が何かを手に取って私に向ける。

 左足で蹴り上げてそれを弾き飛ばすと、そのまま振り上げた足を打ち下ろした。

 踵が窪んだ場所に食い込み、バシャンと土塊は人間が膝から崩れ落ちるかのように小さく蹲った。

 

「もう…やめてください。こんなのあなたらしくない」

 

「いい加減黙りなさい…いいえ、黙らせてあげるわ」

 主砲を土塊に向けた。この距離だったら跡形もなく吹き飛ばせるだろう。

 

 いや、跡形も残らなくなるまで撃ち続ける。完全に消してやる。

 

 だが、また邪魔が入る。

 ガラスを砕くような音が遠くから響き、私の身体を横から殴りつけた。

 飛来した蜂のような素早い何かを叩き落とす。だが、2匹いたらしく、もう1匹が頬を掠めたらしいのが分かった。

 

 切れたらしいが痛みがない。熱くもない。何かが通ったという認識があるだけ。

 目の前で蹲る土塊の腕らしきものを離し、一度大きく弧を描くようにして移動した。

 

  そして、眼を向ければ1つの土塊と――――あの顔。

 

 どうして、あなただけちゃんと形を持っているの?

 

 この世界でどうしてあなただけ……

 

 どうしてその顔で、1人だけ美しい色を保ったままそこに立っているの?

 

 まだ夢は醒めない。 

 

 

 

 

     *

 

 

 

 

「おぉ……サミィが体張ってる」

 漣ちゃんが目を向けた先で青髪の子がラクちゃんと組み合っていた。

 あそこまで接近できたのは、すごいのだろう……などと思っていた瞬間に、ラクちゃんの足が少女の小さな身体に食い込んでいく。

 

 いけない……これはマズい。

 

「あちゃー、あれはちっとばかしヤバいですかねー」

 

「漣ちゃん……ちょっと支えてくれるかな?」

 

「ん?何をするつもりー?」

 答える前に私はベルトに固定されてぶら下がっていた主砲を手に取った。

 私は眼を閉じて、海面にクモの巣を張るかのように意識の波を広げていく。

 

「この距離からはさすがに当たらないでしょ…えっ?本気で撃つの?」

 

「うん、じゃあ、お願い」

 ずっと距離を取るように逃げていたため、人間の目から見れば彼女たちは点にしか見えないほどの距離だ。それでも、私たちの目では捉えることができる。どちらかと言えば、感じることができる。

 

 加えて、私のそれは異常だ。

 

 砲撃音、立て続けに2発。緩やかな弧を描いて飛ぶ2発の弾丸。

 反動に大きく後ろにのめった体を漣ちゃんが支えた。

 

「―――っ、はぁ…はぁ…」

 疲労困憊している身体で主砲の反動はずしりとのしかかってくる。

 これだけで息が上がる。

 ラクちゃんの頬を一発掠める。白い肌が切れ、赤い血が流れだして染めていく。

 

「ほえー…ホントに当てちゃうんですね」

 

「それより、このことを月影さんに知らせてくれないかな?あの人なら何かできるかもしれない」

 

「……あっ、そうですね。ご主人様に知らせるのを忘れてましたテヘペロ!」

 

「う、うん……ふぅ…どうしよう。どうすればいいんだろう」

 

 今の私にできることはとにかく考えることだ。

 理論ずくめでも非理論的でも構わない。

 なにか小さな根拠でもあればいいから、考え続けるしかない。

 

 今やるべきことは……もう一度、彼女のことを、私の大切な親友のことを理解すること。

 私は何も知らなかった。知ったつもりになっていた。

 

「こっちに……来るよね。そのくらい私にもわかるよ」

 真っすぐこっちを睨む双眸は私からも窺える。込められたのは殺気。目に映る何もかもを壊してしまおうとする狂気。

 それをまともに受け止めようとすれば、今の私は壊れてしまうだろう。

 

「―――漣ちゃん!雷跡!!」

 

「え?あっ、やべ!ちょっと飛ばしますよ!!」

 伸ばした私の手を掴み、両足の主機が唸り始めて一気に加速する。

 ふとした拍子に視界に映った雷跡。全く気が付かなかった。私たちは一瞬たりとも目を離していないつもりだったのにいつの間に。

 

 まさかと思うが、私が砲撃した瞬間に放ったのだろうか?

 あの一瞬なら、可能だがそんな芸当できるのか?

 

 私たちを逃がさないと言わんばかりに逃げる先々に砲弾が着弾して海水が舞い上がる。

 衝撃波や弾丸の破片が飛び、私たちの身体を打つがい痛みなど感じている暇もなく、ただ焦りと恐怖だけが漣ちゃんの手から伝わってくる。

 

「あっ、ご主人様!」

 どうやら、月影さんと通信が繋がったらしい、随分と時間がかかるものだ。

 

 

 

「―――まだ……まだ……」

 ラクちゃんの動きが突然止まる。機械のように首を動かして見下ろした先に、幾つも痣を作りながらも諦めようとしない闘志の燃える幼い顔があった。

 

「いつもドジしてばかりの私でも……叢雲ちゃんを止めることくらいならできます…正気を取り戻してください」

 五月雨ちゃんが胴に手を回して縋りつくようにその動きを止めていた。

 

「出会って一か月も経っていませんが私にだって分かります…叢雲ちゃんは優しい人だって…きっとこんなことをしているのも誰かの為なんですよね…?でも、こんなやり方は間違ってます。顔を見るなり撃ち合うだなんて…同じ艦娘なのに」

 

「……同じ」

 ほんの一瞬だけ、ラクちゃんの気が逸れた。その一瞬を待っていたかのように五月雨ちゃんの手が動いた。

 腕を解き、大きく後ろに跳びながら取り出した主砲でラクちゃんの足を撃ち抜く。

 

 機関部を狙い行動不能にする…私がリ級に対してやったことと同じことだ。

 だが、ラクちゃんの思考はそんなこと気にすることもなく、アームを動かして魚雷を放つ。

 1発が右足を掠めたが、構うことなくラクちゃんの身体は前に飛び出した。

 まだ宙にある五月雨ちゃんの着水地点をめがけてまっすぐに伸びる雷跡。

 苦境に顔を苦く歪めながらも、五月雨ちゃんは狙いを澄まして海面に照準を合わせてトリガーを引く。

 直撃する瞬間に五月雨ちゃんの放った弾丸が魚雷を打ち抜く。直撃こそしなかったが破片と衝撃が襲い、なにより巻き上がった海水に視界を奪われる。

 その瞬間、黒いグローブが薄い水の壁を突き破り、少女の首に伸びた。

 

「―――あ゛っっ!!」

 鷲掴みにした瞬間に凄まじい握力が細く白い首を締めあげていく。

 苦痛に歪んでいく表情を冷たく見る赤い瞳。

 

「……ラクちゃん」

 私の知っている友人じゃない。

 彼女はひねくれてはいたものの、歪んではいなかった。

 それなのにあんなに歪んでしまった彼女は一体何者なのだろうか?

 

 私の知らない彼女の姿。知ったつもりでいた彼女の本質。

 暗い海の底から湧き上がったように溢れだす彼女という存在の本質。

 

「邪魔よ……」

 そのまま五月雨ちゃんの身体を後方に投げる。激しく咳き込みながら海に着水しようとしたその瞳を黒い穴が覗き込んでいた。

 

「――――くっ!!」

 伸びたアーム、その先にある主砲が至近距離で宙に浮いた身体を狙い火を噴いた。

 咄嗟に守るように体を丸め、顔を腕で守ったように見えたが、一瞬で吹き飛ばされる。

 

「あっ、サミィが吹っ飛んだ!!!」

 漣ちゃんが驚きの声を上げた瞬間に、冷たい狩人の瞳が私たちを捉える。

 

「やべっ……ご主人様と話してる暇なんてないや……逃げますよ!!」

 そう言われ腕を引かれた私は、漣ちゃんの顔を見た。冷や汗を浮かべた真剣な顔。その眼には私だけじゃなく、ラクちゃんの姿もちゃんと捉えている。

 

「ほら、何を迷ってるんですか!!早く早く!!」

 私とラクちゃんを交互に見ると、焦りの色が徐々に増していく。

 確かにラクちゃんは強い。私が予想していた艦娘という存在の姿を遥かに凌駕している。もはや、船としての本質を失くしているかのように。その常識に抗ったのは私も同じなのだが。

 

 だが、この子はどうだろう。きっとこの子の中にあるのは、「駆逐艦」として在った時の記憶と誇りと意地。それが私たちの違いだ。決して埋めることのできない記憶の相違。

 今の私ですら、その記憶に支配されようとしているのだ。冷たい白銀の記憶に。

 

「待って」

 腕を振り払う。自分の拍動でさえ痛みを感じるこの身体をもう一度まっすぐ伸ばして、漣ちゃんの顔を見る。

 

「私が止めなきゃ」

 別に自分の実力を過信しているわけではないし、自分が特別だとは思ってもいない。

 ラクちゃんのことを理解しているとは思わないし、艦娘の事を知り尽くしているとも言えない。

 それでも、きっと彼女を止めることができるのは―――

 

 いや、止めなければならないのは他でもない私だ。

 

 こんな場所で彼女と出会ったのは私も驚いていた。

 そりゃ、ラクちゃんが艦娘だなんて私は知らなかったし、なにより彼女は艦娘のことを嫌っていた。

 

 そして、誰よりも私の未来を、夢を、応援してくれていたはずだ。

 そこは確信がないが。

 

 考え尽した私が出した答えは、ラクちゃんは私が艦娘に近づくことを拒もうとした。

 だが、それでも私の夢を応援してくれていた。私の夢は否応なしに艦娘に近づかなければならない道だ。

 

 だとしたら、それは矛盾なのだ。

 

 だから、彼女は――――

 

 

「いや、止めるとは言いましてもねえ……」

 そう言うと、漣ちゃんは私の足元を指さした。

 

「機関部がほとんど機能してないんでぶっちゃけ無理だと思いますよ? 独りじゃろくに航行できないと思いますよ?」

 

「ここで迎え撃つよ。少しくらいなら動ける」

 

「でも……」

 

「ラクちゃんは魚雷も撃たない。砲撃もしない。絶対、私に直接身体をぶつけてくるはず……五月雨ちゃんのところに行ってあげて」

 

「……今まで運が良かっただけで、あんまり調子に乗ってばかりいると、こてんぱんにぶっ飛ばされる羽目になりますよ?」

 

「運がよかったのは確かかもしれない。でも、それだったらまだ賭けを続ける余地はある」

 

「……漣は知りませんよ」

 私を置いて海を疾走していく漣ちゃんの背中を見送りながら、私は一度顔を拭った。

 血が固まって気持ち悪い。

 額の傷は塞がり始めたが、生臭い鉄の匂いが鼻腔を掠める度に眩暈のような意識の混濁が起こる。

 ゆっくりと屈んで海水を掌で掬うと顔にかけて擦る。赤茶色い液体がしたたり落ちていき、海面に異色の水たまりを広げていく。

 

 ぱしゃり。

 その水溜りに波紋が広がって崩れていく。

 

 

「……悪い夢でも見ているみたいね」

 

「夢なら見飽きたよ。憧れるだけももうやめた。私はここにいる」

 切れた頬から滲む血をグローブの掌で拭うと、まっすぐに私を見下ろしていた。

 対等の目線で語り合うためによろめきながらも私は立ち上がる。まっすぐに背筋を伸ばして、狂気に捉われた彼女の目に真っ向から立ち向かった。

 

「嘘じゃないの…?すべてが夢で、目が覚めれば私たちはあの教室にいて」

 

「……あなたは誰?あなたはラクちゃんであってラクちゃんじゃない。私たちはもう、私のままで、ラクちゃんのままで、あの教室に戻ることはできない」

 

「私…そうね、私は人間だった私が最も忌み嫌っていた存在よ。いいえ、違うわ。私はこの姿である私が嫌いだった。私をこんな姿で定義してしまった過去の存在が嫌いだった」

 

「艦娘が嫌いになった訳はそうだったんだね。じゃあ、艦娘のあなたは―――人間であった頃のあなたを嫌っているの?」

 

「違うわ、その記憶は美しかった…嫌いになんてなるはずがない。ただ……」

 

「ただ?」

 

「その美しい記憶が穢れないように否定しただけよ。艦娘である私と人間である私。海の上に立つ私とあなたの隣に立つ私。それが同一の存在であることを拒み続けてきただけ」

 

「……どうしてそこまでして艦娘を嫌うの?」

 

「じゃあ、あなたはどうしてそこまで艦娘の肩を持つの?この世界は確かに一度艦娘の手によって救われた。彼女たちを崇め奉り信仰することで英雄視し、この平和の尊さを知り、彼女たちの存在を伝説として語り継ぐ。艦娘崇拝を説き続ける海軍は彼女たちの威光を利用して権威を握った。それを人々は知りながらも彼女たちがどうしようもない絶望の中で存在した唯一の希望であったために、それを否定しない。だからこそ、あなたのような存在は生まれ続けた。世界はその色に染まり続けた。彼女たちを悪だと呼ぶ者はいない。彼女たちこそが希望で正義だった……そんな世界に異を唱える者は歪んでいる」

 

 悲し気な笑みを浮かべる顔が私に問いかける。これは間違っているのかと。

 

「事実だよ。彼女たちの存在がなければ私たちはこの海に立ってはいない」

 

「そう、事実。だから誰も疑わない。その身にその災厄が降り注ぎ、自身の行く道の果てにあるものがはっきりとわかってしまうこの宿命を実感するまで人々はその本質を理解することができない」

 

 胸に手を当てて、その眼は鋭く私を射止める。

 

「私こそ、艦娘よ。この歪みこそが艦娘の本質なの。100年前から変わることはない」

 

「そんなはずはない。ラクちゃんは間違っている。艦娘は在りし日の英霊たちが望んだ祈りや願いだったはず」

 

「祈りや願い?違うわ、この力は、この存在は、古来から人類が積み上げてきた罪のそのすべてが収束して生み出された史上最悪の――――呪いよ」

 

「―――ッッ!!」

 

 呪い……?この力が?嘘だ…そんなはずはない。

 

「人類は争うことをやめられない。それはいつの時代でも変わることはない。古代の大戦で沈んだ戦船に宿った正義の魂も悪の魂も、元を辿れば愚かな人類が始めた闘争の果てにあるもの。そんなものがなければ私たちなんて生まれなかった。深海棲艦なんて生まれなかった。ただ私たちは受け継いできただけ。人類が積み上げてきた罪のその償いを延々と。その最たる災厄こそが深海棲艦。体現した贖罪の形こそが艦娘」

 

 ようやく私は理解した。

 ラクちゃんは……いや、この叢雲という艦娘は、一歩でも道を踏み間違えれば―――艦娘史上、最悪の艦娘になる可能性があると言うことに。

 

 この世界を憎んでいる。

 その憎しみは本来私たち艦娘の中にあってはならないはずのものだ。

 人間を否定することは、艦娘の根源たる人の正の力の否定に繋がる。

 

 私たちの存在は否定される。

 だからこそ、呪いなのか。

 

「それは……否定しちゃいけない。今のラクちゃんは人類に完全さを求めている傲慢な考えに過ぎないよ。人類の歴史は多くの過ちがあったからこそ後世が学び、受け継いできた償いの遺産なのかもしれないけど……それでも」

 

「そう、あなたは綺麗な世界だけを見てればいいわ。綺麗な夢を描いて、綺麗な憧れを抱き、綺麗な世界を紡げばそれでいいわ。私はそう思ってきた。私たちの背負う呪いは私たちだけが背負えばよかった」

 

「私は呪いなんか背負ってない。私の中にそんな声はない」

 

「本当かしら……? その力は呪いよ。あなたを蝕み始めるわ。徐々にあなたは自覚する。あなたのその力の原動力が善悪のどちらでもないことに。過去の艦娘たちが繰り返してきたのは救済じゃない。人類が繰り返してきた闘争、同じことの繰り返し。歴史は繰り返す。あなたはそのことを知っているはずよ?彼女たちのことをあんなに必死に調べてきたんだから」

 

「人間の本質が善だろうが、悪だろうが、救済だろうが、闘争だろうが、この際構いやしないよ…それでも」

 

 

 

 

 

「――――願いは確かにそこにあった」

 

「語るだけ無駄ね」

 

 

 

 アームが音を立てて動き、私に黒い砲口が向く。

 同時に魚雷発射管も私に向けられた。

 

 砲口のが私の目を覗く。

 その奥から硝煙の匂いが吐き出されているような錯覚を覚える。

 

 鉄の匂い、血の匂い。

 同じように感じるのに、この胸の奥に語り掛ける意味は全く異なる。

 

 どちらにせよ、昂揚させる。

 この身体に宿る生存本能が、ただひとつの命令を身体に送り出す。

 

「私を沈めてどうするの?」

 

「何もかも終わらせる。この夢が覚めるまで」

 

「卑怯者」

 

「あなたの為にやっていたことだったわ」

 

「違う。私は憧れを憧れのままにはしない。ラクちゃんは理想を理想のままにしようとしてるだけ。それは逃げてることと同じだよ」

 

 左手が足をなぞる様に滑っていき、脚の魚雷発射管に触れた。

 

「ラクちゃんの言う艦娘の姿が正しいとしても、私は私の中にある艦娘の姿を追い続ける」

 

「……ホントにあなたは真っすぐね。どうして私はそんな真っすぐになれなかったのかしら?」

 

「私は艦娘としてラクちゃんの隣に立つ資格はないの?」

 

「あなたは人間であった私の友達……私は艦娘。本来ならあなたは私の―――」

 風が強く吹きつけた。雲が空を覆い始める。強かった風が徐々に強くなっていき、波が高くなり始めた。

 バッと広がったラクちゃんの薄青色の髪。透き通った空の色のようなその髪が、逆立った獅子の鬣のようで、私の全身を震わせる。

 連装砲が遠く叫ぶ。顔を逸らす。熱気が肌を焼く。背後で海が割れる。

 

「―――知らない誰か、よ…」

 魚雷が海に突き刺さり、まっすぐに私に飛んでくる。この距離で避けるのは難しい。

 腕に響いたとしても撃たないといけない。主砲を海面に向け、がむしゃらにトリガーを引く。

 

 水柱が上がり、足から全身に衝撃が走る。

 のけぞりながら、眼だけは《叢雲》の姿を追った。

 

 正面にはいない。

 

「……距離50、方位1-8-5…15秒セット。発射」

 魚雷管から1本魚雷を抜き取ると手動で時限式に切り替える。脳内のコンパスと身体の方位を合わせそっと放つ。

 

 カウントする。そして、彼女の気配は私の背後に回り込むような航路を描く。

 左舷、丁字有利を保った状態で叢雲は移動をしながら、砲撃3発、魚雷2本。

 

 15秒、この目で捉えた方角で爆発が起こり、叢雲の身体を吹き飛ばした。

 いや、直撃はしていない。当たる寸前で避けている。

 

 その一部始終を見ながら私はゆっくりと叢雲とは逆周りに弧を描くように動いていく。魚雷を2本発射、歯を軋ませる叢雲の表情から怒りはまだ冷めない。

 

 残り酸素魚雷4本、弾薬5発。いずれにせよ長期戦は無理だ。

 そもそも長期戦になる心配はないだろう。今の彼女はそこまで頭は回ってない。

 

 冷静さでは私がこの海で唯一保っている。

 そのアドバンテージを使わないわけにはいかない。

 私の身体を狙う砲撃は距離と仰角、砲撃音から勝手に頭がどこに来るかを割り出して、少しの動きで避け続けた。

 

 問題は魚雷だったが、叢雲はあまり魚雷は使うことなく私に向かってくる。

 

 私が放った2本の魚雷を撃ち沈められ、海中で爆発が起き海面が盛り上がった直後、私が迎え撃つ形で人間としての領域の戦いが再び始まる。

 

 逆手で持った槍が私の太ももに突き刺さる。一気に足の力が抜け、膝を突く。

 そのまま真上に振り抜いた。頭を大きく後ろに逸らして間一髪のところで避けたが、見上げるようになった顔を拳が浮いた下顎を抉る様に撃つ。

 

 揺れる脳。歪む視界。その中にぽつりと浮かぶ黒い点。

 

 咄嗟に身体を捻る。槍を持った手を左手で叩き上げる。

 近付かせまいと放った膝蹴りを右手を犠牲に押し出して背中を完全に叢雲に向ける状態になって私は主砲を、叢雲のアームにつながった魚雷発射管に向けて間髪置かずトリガーを引く。

 

 反動で腕が大きく後ろに下がり、カタパルトから放たれたように肘が脇腹に食い込む。その衝撃が叢雲の身体を走った直後に魚雷発射管が爆発。私にも等しく襲った爆風と魚雷管の破片が肌を焦がし切り裂いていく。

 

 だが、怯むわけにはいかない。

 ろくに脚は動かない。左手に持った主砲を離し、背後の叢雲の服を掴む。

 片足で跳ぶように体重を一気にかけて押し倒した。

 

 顔を向かい合わせる。

 頬が黒く煤けて、腕は血塗れ。

 服はズタズタになっていたが、それは私も同じようなものだろう。

 トドメと言わんばかりに、彼女の目を覚ますように、額を彼女の額に打ち付けた。

 

 星が飛ぶ。

 左手から零れ落ちた主砲が右手の指先に触れた。

 指先で引っかけて右手が掴む。

 

 持ち上げることはできないが、そのまま彼女の胸に虚勢ではあったが砲口を突き付けて支えた。

 

 

「どう? 目は覚めた?」

 

「……ええ、お陰でやっぱり駄目だったわ」

 そう言って、槍を手放すとその腕で目元を隠した。口元をグッと真一文字に固めて、でも震えて垣間見える歯は砕けるほどに食いしばられて。

 

 彼女を見てはいけない。

 なぜかそう思って空を見上げた。黒い空だった。いつの間にか黒雲が広がっている。

 

 まだもやもやが晴れない。

 そんな私の心模様を写すようなその空を見ながら、ジワリと額から何かが滲み出るのを感じ、私の身体は真後ろに倒れていった。

 

 

 

 

 

「……何ですか、今の戦いは?」

 

「……多分、喧嘩ってやつだよ。人間がするやつ」

 

 2人の声がする。きっと漣ちゃんと五月雨ちゃんの声だ。

 首を回して顔を向けると、片方が片方に肩を支えられながらこちらに向かってくる誰かの姿が見えた。

 

「とりあえず、この方を起こしましょう。私の方は大丈夫ですので?」

 

「ほいほい、でもよく沈まないで浮いてたねーサミィ」

 腕を抱えられ少し後ろに引きずられるような、そんな感覚で背中を押して持ち上げられた。上体を起こしてうっすらと目を開けると、顔を擦りながら起き上がる叢雲の姿があった。

 

「……ごめん、立たせてくれるかな?」

 

「大丈夫ですか? 足からも顔からも血が……」

 

「いいよいいよ、この人頑丈だから。じゃあ、支えてあげるよ、ほら」

 

「は、はいぃ…」

 2人の肩を借りてもう一度足の裏を海面に立てる。

 自力で立とうと思ったが、貫かれた太ももから下の足の感覚がぼんやりとしている。

 

「それで、訳を聞かせてもらいますか? 今回は漣たちにも聞く権利があると思うんですけど?」

 

「ちょ、ちょっと漣ちゃん…で、でも確かに教えてほしいです。一体どうしたんですか?」

 

「…………」

 叢雲は何も答えずに、真っ赤に腫らした目を私に向けたまま歩み寄ってきた。

 思わず身構えた2人に、大丈夫だと言い聞かせるように右手を小さく上げる。

 私の真正面にまで来て、数秒。口元を拭ってから、乾いた口を開いた。

 

「……あなたが描きたいキャンバスの色は何色?」

 

「え?」

 彼女の言葉は私に対する問いかけだった。

 

「あなたの夢が描かれるべきこの世界(キャンバス)の色は白がいいに決まっている。何もない無垢な白の上にあなたが落とした色がゆっくりと滲んで広がって…美しい世界を作り出す。それが……その先に完成した1枚の絵が……あなたの夢の答えを見ることが私の理想だった、夢だった」

 

「…………」

 

「でも、この世界は真っ白じゃない。この青い海さえ黒く染め上げる化物がいる…いいえ、海だけじゃないわ。この世界は既に汚されてしまっているのよ、人間という黒よりも深い色を持った腐った存在に」

 

「…………」

 

「私の目に映る世界はいつだってそうだった。己が内に秘める色に飲み込まれて褪せてしまった人間たちが往来する世界。そんな世界であなただけが鮮やかな色を持っていた。純真無垢で、非論理的で、馬鹿で、まっすぐで―――愛を知っているあなたが」

 

「私だけが……?」

 一体、この少女は―――叢雲という名を背負わされてしまった少女は、人間であった時に私に何を見ていたのか。

 

 その答えがここにあったような気がした。

 友情や愛情、信頼、絆、そんなものではなかった。

 

「あなたの鮮やかさを守るために、あなたが描く未来が他人の黒で汚されないように、あなたの目に映る色や形が、あなたにとってずっと美しいものであるように。例外は私が全て消すつもりだった。私の手だけを汚すつもりだった。艦娘という下らない化物なんかに生まれ落ちた私が唯一、艦娘として以外に見出すことができた生きる理由……」

 

 漣ちゃんと五月雨ちゃんがいる前で、「艦娘は化物」だと彼女は言った。

 2人が少しだけ狼狽したのが分かった。

 

 左手が拳を握っていく。

 どこから湧き出したか分からない力が、私の手を丸めていく。

 

「……やめてよ」

 

「勘違いしないで、これは私の為なのよ。あなたの夢の辿り着く場所を見たいと願った私の夢のために……あなたのせいじゃない。でも、もう私の理想は崩れ去った。あなたが同じ海に立っていたと知った瞬間から、穢れた私の世界に踏み込んでしまったと知った瞬間から……その時にはもう手遅れだったわ。何かのために全てを捨て去る覚悟はあったとしても、既に捨て去られていた何かのために戦うことはできないから」

 

「…………もう」

 

「いったい私はどうすればいいの?もう分からないのよ。戦う意味さえ、生きる理由さえ分からないの……どうして私の目の前に現れたの?あなたがそんな姿で…自分の名前さえ忘れるほどにその呪いに汚されて……どうして…どうしてよ」

 

「もういいよっっ!!」

 気が付くと私の身体は動いていた。

 強く握り締めていた拳を振るう訳でもなく、勢いよく飛び出したまま血塗れの額を、思いっ切り彼女にぶつけた。

 

 塞がり始めていた傷口が再び大きく開き、噴き出した鮮血で視界が赤く染まる。

 互いによろめいて何歩も下がり、倒れそうになった体を漣ちゃんと五月雨ちゃんが受け止めてくれた。

 

「誰が頼んだの……?」

 引き留めようとする2人を振り払って私は歩み出した。

 開いてしまった彼女との距離を詰めていく。

 額を押さえた左手は真っ赤に染まっていく。掌に感じる生暖かい鼓動が気持ち悪い。

 それでも、彼女を捕まえる。襟元を血塗れの手で掴み、崩れ落ちた体を引き上げた。

 

「誰も頼んでないよ……そんなこと」

 

「ええ、私が勝手にやったことだもの……誰にも頼まれてないわ」

 

「これは私の夢だった……ラクちゃんがそんなことする必要はなかった」

 

「……もう遅いのよ。こうなることはきっと私が生まれた時から決まっていたの」

 

「ふざけないでよ!!」

 喉が切れたかと思うほどの声が腹の底から飛び出した。

 気管から喉にぶち当たり、その衝撃が脳を耳を揺らして、私さえも震わせる。

 

 怒り――――久しく感じたことのなかった感情が私の身体を突き動かした。

 

 でも、その激情の中で私の脳内に広がる光景は真っ白に染まって、そこに一人の少女の姿を描き出す。

 

 これは誰の……いつの記憶?

 長らく忘れてしまっていた私の記憶だ。美しいと思える記憶の一つだ。

 今決まった。彼女にぶつけるべき私の言葉を。

 

「生まれた時から決まっていた? じゃあ、ラクちゃんと私が出会ったのは運命だったのかもしれない。私が生まれたことにも罪があるのかもしれない。でも、私はそれを罪だと思ったことはない。この世界に産まれてよかったと……多くの人々を愛し愛され、そして艦娘という憧れを見つけて、彼女たちの足跡を追いかけて、今私はこの場にいる。私の人生に後悔も罪悪感もそんなものなかった!!小さなものはあったかもしれない。でもそれを上回るほどの記憶が、思い出が、愛があったっ!!」

 

「あなたに…罪はない。すべては私たちが」

 

「ラクちゃんも関係ないでしょ!自分のため?違う、全部私の為だよ!いや、それも違う。ラクちゃんは自分自身を否定する理由が欲しかった。この世界に生きる理由が。そして私に出会って、私を利用した。そうでしょ!?」

 

「だから…何よっ!!だったら私を見限って捨てなさい!あなたの目の前にいる資格は私にはないでしょう!?だったら、捨てなさいよ!私なんて身勝手な女一人捨ててあなたの道を行きなさい!!」

 

「それは嫌だ。これは私のただの我儘だけど……それは絶対に嫌だ」

 

「じゃあ、どうして…っ!?」

 

「そもそも、要らないよ。真っ白なキャンバスなんか要らない……私が欲しいのは…私が欲しかったのは…」

 彼女を掴んでいた手の力が抜けていく。限界が近いみたいだった。

 

「ラクちゃんが笑ってくれる…そんな絵が描けるものなら何でもいいよ。別にいろんな色が混ざってもいいよ。お父さんが、お母さんが、お婆ちゃんが、町のみんなが、ラクちゃんが、漣ちゃんや五月雨ちゃんや電ちゃんや月影さんが、いろんな人が生きている世界なんだから、ぐちゃぐちゃになって当たり前だよ。真っ白なんかになるはずがない、なっては…いけない……」

 

「そんな……そんなもの」

 

「ねえ、ラクちゃん覚えてる?一度だけ…一度だけラクちゃんが私に夢を話してくれたことがあったって」

 もうずっと昔のことだ。掠れかけた思い出が混濁する記憶の中でふわりと浮かび上がって私の脳内で鮮やかに広がる。

 

 いつの出来事かは忘れた。意外と近かったようで、私たちがまだずっと幼かったような時代。

 

 鮮やかで青さもなかった、透明な私たちの時代。

 

 

『私の夢?そうね……』

 

『見上げて思わず溜息が出てしまうほどの青い空の下で何も考えずに昼寝でもできるような……そんなところかしら?』

 

『え?変な夢ですって?まあ、確かにそうかもしれないけど…』

 

『……ねえ、スイ。空って言うのはね――――――』

 

「私が描きたいのは、青空みたいなキャンバスだよ……ラクちゃんが夢見たその青い色の中でみんなのいろんな色を混ぜて、例えぐちゃぐちゃになってしまってもそれでもみんながこんな世界でも、こんな色でもいいや、って笑ってくれるようなそんな絵が…そんな世界が…私の夢だよ」

 

 在りし日の、まだ純粋だった私たちが語り合った言葉をなぞるように、

 

『肌の色が違っても目の色が違っても髪の色が違っても、話す言葉が違っても。艦娘が伝説となる前の世界でも、伝説となった世界でも変わることはない……』

 

 紡いでいく言葉は、きっとどこまでも夢に憧れていて、

 

『生まれた時代や国が違ったとしても』

 

 きっと自分たちの行く先に広がっている世界(ゆめ)に、

 

『同じ空の下にいる限り、見上げる空は一つなの』

 

 想いを馳せる希望に満ち溢れていて、

 

『空の色はいつも青とは限らないわ。でも、いつかはきっと青になる。それは人と一緒。色んな感情や表情、夢にその人自身の色は何度も何度も塗り替えられて行ってしまう』

 

 ありとあらゆる境界を越えてすべてを包み込むような、

 

『でも、みんな同じ空の下にいるの、同じ空を見上げて生きているの。そんな多くの人たちが未来を願って見上げているその空の色は、その下で生きる多くの人たちの色を映して混ざり合ってそうして生まれた鮮やかな夢の色』

 

 確かな優しさがあった。

 

『そう考えると素敵じゃない?私はそんな空の下で昼寝でもできるような未来を生きることができるのなら、それでいいわ』

 

 

 

 

 

「……そんな言葉吐けた気障な時代が私にもあったのね……ホント馬鹿みたいだわ」

 

「そうだね……ねえ、否定しないでよ。隠さないでよ。諦めないでよ。同じだよ。ラクちゃんは人間であろうと艦娘だろうと、私の大切な友達だよ」

 

「違うわ。私があなたの友達であれるわけがない」

 

「お願いだから――――私を拒絶しないでよ……」

 

「――――――ッッ!!わ、私はっ!!」

 

「人間でも、艦娘でも関係ない…私はラクちゃんにも同じ絵の中にいてほしい。かつてこの世界を救った艦娘も人たちもその両方の願いが、色が紡がれて描かれた今をもう一度、私たちが色褪せないようになぞっていきたいんだ」

 

 互いを知らなさ過ぎた。

 どちらが悪いなんてどうでもいい。

 どちらが悪いと思っているかなんてどうでもいい。

 

 今この一瞬で過去に積み重ねてきた彼女との時間を失うよりは、これから彼女と歩んでいく時間を手放すよりは。

 

 どちらが悪いかなんてどうでもいい。ただ、私は許してほしい。

 

 ずっと艦娘に憧れていたことがきっと彼女の苦しみだった。

 知らず知らずのうちに自分が忌むべき存在に惹かれていく友人をただ見ておくことはできなかった。それが彼女を動かせてしまった。

 

 人間として、私の隣に立つため艦娘である自分を否定し、

 

 艦娘として、私の隣に立ち続けた人間である自分を否定し、

 

 一体、誰が彼女を認めることができるのか。

 

 もし、私の願いが彼女に届くのならば、私が彼女を彼女たらしめることを、認めることを、そのことを許してほしい。

 

「ラクちゃんを知ろうとしなかった私を許して。お願い……私をあなたの隣に立たせて……お願いします。力を貸してください」

 

 もう一度、歩み出すべきだ。

 艦娘であろうと、人間であろうと、共に歩みたいと思う友と一緒にもう一度。

 

「ごめんなさい……ごめんなさい……お願い、もう一度でいいから……スイ、あなたの隣を私に守らせて。友としてもう一度…あなたの夢を見守らせて」

 

「うん……よかった。よかっ―――」

 

 最後の糸が切れる。全身の力が電源を切ったかのように抜けていった。

 

 

 

     *

 

 

 

「――――スイっ…スイッ!!!」

 

「え?なにこれ…?」

 

「たたたた大変ですよ!この方浸水してますよ!!」

 

「そ、そんな……」

 

 その時、海を裂いて巨大な鉄の塊が2つ。

 彼女たちを挟み込むように現れ視界を遮っていく。

 目の前に広がる鋼鉄の壁。一変した状況に誰もが混乱する中、テンションの高い女の人の声が響き渡った。

 

『はいはーい!聞こえるかなー、艦娘諸君!』

 

「……は?」

 

『こちらー海軍特殊災害対策部呉支部第一艦隊旗艦《ちょうかい》、面倒だから自己紹介とかいろいろ省くけどー、とりあえず、御雲君からの命令、武装解除して私たちに投降してくださーい』

 

「く、呉……? 提督の命令……?」

 

「呉の艦隊、ってことはこっち側は舞鶴ですかー……ほえーやっぱりおっきいなぁ」

 

「……これは好都合ね。ねえ、こっちの声は聞こえてるの!?」

 叢雲は声の主に向かって必死に叫んだ。

 

「早くボートを下ろしなさい!!大破、1。沈む寸前なのよ!!急ぎなさい!!」

 

『……ん?あーはいはい、ってことでボート下ろしてー。え? 武装解除が先? もういいよ、めんどくさいし。あっ、ちょっと待っててね。すぐに私が行くから』

 

「……なんか不思議な人ですねー」

 

「漣ちゃんがそれを言いますか?」

 

「でも……ひとまず安心ね。私はともかくこの子は」

 

 バシャンと音を立ててボートが下ろされ、4人とも回収されていく。先に乗り込んだ叢雲が私の手を引いて、ボートの上に引き上げた。

 

 一度がくんとボートが沈み込みかけたが、五月雨ちゃんと漣ちゃんがボートを支えて押していき、無事に2人の回収が終わる。

 

 随分と日が傾いた午後。その日も窺えない暗雲に立ち込めた空の下。

 強かった風が降り始めた雨を激しく吹きつけて静かだった海は一気にざわめき始める。とても苦しい戦いだったけど、また私は大切なものを護ることができた。

 

 力を使い果たした私の身体を強く引いてくれたのは友の手。

 薄れていく意識に死ぬのか、そんな不安があったが少しだけ私は落ち着いていた。

 いつの日か忘れたが、こんな風に私の手を取り、強く引いてくれたラクちゃんの姿を思い出したのだ。

 あの時と変わらない温もりが私の手を包む。

 

 

 その温もりがなにより、また護れたのだという実感に変わり私の中で膨らんでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 




※ 多くの誤字訂正ありがとうございます。
恥ずかしい誤字脱字を繰り返して、悶えながら自分の文に目を通しました。
一応投稿前に目は通しているのですが、偶にテンション上がってしまって勢い投稿してしまうため、このような事態になってしまったと思っています。
今後とも、よろしくお願いします。





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彗星 -EPILOGUE-

……ふぅ


 張り詰めた緊張感が漂う室内で二人が向かい合う。

 近くに控えていた者たちも思わず言葉を口にすることも、口の中で変に絡まり始めた唾を飲み込むことさえ躊躇うほどの重圧がのしかかる。

 

 息苦しい、きっと誰もがそう思っていたはずだ。

 

「それで、なにか他に言いたいことはあるか?」

 

「無いわ。全部私が暴走して起こった事態。責任は私一人にある」

 御雲月影は大きく溜息を吐いて、少なくとも上官である自分の前で壁に凭れ掛かるなどという傍若無人な様を見せている妹から一度眼を逸らした。

 

「あのなぁ…今回は市民に被害はなかったが……万が一のことも考えろ。今の人類の最高戦力はお前なんだ」

 

「あら?そうならお願いする立場と、お願いされる立場ってのがはっきりと分かるわね?別に私はあんたが指揮官じゃなくてもいいのよ?」

 

「お・ま・え・なぁ……」

 叢雲は悪びれる素振も見せずにマストを抱えたまま足をパタパタとさせている。先程から一切月影と目を合わせようとしないところも癪に来るものだった。

 

「……電は?」

 

「ん?あぁ、《こんごう》《きりしま》を本部に返すついでに鎮守府に送った。今頃修理が済んでいる頃だろう」

 

「そう……それならいいわ」

 

「そろそろ話してくれないか?彼女は何者だ?」

 

「艦娘よ。見ればわかるでしょう?馬鹿なの?」

 

「そのくらい俺も分かっている。問題は誰がこの施設を動かして彼女を作り出したか、だ」

 月影が指差す方向にある巨大な装置。綺麗に収まっているが、それがおかしい。どうして埃一つないのか。

 

 ここは『艦娘記念館地下・旧横須賀鎮守府工廠設備保管庫』。

 明らかに誰かがいて、その装置を起動させて艦娘を作り出したことは明らかで、それが何よりも問題だった。

 

「いいか?お前も知っているだろうが、艦娘は誰でも作れる訳じゃない。資格を持った者…俺たちのような提督と呼ばれる存在と、その命令を建造ドックに伝え、艦娘を作り出す妖精を使役、召喚する艦娘のその両方が存在して初めて生み出せる」

 

「妖精ならいたじゃない」

 

「提督はどこだ?」

 

「いないわよ。そんなの……まあ、じきに分かるわ。あの子は特別なのよ」

 

「おい、どこに行く?」

 

「あの子のところ。随分と時間がかかっているようだから。あなたは言い訳でも考えてなさい」

 

「言い訳?誰に対するものだ?親父か?」

 

「私たちの親じゃないわ……」

 そう言い残して奥の部屋へと去っていく。残されたのは部下の前で尊厳を失いかけた月影と、それを固唾を飲んで見守っていた部下たち。

 

 軍帽を脱ぐと少し荒々しく頭を掻き、ふぅ…と息を吐いて帽子を被り直した。

 

「おい」

 

「は、はい!」

 

「今何時だ?」

 

「フ、フタゼロマルゴであります!」

 

「戦闘終了からすでに三時間……見たところ彼女は駆逐艦だったが、長すぎる」

 訳が分からない。月影の頭の中にあるのはそれだけだった。

 

 事は全てうまく運んでいたはずだったのに、突然の叢雲の暴走。

 

 並行して行われていた旧横須賀鎮守府地下工廠の探索。

 

 そして、謎の駆逐艦娘。

 

 一度状況を整理しよう。

 そう、三時間前。彼女たちが『ちょうかい』に連れられて帰投した。

 叢雲中破、漣小破、五月雨中破、そして、謎の艦娘大破。

 すぐにでも処置を施さなければ本体が危ういほどの重症。このままでは彼女が何者かさえ分からずに終わってしまうと狼狽えていたその時、電信回線をジャックして入ってきた謎の声。

 

「こちらに十分な設備がある、連れて来い」と。

 おかしなことにその声を聞いていたのは月影のみ。他の部下たちには全くの無音だったという。

 原因は呼び出された先で分かった。旧横須賀鎮守府工廠。ここの存在を知っている者は海軍の中でもごく少数の者たちだけだ。

 その扉がすでに開かれていた、と先に調査に入っている者たちから聞いたが、誰かがいる痕跡はないとのこと。

 誰かの所持物と思われる女子学生服と靴があったとは聞いたが、それ以外には誰かがいる痕跡が全くない。

 

 だが、その存在を見て納得した。私がそれに目を向けるなり、ようやく気が付いたかというような表情でそれは私に歩み寄った。

 

「呼び出したのは君か?何者だ?」

 

「私は妖精だ。君たちが追っている艦娘がいるだろう?あれを作ったのは私だよ」

 色の褪せた黄色いヘルメット。工廠員のつなぎのようなワンピースめいた服を着ており、一目で工廠妖精だと言うことは分かった。

 だが、この妖精は他の妖精とは明らかに違う。独立した自我を持っている。

 

「なるほど、では君がここを運営しているのか。提督はどこだ?」

 

「提督なんてこの場所にはいない。必要ない」

 

「……まあ、あとで話を聞く。彼女たちを連れてくる。ここにある入渠施設を借りてもいいのだな?」

 

「あぁ、ちゃんと『4つ』準備してある。資源も元々は君たち海軍のもの。使いたまえ」

 そう言うと妖精は床の上を走っていき、奥の部屋へと消えていった。しかし、器用に扉を開けるものだ。

 

「お見通しという訳か……外の奴らに伝えろ、こっちに連れて来い」

 近くにいた者にそう伝え、少ししてから四人の少女がやってくることになる。

 3人は自分の足で歩いていたが、1名は担架に乗せられて奥の部屋まで運ばれていく。

 

 五月雨、漣、叢雲の修理は1時間もかからずに終了した。

 彼女たちを送った衛生兵曰く、突然叢雲に「ここから先はあんたらは必要ない」と言われたらしいので、何が起きていたか詳しいことは分からない。ただ、誰かと話していたというところから、恐らくあの妖精の指示なのだろう。

 謎の艦娘である彼女が、どうなったのかも全く分からなくなったという訳だ。

 一体、何者であるかの調査も解析も行えないまま、このままあの妖精とやらにしてやられでもしたらどうするか。

 今回の件では予測の外で起こったことが多かった。何よりも叢雲の暴走。

 どれだけ問い詰めても白を切るところは何とも彼女らしいが、指揮官たる自分が何も把握できていない状況というのはすこぶるマズい。と言うか、本来あってはならない。

 何はともあれ、海軍所属の艦娘4隻は動ける状態にまで回復したため、こちらとしてはほとんど支障はないのだが……。

 

 

 

 

 もう何度目か分からない溜息をもう一度吐いたとき、背後の扉を誰かがノックし、開いて顔を出した。

 

「入るぞ、御雲」

 

「おぉ、長旅のところ労う暇もなく面倒ごとに手を借りてしまいすまないな、(かがみ)

 

「いや、こういう仕事に従事している以上、仕方あるまい。こちらこそ、遅れて申し訳なかった」

 少し屈んで扉を潜り、顔を見せた白い第二種軍衣を纏った背の高い若い男。軍人らしからぬ腰の辺りまで伸びた長い髪を後ろで低く束ねている。

 中性的な顔立ちだが、声色や口調は寧ろ男らしく、その振る舞いも外見を覗けば軍人の鑑であると知っている。

 幼い頃からの親友である鏡 継矢(かがみ つぎや)は埃の落ちた軍帽を叩いて被ると、広がる空間を見渡して「ほう」と声を上げた。

 

「噂こそ聞いていたが、記録に残る艦娘の工廠の様子が目の前で動いているかのような光景だな」

 

「何を言う。そのままだろう。ここは艦娘がいた時代の工廠で今現在進行形で稼働中だ」

 

「俺が言っているのは、あの時代の様子が見えると言うことだ。時代が違うだろう?」

 

「時代が違うか…今にも、その時代は現代に重なろうとしているがな……舞鶴はどうだ?」

 

「どうもこうもない。貴様から通達を受けて着実と艦娘に対応できる設備を増やしている。もうひと月もかからない。悔しいが、あの馬鹿の腕は本物だ」

 

「……お前が遅れたのは、アイツのせいだと聞いたが」

 

「ギリギリまで引き継ぎに時間がかかったらしい。まあ、あの馬鹿が5徹で工廠でぶっ倒れてたってのが一番の原因だがな」

 

「……後で一緒に殴るか。それか罰走だ。士官候補生時代を思い出させてやる」

 

「あぁ、そうだな。懐かしい」

 

「ふっ…ははっ、そうだな」

 

 

 こうやって肩を並べて友と語る日が明日もあるとは保証されない時代となった。

 いや、その時代が自分たちの世代で還って来たのだ。いつの時代とて戦争は起こる。恒久的な平和など約束されない。

 それでも、束の間の平和でもいい。この100年を守った者たちがいた。

 

 多くの汗を流し肉体を鍛え、多くの血を流し戦場を翔け、多くの涙を流し命を惜しみ、そうやって生まれたこの青き海を、再び守らんと蘇った女神たち。

 それを導くために、受け継がれてきたこの血。彼女たちを守るために彼女たちから受け継がれてきたこの血。

 その血脈を持つ者が友として出会ったのも運命なのかもしれない。

 

 苛々を忘れてそんな感傷に浸っていると、艤装を外して身軽になった妹が奥の方から歩いてきた。鏡の顔を見るなり、珍しいものを見たというような驚いた顔を見せて不敵な笑みを浮かべる。

 

「あら?鏡さんじゃない。相変わらず長ったらしい髪ね」

 

「これは楽…いいや、叢雲と呼んだ方がいいか?元気そうで何よりだ。それで、正気は取り戻されたのか?」

 

「……余計なお世話よ」

 相変わらず、こいつは口が悪いが、今のは鏡が一枚上手だったか。目の前で失態を見られていては叢雲も言い返せまい。

 

「それで?」

 

「それで、って何よ?」

 

「彼女はどこだ?」

 

「あぁ…あの子ならもう」

 そう言って振り返った叢雲の、向かった目線の先を追うようにして顔を上げた。

 

 

「――――申し訳ありません。お世話になりました、えへへ……」

 

「いいや、君にはまだ言いたいことが幾らでもある。そもそも装備を投げるとはどういうことだ?あれを作った私の気持ちを考えてるのか?君たちがちゃんと戦えるように念に念を入れて整備と点検をしているのだぞ?工廠で働く者たちの苦労を君はまるで理解していない」

 

「あ、あの、あの時は必死で」

 

「必死で、じゃない!君はあんな状況で追い込まれるようなスペックじゃないはずだ。そんな不良品を作った記憶は私はないが」

 

「弾切れで……」

 

「どれだけ無駄な弾を使ったんだ?弾薬だって無限にある訳じゃない。艦娘たちが遠征に行き回収したり、提督が頭を下げて配給されているものだ。1発も外さずに次からは撃て」

 

「そ、そんな無茶な…」

 

肩に乗った妖精を何やら言い合っている三角巾を吊った少女が歩いてきた。

 

「……ゴホン」

 

「……あっ」

 

「ん?君たちまだいたのか。先程から荒らしている物音が聞こえないから帰ったと思ったが」

 

「この施設については調べ尽した。後はお前と、彼女だけだ」

 そう言って、その少女を見た。白い布地に黒い襟のセーラー服。袖と襟には赤い線が入っており、作り直したのか損傷は一切ない。

 後ろで髪を1つに束ねており、小さな尻尾のようだ。少し抜けているような表情をしているが元気な子らしい。

 

 だが、何より額に巻いた包帯。頬の絆創膏。右腕を吊った三角巾。

 

 入渠を終えた艦娘の姿とは思えない。うちの艦娘たちの傷は骨折を含め全て回復していた。

 

「痛々しいな。可憐な少女たちの子のような姿を見ると」

 隣で鏡が小さな声でそう言ったが、首を横に振った。

 

「いいや、おかしい。これはどういうことだ?」

 

「え、えーっと、私に訊かれましても……」

 

「まずは自己紹介でもしたらどうなの?この有象無象2匹はあなたのことを知らないでしょう?いや、まずはあんたたちからするべきじゃないの?」

 そう言ってなぜかこちらを睨む叢雲。なにかここまで恨まれるようなことをしただろうか?

 だが、確かに一理ある。彼女たちに対して最大限の礼儀は尽くすべきだろう。

 

「いきなり押しかけて失礼しました。まだ全快ではないところとお見受けしますが、少しばかり私どもの話に耳を傾けてはくれないだろうか?私は―――」

 そう言って名乗ろうとしたとき、彼女はキョトンとした顔で叢雲の方を見て、左手で私を指さした。

 

「え?いや、ラクちゃん。私知ってるよこの人。昼間に広場にいたんだから。そもそもラクちゃんのお兄さんでしょ?月影さん」

 

「御雲月かg――――は?」

 今この子は何と言った?昼間広場にいた?民間人の中に?

 待て。早とちりをするな。艦娘として生まれ落ちて、民衆の中に紛れ込んで私を見ていたのかもしれない。そうだ、それ以外ありえない。

 

 

 

 

 

 

 ラクちゃん?

 

 

 

 

 

 

 

「……おい、妖精」

 

「どうした?」

 

「お前まさか―――――人間を艦娘にしたのか?」

 

 その問いかけに対して、妖精は待っていたと言わんばかりに無機質な表情に大きな笑みを浮かべた。

 

「大正解だ、提督殿」

 

 

 叢雲は驚いた私の様子を見て呆れたかのように大きな溜息を吐いた。

 

「顔を見て分からなかったの?あなたも知っているでしょう?よく私を連れ出してその辺りを駆け回ってた雪代さんのところの彗よ」

 

「は……?あっ……竜さん……竜河さんのところの」

 

「御雲、かなりだらしのない顔をしているぞ。部下が見ている」

 鏡にそう言われて、帽子を深くかぶって急いで表情と頭の中を整理する。

 

「あ、あの~、なんかすみません」

 

「い、いや、君はいいんだ。おい、妖精。民間人を軍事に巻き込むとは…いや、そうじゃない…あー、くそっ!君たちに対しては疑問が多すぎて何から聞けばいいか分からない…」

 

「あははは…なんかすみません」

 

「……妖精、その子は艦娘なのか?」

 

「紛れもない艦娘だ。戦っていたところならば君の隣にいる上背がある青年が知っているだろう?」

 

「艦娘の戦いと言うよりは子どもの喧嘩だったがな。しかし、可能なのか?俺は限りなく成功率も低く、完成度も低いと聞いたが?」

 

「いや、今はそんな問題じゃない……最悪だ」

 人間が艦娘になれるかどうかは本当に今はどうでもいいことだったのだ。

 

 人間が艦娘になってしまったことが一番の問題だ。

 これをどうやって公表する?秘匿にはできない。町から少女ひとりが失踪したなどで済まされては海軍の信用が一気に落ちる。

 それだけは海軍の威信を背負う一族の嫡子として守らねばならない。

 

「叢雲…言い訳とはこのことか?」

 

「何の事かしらね…?」

 

「えーっと、私はどうすれば」

 

「……さて、この提督はどうするか、見ものだな」

 

 提督がいないことにはなんとなく合点が行った。いや、そうなるしかないと割り切った。

 人間を艦娘にできるような妖精ならば、提督の存在など必要ない。

 では、彼女の傷が完治していないのは…それも前例がある、よりにもよって私の一族の祖先と言う前例が。そのお陰で一応の理解は可能だ。

 誰がこの妖精を召喚した?叢雲以外に艦娘は残されていないはず。

 自然発生などあるのか?いや、それだけが分からない。

 

 ひとつの大きな問題に直面すると他の事はもはやどうでも感じてきた。

 私の頭は簡潔に今まで思考領域を埋め尽くしてきた疑問を柔軟に解決していく。

 そうして、ようやく晴れていった脳内に残る巨大な問題。

 

 そもそも私の手の届かないところで起こったことに私がどう言おうと無駄なのではないか?

 だが、民衆は全艦娘の管理は私たち海軍が行っていると思い込んでいる。それに漏れが生じたなどと発覚すれば、一大事だ。

 

「――――ん?御雲」

 

「なんだ?今、考え事をしている。邪魔をしないでくれ」

 

「外で何か起きたみたいだ……」

 

「は?」

 

 この時、俺の中で生まれたとても嫌な予感。

 ちらっと眼を向けた。彼女は申し訳なさそうな顔を、妖精は私を試すような顔を、叢雲は欠伸をしていた。

 小さくばれないように舌打ちをして鏡に「ここは任せる」と一言残し俺は階段を上がっていった。

 

 

 

   *

 

 

 

「ちょ、ちょっと困ります!民間人は立ち入り禁止です!」

 

「黙れ!見た者がいるんだ!!」

 

「お前たちが誘拐したんだろ!!」

 

「誘拐などしてはいません!!あの子は――――うわっ!!」

 記念館前正門。入口に配置していた者たちが何者かともめている声が聞こえた。

 

「何事だ?」

 

「そ、それが、民間人の集団が突然押し寄せてきまして、中に入れろだと」

 

「説明はしたのか?ここは我々が滞在中に海軍の機密事項を保管するために民間人の立ち入りを禁止すると」

 

「どうやらそういう問題という訳でもないらしく」

 

「はぁ…もういい。私が対応する」

 見れば、海兵たちと筋肉隆々の男たちが取っ組み合いをしてなにやら喚き散らしている。

 あの身体つきで焼けた肌。見覚えのある顔たち。漁師の方々かと思えば、それだけじゃない。

 後方に女性の集団もあり、何かを叫んでいる。老人たちも集まり、近くにいる海兵を呼び止めては何か抗議しているらしい。

 

「どけ!もはや話すつもりなどない!」

 

「ちょっとあなた!!」

 

「お前は黙ってろ……あの子は私が取り戻す!!」

 そう言って民間人も海兵も踏みつけて人の壁を越えて一人の男がこちらへと向かってきた。

 

「ま、待ちなさい!ここから先は立ち入り禁止だと」

 

「邪魔だッ!!」

 服を捕まれたが、腕を振り回し、引き留めた者の顔に拳が食い込む。

 

「な、殴ったぞ!遠慮はいらん!拘束しろ!!」

 

「おいおい、小さい子連れ去って、それが軍人のやることか!?」

 そう叫んだ者を太い腕が掴み、引き留める。駆け寄った海兵たちにも男たちが立ちはだかり、その道を阻んだ。

 

「信用していたがちょっと考えを改めないといかんなぁ。まさかそういう趣味があったとは」

 

「お嬢ちゃんに何するつもりか分からんが、とりあえず竜さんの邪魔はさせねえぞ?」

 

「ちょ、ちょっと、みなさん落ち着いてください!!」

 1人だけ冷静に叫んでいる女性がいたが、男たちは聞く耳持たずに暴れ回る。

 日頃の訓練を積んで鍛えているとはいえ、こうも乱闘状態では海兵側にも大怪我が出る恐れもある。

 

「暴動だ!!動ける奴らは全員来い!!」

 記念館の中から声がして、内部で待機していた者たちが一気に飛び出していった。

 それでも怯むことなく向かってくる男たち。狂気すら覚える。

 

「あっ、お父さん……とおじさんたち」

 私の後を追ってきた少女がそう言った。

 そうだ。間違いない。鬼のような形相で私に向かって走ってきているあの男性はこの少女の父親だ。

 

「ちょっと……マズいんじゃないの?早く止めてらっしゃい」

 

「あ、あぁ……おい、お前っ、あいつらを止めて来い!全員中に入れてやれ!!」

 

「た、大佐!ですが……」

 

「構わん。なんの問題もない」

 

「わ、分かりました。お前ら、放してやれ!!」

 

「さて……」

 私の前で止まったその大きな影。荒げた息に肩を大きく上下させながら、キッと私を睨みつけた。

 

「どうもすみません。部下たちが―――――」

 

「――――貴様ッ!!」

 言葉を発したことで糸が切れたかのように、男性の身体が躍りかかる。恐らく、利き手であろう右拳を強く握り締めて大きく引いている。

 

「お父さんっ!!」

 背後で彼女が叫ぶ声がした。だが、男性が止まる気配はない。

 このまま殴られるべきだったのかもしれない。しかし、殴られてはこの男性の怒りは流れるままに私に暴力として振るわれる。

 それはお互いにとってマズいことだ。私は話を聞いてほしいし、一方的に私を殴れば、軍人など関係なしに罪に問われる。

 

「……申し訳ありません。こちらも事情がありまして」

 素人の拳程度ならば簡単に止められる。そうするように教わったし、鍛えられた。

 右手で重々しい一撃を受け止めて強く握り動きを止める。そうすることで私の声を確かに届ける。

 何よりも、私の後ろにいる彼女の存在を確かに知らせて、一時的にその怒りを収めてもらう。

 

「……ッ!……くそっ」

 少しだけ落ち着いた様子を見せたので手を離し、身体を半身にして道を開ける。

 

「お前……大丈夫だったか?変なことはされてないな?……よかった」

 

「お、お父さん……もう」

 

「その怪我はどうした?こいつらに何かされたのか?」

 

「い、いや、これは私が自分でやったことで……逆だよ。海軍の人たちには助けてもらったの。腕は脱臼みたいなもので、おでこのも掠り傷を大袈裟に包帯なんて巻いちゃってるだけだから」

 

「そうか……玄さんところの息子さんがお前が海軍に連れていかれたところを見たって言うものだから駆けつけてきたが…よかった」

 後を追うようにして女性が駆け付けてきて、私の前に来ると頭を深く下げた。

 

「……すみません。止めたのですが」

 

「いえいえ。私どもも全て把握できておらず、準備不足のためこのような事態になってしまっていますので、私たちの落ち度です。申し訳ございません」

 帽子を脱ぎ深く頭を下げた。海軍の落ち度であったことに変わりはない。何より、1人娘を巻き込んでしまったこと、そのことへの謝罪の気持ちは強くあった。

 

「頭を上げてください……それよりも、一体何が起きているんですか?まだ上手く理解できなくて……」

 

「少し複雑であるため、理解されるのは難しいでしょう。順を追って話させてもらいます」

 

「―――俺たちにも聞かせてくれよ」

 女性の後ろから、服が破けたり顔に痣を作ったりした男たちが壁のように集まってやってきた。

 

「……なんとなく分かってるんだ。お前たちが別に悪いことはしてないってことは」

 

「でもな、その子は雪城さんだけが大切に思ってるわけじゃねえ。俺たちはその子がこの町を愛してくれていることを知っている」

 

「だからこそ、ワシたちにとっても大切な実の孫のような子じゃ」

 

「あんたらにも話せない事情があるってのは分かるが、その子が関わっているのなら別だ。全部話せ」

 

「もし、強引にその子を連れて行こうってんなら……分かってるな?」

 

「この町の大人全員を敵に回すと思え」

 正直、驚きを隠せなかった。

 私の目にはただの少女にしか見えないこの子が、これほどにまで大人たちを動かしていることが。

 

 この町を愛している…か。

 旧横須賀鎮守府のお足下であったこの町は艦娘によって守られ続けてきた町。この町に生まれて、この町で生きていることを誰もが誇りに持っている。

 それは長く住めば住むほどに強くなる、と町の爺さんに聞いたことがある。

 この子は…この少女は、どれほどこの町を愛していたのだろうか?

 

「分かりました。では――――」

 

「待ってください」

 私の言葉を遮ったのは、この騒動の根源である彼女であった。父親に肩を支えるようにされて私の前に歩み出ると、少しだけ私の顔を見て、

 

「私に説明させてもらえませんか?ここにいる人たちは私のことを想って集まってくれた方々です。私の言葉で伝えたいことがたくさんあります」

 強い意志を持った目を向けながら私にそう伝えた。

 

「……分かった。君に任せさせてもらう」

 事実を言えば、私が説明してもらいたい気持ちなのだ。

 私の口から曖昧な情報で伝えられるよりも、彼女の口から語られる真実の方が余程真実味のあるものだ。

 帽子のつばを押さえながら、私を1歩下がった。

 

 そして、小さく息を吸い込んだ彼女の後姿をじっと見つめていることにした。

 

 

 

   *

 

 

 

 小さい頃から海の近くを駆け回っていた。

 彼女たちの存在を強く感じられると思ったからだ。

 私はこの町が大好きだった。この町で暮らしている人みんながこの町を愛している。

 そんな町の人たちも大好きだった。その大きな手、小さな手で、私たちの成長を支えてくれて助けてくれる温かい町。

 艦娘について調べていくほどに、不思議とこの町に愛着が湧いていく。

 この町を愛する気持ちは強まっていく。

 それはこの町がかつて艦娘たちが歩いていた町だからではない。

 

 この町で私は艦娘たちと出会い、艦娘たちに触れて育った。

 そこにあったのはいつだって、この町のみなさんの温かい目と温かい手だった。

 

 みなが海を愛し、町を愛し、子を愛し、未来を紡いでいく。

 

 きっと彼女たちが願った理想はこの町なんだと考えた時もあった。

 

 私は全てを話した。

 昨晩、私は艦娘になって、海に出て戦ったことも。今日の昼間の戦闘に私も出ていたことも。

 今日戦闘に加わっていたことは両親だけでなくみんなを驚かせた。恥ずかしさと申し訳なさでいっぱいだった。

 

 加えて、私が海軍の手によって艦娘になったことではないことを話し、月影さんたちの無罪を証明しておいた。

 満身創痍になった私を海軍が保護して治療してくれたことも話して私がここにいる理由も全て伝えた。

 

 とにかく、これは海軍の意思ではなく、紛れもない私の意思ですべて行われたことだと言うことを伝えた。

 

 

 ひと通りの話を聞いて、父は俯き、母は口に手を当ておろおろとしていた。

 

「……勝手なことしてごめんなさい」

 少し目線を落として私はその時だけ小さく呟いた。誰も言葉を発さない中で、父だけが1歩、月影さんの前に歩み出た。

 

「……君、私の娘をどうするつもりだ?私の気持ちを理解した上で言葉を選びなさい」

 

「この世界の状況は昼にお話しした通りです。今の人類に艦娘という存在は希望そのものです。私たちとしては、希望となり得る戦力をひとつでも多く揃えたいというのが本音です。無論、危険も伴います。艦娘だって不死身じゃない。命を懸けた戦いに身を投じることになります」

 

「……君は昼間に言って見せたな。すべての艦娘を命懸けで守ると。君に私の娘が護れるのか?」

 

「確かにそのように言いました。ですが、この戦いに参加するしないは私の意思には恐らく関係ないでしょう」

 そう言うと、月影さんは私の前まで寄ってきて、帽子を脱いで私を見た。

 

「……君の意思が聞きたい」

 

「……え?わ、私ですか?」

 

「さっきも少し話したね。君は軍属じゃない。これからどちらかの道を選ぶことになる。君次第だ。戦いたいのならば、私たちが君の身柄を保護する。拒むならば、君の艤装を解体しよう。艤装を解体してしまえば、君は艦娘ではなくなる。戦いからも遠ざかり、家族とも一緒に暮らせる」

 

「え、えーっと、その私は……」

 突然答えを求められて少しパニック状態になっていた。みんなに真実を伝えて落ち着くと言うよりも寧ろ心臓が跳ねるように脈を打っていたところにそんなことを聞かれて即答できるほど私の心中は穏やかではなかった。

 

「……」

 

「……」

 無言のまま私の答えを待つ両親と目が合った。

 その瞬間に、不思議と私の拍動は治まっていった。

 

「そ、その……私は」

 

「……どうして」

 

「え?」

 

「どうして、お前は艦娘になったのか話してくれるか?無理やりではなく、お前がなることを選んだのだろう?」

 

「そ、それは……」

 父の質問が私の中で響いていく。

 目を閉じて思い出していく。

 そうだ。きっと伝えるべきことはこれなんだと。忘れてしまっていたのは初日に決めたはずの強い想い。

 

「――――――っ、ふぅ……」

 

 余計なものは吐き出して必要なものだけを残す。そして、伝えたいことだけの空気を吸い込んで、私はゆっくりと閉じた目を開いた。

 

「お父さん、私はお父さんが大好きだよ。お母さんも大好き。お婆ちゃんも大好き」

 

「ラクちゃんも、学校のみんなも、うちに来てくれるおじさんたちも、市場の人たちも、商店街の人たちも」

 

「みんな大好き。そんなみんながいるこの町が大好き。そして、私が憧れた艦娘が護ったこの町が大好き」

 

「私が艦娘に憧れていたのは知ってるよね?でも、それは所詮憧れだったんだ。彼女たちのように戦えるわけじゃない」

 

「昨日、本当はお父さんのところに向かってたんだ。心配だったから……それで深海棲艦に襲われた」

 

「何もできなかった。私は無力だった。必死で逃げてある場所に着いたんだ」

 

「そこで知ったんだ。私は本当にこの町が大好きなんだって。そして、私に足りないものが何かを」

 

「私は――――私が大切だと思うものを、かけがえないものだと、愛していると思うものを」

 

「この命に代えてでも守りたい。私の大好きなものが詰まったこの町を失いたくない」

 

「私にも戦える力があるのなら戦いたい。だから、艦娘になった。私が生まれ育ったこの町を護り抜きたいから」

 

 

 

「私が、みんなを護りたいからっ!」

 

 

 

 全てを吐き出した私の中にふっと生まれた満足感。

 目を閉じて、ひと息吐くと私は父の顔を見た。私のこの答えを聞いて父が何を思うのかが知りたかった。

 

「…………」

 だが、父は無言だった。表情を変えることもなくじっと私の顔を見下ろして固まっていた。

 母も同じ感じだった。グッと目を閉じて……もしかしたら、父の言葉を待っていたのかもしれない。

 

 

 

「――――なぁ」

 

「え?」

 ふと父の口から何かの言葉が漏れ出した。強張っていた表情が解れて優しい笑みが父の顔に浮かぶ。

 

「私が知らないところで、お前はずーっと強くなったなぁ」

 

「えぇ、本当に……少しこの間までちゃんと見ていないと心配だった子がここまで」

 父と母の表情は険しいものではなく、温かみのある笑顔に溢れていた。父の大きな手が私の頭を撫で、母の小さな手が私の頬を撫でる、

 

「……私はお前を戦場に送ることは反対だ。それは私が親として当然に考えることだ。しかし……まさか、母さんのその言葉に納得してしまう日が来るとは思いもしなかった。それも我が子の姿を見て、な」

 その言葉を聞いて、私は大衆の前で祖母が言い放った言葉を思い出した。

 

『確かに姿こそ幼い。だけどね、まっすぐと芯が通っている』

 

『逞しいじゃないか。一端の男よりずっと逞しい。強いよあの子たちは、大人の心配なんかいらない』

 

『いつか子は巣立っていくんだよ。私たちの知らないところで、私たちが知っている姿よりずっと逞しくなって』

 

 きっと父も同じだ。祖母の言葉を思い出して、あの場に並んでいた強い光を持った少女たち、そして祖母の姿を私に重ねているんだろう。

 

「……私の目を見なさい」

 

「う、うん……」

 言われるがままに、顔を近づけた父の目を覗く。

 いつもは厳しさを形にしたような鋭い眼をしているが、今はそんなものはない。

 柔らかく、目に映るものすべてに温もりを与えるような優しい目。その目と目を合わせている間、私の中で安心感が湧き上がってきて、不安や焦りが徐々に薄れていった。

 

「私が知らない輝きがある。力強い光が。強さの他に、目にはちゃんと優しさがある……強くなったんだな、彗」

 

「そ、そうかな……?」

 

「ええ、彗は強くなったわ。ずっと見てきたんですもの。私たちの子どもの成長を2人で…いいえ、町の皆さんと一緒に」

 

「でも……少し早すぎやしないか?お前が私たちの元から巣立っていくのは?」

 

「そうね。てっきり、いい人でも見つけて飛び出していくものだと思っていたけれど」

 思わず肩が跳ねてしまったが、それは目の前にいた父も同じだった。それを見て母は悪戯に小さく笑いを零した。

 

「なっ……こんな時に冗談はよせ」

 

「ははは……、……お父さん、お母さん」

 うん、きっと大丈夫だ。

 私は胸を張って2人に気持ちを伝えていいんだ。何も迷うことはない。

 父も母も、町のみんなも、私を否定することはない。ずっと私を見てくれてて、こうやって自分の足で立っている私を認めてくれる。受け止めてくれる。支えてくれる。

 もう隠す必要はない。悩む必要はない。伝えればきっと応えてくれる。

 それが私の行くべき道なのかどうかを認めるか、諫めてくれるはずだ。

 

「私がお父さんたちにとってどんな存在かは分かってるよ。それでもね、たとえまだお父さんたちから見たら幼くても、私は自分にできることをしたい。我儘かもしれないけど、未熟な私が見た夢なのかもしれないけど」

 ちらっと月影さんに目を向ける。

 

「この人たちの力になりたい。きっとそれが私が大切なものを護れる近道なんだと思う」

 ぽんぽんと父の手が私の髪を撫でる。

 

「……未熟な夢なんかじゃない。危険な賭けをしたが、お前は昨日も今日も、この町を護ってくれた。本当は叱ってやりたいところだが……よくやった。お前はお父さんの誇りだ。今、そう思える」

 

 

「―――――――――お前は相変わらず面倒くさい男だ。つまらないねえ……」

 カラカラと音がして、町のみんなの壁が割れていった。

 その奥にいる車椅子に座った一人の老婆を見て父は露骨に表情を苦くした。

 

「げっ」

 

「お婆ちゃん……!」

 呆れたように溜息を吐くと、車椅子を転がしながら私たちの方へと寄ってきた。

 

「とっくに認めてるんだろう。その子の姿見ればお前も認めざるを得ないだろう。すっかり変わってしまった」

 そして、その皺だらけの顔に浮かぶ鋭く強い眼が私を射抜く。思わず、背筋がぴんっと伸びてしまった。

 

「悪い方にじゃなく、良い方に。逞しく、真っすぐに芯の通った、いい女になった。もうお前が教えることはなぁんにもないよ」

 

「くっ……」

 

「お義母さん、本当にいいのでしょうか……?このままで」

 

「……分かるよ。お前さんが腹痛めて産んだ子だ。大事に育ててきたのもずっと見てきた。しっかりとお前さんの良いところを受け継いでいる。でも、分かってるんだろう?女には引けない時ってのがあるんだ。それと同時にどうしても耐えなきゃならん時もある」

 祖母はふと海の方を向いた。私も釣られるようにしてその方角を向いた。

 雨が上がった空に向かって私の背中を押すような優しい風が吹き抜けていく。

 

「少し早いかもしれないが、この娘にとっては絶好の船出の時なのかもしれない。そっと背中を押すのが親というものだ」

 

 船出の時。

 私が艦娘として踏み出すべき第1歩はここじゃない。いや、生まれたのはここだし初陣もここなのだけど。

 私はまだ艦娘としてきっと未熟なのだ。

 もう1度、きちんと船出をする必要があるんだと思う。

 

 それはきっと……愛するものから離れてしまうことになるのだけれど。

 それでも、この町に下ろし続けた錨をそっと巻き上げて背中を押してくれる温かい手を無碍にはできない。

 

 

「……しかし、私はお前たちに謝らないといけないね。私の子だったが故に、子に嫁いだが故に、孫として生まれたが故に私が受け継いできた血の因果に巻き込んでしまった……彗や、お前さんはが受け継いだ名前は何という?」

 

 祖母の言葉に私の身体はすぐに反応した。

 

「……特型駆逐艦吹雪型1番艦《吹雪》」

 

「私の祖母も同じ名を持った艦娘だった。つまりはそういうことだ。お前さんは生まれながらにして艦娘になる素質があった……そう言われなかったかい?」

 

「え、う、うん。言われた……って、お婆ちゃんが艦娘の孫だったって今日の昼間のあの時に初めて知ったんだけど……」

 

「だが、素質があるのと、実際になるのは大きく違う。自分で選んだんだろう?艦娘となり戦うことを。もう親が敷いたレールの上を歩いていくときじゃない。お前さんは自分で進む航路を定めた。お前さんの行く道だ」

 

「……うんっ!」

 私は振り返った。父に、母に、祖母に、町のみんなに背を向けた。

 その背中にそっと手が当てられるような気がした。私を支えてくれる多くの人たちの想い。

 

 私の進むべき航路(みち)は決まった。

 

「月影さ……い、いや、し、司令官さん、かな?し、司令官!」

 待っていたかと言うように、月影さんは私の前にまっすぐに背筋を伸ばして立つ。じっと私を見下ろす手には私を試すような威圧感が籠っていた。

 

「……では、答えを聞かせてもらってもいいかな?」

 

「私も――――私にも護らせてください!お願いします!私を海軍に入れてください!!」

 

「危険な道だ。生半可な覚悟で海軍の名を背負わせることはできない」

 

「それでも、私、やります……艦娘として戦います!もっともっと頑張って、いつか平和な海を取り戻します!それが今ここで、私が愛する者たちに向けて立てる私の誓いです!!」

 少しの沈黙。そして、カンッと響いた軍靴の音。

 目の前で優しい笑みを浮かべて敬礼を浮かべた月影さんに続いて、周囲にいた海軍の方々全員が一斉に私に向かって敬礼をした。

 

「……ありがとう。君の勇気に敬意を抱くよ……私の艦隊に加わってもらいたい。お願いできるかな?」

 

「――――はい!」

 不思議と身体が動いて私は敬礼を返した。と言っても左手でやったため少しぎこちないものになっってしまったのだが。

 ちょっとの間をおいて、キレのある動きで気を付けに戻ると、月影さんは私に左手を差し出した。

 

「よろしく頼む。駆逐艦《吹雪》」

 

「はい!よろしくお願いしますっ、司令官っ!!」

 

「ふふっ、まったく馬鹿ね、あんたは……」

 後ろで小さく笑ったラクちゃんに少し照れたような笑みを向けると、優しく笑い返してその後呆れたような表情になった。

 なんだかんだで、いつものラクちゃんだ。

 

「あなた……ほら、ちゃんと見て」

 

「分かってるよ。我が子の旅立ちの時だ」

 

「お、お父さん!お母さん!お婆ちゃん!」

 

 そう言えば、私は重大な問題を抱えていた。その解決方法を今のうちに両親に訊く必要があった。

 何よりも、その問題は両親の想いを無碍にしてしまうようなものなのだ。

 

「あぁ、分かっているよ、彗。自分の名前が朧げになってきているんじゃないかい?」

 と、訊こうとした瞬間に祖母に見事に言い当てられた。

 

「え?ど、どうして分かったの?」

 

「名前を呼ばれたときに、どこか反応がぎこちないからねえ。それにお前さんの中には《吹雪》の記憶がある。その記憶が混濁して自分の名前が分からなくなっているんだろう?」

 祖母の口からそう聞いて、両親はかなり驚いているらしかった。同時にショックを受けているように思えた。

 それもそうだ。大事な我が子のことを想い、様々な祈りや願いを乗せてつける名前。ひとつの命に与える名前だ。

 それを忘れたなどと聞けばショックを受けるのも仕方がないだろう。

「そ、そういうことなんだ。それで……忘れないように聞いておきたいことが1つだけあるの」

 

「彗、あなたは彗よ。1000回頭の中で『私は雪代彗です』って呟きなさい」

 

「い、いや、ここは忘れないように名前を織り込んだ御守でも持たせれば……」

「いや、ちょ、ちょっと待って」

 流石にパニックになりすぎだ。

 

「今まで訊いたことがなかったんだ。逆にどうして今まで訊かなかったのか不思議なんだけど」

 

「なんだい?なんでも言ってごらん?」

 

「私の―――その『彗』って名前の由来はあるの?」

 父と母のキョトンとした顔を見て、あぁ、この2人は夫婦だなって思うほどにそっくりな反応をした。

 

「あ、あれ?今まで話したことなかったか?」

 

「う、うん。なんかお婆ちゃんと話し合って決めたってのは聞いたかもしれないけど」

 

「そうね……じゃあ、忘れないようにここで教えてあげるわね」

 2人はしゃがみ込んで、ちゃんと私に声が届くように顔の高さを合わせてくれた。

 そして、紡がれていく『私』と言うかけがえのない存在を刻むその名を。

 

「お前の名前の由来はな―――――――」

 

 結われていた願いを、そっと言葉に乗せて教えてくれた。

 

 

 

   *

 

 

 白い窓枠に囲われた綺麗な窓。ワックスが綺麗にかけられてきらめいている廊下。

 優しい緑色の壁に木造の天井。その途中にある上質な木材に金色で文様が描かれている両開きの大きな扉。

 上に掲げられているプレートに「提督執務室」と書かれてあるその部屋の扉を軽く4回ノックする。

 

「……入りなさい」

 

「失礼します!」

 声に従ってきびきびとした動きで入室し、踵を揃える。

 掲げられた額縁に勢いよく書かれた文字。青色の絨毯に大きく開く窓からは青い海と赤いクレーンが見える。

 両脇にある書棚と、小さな給湯設備。そして正面に置かれた大きな執務机。

 

 真っ白な軍装を身に纏い、私をじっと見るその姿に私は治った右手を額にかざし、敬礼をして大きく口を開いた

 

「本日より、横須賀鎮守府配属となりました吹雪です!よろしくお願いします!」

 

「私は横須賀鎮守府の御雲月影だ。階級は大佐。この鎮守府の提督を務めている。待っていたよ、駆逐艦吹雪……よろしくお願いする」

 そう言って返礼をした提督に大きな声で返事を返す。

 

「はいっ、司令官!」

 

 

 あれからいろいろとあった。本当にいろいろと。話すと長くなりそうだから機会があったら話しますね。

 とりあえず、私は横須賀鎮守府に着任することになりました。

 ……言っては何ですが、車で30分かからないくらいの場所です。威勢よく出てきたのに、帰ろうと思えば帰れます。

 ですが、簡単に帰られる日々を送れるはずもないでしょう。その覚悟だけは決めてきました。

 

「では、君とこれから共に戦っていく仲間たちを紹介することにしよう」

 

 すでに執務室には4人の艦娘がいた。床に座る子、壁にもたれかかる子、棚の中を整理してる子、窓の外を見てる子。

 皆がやってることをやめて、私に近づいてくる。1歩手前で止まると、4人は顔を見合わせていた。

 

「綾波型駆逐艦《漣》です……あーこんな感じでいいですか?まあ、よろしくねー」

 ピンク色のツインテール。少し変わった印象だが愛らしい顔をしていてチャーミングな子だ。肩にウサギがいた。

 あの時は見かけによらない力強さで私を守ってくれた。表情こそ少し笑っているが、私を試すように見る目には強い光が宿っている。

 

 

「《五月雨》って言います!よろしくお願いします!吹雪ちゃん、一緒に頑張りましょうね!」

 青いロングヘア―。明るい印象でとても元気そうな子だ。グッと握っている拳が可愛い。

 ちょっとどこか抜けていそうな感じで元気が空回りしないか心配だが、彼女の勇姿はこの目でちゃんと見ている。

 

 

「《電》です。どうか、よろしくお願いします、吹雪ちゃん。一緒に頑張るのです!」

 茶髪を後ろで束ねてる。おろおろしていて少し気弱そうな子だけど、全体的に可愛い。

 言葉を交えるのはここが初めてだ。しかし、溢れ出すやる気を感じる。瞳の奥にある強い光も彼女の見かけによらない頼もしさを物語っている。

 

 

「……そして、私ね」

 彼女のことはよく知っている……つもりだったが、どうも知らないことも多いみたいだ。

 

「特型駆逐艦吹雪型五番艦の《叢雲》よ。ま、せいぜい頑張りなさい、吹雪(・・)

 

「あははは……」

 吹雪と強調して呼んだところはちょっと皮肉を込めていたのだろう。水色の髪を靡かせるクールな印象を抱かせる子。

 でも、優しい目で見守ってくれる私の親友だった子。その目は今も変わらない。

 

 

 どれだけ部屋を見渡しても、これだけである。

 ここにいるのは、駆逐艦5隻のみ。これが人類の持つ最高戦力。

 戦力としては心もとないかもしれない。装甲も火力も低い私たちは駆逐艦だ。

 

 でも、私たちは鉄の塊なんかじゃない。人の形をした艦娘だ。数を埋められるだけの可能性がある。

 私はそれを信じている。きっと私たちはかつての彼女たちのようになれると。

 

 まずは、5人でのスタートだ。ここから始めていこう。1歩ずつ仲間と。

 

 

 100年前の伝説と化した艦娘たちとなんら遜色のない力を持つ艦娘の艦隊をいつの日か。

 

「みなさん、よろしくお願いします!」

 

 今1度、私たちが伝説をこの海に甦らせるその1歩を、まずはここから。

 

「よろしくー!」

 

「よろしくお願いしますね!」

 

「よろしくお願いします、なのです!」

 

「……よろしく」

 

 

 踏み出していこう――――――この、始まりの5人で。

 

 

 

 

 

『――――彗星だ。まあ、若干意味合いは違うが流れ星のような意味で』

 

 

『流れ星は宇宙で見れば、ただの塵などが動いているようなものだ。でも、夜空に煌めくその光に願いを託す人たちもいる』

 

 

『流星群の中ではその光さえ霞んでしまうかもしれない。それでも、自分の中にある光を大事に守り』

 

 

『願わくば、その光に誰かの願いを背負って、他の光に負けないほどに強く輝いてほしい』

 

 

『一瞬の煌めきではなく、誰かの願いを背負い、誰かの心の中に残り続けるような光をもって強く、強く』

 

 

『夜空のような暗闇の多い世界でも輝けるように、迷った誰かを導ける光になれるように』

 

 

『例え、燃え尽きてしまったとしても、俯いた誰かがふとお前の光を思い出して空に目を向けてお前の光を探すような』

 

 

『そんな人生を送れるように……私たちの願いを込めて空に放ち、大海を翔ける彗星となれるようにと』

 

 

 

 私の名前は雪代 彗。

 

 

 私の名前は特型駆逐艦吹雪型1番艦《吹雪》。

 

 

 

 私はこの海の上で、誰かの願いを背負い生きている『艦娘』。

 

 この光が途絶える前にその願いを紡いで見せる。

 

 誰も俯かずに空を翔ける彗星を大切な誰かと一緒に見上げることができるように。

 

 

 

 

 私はこの名を背負って生きていく。

 

 

 

 

 

 

 




読んでくださりありがとうございます。

第二章「始まりの五人」完結でございます。いやぁ、長々と申し訳ありません。
「一章の半分くらいで済むかなぁ~」などと考えたらこんな感じになりました。

さて、一章に引き続き、簡単な反省と解説、告知をさせていただきます。

反省についてはあれですね。叢雲が暴走したあたりですね。
例の友人と二次創作について話していた時に「キャラが勝手に動き出す」という話をしたことがあります。SSなどを書いてある程度キャラを作っていくと、そのキャラが勝手にストーリーに沿って動き出す、と言う経験がある方もきっと居られると思います。私の未熟さゆえかもしれませんし、そこで軌道修正するのが技量の見せ所なのでしょうが…見事に振り回されました(笑)。つまり、あの辺りから少し当初のストーリーが歪みました。軌道修正するのに時間がかかり、今週までかかりました。申し訳ありません。


解説ですが、作中で妖精がぽろっと出した『FGF(Fleet Girls Frame)』は自分が艦娘の構造について設定を決めていくに当たって生まれたこの作品でも結構重要な設定です。また時間があったときに、まとめさせていただきます。

主人公の雪代(ゆきしろ)という名字はかーなーり、適当です。
提督の親友、鏡 継矢(かがみ つぎや)に関しては結構考えました。
あと、何やら濃いキャラ残して消えたもう一人の友人(女性提督)は、多分ずーっと後に出てきます。
この作品では、基本的に提督(妖精を観測できる能力を持つ者)は100年前の艦娘の子孫です。名前などに面影を残しているので、誰の子孫か暇だったら考えていただくのもまた一興かと。

さて、以前告知しました第三章ですが、この章「始まりの五人」のくせに、と突っ込みたい方もおられると思いますが、

「電ちゃんの活躍シーン少ねえじゃねえか!もっと出せ!!」

などと思われている方。安心してください、第三章のサブメインは電ちゃんです。
少し横須賀を離れます。というか日本を離れます。そのため、主人公不在です。

この章については思いついたときに、個人的にものすごく愛着が湧いてお気に入りですがだからと言って完成度が良くなるとは限りません。
それと私の都合がかなり混み合っておりまして更新がしばらく先になりますm(__)m
ここで次章の名前言っちゃうんで、ぶっちゃけ誰が出るかは予想できると思います。

では、第三章『銀翼の翔跡』でまたお会いしましょう。


ありがとうございました!!



※ 3月13日 
 雪城 → 雪代 に変えさせていただきました。すみません



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第三章 「銀翼の翔跡」
別離 -PROLOGUE-


 

――――某日、南西諸島海域

 

 

勇み飛び出してきた一つの艦隊に大きな混乱が起きていた。

暴風、豪雨、雷鳴、全ての音が大自然の中に掻き消されて誰の声も届かない。

少女たちはその身を荒れ狂う波に打たれながらも叫び続けるが、響くのは自然の声のみ。

ごくごく簡単な任務のはずだった。

某国から出発したとある輸送船の護衛任務。当海域に出現した小規模の敵艦隊からの護衛。

しかし、天候が一変したこと。合流地点到着前に先鋒が敵の奇襲を受けたこと。

派遣された少女たちにはすべてが予測外のことであった。渡された情報と違う点が多すぎる。

現場での判断を厳しい環境の中で要求された彼女たち。必然的に生じた混乱の中で更なる問題が発生する。

巨大な波に襲われて艦隊は大きく分断される。更に安定しない足下と視界。耳から拾う音もあてにはならない。

必死に互いの名前を呼び合うものの合流するまでに時間がかかりすぎて合流地点に到着した時にはすべてが終わっていた。

だが、彼女たちはその時に気付くことになった。あの混乱の中で失われていた存在に。

 

 

そして、一人の艦娘が姿を消した。

 

 

 

 

 

路地裏で餓死しかけていたあの頃を思い出す。同じように生気を無くし虚ろな目を何もない地面に落とす影と成り下がった者たち。

異臭と死が立ち込めるこの狭い路地の光景が俺の半生を埋め尽くしてしまっている。

衣服は粗末な布一枚でろくに夜の寒さも凌げず、腹を壊すと分かっていても生きるために泥水をすすり、明日を生きるための金を稼ぐために手足を擦りきって骨と皮だけの身体に鞭を打ち、そしていつも見上げる空から日の光が差すことはない。

濃い灰色の煙雲が空を遮り、俺は空の色を知ることはなかった。

幼い子どもたちは汚れた空気に喉をやられ、咳き込む老人たちは何度も血を吐き、切り傷は腫れ上がり激痛と高熱に魘されて、腐った飯を胃に流し込んで精力を養う。

この土地の空気に咳き込まない日はない。浅黒い肌のお陰で目立たないが、透き通っていない雨に晒される身体は黒や白にところどころ変色している。

家族は居ない。居るとすれば、ここで毎日死にかけている奴らだ。まあ、そんなこと思ってるのは俺くらいだろうが。

他人の事なんか考えない。明日の事なんか考えない。何も考えない。今を凌ぐ奴らばかり。

人じゃない。人としての尊厳さえ失った生き物だ。死ねばそれが物言わぬ肉の塊になる、それだけ。

死とはそんなに複雑なものじゃない。極めて淡白なもので単純なもの。

平和であろうが平和でなかろうが、死ぬときは死ぬ。生きる時は生きる。

神様とやらが決めた時に死ぬ。どれだけ若かろうが年を取ろうが、老衰だろうが病死だろうが事故だろうが殺されようが死ぬときは死ぬ。

 

それが運だ。神様とやらがメモ帳にした落書き程度のものだが、人間なんてそんなものだ。

 

恵まれた人間たちは自分の死に価値を持ちたがる。だからこそ、生きている自分を誇らしくしようとする。他者よりより良いものにしようとする。平和を願う。幸せを求める。

そして、自分たちが本当に恵まれている人間であることに気付くことはない。

その人生が持つ価値に気付かない。

 

俺たちの世界にはそんなものない。価値なんてない。ゴミの方が価値がある。

自分の価値を見出せないのだ。なぜ生きているのかさえ分からない。

感覚がマヒしてしまい、毎日同じようなことをただただ繰り返すだけ。それも俺たちより前に生きていた人間たちが繰り返してきたことを真似ているだけ。

ただの繰り返し。

俺がその繰り返しを数えるようになったきっかけは本当に些細なものだった。

 

泥ではなく擦り切れた傷から溢れ出る自分の血で黒く汚れている足を見ていた。あの日も寒かった。

日の光が差さないこの国。雲の向こうに太陽があることさえ生まれた頃から知らないし、誰も教えてはくれない。

俺が偶然空を見上げて、自分が向かおうとしている方に目を向けて、その遠さの違いがふと気になった。

それで偶然、本当に偶然抱いた一つの疑問。

 

あの向こうには何があるのか。それだけだった。

 

その疑問が、何かを知ろうとしたことが、俺の人生に価値を与えた。

探求心。何もなかった俺の中に生まれたそれが俺の魂を強くした。

地獄とさえ呼ぶにあたわない腐った世界でも俺は夢を持った。

夢、そんな言葉を知る者なんてこの町にほんの一握りだろう。

 

空の色が知りたい。

 

それだけだ。

俺が生まれた意味を何か見出だすとするのならば、空の色をこの眼に映すこと。

 

それだけを求めて、俺は港まで歩いた。町の豪族の船が定期的に船を港から出し入れする。

港の周りには、異国の文化が溢れている。ごみ一つでさえ俺には知らない世界。幼い頃に気付いた俺は腹が減っても通い詰め、ゴミを集めて知識を養った。

人の声を聞き意味を考え、真似をする。並んだ謎の文字の形をひたすら指で地面に書き、法則性を見つけ出した。

俺の知識は一気に増えていき、考えに幅が生まれた。

最初は絵を見て、柄を見て、形を見て、文字を見て、文を見て……その繰り返し。

こう言う時間は空腹さえ忘れ、何度も餓死しかけては、近くの浜辺に打ち上がった魚の死骸や海草を食って生き延びた。

味は舌が痺れるようなものだったが、腹が膨れればそれでよかった。

 

この国ではあの空の色を知ることができない。

この町には黒と白と灰色しか色がない。

だったら、あの船が向かう場所にはどんな色があるのか。色が増えれば俺の人生もきっと鮮やかなものになる。

この町から逃げ出さなければ。

 

俺はまた空を見上げた。

この空は周期的に白い灰色になったり、黒になったりする。

その度にこの身体にも何も感じない時間と、比較的にはっきりとしている時間がある。

その移り変わりを俺は数え始めた。

 

その移り変わりがある数になった時に船は港に来た。

そこからまた数えて、出ていくと、また数える。同じだけ数えたら、また船がやってくる。

 

逃げようと考えてから何千回数えたか分からない。

しかし、俺の中には確信が生まれていた。俺は準備を始めた。

 

そして、時が来た。

豪族の船が港を出る。そこに潜り込んで俺は外の世界へと赴くことを決めた。何度も観察し続けて忍び込むタイミングを把握した。

忍び込むと、隠れやすい場所を探して、大量の箱がある場所に隠れた。

その場所には俺が見たことのないものがたくさんあった。だが、一番目についたのは石。

巨大な金属の箱の中に大量の石が入っていた。色は黒く見えるが…こんなものをこの国から運び出していたのか?

こんなものが何の役に立つのか分からない。もしかしたら食えるのかと思い、齧ってみたが案の定ただの石だった。

 

一つを取り出して、鉄の床にいつものように移り変わりの数を数えていった。この場所は暗い。

身体に覚えこませたこのパターンだけが頼りだった。

そして、数を数え始めてふと違和感を覚える。

いつもより数が多い。数え間違いではない。どういう訳かこの船はまだ出港する気配は見せない日が続いている。

もしかすると、俺のことがばれたのかもしれない。だが、探し回るような様子はない。慌てている人の声も聞こえない。

案の定、杞憂だった。

もう一つ数を数えた時にこの船は港を出た。初めて感じる揺れる世界。

視界がくるくる回り、いつか病にかかった時を思い出した。あの時もこの頭の中を掻き乱す気持ち悪さがあった。

何も入っていない腹の中から変な味の液を何度も吐き出した。この身体から徐々に気力が消えていく。

気付かないうちに何度も意識を失っていた。その度にこの気持ち悪さは消えていった(慣れというものだろうか?)が、それでもこの揺れは激しさを増していき、外からは何か大きな音が響く。

床の上を転げ回るほどに傾くこの船に一体何が起こっているのだろうか?外から聞こえる大きな音も聞いたことがない。

せっかく落ち着いてきた体調が再び悪くなってきた。冷たい床にしばらく横になってみたが、船体を何かに叩きつけるような音が終始聞こえてきて、休むに休めない。

それでも、俺の中に刻み込まれた周期に従って、目の前は次第に黒くなっていく。

 

次に俺の目が形あるものを映した時、慌ただしい声が船内に響きつづけていた。それにしても寒い。

何かこの寒さを凌ぐものはないかとふらつきながら立ち上がった瞬間だった。

 

船が激しく跳ねた。俺の軽い身体は壁に叩きつけられ、壁に挟み込まれたかのように腹の中に溜まっていたものすべてが押し出されて吸い込むことができないまま、床に崩れ落ちた。

視界が白くなったり黒くなったりする。今までの揺れとは違う。絶えず何かに衝突するような衝撃。

響く罵声に、何かが弾けるような大きな音。そして、鉄の板を擦り合わせるような音と建物が崩れ落ちるような声。

木の割れる音。目に映るのは壁に走っていく線。さっきまではなかったものだ。何か確かめようと身体を起こした時だった。

突然壁が迫ってきた。吹き飛ぶ身体。なにか冷たいものに包み込まれていく感触。自分の力じゃどうしようもない力に引っ張られるような感覚。

一気に全身を包み込んだ未知の感触。空気が吸えずに、口の中を水のようなものが埋め尽くしていく。

まるで巨大な何者かの掌の上で遊ばれているかのように体が舞い踊るかのように見えない力に操られる。

体中になにかロープのようなものを括られて引っ張られているような、そんなものだ。

そして、ロープに引かれて、俺の身体はようやく別の何かに触れることができた。

顔をそちらの方向に出すがうまくバランスが取れない。何かを掴もうにも、掴めど逃げるものばかり。

この空気を掴むようなものの他に何かないかと辺りを見渡して、何かの塊を見つけてそれを掴んだ。

よく分からないが木の板のようなものだ。偶に海岸に打ち上がっていたりするが海にはこういうものが漂っているのだろう。

ようやくバランスを保ち、頭がくらくらしながらも辺りを見渡す。

 

顔を激しく水が打ち付ける。

見上げた空はいつもより黒く、何か白い線が生き物のように走っていた。

そして、強い雨に高い波、激しく吹き荒れる風。今まで味わったことのない自然の猛威。

冷たい…そうこの冷たさはあの路地裏を思い出させる。

俺はどこに行こうとこの冷たさを味わう運命にあるのかもしれない。いや、あの路地裏よりもはるかに冷たい。

それはあそこでゴミのように生きる運命であったことを拒んだ俺への神様とやらが送った罰なのかもしれない。

だが、おかしい。俺は船の中にいたはずなのにどうしてこんなところにいるんだ?

 

目的地に着いたのか?だとしたら、これは何だ?俺が見たかったのはこんな色じゃない。

それとも、一度目の前が黒になった時に誰かに見つかり放り出されたのか?

 

違う。少し遠くに見える。あれは何度も見た俺が乗っていた船だ。今にも波の中に沈もうとしている。

しかし、あまりにも酷い有様だ。俺が今までずっと観察してきた頑丈な船体が土人形のように脆く崩れている。

自然の力はこんなにも簡単に船さえ壊してしまうのか?それなのに俺の身体はまだ壊れてはいない。それでも俺がかなりひどい環境にいるのは間違いないが。

 

ふと、荒れ狂う波の間に、黒い闇が広がるその先に、ふわりと浮かぶ光のようなもの。

光…いや、違う。生き物だ。大きな魚のような…白い歯が海に浮かんでいる何かを噛み砕いている。

空を走る白い生き物が発する光が海を明るく照らす。その人間がはるかに小さく思える黒い身体は光を反射して暗闇に光る。

大きな頭に白い眼、大きな口。あんな生き物今まで見たこともない。海岸に打ち上がっていたこともない。

 

あれはなんだ…?

 

 

それにしても目の前がチカチカとする。空を走るあの生き物のせいか?腕にも思うように力が入らないし、目もまともに開き続けているのもきつい。

全身の力が全く入らない。冷たい。身体が冷たい。板を掴む手も生きていないかのように冷たい。

ダメだ…これ以上目を開けるのもつらい。仕方がない。周期が狂ってしまったがしばらく黒に身を任せよう。

その時、ふと誰かが俺の目の前に立っているような気がした。

きっと見間違いだ。ここは海だ。人が立てるはずがない。不思議なものを見ることが多い。

黒く染まった視界が少しだけ白く染まったとき、誰かが俺の身体を再び抗いようのない力で引っ張った。

 

 

 

 

空は未だに悪天候が続いていた。見渡す限り水平線のはるか向こうまで広がる黒雲が晴れるのはまだしばらく先のことになるだろう。

偶然辿り着いたのか。それとも導かれるようにして辿り着いたのか。

少女と一人の青年は無人島らしきその場所に辿り着いた。

「…………」

お互いに何者かは知らない。それでも、少女の中にある何かがこの青年を救えと命令した。身体が衝動的に動き沈もうとしていたその体を引き上げ引っ張り続けた。

冷たい雨が身体を凍えさせる。少女の小さな体から体温はすぐに失われていく。青年の手は既に冷たいが脈拍は辛うじてある。

「…………」

辺りを見渡すが何もない。目の前には密林。左右には砂浜。それだけ。

戸惑った少女は傷ついた背中の装備を一度砂浜の上に置いた。

そして、その一部である盾のような大きな鉄の板を青年の身体にかぶせると一人密林の中に足を進めていく。

その先に何があるかは分からないが、とにかく動かずにはいられない。

仲間からも逸れ、孤立し、連絡を取る手段も失い、しかも海難者を見つけた。

生きねばならぬ。生かさねばならぬ。一〇〇〇の守れなかった命を悔やむよりも一の救える命を救うことに専念すべきだと。

少女の手は密林を掻き分けて足は草を踏みながら奥へと進んでいく。

今、自分は試されているのだと心の隅で考えていた。弱いと日頃痛感している自分は試されているのだと。

 

少なくとも、この出会いは彼女にとって大きな変革となる。

 

しかし、その大きな鍵となるものにこのときまだ気づくことはなかった。

広い砂浜に墓標のように立つ一つの大きな木の板と、その前に横たわる異形に――――

 

 

 

 

 

 




新章突入です。

五話程度で終わらせるつもりですが、まだ全体が全然完成してないので何とも言えません。
少々時間がかかるかもしれませんがよろしくお願いします。


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墓場

 何もない黒が白みを帯びていき、徐々にそこに形が生まれていく。

 青年の目が薄く開いていく。浅黒い瞼の向こうから灰色の瞳が覗いたときに青年の意識はこの世界の色を捉えた。

「―――――っ」

 少し靄がかかったような視界が薄暗い部屋の中を見渡していく。見たことのない場所だ。

 コンクリートの天井には壁を壊して侵入した蔦が張り巡らされており、四方のうち一面の壁はない。

 砕けた天井の一部から水が滴り落ちて、水たまりを作っている。

 そんな空間を照らしているのは、左半身に感じる熱を発しているもの。

 この空間の中央で小さな焚火が青年の体温を守っていた。

「…………」

 ほとんどボロ布のような服は少しだけ湿っていたが、ほとんど乾ききっていて青年の身体から熱を奪うことはなかった。

 口の中はいまだに塩の苦さが残っていたが、そんなことよりも青年は空腹に苦しんでいた。

 この身体が、骨と皮を貼り付けただけのような身体が、とにかくエネルギーを求めていた。

 青年の目は目に映るものがたとえ石でもそれが食料に見えるほどにまで、かなり窮地に追い込まれていた。

 そんな時、ふと同じ空間に感じたなにかの気配。他に何か生き物がこの場所にいる。

 焚火を挟んで向こう側に小さな生き物が横になっていた。

 

 今まで肉というものを食べたことはなかった。よく分からない穀物のようなよく分からないものばかり食べてきた。時には港の浜辺に打ち上がっている魚や虫やトカゲやヘビ、カエルなども食べて生きてきたが、こういう動物の肉を食べたことはなかった。

しかし、今まで食べてきて多少具合は悪くなったりしたが、食べれなかったものは一切なかった。

 とにかく、歯を突き立てて喰い千切って咀嚼し飲み込む。

 食えないものはあまりない。

 

 四本足の生き物らしい。一本の足を持ち上げてみたが、人間の手とよく似た形をしている。

 しかし、よく肉がのっている。この腕一本でも当分動けるエネルギーを得られるだろう。

 躊躇いもなく噛み付いた。

 その瞬間、その小さな生き物の身体がびくりと跳ね、奇声のような叫び声をあげる。

「はにゃあああああああああああああ!!!!!!」

次の瞬間、青年の視界の隅から何かが飛んできた。

 鉄の塊……錨のようなものが――――腹部に突き刺さり軽い身体はいとも簡単に吹き飛んだ。

「ぐっ…ッッ!!」

 そうして、青年はまたしばらく意識を失った。

 

 

 

「あっ、気付いたのです?」

 再び青年が意識を取り戻した時、幼い少女が青年の顔を心配そうにのぞき込んでいた。

「………ッ!!」

「はわっ!」

 驚いて飛び起きると、少し警戒するように青年は距離を取った。

 突然動いたので少女も驚いたのか、変な声を上げて尻もちを突いていた。

 腹部に感じる妙な鈍痛。点滅する視界と力の入らない身体に、飛び起きた体は再び冷たい地面に沈む。

「えーっと……大丈夫ですか?」

 虚ろな目で何もない空間を見つめる青年に四つ這いのまま恐る恐る近づき、少女は声をかけた。

 

 ボサボサの清潔感の一切ない頭。骨ばった顔や二の腕。浅黒い肌に浮かぶ薄い色の唇と灰色の瞳。脚や腕、首や頬など至る所に白や黒、中には青や黄色にも見える痣のようなものがあり、更に薄い皮膚の下に青く浮かぶ内出血の跡も多々あった。

 正直、生きていることが不思議なくらいの骨と皮の人形。

 少女の目に映った青年の印象はそんなものであった。

「…………」

「…………」

 無言のまま二人の間に流れる時間。地面に突っ伏したまま深い呼吸を繰り返す青年を見て少女はハッと気づいたかのように立ち上がり、部屋の隅に置いていた大きい布を広げた。

 中にあったのは恐らく青年は見たことのない果実。少女が何とかしてこの密林を駆け回って集めた食料であった。

 その中の一つを少女が青年の口元に持っていくと、今までの静寂が嘘であったかのようにその体はその果実を食すことの為だけに動いた。

 喰らい、喰らい、喰らい、あっという間に胃の奥底に栄養源となりえるものを流し込むと、喉の渇きも癒え、一度深く息を吐くと青年は身体を起こした。

「あ、あの……」

 少女はもう一度意思の疎通を図ったが、青年は素知らぬ顔で辺りを見渡す。

 自分が置かれている状況をはっきりと把握するためであった。青年の目に映るのは知らぬ空間。そこにある全てが今までとは全く違うものであって、異質なもの。

 とても小さな世界の中で生きてきた青年の目に映る新しい世界の光景はあまり味気のないものであった。

 何より、青年の目には今までと同じ色しか映らない。そこにあるのは今まで見てきたモノクロの世界であって、青年が求めた色鮮やかな世界とは程遠いものであった。

「あのっ!」

 ようやく少女の呼びかけに気付いたらしく、その眉をぴくりと動かし青年は少女と顔を見合わせた。

「だ、大丈夫ですか……?」

 目に映るのは幼い少女。しかし、今まで見てきた幼い子どもたちとは違って、しっかりと肉が付いている健康な子ども。

 なるほど。外界の人間は自分たちとは随分と体型が違うのか、としか理解できなかったが、それよりも青年の思考回路は大半を別のことに総動員していた。

 

 言語の解読。少女の発する言葉、その音の抑揚と鼓膜に伝わる波の形は、青年がよく知っている形だ。

「コンニチハ」

 青年は脳内に浮かんだ文字の持つ音を一つ一つ当てはめる様にして、一つの単語を声にする。

 これは挨拶と言うものらしく、顔を合わせた者たちがする一つのルールのようなものだと青年は定義していた。

 少女の口にする言語体系に当てはまる言語は奇しくも青年が見てきた文字や聞いてきた声に酷似しており、青年の脳が解読するのにそれほど時間は要しなかった。

「あっ、言葉が通じるみたいですね。海外の方だから通じるかどうか心配でしたけど」

 突然青年の耳を襲う言葉の羅列。一気に流れ込んできた情報を一つ一つ紐解いていくのには時間がかかる。

「……」

「えーっと、喋れないんですか?」

 結果として流れた沈黙を少女は意思の疎通がとれていないものと解釈したらしく、不安そうに顔を覗いてきた。

「……俺」

「はい?」

「君」

「はい?」

「……あってる?」

 青年の問いかけに少女はぽかーんと口を開いて呆然としていた。

「全く分からないのです…話せるんですか?」

 青年の行動が全く理解できない。そもそも、青年のような存在を目にするのは、この身体を得てから初めてであり、人間的な理解というものが未だに追いつかずにいるのだ。そのために少女はこの世界の出来事、特に真新しい者ものに対して理解することに時間を要した。しかし、それは青年としても同じことであり、

「おぼえる、すこし、ことば、君、話す、似た、音」

「……あっ、電と同じ国の言葉を話している人たちの言葉を聞いて覚えたってことですね?」

 時間こそかかったものの、ある程度の意思の疎通―――少々歪ではあるが―――は可能であった。

 

 さて、少女―――艦娘、駆逐艦《電》は本題に入ろうと思った。

 意思の疎通が可能である以上、ある程度の情報は聞きだせるはずだった。

 今、この状況下で軍から孤立した電がそのような聴取を行うことの必要性はほぼ皆無に等しかったのであるが、単純に電自身が抱いた疑問を解決するために、何より、同じ空間にいる者として相手のことを把握しておきたいと言う一種の危機回避のために電は青年に問いかけることにした。

「あのぉ~、どこの国の方なんですか?」

「しらない……国、名前、ない」

 青年は知っている単語を意味と照らし合わせながらゆっくりと口にしていく。

「国の名前を知らない…?」

 電は違和感の正体をようやく掴んだ気がした。それで小さな両手を頭の側方に当て、抱えるようにして蹲った。

 

 そもそも、電たちがこの島の近海を訪れた理由は輸送船の護衛であった。

 その輸送船が敵の手により沈められ、乗組員たちは嵐に激しく荒れ狂う海に投げ出され……電たちがその乗組員たちを救助することはごく自然なことであった。道理に適うことであった。

 しかし、電は違和感を抱いていたのだ。このような乗組員がいるのだろうか、と。

 結果として、電は人ひとりの命を救うことになったため、満足こそしていたがその違和感を拭わない訳にはいかなかった。

「……ちょっと待ってください。あの船の乗組員の方ではなかったんですか?」

「違う。逃げる、国から」

 はわわぁ…と小さく声を上げて崩れ落ちる様に電は再び蹲った。

 その意味を電はよく知っていた。いや、この時勢のことを学んだばかりだからこそすんなり理解できたのかもしれない。

 母港で僚艦から教鞭を受け、この時代について叩き込まれた。それは人の身体を得た彼女たちがこの時代で生きていくために必要なことであったからだ。

 何より、青年の件については、海に携わる者としてはすんなり理解の行くものであった。

「……密入国者ですね」

「……?」

 密入国…一般的には許されることのない犯罪行為だ。

 犯罪たる理由は様々、密猟品や違法薬物の密売などの防止、疫病やウイルスなどの国内の持ち込みの防止。

 問題はその他にも多くあるが、その事の重大さをよく理解していた電であったが、今は頭を大きく横に振った。

「もう今はそんなことどうでもいいです。それよりもお腹は空いてませんか?」

 この青年は憔悴している。一目見れば分かる。明らかに餓死寸前だ。

「食い物……ある?」

「一応、食べられそうなものは……ヘビとか食べられますか?」

 捕まえたはいいものの、正直食べる気の湧かなかったものを提示してみた。

 こういう事態の最低限の対処は知っているために、ヘビもカエルも食べようと思えば食べれるのだ。

 しかし、やはり……というものがあった。

「食える、なんでも、食える。ずっと、そう」

 青年は顔色を変えることもなくそう言ったが、電は少しだけ悲しげな顔をした。

「今まで…あるものを何とかして生きてきたんですね……」

 

 

 絞めたヘビをたき火で炙り、平然と口にする青年を横目に見ながら、電は見たことのない甘い香りの果実を口にしていた。

 今のところ毒はないらしいが、今はそんなことがどうでもよくなるくらいに電の頭の中は様々なことで埋め尽くされていた。

 

 いつまでもこの場所にいる訳にはいかない。しかし、ここから抜け出す術がない。嵐と深海棲艦の同時襲撃が電から奪ったのは守るはずだった命だけではなかったのだ。

 ここにいることを誰かが気付いて救援に来るか。捜索が行われているのならば、その可能性もあるが轟沈扱いされていたらどうするか。

 中期的な計画が必要だった、この島で生きていくために。

 拠点の確保、水源の確保、食料の確保。ある程度は昨晩のうちに済ませた。終わっていないのは、この島付近の散策だろうか?

 もしかしたら、何か現在地を掴める痕跡が残されているかもしれない。ここには人間が生活していた跡がわずかに残されているから希望はある。

「君…名前」

「え?」

 突然、青年に声を掛けられ電は戸惑いながらも、質問を冷静に飲み込んでいった。

「電です」

「いなずま……海、立つ、俺、助けた」

「電は艦娘なのです。日本海軍所属の駆逐艦なのです」

 青年の表情は常に変わらなかった。それは地面に突っ伏しているときも食事をしているときも。

 しかし、このときだけ少し表情が変わった。驚きだろうか?悲しみだろうか?

「カンムス……」

 復唱するように青年が呟いた。

「カンムス、幸せ、人、助ける、俺、助けない、聞いた」

 青年は「カンムス」と言う存在を耳にしたことがあった。あれは港でのことであったか。それとも路地裏で老人に聞いた話だったか。

 当時は理解できなかったが、今となって思い起こしてみると、その存在を少しだけ理解できた。

「カンムスとは幸せな人だけを守る存在」、大雑把な把握の仕方であったがそれが青年の中の定義であった。

「君、俺、助けた。君、カンムス」

 だからこそ、目の前位にいる少女の行為に矛盾を覚えた。

 どこで生まれた偏見か、青年の中では艦娘たちは貧しい民には縁のないものであり、富のある者たちを守る存在であると解釈していた。

 当然、電がそのような偏見が青年の中にあることは知らない。その疑問の本質を理解していた訳ではない。

 ただ、その行為の理由を訊かれたような気がして電は答えを口にした。

「……電は助けられる命は全部助けたいです。理由なんかありません」

 その言葉が口火になったかのように、小さな少女の身体の中に抑え込まれた感情が突然、溢れだした。

 それは日頃は口にできない本音。許されざる彼女の本音であった。

「できることなら……こんな戦いもしたくないです」

「戦い…なに?」

「深海棲艦と言うのを聞いたことがありませんか?」

「……ない」

「人間と昔から戦ってきた敵の名前です。大昔に起こった人間と人間の戦いで死んでいった人たちの怨念が形となったものと言われてるのです。人間はずっと戦ってきました。そして、一〇〇年前に終わったはずでした」

「また、始まる」

「その通りです。一〇〇年前…いいえ、もっと昔に起こった戦いと同じです。多くの命が奪われてしまいます。こんなの本当はおかしいのです」

 戦いは間違っている。それはただの綺麗事のように思えるかもしれない。

 電のような外見は年端もいかぬ子どもの吐く綺麗事を真に受ける者は普通の人間にはいない。きっと彼女の仲間の中にもほとんどいない。

「艦娘は大昔の戦いで海に沈んだ艦艇…戦うために存在した船の、その魂を持っているのです。それはきっと深海棲艦も同じなのです」

ただ、それは善悪の秤にかけただけで出した彼女の答えではなく、彼女の中に眠っている魂の存在が、人間の身体を得て生まれた矛盾のような感情であった。

「元々は同じ存在だったのに、今は殺し合っている…間違っているのです」

 鏡に映る自分が実体化して殺し合っている。

 純粋な少女の目に映る戦いの姿はまさにそれであった。

 艦艇の身体を持っていた時代ならば、艦艇同士のぶつかり合いである海戦で、戦い合うことは、お互いに守るべきものがあり、信念があり、誇りがあり、当然のことのようであった。

 だが、艦娘と深海棲艦は表裏一体。少女の中ではそう思えていたのだ。

 だからこそ、自分自身の対でありながら同一に等しいはずのその存在と殺し合っている今の自分がどうしようもなく歪に思えていた。

 それを当然のように振る舞う周囲の空気に当てられて、自分だけがおかしいかのように思えるほどに。

 

 青年は真剣に、悪く言えば無表情で電の言葉に耳を傾けていた。

「それ、違う。人間、同じ」

 それで青年の中に浮かんだ答えはそれだった。

「どういうことですか?」

「人間、も、争う。戦う。傷つける。君、カンムス、シンカイセイカン、同じ、戦う。同じ」

 人間は古来より争いを続けてきた。同じ人間でありながら、小さな違いによって格差を生み、その違いをこの世界から消していくかのように。

 大きくみれば、人間のやっていることは所詮は同族を殺している行為に他ならない。

 人間と言う一つの大きな種族を国家と見れば、それは内戦のようなものだ。

「……所詮は電たちも人間だと言うことですか?」

 だが、人間であって、人間とは根本的に違う電にとって、その言葉は人間をただの比較として扱うものではなく、艦娘も人間だと同一視するかのような言葉に聞こえた。

「……」

「本当にそうですか?電たちは本当に人間ですか?人間の形をしていますが力は船だったことと同じです。本当に人間と同じですか?」

 それはとても大きなことであった。

 周囲に影響され、自分自身が揺らごうとしていた電にとって自分が一体何者であるのか。

 それはとても大きなことであったのだ。小さな体に宿っている魂がどれほど大きなものであっても、人間として少女の身体に宿っているのは所詮は人間の精神であり、未熟なものであったのだ。

「俺、君、みえる、人間」

「優しいのですね……」

 青年の言葉がこのときは優しく聞こえた。

 いや、何も知らない青年が発する客観的で、良く言えば純粋な言葉だったからこそ、そこに優しさを感じたのかもしれない。

「君、人間、俺、違う」

「え?」

 突然、自分が人間であることを否定した青年に電は困惑した。

「俺、生きる、ゴミ、同じ。手、ある。足、ある。口、目、耳、鼻、ある。意味、ない」

 文としての形を成さないただの単語の羅列。それは青年の言いたいことの本質を伝えるよりは、その外形を伝えるようなもので電にはすべてを把握することは難しかった。

「起きる。働く。食べる。寝る。起きる。働く。食べる。寝る。同じ。ずっと。生きる、意味、ない。ただ、同じ。ずっと……死ぬ、意味、も、ない」

 ただ、青年が生きることに何かの意味を持つこと、それを持っていることが人間であることの定義だと言っているような気がした。

 だとすれば、青年は客観的に電のことを『人間』と言ったわけではなく、青年の中にある論理に従った答えを出したということ。

 それが少しだけ電の中では驚きであった。

「俺、嫌。考える。逃げる、国。意味、見つける」

「意味?それは何ですか?」

「空、色、知る。俺、いた、国、空、見えない」

 青年の口から離される言葉は理解しがたいものだった。

 海の上に立っていれば、空の色なんていつでも見えるのだ。嫌となるほどに、網膜に焼きつくほどの青を。

 自分の知っているものを……知っていて当然と思えるものを知らないと言われたときの驚きとは意外にも大きいものだった。

「水、灰色、雨、黒、俺、色、変わる」

 そう言いながら、青年は自分の足にできた痣を指差す。

「逃げる。知る、ことば、目的、逃げる。声、真似、文字、音、知る、読む」

 この青年が…ちょっと叩けば折れてしまいそうなこの青年が、どれほど壮絶な人生を送ってきたのか。

 いや、それは壮絶などと言う言葉で表すには些か度が過ぎるか。壮絶とはまるで逆なのだろう。

 酷く無機質…それは無に近い。そんな人生を想像することなど電には無理であった。

「大変だったんですね……」

 ただ、それだけが自然と口から零れた。青年はこくりと頷くと、電から眼を逸らし天井を見上げた。

「見る、空」

「外に行くんですか?」

「知る、色」

 活動できるのに十分なエネルギーを得た青年はよろめきにながらも立ち上がると、徐に外へと足を進めていった。

 電は慌ててその後を追おうと立ち上がり、とにかく身の回りに何か必要なものはないか慌てて探して青年の後を追った。

 

 

「…………」

「あの~……」

 頭上を木々の葉が生い茂る密林を抜けて、砂浜まで抜けた青年と電、その頭上に広がる曇天。

 雲の切れ間など一切ない分厚い雲は水平線の彼方まで続いており、当分その向こうにある色に触れることなどできそうにもない。

「まだ曇っているみたいですね…突然嵐が発生したのです。そのせいで」

「君、一人、違う?」

「はい、仲間がいました。でも、逸れてしまったのです」

「カンムス…船、ここ、出る」

「そうしたいのは山々ですが…通信機とコンパスが壊れてしまったのです…ここがどこか分からないので出られないのです」

 嵐の中、急襲した深海棲艦によって混乱した戦場で、電は一発だけ敵駆逐艦の砲撃を受けていた。

 加えて何度も荒波に揉まれたせいで船の命の一つである羅針盤を喪失。さらには通信機も喪失していた。

 この大洋でそれを失うことがどれほど恐ろしいことか理解していない電ではなかったが、さすがにどうしようもなかった。

「星が出ていれば、ここがどこかくらいかは分かったのですが…この空じゃ、無理そうなのです」

「俺、ここ、出る、可能?」

「分からないのです。仲間が見つけてくれれば何とかなるかもしれませんが……」

その確率はどれほどか?

 万に一もあるか?海軍の体制も艦娘を迎え入れて新たに固まり始めたばかりなのに、こんな辺境にまで気が回る余裕と手段があるか?

 はっきり言って、絶望的だった。

「……探す」

「え?」

「ここ、知らない。探す、知る。考える。生きる。出る、可能」

「でも、電が歩けた範囲じゃあの小さな小屋以外には何も」

「家、ある。他、ある。人、いた」

 青年は小さな小屋があった方角を指差しながら力強くそう言った。

「君、海、立てる。探す。見つける」

 何か見つかる根拠はない。見つかったところでこの島から抜け出せる根拠はない。

 それでも、青年はこの島全てを調べ尽すまで止まりはしない。

 彼の意志は、彼の魂は、彼が自分自身の意味を見つけ出すまで潰えはしない、燃え尽きはしない。

 その身体に宿るはずのない力強さでその体を動かしている。

 電の知らない人間の力強さ―――いや、知っていたのかもしれないが忘れてしまっていたその強さ。

 小さな手が拳を握る。握った拳の力強さを感じ取れるほどに電の身体は動き出せる自信と力に満ちていた。

 今は、何かをしよう。

 この青年が望むことに付き合って、自分も一緒にもがいて見せよう。

 何か、きっとこの青年が自分の意味を見つけるのと同じように、この歪な自分の中にも答えが見つかるかもしれない。

「分かったのです!!電もやるのです!!」

 大きな声で、拳を振り上げて大洋めがけて叫んだ。その声が響くことはない。

 だが、青年の顔を見合わせた電の表情には、先程までの不安そうな色は一切なく、自信に満ち溢れた力強い少女の顔があった。

 それを見て、青年は大きく頷く。

 

「あの~、あなたのお名前は何と言うのですか?」

「……?」

「名前、です。電、あなた?」

 自分を指差して「電」と言い、青年を指差して「あなた」と言う。これで伝わればいいが。

 腕を持ち上げたり、足の裏を見たりして、青年は何かを見つけたかのように声を上げるとそれを電に見せる。

「名前……これ?」

 アキレス腱より少し上の辺り。青年の肌の色からすると少し目立ちにくいが、黒いバーコードのようなものとシリアルナンバーが刻まれていた。

 あまり良くない思考が電の脳内を巡ったが、とりあえず、それは振り払った。

「あー、違うのです……」

「ない。俺、人、違う。生きる、国、呼ぶ、俺、これ」

 つまり、青年は番号で呼ばれていたということだ。まるで囚人のようだ…それか家畜か。

 それとも、商品か。

「んー、困ったのです。名前がないと意思疎通が難しいのです」

 電は顎に手を当てうーんと唸る。

 こんな状況下だからこそか、電は興奮を覚えていた。いつも海の上で訓練を繰り返す日々。

 本来、喜ばれるべき状況ではないのだが、ふと訪れた非日常。

 幼い心の中に生まれた未開の地に対する冒険に対する高揚は彼女に一時の職務と使命からの解放を与えていた。

 そう、幼い子どものように。野山で先の見えない草木を掻き分けながら、その先にある光景を見たくて進む無邪気な少年たちのように。小さな世界でも、冒険だの、探検だの言って駆け回っているその童心に従ってただ楽しむ。

 

 電の脳裏にもそのようなことが巡ったのか、きっかけは些細で子どもらしく単純であった。

「……電たち、探検隊みたいなのです!隊長なのです!」

「……タイチョー?」

 常日頃、彼女の指揮を執る司令官ではなく、今は二人の遭難者としてこの島を捜索する探検隊。

 幼稚な考えでこそあったが、電は止まるところを知らない。

「そうなのです!探検隊みたいだからあなたは隊長なのです!電は隊員なのです!」

「……タイチョー、タイチョー」

 青年もその響きを気に入ったかのように何度も復唱する。気に入るかどうか、顔色をまじまじと窺っていた電の顔を見て、ふと青年の口元が緩んだ。

「……いい。タイチョー、俺、タイチョー」

「じゃあ、一緒に頑張るのです!」

「ガンバル…?ガンバル……ガンバル」

 知らない言葉を何度も口ずさみながら、その意味を探している様子だが、どうも見つからないようだ。

「え、えーっと、不覚考えることじゃないのです!とにかく、行動あるのみなのです!」

「……な……の……で……す?」

「なのです!」

「……なのです…いなずま、いなずま」

「何ですか?」

「文字、俺、知りたい」

「えーっと……」

 電はしゃがみ込むと海岸に指で「いなずま」と書くと、その一つ一つを指差しながら、ゆっくりと読み上げた。

「い、な、ず、ま、なのです!」

「い、な、ず、ま…俺、知る、文字」

 青年は電の文字を真似る様に、砂浜に細い指を滑らせていく。歪な形の「いなずま」の四文字が、彼女の文字に沿って並んだ。

「い…な…ず…ま…いなずま…ある、君、国、文字、一つ、別」

 首を傾げた電を見て、青年は少し考えた。

 そして、もう一度砂浜に指を付け、「ひと」「ヒト」「人」と縦に並べて書いた。

「別、文字、音、同じ」

「それだと……こうなのです」

 意味を理解した電は、楽しそうな表情でサラサラと指を走らせていく。

 大きく、はっきりとした形で、「イナズマ」の四文字と、「電」の一文字が並んだ。

「これで『いなずま』と読むのです」

「イナズマ……電……同じ?」

「はいなのです!雨が降った時に空がゴロゴロいうあれが電なのです!」

「空、白い、生き物、光る、電……」

 青年は掠れた記憶を引き出しながら、彼女の文字を目に焼き付けていた。

 初めて見たっ空を翔ける白い生き物のような光。

 あの、暗雲を裂いて目にも止まらぬ速さで空を翔ける白い閃光。

 とても人智の及ばない領域にあった壮絶な自然界の姿と、小さく温厚な優しさに満ちている彼女の姿を照らし合わせても、全く重ならないことがさらに不思議であった。

 青年の中では昨晩空を翔けていた白い閃光は目の前の少女だと言う等式が不思議と生み出してしまっているのだ。

 彼が無知であるがゆえに生まれてしまったそれは、彼を困惑させて低く唸らせた。

「いなずま…ごろごろ?」

「はいなのです!」

「違う」

「え?」

「光る、生き物、いなずま、違う」

「隊長は同じ名前ならすべてが同じだと勘違いしてませんか?」

「?」

「名前には由来というものがあるのです……何かの名前から名前をもらうのです」

「名前、貰う……」

 青年は電の書いた三つの単語をじっと見ながらしばらく黙り込んでいた。

 このまま、青年をずっと考え込ませていても埒が明かないと思った電は、意識を当初の目的の方向に向かせようと、手を叩いた。

「じゃあ、電は艤装を持ってくるのです!隊長さんはどうしますか?」

「歩く」

 ぬるりと立ち上がると、青年は顎に手を当ててブツブツと何かを呟きながら歩いていった。

「了解なのです!」

 電は元気よく答えると、拠点としていた小屋の裏に置いてきた艤装を取りに密林の方へと走っていった。

 

 

 ふらふらと砂浜を裸足で進む青年は時々海の方へと目を向けていた。

 どこまでも広がる黒い海。確かに、青年の生きていた国から見える海も濁っていた。そのために、青年の中では海とはこのようなものなのだと思っていたのだが、この島を取り囲んでいる海はどこか違う。

 ずっと見ていると、何かが背筋を這うかのような感覚に襲われ、か細い身体を寒さから守る様に抱き締める。その度に目を背けては再び足を進めて周囲を見渡す。

 

 しかし、何もない。流木と海藻。時々、なにかの化学繊維のようなものやプラスチックのようなものが転がっているがただのゴミだ。

 寄せては退いていく波の音だけが青年の耳に入って、逃げていく。

 初めて海を見た時、大きな生き物だと勘違いした。誰かが動かしているのかとも思っていた。

 それの名前が波だと知り、勝手に動き続ける波を一晩中見続けていたことがあった。そんな海岸から見る空にはいつも薄暗く灰色で、海の色は濁っていた。

 

 そして、さらに歩いていくと密林がなくなって岩がむき出しになり、その奥は岩の壁に阻まれていた。

 砂浜はそこで途切れているように思えたが、岩の隙間に浅瀬が続いていた。海水がその隙間を流れている。

 青年は海水に足を入れた。じんわりと伝わる冷たさが青年の足を包んで、ぴくりとその眉を動かせた。

 やはり少しだけ気味が悪い。岩壁に手を伝わせながら、少し急ぐようにして青年は足を進めた。

 

 

 一気に視界が開ける。それと同時に灰色の空を覆い隠す巨大な壁が視界を埋め尽くしていた。

「―――――――っ!!」

 鋼鉄の壁。

 いや、違う。そう思えたのはそこに存在していた異質な空間のせい。

 

 まるでその空間だけが、そうあるべくして、そこに存在していたかのように、小さな砂浜がそこにあった。

 その砂浜を取り囲むようにして、周囲からその空間を守るかのように、隔絶するかのように、隠すかのように。

 

 

 船の骸が横たわっていた。

 

 

 船の墓場と呼ばれる場所なのだろう。どうして今まで見えなかったのかと思えるほどに広がっている大量の残骸たちが静かにそこにあった。

 クルーザーや客船や青年が乗っていたような輸送船、タンカーのようなものの一部も、海水にその体を沈めて横たわっていた。

 鋼鉄の骸。錆び付いた破断面。その全てがまるで噛み砕かれたような、人知の及ばない力で破壊されたように船体を裂かれており、もはや船としては二度と機能しないだろう。

 舵もスクリューも錨もばらばらになって浅瀬に沈んでいる。風に乗って錆び付いた鉄の匂いが青年の鼻を掠めた。

 異様な光景に戸惑い半ば、湧き上がった興奮をそっと抑え込みながら、砂浜の方まで歩いていった。

 

 海に浮いている姿も巨大だったが、こうやって船底を目の当たりにすると、その巨大さが改めてよく分かる。

 これを人間が作り出したというのだから信じられない。工業技術というものと極めて接点の少ない人生を送ってきたつもりだった。

 だが、目の前にあるのは少し訳が違うのかもしれない。その巨大な存在が、強いはずの存在が、どうしてここにこのようにしてあるのか?

 それも、これだけの数が、この場に集まっている。船尾を船首を空に突き上げる様に、死んで倒れた人間のように。

「―――――――?」

 青年の目があるものを捉えた。

 それは船の残骸ではないが、何かの残骸。砂のついた足を再び海水に浸け、恐る恐る近づいていきながら両手で手に取った。

 目に近づけてよく見ると、真黒な金属だった。だが、どこかがそこいらの船に使われているものとは違う。

 海水に浸っていたのに不思議なぬくもりを感じる。錆びてもいないし、金属のようで、まるで化学繊維のようでもある。

 それが小さな波の押し寄せる砂浜と海の境界の辺りの、ある一箇所に特に多く沈んだり浮いたりしていたのだ。

 そのため、一部は砂の上に残っていたが、色がまるでバラバラなのだ。白いものもあれば、黒いものも灰色のものも。

 青年はその場所の周囲をゆっくりと歩き回っていると水面下で何かが足に絡んだ。

「……?」

 海水に手を突っ込み、それを引き上げる。結構な質量があり、両腕に乗せるような形で引き上げた。

 表面がつるつるしている白い触手のような何か。程よい弾力性があり、くねくねと簡単に曲がり、クラゲの足のようでもあった。

「魚?食える…」

 その感触が生き物のように思えた青年は、それを持ち上げて歯を立てた。

 しかし、返ってきたのは「がっ」という鈍い音と、歯を通じて伝わった思いもよらない硬さであった。

「……不可能」

 歯で感じたのは金属のような触感だった。しかし、手で触るとそんな風には思えない。不思議な金属だ。あの少女に見せたら、何か知っているのだろうか?

 

 青年は砂浜へと上がっていくと、もう一度よく辺りを見渡した。不思議な場所ではあるが、なにか使えそうなものは特に見当たらない。

こ こから先に行くには、逆方向の岸壁を登るか、避けるようにして海に入るか、密林の中に飛び込むか。

 しかし、海に入ってさらに先に進むにはタンカーの船体が横たわっているため、それを避ける様に海を進む必要がある。

 青年は泳げる自信はない。どれほどの深さがあるか分からない。

 危険を冒すのはあまり得策ではないと思い、次に密林の方を見てみた。岸壁を登るのはさすがに無理だ。

 

 掻き分ければ進めそうだが、青年はあまりこの中に入りたくはなかった。

 単純に、迷いそうだったからである。ここで迷えば、間違いなく餓死する。いや、何か食べ物があれば別だが。

 加えて、雲で日光が遮断されているため、密林の中は不気味なほどに暗い。

 それは生物としての本能的な危険の回避能力か。青年は死を進める気はなかった。

 

 戻ろう、と踵を返そうとしたとき、ふと青年の目は何かの端切れのようなものが密林の砂浜の奥の方、密林との境の辺りにあるのを見つけた。

 黒い何かが砂の中から覗いている。金属のようなものだが、これは埋まっているらしい。

 少し速足で駆け寄って青年は膝を突くと、手で砂を掻き分けていった。昨日の嵐のせいで湿っていた。

 

 半分ほど、その姿が現れた時、そこに見えたのは形を持った金属の何かだった。

 それと同時に、小さな白い金属の板。表面が削れてしまっているが何か塗装がされているようにも見える。

 金属の何かの方は少しだけ青年は見覚えがあった。この大きさでこの構造。

「いなずま、あれ、似る、船?」

 あの少女――電が昨夜、自分を救った時に身に着けていた装備。あれに似ているように思える。

 確かに特徴や構造は違うが、共通点は少しながら見られる。

 

 掘り進めていた場所の縁が崩れ落ちて、パラパラと砂が零れ落ちていく。

「?」

 すると、その場所からまた別のものが現れた。今度は金属ではなさそうだ。

 手でその上に被さっている砂を払うようにして、その全容を明らかにしていくと、なかなかの大きさの木版が現れる。

「――――木、板?」

 しっかりとした木の板。青年の背丈に及びそうなくらい長く、だが、ところどころに穴や欠けた跡があり、特に表面は損傷が激しかった。

 これも何か塗装がされているように見えるが、大部分が剥がれ落ちてしまっている。

 ふと、青年は閃いて、その板で砂浜を掘り始めた。しっかりしているため、手で掘るよりも格段にスピードが違う。

 

 結果、長い時間がかかって、その全てを掘り出した。

 範囲は二メートル四方ほど。深さは五〇㎝ほどで、せっかく見つけた丈夫な板は砂まみれになってしまった。

 

 最初に見つけた金属の塊とは別のものが次々を現れた。

 細長い棒に、小さな布きれ。似たような形をした先端が尖った金属の塊が二つ。元は一枚のある形をしていたものであったのだろう一箇所にまとまってあった四つの大きな金属片。

 そして、先ほど見つけた小さな白い金属の板。それはこれの一部だったのだろう。

 鳥の翼ような構造を持った謎の構造体。白銀の翼が輝きを失ってそこにはあった。

 

 

 青年はこのときかなり興奮していた。自分の知らないものが自分たちの足の下に埋まっていたのだ。

 ずっと空ばかりを望んできた青年は初めて足下よりも下に意識を向けた気がした。ただの冷たい地面でしかなかったその場所に埋まっていたお宝だった。

 

 その興奮に当てられてか、頭の回転がかなり速くなっていた。

 無知な青年だったからこそ、そこにある共通点――前例に新しい事象を当てはめて理解しようとするアルゴリズムが偶然、青年に気付かせたのだ。

 波打ち際に散らばっていた黒い金属片。

 ここで発掘した大量の金属片。

 

 散らばっている範囲が似ているし、それはちょうど―――人間の大きさだ。

 

 

「何…これ?」

 

 未知がそこにはあった。だからこそ、青年はかつて自分に生きるための人間としての価値を与えたあの時に似た胸の高鳴りを思い出していた。

 知らない世界がこんな形で目の前にあり、今自分はその謎を解き明かす場所にいる。

 今まさに、自分は未知を追い求め考える人間であるのではないかと。

 

 青年の足は波打ち際へと向かった。掘り返したら何かが出てくるかもしれない。

 先程手に入れた木の板を脇に抱え、少し速足でその足をもう一度海水に浸した。

 

 

 

 

 




書いてると無限に長くなっていったので、いったんここで切りました。


リアルイベントと艦これイベントでなかなか書く時間が取れず、土曜にようやく艦これイベントを完走したので、久しぶりに投稿できました…ちなみに新艦全部迎えました。

ですが、これからリアルの方がやや忙しくなって、うわぁ、です。

ちょっとゆっくり投稿の第三章ですが、よろしくお願いします。




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白い翼

波を割って進む少女の頬には生ぬるい風が妙に気持ち悪く感じた。

 知らない海。知らない空。進むべき航路さえ皆目見当つかず、導いてくれる者もいない。

 魂こそ歴戦の戦船かもしれない。しかし、その精神は勇ましさこそあれど幼い。

 分かるのは船としての自分。船として重要なものを失っている自分は今は致命的に船として欠陥だ。

 苦しめるのは人間としての自分。不安、恐怖、焦り。緊張感が常に身体にまとわりつき、艤装がいつもより重い。

「……大丈夫でしょうか?ここがどこなのかもわからないのです」

 雲が晴れていていれば、ここがどこか知る方法もあった。天測が行える機能はまだ電の中に生きていたが、空は灰色の厚い雲で水平線の向こうまで覆われている。

 今できることと言えば、この島で生き延びる手段を考えること。

「もし、こんな時に深海棲艦に襲われたら……」 

 小破状態ではあったが、機関、電探、ソナー、主砲、魚雷管、ほとんどが正常に動く状態だった。少しの敵襲ならばまだ満足に戦える。

 しかし、補給ができないため考えて戦う必要がある。艤装の補給も、身体の補給も、その両方を考えなければならない。

 それでも、不安は治まらない。

 その一番の理由は彼女の足下に広がっているこの海が原因なのだ。その色は青ではなく黒。空の色を映しているために少し灰色に見えるのは分かるが、この水は濁っているかのように黒い。

 これは『浸蝕域』―――つまり、ここは本当ならば敵陣のはずなのだ。

 いつ会敵してもおかしくない状況下で、緊張感を絶やす訳にはいかなかった。生きて還れるかすら分からないというのに……

 

 最悪の結末ばかりを考えてしまう頭を大きく横に振り、電は顔を上げた。

「きっと大丈夫です!隊長もちょっとおかしな方と言うか……ぶっちゃけ犯罪者なのですが、今はそんなことどうでもいいのです!司令官さんのところに帰るのです……あれ?」

 島の周りを少しだけ沖の方に出てぐるりと回っていた電はふと今の一部に開けている場所を見つけた。

 すぐに向かってみると、どうやら桟橋らしきものもあり、人がいるような気配を感じだ。

「桟橋ですか?やっぱりここには誰かが―――――あっ」

 しかし、近くに来てその姿を見ると、希望は淡く散っていった。

 「……ボロボロなのです。もう長い間誰も使ってないみたいなのです。これじゃ……」

 誰かがここを使おうとすれば、すぐに板が抜けて壊れるだろう。そして、連鎖的にこの桟橋そのものが沈んでいく。

 そう予想できるほどにボロボロな木で作られた桟橋だった。

 しかし、一つだけはっきりとしたことは、かつてここに桟橋を必要として作った人がいたということだ。

 

 ……それが一〇〇前よりも昔なのかどうかは定かではないが。

 

「はぁ……」

 突然疲れがどっと押し寄せて、電は溜息を吐きながら肩を落とした。

 思えば、危険な海に出て燃料を消費するより、地道に外周を歩いて捜索すればよかったのでは…浜からでも魚群は見えるのだし。

 確かに海に出た方が艦娘としての本来の力を存分に発揮できるし、島の形を把握することもできる。

 今後のことを考えるならば……いや、考えるのはやめよう。今更こんな小事で後悔していては先が保たない。

 

 そろそろいい時間だ。戻って青年と合流し、密林の中で食糧になりそうなものでも探そう。

 不幸中の幸いか、ここには果物が豊富にある。キノコなども探せばありそうだし、ヘビやカエルも青年は喜んで食べるだろう。

 桟橋から上がるのは避け、普通に浜辺に上がろうと機関を止めてスクリューを止めようとしたとき。

 

 

トーン…トーン…トーン…ピピッ

 

「―――――ッッ!!!!」

 耳の奥でそんな音がしたような気がした。感覚的に分かる。急いで機関をもう一度動かし、主機が唸りをあげ、全速で自分が来た道を海路で戻っていく。

 その途中で、視界の端に見えた黒い影。黒い海に点々と浮かぶ、黒い頭をもった魚のような生命体。

 目の前を横切っていくその黒い姿は島の影の方へと消えていく。

「敵…深海棲艦…そんな―――――隊長さん!!!」

 

 両舷一杯、残っている燃料などもはや頭になかった。

 ただ、一人の命を助けるためだけにこの身体は激しい衝動に突き動かされた。

 機関車の音のような鼓動が耳奥に低く響く。

 

 距離はあったが、深海棲艦が青年の存在に気付けば、いくらこちらが近くにいたとしてもかなり接近される。

 砲撃されれば、砂浜一帯など青年が逃げる前に根こそぎ吹き飛ばされる。

 

 青年と別れた場所を通り過ぎ、島の外縁をぐるりと回っていく。あの青年の姿を探して。

 そして、巨大な崖のように切り出した岸壁を越えていった先に広がっていたのは、船の墓場。

 思わず、言葉を失い、身体がこれ以上この領域に進むことを拒むかのように足が止まった。

 目に映るのは船の死骸たち。二度と進むことはできない鉄屑と化した同類の姿。

 

 断末魔のような叫びが轟く。鉄を擦り合わせたような嫌な音。

 鼓膜を劈き、脳内に澱んでいた記憶の拘束を吹き飛ばす。

 止まっていた呼吸が戻り、喉奥で詰まった空気を一気に吐き出した。息が乱れて視界が眩む。

 

 船の死骸の奥に見つけた青年の姿。何かを見つけたかのように沖の方に目を向けている。

「来る…船?…魚?」

 その視界の先にあった黒鉄の肉体を持つ異形。

 

 駆逐ロ級、三。駆逐ハ級、二。軽巡ホ級、一。

 水雷戦隊、旗艦は恐らく軽巡ホ級。決して強敵ではないが、数的不利と状況的不利。

 

 電は我を取り戻し、一気に機関をふかすと喉の奥から避けんだ。

「隊長さぁぁぁぁん!!!逃げて下さぁぁぁぁぁいいいい!!!」

「……逃げる??」

 こちらに近づいてくる少女の姿に目を向ける。手に持っていた板切れを一度地面に置き、自分の存在を示すように大きく手を振った。

 すぐ側にまで近づいてきていた敵の存在に気付かずに。

 

 六隻はまっすぐ青年のいる場所へ向かっている。

 先頭にいたホ級の顔がふと電を見た。焦燥に駆られた形相でこちらへと接近してくる。

 大きな口のような艤装から半身が覗いているような船体をしているホ級の飛び出している腕がゆっくりと持ち上がる。

 ぬめりと持ち上がった手が人差し指を除いて折り曲げられ、電を指差した。

 ロ級とハ級が進路を変える。二隻が電目がけて飛び込んできた。

 

 それと同時にホ級が砲撃する。続くようにロ級二隻とハ級一隻が砲撃した。

 その弾道が向かう場所は無人島。船の墓場に着弾し、半身を沈めたタンカーの残骸を砕いた。

 海水が飛び散り、鉄が砕け散る音が響き、爆音が空気を揺らして、黒煙が上がる。

 

「―――――隊長さぁぁぁぁん!!!!!!」

 

 黒煙に隠れた彼の姿に目を取られていると、正面の海水が突然盛り上がり、全身に覆いかぶさる。

 ロ級とハ級の砲撃。目の前に立ち塞がる二隻の駆逐艦。

 

 そんなものに目もくれずに、電は迂回するように舵を切りながら、本体へと接近していった。

「やめて……やめてください!!!」

 海に一度沈んだ船たちの墓場が荒らされていく。

 残った形は失われていき、海面に覗いていた船体は砕かれていき、小さなクルーザーなどは跡形もなく消し飛ばされていく。

 

「ぐわああああ!!」

 

 砲撃音の轟く中で、人間の悲鳴が上がった。掻き消されそうなその声が微かに電の耳に届く。

「――――――ッッ!!!!」

 

 その瞬間、電の中で何かが切れた。

 砲撃をやめた深海棲艦たちの横顔は満足げに笑っているように見えた。

 

 その狂気が電の中にある何かを切った。狂気に当てられた電の表情から徐々に色が消えていく。

 

「ガァァァァァァ!!!」

 背後に置いていかれて、無視されたことが頭に来たかのように咆哮を上げて迫るロ級とハ級。

 その口から放たれた砲弾は放物線を描いて、まっすぐ電へと向かっていく。

 

 ふと、どこにあるのか分からないホ級の目と目が合ったような気がした。

 

 破壊した。命を破壊した。人間を殺した。憎き人間を殺した。

 そして、目の前にいる艦娘も沈む。沈め、沈め、沈め。

 

 見えない目がそう語っているように思えた。とても満足げに、歓喜しているように。

 

 電の両手が動く。

 右手にシールドを引き寄せ、左手に錨を握り締めた。太刀で斬り払うように振り返り、二発の砲弾を羽虫でも落とすかのように叩き落とす。

 空中で巨大な鉄の塊に叩きつけられて爆発四散する砲弾。爆風とその破片がシールドに激しくぶつかり、彼女の白い制服は黒く焦げて汚れていたが、そんなことに構いもせずに背中の主砲が回り、照準がロ級に合わせられる。

「……許さないのです」

 砲撃が二発。ロ級に狭叉する。続けて放たれた砲弾が命中、半身が吹き飛びロ級はそのまま沈んでいく。

「電がやるのです!!!」

 すぐに照準をハ級に合わせ、二発。狭叉なしに命中させる。砲弾が身体にめり込み、体内で爆発。黒い肉体が四散し、海の上に残骸が浮かぶ。

 

 ぐるりと弧を描きながら回頭すると、怒りに満ちたその目を軽巡ホ級、並びに駆逐艦三隻に孕んだ感情を叩きつけた。

 主砲が火を噴き、海を割っていく。

 ホ級の指が動き、残ったロ級とハ級が電目がけて突撃してくる。

 電は一度沖の方へと敵艦隊を引き付けながら、ジグザグを描くように進みながら砲撃を避けていく。

 タイミングを見計らって反撃するが、ロ級とハ級も回避する。

 

「魚雷発射なのです……」

 静かに魚雷管から四本の魚雷が雷跡を残しながら伸びていく。

 ロ級とハ級が回避するように動いた瞬間に、それは命中する直前で炸裂した。

 

 大量の海水が宙を舞い、水飛沫が冷たい深海棲艦の黒い身体に降りかかる。

 ハ級の一つ目が上がった水飛沫の中に光っていた。それが的。

 

 三隻の視界を遮っていた水の壁を突き破って電の身体が飛び込んできた。

「――――ッ!!!」

 至近距離、丸い目に目がけて一撃。さらに海水を蹴ってロ級の脇腹に錨を叩きつけ吹っ飛ばす。剥がれた側面の装甲に追い打ちをかける前に、少し離れた場所にいたもう一隻のロ級に魚雷を放ち、振り返るとこちらに顔を向けていたロ級の目の当たりにもう一度錨を叩き込み、そのまま体を捻って側面に回り込むと体を押し付ける様に接近してほぼ零距離で二発。

 

 連鎖するかのように三隻が立て続けに爆発していく。一瞬でただの残骸となった三隻の深海棲艦。

 その最期に目を向けることなく、電の航路はまっすぐに軽巡ホ級に向いた。

 一瞬で随伴艦が消えていったことに驚きを見せる様子もなく、逆に激昂したかのように叫び散らす。

 一方で不気味なまでに冷静に映る電の姿。

 慄く様子もなく、焦る様子もなく、先程まで滾っていた怒りを露わにすることもなく、冷たい表情のまま迫ってくる電にホ級は堪らず砲撃を繰り返した。

 幅は小さいが、電は少し速度を落としてジグザグに動いた。ホ級の砲撃をすべて躱しながら、主砲を動かして砲撃を放って牽制する。

 そして、確実に距離を詰めていきながら、横に大きく動いて一度大きく沖の方に出ると、ホ級の側面が目に映る。

「電の本気を――――見るのですっ!!!命中させちゃうのです!!!」

 

 次発装填は終わっていた。二つの四連装魚雷発射管が同時にすべての魚雷を撒き散らした。

 船の残骸に命中し、錆びた鉄屑が飛び散る。黒い海の上が鉄火に包まれて赤く染まっていく。

 

 そして、一発の魚雷がホ級の船底に突き刺さり炸裂。機関部を吹き飛ばし、その体はほとんど海に沈もうとしていた。

 

「…………」

 ゆっくりとその側によると、小さく震えて伸びる真っ白な血の気の感じない腕が伸びてきた。

 口のような艤装の中に埋まった顔がこちらを見上げていた。目も鼻も口もどこにあるか分からない化け物。

 こんな異形が、ただ破壊だけを繰り返すこんな怪物が、命を簡単に奪っていく、こんな化物が――――

 

 こんな穢れた命さえも救いたいと心のどこかで思ってしまう自分が、どうしようもなく憎たらしい。

 

 伸ばされた手を錨で弾き飛ばすと主砲の照準をホ級の身体の中央に合わせて、一発撃ちこんだ。

 

 そのまま、その場を離れて随分と見晴らしの良くなった浜の方へと向かっていく。

 浸水して沈んでいくホ級の身体。その全てが海面の下に消えた時、大きく海面が盛り上がって黒い鉄が散らばった。

 

 

「はぁ…はぁ…隊長さん!!」

 上陸すると、青年の姿をすぐに探した。先程までの不気味な冷静さはどこに行ったのやら、あわあわと動き回る電。

 穴だらけの海岸に、薙ぎ倒された樹木の数々、穴の開いた密林、砕けて瓦礫を落とす岸壁。

 

「―――いたのです!!」

 奇跡的に五体満足の青年が浜辺に俯せで倒れていた。

 身体に大量の砂が覆い被さっていたので、青年の腕を引き、砂の中から引っ張り出すと、仰向けにひっくり返してその肩を揺らした。

「隊長さん!!隊長さん!!大丈夫ですか!!」

「……うぅ」

 何度か耳元で叫び続けると、弱弱しいが声を返した青年の姿に電の表情に笑顔が戻る。

「はわわっ、よかったのです」

 電の腕に支えられながら状態を起こす青年は頭を押さえながら、ぼんやりと電を見て口を開いた。

「う、うぅ……俺、ある?」

 どうやら、自分は生きているのか、という内容の質問だったのだろう。

「はい、見たところ大丈夫みたいなのです……」

 青年の身体を一通り見てみたが、頬に切り傷、膝に擦り傷、腕に切り傷がある程度で、骨折もないほどの軽傷だった。

 その奇跡的な容態に電は驚いていた。軽巡級と駆逐級の砲撃だったが、それでもこの小さな砂浜を消し飛ばすほどの破壊力を深海棲艦は見せるのだ。

 集中砲火を受けたにも拘わらず、青年は五体満足で、もはや無傷と言えるレベルの傷しか負っていない。

 不思議そうに青年を見ていた電に、青年は脇に抱えていたものを持ち上げた。

「……これ、俺、守る」

 そう言って、見せられた電の身長ほどの大きさの縦長い木の板。

 こんなものが、と言おうと思った瞬間に、電はすぐに言葉を抑え込んだ。

 これはただの木の板ではないと、木のように見える特殊な材質でできた装甲だ。

 

 まさかと思い、電はその木板を手に取ろうとして、両手で掴んだ。

 

 ブザー音のような警報音のようなものが耳奥で響いたような、そんな幻聴を聞いたかのような、耳鳴りのような気持ち悪いものが頭の中で渦を巻き、両腕に静電気が走ったかのような痛みを感じ、咄嗟に電は手を放して一歩後ろに下がった。

「……いなずま?」

「だ、大丈夫なのです……」

 今度は掴まずに掌でその表面の砂と汚れを払っていった。

 塗装は剥がれていたが、これと似たような形をしたものを鎮守府の資料室で見たことがある。

「これは……飛行甲板ですか?」

「ヒコ…カンパ?」

 青年は首を傾げた。

「電たちと同じ艦娘の艤装なのです。でも、空母の方たちの艤装のはずなのに……どうしてこんなところに」

 もし、これが本当に艦娘のものであり、航空母艦の艦娘の艤装であるのならば、何かしらの痕跡があるはずだ。飛行甲板には個人識別の文字が刻んである。

 しかし、

「文字も掠れて読めないのです……それにかなり劣化も激しいのです……これは」

 劣化が激しい。ここ最近に作り出されたものではない。

 となると、考えられるのは一つだ。

「――――一〇〇年前に沈んだ方のものがここに流れ着いたんですね……」

「カンムス、死んだ、ここで?」

「ええ、恐らくそうだと思います。艤装が流れ着くなんてことは珍しいのですが」

 電は改めて周囲を見渡した。

 もうほとんどが先程の戦いで砕かれてしまったが、ここはこちら側まで来ないと、この場所があると分からないような隠された地形になっている。

 それは恐らくなるべくしてなったものなのだ。彼女たちが静かな眠りに就くように、彼女たちの聖域を何者にも侵されないように。

 自然が作り上げた、鉄屑たちの墓地なのだ。

「……お墓だったんですね、ここは」

 同じ船であった電にはこの場所の尊さが理解できた。ここは容易に荒らしていい場所ではなかったのだと、今になって少しだけ後悔した。

 

「おはか……人、死ぬ、埋める?」

「はい、そのお墓です」

「おはか……俺、掘る」

「だ、ダメですよ、隊長さん。ここはここで眠っている人たちの大切な場所なんです。掘り返すような荒らす行為がしちゃいけないですよ」

「いなずま」

 そう言って、青年は不意に立ち上がると、波打ち際まで歩いていった。

「隊長さん?」

 海水に打たれながら、砲撃のせいで埋まってしまった穴を手で掻いてもう一度掘る青年。

 電は青年の後を追うようにして波打ち際まで来、何かを必死で掘って探す青年の様子を見ていた。

 そして、青年の両腕が穴の奥に突っ込まれて、勢いよく立ち上がった。

「いなずま!これ!!」

 海水でびっしょりの両腕を電に突き出す。その両手に何かを掬うようにして。

「な、なんですか……?」

 恐る恐る青年の両手の中にあるものを覗き込む。

「――――はわっ!!!!!!」

 そんな声を上げて飛び跳ねる様に驚いた電を見て、青年はびくりと肩を跳ねさせた。

「たたたたたた隊長さん!!こ、これは……」

 慌てふためいた声で両腕をしきりに振りながら驚きを隠せない電を見て、青年はもう一度自分の両手の中にあるものを見た。

 

 

 それは宝石のようで、仄かに光り輝いており、眼には見えないが、キューブかそれとも二十面体のような多面体かはっきりとはしないが、格子のようなものがあり、箱のような形をしていた。

 そして、その中央に、静かに寝息を立てて眠る小さな人型の生き物。

 可愛らしい顔立ちに頭には捩じった鉢巻を巻いている。

 黄色いつなぎの様な服に青い法被のようなものを羽織っており、薄い茶色のくせっ毛のある髪の毛からぴょこりとアホ毛が立っていた。

 妖精―――まさにそう呼ぶに相応しい小さなその生き物は青年の両手の内側で静かに眠っていたのだ。

 

 電が驚きを隠せないのも仕方がない。妖精は艦娘と共にあるものなのだ。

 それがこんな場所に存在している。人気の感じないこんな場所で妖精が存在している。

 

 しかし、なぜこの妖精は眠っているのだ?

