ソードアート・オンライン 嘆きの鬼 (騎志丸)
しおりを挟む

プロローグ

プロローグなんで字数は少ないです。


 薄暗い森の中を一人の男が逃げていた。

 人相が悪く、筋肉隆々でいて皮鎧(レザーアーマー)に金属製のガントレット、脚は動きやすさを重視してか布製のダブッとしたズボンを履いているいかにもな軽装と、そしてその手には大剣と呼べる程の得物を握っている。

 だが、そんな男が涙と鼻水を垂れ流しながら、森の中を必死で逃げていた。

 男は走りながら後ろを振り返る。自らを追い詰める者から逃げ延びていると信じて。

 しかし、その視界に映ったのは真紅の光。

 深く暗い森の中で赤い光だけが浮き出ているように目立っている。その赤い光が段々と男に近づいてきていた。

「ヒィッ……!?」

 それを確認した男は思わず悲鳴を上げる。

「ぎゃばっ!?」

 そのためか、それとも森の薄暗い中で気付かなかったのか、あるいは両方か、地面から盛り出ている木の根に足を引っ掛けて転倒してしまう。

 起き上がろうと必死に腕に力を入れる男だが、恐怖のためかガクガク震えて力が入らない。

(ダメだ!! このままじゃあいつ等みたいに殺されちまう!!)

 自分の死を意識したためか、更に震えてうまく立つ事ができない。

 自らの剣を地面に突き刺して杖にする事で、震えながらもやっと立つ事ができた。

 

 だがしかし、遅すぎた。

 

「っ……!?」

立つ事ができた男の背後に、一人の騎士が立っていた。

 白銀の全身鎧(フィールドアーマー)でその身を包み、表情も顔全体を覆い隠すタイプの――アーメットと呼ばれる――兜をかぶっているために読み取ることができない。まるで物語に出てくる騎士のような姿をしている。

 

 だが、雰囲気はまるで逆。

 

 陰のありそうな猫背に、右手には柄だけで自らの身長すら凌駕する一対(いっつい)の禍々しい刃を持つ大斧、鎧を纏っているのにあまりにも体の線も細い、そして何よりも真紅の光――いや、オーラと呼べるべきモノが全身から放出されている。

 そのせいで物語に出てくる騎士と言うよりは魔王配下の騎士と言った方がしっくりくるだろう。

(オーガ)ッ!?」

 追い詰められた男が騎士――(オーガ)に向かって怒鳴るが、鬼は黙ったまま男を見据える

「おいおいおいおい、マジになるなよ? こりゃ所詮ゲームだぜ?」

 男が恐怖心を押し殺して鬼へと語りかけた。

「確かにログアウトできなくなっちまったが、仮想現実(ゲーム)で死んだら現実(リアル)でも死んじまう――なんて事は馬鹿げてると思わないか?」

 そう、この薄暗い森だけでなく、この世界全体がVRMMORPGという仮想空間を舞台としたオンラインゲームである。

 ナーブギアと呼ばれるヘッドギアのような形をしたハードであり、現実世界からプレイヤーの脳と繋ぐ事でこの仮想空間――ソードアート・オンラインとアクセスする事ができる。

 そのため、従来のコントローラーを使用する事もなく、プレイヤーがとろうとした行動そのものが仮想空間内で反映される。

 それは多くのゲーマーの心を鷲掴みにし、話題を呼んだ。

 だが、とある理由でこの仮想空間に一万人に及ぶプレイヤーが閉じ込められる事になる。更にはHPが零――つまりゲームオーバーになる事によって、ナーブギアを介してプレイヤーの脳を焼き切り、現実世界の命まで()たれるというデスゲームへと変貌した。

 それはもはや、プレイヤーにとって仮想空間(ゲーム)ではなく仮想現実(もう一つのリアル)となった。

「まあ、確かに俺たちはこのゲームに囚われちまったけどよ、それでもここで死んだら現実で死ぬってのがリアリティが無ぇつーか、もしかしたら死んじまったら現実に帰れるかもしれないじゃん?」

「……オォ……」

 男の問いかけに鬼はピクリと反応すると、地面に下ろしていた大斧を片手で振り上げる。

「ちょっ!? タンマタンマ!?」

「オオォォァアアアァァァァァァッ!!!!」

 しかし男の抗議を聞くこともなく、絶叫とも慟哭とれる声を発して異常な速さで大斧が振り下ろされる。

(チィッ……!? 逃げられねぇし、もうこうなったらやるしかねぇじゃねぇか!)

 だが、男はなんとか横っ飛びで避ける事ができた。そして思考する。目の前の鬼を倒すまでにいかないまでも、逃げ切れる隙ができれば、と。

(転送結晶があれば一番楽だったんだけどな。今は手元に無ぇし……)

「アアァァアァァァァァァッ!!!!」

(こうなりゃやぶれかぶれだろ!)

 男が思考し、決すると大剣を振りかぶる。

 鬼は大斧を振り切った後だ。体勢が制限されている。だから必ず当たる。

 男はそう思っていた。

「おりぃやぁぁぁっ!!」

 ギィンという金属同士がぶつかり合う音で男が目を見開く。

 大剣と大斧がぶつかり合った音ではない。大斧は未だに振り切られている。

「ガントレットだとっ!?」

 そう、男が着けている金属製のガントレットと鬼のガントレットがぶつかり合った音だ。

 大剣を振った男の腕に、鬼の空いている腕を滑り込ませて振り切る前に防いだという事だ。

 更に鬼の腕が力を込めて男の腕を払いのけ、体勢を逆に崩された。

(こりゃ、体術スキルの弾き防御(パリィ)か!? 酔狂なモンを!?)

 体勢を崩されたタネがわかり、内心で悪態を吐く。

 

 正直、体術スキルのパリィは使い手が少ない。何故なら、武器を振りかぶってくる相手に素手かグローブ等で攻撃を逸らすのだ。ちょっとでもミスればHPが削れる。つまり、この世界ではそれほど死に近づく、という事だ。

 そんなもの使うのなら、武器や盾でパリィしたり防いだ方が効率も良いし安全という事だ。

 

 だが、鬼はそれをやってのけた。

 

 そして男が体勢を崩した今、鬼がそれを見逃す筈もない。

 鬼が持つ大斧の刃が返され、そのまま男の体を切り裂き吹き飛ばす。

「かはっ……!?」

 大地に叩き伏せられた衝撃で思わず大剣を手放してしまう。男が視界の端で自らの命の残量を示すHPを見ると、ほぼ全開だったにも関わらずにイエローゾーンを超えてレッドゾーンまで突入している。

たった一撃でそこまで削られた事に男は動揺しながらも、立ち上がろうとする。

 だが、それをさせまいと鬼が男の胸を潰す勢いで踏み、立ち上がるのを阻止し、そのまま大斧を男の首へと突きつけた。

「お、おい。冗談だよな……?」

 自らの命が窮地に立たされ、男は押し込めていた恐怖があふれ出して体がガタガタ震えだす。

「…………」

 男の質問に鬼は答えない。しかし、これが答えだと言わんばかりに大斧を振り上げた。

「ちょちょちょっ、マジ洒落になんねぇって! 助けてくれ! お願いだ!」

 鬼の答えを知っ男が鬼の足をどかそうと掴んで暴れるがビクともしない。おそらくは先のダメージでもわかる通り、男と鬼のレベル差が大きく開いているからだろう。

 男の命乞いを聞いてから、鬼の機嫌が更に悪くなったように踏みつける力が強くなった。更に兜の目出し部分から覗く目は侮蔑(ぶべつ)と怒り、そして憎しみの色が浮かんでいる。

「やめろ! おまえはゲームで人を殺すのか!? この人殺――」

 男の言葉は続かなかった。

 鬼の大斧が振り下ろされ、男の首を刈り取ったのだ。その次の瞬間には男は青い光に呑まれ、ガラスが砕け散るような音と共に仮想世界と現実世界から永久的にログアウトした。

 砕けた男の破片の最後の一片が消えるのを鬼が見届けると、その体から湧き出る禍々しい真紅のオーラが霧散した。

「ゲームだから殺しても問題ないと言っておきながら、いざ自分がやられそうになると手のひらを返す……これだからPK(プレイヤーキラー)って奴は……」

 ここにきて鬼が初めてまともな声を発した。兜のせいでくぐもった声をしているが、誰が聞いても男だとわかる低い声だ。

「人殺し? わかっているさ。……でもな、それでも俺はお前達PKを許す事はできねぇんだよ」

 そう吐き捨てて鬼は大斧を引き摺ってその場からゆっくりと立ち去っていく。

(こうやってPKK(プレイヤーキラーキラー)してたらいずれは報復とかされるだろうが、そりゃ俺の望む展開だ)

 望むと思っておきながら兜の奥にあるその表情は笑みではなく、憎しみと憤怒によって険しいものだった。

「俺はお前らを狩り続ける。俺の命が燃え尽きるその時までな……」

 その言葉と共に、鬼の姿が薄暗い森の闇に溶け込み消えた。

 

 

 これは、ソードアート・オンラインで唯一、命まで奪う、とある(PKK)の物語。




約一年ぶりだわ(笑)
忙しかったり、PC壊れたりしてね。ちょっと加筆修正していきます。
後、要望に応えて話の展開とか変えていきます。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む



約一年ぶりの投稿ですね。
私事がごたついたりPC壊れたりしたけれど、とりあえず復活。
ま、牛歩更新は変わりませんけどね。
感想でも結構あったので展開を変えてみました。
やはり現代をやりつつ過去話を練り込む方がいいか、と。


 夜、第五四層にある鬱蒼とした森を抜けて、(オーガ)は街の近辺へと戻って来ていた。鬼は木の陰に隠れて辺りを見回す。誰もいない事を確認した鬼は指を虚空に翳して自らのメニュー画面を立ち上げ、装備一覧に手をかける。

 アイテム欄を操作して鬼の見かけが変わっていく。白銀の全身鎧から、兜は顔全体を覆うアーメットタイプから、頭と鼻元までを覆うスパルゲン・ヘルムという兜へ。胴は前面と背面を覆うキュイラスという鎧へ、その下にはノースリーブのインナーを、下半身はダブッとした布製のズボンに足首までをスッポリ覆うブーツにズボンの裾を入れて動き易くしたものに。左手には肩まで覆う鎧とガントレットと紋章が描かれた盾を、右手には肘までのガントレットと無骨なデザインの直剣へと、かなり身なりが変わっている

 だが、相変わらずの線の細さは変わりはしない。その上から全身を覆い隠せる程の小汚い灰色のマントを羽織っている。

 装備の変更を終えた鬼は、何食わぬ顔で街の中へと入っていった。

 この仮想空間(ゲーム)――ソードアート・オンラインは第百層からなる膨大でいて巨大な城が舞台のVRMMORPGだ。ナーヴギアと呼ばれる顔全体を覆うヘルメット状の端末を使い、脳と直接接続する。それは五感を始めとした脳から体に発せられる出力を全てを切断・回収されてこのゲームへとアクセスする。故にこの仮想空間は仮想現実へと姿を変え、プレイヤーは豊富過ぎるスキルの数々でこの仮想世界で文字通り生きる事が可能だ。だから人々からはこう呼ばれる。

 

 完全(フル)ダイブ、と。

 

 しかし、そんな夢のような現実は一人の男によって悪夢へと変貌する。ナーヴギアの製作者にしてソードアート・オンラインのプロデューサー、茅場(かやば)晶彦(あきひこ)の手によって。

 茅場は当時、ソードアート・オンラインを制作した際にこの言葉を残している。

『これは、ゲームであっても遊びではない』

 プレイヤーの大半はこの言葉を、仮想世界で生活できるために、第二の人生を送れるようになる。故に遊びではない、そう捉えていた。

 だが、現実は違った。もっと凄惨なものへ。

 二〇二二年十一月六日、それは突然始まった。このゲームからログアウトする事ができず、外部の手によってナーヴギアの強制撤去および電源切断等の行為、二時間以上のネットワーク遮断、そして何よりゲーム内での死、それが現実においてきた体にある脳をナーヴギアが焼切ってしまう。

 つまり、上に書いてある事が行われた場合、プレイヤーは現実でも『死ぬ』のだ。

 それが現状のソードアート・オンラインである。

 デスゲームと化したソードアート・オンラインで人々は生活を始めざるを得なくなった。街に引きこもる者、この世界からの脱出のために攻略に励むもの、ゲームの中層で安全マージンをとって適度なスリルを味わう者、プレイスタイルは人それぞれだ。

 そして、鬼も自分のプレイスタイルを貫いている。

 

 復讐、というプレイスタイルを。

 

 街の中に入ると、出歩いているプレイヤーの数はそれほど多くない。それは当然で、現在の攻略最前線は第五八層なため、最前線に近いこの階層には用のある攻略組か、攻略組に入りたいとレベルを上げる者達ぐらいしかこの街にいない。だが、そのためにレベル上げやレアアイテム取得のためにやってくるプレイヤーをターゲットとしたPK等も横行している。

 鬼はそれをカモにしている訳だが。

 宿屋や道具屋等に見向きもせずに裏路地をに入って入り組んだ道を迷いなく突き進んでいく。すると、行き止まりになっておりそこにボロボロのポンチョを羽織り、フードを目深にかぶっていて顔はわからないが、口元は見えており、嫌味そうな笑みを浮かべている。はっきり言ってあまり近づきたくない部類の人間だろう。

「イヒヒ、こりゃ早かったじゃねぇですかい旦那。もう殺っちまったのかい?」

「ああ。次だ」

 男にしては甲高い笑い声をあげて、鬼へと話しかけるポンチョの男。それに対して必要最低限の言葉だけで返事をする。

「さすが旦那だ、早い早い……。おっと、情報だったな。この階層に旦那がいるって噂が流れてからはめっきりPKの数も減っちまった。まあ、そりゃそうだわな。旦那は最前線でレベル上げてる訳だし、この辺りでうろうろしている連中じゃ、旦那にゃとても敵いませんぜ」

「いいから簡潔に述べろ」

 少々癇に障る声で長々と話、本題に入らないポンチョの男にドスの利いた低い声で先を促す。その声にポンチョの男がビクリと肩を震わす。

「おー、怖い怖い。さてさて情報だが、今じゃ第四七層辺りでよくPKを見かけるって話だぜ? 有名どころじゃ、ラフコフが最近その階層に顔を出したらしい」

「っ!?……笑う棺桶(ラフィンコフィン)

「目当ては、使い魔蘇生アイテムだろうねぇ。今じゃビーストテイマーはそれほど珍しいってもんじゃない。特に猫型や犬型のモンスターをテイムして、ペットにしてる連中も多い。だから蘇生用のアイテムは今旬だ。そのアイテムを取りに来たプレイヤーをPKしてアイテムを奪い、高値で売ってるんだろうなぁ」

「そうか」

 それだけ聞いて鬼は踵を返してこの場を後にしようと歩き出す。

「行くんですかい旦那。自分も後で四七層に顔を出しますんで。宿屋『月見』を訪ねてくだせぇ。イヒヒヒヒヒ……」

 甲高い笑い声を上げたポンチョの男に背を向けながら、手だけを上げて返事をして鬼はその場を去った。

(旦那、頑張ってくだせぇ。俺ぁ、見届けますぜ。旦那の復讐を)

 ポンチョの男はそう思い、フードを更に目深にかぶり直して裏路地を後にし、そこには誰も居なくなった。

 

 

 

 

 第四七層フローリア。ゲート広場から花が至る所で咲き誇り、細い道の両脇にはレンガでできた花壇がある。そこだけでなく、街の方も色とりどりの草花が咲き誇っている。それ故にデートスポットに指定する事が多い階層だ。

 鬼は転送ゲートから街に現れると、無言で花々の中を歩き出す。

 

 ――どうですか、綺麗でしょう? まあ、貴方に似合うとは到底思えませんがね――

 

 突如、脳内に蘇った言葉に鬼は足を止めた。かつての思い出を確かめるように上を向いて。

「ああ、そうだな。俺に花は似合わねぇよ」

 そう呟いた後、鬼はもう止まることなく真っ直ぐ歩いていった。花を見る事も無くただ目的地のみを目指して。

 鬼の目的地は『思い出の丘』と呼ばれる街からフィールドに出て南に進むとある場所だ。ほとんど一本道なために迷う事もないだろう。

 そしてその場所にテイマー自身が行く事によって初めて蘇生用アイテムを手に入れることができる。更に言えば、その方角には思い出の丘しか存在しないため、テイマーでない限り踏み込むことも無いだろう。

 

 だからこそ鬼は踏み込む。

 

 この場所に訪れるのはテイマーのみ、故にそれを逆手にとって自らをテイマーだとPK達に錯覚させる。そうする事でPK達を釣り上げる。

 単純だが、まずはこの作戦で行こうと鬼は決断した。

「やれやれ、あまり暴れるのに適さない場所だな。特に俺なんかが、さ……」

 思い出の丘に着いた鬼は思わずそう呟いた。

 途中で出てきたモンスターは鬼にとっては相手にすらならない。軽く蹴散らしてここまでやって来ていた。そして、鬼の索敵スキルに数人のオレンジマーカーが反応している。

(さっそく釣れたか)

 鬼はそう思いながら使い魔蘇生アイテム――プウネマの花が本来なら咲く場所へと歩み寄る。周りにいるオレンジプレイヤーから死角になるようにして、イベントリを開き、プウネマの花を格納した、というジェスチャーを見せる。