 それに彼女を守る様に、いや、彼女を納める様に存在しているこのはっきりと目に見えない箱のようなもの。

 そして、この妖精は一体……?

 

「……食える?」

「は?」

 突然、青年がそんなことを言いだしたので思わず変な声が出てしまった。

「食うもの、これ、掘る、出てくる。俺、掘る、これ、たくさん」

「ちょ、ちょちょちょ、ちょっと待ってください隊長さん。これは食べるようなそんなものじゃ……」

「違う…食べ物…違う」

 電の言葉に食べ物じゃないと気づいたのか、あからさまに残念そうな表情で肩を落とす。

 少し可哀想に思えてしまって電は小さな手を振って慌てていた。

 

「これ……」

 青年は見つけてしまったはいいものの、食べれないと知ってどうすればよいか分からなくなった妖精を電に突き出した。

「え、えーっと、どうすればいいのですか……?」

 妖精なのだから艦娘である電が回収しておくのが確かに得策ではあるものの、電は少し戸惑っていた。

 

 この存在に何かの因果を感じるのだ。それと、この場所に。

 

 ふと、考え込んでいた隙に青年はいつの間にか浜辺の方に戻っていた。横に寝かしていた飛行甲板であった板を拾い上げる。

「ど、どうしたんですか?」

「埋める。食えない、要らない」

「い、生き埋めですか……」

 少し引き攣った顔で電はそう答えた。どうしてそんな顔をするのか青年は不思議そうに見ていた。

 青年はもう一度、波打ち際まで歩いてくると、しゃがみ込んで板で穴を掘った。波が覆い被さり穴の中が海水で満たされては、波が引いて。

 

「―――――――――」

 

 白い閃光が一瞬で二人の視界を包み込んだ。

 

「はわわわわわわ!!!!!!」

「………?」

 青年は思わず飛行甲板を手放す。それは波にさらわれて流されていった。

 空いた両手で側に置いていたその小さな生命体を掬いあげると、開いたその小さな眼と目が合った。

 強い風が吹き荒れていき、電の小さな体が突風にぶつかられて吹き飛んだ。

 

『――――システム起動。破損した《FGF(Fleet Girls Frame)》を確認。修復プログラム始動』

 

 激しく渦巻くように広がっていくその風が砂浜の砂を吹き飛ばしていく。

 一〇〇年の間、ここで眠り続けた者たちの目を醒まさせるかのように。

 砂の下より現れた鉄の塊たちは風に乗って、海へと吸い込まれて行き、波を失った海面は徐々に渦を巻き始め、周囲の船の残骸さえも飲み込んでいく。

 

『損傷した艤装を回収、再構築。損傷肉体改修不可、再錬成開始』

 

 海面から龍のように海水が伸びて踊り始める。砂浜の中に埋もれた金属がすべて水流の中に引き寄せられるかのように吸い込まれていく。

 

「た、隊長さん!!そこを離れてください!!!」

 その風の中心に彼はいた。妖精を手に乗せてその姿に目を囚われていた。

「隊長さん!!!」

 電の声は届かず、彼の足は渦の中央の方へと進んでいく。

 

 この墓場で眠る全ての船たちの残骸がそこに集っていく。死んでしまっていたはずの鉄屑たちが、二度と船として動くことのできなかった鉄の骸たちが。

 再びこの海を旅立つかのように、もう一度、この海の上で生きようとするかのように。

 

「……光」 

 青年の目に映るのは、この黒い海の中を翔ける白い光。

 DNAの二重螺旋のように紡がれて、空間を漂う光の紐のようなものが青年の周囲に浮かんでいる。

 そして、それは編み込まれるように渦の中へと溶けていく。

 

『――――再起動開始。応急修理女神プログラム、起動』

 

 両手の中で妖精の姿が光に溶けていき、紐の一部となって海の中へと消えていく。

 刹那、渦が消え、海面を覆っていた海水全てが吹き飛ぶように、激しい閃光と爆発音と共に宙に浮きあがった。

 

「―――――ッ!!」

「はわぁぁぁ!!!!」

 

 炸裂した光に咄嗟に二人は目を覆った。その光景はさながらビッグバン。

 そして、青年の意識は青い海の中へと溶けていく……

 

 

   *

 

 

 目を開いた青年の視界に映っていたのは明かりのない黒い世界。

 肌に感じる冷たさと、上方から差し込む微かな白い光。ふわりと浮いているような自分の身体。

 地面に足を付けると、砂がふわりと広がる。口から空気が漏れると、泡になって浮かんでいき、やがて消えていく。

 煙のように海底の砂が舞い上がり、流れて広がっていく。

 

 青年は辺りを見渡す。全く見たことのない世界だった。

 何もない。音も、光も。青年はゆっくりと前へと進み始める。ふわりと砂が浮かび上がり、白く光って消えていく。

 ふと、青年は上を見上げた。そこに空はない。彼が求めていた空の色はない。

 だが、青年の目は初めてその色を瞳に刻んだ。

 

 広く、深く、美しく、差し込む光が乱反射し環を描く、透き通った青を。

 

 その色に見惚れていた。その色に時を奪われていた。その色に、この命が―――

 

 暗い海底に突然光が生まれた。目を軽く覆いながらその白い光の方へと身体を向ける。

 すぐ目の前にあった巨大な壁―――いや、光を放つ巨大な鉄の塊。

 自らの存在を青年に示すかのように、強く、強く、光を放っていく海底に横たわる白銀の戦船。

 許されるのか、分かりもせずに、その手を伸ばしていた。その船が眠りから醒ましてくれと呼んでいるような気がして、触れようとしていた。

 指先が光りに包まれて、吸い付くように掌が金属のその身体に温もりを感じていた。

「光……命……これは……」 

 腕が光りに包まれて、青年の身体は徐々に白い世界に飲み込まれていく。

 だが、それは不快感は一切ない。まるで、両腕に翼を携え、あの分厚い雲の向こう側を自由にかけているかのような心地よさが、乾いた心を満たしていった。

 空へと飛び立つ白い光に抱かれて、青年の意識は白い世界で再び眠りに就いた。 

 

 

 

   *

 

 

 

「――――さん!!隊長さん!!」

 少女の懸命な声に青年の意識は呼び覚まされた。

 ゆっくりと開いた目。なにか視界が歪んで見えるし、身体が浮いているようにも感じる。足が地面を追い求めてもがくがそこには何もない。腕を動かそうとするとなにか大きな抵抗を感じる。

 息ができない。口を開いた瞬間に、大量の海水が口内に流れ込んで、塩辛さが舌を焼いていく。

 青年の身体は海面に生まれた巨大な水柱の中に飲み込まれていた。

 息苦しさ、眼の痛み、色々と感じるものはあったが、青年はただ一つを探し求めて、もがいていた。それはあの世界で青年が触れたあの光。青年は目覚めさせなければならなかった。ここに眠る者を。

 

 そして、その光は目の前に現れた。

 青年は必死に手を掻いた。せり上がっていく水柱の壁を突き破り、その手を伸ばし、並ぶように立っていたもう一つの水柱に指先が触れた瞬間、

 青年の身体は水柱から解放され、ふわりと海面に足を差し込み、両足を付けると、顔を上げた。

 目の前にある水柱に触れている右手が何かを掴んでいた。

 そっと引いてみると、目の前にあった水柱が四散した。

 

 

 宙を舞う海水は不思議と光輝いて見え、広がった白銀はまるで広がった翼のようにも思えた。

 右手はまるでエスコートするかのように、美しい彼女の手を取っていて、眠る彼女を目覚めさせる。

 

 白い道着、赤い袴。はっきりと見えた眠る彼女の容姿は儚さを残す美しさであり、迂闊に触れれば消えて光か泡になって溶けてしまいそうな幻想さえ感じる。

 

 水柱の中から現れた白髪の少女。長く伸びた髪は銀色にも輝いているようにも見え、朝に水平線で揺れる波のように風に揺れていた。

 

 青年はそうすべきであることを理解していたかのように、舞い降りた彼女を抱き止めると、静かに海の上に足を付けさせる。

 海面から水流が伸びて彼女の足を纏い、それは鋼鉄の具足、波を切り裂く形状をしたブーツへと変わっていく。浮力が生まれ、彼女の足は沈むことなく、海面に降り立った。

 そのまま、海は生身の彼女をあるべき姿へと変えていく。

 

 煙突、艦橋、高角砲、胸当、矢筒。紅い鉢巻が彼女の髪に結われていき、そして、和弓を手に、最後に飛行甲板を腕に取り付けて、波紋が海面を広がっていく。

 

 波紋が消えた瞬間に、海は本来の姿を取り戻し、再び波が寄せては引き始める。

 

 

「……一体、何が起こったのですか…?」 

 目の前で起こった突然の出来事に、電は困惑しながら青年の下へと駆け寄っていった。

「いなずま……」

「た、隊長さん…こ、これは一体…?」

 電の声にピクリと白髪の少女の眉が動いて、瞼がゆっくりと持ち上がっていった。

「あっ、起きちゃったのです」 

「…………」

 青年の身体に支えられて、海の上にゆっくりと自分の足で立ち上がる少女は、目を擦りながらよろよろとふらついて、最後にはぱっちりと目を開いて二人を見た。

 

「……」

「……」

「……」

 沈黙。

 何を思ったのか白髪の少女はにっこりと笑って、二人を見る。

「……えーっと……その……」

 にっこりと笑ったかと思うとその少女は、少し困ったような表情を浮かべて口を開いた。

「ここは一体……どこでしょうか?」

「それはこっちが聞きたいのです……」

「えっ……えぇ……困りましたね」

 少女は辺りを見渡して、自分の知らない場所であることを一度確認すると、ちらりと電を見て、その後青年を見て、もう一度電を見た。

「あなたは……艦娘ですよね?」

 電を見てそう問いかける。その質問がしたいのはこっちだ、と思いながらも、

「はい、そうなのです!特Ⅲ型駆逐艦暁型四番艦の電なのです」

 とはきはきと答えると、少女は「え?」と声を上げて、何か腑に落ちたような感じの声を上げると微笑んだ。

「あら?電さん?じゃあ、ここは……金剛さんたちのいる第三号鎮守府……呉ですか?」

 少し自信がなさげに尋ねる少女。この光景を見て、分かり切っていることではないのだろうか?

「見ての通り、違うのです。呉はここまで野生に帰ってはいないのです」

「ですよね……この方は提督ではありませんよね?」

「テイトク?」

 知らない言葉に青年が反応したが、今は構っている状況ではない。

「違うのです。ちょっと複雑な事情があるのです……一つ訊いてもいいですか?」

「はい」

「あなたはどちら様なのですか?」

「……えぇっ!!!」

 少女は驚いた声を上げると、ちょっと必死な様子で電に顔を近づけた。

「電さん、私のことを忘れたんですか……?」

「電は空母の方に会うのは初めてなのです……」

「そ、そんなはずはありません!一緒に大規模作戦にも参加したじゃないですか!!暁さんや響さん、雷さんも一緒に!!」

「大規模作戦?何ですか、それは?」

「……本当に知らないのですか?」

 電は少し考え込んだ。そして、ハッとすると少しだけ真剣な顔つきになって少女の顔を見た。

「質問を変えるのです」

 

 それはきっと今日起こったすべての不可解な出来事を紐解く、答えなのだという確信が心のどこかにあった。

 

「――――――あなたは一体、いつの時代の艦娘なのですか?」

 

 

「いつの時代って、それは……」

 少女は質問の意味をまだ理解できていなかったらしいが、小さく息を吐くと目を閉じて胸に手を当てた。

 

「私は―――ナナマル艦娘建造計画、通称『丸三計画』で建造された航空母艦」

 

「―――翔鶴型航空母艦一番艦、『翔鶴』です。第四号舞鶴鎮守府所属、第五航空戦隊の旗艦を務めています」

 

 

「……やっぱりなのです」

 確信を得たような真剣な表情をすると電は一歩前に歩み出た。

 全て納得がいった。辻褄が合うのだ。電の知らない技術がここに存在していたことも、電が知らない電の事を知っていることも。『丸三計画』が行われたのも、第○○号と鎮守府が呼ばれていたのも、通称「五航戦」が健在であったのも、大規模作戦と呼ばれるものが行われていたのも、全て、全て、全て。

 

「あなたは……翔鶴さんは―――――伝説の時代の艦娘なのですね?」

 

 

 一〇〇年前―――伝説の時代の出来事なのだから。

 

 

 

 




少女なのか女性なのか悩むけど、まあ、翔鶴くらいならまだ少女でいける…はず。

あと、艦これの劇場版観に行きたい…


それと、翔鶴嫁の人ごめんね、なんか不穏な扱いで


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止まり木なき未来


え?前回の最後の辺り青年が全然喋ってない?

あれです。突然、妖精さんがいなくなってショボーン(´・ω・`)としているだけです。


長閑な港町を一台の黒塗りの車が走っていく。後部座席に座っている一人の少女は懐かしい町並みに何気なく目を落としていた。

 住宅地を抜け、少し小高い場所にあるこの町の中学校の前を通り過ぎて、そして車一台がやっと通れるような道に入る。

 ちょっとした林の中。整備こそされているがあまり人通りのない奥地。

 そこにこんなところがあったのかと思うほどの広さのある広場がある。小さな建物と、一番奥に立っている巨大な石碑。両側には黒い長方形の石碑が十ほど並んで立てられて、その全てに白い文字が刻まれている。

 

 いつものセーラー服ではなく、黒い軍服―――儀礼用の第一種軍装を身に着け、いつもより少し真剣みの帯びた表情で、従者が開けたドアから車を降りた少女は、小さく「ふぅ」と息を吐く。

「相変わらず、動きにくいわね。この服は」

 誰にも聞こえないように小さく愚痴を零すと、座席に置いていた大きな花束を手に取り、一人歩き出した。

「一〇分ほどしたら戻るわ」

「分かりました」

 一歩歩み出し、その場所に踏み入れた瞬間に、彼女の耳に入る音は風の音だけとなった。

 不思議な空気と時間の流れるこの場所。分かるものには分かる、この特別な場所が。

 

 

『英雄の丘』――――この場所はそう呼ばれる。

 

 一〇〇年前の人類の存亡を賭けた大戦が終了し、その宣言がなされた場所。

 ありとあらゆる鎮守府に属していたすべての艦娘、提督、その他の海兵たちがこの広場に集い、大本営による終戦の宣言を拝聴した場所。

 全ての戦いが終わった場所。

 

 そして、ある一族にとっては、全ての戦いが始まった場所。

 

 正面の白い石碑の前まで来ると、厳しい顔つきをしていた少女はふとその表情を緩めた。

 一連の所作と献花を終え、少女は踵を返すと、ふとこの広場の両端に並べられた黒い石碑に目が向いた。

 少し速足で歩み寄ると、何度も見たはずのその石碑の文字に目を走らせていく。

 

 

 石碑を正面に右手にあるのは、一〇〇年前の戦いを生き残り、戦い抜いた艦娘たちの名前とその指揮官たる提督の名前。

 彼らは言うまでもなく、英雄であり、その名は一〇〇年後の今もこうして消えぬように石碑に刻まれている。

 

 今少女が目にしていたのは、左手側。

 そこに刻まれるのは――戦死した者たちの名前。艦娘では、轟沈した者たちの名前。

 当然、こちら側の石碑の方が多いのは、それほどに激しい戦いであったことを意味している。

 

 そして、少女の目は導かれるようにして一つの黒碑の前に立ち、そこに刻まれた戦死者たちの名に目を走らせていった。

 

 『第四号鎮守府』と一つ間を置いて大きな文字で刻まれ、その下にあったのは、一人の航空母艦の名前。

 どうして、少女がこの名前に惹きつけられたのかは分からなかった。

 ただ、海から登ってこの丘を優しく包むこの風が、彼女にこの場所に来るように仕向けたのだ。

 

 その名を忘れるな、と。

 

 

「……おかしなものね」

 少女は自分が馬鹿馬鹿しく思え、自嘲気味に笑みを浮かべると、もう一度正面の大きな石碑の方へ足を向けた。

 その奥にある細い道。

 少女の本当の目的はその奥にある誰も知らない小さな霊園にあったのだから。

 

 

   *

 

 

「……ショウカク?」

 拠点である小さな住居に戻ってきた青年は、そこにいた駆逐艦娘《電》に問いかける様にその名前を口にした。

「翔鶴さんなら、浜辺の方にいますよ」

 浜辺の方角を指差しながら電はそう答えると、中央の焚火に拾い集めた木をくべていた。なかなか火が付かず苦労しているらしいが、青年は知識がないために特に手を貸すこともできずに見ていた。

「……やっぱり、堪えたんですかね?」

「……なに?」

 電は少し悲し気なその瞳に揺れる小さな火を映しながら話しかけた。

「翔鶴さんです。自分が……一〇〇年前に轟沈して―――死んでしまっていたことを知って」

「ショウカク、ある、ここ」

「違うのです。翔鶴さんは一度死んでいるのです。今は……どうしてかここに蘇りましたが」

「……不可能」

「……隊長さんには少し難しい話でしたね」

 パキパキとくべた木が音を立て始めた。海岸に落ちていた流木だが、湿っているので燃えにくい。何とか火が付いたが一苦労だった。

「隊長さんは、自分があるべき時間に存在していなくて、自分が知らない世界に存在してしまっている。そのことをどう思いますか?」

「俺、理由、ない。存在、必要、世界、ない」

「そうでしたね、隊長さんも環境複雑な人でしたね……私たち艦娘は戦うために生まれてきました。戦いには理由がいるそうです、何かを守るとか、そういう理由が」

 かつて、自分に向けられた言葉を思い出すようにして電は語った。

「翔鶴さんにもきっとあったはずです。守りたいものが、戦い続けなければならない理由があったはずなのです。でも、翔鶴さんはそれができずに沈んでしまい、目覚めた世界では自分の守りたいものはなく、知らない戦いがまた繰り返されている」

「戦い、同じ、今、昔、イナズマ、ショウカク、カンムス、同じ」

「きっとそれが唯一の救いだと思うのです。でも、そんなに簡単なことではないのです」

「……難しい。俺、生きる、夢、ある。イナズマ、ショウカク、違う」

 青年は電が集めてきた薪代わりの木や枯葉の中から小さな枝を手に取り、それをまじまじと見始めた。

「イナズマ、夢、ある?」

「え?電の夢ですか……それは」

 膝を抱える様にして電は腰を下ろすと、ぼんやりと揺れる炎に目を向けて考え込んだ。

「……せっかく、人として生まれたなら、平和な世界だと良いな、と思うことはあるのです」

「平和……何、する?」

「え?」

「平和、夢、イナズマ、何、する? 俺、夢、空、見る、国、出る」

「電が夢を叶えるために何をするべきなのかということですか?」

 青年は手に持っていた枝を炎の中に投げ入れると、小さく頷いて次の枝を手に取った。

「……それは、深海棲艦との戦いに勝たないといけないのです。でも、その為に多くの命を奪う必要があるのです」

「命、変わる、命。カンムス、あれ、殺す。カンムス、生きる」

「それは違うのです。奪った命は何にもならないのです。そこには一つの奪われた命しか存在しないのです」

「……イナズマ、俺、救う、命、奪う、俺、ある。ない、違う、俺、ある」

 青年は電が自分の命を救ったことを例に挙げた。ハッとした電は口ごもる様に「それは……」と言って黙り込んだ。

「シンカセンカ? あれ、殺す、俺、理由、なに? カンムス、俺、救う、理由、何?」

 低く小さいのに、強く電の中に響き渡る声。

「カンムス、戦う、理由、何?」

 存在意義を問い詰めるその声が少し、苦しくも、逃げてはいけない、そんな試練であったような気がした。

 どうして、電はこの地に流されたのか。

 それは偶然だったのか。

 いや、電はこの地に流されるべくして流されたのかもしれない。

 戦う理由を見失いかけていた電に海神がもう一度その生きる意義を考え直させるために与えられた試練なのならば、電は逃げるわけにはいかない。

 それでも、頭の中では考えがただ巡るばかりで、永遠に自分の存在意義を問い続ける螺旋から抜け出せず、答えの欠片は形を成すことができずに散らばったままだ。

 

 青年は何度も考えてきた。自分が生きる意味について。

 それは、あの雲の向こうある色を知りたいと言う些細なことから起こった青年の変化であり、それが強く青年を突き動かし続けていた。

 ただその為だけに生きてきて、必死で生き延びてきて、今ここで止まってしまった。

 だが、ここで見たものすべては青年にとって未知であり、青年の魂は小さな炎だが、絶えることなく輝き続けていた。

 何かを知って、世界を知って、いつかはあの空の色を知る。ただそれだけ。とてもシンプルなはずだった。

 青年が外の世界に出て知った真実はあまりにも青年の中では大きすぎた。

 それは青年の中になる何かを大きく変えるほどに。

 今はその変化が、目の前で自分の生きる意味について苦悩している少女の、その答えを見つけようとする向きへと彼を向けていた。

 単純に、青年は知らないものを知ろうとしていただけなのだが。

「イナズマ、平和、夢。戦う、夢、叶う。イナズマ、ある、理由、夢、不可能?」

「そんな簡単だったらよかったのです……でも、電の生きる世界はそんなに単純じゃないのです」

 そうだ。この少女は人間としては歪すぎる。

 そんな彼女がただの人間にようやく成り上がったばかりの自分と同じように生きるのは難しい。

 だから、青年は少女の身になって考えてみた。初めて他人の身になって考えることを始めた。

 彼女の夢を阻むのは、紛れもなく深海棲艦という存在と、その他に―――艦娘としての枷、記憶の枷。

 

 その両方から上手く、彼女を解き放つため必要なのは、やはり理由なのだ。

 彼女の生き方を、艦娘としての生き方を、彼女の祈りや願いにそぐわない形にならぬようにするための理由が。

 ふと、青年は思い出した。それはあの異形と対峙した時に感じた胸のざわめき。

 

「悲しい、シンカセンカ、悲しい。黒、壊す、殺す、悲しい。あれ、夢、ない」

「深海棲艦が……悲しいですか?」

「人、夢、ある。生きる、理由。シンカセンカ、ない。悲しい」

「深海棲艦には生きる理由がない……もしかしたら、そうかもしれませんね。負の感情の塊でしかない深海棲艦には、そんなものないかもしれませんね……それは」

 

 電の表情が少しだけ変わった。

 自分のために悲しむのではなく、他者を想って悲しんでいるような優しさを交えた表情に。

「少し、悲しいかもしれないのです……」

 それが答えを導き出していった。

 

「命、巡る。イナズマ、船、今、人。シンカセンカ、今、魚。可能、イナズマ、同じ」

「いつか……深海棲艦も電たちと同じように人に」

 青年は首を横に振った。それは違うということらしい。うーん、と唸っているところから青年も言葉を選びあぐねているのだろう。

 

 

 

   *

 

 

 夜になっても雲が晴れることはない。星空も月の明かりもない夜の浜辺に不穏な生温い風が吹き抜けていく。

 波が足を浸していき、徐々に体が攫われるように進んでいき、脚は砂浜から離れ、海上を身体が進んでいく。

 風を切って進むこの身体を走る高揚感に似た緊張感はあの頃から変わらない。

 

『―――五航戦は壊滅したのです。撤退中の友軍を救うために殿を自ら務めたと』

 

 目を閉じて、和弓を握り、風を感じて、矢筒から一矢手に取り、そっと番えた。

 キリキリキリと弦が伸びる音、弓が撓る音。手を通じて感じるその一瞬と、風の強さ、向き、全てが一致した瞬間、矢を放つ。

 

『―――第四号鎮守府は空襲を受け、多くの艦娘も犠牲となり、提督も殉職。史上最悪の被害を出したのです』

 

 流れるような動作からまっすぐに飛んでいく矢は光に包まれて、バッと横に広がり、三機の戦闘機へと姿を変えて、上空へと飛翔していく。

 零式艦上戦闘機二一型の熟練部隊。旋回運動や上昇下降の動きを見るに、練度は全く落ちていない。

 

 夜空を翔ける銀色の翼。日の丸を描かれたその両翼が赤の軌跡を残して翔け回る。

 その銀を、その赤を、あの人は君らしくて、凛々しく、誇らしく、美しいと、褒めてくださった。

 尊敬していた師であるあの方は、あなたこそが次世代を担う存在となるべき「赤」だと言ってくださった。

 

 そして、愛する妹は――――――

 

『妹は……瑞鶴は……?』

『終戦まで生き残ったみたいなのです。新生一航戦を編成し、空母機動部隊の中核を担った功績者なのです』

 

 その身に、その心に、どれほどの苦痛を遺して私は逝ってしまったのだろうか?

 どんな思いであの戦いを生き抜いたのだろうか?どんな思いでこの世界を護り抜いたのだろうか?

 どれほどの汗を流し、どれほどの血を流し、どれほどの涙を流したのだろうか?

 二度と、あの子だけを遺しては逝かぬと誓い、必ずその笑顔を未来を誇りを護り抜くと誓い、修練を積み、戦場を翔け、戦い続けてきた。

 

 それなのに……

 

「……各機、着艦してください」

 飛行甲板を水平にして、戻ってきた艦載機を回収し、矢に戻して矢筒に収めた。

 目を閉じても行えるほどに、何度も行ってきた発艦から着艦までのすべての作業。その訓練のすべてを、この両肩に乗せられていた期待のすべてを裏切り、先に逝ってしまった自分が、どうしてこんな時代に再び生を受けたのか。

 

 一〇〇年という月日が、想像もつかないほどの長い月日が、あの戦いの色を褪せさせていったとしても、この眼の裏に焼き付いたあの時代の色ははっきりと思い出せる。

 それなのに、最期の記憶が思い起こせないのは、なぜなのだろう。

 混濁している。この海の上でさえも何も分からない。

 

 駆逐艦と真正面から戦ったことは演習でもないのに、不思議とそんな記憶さえ、一〇〇年前の記憶に混濁している。

 多くの炎が目の前に広がって、黒と青がその赤を掻き乱して、鼓膜を劈くような爆音が、何度も響いて、この頭を何度も殴るような衝撃が襲ってくる。

 

 顔に手を当て、自分が自分であることを確かめる。

 足下に広がる黒い海に自分の姿が映り込む。その姿に問いかける様に、震えた自分の声が耳に届いた。

 

「私は―――いったい何を……」

 

 理解できないことばかりが突然押し寄せて、これ以上は頭がパンクしそうだった。

 愛する者も、守るべき者も、すべて失ったこの身体に、この命に、何の意味があるのかさえ分からない。

 

 ただ、戦いが続いているというのならば―――あの時と変わらない悲劇が繰り返されているというのならば。

 

 もう一度、この空を守らなければならない。

 今度は最後まで生き残らなければならない。

 

 だから、今は――――還ろう、あの国へ。

 彼女の二つの瞳は真っすぐに水平線を見据えた。その先にある帰るべき場所を見据えて、今はただ戦い抜くことだけを覚悟した彼女のその表情は、幾多の戦場を駆け抜けた歴戦の凛々しい戦士のものであった。

 

 

    *

 

 

「――――希望」

 

 ふと思い出したかのように、青年はその言葉を口にした。

「カンムス、希望。シンカセンカ、違う。苦しい、悲しい、辛い、シンカセンカ、それ」

 電を細い指が指し示すと、青年のまっすぐな目が電の目と交差する。

「希望、イナズマ。俺、救う、同じ。シンカセンカ、救う」

「電が……救う?」

「形、戦い、たくさん。一つ、それ」

 

 

「――――殺すことで救済になる。あなたはまるで一〇〇年前の私たちのようですね」

 別の声が二人の空間に割り込んできた。二人はゆっくりと目を向け、美しい白髪を携えた彼女を見た。

「翔鶴さん……」

 航空母艦、翔鶴は艤装を下ろし、弓を壁に立てかけると、電の隣に腰を下ろした。

「電さん、艦娘はみな戦うことに疑いを持ちます。余程強い気持ちがない限り。何か別の理由『誰かを守りたい』や『誇りを守りたい』と、他のものでその疑いを誤魔化そうと戦い続けた艦娘たちはいずれとある壁にぶつかります。それが何か、分かりますか?」

「えーっと、何ですか?」

 

「償いです」

 小さく息を吸い込んで翔鶴は強く、その言葉を言い放った。

 

「艦娘が人の希望であるならば、深海棲艦は人の絶望―――対として存在するその両者、いつか艦娘は深海棲艦が存在していることが自分たちに起因していると考えるようになり……みんな壊れていきました」

「そ、そんな……」

「そう言った点で、そこのお方はこの戦いの核心を突かれていますね。そうです、この戦いは深海棲艦を、その黒鉄の躯体に閉じ込められた苦しみを解放する必要がある。一〇〇年前はそういう結論に至りました」

 青年はこくりと頷いた。翔鶴はそれを見て微笑むと、すぐに表情を真剣なものに変えた。

「禊祓というものがあります。私たち艦娘が、神霊の魂の化身として考えられていた頃に広まっていた、深海棲艦に対する私たちの戦いを表すのによく合った言葉です。深海棲艦を打倒し、その悪なる邪心を清め、払う。清き魂として、彼岸へと導き、浄化する。憎しみ、恨み、悲しみ、恐怖、無念、後悔、ありとあらゆる負の感情は身体を蝕むだけです。それから一つの命を解放する。時代を追うごとに忘れ去られていきましたが、一つの戦う理由として私たちの中にあり続けたものです」

「なんだか……すごいのです」

「イナズマ、カンムス、シンカセンカ、一つ、昔。船、同じ」

「ええ、そうですね。元々、私たち艦娘も深海棲艦も船であった、そしてそれに乗っていた人たちであった。かつては同じであった者たち。それを苦しみから救いたいと思う」

 だからと言って、命を奪うことが正しいとは思わない。そんな表情しているのがばれたのか、翔鶴の手が電の髪を優しく撫でた。

「電さん、あなたはその願いが少しだけ変わった方向に向いてしまったのかもしれませんね」

「え?」

「元は同じものであったのだから、殺し合うのはおかしい。同じ命なのに、奪い合うのはおかしい。純真無垢なあなたは昔から変わりませんね」

「あの……」

「どうしましたか?」

「一〇〇年前の電も……同じように悩んでいたのですか?」

「さぁ……かつてのあなたたちが私の随伴艦として護衛を行ってくれた時には、すでに四人とも答えを見つけていたように思えます。ですが、根本的なところはあなたと同じです。優しく他者を想い、厳しく自分を律し、姉を敬い、友を尊び、驕らず弛まず精進を絶やさない」

「そんな……電とは全く逆なのです……」

「いいえ、同じですよ……今のあなたもいつかは」

「ショウカク」

「はい、何でしょうか?」

「君、理由、生きる、何?」

 青年は電にも問いかけた質問を同じように翔鶴にも投げかけた。

「今はそうですね……還る場所があります、私には」

「還る?」

「ええ、例えその姿を失っても、その形が変わっていても、そう約束したのですから」

「国、還る……次、何?」

「還った後は、そうですね……戦うことに変わりはありません。それは私たち艦娘の存在意義です。戦う理由なら幾らでもあります。護るものなんていくらでもあります。私は―――」

 翔鶴はまっすぐに炎を見つめる。

 その光を映して、金色に燃え上がる瞳は、決して炎の光だけを映した訳ではなく、彼女の中にある炎が再び激しく静かに舞い上がった。不死鳥の様な強く消えない魂の輝き。

「もう、止まる訳にはいきませんから」 

 自らの羽を休める止まり木さえ焼き尽くすほどの激しい炎が。

 

 その瞳に宿る密かな闘志に当てられて、苦悩する幼い少女の心の中で、新しい炎が小さな火種として生まれ始めていた。

 

 

 

 

 

 





 劇場版艦これ、観てきました!!!!!満足しました!!!

 面白かったです。いや、本当に。まだの方は是非どうぞ!
 ちなみに栓抜きを貰いましたが、自分は下戸なのであまり使えない、と愚痴を零していたら、「瓶コーラがあるじゃん?」と言われましたが……まだ瓶コーラって売ってますかね?


 予定では、あと二話でこの章は完結します(予定)。

 次の章の構想としては、再び舞台は日本に戻ってみます。呉と舞鶴に焦点を置きながら、また主人公が頑張ると思いますので、よろしくお願いします。


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空を護る者


航空戦書くのは初めてなので、ちょっと頑張ってみたら、かなり長くなった挙句、
電の水雷戦の方が書いてるんじゃないのって思ったら、戦いに関しては大した文量無くて、
首を捻っているのが今。


 

「――――おはようございます。眠れましたか?」

 この島の海岸に朝日の光は届かない。今日も空は一面分厚い雲に覆われていて、まるでこの島だけ別の空間に閉じ込められたかのような錯覚に襲われる。

「はい、一晩中見張りをお願いしてしまってすみません」

「いいんですよ。昨日は交戦したみたいですし、修復できないこの場所じゃ身体と心の疲労を取ることくらいしかできませんからね」

 海を臨む翔鶴の横顔をしばらくじっと電は見つめていた。

 今は静かに真っすぐ流れている白い髪。傷のない美しい肌。眼には凛々しさ。幼い少女が追い求める大人の女性としての気品を持つ彼女の横顔が、電にも魅力的であったが今は別だった。

 その視線に気付いたらしく、目が合うと翔鶴はにっこりと笑った。

「私の顔に何かついていますか?」

「い、いえ……昨日の答えが、まだはっきりとしなくて」

「焦る必要はありませんよ。ですが、いつか決断する時は来ます。その時に、はっきりと答えを揃えておけるか、それだけです……あの方は?」

「密林の中にいると思うのです、食糧調達か、ただの捜索なのか、どっちかは分からないのです」

「不思議な方ですね。昨晩、少しお話をしましたが、空の色を知りたい、ですか……」

 そんなもの空を見上げればいつでも知ることができる。

 二人の中では、その程度の色なのだが、彼にとっては貴重な宝石のように手を伸ばして手に入れたいものなのだと。

 そのために、自分の意志でもがくように生きている彼は、何とも人間らしく、その魂と命は今、激しく燃え続けている。

 彼という人間はどこか惹きつけられるところがある。人間臭さというか、なんというか。

「晴れるといいですね」

「はいなのです。電もそろそろ曇り空には飽き飽きしてきたのです……」

 だが、翔鶴は一つ気になっていた。

 彼はこの空の色を知った後はどうするつもりなのか。今こそ、激しく燃えている彼の命だが、夢を掴めば燃え尽きてしまうのではないか。

 生きる意味を、人としての価値を、ひたすらに追い求める。だが、その答えを掴んだ後に道が続いていなければ、その先にあるのは崖なのだ。

 彼にはその道も、その崖から飛び立つための翼もない。

 

「電さん、一つちゃんと言っておきますね」

「はい?」

「苦しみから解放する。それは綺麗事に他なりません。あなたの言う通り、命を奪うことに違いはないのです」

「それは……分かっているのです」

「かつての私たちはそれでも戦うことを選びました。それが未来に進むための唯一の手段だったからです。やらなければやられる。本質はそれでしかなかったことに違うはありません」

「もう、大丈夫なのです。電も戦いの一つの見方が増えてよかったのです。後は、電自身の問題なのです」

「ですが……そうですね、余計な言葉を並べ過ぎても、かえって迷惑ですよね。後は電さんにお任せします」

 先に進みすぎた者が不用意に答えを与えすぎるのは決して正しいことではない。

 人に個性がある様に、人の身体で生まれた艦娘たちにも当然個性はあり、進むべき道も違う。

 迂闊に影響を与えすぎれば、最悪自らと同じ道を歩ませることになる。

 それは……あまり喜ばしくない。

 

 それなのに、どうしようもなく後輩たる存在を導きたくなるのは……憧れの姿を追っているのだろうか?

 教えを乞う身であり、いつかはその教えを誰かに受け継いでいく先達となるべきだった道をそれてこんな場所に来てしまった。

 誰かを導く者、そうなれなかった少しの惜しさがまだ揺らいでいるのだろう。

 あさましいものだ。我ながら。

 

「では、昨晩話していた通りに私は偵察機で周囲を警戒しながら、できる限り地形などの特徴から現在地を掴んでみようと思います、ただ、天候次第で中断せざるを得ない可能性もありますし、万が一会敵したとしても私はお力にはなれません。このまま曇り空でもってくれることを祈りましょう」

 翔鶴は風を読みながら、矢を放ち、姿を変えた三機の偵察機が三方向に展開していく。

「燃料や弾薬は極力温存する方向でお願いします。徒歩で行ける場所は極力歩いて、とりあえずこの島の反対側に行くことを目標としましょう」

「はいなのです!」

「会敵した場合は通信で知らせてください。私の方から航空部隊を送り援護します。では、行きましょうか」

 二人の少女は波風を裂いて、颯爽と海上を駆け出していった。

 

 

  *

 

 

 青年は顎に手を当てて首を傾げていた。目の前にあるのは高い岸壁。ところどころに草木が生え、苔のようなものも生い茂っており、登るのは青年では無理そうな高さはある。

 だが、この岸壁に手を当てた青年は違和感を拭いきれずにいた。何かがおかしい。

 

 昨日は海岸沿いをずっと歩いていったが、海に関しては彼女たちの方が長けているために青年は内陸の探索を始めていた。

 そして、電も踏み入れていない密林の奥地へと足を進めていったのだが、道がある訳でもなく、地面が平らな訳でもなく、ここに辿り着くとすぐに座り込んだ。

 密林で生きてきた訳でもなければ、ここで生き延びるための技術を誰かに教わったわけでもない。

 慢性的な栄養失調で今にも折れそうな青年を動かしているのは、激しく燃えている魂の炎、それだけである。だが、そんなものに関係なく、体力は消耗するし、疲労は蓄積する。足の皮は擦り切れ、掌の皮はボロボロになり、腕や足には切り傷も目立つ。

 青年は猛烈な眠気に襲われた。だが、おかしい。ずっと数えてきた周期に合わない。こんな数で眠くなるはずがない。

 あぁ、そうか。昨日襲われて意識を失っていたのだった。

 だが、あれはそんなに長い時間ではなかったはず。ここまでの誤差が出るものなのだろうか。

 青年は身体を何とか動かそうとして、全身にまとわりつく違和感に気付いた。

 全身が痛い。動こうとする度にだ。

 青年は筋肉痛というものを知らなかった。今まで仕事以外ではエネルギーの消耗を極力抑えてきたのだ。

 だが、昨日はかなりの距離を歩き、そして穴を掘った。そう穴を掘る作業。これが厄介だった。

 

 あぁ、眠い。何とか身体を引きずって岸壁に背中を預けた。

 しかし、なんだこの切り立った地形は。海岸でもないのに、突然こんな岸壁が現れるのはおかしくないか?

 ちょっとした疑問からわき出した好奇心が、再び青年に活力を与えた。

 本当にここで一生分の活力を使ってしまいそうな勢いで青年は無尽蔵に好奇心と活動力を動かす。

 壁に凭れ掛かるようにして立ち上がると、掌でその岩壁をぺたぺたと触っていく。

 ゆっくりと右の方にずれていきながら。触っていってみるが、どうも昨日海岸沿いで触ったものとは違う。

 それは微細な違いであったが、初めて岩壁というものを昨日触れて、その感触がまだ体の中で新しい青年にはよくわかった。

 硬さ、いや密度か。質感、それと表面の粗さと温度。

 不器用なほどに自然過ぎて、不気味すぎるのだ。

 あぁ、不気味だ。青年は顎に手を当てて首を傾げた。

 

 ふと浮かび上がった疑問はこれは自然のものではないというものだった。

 しかし、ここまで成功に作り上げることが人間に可能なのだろうか―――そんな疑問は湧かなかった。

 青年の目の前にある者は全て未知。分からない、できないかもしれない、ありえない。そんなもの今までいくらでも目にしてきて、その度に新しい世界が青年の中に広がっていった。

 人間の中の常識というものは変化し続ける。それは経験則や情勢などに基づいて変わっていくのだ。

 なるほど。ここにはかつて人間がいて、人間にはこういうものも作り出せるのか。

 そう言えば、あのショウカクとかいう少女がここにいたんだ。あの不思議な現象を起こせるほどの人間がここに住んでいたのならば、この島一つ作り上げてしまうくらいの技術があってもおかしくはない。

 

 おや?だがしかし待て。

 あの小人のようなものがこの島の住民だったとしたらどうする?

 もし、そうだとしたら、人間の目線でこの島を歩くのはおかしいのではないか?少なくとも、この島で出会った人間のような文明を形成できる存在はあの妖精だ。

 イナズマは外から来たみたいだ。ショウカクも人間とは少し違うらしい。

 じゃあ、少し視点を変える必要がある。青年の視点はずっと低くなっていき、膝を突き、頬を地面に擦らせ、岩壁と地面の境界の辺りをじーっと見て行った。

 まあ、そこは剥き出しになった岩盤の上に、草木が生い茂ったり、蔦が茂っていたりするだけなのだが。

 

 

 あまりにも偶然だった。青年はこの岩壁の「ほころび」を見つけた。

 小さな穴だった。青年はこれが妖精たる存在が出入りする穴だと勘違いしていたのだが、それは本当に偶然だった。

 上から枝垂れる蔦の束と、岩盤に根を下ろす背高草、それに隠されていたのだが、青年の目はその奥にあるものまでしっかりと捉えていた。

 穴に近づくと、最初は近くに落ちていた細長い葉の芯のみにしたものを奥の方まで入れてみた。

 大きさが一メートル弱のその葉の芯はしっかりとしていて、その奥で何もぶつからない。

 すなわち、その奥は空洞になっているという事実を青年にもたらした。

 

 それが分かるや否や、青年は腕を突っ込んで―――――途端に岩壁が崩れ落ちた。

 

 背中と後頭部に衝撃を喰らい、青年の意識は暗転した。

 

 

 

  *

 

 

 

『空母は、字の如く空の母です。どんな絶望が訪れようとも、あの空の青さを、自由を守り続ける者です』

 

『だから、沈んではいけません。あなたが放った子たちが帰るべき場所を失うだけではありません。あなたの後ろにある守りたかったものさえも失われてしまいます』

 

『だから、沈んではいけません。守ろうとしたものを遺して、逝ってはいけません』

 

『その為に強くなりなさい。赤城さんや加賀さん、多くの先輩たちがあなたにはいるのです。きっと力を貸してくれます』

 

『自分が死ねば、守れる。それは間違いですよ。特攻など馬鹿なことはしてはいけません』

 

『守りたいのならば、生きなさい。生きて護り抜くのですよ』

 

 母は―――母のように慕っていたあの人は私が艦娘として着任した時にそう仰った。

 空母であるものは誰も彼女には逆らえない。誰も彼女を嫌いにはならない。誰も彼女を厳しい人だとは言わない。

 優しい人だと。

 だから、絶対に彼女を裏切ってはいけないと。死は裏切りだと。

 それが私たちの暗黙の了解であり、先輩後輩問わずただ一つの共通した約束でもあった。

 

 

 トン、トーン、その二つの音だけが翔鶴の耳奥に響く。軽快なリズムで打たれている楽器の音のような二つの音。

 途切れることなく連続で続いていくモールス信号を読み解いていって、翔鶴の表情はやや険しくなった。

 沖合一〇㎞地点、翔鶴の現在地であったが、そこからさらに離れた沖合四〇㎞。

 敵艦隊発見。数、六。旗艦、姫級。

 たった二人しか戦力がない状況でまさに最悪とも呼べる状況。恐らく南西諸島か南部海域であろうこの場所は確かに激戦区ではあったが、話に聞くには姫級が出現するのにはやや疑問を感じる。

 ここはあの時代ではない。一〇〇年後の平穏な時代で、そこに突然脅威が再び現れたばかり。

 電が艦娘として生まれてから、まだ一年も経っていないこの状況下で、すでに姫級が出現している。

 

 いや、一〇〇年前も変わりはしない。結局、始まりはどちらが先かは分からないのだ。何が現れようとも今ここでやるべきことは一つ。

 

 こちらに接近中。その艦隊を叩く。ここで敗北し、本土への侵攻が始まることだけは二度と許されない。

 

 詳細な情報が送られてくる。

 装甲空母姫、空母ヲ級、戦艦タ級、重巡リ級、軽巡ホ級、駆逐ハ級。強敵ぞろいではあるが、幾度となく対峙してきた敵だ。

 航空戦力でならば、練度があの頃から変わっていない飛行隊ならば十分戦える。

 二対六、一人は小破の駆逐艦。やや心許ないか?いや、彼女ならば大丈夫だろう。

 願わくば、この戦場、この戦いで、彼女が答えを見つけてくれればいいのだが、多く望みすぎれば破綻するか。

「苦しいですね…本当にこういう逆境は」

 思えば、この瞼の裏に刻まれた最後の戦場もこんなものだったか。圧倒的な数的不利。加えて突如出現した『常識破り(ルールブレイカー)』。

 全滅するはずだった艦隊の殿を務め、増援が来るまで必死で持ちこたえて……でも、あの戦争はそんなに優しいものじゃなかった。

 増援が来たところでどうにもならなかった。あの敵艦隊は誰も止められなかった。全員が生きて還ることなど不可能だった。

 

 だから、犠牲になることを選んだ。

 あぁ、ホントに馬鹿馬鹿しい。すべてを捨てる覚悟をした私はとても強かった。

 破竹の勢いで艦載機を放ち、敵艦隊の大半を葬り去り、黒い空に銀の翼を放ち続けて、希望の軌跡を描こうとした。

 惨めだ。退けば生きていられたものを。あの時代で死ねたものを。

 こんな時代までズルズルと生きたかったのか、私は。

 違う、そんなはずはなかった。

 でも、結局私がここにある理由はただ一つで、誰かの願いなのだろう。

 あまりにも多くの願いを、自分の願いさえも背負い過ぎた体は沈んでしまった。

 今の自分が背負っている願いは何だろうか。

 答えを追い求めるのは電だけではない。つまるところ自分もそうなのだと納得した。

「二度と、死ねません。私は―――」

 先頭に臨むにあたって、一度鉢巻を解き、少しだけきつくなるように巻き直した。

 再び訪れた数的不利。そして、望みのない先に希望を掴む試練。

 

 一度、恥を晒した身、顧みることは何一つなく、落ち行くは修羅の道。 

 「赤」を継ぐこの魂。今再び劫火を灯そう。

 空に広がる白き鶴翼に、烈火を灯して舞い戻った自分はさながら不死鳥だ。

 

 二度と墜ちることはない。

「私は―――――」

 覚悟は決まった。逃げぬことが愚かだと分かっていながらも逃げることはない。

 死にに行くのではない。生きるために戦うのだ。

 

 全て迎え撃て。そして―――護り抜け。

 

「―――この空を護る者なのですから」

 

 

 

   *

 

 

 

 電は海岸から五〇〇mほどの場所を海岸線に沿って高速で進んでいた。

 電探に感無し。ソナーにも敵影はない。空は曇り空だが風は昨日よりか穏やかで、気温もそれほど高くはない。

 散歩にでも出かけたくなるような気分であったが、生憎そんな気分になれるほど心中穏やかなわけでもない。

 あぁ、本当に何なのだろうか。人間の身体を得てから、いや、もうその時点からこの魂は数奇な運命を辿りすぎている。

 いつか見つけ出さなければならない答えも、散らばったジグソーパズル。

 繋げばそこにあるのは一枚の絵。でも、全然つながらない。完成しない。

 ヒントならば腐るほど与えられたというのに、まだ答えに辿り着けない自分はやはり出来損ないなのか。

 それとも、この世界そのものが自分という存在を排するようになっているのか。

 

 いや、そんなはずはない。自分は求められてこの世界に産まれたのだ。人体を得て、心を得て、その結果悩んでいるのだ。これは本来ありえぬことであってそれは喜ばしいことなのだ。苦悩する、すなわち生きている。

 だが、生きている限り戦いが続くのならば。

 

 あぁ、本当に複雑だ。人間というものはこれほどにまで。

 

 そんな気を紛らわせるようにちらりと沖の方を見た。水平線の向こうには灰色のキャンバス。どんな色で塗ろうがキャンバスの色があんなものじゃ、せっかくの絵も濁った暗い色になってしまう。

 なんだか何もかもが自分の気分を落ち込ませていくようなものばかりで少しイライラした。このままじゃ、別の自分が生まれそうだ。

 島の方に目を戻した時、電の目があるものを捉えた。

 舵を切り、方向を島の方に向けると徐々に速度を落としていき、目の前で止まる。

 蔦と苔が蔓延ってしまって緑色にカモフラージュされているが、灰色の岸壁だ。

 いや、岸壁じゃない。

 

「コンクリート…?ここは…人工物なのです」

 ようやく見つけた。この島の正体を掴む糸口を。

 電は少し離れると、主砲をその場所に向けた。

 コンクリート程度ならば駆逐艦の主砲で砕けるはずだ。

 

 が、その時、耳元でモールス信号がけたたましく鳴り響いて、電は主砲を下ろした。

 

「電さん、敵艦隊が接近中です。合流をお願いします」

 言葉が暗号化され信号として空を飛び、遠く離れた場所にいる電の元へと届く。

「えっ…敵襲!?」

 振り返る。そこには何もない、電探にも何もかからない。

 じゃあ、索敵範囲外。まだ時間はあるか。

 続けて伝えられる、敵の編成。

 我が耳を疑う。旗艦は姫級。そんなバカな。

 

 焦る。鼓動が早くなる。恐怖が身体を縛っていく。足が重くなる。

 主砲も魚雷管も、背中の艤装もシールドも。

 落ち着け、と何度も自分に言い聞かせる。

 だが、空母も戦艦も同時に相手をして、駆逐艦一隻が何をできる?

 

 じゃあ、逃げるか?何もできないから、沈むのは必至だから、逃げるか?

 逃げてどこに行く?行く場所はもうないだろう?

 帰る場所がどの方角かもわからずに、どこに向かう?

 

 私は―――どこに帰るのだ?

 

 

「電さん」

 静かにその声が脳内を埋め尽くす闇の中の隙間を突いて、思考回路に滑り込み、その意識に届いた。

「怖いですよね。こんな不利な状況で、敵を迎え撃つのは」

「……はい。怖いのです」

「無理をする必要はありませんよ?今すぐ上陸していただいて、あの方と一緒に逃げて貰っても」

 逃げ場などない。それは既に答えとして出ている。

「しょ、翔鶴さんは……」

「私は戦います。戦わなければいけません。生きるために生きて帰るために」

 あぁ、そうだ。この人は国に帰りたいんだったな。あの国に。

 でも、ここで死ねば帰ることも叶わない。結局、勝つしかないのだ、この圧倒的な不利の状況下で。

 

「電は……どこに帰ればいいのでしょうか?」

 愚痴を零すかのように不安に押し出された感情が思わず漏れ出した。

 小さく息を吐いて、そして吸い込む。そんな音がして、はっきりと不快感のない翔鶴の声が再び電の耳に届く。

「……今、私たちがいる場所は海です。広いですね。とても広くて、どちらに向かえばいいのかも分からない」

「えっ?」

「そんな私たちがこんな広くて先も見えない海に出ることができるのは、帰るべき場所があるからです」

 

「今、今の私たちが、ここの海に立っている私たちが帰るべき場所はどこですか?いずれ本土に帰るのが私たちの目標であるのは確かです。ですが、私たちが今、護り抜くべき場所は……還るべき場所は、そこではないのですか?」

「……え?」

 この無人島が帰るべき場所……こんな場所が?

「せっかく帰るのならば、誰かが待っている場所にしましょう。そちらの方が安心するでしょう?誰かが待つ場所に帰るために戦うのです。それに放置できる相手ではありません。脅威としても、私たちの対である存在としても」

 誰かが待っている場所に帰る。

 逃げた先で待つのは誰だろうか?そこに誰かいるだろうか?

 わがままばかりの自分をどんな形であっても迎え入れてくれる、こんな歪な自分を迎え入れてくれる誰かが。

 あの人は無知なだけなのかもしれないし、ただの好奇心で艦娘が珍しくて真摯に向き合ってくれたのかもしれない。

 それでも、苦痛でなかった。この島に遭難したという状況こそ過酷であったが。

 

 それに守ろうとした。一つの水雷戦隊規模の敵艦隊に立ち向かい、怒り、悲しみ、無理をして、何とか守ろうとした。

 待ってくれている人が艦娘でなくても、提督でなくても、そこに自分が帰る場所がある。また、「いなずま」とこの名前を慣れない言葉遣いで文字を繋ぎ合わせ、呼んでくれる人が確かにそこにはいる。

 

 それに、逃げても何も変わらない。

 上手く本土の仲間に合流しても、自分が逃げて、一人の人間の命と一人の艦娘に背を向け見放して帰ってきて、その後の自分はどうなる?

 永遠に罪悪感と、逃げ出した恥辱がこの身体と心を蝕み続けるだけだ。

 

 ふと、翔鶴が笑った。ふふっ、と微笑んでいる顔が思い浮かぶような声で。

「それと―――あの方に見せてあげたくありませんか?この美しい空の色を」

 

 ちっぽけな夢だ。何ともない夢だ。

 言ってしまえばそんな夢なのに、きっと誰も彼をそうやって笑ったりはしない。

 

「――――向かうのです。すぐに合流するのです」

「えぇ、お待ちしております。作戦については合流してからお伝えします」

 海面に目を落として、グッと瞼を閉じた。

 覚悟がまだつかない。どんなに守りたいと思っても、自分にできるのか?

 

 

「――――いなずま」

 ふとあの声が自分の名前を呼んだ。驚いて顔を上げると、そこに彼はいた。

 先程まで壊そうとしていた岩壁の上に青年は立っていた。また腕に青い痣ができている。

「た、隊長さん…っ!!どうしてここに」

「穴、一つ、そこ、ここ、行く。家、ある、置く、下、行く、道、俺、ここ、行く」

「え、えーっと、よく分からないのです…」

 青年はしゃがみ込むと、いなずまにもっとこっちに来るように手招きした。それに従って電が近寄ると―――

 

 バシャーン!!!

 

「はわーーーーーーーーーーー!!!!」

 何か緑色の液体のようなものが頭からかけられた。あまりにも突然の出来事に電は海の上に尻もちを突いた。

「なななな、なんですか…っ!?!?」

「怪我、治る、これ、言う」

 青年は脇に手に持っていたバケツのようなものを置くと、電に右手を差し出した。

「えっ…?」

 青年が差し出した掌の上には、小さな人間が乗っていた。

 妖精―――艦娘という存在とは切って離せない謎の存在であり、人知を超えた技術を持つ小さな存在。

「よ、妖精さん……あれ?艤装の損傷が――――体の傷も」

 キラキラと液体が輝いて、不思議なことが電の全身で起こっていた。

 手当もできずの放置していた擦り傷や、修理もできずに凹んだり欠けたりしていた艤装、流石に弾薬や魚雷の数は増えなかったが、喪失していたコンパスが蘇り、電の脳内に明確な方位が示される。

「戦い、イナズマ、向かう、俺、待つ」

「え、えーっと……」

「イナズマ、強い。俺、守る。シンカセンカ、倒す。イナズマ、勝つ」

「あれはまだ電が何とかできる相手だからよかったのです。今度のはどうなるか分からないのです。だから、これを電にくれてありがとうなのです」

「……ガンバレ、イナズマ」

 青年が送る、知っている言葉で伝える激励の言葉。

 こんな発音もイントネーションもグダグダの言葉でさえ、電の背中を暖かく押してくれる優しい言葉に思えた。

 

「隊長さん、もし空の色を見たらその後はどうするおつもりなのですか?」

「……知る、不可能。俺、ある、見る、空、色」

「だったら、ここで待っててもらえませんか?」

「待つ?」

「はい、電と翔鶴さんが、深海棲艦と戦って帰ってくる場所で、待っててもらえませんか?隊長さんがここで待っててもらえると、とても心強いのです」

「……待つ、イナズマ、ショウカク、待つ」

「ありがとうなのです―――じゃあ、行ってくるのです!」

 

 迷っている間に多くの戦いが行われて、失われる命と、命を奪った命が存在し、罪と苦しみが生まれ続け連鎖は終わらない。

 自分はその連鎖の中に呑まれないように逃げ続けていたのか。それとも、純粋に同じ命を奪うことはできない理性の叫びがリミッターをかけていたのか。

 

 もうこの際、どうでもいい。矛盾なんてすべて受け入れてでも戦って

 ―――そして生きて帰ってやる。

 対となる魂が行き場を失ってあの姿になったのならば、救わなければならないし、これ以上の破壊で自分の魂を汚させるわけにもいかない。

 自分を救いたいのならば、他者を救え。たとえ、それが相手の命を奪うことであったとしても。

 救済の一つの形として受け入れる他ない。

 命を奪い続ける悲痛の罪に苦しみ続けるだけならば、償いとしてすべての命を返すために戦った方が楽だ。

 

 艦娘がそのためにあるのだとしても、そうでないとしても。

 いつか平和な世界を望むのならば、これから生まれ行く新たな命に平和な世界を見せたいのならば。

 もし、死にゆく者たちが生まれ変わってみる世界が平和な世界がいいと望むのならば。

 

 今、ここで―――――止まる訳にはいかない。

 

 

 

   *

 

 

 

 真っ白な肌。触れずとも冷たさを感じさせるその白。

 身体を覆う服はほとんどなく、首周りには破れたセーラー服の襟などが残っている。

 腕や足はまるでブーツや手袋でも付けているかのように黒く痣のようなものが広がっており、局部にもそれが見られた。

 白い肢体、長くボリュームのあるこれまた白い髪がポニーテールのように結われており、その身体を取り巻いている。

 小さな顔で瞼を閉じており、彼女はまだ静寂を保っていた。腰の辺りの結合部位から、その身体を守る様に展開されている巨大な鉄の塊も、今は静かに眠っているかのようだった。

 残りの敵艦が彼女と、その前のヲ級を守る様に円形の陣形―――輪形陣の状態で海上を進んでいたが、ふとそのヲ級が顔を上げて、眉を跳ねた。

 

 遥か上空を飛ぶ鳥のような影。敵の偵察機。すぐに気付いたヲ級は戦闘機を発艦しようとしたが、正面にいたタ級が目を開き、上空にその砲門を向けた。

 まるで美しい女神像のような造形をした女性。ロングヘアの白髪に白い肌。そしてその表情に浮かぶ冷たい笑み。

 マントのようなものを纏うその中から腕を伸ばす。伸びた指先に赤い爪。ギギギと金属が擦れ合う音がして艤装が断末魔のような叫び声を上げる。

 伸ばした腕で照準を合わせて、タ級の砲門が一斉に火を噴き、空に赤い炎が広がった。

 小さな偵察機はいとも簡単にその砲火の中に飲み込まれ、火の玉となって海に落ちていく。

 にやりと、笑みを浮かべてこちらを見たタ級に、ヲ級は特に表情を変えることもなく、目を閉じて歩を進めていった。

 その背後で、静かに彼女は目を開く。薄く開いたその眼に睨まれたような気がして、タ級はすぐに目線を前方へと戻した。

 

 その眼がちらりと空を見た。暗雲立ち込める鉛色の空。

 彼女の艤装の銀色と呼ぶには程遠い鋼の色によく似た色だ。別に何の感情を抱くわけでもないが。

 

 ただ、少しばかり機嫌が悪い。

 

 そんなことを思っていた矢先、前方の空に黒い点が広がっているのが見えた。

 ヲ級が冷静に艦載機を発艦していき、迎え撃つ。黒い金属の塊が蟲の羽音のようなエンジン音を響かせながら空に絶望の色を振りまいていく。

 

 

 

 キリキリと引き絞る弦が音を立てる。速力を上げて進む翔鶴は目を閉じて頬を撫でる風を感じた。

 目を開く、その瞬間に会を解く。真っすぐに風を受けながら飛ぶ一筋の矢が、光を放って三機がその翼を広げる。

 風を切って上昇していく美しいフォルム。深緑色の逆ガル翼に日の丸を背負い、背負う武装は艦攻、艦爆、ましてや艦戦すべてを上回る火力を誇る。

 加えて、二射目。三射目、四射。合計、十二機の《流星改》、その直掩機に回るのは二〇機の零式艦戦二一型、パイロットは熟練。

 

 翔鶴に配備された航空隊。

 船の時代には発艦することも叶わなかった《流星》の上位互換機。

 一〇〇年前の戦場でも多くの深海棲艦を圧倒的な火力で葬り去った最強の艦攻。

 そして、翔鶴が着任してからずっと彼女と共に空を守り、戦い続け脅威の練度を得た戦闘機乗りたち。

「さぁ、征きましょう!!」

 勇ましい翔鶴の掛け声とともに一気に加速していく機体。

 半数に近い攻撃隊を発艦。まずは敵の出鼻を叩く。

 隊列を組んで迫っていく翔鶴航空隊。その操縦席に腰を置く妖精たちの表情は勇ましく、誰一人として負けるつもりはないという気迫に満ち溢れていた。

 

 敵機と邂逅。

 その瞬間に、零戦は大きく旋回し、一部隊が上方から敵機の隊列に機銃を放ちながら突っ込んでいく。一機、二機、三機、墜としてそのまま急降下。その後を追うようにして降下する敵機を正面からの航空隊が叩き、左右に広がって散らばった敵を余すところなく叩いていく。

 敵艦隊見ゆ。

 艦攻隊が雷撃隊、爆撃隊に分かれて高度を変えていく。

 上昇する爆撃隊が対空機銃を掻い潜りながら急降下。

 敵艦上方で爆弾を投下。そのまま再び上昇していく。

 軽巡ハ級の頭部にめり込み、炸裂。大破状態に追い込む。

 上空からの攻撃に気を取られている間に、雷撃隊が低空飛行から航空魚雷を放つ。

 そして、離散。

 左舷から敵艦隊を薙ぎ払う数本の魚雷が迫り、タ級、ハ級、リ級の脇腹を抉る。

 巨大な水柱が美しい輪形陣の一端で上がった。

 

 海上に響く衝撃が装甲空母姫を浅い眠りから目覚めさせた。

 

 

 




一気に決着まで書こうとしたらかなり長くなってしまった……
こんなに長くするつもりじゃなかったのに…四、五話の範囲で終わらせるつもりだったのに


まあ、いっか(錯乱)

次話決着です。もしかしたら、一気に完結まで行くかもです。
それと別に短めエピローグを別に添えておきます。



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色彩

「我、第一次攻撃成功、艦攻隊帰投ス。第二次攻撃を要請ス……うまく行ったようですね」

 第二次攻撃隊の矢を手に取ったとき、翔鶴の目にこちらに迫る黒い影が映った。

 艦戦隊の活躍もあり、艦攻隊は攻撃に成功。しかし、敵艦爆隊を取り逃がし、翔鶴の元へと接近していた。

 後を追う艦戦隊の努力も敵艦戦隊の妨害を受けむなしく、はっきりと翔鶴の目にその形が映る距離まで接近を許していた。

「――――電さん!お願いします!!」

「はい、なのです!!なのです!!」

 艤装を修復した電による対空砲火。

 たった一人の駆逐艦で空母の護衛を行わなければならない、その重圧はただならぬもの。

 しかし、それでも電は落ち着いて主砲の照準を艦爆隊に合わせて砲撃を行っていった。

 

 一機、二機、少しずつ削っていったところで、敵艦爆隊が散開。四方から迫り、急降下を始める。それでも、電は目を逸らすことなく、逃げることなく、迫りくる黒い機体にまっすぐ意識を向けて、砲撃を放つ。

 三機、そして反転して四機。爆弾の投下を許してしまった残りの二機からは回避行動を行い、そのまま翔鶴の元へと向かった四機に砲撃する。

 一気に二機を落とし、爆弾を落とそうとした残りの二機は戻った艦戦隊が真横から蜂の巣にする。

 すぐさま翔鶴は振り返ると艦戦隊に手を振った。

「私は大丈夫です!攻撃隊の援護に回ってください!!」

 それを聞いて零戦はくるりと旋回すると、戻ろうとする艦爆隊の背後を突いて確実に落として前線へと戻っていく。空中で爆発した破片が海上に散らばる。

 電はそんなことに意を介さず、両舷最大船速のまま、海上を駆ける。敵艦隊に目を向ける。すでに目視できる距離にまで迫っている。

 ならば、次は――――

 

「翔鶴さん!!回避を―――」

 轟音が鳴り響いた。海が割れ、弧を描いて迫る巨大な砲弾。

 海面に着弾すると同時に周囲の海さえ揺らすほどの巨大な水柱を上げ、まるで陸地で地震にでもあったかのように身体が揺れる。

 だが――――高速で海上を進む翔鶴には掠りもしない。

 白い髪を靡かせながら、そこに残像でも残しているかのように敵の照準を合わせさせない。

 狭叉も許さず、翔鶴の目は敵艦隊をまっすぐに見据えながら、次の矢を弓に番え、一拍置いて放つ。

「第二次攻撃隊、発艦。お願いします!」

 流れるような動作、一切無駄なく、そこに残るのは残心まで怠らない潮風に純白の髪を靡かせる美しい姿。

 欠けることのない冷静さを纏い、かつ冷たさばかりではなく航空隊を見送る優しい眼、一方で一切の手加減を許さないと現れる厳しさ、対峙する者に向けるは憎悪や遺恨ではなく、敬意を持ち全力で、全ての意識を集中させて一矢を放つ。

 あぁ、凛々しい。あぁ、美しい。洗練された動き、静寂を切り裂いて猛々しく鳴り響くエンジン音。強く風を切って飛ぶ姿は勇ましい。

 彼女の手から放たれるその艦載機一つ一つまでが、まさしく彼女であり、どんな翼であれ、彼女へ必ず帰ると誓いを立てて空へと羽ばたいていく。

 思わず、戦場であるのに敵から眼を逸らして彼女に見惚れてしまう。

 

 

「ガァァァァァァァァァァァ!!!!」

 小破状態のタ級が吠える。全身から黄色い炎が燃え上がり、目から憤怒の焔が噴き出す。

 そのまま、ちらりと装甲空母姫を見る。もう待ちきれない、と。

 そのことを装甲空母姫も理解していたかのように、手を横に振った。

 輪形陣を組んでいた艦隊が散開し、ヲ級の護衛に駆逐ハ級flagshipと中破状態のリ級eliteが付く。

 タ級flagshipは飛び出して、電へとまっすぐ牙を剥いて海上を猛進していく。

「――――――――っ」

 自分が標的になった。そう予感した瞬間に、電は動きを変えた。之字運動をやめ、やや弧を描きながら全速でタ級の方へと向かっていく。

 

 駆逐艦とは何か。駆逐艦とはどう戦うべきか。

 船団護衛。空母や戦艦の護衛。輸送物資の運搬、遠征。対潜哨戒。防空警戒。邀撃etc。

 時に護衛などという防衛的な仕事から外れ、敵に真正面から突っ込む水雷屋の仕事も当然ある。

 仕事なんて腐るほどある。技術だっていくらでも身につけなければならない。

 空母や戦艦のように特別視される訳でもなければ、持て囃されることもない。

 だからこそ、駆逐艦は誰よりも勝利に貪欲でなければならない。

 誰よりも、好戦的で、生に貪欲でなければならない。

 駆逐艦同士では互いに研鑽を積み、その強さを認め合う好敵手であらねばならない。

 弱い火力を補う知恵を身に着けなければならない。当然技術も。そのために努力を重ねる。

 そして、その燃費から誰よりも扱きを使われるが、その分練度は高くなっていく。当然沈む確率も高い。

 だが、多くの戦場を駆け、そうして生き延びていく。

 そうして、生まれた駆逐艦は一騎当千の価値を持つ。誰よりも頭が回り、誰よりもうまく動け、誰よりも周囲を把握し、誰よりも被害が少なく、どんな戦場でも生き延びる。

 多くの駆逐艦を束ねる屈指の司令艦として、誰もが欲する駆逐艦となれる。

 かつて、吹雪、陽炎、雪風、磯風、霞、時雨、皐月、といった艦娘史に名を残す駆逐艦娘たちがそうであったように。

 

 たとえ、戦艦相手でもかちこむ度胸。そしてそれに勝利する技量。どんな戦場でも仲間を生きて連れて帰る覚悟と、戦い抜く勇気。

 

 電は自分自身を試した。そこに至れる実力を自分が持っているのか。

 死にに行くのではなく勝利に貪欲で生き延びるだけの運と技術を持っているのか。

 逆境?最高の舞台だ。

 いつだって駆逐艦が駆逐艦として最も輝くのは、小さな体が巨大な敵を屠るその瞬間。

 タ級とすれ違う。

 恐ろしいくらいの至近距離。向けるのは小さな主砲。向けられるのは巨大な大砲。

 タイミングは一度だけ。互いの一発分の砲音が重なり、衝撃が海を走る。

 黒煙が広がり、外れた砲弾が海を割り、全ての音が舞い上がった水の音に掻き消されていく中、電の小さな体はスモークを切り裂いて海上に飛び出した。違う方向からタ級も飛び出して互いに姿を探し合う。それで視線が合って再び船速が上がる。

 駆逐艦が戦艦い追いつかれるようなことはあってはならない。だが、自分自身の射程から外れれば、長射程の戦艦に嬲り殺されるだけだ。

 艦娘とは数奇なものだ。人間の身体をしていながら、船の記憶に捉われるためにその可動性と駆動力を活かしきれない。

 最も大事にすべき艦の記憶を一度捨て去ることで得られるのが、人間らしい泥臭い戦い方だ。

 これは横須賀にいた頃にある駆逐艦にこう戦えるように叩き込まれたものだった。

 

 電は反転すると一度タ級と距離を取って、こちらを折ってこようとタ級が反転させた瞬間に魚雷を四発放った。

 雷跡を残さず伸びていく魚雷。当たれば戦艦の装甲を抉るほどの威力はある。

 それでも一発で沈むようなやわな装甲じゃないことは分かっている。

 

 だったら、沈むまで当てる。やるなら、勝つなら、徹底的に。電はふと笑みを浮かべた。

 タ級が水柱の中に飲み込まれる。同時に電は再び舵を切ってタ級に向かっていった。

 

 立ち込める水煙の中から姿を現したタ級の主砲の一部は吹き飛んでいた。中破状態。破損した部分から怨嗟の黄色い炎が溢れだしている。

 両舷一杯。思いっ切り身体を捩じって、渾身の力で、タ級の顔をめがけて―――

「ああああああああああああああっっっ!!!!!」

 

 ―――――錨を叩きつけた。

 真正面からまともに受けた衝撃で仰け反って海面に背中から落ちていくタ級。

 電はそのまま止まることなく、残っていた魚雷を叩き込む。

 避けることなどできるはずもないタ級の身体が爆音と同時に炸裂。炎に包まれて力尽きる。

 

「はぁ……はぁ……やった……やったのです!!やったのです!!!」

 今湧き上がってきたのは喜び。駆逐艦としての本懐、下剋上。

 溢れ出す歓喜の想いを、電は突然抑え込んで、ふと息を整えて目を閉じた。

「……安らかに眠ってくださいなのです」

 弔い。

 深海棲艦は決してしない、人の正しき心を持ち合わせた艦娘だからこそ向ける祈祷の念。

 同じ命であった。だが、葬り去った。その邪悪に囚われた一生があまりにも悲しいものであったから。

 もう立ち止まることはない。電が目を閉じていたのはほんの一秒ほどであったが、ありったけの祈りを捧げた。

 その命が次に生まれ変わってくる世界では、平和な世界であるように、と。

 穏やかで優しい心を抱いた健やかなる生命であれ、と。

 

 電は進んだ。前へと。次の敵を探して、救済するために。

 帰る場所はもうある。だから、道に迷うことはない。

 もう逃げることはない。自分は駆逐艦として、艦娘として、深海棲艦と戦い続ける。

 

 

「――――――――電さんっっ!!!!!」

 

 

 そんな少女の強い決心さえ嘲笑うかのように「邪悪」がそこにはあった。

 翔鶴の声が届くよりも先にその砲弾が電の周囲に散らばめられて、顔を覆った少女の正面に一つの影があった。

 

 止まるはずのなかった電の足が止まった。

 正面に現れた巨大な影。圧倒的な存在感。威圧感がタ級などの並ではない。恐怖心を鷲掴みにされるような、純悪の白。

「あっ……あぁ……や……」

 首をぐるりと回して、装甲空母姫の顔が電に向けられた。

 赤い瞳が大きく開き、電の姿がそこに映される。その奥に燃える激しい負の感情の焔。それと目を合わせてしまった電の身体から力が抜けていき、ただ怯え震えるだけの少女にしてしまう。

 

 さて、始めるか。そう言うかのように装甲空母姫の表情がニタリと歪む。

 閉じていた鉛色の鋼がギギギギと軋み始め、ガンッと大きな音を立てて幾門もの主砲が開いた。

 同時に艤装の並んだ牙が開き、赤い瘴気が噴き出して、装甲空母姫の身体が赤い炎が纏っていく。

 他愛無し。怯える小さな体を圧倒的な力は蹴り飛ばした。

 海面を跳ね、転がり、水飛沫が上がる。五〇メートルほど飛んだ小さな体は俯せのまま動かない。

 

 

「――――くっ!!」

 翔鶴は冷静さを保っていた表情を焦りに歪めた。

 対峙していたヲ級eliteはこちらに隙を与えてくれはしないだろう。

 だが、どちらを選べばいい?舐めてかかればヲ級でさえ脅威になる。こちらに全力を注げば、電はいともたやすく葬り去られる。

 

 考えている暇などなかった。

「全航空隊っ、発艦始め!!!!」

 矢筒の中の矢を全て手に取り、航空隊の援護を受けながら正確に発艦していく。

 艦攻隊、艦戦隊が一気に展開し、ヲ級に向かう部隊と装甲空母姫に向かう部隊に分かれて、隊列を組んで飛んでいく。

 

 装甲空母姫の艤装の口から小さな火の玉が飛び出した。 

 白くて丸いものが燃えているようなそれは、風を受けて火の粉を撒き散らしながら上昇する。そして巨大な口を開いた鬼のような造形が姿を現した。

 そのまま装甲空母姫の傍らにそっと降り立つ。艦載機ではない、あれは対空砲台だ。

 そう把握した艦戦妖精隊は敢えて前に出て、急上昇、急降下、旋回を行いながら、機銃を放って装甲空母姫の意識をこちらに向ける。

 だが、癪に障るかのように表情が少し不快の色を浮かべると、虫を叩き落とすような音で16inch連装砲が火を噴いた。

 一気に水面ギリギリを飛んでいた艦攻隊の一部を薙ぎ払う。

 そして、艤装の口からさらに火の玉が吐き出され、それは球体ではなく歪めた円盤のような艦載機へと姿を変え、囮になっていた艦戦隊に襲い掛かった。

 

 一方で、空母ヲ級eliteに向かった攻撃隊は急降下爆撃に成功していた。ヲ級の格納庫内部に爆弾を叩き込み大爆発。

 一気に誘爆して炎上し、その身体は爆散した。

 その最期を看取ることもなく、翔鶴は電の元へ向かった。横たわるその体を抱き起し揺する。

「電さん!!目を開いてください!!電さん!!」

 翔鶴の姿を見て、自分隊の役割を把握したかのように、ヲ級撃沈を終えた攻撃隊と艦戦隊は装甲空母姫を狙う雷撃隊の援護へと向かう。

 一撃、一撃でも入れば状況は好転する。

 だが、消耗が激しい駆けつけた部隊は敵艦載機にさえ苦戦を強いられていた。

 

 一部隊の艦戦隊の隊長機が攻撃隊へと向かっていき、一度着艦するように促した。

 その意を汲んだ攻撃隊はその隊長機の艦戦隊の護衛を受けて、翔鶴の元へと戻っていく。

 一度、電を仰向けにして寝かせ、飛行甲板をまっすぐに構えた。

「……分かりました。補給と換装を終えたらもう一度お願いします」

 飛行甲板に彼らを順次着艦させながら、矢に戻っていく艦載機たちを矢筒に納める。

 

 艤装内部で妖精たちが忙しなく動き始めた。攻撃隊への航空魚雷、爆弾、燃料、弾薬の補給。

 艦戦隊には燃料と弾薬の補給が終わり、攻撃隊より早く一部を残して発艦した。

 空母の妖精たちは少し特別だ。空母である彼女たちとの強い信頼と互いの意志の尊重をする。

 意見具申も行うために、非常に好戦的な者たちは何度も戦場へ出ようとするし、疲れを訴える者たちは休息を要求する。

 今は、全てのパイロットたちが一刻も早く戦場に戻るために動いていた。だが、ろくに休息もとらずに飛び続ければ当然精度は落ちていく。

 翔鶴は不安だという旨を伝えたが、彼らは首を横に振って、カラン、と矢筒で音がした。

 

「分かりました。ですが、決して特攻などはなさらぬようにお願いします。発艦っ、始め!!」 

 矢が空を切って飛び、白い翼を抱く零戦部隊が展開する。

 雷撃機が再度出撃可能となったとき、その時に制空権を勝ち取っておくことが今の艦戦隊に求められている。

 まだ、装甲空母姫は全力を出してはいないだろう。次々と艦載機が発艦されている。

 

 逆に翔鶴航空隊は次々と帰投している。確実に戦局は不利になりつつある。

「……翔……鶴、さん…?」

「電さんっ、目を覚ましたのですね。大丈夫ですか?」

 うっすらと瞼を起こした電。ぎこちなく状態を起こして、ふらふらと立ち上がろうとする。

「な、なんとか、大丈夫そうなのです……咄嗟にシールドで」

 電の肩の辺りを守っている装甲板がかなり大きく凹んでいた。

 我を失いかけながらも、彼女の中に眠る英霊たちの魂が、彼女を守らんと身体を動かしたのか。

 電の身体そのものに大きな損傷はなく、主砲も魚雷管も健在であった。

「それはよかった……ですが、あまり状況はよくありません」

 装甲空母姫と奮闘する航空隊の姿を見て電は咄嗟に状況を把握した。

「電が……もう一度、陽動するのです。その間に翔鶴さんが……いや、その前に止まっちゃいけないのです」

「ダメです。電さんを囮にするのはもう……えっ?」

「とにかく、動くのです……翔鶴さんは特に……間に合わないのですっ」

 電は翔鶴の制止を振り切り、思いっ切り前へと飛び出した。凹んだ装甲板のシールドを切り離すと前方へと投げやって、錨を持って両腕で顔を覆った。

 砲音。飛ぶ砲弾。宙を舞う装甲板を貫き、勢いこそ弱まったが、電に直撃する。

 

 崩れ落ちる少女の向こうで白い顔が怪しく笑みを浮かべていた。

「―――――電さんッッ!!!」

 

 翔鶴は咄嗟の事で忘れてしまっていた。あってはならないことであった。

 どれだけの覚悟をして自分はそこに立っていたつもりだったのか。どれほどの決心でここにその少女は立っていたのか。

 装甲空母姫の射程は戦艦に匹敵する。

 そのことを焦りに本分を忘れていた自分が忘れてて、傷ついても朦朧とした意識の中漢書だけが覚えていて、護衛という本分を果たした。

 カランカランカラン、と立て続けに矢筒に矢が装填されていった。怒りのままにそれを手に取ることはない。

「もはや……あなたに同情などしませんっ!!ここで、完全に叩きます!!」

 いや、始めからそうすべきであったのだ。

 長い眠りの中で忘れてしまっていた。『鬼』と『姫』の名を冠する者たちと、イロハと級を与えられる者たちの違いを。

 

 両者ともに悪であることに変わりはない。人間の中に宿る負の感情が形を成したものだ。

 後者は、意思無き悪意だ。ただ、その身体に宿る悪意に衝動的に突き動かされている。

 

 だが、前者は意思のある悪意だ。

 それは自ら考えて、自ら命を奪い、合理的に動く。合理的に殺す。

 そこに艦娘が抱くのは償いなどではない。弔いなど考えない。純粋に醜い殺し合い、あるのはそれだけだ。

 

 人間の悪の本質と言ってしまえばそれだけなのかもしれない。

 イロハ番を与えられている者たちはその本質の周囲を漂う埃のようなものに過ぎない。

 姫級に情けも償いも無用。討ち取らねばならない、その気持ちだけでいい。

 

 それが分かっていればもっと違う戦いができたのか?あの時の方が上手く戦えていたのではないか?

 どうしてあの少女は傷ついた?どうして私は守られた。

 ダメだ。これ以上、この名に恥を残すな。この名を誇りに思う者たちの名を汚すな。

「私は……翔鶴型航空母艦、一番艦《翔鶴》……」

 

 さあ、もう一度、生き抜く意味を見いだせ(覚悟を決めろ)

 

「ここで沈むわけには行きませんッッ!!」

 三本の矢を手に取り、一本ずつ弓に番えていく。テンポよく、丁寧に艦攻隊、艦戦隊を空へと放っていく。

 損傷した機体はそのまま格納庫に残して矢にはしない。休める妖精たちには少しでも多く休ませる。

 あぁ、気持ちよく眠っていた古兵たちを叩き起こしている。だが彼らは力を貸してくれる。こんな惨めな自分にも拘らず。

 まだ終われない。

 ここであの悪の権化を葬らなければならない。そして、帰るのだ。あの青年の待つ場所へ、電と共に。

 

「全機、突撃!」

 再び爆弾と魚雷を抱えて攻撃隊が空を翔けていく。戦闘を離脱した一部の艦戦隊がその直掩に就き、敵機と対空砲火から彼らを護り抜く。

 それでも装甲空母姫の主砲が唸る。艦戦も艦攻も関係なく、海面ごと抉り取られるように吹き飛ばされる。

 放った魚雷も、落とした爆撃も、掠めることもなく外れていく。機銃を放っても、その分厚い装甲に傷をつけることすらできない。

 

 翔鶴は電をもう一度抱き起すと、今度はまだ意識が残っていた。

「……上手く、行ったのです」

 そう言って彼女は笑ったのだった。だが、本当にうまく行っている。あの砲撃を真正面から受けて中破状態。

 浸水も最小限で止めているために今の状態ではまだ沈むことはない。

 この子は相当やれる。そんな確信が生まれていたのは、きっと今ではない。

 彼女と向かい合ったあの時からその片鱗はあった。

 

「あなたは素晴らしい駆逐艦です……きっと、想像できないほどの努力を重ねてきたのでしょう」

「電は……他の子より何もできなかったのです……だから、訓練も勉強も人一倍やるしかなかったのです」

 なるほど。この少女はきっと他の駆逐艦娘より訓練も勉学も成績が悪かったのだろう。

 恐らく、それは彼女が悪いのではなく、彼女の中にあったあの気持ち。この戦いを良しとしない気持ちが邪魔していたのだろう。

 それを実力不足だと思い、人一倍修練を積んだが、それでも彼女の想いは自身にリミッターをかけていく。

 そんな彼女の練度は、きっと彼女の実戦経験以上に積み上がっていただろう。屈指の名駆逐艦と呼べるほどに。

 

「その想い、その心構え、本当に素晴らしいものです。あなたはここで失われていい存在ではありません」

 先達に恵まれ、その性能に恵まれ、始めから期待を背負っていた。

 思えば、勘違いをしていた時期があった。自分はもっとやれるのではないかと。いや、主にそう思っていたのは妹の方だったが。だが、自分の中に少しばかりあったのは認めざるを得ない。

 それを見事に射抜かれた。「五航戦にはまだ早い」と姉妹揃って説教を受けた。母には「バカですね」と優しく言われた。

 それからだった。努力を重ねて、血反吐を吐いて、身体に鞭を打って、ようやく認めてくれた。

 私たちの憧れが認めてくれたあの瞬間は……いや、その時の作戦で努力が実を結んだ瞬間はとても嬉しかった。

 だから今、彼女の努力を認めなければならない。他の誰にも気づけない彼女のその価値を。

 

 手を貸した、少女はゆっくりと立ち上がった。まだ戦えると。まだこの炎は消えちゃいないと。

 あの化物の中で燃える邪悪な炎よりももっと強く鮮やかにこの魂は輝いているのだと証明するかのように。

「まだ、戦えるのです……」

 そう言って、また笑った。別に強いられて笑っている訳でも誤魔化すために笑っている訳でもないだろう。

 この少女は心の底から笑っている。駆逐艦として、駆逐艦らしく戦い抜くことを楽しんでいる。

 全く、駆逐艦の子たちは血気盛んな子が多い。それは一〇〇年前から変わりはしない。

 

 だが――――この子はそれだけじゃない。

「電さん、今のあなたはきっと誰の目にも頼もしく思えますよ……ありがとうございます」

「え?……ほわわぁ……なんだか、少し…恥ずかしいのです……でも、嬉しいのです」

 これから先も彼女は自分の実力を驕ることは決してないだろう。

 そして、その純粋さを失うことも、まっすぐな気持ちを忘れることも、この戦いに疑問を抱かなくなることも、きっとない。彼女は問い続ける。自分の意味を。

 それこそが、彼女をただの駆逐艦という枠に縛られない、最高の艦にしていく。

 この戦いを生き抜く最高の駆逐艦に。 

「ですが、後は私がやります。電さんは少し距離を取っていてください」 

「で、でも、それだと、翔鶴さんが電の囮になってしまうのです……」

「大丈夫ですよ。囮には慣れてますし……それにもう終わらせるつもりですから」

 そう言って微笑んだ翔鶴がちらりと装甲空母姫を見た瞬間、電の背筋に冷たい汗が走った。

 その目に映る彼女の横顔はいつに変わらず美しい。しかし、冷たい。いや、深海棲艦の浮かべる笑みとはまた別だ。

 負の感情が持ちうる冷たさ。

 それとは異なり、今の翔鶴が纏うのは正の感情が放つ極限の冷たさ。

 その冷たさの芯に、いまだに微かな温もりを隠している。

 

 鉄血。

 

 

 空になったはずの矢筒に、カラン、と一本の矢が装填された――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――少しだけ、昔の話をしましょうか?」

 翔鶴はその矢を手に取りながらゆっくりと口を開いた。

「私には尊敬している二人の先輩がいました。その片方は当時の空母機動部隊総旗艦、一航戦《赤城》。私の師であるお方です。私の最期となったその戦いで、赤城さんが私の武運を祈って、一つ航空隊を私に貸してくださりました」

 一航戦、赤城。

 艦娘史について勉強していない者でも、その名を知らぬ者はこの時代にはいない。

 葬り去った深海棲艦は艦娘の中でも頭一つ抜けており、さらに参加した作戦も最多。破壊した敵泊地、陸上基地は数知れず。

 彼女が通った後には、一匹の深海棲艦も存在しない。そう言われたほどの、艦娘史最強の一人。

 その他にも大飯喰らいで三桁くらいの飯屋を潰したとか、こっそりと大衆食堂で食事をしておじさんたちと談笑していただとか、こっそりフードファイターの大会に出ていたとか、何かと都市伝説の多い人ではあるが、後継育成にも尽力し、戦後の復興にも大きく貢献。特に今の軍の体制が平和な時代でも形を成したこと、できる限り穏やかな軍縮を行ったことなど、海軍周りのことについて多大な成果を残している人である。

 何にせよ、艦娘の伝説であった時代に伝説であった存在なのだ。

 

「まあ、知っての通り、借りたまま返すことができなかったんですがね……まだ私の中に残っているとは思いもしませんでした」

 そう言い残すと、翔鶴は電を後方に残して一杯で前へと飛び出した。

 矢を番えて、弦を引き絞り、まっすぐに標的を睨んだ。

 

「もう一度、お力を貸していただけるとは思いもよりませんでいた……ですが、こうして現れてくれたのはそういうことなんですよね?」

 矢に宿る魂に語り掛ける様にやや笑みを浮かべながら翔鶴は呟いた。

 

「ありがとうございます……そして、お願いしますっ!!発艦してください!!!」

 パシュン、と勢いよく矢が放たれて一瞬で遥か遠方まで飛んでいく。

 一気に矢が左右に展開して、光の一つ一つが航空機へと姿を変えていく。勢いよく始動するエンジン。風を切る緑色の翼。

 

 九七式艦上攻撃機の後継機。不具合の多かった《天山》の改良型《天山一二型》。火力、性能については《流星改》にこそ劣るものの、見るべきところは機種ではなく、その尾翼。

 

 記された文字は「EⅠ-301」、意味は「第五航空戦隊翔鶴艦攻隊一番機」。

 胴体後部に識別帯白一本、尾翼に白三本。

 

 

 翔鶴航空隊飛行隊長、その率いる最強の雷撃隊《天山一二型(村田隊)》―――――――

 

 

 その隊長機が率いる五機の攻撃隊は怒涛の勢いで、装甲空母姫へと向かっていった。

 

 零式艦上戦闘機熟練部隊の隊長より艦戦隊全体に指令が伝わった。

 『ブツヲ援護セヨ』と。たった一つの司令で一気に艦戦隊の動きに火が付いた。

 三機一体、編隊を組み確実に敵機を撃ち落としていく。

 

 装甲空母姫の方にも動きに変化があった。異様な気配を撒き散らしながらこちらに迫ってくるあの雷撃隊。

 あれを撃ち落とせ。そう砲塔を動かした一瞬の隙を、重い荷物を背負って逃げ延びていた《流星改》の爆撃隊は見逃さなかった。

 三機が急降下爆撃を仕掛けて、爆弾の投下に成功。砲塔に命中し、炸裂。左舷側の砲塔全てを破壊に成功する。

 しかし、対空砲台の放った砲撃が離脱する爆撃機を撃ち抜いた。直掩機を回していたために、満足な状況での離脱が不可能だった。

 火の玉になって、海面に叩きつけられる艦載機たち。それでも与えた損害は十分すぎるほどに大きかった。

 

 隊長機より周囲の雷撃機に「もっと高度を落とせ」と手で指示が行く。ただでさえ低空を飛んでいるのに、さらに高度を落としていった。

 海面すれすれを飛ぶ五機の雷撃機が完全に雷撃有効射程範囲へと入る。やや散開し、広がって五方向から航空魚雷が投下された。

 

 回避しようとした装甲空母姫の意識の隙を突き、さらに《流星改》と《零戦二一型》が機銃による攻撃を仕掛けて逃げ場を失くしていく。

 

 そして、逃げ場を失った装甲空母姫の脇腹を抉る様に、翔鶴航空隊の総力を賭けた魚雷が突き刺さり、その船底を吹き飛ばした。

 機関部、弾薬庫、側部装甲、全てに魚雷がめり込んでいくのを確認し、全機がその場を離脱。

 直後、全ての魚雷が炸裂し、周囲の海水を蒸発させるほどの爆発が起こった。

 

 

 

「や、やった……やったのです!!電たちが勝ったのです!!」

「ふぅ……皆さんのお陰ですね。すべての艦載機のみなさんのお陰です。そして、電さんあなたのお陰です。」

「電は……何もしてないのです。ただ、そうですね……」

 沈みゆく強敵の姿を遥か彼方に臨みながら、少しだけ悲し気な笑みを浮かべた。

「これが、この場所で沈めた命が、いつか報われるのならば、電はここにいてよかったと思うのです。その祈りさえ沈みゆく方々に届けることができるのならば」

「……そうですね。きっと次生まれてくるときは素敵な世界になっているはずですよ。電さんが望む未来なのですから」

 

 海上に登る大きな爆炎。それの行く先にある暗雲を見上げながら、翔鶴は飛行甲板を水平に構えた。

 次々とボロボロの機体たちが戻ってきて、矢へと姿を変えていく。

 本当によく戦ってくれた。自分にできることは彼らの帰る場所となることそれだけなのに、本当に頑張ってくれた。彼らがいてこその航空母艦なのだ。そして、電のような駆逐艦や多くの艦娘たちがいるからこその私なのだと。

 今になって再び強く思った。この新しい時代で。変わることのない想いを。

 

「電さん、一つお願いしてもいいですか?」

「はい?なんですか?」

「着艦作業にはしばらく時間がかかります。その間―――――」

 翔鶴は海面に目を向ける。浮き輪に掴まって、ぷかぷかと浮かぶ小さな者たちがたくさん。

 

「トンボ釣りをお願いします」

 みんなで帰るのだ。誰かが待つ、帰るべき場所へ。

 

 

 

 

   *

 

 

 

「おかえり。俺、待つ、イナズマ、ショウカク」

「はい。ただいまなのです!」

「ただいま帰投しました。電さんお疲れ様でした」

「……勝つ?」

「大勝利なのです!翔鶴さんの大活躍なのです!」

「ショウカク、すごい」

「凄いのです!!翔鶴さんはとても凄いのです!!」

「ちょ、ちょっと電さん!!私はそんなに……お気持ちは受け取ります。ですが、電さんは自分の成果も素直に認めてみてはいいんじゃないですか?戦艦タ級flagshipとの一騎打ち、見事でしたよ」

「あー、そうですね……電も頑張ったのです!」

「イナズマ、がんばる、すごい」

 そう言うと、青年は手に持っていたバケツの中身を再び、電の頭から浴びせた。

「はにゃあああああああああああ!!!!」

 再び訪れた突然お出来事に、当然のように悲鳴が上がる。

 だが、その驚きの甲斐あって、傷ついた電の身体は元通りになっていき、傷は全て癒えていった。

「それは……高速修復材ですか?」

「……?」

「これの名前はそういうものなのですか?」

「あら?今の時代には存在しないんですか?」

「電のいた鎮守府では見たことがないのです。でも、名前は聞いたことがあるのです」

「まあ、希少価値の高いものですからね……ですが、どこから」

 青年は肩をぴくりと跳ねさせて、振り返ると二人を手招きした。

 一度互いの顔を見合って首を傾げた電と翔鶴。とりあえず、艤装を下ろすことなく、そのまま砂浜を歩いていこうとした。

「これ」

 そう言って青年が二人に手渡したのは、片方に板切れの付いた蔦であった。

「え、えーっと……」

 困惑の表情を浮かべる翔鶴に、青年は真顔で、

「海、行く」

 そう言った。これには電も思わず、

「えぇ……」

 少し驚くような、それはないだろ、というような表情で声を漏らしていた。

 

 

 だが、本当に海で行けばすぐの場所だったのだ。

 と、言っても、青年は板切れにしがみついている状態であったので、そこまで速度は出せないのだが、先の見えない密林の中を進むよりかははるかに速いだろう。

「あれ」

「あっ、ここは……」

 そこは電が見つけたコンクリートでカモフラージュされた岩壁だった。

「コンクリート、ですね。では、ここは……電さんお願いできますか?」

「はい、なのです!電の、本気を、見るのです!!」

 駆逐艦の主砲が火を噴いて、コンクリートの壁に命中する。白い砂煙が上がるが、風でそれが晴れていくと少し削れたくらいで穴は開いていない。

「なかなか分厚いみたいですね……」

「うーん……じゃあ、やり方を変えてみるのです」

 そう言うと電は岩壁に接近していき、魚雷管に装填していなかった予備の魚雷二本を手に取った。

 ある駆逐艦から教えてもらった方法なのだが、魚雷はやろうと思えば手動で時間まで指定、時には方角も指定して、起爆させることができるものらしい。流石に戦闘中には行えるようなものじゃないが。

 岩壁の高いところに一箇所、低いところに一箇所。蔦が生い茂っていたため、その一部を利用して、器用に巻き付けて、時間をほぼ同じになる様にセット。

 

 その場を全速で離脱して、翔鶴の場所に戻ると、ちょうどその頃にセットした魚雷が炸裂した。

 

 大量の白い煙が立ち登り、その奥からガラガラと瓦礫が次々と崩れ落ちていくような音がしていた。

 そして、煙が晴れるとそこには五メートル弱四方ほどの巨大な穴がぽっかりと開いており、一気に内部に海水が流れ込んでいっていた。

 電は恐る恐るその内部へと進んでいく。

 なんだか青年を海水に浸けているのが申し訳なった翔鶴は、意外と軽い青年を抱きかかえて(お姫様抱っこ状態)、電の後を追っていった。

 

 暗闇の中でも薄く光る誘導灯が、トンネルの内部に続いていた。それに沿って微速で進んでいく二人。

「翔鶴さん……ここはいったい?」

「分かりません。ですが、こういう通路は大体の場合……」

 

 そして、急に視界が開けて、巨大な暗闇の広がる空間が現れた。

「く、暗くてよく分かりませんね……」

「……照明弾があるのです」 

「流石に室内と思われるここでそれはやめた方がいいと思うます」

「……なのです」

 だが、その奥の方までしばらく水の張った場所は続いているらしかった。深さもそれなりにある。

 天井の高さも結構あり、無音の空間はまるでこの暗闇が無限に続いているのではないかと錯覚させる。

 

 かつん、と爪先が何かに触れた。

 電は恐る恐る足元を見ると、そこには境界線があった。水と、コンクリートの陸地の。

「翔鶴さん、ここから先は歩いて行けるみたいです」

「では、ここから上陸しましょう」

 そう言って、二人は上陸し、青年をゆっくりと地面に立たせると、彼は徐に辺りを見渡して、

「こっち」

と言ってひとりでに歩き始めたのだった。

「隊長さん、この暗闇の中で歩き回るのは……」

「イナズマ、こっち。道、ある、俺、見る」

「……あの方には見えているのでしょうか?この暗闇の中で」

「わ、分からないのです……でも、着いていくしかないのです」

 青年の背中を追い、暗闇の中を進んでいくうちに徐々に二人の目も慣れてきた。

 だが、クモの巣やネズミとコウモリの死骸で彼女たちが悲鳴を上げたのは数え切れなかった。

 

 その後、いくつか扉を開けて、階段らしきものを上って、ようやく光のある場所に着いたと思えば、闇に慣れ過ぎたせいで光を受け付けることができず。ただ陸地を進んでいるだけなのに、どうしてこれほどに疲れているのだろうか、と二人は疑問に思った。

 

 スライド式の鉄の扉が開いて、彼女たちは建物の外に出ると、そこに広がっていたのは驚くべき光景だった。

 

 木造の横長い学校の教室のような場所がある建物。

 赤いトタン造りのプレハブのような建物。

 彼らが出てきたコンクリートの壁の建物。

 

 そして、中央奥に巨大な岸壁を背に位置するレンガ造りの大きな建物。

 

「こ、ここは……」

「鎮守府……いえ、泊地と呼ぶのが良いのでしょうか?」

「ハクチ?」

「え、えーっと……どうやってここに……えっ?」

 翔鶴が思わず言葉を止めたのは、自分たちがやって来た道、つまりこのコンクリート造りの建物の内部から小人たちが駆けて飛び出していったのだ。

「よ、妖精さんなのです……あっ」

 その妖精はいつの間にか青年の肩にも乗っていた。

 それだけじゃない。木造の建物の中にも、赤いトタン造りの建物の中にも、レンガ造りの建物の壁をよじ登っている者も、多くの妖精たちがあちらこちらに存在していた。

 青年にとっては、面白いものを見つけた、程度のものであって、翔鶴を見つけた時に同じものがいたからきっと喜ぶと思って二人を連れてきた訳であったのだが。

 

 

「「えぇ~~~~~~~~!!!!!!」」

 

 島全土に響き渡るくらいの驚愕の声が二人の口から吐きだされた。

 無人島と思っていたこの場所に、こんなにたくさんの妖精がいれば、まあ当然の結果ではあったのだが……。

 

 

 

   *

 

 

 一日の残った時間で三人は探索を始めた。

 その結果、木造の建物は宿舎(もしくは会議や勉強を行う場所)。

 赤いトタン造りのプレハブのような建物は、資材庫。

 コンクリート造りの建物は工廠で、地下にあったのがドック。

 赤いレンガ造りの建物が、本部のような場所であるらしい。

 

 驚いたことに、この場所。鎮守府として十分に運用可能な場所である。

 工廠の方に行って妖精たちに訊いてみたところ、建造さえ行える設備が整っているらしい。入渠ドックこそ二つしかないが。

 資材庫の方だが、妖精の力も借りて調べてみたところ、各資源、艦娘史における各資材の基準単位に沿って表すとちょうど三万ずつ程。残りは劣化が激しくてとても使用できる状態ではなかったが、妖精に訊いてみたところその鋼材等で建物の補強や修繕を行ってくれるらしい。燃料に関しては蒸留して別のものに使えるかどうか試すとも言ってくれた。

 艦隊運営となると心許ないが、ここにいる艦娘はたったの二人である。

 恐らく当分の間は十分だ。

 本部の方に行ってみると、大きく分けて部屋が五つほど。 

 執務室、通信室、資料室、医務室、そして酒保。

 三階建てなので結構広い。しかし、例に漏れず劣化とネズミが酷い。

 木造の建物だが、床がかなり腐っているうえに一部野生に帰っていた。

 

 だが、一番驚いたのは、宿舎裏の広場だ。

 

 畑があった。井戸があった。自給自足可能である。

 

 

 

 

 

 な ん だ こ こ は。

 

 

 

 

 

 唯一掃除した一部屋の椅子に腰を下ろし、机に肘をついて両手を組んだ状態で項垂れて二人は心中そう叫び続けていた。

 畑の方に関しては、結構荒れてはいるが、土壌に関しては問題なさそうだ。

 井戸の方はまた妖精たちが水質の調査を行ってくれるそうなので。

 

 

 にしても、妖精が万能すぎる。

 普通妖精と言ったら、装備妖精、工廠妖精などなのだが、ここにいる妖精たちはオールマイティだ。というか、職の幅が広い?というべきだろうか。

 まるで、ここがいつの日か大規模作戦の泊地となるために、その時やってきた艦娘たちの面倒を見るために、あえていろんな妖精たちを置いておくことで作戦の円滑な進行を送るため、つまりいずれここに艦娘たちが訪れることを見通していたかのような場所だと思いながら、それが確信なのだと自己完結してしまって机に二人は突っ伏した。

 

「……翔鶴さん」

「何ですか?私今とても疲れていて」

「……こんなこと言うのもなんですけど……無理して本土に急いで戻るよりかこっちである程度安定した生活を確保して戻る方がいいんじゃないですか?」

「……それだけは言わないで欲しかったのですが」

 

 住める。

 

 二人の中で生まれた確信だった。

 

「とにかく今日は戦闘で疲れ切っていますし、できる範囲で掃除をして、後は明日考えることにしましょう」

「そうですね。頑張るのです」

「あの方には……」

 窓の外で妖精たちをしきりに観察している。なんか楽しそうだ。

 放っておこう。言わずとも二人の中でそう決まった。

 

 

 その後、適当な時間に一度拠点に戻り、そこに置いていた荷物全てをこちらに移し、地下にあった自家発電機を動かし、電力を確保し、それなりの食料を掻き集めて、二人は入渠ドックに入って、そのまま寝床もないので適当な場所で横になって就寝した。

 余談だが、酒保に行ってみたが、一〇〇年も保つ食料などあるはずもなく、ほとんど廃棄かと諦めていたところ、未開封のワインが転がっていた。

 一〇〇年もここにあったんだからきっといい感じに熟成されているはずなのです!!年代物なのです!!

 長い間保管されているほどに熟成されると思っていた電は喜んでそれを翔鶴のところにもっていったが、彼女は首を横に振った。

「南国と思われるこの場所でワインセラーでもない場所に転がっていたものは、ただの毒物です」

 窓から放り投げた。以上である。

 

 

 

 

 望もうが望むまいが朝というものは夜が終わった後に新しい日と一緒に訪れるものだ。

 それが日本より若干遅く感じるのはここが日本じゃないからだ。

 結構暗い空だが、いつも通り起きてしまう電は、軽く伸びをして固い床の上で寝転がっていた身体を解す。

 昨日は入渠できたため疲れはあまり残っていないが、やはり寝違える。

 ボロボロになった服はすぐに妖精たちに新調してもらったのだが、すでに結構埃まみれだ。昨日はここを大掃除並みに掃除したのだから仕方ない。

 とりあえず、外に出たのだが、驚くことにボロボロだった建物が結構綺麗になっていた。徹夜で妖精たちが頑張ってくれたのだろうか?そう言えば、彼女たちは甘いものが好きだとか資料で読んだことがある。正直妖精という存在を上手く理解できないのだが、まあ果物でもあげることにしよう。

 

 工廠の扉が少し開いていたので覗いてみると、青年はそこで眠っていた。

 電の艤装、翔鶴の艤装、翔鶴の航空隊の艦載機がずらりと並べられていて、どれもが新品同然にぴかぴかだった。

 起こさないようにそーっと工廠の中に足を進めていった電は、ふと青年の側に書かれてあった数字の羅列に目が行った。

 電にはよく理解できなかったのだが、何かの数式のようにも思える。

 ここに元々残っていたものだろうか?それとも、青年が書いた……いや、彼がこんなことできるはずがない。

 しかし、彼の側に転がっているのは、大量の大きな紙。巻き癖のついているものが多く丸まってしまっていた。電はその一つを手に取ると、そーーっと開いてみた。

「……『天文学的観点から考察するFGF形成の可能性分布及び投入資材の割合による関係性より導出された波動関数の収束に関する報告書』?訳が分からないのです……」

 とりあえず、かるーく目を通してみたが、どうやらこれは艦娘に関連するものらしいのだが、根本的な理論は理解できなかった。どこからこんなもの引っ張り出したのやら。

 25013020030……この数字にも何か意味があるのだろうか?起きたら訊くことにしよう。

 

 宿舎の方に戻ると、目を擦りながら欠伸をしている翔鶴を目撃した。

 電の存在に気付き、慌てて誤魔化していたが完全に手遅れである。

「おはようございますなのです。今日はどうしますか?」

「おはようございます。そうですね……一応私は偵察機を飛ばしてみます。ですが、昨日あれほどの艦隊を叩いたのですから当分敵襲はないと思われますし……」

「じゃあ、今日もお掃除なのです!」

「では、今日はとりあえず執務室の整理から始めて本部を中心にやっていきましょう。終わったら、畑の方にでも行ってみましょうか?」

 そう言って、電は箒と雑巾を取ってきて翔鶴と二人で簡単な執務室の掃除を行った。

 少し空が白み始めた頃に翔鶴は一度工廠に向かい、青年を起こさないように艤装を妖精に取り付けてもらい、地下の出撃ドックから海へと飛び出していった。

 

「あら?」

 ちょうど日の出間近となった空を見て、翔鶴の表情に笑みが浮かんだ。

「……よかったですね。今日はとてもいい天気です」 

 水平線から日が昇る。海の裾が白く輝いて、鮮やかな空の色を映す大海の波に光が反射して白く輝いてさざめいていた。

 新しい朝が訪れる。

 それは一人の青年の待ち焦がれた夢の景色を乗せて。

 

「隊長さん!!こっちに来るのです!!」

 細い腕を引きながら電は出撃ドックに青年を引っ張り出すと、曳航策を取り付けた小さなボートに彼を乗せて出撃レーンから海へと飛び出した。

「イナズマ、なに?」

「おはようございます」 

 その先では艤装を取り付けて二人を待っていた翔鶴の姿があった。

 寝ぼけた目を擦りながら、青年は二人を見て何事かというような顔をしていた。

「隊長さんの夢は何でしたか?」

「夢……?空、色、知る」

「ほら、見てください!とてもきれいな青空と青い海ですよ!!」

 二人が指し示す正面に広がる雲一つない澄み切った青空。

 昨日までの曇天の影さえ見せないその青いキャンパスの下に広がるのは、澄み切った美しい青に染まる広い海。

 目覚めたばかりの朝日がその全てを明るく照らして、輝かせていた。

 

 ボートの上で揺れる青年はその眼をじーっと二人の指し示す広い空間に向けていた。

 その表情はまるで何もかも忘れ去っているかのようなもので、真っ白に何も考えていないような表情をしていた。

 

 まさに、今彼が望んでいた光景が目の前にあるのだ。

 その命を賭けて国を飛び出し、いつも空を覆っていた化学物質の雲や煙のない自由な空の色が知りたくて。

 色彩のない町から、世界から抜け出したくて、必死にもがいて惨めに生きてきた。

 夢が叶ったのだ。彼を人間たらしめた存在が今、目の前に広がっており、まさに彼の魂は今一番激しく燃え上がっているのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 と、言うのが二人の予想だった。

 

「……イナズマ、これ、何?」

「えっ?」

 青年の口から飛び出した言葉は電の予想を外れたものだった。その声色も表情も、何もかもが、とても夢を叶えた人間のものとは思えない。 

「何、俺、ここ、ある、理由?」

「ど、どうしたんですか、隊長さん……?今、空の色、見えてるじゃないですか?」

「色……?空……?」

 青年は首を横に傾げて、何度か目を擦って空に目を向けていたが……

 また少し首を傾げて不思議そうに空を見つめていた。

 

 

 

「同じ、色、昨日、空」

 青年の口から零れ出した言葉はとても悲しい現実であった。

「国、見る、同じ、色、変化、ない」

 二人は呆然としたまま、彼の身に起こっていることを理解できずにいた。

 

「理由、何?」

「隊長さん……えーっと、この色!翔鶴さんのこの部分の色と……電の髪の色はどう見えますか?」

 翔鶴の袴の赤と、電の茶髪。明確にその二つの色は違う。

 

「似る、二つ、同じ」

「じゃ、じゃあ、翔鶴さんのこの色とこの色は……」

 今度は翔鶴の袴の赤と、その下の脚部の艤装の黒い鋼の色。

「同じ、少し、違う、似る」

「……電たちの肌の色と、空の色は似てますか?」

 青年はその問いかけにも首を縦に振った。

 

 

 二人はこのとき悟ったのだった。

 

 この青年の世界からは既に―――色が失われているのだと。

 

 

 

 

   

 




いやぁ、申し訳ないです。結構、長くなりました。
くぅ~疲、を使っていいと思うほどに無駄に駄文を連ねていったと思います。

書く前にはいろんな伏線を張ろうとか頑張ってみましたが、結局張れたのか、張ったはいいが回収できていたのか。そもそも、伏線の話とかしちゃっていいのか。

本当はもっと長いです。僕個人としては10000字前後で一話一話区切っていきたいので途中から区切って、まるごとエピローグにぶちこみました。で、エピローグに書こうと思っていたものを投げました。

次回、第三章最終話です。とか言いながら、ほぼ同じ時間に投稿してるんですけどね。


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翔跡を征く者 - EPILOGUE -

後日譚です。短いです


 人の目が捉えることができる色というのは幅があるのです。

 赤から紫。よく虹色で表現されるあの七色が人の目が捉えることができる色なのです。

 特に、人の目は太陽の光の下で進化を続けてきた生物なので、緑色をよく捉える様にできているというのも、光の波長から考えられたりしています。

 

 ですが、それは全ての人がそうとは限らないのです。

 そもそも、色というものは光と反射と吸収、透過の度合。ものに当たった光がものにどれだけ吸収され、どれだけ反射され、どれだけ透過されるか。色相、濃さ、透明感、そういうものなのであって、それはその全ての色を明確に把握できる人たちによって考え出された色に過ぎないのです。

 そういう目を持つことができない、不幸にも、そのように生まれてきてしまった人たちがいる。

 そういう体質を色盲や色弱と呼んだりします。

 ですが、勘違いなさらないで欲しいのですが、白黒に見えたりするわけじゃないのです。特定の色が区別しづらかったり、別の色に見えてしまったりする。こういう人たちの世界にはまだ色が残っているのです。それでも、生活に苦労することはあると思いますが。

 

 隊長さんの目は、その色さえも完全に失われていました。あるのは濃さによる識別能力くらいなのです。

 色盲の方でも見える人が多いはずの青や緑などの色も全く区別ができなくなっていました。

 

 一度、身の回りのことが落ち着いて、隊長さんの生まれた国について話を聞くことができたのです。

 隊長さんは幼い頃から、汚染された土壌や風雨に晒され続けていたみたいなのです。

 普通なら、目に化学物質が入れば、視力の低下。失明などを引き起こします。

 ですが、神様の悪戯でしょうか?

 隊長さんは、色だけを奪われてしまったそうなのです。

 

 

 正直、電たちにはどうしようもないのです。

 電もそう言うことがあると知っているだけで、治療法などは知りませんし、どういう化学物質がどのように作用してこうなったのか皆目見当もつかないのです。

 

 それはあまりにも酷すぎるのです。

 隊長さんの夢は永久に叶うことがありません。

 ただ、少し白い空と黒い空を区別することしかできず、ただのモノクロの世界の中で生きていくしかないのです。鮮やかさも輝きも何もない。色彩を失った世界なんて電には想像ができなかったのです。

 

 しかし、その話を聞いた翔鶴さんがある話をしてくれました。

 それは艦娘史に名を残すとある戦艦の話でした。

 彼女は艦娘として珍しく、建造されたその瞬間から、盲目だったそうです。前世の記憶を強く引き継ぎたせいだと翔鶴さんは言っていましたが、そんなことあるんでしょうか?電には予想できないのです。

 ですが、その名前は艦娘史に幾度となく現れては、仲間たちの前に立ちその勇壮たる背中に艦娘たちを率いる姿は、全ての艦娘たちの憧れであったと言われていますし、一般の方々にもかなりのファンがいたと言われています。現在でも根強い人気が残っている方です。

 彼女の目は見えていた、とのことです。

 艦娘の中には、妖精の謎技術を上手く利用して、装備の強化、改修を行う特殊な方がおられたそうなのです。その方は、装備の回収だけではなく、艦娘の新たな艤装の開発、大戦中期に現れた《試製型》と呼ばれる多くの装備の開発に携わっていたそうなのです。

 そんな彼女がその戦艦娘の為にオーダーメイドで開発したものが、《義眼》。

 終戦まで、彼女の活躍を支え続けてきた開発費は戦艦一隻建造するほどかかった常識外れの一級品だったそうなのです。

 

 それが人間にでも応用できる技術がこの一〇〇年で生まれているのならば。

 妖精も艦娘もまだ存在しているこの時代ならば。

 まだ、その天才の意志を受け継ぐ者がこの時代にいるのならば。

 

 

 

 まだ、希望は残っている。

 

 

 

    *

 

 

 

 夢が永久に叶わない。

 私は少しだけ安心しました。これは二人には絶対に話せません。

 あの方は夢を叶えれば行き場も、生きる意味も見失っていたでしょう。

 ですが、夢が叶わない。それでも夢を追い続けようとするその意志は、あの方に生きる意味を、気力を与え続けてくれる。

 

 あの方は、まだ生きることができます。人間として、その生を全うすることができます。

 

 ふと、いつの日か気になっていたことを思い出しました。

 あの方はこの空の色を知った後はどうするつもりなのか。

 今こそ、激しく燃えている彼の命だが、夢を掴めば燃え尽きてしまうのではないか。

 生きる意味を、人としての価値を、ひたすらに追い求める。だが、その答えを掴んだ後に道が続いていなければ、その先にあるのは崖なのだ。

 彼にはその道も、その崖から飛び立つための翼もない。

 

 だから、私たちが彼の翼になることにしました。

 ただ、ここで何もせずに待っているだけでは、あの方とて退屈でしょう。

 このことをお二人に話した時、電さんは「良いと思うのです!」と、あの方は小さく首を縦に振りました。そして「ヨロシク」と。

 

 まずは言葉を教えることから始まりました。

 日本語をせっかく知っておられたので、その正しい発音と文法。私と電さんの交代で少しずつ教えていきましたが、一週間ほどで日常会話を行える程度にまで上達しました。とても呑み込みが早いのです。これには私たちも驚き、少しだけ会話が増えて人数こそ少ないですが賑わうようになりました。

 次に文字の書き方、ペンの使い方、箸の使い方、匙の使い方、ナイフとフォークの使い方、食事の仕方、挨拶の仕方、時間という概念、時計というもの、方角というもの、天気や気温、湿度、ありとあらゆるものを教えていき、一か月ほどたった頃には既に艦娘という存在についてその原理や概念などについても理解するようになっていました。

 

 まともな人間というのは語弊のように思われますが、少なくとも彼が自分を人間として思っていなかったあの時代に比べて、彼はまともに人間らしくなっていきました。

 

 入浴や着替え、そう言ったものも学んでいき、乱雑に伸びた髪を電さんと二人で整えていた時には、少し悩みながら、笑いながら、遊びながら、最終的には短めに、さっぱりとした好青年という仕上がりになりました。

 

 そして、一か月半。

 この泊地に残されていた一着の白い制服。第二種軍装。誰かが置き忘れたものであるはずではないので、殉職した誰かのものか。

 穴や解れを繕い、丈を合わせて、彼に与えました。

 

「じゃあ、これからもよろしく頼みます」

 執務室の椅子に腰を下ろし、彼は私たちに微笑みながらそう語り掛けます。

「はい!よろしくおねがいしますなのです!司令官さん!」

「これからもよろしくお願いしますね、提督」

 

 新たな提督が生まれました。形だけ。

 というのも、少しの遊び心のようなものでした。私にとっての提督は一〇〇年前のあの方であることに変わりはありません。

 ですが、今私がここで何をやるべきか。いつか国に帰るために何をすべきか。

 そして、この方々のためにいったい何ができるのか。

 考えた結果の事でした。我ながら少しばかり愚かなことをしたかもしれませんが後悔はありません。

 

 生まれや身分などに捉われていれば、海より生まれた私たちは何か、という問題になります。ただの兵器か。心を持ちながら動くただの機械か。使い捨ての道具か。

 

 はっきりと、否、と答えてくれた方もいます。

 私も今は否定することができます。伝統を重んじることばかりが先に進む手段じゃありません。

 人の身体を手に入れた私たちの存在意義は、過去に縛られない、そのことにあるのではないでしょうか?その前に進み続ける歩みこそが、私たち人間の「可能性」というものなのだと。

 

 

 また、今日も私は弓を引きます。

 空に向かってあの子たちを放ち、この空を守ります。

 いつか、還る日まで。いつか、彼にこの空の色をお見せすることが叶う日まで。

 

 私は彼の美しき銀翼で在り続けましょう。

 

 

 

   *

 

 

 

 黒い海を見たのはあの日が最後だった。

 俺の目が色を捉えることができないと知ったあの日だったが、あの日の海の色は黒くはなかった。白く澄み渡っていたように思えた。

 いったい、どういうことなのか島の周辺に魚なども現れるようになった。

 あの黒い海は『浸蝕域』と呼ばれ、『深海棲艦』というあの黒い異形が原因で発生する現象らしいが、それがどのように生態系に影響しているのか。そもそも、魚一匹存在しなかった海に突然魚が戻ってくるだろうか?

 まるで、不思議な空間に閉じ込められてしまっていたかのような。時間が止まっていたかのような、不思議な体験だった。

 

 あの日から、多くのことを学んだ。

 電も翔鶴も、俺に外の世界の多くのことを教えてくれた。

 それと妖精とか言うあの小さな者たちは、俺のことが気に入っているのかよく俺の周りに集まってくる。

 言葉による意思の疎通はできないのだが、不思議と何を言っているか分かるのだ。そして、彼らが集まってくるときにはいつも俺は工廠へと向かう。

 少しずつ理解できていったこの理論だが、最終的には彼女たちの誕生に大きく影響する不思議なものだった。それがこうやって形式化されているのだから先人たちは凄まじい頭脳を持っていたのだろう。

 人だけでなく、この地球で生まれた生物の多くは、潮の満ち引きに大きく影響を受けるという経験則から発展した理論。与えられた波動関数の解を求めていき、最後にパラメータ表と照らし合わせていった結果得られるのは、四種類の数字と、時間的周期なのだ。

 

 かつて、艦娘の建造というものは儀式的なものだったらしい。降霊術という似たようなものがあるが、それと根本的に、いや科学的に違うものがある。

 

 何はともあれ、建造ドックを動かしたのだ。得られた結果をもとに。

 妖精たちが俺を呼びに来たということは、結果が出たということなのだろう。 

 

 

「あっ、司令官さん」

「提督、お待ちしておりました」

 建造ドックの前では二人の仲間が俺を待っていてくれた。

 新たな道を俺に示してくれた二人だ。今ではこの寂れた場所で共に生活する家族のような存在だろうか?

 

「どんな感じですか?」

「建造が終了したみたいなのです。新しいお仲間が着任したのです!!」

「えぇ、成功ですよ……しかし、自分で建造を行ってしまうのですね……」

「まあ、得られた結果ですし、自分で試してみたくはなりますよ……さぁ、迎えに行きましょう」

 

 

 神というものはきっと存在するのだろう。

 神は俺たちの生きる道を全て用意している。この世界が上手く回る様に。

 それは、命がいつ死に、いつ生まれるのか。明確に決まっている。

 だからこそ、この世界に存在するすべての死に理不尽さなど存在しない。死ぬべくして死ぬのだと、生きるべくして生きるのだと。

 唯一、俺たちに与えられたものは考える頭と、夢を抱く心、そしてその夢の為に生きようとする意志。

 その意志がその命に価値を与え、人間を人間たらしめる魂を輝かせる。

 

 いつ死ぬか。どうやって死ぬか。そんなものどうだっていい。関係ない。

 

 死ぬまでに何をし、何ができ、何を遺すのか。

 人生とはそれに尽きる。生きた価値とはそれに尽きる。

 

 だからこそ、俺は必ずこの目にその色を焼き付けて見せる。

 それこそがあの大空を翔ける夢という俺の人生に価値を与えた、ただ一つの翔跡(みち)なのだから。

 

「新造艦が完成しました」

 

 俺には、その道を翔けていく二枚の翼があるのだから――――――

 

 

 

 

 

 

 

 




毎度恒例反省会。
反省:短くするとか言ってたのに長くなった。
   電が暴走している。
  
翔鶴について書いてると、提督や瑞鶴がいないといまいち難しいということが分かりました。不思議ですね。でも、どういうキャラなのかと考えるにあたって、一度彼女について考えるいい機会になったと思います。

「いや、待て。どうしてそうなった?」と思われる方。これが私クオリティです。

さて、ズルズルと書き連ねていきましたが、なんとなく全体の流れというものの構想が出来上がって来ました。つまり、終わりが見えてきたということですね。まだ、全然終わりませんけど。

と思って、構想案見てみたら、最終章まであと四章近くあるんだなこれが。
どんだけ書くつもりだよ…

次章は二話から三話程度で、各鎮守府の様子を送っていきたいと思います。結構艦娘増える予定なので、まぁご期待ください。
私に書けるのでしたら、ほのぼのになります。
私にほのぼのを翔ける技術があるのならば。 

あっ、嘘です。若干シリアス入れます。

はい、以上です。
目を通していただき、ありがとうございます。
またぼちぼち投稿していくのでよろしくお願いしますm(_ _)m





以下雑談です
「なぜか続きをどうするか考えてたら、全く別の作品が出来上がった」
「んで、その作品を考えてたら、なんかやけにグロテスクになった」
「ブラックだなって我ながら思いながら、すごく筆が進むので困る」
「とりあえず、簡単な流れが出来上がった」

「あれ?これ艦これでやる必要あったかな?」←今ここ


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第四章 「時代を紡ぐ日々に贈る旗」
横須賀にて ‐PROLOGUE‐


すみません。別作品書いてたらこっちの投稿が遅れました。

では、第四章。始めていこうと思いますのでよろしくお願いします。


 水煙の立つ海上、東京湾沖合。

 風は弱く、波は低い。空は快晴。気温は温暖。

 やや湿った気候なのはこの国特有の温暖湿潤気候。

 あまり高くない気温でもジメッとした空気が変え身体にまとわりついて、火照った全身から汗を噴かせる。

 

 顎のラインに沿って伝っていく雫を右手で拭う。

 宙を舞う飛沫がパラパラと海面を叩いて波紋を広げる。

 

 ガシャン。

 重々しい金属音の割りには非常にコンパクトに収まった鉄の機甲。

 くるりと回転し、空いた四つの筒のような機構に銀色の棒が装填されていく。

 左手に握る兵装は『12.7㎝連装砲B型改二』。引いたトリガーは軽く、小さく舌打ちしながら、主砲内の機構を動かして次発装填を行っていく。

 その間、身体は両舷第一戦速。戦場では随分と遅い船速だが、彼女は敢えてこの速度で航行することを選んだ。

 

 

 周囲に目を凝らす。奇襲を受け、殿を受け持った。その時に左舷より被雷。仲間から切り離され孤立。集中攻撃を受けたが、奇跡的に命中弾は0。結果、周囲の海水が一気に爆散し、水煙が視界を悪くしている。

 こんな状況下で高鳴る鼓動を抑えられずに少女は少しだけ困惑しながらも、今はその衝動に身を任せようと、身体を動かした。

 面舵を切り、両舷全速。

 海上を突っ切り、一気に視界が開けた先で待ち構えていた一人の少女。

 

 あぁ、まるで別人だ。

 半年ぶりに対面した彼女の姿を見て、少女は不敵な笑みを浮かべながら主砲を掲げる。

 照準はまっすぐに目の前の少女に合わせながら、トリガーを引く。

 次の瞬間、彼女の姿はそこにはなく、大きく同方向に先を行く感じに進んでいった。

 ちらりと、首だけで振り返りこちらを見る。着いてきてみろ。そんな挑発ともとれる仕草に少女はまんまと乗ってやった。どのみち彼女をどうにかしなければ、この戦い、自分たちに戦局が傾くことはない。

 

 同航戦。小口径の砲弾が飛び交いながら、一発も命中することなく、二人の航跡がジグザグに海面に残されていく。

 しかし、それは途端に螺旋を描くようなものに変わる。

 そして、一点で交差する。二人の少女が零距離でぶつかり合う。それは船としてあるべきかつての姿を完全に否定する戦い方であり、不条理とも言える行いであったがそれを可能であり、非常に合理的なものにしてしまうのが彼女たちなのだからその戦い方を否定することは難しい。

 それに彼女たちは貪欲なのだ。

 戦艦や空母に比べれば戦術的価値も火力や耐久といった戦力としての価値も乏しい。

 だからこそ、誰よりも勝利に貪欲で意地汚く泥臭い戦いを好む。それはもはや本能だろう。風吹けば消えそうなほど脆いこの小さな力を必死にこの海に存在証明するために。

 

 

 自分自身の肯定。

 

 

 同時に、今の彼女たちの間にあるものは、相対する者の否定。

 巨大な錨の一撃を両腕で受け止め、直後に至近距離で放たれた主砲による砲撃を身を翻して避けながら、相手を推すことで後方への推進力を得てさらに砲撃を行いそのノックバックで後ろへと距離を開いていく。

 体勢を崩した相手の姿を捉えた瞬間に、間髪置かずに魚雷を全管発射。 

 目に映る彼女は主砲を海面に向けて迎撃しながら、真正面に突っ込んできた魚雷に錨を投げつけた。

 海面が一気に膨らみ爆散。衝撃が海面を走り足の裏から全身を打つ。

 

 荒げた息をゆっくりと整えながら彼女と距離を取っていく。

 

 これでもダメか。

 

 なかなか仕留められない強敵を前にして、少しばかり苛立ちを覚える。

 

『―――吹雪っ、大丈夫なの?被害の方は?』

 

「掠り傷にもならない程度。何とか撒いたから一旦合流するね。こっちからは見えてるから」

 

『えぇ、そうね。体勢を立て直してもう一度、今度はこちらから行くわよ』

 

 

『電さん、大丈夫ですか?』

 

「大丈夫なのです。小破……にもならない程度みたいなので」

 

『すみません。叢雲さんたちがなかなか援護に向かわせてくれなかったもので』

 

「……一度、合流するのです。雪風さん、最後の艦隊戦で決着を付けましょう。吹雪さんは一人で相手するのは少し難しいのです……」

 

 

 海上にあるのは十二の駆逐艦。六対六の駆逐隊による実戦演習。

 その中で偶然発生した一対一の駆逐艦同士の戦闘。

 

 偶然か、はたまた必然か。

 近くて交わることのない二人の思想が、その境界で互いを拒絶し反発する。

 

「……ねえ、叢雲ちゃん?」

 

『どうしたの?』

 

「私っておかしいのかなぁ……?」

 

『……えぇ、おかしいわ。艦娘として歪だもの。でも、私はそんな吹雪でいいと思うわ。退屈しないもの。それにそっちの方があんたらしいわ』

 

「叢雲ちゃんがそう言うならそれでいいや」

 

『……何か言われたの?』

 

「……」

 

 

 

〈―――吹雪さんは何の為に戦うのですか?〉

 

 

 

「……さぁね」

 

『何よそれ?まぁ、今はどうでもいいわ。早く合流して、一気に叩くわよ』

 

「うん!」

 

 きっと揺らぐことはないだろう。それが原動力なのだから捨てることもないだろう。

 ただ、まっすぐ進み続けた先に何かぶつかるものがあるのならば、舵を切る必要がある。この航路が間違っているのならば。

 だが、問題ないはずだ。進路を見てくれる目がある。友が、司令官がいる。

 

 あぁ、それにしても……

 

「……頭が痛くなるなぁ」

 

 艦娘になって半年を既に過ぎた。そろそろ、真面目に慣れてきたと思ったのにここに来て雲がかかる。声が響く。知っているのに、知らないように聞こえる誰かの声が。

 その声が自分を肯定するものなのか、否定するものなのか、曖昧で聞き取れない。それがもやもやして気持ち悪い。

 

 今日も追い風が背中を押す。

 

 

 

   *

 

 

 横須賀鎮守府、艦娘たちの憩いの場所『食事処 間宮』。

 少し前までは普通の食事処として一般公開していたが、半年前に人類の強敵『深海棲艦』が復活してから軍事施設の一部へと変わった。

 しかし、その目的は変わることなく、戦いに疲れ果てた少女たちに「食」を提供し、舌でその疲れを癒してもらうためにある。

 艦娘たちにも恩給が出る。そこから日々の食事配給以外の娯楽や私用に購入する物品などは差し引かれることになっている。

 「人としての姿を持ち、人に代わって深海棲艦との代理戦争を行う」。彼女たちに与えられるものにしては些か貧相なものかもしれないが、少なくとも戦乱期を生きた彼女たちにとっては間宮での甘味はこの上ない至福と言っても過言ではないのだ。

 

 調理場の方で割烹着を身に着けた女性が鼻歌を歌っている。

 その歌に耳を傾けながら、入り口に近いところの、角の席に腰を下ろす二人の少女は久々の再開を祝いながらも、浮かない表情をしていた。

 ソファーにかかるほどの長い青い艶のある髪を持つ少女と、ピンク色の髪をさくらんぼを模した髪留めでツインテールにまとめている少女。

「こちら間宮特製パフェでございます」

 ウェイターの少女が二人の前に大きな器に入った山のような甘味を置いた。

 コーンフレークにバニラアイスをこれでもかと。ウエハースやチョコ菓子などを巻くように置かれた生クリームに差し、更にはみかん、もも、さくらんぼなどが小さく切られて飾ってある。

 手前側に飾ってある可愛らしい錨型のチョコクッキーが少女たちの心をくすぐっていた。

 

 「間宮」と言えば、羊羹。だが、駆逐艦娘たちが簡単に手に入れられるものでもなく、いつの間にか売られていて、いつの間にか売り切れている。

 

 ピンクの二つ結いの少女―――駆逐艦娘《(さざなみ)》は細長い匙を手に取りながら、溜息を吐いた。

「ねえ、サミィ。そっちの提督はどんな感じの人?」

 

 正面に座っていた青色の長い髪の少女―――駆逐艦娘《五月雨(さみだれ)》は顎に人差し指を立てた手を当てながら天井を見て考えていた。

 

「えーっと、と、とても真面目でかっこいい方ですよ。でも、ちょっと目が刃物みたいで怖いかなぁ……そ、それと肩車してもらうと凄く高いんです!」

 ちょっとした事なのに必死に提督の良いところを言おうと頑張ってしまっているその姿が何とも愛らしい。抱きしめたいなぁ、などと思いながら、漣は愚痴を吐いていた。

 

「あぁ……漣もそっちがよかったですわー……おっ、間宮パフェ、ウマーーー!!!」

 匙で掬って少しだけバニラアイスの部分を口に含んだ瞬間、漣は席を立ちあがって叫んだ。

 口の中に広がるまろやかな甘みと鼻の方までじんわりと広がるバニラの香りが下の上で冷たさを広げた瞬間に優しくこの身体に溶けていく。

 疲れなど吹っ飛んでしまうほどのおいしさ。堪らず二口目を掻きこんだ。

 

「アハハハ……な、なんだか大変そうですね?とても素敵そうな女性の方に見えたけど、あっ、本当に美味しいですね……」

 頬に手を当てて、至福の感覚に思わず口角が上がる。

 

 あっという間に半分ほどを食べてしまった、漣はちょっと休憩というように小さく息を吐いた。

「うーん、いつ人体改造されるか分かんねえ恐怖に毎日怯えて過ごすって感じでわかるかなぁ」

 

 ビクンっ、と五月雨の方が跳ねて、表情が苦笑いに変わってしまう。

「……ア、アハハ、変わった方ですね」

 

「ホント、草も生えないわー……あぁ、にしても横須賀に来てよかったわぁ……」

 束の間の、憩いの時間を堪能している二人。

 

 ズガァァアアン!!!!

 

 突然、屋外で響いた轟音に慌てふためいて五月雨は匙を落としてしまった。

「あぁぁぁ!!私ってば、またドジばっかり……」

 

「いや、今のはドジじゃないっしょ。あー、多分またうちの提督が……」

 何事かと窓の外を覗く二人の目の前を白い軍服を着た女性と、深い紫色の少女がすごい勢いで走り抜けていった。

 先を走る女性の顔は、にっこりと笑っているが、それを追う少女は全身の毛を逆立てているかのような気迫を纏って鬼のような形相である。

 

 ミヤコワスレの花に鈴を付けた髪留め。長い髪をやや右寄りの後ろで束ねて、揺れる度にリンリンと鈴が鳴っているがそんな音さえ気にしなくなるほどに彼女は荒れ狂っていた。

 無論、その原因は先を走る女性提督である。

 

「こんのっ!!クソ提督!!また私の艤装を勝手に改造しやがってぇぇぇええ!!」

 まるで親の敵にでも暴言をぶつけるかのように叫ぶ少女―――駆逐艦娘《(あけぼの)》は主砲を片手にして、目の前を走る女性に照準を合わせていた。

 

「ハッハッハ!!でも、駆逐艦で三連装砲だよ?すごくない?ほら、訓練場いってデータ取らなきゃ」

 撃たれれば致命的。しかし、そんなことも気にせずに笑顔のまま走っていく女性提督。

 乱雑に羽織られた上着の下からは蒼色のつなぎが見えている。

 

「データが欲しいなら、アンタを的にしてやるわよ!!逃げるなぁぁぁあああ!!」

 

「あれれー?ぼのたん速力が足りないんじゃないのー?私に追いつけないなんて、これは今度機関部も新調しないとねー」

 

「勝手に改造の予定入れてんじゃないわよ!!止まれぇぇぇぇェええ!!!」

 始終叫びながら駆け抜けていった曙を見慣れた光景のように見送る漣。

 何が起こっているのか分からずに呆然と二人を見送った五月雨。

 

「……毎日あんな感じ」

 

「た、楽しそうですね……」

 漣の言葉に引き攣った笑みを浮かべながらそう答えることしかできなかった五月雨は、腰を下ろしてウェイターの人が替えてくれた新しい匙を手にしてパフェを崩していった。

 

「……騒がしいな」

 

「あっ、提督」

 そんな二人のところに、上背の白制服の男性がやってくる。

 腰の辺りまで伸びた髪を後ろの低い位置で白い帯のようなもので結っている。

 目は細く切れていてまさに刃物のような目つきをしている。

 

 五月雨の提督である男性―――鏡 継矢(かがみ つぎや)大佐は二人の少女を引き連れて間宮に訪れていた。

 

「おっ、サミィのところの提督?一度会ったことあったかなー?」

 

「……あぁ、バk……証篠(あかしの)のところの駆逐艦か」

 

「今、バカって言おうとしましたよね?ねえ?」

 

「提督、どちらにおられたんですか?」

 

「少し横須賀の射場にいた。従妹の腕を確かめようと思ったが……期待外れだった」

 呆れた様な声でそう言った鏡の後ろから、ひょこりと現れた白髪の女性。

 五月雨と漣の顔を見ると、にっこりと笑って小さく頭を下げた。

 

「あら?みなさん、こちらにおられたのですね?」

 その姿を見て相手が何者かを察した二人は反射的に席を立ち、ビシッと姿勢を正した。

 

「わっ、翔鶴さんまで」

 航空母艦《翔鶴》は二人を懐かしむような目で見る。

 かつて見た彼女たちの面影、いや、今の彼女たちには船の記憶として接するのが正しいのか。

 

「お久し振りです、漣さん。それと五月雨さんでしたか?こちらの世界では初めましてですね」

 

「は、はは、初めまして……綺麗な方ですね」

 ぺこりと頭を下げる五月雨が漣にそう耳打ちする。

 

「うん、それにいかにも歴戦って感じの風格だね。まるで何百年も艦娘をやってるみたい」

 

「お食事中でしたらお邪魔して申し訳ありません。あの頃とは違うのですから、そんなに畏まる必要もありませんよ」

 

 駆逐艦に比べて、空母や戦艦と言った存在は並ぶことのできない雲上人のようなものだ。

 提督の扱いを雑にすることがあっても、船の時代から同じ海で戦い抜き、主力としてあり続けた彼女たちに対して、礼を尽くさぬわけにはいかぬと、駆逐艦としての本能が語り掛けてくるのだった。嫌でも背筋が伸びる。

 

「え、えぇっと……じゃあ、失礼します」

 そう言って二人が腰を下ろした直後に、快活な声が翔鶴の後を追って響いた。

 

「継矢にぃ歩くの早いよぉ……うわっ、ここにも駆逐艦がたくさんいるっ!」

 その女性は二人を見てぎょっとした顔で驚いていた。

 

 海軍……の人間ではない。それは一目でわかった。

 制服というか飛行服。深緑色の服を着ている。

 鷲の翼と頭が描かれた腕章と胸章が着けられている。

 その制服の色に溶け込みそうな、深緑の髪。少しボサついているが艶のある夜の水平線の海の色のような色をしている。その髪を二つ結いにして白いリボンで束ねている。

 まだ顔にも声にも幼さの残る少女のような女性。

 

 ふと、目が合った次の瞬間、白い手袋を付けた手が彼女の脳天に急降下。

 手刀が叩き込まれ「痛っ!」と声をあげて涙目になる。

 

「おい、瑞羽(みずは)。お前も軍人なんだ。だらしないことはあまりするな。あと、『鏡大佐』だ、公私混同するな。それと一応、俺はお前よりかは階級上なわけだ。もっと敬意を払え」

 

「私、空の人間だしぃ」

 むすっと頬を膨らませてすねる様にそっぽを向く。

 

 そんな彼女を優しく諭すように翔鶴が歩み寄って、

「所属こそ違いますが、上の方々に敬意を払うのはどの社会でも常識ですよ?それに瑞羽さん、いくら親戚だと言っても公私混同はよくありませんよ。鏡提督も部下の手前で面目がなくなってしまいます」

 

 ちらっと駆逐艦娘二人を見る。翔鶴の眼を追って二人を見ると、彼女もそれ以上何も言えず、

「むぅ……」

 と更にふてくされた。その様子を見て少しだけ翔鶴の顔つきが厳しくなった。

 

 まるで我が子を……いや、妹をしかりつけている姉のようだ。

「それと見て驚くのは失礼です。ちゃんと挨拶もしましょう。それは人としての常識です」

 

「あぁぁ!!もううるさいなぁ!!痛っ!!」

 上から目線の圧迫に耐え切れず声をあげた彼女の脳天に再び手刀が急降下。

 

「はぁ…瑞乃(みずの)がお前の教育が大変だと言ってた理由がはっきりとわかったよ」

 呆れた気持ちを表情だけでなく溜息にして吐き出すと、そのまま奥の方へと歩いていった。

 

「すみません、見苦しい姿をお見せして。失礼しますね」

 翔鶴がそう言い残して、彼女の背中を押して鏡の後を追っていった。

 

 

 嵐とは言わないが、大きな凩が去った後のように静かになった席で、二人は一度顔を見合わせた。

「……なんだか姉妹みたいなお二人ですね」

 

 五月雨のその言葉に漣は驚いて肩を跳ねる。

「えっ、てか姉妹じゃないの?ん?サミィの提督の親族?」

 

「私もよく知りませんけど……翔鶴さんは別の提督の所属の方ですし……一体どういう繋がりなんでしょうか?」

 

「そう言えば、なんか従妹とか言ってたねー」

 

「……姉妹と言えば、漣ちゃんの鎮守府は姉妹艦の方々が揃ってるそうですね?」

 

「あー、うん。駆逐艦なんてたくさんいるのになぜかすぐに揃っちゃってさぁー、まあ、漣としては嬉しいっちゃ嬉しいんだけど、こう新鮮味がないっつーか……」

 

「私のところはまだ全然ですねぇ……夕立姉さんと時雨姉さん、涼風ちゃんは建造されましたが、その後は軽巡や重巡の方ばかりで」

 

「戦力としてはそっちの方がいいじゃん?でも、やっぱ……提督だよなぁ。サミィ、提督だけ交換しない?」

 

「え、えーっと、ダメです」

 

「ちぇー……」

 山盛りのパフェを崩しながらゆっくりと進んでいく時間。

 こうゆっくりとできる時間というものは徐々に激化しつつある戦局の中では、そうありつけないものだった。

 最初の一か月ではあるが、共に過ごした旧友との語らいは短い時間であったが、二人にとってはかけがえのないものであった。

 

 

 そんな二人のところに次の来客が訪れる。

「あっ、漣ちゃんその……演習終わったから次で、準備しないと」

 入口の柱の陰に体半分を隠して、しきりに周囲を怯えるかのように見ている少女。

 肩にかかる黒いストレートヘア。ハの字に折れた眉。ほんのりと赤らんだ頬。優しい顔立ちをしているが、彼女自身は一刻も早くこの場を去りたさそうな表情をしている。

 

 駆逐艦娘《(うしお)》が迎えに来たのを見て、漣は時計を見ると、あっ、と声をあげた。

「ありゃりゃ、もう漣たちの出番か。ほいさっさー、すぐ行くってぼーろに伝えててー」 

 漣が親指を立ててそう答えると小さく頷いて、ちらりと五月雨の方を見た。

「うん、あっ、さ、五月雨さん、よろしくお願いします!!じゃあ!!!」

 

「えっ?は、はい、よろしく……行っちゃいました」

 

「ごめんごめん、うーしーは恥ずかしがり屋だから。よっし、じゃあさっさと食べちゃて漣たちも演習行きますかー!!サミィも頑張ろうね!!」

 

「うん……えっ?」

 

「えっ、って……次の演習組み合わせ、呉と舞鶴だよ?知らなかった感じ?」

 

「えっ……?えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇええ!!!!」

 

 

 

   *

 

 

 

 「間宮」で一人の少女の叫び声が上がるより少し前。

 波止場で双眼鏡を手に、遠くを眺める人影が一つ。

 浅黒い肌には黒や白の痣が多くあり、骨ばった顔つきから鋭い眼が遠くを望んでいる。

 

 

「――――どうだ?勉強になるか?」

 彼の後ろから現れた白い軍服を着た好青年。声を掛けられて振り向くと、踵を揃えて指先まで伸ばして、深く頭を下げた。

 

「はい大変……御雲大佐、このたびは」

 いかにも堅苦しそうな空気でお辞儀をする青年に向かって、その空気を払うように御雲 月影(みくも つきかげ)は手を振った。

 

「あぁ、そんな堅苦しい挨拶はいい。しかし、驚いたものだ。これほどにまで高い練度の駆逐隊に……正規空母《翔鶴》か」

 

 御雲は青年の隣に立って彼方を見る。水柱が立ち、遅れて砲撃音が届く。

 

「私は何も。ただあの子たちが頑張ってくれてるだけです」

 

「そりゃ、あそこは最前線だ。嫌でも練度は上がるだろうな……だが、今俺が評価しているのはそんな線上であの子たちを十分に活かしている貴官の手腕だ。どうだ?あんな辺境ではなく、本土に来ないか?」

 御雲はじっと青年の眼を除き、その意志を試すように提案する。

 少しだけ黙り込むと、青年は首を縦に小さく振った。

 

「……翔鶴の夢はこの国に帰ることでした。今日、御雲大佐のご厚意でその夢が叶いました。翔鶴もこの地に足を下ろしている方がいいのかもしれません」

 

「では」

 

「ですが、奇しくも私はあの場所で今の地位を貰い、あの子たちと出会い、そしてあの場所の妖精たちに、あの場所に宿る命に支えられてこの場に立っています」

 

「……」

 

「大変見苦しいことを言っているのは存じております。ご厚意を無碍にしていることも。ですが、私はあのような辺境でも、あの場所に留まるべきでしょう」

 後半に行くにつれて青年の声は少しずつ震えていった。隣にいるのは軍人で階級や立場に厳しい世界の人間。かたや自分はこの男の厚意で階級を貰い、軍人の肩書を借りているような立場の人間。

 

 

「いや、俺の方こそ無粋なことを言った。許してほしい」

 軍帽のつばを少しだけ下げて御雲はそう言った。

 

「許すも何も、咎められるべきは私の方では?」

 

「じゃあ、許す。だから許せ」

 

「……分かりました」

 やや無理やり丸め込めたようになったが、青年はそれ以上何も言わなかった。

 

 

 ビィィィィ、っとブザーが鳴り響いた。

 

 砲撃音が止み、少しざわついた雰囲気が周囲に流れながらも、二人の提督はまっすぐ海を見ていた。

「……終わったようだな。軍配は俺の方か。だが、被害状況を見る限り僅差と言ったところか」

 

「恐らく偶然でしょう。それに私側の旗艦の損害が大きい。駆逐隊としてこれは良くないことでしょう」

 

「見ていてどうだった?何を思った?」

 

「駆逐艦のまとまり……統制がしっかりとしている。あの旗艦の子の存在、それと一度切り離されながら自力で戻り、仲間のフォローまでしっかり行う副旗艦の存在。あの二人でしょうか?良いコンビです。駆逐艦そのものの練度も高いです、砲撃の命中精度が違う」

 

「司令塔とその補佐、司令塔についていけるだけの隊としての実力、練度。多少の無茶でも通してしまう。そして、どんな状況でも臨機応変に動ける。序盤の奇襲はよかった。しかし、その後失速した」

 

「練度を作戦で補おうとしましたが……やはり、時間とともに積み重ねの差が出ましたね」

 

「電と雪風、両名の動きは叢雲と吹雪に匹敵する。しかし、まだ電が駆逐艦をうまく束ねきれていないな。先んじた結果狙い撃ちにされた。もう少し時間が必要だ」

 

「はい、勉強になります」 

 

 御雲はちらりと腕時計を見る。

「半刻後に呉と舞鶴の演習が始まる。今度は駆逐隊同士じゃない艦隊同士の演習だ。学ぶことは多いはずだ。戻ってきた艦娘たちを労ったら、またゆっくりと見るといい」 

 

「はい、ありがとうございます」

 

「私はこれから大本営に向かうために少し席を外す。何かあったら叢雲に尋ねるといい。では」

 そう言い残して御雲はその場を離れていった。

 まったく、こんな日に呼び出すとは、などと心中で愚痴で吐きながら、決して表情には出さないようにする。

 

 

 半年だ。たった半年。

 一〇〇年前まで続いていた長きに渡る艦娘と深海棲艦の戦いの歴史に比べれば、かなり短い期間にも拘わらず、こうも伝説と呼ばれる存在が蘇り続け、それに呼応するように戦局も変わっていた。

 同時に次々と持ち上がる問題。平和の代償とも言える多くの準備不足。国連の承認を待ち続けた結果遅れた各国の連携。その間に絶たれていったシーレーン。

 横須賀鎮守府に籍を置く提督として、彼の両肩に乗るものは他の提督とは比べ物にならないほどにある。

 

 もし、これから一〇〇年前と同じような長期的な戦争が始まったとしたら?