 それから少々浮かれた顔で来た道を引き返す。

 この辺りのモンスターは駆逐済みなので当分は再出現(リポップ)しない。だから、今襲われたら存分に暴れる事ができる。

 しばらく歩いていくと、複数人のいかにも悪そうな顔つきの男が現れる。鬼の索敵では彼等が犯罪者(オレンジ)だという事は既にわかっている。

 だが、敢えてそのまま通り過ぎようとすると、オレンジの一人がニタニタしながら鬼の肩をつかむ。

「何か?」

「なぁ、兄ちゃん。アンタ、プウネマの花を手に入れたんだろう?」

「……そうだとしたら?」

 鬼が答えると、肩を掴んでいた男が歯を剥き出しにして笑い、腰に差していた曲刀を抜刀する。それに合わせて他のオレンジ達も自分の得物を抜いた。

「よこせよ兄ちゃん。でないと、殺してでも奪っちゃうぜ?」

「……お前たちはこのゲームデスゲームだとわかっててやっているのか?」

 男の言葉に肩を震わせ、自らのスキル欄を立ち上げる。男たちからすると鬼のメニューは可視化されていないため、イベントリを開いていると覆っているだろう。

「ああ、でも悪いのはこんな状況にした製作者様だろ? この中でどう遊ぼうと俺たちの自由だ」

「そうか」

 ケケケと笑う男に、鬼は冷めた返事をし、スキル欄から目的のスキルを見つけ出した。

 憤怒(ふんぬ)血誓(けっせい)。鬼が鬼たらんとする唯一のスキル――ユニークスキルだ。

 

 筋力X倍加※、俊敏値X倍加※、スキル後硬直の無効化、状態異常の無効化、戦闘時回復(バトルヒーリング)の無効化、毎秒X%HP減少※、※X=憤怒の濃度によって倍率が変化するという絶大な効果を持つ諸刃の剣のようなスキルだ。

 特に自らのHPを減らし続けるこのスキルは、デスゲームでは洒落にならない程のデメリットを持っている。元々がゲームであろうと死ぬ可能性があるのならば、普通の神経なら使用する事を考えないかもしれない。

 だが、鬼は違う。目的のために命を投げ出す覚悟がある。否、自分の命に執着がない。

 

 大切なモノを失ったあの時から――

 

「つまり、お前たちはこのゲームで相手を殺せば現実(リアル)でも死ぬとわかっていながらPKをしているのか」

「だから? もしかしたらそれ自体が嘘で、死んだら現実に戻れるかもしれねぇじゃん?」

「……そうか」

 鬼は男の言葉にピクリと反応する。兜で見えないが、頭に青筋が入っているぐらいに怒りを感じていた。

「なら、自分で試せ」

「あ――」

 鬼は迷いなく憤怒の血誓を発動させた。

 体から真紅のオーラが吹き出し、鬼のパラメータが上昇すると同時にHPが減少を始めた。

 現在の憤怒の濃度により、筋力値一・五倍化、敏捷値一・五倍化、毎秒HP三%減少という効果を得た。

 その状態で持っていた直剣を男に向かって股から頭へと斬り上げる。一秒にも満たない行動。たったそれだけで鬼の目の前に立っていた男は両断、真っ二つにされた。そして両断された体は青い結晶となって砕け散る。

 一撃。鬼と男ではそれほどの能力差があるという事だ。

「オォォォ……」

 この憤怒の血誓を使う度に鬼の脳内に大切なモノを奪った者達のケタケタと笑う声が再生される。その声が頭に響き渡るだけで、鬼は怒りの頂点を容易く超える。

「オオオオオオオオアァァァァァァァァァァァァッ!!!!」

 咆哮。慟哭。怒鳴っているのか、泣き叫んでいるのか、ただ鳴いているのか、鬼はそのどれともとれる叫び声を上げた。

 仲間の成り果てとなった青い破片を背景に叫ぶ鬼を見たPK達は、呆然とした状態から一気に覚醒する。

(オーガ)!?」

「アイツは今、五四層にいる筈だろ!?」

「てか、目撃情報と全然姿が違うじゃねぇか!?」

 PK達が一斉に騒ぎ出す。狩る筈の獲物が実は凶暴で獰猛な獣だった事実に、今何をするべきなのかを忘れてただ混乱しだす。

 その間にPKの一人に鬼は一・五倍化された敏捷値の速さで、瞬間的に肉薄する。見失った鬼が目の前に現れた事により目が見開かれる。だが、時は既に遅く、そのPKの首が落とされていた。

 そんな光景にPK達が今やらなければならない事をはっきりと自覚した。

「逃げるしか……!?」

「転移結晶は――!!」

 PK達は再確認した。アレは別次元の存在だと。自分たちでは勝てぬ存在だと。

 だったら逃げれば良い。そうすれば自分たちは助かる。誰でもわかる回答だ。

 誰でも――つまりは鬼もそれはわかっているという事だ。

「転移! フロー――」

 転移結晶を取り出し、転移先の街の名前を唱えようとしたPKの頭に飛来してきた直剣が突き刺さる。そして青く輝き、砕け散った。

 モンスターにも弱点があるのだから人であるプレイヤーにも当然弱点がある。

 所謂、急所という奴だ。なかでも代表的なのが心臓、頭、他に首等も上げられる。男性には股間にある物もあげられるが。

 つまり、そこを攻撃されれば普段の被弾ダメージも比べられない程に高くなる。

 鬼は的確にそこを突く。

 今とて、転移しそうだったプレイやーの額を鬼の投剣スキルによって狙ったのだ。

 持っていた直剣を投げた事で無手となっていしまった鬼だが、鬼は止まらない。もう一人、転移結晶を使おうとしていたPKに向かって素手で飛び掛かり、その頭を掴む。

 PKを掴んだままの手が赤く光り輝き、体術スキルが発動する。

 そのスキルがオートで補正をかけて、そのままPKを地面へと頭から叩きつける。その一撃でPKの頭がつぶれ、当然その身が砕け散った。

「アァァァァ……」

 舞い上がる青い破片の中で、猫背の鬼が先程までの俊敏さが嘘のようにゆっくりした動作で体を起こし、そのままの体勢で生き残っているPK達を睨みつける。

 そうしてPK達は悟ってしまった。俺たちは逃げられない、と。

 真紅のオーラを撒き散らしながら鬼はPK達の元へと疾走し、一方的殺戮(ワンサイドゲーム)が始まった。

 

 

 

 

 誰一人として逃がすことなく、この場にいたPK達を屠り尽くして憤怒の血誓を解除する。時間的に十分もかからなかった。

 無言のまま地面に転がっている自分の直剣まで歩いていき、柄を強く踏む事で直剣が立ち上がるどころか宙に飛ばせ、その直剣を難なく掴み取って一振りして鞘へと納める。

(ここに籠っていれば、プウネマの花を目的としたPKを狩れるって訳だ。ここに来るのは基本的に花を目的としたプレイヤーとそれを手伝うプレイヤー。そして花を奪おうとするプレイヤーに分けられる。つまり、単純明快にオレンジがここに来れば基本的に黒って訳だ)

 鬼はそう思いながらバタリと仰向きに倒れて咲き乱れる花々に埋もれる。鬼自身、花は似合わないと思っているが、身を顰めるには適していると思い、そのまま隠蔽(ハイディング)のスキルを使う。

 それと同時に周りの花の色に合わせて装備を換える。周りには赤い花が咲き誇っているため、鎧の色が赤い物を選択する。

 鬼は自分の事が特定されないように定期的に装備を換えている。それらは鬼のアイテム欄の大半を装備で占められており、後はポーションやドロップアイテム用に少し空けているだけだ。

 他にも念のためにフレンドリストに入っているフレンドとは全て、こちらから一方的に登録を解除している。彼等からすればいきなり鬼の名前がフレンドリストから消えて大慌てするのは鬼もわかっていたのだ。

 皆に迷惑と心配をかけるのは理解していた。だが、それよりも復讐鬼として生きる覚悟を決めた。

 ただ、それだけだ。

 そうこうしている間に、装備の換装が終わる。

 今回の装備は真紅の鎧だ。普通の西洋鎧とは違い、本当にゲームや漫画でしか見ないような獅子をモチーフにした鎧だ。

 関節以外の全身鎧なのは変わらないが、胴のと兜が完全に繋がっており、兜が獅子の顔になっている。ちょうど獅子が口を開けたようなフォルムになっており、口の中から装着者の顔が覗くようになっている。本来ならそこから他者に顔が見えるようになっている筈だが、グラフィック上では口の中は真っ暗になっており、装着者の眼光ぐらいしか目視する事はできない。首から下の鎧も、どちらかと言えば東方の民族が使うような鎧と言ったような特徴的な装飾が施されてる。

 鬼は周りの赤い花に埋もれるようにうつ伏せになり、隠蔽のスキルを発動し続ける。これで花畑の中に入ってこないか、もしくは鬼と同レベル、または各上の索敵スキルを使われない限りはばれる事はないだろう。

 しかし、このフィールドのモンスターは総じて視覚がない。そういうモンスターは隠蔽のスキルが役に立たない場合もある。その辺りを鬼は失念していた。

 それよりも、隠蔽を使って身を顰めていたとしても、モンスターが再出現して特定のフィールドをランダムに徘徊するためにモンスターとは必ず遭遇するものだ。それを考えると、鬼は少し抜けているところがあるのだろう。

「マズったかな……」

 自分の真下から何かが来ると、索敵スキルで察知した鬼は即座に飛び起きて回避する。遅れて地面から無数の触手が飛び出すが、得物を捕まえられなかったからか、触手を一つの手のようにワキワキさせて感触を確かめようとしていた。

「面妖な」

 そんな光景を見て、鬼はポツリと呟く。その後、アイテム欄を開いて直剣から愛用している大斧に持ち替えて肩に担ぐ。 

 このフィールドのモンスターと鬼のレベルでは、先程のPK達よりもレベル差が開いている。故に即座に近づいてイソギンチャクみたいな触手モンスターを大斧で両断した。

「そういや、ここはリトルぺネントみたいな視覚に頼らないモンスターばっかだったか。となると隠蔽による待ち伏せは得策じゃねぇな。ま、それでもやれねぇ事はないだろうが」

 舌打ちしながら鬼は呟き、場所を変えるために歩き出す。だが、そんな状況下でも鬼はこのフィールドに籠るつもりだった。

 そして、鬼がこのフィールドに籠って十日後。事件は起こるべくして起こったのだった。 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

黒の剣士

原作にいたモブ的ネームドキャラが一人狩られますので注意してください。


 長閑な街、とも呼べる場所にて二人の男女が歩いていた。

「ここに何か用があるんですか?」

 女性――と呼ぶには無理がある容姿をしたツインテールの少女が、隣に歩いている黒づくめの少年へと問いかけた。

「ごめんな、シリカ。早くピナを蘇らせてあげさせたいって思うんだろうけど、日課でさ」

「いえ、大丈夫です。それにキリトさんのおかげでピナにまた会えるってわかりましたから! でもはじまりの街に一体どんな用が?」

「ちょっと確認にな」

 黒づくめの少年――キリトの謝罪に、元気いっぱいに答える少女――シリカ。

 二人はとある出来事で出会った。ケンカでパーティーを離脱したシリカが一人と使い魔一匹でいたところにそのエリア最強のモンスター複数に襲われ、使い魔であるピナを亡くした。

 そこに通りかかったキリトがシリカを助け、ピナを生き返らせるためにレベル的に足りないシリカを支えるために一緒に四七層にある思い出の丘へと向かい、プウネマの花を手に入れる予定だったのだがキリトが「用事に付き合ってくれ」と発言して現在に至る。

 そんな二人ははじまりの街という、ソードアート・オンラインを始めた者にとって、一番最初に訪れる街のメインストリートを歩いていた。

 このまま真っ直ぐ歩いていくと、黒いドーム状の巨大な建造物へと辿り着くだろう。

 その建造物の名前は黒鉄宮という、本来のゲームならば死に戻りする復活地点になる筈だった。しかし、ソードアート・オンラインが真の姿を見せた途端、黒鉄宮の内部は様変わりした。

 死に戻りで使う筈だった転送ポータルの上に大きすぎる石碑が設置され、そこにソードアート・オンライン参加者、一万人の名前がアルファベット順に刻まれている。

 デスゲームと化した現状では、プレイヤーが死亡すれば、同時に黒鉄宮の石碑に刻まれている名前の上に、まるで車線を引かれる。更に名前に振れれば、そのプレイヤーがどういった事で死亡したのか、詳細がわかるのだ。

 その石碑の周りには、友や恋人をこのゲームで亡くした者達が居座り、泣き声や嗚咽が一日中聞こえてくる。

 更に、黒鉄宮の奥は、アインクラッド解放軍と呼ばれるソードアート・オンライン最大のギルドが陣取り、犯罪を犯した者を幽閉する牢屋等が存在している。

 そんな黒鉄宮に二人が足を踏み入れる。その瞬間、二人に言いようのない悪寒が体中を駆け巡り、シリカは思わず足を止めてしまう。

 対してキリトの方は平然としており、シリカの行動に仕方ないかと心の中で苦笑いする。キリトは日課のおかげで既に慣れたが、まだ通い始めたばかりの時はシリカと同じような行動をとってしまった記憶がある。

「……外で待ってる? 用事はすぐに終わるし」

「い、いえ! 私も行きます」

 とは言っているが、どこから見ても強がりなのはまるわかりである。しかし、キリト自身、あまり女の子と接した事もないので、気の利いた言葉の一つも思い浮かばず、「そう」とだけ言うと、黒鉄宮へと入っていく。

 二人の視界に入るのは、部屋の中央に配置されている石碑である。そしてその周りに誰かを亡くした人達が力無くただその場にいる。彼等を見たシリカが思わず息を呑む。

 この黒鉄宮の内部は、想像以上に重苦しく、息苦しく、そして悲しみに満ち溢れていた。

 そんな中、キリトは何食わぬ顔でズンズン石碑へと近づいていき、シリカも慌てて後を追う。石碑の前に辿り着いたキリトは、迷わずにRの欄を眺める。しばらくして、キリトは安心したように溜息をついた。

「キリトさん……?」

「いや、友人なんだけどさ。いきなりフレンド登録を解除して失踪しやがってな。できるだけ毎日、アイツが生きているのか確認してるんだ」

 キリトは目当ての名前に斜線が引かれていない事がわかると、少し場所を移動して合掌する。そこはSの欄だ。それはまるで墓に拝む遺族のような印象をシリカは受けた。

「さて、時間をとらせちゃってすまないな。じゃ、思い出の丘に行こうか?」

「は、はい!」

 キリトの空元気のような笑顔を見て、シリカは少々言葉に詰まったが、それでもキリトを元気づけようと自らを律して元気いっぱいに答えた。

 二人は黒鉄宮を後にする。亡くなった者達を悲しむ声を背にして。

 

 

 

 

 場所は変わり、第四七層にやって来たキリトとシリカが周りの花畑に感激しているその後ろで、複数人の男女が二人の様子を見ていた。

「やぁーっと来やがったか」

「待たせてんじゃねーよ、獲物の癖によぉ」

 二人が微笑ましい行動をとっているのを嘲笑しながら眺める者達。ほとんどが男で、女は一人しかいない。基本的に隠蔽(ハイディング)のスキルを多用するために暗い色の装備を身に着けているのが大多数だ。そんな彼等は遠くにいる二人をただの金の生る木だとしか見ていなかった。

 そんな彼らはタイタンズハンドと言う名の犯罪者(オレンジ)ギルドだ。元々はそこらにいるパーティーに入り込み、どういった構成なのかを判断した後、仲間達に先回りさせて襲い掛かるというのがやり口だ。

 そしてたまたま標的にされたパーティーにシリカがおり、突然抜けた後に彼女の使い魔であるピナが死亡しし、そして今が良い相場で取引されているプウネマの花を取りに行く事が判明したために急遽予定を変更してシリカの後を追ってプウネマの花を手に入れたところで襲おうという魂胆である。

「さっさと行くよ。シリカちゃん達も移動し始めちゃったしね」

 言動だけ聞けば普通なのだが、その言葉を発する女性の顔は獰猛に笑っている。おそらくは彼女がリーダーなのだろう。

 赤髪のポニーテール、前髪が右側に偏って右目を覆い隠しているがあ左目はちゃんと露出されており、視線はキリト達を嘲笑うかのように濁っている。顔立ちは好みが別れるが美人の部類に入るだろうか。黒のレザーアーマーを身に着けており、それが妖艶な雰囲気を醸し出している。それがこの場にいる男達を惹いているのだろう。

「了解しやしたロザリアさん」

 赤髪の女――ロザリアの言葉にニヤッとした笑みを浮かべながらそれぞれ隠蔽のスキルを発動させて、二人の追跡を始めた。

 

 

 

 

 思い出の丘にて(オーガ)は花畑に一つだけある大きな岩の上に大斧と膝を抱えて座っていた。何をするでもなく、ただ索敵スキルによるモニターだけを眺めていた。 

 使い魔の蘇生アイテムがとれるとは言え、それほどプレイヤーがくる訳でもない。つまり必然的にそれを狙うPKもいない。

 だが、そんな蘇生アイテムを求めてやってきたプレイヤーを待ちかまえて狩ろうとしていたPK集団を二組程狩った。それが鬼がこのフィールドに籠った成果であった。

「ん?」

 モニターを眺めていると、二つのグリーンマーカーが映った。グリーンであればただの一般プレイヤーだろう。どちらかがテイマーで、もう片方が手伝いといったところか。と、鬼は予想した。

「ほーう……」

 しばらくして二つのグリーンの後ろからある程度距離をとって明らかに前の二人を追跡している一つのグリーンと多数のオレンジが出現する。その光景に鬼は目を細めた。おそらく――いや、確実にPK集団の類だろう。

(だが、まだ狩るには早い。奴らがどういう種類のPKかを確認しなければならない)

 鬼はそう思い留まり、だが行動を移していく。目立つ大斧を収めて小ぶりの取り回しの利く直剣に取り換えて咲き誇る花の中に身を隠し、自らに隠蔽のスキルを使ってマーカー群に接近していく。