 想像するだけで死にたくなる。今よりもずっと忙しい時期が続いていくのか。

 それよりも、また多くの人間が死んでいくのか。

 多くの艦娘たちの命が失われていくのか。

 

 急激に起こる戦局の変遷に少しばかり短期決戦を夢見たが、そんな慢心は今は捨て置こう。

 それに、これから先どうなるか、神のみぞ知ること。

 準備は重要だ。警戒も大切だ。常に相手の一歩先を征くことも次の一手を読み、先に手を打つことも、常に最善を尽くすことも重要だが。

 それでも、無駄な杞憂ばかり重ねていてはこの身が持たない。

 

 今は……あぁ、そうだ。 

 あまりにもこの半年で起こったことでも整理して、それからこれからの事でも考えよう。

 

 

 さて、綴ることにしよう。

 過去と今を結ぶ彼女たちの日々の話を。

 

 

 

 

 

 

 




こんな感じで、第二章から半年後の物語を送っていきます。

時系列としては

「第一章」
 ↓
「第二章」
 ↓ 
 ↓  ←「第四章」が挟まる。
 ↓
「第三章」

 ↓  ←「第四章」が挟まる。

「第四章プロローグ」

 ↓

「第四章」が更にここで来る。

 ↓

「第五章」

こんな感じです。時間が前後して少しごちゃごちゃになるかもしれませんが、できる限り分かりやすいように表現していきますので、ご容赦ください。


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工廠の守人 -呉鎮守府にて-

――――――呉鎮守府。

 呉は広島県中南部に位置し、大戦期には戦艦「大和」や「長門」を建造した造船所があり「東洋一の軍港」として太平洋戦争終結まで繁栄した場所であった。

 戦後には、海上自衛隊の呉基地として後方支援、人材育成の拠点であったが、深海棲艦の襲来により半壊。本土において初めての敵空母機動部隊による空襲があり、大きな傷跡を残すが、深海棲艦との大戦が艦娘たちの誕生により勃発。妖精の優秀な技術により日本海軍最大の工廠が置かれていた西の最大拠点として、艦娘たちの戦いの中核を担っていた。

 現在は、呉鎮守府として造船技術の拠点として、多くの護衛艦やイージス艦を建造。深海棲艦との大戦以前に存在していた護衛艦よりもより性能のよい艦艇を後継として幾つも造り上げた。

  

 先月の横須賀鎮守府を中核とした敵空母機動部隊迎撃戦。

 たった五隻の駆逐艦で空母機動部隊を編成した二艦隊に勝利した戦いよりも以前から、これから幕を開ける新たな時代に大本営が腰を上げた。

 「海軍条例」を公布し、五つの海軍区と軍港を置くために旧海軍鎮守府の整備が始まった。

 ただの海軍の拠点としてではなく、「艦娘たちを迎える母港」としての大規模な改装が始まったのだ。

 同時に、現海軍大臣、御雲月之丈(つきのじょう)大将により四人の提督が選抜され、横須賀、呉、舞鶴、佐世保に配備。大湊警備府は間に合わず、配属されるはずだった駆逐艦を横須賀に配備。

 その中心として動いたのが呉工廠。佐世保、舞鶴の整備を一か月で終わらせ、呉には四つの入渠ドック、四つの建造ドック、更には復元不可能と言われていた『大型建造システム』の復旧まで行った。

 

 その全ての活動の前線に立ちながら、自らも工廠班の一員として奔走していた司令官が一人。

 

 証篠 明(あかしの あかり)。階級は特務大佐。唯一の女性として提督に任命された。

 

 海軍士官候補生学校を首席で卒業する実力を持っていながら敢えて手を抜いて第三席で卒業したのではないかと言われているほどの頭脳を持っており、何より手先がかなり器用だと言うことで有名であった。艦艇の整備をやらせればあっという間に終わらせ、更に勝手に修理まで行う。一方でドライバー一本握らせたら、山を登る船を作る、と言った鬼才ぶりから問題児としても扱われていた。

 寝ぼけながら自動小銃をバラし、組み上げて、を繰り返していた時には教官も呆れかえったと言われている。

 そんな彼女は本来、工作科を志していたために士官学校に行くつもりなど毛頭なかったのだが、ひょんなことから同期のある友人に引きずり込まれるようにしてぶち込まれた。友人曰く、「目の届くところに置いていた方がまだこの国にとって安全だ」とのこと。

 

 実の話、そのひょんなことは、今まで人類が成し得ないことであったため、海軍がその管理下に置かざるを得ないことであったのだ。

 

 まだ幼さを残した童顔ながら十分に美女と呼べる端正な顔立ち。気さくな性格で少数ながらいた女学生に慕われていたのだが、不思議と異性からアプローチを受けたことは一度もなかった。

 唯一、髪を伸ばすことを許されて(黙認されて)いたために、いつも肩にかかるくらいの桜色の髪を二つのおさげにしていた。

  

 そんな満面の笑みの彼女が目の前にいる状況で、呉鎮守府に配属されていた艦娘、初期艦の少女は困惑していた。

「あ、あの……提督」

 

「んー、どうしたの~?それと私のことはご主人様って呼んでくれないの~?」

 

「いや、そ、そのですね……」

 ピンク色の髪をツインテールにしているセーラー服の少女は、少し青ざめた表情でプルプルと震えていた。

 

「こ、腰が……」

 駆逐艦《漣》の背中に取り付けられているコンパクトな艤装が見るも無残な姿をしている。取り付けられているのは、それだけで漣の躯体ほどの大きさを持つ巨大な主砲『46㎝三連装砲』。かの大和型の艤装であるはずなのにそれをどういう訳か背負わされている漣の心中は穏やかなわけがない。

 死ぬ。人間としても、船としても。背骨がマズい。腰がマズい。

 そもそも、艦娘のシステム上、乗せられない艤装は受け付けないのだ。それを無理やり搭載すれば、艦娘の機能が一時的に停止し、ただのか弱い少女に戻る。

 つまり、クレーンでまだ吊っている状態だからいいものの、漣の身体はこの巨大な鉄の塊の重さをもろに身体に受けている状態だった。

 

「し、死ぬ」

 

「はーい、上げてー……やっぱ無理かぁ。まぁ、無理だと言うことが分かっただけ成果はあった、っと」

 手元のバインダーに閉じた資料にペンを走らせていた証篠提督の目の前を小さな拳が空を切って飛ぶ。

 

「あ、あまり…ぜぇぜぇ、あまり調子乗ったことばかり…ぜぇぜぇ、ちょ、ちょっと待っ、待って」

 

「かなり疲れてるみたいだけど、そうやって司令官に手を上げるのはよくないなぁ……」

 

「さ、漣は提督のおもちゃじゃありませんので……次あんな無茶なことさせたらぶっ飛ばしますよ、マジで」

 そう言って、工廠を去ろうとした証篠は漣の肩に手を置いて引き留める。

 

「どこにいくのかなー?漣ちゃん?」

 

「どこって……バカみたいな実験に付き合わされて心も体もボロボロなので入渠でもしようかと。かなり汗かきましたし」

 

「まだ終わってないよ?そこにあるの全部試すまで終わるつもりないよ?」

 

「……えっ?」

 そう言って、目を向けた先にあるのは一〇〇を超える装備の山。

 小口径、中口径、大口径の主砲、魚雷発射管に機銃の山。高角砲、高射装置、電探、ソナー、爆雷投射機。タービン、缶、バルジ、偵察機。

 

「今ので主砲が終わったから、次はそうだねー……漣ちゃんは駆逐艦だから魚雷をつけてみよっかー?あっ、とっておきがあるんだよっ!この『試製――――、ん?どうしたの?」

「……」

 どさり、漣は膝から崩れ落ちて頬を冷たいコンクリートの地面に摺り寄せた。

 

「はぁ……マジつれーっすわ」

 

「はいはい、じゃあ立ち上がってさっさと終わらせちゃおうねー。ほら、分からないことは分かるまでやらなきゃ。それで何か見えることがあるかもしれないじゃん?」

 

「なんで漣がこんなことに……ぅあああああああああ!!横須賀に帰りたいぃぃぃぃぃいい!!!」

 

「かーえーさーなーいーよー?こんな可愛い子あんな仏頂面のところに返すなんてかわいそうだからね~」

 工廠内で少女の叫び声が響き続ける。それを見ながら笑顔を絶やさない女性が一人。

 

 呉鎮守府、駆逐艦漣、配属五日目の光景である。

 

 

  *

 

 

 横須賀での一件の後、五人の駆逐艦娘はしばらく横須賀鎮守府で訓練を行い、十分な練度を身に着けて、およそ一か月後、呉、舞鶴、佐世保へと配属されることになった。

 本来は大湊にも設けるつもりであったが、整備が追い付かなかったこと、駆逐艦娘側の都合上、後回しとなり北方は横須賀を中心として警戒が行われる体制となった。

 

 

 

「じゃあ、まず服脱ごっか?」

 簡単な挨拶を終えて証篠が放った言葉はそれだった。心の底から軽蔑する表情をぶつけてやった自覚はある。

 まあ、女性相手であったし、なんだかんだで医務室で服を脱ぐことになり、周りをぐるりと歩きながらまじまじと観察された。

 

「なるほど……接合部のようなものはない……跡も見当たらない。見た目はどこからどう見ても、普通の人間……だけど」 

 

「あの、もういいですか?流石に恥じらいというものが漣にもあるので――――」

 溜息を吐いてそう問いかけながら、証篠の方をちらりと見る。

 天井の蛍光灯の光が反射して見えた。鋭利な金属の先端が白く光って真っすぐ向かってくる。

 

 

「――――っ、何を、するんですか?」

 カラン。音を立ててハサミが床に落ちる。静かな空間に金属音の乾いた音が響く。

 刃先が肩の辺りにぶつかり、薄く赤い痕を残す。

 

「ちょっと試しただけだよ?でも、刺さらないんだね?少しの打撲痕程度で済むのか…少しだけ人間より強いって評価かな?」

 

「何のつもりですか?いい加減、漣も怒りますよ?」

 漣は床に落ちたハサミを拾い上げながら証篠を睨みつける。

 じっと睨みつけてくる漣を睨み返す訳ではないが、じっと見つめる証篠。

 

「《FGF(Fleet Girls Frame)》、和訳できないその概念は二つの概念の存在から始まる。インナーフレームとアウターフレーム。内部からと外部から、二つで押し付けることによって『艦娘』という『形』をこの世界に刻み、人知を凌駕する技術を人類にもたらした」

 

「は?」

 静寂を切るようにして彼女の口からつらつらと流れ出る文章に漣は首を傾げた。

 

「インナーが骨だとしたら、アウターは皮膚だ。人間というものはある程度の経験則から、その形をしているものがそこにあれば、それは特定のあるものだとして固定観念を己の中に作ってしまうものなんだ。人の形をしていれば、それの中身がどんなものだとしても、人、だとね」

 

「いったい、何の話をしてるんですか?」

 

「……あぁ、ごめんごめん。それでアウターフレームはそういうものだから保持するエネルギー量が若干多いんじゃないかっていう仮説があったんだ。つまり、頑丈。人間のように見えて人間よりも強い結合を働かせていれば、人間の皮膚同様の柔軟性を持ちながら破れにくい皮膚としての装甲が完成する」

 証篠は漣に歩み寄り、ハサミを受け取ると机の上に置いて話を続ける。

 

「時速八〇㎞くらいで君にハサミを投げつけた。君の皮膚に鋭利な刃先が当たるように計算してね。人間だったら刺さるか、掠っても皮膚が裂けているが君の肩は少し赤くなっただけ」

 そのまま、何を考えたか腰のホルスターから一瞬で拳銃を引き抜き、漣の額に銃口を向けた。

 漣は怖気づくことなく、拳銃越しに証篠に、不快だ、と視線を突き刺す。

 

「きっと、この距離から撃っても、銃弾は君を貫くことはないだろう。ライフルの弾だったら分からないが、私たちに支給されているこの豆鉄砲風情の小銃なら耐えられるはずだ。私の仮説が正しければね」

 

「……じゃあ、撃ってみますか?引き金を引けば簡単に試せますよ?その代り一生提督への信頼は実らないものとなると思いますが」

 フッと証篠は笑うと、手を緩めて人差し指でくるくると拳銃を回して遊ばせる。そのままホルスターに納めると、

 

「冗談だよ」

 そう言って、椅子に掛けてあった漣の服を投げ渡した。

 

「大事な私の艦娘なんだ。そんな危ない真似はあまりしないよ。少なくとも、私の頭の中で考え付いたものに関しては」

 

「目に当たってたら、また結果は別だったかもしれませんよ?」

 漣は服を着ながら、そう言い返してみる。

 

「なるほど。でも、これ以上君から信頼を失いたくないからね」

 

「カンストどころか、もう0振り切ってマイナス行ってますけど?」

 

「アハハッ!そいつは困った。何か許してもらえる手立てはあるかな?」

 

「そうですねぇ……間宮羊羹でもくれたら考えます」

 

「またお高い要求だねぇ……時間はかかるかもしれないけど善処してみるよ」

 

「……まあ、だったら許さないこともないですよ」

 

「じゃあ、決まりだね!これからよろしく頼むよ」

 

「で、次は何をすればいいんですか、提督?」

 

「……早速だが、訓練でもしてみよっか?工廠に艤装がある。それを着けたら正面海域でちょっと動いてもらおうか」

 

「ほいさっさー、装備はデフォで?」

 

「うん、一〇分後にしよう…………漣ちゃん」

 そう伝えて走っていき漣を、ふと証篠は呼び止めた。

 

「なんですか?」

 

「私は自分が知らないことは自分の手で確かめるのが性なんだ。付き合っていく上でこればかりは許して欲しいなぁ」

 その眼に先程までの冗談を含んだふわふわとした感じはなかった。

 顔は笑っているのだ。だが今まで見た中で一番真剣で……一番怖い顔だった。

 

「できれば、君もそうなって欲しいな。君には長生きしてほしいから」

「長生き?」

 

「常に自分から探求して欲しい。分からないことがあれば分かるまで何度でも試せばいい。その為だったら私はどこまでも付き合うよ。それが延いては君のためになる日が必ず来る」

 

「……漣には少し難しいですねぇ。ゲームの攻略本並みに簡単な言葉で伝えられるようになったらまた忠告よろです」

 そう言い残してパタパタと走っていく。その後ろ姿を最後まで見送りながら、慣れない軍帽を脱いでふぅ……と一息吐いた。

 

「……楽しくなりそうだ」

 

 

 

  *

 

 

 

「――――提督って、どうして艦娘の艤装を弄れるんですか?」

 工廠で漣の艤装を妖精たちと一緒に整備しているときに、ふと近くに座っていた漣からそう尋ねられた。

 

「んー、何でだろうね?それはずっと考えてきたけど分からないや」

 

「ありゃ、提督にも分からないことってあるんですか」

 

「生きている限りこの世界には分からないことばかりだよ?」

 

「……深いですねぇ」

 

 証篠はふと、中学時代を思い出していた。

 あの頃から問題児だったが、紛れもない天才であった。

 

 中学を卒業して、卒業旅行で呉を訪れた時、そこで艦娘の艤装に触れた。

 それをばらばらに壊してしまったのだ。

 そして、綺麗に組み立て直した。

 

 周囲の人々からすれば一体何が起こっているのか分からないような動きをしていたらしい。多くの人の目に触れていて、ミュージアムの人にもすごく怒られたが、卒業旅行から帰った後に海軍省から召喚された。

 

 艦娘の艤装は人の手ではどうもならないものだった。解体も建造も改装も修理も全て「妖精」と言う謎の存在、もしくは艦娘自身の手で行われてきたもので、人間には運搬や管理程度の事しか干渉できない領域だったのだ。

 

 それをいとも簡単にぶち破った。

 しかも、完全に「修理」した状態で組み立て直した。

 

 その異常な才能を、いや「異能」と呼ぶに相応しい能力を海軍は放置できなかった。

 ちょうど同級生に、海軍の幹部の息子がいた。

 彼自身から説得を受けて、彼女は推薦で決まっていた高校を急遽辞退。海軍管轄の士官候補生学校へと叩き込まれることになった。

 

 証篠は両親の影響もあり、ゆくゆくは軍関連の研究所にでも進むつもりだった。

 機械を弄るのも幼い頃から得意だったため、高校を卒業してから工作科にでも志望して海軍に入るのも悪くないとも考えていた。

 

 海軍に召喚されて家に帰ると、久し振りに父に会い、全てを聞かされた。

 別に驚くことではなかった。でも、知らないことだったので気になるまで調べ尽した結果、自分がこの世界でどんな人間なのかを知った。

 

 

「……漣ちゃんはさぁ、提督がどんな存在か知ってる?」

 

「あー、妖精が見える能力を持ってる云々ですかー?」

 

「まあ、それは必須なんだけど。どんな存在が妖精を見れるか知ってる?」

 

「えー……まぁ、艦娘は当たり前ですけど見えますよねー……」

 

「そうそう、一〇〇年前までの昔の提督たちは本当に希少な人材だったんだ。天性の妖精を観測できる存在で、法則性もなく、見つけ出すのも難しかった。数も当然少なかった」

 証篠のつなぎの袖で額の汗を拭って一度手を止めた。

 

「今の提督は、艦娘たちの子孫なんだよ」

 

「……は?」

 

「妖精が見える存在、艦娘の子孫ならば、同様に妖精を観測することができるのではないか?そう言う仮説を昔立てた人がいて実証された。結果、成功したから提督の供給は安定したものとなった」

 

「なるほどー……つまり、提督も艦娘の子孫なんですか?」

 

「うーん、そうだねー……」

 もう一度手を動かし始めながら、珍しく考え込んでいる姿を不思議そうに漣は見ていた。

 

「漣ちゃんはどう思う?艦娘の子孫って」

 ふと、証篠が放った言葉はそんなものだった。

 

「どうって、まあ不思議っちゃ不思議ですよ……自分たちがどうやって生まれてきたか知ってますからねぇ」

 無機物と有機物。

 それを一定の割合で配合して、変な機械にかけるとあら不思議。

 

 まるで魔法みたいな、謎技術で生み出されてしまっている自分たちの存在は考えてみれば見るほど奇妙なものだ。

 

「私は怖かったよ」

 証篠はそう答えた。

 

「不思議なんて思えなかった。ただ怖かった。人間だと思っていた自分が人間じゃないかもしれないような気がして」

 淡々とした口調で証篠はそう言ったが、

 

「でも、それって知らなかったからなんだと思ってる」

 すぐにそう切り返した。 

 

「艦娘って存在についてあまり知らなかったんだ。なんでだろう。みんな知ってるような有名な存在だったのに、本能的に遠ざけてたのかもしれない。でも、知ってみたら人間離れしてたけど、どこまでも人間らしかった。確かに船の記憶なんてものがあって、彼女たちにとっては自分たちが人間であること自体、おかしいことなのかもしれないけど、少なくとも私の眼には彼女たちはどこまでも人間だった」

 

「でも、それって人間の形してるから。提督は前にそう言いましたよね?」

 

「私が士官学校に入るまで、艦娘の姿を私は見たことはないよ。私が見てきたのは誰かの手によって描かれた彼女たちの姿。第三者の手で描かれてるし、海軍の検閲も入ってるかもしれないから、本質は違うのかもしれないけど、分かるものは分かるんだよ。人間特有の泥臭さや意地汚さ、貪欲さ、そして正義感」

 

「あまりいい姿じゃないですね」

 

「そこがいいんじゃない?艦娘たちの核はかつての英霊たちの魂だって言われてるでしょう?だとしたら、彼女たちの魂は結局のところ人間なんだなって思ったから、私の中に受け継がれてきたのはどんな形であっても人間の心なんだって思って安心した」

 

「……違うかもしれませんよ?」

 

「違ったら漣ちゃんが教えてくれるよ。私はそれで知ることができる」

 よしっ、と声をあげて証篠は立ち上がった。

 どうやら艤装の整備が終わったらしい。散々弄られ続けた漣の艤装はようやく原型を取り戻した。

 

「でも、分かるでしょ?」

 

「何がですか?」

 

「知らないことの怖さ。知ってれば何も怖くないのに、知らないととことん怖い。だから、私は知らないままでいることをやめた」

 

「……まぁ、別にいいですけど、あまり漣たちを巻き込まないで欲しいですね」

 

「うん!善処するよ」

 そう言って満面の笑みを浮かべる。

 どういう訳か、この提督にはあまり強く言えなくなる。結局はすべて弾かれてしまいそうな、そんな強さを感じるからだ。

 

 本当に最悪の鎮守府に配属された。漣は溜息を吐きながら立ち上がっていると、急に目の前に証篠の顔があって、悲鳴をあげながらまた尻もちを突いた。

「ななな、なんですか!?」

 

「いやぁ、それで早速一つ気になることがあるんだよねぇ」

 じーっと座り込んだ漣を見下ろす証篠。いったい何をされるのかと怯えながら次の言葉を待つ漣は、口の中に溢れだす固い唾を飲み込んだ。。

 

 

「なんで、私のことは『ご主人様』って呼んでくれないの?」

「……は?」

 

「いや、だってさ!御雲君のことは『ご主人様!』『ご主人様!』って呼んでたのに、私にはずーっと提督って呼んでるでしょ?私も『ご主人様』って呼ばれたいな」

 

「……気持ち悪いですよ、提督―――ぶっ飛ばす」

 

 立ち上がる勢いを乗せたボディブローが証篠の腹部にめり込んだ。

 

「なんでッ!?!?」

 くの字に折れ曲がって少しだけ体が浮く。

 

 そのまま、コンクリートの地面に倒れ込み、腹を抱え込んで悶え転がる証篠に冷ややかな視線が突き刺さっていた。

 

「いや、流石に気持ち悪いですよ、提督」

 

「なんで?なんで??」

 

「いやぁ、ねえわ。うん、ねえわ」

 

「何が悪かったの?ちょっと待って。私武道に関しては成績悪かったから、まともに捌いたりできないから、ちょっとこれは深刻過ぎる……」

 

「まったく……ほら、艦娘を指揮する者がそんなんでどうするんですか?早く立ってください。じゃないと踏みますよ?」

 

「ちょ、本当に待って……あっ」

 

「ん?どうしたんですか?」

 

「いちご」

 

 グシャァ。

 

 漣の足は証篠提督の顔面に叩き込まれた。

 

 

 

  *

 

 

 

 超人的スピードでデスクの上の書類を片付けていく。

 主にチェックと捺印とサインとをしていく簡単な作業だが、無駄に優秀な工廠であり、造船所でもある呉には多くの発注が寄せられるため、書類の量が尋常ではない。

 一つの山があっという間になくなって、一息吐いた証篠は椅子に背中を預けてぼーっと天井を見つけていた。

 

「失礼しまーす……って、どうしたんですか?なんだか元気がないですね」 

 軽快にノックをして許可をもらう前に入ってきた漣は、目線の先にいた覇気のない証篠提督の顔を見て不思議そうに首を傾げた。

 

「あー、分かる?分かっちゃう?」

 証篠は両肘をデスクに突いて、手を組んで神妙な気配を漂わせながら、例のポーズをして漣を見た。

「いや、理由まではさすがに分かりませんよ?」

 

「……ほら、漣ちゃんがなかなか『ご主人様』って呼んでくれないじゃん?」

 

「ええ、そうですね。提督」

 

「それで他の子はもしかしたら、『ご主人様』って呼んでくれる子がいるかもしれないって期待してたんだよね?それで昨日と一昨日に建造して、いい具合に駆逐艦の子、三人くらい来たけどね」

 建造というものは、各鎮守府独断で行われるものではない。

 大本営の管理下で特定の条件を付与して行われるものであって、それによって建造の成功率を高めている。

 一〇〇年前より受け継がれている方法により、建造の成功率はほぼ一〇〇%であり、これに従わずに建造を行うと失敗して「大変なこと」になる。

 ここ三日ほど連続して建造が行われており、呉鎮守府にも三人の駆逐艦が着任した。本日に限ってはいまだ建造ドックが稼働中で結果が出ていない状態である。

 

 だが、証篠の心を苦しめているのはその結果であった。

 

「一人目にはさぁ、何もしてないのに『クソ提督』って呼ばれちゃうしさぁ……」

 

「いや、出会い頭で、『じゃあ服脱いで』とか言えば普通ですよ?」

 一人目は駆逐艦《曙》であった。証篠の第一印象はやや強気そうな少女であったがそんなことは関係ない。あろうことか服を脱いでと指示し、なかなか脱がなかったため神速で背後に回り込み、上着をひん剥いたところ、頬に綺麗な紅葉と一緒に『クソ提督』と呼び名が定着した。

 しかし、証篠はそれがいわゆる『ツンデレ』だと解釈し、現在秘密裏に『どんなツンデレも素直になる装置』を開発中である。面白そうなので漣も協力しているのは、二人の間の絶対的な秘密である。

 

 

「二人目は、握手しようとしたら『触らないでください』だし……」

 

「そりゃ、あんなにまじまじと胸を見ながら近づいてくる変態に触られるのは嫌でしょうし」

 二人目は駆逐艦《潮》であった。曙とは対照的に明らかに弱気そうな印象だったため、証篠としても優しく接したつもりだったのだが。

 

「いやぁ、あんな立派な胸部装甲してたら何が詰まってるのか気になるでしょ?知的好奇心と言うか、探求心が抑えきれなくて…」

 体躯にしては見事な胸部装甲をしていたために、思わず目が行ってしまった。同じ女性としても、思わず目が吸い込まれてしまった。主に証篠の脳の構造がおかしいだけであるが。

 

「てか、提督貧乳ですもんね」

 

「漣ちゃん、後で胸部装甲の点検しようね♪」

 

「ちょ……で、三人目は」

 三人目は駆逐艦《朧》であった。ショートボブに整えた綺麗な茶髪の髪に、きりっとした目つき、気合いに満ちた顔つき。曙や潮とはまた違った魅力のある子であった。

 

「あのね、朧ちゃん、めっちゃいい子……あの子だけだよ」

 少し涙目になりながら証篠は語る。

 若干ふざけ気味の証篠の行動すべてに真面目に受け答え(当然脱いだ)し、更には無茶な兵装の実験にも真面目に付き合った。ちょっと無理させたかな、と心配すると「強くなるためですもんね、負けません」と弱気を見せることもない。

 同じ女であるが、惚れそうになるほど誠実であった。

 

「……でも、ぼーろ、提督のこと怖がってますよ」

 

「なんで!?えぇ!!なんで!?!?」

 勢いよく立ち上がりすぎてデスクの上のマグカップが倒れる。運よくその先に書類はなく、少しフローリング汚れた程度で済んだが、証篠の顔は驚きを隠せていなく、いつもの笑顔は消えていた。

 

「ほら、提督ぼーろの蟹を解剖しようとしたでしょ?」

 

「えっ……あっ」

 先日の事である。

 漣のうさぎに興味を示し、追い回していた矢先、朧の艤装に住み着いている蟹を発見し、これはもしや『からくり』なのでは、と確保して、ドライバーで解体しようとしていたところを、曙に見つかり事なきを得た。

 曙経由で朧に蟹は返却され事の顛末は伝わり、今に至る訳だ。

 

「あぁ……」

 証篠はデスクに倒れ込んだ。最後の希望さえ崩れ去った瞬間であったからだ。もはや、この鎮守府に漣の代わりに『ご主人様』と呼んでくれそうな艦娘は存在しないが、元を辿ればいったい何の戦いなのか全く分からない。

 勝手に挑んで勝手に敗れている提督の姿がこちらである。

 

「……ところで、何の用で来たの?」

 唐突に思い出したかのように首だけを起こして漣に尋ねる。呆れかえった漣は溜息を吐くと、ようやくかと言うように口を開いた。

 

「工廠の妖精さんが、建造が終了したって。今日も新入りが来たみたいですよー」

 

「あー、はいはい。今日はどんな子が来たのかなぁ?」

 すべての仕事を放り投げて、椅子に掛けていた上着をつなぎの上から適当に羽織る。漣を連れて執務室を後にした。

 

「……四人での生活はどんな感じ?」

 

「珍しいですね。提督がそんなこと訊いてくるなんて」

 

「第七駆逐隊だっけ?昔のお仲間さんだったんでしょ?」

 

「……色々ありましたからねー、軋轢もありましたし。でも、こうやって人間の姿になって再会して……言葉で伝えられるようになって、少しだけ」

 漣は証篠から少しだけ顔を逸らして、

 

「よかったかなぁ、なんて思ったりしてます。わっ」

 漣の髪を証篠の手がぽんぽんと軽くたたくように撫でる。

 ちらりと見上げた証篠提督の表情はいつもの満面の笑みと言うよりかは、優しく見守る保護者のような温かい微笑みがあった。

 

「……そっか。今日来ることも仲良くなれるといいね」

 その言葉に、少しだけ照れるように漣の表情にも笑みが生まれた。

 

 さて、工廠前に到着した一行。

「今日こそ、『ご主人様』と呼んでくれそうな子が来そう!」

 

「来ませんよ。それと妖精さん曰く、軽巡の方みたいですよ」

 

「へぇ……初軽巡だね。また兵装の開発に幅ができて面白くなってきたなぁ……」

 そんなことを言いながら工廠の扉を開けて中へと足を進めていく。

 多くの装備が格納されている保管庫を抜けて、クレーンやコンベアの動く内部の方まで歩みを進めていく。一番奥まで辿り着くと、壁一面にパイプと配線が張り巡らされて、巨大なディスプレイといくつもの計器が並んでいた。

 その正面で小さい小人たち―――「妖精」が一人の少女の周囲をぴょこぴょこと動き回って、彼女の艤装を最後まで面倒見ていた。

 

「やぁ、ようこそ。私たちの鎮守府へ」

 そう呼びかけると、ぴくりと顔が持ち上がって反応し、ポニーテールを揺らしながらこちらへ振り向いた。

 

「あぁ、ここは提督が女性なんですね。お待たせしましたー!」

 髪もスカートも、頭の大きなリボンも緑色をして、対照的にオレンジ色のスカーフをリボン結びにして胸の前で結んでいる。少し丈の短いセーラー服の為、へそがちらちらと見えている。スカートからすらっと伸びた脚が美しい脚線美を描いている。

 カツン、と踵を揃えてビシッと海軍式の敬礼。

 柔らかい笑顔を浮かべて自身に満ちた表情をしていた。

 

「兵装実験軽巡の《夕張》です!ただいま到着しました!!」

 よろしくお願いしますね、提督、と軽巡洋艦《夕張》は言うと敬礼を解いた。

 しかし、すぐに証篠の表情を見て首を傾げる。

 

「ど、どうされましたか、提督?私、なにかしましたか……?」

 

「……なるほど、夕張か。面白くなってきた」

 証篠の顔には今までにない、少し狂った感じの笑みが浮かんでいた。

 

「えっ?」

「あぁ!よろしく頼むよ!!私は証篠 明。階級は大佐だよ。あぁ、パーフェクトだ!!」

 さっと近づいて両手で夕張の手を取ると、ぶんぶんと大きく振り回して、どうやらかなり喜んでいるようである。

 大層な歓迎をされて、若干夕張も戸惑っている様子であったが、その様子を見ている漣の心中はかつてないほどに穏やかではなかった。

 

(あっ……これ多分ダメな奴だ)

 

 漣の心中に嫌な予感が生まれた。

 残念なことに、その予感は見事に的中することになる。

 

 

 駆逐艦漣、呉鎮守府に着任して二週間を迎えた日の事である。

 

 

 

 

 

 

 




今回も読んでいただき、ありがとうございます!

少し形式を変えて「」が続くところでは改行するようにしました。
理由は単に、私が見やすいからです。
もしかしたら、今まで投稿したものもそうするかもしれません。


「異能」とかいう言葉を使いましたが、提督たちは別にそういう異能力者とかじゃないです。血筋こそ少し訳アリですが、それ以外は普通の人間です。

証篠 明(あかしの あかり)。
彼女は少しマッドサイエンティスト気質で、自分が知りたいことの為には何でもしますが正義感と言うものは持っており、彼女なりに守るべき者のために戦うと言う意志は持っています。
ぶっ飛んでいるように見えて、根底にあるのは意外と普通で真面目な性格です。
口調がやけに軽く見えますが、実際のところは寂しがり屋なので誰とも分け隔てなく話せるようにした結果です。その辺りは少し、漣と似通ってます。
あと、絶壁ではないですが大きくもない程度です(何がとは言いませんが)。


恐らく、年中に投稿するのは最後となります。
また来年度もよろしくお願いします。

では、良いお年を。


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来客の多い執務室 -舞鶴鎮守府にて-

今回は五月雨の配属された舞鶴鎮守府のお話です。


 

 

 ――――――舞鶴鎮守府。

 

 京都府舞鶴市に存在する赤レンガの三角屋根の建物が多く目に入る軍港。

 対露目的に設営された軍港であったが、佐世保を優先したために後回しにされたが、その初代司令長官に東郷平八郎を任命されたなどの逸話もある。戦後も多くの名残を残している軍港及び周辺施設であり、舞鶴線や使われていた蒸気機関車の展示など、当時の情景が撃抱える者が鮮やかと残されていた。

 少し離れた場所から見ると、森の一角を切り開いて施設を設けた様な緑の中に紛れた様な風景ではある。

 戦時は駆逐艦を多く作り出した舞鶴海軍工廠も存在しており、多くの一番艦を建造した艦型の起源たる場所でもある。

 

 海上自衛隊の基地となった後には、イージス艦を抱える基地となり、日本海側の警戒に努めていた。

 

 深海棲艦の襲来の際には、空襲を受け壊滅状態にあった呉に代わり、海軍工廠の要となっていた。呉の回復と同時にその役割を激戦区である太平洋側への後方支援に回る形となり、少数精鋭を抱える屈指の鎮守府であった。

 しかし、その栄光は艦娘史の中で「悲劇」として多く語られている。

 航空母艦《赤城》。言わずと知れた艦娘史における伝説の第一航空戦隊旗艦を務める艦娘であり、彼女の向かう場所に自軍の敗北の文字はないとされた「最強」の艦娘である。

 そして、 第五航空戦隊、通称『五航戦』。

 「赤城」自らがその地に赴き、ありとあらゆる技術や戦術を叩き込んだとされる一航戦に次ぐ最強の航空戦隊となるはずだった部隊。その名は「悲劇の五航戦」として語られる。

 

 生存者:航空母艦《瑞鶴》、駆逐艦《秋月》。

 

 その他は鎮守府に残っていた数名の艦娘を残し、提督を含めて、皆とある大規模作戦中に戦死した。

 ソロモン海に敵艦隊が集結していると見た大規模作戦中に、日本海で発生した中規模の姫級数隻を抱えた空母機動部隊の本土急襲。太平洋側に主力艦隊を向かわせていたすべての鎮守府の中でも、日本海で最前線にあり、多くの主力を担っていた舞鶴鎮守府は一夜で壊滅した。

 日本海側の索敵を疎かにしたことと、情報伝達系統の重度の麻痺。また同時に起こっていた、ソロモン海の《常識破り》の発生と一航戦の消失。多くの問題が重なった末に、挟撃に近い形で本土空襲を受けた結果であった。

 本来はありえない事態の為に、ありえないほどの被害を被った。

 

 そして、一航戦に変わり《常識破り》に立ち向かった五航戦は壊滅。唯一残ったのは、第二次攻撃のために待機していた航空母艦《瑞鶴》と横須賀第一号鎮守府によって回収された駆逐艦《秋月》の二隻のみ。

 旗艦《翔鶴》を含め、多くがソロモンの海に散ることとなった。

 

 舞鶴鎮守府は、その後、生き残った駆逐隊と共に復興していき、「日本海の護人」として終戦を迎えることになる。

 

 

 

 そして今、鏡 継矢(かがみ つぎや)大佐と駆逐艦娘《五月雨》がこの鎮守府に新たな艦娘の艦隊を結成する先駆けとして派遣されていた。

 

 

   *

 

 

 品行方正。秀外恵中。

 

 鏡 継矢。階級は特務大佐。7尺近くの上背のある細く締まった身体。髪は腰の辺りまで伸びており、青く細い帯で束ねてある。

 当時の海軍大臣にその演習風景を見せて国士無双とまで言わせた青年。

 評判だけで言えば、同期の中では間違いなく首席であった、にもかかわらず次席卒業。

 

 模範たる優等生であり、弓を引かせれば百里を越えて的の中心を射る、と言われたほどの弓の名手。そして、女性と見紛う容貌のに釣り合わぬ上背の身体。しかし、一族代々髪を伸ばす風習の為に長く伸ばした髪を解けば凛々しさを垣間見る美女と見違う。

 しかし、その容貌に反して女性を魅了する漢らしい低く響く重みのある声。

 性格も男女平等に紳士的であり、後輩にも優しい厳しさを見せる多くの人からの人望を持っていた青年。

 

 だが、勝負事となれば目の色が変わることでも有名であり、特に弓を握れば、1000人射殺すほどの威圧を放つと噂されている。

  

 今まさに彼は軍服ではなく、紺の袴に白筒袖の弓道着を身に纏い、黒い和弓をその手に携えていた。

 正座のままで震えている長い艶のある青髪を伸ばした少女、駆逐艦娘《五月雨》。

 

 静寂。

 恐ろしいほどに静まり返っている。自分の呼吸の音が耳障りになるくらいに音がない。

 はるか遠くの波の音。踏切の警音器の音。アスファルトの上を走る車のタイヤの音。それに町を歩く人たちの声まで聞こえてきそうだった。

 決して狭いとは言えない空間ではあるが、広いとも言えない空間。

 その曖昧さが五月雨の中の空間感覚というものを狂わせていた。この空間は何なのか?

 

 音というものがすべて排除されて、逆にこの空間に音が流れ込んできている。

 この空間だけが時が止まっているような、いや、時が動いているのか?

 ダメだ、深く考えれば飲まれてしまいそうだ。

 

 彼の背中を見ていると、その集中力からか、殺気からか。

 そんな心境を味わうこととなった。

 

 ふっ。

 

 ひょう。

 

 ……とん。

 

 静寂の中に突然出現した、音。

 

 眠りから覚めたかのように意識が一気に広がっていき、耳元で囁かれていたような遠くの音がフッと遠ざかっていった。

 

 

 一歩も動けなかっただろう。いや、自分と言う存在さえ曖昧にぐちゃぐちゃになって、どろどろの混沌の中に溶けていくような、そんな世界に飲み込まれる。

 

 これが、彼の放つ威圧か。

 ようやく、口の中に溜まった唾液を飲み込むことができた五月雨は、深く息を吐いた。不思議な疲労が一気に身体に襲い掛かった。全身から汗が噴き出しそうなほどに熱くて、身体の芯は鉄のように冷たい。

 この身体はまだ生きているのだろうか?いや、生きているだろう。

 強く跳ねる心臓が、その鼓動を耳奥で響かせている。

 

 ふっ。

 

 すとん。

 

「……」

 

「えっ?」

 五月雨は思わず、声をあげた。

 いつ次の矢を番えたのだろうか?いつの間に放っていたのだろうか?

 それに、一度目に放った矢を裂くように全く同じど真ん中に当てているこの光景は何なのか。

 

「……こんなところか」

 ようやく彼は言葉を発した。ふぅ……と短く息を吐いた瞬間に額から汗が流れ落ちている。

 

「こんなものでもよかったのか? 見ていて特に面白いものでもなかっただろう?」

 

「い、いいえっ!!とてもっ!!すごかったです!!あぁっ!!」

 五月雨は立ち上がろうとして横に転げた。

 足が痺れていたのだ。

 うぅ…と呻いているのを見て、鏡は少しだけその鉄仮面のような表情を緩ませた。

 

「では、足の痺れが取れたら、総員起こしを頼む。そろそろ、本日の艦隊運営を始めよう」

 白み始めていた空の青さが徐々に明確になっていく。今日も澄み渡った青さの広がる快晴の空だ。

 この鎮守府の艦隊も目を覚まし始めていく。

 

「は、はい……うぅ……」

 恥ずかしさにただでさえほんのりと赤い頬を更に赤く染める。

 そんな五月雨の仕草を見ながら、鋭い彼の視線が彼女を試すように観察していた。

 

「……」

 和弓を立掛けながら、鏡の思考は幾度も巡り続ける。結局辿るのは同じ思考なのだが、それでも尚、彼の脳内からその疑問は払拭しきれない。

 認めては否定し、認めては否定し……その繰り返し。

 いくら友がそうだと言えど、いくら目の前でその力を見れど。

 

 頑固な親父の頭のようにこの脳は認めようとしない。

 

 どうして、こんな少女たちが戦えるのか。

 いや、こんな少女たちが本当に過去に人類を救ったのか。

 

 それは、軍人として真っ当に育ってしまった鏡の中に必然的に浮かび上がる疑問であり、様相に違うその存在があまりにも歪すぎるように感じるがあまりの少女たちを想う鏡なりの優しさのようでもあった。

 

 それが、自己嫌悪であることは一度も認めたことがなかったが。

 

 

 *

 

 

 五月雨がこの鎮守府に配属されて、1か月。少しずつ気温と湿度が上がってきてそろそろ初夏を迎える頃。

 この鎮守府に所属する艦娘は、既に6人。

 軽巡が1人と、駆逐艦が5人。

 

 水雷戦隊としての機能を存分に果たせるようになったこの鎮守府でこなせる任務の数も格段に増え、主に船団護衛ではあるが少しずつ実戦を積んでい成長している最中だ。

 

 窓から見える空は快晴。

 しかし、今日は任務はない。鎮守府で流れる穏やかな、とは言えないが何気ない平和な時間。

 訓練も午前組と午後組に分かれて、少ない人数で鎮守府の運営までやってしまっている。

 

 五月雨は今日秘書艦を務めていた。

 秘書艦はその時、実質その鎮守府の艦隊の指揮権を司令官に次いで持つことになる重要な職務だった。

 やることもただの司令官の補佐だけではなく、執務に加え、各書類のチェック、資源管理や経理、任務の管理etc、全部やってのけるだけの力を問われる。

 五月雨が横須賀にいた時には、叢雲が秘書艦、他の四人が秘書艦の補佐、と言った感じで5人全員でこういった仕事はやっていた。

 お陰でやり方を学び、それなりの経験を積むことができたため、配属された先でも上手くやっていけるようになっていた。

 

 舞鶴でもやることは大して変わらない。

 どこかかしこから集まってくる書類に記載されたデータを確認し、報告と寸分違いないか照らし合わせ、サインを記して加えて、確認のサインを司令官にもらう。

 申請があれば、それが通るかどうか今の鎮守府の状況から考えて決断する。余程の事がない限り、上申や申請は秘書艦が受け持つことになる。重要な事態が起きた時のみ、司令官まで上がることになる。秘書艦の責任はそれだけ大きい。

 

 秘書艦とは何か?全ての艦娘の代表と言ってもいい。

 唯一、司令官に意見具申を許された立場であり、その意見は艦娘の総意たるものである。

 司令官は秘書艦の意見に耳を傾ける義務がある。反した場合、それは艦娘たちの信頼を大きく損なうことに繋がり、結果、艦隊運営は崩壊する。

 

 さて、五月雨は秘書艦を務めるに十分な実力を持っていた。

 それは鏡も重々承知している。現に今も彼女は真剣な顔つきで執務に臨んでいる。

 

 しかし、五月雨にはひとつだけ、どうしようもないことがあった。

 それは彼女が艦娘として「致命的」なものではない。彼女が秘書艦として致命的なことではない。

 彼女の中ではそれが大きかったのだ。

 どれだけ注意しても思ってしまう。ちゃんと確認してしまっても起こってしまう。

 

 重大なことにつながったことは一度もない。全てが些細なことでしかない。

 だが、その些細なことがいつか重大なことに繋がるのではないかと、彼女の中ではいつ爆発するか分からない爆弾のように存在している

 

 五月雨はちらっと時計を見て、秘書艦用の執務机から離れた。

 今日は平時よりも気温が高かったため、少しだけ五月雨は早く動いた。

 その後の動作も、流れる様に、身体に刻み込まれたかのように動いていき、2つの湯呑をお盆の上に乗せて彼女は給湯室を後にする。

 

 給湯室は執務室の一角にある。他にも、シャワー室とかあるが使っているところは見たことがない。

 流石にトイレとバスタブまではないが、小さな洗面台程度ならある。

 少し中途半端な部屋だなぁ、と思ったこともあった。

 

 

 2人の目の前には、無残にも砕け散った湯呑とぶちまけられた日本茶の染みがくっきりと残った絨毯があった。

 

 

「……さて」

 鏡の口がゆっくりと開いた。ピクリと五月雨の肩が跳ねる。

 

「説明を願おうか?」

 

「え、えーっと、その……」 

 どもる五月雨。その表情には焦りの色しかなく、動けばさらに何かを壊しそうだ。

 

「君がここに着任して記念すべき10回目だ。始めは目を瞑っていたが、ここまで行くと最早君をこう評価せざるを得ない」 

 はぁ、と深い溜息を一つ落とし、背を預けた椅子の背もたれがギィと軋む音を立てる。

 

「……君はドジだな。相当の」

 

「はうっ!! うぅ……」

 五月雨はその言葉を受け止めると、恥ずかしさからか頬を赤くして俯いた。

 自身が天性のドジであることは散々理解していた。横須賀に所属していた頃から、まるでそうあるように生まれてきたかのように、五月雨は普通の人間―――艦娘ならば、起こることも繰り返すこともないほどの「些細なしくじり」をしていた。

 周囲の理解と、支えにより、重大なしくじりを起こしたことはないが、それでも何もないところで躓くことは多かった。

 

 叢雲の言葉を借りるならば「呪い」だろうか。

 

「まぁ、君がそう言う娘だとは御雲(みくも)から聞いている。難儀だな、そう言う体質と言うのも。とりあえず、割れた破片を片して絨毯が痛まないように拭いておいてくれ」 

 そう言ってちらりと窓の外を見ると、鏡は徐に腰を持ち上げた。

 立ち上がると高い位置から落とされる目線に更に圧倒される。

 

「せっかく淹れてもらって悪いが、今は少し席を外す。それまで君の分の仕事を済ませておいてくれ」

 

「は、はい……今度はドジはしません!!ちゃんとやり遂げて見せます!!」

 

「あまり力むと変なところで力が入る。そんなに力を入れてやる必要はない。肩の力を抜いて、それでも常に集中力を切らすことなく、適度にやってくれればいい」

 そんなことを言いながら、執務室の扉を潜ろうとした鏡は、どういう訳か額を枠にぶつけていた。が、何事もなかったかのようにそのまま歩いていった。

 

「……はぁ」

 提督の姿が見えなくなると、五月雨は肩を深く落としながら溜息を絨毯の染みの上に落とすかのように吐いた。

 どうしてこんなにもドジをするのだろうか?

 少なくとも、海の上ではこんなドジを踏むことは滅多に無いのに。

 

 寧ろ、彼女の戦いはその井出達からは思いもつかない勇壮さに凛々しさを覚えるまである。

 青い空を映す青い海の上で、波風に揺れる長く煌めく青い長髪。

 日の光を浴びて広く輝く肌の露出した二の腕の先に主砲を携え、真剣な眼差しをもって海上を颯爽と駆り、目標を的確に射抜く。

 

 初めて、鏡と(お互いに面識を持って)出会った時もこんな感じであったがために、日常ではこんな様子でガッカリさせたりはしてないだろうか?そんな不安が幾度となく脳裏を過る。

 

 犠牲になった湯呑もとうとう二桁台に突入してしまった。

 何度無残に砕け散った陶器を片付けると言う虚しい作業を繰り返せばいいのか?

 

「みなさんは…ちゃんとやれてるのかなぁ…?」

 ふと、同じ鎮守府で生まれた彼女たちを思い浮かべていた。

 途中から1人加わって5人。一緒に訓練をして、一緒に座学に励んで、一緒に出撃して、一緒にご飯を食べて。

 

 今思えば、人の身体として生まれたことも不思議なものだ。

 今となっては違和感もないが、何とも数奇な運命だ。

 

 こうやって、人間の指で、こんなに小さく砕けた、湯呑の破片を、摘まむことだってできる。

 

 全て破片を拾い上げて掌の上に乗せた。

 後は、乾いた雑巾を当てて、水分を吸いとるだけだ。

 

「えーっと、雑巾も確か給湯室に――――」

 雑巾を取ろうと屈んだ身体を起こした時、ドタバタという音と共に勢いよく執務室の扉が開いた。

 

「提督さん!!!訓練終わったぽい!!!遊ぶっぽい!!!」

 

「ちょっと夕立!?ノックもなしに扉を開けちゃダメでしょ!?!?」

 

 髪の色がよく似た双子のような2人が執務室に駆け込んできた。と言うよりかは、1人が勝手に飛び込んできて、それを止めるために飛び込んできてしまったという感じだろうか。

 

「あっ、夕立姉さんに…村雨姉さん?提督なら今は不在で……」

 リボンを蝶々結びでカチューシャのようにしている瞳の碧い駆逐艦娘《夕立》。

 ツインテールにしてゆらゆらと揺らしている琥珀色の瞳の駆逐艦娘《村雨》。

 二人とも、この鎮守府で建造された艦娘であり、過去に艦艇であった時には、五月雨の姉妹艦であり、僚艦であった。

 

 人間となった今では姉妹のような存在だが、彼女たちも彼女たちでなかなか癖がある。

 

「えぇ…なにそれ、つまんないっぽいー…提督さんどこー?」

 少しふて腐れた顔で明らかに機嫌を損ねた夕立。

 肩を上下させながら息を整えている村雨は、呆れた目つきで夕立の襟首を掴んで、

 

「提督もそんなに暇じゃないのよ?ほら、涼風のとこに戻るよ…ってあら?五月雨何してるの?」

 両手に湯呑の破片を集めて棒立ちしていた五月雨を見て、キョトンとした顔をした。

 五月雨は、自分の手の内にあるものを一度見て、少し笑いながら恥ずかしそうに目線を少し逸らした。

 

「えーっと、またやっちゃいました……」

 

「はぁ……」

 あからさまに村雨が呆れた様な溜息を吐いた。

 

「五月雨ちゃん、ドジっぽい?」

 オブラートに包むということを知らないのだろう。直球をぶち当ててくる夕立。

 

「もー、村雨たちが着任してからもう何回目?はぁ…片付け手伝ったげるから」

 夕立から手を離すとすたすたと給湯室の方へと言って箒と雑巾に塵取りまで持ってきてくれた。

 

「あ、ありがとうございます……」

 五月雨がぺこりと小さく頭を下げる横で、手っ取り早く絨毯の上を軽く掃いて細かな破片を集めて、五月雨の掌の中にあった破片も塵取りの中に入れさせた。

 

「いいのいいの♪それより、五月雨は提督に執務任せられてるんでしょ?そっちを早くしたら?」

 優しく微笑んで乾いた雑巾を濡れた絨毯に押し当てながら、執務机の方をちらりと見る。

 提督用の大きな机と、秘書艦用に側に設けられた少し小さな机。

 その上でどっさりと書類の山が乗っている。 

 

「あっ、はい。そうします……」

 執務机に腰を下ろすと、村雨は少し鼻歌交じりに絨毯の染みを消していっていた。

 村雨は面倒見がいい。姉妹艦の中では長女という訳でもないのだが、どことなく頼れるオーラがある。

 確かに少し姉妹の中では発育の良い2人だ。纏う雰囲気もどこか大人っぽさを感じさせる。

 

「退屈っぽいーーーーーー!!!」

 だが、こちらは子どもっぽいところがまだ残っている。

 頬を膨らませて腕をぶんぶんと振り回す夕立が喚き始める。 

 村雨は少しだけ不機嫌そうな色を浮かべて、立ち上がると夕立の方を向いて、

 

「もう!そんなに退屈なら食堂の由良さんの手伝いでもして来たら!?」

 ちょっと怒り気味に言い放った。実際、怒っていたのだろう。

 夕立は五月雨の目から見ても明らかにフリーダム過ぎる。

 

「由良さん!?うん!そうするっぽい!!!」

 そう言って勢いよく執務室を飛び出していった。

 さながら鎖を外された犬だ。

 

「ゆ、夕立姉さん!!廊下は走らない方が…行っちゃった」

 せめて自分と同じように何もないところで転んだり、床に顔を打ち付けたり、目の前を歩いている人のスカートをずり下ろすようなことが無いように祈るしかできなかった。

 

 この鎮守府も僅かな期間でそこそこの所帯になった。

 軽巡洋艦娘《由良》が着任し、水雷戦隊としての機能がはっきりとし始め、扱える任務の数が増えた。

 駆逐艦娘は《時雨》《村雨》《夕立》《涼風》と、自分が『白露型』のせいか姉妹艦が集中的に集まって着任した。

 

 今も一隻…いや、一人建造途中で合計七人の艦娘が所属する鎮守府となる。

 

 恐らく提督はその様子を見に行っているのだろう。

 

「はぁ、やっと騒がしいのがどこか行ったね……秘書艦はどう?大変なら代わってあげてもいいのよ?」

 パラパラと書類を確認しているところを、ふと村雨が話しかけてきた。

 

「だ、大丈夫です。私にはこのくらいしか提督のお役に立てないので……」

 

「ほーら、五月雨は少し卑屈すぎるんじゃない?五月雨はうちの要なんだからそんな卑下することないんだよ?」

 絨毯は結構綺麗になってほとんと染みも目につかないくらいになっていた。その上から軽く濡れ雑巾で叩いていた。 

 

「五月雨は頑張ってる。誰よりも真剣で、誰よりも強い。村雨も、夕立も時雨も涼風も由良さんも、提督もそのことはちゃんと知ってるから♪」

 村雨に深い意はなかっただろうが、五月雨は浮かない表情を浮かべる。

 

 確かにこの鎮守府の要は提督と自分なのだろう。

 軽巡洋艦である《由良》が着任した今でも、哨戒の際などには旗艦を任されることが多々ある。

 きっと信頼はされている。でも、周囲からの期待と信頼ほどの自信が自分にはない。

 

 それはきっと、重荷になっていく。それだけは分かっていた。

  

 

  *

 

 

 村雨が帰ってその際にお茶を淹れていってくれた。

 とても美味しい。一口飲んで、ふぅ…と長く息を吐く。

 足先まで伸ばして思いっ切り背伸びをする。まだ正午にもなっていないのに、少し疲れを感じた。

 山のようにあった書類も、半分以上減った。昼食まで頑張れば、ほとんど午後の執務はなくなるかもしれない。

 

 とは言っても、今日は午後から五月雨は訓練だ。

 午後からは軽巡洋艦《由良》が秘書艦を引き継ぐことになっている。

 午前中頑張ったからと言って、午後に休めるという訳でもない。それにきっと午後には午後の仕事がある。

 

 足の付かない椅子。やや自分には高い机。

 背もたれに体重を預けて、ぼんやりと天井を見上げていた。

 

 ふと、扉がノックされて1人の艦娘が入ってきた。

 

「失礼するね……五月雨?」

 

「あっ、時雨姉さん。はっ!!だらしない格好を……」

 

「いいんだよ、少しくらい休憩を挟んでも。五月雨はいつも頑張ってるからね」

 少し儚げな印象を持たせる容貌の少女が、優しく微笑みかける。

 艶のある黒髪を三つ編みのおさげを結っている少女、駆逐艦娘《時雨》。

 一人称が「僕」なのを含め、その雰囲気からしてやや独特な少女だ。物腰の落ち着いた穏やかな雰囲気で大人びている。

 

「それで…どうかしたんですか?」

 

「あぁ、そう言えば、僕はこれを届けに来たんだった。はい、午前中の資源管理表と倉庫の物品管理表。後で、涼風が今日の開発の報告書も持ってくると思うから、確認をお願いするよ」

 手に持っていたバインダーから、10数枚の紙を外して、五月雨に手渡す。

 

「ありがとうございます。確認しておきますね」

 五月雨が資料に目を通している間、時雨は窓際に立って外の景色を見ていた。

 一体、何を見ているのだろうと、ちらりとその横顔を見る。

 

 少し浮世離れした顔立ちに思わず見惚れそうになる。姉妹の中でも少し時雨だけは特別に思えた。

 他の姉妹とはどこか一線を挟んで存在しているような。

 

 時雨と話しているとまるでなんでも知っているかのような感じがするのを五月雨は感じていた。

 

「――――どうかしたのかい?」

 じーっと、時雨の横顔を見ていたのだが、いつの間にか時雨が五月雨を見ていた。

 目線が交差して、少し硬直する。

 徐々に顔が熱くなっていくような感じがして、急いで五月雨は視線を逸らした。

 

「ぼーっとしてるみたいだね。ちゃんと休んでるかい?午後の訓練、休むなら言っておくよ?」

 

「あっ、いや、何でもないです!!多分、問題ないと思います!!」

 

「問題って……五月雨がかい?」

 

「い、いえ、違います!!違わなくもないですけど……資料の方は多分大丈夫です。最後に提督に確認をとってもらいますね」

 

「分かったよ……本当に大丈夫かい?最近の五月雨は少し疲れてるような感じがするよ?」

 

「疲れとかは、特にないんですけど……」

 疲れというものはない。訓練の後や長時間の執務の後は確かに疲れるが、昨晩はちゃんと寝たし、起きた時も体は軽かった。

 

「じゃあ、何かに悩んでるのかい?なんでも話してよ。僕でよければ力になるから」

 悩み。ないと言えば、嘘にはなるが他人に話すようなものでもない。

 

「私は……大丈夫です」

 そうとだけ答えた。時雨はあまり腑に落ちたというような表情ではなかった。

 

「そうかい……?でも、無理はしちゃだめだよ。五月雨はいつも無理をし過ぎているようなところがあるからね」

 だが、それ以上は踏み込んでこなかった。

 

「そ、そうですか?」

 

「あまり溜め込んじゃダメだよ?提督でも、僕でも誰でもいいから、相談するのが一番いいはずだから。答えはいつも自分の中にあるとは限らない。誰かが持っているかもしれない。でも、結局そこに辿り着くために必要なのは、五月雨自身の意思だよ」

 

「……」

 五月雨はまたじーっと時雨の顔を見ていた。

 

「どうかした?」

 

「時雨姉さんは時々不思議なことを言いますよね」

 

「そうかな?僕は変なことを言っているつもりはないんだけど」

 

「変なことと言うよりかは、本当に何でも知っているかのような。未来でも見えてるんですか?」

 

「まさかね。僕は思ったことを言っているだけさ。未来なんて見えたら、僕は無敵じゃないか」

 

「でも、時雨姉さんの被弾率はびっくりするほど低いですよね?」

 

「うーん、一応僕は幸運艦と呼ばれる類の駆逐艦だからね。何か不思議な力が働いてるのかもしれないね」

 幸運艦、『佐世保の時雨』と言う名は有名だ。

 対を成す幸運艦『呉の雪風』と並び立つ幸運を背負う駆逐艦であった時雨は、艦娘となっても未だその運を背負っているのかもしれない。

 

「まあ、万事塞翁が馬。幸運は思いもよらぬところから、さ。僕たちにできることは簡単に沈まないように訓練を積むことだけ」

 そう言いながら、時雨は五月雨の頭を軽く撫でてる、小さく手を振りながら扉の方へと歩いていった。

 

「じゃあ、僕は戻るから頑張ってね。困ったことがあったら何でも言うんだよ?」

 

「はい、ありがとうございます」

 五月雨は小さくお辞儀をすると、時雨は微笑み返して執務室を後にした。

 再び静かになった執務室で、時計の針の音に紛れて、彼女がいた余韻がまだ響いている。

 

 本当に不思議な人だ。少しばかり憧れを抱くほどに。

 

 

「おーっす!五月雨ー、ちゃんとやってっかー!?」

 余韻をぶち壊す勢いでノックもなしに扉を突き飛ばしてやってきた少女が1人。

 

「涼風ちゃん、ノックしてから入ってきてください!」

 

「そんな細けえこと言うなよぉ。ほら、今日の開発の結果!!」

 そう言いながらずかずかと歩を進めて、執務机の五月雨に資料を渡した。

 

 五月雨と同じ制服。同じ髪色。違うところと言えば、彼女は青いリボンで髪を結っていて、やや口調が江戸っ子なところか。

 五月雨も十分元気で明るい少女であるが、この少女は別の方向で元気がいい。

 何かと似てはいるが、どこか似ていないような不思議な関係を感じさせる。

 白露型10番艦《涼風》、時雨と同じように同じ浦賀の工廠で生まれた駆逐艦娘である。

 

「……見事に失敗ばかりですね」

 

「おう!魚雷作ろうとしたら変なペンギンばかり出やがる……ここの工廠おかしいんじゃねえか?」

 悪びれる様子もなく、腕を組んで少し真剣な顔立ちでそんなことを言ってきた。

 思わず、眉を顰めそうになったが、流されることなく資料に目を通す。

 

「おかしいのは涼風ちゃんですよ。別レシピで九三式水中聴音機が1つですね……」

 

「てやんでぇ!あたいの腕はおかしくねえよぉ!!」

 今度はキッと目を見張って大声で叫んだ。

 

「ほら!腕もちゃんとぐるぐる回るし、脚だってちゃんと動くぞ!!朝飯もばっちり食ったし」

 

「そう言うことじゃないですよ!!……ところで涼風ちゃんはちゃんとやって行けてますか?」

 

「んあ?」

 

「『人として』の身体にはもう慣れましたか?この生活にも、戦いにも」

 この鎮守府では唯一、五月雨が「姉」として振る舞えるのが涼風だった。

 それに、涼風は自分が着任した後、すぐにやってきた艦娘でもあり、艦娘としての馴染みが深い。

 姉として、仲間として、少しだけ心の余裕があるうちに五月雨は問いかけていた。

 

「あぁ、そういう。まあ、あたいはいまさら人の身体貰ったことに何の違和感もなかったけどなぁ……昔から手足があったような気がしてたし」

 

「そうですか……何か困ってることがあったら言ってくださいね?」

 

「おう!!でも、この身体も案外悪くねえしな!早く人の形になった24駆にも会ってみたいな!!」

 歯を見せて笑う涼風の笑顔がふと眩しく感じた。

 

「五月雨は誰かに会いたかったりするのか?」

 

「えっ!?わ、私が……?うーん、2駆のみんなとは会えたし、うーん……」

 思えば、人の姿となって誰かと再会できるなんて考えたことはなかった。

 それに、導かれるようにかつての仲間たちとは会えたし、正直明日誰に会うよりか、明日自分はまだ生きているか、を考えなければならない世界だ。

 戦争であることはあの時からきっと変わらない。姿と敵の形が変わっただけで。

 

 でも、強いて言うのならば。贅沢を言うのならば。

 

「姉さんたちと妹たちかなぁ…?」

 

「じゃあ、大体あたいと同じだな!!白露の姉貴と春雨の姉貴も加えて!!」

 

「もっと賑やかになりそうですね」

 

「おうよ!!毎日お祭りって感じでいいじゃねえか!!」

 

 思えば、船としての戦いは減ることばかりを考えてきた。

 五月雨自身も、一つの船の終わりを幾度となく見てきた。

 

 自分がこれからは新たに生まれ行く者たちを迎えていく側なのだと思うと、一層気が引き締まったような感じがした。

 

「……よっし!私、がんばっちゃいますから!!」

 軽く頬を叩いて、少し緩んでしまった自分自身を結び直す。

 

「んん?どうしたんだい、五月雨?」

 

「うん!涼風ちゃんありがとうね!!」

 

「え?え、えへへ!!良いってことよぉぅ!!」

 何が何だか理解していない様子だが、満足げな表情ではなの舌を指で擦っているが、少し腑に落ちていないらしかった。

 それでも、涼風はそれだけで満足しきってしまったようで、そのあとすたこらと執務室を後にした。

 

 再び1人となった部屋で、窓から見える青い空を眺めた。

 誰かに会ってみたい。ふと、脳裏を過ったのは、1隻の軽巡洋艦だった。

 

「……夕張さん、元気かなぁ」

 多くの船の終わりを見てきた。その1つの中に彼女がいた。

 もし、もう一度出会えて、更に言葉を交わすことができたのならば、嬉しい。

 

 

   *

 

 

 

「……任せて悪かったな。」

 扉が開く音がして、五月雨は鏡が戻ってきたことに気が付いた。

 

「あっ、提督お疲れ様です。時雨姉さんと涼風から、午前中の資材、倉庫のチェックと開発の報告書を受け取ってます。確認が終わってるのでサインをお願いします」

 自分の執務机に並べていた資料をまとめて、帰ってきた鏡に手渡した。

 

「あぁ、分かった……ご苦労だったな」

 椅子に腰を掛けると、鏡はふぅ…と長く息を吐いて万年筆を手に取った。

 五月雨は少しだけ鏡の表情を窺いながら、小さく息を吸い込む。

 

「あの……どちらに行かれてたんですか?」

 

「工廠の方に建造の確認とと……簡単な挨拶回りだ」

 

「挨拶回り……?」

 もう1ヶ月になるがそういうことはしたことがなかったし、初めて聞いた。

 

「この鎮守府はどうやって資源調達や日用品、毎日の食事を揃えていると思う?」

 

「あっ、そう言えば……」

 五月雨たちは遠征にも行っていないし、町に出て買い物なんかに行ったこともない。

 今まで、自分の身の回りにあったものがあって当然のものだと思っていた。

 

「舞鶴鎮守府はまだ遠征の配分が決まっていないのでな、大本営からの供給で資源調達を行っている。君が来る前に一回。そして、今日が1か月おきの2回目という訳だ。私たちの鎮守府を運営する重要な物資の運搬、それを行ってくれている方々への敬意と感謝を忘れるわけにはいかない。鎮守府を代表して、私が挨拶をしているんだ」

 

 五月雨は自分の知らないところでの提督の苦労を初めて知った。

 苦労と言うよりは、心遣い。誠実さとも言える。

 

 そして、陰で自分たちを支えている存在について知った。

 決してこの戦いは自分たちだけで回しているものじゃない。色んな人の支えがあって回っているのだと。

 

 その支えは、ふと五月雨の中で、彼女たちの存在と重なった。

 

「……ふふふっ♪」

 思わず、笑みがこぼれる。

 

「ん?急にどうしたんだ?」

 

「いえ、私はこの鎮守府のみなさんに大切にされているんだな、と」

 そう言った後に、自分の言葉が少し足りなかったことに気付いて、小さくあっ、と声をあげた。

 

「いいえ、この鎮守府の方だけじゃありません。多くの人たちの期待を背負って、その支えを借りて、今ここにこうしていられるのですね」

 

「……仕事と言ってしまえばそれまでだが、確かに」

 

「私は期待に沿えてるでしょうか?私はその期待に見合う存在でしょうか?」

 自信がなかった。

 この鎮守府を率いていく存在の一人なのだと分かっているのだが、それでも自信がなかった。

 本当にそんなものが自分の身の丈にあったものなのか。

 

「……それは他人に訊くことではないと思う。期待に応えられるように邁進し続ける。それが私たちの責務だ」

 鏡は考え込む様子はなかった。

 既に答えを持っていたかのように、少しの間を置いてそう答えた。

 

「期待に応えられるか、そんなこと考えていては重圧に押し潰されてしまう。君が思っている以上に私たちの肩に乗っている期待は大きい」

 

「そ、そうなんですか……?」

 

「だから、自分は今、多くの人の期待に見合うだけの仕事をしていると誇れるだけの努力を積むしかない。それはいずれ結果として現れる。君はそう在り続けるように努力をしているのだろう?」

 

「えっ?あっ、はい……」

 

「常に全力で、慢心することなく、事に当たっていこう。君はそれができる実力がある」

 大きな掌が、そっと五月雨の頭の上に置かれた。

 思わず両目を閉じてしまった五月雨は片目を開いて、鏡の表情を窺うと僅かだが、堅いその表情に柔らかい笑みが浮かんでいた。

 それがなぜか嬉しかった。

 

「……はいっ!私頑張りますね!!それと」

 

「どうした?」

 手を離して、サラサラと万年筆を走らせる鏡を五月雨はもう一度呼び止める。

 

「今度、挨拶に行くときは私も連れて行ってください!」

 

「……フッ、覚えておこう」

 

 

 

 

 そして、再び誰かが扉をノックする。

 今日だけとは限らないが、相変わらず執務室には来客が多い。

 

 ノックの音に呼応するように、部屋の仕掛け時計から小さなハトが飛び出した。

 

「失礼します。提督さん、五月雨ちゃん、お昼ごはん持ってきましたよ」

 ピンク色の髪の女性が、もの穏やかな声で二人にそう呼びかけた。

 長い髪を黒いリボンで巻くように束ねている優しい声の女性は軽巡洋艦娘《由良》だ。

 この鎮守府唯一の軽巡洋艦で、今日は食事当番になっていた。午後からは秘書艦も務めることになっている。

 

「ごっはんー♪ごっはんー♪今日はカレーっぽい!!」

 彼女に続いて、夕立がお盆をもって執務室へ入ってきた。

 かなりご機嫌な様子で、ルンルンとしている。

 随分と由良に懐いているようで、由良の後ろをよく犬のように付いて回っている。

 

「あぁ、すまない」

 

「由良さん、わざわざすみません……」

 鏡はほとんど執務室で食事を済ませてしまう。

 と言うより、行動が淡白で執務室でほとんど仕事を済ませてしまう。

 他には、弓道場、工廠、自室、浴場くらいしか必要最低限の行動をしない。

 

「カレー、今日は金曜日だったな」

 

「海軍の金曜日と言えば、カレーですからね。午前中はお暇頂いたので、結構手を掛けてみたんですよ?」

 

「夕立も手伝ったっぽい!」

 

「そうか。由良、夕立、ありがとう。それと、由良は午後から執務の方を頼む」

 

「はい。由良にお任せください。と、言っても五月雨ちゃんほどちゃんとやれるかどうか不安だけど」

 

「そ、そんなっ!由良さんの方が私よりずっと手際良いし、字も綺麗だし」

 慌てる五月雨を見て、由良は少し五月雨を弄るように笑った。

 

「ふふっ、五月雨ちゃんを見てると癒されるっ♪」

 

「五月雨ちゃんは白露型の癒しっぽい!」

 

「だとさ。よかったな五月雨」

 

「えっ、そ、そうですか?えへへー」

 鏡にも褒められたような気がして、五月雨の表情が気が抜けて緩んでしまう。

 

「ちょろいっぽい」

 傍から見ていた夕立は相変わらずストレートな言葉をぶつけるが、五月雨には届いていないようだった。

 

「さて、冷めないうちに頂くことにしよう」

 

「そうですね!いただきます……あっ、美味しい」

 一口。ルウとライスを適度に混ぜてスプーンに乗せ口に運ぶ。

 少し時間が経っていた為、熱々ではなかったがそれがかえって食べやすい温度で温かさがあった。

 ゆっくりと咀嚼してのみ込む。そして、すぐに五月雨の口から言葉が漏れた。

 

「……少し私には辛さが足りないが、それに勝るコクがあっていいな。今まで食った中でも一番かもしれん」

 恐らく、鏡にお世辞のつもりはないだろう。

 嘘が吐けるほどに器用な人間でないと自負しているほどだ。

 

「そう…?よかったぁ…ねっ、夕立ちゃん」

 由良は花が咲いたかのように笑顔になって、夕立と顔を見合わせた。

 

「うぅ…夕立も早く食べたい!!由良さん!!食堂に戻るっぽい!!」

 一方の夕立は美味しそうに昼食を頬張る二人を見て我慢できなくなったのか駆けだしていってしまった。

 

「あっ、夕立姉さん走ると危な……行っちゃった」

 

「なにか隠し味でも入れてるのか?不思議な香りが口の中で広がる」

 鏡も思わず気になってしまったらしい。

 これまで食事は当番制で担当が回っていた。カレーも時々出てはいたが、今日のカレーはいつものとは違うことが五月雨でも分かった。

 まあ、五月雨は料理が不得手なので、いつも姉たちに頼りっきりなのだが。

 

「それは秘密です。ふふっ、戦い以外にも由良のいいとこ、たくさんあるんですよ?」

 口の前に人差し指を当てて、片目を閉じる。

 あぁ、この辺りが本当に大人っぽい。何気ない仕草に五月雨は憧れた。

 

「あぁ、由良にもずいぶんと頑張ってもらっている。これからもよろしく頼む」

 

「はい、提督さん。それと、時雨ちゃんが建造がそろそろ終わりそうだって言ってましたので、食事の後にでも工廠に赴いてみてくださいね?」

 

「分かった。報告ありがとう。昼食がまだなのだろう?食器は自分が持って行くから、もう下がってくれても構わないぞ」

 

「はい、では失礼しますね」

 そう言って、由良は執務室を後にした。去り際に小さく五月雨に手を振る。小さく会釈をして五月雨は返答した。

  

「……提督はカレーがお好きですか?」

 

「好きかと訊かれると、微妙なところだな。嫌いではないが、あまりいい思い出がない」

 

「思い出、ですか…?」

 

「学生時代のキャンプでどこかの馬鹿がボーキサイトぶち込んで酷い目に遭った。そのせいで少し疎遠になっていたかもしれんが、これからはそうでもなくなりそうだ」

 

「あははは……」

 思わず乾いた笑いが出てしまった。カレーに金属を溶かし込むなど常人の考えではない。

 カレーに酢をぶち込んだ五月雨でも、恐らく思いつかないだろう。

 だが、料理が得意な艦娘とそうでない艦娘の違いはいったい何なのだろう?

 艦であった時代に艦娘が料理をできるはずもない。では、主計科の記憶なのだろうか?

 

 そんなことを考えながら、穏やかに流れていく少しスパイスの効いた香ばしい時間が過ぎていった。

 

 

    

    *

 

 

 工廠で魚雷の調整を行っていた時雨の下に、一人の妖精がぴょこぴょこと歩いてきた。

 

「ん?どうしたんだい?」  

 妖精は時雨を見ると、しきりに手を振って飛び跳ねていた。

 どうやら、建造が終わったらしい。妖精の反応を見る限り、「当たり」を引いたようだ。

 

「なるほど。建造が終わったんだね。でも僕はこれから訓練だし、工廠番は村雨に引き継ぐんだけどなぁ」

 当の村雨はまだ工廠に来ていない。

 時雨が昼食を早く食べ終わって、先に艤装の取り付け作業を行っていた為、今交渉には時雨しかいなかった。

 

「仕方ないなぁ。僕が少し説明しておくかな……?」

 時雨は腰を上げると、スパナを近くの机の上に置いて建造ドックの方へと歩いていく。

 

 他の鎮守府の建造ドックがどうなっているのかは知らないが、舞鶴鎮守府は大きく分けて3つに分かれている。

 

 艦娘の本体を作るもの。

 艦娘の艤装を作るもの。

 艦娘に付属するものを作るもの。

 

 最後の2つは合わせて艤装と括られることが多いが、作っている妖精たちからすると違うものらしい。

 今回の建造では、3つ全部が稼働していた為、恐らく特殊な戦闘方法なのだろう。

 

 建造ドックの方へ赴くと、3人くらいの妖精が完成したものを運んでいた。

 

「……弓?」

 弓と言えば、おのずと鏡の事が思い浮かんだ。

 しかし、弓で戦うなどと言う艦種などあるのだろうか?

 

「いったいどんな艦娘なんだろう…?」

 歩みを進めていった先で、新たに生まれた艦娘と時雨はすぐに目が合った。

 

 青い袴の弓道着を纏う女性だった。

 サラサラとした美しい黒髪を横でまとめて、とても綺麗な顔立ちをしている。

 だが、どこか目つきがきつい。100人中100人が彼女を美人だと言うだろうが、その目つきは80人くらい追い払うだろう。

 

 周囲にはたくさんの妖精がいた。

 彼女の身体によじ登り、艤装の取り付け作業に忙しそうだった。

 そのうちの一つ。

 大きな木の板のように思えたが、裏に鋼鉄の板が貼られている。木板の方には白い線が何本も引かれてあった。

 

 見覚えがあった。これは飛行甲板だ。

 

「空母、か」

 時雨はすとんと納得が行ったようにそう呟いて、彼女の方へと歩を進めていった。

 

「……これはいったいどういう状況なの?」

 その女性が時雨に問いかけた。

 

「少し戸惑うかもしれないけど、僕たちは人の身体を得たみたいだ」

 

「人の身体……?そんな、私は船だったのよ?」

 

「うん、僕だってそうだった。でも、こうやって人の身体を得て生まれてきてしまったんだ。混乱するだろうけど、今、君は人なんだ。正確には艦娘と呼ばれてるけどね」

 

「艦…娘…?」

 

「とにかく、後でここの提督が来るからその人から詳しく聞いてよ。とりあえず、名前を教えてもらえるかな?」

 

「名前?私は……」

 女性は少しだけ頭を押さえて思い出しているらしかった。

 建造直後、多少記憶が混濁するのは仕方のないことらしい。船の記憶が人の身体に定着するのには、ちょっとだけ時間がいるらしいのだ。

 

「僕は駆逐艦《時雨》、きっとこれから一緒に戦っていくことになる仲間だよ」

 

「私は……あぁ、そうだった。私はミッドウェーで……」

 女性の目が驚くほどに見開かれて。突然頭を抱えて蹲った。肩に乗っていた妖精が転げ落ちていったが、下で他の妖精に受け止められていた。

 恐らく、自分の最期を思い出したのだろう。

 同じような経験をしたのだから分かる。

 

 

「……そろそろ話せそうかい?」

 

「えぇ、ごめんなさい。そうね、自己紹介だったわね」

 彼女が落ち着くまでそんなに時間はかからなかった。その間に妖精たちの作業は進められて、彼女の身体に全ての艤装が取り付けられた。

 

 時雨と向き合った彼女は、とても凛々しかった。

 駆逐艦とは違う圧倒的な力。その存在感。全てを彼女のその佇まいが表していた。

 

「――――航空母艦《加賀》です。赤城さんと共に、栄光の第一航空戦隊、その主力を担っていました」

 

 まるで解れていた糸を手繰るように、途切れていた糸を紡ぐように。

 

 運命と言う糸は、歯車に巻き取られるかのように。

 

 舞鶴鎮守府に、航空母艦《加賀》が着任した。

 

 

 

 

 

 




 長え。


 ご無沙汰しています。長らく更新無くて申し訳ないです。

 年が明けてからかなり多忙でしたので、なかなか執筆する時間が確保できませんでした。
 ですが、ちょっとした空いた時間に全体の構成を考えたりして、どういった感じで物語を進めていくか考えることができたので、これからは少しずつ更新速度を戻していきたいと思います。


 さて、今回は鏡と五月雨のいる舞鶴鎮守府でした。
 舞鶴鎮守府は前章でも少し話に出ましたが、この世界では《翔鶴》がかつて所属していた鎮守府です。冒頭にやや不穏な文章がつらつらと並んでいましたが、その話もいずれ書こうと思っています。


 鏡 継矢(かがみ つぎや)。
 今回なかなか多く語ることはできませんでしたが、かなり背の高い美男子と言った感じです。髪も長く、女性と見間違うこともありますが、声も性格も男らしい、根っからの軍人気質のある提督です。
 冷静さを決して欠くことがなく、抜群の指揮力で艦隊を勝利に導く優秀な提督です。学生時代は御雲とよく一緒にいて、よく語らっていた親友です。
 鉄仮面に見えて意外と感情豊かです。よく笑います。あと、意外と小食です。
 その育ちから少し独特な思考回路を持ち、独自の艦娘に対する考えもあります。
 生まれながらよく頭を打ちます。
 艦娘の子孫ですが、やや特殊です。そうなってしまった理由は「横須賀編」で明らかにします。


 本当に長い間すみません。これからもよろしくお願いします。
 次回は「佐世保編」です。新しい提督と、電の配属された鎮守府の話です。




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狩人の後胤 -佐世保鎮守府にて-


新しい提督が出てきます。
電が島流し(?)に遭うまでの物語です。


 

 

 ―――――――佐世保鎮守府。

 長崎県佐世保市にある天然の良港。アジアの玄関口とも呼ばれる九州に属するこの鎮守府は対露、対中、また東アジアへの進出の根拠地として西日本地域一帯の海軍の中核を担っていた。

 「西海の護り」の名の下に、列強大陸に面する海の防衛、更には三菱重工長崎造船所による高度な造船技術。

 特に、造船の分野ではいまだに現役であり、戦艦「霧島」「武蔵」などの主力戦艦を民間の造船所として大きな功績を残している。

 街と1つの橋を架けて繋がっており、その庁舎が空襲により消失するまで、佐世保の街、長崎の街、そして九州を守る重要拠点であった。

 戦後は鎮守府跡地は佐世保公園となり、その役目は海上自衛隊佐世保基地へと受け継がれ、最も多くの護衛艦を配備された、今もなお「西海の護り」として、日本の西部一体の防衛を行っている。

 

 佐世保と言えば、食事の美味しいところである。

 「佐世保バーガー」と言えば、誰もが耳にしたことのあるグルメであろう。

 更に、ビーフシチューやぜんざい、ステーキなども、海軍縁のグルメとして有名である。

 

 観光面では「セイルタワー」が有名であり、佐世保基地巡礼に行った際には皆が訪れる場所であろう。

 多くの資料や模型が展示してあり、また佐世保鎮守府の歴史が多く学べる場所でもある。

 

 そして、時代は深海棲艦との戦いの時代に移る。

 南西諸島、及び南部海域方面の当初の本土拠点であった佐世保には、膨大な戦力が集結させられており、最大の攻略戦線の第一線とも呼ばれていた。

 徐々に、南西諸島方面に泊地や基地の展開が進んでいくにつれて、佐世保は本土と泊地を繋ぐ中継地点として機能。

 更には、呉、舞鶴からの南西諸島、南部海域への作戦介入における後方支援として大きな役割を担っていた。

 

 艦娘史にて戦況が落ち着いた頃に、佐世保は「屈指の水雷戦隊」が集う場所としてその名を馳せた。

 1人の軽巡洋艦娘、それに付き従う5人の駆逐艦娘。

 3部隊存在した佐世保の水雷戦隊。それぞれが一流の技量を持った者たちで構成されており、大規模作戦では作戦の先陣を切り、敵艦隊を蹴散らす存在であった。。

 

 圧倒的火力と統率力、情け容赦のない水雷戦で敵を葬る《鬼神部隊》。

 風の如き速力で夜の闇に紛れ、奇襲や偵察を得意とした《夜叉部隊》。

 まるで海を舞台のように駆け回り、敵を翻弄し戦場を掻き乱す《羅刹部隊》。

 

 各地に派遣され、その技術の継承を晩年には行っていた彼女たち。

 日本一の水雷戦隊、佐世保に在り、と言わしめた彼女たちの裏で、密かに海を守る存在が佐世保にはあった。

 

 佐世保にはもう一つ大きな役割があった。

 日本近海の海賊の盗伐。いわば、「海賊狩り」であった。

 深海棲艦の登場により、シーレーンが破壊された他に、海上の治安は著しく悪くなり、海賊などが命辛々生き延びて来た輸送船を襲撃するなどと言ったことが多発していた。その防止、及び破壊に艦娘として2人の軽巡洋艦娘が存在していた。

 しかし、彼女たちの名が表に出ることは少なかった。あくまで艦娘の裏家業であったためだ。

 表舞台で活躍していた佐世保の水雷戦隊旗艦である軽巡たちは知っていた。

 その2人は自分たちを圧倒的に上回る実力も持っていると。

 

 100年前の戦いが終わった後、彼女たちの子孫が今もなおその名を背負っている。

 海軍においても、超法的存在であるためその名は表に出ることはない。

 だが、確かに存在しているのだ。

 

 「狩人」の名を引き継ぐ者たちが。

 

 

 

 そして、時は巡り、佐世保鎮守府に横須賀より、駆逐艦娘《(いなずま)》が着任した。

 

 

    

     *

 

 

 

『――――んだよ。もう満足だろ?海軍様様が俺みたいな落ちこぼれ痛めつけて、正義の鉄槌だとか語るんだろ?じゃあ、もう十分だろ?』

 

『……いや、俺は別に正義がどうこうとか語るつもりもなければ、別にお前をそこまでボコボコニするつもりもなかった』

 

『あぁ?じゃあ、何だってんだ?俺の事は知ってるんだろ?』

 

『お前の家のことは、な。俺も代々海軍の一族の一端だ』

 

『はぁ……で?俺みたいな出来損ないをどうしたいんだ?』

 

『あくまで名目は、海賊気取りで港湾を荒らしている馬鹿をとっちめて来い、というものだ』

 

『じゃあ、もう終わったな』

 

『いや、違うな……お前は、「―――――――」』

 

『――――ッ!!うるせえよ!!お前に……ッ!!』

 

『すまない。少し俺の思い違いだったかもしれんな』

 

『……もう帰れよ。俺もこれを機に何もかもやめるよ。もう糞ったれな世界には飽き飽きだ』

 

『……命を捨てるのか?』

 

『引き留めるなよ?俺の家の事を知ってるなら、俺がどういう存在で、俺がどういう扱いをされてるのか、アンタも海軍の家の出なら分かるだろ?』

 

『……』

 

『どうして、親父たちは俺を生かしたんだろうな?邪魔なら殺せばよかったのにな……』

 

『……馬鹿をとっちめるのは名目だと言ったろ?』

 

『あ?』

 

『お前に仕事をやる。俺の本来の目的はそっちだ』

 

『はぁ?俺に……仕事?』

 

『楽な道ではないぞ。だが、きっとお前の力が役に立つ。だから、俺に付いてこい』

 

『……いいのか?今日の事、根に持ってアンタを襲うかもしれねえぞ?』

 

『その時は返り討ちにしてやる。来るのか?来ないのか?』

 

『……まずはその仕事の内容を説明しろよ。それからだろ?』

 

『お前に隠す必要はないだろう。再び、艦娘の力がこの世界に必要になる』

 

『…………は?』

 

『彼女たちを率いる者、その素質を持ち合わせた者が必要だ。お前はその一人になれる』

 

『ちょっと待てよ。艦娘の力が必要になるって……』

 

『どうする?その命、泥水の中に捨てるか?それとも、艦娘を率いる提督となり、お前を捨てた者たちを見返すか?』

 

『……』

 

『俺がくれてやるのは機会だけだ。そこから先の決断はお前がしろ。まあ、お前ならば……』

 

『……やるよ。やりゃぁ少なくとも今よりはまともに生きられるんだろ?』

 

『それはお前次第だと言っている』

 

『連れて行けよ。俺を』

 

 それで連れていかれたのは、真っ白な場所だったか?

 はっきりとは覚えていないが、冴えない顔の奴らと一緒に制服着せられて学校に通わされたなぁ。

 騙されたと思った。あの男を見かける度に後ろから殴りかかってやったが、いつも取り巻きに邪魔をされた。

 

 結局、一度もアイツには勝てなかった。

 だがこれから先は違う。深海棲艦が発見されたとの報告は、ある意味俺にとっては朗報だった。

 雨水に打たれて、泥水を啜って、濁った海に何度も突き落とされて。

 殴っては殴り返されて、拳銃の鈍い音が幾度も響く。水溜りに似た赤い血溜まり。

 

 怪我なんて数え切れないほどしてきた。骨なんて未だ治ってるかどうかすら分からねえほど負ってきた。

 

 戦いの場数において、生死をかけた戦場の数において、俺はアイツよりも場数を踏んでいる。

 

 アイツよりも俺は貪欲に生きて、強欲に戦い抜いてやる。

 俺の下に付くやつら全員に地獄で生き抜く術を叩き込んでやる。一人も死なずに、敵を葬り去る術を叩き込んでやる。 

 さて、艦娘とやらはかつての軍艦の魂を引き継いでいると聞いた。

 だとしたら、きっと鉄と血の匂いが好きな好戦的な奴らだろう。

 

 フフフ、楽しみだ。

 

 そう息巻いていたはずなのに、配属された鎮守府で楽しみにくる奴を待っていたのに。

 

 

「――――し、失礼しますっ!!なのですっ!!」

 俺の部屋に入ってきたやつは、随分と声が幼かった。

 ちょっと待て。冗談だろ?

 俺は―――――。

 

「し、司令か……はにゃああああああああああああああああ!!!!」

 

 

「うぎゃあああああああああああああああ!!子どもだぁあああああああああああああ!!」

 

 俺は、子どもが苦手なのに。

 それを知っていて、俺のところにこんなガキを送り込んできやがった。

 しかも俺の面を見て、悲鳴を上げるような軟弱な奴を。

 

 また、御雲の奴に騙されたようだ。今度会ったらぶち○そう。 

 

 

 こうして、俺こと天霧 辰虎(そらきり たつとら)の提督1日目が始まった。

 

 

 

     *

 

 

「……いきなり叫んですまなかった」

 執務机にゲンドウ座りから更に深く頭を沈めて座っていた。

 白い手袋、パリッと糊の利いた軍服に軍帽。全て今日に際して支給されたもの。

 やや、天霧には堅苦しいものであったので、黒いTシャツの上から上着を羽織るように着ていた。

 髪は短く軍人らしく刈上げも入って整えられているが、頬に走る3本の傷跡、太い眉の下に人を殺しそうな目つき、何より左目を覆う眼帯が、言葉にし難い威圧感を放っていた。

 その正面に立たされている電の脚は小さく震えていた。

 

「いえ、電こそすみませんなのです……ところで」

 身体の震えが声にも表れて、まるで生まれたての小鹿のようであった。

 

「あ゛?」

 無慈悲にも小鹿を鋭い眼光が撃ち抜いてしまった。

 

「ひぃっ!!い、いえ、なんで電に驚かれたのかと」

 

「お前……電とか言ったか?」

 

「は、はいなのです!!」

 

「この鎮守府にいる限り、俺の周囲2メートル以内に入るな。極力、背後に回るな。呼び止めたい時は、必ず遠くから声をかけろ。執務室に入るときは必ずノックをしろ。いいか?それがこの鎮守府のルールだ」

 

「はい……もし、破ってしまったら」

 

「その場で叩き斬る。反射的に叩き斬るかもしれん。警告できる自信はない。今、警告しておく」

 

「ひぃぃぃいッッ!!!」

 電の脚がまるで地震でも起きているかのようにガクガクと震え始めた。

 これ以上、この男の前に立たせていると失禁しかねないレベルで怯えている。

 

「ふぅ……」

 天霧は革の椅子に体重を預けて凭れ掛かり、木板の天井を見上げた。

 当初の目的から大きく外れたスタートとなった。天霧の中の野望とやらが無残にも崩れ落ちていく傍ら、そんな心配をしている暇もないことを天霧は感じていた。

 

「俺は子どもってのが苦手なんだ。あまり近寄られ過ぎると蕁麻疹が出るレベルでな。まさか艦娘とやらがお前みたいなチビっ娘だとは思いもしなかったんでな。少し驚いたんだ」

 

「ち、ちびっ娘……」

 何やら電はショックを受けているらしかったが、天霧の知るところではない。

 

「俺の名は天霧。天霧 辰虎。階級は特務中佐だ。あぁ~、面倒くせえ……もういいや」

 ガタン、と音を立てて背もたれから起き上がると、またそれに電がびくりと肩を跳ねる。

 

「今日は看板だ。自由にしていいぞ」

 選んだことは何もしないことであった。

 

「えっ、でも……」

 当然、電は戸惑った。まだこの鎮守府には自分しか着任していないはずである。

 その自分が何も与えられずに自由奔放とされては、誰がこの鎮守府で戦いの責務を担うのだ?

 

「あのっ、司令官――――」

 

「あー、あれだ。自由って言うのは、今のうちにこの鎮守府の隅々まで把握しとけってことだ。知ると言うことは利があると言うことだ。手前の拠点すら把握できてない奴にこの世界は広すぎる。一瞬で淘汰されるぞ。だから、今日は自由だ。何かするも、何もしないも、何か知ろうとするも、何か学ぼうとするも、全部自由だ。明日から色々する。それまでに把握できてないことがあったら罰走だ。分かったか?」

 

「えっ?あの……」

 

「それとお前、飯作れるか?」

 

「飯、ご飯ですか?い、一応、簡単なものならできると思うのです……」

 

「じゃあ、晩飯の支度もしとけ。この鎮守府にあるものは何でも使っていいぞ」

 

「えっ、その……」

 唐突に与えられた自由。正確には、食事作りという職務も与えられたが、電が予想していたものとは余りにも違い過ぎて小さな頭は混乱していた。

 

 与えられた時間。やらなければならないこと。

 余った時間。やっておきたいこと。

 

 ○○をしろと言われれば、その方が楽だ。自分のやるべきことが明確で、目標が明確だからだ。達成するまでの時間や過程を逆算できる。

 しかし、何かをしろと言われないと、自らすべきことを考え出して、不明瞭な目標までの道のりを、与えられた時間の枠の中に収まるような経路で作り上げていかなければならない。

 鎮守府について把握しろ、夕飯の支度をしろ。

 この2つを与えたのは、天霧としてはハンデのようなものだったのだろう。

 だが、それが「罰」と言う付加的存在によって意味を変える。

 

 どの程度まで把握すればいいのか?

 どのレベルの夕食を求められているのか?

 

 2人は初対面だ。互いの趣向を知るはずもない。後者は特に難しい。

 

 その能力はいずれ求められるものなのだ。

 どのような人間にも、更なる自身の向上のために。

 

「質問は?」

 おろおろとしていた電に畳みかけるように天霧は言葉を重ねる。

 情報処理の追いつかない電は、あまり待たせれば機嫌を損ねて身の危険を咄嗟に察知し、逆算して質問した。

 

「え、えーっと、じゃあ、消灯時間と……夕食のリクエストを」

 制限時間と、ヒントだった。

 

「消灯時間はフタフタマルマル。夜間警戒は俺がやる。ガキはさっさと寝ろ。明日は朝から訓練だからな。飯は米に合う美味いものだ」

 

「わ、分かったのです……」

 とりあえず、白飯を用意しなければならないことが分かった。 

 だが、そこまでだ。夕飯のメニューは追々考えるとして、やっておきたいことをやらなければならないことで埋まってしまう時間の隙間に詰め込んでおかなければならない。

 

 とにかく、天霧は厳しい。それが電の第一印象だった。

 電でなければ、適当だとか、雑だとか、そう感じるかもしれないが、少なくとも電にはその本旨が理解できていた。考え過ぎなのかもしれないが、初日から試されているのだと。

 下手すれば、自分の命が危ない。常に天霧が傍らに置いている軍刀の光を見ることになるかもしれない。

 

 面白い。結論として、電はそう思った。

 確かにこの提督は様相こそ怖いし、常に威圧してくるし、下手すれば叩き斬ってくるような提督だろうが、そのくらいの厳しい環境の方がいい。

 と言うか、叢雲の指導のせいであまりに温すぎるとそれもそれで嫌になっていたし、今の電は訳あって自分に厳しさを強いていた。

 

 だから、やりたいことがたくさんあった。

 やらなければならないことの合間にその全てを詰め込みたかった。

 冷静になって考える。きっとできるはずだ。 

 

「他、ないなら行け」

 天霧がそう言って、若干追い払うように手を払った時、電は半歩前に踏み込んで声を発した。

 

「あのっ!……えーっと、じゃあ、もう1つあるのです」

 初めて天霧に対して、電は芯の通った声を発する。

 

「なんだ?」

 ギロリ、と別に本人は威圧しているつもりはないのだろうが、恐ろしい眼光が電を差す。

 電は表情こそ、真剣なものであったが、実はこの時笑っていた。

 提督への少しの期待。それと、新たな生活から得られそうな何かへの期待。

 

「艤装の……訓練海域での使用許可を」

 試されているのならば、思いっ切り乗ってやろう。

 電の選択はそれだった。

 

 

 

 

 

 鎮守府の把握はそんなに時間がかからなかった。

 流石に横須賀よりは小さいし、設備の規模もそれほど大規模なものじゃない。

 出撃ドックもやたらと機械づくめの横須賀のようなものじゃなくて、普通に整備された桟橋のようなところだった。他に、入渠ドック、工廠、艤装保管庫、資源管理庫、その他の備品倉庫、戦闘面に関わるのはそのくらいだろう。

 生活面では、グラウンド、酒保、食堂、資料室、寮、談話室、と言った感じに上手く収まった感じに小さいながら充実していた。執務室の中に扉伝いで指令室が設営されているので、作戦などの立案、検討、任務中の指揮はそちらで行われることになる。

 少し離れたところに、軍が管理する一般開放の資料館が見える。そう言えば、横須賀にもあんな場所があった気がする。

 

 大体の場所に妖精がいたので、倉庫などでは簡単な在庫整理を行っておいた。

 後、特筆しておくべき場所と言えば、隅の方に武道場があるのだ。

 

 よく分からないが、鎮守府には一番最初に着任した提督の意向で1つだけ自由に施設を設けることができるらしいのだ。

 ある人は、剣道場を、ある人は、弓道場を、ある人は、工廠の拡張を。

 

 横須賀には何でもあった。ので、毎日なぜか訓練の一環で対人訓練があった。

 木刀振らされたり、殴り合いをさせられたり、投げたり投げられたり、まあ色々とした。

 

 天霧に挨拶をしたのが、ヒトサンマルマルくらい。

 今が、ヒトロクマルマル。割と手際よく動けたと思う。少し速足で艤装保管庫から、艤装を取り出して出撃ドックへと向かった。

 前までは、誰かが用意してくれてた的なども今回は自分で用意して、訓練海域内に敷設していった。

 的は大体駆逐イ級の正面から見た横幅を直径とした正円状のものだ。それを3つ並べた。

 

 目を閉じると、ふぅ……と深く、長く、息を吐いて意識を切り替える。

 この瞬間は不思議な感覚に陥る。自分は海の上にいるのに、青い世界に沈んでいくような感覚だ。

 艤装と身体を繋ぐときもこんな感覚に一瞬だけ陥る。

 別に心地よくも悪くもない、言うなれば不思議な感覚。

 

 閉じた目を開くと自分の全てを把握できる。

 人間とは少し違った感性で、艤装と言う付加的な肉体の一部さえ、自分の身体の一部のように把握できる。

 

 主砲が、魚雷管が、機関部が、電探が、その全てが五感と直結する。

 

 徐々に船速を上げていき、電の身体はジグザグに海の上を走り始める。

 基本的な之字運動を始めた。1人でやるにはこのくらいのことしかできない。

 船速を維持したまま、コンパクトにターンして折り返す。これを少しずつ速くしていき、最後には最大戦速で行う。一歩間違えれば転倒して大事故になりかねないが、横須賀で散々叩き込まれたことだ。

 

 駆逐艦はプロフェッショナルでなければならない。そう教わった。

 戦艦や重巡、空母のような戦略的価値はなく、火力も装甲も彼女たちに比べれば紙のよう。

 だからこそ、駆逐艦はどんな戦場でも生き抜く技術を身に着けなければならない。そして、その持ち味の全てを発揮して、自らの仕事を全うしなければならない。

 対空、対潜、水雷戦。護衛任務を主とする駆逐艦の仕事1つが任務や作戦に大きな影響を及ぼすこともある。

 主力を護り抜くための盾となる。結構。

 主力を護り抜くための矛となる。そちらの方が、泥臭くて、貪欲だ。

 

 そのために、駆逐艦はプロフェッショナルでなければならない。

 自分の持ち味を最大に活かし、誰よりも早く勘付き、誰よりも早く機敏で柔軟な行動をし、誰よりも考えなければならない。

 人の身体を持った以上、要求されるのはそのレベルだ。

 

 厳しさを強いた。電は彼女の考えに強い理解を示した。

 自分が強くなれば、それはいずれは誰かを護ることに繋がるのだと言うことを信じて妥協を許さなかった。どこまでも自分を追い込んで、誰よりも技術を身に付けて、そして誰よりも多くの事を学ぶことに時間を費やした。

 

 それでも、届かない。電の理想は霧の向こうに隠れている。

 

 

「――――――ッ!!」

 電は主砲を的に向けた。距離、二〇〇〇。狙いは中央の的。

 船速は、最大戦速のままなのでかなりの補正を必要としたが、そんなものもう慣れたことだ。

 

 初弾、狭叉。

 次弾、命中。

 

 訓練用のペイント弾が3つの的のうちの中央の的に当たる。 

 3発目も命中。出だしとしては上々だ。

 

 的が3つの為、1セットで3発まで撃つ。

 撃ち終ったら、再び海の上を駆け回る。基本的にはこの繰り返し。今日は時間の都合上、5セット行えればいい方だ。

 

 

 

       *

 

 

  

「―――――2999……3000ッッ!!ふぅ……」

 上半身には何も着ず、傷だらけの上体から暗がりの中で薄っすらと湯気が立ち上っていた。

 下には一応、道着を履いて、裸足で床の上で何度も摺り足を繰り返してきたその足の裏は固くなっていた。

 

 天霧は先程まで振っていた木刀を投げ捨てるように置くと、近くに乱雑に置いていた手拭いで額から流れ落ちる汗を拭った。

 木刀が木材とは思えないような音を立てて木板の床に落ちる。中に鋼鉄が入れてある鍛錬用のものだ。

 

 こうした鍛錬は日課のようなものだった。

 自らを追い込まなければ死ぬのは自分。どれだけその身体に死に目に遭うと言うことを叩き込むか、その刻み込まれた経験が土壇場で役に立つ。

 自然と身体がそれを強いていた。もしかしたら、それは自分の体の中に流れる血が原因しているのかもしれない。

 

 狩人の一族。それが《天霧一族》の背負った名だった。

 

 そして、自分は嫡子であったにも拘わらず、出来損ないの烙印を押された。

 亡き者にされそうになったところを慈悲で生き延びた。

 捨てられた肥溜めの中で生き残るしかなかった。その為に、血だけが疼いた。

 肥溜めにいるのはクズばかりだった。当然だ、こんな場所の気に当てられれば誰でもクズになる。そのクズを見る度に反吐が出た。

 

 

『……で、なんで俺のところにあんなガキを送った?』

 

『お前にピッタリだと思ったからだ』

 

『ガキのお守りが俺にピッタリだと?』

 

『違う。きっとお前たちは分かり合えるだろう。いつか分かる』

 

『分かり合える?何を……』

 

『悪いが、お前と長話してるほど俺も暇じゃない』

 

『……あまり俺を揶揄うなよ?面白がってんなら本気で潰すぞ?』

 

『揶揄ってなんかいない。ヒントを言うなら……お前ら二人とも盛大な勘違いしてる馬鹿だからさ』

 

『馬鹿だとは自覚してるが、勘違いってなんだぁ?』

 

『せっかく良いものを受け継いでるんだ、お前たちは。血も、魂も、意志も』

 

『はぁ?』

 

『思い込みや勘違いで自分の身を滅ぼすな。そう言ってやってくれ』

 

 そうとだけしか言わなかった。御雲はそれだけ言うと一方的に電話を切った。

 相変わらず意味深なことを言って、本質ははぐらかしやがる。

 天霧の中で、御雲 月影という男はいまいちその姿を捉えにくい男だ。

 いや、あの男だけじゃないが、今まで出会ってきた中では、提督とやらを志している者たち全員、何を考えてるのか分からない。それも「血」とやらが起因するのならば、本当に反吐がでると天霧は常々思っていた。

 

 壁に立てかけた軍刀を手に取ると、ゆっくりと引き抜いた。

 剣は誰に教わったものでもなかったが、誰よりも強かった。

 負けたのは、あの日が初めてだ。

 

 日が落ちていくにつれて暗がりの増す室内で、その刃は怪しげに光る。 

 鞘を投げ捨てて、虚空を薙ぐ。一閃、稲妻のような光が走り、天霧の口から呼気が漏れる。

 

 そのまま立て続けに休むことなく、白刃が千の虚空を斬っていく。

 

 全てが終わった時には既に日は落ちていた。

 鞘を拾い上げ、ゆっくりと納刀する。カチン、と音が響いた瞬間、静寂の張り詰めていた室内に、堰を切ったかのようにドッと音が流れ込んできた。

 波の音、風の音、鳥の鳴き声、遠くから聞こえる車の音。

 その中に紛れて、砲撃音のようなものがあった。天霧は首を傾げた。

 

 

 

「はぁ……はぁ……」 

 時間の流れを完全に忘れていた。電のいる時間の流れは完全に現実から切り離されていた。

 感覚が冴える。日が完全に水平線の向こうに沈んだというのに、まだ遠くの的がはっきりと見えるような錯覚を感じていた。

 

 主砲がカチンと音を立てた瞬間に、電の身体にドッと疲れが押し寄せた。

 急激に時間が動き始める。光が失われ、音が流れ込み、力が失われ、身体がふと重くなる。ぐらついた身体を足を張って支えた。

 

「す、少し……頑張りすぎたのです……」

 頑張りすぎたことは身体が語っていた。下手すれば、横須賀での訓練より激しく動きすぎたかもしれない。始めた頃はよく海上で吐いていたことを思い出した。

 

 舵を港の方に向けた。

 的の回収をしようと少しずつ近づいていったところで、ふと電は気付いた。

 

「し、司令官さん……?」

 出撃ドックの近くに誰かが仁王立ちしてこちらを見ている。

 的同士を繋げている鎖を引っ張って、やや急ぎ足でそこへと向かった。

 

「よう……」

 

「え、えーっと……」

 天霧は上半身裸の上に軍服の上着を羽織って、首から手拭いをかけているような状態だった。

 軍刀を両手を添えて杖のようにして、じっと右目が電を見下ろす。

 

「あぁ、上陸するな。と言うか近づくな。そのまま聞け。と言うか、俺が訊きたい」

 

「は、はい……」

 

「お前、何してるんだ?」

 

「は、はぁ……何って、訓練なのです」

 

「訓練か……やけに熱心だな。何の為にそこまで必死になる?」

 

「電たちは戦うために生まれてきたのです。訓練は今も昔も変わらないのです。日夜練度を上げて、少しでも長く生き延びるために」

 

「建前なんざどうでもいい。戦うために生まれてきた?そんなの人間も同じだ!!俺たちは毎日何かと戦って生きてんだ。お前たちだけじゃねえ。生きとし生けるもの全てが戦いの中で生きてんだ」

 

「で、でも、電たちは」

 

「強さを求める奴らには理由がある。お前の理由は何だ?なぜ強さを求める?誰かが強いたか?それとも、お前の中の記憶とやらがそうすることを訴えてるのか?」

 

「……」

 分からない。電にはどうして天霧が突然こんなことを訊いて来たのかが。

 だが、彼は真剣な顔つきで電を見ている。その一挙一動を観察して、試すかのように。

 

「生きる者全てに戦いがあるのならば……強さを求めることは普通じゃないのですか?」

 

「違うな。強さを求める者は、他人より強くなければならない理由があるからだ」

 

「だったら、それは電が弱いからなのです」

 

「弱い?なるほど、弱い、か。面白いな、お前」

 

「えっ?」

 天霧が笑っていた。威圧的な顔つきに口角を吊り上げて笑っていた。正直、怖い。

 珍しいものを見た、面白いものを見た、どちらかだろう。

 狂気に近いものだった。深海棲艦ほどではないが、その笑顔に電は不安を感じた。

 

「自分が弱いと知っている奴は一度自分の弱さを痛感した奴だ。その上で強さを求める奴は、そうならざるを得ない理由を突き付けられた奴だ」

 

「理由…ですか?」

 

「あぁ、お前、誰に何を言われた?大体わかるぞ。お前の眼はとても戦場にいる奴とは思えない。優柔不断とは言わないな。だが、自分の戦う意味に疑問を感じている。それはすなわち自分の存在意義だ。自分自身の存在理由を何かで固めなければ崩れそうなグラグラの基礎に支えられた弱さ。そうだな……大体のところ」

 天霧はフフフと笑いながら、少し目線を上げて何かを考えていた。

 言葉を選んでいるのか。いや、電の過去を探っている。そんな感じがした。

 

「敵を殺すことを躊躇ったな?」

 電の背筋が凍りつくような感覚がした。一気に顔が青ざめる。図星と自ら語っているかのようなものだった。

 

「なるほどなぁ……お前たちは深海棲艦を殺すために生まれてきた訳だ。で、お前はそれに躊躇いを感じて、大方誰かに『出来損ない』とでも言われたか。もしくは自分で勝手に出来損ないと思っているか……ハハハッ」

 不気味な笑い声が静かな港に響き渡る。

 

「おかしいですか…?例え、敵でも、その命を助けたいと、命を奪わずにこの戦いを終わらせたいと思うことがおかしいですか?」

 電は声を震わせながら押し出したような声でそう言った。

 その声の震えが、悔しさなのか、怒りなのか、恐怖なのか、それは分からなかった。

 

「いやぁ、別におかしくはないぜ?だが、お前は一生その疑問に苦しめられるだろうな。お前は逃げることはできないからだ。お前が艦娘である以上、戦いからは逃げられない。殺戮からは逃げられない。生きるためには敵の息の根止めるのが早いって誰かお前の知り合いも言ってたんじゃねえのか?」

 

「……電はきっと艦娘の出来損ないなのです。こんなの本当はおかしいと分かっているのです。平然と敵を殺している自分も、敵を殺すことに躊躇っている自分も、きっとどっちもおかしいのです」

 

「なぁ、もひとつ訊くぞ?それは、お前の中の記憶とやらが、お前に強いてることなのか…?」

 いつの間には落ちてしまっていた目線を起こして、天霧の顔を見上げた。

 はっ、と我に返る、そんな感じがした。

 天霧は真剣な目でこちらを見ていた。強い眼。真っすぐな眼。誤魔化さずにすべてをぶつけることを、その恐れから守ってくるかのような眼だ。

 

「多分、そうなのです……だから、電は頑張ることしかできないのです。強くなるしかないのです。これが出来損ないの電にできる最大限の事なのです」

 

「……出来損ない、か」

 ふと、天霧は遠くを眺めて思い出していた。

 御雲の言葉がなんとなく理解できたような気がした。

 お似合いだと言う言葉は少し癪に障るが、確かに天霧にちょうどいい艦娘なのかもしれない。

 なるほど、な。確かに似ている。だが分かり合えることはないだろう。

 少なくとも、今はまだ。

 

 すぅ…と大きく息を吐く。

 

「……大いに結構ッッ!!!」

 

「わぁっ!!!……えっ?」

 唾が飛び散るほど大きな声で天霧が突然叫んだ。

 突然の事で電は驚いて転びそうになったが、何とか堪えて天霧を見上げた。

 

「正直、お前の疑問とかどーでもいい」

 先程まで軍刀に添えていた左手で、天霧は耳を穿りながらそう言った。

 

「え?」

 態度の豹変ぶりに着いていけない電は完全に取り残されていた。

 小指に付いたカスを吹き飛ばし、再びフフフと笑い始めた天霧を見て、思わず後ずさる。

 

「だが、お前のその根性。特に、そのもがきっぷり。実に無様で俺好みだッ!!」

 

「は?」

 

「人間ってのは無様晒して泥臭さ晒してるときの方が、命が輝いて感じる。お前は今、自分が背負った運命に疑問を抱き、それに抗おうと強さを求めている。実に良い。フフフ」

 そんなことより、その話をしている天霧の顔の方が輝いて見える。

 なんでこんなに楽しそうに話しているのか、電には理解できない。

 

「は、はぁ……」

 

「地獄を……見るか?」

 

「え?じ、地獄、ですか?」

 

「もっと泥臭さをお前に与えてやる。もっと惨めにしてやる。もっと泥水啜ってでも生きようとする醜い生の執着を教えてやる。その先でお前はどうなると思う?」

 

「え、えーっと、どうなるんです?」

 

「お前は強くなる。確実に、だ。だが、それはただの強さじゃない。お前はきっと答えを選ぶ強さを得る。そして、それがお前の信念になる」

 

「し、信念ですか……?答えを選ぶ強さって」

 

「とにかく俺はお前が気に入った。お前を俺好みの最凶の駆逐艦に仕上げてやる。フフッ、楽しみだ」

 そこまで言って天霧は電に背を向けてその場から離れ始めた。

 少しだけ電は固まってその背中を見ていた。

 

「――――ッ!!ま、待ってくださいなのです!!」

 急いで上陸し、艤装を付けたまま後を追う。ガシャンガシャンと重いし、うるさい。

 

「司令官さん!本当に……本当にいつか答えは見つかるんですか!?電は、それが怖いのです!!このまま、何も分からないまま沈んでいくかもしれない明日を迎えるのが!!」

 電は叫んだ。溢れ出した。

 それは多分、自分の中にあった弱さの欠片だったのだと思う。

 

「……もう何も考えるな」

 

「で、でも」

 

「俺は、お前が何なのか。全てを知っている訳じゃない。だが、艦娘ってのは昔は勇敢に戦い抜いた軍艦の魂とやらを持ってるんだろ?」

 

「は、はいなのです……」

 

「俺にとっちゃそれが凄いことさ。海の上を駆ける鋼鉄の塊。そんなもの動かせる軍人ども。その熱く滾った想いが、お前の身体の中にあるんだろう?その戸惑いも、苦悩も、全部お前という、《電》という名が受け継いできた大切なものなんだろう?」

 

「…………」

 

「良いもん受け継いでるんだ。二度と自分を出来損ないだなんて思うな。お前自身に失礼だ」

 

「良いものを……受け継いでいる……?電は……《電》を……」

 

「正確にはそのもの、だったか?まあ、どうでもいい」

 天霧は止めた足を再び動き始めた。その背中が遠ざかっていく。

 

「強くあれ。強くなれ。それと、今日の晩飯期待してるぞ」

 

「―――っ!!はいなのです!!!」

 何がそこまで電の中で響いたのかが分からなかった。

 今まで我武者羅に頑張ってきた。電は駆逐艦であった。だから、駆逐艦として生きるために最大限の努力を誰よりもしてきた。

 きっとそれは正しかった。電は真っ当に強さを求めて、自分の中の迷いと戦っていた。そのことは決して間違いではなかったはずだ。

 

 それでも、電の中では確かに何かが響いたのだ。

 心よりもっと深い何かが、そこで揺れる蝋燭の火のようなものが。少しだけその輝きを増したような。

 

 命の輝きか。でも、なんで?

 

 強くなっても答えを得る訳じゃない。

 ただ、答えを得た時にそれを信念とする強さを得る。

 信念を得た時、どうなるのか?それは生きる意味に、強さに変わるのではないか?

 

 強くあれ。強くなれ。

 

 きっと迷いの霧はまだ晴れない。

 多くの疑問に苦しめられる日々も続く。天霧との出会いが何かに変わる訳でもない。

  

「……はっ!ご飯の支度をしたいといけないのです!!急ぐのです!!」

 ただ、また少し強く踏み出せた。

 足の裏に確かに感じる力を電は感じていた。

 

 

「はっ、なにが出来損ないと思うな、だ……ブーメランじゃねえか」

 一方、天霧は1人、自分の言葉に凄まじい自己嫌悪を覚えていた。

 

「あー、また御雲のクソ野郎が笑ってるような気がするぜ……むかつく」

 道端に唾を吐き捨てる。

 柄でもないことを多く吐きすぎたような気がして妙に虫の居所が悪かった。

 

 

 

 ちなみに、その日の夕食、肉野菜の味噌炒めとじゃがいもの味噌汁は天霧に好評だった。

 

 

 

      *

 

 

 

 サラサラと書類に慣れない手つきでサインをしていく。

 雑な字だが辛うじて「天霧」と読める程度ではある。寧ろ、その下の「電」の方が達筆なくらいだ。

 

 ふと、万年筆を机に置き、天霧は深く溜息を吐いた。また執務をサボるとか言い出すのではないかと思い、少し離れた秘書艦の机で書類のチェックを行う電は身構えた。 

 

「……解せん」

 突然、そんなことを呟いた。

 

「何がなのです……?」

 またこれか、と電は執務に戻る。今日は午後から訓練なのだ。午前中に終わらせることができるものは自分が秘書艦であるうちに終わらせておきたい。

 

「俺はだなぁ、一刻も早く御雲の奴を潰せるような強い艦隊を作りてえんだ。それなのによぉ……」

 

「いつも言ってるのです。こればかりは時間がかかることなので仕方ないのです」

 

「でもよぉ……」

 

 その時、ドンっ、と執務室の扉が勢いよく開いた。

 

 

 

 一気に少女たちが執務室の中に駆け込んできて、天霧に報告書を突き出して見せる。

 

 

 

 

 

 

 

「司令官!任務が終わったわ!他に何かすることはない!?いいのよ!もっと頼っても!!」

 

「ふ、ふん!この程度の任務、暁たちの手にかかれば簡単よ!!」

 

「小破したのは暁だけだけよ?」

 

「う、うるさいわよ!!ちょっと転んじゃっただけじゃない!!」

 

「……およ?暁ちゃんたちが戻ってきてる!お疲れ様にゃしい!!」

 

「あら、睦月たちじゃない!訓練は終わったの?」

 

「これからよ~。そ・の・ま・え・に、ちょーっと司令官に挨拶したかったのよ♪」

 

「……如月、司令官はいくら下着を大人なものにしても」

 

「おーっと、それ以上はマズい。弥生、また如月の怒りを買うことになるのは面倒だからやめとこう?それより、訓練なんてサボろうぜ~?」

 

「あっ!もっちー!!またサボろうとしてますね?めっ!ですよ!」

 

「げっ、わ、分かったよぉ…」

 

「――――こんにちは、司令官!あっ、電!これから訓練だよね!?急いで始めよう!今日はボクが勝つよ!」

 

「ぜぇ…ぜぇ…あまり全力で走らないでくれ。私はそんなに皐月ほど体力がないのだ……」

 

「……文月、ここは騒がしい。先に訓練場に赴こう」

 

「ん~?あーっ、菊月待ってよーぉ。でも、睦月ちゃんたちと逸れちゃうよー?」

 

「およよ~、如月ちゃんのパンツ、なかなかセクシー……」

 

「ちょ、ちょっと睦月ちゃん!?なんで覗き込んでるの?」

 

「……暁はまだ熊さんパンツでいいと思うわ」

 

「な、何よそれ!暁はレディなんだから、熊さんパンツなんて履かないわよ!!」

 

「はいはい…電!これ今日の報告書よ!」

 

「ありがとうなのです。雷ちゃんのは丁寧でいつも助かるのです!」

 

「当たり前じゃない!だって、私だもの!もーっと褒めてもいいのよ!」

 

 

 

 

「うるせえええええええええええええええええええええええええええええええ!!!!!!!」

 思わず、天霧は叫びながら立ち上がった。

 

「なっ!んっ!でっ!俺のところにはガキしか集まらねえんだ!!幼稚園か!?ここは幼稚園か!?あっ、くそっ、蕁麻疹が……」

 ガンガンッと部屋にある柱に頭を打ち付け始める。

 もはや、見慣れた光景なので、電は止めることはしない。

 

「幼稚園じゃないクマ。球磨の存在を忘れるなクマ」

 ドンっ、と扉を殴ってアホ毛が特徴的な少女がやってきた。

 今、この鎮守府に唯一いる軽巡洋艦娘《球磨(くま)》だった。語尾が「クマ」なのが特徴的なのだが、結構冷めている。

 

「うるせえ!マスコット!お前のその口調で今度は遊園地に思えてくるわ!!」

 

「誰がマスコットだクマ。それと、電。今日の開発の結果クマ。なかなかいい感じだクマぁ♪」

 

「三式水中探信儀ですか…っ!凄いのです!」

 

「それと、お前たちはさっさと散れクマ。睦月型は訓練所に行くクマ。電は後から行くクマ。睦月は妹たちのスカートの中を覗き込むなクマ。いくら姉でもやって良い事と悪いことがあるクマ。それと、暁。入渠ドックに熊さんパンツが落ちてたクマ。洗濯しといたから、干してあるところから取っていくクマ」

 まるで掃除でもするかのように執務室に集まった駆逐艦たちを追い払っていく。

 その様子はもはや姉にしか見えない。実質、駆逐艦の多いこの鎮守府では彼女たちの姉のようなものだ。

 

「畜生……ッ!なんでうちの鎮守府じゃどのレシピ回しても駆逐艦しか来ねえんだ……?軽巡が来たかと思えば、変な奴だし」

 佐世保鎮守府で行われた建造の結果は、なぜかほとんどが駆逐艦になってしまったのだ。理論上、重巡や戦艦が来てもおかしくないようなレシピでも、不思議な力で駆逐艦に変わってしまった。

 

「変な奴じゃないクマ。球磨は愛らしいクマ」

 

「いや、なんつーかお前、この前戦艦ふっ飛ばしたそうじゃん?愛らしさの欠片もねえよ。役所行って重巡に変えてこい」

 

「睦月が大破したから頑張っただけクマ。妹たちを守るのはお姉ちゃんの役目クマ。提督もいい加減、みっともない真似やめるクマ。正直眼帯とかダサいクマ」

 

「あ゛?やんのかぁ、ゴルァ?」

 

「良い度胸クマ。表に出るクマ。今日こそぶちのめしてやるクマ。簀巻きにして睦月型の部屋に投げ込んでやるクマ」

 

「やめろ。それは怖い。主に睦月と如月が怖い」

 

「……まぁ、茶番はこれくらいにしとくクマ。お手紙が届いてるクマ」

 

「お手紙、ですか?手紙と言うよりかは、結構大きな封筒みたいなのです」

 球磨の手には大きめの封筒が握られていた。そこそこに厚く、そしてその口は割り印が押されている。

 それがやや特殊なものだと語っていた。天霧は何かを察したのか舌打ちをした。

 

「ほら、寄越せ。どうせろくでもないことだろうが、クソ……」

 

「電はキリが良いところでやめて訓練に行くクマ。後で球磨が訓練所におにぎり持って行くから昼飯の心配は要らないクマ」

 

「あ、ありがとうなのです……でも、訓練中だと吐きそうなのです」

 

「そのくらいの厳しさがあった方がいいクマ。まだまだあいつら甘いクマ、早く電みたいになるクマ」

 

「……チッ、電、球磨、お前らも読んどけ」

 そう言って天霧は球磨に書類を投げ渡す。端を止められた数十枚のそこそこの量のあるものだった。

 

「んー、なになに……?」

 ペラっと1枚目をめくってみると、写真が挟んであり、目的がつらつらと書かれていた。

 

『某国にて不穏な挙動あり。3日後に不審船が某国より出港するとの情報。先回りし、この不審船を確保。日本国まで護送し、拿捕せよ』

 

「……なんだクマ?不審船狩りでもするかクマ?」

 それに続く長い文章に一通り目を運ぶと、電の方に投げやって小さく溜息を吐いた。

 

「その通りだよ。だが、名目は船団護衛だ。南方海域の方だからな、かなり深海棲艦の活動も盛んな海域らしい。そんな海域でお盛んなこった」

 

「……なんか変な感じクマ。そもそも、なんで不審船が」

 

「不審船ってのは俺たちに伝える際の名目だ。恐らく、その船は貿易を認められた輸送船だろう。だが、どうも国にとっちゃ不都合のある船らしい」

 

「えーっと、つまり、貿易国との船を不審船として捕まえろってことなのです?」

 大体の話の内容が理解できたらしい電は問いかける。

 

「このお国のトップが全員綺麗な奴なわけがねえ。中には非合法的ルートで利益を上げようとする奴らもいる。そんな権利を持った奴らが乱用してこういうことを私用で許している。それを狩れと言うことだ。報酬も悪くはねえし、護送と言ってる辺りおそらく依頼主が欲しいのは証拠だろう」

 

「これを……うちがやるクマか?」

 冷たく鋭い球磨の視線が天霧を突き刺していた。

 

「…………」

 明らかに艦娘に危険が伴う任務だった。

 命を賭してまで危険な海域に向かい、そこで得体のしれない者たちを捕まえ、最悪戦闘に発展することも考えられる。人間の火器など艤装展開した艦娘には到底通用しないが、最悪の事態は抵抗されている最中に深海棲艦に襲われることだ。 

 恐らくそこまで天霧には見えている。

 だが、天霧はニヤリと笑って球磨の鋭い目に答えた

 

「なんだ?俺の勘違いか?お前ら、こういうの好きだろ?」

 

「ハハハッ、冗談じゃないクマ……編成はこっちで考えとくクマ。何隻まで使っていいクマか?」

 

「6隻、1艦隊。旗艦はお前、電も編成に入れろ。後は自由だ」

 

「分かったクマ。あー、新しい仕事が増えたから午後からの秘書艦ができないクマ―。電も訓練だから、提督1人クマー。頑張るクマー」

 

「おい、待てコラ」

 止める前にすたこらさっさと球磨は逃げるように執務室を後にした。

 

「……じゃあ、電は訓練に向かうのです。ここにあるのは全部チェックが終わったので、あとは司令官さんのサインをお願いするのです」

 

「は?全部終わったのか?」

 

「終わらせたのです」

 

「……分かった、行け。後は俺でやっとくからとっとと出ていけ」

 

「じゃあ、行ってくるのです……多分、球磨さんは戻ってくるのです」

 

「だといいな……」

 薄い希望に期待はしないと言うような低いトーンで返事をすると、少し温くなったコーヒーを啜っていた。

 

「おい、電」

 

「なんなのです?」

 

「さっき球磨がまだ甘いって言っててな。もう少しきつい地獄を見せてこい。ついでにお前も地獄見てこい」

 

「……ふふっ」

 

「なに笑ってんだ?」

 

「何でもないのです……電はまだ答えを得てないのです。きっとまだこれから先も悩み続けると思うのです」

 

「あぁ…別に俺は答えをやるとは言ってねえからな」

 

「でも、強くはなれたのです。もう少しで、答えを選べるようにきっとなれるのです」

 

「……あぁ」

 

「その時は示してみるのです。司令官さんに、電の信念を」

 

「あぁ、期待しとくー」

 

「期待してないですね……じゃあ、行ってくるのです」

 

「おう……もっと強くなれよ」

 天霧がそう返した時には既に電は執務室を後にしていた。

 ようやく静かになった執務室に、小さく天霧の舌打ちが響いた後に、大きい彼の笑い声が響き渡った。

 

 

 

      *

 

 

 

「―――――どうしたのですか?電さん」

 

「……はわっ!ご、ごめんなさいなのです……」

 ふと、我に返ると電の顔を白髪の美しい女性が覗き込んでいた。

 

「いえ、最近働き詰めでしたのでいいのですが……少し楽しそうな悲しそうな、不思議なお顔をなされてましたので」

 

「あー、そうですね……なんというか」

 窓枠に肘を突いていた手で頬を恥ずかしそうに掻く。

 

「電が……ここに来る前にいた鎮守府の事を」

 

「あら?それは……早く戻ってあげたいのではないですか?」

 少し心配そうな声で彼女は問いかける。

 しかし、電は首を横に振った。

 

「確かに電の事を心配して待ってくれていると思うのです。でも、もしかしたら逆なのかもしれないと今は思ってるのです」

 

「逆、ですか?それはどういう?」

 女性の問いかけに、電はもう一度窓の外に目を向けた。

 温かい風が吹き抜ける。空は青一色で染まっている。鮮やかな色だ。

 

「きっと……佐世保のみんなは電が無事だと思ってるのです。それでも、電が戻らないと言うことは、答えを見つけたから、だと思ってると思うのです」

 

「答え、ですか。そんなこと仰ってましたね」

 

「はい。だから、電はもっと強くならなきゃいけないのです。きっとあの司令官さんはそう思ってるのです」

 この海の向こう側できっとまた、地獄のような訓練を強いられている駆逐艦たちがいるだろう。彼女たちを奇妙な笑い声で追い込んでいる眼帯をした怖い顔の男がいるだろう。

 今のままじゃ、彼らの下には帰れない。

 

「『今のまま帰ってくるな。もっと強くなって帰ってこい』と」

 きっとそう思ってるに違いない。

 強くあらねばならぬ。強くならねばならぬ。

 

 答えを見つけて、それがさらに自分を強くするのならば、もっと強く。

 地獄を見て、惨めで、恥をかいて、泥臭くて、貪欲で。

 盾ではなく、矛である、駆逐艦のプロフェッショナルに。

 

 最強の駆逐艦に。

 

 あの狩人の下で育てられたのだ。そのくらいの土産がなければ、きっと叩き斬られてしまう。

 

「今日ももうひと頑張りするのです!!」

 

 

 南の孤島で、元気のいい少女の声が鳴り響く。

 ここはブイン基地。旧南方海域攻略作戦中継泊地。

 

 

 

 





 はい、また長くなった!

 お察しの通り、電はこの後漂流してあの場所に流されます。
 この続きが第三章に続くわけですが、その前はまた少しキャラの濃い提督のところにいたという物語です。ちなみに、錨で殴るようになったのも、この鎮守府での訓練が原因です。

 では、今回の提督でしたが、天霧 辰虎(そらきり たつとら)。
 駆逐艦《天霧(あまぎり)》というのが存在してましたが、読みが違うように関係ありません。書いてて、「あっ、しまった」と思いました。

 物語でもあったように、とある軽巡洋艦の末裔として裏家業『狩人の一族』の名を背負っていましたが、生まれながら左眼が見えなかったため、一族から捨てられた過去を持ち、佐世保近郊で危ない仕事を繰り返していましたが、御雲によって提督にさせられました。
 無数の傷跡。眼帯。短く切り揃えた髪。そして、鋭い眼光。こんな強面なのに、大の子ども嫌いと言う弱点を持っています。リアルにもいるそうですよ、子どもが苦手で蕁麻疹出る人。ですが、彼の鎮守府には駆逐艦ばかり集まります。「自分が周りよりもできない」「自分は弱い」「何をやってもダメだ」という者たちを見ると、鍛え上げたくなる性格です。粗暴に見えて、下の者たちには優しさを感じさせる一面もあります。


 さて、次は「ブイン基地編」です。電と翔鶴、それと青年たちのその後について、少しほのぼのとした感じで書いていきたいと思います。

 今後の簡単な予告としては、ブインが終わって一度横須賀に戻ります。その後、呉二週目、舞鶴二週目、横須賀での佐世保一行の様子、横須賀での合同演習、そして次の章への布石を打って、この章を終わらせます。次章は本格的な戦闘ものになる予定です。

 また、長々と失礼しました。
 今後とも、よろしくお願いします。


 


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南海の異変 -ブイン基地にて- 前編

(この章を早く終えたい自分がどこかにいる)


 

 ブイン基地。ソロモン諸島北部に位置するブーゲンビル島南端部の町であり、日本軍が占領し、飛行場を建設した基地。。

 以後、陸海軍航空隊の重要拠点として機能し、南西海域航空部隊の最前線であった。

 周囲にはショートランド泊地。かのラバウル基地など、日本国軍の重要拠点が数多く点在しており、南西諸島海域における戦線を支えていた。

 

 周囲には、かの悪名高い「鉄底海峡」が存在し、すこし離れた場所には珊瑚海が広がる。

 

 戦後は、空港となったが最も聖地巡礼が難しい場所として有名である。

 反勢力派に占拠され、武装組織集団の管理下にある。

 

 艦娘史においては、ラバウル、ショートランドと並んで、とある海戦における最前線基地として機能し、大きな被害を被りながらも、勝利に貢献した場所である。

 深海棲艦との戦争が開戦してすぐに、一帯は主力敵艦隊により占拠され、特に飛行場として機能していた地域は『陸上型』と呼ばれる強力な力を誇る深海棲艦により、完全な支配下に置かれてあった。

 幾度に渡る奪還作戦により、敵飛行場及び艦隊を破壊し、この場所に新たに基地を設営。

 鎮守府と同様の扱いで提督が配属されて、その先に広がる的勢力に対抗する拠点として機能し始めた。

 

 そして、始まったのが「アイアンボトムサウンド」である。

 ラバウルに一航戦、ショートランドに二航戦、ブイン基地には五航戦が配属されて、本土との連携を計りながら、3度に渡り多大な勢力を誇る敵艦隊との戦闘が行われた。

 かつてないほどに熾烈を極めたことによって歴史に深く刻まれる決戦で、5割に及ぶ艦娘が犠牲に。海軍側にも1000に近い死者が出た。

 

 更には、当時の海軍の最高戦力「一航戦」の消息不明。「五航戦」の壊滅的被害。本土空襲による鎮守府の壊滅。

 遠く離れた海域にも拘わらず、本土決戦まで発展したこの決戦はまさしく、艦娘史における最悪の戦いであった。

 

 

 そして、終戦。

 周辺基地を含め、撤退が行われ、艦娘や従軍者全員が本土に帰還。少しの期間を挟んで部隊が派遣され、整備が行われる。

 

 以後、ブイン基地は「来るべき日に備えた拠点」として無人の基地となる。

 

 

 

 

 

 

 流れ着いた1人の青年と、1人の駆逐艦。長き眠りより目覚めた空母。

 彼女たちの邂逅が来るべき日への始まりであるかどうか、それを知る術はない。

 

 

 

 

       *

 

 

 

 電がこの場所に漂着して、2ヶ月が経った。

 南国のこの場所では、相変わらず気温が高い日々が続くし、時々やってくる嵐が尋常ではない被害をもたらす。

 鎮守府は岸壁の一部を利用して作られており、自然の要塞のようになっている。

 そのため、電たちの生活には支障はない。

 

 しかし、年月の流れとは不思議なものである。

 あれから海は穏やかになり、周辺の探索がさらに進んでいった。

 ブインにも人の生活の営みがあったはずなのだが、その全てが跡形なく消えかけていた。

 近くのショートランドにまで一度向かったのだが、そこには島民が生活しており、ブインとは違った様子が見られた。

 どうして、この場所だけがこのようになってしまったのか分からなかったが、生活に支障を来すことは一切なかったので深く考えることはなかった。

 

 翔鶴は、少しずつだが鮮明に昔のことを思い出していた。

 100年前、舞鶴にあった第四号鎮守府で艦隊の旗艦を務めていたこともあり、その経験、実力を惜しみなく発揮してくれた。

 戦力がままならないこの鎮守府で、強敵の多いこの海域で生き抜いていけるのは、彼女と言う強力な存在があるからとも言える。

 その戦う姿は凛々しいが、一切の情け容赦のない指揮で艦載機隊を操り、敵艦隊を焼き払う。その圧倒的な力に、建造されて新たに着任した駆逐艦の少女たちが恐怖を覚えるほどであった。

 しかし、彼女は決して敵に対する敬意を忘れない。同じ戦場に立つ者には、命のやり取りを全力で行った者として、その命を讃えるように敬意を払う。

 そんな彼女の姿に、電は憧れを抱いていた。

 

 

 

 

「……私たち、こんなところで何をしてるのかしら?」

 

「……もう100回は聞きました。ここで生まれた以上、ここでやるべきことがあると言うことです」

 

「はぁ……あんたは相変わらず固い事ばかり言うのねぇ~」

 

「何か問題でも?」

 

 浜辺で2人の少女が膝を抱えて座っていた。寄せては引いていく波と水平線まで広がる青。気持ちがいいくらい澄み渡った空にふわふわと浮かぶ白い雲は抱き締めたら気持ちよさそうだ。

 波打ち際でどこからか流れてきたのか流木が波に当てられてコロコロと転がっていた。

 海の水は澄み渡るほど綺麗で、水着にでも着替えて泳ぎたい気持ちになる。そんな楽な気にもなれば少しは今の状況も楽になるのかもしれない。

 

 髪を二つに分けて束ねた黄色いリボンが特徴の少女、駆逐艦娘《陽炎》は不満そうな表情で、白い手袋をした右手の指先で砂浜に絵を描いていた。

 その横に座る表情の硬い少し眼つきの鋭い少女、駆逐艦娘《不知火》は、ぼんやりと水平線の方を眺めながら、陽炎の愚痴に耳を傾けていた。

 

「そもそも、おかしいでしょ……いや、人の身体になって生まれ変わるってのもおかしいけど」

 

「不知火は気に入ってますよ。まさかこんな形で再び戦場に戻れるとは思っていませんでしたが」

 

「あんたは単純でいいわねぇ……で、不知火。私たちが今やってることなんだっけ?」

 

「食糧調達です。陽炎の働きで、今日の夕飯がどうなるかが決まります」

 

「どうして、私だけなのよっ!あんたも働きなさい……はぁ、こんなんじゃ陽炎型のネームシップの名が泣くわぁ……」

 

 陽炎たちが着任したのは、2週間ほど前のことだ。

 既に着任していた駆逐艦娘から「艦娘」というものについて簡単な説明を受け、再び戦いの場に赴くために生まれ返った自らの運命に、なるほど、やってやろうじゃないかと息巻いていた。

 それで、ここはどこなのか?

 帝国海軍の集大成とも呼べる艦隊決戦特化型の駆逐艦。最新鋭の陽炎型が配属された場所なのだから、本土の主要拠点、横須賀、呉、舞鶴、佐世保、のどこかか。

 工廠を出てまず目に映ったのは、溢れんばかりの緑。

 

 おっと、現代の鎮守府というものはこんなにも緑豊かなのか、などと考えていたが、その駆逐艦娘の口から放たれたのは、南海の孤島だ。

 島流しにでもあったのかと勘違いした。

 

 それなのに、主力のはずの正規空母はいるわ、奇跡の駆逐艦と言われた妹はいるわ、で着任したその日は他の事は頭に入らないほどに混乱していた。

 

 艤装と呼ばれる装備の調整。簡単な艦隊運動などを繰り返しながら、ようやく任務が与えられたと思ったら「食糧調達」だ。

 もはや、自分が船だったことすら忘れそうになる。

 

 そんな日々が続いていた。勿論、訓練もやるのだがその指導が駆逐艦がやると言うのも少し解せなかった。

 まあ、生意気な考えをできたのも僅かな間だった。どこかの軽巡洋艦の姿を彷彿とさせるような訓練内容と厳しさに、その日の昼食を吐いたのはいい思い出だ。

 

 少しずつ仲間たちも増えてきたが、当番制で食糧調達に充てられる日は未だに慣れない。

 

 

「ねえ、私たち二水戦だったのよね?」

 

「時代が違いますし、戦う相手も違います。それにまだそのようなまとまりが形成されているほど、艦娘が揃ってはいません」

 

「あんたは自分の記憶とか誇りとか、そう言うのはない訳?」

 

「割り切るべきことは割り切っているだけです」

 そっけない反応をする妹にももう慣れたものだ。こんな妹でも可愛く思えるから不思議だ。

 

「おまたせおまたせ~!大量やで~!!」

 ジャングルの方から快活な少女の声が聞こえる。

 短い黒髪の少女が腕に籠を抱えて走ってきた。弾けるような笑顔が本当に眩しい。

 関西弁のせいか無駄に明るい性格に見えるし、制服や頬に泥が跳ねているのに気にするそぶりも見せない辺り、少しばかり自分の姉妹艦なのか疑うまである。 

 

「あれ?どうしたん陽炎、辛気臭い顔して?」

 

「別にぃ……」

 

「黒潮、それは……食べられるのですか?」

 不知火に尋ねられた少女、駆逐艦娘《黒潮》は籠一杯に入った果物やキノコと思わしきものに目を向けて、

 

「あぁ、これ?大丈夫なんとちゃう?」

 やや毒々しい色をしている気もするが、黒潮は能天気な表情で言い切った。

 

「適当ですね…雪風にでも訊きましょう。あの子はこういうのにはなぜか詳しいですから」

 

「そうね。さっ、一旦これを置きに帰りましょ。雪風たちのも合わせれば十分な量でしょ?」

 陽炎たちの近くには、木を編んで組まれた籠の中に入ったそこそこの量の魚たちがあった。

 桟橋の近くにある仕掛けにかかっていた分と、銛やら釣り竿やらを駆使して捕まえたものだ。

 

 

「………」

 

「どうしたの?不知火?」

 籠を担ぎながら、棒立ちしたまま水平線を眺めている不知火に陽炎は呼びかける。

 正直、無表情なことが多いため、何を考えているかが分からない。

 

「いえ、まだ少し将来の事になると思うのですが……」

 

「?」

 

「このまま、人数が増えていったとき、食糧難に陥るのではと……」

 

「あー……」

 現在、ブイン基地には9隻の駆逐艦と1隻の重巡、1隻の戦艦、1杯の空母がいる。提督も合わせれば12人。

 多種多彩な艦種が揃っており、今のところ、苦しい感じはなく、備蓄まで行えるほどではあるが。

 

「どうして、ここって孤立しとるんやろかぁ?誰か司令はん聞いたことあるん?」

 

「思えば、訊いたことないですね。では、帰ったら訊くことにしましょう」

 

「……意外と私たちってマズい状況下に置かれてるんじゃない?」

 

「あり得るわー。そもそも、司令はん日本人とちゃうからなー」

 

「本土からの食糧の供給などない時点で疑うべきでした」

 

「……なんだか、面倒なことになってきた気がするわ」

 溜息を吐いた陽炎を先頭にして、周囲を警戒しながら砂浜を進んでいく。

 

 この後の訓練の事を考えると、あまり軽い足取りではなかったが……。

 

 

       

     *

 

 

 

 食堂に着くと、先に帰ってきていた陽炎型8番艦《雪風》がいた。

 白いワンピースに頭部に22号水上電探。首からは駆逐艦に支給される双眼鏡をぶら下げており、愛くるしい小動物のような様相である。

 こんな子が日本海軍屈指の武勲艦なのだから、艦娘というのはつくづく不思議なものだ。 

 

 奥の方からひょっこりと疲れた表情の少女も現れた。

 タオルで汗だか海水だかとにかく頭からぐっしょりと濡れていたので拭っていた。

 

「あら、陽炎たちじゃない。任務は終わったの?」

 光の反射でやや青みがかっているようにも見える銀灰色の髪。「霞色」という言葉を使えば、まさしく彼女の名の通り。サイドテールでその髪をまとめているが今は解いていた。

 少し、目つきがきついが意外と面倒見がいいのは皆が知っている。

 

「霞……アンタどうしたの?ずぶ濡れじゃない」

 陽炎はその少女、朝潮型10番艦《霞》に問いかけると、霞は疲れたというような表情で溜息を吐いて

 

「雪風を手伝ってたのよ。哨戒任務中に偶然鉢合わせたものだから」

 

「はい!大物です!」

 そう言って、雪風が奥の方から引っ張ってきたものを見て、思わず陽炎は後ずさった。

 

「……何、このバカでかい魚」

 

「分かりません!でも、きっとおいしいと思います!」

 詳しくは分からないが、2mはありそうな巨大な魚がそこにはいた。スズキやマグロのような気もするが、少し違うような気がする。とにかく、見たことはないが、戦艦の装甲を思わせるほどの分厚い身体をしている。

 

「……食べられるんでしょうか?」

 あの不知火でさえ、怪訝な表情で頬に汗を伝わせている。

 

「ところで、雪風はんはどこでこの魚捕まえたん?」

 

「ボートで釣りに出たら沖の方まで流されたので仕方なくそこで釣りをしてたら引っかかりました!」

 

「「「…………」」」

 

「ホント、びっくりしたわ。変な船がいると思ったら、馬鹿でかい魚と格闘してる雪風が乗ってたんだもの。暴れるもんだからびしょ濡れ。とんだ惨事だったわ」

 

「いや、雪風…アンタよく沖まで流されて無事だったわね……」

 沖の方まで出れば、そこは深海棲艦が出現するかもしれない危険海域である。そのために、哨戒を行っているのであって、雪風も『運が悪ければ』、邂逅して最悪撃沈されていたかもしれない。

 だが、この少女に運に関して心配はないだろう。

 

「流石は幸運艦と言ったところでしょうか。恐ろしさすら感じます」

 

「雪風はんの運は馬鹿にできへんなぁ…まあ、もうけもんやったっちゅう訳や。当分食糧には困りそうにあらへんなぁ」

 黒潮はその謎の魚の前でしゃがみ込むと、まじまじとその姿を見ていた。

 

「アンタの妹なんだから、ちゃんと面倒見ておいて。じゃあ、私はもう戻るから」

 霞は髪を束ねながら、陽炎に悪態を吐く。そのまま、食堂を後にしようとしたとき、彼女の足は突然止まった。

 

 

 

 窓ガラスが震えるほどの音が響く。耳から入った音が脳の中で響くような嫌な音。

 

 島のそこら中に敷設されたスピーカーからけたたましいサイレンが鳴り響いた。

 やや気が抜けていた調子の陽炎たちの中のスイッチも一瞬で切り替わる。

 

「雪風、それ冷凍室に仕舞ってきなさい。捌くのはまだ後になりそうよ」

 冷静な声で妹にそう支持をして、続く放送に耳を傾ける。

 背後でどたどたと雪風が急いで、大魚を引っ張っていく音が聞こえる、その傍らで少女の声がスピーカーから流れてきた。

 

 

『――――哨戒中の翔鶴偵察機部隊より入電。沖合にて空母機動部隊を発見。敵機30、発艦確認』

 

『これより、防空戦闘配備発令。哨戒中の朝潮、大潮、霰、霞は、旗艦を《翔鶴》として、これに《比叡》を加えた艦隊にて、敵艦隊を迎撃』

 

『陽炎、不知火、黒潮、雪風は重巡《利根》を旗艦として、近海において防空配備。基地を爆撃せんとする敵機より、基地を防衛せよ』

 

 5分後に出撃ドックに集合せよ、それを最後に放送は終わった。

 あの声は恐らく電のものだろう。随分と勇ましい声で話すようになったものだ。

 

 

 

「ったく、タイミングが悪いわね……っ!!」

 霞は放送を聞き終えると、食堂を飛び出していった。

 

「機動部隊かぁ……私たちが配属されてからは初めてね」

 

「昔からこの辺りは、敵空母が頻繁に出現していた海域のようです」

 

「雪風はーん!急ぎー、待っとるで~」

 

「はい!お待たせしました!行きましょう!」

 

 4人揃ってから、彼女たちは食堂を飛び出していった。

 食堂から工廠の奥にある出撃ドックまではさほど遠くはない。

 それが幸いしてか、陽炎たちは1番乗りだった。正確には既に霞が出撃しているのだろうが。

 

「あっ」

 ふと、陽炎が声を上げて不知火が反応した。何かを思い出した、と言うような様子だった。

 

「どうしたのですか?何か忘れものでも」

 

「いや……結局、訊く機会逃しちゃったなぁーって」

 

「……あぁ、あの話ですね。帰ってきて戦果を報告した後でもいいでしょう。司令に会える機会はいつでもあります」

 

「それと、午後の訓練これで無くならないかなぁ」

 

「……陽炎」

 不知火は心底呆れたような表情をしていた。

 

 冗談よ、冗談。と陽炎は言っていたが、実のところは初めての空母との戦闘。とは言っても、戦闘は間接的ではあるが、重要な任務だ。

 翔鶴が幸いにもこの鎮守府にはいたため、防空演習は行うことができた。

 

 だが、やはりこの身体を縛る緊張は並ではなかった。

 

 そんな鎖を外すかのように、陽炎は自分の両頬を叩いた。パシンといい音が響く。

 隣に立っている不知火が、「とうとう頭が狂ったか?」とでも言いたさそうな顔をしているが、

 

「よしっ、行くわよ!」

 いつものように元気のいい声で、妹たちを率いて出撃レーンへと足を進めていった。

 

 

 

     *

 

 

 

 やや不穏な風が流れる。今日は晴れているが波が高い。

 心なしか気温も下がっているように感じる。いつも戦場に立つとこの感覚に陥る。

 

 

 きっとこれは戦場に溢れる殺気のせいなのだろう、と自分の中で答えを出していた。

 人が、生物が放つ一片の感情がここまで、環境に変化を及ぼしているように錯覚させるとは、それを感じ取ってしまう人体と言うのも不思議なものだ。

 

 

 ちらりと後方に続く仲間たちを見た。みな駆逐艦で、隣にいるのはまだ着任して間もないが、強力な力を誇る戦艦だ。

 

「そろそろ、敵艦隊の索敵範囲に入ります。第1次攻撃隊発艦後、陣形を輪形陣に変更します」

 矢筒から取り出した矢を弓に番え、空へと放つ。続けてもう1射。

 雷撃機隊と直掩機である艦戦隊。光に包まれて、空に翼を広げる航空機へと姿を変えていく。

 

 それを合図に、前方左右に駆逐艦が展開し、後方に戦艦を置いて翔鶴が中心になるような陣形に変化する。

 

 航空戦はその戦況に大きく影響を及ぼす。故にそれを司る空母の護衛は最重要であり、空母が崩れた瞬間、それは空を奪われることに等しい。一気に艦隊は航空火力に焼き払われることになり、戦艦の装甲でさえ無意味になる。

 それを避けるための陣形であり、対空・対潜に特化しているため護衛を行う際に用いられる陣形でもある。

 艦娘となって身体が小さくなったため、それに合わせて各艦の間隔も狭まっており、広くても100mほどの距離を置いて陣形を形成している。

 

「……制空優勢状態ですね」

 航空機の戦闘が始まった。敵の艦載機と翔鶴が発艦した艦載機の戦闘の状況により、どちらがより空の支配を握っているかが決まるのだ。

 制空権を握れば、その後の戦況は大きくこちらに傾き、航空機による攻撃は滞りなく進む。戦艦や重巡による弾着観測射撃なども行えるようになり、一気に敵艦隊を叩き潰すことができる。

 

 偵察によれば、ヲ級eliteが1、ヌ級が2、翔鶴たちが今戦闘を行っている艦隊はこれだけの航空戦力が揃っている。

 更にその後方にヲ級flagshipが1、ヌ級eliteが2を基幹とする艦隊が控えている。

 

 久々のやや規模の大きい戦闘となり、翔鶴は艦載機を艦戦部隊に主を置いた部隊編成を整えてきた。

 零式艦上戦闘機52型、乗り込む妖精たちは彼女を支えてきた零戦21型の熟練部隊をそのまま引き継いでいる歴戦の猛者たちだ。 

 

 

 遠く離れた空に火が灯った。

 

「――――敵機っ、来ます!比叡さん!」

 黒い点が空に広がっている。エンジン音が徐々に耳で聞き取れるようになり、その形も見えるようになってきた。

 

「はい!まっかせてー!」

 勇ましい女性の声が翔鶴の後方から艦隊の隅々まで響いて皆を鼓舞する。

 白を基調とした巫女服と碧い袴は、神道の教えのある日本において、その強大な戦艦の力を象徴する「神の依代」を思わせる。

 精悍さを感じさせる短く整えた髪に、髪飾りのような電探が取り付けてある。

 それが「金剛型戦艦」の共通する特徴であり、彼女はその2番艦として名を授けられている。

 

 金剛型戦艦2番艦《比叡》。強く握った拳をゆっくりと掲げていくと4基の35.6㎝連装砲が動き始めて、仰角が大きくなっていく。

 

「三式弾装填っ、さぁて!気合いっ、入れてっ、行きますっ!!」

 そして、握り締めた拳を強く前に突き出すと同時に、巨大な砲門が一斉に火を噴いた。

 

 それは微細な風の音、波の音、エンジンの音、それらすべてを無音に感じさせるくらい、いや、それ以前に存在していた音全てが存在ごと掻き消されるほどの―――轟音。

 衝撃波が大きく比叡の足元を凹ませて海を抉る。びりびりと空気が震えて、離れていても肌にその振動を感じた。

 

 1撃目。青空を這う虫のような敵機の群れを抉り、薙ぎ払う戦艦の怒涛の砲撃。

 一気に空が火で包まれる。対空用特殊砲弾「三式焼霰弾」、通称「三式弾」である。

 

 時限信管で砲弾を炸裂、内蔵されている焼夷弾子を周囲に散開させ、広範囲を焼き払う砲弾である。その炸裂する様相はさながら花火のようであり、装甲を貫通するには些か威力が足りないが、対空戦闘、地上基地及び艤装の破壊に効果的と言われる。

 だが、実際に効果を出すのは非常に難しい。大戦期にもそれは問題視された結果、艦娘となった彼女たちが用いるものはやや改良が加えてある。

 

「よっし!」

 小さくガッツポーズをすると、すぐに次弾装填の作業に取り掛かっていく。まだ敵機は残っている。全てを撃ち落とすことは不可能でも、1機でも多く落とすことが被害を抑えることに繋がる。

 

「対空戦闘用意っ!主砲、構え!!」

 無線に勇ましい少女の声が飛び込んでくる。翔鶴はちらりと右方を見る。声の主は波風に長い黒髪を靡かせている。

 

「―――対空射撃開始っ!!この海域から叩き出せ!!」

 彼女の声を合図に四方に散らばる駆逐艦娘たちの対空射撃が始まる。一気に弾幕が空に展開されていき、敵艦載機の侵攻を阻んでいく。

 駆逐艦娘たちを指揮する彼女、朝潮型のネームシップ《朝潮》は幼い容姿とは相反した凛々しい表情で空に主砲を掲げていた。

 

「1匹も逃がすな!朝潮型駆逐艦の力っ、見せてあげなさい!!」

 真面目な性格も相まってか、戦闘に関してもかなり真剣で口調もやや強くなる。だが、優れたリーダーシップでいつも彼女の妹たちを率いているため、一糸乱れぬ戦闘を展開している。

 

「よーしっ、いっきますよー!!てーっ!!」

 

「……撃ちます」

 前方と後方で小口径の主砲が火を噴き始めた。 

 2人とも煙突のような帽子をかぶっているが、性格や表情は真逆のようだった。

 白い歯を見せて笑っている2つ結いの少女が朝潮型2番艦《大潮》、とても明るい性格で、それが戦闘にもよく表れている。なんというか常にテンションが高い。

 もう片方のショートヘアの少女が朝潮型9番艦《霰》、とても寡黙であり、あまり表情も変えないが、そのせいか機械のような精密な砲撃を得意としている。

 

「ったく、つまらないのよ!!とっとと墜ちなさい!!」

 翔鶴の左方で砲撃を行っているのが、《霞》であった。自他ともに対してかなり厳しく、それは敵に対しても向いているらしい。その艦歴からか激戦を潜り抜けてきた武勲艦の1隻であり、大戦末期まで戦い続けてきたせいか、性格がまるで教官のように厳しくなったみたいだ。

 

「撃ちます…当たってっ!!」

 比叡の第1、第2砲塔が再び砲撃した。海が震え、空を火が駆ける。

 大半を撃墜したものの、僅かながら残った爆撃機が近くの艦娘に対して爆撃を開始する。

 

「各員、回避行動を行ってください!」

 だが、密度のない爆撃を躱すことなど容易であった。

 何もいない場所に爆弾は投下されて、水柱が立つ。敵機を追って戻ってきた艦戦隊によって、残っていた敵機は撃墜されていった。

 

「第3、第4砲塔っ、通常弾装填っ!斉射、始め!!!」

 隙を見て、残しておいた砲門を開き敵艦隊への砲撃を開始する。放たれた4発の砲弾が、水上に立つ影の周囲を抉っていった。

 

「……狭叉っ、次は行けます!当たってっ!!」

 続けて、砲撃が行われる。1発がヌ級に命中し、炸裂。黒煙が上がっているのを確認した。もう1発がヲ級の至近弾となり損傷を与える。比叡は大きくガッツポーズをすると、それを見届けて翔鶴が口を開いた。

 翔鶴の攻撃隊をの戦果を含めて、轟沈ヌ級1、ハ級1、中破リ級1、ト級1、小破ヌ級1、損傷軽微ヲ級1。

 やや攻めあぐねている感じはあるものの、上々であろう。

 

「このまま反航戦で、敵艦隊を叩きたいと思います。砲戦終了後はそのまま進行して、先にいる本隊を叩きます」

 帰還した雷撃隊、艦戦隊の一部の着艦作業を進めながら、艦隊に指示を出していく。

 

「空母が残ってしまった場合はどうしますか?」

 後方の比叡がそう尋ねる。確かに、空母を生かしたまま残せば、問題が多く残る。

 

「空母は私が責任をもって叩きます。皆さんは中破した随伴艦を狙ってください」

 強い自信を持って、そう言うと翔鶴は2本の矢を手にしてそっと弓に番えた。 

 

「第2次攻撃隊、発艦っ!!」

 矢が空を切り、姿を変えていく。航空魚雷を携えた雷撃隊である。直掩の艦戦隊も発艦し、被害を受けた敵艦隊へと迫っていった。

 

 封を切ったかのように左舷で砲戦が展開される。すれ違うような状況である反航戦で行われる砲戦で命中させるのは難しいが、生半可な訓練を積んできた訳ではない。、それに今は翔鶴と言う大きな存在が、海上から、そして空から艦隊の柱として存在していた。

 

 いくつもの爆音が響き渡り、海面は何度も割れ、幾本もの水柱が立つ。

 敵艦隊が炎に包まれていく。その行く末を最期まで見ることなく、彼女たちの航跡は先へと続いていった。

 

 

 

 

     *

 

 

 

「よしっ、吾輩たちはこの周辺で待機じゃ」

 

「えっ、こんなところで、ですか?」

 陽炎は周囲を見渡して顔をしかめた。

 ブイン基地が水平線に隠れるくらいの場所。周囲には孤島が見えたり、見えなかったり。

 特に何もない場所で待機しろと言われたのだ。

 

「吾輩らの任務は、迎撃に向かった者たちが討ち損じた航空機や、深海棲艦のトドメを刺すことじゃ。迂闊に動き回るより、待ち構えておいた方がやりやすい」

 したり顔で仁王立ちする姿に、有無言わせない姿勢を感じさせる。

 重巡洋艦娘、利根型1番艦《利根》。陽炎からすれば、豪胆無比と言えばいいのか、自分を信じて疑わない人だという印象だった。

 深緑色を基調としたショートルックのワンピース。後部甲板を模したニーソックス。髪はツインテールで主砲とカタパルトが左右非対称という変わった艤装をしている。

 なんといっても特徴はその口調だ。自分を「吾輩」と呼び、やや古風な話し方をする。

 重巡と言えば、駆逐艦に比べればまた別世界の存在だ。艦娘になってもそれは変わらないし、やや向こうが大人びていると言うのも圧倒される理由になる。

 

 

「あ、あの……いいんですか?もう少し散開して索敵を徹底したほうが」

 

「もう吾輩が索敵機を四方に放っておる。まったく、お主ら駆逐艦は血気盛んな者たちばかりで困ったものじゃ。軽巡が1人でもおればよいのじゃが……」

 そう。ブイン基地には駆逐艦の直轄の上司に当たるはずの軽巡が着任していなかった。

 訓練については、電がいるために問題はなかったが、立場というものは意外と重要なもので、重巡が駆逐艦をまとめ上げるというのはあまりしっくり来ないものらしい。

 

「流石に海に出ておいて何もしないというのは……」

 

「真面目じゃのう。よしっ、対潜警戒を頼もう。念の為じゃ。あまり動き回るなよ?無闇に探し回った方が索敵に穴を作る。『艦隊の眼』は吾輩に任せよ」

 零式水上偵察機。フロートの付いた水上機の一種だ。

 恐らく出発の前に既に放っていたのだろう。上空からの偵察は非常に広範囲を見渡すことができ、電探よりも場合によっては効率がいい。

 特に利根の偵察能力は優れていた。彼女曰く『艦隊の眼』、今はその名に背中を預けておくことにしようと思い、陽炎は自分たちの仕事へと移った。

 

「みんなー、対潜哨戒するわよー。潜望鏡を見つけたら、すぐに報せなさーい」

 陽炎は後方に続いていた妹たちにそう指示をする。

 4人とも別の方角に散らばっていき、目視での対潜哨戒を試みた。

 

 今日は波がやや高い。波に揉まれていれば潜望鏡も見つけにくくなる。注意して揺れる海面に目を凝らした。

 

「あまり遠くまで行かないで。あぁ…水中聴音機(パッシブソナー)でもあれば楽なんだけど」

 

「ここ最近、近海で潜水艦の報告は上がっていません。余程の事がない限り、そのような貴重な装備は配備されないでしょう」

 やや漏れてしまった不満をすかさず不知火が拾って言い返してきた。

 離れた場所にいる彼女に、何よ、とでも言わんばかりの視線を送るが、素知らぬ顔で哨戒を続けていた。

 

「黒潮ー、雪風ー、そっちは大丈夫ー?」

 

「敵さんの影ひとつあらへん……大丈夫やでー!」

 

「はいっ、こちらも大丈夫です!」

 

「利根さーん、今のところ問題ありませーん!」

 

「そうか、引き続き……むむっ」

 その瞬間、利根の表情に真剣さそのものがくっきりと浮き上がった。目が鋭く左30度の方角を睨む。

 目を閉じる。彼女の意識は零式水偵と繋がり、映像がくっきりと伝わってくる。

 

「ややっ、少々マズい事態になったのう……陽炎、集合じゃ!敵が来るぞ!」

 その声、その表情、彼女から放たれた威圧が一瞬で戦場を組み上げていく。

 陽炎や不知火たちにもそれは伝わっていった。自然と顎を引いて、唾を飲み、気が引き締められていく。

 

「陽炎型集合!」

 陽炎の喉奥から鋭い声が無線機のマイクに放たれる。

 身体に張り巡らされた感覚が明らかに変わってくる。指先まで目があるかのように鋭敏になるのだ。

 

「戦線をやや前にずらすぞ!単縦で吾輩の後に続け!」

 利根の声はいつもに増して勇ましく響いた。いつもの自信に満ちた表情とは一変、彼女の表情には本気の二文字が現れている。

 

「近辺に湧き出て合流したか……数が増えておるなぁ。じゃが、そちらは他愛なし。翔鶴は何をやっておる……」

 

「な、なにがあったんですか?」

 

「少々待て……いや、陽炎。基地に連絡して電を呼べ。現状の戦力で足りるかも分からぬ……」

 その指示の直後、モースル信号が利根の無線機に響く。偵察機からのより詳細な情報が送られてきたのだ。

 

「正規空母が1、駆逐級が2、戦艦級が1、戦艦は中破状態、か……」

 空母に戦艦、そのフレーズが陽炎の背筋を駆け抜けて恐怖を呼び起こす。

 どんな存在か知っているからこそ、その強大さを知っている。駆逐艦が相手をするには強大過ぎる敵であることも。

 

 静かだった海が急にざわめき始めた気がした。

 

 

 

     *

 

 

 

 爆炎が後方で広がった。海面が大きく沈み込み、背を打つ衝撃波が聴覚を狂わせて眩暈に似た症状を引き起こす。

 それを防ぐために、朝潮は耳を塞いでいた。それは咄嗟の行動だった。

 

「―――――っ!」

 耳を閉じてた手を解き、急いで海上に座り込んでいた身体を起こした。

 ズキリと右足が痛む。赤く血が滲み出ている。

 

 目の前で、バシャン、っと大きな何かが崩れ落ちる音がした。

 巫女服姿の女性が片膝を突いて崩れ落ちている。十字に交差して頭部を守っていた腕が、力なく垂れ下がった。

 

「―――比叡さん!!」

 彼女の背越しにこちらを静かに見つめる冷たい瞳。

 白い肌、長髪の女性、両手に砲門が並んだ盾のようなものを携えてこちらを見て笑っている。全身から燃え上がる炎のような黄色い光を放っている。

 戦艦ル級flagshipは項垂れる比叡にもう一度砲門を向けた。その背後に隠れている朝潮に気付いているのか、彼女を見て嘲笑ったかのような気がした。

 

 朝潮は手を伸ばした。比叡の背中を支えて逃げなければ。 

 

 

 航空機の雷撃を受けた。一瞬意識が取んで目まぐるしく回る世界の中で砕け散る自分の魚雷管を見た。空と海面が入れ替わっていき、頬に冷たさを感じた。

 絨毯爆撃とさえ思えるほどの圧倒的な火力で、大潮が中破した。霰も至近弾を受け機関の調子がおかしくなっていた。感情を乱しすぎた。前に出すぎた。

 

 そして、あの白い顔にに浮かぶ深淵を感じさせる目に見つめられて足が止まった。回避することさえ忘れて、まともに魚雷を受けてしまった。

 

 途切れそうな意識の中で、大きな黒い穴がこちらを見つめていた。あぁ、あれは戦艦の砲口だ。

 最後に白い影が飛び込んできた。盾になるかのように立ち塞がった。咄嗟に両腕を十字にして砲撃を受け止めた。

 

 爆発はしなかった。右腕に綺麗に当たり、やや弾道が逸れて後方で爆発したが、鈍い音が響き渡った。

 

 

 比叡に駆け寄ろうとしたとき、項垂れていた顔が起きた。

 

 ちらりと振り返った比叡は笑っていた。恐怖に怯え、焦りに囚われた朝潮を諭すような笑みを浮かべて。

 

「耳、塞いでて」

 唇がそう動いた。身体は反射的に彼女の意を汲み取って再び両耳を塞ぎ、蹲った。

 

「させるかぁぁぁあ!!!」

 少女の怒声が響く。戦艦に肉薄する駆逐艦娘が1人。主砲を放ちながら気を引こうと必死に海を駆けている。

 ル級は不意にそちらに意識を向けた。主砲をカンカンと叩く小さな砲弾が耳障りだった。

 

 目が合った。霞は笑った。

 

「馬鹿ね、沈みなさい!!」

 

 4基の主砲が動いた。比叡の左手がまっすぐにル級を捉えていた。

 

「主砲っ、斉射っ、始め!!!」

 黒煙が広がって、轟音が響く。空気が振動し、広がった火から戦場の空気を裂くようにして、4発の徹甲弾がル級flagshipの装甲にぶち当たる。

 

 金属音。直後に爆音。鉄片が宙を舞い、火の粉が海上に落ちて消えていく。

 ル級の左腕ごと片方の砲門を吹き飛ばした。仕留め損なった。比叡は悔しさから歯を食いしばるが、すぐに朝潮を引き連れてその場から動き始めた。

 

 再び陣形を形成する。戦場の中央で矢を放ち続ける翔鶴の下へと集まって、護りを固めていく。

 残った敵艦の相手をしている暇はなく、一旦この戦場から離脱することがこの艦隊にとって最善の手だった。

 

 

 制空権を奪われたのだ。翔鶴は額から伝う汗を拭う暇もなく、焦りが徐々に彼女の中で広がり始めた。

 唇を噛んだ。今の状況ではこの戦いには勝てないことを悟ったのだ。

 

「――――全部隊、帰還してください。攻撃隊を先に着艦させます」

 艦載機たちにそう伝える。被害も大きかった。これ以上、攻め続けて被害を出すことは避けるべきだ。

 朝潮型駆逐艦は残った兵装で対空砲火を休むことなく続けていた。その隙に翔鶴の着艦作業が進んでいくが、彼女の眼にはこの戦場の奥に佇むひとつの黒い影をずっと睨みつけていた。

 

「……どうして、どうして、『青眼』がこんなところに……っ!」

 

 『青眼』―――正規空母ヲ級改を彼女たちはそう呼んでいた。

 姫級に匹敵する圧倒的な火力と装甲。正規空母の艦娘1人ではとても太刀打ちできるような相手ではなかった。

 そんな強敵がこの海域に出現していた。

 

 油断はなかった。慢心などなかった。

 それでも、理不尽なまでに勝てない敵が存在していることはずっと前から知っていた。

 

「一度戦線を離れます。朝潮さんと大潮さんを中央に。複縦陣を形成してください。霞さんは霰さんのサポートをお願いします」

 策が必要だった。策さえあれば対抗できるだけの練度が自分にあるはずだ。

 だが、困惑と焦燥が思考を乱す。それ以上に、自分が受け持った艦隊が圧倒的な力を前に崩れ落ちていく様が、嫌な記憶を呼び起こす。

 

「艦戦隊っ、追撃してくる爆撃機の迎撃を」

 上空を旋回して待機していた艦戦部隊に指示を出す。補給を満足に行える状況でもない。厳しい戦いだが、彼らは再び翼を敵と向けてくれた。

 

 

 

 

 そんな彼女たちを見下ろすかのように、遥か上空を駆け抜ける航空機が1機あった。

 

「……なにあれ?」

 コックピットに座る彼女はそう呟くと、F-35A-Jは大きく旋回し、海上を進む彼女たちの頭上を再び駆け抜けていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




「なあ、作者さん。今回はどこの話だっけ?」
「あぁ、ブイン基地だね」
「それで、このブイン基地には誰がいたんだっけ?」
「あぁ、流れ着いて提督になっちゃった青年だね」

「なあ、作者さん。 提 督 を ど こ に や っ た ?」


「君のような勘の良いガキは嫌いだよ」



 まさかの提督不在回。まさかの前編後編。計画を守る気のない作者ですみません。


 時代を考えて若干オリジナル成分入ってるところもありますが、ちょっとした考え方の問題なので、あまり深くは考えないでください。お願いします。

 では、まだまだ続きますがこれからもよろしくお願いします。





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栄光の鉄翼 -ブイン基地にて- 後編

 ブイン基地後編です。
 
 訳分かんねえこと書いてるので、序盤の方はさらっと流してもらって結構です。


 機能美。

 

 イラストが多く載っている図鑑などを開いてみよう。魚、鳥、昆虫、写真とは違い、イラストは形状をはっきりと見やすいように、そして現実に近い形で記す。それはイラストレーターの腕にも依るが、今にも動き出しそうなものであることもあり、その絵を手がける者たちのほとんどは現実に近い形に非常に拘りを見せる。

 何故ならば、自然に溢れるそれらの生き物たちのありのままの姿こそ美しいからである。

 何故、美しいのか?それは膨大な歳月の中で、目まぐるしく変わりゆく環境の中で、生命が生き抜くために、必要な形を生み出していったからだ。大自然の中で荒れ狂う生存競争の激流に不必要なものの一切を削り取られていき、まるで研ぎ澄まされた日本刀の切っ先のような美しさを生み出すのだ。

 あるべきしてある形状。なるべくしてなる形状。得るべくして得た形状。

 その全てに機能美と言う美しさが秘められている。

 

 風を切るように、水を切るように、土を掻き分けられるように、獲物を狩りやすくするように。

 魚の尾ひれにかけての形状、鱗の配列。鳥の頭部から尾翼にかけての曲線、美しい羽根の並び。昆虫の硬い外皮、その内に格納された薄い翅。

 

 

 マッハ円錐(コーン)というものをご存じだろうか。

 進む弾丸の周囲の鋭角に尖った「衝撃波」などと言うイラストで目にする方がいるかもしれない。

 せっかくなので弾丸を使って説明すると、空気とぶつかる先端部から正円の波が広がりながら、弾丸は移動していく。これが超音速になったとき、連続して発生する正円の波は経過時間による波の半径の変化によって、移動した弾丸の先端から共通する接線を持つようになる。すなわち、正円で広がる波があたかも直線状の波を生み出しているように見える。3次元的に見れば、正円は球となり、直線は円錐を描く波になる。

 超音速まで加速すると、急激な流れの変化から局所的な圧力や温度、空気の密度などが変化し、これが「衝撃波」となる。さらに速度が上がれば、この衝撃波は物体を離れて周囲に飛ぶ「ソニックウェーブ」となるのだ。

 

 では、ジャンボジェットのような旅客機がなぜ戦闘機のような速度で飛べないのか。

 戦闘機の速度で生じるマッハコーンに旅客機を置いてみると、両翼を断ち切るように衝撃波が走るのだ。

 これではまともな飛行ができない。

 

 

 現代の戦闘機と言われて思いつくものを想像してほしい。

 その先端から尾翼にかけてまでのフォルムは、鋭角な三角形のようだ。

 戦闘機はこの形状の為に、マッハと呼ばれる速度で飛行できるのだ。

 

 空での戦闘に置いて、人類は速さを求めた。動力が移り変わっていき、材料が移り変わっていき、形状が移り変わっていき、そして新たな動力に適応するような新たな材料と形状を生み出してきた。

 航空機にとって、これは生命の進化同様の技術の革新であり、今なお進化は止まらない。

 

 だが、その形状が大きく変化していくことは恐らくないだろう。細かな差異こそあれど、戦闘機と言われて思いつく形状はほぼ共通しているはずだ。

 

 

 これは、生まれるべくして生まれた形状なのだと。

 これこそが、機能美なのだと。

 

 超高速で空を駆るその機体にも、地球という環境で速くあるために、自然の摂理とぶつかって、削られて、得た美しさがあるのだ。

 

 

 

さて、前置きが長くなったが、ジェット機の登場は第2次世界大戦末期からその後にかけてだ。

 高速・高出力で他の艦載機の追随を許さない可能性を秘めた存在として、工業国ドイツで生まれ、世界に広まっていった。

 試行錯誤が繰り返されて軍用機として研究が進んでいく傍ら、徐々に民間機や旅客機への利用も広まっていき、空の世界は大きな変革を遂げることとなる。

 

 そして、時代は深海棲艦との戦いになっていった。

 着目するべき点は「深海棲艦は大戦期の兵装を模した兵器を用いる」という点だった。

 すなわち、大戦が終わった後で生まれたジェット機に追いつける航空機を深海棲艦は保有していなかった。

 

 そのために人類は制空圏を守り抜くことができたのだったが、できたことと言えば、せいぜい輸送程度。ジェットエンジンの戦闘機では撃ち落としたり、妨害したりすることくらいはできたが、破壊にまで至らないので深海棲艦側の戦力を本格的に削ぐことはできなかった。

 挙句の果てに、馬鹿にならない維持費を艦娘の支援に回すなどと、徐々に衰退の一途を辿るのであったが、空輸の護衛、日本本土の防空、偵察や戦地への物資運搬などその高速性と戦闘力を十分に活かせる場が残っていたために、日本国などの一部の列強では、近代兵器の航空戦力を維持したまま、深海棲艦の大戦を続けることがあった。

 

 その結果として、海上からのみでは展開不可能な作戦が立案され、また陸海空共同の深海棲艦に何かしら効果を得られる兵器開発なども行われ、日本は初期の主要軍港爆撃、及び舞鶴の悪夢を除き、その領空を深海棲艦に侵されることは一度もなくなった。更には艦娘による強行偵察の危険性も減り、その他の列強国との唯一の安全の確保された架け橋として機能した。

 

 問題となったのが、その立場であった。

 大日本帝国時代の名残を引き継ぐことにした日本国軍は、その時代に存在しなかった空軍の取り扱いに手を焼いていた。航空自衛隊として、残すのも既に「自衛」の範囲を超えた活動を行わざるを得ない戦争であり、軍として機能する他になかった。

 そして生まれたのが「日本国航空防衛軍《JADF(Japan Air Defense Force)》」である。

 「空軍ではダメなのか?」という疑問に対して、「侵犯することが目的ではない。我々が行うのはあくまでも自軍友軍の防衛・支援行為であって、そこに一切の殺戮・侵略行為を含んではならない。その意志を示すにあたって防衛軍と名乗るのは適当である」などというのが軍部側の意見であった。

 こうして、陸海空自衛隊に変わるデルタフォースが生まれた訳である。

 

 無論パイロットたちに犠牲は生じた。ジェット機が優れているからと言って、深海棲艦相手に必ずうまく行くという保証は始めから無かった。海に広がる無数の砲門から逃げ切れるとは限らなかった。

 しかし、彼らの勇気あってこそ、艦娘たちの勝利はあった。そのことに間違いはない。

 

 

 戦後、そのまま日本には自衛隊に代わる組織、軍の状態で陸海空を守っている。

 

 鋼の翼は、その紋章に大鷲の翼を掲げて。

 

 

 

     *

 

 

 

 

 一体、どれほどこの空を漂っているのだろう。

 音速を越えた世界を飛び交い、計器に全ての間隔を託して、普通の時間や感覚とはかけ離れた世界にいるような気分だ。

 

 今日の朝は何を食べたっけ?

 確かリンゴを1個、それとレーションだったか?ココア味のプロテインドリンクも飲んだような気がする。

 

 いや、そんなのはどうでもいい。どうして自分はこんなところにいるのか?

 昨日…いや、もう一昨日か。違う、あれは3日前だ。

 

 突然、横須賀などというお門違いな場所に呼び出されて、窓全部にシャッターが閉じた部屋で防衛大臣と航空総隊司令官となぜか自分。

 とても3等空尉のいるような場所じゃないと思うのだが、なんて考えてたか。

 

 あれから不思議な気分だ。ずっと今まで、夢を見ているような。

 久々に向かい合って見た父親の顔は少し皺が増えたくらいで、大してなんの変化もない。

 

 その後、横田まで航空総隊司令官と同じ車の中で移動して、夜中に輸送機で春日まで運ばれて。

 

 あの日のせいで日にちの感覚が狂っているんだ、と今は言い訳をしておこう。

 自分はつくづく軍人には向いてないと思う。なんでJADFに入ったんだろう。

 

 まさか、F-35A-Jに乗って、極秘任務を与えられるなんて思ってもいなかった。

 自分だけじゃなくて、他にも2人ほどいたが知らない顔だった。

 年上の男性だったかな。1人は1等空佐、もう1人が2等空佐。やっぱり場違いじゃないか、自分。

 

 パイロットスーツは初めて着るものだった。近頃、米軍が開発したでヘルメットがまるでライダーのフルフェイスのようになっている。

 隠匿性の高い作戦などで用いられるものらしく、こちらで任意にロックを解除するまでスーツから外れないというバカ技術だ。かなり軽いのに至近距離からトカレフぶっぱなっても穴すら開かない上に、HMD搭載。いったいこれひとつ作るのに幾らかけたのだろう。

 スーツも今までの耐Gスーツに比べると随分とシンプルになっている。確か、将来的には宇宙での活動に用いられるスーツの技術を使っているとか。

 着替えてみれば、なんかどこかのロボットアニメのパイロットみたいな姿になる。

 でも、乗るのは戦闘機。スーツだけ時代を先どってしまった気分だ。

 

 で、だ。

 

 別行動で、別の方角に散開したけど、なぜか自分だけ突然視界がなくなった。

 霧みたいなものに囲まれたような感じだった。計器は正常に作動してたが、なぜか通信だけが途切れてしまった。

 

 戸惑っているのも束の間、警報。計器盤に《ALART》の文字。我が目を疑った。

 

 これはステルス機だ。なのに存在がばれてるし、何者かにロックオンされてる。

 何者かに捕捉されるような距離まで近づいた覚えはない、なによりレーダーに……

 レーダーに突然変な反応がひっかかる。一瞬だった。たった数コンタクトだけですぐに消えた。

 いや、すぐ消えたように感じただけなのかもしれない。まともに感覚が機能している自信がなかった。逃げなければ撃墜されるのだ。

 

 アフターバーナーを吹かして急旋回する。のしかかるGが意識を混濁させようとするが、こんなの慣れっこだ。

 鳴り続ける警報。スーツの中で汗が噴き出す。脈拍が早くなっている。少し息苦しさが増していく。

 躊躇うことなくフレアを放ち、そのまま旋回を続けて、なんとか警報が止んだ。

 

 

 多分、その後だったと思う。不思議なものを見た。

 

 きっと夢を見ていたんだと思う。

 極度の緊張とそれからの解放。そして大きなGの変化で全身の血液の巡りがおかしくなって、幻覚でも見せていたのだろう。

 

 霧なんてものはどこにもなかった。ついさっきまで一体何を見ていたのだろうか?

 青く広がる海と空に、白い雲。凄まじい速度で流れていく景色のどこにも、あの姿はない。

 

 やっぱり、夢だ。帰ったら姉にでも話したい気分だが、極秘任務なので話すこともできない。

 

 

 鋼鉄の城のようなものが見えたとも、それが動いているように見えたとも。

 

 きっと誰にも話せない。

 

 

 その直後に、レーダーがまた何かを捕捉する。

 速度を少し落として外を見ると、なにやら海の上で暴れている。

 

「なにあれ?」

 旋回して何度か見てみたが、どうも人らしい。

 そう言えば、この前ちょっと会った従兄がちょうどあんな感じの存在の話をしていたような気がする。

 

「……艦娘、か」

 初めて目にしたその存在は、想像よりも随分と不思議なもので。

 

 想像よりも随分と小さいものだった。

 

 

 

          *

 

 

 

 ブイン基地近海で発生した戦闘は、泥沼化しかけていた。

 ヲ級改flagshipによる圧倒的な航空戦力に加え、未だ片方の主砲が健在であるル級flagshipの長射程からの砲撃。守りが堅すぎるのだ。更に途中で加わったと思わしき、駆逐イ級と軽巡ト級が数隻、壁となっていた。

 そのために侵攻を全く止められないまま、利根率いる本島防空部隊は同航戦、陣形は輪形陣の状態で戦況を打開する一手を考えていた。

 

 激しい対空砲火。

 掲げている腕が疲れているなど感じる暇もない。

 

「1機たりとも基地に向かわせえてはならぬ!もっと弾幕を濃くするのじゃ!!」

 砲音と機銃の音、空を飛び交う敵航空機の虫の羽音のようなエンジン音。それに紛れて掠れる利根の声は無線を通じてはっきり聞こえるが、周囲の音のせいで頭に入らない。

 

「くっ…何よ、この数。聞いてないわよっ!!」

 艦艇の時代に対空演習はしたような気がするが、こんな身体のせいでその時の感覚はさっぱりない。この身体になってからも、幸いにも翔鶴がいたお陰で対空母戦を想定した訓練を何度か行ったが、相手が悪すぎる。

 敵の新型機の速度、旋回力、そして火力、どれも訓練と比にはならない。

 

「ちっ…しぶとい虫どもめ」

 

「うわぁ…撃っても撃っても、ぎょうさん湧いてくる……しんどいわぁ」

 

「沈むわけにはいきません!雪風がお守りします!!」

 

「雪風っ!!魚雷じゃ!!その位置からなら……」

 利根が振り返りながら無線のマイクに叫ぶ。雪風からヲ級改flagshipまでの直線状に艦影も艦載機も1機も存在していない。

 

「雪風!お願い!!」 

 陽炎も妹に全てを託すかのように叫ぶ。

 雪風は答えるように頷くと、艦隊の進路からやや外れながら、ヲ級改flagshipに狙いを定める。

 頬を汗が流れる。歴戦の駆逐艦と言えども、緊張を感じない訳がない。

 

「絶対、大丈夫――――っ!!魚雷、目標敵正規空母っ、全管発射!!」

 4本の酸素魚雷が海中に放たれる。静かに水面下を駆けて、やや扇状に広がり青い目をした正規空母へと向かっていった。

 

「よしっ!」

 当たった。そう確信した陽炎は小さくガッツポーズをする。

 直後に轟音。ヲ級改flagshipの姿が水柱の中に飲み込まれた。

 ついでに付近のイ級にも命中し、轟音が立て続けに空気を震わせる。宙を黒い金属の破片が飛び散り、気味の悪い色をした液体が撒き散らされる。

 

「……やったかっ!?!?」

 利根は水柱に目を凝らした。一気に炸裂した酸素魚雷のせいで大量の水飛沫が宙を舞い、敵艦隊周辺の視界がやや悪くなっている。

 ふと、利根の耳元に警報に似た音が響いた。

 

「……っ!!利根さん、戦艦の砲撃が来ます!!」

 意識を引き戻したのは不知火の声だった。無口で冷静沈着な彼女からとは思えない酷く焦燥と恐怖に駆られた声だった。

 黄色い炎のような光を帯びる鋼鉄の盾。その向こうに浮かぶ戦艦ル級flagshipの気味の悪い笑みが網膜に焼き付く。

 

 マズい。命中する。

 敵に制空権を奪われている状態では、戦艦による観測射撃が可能となる。より正確で当たれば致命的な一撃だ。

 

「回避じゃ!面舵一杯!」

 

「雪風ー!!はよ戻りー!!」

 

「了解です!!」

 

 轟音。戦艦の重々しい砲音が海に衝撃を叩きつけ、黒煙に紛れて砲弾が艦隊を襲う。

 駆逐艦の小さな身体に当たれば最悪、バラバラになって吹き飛ぶくらいの威力を誇る。

 着弾。大きな波が立つ。

 

「あわっ!!」

 陽炎の横顔を海水が撃つ。かなり近くに落ちたようだ。

 

「状況確認っ!みな無事かっ!?」

 

「陽炎、損害なしです」

 ふと、周囲を見渡した。離れた場所にいる妹たちはやや苦しい顔をしている。

 艤装の一部が凹んでいたり、切り傷のようなものがあったり。

 どうやらあちらの方に着弾したようだ。

 

「不知火、小破……至近弾でやや機関の調子が不調です。魚雷管も…」

 

「黒潮、小破やで~……ちょっと砲塔に破片が当たってもうたわぁ…」

 

「雪風っ、無傷です!!」

 

 戦艦の砲撃、ましてや至近弾を受けてこれほどの損害で済んだこと自体が奇跡だ。

 もしかしたら、平然の無傷でいるあの妹の恩恵を受けているのかもしれないなどと、陽炎は考えていたが、すぐに電探が敵影をキャッチする。

 

「対空警戒っ!敵航空機健在です!!」

 

「何っ!?雪風の魚雷は当たったはずじゃ……」

 利根の言う通り、あれは確実に命中した。確かめるかのように、陽炎は海の上にヲ級改flagshipの姿を探す。

 

 海の上で膝を突く影が1つ。マントのような部位が風にたなびき、大きな格納庫の頭がゆっくりと持ち上がる。再び青い目が光った。ぞくりと背筋を駆け抜けた恐怖のようなものに吐き気を催す。

 

「敵正規空母健在っ、損傷軽微です!」

 言葉を失っていた陽炎に代わり不知火が叫ぶ。

 口の中に変に溜まった唾を飲み込んで、砲塔を掲げる。水煙を切り裂いて敵機の姿がはっきりと見えた。

 

「堅すぎやぁ…なんや、あの空母…」

 

「す、すみません……仕留めそこないました」

 

「……来るぞ!対空砲火開始じゃ!!」 

 やや苦い顔をした利根は劣勢の戦況に負けじと声を張り上げて艦隊を鼓舞する。

 損傷軽微と言えど、明らかに航行能力が低下している。

 戦艦も中破状態。先程の砲撃が外れたのも、それが影響しているはず。

 

 倒せるはずだ。それなのに、倒せる気配を全く見せない。

 なるほど。これが深海棲艦か。これが負の感情の化身か。存在そのものが絶望のようだ。

 

 利根の横顔にふと笑みが浮かんだ。みなが空を見上げているため、それに気付く者はいなかった。

 これが深海棲艦かと納得した。その瞬間に、自分たちの存在意義を、その理由を再認識した。

 「運」と言うものだけがそれに気づいていた。

 

 

 この戦場で唯一、微笑んだ彼女に、微笑み返したのだろう。

 

 

 

 一瞬の出来事だった。

 ヲ級改flagshipをこの海の上から薙ぎ払うかのように、その姿が吹き飛ばされる。

 連続する轟音。水面下からの不意を突いた一撃。真横からまともに受けたヲ級改flagshipの身体は海面に叩きつけられた。

 

『――――みなさん、おまたせしたのです』

 

 無線に少女の声が入る。

 基地の方からこちらへ高速で向かってくる艦影が1。

 大きな錨と盾のような装甲板を持った艤装のシルエットは、ブイン基地のエースの姿。

 通常雷撃を撃つ距離からとは思えないほどの、遠距離雷撃を放って命中させる。

 

「とっとと片付けて、晩御飯の支度をするのです。電、基地防空艦隊に合流します」

 そんなことを言いながら、対空射撃を始めていとも艦隊に撃墜していく。

 どんな訓練を積めばこんなあっさりとした戦いができるのか、それはブイン基地に所属する駆逐艦全員の疑問だ。

 駆逐艦娘、《電》がブイン基地第2艦隊に合流する。艦隊の最後尾に着いて、弾幕はさらに濃くなった。 

 

『――――こちらも、お待たせしました……っ!』

 続けて無線に入った声。それを途中で遮るかのように降り注いだ砲弾がル級flagshipの周囲に着弾していく。

 

「……まだ、負けません!!気合い、入れて、行きま……痛たたっ…てーっ!!」

 その影はまだかなり遠くにありながら、ル級flagshipにかなり正確な砲撃を叩き込んでいった。

 狭叉。至近弾。そして命中。

 

 97式徹甲弾がル級flagshipの脇腹に食い込む。さらに砲塔に突き刺さり分厚い装甲を破壊した。

 弾薬庫に引火し、砲塔が爆発する。誘爆してル級flagshipの身体は内側から破裂するかのように吹き飛んだ。

 

「よしっ!痛たたた……骨が折れるとやりにくいです~……」

 巫女服姿の女性は、右腕を三角巾で吊っており、腕には鋼鉄の矢と何かの帯のようなもので応急処置が施してあった。

 

「比叡さん、ありがとうございます!攻撃隊、直掩隊、全機発艦!!」

 その後ろに構えて翔鶴がすぐさま空に《流星改》と《零戦52型(熟練)》を放つ。勢いよく風を切り放たれた矢は光に包まれて、一気に航空機へと姿を変えた。

 

 ゆっくりと起き上がるヲ級改flagshipの眼に向かってくる翔鶴航空隊が映る。

 

「アアァァァァァァアアアアァァアァァァァァアアアアアアアアアァァァァァアア!!!!!!!」

 

 そんな叫びだった。ヲ級改flagshipの口から言葉とは思えない断末魔のような叫びが響き渡り、戦場に満ち溢れたあらゆる音を薙ぎ払う。激昂したかのように全身を包む黄色い光の強さが増し、目に点る青い炎はさらに強く燃え上がった。

 

 頭部の格納庫、口のように開く隙間から青い炎が燃え上がり、大空に吹き出した。

 その中から、いくつもの火の玉が飛び出して、翔鶴航空隊へと向かっていく。

 

 炎を払って姿を現したのは、鬼。丸い球体の航空機。

 歯が並んだ口のような割れ目から機銃が剥き出しになり、鬼の頭骨を思わせる白く角のあるフォルムは何ともおぞましい。

 

 

 

『――――全艦隊っ、聞こえますか!?』

 

「あっ、司令官」

 無線に割り込んできた声は、若い男性の声。この鎮守府で司令官を務めている青年の声だった。

 

『戦況が悪化しているのは把握しました。確認に時間がかかりお待たせしてしまい申し訳ありません!』 

 馬鹿丁寧な性格を思わせるような敬語口調。

 翔鶴がどんな方とお話しても失礼のないようにと叩き込んだものだが、こんな激戦の最中で飛んでくると少し笑えてしまう。

 

『翔鶴さんの艦隊は敵正規空母、及びその随伴艦の注意を引いてください。その隙に利根さんの艦隊は敵艦隊の前方に展開。丁字有利状態を勝ち取り、一気に敵艦隊を殲滅します!』

 

『数的有利な状況ならばこの作戦は可能です!誰ひとり欠けることなく帰還してください!』

 

「……了解しました!利根さんっ、お願いします!」

 

「うむ!お主ら、陣形を単縦に変更!魚雷を撃てる者は魚雷を撃て!撃てぬ者は砲撃せよ!」

 

「損傷の激しい方を奥へ!比叡さん、申し訳ありませんが護衛をお願いします!私も前に出て敵機を引き付けます!霞さん、皆さんのサポートを」

 

 海上で激しい声が飛び交いながら、空で航空機による激しい戦闘が展開される。

 

 後を追う者。後を追われる者。火を噴いて飛び交う機銃弾。海を裂き、翼を裂き、火の塊となって海に墜ち行く翼。

 決死の思いで放つ航空魚雷は敵艦隊を叩くも、肉壁となって盾となる周囲の護衛艦に邪魔をされ、旗艦には届かず、そのまま頭上から迫る鬼にその羽を喰い千切られる。

 それでも、彼らは諦めない。勝敗が決するその瞬間まで操縦桿から手を離すことはしない。

 

 

 

 左腕の欠けたヲ級改flagshipの身体から紫色の液体が溢れ出す。

 重油と体液とそれが混ざって海に広がり、滲んで高い波に揉まれて消えていく。

 

 顔を上げる。正面に並ぶのは6つの影。

 どいつもこいつも女ながら勇ましい顔をして睨みつけていやがる。

 

 

「―――――その艦、もらったぁっ!!!」

 一気にこちらに向けられて主砲が火を噴いた。周囲の海を割り、この肉体を裂き、傷口にかかる海水が染みることはない。

 痛みはない。この身体に溢れるのは、負の感情だけ。

 どこから生まれたのかもわからない激しい怒りと憎しみと苦しみ。

 

「全主砲!斉射、始め!!」

 真横からも砲弾が降り注ぎ始める。

 近くにいた軽巡か駆逐艦か。大きく抉れてしまった残骸からはもう推測すらできない。

 次々と憎しみの黒が消えていく。次々と悲しみの怨嗟が薄れていく。次々と深い怒りの炎が鎮まり返っていく。

 

 何を思ったのか。徐に立ち上がって爆発しかけている機関を唸らせた。

 今、出せうる全速力でこの海域から逃げようと。理屈はない。思考もない。希望もない。

 形を変え続ける海面に、雨のように降り注ぐ海水と砲弾。身を掠め、鋼鉄の肉体を削っていく。

 

 逃げなければ。生きなければ。ここで終わってはいけない。

 その姿を水飛沫の中に見た翔鶴は思わず目を背けてしまった。

 

 

 

 

 

「―――――我が索敵機から……逃げられるとでも思ったか……?」

 

 

 利根の索敵機がヲ級改flagshipの頭上を駆けた。ふと、ヲ級改flagshipは振り返る。

 

 あぁ、空が静かだ。機銃の音も止み、全ての艦載機が翔鶴の下へと戻っていく。

 ふと流れ星に似た何かが空を翔けるのを見た。まともな色も映せないこの眼だが、金属の塊のようなものが遠い空を翔けていく。

 昼間の空を翔ける彗星。

 

 

 利根の主砲が唸った。放たれた砲弾がヲ級改flagshipの格納庫を撃ち抜いた。

 爆炎が上がり、一気に黒い煙と赤い炎が海の上に広がっていく。

 

 

 

「……戦闘終了です。両艦隊、帰還します」

 静かに翔鶴が無線のマイクに呟いた。

 

『みなさん、お疲れ様です。急いで入渠の準備を始めます。最後まで警戒を怠らず帰投してください』

 

「はっはっは!大勝利じゃ!まぁ、吾輩がいる以上当然の結果じゃが……ん?翔鶴よ、どうしたのじゃ?」

 

「いえ……基地へと戻ります。みなさん、お疲れ様でした」

 

「はぁ……疲れたわね。不知火、黒潮、大丈夫?」

 

「えぇ、不安でしたが主機は正常に動きそうです」

 

「うちも大丈夫やで~!電はんが来てくれて助かったわぁ」

 

「……」

 

「あれ?電さん、どうしたのですか?」

 

「雪風さん、殿をお願いしたいのです。電は少しだけお仕事があるのです」

 

「……はいっ、雪風にお任せください」

 

「…………」

 

 

 

 

      *

 

 

 

 

「はぁ…骨がくっつくのに半日もかかるんですかぁ……?せっかく今日は私もカレーを作ろうと思ってたのにぃ……」

 

「……ラッキーでしたね。黒潮」

 

「せやねー、雪風がとってきた魚が無駄にならんで済んだわぁ」

 

「えっ!?おふたりともどういう意味ですか!?」

 

「朝潮お姉さん、大丈夫ですか?」

 

「うん。ごめんね、大潮……迷惑をかけてしまったわ」

 

「大丈夫です。無事に生還できただけで十分です!」

 

「もっと……訓練……いっぱい。強くならなきゃ……」

 

「そうね、霰の言う通りだわ。次の作戦ではもっと……」

 

 

 入渠ドックでは傷を負った艦娘たちが傷を癒していた。

 大規模作戦の展開を予定して設置されたこの基地の入渠ドックは、電曰く「横須賀並に広い」らしい。

 

 先程まで生死の境を彷徨っていた者も、負った傷に苦しまされていた者も、久方の癒しに一時は戦場を忘れ、身を包む温もりに身体も心も委ねてしまう。

 そのせいか、やや和気藹々とした雰囲気になってしまうことも度々ある。

 

 

 

 

 基地からやや離れた場所にかつて飛行場として整備されていた場所がある。

 戦時は基地航空隊の飛行場として、戦後は空港として機能していたが深海棲艦の襲来により、崩壊。その後再び日本海軍の手により整備され、普通の航空機も利用できる飛行場となっていた。

 

「先程は、助けられたのです」

 

「……感謝される筋合いはないよ。へぇ、こうして近くで見ると結構小さいんだ」

 F-35A-Jのコックピットから電を見下ろすその人物はヘルメットを脱ぐことなくそう言った。

 

「比叡さんへの敵正規空母の正確な座標、方位、距離。本来偵察機で行う観測射撃。制空権を喪失していたあの状況であの位置情報は助かったのです」

 そう。制空権を喪失していたはずのあの戦場で比叡の砲撃がル級を撃ち抜くことができたのは、このパイロットの仕業だった。

 丁寧に修正まで加えて随時観測を行っていた。ヲ級改flagshipの艦載機さえ届くことのない高度で。

 

「同様のものを電にも送ったのです。あれがなければヲ級を追い込むことはできなかったのです」

 

「あぁいう支援をする訓練は散々受けてきたから。そういうことができるような装備にも改装されてるし。実戦は初めてだったけどね」

 パイロットはコックピットから飛び降りた。柔軟に膝で衝撃を和らげて華麗に着地する。

 軽くスーツを叩くと、じっと電を見た。電もじっとパイロットを見る。

 背はさほど高くないし、声色からして恐らくこのパイロットは女性だろう。

 

「JADF……航空防衛軍」

 

「そっ。私は空の人間。艦娘のくせに詳しいわね」

 パイロットは腕を組むと機体に凭れ掛かった

 

「元々、本土にいたのです」

 

「へぇ。それで?何か気まずい事でもあった?ここが正規の基地じゃないとか」

 ぴくりと電の肩が反応してしまった。

 

「……ヘルメットは脱がないのですか?」

 露骨に話を逸らした。その話はやや電たちの立場的にマズいものなのだ。

 しかし、パイロットはそれ以上詮索する様子は見せなかった。

 

「私は今ちょっとした任務中なの。迂闊に顔は晒せない。軍の人間なら分かるでしょ?」

 例え、あなたのところの責任者でもね、と言って電の顔の高さからやや視線を上げた。

 その視線の先から、白い軍服に身を包んだ青年が現れる。護衛の為か、陽炎と霞が付き添っていた。

 

「……私がこの基地の責任者です」

 浅黒い肌に浮かぶ薄い色の唇、灰色の瞳が鋭く見据える。

 首や頬など至る所に白や黒、中には青や黄色にも見える痣のようなものがあり、やや不気味な印象さえ抱かせる。

 

「んん……?あぁ、日本人じゃないんだ。多分階級とかはないよね。非正規の軍隊なわけだし」

 

「その通りです。この基地は完全に本土から独立した存在です、恐らく、本土はこの基地の存在にすら気付いていないでしょう」

 青年のその言葉に、後方にいた陽炎が心底驚いたような顔をしていた。

 霞の方を見て、「知ってた?」とでも言いたさそうな顔をしているが、とうの霞は白けた顔をして無視している。恐らく知っていたのだろう。

 

「……ふぅーん。まぁ、どうでもいいけど。それでさ、あなたがやってることについてだけど」

 

「えぇ、分かっています。それを分かっていて、私はあなたに取引を持ち掛けに来ました」

 青年が詰め寄るようにパイロットへと近づいた。

 

「取引……?」

 怪訝な声がバイザーの向こう側から聞こえた。青年が小さく、ええ、と答える。

 

「私たちの存在を、本土に知らせてほしい。いや、私たちを本土に連れていってほしいのです」

 

 

「「「はぁ?」」」

 パイロットと、陽炎と、霞が同時にそんな声を上げた。

 霞に至っては今にも罵倒しそうな勢いで蹴りかかりそうなのだが、陽炎が何とか制止していた。

 

「ちょ、ちょっと司令官さんっ!?それはもう少し先に計画していたことじゃ」

 電でさえ、突然の青年の言動に戸惑っていた。

 

 実のところ、本土と連絡を取ることは前々から計画をしていたのだが、戦力層の薄さと本土に達するほどの練度の艦隊が揃っていないために、まだ時期尚早と計画止まりになっていたのだ。

 

「たった今ちょうどいい仲介者を見つけましたのでチャンスかと思いまして」

 青年はきょとんとした表情でそう答えた、自分の行動がさも当たり前のものであるかのように。

 確かに合理的な点があると言えばある。しかし、そう簡単に話が進む訳がない。

 

「あのさぁ、悪いことは言わないから艦娘だけでも海軍に返してあなたは逃げた方がいいよ?多分バレたら最悪銃殺刑になるわ」

 

「いや、私はこの子たちの司令官であることをやめるつもりはありません。逃げるつもりもありません。既に同じ夢へと向かう道に立ってしまいましたから」

 青年の灰色の瞳がまっすぐにバイザーの向こうのパイロットの眼と向き合っていた。

 少しの沈黙。互いを探り合っているかのようにも思える。

 

「……取引と言ったわよね?私が得るものは?」

 

「あなたがこの基地にわざわざ着陸する必要はなかったはずです。着陸した理由として考えられるのは補給物資の確保。もしくは友軍に向けた救援申請。そのどちらでも提供できます」

 

「言っとくけど、F-35A-J(これ)艦娘(それ)が同じ燃料で動くと―――」

 

「精製します。ここの工廠の妖精たちは優秀です。ややコストこそかかりますが、質の良い燃料を作り出せます。軍関係者なら妖精の存在と力くらいならご存じなのでは?」

 

「……妖精ってそんなことできるの?」

 陽炎が霞に話しかける。少し鬱陶しそうな顔を霞がしたが、

 

「知らないわよ……でも、司令官はいつも妖精と一緒に変なもの作ってるからできるんじゃないの?」

 面倒くさそうに顔を背けながら、小さく答えた。 

 

「……私が裏切る可能性は?あなたたちが裏切る可能性は?あなたたちのような非正規軍から信頼を得られると思う?正直、今の私はね……」

 

 その瞬間、青年の眉間にまっすぐ黒い銃口が向けられた。

 SIG220、9㎜口径セミ・オートマチックの小銃だ。

 側にいたのに、3人とも反応できないほど早く、腰からそれを引き抜いて、一瞬で青年の眉間に当ててみせたのだ。

 

「こうしたい気分なの?艦娘の力を自分の手足みたいに振り回してるあなたみたいな存在にはね。妖精は知っているわ。艦娘についてもよーく知ってる。だから、その力も知ってる。そこの子も、そこの子も、そこの子も、みんな見た目だけは幼いけどとてつもない力を持っていることを知っている」

 声に威圧が混じる。いつでも撃ってやるという覚悟も見える。

 

「…………」

 それでも青年は黙っていた。

 

「だから、その力を素性も分からない人に使って貰いたくはない。例え、艦娘たちからの信頼があるとしても、これは日本国軍の、そして私自身のプライドにかかわる問題なの。あなたの素性がはっきりとしない以上、日本はあなたを提督と認めない。私も認めない」

 

「別に私は認めてもらおうとも思いません。私は提督なんて地位は別に要りません。ただ、彼女たちの夢が叶うのならば、その為にこの力も体を役に立てるのだとしたら、その為に尽くしたいのです」

 青年の視線が少し上を向いた。両目の中央にあるそれが気持ち悪いかのように少し顔をしかめた。

 

「あの、これもやめていただけませんか?気が散りますので」

 

「……あなた立場分かってるの?」 

 

「立場は分かっています。だからこそ、私を連れていってください。彼女たちを連れていってください。私には、彼女たちの明日を護る使命があります。例え、私の命が裁かれようとも彼女たちの明日だけは勝ち取ります」

 

「……死ぬのが怖くないの?普通、これ突きつけられたら、みんな黙るんだけど?」

 

「死ぬのは……仕方ないと思っています。それは人として生きる以上、仕方のない事です。あと、これはそんなものなのですか?初めて見るものなので怖いとかそう言うのは……」

 

「あー……あなた銃を初めてみるのね。どんな原始文明の中で育ってきたのよ。艦娘の艤装は見慣れてるくせに」

 そう言うと、拳銃を下ろして引き金にかけた人差し指でくるりと回す。

 

「本気で撃つわけないでしょ……呆れた。ほら」

 パイロットはそう言うと、電に持っていた拳銃を投げ渡す。

 慣れた手つきで電がマガジンを外し、拳銃本体を陽炎に投げ渡す。陽炎はそれを落としそうなところで済んでのところで掴んだ。

 うわぁ、意外と重い、などと呟いていて、緊張感のない姿に霞がまた溜息を吐いている。

 

「悪かったわね。いいわ、あなたたちが本土に行けるように話してあげる。私の階級から話が通るかは保証できないけど」

 死ぬのが怖くないなら、別にそれでいいわ、と青年に背を向けた。

 

「こちらこそ、このような事態に陥るような真似をして申し訳ありません。では、補給等の作業を始めさせていただきます」

 

「はいはい、勝手にすれば。それと、これ動かした方がいいの?」

 機体をノックするかのように叩いて報せる。

 口をぽかんと開いた青年がちらりと電を見た。電は縦に首を振り、青年も応じるように頷いた。

 

「……電さん、誘導をお願いできますか?」

 

「はいなのです」

 

 パイロットは再び操縦席に乗り込むと、窓に鳥のような影が映ったのを感じた。

 消えようとするその影をすぐさま目で追う。背後の少し離れた崖に人影を見つけた。

 

「……はぁ、なるほどね。私は背中を取られていた訳だ」

 弓を携えて白い髪を風に靡かせる女性が1人。その上を小さな航空機が旋回していた。

 何か変な真似をすれば、いつでもこのF-35A-Jを破壊するつもりだったのだろう。彼女たちにとっては超高速で空を翔ける未知の機体だ。警戒しない訳がなかった。

 

 この島を守る翼か。

 空母とは相変わらず縁があるものだ。

 

「これは始末書かなぁ。最悪、除隊か……まあ、いっか……燃料持つかなぁ」

  

 

「艦娘ねぇ……」

 

 

 その後、青年はJADFの力を借り、電と翔鶴を率いて横須賀の提督、御雲 月影に出会うことになる。

 

 

 パイロットの素顔を見た翔鶴が驚く話と、翔鶴を見たパイロットが驚く話。

 そして、青年が名前を得る話は、また別の機会にすることにしよう。 

 

 

 ブイン基地と本土が繋がったことによって、大規模作戦が展開されることになったこともまた別の話。

 

 100年間眠っていた脅威が目覚めようとしている話もまた今度...

 

 

 

 

 




 やや戦闘がメインとなりましたブイン基地編です。 
 
 提督となった青年があまり出てこない回でしたが。
 青年ですが、艦娘の子孫ではなく自然に生まれた素質を持つ者です。翔鶴と電にこの世界について様々なことを教わり、一般的な知識と言語は習得しています。はっきり言って天才です。

 以前にも書かせていただきましたが、私はあまり近代的な武器などには詳しくないので、用語などもかなりちぐはぐになっている箇所があるかもしれません。ご容赦ください。

 パイロットの女性が目にしたもの、また彼女が負っていた任務は次章に大きくかかわってくるものとなります。


 では、次回は横須賀編です。
 吹雪が着任した横須賀、そこから各地に配属されていったその後までを書かせていただこうと思っています。

 引き続き、よろしくお願いします。


※ 追記(投稿後日に書いてます)
 書き忘れたことがあるので追加します。
 F-35A-JはF-35Aの改良型ですのでほとんどオリジナルの機体です。米国と日本の共同研究で飛行可能距離やステルス性能が向上しています。

 そして、深海棲艦側の艦載機についてです。私の作品内での設定は、ヲ級の格納庫内にある時は、艦娘の矢のような違った形状で収まっており、発艦と同時に変形します。また、水上発艦も可能である上に、深海棲艦そのものが水中での生態があると考え着水したくらいでは浸水による被害などはないとしています。このため、「ただ撃ち落としただけ」では無力化できず、艦娘の放った弾もしくは艤装で破壊することで無力化することが可能としています。



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我は何者か -横須賀にて-

 横須賀編です。
 久々の吹雪の登場で、少しこの物語の本筋に沿うものになっていきます。


「―――――其方(そなた)は何者だ?」 

 薄暗い部屋。こちらを見下ろす多くの席。正面の席に座るのはよく見る顔だ。

 今日はいつものような高そうなスーツではなく、黒い生地にいくつもの勲章が取り付けられて煌びやかに見える軍装。「元帥」を表す階級章から滲み出る威厳は自ずと背筋が伸ばされる気持ちではあるが、今のこの場ではそんなものは緊張に紛れて忘れるほどだった。

 緊張とか言う奴が背中に金属製のものさしでも差し込んだのかと思うほどに、ひんやりと駆ける汗と、ピンと伸びる背中。張り付いているかのように両手は太ももに指先まで伸びて当てられていた。

 

 漫画の世界だけと思っていたが、軍の上に立つ者はこんなに怖い顔をしているのか。

 そんなことさえ思えるのが、御雲 月之丈(つきのじょう)防衛大臣の印象だ。階級は海軍大将。元帥の称号を与えられた海軍総大将。頬の傷と言い、太い眉と言い、髭と言い、軍服の上からでも分かる厳つい体型と言い、まず顔が濃い、怖い。

 どんな遺伝子操作をしたら、好青年の月影さんや、叢雲ちゃんが生まれたのか。本当に謎だ。

 

「私は、横須賀鎮守府所属、吹雪型駆逐艦1番艦《吹雪》です」

 腹の奥から言葉がスッと流れ出た。意外とはっきりと通る声が出たので自分でもびっくりしている。誰かに首を絞められているかのように、緊張で息苦しいのに。

 

「駆逐艦……其方は人間より生まれた艦娘であり、元の名を『雪代 彗(ゆきしろ すい)』と言う。違いないな?」

 

「はい……」

 

「なるほど。人間より生まれ、そして駆逐艦に余る性能。報告が全て嘘偽りなき真であれば、まるで」

 

「まるで、先代の《叢雲》のよう……ですな」

 御雲防衛大臣の言葉を割って入ったのは、この重苦しい場で唯一和装をしている細身の男性。長い髪を後ろで束ねているらしいが、和装に深い皺の刻まれた顔から放たれる鋭い視線には、目を合わせればすべてを見抜かれてしまいそうな気がする。

 この男性は、鏡 射継(かがみ いつぎ)参謀総長。あまり表に姿を現さない人だが、月之丈の右腕と言われる切れ者らしい。

 かなり深く響く声が印象的だ。しかし、睨まれると蛇に睨まれた蛙のようになってしまう。

 

「未知の敵に混乱する戦場に颯爽と現れ、荒れ狂う波をも翻弄し、黒鉄の軍勢を薙ぎ払う姿は神の剣を振るう戦乙女。かつての英雄が如きその姿、この時代に再び蘇りし災厄に呼応するかの如く表れた海の女神、その力を持つ少女。まさに、伝説の復活に相応しい」

 褒められているのか、貶されているのか、無表情だし目は怖いし、全く分からない。この人怖い。

 

「やや、凛々しさに劣りますがな。どこにでも居そうな田舎娘、ひと睨みで戦艦さえ従わせたと言われる先代の叢雲の如き威厳には及びませぬな」

 そう明るい声で口を開いたのはやや小太りの禿げ頭の男性。白い髭をたくわえており、てかりのある頭と陽気な笑い顔はやや愛嬌のある面立ちだ。実際に会ってみてもテレビとあまり変わりない印象で少し安心した。

 まあ、言っていることは完全に私の魅力がないとかいう話だろうが、笑顔でずばずばとものを言うのがこの人だから仕方ない。仲園 啓吾(なかぞの けいご)東京都知事。恐らく、ここにいる人たちの中で唯一軍人ではないだろう。

 

「なに、語り継がれているだけの事。それに既に英雄として祀り上げられている者と比べるのは分が悪いというもの」

 その言葉を度が過ぎない程度で押さえるためか、やや強めに御雲防衛大臣は言った。

 

「それにこの者の外見を我々は見るためにここにいるのではない。この者の真価を問うために集まっている。そして、其方の知る全てを我々が知るため」

 ギロリとこちらを見た目と目が合ってしまい、背筋に殺気に似た感覚が走り抜けてぶるぶると肩を揺らした。

 

「駆逐艦《吹雪》、先の時代には我々は確かに艦娘の力により平和を得た。しかし、再び先の時代を追う今日。時の習わしに従い、我々は君をいち軍人同様の扱いとする。艦娘を極度に神格化などしない。容赦もしない。よいな?」

 鏡参謀の強い言葉に頷かざるを得なかった。断るか無反応だと多分殺されていただろう。

 そんな殺気を言葉に込めて放つ人間など、今まで会ったことはない。

 

「これより其方は偽りなくすべての質問に答えてもらう。ひとつも虚言を吐くな。この国の未来を左右する」

 念を押すように御雲防衛大臣がそう言った。

 

「わ、わかりました」

 唾ひとつ飲み込みづらい。

 なんて重苦しい空間だ。まだ口を開いていない大勢の人たちもこちらを見下ろしている。その視線が全てこの身体にのしかかって重たいのだ。しかも、ここにいる人間たちは上の人間たちだ。陸海空軍の上層部から、内閣の大臣や事務次官。都の知事もいれば、多分あれは警察庁長官のような人もいる。

 

 あぁ、恐ろしい。今までしてきた些細な悪戯でさえとてつもなく大きな罪悪感に成り果ててここで全て懺悔したくなる。

 

「では、座りなさい。女子と言えど容赦はせぬと言ったが、疲れて口が開かなくなっては困る」

 と御雲防衛大臣が言うと、座りごこちの良さそうな椅子を女性の方が持ってきてくれた。膝をガクガク震わせながらゆっくりと腰を下ろす。ふわりとクッションが沈み込んで、思わず深く息を吐いてしまった。

 

「さて、最初に――――――」

 御雲大臣がそう口を開いたときだった。

 

 

「――――おっと、私は呼ばなくてもよかったのかね?」

 そこに居る者全てを嘲笑うかのような軽やかな声が響いた。

 いや、実際この人は人間と言うものを見下しているだろう。そんな感じは少し前からしていたのだが、関係なく私に力を貸してくれるから敢えて追及はしなかった。もしかしたら、私たちのような艦娘はやや特別なのかもしれない。

 

「……忘れていた訳ではない。そもそも、駆逐艦《吹雪》に着いてきているものと思って話を進めていた」

 

「そうか。それは結構。では、私からまずひとつ言わせてもらうが、諸兄がこの少女に問おうとしていた事ほぼすべて。この少女は存じ得ぬことだ」

 私の肩の上でその人はそう言い放った。当然、会場はざわめくが御雲防衛大臣は眉ひとつ動かさない。

 

「どういうことだ……?」

 そう問いかけたのは、鏡参謀だった。

 

「簡単なことだ。彼女が知っているのは彼女の事のみ。そして、諸兄が隠していること以外の全て。求めているものを自ら隠しておいて、他社にそれを求めるとは滑稽な」

 そこまで言って、ふぅ……と一息吐くと私の膝の上に飛び降りる。

 ちらりと振り返った時に、にんまりとつり上がっていた笑顔は少しだけ怖かった。

 

 

「全てを闇に包もうとした自らの祖先を憎め」

 強い口調でそう言って見せたのだ。なぜか関係ない私が恐怖で身体が震えてしまった。

 

 

 

 

「あ、あの……妖精さん」

 小さな声で妖精に呼びかける。やや不満そうな顔で妖精は振り返った。

 

「ん?どうかしたのか、吹雪」

 

「いや、その……あまり私はこの方たちに対して立場が言い訳でもないので、できれば……その……お、穏便に、もう少し語気を抑えて」

 

「あぁ、いいのさ。私はこの者たちに比べて圧倒的に立場は上なのだからな」

 そうしたり顔で言うものだからそれ以上何も言えない。

 

「え、えぇ……」

 

「にしても、見てみろこの者たちを。吹雪、みな君と同じものたちだ。これだけしか残っていない、と言うよりかこれだけ残っていることに私は驚いているがね」

 妖精の言葉に私は顔を上げた。まあ、さっきまでとあまり変わらない光景だが、1人1人の顔をよく見てみてもやはり何も変わらない。強いて言うならば、妖精がぶち壊したこの場の雰囲気のお陰で少しだけ怖くないと思える程度だ。

 

「私と同じって……」

 

「そこの《叢雲》の子孫。ここにいるのは全て彼女たちの子孫なのか?」

 

「……その通りだ。全てではないが」

 

「と、言うことだ」

 

「へぇ……えぇぇぇ!?!?」

 にやりと笑って私を見る妖精。あぁ、なるほどな、と思いつつも私は思いっ切り驚いた顔で声を上げてしまった。

 そしてさらににやりと笑う妖精。

 この野郎、私が驚くのを分かっていてあえてやりやがったな?

 

「では、私が答えよう。今日は私は喋りたい気分なのだ。何でも訊いてこい。あの娘たちの子孫たちよ」

 私の膝の上で腕を組んで堂々と仁王立ちする妖精。

 なんというかどんなポーズをしても小さいので可愛らしいというか、まぁ様になる訳でもないのだが、こんな時は少しその後ろ姿が頼りになる。

 

 うん。

 

 

 

 

 

 ねえ、この場に私って必要かな?

 

 

 

     *

 

 

 

 さて、横須賀と言えば、海軍の街。神奈川県横須賀市にある軍港だ。

 そんな印象を持つ人も多いだろう。西の呉、東の横須賀。軍の拠点として、そして工廠として多くの艦を携え、多くの艦を生み出してきた正真正銘の海軍の本拠点。

 大本営のお膝下。艦隊司令部が置かれ、戦時中は北方に至るまでの広い海域を護るための拠点として存在していた。

 

 2次大戦後も海の守り人、東海の守り手、としての存在は大きく、海上自衛隊の総司令部があったり、近くには士官候補生を育成する防衛大学を設けたり。海自の街として、海軍時代の名残を少し感じさせる場所だ。

 

 これが艦娘史になるとやや扱いが厄介になるのが、なんと艦娘史において横須賀鎮守府なるものは『2つ』存在してしまうのだ。なんて面倒なことを、と思うがこれにはちゃんとした理由がある。

 

 深海棲艦との戦闘、更にはそれに対抗する艦娘の出現。

 島国である日本は四方八方を海で囲まれているために、海と言う戦場においてかなり苦しめられていた上に、あちこちで起こる戦闘、被害、作戦に度々混乱するようになった。今まで組み上げられてきた体制は全て、現戦力でなんとか対抗できる敵が現れた時に、それに対抗するためのシステムであったが、深海棲艦に対抗する武器なんて当初世界の人間は持っていなかったのだ。一方的に攻められて逃げていただけだ。

 そのシステムの再構築をしている間に生まれてしまった艦娘たちの指揮系統はほとんど独立せざるを得ない状況までに当時の日本は苦しめられていたのだという。

 ちなみにだが、海岸から50㎞以内には関係者以外立入禁止という戦況だった。当然、港町などは撤退せざるを得ない状況であり、海で生計を立てていた者たちに大打撃を与えることとなった。

 

 さて、当時の上層部だが、あまり艦娘を信じていなかった。

 よくある話だが、得体のしれない存在が自分たちの敵を倒したからと言って、完全に信用を寄せる政治家や上層部の人間は少ないのだ。戦いはするものの、やや厄介者扱い。それが提督と艦娘の扱いだった。

 

 結果どうなったかと言うと、この世界で最初に造られた鎮守府『第1号鎮守府』はなんと横須賀ではない場所に建てられたのだ。

 もっと分かりやすく言うと、横須賀付近の住民がいない良さそうな港町にだ。

 

 もうお分かりの方もいるだろうが、この港町が私こと《吹雪》が生まれ育った町だ。

 最初は鎮守府と言うよりかは、ちょっとした施設みたいな建物だったという。当時の写真を見ると公民館みたいな場所でちょっと驚いたのはいい思い出だ。

 では、横須賀では何が行われていたかと言うと、残存している艦艇の基地だった。イージス艦や護衛艦は僅かながら残っており、それを指揮、修復する場所を横須賀として利用したのだ。

 

 これが、横須賀にない『横須賀鎮守府』の誕生秘話である。

 ちなみにだが、『第1号鎮守府』に倣って艦娘の拠点は「第○号」の形で呼ばれるようになった。場所などを分かりやすくするために「第○号□□鎮守府」と地名を添えていう人もいたり、いなかったり。

 

 その後、艦娘たちは着々と戦果をあげていき、徐々に町にも人が戻ってくるようになった。

 時には敵の空襲を受けたり、上陸されたり、砲撃されたり、そんなこともあって元の姿ではなかったが、戻ってきた人たちはかなり艦娘たちに感謝したらしい。

 そして、自分たちの壊れてしまった家などは後回しにして、お礼にと大工や船乗りたちが手を合わせて、立派な建物を次々と作っていった。

 

 こうして後の激戦の時代を支える『第1号鎮守府』が完成したのだ。

 その意に背かぬように艦娘たちは一層懸命に戦うようになり、そんな彼女たちを町の人々は喜んで出迎えた。傷ついて帰って来た時には協力して彼女たちを入渠ドックまで運んであげたり、夜中には漁火を灯して彼女たちに明るい町の場所を示してあげたり、偶には羽目を外して彼女たちを主役にした小さな祭りを開いちゃったり(後に鎮守府祭として全国に広まる)。

 

 日本で最も、市民と艦娘たちが触れ合い共存してきた町として、多くの艦娘たちの足跡が遺された場所となった。

 

 一応、明確に言及しておくが、横須賀鎮守府は1つしかない。

 横須賀にある海軍拠点が『横須賀鎮守府』であって、『第1号鎮守府』はあくまでも『第1号鎮守府』なのだ。どの文献を見ても『第1号横須賀鎮守府』と書かれることは一切ない。

 

 他の鎮守府から第1号鎮守府に来た艦娘たちが「横須賀鎮守府の近くにある第1号鎮守府」や「横須賀のお膝下の鎮守府」と呼んでいたせい。もしくは「横須賀と言われてきてみたが、実際には横須賀にはなかったけど、多分横須賀の近くにある艦娘の拠点だから横須賀鎮守府」と適当なことからそうなったのかもしれない。 

 正確には『第1号鎮守府』。でも、語り継がれる中で艦娘の拠点として第1号鎮守府は『横須賀鎮守府』。

 

 これが2つの横須賀鎮守府を作ってしまった訳なんじゃないかなぁ。

 

 さて、地元だからちょっと長く話しすぎたが、『第1号鎮守府』は戦後撤去されることになり一部だけが記念館として残された。撤去された理由は「損壊が激しかったから」なのだが、それほど大きな損壊が出るような歴史はどの文献にもないのだ。

 艦娘史7不思議のひとつである。

 

 

 そして、横須賀にある横須賀鎮守府にやってきて1週間が経つ。

 朝日が東の空を徐々に白くして行き、夜が徐々に開けていく。海から少しずつ顔を出していく太陽がまた新たな1日を町に告げる。

 爽やかな潮風に頬を撫でられながら、軽やかに足を進める私は――――

 

「吹雪っ!!ペースが落ちてるわよ!!」

 

「ぜぇ……ぜぇ……は、はいぃ……ぜぇ……」

 嘘である。軽やかなんてものではない。朝から死にかけている。

 

「ほら!あんたはスピードはあるけど、持久力はないんだから死ぬ気で走りなさい。死に目見た分だけ身体は死ににくくなるのよ!」

 力強く前から私を呼ぶ声は、励ましているのか、死ねと言っているのか分からない。

 確かに私は足は速いけど、そんなに長い距離を走るのは苦手だ。

 勉強もどちらかと言えば、短期決戦派。毎日短い時間に集中して勉強して効率よくやるタイプだったと思う。趣味に関しては別だったが。

 

 止まりかけた足をなんとか前に踏み出して、ゆっくりと背筋を伸ばしていく。少しペースを落としてくれた叢雲ちゃんに追いついて、並走しながら海岸線を進んでいく。 

 

「で、でもさぁ……朝からこんなに、走っても、私はぁ……」

 

「何?あんただけ朝食腹の中に突っ込んだ後にやる?」

 ギロリとこちらを睨む叢雲ちゃん。視線に殺気を込めまくっている。

 

「……ごめん、訂正するね。朝のランニングは気持ちいなぁ」

 あぁ、お父さんお母さん。口から徐々に魂が抜けていくのが分かります。でも、人間って不思議です。こんなに毎日無理しても死なないんです。丈夫な体をありがとう、お父さんお母さん。

 

「ペース上げていくわよ。他の子たちはずっと前にいるんだから」

 他の3人は涼しい顔して走っていってたなぁ。

 あんな小さな身体なのにどこにそんな気力隠してるんだろう……あぁ、毎日やってたのか、これ。自己解決したよ。

 

「はぁい……」

 

「次、気の抜けた返事をしたら、あんただけ午前の訓練3倍よ」

 

「はい!叢雲司令駆逐艦殿!!」

 

「よろしい。2倍で許してあげるわ」

 そう言いながら楽しそうに笑う叢雲ちゃんはきっとドSなのだろう。

 知りたくなかったよ、親友のこんな1面。

 

「艦娘は人の形をしている以上、人の行う動きに戦闘を束縛される面が多いの。それは大きな利点でもあるけど、欠点だって生じてくる。人ひとりで多くの事を同時に行わなければならない」

 私の隣を走りながらまだ息を切らす様子も見せない叢雲ちゃんは言った。

 

「だから、精神力と集中力を持続させる体力がいる。柔軟に考える頭も、機敏に動ける身体も、どんな状況にも対応できる技術も要る。今まで吹雪が経験してるのは行き当たりばったりの戦闘。長期的、段階的な攻略作戦に参加すれば、あなたの体力のなさは欠点になるわ」 

 

「うーん、まだやってみたことないから上手く理解できない……」

 

「いつか時が来るわ。その時までにあんたが足りないものを補えばいいのよ。無論、私が無理やりにでもその身体に刻み込むけど」

 

「……お、お手を柔らかに」

 

 ちなみにだが、叢雲ちゃんの行っている訓練は100年前から受け継がれてきた、とある軽巡洋艦娘が遺したものらしい。今日まで吐かない日はなかったほどに辛いのだが、いったいその軽巡の方はどんな精神でこんな訓練を思いついたのか。謎がさらに増えていった。

 

 

 

 

     *

 

 

 

「……ねえねえ、ブッキーってさ」

 ピンク色の髪をした少女が隣に座る青い長髪の少女に話しかける。

 今は2人とも髪を後ろで1つに結んでおり、制服ではなく動きやすい運動服に着替えていた。

 

「はい」

 

「海の上じゃそれなりに動けるけどさぁ、陸の上じゃ全然ダメだねぇ」

 

「……みたいですね」

 一瞬、なんと返すか迷った素振を見せながら、青髪の少女は肯定した。

 

 

「――――っ、わふっ!!くぅ……」

 2人の目の前で私はくるりと宙を回った。そのまま、背中から畳に叩きつけられて一瞬意識が飛びかけた。

 

「……ふぅ」

 

「そこまで。電の勝ちよ。吹雪、いい加減まともに受け身くらいとれるようになりなさい。死ぬわよ」

 

「まだまだ、隙だらけなのです。電でも勝てるのです」

 

「うぐぅ……」

 

 今日の訓練メニューは午前に陸上訓練と海上での艦隊運動、お昼を挟んで砲撃訓練、雷撃訓練を軽く行い、今やっているのが近接戦闘訓練だ。

 

「早く立ちなさい。今日は電から一本とれるまでやめないわよ」

 

「当然、負ける気はないのです!」

 

「こっちはまだ初心者だよぉ……」

 

 なにか流派がある訳でもないみたいだ。主に護身術が中心になってきて、いかに少ない手数で敵を抑えられるかがポイントらしい。艦娘も武装さえなければほとんど少女と変わりないからだ。

 CQCとは少し違う感じがあるが、容赦なく急所を狙う訓練もするし、関節決めるだけじゃなくて骨を折る訓練もする。

 そんじょそこらの軍人よりシンプルな殺意に満ちた訓練で、情け容赦も人情もない。

 

 こんな訓練は先代の頃から行われていたと言う。理由は海外の特殊諜報部隊による艦娘の拉致が発生しかけたからだ。加えて、初期の日本では艦娘の武装に制限が駆けられて特定の条件下でない限り武装の許可はされていなかった。

 「艦娘の特例的正当防衛に関する法令」が制定されるまで艦娘はかなり無防備だったのだ。

 

 より効率的に、より省力で、技術、筋力、体格などのハンディキャップを関係なくする近接戦闘法が考えられた結果、かなり血生臭いものが生まれた。簡単に言えば「殺られる前に殺れ」ということだ。

 

 極端なのは「そもそも、艦娘が一般人に接触するのがおかしいため、例え相手が軍人ではない一般人であったとしても、艦娘によって起こった殺人行為などは全て正当防衛に該当する」などと言った主張だろう。機密事項に触れた者は全て消せ、という軍事政権時代の名残を感じる。

 まぁ、歴史上艦娘が一般市民を攻撃したことは記録上は残ってないんだけど。残るはずもないか。

 

「……ぶへぇ」 

 そしてまた投げられる私。自分よりも小さな子にこうもくるくると投げられると流石に複雑な気持ちになってくる。

 恐らく合気道の一種だろう。私はそんなに武術とかに詳しくないので推測しかできないが、電ちゃんから何かを仕掛けてくると言うよりかは、躍起になっている私を利用してほいほいとされている気がする。

 まだ、殴る蹴るしてくる他の3人よりは穏やかだが、簡単にやられてしまっている私の心境は穏やかではない。

 

 てか、これ私に勝てる要素あるのか?

 まぁ、電ちゃんも達人という訳でもないし、私より早く叢雲ちゃんに戦い方を叩き込まれているだけの差なのだから、何か私でもできることがありそうな気もするが。

 

「吹雪、ちなみに電は木刀持たせたら他の2人より強いわよ」

 

「錨より軽いから簡単なのです」

 

 おっかない。

 

 結局その後、いろんな方法で攻めてみた。パンチだったり、キックだったり、どれも素人っぽいというか喧嘩っぽいものばかり。時に覆いかぶさって羽交い絞めにしようとしたけど、するりと交わされてバックドロップ食らったのでやめた。

 5~6回ほど投げられてから、溜息を吐いた叢雲ちゃんが、

 

「……はぁ、止めよ、止め。吹雪にはもっとちゃんとした基礎から教えた方がいいわね。少しはできる方だと思ったけど、これじゃ自分で自分の骨でも折りかねないわ」

 そう言って、私の訓練は一旦終わった。漣ちゃんと五月雨ちゃんは、いつからか2人でセラミックのナイフで手合わせしていた。動きがもはやそこらの少女じゃないので恐ろしい。

 困った表情で頭を掻きながら尻もち突いた私の前に歩いてきた叢雲ちゃんが手を差し伸べる。

 

 私がそれを掴んで立ち上がろうとしたときに、ふと叢雲ちゃんが手を離した。

 当然私はバランスを崩して派手に尻もちを突く。

 

「これ、あんたにされたこと。私としては少し驚いたわ」

 あぁ、そう言えば。

 あの時とにかく我武者羅に叢雲ちゃんを倒そうとしていた私が思いついた騙し技だ。

 

「殴る。蹴る。突く。打つ。投げる。組む。単体の攻撃で倒せるような相手は艦娘に向かってこないわ。向かってくるのは私たちが生きている年数の半分以上を人を殺す訓練に費やしてきた改造人間のような怪物ども。ナイフも使う。銃も使う。その両方を使わなくても、首の骨を折れば簡単に殺せる」

 敵は深海棲艦だけじゃないのよ、と叢雲ちゃんは私から眼を逸らしてそう言った。

 

「そう言う怪物と戦うには読む必要がある、次の行動を。それに対処する必要がある。そして、相手の隙を見つける必要がある。そして制圧する。最初の2つはもう訓練しかないわ。簡単に言えば慣れ、ね。戦い方を知っていけば、自ずと敵の戦い方も分かってくる」

 もう1度私に手を差し出してきたので同じように掴んだ。

 腰を持ち上げてゆっくりと立ち上がる。軽くおしりを叩いた。

 

「3つ目は違う。学ぶこともできれば、考えることも自分で作ることもできる。隙は生まれるもの、作ることだってできるからよ」

 

 こっちを見て、と言われる。目を向けた途端に「パチン!」と私の目の前で音がして私は反射的に目を閉じた。

 恐る恐る目を閉じると、まっすぐに私の目を突こうとする指が2本。

 その向こうにほらね、とでも言いたさそうな叢雲ちゃんのしたり顔。

 

「ね、猫だまし?」

 

「これも1つよ。意外とこれが大人に効くの。子どもじみているからって油断する。意表を突かれて死ぬ」

 た、確かに、元はこれも相撲の技の1つだし……。

 突然こんなことをされれば、大人でも驚くのは当たり前だろう。

 

「4つ目は目でも突けばいい。やる気があれば子どもでもできるわ。あんたは頭がいいでしょ?それに普通の艦娘と違って、人間、庶民。考え方は違うし、目の付け所も違う。技術は後から付いてくるわ。今は考えなさい。他の3人を驚かせる方法を考えてみなさい」

 

「……驚かせる方法?」

 

「はい、休憩は終わりよ。電から一本も取れなかった罰として腕立て伏せ、100。終わったら私と捌きの練習よ」

 

「うへぇ……れ、連続じゃなくてもいい?」

 

「今はまだ許してあげるわ……吹雪、3つ目がどうして重要なのか分かる?」

 

「いーち、にー……それはどんな戦いも騙し合いだからでしょ?『兵は詭道なり』って言うし」

 

「それが分かってるならいいわ。じゃあ、3つ目が最も得意な人は誰か分かる?」

 

「ごー、ろーく、なーな、うーん……詐欺師?参謀?」

 

「……殺し屋よ。本物の、プロ中のプロのね」

 

「……ふーん。じゅーう、じゅーいち」

 

 

 

 

 

「―――いくら先代のやり方とは言え、厳しすぎるんじゃないか?」

 武道場の入り口の陰に隠れていた御雲 月影を叢雲は見つけた。

 近づいていくと、声をかける前にそう言った。 

 

「私は別にあの子たちを短期間で黒帯をとれるような格闘かにするつもりもなければ、軍人をさくっと殺せるような化物にするつもりもないわ」

 顔色変えることなく、さらっと叢雲はそう返す。

 御雲は小さく鼻で笑った。

 

「じゃあ、何をしたい?」

 

「陸軍の特殊作戦群でもいい。黒帯の空手家でもヘビー級のボクサーでもいい。そんな真っ向からの戦い方しか知らない筋肉馬鹿どもにひと泡でも吹かせる方法を教えてるの」

 

「……意地か?」

 

「意地よ。こんなガキの身体だからと、女だからと馬鹿にしてくる阿呆共に対するね」

 平静を装っているようにものを言うが、御雲には叢雲がやや躍起になっているのがはっきりとわかった。あぁ、苛立っているのか、と。

 

「私は別に英雄だの、救世主だの、そんな風に呼ばれている過去の艦娘の威光に縋るつもりはない。私は私で新たな艦娘としての戦いをこの史に刻む」

 

「……吹雪のためにか?」

 

「そうよ」

 その答えに、明らかな嘲りを含めた笑いを御雲は漏らす。

 不機嫌そうに叢雲は眉間にしわを寄せる。

 

「じゃあ、お前は100年前と変わらんな。」

 

「……それで、何をしにきたの?私と殴り合い?いいわよ」

 躊躇いなくすっと拳を構える叢雲に陰からすっと身を乗り出して、掌を向ける御雲。

 

「馬鹿言うな。喧嘩っ早い妹でも殴り合いでもすれば親父に〆られる」

 

「何の用よ。はっきり言って邪魔なの。用がないなら消えて」

 舌打ちをしながら拳を下ろすと、腕を組んで不機嫌そうに指がパタパタと動いている。

 

「はいはい、訓練が終わったら吹雪を連れて執務室に来い。これだけだ」

 扱いにくい妹にちょっとした冗談話も通用しないと、ちょっとした会話でもろくに気を抜けやしない。兄としても、上司としても辛いものばかり。

 

「……分かったわ。多分、ヒトナナマルマルを過ぎるわよ?」

 

「大丈夫だ。こっちはずっと執務室に籠ってるからな。じゃあ、俺は戻ることにするよ。しっかりと鍛えるんだぞ~」

 用事は済んだ。長居すればまた小言を並べるだろう。

 そそくさと背を向けて退散しようとすると、

 

「分かってるわよ。それとアンタ」

 ふと呼び止められて、軽くだけ振り返る。

 

「ん?なんだ?」

 

「少しは休みなさい。司令官として、目の下に隈を作っているのはみっともないわ」

 指摘されて御雲はちらりと鏡を見る。気付かないうちにうっすらとだが隈ができていて何ともみっともない顔をしている。

 思えば寝たのは何日前だろうか?

 始末書やら、吹雪の異動やら、今後の艦娘の配属やら、いろんな仕事のせいで睡眠さえ忘れていた。

 

「……ありがとな。お前たちが来る前に少し仮眠でもとるよ」

 

「私たちが来た時に寝てたら簀巻きにして海の藻屑にしてあげるわ」

 

「……気を付けることにするよ」

 どこか頼りのない司令官の背中を少し呆れた目で見送る叢雲。

 後姿から少し覗く、彼の横顔に妙に笑顔が浮かんでいるのがちょっと癪に障った。

 

「ちっ……なによアイツ。吹雪っ、終わったの!?」

 

「えっ!?あと、30回……」

 

「もういいわ。立ちなさい。今から容赦なく殴るから全部捌きなさい。捌き方は教えたはずだから手加減はしないわよ」

 

「えっ……叢雲ちゃん、ちょっと怒ってる?」

 

「ろくに捌けなかったら復讐ができてない証拠ね。罰走追加よ」

 

「そ、そんなぁ~……」

 

 笑顔の理由が分からないのも、分かってもらえないのも、また難儀なものだ。

 

 

 

     *

 

 

 

 

「――――其方は何だ?」

 御雲 月之丈は少し騒めいた室内の中で鋭い声を発した。一瞬で静寂が広がっていき、まっすぐに妖精と御雲 月之丈の視線が交叉する。

 

「否、艦娘とは何だ?深海棲艦とは何だ?」

 

「鶏が先か、卵が先か」

 妖精はそう答える。

 

「果たして、妖精が先に生まれ艦娘を作り出したのか、艦娘が生まれ妖精が生み出されたのか。今の人類、吹雪の中にある知識としては後者が広く知れ渡っているようだ。叢雲の子孫よ。平賀博士の研究資料は一切残されていないのか?」

 

「平賀博士……?」

 私がそう言って首を傾げると妖精は呆れたように溜息を吐く。

 

「吹雪。君は艦娘オタクのくせに彼女の名前すら知らんのかね?彼女こそが艦娘の生みの親なのだよ」

 

「知らなくても仕方なかろう。彼の者の名はこの世界でも一部のものしか知らん。その存在そのものが【海軍軍事機密レベルS(Navy Code Level S)】に属しておる。彼の者の生涯そのものが禁忌。その研究成果となれば、ここに居る権力者でも簡単には閲覧できん」

 御雲大臣はすぐさまそう返答する。やや声に神妙さが増してきて、『平賀博士』という人物がそれほど扱いが難しい存在なのだと分かる。

 

 Navy Code はLevel S以上になると防衛大臣や内閣総理大臣でさえ閲覧が制限される。

 臨時枢機委員会による過半数の賛成が得られて初めてその封印が解除されることになる。

 Level Sくらいになると、その内容は大体艦娘の技術面のものになるらしい。これは後々叢雲ちゃんに聞いた話だ。

 

「なるほど、禁忌の枷をかけて封じているのか。確かに、艦娘を英雄だと讃えるこの世界に、彼女の研究は異端と呼ばれ、艦娘そのものの尊厳も何もかもを打ち砕く恐れすらあるからな。賢明な判断とも言える」

 妖精が小さく舌打ちをしたような気がした。すぐにそれを隠すかのようににやりと笑ってまた顔を上げる。

 

「では、結論から言うしかあるまい。深海棲艦が生まれ、私が生まれ、艦娘が生まれ、妖精が生まれた。深海棲艦を利用して艦娘の根底が築かれ、多くの犠牲の果てにその全ての技術を私と言うケースに収納した。そして、私は最初の艦娘を生み出した」

 

「……は?妖精さん、今なんて」

 私は言葉を失いそうになった。頭が混乱していた。掻き乱されていた。棒で脳みそをかき混ぜられているかのようだった。表面に浮かんできた言葉を何とか拾い上げて言葉を発した。

 

「私が《叢雲》を生み出したのだよ。それ以前の存在は人間の愚かな背徳と傲慢が生み出したただの化物に成り下がったがね」

 

「そうか……其方が、其方がそうなのだな……」

 御雲大臣は妖精の言葉に思わず立ち上がった。まっすぐに背を伸ばしたその体躯は礼服の上からでも分かるほどにがっしりとしている。顔に浮かぶ皺とは関係なしにその肉体は健在なのだろう。

 問題はそこではない。

 強面で、威厳と恐怖しか感じさせなかった、御雲大臣が笑ったのだ。傷跡を派手に残しているその顔が喜々として笑みを浮かべたのだ。

 

「会いたかったぞ。『イヴ』」

 

「その名で呼ぶな。私は朋友より新しい名を授かったのだ」

 

 

 ダメだ。頭が追いつかない。

 いったい、この人たちは何の話をしているんだ?終始そんなことを考えながらも、私の耳は彼らの間を飛び交う言葉をひとつ残らず捉えていく。その度に、私の頭の中にあるものが全て塗り替えられていく。気味が悪い感覚だったが、耳を塞ぐことができなかった。

 私はなぜここにいるのか。その理由なんて特になかったのだろうが、その流れゆく多くの事実を無理やり頭の中に収めると、脳が勝手にその理由を見出そうとしてしまうのだ。

 そして、私は然るべくしてこの場にいたのだと、もしかしたらそうなのかもしれないと確信に近い答えを得られた。

 

 全てが終わったのはどれほどあとの事だろうか?時間も、呼吸も、瞬きさえも、完全に意識の外にあって、空間さえ曖昧になっていた気がする。

 

織鶴(おりづる)蜻蛉(あきつ)、例の件致し方なしとしてもよいな?」

 

「一刻を争う事態。陸と海争うてる場合でもなかでしょう」

 小柄で細身だが、顔に深く刻まれた皺と髭が周囲を否応なしに頷かせるほどの威圧を放っている。御雲大臣とはまた違った類の殺気に近い感覚だ。

 日本陸軍最高総司令官、蜻蛉 雅(あきつ みやび) 大将は片目だけをカッと見開いて御雲大臣にそう言った。

 

「元より私は賛同していた事。今更反する訳もない」

 やや褪せて灰色に近い髪をしているが、やや若々しく見えるその表情はここにいる面子の中では優しいと思えるものだろう。

 日本航空防衛軍総隊司令官、織鶴 翔(おりづる かける) 空将は表情を一切崩さずそう答えた。

 

「……証篠、そう言うことだ。【海軍軍事機密レベルS(Navy Code Level S)No.23~47】の封印を一時的に解除の申請を」

 

「分かった。早急に手配しよう」

 黒背広の男性が頷く。白髪の混じった赤茶色の髪は遠くから見ると少しだけ桜色にも見えるが、その下の苦労に老けた顔には少し似合わないだろう。

 この人だけ見たことのない人だったが、後で叢雲ちゃんに訊くと国家公安委員会証篠 晃(あかしの あきら)だそうだ。

 

「枢機委員会の者たちの首は私がどんな手を使ってでも縦に振らせましょう」

 鏡参謀がそう言った。どんな手でもと言うあたりが無駄に怖い。人ひとり消えるんじゃないだろうか。

 

 

 なんだかよく分からないがことが一気に動き始めたらしい。その場に居合わせたこと自体が夢のようであったが、全てが終わって叢雲ちゃんに安否確認がてら両頬を思いっ切り抓られて痛かったので夢ではないのだろう。

 だって、目の前で怖いおじさんたちが口々に言葉を発していく様子は戦争映画の最高司令官たちの会話の様で、思えば実際にそうなのだが、やはり創作と現実にはなんだか差異があるとこの時までは感じていたのだが、結局すべて現実であったことで、私は今まさに創作に近い非日常の中に立っているのだと再認識させられて。

 艦娘になってしまっていること自体が非日常なのだが。

 少なくとも、人間として、一般的な国民同様に一般的で素朴な日常に触れていた私としては、やはり緊張の度合いが違うのかもしれない。未だに私の中に残っている人間臭さがまだこの戦争をはっきりと理解しきれていなかったのかもしれない。

 いや、少しだけ違う。今まで戦争だと思っていたことが、今日この場で全て書き換えられてしまったかのような感覚だ。

 私の知らない戦争。私の知らない物語。

 

 艦娘史に間違いはない。ただ、その艦娘史にはもうひとつの流れがあった。もしくは艦娘史に収まり切れない戦いの数々が。そう語るに尽きるだろう。

 

 

 結局、帰路に着いたのは完全に日を跨いでの事だった。

 

 

 

 

 

 

 

 




 えー、なんだか変な感じになってると思います。話の流れが

 と言うのも、なんかめっちゃ長くなったので、途中一節まるまる消しました。
 あとで出します。あとで。


 はい。今回出てきた提督はおなじみの「御雲 月影」。階級は特務大佐。
 実直な人柄でありとあらゆる期待に真面目に応えようとする青年。しかし、それらの期待に応えることに加え、御雲一族の嫡子としてその名を背負っている重圧や体裁、使命感が重なり、自分の中で何がしたいのか、自分の意思に欠けている。そのことに気付いている叢雲は実力は認めるが気に食わないとして、司令官として認めていない部分がある。
 規則を重んじる反面、個を認め合おうとする一面も見せ、できる限り艦娘たちにも自由に人としての生き方をして欲しいと願っている。部下からの信頼は意外と厚い。
 親を目の敵にしている反面、妹である叢雲には御雲の名と艦娘としての使命の両方を背負わせてしまっていることを不憫に思って何とかしたいと思っている。


 こんな感じの提督です。無能なのか有能なのか、いまいちパッとしない感じです。

 何と言うか、第四章はサイドストーリー感があって話が進んでる感じがしないので、私自身少し首を傾げています。

 一応、予定通り進めますが次回は呉と舞鶴でのその後を一気に書きたいと思います。

 今後ともよろしくお願いいたします。



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空と海の境界で -舞鶴鎮守府にて-

 かなり遅筆になってしまい申し訳ありません。
 やや中弛みしてしまっていつ感じになっていますが、頑張っていこうと思います。





 

 

 この国は随分と小さくなったと言う。この国に限ったことではないのだが、海面の上昇が200年ほど前から急激に進み、この時代になってもまだ続いている。

 深海棲艦と言う敵は、そのことで言うと非常に理の敵った存在であったのかもしれない。

 

 相対的に広くなった海。狭くなっていく陸地。

 どちらの覇権を握った者が、この世界の頂点に立つことができるのか。

 空を制する力さえ持つ海軍、その模倣の力を持つ深海棲艦は生命力と言う点で人間よりはるかに優れていた。

 人間は賢い。その分、脆い。

 

 人の形をして、それでいて頑丈な彼女たちを、深海棲艦同様に化物と呼ぶのは今の時代ではそうそういないだろう。

 その彼女たちが、この星の次なるで舞台ある海の覇権を握ったのだ。100年前に、人類の存亡を賭けた代理戦争に勝利し、彼女たちこそがこの時代を作り上げたのだ。

 

 だとしたら、この世界は人間の世界ではなく、もはや艦娘の世界に等しいのでは、と思うこともある。現に、この国は彼女たち無くしては在り得なかったのだから。

 

 艦娘の系譜。表八家、裏五家。

 

 衰退した国家を再興するために、戦後日本という国の再建に尽くした彼女たちの中で、この国を動かし得る権力と地位を手にし、そして後継を残すことができた一族たち。

 ある一族は軍事力を。ある一族は政治力を。ある一族は外交力を。ある一族は工業力を。

 ある一族は金融を牛耳て、ある一族は物流を牛耳た。

 常に表舞台に姿を晒し続けることで、人類の勝利の象徴としてありとあらゆる流れを集め、そして操っていった。

 ありとあらゆる組織の頂点、もしくは上層部に必ず存在し、全ての権力を自在に操ることでこの国を守り続けてきた者たち。

 『御雲(みくも)』『(かがみ)』『織鶴(おりづる)』『蜻蛉(あきつ)』『仲園(なかぞの)』『上雄(かみお)』『伊武野(いぶの)』、そして『長門(ながと)』。

 この者たちの一族を《表八家》と呼ぶ。

 この8つの一族無くして、この100年は存在しなかったのだ。

 

 そして、《表八家》の陰に常に存在し、決して表舞台には姿を現さず歴史の裏で暗躍した一族。

 いわゆる汚れ仕事や、諜報活動、工作活動といったものである。

 公にすれば非難を浴びるような仕事を、「姿無き者」として静かに悟られることなくこなしていく。

 表の一族が円滑に復興を進めていくことができたこと、無理かと思われた活動も行うことができたこと、口を煩くしていた障害である団体や国家が突然黙り込んだこと。

 ほとんどにこの者たちが関与しているといっても過言ではない。

 『天霧(そらきり)』『証篠(あかしの)』『峰城戸(みねきど)』『陽里(ひのさと)』、そして『鳳咲(ほうざき)』。

 どれもこれも血塗られた一族であり、闇の世界の一族であったらしい。らしいとは、何をしてきたのかその全てがはっきりとしていないからだ。

 彼らの一族が艦娘の後胤であることは知られていない。

 そもそも、彼らの事を《裏五家》など呼ぶのは《表八家》の人間か、それなりの権力を持つ者か、古くから名のある豪族くらいだ。

 

 とまぁ、こんなことになっているのだが、まだ歴史は100年足らずの若い一族の話だ。

 それでも激動の時代を治め、今日の平穏を導いた者たちであることは変わりないのだ。

 

 

 そのひとつ。鏡家に生まれ落ちた俺だが、残念ながら兄弟姉妹ともにおらず、面倒なことにありとあらゆる「名の持つ責任」を背負わされることになった。

 

 そのことを告げられたのは、15歳。中学を卒業し、その後の道を決めかねているときだった。

 自分は「艦娘」の子孫なんだと。

 別に驚きはしなかった。いや、鏡 継矢にとってはどうでもいい事だった。 

 親は厳しかった。しかし、何も教えなかった。自ら学ぶことを強いた。

 弓道の道は誰かに教わったものではなかった。

 勝手に学んだものだと言える。

 弓は両親の姿を見て一から学んだ。

 両親ともに寡黙であったが、この時は一層静まり返る。無駄というもの全てを削ぎ落したシンプルさを感じさせるものが美しいと思えた。

 巨漢で剛毅という言葉の似合う父からは想像できないほど繊細な矢を放つ。

 細身の母親からの細腕が放つとは思えないほど芯のある強い矢を放つ。

 

 初めてその場に立った時は恐ろしいほど広く、同時に窮屈に感じた。

 

 あぁ、そうだ。

 彼女たちの姿を見て似たような感覚を得たのだ。

 潰れそうなその体に鋼鉄を纏う小さな身体が、とても大きな強い力を持った存在のように。

 

 その度に思うのだ。読み取れない、その姿からは少しも読み取れない。

 

 こんな幼い彼女たちがあの化物と戦えるのか?

 

    ―――――その身体は化物を葬り去った。

 

 艦娘の力でしか、その異形を葬り去れないのか?

 

    ―――――その前に「人を殺す」力は無力だった。

  

 

 『何者なのだ?』

 

 人間にしか見えないのだ。無力な少女たちにしか見えないのだ。

 

 化物に匹敵する力を持つ存在が艦娘なのだとするのならば、艦娘たちは化物なのか?

 

 敵がはっきりしている以上に、彼女たちがはっきりしていない。

 人にしか見えない彼女たちが人でないとするのならば、人だと思っていた自分たちさえも人であるかどうか曖昧になる。

 この身の丈に合わない些細な歪みが、小さな恐怖を生み出して蝕んでいるようだった。

 

 所詮は風説だ。人が作り出し、誇張した伝説に過ぎない。

 伝説と呼ばれたものは、蟻を殺して蛇を殺したと語っているものがほとんどだ。

 巨人を殺した、鬼を殺した、と言えば、その正体は人間だったのだろう。

 確かめる術がないことを良い事に良いように表して、さも物語的に語り継がれるような作為的衝撃を付加させている。

 

 艦娘だって、1世紀も昔の存在だ。

 多くの文献も、彼女たちが使ったとされる艤装も、多く残っているが、そんなものどうでもいい。

 誰かが作った「証明」なんて自分自身の中で肯定させる証明にはならない。

 

 深海棲艦には艦娘の攻撃しか通じない。

 どうせそれも誇張だろう。現代兵器を用いれば、人類なんか何十回も滅ぼせるほどの科学力があったのだ。

 殺しきれないなんてありえない。

 

 そもそも、深海棲艦なんていたのか?国家間の戦争を綺麗ごとで片付けようとしたが為に生み出された空想上の敵ではないのか?

 その日は証明の日となった。

 否定した。彼女たちは証明した。

 その存在こそが証明たり得るものだった。

 

 だからこそ、今日も苦悩する。

 

 

 いつも隣で笑っている彼女があまりにも無垢すぎるから、彼女たちに疑いを向けてしまう自分が醜く思えてしまって……。

 

 いつも凛々しく海上を舞う彼女の姿があまりにも勇壮であったから、自分があまりにも無力に思えてしまって……。

 

 結局はそう言うことなのだと思う。

 俺が普通の人間だったとしても、普通の家庭に生まれたとしても、別の艦娘の一族として生まれたとして、俺が別の国の艦娘の一族に生まれたとしても、俺は他人を妬み、憧れ、尊び、敬い、自分を嘲り、卑下し、否定する。

 

 俺が人間だから、人間と言うサイズにぴったりの心だけを持ち合わせて生まれる。

 まるっと収まってぴったり人間サイズ。

 それだけなのだ。

 どんな責任や血筋を背負おうが、俺は1人の人間に過ぎない。あぁ、平凡だ。

 

 こんな風にすべての悩みが時々馬鹿馬鹿しく思えてくるから、艦娘という存在は本当に不思議なのだ。だからこそ、俺は提督の道を進んでよかったのだと思う。

 

 きっといつか、彼女たちが俺に答えをくれるだろう。

 この場所も気付かないうちに、少しは居心地の良い場所になってきたのだ。

 

 

 

     *

 

 

 

 重々しい鉄の扉を開くと、油と鉄の匂いと咽かえるような空気が溢れ出してくる。

 ただ、ここの入り口は便宜上大きく作られているため、頭を打つことがなくて助かる。

 工廠を通り抜けると、いろんな艦娘たちを見かけた。

 髪をおさげに結っている少女が建造中のドックを監視していたり、青髪の少女が江戸っ子口調で上手く行かない開発に嘆いていたり。この鎮守府も随分と人数が増えた。計画通りに事が進めば、すぐに今の数の倍にはなってもっと賑やかになる。

 

 彼女たちの邪魔をしないように静かに通り抜けていき、奥にある扉から外に出て少し海岸沿いを歩いていく。倉庫の裏に回るとそこには少し広い空間が設けられてある。

 今日はそこに巨大な鉄の塊と大量の人間がいた。

 

 制服は海軍のものではない。陸軍のものでもない。 

 

「お待たせした。申し訳ない……」

 

「いえ、執務ご苦労様です。鏡海軍大佐殿。今、責任者の方を呼んで参ります」

 俺を待っていたらしい青年に軽く挨拶をすると、彼はきびきびと駆け足で機体の方へと向かい、俺が来たことを上官に知らせに行ったようだ。

 その背中を見ている私の目に映る、背中に大きくプリントされた大鷲のエンブレム。

 

 航空防衛軍。

 空の人間たちが海の人間の敷地に何用かと言えば、これが結構重要な任務なのだ。この鎮守府の責任者である俺が赴かなければならないほどに。

 この鎮守府の運用は彼らなくして今はまだ成り立たないだろう。 

 

 

 艦娘の希少性と、未だ資源の調達の見どころが定まっていないこと、以前は行っていた遠征のルートが固定化されていないことなどから、各鎮守府への資源の配給は大本営によって行われていた。

 そのため、資源の管理は非常に厳密に行われ、何度も監査が行われる。

 こちらにそれが着いた瞬間から。故に、物資の輸送は一定の権力を持つ第3勢力によって行われることになっている。

 そして、舞鶴と言う場所。本州からして横須賀の裏側にあるようなこの場所には航空機での輸送が行われていた。

 

「では、予定通り物資を下ろして倉庫まで運搬、確認作業を行ってください。くれぐれも慎重に」

 舞鶴鎮守府の一角にあるヘリポートに巨大な金属の塊が降り立った。

 外装には大鷲の翼を掲げた紋章。すぐに後方のハッチが開き大勢の人間が降りてきた。

 その人間たちを透き通る声で指揮する女性が1人。と言っても、その中で女性なのは彼女だけであって、異様に目立っていた。

 ドタバタという慌ただしさはなく、テキパキとした無駄のない動きで作業を始めた。

 その作業の邪魔にならないように近付いていき、彼女に声をかける。

 

「なんだ、お前が来ていたのか……?」

 前述した通り、資源の管理が厳正に行われなければならないために、俺のような者も受取の場に赴く。

 振り返った彼女はキリッとした凛々しい表情を解き、柔らかな笑みを浮かべる。

 

「えぇ、私が来てはいけませんか?」

 そう彼女は答える。一切の悪意を感じさせない笑みを浮かべている辺りに悪意を感じる。

 こうして見れば、ただの美人だ。端正な顔立ちに長く艶のある黒髪。やや深い緑の色に見えるのは彼女の中に流れる血のせいだろう。

 傷ひとつない白い肌。やや人より白すぎるせいか、彼女の端麗さも相まって儚ささえ抱かせる。

 

「来ると知っていたならもっと違う形で出迎えていた」

 

「それがいいんです。継矢さんの不意を突くのが。それに任務の1つ。出迎え方に違いなんてありもしないでしょう」

 やっぱりただの嫌がらせだ。その後に少し正論を交えて反論できないように締めくくる。

 だからこの人は苦手なのだと顔に出さないようにしていたのだが、

 

「あら?私の事お嫌いになりましたか?」

 女の観察力というものも侮れない。

 乙女ばかりが務める職場に勤めていながらそのことを忘れていたのは、彼女たちが純真無垢な少女たちでありすぎたため私の警戒心が緩み切っていたせいかもしれない。

 そう考えると、彼女の来訪は一度俺の気を引き締める良いものになっただろう。

 

 日本航空防衛軍所属、織鶴 瑞乃(おりづる みずの) 1等空尉。

 海を司る『鏡家』に対し、空を司る『織鶴家』 。両家は親戚の関係に当たる。

 2つの艦娘の子孫の一族が、お互いの血族を守るために交わり、再び別れたためにこのような形となったのだ。

 その長男と長女。立場は似たようなものであり、幼い頃から分かり合うものがあった。

 自衛隊の名残から女子にも軍属を認めていた現代の軍で彼女こそが『織鶴』の名を背負う者であったからだ。

 

「……それで、仕事の話をしよう。事前に受けていたものでは各資源1万ほどと」

 とりあえず、彼女の質問をはぐらかして本題に入る。やや不満そうな顔をしていた。

 

「いけずですね……まぁ、私は今日限り輸送部隊の責任者ですので。親のコネは使いようですね」

 

「はぁ……じゃあ、早急に仕事をしろ。資源の確認を早く終わって倉庫に納めて再度確認して終わりなのだろう?」

 

 と言った感じに、この女といると完全にペースを持って行かれる。

 時々、自分を見失いかけることもしばしばあるので苦手なのだが、体裁上彼女とは付き合わなければならないのだ。

 

 しかし、久し振りに会ったが変わっていないと少しだけ頬が緩んだ気がした。

 俺の前ではこんな振る舞いをするのに、伝わってくる話では『鬼』などと呼ばれているのが不思議で堪らないのだが、少なくとも彼女は昔からそうだった。

 実直で、清廉で、厳格で、多くの期待を背負い、血を背負い……。

 自由そうに見えてかなり縛られている。それは傍から見れば俺と同じような者だろう。

 御雲も、証篠も同じだ。血に縛られている。

 特にそのことを幼い頃から理解していた俺には、少なくとも彼女たちより、自分の血について早く理解していた俺には、なぜか彼らを同情してしまう。我ながら、おごがましいことだ。

 ただ、彼女はそんなことを気にしないように生きている。そんな感じもするのだから不思議で堪らないのだ。

 

「―――それで、どうですか?艦娘とかいう子たちとの生活は?」

 ひと通り指示を終えて暇になったのか、私の下へと寄ってきてそう尋ねた。

 

「何とも言えないな。不思議で堪らない、彼女たちという存在は。何度も驚かされた」

 軍帽を脱いで、ふうとひと息吐いた。不思議と肩に入っていた力がストンと落ちた。

 

「そうですか……継矢さんのことですから、幼い子どもたちを威圧してしまって、てっきり怖がられてしまっているんじゃないかと」

 

「それも間違いではないが。はじめの頃は大変だった。駆逐艦はみんな逃げてしまってな……だが、今は信頼関係を上手く築けていっているはずだ。分からないことも多いが」

 

「いつか、継矢さんの大切なものになればいいですね」

 

「既に大切な部下であり、仲間だよ。彼女たち無くしてこの時代は成し得なかった。ただ、それでも……」

 言葉が詰まる。瑞乃には嘘偽りなく話そうと頭が働いているようだ。

 どうせ、嘘を吐いたところですぐにばれると理解しきっているのだ。だからこそ、余計な見栄など張る必要もなく、ふっと肺の中の悪い空気を吐き出すかのように言葉を口から出した。

 

「やはり、彼女たちは人間ではないのだと、1日のうちに何度も思い知らされて、その度に俺と言う存在が揺らぐ」

 不安、だろうか。

 艦娘という存在に触れる度に、それが未知だと思い知らされて、不安な気持ちになる。

 怖いのだろう。過去の功績を、勝利を、栄光を認められ、神格化さえされつつある彼女たちを信頼しきっている世界。それに違和感を抱く自分ひとり。

 もし、艦娘が俺たちの想像しているような、英雄などと言われるような存在ではなく、全ての歴史が良いように書き換えられていたものだとしたら、この世界そのものが傀儡となってしまう。

 そう言った杞憂に対する不安。

 

「継矢さんはいつも深く考え込む癖がありますね。図体は大きいのに、見かけに依らず心がとても繊細です」

 瑞乃はちょっと可笑しそうに笑いながら言った。

 

「突き詰めたくなってしまう。俺に関係のないことでもないから」

 

「難しいことばかり、毎日考えているのですか?疲れ果ててしまいますよ?」

 

「そんなに深く彼女たちを追究する必要なんてないと思います。継矢さんにとっての、艦娘というものは継矢さんの目に映る彼女たちの姿で間違いないのです。ただ、素直に、彼女たちと触れ合い、感じたものから少しずつ彼女たちについての認識を組み上げていけばいいんです。得体の知れぬ者、確かにそうでしょう。だったら、継矢さんなりの定義を決めてしまえばいいのですよ。それが継矢さんにとっての彼女たちです」

 俺の顔を覗き込むように移動する。ふと目を向けると目が合った。

 それを待ち望んでいたかのようににっこりと瑞乃は笑う。

 

「実は既に出来上がっているんじゃないんですか?信頼関係は生まれているのでしょう。それを疑ってしまえばずっと苦しみ続けるだけですよ?」

 

「あぁ、いや、だが……ううん、確かに」

 少し混乱してしまい、何を言うべきか迷う内に変な言葉を並べていた。

 顔を逸らして、頭をゆっくりと冷やしてから自分の頭の中を整理した。

 

「まだ時間が要るのかもしれない。俺が思っていた以上に」

 

「もう……これ以上まだ考えるんですか?そこまで思う艦娘に、私も会ってみたいですね。今からはダメですか?」

 

「彼女たちも仕事がある。俺にもお前にも任務がある。それが優先だ……戦友となる存在だ。万が一の時は背を預けられるほどに。だからこそ、もっと知る必要がある」

 

「……まだ、答えが見つかるのはまだ先の様ですね」

 

「答え……あぁ、あれか。お前の口から出るとは珍しい」

 

 少し話が変わるが、同期であった俺と御雲と証篠にはひとつの共通した目標があった。

 艦娘たちを率いる者として、自分達に課した使命と言うか、そんなに堅苦しいものでもないのだが。

 

 俺たちは艦娘の子孫だ。血を受け継いでいる者であり、その為に艦娘を率いることを課せられている。だからこそ知っておくべきことがあるのだ。艦娘より生まれ、艦娘を生み出し、艦娘を率いるという特殊な存在である限り、俺たちはきっといつか向き合わなければならないというのが共通認識だった。

 それが、答えだ。明確な形のない問いに対する答えと言う陳腐な約束なのだ。

 強いて言うならば問いとは「存在理由」に尽きるのだが、ただ単純にそれだけではないのだ。

 

 どんな残酷な現実があろうとも、どんな悲惨な真実があろうとも、俺たちは彼女たちを、艦娘を、そして自分自身を、それを生み出した祖先を、信じ抜くことができるのか。

 俺の口から言葉にすればこんなことなのだが、御雲や証篠の口からは別の言葉になるだろう。

 

 すなわち、俺としてのこの問いに対する答えに不可欠なのは「確固たる絆」なのだろう。

 言葉にしてみれば簡単だが、皆目見当もつかなくて困り果てている。

 

 瑞乃は空の人間だった。そのせいか俺たちのこの話には興味が無いように思えた。実際、彼女は艦娘を率いることなどないのだから関係ないのだ、

 でも、彼女の口からその言葉が出たのがなぜか俺は嬉しかった。

 

「あぁ、まだまだ、ずっとずっと、先の事になる。もしかしたら、死ぬ時かもな……」

 

「是非とも私にも継矢さんの答えを教えてくださいね?継矢さんが死ぬ時は私も着いていって聞き出しますので」

 

「ははっ、簡単には死ねないな」

 

「えぇ、簡単に死んでもらっては困ります」

 

「……大丈夫、置いては逝かない。置いては逝けない」

 そんな保証もないのに、軽々と浮いた言葉が出てしまうのは本当に嫌いだ。

 でも、本音なのだから仕方がないとこの時だけは自分を必死でも誤魔化していた。

 

 少し焦っていた俺とは裏腹に彼女は心の底から安心したというような笑みを俺に向けて、突然何もかもが馬鹿らしく思えてきて、柄でもなく声を上げて笑った。

 注目を集めてしまったことに気付き、すぐに口を閉ざしたが、その様子をおかしそうに笑っていた瑞乃を見て口の軽いこの女にどうやって、この恥を言い触らさないようにするかを考えていた。

 

 それから、1時間ほどで作業は終わり、確認も終了し、双方の合意で輸送任務は終了となった。

 やはり彼女に仕事をさせると早い。着いてきているのも日頃から彼女の下で働いている者たちなのだろうか。

 連携が非常によく取れており、大量の物資をあっという間に倉庫に詰め込んでしまった。

 

「では、確かにサインは受け取りました」

 俺のサインがかかれた書類を受け取って、瑞乃はさっと敬礼をする。

 返礼すると、敬礼を解いて近くの部下にその後の簡単な指示をしていた。

 それが終わるとこっちを見てにこりと笑う。背筋に寒気を感じた。

 

「私はできれば継矢さんのところに残りたいのですが」

 

「ダメだ、帰れ」

 

「ですよね……今度は継矢さんが横田にいらしてください」

 

「機会があればな。ところで、瑞羽は元気か?」

 瑞乃には2つ歳の違う妹がいた。あっちもあっちで性格に難あり。

 軍に属するような質ではないのだが、姉の背を追って今は戦闘機に乗っているとか。

 

「私の事より、瑞羽のことですか……」

 露骨に不満そうな顔をする。すぐさま訂正するように手を振った。

 

「お前ほどの女なら大丈夫だろう。そう思っての事だ。あいつの方が気がかりだ。俺にとっても妹のようなものだしな。まだ不名誉除隊はされてないのか?」

 

「幾らなんでもバカにし過ぎですよ。瑞羽も真面目にやっています。才能を見込まれてやや特殊な部隊に所属することになりましたし」

 冷や汗浮かべながら苦笑い。少し冗談のつもりだったが通じなかったようだ。

 しかし、意外な才能だ。パイロットとしての素質があったのか。

 

「それはまた……お前とは違った才能だな。2人でいいバランスが取れている」

 

「えぇ、そうですね……空の方は私たちにお任せください。全力で継矢さんの栄光をお守りします」

 

「他のところも頼むよ……じゃあ、そろそろ時間だろう?」

 

「はい。あっ、それと今度瑞羽に会う機会があったら、あの子を射場に立たせてください」

 

「それはまたどうして?」

 

「最近あの子サボりがちなので」

 真面目にやってないじゃないか。昔から苦手意識はあったみたいだが、やはり瑞羽らしく自由にやっているようだ。

 

「分かった。では」

 弓を教えてやった者として、今度会ったらこってり扱いてやることにしよう。

 

「今度はお待ちしていますよ、継矢さん。それと今度艦娘にも会わせてくださいね」

 

「あぁ、きっとな」

 

「できることならば、継矢さんに答えをくれる少女たちで、約束ですよ!!」

 そう言って、一方的に約束を押し付けて輸送機に乗り込んでいった。

 別れともなれば少し寂しくも感じる。何せ、知り合いのいない場所に突然送り込まれてそれから見た目は年端もゆかない少女たちと暮らしている訳だ。

 私とて、心細く感じる。寂しさだって覚える。

 そう思うと、瑞乃が来てくれたことは少しだけ私にとっては救いだったのかもしれない。

 許嫁となるほどの仲であれば、その想いも一段と強いものだ。来る時代に阻まれた仲ではあったが。

 離れた場所から、輸送機が飛び立っていくのを見ていた。

 近くの飛行場から護衛の戦闘機が飛び、彼女たちの護衛を行う予定になっている。その姿が見えなくなるのを確認してから、俺の足は執務室へと赴いた。

 

 一体どれだけの約束をしてきたのだろう。もう数え切れないほどあるのだろう。

 瑞乃との間でだけでも、4つも約束をしてしまって。

 

 あぁ、この約束だけは必ず守ろう。

 この命に代えてでも守りたいと思った初めての人との約束なのだから。

 

 

 

 

 

 




 今回もありがとうございます。

 少しだけ短めにしてみました。色々と反省しまして。

 今回は艦娘は登場せずに、家柄の事や提督たちとの間に結ばれた約束の話などを書いてみました。


 そして、新しく登場したのが、織鶴 瑞乃 1等空尉です。
 もうなんとなく見当はついている方も多いと思いますが、カラーリングを瑞鶴に寄せた翔鶴っぽい綺麗な容姿をした女性です。やや翔鶴よりは悪戯心があるといったくらいで、真面目で、誠実で、一途な女性指揮官です。
 
 少しだけ解説させていただきますと、鏡 継矢の鏡家と織鶴家は親戚です。
 彼らの3代上で2つの一族が1つになり、その後再び2つに分かれて今に至ります。
 
 あっ、あと瑞乃は鏡 継矢の婚約者です。もし深海棲艦の襲撃が無かったら、近日中に式を挙げる予定でしたが叶わぬ夢となってしまいました。
 


 さて、簡単な次回予告ですが次は呉鎮守府の証篠 明 提督のお話となります。ややシリアスになる予定ですが、そんなにくらい雰囲気にするつもりはありません。

 では、できる限り早く筆を進めていきたいと思いますのでよろしくお願いします。




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似て異なる者 -呉鎮守府にて-


 下種を書くのは大好きです。


 人並みに傷つく。こんな能天気な私でも。

 月影や継矢が、艦娘は人間じゃないとか、そんな話している度に実は傷ついてたりしてた。

 人にできないことをやれば、怖がられるか、珍しいと思われるかどっちかだって知ってた。自分が普通ではないことを知ったあの日から一種の諦めのようなものを感じていた。

 

 確かに楽しかったのだ。他の誰もできない未知の力を使って過去の遺物を弄っているときは。

 特別視されたかったわけじゃない。きっと仕方のないことだったと思う。

 こんな能力を持って生まれる依然に私と言う人間の好奇心は留まるところを知らない。

 

 いや、私はきっと人間じゃないのだろう。

 月影や、継矢や、辰虎や、織鶴姉妹、彼らとは違う。

 私は艦娘の血を受け継いでいる訳じゃない。艦娘の力そのものの一部を受け継いでしまった。

 

 真っ当な人間じゃない。

 だからこそ、彼女たちに出会った時に思ったのだ。素直に、嬉しいと。

 些か、彼女たちに失礼なのかもしれないが、ようやく私は「同じ存在」に出会えたのだと。

 愛おしかった。どんな子たちでも私の妹のように思えた。

 

 私は守りたいと思った。普通の人間にはきっと理解できない感情なのだ。そりゃそうだ、私は普通じゃないのだから。

 普通に生まれていれば、こんなことはなかっただろう。きっと月影たちのように「艦娘とは何者なのだろう?」とか呑気に話し合っていた。

 

 今は普通に生まれなくてよかったと思う。

 彼女たちの側に立って、唯一彼女たちをこの身を持って理解できる人間たという自負が、私を強くしてくれた。

 

 仲良くなりたかった。

 同じ女同士だからすぐに打ち解けられると思ったが、少し警戒心が少ない程度で私に対する疑いの目は強かった。彼女たちからすれば私も立派な人間で、自分たちを訳の分からない容器に納めてしまった得体の知れない存在なのだ。

 200年近い眠りから覚めて、自分の知っているはずの存在が、自分の知らない存在に変わってしまった時ほどの恐怖はきっと大きいだろう。

 

 少しだけ、わざとふざけてみるのもアリかと思ってちょっと意地悪したら嫌われた。

 こればかりは自業自得だと思って、次の日からは馬鹿みたいに書庫に籠って文献を読み漁った。

 私の好奇心が彼女たちを壊してしまっては元も子もない。

 しかし、彼女たちを知り、私自身の好奇心を満たすには、限界というものを知る必要がある。

 私が調べたのは、彼女たちの限界だった。というよりは、壊れないようにするための仕組みだ。

 

 FGFの「スロット」について説明するときに、よくモデルとして用いられるのはベンゼン環だ。

 あの形はとても美しいと私は思うのだが、ベンゼン環に基が結合する際に、ベンゼン環の結合が一部解けて腕となる。

 

 艤装とFGFを結ぶのはこの腕だ。そして、FGFが持つこの腕のことを「スロット」と言う。

 スロットは艦種によって異なり、一般に増やすことは不可能だ。FGFは格子状の骨組みの概念であり、艦娘の練度の上昇はFGFと艦娘本体の適合率の高さ、近代化改修と呼ばれる強化にはその骨組みの骨を太くしているようなもので、基本的な構造は変わらない。

 しかし、構造を変えて、スロット数を増やすような施術を「改造」と言う。

 膨大なエネルギーを必要とし、更には艦娘側の練度も高くなければ、改造後に適合せず肉体が崩壊、FGFを壊れてしまう。

 

 FGFとスロットの間には大量の結合子が存在すると考えられており、その艦娘の艤装を換装した時に、FGF内にある結合子が適合する艤装でなければ、装備できないという仕組みだ。

 結合子の存在しない艤装を装備した場合、エラーを起こし、一時的にFGFの力が大幅に制限される。

 余談ではあるが、FGFと艤装の結合は非常に強力で、デリケートだ。これは艦娘が「艦艇」であった時に艤装は船に固定されているという概念から生まれているようなもので、艤装を手放して投げたりすると、強力なFGFの結合を切るエネルギーが艦娘側に負荷としてかかり、最悪身体が吹き飛ぶ。

 

 まぁ、こういうことを少し勉強してから、私は艦娘の研究を始めた。

 装備可能な艤装や、最も実力を発揮できる艤装など、最初は漣にばかり押し付けていたが、人数も増えるうちに一気に私の研究は進んでいった。

 

 そして彼女たちが最も扱いやすい装備を作り、彼女たちに与えた。彼女たちの生存率を上げるために、単なる火力や性能だけを重視した装備は与えなかった。

 当然、一部からは(というか、主に曙)不満が飛んだ。仕方ないので、ちょっと艤装側を弄ったらそれなりに満足してくれた。

 

 結局、私がやっていることは「彼女たちが人ではない存在である」ことの証明にしかなっていなかった。

 しかし、よくよく考えてみれば私がしたいのは別に彼女たちが立派な人間と認められる事ではないのだろう。所詮は私も人間でありながら、人間とは思えない力を持って生まれてしまった異形だ。

 

 私なりに彼女たちを肯定する方法を我武者羅に探っていたのかもしれない。

 艤装を弄っているときや、彼女たちの訓練を眺めているとき、装備の具合を試験しているとき。

 

 彼女たちと関わっているときが私は一番生きている実感が湧くのだ。

 

 つくづく私は酷い女だ。ずるい女だ。こんな腹黒な女の実態を知った時、私の側に残ってくれる者なんてきっといないだろう。

 だから、せめてお調子者でも気取っていよう。天性の能天気さを振りまいておこう。

 私と言う存在を否定しないために、彼女たちを利用しているに過ぎないこんな女を守るために、私は私を隠し通そう。

 

 

 そのつもり、だったんだけどなぁ……。

 ホント、上手くいかないものだ。

 

 

      

     *

 

 

 

 私は今、間違いなく怒っている。

 恐らく私は生まれて初めて怒りと言う感情に身を任せている。怒りと言う感情は何度か体験したが、ここまで激しく身体を駆る感情は初めてだった。

 身体が熱く、ろくに頭も回らず、車のアクセルを強く踏み込んでいるかのようにエンジンが唸りを上げて、私の身体を強く突き動かす。

 気持ち悪かった。正直言って、この感情は気持ちが悪い。

 

 でも、きっとこのまま体の中に押し込めておいたら爆発するだろう。

 私の手足も吹き飛んで、首も内臓も何もかも吹き飛んで、姿を現した私の中のもっと恐ろしい悪魔的な感情が姿を現すだろう。

 まだ人間としての形を保った私の理性の箍も今にも砕け散りそうであった。

 今にも切れそうな橋のケーブルのようだ。張り詰めて、ギチギチと軋みながら幾本もの鉄線を束ねて作られたワイヤー。それが1つ、1つ、繊維が切れていって最後にはブチンッ!となる。

 

 橋は落ちる。私の中の心の橋が落ちる。落ちた先にあるのは地獄だ。

 

 呉鎮守府緊急出撃。

 『浸蝕域』に侵入してしまった輸送船の救助。違法行為であり、普通ならばあり得ない話だった。

 それでも上から通達された任務であった。艦娘たちは向かう。

 そして、深海棲艦の襲撃こそ受けてないものの浮遊する輸送船を発見した。

 船長は小太りの中年の男。若い副船長と痩せこけた操舵士と他に数名。負傷者はなし。

 

「帰れ、化物共が。我々は化物の力を借りるつもりはない」 

 船長の男が放った言葉だった。艦娘に向けて、直接甲板から見下ろして、ゴミを見るような目で言い放ったのだろう。音声通信から聞こえた情報であったが、そのくらいの推測は男の語気から分かった。

 船は進み出した。艦娘たちの指示を無視して、誘導する側とは全く異なる方向へと。

 

 直後、深海棲艦の襲撃。電探に引っかかった反応。目視での確認までほんの数秒。 

 初めからこの船を狙っていたかのように接近する無数の高速艦隊。

 一瞬で戦場となった―――いや、ここは元々戦場だったのだが、混乱が渦巻いていたその場で冷静に指揮が飛び交い始める。とにかく、輸送船の護衛が優先であった。

 

 敵はほとんどが駆逐艦であったが数が多かった。

 

「何をしている!?この化物共が!あの化物から我々を守るのが貴様らの仕事だろ!!化物は化物を殺して一緒に死ね!!」

 彼女たちの誰かが歯を噛み締める音がした。はっきりと。

 そんな男の声を掻き消すようにひとりの少女の声が戦場を駆ける。訳の分からない思考に陥る前に彼女は戦うことに駆り立てた。

 

 戦場は動く。合計6隻しかいない艦隊で輪形陣を組む。

 しかし、輸送船はこちらの指示に従わない。彼女たちの誘導に従わず進路は全く別の方向を向いていた。羅針盤が狂ったかのように。

 そして、彼女たちの隙間をすり抜ける影。たった1本の魚雷。

 

 まっすぐに船へと突き刺さる進路。輸送船の側にぴったりと付き、船長の男と交渉を繰り返していた彼女はすぐにそれに気付いたが遅かった。

 できた行動は盾となることくらい。小さな身体は吹き飛んで、海面を転がった。

 

 爆発が輸送船さえ揺らす。破片がスクリューを掠めて出力が落ちた。

 それでも彼らは艦娘に従うつもりはなかった。やがて『浸蝕域』を抜けた。それでも深海棲艦は追いかけてくる。

 艦娘も限界だった。ダメージが蓄積していき、深手を負った1人をも守りながら戦わねばならなかった。

 砲弾が輸送船に向かう。至近弾。浸水を起こし、船内が一気に騒めいて、彼女たちを罵倒する言葉が海上に飛び交う。

 

「……あれ、沈めた方が楽なんじゃないの?」

 1人が呟いた。艦隊に沈黙が広がった。私も言葉を見つけることができなかった。

 一体、何のために戦っているのか分からなくなってしまった。この恐れていた事態は最も避けたい状況であった。

 

「ダメだよ……人間は弱いから、守らなきゃ。ハハッ、ホントに草も生えない連中だけど……」

 掠れた声が艦隊に広がる。ボロボロであろう身体から滲み出る弱弱しい声が反逆を否定する。

 彼らの被害を一番に受けているはずの彼女が。

 

「仕方ないよ。知らなきゃ怖いだろうし……ほら、提督も言ってるじゃん。知らなければどんな手段を使ってでも知ればいい。それができない可哀想な人なんだよ」

 息が詰まるような気がした。口は開いた。声が出なかった。

 私は何を言いたかったのだろう。見捨てろか、沈めろか。任務を真っ当しろ、なんて言葉ではなかっただろう。

 

「可哀想……だから、助けなきゃ。知らしめなきゃ」

 何の為に戦うのか。それはきっと守るためだ。何かを守るため。

 守る必要がないと吐かれ、彼女たちは見失った戦う理由を。それを埋める1つの言葉。

 艦隊に士気が戻り、ボロボロになりながら、鎮守府まで帰り着くことはできなかったが最寄りの港に無事彼女たちは帰還した。

 深海棲艦は途中から撤退を始めた。佐世保方面から駆け付けた増援に救われたのだ。

 

 あの男に借りを作るのは、後々考えれば癪に障ることだったが、私はすぐに彼女たちが帰り着いた四国へと向かった。

 

 

 着いた私が見たのは、顔に痣を作り、縄で縛られた小太りの男。この男が船長なのだろう。

 若い男が側にいた。副船長なのだろう。

 

 艦娘の子から聞いたが、途中からやけに素直に輸送船は艦娘の指示に従うようになったと言う。

 その理由は、船長を副船長が殴り倒し、指揮権を奪ったからだとか。

 とりあえず、副船長は殴っておいた。

 

 そのまま、船長を引きずった。コンクリートの上を肌が擦れて血の跡が残っていく。そんなもの気にしなかった。近くの倉庫に入ると男を壁に叩きつけた。

 壁に背中を打ち付けて呻く男がゆっくりと身体を起こし、顔を上げる。

 その瞬間に、顔面を踏みつけた。一切の手加減はなかった。何度も何度も踏みつけて、革靴に鼻血が付いたが気にならなかった。 

 この時の私はやけに意識がはっきりしていた。色も音も鮮明だった。

 それなのに、私の身体は私の意識とは他のところで動いていた。

 

 怯える顔。

 あぁ、私が脅かしているのだ、その間抜けな顔の主を。

 まっすぐと伸びる私の腕。躊躇いのなさを感じる、一切の震えもなく握られた拳銃。

 側は必死に冷静で保とうとしているのかもしれない。その冷静さが躊躇いを掻き消して今にも折ってしまいそうな人差し指が、なんだか自分のものでないような気がして。

 

 未知のギャップに私自身が着いていけていなかった。

 

 

「―――提督」

 誰かが私の腕を掴んだ。私の前に立ち塞がり、拳銃を覆うように掴んで私の腕を抱きしめた。

 ボロボロの服で、ズタズタの皮膚で、焼け焦げた髪で、流れ出る血潮で、そんなもので構成されている小さな彼女の中の、大きな瞳と目が合った。

 

「もう、大丈夫です……漣たちは、大丈夫ですから」

 悲しそうな目で私を見る理由が分からなかった。死にかけている身体でどうしてそんな笑い方ができるのかが分からなかった。

 白い軍服に彼女の身体から滲み出る血が染みていく。

 力が抜ける。私の手から拳銃が離れて、足元が少しだけ覚束なくなる。

 

 駆逐艦娘《漣》は拳銃を拾い上げると、ふぅ、と小さく息を吐くと咳き込んで荒い呼吸を始めたが、座り込むことはなかった。ゆっくりと振り返りながら、怯えた顔をした男を睨みつけていた。

 そして、何の前触れもなく、私から奪った拳銃を向けて引き金を引いた。

 

 パン、パン、パン。乾いた音が3つ並んだ。

 

 セメントの壁に穴が3つ。ふわりと白い粉が舞い上がって、カランカランと薬莢が音を響かせる。

 男は泡を吹いて意識を失った。どさり、醜く肥えた身体が地面に沈む。

 

「あーあ、すっきりした。ぼのたちもやる?」

 漣は後を追ってきて入り口で固まっていた自分の僚艦を向いて、笑みを浮かべながらそう尋ねる。

 3人は激しく首を横に振った。ひとりは今にも泣き出しそうだ。

 

 4人揃ってボロボロで、年頃の少女とか思えないような怪我をして、それでも自分の足で立っているのだから、やっぱり彼女たちは強いのだ。人間と違って真っすぐで、純粋で、誠実で、濁るものがないからそれ故に強いのだろう。

 

「人間って残酷でしょ?時に、深海棲艦よりも残酷。それは賢いから。心が発達しすぎたから」

 その場に座り込んだ。身体のいろんなところが痛かった。被っていた帽子を手でぐしゃりと潰して顔を隠した。

 

「身体と違って心は簡単に傷つく。でも、簡単には治らない」

 艦娘にも心はある。人の心は、心を傷つける。人の心は、深海棲艦さえも打ち砕く艦娘の心さえ蝕む。

 

「どうする?私だって世間一般的にはきっと人間だよ。深海棲艦よりも怖い敵を君たちは信頼できるの?」

 この世界で一番醜い生き物は人間だ。

 数世紀前から、10数世紀前から、ずっと変わることはない。

 

「あー……それについては大変残念なことなのですがー。他に信じる相手もいないので、漣たちは信じるしかないんですね」

 

「そう……かわいそうだね」

 

「可哀想ですか。少なくとも漣たちは誰かを信頼できるという感情を抱いたことができただけ、それは喜びに近いですよ」

 そう言って、漣は私の方に拳銃を捨てるように投げた。

 重いはずのこの銃も、軽い音を立ててコンクリートに叩きつけられる。

 

「ねぇ、提督……」

 漣が私を呼ぶ。ずっと彼女を見ていた私を彼女は見なかった。ぼんやりとどこかを見ていた。

 意識が朦朧としているのかもしれない。そんな憶測があったにも拘らず私は彼女に駆け寄ってその身体を支えようとすることもできなかった。

 

「ある意味、割り切ってるんだよ。てか、漣たちは船の時の記憶の方が強いから、自分が人間だなんてちっとも思ってない。だからさ、そこの男に化物呼ばわりされようとどうでもいい」

 

「そんなこと言わないでよ……」

 お願いだから、人間であろうとすることを否定しないで。

 お願いだから、蔑まれ怯えられる存在であることを認めないで。

 

「人間は弱いから、守らなきゃ……か。あれ、私に言ってたの?」

 

「ん?どうしてそう思ったの??」

 

「……なんでだろ。そんな気がした」

 あれは私に向けられているような気がした。

 独りじゃ生きていけない私が、なにか私の孤独を紛らわせるものを探して、ようやく見つけた。

 しかし、それにしか縋りつけずに、ただ紛らわし続ける私はきっと弱い。

 それを彼女に見抜かれた気がしたのだ。私の核にそっと掌を合わせられたような気がした。

 

「提督って寂しがり屋だよね?」

 唐突に彼女はそう聞いて来た。

 

「どうしてそう思うの?」

 

「なんでだろうねぇ……そんな気がした。漣も多分、そうだから」

 さっきの私と彼女の問答と同じようなやり取り。最後の脚色がなければきっとそこで終わっていたのだろう。

 

「同じがいないと怖いんだよね。提督は特殊じゃん?だから、もしかしたらそうなのかもって。もし、この世界に艦娘が漣1人だったらきっととっても辛いかな」

 まるで私の心を見ているかのように彼女は口を開く。

 次々と流れ出てくる言葉がまるで私の口から放たれているものかのように。

 

「もし、あの時漣たちにぶつけられてた糞レスが、意外と提督にも効いたんじゃないかなって」

 

「漣ちゃんは辛くないの?」

 

「事実だから仕方ないっしょ。得体の知れない存在だって自覚はあるし。自分の事を自分で分かってもいないし。でもさ、提督は漣たちに自分たちを知ろうとする機会をくれた」

 

「あの言葉……」

 息も絶え絶えに私がかつて口にしたのだろう言葉を引用した。

 それは私の生き方だ。私の好奇心の生み出した残酷な言葉だ。

 

「そっ、だから提督は特別。今日はそうだって気付いた。初めて世間の漣に対する評価をはっきりと耳にして」

 しゃがみ込むと私の顔をまっすぐに見つめる。

 擦り切れた頬。裂けて血が滲んでる口角。こべり着いた煤。解けた髪。焦げた毛先。

 はっきりとこの距離で分かる彼女の身体。自分の心配をしなければならない、彼女の目は私を心配していた。

  

「ごめんね、提督。あの時漣がなにか言い返せてたら、提督も少しは楽だったのかな?でも、まだ分からないんだ。だから、言い返す言葉もなかった」

 申し訳なさそうな顔で彼女はそう言った。

 提督のように賢くないから、と。自分たちの事でさえはっきりと分かっていないから、と。

 

「もっと知らなきゃいけない。だから、今は化物呼ばわりされようがどうでもいい。そうでしょ?」

 

 ようやく私は頷くことができた。

 

「そうだね、まだ分からないことばかりだね……」 

 

「まだ、始まったばっかじゃん?こんなに早く答えが見つかるほど神ゲーってわけでもないっしょ?」

 

「悪い意味で、クソゲーだけどね。この世界は……ふふっ、そっか。確かにそうだよね」

 次にようやく私は立ち上がることができた。

 深く息を吸い込んでみた。まっすぐに伸びた身体を空気が駆け抜ける。少しかび臭い湿った倉庫の空気だったが。

 

「始まったばかりか……戦いってこんなに長く感じるんだね。でも、まだ始まったばかりなのか。そして、まだ私は私になり始めたばかり。漣ちゃんはまだ艦娘になり始めたばかり。全部知ってて、自分が何者か知ってて、生まれてくる人なんていないよね」

 私は十分に生きたと言えるだろうか?きっとNOだ。

 彼女は十分に生きて、十分に戦ったと言えるだろうか?きっと彼女はNOだと言う。

 

 私はまだ彼女たちを評価できるほどに艦娘と出会っていない。

 彼女たちは、まだ人間と自分たちの差異をはっきりと認識できるほどに、人間というものに触れていない。

 

 そうだ。「まだ」と言えるうちには、答えを出してしまうのはきっと間違いだ。

 

「気は晴れてない。問題は何ひとつ解決してはいない。私の怒りも収まり切ってはいない。それでも、ここに答えはない。下らない人間に付き合っている場合じゃないか。これは違うね」

 進んではいない。停滞の中でずっとぐるぐる回っていただけだ。

 長々と彼女と話して得たものはあったのだろうか?実感も重みもない。

 得たものはなかった。元々それは私の中にあったのだろう。実感も重みもないのはそのせいだ。それに気付いた。

 そして、得たのが違うという結論だ。

 

「じゃあ、戻らなきゃ。帰ろうか、鎮守府に?」

 ようやく笑えたと自覚できた。彼女に笑みを向けることができたと。

 しかも、いつも以上に自然に笑えた気がする。

 それに気付いた彼女も笑った。漣も安心した、というような笑みを浮かべた。

 

 そして、崩れ落ちた。

 

「あ、あれれ?動かない……はぅぅ、もうダメです」

 安堵とは緊張を奪う。時に緊張とは崩れ落ちそうな身体を支えるつっかえ棒のようなものになるのだ。

 彼女の身体はつっかえ棒を失って崩れ落ちた。ようやく、崩れ落ちることができた。

 これ以上、彼女が行動することはできないだろう。どこからどう見ても、限界を超えている。

 

「ほら、背中に乗って」

 彼女の手を取って私の首に回した。

 

「えっ……でも血とかたくさん付いちゃいますよ?」

 

「いいのいいの、ほら。陸で沈んじゃうよ?」

 そのまま、脚も抱え上げて勢いよく立ち上がる。

 背中に感じる重さが、彼女の存在を証明していた。これがどうしようもなく嬉しいのだ。

 

「ありがと……ご主人様」

 ぼそりと彼女の口から私を呼ぶ言葉が聞こえた。

 おかしいな。変に頬が緩んでしまった。

 

「うーん、できたらお嬢様、で」

 

「……やっぱりやめます」

 

「調子乗ってごめんなさい!ご主人様でいいから!!」

 

 本物の艦娘に会った時。いや、彼女たちに出会って完全に理解した時。

 私が何者か、はっきりとした答えを得る。例え、彼女たちの本質が何であってもそれを受け入れて、私を受け入れる。

 あの2人との答え合わせまで、私は私の答えを見つける必要がある。

 

 どんな形に仕上がろうとも、いつかは形を成すはずだ。過去と同じように。

 それを超えるこの歴史の最高傑作となるように、今は追い求め続けるだけだ。

 

 きっと大丈夫だ。

 私は、独りではないのだから。

 

 

 

 

 

 

 




 今回もお読みいただきありがとうございます。
 
 次回からは横須賀に戻っていきたいと思います。
 余談ですが、この章は初めにプロローグとエピローグから作りました。こうして始めて、こうして終わろう、という感じに進めていたら、なんか中身がクッソ長くなりました。
 結構、反省しています......どうにか改善していきたいと思います。


 これからもよろしくお願いします。








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分かれ道

 ちょっと脱線。


 

 まだ梅雨に入り切っていない初夏のころ。今日は珍しく透き通った青い空。

 徐々に気温が上がっていく中で、初めて人の体で感じる季節の巡りと言う新鮮さを味わう訳でもなく、少女たちは無言のまま1つの部屋の中で作業をしていた。

 

「――――明日だね」 

 そこそこに広い部屋に2段ベッドが3つ。1つは空きで5つを少女たちが利用していた。

 明日になればこの場所もなくなって、この鎮守府にも2人しかいなくなる。

 少ない私物を鞄に詰めて、3人の少女は生まれてからずっと暮らしてきたこの部屋をぼーっと見渡していた。腰を下ろすベッドも今思えば寝心地の良いものだった気がする。

 

 駆逐艦娘たちの配属。

 日本5つの海軍の拠点にそれぞれ配属されて、多くの艦娘たちを率いる主力となっていくのだ。

 彼女たちを各鎮守府の「初期艦」と呼ぶ。

 彼女たちの存在によって、各拠点のほとんどの施設が機能し始める。工廠もドックも、そこにいる妖精たちを指揮するには初期艦たる彼女たちが、妖精に命を吹き込む必要がある。

 

「はぁ~、生まれてからこの方ここに住んできたからねぇ~」

 どさりと漣はベッドに両手を広げて寝そべった。

 電灯の吊られた木板の天井が空の代わりに広がっている。

 

「まあ、情も湧きますよね。なんだか不思議なものです……」

 五月雨は微笑んでそう言った。

 

「不安ってこんなものなのですね。私たちに乗っていた方々もこんな気持ちで国を離れていったんでしょうか?」

 胸に手を当てた電の言葉に2人は小さく「うーん」と唸る。

 

「さぁーね、あの時代は勇ましさだけもって飛び出ていったような感じだからねぇ~。今の平和を思うと恐ろしいよね、ガクブル」

 

「ハハハ、でも少しその差が気持ち悪かったりします。話に聞くだけではとても良い時代ですけど」

 

「こんな可能性も……こんな時代もありえたのですね……電は少し安心してるのです」

 

 ただの鉄の塊でしかなかった時代。まだこの身体が艦艇であった時。

 日本のどこを見ても、これは戦争なのだと思い知らされた時代。海に怯え、空に怯え、どこからともなく降り注ぐ火の雨、鳴り響く警報、鼓膜を劈く機銃の音に響く砲音、揺れる海。脳裏に焼き付くほど激しい光と音の衝撃。

 戦乱の時代を越えた先に、手に入れた一時の平穏。それを打ち崩す黒鉄の異形。

 平和をもたらした海の女神たち。勝ち取った平和と未来。

 

 輪廻が如く繰り返す平穏と戦乱。

 犠牲の果てに勝ち得た未来に立っている、この時代は平穏の後の戦争。

 自分たちの存在がそれを証明してしまっている。

 

「私たちの力が存在する方が本当はダメなんですよね」

 微笑みを浮かべていた顔が崩れ、五月雨は浮かない表情をした。まるでこの戦いの原因がすべて自分たちにあるかのような気がして。

 

「まぁ、生まれたからにはちゃんと役目を果たさなきゃダメっしょ?」

 そう言うと、漣は勢いよく起き上がる。

 

「まだまだ、これからなのです。ここまでも長かったけど、これからはもっと長くなるのです。意地でも生き延びて、もっと強くなるのです!」

 いつもは弱気な電が、ふと強い口調でそう言った。

 呆気を取られてしまった五月雨は、少し間を置いて微笑みを取り戻す。

 

「今度こそ、本当の平和を届けられるといいですね、みなさんに……」

 電にそう言った。彼女は少し笑って小さく頷く。

 

「うんうん、その意気その意気」

 その様子を嬉しそうに白い歯を見せて笑う漣。

 艦娘としてまともに生まれてきた3人、そのうちで通ずるものがある。少しの死線を駆け巡っただけだが、それが不思議な関係を築いていたのだ。

 

「さてと、決心も着いたところだし、そろそろご主人様のところに荷物持って行こっか?」

 

「はいなのです。ここともお別れなのです」

 

「あぁ!ちょっと待ってください!まだ仕舞ってないものが……」

 各々の荷物を手に取り、執務室へと向かおうとする3人。それほど多くもないので、各自で持っての各地への移動となる。艦娘がまだ少なく、貴重な存在であるため陸路か空路での移動となる。艤装も理解ある者の手によって厳重に管理された状態で輸送される事になっている。

 

 扉に向かおうとしていた彼女たちよりも先に、扉が開いた。

 その向こうには息を切らして肩を上下させながらも、喜々とした表情で3人を見る少女が1人。

 

「――――あっ、ここにいた!!」

 ぱぁーっと笑みを浮かべて、吹雪が彼女たちの部屋に駆け込んできた。

 

「あー、ブッキー、おっす。どしたのー?」

 

「ごめん!3人とも、私忘れてたことがあったんだ!お願いしてもいい!?」

 パチンと両手を合わせて頭を下げて頼み込む姿。かなり訳の分からない状況なのだが、吹雪からは得体のしれない必死さを感じる。

 

「えっ……?な、なんですか?」

 五月雨の問いかけに、吹雪はニヤッと笑って脇に抱えていたスケッチブックを差し出した。

 

 

 

 

 

 

 

「サインください!!!」

 

「「「は?」」」

 3人ともぽかーんと口を開けてフリーズする。

 部屋の時計がかちりと音を立てて針を動かした。その音がはっきりと響く奇妙な静寂が広がる。

 何か様子がおかしいことに気付いた吹雪が、顔を上げておかしいな、と言うかのように頭を掻いた。

 

「いや、だって艦娘と言えば、過去に世界を救った海の女神たちで、その1人1人にかつての勇ましき戦船たちの魂が宿っていて、もうその存在と言ったら伝説のようなもので――――っ!!」

 突然、力説を始めた吹雪にようやく現実に追いつき始めた3人が意識を取り戻した。

 

「伝説って?」

 

「うん!伝説の存在だよ!3人とも!!」

 

「……こりゃダメだね」

 漣はふぅ、と息を吐いて両掌を上に向け首を横に振った。

 

「そう言えば、吹雪さんは人間の頃から艦娘オタクだったのです」

 冷や汗を流しながら、苦笑交じりに電がそう言った。

 

「思えば、叢雲さんが良く愚痴を漏らしていましたね。『あの子は暇があれば艦娘艦娘ってうるさい』って」

 

「えっ!?私そんなこと言われてたの!?」

 五月雨から明かされた衝撃(?)の事実に心底驚いたような顔をする吹雪。

 

「――――当たり前でしょ、このど馬鹿!!」

 そのバカみたいな顔を吹き飛ばすくらいの勢いで、叢雲の拳が吹雪の後頭部を打った。

 やや息が上がっているのはスケッチブック片手に駆けていく吹雪を見かけて、その行動を理解して、全力で追いかけてきたからだろうか。

 

「ぐへぇ!」

 

「もしかしてあんたこれから出会う艦娘全員にサイン強請るんじゃないんでしょうね!?」

 腕を組んでやや苛立っているかのような素振を見せながら、叢雲が問いかけた。

 

「えっ、そのつもりだけど……」

 きょとんとした表情で後頭部をさすりながら吹雪はさらっと答える。叢雲の溜息が増えた。

 

「あ、ん、た、ねぇ〰〰〰っ!!!」

 吹雪の肩を掴むと引き付けながら、体重の乗った方の脚を奥に蹴り飛ばすように払う。そのまま、前に崩れ落ちそうになる身体を上手く捌いて、強制的にその場に正座させた。

 流れるような綺麗な動きから、何の前触れもなく始まった説教劇。

 あまり声を荒げることなく、かなり静かな声で上から威圧的に降ってくる重圧の乗った言葉は、自分に降っている者でなくても背筋が凍りそうになる。

 

「あー、馬鹿だわ、あれ」

 

「……でも、分かる気がするのです。電も戦艦の方がいたら欲しい気がするのです」

 

「確かに、それは欲しいですが……私たちのサインなんて欲しがる方が珍しいですよね?」

 

「うーん、漣たちの前に艦娘がいたからね……割と漣たちってアイドル的な存在なのかも……ん?キタコレ?」

 へんな言葉を口にすると不同時に、漣は荷物を床に置いて腕を組んで考え込む仕草を見せる。

 うーん、と唸りながら徐々に顔が上がっていき、天井を見ながら、そのまま反り返っていって後ろの窓が見えるくらいまで、どんどん反っていく。

 

「……あっ、キタコレ!!漣良い事思いついたかも!」

 ぐわぁっと状態を戻して、右手を大きく挙げた。

 

「わぁっ!!さ、漣ちゃんどうしたのです?」

 

「ブッキー!スケッチブックじゃなくて、もっと良いものにしようよ!」

 

「ハイ、ソウデスネ」

 

「あっ、壊れかけてますね。それより、もっといいものって何ですか?」

 

「よっし、4人とも外に行こう!あとご主人様も呼んでこなくっちゃ!!」

 にやりと笑って五月雨と電に荷物を下ろすように促すと、軽く背中を叩いた。

 ひとりでに走り出した漣の後を追うようにして、2人も飛び出していく。頭に手を当てて悩ましい表情を浮かべた叢雲も、もう諦めたというような溜息を吐いて吹雪に手を差し伸べて、そのまま引っ張って連れて行った。

 

 

「俺に写真を撮れと……お前ら他所でも上司をこんな風に扱うんじゃねーぞ。俺が疑われる」

 それで5人が集まったのは、鎮守府の玄関口。「横須賀鎮守府」と大きく刻印された表札の隣にみんなで身体を寄せ合っていた。やや嫌々そうな叢雲は、吹雪が肩を掴んで強制的に寄せていた。

 笑顔ではあるが眉をぴくぴくと動かしながら、携帯端末のカメラを起動して構えているのは御雲。

 なぜか多忙のはずなのに、部下であるはずの艦娘たちに良いように使われている気がして、妙に癪に障っていた。

 

「ほらほら!ご主人様早く早くぅー!!」

 

「ごちゃごちゃ言ってないで早く撮りなさい!」

 

「はいはい。じゃあ撮るぞー、笑えー」

 もうこの際立場は忘れた方が気が楽だろうと、御雲のやや乗り気で彼女たちに呼びかける。

 カシャリと音を立ててシャッターが下りた。彼女たちを中心に、「横須賀鎮守府」の表札が大きく入った集合写真が撮れていた。

 

「じゃあ、ご主人様の執務室のプリンター借りるよ~!」

 漣は端末を御雲から受け取ると、また駆けだした。

 その後を走って追う4人の後を、何事だと御雲も歩いて追いかけていった。

 

 そして執務室に付くと、端末をプリンターに繋いでいる漣がいた。操作画面をちょっとだけ険しい表情を浮かべながら操作している。

 何をしているのかと、4人は肩越しに覗き込んでいた。御雲はデスクに腰を下ろし、資料に目を通しながら横目で彼女たちの様子を窺っていた。

 

「これをこうして……ほい!」

 プリンターがガシャンガシャンと音を立てて、妙にゆっくりと印刷を始める。

 少し時間がかかって、綺麗な写真が1枚出てきて、漣はそれを手に取ると、秘書艦の机に座ってポケットからペンを取り出した。

 

「あら、そう言うことね……」

 

「なるほど~、漣ちゃん少しおしゃれですね」

 

「きっと一生の宝物になるのです!」

 

「えへへ、よく映画とかであるじゃん?写真の裏に名前を持ってずっと持ってるの、あれを真似してみました!」

 写真の裏にペンを走らせていく。

 やや字の形を崩して、可愛らしくハートやウサギなどを混ぜたサインは漣。

 お手本のように、止め跳ね払いまで綺麗に形を整えた文字のサインは五月雨。

 気持ち大きめに書いたが少し角が丸くなってそこに愛嬌を感じさせるのは電。

 画数が多いのも相まって無駄に達筆さで文字にさえ威圧感を感じさせるのが叢雲。

 

 表に在りし日の5人の姿。裏には彼女たちが生きていた紛れもない証。

 

「はい!これでおk?」

 発案した漣が代表して吹雪に差し出した。

 先程までの勢いはどうしたのか、少しおろおろとしながら吹雪は両手で受け取ると、じっと見て目尻に涙を浮かべた。

 

「わぁ……みんなありがとう!!大事にするね!!私の机にずっと飾ってる!!」

 胸に抱きしめるように寄せて、その表情に笑顔が咲く。

 釣られて他の者たちも、各々に笑みを浮かべてしまった。 

 

「なんだ。そういうことか。漣、A3サイズで1枚プリントしとけ。執務室に飾っとくから」

 その様子を少し離れた場所から見ていた御雲が漣にそう指示した。

 せっかくの良い雰囲気だったのを邪魔された、と言うかのような苦い表情をして、じと目で御雲を見ると、

 

「えっ……なんか気持ち悪いです。漣たちの写真を自分の目の届くところに置いておくとか」

 あからさまに気持ち悪いものを見るかのような素振を合わせてそう言った。

 

「喧嘩売ってんのか?」

 

「冗談ですよ、ご主人様。お詫びに漣のサイン入れといてあげますから」

 ケロッと表情を変えて、プリンターを操作する。またガッガッガッなどと音を立てて大きめの写真が印刷された。A3サイズになるとかなり大きいため、なんとなく隙間が気になった漣は勝手にペンを走らせた。

 

「じゃあ、私のも!」

 

「電も書くのです!」

 

「……吹雪、あんたも書きなさい」

 

「う、うん!ふふふ♪」

 

 こうして、5人のサイン入りの写真が額縁に入れられて飾られることになる。

 厳格な雰囲気の執務室には、やや似合わない雰囲気の1枚ではあるが、吹雪が大事に胸に抱いている写真の同様に、彼女たちにとって大切なものとなっていくことになる。

 

 

 そして、翌日。少し広くなった部屋。その窓から見下ろす港に並ぶ3人の少女。

 それを見つめる2人の少女。その前に立つ1人の青年。 

 

「駆逐艦《漣》、《五月雨》、《電》。以上3名を呉、舞鶴、佐世保の初期艦に任命する。初期艦の責務を存分に果たし、我々人類の勝利に貢献せよ」

 

「「「はいっ!!!」」」

 誰ひとりの目にも恐れはなかった。躊躇いや未練もなかった。

 

「じゃあ、後は任せてある者たちに従って移動してくれ。お前たち個人個人の活躍をこの地この海より期待している」

 輸送機が飛び、近くの航空基地から護衛戦闘機が彼女たちを守るように飛び立った。

 やや大袈裟かもしれないがそれほどに彼女たちには期待が寄せられているということを証明している。

 その姿が見えなくなるまで目で追った後、御雲はゆっくりと口を開いた。

 

「――――では、吹雪、叢雲。俺たちは別の場所に向かうとするか」

 

「……はい」

 先程までの別れを惜しむ雰囲気も一転して、吹雪の表情に緊張が張り詰める。

 側にいた叢雲も、殺気を目に宿らせて吹雪の側に付く。

 

「大丈夫よ。万が一の時は私は護るから」

 

「正直のところ、俺もあまり赴きたい場所ではないがな。上層部の奴らと顔合わせすると寿命が縮む」

 黒塗りの車に乗り込む御雲の表情も誤魔化しているが苦いものだった。

 

「そんなの私もよ。ここから離れられるならどこにでも配属されてもいいわ……」

 

「だ、大丈夫かなぁ……?」

 誰ひとり不安を抱いていない者はいなかった。

 不穏な空気に包まれる車内の中であったが、彼女たちの意思とは関係なく、車は海軍大本営へと向かっていった。

 

 

 

 

 




 恐らく、明日明後日にはこの章をさっさと終わらせまーす(多分)


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小さな反逆、大きな変化

イベントのことを完全に忘れていた


 なにか変わったのかと言えば、私は艦娘になってしまったことくらいだろう。

 私はずっと彼女たちに憧れていた。恐らく、同世代の子たちの中では最も艦娘という存在を愛していただろうと自負しているほどに、彼女たちを尊敬し、そんな存在になりたいと夢に見ていた。

 

 そんな私が愛する者を奪われようとしていた時に、私の前に妖精が舞い降りた。

 多くの葛藤があった。私にとって艦娘とは高嶺の花のような、ずっと高いところに在って私なんかが踏み入れていい領域に存在しているものではない。宗教で言うならばいわば彼女たちは神でしかなかった。私にとっての彼女たちと言う認識はそれに近かったのかもしれない。

 死の恐怖があった。それ以上に、守りたいものを奪われる恐怖があった。

 私を奮い立たせたのは、紛れもなく私の中にある誰かの存在、そして憧れへの強い羨望だった。

 

 そんな憧れに、私は追いついた。

 

 私の最も大きい変化。そして、この世界の大きな変化。

 

 よくテレビで聞く「1秒間にテニスコートひとつ分」だとか。

 そんな漠然とした単位でもいい。いったいこの海はどれほどの速度で深海棲艦に奪われていっているのか。どれほどの速度で自由と平和が奪われていっているのか。

 この世界は人知の及ばない力で大きく変わっていく。終わったはずの戦いが再び私たちの時代に訪れた。

 

 そして、そんな時代に立たされている私は今。

 艦娘記念館で頭を膝に埋めて苦労していたときのように、人生の大きな分岐点に立たされたあの瞬間のように、いやあの時以上に。

 

 悩んでいたのだ。

 知っているが為に、過去にこの世界を救った者たちがいることを知っているが為に。

 その憧れの存在たちと同じ土俵に立たされて、やるべきことも明確になって、使命とか記憶とかいろんなものがごちゃ混ぜになってしまっているこの状況で。

 憧れというものが大きすぎるほど、彼女たちが辿った道を進もうとすることは苦しくなる。

 道半ばで彼女たちに追いつくカギを手に入れたが、残りの道はずっと厳しくて。それでも追い風が私の背中を押していたのだ。だから私はその道でさえも進むことができた。

 

 鍵を使って開いた扉の先に、天に届くほど高く聳える塔があった。

 私の知らない歴史の事実がそこにはあり、私は思わず膝を突いた。

 その頂上に辿り着けない限り私は永遠に苦しみ続けるだろう。

 

 あの戦いは結局は償いでしかなかったのだ。

 そう気付かされた時に、この戦いに身を置く私でさえ、まるで過去の償いの為に戦っているようで馬鹿馬鹿しく思えてきた。

 

 

「右舷、駆逐ロ級2隻急速接近!!」

 

「…………」

 

「――――砲戦用意!さっさと沈めるわよ!!」

 

 艦娘の原動力。そんなことについて話したことがあった気がするなぁ。

 祈りとか、願いとか、そんなの。

 

「み、右舷さらに敵艦出現!重巡リ級elite、軽巡ホflagship級、ト級elite!!!単縦にて接近!!」

 

「あー、今日の敵はやけに多いな!腕が鳴るぜ!!」

 

 それで、深海棲艦にあるのは負の感情。艦娘が持つのは正の感情。

 相反する魂を持つ者同士だからこそ戦うことができる。ある意味、大衆に向ける言葉としては十分なのだろう。

 だが、正直言って滑稽だ。こんなお伽噺のような言葉に艦娘への信頼を扇動される者も。

 

「やだ……数多い、逃げよう。帰って寝たい」

 

「だ、ダメですよぉ!!ほら、頑張りましょう!!」

 

「吹雪っ、そっちから2隻来るわよ!!」

 

「…………」

 

「吹雪?」

 

 戦う理由を失ったわけじゃない。私が戦う理由にそんなものは関係ない。

 しかし、私と言うひとりの元人間が今に至るまでの間、そこには少なからず私が信じ続けてきた理想があったはずなのだ。

 つまるところ、艦娘史でさえ他の歴史と何ら変わりはない。

 脚色されて誇張されて、聞こえの良いように作り替えられたものが後世に伝わっていくのだろう。これは一種の歴史の定めだ。そのまま、未来に伝えることができないものなんていくらでも存在してきたのだ。

 

 それで?