 第三者から見ると物凄いシュールな光景ではある。

 基本的に鬼は、人を殺めないPKは殺さない。そこまでする必要はないと判断するからだ――というよりも鬼も元はプレイヤーであり人だ。手を染めるのは必要最低限にしたいし、何よりそういうPKを殺せば自らが嫌うPKと何も変わらない。だからそういった奴らは麻痺毒を塗りたくった投げナイフで身動きをとれなくしてから黒鉄宮にある牢獄エリアへと繋がっているコリドーを使い直接牢へと放り込む。後は軍の連中がどうにかするだろうと鬼は思っている。

 故にまずはそのPKが人を殺すか否か、その判断をするために様子を探ろうというのだ。

「っ……!!!?」

 鬼がふいにPK達が狙う得物の二人を見た瞬間、鎧の影から覗く眼光が大きく見開かれる。

(キリトだと!? 攻略組のアイツがなんで中層圏に……)

 鬼は忌々しそうに目を細めた。キリトの隣を歩く少女に見覚えが無いため、彼女がビーストテイマーだと把握する。鬼の記憶ではキリトはテイマーになったなんて情報はなかったからだ。

(要するに彼女の手伝いってところか。だが、少々厄介だ。アイツは甘い癖に腕が立つからなぁ)

 だが、自分の信念と復讐心を違えるつもりはない鬼は、そのまま追跡を再開するのだった。

 

 

 

 

 あの後、キリトとシリカは思い出の丘に蔓延るモンスターにシリカがある意味苦戦しつつもプウネマの花を手に入れ、来た道を引き返して談笑しながら歩いていた。

 だが、小川にかかる橋を渡ろうとしたところでキリトが一瞬険しい顔をし、シリカの肩を掴んで制して立ち止まらせた。

 シリカはキリトの突然の行動に驚くが、キリトの視線は橋の向こうの道の両端に生えている木々に向けられている。

「そこで待ち伏せしている奴、出てこいよ」

「え……?」

 キリトの言葉を聞いてシリカは慌てて木々に目を向ける。だが、人影は見えない。しかしそれでもキリトの視線は絶対にいると確信している目だ。それをなんとなく理解したシリカは不用意にその場に動かないようにした。

 張りつめた空気が数秒経った後、不意にガサリと木の葉が揺れた。そこからプレイヤーを示すカーソルが現れる。色はいグリーン(一般人)オレンジ(犯罪者)ではない。

 短い橋の向こうに現れた人物はシリカの知っている人物だった。つい最近まで同じパーティーを組んでいた人物であり、事の発単の一人だった。

「ろ、ロザリアさん……!? なんでこんなところに!?」

 シリカはこの人物――ロザリアと冒険先でケンカし、そのままパーティーを抜けて一人と一匹で『迷いの森』というダンジョンを彷徨っていたところ、モンスターに襲われて使い魔であるピナを亡くしたのだ。

 ロザリアはシリカの問いには答えずに口元を吊り上げて意味深な笑みをつくった。

「アタシの隠蔽を見破るなんて、なかなか高い索敵スキルね、剣士サン。あなだったかしら?」

 キリトにそう告げたところで今度はシリカに視線を移す。まるで得物を見定める猛獣のような目を。

「その様子だと、首尾よくプウネマの花をゲットできたみたいね。おめでと、シリカちゃん」

 パチパチと拍手しながらシリカへと賛辞を贈るロザリア。だが、その行動はどこか人を小ばかにしたような印象を受ける。その真意がわからないシリカは何とも言えない嫌な予感に身を震わせて一歩後ずさる。

「じゃ、さっそくその花渡してちょうだい」

「っ!? な、何を言ってるの!?」

 その時、今まで無言だったキリトが前へと進み出て口を開く。

「そうはいかないな、ロザリアさん。いや、犯罪者(オレンジ)ギルド『タイタンズハンド』のリーダーさん、と言った方がいいかな?」

 キリトがそう告げた瞬間、ロザリアから余裕めいた笑みが消えて眉が跳ね上がる。それを聞いたシリカはロザリアのマーカーを凝視するが、どう見てもロザリアのマーカーはグリーンだった。

「え、でも、ロザリアさんはどう見てもグリーン……」

「オレンジギルドと言っても、全員がオレンジじゃない場合も多いんだ。グリーンのメンバーが街で得物をみつくろい、パーティーに紛れ込んで待ち伏せポイントに誘導する。昨夜、俺たちの話を盗聴していたのもあいつの仲間だよ」

「そ、そんな……。じゃ、じゃあこの二週間、一緒のパーティーにいたのは……」

 キリトの説明を受けたシリカは愕然とした表情でロザリアとその取り巻き達を見つめ、その表情にロザリアは再び猛獣のような瞳で笑みを浮かべた。

「そうよぉ。あのパーティーを評価すんのと同時に冒険でたっぷりお金が貯まっておいしくなるのを待ってたの。本当なら今日にもヤッちゃう予定だったんだけどー」

 そう言ったロザリアはシリカの顔を見て御馳走を見て思わず舌を唇に這わせるように舐めた。

「一番楽しみな獲物だったあんたが抜けちゃうからどうしようかなー、と思ってたらなんかレアなアイテム取りに行くって言うじゃない。プウネマの花って今が旬だからさぁ。とーってもいい相場なのよね。やっぱり情報収集は大切よねぇ」

 肩をすくめてクスクス笑うロザリア。だが次の瞬間にはピタッと笑うのを止めてキリトへと呆れた視線を向ける。

「でもそこの剣士サン。そこまで解ってながらノコノコその子に付き合うなんて馬鹿? それとも本当に体でたらしこまれちゃったの?」

 明らかに侮辱の言葉。それを聞いたシリカが一気に沸点を超えて腰に下げた短剣を抜こうとしたところで、キリトに肩を抑えられた。

「いいや、どっちでもないよ。俺もアンタを探してたのさ、ロザリアさん」

「……どういう事かしら?」

 あくまで冷静なキリトの態度と自分を探していたというキリトの言葉にロザリアは警戒したように無表情になる。

「アンタ、十日前に三八層でシルバーフラグスっていうギルドを襲ったな。メンバー四人が殺されて、リーダーだけが脱出した」

「…………ああ、あの貧乏な連中ね」

 キリトの言葉にたっぷり時間をかけて思い出したロザリアは彼等のうま味の無さに溜め息をつきながら返した。

「リーダーだった男はな、毎日朝から晩まで、最前線のゲート広場で泣きながら仇討してくれる奴を探していたよ」

 そこで初めてキリトの声に怒りの感情が現れた。冷徹でゾッとするような背筋の凍るような低い声。

「でも、その男は依頼を受けた俺に向かって、あんたらを殺してくれとは言わなかった。黒鉄宮の牢獄に入れてくれ、とそう言ったよ。アンタに奴の気持ちがわかるか?」

「解んないわよ」

 キリトの言葉に、何も感じないように、面倒そうにロザリアは答えた。

「何よ、マジになっちゃって、馬っ鹿みたい。ここで人を殺したって、ホントにその人が死ぬ証拠ないし。そんなんで現実に戻った時に罪になる訳ないわよ。だいたい戻れるかどうかも解んないのにさ、正義とか法律とか、笑っちゃうわよね。アタシそういう奴が一番嫌い。この世界に妙な理屈持ち込む奴がね」

「奇遇だな」

 ロザリアの思いの丈の言葉に答えるように低い男の声がこの場にいる全員の耳に届く。もちろん、その声はこの場にいる者のモノではない。

 いきなり聞こえてきた声に戸惑っているとロザリアの胸から刃が突き出た。

「カッ……!? なっ……!?」

 突然攻撃された事に動転しながらも自分のHPを確認したら、全開まであった筈なのに一気にイエローゾーンにまで達している。

 ロザリアに刺さっているのはスタンダードな直剣だ。華美な装飾も無く。無骨な使い勝手重視のような片手剣である。それが背中から刺さり胸へと貫通しているのだ。

突然の事にキリトはしばし呆けていたが、自分の探索スキルで姿が見えない者のマーカーを見つける。

 そもそもキリトはこのフィールドに来た時から背後に団体の隠蔽スキルを使っている連中に気付いていた。それがロザリア達。そしてその一団から少し離れた花畑の位置にもう一つのマーカーを見つけていた。

 そのマーカーはグリーンだったが、隠蔽スキルを使っているのか肉眼では発見できなかった。だが、もしもの事を考えてロザリアの仲間かと判断して不意打ちに気を付けてはいた。

 しかし、今ではそのマーカーは一般人(グリーン)から犯罪者(オレンジ)に変わっている。それはグリーンであるロザリアにグリーンであるそのプレイヤーが攻撃したからだ。

 出て来い、とキリトが口を開けようとしたところでそのプレイヤーが自らその姿を現す。

「…………」

 無言でその場に佇む真紅の鎧を身に纏った猫背の男。鎧を着ているにも関わらず線が異様に細く、しかし全身に関節以外を隙間なく装甲に覆われている。

 そしてかぶる兜は獅子をモチーフにしており、ちょうど獅子の口にあたる部分から顔が覗くようになってはいるが、顔全体が黒い影に覆われており、見えるのは本来なら人の目がある位置に、紅く輝く二つの光だけだ。

 その姿は酷く不気味に思えた。

 そんな奇妙なプレイヤーはゆっくりとした足取りで剣を引き抜こうとしているロザリアへと歩み寄る。

「俺も、オマエみたいな開き直っているPKは大嫌いなんだ」

 そう言った獅子の男はロザリアの背中を蹴り飛ばして転倒させた後、アイテム欄を操作して得物を取り出す。

 それは柄が異様に短く、しかしそれにはアンバランスな巨大な刃がついた片刃の斧だった。その刃は柄すらも覆っていた。ハンドアクスにしては異様な形をしていると言える。

 獅子の男は、うつ伏せで倒れているロザリアの首にその斧の刃をあてがう。その光景は断首台(ギロチン)にでもかけるようだ。

「な、にを……?」

「見ての通り、この女の首を飛ばす」

 そのあんまりな光景にキリトは喉を詰まらせながらも獅子の男に問うた。だが、なんでも無いように、それこそ「ちょっとそこのモンスター狩ってくる」みたいな気軽さで――雰囲気は重苦しいが――獅子の男は答えた。

「ちょ、やめ……!?」

「何を怯える? オマエも言ってたじゃないか。ここで死んでも現実で死ぬ証拠なんかない。なら、自分で試せ。そして――」

 ロザリアの顔を左手で押さえつけながら右手で首切りアックスを振り上げる。

「止めろ!!」

 その光景にキリトが背中の剣を抜いて獅子の男へと駆けだす。しかし――

「――開き直るなら、自分の死すら開き直れ」

「や、やめ――――!!!?」

 キリトの到着を待たずに首切りアックスが振り下ろされ、ロザリアの首が宙を飛んだ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

対峙

 ロザリアの首が宙を舞い、そのままゴロゴロと地面を転がる。その表情は死に対する恐怖が克明に浮き出ていた。その事にキリトやシリカ、そしてロザリアの部下達も大きく目を見開いて息を呑む。

 ロザリアの部下達も突然の出来事に混乱している間にロザリアがPKされた事に驚いた。ただの脅しか何かだと思っていたのだ。

 だが、目の前の獅子の男は躊躇も情けもなく、ただ殺した。 

 地面に転がったロザリアの首と体が蒼い光を放って砕け散る中、獅子の男はゆっくりと立ち上がり、虫けらでも見るようにロザリアの部下達を眺める。

「てぇンめぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!!!」

 ロザリアの部下が怒声を上げて獅子の男へと突撃をかける。それに続き、他の部下達もそれぞれ怒声や奇声を上げながら、獅子の男へと駆けて行く。その表情はまさに憤怒の表情だが、対して獅子の男は淡々とアイテム欄を開き、直剣を格納して首切りアックスから、柄の長さは自分の身長を優に超えた二メートル、そしての両側に首切りアックスすら凌駕する巨大すぎる刃を持つ大斧が姿を現す。

「オオァアアアアアアァァァァァァァァァァァァァァッ!!!!」

 獅子の男はロザリアの部下全員の声量にも勝る大きさの咆哮を上げると同時に体から禍々しい真紅のオーラが立ち昇る。

「あれは……!? 行くな、おまえ達!!」

 それにいち早く気付いたキリトがロザリアの部下たちに静止をかけさせるが、仲間でもない男の言う事なんて聞く筈もなく、男たちは獅子の男へと向かっていき――

「オォォオオオォォォォォォォォォォォッ!!」

 獅子の男の咆哮と同時に全身を使った大斧の目にも留まらぬ速さの一振りで始めに突っ込んだ五人のロザリアの部下が一撃で蒼い光を放って砕け散った。

「え……?」

 目の前で起こった一瞬の惨劇に目を見開いたまま、部下達は硬直する。しかし獅子の男は止まらない。そんな呆然としている部下たちに対して鬼は大斧を振りかぶる。しかもその刃には紅い光が灯っている。

「止めろぉおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!」

 それを見たキリトは背中に背負った片手剣を引き抜き、叫びながら駆ける。その先に待つ惨劇がわかってしまうから。

 だから、キリトは走りながらその手に持つ剣に青い光を灯らせる。

 獅子の男の情報はある。最近、階層は不定期に出没するPKK――

 

(オーガ)ッ!!」

「っ……!?」

 獅子の男――鬼が部下達へと振り下ろした大斧にキリトの片手剣が割り込み、互いのソードスキルがぶつかり合い、両者の刃から火花が飛び散る。

 見た目的にキリトが力負けしそうなモノだが、意外にも拮抗していた。

(やっぱり、レベル高いな……!)

(憤怒の血誓を使ッテ互角カッ!?)

 しかしその拮抗もすぐに終わった。二人はソードスキルを発動して鍔迫り合いしていた。だが、鍔迫り合いに移行してしまった事により、ソードスキルが中断されてしまった。そうなると後は技後硬直が発生するものだ。

 本来ならば――

「なにっ……!?」

「邪魔すンナァアァァァァァァァァァァッ!!!!」

 しかし、鬼にはユニークスキルである憤怒の血誓がある。これの効果の一つ、技後硬直の無効化により、タイムラグ無しで即座に次の攻撃に入り、大斧の長い柄で動きの止まっているキリトの腹を思いっきり吹き飛ばす。

(チィッ……!! なんだ、スキル後の硬直が無かった。あのオーラの効果か何かか? でも――)

 キリトが吹き飛ばされた事で、未だに近くにいたロザリアの部下へと鬼がソードスキルを発動させた大斧で叩き伏せていた。また一人、蒼い光となって砕け散る。

「考えてる暇はない!! 逃げろ、おまえ等!!」

 再びキリトが鬼へと攻撃を仕掛ける。鬼は近くにいた部下へと攻撃を仕掛けようとしていたところを横合いから攻撃された事により、ソードスキルをわざと解除して上体を傾けてキリトの斬撃を避ける。

(やっぱり!)

 キリトは既に鬼に技後硬直が無いかもしれないという仮説を立てていたためにソードスキルを使った攻撃は行っていない。そのために鬼の一撃に即座に対応できた。それと同時にキリトの仮説が確証へと変わった。

(こりゃ、ソードスキルは使えないな。全部避けるしかないか? なら――)

 キリトは鬼の一撃をバックステップで避けてポケットからアイテムを取り出した。それは転移結晶と呼ばれる結晶型のアイテムよりも二回り程大きい結晶の塊だ。

 それの名前はコリドーと呼ばれる物だ。あらかじめ行きたい場所へ行っておき、コリドーにその位置を記憶させる。そして離れた位置でコリドーを使うとその場所に転送されるワープゲートを形成する。更に転移結晶とは違い、使用者だけでなく、周りにいるプレイヤーもワープゲートを潜る事が可能なために、主にボス部屋の前で位置を記憶させて再度準備を整えた後に使い、消耗なくボスの眼前まで行く――というのが使用例だ。

 所謂、転移結晶の上位互換と言える代物だ。そのせいで一つ買うのにかなりの額を支払う事になるのだが。

「シリカ! これを使っ――ぐぃっ!?」

「え!? わぁっ!?」

 そんな高価なコリドーをシリカへと投げつける。シリカはおっかなびっくりそれを受け止めた。コリドーを投げたキリの隙に攻撃を仕掛ける鬼。その攻撃を、投げた直後で避ける事が出来なかったキリトは片手剣で防いだが完全に防げた訳ではなく、ダメージを負った。しかし、それは微々たるものだった。

「転移――」

 そんな戦いのさなか、ロザリアの部下の一人が転移結晶を取り出して逃げようとした。それに気付いた鬼はロザリアの部下へと向かおうとするがその前にキリトが立ちはだかる。目的を邪魔するキリトに鬼は歯ぎしりするが、キリトに構わず無理矢理部下の下へと向かおうとした。

 だが、キリトを突破しても間に合わないと判断したのか、鬼は暴挙に出た。

 大斧をめいっぱい振りかぶって転移しようとしている部下へと投げつけた。キリトも予想外過ぎる行動に呆然とした表情で鬼を見つめる。もちろん、斧を投げるなんていうスキルはこのSAOには存在しない。故にダメージらしいダメージを与える事はできない。だが、大斧の圧倒的な質量と重量が猛スピードでぶつかったためにノックバックが発動して吹き飛んだ。

 鬼はこれを狙ったのだ。ノックバックしたおかげで部下は転移結晶を取りこぼした。

 だが、これで鬼は手持ちの武器を無くしてしまった。取り出すにはアイテム欄を弄らなければならない。そんな暇をキリトが与えないだろう。

「シリカ! コリドーを使え!」

「は、はい! コリドー・オープン!」

 キリトが鬼を牽制しながら叫ぶ。シリカは慌ててコリドーを使用し、目の前に白みがかった光が出現した。

「そいつは黒鉄宮の牢屋に繋がってる! 死にたくなかったらさっさと飛び込め!!」

 キリトは鬼に連続で攻撃を仕掛けてはいるが、手ぶらになった鬼は身軽になり、キリトの攻撃を丁寧に捌いて避けていく。

 そして、キリトの訴えに残った部下達三人はやはり死にたくはないのか、コリドーが作り出したワープゲートへと一目散に走っていく。

「キィィィィリィィィィィィトォオォォォォォォォオオォォォォォォッ!!!!」

 その光景を見た鬼は絶叫に似た咆哮でキリトの名を叫ぶ。それと同時に体に纏うオーラが一層濃いモノになる。憤怒の血誓の効果が上がった証拠だ。

 筋力値と敏捷値が更に上昇する代わりに、減少していくHPも増える。だが、今の鬼にはそんな事は関係ない。

 溢れ出る憤怒が理性を引き剥がしたからだ。

 鬼は更に強化された敏捷値で道を塞いでいるキリトへと一瞬で肉薄した。

(速っ……!?)