 それを知って今更私はどうする? 

 

「―――――吹雪っ!!」

 

「吹雪ちゃん!前に出すぎです!!」 

 

 一度私は戦っているのだ。

 私の信じた彼女たちの姿を、それを否定する存在と。

 奇しくもそれは私のよく知った顔だった。

 

 あの後少しだけ考えた。

 例えば、彼女を動かしていたものが憎しみだったとしたら。自身が背負ったものへの大きな憎しみ。背負わされてしまった宿命とその身に余りすぎる力。

 

 彼女は「自分こそが艦娘だ」と叫んだ。

 あれはもしかしたら、その通りだったのかもしれない。

 

 そして、あの海の色さえ、血の色さえ、見える世界の色さえも変えてしまう強い感情は、彼女を彼女じゃなくしてしまう。そんな瀬戸際で私は戦っていたのだと思う。

 

 こんなこと考えたくはないのだが。

 もしあの場所に私がいなかったらあんなことは起こらなかったのだろうが……。

 もし、あの場所に私がいなかったら、彼女はあの黒く渦巻く感情に心も体も支配されてしまっていたのではないか。

 

 それは、きっと深海棲艦になることだと思う。

 

 『そんなのは嫌だ。私の大切な人がそんな存在になるのは嫌だ』

 ただ、それだけだったのかもしれない。

 きっと、それがあの時の私を奮い立たせていた理由だったのかもしれない。

 

「吹雪……ッ!!」

 だからこそ、きっと私は信じ続けなければいけないのだろう。

 どれだけ過去を嘆こうとも、どれだけ未来に絶望しようとも、そのお伽噺に騙されていると今は思っていたとしても。

 

「――――――――――――――――――ッ!」

 

 それは、紛れもなく私の原点なのだから。

 彼女たちへの憧れこそが、彼女たちの心や想いこそが、今の私を私たらしめているのだ。

 馬鹿と呼ばれようとも良い。単純だとも、間抜けだとも呼ばれてもいい。

 

 

「さぁ、先を急ごう……」

 

 私はお伽噺を語り続けよう。

 たとえ、歴史とどれだけ食い違っていようとも。

 彼女たちの記憶や想いがそこになかったとしても。

 彼女たちの存在を語る全ての物語には、きっとそれがあったはずなのだ。

 

 信じる神すら失い、幼き少女たちに縋るしかない希望の失われた世界で、女神の如く人類を護る彼女に行き場のない想いを預けたのだと。

 

「えぇ、そうね。こんなところで止まってる暇はないわよ」

 

 私はそう宣言したのだ。全てを失い狂う親友に楯突いたときに。彼女の間違いを私の中の正しさで打ち破った時のように。それが彼女にとって救いであったのか、それは今はどうでもいいのだ。

 大切な者に言い放って見せたのだ。一時はそれで彼女を打ち破ったのだ。あの時紛れもなくそれは私の信条であり、実力で到底敵わない彼女に打ち勝てる唯一の武器だったのだ。

 今更放り捨てる訳にはいかない。

 

 どれだけ否定されようとも私は私の信じたものを貫き通す。

 だからこそ、何度でも言う。

 

 

 そこに、願いはあったのだと。

 そこに、祈りはあったのだと。  

 

 その時代に、彼女たちは立っていたのだと。

 この時代に、私たちは立っているのだと。

 

 

 

       *

 

 

 

 北方海域は少し気温が低いように思えるが、時期が時期だけに寒いと感じるほどではなかった。

 ただ、やはり海の上は少し肌寒く感じて、タイツでも履きたくなるなどと思いながらちらりと隣に目をやった。

 

「……何?」

 

「何でも。まだ怒ってるの?」

 

「はぁ、正直どうでもいいわ。終わったことだし」

 

「じゃあ、なんでむすっとしてるの?怖い顔してるよ」

 

「だったら、私は元からこんな顔よ。それより少し船速を抑えるわよ。深雪と磯波が遅れ始めてるわ」

 

「……そうだね。周囲に敵影はないし、少しだけ休憩しよっか」

 

 今回は北方海域の偵察任務だった。実際のところは威力偵察に近いのだが。

 四方八方が海である日本は、深海棲艦の発生と同時に窮地に立たされることになる。

 常に深海棲艦に囲まれているような状況だからだ。事実、深海棲艦の勢力の拡大は異様に早い。

 

 だからこそ、安全圏を確立する必要があり、欠かさずに哨戒任務を行う必要が出てくる。

 ただ、今の時代は航空機の発達もあり、艦娘が毎日遠出して見回る必要もなくなった。今回は航空防衛軍から敵勢力が集結し始めているとの情報から偵察任務を行うことになった。可能ならば、敵勢力に損害を与えることも。

 

「単冠湾泊地と幌筵泊地を経由して、北海の哨戒、敵艦隊への偵察任務を行え」

 各泊地には海軍の艦艇と航空防衛軍の輸送機があり、そこで補給と簡単な整備を行えるようになっていた。整備は主に各自でやることになったが。

 

 初めての遠征任務であり、敵に殴り込み、どれだけの力があるのか確かめる威力偵察。

 案の定、「浸蝕域」に足を踏み入れた瞬間襲ってきた。

 

 ここ最近の出来事で少しだけ私は不安定だった。やさぐれている自覚が少しだけある。

 そのせいか叢雲ちゃんの半ば監視に近い視線を良く感じる。本人は心配してくれているのだろうが、ちょっと怖い。

 私の姉妹艦と呼ばれる子たちもたくさん着任した。

 白雪ちゃん、初雪ちゃん、深雪ちゃん、磯波ちゃんの4人だ。最初にこの4人が着任して、その後に軽巡の方が2人、重巡の方が1人、軽空母の方が1人、と次々と艦娘が増えていった。

 

 そんな彼女たちからよく「怖い」と言われるのが私だ。

 理由はなにか達観しすぎていて、普段と海の上でのギャップが大きくて、少し常識はずれしていて、などなど。

 彼女たちにとって私は少し感性が違うのか、やっぱりちょっとおかしく見えるらしい。

 

 あまりこういうことを言いたくないのだが、私が人間生まれだからこういった違いもあるのだろう。私が生まれてきてからずっと積み上げてきた経験や、送ってきた日常、その中で積み上げられてきた常識や価値観は、明らかに戦時を生き抜いてきた魂の宿る彼女たちとは違ってくる。

 

 

 命に対する考えも、戦いに対する熱意も、夢に対する熱情も、何もかもが違う。

 

 

 そんな違いがあるのは私自身理解していた。私の中にもあるからだ、船の魂が。

 

 軽巡の方に言われた。

 私は少し激しすぎるらしい。まるで生き急いでいるように見えるらしい。

 何かに焦っているのか。それは自分でもわからないけど、無力だった頃の私が一度深海棲艦に襲われて、その無力さを呪った。心のどこかでひたすらにあの時刻み込まれた遺伝子的な恐怖を振り切れるだけの力を欲しているのかもしれない。

 

 

 かもしれない、だけど。

 

 

 ロ級に砲撃を叩き込み、叢雲ちゃんの砲撃が当たったと急に魚雷を叩き込み、そのままリ級にも砲弾と魚雷を叩き込んでやった。ホ級は砲撃を外してしまったが、5人の一斉砲火であっという間に沈んでいった。

 こんな相手にそんなに時間はかけていられなかった。

 私はいつかもっと大きなものと戦うような予感がしていた。嫌な予感だった。

 

 とにかく先を急いだ。

 今私たちに求められているのは速さだ。どれだけ速く自分たちが置かれている状況を把握し、対処できるかどうかを問う速さが必要だ。

 軽巡ホ級flagship、軽巡ホ級elite、軽巡ヘ級elite、駆逐ロ級elite、駆逐イ級elite、駆逐イ級elite、などなどなど。

 

 elite級以上の艦で編成された敵の哨戒部隊が何度も私たちの前に現れた。

 それを全て一瞬で蹴散らして、寂れた北の海をただひたすらに進み続けた。

 

 電探が嫌な気配を捉えた。私の感覚が一気に海の上を駆けて張り巡らされていく。

 叢雲ちゃんに合図をした。すぐに近くの岩礁地帯を見つけて隠れると他の子たちに索敵警戒を任せて、私たちは本隊の観測を始めた。

 

「……それで?」

 私は叢雲ちゃんに問いかけた。額から汗が流れ落ちる。

 

「厄介なことになったわね……」 

 さっきから私の電探にも反応がたくさんあった。奥に大規模な艦隊が待ち構えている。

 双眼鏡を取り出して、目視で海を確認する。

 近くに潜望鏡はない。偵察機も飛んでいない。だが、ずっと奥に大きな影がいくつも並んでいる。

 

「白雪ちゃん!初雪ちゃん!そっちは?」

 後方で散開して索敵を行っている4人。そのうちの左後方側に展開していた2人に無線で声をかける。

 

「こっちは大丈夫です。空に偵察機が飛んでいる影も今のところありません」

 

「多分、大丈夫……」

 

「深雪ちゃん、磯波ちゃん!そっちはどう?」

 今度は右後方。

 

「はい……こちらも大丈夫だと思います……あっ」

 跳ねるような彼女の声に無線を耳に押し込んだ。

 

「えっ?どうしたの?」

 

「おーっと、敵が来やがったぜ!1、2、3、4、5……6隻だな!」

 ザァァァ、っと急いで移動する音に紛れて、深雪ちゃんのどこか楽しそうな声が耳に入ってくる。

 

「あの形、多分ワ級です。補給物資の輸送部隊だと思います」

 磯波ちゃん側からの情報が入り、私は叢雲ちゃんと顔を見合わせた。

 

「白雪ちゃんと初雪ちゃんも戻ってきて……どうする、叢雲ちゃん?」

 

「この戦力で本隊に殴り込むのは馬鹿のやることよ。やることは決まってるわ」

 

「わかった……磯波ちゃん、あの部隊が来た方角記録しておいてね」

 

「は、はい!」

 

 私の視界にも輸送部隊が入る。ワ級は資料でしか見たことがなかったが、なるほど。

 タンクのような、コンテナのような、そんなお腹をしている。

 あんな感じで物資を運んで浸蝕域を広げていくのか。

 

 

 

「――――みんな、あの部隊だけでも叩くよ」

 岩礁地帯からゆっくりと抜け出すと、比較的低速で輸送部隊がやや遠方を通り過ぎていく。

 

「陣形、単縦陣!両舷最大戦速!」

 先頭に立つ叢雲ちゃんの声が静かな海に響いた。

 

「魚雷をいつでも撃てる準備をしておきなさい!突っ込むわよ!!」

 別に比喩でも何でもない。そのままの意味だ。

 

 私たちはまっすぐ、槍のように、輸送部隊の横っ腹を抉るように突っ込んでいった。

 駆逐艦の高速性を活かし、敵が対処してくる暇すら与えずに、照準を合わせる時間すら与えずに。

 

 当然、敵艦隊は逃げようとする。本隊の方へと。そこに行けば戦艦に空母といった戦力が待ち構えているからだ。そこまで逃げられれば私たちの負けだ。

 

 同航戦。

 進む向きを合わせた状態で砲撃戦から始まった。

 

「他の艦はいい!ワ級だけ狙って!!」

 

「チッ……邪魔よ!沈め!!」

 私と叢雲ちゃんは随伴艦を狙う。邪魔な壁はそこそこの力を持った深海棲艦で固められている。

 それを排除すれば、あとは撃ち込めば爆発する弾薬庫が裸のまま泳いでるようなものだ。

 

「初雪さん!ちゃんと構えてください!こちらの弾幕が薄くなりすぎてますよ!」

 

「やだぁ……おうち帰るぅ……」

 

「特型駆逐艦の名が泣きますよ!よく狙って……撃ち方始め!!」

 今にも泣きだしそうな初雪ちゃんを鬼のような形相で叱責する白雪ちゃん。

 あのさ、白雪ちゃん。

 『海の上に立つと吹雪ちゃんは人が変わりますね?』って言うけど君も大概だよ?

 

「よぉし!もういっちょ~!磯波ぃ!もっと気合い入れろぉ!!」

 

「ごめんなさいぃぃ!ていっ!当たって!当たってぇ!!」

 

「……あれ?なんか飛んでいったか?まぁいいや!!当ったれーい!」

 白い歯を出して大笑いしながら砲撃する深雪ちゃんと、こちらもまた泣きそうな磯波ちゃん。

 深雪ちゃん。被弾してるの気付いて。笑ってる場合じゃない。

 磯波ちゃん。前見て。あっ、ワ級に当たった。

 

 

「よしっ、魚雷戦用意!!」

 砲撃が止み、海上に炎が広がる。

 散らばる鉄の残骸と漏れ出した燃料に引火して文字通りの火の海になる。

 

 混乱と動揺、それに勝る彼女たちの負の感情は動けない身体になっても真っすぐに私たちを睨んでいた。

 

 ちょうどいい。その視線を辿ってぶち抜いてやる。

 

「あれぇ!?魚雷管が片方ねえ!!」

 

「あ、あのぉ……さっき飛んでいきましたよ?」

 

「マジか、磯波!まぁ、いいや!!」

 

「……深雪、帰ったら懲罰ね」

 

「アハハ。ほどほどにね、よしっ、魚雷発射!!」

 

 片方の魚雷管から4本の酸素魚雷を放つ。

 散らばったワ級や海上に浮かぶ残骸に当たり、まるでプログラムされて連鎖的に爆発するかのように海面が跳ね上がっていった。

 

 炎の中で崩れゆくワ級の大きな腹部に引火して膨れ上がって破裂する。

 中に蓄えていた燃料や弾薬に一気に火が付いたのだろう。今まで見た深海棲艦の最期よりずっと炎が多くて煙よりも炎の柱が立っていた。

 

「――――斉Z!!急いで!!」

 

 爆発から数秒置いて叢雲ちゃんが横に右手を広げて叫んだ。

 遠くの空に黒い点々が広がる。静かな海だ。耳を澄ませば、虫の羽音のようなエンジン音が聞こえて来そうだった。

 

「全艦転身!!最大戦速で泊地まで帰還して!!」

 私もそう叫んだ。4人はコクリと頷いて一気に離れていく。

 

「吹雪っ!!あんたが嚮導しなさい!!」

 叢雲ちゃんの声に4人の後を追おうと思っていた私は振り返った。

 

 どうして彼女はまだ向こうを見ているのか。

 後姿からはっきりとわかる。彼女はかだここで戦うつもりだ。

 

「……白雪ちゃん。泊地まで嚮導任せるね」

 

「ふ、吹雪ちゃん!?何のつもりですか!」 

 

「ちょっと馬鹿に付き合ってくる」

 もう一度転身して私は彼女の横まで進むと、あからさまに不機嫌そうな顔を見せてやった。

 

 

「この戦力で本隊に殴り込むのは馬鹿のやること、じゃなかったの?」

 

「どこかの馬鹿が移ったのよ……嘘よ、少し教え込んどいた方がいいと思って」

 

「教え込むって、何を……?」

 そう尋ねると、彼女は笑った。珍しく、得意げに、ちょっと彼女には似合わない無邪気ささえ感じる笑顔で。

 

 

「此の時代に艦娘在り、ってことをね」

 

「……ふふっ、なるほどね。付き合うよ」

 

 このまま帰れば、一度相手の補給線を叩いただけで終わりになる。

 せっかくならば、知らしめておこうという訳だ。

 この時代の、この国に、この海に、あなたたちの脅威になり得る存在がいるということを。

 ちょっと気取ってるような感じもするが、面白い。

 

「戦艦ル級flagshipに、eliteが2隻。ヲ級flagshipに、ヌ級eliteが3隻……」

 

「まともにやり合えば一瞬ね、まともにやり合うつもりなんてないけど」

 

「……魚雷、重いね。全部叩き込んで帰ろうか?軽くなって足も速くなる」

 

「乗ったわ。でも、魚雷の射程に入る前に戦艦と爆撃機が来るわよ?」

 

「いつものことだよ」

 私のやり方は変わらない。学ぶことができない。船の戦い方というものを理解しても、その通りに戦えと言われて簡単に動く身体じゃない。

 だから、いつも通りだ。

 

「はいはい、まーた馬鹿のひとつ覚えで突っ込んでいくのね。本当に死ぬわよ?」

 敵機の偵察機が頭上を翔けて行った。

 私の主砲は狼煙を上げるかのように、その偵察機を撃ち抜いた。

 

「常に死の瀬戸際で戦うのが駆逐艦だってさ。誰かがそんなこと言ってた気がする」

 

「はぁ……仕方ないわね。行くわよっ!」

 

「うん!」

 

 第1波は爆撃機の嵐だった。すぐ隣の海が爆発していく。海面というものが消えて、水柱が幾本も立って視界はほとんど白に染まる。

 第2波は戦艦の砲撃の嵐だった。至近弾と呼べないような場所に着弾しても、空気を圧縮して飛んでくる鉄の弾の轟音は、海面にぶつかると同時に衝撃を足下に伝えてきた。

 

 海の下で幾度となく何かが爆発するような感覚は地震に似ている。

 

「もう無理よ!!これ以上近付くと本当に沈むわよ!!」

 

「じゃあ、ここでいい!!全部ばらまけぇぇえ!!」

 

 アドレナリンでも出ていたのだろうか?

 死が隣に立っているかのようなこの状況下で私は恐らくハイになっていた。

 

 文字通り全部ばらまいた。魚雷管に装填していたものも、爆弾を避けながら再装填したものも全部ばらまいた。

 装填する以上、地獄のような場所で敵の攻撃を長時間避け続けなければいけないと言う生き地獄を味わったので、多分こんなことは2度としないと思う。

 

 足を止めれば間違いなく死ぬし、一瞬でも気を緩めれば首にかかった大鎌が思いっ切り引かれることになる。

 魚雷が当たったかどうかなんて見てなかった。

 

「叢雲ちゃん!もう終わった!!」

 

「終わったわ!逃げるわよ!!!」

 

「逃げれると思う?」

 

「逃げるのよ!!!」

 

 私が魚雷を全弾撃ち尽くしたのとほとんど変わらないタイミングで叢雲ちゃんも撃ち尽くしたらしい。

 逃がしてもらえるような状況とは思わなかったが、とにかく戦線離脱に全力を注いだ。

 

 すると、追撃はそれほどなかったのだ。

 何かいい方向に事が動いていたのかもしれない。

 

 私が中破一歩手前の小破状態、叢雲ちゃんは小破止まりだった。

 

 機関が爆発するんじゃないかと思うくらいの速度で逃げ出して落ち着いたところで両舷微速にまで速度を落とした。

 そして、吐いた。海に思いっ切りぶちまけて、しばらく呼吸がおかしかった。

 

「……どう?」

 口を海水で濯いだ。少し口の中を切っていたので染みたが、吐瀉物を洗い流したかった。 

 

「どう、って何がよ?」

 

「成功したかな?」

 

「知らないわよ。いちいち確認してる余裕なんてなかったわよ」

 

「じゃあ、ダメじゃん」

 

「いいんじゃない?こんだけ派手に暴れた駆逐艦が2匹、人間側にいると分からせれば十分よ」

 

「……はぁ~、夜戦でもないのになんでこんなことしてるんだろう?」

 

「ホント……ふふっ」

 

「クスッ……アハハハハッ!!」

 なぜか笑えてきた。なんでこんな馬鹿なことやったんだろうって。

 初めての遠征任務で、しかも結構重要な任務だったはずなのに。

 更には、これを思いついたのは叢雲ちゃんだ。こんなことを叢雲ちゃんが思いついたという事実だけで、もう笑えてきた。

 こんな子どもじみた悪戯みたいなことを。

 

「さて、さっさと帰りましょ。敵に見つかったら燃料が切れるわ」

 

「そうだね。まぁ、一応成果はあったし」

 

 薄暗くなった空の下を少し速度を落として帰った。

 空を流れていく雲を何気なく見上げていた時に、私は何か深く悩んでいたような気がした。

 そして、思い出した。

 思い出すと、さっきまでの行動が本当におかしく思えてきた。こんなに真剣に悩んでいたのに、馬鹿馬鹿しいことをよくもやってみせたものだと。

 

 願いに、祈り。確かにあるのだろう。

 私はそれこそが私たちの原動力だと信じ続けなければいけないのだろう。

 譲る気はない。何かに媚びるつもりもない。

 駆逐艦だからと、元人間だからと、そんなものを言い訳にするつもりはない。

 

 いつかもう一度知らしめる必要がある。

 その感情で動いている私たちがこの海を守っているのだと。

 深海棲艦はきっとこのことを恐れるだろう。恐れた分だけ力を付けてやってくるだろう。

 そして、いつの日か真っ向から私に向かってくる強大な何かと私はぶつかることになるのだろう。

 

 でも、何とかなりそうな気がする。根拠はないけど。

 

 幌筵泊地に帰り着くと思いっ切り怒られた。白雪ちゃんにびっくりするくらい怒られた。

 私も叢雲ちゃんも晩御飯抜きになった。本当に辛かった、本当に。

 こうして初の遠征任務は終わり、敵勢力の偵察任務も終わった。

 

 何より大きい成果があった。敵の補給線の大きな見積もりができたのだ。

 

 

 

 

「なるほどな。確かにこれは大きな成果だ、ちょうどいい」

 司令官はそう言うと、携帯端末を執務机の上に置く。立体映像のコンソールとディスプレイが展開され、この鎮守府の情報が一気に羅列していく。

 それを見ると私たちがいなかった間に、新たに着任した艦娘がいたらしい。

 その艦種を見て、私の心は跳ね上がった。

 

「それなりに戦力も整ってきた。《霧島》、《扶桑》、《飛龍》の建造にも成功し、ちょうどいい頃合いだろう」

 

「こっちから叩きに行くのね?敵の補給線……いいえ、補給基地といったところかしら?」

 

「……わぁい、戦艦だぁ、正規空母だぁ」

 隣で叢雲ちゃんと司令官が真面目な話をしている中、私は恐らくトリップしていた。

 

「どこかの無人島を乗っ取っているはずだ。陸上型も存在しているだろう」

 

「対陸上兵装は整っているの?」

 

「大急ぎで用意する必要がある。それと、大本営に作戦案を送ろう。鏡参謀に目を通してもらった方が確かだ」

 コンソールを操作して、一気に艦娘のリストから名前を引き抜いていく。

 そして、海図を引張り出すと、今回のデータを元に敵泊地の見積もりがされていった。

 最適な航路、必要な兵装、後方支援、ありとあらゆるデータを羅列していき、資料が完成していく。

 

 

「さて、こちらからお邪魔することにしよう」

 司令官が久し振りに悪い笑みを浮かべていた。

 恐らくこれがこの人の本性なのだろう。

 

 簡単に言えば、多分ドSだ。

 

「徹底的に焼き尽くしてやる……」

 

 

 

 

 

 




 お目を通していただきありがとうございます。
 絶賛イベント中です。堀をしながらつらつらと駄文を書き進めていきましたが、今回の話が描き終わるまでに、目当ての艦は出てきませんでした。

 さて、ちょっと予定が狂いましたが、あと二話でこの章も終わりです。
 ようやく、この章の冒頭に戻ります。どんな始まり方だったか忘れた人は是非プロローグあたりにお目をお通しください。


 次話ではいろんな形での「再会」が中心です。


 では、今後ともよろしくお願いします。


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再会

 終わらないなぁ・・・


 

 

 横須賀鎮守府の裏門から数台の装甲車が到着する。

 その後を追うようにトレーラーを牽引した車両も続々と入ってきた。

 降りてきた者たちは素早く積み荷を降ろし、乗っていた少女たちはそれに着いていく。

 最後に降りてきた男は深く溜息を吐きながら、蒸し暑かった車内に酷く不機嫌そうな表情をして、足元に唾を吐いた。

 

「うるせえ……蠅でも飛んでんのか」

 

 本日の横須賀鎮守府はお祭り騒ぎだ。いや、そう思うのも無理はないのだろう。

 

 今日、この場所ではお祭りがあっているのだ。祭りと言うほどでもないが、ちょっとしたイベントと言ったものか。

 横須賀鎮守府の一部施設が公開されて、多くの一般市民が内部に入れるようになっていた。その中に混じるように政府重役や軍部の上層部、ありとあやゆる分野の大企業のトップなどVIPと呼ばれるような人間もいた。

 

 そんな喧噪の空気の中、多数の少女たちを引き連れた男が工廠の方から苛立った表情をして歩いてきた。

 

(……御雲殺す御雲殺す御雲殺す御雲殺す)

 男は心の中でずっと呪詛を吐き続けていた。

 短く切り揃えた清潔感のある頭に、眼帯を付けたこの男は佐世保鎮守府の提督である。

 名前は、天霧 辰虎(そらきり たつとら)。階級は特務中佐。

 類稀なる剣の達人にして、西海を護る狩人。

 そして大の子ども嫌いである。

 

 そんな彼の下にも、ついに空母が着任した。報告を受けた彼は大喜びした。

 しかし、その喜びも束の間。

 空母ではあった。見た目はほとんど駆逐艦と変わらなかった。

 変な関西弁を話す赤い陰陽師じみた装束の少女と、白い弓道着に下には袴ではなくもんぺのようなものを身に付けた空母。

 まぁ、何と言うかちんまりしていた。2人は軽空母だと言う。

 

 航空駆逐艦、とか口走ったら爆撃された。

 

 と言った感じに、子どもが苦手な男の下に子どもの姿をした艦娘ばかりが集まる。

 唯一、見た目高校生くらいの軽巡洋艦娘は、語尾にクマクマいう際物だ。

 

 建造レシピは間違っていないはずだった。全て大本営から指示された通りに行った。

 こういった結果になった以上、誰かが手を引いているに違いない。

 

 例えば、大本営のお膝下にある鎮守府の提督とか。

 海軍のトップで防衛大臣を親に持つ提督とか。

 天霧を佐世保の鎮守府に押し込んだ男とか。

 

(御雲殺すッッッ!!!)

 見当違い過ぎてほぼほぼ八つ当たりではあったが、天霧にとって元々、御雲 月影という男は顔を合わせれば殴りかかるような、打ち倒すべき存在なのだ。

 

「球磨お姉さん。どうして提督は気持ち悪い顔してるにゃしい?」

 

「見ちゃダメクマ。頭がおかしくなるクマよ」

 

「おい、聞こえてんぞ。クソガキども……ん?」

 背後でうだうだ言っている艦娘たちにげんこつの一発でもお見舞いしてやろうかと思ったが、ふと視界の隅に見慣れた顔が入った。

 

 

 

 

「はっはっは、お若いのにご立派だ」

 近くに黒服の男がたくさんいるが、それも気に留めずにグラス片手に大声で笑う男。

 知らぬはずもない。この男、この国の首都を預けられた男だ。

 仲園 啓吾(なかぞの けいご)東京都知事。

 小太り禿げ頭白い髭に気前のいい性格、そしてどこか愛嬌のある笑顔。

 柔を感じさせる井出達の裏側でとんでもない策士。政界に蔓延った不正と言う不正を全て叩き出し、更には停滞していた事業や計画を全て満足いく形で終わらせ、一気に都民の信頼を勝ち得た切れ者だ。

 

「いえいえ、若輩者であります故に至らぬ点も多くご迷惑をおかけすることもしばしば。国防と言う大きな使命を背負う以上、早く若さというものも切り捨てねばと」

 その正面で、随分と若い軍服姿の男が側に1人艦娘を置いて話し相手となっていた。

 

「何を言う。若さとはそうそう捨ててよいものではないよ。若さ故の過ち、大いに結構。君に必要なのは早すぎる成長ではない。若さ故の過ちを犯してもそれを救ってくれる友と部下の存在だ」

 

「それは……都知事殿の経験則でしょうか?」

 

「うむ、経験則でもあり、王道と言ったものだ。若くして才覚を見せた者には共通して優秀な友がいる。または愛する者が。その友を愛すること、愛する者を信頼すること。それが君には必要だ」

 

「なるほど。勉強させていただきます」

 

「はっはっは、大いに学び給え。今日ここに来ている者たちは別に冷やかしに来ているのではない。君に対する期待を測りに来ているのだ。そこで君はもっと知ることになる。この時代に、大きなものの上に立たされた自分に向けられる目と、それに答えるために必要な技を」

 

「はい、そのつもりでご挨拶させていただきます」

 男が深くお辞儀をしたとき、彼らの横からややわざとらしくカツンと、足音を鳴らして男が近づいてきた。黒服のボディガードに止められていたが、少し話すと道を開けた。

 

 

「失礼。仲園東京都知事とお見受けします」

 まさしく横槍を入れると言った感じに、横から2人の前に現れて紳士ぶって挨拶をした。

 

「……げっ、あの馬鹿提督、突っ込んでいったクマ」

 一瞬の目を離した隙に、彼女たちの提督は2人のところに突撃してしまっていたのだ。

 あの荒れた性格の提督が、あんな紳士みたいな様子で話しかけるなんて何かがおかしいと気付いたときには既に遅し。

 恐らく、都知事と話していた軍人が御雲だ、と推測できる。乱闘間違いなし。

 

 

「御雲大佐、失礼させていただきます」

 一応、階級が上だからか。形だけのお辞儀をして仲園の方を向いた。

 御雲の側にいた艦娘が、提督だと気付いてか小さく頭を下げた。どこか芋っぽい娘だなどと思いつつ、天霧は表情を作り始めた。

 

「ん?君は?」

 突然現れた眼帯の男。見るからに怪しいが、天霧は胸に手を当てて畏まって丁寧に挨拶をする。

 

「御見苦しい醜貌であることを先にお詫びさせていただきます。手前は佐世保鎮守府にて艦隊司令官を務めさせていただいております、天霧と申します」

 

「天霧……あぁ!君が天霧家の。しかし、不思議なものだ。裏の者が提督など」

 恐らく表の人間、その名前にはすぐにピンときただろう。

 本来、このような場にいるはずのない人間であることも。

 

「えぇ、その件につきましては、この者はやや特殊で……」

 すぐさま、御雲がフォローを入れる。

 

「一族にほぼ勘当に近い形で追い出されましたので。何分、隻眼。裏家業は務まることもないでしょう」

 そのフォローを無駄にするように天霧が身の上を話す。

 勘当なんて言葉、良い響きがしないのは当たり前だ。その言葉を使わせたくなかったのは、御雲の部下であると思われている手前、そのようなものを下に置いている自分の立場を護るためだったのだろうが、天霧は当然それを崩すことをした。

 

「なるほど。生業の分、そのようなこともあるか。厳しい道を進まれたことだろう」

 驚いたことに、仲園はやや同情的だった。

 

「全くです。ですが、行く宛もなく彷徨っていたところを御雲大佐に拾っていただき、今の地位にありつけた次第であります。この度は都知事殿への挨拶を含めて、この国の期待を背負っておられる御雲大佐を、少し持ち上げてやろうかと思い、私の経歴を語らせていただきました。お許しください」

 と言った感じに、媚に媚びまくって、仮面の下から嘘八百並べる。

 最後には恨む相手を持ち上げることまで。迂闊に否定すれば違和感が残る。

 御雲に逃げ場なし。

 

「あー、なになに構わんよ。救ってくれた上司への恩を忘れない良い部下ではないか。こういう青年を大事にしなさい」

 

「えぇ……そうですね……」

 好き放題やられて必死に柔らかな笑みを保っているが、天霧を横目で見た時に目に殺気が籠っていた。

 

(くくっ……めっちゃ堪えてやがる。見ものだぜ、こりゃ)

 

「ふむ、では天霧くんも多くの事を学んでいきなさい。御雲くんも優秀な部下は尊ぶことだ。私は失礼させてもらうよ」

 

「はい、本日はありがとうございます」

 

「ご期待に沿えるよう、務めさせていただきます」

 

 最後まで優しい笑顔でその場を去っていく仲園を見送りながら、しばらく沈黙。

 ふぅ……とお互いに作っていた表情を崩して剣の代わりに視線を交わした。

 鋭く尖りきった、凶器のような視線を。

 

「おい……なんのつもりだ貴様」

 当然噛みついてくるだろう。天霧の思い通りに事を進めていく。

 

「なーに、愛しい愛しい宿敵さんに再会できたんだ。ぶち殺してやりたい気分さ」

 

「はぁ……まだ根に持っているのか。小さい男だな、貴様は」

 

「現在進行形でこっちは苦しめられてるんだよ。てめえの面ぶん殴らなきゃ気が済まねえな」

 軍刀さえ互いに持ち合わせていれば、この場で斬り合っていただろう。

 その類はここに入る時点で預けてきたので、残念ながら武器は拳だけだ。

 

「あ?やるか?」

 相当苛ついていたのだろう。表情に隠しきれてないほどの怒りが浮かんでいる。

 

「おう、望むところだ。ぶち殺してやるよ、御雲」

 想定通りだ。一方的に決闘挑んでも軽くあしらわれるだろうが、無視できない形で邪魔してやれば向こう側も乗ってくる。

 

「はいはい、君はこっちに来るクマ。おバカさんの喧嘩に巻き込まれるクマよ」

 

「えっ、ちょ……司令官!?喧嘩はマズいですって!!」

 

「わぁい!可愛い子にゃしい」

 

「いらっしゃぁい♪さぁて、パンツは何色かしらぁ?」

 

「ちょっ!スカートめくら……潜り込んできた!?」

 

「随分を子どもっぽいのを履いてるのね!それじゃ1人前のレディには程遠いわよ!」

 

「そういう暁のパンツは熊さんのイラストが付いてるわ!確認済みよ!!」

 

「なんでばらすのよおおおおおおおおおおおお!!」

 

「パンツ脱がさないでえええええええ!!!!」

 避難させられた駆逐艦の悲鳴に似たようなものが聞こえたが知ったことではない。

 と言うか、天霧の教育をもってしても、あの駆逐艦娘たちの性格を矯正することは無理だ。3日くらいで諦めた。

 

 

「貴様には少し強めの躾が必要だな、なぁに、無様に泣き叫ぶ程度で止めてやる」

 

「くっくっく、御雲ぶち殺す……」

 

 

 その時、天霧の左肩を誰かが叩いた。ポンポンと軽く。

 

「ん~~?誰が誰をぶち殺すって~?」

 くるりと首だけで振り返る。頬に冷たい感触。マイナスドライバー。

 

「は?……ひぃ!!あ、ああああ……」

 女性が立っていた。やけに目立つ桜色の髪をした女性が1人。白い軍服を着て。

 しかし、右手にはマイナスドライバー。どこか油くさい。

 

 繋がっていく特徴。引き出された記憶。

 天霧の膝が笑い始めた。

 

「やぁやぁ、久し振りだね、辰虎くん。どうしたの?使えなくなった目に私の特製義眼でも詰め込みに来たの?」

 弾けるような笑顔で腰を抜かした天霧に語り掛ける女性。

 本人はとても楽しそうにしているが、天霧はガタガタと震えていた。

 

「証篠 明ぃぃぃぃぃいいいいい!!!!」

 

 呉鎮守府提督、証篠 明(あかしの あかり)。階級は特務大佐。

 艦隊を指揮するよりも工廠で艤装を弄っている方が好きと言う根っからの技術屋。

 唯一の女性提督であり、唯一艤装を弄ることができる人間。

 

「ん?天霧、証篠の事苦手なのか?」

 戦う気も失せたというような顔で、御雲が天霧に問いかける。

 ガタガタと震える指で証篠を指差しながら、天霧は小さな声で口を開いた。

 

「ににに苦手と言うかそんなレベルじゃないっすよ!おおおお俺のダチ曰く、証篠さんの機嫌損ねたら消されるとか、改造されるとか、はらわた抜かれて歯車入れられるとか……在学中に20人は消したとか、もう有名っすよ!!触らぬ神に祟りなしって」

 口調まであやふやになり、膝がガクガクと笑っていた。

 

「……ひどくない?ねえ、ちょっと酷すぎない?私への風評被害、ねえ辰虎ぁ?」

 笑顔のまま、首を横に傾げて天霧に問う。

 大の男が「ひぃ!」と怯える姿など見てて面白くはない。

 

「あっ、そう言えば、この前の密輸船。俺のところに船長の身柄だけ届かなかったんですけど」

 

「あぁ、あれ。消した」

 

「ほらぁぁぁぁぁぁあああ!!消してるぅぅぅぅぅううううう!!!」

 騒ぐ天霧に、頭を抱えて溜息を落とす御雲。

 

「いや、ちょっとね……うちの子を怪我させたから」

 

「深海棲艦との戦いだ。艦娘が負傷することもあるだろう?その腹いせを不当な輸送を行ってた一般人に向けるな」

 

「まあまあ、そんなことは忘れて。辰虎くん、ゲストハウスの方に行ってみな。君に会いたがっている子がいるよ」

 我の事は置いといて、と話をすり替えてまだ震えている後輩に声をかける。

 

「は、はぁ?俺に会いたがってるやつがいる?果し合いっすか?」

 

「違う違う。君の旧友だよ」

 行けば分かる。そういって無理矢理立たせて背中を蹴った。

 若干渋々ではあったが、天霧はゲストハウスの方へと歩いていった。

 

 

「はぁ、助かった。本気であいつを殴るところだった」

 手首をぶらぶらと解しながら御雲は言う。あそこで証篠が来なければ、この白い手袋も汚くなっていただろう。

 

「私も接待に飽き飽きしてたところだから別にいいよ。ところで、君のところの吹雪?だっけ?さっき駆逐艦に担ぎ上げられてどこかに連れていかれてたけど大丈夫?」

 

「……あぁ、大丈夫じゃないな」

 一難去ってはまた一難。一息吐ける時間というものほど今一番欲しいものはなかった。

 

 

 

      *

 

 

 

 ――――クレイン。

 Crane。『鶴』を意味するその英単語を発音に準じて横文字にしたもの。

 それが彼の名前となった。

 

 彼が出会い、彼の生きる翼となった女性の名を貰い、長寿・純潔の意を持つその名を背負った。彼の人生において、この文字はきっと切って離せないものになる。

 

 彼は人間ではなかったと自覚していた。ゴミのようなものであったと。

 一族や、血や、親や、兄弟。そんなもの一切彼の人生に関係なく、存在しなかった。

 そんな彼が持っていた能力―――「妖精を視る力」。

 

 それは艦娘たちを率いる存在、提督に必要不可欠なものであり、それを維持するためにかつての提督たちは血を守ってきた。「視得る者」の血を。

 

 そんな血に関係なく、数億と言う人間の存在の中からその才能を生まれ持った。

 そして、ずば抜けた知能。ものの1ヶ月で言語を習得し、数学と科学を理解し、艦娘の技術さえ理解するに至った。

 極彩色に濁った泥水の中に半身を沈めてきたゴミだめのような場所で育ってきた彼が、いやそれさえ関係しないほどの多くの人間の中から、彼は選ばれた。それも凡人では得難い頭脳を持ち合わせて、辺境の地で生き続けた。

 鶏群の一鶴。彼に相応しい言葉だろう。

 

 突然だが、そんな彼の目の前が修羅場だ。

 

「だーかーらー!なんでそんな格好してるの?って聞いてるの!瑞乃姉!!てか、いつの間に髪白くなってるの!?ストレスなの!?」

 

「だ、だから私は瑞乃という方ではなく……というかあなたこそ瑞鶴じゃないのですか?緑がかった黒髪にツインテール、特徴はどれも間違いありませんし、顔も目の色もよく似ています。瑞鶴じゃ―――」

 

「瑞鶴なんてそんな人知らないってばぁ!!」

 

「私も瑞乃なんて方ではありません!!」

 

「あぁ、もう!継矢兄も呼んでくる!!瑞乃姉が記憶喪失になって、艦娘になってるって!!」

 

「ちょっと待ってください!あなたは瑞鶴ではないのですか!?」

 

「継矢兄ぃ!!瑞乃姉が壊れたぁぁあ!!!」

 

 

 

 

「……ねえねえ司令。これどういう状況よ?」

 クレインの近くに寄って、陽炎が小さい声で訪ねてきた。

 

「い、いやぁ……私にも分かりません。お知り合いなのですかね?」 

 

「んなわけないでしょ!翔鶴さんはあの島でずっと眠ってたのよ?100年も」

 

「で、ですよね……」

 クレインは困り果てていた。

 あの時のパイロットと名乗る女性と、頼れる仲間である翔鶴が顔を合わせた瞬間、お互いに何かを叫び始めたのだから。 

 

 

 数日前の事だ。

 電や翔鶴、その他少数の駆逐艦が挙って集まってあるものを考えていた。

 それは、司令官の名前である。発端は陽炎の発言だ。「そう言えば、司令の名前って何?」という単純なものだったのだが、当然誰も知らない。彼の生い立ちについてはあの一件以来せがまれて、電の口から話されたが、思えば、彼の名前については誰も気に留めることなどなかったので知る由もなかったのだ。

 「ポチ」だの「ブチ」だの「ライトアンドダークネスドラゴン」だの「四郎」だの「正道」だの。

 当然、まとまるはずもなく、結局青年に迫って自分で何かしらの名前を決めさせた。

 日本人っぽい名前は、東洋人のような様相ではあるが、明らかに日本人離れしている顔の造形をしている彼には似合わないなどと言う意見もあり、少し悩んだ結果、彼は仲間の名前から貰うことにした。

 では、最も付き合いの長い電か、となると、やや難しい。次に長い翔鶴の名前を貰おうとしたが、「カケル」や「ショウ」は前述の通り似合わない。

 結果、翔鶴の「鶴」という字を貰って「クレイン」。美しいその鳥に自分は似合わないと、青年はやや反論したが、周囲の強い推しもあり、彼の名はクレインとなった。

 

 ちょうどその頃、哨戒任務に当たっていた部隊が、日本国の軍機だと名乗る飛行物体から通信を受けたと報告。

 すぐに確認に向かい、それが日本本土からやってきた使節だと理解し、すぐに着陸の許可と受け入れの準備を行った。

 

 飛行場への着陸。そのと同時に流れ出るようにざっと輸送機の中から軍人が出てきて、あっという間に綺麗に整列する。

 その中から1人。2人を護衛にして、こちらへと歩いてきた。他の者たちが戦闘服であるのに対し、彼だけは黒い軍服であった。

 後方に艦娘たちを待機させた状態で、クレインは1人で歩み出た。

 

「―――適切な誘導、及び基地への受け入れ、感謝する」

 右手を差し出されたので、こちらも手を出し握手をする。

 

「いえ、我々が呼びつけたようなものです。こんな辺境の海まではるばるお越しいただいたこと、この上ない感謝でございます」

 

「日本航空防衛軍、対特例災害機動空挺師団、葦舘(あしだて)一佐だ」

 そう名乗った男は一見細いが、握手しただけで分かるほどに屈強な男だと分かった。

 その割に、威圧的なものは一切感じられない。それ以外は模範的な軍人のような男に見えた。

 

「先日は、私の部下が世話になった。よく話を聞いている、手厚くもてなされたと」

 

「そうですか。無事に帰還できたのはよかったです。非正規ではありますが、ここブイン基地にて艦娘の指揮を執っております、クレインです」

 こちらも「つい先程」決まった名を名乗り、自らの身分を明かした。

 名前がない、という状態は非常にまずい。そんな信用のない者たちと、まともに話し合おうとする者たちはいないだろうと懸念したのだ。だからこそ、彼の名前を決めることは今まで思いつかなかっただけで、最重要事項でもあったのだ。

 

 葦舘は「それにしても」と口にすると、クレインの後方の艦娘たちに目を向けた。

 

「……報告にあった通り、正規の軍ではないのだな。その割に統率がよく行き届いている。てっきり、外れ者の集団と勘違いしていた」

 と少し微笑みを浮かべながら言った。この時点でクレインは肩に籠ってた妙な緊張が不思議と抜けた。

 

「あながち、間違いでもないかもしれません。私個人の力ではありませんが。ご存知の通り、非正規で艦娘を率いている者ですので」

 

「この時代、力を持つ者が必要とされているのだ。何、君はすぐに正規の軍人になれる。今日は君を迎えに来たのだからな」

 

「えっ……?」

 クレインは葦舘の言葉に疑問を抱いた。

 いや、確かに本土に連れて行ってほしいとは頼んだ。

 だが、いきなりどこの馬の骨かも分からない男が、辺境の地で「艦娘の力」を好き勝手振り回しているような男が、顔も合わせず認められることがあるだろうか?

 

 葦舘は側にいた者に「あれを」と言うと、折りたたみ式のケースに入れられた見開きの書状をクレインに見せた。

 

「――――横須賀鎮守府現提督、御雲月影海軍大佐より、君の身柄を海軍中佐相当のものとして扱うように言われている。生まれ、育ち、身柄、そんなものは関係ない。すべて「艦娘」という存在が保証している、と」

 横須賀鎮守府提督の名、それとその書状の正当性を認める海軍大将の名、実印が押されていた。

 内容は、ブイン基地所属の人間、艦娘すべてを日本国軍に正式に受け入れること。

 率いていた者には、日本海軍中佐相当の地位を与えること。

 当然、クレインには驚くべきことだった。ここまでうまく事が運びすぎていることに驚いていた。

 

「では、準備が出来次第、あなたを本国へ送り届ける。艦娘の方々には海路で行ってもらうことになるが」

 

「えぇ、はい……えーっと、すみません。あまりにも突然の事で」

 

「あなたもすでに知っておられるだろう。深海棲艦がどれほどの力を持つ脅威なのかを。一分一秒を争う世界は、常にあなたのような人材を求めている。100年前よりその最前線で戦い続けてきたこの国は陸海空の分け隔てなくその価値をしっかりと理解している。力を持つ者を求め続けている」

 

 どうか、力を貸してもらえないだろうか。葦舘はそう言った。

 そう言って、頭を下げた。軍人が、こんなにも簡単に。一佐とも身分のある者が。

 クレインも馬鹿ではない。それがどういう意味なのかくらい分かる。陸海空の分け隔てなく、あの存在を危機だと捉えているのだ。

 どうしようもない存在を打ち倒す存在を切望しているのだ。それはまさしく神に縋るかのように。

 本当に、どうしようもないのだと。

 

 選ばれた人間しかなることのできない提督と言う存在。

 なるべくして生まれ落ち、なるべくしてこの地に導かれ、なるべくして彼女たちに出会った彼には、自分自身の運命の向かう先を既に理解していた。

 きっと自分は、このために生まれてきたのだと。

 

「元より、そのおつもりです。すぐに準備いたします」

 作業は急ピッチで進んだ。全てを連れて行けるわけではない。部隊を編成し、指揮系統を急いで整えた。

 利根を司令塔として、新たに加わった《荒潮》《満潮》を含め、《大潮》《霰》を基地に残留させる。

 残りの比叡、翔鶴、電及び陽炎型4隻、朝潮型の朝潮、霞と練度の高い者たちは厳しくなるであろう本土までの道中を突き進む部隊に編成された。

 

 翔鶴航空隊の一部は基地に留まった。万が一の為の基地上空の防空部隊として飛行場を中心に仮の航空隊を急遽編成したのだ。

 

 こうして、クレインは本土へと向かうことになる。願った形はほとんど形を成していた。

 

 まぁ、そんなこんなで日本に来て、艦娘たちは横須賀に受け入れられて、クレインは御雲と会い、色々と聞きだされた。

 やけに豪華で慣れない宿を貰い、艦娘たちは整備と補給を受けて、そのままクレイン同様に丁重にもてなされた。

 

 それで後日、呉の提督と会う。色々とまた聞かれた。特に翔鶴は何かねちっこく聞かれていた。

 更に、後日、舞鶴の提督と会う。簡単に会話した程度ですぐに分かれた。

 

 ちなみに、艦娘たちはほぼ軟禁状態だった。それに不満を漏らす者もいたが、今は我慢だと説き伏せた。

 

 そして、何やら行事でも行われているらしい場所で、御雲と再び会い、事情を説明された。

 クレインの艦娘たちの登録に時間がかかった、と。

 そして、この鎮守府を公開するので、その一環の艦娘の実戦形式の演習にぜひ参加してほしいと。

 快諾した。断る理由も特になかったので。

 

 そして、一般公開当日。彼女がやってきた。葦舘と一緒に。

 葦舘は上司として、瑞羽は救ってもらった相手として、横須賀に寄ったついでに挨拶に来たそうだ。

 ちょうどその頃には翔鶴は、駆逐艦たちと演習の戦略を練っており不在だった。

 

 話を聞くに、葦舘は普通の人間らしく妖精の姿は見えないらしい。

 しかし、祖父を艦娘たちに救われたことから、艦娘は信頼しており、彼女たちの伝説も信じ切っているとか。

 自分は海には向かないと思い、空の道に進んだ。しかし、艦娘の力になりたいため、数年前に急遽設立した「対特例災害機動空挺部隊」への異動を壮年になって決めた。

 そう語る葦舘は先日会った時とは違い、柔らかい表情をしていた。

 その横で、織鶴 瑞羽はずっとつまらなさそうな顔をしていた。

 

 葦舘が退出したあとに、瑞羽は残って何かとクレインと話していた。

 思えば、瑞羽の顔を見るのは初めてだったクレインは少しだけ翔鶴に似ていると思い、普通に接するように話していた。

 内容は、あの時はきつく当たって悪かった、とか。艦娘は元気にしているか、とか。

 次第に彼女も警戒心を解いたのか、彼女の素の部分を見せ始めた。どことなく正確にまだ幼さが残っている。

 クレインの事も聞かれた。彼が分かる限りのことを話して、体中の痣も染みもその理由を話した。

 

 ではそろそろ時間だと言う時に、翔鶴たちがやってきた。固まる。お互いに。

 そして現在に至る。訳が分からない。

 クレインは少し考えるのを止めようかと思い始めた。

 

 

「うーい、邪魔する―――いでっ!おいコラ、ぶつかって誤りもしねえたぁどういうこっだゴルァ!!」

 飛び出していった瑞羽がちょうど入ってきた男性と肩がぶつかる。

 眼帯の男はその相貌によく似合った口調で怒声を飛ばしていた。

 

「はぁ?アンタ誰?こっちは急いでんのよ!!」

 

「す、すみません!瑞鶴には厳しく言っておきますので。待ちなさい!!」

 すさまじい勢いで騒がしかった原因が室外へ飛び出していった。

 一気に静かになった室内に、叫び声が聞こえて遠のいていくのだけが分かった。

 

「……どうするの?追った方が良いなら追いかけるけど?」

 霞が呆れた顔でそう尋ねてきた。艦娘と軍人が公衆の面前で何かと騒いでいては面子が立たないだろう。

 

「すみません、お願いします」

 

「はいはい……ったく」

 

「あっ、待って霞!司令官、朝潮も行って参ります!1人では手に負えないかもしれませんので!!」

 そう言って駆逐艦2人がどこかに走っていった翔鶴と瑞羽を追いかけて出ていった。

 どたどたと床を走る音がまた遠のいていって、そしてまた静かになった。

 

 

「……なんだありゃ?」

 眼帯の男は走り抜けていった2人の女性の背中を目で追いながら徐にそう呟いた。

 

「すみません。私もよく分からなくて……提督の方でしょうか?」

 そう声をかけ顔を見合わせた瞬間、何か察したような顔をされた。

 ものすごく憐れむような顔だった。

 

「あ?あーあーあー……まーた、強烈な奴が出てきたなこりゃ。どこの組に薬品ぶちまけられたか?どんな喧嘩売りゃそんな落とし前付けさせられるんだ?この国の人間でもねえな。密輸か?」

 

「い、いえ、あの……色々と事情がありまして」

 

「薬か人身売買でしくじったか?しっかし、人様に言えねえがそんななりでも提督とやらにはなれるんだな」

 思いっ切り、勘違いをしている男性に反論する気力は先程の騒々しさの中で忘れ去った。

 

「いえ、あのですね……はぁ」

 

「外れ者の俺がなれんのも当然だぜ……ん?」

 頭を掻き毟りながら、クレインの前の席に座ろうと寄ってきた男は、何かに気付いたような声を出して足を止めた。

 

「…………お久し振りなのです」

 見合って数秒。身長差は歴然としていて、見上げるのと見下ろすのと変な傾きのまま視線が交錯して色々と悟った。

 そして、男の―――天霧の顔がニヤァと歪む。喜びか、はたまた怒りか、眉をぴくぴくと動かして、その再会に歓喜しているかのような表情をしていた。

 

「おいおいおい……生きてやがったのか。今までどこほっつき歩いてた、クソガキィ!?」

 目の前に立っていた少女、《電》は彼の顔を見るといつもの優しい顔から厳しい顔に変わった。

 ただのものいう兵器になってしまっただけのような、感情と言う色のない顔。

 

「あ、あのぉ……電さん?」

 

「クソガキじゃないのです。そこの方のところで艦娘やってただけなのです」

 電はクレインの呼びかけには敢えて答えずに反抗的に天霧に当たる。クレインの方をちらりと見て、そう答えた。

 なんとなく理解していた。

 変に下に出れば、この男の土俵だろうと言うことを。

 

「はっ、なるほどな。懐かしい顔たぁ、こういうことか。電、場所変えるか?」

 天霧は証篠の言葉の理由をようやく理解した。

 思いもがけないものであったが、その意味で予想の遥か上を行ってくれていたことが逆に喜びであった。

 親指で外に出ろ、と表すと小さく頷く。

 

「……司令官さん、少し失礼するのです」

 

「えーっと……」

 なんとなく状況は把握できていた。この2人の関係も先程の2人よりかはいくらかはっきりとしている。

 

「電が司令官さんのところに行く前にいた鎮守府の司令官さんなのです。積もる話も色々あるのです」

 

「……そうですか。分かりました」

 電の口から明確な答えを得たところで、クレインは頷いた。

 いってらっしゃい、と。

 

 ここから先は彼女なりのケジメをつける場なのだろう。いくら今は自分の部下であろうとも、彼女の中にあるそう言った感情の邪魔をする気は起きなかった。

 

 それとは裏腹に、奥の部屋からこちらを除いていた4人。

 やけに興奮気味なのが一部、冷静なのが一部、訳が分かっていないのが一部と言った状況であった。

 

「電の昔の男……っ!昔のっ……男っ……!!」

 

「あかん……司令はん腕細いからあの見るからに極道の兄ちゃんとはまともに戦えへん。奪われてもうた」

 

「陽炎、黒潮、そう言うのではないと思いますよ。あなたたちが期待しているようなものは全くないと思いますよ」

 

「冗談よ、冗談。しかし、電も複雑ねぇ……」

 

「複雑……?男と女の関係と言う奴ですか?シュラバ?とか言う奴ですか?」

 

「はいはい、雪風はんは耳閉じてよなぁー。ついでにお口もなぁー」

 

「しかし、あんなに強い電さんの前の司令官。気にならないと言えば嘘になります」

 

「そうよねぇ~、私たち余程の事がない限り複数の司令官を持つことなんてないだろうしね。船の時は割と普通だったけど」

 

「電はんにとっては2人目の提督……色々とあったやろなぁ」

 

 正確には、3人目の提督である。

 基礎を積み上げたのは御雲の下で。今の電の戦闘スタイルを築いたのは天霧の下でである。

 司令官の名前も知らなければ、自分たちがこの身体を得た時からいた司令駆逐艦のことについてもあまり知らなかった。

 

「着けてみる?」

 

「いいですね」

 陽炎の提案に不知火が乗ったところで、クレインと目が合った。

 

「あっ、みなさん。そこに居たんですね」

 

「どうしたの、司令?」

 

「工廠へ行って艤装のチェックを、終え次第、限定的に解放された海域がありますのでそちらで簡単な身体慣らしを。しばらく海には出ていなかったので鈍っていることでしょう」

 

「えぇ……訓練」

 

「うぐっ……わ、分かったわよ」

 

「それと」

 クレインの口から、注意を引くように強い言葉が放たれた。びくりと3人は肩を跳ねさせた。

 

「あまり電さんのことを詮索するのはやめてあげてください。あの人は前に自分がいたところを捨ててまで、私を支えてくれていたのです」

 

「……分かったわ。何もしない。黙って訓練をする。それでいいわね?」

 

「お願いします。もし、翔鶴さんたちを見かけたら私の下に来るように。朝潮さんと霞さんはそのままあなたたちに同行させてください」

 

「りょーかい。さぁ、行くわよ、不知火、黒潮、雪風」

 長女の陽炎が率いていって、4人とも部屋を飛び出していった。

 ようやく1人になった部屋で冷め切ってしまったコーヒーを口に流し込んで深く息を吐いた。

 

 ブイン基地。あの場所において戦い続けてきた彼女たちの正当性を認めてもらいたかった。それが本土へと連れてきてもらった理由だった。

 そして、もう1つ。彼女たちを故郷へ帰してあげたかった。

 

 特に翔鶴に至っては100年ぶりの故郷なのだ。日本へと連れていく、そんなことを約束した気がする。

 電だって本当は帰るべき場所があった。それを蹴って、わざわざ付き合わせてしまった。

 

 達成感と少しの罪悪感と、それを掻き消す多くの景色。

 色のない世界でずっと生きてきたが、この国に来て見たもの全てが刺激となって、この脳に働きかける。

 知恵熱でも起こしそうだった。

 

 

 いつかこの眼に色彩を刻むことはできるだろうか?

 この国に来たからには、その手がかりだけでも持って帰りたい。

 どんな使命を背負っても、この胸の中で絶えず燃え続ける炎の燃料は、

 

 いつだってあの日の夢なのだから。

 

 

 

 

 




 終わる終わる詐欺が酷いと実感してます。

 なかなか多忙で続きが書けない日々です。頑張っていきたいと思います


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歪んだ直線は交わらない

 

 

 赤煉瓦の建物の向こうからは一般人たちの喧騒が届いてくる。

 こちら側の通路は作業着の人間が行ったり来たりして、中佐の階級章をつけた軍服の天霧の姿を見るだけで立ち止まっていちいち挨拶していくのを、手を振って追い払っていた。

 どこに行ってもやはり人目がある。結局、工廠の方に行って、外に付けてある錆びた階段を上がり小さな屋上に出た。

 海が目の前に広がる。空もほどよく雲が漂っている。

 

 眼下には多くの人々。何を目的としてここに訪れているのか分からないが、釣られて集まってくる稚魚の群れのようだと天霧は足下に唾を吐いた。

 

 潮風が強い。帽子は脱いで、右手で顔を仰いだ。

 

「……飯はちゃんと食ってたか?」

 最初の問いはそんなものだった。

 

「まぁ、そこそこに。佐世保にいた頃とは全然違う生活ですけど」

 

「あー、そうか。いやぁ、こっちは大変だったぞ。この前は3食全部に玉子焼きが出てきて発狂しそうになった」

 出汁巻ならまだしも、全部甘い奴だったので、思わずブチ切れたのを思い出した。

 と言うか、倉庫にあった卵の半分くらいが消えていたので尚更ブチ切れた。

 

「……話すことはそんなことなのですか?」

 

「何か訊いて欲しいことでもあるのか?」

 

「じゃあ、逆に訊くのです。電がいなくなって、どうしてそのままにしていたのですか?」

 

 電は信じていた。別に見捨てられたわけじゃないと言うことを。何か理由があるのだと。本当は訊くべきことじゃなかったんだと思う。それでも訊いた。

 少しバツの悪そうな顔で頭を少し掻くと

 

「……はぁ、一応探したんだぜ?御雲にも掛け合って。本当に大変だった。ガキどもは泣きだす。球磨の野郎は自分の責任だとしばらく塞ぎ込む。1週間か。空の奴らにも協力してもらって探し回ったんだぜ?」

 たった1週間か。見つかるはずがない。

 その1週間と言えば、まだあの場所がブインだと言うことすら知らなかった時期だ。

 それにもう1つ。船ではなく、飛行機で調べたのならば、余計に見つからない。

 

「今のブイン基地は自然の要塞なのです。そう作り返られているのです。上空からは自然の迷彩で施設が分かりにくくなっているのです」

 

「だろうな。ブインの辺りも捜索したが見つからなかった。短いと思ったろ?たった1週間」

 電は頷く。天霧は少し情けなさそうに笑うと、

 

「それともう1つは周辺諸国との衝突があった。だから、1週間で切り上げざるを得なかった。船を派遣して周辺の無人島までくまなく調べることもできなかった」

 そう語った。

 周辺諸国、そう言えばあの時の任務はその周辺の諸国からやってきた輸送船を密輸船と断定して、拿捕するものだった。そのせいで、折り合いが悪くなってしまったのかもしれない。

 

「その結果、見事にお前は死人扱いだ。南方海域になれば鉄底海峡もある激戦海域。いち駆逐艦が無事でいるはずがなかろうとな。俺が決めたんじゃねぇ。上が決めた。これ以上、無駄な捜索をやめろと」

 くっくっくと笑う天霧。顔を上げると、軍帽で電を示すように振った。

 

「しっかし、てめえは生きてた。大したタマだ。どんな気分だ?」

 

「生まれ変わった気分なのです。何もかも吹っ切れた。そういうべきですか?」

 

「知らねえよ。しっかし、良く生きてたもんだ。どのくらい死にかけた?どれだけ大破した?どれだけ敵を前にしてしょんべん漏らした?どれだけ任務を全うできなかった?」

 

「ブインでの日々はほとんど手探りでした。設備はそれなりにあっても、初めて見るものも多く、生活もそんなにうまくいく訳もなく、たまに餓死するかと思うこともあったくらいです。1から鎮守府の根幹を作り上げていくのは、本当に骨が折れたのです。今の司令官さんは、頭はよかったのです。でも、それ以外に何もなかったのです。だから1から教え込んで、ようやく司令官らしい佇まいになって……」

 

「へぇ……あの男が司令官か。どっかの組織に報復受けた外人かと思ったぜ」

 

「あれは故郷の汚染された土壌に触れ続けた結果らしいのです。えぇ、とにかく……最初は意思疎通が本当に大変でした」

 

「地獄だったか?」

 

「いいえ、別の意味で天国でしたのです。別の意味で」

 

「くくっ、はっはっはっ!!天国か!!そりゃぁ、大変だったろうなぁ!!で、楽しんできたか?」

 天霧は腹を抱えて笑った。屋上の柵の手すりをガンガンと叩いて大爆笑した。

 それを見て、電は複雑な表情をしていた。

 期待通りの反応だと言うか、逆にそれはそれでなんか嫌で。

 

「楽しかったかと言われるとそれも分からないのです。毎日のように敵が襲ってきたのです。それも、日本の鎮守府近海に出てくるような敵じゃなくて、戦艦も正規空母も、flagship級が普通。掠れば即大破なんて当たり前だったのです。死なないように、死なないように、ずっと戦ってきたのです」

 

「あー、羨ましいなぁ……俺も行ってみたいぜ。お前が天国と言う地獄に」

 

 天国と言うよりかは『天国に一番近い場所』という意味だろう。

 今、2人の中では近いどころか、もはや天国なのだろう。そこは死地なのだから。

 そこで生き延びて、もう一度目の前に現れた。

 なるほど、この少女の言う通り。生まれ変わった気分どころか、本当に生まれ変わったようだ。

 

「佐世保の司令官さん、司令官さんから貰った言葉はずっと忘れてないのです。『いいものを受け継いでいる』『強くあれ、強くなれ』」

 着任したあの日。まだ戸惑いに苦しんでいたあの日。

 この弱さを。泥に浸かりながらもがいていたその意地汚さを。大いに結構と受け入れてくれたあの日。天霧が自分に向けた言葉。何度も、何度も、電を奮い立たせた言葉。

 

「ここに戻ること。もう一度あなたの前に戻ること。その時に、あなたとの約束を守ること。強くなること。それが電の誓いでした」

 

「手に入れたか?お前自身の存在意義を揺らしていた問いに対する答えを、見つけ出す力は?お前は強くなったのか?」

 

「電は、強くなったのです……」

 それだけははっきりと伝えた。あの時のように馬鹿にされないように。

 それだけじゃない、はっきりと断言できるだけの強さを身に付けたこと。

 天霧を前にして、そう言えるだけの自信を身に付けたこと。

 そして、そう言い切れるだけの戦う理由をようやく見つけ出したということ。

 その全てを伝えるためだけに、少女の目はまっすぐに男の独眼を見つめていた。

 

「……そうか。てめえの泥臭い生き方、俺は嫌いじゃなかった。魂の輝きは忘れてないか?」

 

「はい。あの時と変わらずまだ小さな火種かもしれないのです。でも」

 

「消えちゃぁいない、か。十分だ。消し炭になってるよりかはな。強くなって帰ってきたか……ふっ、あの頃のガキとは全然違えものになっちまったな」

 どこか寂しそうに、嬉しそうに歪める表情の中に密かにその感情はあったのだろう。

 自分が知っているものと遠くかけ離れてしまった。

 同時にそれは自分の下から旅立って、自ら道を見つけたこと。

 

「てめえはもううちには要らねえよ。いや、うちの籠の中にいるのはもったいねえ。いつ死ぬかもわからねえ激戦区で血反吐吐いてもがき続けろ。てめえにはそっちの方がお似合いだ」

 背中を押すこと。

 それが元提督としての、いや、そんな関係に縛られることなく、一度同じ空の下で、同じ海を見て、夢を語り合った者としての、義務であり、権利であった。

 

「支えてやれ、お前の強さで。あの新米をな……」

 最後には、こんな彼は優しい笑みを向けた。

 

「ありがとうございました……ッッ!!」

 電は深く頭を下げた。真っすぐと、しっかり成長した姿を示しながら、全ての感謝をその一礼に込めて。

 

「偶には飯を食いに来い。せっかくなら飯を作りに来い。お前の作る飯は、案外嫌いじゃなかった」

 下げた頭をぐしゃりと掴んで荒々しく撫でまわす。

 嫌がる素振を見せながらも、まんざらでもない笑顔を見せた電の表情。

 

 どこかの誰かの言葉を借りるのならば、彼らはきっと似た者同士なのだろう。

 だからこそ、通じ合える。

 それは唯一無二の存在である艦娘と言う存在を支えるには、十分すぎるものなのだろう。

 

 

 

 

「嫌ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああ!!!!!」

 

「司令かーん!生贄捕まえてきたにゃしい!!」

 少女の悲鳴と、簀巻きにした少女を抱え上げて走り込んできた睦月型の群れ。

 先頭の《睦月》を筆頭に、捕獲した少女を胴上げみたいに投げながら、おもちゃのように遊んでいた。

 

「はわわわわわわわわわ!!!!ダメなのです!!他の鎮守府の艦娘をこんな風に捕まえちゃ!!」

 慌てて電が制止に入る。

 かつての仲間だ。少しは聞いてくれるかと思ったが、おそらく電だと気付いていない。

 そのせいか、固まって動く睦月型の群れの上を簀巻きにされた少女がコロコロ転がって上手く電から遠ざけられていた。

 

「あらぁ~、電ちゃんじゃない。元気にしてたぁ?」

 と、ようやくここで如月が電だと気付く。意外と驚くこともなく普通に話しかけられたので、ピクリと肩が跳ねてしまった。

 

「何っ!?電だとっ!!」

 

「むっ……どこかで聞いた声かと思えば」

 

「うわっ!ホントだ、電だ!相変わらず可愛いね!!」

 

「あっ、あれ……?弥生さん、もっちーは?」

 

「望月なら……響さんと一緒に休憩室で」

 

「わぁ~電ちゃんだ~、やっほ~!」

 

「ちょっと急に離さないで――――ぐふっ」

 

 胴上げされていた少女はそのまま落ちた。簀巻きにされているのできっとろくな受け身も取れなかっただろう。

 

「電ちゃん……?」

 こちらを向いて黙り込んだ睦月が問いかけた。

 

「は、はいなのです……?」

 そう答えた。簡潔に答えた。

 

 次の瞬間、睦月の姿が消えた。そう錯覚した。まっすぐ1人の少女が突っ込んでくるのが視界の端に映った。

 左眼の視野ギリギリに日の光が反射した。咄嗟に意味を理解して、左手で迫りくる何かを反射的に弾いた。

 トントン、と軽やかにバックステップ。睦月は少し距離をとって、じっと電の顔を見た。

 

「ありゃりゃー、やっぱり失敗したにゃしい。本物かぁ」

 右手に身の丈に合わないサバイバルナイフを握った睦月が残念そうにそう言った。

 

「と、突然何をするのです!?」

 

「挨拶だよ?佐世保じゃ奇襲が挨拶代わりにゃしい!!」

 と、とてもいい笑顔で言った。直後にナイフに舌を滑らせたりしなければよかったものを。

 

「物騒なのです!!!!!!」

 電は咄嗟に天霧を見る。目を逸らして知らぬ顔の天霧を見る。

 

「……いや、俺が始めた訳じゃない。ちょっと得物やらチャカの使い方教えたらこいつらが勝手に始めやがった」

 

「おっと……電、背中が」

 

「がら空きだぞ。もらった!!」

 

 背後から聞こえた声は恐らく長月と菊月。武人じみた硬い口調だが、こんな風に言われると妙に威圧感がある。

 振り返ろうとしたが、ぐっと背中に押し込まれた2つの冷たい感触。

 拳銃か。ちらりと振り返ると2人が背中に自動小銃を押し付けていた。

 

「そのまま跪け」

 長月に言われるままに、膝を折って座る。

 すると、すーっと、顎の線を誰かの指が撫でた。

 

「ふふふっ、電ちゃん可愛いわぁ……生きてて良かったぁ♪」

 

「き、如月ちゃん……くすぐったいのです。首筋に当ててるナイフが」

 さりげなーく首筋にサバイバルナイフかけてくる辺り、抜かりがない。

 

「さーて、成す術なしだね!ボクたちも少しは成長したかな!!」

 目の前にひょこりと出てきた皐月が無邪気に笑う。ホント、腰の後ろで組んでいるように見せる手に、ナイフと拳銃さえ持っていなければただの可愛い子なのに。

 

「ん?皐月、三日月と弥生はどうした?」

 ふと、減った人数に気になった菊月が問いかける。

 

「あー、望月を探しに行ったよ。かくれんぼだって」

 

「……一般人を巻き込まないと良いが」

 

「何をするつもりなのです……!?」

 

「まぁ、どうでもいいにゃし。電ちゃん。パンツ脱ぐにゃしい」

 

「は?」

 

「あのねぇ、パンツを脱がされるまで追い込まれたら負けなのよぉ?1週間の掃除当番全部任されるわぁ」

 如月が説明する。がくりと電は肩を落として、天霧を見た。

 

「俺は知らん。そんな風習知らん。ましてや、奪われたパンツがどこに行ってるのかも知らん」

 相変わらず目を背けている天霧。うっすらと汗が滲み出ている辺り、知ってはいたのだろう。

 

「ハッハッハ、電を圧倒するとは、俺の艦隊も結構強いじゃねぇか」

 

「乾いた笑いが見苦しいのです」

 

 

「わぁぁ!!たすけて~!!とれないよぉ~!!」

 

「ふぅ……とりあえず、1人確保」

 

 突然電たちの背後から聞こえた声。一番早く振り向いた睦月が、次の瞬間には崩れ落ちる。

 

「全くもう……いきなりこんなところに連れてこられて意味が分からないよ」

 そう呟いた少女。先程まで簀巻きにされていた少女だ。

 文月が逆に簀巻きにされてゴロゴロ転がっていた。睦月が腹部を抑えるようにして横に倒れる。

 

「なっ……睦月が」

 

「月のバッジ?あぁ、睦月型の子たちかな?物騒だなぁ」

 目の前に立ちはだかった菊月を見て、少女はそう答えると、さっと彼女が拳銃を握っている手を掴み、一瞬で捻る。くるりと宙で身体が回り、菊月の手から拳銃が落ちると同時に背中から彼女の身体も落ちた。

 すぐに襲い掛かってきた長月は、簡単に手を抑えられ上に引き上げ、足を払われる。そのまま背負い投げのように投げられて背中からろくに受け身をとれずに落ちた。

 

「隙ありなのです」

 首に手をかけている如月の隙を見て腹部に肘鉄を叩き込む。

 

「大丈夫……って、あれ?電ちゃん?」 

 よくよく聞くと、どこかで聞き覚えのある声だった。

 如月のナイフを蹴り飛ばして、さっと顔を上げる。

 

「あっ、吹雪さん」

 どうやら、攫われてきた少女も、旧友だったらしい。

 

「よくもみんなをぉぉぉぉおおおお!!」

 残った皐月が2人めがけて襲い掛かってきた。

 

「やめい」

 

「っで!!」

 天霧の拳骨が皐月の脳天を打った。ゴンっと結構いい音がして、うぅぅ、とうめき声を出しながら皐月はその場に蹲った。

 

 

     *

 

 

「ごめんなさい。そういう演習か何かなのかと思ってちょっと本気になっちゃいました」

 天霧に対して、吹雪は申し訳なさそうに頭を下げる。

 

「別にいい。暴れたこいつらが悪いんだ。しかし……近接戦で負けるたぁ訓練が足りねえな。帰ったら倍な、おめえら」

 

「「「「ひぃ!!」」」」

 

「ほどほどにするのです……全く。なんとなく球磨さんの苦労が手に取るようにわかるのです」

 

「あいあい、おめえの説教には懲り懲りだ。ほら、帰るぞ」

 そう言うと、天霧に引き連れられて物騒な睦月型たちはその場を去っていった。

 去り際に負け惜しみか、睦月と皐月辺りがあっかんべーをしていたが、なんとなく微笑ましい光景なだけで温かい目で見送った。

 

「対人格闘ってどこの鎮守府でもやってるものなんだね」

 

「あれはちょっと違うのです。なんか違う気がするのです」

 

「……それはそうと、久し振りだね。電ちゃん」

 

「お久し振り、なのです。吹雪さん」

 

 電が横須賀を発ってから、まだ1年も経っていないが、もう10年近く会ってないような、互いに向かい合った瞬間にそんな気がした。

 お互いにそれだけ変わった。特に吹雪の目には電は別人のように映った。

 

「変わったね。何かと……色々と」

 

「色々あったのです。今はブインの方にいるのです」

 

「聞いてるよ。クレインさん、だっけ?凄いね、1から艦隊を作り上げるなんて」

 

「……吹雪さん、なんだか遠回しに言ってるように聞こえますよ?」

 

「じゃあ、はっきり言うよ。別人みたいだね。いや、ほとんど別人だよ」

 

「そこまではっきり言われると困るのです。でも、電は電なのです」

 

「……相当、強くなったよね?」

 

「それなりに、なのです。まだ叢雲さんほどではないのです。でも……」

 

「でも?」

 

「吹雪さんは、電にとって不思議な人だったのです。人から生まれた艦娘。本来は戦うために生まれた存在でもないのに、迷うことなく戦いに向かう姿が。戦うために生まれた電が戦うことに疑問を抱いている矛盾が」

 

 ――――正反対なのです。

 少女の口から漏れ出したのは、かつての羨望であり、苦悩であり、絶望。

 生きる意味を見い出せず、過ちかもしれない道をただただ歩いていく。

 

 戦いの日々とは、深海棲艦の命を奪うことは、そんな日々だった。

 

 吹雪と言う存在は違った。

 深海棲艦を殺すことに何の躊躇いもなく、美しい航跡を描いて幾つもの破壊を生み出していく。

 人であるが故にあるべき躊躇いがない。もしくは、それを振り切るだけの心の強さがある。

 

 核の硬さが違う。現実から叩きつけられる衝撃に、自分の意志を揺らがせないための硬さが。

 いつか見た、吹雪と言う少女のまっすぐ伸びた背筋を、電は見上げていた。

 羨ましいと思った。

 これほどまでに、芯の強くて、戦う意志があって、まっすぐに生きられる少女が。

 

 人ではないはずの自分が、まるで人のような苦悩を抱えていることがどこかおかしかった。

 

 

「―――吹雪さんは何の為に戦うのですか?」

 

 そして、今、彼女は強くなった。だからこそ、問いかける。

 戦う理由を見つけた。意味と答えをいくつもの戦いと、新たに出会った司令官、そして戦友に教えてもらった。

 吹雪の戦いを問う必要があった。

 それは自分が見出した答えときっと違っているという確信があった。

 

 答えを見つけ出してはっきりとわかったのだ。

 あの時吹雪に抱いていた小さな羨望は、決して光に手を伸ばそうとするようなものじゃないことを。

 

 逆だ。絶望の淵に立たされた時に闇の中の方が居心地が良く感じるようなあの錯覚に似ている。

 徹底的に歪み切った、吹雪と言う少女が恐ろしかった。その恐ろしさを自分にも求めようとしていた。それが、唯一この苦悩を紛らわせる手段だと誤解した。

 

「そんなもの、私の夢の為だよ。私の夢が広がる世界に深海棲艦(あれ)は必要ない」

 間髪置かずに吹雪は答えた。その問いにそう答えるようにプログラミングされたロボットのように。

 

「邪魔する者は排除する。それはただの暴力なのです。消え去り逝く命に何か思うことはないのですか?」

 

「……何も。深海棲艦は倒さなければならない敵でしょ?何を言ってるの?」

 

「……それは間違っているのです」

 ふぅ、と吹雪が溜息を吐いた。気に食わない、そんな目もしている。

 

「私はただ護りたいだけだよ。私の大切な者と、その人たちと描く私の夢を。私の親友が護ろうとした私の夢とこの世界を。それが私の戦う理由。何が間違ってるのか、私には分からないかな?」

 

「結局は私利私欲のために、命をむやみに葬ってるだけなのです。何かを護りたい。それはみんな同じなのです。その先にある夢を叶えたい。それも同じなのです」

 

「じゃあ、何が違うの?」

 

「吹雪さんはそのための破壊を肯定してるのです」

 

「電ちゃんは違うの?」

 

「電は深海棲艦でも救うために戦うのです。あんな姿であっても元は電たちと同じ船であった存在なのです。それらの苦しみや悲しみが形を成してあの異形を生んだのならば、その黒い怨嗟から解き放つのが電たちの本懐なのです」

 

「そっかぁー……」

 

 ふと、吹雪の脳裏に頭痛に似た痛みのような光が走った。不快感が頭の中を埋め尽くす。

 

『吹雪。君を否定するようで悪いが、彼女たちはそんな理由で戦ったりしていなかった』

 

『そんな綺麗な理由じゃない。それは当時の人間が、希望であった彼女たちを誇張するように抱かせたイメージだ』

 

『現実は、違う。君の肩るような夢も希望もない』

 

『彼女たちの戦う理由はただひとつ―――――償いだ』

 

 あの時、小さな存在の教えられた真実。

 それは未だに自分の中では真実としては存在していない。頭は理解することを拒んでいる。

 理想である存在を否定されて今更戻る道などない。 

 吹雪と言う艦娘は、在りし日の少女が抱いた夢の果てにある存在なのだ。

 今更、自分自身を否定するつもりはない。

 

「この戦いは償いであるべきなのです。電たちは、人間は、かつてその感情を、想いを、海の底に沈めてしまった。その罪の証が深海棲艦ならば、対を成して存在する艦娘が祓う必要がある」

 

「……で、それが何なの?結局は艦娘が倒さなければいけない相手ってことなんでしょ?」

 不満が露骨に飛び出してしまったのか、あからさまに不機嫌そうな口調で言ってしまった。

 

「吹雪さんは深海棲艦を倒すときにその命を想うことはありますか?」

 

「……わざわざ、相手に情を向けたことはないかな。そんな暇があるなら一刻も早く戦いを終わらせた方が早いから」

 

「そこが電と吹雪さん…いや、艦娘と吹雪さんの違うところなのです」

 

「いちいち、深海棲艦に情を向けろと?」

 

「この戦いの本来の意味はそこにしかないはずなのです」

 

「そんな暇があるうちに、命を奪うことを躊躇ううちに、大切なものが失われてったらどうするの?破壊は、死は、私たちを待ってはくれないんだよ。ねえ、電ちゃん。命だって無限にある訳じゃないし、人間みんなが私たちのように戦えるわけじゃないんだよ。迷っている暇があるなら、祈ってる暇があるなら、弔ってる暇があるのなら、一発でも多くの砲弾を放って深海棲艦を沈めた方が早いよ」

 

「だから、それはただの暴力なのです」

 

 二度目の溜息。

 真剣な表情で話をする電に対して、吹雪はやる気のなさそうな表情をしていた。

 

「電ちゃん、多分これは不毛な議論だと思うな。私たちの戦う理由は違う。無理に他人の思想を理解しろと言われて理解できるほど、人間は単純じゃないんだよ」

 

「……死に逝く深海棲艦たちの、生まれ変わった先の未来が平和であればいい。生まれ変わった深海棲艦たちの命が歩む未来、その絵が吹雪さんの描きたい夢の中にはありますか?」

 

「深海棲艦の命が生まれ変われば、そこにあるのは戦いだよ。平和なんてない。私の夢は少なくともそんな世界じゃないかな」

 

「……」

 

「魂の質は変わらないんだよ。あっ、でも電ちゃんの言うように元は一つであった存在ならば、そうだね」

 

「……」

 

「艦娘が消え去れば、深海棲艦もまともな魂をもって生まれ変われるのかな?今度は正しき一つの命として。なぁんだ」

 

「……」

 

「結局は、この戦いを早く終わらせてしまった方が早いよ。償うのはその後でいいと思うよ。だからさ、そんなこと戦闘中に考えるのはやめようよ。上手く殺せないよ?」

 

「吹雪さんは、その力を楽しんでるんじゃないですか?」

 

「楽しくなんかないよ……楽しいわけないよ。こんな常に命懸けの戦い。でも逃げられないでしょ?もう私はこの両肩に、この背中にみんなの夢を、未来を背負ってるんだから。前にしか進めないし、戦うことしかできない。そうして守るしか術はない」

 

 あぁ、理解できた。ようやくこの少女を。

 この、吹雪と言う、まっすぐという歪みを持った少女を理解できた。

 

 壊れている。ありとあらゆる理由で、自分の逃げ場を全て消している。

 誰かの期待を。誰かの夢を。その為に戦うことが自分の使命なのだと。

 

 彼女と言う存在は、きっと多くの人が抱く正義だ。いや、深海棲艦という人間に対する圧倒的な悪を前にして、ありとあらゆる弱い人々が抱く救世主の姿。圧倒的な力で闇を払う正義の光。

 犠牲を厭わない最強の正義。全ての悪を払うまで止まることのできない壊れた正義。

 

 冷静になれば、彼女は恐ろしい。自分の中に悪というものの存在を認知していないのかもしれない。

 

 人間とは、善と悪の両方がある。あらゆるものをその秤に乗せて行動する。

 だから、善と、悪が、両方必要なのだ。

 

 片方しか持たない人間は、人間として壊れている。

 善の意志に従順な者。悪に全うする者。対極が無く、止まることのないその意志は「化物」だ。

 

「なんとなく思ったことがあるのです」

 

「なぁに?電ちゃん」

 

「吹雪さんとは、分かり合えないのです」

 

「……譲れないものは1つや2つあるものだと思うよ。でも、否定されるのはちょっと辛いかな」

 

「吹雪さんの思想は破壊しかないのです。その先に対極にある想像を積み重ねることで理想を描こうとしているだけなのです。結局は自分の未来の為」

 

「過去の罪の清算をいまさら付けたところで、この戦いの本質は変わらないよ。失ったものを数えるくらいなら、今できることを考えた方が早い。それとね、電ちゃん」

 

「なんですか?」

 

「私を否定することは、私を支えてくれてる全ての人たちを否定すること。家族も町の人も叢雲ちゃんもその全てを。私としてはちょっと許せないかな?」

 

「じゃあ、どうしますか?」

 

「別に艦娘同士で戦って白黒つけようって訳じゃないよ。まあ、多分電ちゃんも私も間違っているとは暗に言えないでしょ?」

 

「……そう思えるだけの頭はあるんですね」

 

「結果は終わった時に分かるよ。この戦いが終わったときにね。その時まで信念を貫き通せばいい。それだけでいいよ」

 まっすぐと視線がぶつかり合った。

 1歩も譲り合う気の感じさせない、1歩も引く気もない意志が激しくぶつかり合う。

 

 激しく衝突して、激しく反発した。

 混じり合うこともなく、全てを弾き返す。

 

 

 

 吹雪さーん、どこですかー?

 

 そんな声が下の方から聞こえた。手すりを乗り出してみると吹雪型のみんながあちこち回って探している。

 そう言えば、突然連れ去られたんだっけな?忘れてた。

 

「白雪ちゃーん!ここだよー!!」

 

「あっ、吹雪さん!無事ですか!?」

 

「無事無事っ!すぐに戻るねー!!」

 

 大きく手を振ると、いろんなところに散らばってた吹雪型が白雪の下に集まってきて、手を振り返してきた。

 それに答えるようにさらに大きく手を振った。

 

「いいお仲間さんですね」

 

「うん、いい仲間だよ。きっと電ちゃんもとてもいい仲間に恵まれてここに戻ってきたんだろうね」

 

「はい。みなさんとても良い方なのです。とても強くて、とても優しい方々です」

 

「……じゃあね。また多分会うよ。次は海の上かもしれない」

 吹雪は階段の方に小走りしながら、小さく電に手を振った。

 

「次は向かい合うかもしれないのです、敵として……なんて冗談なのです」

 

「冗談でもあまり良くないよ。そんなのは。でも……」

 カタン。1歩階段を下りてから、足を止めて振り返った。

 

「もし、邪魔するなら、私は排除するよ。電ちゃんでも」

 それだけ言うと勢いよく階段を下りて行った。その後、すぐに下の方で彼女の声が聞こえた。

 

 遅れて震えがやってきた。

 最後に電に向けた目。完全に殺気を孕んでいた。

 仲間とは思っていなかった。完全に敵だとみなしていた。

 彼女の前に立つ深海棲艦はいつもこんな気持ちを味わっていたのだろうか?

 不意にぶつけられた躊躇いのない純粋な殺気は、電の心臓を鷲掴みにした。

 

「……どこか叢雲さんにも似てきましたね」

 独り言を呟いて、電も屋上を後にした。

 

 

 

 

 





 電と吹雪のやりとりは本来、プロローグにて行うつもりのものでした。
 つまり、この話自体、プロローグの時点で出来てたはずなのに、どうして今になったのかは私にも分からない(フルフル)

 私個人の「電」と言う艦娘のイメージを結構詰め込んでいます。戦いに対する矛盾を抱いており、苦悩する姿はいろんな二次創作で見かけます。そう言った彼女の個性を生かそうとする中で、吹雪と言うこの物語の主人公を、やや狂った感じに作ってみました。

 
 さて、この章いつになったら終わるんでしょうか?
 私が知りたい。


 と言う訳で、今回も目をお通しいただいてありがとうございます。
 次回がこの章最後。そして、その後エピローグ挟んで、新章の予定です。(予定)

 今後とも、よろしくお願いします。


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集う魂

 この章もようやく終わりが近づいてきました。


 

 

 横須賀鎮守府の一般公開も2日目に突入した。

 海の上を少女たちが駆け巡り、足の主機を唸らせて、電探の感に耳を澄ませて、艤装を操り、砲火を交える。

 主砲が火を噴くごとに、港に詰め寄せる群衆の中からわぁっと歓声が溢れ出す。 

 

 しかし、その声が彼女たちに届くことはない。

 客見せの為の演習、というつもりは一切なく、完全に互いに殺す気でぶつかり合う。

 海の上で向かい合った以上、船としての魂を持つ彼女たちは、その本能を掻き立てられる。

 

 

 1つはやはり軍の需要により始まる。

 無人機による偵察、及び衛星カメラの更なる高精度の要求。

 もう1つは人の好奇心。

 外宇宙の観測。更なる外の銀河を覗くための望遠レンズ。

 

 より鮮明に、より高音質に、より高速度で、全ての現象を捉えるカメラと言うものが生み出されていくのは、膨大な時間と無尽蔵に広がる人の好奇心と進化を止めてまで得た高度な科学技術よりそれほどの時間を要することはなかった。

 10年単位で世界は変わりつつある。遠洋での戦いを目の前で感じるような技術さえ。

 元は紛争地帯の現在進行形の3次元情報を伝達。今はスポーツ観戦に用いられていたものであるが、ここで艦娘たちの勇姿を目にするために利用された。

 

 

 1つの演習が終わると少女たちは帰投する。

 演習用のペイント弾に汚れ、海水で濡れて、砲火の煤でやや黒くなった肌を晒して、そんな彼女たちを拍手で出迎える。

 その時、その姿を見た者たちははっきりと実感する。

 

 こんな少女たちが、あんな風に海の上で戦っているのだと。

 彼女たちがこの世界を護る者たちなのだと。彼女たちが艦娘なのだと。

 

 話でしか聞いたことのなかった伝説の存在が目の前で動いている感動と、同時にお伽噺のように聞いてきたすべての事が事実として目の前にあることの驚きと畏怖。

 

「―――私の勝ちだね」

 吹雪は港で先程まで戦っていた少女たちを出迎える。特に、派手にペイントで汚れた1人の少女に手を差し伸べた。

 

「……悔しいけど、負けたのです」

 

「次は分からないよ。正直、怖かったよ。すっごく強かった。1対1だったらどうなってたか分からない」

 手を掴んで、ぐっと桟橋に引き上げると、そのまま握り直して握手をする。

 他の子たちも一戦交えた好敵手を互いに讃え合うように手を取り合う。

 

 駆逐艦による短時間の砲雷撃戦であったが、恐らくその日、1番激しい演習光景だった。

 昔から、一番気性の荒いのは駆逐艦娘たちだと言われていた。どこまでも勝利に貪欲で、意地汚い。故に目を惹かれる。少なくとも人の本能に近い感情に呼びかけるのはそう言ったものだからだ。

 

「お疲れ様でした。今回は残念でしたね、電さん」

 

「あっ、司令官さん」

 顔に痣を持つ青年が電に声をかける。続けて、皆さんもお疲れ様でした、と他の駆逐艦娘たちにも言葉をかける。

 

「まだ、横須賀の方々には及びませんでしたね。こればかりは時間と練度の問題でしょう。十分な健闘でした」

 

「はいなのです!」

 電が元気よく返事をして、青年からも思わず笑みが漏れる。

 ブイン基地所属の司令官、クレイン。ひょんなことからブイン基地に流れ着き、生まれ持った妖精を視る力で提督となった青年。

 吹雪たちも話には聞いていたが、窺える肌全体に及ぶ、彼の出自を問いたくなる痣はなかなか衝撃的なものだった。

 しかし、それも気にならないほどに明るい雰囲気を振る舞う。

 吹雪の方にも歩み寄ってきて、小さくお辞儀をした。

 

「……吹雪さん、素晴らしいお力です。叢雲さんとの連携、それに率いる者たちの統制、全てが私たちより1つ上を行っています」

 

「あははは、そうですか?」

 吹雪はそのままに受け止めて照れていたが、すぐに背後から誰かに小突かれる。

 

「まぁ、当たり前でしょ。1つどころと思ってるの?2つも3つも私たちの方が上よ」

 なかなか上から目線な言動ではあるが、彼女の実力がその態度を許させる。

 叢雲はつまらなさそうな眼をしながらクレインの前に立った。

 

「ハハハ……お手厳しいですね」

 

「演習でも甘さは見せない質なのよ、私は、ところで、うちの司令官を知らないかしら?」

 

「御雲大佐なら……確か大本営に呼び出されたと」

 

「はぁ……こんな時に呼び出すなんて何を考えてるのよ、あのクソジジイは」

 頭を抱えて愚痴を吐いたと思いきや、海軍の大将をクソジジイ呼ばわりしたのは流石に周囲も動揺した。

 何よ、とでも言いたげな叢雲の睨みで、すぐに全員が無理やり納得させられたが。

 

「いいわ。クレインさん、あなたたちは休んで。ドックに行って整備をしてもらいなさい。入渠と着替えの準備もしてあるわ」

 

「ありがとうございます。こちらにいる間、お世話になります」

 

「客なんだからこちらがきちんともてなすのは常識よ。あとはそうね……そこいらの有象無象にでも手を振ってあげればいいわ」

 叢雲が顎で示した先には、警備員たちの壁に阻まれている多くの一般人たち。

 艦娘やそれを率いる提督をもっと近くで見ようと詰め寄るがそう簡単にはいかない。

 艤装がない状態ならば、接触を許せるのだが、艤装を装備している状態で一般人との接触や過度の接近は許されない。単純に危険だからだ。

 

「……出来る範囲でそうさせていただきます。では、失礼します」

 クレインは丁寧に横須賀の駆逐艦娘1人1人に頭を下げていってその場を去っていく。

 その後を足早にブイン基地の駆逐艦娘たちがきびきびと着いていく。

 

「――――電、強くなったわね」

 ふと、叢雲が電に声をかける。振り返ってこちらを見た電に、叢雲は笑みを向けた。

 

「負けないのです。次は」

 そう叢雲に返した後、吹雪の方をちらりと見る。

 吹雪は何も言わずに小さく頷いた。それだけで、十分に意図は伝わった。

 

「じゃあ、私たちも戻るわよ。白雪、初雪、深雪、磯波は吹雪と一緒に身体を綺麗にしてきなさい。終わったらそのまま巡回警備。一般人には適度に対応すること。じゃあ、行きなさい」

 返事をすると元気よく駆けだしていく深雪の後を3人が追いかけていく形で走り去っていった。一般客の方に大きく手を振る辺りが深雪らしい。白雪と磯波は一度立ち止まってお辞儀を、初雪は何もせずに走り去った。

 

「あはははっ、元気が良いなぁ。叢雲ちゃんは?」

 

「私は被弾してないからこのまま哨戒任務よ。交代の時間だから」

 驚くことに演習の中で一発も被弾していない。掠りも、至近弾も1つもない。

 吹雪は一発、電から小破相当の被弾を受けていた。艤装と制服に飛び散るペイントがなかなか目立っている。

 

「うん、わかった。じゃあ、また後でね」

 吹雪は先に行った者たちの後を追おうと足を動かした。

 

 

「吹雪さん」

 その時、誰かに呼び止められる。声のした方を見ると、1人の少女が立っていた。

 

「あれ?あなたは……」 

 演習の時に相手にいた駆逐艦の少女だ。ブイン基地の駆逐艦。

 ワンピースのセーラー服。頭に髪飾りのようについている電探と首から下げる古びた双眼鏡が特徴的で、まだ容貌にはあどけなさが残っている。

 

「《雪風》です。被弾していないので、特に着替える必要もありません」

 

「えっ?あっ、ホントだ。すごい」

 雪風と名乗った少女を見ると、本当に一発も受けていない。

 終盤ではかなり激しい砲撃戦だった。どちらかと言えば、横須賀の一歩的な弾幕によって圧倒していた。その中で、おそらく唯一1人被弾なし。

 凄まじい実力だ、と思いながら、それを読まれたのか雪風は 

 

「雪風には幸運の女神が付いていますから」

 そう答えた。吹雪もその言葉を聞いてようやく納得した。

 

「神がかりな程の幸運を引き寄せる伝説の駆逐艦《雪風》、あなたはそれだったね。でも、きっと運だけじゃないよ。凄くいい動きをしてた」

 

「ありがとうございます。あとで少しだけお話ししたいのですが、お時間よろしいでしょうか?」

 

「話……?どうかしたの?」

 

「まぁ、それはその時に。今は互いにやることもありますし、今日でも、明日でも、夕食の後に。雪風は資料室にいますので」

 

「あー、うん。分かった。ちょっと今日は無理かも。明日会いに行くね」

 約束を交わして、吹雪は工廠に向かう足を再び動かした。

 吹雪にとっては雪風と言う駆逐艦と話せることも、どことなく嬉しかった。彼女ほどの武勲艦から話しかけて貰えただけでも実のところ、少し飛び跳ねたいくらいだった。

 

 “奇跡の駆逐艦《雪風》”、駆逐艦としても、艦娘としても、その名を知らぬ者はいない。

 

 

「――――待っていますよ、(すい)さん」

 

 

 

「えっ?」

 背筋にぞくりと悪寒が走る。雪風の声で名前を呼ばれた気がした。

 知らないはずの、自分が人間だった頃の名を。

 

 振り返ると雪風はもういなかった。気のせいだろうか?

 

 

「何してるの、吹雪。ぼーっとして。早く行きなさい!!」

 遠くから叢雲が声をかけてきた。首を横に傾げて、幻聴だったのかと疑う。

 

「何でもないよー!」

 そう返して工廠の方へと駆け足で向かった。

 

 

 

     *

 

 

 

 3日目。

 昼過ぎになると、海軍の音楽隊が集結して、横須賀鎮守府中に活気のある管弦の音が鳴り響く。

 空を隊列を成した小さな翼が飛び交って、観覧客たちを歓迎する。

 輪を描いて飛んだり、急降下と急上昇をしてみせたり、宙がえりをしてみせたりと、小さな空の狩人たちは自らの技術を見せびらかすかのように、楽しそうに鋼鉄の翼と共に空を翔ける。

 

 

「大きさこそ小さいが、数もあれば迫力もそう変わりはないな」

 窓の外を眺めながら、舞鶴鎮守府司令官、鏡 継矢大佐は後ろにいる女性にそう言った。

 

「航空ショーの始まりは1920年代。もしかしたら彼らの記憶の中にはそう言ったものに憧れて空の道を志した方もおられるかもしれません」

 心が躍るのでしょう、と女性は答える。

 旧航空自衛隊にもブルーインパルスという曲技飛行隊が存在しており、今のなおその跡を継ぐ部隊がJADFに存在している。空と言う一見限りのない広大な舞台で、軽やかに舞うその姿は万人の心を惹きつける。

 

「噂に聞くと、お前も一時期は志していたと聞くが?」

 

「戦いの道に自ら進もうとする人の方が少ないでしょう。私は継矢さんが正式に提督の道を征かれると聞いたので、今の地位に就けるよう努めただけですよ」

 女性はそう言うと、目の前にあった甘味を口にして、幸せそうに微笑んでいた。

 

「ん~、これが噂に聞く『間宮』の羊羹ですか。素晴らしいですね」

 

「お前が来ると聞いて1つ取ってもらっておいた。残りも持って帰ると良い」

 

「ありがとうございます!流石は私の継矢さんですね」

 

「なに、きっと喜ぶと思ってやったまでだ……」

 

 

 

 

「……あのさぁ、私邪魔かなぁ?継矢兄と瑞乃姉だけ残して退出した方が良いですかぁ?」

 背もたれのある椅子に逆に座って、むすっとした表情のまま織鶴 瑞羽は尋ねた。

 姉である織鶴 瑞乃と婚約者である鏡 継矢の何とも言えないいい感じの雰囲気に耐え切れなくなり、思わず不機嫌さをぶちまけてしまう。自分を忘れ去られているような気がして、寂しさ紛れに突っかかったところも少しあった。

 

「いや、そこに居ろ。また騒がれると困る」

 また叫びながら施設の中を走り回られると困る、と継矢は制した。

 

「……そんなことより、瑞羽。どうしてあなたここにいるの?」

 別に暇な身分ではない。航空防衛軍JADFのパイロットである彼女がこんな時間にそう簡単に職務を抜け出して来れるような場所でもない。

 

「ホントは挨拶だけして帰る予定だったんだけどさ。なんか葦舘さんに一般公開期間中、こっちで色々と勉強して来いって」

 何を勉強しろってのよ、と愚痴ってつまらなさそうに椅子を揺らしていた。

 

「そう、せっかくだから継矢さんと一緒に少しは弓でも引きなさい。ずっと怠けてるでしょ?」

 

「あーあーあー!私はいいの!!はぁ……工廠で何か整備してる時の方が落ち着くよ」

 

「海軍の工廠にお前が弄れるようなものはないぞ?」

 

「じゃあ、何しろって言うのよ……?」

 

「まぁそうだな。少しは空母の戦いでも見ていたらどうだ?学べることもあるかもしれないぞ」

 と、外で飛び交う艦載機たちを眺めながら継矢は提案した。

 

「……えっ?この後演習するの?」

 

「あぁ、鎮守府混合での艦隊だが、ほら、《翔鶴》も出るぞ」

 

「あー、うん。ちょっと興味ある。外で見てくる」

 先程までの様子が一変して、瑞羽はさっさと椅子を戻して部屋を後にした。

 どうやら気になるものがあるらしい。上手く釣れたと一安心して継矢は息を落とす。

 

 

「翔鶴さんですか。驚きました。自分と瓜二つの方と向かい合うとは」

 継矢の口から出た艦娘の名に、瑞乃は反応した。

 

「私も驚いた。不思議な縁だな。互いに互いの姉妹と間違えたということは、余程似ているんだろうな。お前は《翔鶴》に、そして瑞羽は」

 

「《瑞鶴》に、ですか。ここまで祖先と姉妹と言う関係まで酷似するとは、本当に奇妙な縁ですね」

 

「……まぁ、性格は全然違うがな。もし《瑞鶴》とやらが瑞羽にそっくりなら、お前は間違いなくその影響を受けているな」

 

「余計なお世話です……継矢さんこそ、私がお見かけした《加賀》という艦娘はもっと寡黙で誠実な方でしたよ」

 

「悪かったな、不誠実な男で」

 

「無愛想そうなところはそっくりですけどね。結局あれから会いに来てくれませんし」

 

「そう簡単に抜け出せると思うか?これでも舞鶴と言う拠点を任されているんだ」

 

「そうですけど……軍人と言う身分も厄介なものですね。時間も限られていますし」

 瑞乃はちらりと時計を見てから席を立ちあがった。

 

「では、私は戻りますね。羊羹、ありがとうございます。大事に食べさせていただきますね」

 

「あぁ、もうそんな時間なのか。時の流れは速いものだな。途中まで送ろう。どうせ私もそろそろ出なければならない」

 

「ありがとうございます。ですが、御自分の事情をわざわざ付け加えなければ、ちゃんと守って下さる優しいお方だと思えたのに変なところで継矢さんは残念ですね」

 

「悪かったな」

 そんなやり取りを交えながら、窓を閉じて椅子に掛けた軍帽を被ると、2人は休憩室を後にした。

 

 

 

     *

 

 

 

「――――加賀さん」

 航空ショーが終わり、一度海に出ていた艦娘たちは帰投する。各自補給と点検を行い、舞鶴鎮守府所属の航空母艦《加賀》も腰を下ろして自分で最後のチェックを行っていた。

 そこに長い白髪の女性が声をかける。加賀は少し目を細めてその姿を見る。

 

「あら、貴女は……その文字は……翔鶴だったかしら?」

 胸当てに記された「シ」の文字。本来は飛行甲板に記されていた空母の識別文字だ。

 空母は大体これで見分けがつくが、加賀はあまり好きではなかった。

 

「……元気そうね」

 

「はい。今日はお世話になります」

 翔鶴は大きく頭を下げると、加賀の隣に腰を下ろした。 

 

「こうして先輩方にもう一度お会いできて光栄です」

 

「不思議なものね。まさか人の身体で生まれ変わるとは思いもしなかったわ」

 

「えぇ……本当に不思議なものです」

 飛行甲板の調整や、袴、胸当て、矢筒など艤装以外の装備の調整を行っていく。

 艦載機の発艦は、弓道の精神に通じるところがある。道の一端を行く限り、一切の気の弛みを見せてはいけない。

 簡単なチェックであって、1からやり直すようなことはしないが、それなりに自分に厳しく行っていく。

 

「……1ついいかしら?」

 そんな中で今度は加賀が声をかけた。

 

「はい、何でしょうか?」

 

「遠回しに言うのはあんまり好きではないの。だから率直に言うわ」

 加賀は立ち上がると座ったままの翔鶴を見下ろしながら問いかけた。

 

「貴女、何者なの?」

 脚部の艤装の弛みを確認していた翔鶴の手がふと止まる。

 

「小さな挙動から、発着艦のひとつひとつ、しっかり見ていればこのくらい分かるわ。貴女の技術は既に一流の域に達しているわ」

 

「そんな……珍しいですね。加賀さんがそんなお世辞を」

 否定する素振を見せると、加賀は気に食わないというように眉をひそめた。

 

「世辞なんかじゃないわ。それに、私の前に仮面を被るのは止めなさい。バレバレよ、貴女。隙が全く無いもの」

 

「……相変わらず、加賀さんは加賀さんのままなのですね。安心しました」

 トントン、と踵を軽く打って翔鶴は立ち上がる。

 

「出撃前の整備はこうすると、加賀さんに教わりました……100年前の。生まれ変わっても、変わりはないのですね」

 

「100年前……納得言ったわ」

 

「驚いたりされないのですね?」

 

「驚くようなことでもないわ。既に自分が人間の身体になっている時点で色々と諦めているもの。私の理解の届かないことが多く起きていることに」

 

「……どんな時間の流れがあろうとも、私のとって加賀さんは加賀さんです。その実力も十分に知っています」

 

「どういうつもりか知らないけれど……来るなら全力で来なさい。納得を得るにはそれが一番早いわ」

 加賀も立ち上がり、先に出撃レーンの方へと向かう。

 

「先に行って待っているわ」

 そう言ってその場を去っていった。表情ひとつ変えずに、一切振り回される様子も見せないその姿を見て、翔鶴は懐かしさを感じながら、背筋を伝う汗を感じていた。

 

「やっぱり、お強いですね……いつの時代も」

 ふと、後方から明るい女性の声が聞こえてきた。

 飛行甲板を持っているところから、彼女たちも空母だろう。蒼と橙の弓道着を身に付けた2人組。

 と言っても、翔鶴からすれば良く見知った顔だった。この時代のではないが。

 

「一応、挨拶をしておきましょうか」

 そう思って翔鶴は2人の下へと歩み寄っていった。

 ただ、純粋に敬意を払って。そして、懐かしい声に触れたくて。

 

 

 

 

「龍驤さん、お待たせしました」

 沖の方へと向かうと小柄な少女が1人で立っていた。

 加賀たちとは違って弓道着ではなく、赤い和の装束。肩から掛けたベルトに大きな巻物を吊るしていた。

 

「おー、加賀、待っとったで~……ってどうしたんや?」

 航空母艦《龍驤》は大きな2つ結いの髪を揺らしながら振り返る。

 陽気な関西弁で加賀の姿を見ると同時に笑って答えた。

 しかし、すぐに怪訝な顔をする。顎に手を当てて、加賀の顔を覗き込むように近づいてきた。

 

「えっ?」

 

「笑っとるで、黄身?なるほどなぁ、加賀はそんな風に笑うんやなぁ」

 そう言われて、頬に手を触れる。触って分かるようなものではないのだろうが。

 だが、きっと笑っていたのだろう。感情が表に出ないとは自負していたが、抑え切れなかったか。

 

「そうですか……フフフ、確かに気分が高揚しているのかもしれません」

 

「へぇ、何かあったん?」

 

「えぇ、まぁ……もしかしたら。とんだ化け狐に首を掴まれているのかもしれないと」

 

「ほー、化け狐かぁ、えらいこっちゃなー」

 加賀の口調から龍驤も察したのだろう。期待するかのようににやりと笑みを浮かべた。

 

「慢心なく行きましょう。相手はただの5航戦風情ではありません。鶴なんて名前の似合わない狩人です」

 

「分かっとる分かっとる。蒼龍も合流したら1回作戦の練り直しや」

 

 久し振りに身体が震える。矢筒に納めた矢がカタカタと音を立てていた。

 武者震いか。そんなことを思いながら、身体の奥底で湧き上がる高揚感を密かに隠していく。

 龍驤の顔も先程から嬉しそうだった。やや狂気に染まった笑み。

 それを理解できる。戦闘狂の自覚はなかったが、もしかすると艦娘としての機能なのかもしれない。

 

 戦いが待ち遠しい。

 身体がそう叫んでいる。

 

 

 

     *

 

 

 

 1日が終わり、全ての一般客が鎮守府の外へと出ていった頃には、既にこの季節でも日が完全に暮れてしまっていた時間の事だった。

 訓練こそない1日であったが、1日中雑用として動き回っていた身体は休息を求めていた。

 

 今日の演習の見どころはやはり空母3隻に随伴の駆逐艦3隻による機動部隊の演習。

 空母は艦載機の練度が問われ、駆逐艦たちは防空演習の成果が問われた。

 

 舞鶴《加賀》、呉《蒼龍》、佐世保《龍驤》。

 ブイン《翔鶴》、横須賀《飛龍》、佐世保《瑞鳳》。

 

 両者ともに、正規空母2杯、軽空母1杯。戦力にそれほどの差はなく、一瞬の油断も許されることのない戦いとなった。

 白熱したのは、1航戦《加賀》と5航戦《翔鶴》のほとんど一騎打ちに近い激しい制空権争い。

 一歩も譲らないままに演習は終了。両者の決着はつかないままとなったが、翔鶴航空隊による大破判定2、中破判定1、小破判定1により、翔鶴たちの艦隊が勝利と言う結果となった。

 

 その後、蜻蛉釣りにほとんどの駆逐艦たちが駆り出された。

 双方、演習と言えど艦載機の損失割合が8割を超えていた。

 海に浮く妖精たちや、艦載機の回収に海の上をあたふたと動く少女たちの姿は、一般客たちからはどこか可愛らしいと好評であったが、当の駆逐艦娘たちからすれば見世物にされるようなことでもなかった。

 というか、妖精たちは艦娘たちにしか見えないわけであって、通常の人間からすれば、海の上でなぜかせっせと動いている少女たちがいるだけなのだが。

  

 

 

 すべてが終わり、吹雪が夕食にありつけたのはフタマルマルマルを過ぎた頃だった。

 疲れ切っているのに、食欲だけは不思議と湧いてくるのだから不思議だ。

 と言うのも、高級料亭『鳳咲』からこの行事の為だけに駆けつけてくれている料理人たちがいるのだ。

 『間宮』で働いている人たちもその人たち。艦娘たちの食事の世話までしてくれて、美味しそうなその匂いは食べる気力と言うものを与えてくれる。

 

「はぁ……至福の時間」

 口に含んだ瞬間広がる芳醇な旨みに思わずうっとりとしてしまう。

 

 

 あっ、そう言えば。と吹雪は思い出して食堂を見渡す。

 彼女の姿はない。もう食事を終えてしまったのだろうか?

 

「吹雪ちゃん、この後お部屋でトランプでもしませんか?」

 

「おう!負けたやつは買い出しな!」

 食事を終えた頃に白雪と深雪が誘ってきたが、先約があると言って断った。

 せっかくの姉妹とゆっくり触れ合える機会であったので少し惜しいことをした。

 

 資料室へと向かうと、明かりが点いていた。

 入口の管理人さんに軽く挨拶をしてから入室すると、奥の方で机が1つ電灯が点っていた。

 そこに彼女はいた。

 

「ごめんね。待った?」

 

「いいえ。お呼びしたのは雪風の方でしたので」

 雪風は呼んでいた本をぱたりと閉じて机に置く。

 その表紙を見て、吹雪はあっと声を漏らした。

 

 

「その本……『艦娘大百科』?」

 

「えぇ、そうです。吹雪さんがいつも読まれていた本ですよね?やや内容は子供向けですが」

 

「いつもって……やっぱりそうなんだね」

 その本はいつも『雪代 彗』が持ち歩いていた本だった。

 特に、『艦娘記念館』へと行くときはいつも持って行き、『投錨の間』のベンチに腰を下ろしてこれを読み耽るのが彼女の休日の過ごし方だった。

 

「こうやって会うのは初めてではないんです。雪風と吹雪さんは」

 

「うん、思い出したよ。何度も私たちは会っていたんだね」

 

「いつも、艦娘記念館に雪風たちを見に来てくれてましたよね、吹雪さん。いえ、(すい)さん?」

 

「あなたはあそこにいた……駆逐艦《雪風》なんだね?」

 

「はい、そのまさかです。雪風はあの時、あの場所にいた《雪風》です」

 

 

 





 加賀と翔鶴の戦いをカットしたのは申し訳ありません。
 書くと、もう二話くらい増えそうだったので、ちょっと控えさせ貰いました。
 要望があれば、もしかしたら書くかもしれませんが。


 次話が最終話です。
 大きく、次章への布石を打ってからこの章を締めくくりたいと思います。


 いつものエピローグは短めなのですが、この章はやや長めとなる予定です。
 
 

 


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旗を掲げよ EPILOGUEー宣誓ー

 

 

 綺麗な青空の下、よくぞお集まりいただきました。

 私、海軍特殊災害対策部横須賀支部の御雲月影と申します。

 みなさんがご存知の通り、横須賀鎮守府にて艦娘たちの司令官を務めております。

 

 まず、最初にこのような若輩者が、海軍の代表として皆様の前に立っていることに何かしらの不満や、海軍に対する不信感を抱く方もおられるかもしれません。

 

 お断りさせていただきますが、まだまだ私よりベテランの方が多くご存命されており、未だに現役で前線に出ておられます。

 

 そう言う訳で、私のような若者がここに立っているということが、まだこの国が追い詰められてしまっているということを表している訳ではありませんのでご安心ください。

 

 並びに、私のようなものにも、皆さんへの言葉を口にする機会をどうかお許しくだされば喜ばしい限りです。

 

 

 それに私達提督は、こう見えても、艦娘や深海棲艦においては専門的な分野での研究を行ってきた者たちです。より正確な情報を皆さんにお教えすることも場合によっては可能です。

 

 今後とも、皆さんの安全を確実にお守するために、私たちにできる限りの情報発信を行っていきたいと思っています。詳しい情報の発信方法としては、海軍のHPおよび広報部への問い合わせ等で対応させていただきます。

 

 では、前置きはこのくらいにしておきましょう。

 そろそろ、与太話にも飽きて来た頃でしょうし。

 

 残念ながら、再び《深海棲艦》なる脅威が現代に蘇る事態となり、再び私たちは彼女たちの力に頼らざるを得ない時代となりました。

 

 

 伝説と呼ばれ、かつてこの世界を守った彼女たちを。

 

 

 皆さんもご存じでしょうが、人類のみの力では深海棲艦を打ち倒すことはできません。

 人は海を奪われ、空を奪われ、徐々に陸地まで奪われていき、多くの人々が犠牲となったこと。

 

 

 たった100年前の話です。されど100年。

 人々がその出来事を、お伽噺のように語り継ぐ、それほどの時間が流れて、この年に再びすべての人類が今一度試されようとしています。

 

 

 人同士ならば、和解の道もあり得たでしょう。しかし、どうやら彼らには我々人類を駆逐する他に目的はないようです。

 

 

 これは1つの清算なのでしょう。

 100年前から変わりはしない、かつての戦争で奪われた多くの命が、怨念として生み出した存在が深海棲艦なのだと。

 

 

 それを打ち倒す使命は、その先の時代を生きる私たちに課せられたものです。

 

 

 その代表として、私たち、軍が存在しています。だから、皆さんが深海棲艦と戦うなどと言う事態は決してありません。

 

 

 皆さんには何かを強いるおつもりはございません。

 これまでと変わらぬ平穏ができる限り維持できるように、我々も尽力していきます。

 

 

 ただひとつ、どうか忘れないでいただきたい。

 皆さんがさりげない時間を送っているその裏側で、

 

 

 彼女たちは、戦い続けているということを。

 

 

 そして、信じてほしい。彼女たちは必ず勝利すると。

 そして、祈って欲しい。彼女たちは必ず帰ってくると。

 

 

 この世界に、最初に生まれた艦娘の鎮守府は、ここから離れた港町に生まれました。

 多くの市民が彼女たちを受け入れ、征く彼女たちを見送り、その帰りを待ち、喜びの声を上げて帰ってきた彼女たちを出迎えたと聞きます。

 

 

 まだ、艦娘という存在が朧げであった時代に、市民と艦娘たちを触れ合わせたことは今の私にとっては危険であったと思われます。

 

 

 しかし、その行動が強い信頼関係を生み出しました。

 そして、祈りが、願いが、強い力となって集い始めました。

 

 

 綺麗ごとかもしれません。

 ですが、私は信じたいと思う。その力こそ艦娘の原動力なのだと。

 

 

 だからこそ、私は艦娘を率いる立場として、

 彼女たちの近くにある存在として、皆さんにその3つだけをお願いしたい。

 

 

 

 そして、これは私個人のお願いです。

 もし可能な方のみ4つ目のお願いを聞いていただきたい。

 

 

 深海棲艦は生物です。紛れもない生命体です。機械といった無機物とは違います。

 

 それを打ち倒す艦娘たちも同様です。

 彼女たちはただ戦うためだけに生まれてきた機械ではありません。

 

 確かに、私たちからすれば彼女たちは深海棲艦と戦う手段であり、兵器なのかもしれません。

 

 それでも、彼女たちをどうか人として受け入れてほしい。

 物言わぬ冷たい兵器ではなく、温もりのある手を差し伸べてほしい。

 

 

 彼女たちは生きています。私たちと同じように。

 彼女たちは笑います、泣きます、怒ります、喜びます。

 

 彼女たちだって、在りし日の戦いの中で失われていった人々の魂より生まれた願いなのです』。

 

 人としての感情を持ち、人と同様に苦しみます。

 だからこそ、どうか否定しないでください。

 

 

 

 

 さて、この辺りで閑話休題としましょう。

 

 

 先日、日本国周辺の海洋における深海棲艦の勢力範囲、通称『浸蝕域』の観測の全てが終了しました。この事態を受けて、我々は現艦隊も用いる反攻作戦を行う予定です。

 

 

 北方海域への補給線を破壊。補給物資を温存していると思われる海域の艦隊を撃滅し、北方艦隊の壊滅を狙います。

 

 

 同時に、南方への警戒。東方への偵察を行い、敵艦隊全体の戦力の把握が済み次第、今後は順を追ってこれを叩いていきます。

 

 

 その先駆けとして、アリューシャン列島へと進攻します。

 これが恐らくこの時代最初の大きな戦いとなるでしょう。

 

 

 開始時期等は機密事項とさせていただきますが、心得てほしい。

 私たちの反撃は既に始まっています。

 

 奪われるだけの歴史は終わりです。新たな時代が訪れようとしています。

 

 その時代の道標をここに掲げます。

 ややベタですが、この旗こそが我々日本国の軍人の意志の表明としては適切でしょう。

 

 

 旭日旗には必勝の祈願を、そしてZ旗にはこの場所が、この鎮守府が我々の最後の防衛線であると言うことを、ここから先には進ませない私たちの意志を。

 

 

 この旗が掲げてある限り、我々は戦い続けています。

 我々は新たな時代を作り上げています。

 

 

 もし、この旗が折れることがあれば、それは私たちの敗北の時でしょう。

 

 

 そんな日は来る必要はありません。

 そんな時は永久に訪れさせるつもりはありません。

 

 

 その誓いを、全ての日本国軍を代表してここに述べさせていただきます。

 

 

 

                  『横須賀鎮守府海軍特務大佐、御雲月影』

 

 

 

 

 

 

 




 Z旗は有名ですね。本来はボートを出してくれ、と言ったような意味合いだそうです。
 あとは投網中だとか。

 もっともよく知られているものは日本海海戦の時のZ旗でしょう。
 
 Z旗はZがアルファベットの最後に位置する文字であることから、「これが最期」「最後を決する重要な戦い」と言ったような意味に派生したという説もあります。

 今回はそれを利用して、Z旗を掲げたこの場所が最期の戦線。
 つまり、絶対に譲れない防衛線。一切の地上への攻撃を認めない意志として登場させてみました。

 まぁ、海でのことは全部海で片を付けてやる。という感じです。



 月並みではありますが、この章の名前はちゃんと回収させていただきました。


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滅びの選択 EPILOGUE ーside 月影ー

「貴官に問う。嘘偽りなく、己が良心と軍人としての義務に従いて、よく答えること」

 よく見知った、厳つい顔の人物の隣にいた審議官らしき黒服の男がそう言った。

 

「はい。御雲 月影、この場に宣誓致します。この場における私の言動に一切の虚偽を無いものとすることを」

 面倒くさい。でも、こうしなければならないのだ。そういう決まりなのだから。

 

「よろしい。では、早速本題に入らせてもらう」

 よく見知った顔が口を開いた。

 低く重みのある声に、その身に背負った責任と積み重ねてきた苦労をなんとなく感じる。

 これでも、自分の肉親なのだから不思議なものだ。

 こんな血が自分にも流れているとは到底思えない。

 

 非情で、冷徹で、徹底的な、鉄と血の道を傍らを歩いているかのようなこの男の。

 

「先日の報告。偵察任務の件、滞りなく、十分な成果を得られたと把握している。それで、問題だ」

 海軍大将兼国家防衛大臣、御雲月之丈はデスクのコンソールを操作して、月影の周囲にウィンドウを展開した。どれもこれも、月影が提督となって以来、欠かさずに大本営に送り続けた報告書だ。

 最後に開かれたひと際大きいウィンドウに映し出されたのは地図。

 日本列島と、その周辺の海。赤い円が広がっていき、それは一定の範囲まで広がって止まった。

 

「先日の北方偵察の任務を踏まえて、4ある鎮守府の報告を合わせて情報統括本部が導き出した答えがこれだ」

 トントンと月之丈がデスクを指で叩く音だけが響き渡る、月影は口を閉じて静寂を保っていた。

 

「―――なにゆえ、これほどの遅れが生じた?」

 遅れと言った。目の前の偉丈夫はこれを遅れだと言った。

 確かに遅れだ、しかも致命的な。散布してはいるが包囲網がほとんど完成しつつある。第2次大戦下にあった大日本帝国のように、北も西も東も南も、敵がいる。

 日本は360度が海だ。島国だ。大陸と連なる陸路もなく、海底にトンネルがあるわけでもない。

 完全なる孤立が再び起ころうとしている。

 

 これは遅れだ。紛れもない、敗北への序章だ。

 100年前に集結した大戦の最中だって、この国は孤立していた。

 だからこそ、それは絶対に避けねばならない事態だった。

 

「既に敵の勢力は100年前と変わらぬほどにまで広がっている。この国も包囲されつつある状態だ。本来ならば、こんな事態は在り得なかった」

 

「要は、あなたは……大臣殿は私が怠け呆けていたと?」

 

「それ以上の事だ。其方は己が使命を忠実に果たさず、このような事態を招いた。もはや、其方1人の命で済むような事態ではない。100年。あの戦いから100年。その間、一定の権威を保ち、力を誇り続けてきた海軍の威信も、過去の戦いの英霊たちの栄光も、全てを無駄にする」

 

「そこまで言われるか……」

 自嘲気味の笑みを浮かべながら、こちらを見下ろす偉丈夫を見上げた。

 その顔には鋭い険しさしかない。今にも殺してやろうかと威圧している。

 

「もう一度問う。この遅れは何故生じた?」

 月之丈の2度目の質問に、月影は深く溜息を吐いた。

 その場全体にはっきりと伝わるほどの、あからさまで大袈裟な溜息。

 

 

 

 

「―――1人の少女は世界を滅ぼしたかったんだ」

 

 

「……は?」

 誰かがそんな疑問の声を発した。

 

「ならば、はっきりとお答えしよう。嘘偽りなく、はっきりと、何も包み隠すことなく、どうしてこんな事態を招いたのかを全て」

 知りたいのでしょう、とその場にいる者たちを嘲るような目を向けて言う。

 

「大臣殿、あなただってよく知っている少女だ。この世界に利用されるためだけに生み出された、いや遺されていた存在」

 

 

「彼女には、こんな世界滅ぼすなんて簡単にできた。分かっているでしょう?正確には『世界を救わないという選択肢を選ぶこともできた』ということですが」

 

 

「―――100年前、全ての艦娘は解体され、普通の人間に戻った。再び訪れるかの知れない脅威、その可能性を孕んだ未来に危惧した先代が、再び海の女神たちを甦らせるための術を遺した」

 

「待て……その術とは――――」

 誰かが驚きの声を上げた。

 

「あぁ、良く知っているはずだ。《叢雲》のことを」

 一気にざわついた。その名を知らぬ者はこの場にはいないだろう。

 彼らが必死になって、守り続けてきた存在であるのだから。

 

「馬鹿なっ!!彼女は先代の《叢雲》っ、この世界を救った艦娘の筆頭が遺した存在だ!!」

 

「そんなはずがない!!彼女こそ我ら人類の反撃の意志っ!!」

 

 罵倒のような言葉が飛び交う。席を立ちあがり、腕を振るって、我も我もと喚き散らす。

 こうなることは予想はしていた。あーあー、などと適当な声を上げて、月影は小さく息を吸い、

 

「勝手に祀り上げてんじゃねぇぞ。ジジイども」

 

 とはっきりと言った。今度は、一気に静まり返る。

 月影はややイラついたような口調で、かつ冷静に言葉を並べていった。

 

「彼女は艦娘である前に人間だった」

 

 

「それを艦娘としての使命に縛られた。進む道さえ選ぶこともなかった」

 

 

「分かるか?生まれながらにして、この国を、1億の命を。この世界を60億の命を。それを守ることを義務とされた少女だ」

 

 

「いくらそのために生まれたとしても、まるで彼女を偶像のように崇めるだけのあなたたちには永遠に理解できないだろう。そんなことする度胸もなければ力もない」

 

 

「そうだ。どうせならば人としての感情を抱かせるべきではなかった。そうしないように生まれさせるべきだった」

 

 

「そうしたら、私もこんなことを言わずに済んだかもしれない。こんな遅れを生むことにもならなかったのかもしれない。」

 

 

「だが、彼女は生まれた。今のまま生まれてきた。それは先代の《叢雲》がそうなるようにしたからだ」

 

 

「それはなぜだ?どうしてこんなに扱いにくいものを遺した?考えたこともないのだろう?あなたたちは」

 

 

「私はずっと考えてきた。彼女と出会ってずっとだっ!!」

 

 

「この私が―――兄である私が、彼女を理解していないとでも思ったか?」

 

 今ある全ての地位を投げ捨てて、もしこんな世界でなければ、もしかしたらそんな普通の関係としてあれたかもしれない。

 

 彼女は奇しくも歪な生まれ方をしてしまったが、もしかしたらちゃんと真っ当に人間として生まれてくることだってできたのかもしれない。

 

 

 

 

「私は彼女の味方だ。提督で叢雲で、ただの御雲月影と御雲楽で、それだけだ。私は彼女を護る」

 もし、という思うだけでどうしようもない理想ばかりを語るのもよくはない。

 しかし、その可能性があった以上、それを壊してしまっているこの世界が憎い。

 例え、生まれた時に背負わされた使命とやらがあったとしても、僅かながら残っているかもしれない可能性を殺す訳にはいかない。

 

 そのために、最低でも、自分の意志は貫き通したかった。

 そこまでも、その可能性を叩き潰そうとする目の前の大人たちから。

 

「子ども戯言もそこまでだ。其方の肩に乗った責任の重さを知らぬわけではあるまい」

 一切表情を変えず、殺意を込めて自分の息子に言い放つ。

 顔には出ていないが、相当怒り狂っているのだろう。

 自分の思うように生きてきたと思った息子が、こんなにも反抗的な子どもじみたことを言い始めたのだ。

 

「あぁ、分かっている。私は軍人だ。かつてある少女が作り出した栄光ある海軍の軍人だ。その誇りを忘れることはない」

 

「ならば――――ッ!!」

 

「その使命と責任を果たしてでも私は彼女を護る」

 

「それは矛盾だッッ!!軍人の務めは国家の防衛だ!!世界の崩壊を望む者の意志を汲み取り、其方はまだ戯言を吐くかっ!?」

 ドンっとデスクを拳が撃つ。まるで部屋そのものが揺れたかのような衝撃と音が広がった。

 

「矛盾していようともっ!!私は私を貫くっ!!たとえ、これが愚行だとしても、私がやらなければならない!!」

 

「否っ!其方がやってはならないことだ!それも理解できぬか!?」

 

「艦娘として戦うのがあの子の使命だとするのならば、それを導き、その意を尊び、共に道を進むのは、私が生まれながらに背負った使命だ。宿命だ!!」

 自分の胸を強く叩いた。拳に爪が食い込むほど強く握り締めて。

 ちょうどこの拳と同じくらいの大きさのものが激しく脈を打っている。

 そこから送り出される赤い意志が、月影に叫びを駆り立てる。

 

「この血が、それを肯定する。私は、俺は、間違ってなどいない」

 圧倒されていた。まだ齢25足らずの青年に、人生の大半の軍に捧げてきた男たちが。

 首を絞められているかのように言葉が出せなかった。

 

 くるりと軍人らしく整った回れ右をして背中を向ける。

 

「問いにはすべて答えました。私はこれで失礼させてもらいます」

 

「ま、待て!!まだ話は――――」

 

「最後にですが……」

 軍帽のつばを軽く下げた。そのまま首だけ少し振り返り、覗かせた眼で威圧した。

 

「今の彼女は、叢雲は、当分世界を滅ぼそうとなんて思わないでしょう」

 

「どこにそんな根拠が―――――」

 

「そんなもの、少しは自分の目で確かめられてはどうですか?大臣殿」

 

「其方の鎮守府に参れ、と?」

 

「えぇ、是非とも。歓迎しますよ。無論、私が提督を務めている鎮守府に、ですがね」

 

「……処分がないとでも」

 

「私の価値を十分に理解しているはずだ」

 

 

「失礼する」

 

 

 あぁ、彼女は怒るだろうな。

 だから、今日の事は話さないでおこう。あいつに怒られるのは少しおっかない。

 

 それに今の自分はどうしようもなくみっともない。

 軍人以前に人間としてどうにかしている。色々と破綻している気がする。

 

 それでも、一度でいい。

 この世界に、この宿命に、適当な形でいいから反抗してみたかった。

 子供らしいが。本当に子供らしいが。

 

 でも、吐いた言葉に偽りはない。

 彼女の味方であることは確かだ。いつでも彼女の言葉を遵守しよう。

 

 

 黒塗りの車に乗り込む前に、一度空を見上げた。

 少し気に障るくらいの澄み渡った青い空だった。

 

 いつだったか、彼女はこの空が好きだと言っていた。目を輝かせて、空に手を伸ばして、珍しく彼女がそんなことを言うものだからはっきりと覚えている。

 

 

 

 

 

「さぁて、帰るか」

 

 もう船は海のど真ん中にいる。引き返すことなんてできない。

 だったら、いっそ派手にやろう。徹底的にやろう。

 

 この運命に対する復讐は、そう簡単に終わらせるつもりはない。

 徹底的に、臆病者と呼ばれるほど、徹底的に、全てを叩き潰そう。

 そして血に混じる宿命も全て振り切って、その先にある未来を勝ち取ってみせる。

 

 そこから先は、お前の選んだ道を征け。

 できれば旅立つ前に、お前の夢を聞かせてくれ。

 

 

 俺は、ただそれだけでいい……。

 お前が見たい未来の空の色を、少しだけ見せて貰えれば、それでいい。

 

 

 その為にも、今はただお前たちを死なせないように戦ってやる。

 例え軍人に反していようとも、人間性を疑われようとも、

 

 俺はお前たちの提督で在り続けてやる。

 すべてが終わる、その時まで。

 

 

 

 

 

 

 

 



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滅びの宿命 EPILOGUE ーside 叢雲ー

 

 

 私は今更この運命を呪うことはしないだろう。

 いや、きっと私は祝福する。私のあなたと出会ってから今までの人生の全ては、あなたの為にあったと言ってもいい。

 だから、私はこの運命を呪うことはない。この宿命を恨むことはない。

 誇りをもってこの名を掲げることができる。

 

 全て、あなたのお陰。だから、あなたと出会えたこの運命を私は祝福する。

 

 私はもう救われているのだ。

 だから、この魂が生み出してきた怨嗟など微塵も残っていない。

 この力が償いの為に存在しているのならば、私に償うべき存在など既に存在しない。

 

 この魂は既に救われているのだ。

 だからこそ、戦う理由をあなたに見出そう。あなたの為だけに戦う。

 

 あなたが北へ征くなら私も北へ赴こう。

 あなたが西へ征くなら私も西へ行こう。

 あなたが東へ征くなら私も東へ足を進めよう。

 あなたが南へ征くなら私も南へ進路を取ろう。

 

 きっとあなたは私に夢を見せてくれるのだろう。

 真っ白ではなく、嫌みを覚えるほどに澄み渡ったこの青い空のような世界に、色彩豊かなあなたの夢を。

 

 

 

 でも、鏡に映るその姿は私に語りかける。

 

『――――駆逐艦《叢雲》……貴女が叢雲の名を持つことはここに来た時点で分かっているわ』

 

 それはきっと私の理想だ。

 私が在るべき姿なのだろうが、鏡の世界にこの手は入らない。

 私がその理想を掴むことはできない。

 

『――――私はこの名と共に未来にあなたを託した。だからこそ、これを貴女たちに遺す。貴女が愛する者を、貴女を愛する者を守るために使いなさい』

 

 私の知らないあなたがそこに居て、私を知っているあなたがそこに居る。

 私の後ろに鏡はない。鏡があるのは私の前だけ。

 

 合わせ鏡は無限の世界を作り出す。光の届く限り、その光は無限の影を作り出す。

 その中に映る自分の姿に、この前に、その先に、存在している「私」という存在を映し出す。

 

 幾度となく、受け継がれてきたこの名を、この力を表すかのように。

 合わせ鏡こそ、意思の継承。

 宿命の継承。それを呪いと呼ぶのならば、私の呪いはないのかもしれない。

 

 一世代限りの運命。

 私の前に映る「私」の姿が一つなのは、そう言うことなのだろうか?

 

『――――《叢雲》、呪いたければ私を呪えばいい。こんな運命を貴女に強いることを私はきっと死ぬまで後悔し続ける。でも、これは私たちが背負うべきもの。だからこそ、負の感情は全て私にぶつけなさい。貴女を前に動かすのは、正の感情のみ』

 

 ……私はこの運命を呪うことはない。

 呪ってしまえば、この運命はあの子との出会いさえ呪ってしまうことになる。

 運命とは切れないものなのだ。ずっと繋がって断ち切れない鎖だ。

 

『――――《叢雲》、護りたい人のために戦いなさい。その命をその為だけに燃やし尽くしなさい。全てが終わった後、その火が2度と灯ることがないほどに、激しく、熱く、高々と燃え上がりなさい』 

 

 私は人生が蝋燭だとは思わない。

 激しく燃えれば燃えるほどに、早く溶けてしまう。そんなのは人生ではない。

 人の命はいつだって激しく燃えている。

 この時代に吹き荒れる強い風の中でも消えないように。

 

 人生が蝋燭な訳がない。蝋燭如きで耐えられるほど魂の焔は小さなものじゃない。

 この命の炎に照らされて、赤熱して光る運命の鎖に耐えられる蝋燭など存在しない。

 

 この身体もまた炎なのだろう。人生もまた炎なのだろう。

 私の魂に灯る火は、この身体の中にある火に過ぎない。例え、どれだけ激しく燃えようが、この身を焼き尽くすことはできない。

 

『いつか、戦いが終われば貴女は解体の道へと進む。そこから先はもはや貴女は《叢雲》ではないわ。でも、貴女は運命の呪いの鎖を切ることはできない。貴女は人として生き、人として運命を背負う』

 

 

 

『叢雲、貴女は……』

 

 不思議と驚きはなかった。

 密かに感情が昂っていたのかもしれないがそれ以上に強力な抑制が働いて、私の中に驚愕は生まれなかった。悲哀も、苦悩も、何もかも、その一瞬だけは感じなかったのだ。

 もしかしたら、自己防衛だったのかもしれない。

 崩れ落ちてしまいそうな衝撃を全て受け流して、この心を守ったのかもしれない。

 

 とにかく、私は平然としていた。

 だから、きっと誰にも悟られることはないだろう。

 少し触れれば粉々に砕けそうなほどにひび割れた、私のこの身体を。

 

 

『――――までしか、生きられない』

 

 

 私にはこの運命を呪うことなどできなかった。

 

 それはあなたに出会ってしまった私の弱さだろうか?

 でも、きっとあなたは私にそれ以上の強さをくれる。

 だから、私はきっとまだ戦える。

 

 私は振るう。その名を背負うこの剣を。

 

 私は戦う。この背を預けるあなたの為に。

 

 灰の一つも、何も遺らないほど、激しくこの命を燃やし尽くそう。

 この生き様をあなたの中に刻めば、私はあなたの中で永遠に生きられる。

 だから、私は灰になろう。この身を焼き尽くし、天を焦がす大火となろう。

 

 青い空にこの名を刻む。

 

 あなたは許してくれるだろうか?

 勝手にあなたの青いキャンバスに1筆目を加えてしまった私を。

 

 

 

 

 

 




 読了ありがとうございます。

 はい。これで第4章終わりとさせていただきます。



 長かった。


 
 
 自分でもどうしてこんなに長くなったのか本当によく分からない。
 若干脱線気味だったし、こんなこと言うのもなんだけど、これ描かない方が良かったんじゃね?とか度々思いながらも、何とか伏線?というかサイドストーリー的な感じで必要な存在だった気もします。

 というか、この章で登場人物が多すぎて、少し整理するのが厄介になって来ました。


 さて、少しだけ最後に次章に繋がるものを書かせていただきました。
 第4章は、大まかな本筋の表面だけを少しずつ掬い取ったような場面が多々あって、完全に説明不足なんじゃ?と思うようなところもちらほら。

 ・吹雪が大本営で妖精の口からきいたこと。
 ・吹雪が資料室で雪風から聞いたこと。
 ・大本営に隠されたNavy-Codeのこと。

これも全て次章前半でちゃんと書きますのでご安心を。


 私が言うのもなんですが、物語が大きく動きます。
 発令される作戦名は『AL作戦』。史実とは異なり、北部海域への補給線断絶から本隊の撃破までを目的とした作戦が主として行われますが、一方で吹雪たちは逆の南の海へと向かうことになります。

 そこで、深海棲艦が復活してしまった理由。そして、100年前に終わったはずの大戦に隠された大きな謎が明らかになっていきます。

 一方で提督たちの身にも災難が降り注ぎます。
 突然、継矢の前に現れた謎の男に、月之丈の側近が月影に残した謎の言葉。
 陸軍、海軍、航防軍の中で次々に起こる上官の死。

 その全てが、2つの艦娘の聖地へと、全ての者たちを導くことになります。


 1つは、『英雄の丘』。
 そして、もう1つが、『天の剣』。


 なんか、無茶なシナリオだけ建ててるような予告ですが、できる限り自分の書きたいものから逸れないように努めていきます。


 では、第5章『天叢雲剣』でまたお会いしましょう。

 これからもよろしくお願いします。


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第4.5章「100数えて、そしてまた」
番外編 時を越え、継がれるものたち ※まとめ回


 整理するための簡単なまとめ回です。
 せっかくなので、月影と叢雲の対話形式で進めていこうと思います。

 まぁ、あれです。総集編的な?


 横須賀のデスクで、御雲は大量の資料を前に、コーヒーカップにすら手を付けることもできないでいた。もうじきこの鎮守府で開催される一大イベントを前に、ここの責任者である、御雲に休む暇など与えられてはいなかった。

 

「はぁ……全く提督の戦いと言うものも辛いものだ。時々、逃げ出したくなる」 

 そんな愚痴を漏らしながらもサインを書く手を止めない御雲。

 ちょうどその直後に、執務室をノックする軽快な音が聞こえた。

 

「失礼するわ。悪かったわね、執務を任せて席を外して」

 戻ってきたのは叢雲だった。この鎮守府で提督の補佐に回る秘書艦を一任されているのは彼女であって、この鎮守府に在る艦娘すべて代表であり、提督に次ぐ指揮権を有する。

 そんな彼女は、午前のうちは艦娘たちの訓練の指導に回っていた。艦種は駆逐艦に留まらず、軽巡も重巡も空母も戦艦も全ての艦種の訓練を彼女が監督している。そのために、彼女は執務室の秘書艦のデスクを空けていた。

 

 更に今はブイン基地の艦娘たちも訪れて、ここに滞在している状態だ。

 艦娘たちの管理に忙しく、叢雲が席を空けてしまうのも仕方のない状況であった。

 

「いや、あの子たちの指導も立派な秘書艦の仕事だ。だが、少し弱気になってたところだ。戻ってきてくれて助かった」

 ふぅ……と長い息を吐きながら、御雲は一度背もたれに体重を預けて背伸びをした。

 

「弱音なんて吐いてみなさい。沖に捨てるわよ」

 ギロッと叢雲の鋭い視線が御雲を射抜く。恐怖からか伸ばしていた腕が微妙なところで折れ曲がってしまい、変な格好で一瞬止まってしまった。

 

「はいはい……どうだ?この鎮守府の艦隊は?」

 

「駆逐艦の練度で他の鎮守府に負けてるとは思っていないわ。飛龍さんが来てくれたのは心強いわね。貴重な空母の戦力、しかも二航戦の飛龍。あんたには勿体ないわ。鏡さんにでも譲ったらどうかしら?」

 

「馬鹿を言え……」

 

「それに、やっぱり戦艦は圧巻ね。霧島さんに、山城さん。砲撃訓練の様子を見てたけど、思わず見惚れてしまったわ。こちらもとても貴重な戦力になるわね。あんたの采配にかかっているのだけれど」

 

「お前はいちいち俺の嫌みでも吐かなければ済まない質なのか?」

 

「えぇ、そうよ。知らなかったかしら?」

 

「知ってたような気がするよ……」

 ここで思い出したかのように、冷めてしまったコーヒーを口に含んだ。見事に温くんってしまっていたが、仄かに広がった苦みが身体の中に溜まった疲労を押し出してくれるような感じがして、ホッとため息が漏れた。

 

 

「電、五月雨、漣……3人がこの鎮守府を旅立って、一時期は寂しくなったものだが、ここも少しずつ人数が増えてきて、賑やかになってきたな」

 

「あまり良い事ではないけれどね。それだけ艦娘の力が必要となってしまっている時代になったと言うことなのだから」

 

「それもそうだがな……少なくとも、声の数は多い方が良い」

 そう言いながら、御雲はデスクの上に分けておかれた資料の一番上のものを手に取った。叢雲も執務机に手を乗せて、それを覗き込んだ。

 

 

【横須賀鎮守府】

・提督  御雲 月影 [大佐]

 

・所属艦娘

 叢雲 [吹雪型駆逐艦 5番艦 秘書艦]

 吹雪 [同上 1番艦]

 白雪 [同上 2番艦]

 初雪 [同上 3番艦]

 深雪 [同上 4番艦]

 磯波 [同上 9番艦]

 飛龍 [飛龍型航空母艦 1番艦]

 霧島 [金剛型戦艦 4番艦]

 山城 [扶桑型戦艦 2番艦]

 

 

「まだ9人だけ、ね。軽巡洋艦と重巡洋艦が欲しいところね。本来水雷戦隊を率いるのは軽巡洋艦の役目なのだから」

 目を通して意外と少ないこの鎮守府の戦力を知った。

 今までやれてこれていたのは、ぶっちゃけ叢雲と吹雪が駆逐艦とは思えないほどの活躍をしてきたからだろうが、これから先ずっとそうなるとも限らない。

 

「何、横須賀だけで戦っている訳じゃない。足りないところは補い合えばいい」

 

「呑気なものね。ここに大規模な敵艦隊が攻めて来たらどうするの?」

 

「そうだな。その時は俺が何とか指揮するから、お前たちは頑張ってくれ。上手くった変えるような作戦を考えてやるから」

 

「戦うのは私たちなのだけれど……まあ、いいわ。どうせこれから少しずつ増えていくのでしょうから。でも、制空圏もなしに良く戦ってこれたわね、私たち」

 自分たちがここまで上手く戦ってこれたことを少し不思議に思いながらも、叢雲は御雲が次に手に取った資料に目を向けた。

 

 

「舞鶴に行ったのは、確か五月雨だったわね。あの子は海の上では十分なのだけれど」

 

「あぁ……鏡が頭から熱湯をかけられてないか不安だ」

 

「大丈夫よ。あの人背が高いから、頭にかかることはないわ」

 

「そういう問題ではないような気もするのだが……」

 

 

【舞鶴鎮守府】

・提督 鏡 継矢 [大佐]

 

・所属艦娘

 五月雨 [白露型駆逐艦 6番艦 秘書艦]

 白露 [同上 1番艦]

 時雨 [同上 2番艦]

 村雨 [同上 3番艦]

 夕立 [同上 4番艦]

 涼風 [同上 10番艦] 

 由良 [長良型軽巡洋艦 4番艦]

 那珂 [川内型軽巡洋艦 3番艦]

 加賀 [加賀型航空母艦 1番艦]

 日向 [伊勢型戦艦 2番艦]

 

 

「初期としては安定した艦隊ね。やはり、初期艦の姉妹艦が集まりやすい傾向があるみたい」

 

「あぁ、うちもそうだったな」

 

「五月雨は、意外と度胸がある子ね。それに責任感も強いし、技術も可もなく不可もなく器用貧乏ってところかしら。汎用的に動けるから応用性を求められる船団護衛なんかじゃ活躍できるでしょうね」

 

「一方で鏡は空母機動部隊での戦術を専門的に学んでいた。大規模な作戦では、アイツに空母機動部隊の指揮を任せようと思っていた。本隊の指揮を鏡に、護衛部隊の指揮を五月雨が務めれば、堅固な防御性を持合わせた機動性に富んだ艦隊が生まれるな」

 

「そうね。空母戦力も各地で揃ってきたところだし、そんな日も来るでしょうね」

 

「あぁ、空母と言えば……舞鶴には加賀か。鏡の奴、気まずいだろうな」

 御雲は思わず苦笑いする。

 叢雲も察したような表情をして少し笑っていた。

 

「えぇ。自分の祖先と同じ姿をした艦娘と向き合う気持ちはね……私は同じ姿をしてしまってるのだけれどね。あの子も」

 

「奇妙なものだな。血を受け継いでここに在り、その血の始まりでその姿を持つ者を目の前にすることも、その姿になることも」

 

「……どうなのかしら?あんたは」

 

「さあな。もう忘れたよ。15年も前の事は」

 

「つまらない男ね……」

 舌打ちする叢雲にやや不満げな視線を送るも無視される。

 ずっと自分を貶してばかりの部下である一応妹に苦い顔を浮かべながらも、御雲は次の1枚を手にする。

 

 

「呉に行ったのは漣だったわね。そして提督は―――あの人か」

 

「あぁ……証篠だ」

 唯一の女性提督であり、提督たちの中でも個性的過ぎる人物だ。

 声が神妙になる。この名を耳にする度にろくなことが起こった記憶がない。

 

「漣、大丈夫か?あいつのところに行って」

 

「漣は周りが良く見えてるわ。その集団の中で上手く立ち回る感じだったわね。真面目なのよ、あの子。その分、苦労してないか心配ね」

 

【呉鎮守府】

・提督 証篠 明 [大佐]

 

・所属艦娘

 漣 [綾波型駆逐艦 9番艦 秘書艦]

 綾波 [同上 1番艦]

 敷波 [同上 2番艦]

 朧 [同上 7番艦]

 曙 [同上 8番艦]

 潮 [同上 10番艦]

 夕張 [夕張型軽巡洋艦 1番艦]

 川内 [川内型軽巡洋艦 1番艦]

 古鷹 [古鷹型重巡洋艦 1番艦]

 蒼龍 [蒼龍型航空母艦 1番艦]

 

 

「割とまともなのが解せないわ……」

 

「あぁ、思っていたよりまともなんだよな。なぜか戦艦が集まったりとかそういうこともなく」

 

「ただ1つ言うならば、あの鎮守府の資源の消費量が他の3倍近くあるわね」

 

「報告には、装備の開発ってことになってる。『46㎝三連装砲』とか誰が使うんだよ……?」

 頭を抱えながら、溜息を吐く御雲。大和型の艤装などまともに扱える艦娘など戦艦でもいないだろう。あるだけ無駄なものだ。

 

「今度会った時に〆ることにしましょう」

 パキパキと指を鳴らして露骨に殺意を露わにする。資源を無駄にすることは、横須賀にてその管理を任されている秘書艦の目からして、許すことができない行為だ。漣もきっと苦労していることだろう。

 

「……どうなんだろうな。証篠は恐らく俺たちの中で人一倍艦娘という存在に敏感なはずだ。それに囲まれてどう思ってるんだろうな?」

 御雲は思い出したかのようにそう口にする。

 

「あの人の力は少し異質なものね、いろいろと考えることでしょう」

 

「俺と鏡が心配していることでもあった。自分を重ねて、まともに指揮できなくなるんじゃないかと」

 

「なるほどね……それならある意味、漣は適していたのかもしれないわ」

 

「漣が適している?」

 

「あの子には人を見る目があるわ。そして自分がその人に対してどうあるべきなのか分かっている。あの子の戦う姿を見てそのことはよく分かったわ。相手が緊張しているのなら、少しふざけて緊張を解す。落ち込んでいるのなら、自分の知っている良さを教えて励ます。意地張ってる相手には、相手が気にしない程度にさりげなく手を差し伸べる」

 

「よく見てるな」

 

「あの子たちを育てたのは私だもの。そのくらいちゃんと見ているのは当然よ」

 

「そうか……いいコンビになるといいな」

 安心したような表情を浮かべて、次の1枚を手に取る。

 名前を見た瞬間、小さく舌打ちをした。

 

 

 

「天霧……こいつはどうでもいいな」

 

「待ちなさい。この人のところではひと悶着あったでしょう?そもそも、捨てられた犬を拾ってきたのはあんたでしょう?」

 

「拾わずに斬ってればよかった。上の命令じゃなければ斬ってた。しかし、電のことは驚いたな……」

 そう口にすると、叢雲でさえやや目を伏せて声に覇気を失う。

 

「えぇ……まさかあんなことになるとはね。無事だったからよかったけど」

 

「知ってるか?あれが起きた時、天霧の奴、結構必死になってたんだぞ。その分、捜索を打ち切れと伝えるのは少し堪えたな……」

 

「実感したでしょう?あんたが背負っている決断と言うものの重さに」

 

「あぁ……2度とごめんだ」

 

 

【佐世保鎮守府】

・提督 天霧 辰虎 [中佐]

 

・所属艦娘

 暁 [暁型駆逐艦 1番艦]

 雷 [同上 3番艦]

 睦月 [睦月型駆逐艦 1番艦]

 如月 [同上 2番艦]

 弥生 [同上 3番艦]

 皐月 [同上 5番艦]

 文月 [同上 7番艦]

 長月 [同上 8番艦]

 菊月 [同上 9番艦]

 三日月 [同上 10番艦]

 望月 [同上 11番艦]

 球磨 [球磨型軽巡洋艦 1番艦 秘書艦]

 龍驤 [龍驤型航空母艦 1番艦]

 瑞鳳 [祥鳳型航空母艦 2番艦]

 

 電 [暁型駆逐艦 4番艦]  [除籍]

 

 

「……多っ!しかも駆逐艦ばかり」

 叢雲は思わずずらっと並ぶ名前に驚いた。

 

「なぜかあいつのところには駆逐艦しか集まらないから『もっと建造させろ!』と言われてな。結果として、軽空母が2杯もいる」

 

「まぁ、邀撃艦隊としてはかなり活躍できそうね。航空戦力とその護衛を将来担っていけそうだわ」

 

「天霧の生まれもあって、賑やかなのはいい事だろう。あいつ、子ども苦手だが」

 

「鬼畜ね、あんた……別に同情なんてしないわ。生い立ちなんて別にあの人だけが悪いわけじゃないんだし」

 

「お前もお前、だしな。まあ、家族と思われてるだけお前の方がマシだろ」

 

「道具の間違いじゃなくて?」

 

「俺はそうは思ってないよ。お前は自慢の妹だ」

 

「そう、ありがたく受け取っておくわ……風の噂で聞いたんだが、ブートキャンプ並みの訓練をしてるらしい。なぜか近接戦闘もかなりやってるとか」

 

「陸上での白兵戦でもするつもりかしら……?」

 

「まぁ、天霧らしいと言えば、天霧らしい。自分の下に付く者たちの面倒ばかりはやけに手厚かった。そいつらに闇討ちを受けたことが何度遭ったか……」

 

「誰かの恨みを買うのは、御雲一族の十八番よ」

 

「言ってて悲しくならないのか、それ……」

 身内の自虐の流れ弾を受けてやや凹む。事実なのだから余計に凹む。

 なんだかんだあって、最後の1枚。それを手に取ると、2人してやや真剣な面立ちとなる。

 

 

「これは本当に驚かされた。まさかこの時代に血族以外の提督資格者が存在しているとは」

 

「えぇ……やや例外ね。それに鎮守府の面子も異質過ぎるわ。電が無事だったのは良かったけれど」

 

「事実は小説より奇なり、とはまさにこのことだ。クレイン、か……」

 それはとなる南の海で起こった偶然に重なる偶然の先で生まれた1つの艦隊。

 帰り道を失った少女と、時を超えて蘇った少女と、衝動に駆られて国を飛び出した青年の出会いから生まれた奇跡に近い偶然。

 

 

【ブイン基地】

・提督 クレイン [中佐(暫定)]

 

・所属艦娘

 電 [暁型駆逐艦 4番艦 秘書艦]

 陽炎 [陽炎型駆逐艦 1番艦]

 不知火 [同上 2番艦]

 黒潮 [同上 3番艦]

 雪風 [同上 8番艦]

 朝潮 [朝潮型駆逐艦 1番艦]

 大潮 [同上 2番艦]

 霰 [同上 9番艦]

 霞 [同上 10番艦]

 利根 [利根型重巡洋艦 1番艦]

 翔鶴 [翔鶴型航空母艦 1番艦]

 比叡 [金剛型戦艦 2番艦]

 

 

「お前は信じるか?100年前の艦娘がまだ生きていたなんて」

 

「俄かには信じがたいわ。でも、その経験と知識は大きな武器になるわ。翔鶴、彼女の存在はかなり大きいわね。電は正直、私はあの子はダメだと思っていたわ。戦う覚悟ができていなかったもの」

 

「今は変わったのか?」

 

「少なくとも、ここを発った時はまだ電はダメだったわね。何のきっかけがあったのか知らないけど、もはや別人よ。あと、あの子は5人の中で一番の努力家だったわ。陰での努力とその意地は認めていたわ」

 

「クレインという青年を提督にしてみせたのは、この2人の力あってと言うことか」

 

「そうでしょうね。もしくは、クレインとかいう彼から、電が何かを得ることができた。それによって今まで自分で押し込めてしまった、彼女の才能が一気に開花したというところかしら?」

 

「それを上手く制御してみせた彼の手腕も見事なものだ」

 

「恐らく、翔鶴さんが一から教え込んだんでしょうね。100年前の生き証人ほど頼りになる存在はいないわ。あと注目すべき点は……『奇跡の駆逐艦』雪風。まさかブインなんて場所に現れるとは思いもしなかったわ」

 

「艦艇は言うまでもなく、艦娘であった時も存在そのものが先代の《叢雲》並に伝説だからな」

 

「南方海域は激戦区よ。そこで今日まで生き延びてきた彼女たちの練度は他の鎮守府よりひと回り上でしょうね。頼もしいじゃない」

 

「今は、な……」

 最後の1枚をこれまでの4枚に重ねて置き、再び背もたれに体重を預けて、長めに息を吐いた。

 

「こうやって改めて、自分たちが背負わされている命の数を見ると、気が引き締まるな。おちおち弱気になっている暇もなさそうだ」

 鎮守府には提督が居り、艦娘たちを指揮している。

 横須賀の月影には、提督たちをまとめ上げる責任がある。

 提督たちと大本営の橋渡し。嫌な中間管理職みたいなポジションにいる。

 加えて横須賀の艦娘たちの指揮も執る。こっちは叢雲がいるので幾分か助かっているが。

 

 こうして、自分に命を預けている者たちの名を目の当たりにすると急に圧し掛かってくる、強烈な重圧。崩れ落ちて膝を突いてしまいそうなほどのこの苦しさは、実のところ慣れてしまっていた。何度となく味合わされた結果

慣れてしまったと言う皮肉だ。しかし、苦しいのに変わりはない。逃げた方が楽なのに変わりはない。

 

「これからもっと数が増えていくのよ?弱気になっていたら引っ叩くわよ?」

 

「はいはい……お前がいるから弱気になってる暇なんてないんだろうけどな」

 こんな時に、彼女のような存在は心強かった。

 ある時には鏡で、ある時には証篠で。逃げ場を塞いでくれる。そして、同じ方向を向いてくれる。背中を少し強めに叩いてくれる。この苦しみが紛れてしまうほどに強烈に、皮膚に響き渡るような痛みが、そんな時だけどうも心地よく思える。

 

「じゃあ、仕事でもするか!!」

 上体を勢いよく起こし、立てていた万年筆をもう一度手に取った。

 どれだけ技術が発達しようとも、重要なものは直筆と言う面倒くささ。

 そのせいでこだわりの生まれてしまった万年筆だ。手にしっくりと馴染むほどに、自分も毒されてしまったと実感する。

 

「こっちが私の分ね……変な催しのせいで糞忙しいわ、全く」

 秘書艦用の執務机に腰を下ろして、山積みの書類に目を細めて睨み合いをしている。

 

「お前は優秀だからすぐ終わるだろ?俺のも手伝ってくれよ」

 サインを走らせながら、やや調子に乗った勢いで月影は提案した。

 

「私の分のチェックが終わるまで私もどうせ時間あるんだからいいわよ。当然、あんたの分もチェックして間違いでもあったらこってりと〆てあげるけど」

 

「お手を柔らかに……」

 目が笑っていなかったので、爽やかに浮かべて見せた笑みが苦笑に変わる。学生時代に書いたレポートを目の前で教官にチェックされているような緊張感を思い出した。

 

 

 

「ねえ、あんた」

 不意に叢雲が問いを投げる。

 

「どうした?」

 

「どうして提督になることにしたの?」

 やや予想の斜め上を言った質問に、一瞬手を止めてしまった。顎に手を当て天井を見る。

 

「さあな、御雲に生まれた以上そうなるのが当然だと思っていたのかもしれん」

 そんな答えしか思いつかない。

 

「つまらない人生ね」

 特に目立った反応を見せることもなく、表情変えずに彼女はそう言った。

 

「全くだ。つまらない人生だ……知りたかったのかもしれない」

 

「知りたかった?何を?」

 

「艦娘という存在に……少女たちを戦いに導く司令官という存在が、一体どんなものなのかを、この身をもって知りたかったのかもしれない。それと……いや、なんでもない」

 

「言いなさいよ、区切りが悪いわね」

 

「言うまでもない些細なことだ……なぁ、叢雲」

 今度は月影から問いかけた。

 

「何よ」

 

「お前はこの戦いが終わったら何がしたい?」

 叢雲の手がぴたりと止まった。

 

「はぁ?」

 やや怒っているような語尾の揚がり方をしていたが、表情は少し答えに困っていると言ったものだった。

 

「御雲の使命と仕事は俺がやってやる。お前は自由に生きていい。そうだとしたら、お前はどうするつもりなんだ?まだ海軍に残っているか?高校に入って、勉強し直すと言う手もあるぞ」

 月影はある程度は覚悟していた。

 この名を背負い、この道に進んだ以上は、生涯この道の上にいるのだろうと。

 一方、艦娘は戦後割と自由に生きていたと言うのは言い伝えられている。様々な道に進んでいったと。

 約半数は従軍したままだったらしいが、せっかくならば戦いを忘れられるような生き方をしてほしい。

 

「……そうね。私にもそんな将来と言うものがあるのね」

 叢雲は微笑んで、ペンを机の上に置いた。

 

「ただ、まだ終わってもいないうちに理想を語るのは、死んだときに馬鹿みたいに思えるからあまり好きじゃないわ」

 

「まあ、ぶっちゃけ死亡フラグだしな。時間はあるしゆっくり考えとけよ。その代わり、艦娘として俺の下で頑張ってもらうからなー。言ってしまえば、恩の前売りだ」

 

「あんたって本当に外面だけはしっかりした内面ろくでなしよね」

 

「そうでもなきゃ、提督は務まらない。いかに上の権力に媚売って、いかに自分たちが生き残るかしか考えてないからな。あっ、自分たちにはお前らの事もちゃんと入ってるぞ。安心しろ」

 

「本音曝け出し過ぎよ……よくもまあ提督なんかになれたわね」

 呆れたと言いたげな顔を見るのはもう飽きてきたが、呆れさせている張本人が言うのも何なので。

 

「わりとそんなもんだ。全員、国家防衛だの護国献身だの硬いことを信念になんかしてない。わりと自分の欲望に忠実に生きている。鏡も、証篠も、天霧も、多分クレインも」

 

「適当なものね、人間って……」

 

「全くその通りだよ。その曖昧さや適当さが、人間としてそれなりに楽しく生きていける秘訣なのかもしれんがな。それにしても、1つはないのか?今の地位も力も全て投げ捨ててやってみたいことは」

 

「そうね……少し前はそんな夢を抱くことも考えたことはなかったから。でも」

 変わっていった自分を実感している。

 もしくは、一度死んでしまった自分がいることを知っている。

 生まれ変わったなんて、そんな大層なことでもない。でも、心変わりと言えるような、そんな些細なことなのだが、以前までの自分を認めたくない心が、変わってしまった自分を以前の自分と他人にしようとしていて。

 それが嬉しいような悲しいような。丸くなったと言われると複雑な気持ちである。

 

 それでも、過去ばかりに確執していた自分から少しだけ未来を見えるようになったのは、これは自分にしては少しだけ遅れてやってきた成長なんだと、前向きに捉えてみることにした。

 

 自分がしたことを今更許すつもりもないし、なんとなく彼女に謝るつもりもない。

 その代わりに、夢と言うものを1つだけ抱かせてもらおう。

 

「私がしたいのはただひとつ……」

 

「聞かせてもらおうか」

 

 

「どこかの誰かさんが作った世界で、どこかの誰かさんが守った空の下で、人生の最後に『こんな世界でよかった』ってその誰かさんに言ってやることよ」

 

 

「なんか充実してるな。具体的じゃないが」

 

「人間らしいでしょ?この曖昧さが」

 

「あぁ、きっと楽しい余生を送るよ、お前は」

 

 

「……それで?さっきから手が止まってるけど、何を考えているの?」

 

「今度の俺の挨拶の内容。大本営が提出しろと」

 

「そんなもの、アイツらが考えればいいものを……適当にそこいらの本からパクってきなさい」

 

「おいおい……それでいいのかよ」

 

「ちょうどよさそうな本があるじゃない。あんたの机に」

 書類の山にも埋もれずに、栞を挟んでおいてあった1冊の本。今の時代、こういった活字が離れていく中で、こういった記録だけは未だに活字として愛され続けているのは少し不思議だ。

 

 かつて、ある提督が書いたこの本。端的に彼の一生を描き、彼の想いの変化を描いているこの本。

 学生の頃に、10回は既に目を通している。それでも、その心は、提督としての月影の道標のようなもので、何度も何度も読み返している。彼の一生をたったの10度で全て理解するのは難しい。今は彼と同じ提督と言う立場で、自分に重ねていくことで少しずつ理解できている。

 

「あぁ、これか……俺にこんなことを言えと?」

 いわば、憧れの存在の言葉を引用する。少し恥ずかしいような。

 そんな気持ちがあって、月影は気が引けた。

 

「私は好きよ?先代もいい人を選ぶ目だけは持っていたようね」

 得意げにそういう彼女の言葉は尤もだろう。

 

 結局、参考程度までにした。きっと彼ならこういうだろう程度に。

 まあ、彼と月影は全くの別人なので、そんなにうまくできる訳もなく、やや内容は稚拙なものだったかもしれないが、「そんなに真面目にやるものでもないわ」と叢雲が言ったので、もうこれでいくことにした。

 

 

「そんなものに時間を割く暇があるなら、もっと別の事に手を回しなさい」

 

「はいはい……秘書艦様」

 

「ヒトヨンマルマルに建造が終了するわ。新しい子よ。ちゃんと迎えてあげなさい」

 

 ふと、脳裏を過ぎる。

 叢雲無くして、この鎮守府は成り立たないな、と。情けないが。

 そんなことを考えてしまう内は、まだ自分も未熟なのだろうと、一層気を引き締めた。

 

 

 




 人数も多くなって、登場人物の整理を付けるために、このような回を設けました。
 以下に、他のキャラを連ねておきますので、参考までにどうぞ。
 一度出た、名前なども一応あげておきます。

《表八家》
御雲 月之丈(みくも つきのじょう)[海軍大将 国防大臣 《御雲》現当主]
鏡 射継(かがみ いつぎ)  [海軍特将 国防統括参謀本部総長 《鏡》現当主]
蜻蛉 雅(あきつ みやび)  [陸軍大将 全方面最高総司令官 《蜻蛉》現当主]
織鶴 翔(おりづる かける)  [航空防衛軍大将 航空総隊司令官 《織鶴》現当主]
仲園 啓吾(なかぞの けいご) [東京都知事 《仲園》現当主]

上雄(かみお)
伊武野(いぶの)
長門(ながと)

《裏五家》
証篠 晃(あかしの あきら)  [国家公安委員会委員長 《証篠》現当主]

天霧 (そらきり)
峰城戸(みねきど)   
陽里(ひのさと)
鳳咲(ほうざき)


《その他》
雪代 竜河(ゆきしろ りゅうが) [雪代 彗(吹雪)の父]
織鶴 瑞乃(おりづる みずの) [航空防衛軍1等空尉 航空総隊司令部総隊戦術官]
織鶴 瑞羽(おりづる みずは) [航空防衛軍3等空尉 航空総隊対特例災害機動空挺師団六〇七部隊]
葦舘 慎二(あしだて しんじ) [航空防衛軍1等空佐 航空総隊対特例災害機動空挺師団長]

・彗の故郷のみなさん

・イヴ    [吹雪を作り出した謎の妖精]
平賀(ひらが)    [艦娘を作り出した謎の科学者 イヴの生みの親]



 こんなところです。またそれなりにキャラも増えますが、その都度ちゃんと説明を入れていこうと思います。

 何かおかしい点等ありましたら、ぜひともご指摘ください。
 これからもよろしくお願いします。


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第五章「天叢雲剣」
おとぎばなし -PROLOGUE-


 

 

 どんなお伽噺が好きだろうか?

 私は小さい頃からいろんな本を読んできて、いろんな国のいろんな物語を祖母に読み聞かせてもらった。いかにも子どもが喜ぶような、ハッピーエンドな童話のようなものが多かったが、その中でも私はある一冊の本を読み耽っていたらしい。

 

 中学に進学した辺りの時に、私の勉強机の本棚に、教科書に挟まっているその本を見つけて、それを持って母に尋ねたのだ。まだ真新しい教科書たちの中にあって、その本はとてもボロボロだったから、異様に目立っていたのだ。

 

 母に聞いてみれば、私はその本をある時から馬鹿みたいに読み耽っていたのだと。

 いつ、どこに行くときも暇さえあれば読んでいたせいで、こんなにボロボロなのだと。

 開いてみれば、ところどころに涎の跡や、クレヨンのようなものを走らせた跡があった。

 

 その本の名前は「ユキのだいぼうけん」。

 1人の少女が、不思議な力を持った妖精の力を借りて、ちょっとおかしな世界を冒険していくと言う物語だ。

 とても幼稚な内容に聞こえるかもしれないが、善悪の分別もそこそこにできるようになり、道徳観や倫理観も定まってきた年頃に読み返してみれば、児童向けの本にしてはところどころに生々しいストーリーが挟まれていて、この歳になっても少し面白いと思える。

 

 母曰く、私はこの本で文字を覚えたんじゃないかと。

 ほとんどひらがなで、ところどころに簡単な漢字も出てくるが大きくふりがなが打ってあり、挿絵も結構あってちょっとレベルの高い児童書みたいなものだと思う。

 

 ユキは生まれた時から独りぼっちだった。

 ある小さな島で、多くの子どもたちと一緒に暮らしていたのだが、ある日ユキを残してみんないなくなってしまった。みんなを探すためにユキがウミガメに乗って島を出ると言うのが物語の始まりだ。

 

 妖精は、イジワル博士というこの世界で一番物知りだが、イジワルな博士との取引の中で現れる。

 ユキは妖精を捕まえるのを条件に、「どこでも歩ける魔法の靴」を貰う。

 妖精はユキに捕まる条件に、ユキの綺麗な黒髪の色を貰う。ユキの髪の色はほとんど真っ白になってしまった。

 最後には妖精と手を組んで、イジワル博士の下から逃げ出す。

 ユキは海の上を歩いて世界中の島を渡り歩く。

 

 炎が燃え盛る島。岩と砂しかない島。水が至る所から溢れ返っている島。

 虹がいつもかかっている島。一面が雪景色の島。ずっと雨の降っている島。

  そして、風がとても強い島で自分の家族だった少女たちと再会する。

 

 しかし、少女たちは語る。

 「いつの日か、みんなあの島から出て世界へと飛び出さないといけない」と。

 恐らくこの本のテーマのひとつなのだろう。

 卵の殻を割るときに一つの世界が死を迎える。そんな話を聞いたことがある。

 

 この話は少し悲しかった。

 これからずっと、同じ場所で、同じように暮らしていくことなんてできないと言うことを暗に教えてくれたからだ。それは死と言うものが存在する限り、当然のことに思えるのだが、子どもには簡単に理解できないだろう。

 ただ、いつまでも誰かに頼ってばかりでいちゃダメで、いつか自分の力で飛び出していかないといけないんだと。それを小さい頃から教わっていくことにも何か意味があるのかもしれない。

 

 ただ、ユキはそれを否定するのだ。

 この物語の中でユキは頑なに家族がバラバラになることを否定する。そして、家族と喧嘩してしまい、ユキはその島を飛び出した。

 次の日、大きな荒らしがやってきて、嵐の中に住む化物に、その島は沈められてしまう。

 本当にバラバラになってしまったユキはひどく後悔するが、新たな島で出会ったひとりぼっちの少年に「バラバラになるために分かれるんじゃない。新しく誰かと出会うために、扉を開いて外に出るんだ」と教わる。

 

 そしてユキはある無人島に少年と一緒に辿り着くと、妖精と一緒に多くのものを作っていった。

 世界中で見た様々なものをこの島に集めると、たくさんの人がこの島を訪れて、旅の途中で出会った友達たちも遊びに来てくれて、とても賑やかになった。

 この物語の最後には、島を沈める怪物の住む嵐が、その島を襲うのだが、妖精や少年といった新たな仲間と共に立ち向かい、無事に島を守ることに成功する。

 

 ユキは話の最後に、怪物に沈められた島に住んでいた人たちを星にして夜空に浮かべるように祈る。

 空には多くの星が煌めいて、ユキの島をいつも明るく照らしていると、この物語は終わるのだ。

 

 この本の中では、登場人物の名前はほとんどない。

 ちゃんとした名前を持つのは、主人公であるユキと、この妖精だけなのだ。

 

 この妖精、名前をイヴといった。

 

 

 

 あの日、再びこの名を聞いてから私はこの本について調べた。

 生憎、その本は私の生家に置いてきてしまったため手元になく、内容はほとんど頭の中に入っているのだが、ちゃんと確認できないのは辛い。

 何はともあれ、一応ネット上を探してみた結果、そこそこに有名な本だったのですぐに見つかった。

 

 なんと、初版は80年も昔だ。この本は戦後20年に書かれたものらしい。

 もっとも、ありきたりな話ばかり溢れていて、数百年も前から語り継がれている話が多く存在している中で、まだ80年しか生きていないこの話は、ずっと若い方なのかもしれないけど。

 

 ただ、私は気になった。

 この物語に登場するイヴという名の妖精が、私に艦娘の力を与えたあの妖精の名と同じだと言うことが。

 絶対に何か関係していると言う予感がして仕方がなかったのだ。

 

 何よりも、私はこの本がただのお伽噺のように思えない。

 こんなことはあなたたちにもないだろうか?ただの創作のように思える物語が、突然全て現実に会ったことのように思えることが。ちょうどそんな感じなのだ。勘違いだと良いと思っている。

 

 ただ、もしかしたら、ほんの少しだけ可能性を語るとするのならば。

 私の中で生まれたifが語るに足りるものなのならば。

 

 この物語は、いったい誰の生涯を描いたものなのだろうか?

 

 

 もうひとつ。

 私が艦娘に興味を持つようになったのは、この物語を知った後からのような気がするのだ。ユキの生涯と艦娘に多くの共通点が存在して、気付かないうちに導かれていたのかもしれない。

 もしかしたら私の思い違いなのかもしれないのだが。

 

 私の物語はいつから始まったのか。

 この物語はいったいいつ始まったのか。

 私が生まれる前から存在していたものなんじゃないのか?

 

 私の夢は、私の大切な人たちが笑ってくれる未来を作ること。

 艦娘がこの世界を守ったように、誰かの幸せを守れるような何かをすること。

 大切な人にいつの日か、この世界でよかった、って言ってもらいたい。

 

 だから、私は知ることにしたのだ。いや、知らなければならないと思った。

 

 かつてすべての艦娘を率いてこの世界を守った、《叢雲》という少女について。

 そして、私の祖先である《吹雪》について。

 

 

 

 奇しくも、私はこの戦いの中でそれを知ることになる。

 その為に多くを失い、多くの力を手に入れ、そして私は―――――

 

 最も大切な存在を失うことになる。

 

 

 




 恐らく、今までよりもずっと亀進行になると思います。
 それと少し短めに区切っていくかもしれないので、短く感じるかもしれません。


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妖精イヴ

今回は妖精さんによる解説回です。ほとんど妖精さんしか喋ってないので、地の文がほとんどないです。

ざっと、流し見してください。細かなところはまた後で簡単にまとめると思います。


「では、結論から言うしかあるまい。深海棲艦が生まれ、私が生まれ、艦娘が生まれ、妖精が生まれた。深海棲艦を利用して艦娘の根底が築かれ、多くの犠牲の果てにその全ての技術を私と言うケースに収納した。そして、私は最初の艦娘を生み出した」

 妖精は淡々と語る。隠すつもりは更々ないという意思を見せるかのように。

 

「……は?妖精さん、今なんて」

 私は言葉を失いそうになった。頭が混乱していた。掻き乱されていた。棒で脳みそをかき混ぜられているかのようだった。表面に浮かんできた言葉を何とか拾い上げて言葉を発した。

 

「私が《叢雲》を生み出したのだよ。それ以前の存在は人間の愚かな背徳と傲慢が生み出したただの化物に成り下がったがね」

 

「そうか……其方が、其方がそうなのだな……」

 御雲大臣は妖精の言葉に思わず立ち上がった。まっすぐに背を伸ばしたその体躯は礼服の上からでも分かるほどにがっしりとしている。顔に浮かぶ皺とは関係なしにその肉体は健在なのだろう。

 問題はそこではない。

 強面で、威厳と恐怖しか感じさせなかった、御雲大臣が笑ったのだ。傷跡を派手に残しているその顔が喜々として笑みを浮かべたのだ。

 

「会いたかったぞ。『イヴ』」

 

「その名で呼ぶな。私は朋友より新しい名を授かったのだ」

 

「朋友か。我が祖先をそのように呼ぶのか……其方が」

 

「私の生涯の朋友はただひとりだ」

 

 

「えーっと、ちょっと待って妖精さん」

 

「どうした吹雪。すまないが私は今、頭の固い君の上司と話をしているんだ」

 

「いや……その、あなたって何者なの?」

 

 

「駆逐艦《吹雪》、其方はFGフレームについてどれほど知っておる?」

 御雲大臣は、そう私に問いかけた。突然の事だったし、相手の立場が立場なだけにピンと反射的に背筋が伸びてしまった。まるで校長先生の前で話してるかのような気分だ。

 

「えっ、あっはい!FGフレームについては……全てとは言えませんが基本的なことなら」

 

「なるほど。どうするイヴ?其方の口から語るか?」

 

「……はぁ、仕方あるまい。吹雪、艦娘とは何だ?」

 今度は妖精さんからの問いかけで、いくらか気分が楽だった、

 しかし、なかなか答えに困る問いかけをしてくれる。

 

「か、艦娘……?えーっと、深海棲艦と戦える唯一の存在。在りし日の戦船の魂と記憶をその身体に宿した少女たちの事で」

 

「一般的な見解はそうだ。この世界に広く知れ渡っているのもそれだろう。では、人と艦娘の根本的な違いは何だ?」

 

「違い?うーん……」

 

「人に何を付け加えたら艦娘になると思う?」

 

「それは、艤装かなぁ?でも、艤装はFGフレームの一部だから、FGフレーム?」

 

「その通りだ。君たち艦娘と、君の正面に座っている人間たちの違いはFGフレームにある。では、FGフレームとはどのようにして生まれたと思う?」

 

「えっ!?そんなの分かりませんよぉ。そもそも妖精さんが言ってたじゃないですか。どうやって生み出されたかはブラックボックスだって」(※第二章参照)

 

「まぁ、私も詳しいことは知らない。しかし、少なからず私が生まれた原因と関係していてね。君も勘づいていると思うが私は普通の妖精とは違う」

 

「確かに、妖精さんみたいなお喋りで態度のでかい妖精は他にはいないね」

 

「言うようになったな。妖精とは、ただ与えられた命令に従って作業を行うアルゴリズムを組み込まれた世界のプログラムのようなものだ。もっと正確に言うのならば、艦娘という存在をこの世界に縛るために、妖精という存在を生み出さざるを得なかったんだ」

 

「艦娘が生まれて、妖精が生まれた」

 妖精さんの言葉を聞いて、いつか教わった言葉を復唱するかのように呟いた。

 

「その通り。だが私は違う。私は艦娘よりも早く生まれた。全ての艦娘は私を始まりとして生まれたのさ」

 

 これから語られるのは私にとっては勉強のようなものだった。

 鎮守府で勉強させられていることの復習と応用の中間のようなもので。

 

 でも、これは今思えば私を作り出したこの妖精の重大な過去であって。

 この戦いの始まりを語るものだったのだと。

 

 1人の科学者の存在によって、総てが生み出されたのだと。

 

 

 

     *

 

 

 

「その昔、平賀博士と言う人がいた。はっきり言って彼女は天才だった」

 

 

「アルキメデス、ニュートン、レオナルド、ガウス、オイラー、アインシュタイン、ホーキング、その他にも多くの、ありとあらゆる時代に今までの人類の常識を凌駕する頭脳を持つ天才が生まれてきた。平賀博士は紛れもなく、その時代の選ばれし頭脳だった」

 

「そんな彼女が生まれ落ちた時代に、導かれるように、今までの人類の常識の及ばない存在が現れた。深海棲艦だ」

 

「知られていないが、最初に人間が深海棲艦と邂逅した時。それは駆逐イ級と後に呼ばれることになる個体が九州のとある浜辺に打ち上げられたことが始まりだったのだ」

 

「その姿を見た時、彼女は涙を流したらしい。『神が私をこの世界に生み落とした理由をようやく見つけた』と」

 

「彼女は宿命だと思い、若き時代の全ての時間をその研究に捧げた。そして彼女の頭脳はあっという間に深海棲艦というものを理解してしまった」

 

「深海棲艦は特殊な非定常振動を放つ「外骨格」に近いものを表皮付近に有している。これが周囲の空間に特殊な波を発し続けている。今まで人がオーラと呼んできたような、そんなものだ」

 

「周辺に発生した特殊な力場は、海水と反応し浮力を発生させる。同時にその足下に足場のような力場も発生させてしまう。身体の重心を中心として、その力場の最外端を最大とする球体の領域がその力場の及ぶ範囲」

 

「この領域に明確な名前はない。ただ『領域』と呼んでいた。だが、平賀博士はこの存在とその脅威をすぐに理解した」

 

「領域に侵入した物体のエネルギーを一瞬で発散させてしまう。これは恐ろしいものだ。運動エネルギーも熱エネルギーも何もかも0になる。放射線さえ電子や原子の運動エネルギーがなくなってしまえば意味がない。本来爆発するはずのエネルギーさえその領域内では消滅する。近代兵器は全て効かない」

 

「全てのエネルギーは彼らの足下に流れていく。広い大洋のさらに奥深くに。恐ろしいだろう?」

 

「深海装鋼という未知の金属が学会に出た時は大笑いされたらしい。しかし、その場にいた者は誰ひとり、深海装鋼を理解できなかったという皮肉もあるが」

 

「彼女は次に深海装鋼を人為的に作り出そうとした。しかし、それは不可能だった。深海棲艦と他の生物の身体的構造があまりにも異なっていたからだ」

 

「細胞の複製も不可能。残されたサンプルも僅か。手元にあったのは膨大な研究データだけ」

 

 

「平賀博士は考えた。これらの研究データを元に、新たな別のものを作り出そうと。最終的には深海棲艦と同じようにそれを人体に組み込めるように」

 

 

「彼女は天才だった。あっという間に新たな理論を構築し、人体細胞に沿った形の全く異なる組織格子の理論を作り上げてしまった」

 

「人体内部に存在する組織格子と、外部に存在する組織格子を特殊な引力で人体に沿うように結び合わせ、強固な「見えない外骨格」を作り出すというものだ」

 

 

「馬鹿馬鹿しいが、「魂の波動」というものを利用した。先程も言ったが、人が生まれながらにして周囲に広げている波動、オーラのようなものだ」

 

「これが組織格子の構築に不可欠だった。ヒトの持つオーラに干渉されると組織格子は強固な結合を見せて、更にオーラを変質させて外部へと放つようになった」

 

「深海装鋼の再現に近い形にまで完成していた。深海棲艦の持つ領域に近いものを」

 

「それは既に『生きている無機物』に近い存在だった」

 

「平賀博士は当初とは異なる形で、理論に派生できるようなもっと簡単な形で、それを保存しようとした」

 

「彼女が積み上げてきた研究データの全てと、彼女が構築した理論の全てを濃縮して、1つの存在を生み出した結果。それは確かな形としてこの世界に生み出されることになった」

 

「それが私だ。すなわち、私はFGフレームのプロトタイプの集合体によって成る存在であり、この世界で最初にFGフレームとして形を成した存在であり、この世界で最初に生まれた妖精だ」

 

 

 

「さて、不思議なことに私には自我があった。その理由を私は知っていた。この記憶は海の記憶だと」

 

「多くの命が生まれ、散りゆく海の記憶だと。FGフレームは波動に共鳴する。私が共鳴したのは海の波動だった。それ故に私は理解していた。深海棲艦の正体を」

 

「私は平賀博士に1つの答えを提示した。「在りし日の戦船のような兵器を作れ」と」

 

「そして始まったのが『イヴ計画』だ。私の中に存在している海の記憶の中からある魂を引き出し、それを無機物である『艤装』に定着させる。そこから生まれた魂の波動はFGフレームの定着を促し、FGフレームを解析して平賀博士は人体に組み込むFGフレームの設計を行った」

 

「後に私が魂を定着させるシステムを組み込んだ装置が『建造ドック』だ。これも何回か失敗して大変なことになったんだが」

 

「60回の人体実験が行われた。おおよそ50名ほどに同時にFGフレームを定着させようと試みるものだ」

 

「人体内部に「インナーフレーム」を作り出すために、60兆の細胞をわずかに変質させた。その結果遺伝子の改変にまで及び耐えられる人体はいなかった」

 

「実験が進むに連れて、人体内部のFGフレームの生成には染色体の影響があると考えられた。XとYの染色体では片方の染色体を改変させた際に耐え切れなかった」

 

「しかし、XとXの染色体は相互に補完し合う性質を見せた。遺伝子の改変が起きても欠損した部分を対となる染色体が補った」

 

「ここから、男性にはFGフレームが定着しないことが分かった。そこからインナーフレームの完成は40回目の実験で成功した」

 

「だが、「アウターフレーム」の生成は難しかった。言わば「外骨格」。無理矢理アウターフレームの形に合致するように人体を作り変えることに耐えられる者はいなかった」

 

「人間をプレス機械にかけて成形するようなものだ。失敗が続いた」

 

「だが、61回目で奇跡が起こった。アウターフレームの生成に耐えられた者が現れた。すぐにインナーフレームを結合し、強力なFGフレームが定着した」

 

「これがマルロクイチ計画だ。後に語られるすべての始まり」

 

「彼女が《叢雲》だ。この世界で最初に人体にFGフレームを有した人間――――始まりの艦娘だ」

 

「私は言及した通り、FGフレームによって成る存在だ。だからFGフレームを視ることができる。彼女のは強力だったよ」

 

「艤装と結びついた瞬間に、研究所すべてを包み込む領域を展開してみせた。まだ上手く調整ができていなかった。このせいで全ての電力が落ちたりと大変だったが」

 

 

 

「これが艦娘の始まりだ。そして、反撃の始まりだ。そして、私と言う存在と《叢雲》の関係だ」

 

 

「さて、妖精について語ろうか。FGフレームの中には「魂」が存在する。多くの者たちの魂が「船の魂」として1つに収束したものだ。船の魂と言う巨大な集合体からすれば、小さなものだが」

 

「FGフレームの放つ領域内では特殊な力が働くと言った。艦娘の中に存在する魂のひとつひとつがその力を表す存在を補う形として定義されたものが妖精だ」

 

「つまるところ、妖精は記憶の断片だ。それを引き出して妖精と言う形でFGフレーム内部で力を作用させているのだよ」

 

「人間には見えない理由がそこにある。ただの「力」だから見えない。しかし、FGフレームを有する艦娘にはその記憶を知っているようにその力を知っているからこそ、見えてしまうのさ」

 

「それが見えてしまう人間―――過去の提督たちはそれこそ数奇な存在だったのさ。特殊な遺伝子を持っていたとしか言いようがない」

 

「君たち、艦娘の子孫は、FGフレームを構築する際に改変された遺伝子を受け継いでいる。その一部が擬似的なインナーフレームを君たちの体内に作り出している。それが原因で妖精が見える」

 

「そして、ここにいる吹雪は不思議なことに、アウターフレームまで受け継いで生まれた存在だ。まさに艦娘になるべくして生まれた存在だと」

 

 

「これが妖精と、君たちの真実だ」

 

 

 

    *

 

 

 

「ねえ、妖精さん。私はそんなものを受け継いで生まれてきたの!?」

 

「あぁ、そうだ。君を見た時からそれは知っていた」

 

「で、でも、私はかつての戦船の記憶なんて持ってなかったよ?」

 

「それはある意味当たり前だ。君には艤装がなかったのだから。それにアウターフレームに合うまでに成長する時間が君にはあった。記憶と言うものはほとんど必要なかった。君の側にも1人いただろう?成長していた艦娘が」

 その言葉にすぐにある少女の姿を私は思い浮かべた。

 そういえば、彼女は生まれながらにして艦娘だったはずなのに、小学校の頃から背は伸びていたし、人間らしく成長していた。私の一番の親友は。

 

「今の時代の叢雲もそうだ。成長と言うものはアウターフレームに対する余裕を生み出している要素だ。そして、ある一定まで達した時にアウターフレームに制限をかけられる。その時に艤装が必要になる」

 

「FGフレームのインナーフレームには『形状記憶性』が、アウターフレームには『形状保存性』がある。アウターフレームは一定の形状に保とうとする、インナーフレームは一定の形状に戻そうとする。これは艦娘の修復にも応用されている技術だ」

 

「あぁ、入渠のことか。確かに人間の時より傷の治りは早いかも」

 

「ただこの性質には艤装から「魂の記憶」を受け取って、本来のFGフレームの機能を発揮させてから現れる。特にインナーフレームの方はな。形状記憶性の戻そうとする力によって、アウターフレームの保とうとする力に成長が負けるのを防いでいる」

 

「……そう言えば、艦娘の寿命ってどうなるの?私はこの姿のまま、80歳になったりするの?この姿に押し込まれてるってことだよね?」

 

「あまりこういうことは言いたくないが……君たち艦娘は定期的にメンテナンスを行い、ちゃんとした補給を続ければ、実質不老不死だ。FGフレームの戻そうとする力が成長を戻し、保存する力が形状を細胞レベルで保存する。もっと正確に言うならば、君たちは入渠や補給をすればいつでも同じ状態を保つことができる。一切変化のない身体だ」

 

 

「……まるで魔法だね。時間が戻ってるみたいだ」

 不老不死というよりもそっちの感じの方が私にはしっくりきた。

 

「悪魔の技術だよ。平賀博士の研究はその域に達していた。この性質は深海装鋼にはない艦娘固有の力だ。数的不利な状況を打開するために、平賀博士が作り出した」

 

「へぇ……すごいね。平賀博士ってひと。どんな本にも載ってなかったけど」

 私はわざとらしく御雲大臣に視線を向けた。

 あぁ、そうだよ、あなたたちのせいで闇に葬られた存在になってるんだもんな、この人。

 

「ねえ、ひとつ気になったことがあるんだけどね」

 

「なんだ?」

 

「もし、妖精さんがやろうと思えば、深海棲艦の中にあるような負の感情をもった魂を人間に、艦娘に、埋め込むこともできたんじゃないの?」

 

「なぜそう思う?」

 

 

「負の感情を持つ深海棲艦に対抗するために、艦娘には正の感情をもつ魂が与えられたって勝手に解釈した。伝わってる話もそんなものだし」

 

「艦娘は在りし日の人々の祈りや願いが形となった存在、か……今の話を聞いてもそう思うのかね?」

 

「変わらないよ。妖精さんに導かれたにせよ、深海棲艦に立ち向かわせていたのはきっとそう言った人間の感情なんでしょ?」

 

「確かに、私にも負の感情を与えることはできる。だが、吹雪。勘違いしてはいけない。私は別に負の感情を与えていなかったわけじゃない」

 

「えっ……?」

 

「人間と言うものは善悪の両方を持ち合わせて、秤で物事を判断する生き物だ。本能ではなく理性による善悪の判断は人間に備わった思考の最たるものだ」

 

「それが艦娘と何か関係があるの?」

 

「深海棲艦は負の感情を、いわば悪の感情しか持たない。これは確かだ。艦娘は正の感情を、いわば善の感情しか持たないと思うかね?君は本当にすべてをいいことだと信じ切って行動しているかね?君には悪いと思うことはないのかね?」

 

「……」

 

「違う。片方しか持たないものは、それは化物だ。人間じゃない。完全な善しか持たない者と、完全な悪しか持たない者には、善悪の判断なんてない。全て自分の思うがままに繰り返すだけの、初めから完全に秤の傾いた化物だ。私はそんな化物を作っていた気は一切ない。私は両方与えていた」

 

「ちょっと待って……じゃあ、艦娘の中には……深海棲艦の持つ負の感情もあったってこと?でも、それじゃ深海棲艦を」

 

「そうさ。深海棲艦を理解している。なぜあれがあんな風にあるのかを全て。感情と記憶だけに突き動かされているだけの存在と思ったのか、君は」

 

 

「綺麗ごとばかりじゃない。全てを背負ってでも、ある時代の人の祈りや願いを守ろうとした正義の現れた存在が艦娘だ」

 

 

「……吹雪、君の中にある想いは確かにそうなのかもしれない。艦娘たちは過去の記憶に従って戦っていたのかもしれない」

 

 

「だがな、あまり自分の理想ばかりを押し付けるのは良くない。現実はもっと残酷なものなのかもしれない」

 

 

「深海装鋼の理解ができた平賀博士は恐らく「魂の波動」を理解していたのだろう。だからこそ、「戦船の魂」というものも恐らく理解していたはずだ」

 

「逆を言えばな、深海装鋼にもFGフレームのように何かの魂が宿っており、記憶が宿っているということだ」

 

「深海棲艦は深海装鋼で構成される生命体だ。その記憶が人類の破滅を導くように彼らを動かし、その肉体が在りし日の戦船のような兵装をもっていたのならば」

 

 

「それと向き合ったかつての艦娘たちは何を思うだろうか?」

 

 

「やや身体を更生する成分が人間よりなだけで、艦娘と深海棲艦は酷似している。深海装鋼から生まれたのだから無理もない」

 

 

「当然思ってしまうのだよ」

 

 

「『あの中にある記憶はもしかしたら自分の中にあったものなのかもしれない』と」

 

「『この身体の中にある記憶はもしかしたらあの中にあったのかもしれない』と」

 

 

「宿命を感じてしまうさ。まるで生き別れた姉妹のようだ。中には自分が存在しなければ存在しえなかった存在だと深海棲艦を思う者もいた」

 

「あったかもしれない可能性。艦娘とはある意味、それを最大限に引き出している存在なのだよ」

 

「だからこそ、あったかもしれない可能性に人一倍敏感で、同情や共感や、後悔さえ、深海棲艦に抱いてしまった」

 

 

「これが答えだよ、吹雪。歴戦の艦娘になればなるほどにこの感情は強かった」

 

 

「正の感情なんかじゃない。それはその姿になれなかったという後悔と、その姿にしてしまったという後悔」

 

「善があるからこそ悪が存在すると言う二元論に基づいた正義の拮抗が生み出したジレンマだ」

 

 

「彼女たちの中にあったのは――――『償い』という戦いの理由だ」

 

 

「でも、それじゃ――――」

 妖精の言葉を聞いて私の中に生まれてしまった可能性が、耳の奥でノイズのように騒いでいた。気持ち悪かった。早く吐き出してしまいたかった。

 

 憎かった。そんな可能性が。

 

「そうさ。君たちは。艦娘の姿をして―――――」

 

「イヴ、それ以上は止めろ」

 この時、御雲大臣が、そう言ったような気がした。

 私はその声がもっと遠くの喧騒の中から湧きだすいくつもの声の1つのようにしか聞こえなくて、妖精から答えを受け取る前に、ただ私の中で生まれてしまった答えと言うのもを自分で言葉にしてしまっていた。

 

 

「私達は……深海棲艦になる可能性があった……」

 

 

 

 




 この話は第四章「小さな反逆、大きな変化」に一部がつながる内容となっています。
 
 自分が憧れて止まなかった存在が、
 自分が最も憎んでいた存在に結びついてしまうような可能性を持っていたのならば。

 そんな話です。

「艦娘⇔深海棲艦」という設定をやや仄めかしてしまうようなものですが、私の中でははっきりとはそう定義させてもらわずに、この物語を続けていこうと思います。


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宿る者との語らい

「意外と驚かれないんですね?」

 雪風は私の顔を見ながらそう言った。

 

「こう見えても、驚いてるよ……」

 言葉の通り、驚いている。私が艦娘というものに興味を抱いて以来、暇さえあれば通い続けていた『艦娘記念館』。あの場所にある『投錨の間』にあった艤装。そこに目の前の彼女の名はあった。

 

 駆逐艦《雪風》、はっきりと覚えている。水上電探も、双眼鏡も。

 あの場所にあった艤装を持っている艦娘は数名ほど、この時代に建造されている。ある意味、私はそれが当然の事だと思っていたのだが、色んな疑問もここ数字で湧いてきた。

 

 そんな中で、雪風は私の目の前に現れた。

 

「厳密にはあの場所にいた《雪風》の一部だけを受け継ぐのが今の雪風です」

 

「えーっと、どういうこと?漠然とは分かってるけど、実のところ全部分かってるわけじゃないんだ」

 吹雪は雪風の正面の椅子に腰を下ろしながらそう尋ねた。

 向かい合って、こうやって見ると、幼い顔立ちながらどこか達観した独特の雰囲気を纏っている。

 

「100年前、艦娘はすべて解体されました。その際に、艤装の一部は解体されずにあの場所のように展示したりするために残されました。艦娘と艤装は2つで1つであって、人である艦娘の本体の記憶を、無機物である艤装も記憶しています。所謂、魂が宿るというようなものです」

 

「は、はぁ……」

 

「普通は、こういったものは時間をかけて少しずつ正しき場所に戻っていくんです。海の記憶の一部でしかなかった艦娘の記憶も、海へと還っていくものなんです。そして再び建造される時が来れば、それに応じて再び新たな魂として艦娘に宿る」

 

「でも、あの場所にあった艤装には、ずっと魂が宿ったままだった、ってことだね」

 

「はい。知っているかどうか分かりませんが、今の吹雪さんの中には《吹雪》だけではなく、あの記念館にいた艤装に宿る一部の魂が存在しています」

 

「……は?」

 言われたのかもしれないが、覚えていない。

 今の吹雪の艤装は、艦娘記念館にあった《吹雪》の艤装を元に造り上げられている。その際に、色々とあったらしいことは聞いているがそんなこと知らなかった。

 

「その中で、雪風だけは外されたんです。もう一度艦娘として生まれ直し、《吹雪》と《叢雲》、この2つの過去の艦娘の魂をそのまま受け継ぐ存在を見守るために」

 

「ちょっと待って……私の中に、吹雪以外の魂があるの?」

 

「心当たりございませんか?ふとした時に、吹雪さんの中にある別の艦娘の記憶に触れているはずです」

 

「……あっ」

 そう言えば、私のものではない感情がふと私の中に流れ込んできたことがあるような気がする。その時に、知らない光景が脳内を何度も過って、なぜか悲しくなった。

 

 ある時は、空を覆い尽くす鉄の鳥を見上げ。

 ある時は、全てを消し去った白い光に包まれて。

 

 

「私の中に……いるの?」

 

「はい、10人ほど……《雪風》の魂は途中まで吹雪さんと共にありましたが、海に出た際に一度、海に還りました。本来は横須賀で生まれる予定でしたが、調べてみると横須賀じゃなかなか生まれる機会に恵まれてなかったみたいなので、一度海に出て、雪風を建造できる場所を探していたんです」

 

「えーっと、何だっけ?潮の満ち引きと天文学的問題と風土と何かしらの確率で魂の波動を結び付けやすい云々って話だっけ?」

 

「大雑把ですがそんなものです。建造システムはなるべくして構築されたシステムです。明確な理論の下に、魂の降霊を行い、その波動を結びつけることですが、雪風はなかなか当てはまる日が来なくて」

 

「それでブイン基地に生まれたのかぁ……」

 

「はい。と言っても、雪風は吹雪さんに出会うまではこのことを忘れていたんですけど……船の記憶はともかく、艦娘の記憶と言うものはそう簡単に引き継げないんです。特に魂なんていう不安定な状態だと」

 

「そもそも、魂なんて概念は結構明確なものなんだね。艦娘になってる身で言うのもなんだけど。まぁいいや」

 

「……そろそろ、本題に移りましょうか。艦娘記念館にあった一部の艤装には艦娘の魂が残されていました。一部は吹雪さんを護る鎧となり、一部は海に還り、再び艦娘として蘇ります。吹雪さんが生まれた時から、歴戦の駆逐艦の如く動けたのは、吹雪さんの中に存在する無数の魂の記憶のお陰です」

 

「なるほど……私のルーツに、ようやく私は辿り着けたわけだ……」

 不思議と動いた身体。訓練もなしに多くの敵と戦えたこと。

 ただの艦艇の記憶ならば、そうも上手くはいかないだろう。艦娘としての記憶でもない限り。それも、ありとあらゆる戦闘を繰り広げてきた多くの歴戦の艦娘の魂が。

 

「―――さて」

 雪風はそんなことを口にして、腰を上げた。

 机に手を突いて、私の方に顔を近づけてくる。

 

「ここから先は、向こうの方々にお願いしましょうか?」

 スっと、私の耳元に彼女の左手が添えられた。何が何だか分からずに、私は動けないでいた。

 

「えっ―――――」

 

 パチン、と指が鳴った。

 その瞬間、目の前が真っ暗になった。眠りに落ちると言うよりは、意識を刈り取られる、と言うような感じだった。

 

 

 

     *

 

 

 

 頬を撫でた冷たい風に私は目を覚ました。

 目に飛び込んできたのは、空に浮かぶ明るいまん丸の月と、無限に広がるかのような海。

 波ひとつなく、とても静かで、その上に広がる夜空の色をそのまま映した黒く深い海だった。

 

 私は膝を抱えるように座って眠っていたらしい。

 少し離れた場所に桟橋が見える、コンクリートの地面の上。

 

 あぁ、この場所は知っている。私の始まりの場所。懐かしささえ感じる。

 

 

「―――久し振りだな。上手く戦えているようで何よりだ」

 私に誰かが話しかける。ふと目を向けると、夜風に艶やかに伸びた黒い髪が靡いているのが窺えた。その容姿は同性である私でも惚れそうなほど凛々しく、多くの女性の憧れを形にしたような人だった。

 前にここで会った時は、どこか甲冑に似たような衣装だったが、今は黒い外套を羽織って、夜に紛れているかのように、私の横に片足を伸ばし、もう片膝立てて座っていた。黒い革製のブーツはどこか高級感を纏っていて、彼女の魅力を一層に引き立てていた。

 少しだけ周りを見て、彼女に言葉を返した。

 

「……今日は艤装はないんですね」

 

「今は出撃するわけじゃない。いつも持ち歩いてるわけでもないんだ」

 そう、少しだけ申し訳なさそうに笑いながら答えてくれた。

 

「あなたは……長門、なんですね?」

 不思議なものだった。以前来た時に、彼女が長門である確信はしていたのだった。

 だが、私が目覚めている間、《長門》という存在がどんな姿をしているのか、全く知らなかった。こちらでみたことすべてを、私は目覚めているときに思い出すことはできないらしい。そして、不思議とこちらに来た時だけは、それを思い出すことができる。

 

「私が《長門》であるかどうかと訊かれると少し答えに困るな。私は《長門》であった者の記憶に過ぎない。かつて長門と言う名の戦艦の魂を宿した1人の女性の、記憶と、心と、想いの作り出した幻影のようなものだ」

 

「ややこしいですね。この際だから長門さんと呼ばせてもらいますけど……」

 

「まあ、その辺りは君が好きなように呼べばいいさ」

 

「どうして私の中に……?」

 

「……私の友の意志でな」

 そう言った長門さんは、そっと目線を遠くに向けた。天と地の狭間を見るかのような水平線。その向こうにある景色に、在りし日の思い出を重ね、想いを馳せるかのように。

 

「私達は選ばれたんだ。もしかしたら、訪れるかもしれない未来に備えるために。全ての戦いの記憶と知識を持ち合わせた状態で再び戦いの場に赴くために」

 

「でも、それは無理だったんですよね?」

 

「あぁ、私たちが解体と言う選択肢を選ばなければ、もしかしたら可能だったのかもしれない。しかし、君も知っているだろう?平和な世の中に、私たちのような過ぎたる力を持つ存在は、ただの恐怖を与えるものでしかないのだよ。仕方なかった、だからこそ私たちは魂としてこの世界を見守り続けてきた」

 

 いつか私の友人と語ったことがある。

 あの時まだ私は艦娘じゃなくて、彼女が艦娘であると言うことも知らなかったのだけれど、『艦娘は平和の犠牲になった』のだと、彼女は言っていた。

 

「一方で私の友は艦娘の業を背負った。一族を懸けて艦娘の力を代々背負っていくこととした。本来、私たちは再びこの世に降り立つ彼女に着いていくはずの存在だったが……君に出会った」

 

「わ、私ですか?」

 

「あぁ、何度も私たちの下に現れ、羨望と期待に満ちた眼差しを向けてくれた君だ。道行く人に声をかけ、まるで自分の事のように私たちの事を語ってくれていたな。嬉しかったよ。言葉を出せない私たちに代わり、その想いを代弁してくれる君が。そして、何より君の周りには愛が満ちていた」

 

「愛、ですか」

 長門さんの言葉を繰り返すように、私もその言葉を口にした。

 

「あぁ、そうさ。君の誰かを想う気持ち。私達や家族や友や君の故郷の者たちを想う気持ちが、巡り巡って君に人のより良い感情を集わせていた。相思相愛、というのは違うかもしれない。だが、君が向けた愛の数だけ、君には誰かの愛が返ってきていたのさ。時に、君が私たちに夢を語るときは、まばゆいくらいに君は多くの愛に満ち溢れていた。いつの日か、私たちは皆、君に惹かれていった」

 

「な、なんだか、恥ずかしいですね……自分のことをこうやって褒められると」

 

「ふっ、少し語りすぎたな。ただ、君は面白い身体もしていた。生まれながらにして私たちに近い存在だった。それは妖精から聞いているはずだ。だからこそ、あの日。私たちは君に賭けたのだ。本来、私たちを迎えに来るはずの存在は来なかったからな……それに、私たちもあの場にいた君を放っておくことはできなかった」

 

「あの時は、私も、私自身と向き合うことができました。長門さんたちが私を進ませてくれなければ、私はあのまま大切なものを全部失っていたんだと思います」

 

「そうか……それはよかった。あの日のことを君が後悔していなくて何よりだ」

 長門さんはそう言って優しく微笑を向けてくれた。こんなにかっこいい人でも、こんなに優しい笑みを向けることができるんだな、とちょっとだけ胸が高鳴った気がした。

 

 サァァっと海が鳴くような音がした。海面に波を作りながら、強い風が私たちに吹きかかった。

 髪が靡く。さわさわと髪が耳に当たる音がした。

 その音に紛れて、からん、と誰かがこちらへ来る音が聞こえた。

 

「あまり雑談に耽っている時間もありませんよ、長門。彼女をここに連れてきた理由は他にあるはずですよ」

 優しい声。この声もこの世界で耳にした気がする。

 

「懐かしい友と語っている気分なんだ、少しは大目に見てくれ、赤城」

 長門さんは彼女を「赤城」と呼んだ。

 あぁ、そうだ。前に私が来た時には彼女は弓道着姿だったが、今は艤装の1つも持たずに浴衣のような和服姿だった。からん、と透き通る音は下駄の音らしい。こうして戦いに臨まぬ姿を見ると、意外と小柄で、どこかおっとりとした雰囲気のある綺麗な大和撫子と言う言葉が似合う女性だった。

 かつて「赤鬼」と呼ばれた姿はいざ知れず。

 

「吹雪さん、申し訳ありません。突然、このような場所に呼び出してしまい……雪風さんにももう少し説明してからこちらに連れてくるように言い聞かせておくべきでした」

 

「い、いえ……私は大丈夫です。ここも懐かしい感じもしますし」

 

「懐かしい、ですか。不思議なものですね。貴女は以前来る前までは知らないはずの景色ですのに」

 

「吹雪の中には、以前の《吹雪》もいる。その記憶のせいだろう」

 

「なるほど。そう言うこともありましたね……少し歩きませんか?」

 

「……分かりました」

 ゆっくりと腰を上げて、立ち上がる。不思議なものだ。踏みしめた足にしっかりと力が返ってくる感じがする。ここが夢の世界だとちゃんと実感していないと、どちらが現実か分からなくなってしまいそうだ。

 

 私はここが良いのだが、と長門さんが愚痴を漏らしていたが。

 

「貴女は艦娘の時もずっとそこにいたでしょう?職務も放り出していつも海ばかり見て、大体貴女は」

 と赤城さんが愚痴を言い始めると、これは長くなりそうだ、と言いたそうな気まずい顔をしてさっと腰を上げた。伝説中の更なる伝説の存在が、こんなふうにやり取りをしているのを見るのは、なかなか新鮮なものだ。

 

 

 

 

「――――あの戦いは終わっていなかったのかもしれません」

 しばらく海岸線をゆっくりと歩いていると、唐突に赤城さんがそう言った。

 

「えっ?」

 

「貴女たちが100年前に終わったと思っていた深海棲艦との戦いは、まだ終わっていなかったのだと。そんな危機感は私たちが解体を受ける寸前まで、ずっとしていました。私たちの友が危惧するような言葉を私たちに向けたからかもしれません」

 

「1つ訊いてもいいですか?」

 

「はい、なんでしょうか?」

 

「長門さんや、赤城さん、その他の艦娘記念館に残された艤装。あれは選ばれて残されていたんですか?」

 

「まあ、そう言うことになるのかもしれないな。全てがという訳ではないが」

 

「あの場所にいた者たちの多くは、艦娘であった時、最も私たちの友に近かった存在です。長きに渡り、同じ戦場を駆け抜けた最も信頼できる存在と言えるでしょうか。彼女の意志に賛同するには、それだけの信頼と、それに見合うだけの覚悟が必要でした」

 

「永遠に海に帰れない覚悟もあったのだ。悠久に等しい時間を、戦友たちの待つ海に帰ることもできずに、ただその時を待ち続けると言う覚悟を」

 

「100年、思えば早かったのかもしれませんね。私たちは1000年ほどは耐える覚悟をしていましたが」

 

「分かりました……それで、深海棲艦との戦いが終わっていなかったのかもしれないというのは」

 

 長門さんと赤城さんは一瞬だけ顔を見合わせた。

 その双方を交互に見て、私は未だに彼女たちが迷っているのだと理解できた。

 

 やがて、2人は頷き合った。

 

「深海棲艦の可能性……そう言うものを示唆されるようになりました」

 口火を切ったのは赤城さんだった。

 

「深海棲艦の可能性、ですか……?」

 

「時間の流れに伴い、新たな力を持って生まれるかもしれない深海棲艦の可能性だ。私たちのほとんどは第二次世界大戦時の艦艇であって、深海棲艦もまたそれに近い艤装を持つ」

 

「深海棲艦は1つの進化の辿り着いた結果だとされています。何者かが人為的に作り出したものではなく、何かしらの力が作用し、深海に沈む多くの船の残骸や、海水に含まれる貴金属が、生きた細胞に取り込まれ変異し、人間が想定していた進化の経路とは全く異なる進化を短期間で急激に辿った存在だと」

 

「……なんだか、衝撃なことを聞いている気がします」

 

「深海装鋼については知っているな?あれは金属ではあるが、正確には金属の性質を持った細胞だ。人智の及ばない経路で進化を遂げたものだがな……更に金属を取り込んでその情報を得ようとする性質がある。深海棲艦はそうやって進化を繰り返してきた、というのが私たちの時代の仮説だ」

 

「ならば、先の時代の情報を取り込んだ個体も、いつかは現れてくるはず。それが危惧された可能性です」

 

「より近代的な兵器を操る深海棲艦ですか……?」

 

「かもしれないし、もっと別の経路の進化を遂げた深海棲艦かもしれない。いつの時代だってそうだ。人類の科学は思わぬところで自分たちの首を絞めることになる。その一端を、彼女は既に気付いていたのだよ」

 

「……さて、ここまでが前置きです。そろそろ本題に移りましょう。ここにも着きましたし」

 そう言って、赤城さんは私に向けていた視線を前に向けた。

 私も釣られて、視線を前に向けると、全く景色が変わって、私たちの立っていた世界が変化した。

 

「えっ?」

 

 不思議な空間だと思ったが、そこは私の見覚えがある場所だった。

 いや、と言うよりは私の始まりの場所であり、私たちが出会った場所であり……。

 

「ここは……艦娘記念館ですか?」

 

「の元になった場所。第1号鎮守府工廠兼ドックだ。私たち艦娘の休憩施設のような場所だがな……ここは後の投錨の間と呼ばれた、談話室だ」

 

 そう言って先に長門さんが足を踏み入れていった。

 気付けば私たちは、その談話室とやらの入り口に立っていたのだ。

 

 そして、そこには――――8人の少女と女性たちが私たちを待っていた。

 

 

「やあ、よく来たね。こうして会うのはあの時以来だね」

 その声を聴いて私は肩を跳ねさせた。

 なぜならば、私の声と全く同じ声だから。

 

「《吹雪》……」 

 私は彼女の名を呼んだ。私であり、私ではない、もう1人の私である存在を。

 

「うん、待っていたよ、吹雪」

 私と全く同じ顔をして、全く同じ声をした彼女は柔らかな笑みを向け、私を部屋へと引き入れた。

 

 

 

 

 




 少しおかしな話となっていますが、割と真面目な内容です。
 というか、何も進んでいないような気もしますが。あれ?進んでないなこれ。

 区切りが良いので、とりあえず、ここまでとします(逃)。


 すぐにこの話の後編に当たる部分を書きますので、もう少しお待ちください。


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終わりなき連鎖の果て

多忙でかなりの遅筆に・・・誤字もあるかもしれないので、そっと教えてください。

今回は、吹雪のひとつの秘密みたいな回です。


 大きな楕円型のテーブルが置いてあった。

 上質そうな木製のもので、中央がくりぬいてあって硝子板になっていた。その下に綺麗な石などが並べてあって、天井から吊るされたシャンデリアではないけれど、網状の球体をした電灯の光が、石をキラキラと輝かせていた。

 壁には多くの写真や賞状。棚の上には錨のような形のガラス細工と数多くの勲章。

 

 テーブルを囲むように、ソファーと木製の椅子。

 ふわりと温い空間を漂うコーヒーと紅茶の香り―――どこか懐かしい。

 11人が揃ってぴったりと言うくらいの部屋に、ようやく何か始まるのだと言う気分になってきた。この人数の為だけに用意された部屋。そんな感じだ。

 

 私は1人用の椅子に腰を掛けた。

 木製の椅子に敷かれたふかふかとしたクッションに身体が沈んでいくのが眠りに似た感覚で不思議な感じだった。 

 

 

「―――あなたは何を飲む?」

 私と同じ顔、同じ声をした少女が私に問いかけた。

 少女は―――《吹雪》は以前会った時は、今の私のような姿だったが、今日は髪も解いてパーカーを羽織ったゆったりとした恰好をしていた。あの時代、こうやって安らぐ時間を与えられた時はこんな姿をしていたのかもしれない。

 

「い、いえ、私は何も……」

 何か口にしたいような気分じゃなかった。少しだけ、この世界で味覚と言うものがあるのか気になったが、少なくとも嗅覚と触覚も働いているのだから、味覚も働いているのかもしれない。

 

「そう。じゃあ、長居させるのも悪いし……早速話しちゃおっか。いいですよね、長門さん?」

 

「任せる。私はどうもあまり話すのが得意じゃないらしい」

 そんなことを言っていたが、記録じゃ提督に代わって人前に立ち、艦娘たちを激励したり、鼓舞したり、祝いの場では艦娘を代表して祝詞を述べたりしてたじゃないですか、あなたは。

 

「吹雪、貴女が話すのが一番でしょう。吹雪さんと貴女は最も近い存在なんですから」

 赤城さんがそう言った。

 私も《吹雪》も同じ吹雪なのだが、赤城さんは私には「さん」と付けて呼んでいるらしい。

 

「そうなりますよねー。なんとなく分かってました!」

 そして、私の先代は伝説中の伝説に向ける言葉がやけに軽い。恐ろしい。

 

「じゃあ、単的に話すね。これから、吹雪がすべきことを教えるために――――」

 と、突然話を進め始めた《吹雪》に私は掌を向けた。

  

「ちょ、ちょっと待ってください。せめてここにいる方々の事を……」

 何の説明もなしに、突然知らない人たちに囲まれた部屋で話をされても困る。

 いや、この人たちがどんな人たちなのかは、容易に想像できるのだが。

 

「……そうだったね。吹雪は知らなかったんだね。私たちがあなたを守るために、あなたに宿っていることを」

 頭を掻きながら《吹雪》はちらりと右横を見る。

 

「こちら側の2人が、《榛名》さんと《高雄》さん」

 黒がやや色が抜けて、灰色がかった長髪の女性が、私たちを気にも留めずに本を読んでいた。ヘアピンが2つ。メガネをかけているが、多分読書の時にだけかけているのだろう。そんな気がした。名前を呼ばれテーブルに置いた本は表紙が英文字だった。黒のシャツに白いカーディガンを羽織っていた。

 

 もう1人は黒のボブヘアーで赤い瞳をしている、真面目そうな女性だった。なんか大人の女という雰囲気が溢れ出していて、不思議と緊張したのだが、優しい方だと向けられた笑みからすぐに分かった。青いニットから白いワイシャツの襟が覗いていた。

 

「戦艦《榛名》です、その記憶ですが……勝手ながら、共に戦わせてもらっています」

 ぺこりと頭を下げたので、それに返すように頭を下げて、次にその隣の女性に目を移した。

 どこか幼さを残しているような、でも少し悲しい雰囲気のある綺麗な女性だった。

 

「高雄型重巡洋艦《高雄》です。元気な子ね、いつも見守らせてもらっていますよ」

 と丁寧に挨拶をしてくれた。なんだろう、この大人の余裕の感じさせる雰囲気は。彼女も少し難しいそうな学術書を読んでいた。背表紙から見るに医学書らしいが、なぜか似合う。

 

「で、そこのゲームしてる2人は《北上》さんと《Вер......響》ちゃん」

 

「んー、響っち回復玉投げt……あぁ、《北上》様だよー、よろしくー」

 ソファーに横になって携帯ゲーム機らしきもので遊んでいる少女。私より少し年上だろうか。おさげ髪に後ろは三つ編みで。赤いジャージ姿という超ラフな格好。雰囲気全体からやる気というやる気を感じられないのだが、こんな人でも、結構有名なのだから不思議なものだ。幻滅はしてない、別に。

 

「私が《Верный》だ。呼びにくかったら《響》で構わない。よろしく」

 その向かいのソファーに膝を抱えるように座る白髪の少女。白いワンピース姿も相まってどこか妖精のような雰囲気を感じる。私より少し年下なのだろうか、そんな印象。まだ幼さが残っているのに表情がびっくりするほど変わらない。携帯ゲーム機で遊んでいた。いつの時代のだろう。

 

「そこで将棋をしてるのが、《神通》さんと《木曾》さん」

 テーブルの真ん中辺りでおっとりとした感じの女性と、眼帯を付けた女性が将棋盤を挟んでいた。

 

「私が川内型軽巡洋艦2番艦《神通》です。吹雪さん、よろしくお願いします」

 穏やかな口調で小さく頭を下げた。長い茶髪で前髪は外にハネていてちょっと特徴的だ。少々気弱で内気、控えめな性格らしい感じがするのに、どこか身震いするのはなぜだろうか。白いブラウスに、黒のスカート、どこかのお嬢様のようにも見えた。

 

「俺は《木曾》だ。球磨型軽巡5番艦。まあ、よろしくな」

 右目に眼帯を付けた深緑色の髪の女性……女性なんだよね?凄くイケメンなんだけど。肩にかかるくらいに伸びた髪を今は後ろで適当にまとめていた。ソファーの上に片膝立てて座り、肩に軍刀を立掛けていた。スラックスにベスト姿、どこかの執事だろうか。

 

「で、最後にこの方が《鳳翔》さん」

 

「《鳳翔》です。あまりお役に立てないかもしれませんが、よろしくお願いします」

 黒灰色の髪のポニーテール。少し癖の付いた前髪に母性に溢れる優しくおっとりした顔立ちをしていた。さりげない笑みが安心感を与えてくれる不思議な人だ。薄紅色の和服を着て、長く余った時間を弄ぶかのようにお茶を飲みながらゆったりとしていた。

 

「これで全員、私含めて計10人。あなたはその魂を背負っている」

 

 皆が皆、自由な私服を着ているせいであまり印象付かないのだが、名前だけ聞けば全員が歴戦の猛者たちだと、彼女たちの本ばかり読んできた私にはすぐに分かる。まるで、彼女たちの戦う姿が目の前に現れるかのように、そこに並ぶ10人の姿は私にはあまりにも壮観であった。

 

 何を言うべきか。この面子を前にして、何を言えばいいのか。

 決めていたはずなのに、全て吹き飛んで言葉を決めあぐねていた。

 

「えーっと……よろしくお願いします」

 

「うーん、固いなぁ。さて、紹介も終わったし本題に戻ろうか」

 《吹雪》はそう言って、私をじっと見ると、先程までの楽天家みたいな雰囲気が消え、真剣な面立ちになった。

 

「あなたは次の作戦には参加しちゃいけない」

 そして、いきなりそんな言葉をぶつけられた。

 

 

    

 

     *

 

 

 

 どさり。

 テーブルの上に《吹雪》が分厚いファイリングされた冊子を持ってきた。

 埃を結構被っていて、表紙の劣化も激しく、背表紙の文字も読めない。

 

 鼻歌交じりに彼女はそのページをめくりながら、懐かしそうな目をしていた。

 

「作戦って……今計画されている北方海域奪還作戦ですか?」

 なぜか、突然置いてきぼりにされた私は《吹雪》に問いかけた。

 私が知る限りの作戦はそれだけだ。他に計画されているとしても私は知らない。私たちの中にいる彼女たちが私の知らない『今の時代』の計画を知ることは在り得ない。

 

「まあ、それの事だね。正直、その作戦自体時期尚早なんだけど、あなたに言っても仕方ない。問題は別の事だよ。多分、長門さんたちがもう話してると思うけど、私たちは1つの仮説が現実になった時、この世界をもう一度守るために、艤装に魂を宿したままこの世界に留まった」

 

「深海棲艦の可能性……?それって、新たな深海棲艦の出現ってことだよね?でも、艦娘はこの世界に復活してる。十分に対応できる問題なんじゃないの?」

 

「……話を少し変えようか。吹雪、あなたはこの世界で頂点に立つ生物は何だと思う?」

 いきなり、全く関係性のない話題を振られた。

 私は、深海棲艦か、艦娘か答えようとして留まった。

 

「人間」

 深海棲艦は恐らく違うだろうが、艦娘を生み出したのは、実質人間だ。

 

「多分そうだ。ある人は機械、ある人はウイルスと答えるかもしれない。でも、人間はそれらを優に凌駕して抑え込んでしまう可能性を持っている。それは他者のあらゆる可能性を予測する能力があるからだ。論理的な、ある時は突拍子もない夢のような仮説を……それが恐ろしい」

 

「どうして?」

 

「じゃあ、これは何?」

 彼女が手にしている冊子は、どうやらアルバムの様だ。

 1枚の写真を抜き出して、テーブルの上に放ると、ちょうど私の目の届くところで止まった。

 

「……深海棲艦、これは駆逐イ級」

 いつもは海で見かける深海棲艦。こんなことを言うのは何だが、一番弱い。

 私が艦娘になったあの日は、あんなにも恐ろしかったのに。

 

「正解。じゃあ、これは?」

 

「……これは、戦艦ル級」

 戦艦ル級は私が初めて挙げた戦果だ。

 艦娘になったあの日、私の生まれ故郷を襲った艦隊の旗艦であり、私はそれを単独で仕留めることに成功した。

 

「その通り。そのふたつの個体の違いは何だろう?装備や、火力、艦種とかいう問題じゃない。もっと根本的な違いだよ」

 

 並べられた2枚の写真。私はその両方を交互に見ながら、なんとなく直感的な答えを頭の中で決めた。

 

「ル級は人型だ。イ級は魚みたいな形だけど……」

 

「その通り。他にも、雷巡チ級、重巡リ級なんかも歪だけど人型をしている。ル級クラスになると、極端に人型に近づく。それ以上の個体、タ級なんかはっきりと指まではっきりとしている」

 

 そう言って、3枚写真を投げる。

 駆逐級、軽巡級、重巡級、戦艦級。ル級とタ級は艤装と肌の色さえなければ、人間の女性と思っても仕方がないほどだ。

 

 

「さっき、どうして、と訊いたね?他の生物が人間と同じことができた時、人間の優位性は徐々に失われていく。人間社会は終わりを告げる。理性と言うものはとても便利なものなんだよ。野性の中にはないものだからね、人間は今まで生きていけた」

 

「でも、深海棲艦の中にあるのは負の感情だけ。衝動的な感情があの化物を駆り立てているはず。理性なんか存在しないはずだよ」

 

 そうだね、と言って《吹雪》は持っていたアルバムを閉じた。

 そして、別のアルバムを手に取り、あるページを開いた瞬間、顔つきが変わった。

 真剣みが増して、シンと冷たい目をしていた。

 

「じゃあ、問題。これは人間?それとも、深海棲艦?」

 そんな彼女が10枚ほどの写真を今度は宙に放り出した。

 不思議なことに、私の方に向かっていき、そのまま壁でもあってそこに張り付くかのように止まった。写真に目を向けると、それは動いていた。ややノイズがあるが写真の中で何かが動いていた。そして、音も聞こえてきた。私が視線を向けた写真の中で流れているのであろう音が、イヤホン伝いに私の耳に届くかのように。

 

「これは、私たちの記憶です。戦いの記憶です。これは実際に過去に存在していた深海棲艦の姿です」

 写真に目を惹かれる私に赤城さんがそう言った。

 この写真に流れている映像はここにいる誰かの記憶なのだろう。

 

 

 コリナイ……コタチ……

 

 

 オチロ! オチロッ!

 

 

 オノレ…イマイマシイカンムスドモメ……!

 

 

 ナンドデモ……シズメテ…アゲル……!

 

 

 ドオ?イタイ?イタイ?ソレガ ホントヨ……アッハハハ……ッ!

 

 

「―――――ッ!!!!」

 

 私は咄嗟に耳を塞いだ。鼓膜から伝わり脳内を駆けた禍々しい音が、心臓を握り潰そうとするような不快感を与えた。それは紛れもない、恐怖だった。

 震えが止まらない。自分の体温が感じられない。口からヒューヒューと漏れる歪な自分の呼吸音と歯がカチカチと鳴らす音だけが確かに響いていた。

 

 その声は、死を望んでいた。

 深淵に魂を引きずり込もうとするような声だった。

 叫ぶ声も、笑う声も、全てが命を嘲り笑うかのような悪を孕んだ気味悪い声。

 拒絶しなければ、深い海の底に意識が落ちていきそうな気がした。

 

 

「ごめんね、ちょっと最初から刺激が強すぎたかな?」

 気付くと私の肩に手を置いて、心配そうに私を見る《吹雪》がいた。

 

「どうぞ。例えこの世界でも、落ち着きますから」

 耳を塞いでいた手を退けるとコトン、と私の目の前に綺麗な模様の湯呑が置かれた。

 置いてくれた方は、確か《鳳翔》さんだ。

 優しく向けてくれる笑みには、不思議と心が休まっていく。

 

「あ、ありがとうございます……」

 柔らかな湯気が立ち上る。掌で包むと温もりがそっと寒気を取り払ってくれて、口に含むと不思議な香りと苦みの中にあるほのかな甘みが幸福感をもたらしてくれた。

 

 ふぅ……と小さく息を吐いて、私はもう一度テーブルに目を向けた。

 赤城さんが写真をしまおうとしていたので、「もう一度、見せてもらえますか?」と声をかけた。やや不安そうな顔をしながら、ちらりと長門さんの方を見る。目を閉じたまま寝ているかと思ったが、こくりと頷いて赤城さんは私に1枚だけ写真を手渡した。

 

 

「ねえ、《吹雪》。これは深海棲艦なんだよね?」

 

「そうだよ。深海棲艦の上位個体、俗に『姫級』『鬼級』と呼ばれる存在だよ。他のクラスとは異なり、独自の艤装、そして圧倒的な力。まるで私たちの考えていることを理解し、予測し、対応するかのような戦術眼を持っている」

 

「……人間みたい」

 肌、髪、目、鼻、口、脚、腕、そして服を身に付けて、言葉を発する。

 ル級やタ級のように、肌が白かったり、目が赤かったりするが、そう言った点さえ除いてしまえば人なのだ。

 私は写真を赤城さんに返すと、赤城さんは私に問いかけた。

 

「吹雪さん、言葉とは何だと思いますか?」

 

「道具でしょうか?ひとつの意思疎通を図るための」

 

「私と同じ考えですね。体系化した言語は意思疎通を図ることにおいて最も秀でた能力を持つ道具です。だからこそ、私たちはそれを操る彼女たちを深海棲艦を統率する存在だと考えていました」

 

「深海棲艦に旗艦と呼ばれる存在がいるのは、彼女たちが艦艇としての本質を持っているためと思っていましたが……人間や他の動物のように、それらすべてを統率する、ボスのような存在があると言うことですか?」

 

「そうなりますね……『姫級・鬼級』はその名の通り、どこかの姫の様な姿であったり、鬼のような風貌であったり。角があったり、ドレスを着ていたり。ですが、そう言った点を除いて語れば、人語を操り、人に近い知性を持つ。限りなく人間に近い存在です」

 

「ある時には人間の文化を理解しているかのような、個体まで現れ、大戦後期になればなるほどに、彼女たちは確実に人間に近づいていった。人間だとも思えるくらいに。私たちのように人間でありながら、船の力を持つ彼女たちは私たち『艦娘』に近い存在なんだよ」

 

 

「……ひとつだけ。私も思いついたことがあるので言ってもいいですか?」

 

「はい、どうぞ」

 

「仮に、人間以外の全ての生物。深海棲艦の下位個体まで含むものを1つの人間に対する生命体だとするのならば、人間の行きついた可能性の先にいるのが、私たち『艦娘』であるとすれば、深海棲艦の『姫級』や『鬼級』は、人間以外の存在が辿り着いた、『この世界に可能性』……つまり、本来、私たちに匹敵する存在でありながら、それが目指す先にあるものは」

 

 仮説なんてものは意外と簡単に建てられるものだ。

 そして、それはいくらでも誇張できる。だから、敢えて少しだけ誇張した。

 ただ、素直に受けた見たもの聞いたものの印象から、私が感じ取ったものを言葉にするだけなのに……とても重たかった。

 

「―――人間。いや、人間を越える、そして人間になり替わる世界の支配者となるために生まれ落ちた。そう言うこと」

 

「大体、私たちが言いたかったことと同じです。あれはきっと人間なのでしょう」

 

 私はただ聞いている身から、何か言葉を発する身になって、それらを討ち滅ぼす身でありながら、どこかで深海棲艦という存在に感心していた。恐るべき進化のスピードだ。この世界を学び、この世界に適応し、自らを変化させ、最適な形態を選びながら、種を維持していく。

 

 生命の歴史が積み上げてきた進化を、深海棲艦という存在の中だけで完結させようとしている。そして、人間が辿り着けなかった更なる先へと―――――

 

 

「深海棲艦の人間的な思考のレベルは恐らく、それが元になっている第2次世界大戦だっただろう。恐らく、100年前までは」

 割って入ってきたのは、ソファーに深く凭れ掛かっていた長門さんだった。

 低い声で徐に口を開いて、テーブルに視線を落としながらそう言った。

 

「人間はあの戦いを経て、変わった。価値観も倫理観も、そして科学力も。それは艦娘大戦を経ても同じことが言える。勝った者、負けた者、どちらにも何かしらの変化が訪れる」

 

「効率化でしょうか?でも、それはあくまで敗者側に残党が残った場合では?深海棲艦はあなたたちが全て……」

 

 私は一度言葉を止めた。

 彼女たちがここに残った理由を考えた。深海棲艦の新たな可能性を彼女たちが生きていた時代から危惧せねばならなかった理由を考えた。

 

 

「―――倒しきれてなかったんですね。それに、あなたたちも気付いていた」

 やや、彼女たちを責めるような口調で言ってしまった。

 そんなつもりではなかったと言えないが、そうあるべきではないとは自覚していた。

 きっと責められるべきなのは彼女たちではないはずなのだ。

 

「全て倒すのは不可能だった。そう言ってもらえると助かる」

 長門さんはそう答えた。そう言って、ソファーに預けていた上体をゆっくりと起こした。

 

「病原体だってそうだ。ウイルスだって。徹底的に駆逐しようとするが、それでも全てを駆逐することは限りなく難しい。せめて、人間社会に影響が出ないレベルまで消去していき、次に対応する策を練るだけだ。私たちができたのもそれだけだった」

 

「ですが、最後の作戦で、上位個体は全て破壊しました。戦艦級、空母級、重巡級までは全て破壊したはずです。ですが……下位個体は全て補足することは難しかったのです」

 

「確か最後の戦いは、連合国軍がほとんどの深海棲艦を誘き寄せて一気に叩くと言うものでしたよね?結果は終始艦娘側の優位で、一方的に殲滅していったと」

 私が読んだ過去の戦いの記録にはそうあった。

 艦娘を有する国家が、太平洋、大西洋、インド洋の三大洋において、敵艦隊を誘導、包囲して時間をかけて殲滅していった。

 

 海上に陸地を形成する陸上型などの攻略には手を焼いた上に、自棄を起こして暴走する深海棲艦はかなりの強敵だったらしいが、それでも補給を満足に受けられる状態での戦線維持が可能だった艦娘側の勝利は約束されていた。

 

「深海棲艦側の補給線を徹底的に絶った状態で、誘き出して包囲した、正当な作戦でありながら、やや人道的ではないものだったが、あれで艦隊という単位での深海棲艦は全て叩き尽した。世界的に見ても、残っていた深海棲艦は、艦娘よりも少なかったはずだ」

 

「あとは、残党狩り。各国で哨戒を続け、見つけ次第撃破。後30日間深海棲艦が確認されなかったため、終戦となった。それが、100年前のこと」

 

「どこかに、1匹や2匹。隠れていても仕方がなかったのかもしれないな。生憎、深海棲艦の寿命と言うものはどんなものか私たちも知らない。だからこそ、その生き残りがこの世界の歴史を見続けて、何かに化ける可能性があるかもしれない」

 

「そんな可能性を思って、この世界に残された唯一の艦娘が、君が良く知る存在だよ」

 《吹雪》の言葉に思い当たる人物は1人しかいない。

 私の一番の親友であり、今は戦友となった少女だ。

 

 

「残念なことに、可能性が実を結んでしまいましたがね。私たちは深海棲艦の自然消滅も可能性として示唆していたんです。ごく少数にまで減らされた生命体は基本的に絶滅するのが道理ですから」

 赤城さんの言う通り、普通ならばそこまで減らされれば絶滅する。

 だが、人間が100%深海棲艦の生態系などと言うものを把握していれば、それはあくまでも人間の予想の範囲内に収まるのであって、全てを把握していなければ、当然予想を越えたものが現れる。それも道理だ。

 

「あまり嬉しくないものですね。そういった種の再興と言うものは」

 思わず、そう言葉が口から洩れた。

 同じ命を持つものでありながら、その性質が違うあまりに、こうも深海棲艦という存在を排する考えをしなければならない。

 

「さて、議論を戻そう。深海棲艦は効率化を図っている。どういう効率化か」

 長門さんは私を見てそう言った。これは問いかけなのだろう。

 

「人間を殺す方法。艦娘を沈める方法」

 

「その通りだ。人間を殺す方法の効率化は既に人間の歴史でなされている。より強力な兵器を作ればいい。NBC兵器なんて代表的だ。そして、こちらの犠牲を失くして、相手に手を下す方法を考えればいい。無人兵器なんてものがその代表だ。さて、深海棲艦が選ぶのは、いや、深海棲艦に残されていたものはどれだと思う?」

 

「深海棲艦が化学物質、細菌兵器を取り込むのは、きっと難しいはずです。それに海上ではあまり効果がない。放射能も艦娘のFGフレームは放射線を弾くので無意味なはず。だとすれば……より強力な兵器。それなら100年前から既に存在していたはず。深海棲艦には通用しなかっただけであって、人間には効果的。かつ艦娘に対して優位的であり、それを深海棲艦という概念の中に抑え込むとするのならば……」

 

 深海棲艦の戦いの場は海だ。

 海における大量殺戮が可能な兵器。

 そして、それが「深海」に存在している可能性のあるもの。

 

「……イージス艦、ですか?あの時代には多くの艦艇が沈んだ。イージス艦も、日本にあったのは沈んでしまったはずです。ならば、深海棲艦がその力を得てもおかしくはない……いや、寧ろイージス艦から深海棲艦となるものが生まれてもおかしくはない」

 

「間違いではない。そして、それが最も恐ろしい。あのレベルの技術を艦娘の中に抑え込むことは不可能だ。もしそれが存在していれば、艦娘がそれに対抗することはできない」

 長めに息を吐いて、やや疲れた様相の長門さんは再びソファーに凭れ掛かった。

 

「どうすればいいんですか?私たち、勝てないじゃないですか」

 私は俯いて、弱音を吐くかのようにそう言った。

 イージス艦、いや、護衛艦を含み、第2次世界大戦後の艦艇の性能は凄まじい進歩を遂げている。主に、大戦時から存在していたアメリカのレーダーのお陰なのだが、恐ろしい命中精度と火力を持つ。

 

 装甲の方はやや薄いのだが「やられる前にやれ」理論ならば大戦時の艦艇など一掃できるレベルだ。対艦、対空、対潜、どれをとっても技術で追いつけない。

 

 

「安心してください。勝つための方法を教えるためにあなたを呼んだのですから」

 赤城さんが俯く私を励ますかのようにそう語り掛けた。

 

「まあ、そういうことだ。何も絶望させるために君を呼んだ訳ではないし、私たちがこの世界に留まった訳じゃない」

 

「吹雪、あなたには作戦には参加しちゃいけない、って言ったよね?その理由はちゃんとあるの。あなたは探してもらいたいものがある」

 

「探してほしいもの?」

 

 

「うん、でもそれがどこにあるのかを私たちは知らない。知らないようにしてその存在を守ってきた。現実世界のどこかに、そのヒントがある。だから、探してほしい」

 

「ヒント……?機密情報なら一応心当たりはあるけど」

 

「じゃあ、始めはそこから探せば見つかるかもしれないね。よく聞いてね。これだけは君が向こう側に持って帰らなきゃならないことだから」

 《吹雪》はそう言うと、私の肩に手を置いて、目を合わせた。

 真剣な表情の彼女の眼に私の意識が引き込まれるような気がした。

 彼女が小さく息を吸って、それにシンクロするかのように私の息は止まった。

 

 

 

「その場所の名前は――――『(てん)(つるぎ)』」

 

「そこに私たちの友達が遺した人類最後の希望、《天叢雲剣》が隠されている」

 

 

 

 

「天の……剣……?場所の名前。分かった。必ず探し出して見せる」

 

「頼んだぞ、吹雪。それを見つけ出せるかどうかが人類の行く先を決める」

 

「お願いしますね、吹雪さん。私たちはあなたに全てを託しています」

 

「よしっ、これで話は終わり。そろそろ帰らなきゃね」 

 

「ん?帰るってそう言えば、私ってどうやって帰れば……」

 そう言えば、突然連れてこられたのはいいが、帰り方がてんで分からない。

 初めてここに来た時には、不思議と目覚めたのだが。

 

 

「まあ、簡単だよ。こっちに意識が来てるのは所謂催眠状態。雪風ちゃんに頼んで、あなたは催眠をかけられているんだよ。それを解いてもらう。さぁ、目を閉じて」

 《吹雪》にそう言われるままに、私は目を閉じようとしたが。

 その前に、なんとなくこの場所の光景を目に残したくて、きょろきょろと辺りを見渡した。見送ってくれるのか、残りの7人の方も私を見て、目が合うとニコリと笑ってくれた。

 

「あっ、1つ忘れてた。探しに行くときは《雪風》ちゃんを連れて行ってね。あの子が艦娘として戦うことになったのは、あの子の運が必要になるから」

 

「あっ、はい。《雪風》ちゃんを連れていくんですね。分かりまし―――あれ?」

 そんな中で、ふと部屋の隅にもう1人いることに気が付いた。

 毛布を掛けられて、深い眠りに就いているようだ。

 

「ね、ねえ、あの子は?」

 気になって私は《吹雪》に尋ねた。

 

「ん?あぁ、この子については……そっとしておいてもらえるかな。ちょっと私たちとは違うんだ」

 なにか気まずいところでもあるのか、あまり気にして欲しくないような感じだった。厄介事のようにも思っている感じがした。

 

「その方も艦娘なんですか?」

 

「……艦娘だったのかもしれない。この子がここにいるのはあなたとは関係ない。関係あるのは私たち。私たちはこの子を見張っておく必要があるの。だから、あなたの中にこの子も宿らせてしまっている。でも、私たちが何とか抑えておくから、この子の事は気にしないで」

 

「とは言われましても……まあ、今はいいです。では、お世話になりました」

 小さく周りの人たちにお辞儀をして、私は椅子に腰を掛けたまま目を閉じた。

 

 

 

 ぱちん。

 そう音がして、私の意識は白い光の中に包まれて、暗転する。

 

 深い海の底にいるかのように暗い。

 徐々に海面に上昇していくかのように、明るくなっていく世界。

 

 

 

「――――あっ、目が覚めましたか?よかったです」

 ぼやけた視界に幼さのある顔が大きく映っていた。徐々にはっきりとしていき、私は机に突っ伏した身体を持ち上げる。

 

「……ゆき、か、ぜ、ちゃん?」

 

「突然、変なことをしてすみませんでした。でも、必要なことでしたので」

 

「あぁ、そっか……私、うん、大丈夫」

 

「こちらをどうぞ。意識がはっきりとします」

 そう言って、雪風ちゃんから湯呑に入ったお茶らしきものを渡された。

 覚束ない手でそれを持つと、ゆっくりと口に含む。

 

「あちち……ふぅ……」

 不思議な香りと苦みの中にあるほのかな甘みが身体に染み渡る。どこかで飲んだことがある気がするが、どこでだったか思い出せない。

 

 ぼーっとしていた頭がすーっと澄み渡っていくような気がした。

 

「うん、すっきりした。ありがとうね」

 

「いえ。それで、話はできましたか?」

 

「話……?あぁ、うん。えーっと、そうだ。『天の剣』を探せって」

 今まで何をしてきたのか、なぜか聞くがはっきりとしない。

 

「私の中には、他の艦娘の魂がいて……私は次の作戦に参加しちゃいけなくて……雪風ちゃんと一緒に『天の剣』を探さなきゃいけない……もしかしたら、深海棲艦が、何だっけ?何か、恐ろしい、強大な力を手にしたときに、対抗するために」

 

「そこまで覚えているのなら多分大丈夫です。部屋までお送りしますね?今日はもうお休みください。吹雪さんの司令の方には、雪風の方から話しておきます」

 

「うん……」

 そう言って、私は椅子を立つと、ほとんど独りで歩くことはできたが、一応雪風ちゃんが側に付いて、自室へと向かった。

 

 

 

 

 100年後の未来に戦いを残す覚悟。

 未来に戦いを先送りにしなければならなかった覚悟。

 可能性でしかなくても、そんな可能性を未来に残してしまうことを。

 

 きっと彼女たちは悔やんでいたのだろう。

 ずっと、100年間。それはきっと《叢雲》ちゃんに対しても。

 

 彼女が責を負わずに済んだかもしれないと言う後悔がきっとあったはずだ。

 

 

 どうして、神様は私たちに与えなかったのだろうか?

 深海棲艦に進化の機会を与えたのだろうか?

 

  

 100年前の彼女たちが、今を生きる私の親友が、苦しみの果てにあり。

 私たちの先を征く深海棲艦との熾烈な生存競争の運命の中にあり。

 

 終わりの見えないこの戦いの連鎖の果てで、神様は何を望んでいるのだろう。 

 

 私は、いったい、何を望めばいいのだろう?

 

 

 それでも、私はやり遂げなければならないのだろう。

 その存在を見つけ出すことが、彼女たちの願いであるとするのならば。

 

 私はそれを背負って、この青い海を駆け抜けなければいけない。

 

 

 目指すのは、『天の剣』。ただ、それだけだ……。

 

 

 

 




 
 空いた時間でちょこちょこ書いてると、
「こうしよう!」って思ってたことが良く頭から飛びます。

 一気に書けるときはできるだけ一気に書けるようにしてますが……。
 すらすらとアイディアの出る方がやや羨ましいです。

 とにかく今は、書くのみ。書くのみ。


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守り人の寝言

 

海軍軍事機密(Navy Code)

 

 レベルをC~Sまで設けられた海軍の機密情報である。

 取り扱える情報は、申請すればどの階級の海兵でも閲覧できるものから、一定の階級でなければ閲覧は不可能なもの、更にその上に一定の階級を持っていても閲覧を許されないものもある。

 

 そして、レベルS。3重の封印が施された防衛大臣は愚か、内閣総理大臣でさえ自由に閲覧はできない、軍事機密を超えた国家機密。その存在のレベルは、歴史上の機密とも言えるほどの扱いがされている旧時代の遺物である。

 

 その大半は艦娘にまつわるものであり、その存在そのものを知る者すら僅か。

 そうせざるを得なかった。それが無いものであったことにするほどに縛る他なかった。

 

 では、いったいそれは何なのか?

 

「あー、何と言うかね、簡単に言えば『設計図』だよ」 

 大本営から、それの一部を受け取って、すべてを一任された彼女はそう言った。

 特務任務に当たり、大佐相当の階級を特別に与えられているだけの彼女がこれを閲覧できることさえ、異例中の異例なのだろうが、これを解凍した御雲国防大臣自らの拝命であったそうだ。

 私がここに訪れたのは、ちょっとした偶然だったのだが、彼女が私と言う存在を、前々から興味を向けていたらしく、やけに親しげに話しかけられてここに留まることになった。

 

 

 証篠 明さん。呉と言う横須賀に次ぐ拠点を任された唯一の女性提督。性格は横須賀の御雲司令官も舞鶴の鏡さんもも手を焼き、佐世保の天霧さんに至っては、尻尾巻いて逃げ出すほどに破天荒、自由奔放、行動主義者。

 この世界で恐らく唯一、『艦娘の艤装を弄ることのできる』という能力を生まれ持ってしまった。

 

 この人、どことなく儚い雰囲気を感じさせる綺麗な方なのでいつも笑っているからあまり気にならないのだが、偶に真顔になると結構怖い。ただ、笑っているときは幼ささえ感じさせるほど(悪い意味で子どもっぽい)に飛び抜けて明るい人だ。そんなに話したこともないが、嫌いにはなれない人と言ったところだ。

 

 

「―――吹雪ちゃんは、艦娘の歴史に知られていないところを知りたいんだっけ?」

 話の切り口はそんな感じだったような。

 誰から聞いたんだろう。正確には、艦娘についてはっきりしていないところを突き止めるみたいな感じなのだが。

 

「それはどうして?」

 

「艦娘の技術は、もっと何か人の役に立つかもしれない。彼女たちが遺した武功や伝説や、それこそ世界を守ったと言う事実以上の何かがあるかもしれない」

 

「確かに。でも、わざわざ誰かが隠したんだ。知られない方が良いと思ったから。そうは思わなかったの?」

 

「思ってはいましたよ。でも、誰かが隠したものほど見つけ出したくなるのが、人間の性じゃありませんか?」

 

「その通りだ。触らぬ神に祟りなし、とは言うけど、人間の好奇心以上に原動力の根源となるものはないからね。あるとしたら怒りくらいだ」

 

「……妖精さんから色々と聞きました。それなりに知りたくもなかったことも。それとその他の人たちからも」

 

「そりゃ、望んでいなかったことも1つや2つ知ってしまうことになるさ。だけど、それは君が知ろうとしている者の中にいくらでもあるだろう。まあ、私も知らないから憶測に過ぎないんだけどね」 

 そんな事実を知った君にこそ、これは見せる必要がある。そう言って、彼女は私の前にそれを広げて見せた。

 

「これは一部だよ。【海軍軍事機密レベルS(Navy Code Level S)】の一部」

 

 その言葉を聞いて、咄嗟に目を逸らそうとしたが、いいのいいの、と気軽に明さんは私の肩を叩いた。

 

「……これは?」

 その言葉の通り、全く理解できなかった。単純に私に専門的な知識がないからだろうが、ずらりと並んだ数式も、図式もなにもかも。ただ、気付いたことと言えば、この紙が全く劣化していないことだろうか。

 

「あー、何と言うかね、簡単に言えば、これは『設計図』だよ」 

 

「設計図?設計図ってもっとこう、絵みたいなものなんじゃ?」

 私の思い描く設計図というものは、もっと形のあるものが並んでいて、そこに寸法や細かな情報が詰め込まれている感じなのだが。

 

「まあ君には理解できないだろうね、予想はできてたけど、一応見せて反応が見たかったんだ」

 そう少し意地悪そうに笑いながら、指でその紙の表面を指でなぞり始めた。

 

「君たち艦娘の根幹たるFGフレームは形に答えがないからはっきりと図示するのは難しいんだよ。でも、数式にして入力すれば、出力としてある程度定常的な解が得られるものだ。まあ、その解をどう理解するかに、もう少しコツがいるんだけどね」

 

「……証篠さんは理解できるんですか?これを」

 

「じゃなきゃ、私に任されないよ。というか、私はこういうことばかり専門的にやってたからね」

 

 天才の見える世界と言うのは、きっと常人とは違うのだろう。

 誰かが言ってたようなそんな言葉だけど、こうやって隣に立たれて、同じものを目にして、そんな答えを返されると、その言葉の意味がよく分かる。明さんに見えている世界はきっと違うのだろう。私が丸だと思っているのは、彼女の中では丸ではなくて、彼女が1だと思っているものは、私の中で1ではないものなのだろう。

 

「それで、これは何の設計図なんですか?艦娘の設計図なんてものじゃないですよね?」

 

「艦娘は設計図にはできないよ。でも、似て異なるものだ。君にはよく馴染みのあるもののはずだよ」

 

「私に馴染みがあるもの?」

 そう言われて、はっと気付ければ少しは私も明さんとまともに話が通じ合えるのかもしれないが、残念なことに私は凡人だ。

 

「『改造』の設計図だよ、これは」

 

「改造……」

 その言葉は、どこかで聞いたような気がする。

 きっとずっと昔だ。最近聞いた言葉じゃない。

 

「そう、君は正確には『建造』された存在じゃない。既に出来上がっていたような素体に『改造』を施したものだあっ、勝手に身体調べさせてもらってゴメンね」

 明さんに答えを教えてもらってようやく思い出した。

 私が《吹雪》となった時に、妖精さんが私に向かって言ったものだ。

 

 ……ん? 

 

 私の身体、いつの間にこの人に調べられたんだろう?

 私が明さんと会う機会はそんなに多くはなかったんだけど。

 まあ、今はどうでもいいや。

 

「いえ、別にそれはもう知ってることなので……」

 これは私が生まれた時に妖精に告げられていた事であったので、この際どうでもいい。私はまともに生まれてはいないのだ。普通の艦娘と違っているのは重々、承知している。

 

「FGフレームってのは、作り出すのは建造ドックで簡単にできるけど、人為的な変形を加えたり、性質を変化させるのはほとんど不可能に近い。ただ、『改修』とかでフレームそのものを強化することはできる。今の時代では『改修』は行われてないけどね」

 

「骨格そのものを形や性質を保持して、太くしていくようなもの、でしたっけ?」

 叢雲ちゃんが講師の、座学でそんなことを教わった気がする。

 

「そうそう。そんなもの。でも、『改造』は違う。特定の条件下で、艦娘のFGフレームを変形させて、別の形に作り替えて、強化する。膨大なエネルギーと危険性を伴い、厳密な制御を要する操作だ。そして、FGフレームは艦娘に対して固有のものだから、1つの成功例を他に応用できない。だからこそ、艦娘の数だけ、こうやって設計図が必要となる」

 

「へぇ……全くこの内容は理解できませんけど、すごいものですね。でもなんで封印なんかに?」

 

「【 Navy Code Level S 】に封印されている設計図は全て平賀博士が作り出したものだからね。彼女についての記録は全て封印されてるんだよ」

 

「また、平賀博士ですか……」

 思わず、舌打ちしかけた。近頃、この人の名前をよく聞く。

 

「あれ?聞き飽きた?まあ、仕方ないね。彼女を知れば、艦娘の全てが分かっちゃうからね。それに近づこうとした吹雪ちゃんが知るのは当然だ」

 

「でも、具体的にどうなるんですか?この設計図ってので」

 

「吹雪ちゃんは『改二』ってのは知ってるかな?」

 

「『改二』ですか……?いえ、知りませんけど」

 

「艦娘ってのは、とある艦艇の記憶をもった存在でしょ?でも、生まれ落ちた瞬間はその艦艇の特徴を大雑把に受け継いで、それとなくその艦らしいような感じになるんだ」

 

「それで、改二というのは違うんですか?」

 

「改二というのは、『可能性の終着点』と呼ばれている。と言うか先代の《叢雲》はそう呼んでいたって記録がある」

 

「可能性の終着点?つまりは、あったかもしれないってことを引き出す力と」

 

「それも1つだ。艦娘の中に納められたそれとなく続いている艦艇の記憶の中から、ある一部を特定的に抜き出して、そこから生み出される可能性を最大限にまで振り切ってみたものが『改二』の力だよ。艦艇の記憶というものは史実だ。歴史の流れであって、過去のある点から見ればいくつもの分岐が存在している。その一点を引っ張り出してみたり、あるいは史実通りに辿った一点を引張り出したり、そうして平均的な艦娘のスペックを一偏的に強化する」

 

「……聞いてみた限りだと、かなり欠点もあるような」

 

「問題ない。欠点なんてものは適当に補えるものだ。それ以上に、『改二』にはロマンと人類の夢がある。聞いたことはないかい?『艦娘とは人類の中に眠る可能性を引き出したもの』だと。その可能性の塊の中に眠る可能性を更に引き出すんだ。いったい何が生まれるのか分からない。どんな形になるのかも、どんな力を持つのかも」

 

 机をダンっと叩いて、私にぐっと顔を近づけた。

 

「これは、好奇心に憑りつかれた者として、探求せずにはいられない」

 まるで私に同意を求めているかのようだった。

 私も好奇心に憑りつかれた者だと言いたいのだろうか?否定はできないが。

 

「まあ、今預かってるのは、現段階で建造が確認されているすべての艦娘のものだけ。でも、ブイン基地のは確認が遅れたから次の作戦には間に合いそうにないね。それと、資源の都合上、改造できる艦娘も選ばなきゃならない。これは今日には決まるだろうけどね」

 

「そう言えば、最近続いてますね。作戦会議」

 今度の北方海域の攻略作戦だ。現存の鎮守府、基地を総動員して、海陸空の協力の下行われる。

 目的は、北方海域経由の日本海、更にその先の大陸への敵勢力進出の阻止。加えて、太平洋攻略に向けての拠点の確保と経路の確保だ。前者については安定しない太平洋経由の輸送を補う大陸経由の補給線を維持するためだ。本格的な包囲網が敷かれる前に動いて、叩く。

 

 大規模な作戦の為に、連日連夜作戦会議が行われている。

 

「今日の夜もだね。なんで夜なんだろうね。夜更かしは肌に悪いのにね」

 笑っているが笑顔が笑っていないという表現ができる謎の表情。明らかに怒っているのだろう。だが、その表情を私に向けないで欲しい。正直のところ怖い。

 

「さて、私の独り言も終わり。そう、独り言だよ?ここで私と吹雪ちゃんは何も話してない。いいね?」

 そう顔を近づけて、横一文字に結んだ口の前に立てた人差し指を添えた。

 

「あっ、はい」

 そう言えば、話してること機密情報でしたね。この人、何考えてるのか本当に分からないなぁ……。

 

「ところで、明さん。1つお聞きしたいことがあるんですけど……」

 

「ん?なにかな?質問は中身を選んでね?」

 要は、先程まで話していたことについては問うな、と言うことだろう。

 全く関係のない話なので、安心してもらっていいだろう。

 

 

「―――『天の剣』って知ってますか?」

 

 

 

 その瞬間、明さんの表情から笑みが消えた。

 思わず、私は後ずさる。いや、この人笑ってないと本当に怖い。

 

 

「どこで聞いたの?それ」

 光のない目が私をじーっと見つめる。

 

「あ、ある人から、私にこれを探せ、と……」

 

「どこまで知ってるの?」

 淡々と冷たい口調で、私に問いを投げかける。怖くて少し泣きそうだった。

 

「え、えーっと、どこかの場所のことだってことは……」

 

「誰かに話した?」

 

「あ、明さんが、は、はは、初めてです」

 そう言った瞬間、明さんの表情に笑みが戻って、アハハと笑い始めた。

 

「……そっか!アハハ!もう吹雪ちゃん、何の独り言?声が小さくて聞こえなかったけど、私に何か聞きたかったことでもあったの?もしかして、私の悪口?やだなーもう!」

 

「あっ、えっ?」

 

「そろそろ、戻った方が良いんじゃない?私も仕事あるしね!!」

 じゃあねーと、手を振りながら部屋の奥の方に戻っていった明さんの背中を見送りながら、呆然としていた私はそれ以上、なにかする気も湧かずにその場を去ることしか考えられなかった。

 

「えっ、あの……はい、失礼しました」

 

「ねえ」

 私が扉に手をかけようとしたときに、ふと背後から呼び止められる。

 

「吹雪ちゃん。ここから先は私の寝言だよ。私は寝てるから私が何を喋っているのか知らないし、君が私が言っていることを聞いたことを、私も知らない」

 

「…………」

 返事をせずにただ立ち止まったのは、それが寝言だから。

 寝言に返事をするのはおかしいだろう。

 

「―――明日、私のところに御雲くんの要請で【 NO.100 】と言うものが届く。そして、それに繋がるある場所を示す座標。存在しないとある島を示す座標だ。人が手にしてはならない力を、人の手に渡らないために、存在そのものごと封印された島の場所だ。その場所は天を貫く剣のような形をした建物があるらしい。霧に包まれて周囲からは見えないその島の名を《天の剣》と言うらしい。そして、そこにあるのは兵器だ。その名を―――《天叢雲剣》という」

 声に抑揚も、はっきりとした区切りもなく、ただ音を並べるかのように明さんは寝言を吐いていった。

 

「焦る必要はない。きっと君はこのことを知ることになる。私が教えることはない。でも、君は知ることになるよ」

 

 それが運命なんでしょ、と問いかけられるような口調で言ったが、私は返事はしなかった。

 

「……失礼しました」

 私はその場を立ち去った。扉を開いて、外に出て、扉を閉じて。

 

 どっと、汗が溢れ出した。

 全身が訳の分からない寒さに襲われて跳ねるほどに震える。

 

「あの人、怖いなぁ……」

 心の中に抱いた言葉が思わず、口に現れた。

 袖で額を拭って、私は廊下を歩いていった。

 

 何事もなかった。私は何も聞いてないし、何も訊いてない。

 ただ、それだけだった。

 

 

 

    




 やや前回に繋がる内容であり、次の話はややこしいですがこの日の前日の話になります。

 少しだけこの章は長くなる予定です。
 大体、20話くらいを目途に……(遠い目)。


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作戦会議

ややこしいですが、前話の前日に当たるお話です。


 

 

 駆逐艦《吹雪》が去っていった部屋で、独りしばらく椅子に座って目を閉じていた。

 シンクロニシティ。ただの偶然の様なのに因果を感じる。

 

 疲れとかあまり顔に出ないタイプだが、本当に突き詰められた時は顔に感情が飛び出してしまう。意外と緊張に弱いのかもしれない。重圧に弱いのかもしれない。

 

 

 

 

 

 昨晩の会議の事を思い出していた。

 送られてきた【 Navy Code Level S 】の解凍作業に忙しかった証篠は完全に時間の感覚を失くしてしまって、会議をすっぽかしかけた。

 

「……遅刻だぞ、証篠」 

 急いできた、というような様子も見せずに部屋に入ると、鏡がいきなり小言をぶつけてきた。

 

「まあまあ、さっきまで君たちに代わって大事なものの整理してたんだから大目に見てよ。それに何を話していたかは、大方それから理解できる」

 中央に穴の開いた大きな円形のデスク。用意された座席は15。

 まだ5人しかその椅子に座ってはいないもののかつては、全ての席が埋まっていた。

 中央の穴には立体投影された地図の映像。

 赤く光る点に存在している謎の孤島。本来の世界地図には存在しないそれが、北方海域に出現していた。

 

「―――地図にない島ね。予想通りと言えば予想通りだけど、陸上型深海棲艦か……元は岩礁などだがそれに寄生し、深海装鋼を海上に展開して陸上基地を作り上げると言うね」」

 それで、どこまで話したの、と御雲の方を見た。

 

「まずは、報告からしたらどうだ?こっちは既にまとまっている情報だ。いつでも出せる」

 御雲がそう言い返すと、証篠は席に腰を下ろしながら、はいはい、と適当に返事を返した。

 

「現段階での、改造が可能な練度を持った艦娘は駆逐艦《時雨》《夕立》《綾波》《睦月》《如月》《皐月》《文月》《朝潮》《大潮》《霞》。辰虎くんのところは多いね~」

 

「まあ、俺のところは生半可な訓練はしてねえからな」

 

「なるほど。その日頑張った子にスタンプあげて、毎日おやつは欠かさず、夜はちゃんと歯磨きするよう促してお腹出して寝てないかチェックして、独りでトイレに行けない子には付き合ってあげる提督は佐世保にはいなかったのかーそうかー」

 

「てめえ!!それどいつから聞きやがった!?!?」

 

「なんというか、母親だな」

 

「ふっ……」

 

「黙れ、御雲ォ!!鼻で笑わないでくださいっ、鏡さん!!」

 

「まあ、辰虎は置いといて。軽巡は《由良》《川内》、重巡は《古鷹》《利根》、戦艦は《比叡》。こんなところだね、予定の資源で出来るかどうかは試さなきゃわからないけど、一応全員可能ってことで話は進めていくよ」

 

「1つ、質問よろしいでしょうか?」

 そう手を挙げて注目を集めたのは、ブイン基地のクレインだった。

 

「なに?」

 

「初期艦である5隻の練度が他に劣るとは思えません。それなのに、改造可能な初期艦がいないことに理由はあるのでしょうか?」

 

 クレインの疑問は尤もな話だろう。この戦いの始まりから戦場に身を置き、幾度となく視線を渡ってきた彼女たちが、他の艦娘に練度が劣る訳がない。

 

「あー、ごもっともだ。でも、初期艦は改造できないことになっているんだよ」

 

「それはどうして?」

 

「クレインさん、初期艦ってなんだと思う?」

 質問に質問を返すのはやや野暮なことかと思ったが、必要な問答であったので敢えて問いかけた。

 

「鎮守府を動かす上で、重要な存在です。彼女たちの経験はその鎮守府で最も長いでしょうから。万が一、司令塔たる提督の身に何かが起きた場合、代行して鎮守府を運営できるのは初期艦くらいでしょう」

 

「その回答だと50点だね。最も重要なのは、初期艦が失われると、その鎮守府の昨日は止まる。表面上の形の話じゃない。根幹から止まる」

 そう言っても、理解していないような顔をクレインと、ついでに天霧もしていたので、ふぅ、と短く息を吐いて凭れ掛かるのをやめてデスクに肘を突いた。

 

「初期艦の最初の役目は、その鎮守府に『火を入れる』ことなんだよ。妖精を呼ぶ、なんて言い方もされる。実際に妖精は彼女たちの力で呼び出されるものだからね。その他にも建造ドックや入渠ドックなどの管理は妖精を中心に行われている。鎮守府の妖精ってのは、装備に住む妖精たちとは少し違ってね。まあ、妖精にも役割ってものが綺麗に分担されていて、できることとできないことってのがはっきりと分かれている」

 

「装備の妖精は装備を扱うことだけ、入渠ドックの妖精は艦娘の修理だけ、と言った感じに一点特化されているということですね?」

 

「まあ、そんなところ。中でも、鎮守府所属の妖精ってのは初期艦が呼び出して、それからずっと変わらない。そして形にすることができるのも初期艦だけで、留めることができるのも、初期艦。その初期艦が失われるなんてことがあると、その妖精も消える。鎮守府の機能が止まる、の意味わかったよね?」

 

「ん?でも、俺のところの《電》は今はブインにいるけど、佐世保に影響はないぞ?」

 天霧のそんな言葉に、あからさまな溜息を吐いたのは証篠ではなく、御雲だった。

 

「お前なぁ……俺が捜索を打ち切ることを認めたのは、お前の佐世保がまともに機能していたという根拠があったからだ。どこかで電が生存していた理由だ。そんなことも理解できずにお前は俺に文句を言ってきたのか?」

 

「な、なるほど。あの時はそういう意味だったのか」

 

「遅いわ、この出来損ないが。そもそも、艦娘は轟沈以外の手段で命を落とすことは解体を受けるまでほとんどない。意識がある状態で動けなくなる程度だ。電の生存が確認された以上、その安否の確認は必要なかったんだよ。まあ、どんな状況にあるか分かったもんじゃないから気が気でなかったが」

 

「誰が出来損ないだ、オラ。ったく……じゃあ、ちゃんと説明しやがれ」

 

「天霧、士官学校で教わる内容のはずだが……?」

 

「えっ、そうなんすか?鏡さん、すみません」

 

「露骨に態度変えやがって……ほら、証篠。馬鹿は黙ったし話を続けろ」

 

「はいはーい、残りの理由はクレインさんが言ったとおりだよ。ちゃんと電ちゃんは大事にしてあげてね?彼女は佐世保とブインの2つの初期艦と言う異例の存在だから、彼女に万が一が生じると2つの拠点が同時に沈む」

 

「は、はい……ですが、それだけでもやや理由には足りないと思います。改造を受けれなくするほどでは」

 

「改造の成功率は100%じゃない。それで十分でしょ?90%や80%なんてまだ高確率と呼べるような範囲だったらいいよ。そのくらいの危険ならば、彼女たちが立っている戦場にもいくらでもあるだろう。改造の成功率はもっと低い。まあ、このデータはまだ手探りでするしかなかった過去のデータだから、今は少しは改善されてるんだろうけど」

 

「無知で申し訳ありません。改造に失敗するとどうなるのですか?」

 

「高確率でFGフレームが破損する。艦娘の肉体の破損ならばともかく、FGフレームの破損は艦娘という機能を保てなくなる。最悪、その力を失い、当然轟沈に等しい扱いになる。更に肉体の方にもそれ相応の反動が来る。FGフレームを変形させるほどの膨大なエネルギーが行き場を失って流れ込むんだ。どうなるかくらい想像できるよね?そんなものに、重要な存在である初期艦をぶち込むわけにはいかない。言い方に語弊があるかもしれないけど、初期艦には代わりがいないんだ」

 

「……理解できました。ですが、そんな危険性があると分かりながら、あなたはそれでも行うのですか?」

 頬杖突きながら、ちらりとクレインの方を見た。

 向こうも組んだ手をデスクに肘を突いて口の前に持った状態で、身体はこちらに向けてはいないが、根っから真面目なのだと言う気がしみじみと伝わってくる真っすぐな眼がこちらを見ていて、ふと視線が交叉してしまい、思わず逸らしてしまう。

 

「はぁ……私も信用がないなぁ。危険性はあるよ、それは何事にも、だよ?取り返しのつかないという事態を100%避けるために初期艦の改造は行わないだけ。ただ、私が改造を務める限り、失敗は有り得ない。1人として失いはしない。慢心もなしに、確かな覚悟があって私もこう言っている。それでも、クレインさんは私を疑うのかな?」

 しばらく、と言ってももっと短い時間だったかもしれない。

 こっちをじっと見て、不自然な静寂の中でどんな変化をするのか観察されている気がした。証篠は何もしなかった。ただ、自分の言葉に対する返答を待っていただけだった。

 

「分かりました。あなたを信用するしかないようです」

 

「どうも」

 一応の信頼は得られたようで、顔には出さなかったっが安心した。

 

「まぁ、吹雪はさておき《叢雲》に関しては初期艦どうこうの以前に改造用の設計図が存在しないから無理なんだけどねー」

 

「改二についてはその辺りでいいだろう。他には?」

 御雲は証篠に問い質す。証篠には勿体ぶらずに持ってるもの全てを出せ、と言っているかのように思えた。

 

「些細なことではあるが、気になるのが数点。大きく分けて1つは《翔鶴》について」

 クレインがあからさまな反応を見せたので、思わず口角がつり上がった。先程の仕返しとまではいかないが。

 

「翔鶴さんについてですか……」

 

「うん。調査隊の報告書から色々と推測が立ってね。と言うか、ほとんど答えに近いんだけど、一部がまだ謎のままって感じ。とりあえず、どうして航空母艦《翔鶴》が100年前の記憶を保持したまま、現代に蘇った原因だけは突き留めることに成功したってとこ」

 証篠はカード状の端末をデスクの上に置くと、それを指でタップする。デスクにディスプレイが現れ、端末内の情報を中央の立体映像内と各提督のデスクに送った。

 

 

「第2次鉄底海峡攻略作戦、通称『FS作戦』。第1次の『アイアンボトムサウンド』と合計しても史実上被害が最も大きかった戦い。この中で航空母艦《翔鶴》は友軍撤退の殿を務めて、その末に敵艦隊により撃沈されている。まあ、そんな戦いがあったってことで、問題はその前だ。大本営による新装備の実験対象艦娘の中に《翔鶴》の名前も存在していた」

 

「新装備の実験と言うと……噂に聞く試製シリーズなどか?実験協力の代わりに、優先的に配備してもらえるなどと言う」

 鏡の問いかけに、証篠は首を横に振る。

 

「いや、そんな大層なものじゃないけど、それなりにぶっ飛んだものではあるね。この時実験開発途中だった新装備の名前は『補強増設』。本来不可能とされているFGフレームのスロットの数の変化を強制的に行うものだ。開発段階で徐々に改善はされていったものの、当初は寧ろ問題しかないと言うか。設計の粗さがやけに目立つんだよね、これ……本来装備できる装備の1割にも満たない装備しか載せられないとか、結構ガバガバ」

 

「スロット数を増やせるのか……その1割の内容次第では魅力的ではあると思うが」

 

「まあ、御雲君の言う通り魅力的ではあるけど、とにかくこれは実験段階で、試作品に過ぎなかった。そして、翔鶴の『補強増設』に搭載されていたのは、『応急修理女神』、ダメコンの一種で破損したFGフレームを完全修復させる上に、艦娘の肉体まで再生すると言う特殊な『妖精』だった」

 

「……もしかしたら、私はそれを見たのかもしれません。あの時、私は翔鶴さんと出会った時、妖精のようなものを見たような気がします」

 クレインは翔鶴と出会った時の事を思い出しながらそう言った。

 船の墓場のような場所で、砂を掘り返し見つけたのは、1匹の妖精。

 次の瞬間、海は大きく形を変えながら、クレインの下に1人の女性を呼び出した。

 

「あれは、その女神と呼ばれる妖精だったのでしょうか?」

 

「多分、そうなんだろうね。女神は装備した艦娘のFGフレームを完全に記憶する。FGフレームが失われても、艦娘の肉体が失われても、全てを元通りにしてしまうと言う力がある」

 

「だが、待て。そうなると、100年前の戦いで翔鶴の女神は発動しなかったと言うことになる」

 

「女神は発動し、本来の力を示している。御雲、考えるべきなのは『補強増設』側の不調だ」

 

「その通り。翔鶴に割り当てられた『補強増設』は不幸なことに、欠陥品だった」

 証篠はデスクに指を走らせて、表示される情報を更新する。

 今度は100年前の資料ではなく、新たに作られた報告書であった。

 

「推測しかできないけど、翔鶴のFGフレームと『補強増設』の結合は不安定だったんだと思う。FGフレームの破損を『補強増設』側に伝達できていなかった。もしくは、FGフレーム側が『補強増設』の結合を認めていなかった」

 

「でもよぉ、仕方のないことなんじゃねえの?実験段階だったんだろ?失敗だってありはするだろ」

 

「まあ、辰虎の言う通り、仕方のないことなんだけどね……これが彼女にとって幸か不幸か。何はともあれブイン基地にどういう訳か、翔鶴の艤装と『補強増設』が流れ着き、クレインさんの手で女神が起動した。そして現代に航空母艦《翔鶴》は蘇った。まさしく、奇跡。いや、あるべくしてあったのかもしれない」

 

「証篠でも使うのだな、奇跡なんて言葉を。数字ばかりに囚われた女だとばかり思っていた」

 鏡が珍しく、頬を緩ませて笑う。一方の証篠は腕を組んだまま、やや不機嫌そうに頬を膨らませた。

 

「失礼なっ!私はこう見えてもロマンチストだよ……ったく、もー。じゃあ、次の話。翔鶴の持っていた装備なんだけどさ」

 

「まだ続くんですね、翔鶴さんの話」

 自分の重要な部下の話、しかも自分の知らない彼女の秘密を次々と持ち出されて、精神的に結構重圧のかかるクレインが申し訳なさそうに苦笑いを浮かべていた。

 

「気が気でないだろうけど、我慢してねー。それで、天山一二型なんだけど。これはネームド艦攻だった」

 

「話には聞いている。在りし日の戦士の魂が宿るとされる装備のことだな。天山一二型には『村田隊』があったと聞いたが」

 

「そうそう。この『村田隊』なんだけどね―――本来、翔鶴には存在はずなんだよ」

 

「……は?」

 証篠の言葉に、少し間を置いて御雲は素っ頓狂な声を出した。

 

「記録によると、この『天山一二型(村田隊)』は『FS作戦』中に翔鶴航空隊を単独で離脱して、航空母艦《赤城》の下に戻ったとされている。その後、《赤城》が『村田隊』と共に戦っていた記録もあるし、更に言うと、現役時代だった《赤城》の矢は、ほとんどが子孫に家宝として『破魔矢』の意味を込めて受け継がれている。当然『村田隊』もそこに含まれている」

 

「つまり、どういうことだ?女神で蘇った翔鶴にあってもおかしくはないんじゃないか?女神が『村田隊』まで保存しているのならば、そのまま復元されてもおかしくはないのだろう?」

 

「鏡くんの言いたいことは分かるよ。でも、『村田隊』は赤城の下に戻っている。これは翔鶴がスロットから『天山一二型(村田隊)』を切り離さないと無理なんだよ。当然、女神には切り離した事実も伝達される。復活するときには『村田隊』は存在していないはずなんだよ」

 

「要は、これは……いえ、これも『補強増設』の欠陥が原因だと言うことですか?」

 クレインの言葉に、証篠は腕を組んで首を少し傾けた。

 

「多分、そういうことになるんだろうねー……同じ魂が複数存在するのは、『原典理論』に反するからね」

 

「2つの『村田隊』か……まるで双子の様だな」

 

「あっ、そうだ。『原典理論』で思い出した。最後の私からの報告。御雲くん、《叢雲》についてなんだけど」

 証篠がそう口を開いた瞬間、御雲は掌を向けて制した。

 

「その報告は後で個別に頼む。立場上、公にできることでもないからな」

 

「うーん、分かった!じゃあ、私からの報告は終わり!じゃあ、作戦の話だね」

 

「ふぁぁ……ようやく訳の分からねえ話も終わって本題に戻れるなぁ。今、何時だぁ?」

 

「そう言う発言は控えろ、天霧。ほとんど方針は決まっている、詳しくは御雲から頼みたい」

 鏡がそう言って御雲を見ると、小さく頷いてデスクをタップする。

 証篠が出していた情報が引っ込み、代わりに大きな日本地図が表示された。

 

 

「まずは補給線を絶った後、北方海域に集結した敵艦隊を撃滅する」

 御雲はデスクを指で弾く。無数の矢印と、艦隊を表すシンボルが地図上に出現していく。

 

「こちらが、先日横須賀の駆逐隊によって判明した敵物資の集積地と思われる場所だ」

 御雲が予測し、JADFの偵察が加えられ、確定された現段階での破壊目的地。

 

「結成する艦隊は、合計6つ。先行して対潜対空哨戒、制空権をとる艦隊。補給基地周辺の展開する部隊に、夜戦による奇襲をかける艦隊。補給線を絶つ際に、北方海域の本隊に対し、囮となる艦隊。補給基地を破壊する水上部隊。そして、北方海域敵主力部隊を叩く連合艦隊」

 

「連合艦隊は空母機動部隊。俺が指揮下に置く。クレイン殿にも協力していただく」

 加賀を旗艦とし、翔鶴、蒼龍、飛龍を基幹とする空母機動部隊の指揮。

 機動部隊を編成するのならば、この男に一任されるのは分かっていた事であったが、クレインという青年にも一端を任されると言うのは、やや証篠には驚きであった。

 

「先行する水雷戦隊と、軽空母を基幹とした艦隊は俺が指揮を執る。うちの奴らに夜間の奇襲なんてものはお似合いだ」

 カチコミのような作戦には確かにこの男指揮下の艦隊がお似合いだろう。

 そう言えば、夜戦好きの軽巡洋艦が呉の証篠の下にもいたような気がするが、今はどうでもいいだろう。

 

「囮部隊の指揮と、連合艦隊の補佐を私の指揮下の艦隊が行います。やや微力ですが」

 なかなか慎重な指揮が求められる場所にこの青年を投入するのか、と少し疑問符を抱いた。知れば知るほど、この青年は不思議な存在なので、やや信用しがたいが、無駄に礼儀正しく紳士的なので、どこかで折れそうだ。

 

「そして、補給基地の破壊は俺が指揮を行う。全ての艦隊の総司令部の決定権も俺が持つ」

 本作戦の最重要点はやはりこの男か、と。補給基地1つを破壊することの意義の方がずっと強い。寧ろ、この作戦の成否はここにかかっている。

 

「なるほどなるほどー……ん?私は?」

 適当に話を聞いているうちに自分の居場所がないことに気付く。

 動くはずの6つの艦隊のいずれにも、自分の指揮する艦隊がない。

 

「まさかお留守番なんてないよね?帰ってきた艦隊の修理に徹しろと?」

 

「お前は例の特務に回ってもらう」

 御雲の口から発せられた言葉に、ワンテンポ遅れて、勢いよく立ち上がった。

 

「は、はぁ?えっ?あれ御雲くんがやるんじゃなかったの?」

 

「貴様が適任だとの、上からのお達しだ。俺もそう思う」

 

「不安ではあるが、俺もだ」

 

「俺は何の話か全く知らねえです」

 

「わ、私の方も……」

 

「あぁ、辰虎くんとクレインくんは知らされてないんだね。まあ、機密性の高さから仕方のないことかもしれないけど」

 

「一部で異論があった。この作戦の裏で行うべきか、否かだ。だが、早めに動くに越したことはない。それに、一体どんな連中がこの存在を狙っているのかもわからない。それに気になる情報もある」

 

「気になる情報って?」

 証篠の疑問符の乗った言葉に、鏡がコンソールを弄りながら言った。

 

「航空防衛軍航空総隊六〇七部隊所属の織鶴 瑞羽3尉からの報告書だ。すぐに織鶴総司令官の下で海軍に通達され、最高機密扱いとされている」

 証篠の目の前のディスプレイのみに、1枚の報告書の画像が映された。

 大きく赤い判子で「重要機密」と押してある。

 

「南西諸島海域上空を飛行中に、濃霧により視界不良。霧の内部に巨大な影を確認。直後にロックオンされて、緊急回避を行った……」

 その一部を抜粋して、声に出して読み上げる。

 ここは明らかにおかしいからだ。突っ込みどころが多すぎて、自分が受け取れば突き返すだろう。

 

「最悪の事態が起こっている可能性がある。ただの伝承が現実のものになるかもしれない」

 やれやれ、と言った表情で御雲がそう言った。

 だが、彼の抱いている危機感は証篠には小さすぎるようにも思えた。

 

「本当に、《叢雲》の予想は当たっていたってこと?」

 胸の中で生まれた大きな焦りが、頬を伝う汗となる。

 伝承なんてものより、可能性の中にある可能性の可能性のような、ありえないと断言できるレベルの話だったはずのものが、もしかしたら存在してしまっているかもしれない。

 

「あくまでも可能性だ。だからこそ、この時代に必要になる」

 鏡が落ち着かせるようにそう言った。だが、落ち着けるはずもなかった。

 しかし、今は席に座った。一度腰を下ろして考えた。

 

 艦娘の『改二』の対極、「深海棲艦の可能性」。

 こんなもの信じたくはなかった。

 

「探し出さねばならない―――《天叢雲剣》を。早急に申請しよう」

 

 

 

     

 

 

 




 割とこの章、証篠が中心に動くかもしれません。

 次話はこの話でちらりと出た『原典理論』について軽く触れて、作戦開始まで持って行けるかどうかのところまでを書かせていただきます。


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原典の楔

 短めの話をちょこちょこと投下していくと言ったな?

 あれは嘘だ。


「―――妖精さん」

 

「やあ、久し振りな気がするね、吹雪。最近は熱心に何かを調べているようだが」

 

 合同演習、及び鎮守府の一般公開から2週間。

 艦娘たちはそれぞれの鎮守府へと一時的に戻り、一部は呉鎮守府へと向かったらしい。

 大まかな作戦の方針は決まったらしく、後は各方面への協力の要請と、細かな装備などの調整が行われて、いよいよ北方海域の奪還に動き出す。

 

 そんな日常の中、私は相変わらずあのことを独自に調べ続けていた。

 とりあえず、鎮守府の資料室にある私の知らないことが綴られてるものを全部ひっくり返して読み漁っているところだ。

 

「えぇ、色々と私にもやることができてきましたので」

 

「訓練の方も滞りなく行っているようだ、練度の上昇も目覚ましい。艤装を見ればわかる。格段に扱いが上手くなっている。その身体にも、いよいよ本格的に慣れてきたと言うところか」

 

「そうでしょうか?えへへ……」

 褒められると素直に喜んでしまう。特に当初は私を結構ダメ出ししてきた、艦娘である私の生みの親である妖精さんに褒められると、普段の倍は嬉しく思える。

 

 

「それで、私に何か用があったのでは?」

 

「あっ、そうだった」

 私は妖精さんに会うために工廠訪れていた。

 そこには多くの工廠妖精がいるのだが、妖精さんはひと目で分かる。

 

「調べ物をしているうちに、『原典事件』ってのを見つけたんですけど、よく分からなくて……妖精さんなら何か知っているんじゃないかと」

 

「……随分と古い事件を引張り出したものだ。始めに言っておくが、これはまだ艦娘という存在が増えてはいたものの、存在として不安定だった時代に起きたものであって、今の君には何の関係もないものだろう」

 

「それでも気になるものは気になるので……」

 私がそう言うと、妖精さんはスパナを近くの机の上に置いて、

 

「少し歩きながら話そう。ここは暑いだろうし、うるさくてまともに話せないだろう」

 と、私の肩に乗った。

 

「じゃあ、食堂の方にでも行こうか」

 思えばこうやって妖精さんを肩に乗せたのは久しぶりだ。

 偶に、知らないうちに乗っていることもあったし、どこかペットのようにも思えてくる。

 

「私はペットではないよ。では、食堂に向かおう。進め、吹雪」

 

 いくら私の生みの親でも、勝手に心の中を読まないで欲しいものだ。

 

 

 

     *

 

 

 

「―――君は《吹雪》が10人も存在していたらどう思う?」

 

「えっ?」

 食堂のテーブルの上にちょこんと座る妖精さんは、私がアイスコーヒーを貰って来て椅子に腰を下ろしたところで、そう尋ねてきた。

 

「私と同じ顔が……10人?なんか気持ち悪い」

 

「確かに奇妙なものだ。だが、これは過去に実際にあったことだ。10人どころじゃない、もっと多かったような気もする」

 

「ほ、本当にあったことなんですか!?じゃあ、私と同じ顔の艦娘が生まれる可能性も」

 

「いや、今の段階でそれはない。安心したまえ、ちゃんと改善されたんだ」

 

「よ、よかったぁ……」

 でも少し待ってほしい。過去にそう言うことがあったと言うことは、私の知っているある艦娘の記録は、1人によるものではなく、同じ名前の複数のある艦娘によるものなのでは?そんな可能性も浮上してくる。

 

「艦娘の中に宿る魂と言うものがどのようなものか、それはなかなか理解しがたくてね。建造ドックは艤装と海に眠る艦娘の魂を結びつけるようなものだが、それがどのように行われているかは分からなかった。例えば、《吹雪》という魂は艦艇であった駆逐艦《吹雪》を知る誰かの記憶であり、海が覚えている《吹雪》の戦いから結びついて生まれた集合体のようなものだ。だが、集合体の中には当然解釈の違いと言うものが生まれる。ある人がライオンを見てかっこいいと思えば、ある人は怖いと思う。そんなものだ」

 

「なるほど……つまり、やや違う解釈として生まれた《吹雪》の記憶から私が生まれると言うこともあったかもしれない、ということですね?」

 

「そういうこと。そして、複数生まれてしまったある名前を冠した艦娘は集合体ではなく、一部から作り出され、万が一欠けた部分があれば、そこは何かしらの手段で補うと言った形だった。面白いことに、記憶とは足りない間を補ってしまうんだよ。そして一部でしかなかった魂の欠片は、不完全ながら1つの形となる」

 

 妖精さんはテーブルの中央にあった角砂糖の瓶から、角砂糖を1つ取り出して頬張っていた。妖精は食事なんてするものなのだろうか?