 キリトですら目で捉えきれない程の速さで近づいた鬼は、素手のままスキルが発動して拳が紅く輝く。それを見たキリトは慌てて避けようとするが、ここで避けたら一気に逃げているロザリアの部下達への接近を許してしまう。

(避けたらダメだ。今のコイツの速さじゃ、追いつけない。大体、互角だろうし。なら――)

 キリトはそう結論し、刀身に青い光を纏わせる。鬼には技後硬直が存在しない事は百も承知だ。だが、ロザリアの部下さえこの場から離脱すれば、鬼は戦う意味を無くして戦闘が終わるだろう。だから、時間を稼ぐためにここでソードスキルを使ったのだ。

「アアアァァァアアァァァァアァァァァァァァッ!!!!」

「おおぉぉおぉぉぉっ!!」

 鬼の体術ソードスキルであるグラップチェストをキリトは真っ向から片手剣ソードスキルのダストフェイサーを使用して斬りかかる。

 グラップチェストは簡単に言えばただの右ストレート、ダストフェイサーは切っ先で地面を削りながら接近して一気に斬り上げるというソードスキルだ。

 それが真っ向からぶつかり合うが結果は見えていた。方や片手剣、方や素手。どちらが有利かは明白である。鬼の右ストレートは合わせるように出されたダストフェイサーによって迎撃され、右腕の肘から下が綺麗に斬り裂かれて宙を舞った。

 その間にロザリアの部下三人はコリドーを潜り終えていて、コリドーは消滅しようとしていた。

「……何故だ? 何故邪魔をする、黒の剣士?」

 標的がいなくなった事で憤怒の血誓を解除し、肘から先の無い右腕を押さえてキリトを睨みつける鬼。

「確かにアイツ等はやっちゃいけない事をしてる。だからって、おまえがアイツ等を殺して良い理由にはならないぜ」

「……綺麗ごとを……」

 キリトの返事を聞いて吐き捨てるように小さく呟く。しかし、キリトの性格をよく理解している鬼は言っても聞かないのは理解していた。

 だから、鬼はキリトの横を黙って通り過ぎた。その際、両者は視線のみを交わす。

 そのまま通り過ぎると、コリドーを使ったシリカへと視線が移る。その時、シリカが目に見えて動揺してキョロキョロと視線を動かして目の合ったキリトに助けを求める。

 だが、キリトは鬼が手を出さないと確信していた。最前線で得た情報で、鬼はオレンジ――特に人を殺すレッドと呼ばれるプレイヤーに対してのみ襲い掛かると聞いているし、何より戦って気付いたのだが、戦い方が探し人によく似ているため、もしかしたらという思いもある。

 鬼は震えるシリカを一瞥しただけで通り過ぎ、地面に突き刺さっている大斧を左手で引き抜き、肩に担いだ。そしてそのまま何も言わずにその場を去ろうとする。もう用は無いと言わんばかりに。

「待て!」

 去りゆく背中にキリトが大声を張り上げて鬼を止めようとするが、鬼はフラフラした足取りで止まる気配ははない。

「一つだけ聞きたい」

 キリトの言葉も聞き入れずにそのまま遠ざかっていく。だが――

「おまえは、レスカテなのか?」

「っ……」

 キリトの一言に目を見開いた。そして思わず立ち止まってしまう。

「知らんな、そんな名前は……」

 だがそれも一瞬の事で、それだけ答えると振り返る事もせずに再び歩き出す。

 これ以上、その名前に反応して動揺しているのがばれてはならないから、だから鬼は何も返事をせずにこの場を去った。

 

 

 

 

 

(やっぱり、鬼はおまえなのか? レスカテ……)

 キリトは自分で言って悲しくなるが、数少ない友かもしれない後姿を見て切なくなる。本当は今すぐ後を追って真実が知りたい。だが、この場にはシリカがいるために迂闊には追いかけられない。

 もし、鬼が思っている人物と別人で、かつ情報より凶暴で暴力的な人物だったなら、シリカを巻き込むのは危険だ。だから今は深追いするべきではない。

「キリトさん……?」

「あぁ、すまない。シリカにも今回の事は謝らないとな」

 そう言ってキリトは今回の件について話し始めた。

 先に言ったシルバーフラグスのリーダーが最前線の街で自分たちのギルドメンバーの仇を討ってほしいと呼びかけていて、色々あったキリトは他人事と思えず彼の願いを聞き入れた。

 そして情報を仕入れてロザリア率いるタイタンズハンドが三五層にいる事がわかり、ロザリアの目撃情報を追って迷いの森を捜索していたところにシリカと出会った。

 そして成り行き上、ロザリアがシリカを狙っている事を知り、シリカを守ると同時にロザリア達をシルバーフラグスのリーダーの望み通り、黒鉄宮の牢獄に入れる事を考えた事。

「だからすまない。君を囮にするような事しちゃって。俺の事、言おうと思ってたんだけど……君に怖がられると思って言えなかった」

 ま、鬼のせいで色々と破綻しちまったけど、と少し物悲しげな表情で付け足して、ポリポリと頬を人差し指で掻く。

 シリカは目の前で起こった惨劇と真実に頭が真っ白になりそうになりかけて、キリトの独白に首を振る事しかできなかった。

「街まで送るよ」

 キリトはそう言って歩き出そうとしたが、シリカに動きは無く、仕方なく振り返るとアワアワしているシリカがキリトの視界に映った。

「どうしたんだ……?」

「あ、足が動かないんです!」

 確かによく見るとシリカの足が震えていた。しかしそれは当然だろう。最近までパーティーを組んでいた人物の正体、そしてそれらを狩る者が引き起こした惨劇。一度にあれ程の人数が一気に死ぬ――殺されたところなど見たことがなかったのだから。

 緊張が緩まった瞬間、そういう事になっても仕方ないと言えるだろう。

 そんな光景にキリトは吹き出しながら笑うと、シリカへと手を差し出した。シリカも少々恥ずかしそう頬を赤く染めながら差し出されたキリトの手をぎゅっと握った。

 その事で安心したのか、シリカは強張っていた表情を緩ませて笑顔を見せた。

 そしてシリカが拠点にしている三五層の主街区――ブラウリーに到着し、シリカに別れを告げた後、キリトは最前線へと戻っていく。

(もし、鬼がレスカテだったら……。情報が欲しい。アルゴやエギルにも協力して貰うかな)

 キリトはこれからどう行動しようか思考する。最前線に戻って攻略しながら友達のレスカテを探す……というのは少しキツイがやれない事はないだろう。

 何より、突然行方を晦ました友達が心配なのだ。キリトの数少ない友達のエギルやクラインも心配しているのだ。

 これからやる事を決めたキリトは決意した面持ちで転送ゲートをくぐった。

 

 

 

 

「まさか、言い当てられるとはな」

 街に帰らずに通り過ぎて別のフィールドまで来た鬼。今は犯罪者(オレンジ)となっているため、街に入る事は出来ない。入れば手痛い歓迎を受けることになるからだ。

 犯罪者のマーカーを解除するには己のカルマ値を下げるクエストをクリアしないと一般人(グリーン)に戻る事はできない。

 鬼としてはオレンジだとしてもあまり関係ないのだが、情報を集めるのが少々苦になるぐらいだろう。

 だが、鬼はオレンジになったとしても率先してグリーンへと戻すためにクエストを受ける。何故なら――

「俺はアイツ等とは違う」

 自分が行っているのもただのPKと何も変わらない。だが、その心の在り様は、その覚悟だけは、遊びでやっているPK達とは違うと、鬼はそう思いたいのだ。

Rescate(レスカテ)、か。その言葉の意味と真逆の事をしてるな、俺」

 鬼は自分が自らのキャラにつけた名前が皮肉になっていて自嘲気味に笑う。そもそもそんな意図で名前をつけた覚えもないのだが。

 それでも、その程度で鬼を止める事はしない。

 やらなければならない――いや、やりたい事があるからだ。

(例え、彼女がそれを望んでいなくても……俺は……)

 鬼は――レスカテはただ真っ直ぐに前だけを見て歩き出した。

 

 

 全てが始まったあの日と、そして彼等と出会ったあの戦いを思い出しながら――




キリトさんマジパネェ


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

追憶:はじまりの日

「お、おぉ~」

 爽やかな風を受けて青年は目を開き、飛び込んできた光景に感嘆の声を漏らした。

 中世の異国のような街並みに巨大な宮殿のような建造物。およそ日本では絶対に見れないだろう景色が広がっている。

「これってホントにゲームの中なのか? いや、ゲームの中なんだけどさ」

 と、広場の中央で青年が自問自答する。

 青年の容姿は、長い黒髪をオールバックにしてうなじ辺りで紐で縛っている。その顔は少々目つきが悪いが軽薄そうな表情を浮かべているために近寄り難いとは言えない雰囲気を醸し出している。背は平均よりやや高めで、肉付も平均的と言えるだろう。

 服装は白いTシャツに紺色のズボンだという簡素すぎる物だ。だが、このゲームでは初めてログインした者は皆同じ服装でこの世界に降り立つ。後は自分で調達しなければならない。

 そんな青年が視界の端に見えるHPとその隣に刻まれているRescate(レスカテ)という自らのキャラの名前を見て、やはりここがソードアート・オンラインというゲームの中だと再認識した。

 レスカテが空を見上げると、雲の上に岩肌の天井が見える。それを見たレスカテはこのゲームの設定を思い出す。

 ソードアート・オンラインは浮遊城アインクラッドという名前通り空に浮遊している石と鉄でできた巨大な城が舞台である。

 その城は全百層という途方もない階層があり、更に一層ごとに数多の都市と小規模な街や村、森や草原などのフィールドが点在し、更には上下の階層へと通じる階段があり、そこは危険な怪物達が蔓延(はびこ)る迷宮区画が存在する。

 そしてプレイヤー達は武器一つを頼りに進み、上層への通路を見つけ出して強力なボスモンスターを倒して白の頂きを目指すというのが主な概要だ。

 更にこの世界はファンタジーな世界ではあるが、魔法は存在しない。それは己の体、己の剣を実際に動かして戦うというフルダイブ環境を最大限に感じさせるという製作者の意図が理由だ。

 だからこそ、魔法が存在しないために剣技(ソードスキル)と呼ばれる言わば必殺技のようなものが各武器の熟練度によって設定されている。

 スキルは戦闘用だけでなく、鍛冶から細工、一般的に趣味と呼ばれるモノまで多岐に渡って存在し、広大なフィールドを冒険するだけでなく、文字通り『生活』する事が可能だ。

 努力さえすれば自分の家を買い、畑を耕したり牧場を作ったりもできるのだ。

 そういう事前情報が公表される度にゲーマーたちの熱狂は否応なく高まり、臨界値を突破しようとしていた。

 だが、ここにいるレスカテはそういう事前情報はほとんど知らない。オンラインゲームどころかゲームそのものが初心者と言える程だ。なら何故レスカテがソードアート・オンラインを手に入れたのか?

 それはお世話になっている人のおかげと言っても過言ではない。だからこそ、レスカテはこの世界で『生きている実感』を得るためにこのゲームを勧められるままに始めたのだ。

「…………」

 レスカテは自らの両手を閉じたり開いたりした後、軽くジャンプしてからぐりぐりと右足で地面を踏みしめた。この仮想空間内で自分の体が動く事に顔が段々にやけてきている。

「くぅ~! っしゃあ~!!」

 両腕でガッツポーズを取って歓喜の叫び声をあげる。それを聞いた周囲のプレイヤー達が何事かとレスカテの方をチラチラと訝しんで見ているが、その全てをスルーしてレスカテは一歩一歩を嬉しそうに踏み出しながら歩いていく。

「ホント、先生には感謝しねぇとな」

 そう呟きながらこのゲームのスタート拠点であるはじまりの街を散策していく。

 どこに何があるのか、そういう事前情報を知らないレスカテだからこそ、そういう事は必要だ。そして何より、自分の体を使って歩き回るという事自体がレスカテにとって嬉しい事なため、全然苦に思っていない。

 まず、最初に向かったのがこのはじまりの街で中央広場並に目立つ巨大建造物――黒鉄宮(こくてつきゅう)だ。

 メニュー画面のヘルプを参照すると、ここはHPが尽きてゲームオーバーになったプレイヤーが死に戻り――要は復活する場所らしい。

 感想は何やら薄気味悪いところ。あまり長居はしたくない場所だったので、ある程度見て回ると即座に黒鉄宮を後にした。

 こうしてレスカテはヘルプを参照にしつつ、はじまりの街を散策し尽した。

 

 

 

 

「さて、こっからが本番な訳だが」

 はじまりの街を出るとそこは草原だった。ちゃんと人が歩くための道も用意されてはいるが、レスカテはその道沿いに行く気はない。

 そもそも道は街と街同士を繋げるモノであって、このまま進めば別の街に着いてしまう。とりあえずこのゲームに慣れるまでははじまりの街を拠点としようと考えたレスカテは、この辺りを探索する気満々だった。

 そんなレスカテも初めてログインした時とは少しばかり服装が変わっていた。

 白いTシャツの上に胴体のみを守る事に徹した半甲冑(ハーフ・アーマー)を、両手には皮の手袋が、その左手には木製の盾が、そして腰には片手剣と呼ばれる剣が鞘に収まっている。

 これらは街を散策している最中に購入した物だ。本来は店売りなために耐久地が他と比べて低い物ばかりだが、そんな事レスカテは知らない。

「んじゃ、適当に適当にっと」

 レスカテはそう呟きながら草原の中へと入っていく。こう長閑(のどか)な景色は日本では到底お目にかかれないため、新鮮な光景としてレスカテの心を満たしていく。

 レスカテにとってはただ広大なフィールドを歩くだけで満足なのだ。

「お?」

 しばらく歩いていると、前方にフゴフゴと鼻を鳴らしながらレスカテの方へと歩いてくる青いイノシシが現れた。

 レスカテは即座にヘルプで習った、ターゲット状態へと移行させる。やり方は簡単、相手を注視するだけでいい。

 するとイノシシの上に《Frenzy(フレンジー) boar(ボア)》と表示された。意味は狂乱する猪と言ったところか。

 フレンジーボアがレスカテを捕えたのか、前足で地面を蹴り、いかにも突撃しますと言った体勢をとった。

「いいぜ、やってやんよ」

 レスカテも初めての実戦という事でワクワクしながら腰に下げた剣を鞘から引き抜く。

 フレンジーボアの猛烈な突進に合わせてレスカテも駆けだした。

 

 

 

 

 結果的に言えば、完膚なきまでに叩きのめされた。

 

「…………」

 レスカテが陰鬱な表情をして黒鉄宮から出てきた。つまり、死に戻りしたのだ。

 レスカテは腕を組んで考える。何がいけなかったのだろうと。客観的に言えば全てがいけなかったと言ってもいいだろう。

 フレンジーボアの突進に合わせてカウンターをしようと剣を振りかぶったのはいいのだが、異様に剣の振りが遅く、レスカテの剣が届く前に突進をもろにくらい吹き飛んでゴロゴロ地面を転がった。

 カウンター狙いを諦めて、突進直後の硬直時間に攻撃を開始したがはっきり言って全然ダメージを与えられていなかった。

 その事に戸惑ってるレスカテをフレンジーボアが待ってくれる訳もなく、フルボッコにされたのだった。

 一時(いっとき)前の事を思い出してレスカテは中央広場でうんうん唸る。

 だが、ゲーム初心者のレスカテにはさっぱり皆目見当もつかない。ならば、と困った時に使うものがヘルプである。とりあえず戦闘項目について読み返す。

「あ」

 そして気づいてしまった。自分が行った過ちに。

「俺、一つもスキルセットしてねぇ……」

 自分の愚行に頭を抱えて膝をつく。そんな行動を人が多い中央広場で行うとやはり目立つ。他のプレイヤー達から好奇の視線に晒されながらもレスカテは立ち上がった。

「ま、終わった事は仕方ない仕方ない」

 思いのほか切り替えが速かった。とりあえずスキル一覧を覗いてみる。

 そこには片手剣、、両手剣、槍、斧、曲剣等と言った装備する物から索敵やら隠蔽(ハイディング)、聞き耳等と言った便利スキル等が目白押しだった。

 レスカテは既に片手剣を購入してしまったため、まずは片手剣スキルを取得した。

「後一つ、か」

 スキルスロットは全部で二つ。今は二つしかないがレベルが上がればスロットも増え、スキル熟練度が一定に達するとエクストラスキルと言ってスロットを消費しないスキルも手に入るため、後々スキルを増やしていけるだろう。

 最後の一つは何にしようかとレスカテが胡坐(あぐら)をかいてうんうん唸る。

 レスカテが気になっているのは索敵というスキルだ。いわばレーダーのようなものだろうと思っている。これは狩りに出るとき、モンスターの位置がわかるのだから効率よく狩ることも可能だろう。

 最初はもう一つ武器を使えるようにしようかと迷った事もあったが、今は片手剣一本で十分だろうと自分を言い聞かせた。

「さて、じゃあリベンジと行きますか!」

 結局、索敵のスキルを取得したレスカテは再び草原へと来ていた。そして索敵スキルを発動させて、視界にレーダーのようなモニターが浮かび上がる。その中に緑の点が幾つかと赤い点が数点存在していた。

 緑は他のプレイヤー、そして赤はモンスター。この中で手つかずだろうモンスターまでレスカテは一直線に走っていく。

 索敵スキルを使わずとも目視でモンスター――フレンジーボアを発見すると、そのまま勢いよく駆けて行き、抜刀。

 相手がまだ捕えていない不意打ちによる一撃をフレンジーボアへと叩き込む。

 先程のスキルをセットしていない緩慢な動きではなく、鋭く重い一撃がフレンジーボアの横っ面に叩き込まれた。

(よし! さっきと全然違ぇ! イける!)