 

「だが、不完全だ。だから崩壊した。ある日各地で同時に艦娘が次々と原因不明の死を遂げていった。これが『原典事件』だ。世界には支え切れる魂の数があると言う。当時の人間は、魂と言うものを無限に生み出せると簡単に考え過ぎていた。実のところ、私もそうだった」

 

「そ、そうだったんですね……それは轟沈とはまた違ったものなんですね」

 

「あぁ、本当に突然死んだ。艦娘の肉体の方の問題だ。じゃあ、吹雪、君に問おう。完全な魂とは何だと思う?」

 

「完全な魂ですか……?難しいですね」

 

「じゃあ、質問を少し変えよう。人間と呼べるにたる魂の要素として不可欠なものはなんだと思う?逆の言い方をしよう。人間の形をしていながらも、化物と呼ばれるにたる魂の決定的な欠落とはなんだと思う?」

 

 急に胸が苦しくなった。

 背中から撃たれたようなそんな衝撃だった。

 

「……もしかしたら、私はその答えを聞いたことがあるのかもしれません。いえ、正確には私に向けられた言葉の中にそのように解釈できそうなものがあった訳であって、ただ」

 

「ただ?」

 

「それを認めれば、きっと私は、私を肯定できなくなる。そんな気がします」

 

「今は私の質問に答えることだけを考えればいい。私たちの問答の中に他者の余計な言葉など不必要だ」

 角砂糖を積んで遊んでいるかのようにも思える妖精さんだが、その声色はいたって真剣なものであった。確かに話を逸らすほどの事でもないのかもしれない。いや、寧ろ私は妖精さんの質問に答えることだけを今求められているのであって、それ以外の要素は不必要なものだ、妖精さんの言葉通りに。

 

 

「善悪の両立、ですか……?」

 ある少女が、私にはないと言ったもの。

 

「なるほど。そう考えたか。確かにそれは間違いではないし、私が求めていたものに非常に近い。善だけを為そうとする者、悪だけを為そうとする者。その両者には対極となる、悪と善が備わっていないため自らが間違っていると言う客観的考えを一切持てず、己が信条に従って止まることなく進みゆく定めにある。それは人間を人間たらしめる理性的な思考が欠如したただの『化物』だ」

 

「妖精さんの求めた答えがそれならば、最初の問いかけの答えもきっとそうだったんですよね?」

 

「そんなところだ。だが、少し違う。君は深海棲艦の根源は何だと考えている?」

 

「大戦期に生まれた負の感情ですか?」

 

「その通り。それは深海棲艦が登場した頃から推測されたことであって、それから一度たりともその解釈を変えることなく、私たちは戦ってきた。では、対極にある艦娘は正の感情を持つ者。死ではなく生を。憎しみではなく、慈しみを――――否、それが不完全なんだ」

 

「不完全?でも、艦娘の原動力はそうだとずっと……」

 

「不完全なんだよ。それでは、深海棲艦と変わらない。己が内にある感情こそが正義だと疑わない化物だ。戦いと言うものは正義と正義のぶつかり合いだ。深海棲艦の正義とは、己が内にある負の感情だ。きっと彼らはそれを疑わない。人を憎み、人を殺し、全てを破壊することこそが当然だと思っている。それが『化物』たる所以だ」

 

 確かにその通りだ。それは私の経験からも証明できるものだし、歴史の中でも証明される。

 深海棲艦は化物であって、私たち艦娘の対極にあって、それは負の感情の化身であって、それは正の感情の欠落した不完全な存在であるが故に化物であるのだと。

 

「もう分かっただろう?『原典事件』で死んだ艦娘たちが、どのような艦娘たちであり、生き残った艦娘たちがどのような艦娘であったかが。それが君の求めている全ての答えに等しい」

 

 

 果たして、この世界には全く憎しみを抱かない人はいるのだろうか?

 悲しみを、怒りを、嫉妬を、抱くことのない人などいるのだろうか?

 

 私はそれは恐ろしいと今はっきりとわかる。それは人として欠けている。

 怒りの感情は湧いても、それを抑え込むことならあるだろう。

 憎しみを抱いても、それは何も生まないと制することができる人ならいるだろう。

 悲しみを抱いても、他人に気付かれないようにひっそりと心のうちで涙を流す人ならきっといるだろう。

 

 そう言うことじゃないのだ。

 全くと言うほど、これっぽっちもそれらの感情を抱かない、感じることのできない人なんているのだろうか。

 

「負の感情は、艦娘にもあるものなんですね。いいえ、本来深海棲艦に対抗していたのは、正の感情ではなく負の感情であり、正の感情とは負の感情を理解するためだけの対比でしかなかった。もしかしたら、その程度の存在だったのかもしれない」

 

「私たちが生み出すべきであったのは、化物じゃない。ただの兵器でもない。理性をかけ備えて、人間らしい多彩な感情と性格を持つ人間を超えた人間である存在だ。艦娘とはそうあるべきであって、そうでないものが世界から弾かれるのはある意味道理であった。それを許さない存在がいたとも言えるが」

 

「つまり、『原典事件』とは不完全であった艦娘の魂が崩壊し、崩壊させられて、完全な魂の下に全て還ることによって本来あるべき1つの魂として形を成したと言う訳ですね」

 

「その通りだ。私たちは、その完全な魂を『原典』と呼び、それを持つ艦娘を『原典の依代』と呼んでいた。と言っても、これらに基づく艦娘の根底を成す理論の展開が求められていたのは、初期だけ。徐々に『原典』が不通となっていくにつれて、そういう考えも消えていった」

 

「1つ疑問に残るんですが、建造ドックの不具合のようなものだったんですよね?それは修復されたんですか?」

 

「勿論だ。すべて調整した。当初内蔵されていたのは、平賀博士が考案した基礎理論を応用して作り出した人が考えた理論だった。それを私たち、艦娘の魂に多く触れる機会があり、それの化身とも呼べる私たちの力と経験でフィードバックを行い、魂の集合体から削り取るのではなく、集合体そのものを引き寄せるようにした。こうして、今に至るまでの艦娘の建造システムが構築された訳だ」

 

 私はアイスコーヒーに差したストローを何気なく咥えながら、少しだけ頭の中を整理した。

 ブラックなので苦いはずなのだが、目の前で妖精さんが次々と積み上げた角砂糖を頬張っていくので、なぜかコーヒーに甘さを感じてしまう。

 

「妖精さんは言いましたよね。人間は、魂と言うものを無限に生み出せると簡単に考え過ぎていた。魂という存在を私たちは軽く見過ぎていたんですね。それは命であったはずなのに。私たちはもっと考えるべきだった。命とは容易く人の手で自由に扱ってもいいものではないのだと言うことに」

 

「どうしてクローン技術が長い間、禁忌とされていたのかはそこにある。倫理観と言うものは実に重要なものだ。それを追い詰められていた人類は忘れ去ってしまっていた。吹雪、君は自分が化物かもしれない、そんなことを言ったね?」

 

「えぇ……まぁ、少しだけ思い当たるところもあるので」 

 

「君は恐らく間違ってはいない。それは君を艦娘にした私が保証するし、君は今、私たちが最初は理解できなかった命の価値と重さと言うものを深く理解している。それだけでいい。確かに君の立つ戦場ではそれは少しずつ失われていくのかもしれない。だが、忘れるな。忘れてしまっては、自らの命さえも軽くなる」

 

 それは多分、励ましだったのだろう。私には少しだけ説教の様なものにも思えたのだが、きっと妖精さんなりの励ましだったのだと思う。

 

「いざとなれば、君の中に居る者たちが止めてくれる。自分と言う存在を信じろ。自分に宿る魂を信じろ。君と言う命を常に感じているんだ。そうすれば、迷うことはない。君には道が見えるはずだ。時に、それは誰かが指し示してくれる」

 今の私のようにね、とニタリと笑った。

 

「ふっ、ふふっ、そうですね。私らしくもないですし」

 

「何故笑う?」

 

「妖精さん、笑い慣れてないでしょ?ちょっと変な笑顔ですよ?」

 

「むっ、確かに笑顔を作ると言うのは難しいものだ。自然な流れならば上手くいけるはずなのだが」

 

「はははっ、まあそんなことはさておき、艦娘は1隻につき1人しか生まれないのにも、そんな理由があったんですね」

 

「あぁ、そう言った厳密なルールと言うものは『原典理論』と呼ばれている。艦娘の存在を縛るための約束のようなものだ」

 

「『原典理論』ですか……」

 

「あぁ、簡単なものから説明していくと、艦娘は1隻に付き1人ずつ。そして、正の感情と記憶、負の感情と記憶を持ち合わせているものである。艦娘は自身の由来である艦艇以外の記憶を持つことはない。同様の姿形で他種である複数の艦娘が生まれることはない。解体を行っても、艦艇の記憶、艦娘の記憶の両方が失われることはない。こんなところだ」

 内容としては割と常識だと思っていたことが多いようだ。

 常識だと思っていることと言うものは掘り返してみると根源が分からないものが多いので、意外と衝撃的だったりする。

 

「そうだな……あと、吹雪。君のように艦娘の子孫であるものには『原典の楔』というものも知っておいた方が良いかもしれない」

 

「『原典の楔』ですか……?私みたいな艦娘の血を受け継ぐ者に関係するって」

 

「これは終戦後に判明したことだ。しかも、終戦後50年ほどの期間を経て、な。『原典理論』は全てが艦娘大戦期に生まれたものではなく、『原典の楔』とは実の両親のどちらかに元艦娘であった者たちを持つ、艦娘の1等親の中でも実の子に現れるものだ」

 

「艦娘ではなく、その子どもに……つまり、私の曾お婆ちゃんですね」

 

「その通り。まあ、簡単に言ってしまうとだな―――――」

 

 

 

「―――艦娘の子は、20歳までしか生きられない」

 

 

 

「は?」

 なんだか、さりげない会話が続いていただけのような気がしていた。

 艦娘にも多くの縛りが存在していることはなんとなく気が付いていた。

 それでも、それは、恐らく私がいつかは子を設ける事もあるのであろう女という性別だったかもしれない。不自然に広がる不快感と絶望か焦燥かどちらかに似た嫌な感情がじわじわと生まれてきた。

 

「ちょっと……どういうことですか?それ」

 

「そのままの通りだ。建造を行っていた時には全くと言うほど想定していなかった事態だった、だが、よくよく考えれば十分に起こり得ることだったのだよ、これが。吹雪、人間を艦娘にした実験、『マルロクイチ計画』で《叢雲》がどのようにして艦娘になったのかを覚えているか?いや、この問いは少し違う。どうして艦娘が女性にしかなれなかったか、その理由は何だったか、という問いの方が適しているな」

 

「それは……インナーフレーム、FGフレームの中でも私たちの身体の内側に張り巡らされている部分の生成の際に行う遺伝子の改変、染色体がXXである女性は染色体同士が相互に補完し合うから実験による変質に耐えることができた、みたいな感じでしたっけ?」

 

「概ねその通りだ。もう分かっただろう?艦娘は人間であるはずの存在の遺伝子を弄ってしまっているんだ。まともな遺伝が行われる訳がなかった。染色体同士で補い合うと言っても、それはあくまでも過程の話だ。結果的に変質してしまっている。だからこそ、このような障害が発生した。だが、不思議なことに20歳まではいたって健康なんだ。何の不自由もなく生きている。だが、20歳になると突然身体がダメになる。手足が動かなくなる。内臓が機能しなくなる。そして、死ぬ」

 

「あまりにも酷な話ではないですか?家庭を持つことは、子を持つことは、全てとは言いませんが女性の1つの理想であって、人間と同じような思考と感情を持つ艦娘たちならば……かつて船でありながら人の身体を得た彼女たちならば尚更のこと、我が子が愛おしいはずです……その成長を見届けたいはずです」

 

「想定しきれなかった。私は彼女たちの戦後まで考えることができなかった。もしかしたら、世界のどこかでは警鐘を鳴らしていたものがいたのかもしれないが……この世界の人間は気付くことができなかった」

 

「その子孫は、孫は、曾孫はどうなんですか?私の祖母は、父は、どうなんですか!?」

 

「言った通り、この『原典の楔』は実の子だけだ。それ以降の子孫には影響しない。恐らく、艦娘の遺伝子が交配と継承の末に影響力が無くなっているからだろう。妖精が見える、などの能力は受け継がれているが、艤装を動かすなどはできないだろう?もうしばらくすれば、妖精さえみえなくなるかもしれないな」

 

「そう、ですか……」

 素直に喜べはしなかった。

 

 今、この事実を目の当たりにして、私はなぜか祖母を思い出していた。

 私が存在していることは、祖母が生まれることができたことが始まりだ。

 

 祖母は、自分の母親を知っているのだろうか。

 思えば、祖母はいつも自分の祖母であった《吹雪》の話をしていたような気がする。その時、私はまだ曾曾祖母が艦娘だったとは知らなかったけど、きっと祖母は、《吹雪》に育て上げられたのだろう。

 だからこそ、あんなにも『艦娘』を信じていたのかもしれない。

 

 

「もっと早く気付けたことですね。艦娘の子孫にそういう縛りさえなければ、世間にはもっとたくさんの艦娘の子孫がいるはずです。あれだけの数がいたのですから……」

 

「……実は『原典の楔』が仮説として建てられた時から、少しだけ世界は変わってね。艦娘たちの血を絶やすなという風潮もあれば、無理に艦娘の子に強いることなく、その一生を全うさせようと言う風潮もあった。日本では前者が結構強くて、艦娘同士が協力し合って血を繋ぎ合った例もある。舞鶴の提督がその例だ」

 

 それは戦いを終えた艦娘たちの新たな戦いだったのかもしれない。

 幾度となく見てきたであろう仲間の死から解放され、次は定められた家族の死に直面する。

 

「……っ、あの」

 やめておけと、誰かが耳元で囁いたような気がした。

 でも、確かめたかった。興味本位とか、義務感とかじゃなくて、多分衝動的なものだったんだと思う。でも、それはきっと当然の行為であって、私じゃなくても恐らく、私のようにしたはずで。

 

「……今の艦娘たちもそうなのですか?私や、叢雲ちゃんも」

 いつの日か、私の身に起こるかもしれないことを、知らずにはいられなかった。

 だが、妖精さんは簡単に口を開かずに、ふぅ、と息を吐いてから、私を見上げた。

 

「……君は今、その答えを知りたいのかい?もしかしたら、改善されているかもしれない、希望はあるのかもしれない。君は今の時点でその答えを知ってどうする?未来に絶望するか?何も私から聞かずにただ未来に託すか?」

 

「……分かりましたよ。妖精さんと答え合わせをするのは止めておきます。なんだか、含みのある言い方ですし」

 

「希望と言うものはいつでも胸に抱いておいた方が良い。少なくとも絶望よりはマシだ」

 

「はいはい……でも、なんか――――あっ、いや、なんでも」

 

「どうした?」

 

「いえ、なんでもありません。そろそろ、戻らないといけませんね」

 

 何かが見えてきた気がしたのだ。

 私の夢に繋がる何かが。もっと具体的になってきたような気がするのだ。

 

 ただ、今は感情的になってしまってそう思っているだけなのかもしれない。

 だから、妖精さんには何も言わなかった。

 

 でも、妖精さんの言葉は多分正しい。私は知らないでよかったのだろう。

 未来に待ち構える絶望を知るのはきっと、とても辛い。生きていられなくなるほどに。

 

 それにこの戦いが終わるのはいつなのかもわからない。できるだけ早く終わらせた気持ちはあるが、私1人の気持ちでどうなることでもないだろう。

  だから、そんな「いつか」の未来で頭の中を埋め尽くすよりは、今救える何かの為に必死になること。

 

 

 それが、「私」だったはずだ。

 

 

「よしっ、私、頑張ります!今からもう1回訓練するんで艤装出してください!!」

 とりあえずは我武者羅にやってみよう。

 それでだめでもいい。今はきっとそれでいい。無駄な何かを考えるよりずっといい。

 

「はぁ……あまり無理はするものでもないが、何か考えがあっての事だろう。分かった」

 残念ながら、妖精さんが思っているような考えは特にはない。

 それでも、今は身体を動かすべきなのだろう。私の脳がそう言っている。

 

 その許可をもらうために、とりあえず、私の身体は執務室を目指して駆けだした。

 

 

 

     *

 

 

 

 執務室に1人。ちょうど叢雲は席を外しており、煩い監視もいなくなったため、少しだけ背もたれに体重を預けて天井を仰いでいた。連日続いていた作戦会議からようやく解放されて、それなりにゆっくりとした日常を過ごせると思ってはいたが、そんなはずなかった。と言うか、やけに忙しかった時期の忙しさが身体に染み付いてしまい、身体が勝手に仕事を始める始末だ。

 叢雲には「やけに真面目ね、気持ち悪い」と言われるまでだ。

 最早、泣けてくる。家族愛の一方通行。押し売りするつもりもないが。

 

「……あと、何年だ?」

 ふと、そんなことを呟いてしまう自分に気付いた。

 分かってはいたのだが、どうしても引きずってしまっている自分に呆れ果てる。

 

 

 

 発端は、御雲 月影が証篠 明から受けた報告だった。

 元々は、叢雲を『改ニ』にする手段はあるのかという、《叢雲》という艦娘がやや特殊なためにはっきりとしないその疑問を調査するために頼んでいたのだが、その過程で無視できないものが見つかってしまったことを聞いて以来、最終的な報告をずっと待っていたのだが、その報告がこの前の作戦会議の終わり際にようやく仕上がってしまった。

 

 ちょっと工廠裏に顔貸せよ、ではないが、工廠裏。

 男女2人きりではあるが、学校の体育館と似通った状況であっても、もし有りえるとするならば告白なんてものよりも寧ろ果し合いだろう。靴箱に入っているのは、決闘状だ。それならば、軍刀の1本や2本持ち合わせるのだが、そんな冗談を吐けるほどの心の余裕もあまりなく、執務室から着の身着のまま、約束の時間に証篠と合流した。

 

「まあ、簡単に言うと、残念なお知らせだ」

 そんな切り出し方をされたので、息が詰まりかけた。

 

「そ、うか……あぁ、続けてくれ」

 ちらりと心配そうに証篠が目を向けたような気がしたが、気にせずに耳を傾けていた。

 

「……君の妹に当たる叢雲、『御雲 楽』の出生は普通の人間とは違った。先代の《叢雲》が遺した『胚』に君の父上、御雲 月之丈の遺伝子を組み込んで、君の妹として始めは試験管の中で生まれ、培養器の中で育ち、普通の人間のような形で産まれた。これは君に教えてもらったことだ。あっているね?」

 

「あぁ、違いない」

 そうだ。叢雲は、御雲 楽は人からまともに生まれた存在ではない。

 先代の《叢雲》が来るべき時に備えて未来に遺した自らの分身を作り出すための、遺伝子情報と記憶の詰まった『胚』から作り出された、先代《叢雲》のクローンに限りなく近い存在だ。だが、クローンではなく、遺伝子的には現代の彼女の子孫の遺伝子により、《叢雲》の遺伝子を活性化させて、限りなく艦娘に近い状態で誕生させると言うものだった。

 

「オーケー。じゃあ、前提条件は間違っていないわけだ。ここから先は私の報告」

 わざとだろうか。早く終わらせようとしているつもりはないのだろうが、証篠は淡々とした口調で話を進めていく。声に、感情と言うものを感じさせない。そんな話し方をするのは彼女なりの配慮だったのかもしれない。

 

「叢雲はいわば『成長する艦娘』だった。現状、彼女は15歳程度の肉体年齢だろう。彼女が妖精を呼び出し、本格的に艦娘の道を進み始めた時に、彼女の成長は他の艦娘同様に止まっているらしいことは確認できた」

 

 それは知っている。士官学校に進んでからは時々しか見れなかったが、彼女の成長を見守ってきたのだ。

 彼女が、人間と同じように、成長をしてきたのは知っている。気付けば、それなりに大人の女性らしさを纏うようになっていた。精神面で幼い頃から大人びていたのもあったが、外見もようやく追いついてきたところだ。

 

「でも、彼女の遺伝子がどんな状態かを詳しく調べると、彼女は先代の《叢雲》の代役ではあっても、《叢雲》自身ではなかったし、どちらかと言えば、その子孫。でも子孫と言えばそれは御雲くんも同じな訳なんだけど、彼女は厳密に言えば、違う、もっと特殊な状況下にある子孫だ」

 

「あぁ、それで」

 

「つまるところ、彼女は《叢雲》の直系にあたる1等親の子孫なんだ……だから」

 

 

 

 

「―――『原典の楔』が確認された」

 

 

 証篠の顔を見ることができなかったのは、淡々と話そうとする彼女の声が一瞬だけ震えたのを感じたから。

 そして、御雲自身が自らの内から湧きだす吐き気のようなものを抑えるのに必死だったから。

 

 何か反応をしてやった方が良いのだろう。

 そうした方がきっと証篠も楽なはずだ。だから、何か言葉を紡ぎ出そうとした。

 

 喉で空気が詰まる。声が音にならずに、変な固まった空気を吐き出す音だけが漏れ出す。

 感づかれないように、はぁ、と一度長めに息を吐き出した。

 

「私や君が、後何年でこの戦いを終わらせられるのかは分からない。でも、なんにせよこの戦いが終われば、艦娘たちは叢雲を含めて解体されることになるだろう。その時、彼女は15歳だ」

 

 それを聞いて、証篠がまた淡々とした口調で話し始めたが、先程よりも言葉が早い。

 

「残された時間は――――」

 

「もういい。分かった。それだけ聞ければ十分だ」

 そこで止めた。心臓に爪が食い込むかのような苦しさに耐え切れなかった。

 

「御雲くん、これは――――っ!」

 証篠が諫めるかのように御雲の方に身体を向けて、淡々とした口調を止めて呼びかけた。

 それでも、何か言おうとした証篠の口が突然抑え込まれたかのように、流れるような彼女の声が止まった。

 いったい、何を見たのだろうか。御雲には見当が付かなかったが、彼女の目が自分に向いていることからなんとなく察しがついた。

 

「いいんだ。もう……大丈夫だ」

 きっと、酷い顔をしているのだろう。全く、感情を隠すのが下手だ、と自分を笑った。

 分かったよ、と証篠が呟いて、彼女は少し俯いた。

 そして、小さく息を吸ってから、またさっきのように覇気のない口調で

 

「叢雲ちゃんには私からは伝えない。この報告は上にあげるつもりもない。私と、君だけの秘密のようなものだ。でも、これを君が誰かに伝えるかどうかを私が決めることはできない。こればかりは君の自由だ」

 これで以上だ、とそう言った。

 これが全てなのだろう。これ以上、何もない。これは紛れもない現実なのであって。

 ここにきっと嘘はない。

 

「じゃあ、私は戻るね……」

 別に1人にしてくれと頼んだわけでもないのだが、無駄に察しが良い。

 少し深呼吸をしてみた。夜風に乗ってやってきた空気は、夏場とは思えないほどに乾いていて、不思議なほどに身体の中に吸い込まれていった。

 

 

「証篠」

 ふと、去る彼女を呼び止める。

 

「なぁに?」

 立ち止まりはしたものの振り返りはしなかった。

 

「ありがとう」

 どんな結果であったとしても、きっと彼女は迷ったはずだ。

 嘘だって伝えられたはずだ。それでも真実を伝えてくれた。

 この言葉は、その意味を乗せて送った。

 

「ったく……やめなよ、そういうの」

 彼女はそうとだけ言うと、小さく右手を上げて振った。

 彼女には見えないだろうが、御雲もそれに返すように小さく手を振って別れを告げる。

 

 その小さく掲げた手が、拳を作って。

 

 思いっ切り、工廠の壁を殴りつけた。

 

 白い手袋に、赤い塗装がこべりつく。汚れてしまったと笑った。

 

 

 

「誰だね?工廠を乱暴に扱う馬鹿は……君か」

 少し上の窓が開いて、誰かが声をかけてきたが、姿が見えない。

 それはその姿がとても小さかったからで、飛び降りてきたそれが近くの室外機の上に着地して、やや見上げる形でようやく誰かが認識できた。

 

「イヴか……」

 

「その名前は止めたまえ。しかし、いつもに増して酷い顔をしているぞ、司令官よ」

 

「あまり干渉してくれるな。司令官たるもの、抱えるものも多いんだ」

 

「だからと言って、その心労をものに当たるのは良くないな。それに、私は君がその程度でものに当たるような人間には思えないが、どうかね若き司令官よ?」

 

「……壁を殴って悪かった。どうにかしていたよ」

 

「そうか。どうにかしていたのか。ならば納得が行く」

 妖精はヘルメットを脱いで、その場に座り込んだ。

 

「工廠施設の中は暑いな。空調設備の増強を具申したいところだ」

 

「予算があればな。考えておく。というか、工廠にいるのは貴様ら妖精くらいだろう?」

 

「私でも暑いと思うのだよ。それに、艦娘だって自分で整備するために訪れる」

 

「そうか。何かしら対策を考えておくよ。さて、俺は戻らないとな」

 

「よろしく頼むぞ……若き司令官よ。これは多くの将たる者を見てきた私からの些細な助言だ」

 

「なんだ、妖精」

 

「君は若すぎる。日本海軍のお足下、横須賀鎮守府の司令官を任せられるにはまだ青い。意味が分かるか?」

 

「いいや、全く分からんな。俺では不満か?」

 

「普通こういう席に座るべきなのは歴戦の者だ。それこそ、多くの死線を掻い潜り、幾多の栄誉と犠牲を生み、その果てに世の中の渡り方と戦場での生き方を熟知した者が任される。君は『経験』と言うものが圧倒的に少ない。そのせいで君は今―――――」

 見下ろしているせいか。それともその声が姿形に似合わず妙に落ち着きがあり低く重いものだからか。理由はいくつかあったのだろう。ふと、その小さな姿を見上げた時、まるで御雲 月之丈を前にしているかのようなあの威圧感を覚えた。夜闇に在る小さな存在に、畏怖を抱いたのだ。

 

 

「――――逃げ場を失くしている。そんな顔をしていた」

 

「そうか……さすがはこの因縁の戦いの始まりを生み出した存在だけある」

 御雲が浮かべた笑みは自らへの自嘲のようなものだった。

 本当に顔に出さないようにするのが下手だと。

 

「これは助言だ。『逃げ道は用意しておけ』。優秀な指揮官とは部下を逃がす方法と自分を逃がす方法を作戦の他に十分に用意しているものだ。いかなる場においてもだ。逃げるのが巧い者ほど長く生き、そして巧妙であり、聡明なものだ」

 

「逃げ道、か……なかなか難しいことを言ってくれる。ありがたく受け取っておこう」

 

「あぁ、精々長生きすることだ、若者よ」

 

 

 

     *

 

 

 

 ぼーっと天井を見上げていると、どれほど時が流れたのか。

 執務室の扉を叩く音が聞こえた。

 上体を起こし、机に置いていた軍帽を被る。

 

「誰だ?」

 

「駆逐艦《吹雪》です!」

 元気のいい声。やや落ち着きがないところが目立つ少女。

 

「入れ」

 

「はい!失礼します!あの、訓練の追加を申請しに来たのですが……」

 その割に、ちょっとしたところに無駄に律儀で、どこどな軍に属する者としての風格が現れてきた。

 初めてあの町で会った時とは大違いだ。

 

「まだやるのか……熱心だな。いいぞ、自分を追い込んで来い」

 引き出しから小さな書類を1枚取り出し、適当にペンを走らせる。

 確認印を押し、予備を手元に残して、吹雪に手渡した。

 

「はい!ありがとうございます!……あれ?叢雲ちゃんは?」

 

「ちょっと外している……なぁ、吹雪?」

 

「はい、何でしょう?」

 思えば、この少女はずっとあの子の側にいたのだろう。

 あの時、叢雲と言う少女が我を忘れて暴走した時も、この少女が原因だった。

 そして艦娘として正式に横須賀に招いてから、ただの駆逐艦とは思えない活躍を見せ続け、叢雲に次ぐこの国きっての戦力、いわば切り札になるかもしれない存在となっている。

 

「叢雲と、随分と仲が良かったな……その、あれでも妹だ。提督と言う立場でこんな私情を挟むのはきっと良くないことなのだろうが……こんな時にしか言えない。ありがとう」

 

 この少女は、きっと世界を変えるのだろう。そして、他人さえも変えてしまうのだろう。

 だから、変えてほしい。この世界に刻み込まれてしまった愚かな運命さえも。

 

「は、はぁ……どういたしまして」

 変な反応をされたので、どこか気まずく咳払いをしていつもの司令官たる姿を整える。

 

「変なことを言って悪かった。訓練に励んでくれ」

 

「は、はい!失礼しました!!」

 扉を閉めて、トタトタと駆けていく音がしばらく耳に届いた。

 

「さてと、逃げ道を作ることにするか」

 独りの部屋でそんなことを徐に口にしながら、立てていた万年筆を手に取った。

 

 

 

 

 

 




 世界には支えられる命に限りがある。
 まあ、人口が増え続けている現状ではなかなか言い難いですが……。

 ふとした時に感じることがあります。
 まあ、私が思いついた言葉ではなく、知人に言われた言葉なんですけど。
 
 やや余談になりますが、ある日友人と巣から落ちた雀の雛を巣に戻したんですが、その日の帰りに別の雀の死体を見つけました。そのことを知人に話した時に、この言葉を贈られました。

 いつか崩壊するかもしれませんね。増えすぎた命も。
 そんなことを時々考えてしまう、暑い日々が続いています。

 日焼けと熱中症に気を付けてお過ごしください。


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不吉な風の在り処

 


 

 今日、叢雲がこの場を訪れていたのはただの気紛れのようなもので、ついでと言ってはなんだが、御雲 月影に頼まれてなんてこともあったりする。

 名目上は、横須賀鎮守府司令官の代理で、先祖代々の英霊たちにその必勝と加護を祈願しに来たのであった。

 

 秘書艦として、長い間鎮守府を空ける訳にもいかないため、午後に艦娘の戦闘服のままで当然ながら艤装は置いてきた。鎮守府の事がやや心配だが、訓練はしっかりとしているだろうし、最近なにかとやる気を見せている司令官も放っておいても大丈夫だろう。

 

 念には念をと、護衛付きで『英雄の丘』まで車でやってきたが、先に黒塗りの車が数台停まっていた。入口には黒服姿の男が数人立っている。

 叢雲自ら乗り込む。当然、護衛に説得されたが待っているのは性分ではない。

 

「……どこの誰かしら?」

 

「そちらこそ、どこのガキだ?今は立入禁止だ。帰りな」

 身長は恐らく2mくらいあるだろう筋肉質の黒服が叢雲をちらりと見るとそう吐き捨てた、

 

「日本国防海軍横須賀鎮守府司令官付秘書艦、叢雲よ。これでも私を通さないと言うの?ここは私たちの祖先が祀られている場所よ。あなたたちこそ場違いじゃないのかしら?」

 

「ちっ、艦娘か」

 男は舌打ちをすると、近くにいた細身の仲間に目で合図をする。細身の黒服は奥へと入っていき、しばらくすると戻ってきた。筋肉質の黒服に耳打ちをする。

 

「通れ。我々の雇い主がお前と話したがっている。お前らはダメだ。なーに、危害を加えるつもりは雇い主にはない」

 細身の黒服がそう言った。護衛たちが何かと抗議を始めたが、叢雲はその前に手を差し出して止めるように促した。

 

「御一人では流石に危険です」

 

「いいのよ。そもそも、私に手を出してくる馬鹿はこの国にいないわよ」

 そう言って叢雲はそこへと足を踏み入れる。

 

 この場所の空気は本当に不思議だ。別世界なのだ。

 全ての喧騒から隔離された別次元の空間。ここには何かがあると言われても疑わない。

 暑さを感じさせない涼しい風が吹き、猛暑日の続くこの頃とは思えないような暖かな日の光が差す。自らの体重が少しだけ軽くなったように、足取りも軽く、悩みもなくなる。

 ただ、この冷たい静けさが時々気味悪くなる。心地よさから長くここに留まろうとしたくなるのは、この地の呪縛なのだろう。だからそれに囚われてはいけない。きっと戻れなくなる。

 

 遠くから見ても、誰かが石碑の前にいるのは分かっていた。

 小奇麗な黒いスーツ姿。どことなく気品を感じさせる後姿。やや白髪の混じった髪に歳を感じさせるがその背筋が曲がることなくピンと伸びて指先まで伸ばして、気を付けの状態で石碑の前に立ち尽くしていた。

 

「随分と柄の悪い護衛を付けているのね。どちら様かしら?」

 悪態吐いて声をかける。男は低い声で笑いながら、ゆっくりと振り返った。

 

「これはこれは、神の子と揶揄される横須賀の秘書艦殿ではないか。それは失礼した」

 年季を感じさせる初老の顔。オールバックの髪の下に浮かべた柔らかな笑顔はどこか不自然すぐに作り笑顔だと分かる。細い目の奥に野心が隠れているのが見え見えなのだが、どうせわざとなのだろう。

 

 こういう類の人間は、初対面で相手を試してくる。

 そして相手を格付けする。そういう世界を生き抜いてきたからこそ自然とそうしてしまうのだろうし、相手を見抜けるだけの眼を持っている。だから、嫌いだ。

 

「あなたは……あぁ、風影 大熙(かざかげ たいき)防衛事務次官ね。何の用でここに?」

 防衛大臣に次ぐ座にあり、事務方の頂点にある男。但し、その身は軍属であり、風影は叢雲の記憶では陸軍に所属していた。ただ、『軍服組』ではないのだが、それなりに鍛え抜いたのだろう。衰えこそ見えるもののしっかりとした身体をしているのが背広の上からでもはっきりとわかる。

 外見ではそんな印象なのだが、内面で言えば印象的に狐のような男だ。

 

「私もそうそう暇ではない身柄なもので、あなたがた艦娘に激励の言葉を向ける機会もなく、それでは国家の一翼を担うものとしてあるまじきと、こうして過去の英霊たちに祈願しに来たまででありますよ」

 理由としては十分だ。確かに、官僚たちがたびたび訪れることもある。

 ここは靖国に次ぐ、そう言う場所だからだ。艦娘史以後での靖国ともいえる。

 ただ、単独でここに訪れていると言うことだけが引っかかる。

 

「そう。ご立派なことね。私もそんなところよ。司令官の代理だけれども」

 

「もしかすれば、私以上に多忙な身かもしれませんからな。御雲の御曹司殿は。そう言えば、先日の月影殿のスピーチの方、拝聴させていただきましたが……あなたの差し金ですかな?」

 

「なんの事かしら?見当もつかないわ」

 

「ほっほっほ、艦娘に憧れ軍の道に走った者ならば知っておるでしょう」

 そう言って、風影は懐から1冊の本を取り出した。蒼色の表紙をしたそこそこの厚さのある本。

 よーく知っている本だ。御雲家では必ず見かけるし、吹雪が良く読んでいた1冊なので覚えている。

 

 『青と雲と錆の記憶』。

 風影が持っているのは上中下のうちの上巻。

 ある男がその生涯を描いた自伝記。そして、多くの謎を後世に残してしまった、世界の嘘を剥がそうとしたことで世に衝撃を与えた1人の男のつまらない生涯を描いたノンフィクションの物語。

 

「『御雲 夏月(みくも なつき)』、あの《叢雲》を生涯に渡って支えた前世代の英雄。あなたの祖先であり、御雲家を始祖。今の表と裏の一族を束ね、戦後の軍と国家を整えた《叢雲》が作った最強の司令官。存じないわけないでしょう?」

 

「えぇ、知ってるわよ。その男が《叢雲》のことを事細かに記したそんなものを世に出したせいで、歴史の中に隠されるはずだった、先代の存在が明るみになったのだもの。他の歴史的資料の中に、先代は驚くほどに現れないから」

 

「あまりお好きではないのですな、祖先の事が。まあ、この上巻の末尾に彼が語った言葉。悪名高き『鉄底海峡』を終えて心身ともに疲弊した多くの軍人と艦娘、その有様を見て絶望を抱いた市民。その全てに向けてはなった名もなき若き提督の言葉。それによく似ていた、あの時の月影殿の言葉は」

 

「さぁ、私は詳しくは知らないけど、アイツなりに憧れでもあるんじゃないの?」

 

「私には月影殿に夏月殿の姿が重なって感動を覚えた……まるでこの言葉を夏月殿が現代に蘇り語っているかのように」

 

「はぁ……あなたほどの狂信者を見るのも久し振りね。あまり期待をしない方が良いわ。あの男はあなたが理想を重ねるほど大きい男じゃない。小さい男よ。そう、未だに臆病さを拭いきれない小心者」

 

「ほう、自らの司令官たる存在をそのように評価しますか?」

 

「そんな大きな器は似合わないのよ。でも、小心者なりの戦いができる。臆病だからこそ、敵に情けを向けない。抜け目を許さない。一切の優勢を与えない。いつか自らに降りかかる火の粉をひとつ残らず潰し、煙すら立たせない。そう言う男に教育されている」

 

「ほっほっほ、秘書艦殿にそこまで評価されているのであれば、司令官としては本望でしょうなぁ」

 

「……そろそろ、お帰りになられたら?お忙しいのでしょう?」

 

「仰る通りだ。しかし、残念。生ける伝説『艦娘』その代表格である叢雲殿とはもう少しゆっくりと話を交えたいものでしたが」

 そう言って、石碑に背を向け去ろうとする風影の背中に叢雲は言葉を向ける。

 

「そう、あなたみたいな国家の犬はどこか胡散臭いから苦手なの」

 

「そうですか。では、一介の犬風情から、叢雲殿にご助言を」

 風影は足を止め、くるりと回り叢雲を向くと、素早い身のこなしで叢雲の耳元に口を近づける。

 

 

 

「司令官殿にお伝えください。『神風を忘れるな』と」

 

 

 

 耳元で囁かれたことに嫌悪感を感じたのではない。

 風影の声が生理的に無理だったという訳でもない。

 その言葉が反射的に叢雲の中で、臨戦態勢を整えさせるほどの意味を持っていた。

 

「―――ッ!!!待ちなさい!!!あなたっ、その名をどこで!?!?」

 振り返った時には既に風影からは随分と距離があった。

 どんな身のこなしをしているかは分からないが、やや特殊な足運びをしているようで、その背を負う気も起きなかったが、もし小銃を持ち合わせていたなら撃っていただろう。

 

「ほっほっほ、では」

 

「……ッ!ちっ!!」

 

 この世界に、この時代に存在しないはずだった。

 それは御雲一族に、いや、艦娘の系譜に属する者全てが禁忌としている名だからだ。

 決して許されることのない、人類が艦娘史において犯してしまった最大の罪。その名は、世に知れ渡ってはいけないと護られてきたはずだった。護り通すことこそが未来に科せられた贖罪であり、宿命であった。

 

 世界から弾かれた存在を。世界を破壊しようとした存在を。

 その身に余る力と運命を背負わされた、まさしく『呪い』。

 

 叢雲の心は一気に騒めいた。焦燥が思考を乱して、呼吸を乱して、汗が全身から溢れ出す。

 しばらく動けないままそこに立っていた。何をしに来たのかさえ忘れて、地面に落ちた抜け殻のようにただそこに在るだけの存在に成り果てていた。

 まだ青い葉が木から離れて風に乗って頬を掠めた。

 ようやく我を取り戻し、叢雲は乾いた口内を満たし始めた唾液を飲み込んだ。

 

 石碑に花を手向けると、少し目を閉じ祈りを捧げる。簡易ではあるが、これで片付け叢雲の足は石碑の後ろへと向かった。台座を飛び降り、植木を掻き分け、その奥に続く密かな道。

 

「叢雲……私はどうすればいいの?あの因果はあなたたちの時代で終わったはずでしょ?」

 足を進めながら、叢雲は自分の中に眠る魂に問いかけていた。

 木々に作られた道を抜けると、そこに広がるのが全く異なる景色。

 

 崩れた塀に囲まれた雑草の生い茂る空間。入口には錆びついた鉄門が崩れて枯葉の中に埋もれている。

 薄暗く寒気を感じるそこに在るのは、多くの墓石。白い石には苔が生し始めている。それがこの墓地に流れている年月を教えてくれる。叢雲はその中でも一番大きな墓石の前で足を止めて、跪いた。

 

 ふと、周囲の墓石に目を向ける。刻まれている名前は『被検体』から始まる名ばかり。

 ここに眠る者たちに名前はない。もしかしたら互いに呼び合っていた名前はあったのかもしれないが、それを知る者はこの世界にはいないし、きっと唯一知っていた者も忘れてしまっているのだろう。その名前が少女の中にないのだから。

 

 それは御雲家だけに知らされている真実。背負うことにした業。

 いったい、《叢雲》の亡骸はどこに埋葬されたのかという多くの疑問の答えがここに在り、いったい《叢雲》はどのようにして生まれたのかがここに在る。

 この場所『英雄の丘』には元々、別の施設が存在していた。

 名目上は深海棲艦の襲撃で親を失った子どもたちを集めた孤児院。

 その実態は、深海棲艦に対抗する兵器を開発するための被検体を収容するための鳥籠。

 

 彼女はここで育ち、ここに眠る。すべてはここから始まり、彼女がここで終わらせている。

 

 『御雲 ユキ』がここで眠ることで、全てが終わったはずだった。

 

 

 

     *

 

 

 

 合同演習から1ヶ月後。

 幌筵泊地に先行艦隊が集結し、作戦の開始が待たれていた。

 艦娘たちの士気は上々。後方支援として集結している、海軍の部隊も慣れぬ土地に早くも順応し、いつでも艦娘を送り出せる体制を整えていた。

 先行するのは、例の『改二』の力を手にしたばかりの軽巡と駆逐艦による水雷戦隊。

 そして、本隊への囮を務める軽空母と重巡洋艦を基幹とした機動部隊。

 

 臨時的に増設された大湊にその更なる後方拠点を展開。次段作戦の艦隊は一時的にここに集結し、作戦の開始を同様に待つ。航空防衛軍の偵察機による敵補給基地の位置は掴めている。そちらに展開する部隊はここで待機していた。

 

 そして、更にその後方。空母機動部隊が横須賀鎮守府を発つ。

 最終調整をギリギリまで行っていたために遅れる形となったが、彼女たちが大湊へ到着した時点で作戦は開始される。

 

 幌筵の艦隊の一部が、周辺の哨戒活動を行いながら、随時敵偵察機などの警戒を行っている。

 今のところ、目立った動きはなく、艦娘たちは戦艦も空母も重巡も軽巡も駆逐艦も、緊張を途切れさせることのできないまま、それでも今できる限りの温存をと、休息をとっていた。

 

 

 夜の帳が下り、やがて水平線から新たな日の訪れを告げる太陽が顔を覗かせる。

 ある者は眠りの中で、ある者は海の上で、ある者は風を切る中で。

 それぞれが様々な形でその日を迎え、そして数分後には皆が同じような面構えで列を作った。

 

「―――時が来た」

 青年の言葉は簡単に、そんな風に始まる。

 

「これより、君たちの名は歴史に刻まれる。

 

 君たちには大いなる先駆者が存在する。

 彼女は今や伝説となり、人々の中で語られるだけの存在となってしまった。

 

 世界は君たちに伝説を重ねるだろう。君たちは伝説に相応しい戦いを世界に強いられることになるだろう。

 

 だが、この戦いの果てに歴史に刻まれるのは、伝説の中で語られる君たちの先駆者の名ではない。

 語り継がれるのは、君たちの先駆者の戦いではない。

 

 例え辿る道が同じであっても、この時代を飾るのは君たちであり、この戦いに勝利するのは、君たちだ。

 

 過去の声に耳を傾けるな。聴くべき声は隣に立つ戦友の声であり、未来に続く声だ。

 

 さあ、この時代に生まれ落ちた少女たちよ。我らの最後の希望である戦乙女たちよ。

 

 この時代にその名を刻め。

 この海に生まれた意味を刻め。

 この風にその声を刻め。   」

 

 

「暁の水平線に、艦娘の勝利を刻め」

 

 

 

「日本国防海軍所属艦娘諸君全員へ、艦隊総司令官命令である」

 

 

「勝利せよ。生きて帰れ。以上だ」

 

 重い責務を背負わされた1人の青年の言葉に艦隊は鼓舞される。

 その直後に、別の青年の声が前線基地中に轟く。

 数奇な運命を辿り生まれ落ちた少女たちの、勇ましい声が呼応する。

 その足は波を切り、遥かなる海へと身体を進めていく。

 

 

 北方海域攻略大規模作戦――――開始。

 

 

 

 

 北東の海に今世紀、人類最初の大規模作戦が展開された傍ら、南西の一大拠点、呉には複数の艦娘たちが集結していた。とは言っても、1人の提督と、6人の艦娘のみ。

 

 始まりの合図とも言える青年の演説の終わりと共に、6人の少女たちは地を蹴った。

 海へと走る。朝日が煌めき眩しい海面に足を沈めることなく、進み征く。

 

「―――特務艦隊、総員出撃」

 呉の母港に残る若き女性提督の声が通信機越しに各員に届く。

 

 航空戦艦《日向》

 航空巡洋艦《利根改二》

 軽巡洋艦《夕張》

 駆逐艦《叢雲》

 駆逐艦《吹雪》

 駆逐艦《雪風》

 

 総員、6名。向かうは南方の海。目に映ることのない幻の島『天の剣』。

 

 

 

 片や、人類反撃の狼煙を上げ、片や人類存亡の大陸を求める。

 

 作戦の成否に問わず、その行く先を語ることができるのは、生き残った勝者のみ。

 いわば、この戦いとは、語り手の争奪戦。

 物語はどちらが始めたのか分からない。だが、それを語り継ぎ、終わらせるのは勝ち残る者だ。

 

 

 人類か、深海棲艦か。

 その行く先を静かに見守るかのように南海に漂う霧の中で、静かにそれは動き始める。

 

 

 

 

     *

 

 

 

 

「いっちょ前に気取りやがって。お前は以前から人の前では格好つけるところがある」

 独り残った執務室を訪れたのは懐かしい顔だった。

 まだ陸と海の隔てなかった頃、幾度となく競い合った悪友。

 褐色の軍服、襟を短く刈り上げた頭に軍帽。軍刀に拳銃を携え、腕章には「憲兵」の2文字。

 肌は未だに色白で、ぼぅと浮かび上がっているかのように目立つ。

 

「黙っていろ、蜻蛉(あきつ)。貴様は今は俺より階級は下だろうが」

 俺がそう言うと、扉に持たれていた身体を起こして笑いながら執務机に近づいてきた。

 

 横須賀憲兵隊副官、蜻蛉 銀(あきつ ぎん)中尉。

 蜻蛉一族の次男であり、兄と異なり憲兵の道を進んだ。

 鏡ほどの長身ではないが、背が高くすらっと引き締まった体をしている。

 ただこれと言った特徴のない顔をしており、白い肌に真面目そうな男の顔(中身は割とやんちゃ)が能面の様に張り付いているような気分だ。

 

「階級か……2人しかいねえんだ。そんなもの旧友ってことで大目に見てくれよ」

 やや肩を窄めながらそういった旧友に、ふぅ、と短く息を吐いて笑いかけた。

 

「それもそうだな。銀、随分と出世したな。兄殿は息災か?」

 

「元気元気。海に遅れは取れんと今日も必死に頑張っておられるよ」

 

「そうか。兄殿が陸軍の顔となっている以上、蜻蛉の一族も安泰だろう。次男のお前は肩の荷が軽そうで羨ましいものだ」

 

「少し歳が離れすぎた。上官が兄の後輩で変に気を使われて疲れる」

 

「はっはっは、お前もお前で優れている。兄殿が居られなければ、そこにいたのは貴様だろう」

 

「荷が重いよ……俺には向かん。そろそろ本題に移るか?」

 何気ない会話の中で切り出したのは蜻蛉の方だった。

 座るように促したが、首を横に振って、執務机に軽く凭れ掛かって腕を組んだ。

 

「では、そろそろ……何の用だ?貴様がわざわざこんなところに」

 

「人事異動は聞いているだろう?横須賀に俺が配属されたのは」

 

「あぁ、俺はその理由を訊いている」

 

「警護だ。横須賀鎮守府艦娘艦隊司令官、御雲 月影のな。父からの命だ、俺だという理由は信頼のある者に任せたいからなのだろう。隊長殿も兄の後輩で信頼できる」

 

「俺の警護……?どういうことだ?その理由は?」

 横須賀鎮守府は海軍大本営のお膝下。艦娘の艦隊の総司令部が置かれる場所でもあり、警備であれば日本でも5つの指に入るレベルで高い。加えて横須賀の憲兵隊も常駐している。有事には十分な戦力は揃っており、俺個人の警護を必要とするような警戒体制ではない。

 

「端的に話させてもらう。月影、そして継矢や明、辰虎のガキ。お前らの警護を俺たち憲兵隊に任ぜられた」

 

「俺が訊いているのは貴様の任務ではない。その理由を――――」

 なぜか俺の中に生まれていたのは焦りだった。

 本来あってはならないものだった。時に、今は大規模作戦が展開されている最中。

 感情の乱れは指揮の乱れを生み出し、緻密に組まれた戦略を打ち壊す要因となる。

 

 それでも、何かと出し惜しみをする蜻蛉に俺は焦っていた。

 そしてようやく蜻蛉の口が開いたとき、

 

「―――葦舘1等空佐が暗殺された」

 そう、告げた。知らぬ名ではない。

 航空総隊対特例災害機動空挺師団長、艦娘の直接的な支援を行う航空防衛軍の特殊部隊、その責任者だ。今回の作戦について打ち合わせた際に何度も顔を合わせている。生粋の軍人気質だとひと目見て分かった。

 

「それだけじゃない、お前は知らないだろうが海軍からも陸軍からも数名、将官が殺されている。警備に当たっていた者たちからも犠牲が出ている。相当の手練れだ」

 

「馬鹿なっ……あり得ない!!なにも人だけが監視している場所じゃないはずだ」

 

「何も残っていないんだよ、痕跡が。動体検知や赤外線の配備されていないところだった。いや、気付かれないようにそこにだけ穴があった」

 

「……待て、お前の言い方は語弊を生むぞ。まるで―――」

 

「そのまま、お前が想像した通りの意味だ。言っただろう?父が、最も信頼できる者たちに任せたのだと」

 

 軍内部に犯人はいる。そして、もっと上の人間にも。

 俺が考えていたことはそんなところだ。敢えて答え合わせはしなかった。

 これだけで十分に最悪の事態であったからだ。

 

「……よりによってこんな時に。狙われていたかのようだ。いや、狙ったんだろうな」

 

「その通りだ。だから、お前を警護する。そしてお前には俺の任が解かれるまでの間、武装が許されている。俺の責任下での抜刀もだ。いいか?お前はお前の為すべきことをしろ。俺は俺の為すべきことに全力を注ぐ」

 

「分かっている……そのつもりだ」

 

 その後軽く今後の予定を話し合い、蜻蛉とは別れた。

 執務室を出るとすぐに待機していた部下に指示を出して厳しい警戒態勢を敷いていた。 

 頭を掻き毟る。連日、フル回転でギリギリまで作戦の調整を行っていた今、必要なのはリフレッシュなのかもしれないが、まだそんなことができる段階ではない。遠い地で彼女たちが戦っている。

 椅子から離れて、危険と分かりながら窓際に近づいた。

 錠を緩め、少しだけ窓を開ける。

 

「人と深海棲艦の前に……人と人か」

 季節に見合わぬ凍えるような冷たい風が吹き込んだ。

 不吉な予感を感じながらも、俺は深呼吸をして窓を閉めた。

 

「準備は……できているッ!!」

 そう、準備なら余るほどしてきた。

 だから、揺らぐことはない。揺らいではいけない。

 

 カーテンを閉める前に、窓の外の闇夜に潜む姿なき監視者を睨むかのように、細めた眼を向けた。

 

 

 

 




 やっと作戦開始ですが……変な話も出てきました。
 
 不穏です。めっちゃ不穏です。
 不穏な空気が終始漂いながら、この章は進んでいく予定です。


 爺さん亀進行ですが、今後ともよろしくお願いします。


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夏イベやっててしばらく止まってました。

挽回して進めていきたいと思います。


 静かな海だった。そこは異様なほどに静まり返っている。

 南方海域は激戦の海と言われているのだが、私たちの行く手には深海棲艦の影は1つも見当たらない。海水は透き通っていない黒色。間違いなく、ここは浸蝕域のはずなのだが、電探にすら深海棲艦はかからない。

 

 その静けさが逆に異様で、少しの恐怖が大きな緊張感になっていた。

 

「吹雪、顔が強張ってるわよ。力抜きなさい」

 前方を進む叢雲ちゃんが振り返って私にそう声をかけた。

 

「そうだ。今は力を抜いておくべきだぞ。いざと言う時に身体が動かなくなる」

 後方の日向さんも落ち着いた口調でそう諫める。

 

「そんなに分かりやすいですか?私・・・・・・?」

 

「分かりやすいよ。周囲を気にしすぎできょろきょろと見渡している。敵はいない。いたら利根の索敵機が見つけているからね」

 そんなに私の挙動はおかしかったのだろうか。

 深呼吸をして肩をあからさまにすとんと落としてみる。少しだけ力が抜けた気がした。

 

「おっ、戻ってきたようじゃ」

 後方にいた利根さんが手を目の上に翳して遠くを見ている。

 零式水上偵察機が青い空の下をすーっと飛んでこちらへ戻ってきていた。

 水上に着水してそれを利根さんが拾い上げる。水偵はそのまま補給作業に移り、私たちは叢雲ちゃんを中心にして一度足を止めた。

 

「では、この辺りで羅針盤を回してみましょうか?」

 夕張さんに促されながら、少し嫌な顔をして叢雲ちゃんが羅針盤を取り出した。

 

「何度も言うけどおかしいんじゃない?羅針盤は回すものじゃないでしょ・・・・・・」

 

「これはそういうものなんですよ。さっさと回しちゃいましょ?」

 納得いかなさそうな顔に私は苦笑いを浮かべて叢雲ちゃんを見ていた。

 彼女の指が私たちの進行方向を指していた針を弾いて、クルクルと方位が記されたコンパスの上を回り始めた。

 

「本当に不思議なものだな。何もしなければただ北を指しているだけの針を艦娘が弾けば別の方向を示す。これはどうなっているんだ?」

 

「妖精の技術の結集ですよ。恐らく艦娘を作り出す技術すら超えた水準のものですけどね!」

 そう夕張さんが胸を張りながら答える。

 最初は半信半疑だったが、この道具の異様さはすぐに分かった。

 現に私たちは今まで一度も会敵していない。最も安全で最善のルートを常に私たちは進んでいるらしい。

 

「0-5-5・・・・・・また結構進路が変わったわね。合ってるの、これ?」

 

「羅針盤には従うな、ですよ。さあ、行きましょう」

 夕張さんの言葉にぞくりと背筋に寒さが走る。

 戒めのように最初に言われたこの言葉がどうしようもなく引っかかる。

 逆らった先に何があるのか。

 気になるのに、艦娘の刻み込まれた記憶、本能なのか。

 それだけはダメだと言うことがなぜか分かってしまう。

 

 肌で感じる気温は随分と低く感じた。まだそんな時期でもないのに。

 

「じゃあ、日向さん。次、お願いします」

 

「心得た・・・・・・零式水上偵察機、発艦ッ」

 航空戦艦である日向さんの飛行甲板から次の水偵が次々と発艦されていく。

 翼が空へと飛び発っていく姿は何度見ても美しい。日向さんの手際の良さは彼女の練度の高さを十分に表していた。

 

「日向さん」

 

「どうした?」

 ほとんど無意識だったのだが、気付いたら日向さんを呼び止めていた。

 

「あっ、いや、その・・・・・・航空戦艦も空母みたいに爆撃とかできるんですよね?」

 

「あぁ、今日は任務の都合上持ってきてはいないのだが。水上爆撃機や水上戦闘機も扱うことができるよ、私は。空母同様にとまではいかないが、そこいらの戦艦とはまた違う。変わりつつある航空機の時代への戦艦の参入としての先駆けとして、私も力になりたいものだ」

 

「へぇ・・・・・・今度機会があったら一緒に戦ってみたいです」

 

「何、生き残ってさえいればいつか機会はある。それに別に見ていて面白いものでもないだろう?」

 

「いえいえ、とても興味深いものですよ!私に言わせてみれば、艦娘の全てが!!」

 思わず熱が入ってしまったが、日向さんは引く事も無く優しい笑みを浮かべていてくれた。

 

「情熱を持つとはいいものだな。君のような存在が時代を切り開いていくのだろう。さぁ、この辺りにして任務に集中しよう」

 

「は、はい。ありがとうございます」

 

 静かな海の上を6人の艦娘がただただ進んでいく。

 いくつもの島々が目の端で通り過ぎていき、黒く染まった海の下には生物はいない孤独な世界。

 波を切る音、風を切る音。

 それだけが聞こえるのが、その音だけしかないのが、異様で気味が悪い。

 そして、胸騒ぎに反して何事もなく、日向さんの放った偵察機が居り返して帰ってきた。

 

「なかなか見つからないものですね。随分と遠くまで来ましたけど」

 そう雪風ちゃんが呟きながら、着水していく水偵を見ていた。

 

「弾薬の消耗がないから戦えるけど、燃料の方が尽きるかもしれないわね」

 叢雲ちゃんはそう懸念の言葉を向けた。

 燃料はまだ2割ほどしか消費していない。交戦していれば倍は消費していただろうが、これも羅針盤の恩恵なのだろうか。それでも、手掛かりひとつ掴むこともないまま、悪戯に減っていく燃料を見ているのは先に対する不安をどうしても生んでしまう。

 

「そう言えば、これって帰りにはどうなるんですか?羅針盤に従ってここまで来た以上、まっすぐ帰るって訳にもいかないですし」

 雪風ちゃんが夕張さんに尋ねた。夕張さんは顎に手を当ててしばらく考え込んだ。

 

「多分、まっすぐ帰っても問題はないと思いますよ。会敵する確率こそ平時の作戦時と変わらないくらいであって、元々羅針盤とは進むための装備です。分からない道を調べるものですから、帰る場所が分かっている以上は羅針盤は必要のないものになるんです。私の予想ですが」

 

「得体の知れない敵地に踏み込む時こそその真価を発揮するが、帰り道では大して役に立つ者でもないと言う訳じゃな」

 利根さんはそうまとめながらカタパルトに偵察機を乗せ変えていた。

 

「そういうことです。ですが、帰投中の交戦で皆さんに内蔵されているコンパスに障害が生じた場合には、羅針盤が代わりに道を示してくれます」

 

「つまり、ヤバくなったら全速力で帰ればいいってことよ。この辺りかしらね」

 微速ほどの船速で進む艦隊の先頭で羅針盤の針を指で弾いた。

 銀色の針の半分を赤く塗装され針路を示す。目で追い切れないほどに勢いよく回る針はあるタイミングで磁石に引き寄せられたかのようにピタリと止まる。

 

「3-3-0。利根さん、偵察機を」

 舵を切りながら原速ほどにまで艦隊の速度は上がっていく。

 カシャンと音を立てて、エンジンの音を立てる水偵がカタパルトから放たれた。

 

 扇状に広がっていく水偵たちをしばらく目で追いながらもすぐに意識を周辺の警戒に戻した。

 相変わらず海は静かなままだった。

 

 

 

     *

 

 

「哨戒部隊、帰投っ!!」

 

「小破2隻、その他損傷なし!」

 日はほとんど完全に落ちようとしていた。

 北の海で火蓋が切られた戦いの前哨戦のまたその始まりに満たないが、偵察を兼ねた対潜哨戒に赴いた水雷戦隊が帰投する。彼女たちを迎えたのは余るほどの多くの海兵たち。疲弊していた彼女たちは狭苦しい基地に溢れ返るエネルギーに余計に疲労の色を見せていた。

 

「軽巡由良、以下駆逐艦5名帰投しました。報告書の方こちらになります」

 艤装を工廠の方に預け、損傷した駆逐艦たちを入渠ドックに送ったのち、急いで仕上げた報告書を天霧の下へと届けた。由良はこの不良提督が正直のところ苦手だったが、何とか顔に出すことなく相手をしていた。

 

「あー、そこに置いとけ。てか読むの面倒。簡潔に今説明しろ」

 こんなことを言う始末なのだから、本当に提督としてどうかしている。

 早く報告を済ませて自分も入渠ドックの方に向かいたいなどと考えながら、頭の中で今日の作戦を整理した。

 

「ヒトマルヨンマル、哨戒中最初の潜水艦隊をソナーにより探知。対潜行動を行い、撃沈を確認しました」

 由良率いる水雷戦隊の任務は対潜及び対空哨戒であったため、随伴艦は三式ソナー及び爆雷、更に13号対空電探を役割を分けて配備し、会敵した敵艦に合わせて作戦を展開していった。

 

「その後、3度潜水艦隊と交戦。大半の撃沈を確認。作戦海域にて本戦闘に置いて潜水艦隊以外の敵影は見ず。敵偵察機等も全く見当たりませんでした。対空電探にも感無し。水上電探にも水上艦は一切引っかかりませんでした」

 

「はー、やけに静かな戦いをしてきたな」

 天霧の言葉通り、水面下で行われる戦いは水上からいれば随分と静かなものだ。

 だが、戦場に立つ身からすれば、水面下に潜む敵を探りながら、その敵からの見えない攻撃に注意をして、ありとあらゆる神経を総動員して戦闘を展開する。油断も隙も無い、緊張感と言うざわめきが常に心の中で騒がしい戦いなのだ。

 

「え、えぇ……ですが潜水艦の数が異様に多く、こちらが対潜行動に移る前に軽微ではありますが被弾を許す結果となりました」

 

「十分な戦果だろ。しかし、随分と奥の方に大事に主力は隠していると言う訳だ。偵察の範囲も随分と狭く設定しているな。今回がギリギリのラインを進んでしまっただけなのか。偶然なのか。どう思う?」

 

 突然の問いかけだった。報告に訪れただけのつもりであった由良は思っていたよりも天霧と言葉を交わしていることに少し戸惑いを抱きながらも問いかけに答えた。

 

「えっ?・・・・・た、確かに報告にあった本体の位置からすれば、敵影が潜水艦のほかに見えなかったのは些か疑問は残りますが」

 

「明日の作戦に十分に影響が出る事象だぜ。此方の動きを常に把握されて敵艦隊がこちらの目が届かない位置を移動していたとすれば、今後の作戦で予想外の位置から横腹を殴られる危険性も出てくる」

 

「・・・・・・意外と考えられてるんですね」

 

「ただの作戦じゃねえ。これは大規模作戦だ。たった1つ艦隊を動かすならまだしも、いくつもの艦隊が連携した作戦を展開している。漏れが出ちまえば次に影響が出る」

 

「小さな可能性でさえも許せないと。深海側にそれほどの戦略眼があるものなのでしょうか?」

 

「んなこと知るか。話したこともねえ奴らのこと知る訳ねえだろ。だが、知らないとは恐ろしいものだ、と昔どこかの奴に聞いた。それがないと断言できるほど俺は奴らを知らん。寧ろ、あると考えた方が例え杞憂であったとしても未知の敵に対する戦いとしては正しいだろう。寝首を掻くか掻かれるか。今、この海に在るのはそんな瀬戸際を試している脅威かもしれん」

 眼帯で隠れていない方の目が細まる。鋭い刃物のような目の奥で思案を巡らせている。恐ろしく真剣な顔つきをしている天霧の前で無言のまま由良は立ち尽くしていた。威圧されてしまっていたのだ、こんな執務室の中で殺気に近い気を振りまいているこの男に。

 原因の1つとして、彼が肌身離さず携えている得物のせいもあるだろう。

 

「全て潰す。不安要素は片っ端から全てだ。それが俺の作戦だ、どんな雑魚にでも本気で戦う。徹底的に叩いて一切の反撃の機会も隙も与えない。由良とか言ったか?」

 

「は、はい」

 

「御雲の野郎には話を通す。明日の第2次攻撃が始まると同時に、今日の哨戒部隊を引き連れてもう一度哨戒任務に当たれ。範囲は本日行った海域の更に20㎞沖合までだ」

 

「了解しました・・・・・・」

 

「・・・・・・待ち受ける敵の艦隊も大規模。こっちも当然規模こそあるが、防御の理と言うものがある。同じ数では防御の方が地の利も含めて有利になる。これが道理だ。こっちはそれを上回る練度と戦略、そして度重なる偵察で敵の穴をぶち破る術を考えるまでだ」

 これを考えるのは俺の仕事ではないが、と天霧は言葉を切って由良の方を見た。

 

「他に報告は?」

 

「ありません。以上です」

 

「じゃあ、ついでに球磨と龍驤を呼んで来い。明日の作戦についてと言えば理解する」

 

「はい。では、失礼します・・・・・・あっ、1つだけ言いたいことがありました」

 

「なんだ?」

 

「その、駆逐艦の子たちにサバイバルナイフを携帯させるのはいかがなものかと思いますよ?佐世保の子たちです。あなたのところの子たちですよね?ね??危なっかしいですよ」

 

 血に飢えたような目でナイフに舌を這わせる少女たちを見て、まともな気分でいられるほど由良は歪んではいなかった。流石に爆雷で撃沈した潜水艦の浮遊物を見て「敵の首だ!拾え!戦利品だ!」と飛び込んでいった駆逐艦たちに魚雷が掠めて損傷したなんてことは言えなかった。

 

「・・・・・・悪かった。注意しておく」

 

「お願いしますね?」

 やや語気を強くして念を押す。気まずそうな天霧は面倒くさそうに首を縦に振るだけで、それを切りに由良も部屋を後にした。

 北方の海は舞鶴に比べれば随分と冷たいところだった。それでもただならぬ緊張のせいで相当汗をかいた。それに見合う疲労も感じる。

 恐らく、自分の仕事はこの作戦に尽きるだろうと思いながらもすべてが終わるまで一切安心できない。

 途方もなく長い戦いに思える。それはいつの時代も同じだ。いつも戦場に居る時はこの戦いに終わりがないように考えてしまう。少なくとも、自分の前の終わりは死であった。戦いの終わりをこの目で見た訳でもない。きっと自分だけじゃない。他の艦も同じことを考えているはずだ。

 

「球磨さん、天霧大佐がお呼びですよ」

 同じ軽巡である艦娘がいるはずの部屋をノックした。

 

「んー、あー、由良クマか?今日はお疲れ様だったクマー」

 ドアを開けるとぴょこんとアホ毛を跳ねさせた愛嬌のある少女が現れて顔を合わせるなり労いの言葉をくれた。

 

「はい。なんとか無事に戻れましたね」

 

「あのアホが呼んでるクマか。きっと龍驤さんもお呼びクマ?」

 

「そうですね。おふたりを呼んでくるようにと」

 

「龍驤さんの方は球磨が呼びに行くクマ。由良はもう休むクマ」

 

「えっ、でも・・・・・・」

 

「凄く疲れた顔してるクマ。うちの馬鹿駆逐たちが相当苦労かけたみたいクマ。すまない」

 

「あー・・・・・・まあ、そうですね。確かに結構振り回されちゃいましたね」

 やや常軌を逸していた駆逐艦たちを思い出すとなぜか笑えてきた。舞鶴の白露型たちとはまた違った癖の強い子たちだった。

 でも、相当強かった。戦闘に入れば好き一つなく、一糸乱れぬ艦隊行動を見せてくれた。

 命中精度も高く、戦闘の展開も1つ1つがスムーズで淡々と見えない敵を捕捉しては2度と浮上できぬよう沈めていく。特型に比べれば旧世代の睦月型と言えど、その実力は艦型など関係なかった。

 

「では、お言葉に甘えさせてもらいます」

 

「そうすると良いクマ。お疲れ様クマ~」

 球磨はそう言って早足で空母の部屋の方に向かっていった。

 歩く度にジグザグのアホ毛がぴょこぴょこと踊っていた。そんな後姿をしばらく見守って、由良は回れ右をして入渠ドックの方へと向かっていった。

 

 

 

     

     *

 

 

 

 日が随分と傾いてきた。

 日向さんや利根さんの積んでいる水偵は夜間行動を考慮してはいない。

 夜になればこの作戦は必然的に一時中断となって帰投することになる。

 

「なかなか見つからないものですね」

 雪風ちゃんが退屈そうな私を案じてか、声をかけてきた。

 

「そうだね。もう少し簡単に見つかると思ってたけど」

 

「真っすぐ進んでいる訳でもありませんし、そんなに簡単に見つかるようになっていれば既に見つかってしまっているでしょうし、なんとなく始めから簡単に事が進むようには思えませんでしたけど」

 

「それもそうだね・・・・・・」

 結果、何もしないままに過ぎていく時間。徒労に終わるとはこのことを言うのだろうが、そう思ってしまうのは結果を早くに求めすぎてしまうせいなのか。確かにこの任務は早急にことを進める必要があるのだろう。それでも北方で展開されている大規模作戦中に『天の剣』を発見できればいい。

 時間はまだ十分にあるのかもしれない。きっと私以外はそう考えているのだろう。

 

 私だけが違う時間の流れにいる気分だった。

 その差が微妙な温度差を作り出してしまっていた。

 

 望まずして知ってしまった真実と来るべき未来。今探しているものが一体その未来をどのような方向に導いていくのかは未だ分からないが、それが確実に私たちの未来を左右するものだと言うことは明らかなのだ。

 

 生き急ぎ過ぎている。悠久の時を与えられた艦娘にしては私は生き急ぎすぎなのかもしれない。

 

「・・・・・・ん?」

 そんな中で利根さんの眉が歪んだ。耳に手を当て目を閉じる。

 一気に艦隊内部に緊張感が広まった。今まで以上に静寂に包まれた空気の中で、5人が利根さんの反応をただ待っていた。

 

「方位0-7-5を偵察中の水偵の反応ロスト。どうやらビンゴのようじゃ」

 白い歯を見せて利根さんが笑った。

 しかし、叢雲ちゃんの視線は水平線上に向けられる。

 

「時刻を考えればこれ以上の艦隊行動はあまり勧められないわ。夕張さん」

 

「はい。提督、どうなされますか?」

 私たちは一斉に通信を開き、呉の提督の指示を待つ。

 微速のまま、利根さんだけが偵察機の動向に耳を澄ませる中で進む艦隊。きっと利根さんは偵察機たちに帰還命令を出している。水偵たちが戻ってくれば、作戦続行の可否が問われる。

 

『この好機、逃す訳にはいかないね。該当方角への進行を命じる』

 

「了解・・・・・・艦隊面舵、原速のまま」

 叢雲ちゃんの指示の下で艦隊が一気に動きを変えた。

 反応が消えた水偵の方角へと針路をとり、利根さんの放った水偵たちが帰還するまで原速のまま進み続ける。

 水平線の向こうから零式水上偵察機が数機、帰ってきてそれを利根さんが拾い上げていく。

 

「収納完了じゃ。叢雲」 

 

「艦隊単縦維持のまま第一戦速。前後の間隔に気を付けて進みなさい。突然視界が奪われる可能性があるわ」

 利根さんの合図に放たれた叢雲ちゃんの言葉は静かな海によく通った。

 海が動き始めたような錯覚に陥る。急に船速を上げたせいだろう。

 代わりにいつものようなピリピリとした感覚が肌を駆けて行った。強い何かの気配を近くに感じる。

 

 その予感はすぐに的中した。

 私の前後を進んでいた雪風ちゃんの姿が急に消えた。その前を進む叢雲ちゃんでさえ。

 存在そのものが消えた訳じゃない。突然現れた私の視界を阻むような壁が隠してしまったのだとすぐに理解ができた。耳を澄ませば私ではない誰かが波を切っている音が聞こえる。

 

「叢雲さん!羅針盤を」

 後方から夕張さんの声が聞こえた。少し先程より距離が空いてしまったように感じる。

 

「分かっているわ・・・・・・気味が悪いわね」

 前の方から叢雲ちゃんの声が聞こえて少し安心した。

 

「・・・・・・あら?」

 

「どうかしましたか?」

 叢雲ちゃんのおかしな声にその後ろを進んでいた雪風ちゃんが声をかけた。

 少しの沈黙が流れる。私たちの繋がりさえ絶ってしまいそうな程に濃い白い霧。

 この霧のどこかに『天の剣』はあるのだろう。でも、巨大な雲の中にいるような気分になるせいか、気を抜けば自分が海の上に居るのかさえ分からなくなりそうだ。

 

「艦隊微速ッ!そのまま真っすぐ針路を維持したまま。各装備の動作の確認を行って」

 叢雲ちゃんの声が霧の中に響き渡る。ゆっくりと船速を落としていき、指示通りに装備の動作確認を行っていく。主砲の安全装置を掛けた状態でトリガーを引く。魚雷管の動作。ともに正常だ。

 

 だが、すぐに異常は明らかになった。

 

「あれ・・・・・・?電探がまったく機能してない」

 それは船にとって目であり、耳である重要な装備。それが全く機能していなかった。

 正確には動作こそ正常ではあるが、何も捉えない。前後にいるはずの仲間の存在さえ。

 

「ダメだ・・・・・・電探が使い物にならない。その他は無事のようだが妙だな」

 

「わ、私も・・・・・・ちゃんと整備したはずなのにぃ」

 

「うーむ、吾輩のもじゃ。カタパルトは入念に整備しておったがこちらの方は少し疎かにしておったかもしれん」

 

「いや、恐らく整備どうこうの問題じゃないわ。私のもダメになってる。吹雪と雪風もそうでしょう?」

 

「はい!」

 

「う、うん・・・・・・」

 

「嫌な洗礼ね、全く・・・・・・夕張さん、羅針盤には逆らうな、だったわよね?」

 叢雲ちゃんはしつこく何度も確認したことをもう一度夕張さんに尋ねた。

 

「は、はい。それだけは絶対に守っていただかないと」

 

「じゃあ、これが『来た方向に戻れ』だったらどうすれば言いわけ?180度転進して戻るの?」

 

「・・・・・・はぁ!?」

 叢雲ちゃんの言葉に夕張さんが驚いたような声を上げた。

 

「針が私を指しているのよ。どうすればいいの?」

 

「え、えーっと・・・・・・うーん。全くもって想定外ですね」

 

 羅針盤には逆らうな。逆らえばその先には地獄が待っている。

 つまり、私たちが進む先にはそれが口を開いて待っているっと言う訳だ。ただ私にはそれがどんな形をしたものなのかは全く想像できない。想像できることとすれば、きっと叢雲ちゃんは冷や汗を浮かべながらもうっすらと笑みを浮かべているだろうと言うことくらいだ。そして、彼女は多分進みたがっている。

 だが、その行為は破滅を招くだろう。だからと言って素直に戻る訳にもいかない。逆らえば無事に帰れる保証はない。何かしらの解決策を皆が求めていた。

 

 微速ではあるが着実に地獄の方へと進み続けている艦隊。

 固唾を飲んで誰かが出すであろう決断を待っていた。そんな時に、ふと誰かの言葉を思い出す。

 

「叢雲ちゃん、その羅針盤を雪風ちゃんに回させてみせて」

 そんな提案が突然思いついた。根拠はあるが、確信ではなかった。根拠のない確信とどちらがマシか今はそんなことどうでもいい。何かしなければならない。

 

「えっ?まあ、いいけど・・・・・・雪風、私の場所分かる?」

 

「はい!えーっと・・・・・・捕まえました!」

 

「これ。落とさないで」

 

「はい!受け取りました!これを回すんですね?えい!!」

 前方で2人の会話が聞こえる。雪風ちゃんの手に羅針盤が渡って、彼女の指でその針が回されているだろう。

 

「止まりました!進行方向北に対し北東方向、方位0-4-5!」

 

「えっ・・・・・・変わった!?」

 夕張さんの驚く声が聞こえる。他の人の表情はうかがえないが、きっと同様に驚いた顔をしているだろう。

 

「雪風、針路に探照灯照射。艦隊もその方向に続いて」

 霧の中にぼんやりと明るい箇所が見えた。ある方向を指している。

 そちらの方向に進めと言う意味だ。乱反射して分かりにくいが、光源をなんとか追っていけば着いていけないこともない距離だった。

 

「吹雪、何か確信があったのか?」

 後方から日向さんが声をかけてきた。結構近いところから聞こえたのだが、ぶつかるような距離ではなかったので安心しながら答える。

 

「いいえ、確信なんてありませんでした」

 

「じゃあ、なぜ試した?」

 

「理由です、彼女がここに居る理由。それを確かめただけです」

 

 彼女を連れて行けと言った理由はこのためにあったのだとようやく「確信」を得た。

 彼女の存在そのものが根拠であっただけに、上手く説明はできなかった。強いて言えば直感。

 

「奇跡の駆逐艦、その幸運を確かめただけです」

 

「・・・・・・ふっ、なるほどな。面白い考えだ。後で夕張にも教えてやれ。さっきからずっと考え込んでいるようだ」

 

「ハハッ、理解してもらえませんよ。きっと」

 

 理解しろだなんて無茶な話だ。理解なんてできやしない。結局は幸運でさえ結果論だからだ。

 それでもちゃんとした結果は得られた。それだけの話であって「奇跡」などと言う突拍子もない仮定を仮定とするには不十分過ぎてこれに明確な論理など一切ない。だからきっと夕張さんが求めているような答えはない。

 

 何はともあれ、見えない霧の中に道が開けた。

 後は辿り着くだけだ。存在しないはずの島へ。『天の剣』へ。

 

 

 

 

 



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辿り着いた場所

 駆逐艦《雪風》の手により幾度となく羅針盤の針は回り、その度に艦隊は進行方向を変えれ一寸先さえ見えない霧の中を進んでいく。

 幼さが強く残っている少女の指先から生み出されるのは、どうしようもない絶望の中に針ほどの小さな隙間から漏れ出す希望の光を探すような途方もなく小さな確率の模索と選択。

 限りなく100に近い確率を示す羅針盤。覆しようのないその結果を、羅針盤という装置が切り捨てた限りなく無に等しい確率を手繰り寄せる。彼女がやっているのはそんな行為だった。

 ただ彼女のその力に明確な根拠と言うものはない。必ず活かすことができる保証もない。それこそが「偶然」の寄せ集めでありながら、彼女と言う存在そのものが「必然」であり得るという――――それを「奇跡」と呼ばずして何と呼ぶか。

 

 少なくとも、彼女はそのようにして生き延びてきたのだ。

 死に逝く誰かが引くことができなかった「生存」というカードを引き続けて。

 

 白かった霧もやがて闇に包まれ始めた。

 しかし、それはかえって好都合であって先を行く少女が携える探照灯の光がより鮮明に目に映る。迷うことなく彼女たちが進むには必要なその光をひたすらに追い続けるだけ。

 

 時にそれは死神が死の世界へと誘うランプの明かりにも見えた。

 身体に纏わりつくこの霧が、死神の鎌のように思えてる。

 進む度に自らの血肉を自ら引き裂いているかのように感じるのはきっと道が見えないからだ。

 

 振り切り難い不安。必要ないのに主砲の引き金にかける指に思わず力が入る。

 隣に敵がいるかもしれない。背後の波を切る音は敵の足音かもしれない。

 気が気でない。発狂しそうなほどの恐怖が心臓に爪を立てている。

 それでも、彼女たちは進む他なかった。この霧の中に道などない。帰り道などもうどこにもない。進むべき道さえもピアノ線のように細い到底道とは呼べないものなのだ。

 

 「迷宮(ラビリンス)」に棲む魔物が笑う。

 彼女たちの細い喉笛を掻くかのように、帰路を辿る細い糸を引き千切りながら。

 

 

 

     *

 

 

 

 幌筵を発った艦隊はアッツ島沖を進攻していた。

 幾度とない軽空母ヌ級を基幹とする艦隊との会敵。しかし、高練度の艦隊は目立った損傷も大きな消耗もなく、正規空母級の敵を基幹とした艦隊との戦闘に入った。

 

「さぁ仕切るでー!攻撃隊発進!一気に決めてしまいー!!」

 幼さの残る快活な声を響かせながらも、彼女の表情には歴戦の風格を見せる不敵な笑みが浮かんでいた。

 他の空母たちが和弓と鏑矢での発艦を行う中で、彼女の扱う艤装はやや癖が強いものだった。

 

 巻物の留め具がパチンと外され、ふわりと宙を漂いながら広がっていく。

 陰陽師を思わせる赤い装束の彼女は懐から人型に切られた紙を複数枚取り出し、巻物の上に滑らせるように放った。まるで水を得た魚のように生を感じさせる動きで人型は巻物の上を進んでいき、離れる瞬間に炎を思わせる光に包まれて、その姿は金属の肉体を得て空を征く。

 

 軽空母《龍驤》が放つ式神航空隊。他にも同様の手法で航空機を召喚する軽空母がいる中で、彼女の腕前は群を抜いていた。

 攻撃隊の発艦を終えると巻物状の飛行甲板を巻き直し、邪魔にならないように腰の辺りに納めた。

 彼方にある敵艦隊に向かう攻撃隊を目を細めて見送る。

 

「さあ、私たちもやるわよ!攻撃隊発艦!」

 隣に立つ軽空母《瑞鳳》は弓に矢を番えて水平線に向けて放つ。

 真っすぐ飛んでいく矢は光に包まれると同時に複数に分裂して航空機へと姿を変えた。

 

 九七艦攻の後継機、艦上攻撃機『天山』。

 初期の一一型であるがその性能は九七艦攻を凌ぐものであり、今回の作戦に向けて軽空母による作戦展開の為に開発を行われた機体であった。

 同時に直掩機として零式艦上戦闘機52型が空を駆る。「零戦」シリーズの実質の最終タイプとして奮戦した暗緑色の翼を持つ戦闘機である。

 

 航空隊が空に展開し、エンジン音が北海の上空に響く。

 空に火花。敵航空隊との戦闘が始まった。

 交差するようにこちらに向かってくる黒い影を見て、龍驤は密かに舌打ちをした。

 

「優勢と言ったところか・・・・・・敵さんしんどいで!気引き締め直しや!!」

 旗艦を務める龍驤の声に艦隊が鼓舞される。輪形陣を保ったまま、彼方に見える敵艦隊と同航戦に持ち込み、最初の攻撃機が互いの艦隊に襲い掛かる。

 

「みんな!お願い!!」

 瑞鳳が更に矢を番えて放った。艦隊に迫りくる敵機を迎撃する戦闘機隊を空に放った。

 

「対空砲火用意クマ!!」

 前方を進む軽巡《球磨》の声に合わせて3隻の駆逐艦たちが空に主砲を機銃を掲げた。

 赤い目をした歪めた黒い鉄の板のような敵機が迫りくる。

 

「よーい、撃てぇ!!!」

 球磨の合図と同時に空に弾幕が展開される。

 機銃音と火を噴く主砲の音。空を飛ぶ羽虫のような敵機のエンジン音。それを追う零戦のエンジン音と機銃音。

 海面を叩く20mm機銃弾。投下される爆弾が水柱を立てて大量の水飛沫が宙を舞う。

 

「はぁ・・・・・・なんて海よ、ここ。寒いし痛いし」

 ふと、後方にいた巫女装束の女性が溜息交じりにそう言った。

 ショートボブの黒髪に大きな艦橋を模した髪飾りを付けている。白い巫女装束の長い袖の袂が風に靡いて、袴と言うにはかなり短い赤いスカートが揺れていた。そして何より巨大な4基の35.6㎝連装砲。彼女が戦艦であることを証明していた。

 扶桑型戦艦2番艦《山城》。横須賀鎮守府所属の戦艦であった。

 

「鎮守府に戻っても扶桑姉様はいない。こんな北の海にまで来ても扶桑姉様はいない。私が行く場所なんてどこにもないのよ・・・・・・はぁ、不幸だわ。沈んでしまいたい」

 可憐さをまだ残す美人なのだが、いつも翳りのある表情をしている上に、ネガティブな発言ばかりしている残念美人だが、戦闘が始まればやや強気なところが目立つ。今はまだ死んだ魚のような目でぶつぶつと呟いていた。

 

「文句言ってる暇があったら撃つクマー!!」

 

「いいの?私が撃つと主砲が爆発するかもしれないわよ?」

 

「んな訳あるかクマぁー!!!」

 その時、騒音に包まれる戦場の遥か彼方で海面を殴るような巨大な砲音が響いた。

 しかし、迫りくる攻撃機と爆撃機の大群に気を取られいた艦娘たちはそれに気付けずに。

 いや、正確には1人だけ。欝々としていた彼女だけが震える空気を感じ取り、海面から顔を上げた。

 

「・・・・・・ったく、もう」

 突然艦娘たちの周囲の海が割れた。海の中から何かが飛び出してきたかのように海水が飛び散り、海面が地震でも起きているかのように震えていた。

 

「もう何なのよ!!これ戦艦の砲撃じゃない!!」

 急襲した戦艦級の攻撃に駆逐艦《暁》は叫びながら、必死に回避行動を続けた。

 砲撃だけに気を取られれば今度は航空機にやられる。駆逐艦の装甲、どんな一撃でも受ければ十分に致命傷になり得る。

 

「―――ッ!暁ッ!危ない!!」

 水飛沫から顔を守っていた駆逐艦《(いかづち)》は少し離れた場所にいた姉妹艦の名を叫んだ。

 同じように顔を守りながら対空砲火を必死に続けていた黒髪の少女、駆逐艦《暁》は突然名を呼ばれ、雷の方を見るとぽかんとしていた。

 何かが空気を裂いて迫ってくる音。気付いた時には回避は不可能だった。

 帽子を抑えるように頭を庇って身体を屈める。それができる精一杯の防御だった。

 

 爆発音と炸裂した光に前方を進んでいた球磨や中央にいた龍驤、瑞鳳たちも振り返った。

 艦隊右翼、暁がいた場所で黒煙が上がる。

 

「ちっ・・・・・・ッ!」

 今度ははっきりと舌打ちをして龍驤は焦りと怒りが混じった表情で飛行甲板を広げた。

 乱雑に放り投げるように見えて丁寧に並べられていく式神たちが飛行甲板を滑っていき、瞬く間に航空機へと姿を変えていく。

 

「もういっちょお仕事や!はよ決めてきッ・・・・・・山城!自分大丈夫か!?」

 攻撃隊が更に向かう中で龍驤は爆炎の中に立つ女性の名を呼んだ。

 その背後で身を屈めていた暁がゆっくりと目を開いて自分の身に何が起きたのかをしきりに確認していた。無事だったと言う現実に驚いているのも無理はないだろう。 

 

 

「はぁ、痛いわ・・・・・・やっぱり、不幸だわ。駆逐艦を庇って被弾するなんて」

 鉄の破片で切れた頬。滲み出した血を手の甲で拭いながら彼女は溜息を落とした。

 

「や、山城さん・・・・・・?」

 恐る恐る声をかける。やる気がなさそうに肩を落としている山城は細めた目の隙間から緋色の瞳を動かして暁を一瞥すると遠くの敵艦隊を見た。

 

「戦艦ル級が1、2・・・・・・1隻はflagship級ね。はぁ、あんなの相手にしなきゃいけないなんて不幸だわ」

 

「山城さんっ、被害状況は!?」

 瑞鳳が叫んで呼びかける。呆れた顔をしたまま、炎を上げている自分の主砲に目を向ける。

 

「第4主砲大破。第3主砲も動きそうにないわね・・・・・・浸水がないのが奇跡かしら。まあ、沈まなければどうでもいいわ。いつの日か、扶桑姉様が受けた痛みに比べればこんなもの」

 首に左手を当ててパキリと傾けて音を鳴らす。

 

地獄(レイテ)に比べればずーっとマシだわ。そこの子、耳を塞ぐか離れるかしなさい。鼓膜が破れるわよ」

 

「暁っ、大丈夫?怪我はない?」

 ぺたんと海の上に座り込んでしまっていた暁を駆け寄ってきた雷が腕をとって立ち上がらせた。

 まだ敵の攻撃は続いている。航空機の攻撃は龍驤と瑞鳳の航空隊の活躍により、ほとんどその火力を失っていた。それでも戦艦は攻撃機のみでは削ることができずに、徹甲弾が海面を砕いて巨大な水柱を上げていた。

 

「う、うん・・・・・・このくらいへっちゃらよ!」

 

「そう。じゃあ、早く離れなさい。いい加減、イライラしてきたわ」

 

「山城さん、ありがとうございます。ほら、暁早く!!」

 

「わわっ、急に引っ張らないで!!」

 艦隊左翼の最奥に駆逐艦の2隻が下がる。本来は守るべき空母を中心に置き、駆逐艦は前方で護衛に当たるのだが今はそれが最善策だった。暁は至近弾による小破。山城も至近弾と直撃弾で中破一歩手前であったが、腐っても艦隊戦を前提として作られた戦艦級の装甲は簡単に沈むことを許してはくれない。

 山城の主砲が動いた。照準を水平線の向こうに合わせる。

 

 この艦隊、横須賀所属の山城を除けば佐世保所属の艦娘たちばかりであった。

 そして、佐世保の艦娘たちにとっては戦艦級との作戦はこれが初であり、彼女たちは過去の記憶からその戦いがどのようなものかは辛うじて知っているものの、その他では演習の光景を眺めているだけのようなもので、実際にその場に居合わせたことは滅多にない。

 

 そのため、その瞬間に確かに彼女が放った殺気に震えていたのも仕方がない。翳りのある端正な顔はこれまでずっと無表情に近い顔をしてたのだが、口角が吊り上がって笑みを浮かべたのだ。

 狂気に思えるほどの不敵かつ不気味な笑み。それは狂気と呼ぶにはあまりにも儚い願いの実現に心を躍らせている結果として現れただけであって、生来彼女たちとはこう言うものであるはずなのだ。

 

 儚い願いとは、戦場へ出ること。戦艦として、艦隊の主力として戦場に赴くこと。それだけであった。

 その装甲と火力を誇りながらも戦場に出ることなく、その真価を発揮することなく、艦生を終えていくことになった戦艦は多い。航空機の時代と移りゆく戦場に戦艦の火力や装甲は、消費する資源に見合わなかった。

 

「第1主砲、第2主砲、よく狙って――――」

 徹甲弾装填。狙うは戦艦ル級。空を飛び交う小さな羽虫たちには目も繰れずに、彼女の瞳はそれだけを狙っていた。

 

「てぇッッ!!!」

 真っすぐに敵に向かって伸ばされた手に呼応するかの如く主砲が火を噴く。

 轟音と衝撃が海面を抉るかのように凹ませる。山城自身の足元が沈み込むほどに。周囲に波紋が広がっていき、小さな津波が艦隊を押し寄せる。煙が砲口より噴き出す。

 

「狭叉・・・・・・私にしては上出来じゃない」

 

「は、はぁ・・・・・・初弾で狭叉しおった」

 味方でありながら龍驤が驚く。球磨ですらぽかんと口を開けて砲撃の手を止めてしまっていた。

 

「・・・・・・あの生意気な駆逐艦の訓練も、少しは役に立ったみたいね」

 横須賀での日々を軽く脳裏で巡らせながら砲角を調整した。薄ら笑みを浮かべる。

 撃鉄が打ち下ろされる。九一式徹甲弾が4発放たれる。

 緩やかな弧を描きながら巨大な砲弾は水平線上へと飛び、白い顔をした女性のような敵の腹部を貫いた。

 

 

 

 

     *

 

 

 

 

「雪風っ、探照灯はまだもちそう!?」

 近くにいるはずの雪風ちゃんに向かって叢雲ちゃんが叫んでいた。

 ちらちらと光が揺れている。その辺りに雪風ちゃんは居るのだろう。

 

「はい!ちょっと厳しいかもしれません!!」

 探照灯は無限に使えるものでもない。

 探照灯の中には巨大な炭素棒があり、これに電気を流して放電させると白熱し、熱と同時に強力な光を産む仕組みだ。シャーペンの芯に電流を流してみるようなものだが、これが結構な短時間で消耗する。艤装からひょこひょこと妖精さんが飛び出してきて交換作業をしてくれるのだが、その様子は見ていて大変そうだと分かる。

 

「・・・・・・随分と暗くなってきたわね。無理言ってでも帰ればよかったわ」

 叢雲ちゃんが愚痴るように呟いた。この視界の悪さ、声こそ聞こえるが電探で探知できる敵の絵は意を全く感じることができない。1歩隣を死が歩いている。そんな気分だ。

 

「叢雲さん!」

 雪風ちゃんが叫ぶ。

 

「何よ!?」

 

「羅針盤の示した針路が変わりません!!」

 どうやら羅針盤の針を回したらしい。先程から十数回は針路を変えている。ジグザグ以上に複雑な動きをしている気がしたのだが、その羅針盤が今度は方向を変えることもなく、まっすぐ進めと言ってきたらしい。

 

「多分それはそのまま真っすぐ進めってことです!もうすぐ目的地に着くかもしれません!!」

 後方から声が聞こえたのか夕張さんがそう説明した。

 羅針盤を作ったのは、彼女と証篠提督だ。その仕組みについて知っている彼女が言うのならばそうなのだろう。

 

「目的地・・・・・・」

 そうだ。私たちは闇雲に進んでいる訳じゃないのだ。

 明確な目的地がある。この世界から存在を抹消され続けてきた地図にない島『天の剣』へと。

 

「全員気を引き締めなさい。この霧が晴れた向こうにあるのがただの海とは到底思えないわ。どんな敵が来るかもわからない。いつでも戦えるようにしなさい・・・・・・てか、全員いるわよね?」

 

「私はここにいるよ!」

 

「戦艦日向、ここにいる」

 

「吾輩もここにおるぞ!」

 

「夕張、ここにいます」

 

「雪風、健在です!」

 

 全員の声が霧の中で叢雲ちゃんの場所が分からないままどこに向かう訳でもなく響いた。その一端を捉えた叢雲ちゃんが霧のどこかで頷いたような気がした。

 

 次の瞬間、光が飛び込んできた。一瞬、探照灯がこちらに向けられたのかと思うほどに眩しく、目を両手で蓋うと一瞬で光は消え失せ、私の前には果てさえないように思える暗闇が広がった。

 

「・・・・・・えっ」

 私を覆い尽くしていた霧が消えた。前にも、横にも、後ろにも。広がるのは黒い海と黒い空。

 何か考えると言うことが一切できなかった。突然現れた新たな世界に急に立たされて呆然としていた。私の存在そのものがこの闇の中に淘汰されてしまうような虚無感。

 

「吹雪っ!何してるの!?」

 後ろから腕を引かれた。そのまま体ごと振り返る。闇の中に少女が1人だけ立っていた。よく見知った空色の髪を持った少女が汗を頬に伝わせながら私を見ていた。

 

「・・・・・・あぁ、そうだ・・・・・・叢雲ちゃん。うん、そうだ」

 夜目に慣れていないせいでしばらく周囲を見渡して誰かの影を捉えながらもそれが誰かまでまだ分からなかったけど、どうやら誰も欠けることなくここに辿り着いたようだ。

 

「ここが・・・・・・着いたのかな?」

 足を動かすと足下で何かが揺れているのが分かった。ゆっくりと黒い水に波紋が広がっていく。

 変わらない黒い海。変わらない静かな海。

 

「アンタ、あれが見えないの?顔上げて見てみなさい」

 叢雲ちゃんに言われるがままに顔を上げた。星さえない空を仰ぐまで上がった私の視線は少し戻って水平線の方に向いた。はっきりと自分で分かった。目を見開いて、呼吸が止まりそうになったのに。

 

 それは神話か。人が神の領域に至ろうとしたが故に神罰を受けたバベルの塔か。

 それともソドムとゴモラを焼き尽くした神の怒りの火の残火が剣として残ったものなのか。

 

 空高く伸び行く白銀の塔。いや白銀なんかではない。それは歪に色を滲ませてぽっかり空いた闇のような黒を持っていた。龍が取り巻くかのように何かが螺旋状に取り巻いてそこが黒く見えた。

 その形は綺麗な筒と言う訳でもなく、直方体と言う訳でもなく複雑に凹み、突き出し折れ曲がっているモニュメントのようなデザインをしており、神が大地に突き立てた試練の剣のような存在感を一層強くした。星のない空の中で怪しげな銀色の光を放つ姿は雲の隙間から漏れ出す月光のようで神秘的な姿であった。

 その下に広がる絶海の孤島。ひっそりとした気配から冷たい風が流れ込んできた。この場所こそが選ばれし大地でありながら存在を消された禁忌の地。開廷から隆起した岩盤化のようなその大地は宝石のような怪しげな緑色の光を放っていた。

 

 口から冷たい空気を吸い込んで、空っぽになりかけていた肺をひんやりとした吸気が身体を冷やす。背筋から駆け上がってきた寒気が指先まで震わせた。

 

「あれが・・・・・・」

 

 あぁ、そうだ。私たちは辿り着いたのだ、『天の剣』に。

 

 きっと私の気のせいだろうが、あの大地は生きているように思えた。今にも動き出して私たちに襲い掛かって来そうな。

 

 



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歓迎

 私は眠る。

 その時まで。

 

 その時と言うのがいつなのか私は知らない。誰も知らない。きっとその時を生み出すその人も知らないだろう。彼の者は何も知らずにこの地を訪れるだろう。私はその者たちの手により目覚める。私がここに眠っていることを知る者はあの人と、あの人の意志を継ぎ希望を守り続ける者たちだけだ。

 

 私は眠る。それが約束だから。ただの約束。

 それがこの時代における私の存在意義であり、私に課せられた役割。ただ待ち続けることだけ、私から迎えに行くことは決してできない。

 

 私の目覚めとはこの世界の均衡を崩すのだ。ある者が交わした世界との約束に反するのだ。覆してしまえば人類も世界も終焉を迎えるから私はただ沈黙する。存在さえも消して静寂を守る。

 

 あぁ、退屈だ。いったいどれほどの時間が外の世界では流れたのだろう。

 鋼鉄の躯体の中に辿る私の魂は意識と言うものを漠然としか持たない。それは意識と言うよりかは認識であり、私と言う存在を私だけが認識しているだけなのだ。今の私がどんな姿なのかも私には知る術はない。

 

 今日も剣を胸に抱いて眠る。あの人の名を持つ剣を。

 

 聞こえているだろうか、私はまだちゃんと約束を守っている。

 だからあなたも約束を守ってくれているだろうか。私は永遠に目覚めることがない世界にすると言う願いを聞き届けてくれたのだろうか。

 

 あぁ、それはとても難しいだろう。いくらあなたでも1000年先を見通すことはできないだろう。その時は私が約束を果たせばいい。この約束は相互の遵守を目的としている訳じゃないから安心して欲しい。

 

 私は眠る。目覚めを得た時にこの世界を守るために。

 今は壊さないようにそっと世界を抱き締めよう。見守ろう。耳を傾けよう。

 

 無しかない気がするこの世界もきっと何かに満ち溢れているはずなのだ。眠りが続く間にそれが何かを知ることができればいいのだが、まあ難しいだろう。

 

 瞼の裏であの日の炎が揺れている。

 あなたの瞳の奥に隠れた激しい感情の炎が。私にまで燃え移ってしまった激情が。

 

 

 

 

     *

 

 

 

 

『天の剣』という名前は予想以上にその地が冠する名として相応しいと思えた。ずっと霧がかかっていた心の奥で浮かんでは消えるその影の正体を目の当たりにして、思いの外すんなりと受け入れられるのだ。

 

 あぁ、これは剣なのかと。ただ、剣と言われなければ剣とは思えないほどに歪だ。何よりそれは剣と形容されるだけであって剣そのものではない。だからこそそれを『天の剣』と言う名にどうにかして落とし込もうと頭が勝手に働いているのかもしれない。

 

 随分と夜空を蓋う雲が低く見えた。きっとあれは雲じゃないのだろう。

 それでもその雲を柄の方で貫いている鋼鉄の剣は、天まで伸びているように思えるのだ。

 

 私は2つの印象を抱いていた。これはどちらなのだろうか?

 

 神がこの地に振り下ろした剣なのか。

 それとも、仇なす人類が天に向かって掲げている剣なのか。

 

「――――行くわよ。周囲の警戒を怠らないで」

 彼女がたったその一言を絞り出すまでに随分と長い時間が経っていた。こんな絶海で人類の技術でも作り出せるかどうか分からない建築物(?)を目の当たりにしたのだから仕方ない。誰だって一瞬我を忘れてその存在感に自分自身の存在すら淘汰されるだろう。

 

 叢雲ちゃんの一言で原速ほどの速度で航行を再開する。

 

「・・・・・・おっ、吾輩の偵察機じゃ!!こ奴め、霧を抜けておったか!!」

 道中の海で水上に浮かんでいた零式水偵を発見した。見つけられたのは奇跡に近いだろう。

 こんな闇夜の中で―――あの霧を抜けてここに辿り着けたことすら奇跡に近いのに―――広がる海の大きさに比べてあまりにも小さすぎる水偵が利根さんの下に帰ることができたのはまさしく奇跡なのだ。

 

「無事に辿り着いていたようだな。安心した、偵察機が帰還できただけ幸運に近い」

 日向さんもそう言って微かに頬を緩ませているような気がした。

 肝心の水偵は乗っていた妖精が身を乗り出して安心したのか涙を浮かべて頻りに手を振って喜んでいた。

 

 緊張を常に張り続けていた艦隊内部に僅かながら和やかな空気が流れる一時が生まれた。 

 

 そんな傍ら私の心は誰かに後ろから肩を引かれているようなどうしようもない不安に囚われたままだった。

 

 ―――ここは本当に私たちが辿り着くべき場所だったのだろうか。

 もしかしたら私たちは、人類の希望が隠された地ではなく、魔境に迷い込んでしまったのではないだろうか。

 一度足を踏み入れれば2度とは生きて出ることのできない迷宮のような魔境へと。そんな気がしてどうしても緊張を解すことができなかった。

 

 思えばずっとだ。ずっと私は何かを予期していた。私の意識とは全く異なるところで私は何か「良くないこと」が起こるのではないかと言う杞憂とも思える直感を振り切れずにいた。

 そのまま、辿り着いてしまった『天の剣』。世界から弾かれた存在しない異境。

 

「―――吹雪」

 名を呼ばれて意識を思考を巡らせていた層から現実の方へと移した。叢雲ちゃんが私を真っすぐに見ていた。暗闇の中ではっきりとは分からないがとても真面目な顔をしていた。

 

「何?」

 

「・・・・・・、何じゃないわ。ぼーっとしてないで周囲を見張なさい」

 何か言いたげな間を残したまま、小さく開いた口を一度閉じていた。そして平凡な忠告。

 

「ごめん」

 彼女が何も言わないのなら私からは何も言えなかった。ただ自らの落ち度を認めて謝り行動に移すだけ。

 再び艦隊が動き始めた。複縦陣。縦二列の陣形だ。

 徐々に、剣の下に広がる怪しげな島へと近づいていく。

 

 

 近付いていくにつれて塔の大きさは実感となってより明らかになっていく。しばらく足を進めれば雲に埋めていたその先端はすぐに見えなくなり、見上げた先には空は映らず塔の歪な壁面だけが見えていた。決して無機質とは言えない。あの塔には生を感じていた。

 

「これは・・・・・・いったい何なんだ?」

 日向さんが思わず言葉を漏らしていた。

 

「今一度偵察機を飛ばしてぐるりと回らせてみるのはどうじゃ?敵地やも知れぬのだろう?」

 目の上に手を翳して眺めていた利根さんがその巨大さに感嘆するかのように口をぽかんと開けながら、そう提案した。

 

「実際に乗り込んだ方が多分早いわよ。偵察機がまた無事に戻ってくる保証もないわ」

 

「うむ、それもそうじゃな・・・・・・」

 

 恐らく、『天の剣』から5㎞ほど離れた位置だった。

 叢雲ちゃんの隣、前方で周囲を見渡していた雪風ちゃんが反応した。

 

「・・・・・・叢雲さん、船、いえ、ボートのようなものがこちらに向かってきます!」

 そう言ったのは双眼鏡を覗き込んでいた雪風ちゃんが声を挙げた。

 今回の作戦で雪風ちゃんは探照灯の他に「熟練見張員」を装備していた。夜間行動を要されたときに対応するためだ。それぞれの艦娘に役割が与えられており、雪風ちゃんは主に戦闘を支援する装備を集中して積み込んでいる状態で魚雷などは下ろしてしまっていた。

 私と叢雲ちゃんは対空。夕張さんは対潜。利根さんが主に索敵、日向さんは索敵に加えて万が一の時の火力要員だった。

 

 雪風ちゃんの報告を受け、私たちは一気に身構えた。たかがボート相手でも未踏の地ならぬ海。そんな気持ちが皆にもあったのだろう。だが、

 

「恐らく武装はしてません。ただの手漕ぎボートに見えます」

 

「手漕ぎボート?」

 続けて入った雪風ちゃんの報告に全員が肩に入った力を抜いた。手漕ぎボート程度に艦娘は傷付けられない。例えライフルやショットガンを隠し持っていても、艤装を装備した状態の艦娘にはよくて掠り傷程度だ。 

 

 ボートは先端にランプのようなものをぶら下げていた。その後ろにぼんやりと恐らく2人分の人影が見えた。

 私たちは完全に警戒状態を解いてそのボートへと迫っていった。

 距離にしておおよそ1㎞くらいにまで接近した。

 ボートの方から光が飛ぶ。光っては途切れて一定のリズムで言葉を話すかのように光がこちらに飛んできた。

 

「モールス信号・・・・・・」

 主に電信で用いられる符号化された文字コード、モールス符号。これをライト(回光通信機)で用いたものがモールス信号と呼ばれ、船舶間の通信機を用いない交信でよく用いられている。

 

「『カンゲイスル カンムスのカタガタ』・・・・・・どうやら此方がここに着いたことを何かしらの手段で察知して準備していたみたいですね。この際私たち艦娘という存在が知れ渡っていることは前提として、ここに来ることすら以前から予期していたようにも思えますね」

 読み上げた夕張さんが呆気取られたような笑みを浮かべながら言った。

 

「どちらにせよ着いていかざるを得ないでしょ。ここまで来たんだから」

 

「虎穴に入らざれば虎子を得ず、か。既に虎穴に足を踏み入れているようなものだが」

 

「下手すれば虎の尾を踏んでいるわ」

 叢雲ちゃんの返答に日向さんは苦笑しながら肩を窄めた。

 

「感謝する、と返しておきます!」

 雪風ちゃんが回光通信機を用いてボートの方に信号を送る。

 すぐにボートは回頭して来た道をゆっくりと戻っていった。

 

「・・・・・・ところで叢雲ちゃん」

 

「何?」

 

「私たちの目的って『天の剣』を探すことだったよね。乗り込んでも大丈夫なの?」

 

「・・・・・・本部と通信が取れない以上、海域で孤立するよりは近隣の島にでも停泊した方が安全だわ。燃料の消耗もそろそろ無視できないくらいになってきた。それにあれが艦娘に関係する島ならば、私たちが使える何かがあってもいいでしょう。補給できるかもしれない。そっちの可能性に賭けるわ」

 

「要はそれしか選択肢がないってことだね」

 

「言ってしまえばそんなところね。欲を言えば通信機でもあればいいのだけれど」

 

 私たちはボートのランプを追うようにしてゆっくりと前進し続けた。ほとんど付けた勢いの惰性で進めるような速度だったが徐々に近付いていくとその島の湾岸部の形もはっきりとしてきた。そしていよいよ「剣」は剣とも思えないほど巨大なものになってしまった。

 

 

 

 

「・・・・・・派手な歓迎ね」

 

「うわぁ・・・・・・」

 思わず声をあげてしまった。湾岸の形に沿ってずらりと並ぶ蒼い光。近付くと漁火のようにも思えるそれは全て人間がランプを手にして並んでいるものだった。

 全員が外套のフードを深く被って沈黙したまま立っている。無言の威圧感に息を飲んだ。

 

 ボートに乗っている人間が手招きをした。ボートは再びゆっくりと動き始めて湾岸部に沿って移動する。

 その後を追う間、ずっと私の目は沈黙を保ったまま灯台となっている人間たちを見た。大人もいれば、子どももいる。ざっと見ただけでも優に200人は居る。これだけの人間が私たちが来るのをずっとここで待っていたのか。それともいつもこんなことをしているのか。

 その光景は、少しだけ宗教じみていて何かの儀式の様だった。私たちは捧げられる供物でなければいいのだが。

 

 しばらくすると切り立った岩壁の下の方に洞窟がぽかりと口を開いていた。

 正確には穴と言うよりは、広い岩壁の下の方に大きな空間が開いており、その先には暗闇が広がっていた。

 

「あそこに入れと言っているようだ。大人しく着いていくか?」

 

「その他無いじゃろう。吾輩たちを案内したことには意味があるのだろうからな」

 

「・・・・・・これタダの岩かと思ったらちょっと違いますね。金属が含まれてるみたいです」

 夕張さんは入り口付近の岩に触れてそう言った。

 

「人工的なものですね、これ・・・・・・」

 

「この島全てがか?」

 

「その可能性もあり得ます。そもそも存在しない島ですから」

 

 洞窟の中は誘導灯のように壁に先程の蒼いランプのようなものが取り付けられて薄暗かった。足下の水面がはっきりと見えるくらいに。結構な広さ。私たち6人が横に広がってもぶつからずに進めるほどの幅に、3mと50㎝はありそうな高い天井。

 ボートが消える。いや洞窟を抜けてその先の明るさに飲み込まれて見失う。

 後を追った私たちはすぐに明るい空間に出た。

 

 一気に天井が広くなった。照明がある訳ではなかった。そこは壁も天井も全てが光り輝いていた。その光で空間全てが照らし出されている。

 

「あっ・・・・・・ブイン基地の出撃ドックに似てます」

 雪風ちゃんがそう言った。ブイン基地には行ったことがないのだが、ブインもこんな風なのだろう。

 

 

「――――お待ちしておりました」

 ふと男の人の声が聞こえた。私たちは見上げた目線を前方に向けた。

 ボートが泊まっている。外套を着た2人組がボートから下りて、そこに立っていた男性の側に立った。

 

「あなたは誰・・・・・・?」

 叢雲ちゃんが問いかける。やや敵意が籠っていた。

 

 神官のような衣服を着た男。随分と若い。年齢は司令官と同じくらいだろうか。髪は短く切り揃えてあり、白い肌にやや下がった眉とどこか安心感を与えられる。目鼻立ちがはっきりしていたため一瞬、異国の人かと思ったが東洋系の面影を感じた。

 

「この島の民の代表です。名は志童 金安(しどう かねやす)と申します」

 男は落ち着きのある声で一礼しながらそう名乗った。

 

「志童・・・・・・あなた、もしかして」

 叢雲ちゃんは何か心当たりがあるらしかった。私含め他の者は少しも心当たりはなかったが。

 

「えぇ、あなた方と同じ。艦娘を祖先に持つ者です」

 ピクリと肩が跳ねた。

 あなた方。複数形だ。この人は叢雲ちゃんだけじゃない。私もその1人だと言うことを知っている。

 柔らかく浮かべている笑みが急に信じられなくなった。私たちが来ることも予期し、私の生まれさえも知っている。この男は、志童という男は、何者なのだろう。艦娘の子孫と言えど、まだ信用できない。

 

「そう身構えられなくても大丈夫ですよ。それよりも長旅でお疲れでしょう?」

 半身になって袖に半分隠れた手が奥の方を指示していた。

 

「食事等の準備は整えておりましたのでご安心下さい。艤装の補給の方も承りましょう。本日はお休みになられて後日全てをお話ししましょう。どうぞ、お上がりください」 

 足下が急に浮かぶような感覚を得た。安定しない水面のような感覚ではなく、はっきりとした地面の存在。

 金属板の板が海水の中から浮上してきた。それが私たちの足場となり、志童という男が立っている陸地と同じ高さにまでなる。やや強引ではあるが、迎え入れられてしまったようだ。

 

「ようこそお越し下さいました、『天の剣』へ」

 志童はそう言って小さく頭を下げる。その表情に変わらぬ笑みを浮かべながら。

 

 

 

     *

 

 

 

「―――証篠大佐ッ、反応ロストしました!!」

 床も壁も天井も、深青色のぼんやりとした光を放っており、十数名の人間とおびただしい数のモニター。宙に浮かぶ巨大な立体映像(ホログラム)のディスプレイ。その全てに具に目を走らせながら、いつもの笑みを忘れた女性が1人、椅子に深々と腰を下ろしていた。

 呉鎮守府の指令室で証篠明は部下たちの報告を受けて小さく息を吐いた。

 

「想定の範囲内だね・・・・・・さて、そろそろ私たちも動こうか?」

 そう言って立ち上がる。ぐっと背伸びをして、肘掛に置いていた軍帽を被った。

 

「余り動いてもらわない方が助かるのだが・・・・・・?」

 動き出そうとした証篠の前に黒い袖が遮った。低い男の声。証篠は傍らに目を向けるとフードの隙間から赤毛を覗かせる少年が明らかにサイズを間違えたのであろうぶかぶかの服を纏って立っていた。

 

 軍服ではない。その衣服は陸も海も空も、どの機関にも所属していない。

 しかし、それは彼らの正装であった。彼自身は明らかにサイズを間違えているのだが。顔の下半分が襟の中に埋まっている。袖に関しては10㎝ほどだらしなく垂れ下がっている。

 これでもこの男が成人しているのだから不思議なものだ。

 

 陽里 兆(ひのさと きざし)。艦娘の血を受け継ぎながらもその名を表の世界に晒すことなく、裏の世界に身を投じて国家の復興に自らの手を汚すことで貢献した者たち、『裏五家』の一族。

 兆はその長子であり、未だに裏の世界で暗躍し続けている雇われ戦闘員。早い話が傭兵である。

 暗殺から護衛、時には戦場に狩り出て敵を屠る。そんな彼が日本陸海空軍に突如襲い掛かった謎の魔手の火の粉を払うために、中東の戦場から緊急で呼び戻された。ちょうど一戦終わって契約を満了したところであったため彼にとっても都合が良かった。

 

「護衛についてくれるのもありがたいんだけど、こっちも任務なんだよね?」

 見知った顔ではない。名こそ聞いていたが初対面である。

 だが、証篠はどこかいけ好かないこの少年にも見える男に軽い苛立ちを覚えていた。

 理由は顔を合わせるなり、「艦娘を兵器だ、道具だ」と口にしたのが主なものであるが、それ以外にもいつも気が付かないところから見張っている。はっきり言って気味が悪かった。

 

「迂闊に動かれてはこちらの任務にも支障が出る。俺たちの世界で契約は遵守される。信用にかかわるからだ。俺の顔に泥を塗るような真似は避けていただきたい」

 

「正直さ、私より背丈が低い男に守ってもらおうと思うほど私はヤワじゃないんだよね。そもそも、よりによってどうして君なのさ?」

 

「俺が一番強いからだ。それほどにお前の負っている任務の重要性が大きく、それ以上に俺の任務の重大さも大きいものになる。もう少し思慮のある行動をしていただきたい。死にたくはないんだろう?」

 

 明の父、証篠晃は立場上このような裏の世界の者たちと接触することがある。裏五家に『証篠』の一族も含まれているのだが、『天霧』や『陽里』のような戦闘一族ではない。国益のためにその身を陰に溶かし足跡すら残らない亡霊となること。それが証篠の生業だと聞いた。自分もこんな道に進まなければ、その道を歩んでいたのかもしれない。

 そんな父親から珍しく連絡があった。兆が派遣されると知ったのはその時だった。

「陽里はクセが強くて扱いにくい。だが、腕は他の一族よりも正確で確かだ」と語っていた。実際に会ってみてはっきりと父の言いたいことが分かった。 

 

「はぁ・・・・・・じゃあ、どうするの?私も出動しないといけないんだけど?到底あの子たちだけじゃ訳の分からない話だろうから」

 

「代わりの者を出せ。自分の立場を考えろ。命を狙われているんだぞ」

 

「代わりの者で済むならそれこそ艦娘の子たちでいいでしょ。そうはいかないから私も行く必要があるの。君も着いてくるしかないでしょ」

 

「無理だ。船で行くならば同行できない。よって俺の任務も果たされない。却下だ」

 

「どうして?君が私の側にいてくれて守ってくれれば任務はお互いに果たせるでしょ?」

 

「俺は船に弱い。すぐに酔う。空路か陸路ならば問題ない」

 

「・・・・・・」

 じっと背中に生暖かい目を向けてやったらそれに気づいたらしく殺気籠った目で振り返ってきた。

 

「なんだその眼は?」

 

「はぁ・・・・・・酔い止めあげるから」

 海を愛していない者は海に嫌われるのだと。同じ艦娘の子孫でありながらここまで考えの異なる兆とやはり分かり合えないと思いながらも、ここまで考えが異なる理由を脳の片隅で模索していた。

 

 5時間後、護衛艦を1隻動かして、証篠は呉を発った。護衛として兆に半ば無理矢理酔い止めを飲ませて。

 

 

 

 

 



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天の剣(壱)

 あぁ、墜ちてゆく。

 あぁ、消えてゆく。

 

 緋色の鳥たちが深い闇の中に。銀翼の鳥たちがまたひとつ星となってゆく。

 

 あぁ、栄光が潰えてゆく。

 あぁ、私たちが終わる。

 

 すべてが赤く赤く染まっていく。私を象徴する熱血と鉄血の赤に飲まれて消える。

 

『いよいよ██████作戦が発動されましたね』

 

『私達機動部隊主力ならきっと大丈夫、勝ちにいきます』 

 

 きっと大丈夫。いつからこんな風に考えるようになったのだろう。

 戦場において『きっと』などという願いが喧噪の中に淘汰されていく様を幾度となく見てきたはずなのに、いつの間にこれほどにまで慢心を育ててしまったのだろう。

 

 星たちがこちらに目を向ける。

 

 私たちの終わりに目を向ける。私の足下に広がる闇を見る。

 あなたたちの消えゆく栄光を。あなたたちの燃え逝く誇りを。

 

 こんな絶望の中で幾度となく私は考えていた。

 

 いったいどこで何をすれば、この運命を回避できたのだろうかと。私は幾度となく反省を繰り返していた。帰ることも、変えることもできやしない過去に。

 

 あぁ、声が聞こえる。遠くから聞こえる。まだ誰かが戦っている。

 最後まで誇りの向かう先を見失うことなく立ち向かっている。数少ない希望の中で儚く燃え尽きようとする命を、目一杯に燃え上がらせて、闇の中を突き進む。

 

 鋼鉄の翼よ。この闇を斬り裂け、と命じる。

 雷土が、海震が、獄炎が、衝戟が、この世界を軋ませる。人の想いがこれほどまでに融解した鉄のように重く、熱く、海を沸かせる。

 

『―――征きなさい、南雲機動部隊。私たちの誇りよ』

 

 積み上げてきた栄光も、向けられてきた畏怖も期待も、冠された名も全て終わる。それでも人は生き続ける。私たちの姿を眼に刻んだ者たちが生き続ける。だからその征先に死が待つとしても、終焉が口が開いているとしても、その翼が折れるまで進め。

 

 この運命に抗い続けろ。

 

 私は終わる。それでももう一度この海に舞い戻ろう。

 どれほどの時間がかかろうとも、私の名が世界から忘れ去られたとしても。

 この日の空を忘れはしない。この日の想いを忘れはしない。

 

 人よ、海よ、空よ。私を忘れるな。

 この燃え逝く身体を波に刻め。沈み逝く鉄の肉体をその潮風に刻め。

 

 この終わりを受け入れよう、いつか訪れる『私』のために。

 

 だから、私を終わらせてくれ。幼き(もの)たちよ。先の時代を生きるべき(もの)たちよ。怯えることなく私を見届けてくれ。この無様さも、私が犯した罪も、諸行無常の理に敗北した惨めな姿も。同時に語り継げ。この空を駆る者たちの名を。

 

 私たちの誇りは、あなたたちが受け継ぐのだから。失われてはいけないのだから。

 

『―――雷撃処分を、お願いしますね』

 笑みを浮かべて見せた。餞を送る友に向けるものだから。

 それでもやはり死は怖い。頬を伝うものは恐怖故か、それとも後悔故か。

 衝撃が私を貫いた。煙で空が見えなくなってしまった。音も光も遠のいていく。

 

 

 

 

     *

 

 

 

 久し振りに誰かの夢を見た。私の夢なのだが、それは誰かの夢。

 私の中に宿っている私ではない誰かの魂の記憶が、私と言う依代を通してその願いを私に見せている。彼女たちを彼女たちたらしめる根幹であるその記憶を私に向けているのだ。

 

 その部屋に窓はなく、光源も天井と壁に1つずつで今は壁の方だけ。薄暗く冷たい部屋の中で夢から覚めたばかりの私は目を擦って辺りを見渡した。

 総員起こしの号令もない静かな朝だった。ただ耳の奥で波の音だけが響いている。いつもの海辺の宿で目覚める私が慣れ親しんだ、遠くの海の潮騒。揺り籠の中に居るような心地よさから何とかして這い出して、壁の光源の下にある鏡に映る自分の恰好を見た。

 

 私のものではない寝巻用の浴衣。解いて肩にかかっている髪は跳ねている。顔には昨日の疲れは残っていないらしかった。身体のどこかが痛いと言う訳でもない。寧ろ疲労なんてものは一切残っていない。

 

 どれほど長い間眠っていたのだろう。部屋の中に目を巡らせる。同じ部屋に割り当てられたはずの2人の姿は見えない。ベッドの上は綺麗に整理されていて、誰も使っていないように見えた。几帳面なあの2人の事だ。私みたいに惰眠貪る事も無く、さっさと起きてどこかで身体でも動かしているのかもしれない。

 

 浴衣のまま、髪を結ぶ事も無く部屋を出た。相変わらず窓がない。ここはそこかしこに何かの気配を感じるのにどこまで行っても無機質なのだ。訪れた時から感じていた無機質な生気。

 背中がむずむずするような感覚を我慢しながら廊下を独り歩いていく。私の記憶が正しければ私はこちらの方から来たはずだ。来た道を戻るようにして私の足はほんのり温もりを感じる金属の床の上を裸足で進んでいく。

 

「おはようございます、吹雪様。お待ちしておりました」

 ちょっとした広間にいた紅色の和服を着た若い女性が私の姿を見ると丁寧に挨拶をした。白いエプロンを和服の上から着けている。若い女性と言ったが、歳は私より2つ3つ上なくらいだろうか。まだ成人はしていないだろう。どうやら私を待っていたようで、私が来るまで何もせずにそこに立っていたように見えた。

 

「あの……私はどうすれば?みんなは……」

 

「他の艦娘様方は湯浴みをなされてた後、朝食をお摂りになっております。吹雪様も浴場の方へどうぞ。お召し物の方はそちらに準備しておりますので」

 柔らかな声をした人だった。見た目の割りに随分と雰囲気が落ち着いている。

 

「あっ、はい……」

 

「では、ご案内しますので私の後に」

 

 女性の後に黙って着いていく。本当に窓がない。まるで地下でも進んでいるかのような光景がずっと続いて、私は浴場らしきところに着いた。

 

「では、お召し物の準備を致します。どうぞごゆっくり。上がられましたらもう一度先程のところまでお越しください。食堂の方へご案内いたします」

 そう言い残すと一礼してそそくさと出ていってしまった。1人取り残されてぐるりと辺りを見渡す。全てが石で造られている。不思議な黒い光沢をもつ石だ。ところによって青や緑に色を変えている。棚に至るまで石造りなのだから異様な光景だ。

 はぁ……と長く息を吐き、髪に指を通す。がさりと音を立てて指に髪が絡まった。

 

 昨晩は艤装を下ろした瞬間どっと疲れが押し寄せて何とも感じなく部屋ですぐに寝入ってしまったが、思えば潮水や汗がまだ身体に染み付いて浴衣の下はじっとりとしている。衣服を下着に至るまで預けたのはある意味正解だったのかもしれない。

 

 とりあえず、浴衣を脱ぎ去り簡単に畳んで棚に置き、浴場の方に向かった。

 

 

 

     *

 

 

 

 すっきりして更衣室の方に戻ると浴衣はなく、代わりに預けたもの全てが綺麗な状態で用意してあった。どうやら洗濯でもしたいただいたらしいが、艦娘の衣服はただの繊維で出来ている訳ではないので、やや特殊な清掃・補修がされるのだが何の問題もなかったようだ。

 もう一度、広間の方に向かい女性に会うと、今度は食堂の方に案内するとまた廊下を歩いていった。

 

「随分と遅いお目覚めね、吹雪。横須賀だったら罰走させてるところだったわ」

 食堂に入るなり、彼女らしいやや棘のある口調で言葉を私に向けるセーラー服の少女と顔を合わせる。不思議と安堵した。多分、変な顔をしていたのだろう。少しだけ眉をひそめていた。

 

「うん、おはよう。叢雲ちゃんと・・・・・・雪風ちゃんに夕張さん」

 食堂に居たのは叢雲ちゃんだけではなく、雪風ちゃんと夕張さんもいた。

 

「おはようございます。あまりにも気持ちよさそうに眠っていたので起こさないでおいちゃいました」

 もう1人のルームメイトだった雪風ちゃんは元気そうな笑顔を浮かべてそう言った。頭の電探がないといつもよりずっと幼く見えてしまい、彼女の浮かべる明るい笑顔は一層彼女に馴染む。

 

「おはよう、吹雪ちゃん。疲れはとれてるみたいね。よかった」

 夕張さんもいつもの制服を身に纏って微笑みながらそう言った。今は眼鏡をかけていて机の上にはタブレット型の端末が置いてある。眼鏡は恐らく彼女のものだろうが、端末の方はどうやらあちら側のものらしかった。

 

 三角に抜けた天井。白と黒でシックな雰囲気があり、中央にあるクロスのかかった長机を囲んで私たちは座っていた。用意された大きな白い平皿の上にパンとオムレツとベーコン。スープにサラダにフルーツの盛り合わせ。

 

「コーヒーと紅茶、どちらになさいますか?他のもご用意しておりますが」

 

「え、えーっと、コーヒーで。ブラックで大丈夫です」

 そこにコーヒーが並べられて随分としっかりしたメニューが並ぶ。恐る恐る手を合わせて口にするが、いたって普通だ。寧ろ美味しい。

 

「・・・・・・他の2人は?」

 

「さっさと食事済ませてその辺り散策してるわ。一種の偵察のようなものだけど」

 叢雲ちゃんがコーヒー啜りそう答えた。なんとも退屈そうな顔をしている。

 とりあえず私はサラダから手を付けることにした。

 

「偵察ねぇ・・・・・・」

 敵地じゃないのにそんな言葉を使うのは違和感がある。危惧すべき何かがあると言っているようなものだ。

 確かにおかしいと言われればおかしいと言える点ならばいくらでもあった。

 光る石。窓のない廊下。無機質な気配。ここが絶海の孤島だというのに浴場で使用されていた水は全て『淡水』だったこと。そして本土と何ら変わりのない食事。

 

 そして急に訪れた来客である私たちは異常なまでに待遇が良い。いい顔をしている者には必ず裏の顔がある。知らない人や怪しい人には着いていくな、と一緒に教わったような言葉だが、実際にあまりにも扱いが良すぎると違和感が残るものだと今理解することができている。

 

「ふーん、なるほど……」

 端末の液晶に指を走らせながら夕張さんが小さな声で呟いた。いったい、何を見ているのだろう。

 

「そう言えば、叢雲さん。これからどうするのですか?」

 唐突に雪風ちゃんがそう尋ねた。頬杖突いて退屈そうにしていた叢雲ちゃんは上体を起こして、

 

「さあ。わからないわ」

 そう答えた。叢雲ちゃんにしては随分と雑な答えだなと気になりながらパンを頬張る。ほんのりとバターの香りがして美味しい。

 

「そもそも、私たちが聞かされていたのは『天の剣』という島が存在しており、そこに人類の存亡をかけた『天叢雲剣』という存在に繋がる鍵があると言うこと。それが、こんなに――――」

 

「―――あぁ、驚いた。こんなに人がいるとはな」

 ふと入口の方から声が聞こえてきた、やや低く落ち着きのある女性の声だ。

 

「生活の水準が本土と遜色がない。寧ろ、高い水準にある。治水、衛生管理、インフラ整備。流石に交通手段こそ限られているが島内を移動する分には困らない。住居の構造もしっかりしたものだ。あらゆる災害を想定した避難経路の確保も十分になされている」

 帰ってくるなり、日向さんは慌てているかのように言葉を連ねていく。

 その表情は冷静を装っていたが、隠しきれていない驚きの色が覗いていた。とうとう仮面が外れてしまって日向さんはフッと笑いを漏らす。

 

「霧が担う防壁の役割は大きい。この島は世界で最も安全な場所と言っても過言ではない。深海棲艦が蔓延る現代において、艦娘の手など要らぬほどに」

 

「そのために、これほどまでに人間が伸び伸びと生活できている。そう言う訳ね。利根さんは?」

 

「まだ見回っているよ。それと、子どもたちに好かれたらしくやや相手をして忙しそうだ。私たち艦娘はここの島民にとっては神に近い存在らしい」

 

「神、ですか……大層な言い方ですね」

 意外にもそう言葉を挟んだのは雪風ちゃんだった。随分と真面目な顔をしていて、先程までの笑みは消えていた。

 

「艦娘は神なんかじゃありません。そんな大層な飾り名を付けられたところでこちらは自らの無力さを一層に呪うだけです」

 じっと何もないテーブルクロスの上に目を落としていた。彼女の幼い瞳の奥で波が揺れている。荒れ狂う嵐の海のような波が。果てまで暗い海に広がる嵐の海が。

 

「一通り、この島の全容について把握できました」

 眼鏡を外しながら夕張さんがそう言った。タブレット端末の画面は暗い。恐らくもう見るべきものは全て見たので電源を落としているのだろう。これ以上は必要ない、つまい全てを頭に叩き込み終えた。そう言っている。

 

「アーコロジーですね、ここは」

 

「アーコロジー?」

 雪風ちゃんが首を傾げて問い返す。私はオムレツにナイフを当てる。チーズオムレツらしい。溶けたチーズが流れ出してきて香ばしい匂いが柔らかなスポンジのようなオムレツのアクセントになっている。

 

「別名を環境完全都市と言います。生産および消費活動が内部で完全に自己完結してしまっている人口密集都市の事を言います。急激な海面上昇と人口増加から海上にこのような都市を建造する計画は、大戦前にありましたが、深海棲艦の襲撃で挫折したと聞いています」

 

「『天ノ岩戸計画』ね、名前だけなら知っているわ。その名の通り狭っ苦しい場所に閉じこもってその中で生活していくとかいう途方もない計画ね。挫折してよかったわ」

 

「まあその辺りは視方にも依りますが・・・・・・とにかくこの島は海水を淡水に変える技術は基本として、浄水施設、ゴミの処理施設、更に地下には野菜に限らず家畜まで飼育しているシティファームの設備。それらの為に遺伝子組換等の研究所まで。研究所の分野においては20部門に及び、幅広い分野の研究が日夜行われている模様です」

 

「面白いな。つまり、ここは巨大な研究施設であるようなものだと言うことだ。エネルギー供給はどうなっているんだ?」

 

「太陽光と波、風力だけで必要な分は全て補っているようです。照明に関しては面白い技術が使用されていますがそれはいいでしょう。何より私が気になるのは20層あるこの島の地下の最深部にある、艦娘部門の研究施設です」

 

「あって当たり前に思えますね、ここまでくると」

 

「ええ、この島で生まれているエネルギーの3割ほどがそこで消費されていますね。ここは他分野の研究施設があると言いながらも、その主体は艦娘関連の研究みたいですね」

 

「そりゃそうでしょうね。じゃなきゃ、私たちをやすやすと招き入れたりしないわよ」

 

「あー、子どもたちの相手は疲れるのじゃー・・・・・・髪を引っ張るなと言うとるのに。ん?どうした?難しい話でもしておったか?そんな顔しておるぞ?」

 話を遮るようにして利根さんが食堂に戻ってきた。疲れた顔をしている。髪もなんだかぼさぼさだ。

 私はコーヒーカップを手に取って少し口に含んだ。そして、ようやく彼女たちの話に口を挟む。

 

「何はともあれ・・・・・・ただの島じゃないってことですよね。夕張さん、地下ばかりに目が行ってますが結局あの塔は何なんですか?」

 

「それが・・・・・・ここには書いてなかったのよね。ただここの設備からしてエネルギー供給に一枚噛んでいるのは間違いなさそうなんですけど」

 夕張さんにある程度の情報を見せておきながらその辺りをはぐらかすのはどう考えても怪しい。

 

「兵器とかじゃないですか?」

 

「兵器?あれが?うーん・・・・・・確かに側壁がセルになっていてファランクスのような装備が備わっていてもおかしくない形状ではありますけど。だとしてもあんな巨大なものにしませんよ」

 

「ですよね。すみません」

 

「・・・・・・何か知っているの?」

 唐突で、かつ少し意味深な問い方をしてしまったせいか、叢雲ちゃんが怪訝な顔をして私に問い詰める。

 

「うん。まあ。少し明さんに聞いた話なんだけど『天叢雲剣』は―――――」

 

 コンコンと2度のノック。開いた扉をわざわざノックして注意を集める。6人の視線が一気に集まった。

 

「―――どうやらみなさんお揃いの様でして」

 あの男性が立っていた。

 神官のような衣服を着た男。髪は短く切り揃えてあり、白い肌にやや下がった眉とどこか安心感を与えられる。目鼻立ちがはっきりしていたため一瞬異国の人かと見紛う。

 叢雲ちゃんが立ち上がったのを合図に全員が立ち上がった。ワンテンポ遅れて私も立ち上がる。

 

「改めて、私は『天の剣』統括責任者、志童金安と申します。ここに貴女方が来られるのを先祖代々お待ちしておりました」

 

「横須賀鎮守府秘書艦の叢雲よ。並びにその他5名、大本営直下の特務につき、ここにあるありとあらゆる情報の開示を求めるために来たわ」

 

「存じております。貴女方がここにお越しになる理由はただ1つ。この島に隠された過去の遺物が必要な時代となったと言うことでしょう。ですが、まずはこの島の全容を貴女方の目をもって知っていただきたい。いかがでしょうか?」

 要は島内の施設の見物でもどうだと言っているのだろう。あまり疑いを持つのは失礼なことだろうが、時間稼ぎをしているような気がしてならない。

 

「悪いけど、こっちも急いでるの。それにこんな場所にあまり長居もしたくないってのが本音よ」

 

「いいえ、急ぐ必要はございません。それほど事態は切迫したものではありませんので」

 志童さんは首を横に振る。叢雲ちゃんの感情論は無視して、前半の事態の危急にだけ焦点を置いて。

 

「なぜそう言えるの?」

 

「我々は観測者です。世界の観測者。時代の観測者。我々は全てを知っています。故に分かるのですよ」

 一瞬、彼の浮かべている柔らかな笑みが酷く不気味なものに思えた。一瞬だけだったのだが。

 

「私たちは貴女方を存じております。故にまずは我々を知ってもらう。それでこそ理解は得られるものでしょう。信頼は後付けで構いません。それにこの島を貴女方は知らなければならない」

 

「その理由は?」

 

「すぐに分かりますよ。特に叢雲さん、貴女は」

 どこか気を許せない男だと思いながらも、私たちは食堂を後にして志童さんの後に続いた。

 案内されたのはエレベーター。進むのは下だけの様だ。

 地下に閉じ込められる。先程から不穏な考えしか過らない頭を振って、私はその箱の中に乗りこんだ。

 

 

 

 




 この題で書きたいことがやけに長くなったので前半と後半で分けさせてもらいました。

 すぐに後半の方も上げたいと思います。


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天の剣(弐)

    

 エレベーターはかなりゆっくりとした速度で下降していく。それはもう秒速30㎝ほどの速度で。鈍すぎる。だが、お陰で一面ガラス張りの箱の中から辺りの景色をゆっくり観察できた。

 

「これは各階層の状況を確認しながら最深部まで移動するためにこれほどの速度にしてあります。移動用と言うよりは、監査用と言った方が良いでしょう」

 私たちの誰もが思っていた考えに答えるかのように志童さんは語る。

 

「室温、湿度、気圧、それぞれの階層で扱っている分野に合わせて調整してあります。当然、深部に行くほどに気温も下がっていきますので、その環境に見合った分野を割り当てて環境を利用するなどしてもいますが」

 

「ここにいる人たちは何ですか?」

 かなり大雑把な質問をしてしまったと終わってから気付く。だが、そのくらい曖昧な質問しかまずはできなかったというのが正しいだろう。

 

「ここに居る者たちに限らず、この島に居る者たちは全てが科学者です。生まれ来る子どもたちにも一流の科学者となり、代々研究の灯が消えぬような教育を行っております」

 

 ある者は白衣を着ていた。ある者はつなぎを。ある者は防護服を。

 肌の色も様々だ。私は島の方を見回れなかったのだが、人種がかなり多様なようだ。

 

「へえ、全部が科学者・・・・・・あっ、牛がいますね。乳牛も」

 

「こっちには鶏もいます!卵がたくさん!」

 

「不思議なものじゃな。陸地の地下ならまだしも、海上の人工島の地下にこのような景色が広がっておると」

 

「陸地には限りがあります。海は環境こそ厳しいものですが、海底に至るまで陸地をはるかに上回る広さを有します。厳密な管理が必要となりますが、既に80年。得られた経験はありとあらゆるデータとなってこの島にフィードバックされています」

 

「・・・・・・この島そのものが生きている。そう感じた原因はそれだったのかも」

 私は1つの胸に引っかかっていた疑問をようやく解決できた気がした。ここは陸地ほどの長い歴史こそないものの、人間たちが必死で生きるために集めたデータの下に成り立っているのだと。そこに人間としての生を感じるのも頷ける。

 

「1つお聞きしたい。この島では至る所で岩石が発光していた。この島では主にそれが照明となっているようだがあれはなんだ?」

 

「ホタルイカをご存知ですか?青く発光する海の生物ですが我々はその研究も行ってきました。人工的にその成分を合成し、さらにそれを他のものに移植する研究です。特に無機物に」

 

「・・・・・・石に移植したと言うのか?」

 

「えぇ、その通り。組織に濃縮した蛍光物質を注入して島の各所に設置しています。この島の沿岸部にも大量に。刺激を与えることで成分が活性化し、発光するようにやや手を加えた成分ではありますが・・・・・・まだ不安定さが残ります」

 

「なるほど。現時点ではあくまでも島内のみで自己完結させるための技術と言う訳か」

 

「ええ。しかし無機物と有機物の融合など、貴女方からすれば珍し話でもないでしょう?」

 私たち艦娘への皮肉にも聞こえた。雪風ちゃんと夕張さん、利根さんは周囲の景色を見るのに忙しそうで志童さんの言葉の1つ1つにいちいち意識を割いているような感じではなかったが、私含めたその他は少しだけ眉間に皺を寄せていた。

 

「我々が特に恐れているのは感染症です。ここは密閉された場所ですので一気に蔓延する。最悪島民すべてが全滅する可能性もありますからね。その方の対策に関してはかなり綿密に行っております。ですが、その心配は限りなく小さいというのも同時に分かっています」

 志童さんは話を逸らすように別の話題を持ち出した。どうやら自分の言葉が反感を買いかけたのを察したようだ。

 

「島を出入りする人がいない。特に外部からの侵入が極端に無いからですね?」

 すかざず私が答えた。志童さんは小さく頷いた。

 

「ええ、その通り。外部から持ち込まれない限りこの島内では想定の範囲でしか感染症は起こりません。島民全てが全滅するような事態にはなかなか陥りません・・・・・・ちょうど正面に見える八角形状のフロアはこの島の制御を行っている場所です。いわば中枢と言えます」

 

 そこは中央を通る巨大な柱の途中にあった。八角形をしたフロア。巨大なディスプレイがいくつもあり、目で追えないほどの情報を数十人の研究者たちが処理している。そのフロアの下部に更に何やら巨大な棚のようなものが見えた。棚のような場所に本を納めるかのように、いくつもの箱状の機器が並んでいる。ただ箱であってその内部までは見えなかった。

 

「あれがこの島の頭脳です。ただのコンピューターではありません。世界で唯一の量子コンピューターです」

 

「量子コンピューター!?」

 そう声と息を荒げた夕張さんだった。彼女らしいと言えば彼女らしいが目が輝いている。

 

「えぇ、この島が成り立っている重要な頭脳です。そしてこの島の最高の機密とも言えます。存在が知れれば各国が黙っている訳もありませんので」

 

「もっと近くで見れませんか!?」

 

「申し訳ありません。機密事項ですので」

 

「ぐっ・・・・・・ロマンがあそこにあると言うのに」

 

「あのぉ・・・・・・ずっと気になっていた事なのですが・・・・・・」

 雪風ちゃんはそんな前置きをしてから志童さんの方に目を向ける。

 

「ここは、どの国家に属するのですか?」

 

「どの国家にも属しません。ご存知の通りこの島は存在しない島です。いえ、在ってはならない島なのです」

 

「でしたら、機密事項と言うのはいったい何に対する機密事項なのですか?機密と言うのは外部に漏れればどこかが不利益を得るから存在しているものです。どこの国家が不利益を被るのですか?」

 

「なるほど。ごもっともです。では、過去に艦娘に携わった全ての国家と言葉を改めさせていただきましょう」

 

「日本、アメリカ、欧州海洋連合圏、ユーラシア協定連邦、ですか・・・・・・」

 

「えぇ。特に日本国の息が強いことは言うまでもないでしょう。始まりの国なのですから」

 志童さんはガラスの向こうに目を向ける。

 

「ですが、この島には多くの人種が混在しています。ですが、明確な目的の下に集った者同士。軋轢が生じたことはありません。そうなるように選ばれたと言っても過言ではないでしょう。不安要素は極力排したのです。この島を守るために」

 

「理想郷ね、まるで。日向さんが言っていたわ。世界で最も安全な場所だと」

 ずっと黙っていた叢雲ちゃんが口を開いてそう言った。その表情にはどこか嘲笑めいたものがある。

 

「私たちなんて必要ないんじゃないの?この島だけで人間は永遠に生きていけばいい」

 

「理想郷ですか。確かにこの島は世界でも最も安全な場所かもしれません。ですが」

 志童さんの表情から柔らかさが消えた。笑みを失くし、真っ白な真剣みを帯びる。

 

「迫ってきているのは世界そのものの崩壊です。世界のどこが安全かを問題とする時代ではないのです」

 

「世界の崩壊って何よ。要は人類文明の滅亡の事でしょ?深海棲艦による人類文明の淘汰。人になり替わる地球の新たな支配者として生み出されたのが深海棲艦。違うかしら?」

 叢雲ちゃんの言葉を受けて、志童さんは少し上を見上げる。階層を表す数字のようなものが記されている。

 ちょうど「15」を過ぎた辺りだった。

 

「イヴ計画はご存知ですね?」

 その名はまだ私の中では結構新しいものだった。ハッと志童さんに目を惹きつけられる。耳にしたのは思えばもう随分と前だったのかもしれないが、あの日の事実は今でも私の中で新しいまま残っている。

 

「イヴ計画にはその前身となる仮説と、それを裏付ける理論が存在しました。この世界のあらゆる事象は意識ある大いなる存在により決定され、大いなる存在は大いなる意識の下にあらゆる生命を管理している。ここで言う大いなる存在とは地球(ガイア)です。これは『ガイア理論』と呼ばれ、戦前より存在していました」

 

 途方もない話だ。私たちの生きているこの地球が大きな意思を持っているなど。

 私たちは意思をもった地球の掌の上で転がされるも、握り潰されるも、地球の意思次第と言う訳だ。

 

「それに基づいて打ち立てられた仮説が『アダム説』。それはガイアの意志の下にこの世界に生まれ落ちた、ガイアと意識を共有する生命体の存在を示唆するものでした。我々の祖先はその生命体を―――」

 

「―――深海棲艦と定義した」

 問いかけでもない志童さんの話に私は口を挟んで答えてしまった。彼は小さく首を縦に振る。

 

「正確には深海棲艦に存在しているであろう大元です。それを我々の祖先は『アダム』と呼び、アダムはガイアと何かしらのパスを通じて繋がりを持つ存在と考えていました。そしてアダムはあらゆる深海棲艦とのパスを持つ根源であり、原典である存在だと」

 

 原典。これもまた最近聞いた言葉だ。

 艦娘には全て原典が存在し、その他に同じ艦娘は存在し得ない。

 だが、志童さんの言う『原典』は艦娘のものとはまた違って聞こえた。

 

 諸悪の根源。そこから剥がれ落ちたものが深海棲艦。そういう意味での原典だろう。

 

「進められていた研究はそのパスを探すこと。特にアダムとガイアの間にあるパスを。それを断ち切ることさえできれば、アダムにガイアの意思は伝わらない。深海棲艦の侵攻も食い止められる。そう考えていました。ですが」

 

「そんなもの、どうやって探せばいいのか。それが分からなかったんですね?」

 今度は夕張さんが口を挟む。顎に手を当ててやや視線を落とし興味深そうに聞き入っていた。夕張さんは博識だ。恐らく明さんの影響なのだろうが、艦娘としての枠を越えてあらゆる分野の研究者にも劣らない知識と好奇心を持つ。

 

「結果として私たちはそれを机上の空論として破棄した。根源を断ち切るよりも今世界に在る深海棲艦を打倒する術を模索する方が効率的だと考えました。そして、平賀博士の手により生み出されたのが、深海棲艦に対抗する究極の存在にして、アダムの一部である深海棲艦の組織より作り出されたとされる『イヴ』と言う名の妖精」

 

 アダムとイヴ。

 旧約聖書に登場する人類の始祖とされる存在だ、始めは神が人形のようにしてアダムを生み出し、その肋骨からイヴを作り出した。彼らはエデンの園で生活をしていたが、ある者に唆されて禁断の果実を口にし、意思を得てしまった。故に彼らはエデンの園を追放された。そして人類の始祖となったというお伽噺のようなものだ。

 

 アダムは地球の意思を持つのだろう。

 イヴは―――妖精は海の意思と記憶を持つと言っていた。海は地球の意思の一部なのだとしたら、地球の意思を持つアダムの一部より生まれ落ちた存在。そうなるべくして、それはイヴと言う名を得たのだろう。勝手にそんな推論を頭の中で繰り広げていた。

 

「後はご存知の通り、これが艦娘建造計画『イヴ計画』の始まりです。叢雲さん、貴女とは切っても切れない計画のはずです」

 

「今の私は私よ。先代がどうであろうと今の私には関係のないことよ。それで、それがどうしたって言うのよ?世界が崩壊するのと関係があるの?」

 

「……近年の研究で、アダムとガイアのパスが見つかりました」

 色白の顔に真剣さを保ったままの彼はそう言った。驚きからぽかんと口を開けたままの私たちとは違って。

 

「非常に簡単なものだったのですよ。特に艦娘の技術が確立した後の世ではとても。建造ドックの仕組みをご存知ですね?艤装に艦娘の魂を宿すものです。その逆を辿ったのです。我々は魂の辿る道を見つけ出し、その根源にアダムとガイアの繋がる穴を見つけました。ガイアは全ての魂を管理する存在です。アダムはそれを利用して深海棲艦を生み出し、イヴはそれを利用して艦娘を生み出す建造ドックを作り出しました」

 

 そう言い終えた瞬間、エレベーターが停まる。階層を表す場所には数字ではなく「E」の文字が表示されていた。EndのEだろうか。とにかく着いたようだった。

 扉が開く。開いた扉を最初に潜りながら、志童さんは更に言葉を続けた。

 

「我々は深海棲艦の根源に至る道を発見した。だが、それに気付いたアダムが妨害に動き出そうとしている」

 

「1つ、いいですか?」

 私は再び問いかけた。志童さんはどうぞとは言わずに口をつぐんで私を見た。

 

「アダムとは形あるものなのですか?イヴは……普通の人間には視得ませんが、私たち艦娘にとっては形あるものです」

 

「アダムは我々の妨害の為に今は形を得ています。人にも艦娘にも見える形を。先代の《叢雲》はそれを危惧していた」

 

 辿り着いた『天の剣』の最深部。夕張さん曰く、艦娘関連の研究施設。

 見るからに異様だった。他のフロアにいた者たちと転じて雰囲気が違う。皆が志童さんのような神官じみた、なんというか神に仕える者たちと言うような雰囲気を感じさせる服装をしている。

 中央に巨大な柱があり、それが遥か上にある地上にまで伸びているのだろう。この内部に先程の量子コンピューターがあり、各フロアのあらゆる情報を管理しているのだと推測できる。私たちはそんなフロアの隅の方に降りた。ずっと端の方から内部を眺めていたらしい。

 

 見える景色を見渡すと見覚えのあるものがいくつもある。あれは私の故郷でも見たし、横須賀でも見たものだ。

 

「夕張さん、あれは?」

 確かめるために私は夕張さんに、それを指差しながら尋ねた。

 

「建造ドック・・・・・・みたいですね。いくつも」

 やはり間違いない様だ。至る所に置かれた巨大な装置。建造ドックと呼ばれる艦娘を生み出す母たる装置。それが10を超える数あるのだ。

 

「建造ドックだけではありません」

 そう言いながら、志童さんは歩を進める。私たちは辺りを見ながらそれに続いた。

 

「ここには、戦後不必要となった艦娘関連の装置のほとんどが収容され、また利用・研究されています。一部はまだ残していますが」

 

「ブインに在りましたね。建造ドック」

 そう雪風ちゃんが呟く。彼女はブイン基地生まれだ。そこにある建造ドックで作り出されたのだろう。

 

「先程お伝えした通り、建造ドックは『魂の経路』を辿るために利用しています。膨大なエネルギーを消費するため、乱用はできないのですが。その他にも艤装に魂を定着させる厳密な理論の追究など。我々は未だに平賀博士の組み上げた理論の全容を理解するに至っていません」

 ゆっくりとフロアの中央に向かって広い通路を歩きながら、志童さんは話を続けた。

 

「私は世界の崩壊と言いました。そう、アダムとガイアが起こそうとしている人類史上最悪の滅亡です」

 

「申し訳ないが、私たちはアダムだのガイアだのあなたの言葉で難しい話を展開されても理解できるほど利口ではない。せめてそう言う話は私たちの提督に言ってくれ。私たちが求めているのはもっと簡潔なものだ。何が起こるのか、それだけでいい」

 

「そうですね。全ての魂がこの世界から消え去ります」

 日向さんの申し出に答えるように、極めて簡潔に結論を口にした。

 

「深海棲艦はアダムと、艦娘はイヴと魂の繋がりを持ち、その全てがガイアという大いなる存在に結びついています。人類を含める生命体の全ても魂は死すればガイアの元に戻り、必要に応じて再び肉体を得て生まれ落ちる。そのようなサイクルで我々の魂と言うものは循環しているのです」

 

「し、しかし……分からないな。どのようにしてこの世界の全ての魂を奪うと言うのだ?魔法などという話ではないだろう?そんな話をしている訳じゃないはずだ」

 やや困惑の色が表情に浮かんでいる。予想だにしなかった答えに狼狽えているのか、冷静さを貼り付けたような日向さんが戸惑いを隠しきれないまま問いかけた。

 

「それはまだ分かりません。ですが、まだ時間が残されていると言うのははっきりしています。その前に我々がアダムを止めることができればガイアの意思は」

 

「その、ガイアの意思とやらは私たちを葬り去りたいのですか?」

 私は無理やり話に割り込んだ。少しだけじっと私を見つめると、

 

「……深海棲艦の存在を頷けるものにするためには、そう考えざるを得ません。ですが理由ならばいくらでも考えられるのです」

 

 地球にもし意思があるのならば。途方もない話なのだが、人類を滅ぼそうなどと考えるだろうか。人類以外の全ての生命を滅ぼして、もう一度世界をリセットしようだなどと考えるだろうか。

 

 正直のところ、分からない。でも……少なくとも人類が地球と言う星を滅ぼしかねないと言うのは事実かもしれない。やろうと思えば、この世界の全てを不毛の更地に帰るほどの科学力を手にしてしまったからだ。

 でも、その他の生命まで巻き込む理由が分からない。

 

「で、対策と言うのは?」

 つまらなさそうな顔をした叢雲ちゃんが問い詰める。しかし、彼はうっすらと笑みを浮かべただけで、

 

「先に進みましょう。私から離れないよう」

 そう言って更に足を進めていった。

 広い通路をずっと進んでいくと、金属の巨大なゲートに突き当たった。そこに志童さんは手をかざすとゲートは斜めに割れて開く。静脈認証だろうか。

 

 そこから先の景色は一変した。

 多くのシリンダー状のビーカーがずらりと並んでいる。中には金属のケースで覆われているものも多くあり、ビーカーの中には私たちの艤装のようなものが入っていた。

 

「艤装……?」

 

「えぇ、ここから先はどちらかと言えば倉庫のような場所になります。ここには艤装とその他にも色々と」

 

 それは恐らく艤装なのだろうが・・・・・・何かがおかしい。

 見覚えがない。少なくとも私には艦艇だった頃の記憶が微かに残っている。ついでにまだただの人間だった頃に図鑑で多くの艦の艤装を日本の海外の問わずに頭の中に叩きこんで覚えている。艦娘は無理だとしても、艤装の形状程度なら公開されていた。

 それでも、そこにあるものはほとんどが見覚えがないものなのだ。

 

「これは……『試製シリーズ』ですね?」

 

「その通り」

 私が知らない原因を夕張さんが答えてくれた。同時に私は納得する。

 

 試製シリーズ。

 通常の建造や開発では手に入ることのない、度を超えてしまっている艤装たちの総称であり、その性能はかなり高いものの欠点が多く、使用するには極めて高い練度が必要とされたと言う「常識外れ」たち。それは間違いなく史実の中に存在していたものであるのだが、中には史実の延長に存在してしまういわゆる『if装備』と呼ばれるものも存在し、関わりを持つことができない艦娘たちの力では史実の中から引き出すことのできないとされていたものばかり。

 一説によれば、とある工作艦が艤装を魔改造した結果偶然生まれてしまったものらしい。連装砲を三連装砲にしたら偶然上手くいった感じだ。

 だが、艦娘史でも有名な都市伝説程度の話であって、海軍はその存在を決して肯定しなかった。そのために『恐らく存在している』という確信こそあるもののそれを裏付ける証拠がなく、公式には存在しないものとされてきた。

 

「試製シリーズは理を外れた存在です。いえ、理には適っているのですが、そこに歪みが生じてしまうために、易々と表には出せなかった存在だと私も聞いています。故にその全てがここに集められたと」

 

「……これは、飛行甲板?」

 近くのビーカーを覗き込んでいた雪風ちゃんが偶然それを見つけ出した。

 ビーカーの中には空母の艤装である飛行甲板に似た艤装が固定具に留められて液の中に佇んでいた。じーっと眺めていた雪風ちゃんの側に夕張さんが近寄り、

 

「試製甲板カタパルトですね。これは確か使用された記録があったはず……あぁ、翔鶴型の改二実装の時に計画されていたものですよ。ただ……」

 彼女なりに色々と調べて知っているのだろう。艦娘である身ではそこそこの過去の情報の閲覧が許されている。しかし、夕張さんは途中で言葉を濁す。

 

「改二実装計画を目前にして、日本海軍は《翔鶴》を喪失した」

 夕張さんが説明できなかったその先を、叢雲ちゃんは淡々とした口調で説明する。

 

「用意されていた2つの試製甲板カタパルトのうち、1つはその妹《瑞鶴》に使用され、彼女は終戦まで空母機動部隊の主力として最前線で活躍し続けたわ。これは姉《翔鶴》の分でしょう?」

 ビーカーの表面に指を這わせる。装甲化された飛行甲板の表面をなぞるように。

 

「どれだけ期待された存在でも、死んでしまえば元も子もないのよ」

  

「うむ。だが、翔鶴はおるぞ?これは使えんのか?」

 利根さんの言葉通り、ブイン基地に所属する翔鶴がいる。彼女はその改二実装計画を目前にして失われた《翔鶴》そのものだ。この場にこそいないが、彼女は確かに存在しているのだ。しかし、志童さんは少し目を伏せて

 

「私には判断しかねます。ここにある艤装の研究はできても使用する権限は私にはありません」

 首を横に振りながらそう言った。利根さんが怪訝な顔をする。

 

「では、どこの輩が持っておるのじゃ?その者に聞けばよかろう」

 

「存在しないとしか申せません。今の段階では」

 はあ?と言った表情で利根さんの顔が固まった。ぶっちゃけ私もそんな気分だ。

 

「訳が分からないわね。でも、そうなっているのなら仕方ないわ。古くからの決まりほど面倒なものはないもの」

 

「うーん、これ使えるんだったら便利だろうけどなぁ」

 夕張さんが名残惜しそうに多くのビーカーに目を走らせていた。

 

「1・2・3・4・5・6・・・・・・この魚雷管6つも発射管がある。絶対重いです!」

 雪風ちゃんは雪風ちゃんであちらこちらに駆け回り自分が使えそうな装備を探している。確かに私も使ってみたい気分はあるが、その反面戦闘中に不具合が出そうで怖い。

 

「晴嵐か。これは新しい時代を感じる」

 日向さんは航空戦艦になったせいか、どちらかと言えば艦載機の方に目が行っているようだ。水上機ほどしか今は扱えないが、彼女なりにただの戦艦から逸脱した存在と言う自分に拘りがあるのだろう。晴嵐は元々潜水空母に積むものだが。

 

「利根さんは何か気になるものはあったりしないのですか?」

 近くにいた利根さんに不意に話しかけていた。彼女は特に何か見て回ることもなく、1歩距離を置いて見守ってる。

 

「うーむ、吾輩は改二を得たばかりじゃ。今は今の自分に満足しておる。カタパルトも扱いやすくなった。吾輩の練度もあっての事じゃろうが。お主はないのか?」

 

「訊いておいてなんですが特には……装備は扱いやすいのが第一ですし」

 

「うむ、そうじゃな!あまりごちゃごちゃしておると戦場で手間取ってしまう。命取りじゃ」

 利根さんはそう言うと白い歯を見せて無邪気に笑った。「置いて行かれるぞ」と私の背中を叩いて前へと促す。気付かないうちにみんなと結構離れていた。

 

 小走り気味に皆の後を追う。ふと鋼鉄のケースで覆われた筒状の装置の横を通り過ぎる。モニターとレバーが大量に備え付けられた装置だ。それがなぜか目に留まりながらも私は通り過ぎて、先を行っていた皆に追いついた。

 

「では、皆さん。随分と寄り道をしましたがお求めのものがある場所にようやく着きましたのでご案内します」

 そこは中央に在る巨大な柱の中だった。人ひとりが通れる程度の大きさのゲートがあり、分厚そうな金属のシャッターが下りている。

 

「この先に《天叢雲剣》がございます」

 そう言ってゲートに手を翳し、シャッターが開いた。志童さんが先を進む。狭く暗い通路が続いている。足下と壁の誘導灯のみを頼りにして私たちはゆっくりと前に進んでいく。響く足音が妙に耳に残る。軽く握っただけの拳が汗ばむ。

 

 

 開けたフロアは半球状の天井の広がる薄暗い部屋だった。光源はブラックライトといくつもあるディスプレイのみ。足下の床さえ情報が大量に流れているモニターの一部で半球状の天井には、真っ暗な夜空のような闇が広がっている。

 居る人間はごく少数。恐らく私たちを除いて5名。

 

 私はずっと天井を見上げていた。真っ暗な闇が広がっているが所々に何かが映り込んでいる。どこかのカメラから撮影しているライブ映像の様だった。

 

 ふと視点が移動する。白い塵のような点がいくつも流れ星のように流れていく。

 

「これが……《天叢雲剣》?」

 隣を見ると叢雲ちゃんも天井を見上げていた。彼女の横顔を見て、随分と懐かしいものを見たような気がした。艦娘になるずっと前。まだ互いの境遇もよく知らなかった頃の帰り道。確か冬だった。その夜は町の明かりに負けないほどに星が綺麗だった。

 あの時の星空を見上げていた彼女を思い出した。

 

 叢雲ちゃんの声に釣られて皆が天井を見上げた。

 

 

 そして、天井の中央に青い球体が浮かび上がる。全てではない。何かの影に一部が遮られているが私たちはそれが球体であることを知っている。

 

 

「地球……」

 そこに映る美しい星の名を私は無意識の口にしていた。

 

 

 

 














 随分と引っ張ってきたけど、案外ありきたりなものだったりする。


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天の剣(参)

 ここまでこのタイトルで行きたいと思います。




 

「《天叢雲剣》とは1つの巨大なシステムなのです。この地球を覆い尽くす規模の、途方もなく巨大なシステム。そしてそれは生命の行く先さえ左右する大いなる力……本来ならば人間が立ち入ることは許されていないのでしょう。そのためか私たちの祖先はこれに関わる事を神事とし、関わる者たちを神に従う者として、いつの日からかこのような姿をするようになりました」

 誰に問われることもなく、誰に問う事も無く、彼は私たちの注意を引く事も無く静かに話し始めた。

 まずは自分たちの身形について。誰にも尋ねられなかったのにわざわざ話したのにはきっと理由があるのだろう。その理由に関係なく、私は独り頭の中で考えを巡らせていた。

 

 

 

 ―――地球。太陽系第3惑星。表面に海、大気中に大量の酸素を持つ生物生存可能惑星。

 宇宙から捉えたその姿は黒い海に浮かぶ青い宝玉のように美しいことで知られている命の惑星。

 とは言え、そんな比喩が成されていたのは当の昔の話だ。

 

 今、その青い宝玉は浮かんでいる黒い海に溶けそうなほどに黒く濁っていた。深海棲艦の『浸蝕域』の原因は未だにはっきりとしてはいない。いくつもの仮説が建てられながらそれを検証する術と勇気を持つ者がいなかった。そしてそれはただ、深海棲艦が生息している領域、としての酷く大雑把なものにまとまった。

 

「宇宙にあるんですか?それは……」

 空に目を向けながらどこか上の空気味に雪風ちゃんが口を開いた。無邪気さの残るその目が、果てしない闇に浮かぶ輝きを失いかけた宝玉に吸い込まれそうになっている。

 

「どうでしょうね。広い解釈をしてしまえば、ここ『天の剣』でさえも《天叢雲剣》の一部と言えるのです。残念なことに私たちもこれに携わっていながら未だにこの全容を理解しきっていないのです。ここにあるものだけを理解しているだけです。この映像は間違いなく宇宙より撮影しているものでしょう」

 

 

 宇宙開発競争は今となっては広く盛んに行われているものだ。徐々に枯渇してゆく地球資源に、増え続ける人口とそれを収容しきれない生活圏。溢れかえる地球規模の問題の解決策を地球の外に求め続けたのだ。そしてそれは完成間近であった。大規模な宇宙ステーションと火星のコロニー計画。徐々にではあったが、移住試験が始まったのだ。

 世界は解決策さえなければ、戦争に突入していただろう。悪夢の第三次世界大戦。核という強力な力を手に入れた人類の戦いは自分の首を絞める早期決着となっていたはずだ。

 希望と絶望が複雑に入り乱れる世界に先に悲鳴を上げたのは人類ではなかった。私がここに辿り着くまでの話を全て鵜呑みにするのならば、先に悲鳴を上げたのは地球の方だ。深海棲艦が人類を襲った。そこから先は私たちの歴史となる、

 

 随分と大きく話がずれてしまったが、最も重要なのは人類の問題や第三次世界大戦の危機などではない。

 宇宙を新たなフロンティアとして、技術開発競争が本格化し始めたのは1950年代。当然、地球の写真なんてものはその後に撮影されたものだし、今の宇宙の姿が常識化してきたのも、ここ200年くらいの話であって、天文学こそ古い学問ではあるが、この常識たちはまだ新しいものなのだ。

 

 つまり、彼女たちは―――艦娘たちは―――地球のこの姿を知らない。

 

 今、目に映るその姿こそが例え鉄屑の姿であったとしても自分たちが生まれ、死んでいった母なる星なのだと今この場で初めて目にしたのだ。言葉を失って、時も場所も忘れその姿に目を奪われるのもきっと仕方のないことなのだろう。

 雰囲気を壊すようなことをして申し訳ないが私は散々見飽きている。それに、黒く濁り始めているこの姿を長く見ているのはどこかやるせない。志童さんの相手は私がやった方が彼女たちの為だろう、なぜか叢雲ちゃんも我を忘れたかのように見惚れちゃっているところだし。

 

 

「それは……あなたが話していたガイアの意思に対抗する手段なんですか?」

 何やら複雑なのか単純なのか分からないのだが、どうもガイアの意思をやらは私たちを滅ぼしたいらしい。

 そのためにアダムなるものを生み出して、深海棲艦を生み出した。

 

 始めは対抗するために、イヴという妖精を生み出して艦娘を作り出した。

 だが今、艦娘の力だけではどうしようもならないことが起きるかもしれないと言うことで、先代艦娘様たちが作ったものを探しに来ている訳なのだが、どうもこれがそれらしい。 

 

「そう思ってもらって構いません。私たちは地球を、ガイアを掌中に収めようとしているのです。到底できるとは思ってもいませんが、崩れようとしているバランスに少しくらい手を加える事ならばきっと可能なのでしょう」

 

「あなたの言葉は推測ばかりですね」

 少し責め立てるような言い方になってしまった。志童さんは申し訳なさそうに眉を下げる。

 

「許していただけませんか?私たちがやっていることはいまだ誰も試したことのない未知の領域。理論上だけで事実をすべて語るにはあまりにも窮屈なものなのです。そもそもおかしな話です。地球に意思がある?深海棲艦は地球の意思で現れた?どれもこれもお伽噺のような……そう、現にそれと戦っているあなた方艦娘にとっては」

 目を細めて私を見る。この試すような目はあまり私は好きではない。

 

「そんなつもりはないですよ」

 小さく首を横に振りながら答える。

 

「これでも私は意外とすんなり納得しているんです。ただ、敵のスケールが大きすぎますし、それを本当に敵と呼んでいいのかもわからない。深海棲艦は敵です。お伽噺なんかではなく、私と言う艦娘の中でそれだけははっきりとしています。もう夢じゃないんです。私は五感の全てで認識しています」

 

「吹雪さんは、ガイアやアダムのように人間が滅ぶべき運命にあるとは思っていませんか?」

 

「いつかは滅ぶかもしれませんね。ただ少なくとも私が生きている間それが訪れることは阻止したいんです。私が生きているうちは私が守りたいものは全て守ります。そのために邪魔なんです、深海棲艦が」

 

「そうですか。あなたは少し不思議な方ですね」

 私をじーっと見る。私の目をじっと見る。あまりいい気分ではない。

 試しているのではない。私の中にある考えを見ようとしている訳でもない。

 その時の彼はどこか懐かしそうな……私に誰かの影を重ねているような雰囲気だった。

 

「ここを訪れるのは《叢雲》の血を受け継ぐ者。私たちはその者を待ち続けましたが……吹雪さん。祖先は、本当はあなたのような方も待っていたのかもしれないですね」

 そして小さくそう呟いた。

 

「後継である叢雲の、その側で決して揺らぐことのない強い意志を持ち、彼女を支え続けるような存在が」

 

「……そろそろ話を戻しませんか?私は推測ではなく、もっと具体的にこれについて知りたいんです」

 

「では、単刀直入に言いましょう。《天叢雲剣》はこの世界から深海棲艦を全て消し去ることができる力です」

 なぜか胸の奥が騒めいた。その表情に既に笑みはない。彼が冗談を言っている気は更々ない。私が彼の言葉を真っ向から否定する気も更々ない。事実として受け止めるだけなのに、どうして騒めいた?

 

「察しの良いあなたのような方には分かるでしょう?この力は同時に―――――」

 ああ、分かる。それがどのようにして行われ、どのような形に至るのかくらいなら推測が付く。私の頭はそんなにハッと結び付けられるような回転をする頭でもないが、何かが消えれば必然的に消えるものが生まれてくるのだ。

 

「それは――――」

 胸が騒めくのは、このせいじゃない。この答えはきっとまだ通過点に過ぎない。

 喉で詰まる訳でもなく、私の身体はすんなりと志童さんが求めていた言葉を口にした。

 

「艦娘の存在さえも消し去ってしまう……」

 その通り、とでも言いたげな笑みを浮かべる。かわって私は表情を少しも変えたつもりはなかった。

 

「艦娘史全てを無に帰す、終焉の剣。それが《天叢雲剣》です」

 

 

 

     *

 

 

 

「非常におかしな話なのですよ、これが。お話ししたようにアダムとガイアには互いを結び合うパスが存在します。簡単に言えば、《天叢雲剣》はこのパスを消し去ってしまうものなのです。ですが、パスの存在が見つけられたのはまだ最近の話。『天の剣』での研究により見つけられたものです」

 

「それなのに、それを消し去る存在があったことはおかしいということですか?」

 

「その通りです。まるですべてをあらかじめ知っていたかのような……」

 彼は何かに思いを耽らせるかのように一度言葉を切った。薄っすらと浮かぶ笑みには諦念が窺える。しかし、その服装で顎に軽く手を当てて考え込む姿は様になる。

 

「ええ、先代の駆逐艦《叢雲》だけではないでしょう。彼女を支えた多くの艦娘たちが知っていたのかもしれません。確かなことは彼女たちには現代にいたる未来のヴィジョンが確実に見えていたと言うこと。そうでもなければこんな規模の施設もシステムも作りません。いったい……」

 ふふっ、と笑いを漏らした。到底考えが及ばない。そんな顔がきっとここで長らく研究を続けてきた彼の本当の顔であって、それは彼が最も知りたい真実なのかもしれない。

 

「いったい、何者なのでしょうね?艦娘とは」

 

 私もそう思ったことがあります―――そう答えようとした。

 事実だ。私は未だにこの疑問を追い求めていると言っても過言ではない。

 彼女たちが何者であって、何を思い、何を為したのか。私は彼女たちと同じ海に立ち、彼女たちと同じように戦い、そして彼女たちが守った海の上にいる。それでも全然足りない。

  

 正確には言えなかったのだ。誰かが私の言葉を遮った。

 いつの間にか、ここには私と志童さんしかいないように思えた。

 その意識の外から聞き覚えのある声が差し込んできた。

 

「艦娘はただの化物よ。化物を倒すための化物。人間の皮を被った殺戮者」

 酷く冷めた口調で、でもそこが彼女らしいと言うか。ただその時の言葉は普段よりも一層に冷めた彼女自身の本心が現れていた。

 

「化物の考えていた事なんて考えない方が良いわ。想像できるわけないじゃない。人間が想像できるのは人間が想像できる範囲だけなの。化物の考えを持てるのは化物だけ。人間のあなたに想像できるわけないでしょう?」

 

「化物、ですか。それは―――」

 

「ええ、私自身に向けたものでもあるわ。否定しないわよ別に、本心であって事実なのだから」

 

「……あなたは、今のあなたが先代の《叢雲》が望んだあなたの姿だと思いますか?」

 

「どうして今、私じゃない私の話が出てくるのッ!?」

 叢雲ちゃんが明らかに敵意を向けた。それを受けた志童さんは平然とした表情をしている。冷めた雰囲気も感じる。感情を出した叢雲ちゃんを品定めするかのように目を動かし、彼は諭すように言った。

 

「それが重要だからです。私たち『天の剣』は、あなたには―――いいえ、あなただけにしか伝えられないことがあります。それを本当にあなたに伝えるべきか、それを見極める務めを私は委ねられています。本当に、あなたなのですか?」

 淡々と語る志童さんにはどこか鬼気迫るものを感じた。一句一句に彼自身が乗せる重みが全く違う。遊び心なんてものはない。子を叱る親のようなものでもない。向けられた敵意に答えるかのように、敢えてそれを関係ないところに受け流した上で、語調と表情で威圧してきた。やや悪い言い方をすれば、仮面が剥がれたような感覚だ。

 

「っ……知らないわよ。そんなの」

 小さく舌打ちしたようにも思えた。叢雲ちゃんは顔を逸らした。

 答えきれなかった。堪え切れなかった。そんな悔しそうな感情をうっすらと表情に出していた。

 

 

「あの~、いくつか窺ってもよろしいですか?」

 私たちの中に流れる嫌な空気をちょうどいいタイミングで夕張さんが切ってくれた。

 

「はい、いかがいたしましたか?」

 剥がれかけた仮面を急いで被り直すかのように笑顔を作った。夕張さんは正面のモニターを指差す。

 

「正面のモニターに映っているあれも《天叢雲剣》とかいう代物の一部なんですよね?と言っても、私の目には随分と近代的な兵器に見えるのですが……」

 

「話の順序が前後しますが、《天叢雲剣》には段階と言うものが存在します。あれはその1つであり、手段でもあるものです」

 

「手段?」

 

「ええ、どんな深海棲艦ですら物理的に一撃で葬り去ることができる兵器です」

 

「……はい?」

 妙な沈黙ののちに、凍った笑顔のままの夕張さんが首を横に傾げた。

 

「深海棲艦はその全身が深海装鋼と呼ばれる特殊な金属から成っているのはご存知かと。その特性ゆえにあらゆる近代兵器を無力化し、対抗できるのはFGフレームをもつ艦娘のみ。それが通説です。ですがもっと話を単純にすればよいとのことで作られたものがあれです」

 モニターに触れると映されていたそれが空間投影される。4本の巨大なプレートが十字の中央に空間を開けたような形で組み合わさり、螺旋のように縫い合わせることでそれらを結び合わせている。その外側を円環が歯車のように組み合わされている。砲のようにも見えない気もしないが、やけに無駄の多いせいか歪に映る。

 

「通称《アマノハバキリ》。深海装鋼を月より射出する兵器です」

 

「……はいぃ?」

 

「やや突拍子な話かもしれませんが全て事実ですのでご容赦ください。先代の艦娘たちは如何なる方法で行っていたか不明ですが、完全に無力化してかつ生存している一部の深海棲艦を鹵獲していました。理由はいくつかあります。主なものはやはり研究のためでしょうか?ここに来ていただいたときにその一部をお見せしたかと思います」

 ビーカーの中に浮かぶ深海棲艦。あれは綺麗なままだったが、その1つだったのか。

 

「それともう1つが、深海棲艦そのものをこちら側の武器とすること。あなた方は船としての性質を持っています。それは『領域』と呼ばれる個所接触した場合に見た目よりも大きなエネルギー、すなわち艦艇同士の衝突が発生し、予想だにしない損傷を引き起こします。それは深海棲艦でも同様なのです」

 

「『領域』……私たちのFGフレームがその周辺に発生させる特殊な力場のことですよね?」

 妖精イヴに教わったことだ。深海棲艦が有していた性質であり、深海棲艦に人類が追い詰められていった最大の理由であって、私たちが深海棲艦と戦える理由となるもの。

 

「そのため、深海棲艦の一部を深海棲艦に砲弾同様に射出すれば、一般人でも傷を負わせることができる。そう考えていたのですが……ことはそんなに簡単ではありません。深海装鋼は『生きた金属』です。ある程度の損傷を負うと死んでしまい、その性質を失うのです」

 

「で、でも、深海棲艦の形状は様々ですし、第一沈めることなく鹵獲するなんて……」

 夕張さんは自分の理解が追い付いていないように狼狽えていた。

 叢雲ちゃんはどうだろうか?さっきからそっぽ向いているがもしかしたらちゃんと考えているのかもしれない。他のみんなは難しそうな顔をしていたり欠伸をしたりしているがずっと無言だ。私に関しては分かるところだけを何とか理解するので精いっぱいだ。

 

「はい。主に駆逐艦級になります。タングステンを加工した巨大な柱に深海棲艦を格納し、それを宇宙まで運び、砲弾として利用したのです。電磁波と自由落下によるエネルギーで十分です。高速で落下した深海装鋼の塊は互いの『領域』が干渉し、艦娘の攻撃同様に破壊することが可能です」

 

「1つ、どうしてそれほどのものを隠してきていた?私たちなど必要なかったのではないか?」

 小さく手を挙げて日向さんがそう尋ねた。確かにその通りだ。

 私たちは私たちだけが深海棲艦に対抗できると信じていたのだ。それこそが艦娘の存在意義だったのだ。

 私たちの力もなく、深海棲艦を葬ることができるものがあるのならば、どうして使わなかったのか。

 

 それは《天叢雲剣》に関しても言える。

 深海棲艦を全て無に帰すことができるのであれば、どうしてもっと早く使えなかったのか。

 

「欠点は多いですね。月に隠していますのでどうしても時間が限られます。加えて国際世論です。深海棲艦の塊が降ってくるなど我慢出来ませんし、地形を変えるエネルギーを持っています。簡単には使えません。そもそも深海棲艦をこの世界に残してしまっている。その事実が、人類に対する裏切りに他なりません」

 

「ですのでこの《アマノハバキリ》は国際的に緊急を要する事態が発生した場合にのみ、あなたの判断で使用することができるんですよ。叢雲さん」

 

「は?私?」

 突然自分に話が回ってきてしまい、彼女は間抜けた声を出してしまった。

 

「ええ、あなたです。日向さん、あなたの問いのもう1つの理由はここにあります。この兵器は《叢雲》の意思を継ぐ者にしか起動できないのです」

 

「なるほど、そういうことだったのか……深海棲艦の存在しない、艦娘の必要ない世界に、人類がこの兵器を私利私欲のために悪用しないための対抗策と言う訳か」

 

「はぁ……面倒なものを押し付けてくれたわね。で、それを私はどうすればいいの?使えるならバンバン使えばいいじゃない。世論とか知らないわよ。ほら、ちょうど今北方で作戦展開中じゃない。一発くらい試し撃ちでもできないの?」

 

「いやいやいや、叢雲ちゃんちょっと待って。これ艦娘にも当たるとダメージ来るからね。人間だったら普通に死んじゃうからね」

 

「そこにいた奴が悪いわ」

 

「あなたの判断で使用できるといってもちゃんとした順序を辿っていただかねばなりません。大本営による要請、国連での決議、それを経て最終判断をあなたに委ねられるのです」

 

「はぁ……」

 気怠そうにしているのは演技でも何でもなく彼女の本心なのだろう。

 

「なんか大事ですね……でも」

 私は自分の記憶を探る。いつか現れるであろう艦娘を超える存在―――深海棲艦の可能性。

 

 私がここに探しに来たのは……もしかしたら《アマノハバキリ》なのかもしれない。でも、『彼女たち』はこれではなく《天叢雲剣》を探せと言った。まだ私の中でその整理ができていない。

 

「《アマノハバキリ》はあくまで手段の1つです。あなた方が必要としているのは《天叢雲剣》でしょう。本当にこの世界が終わってしまう前に、あなた方はそれを完全に起動できる準備をなさねばならないでしょう」

 

「準備、ですか……?」

 

「はい。今のままではまだ――――」

 そう言って志童さんは叢雲ちゃんに目を向けたような気がした。一方の彼女は飽きたとでも言いたさそうな表情だ。

 

「このくらいにしておきましょうか。突然の事で理解するには難しいでしょう。まだ『天の剣』には居られるのでしょう?その間、何でもお聞きください。答えることができるものならば、お答えいたしますので」

 

 それで私たちは午前の時間を使い切ったその場を後にした。

 所々で「作業の支障にならない範囲」で見学が許されて6人は散り散りになっていった。

 

 

「御二方はどうされますか?」

 どこに向かうつもりもない。いつもの私ならば隅々まで散策するのだろうが、その気が今は湧かずに叢雲ちゃんと二人で取り残されてしまった。

 

「私は部屋に戻るわ……私個人、ここに来る目的なんてなかったわけだし」

 そっけなくそう答えて独り部屋の方へと歩みを進めていく。

 あっという間に私独り取り残されるような形となってしまった。

 私の方の答えを待っているのか、こちらを見ている志童さんに何か答えようとしてしどろもどろになる。

 

「えーっと、私はどうしようかなぁ……?」

 何もすることがない。ぶっちゃけるとそんな感じだ。私がここに来た目的は果たされてしまったし、これからどうすべきかは明さんか叢雲ちゃんの決めることだ。

 

「では、少しだけ。私とお話しませんか?貴女と言う存在に些か興味がありまして」

 

「は、はい?」

 

「予期しえなかった存在。貴女はどう考えてもイレギュラーです。叢雲以外に人間より生まれた艦娘はあってはならない。それがなぜだか分かりますか?」

 

「推測ですが……叢雲という過去の存在を揺るぎないものにするために、ですか?」

 

「それが答えのようなものなのでしょうね。でも、貴女は現れた。それにはきっと何かの意味があると私は思っています……今朝お集まりいただいた食堂の方にでも行きましょうか。お茶でも淹れさせましょう」

 

 志童金安という男。叢雲ちゃんには心当たりがあるらしかった。でも私は知らない。

 信用している訳じゃない。10の言葉の中に1の嘘を隠しているような気がするのだ。ただ、私に彼との語らいを拒否する理由はなかった。私たちは知らなければならない義務があって、多少の疑惑や懸念を持っていたとしても自らそこに飛び込んでいく責務があるのだ。

 

「分かりました。お付き合いします」

 志童さんは胸を撫で下ろしたような表情をした。感情が読みにくいこの男にしては随分と分かりやすい反応だった。

 

「よかった。胡散臭いと思って断られるかと思いました」

 正直のところ胡散臭い。でも、断らない理由はさっきも言った。

 

「少しだけ、昔話をしましょう。きっと吹雪さんも興味が湧くような話を」

 そう言って2人で廊下を進んでいく。

 

 

 まだ――――私たちは知らなかったのだ。本当の悲劇と言うものを。

 

 

 

 

 

 

 

 




 多忙&多忙で更新どころじゃありませんでした。大変申し訳ありません。

 なんか突拍子もない話になってしまいましたが予定通りです。
 9割がた私のロマンで動いている部分がありますので、あまり深く追及されると「ぐぬぬ」となってしまうのでご容赦ください。

 さて、滅茶苦茶長い間放置してしまいましたが、そろそろこの章の核心を突いていこうと思います。


 誤字&脱字等ありましたら遠慮なくお知らせください。


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『』という名の少女

『―――私には理解できない』

 彼女はそう口火を切った。幾多の砲火を交えて今一度対峙した者に。

 だが、その言葉には一切の感情の熱を感じない。彼女が放つ砲弾にも言葉にも何もかもに。

 

 振り払い難い『無』だけを感じる。吸い込まれてしまいそうな。

 

『深海棲艦は感情を否定する存在なのよ。あなたも、誰かも、見たはずよ。あの醜い感情を』

 

 始めは何を言っているのか理解できなかった。

 深海棲艦ですら俗に『負の感情』と呼ばれるものを有してるとされているのに、それを否定する存在であるとは矛盾が生じるのではないのかと。

 だが、意外と簡単に理解に至ることができた。過去の人間が遺した『負の感情』の現身たる存在に恐怖を抱き更なる負の感情を募らせていく。脈々と続き途切れることのない負の連鎖。

 

『そして悟ったはず。感情など存在してはいけないものなのだと。数多の事象の根源にあるのはいつだってそう。全てを受け入れきれない人間の惰弱さが感情と言う1つの形を成して現れた。それが他の感情と混じり合った時に更に重なるように生まれる感情が、肥大化して抑え切れなくなった時に流れ出した狂気に世界は歪み始めた』

 薄気味悪い笑みが歪む。能面に刻まれたような笑みだった。

 彼女は無なのだろう。だからこそ能面を貼り付けるような無機質な表情が切り替わる。 

 

『ああ、そうよ。人間さえ存在しなければ深海棲艦(あんなもの)は生まれやしなかった。人間はあの醜さを自己投影する。自覚する。自身の存在の意義に。人類の未来に。決して朽ち果てることのない鎖に縛られた未来しかないことに』

 ああ、なんて醜い無駄な存在か。彼女はそう吐き捨てて天を仰ぐ。

 水に黒い絵の具を落としたような滲んだ空。小さな波がかえって不安を煽る。耳の奥で金切声のような音が響く。

 

『人類は感情を絶対に捨てることができない。だからこそ自らの滅びの運命を受け入れなければいけないの。なのに……』

 空を仰ぐ横目で私を見る。路傍に捨てられた石のように。雑草のように。

 人間にとって石は石で、草は草。虫は虫でしかない。よほど変わった感性でもない限り、それら個々に違った顔と名前があるようには思えない。彼女が向けた視線は、まさにそれだった。私はもはや個とすら見て貰えていない。

 

『あなたたちは面白いくらいに、頑なにその宿命から逃れようとする。私には理解できないわ』

 嘲笑。

 諦念に塗れた彼女の放つ存在感。海を這って伸びる正とも負とも言えない虚の感情。

 存亡の危機と言う瀬戸際に立たされた者の背を、呼吸をするように蹴りつけるかの如く。

 

『私には、人類なんて愛すべき存在でもないわ。ただの醜い存在。ガイアの意思に私は賛同する』

 人類賛歌などではない。

 彼女が謳うのは生命の賛歌―――そこに人類は含まれていないが。

 

 感情を憎み、人を憎み、そして彼女は艶やかとも思える笑みを幼いその表情に浮かべた。初めて見せた彼女の生きた表情。かつては慈愛だったものが身体の隙間を縫うような形を変えて心に深々と突き刺さる。

 

『私を否定するのならば、今ここで私を打ち砕いて見せなさい。それができないのならば、あなたに人類を率いる資格も護る資格もない』

 

 私の中に眠る彼女の感情は珍しく混濁していた。

 決して交わることのない愛と憎悪の境界がなくなり、複雑に絡み合っている。それが彼女の精細さを欠けさせている。彼女の冷静を奪い、熱い闘争心の裏側で、否定し続けた自身の闇が心に触れて足を竦ませる。

 

『愚かな情に流されて滅びの道を辿りなさい』

 

 

 あぁ、嫌な夢だ。あんな話を聞いたせいだろう。これが私の記憶なのか、ただの幻想なのか。

 まあ今の私にはどちらだろうが関係はない。今ある私は私であって、それ以外の何者でもない。

 駆逐艦《叢雲》であって、御雲楽である1人のどうしようもない馬鹿で無力な少女。

 淡白すぎるのかもしれないのだが私と言う存在はそれだけで形容されていれば十分だ。

 

 身体を起こして部屋を見渡した。誰もいない。疲れて1人で部屋に戻ったのだが、どれだけの間意識を失っていたのか全く分からない。今が何時何分何秒なのかも分からないし、窓が全くないこの建物じゃ外の景色さえも窺えやしない。静かな部屋の中でベッドのシーツを私の身体が擦れる音だけがする。

 

 ふぅ……と短く息を吐くとこちらに向かってくる誰かの足音が聞こえた。慌てた様子の走る足音。

 少し通り過ぎたと思ったら、こちらに戻ってきてノックもなしに勢いよく扉を開けた。

 

「―――叢雲ちゃん!起きた!?」

 

「見ての通り、起きてるわよ。どうしたの、吹雪?敵でも攻めてきたの?」

 

「いや、何か大変なことが起きたって訳じゃないんだけど、明さんが到着した」

 

「それは大変なことよ……すぐに向かうわ」

 少し乱れてしまった髪を手櫛で整えた。ソナーの反響音に似た音がずっと頭の中で響いている。私の中にある何かを探っているかのように。

 

 

 

         *

 

 

 

「艦娘とは、長年研究を続けてきた私にも未だに理解しがたい存在です」

 少し古いデザインだが洒落たティーカップを手に取りながら志童はそう言った。

 

「さっきも言っていましたね。いったい彼女は何者なのかと。叢雲ちゃんの答えは答えになりましたか?」

 

「多少は。深海棲艦の研究をしていれば嫌でも分かります。艦娘はこの化物たちを元に生み出されたのだと。それ故に当然の疑問が生じるのです。どのようにして深海棲艦とは異なった魂のパスを見つけ出したのかと」

 

「それは……平賀博士の研究の成果ですよね」

 

「彼女を理解するにはまだまだ時間が足りません。もし人間が平賀博士の境地に辿り着くことができたのならば、今の科学技術は300年の進歩を遂げることになるでしょう」

 

「……私はあまり好きではないんです。その平賀博士が」

 

「おや、意外ですね。非常に優れた頭脳を持たれた方ですよ。今の人類は彼女のお陰で存在していると言っても過言ではありません。吹雪さんはそのような方を良く思われているかと思っていましたが」

 

「私が艦娘になりたかった理由の1つは、艦娘についてもっと知りたかったからです。彼女たちをもっと知れば、もっと世界を変えられると思ったからです。でも、彼女たちを知ろうとすればするほど、平賀博士と言う存在が邪魔をする……私には1つ分からないことがあるんです。どうして海軍は彼女の事をここまで徹底的に隠ぺいするんですか?もっと早く『天の剣』の存在を知っていれば、深海棲艦だって」

 

「そうですか……外の世界はそれほどまでに彼女の存在を消し去ろうとしていたのですね」

 

 それはあまりにも露骨で歪すぎるものだった。どうしてそれほどまでに彼女が隠され続けるのか。

 艦娘という存在の機密性が高いのは充分に理解できる。その生みの親である平賀博士の扱いが同様なのは尤もなことだ。しかし、海軍は艦娘の存在は認めている。だが、平賀博士の存在はまるで認めていないかのように否定する。海軍にとっての不都合、あまりにも簡単すぎる答えだがそれしか考えられない。

 だが、いったい何が不都合なのか。全てがただ1人の存在に結びついてしまう今、その手がかりが狂おしいほどに欲しかった。だから、私の目はそれを求めるかのように志童を見ていた。彼が私をここに連れてきた理由の1つがそれであると勝手に推測していた。願わくば、そうであってほしい。

 

「叢雲が―――今のではありません。先代の《叢雲》が生まれた経緯をどれほどご存知ですか?」

 そして、彼は長く閉ざした口を開いた。

 

「イヴからある程度は聞いています。人間より艦娘を生み出す大規模な人体実験ですよね、叢雲は幾多の犠牲の先に辿り着いた唯一の成功体にして、最強の艦娘。そして失敗作だったと」

 

「私の推測に過ぎませんが、世間では艦娘の事については広く知れ渡っているのでしょう。ですが、きっと《叢雲》のことを知っているのは軍関係者や政府だけなんてことはありませんか?」

 

「……そうかもしれません。私が《叢雲》について知ったのは確か艦娘になった後の事だった気がします」

 

「その理由は簡単です。そのような存在があれば誰かがそれを追求する。その根源を、その背景を。艦娘について世界は伝説としてだけの逸話を残し、その他の情報を全て消したと聞いています。それは《叢雲》という存在に辿り着くのを恐れたためです。そして彼女が生まれた背景を永遠に閉ざすためです」

 

 

「人体実験ならば私は仕方がないと思っています。そうしなければ人類は今存在していません。肯定こそはできませんが、否定できるような立場でもありませんから」

 

「違いますよ。そんなもの海軍にとっては些細なことです。彼らにとって最も致命的なことは、自らの地位を守るための存在であったはずの艦娘が、かつて人類に仇を為したと言う事実です」

 

「―――えっ?」

 艦娘が……敵になった?

 

「知らなくて当然です。このことを知っているのは《叢雲》の直系、今の《御雲》家の人間だけでしょう。しかし、その存在は『天の剣』に居る者たちの中では常識です。禁忌(タブー)とはなっていますが」

 

「艦娘が……?人間を……?」

 

「この話は広めるべきではないのでしょう。だからこそ、吹雪さんにも今後一切口を閉ざしていただくことをお願いしたいのです。それを念頭において今、私はあなたに話したいと思います」

 

 それがあなたが求めているものに近づく大きな鍵になる。

 彼はそう言って表情に残っていた僅かな笑みを完全に消した。

 

 

「元は、1つの小さな孤児院が始まりでした。深海棲艦の出現により身元を失くした子どもたちが多くそこに身を置いており、いつか戦況が落ち着き引き取り手が見つかるまで、自分たちの力で生きていくための手段を与える場として。互いに助け合い兄弟家族のように生活していたと聞いています」

 

 

「しかし、彼女たちは別々の道へと歩んでいくことになります。1つは実験体となるも失敗の末に死ぬ道。1つは実験体となり失敗するものの生き残ってしまった道。そして、実験に成功し人類を救う先導者として戦いの世界へと歩む道。もうあなたは察しが良いのでお判りでしょう?1つは《叢雲》が歩んだ道です」

 

 

「そして、最初の1つは多くの子どもたちが犠牲となった道。問題なのは2番目なのです。彼女たちは失敗したものの生き残ってしまった。家族と、兄弟とそう呼んでいた者たちを全て奪われ、家族と過ごした記憶さえも、今まであった身体の自由さえも奪われ、人とは呼べない化物と成り果てて、それでも生き残ってしまった」

 

 

「すぐ後に《叢雲》が生まれるまで、彼女たちは無理矢理戦場に立たされ、怒りのままに奮戦するもすぐに不要となります。軍部は当然このような失敗結果を世に残す訳もなく消し去ろうとしましたが……既に遅かった」

 

 

「恨まないはずがない。仇を返そうと画策しないはずがない。彼女たちは奇しくも人を超えた力を手にしていた。不完全ではありながらも、後に生まれる英雄たちに等しいかそれ以上の力を手にしていた。彼女たちは深海棲艦との戦闘という実験データの採取任務中に失踪しました。それが彼女たちの最期の作戦だったことは知らされていなかったはずなのですが、それを知っていたかのように」

 

 

「吹雪さん、艦娘史において最大の敵は深海棲艦なんかではなかったのです。人類の、艦娘の最大の敵は《艦娘》自身なのです」

 

 

「だからこそ、これは悲劇なのです。どちらかが殺すしかなかった」

 

「どうしようもなく愚かな感情を理解できる、自分自身の心を―――償いとして」

 

 

 

 

 





 うがー、忙しい。すみません、色々と。


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誰そ彼

「御雲、入るぞ」

 夜も更け静まった臨時基地。その一室はまだに光を落とさずに机に向かう男が1人。

 ペンが走る音だけが響く部屋にノックの音。眼帯をした怪しげな男が1人訪れる。

 

「どうした、こんな時に? 忙しいから手合わせには応じないぞ」

 そう言って横須賀鎮守府司令官・御雲(みくも)は、眼帯をした男佐世保鎮守府司令官・天霧(そらきり)の腰に目を向ける。いつものように帯刀していない。どうも見当違いだったかと次は顔を見た。

 

「流石にそこまで俺も馬鹿じゃねえよ」

 

「まあ、そこに座れ。天霧に出してやるのは少しばかり惜しいが、コーヒーくらい淹れてやる」

 御雲は席を離れると近くの棚から小さな袋を取り出して、給湯室の方に向かった。

 

「そりゃどうも……」

 自然に招き入れられたことが些か肌に合わず、部屋の片隅に置かれた小さなテーブルの前に座る。椅子は4つ用意されていたのだが、恐らくこの椅子は使われることはないだろう。

 

 少しして御雲が天霧の前にカップホルダーに紙コップを填めたカップでコーヒーを持ってきた。

 

「珍しい。アンタが紙コップだなんてな」

 そう言いながらも天霧は貰ったコーヒーを啜る。体面に座った御雲は自分の分をテーブルに置いた。

 

「予め用意したものだと毒を盛られる可能性がある。これは護衛が最寄りの町で買って来たものだ。ついでにお前に毒味をさせたのだが、大丈夫みたいだな」

 

「相変わらず俺への扱いが酷いねえ……話したいことは3つだ。なぜか今じゃなければいけない気がしてならねえから無理を通してこうして来た」

 

「なんだそれは?」

 大人になりきれない青年、そう言った印象しか持っていなかった男だったがこの時は雰囲気が違った。いつもは敵視しているはずの自分に何かの覚悟を決めたかのような表情で向かい合っている。敵意もない、寧ろ敬意すら窺える。

 

「胸騒ぎだ。重要な作戦中にこんなことを言うのは縁起が悪いのは分かっている。それでも感じちまったもんは仕方ねえ。思い立ったが吉日なんて言葉もあるもんだ」

 

「……珍しく深刻な顔をしていると思えば、それなりにまともな話のようだな。30分、それ以上はお前に割いている時間はないぞ」

 敵の1つの拠点を潰す重要な作戦中であった。海軍だけで動いている訳ではない。かつては有り得なかった陸空の協力を得て北方の地でこれほどの規模の作戦を展開している。

 1分でさえ惜しい。1分でさえ無駄にできない。それがこの作戦の総司令官たる存在の責任であった。

 

 だが、この時ばかりは譲歩すべきだと思った。

 寧ろ好都合だったのかもしれない。気の余裕を失って根を詰め過ぎていたような気がしていた。

 自分のコーヒーを啜る。そう言えば水分補給さえ怠っていた。いつもなら秘書艦が何かしら出してくれるものが今日はないせいだろうか。久し振りの水分に冷えてしまった身体が蘇る。

 

「充分だ。1つは先日の作戦の件だ。うちの駆逐艦のせいでアンタのところの戦艦が中破した。軽い損傷でもない。修理にもそれなりの資源を消費した。その謝罪だ」

 横須賀鎮守府在籍の戦艦《山城》の中破、戦艦にこれほどの損害を受けたことがとても小さな事とは思えなかった。それが部下である駆逐艦の失態が原因ともなれば、時代が時代ならば死を持って償っても仕方のないことだ。

 

「目的の艦隊は破壊した。恣意的な失敗で作戦に影響を与えたならまだしも、ここは北方海域。十分な練度を積んだ艦でも、不幸の重ね合わせで損傷することくらいある。俺もそんな簡単な作戦だとは思っていない。あまり気に病むな」

 痛手ではあった。だが、その程度のことを考慮できずにこの地に赴いた訳ではなかった。

 時には中破もしよう。大破もしよう。艦娘でさえ所詮は運に支配されてしまう存在なのだから。艦娘の提督たる自分たちが為すべきことはそれが最悪の結果に結びつかないように、選択することだけ。常に最適の選択をできるようにあらゆることを想定してこの地に赴いた。

 

 気にしていない、と思わせるような御雲の声の軽さに、天霧も長引かせる必要はないと察したのだろう。小さく息を吐いた後この話題を早々に切ろうと決めた。

 

「そうですかい。じゃあ、この話はこれまでだ。2つ目、例の件だ。表に蜻蛉(あきつ)の野郎を見かけた。お前の護衛だろう」

 

「お前には必要ないだろうと大本営は判断して、護衛はなしにしたそうだな」

 

「居ても邪魔なだけだからな。俺から断ってやった……海軍将校が5人、陸軍将校が3人、JADF関連で3人。いずれも艦娘関連の部署の奴らばかりだ。単刀直入に訊くぞ。敵は何だ?」

 事は経験のまだ浅い若い提督たちに背負わされるにはあまりにも深刻であった。

 作為的に行われていることは明らかであった。だがまるで意図が読めない。ただ、とてつもない脅威であることばかり分かるだけなのだ。厳重な警備を掻い潜り、次々と軍人を殺していく得体の知れない存在。

 

「敵か……」

 御雲の沈黙は長かった。1分ほどだったのかもしれないが2人しかいないこの部屋に流れる時間にしては長すぎるものであった。口がやけに乾いた。天霧がカップに手を伸ばした時、御雲が口を開いた。

 

「天霧、この話はなかったことにしないか?」

 カップに手を掛けたまま止まった。沈黙を割いた御雲の言葉は、天霧の予想をはるかに超えるものだった。期待以上ではない。逆だ。天霧の知る御雲という男が口にするとは思えない逃避であった。

 

「……っ、チッ。じゃあ、勝手に話させてもらうぞ。俺が佐世保に着任してから呉と合わせて20件以上の密航船を処理してきた。中にはただの密輸や密入国なんてのもいたが、多くは石油、火薬、ボーキサイトなんてものだ。この意味が分からねえ俺じゃねえ。その出所はあの得体の知れねえブインの奴のお陰で見当がついた。あとは外交上の問題だったが今回の事件だ。現体制に大きな影響を及ぼしかねない、艦娘によって成り立っていた100年の平和が崩れ去るかもしれねえ」

 

 底知れぬ不安。同時に溢れ出す焦り。ここに留まっていては食われるという不安を拭いきれないのに、今にも掴まれそうな足を動かせずにいる焦りだ。野生の勘に近いものなのかもしれない。天霧は生まれつきそのようなものが自分の中にあるような気がしていた。だからこそ、眉ひとつ動かさない御雲と対照的に自分はこんなにも凸凹の感情を支配できずにいるのかもしれない。

 

「3つ目の話だ。艦娘の技術は本当に俺たち海軍だけのものなのか?」

 見当違いな質問だったような気がした。ただそれ以上に最悪の事態を想定できなかった。

 

「お前は何の為に法律なんてものがあると思う?」

 質問に質問で返されたことが天霧を苛つかせる。だが、時間を割いてもらっている立場、過去のように我儘に大きく声を挙げることはできなかった。相変わらず眉ひとつ動かさずカップに口を付けている。

 

「は?何の話だ……んなもん社会秩序の為だろう。法がなければ人間の判断の尺度なんてもの良心の呵責に全部委ねられちまう。それじゃ悪意に囚われたサイコ野郎どもをしばく事ができねえし、口が上手い奴に乗せられて国家そのものが潰されることもある」

 

「間違っちゃいないな。法律ってのは規範だ。『この通りにしなさい。そうすればみんな何も困りません』というものだ。それは総意でもある。妥協と譲歩の折り合いをつけたものでもあって、人に求める誠実さの基準を与えるものでもある。俺はそう思っている」

 

「違うのか?俺よりアンタは賢いだろう、それでいいんじゃねえのか?」

 

「ただ、その度に思うんだよ。その基準に収まらないものはいくつも存在しているだろうと。だからこそ『過ち』なんてものが生まれてしまう。裁きが必要となる。人の感情に斟酌をかける。完璧な法なんて存在しない。人間を何かの型に収めることなんて不可能なんだと。特に人間の感情と言うものは計り知れない。どこまでも抑え込むこともできれば、どこまでも広げることもできる。なあ、天霧よ」

 

 

 

「それは世界に対しても同じことなんじゃないのか。そう思ったことはないか?」

 

「そんなこと考えたことねえよ。ただ……人間の感情が成り果てたものならいくらでも見てきた。アレがそうだと言いたいのなら、その通りだろうよ」

 

「あぁ、溢れ出してしまった者は……零れ落ちてしまった者は、世の理から外れて形を成してしまった」

 空いたカップを置いて席を立った御雲は近くの窓から外を覗いた。ブラインドを指で下げて外を見る男など刑事ドラマなどでしか見たことがないものだが、白い軍服で夜闇を覗く姿は随分と様になっていて癪だった。

 窓の外は海が見えているはずだ。海と空との境界さえあやふやな闇しか、この時間には広がっていないが。

 

「2つ目の質問に答えよう。これが敵だ。何度も分かっていたはずだ。いつの時代だって人間の敵は人間そのものなんだ。分かるか?誰のものであったのか分からない。それは紛れもない『感情』だ。両の手でも数え切れないほどの、人という器で支えきれないほどの」

 

「それじゃ今までと変わらねえだろ。俺が訊きたいのはそんなもんじゃねえよ」

 

「そして、感情は伝播する。受け継がれる。更には刻み付けられる」

 

「……それで?」

 

「流石にそこから先は俺も見当がつかん。ただ、敵は意外に近くにいる。もし心当たりがあるのならば、それが敵かもしれないな」

 

「仲間は疑いたくねえか?友人も血族も……違うな。疑えないんだな」

 

「あぁ、俺は意外と汚い人間だからな」

 

「それは知ってる。仕方ねえな、それでいい」

 

「3つ目への解答だ。それは分からない。元々艦娘の技術が人間のものではなかったのと同じように。混戦の最中、日本で見つけ出されたこの糸口を諸外国に提供していたことは周知のことだ。どこからか漏れ出したかもしれない。ブインのようにいつか訪れる有事に備えていた場所を偶然見つけて、それを偶然クレイン殿のような資格ある者が目覚めさせてしまうかもしれない。もしくは……」

 

「もしくは……なんで黙る?」

 

「自然発生したか、だな」

 変な笑みを浮かべてそう答えた。似合わない笑みに天霧は思わず顔が引きつった。

 

「艦娘が、か?『転生(ドロップ)』のことを言ってるなら勘違い過ぎるぜ。あれは艦娘の手で葬られることが前提のはずだ」

 

「あぁ、流石に俺も焼きが回ったか。忘れてくれ」

 そのまま御雲は執務机に戻った。世間話の時間は終わりだ、帰れとの意味だろうと天霧は察して席を立つ。

 

「いつか酒の肴にしてやる。邪魔したな」

 空いたカップをそのままにして、天霧は背を向けたまま礼の代わりに右手を挙げた。

 

「コーヒーは美味かったか?」

 扉に手を伸ばした天霧に御雲が言った。

 

「いや、うちの軽巡が淹れた奴の方が美味い」

 

「俺もそう思った。よくよく考えればコーヒーなんて淹れたことなかった」

 

「秘書艦サマが恋しいか? お前のところの優秀な駆逐艦が」

 

「どうなんだろうな。俺にはよく分からん。ただ、あちらが任務に力を注いでいる以上、俺もそう簡単に弱音を上げてなんかいられない」

 

「だろうな。お前がケツを蹴られる姿が容易に想像できる。じゃあな」

 部屋の外に出た天霧の歩みは少し早かった。少しでも早く御雲の部屋から離れたいと思わせるかのように。

 

 ある1つの頼りからだ。こんな時代に墨で書かれた手紙、そんなものが送られてきてからだ。

 本来こんな場所にいる訳のない自分がここにいるのが仕組まれたかのような気がしているのは。

 

 御雲や鏡は表側の人間だ。その祖先の艦娘が表舞台で人間社会の復興に尽力し、今に至る。

 一方で天霧は本来は裏の人間だ。同じ裏の人間でも証篠だけが少し違う。証篠は表と裏の両方の顔を持つ一族であるが、天霧は根っからの裏の人間―――人斬りなのだから。

 

 それがどうだ?佐世保の拠点の責任者、世界を救う艦娘という存在の司令官のような存在になった。

 一体いつからだ? 親にこの眼を疎まれ破門されたときか? 不良共をまとめて小さな反社会勢力の頭をやっていた頃、御雲に出会ったときか? どこから仕組まれていた?

 

 まあ、今は仕組まれていたのかなんてどうでもいい。どちらにせよ自分は都合のいいような場所に居てしまったために利用されてしまっているのだから。不思議とそれが悪い気持ちでないのは、利害の一致の為か。

 

「最後の最後で誤魔化しやがったな」

 足を止めて、遠く離れた御雲の部屋に左目を細めた。

 ポケットから小さな端末を取り出すと素早く番号を入力し、発信した。こんな辺境でも電波が届くのは技術の賜物だろう。北の果てから西の果てへの電波が飛ぶ。

 

「俺だ、クソジジイ。御雲はシロだ。いや、グレーだな。黒にならないように必死に白を混ぜてやがる。コーヒーにミルクをぶち込んで苦さを紛らわしてるみたいにな。あぁ、全くだ。ガキみたいなことしやがった。あ?さっき不味いコーヒー飲まされたからだよ。うるせえ、殺すぞ……へえ、俺にはどうしようもねえぞ? それほどの地位の奴に顔合わせてもらえる資格すらねえからな……じゃあな」

 手早く会話を終えると海の方に向かって端末を投げ捨てた。遠くで水が跳ねた音がした。

 

「大人らしく振る舞ってる大人が、一番ガキっぽいのは変わらねえな……」

 波の音と、風の音。冷たい刃のような風が頬を掠めて裂くような冷気を伝える。

 明日はいよいよ敵の集積地を叩く。陽動部隊の展開もあり、作戦海域は一気に広がる。北の海に鋼鉄の嵐が訪れる。それを予期させるかのように海が荒れてくれればよかったものを……。

 

 海は静かだった。

 胸の中のざわめきが音になって聞こえるほどに。

 

 

 

    *

 

 

 

 彼女たちは様々な理由で集められた。が、そのほとんどは親を失った子どもたちだ。親の親族も皆死んだ身寄りのない子どもたちを秘密裏に軍が集めて、1つの孤児院で生活させていた。

 丘の上にある、鉄柵と高い石壁で囲まれたその場所を多くの人は知らなかった。海軍の研究基地のような扱いを受けていたのではないかと言われている。一般市民が近寄ることなんてできなかった。更には軍に所属する者たちの中でも限られた者たちしかその存在を知らなかった。

 

 間違いではない。それは研究基地だったのだから。

 いや、研究基地というよりは、モルモットを収めた籠のようなものだったのかもしれない。

 上は成人近い者もいたらしい。下は言葉を覚えたばかりの子。男女問わず、人数は100以上いたとも。

 何もかも曖昧でしかないのは、そこが驚くほどに記録として残されていないからだ。残った記録でさえ海軍の強い圧力により全て隠されてしまっている。

 

 そこに1人の少女がいた。名前は残っていないから私は彼女を「少女A」と呼ぶことしかできない。

 少女Aはとても快活な性格の子で、歳の割りに見た目は随分と幼く、それでもお姉ちゃん気質で皆の世話を見ていたその施設のリーダーのような少女だったらしい。どんな子どもたちにも優しく接していて、何より彼女は新しく来た子どもたちに「名前」を与えていった。

 

 それが少女Aの愛の形であり、少女Aとその他の子どもたちを結ぶ血よりも濃い絆だったのだろう。

 時には母のように、時には姉のように。子どもしかいないその孤児院は少女Aのお陰で塀の外の世界とは違って、とても明るい光に満ちた綺麗な世界だったのだろう。

 

 施設では時々大人が来て、食料を置いていくらしい。その他はAIによって管理されていたとか。

 決められた時間に起き、決められた時間に食事をし、決められたことを学び、決められた分だけ遊び、決められた時間に入浴して、決められた時間に寝た。『決められた』という言葉さえ気にしなければ、そこは本当に楽園だったのだ。

 

 海から遠く、深海棲艦の脅威も余程の事がない限り及ぶことはなく、ただ少女Aと彼女の「家族」は喜びのある日々を過ごしていたのだ。

 

 

 彼女たちが集められた理由が果たされたのは、突然だった。

 大量の大人たちが施設を訪れた。そして、10人ずつ車に乗せて連れて行った。

 その日からずっと10人ずつ。まるで家畜を出荷するかのように連れて行った。

 連れていかれた子どもたちが戻ってくることは、一度たりともなかった。

 

 ある日、少女Aと歳の近かった少女Bが連れていかれた。少女Bは小柄ではあったが少女Aよりもずっと落ち着きがあって、運動が得意だった。少女Bが連れていかれてから、少女Aの顔には徐々に影が差すようになってしまった。

 

 

 少女Aも当然連れていかれる日が訪れた。彼女が連れていかれたのは残された20人の中からだった。

 施設に残された残り10人の子どもたちも、今まで連れていかれた幾人もの子どもたちも、皆が皆心配だった。一体連れていかれた先に何があって、皆はどこでどのようにして生きているのだろうか。

 

 

 着いた先もまた施設であった。知らない子どもたちもそこにはいた。少女Aはこの時初めて自分たち以外にも集められていた場所があったのだと知った。

 

 

 そして、少女Aは連れていかれた先で――――少女Bと再会した。

 

 椅子に座ってぐったりとした少女Bを囲む複数の大人たちを掻き分けて、少女Aは飛びついた。少女Bに反応はなかった。手も頬も冷たかった。目は虚ろとしていた。見たことのない少女Bの姿だった。

 

 少女Aはすぐに複数の大人たちに取り押さえられて、ある部屋へと連れていかれた。

 自分の施設の子どもたちも、知らない子どもたちも、皆がベッドの上に寝かされて身体を拘束されていた。そのベッドの後ろには何かよく分からない大きな機械があったのだと言う。

 

 少女Aも無理矢理機械に拘束された。そして――――実験が始まった。

 

 

 皮膚を全て剥がしとられるかのような激痛。

 骨の内側を抉られるような激痛。

 全身の血管が焼けるほどに早く巡る血流、破裂しそうな心臓。

 神経を針で削られるかのような痛みと、脳を手で握り潰されているかのような嫌悪感。

 

 すべてが絶えず訪れ続け、少女Aという人間を壊していく。

 痛みを痛みと捉える事さえままならず、自分の境界線さえあやふやなった先で、少女Aは全てを失った。

 

 

 目覚めたのは少女Aだけだった。両腕の感覚がほとんどなかった。記憶さえぼんやりとしていた。

 

 なぜ自分はここにいるのか。

 なぜ両腕は動かないのか。

 そもそも自分は何者なのか。

 

 大人たちが自分の周りに集まってくるのが分かった。ただ身体の制御が上手くできず身動きが取れなかった。

 いくつかの質問をされた。覚えていることを1つずつゆっくりと思い出させられた。

 

 ただどうしても思い出せないものがあった。

 子どもたちとの日々でさえ霞がかった向こうの景色になってしまっていた。代わりに脳に埋め込まれたような知らない記憶。到底、人間の記憶とは思えないほど鮮烈で強烈な刺激に満ちた記憶。色も匂いも音もフラッシュバックのように襲い掛かって、自分のものではない感情が心を蝕んでいった。

 

 私は何者なのだろう、と少女Aは何度も問いかけても思い出せやしない。

 代わりに与えられたもはや人間とも呼べない歪な身体と刻み込まれた鋼鉄の記憶。

  

 

 

 少女Aは、『名前』を奪われた。家族との輝かしい日常と共に。

 

 血の繋がりのない子どもたちを唯一繋げていた、『名前』という絆を。

 

 

======================================

 

 

 なぜ、私がこれほど鮮明に語ることができるのか。

 志童さんに少女Aの事について聞いたからだ。ただそうとだけ言えればよかった。

 私が聞いた話はここまで鮮明ではなかった。もっと曖昧で「こんなことだったらしい」程度。どのような場所で、どのようなことを見て、どのようなことを感じたのか。そんなことまで志童さんが知っている訳がない。

 

 志童さんの話を聞きながら私は同時に目の前で見ているかのような現象に陥ったからだ。追体験しているような気分で、全てが終わった時には私は気を失ってしまっていた。

 これは私の記憶だ。私ではない私の記憶であって、私の知るどの記憶でもない記憶だ。

 

 私の中に居る知らない誰かの記憶だ。

 

 

 『少女A』―――――あなたは誰なの? 

 

 

 

 

 

 



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霧中の影

 

 

「やぁやぁ、久し振り。元気?」

 新しく淹れてもらった紅茶を口にしながら、鮮明に脳内に残る記憶を1つ1つ整理していたそんな最中、嵐のような人が部屋を訪れた。

 

「あ、明さん?」

 驚いたように彼女の名を呼ぶと、「やっほー」と手を振りながら軽い言葉で返してきた。

 軍帽を指でクルクル回しながら、顔を合わせるなり白い歯を見せて笑う無邪気さの裏に、いつも何か企んでいるんじゃないかと変に勘ぐってしまう辺り、私もこの人に毒されてきているのかもしれない。

 

「ど、どうやってここまで?」

 

「吹雪ちゃんたちにも渡した羅針盤あったでしょ? あれのでっかいの作っておいたのさ。後は護衛艦でちょちょいのちょいと」

 そんな常識破りな……。

 私たちだって雪風ちゃんがいなかったら辿り着けなかったかも知れなかったかもしれないのに。

 この人に対して世界のルールとかそう言うのは甘すぎるんじゃないんだろうか。

 

 

「あなたがここを訪れた艦娘の方々の司令官と見てもよろしいでしょうか? 『天の剣』統括責任者、志童金安と申します。お迎えに上がれなくて申し訳ありません。私たちはあなた方を歓迎いたします」

 志童さんは立ち上がると一礼をしながら明さんに挨拶をする。

 帽子を回すのを止めて明さんもそれに応じるように自己紹介をする。

 

「日本国防海軍呉鎮守府の証篠明。志童ってことはあなたも艦娘の子孫ってことかな。世界は案外狭いものだね、南方の海に来ても出会うのは艦娘の子孫って訳だ。そう思わない? 吹雪ちゃん?」

 唐突に同意を求められて言い淀む。しどろもどろしている私を、柔らかな笑みに表情を整えた志童さんの言葉が遮った。

 

「それが私たちの使命と言うものです。戦いは終わってなどいません。ずっと、あの日から私たちの血の中で繰り広げられています」

 表情とは裏腹に強い口調だった。ふーん、と明さんはつまらなさそうな声を出すと軍帽を頭に被り直した。

 

「まあ堅苦しい話も難しい話もゆっくりと付き合ってあげるよ。構わないよね?」

 構わないよね?などと言いながら同意以外させない目をしている。まあ、この人の前で首を横に振ったのは見たことが……叢雲ちゃんと漣ちゃんくらいだろうか。少なくとも人間では見たことがない。

 何はともあれ、明さんが来てしまった以上、志童さんを私に付き合わせておくのは時間の無駄だろう。

 

「吹雪ちゃん、うちの夕張がどこにいるか分かる? あの子に頼んでまとめさせておいた報告書貰いたいんだけど」

 

「お連れの軽巡洋艦の方でしたら恐らく海中の施設の方を見回っておられるかと思います。お呼びいたしましょうか?」

 

「できるんだったらお願いしようかな?」

 

「ではそのように。吹雪さん、あなたにお伝えしたいことは粗方お伝えしました。お連れしたい場所がございましたが。後は私は必要ないでしょう。代わりの者をお付け致しますので……忘れていました。叢雲さんともご一緒下さい。そちらの方がきっとよろしいでしょう」

 

「あっ、吹雪ちゃん。叢雲ちゃんに私が来たってことも伝えておいてくれる。てか、一旦私のところに連れてきて欲しいな。用事はその後でも構わないでしょ? 事はそんなに急ぐことじゃない。寧ろ慎重に一手ずつ進めるべきだ」

 

「一理ありますね。では、そのように致しましょう。叢雲さんでしたら部屋の方でお休みになられているかと」

 

「は、はい! 分かりました! 連れてきますね!」

 私は明さんと入れ替わるように部屋を飛び出した。その時うっかり人にぶつかりそうになったのだが、明さんの側に私より背の低い人が立っていた。全く気が付かなかった、今の今まで全く目に映らないほど気配がなかった。

 幽霊みたいな人だったと思いながら私は叢雲ちゃんの部屋の方へと駆けていった。

 

 

 

 

     *

 

 

 

 

「それは大変なことよ……すぐに向かうわ」

 寝ていたらしい叢雲ちゃんは随分と機嫌が悪そうだった。手櫛で長い髪を整えながら廊下を歩いていく。その後を追いながら、横顔を見て表情を窺う。

 

「変な夢でも見たの?」

 

「別に……何でもないわ」

 そっけなく答えるのだが、叢雲ちゃんの様子は明らかにおかしい。思えばこの任務に就いてからずっと機嫌が悪いように思える。施設を見て回った時もずっと悪態吐いていたし。

 

「叢雲ちゃん、悩みや迷いがあるなら言ってよ。独りで抱え込むのはやめて欲しいな」

 

「余計なお世話よ。吹雪相手でも話せないことは1つや2つあるのよ。私が私自身で解決しなきゃいけないことが」

 

「それは先代の《叢雲》が関係していることなの? だったら、叢雲ちゃんだけの問題じゃないよ。私だって」

 

「あなただって、何?」

 叢雲ちゃんの足が止まった。私の足も止まって向かい合うと、なぜか私は一歩後退った。

 

「吹雪、魂を受け継いで記憶を受け継いで、そんな共通点があろうとも、魂にも記憶にも刻み付けられた使命は違っているの。私たちの目的や存在意義が深海棲艦を打ち滅ぼすことであったとしても、私の存在意義がその枠に収まることなんてないの」

 

「だからって、何もかも背負い込んで潰れちゃ元も子もないでしょ。尋常じゃないものを背負わされてるのは分かるよ。その重さに慣れてしまっちゃってるのも分かってる。それでも、私は話してほしい」

 

 一度、私はこの子の闇を垣間見た。だからこそ、全てを受け入れられる。

 冷たい目。私は後退ってしまった分、詰め寄った。絶対に悩みを吐かせてやると言わんばかりに。

 

 そんな覚悟で向き合った私を見て、叢雲ちゃんはフッと笑みを零した。

 

「……はぁ、アンタには呆れたわ。でも話せない。アンタは真っすぐすぎるから簡単には解決できなくてきっと悩むわ。私も悩んで、吹雪も悩む。悩む人間が増えちゃ、そっちの方が元も子もないでしょ?」

 そう言った叢雲ちゃんの表情はいつの間にか柔らかさを取り戻していた。どこか淡白な感じでそっけないけど、そんなことを笑みを浮かべながら言ってしまうようなところが私の知っている叢雲ちゃんらしいのだ。声色が明るくなって不思議と安心した。険しい顔で、低い声で、淡々と話されるよりかはかなりマシになった。

 

 

「気持ちだけ受け取っておくわ。吹雪こそ何か悩んでるんだったら言いなさいよ。どうなの?」

 あっさりと私の申し出を躱されて、今度は私が詰め寄られてしまった。

 じーっと目を覗き込むように見つめられる。意地悪な目をしている。

 

「わ、私は何も悩んだりしてないよ? こんな性格だからさ」

 

「いいえ、アンタは間違いなく艦娘になってから人が変わったわ。そして時々ただの人だった頃には見たこともないような顔をするようになった。私に気を配るより自分の心配をしなさい。何を抱え込んでるのかは見当がつかないけれど、いざという時に足が止まってしまうようなことを抱え込まないようにね」

 真っすぐに伸びた白い指がコツンと私の額を弾いた。

「いてっ」と間抜けな声を出してしまい、くすくすと叢雲ちゃんが笑った。

 

「わかってるよぅ……私は叢雲ちゃんほど頑固じゃないしー」

 

「頑固なのは認めるわ」

 そう言いながら叢雲ちゃんは足を進めた。

 

「……そう言えば、なんで明さんが来た時に大変なことだって言ったの? 確かに嵐のような人だけど」

 

「あの女の性格からして、この島は宝物庫よ。隅から隅までひっくり返しては自分の手で弄ってみるに決まっているわ。最悪の場合、『アマノハバキリ』をぶっ放ちたいだなんて言い出してもおかしくはないでしょ」

 

「あー……」

 否定できない。やるかやらないかの賭けをするのなら「やる」方に賭ける程度には。

 

「もしかして悩みってそれだった?」

 

「違うわよ。もう気にするのは止めなさい」

 

 

 

 

     *

 

 

 

「始めに言っておくわよ。ここに居る間、あなたの実験には一切付き合わないわ」

 にんまりとした笑顔を貼り付けたような明さんと顔を合わせるなり叢雲ちゃんはそう言った。 

 

「ちぇー、つれないなぁ」

 

「あはは……」

 2人のやり取りをただ笑ってみていた私はふと志童さんの方に目を向ける。こちらも初めに会った時のように笑みを浮かべて2人のやり取りを眺めていたが、纏っていた雰囲気が先程までの明さんとの間に流れたのであろう、空気の重さを残していた。

 

 一体何を話していたのだろうか。私たちに告げたことでさえ充分驚くに値するものだったのに。

 

「吹雪さん、少しよろしいでしょうか?」

 ぼーっとしていたら志童さんに手招きされた。叢雲ちゃんは少し真剣な顔で話し込んでいるみたいだった。

 

「はい、なんでしょうか?」

 

「吹雪さん、恐らく面と向かってお会いできて、かつゆっくり話せる機会はもう残されていないでしょう。最後にあなたにおひとつだけ、警告をさせていただきます」

 

「警告ですか……?」

 

 

「一体何を求めて艦娘という道を進んだのか。それは図りかねますが、それでもあなたが叢雲という艦娘と共に戦い征く覚悟を決めて今その場にいると言うのならば」

 

「……これから人類は更なる選択を迫られ、あなた方は大きな役割を担うことになります。艦娘という存在そのものを懸けて新たな時代の開拓者となる」

 

「彼女は旧人類が作り上げた鍵です。そして、あなたこそがその鍵を鍵穴に差し込み捻る者です」

 

「私が、ですか?」

 

「あなたは既に巻き込まれています」

 

「巻き込まれた? どういう意味ですか?」

 

「私の口からは言わない方が良いでしょう……あなたはこの島に居て欲しいほどに賢い方です。ですが、多大なる好奇心のあまりつい行き過ぎるところがあるのでしょう。ですから私があまりにも言葉を与え過ぎれば、あなたが本当に見るべきものをあなたの好奇心が埋め尽くして見えなくなってしまう」

 

「それは――――ッ」

 

「吹雪、こっちは終わったわよ」

 振り返ると腰に片手を当ててこっちを見ている叢雲ちゃんがいた。何をしているのよ、と言いたげな顔であからさまに私を急かしていた。

 

「あっ、ごめん……もうちょっと」

 だが、私は志童さんの言葉をまだ充分に理解できていなかった。どうして別れ際になってこんな意味深なことを伝えてきたのかさえ。時間なら充分にあったはずなのに、『私に考える時間を与えない』かのようなタイミングを見計らったとしか思えなくて、私はまだこの場を離れる訳にはいかなかった。

 

「いえ、もう終わりましたよ。では、御二方にはまだお見せできていなかった場所へ、別の者にご案内させます。大変かと思われますが2度とない機会です、どうか受け止めていただけると幸いです」

 だが、話を志童さんの方から断ち切られた。引き留めようとしたが言葉を割り込ませる隙も与えず、別の話題を持ち出して叢雲ちゃんに断らせないような言葉を選んで、私に問いかけの時間を与えない。

 

「はいはい、どこでも見に行ってあげるわよ」

 

「えー、私も行きたいなぁー」

 

「証篠様は先程のお話の続きがまだ残っておりますので申し訳ありませんが……あなたとしか話せないこともございます」

 

「そうよ。アンタは立場を考えなさい。じゃあ失礼するわ」

 叢雲ちゃんに置いていかれないように私はその背を追った。小さく一礼して退室する際に、ちらりと志童さんを見たが、彼は私に意識すら向けないようにしていたのだろう。

 

 言葉を与えず、何も与えない。

 私の幼い好奇心を飢えさせるような行いの意味をまだ充分に消化しきれていない。

 かえって少しの餌を与えられてしまったがために、狂わんばかりに食欲は湧き上がる。

 

 扉をゆっくりと締めると外で2人の女性が立っていた。志童さんのように神官服―――巫女服と言った方が正しいのだろうか。2人とも腰のあたりまである髪を白い帯を巻くようにして1つにまとめている。背丈も同じくらいと思ったら、顔もほとんど同じだった。

 

比女河(ひめかわ)と申します。志童様のお手伝いをさせていただいている者です。私が姉のエミ、こちらが妹のユミです」

 

「《天の剣》へよくぞお越し下さいました、艦娘の方々。そして《叢雲》の末裔。御二方には私たち姉妹が管理しております『ゆりかご』へとご案内させていただきます」

 

 口調も、声色も、間の取り方も何もかもが一緒で少しぞっとしたのだが、すぐに私の頭は1つの言葉に食らいついてしまう。

 

「ゆりかご……?」

 

「まるで誰かが眠っているかのような名前ね」

 

 叢雲ちゃんがそう言うと、比女河さんたちは面白そうにクスクスと笑った。「何よ」と言う感じに叢雲ちゃんがむっとした表情になると、急いで取り繕って2人は説明を続けた。

 

「ええ、まさにその通りですよ。眠っているのです」

 

「先代の《叢雲》の意思によってこの世界に残され続けた彼女たちが」

 

「彼女たち……それって」

 不意に私の心が躍り始めてしまったような気がした。私の期待通りならば、それは……。

 

 私が憧れ続けた時代の存在なのだから。

 

 

 

 

     *

 

 

 

 

「のう、お主らはこの島を出たいと思ったことはないのか?」

 島の子どもたちと戯れていた利根はふとそんなことを子どもたちに尋ねた。

 無邪気に走り回っている子どもたちのうち数人が足を止めてきょとんと利根を見た。

 

「えっ? どうして?」

 

「どうしてと言われると……ほら、霧に包まれている島で一生を終えるなどなかなか不自由なものであろう?」

 幼い少年たちは一同に首を傾げた。

 

「うーん、そう思ったことはないよ? この島にはご飯もあるし、みんなの仕事もちゃんとあるし」

 

「友達もたくさんいるし、病気になってもすぐに治っちゃうし」

 

「それに勉強も面白いよ!毎日新しいことを教えてもらって楽しいんだ!!」

 迷いひとつない幼い瞳に利根はそれ以上訊くことはできなかった。

 

「むむむ……吾輩にはなかなか理解しかねるぞ」

 根っから違う。子どものうちからここまで達観しているものがあるとどうも凹む。

 子どものうちくらい、もう少し夢を見てもいいのだろうに。

 

「雪風もあのような体をしておるが、歴戦の駆逐艦。そこいらの大人よりしっかりしておる。流石にいきなり故事を唱え始めた時などには驚いたがの」

 思えば、人は容姿や年齢に囚われるべきではないのかもしれないと同じブイン所属の駆逐艦を見て思う。

 寧ろ、最も死に近い駆逐艦と言う艦種だからこそ、達観せずにはいられないのだろうと感じることもある。

 

 それでも、この島の子たちと同一視することはできない。

 所詮艦娘は在りし日の激闘の記憶を秘めた存在であり、生きてきた年月が違う。

 人の子でありながら、この島に殉じ様とする子どもたちは、まるで国家の為に命を捨てて戦う者たちの姿を重ねているかのようだ。

 

 かつて、それは過ちであった。

 

 

「……ん?」

 子どもたちと地面に指を這わせていた雪風が唐突に顔を上げた。辺りをきょろきょろと見渡して落ち着きがない。

 

「どうかしたのか? 雪風よ」

 

「いえ、利根さん……何か聞こえませんでしたか?」

 

「何かって、何じゃ?」

 利根の耳には何も聞こえなかった。元気にはしゃぐ子どもたちの声だけがこの広場には溢れている。

 

「うーん、ちょっと海の方に行ってみましょう。何か見えるかもしれないです」

 

「これ、急に走るな。全く、見た目に違わずやんちゃじゃのう……」

 先に走り出してしまった唯風を追うようにして利根も駆け出した。

 広場から少し離れた場所は切り立った崖のような場所になっていて海が望める。

 そのギリギリに立って雪風は首から下げた双眼鏡を覗き込んでいた。遠くには周囲からこの島を隠すように空高くまで広がる霧しか見えないのだが。

 

「うーん……あっ!!!!!!!」

 その中に何かを見つけたように雪風は声をあげた。

 

「どうしたのじゃ? 吾輩の目からは何も見えぬが」

 

「利根さん。偵察機って今ありますか?」

 

「あるわけなかろう。艤装は全て預けておるのじゃから」

 艤装は全て《天の剣》に預けている。下手な細工などはされていないだろうが、手元から離れてしまうと言うのは些か不安なところがある。しかし、今はそんな事態ではないのだろう。

 

「確かさっき呉の司令官が来られましたよね?」

 真剣な顔で雪風が利根に尋ねる。

 

「あの十面相のことか。表情が読めぬから吾輩は苦手じゃ」

 

「多分指揮権は呉の司令官さんのところにあると思います。行きましょう、利根さん」

 

「行くってどこにじゃ?」

 

「敵が来ました。多分敵です」

 

「敵? 馬鹿な。ここは周囲からは見えぬ魔法の霧で覆われておるのであろう? それに多分とは何じゃ? もっとはっきりと申せ」

 

「分からないんです。多分敵です。とても大きいんです」

 

「どれ、双眼鏡を貸してみよ」

 

 雪風の双眼鏡を半ば奪うように手に取って、それを覗き込む。

 じっと目を凝らして何もないはずの霧の中を覗き続けた。

 

 

「――――――は?」

 背筋に悪寒が走るのがはっきりとわかった。すぐに雪風に声を掛けようとしたが既にその姿はなかった。

 先に呉の提督のところへと向かったのだろう。賢明な判断だ。あんなものを見て艦娘だけで動くのは到底無理だろう。

 

 

 そこには確かに何かがいた。ただ、何かまでは分からない。

 雪風の言葉通りそれはとても巨大なのだ。そして動いているのだ。こちらの方へ。

 

 分からない。ただその一言だ、艦艇であった時代にもあんなものは見たことがないほどに巨大だった。

 いや、一度だけ見たことがあるかもしれない。

 

 あぁ、あれは島だ。

 

 島が、島のように巨大な何かが動いているのだ。

 

 

 

 

 

     *

 

 

 

 

 私は暗い部屋に連れてこられた。ここは中央の塔のような場所を上に昇った場所。

 始めは下ばかり見せられていた。この塔のような、大地に突き刺さる剣には何もないのだと。

 

 違ったのだ。これは確かに役割を持っていた。

 

 剣などではない。これはきっと墓標だったのだ。

 ただ、それは死者を弔うものではなく、安らぎと眠りを与えるための祈りだったのだろう。

 

 部屋の明かりは無数の機械から発せられる光のみ。

 それを比女河ユミに連れられてゆっくりと辿っていく。ずっと暗く長い道。

 

「あの、私だけなんですか?」

 

「叢雲さんにはもっと重要な役割があります。吹雪さんのような方が居られて幸いでした。全てを叢雲さん独りに背負わせるのは酷すぎますゆえ」

 

「はぁ……私でいいんですか?」

 

「志童様がどのように申したか存じ上げませんが、吹雪さんはとても優れた方ですよ。そして、叢雲さんの隣に立つ者として生まれてきた星がある」

 

「星?」

 

「運命……いえ宿命と呼ぶ方が、あなた方艦娘の方々には相応しいでしょうか」

 

 ユミさんが足を止めた。私も足を止めて正面を見る。

 思わず大きく息を吸いこんでしまった。そして息が止まった。

 

 巨大なカプセルがあった。不思議な色の光を発している液体で満たされていた。

 

 その中に膝を抱えるようにして浮かんでいる影がひとつ。長い髪は解かれていて、液体の中に広がっている。

 

「100年前、全ての戦いが終わったと世界に報じられたあの日から、彼女はある人物の願いで姿を晦ませ続けていました。その理由は来るべき戦いに備えるため。そのまま世界に残っていては、解体されて力を失ってしまいます。そのために、彼女はこうして眠りに就くことを選んだのです」

 

 とても美しい女性だった。全ての理想を体現したかのような、美しい女性だった。

 100年の眠りに就いたお姫様のような。

 

 恐る恐る息を飲みながら一歩ずつ確実に彼女へと近づいていって、カプセルに手を触れた。

 呼吸をしている。本当にこのまま眠り続けていたのか。

 

 私はカプセルに刻印された彼女の名前を見つける。

 あらゆる言語で記載された彼女の名前はあまりにも有名過ぎた。そして、その力はあまりにも強大で、その命はあまりにも儚過ぎた。

 

 一夜の夢。あらゆる情熱と夢を抱かせたまま、時代の荒波に揉まれ散っていった至高の戦艦。

 

「――――戦艦《大和》」

 

 

 

 

 

     *

 

 

 

 

 私は暗い部屋に辿り着いた。

 明らかにこれまで見た全てのものと雰囲気が違う部屋。あったのは2つの椅子だけと言う異質な部屋。

 

 そして、私にだけ渡された―――《叢雲》の艤装。

 

 どうしてこんな場所で私は艤装なんて付けているのだろうか。

 その理由を教える事も無しに、比女河エミという女は私だけを部屋の中に入れて扉を閉めた。

 

「ここから先で起こることを私が見ること聞くことは禁じられています。全てが終わりましたら内側から扉を置開け下さい」

 

 そう言って固く閉じられた扉。

 椅子に腰を掛けて周囲を見渡す。椅子は私の艤装を支えるようにした形をしていた。

 まるでわたしの為だけの椅子。どうしてこんなものがここに在るのか。私はここに来たことはないのに。

 

 壁には注連縄のようなものが張り巡らされていた。

 御札のようなものも至る所に貼られていて何とも気味が悪い。

 極めつけは正面に向かい合った誰も座っていない空白の椅子。その背後にある鳥居が本当に気味が悪い。

 

 一体、私に何を見せるつもりなのか。

 

 

『――――駆逐艦《叢雲》ね』

 

 突然名を呼ばれて不意に肩が跳ねた。

 

 どこからだ? 正面だ。あの鳥居の奥から誰かが私を呼んだ。

 

『――――駆逐艦《叢雲》……貴女が叢雲の名を持つことはここに来た時点で分かっているわ』

 

 いや、待て。

 この声に聞き覚えがある。

 

 あぁ、よく知っている。誰にでも悪態を吐いて、自分が好きな人だけには優しい言葉をかける卑怯な声。

 努力した者は認めても、実力にまで努力が及ばない者は容赦なく貶す。

 他人の夢ばかり踏み捩じって、自分の夢ばかりを追い求め続けていた醜い声。

 

 

 

 あぁ、私の声だ。

 まるで鏡のようだ。鏡に私を映しているんだ。

 

 彼女はゆっくりと歩み寄ると私の対面の椅子に腰を下ろした。

 肘掛に肘を置いて頬杖を突く。氷のような視線が私を射抜いて喉を詰まらせた。

 

『話すべきことがある。貴女に拒否権はない。その名を負った以上、全てを受け止めてもらう』

 

「望むところよ、《叢雲》」

 

 私であって、私でない。

 一目で分かる。どうして私が―――御雲家がこれほどの力を現在まで持つことができたのか。

 

 

 私の目に映る彼女は、完璧すぎた……。

 

 

 私が彼女の影であるかのように。

 

 

 

 

 



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約束の船

 あぁ、ここに来てどれほどのことを知ったのだろう。

 

 これまでの私の全ての戦いが――――私が人間であって、艦娘であった時間よりもずっと長い時間をここで過ごしていたような気がするほどに濃密な時間だった。

 

 多くの真実を知った。

 世に広く知られている事の真実を。

 世に決して出ることのなかった闇の真実を。

 

 ただひとつ――――この真実だけは私の胸の奥に留めるべきだ。

 

 そう決断したのは、私の為なんかじゃない。

 艦娘とか深海棲艦とか人類とかそんなものは一切関係ない。

 ただ、私は過去に確かに存在した1人の少女を知り、それを知るべきでなかったと言うことだけを知った。

 

 「少女A」という彼女はあまりにもイレギュラー過ぎた。

 なぜ艦娘の存在を過去の者たちがこれほどまでに隠匿したのかを充分理解できるほどに。

 ただ、彼女と言うただ1人の少女の為だけに、この100年は存在していたのだから。

 

 だから、これは何も知らなかっただけの私への楔だ。

 そして、この100年を偽りのものにしないための鎖だ。

 

 今はまだ話せない。

 私が知ったと言う事実さえもこの世界になかったかのように、私は明日からもあの子と接していくのだ。

 

全ての願いの代弁者になるはずだった彼女は、知っていたのかもしれない。

知らなかったのかもしれない。

そのどちらでもいい。私には知られたくなかったことなのは紛れもない確かなことなのだから。

 

 

 志童金安ではない別の神官装束の女性、比女河ユミに連れられた私は大きなカプセルの前に立っていた。数時間前に、呉の提督がこの島に辿り着き、今はそちらとの会談で志童は忙しい。しかし、私に託すために腹心にこの道を示して、私をここに連れてきた。

 

「彼女は旧人類が作り上げた鍵です。そして、あなたこそがその鍵を鍵穴に差し込み捻る者です」

 別れ際に志童さんが残した言葉の意味を深く考える必要はない。きっとそのままなのだろう。

 私の予想が正しければ、彼女は別の場所で、別の神官装束の人物に連れられて、この島の奥深くに眠る誰かに会っているはずだ。全ての核心である、誰かに。

 

 私も誰かに会っているのだ。

 目の前にあるのは巨大なカプセルだがそこには誰かが浮いていた。

 長い睫毛の眼を閉じて、まるで標本のように液体の中で眠りにつく美しい女性と。

 

 カプセルの下には、プレートがはめ込まれていた。

 恐らくこれがこの女性の名前であり、私の親友が会っている人が残した最後の盾だ。

 

 ブイン基地のあの人を思い出す。

 彼女は不意に100年後のこの世界に遺されてしまった。

 だが、この人は違う。誰かとの約束で故意にここに遺されている。ずっと誰かを待っていたのだろう。それはこの女性が約束した誰かの意思を継ぐ存在。

 

 ここに私が居ると言うことは、立たされていると言うことは、私がそういうことだ 

 だからこそ私は彼女に呼びかけるのだ、約束を果たしに来たと、脳裏を微かに掠めるかつての記憶を手繰り寄せながら。過去の彼女との記憶を、『私』から受け取りながら。

 

 

「――――起きてください、《大和》さん」

 

 100年前との約束の船―――戦艦《大和》を目覚めさせるために。

 

 

 

 

      *

 

 

 

「可能性ですか?」

 

「はい、可能性です。恐らくどこかで耳になされたのでは? 艦娘が人類の可能性であると同時に、深海棲艦は生物の進化の可能性であるということを」

 

 そう言えば、そんなことをどこかで聞いたような気がする。

 もう随分と昔のような気もするのだが、あれは妖精の口から聞いたものだったか。

 

「私の仕事は100年前に既に危惧されていたあらゆる可能性を想定して、それに対抗する策を練りながら約束の日を待つこと。先代の《叢雲》を始めとし、《長門》、《赤城》と言った艦娘たちを率いてきた存在は自分たちの存在が故に未来に起こりうるであろうあらゆる可能性を想定して、戦後の復興の中で多くの対抗策を後世に残しました。その1つは既にご存知かと思います、《天叢雲剣》です」

 

「全ての戦いを終わらせるシステムですね……あれは本当に使えるのでしょうか?」

 

「分かりません。一度も使われたことはないのですから」

 

 まあ、その通りだ。使われていたのならば、私がここに存在している訳がない。

 

「それに簡単に使う訳にもいかないので。あれは可能性を殺すものです。悪い可能性だけではなく、良き可能性までも。いざという時まで使うことができない諸刃の剣。それに対を為し、最期の瞬間まで人類を剣無くして守り抜くために、先代の《叢雲》はある艦娘と約束を交わしました」

 

「それが、彼女ですか?」

 

「はい。人類を守る盾、日本国が保持する最大最強2隻の戦艦のその1隻。彼女は戦時世話になった《長門》からの推薦もあり、《叢雲》の命でこの時代に残る決断をしました」

 

「……1つ疑問に残るのですが」

 

「なぜもっと早く《大和》を目覚めさせなかったのかですね。理由は非常に簡単ですが、やや複雑でもあります。その力が人類の手に余るためです。戦艦大和はその二番艦《武蔵》と同様、その時代のあらゆる技術をつぎ込んで生み出されたスペックだけでは最強と謳われても過言ではない存在です。今の時代ではオーバーテクノロジーとも呼ばれてもおかしくない前時代の遺物です。容易く人の手に渡れば、この力を乱用し、自らさえ死地に追い込みかねない代物なのです」

 

「来るべきのみに使われるべき、決戦兵器だと?」

 

「えぇ、皮肉にもそれは彼女が艦艇であった時代から変わりませんでした。そして約束でもありました。この地に辿り着いた艦娘によって彼女を目覚めさせるべきであると」

 

「例え、ここに辿り着く艦娘が存在せずに、人類が滅んでしまったとしてもですか?」

 

「はい、その通りです。そもそもこの時代において、艦娘がこの地に辿り着く以外に人類を救う術は存在しません。もう戦いはそこまで泥沼化してしまっています」

 

 

「……なんとなく理解できたような気がします。この島がどうしてここまで秘匿されてきたのかと言う理由が。それでも」

 

「それでも?」

 

「もっと早く知れてたのなら、失わずに済んだものがあったのかもしれないとどこか悔しさを抱いてしまいます」

 

「吹雪さんの戦う理由は、そのひとつだけなんですね」

 

 ユミさんはそう言って笑った。面白いものでも見つけたかのように。私を見て笑った。

 

「何かおかしいですか?」

 

 理由も分からず首をかしげて尋ねると、失礼な振舞いをしたかのように咳込んで無理やり笑いを止めたユミさんが急いで整えた真面目な顔で私に答えた。

 

「いえ、本来の艦娘の方々にはないものですから……そう言うものは」

 

 本来の艦娘にはない理由。あぁ、全くその通りだ。

 私が人間であったがために生まれた特別な理由。目的は一緒でも戦う理由が違うと言われるのにはいまだ違和感がある。彼女たちだって、守りたいものの為に戦っているはずなのに。

 

「艦娘にだって……ちゃんとあると思いますよ。こんな理由が」

 

 絶対に『償い』の為なんかじゃない。悪と対峙するために必然性が生み出した善の化身なんかじゃない。

 相対する者の姿を見て憐れみを、自責の念を、そんな感情ばかりを抱いた訳じゃない。

 

 人間であった私と、人間となった艦娘たち。

 少しずつでも近付いて行けるはずだ。彼女たちが今の時代を作り出したのだから。

 この世界を守ってきたのだから。戦いの中で、営みの中で、人間たちと触れてきたのだから。

 

 

 ふと、部屋の奥の方からカツンと足音が響いた。

 ふわりとなびいた長い艶のある黒髪は1つに結われていて、電探を模した簪のようなもので留められていた。

 

 

「準備が整ったようですね」

 

 ユミさんの言葉通り、目覚めた彼女はかつての姿を取り戻していた。

 紅白の装束は肩の辺りが露出していて、襟もとには軍艦の象徴である菊の紋印が飾られている。

 靴下が非対称で左足だけニーソックスになっており、「非理法権天」の文字が力強く描かれていた。

 長い睫毛、大きな瞳、美しい容姿に浮かぶ柔らかな笑みから窺える上品な気配は大和撫子と呼ぶに相応しい。

 

「おはようございます……吹雪さん、で良いのですよね?」

 

 身長も高く出るとこ出てて締まるとこは締まってるスタイルの良さに思わず見惚れるかのように彼女の顔を見上げた。と言うか、見惚れてしまっててしばらくぽかんと口を開けて我を失っていた。

 

「……はっ!はい、吹雪です……この時代のですけど」

 

 急いで自分を取り繕って、返事をする。口元に手を当ててクスクスと少し笑うと、

 

「大和型戦艦一番艦、《大和》です。盟友との誓いに従い、あなたの盾となります。よろしくお願いしますね」

 

「は、はい!」

 そう言って差し出された手を私は迷わずにとって強く握り返した。

 

 

 

 

      *

 

 

 

「―――沖合二〇㎞地点、艦影あり!!」

 呉より証篠たちを乗せて訪れたイージス艦《ちょうかい》の船内は慌ただしくなっていた。

 甲板の観測員より、CICに通信が入る。

 

「艦影だと? レーダーには何も映っていないぞ!?!?」

 CICに映るディスプレイのどれにも敵艦影らしきものは確認されていない。最新のレーダーを搭載しているため充分に捕捉できる距離と環境だ。それなのに、辺りに広がっているのは静かな海だけだ。

 

「目視により南方の霧の中に巨大な影を確認しました。南から東へ約20ノットで進行中。艦種の特定は難しいですがかなり大型かと」

 

「……とにかく証篠大佐に報告だ。本艦は戦闘準備を進めよ」

 

「はっ!」

 

 

 

 

 

 

 

「失礼します」

 証篠と志童が会談している部屋にも異変の連絡は訪れた。

 やってきた使用人が志童の耳元に言伝をする。その様子を薄ら笑いを浮かべて見ていた証篠が、軽い口調で問いかけた。

 

「緊急事態かなー?」

 

「えぇ、沖合に巨大な影が出現したようです。艦娘の方々が艤装の返還を要請してきたと。全て返還するように命じておきました」

 

「ふーん……で、どこまでが想定のうちなの?」

 

「出現のタイミングはやや早かったようですね。ですが、接近はしてこないでしょう」

 

「迎え撃てばこちらが損害を被るだけと?」

 

「『あれ』は既にあなた方を捕捉しているでしょう。いつの時間帯にここを発とうともいずれ襲い掛かって来ます。それが霧の中になるか、視界の開けた海上でか、昼か夜かの違いしかありません」

 

「はぁ……叢雲と吹雪は?」

 

「まだ時間がかかるでしょう。特に叢雲さんの方は」

 

「それはこっちの責任でもあるしね。過去の私たちが『天の剣』に全てを隠してしまったのが発端な訳だし。じゃあ、楽しいお喋りもこのくらいにして私はあの子たちの指揮を執らなきゃいけないみたいだから」

 

 机に置いていた軍帽を手に取り頭に被る。その下にはいつものように無邪気な笑みを貼り付けている。

 扉を潜る際に手を振って志童に別れを告げただけで証篠はその場を後にした。

 

 

 

「しれぇ!! わっ!」

 

 走り寄ってきた雪風の頭に手を突き出して止める。慌てて走ってきた雪風の勢いが止まり、後を追ってきた3人の姿もすぐに見えてきた。

 

「はいはい、預けてる艤装を全部持って来て正面に集合」

 手短にそう告げて走っていく艦娘たちの後ろをやや早歩きで追っていく。

 

「……海に出るのか?」

 

「本当に影みたいだね、君。出ないよ、私はここで色々とやるべきことがあるみたいだから」

 証篠の隣をいつの間にか歩いていた陽里(ひのさと)にそう返した。

 

「そうか。それならいい。できればあの船には乗るな」

 

「どうして? 船酔いするから船も見たくないとか?」

 

「いや、違う」

 陽里の気配はほとんど感じられない。目で姿を見ていなければすぐにその存在を忘れてしまいそうになる。

 躯体が小さい一方で、突然目の前に現れるときの驚きは人一倍だ。

 

 そんな影のような存在がぼそりと呟いた。

 

「あの船にはお前への殺気がある」

 証篠はにやりと口角をさらに吊り上げた。そのまま何も聞かなかったかのように廊下を進んでいく。

 陽里はそれ以上何も言わずに、証篠の影のように側を歩いていった。

 

 

 

     *

 

 

 

「日向と利根の2人は先行して偵察機を発艦。雪風はその護衛。夕張は私の手伝い。まだあの2人が帰って来ないから少し厳しいかもしれない。だから深追いはNGね。ヤバいと思ったら今日だけは逃げてもよし」

 

 やってきたのは、艦娘たちがここに到着した時に辿り着いた海水の張られたドックだ。

 艤装を装着している艦娘たちを前にして証篠は手短に作戦の説明をしていた。

 

「撃沈は目的じゃない。警戒し続けること、それだけでいい」

 

 クレーンに吊り下げられた巨大な艤装から鎖が離れていく。航空戦艦《日向》は一足早く装着を終わり、水上機の数を数えながら証篠に問いかけた。

 

「単刀直入に訊かせてもらうぞ、提督よ。何か知っているようだがあれはなんだ?」

 

「遺産だよ。前の戦いの遺産。まあ、残念なことに敵なんだけど」

 証篠は即答した。訊かれると分かっていたかのように。

 

「先の戦いの遺産じゃと? じゃあ、あれは100年前に殺しきれなかった深海棲艦と言う訳か?」

 利根は念入りにカタパルトの確認をしているらしいが、その手を止めて証篠に訊いた。

 

「いいや、違う。生まれたのは恐らくこの時代。但し、他の深海棲艦と生まれた経緯がまるで違う。君たちと同じような原点を持ちながら、時代そのものが違ってしまった結果生まれた化物だ。そしておそらく、十中八九君たちじゃ勝てない」

 

 断定した証篠に、利根以外の手も思わず止まる。

 そんな艦娘たちの事も気に留めずに、証篠は脇に挟んでいたタブレットに指を走らせる。

 

「夕張、先にこれ持って来てくれる? 多分頼めば出してくれるから」

 そう言ってタブレットを手渡した。

 利根と日向の装備の手伝いをしていた夕張は駆け寄ってきてそれを受け取る。

 

「はいはーい……って、えっ!?!? いいんですか!?」

 

「出さなきゃ脅すからいいよ」

 

「脅すって……はい、分かりました」

 やや青ざめた表情のまま、夕張は施設の奥の方へと駆けて行った。証篠はその背中を見送ると、よしと一声呟いてから、遺された3人の方を向いた。

 

 

「さて、夕張が帰ってくる前に簡単に話してしまおう。よく聞いて。ぶっちゃけるとアレがこの時代のラスボスだよ。あれが《アダム》だ」

 

「―――――ッ!」

 スパナが地面に落ちる音が響いた。ついでに日向の水上機も彼女の手から滑り落ちた。

 何も落とすことがなかったのは魚雷管を弄っていた雪風だけであった。そんな雪風の手も止まったが。

 

「と言っても、ラスボスの意識が移ってるだけで、本体ではないんだな」

 

「どういうことだ?」

 水上機を急いで拾い上げながら日向が尋ねる。

 

「艦娘ってのは艤装に記憶があって、それと肉体がFGフレームによって連結されたときに記憶が共有されるって話は知ってるはずだよね。あれはいわゆる艤装であって、記憶が入ったケース。その記憶の主はまだ倒しきれていない」

 

 証篠は弄るものがないせいで暇を持て余しているのか、近くにあった球状のものを三つ手に取ってお手玉のようにして遊び始めた。不思議に思いながら皆がそれを見ていると証篠はふぅと小さく息を漏らして語り始めた。

 

「入れ物を壊せば、零れ出した記憶は海に解けて持ち主の下へと帰る。それまではひたすら深海棲艦を駆逐し続けるしかない」

 

「他の深海棲艦も同じだよ。倒しても倒してもキリがないように思えるのはこのせい。海上で戦う限り魂は母なる海を媒介として巡り続ける。でも、実はこれには限界があることが分かった。《天の剣(ここ)》の研究でね」

 

「入れ物である肉体が魂の濃度に耐え切れなくなる。巡りすぎた魂は万物の精気を吸い取るだけの出来損ないになる。鉄に憑りついたところでその身体は普通の戦闘では耐え切れなくなる。撃てば自分の肉体が吹き飛ぶほどに」

 

「そう言った魂たちは自分の魂を受け入れられるだけの器を探し始める。そして、1つの器に全ての魂が集まった時、そこに生まれるのが最後の深海棲艦であり、全ての始まりである《アダム》だ」

 

「いずれ、この世界に歪んだ穴が現れて全ての元凶との戦いの日が訪れる。そうなるように準備したのがこの100年だった。再戦の準備を整えていたんだよ。『表八家』も『裏五家』も皆があらゆる方面から、水面下でこの時の為に力を蓄え続けてきた」

 

 球が1つ落ちてしまい、証篠の言葉が途切れた。

 コロコロと転がっていき、ドックの中に落ちると、浮いているそれを雪風が掬い上げてビー玉を覗き込むかのようにじっと見ていた。

 

「君たちに勝利は求めない。時期が速すぎるし、技術の水準が恐らく違う。色々と聞き出したけど、悪い方向の期待に見事に応えてくれたようでね」

 

「悪い方の期待ですか?」

 証篠に球を返しながら雪風が尋ねた。

 

「君たちの祖先ってのは色んな理由で技術の転換期にあってね。あの時代を超えて先の世界では遥かに進んだ技術で船が作られていってね……それを元に深海棲艦が生まれたりしちゃったら結構ヤバいことなんだよね」

 

「……まさか」

 察したように平静を保っていた日向の顔に焦りに似た緊張が走った。

 

「そのまさかなんだよね……。昔この海域を航行していたイージス艦が3隻沈められてね。海底にあったそれを奪われた。全部。君たち艦娘をより効率よく殺すために」

 既に艦娘のモデルとなった艦艇たちが生まれて、そして沈んだ第二次世界大戦から200年の時が流れていた。人類の科学技術は艦艇の持つ兵器としての特性を一層洗練させていき、かつ多機能化していった。

 

「だから、勝てない。君たちじゃ勝てない」

 技術水準が違う。艦娘が初撃で敵に命中させることは稀だ。

 だが、現代の艦艇の持つ技術は百発百中の一撃で敵を屠ることも可能だ。

 FGフレームは艦娘が持つ唯一の優位である。それも対艦艇であればの話だ。

 

「ぐぬぬ……じゃあ、どう勝つつもりなのじゃ!?」

 しびれを切らした利根が尋ねる。証篠は飄々とした態度を崩さずに利根に微笑みかける。

 

「始めに言った通り、深海棲艦を倒し続けるしかないよ。いずれ魂が収束して身体は脆くなり自ずと崩れ落ちる。そこに戦艦の主砲一発でも叩き込めば、もしかすれば、だね!」

 静寂が走る。日向も利根も雪風も、誰も口を開くことが出来ず目線を落としていた。

 そんな中、台車のようなものが転がってくる音がした。

 

「提督!持ってきました!」

 駆け足の夕張が彼女たちの前に現れた。その後に人型ドローンに押されて運ばれてくる台車が数台。

 その上には巨大なビーカーのような容器に浮かぶ鋼鉄の鈍い光があった。

 それを見て証篠は手に持っていた球を一つずつ、艦娘たちに投げ渡して行く。

 

「これは?」

 雪風が不思議そうに見ていると、それは途端に形を変えていき、彼女たちの艤装に吸収されていった。

 

「《補強増設》、強制的に君たちのスロットを一つ増やすアイテムだ。本土には残されていなかったからもしかしたらと思ってね。案の定、ここに数個残されていた。そこに同じくここに残されていた《応急修理女神》を積み込む。ここの責任者と交渉してね、何とか君たちの分は勝ち取ったよ」

 艤装から小さな妖精がひょこりと顔を出した。頭に鉢巻を締めた職人風の妖精である。

 任せておけ、とでも言うような強い目が彼女たちを勇気づけた。

 

「そして、これも貸し出してもらったよ」

 

「試製シリーズ、ですね!!」

 喜々とした声で夕張が言った。眼を輝かせて興奮しているのは、証篠も同じであったが。

 

「君たちじゃ勝てない。君たちに勝利は求めない。でも、君たちに死ねと言ってる訳じゃない。私たちのやるべきことは負けないこと、死なないこと、そして最善を尽くすことだ」

 容器のロックが次々と外されていく。中から取り出された装備はクレーンで吊り上げられながら、三人の艤装へとリンク状況を確認。証篠の手により、FGフレームと接続される。

 

 その最中、証篠の端末にメッセージが届く。送り主は吹雪だった。

 内容を確認してニヤリと口元を歪めた彼女は、換装を終えて水面に並ぶ四人の艦娘たちに目を向けた。

 絶望の色はない。それは彼女たちにはあまりにも似合わない。艦娘とはいつの時代も希望であるべきだ。

 

 たとえその背後に隠された闇の時代があるとしても、それを犠牲のままにしないために。

 

「さて、悪あがきをしよう。負けると分かっていても、一方的にやられるのは性に合わないからね。それに君たちの力も、今に劣るものじゃないと言うことをここで証明しよう。艦隊、抜錨せよ」

 

 うねる海に現れた巨大な黒い影。それが動く度に静かな海に大きな波が生まれる。

 それは巨大だった。少女たちの躯体からすれば、あまりにも巨大だった。

 全長は800メートルに及ぶ。十字架に張りつけられた女神像のような頭部、海龍の如き躯体が海上を這って進み、鋼鉄の肉体からは歪な砲門が突き出し、鱗が剥がれ落ちたように無数のファランクスが口を開いている。

 

「あれはいずれ訪れる約束の船。叢雲はこれを読んでいた。艦娘と深海棲艦、そして人類の全ての因縁を終わらせる、来るべき戦い」

 護衛艦に乗り込みながら証篠は一人呟いた。海上を進む艦娘たちの姿をモニターで確認しながら。既にその表情に笑みはない。側に控えている陽里からは尋常ではない殺気が溢れ出している。

 

 不穏だ。全くもって不穏だ。

 因縁は艦娘ばかりではなく、彼女たちから続く血脈にも刻まれている。

 人間は深海棲艦よりも厄介だ。頬杖を突いた証篠は誰にも悟られないように舌打ちをした。

 

 

 不意に女神像の真下に亀裂が走り、黒錆が海面に落ちながら巨大な口が現れた。白い呼気が漏れる。腐敗した魚の死骸が飛び散った。海水が黒く濁っていく。時代を越えて遺された狂気に染められていく。

 

 裂けた鋼から金属を刃を擦るような叫び声が衝きだす。震える海面を進む彼女たちを歓迎するかのように。

 

 

「――――始まったみたいです、急ぎましょう」

 

「えぇ、久し振りの戦闘で腕が鈍っていないと良いですけれど……約束は果たします。あなたたちの足手まといになるつもりはありません」

 

「大丈夫ですよ。どちらにせよ、鍵になるのは叢雲ちゃんです。あの子の準備が終わるまで、私と大和さんで時間稼ぎできれば十分です」

 

 

「……戦艦《大和》、推して参ります!」

 

「駆逐艦《吹雪》行きます!」

 

 

 

 



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叫び

 

 ――――何者かの声が聞こえる。

 

 性別を問わず、老いも若きも問わず、ありとあらゆる命を持つ者たちの声が

 何重にも重なって頭の中で反響している。

 

 海の声。海の感じ取る命の声。

 かつてこの大海原に魂を溶かしたこの身体は、それと同じ感覚を共有している。

 

 だからこそ、彼女たちは強かった。

 

 

 そう決めつけた科学者たちは一つの仮説を提唱した。

 端的に述べれば「魂の質量と母たる海の結びつきの間に生じる関係性」である。

 

 艦娘と海の関係は大いにある。

 しかし、その間に存在する法則がはっきりとしていない。

 何かしらの因果関係が存在するのであれば、それを紐解くことによって艦娘という存在は

 より強力な物へと進化するのではないか。

 

 巡り巡ってそれは人類種と言う生物の進化へと結びつくのではないか。

 

 魂に質量があるかという議論はさておき、この議題は彼女たちに関わっていた

 当時の科学者たちの中で大いに議論を尽くされ、そして実験が繰り返されて、幾度となく失敗に終わった。

 

 

 マクロとミクロを除いて、ニュートンの定めた方程式が運動の様相を決めつけるように、

 彼女たちの世界においては既に定められた法則が存在している。

 

 艦娘を作り出した一人の科学者がその生涯をかけて作り上げた理論体系。

 それを否定しようものならば、それこそマクロとミクロの世界について研究を費やす必要がある。

 

 では、魂の世界のミクロとマクロとは何なのか。

 

 そこに人類が辿り着く前に、彼女たち……艦娘の戦いは終わり、今に至るまで100年の眠りについた。

 

 

 『 魂のサイズに比例して、海の持つ感覚の共有の度合いが増すのならば 』

 

 抽象的な事象に対する疑問である。

 魂の存在も、海の持つ感覚とやらもその存在をはっきりと証明するものは未だかつて存在していなかった。

 

 だが、その議論は100年経ったここに来てようやく一つの答えに辿り着いた。

 

 艦娘は『人間の形をした容器に艦艇の魂を押し込めたもの』である。

 容器の容量は、どう足掻いても人間が持つ一人分の容量を超えることはない。

 シンプルに説明すれば、2つ以上の魂を個人がもつことはあり得ない。

 

 では、人間でないとしたら。

 もしくは、複数の人間によって成された合成体を入れ物とすれば。

 

 失敗は見えていた。

 そもそも、艦娘を作り出すのは人間ではなく、

 建造装置と呼ばれる魂の世界とこの世界を結びつける機械だ。

 建造装置が魂に従って肉体を作り出し、その為に非常に高い適合率を有して艦娘が生まれる。

 

 魂の濃度に適した肉体、それが艦娘の持つ人間のカラダ。

 

 100年かけて『天の剣』の人間たちはその合理性を理解し、

 ようやくその先へと足を踏み出したばかりであった。 

 

 1対1の関係。そこが、人間の限界であった。

 

 

     *

 

 

 

 戦闘が始まって既に1時間経過していた。

 当初の作戦通り、撃破を目的とせず、こちら側の生存を目的として慎重に戦闘を行っていた。

 敵の出方を窺いながら、ひとつひとつ攻撃を行っていく。

 

 そこにあるのは遠方から見てもその形が分かるほどに巨大な存在。

 多少適当に撃ったとしても当たるのではないかと勘違いするほどに。

 

 『天の剣』に隠されていた試製シリーズの性能は申し分なかった。

 ただ、彼女たちが慣れるのに少しの時間を要した。その時間が致命的であった訳ではない。

 

 彼女たちはよく鍛え抜かれていた。

 不慣れな武器を手にしても、数分で調整を終えてものの見事に操ってみせた。

 その性能を充分に発揮するほどの動きを見せた。

 

 射程、精度のどちらをとってもかつて抱えていた主砲より高性能であった。

 欠点と言えば、やや大きく重く感じる事であったが、日向からすれば些細な事であった。

 

「――――撃て……ッ!」

 海面が沈み込んだ。衝撃が海面を叩き、黒煙を裂いて砲弾が宙へと投げ出される。

 いつもより遠くから、いつもより正確な砲撃を放った。

 放たれた4発の徹甲弾は2発が海面を打ち、2発が海龍のような船体の横っ腹に突き刺さった。

 

「―――――――ッ!!!!!」

 その瞬間、海龍の頭部にある女神像、その真下に開いた巨大な口にも思える亀裂から不協和音が鳴り響いた。

 耳を塞ぐ暇もなく、不穏な気配を察した艦娘たちは距離を置こうとしたのだが、

 その時には既に異形の背にある鱗のようなものが上空に向かって放たれたのだ。

 

 その数、優に二百を超えていた。

 

「回避ぃーーー!!」

 偵察機を回していた利根の声が海上に轟く。

 咄嗟に反転しようとした日向。距離を置いていたため、余裕があった夕張と雪風。

 

 空を覆い尽くす黒鉄の雨。亜音速で飛来したそれは、一瞬にして日向と利根の放っていた水上機を火に包む。

 黒い矢じりのように突き刺さり、弧を描くような2キロほどに渡る範囲を一気に薙ぎ払った。

 砲撃の反動もあってか、やや遅れていた日向がそれに巻き込まれる。

 

「ひ、被害報告!」

 煙に巻かれていた夕張が顔を庇っていた腕を解いて辺りを見渡す。

 仲間の影を探しながら、我に戻ったように叫ぶと「アレ」から遠ざかるように航行した。

 

「夕張、損傷軽微!」「利根、損傷軽微じゃ!」「雪風、無傷!大丈夫です!」

 

 煙が晴れていく中で少しずつ見えるようになった仲間の姿。

 咳き込む様子を見せながらも、目だった損傷は見られず夕張は

 ホッと胸をなでおろしたのも束の間、続いて聞こえるはずだった声の主は沈黙を貫いていた。

 

「日向さん!」

 いち早く飛び出したのは雪風だった。

 

「雪風ッ!」

 航空巡洋艦となった《利根》の声が海上に響いた。

 辺りには駆逐艦の張り巡らせた煙幕が漂って視界が利かなくなっている。

 

「大丈夫です……それよりも日向さんが!」

 

「私は大丈夫だ。小破程度の損傷だろう。雪風、早く逃げるんだ」

 航空戦艦《日向》の艤装は小破していた。飛行甲板は既にそこにはない。

 艤装に大きな損傷こそ見られないが、身体の方にもダメージを負っている。

 顔の右半分は頭部より流れる血に塗れており、肩のあたりは衣装が焼け落ちていた。

 

「まだ撃てる。まだ戦える」

 背筋を伸ばして立ち上がる日向に肩を貸す雪風は、日向が再び航行を始めたのを

 確認すると独り先行して「アレ」の方へと進路を向けた。

 彼女はいつになく焦った面立ちで辺りを警戒していた。

 

 咄嗟に煙幕を張った。これが「アレ」相手に上手く機能するか分からない。

 隠れているつもりでも「アレ」からはとっくに見つかっており、今にも砲撃が飛んでくるかもしれない。

 

「利根さん!艦載機は?」

 

「随分と落とされてしまった。もう一度出せる分は残っておるはずじゃ」

 雪風は利根、夕張に日向が加わった戦列に戻り、一度敵の方を見やる。

 日向の試製41㎝三連装砲による一撃は確かに敵の横腹を撃ち抜いた。

 

 しかし、少しもダメージを与えている気がしない。

 駆逐艦や重巡、軽巡級の主砲では距離が離れすぎていた。無論、魚雷も届かない。

 

 

「一度、日向さんの損傷を直すために母港に」

 

「いや、こんなところで足を引張ってはいられない。主砲は健在だ。まだ戦えるだろう」

 

「でも……」

 

「それにダメコンも支給してもらったんだ。この程度で泣きごとなんか言っていられない」

 日向は左の袖で目元を拭うと、赤く染まった目を開いてもう一度敵を見て目を細めた。

 

「足を止めておる暇はないぞ!すぐにも追撃が―――」

 

 利根の声を切り裂くように、海が泣いた。

 ギギギと刃物を擦り合わせるような声が波紋を広げながら海に広がっていき、

 一帯を大きく抉り取るような衝撃が、突然海面を打った。

 

 今度は砲撃が海を割った。黒々とした砲弾を無数にばらまく戦艦級射程の砲撃。

 

「利根!避けろ!!」

 日向の忠告に反射的に利根が航速を上げた。

 投げ出すように身体を右に反転させたときに水柱の向こうに利根の姿は消える。

 

「利根さん!」

 感覚50メートルほど、単縦陣。弧を描くように航路を変更し、

 回避運動に入った後列をよそに、先頭を進んでいた利根だけが水柱の向こうに切り離される。

 

「くっ……!」

 間一髪のところで直撃を避けたものの、衝撃が利根の艤装を軋ませる。

 破片が艤装に、衣服に突き刺さり、一瞬よろけたものの、すぐに体勢を立て直した。

 肩や脚、主砲の一部が被害を受けたものの、利根が咄嗟に庇うようにしたカタパルトは無傷のまま健在だった。

 

「大丈夫ですか?!」

 

「大丈夫じゃ……くそぉ、奴め。大和型でもこれほどの距離で当ててこんぞ」

 苦虫を噛み潰したような利根の顔。

 

 遠くに見据える【異形の龍】。

 

 それは記憶の中にあるどの船とも、どの兵器とも合致しない形をしている。

 強いて挙げるのであれば、辛うじて船と呼べる代物。

 

 

 

 ―――艦娘は何者か。深海棲艦とは何者か。人か、船か。

 その曖昧な境界線を限界まで伸ばしていって、最果てに存在するのが相対している異形の正体だ。

 船であるならば、船同様の攻撃が通じるのが道理である。人間であるならば、また然り。

 

 そのどちらでもないならば、そのどちらのものでもない攻撃が通るのであれば、

 その領域に踏み込んでいる者だけがあの異形を打ち倒せるのだろう。

 

 問題は、自分たちがその領域に踏み込んでいるのかどうか。

 

 

「日向よ。どう思う? アレを吾輩らだけで倒せると思うか?」

 日向と合流した利根は出会い頭にそう問いかけた。

 

「……分からない。だが、やるしかあるまい」

 日向は生き残った主砲を動かして、再び照準を敵へと定める。

 噴煙と衝撃を撒きながら装填した砲弾は再び宙を翔けて敵へと飛来した。

 一射目は海龍を大きく外れた。二射目で狭叉する。三射目でようやく甲板上に当たる箇所へと命中する。

 

 徹甲弾に抉られて黒い破片が飛び散り、黒煙が噴き出すのだが、

 異形の船体が揺らぐことはなく、逆に何かが艦隊の方へと向けられた。

 

 先程の黒い破片を飛ばす砲撃かと思えば、それが恐ろしく長く、恐ろしく巨大な棒状の何か。

 完全な円ではなくスリットのような文様が両側面に走り、赤い光がその隙間から漏れ出している。

 

 

「―――ぐぅッ!!!!」

 突然、利根が耳を塞いだ。彼女がこの艦隊の中で一番耳が良かった。

 次に雪風、直後に同時に日向と夕張が耳を塞ぐ。

 

「な、なにこれ……こんなに離れてるのにッ!」

 それは雑音や叫び声と言ったこの世界に存在するどの音にも該当しないものであった。

 鼓膜を介してではなく、空気を介して全身から浸透する肉体的な音。

 それはありとあらゆる生命を冒涜する声のようであって、

 明確な意図も意志も存在しない純粋な悪意によって固められた精神波動であった。

 

 艦娘とは魂の結びつきを重要とする。肉体と艤装と在りし日の艦艇の記憶、その魂。

 それらの繋がりを絶とうとしているような音だったのだ。

 

 その音に意図や意志はないが、艦娘たちは直感的に悟っていた。

 この音に屈すれば、自分の存在をこの世界に保てなくなるであろうことを。

 

 

 その中で最初に動いたのは雪風だった。

 彼女はあろうことか艦隊を飛び出した。

 水平線に見える敵とのその距離を縮めるように舵を切り、海上を駆け抜けていった。

 

「雪風さんッ、何を……ッ!!」

 夕張が止めようとしたが、敵より放たれる精神波動の下に言葉は絶たれてしまう。

 一方で敵へと向かっていく雪風の顔にも苦悶の色があった。歯を食い縛り、脂汗を流し、

 そのあどけなさに似合わぬ覇気を持って、敵へと近付いていく。

 

 精神波動は敵に近付くにつれて、より濃くなっていく。

 それでも雪風は機関を最大戦速のまま維持して、敵艦へと向かっていった。

 

 ふと、後方から音が聞こえた。顔だけ振り返れば日向が砲撃を行っている。

 その表情には独断専行した雪風に対する焦りが見受けられた。

 救わなければあの駆逐艦は沈むかもしれない。その意思が日向に反撃の意志を与えていた。

 

 雪風は苦悶の表情を緩めて微かに笑みを浮かべた。

 そして、敵艦へと再び目を向けた時には既に魚雷の射程へと入っていた。

 

 海龍の如き巨躯を仰げば、その背よりいくつもの黒い破片が飛び立つのが見えた。 

 しかし、同時に着弾した日向の徹甲弾が放たれる前のそれらを蹴散らす。

 

 生まれた隙を雪風は見逃さなかった。

 

 全身の骨の肉が引き剥がされるような幻の痛みを感じた。神経を焼かれるような幻覚だ。

 近付きすぎたが故にそれは直感としてだけではなく「痛みを予感させる」という次元まで登ってきた。

 

 それでも、雪風の目から光は消えずに真っすぐに海上に立つ小兵は標的へと手を伸ばした。

 

「魚雷管発射用意、一番から六番、撃てっ!」

 試製六連装酸素魚雷発射管より、順次に六本の魚雷が放たれていく。

 水に落ちた瞬間に生を得たように飛んでいく魚雷は、静かに海龍の懐へと突き進んでいった。

 

 海龍の背から跳び出した黒い破片がその迎撃に向かう。

 雪風の方へと飛来する物もあったが回避するには余裕のある密度であった。

 

 弧を描くように移動しながら敵艦との距離を保ちつつ、それでも進路をジグザグに曲げながら

 回避運動を繰り返し、更に次の魚雷を発射管へと装填していく。

 

「―――ッ!」 

 全身が軋むような感覚に襲われながらも、雪風は努めて冷静であった。

 

 しかし、冷静になるには理由がある。それはもはや本能的なものとしか言いようがない予感。

 精神波動由来のものではなく、敵艦の背から伸びた巨大な棒状の何かであった。

 

 あれの正体に見当はつかない。しかし、あれが船であるならば「砲」ではないかと推測した。

 撃たせてはいけない―――本能的に雪風の中に生まれた予感が、特攻まがいの行動を実行させたのだった。

 

 魚雷が三本爆ぜた。大きく船体が揺れるのが分かる。

 効いている。魚雷のダメージだけでなく、日向の砲撃も蓄積されている。

 目に見えて得られた成果が雪風の身体を強く支えた。

 それは後方でこちらを窺っている利根たちの目にも映った成果であった。

 

 次発装填が終わった魚雷管を回し、再び発射体制を整えながら敵艦と相対する。

 

「ハァ……ハァ……」

 息が切れる。擦り減っていく精神と、それに伴って力の抜けていく身体。

 歴戦の記憶と、矜持。それだけが艦娘たちが共有できる記憶。だが、雪風は違う。

 

 

 そこに先代の《雪風》の記憶がある。

 彼女は吹雪の中で共に戦う事を辞めて、同じ海に立つことを選んだ。

 その理由は、《吹雪》を内なる世界に待つ者たちの下へと導くこと、それともう一つ。

 駆逐艦として共に戦った在りし日の彼女ともう一度肩を並べて海を駆けてみたかった。

 

「雪風は、守ります……仲間を、守ります」

 あの時代と同じように。混沌と混乱に晒された人間の浅ましさに一時は絶望すら抱いた。

 屈強な仲間たちがより強大な力を前に崩れ落ちていく様を見届けた。

 

 零れ落ちた命は数知れず、葬った敵艦も数知れず。

 何を守るかさえ分からなくなった闇の中で手を引いて導いてくれた光があった。

 

 今、ここにある自分は、その光の意志をここに体現するためにあるのだと言う使命感。

 ただ一つ。雪風の中だけにあるその意思が二射目の魚雷を海中へと放った。

 

 一本目、二本目、三本目、四本目、五本目、そして―――雪風の身体が浮き上がった。

 胸の辺りに痛みが走る。これは幻だろうか。精神波動による幻の痛みだろうか。

 

 気付けば海の上に転がっていた。

 そこに至るまで何度か海面に叩き付けられたような気もするが、

 朦朧とする意識はそこまで思い出せずに揺蕩っている。

 

 何とか身体を起こした雪風はその空間に違和感を覚えた。

 身体は重たいのだが、それでもどこか清々しい。

 痛みはあるのだが、それは見知った痛みであって嫌悪感を覚えるような痛みではない。

 

 ハッとなって顔を上げると、先程まで海上を鳴り響いていた精神波動が止んでいる。

 それを好機と捉えるまで雪風は夢の中に堕ちてはいなかった。

 

『―――さん……――風さん!雪風さん!!』

 無線から声が聞こえた。まともに会話ができる程度に環境がマシになったようだ。

 

『無事ですか!?雪風さん!?』

 聞き覚えのある―――夕張の声だ。鬼気迫る声で雪風の名前を呼び続けている。

 

『逃げ―――くだ―――さん―――!』

 掠れた声で雪風が返事する。無線の向こうでは反応に対する歓喜の声が聞こえたが、

 雪風の心境はそれに構っているほど穏やかではなかった。

 

『夕張さん、全員を連れて距離をずっと取ってください。あの射程は計り知れないです』

 

『それよりも雪風さんこそ!急いでそこから離れてください!機関は無事ですか!?』

 機関は……まだ動く。足もまだ海上に立っている。主砲は1基ダメになった。

 魚雷発射管には……発射できなかった魚雷が一本引っかかっている。

 衣服の損傷はそれほどではないが、呼吸が辛かった。小破相当の損傷だろうが、状態は芳しくない。

 

 自分の状態の確認を終えると、急いで敵艦を見据えて―――そして絶望した。

 棒状の何かは青く染まり切っていた。それこそ、青い炎を纏っているかのように。

 

『私は大丈夫です!急いでそこから逃げてください!!』

 雪風は遠く離れた仲間たちに呼びかけた。

 しかし、その声が彼女たちへと届き、彼女たちが動き出す前に、一閃の光が世界を二分する。

 分かりやすく、天と地に。天と海に。一本の線が彼女の視界に映る景色に境界を作り出すように。

 

 音が薙いだ。聴覚を失ったように静かだった。

 

 長い時間があった。僅か一瞬の出来事が永遠のように焼き付いた。

 

 海が割れた。モーセが割ったように割れた。

 

 世界の叫びが聞こえた。全ての命を引き裂くような金切声のような音だった。

 

 見えない壁に押し倒されて、天か地か、この身に相応しい方へと倒れ込んだ。

 

 

 

 

 



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喪失までのカウントダウン -EPILOGUE-

 気が付けば仰向けで倒れていて空を見上げていた。曇り空だった。

 耳元が五月蠅かった。ザーッとノイズが流れている。

 どれくらい気絶していただろう。浅い眠りの中で短い夢を見ていた気がする。

 

 ふらりと立ち上がってみれば、右脚が浸水を始めている。

 魚雷管に引っかかっていた魚雷がどこかにいってしまった。

 ダメになった主砲はどこかに飛んで行ってしまった。頭の電探も調子がおかしい。

 

 左脚の注水をしてバランスを保って辺りを見渡した。

 ほとんどダメになった状態で、何とか海に立っている。

 それ以外は人間とほとんど変わりがない姿で。

  

 自分だけが海の上に立っている。その他の姿は一つも見当たらない。

 目を凝らせば仲間の姿が見えた。沈んではいない。ただ、異様であった。

 

 皆が水の上に横たわって浮かんでいる。その身体に艤装と呼べるものはなかった。

 ただの少女たちが浮かんでいる。それは戦場の光景とはとても思えない。

 

「あぁ……あぁ……」

 酷く弱弱しい声が聞こえた。声の主は苦しんでいるのだと分かった。

 

「あああ、あああっ!あああああああッ!!あああああああッッッ!!!!」

 もはや言葉ではなかった。声の主は感情のままに叫び散らしている幼児のような人間だろうと推測した。

 今すぐ声の主を探して文句を言ってやりたいと思った。

 耳が痛かった。喉が痛かった。頭が痛くて、胸が痛くて。とても聞いていられるものじゃなかった。

 

「ぁぁぁぁぁぁぁ……」

 声が細くなっていく。まるで終戦を告げるサイレンのようだ。

 鳴り終わった後も遠くに残った反響がしばらく耳に着く。

 彼女の声が細くなっていくにつれて、無気力感と絶望が押し寄せた。

 幾度となく繰り返してきた現実。それを覆すために潜り抜けてきた戦場。

 

 そして、手に入れた誰かを守ることが出来る力。

 すべてはこの絶望を二度と味合わぬためであった。

 全身の細胞が、魂の一片に至るまでが、その絶望を拒絶していた。

 

 時代が変われど、魂は同じ。そこに変わりはなかった。

 ブイン基地のあの寂れた工廠で目覚めた時から、眼前の仲間は全て守り通すと誓った。

 それはかつての仲間の面影を残す艦娘たちや人間たちに出会う度に一層に強くなっていった。

 

「……また、ですか」

 そして、雪風は独り。海の上に跪いた。

 そんな彼女を、異形の海龍に取り付けられた女神像が見下ろしていた。

 虚ろな目には、その女神像の腹部が開いて覗く、口のような空間の奥にある闇に似たものがあった。

 

 

 

 雪風は先代の時代に、五度に渡る鉄底海峡の戦いで、それに似たものを一度だけ見た覚えがある。

 海峡に先行していた艦隊は全滅した。理由は不明。突如消息を絶った。

 続く艦隊も半壊し、生還した艦娘の証言により雪風の艦隊が出撃した。

 その時は雪風の直感が働き、艦隊は全滅を免れた。しかし、半数の者が精神に異常を来した。

 

 帰還して調べてみれば『彼女たちはもう「艦娘」として役に立たない状態』だった。

 

 原因は不明。当時は、深海棲艦の生態を詳細にまで調べ検討する余地など無かった。

 

 最終的には精鋭空母機動部隊により、砲撃する前に徹底的に焼き尽くされて海に沈んだ。

 叩いてみれば呆気なかった。その砲撃の為だけに特化しており、防御の面も他の面も圧倒的に弱かった。

 艦娘に一矢報いる為だけに生まれたような存在。それが過去の雪風の記憶であった。

 

 否、あれは一矢報いるどころの兵器ではない。

 あの砲撃に実体はない。放たれたのは先程まで艦娘を苦しめていた精神波動を極限までに濃縮したもの。

 

 身に受ければ、艤装に宿る戦船の魂が身体より乖離する。

 そうなった状態の少女たちをもはや「艦娘」などとは呼べず、無理やり魂を引き剥がされた身体が

 無事で済むはずもなく、精神とも呼べる魂を失くした身体は内に存在する空虚さに苛まれ崩壊する。

 

 『生きとし生ける者を否定する一撃』、そう呼ぶに相応しい。

 

 

 時代を超えて、それは雪風に絶望を叩き付けた。

 そして、それはもう一度何者かに向かって照準を定めようとしている。

 虚ろな目のまま、雪風はその方角へと目を向けた。あちら側には何があっただろうか?

 

「船……」

 そうだ。あちら側にはかなり距離が離れているが、呉鎮守府の提督が乗る護衛艦がいるはずだ。

 なるほど。邪魔な艦娘たちを片付けて、次は人間まで殺そうと言うのか。

 仲間ではなく、人間まで失えばどうなる?

 

 一度とたりもそんなことは考えなかったが、仲間は戦うために生み出された消耗品のような存在だったかもしれない。

 しかし、人間は自分たちが守るために存在する。人間を守ることが艦娘の存在意義だ。

 

「…………もうやめてください」

 あれやこれやと考える前に心の内側が言葉になって露見した。

 揺らいで、揺らいで、揺らいだ先で、己の存在意義を守るためだけに、その他の全てを切り捨てていた。

 

「もう何も、奪わないで下さい!!」

 それは自らの意志でこの地に立っていたはずの者の言葉ではなかった。

 勝者でもなければ、敗者の言葉でもない。ありとあらゆる前提を無視した言葉であった。

 

 しかし、それは言葉が通じぬ相手であったからこそ伝えられなかった本心でもあった。

 言葉が通じる敵であったのならば、もっと早くに伝えられたはずの意思だった。そして幾度となく抱いては大義の為に幾度となく切り捨ててきた願いでもあった。

 

 

 敵艦からの返事は実に単調なものであった。背に備えた黒い破片をいくつも宙へと飛ばした。

 高く、高く、高く飛ばして、それは非常に狭い範囲に集中して降り注ぐように放たれた。

 

 そのまま動かなければ、その範囲に居る生命は如何なるものであろうと死に至ると言うのは自明であった。

 しかし、雪風は動かなかった。動けなかった訳じゃない。足を止めることがこのような結果に繋がることを分かっていなかった訳でもない。諦めた訳でもなければ、死を受け入れた訳でもなかった。

 

 ただ、理由を見失っていた。戦う意義を。故に生き延びようとする意義が見えなくなっていた。

 意義を見出せないからこその選択的不動。不必要なものを排除する合理性のみに思考を委ねた結果に生み出された「『結果的』死の選択」であった。

 

 

『立ちなさい!雪風さん!!』

 無線に突然響いた凛々しい女性の声の直後に、宙に拡散した多数の火の粉が黒の破片のほとんどを撃ち落とした。

 火に包まれた空を見上げた雪風の眼前で、今度は海龍の如き異形の身体が大きく歪んだ。

 その衝撃は海を伝播して、ちいさな雪風の身体を大きく震わせる。

 

『立って、生きると言う選択を、自らの意志で選びなさい!それが生きる者が為すべきことです!!』

 この声を知っていた。

 どこで聞いたのかすぐに思い出せないほど、深く、遠く、懐かしい声だった。

 しかし、それほどに強く深く根付いた縁を感じた。勇ましく強い声に不思議と涙が零れ始めた。

 

『あなたにもう戦うことは強制しません。それでも、生き続けることを選び続けなさい。この言葉はかつてのあなたがくれた言葉だったはずです』

 古い記憶が蘇る。その言葉は戦場で死ぬことばかりを考えていた新人に向けていた言葉だった。

 かつてない強敵を前にして、自分が死ぬことしか考えられなくなったら、その時は戦いを放り出してでも生きる道を見出してほしいと願った言葉だった。生きて帰りさえすれば、何とかなるかもしれない可能性が残っているのだから。

 軍人として馬鹿々々しいと何度も笑われ、余所の提督からは臆病者と罵られ、幸運艦ではなく逃げ足が速いだけなどと揶揄された時期もあったが、それでも雪風は諦めずに訴え続けた。

 

 やがて、彼女の率いる駆逐隊が脅威の生還率を叩き出すようになってから、雪風は『幸運の女神』と呼ばれるようになったが、そうではないことを理解していたのは一部の艦娘と提督だけであった。

 

 雪風は直感的に知っていたのだ。

 いつだって幸運の女神が微笑むのは、生き続けることを選んだ者たちだけだと。

 

 

 超々遠距離からの怒涛の砲撃は、神懸った命中率で海龍の如き敵艦の船体を抉り取って行った。

 それも普通の艦艇であれば、命中すれば必死の一撃。後方から感じる砲撃の圧も、命中した敵艦から感じる威力の圧も、何もかもが規格外であった。

 

「――それで、どうする?」

 そんな砲撃の重奏の中を掻い潜って、雪風の前に一人の少女が姿を現した。 

 

「大和さんはああ言ってるけど、雪風ちゃんはどうする?」

 セーラー服姿の少女は跪いた雪風にさっと手を差し出した。まるで答えは聞いていないかのようだ。

 この手を取って立ち上がれ、と言っているようなものじゃないかと、雪風は呆れて笑ってしまった。

 

「ハハッ、でも今回ばかりはもうダメかもしれませんよ?」

 差し出された手を取る前に、雪風は問いかけてみた。この少女は相変わらず、強い光を宿している。

 その光はこれほど絶望的な状況でも未だ尚も健在なのだろうかと確かめたかった。

 

「大丈夫。状況はそんなに悪くない。雪風ちゃんが思っているような最悪の事態は起きてないから」

 少女は自身に満ちた表情でそう答えた。それを見て、雪風の手は真っすぐに彼女の手を握った。

 力強く引き上げられる。ボロボロの身体は真正面の少女と見比べると随分とみすぼらしい。

 

「動けるなら島に戻って。あなたの手伝いが必要になるかもしれない」

 少女は人工島を指差しながら雪風に指示を出した。

 

「手伝い、ですか?」

 自分に何の手伝いができるのだろう。立ち上がれと言われたが、自分はもう兵装すら失った身だ。

 しかし、少女は一度頷くと嬉しそうに笑みを浮かべた。

 

「そろそろ、時間だと思うんだ。確信はないけど。でも、多分来るよ。そんな気がするから」

 期待と希望。そんな感情に満ちた笑み。一体、何が来ると言うのだろうか。

 

「まだ不慣れで手間取ってるかもしれないから、出来るだけ早く連れてきて。あの子がきっとこの戦場を勝利に導くカギを握っている。分からないなら、行けば分かるよ。希望はまだ潰えてないって」

 

 訊き返そうとしたがそれ以上は敵が待ってくれなかった。

 周囲に大量の水柱が立ち、少女が雪風を守るように射線上に立ち塞がった。

 

「早く!行って!!」

 少女は背中越しに雪風を急かす。少女も駆逐艦だ。人ひとり満足に庇えるような装甲はしていない。

 

「……吹雪さん、気を付けて!!健闘を!!」

 雪風は敵に背を向けて海上を駆けて行った。機関は満足に動かない。それでも、可能な限り速く海を駆けた。

 まだ混乱していた。そのために、吹雪の言う希望が何かをすぐに思いつくことが出来なかった。

 

 そして、もう一つ。遥か彼方に望む巨大な影。それは、間違いなく艦娘だ。

 記憶が喜んでいるのだ。彼女に再会できたことを。彼女ともう一度同じ戦場に立てたことを。

 

 色んな感情がぐちゃぐちゃになっている。

 

 

「あとでゆっくりと語り合いましょう、雪風さん」

 友の安全は確保した。心の方もきっと大丈夫だろう。

 であれば、当方の為すべきことはただ一つ――目の前の敵を撃滅するのみ。

 

「戦艦大和、推して参るッ!!」

 すらりと伸びるスタイルのいい長身の女性。その身体に見合わぬ巨大な艤装は、さながら洋上に出現した要塞のようであった。潮風に長く伸びた髪が靡く。誰か見ても端正だと分かる美貌に、百戦錬磨の漢にも引けを取らない気迫が滲み出している。艤装を見てもその重厚で流麗な装甲は、有象無象の放つ砲撃ではビクともしないことを見るだけで悟らせる。

 45口径の主砲が啼けば、それは海の雄叫びのように轟き、海面を震わせる。

 日本海軍が有する最強最大の超弩級戦艦、大和型一番艦《大和》が再びこの海に降り立つ。

 

 かつては国の威信を守るため。銃後の民を守るため。

 かつては深海より来たりし異形の敵より世界を守るため。

 今はただ、友を守るために。

 

 超大口径の主砲が一斉に吼えた。海が震え、空間が崩れそうな轟音が響く。

 異形の海龍の身体を寸分違わず捉えた徹甲弾は、重厚な漆黒の装甲を食い破り、船体の一部分を吹き飛ばした。

 

 

 

     *

 

 

 薄暗い部屋。配線のように部屋中を走る青い光だけがこの部屋の明かりだ。

 その数え切れないほど張り巡らされたその光の線を束ね、全てがひとつの装置へとつながっている。この部屋にある全てをそこに腰を掛ける少女へと移すための装置。

 

 その過程で、少女の様相は大きく変わっていった。

 髪も背も伸び、顔つきも幼さが薄れ凛々しさが一層に際立っている。少女の延長線上にしかいなかった少女が、戦乙女へと生まれ変わったかのように。彼女の身体を作るFGフレームが強制的に書き換えられたせいで彼女の身体にも影響が出ていたのだ。その適応の為に時間が必要だった。

 例え、外で友たちが戦っていようとも、彼女はここを動くことができなかったのだ。

 

 

 しかし、その時間もようやく終わりを告げた。

 

 

『――――改造終了。貴方の中にあるものを一部書き換えさせてもらったわ。そうしなければ、この身体は容易く扱えないから』

 対岸に映るかつての英雄の亡霊は、生まれ変わった少女を見ながらそう言った。

 その姿は《改造》を終えた少女に酷似しており、懐かしむような目で少女を見ていた。

 

「随分と気味の悪いことをしてくれたじゃない……、見たくもない記憶まで見せられて」

 一方で、少女の方と言えば気分が悪そうに頭に手を当てながら小さく横に振る。亡霊を睨みながら装置から腰を上げると、うんと背伸びをした後に顔にかかる伸びた髪を煩わしそうに払った。

 

『全ては必要なことよ。貴女が、貴方の護りたいものを守るために、ね……。使い方は頭の中に入っているはずよ。惜しみなく、存分に振るいなさい。それはこの世界で貴女だけに許された特権なのだから』

 

「ええ、使わせてもらうわ。存分にね……下らない記憶を頭にねじこまれた私はそのくらいの権利はあるでしょうから」

 語り掛けるように話したところで、返事が戻ってくるわけでもないだろう。

 所詮は遺された記憶だ。彼女がそこにいる訳ではない、亡霊に過ぎないのだ。

 

 何故ならば、彼女は―――その名を持つ者は自分自身で、この身の内に居るのだから。

 

『まあ、好きにすると良いわ。どうせ貴女はこの道を征くことしかできない。だから、好き放題に、好きにすると良いわ。話は終わり、最後に―――』 

 それなのに、彼女はこちらの意図を理解しているかのように言葉を紡いでいく。

 亡霊が微笑む。何を笑っているのだと苛立ちを募らせながら、見ていれば楽しそうにこちらを見て

 

『私の事が嫌いかしら?』

 

「ええ!大っ嫌いよ!!!」

 15年弱、募りに募らせてきた鬱憤が爆発したようだった。生まれてきた時から定められた運命。それい付随した容赦のない理不尽の連続。進みたくもない道を歩かされて、未来には在り来たりな選択肢すら存在しなかった。

 「好き」だという感情を抱くことが決してあり得なかった。この命が尽きる時に「まあ、悪くはなかった」と思えることはあるとしても、好意的な感情を抱くことは性別が変わろうとあり得ない。

 

 しばらく、じっと睨みつけていた。だが、それも馬鹿に思えてきて無駄なことに時間を費やす自分に呆れて溜息が出た。

 

「アンタは大っ嫌い……でも、私は私が好きでなくちゃいけないのよ。それを望む子がいるから」

 

 返事はなかった。顔を上げてみればそこに亡霊は既にいなかった。

 役目を終えた装置も沈黙している。代わりに赤い誘導灯が彼女の進むべき道を示していた。従って進んで行けば

やがて巨大なリフトへと辿り着いた。微かに潮の香りがする。

 

 つまりはそう言う事か―――納得した瞬間にリフトが下降を開始。

 いくつものアームが伸びてきて、彼女の姿を完成させていく。

 

 そして、足下に海水が張り始めた時、「改二」の力を手にした《叢雲》が再び海に立つ。

 出撃レーン。彼女の為だけに用意されたはずのその場所に、一つの小さな影があった

 

「あら、雪風。随分とボロボロじゃない」

 

「叢雲……さん?」

 十数時間前と変わり果ててしまった戦友の姿に驚きながらも、その姿が在りし日の記憶の中にある「彼女」の姿を重なりしばらくの間、雪風は硬直してしまった。

 

「アンタらしくないわね。私の事はいいから休んでいなさい」

 

「あっ、いや、あの……叢雲、さん? 私は……」

 呆然としている雪風は何かを伝えたいらしかったが、予想外の衝撃が彼女の思考を乱している。かつての憧れを重ねたのか、背を追おうとしかねない重傷の少女の下まで歩いて行き、その肩に手を置いた。

 

「着いてくるなら、せめて応急修理くらい済ませてからにしなさい。雪風、まずは生きることを考えるのよ。私たちは沈んではいけない。守る者が後ろにいるからよ。いいわね?」

 

「―――はいっ! えっと、ご武運を!」

 ボロボロのまま敬礼を送る彼女を見て、思わず叢雲は微笑みを浮かべた。それも一瞬の事で水平線を睨むとやや前傾姿勢になり海面を蹴った。

 

「駆逐艦《叢雲》、出るわ」

 一斉に艤装が駆動を開始する。近未来的フォルムをした艤装に光が灯り始め、充分に温まった機関が唸り、叢雲の身体は凄まじい勢いで細い水路を駆けた。

 

 

「志童、聞こえるかしら?」

 

『叢雲さん、お待ちしておりました』

 無線が《天の剣》の代表に通じる。その声色からしてそろそろだと待ち構えていたのだろう。

 

「アマノハバキリ、使えるようにしておきなさい。いきなりぶっ放つわよ」

 

『既に申請を通しています。もうしばらくすれば、使用許可が下りるかと』

 

「随分と準備が良いじゃない。悪くないわ……っと、見えてきたわね」

 一分と経たずに叢雲は海上に浮かぶ巨大な影を捕捉する。その船体を削りながら、反撃で飛来する百を超える弾幕を掻い潜る超弩級戦艦の姿。

 

「魚雷発射用意。一番から六番、全部よ……、当たるわよ。撃つのは私なんだから」

 驚くほど身に馴染む艤装。実際は駆逐艦の船体に余る重武装をしているのだが、不思議と海の上に立てば気分が高揚してくる。海との結びつきの強さが段違いに変わったのだ。

 今は海上で交わされる会話の声すら聞き取れる。電探を使わずとも敵の位置がはっきりと分かる。

 

 これが先代の《叢雲》が感じてきた景色なのだろう。

 

「魚雷発射」

 試製六連装酸素魚雷―――次々と放たれた魚雷は静かに真っすぐと海龍《アダム》へと伸びていった。

 しばらくしてから、海龍の意識の外から命中した魚雷は大きく船体を抉り傾斜させた。

 

「まずは挨拶よ。竜骨圧し折られて、私の前に跪きなさい」

 

 自覚はなかった。

 しかし、その時炸裂した魚雷と傾斜する海龍の船体。驚きからこちらを振り返る大和や吹雪。それら全てを肌で、目で、耳で感じ取っていた彼女の表情には、無邪気にも思える笑みが浮かんでいた。

 

 

 

     *

 

 

 

 カウントダウンが始まる。

 全てが終わるその時までを、一つ、一つ、刻んでいく。

 

 異変はまず北の果てで起こる。

 幌筵泊地、単湾冠泊地、壊滅。

 一般兵の9割を損失。艦娘を含め、残存した艦隊は大湊まで退却。

 轟沈こそなかったものの、投入された5割の艦娘が大破判定を受け、長期入渠に。

 

 そして、南海。

 護衛艦「ちょうかい」、ロスト。忽然と《天の剣》近海から姿を消した。

 海龍《アダム》と戦闘を行う艦娘7隻のうち、2隻をロスト。

 残された5隻は佐世保に辿り着くも、被害大のため長期入渠。

 

 

 艦娘史に刻み込まれた怨嗟の鎖が静かに、音を立てて彼女たちの栄光に削るように締め上げていく。

 在りし日の伝説と謳われた日々の全てが否定されていく。

 

 そして、この時代も終わりを告げる。

 





お久しぶりです。
もうどんな話書いてたか忘れかけてます、作者です。

やりたいことは全て自宅にあるのに、自宅にいると妙な強迫観念で気分が悪くなると言った絶妙な精神状態をぷかぷかとしている程度の忙しさのため、好きな音楽をガンガンかけて、とりあえずキリがいいのかどうか分かりませんが、話を進めさせていただきます。



さて、長かった本章ですが(主に私の遅筆&多忙のせいで)終わりましたぁ……。
そして何かが始まりましたぁ……いやぁぁあ

たらたらしている間に改二実装されまくりですよ。陽炎型とか。
(個人的に、長門改二と赤城改二が熱いです)


次章はですね、まあ何というか最終章なんですかね? メインの話自体は最終章のつもりですね。終わるのかなぁ……?

最終章終わったら、最終章その2と言いますか、ずっと書きたかったこの物語の終わりをちょこっとだけ書いてこの物語全ての終わりとしたいなぁ(願望)


頑張ります。


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