 フレンジーボアがこちらに反応する前に更に二撃目を斬り込む。たった二撃の攻撃だけでフレンジーボアのHPが半分をきった。

「そんでもってトドメェ!!」

 フレンジーボアが突進するための事前行動として地面を蹴っている最中にレスカテが突進していく。その剣先が青い光に包まれて片手剣の最下級スキルが発動される。

「スラントッ!!」

 フレンジーボアが突進を開始する前に、その横を通り過ぎる様に剣を横に薙ぎ払う。ゲーム内アシストによって半自動でスキルが発動し、スキルに身を任せるままにそのまま剣を振り切る。

 切り裂かれたフレンジーボアは青い光の破片となって消滅した。

「よしっ!」

 その光景を見たレスカテはとても嬉しそうにガッツポーズをとった。そしてその後に小躍りを始めて、周囲のプレイヤー達の奇異の視線を集めていた。レスカテ自身はまったく気にしていないようだが。

「さあて、このまま狩りまくろうか!」

 一人でエイエイオーと剣を持った手を空に(かざ)して気合を入れ、そのまま索敵スキルで次の獲物を探しながら草原を駆けた。

 あれから何時間経っただろうか。レスカテが一心不乱にフレンジーボアを狩り続け、今ではレスカテはレベル2になっていた。

(さて、そろそろログアウトして先生達に感想聞かせないとな。ホント、先生には感謝しなきゃな)

 そう思い、おもむろにメニュー画面を見て動きを止める。

「あれ? ログアウトが見当たらんのだが……」

 レスカテがスキルをセットし忘れてメニュー画面を開いた時には端っこの方に確かに存在していた。だが、今見てみるとログアウトボタンが全く見当たらなかった。

 そこまで頭の中を整理し、もう一度メニュー画面を確認してみる。

 

 やはり無い。

 

「おい運営!! どういう事だよ!?」

「ログアウトできねぇぞコラァ!!」

 と、他の草原にいるプレイヤー達もログアウトが無い事に気付いたのか騒ぎ始める。どうやらレスカテだけでは無いらしい。

 

 その時だった。

 

「なんだ!?」

 リンゴーンリンゴーンと教会にある鐘が鳴っているような音と共に自分の体を鮮やかな蒼い光の柱が包み込む。

 蒼い光の壁の向こう側で同じような状況になっている他プレイヤー達を視界に入れたところで急速に景色が薄れていく。

 この現象は知る人ぞ知る、『転移(テレポート)』と呼ばれるモノだ。本来はそれを使える筈のアイテムを持っていないと起きない現象なのだが、現在進行形でそれが発生している。

「一体どうなってんだ……?」

 レスカテや他多数のプレイヤーが草原から姿を消す寸前にそう呟いたが、当然のごとく誰の耳にも入ることはなかった。

 

 

 

 

 レスカテが目を開けると見覚えのある景色。はじまりの街の中央広場だ。何度もお世話になった場所なため――というよりつい数時間前まで居た場所なのだから見間違う筈もない。

 その広場に大多数のプレイヤーが集結していた。いや、今もなお蒼い光と共に集まり続けている。その数は軽く見積もっても五千は軽く超えている。

「つまり俺たちは強制的にここへと集められたって事か」

 レスカテは納得したように頷いて辺りを見回す。

 ソードアート・オンラインの運営に肉声で抗議して怒鳴る者、ログアウトできない事に不安がる者、ただこの状況に着いていけなくて呆然とする者、その他にも色々な反応をしているプレイヤー達がいるが、そんな周りに囲まれて逆に頭が冷静になっていくレスカテ。

 だが、知識が無いために考察や推論すら立てる事ができない。

 故に、レスカテはただこの状況の流れるままに身を預ける事にした。

「あ、上を見ろ!」

 不意にあげた誰かの声でレスカテを含む全員が上を見上げる。

 百メートル程の上空に真紅の模様が浮かび上がっていく。よく見ればその模様は英文だった。

『Waraning』

 と、ただ一文が真っ赤なフォントで綴られ、その後に――

『System Announcement』

 という単語が読むことができる。まあ、要約すれば運営のアナウンスだ。どうやらこのログアウトができない事象についてという事だろうとレスカテは推察する。

 だが、次の瞬間には赤い文字達がまるで血液を垂らしたようにドロリと垂れ、そこからまるで血溜まりのように広がり、血溜まりが一瞬にして紅い布へと早変わりした。

 そしてそれが巨大な人型へと姿を変えた。大きさは優に二十メートルは超えているのではないかという巨大さだ。

 フード付き真紅のローブを纏った巨人。だが、最も印象的なのは顔が無い事。フードによって顔が隠れているだけなのかとも思ったが、どう見てもフードの中身が空洞なのである。証拠に裏地の緑色の縫い取りまでしっかり見通せるのだ。

 垂れ下がるローブの袖も中身は同じく暗い闇が広がるばかりだ。

「趣味悪ぃな」

 眉をひそめてレスカテは呟いた。そんな彼の周りにも「あれってGM?」「なんで顔無いの?」等というささやきもちらほらと周りから聞こえる。

 だが、それらの声を抑えるようにローブの袖が動いた。

『プレイヤーの諸君、私の世界へようこそ』

 遥かな高みから実験動物でも眺めるような、そんな声音が辺りに響いた。

 他プレイヤー達もレスカテも、意味がわからないと首を傾げたりしている。だがしかし、紅いローブの言葉に全員が納得せざるを得なくなる。

『私の名は茅場(かやば)晶彦(あきひこ)。今やこの世界をコントロールできる唯一の人間だ』

 その名前を聞いた瞬間、プレイヤーたちが一斉に息を呑んだのがわかった。しかし、レスカテだけが「誰?」と言わんばかりに頭の周りに?を乱舞させている。

 茅場晶彦――簡単に言えば、このVRMMORPGの根底を作った男。そう、ナーヴギアの基礎設計者にして完全ダイブを作り上げ、このゲーム――ソードア-ト・オンラインの開発ディレクターでもある男だ。

 ちなみにナーヴギアとは、簡単に言えばプレイヤーは皆これを頭に装着する事でユーザーの脳と直接接続させる事で五感全てにナーヴギアはアクセスできるのだ。

 それを利用して繋がる事で、プレイヤーはVRMMORPGと接続できるのだ。

『プレイヤーの諸君は、既にメインメニューからログアウトボタンが消滅している事に気付いていると思う。しかしゲームの不具合ではない。繰り返す、これは不具合ではなく、ソードアート・オンライン本来の仕様である』

「仕様……だと……!?」

 茅場の後に驚愕を含んだ声を誰かが上げた。それはこの場にいる全員の代弁でもあった。

『諸君は今後、この城の(いただき)を極めるまで、ゲームから自発的にログアウトすることはできない』

(この城ってなんだよ?)

 茅場の言葉にレスカテが心の中でツッコミをいれる。だが、レスカテだけでなく、この場にいる全員が咄嗟にはわからなかった。

 そう、この城とは全百層もあるアインクラッドそのものを指す。

『……また、外部の人間の手によるナーヴギアの停止、あるいは解除もありえない。もしそれらが行われた場合――』

 淡々と事実だけを告げる茅場が初めて言うのを溜めた。そのせいか広場中にいるプレイヤー達が息を詰めた。途方もない重苦しい静寂の中、レスカテはその時点で何か嫌なことを言ってくるに違いないと何となくそう思った。

『――ナーヴギアの信号素子が発する高出力マイクロウェーブが諸君の脳を破壊し、生命活動を停止させる』

 しかし、告げられた言葉はレスカテの予想を軽くぶっ飛んでいた。

 

 脳を破壊――つまりは殺す、ということだ。

 

 ナーヴギアの電源を切ったり外したりしたら、装着している者を殺す。そう茅場は告げた。

 ざわざわと、広場のあちらこちらで騒がしくなり始める。

『より具体的には、十分間の外部電源遮断、二時間のネットワーク回線遮断、ナーヴギア本体のロック解除、または分解、そして破壊の試み――以上のいずれかの条件によって脳破壊シークエンスが実行される。この条件はすでに外部世界では当局およびマスコミを通して告知されている。ちなみに、現時点でプレイヤーの家族友人などが警告を無視してナーヴギアの強制徐装を試みた例が少なからすあり、その結果残念ながら既に二一三名のプレイヤーが、アインクラッド及び現実世界からも永久退場している』

 更にざわめきををかき消す具体的な内容が告げられたため、プレイヤー達は冷や水を浴びせられたかのように静まり返り、茅場の言葉を理解した時、そこからともなく小さな悲鳴が聞こえた。

 だが、それでも信じられないと言わんばかりに薄ら苦笑いを浮かべていたり、放心していたり、近くの人と嘘か真か議論している者達もいる。

(詳しい事はわからんが、これがもし本当の事だとしたら……俺はどうするべきだろうか)

 だが、レスカテはこんな状況下にあっても微塵も揺らいでいない。むしろこれからどうするかを冷静に考えていた。

『諸君が、向こうに置いてきた肉体の心配をする必要はない。現在、あらゆるテレビ等のメディア機関は多数の死者が出ている事も含めてこの状況を繰り返し報道している。諸君のナーヴギアが強引に徐装される危険性は既に低くなっていると言っていいだろう。今後、諸君の現実の体はナーヴギアを装着したまま二時間の回線遮断猶予時間のうちに病院、その他施設へと搬送され、厳重な介護のもとに置かれる筈だ。諸君には、安心してゲーム攻略に励んでほしい』

「何を言ってるんだ! ゲームを攻略しろだと!? ログアウト不能の状況で呑気に遊べってのか!? こんなの、もうゲームでもなんでも無いだろうが!!」

 茅場のあんまりな言葉にとうとう明確な反論が怒声混じりに入る。だが、その発言をした黒髪の美青年の言葉はこの場にいるほぼ全ての者の代弁であった。

『しかし、充分に留意してもらいたい。諸君にとってソードアート・オンラインは既にただのゲームではない。もう一つの現実と言うべき状況だ。……今後、ゲームにおいてあらゆる蘇生手段は機能しない。HPがゼロになった瞬間、諸君のアバターは永久的に消滅し、同時に諸君らの脳は破壊される』

 そして更に爆弾発言をする茅場。もう広場内のプレイヤー達の士気とも呼べるものが根こそぎ無くなった瞬間だった。

 レスカテは自分の視界に映るHPゲージを見る。すると430/430という文字も表示された。これがゼロになるとそのプレイヤーは死ぬ。

 ああ、確かにこれはゲームなのだろう。本当の命のかかった死亡遊戯(デスゲーム)が。

 だがしかし、何故だかレスカテはすんなりとその事実を受け入れる事ができた。通常の神経ではない。

『諸君がこのゲームから解放される条件はたった一つ。先に述べた通り。アインクラッド最上部、第百層まで辿り着いてそこに待つ最終ボスを倒してゲームをクリアすればよい。その瞬間、生き残ったプレイヤー全員が安全にログアウトされる事を保証しよう』

 茅場がそう告げるが、反応を返す者はほとんどいない。その全てに現実味がなく、そして事実だったとしたらあまりにも重すぎるからだ。

『それでは最後に、諸君にとってこの世界が唯一の現実であるという証拠を見せよう。諸君のアイテムストレージに私からのプレゼントが用意してある。確認してくれたまえ』

 それを告げるやいなや、ほとんど自動的に全てのプレイヤーがメインメニューを開き、アイテム欄を確認する。

アイテム名は手鏡。オブジェクト化してレスカテが手に取ると、どう見ても普通の手鏡だった。正直、何のためのアイテムなのか予想がつかない。

「なっ……なんだ!?」

 突然、周囲のプレイヤー達が白い光に包まれた。何事かと周りを見渡すレスカテも白い光に包まれた。

 光は二、三秒ほど続いたが、光が収まった。だが、周囲の光景が様変わりしていた。

 数秒前まではゲームらしい美男美女の人たちは形を潜め、明らかに普通の一般人に鎧や剣を装備したコスプレ集団にしか見えない。しかも男女比まで大きく変わっている。よく見渡せば女物の服を着たガリガリのおっさんの姿も見られる。

「なにこの地獄絵図」

 そのおっさんを見て吐きそうになったレスカテは手に持つ手鏡で自分の姿を見る。

 目つきが悪いのは相変わらずだが、前髪が鼻先まで伸びて隙間から覗かせる眼光のせいで恐ろしく見える。後ろ髪も腰辺りまでボサボサに伸びきっていて、全くと言って手入れをしている風には見えない。

全体的に細見で平均男性よりかは明らかに線が細い。女性っぽいのではなく、ただ病的にガリガリなだけだ。

 しかし、先程までの彼とは違い、近寄り難い雰囲気が全身からあふれ出ている。

「現実の俺……?」

手鏡に映った自分の姿を見て愕然とする。現実ではまるで生きている実感のなかった時の姿をしているのだ。どうやって現実の自分を再現しているのかは正直言ってレスカテにはわからない。だからそれに関する思考は即座に放棄した。わからないものはわからないのだから。

 だが、代わりにレスカテは疑問を浮かべる。何故、こんな事をしたのか。

『諸君は今、何故と思っているだろう。何故私はSAO及びナーヴギア開発者の茅場晶彦はこんな事をしたのか。これは大規模なテロなのか。あるいは身代金目的の誘拐事件なのか、と。だが、私の目的はそのどれらでもない。それどころか今の私はすでに一切の目的も、理由も持たない。なぜなら、この状況こそが私にとっての最終的な目的だからだ。この世界を創り出し、鑑賞するためにのみ、私はナーヴギアを、そしてSAOを創った。そして今、全ては達成せしめられた』

 自分の目的を語った時、今まで淡々とした物言いに、少しだけ感情が込められている事をレスカテは感じ取った。その感情は子供が自慢げに自分のおもちゃを自慢する時のようなモノに似ていると、レスカテは思った。

 『以上でソードアート・オンライン正式サービスのチュートリアルを終了する。プレイヤー諸君の健闘を祈る』

 その言葉を残して茅場は上空に漂うシステムメッセージと溶け込むように同化し、広場から消滅した。茅場が消えた後直ぐに上空にあるメッセージも現れた時の逆再生のような印象を受けて唐突に消えた。

 そして普段通りのBGMがフェードインしてきて中央広場が元の姿へと還っていく。しかし、仕様だけは以前とは様変わりしているが。

 そしてこの時、茅場の告げた事実にプレイヤー達がもっともな反応を一斉にみせた。

「ウソだろ……おい、こんなのウソだろ、おい!!」

「ふざけんなよ! ここから出せよぉ!!」

「嫌だ!! 帰りたい!! 帰らせてくれぇ!!」

 等々、様々な悲鳴、怒号、絶叫、罵声、懇願とプレイヤー達の大音量の声が広場中から聞こえ、レスカテの鼓膜を震えさす。

 数々の聞き取れない声の中で。レスカテは静かに考える。

(このゲームの中から出ることはできず、そしてこの中で死ねば現実の俺も死ぬ?)

 数々の負の感情が渦巻く広場の中でレスカテはニヤリと笑って踵を返し、泣き叫ぶプレイヤー達を避けて広場を抜ける。

(上等だ。どうぜ現実でも死んでるようなもんだし、なら俺はこの世界で精一杯生きて死んでやる! まあ、死なないのが一番いいけどよ)

 そう思いながらもどんどんはじまりの街並みを抜けて行き、街の出口へとたどり着き、そのまま街を出る。

 はじまりの街の門をくぐると、夕焼け空の光で草原が小麦色に輝いている。かなり幻想的な光景だ。

「こんな世界がまさか俺たちを閉じ込める檻になるとはなぁ。誰がんな事予想できるかっつーの」

 綺麗な光景に溜め息をつきながら草原の中を歩きだす。レスカテがやろうとしてるのはとりあえずレベル上げ。死に難くなるにはレベルを上げるのが良いと判断したからだ。

 まだ他のプレイヤー達は茅場の告白に立ち直れていないだろうから、この草原はレスカテの独壇場と化している。敵も何度も狩ったフレンジーボアだ。油断しなければ死ぬ事もないだろう。

「んじゃ、行きますか!!」

 レスカテはパンッと両手で自らの頬を叩いて気合を入れて小麦色の草原を駆け廻った。

 

 

 

 

 このデスゲーム開始から一カ月で約二千人が死んだ。

 外部からの介入はおそらくこれからも存在しないのだろう。何の音沙汰もなかったのがその証拠だ。

 だがしかし、これだけの犠牲と時間を消費しても、未だ一層すらクリアされていなかった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

追憶:友との出会い

 第一層迷宮区前のトールバーナという街に幾つかのパーティーが集っていた。

 もちろん、その中にもソロで活躍している者もいる。ここに集まっているのは紛れもなく現時点でトッププレイヤーと呼べる者達が集まっていた。

(俺、スゲェ場違いっぽい)

 何の因果かレスカテはその集団の中にいた。

 木で造られたかのような劇場のステージの中央にこの場の主催者と、観客席のような岩の椅子に各々自由に座っている。レスカテは一団から少し離れた場所に陣取ってだらけて座っていた。

「はーい! それでは始めさせてもらいまーす!」

 パンッと手を叩いてプレイヤー達の意識をこちらに向けさて告げるのは、今回の主催者である。どう見ても美青年で、着ている服装や防具、武器にいたるまで、レスカテとは大違いな程にしっかりしている。

 ちなみにレスカテは武器意外は全てが始まったあの日と同じ装備だ。

「今日は俺の呼びかけに応じてくれて、ありがとう! 俺はディアベル。職業は……気持ち的に騎士(ナイト)やってます!」

 そんな美青年――ディアベルが茶化しながらの自己紹介に、周りから笑いながらの野次が入る。ここまでの雰囲気は和やかなものだ。

 ちなみに、ソロで適当なダンジョンで狩りをしていたレスカテをこの場に招待したのもディアベルだ。

 レスカテ自身は自覚がないが、ダンジョンをソロで狩りをしている時点でそれなりに腕が立つプレイヤーとして認識されたために誘われたのだ。

 ディアベルが静粛に、と手で野次を抑えると、スッと真剣な表情になる。

「昨日、俺たちのパーティーが、あの塔の最上階でボスの部屋を発見した」

 ディアベルがそう告げた瞬間、広場にいたプレイヤー達がどよめきつつも、顔つきを変えて重苦しい空気に包まれた。再度レスカテは場違いだと思った。

「俺たちはボスを倒し、第二層に到達して、このデスゲームをいつかクリアできるって事を、はじまりの街で待ってる皆に、伝えなきゃいけない! それが! 今この場にいる俺たちの義務なんだ! そうだろ、皆!?」

 ディアベルの演説と問いかけにプレイヤー達が戸惑いながらも頷き、次第に拍手と歓声が増えて行った。今のでほとんどのプレイヤー達が今回の第一層のボス攻略にやる気を出し始めている。

 レスカテもその光景に笑みを浮かべる。なんだかんだでレスカテ自身もちょっとはやる気がでているのだ。

「OK。それじゃあさっそくだけど、これから攻略会議を始めたいと思う。まずは、六人のパーティーを組んでみてくれ。階層(フロア)ボスはただのパーティーじゃ太刀打ちできない。パーティーを束ねた連結(レイド)を使うんだ!」

 ディアベルがそう告げると、プレイヤー達が即座に行動を移してパーティーを組んでいく。そんな中でレスカテは小首を傾げていた。

(パーティーってなんぞ?)

 デスゲームとは言え、MMORPGを一カ月していて初めてパーティーの存在を知ったレスカテであった。

 レスカテお得意の困った時にはヘルプで、パーティーの説明を受ける。ついでにレイドの説明もされていたため、一緒に理解した。

(え……、こんな事できるんなら一カ月一人で戦ってきた俺って一体……? いやいや、つか俺って他人とどう接していいのかイマイチよくわからんし……こんな身なりだから誰も話しかけてくれねぇし……)

 と、一人で戦ってきた理論武装(言い訳)を心の中で迷走している間に、レスカテ一人が孤立していた。

「アンタも一人、なのか?」

 しかし、レスカテの背後から声がかかり振り返ると、黒髪の少年と赤いポンチョのようなモノで全身を隠した性別不明の二人が立っていた。

「あ、ああ。まあな」

 行き成りの事で少々動揺しながらもレスカテはしっかりと返事する。

「俺たちも元々一人だったんだ。よかったら今回だけ一緒に組まないか? 俺たちはまだ二人だから人数に余裕があるし……」

「わ、わかった。組もう、どうすりゃいいかわかんなかったし」

 少年の提案にこれ幸いと乗っかるレスカテ。返事を聞いた少年が自分のメニューを操作すると、レスカテの視界に『パーティーの申請を受理しますか?』という問いかけの下にYes/Noと表示されている。

 レスカテは少々ぎこちなくYesを押すと、自分のHPゲージの下に二人分のHPゲージが表示された。それらのHPゲージの隣にそれぞれ『Kirito(キリト)』と『Asuna(アスナ)』と表示されている。

 おそらくはこれらはこの二人の名前で、少年がキリトで、性別不明がアスナなのだろうとレスカテは勝手に推測した。

 キリトがレスカテの隣に座り、アスナが更にその隣に着席する。

「よーし、そろそろ組み終わったかな? じゃあ――」

「ちょう待ってんか!?」

 ディアベルが頃合いを見て声をかけるが、それを遮る声が聞こえた。

 一斉にプレイヤー達が声のした方を見ると独特な髪とちょび髭を生やした男が、身軽そうに観客席をポンポン飛び降りて、ディアベルの隣に立つ。

「ワイはキバオウ言うもんや。ボスと戦う前に、言わせてもらいたいことがある!」

 いきなりこの場に出てきたキバオウという男が自己紹介をした後に、キッとプレイヤー達を睨みつける。

「この中に、死んでいった二千人に詫び入れなアカン奴がおるはずや!!」

 続いてそう告げたキバオウがプレイヤー達に向けて指を指すと、戸惑ったようなどよめきがおきる。そしてレスカテの隣に座るキリトの表情も険しくなった。

「キバオウさん。君の言う奴らとはつまり、元ベータテスターの事、かな?」

「決まっとるやないか! β(ベータ)上がり共は、こん糞ゲームが始まったばかりに、初心者(ビギナー)を見捨てて消えおった。奴らは旨い狩場やら、ボロいクエストを独り占めして、自分らだけポンポン強なってその後もず~っと知らんぷりや!」

 関西弁で話すキバオウが、ディアベルの質問に答えた後、集まっているプレイヤー達に向けて演説を始めた。

 レスカテはここでも頭を傾げる事となる。

(べーたとか、べーたてすたーって何?)

 当然、オンラインゲーム初心者のレスカテは、その言葉に聞き覚えがない。

 正式にはβ版と呼ばれるモノで、二種類存在する。

 一般開放されたオープンβと呼ばれるモノと、開発者関係や公募でユーザーを規定数集めて行うモノをクローズドβと呼ぶ。

 ソードアート・オンラインは後者のようだ。β版は正式にリリースされたモノよりもいち早くプレイする事ができるため、参加する者も多い。世界初のVRMMORPGであるソードアート・オンラインなら尚更だ。

 だがしかし、β版には避けることができない事象がある。それはバグだ。やはり正式発表前という事もあり、バグが多いのだ。

 それでも他の誰よりもいち早くプレイできるという事もあり、正式前に色々と情報を集めることができる。

 キバオウはその情報と知識を持って、初めてこのゲームをした人たちを導いてやれば、二千人もの人が死なずに済んだんじゃないか? そう言いたいのだ。

 しかし、レスカテは根本的なところを知らないため、何も考察する事ができない。まさにキバオウの言う初心者なのに、だ。

 ヘルプを開いてもベータの事がわからないため、隣で険しい顔をしているキリトの肩を叩く。

「なんだ?」

「べーたてすたー……ってなんだ?」

 レスカテの言葉を聞いて厳しい顔をしていたキリトが一変、何とも言えないような微妙な表情になる。

「マジで言ってる?」

「マジで言ってる」

 レスカテの真面目な表情を見たからか、キリトはため息をついて説明を始めた。

 その間にもキバオウの演説は続いている。

「そいつらに土下座さして、貯めこんだ金やアイテムを吐きだしてもらわな。パーティーメンバーとして、命は預けられんし、預かれん!」

 説明をしていたキリトがキバオウの演説を聞いて顔を(しか)める。それを訝しんだレスカテは気付いてしまった。だが、何も言わずにキバオウを冷めた目で見る。

 自分の演説と正当性に自信があるのか、堂々と腕組みして舞台の上に立っている。

(でも、何か違うと思うんだよな。だいたい命を預けられないし預けたくないって、ならこれに参加すんなよっつー話だ)

 レスカテはキバオウを冷めた目で見てから溜息をついた。

「ちょっと良いかしら?」

「なんや?」

 この会場に居る中で珍しい女性が立ち上がり、ズカズカと舞台の方へと歩いていく。

 セミロングの茶髪だが知的そうにきっちりと毛先を揃えている。切れ長の目をしており小鼻も小さく美少女と呼べる程だが、への字に口をまげているために少々気難しそうな印象を受け、近づき難い雰囲気を醸し出している。だが、彼女の装備がディアベルと同じくらい立派な装備を身に纏っていて、背中には理知的とは程遠い斧を背負っている。

 女性プレイヤー比率がかなり少ないこのソードアート・オンラインでは物凄く珍しい。それが美人だと尚更だ。例え近づき難くても男なら興味が出てしまうのは致し方ない事なのだ。だからそんな彼女が行動を起こした事で他のプレイヤー達の視線が一気に集中した。

 人の目に晒される事に慣れているのか、堂々とした足取りで舞台へとたどり着いた。

「貴方の言い分はわかった。で、相容れないって言うのなら今回の攻略から外れてくれませんか?」

 彼女が腕を組みながら言い放った言葉は拒絶だった。

「は?」

「正直、これは私ではなくてディアベルが決める事だって言うのはのはわかってる。でも、貴方の言い分通りにベータテスター達から装備やアイテムを剥ぎ取ったなら今回の作戦は大幅な戦力ダウンになり、成功する確率が下がります。それでは本末転倒ではないのですか?」

 彼女の言葉が意外だったのか素っ頓狂な声を上げてしまうキバオウ。隣のディアベルも目を見開いている。

「なんでや!? まさかおまえもベータテスターなんか!? せやから庇護するような事を――」

「庇護というよりは効率の問題ですよ。この場にベータテスターが何人いるか知りませんが、いる事は間違いないでしょう。ですが、その戦力を奪って貴方と賛同する方だけでこの階層のボスを倒せるのですか?」

「っ……それは……」

 彼女の反論に言葉が出ないのか、ただ口をパクパクさせているだけだ。

「これは自分の命を懸けた戦いです。自分が命を預けられないと判断したのなら、預けなくて構いません。その決断は誰も責める事はできません。ですが、それがわかっていて今回の作戦に参加した理由は自分の考えをこの場で語る事ですか? ですがそれは愚かな事です。結果的にこの場のほとんどの人の戦意が衰えてしまった。これはディアベルが述べたように失敗してはならない戦いです。正直うんざりなんですよ、空気を読まない方って」

 反論できない事を良い事に彼女の言葉と言うナイフがキバオウの心を傷つけていく。観て聴いていたレスカテは少々キバオウがかわいそうに思えていたが、よく考えると自分もほとんど同じことを考えていた事に気づき、口出しせずにそのまま傍観を続けた。

「ですから――」

「その辺りにしておけ、スクーレ」

 まだ何かを言おうとした彼女――スクーレをディアベルが少々険しい表情で止める。

「なんでしょうか?」

「確かに君の言い分もわかる。だが、これは君の言う通り命を懸けた戦いだ。人数は一人でも多いに越したことはない」

「ですが、彼一人がいなくとも何も変わりはしないのでは?」

 と、完全にキバオウ当人をのけ者にして二人で討論を始めた。もう周りのプレイヤー達は何が何だかわからないと言った風に微妙な雰囲気に包まれている。そのおかげか、キバオウが下げに下げた場の空気もいつの間にか霧散していた。

「そもそも君は先ほど言っていただろ? 決めるのは俺だ」

「……確かに」

 ディアベルがそう告げたところでスクーレが渋々引き下がる。とりあえずの口論が終わったところで、プレイヤー達もそっとため息をついた。

「前の君はもっと付き合いやすかったんだがな」

「流石に今の姿であのキャラを演技(ロール)するのは無理がありますので。まあ、私も前の方がよかったのですが」

 どうやらディアベルとスクーレは知り合いのようだ。互いに微笑み合って肩をすくめる。美男美女ががやると、どんな仕草でも絵になるものだ。

 美男子と言い難い容姿をしているレスカテにとって少々羨ましくある。

「ちょ!? ワイを置いて勝手に話進めんなや!!」

「まだいたのですか」

 二人だけの世界に割って入るようにキバオウが再び介入するが、さっそくスクーレによる辛辣な言葉が浴びせられた。

(確かに空気読まないなぁ、キバオウって奴は)

 レスカテは苦笑いする。余裕を取り戻したキリトも同じような引き攣った笑みを浮かべている。ちなみにキリトの隣に座っているアスナはほとんど微動だにしていない。まったく興味がないようだ。

「ふぅ、発言良いか?」

 ここで更に介入者が現れる。褐色の肌に筋肉質の巨漢、スキンヘッドに顎鬚とかなり厳つい風体をしている。その背中には一対の刃を持つ斧を背負っている。

 その彼がいい加減うんざりと言いたげな表情で、ゆっくりと石階段を降りて舞台へと近づいていく。その際、スクーレが初めて無表情を崩し、巨漢を見た時に恍惚とした表情を見せた。それに気づいたレスカテは頬を引き攣らせた。

「俺の名前はエギルだ。個人的にはさっさと攻略会議を進めたいと思っているんでな。早々に終わらせてもらう」

 舞台へと立った巨漢――エギルは即座にそう言い放ち、腰に下げているポーチから小さな本を取り出した。ディアベルはこの場はエギルに任せるつもりか、口出ししようとしない。そしてスクーレはずっとエギルをガン見したままだ。

「キバオウさん、アンタの言い分はもういい。誰彼構わず、一度はそう思っている筈だからだ。だが、このガイドブック、アンタも持っているだろう。道具屋で無料配布されているからな」

 キバオウの前に立ったエギルはずいっと手に持つ小さな本――ガイドブックをキバオウに見せつける。

「持ろたで。それがなんや?」

「配布していたのは、元ベータ―テスター達だ」

 苛立ってきたキバオウがキツ目に言い返すが、エギルは全く動じずに淡々と事実を告げた。その告白に周りのプレイヤー達にもどよめきが走る。

 それにはレスカテも驚いた。もちろんガイドブックはレスカテも持っている。そのガイドブックのおかげでアニールブレードと言う現時点で高性能の片手剣を手にする事が出来た。

 まあ、その情報はやはり他の片手剣使いも知っている訳で、軽く争奪戦のようなモノになってしまった事を思い出して、レスカテは自らの腰に差してあるアニールブレードの柄を撫でながら苦笑いした。

「このガイドブックが道具屋に並ぶまで、全てが始まったあの日からそう経っていない。なのにこれほど完成度の高いガイドブックをどうやって作ることができたのか? 簡単だ、知っていた。それなら合点がいく。つまり早い段階で皆は情報を仕入れることができた、と言う訳だ。だが、それでも沢山のプレイヤーが死んだ。だから俺たちは、その失敗を踏まえてどうボスに挑むべきなのか? それがこの場で論議されるモノだと、俺は思っていたんだがな」

 そう言い放ったエギルはディアベル、スクーレ、最後にキバオウを冷めた目で見つめた。それにディアベルとスクーレは即座に頭を下げる事で答えた。キバオウは居心地が悪くなったのか、顔を背けて舌打ちして一段目の席に乱暴に座り、その隣に少し間を空けてエギルが着席した。

「んんっ、話が色々脱線してすまない。さぁ、再開しようか」

 ディアベルが咳払いをしてガイドブックを取り出す。

「ボスの情報だが、実は例のガイドブックの最新版が配布された」

(ボス戦のガイドブックか、すげぇな)

 ディアベルが持つガイドブックの正体に会場内にどよめきが走る。先ほどのキバオウも例外ではない。

「それによると、ボスの名前はILLfang(イルファング) tha() Kobold(コボルド) Lord(ロード)。それと、Ruin(ルイン) Kobold(コボルド) Sentinel(センチネル)という取り巻きがいる。ボスの武器は斧とバックラー、四段あるHPバーの最後の一段がレッドゾーンに入ると曲刀カテゴリーのタルワールに武器を持ち替え、攻撃パターンも変わる、という事だ」

 ガイドブックに書いてある事を音読するディアベル。未だ誰もボス部屋に辿り着けていなかった状況下でこれだけのボスの情報があるという事は、やはりエギルの推察は当たっているという事だろう。

(俺も後で貰いに行かなきゃな)

 ディアベルの説明を聞きながら自分が持っているガイドブックを取り出して一ページめくる。中に一番最初に書かれているのは『大丈夫、アルゴの攻略本だよ』という文字。おそらくはアルゴというプレイヤーが作成した物なのだろう。

「現在、六人パーティーを組んでもらっているが、この場にいるのは二七人だ。三パーティーがボスを攻撃し、人数があぶれて限界数に達していないパーティーと、もう一組みのパーティーは取り巻きの相手をしてもらう。この取り巻きを掃除、または抑えておくという仕事はとても重要だ。なんせ、ボスに集中しているところを背後から攻撃されるからだ」

「それなら先程のお詫び、という事で私たちのパーティーが取り巻きの相手をしましょう」

 ディアベルの説明に即座に手を上げたのはスクーレだ。その周りにいる男たちも異論は無いのかディアベルを見て頷いている。

「よし、もう一つのあぶれてしまったパーティーだが――」

「俺たちだ」

 キリトが手を上げる。キリトの周りにレスカテとアスナの三人がいる事で数が合致する。それを見たディアベルは頷く。

「うん、任せたぞ。最後に、アイテム分配についてだが、金は全員で自動均等割り。経験値はモンスターを倒したパーティーのもの。アイテムはゲットした人の物とする。異論は無いかな?」

 ディアベルの説明にプレイヤー達は互いに顔を見合わせ、相談を開始するが異論は全く出てこない。要はディアベルの出した提案は早い者勝ちだからだ。アイテムや経験値に目を取られて突出してしまうパーティーも出るかもしれないが、恨みっこなしというのは後々妙な(いさか)いを産まなくて済むためによく用いられる。

「無いようだな。なら、明日は朝十時に出発する。では、解散!!」

 パンッとディアベルが手を叩いた事で作戦会議は終了した。プレイヤー達が立ち上がりそれぞれの行動を取る。

 パーティー内での連携を考える者達、リーダーのディアベルに話しかける者達、その場をさっさと離れる者達と様々だ。

「さて、会議も終わったし、親睦でも深めるために飯でも――っておいおいおい!?」

 立ち上がったレスカテがキリトとアスナに話しかけたが、同じく立ち上がったアスナはさっさとその場を後にしてしまう。

「なんだありゃ?」

「アイツも俺もソロだから気持ちはわからないでもないけどな」

 無愛想なアスナの態度に腕を組んで眉を潜めるレスカテだが、キリトはポリポリと頬を掻きながら答えた。

(つっても、俺もわからんでもないんだけどな)

 レスカテは現実での自分の態度に苦笑いして、まるで自分を見ているような錯覚にとらわれた。生きている実感がなく、誰に話しかけられてもほとんど反応を示さない自分。次々とレスカテに話しかけていく人は少なくなっていき、最終的にレスカテに話しかけてきたのは『先生』ただ一人だった。

 そんな過去を思い出してレスカテはフッと勢いよく息を吐き出してキリトの肩を叩く。

「んじゃ、俺たちだけで飯行こうぜ? 俺、わかってると思うけど集団戦初めてだから色々と聞いておきたいし」

「そういやMMMORPG初心者だったっけか。わかったよ」

「ありがたい」

 二人は笑いながらその場を後にする。しかし、そんな二人を――正確にはキリトをディアベルは険しい表情で睨みつけていた。

 

 

 

 

 食事を取りながら色々と教えて貰ったレスカテはホクホク顔をしながら街を散策していた。ちなみにキリトとは別行動を取っている。

 レスカテ達の役割は取り巻きを掃除する事。それはつまり自分たちが普段している事とそう変わらないから打ち合わせは必要ないとのこと。それでもレスカテが集団戦の事を教えて貰ったのは『もしも』の事があった時のためだ。

 レスカテは今日一日は街の外に出る気はない。明日は大事なボス攻略戦なのだから、外に出て今所持するポーション等の消費系アイテムをあまり使いたくないからだ。

 だからこそ、レスカテは装備の新調をしていた。それは食事時にキリトにも言われたからだ。

「武器は良いけど防具と盾ってはじまりの街で買えるのばっかりじゃないか。ボスに行くんだからもうちょっと良いのを装備しないと心もとないぜ」

 というありがたいアドバイスだ。そのアドバイスに則ってこの街の防具屋や武器屋を巡り、道具屋でディアベルの言っていた新しいガイドブックを手に入れて、宿屋の自分の部屋でガイドブックを読みふける。

 ペラッと一ページをめくると、見慣れた『大丈夫、アルゴの攻略本だよ』の文字。それを見てフッと笑って内容を吟味する。内容はディアベルが告げていたモノに加えてボスの行動パターンから、要注意攻撃等々、初心者にとってありがたい事が書き連ねてある。

「ん? なんだ?」

 しかし最後の一文がレスカテの目を惹いた。最後にはこう書かれている。

『この情報はベータテスト時点のモノなので変更されている場合がある』

 この一文を見てレスカテは頷く。

(確かに、キリトもベータテスト版と正式版とじゃ差異があるのは当たり前だと言ってたしな。つまり、今回はガイドブックをあてにし過ぎてはならないって事か。気を付けておこう。さてと……)

 レスカテは寝転がっていたベッドから立ち上がり、ガイドブックをポーチの中に仕舞う。そして部屋着にしている初期装備から、今日買い付けた新しい装備へと着替える。

 といっても見た目がそれほど変わったようには見えない。変わったところとは色と盾が木製から鋼鉄製に変わったぐらいだろう。白いTシャツから群青色のTシャツに、他の部位も似たようなものだ。だが、それでも自らのステータスの数値が変動しているのはメニュー画面を見て確認している。

「さて、さっさと晩飯食いに行くか。キリトも誘おうかねぇ」

 キリトも今日はこの街から出ないと言っていたことを思い出して部屋を出る。木造の廊下を進んでいき、レトロさを感じさせる宿屋から出て、キリトを探すために街を彷徨う。

 二十分程、街を彷徨ったレスカテだったが、見覚えのある黒髪の美少年の姿を見つけることができた。が、既に先客がいたようで広場の隅っこにある噴水の縁に腰かけているキリトとアスナの姿が見えた。しかも二人ともちびちびとパンを食しているのがわかる。

 しかも少々良い雰囲気だ。

(アスナってのが名前通りの性別ならこれは邪魔したらダメだな、うんうん)

 その光景をニヤニヤした表情で薄ら笑いながらレスカテは踵を返す。そして次の瞬間には自分の容姿のせいでそういう青春染みた事はないだろうなと、内心涙しながら明日のために腹ごしらえをしようと再び街を彷徨う。

「明日は決戦、か」

 そう呟いて気を引き締め直し、自分の上空に広がる夜空を眺める。

「明日で俺は死ぬかもしれない。なら、この夜空を見るのも見納めに――って何しんみりしてんだかな」

 ガリガリと頭を掻いて弱気になった事を苦笑いしながらなかった事にした。

「必ず勝つ。なんせまだまだ生き足りないからな」

 そしてニヤリと笑い、他のプレイヤー達が行きかう街をゆっくりと練り歩く。腹ごしらえをいて明日を生き残るために。

 

 

 明日、二七人の命を懸けた、希望を掴み取るための戦いが始まる。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

追憶:第一層攻略戦

 作戦会議から翌日。レスカテ達、攻略組は予定通り午前十時に集合して迷宮区を目指して街を出発していた。ディアベルを先頭にし、それを他のパーティーが追従している。

 その中でレスカテは森の中を自分のパーティーと一緒に攻略組一行の最後尾をのんびり歩いていた。

「んっん~!」

 モンスターも先頭にいる人たちが速攻で片づけてしまうため、戦う事もなく森の風景を楽しみながらあくびと筋を伸ばす。

「なんだ。寝不足か?」

「いや、楽しみ過ぎてずっとガイドブック読んでたら陽が昇ってた」

「馬鹿だろ、おまえ。そして子供か」

 キリトが呆れながら溜息をつく。その斜め後ろでアスナが何の反応もせずに黙々と歩いている。

「良いだろ? いつもは寝飽きてんだから少しくらい起きていたってよ」

「何だよ寝飽きって……」

「まあ、それはともかくとして、昨日はお二人さんでお楽しみでしたねぇ」

 ケケケとニマニマ笑いながらキリトの肩をポンポンと叩く。

「いや、何の話かわからないんだけど……」

「まま、そうごまかすなって。昨日の夜、広場の噴水で……」

 そこまで言うと黙々と歩いていたアスナがピクリと肩を震わす。そのまま腰に差してある細剣の柄に手をかけた。

「いやぁ、なかなかなモンでしたよ。声、かけづら――」

 続きを言おうとしたレスカテの鼻先を勢いよく何かが通過する。キリトは気付いたのかアスナの方を見て苦笑いしていた。

 アスナの手には抜き身の細剣が握られていた。

「ちょ!? 危ねぇんだけど!?」

「私、そういうの嫌いなの」

 アスナはそれだけ言うと細剣を納刀し、スタスタと先へ歩いていく。

 当然ながら、ソードアート・オンラインにも犯罪は存在する。

 基本的に街の中――安全圏内でなら他者を傷つけることはできないが、フィールドやダンジョンと言った安全圏外では本来のゲームならばPK(プレイヤーキル)も可能だろう。だが、そうする事でプレイヤーを示すグリーンのカーソルが犯罪者を示すオレンジへと変わる。このオレンジに変わる事で色々とデメリットがある。

 その状態で街に入ろうものなら街を守るガーディアンと呼ばれる超強力なNPC(ノンプレイヤーキャラ)が襲い掛かってくるのだ。まあ、戦おうものなら確実に殺されるだろう。

 当然、アスナはそれをわかっているために当てるつもりはもともと無かった。だが去り際の目が語っている。

 

 二度は無い、と。

 

「ま、おまえの自業自得だな」

「あ、やっぱり?」

 キリトがからかわれずに済んだのが嬉しいのか笑顔を浮かべながらレスカテの肩を叩く。レスカテは溜息をついてがっくり肩を落とした。

 それから少しして二人は差が開いたアスナに追いつくために少々早歩きで追いかける。

「で、俺たちの役目はわかってるな」

「ああ。ルインコボルト・センチネルの相手だろ?」

 アスナに追いついた二人は先ほどのやりとりがなかったかのようにパーティー内で作戦会議を始める。その光景にそっとアスナがため息をついた。

「ああ。俺が奴らのポールアックスをソードスキルで跳ね上げさせるから、即座にスイッチしてくれ」

「りょーかい」

「……スイッチって?」

 レスカテは昨日聞いた専門用語に頷きながら気のない返事をするが、アスナがわからないと言った風に聞き返す。

「あ、俺のお仲間」

「……なんでこのパーティーは経験無い奴ばっかりなんだ……?」

 レスカテが自分の仲間に笑い、キリトはもう一度説明しないといけない事に嘆き、天を仰いだ。

 ちなみにスイッチとは、MMORPGならではの基礎戦術の事だ。スキルというのは必ず技後硬直と言うものが存在する。それを補うようにもう一人のプレイヤーが攻撃する事で敵を引き付ける。ボス戦等では、それを何度も繰り返す事でより安全に立ち回る事も出来る。その様がまるでスイッチした(切り替えた)ように言われるところからきているのだ。

 昨日、レスカテが聞いたことを再びキリトがアスナに説明し、レスカテも復習気分で黙って聞いていた。

 森を抜け、迷宮区に入り、マッピングされた地図通りに進んでいき、出てくるモンスターを全員で蹴散らしながら突き進むと、鋼鉄製の重そうな扉が見えてきた。

「……いよいよだな」

「……ああ」

 先程のようなふざけた雰囲気は既になく、この場の全員から重苦しい程の緊張感を放っている。

 ディアベルが扉の前に立ち止まり、皆へと振り向いて地面に自らの剣を突き刺す。

「聞いてくれ、皆。俺から言う事はたった一つだ。」

 扉の両隣にある松明だけが光源なため、ディアベルもより一層緊張しているように見える。

「勝とうぜ!!」

 だが、ディアベルは笑ってそう言い放った。周りのプレイヤー達も、真剣な表情でそれに頷く。

「それじゃ、行くぞ!」

 ディアベルは扉に手を翳して、力を込めて押すとゆっくりと金属製の重い音を発して扉が開いていく。

 部屋の中は真っ暗だ。ほとんど何も見えない。だが、部屋の一番奥から二つの紅い光が浮かび上がる。

 それを見たディアベルは盾を構えてゆっくりと部屋へと入っていき、他のプレイヤー達もそれぞれの得物と盾を構えて追従していく。

 全てのパーティーが部屋に入り終えると同時に、部屋が極彩色の光に包まれて一気に明るくなる。そしてプレイヤー達の眼前に赤い巨体のモンスターが踊り出てきた。その手には骨をモチーフにした斧と鉄製の円盾を持っている。

 そのモンスターが咆哮すると同時に、頭上に『ILLFang(イルファング) the() Kobold(コボルド) Lord(ロード)』と表示された。つまり、この階層のボスであり、今回の討伐目標だ。

 ボスの咆哮に応えるかのように青い光に包まれて、複数の『RuIn(ルイン) Kobold(コボルド) Semtinel(センチネル)』が出現(ポップ)した。

 取り巻き――センチネル達が先陣を切り、プレイヤー達へと猛烈な勢いで突撃していく。

「攻撃、開始ッ!!」

 ディアベルも自らの剣をボス達へと指しながら指示を出し、プレイヤー達は雄叫びをあげて同じく突撃してく。

 レスカテ達もその中に加わり、センチネル達へと駆けて行く。

「レスカテ!」

「わかってんよ! でもなぁ……」

 作戦ではキリトが武器を跳ね除ける事になっていたが、思いのほか突出し過ぎて焦っていたレスカテだったが、取り巻きの攻撃を鋼鉄の盾で防いで払いのける。

「俺でもやってやれん事はねぇんだぜ!」

弾き防御(パリィ)!?」

 体勢を崩したセンチネルの胴体に一閃、通り過ぎ様に首元を斬り払う。その後ろにアスナが控えており、そのセンチネルがレスカテを追いかけようと振り向いているところに細剣のソードスキル、リニアーが直撃してセンチネルのHPを削り切る。

「やるぅ」

「真面目にやりなさい」

「へいへーい」

 いつの間にかアスナの側にいたレスカテがヒュウと口笛を鳴らすが、逆にアスナに説教をされた。

(知識とか、ほとんど知らない初心者だと思ったけど。なかなかやるじゃないか、二人とも)

 そんな二人を後ろから見ていたキリトが心の中で賛辞を贈る。そして自分の背後に近づいていたセンチネルを索敵スキルで把握していたキリトは振り向き様にソードスキルを発動させて武器を跳ね除ける。

 技後硬直に入ったキリトの横をアスナが通り過ぎ、細剣のソードスキル、フォースタブという四連続刺突がセンチネルを葬り去った。

(速いな、剣先が見えない)

 行動の速さ、そして剣筋の速さを賞賛するキリト。その背後で二人に攻撃がいかないようにレスカテが引き付けている。

 だが、そんなレスカテの背後に他のセンチネルが襲い掛かる。奇襲に気付いたレスカテは顔を険しくするが反応する事ができない。

 だが、奇襲してきたセンチネルの横っ面を巨大な斧が突き刺さり、そのまま床へと叩きつけられた。

「危なかったですね」

 ブンッと勢いよく斧を一振りして肩に担ぐのは、外見と武器がそぐわないスクーレだ。

「助かったぜ」

「お互い様ですよ」

 レスカテは元々対峙していたセンチネルを切り伏せて、背中越しに礼を言う。

「あっちも順調のようだしな」

「はい。やっと一段目ですね」

 その頃、攻略組本隊は三つのパーティーを更に細分化して六つの小隊を作り、スイッチと攪乱(かくらん)を行いながらボスを翻弄していた。

「んじゃ、このまま押し切りますか!」

「御武運を」

 二人は互いにニヤリと笑い、それぞれ反対側へと駆けだした。

 

 

 

 

 数多のセンチネルをキリト達のパーティーとスクーレのパーティーが葬り去った頃、とうとうボスのHPが最後の一段をレッドゾーンに至った。

ボスが一際大きな咆哮を発し、その手に持つ斧と盾を後方へと放り投げる。ボスの遥か背後で斧が地面に突き刺さり、盾がカランと金属音を響かせて落下した。

「情報通りみたいやな」

 その光景がガイドブックに書いてあった通りだとわかり、キバオウを始めとした複数のプレイヤーが余裕そうにニヤリと笑った。

「下がれ! 俺が出る!」

 ここに来て何故かディアベルが駆け出し、レイド全員の前に出る。

(っ!? ここはパーティー全員で包囲するのがセオリーの筈……)

(ディアベル、貴方まさか!?)

 ディアベルの行動に疑問を持ったのかキリトとスクーレが共に動きを止めてディアベルを凝視する。その間にもアスナやレスカテ、スクーレのパーティーメンバーがセンチネルを蹴散らしていた。

 そんな凝視していたキリトとスクーレがディアベルの目が合う。ディアベルは意味深な笑みを浮かべるだけでキリトにはわからなかった。だが、スクーレは彼が何をしようとしているのかわかってしまった。

(貴方の考えはわかります。ですが、これはデスゲームなんですよ!?)

 だからこそ何が起こるかわからないためにスクーレはディアベルの元へと駆けだした。だが、ディアベルはボスの目の前に立ち、ソードスキルを発動させたのか刀身金色に光り出す。

 それに対峙すかのようにボスが腰に装備していた得物を引き抜き、構える。

(あれは……!?)

 キリトはその得物を見て、目を見開く。それは当然。その得物の名はノダチであり刀のカテゴリーに入る武器である。だがしかし、ガイドブックに書かれていたのはタルワールと言う曲刀であった。

 つまり、これは情報通りではなく、β版から正式版へと移行した時に修正されたモノと考えていいだろう。

 当然の如く、武器が違うのだから繰り出されるソードスキルも違ってくる。

「ダメだ!!」

 ディアベルがボスへとソードスキルを放ちながら突撃するのを見てキリトが叫び声を上げた。

「全力で、後ろに跳べ!!」

 キリトがそう言い放った瞬間、ボスが部屋にある数本ある柱の一本へと壁蹴りジャンプの要領でアクロバティックに素早く移動を始め、天井近くまで跳躍した。

 それに目を見開いたディアベルだったが、如何せん既にソードスキルを発動してしまったがために止める事はできずにむなしく空を斬るだけに終わった。

 上空から一気に降下した勢いでボスがディアベルを襲撃する。

「ディアベル!!」

 そこに技後硬直で動けないディアベルの前にスクーレが斧を盾にして躍り出た。

 だがしかし、それで完全に防げる訳もなく、二人一緒にボスの一撃で吹き飛ばされて地面をゴロゴロと転がる。二人のHPはギリギリグリーンゾーンだったからか、イエローゾーンを突破してレッドゾーンにまで一気に削られる。

 倒れこんだ二人へとボスが見た目にそぐわぬ俊敏な動きで近づき、トドメを刺そうとノダチを振りかぶる。 

(ダメだ、()られる!?)

 紅く光る刀身を恐怖で歪めた表情で睨みつけながらスクーレは漠然とそう思った。一瞬の出来事、誰も反応できなかったし、誰も動くことすらできなかった。紅い凶刃が二人へと襲い掛かるのをただ見てるだけしかできなかった。

 ただ一人を除いては……。

 二人の横を素早い何かが横を通り過ぎ、ガギンッという音を響かせて凶刃が鋼鉄の盾に阻まれた。

 並の人間に比べて明らかに細い線を持ち、長い前髪の隙間から目つきの悪い双眸がボスを睨みつけて脚を力強く踏ん張らせている。

 

 レスカテだ。

 

 鋼鉄の盾を持つ左手を翳し、右手首で左手首を押さえつける形で剣を持ったまま両手で盾を支える事に成功していた。

「グゥルゥウゥァアァァァァ……!!!!」

 まるで獣のような唸り声を発して、その細い身体のどこにそんな力があるのかボスの凶刃を払いのけた。レスカテも盾で受け止めたからと言って無事ではない。もともと削れていたHPが更に四割程削れてレッドゾーンへと突入していた。

 だが、受け止めれたのは細い見た目に意外性を求めて敏捷値よりも筋力値にステータスを割り振っていたためだ。

「借りは返したぜ」

 レスカテはチラリとスクーレを流し見ながらそうニヤリと笑うと、ボスの腹を斬りつけて部屋の奥へと走り出した。

「助かった……のか……?」

「……そのよう、ですね」

 ボスも部屋の奥へと柱を使ったアクロバティックな動きでレスカテを追いかける。その背中をスクーレとディアベルは呆然と眺めていた。

「大丈夫か!?」

 そこへキリトと複数人のプレイヤー達が二人の元へと駆けつけた。

「とりあえず回復を」

 キリトがポーションを二人分差し出し、スクーレが受け取る。

「彼の回復は私がしておきます。貴方達は彼の援護に向かってください」

 そう告げたスクーレの視線の先にはたった一人でボスの相手をしているレスカテの姿。

「ああ。わかった」

 キリトが力強く頷いてボスへと走っていく。それを見たアスナもキリトに併走した。それに習って数名のプレイヤーも追いかけていく。

 

 

(後、一撃貰えば俺は死ぬ)

 ボスの斬撃をサイドステップで避けながらレスカテは漠然とそう思った。ボスをディアベルとスクーレから引き離すために注意を惹きつけて孤軍奮闘していた。

 一人で戦っているために技後硬直のあるソードスキルは使えないが所詮は時間稼ぎのため、レスカテ自身も使うつもりは毛頭ない。

(そう思うと体が震えそうだ。俺は今、恐怖を……死の恐怖を感じてる)

 レスカテは震えそうになる体を必死に抑えつけ、ボスがノダチを振り切った隙に一撃を与えて間合いをとる。

(病室のベッドの上で、動かない体に絶望して、ただただ時が過ぎるのを待つだけだった)

 ボスがノダチを薙ぎ払うように真一文字に斬りかかったのを、レスカテは獣のように四つん這いになって体勢を低くして避ける。

(死ぬのも怖くなかった、生きる目的もなかった。そんな俺が死の恐怖を感じてる……)

 恐怖を感じている事に笑みを浮かべながらそのままクラウチングスタートの如く、ボスへと勢いよく斬りかかる。それをボスはバックステップで避けると同時に振り切ったノダチを流れるような動きで振り上げ、そのままレスカテへと叩きつけた。

(それは今、俺が生きたいと思ってるからだ!)

 その一撃を咄嗟に横に飛び退き、ノダチの刀身――峰の部分のため刃が無い場所――へと飛び乗る。

「俺は今、ここに生きている!!」

 レスカテは心の底から叫びながらノダチの刀身を駆け上り、ジャンプ越しにボスの右目を斬り裂いた。そうプログラムされているのかはわからないが、痛みに悶えるかのように斬られた右目を左手で押さえつけ、ノダチを無差別に振り回しながら咆哮する。まるで生きているかのような反応だ。

 だが、それほどダメージを与えれてはいない。反応は確かに大げさのような気がするが、それでもHPゲージはそれほど削れているようには見えない。

「やっぱ一人じゃダメか。でもここには――」

 未だ暴れ続けているボスの背中にキリトのソードスキルが炸裂する。前かがみしていたところに背後からの強烈な一撃を与えたからか、前方へとノックバックが発動した。

 それに続けてアスナ、エギル、キバオウ等の複数人のプレイヤー達が次々と攻撃を加えていく。

「仲間がいんじゃん」

 その光景にレスカテは嬉しそうに笑う。

「隊列を立て直す!! センチネルは殲滅した! キリト君、君は奴のスキルについて知っているな?」

「あ、ああ」

 キリトは一瞬、顔を顰めたが、もう遅いと判断したのか吹っ切ったように力強く頷いた。

「よし! 奴の行動パターンについてはキリト君が指示を出してくれ! これからは全てのパーティーを持ってボスを討伐する! 勝つぞ、皆!!」

 回復を終えたディアベルが剣先をボスへと向けて、この場にいる皆へと鼓舞を叩く。それに応えるかのように全てのプレイヤー達が一斉に雄叫びを上げてボスへと突撃していく。

 キリトはボスが使うスキルの概要を皆に伝え、それを基にしたタイミングでエギルが斧のソードスキルでボスのソードスキルで相殺し、その隙をついてキリトとアスナを始め、スクーレやキバオウ等のプレイヤー達が次々と攻撃を仕掛けていく。

 その光景を見ながら、皆が来た事でポーションによるHP回復をおこなっていたレスカテも、回復が終わると同時に瓶を投げ捨てて皆の元へと楽しそうに笑いながら駆けて行く。背後で投げた瓶が蒼い光になって砕け散っていた。

 

 

 気が付けば、どれくらいの時間戦っていたのだろう。だが、必ず終わりと言うものはあるものだ。

「そぉらっ!!」

 レスカテがキリトやエギルがそうしたように自らのソードスキルでボスのソードスキルを弾き飛ばす。そんなレスカテの脇をアスナが通り過ぎてボスの腹に斬撃を加えた後にアスナがソードスキルを発動、フォースタブを繰り出してボスをノックバックさせる。

「行け! キリト!」

「おおぉぉおおぉぉぉぉぉぉぉっ!!!!」

 更にキリトがアスナの横を通り過ぎてボスの胴体目がけてソードスキル――ホリゾンタルを発動し、システムアシストとキリト自身の技術でブーストされた一撃が、ボスの脇腹から肩にかけて斜めに斬り裂いた。

 直後、ボスが蒼い光に包まれて一気に砕け散った。青い光の残滓が部屋中に飛び散り、その破片をプレイヤー達が一身に浴びる。

 そして頭上に『Congratulation!!』と表示された。

「……俺たちの勝利だ!!」

 未だ放心状態のプレイヤー達の中でディアベルが最初に我に返り、剣を天に掲げながら声を張り上げた。

 それを聞いたプレイヤー達が次々に歓声を上げ、ディアベルと同じく剣を天に掲げる者、ガッツポーズを取る者、近くの人と抱き合って喜びを分かち合う者、気が抜けて地面にへたり込む者、皆それぞれな行動を取っているが、共通する事は皆が笑顔だという事だ。

「お疲れさん」

 そんな光景を少し離れた場所で眺めていたレスカテに背後から声がかかる。レスカテが声の方へと振り返るとキリトとアスナがいた。

 ただし、二人ともボスと戦う前とは装備が違っている。

 キリトは前の装備の上に漆黒のコートを羽織っているだけだが、アスナは身に纏っていたポンチョが戦闘途中で壊れてしまったため、素顔を晒している。紅いベストとミニスカートに白いシャツ、側頭部から後頭部にかけて髪が編みこまれていて腰にまで行き届いた長い茶髪、凛とした顔立ちの一つ一つのパーツが彼女を美少女だと認識させられる。

「えーっと、お疲れ……?」

「あぁ、こういうMMOとかじゃ、皆で何かをやり終えた時とかの挨拶みたいなもんだよ」

 キリトの説明になるほど、とレスカテは頷いて二人に向き合う。

「んじゃま、お疲れさん!」

 レスカテは二人の肩を叩いてニッと笑う。二人もそれにつられて笑いあう。この場に重苦しい緊張感はすでになく、和気藹々(わきあいあい)とした雰囲気がこの場を支配していた。

「おまえ、ベータ―テスターやったんやな」

 

 この声を聞くまでは。

 

 キリトが苦虫を噛み砕いたかのような表情を浮かべながら振り返る。そこには腕組みして仁王立ちしているキバオウがいた。

(またおまえか)

 レスカテは内心、溜息をつきながら頭をガジガシと掻く。他のプレイヤーもその事実に表情を落としながらこちらを伺っている。

「おまえ、なんであの時までボスのスキルを隠しとったんや? それでディアベルはんが死んだらどないするつもりやったんや!?」

 キバオウがキリトへと近づき、胸倉を掴もうとしたのをレスカテがその手首を掴んで止める。キリトもその事に少し驚いている。

「なんでテメェはそう突っかかるかねぇ? 空気読めよ、マジで」

「なんや、なんでこないな奴助けんねや? あれか、おまえも――」

 止めたレスカテに対してキバオウはメンチを切ながらレスカテへと近づいてくる。レスカテは冷ややかに睨みつける。

「アンタはキリトの説明を聞いてなかったのか? β版は曲刀のタルワール、今回のは刀のノダチ。正直キリトが居なけりゃ誰もそんなこと知らないで戦って、全滅してた可能性もある。感謝されこそすれ、文句を言われる筋合いはないと思うんだがな?」

「そ、それでも誰も知らんかったらコイツがホンマの事言ってるとは限らへんやろ!?」

「そりゃつまり、本当の事を言ってる可能性もある訳だ」

 レスカテの言い分にキバオウは食って掛かる。だが、レスカテの反論に言葉が詰まった。

「そんでも――」

「キバオウさん」

 まだ何かを言おうとしたキバオウの言葉を遮り、この状況を見かねたのかディアベルがキバオウとレスカテの間に割って入る。

 ディアベルは申し訳なさそうな思いつめた表情をしていたが、少しして意を決したように真剣な顔に変わった。

「キバオウさん。俺も……俺もベータテスターなんだ」

 ディアベルが衝撃の事実を告げると、他のプレイヤー達が騒然となった。当然である。この中にレスカテやアスナのようなMMORPG初心者程ではないが、ソードアート・オンライン自体の初心者はこの中に必ずいる。それがキバオウのおかげでその初心者達にベータテスターの悪印象を少しでも植え付けられていたのだ。

 初心者の中には裏切られたと思う人も少なからず存在するだろう。

「う、ウソや……」

「事実だ」

 その中にはキバオウも含まれており、愕然と、そして絶望したような表情を浮かべて皆が来た第一層の迷宮区の方へと逃げ出した。

「良いのか?」

「……ああ、ここにいる全員の命の恩人である君一人に、背負わせる訳にはいかない。彼の事は任せてくれ」

 今まで黙っていたキリトが口を開き、ディアベルは話してしまっていっそすがすがしいと言わんばかりに良い顔で笑みを浮かべていた。

「それに、君にも助けられた。誘ってよかったよ、レスカテさん」

「いや、俺はそこの女に借りを返しただけだって。柄にも無ぇ」

 真正面から礼を言われた事に、レスカテはポリポリと掻きながら照れる。それをキリトがニマニマと気持ち悪い笑みを浮かべていたためにレスカテはダメージを与えない程度に頭を叩いた。でないと、プレイヤーを現すグリーンのカーソルがオレンジ――犯罪者に変わり、その状態で街に入ろうものなら街の入り口にいるガーディアンと呼ばれる警備キャラにひどい目にあわされる事は間違いない。

「そうか。……それで君たちはこれからどうするつもりだ?」

 ディアベルは優しい笑みを浮かべながらキリト、アスナ、レスカテを眺めながら問う。

「俺はもう少ししたらギルドを結成するつもりだ。……もしよかったら、一緒にどうだ?」

 この誘いはキリトはともかくレスカテやアスナ等の初心者にとっては飛びつきたい程の好条件だ。ギルドマスターはベータテスターだから情報を持っているし、この戦闘でわかる通り、カリスマ性と指揮能力がある。それはとても心強い筈だ。

「いや、俺はやめておく」

 だが、考える素振りもなく、レスカテは断った。そんなレスカテにキリトとアスナの頬が引き攣る。

「まあ、君は何となくそう言う気がしていたよ。とりあえず訳を聞いて良いかい?」

「場違いだと思ったから。初心者な俺が居ても足手まといだろうしな」

(そんな君に助けられたんだがな……)

 カラカラと笑って言ってのけるレスカテに、今の言葉を聞いたディアベルは心の中でそう呟いていたりする。

 正直、ディアベルとしてはこれからの攻略にこの三人の存在はかかせないと思っていた。自分を含めたこのレイドの中で明らかに抜きんでた戦闘能力を持っていると判断したからだ。

「無理に誘っても仕方ないか。心強かったんだが」

「ハハッ、世事はよせよ」

「……君たちはどうする?」

 ディアベルはレスカテから視線を外し、キリトとアスナへと向き直る。それに対してキリトは少し言いづらそうにして――

「俺も辞めておく。ソロで通そうと思っているから」

「私は少し考えさせて下さい」

「そうか。まだ何人か誘う予定だ。返事を聞きたいから二層の初めの街で待っていてくれないか?」

「はい」

 それぞれの答えを出し、ディアベルがこの場を去る。どうやら目当てのプレイヤーの元へと向かったようだ。

 そしてこの場でレイドが解散される。ディアベルは他にも何名か誘っているのを見届け、キリト達のパーティーは解放された二層へと足を踏み入れた。

 ほとんど一層と変わらない長閑な、それでいて中世西欧あたりの田舎街といった風な街並み、遠くには風車小屋のような物まで見える。

「それじゃあ今回はここまで、だな」

「あぁ、元々そういう話だったな」

 街の広場まで来たところで、キリトが話を切り出した。今回は元々ソロ同士があぶれて組んだパーティーだ。目的が終わったのならば解散するべきだろう。

「お疲れ様。……またな」

「ここでも使うのか……お疲れさん。また会おうぜ」

「お疲れ様。それじゃあね」

 お疲れ様の汎用性にレスカテは驚きつつ、、パーティーを解散してそれぞれが別々の方向へとを歩き出した。

 三人に不安は無い。おそらく再び出会う、そんな予感を三人はなんとなく感じ取っていた。

 

 

「君はどうするんだ? スクーレ」

 未だ一層のボス部屋に残っていたスクーレにディアベルが声をかける。他のプレイヤーは揃って解放された二層へと足を踏み入れたようだ。

「……いえ、私もやめておきます。少し、興味が出てきましたので」

 ディアベルの勧誘に首を横に振って答え、二層の方へと目を向ける。二人しかいないのに、そこだけが緊張にまみれた重苦しい空気が漂っている。

「レスカテ、か」

「はい。知識や経験も無いのに、いざという時に動ける度胸と行動力、そして……」

「戦闘能力、か。一時(いっとき)とは言え、たった一人でボスを抑え込んだ」

「しかも、かすり傷一つ負わずに」

 二人が声を出してレスカテが行った異常な偉業を言い合って確認し、その度に二人とも苦笑いを浮かべていく。

「彼は場違いだと言っていたが……」

「知らぬは本人だけ、という事でしょう。明らかに彼は後の攻略に必要な存在だと、私は思っています」

「それは同感だ」

「なので私は彼の後を追ってみます。……個人的にも興味がありますし」

「ほっほーう」

 スクーレの後半の言葉を聞いて、ディアベルがニヤリと気持ち悪い笑みを浮かべた事で先程の重苦しい空気が完全に霧散する。

「……なんですか?」

「彼に惚れたかい?」

「いえ、それはありえません。それに私の好みは知っている筈でしょう?」

 まるで親戚のおじさんがずっと会ってなかった甥に恋愛事を聞いてくるような鬱陶しさを感じたスクーレがディアベルを睨みつけた。

 そんな睨みに臆することなくディアベルがニヤニヤ笑い続ける。

「知ってる知ってる。ハゲマッチョのガチムチの巨漢が君の好みだろう? というかそれってこのデスゲームが始まる前の君のアバターそのものじゃないか」

「ええ、私の男性に対する理想像です。逞しくて野性的で、しかしそれでいて包容力がある……て何言わせるんですか!?」

「勝手に自分で言ったんだろう?」

 うー、と理知的な美少女が頬を膨らませて怒るというギャップにディアベルは頬を緩める。実際、そういう行動は絶対とらないだろうというようなクールな容姿をしているのだ。ディアベルは改めて心の中で唱える。ギャップ萌って良いものだ、と。

「んんっ! とにかく、私は彼を追いますので、ギルドには入りません」

「ハッハッハッハ! そうか、頑張って彼との距離を縮めてくれたまえ」

「縮めません!」

 ディアベルがからかい混じりに笑いながらスクーレの肩をポンポン叩く。それにスクーレがうがー! と吠えながらディアベルの手を払いのけた。

「……では、二層のボス攻略で会いましょう、ディアベル」

「彼はもう攻略には参加しないんじゃなかったか?」

「そうかもしれません。ですが、とりあえず説得はしてみようと思います。それで知識、経験、そして装備を整えさせようかと」

「本格的だね」

「やるからには本気ですよ。なんせ命がかかっていますからね。それではお先に失礼します」

 スクーレはディアベルに背を向け、二層の方へとゆっくり歩いていく。

(さて、俺はこっちだな。キバオウさんのフォローをしないと)

 逆にディアベルは一層に向けて歩き出す。

 

 

 こうして第一層がデスゲームが開始されて約一カ月後にクリアされた。

 しかし、残り九九層が残っている。だが、着実に前進した事に変わりはない。後にはじまりの街に残っている者達に一層がクリアされた事が伝えられると、その日は歓喜に包まれたと言う。




やっちまった感が半端ない……。


目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
一言
0文字 ~500文字
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。